荒木田久老  萬葉考槻落葉
底本は、古今書院1924年萬葉集叢書第四輯、久保田俊彦(島木赤彦)校訂の臨川書店1972年復刻本。傍線を付した部分には頭注あり。
 
(1)    萬葉考槻落葉解説
 
 縣門のうちに、伊勢から二つの大きな星を出してゐる。一は本居宣長であり、一は荒木田久老である。宣長は古事記を中心として古道を究めんとし、久老は萬葉集を中心として古意を得ようと努めた。宣長は學究的であつたから、萬葉集を學んで萬葉集の心が分らず、歌の上で眞淵に時々叱られてゐる。十七歳から堂上風な歌を詠みはじめて、三十四歳初めて縣門に入つた頃は、もう可なり頭に型が出來て居り、それも江戸伊勢間を文書の往復によつて教を受けてゐたのであるから、眞淵の萬葉觀が宣長に徹しなかつたのは已むを得ない所であり、それに生來の知的性格が餘計にその方向を定めたやうである。久老は養家荒木田氏も生家度會氏も代々伊勢神宮の神主であつて、幼少より實父|正身《まさのぶ》から古學を授けられ、十九歳江戸に下つて直接眞淵の墻内に萬葉の古意を聽き得た。居つたのは足かけ三年であつたが、それが生涯に大きな基礎を据ゑ得たであらう。それに生來豪放不羈の性質が、餘計に萬葉集その他の古代歌謡に親しませたやうである。
 宣長と久老は古學に於て往々説が違ひ、殊に歌に於てそれが著しかつた。久老の歿前三年(享和元年五十六歳)に書いた信濃漫録を見れば、宣長が定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の(2)秋の夕ぐれ」を「見渡せば花も紅葉も難波潟芦のまろ屋の秋の夕ぐれ」と改めて見たのを痛撃して「(上略)歌ちふものはこの風致に言外の餘情あるをめでたしとすべきを(略)偏僻の地の人はこの風致は露辨へずして理を先にし縁語言葉のいひくさりをのみ求めて自らよむにも他の歌を評するにもこの風致を忘れたるそ多かりける。縁語言葉のいひくさりを專とせる歌は必たけみじかく餘情なくてめでたからぬものなるをや。云々」と言うてゐるのは、宣長と久老の歌道觀の相違をよく言ひ現したものであつて、少くも、久老は宣長よりも歌の分つて居つたことが知られるのである。猶同所劈頭に、久老は「近頃宣長が顰に効へる徒歌の風致はつゆ辨へずして只聊かの難を見出ん事をむねとせり。云云」と言うてゐる。
 歌の用語についても、宣長は後世風の歌に古言を交じへ、古體の歌に後の詞の交じるを ぬえ歌 えせ歌と言ひ嘲つたのに對して「(上略)詞は前後の調練によりて近古の差別なきを近頃なま/\のもの學びの徒この意味をも辨へず近古混雜といふ名目を立て他の言(歌?)を難ずるこそうたてけれ。云云」と言うてゐる。これも久老の宣長より歌の分つてゐることの一證例となり得るのである。一體、歌に古體近體などの區別を立てゝ各體を作り分けた宣長の爲わざが智者の智惠負けをした所である。この人は根氣よく古學の穿鑿釋義に没頭して歌道などに口や手を出さねばよかつたのである。
(3) 歌に於て斯樣に二人の意見の相違したのは、生得の性情が相違してゐた爲めであらう。宣長の商家の出なるに似合はず、古學に高い見識を持したのは、學究としての天分が豐かで、始終科學者的冷靜な態度に徹し得たためであり、久老は神に仕ふる家に育つて、更にそれよりも高い氣位を以て直ちに古歌の心に觸到しようとし、その途上、宣長の歌論が癪にさはつたといふ觀がある。さり乍ら、宣長は縣門に入ること、久老より一年の兄であり、年齢に於て十六年の長である。宣長に對する久老の尊敬は、道の上の論難によつて傷けられてはゐないのであつて、その消息は本書卷頭自序文を見て明瞭である。
 本書萬葉考槻乃落葉は、久老の一生を通じて最も心血を濺いだものであつて、可なりの稿を續けたものと思はれるが、卷二解上下及び別記合せて三卷の外上梓するに至らなかつたので、吾人の見るを得ないのは殘念である。久老の校合に用ひた萬葉諸本は、官本水戸本をはじめ元暦萬葉集古葉略類聚抄等に及んでゐて、當時にあつて博渉と稱すべきであり、所説多く妥当確實であつて創見がある。小生は嘗つて、或る人が、人磨の「久方の天ゆく月を綱にさしわが大君は蓋《きぬがさ》にせり」を解して、御獵の歸りに夕月が出たので感興のあまり作つた歌であらう。とやうに言うてあるのを見て知言となした。然るに槻乃落果を見ると「夕ぐれ月の出るまで御狩しあそびませるによりて、かくはよめる也。云々」(4)とあるので、出所のあることを知つたのである。他人の説はその名を明記し、師説と雖も駁すべきを駁してゐる所に久老の清潔な性格が見える。只豪放卓※[榮の中が止の下に縦線の伸びた物]な詩人的性格は、彼を驅つて、專ら古歌道に參せしめたと共に、生涯の研究を所理して世に公にするといふやうな方面を疎懶にした傾きがあるのを殘念に思ふ。これも彼の功利的でない清潔な性格の現れであらう。
 久老には、この他に記紀の歌解、續日本後記歌解、竹取物語歌解、信濃漫録、古言清濁辨論、祝詞考追考等がある。文化元年九月歿。年五十九である。
   大正十三年五月二十六日杜鵑頻りに啼くを聞きつつ 
                柿蔭山房にて 島 木 赤 彦 誌 す
 
     凡  例
○本書復刻は、寛政十年三月兵庫書肆本屋源兵衛外三書肆連名出版の木版本に據つた。同じ類のものでも本によつて多少の異同があるやうである。この書は二種の木版本を參照にした。
○句讀送り假名等その他すべて出來るだけ底本に從つた。只、著しい誤謬と思はれるものを訂正した。「遺《つかは》されし」を「遣《つかは》されし」に、「倍從」を「陪從」に「區※[糸+差]力理我泥底」を「區※[糸+差]刀理我泥底」「手留」を「牽留」に訂した類猶他に多い。
○本書校正は、卷之三上下二卷の再校までを校訂者が行ひ、それ以後の校正と別記全部の校正を古今書院編輯部で行つた。
 
(1)宇治荒木田の神主は、初學のほと、先人に友として、常にしたしくとふらひ來けるが、先人世を辭せられし後、加茂眞淵に從ひて、その流をくみ、その源をさくり、萬葉集をふかく考、委しくわいためて、こたび、此が解槻の落葉をかきつめて、梓にのほぜなんとするに、猶いにしへをわすれずして、われに序をこへり。今その解を見るに、古人未發の考とももおほく、實、筑波山のしけきことの葉分入らむ輩の道しるへともなりなむものぞと、いたうめてたうおほえて、是かはしに書そへてかへしやりける。(3)今よりはしくれふりにしならの葉のかけふむ人の道はまよはし
             從二位  藤 原 持 豐
 
(4)萬葉考|槻《つき》の落葉《おちば》序
いはまくもいともかしこけど、吾《わか》師加茂縣主眞淵の大人の、やむ事なきおほ殿にめさげられて、その歌體約言の序書給へる、その言にいへらく、此|御事《おほんこと》も日の出るかたより、むかしにかへし給へば、日の入邊かけて、いゆき滿《みち》ぬべきをりなも來れる成べき、といへり。諾《うめ》な/\ことにしもあらず。これの古言學の道は、御稜戚《みいつ》とゝもに、大八洲國内《おほやしまくぬち》こと/”\、いたらぬ隈曲もなくなもなりにける。かくて、その道にむかふもの多《さは》なるが中に、わが國人《くにびと》本居宣長《もとをりのりなが》、世《よ》の人《ひと》皆《みな》の左度波《さどは》せる事をら、淺茅原《あさちはら》曲々《つばら/\》に解しめせれば、開花のにほふが如《ごと》、此《この》學《まなび》のみさかりなる時とはなりにけり。吾父度會|正身《まさのぶ》神主世にいましゝとき、漢《から》の倭《やまと》の書等とりまかなひ、さだし給へれば、この郷《さと》の學のおやとまししに、その漢籍《からぶみ》の教は、兄|正令《まさのり》神主につたへ給ひ、倭《やまと》の學《まなび》は、おのれにもとおもほせるみけしき有ければ、久老十まり九の齢にして吾妻《あづま》に下り、加茂の大人《うし》に名簿《なつき》を奉りて、その(4)教をうけ、その道びきを得つれども、をちなき身にはしも、おほろかに聞をり、はたちまりひとつの年にして、本郷《くに》に歸りし後は、友の騷《さわぎ》にまぎれつゝ、學びの心もおこたりがちに成りてゆきて、あら玉の年月まねく過ぬるを、廿《はたち》より五《いつゝ》のとしに大人《うし》身まがり給ひ、その又のとし父神主も身まがり給ひにしかば、いよゝ此《この》事《こと》思息而有《おもひやみてあり》つるに、かの宣長は、學の道の兄弟《はらから》にて、直《なほ》きあつき心に、松の花はなかずにもあらぬおのれをしも、捨《すて》ず遺《わすれ》ずして、時々の言のかよひにも、正目《まさめ》にあひ見るをり/\も、ひたぶるにおもむけあなゝへば、おもひ立なんとはしつゝも、なま/\のもの學は、人わらへなることのおほかるべく、中/\に師の名をけがし奉る事しもあらむと、且恐みかつやさしみて、年ごろうつておきつるに、庶弟等《まゝおとら》おのれが子等が、雖教《をしふれど》不學《まななず》、いさなへどしたがはず。難波《なには》の小江《こえ》になまりをるあしがにの、あしき人ぐさならひ、河《かは》また江《え》におひをゝれるうきぬなはの、うきたる世の手ぶりのみにしなりもてゆけば、父神主の御志も、その御名《みな》も、※[手偏+旁]去《こぎに》し舶のあとなきが如、露じもの消《け》かも行なむ(5)あたらしさに、玉河にさらすてづくり、更《さら》/\におもひおこして、安積香《あさか》の山のやまの井の、淺《あさ》はかなる學ながらも、もゝが中に一言もとるべき事しあらば、父神主の御名代《みなしろ》のかたはしともなりなんものぞと、これの萬葉集を解て、あへて書つめにたる槻《つき》の落葉《おちば》ぞこれ。
          天明八年六月二十二日
                 荒 木 田 神 主 久 老
 
 
   附   言
 
この解に一二の卷をいはぬは、師の考のあれば也けり。されどそが中にも、ゆくりなくおもひ誤り給らんとおもはるゝことのなきにしもあらねば、正しき證あるは、その言の出るをち/\にことわりつ。
集中作者の傳は、わが友西村重波が作者考一冊あり。故《カレ》この解にはおほかたにいひて言を省け(6)り。疑しきは彼考につきて見よ。
言《コト》の清濁《スミニゴリ》は、わが友羽根の眞清が清濁論一冊あり。故《カレ》この解にはかつ/”\いひて、今のとなへにならへる言おほし。眞清ははやく身まかりぬれば、彼論再按を加へず、今友だちにはかりていさゝか言をそへて、この解の附録とせり。
まくら詞は、師の冠辭考あれば、今はのぞけり。是をしも師の冠辭といはれしは、冠はおほやけにして、枕はかたへのものなれば、しかいふべき理りなるべけれど、冠辭といふ言の、むかし今のものに見たるなければ、師の私言とやいふべからん。故この解には中古の稱にならひてまくらことばといひ、文字は弘仁私記によりて、發語と書たり。
卷の順次《ツイデ》は、師の考に年|次《ナミ》によりて、委曲《ツバラ》に論ひ給へれど、今のみだれ本にめなれたる心には、まどはしき事のおほければ、しましく今本の次に從ひて解り。あへて師の言をそむけるにあらずなん。
卷々の目録は、古本にはなきよし仙覺既にいへり。今《イマ》解に益なければ、こを除《ノゾキ》て紙筆の費をはぶけり。
この解に古本といへるは、季吟が拾穂抄に所v引官本、契冲が代匠記に取v所水戸本、豐前國人藤原重名が京都《ミヤコ》にて所v校古寫本、己が藏《モタ》る古寫本等也。活本といへるは、活字本、類聚抄といへるは奈良より出たる古葉類聚抄なり。
 
 
(1)萬葉考|槻乃落葉《つきのおちば》【三乃卷解】上
                  從四位下荒木田神主久老撰
  雜 歌《クサ/”\ノウタ》
 天皇《スメラミコト》【持統天皇也。すめらみことゝよむよしは、別記にいへり】御2遊《ミアソビマス》【卷(ノ)二に、君跡時々《キミトトキ/”\》、幸而《イデマシテ》遊賜也《アソビタマヒシ》、とみえたり。】雷立《イカヅチノヲカニ》1之|時《トキ》。【雷乃丘《イカヅチノヲカ》の事は、師の別記に詳なり。高市(ノ)郡|雷村《イカヅチムラ》といふ所にありて、みもろ山とも、神なび山ともいふは、是也。といへり。】柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作(ル)歌、一首。
 
皇者《オホキミハ》。【おほきみとよむよしは、別記に委しくいへり。】神二四座者《カミニシマセバ》。【神とは、奇《クスシ》く武《タケキ》御稜威《ミイツ》のおましますをいふ言なり。本居氏の古事記傳に、大蛇《ヲロチ》を(2)も、虎《トラ》をも、狼《オホカミ》をも、神といひし事をあげて、神といふ言の意を論らへること、甚《イト》詳なり。今おもふに、神《カミ》とは、かしこみ恐るゝ意にて、集中に、大王《おほきみ》の、みことかしこみ、とおほくみえたるは、御國の古意にて、こゝろのそこひ、天皇をかしこみ奉るは、彼に奇《クスシ》き御稜威《ミイツ》のおましますが故也。ちはやぶる、神ちふまくら詞も、たゞ神靈《カミ》の意につゞけたるにはあらで、神は、かしこむ意につゞけたるなり。神代妃に、神素戔嗚尊《カムスサノヲノミコト》とあるも、その神さがの武くおましますを、恐懼《カシコム》意にて、神とは申奉る也。】天雲之《アマクモノ》。雷之上爾《イカヅチノウヘニ》。【雷山の上をいふ。もしは、上は山の誤にはあらぬにや、恐き雷《イカヅチ》のうへにいほはりし給ふは、まことに神にますが故なり、といへり。さて伊加豆智《イカヅチ》は、瞋槌《イカヅチ》なるよし、契冲いへり。槌《ツチ》は、加具都智《カグツチ》、野槌《ヌヅチ》、足摩槌《アシナヅチ》などの、豆智《ヅチ》にて、神の御名につけいふ稱言《タタヘゴト》也。】廬爲流鴨《イホリセルカモ》。【いほりは、假りに造り設て、旅やどりする家をいふ。庵《イホ》と、いほりは、體用の言にて、宿《ヤド》と、やどりに同じ。假に造り設るよしは、集中の歌にて考しるべし。そが中に、卷(ノ)二には、廬作而見者《イホリテミレバ》、と作の字をそへ、卷(ノ)八には、廬入《イホリ》と、入の字とも添へて書たり。爲流《セル》のよみは、別記にいへり。さてこゝに天皇の離宮のありけるにや。卷(ノ)十三に、月日《ツキモヒモ》、攝《アラタマレ》とも、久《ヒサ》にふる、三諸《ミモロ》の山の、礪津宮所《トツミヤドコロ》とよめるは、離宮をよめる歌と見えたり。尚可v考。
  右或本(ニ)云。獻(ル)2忍壁(ノ)皇子(ニ)1也。【天武天皇の皇子也。】
   其歌(ニ)曰。
 
〔頭注 天をあまといひ。阿米といふこと己(レ)別に考あり。〕
 
(3)王《オホキミハ》、神座者《カミニシマセバ》。【王とは、皇子諸王を申事なれど、こゝも天皇には皇と云、皇子には王と書て、別(カ)てりと思ふ人有べけれど、さにあらず。皇も、王も、おほきみとよみて、ひとつ事なるよしは、卷(ノ)十九に、壬申(ノ)年之亂、平定以後歌、と標して、皇者《オホキミハ》、神爾之《カミニシ》ませば、赤駒之《アカゴマノ》、はらばふ田爲《タヰ》を、京師《ミヤコ》となしつ。大王者《オホキミハ》、神爾之《カミニシ》ませば、水とりの、すだくみぬまを、皇都《ミヤコ》となしつ。とあり。この大王者、王とのみもありて、同じ事なれば、天皇と皇子とを別てるにはあらず。】雲隱《クモカクル》。雷山爾《イカヅチヤマニ》。宮敷座《ミヤシキイマス》。【こは忍坂部皇子の宮の、こゝに有けるにや。敷《シキ》は知《シリ》に同じく、そこを、領知《シリ》ますをいふ言也。】
 
  天皇賜(フ)2志斐嫗《シヒノオムナニ》1御製歌、一首。【天皇は、持統天皇なるべし。おほみうたの、女歌と聞ゆるを、志斐《シヒ》は、老女の氏也。續日本紀に、算術正八位上、志斐《シヒノ》連|三田次《ミタスキ》といふ人みえたり。嫗《オムナ》は、和名抄(ニ)云。説文(ニ)云、嫗、和名|於無名《オムナ》、老女(ノ)之稱也。とあり。これを師はすべて、およなとよまれて、和名抄の無《ム》の字をも、與《ヨ》の誤也といはれしは偏《カタヨ》れる論也。且卷(ノ)五に、於與之袁波《オヨシヲハ》とあるをも、老の事とせられしは誤也。およしをは、凡《オヨソ》をのべたる言也。先人の説に、於無奈《オムナ》は、於伊遠美那《オイヲミナ》を、伊《イ》を省《ハブ》き於《オ》の言に、遠《ヲ》をふくみて於無奈《オオムナ》とはいへるなり。といはれしは、さる言也けり。】
不聽跡雖云《イナトイヘト》。【いな聞じとの給へど也。】強流《シフル》。【しひてかたり閲しめたてまつるなり。さてこゝを、しひるとよむは、俗言なり。和備《ワビ》をわぶる、慕《シヌビ》を、しぬぶるなどいふ例にて、必しふるとよむべきなり。】志斐能我《シヒノガ》。【この能《ノ》はしたしみ呼ぶにそふる言とみえて、卷(ノ)十八に、こしの吉美能我《キミノガ》、卷(ノ)十四に、勢奈熊我袖《セナノガソデ》云々、と(4)あり。もと奈《ナ》より轉《ウツ》りたる言にて、同し卷に、伊毛能良《イモノラ》とあるは、妹奈呂と同言とみゆれば、勢奈《セナ》、手兒奈《テコナ》、などいふ奈も、この能《ノ》に同じかるべし。】強語登《シヒコトト》。【ことゝの登《ト》は今本には脱たるを、古本によりて補へり。別記に委しくいふ。】比日不聞而《コノゴロキカデ》。【比日の二字、卷末、人言之《ヒトコトノ》、繁比日《シゲキコノゴロ》、とあるより、集中いと多し。不聞而の三字を、きかでとよむ例は、卷(ノ)十二に、妹乎不相見而《イモヲアヒミデ》、年經者《トシノヘヌレバ》、とありて、不相見而の四字を、あひみでとよみたり。】朕戀爾家里《ワレコヒニケリ》。【しひてかたる語登《コトト》を、いなともおもほしめせしかど、久しくおまへに出てかたらねば、更に戀しくおもほしめすとなり。
 
〔頭注、今本御歌と有。製の字は集中の例によりて、私に加へたり。〕
〔頭注、續紀和鋼五年(ノ)詔(ニ)曰、故左大臣正二位多治比(ノ)眞人島(カ)之|妻《メ》、家原(ノ)音那《オムナ》、贈右大臣從二位大伴宿禰御行(カ)之|妻《メ》紀(ノ)朝臣(ノ)音那《オムナ》、並(ニ)以(ルニ)夫存之日(ハ)相2勸(メ)爲(ルノ)v國之道(ヲ)1夫亡之後(ハ)固(ク)守(ル)2同墳之意(ヲ)1、云々。この音那《オムナ》は假字《カナ》、老女之稱、嫗《オムナ》を云るなり。〕
 
  志斐嫗奉和歌《シヒノオムナガコタヘタテマツル》歌、 一首。 嫗(ノ)名未v詳
 
不聽雖謂《イナトイヘト》。【いなかたらじと申せどもなり。】話禮話禮常《カタレカタレト》。詔古層《ノラセコソ》。【のらせばこそといふを、ばを省《ハフ》くは古言の格也と、本居氏いへり。まことしかり。集中例おほし。】志斐伊者奏《シヒイハマヲセ》。【伊は、上にも下にも添いふ言也。是をも發語助辭とのみいへど、由《ヨシ》なくてそへいふべきにもあらず。集中言の餘れるにも、伊を添て、いゆきなどいへるは、かならず別儀有とみえたり。下に伊の言をそへたるは、繼體紀に、※[立心偏+豈]那能倭倶吾伊《ケナノワクゴイ》。續日本紀宣命に、藤原(ノ)仲磨伊。百済王福信伊。集中には、卷(ノ)四に紀關守伊《キノセキモリイ》。卷(ノ)十二に、家なる妹伊《イモイ》。尚あり。奏は。まをせとよむ、こその言をむすべり。】強語登云《シヒコトトチフ》。【語、今本話とあり、古本による。語登は、上にいへり。(5)ちふは、といふの約《ツヾ》めことなり。】
 
〔頭注、紀の熊野の方言に人の名の下に、伊の言をそへて呼ぶといへり。〕
 
(5)  長忌寸意吉麻呂《ナガノイミキオキマロ》、【卷一に出、師の考有、】應《ウケタマハリ》v詔(ヲ)歌《ヨメルウタ》、 一首。
 
大宮之《オホミヤノ》。内二手所聞《ウチマテキコユ》。【二手は、左右手、左右、諸手、兩手、など書くにおなじく、至《マテ》の假名《カナ》にもちひたり。さて左右兩手を、まてといふは、熟按に、物ふたつあるを、麻《マ》といふに似たり。眞梶《マカヂ》も、左右にあるによりていひ、間といふも、ものふたつあれば、間あるによりていふ言と聞え、俗に密夫を、まをとこといふもさる意、亦《マタ》といふもふたつあるよりいふ言なれば、麻《マ》はふたつの意なるべし。故二手を、迄《マテ》の訓《ヨミ》には假たる也。さて迄《マテ》のてを、總て濁音とすれど、集中の例は、きはめて清音也。別記、清濁(ノ)論にいへり。】網引爲跡《アヒキスト》。【御饌津《ミケツ》ものに奉る魚をとるとて、網引《アミヒク》也。卷(ノ)四に吾衣《ワガキヌ》を、人莫著《ヒトニナキセソ》、網引爲《アヒキスル》、難波壯子乃《ナニハヲトコノ》、手爾波雖觸《テニハフルトモ》。】網子調流《アゴトトノフル》。【網子《アゴ》は網引《アミヒク》をのこともをいふ。調《トヽノフ》るは、卷(ノ)二に、齊《トヽノフ》る鼓《ツヽミ》の音《オト》、續日本後記に、仁明天皇の、四十算を、賀《ホギ》奉りて、興福寺の法師の奉れる歌に、四十《ヨソ》の師《シ》の、悟開《サトリヒラ》けて、行《オコナ》ふ、人《ヒト》を、調《トヽノ》へ、とある、とゝのふに同じく、網子《アゴ》ともを、呼起し調《トヽノフ》るなり。】海人之呼聲《アマノヨビコヱ》。【あまは、海奈部《ウナベ》にて、(宇奈は、阿に約まる。部はその伴をいふ。)漁するものゝ通稱也。さてこの歌、大和に海なければ、かならず難波にての歌なるべしと、契冲いへり。まことにしかり。難波は、仁徳孝徳の皇居なりしに、天武紀十二年詔曰、凡都城宮室非2一處1。必造2兩參(ヲ)1。故先(ツ)欲v都2難(6)波1。とありて、文武天皇三年正月幸2難波宮(ニ)1。とあるも、この宮なるべければ、さるをりつかふまつりて、よめるなるべし。】
 
〔頭注、聖武天皇も、難波長柄の宮に、都を遷しまさんとおもほしめして、大宮作り給ひ、行幸もありし也。そのこと、續紀にも見え、集中には、この卷に、むかしこそ、難波いなかと、いはれけめ、今みやこびに、みやこびにけり。と見え、卷六には、續麻《ウミヲ》なす、長柄の宮に、眞木柱《マキハシラ》、ふと高敷て、をす國ををさめ給へば、おきつとり、味經の原に、ものゝふの、八十伴のをは、いほり(6)して、郡なしたりとよめり〕
 
  長皇子《ナガノミコノ》。【天武天皇の皇子、長は、奈賀《ナガ》とよむべきよし、師いへり。】遊2獵《ミカリタヽス》々路野《カリチヌニ》1之時《トキ》、【今本ひとつの獵の字を脱し、野《ヌ》を池に誤れり。獵は、活本古本によりて補《クハ》へ、野《ヌ》は私に改つ。さるは、池に遊獵すといふ事のあるべくもあらず。歌にも、小野《ヲヌ》とよみたればなり。】柿本(ノ)朝臣人麻呂(カ)作(ル)歌、 一首、並短歌。
八隅知之《ヤスミシシ》。吾大王《ワコオホキミ》。【冠辭考に詳也。吾は、古事記には、倭賀《ワガ》と、あるを、今わごとよむは、集中すべて假字《カナ》書には、和其《ワゴ》、和期《ワゴ》と書、續日本紀にも、和己於保支美《ワゴオホキミ》、とあればなり。】高光《タカヒカル》。吾日乃皇子《ワガヒノミコ》。【是も師の考に悉し。今本皇子乃とあり。古本は乃文字なし。いづれよけむ。こゝまての語は、別記に委くいへり。こゝは長(ノ)皇子を申たてまつる也。】馬並而《ウマナメテ》。【卷六に、名目而《ナメテ》、と書たるによりて、よめり。】三獵立流《ミカリタタセル》。【立は、鵜川たつなどいふ立にて。御獵人の立をいふ。せるは、別説有。】弱薦乎《ワカコモヲ》。【發語《マクラコトバ》。】獵路乃小野爾《カリヂノヲヌニ》。【大和志に、十市(ノ)郡、鹿路村なるよしいへるは、鹿路の名の近きによりての、押當にはあらぬにや。卷(ノ)十一に、とほつ人、獵路《カリヂ》の池ともよみたり。】十六社者《シシコソハ》。【しゝとは、猪鹿の總名、わけては、ゐといひ、かといへり。十六は四四《シシ》の言に(7)假たり。社をこそとよむは、木苑《コソ》の意、則卷十六に、死者木苑《シナハコソ》と書たり。故《カレ》按《オモフ》に、杜をもりとよむも、この社の字の誤なるべし。】伊波比拜目《イハヒヲロガメ》。【伊《イ》は、助語、波比《ハヒ》は這《ハフ》也。拜は、をろかめとよむべきよし、吾友眞清はやく云へり。後に本居氏の考をみれば、をろがめとよめり。推古紀に、烏呂餓瀰弖《ヲロガミテ》とあり。】鶉己曾《ウヅラコソ》。伊波比囘禮《イハヒモトホレ》。【もとほるは、めぐるの古言なり。卷(ノ)七に君爾將相登《キミニアハムト》。他囘來毛《タモトホリクモ》。とよめるは、立めぐり來るといふ言なり。また卷(ノ)十九に、大殿《オホトノ》の。此囘之《コノモトホリノ》。雪莫踏禰《ユキナフミソネ》。とよめるは、大殿のめぐりといふ言にて、囘《モトホリ》を體になしていへるなり。】四時自物《シシジモノ》。【發語《マクラコトバ》。自物《シモノ》の言、師説はいまだ、盡さず、尚考有べし。】伊波比拜《イハヒヲロカミ》。鶉成《ウヅラナス》。【なすは、如の古言也。師説つまびらか也。】伊波比毛等保理《イハヒモトホリ》。恐等《カシコミト》。【卷七に、奥山の、岩に苔むし、かしこみと。とあり。】仕奉而《ツカヘマツリテ》。久堅乃《ヒサカタノ》。【發語《マクラコトバ》、師説はあまなひがたし。別記有。】天見如久《アメミルゴトク》。【この久の字、古本になし。故《カレ》阿米見我許登《アメミルガゴト》、とよむにやとおもへど、卷二に、天見知久《アメミルゴトク》、仰見之《アフギミシ》、とあれば今本の久の字有るに從へり。】眞十鏡《マソカガミ》。【發語《マクラコトバ》。】仰而雖見《アフギテミレト》。春艸之《ハルクサノ》。【春艸は、字のまゝによむべし。】益目頬四寸《イヤメヅラシキ》。【益を、いやとよむは、卷(ノ)二に、相みし妹は、益《イヤ》としさかる。卷(ノ)七に、益《イヤ》河のぼる。卷十七に、こよひゆ戀の、益《イヤ》まさりなん。尚多かるべし。】吾於富吉美可聞《アゴオホキミカモ》。【長皇子を申。別記に委し。】
 
〔頭注、こゝの二句、御國の古言なり、天皇をも皇子をも申奉言なり。古意を得ずは、おもひまどひなむ。〕
〔頭注、かゝる言の上にそヘたる伊は、既にいふ如く、よしなくて、そへいふべきにあらず。伊は、ありたゝし、ありかよはし、などいふ、ありに同じく、則|阿里《アリ》の約めは伊也。けり、ありは存在の義なり。〕
〔頭注、春艸之《ハルクサノ》といへる、之《ノ》の手爾波は、如の意をふくめる言《コトバ》也 古歌に例おほし。〕
 
(8)  反歌、一首。
久堅之《ヒサカタノ》。【發語《マクラコトバ》。】天歸月乎《アメユクツキヲ》、【歸をゆくとよむは、集中に多し。】綱爾刺《ツナニサシ》。【今本|網《アミ》とあるは、綱《ツナ》の誤にて、蓋《キヌガサ》には、綱《ツナ》ありて、そをとるものを、綱取《ツナトリ》といふと、契冲いへり。まことにさる事にて、江次第などにも、その事みえたり。さるをおのれ疑けるは、綱には、さすといふ言の、集中にも何にも見えぬに、網にはさすといふ言のありて卷(ノ)十七に、ほとゝぎす夜音《ヨゴヱ》なつかし、安美指者《アミサヽバ》、云々、同卷に、二上乃《フタカミノ》、乎底母許能母爾《ヲテモコノモニ)、安美佐之底《アミサシテ》、安我麻都多可乎《アガマツタカヲ》。云々、とも見え、端著に、張2設《サシマウク》羅網(ヲ)1とあれば、刺《サス》とは、あみをはる事にて、こゝも今本の字のまゝにて、蓋《キヌガサ》に、網《アミ》をはるにやと、おもへりしかど、蓋《キヌガサ》に、網《アミ》はさらによしなければ、猶|綱《ツナ》のあやまりとすべきなり。】我大王者《ワゴオホキミハ》。【長皇子を申す。】蓋爾爲利《キヌカサニセリ》。【儀制令(ニ)云。凡|蓋《キヌカサ》、皇太子(ハ)、紫(ノ)衣、蘇芳(ノ)裏、頂及四角覆v錦(ヲ)垂v總(ヲ)、親王(ハ)、紫(ノ)大|纈《ユハタ》、云々。和名抄云、兼名苑云、華蓋、和名|伎奴加散《キヌカサ》と見えたり。 夕ぐれ月の出るまで、御狩しあそびませるによりて、かくはよめるなり。人まろならでは、かくはよみ得じ物を。
 
  或本(ノ)反歌、一首
皇者《オホキミハ》、神爾之坐者《カミニシマセバ》。【上に見えたり。】眞木之立《マキノタツ》。【眞木は、檜をいふよし。師の考にいへり。】荒山中爾《アラヤマナカニ》。【あらとは、荒鹽《アラシホ》、荒野《アラヌ》、荒艸《アラクサ》、などいひて、人氣にふれぬをい(9)ふと、師のいへり。】海成可聞《ウミヲナスカモ》。【成とは、造らしゝをいふ。是は獵路の池、造らしゝをりの歌なるべし。この歌、こゝの反歌ならず。或本のみだれなることをいちじろし。此欧によりておもへば、彼池造らしゝは、天武の御代の頃ほひにや有けん。又こゝの題を獵路池云々と誤りしも、よし有げに覺ゆ。】
 
  弓削皇子《ユゲノミコノ》。【天武天皇の皇子。】遊(マス)2吉野(ニ)1時《トキ》、御歌《ミヨミマセルウタ》一首。【吉野の行宮は、雄略の御代より有と見えて、世々の天皇も、皇子たちもしば/\いでましゝ事、紀にも集中にも、すき/”\見えたり。卷十八に、高御座《タカミクラ》、天津日嗣《アマツヒツギ》と、天下《アメノシタ》しろしめしける、すめろぎの、神のみことの、かしこくも、はじめ給ひて、たふとくも、定め給へる、みよしぬの、この大宮に、と家持卿のよめるは、遠祖の天皇の、この離宮《トツミヤ》を、造り初め給ひし事をいへり。】
瀧上之《タキノウヘノ》。【今吉野の宮瀧といふは、いにしへ行宮のありし所也といへり。卷(ノ)六に、三芳野乃《ミヨシヌノ》、蜻蛉《アキヅ》の宮、とよみしも、この宮瀧の地なりといへり。】三船乃山爾《ミフネノヤマニ》。【三《ミ》は眞《マ》に同じ。今も瀧の上に、船の形したる山ありといへり。故《カレ》名におへるなるべし。】居雲乃《ヰルクモノ》。【雄略の御製に、比流波久毛登爲《ヒルハクモトヰ》、とありて、山に雲のあるを、古へよりゐるとはいへり。】常將有等《ツネニアラムト》。【つねとよむは、卷(ノ)二十に、いそ松の、都禰爾《ツネニ》いまさね、とあり。古本|等《ト》の下に、加の字あり。】和我不念久爾《ワガモハナクニ》。【なくは、ぬの延へ言、わがおもはぬ、といふに、爾《ニ》の言をそへたる也。一首の意は、吉野にあそびますに、御心にいとおもしろくおもほしめして、つねみま(10)ほしく、おもほすにつきて、うつしみのつねなきを、更になげきます意なり。卷(ノ)六に、人みなの、壽《イノチ》もわれも、みよし野の、瀧の床磐《トコハ》の、常ならぬかも、と有も同じ意也。】
 
〔頭注、常の字を、師はとことよまれたり。古本にては、つねあらむとか、とよむべし。この常《ツネ》ならぬかもは、とこはよりつづきたればとことよむべきにやとおもへど、これもつねとよむべき也。〕
 
  春日王《カスガノオホキミ》。【文武紀に、三年六月庚戌、淨大肆春日王卒とありて、天智の御孫也。】奉(ル)v和《コタヘ》歌、一首。
 
王者《オホキミハ》。【弓削皇子を申せり。】千歳爾麻佐武《チトセニマサム》。【千歳《チトセ》のとせは、年經《トシヘ》の約《ツヾ》め言なりと云へり。】白雲毛《シラクモモ》。三船乃山爾《ミフネノヤマニ》。絶日安良米也《タユルヒアラメヤ・タエテアラメヤ》。【古本にも、類聚抄にも、日の字なし。たえてあらめや、とよむにや、いづれよけむ。あらめやは、あらじといふ意。卷末にも、みふねのとまり、波たゝめやも、とあり。集中いとおほし。皇子乃、雲の常なきによせて、うつしみの數《ハカ》なきをなげきませしを、王《オホギミ》はその雲の絶る時なきに比して、皇子の常にまさむ事を、ほぎ申せり。】
 
  或本歌、一首。
三吉野之《ミヨシヌノ》。御船乃山爾《ミフネノヤマニ》。立雲之《タツクモノ》。常將在跡《ツネニアラムト》。我思莫苦二《アカモハナクニ》。【この歌、上のにいくだも違はねば、削去てよし。】
   右一首、柿本(ノ)朝巨人麻呂(ノ)歌集(ニ)出。
 
(11)  長田王《ナガタノオホギミ》。【長(ノ)皇子の孫。粟田(ノ)王の子。】被《ルヽニ》v遣(サ)2筑紫《ツクシニ》1渡(ル)2水島(ヲ)1【景行紀に。壬申自2海路1泊(テ)2於葦|北小島《キタノヲシマニ》1而|進食《ミヲシス》。忽(ニ)寒泉崖(ノ)傍(ニ)涌出。乃(チ)酌(テ)獻(ル)焉。號(テ)2其島(ヲ)1曰2水島(ト)1。其水今猶在2水崖(ニ)1也1。とありて、和名抄に、葦北は、肥後(ノ)國の郡名、水島は、菊池郡の郷名に載たり。】之時《トキノ》歌二首。
 
如聞《キヽシコト》。【ある人、きくがごとゝよみたるは、消去之如久《ケヌルガゴトク》、ともあれば、さもよむべけれど、卷(ノ)二十に、於毛比之其等久《オモヒシゴトク》、とある例によらば、きゝしごとゝもよむべき也。】眞貴久《マコトタフトク》。奇母《クスシクモ》。【卷十八に、七夕の歌、こゝをしも、あやに久須志美《クスシミ》。卷(ノ)十九、處女墓の歌に、久須波之伎《クスハシキ》、事跡言繼《コトトイヒツギ》。と見えたり。靈も、奇も、くすはし、くすし、くしび、くしなどよみて、すべて、靈妙のことをいふ言なり。】神佐備居賀《カムサヒヲルカ》。【集中、加美佐夫流《カミサブル》とも、加牟佐備《カムサビ》、ともあれば、いづれにもよむべし。居賀《ヲルカ》の加《カ》は、かもといふに同じ。後にかなといふ言なり。】許禮能水島《コレノミヅシマ》。【この、といふを、これの、といふは、古言也。】
 
葦北乃《アシキタノ》。野坂乃浦從《ヌサカノウラユ》。【集中に由《ユ》とも、用《ヨ》とも、欲《ヨ》とも、假字《カナ》書のあれば、いづれにもよむべし。よりの古言なり。】船出爲而《フナデシテ》。水島爾將去《ミヅシマニユカナ》。【八言の句なり。本居氏の言に、歌は、五言、七言、にて、六言、八言、の句はなし。その五言の句を、六言、七言の句を八言にもいへるは、かなら(12)ずあいうおの音にて、文字あまりによむ例也といへり。古今集中の歌を考るに、まことしかり。この集にては、あいうおの音ならぬにも、六言、八言にいへる歌なきにしもあらず。よく/\古歌を考へて、定むべき也。】波立莫勤《ナミタツナユメ》。【ゆめは、齋忌《ユキ》、忌々之《ユヽシ》のゆにて、いみつゝしむ意也。故《カレ》集中、勤謹の字をかけり。つゝしみて波立《ナミタツ》那と、制するなり。】
 
〔頭注、少彦名神を、日本紀(ノ)歌に區之能伽彌《クシノカミ》といへるは、藥神《クスリカミ》の約言にて、酒(ノ)神をいふなるべし。古事記(ノ)歌に、許登那具志惠具志爾《コトナクシヱクシニ》、和禮惠比爾祁理《ワレヱヒニケリ》、とあるは、言和藥哭藥《コトナグクシエクシ》にて、則酒をいへるなるべく、又|黒紀白紀《クロキシロキ》の紀《キ》も、この區之《クシ》の約言なるべし。さるを續日本後紀(ノ)歌解、槻の落葉に、奇神《クシノカミ》也といへるは誤なりけり。〕
 
   石川(ノ)大夫。【宮麻呂なるよし、或人云へり。續日本紀に、慶雲二年十一月甲辰、以2大納言從三位大伴宿禰安麻呂1。爲2兼太宰(ノ)帥1。從四位上石川朝臣宮麻呂爲2大貮1と見えたり。この時長田王も下れけるにや。考べし。】和(ル)歌、一首。
 
奥浪《オキツナミ》。邊浪雖立《ヘナミタツトモ》。和我世故我《ワガセコガ》。【長田王をさす。】三船乃登麻里《ミフネノトマリ》。【三《ミ》は御《ミ》也。】瀾立目八方《ナミタヽメヤモ》。【たゝむやといふにおなじ。既に出。】
 
   又|長田《ナガタノ》王(ノ)、作(ル)歌。
 
隼人乃《ハヤヒトノ》。【發語。】薩摩乃迫門乎《サツマノセトヲ》。【薩摩は、幸島なるよし、師の考にいへり。卷六に、隼人乃《ハヤヒトノ》、せとの岩ほも、鮎はしる、よし野《ヌ》の瀧に、猶しかずけり。とよみて、おもしろき所としられたり。迫門《セト》は字の如く、海門《ウナト》の迫《セマ》りたるところをいふなり。】雲居奈須《クモヰナス》。【なすは、如の意。】遠毛《トホクモ》【毛の字、(13)類聚抄、雲に作れり。】吾者《ワレハ》。今日見鶴鴨《ケフミツルカモ》。【下に、ひる見れど、あかぬ田子の浦、おほきみの、みことかしこみ、夜るみつるかも。といへるに同じく、おもしろき、迫門《セト》をも、任をつゝしみて、遠く見やりて、いたづらに過行となり。】
 
   柿本朝臣人麻呂(ガ)覊〔馬が奇〕旅《タビノ》歌、八首。
 
三津埼《ミツノサキ》。【難波のみつ也。御津《ミツ》とは、官津ゆゑいふと、師説也。】浪矣恐《ナミヲカシコミ》。隱江乃《コモリエノ》。【波の荒きをかしこみて、船出せず、隱り居るを、やがてこもり江にいひつゞけたり。】舟公宣《フネハモユカズ》。奴島爾《ヌシマノサキニ》。【こは脱語ありとみえて、よみ得ぬを、わが藏《モタ》る古本には、島の字の下に、一字の闕字あり。故考るに、舟公は、舟ハんとありしを、誤しものか。古くはも〔右○〕の草假字をんと書たり。宣は、不通二字を誤りしものか。しからば、ふねはもゆかず、とよむべし。さて島の下に、埼の字を脱せるなるべし。猶よく考べし。】
 
珠藻苅《タマモカル》。【玉藻は、海に生するものなれば、海邊の地には、總て冠らせたり。はじめ敏馬《ミヌメ》につゞけしは、眞瓊海藻《ミヌメ》の意にやとおもひしは、あしかりけり。卷(ノ)一に、玉藻苅《タマモカル》、奥敞波不榜《オキヘハコガシ》。卷(ノ)六に、珠藻苅《タマモカル》、辛荷乃島《カラニノシマ》に、卷(ノ)十一に、玉藻苅《タマモカル》、井堤乃四賀良美《イデノシガラミ》。などいづくにもつゞけたり。】敏馬乎《ミヌメヲ》【攝津の國。】過《スギテ》。夏艸之《ナツクサノ》。【發語。】野島之埼爾《ヌシマノサキニ》。【淡路に、今なほ奴島《ヌシマ》といふ島ありといへり。】舟近着奴《フネチカヅキヌ》。
 
(14)  一本(ニ)云。處女乎過而《ヲトメヲスギテ》云々。【是は卷(ノ)十五に見えたり。されど處女といふ地名のあるべくもあらねば、必(ス)敏馬の誤なるべし。】伊保里爲吾等者《イホリスワレハ》。
 
〔頭注、三津の事は下に出たり。〕
 
粟路之《アハヂノ》。【四言の句、古歌に例多し。阿波に通ふ道の島なれば、粟路島といふと、本居氏いへり。】野島之前乃《ヌシマノサキノ》。【崎也。】濱風爾《ハマカゼニ》、妹之結《イモガムスベル》。【卷(ノ)二十に、兒等我牟須敞流《コラガムスベル》、とあり。むすびしとよむは、非也。】紐吹返《ヒモフキカヘス》。
 
荒栲《アラタヘノ》。【發語。】藤江之浦爾《フチエノウラニ》【此藤江の浦を、卷(ノ)六に、赤人の歌に、荒妙乃《アラタヘノ》、藤井が浦に、鮪《シビ》つると、海人船動《アマブネトヨム》、とありて、その短歌に、藤江の浦に、船ぞとよめる、とよみたり。井と江は、相通はしていふ例あり。和名抄に、播磨國、明石(ノ)郡、葛江《フチエ》、と見えたり。】鈴木釣《スヽキツル》。【鱸魚なり。】白水郎跡香將見《アマトカミラム》。【和名抄(ニ)云。弁色立成(ニ)云、白水郎。和名|阿萬《アマ》と見えたり。】旅去吾乎《タビユクワレヲ》。【卷七に、鹽《シホ》早《ハヤ》み、磯囘《イソミ》にをれば、入潮《カヅキ》する、あまとやみらむ、旅行われを。尚かゝる風情の歌おほかり。
 
  一本。白栲乃《シロタヘノ》。藤江能浦爾《フチエノウラニ》。伊射利爲流《イサリスル》。【是は卷十五に出たり。白栲とあるは、決て誤也。荒妙《アラタヘ》の藤とこそつゝけ、いさりは、あさりと類語にて、あさりは、上去《ウハサリ》也。【うはは、あに約る、さりは取ざるなり。】いさりは、入去《イリサリ》なり【入は海底に入居るものをいふ】と先人云へり。師説に、勇魚取《イサナトリ》と、同意也といはれしは、うけかたし。猶いさなとりの條にいふべし。
 
〔頭注、藤《フチ》のちは、必|清《スム》べきにやとおぼしき事あり。古今集に、わがやどの池の藤浪とあるも、淵に通はしたるつづけなるに、後撰集にも、かぎりなき、名におふ藤の、花なれば、そこひもしらぬ、色のふかさは。棹させど、深さもしらぬ、ふちなれと、色をば人の、しらじとそおもふ。とあり。土佐國にては、今猶ふちのちは清《スム》と、其國人いへり。
又按に、あさりは、陸去《ヲカサリ》にや。をかも、阿に約まる。
再按に、このいさ(15)り、あさりの考は、誤れり。近考は、四の卷の記にいへり。〕
 
(10)稻日野毛《イナヒヌモ》。【播磨國に、印南《イナミ》郡あり。卷(ノ)六に、稻見野《イナミヌ》とも書たり。ひとみは、通はしいふ例也。】去過勝爾《ユキスキカテニ》。思有者《オモヘレバ》。【勝は、難《カテ》とも書たれば、師のいはれし如く、過行かたくといふにおなじ。さてかての可《カ》を、師の濁られしはあしゝ。必|清《スム》べき證あり。】心戀數《コヽロコヒシキ》。阿古能島所見《アコノシマミユ》。【今本に、可古能島《カコノシマ》とあるは、播磨國に、可古《カコノ》郡の名もあれば、さもあるべく、誰もおもふめれど、心に戀しむかこといふことの、あるべくもあらねば、可古《カコ》は必|阿古《アコ》の誤なるべくおもひて、私に改つ。さて阿古《アコ》は、吾兒《アコ》の意によみなしたり。阿古《アコ》の島は、卷(ノ)七に、雨はふり、かりほは作る、何暇《イツノマ》に、阿兒鹽干《アコノシホヒ》に、玉はひりはむ。」時つ風、吹まくしらに、阿胡之海之《アコノウミノ》、あさけの鹽に、玉藻はからな。卷(ノ)十三に、吾妹子《ワギモコ》に戀つゝ來れば、阿古《アコ》の海の、荒磯《アリソ》の於丹《ウヘニ》。云々。とみえたり。かくて卷(ノ)七の歌の前後に、住吉乃《スミノエノ》、名兒《ナコ》の濱邊《ハマビ》とも、奈胡《ナコ》の海の、あさけのなごりともよみたれば、阿古《アコ》も、名胡《ナコ》も、ひとつ地とみえて、攝津(ノ)國なるべきなり。續日本紀に、吾人《アビト》といふ人の名を、名人《ナビト》とも書たれば、奈《ナ》と阿《ア》とは、いにしへ相通はしていへるなり。この海邊を、島といへるは、倭島《ヤマトシマ》とさへいへば、きらひなし。】
 
  一(ニ)云。湖見《ミトミユ》。【今本潮と書たり。古本湖とあり、卷(ノ)十一に二《フタ》ところまで、潮をみなとゝよみ、卷(ノ)七には、あふみの海《ミ》、潮《ミナト》は八十《ヤソ》ち、ともあり。今考るに、潮はあやまりにて、湖とあるに從ふべし。いかにといふに、卷(ノ)十八に、遊2覧|布勢《フセノ》水海(ヲ)1、とある水海は、今ふしきの湊といひて、越中の國の船津なり。されば湖は、水海のよしにて、みなとゝよむべき也。さてこゝをみとゝよむは、卷(ノ)七にわがふねは、あかしの湖《ミト》に、榜はてん、とある湖は、みとゝよまでは(16)句調よからねば、同例とすべし。
 
留火乃《トモリビノ》。【發語。今按に、留火は卷(ノ)十八に、等毛之火能《トモシビノ》。卷(ノ)十五に、いさりする、あまの等毛之備《トモシビ》、とあれば、ともし火とよまむは、こともなけれど、留を、ともしとよむは、事遠し。とまりといふ訓《ヨミ》をかりたらば、ともり火とよむべし。母《モ》と麻《マ》とは、通はしいふ例おほし。さて渡守も、今はわたし守といへど、わたりもりといふべきよし。師のいへるなどおもひあはさば、ともり火とよまむも、しひたりとはいはじよ。】明大門爾《アカシオホトニ》。【師は、橘|小門《ヲト》にむかへて、大門は、おと、とよむべくいはれしかど、おほとゝよむ方勝れり。】入日哉《イラムヒヤ》。【是は本居氏のよみなり。この門《ト》に入らぬほどは、大和のかたもみえしが、この門《ト》にいりては、みえずなりなんといふ意なり。】榜將別《コギワカレナム》。【今まで見えたるかたの見えずなるをいふ。】家當不見《イヘノアタリミズ》。【やまとのかたをさして、凡に家のあたりといふ也。此句を、第四句の上に、うつしてみべしと、本居氏云へり。】
 
天離《アマサカル》【發語。】夷之長道從《ヒナノナガテユ》。【ひなよりはる/”\に、榜《コギ》のぼり來る船路をいふ。神代紀に、長道磐神《ナガチイハノカミ》とあるを、古事記には、道之長乳歯《ミチノナガチハ》とあれば、こゝもながちとよむべけれど、集中|假字《カナ》書には、長手《ナガテ》、奈我底《ナガテ》、など書て一(ト)所もながちと書たる事の見えねば、ここも、卷(ノ)十五に、奈我道《ナガチ》とあるも、奈我底《ナガテ》とよむべきにこそ。かしこけど、藤原の永手と申、御名をもおもへ。】戀來者《コヒクレバ》。自明門《アカシノトヨリ》。倭島所見《ヤマトシマミユ》。【倭島とは海中《ワタナカ》より、倭のかたをみやりて、いへる言《コトバ》也。別記に委しくいへり。】
 
(17)  一本(ニ)云。家乃當見由《イヘノアタリミユ》。【乃の字、今本門に誤れり。卷(ノ)十五に出たり。】
 
飼飯海乃《ケヒノウミノ》。【越前(ノ)國、敦賀の地名、日本紀にも、笥飯《ケヒ》とあれば、飼は、笥の誤ともいふべし。さてこゝの歌の次《ナミ》をみるに、筑紫に下られし時の歌なるを、此一首のみ、越前の國の歌のまじれるはいかに。一本に、武庫《ムコ》の海とあるや、こゝにはかなひつらむとおもふに、淡路に、飼飯野《ケヒノ》といふ地ありと、吾友度曾(ノ)正柯いへり。さては此飼飯は、越前にはあらぬにや。】庭好有之《ニハヨクアラシ》。【庭とは、海上の平らかなるをいふなり。】苅薦乃《カリコモノ》。【發語。】亂出所見《ミダレイデミユ》。海人釣舟《アマノツリフネ》。
 
  一本(ニ)云。武庫乃海《ムコノウミ》。船爾波有之《フナニハナラシ》。伊射里爲流《イサリスル》。海人乃釣舟《アマノツリブネ》。浪上從所見《ナミノウヘユミユ》。【是は卷の十五に出て第ニ句、にはよくあらしとあり。爲流《スル》は別記あり。波乃上從《ナミノウヘユ》のゆは、輕く用ひて、爾《ニ》の助辭《テニハ》に似たり。是も別記あり。】
 
  鴫(ノ)君足人(カ)。香具山(ノ)歌一首、並短歌。
 
天降付《アモリツク》。【阿米於利《アメオリ》の約言《ツヾマリ》也)。つくとは、この下つ國に著也。師の考に出。】天之《アメノ》。【或本、神乃。】芳來山《カグヤマ》。【天をあめとよむは、古事記にみえたり。師の考に委し。】霞立《カスミタツ》。【或本、打靡《ウチナビク》と有。】春至者《ハルニイタレバ》。【或本、春去來者《ハルサリクレバ》と有。春至《ハルニイタレバ》とあるも、卷(ノ)十三に、至家《イヘニイタルマデ》とも見えたれば、さも有べけれど、こゝは(18)或本の勝れるに似たり。】松風爾《マツカゼニ》。池波立而《イケナミタチテ》。【埴安の池の有る事、師の考に見えたり。】櫻花《サクラハナ》。木晩茂爾《コノクレシゲニ》。【櫻は花咲、若葉は萠出て木暗くなるをいふ。卷(ノ)十八に、許能久禮之氣爾《コノクレシケニ》、とあり。こゝの四句、或本には櫻花《サクラハナ》、木暗茂《コノクレシゲニ》、松風爾《マツカゼニ》、池波※[風+火三つ]《イケナミサワギ》とありて前後せり。或本のよきに似たり。】奥邊波《オキベニハ》。【邊は、方爾《ヘニ》の假宇に用ふ。奥《ヲキ》とは埴安の池の奥を云。】鴨妻喚《カモメツマヨビ》。【今本に、かもめよばひて、とよみたるもよけれど、而《テ》文字なくては、さはよみかたくや。故《カレ》按に燕を、つばとも、つばめともいふ類にて、鴨に、めの言をそへて、かもめつまよび、とよむべき也。燕《ツバメ》鴎《カモメ》のめ〔右○〕は、群《ムレ》の約めにて、下に味村《アチムラ》さわき、とあるむらも同言なり。卷(ノ)一、香具山の歌にも、加萬目立多都《カマメタチタツ》、とあれば、かならずかもめなるべく、鴨は假字とすべし。】味村在和伎《アヂムラサワキ》。【味は、あぢ鴨といへる鳥なり、と師云へり。こゝの四句も、或本には、邊都返者《ヘツヘニハ》、阿遲村動《アヂムラサワギ》、奥邊者《オキベニハ》、鴨妻喚《カモメツマヨビ》、とありて、前後せり。】百磯城之《モヽシキノ》。【發語。】大宮人乃《オホミヤヒトノ》。【百官之人等也。】退出而《マカリデテ》。【朝廷より退出而《マカリイデテ》也、尊《タツトキ》より、卑《イヤシキ》に行を、まかるといひ、いやしきより尊《タツトキ》に行を、まゐるといふよし、本居氏の古事記傳に云へり。】遊船爾波《アソブフネニハ》。【あそぶは、心をやる事なり。こゝは過去の事なれば、あそびしと、よむべきにやと、おもへど、卷(ノ)七に、百師木《モヽシキ》の、大宮人乃、退出而《マカリデテ》、遊《アソブ》こよひの、月のさやけさ、とも見えたれば、こゝのもあそぶとよみて、過去の言《コトバ》とせず共、よかめり。】梶棹毛《サヲカヂモ》【字になづまず、さをかぢとよむべし。風雨と書て、あめかぜ、笠簑と書て、みのかさ、とよむ類《タグヒ》なり。或本に(19)は、去出而《マカリデテ》、榜來《コギコシ》【來《コシ》は、去《ニシ》の誤なるべし】舟者《フネハ》、棹梶母《サヲカヂモ》、と有り。或本の是なるに似たり。】無而不樂毛《ナクテサブシモ》。【不樂、不怡の字は、集中|左夫志《サブシ》とよみたり。卷(ノ)十五に、たゞ一所、左備之《サビシ》とあるは、後人の加註也。】己久人奈四二《コグヒトナシニ》。【或云。榜與雖思《コガムトモヘト》と有。】
 
〔頭注、かく山の事は、師の別記に委し。〕
〔頭注、校訂者曰。味村在和伎の前に邊津方爾《ヘツヘニハ》などの一句を脱せしなるべし。〕
 
  反歌、二首。
人不榜《ヒトコガズ》。有雲知之《アラクモシルシ》。【雲《クモ》は假字、あるもを延べて、あらくも、といふ也。戀るをのべて、こふらく、さぬるを延べて、さねらく、などいふ類なり。】潜爲流《カヅキスル》。【かづきは、水中に入るをいふ。神代記に、潜2濯《カズキスヽク》於潮(ノ)中(ニ)1云々とみえたり。かづきの海人《アマ》などいふ是なり。さてかづき須流《スル》とよむは、卷十五に、安佐里須流多豆《アサリスルタヅ》、とある同例なり。】鴦與《ヲシト》【をし鳥也。】高部共《タカヘト》。【和名抄(ニ)云。融※[爾+鳥]和名多加閇、貌似v鴨而小、背(ニ)有v文。と見えたり。】船上住《フネノヘニスム》。【これを或人、ふなのへ、とよみしはあしく、卷(ノ)十八に、布奈乃部《フナノヘ》、とみえたるは、船之舳《フナノヘ》也。ふなよそひ、ふな棚、ふな庭《ニハ》、ふな乘《ノリ》、などいふは、下へ語《コトバ》のつゞくゆゑふな云々といふべけれど、こゝは、ふねのと、語の切るる言にて、直《タゞチ》に船といふ言なれば、ふな云々とはいふべからず。
 
(20)何時間毛《イツノマモ》。【何時の二字、卷(ノ)八に、何時可登《イツシカト》、と書て、いつしと(いつしかと〔五字傍点〕。と〔傍点〕の誤なるべし)よむ例もあれば、こゝもいつしかも、とよむもよかめれど、間を、加の假字に用ひし事、集中に見ねば、いつのまもとよめり。いつの間《マ》にも、神さびけるかな、といふ意なり。】神佐備祁留鹿《カムサビケルカ》。【神は、可牟《カム》とも、可美《カミ》ともよむ例なり。佐備《サビ》は、進《スサム》の意、師の別記に委し。】香山之《カクヤマノ》。桙※[木+温の旁]之末爾《ホコスギガウレニ》。【桙の如く立る杉なり。延喜内膳式に、桙橘子《ホコタチバナ》、と有るは、いかなるをいふにや、可v考。※[木+温の旁]は、顯宗紀に、石上《イソノカミ》、振之神※[木+温の旁]《フルノカミスギ》、とある註に、※[木+温の旁]此云2須疑1、とあれば今本は誤れり。末も今本は本に誤れり。卷(ノ)二に、子松《コマツ》が末爾《ウレニ》、蘿生萬代爾《コケムスマデニ》、と有によりて、私になほしつ。】※[草冠/辟]生左右二《コケムスマデニ》。【この※[草冠/辟]は、日蔭なるよし、師はいへり。今按に、和名抄(ニ)云。蘿、唐韻(ニ)云。蘿、魯阿反。日本紀私記(ニ)云。蘿、比加介、女蘿也。又云。松蘿、辨要決(ニ)云。松蘿。一名(ハ)女蘿、和名萬豆乃古介、一(ニ)云、佐留乎加世、とみえたり。ひかげも、さるをかせも、ともに女蘿とあれば、ひとつものなるを、いかで和名抄には、條をことに擧《アゲ》けむ。今の物しり人の、日かげといへるものは、木《コ》ぬれに生るものにあらず。さるをかせは、實《マコト》に絲をかけたるごとく、深山の木《コ》ぬれに生て、いにしへ※[草冠/辟]《コケ》といへるは、これなりけり。】
 
  右今案遷(サルヽ)2都(ヲ)寧樂《ナラニ》1之《ノ》後《ノチ》、怜(テ)v舊(ヲ)作(ル)2此歌(ヲ)1歟。【是は後人の加註也。この都うつしは、和銅三年なるよし、卷(ノ)一の師の別記に委し。】
 
  柿本(ノ)朝臣人麻呂、獻(ル)2新田部(ノ)皇子(ニ)1【天武の皇子也。】歌、一首、並短歌。
 
(21)八隅知之《ヤスミシシ》。吾大王《ワガオホキミ》、高輝《タカヒカル》。日之皇子《ヒノミコノ》。【こゝまでの言は、既に出たり。こゝは皇子を申せる也。別記にいふ。】茂座《シキマセル》。【皇子の宮地を敷座《シキマス》なり。茂は假字《カナ》。】大殿於《オホトノノヘニ》。【於は、うへとよむ。巻(ノ)十九に、衣手乃《コロモテノ》、高屋於《タカヤノウヘ》、とみえたり。其餘《ソノホカ》集中におほし。】久方《ヒサカタノ》。【發語。】天傳來《アマツタヒクル》。【傳《ツタフ》は、卷(ノ)一に、流經《ナガラフル》、雪吹風乃《ユキフクカゼノ》、寒《サム》き夜爾《ヨニ》、また、あめのしぐれの、流相《ナガラフ》みれば、といへる流《ナガレ》と同意にて、雪の降をいふ。卷(ノ)十九に、世の中は、常なきものと、語繼《カタリツギ》。奈我良倍伎多禮《ナガラヘキタレ》、卷(ノ)十八に、奈賀佐敝流《ナガサヘル》、於夜能子等毛曾《オヤノコドモソ》、などあるは傳《ツタフ》とおなじ意なるを見よ。來を、今本こしとよめるは、あやまりなり。】白雪仕物《ユキシモノ》。【白雪の二字を、ゆきとよむべし。白を今本に自に誤て、上の句に附たるは非なり。古本も、活本も、皆白に作れり。仕物は、卷(ノ)十一にうましもの、阿倍橘《アベタチバナ》といへる、しものに同じく、たゞ助辭とみてありなん。甘《ウマ》き阿倍《アベ》橘、白雪《ユキ》のゆきかよふとつゞく意なり。鹿自物《シヽジモノ》・犬自物《イヌジモノ》・馬自物《ウマジモノ》、などいふ。じものは別なりけり。】往來乍《ユキカヨヒツツ》。【この宮所は、八釣山のほとりに、新に造らしゝとみえたり。そこに行きかよひつゝませとなり。】益及座世《イヤシキイマセ》。【益を、いやとよむ例は、既にいへり。座を、今本當に誤れるは、草の手の似たればなり。卷(ノ)十八に、わがせこが、琴とるなへに、常人《ツネビト》の、いふなげきしも、いやしきますも、卷(ノ)二十に、あたらしき、年の始の、初春の、けふ降雪は、いやしけよごと、などある結句のさま、こゝによく似たり。いませは、卷(ノ)五に都知奈良婆《ツチナラバ》、大王伊麻周《オホキミイマス》、と見え、卷(ノ)十九に、天地爾《アメツチニ》、足之照而《タラハシテリテ》、吾大皇《アコオホキミ》、しきませばかも、たぬしき小里《ヲサト》、とあるしきませばに同じ。及《シキ》と書るは、假字《カナ》、敷《シキ》いませなり。】
 
〔頭注、今本、流經《ナガラフル》、妻吹風、とあるによりて、師説に、夜の物の妻の長きをいふと、いへりしは、うけがたし。古へ衣に、裾《スソ》袖《ソデ》襟《エリ》などは、歌にもよみたれど、妻をよめる事なし。決て雪の誤なるべくおもひて、私に改つ。〕
 
(22)  反歌、一首。
天鉤山《ヤツリヤマ》。【高市郡に、八釣村《ヤツリムラ》あり。そこの山なるべし。さてこの八釣《ヤツリ》は顯宗天皇の、宮所《ミヤトコロ》のありし所にて、藤原の宮にも近ければ、皇子の御殿を、そこに造らしゝとみえたり。】木立不見《コタチモミエズ》。落亂《フリマカフ》。【落を、ふるとよむは、卷(ノ)二に、落雪《フルユキ》とあるより、集中いと多し。亂を、まかふとよむも、例多し。卷(ノ)五に、烏梅《ウメ》の波奈《ハナ》、知利麻我比多流《チリマガヒタル》、と見えたり。】雪※[足+麗]《ユキニキホヒテ》。【この※[足+麗]は、今本※[馬+麗]と有。梶収魚彦が本に、※[足+麗]に作れるよし、信濃人永井|幸直《サチナホ》いへり。こは師の考にや。また古本にしか爲《カケ》る本あるにや。※[足+麗]は、字書に、履不v着v跟曳(テ)v之而行、言(ハ)其(ノ)遽也。とあれば、きほひとよむべし。卷(ノ)八に、けふふりし、雪に競而《キホヒテ》、わかやどの、冬木《フユキ》の梅は、花咲にけりと有。】朝樂毛《マヰリタヌシモ》。【朝は、朝參の意にて、まゐりとよむ。樂は、歓喜の義にて、たぬしとよむ。卷(ノ)六に、玉しきて、待ましよりは、たけそかに、きたるこよひし、たぬしくおもほゆ、とあるたぬしに同じ。皇子の御前にまゐり仕奉《ツカフマツ》るを、たぬしむなり。】
 
  從2近江(ノ)國1上(リ)來(ル)時、刑部垂麻呂(ガ)作(ル)歌、一首。
 
馬莫疾《ウマナハヤク》。【或人疾を、とくとよみたれど、集中とくとよめるは、下に速來而毛《トクキテモ》、とあるのみ也。されど、そも、卷(ノ)十に早來可見《ハヤキテミベシ》、とあるによるに、必はやとよむべき也。故今もはや(23)くとよめり。】打莫行《ウチテナユキソ》。【初句に、馬なといひ、また打てなといへるは、馬なはやく行そ、打てなゆきそと、打かへしていへるなり。】氣並而《ケナラベテ》。【氣《ケ》は來經《キヘ》の約《ツヾメ》にて、古事記の歌に、あらたまの、としがきふれば、あら玉の、つきは岐閇由久《キヘユク》、といへる岐閇也。さて常いふ、十日《トヲカ》、二十日《ハツカ》、といへる、かも、この氣《ケ》のうつりにて、日數のふるをいふ言のよし。本居氏いへり。こゝの氣並而《ケナラベテ》も、則日數のならびかさなる意なり。】見底毛和我歸《ミテモワガユク》。【歸をゆくとよむ事は、既に上にみえたり。】志賀爾安良七國《シガニアラナクニ》。【志賀は、近江(ノ)國、滋賀(ノ)郡也。こゝのけしきを、あかずおもしろくおもへど、日數をかさねてみることもかなはねば、しまし馬をとゞめて、みまほしきに、打はやめては、ないきそといへる也。奈良七國《ナラナクニ》は、あらぬにといふ延言也。かゝる結《トチメ》のに〔右○〕は、手爾波のに〔右○〕とは異にて、かろく添へたるに〔右○〕なり。】
 
〔頭注、近江の國より、大和の京へのぼり來るなり。この端書、末にも加へ書るあれど、前後の例に違へり。刑部云々、從2近江國1云々とあるべき也。〕
〔頭注、七を、一本、亡に作れり。是也。〕
 
  柿本(ノ)朝臣人麻呂、從2近江國1上(リ)來(ル)時、至(テ)2宇治河邊《ウヂガハノヘニ》1、【山城國、宇治郡】作(ル)歌、一首。
 
物乃部能《モノヽフノ》。【この發語《マクラコトバ》、師説は、よりがたし。別記有。】八十氏河乃《ヤソウヂガハノ》。阿白木爾《アシロギニ》。【網代木《アジロギ》也。氷魚《ヒヲ》をとる料に設るなり。】不知代經波乃《イサヨフナミノ》。【いさよふは、巻(ノ)末に、いさよふ月を、よそにみてしか、卷(ノ)六に、山の端に、いさよふ月を、出むかと、吾待君《ワガマツキミ》が、夜は降《クダチ》つゝ、とありて、卷(ノ)七に(24)もみえたり。是等の意を考るに、出むとする月の、いでかてにするをいへば、こゝも網代木《アジロギ》に越んとする波の、越かてなるをいふ也。さて不知の二字を、いさとよめるは、いさしらずといふ言のあれば、いさといふ言に、おのづから不知の意をふくめりとしられたり。卷(ノ)四の、不知也川《イサヤカハ》、けのころころは、といふ歌に、なほいふを見よ。】去邊白不毛《ユクヘシラスモ》。【不の字を下に書るは、めづらしき書ざまなり。ゆく邊《ヘ》の邊《ヘ》は方《ヘ》也。今の人、行衛《ユクエ》と書るは、誤なり。歌の意は、卷(ノ)一に、世の中を、何にたとへむ、朝びらき、榜にしふねの、あとなきが如《ゴト》、とよめる類にて、いさよふ波の、ゆく方《ヘ》しらずなるに、人の世にふるほどの、數《ハカ》なきをおもひよせて、よめるなるべし。卷(ノ)七に、大伴の、三つの濱邊を、打さらし、因來《ヨシクル》なみの、ゆくへしらずも。】
 
  長(ノ)忌寸奥麻呂(カ)歌、一首。
 
苦毛《クルシクモ》。零來雨可《フリクルアメカ》。【可《カ》は哉《カモ》也。】神之崎《カミノサキ》。【これをみわが崎とよむは、ひが言なるよし。吾友眞清いへり。卷(ノ)七に、神前《カミノサキ》ありそもみえず、波《ナミ》立《タチ》ぬ、いつくよゆかん、よき道なしに、とあるも、かみの崎とよむべし。この神の崎といふは、神武(ノ)紀に、遂(ニ)越(テ)2狹野《サヌヲ》1到(ル)2熊野(ノ)神邑《カミノムラ》1、と見えたる、そこの崎なり。こゝをしも、神のさきといふは、即(チ)紀(ニ)云、海中(ニ)卒(ニ)遇(ヘリ)2暴風(ニ)1、皇舟漂蕩時《ミフネタヽヨヘルトキ》、稻飯(ノ)命、乃|歎曰《ナゲキタマハク》、嘆乎《アヽ》吾祖(ハ)則天(ノ)神、母(ハ)則海(ノ)神、如何(ゾ)厄(メ)2我(ヲ)於陸(ニ)1、復(タ)厄2我於海(ニ)1乎《ヤト》。言(ヒ)訖(テ)乃(チ)拔v劔(ヲ)入v海、化2爲《ナリタマフ》鋤持神《サヒモチノカミト》1三毛入野(ノ)命、亦《マタ》恨之曰《ウラミタマハク》、我(25)母及姨、並(ニ)是海(ノ)神、何爲(ゾ)起(テ)2波瀾(ヲ)1以(テ)灌溺乎、則踏(テ)2波秀(ヲ)1而往(マス)2于常世郷1矣、とありて、こゝの海のかしこければ、やがて神とは名にしおふしけむ。【神といふ言の意は、既にいふ。】卷(ノ)十六に、黄染乃屋形《キソメノヤカタ》、神之門波《カミノトワタル》、卷(ノ)十八に、珠洲乃安麻能《スズノアマノ》、於伎都美可未爾《オキツミカミニ》、伊和多利弖《イワタリテ》、とある神も、海上のかしこき所をいふなるべし。】狹野乃渡爾《サヌノワタリニ》。【このわたりは、あたりにて、その邊りといふ言なるべし。とある人いへり。そは伊勢物語に、五條わたりなどあるも、邊《ホトリ》をいふ言なれば、さも有べけれど、この神《カミ》の崎《サキ》狹野《サヌ》は相ならびて、そこら渡津《ワタリヅ》なれば、さぬのわたりとはいひけむ。】家裳不有國《イヘモアラナクニ》。【こゝのわたりにて雨にあひて、しまし雨やどりせむとすれど、そこに家なきをくるしくおもふ也。これぞいにしへの實意《マコヽロ》なるを、後世、駒とめて、袖打はらふ、かげもなし、さのゝわたりの、雪の夕ぐれ、とよめるは、そこのけしきを、おもしろく、いひなしたり。是《コ》は偽言也けり。かゝる言より、罪なくして、配所の月をみむなどいへる、ひが心も出くめりと、かしこくも、歌體約言にの給へり。】
 
〔頭注、卷十三に、惶八《カシコキヤ》、神之渡者《カミノワタリハ》、吹風母《フクカゼモ》、和者不吹《ノドニハフカズ》、立浪母《タツナミモ》、和不立《ノドニハタタズ》云々とあり。是は備後國、神島の渡を云也。神といへる言の意は、こゝと同じかりけり。〕 〔頭注、卷(ノ)十六の、黄染乃屋形《キソメノヤカタ》の歌は、あけのそほ船の、別記にいふ。〕
〔頭注、再按に、わたりは、惣べて海川につきていふ言なれば、たゞ邊《アタリ》をいふ言にはあらじかし。卷(ノ)四に、佐保度《サホワタリ》、吾家之上二《ワキヘノウヘニ》、鳴鳥之《ナクトリノ》、とあるは、佐保川につきていへる言とおほゆれば、伊勢物かたりの、五條わたり云々も、鴨川につきていへるにやあらん。猶可v考。〕
 
  柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)歌、一首。
 
淡海乃海《アフミノミ》。【紀の歌に、阿布瀰能(ノ)瀰《アフミノミ》、とみえたり。】夕浪千鳥《ユフナミチドリ》。【ゆふ波にさわぐ千鳥を、やがて夕浪千鳥とよまれたるは、人まろならではよみ得じものを。】汝鳴者《ナガナケバ》。情毛志努爾《コヽロモシヌニ》。【しぬは師説に、しなえうらぶれ、などいへる、しなえに同じきよしいはれしかど、卷(ノ)十に、朝霧《アサキリ》に、之怒々《シヌヽ》にぬれて、喚子鳥《ヨブコドリ》、(26)三《ミ》ふねの山ゆ、鳴渡る見ゆ、とある志怒々《シヌヽ》は、今俗言に、しと/\ぬるゝ、しみ/”\ぬるゝといふと、同意と聞ゆれば、しぬゝは、則しみゝとひとつ言《コト》にて、こゝも、心もしみゝと心得べき也。】古所思《イニシヘオモホユ》。【天智天皇の、大宮所の有し事|等《ラ》、おもひ出られて、いにしへしぬばしきとなり。】
 
  志貴皇子《シキノミコノ》【天武天皇の皇子】御歌、一首。
 
牟佐佐婢波《ムササビハ》。【和名抄(ニ)云。本艸(ニ)云。※[鼠+田三つ]鼠、一名は、※[鼠+吾]鼠。和名毛美。俗(ニ)云2無佐々比(ト)1。】木末求跡《コヌレモトムト》。【卷七に、三國山《ミクニヤマ》、木末爾住歴《コヌレニスマフ》、武佐左妣乃《ムササビノ》、とよみたれば、今もすむべきこぬれを、もとむをいふなり。或人、末を未の誤として、このみもとむとよみしは、あしかりけり。】足日木乃《アシヒキノ》。【發語。師説はいかにぞやおぼゆる事の、なきにしもあらねど、今考ふる所なし。このあしひきの日《ヒ》を、たれも/\濁る音とすれど、古書すべて、濁音を書る例なければ、かならず清《スミ》てよむべきなり。山能佐都雄爾《ヤマノサツヲニ》。【さつ雄は、獵師をいふ。神代紀に見えたる、山幸彦《ヤマノサチヒコ》のさちなりと、師説にいへり。】相爾來鴨《アヒニケルカモ》。【卷(ノ)六に、ますらをの、高圓山《タカマトヤマ》に、迫《セメ》たれば、里に下來《オリク》る、むさゝびそこれ。】
 
〔頭注、毛美といふ名の、ものに見えたるなし。むさゝびは、集中を始め、後の書にもよみたれば、俗言といへるはいかに。是のみならず、和名抄にはかかる類おほし。
〔頭注、あしひきの發語、近考あり。卷四の別記に擧たり。〕
 
  長屋王(ノ)【高市皇子尊の子。佐保大臣と申は是也。】故郷(ノ)歌【後人の左註に、從2明日香《アスカ》1【天武の宮所。】遷(リタマフ)2藤原宮(ニ)1【持統の宮所。】之後、作(ル)2此歌(ヲ)1歟といへり。さもあるべし。】一首。
 
吾背子我《ワガセコガ》。【誰かさし給ふ人あらむ。西村|重波《シゲナミ》云。志貴(ノ)皇子は、明日香《アスカノ》宮に座《オホマシ》しゆゑ、後に明日香《アスカノ》宮(ノ)天皇と申奉りしを、續紀にあやまりて、春日《カスカノ》宮としるせるにやとおぼしきよしあり、といへり。さてこゝの次《ナミ》に、志貴(ノ)皇子の御歌ありて、故郷《フルサト》の歌とあれば、この吾背子《ワガセコ》は、志貴(ノ)皇子をさし給ふならん、といへり。】古家乃里之《フルヤノサトノ》。【こは都うつしの後、人住ずなりぬる、古屋《フルヤ》の里《サト》なり。】明日香庭《アスカニハ》。乳鳥鳴成《チドリナクナリ》。【人げなき、さぶしき屋戸《ヤド》の木立《コダチ》に、千鳥の鳴をるさま、いとあはれなり。】君待不得而《キミマチカネテ》。【君を、今本島に誤れり。師説によりてあらたむ。かねては、不v勝とも書たり。則不v得の字の意なり。
 
  阿倍《アベノ》女郎。【かく氏の下にある女郎は、すべて郎女の誤にて、いらつめとよむべきよし、師説詳なり。今集中を考るに、女郎とも、郎女とも、書て、わいだめがたければ、しまらく今本にしたがへり。猶女郎とあるは、異訓あるにや考べし。阿部氏は、孝元天皇皇子、大彦(ノ)命之後也。と姓氏録に見えたり。】屋部坂《ヤベサカノ》(28)歌、一首。【三代實録に、高市郡、屋部村、と見えたり。そこの坂にやといへり。此事誰考にや。おのれがもたる本に書入たり。本居氏もしかいへり。今按は下にいふべし。】
 
人不見者《ヒトミズバ》。【卷(ノ)十二に、人所見《ヒトノミル》、表紐結而《ウハヒモユヒテ》、人不見《ヒトノミズ》、裏紐開《シタヒモトキテ》、戀日多《コフルヒノオホキ》。】我袖用手《ワガソデモチテ》。將隱乎《カクサムヲ》。所燒乍可將有《モエツヽカアラム》。【卷(ノ)十二に、燒流火氣乃《モユルケブリノ》、卷(ノ)五に、こゝろは母延奴《モエヌ》。】不服而座來《キステマシケリ》。【座は、今本來に爲るを、魚彦が本に、座の誤かといへり。來と座とを誤れる事、集中に例あり。歌の意は下にいふべし。】
  そも/\、この一首の、屋部坂《ヤベサカ》の歌とのみありて、いと心得がたさに、しひて僻案をめぐらすに、屋部《ヤベ》の部《ヘ》は、祁《ケ》の誤にはあらぬにや。さてその屋祁坂《ヤケサカ》は、紀の國の、八鬼山坂《ヤキヤマサカ》ならむか。今紀の熊野路に、九鬼《クキ》、二鬼《ニキ》といふ地名の有りて、この八鬼とともに、むかし鬼どもの住をりし事などいふは、いと/\うきたる事にして、九鬼《クキ》は、岫《クキ》の假字《カナ》、二鬼《ニキ》は、和《ニキ》の假字なるべくおもへば、八鬼《ヤキ》も、燒《ヤキ》の假字にして、火田のおほかるゆゑに、しか名づけたる歟。またはそこに硫黄の氣の有りて、常やけつゝある故に、名にやおふしけん。さて持統、文武の二御代《フタミヨ》、紀の國に行幸《イデマシ》ありし事、既に卷(ノ)一、卷(ノ)二にもみえ、紀にもみえた(29)れば、阿部(ノ)女郎も、その御ともの中にありて、この山を越ゆとて、よまれけむ。又親王諸臣等も、紀の國に行《ユケ》りし事、集中におほくみゆれば、行幸のをりならずとも、往きけん。かくて歌の意は、拾遺集に、ちはやぶる神もおもひの、あればこそ、年經て富士の、山ももゆらめ、とよめる意にひとしく、屋祁山《ヤケヤマ》にもゆる火を、おもひの火にとりなし、人し見ずば、わが袖もちてかくしてんものを、いかなるおもひのあればにや、かくあらはに、もえつゝかあらむといひて、不服而座來《キズテマシケリ》とは、この山の木立《コタチ》も生《オヒ》ず、かくろへる所もなく、はだか山にてあるをいへるなるべし。右の考、すべて己が臆断なれば、むねといふべきにあらず。今はもだしなんとするを、後見ん人の、考をおこすべき、はしとも成なんものぞと、あへて書つけける。】
 
〔頭注、本居氏云。歌こそあれ、端書に、地名に、屋祁と書べきにあらず。屋は訓、祁は音なり、といへり。まことしかり。これはた己がひが言ならめ。されど、和名抄、國郡の部を考るに、郷名に音訓相まじへて書るも多かりけり。後人考へ正してよ。〕
 
  高市(ノ)連黒人(ガ)覊〔馬が奇〕旅《タビノ》歌、八首。
 
客爲而《タビニヰテ》。物戀敷爾《モノコヒシキニ》。【卷(ノ)一に、旅爾之而《タビニシテ》、物戀志伎乃《モノコヒシキノ》、云々、別記有。】山下《ヤマシタノ》。【本居氏(ノ)云。下《シタ》は、假字にて、したとは、古事記に、秋山下氷男《アキヤマノシタヒヲトコ》といへるしたにて、赤き色の出るをいふ言なれば、こゝはあけといはむ料の、まくら辭也といへり。卷(ノ)六に、春部《ハルベ》は、いはほは、山下《ヤマシタ》ひかり、卷(ノ)十五に、あしひきの、山下《ヤマシタ》ひかる、赤葉《モミヂバ》の、卷(ノ)十八に、橘の、下《シタ》てる道、これらのした、みなこの意なりといへり。猶師の考秋山の條にいはれしを、併考べし。】赤乃曾保船《アケノソホブネ》。【そほは、丹土をいふよし、師の(30)考に委し。】奥榜所見《オキニコグミユ》。【赤《アケ》のふねは、官船なるよし、令の集解を引て、別記にいへり。故《カレ》わが本郷、大和の方に歸るにやと、ともしぶるなり。】
 
櫻田部《サクラタヘ》。【和名抄に、尾張(ノ)國、愛智郡の郷名に、作良あり。櫻田は、これにや。催馬樂に出たる、櫻人も、この作良にやと、契冲いへり。】鶴鳴渡《タツナキワタル》。年魚市方《アユチガタ》。【愛智(ノ)郡の干潟《ヒカタ》也。卷(ノ)七に、年魚市方《アユチカタ》、鹽干《シホヒ》にけらし、知多《チタ》の浦に、あさこぐ船も奥《オキ》による見ゆ。】鹽干二家良進《シホヒニケラシ》。鶴鳴渡《タツナキワタル》。【あゆちがた、櫻田は、ちかきあたりなる事、しられたり。】
 
四極山《シハツヤマ》。【參河國也。和名抄に、幡豆(ノ)郡に、礒伯【之波止】とみえたり。是なるべし。】打越見者《ウチコエミレバ》。笠縫之《カサヌヒノ》。【或人美濃(ノ)國なるよしいへり。より所ある歟。こゝの次《ナミ》を考るに、尾張、美濃、近江、山城を經て、都へ歸られける時の歌と見ゆれば、さもあるべし。】島榜隱《シマコギカクル》。棚無小船《タナナシヲフネ》。【ふな棚なき小船也。師の考に詳也。此歌、古今集大歌所の歌にのせられたり。】
 
礒前《イソノサキ》。【今本、いそさきを、とよめるはあしゝ。卷(ノ)十一に崗前《ヲカノサキ》、たみたる道を、卷(ノ)十三に、島の崎々と有。】榜手回行者《コギタミユケバ》。【たみの言の意は、師の考に委し。】近江海《アフミノミ》。【この訓既に出。】八十之湊爾《ヤソノミナトニ》。【卷(ノ)七に、あふみのみ、湖《ミナト》はやそち、卷(ノ)十三に、あふみのみ、とまり八十あり、云々ともよみた(31)り。鶴佐波二鳴《タヅサハニナク》。【鶴、今本に、鵠に爲れるはあしゝ。古本による。】
 
〔頭注、止《ト》と津《ツ》は、常かよふ音なれば、志波止は、古への志波津《シハツ》なるべし。〕
〔頭注、集中、磯囘浦囘島囘などある囘を、麻《マ》とよめるは非也。こゝに手囘《タミ》とあるを例にて、囘は.美《ミ》とよむべき也。卷(ノ)九に礒麻《イソヲ》とあるは、いそをとよむ例、卷(ノ)十五に伊蘇乃麻由《イソノマユ》とあるは、石の間よりにて、囘の意にあらず、猶卷(ノ)四の別記に委しくせり。〕
 
吾船者《ワカフネハ》。枚乃湖爾《ヒラノミナトニ》。【比良は、近江(ノ)國滋賀(ノ)郡なり。】榜將泊《コギハテム》。【こよひ枚のみなとに榜入《コギリ》て、泊らむとなり。】奥部《オキベ》。【へは方《へ》也。】莫避《ナサカリ》。【後にはかゝる處に、奈《ナ》の言を省《ハブキ》て、さかりそといへるは、いにしへ例なき事なり。必|奈《ナ》の言はあるべく、そは、省く例おほし。】左夜深去來《サヨフケニケリ》。【此結句は、さよふけぬいさ、とよむべきにやとおもひしは、あしかりけり。去來の二字、卷(ノ)十に、爾氣留《ニケル》・爾計里《ニケリ》、といふに用ひたる例あり。卷(ノ)七に、わがふねは、あかしの湖《ミト》に、こきはてむ、奥方莫放《オキベナサカリ》、狹夜深爾計里《サヨフケニケリ》とあるは、則この歌を、うたひかへたるなり。】
 
何處《イツクニ》。【卷(ノ)五に、伊豆久《イヅク》、卷(ノ)十四に、伊豆知《イヅチ》、伊豆久《イヅク》、とありて、いつこといへる例、集中になし。】吾將宿《ワレハヤトラム》。【六帖のよみにしたがふ。】高島乃《タカシマノ》。勝野原爾《カチヌノハラニ》。【和名抄(ニ)云。近江(ノ)國、高島郡、勝野。】此日暮去者《コノヒクレナバ》。【くれゆきなばなり。】
 
妹母我母《イモモワレモ》。一有加母《ヒトツナレカモ》。【相おもふ心の、ひとつなればかも也。ばを略《ハブク》は、上に云。】三河有《ミカハナル》。二見自道《フタミノミチユ》。【和名抄に、三河(ノ)國、碧海郡に、※[此/口]見《フタミ》といふ名見えたり。二見は、いつくにや、考べし。】別不勝鶴《ワカレカネツル》。【二見といふ名によせて、ふたかたに別れ行意をいへり。】
 
〔頭注、湖を、みなとゝよむ事、既にいへり。〕
〔頭注、卷(ノ)七に、わがふねは、おきゆなさかり、むかへふね、かた待かてり、浦ゆ榜あはんん。
 
(32)一本(ニ)云、水河乃《ミカハノ》、二見之自道《フタミノミチユ》、別者《ワカレナバ》、吾勢毛吾毛《ワガセモワレモ》、獨可毛將去《ヒトリカモユカム》。【この歌は、全く妹の答歌と聞えたり。又は後人の、その意を得て、追和せる歌にや、いづれ歌の意は明らかなり。】
 
速來而母《ハヤキテモ》。【速を、はやとよむ事、既に云。】見手益物乎《ミテマシモノヲ》。【みてむ物をなり。】山背《ヤマシロノ》【この、國號は、もとかく書しを、延暦十三年に、山城と改られし事、後紀にみゆ。】高槻村《タカツキノムラ》。【高槻といふ地名、攝津の國にもあれば、こゝも地名にて、村は村邑なるべくおもへど、さにはあらじ。下、伊豫(ノ)温泉の歌に、御湯《ミユ》のうへの、樹村《コムラ》を見れば、とある村におなじく、高く槻の木の生たる、木群《コムラ》をいふ成べし。】散去奚留鴨《チリニケルカモ》。【槻もみちの、散過しを惜む也。】
 
  石川(ノ)女郎《イラツメノ》歌、一首。【今本、女を少に誤れり。左註に、石川(ノ)朝臣君子、號曰2二少郎子1、とあるは、誤字なる事をもよくも考ず、後人の加へたるひが言也。石川(ノ)女郎は、卷(ノ)一よりつぎ/\出て、女郎とも、郎女ともみえたり。この事、既にいへり。】
 
然之海人者《シカノアマハ》。【筑前(ノ)國、糟屋(ノ)郡に、志賀(ノ)島ありて、志賀(ノ)海神社も、そこに座せりといへり。こゝのあまをしも、殊に稱するは、ゆゑある事のよし。本居氏の、古事記傳につまびらかなり。】葷布苅《メカリ》。【今本、軍布とあり。類聚抄、※[草冠/田/十]につくれり。蓋《ケダシ》葷の誤なるべくおもひて、私になほしつ。昆葷の音の同じければ、通はして書るにやと、契(33)冲もいへり。さてめ〔右○〕も、も〔右○〕も、相通ふ言なれば、海藻の總名を、め〔右○〕とも、も〔右○〕とも、いふなるべし。分(ケ)ては、和海藻《ニキメ》、滑海藻《アラメ》、昆布《ヒロメ》、鹿尾菜《ヒヅキモ》、糸藻《イトモ》【卷(ノ)十に見ゆ。】など、くさ/\多かり。今葷布の字は、書たれど、ひろく海藻《メ》をいふなるは、右にてしるべし。】鹽燒《シホヤキ》。無暇《イトマナミ》。【卷四に、無暇《イトマナク》、人之眉根乎徒爾《ヒトノマユネヲイタツラニ》、かかしめつゝも、云々隙なきをいふ。】髪梳《クシゲ・ユスル》乃小櫛《ノヲグシ》。【髪梳は、くしけづるといふ、言の意を得て、櫛笥《クシゲ)にかり用ひたるならむ。】取毛不見爾《トリモミナクニ》。【海人のすぎはひにいとまなく、身かざりもせぬを、みづから比する事ありて、よめる成べし。】
 
〔頭注、和名抄、糟屋郡、志阿、とあるは、志可の誤なるべし阿と可を誤れるは古書に例有。〕
〔頭注、志賀海(ノ)神社は、延喜神名帳に見えたり。髪梳の二字、ゆすると訓べきよし、玉の小琴、追考にいへり。この歌は、女歌なる事いちじろしきを、少郎子の歌といへる左注はいふにもたらず。〕
 
  高市(ノ)連黒人歌、二首。
 
吾妹兒二《ワギモコニ》。猪名野者令見都《イナヌハミセツ》。【延喜神名式、攝津(ノ)國豐島郡、爲那都比古(ノ)神社見え、和名抄、同國、河邊郡(ノ)、郷名に、爲那《ヰナ》みえたり。】名次山《ナスキヤマ》。【次は、集中おほくは、すきとよむべく、和名抄の郷名にも、すきとよめる處多ければ、こゝも、なすき山、とよむべし。神名式、攝津(ノ)國、武庫郡に、名次《ナスキノ》神社あり。また有馬郡、神尾村に、名次山ありといひ、また廣田の社の西にも、名次《ナスキ》の岡ありと云へり。】角松原《ツヌノマツハラ》。【名次山に、程ちかき處としられたり。卷(ノ)十七に、あまをとめ、いさりたく火の、おほゝしく、つぬの松ばら、おもほゆるかも。】何時可將示《イツシカミセム》。【示は、卷(ノ)すゑに、何矣示《ナニヲシメサム》、卷(ノ)四に、示佐禰《シメサネ》、卷(ノ)九に、示賜者《シメシタマヘバ》、などおほくみえたれば、爰もし(34)めさんとよみて、こともなく聞ゆれど、卷(ノ)十三に、何時可將待《イツシカマタム》、とあるは、こゝの示と、待の字のかはれるのみなれば、みせむとはよみつるぞ、卷(ノ)九の歌は、國のまほらを、つばらかに、みせ給へればともよみてまし。】
 
去來兒等《イザコトモ》。倭部早《ヤマトヘハヤク》。【卷(ノ)一に、去來子等《イザコドモ》、早日本邊《ハヤヤマトヘニ》、云々師説詳なり。こゝに結句の、ゆかなの言を入て見べし。】白菅乃《シラスゲノ》。【發語なり。別記にいふ。】眞野乃榛原《マヌノハリハラ》。【眞野は攝津國なり。別記あり。】手折而將歸《タヲリテユカナ》。【卷(ノ)十に、待奈《ユカナ》、往名《ユカナ》、など書るによりて、今もゆかなと訓たり。
 
〔頭注、卷(ノ)六に、二寶比天由香奈《ニホヒテユカナ》。〕
 
  黒人(ノ)妻(ノ)答歌、一首。
 
白菅乃《シラスゲノ》。眞野之榛原《マヌノハリハラ》。往左來左《ユクサクサ》。【このさは、あふさ、きるさ、かへるさ、などいひて、その時を、もはらといふに、そふる言《コトバ》也。行とき、來るとき、歸るとき、などいはんが如し。さてこのさ〔右○〕は、もと世《セ》より轉れる言とみえて、古事記に、落《オチ》2苦瀬《ウキセニ》1而《テ》。云々と見え、後の歌に、あふせ、こゝをせにせん、などいへるせ〔右○〕と、ひとしかりけり。】君社見良目《キミコソミラメ》。【君こそ旅の往來に見給ふらめ。吾は女にしあれば、またみん事もはかりがたければ、よく見てゆかんとなり。】眞野乃榛原《マヌノハリハラ》。
 
(35)  春日藏(ノ)首《オビト》老(ガ)歌、一首。【續紀(ニ)云大寶元年三月壬辰、令(ム)2僧弁基(ヲ)還俗1、代度一人。賜2姓(ヲ)春日倉首《カスガクラノオビト》、名(ヲ)老1授2追大壹1、といへり。】
 
角障經《ツヌサハフ》。【發語。】石村毛不過《イハレモスギズ》。【磐余《イハレ》とも書て、高市(ノ)郡の地名、師説詳なり。】泊瀬山《ハツセヤマ》。【城上(ノ)郡也。】何時毛將越《イツシモコエム》。【何時を、いつしと、し〔右○〕をそへてよむ例は、既にいへり。卷(ノ)十三に、何時可將待《イツシカマタム》、とありて、集中その例多し。】夜者深去通都《ヨハフケニツツ》。【夜はふけにたれど、いまだ磐余も行過ねば、いつしも、初瀬山は越んと也。飛鳥、藤原あたりより、磐余、初瀬と、經行道にて、よめる歌なるべし。】
 
  高市(ノ)連黒人(ガ)歌、一首。
 
墨吉乃《スミノエノ》。【こをすみよしとよめるは、誤なり。】得名津爾立而《エナツニタチテ》。【和名抄に、攝津(ノ)國、住吉(ノ)郡、榎津、伊奈豆、と見えたり。】見渡者《ミワタセバ》。六兒乃泊從《ムコノトマリユ》。【同國武庫(ノ)郡也。今兵庫といふ。】出流船人《イヅルフナビト》。
 
  春日藏首老(カ)歌、一首
 
燒津邊《ヤイツヘニ》。【邊は、方邇《へ二》の假字、既に出。燒津《ヤキツ》は景行紀(ニ)云。此歳|日本武《ヤマトダケノ)尊、初(テ)至(リタマフ)2駿河(ニ)1。云々王《ミコ》(ノ)曰、殆《ホト/\》被v欺、即|悉《コト/\ク》焚(テ)2其賊衆(ヲ)1滅v之、故(ニ)號(テ)2其處(ヲ)1曰(フ)2燒津1、と見えたり。延喜神名式(36)に、益頭(ノ)郡(ニ)、燒津(ノ)神社あり。郡名も、もとは也伊豆《ヤイヅ》の假字なるべきを、和名抄に、末之豆《マシヅ》とあるは、後のとなへ成べし。】吾去鹿齒《ワガユキシカバ》。【去を、ゆきし、とよみて、鹿は、加の暇字に用ひしのみなり。鹿を、しかとよむにはあらじ。卷(ノ)四に、何時鹿《イツシカ》とあるも同例也。】駿河奈流《スルガナル》。阿部乃市道爾《アベノイチヂニ》。【阿部は、郡名なり。】相之兒等羽裳《アヒシコラハモ》。【かゝる結《トヂメ》のはも〔二字右○〕は、すべて、尋ねしたふ意にいへり。さて老は、懷風藻に、常盤介、五十二、とあればその下れるをりの歌なるべし。】
 
  丹比《タチヒノ》眞人笠麻呂。【沙彌滿誓が俗名也。】往(テ)2紀伊國(ニ)1、超(ル)2勢能山《セノヤマヲ》1時《トキ》。【こは紀のの國の名所にて、妹山と、紀の川を隔て、相むかへりといふ。古今集に、ながれては、妹脊の山の、中に落る、よしのゝ川の、よしやよの中、とよめるは、紀の川は、よしの川のすゑなればなり。】作(ル)歌、一首
 
栲領巾乃《タクヒレノ》。【發語。】懸卷欲寸《カケマクホシキ》。妹名乎《イモノナヲ》。【妹といふ名は、ことにかけていはまほしきを、といふ意也と、師はいへり。今按に、この山のうるはしきに、妹といふ名をかけたらば、せめて旅路の心なぐさに、みつつしぬばむといふ意なり。さては妹の名とよむべし。】此勢能山爾《コノセノヤマニ》。懸者奈何將有《カケハイカニアラム》。【せの山をしも、妹の名にかけて、やがて妹山と呼たらば、いかにあらむといへり。】
(37)一(ニ)云。可倍波伊可爾阿良牟《カベバイカニアラム》。【やがて妹山といふ名にかへば、いかにあらんとうたひかへしたる也。かく終《ハテ》の句をうたひかへたる例、集中の歌にも處々みえたり。佛足石の歌は、歌ことにみなしかり。】
 
〔頭注、大和國、添下(ノ)郡、藥師寺に、佛足石あり。傍に碑を建、碑面に、歌廿一首を彫りたり。光明皇后の御歌といへり。
 
  春日藏(ノ)首老(ガ)、即(チ)答(ル)歌、一首。
 
宜奈倍《ヨロシナヘ》。【師の別記に悉し。】吾背乃君之《ワガセノキミガ》。負來爾之《オヒキニシ》。此勢乃山乎《コノセノヤマヲ》。妹者不喚《イモトハヨバジ》。【よろしき吾背の君とは、笠麻呂をさす。みましの負ひし、脊《セ》といふ名にかけてこそ、此山をしも見つゝしぬべれ。いかでか此山を、妹とは呼べきといふ意也。結句を、今本に、よばむとよめるは、いかにあやまりけむ。】
 
  幸《イデマス》2志賀(ニ)1時、【滋賀は近江の郡名、天智天皇の宮所も、この滋賀の大津《オホツ》に有し也。さてこの幸《イデマシ》の事は、後人の左註にも、不審のよしいへり。今按に、續紀養老元年九月戊申|行2至《イデマシテ》近江國1觀2望《ミタマフ》淡海《ミツウミヲ》1と、あれば、この時のにやとおもふに、さては石上卿は、豐庭《トヨニハ》を申べけれと、豐庭ならば、卿とのみいひて、名いはぬは、集中の例に違ひ、理もなし。故此石上卿を、麻呂公とすべけれど、公は、此|行幸《イデマシ》よりは以前《マヘ》に薨し給へり。【麻呂は、養老元年三月に薨し給へり。】かた/”\いぶかしくて、尚考るに、同紀大寶二年、大上天(38)皇【持統】、三河より美濃に幸の事あれば、そのをりや、近江にもいでましけむ。さては、麻呂公として叶へり。後に官位の高くおはしましゝかば、あがまへて名いはぬなるべし。】石上(ノ)卿作(ル)歌、一首。
 
此間爲而《コヽニヰテ》。【ゐてとよむべくおもへれば別記に委しくせり。】家八毛伺處《イヘヤモイツク》。【いつことよめる例、集中になし。】白雲乃《シラクモノ》。棚引山乎《タナビクヤマヲ》。超而來二家里《コエテキニケリ》。【卷(ノ)四、旅人卿の歌に、此間在所《コヽニアリテ》、つくしやいづく、白雲の、棚引山の、かたにしあるらし、とあるは、此歌をうたひかへ給へるにや。】
 
〔頭注、いにしへ景行天皇より、成務仲哀の三代、近江國志賀穴穗(ノ)宮におはしまししかど、そはいとふるき事にて、歌に志賀の都とよめるは、天智天皇の大津(ノ)宮をいふ也。〕
 
  積積(ノ)朝臣|老《オユカ》歌、一首。
 
吾命之《ワガイノチノ》。眞幸有者《マサキクアラバ》。【眞幸は、景行紀の歌に、いのちの、麻曾祁務比苫波《マソケムヒトハ》、とあるを、古事記には、麻多祁牟《マタケム》、とありて、卷(ノ)四に、吾命《ワガイノチ》、將全幸限《マタケムカギリ》、とみえたれば、こゝもまたけくとも、まそけくとも、訓《ヨム》べくおもふに、卷(ノ)十七に、麻佐吉久登《マサキクト》、伊比底之物能乎《イヒテシモノヲ》、と假字《カナ》書のあれば、集の例によりて、まさきくとはよみつ。】亦毛將見《マタモミム》。志賀乃大津爾《シカノオホツニ》。【このみゆきは、志賀大津の宮の、舊跡に幸《イデマ》せし事しられたり。】縁流白波《ヨスルシラナミ》。【卷(ノ)十三に、此人の佐渡(ノ)島に、配流のをり、近江を經給ふ時の歌に、天地《アメツチ》を、なげきこひのみ、幸《サキク》あらば、またかへりみむ。志賀のから崎、とよめるも相似たり。】
 
(39)  間人《ハシヒトノ》宿禰大浦(カ)、初月(ノ)歌、二首。
 
天原《アマノハラ》。振離見者《フリサケミレバ》。【こゝの天を、あまとよむは、古事記、高天原の註に、高(ノ)下(ノ)天(ヲ)云2阿麻(ト)1、とみえたり。さて阿米《アメ》といひ、阿麻《アマ》といふは、體用の言にて、【雨は體なるを、阿麻《アマ》づゝみ、阿麻傘《アマカサ》など用にいふと同じとおもへるは、いと/\みだり也。】ひとつ意として、みだりによみもし、となへもすめれど、阿麻《アマ》も、阿米《アメ》も、ともに體の言にて、語意分ちあり。すべて、天|某《ナニ》とあるは、よく/\古書に證して、よむべき也。己(レ)別考あり。ふりさけは、集中、振放《フリサケ》とも、振仰《フリサケ》とも書たり。此字意もて心得べし。】白眞弓《シラマユミ》。【いにしへはすべて、木弓也。是はあらきの弓をいへるなるべし。】張而懸有《ハリテカケタリ》。【初月の影をいふ。】夜路者將去《ヨミチハユカナ】。【今本には、將吉とあり。天智紀の歌に、たゞにし曳鷄武《エケム》とあれば、えけむとも、よけむとも、よむべけれど、此歌にとりては、ゆかなとあるがよきに似たれば、今は古本に從へり。】
 
椋橋乃《クラハシノ》。山乎高可《ヤマヲタカミカ》。【椋橋山は、大和(ノ)國、十市郡にあり。古事記、仁徳の御卷、速總別王《ハヤフサワケノミコ》の歌に、波斯多低能《ハシタテノ》、久良波斯夜麻遠《クラハシヤマヲ》、佐賀志美登《サカシミト》云々とみえたり。】夜隱爾《ヨコモリニ》。【夜のすゑのこもりをる事にて、夜ふかくといふにおなし。】出來月乃《イデクルツキノ》。光乏寸《ヒカリトモシキ》。【ともしきは、心にあかぬ也。くらはし山の高ければ、出來る月も、其山にさへられて、光みるほとの不足《アカヌ》をいへり。かくて此歌、またく初月の歌ならず、別に端詞《ハシコトバ》のありつるが、落たるにや。卷(ノ)九に、沙彌(ノ)女王の歌とて、此(40)歌の再出たるには結《ハテノ》句、片待難《カタマチカタシ》とあり。いよゝ歌の意明かなり。】
 
〔頭注、阿米《アメ》が、體の言にて、阿麻《アマ》が用ならば、あまの原、あまの川、あまの白雲、など「の」の言を加へて、下につづくべきならず。雨が體にあまづつみ、あま傘などいふを、あまのづつみ、あまの傘とはいはぬもて知るべし。さればあまも、あめも、ともに體言にて、語意わかちある事なり。〕
 
〔頭注、○みさけ、見仰《ミサク》も、この振仰《フリサケ》と、同意なるを、近き年頃、古體の歌よむ人、是をわきまへず、見渡すといふべき所をも、見さくるとよめる多し、いとみだり也。心を用ひてよ。〕
 
  小田(ノ)事主《コトヌシガ》【今本、主の字を脱せり。六帖によりて補ふ。】勢能山《セノヤマノ》歌、一首。
 
眞木葉乃《マキノハノ》。【眞木は、檜なるよし、師いへり。】之奈布《シナフ》【しなぶれたる也。師の冠辭考、秋山と夏草との條に詳なり。】勢能山《セノヤマ》。之努波受而《シヌバズテ》。【妹を戀るに、堪しぬばずてなり。】吾越去者【ワガコエユケバ】。木葉知家武《コノハシリケム》。【此山しも、勢といふ名におびたれば、わが妹戀るにたへぬこゝろを、よく知れるにや、木の葉も、しなぶれてある、といふ意なり。】
 
  ※[ノ/用](ノ)兄麻呂(カ)歌、四首。【兄の字は、契冲が考によりて加へたり。
續紀元正養老五年(ノ)詔曰、武士(ハ)國家(ノ)所v重、醫卜方術(ハ)古今斯(レ)崇、宜(ク・ベシ)〔丙〕擢(テ)d於2百寮(ノ)之内(ニ)1優2遊學業(ニ)1堪(タル)爲(ルニ)2師範1者(ヲ)u特(ニ)加(ヘ)2賞賜(フ)1勤〔乙〕勵後生(ヲ)〔甲〕、賜(フ)2陰陽(ノ)從五位下※[ノ/用](ノ)兄麻品等(ニ)、各※[糸+施の旁]十疋、絲十※[糸+句]、布二十端、鍬二十口(ヲ)l云々。契冲が追考に云。同紀に惠燿といふ僧、勅によりて還俗せり。姓は、録、名は兄麻呂を賜へり。録と※[ノ/用]と、同音なれば、そのころ相通して、用兄麻呂とも書たるを、其文字の目なれねば、後人角に誤つるなるべしといへり。聖武紀に、能(ノ)兄麻呂とあるも、能は、録の誤なるべしといへり。
 
(41)久方乃《ヒサカタノ》。【發語、別記あり。】天之探女之《アマノサグメガ》。【神代紀に、天探女、此(ニ)云2阿麻能左遇謎《アマノサグメ》1と見えたり。天稚彦《アメワカヒコ》の婢女なり。】石船乃《イハフネノ》。【神武紀に、天磐楠船《アマノイハクスブネ》ともいへり。饒速日《ニキハヤヒノ》命も、天磐船《アマノイハフネ》にのりて、天降りませしといへり。いにしへの傳へはひとしかりけり。】泊師高津者《ハテシタカツハ》。【船のいたり着を、はつるといふ。今の生玉《イクタマ》より、住吉《スミノエ》の邊かけて、高津といふと、契冲いへり。】淺爾家留香裳《アセニケルカモ》。【あせは、深きが淺くなり行をいふ。攝津國風土記に、天稚彦《アメワカヒコ》天降(ノ)時、探女も屬して、磐船にのりて下れり。其所《ソコ》を高津といふ、といへり。津は、船着の處をいへば、高津の名のおこりも、此歌の意も風土記の説にて、あきらかなり。】
 
鹽干乃《シホヒノ》。【しほがれといふ言、集中にも何にもなし。かならずしほひのと、四言によむべし。卷九、難波がた、鹽干に出て、王藻かる、海未通女等《アマヲトメトモ》、汝《ナ》が名のらさね。卷(ノ)十七、之保悲思保美知《シホヒシホミチ》、など見えたり。】三津海女乃《ミツノアマメノ》。【三津は、御津にて官津なるよし、上に云り。今按に、古事紀【仁徳の條】に、大后大恨怒(テ)、載2其御船(ニ)1之|御綱柏者《ミツナカシハハ》、悉(ク)投2棄《ナゲウテタマフ》於海(ニ)1故號(テ)2其地(ヲ)1、謂(フ)2御津(ノ)前《サキト》1也。とあり。師説はいかにかもあらん。】久具都持《クグツモチ》。【袖中抄に、くゝつとは、藁《ワラ》にて袋の樣にあみたるもの也といひ、藻鹽艸には、海人の藻など入也。世にくゝつめたと云りとあり。うつほ物語に、【古本國ゆづり下卷。】中納言は、きぬのあやを、絲のくゞつに入て、供養のやうにて、三所ばかり奉り給ふ、と見えたり。】玉藻將苅《タマモカルラム》。率行見《イザユキテミム》。【いざは催す言葉。神武紀に、天(ツ)神(ノ)子《ミコ》召(ス)v汝(ヲ)、怡弉過々々々《イザワイサワ》とあるも、頭八咫烏《ヤタカラス》の、兄礒城《エシキ》弟礒城《オトシキ》を、催し發すの聲なり。
 
〔頭注、河内國に、岩船山といふあり。饒速日(ノ)命の御船のとまりし所といへり。〕
〔頭注、みつのあまの、と六言によむべきにや。例あり。〕
 
(42)風乎疾《カゼヲイタミ》。【卷(ノ)十八に、阿由乎伊多美可聞《アユヲイタミカモ》、とあり。美は、まりの約なる由師いへり。】奥津白波《オキツシラナミ》。高有之《タカカラシ》。【高くあらしを、つゞめていふ。】海人釣船《アマノツリフネ》。濱眷奴《ハマニカヘリヌ》。【眷は、かへりみるといふ意を得て、かへるの假字に用ひたり。】
 
〔頭注、本居氏云。寒み、疾み、などのみは、さむさに、いたさに、と心得べし、といへり。さにてよく叶へるもあり。また叶はぬ所も有。舊説には、として、といふ意ぞといへり。猶よく考べし。】
 
清江乃《スミノエノ》。野木※[竹/矢]松原《ヌキノマツハラ》。【今本、野の字を脱せり。故(レ)初めおもへらくは、※[竹/矢]は、和名抄に夜《ヤ》とあれど、卷(ノ)十にも、足日木※[竹/矢]《アシヒキノ》、との〔右○〕の假字に用ひ、後世の言にも、※[竹/矢]《ノ》ふかに射るなどいへば、の〔右○〕は矢の莖《クキ》をいふなり。さるを今本、木※[竹/矢]《きし》の松ばら云々とあるは、※[竹/矢]の一字を、しの〔二字右○〕とよむべからねば、卷十に、卷向乃《マキムクノ》、木志※[竹/矢]小松《キシノコマツ》と書る例もあれば、※[竹/矢](ノ)の上に、志の字を脱せるものならむとおもへりしに、己がもたる古本には、木の上に、野の字あり。是をしも、いかにぞやおもへりしは、まだしかりける。卷(ノ)十に、吉名張乃《ヨナハリノ》、野木(爾零《ヌキニフリ》おほふ、白雪の、とあれば、野木《ヌキ》といふ言の、いにしへあるをしり、今も野の字あるのよろしきをしれり。】遠神《トホツカミ》。【師の考に出。神とは、かしこみ恐るゝ言《コト》也。】我王之《ワガオホギミノ》。幸行處《イデマシドコロ》。【難波に行幸の事、しま/\あれば、住吉《スミノエ》にいてましゝ事、勿論也。今本には、みゆきし處、と訓《ヨミ》たれど、さてはし〔右○〕のこと、おだやかならねば、いでましとはよみつ。さてみゆきといふ言の、いにしへなきよし、或人いへれど、卷(ノ)九に、君之三行者《キミガミユキハ》、ともあれば、古言ならずともいひがたし。】
 
  田口(ノ)益人大夫、【續紀、和銅元年、從五位下田口(ノ)朝臣益人、爲2上野守1、とみえたり。さればこゝも、田口(ノ)朝臣益人、云々と書べきを、國守ゆゑに、(43)大夫としも書るか。かくざまに書けるも、此卷の一體なり。】作(ル)歌、二首。
 
廬原乃《イホハラノ》。【駿河(ノ)國(ノ)郡名。】清見之埼乃《キヨミノサキノ》。見穂乃浦乃《ミホノウラノ》。【延喜神名式、廬原(ノ)郡に、御穂《ミホ》神社あり。そこの洲埼の海中に出たれば、それが内を、うらとは云ふ也。】寛見乍《ユタケキミツヽ》。【卷(ノ)廿に、海原乃《ウナハラノ》、由多氣伎見都都《ユタケキミツヽ》、とあり。卷(ノ)八に、大浦之《オホウラノ》、其長濱爾《ソノナガハマニ》、縁流浪《ヨスルナミ》、寛公乎《ユタケキキミヲ》、念比日《オモフコノコロ》、とも見えたり。今本、ゆたに見えつゝ、とよみたるは、非也《アシシ》。さては、三穂の浦の、ものもひなきことゝなるなり。】物念毛奈信《モノモヒモナシ》。【ゆたけき此浦邊を見つゝ、旅の憂もわすらえて、物おもひもなしとなり。】
 
晝見騰《ヒルミレド》。不飽田兒浦《アカヌタゴノウラ》。【ひる見るさへあかぬ、浦びのけしきぞと也。田兒の浦、三穂は、びとつ海邊《ウナビ》なるよし、師の百首うひまなびに、くはしくいへり。】大王之《オホキミノ》。命恐《ミコトカシコミ》。【此言、集中にいとおほし。いにしへ人の、天皇をかしこみ奉る意、いたく謹《ツヽシメ》り。漢土人《カラクニヒト》の、ゐやゐやしく表をかざりて、裏《ウチ》にきたなき心をふゝめるとは、大に異也。こゝろをとゞめて、此ひと言をだによく味へば、大御國《オホミクニ》の古意を思ひ得つべし。】夜見鶴鴨《ヨルミツルカモ》。【公役をつゝしみて、夜道にそこを歴しを、あかず口をしくおもへる也。】
 
(44)  弁其(カ)歌、一首。【左註(ニ)云。或人云。弁基者、春日藏首老(力)之法師名也。】
 
亦打山《マツチヤマ》。【卷二に、木路爾入立《キチニイリタツ》、信土山《マツチヤマ》とありて、紀伊に接たる大和國の山也といへり。】暮越行而《ユフコエユキテ》。廬前乃《イホサキノ》。角田《ツヌダ》【古本田に爲《ツク》れり。】河原爾《カハラニ》。【これをしも、すみだ川とよみて、駿河の國なるよしいへるは、いたくひがことなり。角は、いにしへつぬとか、つのとかよみて、すみとよめる例なし。すみには、必隅の字を書たり。さればつぬだとよむべきよし、本居氏いへり。吾郷に角田と書て、つのたといへる氏あり。是は紀伊國より出たる氏にや。】獨可毛將宿《ヒトリカモネム》。【旅のひとりねをかなしみて、かくざまによめる歌集中おほかり。】
 
〔頭注、近江國の僧、海量(カ)云。紀伊國に、廬前《イホサキノ》庄、角田(ノ)庄といふ處ありて、相隣れりいへり。角田を、今すみだの庄といふといへれど、そは後世の誤なるべし。〕
 
  大納言大伴卿(ノ)【旅人卿なるを、家持卿の父なれば、あがめて名いはぬは、卷の例なり。家持卿の家集也といへるはよし有。】歌、一首。
 
奥山之《オクヤマノ》。菅葉凌《スカノハシヌキ》。【山菅は、麥門冬也。しぬぐといふ言の意を考るに、自堪忍《ミツカラタヘシヌ》ぶを、しのび、しのぶといひ、他《ひと》のたへがたきを、是よりおしてするを、しのぎ、しのぐといふ。神代紀に、凌2奪《シヌギウバフ》吾(ガ)高天原《タカマノハラ》1、とあるしぬぎ、即是にて、凌礫の字意也。さればこゝも、菅の葉をおしなびけて、降雪をいふ意となれり。】零雪乃《フルユキノ》。(45)消者將惜《キエハヲシケム》。【今本に、けなばおしけむとあるも、きえの約め氣《ケ》なれば、さもよむべけれど、な〔右○〕とよむ字のなければ、きえはをしけむと訓たり。】雨莫零所年《アメナフリソネ》。【今本行年とありて、こそとよめるは、例なく、誤なるよし、本居氏いへり。雨《アメ》なふりそといふに、ねの言をそへたるなり。ねは願のこと葉なり。】
 
  長屋(ノ)王【高市(ノ)皇子(ノ)尊の御子なり。】駐(メテ)2馬(ヲ)寧樂山《ナラヤマニ》1作歌、二首。
 
佐保過而《サホスキテ》。【奈良近き地《トコロ》の名也。】寧樂乃手祭爾《ナラノタムケニ》。【奈良坂の峠なりといへり。】置幣者《オクヌサハ》。【道祖神にぬさを奉りて、平安を祈れるなり。】妹乎目不離《イモヲメカレズ》。【めかるとは、みる事のかれ行をいふ。草木の枯《カル》といふも、生氣の離《カレ》行也。この言、集中をはじめて、後の歌にもいとおほし。】相見染跡衣《アヒミシメトゾ》。【染は、そむとも、そめとも、しみとも、しめともいへば、令《シメ》の假名に用ひたる也。いつまでも、妹を令v見《ミシメ》給へといふ意なり。】
 
〔頭注、卷(ノ)廿に、阿米都知乃《アメツチノ》、可美爾奴佐於伎《カミニヌサオキ》とあり。幣を奉るをいふ。〕
 
磐金之《イハガネノ》。【金は、假名岩がね也。】凝敷山乎《コヽシキヤマヲ》。【卷(ノ)十三に、石根之《イハガネノ》、許凝敷道之《コゴシキミチノ》、石床之《イハトコノ》、根延門爾《ネハヘルカドニ》。下、伊豫(ノ)温泉の歌に。極此疑《コヾシカモ》、卷(ノ)十七、立山の歌に、許其志可毛《ココシカモ》云々、などおほくみえて、岩根の凝《コヾ》りて、かたきをいふ言《コト》なり。】超不勝而《コエカネテ》。【おくれたる妹を戀つゝ、山路の行かてなるに、いよゝ越わぶる意也。】哭者泣友《ネニハナクトモ》。【なきはなくとも、とよむべけれと、下に、朝鳥之《アサトリノ》、鳴耳鳴六《ネノミシナカム》とあるは、卷(ノ)五に、禰能尾志奈可由《ネノミシナカユ》、と假字《カナ》書のあれば、ねのみしなかむ、とよむべきをもて、こゝも、ねに(46)は鳴《ナク》とも、とはよみつ。】色爾將出八毛《イロニイデメヤモ》。【色には出さじと也。】
 
  中納言安倍(ノ)廣庭(ノ)卿(ノ)【從二位御主人の子、續紀、天平四年二月甲戌朔己未、中納言從三位兼催造宮(ノ)長官、知河内和泉等國事、廣庭薨、と見えたり。】歌、一首。
 
兒等之家道《コラガイヘチ》。【兒等とは、妹をいふ。】差母遠焉《ヤヽモトホキヲ》。【母は、今本には間《マ》とあり。其《ソ》もことわりあれと、今は古本に從へり。焉、今本、烏に作る。是は私に改つ。さてやゝといふ言は、卷(ノ)四に、八也多八《ヤヽオホハ》。卷(ノ)五に、漸々《ヤヽ/\ニ》、可多知久都保利《カタチクツホリ》。卷(ノ)七に、奥津梶《オキツカヂ》、漸々志久乎《ヤヽ/\シクヲ》。同卷。差大栽《ヤヽオホニタテ》。古事記【火照命の條。】に、故(レ)自v爾|以後《ノチ》)稍※[喩の旁]貧《ヤヽ/\マツシ》、とあり。これらの言をおしわたして考るに、その事の進むをいふ言にて、漸は、字書に、進也とある、字意に叶へり。今は妹《イモ》が家路《イヘヂ》のゆけども/\遠きをいへり。】野干玉乃《ヌハタマノ》。【發語《マクラコトバ》。師説はうけかたし。別記あり。】夜渡月爾《ヨワタルツキニ》。【卷(ノ)十八に、奴婆多麻乃《ヌバタマノ》、夜渡月乎《ヨワタルツキヲ》、幾夜經登《イクヨフト》云々。夜すがらおほそらをわたる月をいふ。】競敢六鴨《キホヒアヘムカモ》。【きほふは、上に、雪にきほひてとあり。あらそひきそふ意。敢《アヘ》は、爲《シ》がたき事をしひて爲《スル》をいふ詞。卷(ノ)十八に、爾奈比安倍牟可母《ニナヒアヘムカモ》、下に、阿倍而榜出牟《アヘテコギイデム》とあり。字書に、敢は、忍(テ)爲也、と有にかなへり。こゝの意は、兒等が家路の、ゆけども/\遠きを、夜すがらてらせる月にきほひて、敢《アヘ》ていゆきいたらんといふ意なり。】
 
(47)  柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)下(ル)2筑紫(ノ)國(ニ)1時、海路(ニテ)作(ル)歌、二首。
 
名細寸《ナグハシキ》。【發語。別記あり。】稻見乃海之《イナミノウミノ》。【播磨國、印南郡。】奥津波《オキツナミ》。千重爾隱奴《チヘニカクリヌ》。【かくりぬとよみては、沖つ波のかくるゝ事と聞ゆれば、かくしぬとよむべきにやとおもへど、さてはいやし。千重に立へたつ沖つ波に、倭島根《ヤマトシマネ》は隱りぬといふ意なれば、かくりぬとよむべき也。卷(ノ)五に、許奴禮我久利底《コヌレガクリテ》とあり。】山跡島根者《ヤマトシマネハ》。【耶麻登《ヤマト》の國號は、別記にいへり。島《シマ》とは、海をへたてゝいふ言のよし、本居氏いへり。根とは、山嶺《ヤマネ》をいふ。是も別記に委し。】
 
大王之《オホキミノ》。【當代天皇を申奉る言也。】遠之朝庭跡《トホノミカドト》。【みかどは、宮城の御門をいふよりおこりて、政取《マツリコト》行ふ處をいへる言也。古事記に、吾(カ)神宮をも、神朝廷《カミノミカト》ともいへり。また卷(ノ)十八、家持卿の歌に、越中の國府を、鄙のみやこといへるも、同意也。こゝは大宰府をいへるなり。】蟻通《アリカヨフ》。【此|蟻《アリ》は假名《カナ》にて、在《アリ》也。集中、ありつゝも、やまずかよはん、在去而《アリサリテ》、安里多毛登保利《アリタモトホリ》、などよめる在《アリ》におなじく、ありつゝ通ふ島門といふ意也。在《アリ》は、存在のよし、既にいへり。】島門乎見者《シマトヲミレバ》。【島に迫りたる水門《ミト》をいふ。河門《カハト》、山門《ヤマト》の門《ト》におなじ。】神代之所念《カミヨシオモホユ》。【神代とは、遠き神の御代をさして申は勿論なれど、卷(ノ)十八、家持卿の、吉野(ノ)行宮の歌に、可美乃《カミノ》みことの、かしこくも、はじめ給ひて、云々とよめるは、雄略の御代を申せるなるべく、橘の歌に、神乃大御世爾《カミノオホミヨニ》、田道間守《タヂマモリ》云々とあるは、垂仁の御代をさせり。さればこゝの神代も、はじ(48)めて大宰府を置れたる御代をいふなり。さて大宰の號は、推古紀、十七年にはじめて見えたれば、その頃府はおかれけるにや。また續紀、天平十五年十二月、始(テ)置2筑紫(ノ)鎭西府(ヲ)1、とみえたるは、人麻呂の時よりは後也けり。】
 
〔頭注、再案に、卷(ノ)十八の鄙《ヒナ》のみやこは、ひなの也都古《ヤツコ》を、誤れるもの也。〕
 
  高市(ノ)連黒人(カ)、近江(ノ)舊都(ノ)【志賀大津の都なり】歌、一首。
 
如是故二《カクユヱニ》。不見跡云物乎《ミジトイフモノヲ》。【見ばかならず、いにしへをおもひ出て、よしなからむとて、みじと云しものをといふ意なり。】樂波乃《サヽナミノ》。【師の冠辭考に詳なり。】舊都乎《フルキミヤコヲ》。合見乍本名《ミセツヽモトナ》。【もとなは、俗に、よしないといふ意ぞと、契冲がいひしは、さることなり。もとづく處なきよしなれば、由無《ヨシナシ》といふにひとし。】
 
〔頭注、左註に、右歌(ハ)或本曰、小辨(カ)作也。未v審2此小辨(ナル)者(ヲ)1也、とあり。後の加註なれば、除けり。師説にむなしといふも、もとなしの約言也といへり。〕
 
  幸2伊勢國(ニ)1之|時《トキ》、【聖武天皇の行幸也、別記に論へり。】安貴(ノ)王(ノ)【聖武紀云、天平元年三月、無位阿貴(ノ)王(ニ)授2從五位下(ヲ)1十七年正月、從五位上、とみえたり。市原(ノ)王(ノ)父なり。】作(ル)歌、一首。
 
伊勢海之《イセノウミノ》。【志摩國、阿胡(ノ)行宮にてよめるにや。とおぼしきよしあり。別記にいふ。】奥津白波《オキツシラナミ》。花爾欲得《ハナニモカ》。【卷(ノ)十三に、淡海之海《アフミノミ》、(49)白木綿花爾《シラユフハナニ》、浪立渡《ナミタチワタル》、卷(ノ)六に、山高美《ヤマタカミ》、白木綿花爾《シラユフハナニ》、おちたきつ、などよみたり。波の白くたつを、花にみなして、誠の花ならば、つゝみもてゆかむとなり。欲得の二字は、下にも、石戸破《イハトワル》、手力毛欲得《タヂカラモガモ》、とあり。願《カモ》とも、冀《カモ》とも、書たる同じ意にて、後世、もがなは、願《ネガヒ》の詞ぞといへる是なり。】裹而妹我《ツヽミテイモガ》。家裹爲《イヘヅトニセム》。【この海邊《ウミベ》のおもしろきを、妹にもみせまほしくおもへる也。つとは、裹の字意なる事、此歌にて知ベし。下に濱裹乞者《ハマヅトコハバ》、卷(ノ)二十に、山づと、卷(ノ)八に、道ゆきづと、などよみたり。】
 
(49)〔頭注、後の物がたりに、よみぢのつとゝもあり。俗に、みやけものといふ言也。〕
 
  博通法師(ガ)往(テ)2紀伊(ノ)國1、見(テ)2三穂(ノ)石室(ヲ)1作(ル)歌、三首
 
皮爲酢寸《ハタスヽキ》。【發語。】久米能若子我《クメノワクコガ》。【是は久米部《クメベ》の壯子《ワクゴ》をいふにや。弘計王《ヲケノミコ》といふ説はとらず。】伊座家留《イマシケル》。【一(ニ)云(ク)、家牟《ケム》。】【いましの伊は、在通《アリガヨヒ》、在去而《アリサリテ》、などのありに同じきよし、既にいへり。さてこのいますといふ言は、あがまへ言のみにもあらず。妹はいまして、なとありて常《ツネ》いふ辭《コトバ》なり。】三穗乃石室者《ミホノイハヤハ》。【三穂は、紀伊(ノ)國、日高郡の地名也。下に、三穂の浦み、とよめる、これなり。】雖見不飽鴨《ミレドアカヌカモ》。【一(ニ)云、阿禮爾家留可毛《アレニケルカモ》。】【此歌は下に出たる、大汝《オホナムチ》、少彦名乃《スクナヒコナノ》、いましけむ。云々の歌と、上の句の入みだれたるならむと、本居氏の古事記傳にいへるは、しひ言也けり。故(レ)その説をあげて、別記に委しく辨《ワキマ》へり。よりてこゝには、ひとわたり歌の意のみをことわれり。】
 
〔頭注、若子《ワクコ》は、繼體紀に、※[立心偏+豈]無能倭倶吾《ケナノワクゴ》、とみえたり。〕
 
(50)常磐成《トキハナス》。【卷(ノ)五に、等伎波奈須《トキハナス》、と書たり。】石室者今毛《イハヤハイマモ》。安里家禮騰《アリケレド》。【久米の若子《ワクコ》の在し時より、千とせ經《へ》にたれど石室《イハヤ》はかはらずありけりとなり。】住家類人曾《スミケルヒトゾ》。【神武天皇の率ゐませし、久米部《クメベ》の若子《ワクコ》の住けるといふ傳へなるべきにや。別記にいへり。】常無里家留《ツネナカリケル》。【うつしみの、常なきを悲めり。》
 
石室戸爾《イハヤトニ》。【戸《ト》は假字にて、外《ト》也。集中、尾戸《ヤト》、屋前《ヤト》、など書るは、皆|屋《ヤ》の外《ト》をいふ言にて、宿の意にあらず。】立在松樹《タテルマツノキ》。汝乎見者《ナヲミレバ》。【汝とは、松をさしていふ。】昔人乎《ムカシノヒトヲ》。【久米の若子《ワクコ》をいふ。】相見如之《アヒミルゴトシ》。【成人|如之《コトシ》は、之如の誤にて、あひみるがごと、とよむべしといへり。六帖に、いはやとに、ねばふむろの木、なをみれば、むかしの人を、あひみるがごと、とあるは、則この歌の異傳《コトツタヘ》とおもはるれば、或人の言も、いはれあり。されど、卷(ノ)二に、天見如久《アマミルゴトク》、とある例によりて、しまらく舊訓にしたがへり。】
 
  門部《カドベノ》王【古本に、後(ニ)賜(フ)2姓(ヲ)大原(ノ)眞人1とあり。元明紀に、和銅三年、春正月壬子(ノ)朔戊午、授2無位門部(ノ)王、葛城(ノ)王、從六位上神社忌寸河内並(ニ)從五位下(ヲ)1、とみえて、それが後、歴任の次第みえて天平十七年、四月戊子(ノ)朔庚戌、大藏卿從四位上大原(ノ)眞人門部卒(ス)と見えたり。】詠《ヨメル》2東(ノ)市之|樹《キヲ》l作歌《ウタ》、一(51)首【市は東西におかれたり。卷(ノ)七に、西の市に、たゞひとり出て、云々とよめり。市正にも、東西あり。大和(ノ)國、添上(ノ)郡に、古市村あり。いにしへの東市のあとなりといへり。さて詠の字を、魚彦が本には、託の誤として、よせて、とよみたり。是は師説にや。魚彦が私事にや。いかにまれ、集中よすといふ言に、託の字を書る例なく、その文字も異ざまなれば、其説うけがたし。故考ふるに、卷(ノ)六に、詠2思泥崎(ヲ)1作歌、とあるは全く今と同じければ、たゞ作の字を衍りと見て、よめるうたとよむべきにや。】
 
東《ヒムガシノ》。市之植木乃《イチノウヱキノ》。【いにしへ行人のいこふがため、衢《チマタ》に常葉木《トキハギ》を植られたる事のあれば、東西市にも、木を殖られたりと見えたり。】木足左右《コダルマデ》。【木足《コダル》は、木の年ふりて、枝葉の足れるをいふ。卷(ノ)十四に、かまくらやまに、木たる木の、と見えたり。】不相久美《アハデヒサシミ》。【殖木の木足るまでも、あはぬ事のひさしき也。】宇倍戀爾家利《ウベコヒニケリ》。【うべは、承諾の意にて、われにその事をうけばる也。今本、宇倍《ウベ》の下に、吾の字あるは、衍なり。古本には、いづれも吾の字なし。契冲が今本のひがよみにつきて、いへる説はとらず。】
 
〔頭注、歌をよむといふ言と、うたふといふ言と、ながむといふ言は、差別あり己(レ)槻の落葉筆のあまりに論おけり。〕
〔頭注、本居氏考云。久美《クミ》は茱萸《クミ》也。字倍《ウベ》は郁子《ムベ》也。あはぬは、いまだ實のならざるにて、思ふ人にあはぬを思はせていふ也。といへり。此説いかゞ。郁子《ムベ》は蔓性のものにて、木にあらす。茱萸《クミ》も、市に植らるべき木ならず。]
 
  ※[木+安]作村主《クラヅクリノスクリ》益人(ガ)、【※[木+安]は、鞍とよみの同じければ、通じて書る也。村主《スグリ》は姓《カバネ》、和名抄、紀伊國、伊都(ノ)郡に、村主《スグリ》といへる郷名も見えたり。いかなる意にや。考べし。】從2豐前國1、上v京|時《トキ》作(ル)歌、一首。
 
(52)梓弓《アツサユミ》。【發語。】引豐國之《ヒクトヨクニノ》。【梓弓引とをむとかゝれりと、師の考にいへり。今按に、卷(ノ)一に、みとらしの、梓の弓の、奈留|珥《ハス》の、音すなり。とあれば、梓弓引音《アヅサユミヒクト》と、つゞけたりともいふべし。】鏡山《カガミヤマ》。【豐前((ノ))國、小倉にちかき處にありと、その國人、藤原(ノ)重名いへり。】不見久有者《ミズヒサナラバ》。【わが戀る人を鏡山によせ、且《カツ》鏡の縁語にて、不見《ミズ》云々 といへり。】戀敷牟鴨《コヒシケムカモ》。【戀しくあらむといふを、省《ハブ》き約めたる言葉也。】
 
  式部卿藤原(ノ)宇合《ウマカヒノ》卿、【馬飼《ウマカヒ》に、宇合の字音を假たる也。これをしも、假名といへるは、後世の言にて、旅人《タビト》を、淡等と書る類《タグヒ》多し。古人の文字にかゝはらぬ所爲《シワザ》を見つべし。】被《ルル》v使《セラ》v改2造《アラタメツクラ》難波(ノ)堵《ミヤコ》1之時《トキ》、作(ル)歌、一首。【聖武紀に、神龜三年冬十月、以2式部卿藤原宇合1爲2知造難波宮事1とあり。堵は、都に通じて書る歟と、契冲いへり。】
 
〔頭注、宇合の字を、後人、のきあひと訓るは、いにしへに暗きひが言也。師の言に、こと葉こそ我國のあるじなれ。文字は、やつこなれば、いかにもつかひてん、といはれしは、後世の迷ひを解べき達言なりけり。〕
 
昔者社《ムカシコソ》。【者の字を添たるは、今者と書て、いまとよめる類也。】難波居中跡《ナニハヰナカト》。所言奚米《イハレケメ》。【難波の舊都の事は、既にいへり。この御時まで故郷となりて、難波ゐなかといはれつる也。さてゐなかは、鄙《ヒナ》をいふ言にて、師は、田居中《タヰナカ》、也といはれ、本居氏は、小鄙所《ヲヒナカ》なりといへり。】今者京引《イマハミヤコヒキ》。【今者の二字を、いまとよむ、集中の例也。恭仁《クニ》の都を、難波に遷しまさむとおもほしめして、舊都を改め造らしめ給ふなり。】都備仁鷄利《ミヤコビニケリ》。【百官の人等も、こゝに來寄つど(53)ひて、はやみやこめきたりといへり。鄙《ヒナ》び、みやこび、などのびは、皆そのさまをいふ言にて、後に何めくといふ、めくに同じ。卷(ノ)六に、おきつ鳥、味經《アヂフ》の原に、ものゝふの、八十件《ヤソトモ》のをは、いほりして、都なしたり、とよめるも、この難波の宮造らしゝ時の歌なり。】
 
〔頭注、聖武天皇天平十六年、正月より、同十七年、五月まで難波に都し給へり。〕
〔頭注、都備《ミヤコビ》のびは、ぶりの約なり。ふりはそのさまをいふ言なり、鄙び、里びのびもおなじ。〕
 
  土理《トリノ》宣令(ガ)歌、一首。【續紀懷風藻等に、刀利《トリ》に作れり。宣令は、もし訓《ヨミ》ならばみのりとよむべし。されどそのころ、唐學生は、字音の名の多ければ、音に訓べき也と、師のいへり。】
 
見吉野之《ミヨシヌノ》。瀧乃白波《タキノシラナミ》。【既にいふ。宮瀧をいふなるべし。】雖不知《シラネドモ》。【いまだ吉野のとつ宮の邊は、見も知らねども也。】語之告者《カタリシツゲハ》。【告は繼《ツゲ》に同し。】古所思《イニシヘオモホユ》。【いにしへとは、此|離宮《トツミヤ》の、雄略の御時よりありて、世々の天皇の、この離宮《トツミヤ》に、行幸《イデマシ》ありしむかしをいふなり。】
 
〔頭注、人にものを告《ツグ》といふも、いひ繼《ツグ》事なれば、同意なり。】
 
  波多《ハタノ》朝臣|少足《ヲタリガ》歌、一首。
 
小浪《サヽレナミ》。【卷(ノ)十三に、沙邪禮波《サザレナミ》とあり。また、あごの海の、ありそのうへの、小浪《サヽレナミ》、ともみえたり。】磯越道有《イソコセチナル》。【磯越《イソコス》とまでにかゝれる發語《マクラコトバ》也。巨勢路《コセヂ》は、大和(ノ)國、葛上(ノ)郡にて、卷(ノ)十三に、たゞに來ぬ、こゆ巨勢路柄《コセチカラ》、とよめるこれなり。】能登湍河《ノトセカハ》。【卷(ノ)十二に、高湍《タカセ》なる、のとせの河の、とよめり。】音之清左《オトノサヤケサ》。(54)【河音の、いさぎよきをいふ。】多藝通瀬毎爾《タギツセゴトニ》。【多藝の藝、濁音と定めがたきよしあり。清濁論にいへり。】
            
  暮春之月《ヤヨヒニ》、幸(マス)2芳野(ノ)離宮《トツミヤニ》1時《トキ》【聖武天皇のいでまし也。】中納言大伴卿【旅人卿也。】奉(リ)v勅(ヲ)作(ル)歌 一首。【並】短歌。【未v經2奏上(ヲ)1歌。】
 
見吉野之《ミヨシヌノ》。【見《ミ》は假字、眞《マ》といふに同じく、ほめ言也 古くは、みえしぬと云へり。】芳野乃宮者《ヨシヌノミヤハ》。【あきづの宮をいふ。上にみえたり。》山可良志《ヤマカラシ》。【可良は、神がら、國がら、人がら、などいふがらにて、隨の字を、奈可良《ナカラ》とよめる、その奈《ナ》を省《ハブ》ける言也。その隨は、まに/\といふ意にちかく、則まに/\を、隨意とも書たり。されば今も、山の出立のまにま、何のなり立のまにま、といふ意と心得べし。】貴有師《タフトクアラシ》。【あらしと訓は、上に、庭好有之《ニハヨクアラシ》、とあるよみによれり。】水可良思《カハカラシ》。【水を今本永に誤れり。契冲が水に改て、みづとよめるはあしかりけり。必かはとよむべし。雄略紀に、久米水《クメカハ》と書。卷(ノ)二に、石水《イシカハ》、卷(ノ)七に、此水之湍爾《コノカハノセニ》云々。三代實録にも、藤原(ノ)朝臣(ノ)山莊(ハ)鴨水之《カモカハノ》東也とあり。】清有師《サヤケクアラシ》。【下に、河四清之《カハシサヤケシ》、と書。卷(ノ)十にも、河乎淨《カハヲサヤケミ》、ともあり。】天地與《アメツチト》。長久《ナガクヒサシキ》。【神代紀に、天照 御神の詔《ノリ》ませし大御言《オホミコト》に、寶祚之隆當與天壌無窮者矣《アマツヒツギノサカエマサンコトアメツチトキハマリナカラム》、とあるをはじめて、天地のかはらぬもて、ほぎ言にせり。】萬代爾《ヨロヅヨニ》。不改將有《カハラザルラム》。行(55)幸之宮《イデマシノミヤ》。【此|離宮《トツミヤ》の、いにしへ今にかはらぬに、猶ゆくさきも、萬代にかはらざるべしと、賀《ホギ》申せり。
 
   反歌。
昔見之《ムカシミシ》。【さきに吉野《ヨシヌ》のいでましの、御ともにさもらひ給ひし事の、有ける成べし。】象乃小河乎《キサノヲカハヲ》。【離宮《トツミヤ》近きあたりの河なるべし。下に此卿の、筑紫におはせし時の歌に、わが命の、常にあらぬか、むかしみし。象《キサ》の小河を、ゆきて見むため。】今見者《イマミレバ》。彌清《イヨヽサヤケク》。成爾來鴨《ナリニケルカモ》、【むかしみしよりも、いよゝさやけくおもはれて、おもしろきとなり。】
 
  山部(ノ)宿禰赤人(ガ)、望《ミサケテ)2不盡山(ヲ)1作(ル)歌、一首。【並】短歌。
 
天地之《アメツチノ》。分時從《ワカレシトキユ》。【後世開闢の文字にめなれて、天地の、ひらけはじめし、などいへるは誤也。天地は、ひらけしものならず。かならずわかるといふべき理《コトワリ》也けり。】神左備手《カミサビテ》。高貴寸《タカクタフトキ》。駿河有《スルガナル》。布土能高嶺乎《フシノタカネヲ》。天原《アマノハラ》。振放見者《フリサケミレバ》。【天に至るまで、高きこの嶺を、見放《ミサク》る也。さくとは、仰ぎみるをいふ言也。既に出。】度日之《ワタルヒノ》。【天を渡る日なり。】陰毛隱比《カゲモカクロヒ》。【ろひは、利の延(56)言にて、かくりなり。此嶺の高きに、日影をも障ふをいふ。】照月乃《テルツキノ》。光毛不見《ヒカリモミエズ》。【月も此山の高きに、かくるゝをいふ。】白雲母《シラクモモ》。伊去波伐加利《イユキハバカリ》。【此山の高きには、雲もゆきはゞかりて、中空にあるをいふ。さていゆきの伊は、既にいふ、在《アリ》の約《ツヽ》めなり。ゆきはゞかるは、行難《ユキカテ》にするなり。】時自久曾《トキジクゾ》。【非時とも、不時とも、書く、ときじくとよめり。】雪者落家留《ユキハフリケル》。【時となく、常夏《トコナツ》に、雪の降をいふ。】語告《カタリツギ》。【告は、繼也。上に出づ。】言繼將往《イヒツギユカナ》。【此ゆくは、世やもふたゆく、年はきへゆく、などいふゆくに同じ。後の世までも、まだみぬ人にかたりつぎ、しらぬ人にも、いひ繼ゆかむ山ぞといへる也。將往を、ゆかな、とよむ例は、上に出。】不盡能高嶺者《フシノタカネハ》。
 
〔頭注、古今集の序に、あめつちのひらけはじまりけるときより、出來にけり、といへるは後也。ふるくは、皆わかるといへり。〕
 
  反歌。
田兒之浦從《タコノウラユ》。【この從は、常いふ、よりといふ言には違ひて、輕く爾の手爾波に似たり。既に出。別記あり。】打出而見者《ウチテテミレバ》。眞白衣《マシロニゾ》。不盡能高嶺爾《フシノタカネニ》。雪者零家留《ユキハフリケル》。【此歌は、師の百首うひまなびにつばらなれば、こゝにいはず。】
 
  詠(ル)2不盡(ノ)山(ヲ)1歌、一首。【並】短歌。
 
(57)奈麻余美乃《ナマヨミノ》。【發語《マクラコトバ》己(レ)考あれど、いまだ思ひ決《サダ》めず。暫師説に從ふ。】甲斐乃國《カヒノクニ》。打縁流《ウチヨスル》。【發語。師説はうけがたし。是又己(レ)考あれどいまだ思ひ定めず。】駿河能國與《スルガノクニト》。己知其智乃《コチゴチノ》。【こちは、此方也。ちは、いづちの知に同じ。甲斐の國の此方《コチ》、駿河國の此方《コチ》と、ふたつに分くる言葉なり。】國之三中從《クニノミナカユ》。【三中は、眞中也。從《ユ》は輕く、爾《ニ》に通ふ從《ユ》なり。】出立有《イデタテル》。【今本、立を、之に誤る。類聚抄によれり。】不盡能高嶺者《フシノタカネハ》。天雲毛《アマクモモ》。【今あま雲といへば、天をいふ言とおもふは、あしゝ。大空の、青く見放らるゝは、天也。雲はひとつの物にて、その雲の、天《アメ》のかたに棚引るを、天雲とはいふ也。あまと、あめの事は、既にいふ。】伊去波伐加利《イユキハバカリ》。【上に出。】飛鳥母《トブトリモ》。翔毛不上《トビモノボラズ》。【とぶ鳥も、のぼり得ぬをいふ。】燎火乎《モユルヒヲ》。雪以滅《ユキモテケチ》、【此山、いにしへは常に燎つゝありける事、集中の歌にも見えたり。以は、上に我袖用手《ワガソデモチテ》、卷(ノ)七に、妹手以而《イモガテモチテ》、などあれば、もちと訓《ヨム》べくおもふに、卷(ノ)五に、奈爾毛能母弖加《ナニモノモテカ》、卷(ノ)十に、手折以而《タヲリモテ》、とある例あれば、今ももてとはよみつ。滅を、けちとよむは、令消《ケタシ》を約めたる言也。卷(ノ)七に、うの花くたし、卷五に、くたし捨らむ、などみえたるくたしは、則令v腐なれば、これにひとしき詞なるを知べし。伊勢物語に、ともしけちとあるぞ、古言なりける。】落雪乎《フルユキヲ》。火用消通都《ヒモテケチツツ》。言不得《イヒモカネ》。【かねは、不得の字意なる事、既にいふ。言《コト》にもいひ得ぬ、くしひなる山ぞといふ也。】名不知《ナツケモシラニ》。【不知を、しらに(58)とよむは、卷(ノ)十三に、心乎胡粉《コヽロヲシラニ》と書、卷(ノ)十七に、不v飽を、阿加爾《アカニ》ともいへり。其外集中に多《オホ》かり。】靈毛《クスシクモ》。【既に出。】座神香聞《イマスカミカモ》。【神とは、此山をさしていふ。】石花海跡《セノウミト》。名附而有毛《ナツケテアルモ》。【石花は假字《カナ》。和名抄(ニ)云。石花【花、或作v華】和名勢、とあり。此せのうみは、本居氏云、三代實録に、※[淺の旁+立刀]海とあるは、勢の海とよむべし。日本紀略に、承平七年十一月某日。甲斐(ノ)國言、駿河(ノ)國富士(ノ)山神火、埋2水海(ヲ)1とあれば、此時絶たる成るべしと云り。】彼山之《ソノヤマノ》。堤留海曾《ツヽメルウミゾ》。【彼の字を、かのとよむは、集中例なし。そのとよむべき也。堤は假字、この山の、めぐりつゝめる水うみぞと、いへるなり。】不盡河跡《フシカハト》。人之渡毛《ヒトノワタルモ》。【都(ノ)良香富士(ノ)記(ニ)云。有2大泉1、出v自2腹下1、遂(ニ)成2大河(ト)1其流寒暑水旱、無2盈縮1、といへり。】其山之《ソノヤマノ》。水乃當曾《ミツノタキチゾ》。【卷(ノ)十に、落當知足《オチタキチタル》、とあれば、こゝも、知の字を脱せるものならむか。またみづのたきぞと、六言によむべきにや、曾は、古本にしたがふ。】日本之《ヒノモトノ》。山跡國乃《ヤマトノクニノ》。【日の本とは、日の神のあれましゝ、もとつ國といふ意也。さて此|發語《マクラコトバ》の、こゝの外みえねど、こは古言なるべし。いかにといふに、春日《ハルヒ》を、かすがの國、飛鳥《トブトリ》の、あすかの里、などいふ發語の、古くよりありて、やがてその春日の字を、かすが、飛鳥の字を、あすか、とよむと同じ類《タグヒ》にて、此日本の字を、後にやまとゝよむは此言の古言なれば成るべし。かくて後には、から國への行かひにも、專ら日本の字を用ひられしは、推古の御時、日出處の天子と、の給ひ遺《ツカハ》されし意にも叶ひたれば成べし。猶くはしくは、槻の落葉、續日本後紀の歌の考にいふを見べし。】鎭十方《シヅメトモ》。座(59)祇可聞《イマスカミカモ》。【祇は、古本による。】寶十方《タカラトモ》。成有山可聞《ナレルヤマカモ》。【大御國の鎭とも、寶とも、なれる山ぞと、此山のくしびなるをたゝへたり。】駿河成《スルガナル》。不盡能高峯者《フシノタカネハ》。雖見不飽香聞《ミレドアカヌカモ》。
 
〔頭注、卷(ノ)十四に、佐刀乃美奈可爾《サトノミナカニ》。〕
〔頭注、新撰字鏡に、燼、火(ノ)餘木也。火介知。と見えたり。〕
〔頭注、名の下に、附の字を落せるか、下家持の歌に、言毛不得《イヒモカネ》、名付毛不知《ナツケモシラニ》とみえたり。〕
 
  反歌
不盡嶺爾《フシノネニ》。零置雪者《フリオクユキハ》。六月《ミナツキノ》。【みな月は、師説に、神鳴月也。といはれしは、神無月とかへまほしけれ。月の名は、おのれ別に考あり。】十五日消者《モチニケヌレバ》。【もちは、滿《ミチ》にて月の眞中《モナカ》をいふ。】其夜不里家里《ソノヨフリケリ》。【六月の眞中《モナカ》、もちの日は、あつききはみにて、時じくの雪も、消《ケ》ぬべき理《コトワリ》なれば、しましは消もしつべけれど、やがて其夜ふりて、夏とほし、きゆる時なしといふ意也。】
 
布士能嶺乎《フシノネヲ》。高見恐見《タカミカシコミ》。【此山の靈《クシヒ》なるを、雲もかしこむといふ意。】天雲毛《アマクモモ》。伊去羽計《イユキハバカリ》。田菜引物緒《タナビクモノヲ》。【このを〔右○〕は、よ〔右○〕といふに同しく、よび捨たるを〔右○〕なり。須佐乃雄《スサノヲノ》命の大御歌に、其|八重《ヤヘ》がきを、とあるをはじめて、集中にもいとおほかり。
 
  右一首。高橋(ノ)連蟲麻呂之集中(ニ)出焉。以v類載v此。【此左註は、誰書るにや。高橋連の歌の、卷々に出たるを併考るに、實に高橋氏の口風《サマ》に似たり。】
 
(60)  山部(ノ)宿禰赤人(ガ)、至(リテ)2伊豫(ノ)温泉《ユニ》1。【湯(ノ)郡にあり。今道後の湯といへり。聖徳太子の碑を立給へりし事ら、仙覺抄に風土記を引て詳なり。】作(ル)歌一首。【並】短歌。
 
皇神祖之《スメロギノ》。神乃御言乃《カミノミコトノ》。數座《シキマセル》。【遠祖の天皇より、敷《シキ》ませる國といふ意、別記にくはし。】國之盡《クニノハタテニ》。【卷(ノ)一に、阿禮座師《アレマシシ》神之書、とあるは、師は神の御言《ミコト》の誤といはれしかど、書は、盡の誤にて、神のこと/”\、とよむべければ、こゝも國のこと/”\、とよむべくおもへど、國といふ國に、必|温泉《イデユ》のあるにしもあらねば、いかにぞやおもふに、卷(ノ)八に、敷座流《シキマセル》、國乃波多弖爾《クニノハタテニ》、開爾鷄類《サキニケル》、櫻乃花《サクラノハナ》、云々とあるを、卷(ノ)七に、舟盡《フネハテテ》、可志振立而《カシフリタテテ》、とある盡の字に、相むかへて考れば、こゝもはたてとよみて、國の極《ハテ》をいふ言と聞えたり。又卷(ノ)六に、こきたむる、浦盡《ウラノコト/\》とあるは、卷(ノ)一のと同じく、こと/\と訓むべきなり。】湯者霜《ユハシモ》。【しもは助辭。】左波爾雖有《サハニアレトモ》。【こゝかしこに、温泉はおほくあれども也。】島山之《シマヤマノ》。【阿波讃岐伊豫土佐の四國は、もと一(ト)島にて、島山ともいふべし。古事記(ニ)生(ム)2伊豫(ノ)二名(ノ)洲(ヲ)1、此島身一而《コノシマミヒトツニシテ》、面四《オモテヨツアリ》、毎面《オモゴトニ》有v名《ナアリ》。とあり。】宜國跡《ヨロシキクニト》。【この跡《卜》の言は、別記に有。】極此疑《コヾシカモ》。【高嶺にかゝる言也。卷(ノ)十七、立山の歌に、許其志可毛《コゴシカモ》、とあり。】伊豫能高嶺乃《イヨノタカネノ》。【今石鐵山といふ、と西村|重波《シゲナミ》いへり。】射狹庭乃《イサニハノ》。【風土記(ニ)云、以2上宮聖徳(ノ)皇子(ヲ)1爲2一度(ト)1、乃高麗慧慈(ノ)僧、葛城王等也。立(ツ)2湯岡(ノ)側(ニ)碑文(ヲ)1 (61)其碑文(ノ)處(ヲ)謂(フ)2伊佐爾波(ノ)岡(ト)1也者、當土《ソノクニノ》諸人等、欲v見2碑文(ヲ)1而、伊邪那比來因《イサナヒキタルニテ》謂(フ)2伊佐爾波《イサニハト》1也。と見えたり。この言によりておもへば、審神《サニハ》といふも、神|祠《マツ》る場《ニハ》に、諸神をいざなふ也。延喜式神名帳に、伊豫(ノ)國湯(ノ)郡、伊佐爾波神社、湯(ノ)神社みえたり。】岡爾立之而《ヲカニタヽシテ》。【葛城王等の、碑を建給ひしをり、こゝにたゝせるをいふなるべし。】歌思《ウタオモヒ》。辭思爲師《コトシヌバシシ》。【碑を建給へるには、歌をもおもひ、古言《フルコト》をもしぬびませしなるべし。思を、しぬぶとよむは、卷(ノ)十一に、朝がしは、うるや川邊《カハヒ》の、しぬのめの、思而《シヌビテ》ぬれば、いめに見えけり。猶多かり。本居氏は、歌おもひ、辭おもはしゝ、とよむべしといへり。】三湯之上乃《ミユノウヘノ》。【三は眞《マ》也。】樹村乎見者《コムラヲミレバ》。【こむらは、木の群たるをいふ。今の森也。和名抄(二)云、纂要(ニ)云。木枝相交下陰(ヲ)曰v※[木+越]、【音越。和名古無良。】とあるは、強て漢字《カラモジ》をあてたるなり。】臣木毛《オミノキモ》。生繼爾家里《オヒヅキニケリ》。【風土記(ニ)云、以2岡本天皇並皇后二躯(ヲ)1爲2一度(ト)1、于時於2大殿戸《オホトノトニ》1有v椹、云(フ)2臣(ノ)木(ト)1於2其上1集v鵤、云(フ)2此米《シメノ》鳥(ト)1、天皇爲(ニ)2此鳥(ノ)1繋(テ)v穂《イナホヲ》養賜也。云々。此をりの臣木《オミノキ》も生《オヒ》繼て、今なほありといへり。和名抄に云、樅、松葉柏身、【和名毛美】とみえたり。このもみの木といふは、眞臣《マオミ》なるよし。師いへり。此|臣《オミ》の木の有つるあとを、今|木《キ》の下《モト》といふと、重波《シゲナミ》いへり。】鳴鳥《ナクトリノ》。音《コヱ・オト》毛不更《モカハラズ》。【此米《シメ》の鳥などの、かはらず鳴をいふ。】遐代爾《トホキヨニ》。神佐備將徃《カミサビユカム》。【今よりゆくさき、遠き代までも、神さびゆかむと也。】行幸處《イデマシトコロ》。【風土記に、景行天皇よりはじめて、淨御原宮御宇天皇《キヨミハラノミヤニアメノシタシラススメラミコト》まで、行幸五度なりといへり。】
 
〔頭注、卷五に、于遇比須能於登企久奈倍爾《ウグヒスノオトキクナヘニ》云々。〕
 
(62)  反歌
百式紀乃《モヽシキノ》。【發語。】大宮人乃《オホミヤヒトノ》。【行幸の御ともの、百官の人等也。】飽田津爾《アキタツニ》。【飽は、饒《ニギ》の誤也と師もいはれ、誰もさおもふに、西村重波は、としのはに、彼國に下りて、よくその地を知れるに饒田津《ニギタツ》といふ處も、飽田津《アキタツ》といふ處も、今なほありて、ともに津なるべき處也といへり。】船乘將爲《フナノラシケム》。【上に將惜《ヲシケム》とありて、将v某《ナニ》とありて、何けむとよめる例、集中におほし。】年之不知久《トシノシラナク》。【いにしへ天皇の陪從《ミトモ》の人等の、こゝに船のりしけむ年の、上つ代の事なれば、今は知かたきをいふなり。】
 
〔頭注、卷十七に、たなはたし、ふなのりすらし、まそかゝみきよきつくよに、雲起わたる。〕
 
  登(テ)2神岳《カミヲカニ》1山部(ノ)宿禰赤人(カ)作(ル)歌、一首。【並】短歌。【この端書も、前後の例に違へり。山部(ノ)宿禰云々。登(テ)2神岳(ニ)1作(ル)歌云々とあるべきなり。】
 
三諸《ミモロノ》。【御室《ミムロ》也。神の殿のあれば、則名におべる成べし。下に吾屋戸爾《ワガヤドニ》、御諸乎立而《ワガヤドニミモロヲタテヽ》云々といへるみもろは、神のよりましをいふ言にて、則|御室《ミヤ》の事なれば、こゝのみもろと同じ。】神名備山爾《カミナビヤマニ》。【則神岳の事也。上に見えたり。師説に、神名備は、神のもり也といへり。此山は、事代主神の宮處なれば、みもろとも、神なびともいへり。後に鳥(63)形山【今の宮處】に遷されし事、日本紀略に見えたり。】五百枝刺《イホエサシ》。繁生有《シジニオヒタル》。【卷(ノ)一に、四時爾生有《シシニオヒタル》、と假字書有。】都賀乃樹乃《ツガノキノ》【發語。】彌繼々爾《イヤツギ/\ニ》。玉葛《タマカヅラ》。【發語。》絶事無《タユルコトナク》。在管去《アリツヽモ》。【ありの事上にいふ。】不止將通《ヤマズカヨハム》。【卷(ノ)四に、常不止《ツネヤマズ》、通君《カヨヒシキミ》云々と見えたり。】明日香能《アスカノ》。舊京師者《フルキミヤコハ》。【淨御原(ノ)宮、藤原(ノ)宮は、此神岳に近きあたり也。今は奈良へ都を遷されたれば、ふるき都とはいへる也。】山高三《ヤマタカミ》。【ほめいへり。】河登保志呂之《カハトホシロシ》。【灼然を、いちじろしといふをむかへて、此とほじろの言《コト》を考るに、いちと、とほとは、その言相近し。いちとは、あるが中にぬき出ていふ言にて、俗にいツち、至ツて、などいふ言にて、至《イタリ》のたりを約めて、いち〔二字右○〕とはいふなるべし。さては、とほ〔二字右○〕も達《トホル》の意にて、達と、至とは、やゝ近し。いづれ白きは、あざやかなるをいへば、さやけしといふにおなじ。】春日者《ハルノヒハ》。山四見容之《ヤマシミガホシ》。【見貌之《ミカホシ》、見貌石《ミカホシ》など書る、みな假字にて、見之欲《ミガホシ》也といへり。今按に、かほとは容貌をいふ言なれば、山の出たちの、容よきをほめて、見貌《ミカホ》しといふともいふべし。】秋夜者《アキノヨハ》。河四清之《カハシサヤケシ》。【春秋に、見處あるを、ほめたり。】旦雲二《アサクモニ》。多頭羽亂《タヅハミダレ》。夕霧丹《ユフギリニ》。河津者驟《カハヅハサハグ》。【多頭《タツ》も、河津《カハツ》も、秋のものなれば、ここは秋の朝ゆふのけしきをいへり。驟は、下に、五月蠅成《サハヘナス》、驟騷舍人者《サワクトネリハ》、云々と見えて、卷(ノ)五に、五月蠅奈周《サハヘナス》、佐和久兒等遠《サワクコドモヲ》、云々と假字書《カナカキ》のあれば、今もさわくとはよみたり。】毎見《ミルコトニ》。哭耳所(64)泣《ネノミシナカユ》。【卷(ノ)十五に、禰能未之奈加由《ネノミシナカユ》、と書たり。】古思者《イニシヘモヘバ》。【帝都のありしをり、こゝの盛なりしをおもひ出て、音《ネ》に泣《ナク》といへり。】
 
〔頭注、延喜式祝詞に、【出雲(ノ)國造(カ)神賀詞】事代主命《コトシロヌシノミコト》【乃】御魂《ミタマ》【乎】宇奈堤《ウナテ》【爾】坐《マサセ》、賀夜奈流美命《カヤナルミノミコト》【能】御魂《ミタマ》【乎】、飛鳥《アスカ》【乃】神名備《カミナビ》【爾】坐天《マサセテ》とあるは錯亂《アヤマリ》也。〕
〔頭注、明日香淨御原《アスカキヨミハラ》宮といひ、飛鳥の神なび山といへば此舊京師は、本より淨御原をいへる也。〕
〔頭注、本居氏云、とほじろは、さやかなるをいふ。物語に、御火しろくおけ、續世繼に、その大納言の御車のもむこそ、きららかに、とほしろく侍りけむ。〕
〔頭注、再按に卷(ノ)六に、國柄鹿《クニカラカ》、見欲將有《ミカホシカラム》とあり、貌と書るは、ともに假名とすべし。〕
 
   反歌
明日香河《アスカカハ》。川餘藤不去《カハヨドサラズ》。【淀《ヨト》は、水の流のはやからぬ處をいふ。霧はよとより多く立てり。】立霧乃《タツキリノ》。【乃《ノ》に、如の意をふくめり。】念應過《オモヒスグベキ》。【おもひを過しやるべきといふ意。遣悶の二字を、なぐさむとよめるなど、思ひ合すべし。】孤悲爾不有國《コヒニアラナクニ》。【戀とは、いにしへをこひしぬぶをいふ。集中戀ちふ言は、男女のかたらひのみならず。心にこひしむをいへるおほし。
 
  門部王在2難波(ニ)1、見(テ)2漁父燭光《アマノイサリビヲ》1、【和名抄(ニ)云。漁父、一(ニ)漁翁、和名|無良伎美《ムラキミ》、とあれど、こゝの四字は、あまのいさりひとよむべし。】作(ル)歌、一首。
 
見渡者《ミワタセバ》。明石之浦爾《アカシノウラニ》。燒火乃《トモスヒノ》。【卷(ノ)十五に、いさりする、安麻能等毛之備《アマノトモシビ》、又おきべにともし、いさる火は、卷(ノ)十九に、見(ル)2漁父(ノ)火光(ヲ)1歌一首、と題して、鮪衝等《シビツクト》、海人燭有《アマノトモセル》、いさり火の、とあり。これらの例によりて、今もともす火とよみたり。】保爾曾出流《ホニソイテヌル》。【保とは、包める思のあまりて、あら(65)はるゝをいふ言とみえて、薄《スヽキ》の穂、稻穂の穗と、則此意と聞ゆめり。】妹爾戀久《イモニコフラク》。
 
〔頭注、出の下に、奴の字を脱せるか。〕
 
  或|娘子等《ヲトメラ》賜《タハリテ》2裹乾鮑《ツヽメルホシアハビヲ》1、【この賜の字は、贈の字の誤なるべくおもひつるに、卷(ノ)八に、山口(ノ)女王、賜(フ)2大件宿禰家持(ニ)1云々、湯原(ノ)王、賜(フ)2娘子(ニ)1云々とみえたり。卷(ノ)四に、古人乃(フルヒトノ)、今ものませる、きびの酒、やもはゝすべな、貫簀《ヌキス》賜《タバ》らむ。卷(ノ)八に、玉に貫《ヌキ》、不令消賜良牟《ケタスタハラム》、云々とあるも、皆おくるの意と見て、聞ゆめれば、こゝの賜をも、さる意と見て有なんか。猶考べし。】戯《タハムレニ》請(フ)2通觀僧(ノ)呪願(ヲ)1時、通觀(カ)作歌、【この端書の意を考るに、若き女どもの、乾鮑をおくりて、呪願をこひ、これを生《イカ》し給へといふは、通觀僧の、戒を破らむとての、戯事成べし。さて意は歌に見ゆ。】一首。
海若之《ワタヅミノ》。【わたづみは、海の神の御名なるを、こゝは則海をいへり。】奥爾持行而《オキニモチユキテ》。雖放《ハナツトモ》。宇禮牟曾此之《ウレムゾコレガ》。【うれむぞは、いかむぞといふ意と、契冲いへり。本居氏云、卷(ノ)十一に、なら山の、小松がうれの、有簾叙波《ウレムゾハ》、とあるは、こゝと同じく、いかにぞの意也。といへり。】將死還生《ヨミカヘリナム》。【本居氏のよみに從へり。よみかへるは、黄泉路《ヨミヂ》より歸りくるをいふ。乾たる鮑の、海に持行て放つとも、生《イキ》かへるべきよしなしといひて、この僧の死灰の心は、いかでかおもひかへさむ。といふ意をふくめり。】
 
〔頭注、古人の歌、今本のよみは誤れり。〕
 
(66)  太宰(ノ)小貮小野(ノ)老朝臣(ノ)【續紀天平九年、大宰小貮從四位下、小野老朝臣卒。とあり。】歌、一首。
 
青丹吉《アヲニヨシ》。【發語。おのれ考あり。別記にいふ。】寧樂京師者《ナラノミヤコハ》。咲花乃《サクハナノ》。薫如《ニホフガゴトク》。【是を或人の、かをるが如く、とよみしは、非也。卷六に、丹管自乃《ニツヽジノ》、將薫時乃《ニホハムトキノ》。とあり。】今盛有《イマサカリナリ》。【元明天皇の、奈良に都をうつされしより、聖武天皇の御時に至りて、いよゝ盛なりけらし。】
 
  防人司(ノ)佑、大伴(ノ)宿禰四縄(カ)歌、二首。
 
安見知之《ヤスミシシ》。【發語。】吾王乃《ワガオホキミノ》。【既に出。】數座在《シキマセル》。【上に出。師説に、敷《シキ》と知《シリ》とは、同言也といへり。延喜式の祝祠《ノリトコト》、に宮柱太敷立《ミヤハシラフトシキタテ》とも、太知立《フトシリタテ》ともいへり。網代《アシロ》、苗代《ナハシロ》のしろも、屋敷《ヤシキ》の敷も、同言にて、みな其|地《トコロ》を領知するよしなれば、師説はいはれたりといふべし。】國中者《クニノマホラハ》。【卷(ノ)十八に、すめろきの、神のみことの、聞しをす、久爾能麻保良爾《クニノマホラニ》、とあれば、こゝも、國のまほらとはよみつ。大祓の辭に、四方|之《ノ》國中|登《ト》、とあるを 師の四方のくにのまほら、とよまれしは、則是なり。】京師所念《ミヤコオモホユ》。【今本に、みやこしとよめるは、あしゝ。京師の二字、上既に、みやこと訓たり。】
 
〔頭注、宿禰の二字、今本に脱せり〕
〔頭注、さきもりは、東國の民を、筑紫に遣されて、洲崎を守りて、異國の敵《アダ》を防しめたまふ也。職員令云。防人司、正一人、掌2防人名帳戎具教閲及食料田事(ヲ)1、佑一人、掌同v正、令史一人。〕
 
藤波之《フチナミノ》。【なみとは、靡《ナビク》をいふ。】花者盛爾《ハナハサカリニ》。成來《ナリニケリ》。平城京乎《ナラノミヤコヲ》。御念八君《オモホスヤキミ》。【きみとは、旅人卿をさす成(67)べし。卷(ノ)六に、刺竹乃《サスタケノ》、大宮人乃《オホミヤヒトノ》、家《イヘ》とすむ、佐保乃山《サホノヤマ》をば、おもふやも君。こゝとおなし意なり。】
 
  帥(ノ)大伴(ノ)卿(ノ)歌、五首。
 
吾盛《ワカサカリ》。復將變若八方《マタヲチメヤモ》。【本居氏の説に、將變の二字を、遠知《ヲチ》とよむべしといはれしは、古言に達《トホ》れる考なりけり。その説《コト》につきて、熟《ツラ/\》考るに、集中變若と書る文字は、みな遠知《ヲチ》とよむべき也。故(レ)今も、若の字を加へつ。そのよしは別記にいへり。】殆《ホト/\ニ》。寧樂京師乎《ナラノミヤコヲ》。【ほと/\には、はた/\に也 字書に、殆は、將也とあるは、おのづから、叶へり。卷(ノ)八に、沫雪乃《アワユキノ》、保杼呂《ホトロ》/\、とあるも、はたれ/\なり。事の意は違へど、言の通ひは、これとおなじかりけり。】不見歟將成《ミスカナリナム》。【わが齢の、またも盛りなる、若きにかへるべきよしなければ、大宰府に老果て、將々《ハタ/\》奈良《ナラ》の京《ミヤコ》をみずて、身まがりなんと、かなしめるなり。】
 
吾命毛《ワガイノチモ》。常有奴乎《ツネニアラヌカ》。【卷(ノ)六に、ひとみなの、命もわれも、みよしぬの、瀧の常盤《トコハ》の、常《ツネ》ならぬかも、といへる歌の意なり。可《カ》は、願の哉《カモ》なり。後世|某《ナニ》もがな、と濁《ニゴ》りていへる、哉《カナ》におなじ。】昔見之《ムカシミシ》。象小河乎《キサノヲカハヲ》。行見爲《ユキテミムタメ》。【この河を、おもしろみ給へる事、上にみえたり。】
 
淺茅原《アサチハラ》。【發語。】曲々二《ツハラ/\ニ》。物念者《モノモヘバ》。故郷之《フリニシサトノ》。所念可聞《オモホユルカモ》。【高市郡のつき阪は、もと大伴氏の家地《イヘトコロ》にて、(68)藤原|明日香《アスカ》に近ければ、殊さら舊都《フルサト》をしぬび給へるにや。卷(ノ)六に、この卿の歌に、須臾《シマラク》も、行て見ましか、神南備《カミナビ》の、淵は淺《アセテ》而、瀬《セ》にか成《ナル》らん。とも見えたり。】
 
〔頭注、旅人(ノ)卿の、大宰帥に任られたまふは神龜二年三年の間なるべし。紀には漏たり。]
〔頭注、再按に、卷(ノ)十七に、天平二年庚午(ノ)冬十一月、大宰帥大伴卿、被v任2大納言1、上京之時、云々と見えたり。府に五とせおはせしとせば、帥の任は神龜三年也。]
 
萱艸《ワスレグサ》。【毛※[艸冠/長](カ)詩傳(ニ)云。萱艸令2人忘1v憂(ヲ)。和名抄(ニ)云。兼名苑(ニ)云。萱艸。一名忘憂。漢語抄(ニ)云。和須禮久佐。卷(ノ)四に、わすれ艸、わか下紐《シタシモ》に、付たれど、鬼《シコ》のしこ艸、ことにしありけり。とよみたり。】吾紐二付《ワガヒモニツク》。香具山乃《カグヤマノ》。故去之里乎《フリニシサトヲ》。【上にいへり。】不忘之爲《ワスレヌガタメ》。【この爲は、わすれぬがゆゑに、といふ意と、本居氏いへり。】
 
吾行者《ワガユキハ》。【卷(ノ)二十に、和我由伎乃《ワカユキノ》とあり。】久者不有《ヒサニハアラシ》。【わがたび行《ユキ》も久《ヒサ》にはあらじ。やがて、かへりなんものぞとなり。】夢乃和太《イメノワダ》。【卷(ノ)七に、吉野(ノ)作と題して、いめのわた、言にしありけり。うつゝにも、みてこしものを、おもひし念婆《モヘバ》。と見え、懷風藻にも、吉田(ノ)連宜(カ)從2駕吉野宮1詩に、夢淵とつゝれる是也。】湍者不成而《セニハナラズテ》。淵有毛《フチニテアレモ》。【瀬にかはらず、もとみしまゝに、淵にてあれと、ねがへる也。契冲が有の下に、八《ヤ》の字を、脱せるにやといへるは、この結《ハテノ》句の、いかによみても、文字のたらはぬに似たればなり。されどたゞ下の毛《モ》は、そへ言として、淵にてあれとよみて、聞ゆめり。
 
〔頭注、おのれがもたる本には、淵の下に一字の闕あり。魚彦が本には、終《ハテ》の毛《モ》を毳《カモ》の誤として、ふちにあれかも。とよみたり。是は師説にや。おぼつかなし。]
 
  沙彌滿誓(ガ)詠(ル)v緜(ヲ)歌、一首。
 
(69)白縫《シラヌヒ》。【發語。】筑紫乃綿者《ツクシノワタハ》。【つくしとは、筑前筑後をいふが中に、こゝは大宰府をいふなり。】身著而《ミニツケテ》。未者伎禰杼《イマダハキネド》。暖所見《アタヽカニミユ》。【大宰府(ノ)貢(ル)v綿事は、續紀に、神護景雲三年、三月乙未、始(テ)毎v年運(テ)2大宰府(ノ)綿二十萬屯(ヲ)1、輸(ス)2京庫(ニ)1、とありて、延喜雜式にも、大宰府貢v綿事みえたり。今はその綿を積かさねたるを見て、よめるなるべし。】
 
〔頭注、再按に、この歌は譬喩に似たり。〕
 
  山上(ノ)臣憶良罷(ル)v宴(ヲ)歌、一首。
 
憶良等者《オクララハ》。今者將罷《イマハマカラム》。【今者の二字、いまとよむ例上に見えたり。卷(ノ)八にも、時者今者《トキハイマ》、とあり。集中おほし。】子將哭《コナクラム》。其彼母毛《ソモソノハヽモ》。【その子も、その母も、といふを、上に子なくらんとあれば、今は子の言《コト》を省《ハブ》けり。今本のよみにては、其彼乃文字、いづれひとつ衍《アマ》れり。まして彼の字は、集中そのとよみて、かのとよむ例なし。卷(ノ)十三に、彼乎飼《カレヲカヒ》とあるも、そを餌《カヒ》とよむべき也。その餘《ホカ》ひとつふたつ、かのとよめる處あるは、皆ひがよみなり。】吾乎將待曾《ワヲマツラムゾ》。【卷(ノ)十八に、ぬば玉の、夜わたる月を、いく夜ふと、よみつゝ妹は、和禮麻都良牟曾《ワレマツラムゾ》、とある結句《ハテノク》。これと同じ。】
 
  大宰(ノ)帥大伴(ノ)卿。讃《ホムル》v酒(ヲ)歌、十三首。【卷(ノ)四に、丹生(ノ)女王の、この卿の筑紫におはしゝ時、送られし歌に、古人《フルヒト》の、(70)今ものませる、云々とあり。【上に引り。】若き時より、酒を嗜《コノマ》れし事しられたり。】
 
驗無《シルシナキ》。物乎《モノヲ》。不念者《オモハズハ》。【益なきものをおもはむよりは、といふ意。集中に、戀つゝあらずは。かくてあらずは。戀世殊《コヒセズ》は。人とあらずは。などあるは、皆、戀むよりは。かくてあらむよりは。長く戀せむよりは。人とあらむよりは。といふ意にて、すべて明らか也。師説はむつかしく、よりかたし。】一杯乃《ヒトスキノ》。【すきとよむは、延喜式に、等呂須伎《トロスキ》とあれば、ふるくは、すきといひしと見えたり。次を、すきとも、つきとも、よむにおなじ。】濁酒乎《ニゴレルサケヲ》。可飲有良師《ノムベクアラシ》。【卷(ノ)十五に、安良之《アラシ》と、假名書《カナガキ》の有によれり。】
 
〔頭注、世殊《セス》と書るによらば、須《ス》は清音にもよむべし。すべて清音には誤なく、濁音には、いにしへをあやまる事多し。〕
 
酒名乎《サケノナヲ》。聖負師《ヒジリトオフシシ》。【おふしゝと、過去の言によむべき也。是はから國、魏の時に、謂(テ)2酒(ノ)清者《スメルモノヲ》1爲2聖人1、濁(レルヲ)者爲2賢人1、といふ事のあるによりて、云へり。聖をひじりといふは、わが天皇を、日知《ヒジリ》と申奉るより、轉れる言也と、師はいはれたり。】古昔《イニシヘノ》。大聖之《オホキヒジリノ》。言乃宜左《コトノヨロシサ》。【おほき聖とは、誰にまれ、酒をたふとみて、聖といふ名をおふしゝ人を、ほめていへり。】
 
古之《イニシヘノ》。七賢《ナヽノカシコキ》。人等毛《ヒトドモモ》。【から人、玩籍稽康山涛玩咸向秀王戎劉伶(ガ)徒、竹林にあそびて、酒を好めりといへり。是を七賢とせり。】欲爲物(71)者《ホリセシモノハ》過去にせしとよむべきを、ほりするとよめるは、非也。】酒西有良師《サケニシアルラシ》。【賢人と呼れし人も、酒はほりせしといひて、酒を賞《ホメ》たり。】
 
賢跡《カシコシト》。【下に賢良《サカシラ》とあれば、こゝもさかしと、四言によむべけれど、七賢《ナヽノカシコキ》といふ歌に並たれば、かしこしとよみつ。】物言從者《モノイハムヨハ》。【卷(ノ)五に、雲に飛、くすりはむ用者《ヨハ》、とあれば、こゝもものいはむよは、とはよみつ。】酒飲而《サケノミテ》。醉哭爲師《ヱヒナキスルシ》。【ゑひなきは、後のもの語ぶみにも見えたり。】益有良之《マサリタルラシ》。
〔頭注、跡は、雖干跡乾不乾《ホセドモトヒズ》の、跡《ト》に同じ。別記にいへり。〕
將言爲便《イハムスベ》。【いはむにも、いふべきすべなきをいふ。】將爲爲便不知《セムスベシラニ》。【いかにせんにもせんすべしらずなり。しらにとよむは、古言なり。既に出。】極《キハメタル》。【きはまりて、とよまんも、理なきにあらねど、こゝはきはめたる貴《タフトキ》ものぞと、つゞく意也。】貴物者《タフトキモノハ》。酒西有良之《サケニシアルラシ》。
 
中々二《ナカ/\ニ》。【半々《ナカラ/\》にて、事の行とどかぬをいふ言也。】人跡不有者《ヒトトアラズハ》。【人にてあらんよりはなり。》酒壺二《サカツボニ》。成而師鴨《ナリテシカモ》。【此一句、六言によむベし。集中例多し。】酒二染甞《サケニソミナム》。【甞〔右○〕を、一本に、南に作れり。酒《サケ》釀《カメ》る壺《ツボ》になりなば、酒にしみて、中/\に人とあらんには、勝りたらんといふ意なり。】
 
痛醜《アナミニク》。【神武紀に、大醜、此(ニ)云2※[革+央]奈彌※[人偏+爾]句《アナミニク》1、とあり。古語拾遺に、事之甚切、皆稱2阿那1、といへり。卷(ノ)六に、痛※[立心偏+可]怜《イトアハレ》とありて、集中には、いたとも、いとゝもよむべき所に、痛の字を書るを、こゝにあなとよむは心得かてなれど、痛は傷の義にて、甚《イタ》く切なるをいふ言なれば、意を得て書るなるべし。】賢良乎爲跡《サカシラヲスト》。【下にも、卷(ノ)十六にも、(72)情進と書て、さかしら、とよめり。さかしだてして、ものさしでするをいふ。】酒不飲《サケノマヌ》。【酒のむものは、いとみにくき事ありなどいひて、さかしらだてして、不飲《ノマズ》あるなり。】人乎熟見者《ヒトヲヨクミバ》。猿二鴨似《サルニカモニム》。【さる人を、よく/\見たらば、かへりて、猿に似てあらん。とそしれり。】
 
價無《アタヒナキ》。寶跡言十方《タカラトイフトモ》。【無價寶珠は、法華經に見えたり。】一杯乃《ヒトスキノ》。濁酒爾《ニゴレルサケニ》。豈益目八方《アニマサメヤモ》。【終《ハテ》の方《モ》の字は、今本には脱せり。古本によりて加ふ。阿爾は、奈爾に通へり。何《ナニ》ぞ益《マサ》る事あらむ。といふ意也。】
 
夜光《ヨルヒカル》。玉跡言十方《タマトイフトモ》。【夜光の玉の事は、漢籍《カラフミ》史記に見ゆ。】酒飲而《サケノミテ》。情乎遣爾《コヽロヲヤルニ》。豈益目八方《アニマサメヤモ》。【益を今本若に誤れり。古本によりて、改む。】
 
世間之《ヨノナカノ》。遊道爾《アソビノミチニ》。【道といふ言、から國には、こちたくいへれど、吾御國にては、何《ナニ》の道、くれの道、などいひて、たゞその筋をいふ言也。】怜者《タヌシキハ》。【今本冷に誤れり。集中|左夫志《サブシ》といふに、不樂とも、不怜とも、書たれば、樂と怜とは、同じ意に用ひて、たぬしとよむべき也。卷(ノ)十七に、遊内乃《アソブウチノ》、多努之吉庭爾《タヌシキニハニ》、云々。と見えたり。】醉哭爲爾《ヱヒナキスルニ》。可有良師《アリヌベカラシ》。
 
(73)今代爾之《イマノヨニシ》。【今本に、このよとよめるは、よからず。】樂有者《タヌシクアラバ》。來世者《コムヨニハ》。蟲爾鳥爾毛《ムシニトリニモ》。吾羽成奈武《ワレハナリナム》。【是は佛の教にもとりて、末世はいかにありとも、吾《ア》はいとはじと、酒を禁したるを、うけひかぬ意なり。】
 
生者《イケルヒト》。【或人、うまるれば、とよみしは非也《アシヽ》。集中、死にむかへて、皆いけるといへり。】逐毛死《ツヒニモシヌル》。物爾有者《モノナレバ》。【いひにもの毛は、生者《イケルヒト》の下に有べきを、さはいはれぬゆゑ、めぐらして下にいへるは、一格なり。】今生在間者《イマイケルマハ》。【こゝも、このよとよめるは、非也。間は、と〔右○〕ともよむべき也。ほどの略語、卷(ノ)四の別記に擧(ク)。】樂乎有名《タヌシクヲアラナ》。【あらむ。といふにおなじ。】
 
黙然居而《モダヲリテ》。【卷(ノ)七に、默然不有跡《モダアラジト》。卷(ノ)十七に、母太毛安良牟《モダモアラム》。今の俗にだまるといふ言也。今本のよみはあやまれり。】賢良爲者《サカシラスルハ》。飲酒而《サケノミテ》。醉泣爲爾《ヱヒナキスルニ》。尚不如來《ナホシカズケリ》。【醉泣は見ぐるしくおもふ人あるべけれど、だまりをりて、さかしらせむには、勝れりといへり。
 
萬葉考槻乃落葉【三之卷解】上終
 
(75) 萬葉考|槻乃落葉《つきのおちば》【三之卷解】下
               從四位下荒木田神主久老撰
 
  沙彌滿誓(ガ)歌。一首。
 
世間乎《ヨノナカヲ》。何物爾將譬《ナニニタトヘム》。【何物の二字にて、奈爾とよむは、集中の例なり。】旦開《アサヒラキ》。【あしたに船開《フナビラ》きするをいふ。師の考に見えたり。】榜去師船之《コキニシフネノ》。跡無如《アトナキゴトシ》。【上にもいへる如く、こゝも跡《アト》なきがごとゝよむべけれど、卷(ノ)二に、天見如久《アメミルゴトク》とある例によりて、今もあとなき如し、とはよみつ。】
 
  若湯座《ワカユヱノ》王(ノ)歌。一首。
 
葦邊者《アシベニハ》。鶴之哭鳴而《タヅカネナキテ》。湖風《ミナトカゼ》。【湖を、みなとゝよむは、上にいへり。】寒吹良武《サムクフクラム》。【卷(ノ)十七に、美奈刀可世《ミナトカゼ》、佐牟久布久(76)良之《サムクフクラシ》、なこの江に、つまよびかはし、たづさはになく。】津乎能埼羽毛《ツヲノサキハモ》。【和名抄、近江(ノ)國淺井(ノ)郡、都宇郷あり。蓋|宇《ウ》は、乎《ヲ》の誤にや。さて終《ハテ》を、はも〔二字右○〕ととぢめたるは、總べて尋ね慕ふ意となれり。是も津乎《ツヲ》の崎《サキ》を想像してよめる歌なるべし。】
 
  釋(ノ)通觀(カ)歌。一首。
 
見吉野之《ミヨシヌノ》。【見《ミ》は假字、眞《ミ》なり。】高域乃山爾《タカキノヤマニ》。白雲者《シラクモハ》。行憚而《ユキハヾカリテ》。【上に見えたり。】棚引所見《タナヒケルミユ》。【高城といふ名によせて、いよゝ高きを知らせたり。】
 
  日置《ヒキノ》少老(ノ)歌。一首。
 
綱乃浦爾《ツヌノウラニ》。【師説に、今本に、繩と書るも、奈波《ナハ》とよめるも、共に誤なり、といへり。上黒人の歌に、名次山《ナスキヤマ》、角乃松原《ツヌノマツハラ》、とよめる同所にて、攝津(ノ)國、武庫(ノ)郡と見えたり。下赤人の歌にも、綱《ツヌ》の浦の歌と、武庫《ムコ》の浦の歌と、相並べり。】鹽燒火氣《シホヤクケブリ》。【卷(ノ)五、卷(ノ)十一、卷十二に、火氣の二字を、けぶりとよみたり。催馬樂に、阿萬《アマ》の鹽燒《シホヤク》、屋《ヤ》のほの氣《ケ》とあれば、いづれもほのけ、とよむべくおもへど、卷七に、しかのあまの、鹽燒煙《シホヤクケフリ》、風をいたみ、立はのぼらで、山に棚引《タナビク》、とあるは、この歌とひとしければ、是を證として、火氣の(77)二字、いづくにあるも、けぶりとよむべきなり。】夕去者《ユフサレバ》。行過不得而《ユキスギカネテ》。山爾棚引《ヤマニタナビク》。
 
   生石《オフシノ》村主《スグリ》眞人(ガ)歌。【生石は氏、村主は姓、眞人は名也。】一首。
 
大汝《オホナムチ》。【古事記、に大名持《オホナモチ》と書る字意にて、大なる名をたもてる也。と師はいへり。】少彦名乃《スクナヒコナノ》。【少彦《スクナビコ》とは、その御形(チ)の、小なるによりて、名づけ奉りしならん。また大名持にむかへる、御名ともいふべし。今按に、大名《オホナ》、彦名《ヒコナ》、の名は、兒屋根《コヤネノ》命の根《ネ》におなじく、卷(ノ)九、手兒名《テコナ》、卷(ノ)十八、吉美能《キミノ》、卷(ノ)十四、勢奈能《セナノ》、同卷、世奈那《セナナ》、など見えたる、能《ノ》も、那《ナ》も、皆ひとつ言にて、下に添る稱言《タヽヘコト》と知られたり。】將座《イマシケム》。志都乃岩室者《シヅノイハヤハ》。【二柱の神は、天の下を經營《ツクリ》給へれば、いづくの國にましましゝとも、定むべからねど、出雲の國は、この神の大座《オホマシマシ》し本郷と見え、又紀伊國は、出雲と同じ地名のおほくありて、神代の古(ル)事は、兩國相通ふ事の多ければ、この岩屋は、出雲歟、紀伊歟に、あるべくおもはるゝなり。別記に委しくせり。】幾代將經《イクヨヘヌラム》。【いく萬代をか、へぬらんといへり。】
 
  上(ノ)村主古麻呂(ガ)歌。【村主の二字は、契冲が説によりて、補へり。】一首。
今目可聞《イマモカモ》。【目を、今本日に爲りて、けふもかも、とよみたり。明日香《アスカ》の言につゞきたれば、さも有べけれど、【卷(ノ)十六に、今日今日跡《ケフケフト》、飛鳥爾到《アスカニイタリ》、と見えたり。】或本の歌とて、發句を、明日香川《アスカガハ》、今毛(78)可毛等奈《イマモカモトナ》、と下に註したるによれば、師説に、日は、目の誤也、といはれしに從ふべし。或本の、可毛等奈《カモトナ》の等《ト》は、卷(ノ)七に、雖干跡不乾《ホセレドトヒズ》、とある跡《ト》にて、其事を切(チ)にいふ辭也。語登《コトト》の別記にいふ。】明日香河乃《アスカノカハノ》。夕不離《ユフサラズ》。【ゆふべ毎《コト》にといふにおなじ。】川津鳴瀬之《カハヅナクセノ》。【集中かはづは、必川にのみよみ合せたり。今の世|蛙《カハヅ》と呼もの、河にすむものにあらず、別記あり。】清有良武《サヤケカルラム》。
 
  山部(ノ)宿禰赤人(カ)歌 六首。
 
綱浦從《ツヌノウラユ》。【上に出。】背向爾所見《ソガヒニミユル》。【そがひは卷(ノ)七に、辟竹之《サキタケノ》、背向爾宿之久《ソガヒニネシク》、とありて、則字意の如し。集中におほし。】奥島《オキツシマ》。榜囘舟者《コギタムフネハ》。【上に、磯前《イソノサキ》、榜手囘行者《コギタミユケバ》、とあり。】釣爲良下《ツリセスラシモ》。【せすの意、別記にいふ。】
 
武庫浦乎《ムコノウラヲ》。榜轉小舟《コギタムヲフネ》。粟島矣《アハシマヲ》。【古事記に、生2粟洲(ヲ)1とある是也。淡路の西北にある島也。といへり。】背爾見乍《ソガヒニミツヽ》。【卷(ノ)四にも、背の一字を「そがひとよみたり。共に向〔右○〕の字を脱せるにやあらん。】乏小舟《トモシキヲブネ》。【ともしは、うらやむ意なれば、こゝも粟島を背向《ソガヒ》に見つゝ、倭《ヤマト》のかたへ榜《コギ》のぼるが、うらやまし、といふ意にや。まに、たゞ心にともしぶる意にや。ともしぶは、めで愛《イツク》しむ意にちかし。】
 
(79)阿倍乃島《アベノシマ》。【冠辭考、玉がたまの條下に見えたり。】宇乃住石爾《ウノスムイソニ》。【鵜の住磯なり。】依波《ヨスルナミ》。間無比來《マナクコノゴロ》。日本師所思《ヤマトシオモホユ》。【日本は、大和の國をいふ。】
 
鹽干去者《シホヒナバ》。玉藻苅藏《タマモカラサム》。【今本につめとよみしは。非也《アシシ》。】家妹之《イヘノイモガ》。濱裹乞者《ハマツトコハバ》。【つとの事、上に出。】何矣示《ナニヲシメサム》。【示の字、上には、みせんとよみつれど、こゝはしめさんと、よむべき也。そのよし既にいへり。】
 
秋風乃《アキカゼノ》。寒朝開乎《サムキアサケヲ》。【この乎《ヲ》は、後世に、爾《ニ》といふ助辭《テニハ》なり。履中紀の歌に、於朋佐箇珥《オホサカニ》、阿布夜《アフヤ》、烏等謎烏《ヲトメヲ》、云々といへる烏《ヲ》なり。中昔のうたにもおほかるを、近世にはをさ/\見えぬは、いにしへに證せんものとしも、おもはぬが故なり。】佐農能崗《サヌノヲカ》。【さぬは、紀伊の國なり。上に出。】將越公爾《コユラムキミニ》。衣借益矣《キヌカサマシヲ》。【紀伊の國に行たる人を、おもひやりてよめる也。古人《イニシヘヒト》の心の實《マコト》なるを見よ。】
 
美沙居《ミサゴヰル》。【和名抄(ニ)云。爾雅集註(ニ)云。※[目+鳥]鳩。和名美佐古、※[周+鳥](ノ)屬也。好(テ)在2江邊山中(ニ)1。亦食v魚者也。】石轉爾生《イソミニオフル》。【轉は、浦囘《ウラミ》、島囘《シマミ》、などのみ〔右○〕に同じ。礒囘爲流《イソミスル》などもよめり。下に出たり。或本|荒礒爾生《アリソニオフル》とあり。荒礒は、ありそとよむべし。】名乘藻乃《ナノリソノ》。【允恭紀に見えたり。今の世、ほだはらとよぶものなり。】名者告(80)志弖余《ナハノラシテヨ》。【弖《テ》を、今本五に誤れり。のりてを、延《ノベ》たる辭なり。或本|告名者告世《ノリナハノラセ》とあり。今實名を、なのりといふがごとし。】親者知友《オヤハシルトモ》。【或本、父母者知友《オヤハシルトモ》とあり。いにしへ、女の相ゆるす時ならでは、名はのらぬ故、かくいへり。】
 
〔頭注、卷(ノ)十七に、伊蘇未《イソミ》と假字書あり。囘を、わ〔右○〕とよめるは、非也。本居氏は、ま〔右○〕とよまれたれど、多囘《タミ》たる道、など書る例あれば、美《ミ》と訓べき也。み〔右○〕は、備《ビ》に、通ふ言にて、邊《ホトリ》をいふ。
 
  笠(ノ)朝臣金村(ガ)鹽津山(ニテ)作(ル)歌。【和名抄に、近江(ノ)國淺井郡に、鹽津あり。そこの山なるべし。】二首。
 
大夫之《マスラヲノ》。【益荒雄《マスラヲ》にて、男子の勇氣あるをいふ言なり。】弓上振起《ユスヱフリオコシ》。【古事記に、弓腹振立而《ユハラフリタテテ》、とあるに、卷(ノ)十三にも、弓腹振起《ユハラフリタテ》と書たれば、こゝも、しかよむべく、おもふに、卷十八に梓弓《アズサユミ》須惠布理於許之《スヱフリオコシ》と、假名書のあれば、こゝはゆずゑとよむべく、ゆずゑといふときは、ふりおこしといひ、ゆばらといふときは、ふりたてと、いふ例と見えたり。】射都流矢乎《イツルヤヲ》。得將見人者《エテミムヒトハ》。【今本|後將見《ノチミム》とあり、いづれよけむ。】語繼金《カタリツグガネ》。【かねは、おもひ設る意にいふ言にて、みおすひかね・后がね・むこがね、などの、かねに同じといへり。己が按は、下|春日野《カスガヌ》に、粟種有世婆《アハマケリセバ》、待鹿爾《マタスカニ》、といふ歌にいへり。この歌、いかなる意とは知らえねど、一首のおもてをもていはゞ、我|弓上《ユスヱ》をふりおこして、射はなてる矢を、取得て見ん人は、大夫の弓(ン)勢のほどをも知りて、語繼《カタリツグ》ならん。それが料にとて今この矢をしも、射|放《ハナ》つぞ、といふ意と聞ゆめり。】
 
〔頭注、大は、丈の誤か。集中すべて、大夫と書たり。卷(ノ)七にもこゝと同しく、弓上振起と書り。〕
〔頭注、得將見《エテミム》は、古本(ニ)從へり。]
 
鹽津山《シホツヤマ》。打越去者《ウチコエユケバ》。我乘有《ワガノレル》。馬曾爪突《ウマゾツマヅク》。家戀良霜《イヘコフラシモ》。【わが馬爪つくは、卷(ノ)七にも見えたり。奥義抄(81)に、旅人を家にて戀る妻あれば、乘馬つまづきなづむといへり。されば家人のわれを戀ふらし、といふ意なり。】
 
  角鹿津《ツヌガノツニ》、【越前國敦賀也、角鹿《ツヌガ》乃名の發りは、垂仁紀に見ゆ。】乘船時《フナノリスルトキ》、笠朝臣金村(ガ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
越海之《コシノウミノ》。角鹿乃濱從《ツヌガノハマユ》。【つぬがは、笥飯《ケヒ》の浦とひとつ所也。紀に見ゆ。】大船爾《オホフネニ》。眞梶貫下《マカヂヌキオロシ》。【左右に櫓をたてたるをいふ。眞は、兩手をまてといふ眞《マ》也。】勇魚取《イサナトリ》。【發語也。師の考に、いさりを、この勇魚取《イサナトリ》と、同じ言としられたり。尚考ふべし。】海路爾出而《ウミヂニイデテ》。【浦邊より、沖さかりて、海路に榜出《コギイヅ》るをいふ。】阿倍寸管《アヘギツヽ》。【喘也と、契冲云へり。】我榜行者《ワガコギユケバ》。【船子どもの、あへぎて、我ふねを榜ゆくなり。】大夫乃《マスラヲノ》。【發語。】手結我浦爾《タユヒガウラニ》。【延喜神名式、敦賀(ノ)郡、田結(ノ)神社あり。】海未通女《アマヲトメ》。鹽燒炎《シホヤクケブリ》。【炎は、火氣と書くに同じく、けぶりとよむべし。】草枕。【發語。】客之有者《タビニシアレバ》。獨爲而《ヒトリヰテ》。【爲而は必|志弖《シテ》とよむべきよし、本居氏いへれど、卷七に、獨居而《ヒトリヰテ》、見驗無《ミルシルシナシ》、と書たれば、こゝも、ゐてとよめり。別記あり。】見知師無美《ミルシルシナミ》。綿津海乃《ワタツミノ》。【海神をいふ。海は美《ミ》の假字なり。】手二卷四而(82)有《テニマカシタル》。珠手次《タマタスキ》。【發語。わたづみより、こゝまでの言は、かけてといはん料に、いへる序なり。】懸而之努櫃《カケテシヌビツ》。【遙におもひかけて、しのぶ也。】日本島根乎《ヤマトシマネヲ》。【既に出。別記有。】
 
〔頭注、こゝにも笠(ノ)朝臣云云角鹿津云云。とある例也。〕
 
  反歌。
越海乃《コシノウミノ》。手結之浦矣《タユヒノウラヲ》。客爲而《タビニヰテ》。【これも長歌の例にて、たびにゐて、とよむ。】見者乏見《ミレバトモシミ》。《ともしみは、心におもひともしぶる也。こゝは長歌に、見るしるしなみといへると同意なり。このともしみを、轉しては、羨《ウラヤ》む意にもいへり。】日本思櫃《ヤマトシヌビツ》。【思を、しぬぶとよむ例、上に出。】
 
  石上(ノ)大夫【續日本紀(ニ)天平十六年九月、石(ノ)上(ノ)朝臣乙麻呂爲(ス)2西海道(ノ)使(ト)1、と見えたり。此時の歌成るべし。】歌。一首。
 
大船二《オホフネニ》。眞梶繁貫《マカヂシヾヌキ》。大王之《オホキミノ》。御命恐《ミコトカシコミ》。【こゝまでの言、上に出たり。】礒回爲鴨《イソミスルカモ》。【卷(ノ)十九に、藤波《フヂナミ》を、かりほにつくり、※[さんずい+彎]囘爲流《ウラミセル》、人等波不知《ヒトトハシラニ》、あまとかみらん。卷七に、鹽早《シホハヤ》み。礒囘《イソミ》にをれば、かづきする。あまとやみらん。旅ゆくわれを。是等《コレラ》の歌によるに、礒囘《イソミ》するは、いそべに、船がゝりするを、いふ言なり。さて此歌の、爲鴨は、するかもとよむべく、卷(ノ)十九の歌の、爲流は、せるとよむ例也。別記あり。】
 
〔頭注、卷六に、玉藻苅《タマモカル》、辛荷乃島爾《カラニノシマニ》、島囘爲流《シマミスル》、水鳥二四毛有哉《ウニシモアレヤ》、家不思有思《イヘオモハザラシ》。今本左註(ニ)云。右今按(ニ)、石上(ノ)朝臣乙麻呂、任(ス)2越前(ノ)國守(ニ)1蓋此(ノ)大夫歟と有。]
 
  和歌一首。
(83)物部乃《モノノフノ》。【發語、別記あり。】臣壮士首《オミノオトコハ》。【壮士の二字、卷(ノ)十九に、麻須良多家乎《マスラタケヲ》、とあれば、今本のよみもしかるべけれど、卷(ノ)六に、月讀壮士《ツキヨミヲトコ》、とあるを、卷十五に、月人乎登※[示+古]《ツキヒトヲトコ》、と書たれば、壮士の二字、をとことはよみつ。】大王乃《オホキミノ》。【之は、古本にあり。】任乃隨意《マケノマニマニ》。【まけとは、任國にまからしめ給ふをいふと、本居氏云へり。今按に、後のもの語ぶみに、取まかなふといふは、その事に任じて、取行ふをいふ言にて、俗にまかす、まかせおく、などいふは、その事を委任するをいふなり。まけは、このまかすの約言なるべし。まからすとは、ことの意異なるに似たり。後人よく考て定てよ。】聞跡云物層《キクトイフモノゾ》。【聞《キク》とは、卷(ノ)二に、所聞見爲《キコシミス》、背友乃國之《ソトモノクニノ》、といへる、聞《キク》も、見《ミル》る、その事を、したしく身に受いるゝをいふ言と、師のいはれしは、さる事にて、俗に、目利《メキヽ》・口利《クチキヽ》・手利《テキヽ》などいふも、その事を、よく身に受得て、はたらかすをいふなれば、こゝの聞《キク》も、勤はたらく意にて、天皇の任の、おぼろけならぬを、かしこみおもひて、勤べきなれば、からき海路をわたるとも、勿怠《ナオコタリ》そ、といへる意也。】
 
   右作者未v詳。但笠(ノ)朝臣金村(カ)歌集中(ニ)出也。
 
  安倍(ノ)廣庭卿(ノ)歌。  一首。
 
雨不霽《アメハレズ》。【今本、霽を、零に作れり。雨ふらすて、潤濕《ヌレヒツ》といふ言のあるべくもあらねば、決《キハメ》て誤也と、本居氏のいへるにしたがふ。】殿雲流夜之《トノクモルヨノ》。(84)【卷(ノ)十三に、棚ぐもるともありて、雨雲のたなびきわたりて、曇るをいふ。】潤濕跡《ヌレヒツト》。戀乍居寸《コヒツヽヲリキ》。【雨はれず、ぬれひつがゆゑに、君を戀つゝ、起居るなり。】君待香光《キミマチカテリ》。【もしや君來まさんかと、待がてら起居るとはいへり。香光は集中に我弖利《カテリ》とも、加弖良《カテラ》ともあれば、いづれにもよむべし。】
 
〔頭注、或人の考に、雨不の二字を、霖の誤とし、零、今本のまゝにて、こさめふり、とよむべしといへり。此考よきに似たり。〕
〔頭注、かてら、かてりは、物ふたつにわたる言にて、且《カツ》戀つゝ且《カツ》待つゝ、起居るといふ意なり。さればかてりは、且の延言にや、考べし。〕
 
  出雲守、門部(ノ)王、思《シヌヒノ》2京師《ミヤコ》1歌。一首。
 
飫海乃《オウノ》。【師説に、海は、河の誤りといへり。】河原之乳鳥《カハラノチトリ》。【卷(ノ)四に、同王の歌に、飫宇能海之《オウノウミノ》、鹽干乃滷之《シホヒノカタノ》、云云とあれば、今も、飫《オ》の下に、宇能《ウノ》の二字を、脱せるものとせば、こともなくやすく聞ゆれど、海にて、河原といふべくもあらねば、師は、海を、河の誤とはいはれし成るべし。今按に、海は、宇の假字に用ひたるにや。そは卷廿に、宇乃波良和多流《ウノハラワタル》、とあれば、海を、宇とのみいへる也。さては出雲(ノ)國、意宇乃河にて、乃(ノ)の下、河(カハ)の上に、今ひとつの河(カハ)の字を脱せる歟。また於宇乃《オウノ》三言を、初句とすべきか。さて卷(ノ)廿に、集(テ)2於出雲(ノ)椽安宿(ノ)奈杼麻呂之家(ニ)1宴(ル)歌に、おほきみの、みことかしこみ、於保乃宇良乎《オホノウラヲ》、そがひにみつゝ、都へのぼる、とあるも、於保《オホ》、飫宇《オウ》、同じきにや、また別所にや。】汝鳴者《ナガナケバ》。吾佐保河乃《ワガサホカハノ》。【奈良なる佐保川なり。吾とは、本郷なればいふ。】所念國《オモホユラクニ》。【らく〔二字右○〕は、る〔右○〕の延言、に〔右○〕は、助辭なり、】
 
  山部(ノ)宿禰赤人(ガ)、登(リテ)2春日山(ニ)1作(ル)歌。一首。【並】短歌。
 
〔頭注、今本、山を野に誤れり。〕
 
(85)春日乎《ハルヒヲ》。【發語、別記あり。】春日山乃《カスガノヤマノ》。高座之《タカクラノ》。【發語。】御笠乃山爾《ミカサノヤマニ》。朝不離《アササラズ》【卷十に、暮不離《ユフサラズ》、蝦鳴成《カハズナクナル》、と有におなじく、朝毎《アサゴト》に、といふ意也。】雲居多奈引《クモヰタナビキ》。容鳥能《カホドリノ》。【今かつほ鳥といふものにて、喚子鳥《ヨフコドリ》といふも、是なるよし、師説に詳なり。】間無數鳴《マナクシバナク》。【數を、しばとよめるは、卷(ノ)二に、數々毛《シバ/\モ》、見放牟八萬《ミサケムヤマ》云云。卷(ノ)廿に、之婆之婆美等毛《シバシバミトモ》、安加無伎彌加毛《アカムキミカモ》、字書に、屡は、頻數也と見えたり。】雲居奈須《クモヰナス》。【發語。上の雲ゐ棚曳は、この言をいひ出んための序なり。】心射左欲比《コヽロイサヨヒ》。【いさよひの言、上に見えたり。】其鳥乃《ソノトリノ》。【容鳥《カホドリ》なり。この乃《ノ》は、如くといふ意をふくめり。】片戀耳爾《カタコヒノミニ》。晝者毛《ヒルハモ》。日之盡《ヒノクルヽマデ》。夜者毛《ヨルハモ》。夜之盡《ヨノアクルキハミ》。【此四句卷(ノ)二に出。師説に詳也。】立而居而《タチテヰテ》。念曾吾爲流《オモヒソワガスル》。不相兒故荷《アハヌコユヱニ》。【あはぬ子なるものを、といふ意也、と本居氏いへり。】
 
〔頭注、片戀は.片々にひとり戀る意。〕
 
  反歌。
高※[木+安]之《タカクラノ》【發語《マクラコトバ》。】三笠乃山爾《ミカサノヤマニ》。鳴鳥之《ナクトリノ》【長歌にいへる容鳥《カホトリ》なり。】止者繼流《ヤメバツガルル》。戀喪爲鴨《コヒモスルカモ》。【喪を、今本哭に誤れり。古本によりて改。卷(ノ)十一に、君が着る三笠山《ミカサノヤマ》に、居《ヰ》る雲《クモ》の、立婆《テテバ》つがるゝ、戀もするかも、と有。】
 
(86)  石上(ノ)乙麻呂(ノ)朝臣【麻呂公の子。】歌。一首。
 
雨零者《アメフラバ》。將蓋跡思有《キナムトモヘル》。笠乃山《カサノヤマ》。【三笠山なるべきよし、契冲云へり。三笠は、眞笠《マカサ》なり。】人爾莫令蓋《ヒトニナキセソ》。霑者漬跡裳《ヌレハヒヅトモ》。【歌の意は明らか也。またく比喩の歌と聞ゆるを、上の三笠山の歌にひかされて、こゝに亂入たるなるべし。卷(ノ)十一に、おしてる、難波菅笠《ナニハスガカサ》、おきふるし、後《ノチ》は誰《タ》將着《キナン》、笠ならなくに、とある歌の意にて、三笠山を、女に比したるなり。】
 
〔頭注、誰は、た〔右○〕とのみよむべきなり。卷(ノ)十二に、簑笠不蒙而《ミノカサキズテ》、來有人哉誰《キタルヒトヤタ》、と有。今本の訓は非也。〕
 
  湯原《ユバラノ》王(ノ)、芳野(ニテ)作(ル)歌。一首。
 
吉野爾有《ヨシヌナル》。夏實乃河乃《ナツミノカハノ》。川余杼爾《カハヨドニ》。【上に、明日香河《アスカカハ》。川余藤不去《カハヨドサラズ》、と見え、卷(ノ)七に、三芳野之《ミヨシヌノ》、大川余杼《オホカハヨド》、ともよみたり。】鴨曾鳴成《カモゾナクナル》。山影爾之※[氏/一]《ヤマカゲニシテ》。【之※[氏/一]《シテ》の言は、別記に例を擧たり。たゞ山陰に、といふ言にて、しては、輕く語る言なり。歌の意は明らか也。】
  湯原(ノ)王宴(ノ)席歌。二首。
 
秋津羽之《アキツハノ》。【蜻蛉の羽の如き、薄き衣をいふならん。】袖振妹乎《ソデフルイモヲ》。【家妓を出して、舞せるにや。】珠匣《タマクシゲ》。【奥といはん料の、發語《マクラコトバ》なり。(87)奥爾念乎《オクニオモフヲ》。【おくふかくおもへる也。卷(ノ)九に、吾妹子《ワキモコ》は、くしろにあらなん。左手《ヒダリテ》の、吾奥手二《ワガオクノテニ》、まきていなましを、とよめるも、ふかくうつくしむ意なり。】見賜吾君《ミタマヘアギミ》。【わが深くうつくしむ妹《イモ》なれど、いかにしてかも、君の心をなぐさめんとて、こゝに出したるを、見給へとなり。】
 
〔頭注、再按に、奥《オキ》とは、大切なるをいふ言と見えて、稻《イネ》を、奥津御年《オキツミトシ》と、祝詞にいへるも、五穀の中に、殊に大切なる意にて、いふ言と聞ゆ。]
青山之《アヲヤマノ》。【名所にあらず。神代紀に、青山爲枯《アヲヤマヲカラヤマニナス》といひ、卷(ノ)一に、日本乃《ヤマトノ》、青香具山《アヲカグヤマ》は、日經《ヒノタテ》の、大御門《オホミカド》に、青山跡《アヲヤマト》、之美佐備立有《シミサビタテリ》。卷(ノ)七に、青山等《アヲヤマト》、茂山邊《シゲキヤマベ》など見えたり。】嶺乃白雲《ミネノシラクモ》。朝爾食爾《アサニケニ》。【食《ケ》は、來經《キヘ》なり。既に出。朝毎にといふ意。】恒見杼毛《ツネニミレドモ》。目頬四吾君《メヅラシアキミ》。【上に出たる、人麻呂の歌に、春艸《ハルクサ》の、いやめづらしき、わがおほきみかも、とよめる意なり。】
 
〔頭注、け〔右○〕はくれ〔二字右○〕の約《ツヾ》めにて、朝暮といふ意とおもふは、あしし。〕
  山部(ノ)宿禰赤人(カ)詠2故(ノ)贈大政大臣藤原家之(ノ)【淡海公之家也。高市(ノ)郡藤原に有ける成べし。古本には、藤原の下に、郷の字あり。】山池(ヲ)1歌。一首。
 
昔省之《ムカシミシ》。【省《ミ》は今本者に誤れり。田中道麻呂が考なるよし、本居氏のいへるに從へり。】舊堤者《フルキツヽミハ》。年深《トシフカミ》。【ふかみは、年歴の經たるをいふ。】池之瀲爾《イケノナギサニ》。水艸生爾《ミクサオヒニ》【爾は、古本にあり。】家里《ケリ》。【むかし君のおましゝをりは、常に艸をもとらしめ給ひしを、君まさで年月經にたれば、今(88)は池の瀲《ナギサ》にも、みくさのおほく、生繁《オヒシゲ》りたりとはいへり。池につきては、水艸《ミクサ》のみは、字の意なるべくおもへど、水は假字にて、眞艸《マクサ》なるべし。】
〔頭注、鎌足公の、藤原におましまして、藤原姓を賜しをおもへば、不比等公も、やがてその家に、おましましゝなるべし。〕
  大伴坂上(ノ)郎女(ノ)【安麻呂卿の女。家持卿の姑也。】祭神《カミマツリノ》歌。一首。【並】短歌。
 
久堅乃《ヒサカタノ》。【發語。】天原從《アマノハラヨリ》。生來《アレコシ》。【あれは、うまれなるよし、師云へり。いにしへの傳へはかゝるを、神道者流の高天原は、帝都をいふとし、かしこくも、天照大神の都は、近江の國ぞなどいへるは、古傳を信《ウケ》ざるみだり言也。】神之命《カミノミコト》。【左註に、供2祭大伴氏神1、とあれば、遠祖天(ノ)忍日(ノ)命をいへるなり。】奥山乃《オクヤマノ》。賢木之枝爾《サカキガエダニ》。【奥山としもいへるは、卷(ノ)十に、山遠《ヤマトホ》き、京《ミヤコ》にしあれば、とよめる類にて、遠き山邊より取來りし、賢木《サカキ》といふ意なり。】白香付《シラカツク》。【發語。師説はうけがたくおもふ事あれど、今考る所なし。卷(ノ)十九【孝謙御製】に、白香付《シラカツク》、朕裳裙爾《アガモノスソニ》、鎭而將待《イハヒテマタナ》、と御よみませる大御歌は、白き帛の御裳を着まして齋戒し給ふさまと聞ゆれば、白香付《シラカツク》とは、たゞ白きをいふ言とおもへど、香付《カツク》の言は、いかなる意とも考得ず。】木綿取付而《ユフトリツケテ》。【豐後風土記云。柚富《ユフノ》郷、在(リ)2郡(ノ)西(ニ)1、此郷之中(ニ)栲《タクノ》木多生。常取(テ)2拷(ノ)皮(ヲ)1以造(ル)2木綿(ヲ)1、因(テ)曰(フ)2柚富《ユフノ》郷(ト)1云云。古語拾遺(ニ)云。植(テ)v穀(ヲ)造《ツクル》2白和幣《シラニギテヲ》1、植(テ)v麻(ヲ)造(ル)2青和幣《アヲニギテヲ》1云云。この二書の言をてらして、栲《タク》と穀《カチ》とは、ひとつものにて、木綿《ユフ》は、その皮もて、造れるものなるをしるべし。今神事に、榊が枝に、麻を取しでて、ものを清むるも、古のさま也。】齋戸乎《イハヒベヲ》。【忌瓮也。神武紀にあり。いにしへ神に供る酒は、忌清りて造れるを、甕《ミカ》なが(89)らに奉れる也。延喜式祝詞に、※[瓦+肆の左]閇高知《ミカノヘタカシリ》、※[瓦+肆の左]腹滿雙※[氏/一]《ミカノハラミチナラベテ》、といへるはこれなり。】忌穿居《イハヒホリスヱ》。【出雲(ノ)國造(ガ)神賀詞に、天乃※[瓦+肆の左]和【爾】《アメノミカワニ》、齋許母理※[氏/一]底《イミコモリテ》、といへるは、酒《サケ》釀《カモ》せる甕《ミカ》を、床《トコ》の邊《ベ》に居《スヱ》て、やがてそこに、齋《イハヒ》こもりをるをいふ言なるをむかへて、こゝの穿居《ホリスヱ》といへる言の意をも、心得べし。】竹玉乎《タカダマヲ》。【神代紀に、野槌|者《ニハ》、探2五百箇|野篶《ヌスヾノ》八十|玉籤《タマクヂヲ》1、云云。とありて、篶《スヾ》は、小竹の名也。こゝも賢木《サカキ》には、木綿《ユフ》をとり付、篶竹《スヾ》には、玉《タマ》をぬきたれて、神を祠れるなるべし。是は師説によれり。おのれ近ころ愚考あり。卷(ノ)九別記にいヘり。】繁爾貫垂《シヾニヌキタレ》。【下挽歌には、竹玉乎《タカタマヲ》、無間貫垂《シシニヌキタレ》。と書たり。】十六自物《シシジモノ》。【發語。十六は、鹿《シシ》の假字。】膝折伏手《ヒザヲリフセテ》。【上に出たる、四時自物《シシジモノ》、伊波比拜《イハヒヲロカミ》、といへるにおなじ。】弱女之《タワヤメノ》。【丈夫に對《ムカフ》る詞にて、女はたわやかなればいふ。】押日取懸《オスヒトリカケ》。【意須日《オスヒ》は女のかゞふるもの也。延喜式、大神宮御装束に、帛意須日《タヘノオスヒ》八條、長二丈五尺、廣二幅とあり。度會(ノ)宮御装束にも、忍比《オスヒ》四條と見えたり。古事記倭健命乃御歌に、那賀祁勢流《ナガケセル》、意須比能須蘇爾《オスヒノスソニ》、都紀多知邇祁理《ツキタチニケリ》。是はみやす姫の着《ケ》せる、おすひをの給へり。女の頭より、左右にたれて、かゞふるものと見えたり。外宮儀式帳に、天乃押比蒙※[氏/一]《アメノオスヒカヽフリテ》、とあり。上代の女の像《カタ》に、さるさましたるあり。又古事記、八千矛の神の御歌に、多智賀遠母《タチガヲモ》、伊麻陀登加受弖《イマダトカズテ》、意須比遠母《オスヒヲモ》、伊麻陀登加泥婆《イマダトカネバ》云云。仁徳紀に、謎※[しんにょう+西]利餓《メトリガ》、於瑠箇儺麼多《オルカナバタ》、波耶歩佐和氣能《ハヤブサワケノ》、瀰於須譬鵞泥《ミオスヒガネ》云云。これ等は、枕(ノ)草子に、あこめのうはおそひなどいへるおそひに同じく、上《ウヘ》に襲著《オソヒキ》給ふ、袍《ウヘノキヌ》の類をいへるにて、女の着《キ》る意須比《オスヒ》と、言はおなじくて、ものは異なりけり。卷十四に、たくぶすま、白山風《シラヤマカゼ》の、ね(90)なへども、ころがおそきの、あろこそえしも、とよめるは、女の贈れる衣をいへば、上の八千矛の神の御歌の、たぐひとすべし。】如是谷毛《カクダニモ》。【この言、集中に出たるを、押わたして考るに、俗言に、かひもなう此やうに、といふ意と心得て、聞ゆめり。だには、師説に、直爾《タヾニ》の略語といはれ、舊説に、なりとも也といへれど、ともに協へりともいひがたし。なほよく考べし。】吾者祈奈牟《ワレハコヒナム》。【奈牟《ナム》は祷《ノム》也。乃《ノ》と奈《ナ》は常通ふ言なり。】君爾不相鴨《キミニアハヌカモ》、【此やうにわれは祈祷《コヒノメ》ども、そのかひもなく、君にあはぬといふ意なり。】
 
〔頭注、賢木は、師説に、橿木なるべきよしいはれしは、非也。愚考有、別記にいへり。〕〔頭注、卷(ノ)十二に、白香付《シラカツク》、木綿者花物《ユフハハナモノ》、とよめるも、白きゆふの、花の如きをいへるなるべければ、かた/\白香付《シラカツク》は、たゞ白きをいふ言とこそおぼゆれ。花物の物は、疑の誤にて、花かもとよむべくはじめおもひしは、あしかりけり。〕
〔頭注、十六を、しゝ〔二字右○〕の假字に用ひしは、八十一を、くく〔二字右○〕の假字に用ひしと、同例なり。]
 
  反歌。
木綿疊《ユフタヽミ》。【この言、師の考に詳なり。】手取持而《テニトリモチテ》。【木綿《ユフ》を手に捧《サヽゲ》て、氏の神に奉るなり。】如是谷母《カクダニモ》。吾波乞嘗《ワレハコヒナム》。【祈祷《コヒノム》なり。】君爾不相鴨《キミニアハヌカモ》。
 
  右(ノ)歌者、以(テ)2天平五年冬十一月(ヲ)1、供2祭大伴氏(ノ)神(ヲ)1之時、聊(カ)作2此歌(ヲ)1。故(ニ)曰(フ)2祭神(ノ)歌(ト)1。
  筑紫娘子《ツクシヲトメノ》、【遊行女婦《サブルコ》なるべし。】贈(ル)2行旅《タビトニ》1歌。一首。【古本に、娘子(ノ)の字を曰(フ)2兒島(ト)1あり。是は卷(ノ)六に、旅人卿の、(91)筑紫の兒島、とよまれたる歌によりて、後人のかき加へしものなり。】
思家登《イヘモフト》。【家とは、本郷の家をいふなり。】情進莫《サカシラナセソ》。【卷(ノ)十六に、王之《オホキミノ》、不遣爾《ツカハサナクニ》、情進爾《サカシラニ》、行之荒雄良《ユキシアラヲラ》、奥爾袖振《オキニソデフル》、とよめり。さかしらは、俗にかしこたて、といふにおなじ。】風候《カゼマモリ》。【今本候を、俟に誤れり。今は活本に從へり。まもりは、伺《ウカヾヒ》まもるをいひて、さもらひといふに同じ。雄略記に、候風を、かぜさもらふとよみたり。】好爲而《ヨクシテ》。【別記あり。】伊麻世《イマセ》。【古事記、應神の御歌に、須久須久登、和賀伊麻勢婆夜《ワカイマセハヤ》、とあり。ゆきませの略語なり。】荒其路《アラキソノミチ》。【卷(ノ)七に、周防《スハウ》なる、岩國山《イハクニヤマ》を、越ん日は、たむけよくせよ、あらきその道。と有は山路にていひ、こゝは船路のかしこきをいふ。】
  登(リテ)2筑波岳《ツクバネニ》1【岳は、嶽に通ふ。漢土に五嶽(ハ)衆山(ノ)之宗高(ニ)而《シテ》尊者也、といへる意にて、岳とは書るなるべし。今はつくばねとよむべし。ねは嶺也。】丹比《タチヒノ》眞人國人(カ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
鷄之鳴《トリガナク》。【發語】東國爾《アヅマノクニニ》。【あづまの名は、景行紀、倭健(ノ)命の、御言よりおこれり。】高山者《タカヤマハ》。左波爾《サハニ》【多《サハ》也。】雖有《アレドモ》。朋神之《フタガミノ》。【この山は、嶺のふたつにわかれて、男(ノ)神女(ノ)神のうしはきませば、しかいふ。延喜神名式に、筑波山(ノ)神社二座あり。卷(ノ)九、大伴卿の登(ル)2筑波山(ニ)1歌に、男神毛《ヲノカミモ》、許賜《ユルシタマヒ》、(92)女神毛《メノカミモ》、千羽日給而《チハヒタマヒテ》云云。と見えたり。】貴山乃《タフトキヤマノ》。儕立乃《ナミタチノ》。【嶺のふたつに、並び立るをいふ。】見果石山跡《ミカホシヤマト》。【既に出。】神代從《カミヨヨリ》。【神代とは、神の御代をいふのみならず。おもひ測《ハカリ》がたき上つ代をいふ言なり。】人之言嗣《ヒトノイヒツギ》。國見爲《クニミセル》。【國見は、高きに登りて、眺望するをいふ古言也。爲は、せすともよむべけれど、世流《セル》とよむ例なり。別記に言へり。】筑波乃山矣《ツクバノヤマヲ》。冬木成《フユキナス》。【成は師の盛の誤といはれしかど、集中すべて成〔右○〕とありて、ひとつも盛〔右○〕と書る例なければ、別意にやとおもふに、古事記の歌に、布由紀能須《フユキノス》、加良賀志多紀能《カラガシタキノ》、とあるは、冬木成《フユキナス》、枯之下木《カラガシタキ》にや。もしさる意ならば、同言とすべし。さて春につゞくは、冬木の晴《ハル》といふ意にかゝれる、發語《マクラコトバ》にや。【夏木立《ナツコダチ》、木晩闇《コノクレヤミ》、などいふにむかへば、冬木は、晴といふべきならずや。】猶おもひさだめがたし。後人よく考てよ。】春爾波雖有〔五字左○〕《ハルニハアレド》。零雪能〔三字左○〕《フルユキノ》。【冬木成《フユキナス》といへば、かならず春《ハル》とつゞく例なるを、今本ニ句を脱せり。或人今本のまゝにて、説をなしたるは、非也。今私にニ句を補《クハヘ》て、その意は下に言り。】時敷時跡《トキジクトキト》。【臨時、非時と書て、時じくとよみたり。今上の二句を補《クハへ》たるは、冬木成、時じくと、つゞくべき理なく、又集中、冬木成は、春とつゞく例なれば也。さてこゝの意は、春なれば、雪の降べき時ならねど、この山の高ければ、春ながらも、雪の時じくに零ぞとて、見ずてゆかば、後かならず戀しからんとはいへるなり。】不見而往者《ミズテユカバ》。益而戀石見《マシテコヒシミ》。【益は、いやともよむ例あれば、こゝも、いよゝ戀しみせんとの意なり。】雪消爲《ユキゲスル》。【二月の頃、登れりとは、この一句にてしらる。】(93)山道尚矣《ヤマミチスラヲ》。【すらは、それながらといふ言の約言《ツヽマリ》也、と師言へり。】名積叙吾來並二《ナヅミゾワガコシ》。【古事記、景行の段の歌に、阿佐志怒波良《アサシヌハラ》、許斯那豆牟《コシナツム》、仁徳紀の大御歌に、那珥波譬苔《ナニハヒト》、須儒赴泥苔羅齊《スズフネトラセ》、許斯那豆瀰《コシナツミ》。卷(ノ)十三に、夏艸乎《ナツクサヲ》、腰爾莫積《コシニナツミテ》。卷(ノ)十九に、落雪乎《フルユキヲ》、腰爾奈都美底《コシニナツミテ》と見えたり。苦悩をいふ言と聞ゆ。卷(ノ)七に難の字を、なつむとよめるもさる意也。並二を、しの假字に用ひたるは、卷十九に、二二、重二、など書るにおなじ。】
〔頭注、こゝも、丹比眞人云云.登2筑波山1云云とあるべき前後の例なり。]
〔頭注、今本明神とあるは朋神の誤にて、ふたがみとよむべきよしいへるは、荷田東麻呂の説なり。]
〔頭注、再按に、志多紀《シタキ》のしたは、秋山《アキヤマ》の下部留《シタベル》といへる、したにや。師の冠辭考、秋山の條、併考べし。〕
  反歌。
筑羽根矣《ツクバネヲ》。四十耳見乍《ヨソノミミツヽ》。有金手《アリカネテ》。【外《ヨソ》にのみ見《ミ》つゝは、有《アリ》不v得なり。】雪消乃道矣《ユキゲノミチヲ》。名積來有鴨《ナツミケルカモ》。【來有を、今本、くるとよめるも、さるべき事なれど、こゝは過去に、よまでは叶はねば、今はけるとよみたり。】
〔頭注、よ所、といふ言の意は、下にいへり。]
  山部宿禰赤人(カ)歌。一首。
 
吾屋戸爾《ワガヤドニ》。【やとは、屋《ヤ》の外《ト》なるよし。既に云。】韓藍《カラアヰ》【韓は、今本幹に爲たり。今は、古本にしたがへり。】種生之《マキオフシ》。【或人、うゑおふし、とよみたれど、種は、まくとよむべき理《コトワリ》にて、下にも、粟種有世婆《アハマケリセバ》とあり。さて韓藍は、卷(ノ)十一に、三苑原之《ミソノフノ》、鷄冠草乃《カラアヰノハナノ》、とありて、左註に、類聚古集(ニ)云、【敦隆の作なりといへり。】鴨頭艸。又作(ル)2鷄冠(94)艸1云云。依2此義(ニ)1者、可v知2月草(ト)1歟、とあり。鴨頭と鷄冠とは、その色いたく異なるを、ひとつものとせるは、みだり也。契冲は、今の鷄頭花なるべくいへり。鷄頭花も、物を染に紅花に類せりと言り。】雖干《カレヌレド》。不懲而亦毛《コリズテマタモ》。將蒔登曾念《マカムトゾモフ》。【この歌は、譬喩の歌なるを、いかでこゝに混入《ミダレイリ》けむ。韓藍《カラアヰ》を、女にたとへたるなり。】
〔頭注、師説に、呉藍《クレナヰ》、韓藍《カラアヰ》は、同物也。始(メ)呉の國より來し時、くれなゐと名付。後に韓《カラ》國よりもこしを、からあゐといふならん。さて鷄冠艸と書るは、紅花は、莖立の末に、丸き房ありて、その房ごとに、赤き花の咲出ぬるさま、鷄冠といふべしといへり。猶師の、今の十一卷の、別記に委し。〕
 
  仙柘枝《ヤマヒトツミノエノ》歌。三首。【こゝに、三首とあれど、初一首は、仙媛の歌にあらず。是は端書のみだれたる也。則左註にいへり。】
 
霰零《アラレフリ》。【發語。】吉志美我高嶺乎《キシミガタケヲ》。【肥前(ノ)國、杵島(ノ)郡、杵島山有、と云り。】險跡《サカシミト》。草取《クサトリ》可奈和《カナワ・カネテ》。【本居氏(ノ)説に云、可奈《カナ》は、不得《カネ》の意、和《ワ》は、怡弉過《イサワ》【イサワイサワ】の和にて、助辭なり、といへり。今按にこの歌は、肥前風土記に出て、第四句、區縒刀理我泥底《クサトリカネテ》、とあり。もと是は、古事記の、速總別王《ハヤフサワケノミコ》の歌に、はしだての、くらはし山を、さかしみと、伊波迦伎加泥弖《イハカキカネテ》、わが手とらすも、といふ歌を、うたひかへつるものなるべければ、風土記の、加泥底《カネテ》とあるに從ふべし。よりて按に、奈〔右○〕は禰〔右○〕を誤、和〔右○〕は手〔右○〕を誤れるものなるべし。(校訂者曰。奈と禰、和と手、草體較似たり。)妹手乎取《イモガテヲトル》。【柘枝の歌なるべきよしさらになきを、いかにみたれたりけむ。 】
 
   右一首或云。吉野(ノ)人|味稻《ウマシネ》【懷風藻に、味稻が事見えて美稻と作れり。】與2柘枝《ツミノエノ》仙媛(ニ)l歌也。但見(ルニ)2柘枝(ノ)傳(ヲ)1無(シ)2此歌1。
 
(95)此暮《コノユフヘ》。柘之左枝乃《ツミノサエダノ》。【和名抄(ニ)云。柘、毛詩(ノ)註(ニ)云。桑柘、音射、漢語抄(ニ)云、豆美《ツミ》、蠶(ノ)所v食也。】流來者《ナガレコバ》。梁者不打而《ヤナハウタステ》。【和名抄云。梁、音良、和名、夜奈、魚梁也。唐韻云。籍、土角(ノ)反。漢語抄(ニ)云。夜奈須、魚箔也。】不取香聞將有《トラズカモアラム》。【梁は打ずして、魚はとらずかあらんと也。 】
 
  右一首。此下無v詞諸本同。【是は、仙覺が註ならん。】
 
古爾《イニシヘニ》。梁打人乃《ヤナウツヒトノ》。無有世伐《ナカリセバ》。此間毛有益《コノトモアラマシ》。【此間の二字、集中すべて、こことよみたれど、この歌にては、こゝとよみては協はず。故(レ)このとも〔四字傍点〕、とよみつ。間を、と〔傍点〕とよむは、保杼《ボド》の略。卷(ノ)十によのふけぬ刀爾《トニ》、などあるも、ほどにの略也。既に上にもいへり。】柘之枝羽裳《ツミノエダハモ》。【はもは、尋ね慕ふ意、上に出。】
 
  右一首若宮(ノ)年魚麻呂作。【家持卿同時の人にて、卷(ノ)八に出たり。此二首の歌、柘枝傳といふものゝ、今の世に傳はらねば、いかにとも知べからねど、續日本後紀の歌に、三吉野爾《ミヨシヌニ》、有志熊志禰《アリシクマシネ》、天女《アマツメノ》、來通天《キタリカヨヒテ》、其後波《ソノノチハ》、蒙譴天《セメカヽフリテ》、※[田+比]禮衣《ヒレコロモ》、着弖飛爾支止云《キテトビニキトイフ》、とあると、こゝの二首とを、併せておもひめぐらすに、むかし美稻《ウマシネ》といふ人、吉野川に梁《ヤナ》を打て、年魚を取てありしに、うるはしき女になりて、夫妻《メヲ》の契をなせしといふ。古傳の有ける成べし。右の意にてこゝの歌も凡の意はしらるめり。猶くはしくは、續日本後紀の歌の考にいへり。】
〔頭注、舊説に、刀爾《トニ》を、時爾《トキニ》の略也、といへるはとらず。〕
(96)  覊〔馬が奇〕旅《タビノ》歌、一首。【並】短歌。
 
海若者《ワタツミハ》。【神代紀に、生(ム)2海(ノ)神等(ヲ)1號2少童《ワタツミノ》命1とあり。わたは、渡也。津《ツ》は助辭也。美は、持《モチ》也、と、師の考に見えたり。】靈寸物香《クスシキモノカ》。【くすしの言は、既に富士《フジノ》山の歌にいへり。】淡路島《アハヂシマ》。【阿波《アハ》にゆく路の島ゆゑに、あは路島といふと、本居氏いへり。】中爾立置而《ナカニタテオキテ》。白波乎《シラナミヲ》。伊豫爾回之《イヨニモトホシ》。【もとほしは、めぐらしの古言なり。既に出。】座待月《ヰマチツキ》。【發言《マクラコトバ》。】開乃門從者《アカシノトユハ》。暮去者《ユフサレバ》。鹽乎令滿《シホヲミタセ》。【みたしめ、ともよむべけれど、尚みたせ〔三字右○〕と、よむそ古へなるべき。】明去者《アケサレバ》。【卷(ノ)十九に、安氣佐禮婆《アケサレバ》、と假字書のあれば、こゝもしかよみつ。】鹽乎令干《シホヲヒシム》。【上のくすしきものか、といへる、加〔右○〕の言を、こゝにむすびて、ひしむとよむべき也と本居氏云へり。】鹽左爲能《シホサヰノ》。【潮の滿來らんとするを、汐さゐといへり。汐先動《シホサキユリ》也と、先人云へり。地震《ナヰ》のゐ〔右○〕も、動《ユリ》の約《ツヾメ》なるべし。】浪乎恐美《ナミヲカシコミ》。【そのさまを凡にいふに、讃岐《サヌキ》の國《クニ》と、明石《アカシ》と相むかひ、その中に、淡路島《アハヂシマ》あり。伊豫は、やゝ南より、西のかたにさし出たり。この明石と、淡路との間一里餘ありて、それを明石の迫門《セト》といふ、此|迫門《セト》を西にはなれて、播磨灘《ハリマナダ》といふ。この灘《ナダ》より、汐《シホ》の滿干《ミチヒ》はあり。故(レ)明石の門《ト》より、汐をみたせ、鹽をひしむ、とはいへり。さてこの迫門は、汐道《シホチ》のおほければ、汐さゐの波は、高かるべき理なりけり。】淡路島《アハヂシマ》。礒隱居(97)而《イソカクリヰテ》。【淡路島の磯囘《イソミ》に船がゝりして、隱れ居るなり。】何時鴨《イツシカモ》。此夜乃將明跡《コノヨノアケムト》。侍候爾《サモラフニ》。【今本待從と爲れるは誤なり。一本從〔右○〕を、候〔右○〕に作れり。故(レ)待〔右○〕も、侍〔右○〕の誤と思て、私に改つ。卷(ノ)二に、雖伺候《サモラヘド》、雖侍候《サモラヘト》、とありて、伺ひ居るをいふ言なり。】寢乃不勝宿者《イノネカテネハ》。【卷(ノ)十に、宿不勝爾《イモネカテヌニ》、とあり。集中不勝不得の二字は、同じ意に用ゐたり。今も意を得て、いのねかてねば、とはよみつ。】瀧上乃《タキノウヘノ》。淺野之雉《アサヌノキヾシ》。【淺野は、淡路の地名、則船がゝりせし所なるべし。雉は、古事記八千矛(ノ)神の御歌に、佐怒都登理《サヌツトリ》、岐藝斯波登與牟《キギシハトヨム》。皇極紀童謠に阿波努能枳々始《アハヌノキギシ》。卷十四に、吉藝志《キギシ》とあり。和名抄に、木々須《キギス》、一名|木之《キシ》、とあるは後也。集中、雉と書るは、すべてきぎし、とよむべき也。】開去歳《アケヌトシ》。【契冲が、あくれこそ、とよみしは非也。こそのむすびなし。】立動良之《タチトヨムラシ》。【動は、とよむ、と訓《ヨム》べし。既にいふ。】率子等《イザコドモ》。【船子どもをいふ。】安倍而《アヘテ》【敢て也。上に出。】榜出牟《コギデム》。爾波母之頭氣師《ニハモシヅケシ》。【爾波は、海上の平らかなるを云。】
 
〔頭注、春去者《ハルサレバ》、暮去者《ユフサレバ》、などいふは、春にしなれば、ゆふべにしなれば、といふ意なり。明去者を、契冲は、あけぬればとよめり。〕
〔頭注、卷(ノ)六【十八丁】、卷(ノ)七【十五丁】、卷(ノ)八【三十四丁】、卷(ノ)二十【三十四丁】、伺候の字見え、また佐母良布《サモラフ》といふ言も見えたり。】
 
  反歌。
島傳《シマヅタヒ》。敏馬乃埼乎《ミヌメノサキヲ》。【攝津の國なり。】許藝廻者《コギタメバ》。【たみは、卷(ノ)十六に、也良乃崎《ヤラノサキ》、多未弖榜來跡《タミテコギクト》、とあり。めぐるといふ古言なり。(98)既に出。】日本戀久《ヤマトコヒシク》。鶴在波爾鳴《タツサハニナク》。【大和の本郷を戀しむに、鶴も多《サハ》に鳴て、いよゝ旅のおもひをそふとなり。】
 
   右(ノ)歌(ハ)若宮(ノ)年魚《アユ》麻呂誦v之。但未v審2作者(ヲ)1。【是は、家持卿の、註なるべし。】
  譬喩ノ謌。【仙覺抄に、譬喩は、戀の歌なるべしといへり。師も相聞の歌なるよしいへり。譬喩も相聞も、戀の歌なるべく、おもひを演《ノベ》たるなり。】
  紀(ノ)皇女【天武天皇の皇女也。】歌。一首。
 
輕池乃《カルノイケノ》。【高市(ノ)郡なり。應神の御時造らしし事。紀に見ゆ。】※[さんずい+内]囘往《ウラミ》往轉留《ユキダムル・モトホル》。【うらみは、磯囘《イソミ》、島囘《シマミ》などいひて、磯島のめぐれる内をいふ也。さて往轉の二字は、ゆきたむる。ともよむべく、また意を得て、もとほるともよむべし。】鴨尚爾《カモスラニ》。【すらの言、既に出。爾《ニ》は、或人、毛《モ》の誤ならんと云へり。】玉藻乃於丹《タマモノウヘニ》。獨宿名久二《ヒトリネナクニ》。【後の歌に、高しまや、ゆるぎの森の、鷺すらも、ひとりはねじと、あらそふものを、と有も同じ意也。】
〔頭注、たむも、もとほるも、めぐるの古言なり。卷(ノ)十七には、ゆきめぐる、といふ言も見えたれど、そはしまらく後なり。】
  造筑紫觀世音寺(ノ)別當、沙禰滿誓(カ)歌。一首【續日本紀。和銅二年二月詔曰。筑紫觀世音寺(ハ)、淡海大(99)津(ノ)宮御宇天皇、奉d爲2後岡本宮御宇天皇1誓願u所v基也。雖v累2年代1迄v今未v了。宜d大宰商量无2駈使丁五十許人(ヲ)1及v遂2閑月(ニ)1差2發人夫(ヲ)1、專加(ヘ)2檢校(ヲ)1早(ク)令c營作u。と見えたり。滿誓は、俗名笠(ノ)朝臣麻呂也。】
 
鳥總《トブサ》立《タテ・タチ》。【發語。玉梓《タマツサ》の別記の末に論へり。】足柄山爾《アシカラヤマニ》。【相模(ノ)國足柄山なり。筑紫云云の言に、かゝはるにあらず。】船木伐《フナギキリ》。樹爾伐歸都《キニキリユキツ》。【歸は、ゆく〔二字右○〕とよむよし、上に云へり。】安多良船材乎《アタラフナキヲ》。【あたらは、惜の古言也。古事記、神代の條に、埋v溝者(ハ)、地矣阿多良斯登許曾《トコロヲアタラシトコソ》、我那勢之命爲如是《ワガナセノミコトハカクスレ》云云と見え、集中にも、いとおほかり。】
    師説に、此歌は、その寺造る事にはあらず。相聞の歌なり。凡集中譬喩といへば、相聞なり。此一首のみ、さなくて、他の譬喩に交るべくもあらず、こゝに譬喩とて二十首あるも、皆相聞なり。歌の意は、わがふかく戀したへる女の、人のものとなれるを、あたらしみてよめるならん。出家以前の歌なるを、後に聞たる人滿誓が今をもて、造筑紫云々とは、書しならんといへり。
 
  太宰(ノ)大監大伴(ノ)宿禰百代(カ)、梅(ノ)歌。一首。
 
烏珠之《ヌハタマノ》。【發語。別記あり。】其夜乃梅乎《ソノヨノウメヲ》。手忘而《タワスレテ》。【たは、そへ言也。されど是も、よしなくては、添いふべきにあらず。按に、たば(100)かるといへるも.元來《モト》手して計《ハカ》るより云言なるを、轉《ウツ》しては、おもひはかる言にもいへり。さればこゝも、手に忘れたるをいふ言なるを、轉してたゞそへ言ともすめり。】不折來家里《ヲラズキニケリ》。思之物乎《オモヒシモノヲ》。【女にあはで來しを、梅に比したるなり。】
 
  滿誓沙彌(ノ)月(ノ)歌。一首。
 
不所見十方《ミエズトモ》。【本居氏の説に云。十方《トモ》は、雖の意にあらず。と〔右○〕といふ言に、も〔右○〕の助辭を添たる也。といへり。】孰不戀有米《タレコヒザラメ》。【月のいまだ出ぬ程は、誰か戀ざらん。いまだ見えぬ事と、誰も皆待かぬる、といふ意なり。】山之末爾《ヤマノマニ》。射狹夜歴月乎《イサヨフツキヲ》。【いさよふの言は、既に出。山末は、山際に同じく、山のまとよむべき也。】外爾見而思香《ヨソニミテシカ》。【か〔右○〕は願の哉にて、よそながらも見まほしき、といふ意。すべて月を、女にたとへたるなり。】
 
〔頭注、再按に、山のはのは〔右○〕も、端の意にはあらで、間の意なるべし。古今集に竹の上の、はしにわが身は云々と、いへるはし〔二字右○〕、集中|間人《ハシヒトノ》宿禰とあるはしに同じく、はしは、則間なり。〕
 
  余《ヨノ》明軍(カ)歌。一首。【今本、余を金に爲れり。活本によりて改。余氏の人、續日本紀に見えたり。】
 
印結而《シメユヒテ》。我定羲之《ワガサダメテシ》。【先人の説に、王羲之は、いみじき手かきにて、御國にても、いにしへたふとひ賞するゆゑ、手師《テシ》の意にて書る假字也、といはれしに、本居氏の考を見れば、先人の説と、全同じかりけり。本居氏の云、書の事を、手といふは、いと古き事にて、日本紀にも、書の博士を、てのはかせとも、てかきともよみたり。又卷(ノ)七、卷(ノ)(101)十一に、結大王《ムスビテシ》。卷(ノ)十に、定大王《サダメテシ》、卷(ノ)十一に、言大王《イヒテシ》。これらの大王も、てしとよむべき也。さるを、羲之が子に、獻之といへるも、手かきにてありければ、父子を、大王小王といひて、大王は、すなはち羲之が事なればなり。かゝればかの羲之と、この大王とを相てらし證して、共にてしとよむべきをも、また王羲之なる事をも、おもひ定むべし、といへり。】住吉乃《スミノエノ》。濱乃小松者《ハマノコマツハ》。後毛吾松《ノチモワガマツ》。【小松を、小女に譬へ、後つひに、わが妻ぞといふ意。】
 
  笠(ノ)女郎贈(ル)2大伴宿禰家持(ニ)1歌。三首。
 
託馬野爾《ツクマノニ》。【近江(ノ)國坂田(ノ)郡に、筑摩あり。卷(ノ)十三に見えたり。文徳實録仁壽二年二月、授2近江(ノ)國筑摩(ノ)神(ニ)從五位下(ヲ)1と見えたり。】生流紫《オフルムラサキ》。衣染《キヌニシメ》。【活本衣の下に、爾の字あり。染は、しめ〔二字右○〕とも、そめ〔二字右○〕とも、よむべし。古事記の歌に、曾米紀賀斯流爾米許呂毛《ソメキガシルニメコロモ》、とあり。】未服而《イマダハキズテ》。【夫《つま》にあらぬを、紫の衣を、いまだ着ぬにたとふ。】色爾出來《イロニデニケリ》。【まだきにあらはれたるをいふ。】
 
陸奥之《ミチノクノ》。眞野之《マヌノ》【陸奥(ノ)國、行方郡に、眞野《マノ》あり。】草原《カヤハラ》。【草を、かやとよむ事、神代紀をはじめて、集中にもおほかり。】雖遠《トホケドモ》。【遠きといはん料に、みちのくの眞野のかや原を、序にいへり。】面影爲而《オモカゲニシテ》。所見云物乎《ミユトフモノヲ》。【とほく放《サカ》りをりとも、面影に見ゆるものぞといへり。(102)乎《ヲ》は、よ〔右○〕にかよふ乎《ヲ》なり。すでに出。】
 
奥山之《オクヤマノ》。磐本管乎《イハモトスゲヲ》。根深目手《ネブカメテ》。結《ムスビ・カタメ》之情《シコヽロ》。【菅の根のふかきが如、心にふかく、むすびかためしなり。結は、則かためともよむべき也。下高橋(ノ)朝臣の、挽歌に見えたり。】忘不得裳《ワスレカネツモ》。【むすびしこゝろは、いつかわすれえぬ、といふ意なり。】
 
  藤原(ノ)朝臣八束(ノ)梅(ノ)歌。一首。【古本に、八束、後(ノ)名(ハ)眞楯、房前之第三子、と註せり。】
 
妹家爾《イモガイヘニ》。開梅之《サキタルウメノ》。何時毛何時毛《イツモイツモ》。【うめは、五瓣《イツヒラ》に花咲ゆゑに、咲たる梅の五《イツ》とうけて、いつもといへり。卷(ノ)四に、伊都藻之花乃《イツモノハナノ》、何時毛何時毛《イツモイツモ》、とある伊都藻《イツモ》は、※[草冠/行]菜也といへれど、是も五瓣《イツヒラ》に、花さくゆゑに、いつ藻の名やおびけんとおもひて、人々にとふに、水艸は、おほく四ひらなるを、睡蓮こそ、五ひらには花開《ハナサク》といへれ、さてはいつ藻は、睡蓮にて、何時毛何時毛《イツモイツモ》とつゞけし意も、こゝとおなじかりぬべし。】將成時爾《ナリナムトキニ》。【實《ミ》になれる時をいひて、女の眞實にうけばるにたとへたり。】事者將定《コトハサダメム》。【あが妻と、定めんとなり。】
 
妹家爾《イモガイヘニ》。開有花之《サキタルハナノ》。梅花《ウメノハナ》。實之成名者《ミニシナリナバ》。左右將爲《カモカクモセム》。【右の歌もて、意もきこゆめり。】
 
〔頭注、卷(ノ)十二に、道邊乃《ミチノビノ》、五柴原乃《イツシバハラノ》、何時毛何時毛《イツモイツモ》、とあるは、いつ〔二字右○〕といふ言を、かさねたるのみにて、卷(ノ)四に、大原之《オホハラノ》、此市柴乃《コノイチシバノ》、何時鹿跡《イツシカト》、とあるに同じ。されば伊都藻乃《イツモノ》、いつとつゞきたる、言の重なりは、右に同じかるべけれど、伊都篠《イツモ》といふ名は、五瓣《イツヒラ》に花さくゆゑに(103)いふなるべくおもふに、花のいつもとつづきたるも、こゝの咲きたる梅の、といふにひとしければ、その花の五瓣《イツヒラ》なるゆゑにやとこそおほゆれ。〕
 
  大伴(ノ)宿禰駿河麻呂(ノ)梅(ノ)歌。一首。
 
梅花《ウメノハナ》。開而落去登《サキテチリヌト》。人者雖云《ヒトハイヘド》。【梅の花咲たるを、戀の盛なるにたとへ、落去《チリヌル》を、心の移れるにたとふ。】吾標結之《アガシメユヒシ》。枝將有八方《エダナラメヤモ》。【標結《シメユヒ》し枝を、契おきし女にたとへたり。】
 
  大件坂上(ノ)郎女、宴(スル)2親族(ヲ)1之日、吟《ニヨヘル》歌。一首。【坂上の郎女に姉妹の女《ムスメ》あり。大女は、家持卿に配し、二女は、駿河麻呂に配せり。】
山守之《ヤマモリノ》。有家留不知爾《アリケルシラニ》。【山守は、駿河麻呂のかねて契れる女にたとふ。】其山爾《ソノヤマニ》。【駿河麻呂をさせり。】標結立而《シメユヒタテテ》。【二女を配せんと、約したるをいふ。】結之辱爲都《ユヒノハヂシツ》。【もとより契れる女の有とも知らで、我女を配せんとせしは、耻ぞといへるなり。】
 
  大伴(ノ)宿禰駿河麻呂(ガ)即和(ル)歌、一首。
 
山主者《ヤマモリハ》。【主、一本|爲《ツクル》v守(ニ)。】蓋雖有《ケダシアリトモ》。【けだしは、いぶかしむ意にていふ言。蓋は、字書に、發語(ノ)端也、といへり、言の意は、己(レ)別考あり。】吾妹(104)子之《ワキモコガ》。【坂上(ノ)郎女をさせり。妹とは、妻にかぎらず、男より、女をさしていふ稱也。】將結標乎《ユヒケンシメヲ》。【將を、けんとよむは、上既に好v座《イマシケム》とあり。】人將解八毛《ヒトトカメヤモ》。【もとより契れる女ありとも、そこに結へる標は、誰かとくべき、といへり。】
〔頭注、蓋《ケダシ》の言、集中いとおほし。けだしくも、などもよみたり。]
  大伴(ノ)宿禰家持(ガ)、贈(ル)2坂上(ノ)家(ノ)之大孃(ニ)1歌。一首。
朝爾食爾《アサニケニ》。【既に出。】欲見《ミマクホリスル》。其玉乎《ソノタマヲ》。【玉を、女に比したり。】如何爲鴨《イカニシテカモ》。從手不離有牟《テユサケザラム》。【玉は、手に纏貫《マキヌク》ものなれば かくいへり。卷四に、玉ならば、手にもまかんを、うつせみの、世の人なれば、手に纏《マキ》がたし、とあり。】
 
  娘女(ノ)、報(ル)2佐伯(ノ)宿禰赤麻呂(ガ)贈(ニ)1歌。一首。【前に赤麻呂が贈れる歌の有つるが、漏たるならん。】
 
千磐破《チハヤフル》。【神にかくる發語。かみとは、かしこむ意なるよし、既に云。】神之社四《カミノヤシロシ》。無有世伐《ナカリセバ》。【神の社を、赤麻呂が妻に譬ふ。】春日之野邊《カスガノヌベニ》。【邊の音を、方爾《ヘニ》に用ふ。】粟種益乎《アハマカマシヲ》。【粟《アハ》を會〔右○〕の意に取なせり。卷(ノ)十六に、きみに粟嗣《アハツギ》などよみたり。
 
  佐伯(ノ)宿禰赤麻呂(ガ)更贈(ル)歌。一首。
 
(105)春日野爾《カスガヌニ》。粟種有世伐《アハマケリセバ》。待鹿爾《マダヘカニ》。【この加爾は、であらんと云意。卷(ノ)八に、秋田かる、かりほもいまだ、こぼたねば、鴈かね寒み、霜もおきぬかに、【霜もおくであらんといふ意。】卷(ノ)十四に、おもしろき、野をばなやきそ、ふる艸に、にひくさまじり、おひはおふるかに。【おふるであらんといふ意也。】また上に見えたる、かね〔二字右○〕も、是に同じく、かくあらんと、思ひ設る意なれば、すべて、であらん、といふ意にて、きこゆめり。】繼而行益乎《ツギテユカマシヲ》。社師怨焉《ヤシロシウラメシ》。【今本、怨焉を、留鳥に誤れり。古本によりて改。さて歌の意は、春日野爾《カスガヌニ》、粟《アハ》を蒔《マカ》ば、定て待つゝあらん。われも繼《ツギ》て行ましを、祟《たヽ》はしき神の社のあるゆゑに、妹も粟を蒔得ず。われも繼て行かてなれば、社しうらめしとはいへる也。その神の社とは、赤麻呂が妻の、嫉妬《ネタミ》あるをいふなるべし。猶社〔右○〕は、神〔右○〕の誤にても有ぬべし。】
 
〔頭注、この鹿爾《ガニ》を、我爾と書るによりて、濁音と定れど、しかにはあらじおもふよしあり。清濁論にいへり。〕
 
  娘子(ノ)復(タ)報(ル)歌。一首。
 
吾祭《ワガマツル》。神者不有《カミニハアラズ》。【社しうらめしとの給へど、その神は、わが祭るべき神にはあらずと也。本居氏の、わはまつるとよまれしは、あしかりけり。】大夫爾《マスラヲニ》。認有神曾《シメタルカミゾ》。【そなたにもとより屬《ツキ》たる神ぞ、といふ意。】好應祀《ヨクマツルベキ》。【たゝりなき樣に、よく祭り給へ、さらば我《ワレ》も粟《アハ》まくべく、神の怒なくば、君も繼《ツギ》て來まさん、といふ意なり。】
 
(106)  大伴(ノ)宿禰駿河麻呂、娉《ツマトフ》2同坂上(ノ)家二嬢(ヲ)1歌。一首。
 
春霞《ハルカスミ》。【かそけきとかかる發語。別記にいふ。】春日里爾《カスガノサトニ》。【古本は、之〔右○〕と有。いづれよけん。】殖子葱《フエコナギ》。【童女に比たり。卷(ノ)十四に、可美都氣努《カミツケヌ》、伊可保乃奴麻爾《イカホノヌマニ》、宇惠古奈宜《ウヱコナギ》、とあり。】苗有跡三師《ナヘナリトミシ》。【今本は、云師《イヒシ》と有。古本に從へり。】柄者指爾家里《エハサシニケリ》。【今本に、家牟《ケム》とあり。是も古本に從へり。水葱《ナギ》は、水あふひといふもの也。いにしへは、天皇の供御にも奉りし事、延喜式にも見え、卷(ノ)十六に、水葱《ナギ》の※[者/火]物《アツモノ》ともよめり。さて水葱《ナギ》は、おゆるに從ひて、枝《エ》の幾股《イクマタ》にもさして、花咲ものなれば、女のおよづけるにたとへたり。】
 
  大伴(ノ)宿禰家持(ガ)、贈(ル)2同坂上(ノ)家(ノ)之大嬢(ニ)1歌。一首。
石竹之《ナデシコノ》。其花爾毛我《ソノハナニモカ》。【がは、願の哉なり。】朝旦《アサナサナ》。手取持而《テニトリモチテ》、不戀日將無《コヒヌヒナケム》。【この不戀《コヒヌ》は、愛《メデ》ぬ日なからん、といふ意と、契冲いへり。】
 
  大伴(ノ)宿禰駿河麻呂(ノ)歌。一首。
 
(107)一日爾波《ヒトヒニハ》。千重波敷爾《チヘナミシキニ》。雖思《オモヘドモ》。【敷《シキ》は、頻《シキリ》にて、風の吹しくなどいふしき〔二字右○〕も、是におなじ。及の字を、しき〔二字右○〕とよむも、及重《オヨヒカサ》なる意なれば、ひとつ言也。波のひまなく立かさなるを、おもひのひまなきにたとふ。】奈何其玉之《ナゾソノタマノ》。手二卷難寸《テニマキガタキ》。【いにしへ眞珠《マタマ》といふは、あはび玉をいひ、珠は、海中に産すれば、千重波敷《チヘナミシキ》など、海に言《こと》よせて、その珠の手に纏《マキ》がたきとて、女の得がたきに譬たり。】
 
  大伴坂上(ノ)郎女、橘(ノ)歌。一首。
 
橘乎《タチバナヲ》。屋前爾殖生《ヤトニウヱオフセ》。【橘を小女に譬ふ。早くそなたの屋前《ヤド》に殖令v生《ウヱオフセ》て、そなたのものとしたまへと也。】立而居而《タチテヰテ》。後雖悔《ノチニクユトモ》。驗將有八毛《シルシアラメヤモ》。【よそに見紛ふ間《ホド》に、あらね人の手折ゆきなば、後に悔み給ふとも、何の益かあらんといへり。駿河麻呂に、二女を配せんと、催せる歌とみえたり。】
 
  和歌。【これは駿河麻呂の歌なるべきを、いかで名をもらしけん。】一首。
 
吾妹兒我《ワギモコガ》。【坂上の郎女をさせり。】屋前之橘《ヤドノタチバナ》。【かの二女を指《サシ》たり。】甚近《イトチカク》。殖而師故二《ウヱテシユヱニ》。【近く殖しとは、豫(メ)(108)約したるをいふ。故二は、ものをといふ意と、本居氏云り。】不成者不止《ナラズバヤマジ》。【我ものとなさずば、やまじといふ意也。】
 
〔頭注、成《ナル》とは事の成就するを云言也。上梅歌に、將成時爾《ナリナムトキニ》といへるに同じ。〕
 
  市原(ノ)王(ノ)歌。一首。
 
伊奈大吉爾《イナダキニ》。【神代紀に、髻鬘の二字を、みいなだき、とよめり。今も鄙俗《イヤシキモノ》の言《コト》に、頂戴を、いなだくといへり。則古言也。】伎須賣流玉者《キスメルタマハ》。【令《メル》v着《キス》也。いにしへ玉は、左右の髻《ミヅラ》につけて飾とせり。神代紀に見えたり。令v着とは、付《ツク》をいへり。】無二《フタツナシ》。【卷(ノ)六に、市原王悲(ム)2獨子(ヲ)1歌とて、ことゝはぬ、木すらいもとせ、有云《アリトフ》を、たゞひとり子に、あるがくるしさ、と見えたれば、こゝも、その意にて、五百井《イホイノ》女王の、獨子《ヒトリゴ》におはすをうつくしみて、玉のふたつなきに比し給へりともいふべけれど、この譬喩は、すべて戀の歌なれば、是も、もはらうつくしみ給ふ女に、譬給へるにて、五百井(ノ)女王を、申せるにはあらじかし。】此方彼方毛《カニモカクニモ》。君之隨意《キミガマニマニ》。【火に入水に入とも、君が意《コヽロ》に隨《シタガ》ひなんといふ意なり。】
 
〔頭注、古事記。伊射奈岐《イザナキノ》命の、身潔《ミソギ》の段に、冠を投棄《ナゲウテ》給ふとあるは、いといぶかし。是は神代紀に、袴《ハカマ》を投棄《ナゲウテ》給ふとあるそ、よかりける。大古《イニシヘ》御國《ミクニ》に、冠は、あるまじき理《コトワリ》なり。冠ありては、玉を髻《ミヅラ》に着《ツク》べきよしなし。推古天皇以來、冠の制はあれども、そは公事にのみ用ゐられて、私には大古のならはしのままに、玉を着けるなるべし。〕
 
  大綱(ノ)公人主(カ)、宴(ニ)吟(ル)歌。一首。
 
須麻之海人之《スマノアマノ》。鹽燒衣乃《シホヤキギヌノ》。藤衣《フチコロモ》。【藤《フチ》もて織《オリ》たる布なり。今もゐなかには、さる布あり。卷(ノ)十二に、大王乃《オホキミノ》、鹽燒《シホヤク》あまの、藤衣、(109)なれはしぬとも、彌希將見毛《イヤメテミムモ》、と見えたり。】間遠久有者《マトホクアレバ》【今本、久〔右○〕を之〔右○〕に誤れり。】未著穢《イマダキナレズ》。【古今集に、すまのあまの、鹽燒ごろも、をさをあらみ、間遠にあれや、君がきまさぬ、とよめる歌の、筬《ヲサ》をあらみ、とあるにて、藤衣の間遠《マトホ》とつづけたる意は知れたり。間遠《マトホ》く隔《ヘダテ》をりて逢がたきを、藤衣の間遠きに譬へたり。宴吟の歌とあるは、古歌なるべし。】
  大伴宿禰家持(ガ)歌。一首。
 
足日木能《アシヒキノ》。石根許其思美《イハネコゴシミ》。【あしひきは、すべて山にかゝる發語なるを、やがてあしひきといふを、山の事とせり。卷(ノ)十一に、足曳《アシヒキ》の、あらし吹夜は、ともよみたり。この發語、おのれちかごろ考あり。卷四の別記にいへり。許其思美《コゴシミ》は、上に見えたり。】菅根乎《スガノネヲ》。引者難三等《ヒケバカタミト》。標耳曾結焉《シメノミソユフ》。【岩根に生る菅《スガ》の、引取《ヒキトリ》かたきを、女の逢がたきにたとへ、さりとも逢ときあらんと、心のしめをゆふ也と、契冲いへり。】
 
(110)    挽歌《カナシミノウタ》
 
  上宮聖徳|皇子《ミコ》。出2遊《アソビマセル》竹原井(ニ)1之時《トキ》。【河内國、大縣郡なるよし、河内志にいへり。元正紀(ニ)云。養老元年二月壬午、天皇幸(ス)2難波(ノ)宮(ニ)1、丙戌自2難波1至(マス)和泉宮(ニ)1、庚寅車駕至(リマス)2竹原(ノ)頓宮(ニ)1。聖武紀(ニ)云。天平十六年十月庚子、大上天皇行2幸珍努及竹原井(ノ)離宮(ニ)1。光仁紀云。寶龜二年二月庚子、事駕幸2交野(ニ)1、辛丑進(テ)到2難波宮(ニ)1、戊申車駕取2龍田道(ヲ)1還(テ)到(マス)2竹原井(ノ)頓宮(ニ)1。云云】見(テ)2龍田山(ニ)死人《マガレルヒトヲ》1、悲傷《カナシビテ》御作《ミヨミマセル》歌。一首。
 
家有者《イヘナラバ》。妹之手將纏《イモガテマカム》。草枕《クサマクラ》。客爾臥有《タビニコヤセル》。【推古紀に、許夜勢留《コヤセル》、諸能多比等《ソノタビト》、とあり。】此旅人※[立心偏+可]怜《コノタビヒトアハレ》。【あはれは、歎《ナゲキ》ませる御詞なり。そも/\此御歌は、推古紀(ニ)云廿二年冬十一月庚午(ノ)朔、皇太子遊2行(マス)於片岡(ニ)1時、飢者臥(リ)2道垂(ニ)1、【略】則|歌曰(タマハク)。斯那提流《シナテル》、筒多烏筒夜摩爾《カタヲカヤマニ》。伊比爾惠弖《イヒニヱテ》、許夜勢屡《コヤセル》、諸能多比等阿波羅《ソノタビトアハレ》、とある御歌の、おほかた同じきは、右のひとつ事を、片岡とも、龍田山とも、いろ/\にいひつたへしものなるべし。また、拾遺集に、飢人の御返し歌奉りしなどあるは、後の附曾にて、いふにたらずなむ。】
 
〔頭注、捕亡令(ニ)云。凡(ソ)有(テ)2死人1不v知2姓名家屬1者(ハ)、經(テ)2隨近(ノ)官司(ヲ)1推究(メ)【謂(ハ)有2死人1不v知2家屬(ヲ)1官司審(ニ)推2究其倫緒(ヲ)1也。】當界藏埋、立2庵※[片+旁]於上(ニ)1、書(テ)2其形状(ヲ)1以訪2家屬(ヲ)1、【謂於2藏堆上1立2標※[片+旁](ヲ)1、記2状齒老幼及其物色(ヲ)1令2行路看1、訪2其家屬(ヲ)1也。]
 
  大津(ノ)皇子(ノ)被v死《シセラルヽ》之時《トキ》、【天武紀(ニ)云。十二年二月、大津(ノ)皇子、始(テ)聽(ク)2朝政(ヲ)1。十五年天皇崩2正宮(ニ)1、云云。當2此時1大津皇子謀反。持統紀(ニ)云。元年(111)十月戊辰(ノ)朔己巳。謀反發覺云云。庚子賜2死於(ヲ)譯語田舍《ヲサタノイヘ》1。時年二十四、云云。】磐余《イハレノ》池(ノ)陂《ツヽミニテ》、【陂〔右○〕、今本に、般〔右○〕に爲れるは誤なり。今は目録に陂〔右○〕とあるに從へり。】流涕《カナシミテ》御作《ミヨミマセル》歌。一首。
 
百傳《モヽツタフ》。【發語なり。】磐余池爾《イハレノイケニ》。【履中紀(ニ)云。三年十一月作2磐余(ノ)市礒池(ヲ)1、云云。大和國十市郡也。磐余《イハレ》の名のおこりは、神武紀に見えたり。】鳴鴨乎《ナクカモヲ》。今日耳見哉《ケフノミミテヤ》。雲隱去牟《クモカクリナム》。【常に見馴給ひて、おもしろみおもほしめしゝ、この池の鴨をも、けふのみ見て、雲がくりなんと、かなしみ給へるが、いとあはれなり。懷風藻に、此皇子、臨v終一絶と題して、金烏臨(ム)2西舍1、皷聲催2短命(ヲ)1、泉路無2賓主1、此夕離v家向、とあるも、かた/\かなしくなん。】
 
   右藤原(ノ)宮朱鳥元年冬十月。
 
  河内(ノ)王(ヲ)、【持統天皇三年に大宰帥に、任られ、同八年に筑紫にて卒給へり。】葬(ル)2豐前(ノ)國鏡山(ニ)l之時《トキ》、【鏡山は上に出。今猶古墓|存《ア》りと、その國人いへり。】手持《タモチノ》女《ヒメ》王(ノ)作《ヨメル》歌。三首。
王之《オホキミノ》。親魂相哉《ムツタマアヘヤ》。【むつは、祝詞に、皇【我】睦神漏岐《スメラガムツカムロギ》云云。といへる睦《ムツ》にて、相したしむ辭なり。たまあへやは、卷(ノ)十二に、玉あへば、あひぬるものを、とあり(112)て、心にかなひあへるをいふ。相《アヘ》の下|婆《バ》を省《ハブ》けるは古言の格なり。】豐國乃《トヨクニノ》。【豐前豐後は、ひとつ國なり。後に、前後に別てり。】鏡山乎《カガミノヤマヲ》。宮登定流《ミヤトサダムル》。【永くこゝに隱《カクリ》ませる、奥津城《オクツキ》をいふ。】
 
〔頭注、手持女王は、御妻《ミメ》なるべし。筑紫にゐて下り給ひしならん。〕
 
豐國乃《トヨクニノ》。鏡山之《カガミノヤマノ》。石戸立《イハトタテ》。【石戸は、岩屋《イハヤ》の戸《ト》をいふ。立《タテ》とは、外より持來し戸《ト》を、そこに立《タテ》て閉《トヅ》るをいふ。神代紀には、閉《タテ》2磐戸(ヲ)1而《テ》幽居焉《コモリマス》、と書たり。】隱爾計良思《コモリニケラシ》。雖待不來座《マテドキマサズ》。【恐《カシコク》も天照大御神の、天(ノ)岩窟にこもらせ給ふ、古事をおもへるに似たり。言《コト》いみせぬいにしへ人の心なるべし。】
 
石戸破《イハトワル》。手力毛欲得《タヂカラモガモ》。【これもまた神代紀に、細2開《ホソメニアケテ》磐戸(ヲ)1窺之時《ミソナハストキ》、手力雄(ノ)神(ハ)、則奉(テ)v承《トリ》2天照大神之|手《ミテヲ》1引而奉出焉《ヒキイダシタテマツル》、とある故事をおもへるに似たり。】手弱寸《タヨワキ》。女有者《メニシアレバ》。【古事記の歌に、阿波毛與《アハモヨ》、賣邇斯阿禮婆《メニシアレバ》、と見えたり。腰句を四言、六言にいへるは、古歌に例あり。】爲便之不知苦《スベノシラナク》。
  石田(ノ)王|卒之時《マカレルトキ》、丹生(ノ)王(ノ)【今本王〔右○〕の字を脱せり。古本による。尚王の上に、女の字を脱せる歟と言り。】作(ル)歌。一首。【並】短歌。
〔頭注、女王を、王とのみ申も、古書の例なれば、女の字はなくてもよし。〕
(113)名湯竹之《ナユタケノ》。【發語。】十縁皇子《トヲヨルミコ》。【とをゝになびきよるをいふ言にて、少年の容貌の、なよゝかなるをいへり。卷(ノ)二に、奈用竹乃《ナヨタケノ》、騰遠依子等《トヲヨルコラ》と言ひたるは、女子をいへり。】狹丹頬相《サニツラフ》。【發語。少年の紅顔を言ふ。】吾大王者《ワガオホキミハ》。隱久乃《コモリクノ》。【發語。】始瀬山爾《ハツセノヤマニ》。神佐備而《カムサビテ》。【今本に爾〔右○〕とあるは誤なり。卷(ノ)七に、ゆふかけて、祭る三諸乃《ミモロノ》、神佐備而《カムサビテ》、齋《イツク》にはあらず、人めおほみこそ、とみえたり。】伊都伎坐等《イツキイマスト》。【卷(ノ)十三に、神名備能《カムナビノ》、三諸之山丹《ミモロノヤマニ》、隱藏杉《イツクスギ・イハフスギ》、とある隱藏は、卷(ノ)四に、忌《イツク・イハフ》杉《スギ》、卷七に、鎭齋《イツク・イハフ》杉《スギ》、など書るを相照していはふとか、いつくとかよむべき也。さてこの隱藏と書る字意をもて、ここの伊都伎《イツキ》の言をもおもひめぐらすに、泊瀬山《ハツセヤマ》に藏埋して、鎭齋するをいふ意なり。】玉梓乃《タマヅサノ》。【發語。この言くさ/”\説あれど、すべてよりがたし。別記あり。】人曾言鶴《ヒトゾイヒツル》。於余頭禮可《オヨヅレカ》。【妖言なり。】吾聞都流《ワガキヽツル》。狂言可《タハコトカ》。【今本枉言とあるも、よしなきにあらねど、なほ狂言なるべし。】吾聞都流母《ワガキツルヽモ》。【卷(ノ)十七に、於餘豆禮能《オヨツレノ》、多婆許登等可毛《タバコトトカモ》。光仁紀(ノ)宣命にも、於與豆禮可毛《オヨツレカモ》、多婆許止可母《タバコトカモ》。又天智紀に、誣妄妖偽と書て、たばこと、およづれごと、とよみたり。しかれば、逆言狂言とならへいへるは、右の例によりて、およづれ、たばこと、とよむべく、枉は、狂の誤なるべきよし、本居氏いへり。】天地爾《アメツチニ》。悔事乃《クヤシキコトノ》。世間乃《ヨノナカノ》。悔言者《クヤシキコトハ》。【天地の間世の中にかくばかり、くやしき事はなし、といふ意也。】天雲乃《アマクモノ》。曾久敞(114)能極《ソクヘノキハミ》。【卷(ノ)十九に、天雲能《アマクモノ》、曾伎敞能伎波美《ソキヘノキハミ》。卷(ノ)十七に、山川乃《ヤマカハノ》、曾伎敞乎登保美《ソキヘヲトホミ》。卷(ノ)十六に、山乃曾伎《ヤマノソキ》、野之衣寸見世常《ヌノソキミヨト》、などあまた見え、卷(ノ)十五には、阿米都知乃《アメツチノ》、曾許比能宇良《ソコヒノウラ》、とも有て、曾久敞《ソクヘ》とも、曾伎敞とも、曾伎《ソキ》とも、曾許比《ソコヒ》ともいひて、至り極《キハマ》る限《カギリ》をいふ言ぞと、本居氏はいへる。】天地乃《アメツチノ》。至流左右二《イタレルマデニ》。【あめのそこひ、地のそこひに至れる極みまでといふを、上に曾久敞《ソクヘ》の極《キハミ》とあれば、こゝに極の言を省《ハブ》けり。はぶきてもしかきこゆるは、自然の語脈なり。】杖策毛《ツヱツキモ》。不衝毛去而《ツカズモユキテ》。【遠き境にいたれるには、必杖つくなれば、かくはいへり。伊佐奈岐命《イザナギノミコトノ》の身潔《ミソギ》の條にも、御杖を投棄《ナゲウテ》給ふとあるは、黄泉國の遠き境に衝《ツキ》ませる御杖なり。】夕衢占問《ユフケトヒ》。【衢の字を加へ書るは、道に占問ふがゆゑなり。拾芥抄に、問2夕食《ユフケヲ》1歌とて、ふけとさや、ゆふけの神に、ものとへば、道行人《ミチユキビト》に、うらまさにせよ。兒女子云。持(テ)2黄楊櫛《ツゲノクシヲ》1、女三人向(フテ)2三辻1問v之、といへり。かゝる卜術の、いにしへ有けるなるべ。】石卜以而《イシウラモチテ》。【これもひとつの卜法にて、古へかかる術の、さま/”\ありける事知られたり。】吾屋戸爾《ワガヤドニ》。【屋戸《ヤト》は屋外をいふ言。既に出。】御諸乎立而《ミモロヲタテテ》。【みもろは、御室《ミムロ》也。神のよりましをいふ言のよし、既に云。】枕邊爾《マクラビニ》。齋戸乎居《イハヒベヲスヱ》。【戸は假字にて瓶《ヘ》なり。出雲國造神賀詞に、天【能》※[瓦+(肆の左)]和【爾】齋許母利【※[氏/一]】《アマノミカワニイミコモリテ》云云。といへる意にて、釀《カモ》せる酒を、※[瓦+(肆の左)]ながら、枕邊に居置《スヱオキテ》て、則そこに齋《イミ》こもるをいふなるべし。】竹玉乎《タカタマヲ》。無間貫垂《シシニヌキタレ》。【上に、竹玉乎《タカタマヲ》、繁爾貫垂《シヽニヌキタレ》、と書たれば無間の二字を、しゞとよむべき也。】木綿手次《ユフタスキ》。(115)【たすきは、所作あるものゝ、左右の袖《ソデ》をかゝげん料に、かくるものなり。和名抄(ニ)云。本朝式云。襷※[衣+畢]各一條、襷、多須岐、※[衣+畢]、知波夜、今按未v詳、と見えたり。襷は、袖をあぐるよしの、和字なるべし、といへり。手次と書るは、古事記にも、多2次繋《タスキニカケテ》天香山之天之日影《アメノカクヤマアノアマノヒカゲヲ》1而《テ》、云云とあり。次は、天武紀に、次、此(ニ)云2須岐1と見えたり。すき、つきの通ふ例は上にいへり。木綿《ユフ》は、穀の木の皮もて造るものなる事、豐後風土記、古語拾遺等を引て、これも上にいへり。】可比奈爾懸而《カヒナニカケテ》。【新撰字鏡に肱、可比奈とあり。今もいやしきものゝかくる襷もて、いにしへのさまをしるべし。】天有《アメナル》。左佐羅能小野之《ササラノヲヌノ》。【是は天にある野の名なり。月を、ささらえをとこと申も、この野をしめ給ふ意にや。卷(ノ)十六に、天爾有哉《アメナルヤ》、神樂良野小野爾《ササラノヲヌニ》、茅草苅《チカヤカリ》、ともよめり。天《アメ》には、野も、山も、川も、何も、この國と同じさまにあなるを、さる理なしとおもへるは、漢意におぼれて、わが古傳を信《ウケ》ぬさかしらごゝろなり。ゆめさる意に相ま□こゝで、(?)いにしへ人のこゝろ言をよく味へ知り、皇朝の古傳をおもひ明らめてよ。】七相菅《ナヽフスケ》。【師のななますげ、とよまれしは、相を、いかでま〔右○〕とはよまれけむ。心得がたし。相《アフ》は、不〔右○〕の假字に用ふべし。太《オホ》を、ほ〔右○〕の假字に用ひしと、同例なり。故《レ》按に、卷十四に、まをごもの、布能美知可久弖《フノミチカクテ》。武烈紀の御歌に、於彌能姑能《オミノコノ》、耶賦能之魔柯枳《ヤフノシマカキ》。古歌に、みちのくの、とふの菅《スガ》ごも、なゝふには、云云。などいへるは、皆|節《フシ》の意なれば、今もなゝふ菅《スゲ》とよむべし。七節《ナヽフ》としもいふは、そのたけの長ければなり。】手取持而《テニトリモチテ》。【神樂歌に、奈加止美乃《ナカトミノ》、古須氣乎佐紀波良比《コスゲヲサキハラヒ》、伊能利志古登波《イノリシコトハ》、云云。大祓辭に、天津菅曾乎《アマツスカソヲ》、本苅斷《モトカリタチ》、未苅切底《スヱカリキリテ》、云云。とあり(116)て、菅《スゲ》は祓に用ふるもの也。寸賀《スガ》といふ名も、すが/\しきものなれば、名におひけむ。】久堅乃《ヒサカタノ》。【發語《マクラコトバ》。】天川原爾《アマノカハラニ》。出立而《デタチテ》。【天なる野の、七節管《ナヽフスゲ》を手にとり持、天(ノ)川原まで立出て、といふは、かなしみのあまり、かなふまじき限りの事までを、おもひ設ていへるなり。古今集に、もろこしの、吉野の山に、こもるとも、といへる類也。初《メ》に天地《アノツチ》の、至れるまでに、杖衝《ツヱツキ》も、つかずもゆきて、といへるに照應せり。】潔身而麻之乎《ミソギテマシヲ》。【この祓《ハラヒ》身潔《ミソギ》は、伊射奈岐命の、橘小門の※[木+意]原に發りて、いともたふとき大御國の術なり。犯せる罪は、菅もてはらひやらひ、穢《キタナ》きけがれは身潔しきよめて、この君の禍《マガ》なからしめ、壽命《イノチ》長からしめんものをといふ也。】高山乃《タカヤマノ》。【埋葬せし泊瀬山をいふ。】石穂乃上爾《イハホノウヘニ》。【奥津城《オクツキ》の石槨《イハトコ》を云。】伊座都流香物《イマセツルカモ》。【令《セ》v座《マサ》つる、といふ意なれば、かならずいませと訓べし。】
 
〔頭注、もろ/\の禍《マガ》事は、皆きたなきけがれよりおこれるよしは、本居氏の説詳なり。]
 
  反歌。
逆言之《オヨヅレノ》。狂言等可聞《タバコトトカモ》。【既にいへり。】高山之《タカヤマノ》。石穂乃上爾《イハホノウヘニ》。君之臥有《キミガコヤセル》。【こやせるとよむ事、上に見えたり。】
 
(117)石上《イソノカミ》。振乃山有《フルノヤマナル》。【大和(ノ)國山邊(ノ)郡。】杉村乃《スギムラノ》。【過《スグ》といはん料に、とり出たる序也。村は、群なり。】思過倍吉《オモヒスグベキ》。【吾おもひを、過しやるべき、といふ言にて、いつかわするべき、君にあらぬ、といふ意。】君爾有名國《キミニアラナクニ》。【あらなくには、あらぬといふを、延べたる意也。上に出。】
 
  同石田(ノ)王|卒《ミマガル》之時《トキ》、山前《ヤマクマノ》王(ノ)【忍壁親王の子。葦原(ノ)王の父。】哀傷《カナシミテ》作《ヨメル》歌。一首。
 
角障經《ツヌサハフ》。【發語。】石村之道乎《イハレノミチヲ》。【磐余は高市(ノ)郡なる事、既に出。】朝不離《アササラズ》。【上に夕不離《ユフサラズ》、とあり。】將歸人乃《ユキケムヒトノ》。【歸は、ゆくとよむ事、既に云。】念乍《オモヒツヽ》。通計萬口波《カヨヒケマクハ》。【卷(ノ)十八に、可多理家末久波《カタリケマクハ》、とあり。口を、今本四に誤り、古本は、石に爲れり。今は活本による。】霍公鳥《ホトトギス》。鳴五月者《ナクサツキハ》。菖蒲《アヤメグサ》。花橘乎《ハナタチバナヲ》。玉爾貫《タマニヌキ》。【一に云。貫交《ヌキマジヘ》。】※[草冠/縵]爾將爲登《カヅラニセムト》。【五月の藥玉に、あやめ花橘を貫交《ヌキマジ》へて、鬘《カヅラ》にするなり。藥玉は、續命縷をいふ。鬘の事は、本居氏、古事記傳に詳なり。】九月能《ナガツキノ》。四具禮能時者《シグレノトキハ》。黄葉乎《モミヂバヲ》。祈挿頭跡《ヲリカササント》。【加豆良《カヅラ》にせんといふにむかへて、こゝも、、折かざゝんと、よむべし。卷(ノ)八に、をとめらが、かざしのためと風流士《ミヤビヲ》の、加豆良《カヅラ》のためと、と對へいへり。】延葛乃《ハフクズノ》。【發語。】彌遠永《イヤトホナガク》。【一(ニ)云。葛根乃彌遠長爾《クズネノイヤトホナガニ》。】萬世爾《ヨロヅヨニ》。不絶等念而《タヘジトモヒテ》。【一(ニ)云。大船之《オホフネノ》。念憑而《オモヒタノミテ》。(118)將通《カヨヒケム》。【上に見えたる老朝臣の歌に、角障經《ツヌサハフ》、石村毛不過《イハレモスギズ》、泊瀬山《ハツセヤマ》、何時毛將越《イツシモコエム》、夜者深去都都《ヨハフケニツツ》、とあるをもておもふに、石田(ノ)王も、石村《イハレ》の道を、泊瀬《ハツセ》に行かよひ給ひしにや。さるは、泊瀬におもひ人ありて、通ひ給へるならん。そのよしは、下の返歌にてしられたり。】君乎婆明日從《キミヲバアスユ》。【一(ニ)云。君乎從明日香《キミヲアスユカ》。】外爾可聞見牟《ヨソニカモミム》。【遠く荒山中に、はふりしをいふ。】
 
   右(ノ)一首或(ヒハ)云。柿本(ノ)朝巨人麻呂(ノ)作。
 
〔頭注、計萬口波《ケマクハ》は、けんはを延たる詞なり。〕
 
  或本(ノ)反歌二首。【はじめの一首は、こゝの反歌ともいふべし。後の歌は、反歌としも見えず。端詞の有つるが、脱たる成べし。或人の左註も、うたがはしきよしあれば、そこにいへり。】
 
隱口乃《コモリクノ》。【發語《マクラコトバ》。】泊瀬越女我《ハツセヲトメガ》。【長流が、をちめとよみしは、あしかりけり。越は、遠登《ヲト》の假字に用ひしなり。神代紀に、少女此(ニ)云2烏等※[口+羊]《ヲトメト》1、とありて、わかき女をいふ稱なり。】手二纏在《テニマケル》。【石田(ノ)王の、泊瀬におもひ人の有て、かよはしゝとおもはるゝよしは、長歌に云へり。されば泊瀬をとめが手に纏玉《マクタマ》とは、石田(ノ)王を比したるにや。紀(ノ)皇女を申せる歌としては、こゝの反歌ならず。】玉者亂而《タマハミダレテ》。有不言八方《アリトイハズヤモ》。【卷(ノ)二に、けふ/\と、わが待君は、石河の、玉に(119)まじりて、ありといはずやも。とあるは、火葬せし、その骨をいへる言と聞ゆれば、こゝも石田(ノ)王の骨を散せるを、いふにこそあらめ。後の史ともに、散v骨といふことおほく見えたり。さてありといはずやもの、も〔右○〕は、そへ言にて、ありといはずや。ありといふと打かへしたる言なり。】河風《カハカゼノ》。寒長谷乎《サムキハツセヲ》。歎乍《ナゲキツヽ》。【或人の左註によらば、紀の皇女をしたひて、石田(ノ)王の歎つゝ、泊瀬邊を歩行《アルキ》たまふを云といふべけれど、さにはあらじとおもふよしあれば、下にいふ。】公之阿流久爾《キミガアルクニ》。似人母逢耶《ニルヒトモアヘヤ》。【過去《スギニ》し人を戀つゝあるくに、その人に似たる人にもあへや。逢さらんと打かへしたる意也。卷(ノ)二に、玉桙《タマホコ》の道行人毛《ミチユクヒトモ》、獨谷《ヒトリダニ》、似之不去者《ニテシユカネバ》、云云。といへるにひとし。】
 
  右二首或(ヒト)云。紀皇女(ノ)【天武天皇の皇女。】薨(ル)後。山前(ノ)王、【忍壁親王の子。】代(テ)2石田(ノ)王(ニ)1作(ル)v之也。【こゝに二首とあれど、初一首は、長歌の反歌なるべければ、まづ註は取がたきを、後の一首も、代2石田(ノ)王(ニ)1とありて、心得られず。紀(ノ)皇女薨の後、石田王の悲歎《カナシメル》を、山前(ノ)王の傷て、よめる歌とはいふべし。かにかくにこの左註は、疑しくこそ。今按に、紀(ノ)皇女は、泊瀬におはしまして、石田(ノ)王は、そこに通ひ給ひしにや。その事長歌に見えたり。然ればこゝは、石田(ノ)王卒之時、山前(ノ)王贈2紀(ノ)皇女(ニ)1歌一首。などと端詞の有けんを脱せるより、後人のかくさまに、註せしものなるべし。】
 
〔頭注、卷十三にも、越賣《ヲトメ》と書たり。】
 
  柿本朝臣人麻呂(ガ)、見(テ)2香具山(ノ)屍《シニヒトヲ》1。悲慟《カナシミテ》作(ル)歌。一首。
 
草枕《クサマクラ》。【發語《マクラコトバ》。】覊〔馬が奇〕宿爾《タビノヤトリニ》。【卷(ノ)一に、夜取《ヤトリ》と假名書あり。】誰嬬可《タガツマカ》。【嬬《ツマ》とは書たれと、誰夫歟《タガツマカ》といふ也。】國忘有《クニワスレタル》。【國《クニ》とは本郷をいふ言也。古今集以來は、本郷を、ふるさとゝいへれど、集中ふるさとゝいふは、帝都のあとをいふ言にて、本郷は、總て國といふ例なり。】家待眞國《イヘマタマクニ》。【眞《マ》は、今本莫〔右○〕に作れり。古本も、類聚抄も、眞《マ》とあるに、卷十一に、久家莫國《ヒサシケナクニ》、とあるも、古本はすべて、眞《マ》とあれば、今もまたん〔三字右○〕といふを、のべたる言として、眞《マ》には改たり。本居氏云。卷(ノ)十四に、をつゝはの、しげき木のまに立鳥の、めゆかなをみん、さね射良奈久爾《サラナクニ》。卷(ノ)十七に、庭にふる、雪は千重しく、しかのみに、おもひて君を、あか麻多奈久爾《マタナクニ》。これらは、さねざるに。見えざるに。待んに。といふ意なり。かて〔二字右○〕といふも、かてぬ〔三字右○〕といふも、同じ意なるがごとし。中昔のもの語などにも、此格あり。おぼろげならぬを、おぼろとのみもいへり。また後世の語にも例あり。怪《ケ》しかるといふべきを、けしからぬ。はしたといふべきを、はしたなしといへり。といへり。】
 
  田口(ノ)廣麻呂(ガ)死(ル)之時《トキ》。刑部(ノ)垂麻呂(ノ)作歌。一首。
百不足《モヽタラズ》。【發語《マクラコトバ》。】八十隈路爾《ヤソノクマテニ》。【今本隈を、隅に誤り、路を、坂に誤れり。隈は、古本により、路は、私に改つ。さてやそのくまてとよむベき也。そは、大國主の神の御言に、僕者《アハ》於《ニ》2百不足八汁※[土+囘]手《モヽタラズヤソノクマテ》1隱而侍《カクリテハベリナム》。との給へりし事、古事記、日本紀に見えたり。さるは、黄泉路《ヨミヂ》の、八十《ヤソ》の隈々《クマグマ》ある、遠き堺をいへる事と聞ゆ。集中長道は、(121)ながてとよむ例なれば、この隈路をも、くまてとよむべきなり。】手向爲者《タムケセバ》。【手むけとは、旅行人の、道の神たちに、幣《ヌサ》奉るをいふなり。】過去人爾《スギニシヒトニ》。【死は、過去《スギニシ》の約《ツヅメ》なりと師云へり。】蓋相牟鴨《ケダシアハムカモ》。【蓋は、治定せざる辭。上に出。黄泉路のくま/”\に手向して祈なば、過去《スギニ》し人にあふ事あらんかといへり。かくをさなく、あらぬ事までも、おもひたばかられるは、かなしみのあまり也。】
 
  土形娘子《ヒヂカタノヲトメ》。【應神紀に、大山守(ノ)皇子、是土形、榛原、凡二族之始祖也。とあれば、この土形は、娘子の氏にや。又和名抄に、遠江(ノ)國城飼郡、土形比知加多、とあれば、地名によりて呼し名にや。娘子は、をとめとよむべし。】火2葬(スル)泊瀬山(ニ)1時。【火葬は、文武天皇四年、僧道照よりはじまれり。】柿本(ノ)朝臣人麻呂作(ル)歌。一首。
 
隱口乃《コモリクノ》。【發語。】泊瀬山之《ハツセノヤマノ》。山際爾《ヤマノマニ》。【類聚抄には、やまぎは、とよみたれど、是は師説に從ひて、やまのまとよむべし。集中の例なり。】伊佐夜歴雲者《イサヨフクモハ》。【いさよふの言、既に出。今は火葬の煙をいふ。】妹鴨有牟《イモニカモアラム》。【娘子をさせり。】
 
  溺死(セル)出雲(ノ)娘子(ヲ)、火2葬(スル)吉野(ニ)1時、柿本(ノ)朝臣人麻呂(カ)作(ル)歌。二首。
 
(122)山際從《ヤマノマユ》。【出雲といはん料における、まくら詞なり。】出雲兒等者《イツモノコラハ》。霧有哉《キリナレヤ》。【なればやの、ばを省けるなり。是も火葬の煙をいふ。】吉野山《ヨシヌノヤマノ》。嶺霏※[雨/微]【ミネニタナビク】。
 
八雲刺《ヤクモサス》。【發語。】出雲子等《イヅモノコラガ》。黒髪《クロカミハ》。吉野川《ヨシヌノカハノ》。奥名豆颯《オキニナヅサフ》。【吉野川に、溺死せるなり。さてなづさふといふ言は、なつき從ふ意ぞと、契冲はいへるを、集中この言の出たるをこと/”\く考るに、皆海川につきていへる言と見えて、水邊ならぬ所にいへる例はさらになし。奈《ナ》は、流《ナガレ》・浪《ナミ》・灘《ナダ》、など水につきていふ言と聞ゆれば、今もさる意にや。豆《ツ》は、助辭。さふは、契冲がいふ從ふ意にや。猶よく考へ定むべし。】
 
〔頭注、源氏物語等にすべてなづさふを、馴そふ樣の意にいへるは、一轉《ヒトウツリ》後の事也。〕
 
  過《スグル》2勝鹿眞間娘子墓《カツシカノママノヲトメノオクツキヲ》1時、【下總國、葛飾(ノ)郡に、眞間といふ地あり。この娘子の事、卷(ノ)九に、長歌あり。卷(ノ)十四にもよみたり。】山部(ノ)宿禰赤人(ガ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
 
古昔《イニシヘニ》。有家武人之《アリケムヒトノ》。【卷(ノ)九に、いにしへに、ありける事と、今まてに、たえすいひ來し、勝牡鹿乃《カツシカノ》、眞間乃手兒奈我《ママノテコナガ》、云云とよみたり。いとふるき傳言なるべし。】倭文幡乃《シヅハタノ》。帶解替而《オビトキカヘテ》。【卷十一に、いにしへの、倭丈旗帶《シヅハタオビ》を、むすびたれ、とよみたれば、いとふるく用ひしものとしられたり。倭文《シヅリ》は、青(123)筋ある、布なるよし、ものにみえたり。解替而《トキカヘテ》は、ときかはしてなり。】廬屋立《フセヤタテ》。【本居氏古事記傳に云。いにしへ妻問するには、先(ヅ)その屋を建し、ならはしの有と見えて、須佐之男《スサノヲノ》命の、須賀《スガ》の宮造りも、專(ラ)妻《ツマ》を籠居《コメヲカ》んための屋なる事、彼大御歌にて知られ、萬葉、勝鹿眞間娘子《カツシカノママノヲトメ》の歌にも、廬屋立《フセヤタテ》、妻問爲家牟《ツマトヒシケム》、云云とあり、といへり。此説よし。いにしへ賤者も、妻籠《ツマコメ》のふせ屋を立て、妻問せるならはしのありけんかし。】妻問爲家武《ツマトヒシケム》。勝牡鹿乃《カツシカノ》。眞間之手兒名之《ママノテコナガ》。【手兒《テコ》は、成人|妙子《タヘコ》とも貴子《アテコ》とも、いへれど、父母の手にある處女をいふ言なるべし。卷(ノ)十四に、哭乎曾《ネヲソ》なきつる、手兒《テコ》にあらなくに、とよめるは、いはけなきをいへれど.手兒《テコ》の意は同じかるべし。同卷に、たらちねの、母が手放《テハナリ》、と有るを思へ。さて名《ナ》は、妹なね、世奈能《セナノ》、なといへる名《ナ》にて、したしむ意に添る言《コトバ》なり。】奥槨乎《オクツキヲ》。【日本紀には、墓とも、丘墓とも書て、おくづきとよめり。里放りて、遠き所に築ゆゑ、おくづきといふか。又は津《ツ》は、助辭、きは城《キ》にや。反歌には、奥津城《オクツキ》とも書たり。今も田畠に出るを、奥《オキ》にいづるといへるは、このおくに同じ。】此間登波聞杼《ココトハキケド》。眞木葉哉《マキノハヤ》。茂有良武《シゲクアルラム》。【卷(ノ)一に、近江の荒都をよめる歌に、大殿《オホトノ》は、此間《ココ》と雖云《イヘトモ》。春艸之《ハルクサノ》、茂生有《シゲクオヒタル》、といへるにおなじ。】松之根也《マツノネヤ》。遠久寸《トホクヒサシキ》。【卷(ノ)十三に、松がねの、まつ事遠し。卷(ノ)十九に、松根能《マツガネノ》、絶事奈久《タユルコトナク》。などよめり。今は松がねの、遠く根延《ネバエ》るが如く、娘子が、時代の遠く久しければ、見えぬにやといふ意。眞木《マキ》も、松も、奥津城《オクツキ》の上に生たるもて、言をよせたるならん。】言耳毛《コトノミモ》。名耳(124)毛《ナノミモ》。【聞《キヽ》而《テ》○○】【言《コト》にのみ、名のみも聞傳へて、わすらえぬといふ意か。また卷(ノ)二に、音耳《オトノミ》も、名耳《ノミ》も不絶《タエズ》、とあれば、こゝも不絶の字を脱せるものにて、言のみ名のみは不絶《タヘズ》て、わすらえぬ、といふ意にや。】吾者不所忘《ワハワスラエス》。
 
  反歌。
吾毛見都《ワレモミツ》。人爾毛將告《ヒトニモツゲム》。【上不盡(ノ)山の歌に、語告《カタリツギ》、言繼將往《イヒツギユカム》といへるに同じく、人にも語告んと言意也。】
 
勝牡鹿之《カツシカノ》。間々能手兒名之《ママノテコナガ》。奥津城處《オクツキドコロ》。
 
勝牡鹿乃《カツシカノ》。眞々乃入江爾《ママノイリエニ》。打靡《ウチナビク》。玉藻苅兼《タマモカリケム》。手兒名志所念《テコナシオモホユ》。【玉藻などかりつゝ有けん。手見名が容貌《スガタ》の、うるはしきをおもふとなり。】
 
  ○○○○○二首。【今本こゝに、和銅四年辛亥、河邊(ノ)宮人、見(テ)2姫島松原(ノ)美人屍(ヲ)1哀慟《カナシミテ》作(ル)歌四首、とあれど、この端詞は、既に卷(ノ)二に出て、その歌も、嬢子《ヲトメ》をかなしめる歌なるに、こゝの歌は、さる意にもあらず、殊に下二首は、相聞の歌にて、挽歌ならず。いかにみだれたりけん。】
(125)加麻※[白+番]夜能《カザハヤノ》。【常に風早き所をいふ言なり。則發語とせり。】美保之浦廻之《ミホノウラミノ》。【三穂の浦は、紀の國也。卷(ノ)七にも、紀の國の歌の中に、かざはやの三穂の浦みを、榜船《コグフネ》の、とよみたり。】白管自《シラツヽシ》。【卷(ノ)九、卷(ノ)十にも見ゆ。】見十方不怜《ミレトモサブシ》。【不怜は、不樂と書るにおなじ。集中すべて佐夫之《サブシ》とありて、佐備之《サビシ》といへる例はなし。】無人念者《ナキヒトモヘバ》。【是はいかなる人を、かなしみしぬべる歌ともしるべからねど、次の歌に、久米《クメ》の若子《ワクコ》をよめるをおもへば、上に出たる、博通法師の、三穂の岩屋をよめる歌に、よしありてきこゆ。猶彼歌の別記に論(ラ)へり。今は端書の失なはれたれば、いかにとも知るべからず。】
 
   或(ニ)云。見者悲霜《ミレバカナシモ》、無人思丹《ナキヒトモフニ》。
 
見津見津四《ミツミツシ》。【滿々之《ミツミツシ》也。本居氏は、みつは、圓《マト》に同じくて、久流目《クルメ》にかゝる發語ぞと【大久|米《メ》命の目《メ》の利によりてなり。】いはれしは、いかゞあらん。今の俗語《サトビゴトニ》に、人のよく肥たるを、みづ/\肥し、若きを、みづ/\若きといへば、久米部の、若く壯なるを、美稱《タヽヘ》て、みつ/\しといへるより、久米には、この發語を蒙らせしにもやあらん。】久米能若子我《クメノワクコガ》。【神武天皇の率ゐませし久米部の、紀の國に殘れりしにや。三穂の岩屋の別記にいへり。】伊觸家武《イフレケム》。礒之草根乃《イソノクサネノ》。干卷惜裳《カレマクヲシモ》。【この二者は、紀の國にてよめる歌なり。】
 
〔頭注、今の言にみ豆《ヅ》/\と濁るは、訛言也。俗言は、惣べて濁音多し。猶清濁論に言。]
 
(126)人言之《ヒトコトノ》。繁比日《シゲキコノコロ》。【人にいひさわがれて、逢がたきをいふ。】玉有者《タマナラバ》。手爾卷以而《テニマキモチテ》。【卷(ノ)二に、玉ならば、手に卷持而《マキモチテ》、きぬならば、脱時《ヌグトキ》もなく、吾戀《ワガコヒ》ん、云云。卷(ノ)四に、玉ならば、手にも卷んを、うつせみの、世の人なれば、手に卷がたしと見えたり。】不戀有益雄《コヒサラマシヲ》。【常に手に纏《マキ》もちて、戀すあらんとの意。】
 
妹毛吾毛《イモモワレモ》。清之河乃《キヨミノカハノ》。【卷(ノ)二に、飛鳥《アスカ》の、淨之宮爾《キヨミノミヤニ》云云。このきよみの河は、あすか川をいふなるべし。さて妹もわれも、きたなき心なく、うるはしくいひ契れりといふ意を、淨みにいひかけたり。】河岸之《カハギシノ》。【くゆ、といはん料に、いへる序なり。】妹我可悔《イモガクユベキ》。心者不持《コヽロハモタジ》。【卷(ノ)十四に、かまくらの、みこしのさきの、岩ぐえの、君がくゆべき、心はもたじ。卷(ノ)十一に、さねぬよは、千夜もありとも、我せこが、思可悔《オモヒクユベキ》、こゝろはもたじ。卷(ノ)十に、雨ふれば、瀧つ山河、岩にふり、君がくだかん、心は不持《モタジ》。
 
 右の二者は、全《マタク》相聞なるを、いかにあやまりて、こゝにしも收《イリ》けむ。
右案(ニ)年紀【並】に所處、及《ヒ》娘子(ノ)屍、作《ル》歌人名已(ニ)見(タリ)v上(ニ)也。【卷(ノ)二に出たるをいふ。】但(シ)歌(ノ)辭相違、是非難v別。(127)因(テ)以累(ニ)載(ス)2於茲(ノ)次(ニ)1焉。【是は仙覺が註にや。初二首は、挽歌ともいふべければ、さも有なん。後二首は、相聞なるを、こゝに載しはいかに、此註削り去べし。】
 
  神龜五年戊辰。太宰(ノ)帥大伴(ノ)卿、【旅人卿也。】思2戀故人(ヲ)1歌。三首。【卿の妻の身まがり給ふを、戀しぬび給ふ歌なり。卷(ノ)五に、大宰帥大伴卿、報(ル)2凶問(ニ)1歌、一首あり。卷(ノ)八に、式部(ノ)大輔石上堅魚(ノ)朝臣の歌左註に、神龜五年戊辰大宰帥大伴(ノ)卿之妻、大伴郎女遇v病長逝焉、云云と見えたり。】
 
愛《ウツクシキ》。【齊明紀の大御歌に、于都供之枳《ウツクシキ》、阿我倭柯枳古弘《アガワカキコヲ》、とあり。心に相うつくしむをいふ。】人纏而師《ヒトノマキテシ》。數細之《シキタヘノ》。【發語。】吾手枕乎《ワガタマクラヲ》。纏人將有哉《マクヒトアラメヤ》。【誰にかはまかん。纏《マク》べき人のなきといふ意なり。】
 
  右−首別去而、【死去をいふ。》經(テ)2數旬(ヲ)1【十日を旬と云ふ。】作(ル)歌。
 
應還《カヘルベク》。時者成來《トキハナリキヌ》。【類聚抄には、成〔右○〕の字なし。さてはかへるべき、時は來りぬ。とよむべし。】京師爾而《ミヤコニテ》。【みやこにかへりぬとも、といふ意。】誰手本乎可《タガタモトヲカ》。吾將枕《ワガマクラカム》。【まくらまかん、といふをつゞめて、まくらかん。といへり。卷(ノ)五に、和我摩久良可牟《ワガマクラカム》。とありて、卷(ノ)十九にも見(128)えたり。また同卷に、吾※[草冠/縵]可牟《ワガカツラカム》ともいへり。】
 
在京師《ミヤコナル》。荒有家爾《アレタルイヘニ》。【六とせがほど、大宰府におはせしなれば、京なる家は、荒たる成べし。】一宿者《ヒトリネハ》。【妻のおはさぬをいふ。】益旅而《タビニマサリテ》。可辛苦《クルシカルベシ》。【悲憤いと哀なり。下に見えたる還2入故郷家(ニ)1即(チ)作(ル)歌に、人もなき、むなしき家は、艸枕、旅に益りて、くるしかりけり、とあるもおなじ意也。】
 
  右二首、臨2近《チカヅク》向(ニ)1v京|之時《トキ》、作(ル)歌、【この卷(ノ)末に、この卿の履歴をしらせるに、天平二年十月一日、任2大納言1とあり。紀には漏たり。この任官によりて、歸京し給はんとする時の歌なり。】
 
  神龜六年己巳、左大臣長屋(ノ)王賜v死之後、【續紀(ニ)云。天平元年二月癸酉、令(ム)2v王自盡1、其室、二品吉備(ノ)内親王、男從四位下膳夫王云云等、亦自縊と見えたり。】倉橋部《クラハシベノ》女王作(ル)歌。一首。
 
大皇《オホキミノ》。【活本作(ル)2天皇(ニ)1。】命恐《ミコトカシコミ》。大荒城《オホアラキノ》。【あらきは、殯斂をいふ言のよし。師説詳なり。】時爾波不有跡《トキニハアラネド》。【天年を終給はず。時ならぬ殯《マカリ》を云。】雲隱座《クモカクリマス》。【黄泉《ヨミ》に入ませしを、言忌して天にのぼりますといふは、いにしへのならはしなりけん。卷(ノ)二に、日並知(ノ)皇子(ノ)命の、殯宮の歌に、天原《アマノハラ》、石門(129)乎閉而《イハトヲタテテ》、神上《カムアガリ》、上座奴《アガリイマシヌ》、とも、また一(ニ)云、神登《カムノボリ》、座爾之可婆《イマシニシカハ》、ともあり。同卷高市(ノ)皇子(ノ)命、城上《キノヘ》の殯宮の歌、或書の反歌に、なき澤《サハ》の神社《モリ》に三輪《ミワ》すゑ、雖祈祷《コヒノメド》、我王者《ワガオホキミハ》、高日所知奴《タカヒシラエヌ》と云へるも、天上《アメ》に登《ノボリ》ましゝをいふ。】
  悲2傷《カナシメル》膳部(ノ)王(ヲ)1【長屋(ノ)王乃長子。】歌。一首。
 
世間者《ヨノナカハ》。空物跡《ムナシキモノト》。【この跡《ト》の言、別記にいふ。】將有登曾《アラムトソ》。此照月者《コノテルツキハ》。滿闕爲家流《ミチカケシケル》。【卷(ノ)七に、隱口《コモリク》の、泊瀬《ハツセ》の山に、照月《テルツキ》は、盈※[日/仄]爲焉《ミチカケスルソ》、人之常無《ヒトノツネナキ》。卷(ノ)九に、悲2世間(ノ)無v常1長歌に、天原《アマノハラ》、振仰見婆《フリサケミレバ》、照月毛《テルツキモ》、盈※[日/仄]之家里《ミチカケシケリ》、云云。】
 
  右一首、作者未v詳。
  天平元年己巳、攝津國(ノ)班田《アカチタノ》史生。【續紀(ニ)云。天平元年十一月癸丑任(ス)2京内畿内(ノ)班田(ノ)司(ヲ)1、云云、と見えたり。今も司の字を脱せるにや、史生は、もの書《カキ》也。令(ニ)云。掌(ル)2繕寫公文、行書文案1といへり。】丈部《ハセツカベノ》龍麻呂(カ)、【和名抄(ニ)云。安房國、長狹都、丈部、波世豆加倍《ハセツカベ》と見えたり。契冲云。卷(ノ)廿、防人等の姓名に、安房、上總に、丈部氏のもの多し。龍麻呂も、東國より出て、宮つかへせしなるべし、といへり。類聚抄には、文部に作れり。(130)史生にはよしありておぼゆ。】自《ミヅカラ》經死《ワナギシスル》之時《トキ》、【わなぎは、古言にや。羂絞《ワナグクリ》の約《ツヅメ》なるべし。遇利《クリ》の切|岐《キ》なり。】判官、【班田司の判官也。】大伴(ノ)宿禰三中(カ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
 
天雲乃《アマクモノ》。向伏國《ムカフスクニノ》。【遠き限りをいふ言也。契冲云。遠く天《アメ》を望めば、天雲も地《ツチ》に落たるやうに、むかひふして見ゆるをいふなり、と云へり。祈年祭(ノ)祝詞に、白雲乃墜坐《シラクモノオリヰ》、向伏限《ムカブスカギリ》、云云。卷(ノ)五に、このてらす、月日のしたは、阿麻久毛能《アマクモノ》、牟迦夫須伎波美《ムカブスキハミ》。卷(ノ)十三に、白雲之棚曳國之《シラクモノタナビククニノ》、青雲乃《アヲクモノ》、向伏國乃《ムカブスクニノ》、云云。】武士登《モノノフト》。【武勇の人をいふ言のよしは、別記、物部の下にいふ。】所云人者《イハレシヒトハ》。【遠く東國より出仕へて、天雲のむかぶす限、武勇のものといはれし人は也。】皇祖《スメロギノ》。【すめろぎと訓《ヨム》事、皇《オホキミ》の別記にいへり。】神之御門爾《カミノミカドニ》。【朝廷をいふ。】外重爾《トノヘニ》。立候《タチサモラヒ》。【うかゞひ侍をいふ。上に出たり。】内重爾《ウチノヘニ》。仕奉《ツカヘマツリ》。【禁裏には、外(ノ)重、中(ノ)重、内(ノ)重あり。卷(ノ)九には、海神《ワタツカミ》、神之宮乃《カミノミヤノ》、内隔之《ウチノヘノ》、細有殿爾《タヘナルトノニ》、ともよみたり。】玉葛《タマカツラ》。【發語。】彌遠長《イヤトホナガク》。祖名文《オヤノナモ》。繼往物與《ツギユクモノト》。母父爾《ハヽチヽニ》。【おやとは、父母より、祖先をかけていふ言。子といふは、裔孫をかけていふと、同例なり。母を先にいへるは、故あり。】妻爾子等爾《ツマニコドモニ》。語而《カタラヒテ》。【朝廷に出仕へて、父祖の名をも長く後の世につたへんものぞと、父母妻子にも、かたらひなぐさめて、都にのぼりし也。】立(131)西日從《タチニシヒヨリ》【發去《タチイニ》し日よりなり】帶乳根乃《タラチネノ》。【發語。】母命者《ハヽノミコトハ》。【惣べてかゝる所に、母をいひて、父をいはず。これ皇朝の古意なり。】齋忌戸乎《イハヒベヲ》。前坐置而《マヘニスヱオキテ》。【上に出たり。】一手者《ヒトテニハ》。木綿取持《ユフトリモチ》。一手者《ヒトテニハ》。和細布奉《ニギタヘマツリ》。【祈年祭の祝詞に、御衣者《ミソハ》、明妙《アカルタヘ》、照妙《テルタヘ》、和妙《ニギタヘ》、荒妙爾《アラタヘニ》、稱辭竟奉牟《タヽヘコトヲヘマツラム》、といへり。和妙《ニギタヘ》とは、細なる布をいひ、あらたへとは、荒き布をいふ言なれば、和細布の三字は、にぎたへとよむべきなり。絹《キヌ》をにぎたへ、布《ヌノ》をあらたへ、とせしは、後也。たへは、布帛の稱《ナ》なり。】平《タヒラケク》。間幸座與《マサキクマセト》。【今本、平を手に誤れり。上に吾命之《ワガイノチノ》、眞幸有者《マサキクアラバ》、云云。とあり。】天地乃《アメツチノ》。神祇乞祷《カミヲコヒノミ》。【上坂上郎女の歌には、祈奈牟《コヒナム》とあり。奈牟《ナム》も、乃牟《ノム》も、祈《イノ》るといふ古言也。】何在《イカナラン》。歳月日香《トシノツキヒカ》。【何《イヅ》れの歳、何れの月日にか、といふなり。】※[草冠/因]花《ツヽシハナ》。【發語。】香君《ニホヘルキミ》。【にほふとは、紅顔なるをいふ。】牽留鳥《ヒクアミノ》。【發語。今本牽〔右○〕を、之牛〔二字右○〕の二字に誤まれり。師説詳なり。】名津匝來與《ナヅサヒコムト》。【なづさふの言、上に出たり。網の水に從ひて、より來る如く、いつか立歸り來らんといふ意。】立居而《タチテヰテ》。待監人者《マチケムヒトハ》。【父母や妻子の待けんものをと、故郷人《クニヒト》のこゝろを、押はかりていへり。】王之《オホキミノ》。命恐《ミコトカシコミ》。押光《オシテル》。【發語。別記あり。】難波國爾《ナニハノクニニ》。【國《クニ》とは、泊瀬《ハツセ》の國、春日《カスガ》の國《クニ》、などいへる、國なり。】荒玉乃《アラタマノ》。【發語。ぬば玉の別記にいふ。】年經左右爾《トシフルマデニ》。白栲《シロタヘノ》。(132)【發語。】衣不干《コロモモホサズ》。朝夕《アサヨヒニ》。在鶴公者《アリツルキミハ》。【旅に年月を經て、衣だに干《ホス》事《コト》もなく、あしたゆふべに、勤勞せるをいふ。】何方爾《イカサマニ》。念座可《オモホシマセカ》。【卷(ノ)一、卷(ノ)二に、何方《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》。とあるは、天皇、皇太子のうへにて、いへる言なれば、こゝのよみの同じきを、いかにぞや人おもふべけれど、座《マス》といふは、同等《ヒトシナミ》のうへにもいふ事なれば、あながちあがまへ言ともいふべからず。】欝蝉乃《ウツセミノ》。【發語。】惜此世乎《ヲシキコノヨヲ》。露霜《ツユシモノ》。【發語。】置而往監《オキテイニケム》。時爾不在之天《トキナラズシテ》。【天年を終ずして、といふ意なり。】
〔頭注、漢國には、父《チヽ》をたふとみて、母《ハヽ》をいやしめり。皇朝のいにしへぶりは、さにあらず。父母ともにたふとめるがなかに、殊更母をしたしめる事厚し。己(レ)論あり。〕
〔頭注、再按に牽留は、爾富《ニホ》の草字をあやまれるにや。さらば香《ニホ》へる君之《キミガ》、にほ鳥の、云云、とつづくべし。】
 
  反歌。
昨日社《キノフコソ》。公者在然《キミハアリシカ》。不思爾《オモハヌニ》。【卷(ノ)五に、大船乃《オホフネノ》、於毛比多能無爾《オモヒタノムニ》、於毛波奴爾《オモハヌニ》、横風乃《アラシマカセノ》、とあり。】濱松之上《ハママツノヘノ》。於雲棚引《クモニタナビク》。【於は、すべて上におきて、爾《ニ》とよむ例なれば、こゝも、濱松《ハママツ》のうへに、とよむべからず。火葬の煙を云。】
 
何時然跡《イツシカト》。待牟妹爾《マツラムイモニ》。玉梓乃《タマツサノ》。【使《ツカヒ》をいふ言のよし。別記有。】事太爾《コトダニ》【事は言也。】不告《ツゲズ》。【六帖には、のらずとあれど、玉梓《タマヅサ》の使《ツカヒ》だに、言も告《ツゲ》やらぬを、いたはしみおもふ言なれば、つげずとよめり。】往公鴨《イニシキミカモ》。【過去《スギニ》しをいふ。】
 
(133)  天平二年庚午(ノ)冬十二月。大宰帥大伴(ノ)卿、向(フ)v京上(ル)v道(ニ)之時《トキ》、【大納言に任られて、京師に上り給ふ也。】作(ル)歌。五首。
 
吾妹子之《ワギモコガ》。見師鞆浦之《ミシトモノウラノ》。【備後の國の鞆なり。今も名高くきこゆ。】天木香樹者《ムロノキハ》。【こゝのむろの木は、大樹にて、いにしへ名高かりけん。卷(ノ)十五にも、はなれそに、立る牟漏能木《ムロノキ》、うたがたも、ひさしき時を、過にけるかも、しましくも、ひとりありうる、ものにあれや、之麻能牟漏能木《シマノムロノキ》、はなれてあるらん。とよめるも、この鞆の浦のを、よめりと聞ゆ。さて牟呂《ムロ》は、和名抄に、爾雅註(ニ)云。※[木+聖]、一名(ハ)河柳、※[木+聖]、音勅貞反、和名、無呂、とあり。この※[木+聖]の字をあてたるは、いかがあらん。卷(ノ)十六にも、端詞には、天木香樹とありて、歌には、室《ムロ》の樹《キ》と書《カキ》たり。天木香樹と書るは、いかなるよしにか考なし。今むろといふ木は、柏子《ビヤクシン》に類して、香氣あり。天木香と書るは、香木なる故にや。】常世有跡《トコヨニアレド》。【常世は、つねかはらぬをいふ事にて、卷(ノ)六に、立橘《タチバナ》は、實《ミ》さへ花《ハナ》さへ、その葉さへ枝《エダ》に霜雖降《シモフレド》、益常葉乃木《イヤトコヨノキ》、とあるも、この歌によりて、とこよの木、とよむべきなり。】見之人曾奈吉《ミシヒトゾナキ》。【筑紫に下られしをり、この室の木を、めづらしみ見られし事をおもひ出て、かなしみしぬび給へるなり。】
 
鞆浦之《トモノウラノ》。礒之室木《イソノムロノキ》。將見毎《ミムゴトニ》。相見妹者《アヒミシイモハ》。將所忘八方《ワスラエメヤモ》。【こゝの室の木を、見ん度毎《タビゴト》に、さき(134)に此木を見し妹は、おもひ出られて、いつか忘るまじきと、行末をかけていへり。】
 
磯上丹《イソノウヘニ》。根蔓室木《ネバフムロノキ》。【根延《ネバヘ》るをいふ。】見之人乎《ミシヒトヲ》。何在登問者《イカナリトトハバ》。語將告可《カタリツゲムカ》。【室《ムロ》の木《キ》は常世《トコヨ》なれど、相見し人は、はかなくなりしを、今いかなりと室の木にとはゞ、その幽冥のさまをもかたり告んかと、をさなくいへるが、いとあはれなり。】
 
  右三首、過2鞆(ノ)浦(ヲ)1日、作(ル)歌。
 
妹與來之《イモトコシ》。敏馬能埼乎《ミヌメノサキヲ》。還左爾《カヘルサニ》。【この左は、ゆくさ、くさ、あふさ、きるさなどいふ左にて、憂瀬《ウキセ》、あふせのせも、ひとつ言なるべきよしは、上既にいへり。】獨之見者《ヒトリシミレバ》。【之〔右○〕を今本には、而〔右○〕に爲《ツク》り。古本にはなし。今は類聚抄によれり。】涕具末之毛《ナミダグマシモ》。【仁徳紀の歌に、やましろの、つゞきの宮に、ものまをす、わがせをみれば、那美多愚摩辭茂《ナミダグマシモ》、とあり。契冲云。涙ぐむ、葦《アシ》の角《ツノ》ぐむなど云へるは、萠《キザ》す意なり。といへり。後撰集に、いにしへの、野中の清水、見るからに、さしくむものは、涙なりけり、とも見えたり。】
 
去左爾波《ユクサニハ》。二吾見之《フタリワガミシ》。【妹となり。】此崎乎《コノサキヲ》。獨過者《ヒトリスグレバ》。【歸るさになり。】情悲裳《コヽロガナシモ》。【裳〔右○〕は古本によ(135)る。活本は、喪〔右○〕に爲れり。
 
  一(ニ)云。見毛左可受伎濃《ミモサカズキヌ》【見《ミ》不v避《サカズ》來《キ》ぬにて、目もはなたず來ぬ、といふ意也。かくうたひ返したる、上にも例あり。】
 
  右二首(ハ)、過(ル)2敏馬埼《ミヌメノサキヲ》1日、作(ル)歌。
 
  還(リ)2入(テ)故郷《クニノ》家(ニ)1、【集中、本郷をふるさとゝいへるは、例なきよし、既にいへり。この故郷も、くにとよむべし。卷(ノ)七に、吾屋戸《ワガヤト》に、鳴しかりがね、雲のうへに、こよひなくなり、國方可毛遊群《クニヘカモユク》。とある國は、雁の古郷をいふなり。可2併考1。】即(チ)作(ル)歌。三首。
 
人毛奈吉《ヒトモナキ》。【人とは、妹をいへり。】空家者《ムナシキイヘハ》。草枕《クサマクラ》。【發語。】旅爾益而《タビニマサリテ》。辛苦有家里《クルシカリケリ》。【辛苦の二字は、卷(ノ)十五に、やくしほの、からき戀をも。又、からくにの、からくもこゝに。などあれば、からく。とよむべくおもへど、上に同じ意の歌ありて、可辛苦を、くるしかるべし。とよみたれば、今も舊訓にしたがへり。】
 
與妹爲而《イモトシテ》。【六帖には、ゐてとよみたり。別記あり。】二作之《フタリツクリシ》。吾山齋者《ワガヤマハ》。【類聚抄に、齋を、廬に作り、わがやどゝよみたり。卷(ノ)廿(136)に、於2中臣清麻呂之宅1宴歌の中に、屬2目山齋1作歌。と題して、をしのすむ、伎美我許乃之麻《キミガコノシマ》、けふみれば、あしびの花も、咲にけるかも。とよめるをおもふに、庭に作れる假山をいへるにて、齋は、輕く添へたる文字とおもはるれば、二字を合せて、やまとよめる舊訓によるべし。】木高繋《コタカクシゲク》。成家留鴨《ナリニケルカモ》。
 
吾妹子之《ワギモコガ》。殖之梅樹《ウヱシウメノキ》。毎見《ミルゴトニ》。情咽都追《コヽロムセツツ》。【卷(ノ)四、笠(ノ)朝臣金村が歌に、言將問《コトトハン》、縁乃無者《ヨシノナケレバ》、情耳《コヽロノミ》、咽乍有爾《ムセツヽアルニ》。同卷、紀(ノ)郎女の歌に、白妙乃《シロタヘノ》、袖別《ソテワカル》べき、日を近み、心にむせび、哭耳四所泣《ネノミシナカユ》、とあり。】涕之流《ナミダシナガル》。
 
  天平三年辛未(ノ)秋七月、大納言大伴(ノ)卿薨之時、【續紀(ニ)云。天平三年秋七月辛未、大納言從二位大件(ノ)宿禰旅人薨、云云。】作(ル)歌。六首。
 
愛八師《ハシキヤシ》。【卷(ノ)二、卷(ノ)五には、波之伎余思《ハシキヨシ》、卷(ノ)四には、波之家也思《ハシケヤシ》、とあり。はしきは、細《クハ》しきにて、愛《メデ》うつくしむ意。やしは助辭なり。】榮之君乃《サカエシキミノ》。伊座勢婆《イマシセバ》。【在世ならば、といふ意。】昨日毛今日毛《キノフモケフモ》。吾乎召麻之乎《ワヲメサマシヲ》。【類聚抄には、下の乎〔右○〕の字なく、われをめさまし。とよみたり。】
 
(137)如是耳《カクノミニ》。【卷(ノ)十六に、如是耳爾《カクノミニ》、と爾〔右○〕の字をそへて書たり。】有家類物乎《アリケルモノヲ》。【薨し給へるをいふ。】芽子花《ハギノハナ》。咲而有哉跡《サキテアリヤト》。問之君波毛《トヒシキミハモ》。【はもは、尋ね慕ふ意にいへる言なり。上に出たり。】
 
君爾戀《キミニコヒ》。痛毛爲便奈美《イタモスベナミ》。【卷(ノ)十三に、伊多毛爲便無見《イタモスベナミ》。卷(ノ)十五に、伊多毛須敞奈之《イタモスベナシ》。卷(ノ)十七に、伊多毛須弊奈美《イタモスベナミ》、と見えたり。集中甚〔右○〕の字を書るは、この例によりて、伊多とよむべし。いた・いと・いとど・いとのきて、などは、みなひとつ言にて、事の甚しきをいふ言なり。】蘆鶴之《アシタヅノ》。哭耳所泣《ネノミシナカユ》。【上に出。】朝夕四天《アサヨヒニシテ》。【かゝるしては、輕く添たる助辭にて、意なし。朝|暮《ヨヒ》に、ねのみなく、といふ也。】
 
〔頭注、いとゞといふ言はしまらく後にて、集中には見えず。]
 
遠長《トホナガニ》。將仕物常《ツカヘムモノト》。念有之《オモヘリシ》。君師不座者《キミシマサネバ》。心神毛奈思《コヽロトモナシ》。【心神の二字、こゝろと、と訓《ヨム》べきよし。語登《コトヽ》の別記に云。】
 
若子之《ワカキコノ》。【齊明紀の大御歌に、阿餓倭柯枳古弘《アガワカキコヲ》、と見えたり。】匍匐多毛登保里《ハヒタモトホリ》。【卷(ノ)十六に、平生子※[虫+攵]見庭《ハフコガミニハ》、とあり。みどり子の這囘《ハヒマハ》るが如く、匍匐して、泣《ナキ》いさつるをいふ。】朝夕《アサヨヒニ》。哭耳曾吾泣《ネノミゾワガナク》。君無二四天《キミナシニシテ》。
 
〔頭注、四の字、類聚抄には、西〔右○〕に作れり。]
 
(138)  右五首、仕人、【古本にも、類聚抄にも資人と有。資人は朝より下さるゝ、つかへ人也。令に見ゆ。】余(ノ)明軍、不v勝(ヘ)2犬馬|之《ノ》慕心(ニ)1。【犬馬の主人を葺ふ如きをいふ。漢籍文撰史記等にみえたる文字也。】申《ノベテ》2感緒(ヲ)1【申〔右○〕は、伸〔右○〕におなじく、のぶるなり。今本中〔右○〕に誤れり。】作(ル)歌。
 
〔頭注、續紀、養老五年3三、勅(シテ)給(フ)2右大臣從二位長屋(ノ)王、帶力資人十人、中納言從三位巨勢朝臣邑治、大伴(ノ)宿禰旅人、藤原(ノ)朝臣武智麿、各四人(ヲ)1、云云。]
 
見禮杼不飽《ミレトアカズ》。【卷(ノ)七に、雖見不飽人國山《ミレドアカヌヒトクニヤマ》、とよみ、卷(ノ)四に、照月乃《テルツキノ》、不飽君乎《アカザルキミヲ》、などよみたり。】伊座之君我《イマシシキミガ》。黄葉乃《モミチバノ》。【發語。】移伊去婆《ウツリイユケバ》。【卷(ノ)四、卷(ノ)十一、卷(ノ)十四に、由移去《ユツリヌ》・湯徙去《ユツリヌ》・由都利奈婆《ユツリナバ》と見えたれば、こゝもしかよむべくやと、初めおもひしはあしかりけり。】悲喪有香《カナシクモアルカ》。【香は哉なり。】
 
〔頭注、うつり・ゆつり、の言《コト》差目《ケチメ》は、四(ノ)卷の別記に委しくせり。
 
  右一首勅(シテ)2内禮(ノ)正【職員令(ニ)云。内禮司正一人、掌3宮内(ノ)禮儀禁2察非違1云云。】縣犬養宿禰人上1使v檢2護卿病1、而醫藥無v驗、逝水不v留、【逝水不v留は、論語を取れり。薨し給ふを云。】因v斯悲慟(テ)即作(ル)歌。
 
  七年乙亥、大伴坂上(ノ)郎女、【家持卿の妹なるべし。】悲2嘆《カナシミテ》尼理願(ガ)死去(ヲ)1作(ル)歌。一首。並短歌。
 
〔頭注、七年の上に天平の二字あるべきなり。]
 
(139)栲角乃《タクヅヌノ》。【發語。栲《タク》づ布也。師説詳なり。】新羅國從《シラキノクニユ》。【尼理願が本郷なり。吾朝に歸化せる事左註に詳なり。】人事乎《ヒトゴトヲ》。【事は言也。】吉跡所聞而《ヨシトキカシテ》。【下安積(ノ)皇子乃薨時の歌に、久堅乃《ヒサカタノ》、天所知奴禮《アメシラシヌレ》、とありて、所〔右○〕を志〔右○〕に當たり。】問放流《トヒサクル》。【卷(ノ)五に、石木《イシキ》をも、刀比佐氣《トヒサケ》しらず、云云。續紀に、永手(ノ)公乃、薨し給ふ時の詔詞に朕大臣《アガオホオミ》、誰《タレ》【爾可毛、】我語《ワガカタラ》【比佐氣牟、】孰《タレ》【爾可毛、】我問《ワガト》【比佐氣牟】云云。とあり。卷(ノ)十九に、かたりさけ、見さくる人め、ともしみと、とよめるも同意にて、言語《コトトヒ》して、憂《ウレヒ》を放《サケ》やるをいふ。】親族兄弟《ウカラハラカラ》。【産《ウ》がら、腹《ハラ》がらにて、からは、國柄《クニガラ》。山隨《ヤマガラ》・人品《ヒトガラ》などいふ、からにおなじかるべし。】無國爾《ナキクニニ》。渡來座而《ワタリキマシテ》。【吾朝に、歸化せるをいふ。】天皇之《スメロギノ》。【すめろぎとよむ例、別記に委し。】數座國爾《シキマスクニニ》。【皇祖天皇より、敷座國の中に、といふ意。】内日指《ウチヒサス》。【發語。】京思美禰爾《ミヤコシミミニ》。【繁々爾《シミシミニ》也、卷(ノ)十三、藤原《フチハラノ》、王師志美彌爾《ミヤコシミミニ》、人下《ヒトハシモ》、滿雖有《イハミテアレド》、云云。卷(ノ)十に、秋芽子者《アキハギハ》、枝毛思美三荷《エタモシミミニ》、などよみたり。】里家者《サトイヘハ》。左波爾雖在《サハニアレドモ》。【左波は、多也。】何方爾《イカサマニ》。思※[奚+隹]目鴨《オモヒケメカモ》。【上丈部(ノ)龍麿を傷める歌に、何方爾《イカサマニ》、念座可《オモホシマセカ》、と見えたり。】都禮毛奈吉《ツレモナキ》。【卷(ノ)二に、由縁母無《ツレモナキ》、眞弓乃岡爾《マユミノヲカニ》。また所由無《ツレモナキ》、佐太乃岡邊《サダノヲカビ》爾、とあるも、ここと。卷(ノ)十三に、津禮毛無《ツレモナキ》、城上宮爾《キノヘノミヤニ》、とあるによりて、いづれもつれもなきとよむべく、言の意は、由縁、所由。の文字にて心得べし。】佐保乃山邊爾《サホノヤマビニ》。【佐保は、奈良ちかきあたりなり。安麿卿を佐保大納言といへるは、この佐保に家(140)ありけるゆゑなり。】哭兒成《ナクコナス》。【發語。】慕來座而《シタヒキマシテ》。敷細乃《シキタヘノ》。【發語。】家乎毛造《イヘヲモツクリ》。【佐保大納言の家に寄住し、そこに家造りて、居しなり。】荒玉乃《アラタマノ》。【發語。】年緒長久《トシノヲナガク》。【緒《ヲ》はいきの緒・たまの緒・件《トモ》の緒、などいふ緒にて、連續の意なり。】住乍《スマヒツヽ》。座之物乎《イマシシモノヲ》。生者《イケルヒト》。【上に、いけるひと、遂にも死る、ものにあれば、とあり。】死云事爾《シヌチウコトニ》。不免《ノガロエヌ》。【卷(ノ)五、令v反2惑情1歌に、遁路得奴《ノガロエヌ》、兄弟親族《ハラカラウカラ》、遁路得奴《ノガロエヌ》、老見幼見《オイミオサナミ》、とあり。この二つの得〔右○〕の字は、心得がたけれど、卷(ノ)十三に、都追慈花《ツヽジハナ》、爾太遙越賣《ニホエルヲトメ》。卷(ノ)十九に、春花乃《ハルハナノ》、爾太要盛而《ニホエサカエテ》、とあるえ〔右○〕にて、のがれ得《エ》ぬ意、にほえるも、艶《ニホヒ》を得るよしなるべし。】物爾之有者《モノニシアレバ》。憑有之《タノメリシ》。人之盡《ヒトノコトゴト》。【卷(ノ)一に、阿禮座師《アレマシシ》、神之盡《カミノコトコト》、とあり。旅人卿の妻《メ》をはじめ、理願が憑し人々は、ことごとく有馬の温泉に往《ユケリ》し間《アヒダ》なり。】草枕《クサマクラ》。【發語。】旅有間爾《タビナルハシニ》。【卷(ノ)二に、ゆく鳥の、相競端《アラソフハシ》に。といへる是也。古今集に、木にもあらず、艸にもあらぬ、竹のよの、はしにわが身は、なりぬへらなり。といへるはしも、間をいふ言也。間人《ハシビト》といふ氏をも思へ。】佐保川乎《サホカハヲ》。朝河渡《アサカハワタリ》。【これより、葬送の道の程をいふ。】春日野乎《カスガヌヲ》。背向爾見乍《ソカヒニミツヽ》。足氷木乃《アシヒキノ》。【發語。】山邊乎指而《ヤマビヲサシテ》。晩闇跡《ユフヤミト》。隱益去禮《カクリマシヌレ》。【ゆふ闇《ヤミ》のおぐらく、ものゝ見えわかぬがごとく、山邊にかゝりましぬれば、といふ意。】將言爲便《イハムスベ》。將爲須敞不(141)知爾《セムスベシラニ》。俳徊《タモトホリ》。【立廻《タチモトホ》りなり。】直獨居而《タダヒトリヰテ》。【居〔右○〕の字は、卷(ノ)七に、濁居而《ヒトリヰテ》、見驗無《ミルシルシナシ》といへる例によりて、私に加へつ。】白妙之《シロタヘノ》。衣袖不干《コロモソデヒズ》。【白妙《シロタヘ》の衣は、喪服なるべし。卷(ノ)二、高市皇子(ノ)尊、城上殯宮《キノヘノアガリミヤ》之時の歌に、御門之人毛《ミカドノヒトモ》、白妙乃《シロタヘノ》、麻衣着《アサギヌキタリ》云云。下安積(ノ)皇子の、薨給ふ時の歌に、白細爾《シロタヘニ》、舍人装束而《トネリヨソヒテ》。また五月蠅成《サハヘナス》、さわぐ舍人《トネリ》は、白栲爾《シロタヘニ》、衣取着而《コロモトリキテ》云云。と見えたり。さて袖不干を、そでひずとよめるは、卷(ノ)二に、衣之袖者《コロモノソデハ》、乾時毛無《ヒルトキモナシ》。卷(ノ)七に、雖干跡不干《ホセレドトヒズ》、とあるによれり。】嘆乍《ナゲキツヽ》。吾泣涙《ワガナクナミダ》。有馬山《アリマヤマ》。【攝津(ノ)國有馬郡。】雲居輕引《クモヰタナビキ》。雨爾零寸八《アメニフリキヤ》。【この三四句、いと/\おもしろく、いひなしたり。】
 
〔頭注、先人の説に、うがらは、産別《ウミワカレ》、やからは、家別《ヤワカレ》、兄弟は、腹別《ハラワカレ》、ともがらは、黨別《トモワカレ》にて、別とは類別をいふ言ぞといはれしかど、猶おもひさだめねば、今按を註しつ。]
〔頭注、遁路得奴《ノガロエヌ》、云云の四句は、今本には脱せり、古本にあり。〕
 
  反歌。
留《トドメ・ツマリ》不得《エヌ》。壽爾之在者《イノチニシアレバ》。【卷(ノ)四に、倭文手纏《シヅタマキ》、數二毛不有《カズニモアラヌ》、壽持《ミヲモチテ》、とあるによらば、こゝもみにしあれば、と六言によむべけれど、古本に壽の下に、命の字あるあり。故《カレ》いのちとは訓《ヨミ》つ。】敷細乃《シキタヘノ》。【發語《マクラコトバ》。】家從者《イヘユハ》【この從《ユ》は輕くを〔右○〕の助辭《テニハ》に、かよへり。】出而《イデテ》。雲隱去寸《クモガクリニキ》。【雲隱の事は、上にいへり。いにの、い〔右○〕を省けるなり。】
 
  右|新羅《シラギノ》國(ノ)尼、名(ヲ)曰2理願(ト)1也。【名の宇、今本脱。】遠(ク)感2王徳(ニ)1、歸2化(ス)聖朝1。於v時寄2住大納言兼大將(142)軍大伴卿(ノ)家1【旅人卿の父、安麻呂卿の家也。】既(ニ)逕2數紀(ヲ)1焉。【逕は、經に同じ。今本※[しんにょう+至]に誤れり。紀は字書に、十二年(ヲ)爲2一紀1と云へり。】惟以天平七年乙亥、忽(ニ)沈(ミ)2運病(ニ)1既(ニ)赴(ク)2泉界(ニ)1。於是大家【家は、與v姑同、大家は、女之尊稱、といへり。家刀自《イヘトジ》をいふなり。】石川(ノ)命婦。【卷(ノ)四左註(ニ)云。大伴坂上郎女之母、石川内命姉、とあり。旅人卿の後妻也。と契冲云へり。】依(テ)2餌藥(ノ)事(ニ)1往(テ)2有馬(ノ)温泉(ニ)1、而不v會2此喪(ニ)1、但郎女【家持卿の異母の妹なるべし。】獨留(テ)葬2送(シ)屍柩(ヲ)1既訖。【小爾雅云、有v屍謂2之柩(ト)1空棺謂(フ)2之※[木+親](ト)1。】仍(テ)作2此歌(ヲ)1贈2入温泉(ニ)1。
 
〔頭注、再按に、この初句、つまりえぬ、とよむべし、神祇官八神殿に所v祭、玉留魂を、玉積とも云。祝詞神留坐を、續紀(ノ)宣命には、神積と書るをおもふに、留は、つまるとよむぞ、古言なるべき。〕
 
  天平十一年乙卯夏六月、大伴(ノ)宿禰家持、悲2傷《カナシミテ》亡妾(ヲ)1作歌。一首。
 
從今者《イマヨリハ》。秋風寒《アキカゼサムク》。將吹焉《フキナムヲ》。【焉を、今本烏に、誤れり。活本古本によりて改む。】如何獨《イカニカヒトリ》。長夜乎將宿《ナガキヨヲネム》。【歌の意は明らか也。】
 
〔頭注、家持卿の歌に、年月をかけたるは、こゝに始れり。齢廿ばかりにやあらん、天平十二年は、内舍人なる事、卷(ノ)六に見えたり。内舍人は廿一以上を捕らるゝよし。軍防令に見ゆ。]
 
  弟大伴(ノ)宿禰書持(ガ)、即(チ)和(ル)歌。一首。
 
(143)長夜乎《ナガキヨヲ》。獨哉將宿跡《ヒトリヤネムト》。君之云者《キミカイヘバ》。過去人之《スギニシヒトノ》。【家持卿の、亡妾をさす。】所念久爾《オモホユラクニ》。【らく〔二字右○〕の約る〔右○〕なれば、おもほゆるを、延べたる言也。下の爾〔右○〕は、輕く添たる助辭なり。】
 
  又家持(ガ)見《ミテ》2砌上《ミギリノ》瞿麥《ナデシコノ》花(ヲ)1作(ル)歌。一首。
 
秋去者《アキサラバ》。見乍偲跡《ミツヽシヌベト》。【偲、今本には、思に作れり。いつれにても、しぬぶ、とよむべき也。】妹之殖之《イモガウヱシ》。屋前之《ヤトノ》【やどは、こゝの字意。屋《ヤ》の外《ト》をいふ言也。】石竹《ナテシコ》。開家流香聞《サキニケルカモ》。【なでしこは、花咲たれど、殖し人の、常なきをかなしめり。】
 
  移(テ)v朔而後、【上に、六月とありて、移v朔(ヲ)といふは、七月也。】悲2嘆《カナシミテ》秋風(ヲ)1、家持(ガ)作ル歌。一首。
 
虚蝉之《ウツセミノ》。【發語《マクラコトバ》。】代者無常跡《ヨハツネナシト》。知物乎《シルモノヲ》。【活本古本ともに、物者とあり。さてはしれるものとよむべし。昔者を、むかし、今者を、いまとよむと、同例なり。】秋風寒《アキカゼサムミ》。思努妣都流可聞《シヌビツルカモ》。
 
  又家持(カ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
 
(144)吾屋前爾《ワガヤドニ》。花層咲有《ハナゾサキタル》。【秋艸の花を云。】其乎見杼《ソヲミレド》。情毛不行《コヽロモユカズ》。【憂をやるよしのなきなり。】愛八師《ハシキヤシ》。【發語。】妹之有世婆《イモガアリセバ》。水鴨成《ミカモナス》。【發語。】二人雙居《フタリナラビヰ》。卷(ノ)五に、邇保鳥能《ニホトリノ》、布多利那良※[田+比]爲《フタリナラビヰ》。卷(ノ)十八にも見ゆ。】手折而毛《タヲリテモ》。令見麻思物乎《ミセマシモノヲ》。打蝉乃《ウツセミノ》。【發語。】借有身在者《カレルミナレバ》。卷(ノ)廿に、美都煩奈須、可禮留身曾等波《カレルミソトハ》、之禮禮杼母《シレレドモ》、とあり。今本借〔右○〕を惜〔右○〕に誤れり。活本古本によりて、なほしつ。】露霜乃《ツユジモノ》。【發語。今本は誤れり。】消去之如久《ケヌルガゴトク》。足日木乃《アシヒキノ》。【發語。】山道乎指而《ヤマヂヲサシテ》。入日成《イリヒナス》。【發語。成は、如の意。】隱去可波《カクリニシカバ》。【上に理願を悲める歌に、あしひきの山邊《ヤマベ》をさして、ゆふやみと、かくりましぬれ。と見えたり。】曾許念爾《ソコモフニ》。【卷(ノ)八、卷(ノ)十三、卷(ノ)十七等に見ゆ。其所《ソコ》をおもふに、といふなり。】胸己曾痛《ムネコソイタメ》。言毛不得《イヒモカネ》。名付毛不知《ナヅケモシラニ》。【この二句は、不盡山の歌に見えたり。】跡状無《タヅキナキ》。【卷(ノ)十一に、大野《オホヌラニ》、跡状不知《タツキモシラズ》、印結而《シメユヒテ》。卷(ノ)十二に、念八流《オモヒヤル》、跡状毛我者《タヅキモワレハ》、今者無《イマハナシ》とあるは、たづきとよむべきなれば、こゝも状〔右○〕の字を脱せる事しるければ、私に補《クハヘ》て、たづきとよみたり。】世間爾有者《ヨノナカニアレバ》。將爲須辨毛奈思《セムスベモナシ》。
 
〔頭注、水鴨成《ミカモナス》のなすは、如の意。爾保鳥能といふ能も、如の意をふくめる能也。〕
 
(145)  反歌。
時者霜《トキハシモ》。何時毛將有乎《イツシモアランヲ》。【卷(ノ)十七に、奈爾之之毛《ナニシカモ》、時之波安良牟乎《トキシハアラムヲ》。卷(ノ)十九に、何如可毛《ナニシカモ》、時之波將有《トキシハアラム》、とあり。去《ユク》べき時もあらんに、といふ意。】情哀《コヽロイタク》。【いたくは、悲《カナ》しみ傷《イタ》む意。下に、痛情《イタキコヽロ》といへる、痛也。】伊去吾妹可《イニシワギモカ》。【可は哉也。】若子乎置而《ワカキコヲオキテ》。【わかき子、上に出たり。幼稚の子を云。】
 
出行《イデヽユク》。道知末世婆《ミチシラマセバ》。【知《シリ》たらばといふ意。】豫《アラカジメ》。【今本、かねてよりとよみたり。卷(ノ)四に、筑紫船《ツクシフネ》、未毛不來者《イマダモコネバ》、豫《アラカジメ》、荒振公乎《アラフルキミヲ》、見之悲左《ミルガカナシサ》、とあれば、こゝもあらかじめ、とよむべくおもへど、古今集にも、かねてより、風に先だつ、波なれや、とみえたれば、卷(ノ)四のよみは、ひがよみとすべけれど、卷(ノ)六、散2禁於授力寮(ニ)1時作歌に、言卷毛《イハマクモ》、湯々敷有跡《ユヽシカラムト》、豫《アラカジメ》、兼而知者《カネテシリセバ》、云云とあるは、豫を、かねてよりとよみては、徒《イタヅラ》に言《コト》かさなれり。さては、あらかじめとよむよりほかなく、卷(ノ)四の歌も、あらかじめ、あらふると、言のひゞきもよければ、ひがよみにはあらじかし。】妹乎將留《イモヲトドメム》。塞毛置末思乎《セキモオカマシヲ》。【塞は、卷(ノ)一に、ふる雪は、安幡《アハ》にはふりそ、よなばりの、ゐがひの岡の、塞爲卷爾《セキナサマクニ》、とあり。歌の意は、卷(ノ)七に、ぬば玉の、夜わたる月を、とゞめんに、西《ニシ》の山邊《ヤマビ》に、塞《セキ》もあらぬかも。卷(ノ)十八に、やきだちを、刀奈美《トナミ》の勢伎《セキ》にあすよりは、もりべや(146)りそへ、君をとゞめん、といへる意也。】
 
妹之見師《イモガミシ》。屋前爾花咲《ヤトニハナサキ》。【妹が見し花は、屋前《ヤト》に咲《サキ》、といふを、打かへして云り。】時者經去《トキハヘヌ》。【月日の、移りぬるをいふ。】吾泣涙《ワガナクナミダ》。未干爾《イマダヒナクニ》。【ひぬといふを、延たる辭なり。爾《ニ》は輕く添たる助辭。】
 
〔頭注、卷(ノ)五。旅人卿の歌に、妹が見し、あふちの花は、散ぬべし、わが泣なみだ、いまだひなくに。〕
 
  悲緒未v息、更(ニ)作(ル)歌。五首。
 
如是耳《カクノミニ》。有家留物乎《アリケルモノヲ》。【二句、上に出たり。】妹毛吾毛《イモモワレモ》。如千歳《チトセノゴトモ》。憑有來《タノミタリケリ》。【千とせも、ともにあらんものと頼たるが、悔しきとなり。】
 
離家《イヘサカリ》。伊麻須吾妹乎《イマスワキモヲ》。【伊麻須《イマス》は、往《イニ》ます也。卷(ノ)五、旅人卿の長歌にも、妹のみことは、あれをかも、いかにせよとか、爾保鳥《ニホトリ》の、ふたりならびゐ、かたらひし、こゝろそむきて、家さかり伊麻須《イマス》、とあり。】停不得《トドミカネ》。【卷(ノ)五に、等々尾迦禰《トヽミカネ》、とあり。】山隱都禮《ヤマカクシツレ》。【つればといふ、ばを省《ハブ》けり。佐保山に隱しゝをいふ。】情神毛奈思《コヽロトモナシ》。【上に、心神と書るに同じ。】
 
(147)世間之《ヨノナカノ》。常如是耳跡《ツネカクノミト》。可都知跡《カツシレド》。【老少不定、生者必滅の理は、かつしれどもといふ意。】痛情者《イタキコヽロハ》。不得忍都毛《シヌビカネツモ》。【今本、得の字を脱せり。不忍の二字のみにては、かね〔二字右○〕とよむ字なし。故《カレ》私に得〔右○〕の字を補つ。集中例おほし。】
 
佐保山爾《サホヤマニ》。多奈引霞《タナビクカスミ》。毎見《ミルゴトニ》。【集中霞は、秋にもよみたり。】妹乎思出《イモヲオモヒデ》。不泣日者無《ナカヌヒハナシ》。【是も、火葬の煙を、おもへるなるべし。】
 
昔許曽《ムカシコソ》。外爾毛見之加《ヨソニモミシカ》。【加は哉也。】吾妹子之《ワギモコガ》。奥槨常念者《オクツキトモヘバ》。波之吉佐寶山《ハシキサホヤマ》。【はしきは、愛也。上に出。卷七に、佐保山乎《サホヤマヲ》、於凡爾見之鹿跡《オホニミシカト》、今見れば、山なつかしも、風吹なゆめ。とあるは、相聞の歌なれど、趣相似たり。】
 
〔頭注、かつといふ言の意は、四の卷の別記に擧たり。〕
 
  ○○十六年甲申春二月、安積《アサカノ》皇子薨之時、【聖武天皇の皇子也。紀(ニ)云。十六年正月乙丑朔乙亥、天皇行2幸難波(ノ)宮(ニ)1、略。是日安積(ノ)親王縁(テ)2脚病(ニ)1從2櫻井(ノ)頓宮1還(ル)、丁丑薨。時年十七。】内舍人、【家持卿は、天平十二年、内舍人なるよし、卷(ノ)六に見ゆ。職員令(ニ)云。内舍人九十人、掌(ル)2帶刀宿営供奉雜使(ヲ)1若(クハ)駕行(ニハ)分2衛前後(ニ)1云云。】大伴(ノ)宿禰家持(ガ)作(ル)歌。六首。
 
〔頭注、こゝも十六年の上に、天平の二字有べきなり。〕
 
(148)掛卷母《カケマクモ》。綾爾恐《アヤニカシコシ》。【あやの言は、青丹吉《アヲニヨシ》の別記に云へり。言《コト》にかけて申さんも、かしこしと也。】言卷毛《イハマクモ》。齋忌志伎可物《ユユシキカモ》。【ゆは、齋《イム》の約《ツヾメ》ならん。天武紀に、齋忌此(ニ)云2喩既《ユキト》1、とある是也。今は、つゝしましきといふ意。謹を、ゆめとよむも、此ゆゝしのゆなり。】吾王《ワガオホキミ》。御子命《ミコノミコト》。【安積(ノ)皇子を申せり。】萬代爾《ヨロヅヨニ》。食賜麻思《ヲシタマハマシ》。【をしは、したしく身に受知《ウケシリ》ます意。上に出たり。己近ごろ考あり。】大日本《オホヤマト》。【この大日本は、びろく大八州國《オホヤシマクニ》をいへるもあれど、凡は、畿内をいふ事とおぼしきよしあり。】久邇乃京者《クニノミヤコハ》。【山城(ノ)國|相樂《サガラノ》郡、恭仁(ノ)郷に、天平十三年より、同十六年まで、三年が間《ホド》、都なし給へる事、紀に見ゆ。】打靡《ウチナビク》。【發語。】春去奴禮婆《ハルサリヌレバ》。【卷(ノ)十に、打靡《ウチナビク》、春去來者《ハルサリクレバ》、とあり。こゝも、春去《ハルサリ》來ぬれば、といふ意か。または、春にしなりぬれば、といふ意歟。同卷に、春之在者《ハルサレバ》、と書たるを、可2併考1。】山邊爾波《ヤマビニハ》。【邊の一字は、音にて、倍二《ヘニ》の假字に用ひ、下に爾〔右○〕を加へたるは、字意を假りたるにて、某備爾《ナニビニ》と、よむ例なり。】花咲乎烏里《ハナサキヲヲリ》。【をゝりは、わわりの通言。わゝけ・わゝらは、などいへるに同じく、わわわゝと、しげく花の咲たるをいふ也と、本居氏のいへるぞよき。今本の誤字は、師の冠辭考に、正しおかれたり。】河湍爾波《カハセニハ》。年魚小狹走《アユコサバシリ》。【卷(ノ)十九に、河湍爾《カハノセニ》、年魚兒狹走《アユコサバシリ》、と書たり。小は、子の假字。さは添言。さしはしるなり。】彌日異爾《イヤヒケニ》。【彌日《イヤヒ》に來經《キヘ》に、といふ。】榮時爾《サカユルトキニ》。逆言之《オヨツレノ》。狂言等(149)加聞《タバコトトカモ》。【言等《コトト》は別記有。逆言《オヨツレ》、狂言《タバコト》は、既に出。】白細爾《シロタヘニ》。舍人装束而《トネリヨソヒテ》。【喪服をいふ。装束は、卷(ノ)二に、神宮爾《カムミヤニ》、装束奉而《カザリマツリテ》、云云。とあれば、こゝも、かざる、とよむにやとおもへど、卷(ノ)十二に、いめに見て、衣乎取服《コロモヲトリキ》、装束間爾《ヨソフトニ》、とあるによれば、卷(ノ)二のも、よそひまつりて、とよむべし。】和豆香山《ワヅカヤマ》。【相樂郡にある、山の名なるべし。】御輿立之而《ミコシタヽシテ》。【葬車をいふ。】久堅乃《ヒサカタノ》。【發語。】天所知奴禮《アメシラシヌレ》。【わづか山に、御墓《ミハカ》をさだめ、黄泉《ヨミ》に入ましゝを、天にのぼらしゝ、とはいふ也。上長屋(ノ)王(ニ)賜v死之時の歌にみえたり。】展轉《コイマロビ》。【こいは、臥《コヤ》す也。卷(ノ)九|反側《コイマロビ》とも書たり。】※[泥/土]打雖泣《ヒヅチナケドモ》。【卷(ノ)十三に、展轉《コイマロビ》、土打哭杼母《ヒツチナケドモ》、と書たれば、ひづちは、ひた士を、手して打事にや、とおもへど、さにはあらじ。卷(ノ)二に、玉藻《タマモ》は※[泥/土]打《ヒヅチ》、とあるは、露に裳裾《モスソ》のぬれひづをいふなるに、※[泥/土]打《ヒヅチ》の字も、こゝと同じきをもて、袖もしぬぬに、ぬれそぼつをいふ言なるをしるべし。】將爲須便毛奈思《セムスベモナシ》。
 
〔頭注、食《ヲシ》は、食國《ヲスクニ》の食也。をす國の解は、卷(ノ)四別記に擧たり。]
〔頭注、春去者《ハルサレバ》、夕去者《ユフサレバ》、などいふは、春し在婆《アレバ》、夕し在者《アレバ》、といふ意、しあ〔二字右○〕の切《ツヅメ》左〔右○〕なり。既に上に云へり。]
〔頭注、殊異〔二字右○〕をけ〔右○〕とよみたれば、その字意ともいふべけれど、しかにはあらじ。け〔右○〕の假名とすべし。け〔右○〕は、來經《キヘ》の約なるよしは、上に出たり。]
  反歌。
吾王《ワガオホキミ》。天所知牟登《アメシラサムト》。不思者《オモハネバ》。【既出。】於保爾曾見鷄流《オホニソミケル》。【卷(ノ)二に、そらかぞふ、凡津《オホツ》の子等《コラ》が、相《アヒ》し日《ヒ》を、於保《オホ》に見《ミ》しかば、今ぞくやしき。卷(ノ)七に、人こそは、おほにもいはめ、とも見えたり。疎《オロソカ》に見しをいふ。則よそに見し、といへるにおなし。】和豆香蘇麻山《ワヅカソマヤマ》。(150)【蘇麻山は、杣山也。卷(ノ)二に、大來(ノ)皇女の御歌に、うつ曾《ソ》みの、人なるわれや、あすよりは、二上山を、弟世《ナセ》とわれ見ん。とよみましゝも、上家持卿の歌に、むかしこそ、外にも見しか吾妹子《ワギモコ》が、奥槨とおもへばはしき佐保山《サホヤマ》、とよめるも同じ意也。】
〔頭注、そまとは、木立のしげきをいふ言にや。後の歌に、蓬がそまとよめるは、蓬の繁きをいふ事と、きこえたり。]
足檜木乃《アシヒキノ》。山左倍光《ヤマサヘヒカリ》。【卷(ノ)六に、鶯乃、木鳴春部《キナクハルベ》は巖《イハホニ》は、山下耀《ヤマシタヒカリ》、錦《ニシキ》なす花咲乎烏理《ハナサキヲヲリ》、とよみたり。】咲花乃《サクハナノ》。散去如寸《チリヌルゴトキ》。吾王香聞《ワガオホキミカモ》。【いとわかくおましましゝに、はかなく薨し給へるを、盛なる花の、散ゆく如くおもへるは、いとあはれにかなしくなむ。】
 
  右三首二月三日作(ル)歌。
 
掛卷毛《カケマクモ》。文爾恐之《アヤニカシコシ》。吾王《ワゴオホキミ》。皇子之命《ミコノミコトノ》。【安積皇子を申。】物乃負能《モノノフノ》。【發語。別記あり。】八十伴男乎《ヤソトモノヲヲ》。召集聚《メシツドヘ》。【古事紀に、訓v集云(フ)2都度比(ト)1とあり。今は令《セ》v集《ツドハ》也。はせ〔二字右○〕の約《ツヅ》めへ〔右○〕なり。】率比賜比《アトモヒタマヒ》。【卷(ノ)二に御軍《ミイクサ》を、安騰毛比賜比《アトモヒタマヒ》、とあるをはじめて、集中あまたあり。日本紀には、誘の字を、あともふとよみたり。】朝獵爾《アサカリニ》。鹿猪踐越《シシフミオコシ》。暮獵爾《ユフカリニ》。鶉雉履立《トリフミタテ》。【卷(ノ)六に、朝かりに、十六履起《シシフミオコシ》、ゆふかりに十里※[足+榻の旁]立《トリフミタテ》、とあり。】大御馬之《オホミマノ》。【卷(ノ)五に、美麻《ミマ》と假字書あり。】口抑駐《クチオサヘトメ》。【卷(ノ)六に、馬之歩抑止註(151)余《ウマノアユミオサヘトドメヨ》、と有。】御心乎《ミコヽロヲ》。見爲明米之《ミシアキラメシ》。【見つゝあきらめ給ひし也。上に見ゆ。】活道山《イクヂヤマ》。【相樂郡也。八雲御抄にも、いくぢ山、山城とあり。】木立之繋爾《コダチノシゲニ》。【繁は、しげとよむ。卷(ノ)廿に、かな書あり。上に引けり。】咲花毛《サクハナモ》。移爾家里《ウツロヒニケリ》。【世のはかなきをおもへり。】世間者《ヨノナカハ》。如是耳奈良之《カクノミナラシ》。丈夫之《マスラヲノ》。心振起《コヽロフリオコシ》。【卷(ノ)十七、卷(ノ)廿に、丈夫之《マスラヲノ》、情布理於許之《コヽロフリオコシ》、と見えたり。】劔刀《ツルギダチ》、腰爾取佩《コシニトリハキ》。【卷(ノ)五に、都流岐多智《ツルギダチ》、許志爾刀利波枳《コシニトリハキ》、とあり。】梓弓《アヅサユミ》。靭取負而《ユギトリオビテ》。【卷(ノ)廿に、麻須良男能《マスラヲノ》、由伎等利於比弖《ユギトリオヒテ》、とあり。和名抄(ニ)云。釋名(ニ)云。歩人所v帶曰(フ)v靭。【初牙(ノ)反、和名由伎。】以v箭(ヲ)叉2其中(ニ)1といへり。】天地與《アメツチト》。彌遠長爾《イヤトホナガニ》。【天地のむた、遠く長く、つかへ奉らん、との意。卷(ノ)二、卷(ノ)五にも見えたり。】萬代爾《ヨロヅヨニ》。如是毛欲得跡《カクシモカモト》。【卷(ノ)十二に、萬歳《ヨロツヨニ》、如是霜欲得常《カクシモカモト》、とあり。】憑有之《タノメリシ》。【おもひたのめるなり。】皇子乃《ミコノ》【安積(ノ)皇子のなり。】御門乃《ミカトノ》。【宮門をさして申(ス)より、惣べて、宮中の事に、かけていへり。】五月蠅成《サハヘナス》。【發語。】驟騷舍人者《サワグトネリハ》。【卷(ノ)五に、五月蠅奈須《サハヘナス》、佐和久兒等遠《サワクコトモヲ》と有。】白栲爾《シロタヘニ》。服取着而《コロモトリキテ》。喪服を云。】常有之《ツネナリシ》。【卷(ノ)五に、世《ヨ》の間《ナカ》の、常《ツネ》に有ける、をとめらが、とよみたり。】咲比《ヱマヒ》【ゑみを、用にいふ。】振麻比《フルマヒ》。【擧動を云。】彌日異《イヤヒケニ》。【上に出。】更輕《カハラフ》【かは(152)るの延べ言也。】見者《ミレバ》。悲呂可聞《カナシキロカモ》。【呂を、今本召〔右○〕に誤れり。卷(ノ)一、藤原《フヂハラ》の、大宮《オホミヤ》づかへ、あれ衝武《ツカム》、をとめがともは、乏吉呂《トモシキロ》かも、といへるをも、今本|之吉召鴨《シキメサンカモ》、とあやまれり。呂は助辭なり。古事記の歌にも見え、卷(ノ)五にも、たふとき呂鴨と有。】
 
〔頭注、大伴氏の、靭負《ユキオヘ》る事は、由縁あること也。下にいふ。]
 
  反歌。
波之吉可聞《ハシキカモ》。【上に出。】皇子之命乃《ミコノミコトノ》。安里哉欲比《アリカヨヒ》。【ありは在《アリ》たゝし、在通《アリカヨ》はしなどあまた見えたり。】見之《ミシシ》【みしゝ、とよむは、古言なり。】活道乃《イクヂノ》。路波荒爾鷄里《ミチハアレニケリ》。【卷(ノ)一に、御笠山《ミカサヤマ》、野邊《ヌビ》ゆく道は、こきだくも、あれにけるかも、久《ヒサ》ならなくに。】
 
大伴之《オホトモノ》。名負靭帶而《ナニオフユギオヒテ》。【大伴氏に、靭負を賜へる事あるをもて、やがて名におへる靭とはいへるなるべし。神代紀に、大伴(ノ)遠祖、天(ノ)忍日(ノ)命、帥(テ)2來目部(ノ)遠祖天(ノ)〓津大來目(ヲ)1、背(ニ)負2天(ノ)磐靭(ヲ)1、云云といひ、景行紀に、日本武(ノ)尊、居(テ)2甲斐(ノ)國酒折(ノ)宮(ニ)1、以2靭負(ヲ)1賜(フ)2大伴連(ノ)遠祖武日1。と見え、姓氏録には、天(ノ)靭負を、大伴室屋(ノ)大連に、賜へる事見ゆ。】萬代爾《ヨロヅヨニ》。憑之心《タノミシココロ》。何所可將寄《イヅクカヨセム》。【おもひ憑《タノミ》奉《マツ》りし、皇子命の薨し給へば.今よりいつれにか、心をよせん。よする所もなしといふ意。(153)いとあはれにかなしくなん。】
  右三首、三月二十四日作(ル)歌。
 
  悲2傷《カナシミテ》死(ル)妻(ヲ)1高橋(ノ)朝臣(ノ)作(ル)歌。一首。【並】短歌。
 
白細之《シロタヘノ》。袖指可倍※[氏/一]《ソデサシカヘテ》。【卷(ノ)八にも見えて、袖指代而《ソデサシカヘテ》、と書たり。加倍《カヘ》は、かはしけるなり。】靡寢《ナビキネシ》。吾黒髪乃《ワガクロカミノ》。眞白髪爾《マシラガニ》。成極《ナレラムキハミ》。【卷(ノ)十一に、黒髪乃《クロカミノ》、白髪《シロカミ》までと、結大王《ムスビテシ》、こゝろひとつを、今とかめやも。卷(ノ)七に、福《サキハヒ》の、いかなる人か、黒髪《クロカミ》の、白くなるまで、妹が音を聞《キク》。極は、きはまり也。】新世爾《アラタヨニ》。【あら玉の別記にいへり。年月の改り經行をいふ。あたらよと、訓《ヨメ》るは、非也。】共將在跡《トモニアラムト》。玉緒乃《タマノヲノ》。【發語。】不絶射《タエジイ》【いは、助辭、既に出。】妹跡《イモト》。結而石《カタメテシ》。【結は、むすぶとよみて、こともなけれど、卷(ノ)十八に、おほきみの、まきのまに/\、とりもちて、つかふる國の、年の内の、事かたねもち。卷(ノ)十に、白玉の、いほつ集《ツトヒ》を、解《トキ》も見ず、われは干可大奴《カカタヌ》】、相日待爾《アハムヒマテニ》。このふたつの、かたね・かたぬも、結《ムスヒ》つかぬる意と聞ゆるに、卷(ノ)九に、加吉結《カキカタネ》、常世爾至《トコヨニイタリ》。又|曾許良久爾《ソコラクニ》、竪目師事乎《カタメシコトヲ》、云云。とあるを、てらし合して、こゝも、かためてしとはよみたり。】事者《コトハ》【言也。】不果《ハタサズ》。思有之《オモヘリシ》。(154)心者不遂《コヽロハトゲズ》。白妙之《シロタヘノ》。手本矣別《タモトヲワカレ》。丹杵火爾之《ニキビニシ》。家從裳出而《イヘユモイデテ》。【卷(ノ)一に、柔備爾之《ニギビニシ》、家乎放《イヘヲサカリ》、とあり。師説詳なり。こゝの從《ユ》は、輕く乎《ヲ》の助辭《テニハ》に通へり。】緑兒之《ミドリコノ》。哭乎毛置而《ナクヲモオキテ》。朝霧《アサギリノ》。髣髴爲乍《オホニナリツヽ》【相樂山にはふり行が、漸におほゝしくなり行をいふ。卷(ノ)四、朝霧《アサキリ》の、欝《オホ》に相見《アヒミ》し、などいへり。】山城乃《ヤマシロノ》。相樂山乃《サガラカヤマノ》。山際《ヤマノマヲ》。往過奴禮婆《ユキスギヌレバ》。將云爲便《イハムスベ》。將爲々便不知《セムスベシラニ》。吾妹子跡《ワギモコト》。左宿之妻屋爾《サネシツマヤニ》。【寢所をいふ。卷(ノ)二に、吾妹子《ワギモコ》と、二人《フタリ》わがねし、枕附《マクラツク》、嬬屋之内爾《ツマヤノウチニ》。卷(ノ)十九に、枕附《マクラヅク》、都麻屋之内爾《ツマヤノウチニ》、鳥座由比《トクラユヒ》、など見えたり。】朝庭《アサニハニ》。出立偲《イデタチシヌビ》。夕爾波《ユフベニハ》。入居嘆會《イリヰナゲカヒ》。【朝庭の爾波《ニハ》は、助辭《テニハ》にあらず、卷(ノ)十三【十五丁。】に、朝庭丹《アサニハニ》、出居而嘆《イデヰテナゲキ》。【卷(ノ)十七【二十一丁。】に、安佐爾波爾《アサニハニ》、伊泥多知奈良之《イデタチナラシ》、と見えたり。されば下の夕爾波も、庭《ニハ》なるべく、卷(ノ)十七【二十一丁。】に、碁庭爾《ユフニハニ》、敷美多比良氣受《フミタヒラケス》、とあるに、卷(ノ)十三【三十丁。】に、朝庭《アサニハニ》、出居而嘆《イデヰテナゲキ》、夕庭《ユフニハニ》、入居戀乍《イリヰコヒツヽ》、とさへあれば、いよゝ爾波《ニハ》は、助辭ならじとおもへれど、同卷【十五丁。】に、同じ歌の出たるには、朝庭爾《アサニハニ》云云。夕庭《ユフニハ》云云と書て、上には、爾《ニ》の字をそへ、下には、爾《二》の字なきに、こゝも上は庭と書て、爾《ニ》の助辭はよみつくべく、下は、爾波と假字書《カナカキ》にて、爾《ニ》の肋辭なきを、相照らして考れば、出立《イデタチ》云云は、嬬屋《ツマヤ》の庭《ニハ》に、といふ意。入居《イリヰ》云云は、都麻屋《ツマヤ》の内《ウチ》に、といふ意也。故ふたつの庭《ニハ》は、正字と、助辭とにて、上下違へり。よりて上は、あさにはに、とよみ、(155)下は、ゆふべには、とよみたり。右にいふ、卷(ノ)十七のは、上に芽子花《ハギノハナ》、邇保敝流屋戸邇《ニホヘルヤトニ》、とあれば、上下ともに、屋前《ヤド》の庭《ニハ》なるべく、卷(ノ)十三のは、上に石床《イハトコ》の、根延門爾《ネハヘルカドニ》、とあれば、上は、門の庭をいひ、下は、その門より、寢所へ入り居、といふ意なれば、こゝと同じき也。ようせずは、まぎれなん。熟《ヨク》考て、分つべし。嘆會《ナゲカヒ》の會〔右○〕、今本|舍〔右○〕に誤れり。古本による。】腋狹《ワキバサム》。兒乃泣毎《コノナクゴトニ》。【毎〔右○〕、今本母に誤。】雄自毛能《ヲトコジモノ》。【自《シ》ものは、如物《シクモノ》といふ意。卷(ノ)十四、あへらくは、たまのをしけや、とあるしけ〔二字右○〕は、如の意也。猶卷(ノ)四、おもへりしくし、といへる言の別記に、委しくせり。】負見抱美《オヒミイダキミ》。【見《ミ》は、助辭。卷(ノ)五に、老見《オイミ》、幼見《ヲサナミ》、といへる見也。】朝鳥之《アサトリノ》。【發語《マクラコトバ》。】啼耳哭乍《ネノミナキツツ》。【涕泣《ナキイサツル》なり。】雖戀《コフレドモ》。効矣無跡《シルシヲナミト》。辭不問《コトトハヌ》。【今の言に、ものいはぬといふに同じ。大祓の詞に、語問之巖根木乃立《コトトヒシイハネキノタチ》、とある是也。集中にも、おほく見えたり。】物爾波在跡《モノニハアレド》。吾妹子之《ワギモコガ》。入爾之山乎《イリニシヤマヲ》。【葬所、相樂山をいふ。】因鹿跡叙思《ヨスカトゾモフ》。【寄處《ヨスガ》也。こゝろよせ、身をよせるを、いふ言なれば、常には、たよりといふ意なれど、こゝは形見《カタミ》といふに近し。卷(ノ)十六に、志賀《シカ》の山《ヤマ》、痛勿伐《イタクナキリソ》、荒雄良我《アラヲラガ》、余須可乃山《ヨスカノヤマ》と、見つゝしぬばん。とよめるは、泉郎|荒雄良《アラヲラ》を葬し山なるべく、よすかの言、こゝと全《モハラ》おなじ。】
 
  反歌。
(156)打背見乃《ウツセミノ》。【發語《マクラコトバ》。世之事爾在者《ヨノコトニアレバ》。世間《ヨノナカ》の有さまなれば、といふ意。】外爾見之《ヨソニミシ》。【よそとは、疎《サカ》り遠《トホ》きの意。卷(ノ)六に、遠の字を書たり。】山矣耶今者《ヤマヲヤイマハ》。因香爾思波牟《ヨスカニオモハム》。
 
〔頭注、よそはおろそかなるをいふ言なれば、疎遠の意なり。上に見えたり。]
 
朝鳥之《アサトリノ》。【發語《マクラコトバ》。】啼耳也鳴六《ネノミヤナカム》。【也は、魚彦が、本に加へたり。師説にや。又古本によるか。】吾妹子爾《ワギモコニ》。今亦更《イママタサラニ》。逢因矣無《アフヨシヲナミ》。
 
  右三首、七月二十日、高橋朝臣作(ル)歌、名字未v審、但云奉膳之男子焉。」名字云云より下、後人の加註也。故《カレ》今小書せり。奉膳の子といへる、考所なし。この卷は、師説の如く、家持卿の家集なること、いちじろし。これに書もらし、考へもらせる事の、後におもひ得しは、卷(ノ)四の別記の末に出せり。
 
萬葉考|槻乃落葉《つきのおちば》【三之卷解】下終
 
萬葉考|槻乃落葉《つきのおちば》  
      三之卷別記目録
  ○皇 者《オホキミハ》【須米呂伎《スメロキ》】        一五九頁
  ○廬 世 流《イホリセル》【須流】              一六四頁
  ○語 登《コトト》                     一六五頁
  ○久 堅《ヒサカタ》                    一六六頁
  ○物 乃 部《モノノフ》                  一六八頁
  ○白 菅【榛原《ハリハラ》】                 一六九頁
  ○客 爲 而《タビニシテ》【此間處而《コヽニヰテ》獨居而《ヒトリヰテ》】                                  一七一頁
  ○野 干 玉《ヌバタマ》【麁玉《アラタマ》玉剋《タマキハル》玉坂《タマサカ》        邂逅《タマタマ》】                一七三頁
  ○赤 乃 曾 保 船《アケノソホフネ》            一七五頁
  ○名 細 寸《ナクハシキ》                  一七六頁
  〇山 跡 島 根《ヤマトシマネ》               一七六頁
  ○幸2 伊 勢 國1《イセノクニ》               一七八頁
(158)  〇三穂石室《ミホノイハヤ》【志都乃石室《シヅノイハヤ》】  一八四頁
  ○從《ヨリ》【用《ヨ》由《ユ》】                一八八頁
  ○河  蝦《カハヅ》                     一八九頁
  ○變 若《ヲチ》                       一九一頁
  ○春 日 乎《ハルヒヲ》【飛鳥能《トブトリノ》】        一九二頁
  ○賢 木《サカキ》                      一九四頁
  ○青 丹 吉《アヲニヨシ》                  一九六頁
  ○玉  梓《タマヅサ》【鳥總立《トフサタテ》】          一九八頁
  ○押 光《オシテル》【難波《ナニハ》】              二〇一頁
 
(159) 萬葉考槻乃落葉【三之卷解】別記
            從四位下荒木田神主久老撰
 
   ○皇者《オホキミハ》。【須米呂伎《スメロギ》】
今本これを、すめろぎとよめるは、ひが言にて、かならず於保伎美《オホキミ》、とよむべき例なり。おほきみとは、當代天皇より、皇子、諸王までを申稱なり。【後に御定めありて、皇太子、親王、諸王とわかてり。】其例を考るに、仁徳紀に、於保耆瀰呂介茂《オホキミロカモ》。【是は大后石(ノ)比賣(ノ)命の、天皇をさして申奉らしゝ、御言なり。】同紀に、夜須瀰始之《ヤスミシヽ》。和我於朋枳瀰波《ワガオホキミハ》。【これも天皇を申奉れり。この餘《ホカ》、當代天皇をさして、野須瀰斯志《ヤスミシヽ》、和我飫褒枳瀰《ワガオホキミ》。また於保伎美《オホキミ》、とのみもいへるは、古事記にも、日本紀にも多けれど、異る事なきは、省きて擧ず。】允恭紀に、於保企瀰烏《おほきみを》。志摩珥波夫利《シマニハフリ》。【是は日本紀にては、輕(ノ)皇女を申、古事記にては、輕の太子の御自稱なり。】雄略紀に、飫褒枳瀰簸《オホキミハ》、賊據嗚枳※[舟+可]斯題《ソコヲキカシテ》。【これは、天皇の御自稱なり。】同紀、於褒枳瀰※[人偏+爾]《オホキミニ》。摩都羅符《マツラフ》。【上に同じ。】武烈紀、飫褒枳瀰能、耶陛能矩瀰※[加/可]枳《ヤヘノクミカキ》。また於褒(160)枳瀰能《オホキミノ》。瀰於寐能之都波※[木+施の旁]《ミオビノシヅハタ》。【是は紀にては、天皇を申。古事記にては、顯宗天皇のまだ皇子に大まします頃を申せり。】繼體紀に、野須美失々《ヤスミシヽ》。倭我於朋枳美能《ワガオホキミノ》。【勾(ノ)大兄(ノ)皇子を申。】推古紀に、蘇餓能古羅烏《ソガノコラヲ》、於朋枳瀰能《オホキミノ》。菟伽破須羅志枳《ツカハスラシキ》。【是は、天皇の御自稱なり。】古事記、清寧(ノ)條に、意富伎美能《オホキミノ》。許々呂遠由良美《コヽロヲユラミ》。【袁祁(ノ)命の、皇子におまします頃を申せり。上にも出たり。】集中には、卷(ノ)一、八隅知之《ヤスミシヽ》。我大王乃《ワガオホキミノ》。【是は、當代舒明天皇を申せり。さて古事記、日本紀には、倭我於朋枳美《ワガオホキミ》、とあれど、集中|假字書《カナガキ》には、總べて和期於保伎美《ワゴオホキミ》、とあれば、集にては、わごとよむ例なり。これも古言なり。】さてこの八隅知之《ヤスミシシ》の言を蒙《カヾフ》らせし、集中にいとおほきは、皆下に、高光日皇子《タカヒカルヒノミコ》とつゞけて、天皇をも申皇大子をも申(ス)例なり。その餘《ホカ》、天皇とも、大皇とも、皇とも、大王とも、王とも書、假字書《カナカキ》には、大君《オホキミ》とも、於保伎美《オホキミ》ともありて、當代天皇より、諸王までを申事上にいふが如し。その天皇を申せるは、さらにもいはじ。皇子諸王を申せるは、卷(ノ)二。吾王乃《ワゴオホキミノ》。【明日香(ノ)皇女を申。】同。吾大王《ワゴホキミ》。皇子之御門《ミコノミカド》。吾大王《ワゴオホキミ》。同。我王者《ワゴオホキミハ》。【已上、高市(ノ)皇子(ノ)命を申せり。】同。王者《オホキミハ》。【弓削皇子を申。】卷(ノ)三。吾於富吉美可聞《ワゴオホキミカモ》。同。王者《オホキミハ》。【弓削(ノ)皇子を申。】同。王之《オホキミノ》。【河内(ノ)王をいふ。】同。吾大王者《ワゴオホキミハ》。【石田(ノ)王をいふ。】同。吾王《ワゴオホキミ》。御子乃命《ミコノミコト》。【又。】吾王《ワゴオホキミ》。【又。】吾王《ワゴオホキミ》。皇子之命《ミコノミコト》。【已上、安積(ノ)皇子を申。】卷(ノ)十三。我王矣《ワゴオホキミヲ》。同。皇可聞《オホキミカモ》。【高市(ノ)皇子(ノ)命を申。】このほかにも、なほ多かりなん。さて須米呂岐《スメロギ》とは、遠祖《ミオヤ》の天皇を申奉る稱なるを、皇祖《ミオヤ》より受繼《ウケツギ》ませる大御位につきては、當代をも申事のあると、天皇と書《カキ》て、須賣呂岐《スメロギ》ともよむ例のあるによりて、後人ゆくりな(161)く、須米呂岐《スメロギ》と申も、於保岐美《オホキミ》と申も、ひとつ言と心得て、大皇と書るをも、皇と書るをも、須米呂岐《スメロギ》とよみ誤れるぞ、おほかりける。そも/\遠祖《ミオヤ》の天皇を申言なるは、卷(ノ)一。天皇之《スメロギノ》。神御言能《カミノミコトノ》。大宮者《オホミヤハ》。【是は、近江の荒都をよめる歌にて、天智天皇を申奉れり。】卷(ノ)二。天皇之《スメロギノ》。敷座國等《シキマスクニト》。【是は、皇祖の天皇たちの、敷ます國、といふ意也。】同。天皇之《スメロギノ》。神之御子《カミノミコ》。【是は、志貴(ノ)親王を申て、皇祖の神の、御子孫といふ意なり。】卷三。皇神祖之《スメロギノ》。神之御言乃《カミノミコトノ》。敷座《シキマセル》。國盡《クニノハタテニ》。【是は、卷(ノ)二、廿七丁の言と同じ。】同。皇祖《スメロギノ》。神之御門爾《カミノミカドニ》。【是は、皇祖より受繼《ウケツギ》ませる、大御位しろしめす、大宮をいふ言にて、即ち上の敷ます國、といふにおなじ。】卷(ノ)六。八隅知之《ヤスミシシ》。吾大王乃《ワゴオホキミノ》。高敷爲《タカシカス》。日本國者《ヤマトノクニハ》。皇祖乃《スメロギノ》。神之御代自《カミノミヨヨリ》。敷座流《シキマセル》。國爾之有者《クニニシアレバ》。【この數言にて、上の敷ます國とつゞけたる言をも、考知るべし】。卷(ノ)七。皇祖《スメロギノ》。神之宮人《カミノミヤビト》。【卷(ノ)三、五十一丁の言におなじ。】卷(ノ)十。 皇祖乃《スメロギノ》。神御門乎《カミノミカドヲ》。【上既に出。】卷(ノ)十五。須賣呂岐能《スメロギノ》。等保能朝廷等《トホノミカドト》。【上の敷ませる國、云云といふに意同じ。是には、當代を申ても、理《コトワリ》違はさればにや。卷(ノ)十七には、大王乃《オホキミノ》、等保能美可度《トホノミカド》。卷(ノ)十八、於保伎美能《オホキミノ》、等保乃美可等々《トホノミカトト》、と見えたり】。卷(ノ)十八。須賣呂伎能《スメロギノ》。可未能美許登能《カミノミコトノ》。伎己之乎須《キコシヲス》。久邇能麻保良爾《クニノマホラニ》。【皇祖よりしろしめす國、といふ意。】同。【賀2陸奥(ノ)國(ヨリ)出1v金(ヲ)詔書(ノ)歌。】須賣呂伎能《スメロギノ》。神乃美許登能《カミノミコトノ》。御代可佐禰《ミヨカサネ》。【この一首の歌に、すめ呂伎といふ言、ふたつ、おほきみといふ言、五つ見えたり。當代天皇と、遠祖の天皇とを申せる分ち、いと明らか也。可2熱考1。】同。皇御祖乃《スメロギノ》。御靈多須氣弖《ミタマタスケテ》。【皇祖の天皇たちの、御靈《ミタマ》のたすけ有て、といふ意。】同。須賣呂伎能《スメロギノ》。御代佐可延牟等《ミヨサカヘムト》。【是は、受繼ませる御代といふ言にて、上に擧たる、御門・大宮・敷座國、などとつゞけたるに同じ意なり。是(レ)於保伎美といひても、叶へるに似たり。かゝる言より、後人須米呂伎と、おほきみとを、ひとつ言と、(162)おもひまがへる也。よく考て、其別(チ)を知れ。】同。須賣呂伎乃《スメロキノ》。神能美許登能《カミノミコトノ》。可之古久母《カシコクモ》。波自米多麻比弖《ハジメタマヒテ》。【是は、雄略天皇の、吉野離宮を、初め給ひし事を申せり。】同。皇神祖能《スメロギノ》。可美能大御世爾《カミノオホミヨニ》。田道間守《タヂマモリ》。常世爾和多利《トコヨニワタリ》。【是は、垂仁天皇の御代を申せり。】同。須賣呂伎能《スメロギノ》。之伎麻須久爾能《シキマスクニノ》。安米能之多《アメノシタ》。四方能美知爾波《ヨモノミチニハ》。【略。】伊爾之敞欲《イニシヘヨ》。伊麻能乎都々爾《イマノヲツツニ》。萬調《ヨロヅツキ》。麻都流都可佐等《マツルツカサト》。【この數言にて、皇祖より受繼ませる、大御位につきては、當代天皇までを、かけて申せる事をしるべし。】卷(ノ)十九。皇祖神之《スメロギノ》。遠御代三世波《トホミヨミヨハ》。同。須賣呂伎能《スメロギノ》。御代萬代爾《ミヨヨロヅヨニ》。【この言、既に卷(ノ)十八に出たり。】卷(ノ)廿。天皇乃《スメロギノ》。等保能朝廷等《トホノミカドト》。【卷(ノ)十五に出。】同。天皇乃《スメロギノ》。等保伎美與爾毛《トホキミヨニモ》。同。多可知保乃《タカチホノ》。多氣爾阿毛理之《タケニアモリシ》。須賣呂伎能《スメロギノ》。可未能御代欲利《カミノミヨヨリ》。同。須賣呂伎能《スメロギノ》。安麻能日繼等《アマノヒツギト》。都藝弖久留《ツギテクル》。これら皇祖神とも、皇神祖とも、皇御祖とも、皇祖とも、天皇とも、書たるは、假字書《カナガキ》に、須賣呂伎《スメロギ》とあるによりて、皆すめろぎとよみ。また遠祖の天皇を申事なるをも、彼是をかよはして知べし。さて天皇と書るを、互によみ誤れるは、卷(ノ)一。天皇|乃《ノ》、命畏美《ミコトカシコミ》。卷(ノ)六。天皇|之《ノ》、命恐美《ミコトカシコミ》。卷(ノ)十九。天皇|之《ノ》、命恐《ミコトカシコミ》。卷(ノ)廿。天皇|乃《ノ》、美許登可之古美《ミコトカシコミ》、とあるは、みなおほきみとよむべきを、須米呂伎《スメロギ》とよめるは誤なり。卷(ノ)三。大王之命恐《オホキミノミコトカシコミ》。卷(ノ)六。王《オホキミノ》、命恐《ミコトカシコミ》。卷(ノ)九。大王之《オホキミノ》、命恐美《ミコトカシコミ》。卷(ノ)十三。王《オホキミノ》、命恐《ミコトカシコミ》。同。王《オホキミノ》、命恐《ミコトカシコミ》。同。王之《オホキミノ》、御命恐《ミコトカシコミ》。卷(ノ)十四。於保伎美乃《オホキミノ》。美己等可志古美《ミコトカシコミ》。卷(ノ)十七。憶保枳美能《オホキミノ》、彌許等可之古美《ミコトカシコミ》。同。大王能《オホキミノ》、美許等加之古美《ミコトカシコミ》。同。於保枳美乃《オホキミノ》、美許登可之古美《ミコトカシコミ》。卷(ノ)廿。於保(163)伎美能《オホキミノ》、美許登可之古美《ミコトカシコミ》。同、同、同、同。皆假字書《カナガキ》にて、於保伎美《オホキミ》とあり。かくあまた、假字書《カナガキ》も、何《ナニ》も例あれば、かならず須賣呂伎《スメロギ》とはよむまじきを知べし。また卷(ノ)四。天皇|之《ノ》、行幸乃《イデマシノ》、隨意《マニマ》。卷(ノ)六。天皇|之《ノ》。行幸之隨《イデマシノマニマ》、とあるは、卷(ノ)三。我王之《ワゴオホキミノ》、幸行處《イデマシトコロ》。卷(ノ)六。皇之《オホキミノ》。引乃眞爾眞爾《ヒキノマニマニ》、とある例にて、當代天皇を申奉る言なれば、是はおほきみとよむべきなり。また卷(ノ)三。大皇|之《ノ》、敷座國《シキマスクニ》とあるは、天皇の誤にて、須賣呂伎《スメロギ》とよむべき例なり。また卷(ノ)六。天皇朕とあるは、卷(ノ)廿に、須米良美久佐爾《スノラミクサニ》、といへる言《コト》もあれば、須米良和我《スメラワガ》とよむべし。【續日本紀宣命に、天皇何大命《スメラカオホミコト》、天皇羅我命《スメラガミコト》。延喜式(ノ)祝詞式に、皇我《スメラガ》とあるも、すめらと訓《ヨム》證なり。】されど既に擧る、雄略の大御歌、推古の大御歌に、於保枳瀰《オホキミ》と、御自《ミミヅカラ》稱《ノリ》ませる例によれば、是も、おほきみわが、ともよむべき也。また卷(ノ)十三。吾大皇寸與とよるは、決《キハメ》てひが文字也。おほきみとよみても、すめろぎとよみても、下の寸の字|衍《アマ》れり。いまだ考得ず。若《モシ》は大〔右○〕は夫〔右○〕の誤、寸〔右○〕は子〔右○〕の誤にて【卷十一に級子八師《ハシキヤシ》とある子〔右○〕は、寸〔右○〕の誤なるよし。師のいはれしをもおもへ。】わが夫《セノ》皇子《ミコ》とよみて、繼體紀、勾(ノ)大兄(ノ)皇子の、春日(ノ)皇女と唱和(ノ)歌の類《タグヒ》にはあらぬにや。尚可v考。かくて歌の題に、天皇、云云とあるは、皆その御代/\の天皇を申奉る事なれば、おほきみとよむべきに似たれど、そは須米良美許登《スメラミコト》とよみて、當代天皇を申奉る稱なり。儀制令に、天子(ハ)祭祀(ニ)所v稱。天皇(ハ)詔書(ニ)所v稱。皇帝(ハ)華夷(ニ)所v稱とありて、義解に、至(テハ)2風俗(ノ)所(ニ)1v稱別《ニ》不1v依2文字(ニ)1。假令《タトヘバ》如2皇孫命《スメミマノミコト》、及(ヒ)須明樂美御徳之《スメラミコトノ》類1也。と見えて、宣命祝詞に、天皇とあるも、天皇命とあるも、すめらみこと、(164)とよむ例なれば、題に某(ノ)天皇、また天皇云云とあるも、此例にてよむべきなり。
 
  ○廬爲流《イホリセル》。【爲流《スル》】
後世、勢流《セル》と須流《スル》とを、ひとつ言と心得て、せる〔二字右○〕とよむべきを、する〔二字右○〕とよめるも多し。今|熟《ヨク》考るに、須流《スル》は現在より、末をかけていふ言。世流《セル》は志多流《シタル》を約《ツヅ》めたる言にて過去より現在までをいふ言なり。その例を擧るに、集中いとおほくて、わづらはしければ、日本紀、古事記にあると、集の一二の卷とをいはんに、世流《セル》は、神武紀に、汗奈餓勢屡《ウナガセル》。【うながしたるにて過去をいふ。】繼體紀に、於婆細屡《オバセル》。【佩《オバ》したるにて、上におなじ。】推古紀に、許夜勢流《コヤセル》。【臥《コヤシ》たるにて、上におなじ。】古事記、【景行の條。】那賀祁勢流《ナガケセル》。【汝が着たるにて、過去より、現在をかけていふ。】同、和賀祁勢流《ワガケセル》。【上に同じ。】同、【雄略の條。】佐々加勢流《ササカセル》。【さゝげたるにて、上の意に同じ。】集には、卷(ノ)一。頭刺理《カザセリ》。同。廬利爲利計武《イホリセリケム》。卷(ノ)二。御名爾懸世流《ミナニカヽセル》。同。枝刺流如《エダサセルゴト》。同。奈世流君香聞《ナセルキミカモ》。【寢たる君かもといふ意なり。】この餘《ホカ》、卷々にいとおほき。皆おなじ意なり。それが中に、正しくいほりせると訓《ヨム》證は、卷(ノ)七。舟盡《フネハテヽ》、可志振立而《カシフリタテヽ》、廬利爲《イホリセリ》、名子江乃濱邊《ナコエノハマビ》、過不勝鳧《スギカテヌカモ》。卷(ノ)九。山跡庭《ヤマトニハ》、聞往歟《キコエモユクカ》、大我野之《オホガヌノ》、小竹葉苅敷《ササバカリシキ》、廬爲有跡者《イホリセリトハ》。卷(ノ)十。梅花《ウメノハナ》、令散春雨《チラスハルサメ》、多零《サハニフル》、客爾也君之《タビニヤキミガ》、廬入西留良武《イホリセルラム》、と見えたり。さて須流《スル》は、卷(ノ)一。船出爲鴨《フナデスルカモ》。卷(ノ)二。侍宿爲流鴨《トノヰスルカモ》。同。宮出毛爲鹿《ミヤテモスルカ》。同。宮道叙爲《ミヤヂトゾスル》。同。(164)旅寐鴨爲洗《タビネカモスル》。この外、須禮《スレ》、須羅牟《スラム》、などいへるも同じ。是等の例をもて、集中を押わたして、世流《セル》と須流《スル》との別ちを、よくわきまへ知(ル)べし。【猶この事を、よくわけんには、船出須流見由《フナデスルミユ》といへると、船出世流見由《フナデセルミユ》といへるをもて心得へし。爲流《スル》は、今船出するを見ていふ言なれば、現在より末をかけていへり。世流《セル》は、船出して有を見ていふ言なれば、過去より現在をいへり。】
 
  ○語登《コトト》。
この語登《コトト》の登《ト》は、古本にありて、今本には脱せり。今按に、語登《コトト》といへるぞ、古言也ける。登《ト》は、ものを切(チ)にいひきはむるとき、添《ソフ》る言と見えて、上にも下にも、そへいふ言《コト》也。卷(ノ)七に、事等不有君《コトトアラナクニ》、とあるは、事《コト》あらぬに、といふ事の下に、等《ト》の言をそへたる也。同卷。雖干跡不乾《ホセレドトヒズ》とあるは、ひぬといふ上に、跡《ト》の言をそへたる也。【今本に、是をほせどかわかず、とよみたるは、一の跡《ト》の字あまれり。】これらの言によりて考るに、古事記、上(ノ)卷度(ス)2事戸(ヲ)1之時《トキ》、とあるは、神代紀上(ノ)卷。建2絶妻之誓(ヲ)1とありて、同。訓註に絶妻之誓。此(ニ)云(フ)2許登度《コトト》1と見えたり。是は、御誓言《ミウケヒゴト》の切(チ)なるをいふならむ。同卷。使3天(ノ)兒屋命(ニ)掌2其解除之大諄辭(ヲ)1而宣v之、とあるを、同。訓註に、大諄辭、此云(フ)2布斗能理斗《フトノリトト》1、とある下の斗《ト》は、事戸《コトト》の戸《ト》に同じ。かくて語登《コトト》といふ言の、集中に見えたるは、卷(ノ)二。狂言等可聞《タバコトトカモ》。同。狂言等加聞《タバコトトカモ》。卷(ノ)七なるは、上に出せり。卷(ノ)十七。多婆許登々可毛《ダバコトヽカモ》。卷(ノ)十九。神言等《カムコトト》。(166)同。公之事跡乎《キミガコトトヲ》。是等は正しく右の證《アカシ》とすべし。此餘《コノホカ》、登《ト》の言を添たるは、古事記、中卷。比流波久毛登韋《ヒルハクモトヰ》。同。宇迦々波久《ウカヽハク》、斯良爾登《シラニ○》。同。美志摩爾斗伎《ミシマニ○キ》、【是を契冲は、着《ツキ》といふ言といへれど、さにあらず。三島爾來《ミシマニキ》、といふに、斗《ト》の言を添たるなり。】集には、卷(ノ)二。枕等卷而《マクラ○マキテ》。同。不知等妹之《シラニトイモガ》。卷(ノ)四。寢宿難爾登《イネカテニ○》 阿可志通良久茂《アカシツラクモ》。卷(ノ)七。如吾等架《ワガゴト○カ》。同。雖凉常不干《ホセレド○ヒズ》。同。雖干跡不乾《ホセレド○ヒズ》。活本同。青山等《アヲヤマ○》。茂山邊《シゲキヤマベニ》。【今本には、葉茂《ハシゲキ》とあれど、活本も、古本も、等に爲れり。】卷(ノ)十。得行而將泊《○ユキテハテム》。同。妹之紐《イモガヒモ》、解等結而《トキ○ムスビテ》。卷(ノ)十一。面忘《オモワスレ》、太爾毛得爲也登《ダニモ○スヤト》。卷(ノ)十二。旅宿得爲也《タビネラ○スヤ》。【この得爲〔二字右○〕を、今本えす〔二字右○〕とよめるは非也。得行而將泊《トユキテハテム》の例にて、得〔右○〕は、登《ト》とよむべし。】卷(ノ)十四。蘇羅由登伎奴與《ソラユ○キヌヨ》。同。伎美乎登麻刀母《キミヲ○マツモ》。卷(ノ)十七。美山等之美爾《ミヤマ○シミニ》。同。敷刀能里等其等《フトノリ○ゴト》)。卷(ノ)廿。古乎等都麻乎等《コヲ○ツマヲ○》。於枳弖等母枳奴《オキテ○モキヌ》。【これを今本に、こをらつまをら、おきてらもきぬ、とよみたれど.この防人の歌に、等〔右○〕は、すべて登《ト》の假字に用ひて、良《ラ》とよめる例なければ、みな登《ト》とよむべきなり。】同。伊泥弖登阿我久流《イデテ○アガクル》。是等上にも下にも、登《ト》の言を添たる例也。【猶おほかりなん。よく考てよ。】今いかなる義《ヨシ》とも考知られねど、皆その事を切(チ)にいひきはむるに添たる意は、同じかりける。【情度《コヽロト》といふ言の、集中に多き、度《ト》は、この添言の登《ト》にやともおもへれど、卷(ノ)三。心神。同。情神。卷(ノ)十二。心神、とあるも、こゝろどとよむべくおもへば、度《ト》は、所の意にて、心臓をいふにやあらん。さてこの添いふ登《ト》の言は、やゝ後の歌にも見ゆるを、今の歌人は、さることありともしらぬは、すべていにしへに證《アカサ》んものともおもはず。心を用ひぬが故なり。】
〔頭注、再按に、得行而、云云、得爲也、云云を、こゝの例に擧けたるは、誤れり。是は舊訓に從ひて、えゆきて、えすや、とよむべきなり。そのよしは、四之卷別記の末に擧て、ことわれり。〕
 
  ○久堅《ヒサカタ》。
(167)師説に、續日本後紀に、天皇【仁明】の四十算を賀奉りて、興福寺の僧の奉れる歌に、瓠葛の字を書たるによりて、瓠形也といはれしは、あまなひがたし。天の形《カタ》は丸《マロ》らなるものにや。虚《ウツ》らなるものにや。人の智《サトリ》もて、いかでか知らん。是は漢土人《カラクニビト》の、例の空論《ムナシゴト》を信《ウケ》給へる歟。いと/\心得られね。漢籍《カラブミ》禮記をさへひかれたるも、つたなし。今考るに、瓠葛も、久賢も、久堅も、假字書《カナガキ》にて、日刺方《ヒサカタ》なるべし。【刺を、佐とのみいふは、佐渡る月、佐わたる鳥、などいふ佐〔右○〕は、刺渡《サシワタ》るといふ言也。このさ〔右○〕を、發語ぞとのみいへるは、委しからず。人にては、いわたるといひて、さわたるといはず。月鳥には、さわたるといひて、いわたるといはぬもて、徒言《イタヅラゴト》ならぬをしるべし。】刺《サス》とは、日の御光《ミヒカリ》のさしかゞやきますをいふ言にて、茜刺《アカネサス》のさす〔二字右○〕に同じ。方《カタ》とは、彼方《カナタ》をいふ也。則|打日刺《ウチヒサス》といふ發語《マクラコトバ》も、これとひとつ意にて、日の御子の大まします大宮なれば、その御徳《ミヒカリ》のさしかゞやぎますを、稱《タヽヘ》たる言《コト》也。打《ウチ》は、麗《ウツシキ》なりと、師の考に云へり。この辭を、打久津《ウチヒサツ》とも【津《ツ》と須《ス》は、通ふ言《コト》也。】書たれば、久堅《ヒサカタ》の久《ヒサ》は、日刺《ヒサ》なるを併按《アハセオモフ》べし。【いにしへの借字を用ひしも、心ありとおほゆる事多し。】かくて阿米《アメ》といへる言の意を考るに、上邊《ウハベ》也。【宇波〔二字右○〕は阿〔右○〕に約る。米《メ》と邊《ヘ》は、常通ふ言なり。】いかにといふに、卷(ノ)五、嬰兒《ワカキコ》を失へる歌に、わかければ、道ゆきしらじ、幣はせん、志多敞《シタベ》のつかひ、おびてとほらせ。とある志多敝《シタベ》は、下邊《シタベ》にて、黄泉《ヨミ》をいふ。是をむかへて、天《アメ》は、上邊《ウハベ》なるを知り、【阿麻《アマ》といふは、言の意異なり。己(レ)説あり。】日光のいたらぬ黄泉《ヨミ》を、【夜滿國《ヨミツグニ》の意。】下邊《シタベ》といふに對《ムカヘ》て、日刺《ヒサシ》かゞやく方《カタ》の、上邊《ウハベ》といふ語意《コトノコヽロ》をも、おもひ明らむべし。
 
(168)  ○物乃部《モノノフ》。
このまくら辭を、師の考に、物乃部《モノノフ》は、武《タケ》き人をいひて、宇治《ウヂ》とつゞけたるは、稜威《イツ》の意。即《チ》ちはや人《ビト》、宇治《ウヂ》の渡《ワタリ》と、日本紀にも集にもよめるに同じ。といはれしは、さる事なるべけれど、おのれ疑あり。いかにとなれば、まづ武き人を、物《モノ》の布《フ》といふは、いかなるよしとも解れざりしはいかに。又|直《タダ》に宇治《ウヂ》とつゞけしは、卷(ノ)十三に見えたるのみにて、それがあまりは、八十氏《ウソウヂ》とつゞき、また八十《ヤソ》とのみもつゞきたれば、ひたぶるに、宇治《ウヂ》につゞく意といはれしも、心得られず。まして卷(ノ)十九には、物部乃《モノヽフノ》、八十乃|※[女+感]嬬《ヲトメ》。卷(ノ)廿には、母乃能布能《モノノフノ》、乎等古乎美奈能《ヲトコヲミナノ》、とつゞけたるなど、全《モハラ》武《タケ》き人をいふ意ならず。故《カレ》考るに、物《モノ》とは彼物《ソノモノ》此物《コノモノ》、などいふものにて、數ある中を、取出ていふ言、布《フ》は、邊《ベ》に通ふ言にて、邊《ベ》は、牟禮《ムレ》の約《ツヾメ》の米《メ》に同じ。【來《メ》邊《ベ》は、同意也。】さて牟禮《ムレ》は、群《ムレ》にて、一連《ヒトムレ》をいふ言なれば、【連を、むらじといふも、群主《ムラヌシ》なるべし。】朝廷《ミカド》に仕奉《ツカヘマツル》人等《ヒトタチ》、その職役《ツカサドルトコロ》の連《ムレ》ありて、八十《ヤソ》の氏々多ければ、八十氏河《ヤソウヂカハ》ともつゞけ、また氏《ウヂ》とのみもつゞけたり。又|八十伴《ヤソトモ》の緒《ヲ》と、【緒《ヲ》は、年《トシ》の緒《ヲ》、息《イキ》の緒《ヲ》、などの緒《ヲ》に同じく、緒《ヲ》は、連續《ツヅキ》の意なるよし、すでにいへり。】つゞけたるは、いよゝ右の意にて明らか也。また八十のをとめ・をとこをみな、とつゞけたるは、延喜式祝詞に、襷掛伴緒《タスキカクルトモノヲ》・【舍人の類をいふ。】領巾懸伴緒《ヒレカクルトモノヲ》。【釆女の類をいふ。】といへる意にて、朝廷に仕奉る男女にかけていへる也。猛人《タケキヒト》を、ものゝふといふは、一轉《ヒトウツリ》(169)後の事にて、そは師の考にいはれし如く、古へ御國は、專《モハ》ら武《タケ》きをもて仕奉《ツカヘマツ》るを貴み、天武紀にも、政(ノ)要(ハ)者軍事也。是(ヲ)以文武官(ノ)諸人、務(テ)習(フ)2用(ヒ)v兵乘(ルコトヲ)1v馬(ニ)云云。と見えたる意にて、百官の人等、皆|猛《タケ》かれば、後にものゝふと、武人の事ともすめり。又物部姓も、饒速日《二ギハヤビノ》命より出て、もと天《アメ》より率《ヒキヰ》ませし、御《ミ》ともの多かるが、それ/\職《ツカサドル》ところありて、總《スベ》て猛《タケ》かれば姓《ウヂ》にも負《オヒ》しにやとおもはるれば、こもひとつ意とすめり。
 
〔頭注、この物部性の事は、本居氏の古事記傳、神武の條に詳也。】
 
  ○白菅乃《シラスゲノ》。【眞野《マヌ》、】榛原《ハリハラ》。
師の冠辭考にはもれたり。卷(ノ)七に、白菅乃《シラスゲノ》、眞野乃榛原《マヌノハリハラ》と見えて、この卷(ノ)三の歌と、同じつづけ也。契冲云。菅《スゲ》は、干《ホス》まゝに白くなるゆゑに、白菅《シラスゲ》といふ。眞野《マヌ》とつゞけたるは、眞菅《マスゲ》といへば、眞《マ》の一言につゞくなりといへり。【今按に、卷(ノ)十一に、あしたづの、颯《サワグ》入江《イリエ》の、白菅《シラスゲ》の、しられんためと、こちためるかも、といへる歌あり。干まゝに白くなるゆゑにいふ、といへるは非也《アシシ》。もとより白菅と、名おべるもの有と見えたり。】或人は、卷(ノ)十一に、吾妹子《ワギモコ》が、袖をたのみて、眞野《マヌ》の浦の、小菅《コスゲ》の笠を、きずて來《キ》にけり。眞野《マヌ》の池《イケ》の、小菅《コスゲ》を笠《カサ》に不縫爲而《ヌハズシテ》、人乃遠名《ヒトノトホナ》を、立べきもの歟《カ》。とよめる歌どもによるに、眞野《マヌ》は、菅《スゲ》に名ある所なれば、白菅《シラスゲ》の眞野《マヌ》、とつゞけたりといへり。この説に從ふべし。さて榛原《ハリハラ》を、師の波義原《ハギハラ》ぞといはれしはひが言なりけり。榛は、波里《ハリ》といへ(170)る木也。【後に波牟《ハム》の木といふものなり。】今集中の歌を左に擧たり。是を押わたして、熟《ヨク》考なば、論《アゲツラヒ》を俟《マタ》ずして萩《ハギ》ならぬを、おもひ明らむべし。卷(ノ)一。綜麻形乃《サヌカタノ》。【紗寢形《サヌカタ》の誤なるべし。卷(ノ)十に、小額田《サヌカタ》見え、卷(ノ)十一に、紗眠《サヌル》の假字見え、卷(ノ)六に、寢を奴《ヌ》の假名に用ひたり。】林始乃《ハヤシノサキノ》。【契冲がよみに從ふ。卷(ノ)十一に、岡前《ヲカノサキ》、卷(ノ)十四に、夜麻乃佐吉《ヤマノサキ》、などある類なり。】狹野榛能《サヌハリノ》、衣爾着成《キヌニツクナス》、目爾都久和我勢《メニツクワガセ》。同。引馬野爾《ヒキマヌニ》、仁保布榛原《ニホフハリハラ》、入亂《イリミダリ》、衣爾保波勢《コロモニホハセ》、多鼻乃知師爾《タビノシルシニ》。卷(ノ)三。去來兒等《イサコドモ》、倭部早《ヤマトヘハヤク》、白菅乃《シラスゲノ》、眞野榛原《マヌノハリハラ》、手折而將歸《タヲリテユカナ》 同、答歌。白菅乃《シラスゲノ》、眞野乃榛原《マヌノハリハラ》、往左來左《ユクサクサ》、君社見良目《キミコソミラメ》、眞野之榛原《マヌノハリハラ》。【右の歌どもに、爾保布榛原《ニホフハリハラ》といひ、君社見良目《キミコソミラメ》、などいへるは、萩《ハギ》に似つかはしきうへに、卷(ノ)十に、吾待《ワガマチ》し、秋はぎ開《サキ》ぬ、今だにも、にほひにゆかな、遠ちかた人に」。わがころ、摺有者《スレルニハ》あらず、高松《タカマツ》の、野べゆきしかば、芽子《ハギ》の摺《スレ》るぞ、などよめれば、よくぜずはおもひまがへなむ。】卷(ノ)七。住吉之《スミノエノ》、速里小野之《トホサトヲヌノ》、眞榛以《マハリモチ》、須禮流衣乃《スレルコロモノ》、盛過去《サカリスギヌル》。同。古爾《イニシヘニ》。有監人之《アリケムヒトノ》、※[不/見]乍《モトメツヽ》、衣爾摺牟《キヌニスリケム》、眞野之榛原《マヌノハリハラ》。同。不時《トキナラズ》、斑衣《マダラコロモノ》、服欲《キマホシキ》、衣服針原《コロモハリハラ》、時二不有鞆《トキナラズトモ》。同。吾屋前爾《ワカヤドニ》。生土針《オフルツチバリ》、從心毛《コヽロユモ》、不想人之《オモハヌヒトノ》、衣爾須良由奈《キヌニスラユナ》。【土針《ツチバリ》は、和名抄(ニ)云。王孫、一名黄孫。和名|沼波利久佐《ヌハリクサ》。此間(ニ)云2豆知波利《ツチハリト》1と見えて、榛とは別物なれど、是も衣《キヌ》に摺故に、波利《ハリ》といふ名はおびけるなり。則榛は、波利《ハリ》なる證とすべし。】同。寄v木、白菅乃《シラスゲノ》、眞野之榛原《マヌノハリハラ》、心從毛《コヽロユモ》、不思君之《オモハヌキミガ》 衣爾摺《コロモニスラユ》。卷(ノ)九。詠v榛、思子之《オモフコガ》、衣摺牟爾《コロモスラムニ》、爾保比與《ニホヒコソ》、島之榛原《シマノハリハラ》、秋不立友《アキタヽズトモ》。【遠江(ノ)國人の云。秋に至りて、その實《ミ》の熟するをもて、衣に染といへり。】卷(ノ)十四。伊可保呂乃《イカホロノ》、蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》、和我吉奴爾《ワガキヌニ》、都伎與良之母與《ツキヨラシモヨ》、多敝登於毛敝婆《タヘトオモヘバ》。卷(ノ)十六。墨江之《スミノエノ》、速里小野之《トホサトヲヌノ》、眞榛持《マハリモチ》、丹之爲爲衣丹《ニホシシキヌニ》、云云。同。墨之江之《スミノエノ》、岸野之榛丹《キシヌノハリニ》。【野之の二字、倒せる歟。】丹穗所經迹《ニホフレド》、丹穂葉寐我八《ニホハヌワレヤ》、丹穗氷而將居《ニホヒテヲラム》。卷(ノ)十九。安氣左禮波《アケサレバ》、榛之狹枝爾《ハリノサエダニ》、暮左禮婆《ユフサレバ》、藤之繁美爾《フチノシゲミニ》、遙遙《ハロハロニ》、鳴霍公鳥《ナクホトトギス》。【榛は、高木にあらずば、はろはろとは、いふべからず。】この外、古事記【雄略條】、其猪《ソノヰ》怒而《イカリテ》、宇多岐依來《ウタキヨリク》、故《カレ》天皇|畏《カシコミ》2其宇多岐《ソノウタギヲ》1、登2座《ノボリマシテ》榛上《ハリノウヘニ》1、歌曰《ウタヒタマハク》。【略】和賀爾宜能煩理斯《ワカニゲノボリシ》、阿里袁能《アリヲノ》、波理能紀能延陀《ハリノキノエダ》、と見えたり。是にて、いよゝ榛《ハリ》は 波藝《ハギ》ならぬを知べし。
 
〔頭注、師説に、みわ山の、しげきがもと、とよまれしは、うべなひがたし。]
 
  ○客《タビニ》爲《シ・ヰ》而《テ》。【此間而《コヽニシテ》。獨《ヒトリ》爲《シ・ヰ》而《テ》。】
この爲而《シテ》を、契冲がゐてとよみしは、中々に古言を失へるわざぞと、本居氏の古事記傳にいへるは、誠にさることにて、志弖《シテ》とよむべき證は、集中おほきが中に、正しく志弖《シテ》とよめる例を考るに、卷(ノ)一。旅爾之而《タビニシテ》。同。旅爾師而《タビニシテ》。卷(ノ)四。家二四手《イヘニシテ》。卷(ノ)七。家爾之而《イヘニシテ》。卷(ノ)十五。多婢爾之弖《タビニシテ》。卷(ノ)十七。伊幣爾之底《イヘニシテ》。卷(ノ)廿。伊閇爾之而《イヘニシテ》。卷(ノ)十九。此間爾之弖《コヽニシテ》。卷(ノ)十四。比等理能未思底《ヒトリノミシテ》。この外、卷(ノ)四。氣緒爾四而《イキノヲニシテ》。卷(ノ)七。面白四手《オモシロクシテ》。卷(ノ)十四。和波己許爾志弖《ワハココニシテ》。同。安波受之底《アハズシテ》。卷(ノ)十五。久邇和可禮之弖《クニワカレシテ》。卷(ノ)十七。加苦思底也《カグシテヤ》。同。安佐比良伎之弖《アサヒラキシテ》。卷(ノ)廿。己比爾之弖《コヒニシテ》。同。多太比登里之弖《タダヒトリシテ》。と見えたり。かくて、爲〔右○〕を志《シ》とよめる例は、卷(ノ)二。嫗爾爲而也《オムナニシテヤ》。卷(ノ)三。面影爲而《オモカゲニシテ》。卷(ノ)四。如是爲而哉《カクシテヤ》。同。如是爲而後二《カクシテノチニ》。卷(ノ)六。如是爲管《カクシツヽ》。同。同v上。卷(ノ)七。何爲而《イカニシテ》。卷(ノ)八。如是爲而哉《カクシテヤ》。同。奈何爲而《イカニシテ》 卷(ノ)十一。如是爲乍《カクシツヽ》。同。何爲而《イカニシテ》。同。如是爲管《カクシツヽ》。同。如是爲(172)哉《カクシテヤ》。卷(ノ)十二。足占爲而《アシウラシテ》。同。氣緒二爲而《イキノヲニシテ》。同。何爲而《イカニシテ》。同。覊〔馬が奇〕乃氣二爲而《タビノケニシテ》、と見えたり。右によれば、契冲がよみは、決《キハメ》てひがよみとすべけれど、猶考るに、卷(ノ)三。獨爲而《ヒトリヰテ》。見知師無美《ミルシルシナミ》、とあるは、卷(ノ)七。獨居而《ヒトリヰテ》、見驗無《ミルシルシナミ》。卷(ノ)八。獨居而物念夕爾《ヒトリヰテモノモフヨヒニ》。同。獨居而《ヒトリヰテ》。寢不所宿《イノネラエヌニ》。卷(ノ)十二。獨居《ヒトリヰテ》、戀者辛苦《コフレバクルシ》。卷(ノ)十三。獨居而《ヒトリヰテ》、君爾戀爾《キミニコフルニ》、と見え、爲〔右○〕を、ゐ〔右○〕とよめるは、卷(ノ)四。向居而《ムカヒヰテ》、とあるを、卷(ノ)十五。牟可比爲而《ムカヒヰテ》、と書、また卷(ノ)廿。難波爾伎爲而《ナニハニキヰテ》など書る例あり。又卷(ノ)三。此間《コヽニ》爲《シ。ヰ》而《テ》とあるは、卷(ノ)四。此間有而《ココニアリテ》。卷(ノ)八。此間在而《ココニアリテ》。と見えて、在《アリ》と、居《ヰ》とは、ひとつ意なれば、是もゐて〔二字右○〕ともよむべし。又卷(ノ)三。客《タビニ》爲《シ・ヰ》而《テ》とあるも、卷(ノ)十二。客在而《タビニアリテ》。同。客爾有而《タビニアリテ》、とあれば、右に同じく、卷(ノ)四。外耳爲而《ヨソニノミシテ》、とあるは、同。外居而《ヨソニヰテ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズバ》。同。外居而《ヨソニヰテ》。戀者苦《コフレバクルシ》、と見えたり。又卷(ノ)三。與妹《イモト》爲《シ・ヰ》而、二作之《フタリツクリシ》。卷(ノ)六。吾耳《ワレノミ》爲《シ・ヰ》而《テ》。これらも集中に獨居而《ヒトリヰテ》。【上に擧。】と多く見えたるに、皇極記の歌に、烏志賦※[手偏+施の旁]都威底《ヲシフタツヰテ》、とあるは、鳥ゆゑ、ふたつといへるにて、人ならばふたりゐて、といふべき證とすべければ、ゐ〔右○〕てとも訓べくなん。又卷(ノ)四。吾共咲爲而《ワレトヱマシテ》。卷六。廬爲而《イホリシテ》。同。小菅乎笠爾《コスゲヲカサニ》、不縫爲而《ヌハズシテ》。卷(ノ)十二。二爲而《フタリシテ》、結紐乎《ムスビシヒモヲ》、一爲而《ヒトリシテ》、吾者解不見《ワレハトキミジ》。同。己之妻共《オノガツマドチ》、求食爲而《アサリシテ》。同。伏鹿之《フセルカノ》、野者殊爲而《ヌハコトニシテ》。同。袖不振爲而《ソデフラズシテ》。これらは、決《キハメ》て志弖《シテ》とよむべけれど、卷(ノ)十一、の笠爾不縫爲而《カサニヌハズシテ》。卷(ノ)十二の野者殊異爲而《ヌハコトニシテ》。同卷。袖不振爲而《ソデフラズシテ》は、ゐ〔右○〕てとよみても、よろしきに似たり。かにかくに、後人のさだを得んとて、集中の例を擧て、おどろかしおくにこそ。(173)【卷(ノ)十二なる、二爲而《フタリシテ》、云云。一爲而《ヒトリシテ》、云云は、伊勢物語にも、ふたりして。ひとりして、とあれば、いよゝ論なきに似たれど、獨爲而《ヒトリヰテ》、妹與爲而《イモトヰテ》、鳥志賦※[手偏+施の旁]都威底《ヲシフタツヰテ》の例によらば、ゐ〔右○〕てとよむまじきにもあらず。よく考見よ。】
 
  ○野干玉《ヌバタマ》。【麁玉《アラタマ》。玉尅《タマキハル》。玉坂《タマサカ》。邂逅《タマサカ》。玉由良《タマユラ》。】
ぬばたま・あらたま・たまきはる、などの玉《タマ》は、皆|假字《カナ》なるを、舊説に、玉の字の意もて解るは、すべてひが言なり。そも/\この多麻《タマ》といへる言は、卷(ノ)十八、家持卿の、放2逸鷹1歌に、知加久安樂婆《チカクアラバ》、伊麻布都可太末《イマフツカタマ》。【今本末〔右○〕を、未〔右○〕に誤れり。さて太〔右○〕を、濁音とのみ心得るはあしゝ。集中瀧を、太寸《タキ》と書て、清音に用ひたり。等保久安良婆《トホクアラバ》、奈奴可乃宇知波《ナヌカノウチハ》、須疑米也母《スギメヤモ》、とある太末《タマ》是にて、年月《トシツキ》、日夜《ヒルヨル》の、來經行《キヘユク》間《ホド》をいふ、古言と見えたり。かくてまづ、荒玉《アラタマ》といへる言をいはんに、年月につゞく言とおもへるは、甚《イタク》誤にて、古事記【みやず姫の歌。】に、阿良多麻能《アラタマノ》、登斯賀岐布禮婆《トシガキフレベ》、阿良多麻乃《アラタマノ》、都紀波岐閇由久《ツキハキヘユク》、とあるをはじめて、集中にもこと/”\く、年月日夜《トシツキヒルヨル》の、來經《キへ》ゆく意につゞけて、たゞ年と月とのみにつゞけたる例は、さらになし。況《マシ》て、卷(ノ)十五に、安良多麻乃《アラタマノ》、多都追奇其等爾《タツツキゴトニ》。卷(ノ)十二に、荒田麻之《アラタマノ》、全夜毛不落《ヒトヨモオチズ》、などあるは、年月《トシツキ》のみにつゞく言とせば、いかにとも解べからず。故《カレ》考るに、卷(ノ)廿に、年月波《トシツキハ》、安良多安良多爾《アラタアラタニ》、安比美禮騰《アヒミレド》。【今本に、安多良安多良《アタラアタラ》、とあるは誤なり。古本は、いづれも、安良多安良多《アラタアラタ》とあり。】卷(ノ)六。【悲2寧樂《ナラノ》京(ノ)故郷(ヲ)1歌。】(174)萬世爾《ヨロヅヨニ》、榮將往迹《サカエユカムト》、思煎石《オモヒニシ》、大宮尚矣《オホミヤスラヲ》、恃有之《タノメリシ》、名良乃京矣《ナラノミヤコヲ》、新世乃《アラタヨノ》、事爾之有者《コトニシアレバ》、皇乃《オホキミノ》、引之眞爾眞爾《ヒキノマニマニ》、春花乃《ハルバナノ》、遷日易《ウツロヒカハリ》、云云。このあらた/\も、あらた世も、年月の來經《キヘ》ゆきつゝ、改《アラタマ》るをいふ言なれば、荒玉《アラタマ》の阿良《アラ》も、是に同じく、多麻《タマ》は、その來經行間《キヘユクホド》をいふ言也。故《カレ》年《トシ》が來經《キフ》れば、月者來經行《ツキハキヘユク》、月日累而《ツキヒカサネテ》、全夜毛不落《ヒトヨモオチズ》、などつゞけたり。【この新世の字を、師のあたらよとよまれしは非也。新は、阿良多《アラタ》にて、阿多羅《アタラ》は、惜《ヲシム》の意なるを、佐伊婆良《サイバラヲ》に、阿多良之支《アタラシキ》、年《トシ》のはじめ、とうたひあやまれるより、後世さる誤をつたへて、となへまがへたるなるべし。卷(ノ)廿に出たる、新年乃波自米《アタラシキトシノハジメ》、といふ歌。古葉類聚抄には、あらたしきとよみたり。その餘、古書に、新を、あたらしとよめる例なし。後撰集に、春雨の、世にふりにける、心にも、なほあたらしく、花をこそおもへ、とよめるは、惜と、新とを、かねたるにや。または、あらたしくを、後に書あやまれるにや。はやく後撰の頃は、となへ誤もやしけん。】かくおもひさだめてより、奴婆玉《ヌバタマ》といへる、言の意を考るに、東國の方言に、寐《ヌル》をぬまるといへば、奴婆《ヌバ》は、奴麻《ヌマ》也。【麻《マ》と婆《バ》は近く通へり。】多麻《タマ》は、その間《ホド》をいふ言にて、寐《ヌ》る程《ホド》の夜といふより、夜《ヨ》は暗《クラ》きものなれば、黒《クロ》ともつゞけ、月《ツキ》とも、夢《イメ》ともつゞけたり。妹《イモ》につゞけたるは、寢《イ》の一言にかゝれり。【舊説にては、この妹につゞけたるを、いかにとも解べからず。】また黒馬《コマ》ともつゞくと、師のいはれしは、あしゝ。こまの來る夜、とありて、夜《ヨ》の言にかゝれり。集中|奴婆《ヌバ》に、野干の字を假れるよしは、師の考に見えたり。さて玉尅《タマキハル》は、程來經《タマキフル》也。玉坂《タマサカ》は、程避《タマサカル》也。【源氏末摘花の卷に、たまさかれ給ふ、と見えたり。】邂逅《タマサカ》も、程經《ホドヘ》て稀《マレ》なるをいふ言也。玉由良も、程《ホド》ふることゝ聞ゆれど、由良の言は、いまだおもひ得ず。【玉《タマ》の緒《ヲ》を、命の事にもかけ(175)ていヘるは、玉《タマ》は、この多麻《タマ》にて、緒《ヲ》は、息《イキ》の緒《ヲ》、年《トシ》の緒《ヲ》の緒《ヲ》なり。また玉桙《タマホコ》の道《ミチ》、といヘる玉《タマ》も、この多麻《タマ》にや、とおもふよしあり。卷(ノ)四の別記にいへり。】
 
〔頭注、卷(ノ)十一に、璞之《アラタマノ》、寸戸我竹垣《キヘガタケガキ》とあるも、來經《キヘ》の意につづけたる也。さて寸戸《キヘ》は、城隔《キヘ》にて、今|壁《カベ》といふは、この城隔《キヘ》と同意にて、垣隔《カキヘ》なるべし。卷(ノ)十四にも、阿良多麻能《アラタマノ》、伎倍乃波也之爾《キヘノハヤシニ》、とあるも、伎倍《キヘ》は、城隔《キヘ》にて、垣外の林をいふ也。あらたまは、發語《マクラコトバ》なる事、上に同じ。]
〔頭注、再按に、卷(ノ)十一に、玉響を、たまゆらとよめるは、ひがよみにて、響は、玉の音の、さやかなる意にて、假れるものなれば、則玉さかとよむべき也。〕
 
  ○赤乃曾保船《アケノソホフネ》。
營繕令(ニ)云。凡(ソ)官私(ノ)船、毎v年具顯2色目勝受斛斗破除見在任不1附(テ)2朝集使(ニ)1申(セ)v省(ニ)。義解云。謂(ハ)※[木+温の旁]樟之類、是(ヲ)爲v色(ト)也。船艇之類、是(ヲ)爲v目(ト)也、云云。とあるを集解に、或人古記を引て、公船(ハ)者以(テ)v朱(ヲ)漆《ヌル》v之《ヲ》、といへり。是は、義解の説にもとりて、却《カヘリ》て色目の解を誤れるものなるべけれど、官私の船、彩色《イロドリ》によりて、分別ある事、且官船は、朱漆《アケヌリ》なる事、この古記にて知られたり。則巻(ノ)十六に、奥去哉《オキユクヤ》、赤羅小船爾《アカラヲフネニ》、裹遣者《ツトヤラバ》、若人見而《ワカキヒトミテ》、解披見鴨《トキアケミムカモ》、とある赤羅小船《アカラヲフネ》は、公船なるよしは、その左註に見えたり。又同卷に、奥國《オキノクニ》、領君之《シラスルキミガ》、染屋形《ソメヤカタ》、黄染乃屋形《キソメノヤカタ》、神乃門渡《カミノトワタル》、とあるは、配流の人などは、黄染の船《フネ》に乘《ノレ》るにや。この歌、怕物《オソロシキモノ》歌と題せるは、隱岐《オキ》の國に、はふりやらるゝ人の、黄染《キソメ》の船に乘て、かしこき神《カミ》の海門《ウナト》を渡り行を、おそろしむ意に、よめるなるべし。是等の歌にて、船に彩色《イロドリ》の品ありて、公私の分別ある事、いよゝ明らか也。【卷(ノ)八、卷(ノ)九、卷十三に、左丹漆乃小船《サニヌリノヲブネ》、とよめるは、官船に准《ナズラ》へていへる美言《ホメコト》也。則|玉纏《タママキ》の小棹《ヲカチ》などつゞけて、文飾《アヤ》をなせり。】
 
(176)  ○名細寸《ナグハシキ》。
是は師の考の、こともなくやすく聞ゆるを、先人《チヽ》【正身神主】の説に云。名《ナ》は假字《カナ》にて、甞《ナム》なり。細《クハ》しきは、ほめ言《コト》にて、甞《ナム》にくはしき稻《イネ》、とつゞけたる發語《マクラコトバ》なり。との給へり。今考るに、魚を奈《ナ》といふも、菜を、奈《ナ》といふも、皆|甞《ナム》につきていふ言とおぼゆるに、咽喉を、のど〔二字右○〕といふも、甞門《ナド》なるべければ、先人の説は、いはれたりといふべし。若《モシ》舊説の意ならば、麗女《クハシメ》、細矛《クハシホコ》の類にて、くはし名《ナ》といふべき理《コトワリ》也けり。【花くはし・櫻・香ぐはし・花橘、などいへるは、下の櫻・橘が體にて、花ぐはし・香ぐはしは、用なれば、言の意味《コヽロバヘ》、聊たがへり。】さてこの言を、吉野《ヨシヌ》につゞけしは、美稻《エシネ》の意。【古事記、雄略の御製に、美延斯怒《ミエシヌ》、とよませ給ひ、天智紀の童謠にも、美曳之努能《ミエシヌノ》、曳之拏《エシヌ》、と見えたり。】狹峯《サミネ》につゞけしは、小眞稻《サマイネ》の意なりけり。稻見《イナミ》につゞけしは、論なし。
 
  ○山跡島根《ヤマトシマネ》。
夜麻登《ヤマト》の國號は、先人【正身神主】の中臣祓辭古訓には、山外《ヤマト》の義と云《ノタマヘ》り。【青垣山ごもれる國なれば、山を外にせるよしといはれし。】師説には、山門《ヤマト》の國なるよしいはれ、【萬葉考に見えたり。】本居氏は、山處のよしとも、山つほのよしとも云へり、【國號考に見えたり。】すべて山の意もて解れしかど、この耶麻登《ヤマト》の號《ナ》は、元來《モト》山の意にてはあらぬにや、とおもふよしあり。【仁徳天皇の大后、石(ノ)比賣の御製に、烏陀弖《ヲダテ》、夜莽苔烏輸疑《ャマトヲスギ》、と日本紀にあるを、古事記には、遠陀弖夜麻《ヲダテヤマ》、夜麻登遠須疑《ヤマトヲスギ》、とあるは、耶莽登《ヤマト》が、もと山の義ならば、この御歌の、ひとつの夜麻《ヤマ》といへる言は、あまれるに似たり。】故つら/\考るに、夜麻登《ヤマト》は、家庭登《ヤニハト》の略轉なるべし。かくいふ故は、應神天皇の、山城(ノ)國、葛野《カトヌ》を望《ミ》まして、ちばの、かづぬを見れば、毛々知陀流《モヽチダル》、夜邇波母美由《ヤニハモミユ》、とみよみましゝ夜邇波《ヤニハ》は、家庭《ヤニハ》にて、家《イヘ》ゐの多かるを、ほめませる御言なり。【集中にも、家《イヘ》の庭《ニハ》はも、などいひて、殊に庭《ニハ》を稱する言おほし。さて邇波《二ハ》とは、海上の平らかなるを、爾波《ニハ》よきといひ、集中に、爾波《ニハ》しづけし・船爾波《フナニハ》ならし、などいへる爾波《ニハ》も、ひとつ言にて、平原をいへる言なるべし。】虚見都《ソラミツ》、倭《ヤマト》の發語《マクラコトバ》は、饒速日《ニキハヤヒノ》命の、大空《オホソラ》より、倭《ヤマト》の國を見そなはして、天降《アモリ》ましゝといふと、師の考にいへるも、この應神天皇の葛野《カトヌ》を望《ミ》まして、みよみましゝ大御歌にひとしく、大そらより望《ミ》まして、青垣山《アヲカキヤマ》ごもれる、家庭《ヤニハ》の處《トコロ》とおもほしめして、倭《ヤマト》の國には、天降《アモリ》ましゝなるべし。さて邇波《ニハ》の爾《ニ》を略《ハブキ》て、婆《バ》といふは、音便の常なり。その婆《バ》と摩《マ》とは、相通ふ言なれば、倭《ヤマト》は、夜庭處《ヤニハト》の略轉なるを知るべし。【處《トコロ》を、登《ト》といふは、寢所《ネト》・伏所《フシト》・祓所《ハラヒト》、の類、數多《アマタ》例あり。】或人、庭《ニハ》を婆《バ》といふは、やゝ後世の言なりといへれど、さにあらず。古事記、倭建命の御歌に、夜麻登波《ヤマトハ》、久邇能麻本呂波《クニノマホロハ》、とある麻本呂波《マホロハ》は、眞平庭《マヒラニハ》といふ言の、略轉なり。この御歌、日本紀には、麻保羅摩《マホラマ》、とあり。この言もて、摩《マ》婆《バ》通ふ例をも、知り、庭《ニハ》の略轉なるをも、おもひ明らむべし【人の氏に、何庭《ナニハ》とあるを、多《オホ》くは、某婆《ナニハ》といへり。また何《ナニ》場と書る場〔右○〕の字を、某婆《ナニバ》とよむも、爾波《ニハ》の略語なり。(178)さてこの麻保呂波《マホロハ》の波《ハ》は、清音なるを摩保邏摩《マホラマ》、ともあれば、摩《マ》と波《ハ》と通へり。亡友眞清がことに、いにしへはすべて、清音にて、濁音は後の音便の訛にして、正音にあらじといへりしは、しひ言なりしよ。】かくて島根《シマネ》としもいへるは、卷(ノ)廿に、いさ子等《コドモ》、たはわざなせそ、天地《アメツチ》の、かためし國ぞ、倭之麻禰波《ヤマトシマネハ》とあるは、ひろくわが御國を、一島となしていへり。今は海路を隔て、大和國かたを、遙《ハルカ》に見放《ミサケ》ていふ言なれば、島嶺《シマネ》とはいへるなり。根《ネ》は、山嶺《ヤマネ》をいふ言なるは、卷(ノ)一に、在根良《アリネヨシ》、對馬乃渡《ツシマノワタリ》、云云、とある在《アリ》は、雄略の大御歌に、阿理袁能宇倍《アリヲノウヘ》、とよませ給へる、在《アリ》に同じく、存在の意にして、【在《アリ》たゝし・ありかはしの、在《アリ》に同じ。】根《ネ》は、山嶺《ヤマネ》をいへり。【良《ヨシ》のよ〔右○〕は、呼かけたる辭、し〔右○〕は助語なり。】是もわた中なる、津島《ツシマ》の山嶺《ヤマネ》をさして、いへる言なれば、今とひとつ意也。【師説に、在根良は、百船能《モヽフネノ》の誤也、といはれしも、本居氏の、不根竟《フネハツル》の誤ぞといへるも、ともにうべなひがたし。】この言もて、根《ネ》は、山嶺《ヤマネ》をいふ言なるを知べし。【山背《ヤマシロ》乃國號も、應神天皇の大御歌によれば、家庭代《ヤニハシロ》なるべく、卷(ノ)十一に、開木代と書て、やましろとよめるも、この家庭《ヤニハ》に、よしある事とこそおぼゆれ。】
 
〔頭注、耶麻登《ヤマト》が、もし山の義ならば、足曳《アシビキ》などの如き、山によしある發語を蒙らせしも有べきに、集中|虚見津《ソラミツ》、倭《ヤマト》の國《クニ》秋津島《アキツシマ》、倭國《ヤマトノクニ》などいひて、山によしあることを、冠らせし事なきも、山の義にてはあらぬにや、とおもへるひとつ也。烏陀弖夜麻《ヲダテヤマ》、云云、といへるは楯《タテ》の如、青垣山《アヲガキヤマ》の圍《カコ》める、家庭《ヤニハ》の處《トコロ》といふ意。虚見津《ソラミツ》とは、饒速日(ノ)命の、大空より、見下しましゝをいへるにて、應神天皇の、山城の國を望ましゝに同じ意也。
〔頭注、代とは網代《アジロ》・苗代《ナハシロ》の代《シロ》にて、その場所をいふ言なり。開木の字の意は、卷(ノ)十一の歌にいへり。〕
 
  ○幸(ス)2伊勢(ノ)國(ニ)1。
是は聖武天皇の行幸《イテマシ》也。この行幸は、卷(ノ)六に、天平十二年冬十月、依(テ)2大宰少貮藤原朝臣廣嗣(カ)謀反(ニ)1、發《テ》v軍(ヲ)幸(ス)2于伊勢(ノ)國(ニ)1。と見え、續日本紀にも、壬午|行2幸《イデマス》伊勢(ノ)國(ニ)1、以(テ)2知大政官事兼式部卿正(179)二位鈴鹿(ノ)王、兵部卿兼中衞(ノ)大將正四位下藤原朝臣豐成(ヲ)1、爲2留守(ト)1、と見えたり。是は美濃(ノ)國に往《イデ》まして、東國《アヅマ》の軍人《イクサビト》を、めし給はんとての行幸《イデマシ》なるを、この伊勢の國にしもおはしまして、關《セキ》の宮に暫《シマシ》停《トドマリ》ませしは、何その所由《ユヱ》かも有つらん。今考べからねど、それが間《ホド》に、持統天皇のあとを逐《オハ》せ給ひて、志摩(ノ)國にもやいでましけん、とおもはるゝよしあれば、まづ持統の行幸《イデマシ》の事をいふに、紀(ニ)【持統】云。六年二月丁酉(ノ)朔丁未、詔2諸(ノ)官(ニ)1曰。當(ニ)以(テ)2三月三日《ヲ》1將《・ス》v幸(ント)2伊勢1、宜(ク・ベシ)d知(テ)2此意(ヲ)1備c諸(ノ)衣物(ヲ)u、乙卯是日中納言直大貮三輪(ノ)朝臣高市麻呂、上v表(ヲ)直言諫爭、天皇欲v幸(ント)2伊勢(ニ)1、妨(ク)2於農(ノ)時(ヲ)1、三月丙寅(ノ)朔戊辰、以(テ)2淨廣肆廣瀬(ノ)王、直廣參當麻(ノ)眞人智徳、直廣肆紀(ノ)朝臣弓張|等《ラヲ》1爲2留守(ノ)官(ト)1、於v是中納言三輪(ノ)朝臣高市麻呂、脱(テ)2官位(ヲ)1フ2上《サヽゲテ》於朝(ニ)1、重(テ)諫(テ)曰、云云。辛未天皇不v從v諌(ニ)、遂(ニ)幸(ス)2伊勢(ニ)1、壬午賜(ヒ)2所(ノ)v過神郡及伊賀伊勢志摩(ノ)國(ノ)造等(ニ)冠位(ヲ)1并(ニ)免(ス)2今年(ノ)調役(ヲ)1、云云。甲申賜(フ)2所(ノ)v過志摩百姓男女年八十以上(ニ)稻五十束(ヲ)1、乙酉車駕還v宮、云云。【今考るに、道發《ミチダチ》しましゝ辛未は六日にあたり。還v宮|坐《マシ》し乙酉は、廿日にあたれり。纔に十五日が程なれば、こゝは誤あるにや。猶可v考。】甲午詔(テ)免d近江美濃尾張參河遠江等(ノ)國、供奉(ノ)騎士(ノ)戸、及(ヒ)諸國(ノ)荷丁、造2行宮(ヲ)1丁、今年調役(ヲ)u云云。【右の國々の人等、御ともにつかへ奉り。且(ツ)徭役にたちしなり。】五月乙丑(ノ)朔庚午。御《オマシマス》2阿胡行宮《アコノカリミヤニ》1時、進v贄(ヲ)者、紀伊(ノ)國牟婁(ノ)郡(ノ)人、阿古志海部《アコシノアマ》河瀬麻呂等、兄弟三戸、服《ユルス》2十年(ノ)調役雜徭(ヲ)1、復免2※[木+夾]抄《カヂトリ》八人今年(ノ)調役(ヲ)1、云云。【この時まで、阿胡《アコノ》行宮に、おましましゝにはあらじ。さきに阿胡に坐(シ)時、御贄奉りし海部《アマ》、その時の※[木+夾]抄等《カヂトリラ》を、還v宮の後に、調役をゆるし給へるなるべし。】かくて、卷(ノ)一に、この行(180)幸《イテマシ》の時の歌見えたるを考るに、當麻《タギマノ》眞人麻呂が妻《メ》の歌に、吾《アガ》せこはいづくゆくらん、おきつもの、隱《ナバリ》の山を、けふか越らん、とよまれたるは、今の阿保越《アホゴエ》の道にて、伊賀の名張《ナハリ》山を經て、伊勢にいでましゝ事知られたり。留v京柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作(ル)歌に、鳴呼兒《アコ》の浦に、舶乘《フナノラ》すらん、をとめ等《ラ》が、珠裳《タマモ》のすそに、鹽《シホ》みつらんか。とよめるは、志摩(ノ)國、英虞《アコノ》郡なるに、【阿胡(ノ)郡に、御座《ゴザ》島といふ所あり。是や御在所ならん。】それに並《ナラビ》て、釧著《クシロツク》、手節《タフシ》の崎《サキ》に今もかも、大宮人乃《オホミヤヒトノ》、玉藻《タマ》かるらん。とよめるは、則答志郡にて、この崎は、伊勢國に相ならびて、二見の浦に接《ツヅキ》たる崎なりけり。またそれが次に、潮左爲《シホサヰ》に、五十等兒乃島邊《イラコノシマベ》、こぐふねに、妹《イモ》乘《ノ》るらん歟《カ》、荒島囘乎《アラキシミヲ》、とあるは、三河(ノ)國、五十等兒《イヲコ》崎にて、答志の崎と相むかひて、近き崎也けり。この歌ともの並《ナミ》を考るに、この行幸は、紀伊の國より經行《ヘユク》、南の海路、阿曾《アソ》・慥柄《タシカラ》等の、島々はいでまさずして、伊勢(ノ)國、河口の行宮より、大淀《オホヨド》のかたにいでまし、二見が浦を、御船にめして、五十等兒崎《イラコザキ》を背向《ソカヒ》に見給ひて、答志の崎を南にをれて、阿胡《アコノ》行宮には、到《イダ》りましゝなるべし。石上(ノ)大臣、從v駕(ニ)作(ル)歌に、吾妹子《ワギモコ》を、去來見《イサミ》乃|山乎《ヤマヲ》、高三香裳《タカミカモ》、日本乃不見《ヤマトノミエヌ》、國遠《クニトホミ》かも、とよめる、去來見《イサミ》の山は、二見の浦なる、大夫の松といへる、大樹の生たる山なるべし。【伊勢(ノ)三郎が物見松といふ。則同人の城跡なりとも云へり。】さるは、倭姫(ノ)命世紀に、佐見津彦《サミツヒコ》、佐見津姫《サミツヒメ》、參相而《マヰリアヒテ》、御鹽濱《ミシホハマ》、御鹽山奉【支】《ミシホヤマタテマツリキ》といへるは、この二見が浦なるを、今猶|彼《ソノ》山の麓に流るゝ小川を、佐美河《サミカハ》といへば、【さめ川ともいへり。】これぞ佐美《サミ》の山なるを、伊《イ》の發語を(181)そへ、吾妹子乎《ワギモコヲ》といふ、まくら辭を蒙らせて、去來見《イザミ》の山とは、つゞけしならん。この二見の浦より、阿胡《アコ》にいたりまさんには、此山の東より、南に折れて、鳥羽《トバ》に御ふねはつべきなれば、【鳥羽《トバ》といふ名は、船泊《フネハツ》る所の名に多かり。こゝも、大御ふねはてゝより、鳥羽《トバ》といふ名やおふしけん。故《カレ》按に、鳥羽《トバ》は、止場《トバ》の意なるべし。】二見が浦をいでます程《ホド》は、大和の國より越《コエ》ませし山/\も、西のかたに遙《ハルカ》に見放《ミサケ》らるゝに、この山をしも榜廻《コギモトホ》りまして、東南に入ては、大和の方り見えずなりぬるをかなしみて、かくはよみ給へるなるべし。かくさだめおきて、聖武天皇の、天平十二年の、伊勢(ノ)行幸《イデマシ》の事を考るに、續日本紀(ニ)云。冬十月壬午、行2幸《イデマス》伊勢(ノ)國1、云云。是日到(テ)2山邊郡竹谿村堀越(ノ)頓宮(ニ)1宿。癸未車駕到(ル)2伊賀(ノ)國名張(ノ)郡(ニ)1。十一月甲申(ノ)朔、到(ル)2伊賀(ノ)郡阿保(ノ)頓宮(ニ)1。乙酉到(ル)2伊勢國壹志(ノ)郡河口(ノ)頓宮(ニ)1。謂(フ)2之(ヲ)關(ノ)宮(ト)1。丙戊遣(シテ)2少納言從五位下大井(ノ)王、【並(ニ)】中臣忌部|等《ラヲ》1、奉(ル)2幣帛(ヲ)於大神(ノ)宮(ニ)1。車駕停(マスコト)2關(ノ)宮1十箇日、云云。【是日大將解東人等、逆賊廣嗣を、捕得たるよしを奏せり。さて、こゝより幣帛を、大神宮に奉りたまへば、大自《オホミツカラ》神宮に詣《マヰデ》まさんの御こゝろにあらず。さるを何のゆゑありてか、この關の宮に、數日停ませしにやあらん。いといぶかしくなん。】丁亥遊2獵于和遅野(ニ)1。免(ス)2當國今年(ノ)租1。【この和遅野は、志摩(ノ)國、名錐《ナキリ》にや、とおもふよしあり。下にいへり。】乙未|從《ヨリ》2河口1發(テ)、到2壹志(ノ)郡(ニ)1宿。【郡の下に、頓宮の地名を脱せり。】丁酉進(テ)至2鈴鹿(ノ)郡赤坂(ノ)頓宮(ニ)1宿。丙午從2赤阪1發(テ)到(ル)2朝明(ノ)郡(ニ)1。戊申至2桑名郡石占(ノ)頓宮(ニ)1宿。云云。これより美濃(ノ)國にはいたりましゝ也。さて河口(ノ)行宮《カリミヤ》に、十箇日《トヲカマリ》停《トドマリ》ませしとあるは、卷(ノ)六。河口《カハクチ》の行宮《カリミヤ》にて、家持卿のよめる歌に、河口《カハグチ》の、野邊《ヌヒ》にいほりて、夜のふれば、妹がたもとし、おもほゆるかも、とあ(182)れば、しましこゝに、停《トドマ》りませしとはしられたり。されどその歌の次に、天皇御製に、妹にこひ、吾乃松原《アゴノマツバラ》、見渡《ミワタ》せば、潮干《シホヒ》のかたに、多頭《タヅ》鳴《ナキ》わたる、とある吾乃松原《アゴノマツバラ》は、【吾を、あごとよむは、古言にや。集中吾大王を、假字書《カナガキ》には、阿期於保伎美《アゴオホギミ》とあり。】志摩(ノ)國、英虞《アゴ》なるべくおもはるゝに、それが次に、屋主(ノ)眞人が歌に、おくれにし、人をしぬばし、四泥《シデ》の崎《サキ》、木綿取志泥而《ユフトリシデテ》、將往《ユカム》、【今本住に誤れり。今は古本による。】とぞおもふ。とある四泥《シテ》の崎は、延喜神名式に、伊勢(ノ)國、朝明《アサケノ》郡、志底《シテノ》神社あれば、そこにやといへど、この行幸《イデマシ》の順にも違ひ、また屋主眞人は、河口の行宮より還(ル)v京(ニ)と、この歌の左註にも見えたれば、朝明(ノ)郡の地名をよむべきにもあらず。こゝの歌の順《ナミ》にもかなはねば、しかにはあらじかし。今志摩(ノ)國に志奴島《シヌシマ》あり。【志賣《シメ》の浦といふ所もあり。】是や志泥《シテ》の崎《サキ》の轉《ウツ》れる名ならん。【この歌に、人をしぬばく、志泥《シテ》の崎《サキ》とつゞけたるは、志奴《シヌ》と、志泥《シテ》と、音韻《コエノヒゞキ》のかよへばにや、ともおもはれ、また志泥〔二字右○〕は志沼〔二字右○〕の誤かともおもはる。さるはもと人をしぬはく、志沼《シヌ》の崎とつゞけたるを、下にゆふ取志泥《トリシテ》て、といふ言のあれば、さかしらに志泥《シテ》の崎とや書たりけん。則此歌の左註には、志沼崎《シヌノサキ》とあり。】さて紀に、丁亥遊2獵和遲野(ニ)1、免2當國(ノ)今年(ノ)租(ヲ)1。【河口頓宮に到《イタリ》ましゝ乙酉は、十一月二日にあたリ、丁亥は、五日にあたれり。纔《ワヅカ》ばかりの間《ホド》なれば、この和遅野は、河口の行宮に、近きわたりの野にやとおもへど、今はさる地名もきこえず、又當國の今年の租を免、といへるも、伊勢の國ぬちこと/\をいへるにや。是はたいぶかしくおもふに.卷(ノ)六に、河口の行宮の歌にならびて、狹殘《サヾムノ》行宮の歌を載たり。その行宮は、紀に漏たるなどをおもふに、紀はこゝに脱誤ありと見えりり。猶下にいふ。】とある和遲野は、奈伎知野《ナキチヌ》とよみて、名錐野《ナキリヌ》にやとおもはるれば、【和名抄(ニ)志摩(ノ)國英虞(ノ)郡に、名錐《ナキリ》あり。遲《チ》と利《リ》と通ふ例は、沸を、たぎちとも、たぎりともいひ、降をくたちとも、くだりともいへり。】かた/\この河口の宮に停《トヾマリ》ませし間《ホド》、狹殘《サザム》の(183)行宮に到《イタリ》まし、大淀の濱邊《ハマビ》より御船よそひして、志摩の國にもやいでましけむ。そも/\この狹殘《サザム》の行宮は、紀には漏たれど、集には、河口(ノ)行宮の歌に次て、狹殘《サザムノ》行宮(ニテ)、大伴(ノ)宿禰家持(カ)作(ル)歌二首、とあり。延喜式神名帳に、伊勢(ノ)國多氣(ノ)郡に、佐々夫江《ササブエノ》神社見え、倭姫(ノ)命世記に、眞鶴佐々牟江《マナツルササムエノ》宮(ノ)前(ノ)葦原《アシハラニ》還行《カヘリユキテ》鳴《ナク》とあり。この佐々夫江《サヽブエ》は、【牟《ム》と夫《ブ》は同音也。】多氣郡|大淀《オホヨド》村の西、根倉《ネクラ》村、行部《イクベ》村の間《アヒダ》に入江ありて、そこに架《ワタ》せる橋を、今猶|篠笛《サヽブエ》の松といふといへり。これぞいにしへの頓宮の地なるべきに、この地《トコロ》は、河口村よりは、遙《ハロカ》に東南にありて、伊勢の海の海邊《ウナベタ》也。今志摩(ノ)國にいでますにあらずば、この狹殘《サヾム》の頓宮《カリミヤ》は、用なきにあらずや。【この狹殘より、大淀に八丁ばかり、大淀より志摩國|鳥羽《トバ》まで、海上四里あまり、鳥羽より、名錐《ナキリ》へ一里許もやあらん。行程五里餘なれば、一日にはいでますべくなん。さて持統天皇の大ましましゝ、とおぼゆる御座島《ゴザシマ》は、この名錐《ナキリ》にいと近かりけり。】また吾乃松原とみよみましゝは、志摩(ノ)國|英虞《アゴ》なるべくおもふに、その地《トコロ》は、河口の行宮よりも、狹殘《サヾム》の頓宮よりも、見渡さるゝ地にあらず。答志の崎を、かなたへ廻《モトホリ》いでまさずば、見ゆべからず。さて志沼《シヌ》の崎《サキ》も、和遅野《ワチヌ》も、志摩(ノ)國の地名にや、とおぼしきよしあれば、かにかくにこの二見が浦を、御舟して志摩の國にしも、行幸《イデマシ》けん。さるはいかなるゆゑありてにか、今考知べからねど、持統天皇の行幸《イデマシ》のあとをおはせ給へるなるべくおもはるれば、そのよしを擧て、後人のさだを待ものなり。
〔頭注、卷(ノ)一の左註に、五月御2阿胡行宮(ニ)1とあるは、こゝの文をあしく心得たるひが言也。〕
〔頭注、隱の山を、師のかくれの山とよまれしは、誤也。隱は、なばりとよむ例也。古書皆しかり。集中にも吉隱をよなはりとよみたり。]
〔頭注、志摩人のいふ。御座島《ゴサシマ》に、赤人屋敷といふ所有て小祠存といへり。これや行宮の跡ならん。]
〔頭注、倭姫(ノ)世紀は、後人の加筆多ければ、人皆偽書なりといヘど、彼が筆とおぼしきを除き見れば、甚古書也。假字すべていにしへにかなへり。]
〔頭注、山城の鳥羽《トバ》も、淀川の船の着所也。當國多氣郡なる、笠木《カサギ》の鳥羽《トバ》といふ所も、倭姫の命の、御船はてし地なるよし、世紀に見えたり。
〔頭注、玉葉、養和元年の勘例にも、この行幸は、大神宮に詣給ふにはあらぬよしをいへり。〕
〔頭注、本居氏云。吾《アガ》を、阿期《アゴ》といへるは、阿我於保伎美《アガオホキミ》といふ我《ガ》より、於《オ》をよび出す音韻《コヱノヒヾキ》にて、阿期《アゴ》といへるにて、こゝの吾〔右○〕は阿期《アゴ》とはよむべからず妹にこひわが待とつゞけたるにて、わが松原とよむべき也といへり。されどこゝに、吾乃と、乃の字あればいかにもあらん。本居氏の説の如くならば、こゝは吾の字の下に、子の字を脱せるものにもやあらん。
〔頭注、和を、清音に、奈伎《ナキ》とよむ證は、古今集に、かねてより、風に先たつ、波なれや、あふ事なきに、またき立らん、とよめるは、和《ナキ》と無《ナキ》とをかねたり。〕
〔頭注、こゝの路程《ミチノリ》は、今の里數をもていへり。〕
 
(184)  ○三穂石室《ミホノイハヤ》。【志都石室《シヅノイハヤ》。】
本居氏(ノ)古事記傳(ニ)云。萬葉三(ノ)卷、大汝《オホナムチ》、少彦名乃《スクナヒコナノ》、將座《イマシケム》、志都乃岩室者《シツノイハヤハ》、幾代將經《イクヨヘヌラム》。同卷。皮爲酢寸《ハダススキ》、久米能若子我《クメノワクコガ》、伊座家流《イマシケル》、三穂乃石室者《ミホノイハヤハ》、雖見不飽鴨《ミレドアカヌカモ》。この二首の、三穂《ミホ》の岩室《イハヤ》と、志都石室《シヅノイハヤ》と錯亂《ミダレ》たるにて、大汝《オホナムチ》、少彦名《スクナヒコナ》、二神のおましましゝは、三穂《ミホ》の石室《イハヤ》にて、紀伊の國なりといへり。この説、三穂《ミホ》は、出雲に三穂の崎あれば、紀伊にもありて、【紀伊と、出雲《イヅモ》とに、同名の地おほし。是は所由《ユヱ》ある事也。紀伊の三穂の地のことは、下にいふ。】二柱の神の出雲におましましゝは、もとよりなれば、紀伊にも大座しといふ傳は有べき也。さて久米《クメ》の若子《ワクゴ》は、袁祁《ヲケ》の王《ミコ》の更名《マタノナ》【後日嗣しろしめして、顯宗天皇と申奉るは、これなり。】にて、意富祁王《オホケノミコ》と、【後日嗣しろしめして、仁賢天皇と申奉るは、是なり。】大御兄弟《オホミハラカラ》は、播磨(ノ)國にかくりおましましゝ事は、古事記、日本紀に見えたるに、本居氏の説に云。今播磨の國にある、石の寶殿といふものを、志都《シヅ》の石室《イハヤ》とも、また生石子《オフシコ》とも稱《イフ》也。億計《オケノ》天皇の更名《マタノナ》、大石《オホシノ》尊、又|大爲《オホシ》、大脚《オホシ》などあるも、生石《オフシ》とひとつ言《コト》にて、是も播磨に座し時、その國の地名もて、名附奉《ナヅケマツリ》しならん。されば、博通法師の歌と、生石村主《オフシノスグリ》眞人の歌と、上の句の入違たるならん、といへり。この説、大石《オホシノ》尊の御名も、眞人の氏《ウヂ》も、今|生石子《オフシコ》と稱《イヘ》るも、みな播磨(ノ)國の、地名より出たりと見て、すべて叶ひたれば、いともよろしき考なりと、心のそこひうべなひをりしに、こたびこの註かゝんとて、熟《ツラ/\》考れば、こはしひ言にな(185)も有ける。いかにといふに、この博通法師の歌三首の中に、そのはじめの歌を、大汝《オホナムチ》、少彦名《スクナヒコナ》の、いましけん。としては、下二者の歌に、住《スミ》ける人ぞ、常《ツネ》なかりける、むかしの人を、あひ見る如し。とあるは、二神を申事ならねば、【いかで二神を、人とは申さん。】上(ノ)句を、入かへたるのみにてはかなはず。故《カレ》しひておもひめぐらせば、端書《ハシガキ》の博通法師至(ル)2紀伊(ノ)國(ニ)1の八字を、生石村主眞人《オフシノスグリマビト》の六字と入かへて、この歌の、下の句をしも入かへば、下二首の、住ける人、むかしの人、といへるを、久米《クメ》の若子《ワクゴ》の御事とや申さん。されどかく心にまかせて、端書《ハシガキ》をも入かへ、歌をも入かへんは、しひたるにあらずや。しか入|交《カヘ》ぬとも、日嗣《ヒツギ》しろしめしゝ久米《クメ》の若子《ワクゴ》を、住《スミ》ける人ぞ、常《ツネ》なかりける。むかしの人を、相見る如し。などいへるは、いともなめきいひざま也。【久米《クメ》の若子《ワクゴ》といひ傳へたるうへをもて、よめる歌なれば、某天皇と申とは、異なれば、なめしともいふべからず、といはんか。しかれども、後に日嗣しろしめしゝ、御子にしあれば、古(ヘ)人の、天皇をかしこみ奉る心にては、さはいふまじき理なり。卷(ノ)九に、宇治若郎子《ウヂノワキイラツコ》の宮所(ノ)歌とて、いもらがり、今來《イマキ》の嶺《ミネ》に、繁立《シミタテ》る、つま松の木は、古人《フルヒト》見けむ。とよめるは、皇太子にはませど、大御位しろしめさゞれば、古人《フルヒト》としもいへりけん。これとは異《カハ》りて、むかしの人を、相見《アヒミル》如し、などいへるは、いとも/\ゐやなきいひざまなり。】いにしへ人の、天皇をかしこみ奉ること、神とも神と申奉りて、漢士風《カラクニブリ》の移れる後の世とは、いたく異《コト》なれば、さはいふまじき理《コトワリ》也けり。【皇朝の古意を得たらん人、この理は、論(ヒ)を俟ずして、おもひ知なんものぞ。】かにかくに、この事のいぶかしさに、猶考れば、同卷の末に、風早《カザハヤ》の、三穗《ミホ》の浦囘《ウラミ》の、白つゞじ、見れども、佐夫《サブ》し、なき人もへば。といふ歌にならびて、みつ/\し、久米《クメ》の若子《ワクゴ》が、いふれけん、礒《イソ》の(186)艸根《クサネ》の、かれまくをしも。といふ歌あり。【この歌どもの端書《ハシガキ》は、卷(ノ)二に出たる端詞の、入みだれて、再出たるに、云云歌四首とある、下ニ首は、相聞の歌にて、それに、清乃河《キヨミノカハ》をさへよみたれば、三穗浦囘《ミホノウラミ》と、久米若子《クメノワクゴ》の歌の並《ナミ》も、證としがたし、といはんか。されど既に三穂(ノ)石室に、久米の若子をよめる歌あれば、この二首の歌の並は、みだれたりとはいふべからず。】かく二首ならびたる歌に、三穂と、久米の若子とをよみたれば、【三穂は、紀伊(ノ)國(ノ)地名にて、卷(ノ)七に、紀伊の歌どもを、多(ク)並(ベ)擧たる中に、風はやの、三穂《ミホ》の浦囘《ウラミ》を、榜舟《コグフネ》の、船人とよむ、波立らしも。と見えたり。】博通法師の歌は、紀伊(ノ)國|三穂乃岩室《ミホノイハヤ》にて、久米《クメ》の若子《ワクゴ》をよめる歌に必《キハマ》れり。さて右の歌に、久米の若子が、いふれけむ、といへるも、日嗣しろしめしゝ、王《ミコ》を申|言《コト》とはきこえねば、久米《クメ》の若子《ワクゴ》は、遠祁王《ヲケノミコ》を、申奉りし事にはあらじ、とこそおぼゆれ。【久米の名の、古書に見えたるは、天津久米《アマツクメノ》命。倶梅能故羅《クメノコラ》。久米直《クメノアタヘ》。久米部《クメベ》。大久米主《オホクメヌシ》。地名にに、高市(ノ)郡、久米《クメ》。久米水《クメカハ》。久米邑《クメムラ》。久米《クメノ》郡。久米御縣《クメミアカタノ》神社。など見えたり。是等の地より出たる、人の名にてあらんも、知るべからず。若子《ワクゴ》は、※[立心偏+豈]那能倭惧吾《ケナノワクゴ》、翠子之《ミドリコノ》、若子蚊見庭《ワクコガミニハ》、開木代《ヤマシロノ》、來脊若子《クセノワクコ》、等能々和久期《トノノワクゴ》などありて、壯子の通稱なれば、いづれにもいふべし。又按に、久米若子《クメノワクゴ》は、神武天皇の率《ヰ》ませし、久米部《クメベ》の壯子《ワクゴ》にや。天皇紀伊(ノ)國を經て、内津國に入ましゝなれば、紀伊(ノ)國に、久米部《クメベ》の殘りをりしなるべし。】しかのみならず、意計《オケ》袁計《ヲケ》乃|大御兄弟《オホミハラカラ》は、志自牟《シジム》が家に、坐《マシ》しとはあれど、志都乃岩室《シヅノイハヤ》に、大ましましゝといふ傳(ヘ)なれば、この二首の歌の、本を入かへんは、かへす/\もしひ言也けり。【日本紀(ニ)云。於v是天皇(ト)與2意計(ノ)王1、聞(テ)2父(ノ)見1v射、恐懼皆逃亡。自匿2帳内(ニ)1。日下部(ノ)連使主、與2其子|吾田彦《アニタヒコ》1、竊(ニ)奉(テ)3天皇(ト)與(ヲ)2億計(ノ)王1、避(ク)2難(ヲ)於丹波(ノ)國余社(ノ)郡(ニ)1。使主遂(ニ)改(テ)v名(ヲ)曰(フ)2田疾來(ト)1。尚恐(テ)v見v誅、從v茲遁(テ)入2播磨(ノ)國縮見山(ノ)石室(ニ)1而自(ラ)經死(ス)。天皇尚不v識2使主(カ)所(ヲ)v之、勸(テ)2兄億計(ノ)王(ヲ)1、向(フ)2播磨(ノ)國赤石(ノ)郡(ニ)1、倶(ニ)改v名(ヲ)曰2丹波(ノ)小子《ワクコト》1。就2仕縮見(ノ)屯倉(ノ)首(ニ)1吾田彦至(テ)v是不v離、固(ク)執(ル)2臣(ノ)禮(ヲ)1。とありて、岩室におましましゝ事は見えず。】また志都の石室を、播磨の國の石の寶殿也、と(187)いふも、心得られず。此近のよく知《シリ》たる人のいふを聞に、さらに石室といふべきものにあらず。その形(チ)寶殿の仰向たる如く、石を方《カタ》に斫《キリ》たるもの也、といへり。おもふに、このものは、いにしへの天皇の御陵墓《ミハカ》の石槨《イハトコ》などにせんとて、斫《キリ》かけたる石の殘れるを、好事のものゝ、この集の歌によりて、志都《シヅ》の石室《イハヤ》也といひ、【端書に、いづれの國としもなければ、この石の寶殿へ、付合せたるなるべき。】生石村主《オフシノスグり》眞人(ノ)作(ル)歌、とあるによりて、生石子《オフシコ》の名はおふしけん。【たま/\大石(ノ)尊の、御名にかなへるは、あながちに、たのむべからず。】また播磨(ノ)國|縮見《シシミ》村に、大なる岩室《イハヤ》の有て、里人は、生石子《オフシコ》といふと也。これや志都《シヅ》の石室《イハヤ》ならん、といへど、右に引が如く、日本紀に、縮見《シシミ》山の石室にて、使主《オミ》か經死《ワナギ》しをだに、天皇は、しろしめさぬよし、見えたれば、いかで縮見山の石室にはおはしまさん。此|志都《シヅ》の石室は、大汝《オホナムチ》、少彦名《スクナヒコナ》の神の、大座しといふ傳のあれば、決《キハメ》て出雲(ノ)國歟、紀伊國歟にあるべき也。出雲風土記に、飫《オノ》郡に、志都徑《シツミチ》あり。和名抄、石見(ノ)國安濃郡郷名に、靜間《シヅマ》あり。【出雲と石見とは、隣れる國にて、いにしへの堺の、分(カ)ちがたきよし聞けり。もしこの靜間《シヅマ》は、出雲に近きあたりにて、出雲の國内にてはあらぬにや。】延喜式神名帳、紀伊(ノ)國名艸(ノ)郡、靜火《シヅヒノ》神社あり。【靜火《シヅヒ》も、地名にや。】かく志都《シヅ》といふ地名の、出雲にも、紀伊にもあれば、いづれ其所《ソコ》に石室《イハヤ》ありて、大汝少彦名の神の、大座しといふ傳(ヘ)の有けるなるべき。生石村主眞人は、孝謙紀に、天平勝寶二年正月庚寅(ノ)朔乙巳、正六位上|大石《オフシノ》村主眞人(ニ)、授2外從五位下(ヲ)1、と見えたるのみにて、その外、傳の見えねば、何れの國にいたりて、よめりし歌(188)とも、知べからず、定べからず。【石見(ノ)國人何某云。石見(ノ)國、邑智(ノ)郡、岩屋村に、甚《イト》大なる窟ありて、古老相傳云。大汝《オホナムチ》、少彦名《スクナヒコナ》の、二神の住給へる窟にて、本の號は、志都の石屋といふを、人はたゞ、岩屋とのみいへりとや。このところ、濱田より廿里ばかり、極山中邊鄙なれば、萬葉の歌によりて、附會すべき所にあらず。この岩屋、出雲備後の堺に近き所なり、といへり。これや實《マコト》の志津《シヅ》の石室ならん。風土記に出たる飫(ノ)郡、志都徑《シヅミチ》といふ地の方角には叶はぬにや。よく/\その國人に尋ぬべし。】
 
〔頭注、この論を書て、本居氏に見せたるに是は己が初の考にて、しひ言にてありき、といへり。]
〔頭注、本居氏云。石見(ノ)國志都(ノ)石屋の事は、その國人、小笹敏に、聞正おけり。出雲とは、方角違へりといへり。この一條の論は、往年、本居氏に見せんとて書しを、そのまゝにこゝに擧つるものぞ。〕
  ○從《ヨリ》。【用《ヨ》。由《ユ》。】
この從《∃リ》〔二字右○〕といふ言をはぶきて、用《ヨ》〔右○〕とのみもいひ、またその用《ヨ》を轉して、由《ユ》ともいへり。さて從《ヨリ》は、此方《コナタ》より、彼方《カナタ》までをいひ、かしこより、此所《ココ》までをいひ、それより、是《コレ》、いにしへより、今、いまより、後までをいふ言なるに、さる意にもあらで、たゞ輕く爾《ニ》といふ助辭《テニハ》に似たるあり。また遠《ヲ》に通ふもあり。集中の例を擧るに卷(ノ)二。言左敝久《コトサヘク》、百済原從《クダラノハラユ〔右○〕》、神葬《カムハフリ》。同。三笠山《ミカサヤマ》、野邊從遊久道《ヌビユ〔右○〕ユクミチ》。【是は、袁《ヲ》といふ助辭に似たり。】卷(ノ)三。己智其知之《コチコチノ》、國之三中從《クニノミナカユ〔右○〕》、出立有《イデタテル》、不盡之高嶺者《フシノタカネハ》。卷(ノ)四。情由毛《ココロユ〔右○〕モ》、思哉妹之《オモヘヤイモガ》。同。從情毛《コヽロユ〔右○〕モ》、吾不念寸《アハモハサリキ》。同。從蘆邊《アシヘヨリ〔二字右○〕》、滿來鹽之《ミチクルシホノ》。卷(ノ)五。許々呂由毛《ココロユ〔右○〕モ》、於母波奴阿比陀爾《オモハヌアヒダニ》。卷(ノ)七。瀬湍由渡之《セセユ〔右○〕ワタシシ》、石走無《イハハシモナシ》。同。海人之燈火《アマノトモシビ》、波間從所見《ナミマヨリ〔二字右○〕ミユ》。同。從奥莫離《オキユ〔右○〕ナサカリ》、云云、從浦榜將會《ウラユ〔右○〕コギアハム》。同。掻上栲島《カヽゲタクシマ》、波間從所見《ナミマヨリ〔二字右○〕ミユ》。同。從心毛《コヽロユ〔右○〕モ》、不想人之《オモハヌヒトノ》。同。殊放者《コトサケバ》、奥從酒甞《オキユ〔右○〕サケナム》。卷(ノ)八。霍(189)公鳥《ホトトギス》、從是鳴渡《コユ〔右○〕ナキワタル》。【集中多し。】卷(ノ)九。左丹塗《サニヌリノ》、大橋之上從《オホハシノウヘユ》、紅乃《クレナヰノ》、赤裳數十引《アカモスソヒキ》。【是は、袁《ヲ》の助辭に似たり。】同。雁鳴乃《カリカネノ》、所聞空從《キコユルソラユ〔右○〕》。卷(ノ)十一。男爲鳥《ヲシドリノ》、從是渡《コヽユ〔右○〕ワタルハ》、妹使《イモガツカヒカ》。卷(ノ)十三。此從巨勢道柄《コユ〔右○〕コセチカラ》。卷(ノ)十四。久毛能宇倍由《クモノウヘユ〔右○〕》、奈岐由久多豆乃《ナキユクタツノ》。【なほ多かりなん。】これらの與利《ヨリ》も、由《ユ》も、皆|邇《ニ》といふ助辭《テニハ》に似たり。まれ/\遠《ヲ》に通ふもあり。この從《ヨリ》は、古今集にも、中昔の物語にも、見えたり。【これが中に、蘆邊《アシヘ》より、滿《ミチ》來る汐《シホ》の、云云、の歌は、世にひろく、人も知れる歌なるに、このより〔二字傍点〕の助辭のさだなきは、汐は、蘆など生たる所より、滿來るものとおもへるにや。いかにこゝろえつらん。】
 
〔頭注、こゆ〔二字右○〕は、すべて、こゝに〔三字右○〕、といふ言なり。〕
〔頭注、本居氏(ノ)云。舟よりゆく、歩行より行、などいふより〔二字右○〕も、常のより〔二字右○〕とは異なり。此例なほ多しといへり。】
 
  ○河蝦《カハヅ》。
河蝦《カハヅ》は、春秋ともによめりとおもふは、集中をふかく考ざるもの也。すべて秋にのみよみて、春によめる例なし。卷(ノ)八に、河津鳴《カハヅナク》、甘南河《カミナミガハ》に、影見えて、今や咲らん、山振《ヤマブキ》の花。卷(ノ)九に、河蝦鳴《カハヅナク》、六田乃河乃《ムツダノカハノ》、川楊《カハヤナギ》。卷(ノ)十に、河津鳴《カハヅナク》、吉野河之《ヨシヌノカハノ》、瀧上《タキノウヘ》の、馬醉木乃花曾《アシビノハナゾ》。古今集に、かはづなく、ゐでの山吹、咲にけり。などよめるは、時節にかゝはる言《コト》にあらず。卷(ノ)四に、川津鳴《カハヅナク》、泉《イヅミ》の里《サト》。とよめるにおなじく、河をいはん料におけるのみにて、下の山吹の花、馬醉木《アシビ》の花、川楊《カハヤナギ》まではかゝらぬ、發語《マクラコトバ》なるを、凡に見て、春にもよめりとおもへるは、誤也けり。卷(ノ)十、秋(ノ)雜歌の中に、詠v蝦歌五首と題して、神名火之《カムナビノ》、山下動《ヤマシタトヨミ》、去水丹《ユクミヅニ》、川津鳴成《カハヅナクナリ》、秋登將正鳥屋《アキトイハムトヤ》。」 (190)上瀬爾《カムツセニ》、河津妻喚《カハヅツマヨブ》、暮去者《ユフサレバ》、衣手寒三《コロモデサムミ》、妻將枕跡香《ツママカムトカ》。同卷。秋(ノ)相聞の歌に、朝霞《アサカスミ》、鹿火屋之下爾《カビヤガシタニ》、鳴蝦《ナクカハヅ》、聲《コヱ》たに聞ば、われ戀めやも。【霞は、ふるくは、秋にもよみたり。】その餘《ホカ》、卷(ノ)六に、河の瀬ごとに、開來《アケク》れば、朝霞立《アサカスミタチ》、夕去者《ユフサレバ》、河津鳴奈辨《カハヅナクナベ》。同卷。河の瀬の、清きを見れば、上邊者《カミヘニハ》、千鳥數鳴《チドリシバナキ》、下瀬者《シモセハ》、河津都麻喚《カハヅツマヨブ》。卷(ノ)十、秋雜歌詠v河。ゆふさらず、河津鳴成《カハヅナクナリ》、三輪河之《ミワカハノ》、清《キヨ》き瀬《セ》の音《ト》を、聞《キク》はしよしも。是等は、さだかに秋によめる證《アカシ》也。さて右の歌どもは、河《カハ》にのみよみ合せて、古くは、田にも、沼《ヌマ》にも、池《イケ》にも、蝦《カハヅ》をよめる例なければ、【鬼火屋《カヒヤ》が下《シタ》に、鳴《ナク》蝦《カハヅ》、とよめるかびやも、河邊屋《カビヤ》なるべくおもへるに、奥義抄に、魚とる料に、河邊に造る家なるよしいへるは、いにしへに叶へり。また卷(ノ)十一に、山田守翁《ヤマダモルヲキナガ》、置蚊火之《オクカビノ》、とよめるは、師説の如く、鹿おどす火とて、蚊やりとて、くゆらす火ともすべし。されどこの蚊火と、かびやを、ひとつ言としられしは、しひ言なりけり。】今の田面《タノモ》に鳴《ナク》蛙《カハヅ》にはあらじ、とおもへるに、【今の田面の蛙は、河瀬に住ものにあらず。その鳴聲も、いとかしましくて、わきて、賞すべきものならねば、必別物ならんとおもへり。】わが郷《サト》に、河鹿《カシカ》とよびて、夏の末より秋かけて、こゑ高く、いとうるはしく鳴ものあり。魚の鳴なるよし人のいへば、さなめりとおもひをりつるに、あるとき、京師人《ミヤコビト》と、宮川の邊《ベ》に魚《ナ》つりあそべるに、彼《ソノ》鳴聲を聞て、いとうるはしき蛙《カハヅ》なりといへり。故《カレ》己(レ)とひけらくは、今鳴なるものは、河鹿《カジカ》といへる魚なるよし聞けり。いかでかも是をしも、かはづ也とはいへるぞととひつるに、彼人のいへるは、彼《カレ》は谷川に住る蝦《カハヅ》にて、都近くは、鞍馬《クラマ》川に多く住り。吾|近隣《トナリ》の人、鞍馬川より取來《トリキ》て飼へるに、秋に至りては、いとよく鳴つるを、江戸人の乞はしによりて、贈(191)られたり、といへり。さては河鹿《カジカ》といふは、魚にはあらで、蝦《カハヅ》なるを知り、且|田面《タノモ》に鳴《ナク》蛙《カハヅ》とは、別物なるを知れり。【或人出羽の國に下れるに、ある夜その國人、かはづを聞にゆかなといざなひければ、蛙は、いづくにもをりて、いとかしましきまで鳴を、いかでもとめつゝ、聞にゆくべきや、といなみければ、その國人、伊勢人は、河津《カハヅ》と、かヘるとを、わきまへ知らぬなるべしとて、いたくわらへりといへり。田舍には、さる類の、いにしへを失はぬ事ぞ多かりける。】
 
〔頭注、土佐(ノ)國には、この河鹿《カジカ》を、蝦蟆岐利《カマキリ》といふと、その國人いへり。また阿波(ノ)國人のいへらく、河鹿《カジカ》といふは元來《モト》魚にて、化して蛙となれり。故《カレ》谷川に住て、田面に住ものならねど、川近き田の、ゐでなどに、たまたま鳴ありといへり。さては古今集に、かはづ鳴、ゐでの山吹とつゞけたるも、伊勢物語にも水口に、われや見ゆらん、かはづさへ、水の下にて、もろ聲に鳴。とあるも、このゐでに鳴といふに、よくかなへり。]
 
  ○變若《ヲチ》。
本居氏の説《コト》に、吾盛《ワガサカリ》、復《マタ》將變(メ)八方《ヤモ》。とある將變の字を、遠知《ヲチ》と訓べき也。卷(ノ)五に、わが盛、いたくくだちぬ、雲《クモ》に飛《トブ》、藥《クスリ》はむとも、また遠知米也毛《ヲチメヤモ》。【若《ワカ》きに變《カヘ》らめやも、といふ意。】雲《クモ》にとぶ、くすりはむよは、【食《ハマ》んよりはといふ意。】都《ミヤコ》見ば、いやしきわが身、また遠知《ヲチ》ぬべし。【若《ワカ》きに變《カヘ》りぬべし、といふ意。】この二首の歌を證とすべし、といへり。この説《コト》をあひあまなひて、猶|熟《ヨク》考るに、卷(ノ)十三、長歌に、月夜見乃《ツキヨミノ》、持有越水《モタルヲチミヅ》、伊取來而《イトリキテ》、公奉而《キミニマツリテ》、越得之牟物《ヲチエシムモノ》。【今本牟〔右○〕を早〔右○〕に誤れり、且よみをも誤れり。】反歌に、天《アメ》なるや、月日《ツキヒ》の如《ゴト》く、わがもへる、公《キミ》が日にける、老《オイ》らく惜《ヲシ》も。とあり。この長歌の二つの越〔右○〕の字も、遠知《ヲチ》とよみて、若《ワカキ》に變《カヘ》らしめんと、願へる也。さる意は、反歌にて明らか也。又卷(ノ)廿に、わがやどに、咲るなでしこ、幣《マヒ》はせん、ゆめ花ちるな、いや乎知《ヲチ》に左家《サケ》。とあるも、盛《サカリ》にかへるをいひて、乎知は、同言也。是等みな、變(シ)v若(ニ)をいふ意明らかなれば、集中變若と書るは、必|遠知《ヲチ》とよむべき也。則卷(ノ)六に、石綱乃《イハツナノ》、又變若反《マタヲチカヘリ》、あをによし、奈良《ナラ》の都《ミヤコ》を、また將見鴨《ミラムカモ》。このうた、師のよみにては、【またわかがへり。とよまれたり。冠辭考に見えたり。】變反〔二字傍点〕の字、いづれひとつは衍《アマ》れるにあらずや。それが餘《アマリ》、卷(ノ)四に、わぎも子は、常世《トコヨ》の國《クニ》に、住《スミ》けらし、昔《ムカシ》見《ミ》しより、變若益爾家利《ヲチマシニケリ》、【この一句、舊訓にては調《シラベ》、とゝのはず。】卷(ノ)六に、むかしより、人の言來《イヒケ》る、老人《オイヒト》の、變若云水曾《ヲチチフミヅゾ》、名爾負瀧乃瀬《ナニオフタキノセ》。卷(ノ)十一に、朝露乃《アサツユノ》、消安吾身《ケヤスキワガミ》、老奴《オイヌ》とも、また若反《ヲチカヘリ》、君《キミ》をし待《マタ》ん。【是はきはめて、若〔右○〕の上に、變〔右○〕、の字を、脱せるものなり。この歌の、再出たるにも、又若反《マタヲチカヘリ》、君《キミ》をし待ん。とありて、是も變〔右○〕の字を脱せり。】右の歌どもをもて證《アカシ》とするに、今も、吾盛《ワガサカリ》、復將變若八方《マタヲチメヤモ》。とあるべきを、若〔右○〕の字を脱せる事のしるければ、私に補《クハヘ》つ。また卷(ノ)十七、放逸鷹(ノ)歌に、手放毛《タバナレモ》、乎知母可夜須伎《ヲチモカヤスキ》。とある乎知《ヲチ》も、もとへかへるをいふ言《コト》なれば、ひとつ意、後の歌に、ほとゝぎすに、をちかへり鳴。とよめるも、物語ぶみに、折《ヲリ》かへしうたふ。などいへる乎利《ヲリ》も、この遠ちと、同言とすべし。【利《リ》と知《チ》とは、通ふ例なり。】
 
〔頭注、この二首の歌の遠知《ヲチ》を、契冲は落《オチ》の意と心得て、假字の違へるを、疑おけるは、まだしかりけり。近ごろ或人是をもて、假字に法則なき證とせるは尤可v笑。この二首を落《オチ》の意としてはいかにとも解べからぬものをや。]        
  ○春日乎《ハルビヲ》。春日山《カスガノヤマ》。飛鳥能《トブトリノ》。【明日香《アスカ》。】
師の考に、春日《ハルビ》の霞《カスム》といひかけたり、といはれしは、こともなくやすく、さもありぬべかめれど、飛鳥《トブトリ》のあすかといふ言《コト》の、同類《オナジタグヒ》にして、【あすかと、かすがと、言の相似たるに、飛鳥の字を、あすか、春日の字を、かすがとよみ來れるも同類也。】その言の(193)心得かてさに、つら/\考るに、古言に、靜《シヅカ》をしづけき。密《ヒソカ》をひそけき。幽《カスカ》をかそけき。などいひて、加《カ〔右○〕》と計伎《ケキ〔二字右○〕》とは、相通しいふ言《コト》なれば、加須賀《カスガ》は、かそけきといふ意に、つゞけたる也。【春に霞のふかくて、日影のおほほしければ、しかいふ。】かくて飛鳥《トブトリ》の阿須賀《アスカ》といふ言の意を按に、飛立鳥《トヒタツトリ》は、あわたゞしければ、阿和豆計伎《アワツケキ》を、略轉《ハブキウツ》して、あすかとはつゞけたる也。【和《ワ〔右○〕》は阿《ア〔右○〕》の餘韻に含む。豆《ツ》と須《ス》は、常に通ふ例なり。計伎《ケキ〔二字右○〕》と加《カ》の、ひとつ言なるよしは、上にいふ。あわつけきといふ詞は、物語ぶみに見えたり。新撰字鏡に、惶恐を、阿和豆《アワツ》とあり。俗に阿和弖流《アワテル》などいふ、同意の言也。】卷(ノ)廿に、美豆等利乃《ミツトリノ》、多知能伊蘇岐爾《タチノイソギニ》、云云。同卷。安治牟良乃《アヂムラノ》、佐和伎伎保比弖《サワギキホヒテ》、云云。卷(ノ)六に、村鳥乃《ムラトリノ》、旦立往者《アサダチユケバ》。などいへる言の意を、併(セ)按べし。【師説に、いすかといふ鳥を、伊《イ》と阿《ア》を通はして、あすかにいひかけたり、といはれしは、諾《ウケ》がたし。また本居氏の、國號考に、淨御原《キヨミハラノ》宮の御時、朱鳥の瑞ありしより、名(テ)v宮(ヲ)曰(フ)2飛鳥淨御原《トブトリノキヨミハラ》1と、書紀に見えたれば、宮の號をしかいふより、地名にも冠らぜて、飛鳥《トブトリノ》のあすか、とはいへる也とあるは、據もたしかなれば、いはれたりといふべけれど、飛鳥とは、ひとつの鳥をいふ言ならねば、ひろく飛鳥といひて、朱鳥《アケミドリ》の事とせんも、古意ならずぞおぼゆる。故《カレ》書紀の文面を考るに、もとは、名(テ)v宮(ヲ)曰(フ)2朱鳥《アカミトリノ》淨御原(ト)1、ありけんを、明日香淨御原《アスカキヨミハラ》と、元來《モトヨリ》いへるに、明日香に、飛鳥の字を書るを見なれたる、後人のこゝろに、朱鳥の字は、飛鳥をあやまりつるものと、ゆくりなくおもひて、書かへつるものならん。かにかくに、ひとつの朱鳥を、ひろく飛鳥といはん事の、いかにぞやおぼゆれば、右の考ともはうけがたくて、かくいふにこそ。】この發語《マクラコトバ》の、ふるくよりいひなれ來れゝば、終に春日の字を、加須賀《カスガ》、飛鳥の字を、阿須可《アスカ》、とはよめるもの也けり。
 
〔頭注、豆《ツ》と須《ス》の、通ふ例は打日剃《ウチヒサス》を、打久都《ウツヒサツ》とも、次を、つき〔二字右○〕とも、すき〔二字右○〕ともいふ類、いと多かり。〕
〔頭注、安治《アヂ》は、アヂ鴨といふ鳥なるよし。師の考にいへり。〕
〔頭注、萬葉撰要抄といふものに、飛鳥の、足かゞみ也、といへるは、いふにたらず。彼抄すべて、をさなく、まだしき考どもにて、とるにたらず。近頃傍註といふものも見え來れり。是も同作にして、いといとまだしき考なりけり。古事記にも、近飛鳥《チカキアスカ》と書たり。〕
 
(194)  ○賢木《サカキ》。
師の考に云。賢木《サカキ》は、榮木《サカエキ》にて、もと一樹の名にはあらで、松《マツ》杉《スギ》橿《カシ》などの常葉《トコハ》なる木を、神事公事に用ふるには、讃稱《タヽヘ》て、眞榮樹《マサカキ》といふなり。それが中に、いにしへもはら、坂樹《サカキ》とて用ひしは、橿《カシ》なるべきよしいへり。【冠字考に見えたり。】是は、倭建(ノ)命の御歌《ミウタ》に、異能知能《イノチノ》、摩曾祁務比登波《マソケムヒトハ》、【略】志邏迦之餓延塢《シラカシガエヲ》、于受珥左勢《ウヅニサセ》、許能固《コノコ》。雄略天皇の大御歌《オホミウタ》に、美母呂熊《ミモロノ》、伊都加斯賀母登《イツカシカモト》、加斯賀母登《カシカモト》、由々斯伎加母《ユヽシキカモ》。などよませ給へる、大御言《オホミコト》によりて、しかの給へりしなるべければ、さも有なんと、おもひをりつるに、一とせ、越後(ノ)國、高田なる、日吉《ヒエノ》神社の社人、猪俣茂吉が、ふること學せんとて、おのがもとにありつるをり、この榊の事をいひつるに、茂吉がいへらく、今神宮に用ひ給へる、榊といふ木は、越《コシ》の國にはなき木也、といへり。故《カレ》己(レ)とひけるは、しからば、越の國にては、何《ナニ》その木を、坂樹《サカキ》とはいへるぞと問に、今|此所《ココ》にて、美者々木《ミシヤ/\キ》と【美者呉《ミシヤゴ》ともいふ。】いへるは、吾邦《アカクニ》にて、神事に用(ヒ)來れる榊也といへり。是ぞ神武天皇の御製《オホミウタ》に、伊智佐介幾《イチサカキ》、未廼於朋鷄句塢《ミノオホケクヲ》、云云。とみよみましゝなるべく、實《ミ》の多《オホ》ければ、實榮樹《ミサカキ》といひしを、今は美者々木《ミシヤ/\キ》とも、美者呉《ミシャゴ》とも、訛れるものならん、とおもへりしに、本居氏の、古事記傳に、田中道麻呂が言をあげて、榊の事をいへるも、全《マタク》同じかりけり。さるを吾《ワガ》弟子《マナビコ》、西村重波が疑けるは、神樂歌に、榊葉《サカキバ》の、香乎加倶波志美《カヲカグハシミ》、※[爪/見]來《トメク》れば、八十氏人曾《ヤソウヂヒトゾ》、滿登比世利介流《マトヒセリケル》。とあるに、貫(195)之の歌にも、おく霜に、色もかはらぬ、榊葉《サカキバ》の、香をやは人の、とめて來つらん。【新古今集。】源氏榊の卷にも、をとめ子が、あたりとおもへば、榊葉の、香をなつかしみ、とめてこそ來《ク》れ。とあれば、必|葉《ハ》に香氣《ニヒ》あるべきに、橿《カシ》も、今の榊《サカキ》も、美者々木《ミシヤ/\ギ》も、葉《ハ》に香氣《ニホヒ》なければ、いにしへの賢木《サカキ》には、かなはずや、といへり。是もひとつの考なるべくおもひて、今按を加ふるに、和名抄、新撰字鏡等に、龍眼木の字を、佐賀木《サカキ》に當たるは、叶へりやかなはじや、おぼつかなければ、そはおきて、いにしへ佐賀木といへるは、師の言の如く、榮樹《サカキ》にて、何にまれ、常磐木《トキハギ》を用ふるが中に、もはら神事公事に用ひしは、樒《シキミ》なるべくこそおぼゆれ。【或人の云。龍眼木は、から木也。その葉に香氣《ニホヒ》ありて、形状、樒に似たり、と云へり。】さるは、卷(ノ)廿に、奥山乃《オクヤマノ》、志伎美《シキミ》が花乃《ハナノ》、とよみて、かならず深山《ミヤマ》に生るものなれば、奥山乃《オクヤマノ》、賢木《サカキ》が枝《エダ》、云云、といへるにもかなひ、和名抄に、樒は、香木也とありて、其《ソノ》葉《ハ》香氣《ニホヒ》あれば、榊葉《サカキバ》の、香《カ》をかぐはしみと、神樂歌にいへるにもかなへり。さて是《コレ》をしも佛に奠《タテマツ》るは、元來《モト》神に奉るものなるもて、佛のわたり來し後に、其《ソ》をうつして、佛にも献《タテマツリ》しが、【いにしへ佛をまつれる意、今とは甚《イタク》異なり。たゞ國家の泰平、自らの幸福を祈れるためにして、後世安樂をいのる意、さらになし。されば神を祭るとひとつ意にて、神に奉る榮樹《サカキ》を、佛にも奉りしものなりけり。】今はもはら、佛のものとのみなりゆきて、神にも他木《アダシキ》を用ひしより、樒《シキミ》は、花とのみ呼《ヨビ》て、賢木《サカキ》の稱《ナ》は、失へるものならんとおもへりしに、吾外宮神宮に、十二月(ノ)晦の夜、小内人等、花賢木《ハナサカキ》が末爲《マヰ》(ツ)多《タ》と申(196)て、玉串御門に【内の玉垣(ノ)御門ともいふ。】奉れるを見れば、樒《シキミ》にこそ有けれ。是《コ》をもておもへば、神武天皇の大御歌に、伊智佐介伎《イチサカキ》、未廼於朋鷄句塢《ミノオホケクヲ》。とみよみましゝは、實賢木《ミサカキ》にて、【和名抄に、柊。比佐加伎とあるは、是にや。比《ヒ》と美《ミ》と.通へる例多し。】美者々木《ミシヤ/\ギ》をいひ、【實のいと多かるもの也。】神宮に花賢木《ハナサカキ》といへるは、樒《シキミ》をいふなるべく、【しきみの花の。とよみたればなり。】いにしへの榊《サカキ》は、もはらは、樒《シキミ》を用ひしならん、とはおもひなりぬ。【秦文樹がいふ。丹後(ノ)國にては、神に奠《タテマツ》るは、統《スベ》て樒《シキミ》にて、其《ソ》をさかしばといふ、といへり。また或人、伊豆(ノ)國箱根邊にても、樒《シキミ》を用ふといへり。】
 
  ○青丹吉《アヲニヨシ》。
この青丹吉《アヲニヨシ》は、阿那爾夜斯《アナニヤシ》と、同言にやと、西村重波いへり。故《カレ》考るに、神代紀に、吾屋惶根《アヤカシコネノ》尊を、亦《マタ》曰2青橿城根《アヲカシキネノ》尊《ト》1といへり。又應神紀に、穴織《アナハトリ》とあるを、雄略紀には、漢織《アヤハトリ》ともあれば、阿奈《アナ》も、阿夜《アヤ》も、阿袁《アヲ》も、ひとつ言《コト》にて、阿奈《アナ》は、古語拾遺に、事之甚切《コトノイトセチナル》皆|稱《イフ》2阿奈《アナト》1。とありて、何事にまれ、切《セチ》におもふとき、歎《ナゲキ》の言《コト》也。爾夜斯《ニヤシ》は、爾《ニ》の助辭《テニハ》に、夜斯《ヤシ》の言《コト》を添たるにて、縦惠夜師《ヨシヱヤシ》・波志祁夜斯《ハシケヤシ》、などいへる類也。その夜《ヤ》と、與《ヨ》とは常通ふ言《コト》なれば、あなにやしと、あをによしとは、全(ク)同言也。重並が言は、いはれ有るにあらずや。さて此言を那良《ナラ》に冠らせしは、仁徳天皇の大后《ミキサキ》、石比賣《イハヒメノ》命の御歌に、つきねふ、やましろがはを、みやのぼり、わがのぼれば、阿袁邇余斯《アヲニヨシ》 那良袁須疑《ナラヲスギ》、をたてやま、やまとをすぎ、わがみがほしくには、迦豆良(197)紀《カヅラキ》、多迦美夜《タカミヤ》、和藝幣能阿多理《ワギヘノアタリ》。とみよみましゝ、御歌に見えたるは、初め也ける。つら/\この御歌の意を考るに、葛城《カヅラキ》は、大后《ミキサキ》の御本郷《ミサト》ゆゑ、殊《コト》にくにしぬびまして、迦豆良紀《カヅラキ》、多迦美夜《タカミヤ》、我家《ワキヘ》のあたり、との玉へるなれば、この青丹吉《アヲニヨシ》は、葛城《カヅラキ》までかくる言《コト》にやともおもへど、日本紀に、越(テ)2那羅山《ナラヤマヲ》1望(テ)2葛城(ヲ)1歌曰、云云。とあれば、山城の國より、泉河をのぼり、那羅山《ナラヤマ》に到《イタリ》まして、初めて本郷《ミサト》の、葛城を見渡し給へるより、殊更|御意《ミコヽロ》に、切(チ)におもほしめしゝより、阿袁邇余之《アヲニヨシ》、奈良《ナラ》とは、みよみましゝなるべし。この御歌をはじめとして、後には、すき/”\、奈良《ナラ》にはかならず、阿袁邇余斯《アヲニヨシ》の言を、蒙らせる事とはなりにたり。又卷(ノ)五に、【旅人(ノ)卿の妻の、筑紫にて身まがれるを、卿のかなしめる歌に。】久夜斯《クヤシ》かも、かくしらませば、阿乎邇與斯《アヲニヨシ》、久奴如《クヌチ》こと/”\、見せましものを、とあるは、契冲が説にも、師説にも、國内《クヌチ》は、奈良の本郷をいへるにて、青丹吉那良《アヲニヨシナラ》、といひなれて後に、打つけに阿袁爾與之《アヲニヨシ》といひて、即《ヤガテ》奈良の事とせるなり、とあるは、うけがたくなん。是は筑紫に下られて、間もなく身まかりたまへるよし、其長歌に見えたれば、久奴知《クヌチ》は、大宰の府下をいへるにて、【卿の妻の、那良の都より下り來ませるに、更に筑紫にして、奈良のくぬちを見せましものをとは、おもほすべきにあらず。この歌、舊説にては、いかにとも解べからず。】遠《トホ》の朝廷《ミカド》とさへいひて、遙々《ハロバル》にしたひ來ませる、國内《クヌチ》にしあれば、殊に切(チ)におもへる意にて、青丹吉《アヲニヨシ》の言《コト》を、冠らせしにや。または、はしきやし、などいへる類にて、一首のうへにかゝる、歎息《ナゲキ》の言《コト》にて、あをによしとはいへるにや。いづれにまれ、この久奴知《クヌチ》は、奈良《ナラ》をいへる言には、あ(198)らずかし。
 
  ○玉梓《タマヅサ》。【鳥總《トブサ》立《タテ・タチ》。】
師説に、玉《タマ》は、ほめ言。づは助辭《テニハ》、さは章の字音にや、といはれしは、後の消息|書《ブミ》の類をいふ言と、心得給へるにや。そは古今集に、秋風に、初かりがねぞ、聞ゆなる、誰玉章《タガタマヅサ》を、かけて來つらん。といふ歌は、異國蘇武が故事を、おもひよせつる歌と聞ゆるを、貫之の、大堰川行幸の序にも、旅の雁、雪路にまどひて、玉づさと見え、など書る、後の事にひかされて、ふとおもひまどひ給へるならん。そも/\玉梓《タマヅサ》といへるは、使《ツカヒ》をいふ言と見えて、卷(ノ)二。玉梓乃《タマツサノ》、使之言者《ツカヒノイヘバ》。卷(ノ)三。玉梓乃《タマヅサノ》、人曾言鶴《ヒトソイヒツル》。同。玉梓乃《タマヅサノ》、事太爾不告《コトダニツゲズ》。とあり。この外《ホカ》、集中にいとおほかるは、皆|使《ツカヒ》といはん、發語《マクラコトバ》とも聞え、また直《タヾ》に使《ツカヒ》をいふ言とも聞えて、【卷(ノ)七に、玉梓能《タマヅサノ》、妹者珠氈《イモハタマカモ》。或本歌曰。玉梓乃《タマヅサノ》、妹者花可毛《イモハハナカモ》。とあるは、全(ク)別意と聞えたり。契冲が考には、梓《あづさ》は、弓《ユミ》をいふ言にて、卷(ノ)十三。刺楊《サスヤナギ》、根張梓矣《ネハルアヅサヲ》、御手二《オホミテニ》、云云、とある梓《あづさ》にて、玉をつけたる、弓《ユミ》をいふなるべし。さて弓を女に比したるは、集中にも多く、後の歌にも證あれば、玉梓《タマヅサ》の妹《イモ》とは、つゞけしならん、といへり。】消息|書文《フミ》の類《タグヒ》をいへる事にては、さらになし。もとより文字なき國に、いかでかいにしへ、文《フミ》をかよはせる事のあらん。故つら/\考るに、玉梓の二字は全(ク)假名にて、飛翅《トブツバサ》の略轉なるべし。【そのよしは、次《スキ》/\にいふ。】さるはいにしへ、鳥をもて、使《ツカヒ》とせる事のおほければ、使《ツカヒ》の發(199)語《マクラコトバ》とも、直《タヾ》に使《ツカヒ》をいへる言ともなれるなるべし。さてその飛《トブ》を、多麻《タマ》ともいふは、多牟《タム》の轉《ウツリ》にて、多牟《タム》とは、古事記に、輕(ノ)大子の御歌に、阿麻多牟《アマダム》、加流遠登賣《カルヲトメ》。と見え、これを集には、卷(ノ)二。天飛也《アマトブヤ》。輕路者《カルノミチハ》。卷(ノ)十一。天飛也《アマトブヤ》。輕乃社《カルノヤシロ》。卷(ノ)四。天翔哉《アマトブヤ》、輕路從《カルノミチヨリ》、とあれば、多牟《タム》と登夫《トブ》とは、ひとつ言にて、多牟《タム》は飛《トブ》の古言なるを知ベし。またその牟《ム》と麻《マ》とは、近く通ふ言なれば、多麻《タマ》ともいへる也。翅《ツバサ》は、卷(ノ)十に、天飛《アマトブ》や、雁《カリ》の翅《ツバサ》とよみ、和名抄に、唐韻(ニ)云。翅。和名|都波佐《ツハサ》。鳥(ノ)翼也。と見えたり。【今は都波佐《ツバサ》の、波《バ》を略て、たまづさとは、いへるなり。】またはこの都波佐《ツバサ》と、鳥總《トブサ》と、同言とおもふよしあれば、【そのよしは、下にいふ。】玉梓《タマヅサ》は、多牟鳥總《タムトブサ》ともいふべし。【登夫《トビ》の約《ツゞ》め、豆《ヅ》となれり。】かくて鳥をしも、使《ツカヒ》の事とするは、まづ古事記、神代の段に、高御産巣日《タカミムスビノ》神の、天若日子《アメノワカビコ》のもとに、雉《キジ》名《ナ》鳴女《ナキメ》をつかはし給へる事ありて、其《ソノ》雉《キギシ》不v還《カヘラズ》、故《カレ》於v今《イマニ》諺(ニ)曰、雉頓使《キギシノヒタヅカヒト》本《イフモト》是《コレ》也《ナリ》。と見え、同記神武(ノ)段に、有(リ)2兄宇迦斯《エウカシ》弟宇迦斯《ヲトウカシ》二人《フタリ》1故《カレ》先《マヅ》遣(テ)2八咫烏《ヤタカラスヲ》1問2二人(ニ)1曰、【略。】兄宇迦斯《エウカシ》以《モテ》2鳴鏑《ナルカブラヲ》1、待《マチ》2射返《イカヘス》其《ソノ》使《ツカヒヲ》1とあるをはじめて、同記、允恭(ノ)段に、輕大子の御歌に、阿麻登布《アマトフ》、登理母都加比曾《トリモツカヒゾ》、多豆賀泥能《タヅカネノ》、岐許延牟登岐波《キコエムトキハ》、和賀那斗波佐禰《ワガナトハサネ》、とみよみまし、集には、卷(ノ)八に、九月《ナガツキ》の、其《ソノ》始雁《ハツカリ》の、使《ツカヒ》にも、念心者《オモフコヽロハ》、所聞來《キコエコ》ぬかも。卷(ノ)十一に、妹《イモ》に戀《コヒ》、いねぬ朝けに、をし鳥の、從是《コユ》鴨《ナキ》わたる、妹《イモ》が使《ツカヒ》歟《カ》。卷(ノ)十七に、雁《カリ》かねは、使《ツカヒ》に來《コ》んと、佐和久良牟《サワグラム》、秋風《アキカゼ》寒《サム》み、その川《カハ》のべに。などよみて、【猶多かり。】すべて鳥《トリ》をしも、使《ツカヒ》とせり。【登利《トリ》は、多與利《タヨリ》と、いふ言にもるらん。多與《タヨ》の。やあ切|登《ト》也】又古事記、八千矛《ヤチホコノ》神の(200)御歌の末に、伊斯多布夜《イシタフヤ》、阿麻波勢豆加比《アマハセヅカヒ》。といへるも、本居氏の考の如く、急飛《イソギトブ》や、天馳使《アマハセツカヒ》といふ言にて、是も空《ソラ》飛《トブ》鳥《トリ》を、使《ツカヒ》とせる事と聞えたり。さて翅《ツバサ》と、鳥總《トフサ》と、同言にやとおもへるは、卷(ノ)三に、鳥總立《トフサタテ》、足柄山爾《アシガラヤマニ》、船木伐《フナギキリ》。とあるを、卷(ノ)十七に、登夫佐多底《トフサタテ》、舟木伎流登伊布《フナギキルトイフ》、と假字書《カナガキ》のあるに、古本の一本に、多底《タテ》の底《テ》を、遅《チ》に作る本有。これによれば、鳥總立《トフサタチ》も、翅多知《ツバサタチ》にて、【隼《ハヤフサ》も、速翅《ハヤフサ》にて.登《ト》と都《ツ》と、婆《バ》と夫《フ》と、よく通ふ言なれば、登夫佐《トブサ》と、都婆佐《ツバサ》は、全く同言也。また多底《タテ》とありても、とふさたゝせといふ言なれば、意は違はじよ。】足柄山《アシガラヤマ》につゞけしは、卷(ノ)十四に、母々豆思麻《モヽツシマ》、安之我良乎夫禰《アシガラヲブネ》、安流吉於保美《アルキオホミ》。とよめる安之我良《アシガラ》は、足輕《アシガル》の意にて、是も使《ツカヒ》の事に相通へり。【相模風土記に、足柄山《アシガラヤマ》の杉《スギ》をきりて、船に造《ツクリ》けるに、その足のいと輕かりければ、山の名となれるよし、いへり。】また船木《フナギ》とつづけしは、神代紀に、鳥巖楠船《トリノイハクスブネ》、とあるを、古事記には、亦(ノ)名(ハ)天鳥船《アマノトリフネノ》神とありて、もとより舟《フネ》には、鳥《トリ》の名あるがうへに、仁徳紀に、船《フネ》の號《ナ》を、枯野《カラヌ》とよびしも、枯《カラ》は、輕《カル》にて、足輕《アシカル》といひしに同じく、卷(ノ)十七に、島傳《シマツタフ》、足速乃小船《アスハノヲブネ》。とよめるも、足輕く速《ハヤ》き意なれば、舟は、鳥《トリ》にも、使《ツカヒ》にも、かた/”\よしあれば、直に舟木《フナギ》といふにも、冠らせるなるべし。【神代紀に見えたる、大背飯三熊大人《オホセイヒノミクマノウシ》を、古事記に、建比良鳥《タテヒラドリノ》命とも、出雲(ノ)國(ノ)造が、神賀詞に、天夷鳥《アマノヒナトリノ》命、とも申せるは、下つ國への御使の任によりての、御名なるべく、天鳥船《アマノトリフネノ》神も、古事記に、遣(テ)2天(ノ)鳥船(ノ)神(ヲ)1、徴2來《メシキタス》八重事代主(ノ)神(ヲ)1、とあれば、御使によりての名なり。】
 
〔頭注、この契冲が説は、是《ヨシ》とも定めがたし。猶考あるべし。]
 
(201)  ○押光《オシテル》。【難波。】
この發語《マクラコトバ》は、師の考に、神武紀を引ていはれしは、【冠辭考に見えたり。】難波《ナニハ》の號の發《オコ》りにつきても、古意にかなふべく、いとよろしき考なるべけれど、おのれひそかにいぶかしむ事あり。そは卷(ノ)六に、超(ル)2草香山《クサカヤマヲ》1時。【河内(ノ)國にて、生駒《イコマ》山の西也、といへり。又和泉(ノ)國大鳥郡に、日部《クサカベノ》郷、日部《クサカベ》村あり。そこの山といへり。和泉ももと、河内の國内《クヌチ》なれば、神武紀に、河内(ノ)國草香山、とあるにも、違《タガ》はずと也。猶この地の事は、本居氏の古事記傳に詳なり。】神社忌寸《カミコソノイミキ》老麻呂(ガ)作(ル)歌に、直超乃《タダコエノ》、【古事記、雄略(ノ)段(ニ)云。初大后坐2日下《クサカ》1之時、自2日下|之《ノ》直超《タダコエノ》道1、幸2行河内(ニ)1、云云。と見えたり。草香山の中なるべし。】此徑爾師弖《コノミチニシテ》、押照哉《オシテルヤ》、難波海跡《ナニハノウミト》、名附家良思裳《ナヅケケラシモ》。とあるは、師説にては、いかにふこととも辨《ワキマヘ》がたく、いぶかしくなも。故《カレ》按《オモフ》に、押照《オシテル》は、この字意の如く、海上《ウナヒ》の照光《テレ》るをいふ言なるベし。【卷(ノ)七に、押而照有《オシテテリタル》、此月者《コノツキハ》。卷(ノ)八に、月押照有《ツキオシテレリ》などあり。】今も船人の言に、風波《カゼナミ》もなく、和《ナギ》たる海を、ひかるといへり。【卷(ノ)五に、河《カハ》の瀬《セ》燿《ヒカリ》ともいへり。】さて難波《ナニハ》につゞけしは、和庭《ナギニハ》の意。邇波《ニハ》とは、海上の平らかなるをいふ言なり。かくて、右の歌の意は、倭《ヤマト》のかたに超《コエ》るにまれ、倭《ヤマト》より河内《カウチ》に超《コユ》るにまれ、この草香山の道より、西のかたを遙《ハロカ》に見渡せば、天雲のそきへのきはみ、海上はたゞ一面に、平らかに押照れば、この山道にして、いにしへ人の、押照《オシテル》、難波乃海《ナニハノウミ》とは、名附そめけるなるべし。といふ意にて、よめるにやあらん。猶後人のさだを俟にこそ。
(202)この卷に、考《カムガヘ》もらせる事も解《トキ》ひがめたる事も後におもひ得しは、卷(ノ)四の別記の末にあげて、ことわれり。
 
萬葉考槻乃落葉【三之卷解】別記終
 
萬葉集叢書第四輯  版権所有
大正十三年六月十五日印刷
大正十三年六月十八日發行  定價貮圓八拾錢
著 者  荒 木 田 久 老
校訂者  久 保 田 俊 彦
   東京市外西大久保四五九番地
發行者  橋 本  福 松
   東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷者  福 王 俊 ※[巾+貞]
 發 兌 元  東京市外西大久保四百五十九番地
    古 今 書 院
     振替東京三五三四〇番
東京印刷麹町出張所印行
 
2005年12月18日(土)午後1時52分、入力終了
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