南方熊楠全集別巻第二(日記・年譜・著述目録・総索引)、655頁(ただし日記のみ)、平凡社、1975.08.30(91.03.20.10p)
 
 
(5)  一八九二年(明治二十五年)
 
九月二十一日 水 陰
 午下、船リバールプールに着、三時頃上陸。税関及旅宿等の世話をスコッチ種の一老人(船の器関に油を注ぐことを業とするものなり。ニウファウンドランドよりニュウヨルクに来り、それより病にてスコットランドに帰る也。名不知)世話してくれる。礼謝し、何も受《うけ》ずに去れり。
 Regent St.n.24に宿す。
 
九月二十二日 木 陰
 終日在宿。
九月二十三日 金 晴
 午後、税関等に趣き、荷物受出の事に奔走す。
九月二十四日 土 快
 朝、車を傭い Dock に趣き荷物を受取り、ロンドン及ノルス・ウエストールン鉄道にてロンドンに送る。
 常楠及蓑田氏へ状出す。
九月二十五日 日
 終日在寓。
九月二十六日 月
 午後四時リヴァルプール発、九時頃ロンドン着。Euston Square 24.に宿す。
九月二十七日 火 陰
 朝歩して中井芳楠氏を正金銀行に訪う。書状数通を得。
九月二十八日 水
 午後、中井氏を正金銀行に訪う。書状常楠より一を得。
 此日、銀行へ行く途中、昨日所得常楠状を読、父大病の由を知り、銀行出て後、車中にて今日所得父の訃を読む。
 高鹿和一郎、飯島善太郎、三好太郎、高野礼太郎、佐藤寅次郎、羽山蕃次郎、野尻貞一、喜多幅武三郎、吉田永次郎、蓑田長政及弟へ状出す。
九月二十九日 木 雨
 夜、中井芳楠氏を Streatham Hill(Tiemey Road 1027)に訪う。十時過帰る。中村貞太郎君ステーション迄送らる。
十月一日 土
 夜、中井芳楠君を其宅に訪。公使の宴に赴き不在、因て中村氏と話し帰らんとするとき、正に中井良夫婦帰(6)来る。すなわち立ち話し帰る。
十月三日 月
 夜、中井氏を其宅に訪う。十時過、帰宅の途に上る。
十一月十日 木
 蓑田長政より状一着。
十一月十四日 月 陰
 正金銀行支店に行、中井氏に面す。
 常楠状四通(内に封入佐藤氏状一)、羽山氏状一、高野氏状一、蓑田氏状一、高鹿氏状一受取る。
  部屋三階へかえる、一週間食付十三|志《シリング》、食無しは十五志也。
十一月十五日 火
 朝常楠へ状一出す(十六日朝出)。
十一月十八日 金
 佐藤、高野、高鹿氏へ状各一、常楠へ一出す。羽山氏へ状一出す(中に中松氏への状一入る)。
十一月二十四日 木
 n. 7 Lecanaetis floriodensis, Nyl.
 n,12 Stigmatidium nigro-cinctulum, Nyl.
 此二種予キイウエストにてとる所ろ新種也。米国カルキンス氏より通知さる。
十一月二十六日 土
 中井氏より来状。
十二月三日 土 雨
 夜雨、中井氏を訪。公使館へ行、御両人共不在。中村氏と話して帰んとするに及び、御両人帰来らる.因て一寸立談して帰る。
十二月十二日 月
 Rabenhorst's Cladoniae Europae Supplementm I. and Nees von Esenbeck's System der Piize, from Friedla《ウムラウト》ner and Sohn, arrive.
 中村錠太郎氏より状一来る。
十二月十七日 土
 常楠より書留着。金百五十円(二十一|磅《ポンド》八志二|片《ペンス》)正金銀行証封入。
 状末に堀尾権太郎氏死去の由載たり。
十二月十九日 月
 高鹿氏より状一着。
十二月二十日 火 陰
 常楠へ状二、佐藤氏へ状一出す。高鹿へも一出す。
 米国ニウヨルク、ドクトル・アレン氏へ、フロリダ及キュバ採集カラ科植物三種九十品おくる。
(7)十二月二十一日 水
 今日より部屋三階へ転ず。壱周間十三志也。これは□□の記也。15めしつかず、13めしつく。
十二月二十二日 木
 夜、中井氏を訪う、不在。令閨及中村、辰巳二氏居り、十一時後迄談て帰る。
十二月二十三日 金
 夜、中村錠太郎氏来訪。植物標品を観、十一時に到り帰る。
 
  一八九三年(明治二十六年)
 
一月一日 日 雪
一月二日 月 快晴
一月四日 水 雪
一月五日 木 霧
 朝、茂木寅次郎氏状一を受。
一月六日 金
 蓑田長政氏へ状一出す.
 常楠へ状一出す。
一月十一日 水
 中井氏より廻送、常楠状一、羽山蕃次郎氏状一。
一月二十一日 土
 This evening, Visited Y.Nakai, Esq., talked till 10.
 常楠状一書留(十三|磅《ポンド》七|志《シリング》入)及『風俗画報』二冊受。中井氏話に、昨夜野田氏(トルコに教え居たる人)来談せりと。
一月二十三日 月
 Dr. T. F.Allen of New York remitted $ 5,00 for (8)my collection of 90 specimens of 3 Characeous species sent last month.He determined
  A.Nitella tenuissima Fla.
  B.Chara gymnopus var. Fla,
  C.Chara gymnopus var.fertilissima? Cuba
一月二十四日 火
 Send to W.M.Calkins the following lichenes
  1.On Magnolia bark,Fla.
  2.Fuji On trees Alectoria shuder
  3.Do.  Do.stouter−White
  4. 〃     〃  Brown
  5.Pilophoron sp.Fuji
  6 Stereocaulon sp.Fuji
  7 On bark of Pinus yellow Kii
  8 On Imprica cerifera Fla,
  9 Cladonia squamosa,macrophylla
 
一月二十六日 木
 蓑田長政氏より状一受。
一月二十八日 土
 蓑田氏に状一出す。
一月三十日 月
 蓑田氏へ状一出す。博言学を同氏今年より修んとに付、其忠告也。
 Breakf.: Ham and Eggs and Cof.Dinner:Soup and Turnip,Goose Liver and coffee.6 Cigars.
一月三十一日 火
 東京植物学会へ Polypoms cinnabarinus と Ramalina reticulata を送る。
 Breakf.: Ham and Eggs and Cof.Dinner:Carrey and Coffee.9 Cig.
二月一日 水 半晴
 1 Coco and Bread.
二月二日 木 大陰
 常楠へ書留状一出す。
 Dinner:Steak and Cocos.Breakf.: Ham and Egg.3 Cigars,2 Beer,2 Sausages.
 1 Lett.London,1 Lett.Japan Regist,,2 America.
二月三日 金 陰
 Breakfast: Ham et Eggs,Coffee.
 1 Letter America,1 Letter London.
二月四日 土 陰
 Breakfast: Ham, Eggs,Coffee.Supper: Minced Beef and Potatoes,Coffee.
 1 Letter London.
(9)二月五日 日
 2 Envelopes,
 Dinner: Chopped Beef and Pot., Coffee.Coffee and 4 morphin,8 Cigars.
二月六日 月
   General Works………………2
   Naraulosm……………………4
   ImsaInae……………………2
   Algae………………………11
   Charado………………………2
   Lichenes………………………2
   Fungi…………………………12
                35 Arten
 The above number of Cryptogamic Works are in my hand up to the date.
 2 Beer.Dinner: Beef,Pot., Turn., Coffee.Coffee and 4 morpbin,8 Cigars,2 Lemonade.
 2 Letters:1London,1 U.S.
二月七日 火
 Dinner: Carrey and Coffee.Muffin,Coffee,Peas and 2 Sausages and Eggs,3 Beers,6 Cigars.
二月八日 水 晴
 Dinner: Steak and Coffee.Supp.: 3 muffin.2 Beer,4 Sausages,5 Cigars.
二月九日 木
 Dispatch a letter registered to Tsunegusu.
二月二十日 月
 今夜四階に転宿。宿主手伝わる。
二月二十一日 火
 昨夜四階に転ず。一週間五志。
二月二十六日 日
 4 Cigars.Breakf.: Ham and Eggs,Coffee and R.Br.2.
二月二十七日 月
 前週の始月曜日に室を四階に移す。一週間五志のきめ也。
 7 Cigars,Meat and Coffee.
二月二十八日 火
 A letter fr.W.M.Calkins,inclosing 2 Pertusarias.5 cigars.Coffee and Ham and Eggs.Coffee and round bread.
 1 paper,1 envelope.
三月一日 水
 Stop smoking.
 Breakf.: Ham,Eggs,Coffee.3 Cigars.
三月二日 木
(10) 2 Collars received.
三月三日 金
 常楠より状一着。
 夜カショー氏を訪う。
 Breakf.: Ham and Eggs,Coffee.Coffee and Bread and Butter,2 Bottle Beer.
三月四日 土
 Visited Brit.Museum with Mr.Nakamura the evening.
 Breakf.: Coffee,Ham and Eggs.Supper:2 dishes,coffee and Bread.4 cigars Paid 1s.
三月五日 日
 Allday and night in bed.
三月六日 月
 佐藤寅次郎氏状一来る。
 Breakf.: Ham and Eggs,Bread,Coffee.Supp.: Beefsteak,Coffee,Bread.
 31/2d.stamps due.
三月七日 火
 高野礼太郎状一、常楠書留状一受。
 Nothing had at home!
三月八日 水
 Nothing had at home!
三月九日 木 快晴
 Nothing had at home! but one cup coffee at 1/2past
 10 in the evening.
 夜カショー氏を訪、倶《とも》にブリチッシュ・ミュージウムを見る。
 常楠へ状一、羽山氏状一出す。
 中井氏令夫人へスタンプ四十二枚を呈す。
三月十日 金 快
 夜、中井氏を訪、鍵置忘れ室に入る不能、戸外に臥す。
 江聖聡より、昨夏倶にとる所写真一枚、状一通及茂木氏状一送り来る。広東省広州府新寧県土名湍芬山太洋義村江世平之子。
 Breakf.: Ham and Eggs,Coffee.
 3 Envelopes,5 papers.
 6d.Carriage charge Mr.Lightsone due me.
三月十一日 土 快
 Slept while half day and night.
116 Key paid.Washings:1 Collar,1 shirt,1 drawers.
 8d.1/2.
 Ham and Eggs,Coffee.
(11)三月十二日 日 快
 Paid £ 6 to Mr.Lightstone.
 Dinner:Beef and Peas.Puddings.2 beers and 3 Cigars paid.
三月十三日 月 陰
3 cigars paid.Dinner:Beef-Steak and peas,Coffee.
三月十四日 火
 2 cigars paid.
Had nothing at home.
三月十五日 水
 Ham and Eggs,Coffee.
三月十六日 木
Steak and Onion,Coffee,2 round balls,4 Cigars paid.
三月十七日 金
 Ham and Eggs,3 beer paid.
三月十八日 土 晴
 夕、中村氏来訪、共に南ケソシントン博物館へ行く。
 閉たり。因て近傍を歩し、飯をふれまわれ、帰る。
 Grevillea,voll.5−12 in 4 voIs.bought.
 Supper:Ham and Eggs.3 cigars.
三月十九日 日 快
 2 Cigars not paid, Ham and Eggs.
三月二十日 月
 夜、ブリチッシュ・ミュージュームに之《ゆ》く。
 Ham and Eggs,4 cigars not paid,2 Bottles Beer unpaid.
三月二十一日 火 陰
 中村氏より来状、土木学の書翻訳のこと申来る。
 Pork and Coffee,6 cigars.
三月二十二日 水
 Ham and Eggs,2 cigars,2 bottles Beer unpaid.
三月二十三日 木 陰
 Send aletter to Takano.
 2 Shirts,3 Collars,1 Cuffs n.57.
 Ham and Eggs and Coffee,4 cigar spaid,2 beer paid.
三月二十四日 金 半時
 ブラウン氏『単胞水藻編』一冊を購。
 Ham and Eggs,2 cigars paid.
三月二十五日 土 半時
三月二十六日 日
 Ham and Eggs,Coffee,1 cigar paid,4 cigars unpaid
(12)三月二十七日 月 晴
 此頃バーショー先生ロンドン大学にて講論有り。
 Mince Meat and Coffee, 2 cigars, 2 beer.
三月二十八日 火 快
 ホプカルク氏『英国苔蘚網目』、パイエー氏『ボタニク・クリプトガミク』及びクック氏『マイクソミセジス』買入る。
 Ham and Eggs, Cafe, 1Beer paid.
三月二十九日 水 快
 2 Eggs and Coffee, 2 Cigaras.
三月三十日 木
 Ham and Eggs, Coffee, 2 Cigarasu.
三月三十一日 金 快
 Ham and Eggs, Coffee, 2 Cigarasu.
四月一日 土 半時
 午後三時よりサウスケンシントンに行き、美術館及博物館を見る。帰れば九時前也。
 Potatoes,3 Eggs and Coffee.
四月二日 日 快
 夜、レジェント・パークよりハイドパーク辺を歩す。
 Beef and Potatoes, Coffee.
四月三日 月 快
 中井氏夫人、中村錠太郎氏二人来訪。共にレジェント・パーク動物園及英博物館(南ケンシントン)に行く。
 カルキンス氏より、昨冬テンネッシー州にて同氏発見の Heppia virescens v.rugosa を贈らる。
 Bread, Butter and Coffee.
四月四日 火 快
 夕、ハムステットヒースに往く。スフェリヤ一種を得るのみ。又フリゴあり。
 Bread, Butter and Coffee.
四月五日 水 陰
 夜、ストランドよりチープサイド辺に歩す。
 Bread, Butter and Coffee, 2 Eggs, Bread, Butter and Coffee, 3 Cigars.
四月六日 木 晴
 午後、ハンプテットヒースに行く。菌四種、藻二種を獲たり。
 夜、カショー氏を訪。
 中井氏夫人へ郵便印紙三十二枚送る。
 Nothing had at Fome.
(13)四月七日 金 晴
 昨日獲し薗は Cyphella Curreyi Berkley;Stereum purpurennis Fr.;Polyporus sp.;Irpex obliquus Fr.
 藻は Oscillaria aerugescens(Drumm);Cladophora crispata Rost.也。
 Flintoft's Collection of the Brit, Ferns and their allies in the English Lake Districts.一冊三十七種買う(内、羊歯科二十九種、石松科四種、巻柏科一種、木賊科三種)。
 Bread, Butter, Coffee
四月八日 土 晴
 3 Eggs, Ham, Bread and Butter, Coffee, 2 cigars.
四月九日 日
 Beef, Vegetables, Bread,
四月十三日 木 
   Cyanophyceae……………19
   Chlorospermeae…………23
   Phaeosporae……………7
   Rhodopkyceae……………18
   Characeae………………3
                  70 sp.
 Bread, Butter, and Coffee
四月十四日 金 晴
 夜、カショー氏を訪う。
 Bread, Butter, Coffee, Ham and Eggs.
四月十五日 土
 夕、中井氏を訪う。
 Bread、Butter, Ham and Eggs.
四月十六日 日
1 piece Steak, Bread, Butter, Coffee.
四月二十日 木
(14)  Account with Mr.Lightstone
      £20 2s.51/2d.
 diseount    3  8
      £16 14s.51/2d.Paid 5s.for the rent 17−24 this month. Paid
 on 19th Apr.2
      £14 14s.51/2d.
 Paid tday  2 2s.51/2d.
      £12 12s.0
 Promised to pay  6 10
 tomorrow
      £ 6  2s.0
 Paid toda y5s.for the rent of room for 18−25.
四月二十一日 金 晴
 夕、ナチュラルヒストリー博物館へ之《ゆ》く。
四月二十二日 土 晴
 Paid £6 0s.10d.in account with Mr.Lightstone,
   £20  2s. 51/2d.
     3  8
   £16  14s. 51/2d.
     4  2   51/2
    £12  12   0
     6  0   10
   £ 6  11   2
 夜、南ケンシングトン博物館に往く。
四月二十五日 火
 アレンヘ状出すべき事。
五月六日 土
 夕、カショー氏とハイドパークにて出あい、伴《とも》に南ケンシソトン博物館を見る。
五月八日 月
 常楠より書留状一受。
五月九日 火
 常楠より書留状一、日本文学全書二冊受。
 ケンシングトン、ブライスフィールド・ストリート十五番地へ移る。
五月十日 水
 常楠へ状一出す。
 午下、女王インペリアル・インスチチュートに行啓、余行き行列を見る。
五月十二日 金 快
 荷物を悉皆新寓へ移す。
 常楠へ状一出す。
 此一週間隔日に瘧を病む。本日に至り殆ど平治。
五月十三日 土
(15) 午後、正金銀行へ往、中村氏を誘い、ナチュラルヒストオリー・ミュージューム虫魚爬虫等の部を見、夜料理店に伴われ、ハイドパーク辺にて別れかえる。
五月十五日 月 快
 夕、エンジェル辺迄往く。
五月十六日 火 陰
 常楠へ状一出す。
 6 Collars,2pairs Cuffs,2 Shirts,2 Undershirts,1 Drawers.
五月十七日 水 陰 △
 米国カルキンス氏よりウィレー氏『アーソニア譜』、クッカルマン氏『ジェネラ・リケヌム』着。
五月十八日 木 陰 △
 午後三時頃より中井氏を訪、中井氏不在、夫人公使館へ行、夕中村氏帰り、余直に帰る。
 レートン氏『英国地衣論』一冊買。
五月十九日 金 雨
五月二十日 土 陰
五月二十一日 日 晴
五月二十二日 月 快
 一昨夕より下痢に罹る、今朝なおわるし。
五月二十四日 水
 常楠状一受。
 常楠へ状一、ハガキ一出す.
五月二十五日 木 晴
五月二十六日 金 陰
 常楠及吉田永次郎氏へ状一出。
五月三十一日 水 晴
 ハイドパーク車道の傍の小溜水中オッシラリア・ニグラを得。Oscillaria nigra(Vauch.)及 Euglena
六月一日 木 晴
   Cyanophyceae……………22
   Chlorophyceae…………24
   Phaeophyceae……………7
   Florideae………………18
   Chazaceae………………4
                  75 sp.
 From Japan,England and N.America.
   with
  Desmideae…………………111
  Floridiae……………………1
  Phaeophyceae………………1
  Chlorosporae………………2
(16)  Cyanophyceaee……………………2
                117 sp.
 £16 3s.9d.常楠より書留にて受く。
六月二日 金 陰
 羽山蕃次郎氏状一受。
 常楠及羽山へ状各一出す。
六月六日 火 晴
 午後、オクスフォールド町迄歩す。
 石川保馬氏書状着、同氏昨日当市着、今朝正金銀行にて予が宿所聞出せし由。笠野氏の短書石川氏より受、笠野氏も古谷も、山本孝之助も、今チカゴ大博覧会にて働き居る。梅井延三郎氏はローサンジェロスにて死せし由。
笠野英三氏(%Japanese Commissioner's Office, The Worid Fair, Jackson Parks, Chicago Ill,)
六月七日 水
 午後、石川氏来る。夜、倶《とも》にブリチッシュ・ミュージューム人類学、古文書部等を観る。それより其宿に往、十二時頃帰る。
 レートン氏『アンギラカルパス地衣論』一冊購収。
六月八日 木
 午後四時頃、石川氏を訪う。それよりビショップス街辺を歩し、十一時頃別れ帰る。
六月九日 金
 午下、石川氏来訪、宿を予の隣家にとる約束す。それより動物園に往き、其宿にかえり、夜十一時迄話し帰る。
 蓑田長政氏に状出す。
六月十日 土
 石川氏、宿を予の隣家に移す。倶にナチュラルヒストリー・ミュージュームを観に行。
六月十一日 日
 夕、石川氏とハイドパークに歩す。
六月十二日 月
 午後、石川氏と倶に正金銀行及衣服匠へ往。
六月十三日 火
 夜、石川氏と倶に南ケンシントン博物館を見る。
 2 Shirts、2 Under Shirts, 1 DraWers, 6 Collars, 1 Pair Cuffs.
六月十四日 水
 午後、石川氏と倶に印度博物館及サイエンチフィク・(17)ミュージュームを見る。
六月十五日 木
 夜、石川氏と倶に大英博物館アッシリア、バビロニア、埃及《エジプト》、希臘《ギリシア》、羅馬《ローマ》部を見る。
六月十六日 金
 午後、石川氏と倶にナチュラルヒストーリー・ミュージュームをみる。
 本日|甚《はなはだ》暑し。
六月十七日 土 快
 午後、正金銀行へゆく。
 中村氏より江聖聡送越る写真三枚受く。帰途カショー氏を訪う。
 本日甚暑し。
 蓑田氏へ状一出す。
六月十八日 日 快
 石川、中村二氏とキウ植物園に往き、一寸予寓に立より、それより又出、十一時過迄酒のむ。
六月十九日 月 晴
 夕、石川氏と中井芳楠氏を訪、日本飯、帰れば十一時過。
 常楠より送らるる所、『十八史略通義』一冊、『百家説林』四冊を受。
六月二十三日 金
 岡野栄太郎氏より状着。同氏、今年二月迄チカゴにあり。それより費府《フイラデルフイア》に之《ゆ》き、今に滞在との事。
六月二十四日 土
 午後、中村、石川二氏とナショナル・ガレリーを観る。それよりモニコ料理店に行、酒のみ、グリーンパークを歩し、又料理店にて酒、予は多く飲《のま》ず、他二人大酔、十一時頃中村氏と分れかえる。
六月二十六日 月 雨
 午後、石川氏とハイドパークに歩す。雨にあう。それより料理店に行く。
六月二十七日 火 陰
 夕、石川氏と近街を歩す。
 此日、石川氏公使館に之き、公使川瀬子爵に面せし由。
六月二十八日 水 半晴
 午後五時、女王ケンシングトン・パレースに来る(ジュビリーの砌《みぎり》御建し像成しに付て)。石川氏と倶に往観る。行装至て簡也。雨にあい、一同大にこまる。
六月二十九日 木 陰
 夕、石川、中村二氏とクリスタル・パレースに之き、烟火を見る。帰れば一時前也。
(18)六月三十日 金 快
 午後、正金銀行へ往く。
 郵便切手三十一枚、中井氏夫人へおくる。
七月三日 月 晴
 午後、石川氏と三度藤村氏を訪う、不在。
七月四日 火 晴
 夕、石川氏と偕《とも》に中井氏に招かれ往く。飯後、十時過帰る。
七月五日 水
 石川、中村二氏とモニコ料理店にて飲。
七月六日 木 快
 午後、正金銀行へ石川氏とつれ行き、同店の窓より皇孫の婚儀旅行式を観る。
七月七日 金 晴
 午後、正金銀行へ之く。
七月八日 土 晴
 今朝、石川氏出立の筈の処、午前四時急に吐下(ラムオムレツに中毒という)、七時頃又吐下、午後予往きしに、熱出で、尋《つい》で大腹痛す。夜十時過、医者ゼームスを呼来り、治を乞う。
七月九日 日
 石川氏方にて病を看る。
七月十日 月
 石川氏医者に勘定すます。
 夜、中井氏を訪う。
七月十一日 火 陰
 今朝より石川氏少々軽快。
 午後、クラバムに往き、美津田沌治郎氏を訪、色々の奇談を聞く。子息と共に、日本飯、ブランジイにて午後十一時過迄懇待さる。十一時過、停車場迄滝治郎氏送り来られ、別れ帰る。
七月十二日 水
 朝、中村氏、石川氏を見まいに来る。
 夜、石川氏とつれ料理店に往く。
七月十三日 木 晴
 午後、石川氏とつれ正金銀行に往き、中村氏をつれ、ピカジリーサカスのモニコ料理店で飲む。それよりハイドパルクコーナーにて中村氏は分れ去る。
七月十四日 金 陰
 午後、石川氏とアールスコート街山林学博覧会を見る。一度帰宅。飯くいに出、車を傭い帰り、ヴィクトリア停車場に往き、夕八時十五分発汽車にて石川氏出立、(19)ドバーを経て巴里《パリ》に往くつもり也。
 常楠より状来り、九十円(十二磅一志十一片)受く。
七月十五日 土 陰
 中村氏と動物園に遊ぶの約あり、今日郵便〆切にて果さず。
 夕、ハイドパークにて兵士の調練を見る。
七月十七日 月 陰
 本日、美津田氏状来る。
 夜、中井氏を訪う。
七月十八日 火 陰
 午後、正金銀行へ往、晩くて閉たるに付、歩して還る。
 石川氏手紙来る。巴里にて曽我子にあえる由。今火曜にブラッセルに行き、福岡子にあうとのこと。
七月二十日 木 半晴
 マクミラン会社へ正金銀行チェクにて一磅三志六片おくる。
七月二十一日 金
 夕、ミツタ氏を訪、とまる。
七月二十二日 土
 朝、ミツタ氏方にて玉村氏にあう。アフリカに十余年居りし人也。
 午後、中村氏と動物園を見る。
七月二十三日 日 雨
 夕、ミツタ氏を訪、夜おそく雨を冒してかえる。
七月二十四日 月
 美津田氏方へ傘帰しにゆく、直に帰る。
七月二十六日 水 晴
七月三十日 日
 午後、美津田氏を訪、夜に入り帰る。足芸伝統等のことにつき、色々談を承る。
八月二日 水 晴
 朝、熊本県人福田令寿君訪る、美津田君紹介也。
 蓑田氏状着、余の写真四枚も受る。
八月四日 金
 午後、福田氏来る、夜つれて料理店に食す。
八月五日 土
 朝、福田氏を訪。
八月六日 日 半晴
 午後、福田氏を訪、仙台人飯田三郎氏にあう。三人にて美津田氏を訪、夜十一時過かえる。
八月七日 月 快
 午後、福田氏を訪、美津田氏来り在り、次に飯田氏、
(20) 細井氏という人つれ来る。話して夜に入り帰る。
八月八日 火 快
 午後、飯田氏を訪、話して夕に到り帰る。
 弟より状着。
八月九日 水 快
 午後、福田氏来る。それよりつれて同氏寓に之、夕に至り、美津田氏、次で細井氏来る。十一時迄話す。
八月十日 木
 朝、石川保馬氏ネプルスよりの状着。
八月十一日 金
 午後、飯田、福田二氏と博物館に行く。
 夕、美津田氏を訪、夜宿す。
八月十三日 日 晴
 午後、福田氏とキウ植物園に行き、十シルリング失う。
八月十四日 月 快
 午後、福田、飯田二氏と動物園にゆく。帰途、池に溺死する小児をみる、死骸上らず。
 2 shirts, 2 underWear, 2 drawers、5 collars, 2 pairs cuffs.
八月十五日 火 快
 午後、福田氏とブリチッシュ博物館に之く。
 夜、福田氏出発、スコットランドに之く。飯田氏と二人おくりて、キングスクロス・ステイションに之く。
八月十七日 木
 本日の『ネーチュール』に M.A.B.なる人、星宿構成のことに付五条の問を出す。予、其最後二条に答んと起稿す。
八月十九日 土
 飯田氏を訪。
八月二十三日 水
 飯田氏を訪。
八月二十六日 土
 福田氏よりドンスケイド山中所集の隠花植物送らる。
 二十一品斗りあり、中十一種標品完全、内六種は新に予の見るもの。
   蘚  Polytrichium formosum Hedw
      Ceratodon purpureus
      Birkula nivaris
   地衣 Baeomyces Byssoides
      Ramalina farinacea
   藻  Chyoolepus aureus
   菌  Lycoperdon atropurpureum
      Polyporus Perennis
      ラクタリウス一種、ボレタス一種等也。
(21)八月三十日 水
 『ネーチュール』への答弁稿成。
九月三日 日
 午後四時頃美津田氏を訪、夜に入り、片岡政行氏来り、三人芸尽し、二時頃眠る。
九月四日 月
 終日美津田氏方にあり、夜片岡氏とつれ、フルアム・ロードにて別れ帰る。九月五日 火
 福田氏より Cladonia bacillaris を贈らる。
 夜、片岡氏来る。共に出行き飲むこと二回、十二時過別れかえる。
 常楠より来状、七磅七志六片受、又吉田永次郎氏状も入れ来る。
九月六日 水 快晴
 朝、飯田氏来る。つれて其家に行、夕迄あそぶ。不在中へ片岡氏来る。
九月十一日 月 晴
 福田氏より Lycoperdon Caelatum Bull, を受。
九月二十日 水
 発信。吉田永次郎氏へ藻菌地衣品六十四種をおくり(二包)、并にスミッス氏の『農業害菌論』をおくる。
 常楠へ状一、写真(江氏との)四枚。
九月二十一日 木
 『ネーチュール』に予の星宿論を出すに付、印刷所よりプルーフを送らる。
九月二十二日 金
 片岡氏とブリチッシュ・ミュージュムに行、古物学部長フランクス氏及助手リード氏に面会。午餐談話の後、館内の別室を開かれ、仏像、神具等に付尋問あり。リード氏一々ラベルに筆記す。畢て邸にかえり、談話の後、夕に至り帰る。
 来信。福田令寿、数日前エジンボロに帰りしとのこと。
九月二十三日 土
 印刷所にプルーフをかえす。
 発信、常楠状一。
九月二十四日 日
 発信、カルキンス氏。
九月二十九日 金
 ブリチッシュ・ミュージュムに之き、仏像部を閲す。
 フランクス氏及リード氏同く来る。それよりフランク(22)ス氏官邸にて談話し帰る。
十月一日 日
 夜、リード氏を訪い、途上迄おくられて帰る。
十月二日 月
 リード氏より同氏著『人類学疑条』一冊贈らる。
十月五日 木
 今日の『ネーチュール』に、予の「ジ・コンステレーションズ・オヴ・ジ・ファールイースト」出る。
十月六日 金
 午後、ブリチッシュ・ミュージュムに之き、フランクス氏を訪い、仏像部を閲す。サルチングという人来りあり、鰐口及香合各一、予寄附す。
十月十三日 金
 今日出『ネーチュール』へ予の Early Chinese Observations on Colour Adaptations 出る。
十月十五日 日
 夜、飯田氏来訪。
十月十七日 火
 夜早く臥す。夢に波木井九十郎、川崎虎之助二氏と船にて高野辺を下る。川上に鼈《べつ》二疋浮り。次に『三才図会』に見たる※[鼈の敝が元]《げん》の如きもの(ショウカクボウ樣のもの)大なるが浮き来る。川崎|云《いわ》く、高野には徳川将軍の時はなちし豚あり、今度見ぬが、夏休み中に見する故見るべし、云々。扨、船一方にかたぶき、物みなころぶ。物は書物なり。それを三人足にておさえ、又肱下に積みて船行す。波木井、川崎二人、新種の流行唄うたうと見る内に、目さめぬ。時に夜雨軒を打て蕭条。此昼、福田令寿氏へ耶蘇教説の事を書きおくる中に、高野山のこと二三入れたり。扨、前年、父母弟と高野に詣せし帰途、川船にて下りしが、岩手辺にて暫時船止る。四方囲たれは外は見えざりしが、川水の流るる音、丁度雨の如きを心にとめしことあり。此夢の高野は紀川の北なりしもおかし。波木井、川崎など見しは何の事か不知、されど昨日思しは、明治十三年より今に至て已に又十三年勉めざるべけんやとおもえり。二人は十三年頃の校友也。あわれなることをも見るかな。
十月二十一日 土
 常楠状一着。
 ガーベット氏より自著『クリストハックスレーケイス』一冊送らる。
十月二十三日 月
 ブリチッシュ博物館より献品の謝状を寄《よせ》らる。館長タ(23)ムソン氏サインにて。
十月二十四日 火
 夕、飯田氏来る。
 カルキンス氏へ状一出、二|弗《ドル》おくる。これは地衣の郵送賃として。
 常楠へ状一出す。
十月二十五日 水 陰
 午後、飯田氏を訪、不在。
 ガーベット氏へ状出す。
十月二十六日 木
 懦事之賊也。「事に懦《だ》なるは賊なり。」
 易曰用憑河。「『易』にいわく、憑河《ひようが》を用《も》ってす、と。」
 今日より日々一茶、無烟。
 是より行やすきことなし。事なくて詮方に尽る時は眠るべし。
 右は亡父の志を成ん為、父の神に誓う也。
十月二十九日 日
 夜、中村錠太郎氏来り、土宜法竜氏明晩中井氏方へ来るに付出会すべき由申さる。
十月三十日 月
 夜、土宜師を中井氏方に訪、十一時前同師は帰る。余は中井氏方へ宿。
十月三十一日 火
 午後、ブリチシュ博物館に之く。これは土宜師同館文庫を見るに付て前ぶれ也。
 夜、土宜師を訪、就て宿す。
十一月一日 水
 朝、九時過より土宜師と(二人共僧帽僧衣)ブリチッシュ博物館に之き、部長フランクス氏案内にて、宗教部及書庫を見る。
 夜、土宜氏方に宿。
十一月二日 木
 終日土宜師方にあり、議論す。
 夜、望月小太郎氏来る。
十一月三日 金
 土宜氏方を辞し、帰る。
十一月四日 土
 夕、片岡政行来る。
 夜、中井氏を訪う。
十一月六日 月
 夕、中井氏を訪。
十一月八日 水
(24) 午後、中井氏を訪、不在、因て帰る。
 インフルーエンザになる。
十一月十四日 火
 今夜、インペリアル・インスチチュートにて印度学会夜会より招状を送られしが、風雨等にて行を果さず。
十一月十七日 金 雨
 明治二十六年十一月十七日
  南方熊楠様     中井芳楠
 拝呈。不相変御研学奉賀候。陳者公使館に於て一夕貴君へ晩餐差上度趣にて、尤も時日は次週之内と申事に有之、若し貴君次週に御差支も無之候わば、小生迄其儀至急御返書発度、左すれば其旨公使館へ通知の上、更に同館より貴台へ御招待之手紙差上候筈に御座候。先は伺旁迄。不備。
十一月十九日 日 雪
 夕、中井氏を訪、辰巳氏も来る。十時二十分帰る。
十一月二十日 月 陰
 カルキンス氏より地衣四種(何れも新発見)を送らる。
十一月二十一日 火 陰
 今日よりインフルーエンザ漸く止む。
十一月二十七日 月
 中井氏を訪。
十二月三日 日
 夜、リード氏を訪、海藻を贈らる。
十二月十一日 月
 土宜氏より状来る。
十二月十八日 月 陰
 中井氏より、六郷政賢氏より予を招かるることをのべらる。
十二月十九日 火 雨
 今日迄三日間、土宜師へ小冊六冊、書籍四冊贈る。
十二月二十日 水 雨
 土宜師より状一受。
十二月二十一日 木 陰
 今日より毎朝、昼時、夕に父を念ず。
十二月二十二日 金 陰
 
(25)  一八九四年(明治二十七年)
一月一日 月 陰
一月二日 火
 福田令寿氏より、肥後の清正公の画像粗なるもの一葉贈らる。これは昨冬予より氏に頼み佐久間隆という人に依頼して得たる也。
一月九日 火
 吉田永次郎氏、常楠に托し『仏像図彙』五冊を贈らる。
 常楠より金四磅余受。
 土宜氏、切符紛失の事に付会社へかけあいのことを申越る。
一月十日 水
 夜、中井芳楠氏を訪、十時頃帰宅。『徳川十五代史』(内藤恥叟氏の)一より五迄昨冬中うつしたるをかえし、六より十二迄かる。
一月十一日 木
 昨夜中井氏方へ杖忘れたるをとりに行き、夕迄妻君と話し帰る。
一月十二日 金
 夕、古書肆にてチャンバースの『プック・オヴ・デイス』二冊十一|志《シリング》にて買う。此書、米にありし日かい家にあり、今一部買しは三好太郎氏娘琴子におくれり。
一月二十日 土
 美津田滝治郎氏より、昨冬預たる『以呂波文庫』及『実事談』返さる。
一月二十三日 火 快晴
 夜、飯田三郎氏を訪、美津田氏より『七変人』一冊かえさる。
一月二十四日 水 晴
 土宜法竜氏より状一受。
一月二十五日 木 細雨
 今日より厳に喫烟を禁ず。又酒は従来禁ぜしが、今後なお一層、たとい人より出さるるとも不用事とす。烟不喫しるしは〇、酒不喫しるしは+、万一喫すれば△。
 福田氏より一磅紙幣送らる、之を送かえす。夕、飯田氏店をピカジリー辺に探り、分らず。因て其宅を訪、不在なり。福田氏の状を渡しかえる。
一月二十六日 金 〇+
(26) 夕、国元より『国華』六冊、『御伽草子』二冊、『史記講義』一冊、アホタラ経木魚二、『風俗画報』二冊、『時事新報』十数葉着。
 常楠状にそえ、白貫勧善師より五大明王の予の問に答書をおくらる。前日、土宜師状に、白貫師と面は不識とも時々書信して意を通ずること有、といえり。
一月二十七日 土 半時 〇+
 福田令寿(十志被贈)、土宜法竜より状各一つ来る。土宜氏状は二十八宿の事をのべたる也(『法苑珠林』の書抜等)。
 ラクルーア『中世軍事宗制志』一冊五志にてかう。夜、細雨大凰。
一月二十八日 日 時 〇+
 本日より一日所用食事十八|片《ペンス》を不可超と定む。
一月二十九日 月 晴 〇+
 布田氏十志おくらる。土宜氏ヘラクルアの書おくる。
一月三十日 火 雨 〇+
一月三十一日 水 〇+
 土宜氏より十志被贈。夜ブロンプトン・ロード辺を歩す。土宜氏状中に大小乗論あり、訳述を頼まる。
二月一日 木 〇+
 夜、福田氏へ状一出す.
 本日より一日は十八片、一日は十三片と定む。
二月二日 金 微雨 〇+
 昨冬末よりかかり居し有花植物標品整理ほぼ片付く。
 毎夜、三、四時迄せるなり。
 午後及夜、近街を歩く。
 福田氏より此日記帳おくらる。これは数日前予より頼やりし也。
 土宜師へ状出す。
二月三日 土 快晴 〇+ 22d.
 終日在寓、植物標品の整理。夜、標品中 Cercus の刺落いたるを不知、足底にふみ付け刺立ち、大に困却す。されど抜取る。
二月四日 日 陰 〇+ 13d.
二月五日 月 微雨 〇+ 12d.
 土宜氏及森部発氏より状各一受。
 土宜氏へ状出す。
二月六日 火 陰 〇+ 26d.
 常楠へ状出す。土宜師へ状一出。
 夜四時過迄、所蔵の有花植物目録を作る。此夜大風。
 3 Shirts, 6 Collars, 2 Under shirts, 1 pair Cuffs, 2(27) Drawers. Sent to Laundry.
二月七日 水 〇+ 20d.
 今夜迄調査有花及羊歯類似植物蔵品名の分明せるもの 1633 species and varieties 也。
 終日在寓。
二月八日 木 快晴 〇+ 19d.
 来状、土宜法竜氏状一。福田氏、此程一週以上病牀にありと申越る。
 発状、土宜法竜、中村錠太郎、各一。
二月九日 金 時 〇+ 17d.
 此朝、予、ベッドにありて夢に、予旧和歌山寄合町の雑庫の中の高き台※[木+謝]様のものの上に臥して危く下辺をのぞむと。咋朝さめて、上の蒲団ことの外一方にかたむき、危く身も落かかりおりしを見出たるによることか。
二月十日 土 〇+ 18d.
 発信、常楠状一、白貫勧善師への状封入す。次の水曜に出すなり。
二月十一日 日 〇+ 18d.
 夜、大風雨。
二月十二日 月 快晴 〇+ 10d.
 土宜法竜師より状一受。中村氏ハガキ一。
 夜クロムウェル坊を歩す。
二月十三日 火 快晴 〇+ 12d.
 『徳川十五代史』巻之九写しおわる。
 外出せず。
二月十四日 水 晴 12d.
 常楠へ状一本出す。前日来出す可処、植物標品整理等の為|太《はなは》だ後る。此状中へ白貫師への状封入す。此状は十七日にいよいよ出す。
 外出せず。夜十時迄『徳川十五代史』うつす。
 此朝、川瀬善太郎氏を夢る。これは昨夜氏も吾れも在外中に一の親に別れたりしと想いしによる。
二月十五日 木 陰 13d.
 夜来雨。
 朝、ケンシングトン園に歩すること凡一時間 Dacrymyces stllatus Nees. 及び Fusalium lateritium Nees. を得。
 夜、『徳川十五代史』第十巻写終る。
 発信、中村錠太郎氏状一。
 新規という字を書写すに、不思《おもわず》親規とかく。
二月十六日 金 陰 〇+ 26d.
(28) 常楠より書留状一着、金七磅十九志送らる.
 夕、ケンシソグトン・パークに歩し、Galera tenera Schaeff? を得たり。
 中村氏より、先日土宜氏よりおくられし金六志を受取りおくらる。
 発状、福田令寿、中村錠太郎状各一。
二月十七日 土 13d.
 正金銀行金六磅受。
 Disraeli's Curiosity of Literature 六冊買う。九志六片也。
二月十八日 日 陰
 夕、領事館書記|田結《たゆい》氏(三島中洲門人、吉田直太郎氏友)来訪。
 発信、常楠テ一。
二月十九日 月 陰
 Berkeleyの『蘚類入門』一冊(十四志六片)、Doran の『幇間史』一冊(四志六片)かう。
二月二十日 火 晴
 此二三日、夕より甚ださむし。
 来信、井上陳誠テ一、此状に福田令寿氏病院に入れる旨申来る。
 発信、常楠テ一。
二月二十一日 水
 数日前、仏人 Bourdin グリンヴィチ園にてダイナマイトを発し死す。アナーキストの由。
二月二十二日 木 晴
 『徳川十五代史』巻之十一写し了る。
 常楠より『時事新報』十数枚、『風俗画報』一冊着。
 中井氏より土宜師住処聞に来る、即時返事す。
二月二十三日 金 陰
 午後、隣室の婦人、予の室にあらざるを伺い見んとにや、戸を押し開て入んとす。折柄家の小児窓ふき居しが之を呼止む。
 夜、飯田氏を訪。其家の女応対不礼なることありて怒りかえる。此夜近辺に巡査多し。戒厳と見ゆ。
 Edward Stanford へ前日借りし郵税一片かえす。井上陳誠氏へ金一磅四志おくる。是は福田氏に返与する也。
 中村、土宜氏へ各状一出す。
二月二十四日 土 快 261/2d.
 シンネット氏『エソテリック・フジズム』一册買、代一志六片。
 夜、近街を歩す。
(29) 来信、中村錠太郎氏テ一。
二月二十五日 日 陰 15d.
 常楠へ状一出す。
二月十六日 月 雨 18d.
 土宜法竜氏より状一受、中井氏状一来る。
 発信、土宜師状一。
二月二十七日 火 陰 15d.
 午後、ハイドパークに遊ぶ。Obtained a Hyphomycetes in Hyde Park
 井上氏状来る。福田氏はタイフォイド熱病院にありとの事。
 出信、井上陳誠、常楠状一。
二月二十八日 水 陰 18d.
 『徳川十五代史』巻之十二写しおわる。
三月一日 木 雨 15d.
 今日迄英国にて得る所菌は
  Gastromycetes ………………3
  Agaricini………………………3
  Polyporei………………………1
  AuriculaHini…………………1
  Tremellini……………………1
  Conomycetes…………………1
  Hyphomycetes…………………1
  Myxomycetes…………………1
               12 sp.
 土宜法竜師より状一来る。返書を出す。専ら陳邪《ジヤイナ》教、禅宗等の論也。
三月二日 金 12d.
三月三日 土 22d.
 土宜法竜、井上陳誠氏各状一、常楠へ状一出す。
三月四日 日 快 15d.
三月五日 月 半晴 14d.
 土宜法竜、井上陳誠氏へ出状。(C.lnoue, Esq., 8 Thirlestane Rd.Edingbyrgh.)
 土宜氏状一受。
 夜、雨風。
三月六日 火 晴 12d.
 銀行より一磅受。
 〇俗におぼつかあるとか、向う見るとかいうことあり。扨もわりある士かなということ『著聞』に見ゆ。
〇『徒然革』に、しろうるり、これはいみの分らぬことをわざという也。真人の姓は当時の天子の御名を以(30)て付しに非るか。
三月七日 水 雨
 粟田の飯虫という人の名あり。これは仏経の米虫にとり粟に因めるにや。
三月八日 木 雨
 Paid 143 for――uP to the last Sunday.
三月九日 金 陰
 『徳川十五代史』第九編写畢。
三月十日 土 18d.
 1 Br.Butte, 1 Tea.
三月十二日 月 雨
三月十三日 火 晴 21d.
 『徳川十五代史』第十編写し終る。
三月十五日 木 快
 『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』第十七、第十八巻を買う。代価二磅十六志七片。十七日夕送金。
 常楠より金七磅十三志二片を受く。
三月十六日 金 快
 『徳川十五代史』第十一編写畢。
 虫類の箱に樟脳を入る。
 領事館田結氏へ状一出す。
三月十七日 土 晴
 夜、外出。青年及兵卒に支那人支那人と連呼さる。予髪甚だ長きを以てなるべし。
 『エンサイクロペジア』代価及びマッセー氏の『芝※[木+而]譜』等の代をおくる。
 『徳川十五代史』第十二編写し畢る。
 本日夕より霧あり。
三月十八日 日 陰
 夕、飯田三郎氏来訪。茶を喫し少時話して去る。
三月十九日 月
 福田令寿、土宜氏各状一来る。
 『エンサイクロペエジア』十七、十八、二巻着。
 中村氏より薄紙多く贈らる。
 土宜師、常楠各状一出す。
三月二十日 火 陰
 マッセー『英国菌譜』巻三を買う、七志六片。
 福田氏、リード氏に各状一出す。
三月二十一日 水 晴
 十五志二片払う。来る日曜迄の食也。
 夜、リード氏より状一受。(此状、隣家の入口に在しを宿の女ひろい来る。)
(31) 土宜師へ状一出す。中村氏へ状出す。
三月二十二日 木 陰
 リード氏に状一出す。土宜師より所得高野図一、同氏宅へおくる。
 夜、飯田氏来訪。
三月二十三日 金 晴
 土宜師より状一受。
 『ネーチュール』四冊常楠へ送る。喜多幅武三郎、野尻貞一、福田友作(如《もし》くは佐藤寅次郎)氏等へおくる為也。
三月二十四日 土 快
 土宜師より状来る(巴里より最終の)。
 状一常楠へ出す。
三月二十五日 日 快
 家の裏口に立かけたる古木板上より菌三種を得、何れも Hyphomycetes と見ゆ。
三月二十六日 月 晴
 土宜師より状一受。
三月二十七日 火 晴
 常楠より和歌山旧藩主蔵の呉道子の聖像十哲の写真(吉田永次郎氏の周旋にて写し得)三枚を送らる。
三月二十八日 水 晴
 『徳川十五代史』十二編写しおわる。
 常楠へ状二出す。
三月二十九日 木 晴
 2 Tea, Br.But.
三月三十一日 土 快
 夕、ハイドパールク遊歩。
 常楠へ状四、中□光三郎氏へ状一出す.
四月一日 日
 福田令寿氏へ状一出す。
四月二日 月 晴
 夜、中井氏を訪、十時頃辞して帰る。日本家雛形を見る。よき細工也。
四月三日 火
 3 Tea and Br.But.
 午後、中井氏方に行き、夫人と話して夕に成り帰る。
 来信、石原綱蔵状一、中村氏状一。
 土宜法竜ハガキ一、マーセーユ出発の由中越す。
四月四日 水
 2 Tea and Br.But.
 石原氏状に、熊楠在|竜動《ロンドン》の事は、咋十一月寺島盛之助(32)氏より来信にて始て知る。加之《しかのみならず》、十二月佐藤寅次郎来島、云々。二十五年七月、熊野辺学校教師を辞し、サースデー島に渡り、採貝船を作り採貝事業にかかる。六百人ばかり日本人あり。多分は和歌山県の漁夫と、云々。佐藤氏に頼まれ作りたる外務省報告一通四枚、蒟蒻板にて送らる。
四月五日 木 快
 2 Eggs、2 Tea and Br. Butt.
 夕、ケンシントン園に歩す。
 発信、状一中村錠太郎。
四月六日 金
 2 Tea and Br.Butt.
四月七日 土 晴
 3 Tea and Br. Butt.
 夜、飯田氏を訪、不在。
 常楠へ状二、中村氏へ状一出す。
四月九日 月 快
 2 Tea and Br.Butt.
 フロリダにて所獲薗は Gastromycetes
四月十日 火 快
 2 Tea and Br.Butt.
 『宇治拾遺物語』を読。
 今日迄英国所獲菌は
  1 Discomycetes……………1
  3 Gastromycetes……………3
  4 Agaricini…………………3
   Polyporei…………………1
   Auricularia………………1
   Tremellini…………………2
   Ascomycetes………………1
   Hyphomycetes………………4
   Phycomycetes………………1
   Myxomycetes…………………1
             16sp.
四月十一日 水 快
 2 Tea and Br.Butt.2 Eggs.
四月十二日 木
 朝、ケンシングトン園に遊。
 米国アナバにてとりし菌類、記臆のまま(今も弟方にある筈)。
   (calkins)           (所獲菌)
  1……Gastromycetes………8
  185………Hymenomycetes………84
      25……Agaricini………………………51
(33)  78……Polyporei…………………19
   28……Hydnei…………………2
   49……Auricularini…………7
     Clavariei………………4
     5……Tremellini………1
 25……Aecidiomycetes………11
  18……Hyphomycetes…………5
  107……Ascomycetes…………17
      Perisporiaceae………………2
      Discomycete………………10
      Pyrenomycetes………………5
   6…………Mycetozoa………………4
 347               129 sp.
 フロリダにて所獲薗は
  (総計点数)          (所獲菌)
  16………Gastromycetes…………7
  418………Hymenomycetes………150
    146……Agaricini…………70
    131……Polyporei…………34
     40……Hydnei………………10
     84……Auricularini………29
     8……Clavariei……………4
     9……Tremellni……………3
  50………Aecidiomycetes……14
  63………Hyphomycetes………40
  280……… Ascoycetes…………156
       Discomycetes……………17
       Perisporiaceae
       Pyrenomycetes……………139
    2……Ustilagineae………2
    29……Mycetozoa……………19
                388 sp.
四月十六日 月 雨
 ケンシングトン園に歩し、獲 Monilia caespitosa, Purton, On a Lactarius.
 石原綱蔵氏へ状一出す。福田氏へ状一出す。
四月十七日 火
 常楠へ状一、中井氏へ状一。
 『ネーチュール』予約金払う、四分一年。
四月十八日 水 半晴
 『大英類典』第十九巻を購う。
 中井氏より状来り、招かる。雨らしく且靴直しにやりしを以て断り状出す。四月十九日 木 陰
 烟草厳禁す。
 夜、中井氏を訪、傘一もらう。
(34)四月二十一日 土 半晴
 常楠へ状一、福田氏へ状一、中井氏へ状一出す。
四月二十二日 日 半晴
 午後、中井氏を訪う。巽、中村二氏もあり、種々珍話して帰る。歩して帰る。帰れば二時頃。
四月二十三日 月
 中村氏より金十二志かる。
 夜、飯田氏を訪、飯くわせらる。
 常楠へ状一出す。
 朝、石川保馬氏状来る。去年帰国船中にて疾を生じ今に不快とか。
四月二十四日 火 雨
 午後、福田氏へチャンバールス氏『英文類典』二冊をおくる(四志半にてかえり)。それより飯田氏の店を訪う。
 常楠へ状二、福田氏状一、石川保馬氏状一出す。
四月二十六日 木 晴
 午後、飯田氏店を訪う。
四月二十七日 金 半晴
 午後、ケンシングトンに遊歩し、薗二種(アガリシニ一、ヒフォミセテス一)を獲たり。
四月二十八日 土 半晴
 朝、ケンシングトン園に遊び、昨日と同一の菌一を得。Pilobolus crystallinus Tode 又スフィーリア一、牛糞上に附るを得。
 夜、リード氏を訪う、十時過帰る。
四月二十九日 日 半晴
 夕、中井氏を訪、十時後帰る。
四月三十日 月 小雨
 朝、ケンシyグトン園にて薗□種を得、Lachnellla なり。
 夜、南ケンシントン博物館を見。
 『ネーチュール』へ投書す。Some Oriental Beliefs about the Bees and Wasps.
五月一日 火 半晴
 今月よりいかなる事有るも禁烟の事。
 夜、近街を散歩す。
 福田氏より状一受。福田氏は四月二十日退院、二十一日アイル・オヴ・マンに遊び、今にそこにあり。
五月二日 水
 常楠及福田氏へ状各一出す。
 常楠より状着、金七磅十九志二片を受。
(35)   Gastromycetes……3
   Agaricini……………4
   Polyporei……………1
   Auricularini…………2
   Tremellini……………2
   Coniomycetes…………2
   Hyphomycetes…………5
   Discomycetes …………1
   Pyrenomycetes …………1
   Phycomycetes…………1
   Mycetozoa ……………1
           23 sp.
五月三日 木 半晴
 布田氏より状一来る。
 朝、飯田氏店を訪、帰途グリーンパークにて Stereum sp. を獲。
五月四日 金
 朝、ケンシングトン園に遊ぶ。
 弟より『注維摩経』五冊郵着す。
 コックス『ミソロジー』二冊買う、十二志半。バトラール『アナロジー』一冊、一志。
 福田氏へ状一、常楠へ状一出す。
 『ネーチュール』へ The Earliest Mention of Doctyophora in Literature を送る。
五月五日 土 晴
 朝、ケンシングトン園に遊ぶ。博物学博物館菌の処を見る。
 常楠へ状一出す。
 ヴァルジル英訳一冊買、一志。スェッズンポルグ氏『動物界』一冊、一志。 室料今月二十二日迄払い畢る。
 『大英類典』第二十巻買う。
五月六日 日 半晴
 夕、中井氏を訪う。十時過帰る。中村氏より所借金一磅二志悉く返す。
五月七日 月 陰
 朝、ケンシングトン園に遊ぶ。
五月八日 火 陰
 朝、ケンシング園に遊ぶ。
 プリニーの『ナチュラルヒストーリー』(ボーンス本)二冊買う、代七志半。
 夜、南ケンシングトン博物館を見る。
 中村氏へ状一出す。
(36) 夕、飯田氏を訪う。
 『ネーチュール』より余の文のプルーフおくり来る(ジクチョフォラの事なり)。
 シャメロンの『婦女の性質』二冊買う、五志半也。
五月十日 木
 今日の『ネーチュール』に、予の寄書(東洋人の蜂の諸信)出づ。
五月十一日 金 雨
 朝、ケンシングトン園に遊び、橘皮に附生せる Botrytis Cinerea Pers. and Aspergillus candidus Lk.を獲。
 昨夜、中村氏より状一来る。
 弟より『新報』二包、『世説新語補』十冊、『風俗画報』一、『支那文学全書』七冊(孝忠経、小学、荘子、韓非子、荀子)を受く。
五月十二日 土 半晴
 『風俗画報』へ庚申の猿の事を投書す。画を添え、土宜師の状を抜萃し出す。
 朝、ケンシングトン園に遊ぶ。
 弟より状一着す。
 昨今寒冷冬初の如し。
 金玉均氏暗殺の事を聞き、終日夜不快。
五月十三日 日 快
 午後、飯田三郎氏来訪話しに、二週間計り前に日本会にて望月小太郎氏と耶蘇坊主と争論ありしと。
 『ネーチュール』へ投書す(An intelligence of the Frog)。
 夜、近街を歩す。
五月十五日 火 陰
 弟及長谷宝秀氏(土宜師への状を入る)へ、中村氏へも状各一つ出す。
五月十六日 水 陰
 ブリチッシュ・ミユージュム(博物学部)の F.A.Bather 氏より其著 Nattural History in Japan を被贈。
 夕、ハイデルベルヒのバロン・オステン・サッケンより釆書。予が『ネーチュール』に出せるブソブン虫の事を謝し、並に謝在杭の事実等を問わる。
 福田氏より状一来る。予より頼みやりし大津宮大殯の歌を翻訳したるなり。五月十七日 木 快
 バロン・オステン・サッケンヘ状二本出す。福田氏へ状一出す。
 南ケンシングトン水産博物館を二度見る(朝と午後(37)と)。
 今日の『ネーチュール』へ予の The Earliest Mention of Dictyophora 出づ。
五月十八日 金 晴
 今日よりスリローンス食うことをやめる。
五月二十一日 月
 江聖聡へ出状す。
 土宜師状一ハガキ到る。去る十七日セーロンへ着、無憂城を巡拝し、キヤウニーカンジーヘ参詣す。到処零落、泣く外なし、云々。
 朝、ナチュラルヒストリー博物館を見る。
五月二十二日 火 微雨
 朝、ナチュラルヒストリー館を見る。
 夜、南ケソシングトン博物館を見る。
五月二十三日 水 陰
 数日来たびたび昼寝す。今日より昼寝を止む。志、脇尊者、ィ威が事にならう也。
 『風俗画報』へ庚申のことを投書す。
五月二十四日 木 晴
 朝、ナチュラルヒストリー館を見る。
 今日の『ネーチュール』に、予の An intelligence of the Frog 出づ。ロマニースの書のことを引く。然して昨日同氏は死去とのことなり.
五月二十五日 金 快
 朝よりナチュラルヒストリー館をみる。
 『ネーチュール』へ A Chinese Legend of Animal Dispersal of Seeds 出づ。
 バロン・オステン・サッケンより又状にて、予の手紙によりブンプンの事に智識の益をとり礼謝せらる。
五月二十六日 土
 本日、破戒喫烟す。
 朝、飯田氏を訪う。前日演舌せしとか。
 カルキンス氏より数年来得たる地衣を閲し目録を新調す。凡て□□種あり、内、欧州□□種、米国及英領米州□□種。
 又分類上には、
   Parmeliacei…………211
   Lecideacei…………113
   Graphisleace………74
   Caliciei……………6
   Verrucariacei………48
           452 sp.
(38) 実際四品不足
     318 Verrucaria prospersella
     309 Graphis patellula
      60 Lecanora cermra v.pr
      67 L.fusca v.rufescens
 目録外は
     Pilophorus sp.
     Baeomyces sp.
     Lecanora deplanans Nyl.
     Peltigera
     Heppia Despranii
     Gualecta Cubana
     Lecidea virginiensis Calk.
     Lecanora coaretata Ach.
     Lecidea Nuttaalii Calk.
     Sticta erosa
     Heppia virescens
 ナチュラルヒストリー博物館のバサー氏へ状出す。ケンプルの年歴の事也。五月二十七日 曰 半晴
 今日より以後決して茶を不用。
 午後、中井氏を訪、十時過帰る。あるいて帰る。一時頃着宅。
 プルードンの書、中村氏に貸す。
五月二十八日 月 快
 此日、宅前に小児群居し、又近所の人々叫喚す。予火事と思い、出でてとうに、風船吾宅の裏の方向に飛びおるなりき。
 斎藤文治(馬琴『※[覊の馬が奇]旅浸録』)の事、常楠へ問い合す。
 (又喫烟厳止せることを申しやる。)
 バサー氏よりタイプにて礼状贈らる。叮嚀な文なり。
 中村氏及バサー氏へ状出す。
五月二十九日 火
 常楠及中村氏へ状出す。
 バサー氏よりハガキ来る。
五月三十日 水 半晴
 明日より厳に茶を止む。朝早く起き、夜は十一時牀に入るべき事。
五月三十一日 木 半晴
 福田氏、写真をおくらる。
 中村氏よりネッキタイ一、ハンケチ九枚被贈。
六月一日 金 陰
 今日より厳に厳に茶を飲むことを禁ず。
 福田氏より状一来る。
(39) バサー氏及福田氏へ状各々一出す。
六月二日 土
 Tea.
 午後、中井氏を訪、夜十時半帰る。
六月三日 日 晴
 Luncheon, Tea.
六月四日 月
 茶を不可飲。
六月六日 水 陰
 茶二度のむ。
六月七日 木
 常楠より『支那文学全書』、戦国策二冊、史記十一冊、列老子孫呉等一冊、靖献遺言一冊、詩経一冊、近思録一冊、墨子文中子一冊|著《ちやく》す。
六月八日 金 陰
六月十一日 月 晴
 土宜師、『風俗画報』編輯者及バロン・オステン・サッケンヘ状一ずつ出す。
六月十二日 火
 常楠より状一受、八磅九志二片受。
 當楠へ状一出す。
六月十三日 水
 『大英類典』巻二十一、二十二、二冊及プリニー「博物学』第三巻買う。
六月十四日 木 晴
 ハイドパークにて Lepiota glioderma Fries を得たり。
六月十五日 金 晴
 土宜法竜師へ、ポープス『クリミナル・ヒストーリー』一冊、ペ−リング・グールド『中世志怪』一冊を贈る。
 午後、飯田氏を訪う。
 常楠へ状二出す。
六月十六日 土 快
 昨今日中甚だ暑し。
 常楠へ状一出す。
六月十七日 日
 ハイドパークにて Psathyrella hiascens Fr. を得。
 リード氏へ予譲の伝を送る。
六月十八日 月 雨
六月十九日 火
 常楠へ状出す。
六月二十日 水 雨
 バロン・オステン・サッケンより状一来る。
(40)六月二十一日 木
 本日より茶を厳禁す。
 常楠状一着。
六月二十二日 金
 土宜師へ状一出す。
六月二十四日 日 晴
六月二十五日 月 晴
 土宜師の友人在|錫蘭《セイロン》村山清作氏及びリード氏より状受。
 リード氏へ状出す。常楠へ状一出す。村山氏へ返事出す。
 今日より決して茶を不用也。一日八片を限る。
 土宜師へ天正十四年板のカルヴィンの書(英訳)一つ贈る。
六月二十六日 火 晴
 土宜氏へ状一、中村氏へ状一出す。
 茶と烟草厳禁す。父の志を継ぐ也。
六月二十七日 水
 茶と烟草厳禁す。
六月二十八日 木 快
 中村氏へ状出す。
六月二十九日 金
 烟と茶を止ずんば吾志を行うこと難し。
 金歯悪き故也。苟くも安ずるは丈夫の事に非ず。
六月三十日 土
 此頃、常楠より『常山紀談』等着す。
七月四日 水
 今日より必ず茶を止む。歯及脳を害すればなり。
七月七日 土
 弟より書留状一着。
七月十一日 水 晴
 福田令寿氏より状一受。
 終日在寓。
七月十二日 木 晴
 此度茶代払えば決して茶不用也。
 終日在寓。
七月十五日 日
 ナットールの字書一、家主婦におくる。
 茶厳禁。
七月十七日 火
 『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』二十三、二十四及インデキスの巻を購う。これにて完全す。
七月十九日 木
 夜、リード氏を訪、不在。夫人と話し、十時過かえる。
(41)七月二十日 金
 夜、リード氏を訪、「名跡撮要』二冊、「一掃百態」一冊贈る。又、阿保陀羅経の木魚二個、ネズリコ二個、□□の守り入れ一個、氏を経て博物館へ寄附す。
七月二十一日 土
 中村氏より状一来る。
七月二十二日 日 晴
七月二十三日 月
 土宜法竜師へ、プランズ『アンチクイチイス』三冊、エンネモセールの『魔法史』二冊、ストーンの『クリ スチャニチー・ビフォール・クライスト』一冊、『耶蘇教聖像図彙』二冊郵送す。状一出す。
 リード氏状来。
七月二十四日 火
 長谷宝秀師状来る。
七月二十五日 水 快
 朝、ナチュラルヒストリー館に遊ぶ。
 厳に茶を止む。
 リード氏状来。
 常楠へ状一出す。
七月二十六日 木
 土宜師へ状一及び Huc の『韃靼記行』二册出す。
七月二十七日 金 晴
 朝、南ケンシングトン博物館虫部をみる。
 昨日、常楠状一、江聖聡状一来る。
 今日、常楠へ状一出す。
七月二十八日 土 晴
 朝、南ケンシングトン博物館虫部鳥部をみる。
 常楠へ状出す。
七月三十日 月
 今日より止《た》だ一茶を禁ずること。
 長谷宝秀師へ状出す。
八月一日 水 陰
 朝、印度博物館を覧る。
八月二日 木 半晴
 今日より大に勉学、努て一分時をむだに過さず、茶を止む。
 佐藤寅次郎六月十三日出状着。
 リード氏へ状出す。
八月四日 土
 常楠より、『西鶴傑作集』上一冊、『風来山人傑作集』一冊、『神皇正統記』一冊、『古事記』三冊着す。
(42)八月五日 日 陰
 午後、飯田三郎氏来訪。
八月十一日 土 陰
 常楠へ状一出す。
八月十二日 日 微雨
 眼さむるより十二時迄。朝、午後、仏、羅、隔日。夜、英書。日曜、日本書見るも可なり。
 常楠へ状二出す。
八月十三日 月 快
 村山清作氏より状一、小冊子二、菌三種等おくらる。
 (c/o Madam Weira Koon, Pamankada, Wellawatte, Ceylon)。
 『遁麟記』、「脇専《きようそん》、年八十になんなんとして家を捨てて入道す。城中の少年、すなわちこれを誚《そし》りていわく、愚夫老朽して一《いつ》に何ぞ浅智なる、それ出家する者には二業あり、……、と。時に脇専、もろもろの譏嫌を聞き、よって時人に謝し、みずから誓いて言う、……、これより後、ただ日を足らずとして経行《きんひん》し、宴坐するにも住立するにも思惟し、昼はすなわち理教を研習し、夜はすなわち静慮して凝神《ぎようしん》せん、と。綿歴すること三歳にして、学は三蔵に通じ、三界の欲を断ち、三明《さんみよう》の智を得たり。時人、その徳を敬仰し、よって脇尊と号《なづ》く。」
八月十四日 火 晴
 常楠より書留状一着。
 『幕府衰亡論』受。
 『世説新語補』巻四注、「ィ越《ねいえつ》は中牟《ちゆうぼう》の鄙人なり。耕稼の労に苦しみ、その友に謂いていわく、なんすれぞこの苦しみを免るべき、と。その友いわく、学ぶに如くはなし、学ぶこと三十歳ならば、すなわちもって達すべし、と。ィ越いわく、請う十五歳をもってせん、人まさに休まんとするも吾あえて休まざらん、人まさに臥《ふ》せんとするも吾あえて臥せざらん、と。学ぶこと十五歳にして周の威王の師となる。」
 今日菌類を閲し一々毒ぬる。
八月十五日 水 晴
 村山清作氏へ状一出す。Huc の『西蔵紀行』一冊贈る。
八月十六日 木 陰
 常楠へ状一出す。
 夜、羅甸《ラテン》及仏語を閲す。
 此朝、夢に餅を食うて代価勘定するに、五志(勘定はペンニーになし十二にて除す)、実に高いものと思う。(43)案ずるに、此如く道理は夢中にも変ぜず、又高いうあすいという感も同じ。然る時は幽冥の間又一貫の理と感じあり。ただ違えること多く混ぜるのみならん。
八月十七日 金 陰
 中村氏へ状一出す。
八月十八日 土
 『骨董集』所引書を数えしに、三百四十六部あり。
八月二十一日 火 陰
八月二十四日 金
 弟より罫紙五帖着す。
八月二十五日 土 陰
 温故叢書七六、文学全書七四、歌学全書四〇、支那文学全書一六、日本文学全書三八、百家説林三七。二八一。
八月二十六日 日
 博物書九、古物二、社会学五、文学三一、宗教・道学二、史伝一四、雑著・類書五。七七。
八月二十七日 月 半晴
 一日飲食料十五片と定む。決して之を踰《こえ》ず。
 定時間の外それぞれの書を見ず。
 昨日の新聞に清兵ピンガンにて大捷とありしが、今日新聞見るにたしかなことでなき様なり。
八月二十八日 火 半晴 15d.
 福田令寿氏状着、三好学氏数日前ピトロクリーにありしと。三好学は植物学者。
八月二十九日 水 14d.
 朝早く外出、髪斬りに行く。
 午前、飯田氏を訪、夕に到りかえる。
 福田氏へ状一出す。
八月三十日 木 晴 13d.
 夕、飯田氏を訪、不在。
 福田氏へ状一出す。
八月三十一日 金 快 8d.
 午後四時過、バロン・オステン・サッケン氏来訪され、茶少しのみ、二十分斗りはなして帰る。六十余と見ゆる老人なり。魯国領事として新約克《ニウーヨーク》にありしとのこと.
 夕、リードを訪、不在。
 夜、飯田氏を訪う。
九月一日 土 快 221/2d.
 夕、飯田氏を訪う、不在。
 土宜法竜師状一及『白虎通』二冊来る。
九月二日 日 晴 17d.
(44) 土宜法竜師へ状一出す.
九月三日 月 微雨 161/2d.
 午後、飯田氏を訪。
九月四日 火 陰 20d.
 午後、飯田氏を訪う。
 石炭かう、四袋八志八片也。
 マルカムの『ペリュー発見報告』一冊、四志六片にて買う。
九月五日 水
 午後、飯田氏を訪。
 土宜師より『風俗通』、『呂氏春秋』、劉向『説苑』着す。同氏へ『印度礼律記』一冊、『ペリュー発見報告』一冊贈る。
 常楠より金十磅七志四片を受。
九月六日 木 121/2d.
 土宜師へ状出す。
九月七日 金
 男爵サッケンの著書『中生の蜂説』二部贈らる。
 リード氏状来る。
 西  、仏、羅の三隔日とする。
九月八日 土 快 171/2d.
九月九日 日
 茶止む。
九月十日 月 半晴 16d.
 国元ヘサッケン男の著一冊贈る.
 サッケン氏へ状一出す。
九月十一日 火 131/2d.
 土宜師へバトラル氏『アナロジー』一部おくる。
九月十二日 水 晴 19d.
 中村氏より襦袢五枚贈らる。
 日曜毎に植物を閲すべし。
 いかなることあるも日曜の外、日本、支那の書を不見。
九月十三日 木 晴
 常楠へ状一出す。
九月十四日 金 時 201/2d.
 常楠へ状一出す。
九月十五日 土 19d.
 チャンパルスの『ブック・オヴ・デイス』二冊、家主婦に贈る。
 常楠へ状一出す。
 厳禁茶飲。
九月十六日 日 陰 20d.
(45)九月十七日 月 18d.
九月十八日 火
 午後、中井氏を訪う.十一時頃帰る。
 烟のむ。
九月十九日 水
 常楠より『時事新報』着。
 ミュレル氏『レクチュールス・オフ・ランゲージュ』二冊買う、八志。
 烟のむ。
 8 Collara, 2 Shirts, 1 Underwear.
九月二十日 木 陰 111/2d.
 中井氏へ状出す。
 烟のむ。
九月二十一日 金 雨
九月二十二日 土 雨 17d.
 ライブニッツの如くなるべし。
 禁茶禁烟、大勉学す。
九月二十四日 月 陰 18d.
 中井芳楠、横山安克氏より、二十六日午後七時、ホルランド・ロード林領事宅にて日本人会を開き、同日在英日本人の名義を以て、今回海陸戦戦捷を祝し、併て表誠醵金の義相談するに付通知あり。予は出席せずと返事、但金一磅寄附す。
九月二十五日 火 10d.
 仏語稽古日。
 清談以持己、 「清談、もって己を持し、一意報家国。 一意、家国に報ぜん。」
九月二十六日 水 陰
 『自笑・其碩傑作集』一冊、弟より着。
 夜、林領事宅にて日本人会勝軍を祝す。七時開会、四十人斗りありし。会頭中井芳楠君を始めそれぞれ祝辞あり、盃を挙ぐ。望月小太郎氏詩、次に予ドド一(命やる迄沈めた船に苔のむす迄君が代は、今一つ)。十一時頃、中村、巽二氏とつれ還る。六郷、田結、内田、横山等の諸氏に面す。
九月二十七日 木
 バロン・サッケンより来状、予のプンブの説の補遺おくりしを謝するなり。次の板には別条にして同氏の著に入るべしとのこと。
 中井氏より一磅表誠金の受証来る。予一番なりし。
九月二十八日 金
 夜、六郷子爵(政形君)を訪、不在。因て名刺を渡し
 
  (46)てかえる。
 村山清作氏状着。
 村山氏へ状出。
九月二十九日 土
 常楠状一受。
 及『日本博物学年表』一冊着。
十月一日 月 陰
十月二日 火
 昼寝を止む。
 常楠へ状一出す。
十月三日 水
 茶を止む。
 六郷氏を訪、不在。
 中村氏より状一来る。
十月四日 木 陰
十月五日 金 陰
 中村氏へ状一出す。
十月六日 土
 朝、美術館を見る。
 村山氏へ状出す。
 菌類(所蔵日本及此地に置く)総数八八八
   Gastromycetes……………17
   Hqmenomycetes…………441
     Agaricini…………………155
     Polyporei……………149
     Hydnei………………40
     Auricularini…………84
     Clavariei……………8
     Tremellini……………9
   Aecidiomycetes…………50
   Hyphomycetes……………64
   Ascomycetes……………281
   Ustilagineae………………2
   Mycetozoa………………29
            888
十月七日 日 雨
 百万※[豸+箆の竹なし]※[豸+休]気蓋天 「百万の※[豸+箆の竹なし]※[豸+休]《ひきゆう》、気は天を蓋《おお》い、
 日輪照処敵無前 日輪の照らす処、敵の前《すす》むなし。
 将軍横槊清都月 将軍、槊《さく》を横たう、清都《しんと》の月、
 欧亜興亡到馬辺 欧亜の興亡、馬辺に到る。」
        望月小太郎
十月八日 月
 村山氏へ『キュリオシチイス・オヴ・リテラチュール』一冊贈る。
(47) ホエウェルの『ヒストーリー・オヴ・インダクチィヴ・サイエンス』三冊(六志半)、ミルハウス『伊太利《イタリア》語字彙』二冊(四志半)購う。
十月九日 火
 時間を惜む事。
 村山氏へチャムバース氏『百科全書』二冊送る。
十月十日 水
 喫烟を止む。
 終日及明朝四時頃迄、『ネーチュール』への投書 The Entrance of Chinese を草す。
 土宜法竜師(東寺にあり)より『和名抄』五冊、『曼陀羅私紗』二冊着す。十月十三日 土
 村山清作氏より錫蘭《セイロン》の菌類十六種斗り着。
 日本人表誠醵金の明細表送らる。予第一にして、望月小太郎氏終なり。七十八名、百九十九磅七志、日本貸一千八百五円四十三銭。
 五磅ずつ、中井芳楠、六郷政賢、渡辺専治郎、高田寿次郎、岡村輝彦、高橋邦三、伊達菊重郎、高山条綱、林権助、岩田善明、遠藤喜太郎、蜂須賀正照、伊藤祐侃及野田清種、松岡信教、北古賀竹一郎、種子川九八郎、飯田三郎、内田康哉、吉坂季太郎、宮条次郎、藤田平太郎、田中根之助、大久保立、望月小太郎。三磅ずつ、高木善寛、高橋次郎、福原栄太郎、各務謙吉、真野秀雄、青木慎次郎、水谷教彦。二磅十志、林亀太郎。二磅ずつ、岡実康、相原祐弥、北村七郎、森川三子郎、中島正賢、藤村徳司、二見綱太郎、岩沢留吉、浜田兼吉、前田薫次郎、牧小六、高安通成、福田令寿及村田悠蔵、楢原陳政、田結郷三郎。一磅十志宛、中村錠太郎、市原敬三、岡野悌二。一磅ずつ、南方熊楠、渡辺満里子、中井竜子、宮岡恒次郎、同慶子、小畠信吉、横山安克、税所篤三、巽孝之丞、諌山廉吉、益田太郎、羽田如雲、佐野藤一、秋月徳次郎及山木長男。一磅一志ずつ、高楠順次郎、小脇源二郎。五志、有藤金太郎。
十月十四日 日
 終日、『ネーチュール』への投書を草す。
 昨日着の村山氏より所贈の菌類は、アガリシニ八種、ポリポリアイ十種、トレメリニ一種、ピコミセテス一種、合して十九種也。
十月十五日 月 半晴
 夜、『ネーチュール』への投書成る。早速送る。
(48)十月十六日 火 陰、小雨
 村山氏へ状一出す。
 朝、ケンシングトン園に遊ぶ。
十月十七日 水 陰
 常楠へ状一出す。
十月十八日 木 霧
 常楠及び福田令寿氏、土宜法竜、村山清作二氏へ状出す。
 リード氏ハガキ来る。
十月十九日 金 陰
 烟厳禁。
 『ポピュラル・エジュケートル』三冊、村山氏へ送る。
 土宜法竜師へ『システムス・オヴ・リリジオンス』一冊送る。
 夜、リード氏を訪う。
 国元より着の『時事新報』一封、『風俗画報』二冊、『名家人名評伝』二冊、『画家人名評伝』二冊受取る。
十月二十二日 月
 公使館書記内田康哉氏より天長節祝宴のことを告《つげ》くる。
 夕、飯田三郎氏を訪、それより中井氏を訪、九時過に及び帰る。
十月二十三日 火 陰
 内田氏へ出席の由告。
 夕、飯田氏を訪う。
十月二十四日 水 半晴
 『ネーチュール』より、予の稿の活板直しにプルーフを送らる。
十月二十五日 木 快晴
十月二十六日 金 雨
 夜、暴風雨を犯して郵征局に往、土宜師へ『生、死、未来論』一冊を贈送す。
十月二十九日 月 快
 バロン・サッケンより状受、予の書翰より集めたるものを、同氏の著のサップレメントとして出すべしとなり。
 新聞に、支那兵キウ・レンチャウを脱したる由見ゆ。
十月三十日 火 雨
 バロン・サッケン及中村氏へ状出。
十月三十一日 水 陰
 ミル氏『印度史』合九巻買う、代十八志六片。
 中村氏及巽氏よりネッキタイ二、履《くつ》たび二贈らる。
 禁烟の事。
十一月二日 金
(49) 『ネーチュール』へ Chinese Beliefs about the Caves を投ず。
十一月三日 土 陰
 夜、公使館へ往く。予演舌して後かえる。四十余人斗出席す。
十一月四日 日
 今日より杜門読書すべし。
十一月五日 月 陰
 飯田氏を訪う。
十一月六日 火 陰
 家の猫失わる、今日にて四日不帰。
 常楠へ状一出す。
十一月七日 水
 グロ−トの『希臘《ギリシア》史』、スペンセルの『心理学』買う。
十一月八日 木
 『ネーチュール』へ予の文、「支部人の北に付ての信」出ず。
十一月九日 金 陰
 午後、飯田民を訪、八時帰宅。
 ガーベット氏状来る。
十一月十日 土 半晴
 田結、森川二氏状来る。
 村山清作氏よりハガキ来る。
十一月十一日 日 雨
 近日市中にて一貴人児童を淫し囚いられ、獄中にて昨日自殺せる由、今日のPeople にて見る。
十一月十二日 月
 福田令寿、石川保馬氏へ状出す。
十一月十四日 水
 午後、飯田氏を訪。
十一月十五日 木
 『ネーチュール』へ予の文「支那人洞穴の信」出ず。
十一月十六日 金 晴
 村田氏状到る。
十一月十七日 土
 夜、リード氏を訪う。弟より来着の輪袈裟一領同氏に托し、サー・ウォラストンに呈す。
十一月十九日 月
 午後、飯田氏を訪。
 村山氏より菌三十個斗り着す。新に手に入るもの六種斗りあり。内、地衣一、ポリポレアイ四種、アガリシニ一種。前日と合して二十五種なり。
(50)十一月二十日 火 雨
 夜、リード氏を訪、藤島常具の古銭小判の摸製三箱を同氏夫人に呈す。
十一月二十一日 水 雨
 午後、飯田氏を訪。
 朝、常楠状着、白貫勧善師より五大明王の梵語等の記を贈らる。
十一月二十二日 木 陰
 午後、飯田氏を訪。
 田結氏状来り、新年のモトーのよきものを聞合さる。
 福田氏より来年の日記帳を送《おくら》る。
十一月二十三日 金 陰
 昨夜の新紙に、支那より日本へ直ちに和睦を申込たること出たり。
 本日より炉焚く。
 厳に烟を禁ず。
 Mallet's Northern Antiquities 二志を買う。
十一月二十八日 水
 常楠へ状一出す。
十一月二十九日 木 陰
 夕、飯田氏を訪、直に帰る。細井田之助氏もあり。
 朝、ふとんのへり左胸にかかる。予夢、猿、右の処へかき付くと。
十一月三十日 金 晴
 常楠へ状出す。福田氏へ状出す。
 リヴィ三冊、三志半でかう。
 郵便切手一つ失い、尋る時指で切手の大さを測る。
十二月一日 土
 本日より禁烟。
十二月三日 月
 夜、飯田氏を訪、諌山氏もあり。
 村山清作氏状来る。
十二月四日 火 陰
十二月五日 水
 中村氏より来状、拇印の事聞合せたる返事なり。
 朝、飯田氏を訪、夕、点火後帰る。
十二月六日 木
 ボストン大学 Wm.R.Warren より状来る。客月八日予が『ネーチュール』に出せる文をほめ来れるなり。
十二月七日 金 陰
 禁烟厳行す。
十二月十日 月
(51) 本日より厳に禁烟、一断煩悩、二断所知章、三断怠慢也。火を節し燈を小くするよりも、烟を禁ずるの利あるに如《しか》ず。
 粉骨|〓《さい》身して学ぶべし。切一切外事。
十二月十五日 土 〇
 厳に禁烟の事。
 村山清作、南方常楠状出す。
十二月十六日 日 雨 〇
 終日閉居。
十二月十七日 月
 夜、リード氏を訪う。長谷宝秀師より着の『和漢古今万宝全書』受取り帰る。
十二月十八日 火
 日本支邪蔵書。博物書九、古物学四、社会学五、文学三一、宗教・道学一〇、史伝一五、雑書・類書五、日本文学全書等二八一。〔計〕三六〇種。
十二月十九日 水 晴
 スープ及烟草止む。
 好きな事せず、いやなことすべし。
十二月二十日 木
 朝、飯田氏を訪、午後四時帰る。
十二月二十二日 土 陰
 午後、飯田氏を訪、門にてあい、そのまま分る。
 村山清作氏より菌二十新種。
   Agaricini………………9
   Polyporei………………4
   Mycetozoa………………1
   Aecidiomycetes…………1
   Phycomycetes……………4
   Pyrenomycetes……………… 1
 外に地衣十八種、藻二種、蘚十二種、苔一種を受く。
 村山氏へ状出す。
   Gastromycetes……………17
   Hyphomycetes……………458
     Agaricini……………………164
     Polyporei……………………153
     Hydnei ………………………40
     Auricularini……………………84
     Clavariei………………………8
     Tremellini……………………9
   Aecidiomycetes……………51
   Ascomycetes………………281
   Hyphomycetes……………68
   Ustilagineae………………2
(52)   Mycetozoa…………30
             907
十二月二十七日 木 〇
 ワレンス氏状来る。
 終日在家。
 今日の『ネーチュール』に予の「拇印考」出。
十二月二十八日 金 〇
 禁烟。
十二月二十九日 土 晴 〇
 John O'neill 氏状来る。同氏著書の表題等申来る。
 (Warren 氏の友人也。)
十二月三十日 日
 往時は侮るも詮なきことなり。一意是より勉学すべし。
十二月三十一日 月
 常楠より『俳諧史伝』一着。又、状一着し、白貫勧善師、橋爪喜右エ門氏死亡の由聞及ぶ。
 常楠へ状一出す。
 
   一八九五年(明治二十八年)
 
 大節倹の事。
 日夜一刻も勇気なくては成ぬものなり。
 ゲスネルの如くなるべし。
 大事を思い立しもの他にかまう勿れ。
 厳禁喫烟。
 往時不追、来時不説。
 禹は寸陰を惜む。
 学問と決死すべし。
 晩学如夜燈、尚勝無之。
一月一日 火 晴 ●
 村山清作氏へバックスの哲学書、ベ−ン氏の心理道義書、各一冊郵送。
一月二日 水 晴、微雪ふる ●
 村山氏へ状一出す(郵便切手はる帖一冊、『ネーチュール』一)。常楠へも『ネーチュール』三(常楠、平助及野尻貞一氏へ)、状一出す。
(53)一月三日 木 ○
 W. Rafford, Rolls Park, Chigwell, Essex. より、予に日本語教授を乞わるる状来る。予、之をことわる。
九|志《シリング》七|片《ペンス》。
一月五日 土 陰
 村山清作氏状一着す。
 常楠及村山氏へ状一出す。
 常楠より『新報』一封着。西鶴『俗つれづれ』及『胸算用』。
一月七日 月
 村山氏より小箱一着。受書出す。郵便切手数枚贈る。
 Clavariei;Polyporei;Lichens;Musci;Mycetozoa 各一也。
  Gastromycetes…………17
  Hymenomycetes………460
    Agaricini………………164
    Polyporei………………154
    Hydnei…………………40
    Auriicularini……………84
    Clavariei……………… 9
    Tremellini………………9
  Aecidiomycetes…………51
  Hyphomycetes……………68
  Ascomycrtes……………281
  Ustilagineae………………2
  Mycetozoa………………31
          910 species
  Gastromycetes……………8
  Agaricini…………………120
  Polyporei…………………30
  Hydnei…………………… 15
  Auricularini………………20
  Clavariei…………………10
  Tremellini…………………5
            208
  Aecidiomycetes………………
  Ustilagineae………………20
  Hyphomycetes…………… 30
  Phycomycetes………………5
  Discomycetes………………40
  PyrenOmycetes……………60
            155
一月九日 水 霧
一月十日 木 陰
 火炉の前に   鉄製の火炭を受るものあり。地板に緊着せず。之に足を一つのせ椅に坐して一手に力を入るれば、右の鉄製のもの震動して鳴を発するなり。
一月十一日 金 陰 ○
 『ネーチュール』へ Chinese Accounts of the Origin of Amber を投ず。
 今日より厳に禁烟、其銭にて人の学《まなば》んと欲しながら学(54)び得ぬものを救うべし。
一月十二日 土 陰 〇
 外出せず。
一月十三日 日 ●
一月十四日 月 晴
 室内大掃除す。
一月十六日 水 ●
一月十七日 木 雨 〇
 本日の『ネーチュール』に予の状 Finger-Print Method 出づ。
一月十八日 金 〇
一月十九日 土 雨 〇
 明日より時間を定め、午後八時迄語(羅日曜、独仏隔日)、それよりは心理学。
一月二十日 日 〇×△
一月二十一日 月 晴 〇×□
 常楠より六|磅《ポンド》九志四片(六十五円)受。
 常楠へ状出す。
一月二十二日 火 雪 ○×□
一月二十三日 水 決 ●×□
 夜外出す。
一月二十四日 木 ●×□
一月二十五日 金 
一月二十六日 土 ●×□
 2 Tea.
一月二十七日 日 晴 〇×△
 1 Tea, 1 Lunch.
一月二十八日 月 雪 ●×□
 3 Tea.
一月二十九日 火 ●+□
 2 Tea.
一月三十日 水 ●+□
一月三十一日 木 ●+□
二月一日 金 雪 〇+□
 リード氏状来る。
二月二日 土 陰 〇×△
二月三日 日 〇+□
 1 Tea.
二月四日 月 ●×□
二月五日 火 ●×□
 常楠より状来る。
二月六日 水 ●+△
(55)二月七日 木 ●+□
二月十日 日 〇×△
二月十一日 月 ●×□
 常楠より『元亨釈書』五冊、『論衡』八冊着。
二月十二日 火 快 ●×□
二月十三日 水 霧 ●×△
二月十六日 土 ●×□
二月十七日 日 陰 ●×△
二月十八日 月 ●×□
二月十九日 火 ●×△
二月二十二日 金
 夕、飯田氏を訪。諌山氏も来る。
 オステン・サッケン男より Eristalis tenax in Chinese and Japanese Literature を贈らる。
二月二十三日 土
 福田氏状一来る。
二月二十四日 日 晴
二月二十五日 月 陰 ●×□
 常楠へ状一、オステン・サッケンへ状一、福田氏へ状一出す。
二月二十六日 火 晴 ●+□
三月四日 月 雪
三月五日 火 〇+□
 昨夜、常楠状来る。五□ 円(一ポンドに付一志一片八分一)四十八磅三志七片、内に中松盛雄氏状入。
三月八日 金 ●×□
三月九日 土 〇×□
 土宜法竜師状一来る。
三月十日 日 晴 〇×△
三月十一日 月 ●×□
 夕、飯田氏を訪。常楠へ状一出す。
 茶二度とも払う。
三月十三白 水
 1 Tea.
三月十四日 木 ●+△
 2 Tea.
 博九、古物四、社会五、文学三四、宗教・道学一一、史伝一九、類・雑書五、日本文学全書等二八一、百家説林一〇。三七八。
三月十五日 金 〇+□
 夕、飯田氏を訪、少時話して帰る。
 2 Tea.
(56) 十三志一片半。
三月十六日 土 陰 ●×□
 午後飯田氏を訪。
 2 Tea.
 食一志一片、烟一志六片、新聞一片、付落し一片。
 十志四片半。
三月十七日 日 陰 〇×△
 1Tea, Lunch.
三月十八日 月 晴 ●×□
 二茶。
 履《くつ》直し三志、食物八片。
三月十九日 火 ●×□
 午後、飯田氏を訪う。
 二茶。
 二志五片使う、五志□ 氏より入。
三月二十日 水 雨 ●×□
 午後、飯田氏を訪う。
 二茶。
三月二十一日 木 ●×□
 午後、飯田氏を訪う。
三月二十二日 金 ●×□
 リード氏状一。村山氏状一、ハガキー受。
 朝、飯田氏を訪。
三月二十三日 土 雨 ●×□
 土宜師状一受。
三月二十四日 日 ●×△
三月二十五日 月 晴 ●×□
 朝、飯田氏と衣服匠方へ往、二枚衣服注文す。合して八磅八志也。
三月二十七日 水
 衣服成る。
三月二十九日 金
 午後、飯田氏を訪。
 衣服屋へ行、ズボン直さしむ。帰途雨にあい新製の衣ぬるる。
三月三十日 土
 中村氏へ状出す。
四月五日 金
 夜、リード氏を訪。
四月十日 水 晴
 博物館に之《ゆき》、リード氏と読書室に之く。
四月十一日 木 晴
 博物館に之く。
(57)四月十二日 金 〇×△
 此頃常桶より四十円着.
四月十三白 土 晴 ●+□
四月十四日 日 〇×△
 一磅十二志二片二分一。
四月十五日 月 快 ●×△
 『ネーチュール』へ Mandrake 出す。
 二茶、一食。
 烟草九片、食十片、郵券五片。一磅十志二片半。
四月十六日 火 快 ●+□
 常楠及村山氏へ状出す。
 三磅十七志二片受。
 二茶、一食。
 郵便二片、郵便為替(マクミランへ)七志七片、油十片、烟一志、新聞一片、食十片、十志六片。
四月十七日 水 半晴 ●×□
 今日より毎日大英博物舘書籍室へ入る。
 午後、飯田氏を訪。
 郵税二片、食六片。四磅十六志二片半。一磅四志二片半。
四月十八日 木 陰 ●×□
 午後、飯田氏を訪.福田令寿氏にあう.それより同氏宅に至り、八時迄話して還る。
 スタンプ一片、油一片、烟一志六片、洗濯二片、食一志、二志十片。一磅一志四片二分一.
四月十九日 金 快 ●+□
 夕、福田氏を訪、不在。
 常楠へ状一出す。
 洗濯一志七片、烟一志、郵切三片二分一、食十片、三志八片二分一。十七志八片。
四月二十日 土 晴
 飯田氏を訪。福田氏とつれ其宅に之く。
 果子六片、新聞一片、食一志、室料(三十迄)六志、烟六片、車賃二片、八志三片。
 別に食料十一志二片払う。二磅十志十片のこり。
四月二十一日 日 陰
 午後四時過、福田氏来る、八時半頃迄話して、つれて其宅辺にゆき、予は分れかえる。
 烟一志、車一片。
四月二十二日 月 雨
 福田氏とブリチシュ・ミユジュム及ナショナル・ガレ(58)リーに之。それより同氏寓にて飯。十一時前帰る。
 車賃四片、烟六片、六片失う、十六片。二十五志十片。
四月二十三日 火 晴
 一食、二茶。
 新紙二片、食十片、一志。二十四志十片。
四月二十四日 水 晴少雨
 博物館書籍室に之く。途上飯田氏に立寄、福田氏にあう。
 二茶、一食牛肉。
 車二片、郵税七片、ココ二片、烟六片、食十二片、二志五片。二十二志五片。
四月二十五日 木 晴
 夜、福田氏を訪、不在。
 今日の『ネーチュール』に、予の The Mandrake 出づ。
 二茶、一食牛肉莱。
 烟六片、食三片、九片。二十一志八片。
四月二十六日 金 雨
 夜、福田氏を訪、十一時に去る。
 食一志一片。二十志七片。
四月二十七日 土
 食六片、一週食事の内払い五志、五志六片。十五志一片。
四月二十八日 日 晴
 一茶、一食。
 烟六片。十四志七片。
四月二十九日 月
 福田氏へ八磅貸す。書留にて送る。
 客週食の払いすみ六志六片、傘十二志六片、傘の被い一志六片、食九片、車三片、書留料二片、二十一志八片。
四月三十日 火 晴
 書籍館、二時半より七時過迄。途上飯田氏を訪う。
 二茶、一食肉のみ。
 烟六片、車四片、食六片、一志四片。此日持高八磅十二志五片。
五月一日 水 半晴
 午後、飯田氏を訪う。
 小茶、一食肉菜。
 烟一志、宿料(今日より三週間)十八志、新紙一片、
 食九片、手帳一志、独字典二志、髪斬五片、ココ二片、(59)仏銭(まぎれ入)一片。七磅八志十一片。
五月二日 木 快
 午後、飯田氏を訪う。
 一茶、一食肉莱とも。
 烟三片、幸二片、食六片、十一片。七磅八志。
五月三日 金 半晴
 博物館三時より七時迄。
 J.Mouray, Le Royaume du Cambodge を読む。
 二茶、一食肉菜とも。
 ココ二片、烟六片、車二片、食五片、新聞紙一片、一志四片。七磅六志八片。
五月四日 土 晴
 書籍館三時より七時迄。
 不在中へ木村シュン吉氏来る。
 食肉のみ。
 新聞一片、郵切手二片、烟六片、車五片、一志二片。七磅五志六片。
五月五日 日
 午後四時頃、木村シュン吉氏来訪、つれて出、林領事を訪、不在。食し、ハイドパークコーナーに到り分る。七磅五志六片。
五月六日 月
 食払い十志六片、一志六片、ハム四片、郵切一片、乳四片、新聞一片、烟六片、チーズ三片、卵三片、車二片。
五月七日 火
 車二片、新聞一片、烟六片、パン三片、バター四片。六磅十一志七片。
五月八日 水 快
 福田氏状来る、返事出す。
 一食、二菜。今日より一志ずつに定む。
 郵切八片、新聞一片。六磅十志十片。
五月九日 木 晴
 博物館二時過より七時前迄。
 二茶、一食。
 飯田氏へ矢立代五志、車四片、新聞一片、食六片、五志十一片。六磅四志十一片。
五月十日 金 晴
 三時より七時迄博物館。
 食六片、車六片、烟三片、郵切二片二分一、マッチ一片、二志六片二分一。六磅二志四片二分一。
五月十一日 土 晴
(60) 五時より七時迄博物館。
 常楠へ書留状一出す。
 書籍代(クワリッチへ送る)二磅、烟六片、食六片、車三片、新聞二片、郵切手五片二分一、二磅一志十片二分一。四磅六片。
五月十二日 日 晴 △
 四磅六片。
五月十三日 月 △
 Quaritch より『淵鑑類函』百六十冊被送。
 二茶、一食。
 食九片、食料前週十志七片、新聞二片、郵税二片二分一、小児にやる二片。三磅八志七片二分一。
五月十四日 火 晴 ×△
 午後、飯田氏を訪う。
 二茶、一食。
 スペイン語典一志九片、郵切五片、烟六片、車三片、二志十一片。三磅五志八片二分一。
五月十五日 水 ●+□
 二時より七時迄書籍室。
 室料一週六志、洗濯二志十片、縫料及使い六片、烟三片、車六片、食九片、十志十片。二磅十四志九片二分一。
五月十六日 木 陰 ●+□
 二時より七時迄書籍室。
 本日寒し。
 一食、一茶。
 車五片、烟六片、食三片、新聞一片。二磅十三志六片二分一。
五月十七日 金 〇+□
 十二時過より七時迄書籍室。
 車六片、食七片、一志一片。二磅十二志五片二分一。
五月十八日 土 陰 〇+□
 一時前より七時迄書籍室。
 本日寒。
 ソース四片二分一、食一志二分一片、車六片、一志十一片。二磅十志六片二分一。
五月十九日 日 陰 〇×△
 終日在宅。
 午後、飯田氏来る、忽《たちまち》にして去る。
 一食、二茶。明日より二茶厳禁。
五月二十日 月 陰 〇+□
(61) 二畤過より書籍室、七時迄。
 少《すこし》く暖くなる。
 郵切手二片、前週の食料主人へ払う九志七片、同人へ九片、車六片、新聞一片、烟六片、食一志一片二分一、十二志八片二分一。一磅十七志十片。
五月二十一日 火 陰 〇+□
 二時より七時迄書籍室。
 食八片二分一、車六片、一志二片二分一。一磅十六志七片二分一。
五月二十二日 水 陰 〇+□
 十一時十五分より七時迄読書室。
 福田氏状一来る。
 食九片、車六片、一志三片。一磅十五志四片二分一。
五月二十三日 木 陰 〇+□
 一時四十五分より七時迄書籍室。室内のハーベリウム掃除す。
 食七片、車六片、一志一片。一磅十四志三片二分一。
五月二十四日 金 陰 〇+□
 十二時二十五分より書籍室、六時四十五分迄。
 車六片、食八片二分一、乳一片、一志三片二分一。一磅十三志。
五月二十五日 土 晴 〇+□
 常楠状一着。
 本日より茶全廃す。
 午后二時二十五分より七時迄書籍館。途上飯田氏を訪う。
 クアリッチ方へ書(医書、『淵鑑類函』に混じ来りしもの)を返しに行く。 村山氏へ状及レンネットの書一冊出す。
 車二片、食十片、牛乳一片、一志二片。一磅十一志十一片。
五月二十六日 日 晴 〇+△
 朝、ケンシングトン園辺を歩す。
 本日一茶一食。
五月二十七日 月 〇+□
 書籍室一時十分より七時迄。
 食九片二分一、車六片、乳三片、一志六片二分一。一磅十志四片二分一。
 本日より烟草、茶厳禁。
五月二十八日 火 〇+□
(62) 十二時三十分より七時迄読書室。
 乳三片、食九片、車六片、一志六片。一磅八志十片二分一。
五月二十九日 水 〇+□
 十二時五十分より書籍室、七時迄。
 ソース四片二分一、乳三片、食六片、車六片、前週食料等十二志六片、同一志、十五志一片二分一。十三志九片。
五月三十日 木 快 〇+□
 十一時四十分より七時迄書籍室。
 食十一片二分一、乳二片、車六片、一志七片二分一。十二志一片二分一。算違い十三志二分一。
五月三十一日 金 晴 〇+□
 十二時五十五分より七時迄読書室。
 髪きる四片、乳五片、食六片、車六片、一志九片。十一志四片二分一。
六月一日 土 快 〇+□
 七起。十二時四十五分より七時迄書籍室。
 乳三片、車六片、卵五片、食十片二分一、二志二分一片。九志三片二分一。一志出てくる、十志三片二分一。
六月二日 日 〇×△
 一茶。
六月三日 月 半晴 〇×△
 朝、飯田氏来る。
 前々週月曜、常楠より百六十円替十七磅五志受。
 四時より七時迄書籍室。
 一茶。
 乳二片、車六片、八片。九志七片二分一。
六月四日 火 快 ●×△
 八時起。
 『ネーチュール』三ヵ月分予約払う。
 午前十一時過より六時迄、飯田氏方に遊ぶ。夕、つれてかえる。
 常楠へ状出す。
 食三片、食一志一片二分一、車二片、コッフィー二人前六片、郵便料四片二分一、矢立一本買う五志、ソース四片二分一、七志九片二分一。一志十片。
六月五日 水 △
 六時過起。
 十二時十七分より七時迄書籍室。
 食七片、乳三片、車六片、一志四片。六片。
(63)六月六日 木 晴
 飯田氏に立寄.
 三時より七時迄書籍室。
 銀行より受八磅。内三磅出す、三磅六片。為替料一片、為替十志六片、郵税四片、乳二片、コヒー九片、(食十一片二分一、これは明日払う)、車五片、十二志三片。二磅八志三片。
六月七日 金
 村山氏へ同氏注文の書籍一送る(伊予今治片原町一丁目村山清作)。
 一時より七時迄書籍室。
 書留及郵税九片、食一志八片二分一、乳三片、車六片、履《くつ》十二志六片、客週の食料九志十一片、二十五志七片二分一。一磅二志七片二分一。
六月八日 土 快
 一時十八分より七時迄書籍室。途上、飯田氏に立寄る。
 ソース四片二分一、帽子四志六片、乳三片、食六片、車四片、食六片二分一、履直し一志三片、十一日迄室料十二志、しょうのう二志、二十一志九片。十片二分一残るべきに、十一片のこる。
六月九日 日 ▲
 十一片。
六月十日 月 晴
 十二時二十五分より七時半迄書籍館。
 乳四片、車六片、十片。
 サックス『動物学』、ラードナー『中世史』、ダーウィン『蘭花編』、『家畜編』、『蔓草編』、タッカーマン『地衣編』、ベーカル『羊歯近似類編』、グレヴィレア『ポピュラル・エジュケートル』、『セイロン植物目録』。
六月十一日 火 晴
 三時より七時迄書籍室。
 室料及使賃十二志六片、乳六片、昨日の食九片、車五片、食六片、十四志八片。五磅出す。四磅五志五片。
六月十二日 水 晴
 十二時五十分より七時迄書籍室。
 食十片二分一、車六片、前週の食料・食の火代八志八片、乳二片、十志二片二分一。三磅十五志五片、一片失う、三磅十五志四片、六片入る、故に、三磅十五志十片。
六月十三日 木 ●
 十二時四十分より七時迄書籍室。
(64) 付落し三片、食十片、洗濯一志一片二分一、烟三片、乳一片、車五片、ニ志十一片、三磅十二志十一片。
六月十四日 金 晴
 十二時より七時迄書籍室。
 食一志一片二分一、乳二片、車六片、一志七片二分一。三磅十一志三片二分一。
六月十五日 土 晴
 三時より七時迄書籍室。
 食八片、食七片二分一、乳二片、車六片、トランク一磅四志、一磅五志十一片二分一。二磅五志四片。
六月十六日 日 半晴 △
 村山清作氏へ状出す。
 車六片、郵税(明日の記事)十片二分一、食八片二分一、前週食料九志九片、乳二片、十一志十一片二分一。一磅十三志四片二分一。
六月十七日 月
 二時より七時迄読書室。
 常楠へパークレー『苔類篇』おくる。一磅十三志四片二分一。
六月十八日 火 晴
 一時五分より七時迄書籍室。
 家の猫新たに今年得しもの、黒牡猫無宿のものつれ来り、毎日己れの飯を分つ。
 食十一片二分一、車六片、乳三片。一磅十一志八片。
六月十九日 水 晴 △
 一時五十五分より七時迄書籍室。
 食九片、乳一片、車五片。一磅十志五片。
六月二十日 木 晴
 十二時過より七時迄書籍室。
 帳一志、乳四片、車五片。一磅八志八片。
 此日より厳禁茶。
六月二十一日 金 晴
 十二時二十五分より七時迄書籍室。
 昨日の食九片二分一、食八片、乳二片、車六片、二志一片二分一。一磅六志六片二分一。
六月二十二日 土 晴
 十二時五十分より七時迄書籍室。
 食十二片二分一、乳三片、車六片、一志九片二分一。一磅四志九片。
六月二十三日 日
(65) 朝、広井鋼之助、平岩内蔵太郎を夢む。
 二茶。
六月二十四日 月 晴
 朝、木下友、羽山蕃を夢む。
 二時十五分より七時迄書籍室。
 一茶。
 食六片、乳三片、車六片、一志三片。一磅三志六片。
六月二十五日 火 晴
 十二時過より七時迄書籍室。
 一茶。
 食一志四片、乳三片、車六片、客週の食及洗濯料八志九片、十志十片。十二志八片。
六月二十六日 水 晴
 十一時三十分より七時迄書籍室。
 車六片、乳三片、食八片、一志五片。十一志三片。
六月二十七日 木 快
 十二時五十分より七時迄書籍室。
 二茶。
 食六片、乳三片、車六片、一志三片。十志。
六月二十八日 金 晴
 一時十五分より七時まで書籍室。
 Weston;Read 二氏へ状出す。
 厳禁茶。
 郵便二片、食十一片二分一、車六片、乳二片、一志九片二分一。八志二片二分一。
六月二十九日 土 晴
 十二時四十分より七時迄書籍室。
 不在中へ木村氏来る。
 食七片、乳三片、車六片、一志四片。六志十片二分一。
六月三十日 日
 四時頃木村氏来る。ともに林領事を訪、不在。ハイドパルクコーナーに至り分れかえる。
七月一日 月 半晴
 午下、木村氏を訪、途上より引還し、又行く。不在なり。動物園に至り久く尋れども遇わず。終に同氏出帰る所を墻の内より見出し、ともにつれ Quaritch 方及ナショナル・ガレリーに行き、夕同氏宅に行き、ブリチシュ館に行く。已に閉たり。又同氏宅近傍に至り帰る。
(66)七月二日 火
 朝、木村氏を訪、ともに午後大英博物館に行き、リード案内にて書籍館の内部を見る。それよりケンシングトン諸博物館を見る。ハイドパークより公使館に之き、加藤公使に面会、それより木村氏宅近傍に行きかえる。
七月三日 水
 一時五十五分より七時迄書籍室。
七月四日 木 △
 四時十五分より七時迄書籍室。
 午後、博物館にて Weston(日本より帰来りし坊主)にあう。
七月五日 金
 三時二十分より七時迄書籍館。
 七磅十一志十片。
七月六日 土
 三時十七分より七時迄書籍室。
 六磅八志四片。
七月七日 日 晴 △
 午後五時頃木村駿吉氏来る。ともにケンシノグトン園、ハイドパークよりピカジリーに之き、別れかえる。明夕、和蘭《オランダ》へ出立の筈。
七月八日 月
 二時四十分より七時迄書籍室。
 六磅六志。
七月九日 火 △
 一時七分より七時迄書籍室.
 五磅十七志八片。
七月十日 水
 十二時五十分より七時迄書籍室。
七月十一日 木
 二時より書籍室、七時迄。
七月十二日 金
 一時四十五分より七時迄書籍室.
 厳禁茶。
七月十三日 土 晴 △
 十一時二十分より七時迄博物館書籍室。
七月十四日 日 時 △
 終日在宅。
七月十五日 月 晴
 本日より家で飯くうこと止む。
 村山氏ヘレンネット氏の書一冊送る。
 一時五分より七時迄書籍室。
(67)七月十六日 火 陰
 十二時五十五分より七時迄書籍室。
七月十七日 水 半晴
 一時過より七時迄書籍室。
 明日より禁酒厳行。
七月十八日 木 △
七月二十三日 火 陰
 二時三十分より七時迄書籍室。
 夕、オクスフォード街にて印度人にあう。此者ドクトルなりと言い居れり。 一磅十三志半片。
八月一日 木 朝の間霧あり △
 一時三十分より七時迄書籍室。
八月二日 金
 十二時五分より七時迄書籍室。
八月四日 日
 ケンシングトン園、ハイドパークに遊ぶ。菌二種を得。
八月五日 月
 一時六分より七時迄書籍室。
 六磅十志四片半。
八月六日 火 陰
 酒四片、乳三片、車五片、食六片、一志六片。六磅九志十片半。
八月七日 水 △
 十二時四十五分より七時迄書籍室。
 郵便六片、乳一片、卵三片、食七片二分一、乳二片、車六片、酒二片、二志三片半。六磅七志八片。
八月八日 木 雨
 十二時四十分より七時迄書籍室。
 村山氏より状一来る。
 食八片二分一、酒二片、乳二片、車六片、前週の食の払いのこり三志十一片、五志五片二分一。六磅二志二片半。
八月九日 金 半晴
 酒四片、乳三片、車五片、斬髪十片、食一志五片。五磅十八志十一片半。
八月十一日 日 △
 飯田氏方へ箱貰に往可し。
 北の軒にて箱掃除すること。
八月十二日 月
 夕、リード氏を訪、十時帰る。
八月十五日 木
(68) 四磅十五志一片。
八月十九日 月
 朝、木村駿吉氏来る。
八月二十三日 金 半晴
 十二時五分より七時迄書籍室。
八月二十五日 日 △
 『淵鑑類函』つみ上る。
九月十一日 水 陰
 十二時二十九分より八時迄読書室。
九月十二日 木 △
九月十五日 日
 午後五時、加藤章造氏を訪、八時過帰る。
九月二十日 金 ×
九月二十一日 土 △
九月二十四日 火 晴
九月二十五日 水
 本日より禁酒。
九月二十七日 金 晴 △
 十二時四十五分より八時迄書籍館。
九月二十九日 日
 午後、加藤氏を訪、諌山氏も来る。夜十時頃帰る。
十月六日 日
 午後、加藤氏を訪う。
十月九日 水 陰
十月十一日 金
 書籍室体む。
十月十二日 土
 午後、加藤章造氏を訪、同氏甥も来りあり(三日前、日本より着)。夕帰る。
 夜、書籍室札送り来る。今日より四月十二日迄の分なり。
 書籍室休む。
十月十六日 水 △
十月十七日 木 晴
 一茶、パン。
十月十八日 金
 一茶、パン。
十月二十日 日 △
十月二十二日 火 △
 午後、博物館にてダグラス氏を訪。
十月二十四日 木 半晴
 明日争論に行んとせしが入らぬ事故止るなり。
(69)十月二十七日 日
 午後加藤章造氏来る。夜、リード氏を訪う。
十一月二日 土 半晴
 朝、木村駿吉、村山清作氏より来状。
.天長節、九時より公使館へ出席。土子、高橋等、少々芸あり。別に他の異なし。
十一月三日 日 雨
 加藤章造氏方に往く。諌山、飯田も会し、飯たき酒のみ、十時迄帰る。
十一月五日 火
 衣服二領成る。フロックコート、モーニング、何れもチョキ、股引とも。
十一月六日 水
 夕、中村氏を訪、不在。辰巳氏を訪、是又不在。
十一月十日 日
 朝、美津多滝治郎氏来る。ともに汽車にて飯田氏を訪。
 ミルヒル・パークの宅也。夕、加藤氏も来る。夜八時過帰り、途に加藤氏を訪。
十一月十四日 木 雨
 博物館帰途、加藤氏に、飯田氏方にあい、つれて加藤氏方に至り飯。
 氏の邸にて『中央新聞』に土宜法竜対野村洋三訴訟の事を見る。
 T. Mitsuda, 3, Serapis Villas, May Road, Wood Green.
十一月十五日 金 雨
 夜、加藤氏とレストランに行く。
十一月十六日 土 半晴
 午後、加藤氏と呉服屋へ予の衣なおしに往く。
十一月二十四日 日
 午後、加藤氏を訪、今井常吉氏|亦《また》在《あり》、九時過つれて帰る。
十一月二十五日 月
 夜、飯田氏方にて加藤氏にあい、レストランヘつれ往く。
 〇桶ぶせの事可尋也。
十一月二十六日 火 微雨
 夜、加藤氏を訪。
十一月二十七日 水 陰
十一月二十八日 木 雨
 本日の『ネーチュール』に、予の文「ジ・ストーリー・オヴ・ジ・ウォンダーリング・ジュウ」出づ。
 林領事方、日本人会へ行。
(70)十一月二十九日 金 微雨
 博物館文写しあり、ダグラス氏訪わる。其オッフィスに行く。
十一月三十日 土 陰
 三時過より八時迄読書室。
十二月一日 日
 夕、加藤方を訪。スルメにて飯。
 △桶伏せの事可尋也。
 一茶。明日又一茶。
十二月二日 月 陰
 博物館五時過に引き、夕、中村氏を訪う。
十二月五日 木 陰
 一茶。
十二月七日 土 半晴
 夜十時頃、加藤氏を訪う。
十二月八日 日
 夕、加藤氏二人と美津田氏を訪、十時頃帰る。
十二月九日 月
 一茶。
十二月十日 火 晴
 夜、加藤氏を訪う。
十二月十一日 水 陰
 二時三十分より八時迄書籍室。
 木村駿吉氏状来る。
十二月十四日 土 陰
 一時四十五分より七時迄書籍室。
 それより加藤氏を訪、鳩二匹進呈、一志四片。
 夜、微雨。
十二月十五日 日 雨
 夕、加藤氏を訪、十時前帰る。
十二月十六日 月 陰
 一茶。
十二月十七日 火
 夜、飯田氏と加藤氏を訪う。
十二月十八日 水
 夜、加藤氏を訪。
十二月十九日 木
 一茶、パンなし。
十二月二十日 金
 一茶。
十二月二十五日 水
 加藤を訪い、飯。
(71)十二月二十六日 木
 加藤を訪う。
十二月二十八日 土 陰
 朝、村田氏来る。午後二時頃つれて出、予、博物館に往く。
十二月二十九日 日 雨
 午後、村田氏を訪う。それより加藤氏を訪う。
十二月三十日 月
 午後、加藤氏を訪う。村田氏も在り。
十二月三十一日 火
 午後、加藤氏を訪う。細井氏、小川団之介来る。
 
   一八九六年(明治二十九年)
     欠本
 
   一八九七年(明治三十年)
 
一月一日 金 陰
 夜、博物館帰途加藤氏を訪、不在。『ネーチュール』へ出せし文(死後の婚嫁)再校の為活版プルーフおくり越しにより、ダグラス氏に直してもらう。
一月二日 土 陰
 午下、博物館へ之《ゆ》く道にて細井田之助氏店にて飲み、暫く番す。
 細井は加藤と此夜芝居に之く。
一月三日 日
 夜、加藤氏を訪、十一時過頃迄はなし帰る.
一月四日 月 陰
 博物館へ之《ゆく》途上細井氏を訪、百鬼夜行図かる。今朝、飯田、細井氏方へ来り、やりこめられし由。
 夜、加藤氏を訪。
 此夜安眠せず、風引く。
一月五日 火 陰
 午後、博物館へ之く道上加藤氏を訪。今井常吉氏も来(72)る。一時間近く話し、共にバスにのりエジワヤー・ロードに到り分る。
一月六日 水 陰
 午下、博物館へ之く途上細井氏を訪、不在。前日の巻物かえす。
 此夜よく眠らず。
一月七日 木 雨
 午下、細井氏を訪、巻物返せし事を弁す。終に六時過に至り分れ、レストラントにて独り食す。博物館に之《ゆか》ずして帰る。
一月八日 金
 午下、博物館へ之《ゆく》途上細井氏を訪う。
一月九日 土 雨
 朝、卵一ばばにかる。
 博物館に之く途上細井氏を訪て飯《めしく》う。細井氏家主催促に来り口論。博物館早くすませ、九時過リード氏を訪、今日細井店にて買し支那錦切れ一つ同氏妻におくる。リード氏娘、教育の為来る土曜日|瑞士《スイス》ツユリッヒに赴くとの事。
一月十日 日 雨
一月十一日 月
 博物館へ之く途上加藤氏店を訪。それより博物館にて少年(受つけ、去年十月末迄読書室に奉公せしもの)にリード氏への木盆渡し、読書室に之く。
一月十二日 火 陰
 夜七時頃より汽車にて田之助氏と其宅に至り、予カレイ一匹かい飯い酒のむ。同氏妻もあり、色々しゃべくる。十一時になり歩して帰る。氏の宅はキウとハンマースミスの間なり。
一月十三日 水 陰
 博物館へ之《ゆく》途上田之助氏を訪。博物館リード氏を訪。同氏女子に前夜ののこりもの細工もの小箱おくる.夜、加藤八十太郎氏を訪。
一月十四日 木 快
 午下、浴湯、又加藤氏に立寄、それより博物館に之く。
一月十五日 金 快
 一時過より八時迄書籍室。
一月十六日 土 夕雪
 前年バロン・オステン・サッケン、説|印度《インド》にもプゴニア説あるべしというを疑しが、今日博物館にて予の Creuzer の Religions de l'Antiquitek〔アクサンテギュあり〕より見出す。
此日、予の犬歯、先年国出立の際井沢氏に入れもらい(73)しものぬく。
一月十七日 日 快
 夜、加藤氏を訪、十二時前迄話しかえる。
一月十八日 月 陰
 夜、木村氏を(博物舘帰途)訪、不在。昨夜、巴里より着すとの事。
一月十九日 火 陰
 夜、博物館帰途木村氏を訪、十一時迄話しかえる。同氏巴里不在中、村上厚(同氏方に留守番せる壮士)女郎家にて乱妨等の難件を語らる。
一月二十日 水 陰
 午後、細井氏方にあり、博物館やすむ。夕、細井氏方に行、カレイ一疋買い煮食す。十時半帰る。
一月二十一日 木 陰
 夜、加藤氏を訪、細井夫妻及び女二人来りありし跡也。
一月二十二日 金 雪
 午下、風呂に往、加藤八十太郎氏方に立よりソーセージ煮ること頼みおき、博物館に行、二時間ほど写書の後、八時過加藤氏方に至れば木村、諌山二氏来りあり、十一時迄話しかえる。
一月二十三日 土 雪
 夜、博物館帰途木村氏を訪、不在。(諫山氏方へ船見に行し也。)但あとにて聞に、此時已に諫山氏をつれ帰り室にて話し居しが、予の鈴ならすに気付ざりし也。
一月二十四日 日 快
 午下より夕七時迄昼寝。
 夜、加藤氏を訪。諌山、山川、木村来りあり。山川と去年喧嘩の和睦す。スシ作りしが不出来也。山川氏持来れる鶏にて飯《めしく》い酒のむ。十時過帰る。
一月二十五日 月 晴
 三時過より八時迄書籍室。
一月二十六日 火
 午後田之助氏店を訪、五時頃迄居り、それより博物館に之。
 帰途加藤氏を訪、十時過共に歩しノッチングヒルに至り別れかえる。
一月二十七日 水 陰
 午後、田之助氏を訪、二時半出て博物館に之。
一月二十八日 木
 博物館へ之途上、午下、田之助氏店を訪。木村氏もあり、田之助氏不在。三時迄俟返らぬ故立出、木村氏も帰る。
(74) 夜、加藤氏を訪、不在。
一月二十九日 金 曇
 午下、田之助氏を訪、不在。博物館に之く。帰途加藤氏を訪。木村氏もあり、同氏より女(Hellen)にやる文認めやり、加藤氏とつれ散歩し帰る。
一月三十日 土 曇
 博物館へ之《ゆく》途上細井氏店を訪う。木村氏もあり。
 帰途加藤氏を訪、不在。
一月三十一日 日 陰
 シュレゲル氏へ『通報』落刺馬のこと通知す。道路泥濘甚し。午後四時過より細井田之助氏チジックの宅へ行。加藤、木村二氏もあり。スシ作り飲酒九時頃かえる。
二月一日 月 雨
 博物館へ之道上細井氏を訪、不在。
 酒代二志小児に渡す。のこり九片不持来。
二月二日 火 雨
 道泥甚、歩し難し。
二月三日 水 雨
 夜、博物館帰途加藤氏を訪。今迄木村氏ありしとのこと。十時過共に歩してノチングヒルに到り分れ還る。
二月四日 木
 シュレッゲル氏より状来る。
 夜、博物館帰途加藤氏を訪、戸あけぬ故帰る。
二月五日 金
 夜、加藤氏を訪、戸あけぬ故かえる。
 終夜不眠。
二月六日 土
 午後、木村氏を訪う。同氏飯ひまとる間に、余、氏の酒を多くのむ。それより此日とうとう博物館休み、八時前木村氏を辞しかえる。
 終夜不眠。
 ジッキンス氏よりハガキ来る。又正金銀行よりも勘定ちがいの事に付状来る。
二月七日 日
 二日二夜眠らず、今朝一時間斗り眠る。
 『ネーチュール』へ投ずべき文を認む。
二月八日 月 雨
 『ネーチュール』へ一文投ず。A □ Fruit of the Cat.
 夜、加藤氏を訪、盆一つかう。Dickins に贈る為なり。「エンマ万歳」という悪口新聞かりかえる。それより十一時前出で、共に散歩しかえる。
(75)二月九日 火 陰
 午下、博物館に之途上加藤氏を訪。一昨日、加藤氏方へ木村、諌山及細井同行五人来りし由。
 Schlegel 教授より状一受く。余読まず、明後朝読むこととす。
二月十二日 金
 午後、博物館にてダグラス氏を訪、立談す。
二月十三日 土
 午後、博物館にてダグラス氏を訪う。
 シュレゲル氏へ状一書留にて投ず。(昨日細井方にて買し木のねつけ亀二つおくる。)
 村田氏帰朝の由申し来り、金二磅還さる。
二月十四日 日
 終日在寓。
 夜、加藤氏を訪、十時過共に出ノッチングヒル迄歩して帰る。
二月十五日 月 陰
 シュレゲル氏へ書留状一出す。
 午下、風呂へ之、加藤氏店へ立よる。博物館六時に仕まい、それより中井氏(今度徙りて始て)を訪。飯ふれまわれ麦酒三本のみ、十一時過迄はなし、かえる。
二月十六日 火 晴
 午後、博物館にてダグラス氏にあい、『□□航記』かる。
 夜、帰途加藤氏を訪、十一時過かえる。それより加藤氏又明日付国元への手紙書し由。
二月十七日 水 快
 博物館に之途上加藤氏を訪。見世大バーゲーンセールの広告に付置直す間、小僧のかわり番する。博物館小僧に昨日二小箱やり、今日大な方のサーバントに二大箱やる。
 シュレゲル氏手状来る。
二月十八日 木
 博物館へ之道にて細井氏を訪、錦絵の題の訳等手伝う。
 夜、加藤氏を訪、扇一本もらい志道軒と改名す。つれて歩しノチングヒルに至りかえる。
二月十九日 金
 午後、博物館にてダグラス氏を訪、シュレゲル状示す。
 夜、館の帰途加藤氏を訪、つれて歩しノチングヒルに至りかえる。
二月二十日 土 陰
 十一時過より八時迄博物館。
(76) ダグラス氏を訪、『説鈴』にてシュレゲルと問答の薄里汲、落須馬等を見出す。
二月二十一日 日
 午後四時過加藤氏を訪、不在。(昨夜、美津多氏来りしに付今日同氏方に之し也。)それより中井氏を訪。
 長岡、巽二氏あり、種々珍談の上、十時過巽氏、十一時過長岡氏去る。十二時に至り予歩してかえる。帰れば三時頃なり。
二月二十二日 月
 午下、博物館へ之途上加藤氏を訪。
二月二十三日 火
 午後博物館へ之道上加藤氏店に之、酒のみ久くおる。失敬の客来り、予之をやりこめる。それより燈点後博物館に之。
二月二十四日 水
 中井氏及シュレゲルへ状出す。
二月二十五日 木 陰
 博物館にあり。酒店に一盃のみに行き、人の傘忘れ出ゆくに知らせやる。是陰徳也。
二月二十八日 日 微雨
 午後七時頃、中井氏を訪う。巽、長岡及一週間前に着せし田島担氏(故浜口儀兵エ氏子)あり、十一時に至りかえる。長岡氏はわざとトラムカーにのり、クラパム辺迄おくりくれる。ヴォクスホールにて下車、それよりテームス河畔に行まよい二時頃帰宅。
三月六日 土
 午後、加藤氏店を訪う。
三月七日 日 晴
 午後、加藤氏を訪。諌山、木村氏、章造氏の妻子居合せ、木村氏テンプラ作り食せらる。
三月八日 月
 夜、加藤氏を訪、飯い酒のむ。
三月九日 火 晴
 夜、途上細井氏を訪。博物館の帰途、加藤氏を訪、飯い酒のむ。
三月十日 水 快
 博物館へ之途上、午下、細井氏方に立より飯くう。四時頃、木村来り、予と口論す。
三月十一日 木 雨
 朝十時過、細井氏来訪。つれて同氏店により、前日かりし飯代一志六片払い、それより同車してオクスフォルトサークスに至り分れ、博物館に之く。
(77) 夜バグタニ氏にレストーラントであう。予送りし状を銀頭らにする由話さる。
三月十二日 金 陰
 加藤氏より状一来る。昨夜、加藤氏店の戸にへど吐かけし故也。
 巽氏よりも状一来る。
三月十三日 土
 博物館やすむ。
 午後、加藤氏を訪、夜に入り飯い酒のむ。木村は夕帰り来りしが又去る。予、木村のオバーコートのポケトにへど吐込み帰る。
三月十四日 日
 午後五時頃、中井氏を訪。長岡、巽二氏続て来り、予珍談を為す。中井氏は凰引きしが予の話しきく。九時頃、田島担氏来る。長岡及巽氏は漸く去る。田島氏と予十二時半迄残り、それより田島氏と歩してブリクストンに至り、氏は去る。予は歩して朝四時前家にかえる。
三月十五日 月
 長岡氏より状着。(Mr. H. Nagaoka, 15 Sandmere Rd., Clapham, S.W.)
三月十六日 火 晴
 長岡氏よりスクラプ・ブク着す。氏に頼み購う所なり。ダグ氏オフィスにて孫文氏と面会す。
三月十七日 水 雨
 夜、中井氏を訪う。十時に及帰る。
三月十八日 木
 博物館にて孫文氏と館正面の椅子に腰掛|談《はな》す。
 夜帰れば木村氏より状来りあり。予の事を中井氏に話せし状也。
三月十九日 金 晴
 朝、細井氏来る。共にバスにのり、其店に一寸立寄、予は博物館に行く。午後六時過、館を立出、孫文氏と共にマリア(ハイドパーク辺の料理店。予曽て今西、杉田等をつれ行し所)に行き食す。それよりハイドパークにて話し、又バスに乗り、其宅に行、十時迄話し、別れ帰る。
三月二十日 土 微雨
 午後、ロンドン大学に之、ジッキンスにあう。
 博物館前イースター島像傍のペンチに腰掛、孫文氏と話す。夜、館仕舞い、バグタニ氏と共に其宅に到る。
三月二十一日 日
 朝、田島担氏来る。午下共に出、中井氏を訪。竹内某(78)(法学士)、税所篤三、巽、永岡等諸氏在り。十時過帰り、予は田島氏方にとまる。
三月二十二日 月
 午後、田島氏と共に動物園を見る。夜に入り、共に税所氏寓を訪。食事後、博物舘アッシリア等の部を見る。
 田島氏をおくり、其宅辺に至り、予は帰る。
三月二十三日 火
 博物館早仕まい、田島氏を訪、トルキー浴に之、不在。予、亭主カプチン・キングストンと話すこと小間、田島氏帰る。予を送り Westminster Bridge に至り、別れ帰る。
三月二十四日 水
 午下、ジキンス氏を訪う。
 夕、博物館早く仕舞、田島氏を訪、共に博物館に之き、グリーク、ローマの部を見る。田島氏を送り、ウエストミンスターに至り分かえる。
三月二十五日 木
 朝十時過、田島氏来る。細井氏来る。それより共にナチュラルヒストリー館を見る。マリア方に食して後、領事宅日本人会に行く。領事試補加藤氏|演舌《しやべ》り、其後予は林権介氏と話してかえる。此夜、予旧友伊吹山氏及故羽山蕃二郎友中島という人にあう。此夜、田島氏予方に宿す。
三月二十六日 金 陰
 午下、田島氏と共に印度博物館をみる。それよりハイドパークをぬけ、マーブル門より乗車、竜動《ロンドン》橋に至り、同氏は衣服店にゆき、予は分れて博物館に之く。
 夜、孫文氏とオクスフォード街ビアナ食肆に食す。孫氏、予を招く也。それより共に税所氏を訪い、共に博物館(アッシリア、バビロニヤ、埃及及ペリュ等部)を見る。それより孫氏に分れ、税所氏とショーラー方に食い、分《わかれ》帰る。
三月二十七日 土
 博物館美少年ハーヴィー館員、訣別に来る。此児予二年以上知る。
 夜、博物館仕舞、孫文氏とトテンハムコート街ショラー方に飯す(下等食店)。それより同氏居に行、十時に至り分れ帰る。
三月二十八日 日 雨
 午後、孫文氏来る。共に税所氏をまつ、久く不至。夜、共に出、マリア方に飯い、スローン・ストリートにて孫氏と分れかえる。
(79)三月二十九日 月
 税所氏状来る。昨日不来を謝するなり。
 夜八時過、博物館帰途税所氏を訪、不在.八島艦乗組軍医鶴田氏に面し、十時迄語しかえる。
三月三十日 火
 午後、孫文氏と共にダグラスを訪う。
 夜、博物館より帰途税所氏を訪、不在。鶴田氏への状を下女に托しかえる。サニタリー・インスチチュートの所在を知す也。
三月三十一日 水 快、夕|雨《あめふ》る
 林権介、巽孝之丞氏より状各一来る。
四月一日 木 陰
 常楠状一至る。
四月二日 金
 夕、田島氏を訪、夜に入、共に出(十時前)。ウェストミンスター近傍のレストラントに食、それより別帰る。『洪川語録』かり返りよむ。
四月三日 土 晴及微雨
 ダグラス氏にあう。茶碗一。余詩を解く。
 夕、田島氏を訪。六時過、氏、友人福島氏方へ行(ブリクストン)。予、中井氏方に行、十二時迄話し歩して帰る。ブリクストンにて女につき当り、女倒る。予歩してクラパムコンモンス に至り、それよりバターシーに至んとし、誤て歩すること久く、グォークスホール橋に至り、それより歩して帰れば四時也。
四月四日 日
 終日多くは睡る。
四月五日 月
 朝、津田三郎氏状至る。
 博物館六時に仕舞、孫氏とレストラント(ショーラル方)に食し、孫仕払う。それより孫宅に至り九時迄話し、バスにのりノチングヒルに至り(十時)、十時過帰宅。
四月六日 火
 博物館に之不在中(午後五時頃)、細井氏来る。予不在にて還る。(鯛をかい予に食しめん為なりしとあとで聞く。)
四月七日 水 半晴
 午前、細井氏来訪。
 午下、博物館に之き、孫氏と暫く談す。それより二時十五分の特別汽車(公使より買きり)にてチルベリー・ドクに之、富士艦に入る。入口にて津田三郎氏に(80)あい、握手す。岩見重太郎、秀吉、石川五右エ門を擒する所、旗おどり、剣にて木をきる手練、カッポレを見る。外に式三番ありし由なるが、予は見ず。下室にてハム二きれ食い、シガレット一本もらう。又珈琲一盃(此外は断食)。花飾を見る内、今井常吉氏にあう。(又芝居見るとき高田商会の須田という人にあう。)梯の上り口にて教授ダグラス夫妻にあう。五時五十五分の汽車にて帰る。それより食後、孫氏を訪、不在。歩してホランド・ロードよりかえる。かえる後又出、ハイドパーク辺スローン・ストリートよりクロムウェル街に出かえる。
 ステーションにて中井氏令夫人、徳川、鎌田、田島氏を見しが、田島氏に一言いいしのみ、他は言ず。
四月八日 木 陰
 此日、孫氏に博物館に一寸話す。
四月九日 金
 巽孝之丞へ状一出す。
四月十日 土 晴
 博物館に行、孫氏と話す。津田三郎氏へ書留状一出す。又リード氏と話す。これは弩一張、前日リード氏よりくれしもの、津田三郎氏におくるつもりにてタワーの武庫長子爵 Dillon の状(使用法を記す)を得し故也。
四月十一日 日 時、夜陰
 終日在寓。
 夜散歩、ハイドパーク(クインスゲート等)沿道よりクロムウェル・ロードをあるき還る。
四月十二日 月
 博物館仕舞、夜に入、帰途リード氏を訪、Arbale※[アクサングラーヴ]te a※[アクサングラーヴ]jalet をもらい、かたげかえる。
四月十三日 火 晴
 朝十時過 Mulkern 氏を訪(孫の友也)、それより地下汽車にて孫氏を訪、三人にてバスにのりフィンチャルチ街停車場に入、共にチルベリー・ドックに津田氏を訪。水兵案内半にして津田氏到り巨細示され、後宴室に入り酒及ソーダ水を予《あたえ》られ、二人は日清戦争の写真帖を見、予は津田氏と話す。其内、津田氏(水雷長)の副斎藤氏来る。共に色々話し、四時三分の汽車にて分れ、ビショプス街にて孫及他一人と分れ、予は歩してトテンハムコート・ロードに至り晩食(ショーラル方)、それより田島氏を訪、福島という人もあり、共に話し、十時半に至り福島は帰る。予は田島と十二時迄話しかえる。
(81)四月十四日 水 晴
 珍事なし。
四月十五日 木 晴
 一昨日つれ行しは此人也。R .J. Mulkern. 66 Clarendon Road, Holland Park, W.
四月十六日 金 晴
 今日は例年通り博物館休み也。終日在寓。
 常楠への状認む。夜十時過ハイドパークそばのマリア方に食、歩して帰る。四月十七日 土 陰
 書籍館にてコンラド・ゲスネルの『魚篇』中よりムカデクジラの記を見出す。昨日、バグタニ氏来訪のこと諾ありし処、寝過して事を果さざりし由談さる。
 常楠へ書留状一出す。昨年来初てなり。
四月十八日 日
 終日在宅、夜マリア方に食す。
四月十九日 月
 午下、博物館に之途上、田島氏をサウスケンシングトン博物館前に見る。因て馬車より下り、ナチュラルヒストリー館内の園に入り話す。氏、宿屋を立退くことに付色々相談あり。それより分れ、予はマリア方に食し、館に之く。夜、孫氏とカフェ・ヴィエナ(ニウオリスホルト街)に之き、飯い、其宅に行十時迄談し帰る。
四月二十日 火 晴
 午下、博物館へ之途上セントジェームス公園の側にて田島氏歩して行を見、馬車より下り、つれてマリアに至り食し、ハイドパークよりケンシングトン・パークに至り暫時坐して話し、氏は紀侯世子方へ行、余は博物館に之。余又博物館に之途上細井氏を店に訪うに、法律沙汰の事あり。余、為にジキンス氏を大学に訪、不在。博物館にリード氏を訪、それより一寸門に出るに、河内丸受取に来し水夫二人、伴侶三人館内にて見失い、インジアン・ドクに帰る途を不知、途方にくれおる。余、孫逸仙と話しありしが、此事を見出し、孫に分れ水夫をして坐して俟しめ居る内、他の三人出来る。一礼して分れ、細井方に向、不在。
 夜、帰途加藤氏を訪、飯ふれまわる。一時半に至り、分れかえる。氏話しに、カイアンの祖母(加藤章造氏の姑)死にし由、二週前とのこと。
 館にて孫氏より津田少佐におくる自伝一冊受く。
四月二十一日 水 雨
 夜、館よりかえりフロクコートの裏のほころびを縫う。(82)物縫うは当地に来てより先は初ての事なり。
四月二十二日 木 晴
 昼、ダグラス氏に招かれ、オフィスにて面す。富士艦物見のことたのまる。
 (午後)館にてリード氏を訪、色々の弩を示し説明さる。
 夜、館より帰途加藤氏を訪、十一時迄話し帰る。
四月二十三日 金 陰
 朝、細井氏来る。午下出、其店を訪う。それより館に之、ダグラス氏に面す。
 津田三郎氏へ状二本出す。
四月二十四日 土
 津田氏状来る。ダグラス舟案内の事、承諾の旨申越る。
四月二十五日 日
 朝十一時過、加藤氏来る。共に細井氏宅に之く。田之助氏夫妻、昨夜深更迄大大家の家にて話し、今日妻は頭痛にて出来らず。細井氏、昼飯及夕飯ふれまわる。
 夕、ハーヴィーという人来る。若き学生様の人、予と日本の事色々はなす。十一時前、加藤氏とつれ出、氏はオクスブリジの方に別れ去る。予は歩してかえれば十一時半なり。
四月二十六日 月 快
 朝、田島氏来る。暫時話し去る。
 加藤氏店をとい、湯に入り、博物館に之く。
四月二十七日 火 晴
 朝起午後三時迄常楠への状認め、それより田之助氏宅へ洗濯すべき裳二持行たのむ。食事して博物館へ之く。
 五時なり。それより写書、扨七時前帰る。約束故急で帰れば七時三十五分過なり。
 田島氏は七時に来りしが、ハンマースミスに行七時半に来る約束故まつ。八時頃に来る。それより談し、又レストラントに行飲食、それより其宅へ送り行、已に遅し。それより予一盃途上でのみ帰り、氏も予方に宿す。
四月二十八日 水 雨
 朝、浜口氏十時過迄話しかえる。
 此朝、茶の事に付宿のカカと議ろんす。予はカブにて博物館に之、ダグラス氏已に停車場に向える旨きき及び、カブにてフェンチャールチに至る。氏を見ず。因てドクに至り、氏に停車場にあう。それより場を出、氏の二女及一子にあう。富士艦にいり、津田氏殊の外寛待さる。四時過に至り一族は去り、予は止る。五時(83)過予去り、フェンチャールチ街よりカノン街に至る途上、女の嘲弄するにあい、予乱暴し、巡査四人来り最寄警署に拘さる。又乱暴数回(六時過か)。夜二時に至りかえる(巡査予の為に閉口す)。
四月二十九日 木
 午後田之助氏を訪、それより加藤氏を訪。山川氏もあり。飯いかえる。
四月三十日 金
 博物館に之、ダグラス氏を訪、不在。因て氏の二女に贈るべきものを小僧に托しかえる。
五月一日 土 晴
 午後、斎藤及田島氏を訪、それより館に之、ダグラス氏に面し、昨日あずけし品を渡す。(二女におくる也。)
 読書室に七時迄勉め、それよりバスにて斎藤氏を訪。
 斎藤、田島、近藤(?)、小畠(三井組の人)、加藤(領事館の)氏と徳川世子牛飯の所、予、葡萄酒のみドド一大津絵等やり、加藤(十時過)、鎌田及世子(十一時)に後れ、十二時十分去りかえる。
五月二日 日 晴
 朝十一時頃、加藤氏(領事館試補)来訪、二時頃迄話し、食事し(加藤氏払う)、バス及トラムにてキウ園に往、博物館及イース多き室を見る。その内閉室、暫時歩し、又トラム及バスにて帰り(帰途、田之助氏夫婦子女窓より見居たるが、予等には気付かず)、ハイストリートにて食事(予払う)。氏はハイストリート停車場へ帰る。予はハイドパーク側、及ノチングヒル、ホランドパーク、オクスブリジ辺迄歩し、帰れば十二時過也。
五月三日 月 晴
 朝、田之助氏来る。午後、田之助氏店を訪、飯くい、同くバスにて、氏はチープサイド郵征総局へ、予は博物館に之、ダグラス氏に面す。それより(ダグラス氏自宅へ徳川侯世子をおくことに付)、斎藤氏及鎌田氏を訪、二つながら不在、因て又田之助氏店に之。ハーヴィー氏あり。それより又田之助氏を訪、共に其宅にゆき、マカレル二疋かい飯、十時半帰る。(スローン・ストリート迄歩し、又かえり。)
五月四日 火 晴
 午下、鎌田氏を訪、それより斎藤氏を訪、飯くう。(田島氏はケンブリジに行、不在。)それより館に之、読書。ノチングヒルよりホランドパーク・アヴェニューを歩し帰る。
(84) 津田三郎氏状一来。
 中井氏へ状一出す。夜十時返事来る。世子の宿周旋の労を謝する也。
 それより十一時半迄スローン・ストリート辺歩しかえる。
五月五日 水 晴
 午下、鎌田氏を訪、斎藤氏来る。三人にて世子室に之、暫時はなし、それより三人にて館に之、ダグラス氏を訪、又リード氏に面す。リード氏、フランクス氏今日オペレーション受るとて倉皇出之く。三人はダ氏に面し、ホルボーン停車場に歩し、汽車にて氏の宅に之、氏の次男、末子、二女及妻君、停車場迄迎えに来る。氏の宅にて茶のみ色々話し、室を検し、汽車にて帰りヴィクトリア停車場より世子館に之。(途上世子及田島氏にあう。)二本のむ上に、予、今日の模様を述べ暫時にして、九時過帰る。
 帰れば津田氏状一、及へレン(ダグラス氏娘)より礼状来る。(小箱おくりしなり。)
五月六日 木
 午下、館に之、ダグラス氏に面し、それよりリード氏に面す。リード氏急ぎサー・ウォラストン・フランクス方へ行。ダ氏に盆四枚、氏の末子にカラー入一つおくる。中井氏を訪、醤油、干瓢、シイタケ等もらい、歩して帰る。
五月七日 金
 博物館に之途上鎌田氏を訪い、田之助氏を訪。館にてダグラス氏に面し、動物園切符のことたのみかえり、田之助氏店により、それより世子館に至る。不在、鎌田氏あり。因て色々話しかえり、咋夜中井氏よりもらいしもの持、田之助氏に詣り、飯い酒のみ帰る。田之助氏に三十志渡し、明後日宴のことたのみ帰る。帰途津田氏へ状一出す。
五月八日 土 半晴
 午下斎藤氏を訪、不在。それより田之助氏を訪、十志渡し、明日の宴会の酒精、燈及び鋼等買うことを依托し飯い、博物館に之、ダグラス氏に面す。動物園の札七枚貰う。(此内三枚は一年に二十枚を限るものにて殊の外貴重のものとのこと。)それよりリード氏に面し、孫逸仙及一老人(西斑牙人)に明礬茶等を見せることをたのむ。やがて見せる。館は五時半にしまい加藤氏を訪、不在。湯に入り、飯い(マリア方)、世子ホテルに行、燈火なし。因てかえる。
(85)五月九日 日
 午下、ベ−シー・ホテルに之く.津田少佐友人三人(吉岡、富岡、山田氏)打つれ来り、スモーキングルームにて俟おる。世子及鎌田はかきおきあり、林権介氏方へ昼餐に往しと。因て津田の払いにて一同飯いて、動物園にゆき見る。ベ−カー街より汽車にて田之助氏方に至り、牛鍋、すし、さしみ等にて酒のみ大さわぎす。(女共は別に食う。)加藤氏扶助に来りあり、二時間斗りして諸氏は汽車にて去る。あとに女共上り来り、ピヤノあり。加藤、細井大酔。予は十一時前加藤と共に出、バス、トラムにて其宅に至り飲み、別れかえる。
五月十日 月 半晴、雨
 午下、加藤氏を訪、話して館に行かず。それより田之助氏を訪、今夜学者連よぶ積りの処中止とのこと。飯いかえる。
五月十一日 火
 鎌田氏を訪、斎藤氏もあり。世子、ダグラス方に移るに決せる趣話さる。田之助氏を訪、館に行、ダグラスに面す。それよりかえる。
五月十三日 木
 夕、館より帰途鎌田氏を訪、世子方に行、鎌田氏を待合せ、九時過古物学会に行く。畢てリード、ガウランド二氏と五人、学士会クラブに行、一飲の後、リード氏とつれ歩して、其宅近くゆき分る。
五月十四日 金
 朝十一時過館に行ば、津田氏館前に歩し居る。それより中に入り、木村壮介、富岡、吉岡、沼口(大尉)、鳥山(大主計)にあう。ダグラスの嚮導にて書籍室内部、新聞室を見、リード氏を訪、参考室の諸猥褻像を見、又同氏に仕わるる美少年を見る。それより予の嚮導にて諸室見る。此中鳥山氏は公使館に用ありて去る。三時に至り見畢り、バスにて田之助氏店に至り、ハドソン別嬪より茶を出し、田之助氏と共に汽車にて氏の宅に往く。津田の大津絵、予のドド一、田之スのハウタ、長女のピヤノあり。(彼のピヤノ上手の別嬪は此日欠席。)八時過に至り(三時間斗り飲み)、諸氏等は予の持来れる珍画を帯び、ターナルグリーンより去る。そのあとへ別嬪来りピヤノひく。予は十時過に至りかえる。
五月十五日 土 晴
 午下、鎌田氏を訪、共に博物館に之、ダグラス氏を訪、世子同氏方に移ることに決答す。それより鎌田氏と共に細井氏を訪、別れ、予は加藤氏を訪、不在。細井氏(86)を訪い牛鍋にて飯う。女来りピヤノを弾す。十一時に至り別れる。
五月十六日 日 快
 午下、鎌田氏を訪、それより斎藤氏を訪、斎藤氏不在。書をのこし、それより徳川侯世子を訪、二盃のみ談しかえり、飯い、鎌田氏を訪、斎藤氏もあり。三人にてバス及カブにて細井氏方に至り、牛鍋飯う。二女舞い、又例の女来りチンチン、ミヤサマ、チョンキナ等のピヤノあり。八時過に至り汽車にてアールスコートに至り、二人は鎌田氏方に行、予は世子を訪、田島氏もあり、十時過帰る。
五月十七日 月 快
 午下、加藤氏を訪、同氏と共に汽車にて細井氏を訪、予は別れ館に至る。帰途、加藤氏を訪、飲酒、十二時に至り帰る。
 此日久々にてカイヤン母子に、加藤氏店にあう。
五月十八日 火 晴
 夕、館より帰途中井氏を訪、不在。妻君に面し、十一時半に至り帰る。
五月十九日 水
 リード氏状至る。
 博物館にてリード氏を訪、それよりホテルに往、まつことしばらくして世子及斎藤、鎌田、バクストン方の茶宴より帰る。斎藤氏は去、九時過、世子及鎌田氏、学士会院夜会に行く。リード氏案内する筈也。
 状を林、中井二人、及世子、及津田、富岡(合名)へ出す。
五月二十日 木
 博物館にてリード氏を訪。
五月二十一日 金
 午下、鎌田氏を訪、共に出、氏はベ−シー・ホテルに行、予は細井氏方に飯い、博物館に行。
 夕、リード氏宅を訪、リード氏まさにフランクス氏方より帰りあり。(妻女は眠室に入れり。)聞くに、フランクス氏只今絶命とのことなり。それより暫時ありてホテルに行く。津田、坂本(コンマンダー)二氏及斎藤、鎌田も有り。津田大津絵あり、暫時話し、二人去る。予は斎、鎌二人とつれ出、分れ帰る。
 富岡氏状至る。船よりの招待也。
五月二十二日 土 快
 午下、細井氏店に待つに、吉岡範策、加藤広治、宮川邦基三氏至る(何れも士官次室の人)。吉岡氏の(87)案内怪しく、間違てハイドパークに入しと。それより飯い、細井氏にあい、ナチュラルヒストリー館を見る。それより細井氏に立寄り、三氏は分れ去る。予は加藤氏を訪、飯い酒のみ、十二時に至り分れかえる。
五月二十三日 日 快
 午下、田島担氏至る。暫時話し、一時過に至り去る。予、カブにてフェンチャーチ停車場に至り、汽車にてドクに至る。三時頃也。細井夫婦三女及キチェナー女(富岡と来れし女)あり。津田、富岡、木村、沼口、加藤、吉岡、宮川、山田、鳥山等、かわるがわるもてなされ大馳走になり、四時過辞してかえる。道にて(ドクの)マクレーンの女にあう。グロスター街にて細井一同に分れ一度帰り、それより加藤氏を訪、十一時迄のみ、歩してかえる。
五月二十四日 月 晴
 細井氏店を訪、不在。吉岡氏へ状一出し、それより博物館に之、ダグラス氏に面し、津田氏より氏の二女におくる二品を渡す。夕、孫逸仙氏と飯い、ホテル世子室に行、まてども誰も到らず。共に鎌田氏を訪、不在。荒川領事に詣る。燈已に闇し。歩してノチングヒルよりマルブルアーチに至り分れ帰る。
五月二十五日 火 晴
 朝、吉岡氏電報至る。今日来らぬ旨なり.
 午下、田之助店を訪、不在。館に至りダグラス氏に面す。
五月二十六日 水 陰
 午下、鎌田氏を訪、それより館に往、孫逸仙と話すること暫時、世子及鎌田氏来る。ダグラス案内にて書籍室を見、四時に五分前、共にダ氏と同車、ホルボーンより汽車にて其宅に往。ダ氏の兄及妻(レジー・バイロン)及他二友来り、二女もあり。室を一覧の上帰り、余は鎌田氏にアールスコートに分れ帰る。
五月二十七日 木
 鎌田氏を訪、葡萄酒のみ、博物館に行、ダ氏を訪、同車してキングス・カレジに往。かえり、田之助氏を訪う。
五月二十八日 金
 午下、ガウランドを訪う。それより博物舘に之、ダグラス氏に面す。氏、世子の室の謝絶状を出すことに決す。
 夕、荒川領事を訪、不在。鎌田氏宛の状をのこし、細井氏宅に行。十時過、荒川氏宅に往、応ぜず。
(88)五月二十九日 土
 午後、ガウランド氏を訪、三時に至り田島氏を訪う。
五月三十日 日 晴
 途上、田島氏を訪う。
 午後三時、田之助家に至れば、津田、鳥山、富岡、吉岡四氏来り侯ち居る。それより飲食し、夜八時前去る。 予は田之助氏と之を見送り、かえりて又飲み、それより帰家す。
 此日富岡氏に托し、アーマダの決定書写し九枚を、氏及び津田、吉岡、木村、鳥山、山田、宮川、加藤、沼口九人に配分せしむ。
五月三十一日 月
 此日、加藤高明氏、市商法会議所にて一人演舌あり。予、鎌田氏を訪う約ありしが、此事にて訪わず。
六月一日 火
 夜、加藤章造氏妻を訪う。
六月二日 水
 田之助氏と世子を訪、斎藤氏もあり。
 昨夜、世子を訪う。鎌田、斎藤、及真野、飯島四人あり。予久くとどまり、二時に至り還る。
六月四日 金 快
 午下、細井氏店を訪、吉岡、加藤、中島(資朋)、吉松(稜威層)四氏まちおる。汽車にてキウに至り、ハム及卵をくい、麦酒のむ後、植物園一覧す。バスにて田之助氏宅に至り飲食す。加藤氏絃を皷す。頗る妙なり。九時前に至り、一同と共に汽車にのり、予はアールスコートにて下車し帰る。
六月五日 土 晴
 午後、世子ホテルを訪、鎌田、斎藤、田島も来る。これより館を去り、他の家に移るとのこと。鎌田、田島と出で、バスにてキウ植物園に行、散歩。帰てハイストリートにて食し、歩してハイドパークに至り、スローン・ストリートにて田島に、アールスコートにて鎌田に別れ帰る。途上ハンマースミスにて吉岡氏へ発電。
 帰れば氏よりも二電信到りあり。これは昨日約せし明日動物園へ艦長を案内することに付てなり。
六月六日 日 半雨
 午後、カブにて動物園南門に到れば、三浦大佐、田島大尉、斎藤少尉と樹下にまち居れり。それより内に入り(切符は前日ダグラス及リードの得くれしもの)、諸処洩れなく案内、海狗に食やるを見る。支那大使の一連も来りあり。園を出て、艦長は高山大技師の夫人(89)病気を見舞の為、他二人と急に去る。予、歩して帰る。エジワヤ・ロードにて大驟雨にあう。
六月七日 月 陰
 午後、一寸ナチュラルヒストリー館を見る。バサー氏を訪、不在。それより家に帰り、家の児チャーレー及其友フレッド二人つれ、博物舘に行、三浦大佐に送るべき『名家手蹟』第二帖一集と『マグナカルタ』四をかう。(田島、津田、坂本、斎藤少佐におくる。)バグタニ氏を誘い、五時半フェンチャルチを発し、四人にて艦に趣く。吉岡少尉三人を案内し、予は士官津田、斎藤以下と快話す。又士官次室にて飯う。入時過、三人は水兵案内にて去り、次に予も帰る。加藤少尉、停車場迄送らる。ピカジリーにて人を打つ。
六月八日 火
 午下、ナチュラルヒストリー館にてバサー氏に面す。
 夕、田之助氏宅に至り、カレイ煮もらい食しかえる。
六月九日 水
 夕、加藤章造氏妻を訪、前日借し書を返し、トラウザルス月曜日の驟雨にて大に汚れしをなおすことを依頼し帰る。
六月十日 木 晴
 午下、ナチュラルヒストリー館に至れば、三浦大佐、津田、鳥山、瀬戸、斎藤(少尉)、木村、来りまち居る。それより館に入り、バサー案内にてバトラル氏に面し、蝴蝶室及び火酒づけ室を見、それより案内して六時に至り、南ケンシントン停車場隣にて茶のむ。斎藤少尉は予の家に来り顕徽鏡を見、酒のむ。他は荒川領事方に往。予も九時過斎藤と荒川氏を訪(始て面す)。それより一同とバスにてピカジリーサーカスに至り、分れ帰る。 ジッキンス状一室る。世子のやどなきを謝するなり。
六月十一日 金 晴
 歯悪きにより、下宿の主婦にマカレルやきもらい食う。午後二時頃、加藤章造氏妻を訪、トラウザルス直りしをもらい、それよりナチュラルヒストリー館に行、バサー氏に面す。それより帰り酒のみ、又マカレル食し、『時事新報』よむ(咋朝着)。夜十一時過、ケンシングトン・ハイストリートに出、飯いかえる。
六月十二日 土
 夜、ガウランドを訪、已に十一時前なれば開けず。見る内燈消ゆ。因て散歩して帰る。
六月十三日 日 晴
(90) 午下、バサー氏より書してランチに招かる。
 午後一時二十分、停車場ハイストリートに往、バサー氏夫妻及他一女在り。汽車の切符間違い同行を得ず。フェンチャルチに至れば已に五分おくる(二時十分)。待て四時半に至り汽車を得、艦に至れば、丁度艦長三浦大佐バサー一行三人案内すみ、別るる処也。それより艦長室にて同氏と飯い、艦長の前に下宿せし家の女共来り、予は艦長室にて、沼口、富岡、斎藤(少尉)と話す。それより士官食室に入り、追々諸士官来り、予、「竹助伝」を講ず。艦長も来聴す。九持前辞し別れ道中迄吉岡送らる。又斎藤少尉も走り来り、はなす旨あり。フェンチャーチよりルドゲート迄歩、それより馬車にて帰る。
六月十四日 月 晴
 午後、ガウランドを訪、不在。所借の書を返し、田島氏を訪。夕、別れ出、トテンハムコートに至り、飯いかえる。
六月十五日 火 晴
 十五日朝、田之助妻より伝言にて予を招き来る。予ことわる。
 午下一時五分過ナチュラルヒストリー館に往ば、入口の東側の園に斎藤少尉(七五郎氏)水兵十名率い来りまち居る。館に入り斎藤氏(前日バサー氏を艦中悉く案内せる故を以て)及金鵄勲章帶たる水兵一人つれ、バサー氏室に至り立談暫時、それより予、斎藤少尉及水兵を引き(入口の広堂にて鎌由氏にあう)諸室を見せ悉くすめば、六時閉館に五分前なり。講釈中、植物室に福島行信氏来る。(前月曜面会せし水兵曹南音吉よりタバコ一封くれる。)一同出て南ケンシングトン停車場向うの酒屋にてのみ、六時半に水兵一同は去る。予及福島、之をプラトフォーム迄見送り、それより田島氏を訪、福島とともにハイストリートにて会食。予は福島をおくりヴィクトリヤ停車場に至り、歩してハイドパークコーナーより帰る。
六月十六日 水 晴
 午後、鎌田氏を訪。二時過出て博物館に往、一寸ダグラス氏に面す。それより氏の召仕アルドリジに、古文の写し第二帙(二十枚ずつ七志半ずつ)四部買しめ、孫逸仙と鎌田氏を訪。それより予の家に来り、田島氏も来る。孫氏と食肆に行、それよりハイドパークに歩し、十二時前別れ帰る。
 ダグラス氏状一来りあり。
(91)六月十七日 木 晴、半雨
 午後正金銀行に為替証おくり金求む。それより浴湯後、博物館に行、読書七時に至り、バグタニ氏とトテンハムコート・ロードに食(但し各別に払い)。それよりノチングヒル迄バス、其後は歩しかえり、加藤広治氏へ状一認め(「竹助伝」の妙処写し入る)、十一時半出し、暫時歩しかえる。
六月十八日 金 陰
 孫氏をまつ、来らず。因て博物館に之く。
六月十九日 土
 午下、孫逸仙氏来る。共にキウに行、途上田島氏及同宿の西斑牙産ラモンにあう。それよりキウに行、諸室を見る。汽車にて西ケンシングトンに到り、田島氏を訪、話して九時に至る。出でて暴雨を冒しハイストリートに至り(バス賃上げアジソン・ロードよりハイストリート迄六片)食し、孫氏はバスにて帰る。
 予帰ればジッキンス氏より状来りあり。世子キウ気象台を見るに付、台長よりの案内状也。
六月二十日 日
 午下、孫氏来る。共にナチュラルヒストリー館を見る。マリアー方にて飯の後分る。
六月二十一日 月
 終日在寓。
 夜、歩してトラファルガルに至りかえる。
六月二十二日 火 半晴
 朝、ジュビリー行列見に行、群集にて一向なにも見得ず。夜、近街を散歩し、マリアー方に飲食。マリア主人及二給仕人に酒おごる。
六月二十三日 水 晴
 朝、バス賃なお高きにより、ハイストリートより汽車にてガワー街に之、博物館に之、ダグラス氏訪わる。
 夕、日本の皇族来り観る(読書室には来らず)。
六月二十四日 木 晴、小雨
 汽車にて博物館に之、バグタニ氏昼食をおごらる。夕、館仕舞いハイドパークに歩す。印度人の樹下演説をきく。(此印度人の樹下演説、昨夜又聞く。)六月二十五日 金
 インペリアル・インスチチュトのアベル氏(東洋語学黌長)より『聖諭広訓』何処にて得べきやをとわる。博物館に之、孫氏訪わる。明後日相会を約し分る。
六月二十六日 土 晴
 朝、細井氏訪わる。フクジン漬ほしとのこと也。予こ(92)とわる。
 樽物館にてダグラスに招かれ、蘇※[廷+頁]《そてい》の詩を訳す。ダ氏に『聖諭広訓』はトルブナー会社にて得らるる由聞き、アベル氏に返事す。
六月二十七日 日 時、朝雨る
 午後四時前、孫逸仙氏訪わる。七時過共に出、田島氏を訪、菊地謙譲、尾崎行雄二氏へ案内のこと承諾さる。十時過、孫と共に出、マリアー方にて食(時に十一時なり。コールドビーフを食、予酒二盃、孫氏はレモンのみ)。共に出、ハイドパークを過れば十二時也。マーブルアーチにて分れかえる。
 孫氏及田島氏、昨日の海軍式を見たり。雨にて孫氏は何にも見ざりし由。
六月二十八日 月 晴
 今日、女王ケンシングトン・ハイストリートに来る。近街賑わう。
 朝、鎌田氏方に行、状渡し来る。孫氏の事をたのむなり。博物館にて五時過孫氏にあう。氏の訳する所『赤十字会救傷第一法』三冊受く。田島、鎌田及予に贈らるる所なり。(女王に呈し、又サリスベリー侯におくれり。釘装に各五磅ずつを要せし由。)
 アベル氏より礼状来る。
六月二十九日 火
 朝、田之助氏来訪、フクジンヅケほしとのこと。
 今日、『デーリー・グラフィー』に、去る土曜日午後富士艦の機関工鈴木鉄之助氏死亡、昨日ライドにて葬る。市の長、之に随い墓に之し由をのす。
 午下、鎌田氏を訪う。孫文を岡本柳之助氏に紹介の状受取り、博物館に之、四時過孫文来り渡す。
 夕、田島氏を訪。菊地謙譲氏への紹介状、已に孫氏へ送りし由。二人近街を歩しかえる。氏の言に、去る土曜日艦にて望月氏打れし由。
六月三十日 水
 細井氏へ状一出す。船へ人おくること断る也。
 カブにて孫氏を訪(十一時前)。先日共に艦見に行し人もあり。佐藤寅次郎氏宛の状を孫氏に渡し、十一時宅の前にて分れ帰る。二人はセントパンクロス停車場に之。館に之、ダグラス氏に面し、孫よりの辞を述ぶ。
 夕、ハイドパークにて無神論の演舌きく。演者ロニー中々達舌なり。終に喧嘩おこり、予高帽を巡査に打る。かえれば十一時頃。
七月一日 木
(93) 夕、博物館帰途ハイドパークに之、無神論演舌きく。弁者、名はペック、甚き嘲弄家也。
七月三日 土
   海外逢知音
   南方学長属書
     香山孫文拝言
 これは六月二十七日孫氏親筆也。
 夕、ハイドパークにて無神論演舌きく。耶蘇に化せしジウ来り長々しく論ず。
七月四日 日 晴
 終日在寓。夜、歩してサーペンタイン池に至り帰る。
七月五日 月 陰
 朝、田之助氏来る。午下、鎌田氏を訪、それより博物館に之。夕、ハイドパークよりケンシントン園を歩して帰る。
 ジキンス氏状一来る。
七月六日 火 陰
 午下、博物館に至る。元専門学校講師平田譲衛氏、田島民解介状を以て訪わる。暫時館前にて話しして去る。
 夕、ハイドパーク歩して帰る。
七月七日 水
 鎌田氏より前日立かえし金一磅一志六片かえさる。夜、鎌田氏宅へジキンスより転致の Dr. Chree の状を渡し、それよりマリアに到り飯いかえる。
七月八日 木
 夕、博物館仕まい田島氏を訪、十時迄話しかえる。
七月九日 金 晴
 博物館に之、飯後館にかえる道にて平田氏にあう。共に其宅 Gower St.80 に之、話し、又館に之。
 夜、ハイドパークにて無神論演舌をきく。平田氏話により板屋確太郎、小倉松未氏物故の由きく。
七月十日 土
 午下、博物館にあり、ハイドパーク演舌家一人握手に来る。夕、ハイドパークに之き、其人の演説きく。一寸話しかえる。
七月十一日 日 晴
 夜、ハイストリートに飯に往、其ウェーター注意せず。
 去てマリア方に行、のみ食い帰る。
七月十二日 月
 博物館仕舞い平田氏を訪う。氏外出せんとするにあい、直にかえる。
 領事館加藤氏へ状一出す。
(94)七月十三日 火
 加藤元四郎氏返事到る。
七月十四日 水 晴
 平田氏訪わる。共にダグラス及リード氏を訪、両々不在。夕、氏の方へ『名家手帖』一冊持行、共に汽車にてハイストリートに至り別れ、予は田島氏を訪。『名家手帖』四部渡し帰る。『仏光国師語録』借来り読む。加藤本四郎氏より状一来る。
七月十五日 木 晴
 博物館にて平田氏を待。三時半来り、名刺のこし去る。
七月十六日 金 晴
 午後、平田氏博物館へ訪わる。共にダグラス氏を訪い、其保証にて平田氏リーリングルームに入る。リード氏にも平田氏を締介す。
 夕、入浴。
 津田三郎氏へ状出す。(当時ポートランドにありと加藤元四郎氏より知さる。)
七月十七日 土 晴
 午後、博物館にてダグラス氏を訪う。夕、田島及鎌田氏を訪、両々不在。
七月十八日 日
 バグタニ氏をまつ、来らず。夜、近街を歩しかえる。
七月十九日 月 晴
 夕、大雨を犯して田島氏を訪、話して十時過に至りかえる。
七月二十日 火
 朝、津田三郎氏より来状。富士はポートランドにて竣工の筈、然し何時出立するやは一向分らぬ旨申越る。
 バサー氏使して『イースト・アシア』初号贈らる。氏の日本の髪ゆいどこの事あり。又第一に孫文氏の『支那行法改革論』あり。
七月二十一日 水
 夕、ハイドパークにて無神論演舌きく。
七月二十二日 木 陰、夕雨
七月二十三日 金 晴
 加藤本四郎氏より状一受。
七月二十四日 土 晴
 夕、博物館仕まい、一寸ハイドパーク演舌きき、それより斬髪。
七月二十五日 日 晴
 終日在遇。夜、マリア方にて食。
七月二十六日 月 晴
(95)七月二十七日 火 晴
 夕、ハイドパークに之、それより田島氏を訪、不在。
 加藤元四郎氏へ状一出す。
八月一日 日 晴
 午後、加藤本四郎氏来る。マリア方にて午餐の上、ナチュラルヒストリー館見る。
 夕、又同処に飯い、それより荒川領事を訪、『名家手帖』第二集一冊をおくる。十時迄話しかえる。同氏妻君及小女にも面す。
八月三日 火
 津田三郎氏より富士艦士官一同の写真被送付。
八月七日 土 晴
 夕、ハイドパークに之、ペック氏演舌きく。反対者ボッツ・ポープ。
 加藤広治氏より状一着。
八月八日 日 雨
 終日在遇。夜、マリア方に餐す。
八月九日 月
 午後、リード氏に面す。博物舘早く仕舞い領事館に之、荒川領事に面し、加藤元四郎氏を伴い、共にブリチシュ博物館を見、それより南ケンシングトン博物館を見る。マリア方にて夕飯し、ハイドパークに之、ハイドパークコーナールに至り分れ帰る。
 此日、書肆トルスローヴ・エンド・ハンソンに命じ、スエトニウス『リヴス』四冊(吉岡、宮川、中島、吉松四少尉)、ウッズ『ナチュラル・ヒストリー』三冊、津田少佐へ、ボカッシオ『デカメロン』一冊、加藤少尉へおくる。又十冊ジュビリーの行列図、これは前日予ナチュラルヒストリー館へ案内せし水兵におくる。
八月十日 火
 夜、ハイドパークにて演舌きき、近街を歩して帰る。津田及び加藤へ連名状一出す。これは昨日書送りしことを報ずる也。
八月十一日 水 本日時々微雨
 朝、入湯前にけぬきかう。
 午下、レオン方に至りパンタロネス受取、十三志半払う。それより博物館に至り、加藤広治へ一状、津田三郎氏へ一状出す。夕、ハイドパークにて無神論演舌きく(弁者ロニー氏)。それよりノチングヒル又グロスべノル町及アールスコールトを歩して帰る。
八月十二日 木
 博物館へ平田譲衝氏及荒川氏の状来る。直に出、領事(96)館に之、前田正名氏に面す。(氏は古谷竹之助より予のこときき知れり。)それより夕、田島氏を訪、鎌田氏及山本新治郎氏(紀州日方の人、吉田直太郎と同く米に航せし人)にあう。共に出、分れかえる。
八月十三日 金
 加藤広治氏状至る。書籍の受取り也。又ガンルーム一同より、名を銘せる巻烟草入一個着す。
 夜、ノチングヒル辺を歩し、道にまよう。それより荒川氏を訪、鎌田氏もあり、共につれ出、鎌田氏宅前にて別る。歩してケンシングトン園に至り、五人斗りと打合い、帽砕かれ傘おられ鼻血出てかえる。
 津田三郎氏状一来る。
八月十六日 月
 斎藤七五郎氏状一至る。水兵共より予がおくりし品の礼のぶるなり。
 午後三時過、前田正名氏、伊東氏と共に来る(博物館へ)。リード氏案内にて喜楽仏像及び牛、女を淫する碑、又ライブラリー内部を見。其前にアルドリジ案内にて、新聞室及マグナカルタ及シェキスピヤルの手書を見る。
八月十七日 火
 朝十一時、前田氏を訪。それより共に出。領事館に至り、前田氏、予に午餐ふれまわる。荒川領事も来り暫時話して予は去り、一先宅にかえり、バサー氏を訪、不在。田島氏を訪、帽及傘かり、夜リード氏を訪。
八月十八日 水
 リード氏より前田氏をダイヤル氏に紹介状を得。
八月十九日 木
 朝十一時、前田氏を訪、堀田瑞松氏父子も来りあり。
 午下、前田氏と共に汽車にてパジングトンよりハイストリートに至り、それよりバス及トラムにてキウに至り、直にダイヤールス氏官宅をとう。仏人大種商ビル・モランも来りあり、ダイアルの妻子と会席。それよりしばらく園中を見、予前田氏を案内し、大コンサーベトリー食虫草、菌室等を見る。帰て氏の宅近傍にて分れ、夜、博物館しまい、山本氏を訪、不在。それよりランカム・ホテルに至り、前田氏演舌きく(日本人会)。それより前田氏同伴、其宅に至り、氏委托の統計書の名を渡し直に帰る。
八月二十日 金 微雨
 朝、田島氏を訪、帽及傘をかえし、それより博物館に之。氏より『万朝報』、望月小太郎、下田歌子らのこ(97)との報を示さる。
八月二十一日 土
 博物館にてリード氏に面す。夜、山本氏ら見る。共に
 ブリチシュ博物館を見る。
八月二十二日 日 時
 朝出、鎌田氏を訪、不在中へ山本氏来りまつ。午下、
 汽車にてキウ植物園に之。帰途ダイアルス氏細君へ小
 函十二のこし、帰り田島氏を訪、不在。マリア方にて
 食し、マーブルアーチより西方へ数町歩し、山本氏は
 去る。
八月二十三日 月
 夜、リード氏を訪う。
八月二十四日 火
 午下、鎌田氏を訪、不在。しばしまつ後出。マリア万
 に飯す。下男ツリ銃ごまかすを叱りやる。夜、リード
 氏を訪、珍画かり来る。
八月二十五日 水
 午後、博物館にリード氏に面す。夜、帰途斎藤氏を訪、
 田島、鎌田、次に世子来る。共にカブにてリート・氏を
 訪、世子パールシアの画及リード氏写真を受。予ドド一、二つうたい十一時迄二時間話しかえる。
八月二十六日 木 陰
 午下、トテンハムコート・ロードに餐し、汽車にてベイスオーターに之。(汽車間違えロヤルオークに至る。)
 風呂に入、博物館に之く。夕、雨。歩してスローソ・
 ストリートに至り、バスにのりかえる。
八月二十七日 金
 午下、館に之、リード氏に一寸あう、話さず。夕、館しまいナイツブリジにてプリニー『博物史』羅甸文五冊、二志にてかう。それよりアールスコート辺を歩し帰る。
八月二十八日 土
 博物館仕舞、夜、斎藤氏を訪、不在。
八月二十九日 日 雨
 夜、斎藤氏を訪、田島もあり、直ちに去る。進藤、世子、及鎌田氏集り飯う。余ドド一等やり、鎌田氏とつれかえる。在米松野氏にあう。
九月一日 水
 夜、斎藤氏を訪。氏夕食後、斎藤、進藤二氏と共に鎌田氏を訪、田島及鎌田女とつれ芝居より帰る。此夜リード氏に帰すべき珍画忘れ、大に不安心睡らず。
九月二日 木
(98) 午後、キウに之、ダイヤル氏を訪、不在。箱一つのこしかえる。雨をおかしスローン街に之、豚肉くい、それよりリード氏を訪、所借の珍画返しかえる。
九月三日 金
 午後、斎藤氏を訪、鎌田氏来る。暫時にして去る。予斎藤氏方にて飯い、共に鎌田氏方に至れば、徳川世子もあり、共に汽車にてキウに之。(ステーションにて凡そ一時間まつ。)ダイアル氏に面す。一寸案内され、氏に別れ、四人汽車にてアールスコールト停車場に至り、予は分れ、トテンハムコート・ロードに至り飯いかえる。
九月四日 土
 午後、荒川氏を訪、ダイアル氏より新嘉坡植物園長へ前田氏の紹介状なげこみ。夕、加藤本四郎氏を訪、不在。
九月五日 日
 終日在寓。
九月六日 月
 弟より八十円着。
 加藤本四郎氏状一到る。
九月七日 火
 夕、博物館にてバグタニ氏に遇う。二週間休まんと。
九月八日 水 雨
九月九日 木 陰
 夕七持前、博物舘しまい、加藤本四郎氏を訪、不在。
九月十日 金
 夜、リード氏を訪、『美術世界』を贈る。(前日おくりし外に十七冊也。) 山本新治郎(一昨夜スコトランドより帰りし由)及荒川巳次氏より状各一来る。
九月十一日 土
 夕、加藤本四郎氏を訪、不在。
九月十二日 日
 午下、山本新治郎氏来訪、飯ふれまい、出で斎藤を訪、不在。一昨々日シスルトン・ダイヤルより回送の種子五十二種を留め、それよりマリアー方にて食し、山本氏は先き往く。予は大便して同氏方に往、十時半迄話しかえる。氏は明朝出発、大陸に往、帰国。
 (此日、池田※[其/糸]治、午前九時死亡、先年ミチガン農学に同学の人也。九月二十三日の『時事新報』に出。)
九月十四日 火 晴
 午後、博物館にてダグラス氏にあう。一ヵ月間スコットランドに在し由。
(99) 食時に日本人吉永兼吉という人の一行五人にあう。
九月十五日 水 晴 微雨
 夕、博物館しまい、スロ−ン街よりアールスコートを歩してかえる。
 夜半、常楠への状認む。
 此日 J.Moura の『柬浦寨国』第二巻より、拇印千八百五十二年に柬浦寨に公行されしこと見出す。
九月十七日 金 雨
 常楠へ書留状一出す。
 夕、博物館仕舞い、加藤元四郎氏を訪(九時過也)。話して十時に至り、共に出ハンプテットヒース停車場側の酒店に飲む。十一時半に至り、分れ帰る。道に車なし。歩してハイドパーク辺に至り、カブにのり帰る。雨にて閉口す。 ナチュラルヒストリー館よりシャープ氏動物園切符五枚送らる。
九月十八日 土
 中島氏へ状出す。
九月十九日 日
 終日中島氏をまつ。不到。
九月二十日 月 快
 中島氏状至る。(中島滋太郎、甲州人、羽山蕃次郎氏友人。Mr. S. Nakajima, 42 Stanley, Garden, Haverstock Hill, N.W.)
 夜、レストラントヘミュラル『梵字文典』忘れ、又覚り、とりに行く。
九月二十一日 火
 夕、バグタニー氏と同く料理店に食う。次の日曜日、共に動物園に之んことをすすむ。氏返事不分。
九月二十四日 金
 午後、博物館にてダグラス氏に面す。
九月二十五日 土 朝快晴、夜雨る
 博物館にてダグラス氏に面し、シュレゲルの事話す。
 加藤章造民ハガキ一来る。前週帰りしと也。鎌田氏より一書来る。明後日世子方へ来れと也。二氏へ返状出す。
九月二十六日 日 晴
 加藤氏話に、昨夜ホテル・メトロポールにて徳川氏二十人斗りよばれし由。 朝十一時過、加藤本四郎、中島滋太郎二氏来訪。二時過迄話し、バスにてマリア方に至り飯い飲み、カブにてマーガレット街に之、バグタニ氏を訪、不在。(三(100)時迄俟おりし由。四時過なりし。)又カブにて動物園に往(札はドクトル・シャープくれし)、虫室の外悉く見也、それより中島氏宅に往、飲み又飯う(家主及二婦人と)。十時過帰る。中島氏プリムロースヒル迄送らる。予、道間違えトテンハムコート・ロードに至り、バスにのり帰る。
九月二十七日 月
 博物館にてダグラス氏を訪、氏、今日鎌田氏をベ−シー・ホテルに訪う筈の由。
九月二十八日 火 霧
 夜、ハイドパークに之、演説きく。
 加藤章造氏状到る。
九月二十九日 水 陰、夜八時頃大雷雨
 此日徳川氏出立の筈也。
十月一日 金
 午後、博物館へ予を高橋某という人尋来る。飯ふれまい帰す。(此人は新嘉坡より来り飯田氏方に居る由。)
 夕、加藤章造氏を訪、魚油あげにて飯い酒のみ話してかえる。
十月二日 土
 夕、加藤章造氏を訪、牛肉にて飯酒。十一時前分れ帰る。
十月三日 日 快晴
 午下、田島担氏来訪、話して二時に至り去る。予はカブにのりマーガルト・ストリート一番地に行、バグタニ氏室にて飯い、共に動物園迄歩し之を観る。園内にて林権介氏にあう。
 六時過に至り北入口にて分れ、予は歩して中島氏方に之。輸船会社の吉井氏(伯耆人)もあり、共に加藤元四郎氏方に之、飲酒。余得意の「竜動《ロンドン》水滸伝」を演ず。それより酒店に之、又飲酒。十時過分れ、トラム及バスにて帰り来る。
十月四日 月 陰
 博物館にてダグラス氏紹介によりインペリアル・インスチチュート長に面す。
十月五日 火 晴
 加藤章造氏へ状一出す。
十月六日 水 陰
 朝、細井、高橋と共に来る。予あわず。
 夜、ハイドパークにて演舌きく。
 加藤章造氏ハガキ一来る。加藤氏へ状一出す。
十月七日 木
 国元より新聞二郵着す。
(101)十月八日 金 夕雨
十月九日 土 快
 午後、ダグラス氏に面す。『日本書目録』成しに付、予に序を読聞せらる。予より馬琴及林鵞峯の名号を教えはなし、乃ち序に書入る。又序にはアストン、サトウ、楢原陳政、又予の四人に礼をのべらるる由稿を示さる。
十月十日 日
 午下、バグタニ氏を訪、飯及酒ふれまわる。それよりカブにのりナチュラルヒストリー館に行、鳥、鯨、虫、魚の部を見る。化石部に至り半見ずに時来り、出でハイドパーク辺に至り分れ、田島を訪、不在。マリア方に食しかえる。
十月十一日 月
 『ネーチュル』へ投書、蠍螫にホテントット人耐る事也。加藤元四郎氏へ状一出す。
十月十二日 火
 夜、ハイドパークにて演舌きく。
十月十三白 水
 朝、宿のカカとランプの事に付議論。
 夜、坊主レベランド・ウエストンより状来る。天主教の徒放逐の事とわるる也。
十月十四日 木
 加藤本四郎氏状一来る。十七日招しをことわる状也。吉居氏へ状一出す。
十月十六日 土 晴
 ダグラス氏に『紀州名所図会』旧校堂(今は常楠宅)の図示す。
 夕、ハイドパークにて演舌きく。
 加藤章造氏ハガキ一着す。吉居氏より状一来着す。
十月十七日 日
 午下、バグタニ氏を訪う筈の処、昼飯遅く不果、加藤章造氏を訪、八十太郎氏もあり。ウドン作り食う。章造氏カカすねて面白からず、十時に至りかえり去る。
十月二十二日 金
 国元より状一来る。
十月二十三日 土
 公使館より天長節宴招状受く。
十月二十四日 日 晴
 午後、バグタニ氏を訪、共にナチュラルヒストリー館を見る。それよりハイド公園迄歩し別れ帰り、マリア方にて飯、又パークに行、演舌きく。それより演舌家(102)一人とつれマーブルアーチ迄歩し、分れホランド・アベニューより歩してかえる。足甚痛む。
十月二十五日 月 晴
 午下、入湯、それより博物舘に之く。
 (此頃より博物館の少年フレッチャール見えず。)
十月二十七日 水 陰
 朝、高橋氏来る。細井より依頼の仏像見てもらいに来る也。予ことわる。暫時話し、共に出、予は博物館に之く。
十月二十八日 木 陰
十月二十九日 金 快
十月三十日 土 快
 細井及加藤章造へ状各一出す。
 夜、ハイドパークに之、演舌家と小話す。
十月三十一日 日
 加藤氏を訪、諌山、高橋二氏来る。飯食の後、諌山、次に高橋去り、次に予出る。
十一月一日 月
 朝、田島氏来訪。午下分れ、予は館に之く。
十一月二日 火
 午下、博物館へ田島氏来訪、共に読書室を見、それより出てエジワヤー街に飯い飲み、伊藤氏を訪。オルダー母子来る。去後、田島又去る。予ややはなし帰る。
十一月三日 水
 加藤元四郎氏状来る。日本学会への紹介状也。
 朝、高橋氏来る。
 午後、加藤氏を訪、叔甥に馬車上往ちがい、予其宅に至りまつ内二人かえる。共に出、博物館に之、アルドリジ案内にて読書室及「マグナカルタ」を見る。それより其宅に往、飯い、リードを訪、春画一枚おくり、プライスヘの紹介状もらい加藤に渡しかえる。
十一月五日 金
 加藤氏に状出し、田之助に預し書物引戻しのことを頼む。
十一月六日 土
 平田譲衛氏、博物館に来訪。共に近街に飲む。明日曜来んかと問いしに、鈴木鳥左也と先約ありとのこと。
十一月八日 月
 午後、博物館書籍室に入りさま毛唐人一人ぶちのめす。これは積年予に軽侮を加しやつ也。それより大騒ぎとなり、予タムソンを罵し後、正金銀行へ之、中井氏に十磅かる。領事館へ之、加藤及山下に面し、それより(103)加藤章造を訪、道具二品もちリ−ド氏を訪、不在、妻君に面し帰る。
十一月九日 火
 夜、リード氏を訪、不在、妻に面し、ホイスキーのみ加藤氏を訪う。大酔乱言して帰る。
十一月十日 水
 田島氏ハガキー着、安着の由申来る也。(ノルフォークに之し也。)
 夜、リード氏を訪、不在。
十一月十一日 木
 一スープ払済。
 夕、バサー氏を訪、浮世絵一枚、同人妻に与えかえる。
 妻には不面。伊藤祐侃を訪、酒のみ七時過出、カブにてリード氏を訪。
十一月十二日 金
 一スープ。
 博物館に之、浮世絵二枚バサーに托し其妻におくる。
 それよりスミス氏(柔軟動物学者)及他一人(※[獣偏+胃]状動物学者)にあう。
 浴湯後、ダグラスを博物館にておくり、刀一本其子に与えるを托し帰る。館内にて安岡雄吉氏にあう。
十一月十三日 土
 一スープ。
 夜、荒川領事を訪、小松謙二郎氏あり、話して十一時に至り、分れ帰る。酒二本のまさる。
十一月十五日 月
 バグタニ氏宅に之、フレンチ文典一冊下女に渡し帰る。夜、荒川氏及ガウランドを訪、不在。
十一月十六日 火
 朝、高橋金二氏来る。共にマリアー方に飲、同車して動物園に之見る。それよりベ−カー・ストリートよりレゼントサークスに歩し、大便の上、トテンハムコート街に之、飲食し、バスにてオクスフォールド街に到り別れ帰る。
十一月十七日 水
 朝、高橋氏来る。氏の為に状一つ認め、氏をつれエドイン・アーノルド方門に至り、氏は入り、予はナチュラルヒストリー館にてまつ。一時余して氏来る。共に飲食し、宅につれ帰り談話し、氏は去る。
十一月十九日 金
 夕、加藤氏を訪。
 ジッキンス氏状一受。
(104) パテント附ランプ一かう。
十一月二十日 土 陰
 午後、竜動大学にジッキンスを訪、氏の訳『竹取物語』一冊被送。
 加藤章造氏を訪、一寸話して帰る。近街を遊歩す。
十一月二十一日 日 陰
 終日在寓。
十一月二十二日 月 陰
 午後、平田譲衛氏をフィンスベリーパーク・ロ−ドに訪う、不在。暫時歩してかえれば氏も帰り来る。十時迄話し酒のみかえる。
十一月二十三日 火 陰
 朝、高橋謹市氏来る。昨日エドウィン夫人宅かいくれし由話さる。予と共にマリア方に飲食、予ウェーターを叱り付、一同大あきれ。ハイドパークに喫烟の上ロンドン大学に往、高橋のことをジキンスにたのむ。ジキンス大あきれ。汽車にてブロンスベリに行、郷田栄三郎夫婦を三井倶楽部にとい、高橋世話になりし礼いう。高橋をおくり、其宅かどに之、分れかえる。
十一月二十四日 水
 牛下、高橋と共にナチュラルヒストリー館を見る。それより共に安飯屋に飯くい、氏はエドウィン方に行、夜来る。共に加藤氏を訪、昨日とか美津田氏方にありし小児十才のもの(菊松)を国へおくるとてアントワルプに之んとのこと。因て三人つれ出、忽ち分れ帰る。
十一月二十五日 木
 此日、高橋ひとりジキンスを訪。
 終日酒のみ、絶食してふす。夜スロ−ン・ストリートに出、安めし食う。
十一月二十六日 金
 朝、高橋来り、予為に状かき与う。それもちてジキンス方に行く。ジキンス他の一人と金一枚やろうというを辞し、予方に来る。予はブロンプトン墓場を見、加藤氏を訪。未だアントワルプより帰らず。
 夜ジキンス状来る。
 高橋とつれ出、其宅迄おくりかえる。高橋大酔、シャッポ馬糞中に落す。
十一月二十七日 土
 ダグラス氏状来る。
 朝、高橋、ジキンスにエドウィンの状及び藤田領事のサーチフェケート示しに之、それより予方に来る。顔色甚悪し。暫時やすみ、共にハイストリートに飯い、(105)それより髪つみエドウィン方に之、予、暫時かどにてまつが出来らず、因てかえり来る。
 夜に入、高橋来る.共に出、歩して其宅辺に至り分れかえる。
十一月二十八日 日
 此朝、加藤氏アントワルプより帰る。
 夜、高橋つれ出、ハイストリートに飯い、高橋カレー大食、料理屋のカカあきれる。ともにアールスコート迄歩す。夜晩く迄『武鑑』に洋字をかき入れす。これはエドウィン・アーノルドの所持の書也。
十一月二十九日 月 晴
 午後、ハイストリートに食し、博物館に之、ダグラスを訪、印籠一つ贈る。同氏より予タムソンに以後博物館構内にて喧譟せぬ盟書起草され、予もちかえり写して郵送す。それより高橋氏来りつれ出、分れ加藤章造氏を訪、印籠一かい、荒川氏宅入口にて中井氏と立談し、スローン街にて豕めしくう。
十一月三十日 火 晴
 朝、田島氏より状一着、片岡政行捕縛の『時事新報』おくらる。直に略を訳してリード氏に送致す。田島氏へ状一出す。
 午後三時出、安めしくう。帰途バサー氏を博物館外にまつ、おそくして不遇。夕、高橋氏来る、暫時にして去る(進藤方へゆくとて)。十時半出てスローン街に安飯くう。
十二月一日 水
 高橋と共にナチュラルヒストリー館に之き、バサー氏に面し、印籠一つおくる(潮見小平正誠作。加藤章より一磅半にかいしもの、根付おじめ付)。バサー氏に托し、アウステン氏に画一袋十二枚おくる。バサー署名の上、願書二通バサーさし出しくれる。それより別れ、高橋と共にボークスホール橋より中井氏を訪、夜に入帰来る。飯い十持前帰り来る。
 リード氏状一来る。片岡のこと驚入し旨申来る也。
十二月二日 木
 午後、安飯くいに行、帰る途上高橋氏にあい、烟草かいにやる。氏来り、それより共に出、アールスコートにて飯い、加藤を訪、飯たき居たるをかくす。高橋氏宅辺おくり帰る。
 アウステン氏より画おくりし礼状来る。
十二月三日 金
 南ケンシントン、ナチュラルヒストリー館より植物及(106)動物学部への許可状来る。
 ナチュラルヒストリー館に之、アウステン氏に面す。
 バクレー氏著『ブンブン編』の抜書を頼み帰る。
十二月四日 土
 朝、アウステン氏の抜書来着。
 夜、高橋氏と共にリード氏を訪う。南ケンシングトン迄歩し、それよりバスにて雨を冒し安めしくいに行く。
 南ケンシングトンにて分れ、それより高橋は頭剃り一志とられる。
十二月五日 日 陰
 朝早く高橋氏来る。やどの主婦、高橋毎度来るを怒り、予口争の上、去年やりし盆一枚焼く。
 午後、高橋、荒川氏方より平田氏に予の状渡しに行。(平田氏より返状、同人に附し来る。)予は加藤氏方に往、それより中井氏を訪、奥村、岸、巽、菊地、長岡諸氏あり、酒のみ、予はウエストミンストル橋をへて帰る。高橋宿に之、開けず。因て歩して加藤方に至る。燈火なし。因て中井氏に貰いし栗くい乍ら帰宅してねる。一磅、中井氏より借。
十二月六日 月
 昼迄臥し、出てアールスコートに一飯し、加藤氏を訪。此日初て浅野長道の塞みる。
 夕、リード氏を訪う。
 此夜より 34 Bowerdean Street, Fulham にとまる。
十二月七日 火
 朝、ナチュラルヒストリー館に之、バサー紹介にてムレー、ジェップ二氏に面し、植物学部札を得、アウステンに面し、バトラー(病間)のオフィスにて動物学部札を得。外出する所へ高橋来る。(氏はジキンスを訪、多忙にて明日来れといわる。)共に飯くい、それより博物館に之、ダグラスを訪、リードを訪、不在。それより出てバスにて進藤の店に之、高橋は入り、予は久くまつ。やがて出来り、バスにのり、スローン街に至り下車。道に田之介にあう。昨夜、高田商会によばれし由。それより高橋と共に加藤氏を訪、それより帰る。
十二月八日 水
 朝、加藤氏を訪、金一磅半かり、前の宅に之き諸払いすます。
 火を焚き書を見、暫く眠る。中井氏よりの借金封入書留状一(九磅不足入り)をとり、夜に入り立出、食後カブにて加藤氏をとい金はらう(十三志は未済)。
 バサー氏より平田氏の状廻送さる。十志ビヤー二ダー(107)ス代として送らる。
十二月九日 木 快晴
 朝五時、亭主いなかへ出立、土曜に帰る筈。
 高橋とつれ出、予は加藤氏を訪、八十太郎氏と同車して南ケンシントンにて分れ、予はランス店にてトランク二つかい、ナチュラルヒストリー館を見、歩して帰り加藤氏に立より、十三志かえす(これにて皆済)。
 それより帰り臥す。家主婦、余午後不在の処、予についで帰り来る。
 正金銀行より状一来る。去る七日送金を告る也。
 予はねてしまう。高橋はエド方よりコンコベリー平田氏方に行き、五時間もまつに、九時半になるも平田氏帰らず、遂に帰る。
 家主婦、予既に帰れるを知ず、しばらく高橋と話す。其内、予、高橋をよび、共に其室に臥す。
 此日、加藤氏より田島氏状一受く。
十二月十日 金
 中井氏へ状一出し、借金十磅の証文おくる。本月十八日迄の期限也。
十二月十二日 日 雨
 雨を冒してリード氏を訪、それより中井氏を訪う。金子延期の事たのみ、酒三本のみ、夕かえる。
十二月十三日 月 微雨
 夕、高橋と共に出、ハイストリートに食し、それより荷車やとう。明日転宿の為、二人雪隠に往、高橋嘔吐す。それよりホランドガルズンスに至り、ジォシーを訪、不面会、つれて帰る。
十二月十四日 火 快
 博物館より予にチケット帰す状来る。
 朝、高橋ジォシー方に之、不面会。エドウィンを訪、紹介状返し、予の旧寓に来る。予は先に在り、不在中に高橋来りまちおる。一時に至り車及人足二人来り荷物つみうつる。夜、高橋つれハイドパークよりノチングヒルを歩し、ハイストリートにて食す。已に十二時也。それより歩して帰る。微雨。
十二月十八日 土
 郷田栄三郎氏より此品〔二字傍点〕入り状来る。此品、なんのことやら分らず。
十二月十九日 日 陰
 午下迄、高橋予の『風俗画報』揃えくれ、それよりエドウィン・アーノルド方へ往。予は町に出、安飯くい帰る。已に夕なり。夕に及び、主人妹、高橋状もち来(108)る。次に高橋帰り、エドウィン明朝限り高橋の仕払い止る由、いわれしという。予出てリード氏を訪、『万宝全書』一部おくる。高橋室に同宿。
十二月二十日 月
 夜、高橋と共に安飯くう。
 高橋、今夜予と同宿。
十二月二十一日 火
 朝十一時頃迄酒のみ、栄三郎氏よりとて酒三ダースの使来る。之をことわる。高橋は田島、吉井及下条氏へ、予の状もち往、又銀行に之、中井氏よりジォシーの処きき知り、ジォシーを訪う。
十二月二十二日 水
 高橋、朝早く出、大倉氏を訪、不在、栄三郎と向山という人をとい、ジォシーに面し、金十志貰い帰る。加藤八十太郎を訪、宿を求んことを乞えども不聴、止を得ずハンマースミスの安宿に止る。
 予は竜動大学にてジキンスに面し、銀行に之、中井氏に面し帰り(夜、加藤氏を訪)、十一時迄主人夫妻と高橋をまつ、不帰。
十二月二十三日 木
 (朝、羽山蕃とやる夢を初て見る。)
 朝、高橋来り、予ジォシーへの手紙かきやる。予は午後出、ジキンスを竜動大学にとい、十二磅正金銀行へ氏より払わるることを約し、予は三磅受。帰り一寸ダグラス氏を訪。一人ハイストリートに夕食し、家に帰る。高橋氏来る。共に出、其宿に止る。
十二月二十四日 金
 朝十時頃、高橋と共に帰り、書物つむこと助らる。カレーを食い、高橋去て、加藤氏を訪、又大倉を訪、不在。予は博物館に之、ダグラスに面し、又チケット取戻し、八時迄読書。帰途、高橋方に宿す。
十二月二十五日 土 陰
 朝、大霧。高橋外出、用を立せずに帰る。
 十一時高橋と共に宅に帰り昼飯くい、三時半頃高橋は加藤方に之、三十分斗りまち家に帰る。
 余は七時半頃高橋方に之、カンヅメの鮭にて酒のみ止り宿す。(高橋家主婦子供と賽をふり、又ほうびきのこと。)
 本日霜解ず。
十二月二十六日 日 陰
 午下、高橋方を出、宅にかえる。主人夫婦、今朝二時半隣家の宴より帰りし由。
(109) 高橋と家にて飯う。
十二月二十七日 月
 午後、加藤氏を訪、八十太郎氏もあり。
 カブにて竜動大学に行、閉たり。因てブリチシュ館に之、ダグラスに面す。ダグラスより予に書籍室入口にて復館の喜びをのべらる。
 夜、高橋方に宿す。
十二月二十八日 火
 午後、ジッキンス氏を訪、一磅かる。ダグラスに面し、諸所へ状出し、遼東のこと問う。
 夜、高橋方に宿す。
十二月二十九日 水
 博物館にて中井氏より状及新聞きりぬき受く。
 加藤公使、荒川領事及伊東祐侃氏へ、昨日状出し、日魯のこととう。
 夜、高橋氏方に宿す。
十二月三十日 木
 ある丈の金にて中井氏に可送。
 『名家手蹟帖』かう。
 山座氏状来る。
 夜、高橋方に宿す。
十二月三十一日 金
 朝、高橋方よりかえり、『ネーチュール』とり、博物館に之道上、車中(?)にて之を失う。
 高橋も此朝予と共に来り、卵を注文するに、予には二、氏には一をやり、因て高橋は不食。
 国元より状一、『植物学雑誌』等来りあり。加藤八十太郎氏に二志かる。
 荒川氏状来る。館にて前日喧嘩に予を助けくれし老人よりあいさつあり。
 高橋は今日エドウィン方に之、相手にせずとのこと。
 夜、高橋方に宿す。
 
(110)   一八九八年(明治三十一年)
 
一月一日 土
 朝早起、宅に帰り、昨日間違て持来りし鍵カカアに渡す。それより博物館に之、夜、高橋を訪。此日、高橋凰ひき甚弱る。予、酒かいのましめ臥す。
 伊東祐侃氏状、ダグラス氏局迄来りあり。予がダ氏の託にまかせ、日露条約の事聞合せし返事也。
 中井氏より二磅貸る。
一月二日 日
 午後四時過迄高橋方に居る。それより加藤氏を訪、妻風ひき臥居る。予、プランジー買来る。両加藤及高橋と牛飯くう。高橋風愈ず、かえる。予も次で去り、宅にて「ブユゴニア編」を草す。
一月九日 日
 程〔一妙開程好〕よし画一枚高橋にかう。
 二時頃高橋とつれ出、予宅に之、酒のむ。高橋去る。それより予は中井氏を訪、安岡外数入来りあり、立ながら玄関にて一本麦酒のみ、『名家集手蹟帖』渡しかえり、加藤氏を訪。予グデングデンにて酒を求む、与えず。高橋方に至り寝ぬ.
一月十六日 日 霧
 高橋方にあり昼餐くい、加藤方に之、猫(カイアン云く、ニコ)児もらい、高橋とつれ予宅に之、渡し、食飲勘定のこり六志すませ、それより又加藤方に之。加藤叔甥及妻飯いながら、予等二人に食さず。予は買来りしブランジーのむ。それより高橋と二人バスにのり、ハイストリートに至りカレー食い、西ケンシングトンよりウァラムグリーン迄歩しかえり、其宅に臥す。
一月十七日 月 曇
 朝、高橋早く起き不興の体にて出之く。予は十一時出ハイストリートにて飯い、クインス・ロ−ドにて入浴し、それより博物館に之。夜仕舞い高橋方に帰れば、大もうけ一磅余得たりとの事也。余ブランジー飲み、小説『破れ太鼓』というもの、永く読書す。
 此日、此帳買う。
一月十八日 火 快
 朝起(高橋少く病気にておそくおく)、高橋朝飯おごらる。それより氏は出、予は午後三時迄『江戸名所図会』第二第四の序、ジキンス氏の訳文を直し、四時に(111)少しすぎ竜動大学に行、氏に渡す。それより博物館に之。夜六ペンスにて安めしくう。(此辺に小児ホェルク売るもの、馬車に蹴れなき居る。兵卒之を救う。)それより高橋方に之。前刻アール・オヴ・スペンサーの使来りし由。高橋は其時下半休露裸の事。
一月十九日 水
 朝十二時、高橋は大学に行く。予同道して大学近傍にて別る。ジキンス、病にて高橋に面せず。夜、高橋方に宿す。
一月二十日 木
 夜、博物館帰途、エビの罐詰かい、高橋方に行き酒のみ宿す。
一月二十一日 金
 午後、家にかえり、宿賃三週間払い、蝦のカソヅメ買い、高橋方にて飲む。それより高橋は湯に之、予は博物館に之く。伊東祐侃氏の状、ダグラス局に来りあるを受とる。
一月二十二日 土
 博物館に之かず、高橋方にて飯う。
一月二十三日 日
 高橋方にて午後五時頃迄臥す。共に加藤氏を訪、飯田方へ之き不在。八十太郎氏のみ在り。因て入ずして帰り、Cにて酒のみ臥す。
一月二十四日 月 陰
 午後三時過、博物館に之、トッテンハムコート・ロードにて伊東祐侃氏にあい、共にダグラス氏を訪う、不在。四時迄まてども不来、カフェ・ヴィエナにて、氏は茶、予はビヤー二本のみ別る。夜、博物館しまい、高橋方に宿す。
一月二十五日 火 陰
 午後二時過迄高橋方にあり、高橋風引き臥居る。余も博物館休む。夜に入りつれて出、予の宅に之。高橋先帰る。次で予高橋方に来り宿す。帰途|餒《すえ》たるリツワール買い食し、予はへど吐く。高橋眠り得ず、奇策数条陳す。一月二十六日 水
 高橋先立、予は博物館に之。夜、高橋方に之き、蝦のカンヅメ食う。田之助への珍状認む。
一月二十七日 木
 夜、高橋方にて蝦のカンヅメ食い酒のむ。
一月二十八日 金
 夕、平田譲衛氏、予博物館読書の処へ来り、共に出、(112)飯酒、次に歩して出、其宿ヴィクトリア・ホテルに至り、暫時客間にはなしの後飯ふれまわれ(タブル・ド・オテル。其少量なる、驚に堪たり)、それより二階の上り口にて喫烟し、門にて分れ、予はヴィクトリア街よりカブにて加藤氏を訪、酒出れども飲ず。高橋方に宿す。
一月二十九日 土
 夜、高橋を訪、共に出、予の寓に之、ジッキンス氏の状を受く。金曜の朝来れとの状也し。コーンビーフ食い、高橋は去り、予は晩く迄認め物す。
一月三十日 日
 朝、起て調べ物す。それより高橋方に之、午餐くい酒のむ。
 夜、加章を訪う。入道と共にハイストリートに行きカレーを食う。(行く道にてバスにて車掌を罵り、さかにしからる。)高橋方に宿す。
一月三十一日 月
 此日より高橋の家の一小室かる。一週四志。朝、高橋とつれ出、氏はロンドン大学に之、ジキンス忙くして面するを得ずして帰る。
 夜、宿の子息、予と高橋に各々一つずつ自製の象牙の紙きり刀くれる。
二月一日 火 陰
 国元より状一受く。
 早起、高橋、大学に之、ジキンス未だ来らず。予は自宅に之、今月二日迄の家賃済せ、それより加章方に之、珍画代十五志払う。酒一本くれる。入道在り、因て共に大学へ之、ジキンス将に門を出んとするにあう。午後三時高橋に之しむるに決し、予は館に之く。夜帰り酒のむ。晩く迄証文したたむ。高橋の為の二通也。一通洋文、一通和文、予保証、高橋本人、スペンセル伯に対しジキンスに差入るる也。
二月二日 水 快
 朝早起、高橋証文出しに大学に行、余は出てバスに乗んとする時、加章フロックコート直しに之にあう。スタウト一盃おごらる。それより分れ、予は館に之。『ノーツ・エンド・クワーリー』より郎君子のこと発見す。これは久く予が探り居りしこと也。
二月三日 木 雨
 正金銀行より金受。
 午下、博物館に之。夜、帰途履の底ぬけ雨水浸入、大にこまる。
(113) 高橋、昨日ジキンスに渡せし画のことに付、大学に之、会議あるにより不得面会。
二月六日 日
 午後、両加藤来る。夜、高橋と共に加章を訪、加八十もあり。家鴨と魚とのへんなもの食す。夜、予は下利、高橋はへどはく。
二月七日 月
 博物館にて前年打ちやりし奴に唾はきかけ、同人予の席へ詰りに来る。されど事なく、予は夜迄勉学して帰る。
二月八日 火 雨
 博物館休む。
 午後四時頃、高橋と共に如章を訪う。それより予の宿に至り、ホイスキーのみ乍ら荷作りす。夜帰り、それよりハイストリートに至り飯い帰る。ジキンスの状来り、スペンサー伯の返事を通知し、高橋大に失望す。
二月九日 水
 朝、高橋は大学へ往く。予は午下旧宿に之、暫時して(十二時過)高橋到る。次に昨夜傭い置し車屋二人来る。それより転宿、三時頃事すむ。博物館よりウィルソンの状来る。一昨日口論の事に付て也。それより高橋と共に加章方に之。トンコツ烟草入一かう。夜、高橋と共にハイストリートに飯い、ベイスウォーターの湯に之。已に八時にして閉たり、因て帰る。
二月十日 木
 夕、高橋と共にハイストリートに飯、それより風呂に入りかえる。
二月十一日 金
 山本新治郎氏よりハガキ一受る。家弟にあいし通知也。
 午後、竜動大学を訪い、ジキンス氏に面す。ウィルソン氏の状(行途にて始て開封す)を示す。ジキンス氏より、来る月曜日面会の儀ウィルソンに申込む。それより伊東祐侃氏を訪、難波氏来り領事宅へ往くとの処故、入ずに帰る。二月十二日 土
 高橋、ブライスフィールド街旧宅に行き、新聞とり来る。それより田之介方に之、大蟻を闘わす。
 午後、カブにのり竜動大学に之、ジキンス氏を訪う。
 学校閉たり。それよりダグラスにあう。共に出、予はカブにのり帰る。夜、高橋と共にハイストリートにて飯、それより伊藤祐侃氏を訪、氏あれども予は入ず、『藩翰譜』七冊かし帰る。
(114)二月十三日 日 微雨
 終日在寓。夜、微雨。高橋とハイストリートにて飯。バスにてハンマースミスに至り、それより又バスにて帰る。
二月十四日 月
 高橋、朝、疾出行く。夕、帰り来り、予と談論中、ジキンス状来る。氏、本日、ウィルソンを博物館に見、予の事すませし報知也。
二月十五日 火 晴
 ジキンス氏へ状認め(高橋徴兵の件及スペンセル伯のこと)、高橋カブにのせ、竜動大学に行しむ。ジキンスには不会、見ておくとの事也。夜九時頃、加藤叔甥、予の室に来り、一時間不足話す。
二月十六日 水 晴
 高橋は朝よりセントジョンス辺へ商売に行、二志もうけ帰る。
 夜、ジキンスより小使持て伊藤祐侃氏状廻送、『藩翰譜』受取也。
 本日、加藤妻君病疾の由。
 常楠より状一受。兄、子女三人親戚へ預け、大坂に行しとの事也。又、中井氏より通知□□□金百円、正金銀行支店(神戸)へ返せしとの事也。
二月十八日 金
 夕、ジキンス氏状来る。ウィルソンへ早く状出すべき旨也。夜、ウィルソンへの状認め、ダグラス氏に頼み転致。
二月十九日 土
 高橋、兎のカンヅメ一箇一志にて買来る。之れより毎日兎のみ食す。
 夕、ダグラス氏受状来る。
二月二十日 日
 終日在宅。
 夕、加藤叔甥来り、七時過迄はなす。
二月二十一日 月 晴
 終日在宅。
二月二十二日 火
 終日在官。
 高橋、夜、加章を訪、幻燈やり居し由。
二月l一十三日 水
 終日在官。
 ジキンス氏より、高橋の証明状来る。早速予より領事に送る。
(115)二月二十四日 木
 夕、J. H. Archer アーチャール氏より状高橋へ来る。
 今夜か明夜来れとの事也。
二月二十五日 金
 朝、アーサー・モリソン氏より状来る。高橋を客に紹介すべしとの事也。
 夕、八時過、高橋と共にプトニーに之、アーチャール氏を訪。予通弁也。歩して帰る。途上多く呑む。中井氏より金一磅十志借る。
二月二十六日 土 快
 領事館より高橋留学証明状来る。同人に喧嘩せぬ様説諭せよとの事也。
 終日在寓。夜、出て歩す。加章鶏かいかえるにあう。
二月二十七日 日
 終日在寓。夜、『ネーチュール』への文(プゴニヤ・スペースチション)認む。高橋は加藤方に行、酒よばれ、加八十とつれかえり門にて別る。
二月二十八日 月 陰
 高橋、アーチャー氏方之、予の状そえ盆もち行、受ず。予には状あり、高橋のことスペンセル卿に上申すべしとの事也。(予の状をおくる也。)
三月一日 火 陰
 夜十時頃、中井氏宅に至り一磅かり、かえる途上見失う。それより歩し帰れば二時半也。帰りて夕餐の牛肉食う。腐れり。
三月二日 水
 夕、中井氏へ書留状出し、一磅半からんことを求む。
三月三日 木
 中井氏より金一磅おくりくれる。
 本日、『ネーチュール』に予の「マンドレーク」出づ。
三月四日 金 半晴
 早起。朝、アーサー・モリソンより状来る。高橋に客の名教えくれる。高橋、早速客を訪しが、一も成らず。ジキンスより状来る。
三月五日 土 晴
 夜九時過、加藤章、八十、二氏来り、いつになき勢にて二志酒(ブランジー)かいのみ、十一時前迄話す。
三月六日 日 快
 一時頃晩起、終日在寓。『ネーチュール』の文成る(ビュゴニヤ)。
 高橋は夕出行、加藤に一志かり、ブランジー買来る。
三月八日 火
(116) 高橋ヘロード・スペンセルより十磅おくらる。
三月九日 水
 アーチャール氏へ返事出す、十磅の受取也。
 ジッキンス氏より二磅おくらる。返却す。
 夜、高橋と共に加章を訪う。
三月十日 木
 ジキンスに二磅、中井氏に一磅返却、ポストオーダルにて送る。
 『ネーチュール』に予の文(Oat Smut as an Artist's Pigment)出。
三月十一日 金
 ジキンス氏状来る、返金二磅の受取也。
 夜、高橋と共に加章を訪う。
三月十二日 土
 夜、高橋と共に近街に出、郵便局となりにて肉及豌豆と薯煮しもの買い、二人にて加章を訪う。それよりかえる。
三月十三日 日 晴
 終日在寓。高橋に文法教ゆ。
三月十四日 月 晴
 印度ラッバール可購事。植物標品大しらべのこと。
 夕、加章、加八十、二人来り、プランジーのみ帰る。
 夜、バーソングリーン辺へ歩す。常楠へ状認む。
三月十五日 火 陰、夕雨
 常楠へ書留状一出す。
三月十八日 金
 午後迄寝ぬ。夕、加章、加八十、二人来り、予及高橋其宅にゆき飯う中、加章、むかいの家の烟突より火出、暫時にして人夥集り、又エンジンも来るが、水を澆がずに去る。
 此夜不寝。
三月十九日 土 陰、夕微雨
 高橋終日不出。予は夜出、芋とエンドーと煮合たるを買求来り食い、プランジーのむ。
三月二十日 日 陰
 午後三時頃、両加藤来る。予顕微鏡にて精虫見せ一志貰う。
三月二十一日 月 晴
 ジキンス氏状来る。
 夕、加八十に二志半かり酒のむ。
 夜、高橋出行遅く迄不帰、一時過帰来る。大酔の上娼家に入り嘔吐中三磅盗まれ、警察署に之き巡査三人警(117)部一人して探せしも、右の女不在にて知れぬとのこと。中井氏へ状一出す。
三月二十二日 火 雨
 午後、加章来る、風引し由也。夜、高橋と共にサウスケンシングトン美術館を見る。
 中井氏より状来る。金、前借の分と共に十磅かる。
三月二十三日 水 午後、暴風雨
三月二十四日 木 雪、大風雪
 夜、少しいね、二時頃より終夜『気質全書』よむ。
三月二十五日 金 雪、大風雪
 夕、加章、ついで加八十来る。
 夜、常楠へ状認む。
三月二十六日 土 大風雨
 朝少く雪。
 予は五時前迄いぬ。
 夜、フラム・ロード郵便局に行、常楠へ状一出す。中井氏よりの借金の事を告る也。
 今日テームス(パトニー)にてオクスフォルド大学の船漕あり、加八十見に行く。
三月二十九日 火
 ジキンスヘ状出す。
三月三十日 水
 夕、内の長子、鶏に米やる辺にて卒倒、頭に傷を負う。
 高橋に金かる。
三月三十一日 木 晴
 午後、加章来る、いなかより帰りし也。
 夕、ジキンスより三磅使して送らる。
四月一日 金
 朝、内のババ、シャクおこる。
 午後、ジキンスを訪、今出て之し所也。
 明日より伊太利に之く。博物館に之く、前月七日後始て也。
四月二日 土 陰
 午後四時過より博物館に之く。上の犬歯甚痛む。
 加章、いなかより帰り来る。
四月三日 日 快
 終日在寓、新聞切り抜く。
 午後二時過より高橋は加八十とキウ植物園へ往く。
四月四日 月
 歯痛みあり。
 博物館休む。
 夜、ハイストリートにて飯う。
四月六日 水 快
(118) 六時より八時迄書籍室につめる。
 帰途トテンハムコート・ロードにて羮のみ食、それより車にてウォールドエンドに至り、歩してプトニー橋の此方よりフラム・ロ−ドに至りかえる。
四月七日 木
 午後、博物館に入る所リード氏に遇う。夜、帰途氏を訪、話して十時に至り帰る。
四月八日 金
 夕、加章、加八十来り、預おきし書籍悉く持来らる。
 夜、高橋と共に其宅に之、飯い酒のむ。
四月九日 土
 午後、高橋、宿のカカアと口論。
 夜、博物舘帰途リード氏を訪、トンコツの烟草入おくる。十一時迄話し帰る。
四月十日 日
 午後迄寝ぬ。
 夕、加章を訪、それよりハイストリートに之、飯いかえり、ランプ油なければ早く寝ぬ。
四月十一日 月 晴
 高橋、加章方へ引越す。
 博物館仕まい、夜、リード氏を訪、不在とのこと、状のこし帰る。夜、雨。四月十二日 火 快
四月十三日 水 晴
 中井氏及加藤本四郎氏へ状一出す。
 夜、リード氏状一受。
四月十四日 木 陰、夜雨
 加藤本四郎氏状一受。博物館にてリード氏に遇い二志半借る。帰途、シャフツべリー・アベニューにて馬車《カブ》の出火を見る。
 夜、中井氏より金おくらる。
四月十五日 金 快
 午下、ハイストリートで飯、クインス・ロード(ベイスウォーター)にて入湯、それより館に之、リード氏にあい、借金四志返す。又、ダグラス氏に遇う。一寸其局に之き話す。
 夜、スロン・ストリートにて安飯、それより南ケンシングトン迄歩す。帰れば九時二十分也。それより加八十にあい、高橋へ一磅かえすことを頼みかえる。
四月十六日 土 晴
 午後迄陰、霧。
 午下、館に之途上、バスにて(南ケンシントン)高橋(119)を見る。帰途ハイストリートにて飯い、アールスコート、西ケンシングトンを歩して帰る。
 博物館より中井氏へ状一出す。
四月十七日 日 快
 朝飯後絶食、八時頃に至り読書。ハイストリートに之き晩餐、所々(アールスコート、西ケンシングトンよりパーソンスグリン辺)歩し飲みすぎ、帰り嘔吐す。
四月十八日 月 晴
 朝、坂上安蔵氏状来る。時計うり旅費拵え巴里に行く也。
 午後四時過より博物館に之、不在中へ高橋来る。
四月十九日 火 晴
 午後、博物館に之。
四月二十日 水 晴、夕微雨
 午下、博物館へ之途上、南ケンシングトンにて馬車上行違いに高橋にあう。 朝、黒ビール半ダースおくり来る。咋午後払し也。
四月二十一日 木 晴
 朝、坂上氏より博物図書縦覧札返附さる。
 午後、博物館に之前ショーラー(トテンハムコート・ロード)にて昼餐。一読者(此者予を嘲哢せしこと二回あり)戸を出るとて予にマッチを打付去る。予大に怒り、館内にて打ちやらんと思いしが、考る所ありて止む。
四月二十二日 金 陰
 朝、常楠より新聞二封来る。加八十持来らる。朝九時起る。リヴィー二パラグラフよみ、三時過、博物館に之く。(道上スローン・ストリートにて安飯。)
 夜リヴィー三バラグラフ読む。
四月二十三日 土 陰
 午後、博物館に之。夜、帰途ハイドパークにて演舌きく、不面白。スローン街にて安飯、斬髪し、それより南ケンシングトン迄歩しバスにのり帰る。
四月二十四日 日 快
 終日在遇。
 夜、スローン・ストリートに之、安飯くう。
 老婆にハンケチ尋ぬべきこと。
四月二十五日 月 晴
 午後、博物館に之。
四月二十六日 火 陰、夕より夜雨
 午後、博物館に之途上、舘前の町にてドクトル――とすれ違う。扨、直ちに予の後より二輪車打あたり、股(120)引に泥少々附しが、別条なし。帰途、スロ−ン街より南ケンシングトン迄歩す。
四月二十七日 水 晴
 午後四時過より博物館に之。
四月二十八日 木 微雨
 朝、羽蕃、前よりやる夢みる、ぬく。
 午後、博物館に之。夕、スローン街より西ケンシングトンを歩して帰る。
四月二十九日 金 夜、微雨
 午後、博物館に之。
 近頃家に宿なしの猫来る。老婆及予、余食を与う。一昨日頃より家に宿せしめしに、昨夜近処の牡猫三疋よびに来り大にさわぎ、宿の悴眠られざりし由。四月三十日 土 陰、夜快
 午後、博物館に之。途上、ピカジリーにて高橋を見る。
 リード氏に二磅かる。
 夜、館仕まいハイドパークにて演舌きく(サウンダース及コーと綽号する男、ジョーンス)。それよりマーブルアーチより乗車してかえる。
五月一日 日
 終日在宅。夜、ハイストリートに之、飯くう。
五月二日 月
 午後、博物館に之、道上トテンハムコート・ロードに飯う。道上近街レットライオンに飲む。女、予をわらう。
 此夜高橋来る、予不在。
五月三日 火 晴
 朝十一時、博物館に之。午後、リード氏をオフィスに訪、不会(他客ある也)。夜、トテンハムコート・ロードで(予一番也)午餐飯い、それよりハイドパークに之、演舌きく(ジョーンス、これは志道軒如きものか)。それよりマーブルアーチより車にのり、ワラムグリーンに至り歩して宅に帰る。
五月四日 水 半晴
 午下、高橋来る。昨夜、加章方に在しに、田之介来り合す。飯田より代言人やとい二十磅促され大に困却、それより出、高橋払い二盃のみ別れ、予は博物館に之。途上マーブルアーチにて雨にあう。館にてバグタニ友人にあい目礼す。
 夜、帰途ハイドパークにて演舌きく。魯国より来りし猶太人首として咄す。妨害多し。十一時前ジョンス演舌す。妨害出て忽ち止む。それより歩してパークつき(121)ぬけ、南ケンシングトンより乗車。ウァラムグリーン停車場にて下車。プレザーヴド・ビーフかい帰る。帰りてこの日記かき畢れば十二時也。
五月五日 木 雨
 博物館に之く。
 夜、帰途ハイドパークに之、演舌なし。それより乗車、スロ−ン街にて下車。書店のかどに立居る内、向いの消火人夫に、一少年ベーコン・エンド・エグスとよび尻たたき示したりとて、人足いかり、右の少年を逐かけ泥中に打たおす。巡査来り、一寸珍事也。それより南ケンシントンにてバスにのり帰る。
五月六日 金
 夜、博物館帰途演舌きく。十二時前かえる。弁者、飲酒に逆うもの二人、次ジョーンス、次に酩※[酉+呈]せる人等なり。
五月七日 土 晴
 午後、ジキンス氏を訪、学校已に閉たり。博物館にて吉居氏に出あう。六時前迄写し、中井氏を訪。妻君と談し中、芳楠氏帰り来る。今日、支那※[貝+賞]金皆済の由也。
 十時過別れ帰る。
五月八日 日 陰
 終日在寓。
 夜、ハイドパークに之、演舌きく。さ迄不面白。
五月九日 月
 午後、博物館に之途上、ジキンスを訪、一磅かる.
 夕、中井氏を訪、妻君に話し中、九時前帰り来る。それより話し、十時過帰る。
五月十日 火 雨
 六時過博物館に出、暫時よむ。ハイドパークにて演舌きく。十二時前帰る。五月十一日 水 雨
 スローン街にて飯、博物館に不之、ハイドパークにて演舌きく。十二時前帰る。
 ジキンス氏へ状一出す。
 中井氏に借り帰途失し金一磅見出す。常楠よりの状の中につつみありし。
五月十二日 木
 博物館帰途パークにて演舌きく。
五月十三日 金 雨
 博物館しまい、バスにのり直に帰る。
五月十四日 土
 夜、ハイドパークにて演舌きく。弁者ニース能弁也。
(122) 夜、正金銀行奥村忠三郎氏より常楠よりの書留状一受。
 朝、状をバロン・オステン・サッケンに出す。
五月十五日 日 霧同様に陰る
 終日在寓。
 夜八時過よりハイドパークに之、演舌きく。さまで面白からず、十一時過帰る。
五月十六日 月
 午後、大学に之、ジキンス氏を訪、氏の著訳『樺太日記』受。博物館に之、リード氏を訪、不在。食事すみ館に入るとき、リード氏、パーチングトン氏と出帰るに会す。夜訪うを約す。館仕舞い食事後、リード氏を訪、パーチングトン氏も在り。ホイスキーふれまわれ、十一時に三十分前迄話し、ドド一一つうたい帰る。パーチングトン氏を Jolyman と名く。リード氏夫人は病気、シーサイドにあり。
五月十七日 火 陰、夜微雨
 リード氏に一志借る。片岡より所送蝦夷品見る。数珠一つ(先年土宜師より所受)館へ献納。夜、館より帰り、男爵オステン・サッケンよりハガキ受。
 正金銀行より十磅受く。国元より送金の分。それよりハイストリートに之、飯う。アールスコートより歩して帰る。中井氏へ状一出す。
五月十八日 水 晴
 博物館にてリード氏に二磅八志払う。
 六時に館を出、中井氏を訪、不在。夫人と話し帰る。
五月十九日 木 微雨
 朝、高橋来る。大学に之、一寸ジキンス氏に面す。
 夜、キングス・ロードを歩す。
五月二十日 金 微雨
 夜、スタウト一本持、高橋を訪。此朝、高橋宿の老婆死亡、高橋より履ズボン等質い帰る。
 『ネーチュール』のエジトルの状来着、予の「プゴニア篇」近日出板すべしとの事。
五月二十一日 土 晴
 午後、大学に之、閉たり。
 博物舘に之。
 帰途、ハイドパークにて演舌きく。ロシヤ人演舌、国状を述べ泣くに至る。又、別に耶蘇教演舌を無神論者打ち争闘。又、大酩酊のもの唄いおどけ演舌。巡査来り去しむ。帰れば十二時半。
 高橋不在中に来り、傘老婆に渡し置る。
五月二十二日 日 晴
(123) 午後リード氏を訪、不在。
 午後五時過、中井氏を訪、不在。夫人と六時半迄話し分れ、ハイドパークに之、演舌きく。
 不在中へ高橋来る。
五月二十三日 月
 午後、大学に行、ジキンス氏を訪う。
 夜、博物館しまい、リード氏を訪、パーチングトン氏も有り、十時半分れかえる。
 バロン・オステン・サッケン、ハガキ一来る。『ネーチュール』に近日、予の「プゴニア説」出べき由申来る也。
五月二十四日 火
 一印度人にきく、バグタニ氏はカラチヘ帰れりと。夜、博物館しまい、ハイドパークにて演舌きく。エジワヤール・ロードにて、小児タンブリーンを持ち蹴りおどるを見る。一文やる。
 昨夜、加章の家入口へへどはいてやる。
 バロン・オステン・サッケンへ状一出す。
五月二十五日 水 陰
 午後、博物館に之、纔に二時間写す。それより夕餐。(餐肆の給仕女と客未娼女二人と口論。)ハィドパークに之、演舌きく。メークランド(演舌中、猿持し子供来る)、ロネー、ワルドレン、ロバートソン等也。ジョーンス、最後に珍説す。此者画かきにてナショナル・ガレリーに其画ある由。此人とリー(暴舌家)と一所につれ、マーブルアーチより東の方へかえるを見る。車にてスローン・ストリートに至り、それよりフラム・ロ−ドを歩して帰る。
五月二十六日 木 陰
 午後、大学に之、ジキンスを訪。
 博物館しまい、夜、ハイドパークにて演舌きく。
五月二十七日 金 陰
 朝、高橋氏来る。
 博物館しまい、夜、ハイドパーク演舌きく。
 伊東祐侃氏状一及『藩翰譜』七冊被返。
五月二十八日 土 晴
 午後、博物館に之。夜、ハイドパーク演舌きく。帰れば十二時也。ジョーンス演舌中、少年共、椅子を蹴り、又左手の嚢中にジンの瓶入るにより、怒り演舌をやむ。
 伊東氏へ状一出す。
五月二十九日 日 陰
 朝、『ネーチュル』への投書の活板うけ校正す。
(124) 終日在寓。夜出、スローン街安飯くい、.パークにて演舌きく。ジョソス葯蕋交合のことをいい居る。
 雨ふり出しバスにて帰る。不在中へ高橋来る。
五月三十日 月 陰
 朝、晴。高橋来る。
 夕、微雨。スローン・ストリートにて安飯、一度帰宅。それより出、キングス・ロードにて女大飲酒のものを見る。西ケンシングトン迄歩し、又かえり高橋を訪、なし。それよりキングス・ロードを歩し、又高橋を訪、あり。然し、門きりにて分れ帰る。此夜バンクホリデイ故、飲酒争闘喧嘩するものを見る(フラム・ロード)。
五月三十一日 火 陰
 午後、博物館に之。夜、ハイドパーク歩して帰る。それより又出、西ケンシノグトンに歩し、又キングス・ロードより河畔を歩して帰る。
六月一日 水 雨
 朝、高橋来る。五志貸す。同人話しに、予宅の向いの家(No.6)に八十才の老人とまりおりしが、家の娘十二才なるを強姦せんとし拘留、新聞に出たりと。
 博物館しまい、パークにて演舌きく。(一老人ホイスキーのみ乍らフィロソファールと自称するを、小児共相手になり、巡査来りとがめる。)ペック、メークランド等也。ジョーンス演舌中、杖にてたたくものあり、ジョーンス大に怒る。
六月二日 木
 博物館にてダグラス氏を訪。
 今日の『ネーチュール』に、予の長文「ブゴニヤ論」出づ。
六月三日 金
 中井氏より状一受、六磅の借金、逆為替の手署を求る也。(六日に至り之を署し、巽氏宛にておくる。)
 午後、博物館に之途上、ジキンスを訪う。
六月四日 土
 博物館より『日本書籍目録』贈らる。序は当年一月のものにして、ダグラスよりサトウ、アストン、楢原陳政及予に謝意を表せり。
 夜、常楠より書留状一本受、金子封入。
六月五日 日
 終日在寓。夜、パークに之、演舌きく。雨ふり出し急ぎかえる。
六月六日 月 晴
 午後、大学に之、ジキンス丁度去りしと也。
(125) 夜、高橋を訪、十一時まで話しかえる。
六月七日 火
 午後、ジキンスを訪、それより博物館に之。夕、パークにて演舌きく。耶蘇演舌家ダン、大に無神論家(魯西亜人外一人)にやりこめらる。帰りて銀行より金十磅余を受。西ケンシングトン迄歩す。巽孝之丞氏より日本一円郵便印紙七枚受、内三枚酒屋の主婦(五円札引替くれし礼に)へやる。
六月八日 水 陰
 午後、博物館にてダグラス氏に面す。
 夕、パークにて演舌きく。それよりバスにてワラムグリーンに至り、フルハム・ロ−ドよりパーソンスグリーンを歩して帰れば十二時過也。
六月九日 木 陰
 寸を直て尺を枉げ、豆腐一挺買うとて百円札をくずす如し。
 午後、博物館に之、レヴエレンド・ハーフィールドと話す。これはアセニーウムの人也。女王へ頌辞送ることに付、予に相談ある也。夕、パークに之、演舌きく。それよりスロ−ン街よりバスにてかえり、テンプラ近街で買う。
 此日、猫三匹見る。一はワラムグリーン停車場近処の酒屋のもの、右の耳※[mのような図有り]持ちたり。二は博物館、これは往来の人を観ることを楽む。三はテンプラ屋の猫、甚大にして常に店に座す。六月十日 金
 午後、ジキンス氏を訪、大学甚多忙にて一寸話し帰る。二磅かえす。あと十三磅のこり也。
 夜、郵便局に之、ケーリッチヘ八志おくる。『梵学字彙』の代也。それよりパーソングリーンを歩して帰る。
六月十一日 土 晴
 朝、高橋来る。
 午後、博物館にてダグラス氏に面す。ジキンス氏より状来る。ハーフォード氏と話す。此日ハービー館に来る(昨年迄館にありしもの也)。
 夕、パークにて演舌きく。ペック不相変滑稽、去る時鼻ごえの男に鼻声にて返事し、一同大笑い。夜、帰宅すれば Vaidya の『梵学字書』已に着せり。
六月十二日 日 陰
 終日在寓。
 夕、スローン街にて安飯。(此家は、予去る明治二十七年より行き通い、亭主一度変りしが不相変丁寧なり(126)しが)今夜又亭主代れりと見え、取扱不宜、不快にてパークに不往、バスにてワラムグリーン迄帰り、パーソンスグリーンより歩してワラムグリーンに至り帰る。十一時過也。(十時四十五分、パーソンスグリーン一酒店に入る。此所の給仕女、予の面を面白そうに見る。此辺には日本人珍しき也。)
六月十三日 月
 午後、博物館に之。夜、パークにて演舌きく。ワルドレン及ケンブリジの一僧話す。帰りにワラムグリーンよりパーソンスグリーンを歩し、ハーウドロード辺にて巡査に咎らる。それより歩してフラム・ロード停車場近処に至り帰る。
 1 Nightclothes, 1 Shirt, 6 Collars, Sent to Laundry.
六月十四日 火 陰
 午後三時より博物館に之。
 夕、博物館しまい、パークにて演舌きく。リード及テイロルという男、耶蘇演舌す。妨害甚し。
 本日寒冷、家の鶏雛互に相蓋いぬくめ居る。
六月十五日 水
 午後、博物館之。帰途、パークにて演舌きく.ワルドレン及別にロニー(此前にペック演舌、ジョーンスを嘲弄、ジョーンス帽落さる)。
六月十六日 木 晴
 午後、博物館に之。夕、パークにて演舌きく。ペック、チェヤールマンにて、エドワード及びジョーンス相戦う。後ジョーンス演舌、妨害甚し。(此群集中に、一昨年春迄博物館に在りし少年、眼の丸きものを見る。)
 此夜、家より博物館迄三片にて往得る方を発見す。
六月十七日 金 快
 午後、博物館に之。夕、パークにて演舌きく、不面白。
 明日より水日両曜の外演舌禁止す。
六月十八日 土 晴、夕雨
 午後、博物館に之。夕、パークにて演舌きく。ベーカー、ジョーンス等、又雨中外套裏がえし着たる老爺酔語す。帰途バスにてノースエンドに至り、それより歩して帰る。
六月十九日 日 晴
 終日在寓。巽氏を待、不到。夕、パークに之、さしたることなし。
六月二十日 月 晴
 夕、博物館しまい、パークに歩し、バスにて南ケンシングトンよりノースエンド・ロ−ドに到り、又歩して(127)帰る。それより出、キングス・ロードを歩す。
 巽氏へ状一出す。
 2 Nightclothes、 8Collars, 2 Shirts、 Sent to Laundru.
六月二十一日 火 晴
 博物館仕舞、夕、パークにて演舌きく。左程不面白。
 ジョーンス、耶蘇徒と同士討、ダン之を和屏す。
 オクスフォールド街にて、打れ血夥く出し行く職人体のものを見る。帰途テンプラ屋、例の猫顔洗い居る。
 此夕、博物館出る時 Rev.Hertford 歌唄う。此人常に独語独謡のくせあり。
六月二十二日 水
 博物舘にてダグラス氏に面し、『群書類従』等サトウ氏に注文すべき旨語る。夕、パークにて演舌きく。ペックとジョーンスと□□□□□□□の文句に付議論。ペック、博物館にて所写をよみ、ジョーンス大敗。一同ジョーンスの跡に従い、嘲弄押しかかる。ジョーンス、Is this secular morality? とよぶ。
六月二十三日 木 晴
 朝、高橋来る。館にてダグラス氏に会う。
 夕、パークにてペック又ジョーンスをやりこめる。帰途、埃及、波斯のスタンプ三枚かう。
六月二十四日 金 晴
 夕、博物館仕舞い、パークを通り帰る。
六月二十五日 土
 朝九時、宅を出、博物館に之。
六月二十六日 日 陰
 終日在寓。午後、高橋来る。
 夜、スロ−ン街よりバスにてハイストリートに至り、飯い帰る。
六月二十七日 月
 博物館にて、小僧エドワルツにスタンプ三枚やる。
 ダグラス氏に面す。
 夕、パークを歩して帰る。雨にて演舌少し。
六月二十八日 火 晴
 朝、高橋来る。共に出、南ケンシングトンにて別る。それより予はジキンスを訪、一磅仮る。高橋は田之助方に之。
 夕、パークにて演舌きく。ペック其後別坐にてロバートソンの一連等也。ペック次の日曜にペッカムライにて演舌、一同来り加勢すべき由いう。
六月二十九日 水 晴
 朝、高橋来る。予、昨日ジキンスより受しアンダーソ(128)ン宛紹介状渡す。それより高橋出之。
 博物館すみ、夕、パークにて演舌きく。メイクランド、又ペック等也。耶蘇徒の賛頌うたう内に、一老人笑い、又おどる如きを見る。
六月三十日 木 晴、夜微雨
 夕、博物館より帰り高橋を訪、不在。パーソングリーンよりフラム・ロ−ドを歩して帰る。高橋十分前に来訪の由聞て出、高橋を訪、長話して帰る。寝に就は一時也。
七月一日 金 晴、夕微雨
 博物館しまい、パークを通り南ケンシングトン迄歩し、バスにてノースエンド・ロードに至り歩して帰る。高橋来る。十一時迄語し、共に出、其宅前に至り分れ帰る。
七月二日 土
 午後、館にてダグラス氏を訪う。
 夜、ノースエンド・ロードを歩して帰る。
七月三日 日 晴
 朝、高橋来る。それより氏は飯塚方へ之。
 予は夕出、スローン街にて安飯(伊太利人方)パークに之、それより歩して南ケンシングトン停車場よりバスにのり帰る。
七月四日 月 快晴
 朝、高橋来る。午後ジキンスを訪、二磅かる。〆十六磅也。去るに臨み高橋来る。それより出、歩する所、又高橋にあう。
 夕、博物舘仕まい、パークを歩して、南ケンシングトンよりバスにのり帰る。高橋を訪う。十一時迄話し帰る。
七月五日 火 晴
 朝、高橋来る。
 午下共に出、ジキンスを訪、それより高橋は去り、田之介方に之。絵六百枚かうつもり也。予は暫時ジキンス食事中話し、分れ館に之、ダグラスと談す。 夕、パークを歩して帰る。高橋を訪、田之介急に絵値上げ、高橋大失望。
七月六日 水 晴
 常楠より前日着状読。
 夕、パークすぎ帰る。ペック演舌。(群集中、故蕃次郎によく似たる十六斗りの子あり。)ジョーンスやり込らる。又側にはワルドレン、エドワルドと合戦。スローン街よりバスにて帰る。
(129) ジキンスへ状一出す。田之介より高橋絵買入談判不停の由をいう也。
 今朝、予、こぶらがえり。
七月七日 木
 博物館にてペルクと握手。リード氏局にてパーチングトン氏に面談す。
 加藤元四郎氏より『日本学会報告』今度出板の分おくらる。鳥居のこと Tute 氏記せるあり。
 夜、高橋を訪。
 今夕よりパーク通るを止る。
七月八日 金
 博物館にてダグラス氏に面す。
 夜、高橋を訪う。
七月九日 土 晴
 珍事なし。
 此夜、スリッパーはきたるに外出よりかえりて例の履ぬぐ如き手つきにてぬがんとせしが、気付止たり。
七月十日 日 半晴
 午後、高橋来る。
 夜、高橋を訪、十一時迄話す。
七月十一日 月 半晴
 午下、ジキンスを訪、一磅かる。総十七磅也。
 博物館しまい、帰り高橋を訪、不在。パーソングリンを歩し帰れば在り、十一時半迄話し帰る。
 8 Collars、 2 Handkerchiefs, 2 Shirts, Sent to Laundry.
七月十二日 火 快晴
 午後三時、ジキンスを訪、『竹取物語』の評、数枚渡す。博物館入口にて、リード、パーチングトン二氏に遇、絵二枚与う。博物館より帰り、夜、三度許り高橋の門通れども、不在。
 月見るを忌むこと。
七月十三日 水
 ジキンス氏より状一受、『竹取物語』の評の事に付怒り来れる也。
七月十四日 木
 午後三時迄ジキンス氏に答文認め、四時過、大学にて之を手渡しす。
七月十五日 金
 ジキンス氏の再弁事受く。
七月十六日 土 快
 朝、高橋来る。午後、博物館へ同人来る。共にシチーに之、ハウル氏(商人)に面し談す。それより分れ、
(130) 予は館に之。
七月十七日 日
 終日在寓。夜、高橋を訪。
七月十八日 月
 午後、ジキンスを訪、十七磅借用の証文破らる。其上一磅借る。
 夜、高橋を訪、共に出、十二時迄歩す。バーソンスグリーンよりフラム・ロード、それより帰りて予戸をしむるに大音せしとて、下に居る美女子持病身なるが驚きしとあとで聞ぬ。又豕食いしにあたりしにや、予へどはく。
七月十九日 火 晴
 午前、昨夜の次第をきき彼女に対面し陳謝す。
 午後、ジキンスを訪、不在。博物館に之、ダグラス氏に面せんとするに、支那人一人来り有り、因て面せず。夕、高橋を訪、十時迄話し帰る。此日、博物館より中井氏へ状一書留にて出し借金申込。
七月二十日 水
 中井氏より五磅貸さる。
七月二十一日 木
 次の水曜に此家立退く旨通知す。
 ハートフォールド氏よりゴッド・セーヴ・ジ・クィーンの歌の本数冊もらう。予よりは都おどりの美人帖一冊おくる。
七月二十二日 金 晴
 前日口条ありし女、今日立退。
 博物館仕舞、夕、高橋を訪、久く俟、十二時に至り帰る。マラウラという男つれピカジリーに之し由也。
 本日午後、ジキンスを訪に、マンチェスタールに之、不在。
七月二十三日 土 半晴
 朝、高橋来る。宿見に行つもりの処見合す。
 夕、雨。博物舘仕舞い、夕、高橋を訪、共に出歩し、別れかえる。
七月二十四日 日 快
 午後、高橋方に往、飯う。金田、三原という二人来る。加章方へ之く也。高橋とつれ出、グンターグロープかどにて分る。加章方へ又之。予は南ケンシングトンに之、印度博物館を見、帰り臥す。
七月二十五日 月 晴
 朝、高橋来る。共に出、予履一足かい(十五志半)、ハイストリートにて飯い、それより風呂に入、オクス(131)フォールドサーカスにて別る。
 午後、ダグラス氏を訪、夕、館仕舞い帰り高橋を訪。高橋、田之介の絵あずけしことに付やりこめられ、ジキンスより三磅借る積りの由。
七月二十六日 火 陰霧
 博物館にてダグラス氏に写真帖(日本製)一おくる。
 夕、帰途微雨。高橋を訪、田之介の方、方つきし由也。
七月二十七日 水 陰
 夕、高橋来る。
七月二十八日 木 陰
 本日霧陰。
 夕、高橋を訪。
七月二十九日 金 陰
 夕、酒一本持ち、高橋を訪、やや俟ども来らず。
七月三十日 土 晴
 朝、高橋来る。
 夕、高橋を訪。予、テンプラ買来り、与に食う。
七月三十一日 日 快
 朝、高橋来る。
 午後、高橋を訪。飯い酒のみ、夜に入、パーソンスグリーンよりフラム・ロードを歩す。帰りていねしが嘔吐す。
八月一日 月 晴
 夕、博物館しまい、帰り高橋を訪、不在。因て帰りいぬ。
 此日、昼食以後不食。
 2 Shirts, 8 Collars.
八月二日 火 晴
 午後、ジキンス氏を訪、十志仮る。
 夜、博物館より帰り高橋を訪。飯塚氏在り、話して十時半に至り、氏は帰る。予は高橋とつれ出、歩して帰る。飯塚氏、三時過より十時半迄話せしとて高橋閉口の事。又談話中ジョージ(田之介の僕)来る。
 国元より新聞二封受く(加章方へ着せしを高橋持来る)。
八月三日 水 晴
 朝、一状認め高橋に渡し、ジキンスより一磅かる.
 夕、雨。高橋を訪、十一時迄話す。
八月四日 木
 夕、館にてハーフォード氏明晩飯に招く由いわる。
 此日、飯塚、田之介を訪、長話とのこと。
八月五日 金 陰
(132) 朝、高橋来る。午下、博物館に来り、予に写真帖一渡す。
 夕、館しまいハーフォード氏とつれ出、酒肴等注文、同氏宅に之、飯ふれまわる。十一時前に至り帰る。帰る前に画かき一人来り、予と話す。ハーフォード氏に写真帖(日本の)一つおくる。
八月六日 土
 朝、高橋来る。これよりホロウェイに飯塚氏を訪うとのこと(夜晩く迄話せし由後にきく)。
 夕、ハーフォールド氏来る。昨夜の下女に夜一志博物舘にてやりし事に付、もしくは下女の所為面白からざりしやと問。
八月七日 日 南
 終日在宅。
 夜、高橋を訪。
八月八日 月
 此夜、高橋ハウル方に之、風引、閉居との事。
八月九日 火
 館にてハーフォードに Goddard の『エジプト記』示して問うことあり。
 高橋、大学に之、予の状出しジキンスより一磅十志かる。
 ジキンスより高橋になおさする為、『源平盛衰記』の絵及び高橋にあつかわす錦画多く、予の家に小使してかつぎこむ。
 夜、高橋方に之、出てテンプラ買う間に両加藤来り、予酒のませやる。
八月十日 水 晴
 朝、家にてブロター一食う。
 数日来寒かりしが、今日より又暖か也。
 朝、早起。夜、高橋方に行、テンプラよばれ、又予の家につれかえり、昨日ジキンスより受し画類渡す。
 それより又テンプラ食い酒のむ.
八月十一日 木 快
 夜、高橋来る。
八月十三日 土 快
 朝、高橋来る。ハーフォード氏に帯一もらう。夜、博物館しまい同人を訪。飯塚正午時より来り、両加藤も来り、夕迄はなし立去りしと。飯塚は細井方へ債促に之く。それよりしばらくして金田、三原二氏来り、予と酒のみ十一時前迄話す。
八月十四日 日 快
(133) 暑甚し。
 高橋に紙もらい苔はるべき事。
 朝、高橋来る。
 午後、三原、金田二氏来訪、プランジー飲、長話し去る。(其後高橋を訪しが、病にて臥しおり不会。)
 夜、高橋を訪。イールブルク園に散歩の後宅に来り、状一認めやる。
八月十五日 月 快
 暑甚し。町中の猫みな眠り居る。
 一時より五時迄博物館。それより帰り高橋を訪。高橋、午後ハーフォード方へ紹介状貰に行き、閉口失望の体。因て家につれ帰り、酒一本、テンプラ食う。弥次北八梯持て旅せしこと及藤田弥助勘進の大津えのはなし聞す。
八月十七日 水
 午下、ジキンスを訪。
 博物館。
 ハーフォードに面す。帯一つくれる。
八月十八日 木 晴
 高橋をジキンス氏方に遣す。十磅中井氏をへて渡さるる約也。
 四時前、ジキンス氏を訪、翻訳を渡す。
八月十九日 金 晴
八月二十日 土 晴
 朝、中井氏より十磅受、ジキンスの分。
 博物館に、三時過、進藤氏、三井組の田中、植木外二氏、合せて五人来る。因て書籍館内部及諸処見す。それより出れば六時十五分、酒少しのみ分れ、又館にかえり去る。ハーフォードにあう。
八月二十一日 日 快
 進藤以下昨日の連中五人、ナチュラルヒストリー館に来る。地質化石及動物(魚鳥爬虫、六肢虫、※[獣偏+胃]状動物等)見れば、已に七時前十五分也。因て出で、館前(去年、斎藤及水兵とのみし処)にて酒のみ、分れ帰る。
 夜、入道を訪、不在。
 3 Collars, 2 Shirts, 1 Nightgown.
八月二十二日 月 快
 午後、大学にてジキンスにあう。つれて出、分れ、博物館にてハーフォードに詩を渡す。
 夜、高橋を訪、久くはなす。田之介、定九郎に訴られ飯田方へ怒り込、又昨日は加章一同及金□等、飯田方へ招れし由。
(134)八月二十三日 火
 夜、中井氏を訪、十時迄話し帰る。
八月二十六日 金 晴
 朝、家の婆、『ネーチュール』到着せるを咋夜持来らざりしを怒り、大声にて叱り飛しやる。是迄家の内に宿せし大声高話の女、ひっそりとなる。
 夜、中井氏を訪、九時過分れ帰る。
八月二十七日 土
 午下、ジキンスを訪、直ちに共に出。
 午後、博物館にてリード氏を訪、夜、高橋を訪、フラムよりノースエンドを歩す。
八月二十八日 日 快、夕雨
 朝、高橋来る。午後、訪、不在。予かえりて昼寝。
 夕、高橋来る。今迄両加藤来り居りし由。
八月二十九日 月 微雨
 朝、高橋来る。それより氏はジキンス方に之、一時余の間俟も不釆故帰る途上、南ケンシングトンにて予にあい、同車又行ばヤコ先生漸く来るにあい、字書渡し帰る。高橋、予とつれ、博物館に之、飯くい、リード氏に面し、ラーガーのみ加章店に(予始て来る)、それより高橋出、ヤコ不用の由故字引とり帰る。予は加八十とつれ、西エンドクローシング会社に之、衣服あつらえ、一寸加章方に休み、博物館に之く。
八月三十日 火 晴
 博物館にて土耳其人(?)の胸つきとばし、館長代理と問答。夕、館しまい、中井氏を訪、不在。
九月二日 金
 銀行より十磅かる。今夕着。
九月三日 土
 午前、高橋つれ、ウエストクロ−ジング会社に之き衣受取る。それより帰り、スローン街にて分れ、予は安飯くい、又高橋を訪、「安宅」をまい、高橋大呆れ。それより予新衣を着し、所々あるきかえる。予、高橋とつれ諸処あるき、高橋打死の覚悟にてのむ。
九月四日 日 快
 朝、高橋来る。予、論文かく。午後、高橋約により予を訪も、予は偕行する能わず、高橋不興して去り、ジェー・モリス氏を訪に之。予は論文しまい、之をブリストルにおくる。それより高橋を訪ば今帰りし所也。共に諸処歩し飲む。高橋と分れ、又パーソンスグリーンを歩し帰る。
九月五日 月
(135) 午後ハイドパ−クコーナーぶて飯、それより南ケンシングトンにて烟草かい、又かえりてマーブルアーチよりウェスターングロープに至り入湯、シャーツ等買い帰る。
九月六日 火 快
 甚暑し。
 バサー氏を訪、不在。午後、博物館に之、リード氏に面し、又ダグラス氏を訪、不在。それより中井氏を訪、帰途大酔ひっくりかえり鼻傷く。馬車にのりかえれば(ケンニングトンより)、已に三時頃也。馬車賃四志。
九月七日 水 快
 暑甚し。
 ブリストルの会書記 Myrel 氏より状一受。
九月八日 木 快
 暑甚し。
 夜、リード氏へ状一出す。ブリストルへ出会断る也。
九月九日 金 快
 暑甚し。
 夜、高橋を訪、それより出で諸処歩す。
九月十日 土 快
 終日在家。
 夜高橋を訪、病気との事、予そのままかえる。
 暑甚し。
九月十一日 日 快
 暑し。
 終日臥す。夜、スローン街に出、安飯、不在中へ高橋来る。
九月十二日 月
 6 Collars, 2 Shirts, 1 Nightgarment.
九月十四日 水
 家居。
九月十五日 木
 家居。
九月十六日 金
 家居。
九月十七日 土
 「センチピード・ホエール」の文一、『ネーチュール』へおくる。
 夜、高橋を訪、加章方へへどはきに之んとす、高橋止之。
九月十八日 日
 夜、スローン街に之、安飯くう。
(136)九月十九日 月 半晴
 午後一寸雨る。
 朝、高橋来る。J. Ratford 死せし由話さる。此人は予に四年前日本語教授を乞し人也。それより出、予飯い、高橋よりブラッシュ借り帰る。(帰りかけに高橋にあう。)
 午後、閉居。『山海経』をしらぶ。夕、高橋来る。酒のませやる。
九月二十日 火 晴
 家の婆、朝十時過より午後四時頃迄不在、予留守番、「日本タブー論」を草す。
九月二十一日 水 晴
 今日より又博物館に出、ダグラス氏に面す。
九月二十二日 木
 午後、館に出、ダグラスの為にロ−ド・クローフォールドの蔵書目録(日本)訂正す。
九月二十三日 金
 午後、館に出、ダグラス氏に面す。
九月二十四日 土
 ムカデクジラの文の活板成る。校しておくる。
 夜、高橋を訪。
九月二十五日 日 晴
 終日在寓。
 夜、高橋を訪、不在。加章家の近傍にてあう。
九月二十六日 月
 夜、高橋を訪、飯塚あり。
 2 Ccollars, 2 Shirts, 1 Drawers.
九月二十七日 火 陰、少雨屡
 リード氏と館の入口にあう。予の論文、『タイムス』に出し由。
 中井氏より五磅おくらる。但し明朝婆の手より受とる。
 夜、館六時にしまい、中井氏を訪、不在。妻君甚不快の由。それより一文なし故、歩してヴォクスホールよりランベス橋に出(ヴォクスホール橋留め)、河岸をバターシ、アルバート橋よりスローンスクァヤーに至り、又キングス・ロード歩して帰れば十一時前也。引出しよりチーズ古きをとり出し食う。
九月二十八日 水 晴
 朝高橋来る、金かりに也。かさず、怒り去る。バサー氏を訪、不在。
 午後、博物館より中井氏を銀行にとい、金五磅かりし受取書渡す。領事館に至り、加藤本四郎氏に面し、そ(137)れより館に來り、夜、ハイドパークに之、メークランドの演舌きく。それより歩して帰る。
 夜、干魚四疋かい、加章の家入口へなげ、并にへどつきやる。
九月二十九日 木 雨
 進藤氏へ状出す。来る日曜ナチュラルヒストリー館へ来れと也。
九月三十日 金 陰
 朝、高橋来る。
 夜、高橋を訪う。酒一本のむ。
 進藤氏状来る、日曜に不来と。
十月一日 土
 朝、早起。
 夜、高橋を訪.
十月二日 日
 朝、高橋来る。
 夕、高橋を訪、酒一本のむ。それより出、所々尋ね漸くソウセージかい食う。
十月三日 月 快
 午下、近処の食店にて飯。予の顔蟹の如く赤き故、食店の小児、学校より帰来りあきれおる。それより博物館に之、入口にてリードにあえども、予鳩相手にし物いわず。館にて八時迄習学し、出、スロン・ストリートにて安飯。高橋を訪、つれ来りのます。高橋、今日エドウワルズ女(前年福田世話にて予に家貸んとせしもの)方へ行き敗走(十二月ならずば帰らぬと)、色色なきごといい帰る。予は出、テンプラ四片かい、かえりのむ。
 此日より、隣のモンローという女予の下の室に、其兄というもの予の隣に宿する。
十月四日 火
 朝、高橋来る。夜、館をしまい、高橋訪い、二本酒のむ。
 アーサー・モリソン氏状来る。エピンフォレスト行の案内記の事示さる。
十月五日 水
 朝、早起、アーサー・モリソン氏へ状一出す。
十月六日 木
 夜、高橋を訪。
十月七日 金
 夜、高橋を訪。
十月八日 土
(138) 博物館にてダグラス室、山出しの小使と喧嘩せんと迄ありしが止む。
 アーサー・モリソン状一到る。予の過日の状文直しくれる。
 夜、高橋を訪、火なし、故に不遇。後にきけば在宅なりしと。
十月九日 日 晴
 アーサー・モリソン氏へ状一出、『ネーチュール』の予の文「ブゴニア論」の校正を頼む。
十月十日 月 陰
 夜、館の帰途、高橋を訪、共に出、テン買い帰る。
 5 Collars, 2 Shirts.
十月十一日 火 陰
 午後、館ヘアーサー・モリソン氏尋来り、暫時話す。
 夜、高橋を訪。
 銀行より五磅貸る。
十月十二日 水 快
 朝、高橋来る。
十月十三日 木
 夜、高橋を訪。
 今日の『ネーチュール』へ、予の「ムカデクジラ説」出。
十月十四日 金
 夜、高橋を訪。
十月十五日 土 雨
 夜、高橋を訪、途上酔漢道をといののしるにあう。
十月十六日 日 雨
 午後、高橋来る。共に其家に之、九時過、雨やみし間にかえる。
 此夜大雨、凰はなし。
十月十七日 月 朝快、夕より雨
 はさみおき忘れ、午後迄探す。
 夕、アーサー・モリソン館に来り、近所酒肆にてのむ.
 2 Shirts, 2 Nightclothes, 1 Collars,1 Drawers.
十月十八日 火 雨
 夜、高橋を訪。
十月十九日 水 陰
 午後、関羽(フラム・ロード、予の宅より二町斗り)方に飯、それより館に行、途上ジキンス氏を訪。一週間斗り前に帰りしが、学校に出るは近日中のことと。(病による。又羅馬の東洋学大会は来年迄延期と。)又、高橋、珍画を博物館のヒル氏にやりしことに付、同氏(139)よりジキンスにかけ合いありし旨語らる。今日より高橋行を止む。
 夜、館仕舞、高橋を訪、ジキンス氏の語を寄す。
十月二十日 木
 夜、高橋を訪、不在。田之介方に之しと也。
十月二十一日 金
 夜、高橋を訪。
 児玉亮太郎氏、一昨夜、当市着状受く。仲児氏子也。
十月二十二日 土 雨
 午後、博物館より児玉氏を訪、不在。因て状のこして帰り、夜、館仕舞い、再び訪、少しまち居る内帰る。
 十時前迄話して帰る。それより高橋を訪、十二時過帰る。
十月二十三日 日 快
 午後、高橋来る。山川方へ之く也。
十月二十四日 月 陰
 朝九時過、宅を出、南ケンシングトンより地下鉄道にてリヴァルプール街停車場に行く。マンションハウスよりあるく間おくれる(十時十分の汽車に)。因て十一時十一分のにて出立、Snarebrook にて車かえ、十二時過ラウトンに着すればアーサー・モリソン氏俟おる。其宅に行、昼飯、珍画等見、後の森中(エピン森)の古城趾を見る。それより停車場に至り散歩、色々話し、七時過の汽車にて出立、リヴァルプール停車場を出れば、北の方に火事あり、雨少くふる。バスにのり、トテンハムコート街にて下車、ショーラー方へ飯くいに行途上児玉氏来るにあい、共にバスにのり南ケンシングトン美術館及東洋館を見、それよりスローン街迄おくり、別れ帰る。已に十二時過也。
十月二十五日 火 雨
 午後三時、児玉氏を訪(博物館の後 Montague Place)、共に出、館に之、ダグラス氏に面し、其証人にて早速児玉氏館に入。夜七時、共に出、予は飯い、八時に児玉氏宅に至り十時半迄話し帰る。スローン街より歩し帰れば一時過也。
十月二十六日 水 陰
 夜、高橋を訪、商業盛んになるとて気※[餡の旁+炎]也。
 チャンバーレン嬢へ状認やる。
 日本海軍作良氏より敷島進水式の案内状送らる。アーサー・モリソン状一受。
十月二十七日 木
 桜孝太郎(海軍主計少監)へ状出し、進水式の券を予(140)の分の外に求む。
十月二十八日 金
 桜氏より入場券四枚送らる。
十月二十九日 土
 入場券をバサー、ダグラス二氏に分つ。リード氏を訪に不在。
十月三十日 日 雨
 午後三時前、児玉氏と約あるによりナチュラルヒストリ館に至る。已に四十分俟たりとのこと。それより化石、動物の部を見、宅へつれ帰り、飯、酒のむ。夜おくりて南ケンシントン停車場に至り、分れ帰る。
十月三十一日 月
 午後、バサー氏を訪、妻の敷島進水入場券渡す也。
 館にてリード氏を訪。
 加藤元四郎氏状一受。入場券一人に限るか、夫婦つれ得るかのこと也。
十一月一日 火 快
 午後一時前十五分、バサー氏を訪う。夫妻と停車場へ走り付き、それよりフェンチャールチ街を経、カンニングタウンに至り、敷島進水式を観る。荒川領事、田中(三井組の)、進藤、中島、中井、伊東、桜孝太郎(初て遇う)等にあう。二時三十分、加藤公使の夫人ビンを破り、進水事すむ。停車場にて児玉氏にあう。フェンチャーチにてバサーに別れ、予は児玉氏とつれ、地下鉄道(少し行き過ぎ又返る)にてガワー街に至り、館に行、読書。
 夜、帰途髪きり、高橋を訪。
十一月二日 水 雨
 午下、バサー氏を訪い、石燕の事しらべくれるを写す。それより館に之、ダグラスを訪、不在。
十一月三日 木
 朝、高橋と湯に入り、トテンハムコート街にて飯う。
 館に之、ダグラスに遇う。
十一月四日 金
 朝、高橋をつれリバーチー会社に之、リバーチーに遇うを得ず。ジキンスを訪、高橋去り、予のこりジキンスと話す。館に之。
十一月五日 土 晴
 午下、高橋とつれ出、下宿さがすもガイフォーク日にてなし。共にマリア方に飯、それよりナショナル・ガレリーを見る。岡松三太郎氏にあう。館に之、ボルプナグリオ (伊太利の老詩人)と共に宗教部を見、又リ(141)ード氏に面し、ダクボ(公仏母仏)を示す。
十一月六日 日 晴
 終日臥す。夕、高橋を訪、不在。それより歩してスローン街に至り、又歩して帰り、南ケンシングトン停車場辺のレストラントにて二美少年給仕、又すてきな美人と話し帰る。
十一月七日 月 陰
 伊東祐侃、桜孝太郎二氏へ状出す。
 午下迄ねる。それより婆に払いし、ソープ一盃くれる。
 ジキンスを訪、インペリアル・インスチチュートに之、不在。状をのこし、博物館に之。夕、しまい、高橋方に至る、不在、暫くしてかえる。話して十二時前に至り帰る。
十一月九日 水
 午後、館にてダグラスに面す。
 夜、銀行より金五磅(外十五磅は当座預り)借る。合して二十磅(二百二円十一銭)。
  8 Collars, 1 Shirt.
十一月十日 木 陰
 午下、大学に之、ジキンス氏を訪。それより館に之、三時、児玉氏、広津友信氏と偕い来る。ダグラスに面し、広津氏、館の図書室に入る許を得、館外にて一飲、二氏は去る。
 夜、高橋を訪、不在。
 朝、高橋来り、伊東氏よりの菅沼氏著『通商史』及状一、大学に着せしを齎す。
十一月十一日 金 晴
 此朝、夢に馬車に人のりゆく。目さめ気付き、忽ち其方を見るに、又馬車行く。なお眼を開けばアーチ如きもの見え、それよりグレートの上に書つみし所と変ず。又ねむりて眼を開くも、変化の順序如右。四度に至りつづかず。
 伊東、中島、加藤(本四郎)、中井四氏へハガキ出す。
 『読売新聞』康有為の伝を求る也。
十一月十二日 土 陰
 朝、福島行信、広津友信二人、博物館に来り候、バサー氏案内にて水族室を見、中食の後、予、諸処案内、共にバスにてチャーリングクロスに至り、予下車、館に至り、それより
 夜、伊東祐侃氏を訪、十一時過迄はなし、大酔して帰る、マーブルアーチ迄見送られしと。それよりカブにのり帰る。
(142)十一月十三日 日
 夜、ハイドパークにて演舌家メイにあい、酒のませ、又他の一人(鼻ごえの男)と談し別れ帰る。
十一月十五日 火
 夜、広津氏を訪、近街に出、酒のみ、アンジェル辺迄送らる。
十一月十六日 水 霧
 夜、伊東祐侃を訪、富士本少佐あり、談して十一時に至り、分れ帰る。
十一月十七日 木
 朝、大霧、カブにのり館に至れば、第一に伊東祐侃、第二に広津友信来る。此前、伊東氏をダグラスに紹介す。三時に至り、松永少将、山下、桜、福島行信来る。ダグラス案内にて、書庫を通覧(モーガ、コックス、シドチの三書を示す)。それよりパーチングトン案内にてダクポを見る。他は暗くして不可視。因て燈ある諸部を予案内す。伊東とカフェーに飲、それより同車してパジングトンに至り、予は入浴。それより児玉を訪も中止、門に至り帰りて、又出、家の老婆を打、巡査と争い入牢。
十一月十八日 金
 朝、西ケンシントン裁判逓に出登、筆にて記し示さんとする内、放免、署に之、杖を受けて家に帰り、館に之。眠くてならぬ故、児玉室にて三時斗り寝、それより公使館に之(天長節の祝い、転館に付延引)。松林某講釈(博徒の伝と前原伊助伝)。荒川領事細君日本服。松永少将、予と並座し、暫く談す。十一時前帰る。
十一月二十日 日
 朝、児玉方に至れば、広津氏あり。電信により来り俟ち、共にバスにのりハンマースミスに至り汽車にのり、キウ園を見る。又汽車にてハンマースミスに至り、バスにてチェヤリングクロスに至り分れ、予はハイドパークコーナルにて飯中に、犬牙に入れし金ぬける。
十一月二十一日 月 陰
 朝、カブにて館に之、ダグラス氏に面し、又リード氏に面し、歯科医 Wm.Kendal の名を得、其所に之、不在、因てガーベットを訪、不在。それより竜動大学に之、ジキンス氏にあい、歯医ハーンへ締介を得、まちおる内逃帰る。
 夜、児玉を訪、ガーベットを訪、不在。児玉氏方に宿す。
十一月二十二日 火
(143) 朝、Kendal 氏を訪、歯入る。
十一月二十三日 水 雨
 夜、児玉と共に日本学会に之。高橋作弥氏の朗読を聞く。トテンハムコート・ロ−ドに至り分れ帰る。
十一月二十四日 木
 午後、Kendal 氏を訪、歯入れ、半ギニー払う。帰途、ガーベットを訪、不在。夜、又訪う、不在。パジントンにて伊東氏へ電信出し帰る。
十一月二十五日 金 陰
 朝、ナチュラルヒストリー館に行、バサー房に伊東氏丁度来りし処也。共にオーステンを訪、ブンブンを見、それよりブーランジェー氏にあい、氏の案内にて魚族室を見、それより中食後、鳥虫鯨及地質化石部を見、隕石を見、ナイツブリジ、マリア方にて飯。パークを通歩し分れ、予は飯に之、児玉を訪いナイツブリジに之、共に飯、又パークを歩し分る。
十一月二十六日 土
 夜、伊東氏を訪、珍画一枚やり、又『男色大鑑』かす。それよりブロンズベリーに至り、鳥山嵯峨吉にあう、歌詠じくれる。酒四、五本のみ、分れ帰る。バスにのりすぎピカジリーに至り、歩して帰る。氏、今月十六日、母卒中にて死し、来る金曜日帰国とのこと。
十一月二十七日 日
 夜、児玉を訪、ガヘトを訪、不在。パークに之、メイと飲、共に安泊りにとまる(Praed Street)。
十一月二十八日 月
 朝、早起、館に之、諸処下宿尋まわる。夜、ガーベットを訪(途上オーブリエンにあう)、一時斗り話す。面白からぬ男也。それより途をまちがい、イスリングトンに至り気付き、バスにのり帰る。
十一月二十九日 火 陰
 夜、ドクトル・ブラウン、其宅に誘わる。飯後、予、動物学会に之、それより帰る。
十一月三十日 水 陰
 朝、館に至れば、鳥山、丁度入来る処也。ダグラス案内にて文庫を見、それより予案内にて諸部を見、父啓氏に古人文書の写第一帖をおくる。出てトテンハムコート・ロードに飯い、同車してバンクに至り、分れ帰る。
十二月一日 木 陰
 夜、伊東氏を訪、酒四本のみ長話す。李※[土+竣の旁]鎔、明日出立、日本に之故、今夜約ありとのことなれど、予の為に延さる。歩して帰れば已に三時也。
(144)十二月二日 金
 銀行に之、金五磅巽氏より受。
 午後、宿見あるく。それより館に之、児玉と話す。
十二月三日 土 晴
 午後、宿見あるく。それより館に之、児玉と話す。
十二月四月 日 微雨
 夕、スローン街より諸処歩し、ハイホルポーンに至る。児玉の宅前迄至れども入らず。それよりマリアにて飯い、バスにのり帰る。
十二月六日 火
 夕、印度人ウーダーラム氏に、予の仏教集室(博物館の)を示す。
十二月七日 水
 伊太利人ボルプナグリオ次にグラント氏と飲みはなす。夕、館にて女共声高き故、之を止んことを乞えども不聴。因てスパールインケンメント代理に訴え、予追出さる。夜、リード氏を訪。
十二月八日 木
 夜、ハロー・ロードを長く通り、伊東を訪、不在。リチャルド・コックスの『日記』二冊(昨夜リードより買しもの)留め返る。
 リード氏へ状一出す。
十二月九日 金
 朝早く館総理へ十三ページの陳状書を出す。
十二月十日 土
 終日臥す。夜、サウンダース方にてシャーツ等買い、カブにのり伊東を訪、不在。又転じて児玉方に向う。トテンハムコールト・ロードにて飯い、酒のみ、茶のみ、児玉と分れ、バスにて帰る。バスマン、余が与えし十志を六片と誤しを、予之を打取る。
 リード氏より予室方に忘れ置し『希臘文典』被贈。
十二月十一日 日 陰
 終日臥す。七時出て、スローン・ストリートに飯い、エクスヒビション・ロードより歩して、ハンマールスミスに至り車にのり(小児に席を譲る)、ホランド・パークに至り又歩してフラム・ロードに至り、旧加藤宅に近き、烟草屋にてタバコ一本 people 一買い、歩してハーウード・ロードより帰れば十一時前也。
十二月十二日 月
 終日臥す。夜、ホワイトレーにて入浴、歩してハンマルスミスに至り、それより歩して、アールスコールトを歴帰る。
(145)十二月十三日 火 陰
 午前、ノチングヒルゲートに至り、耳かき二本買。それよりケシシングトン園を経、ナチュラルヒストリー館に至り、ブーランジェー氏に面す。古巴《キユーバ》にて予とりし蛙二種、断定左の如し。
   Hyla septentrionalis, Tschudi
   Hylodes cuneatus, Cope
第二種は博物館になきもの故、館へ寄附す(幼少の品にて、長さ足共に※[図説明有り]位)。喜望峰の眼閉ること能わざる蛙、水中よりつかみ出し示さる。
十二月十四日 水 陰
 朝、早起、昨夜不眠。
 夜、ドクトル・ブラウンを訪、パークスという男(詩人兼画工)及妻らしきものあり。昨夜ブラウンより状受し故、M.S.返却に之しなり。然るに不用の由故、又借りかえる。返れば十二時前也。
 博物館より予追却の旨申来り居れり。
十二月十五日 木 晴
 終日臥す。夜、ブラウンを訪、不在。
十二月十六日 金
 夜七時過よりブラウン氏を訪、色々話す。薬用動物の名かきやる。『野蛮薬用篇』に書加せしを渡す。
十二月十七日 土
 夜、カブにのり、伊東氏を訪う。話して十一時に到り帰る。
 博物館の事に付、ノルマン・ロッキェルへハガキ一出す。
十二月十八日 日
 終日、伊東氏への状を認む。
十二月十九日 月
 サー・ノルマン・ロキャルスより状一受、明日来れとの事也。
 徹夜して伊東氏への状を認む(昨日のつづき也)。
十二月二十日 火
 朝、ロヤルカレジ・オヴ・サイエンスに至り、ノルマン・ロキャルスに面す。それよりジキンス氏を訪、それよりブラウンを訪、それより汽車にのり(まつこと久し)、中井氏を訪、十一時前迄話しかえる。
十二月二十一日 水
 午下、ロヤルカレジ・オヴ・サイエンスに到り、博物館の陳情書をサー・ノーマン・ロキャルに渡す。それよりバサーを訪う。それよりシャパード店にて手箱一、(146)羽子板一かい、ジキンス氏を訪、サー・ヘンリー・ロスコー来る故、予立去り、それより午後四時頃、ブラウン氏を訪、其妻に与う。一飲後同車してトテンハムコールト・ロードに至り、又飲。オクスフォールド・ストリートにてバスにのらんとして落ち、右手を創く。馬夫早速助けくれる。それより久しぶりにて飯田を訪。伊東氏へ状一出、長文のもの。
十二月二十二日 木
 中井氏より五磅借る。
 ダグラス氏より明日来るべしと招かる。
 午後、アーサー・モリソン氏をサヴェージ・クラブに訪、珍画みせる。酒二盃くれる。色々話す。分れて飯田氏店に之途上、ジキンス氏にあう。飯田不在、待ち、翻訳頼まれしを小僧に渡しかえる。又ウチワ六本の銭払う。
十二月二十三日 金
 二時過、バサー氏を館に訪、不在。因てウチワ二本のこし、其下役に一本やる。
 午後三時頃、飯田氏店に至り、ウチワ□本かい、内六本は予宅へおくり、内一本はとり去り、内六本はダグラスに送んことを求む。ブラウン氏を訪、不在。しばらく俟て妻来る。因てウチワ三枚やる。それより帰途、児玉氏を訪、ガーネーという少年門辺に立居り、スタンプやりし礼いう。只今迄田島氏、児玉室にありし由也。それより帰れば、田島、十時頃、予宅へ来り、名刺のうらにかきのこして去れり。
十二月二十四日 土
 晩く迄臥す。
 夕、リード氏を訪、面す。ウチワ二本おくる。それより児玉氏を訪、不在。因て帰り、老婆の悴に三志やる。それより出、近所を歩す。
 伊東氏より状一受。
十二月二十五日 日 快晴
 終日在寓。多時、福地氏の『幕府衰亡論』を探るに不見。夜おそく臥す。
十二月二十六日 月 陰、風
 終日臥す。夜、ナイツブリジにて飯う。児玉氏を訪、不在。帰途スローン・ストリートにて飯い、西ケンシングトン迄歩す。
十二月二十七日 火 雨、大風
 終日臥す。
(147) 夜、ナイツブリジに飯い帰る。
 アーサー・モリソン氏へ状一出す。
十二月二十八日 水 晴
 終日臥す。夜、スロ−ン・ストリートにて飯い、歩して帰る。
十二月二十九日 木
 夜、伊東氏を訪、話すること少時にして、公使館の小池張造氏来る。十一時前共に出、汽車にてグロスター・ロ−ドに至り、分れ帰る。
十二月三十日 金 微雨
 終日臥す。夜ブラウン氏を訪、不在(オリンピヤに行しと)。帰途、スロ−ン・ストリートに飯、南ケンシングトンよりバスにのり帰る。十二時過也。
十二月三十一日 土 陰
 午下、博物館に之、バサー氏を訪、オーステン氏を訪、不在。団扇二枚のこし、それよりブーランジェー氏を訪、黄※[桑+頁]魚のこと等を問う。団扇二枚おくる。それより出、ナイツブリジにて飯い、ブラウン氏を訪、不在。妻にあい、麦酒よばれ乍ら状かきのこし帰る。夜、又一寸出、児玉氏を訪、共に近所を歩す。それより帰る。四志かる。
 バサー氏妻より団扇の礼書来る。
 
(148)   一八九九年(明治三十二年)
 
一月一日 日
 終日在寓。
一月二日 月
 中井、加藤元四郎二氏へ状出す。
一月三日 火
 午後、老婆に金六片かり、在合と合し、入湯帰途悉く飲んでしまい、一片にてウエストケンシントン迄バスにのり帰る。
一月四日 水
 朝、中井氏より二十磅貸る、預証受。
 午後、博物舘に之、バサー氏に面し、ミュレー氏にバサー氏状渡し、札の事を談す。それより飯田氏を訪、団扇かい、ブラウン氏を訪。ミッス・カルソンあり(此女、多年博物館にて相識)。ミセス・ブラウン及びカールソンにウチワおくる。カルソン去て後ブラウン帰り、飯よばれ、予は博物館へ出す訴状写し三通受。ブラウンの鼓弓きき、十一時過出帰るに、バスのり過ぎサクスベリー・ホテルにて下車、パトニー辺に之、道路泥濘大にこまり、西ケンシントンより帰る、時に三時頃。
一月五日 木
 晩迄臥す。猫、石炭部屋にしめこまれたるを番し、それより出、ナイツブリジにて飯す。途上、同宿の少年にあう。
一月六日 金 陰
 朝、早起、十時前飯い(関羽方)、それより酒一本のみ、バスにてナイツブリジに之、マリア方にて飯、又バスにて飯田方に之、団扇一本砕たるを易、それよりナチュラルヒストリー館に之、バサー夫婦に面し、それより団扇等あずけおき、バスにて伊東祐侃氏を訪、不在。ホワイトレーにて入湯、出てアクスブリジ停車場前迄歩し、バスにてワラムグリーン迄来り、関羽方にて飯い、?燭かい帰る。サー・ノルマン・ロキャル及ダグラス氏へ博物館の訴状おくり、転送を乞う。
一月七日 土 陰
 朝六時起。午下、ナチュラルヒストリー館に之、ジェネラルライブラリーに之、それよりオーステン、又ウォータールハウスに面し、虫を鑑定してもらう。それ(149)より一飯し、児玉氏を訪、まつ内同氏帰る。暫時話し、六時出て帰る。
 今日、バサー氏よりドクトル・プラウンの状受。予の『支那医薬用動物篇』を求る也。
一月八日 日 快晴
 正金銀行、児玉亮太郎(昨夜の学議のこと)、ドクトル・ブラウン(支那医学のこと)へ状各一出す(何れも明朝)。
 夜、ナイツブリジにて飲食し、歩してアールスコートより帰れば十一時也。一月九日 月 雨
 サー・ノーマン・ロッキャールより状あり、博物館の件に付ジキンス氏と相談せしとのこと、申状は予より出すべしとて送附さる。
 終日及徹夜(明朝迄)児玉氏への状認む、二十二葉、日本紙にて。夕、四時間斗り眠る。
 夕、ダグラス氏状受。
 ジキンス氏へ状一出す。
一月十日 火 晴
 児玉氏へ状出す。小池氏へも出す。
 ダグラス氏より□□□返さる。
 夜、スローン・ストリートにて髪かり、それより田島氏を訪、不在。内へ返れば田島氏予方へ來りし由。田島氏寓にて、此夜、岩崎氏にあう。公使妻の弟也。
 ジキンス氏状一受。
一月十一日 水 陰
 朝、田島氏を訪、共に児玉氏を訪。トテンハムコールト・ロードにて飯い、別れ帰り、二時間斗り休み、又児玉氏をリバールプール・ストリート停車場に俟合す。一度出立前面会、直に別れ帰る。
一月十二日 木
 午後、バサー氏を訪、モレー氏を訪、諸処案内さるること頗丁寧。自著『ココリス論』等くれる。予は団扇二本おくる。それよりウォーターハウス氏に団扇二本おくり、プーランジェー氏を訪い、不在。ノート残し帰る。
一月十三日 金 雨
 朝十一時、ナチュラルヒストリー館に之ば小池氏来り在、次に山鹿氏来る。ブーランジェー氏案内にて水族室見る内、岩崎、田島二氏来る。それより鳥虫鯨魚等の室見れば二時也。南ケンシントンの一酒肆に飯、山座、小池二氏は先去り、又半時間程して、岩、田二氏(150)に別れ、予はキングス・ロードをスローンスクワヤルより歩して帰る。
 夜、田島氏を訪、不在。ノートのこし帰る。
一月十四日 土
 午下、正金銀行に之、巽孝之丞氏に面し、五磅受け、空腹乍ら歩してナイツブリジに至り飯い、田島氏を訪、少時話す(今夜出立)。それより高橋を訪、一寸立談、又訪に已に寝たり。
一月十五日 日 微雨
 終日在寓。夜、ナイツブリジにて飯い、南ケンシントンよりバスにて帰る。一月十六日 月 陰
 終日在寓。夜、ナイツブリジに飯、帰宅の途上リード氏を訪う。
一月十七日 火
 小池、岩崎二氏へ状を出す。
一月十八日 水
 午後、博物館(ナチュラルヒストリー)に之、読書。それより出、ナイツブリジにて飯い、公使館に之き、小池氏に面し、暫時博物館出入の事をはなし、帰りて後、リード氏を訪、『田舎源氏』完備せるものをやる。
一月十九日 木
 広津氏より状一来る。明夜チェヤリングクロスに会するを求る也。
 リードに書して、昨日の『田舎源氏』返附を求む。
 小池民より状来り、公使、予の事に口入るる不能をいわる。
一月二十日 金 陰雨
 夕、約の如くチェヤリングクロス停車場に之まつも、広津氏見えず。九時帰宅す。途上ナイツブリジにて飯う。
 夜、ダグラス氏状一至る。佐野常民の条約文をよむことを求る也。明朝、返書出す。
 田島氏状一受、すぐ返事。
一月二十一日 土 陰、微雨
 朝、広津氏状来る。昨夜、予と同時間に同所に久くまちし由也。
 九時過、広津氏へ電信出。午前十一時、家の子ハーチーと共に出、飯田氏方に之、ウチワ四本かい、ハーチー之をもち帰る。途上リード方により二本をおくり、一昨夜やりし絵を求めし後、予はチェヤリングクロス停車場より広津氏をバリオルハウスに訪、フェンチャ(151)ーチ辺にて飯い、酒のむ。色々談し、去て又氏の寓近処にのみ(労働者と同席)、それより訣れ、予はリバルプール街に至る。途上、加藤本四郎氏来るにあい、停車場にて一飲、別れ帰る。夜早く臥す。
一月二十二日 日 大快晴
 終日在寓して広津への状認む。加藤公使宛の状、昨日レストラントへ取遺せし故也。一昨日より今日迄大風。
一月二十三日 月
 夕、リバルプール・ストリート停車場に至り、広津氏をまつ。八時四十五分に至るも見えず。因帰る。
一月二十四日 火
 夜、広津氏、児玉氏への状、一まとめにし児玉宛にておくる。
一月二十五日 水
 加藤元四郎氏より『日々新聞』数十葉及び日本筆二本被送。
一月二十六日 木
 夕、関羽方にて飯後、クインス・ロードにて入湯、歩してホランド・ロードより西ケンシングトンをへて帰る。酒屋(宅近くの)に入り、酔て知人の酌女の手つまむ。
一月二十七日 金
 夜、ナイツブリジにて飯う。
一月二十八日 土 陰
 加藤元四郎氏より『日本』数枚おくらる。同氏へハガキ一出す。
 夜、ナイツブリジにて飯い、又安飯くう。南ケンシングトン博物館見る後也。
 此朝、宿の老婆スパズムにて悪し。
一月二十九日 日 陰
 終日在寓。中西等へ状認、今夜出す。
 中西へ状一、児玉氏及前田正名へ状各一、田島、ジキンス、モリソン、ハガキ各一出す。
一月三十日 月
 ダグラス氏状一来る。
 夜、関羽方にて飯、又南ケンシントン博物館を見、ナイツブリジにて安飯。一月三十一日 火 陰
 終日臥す。
 朝、弟より状一受。夜、南ケンシントン博物館見る.
 帰て弟よりの状よむ。此夜不眠。
(152) モリソン氏レターカード一受。
二月一日 水
 朝、早起、弟よりの状の返事認む。
二月二日 木
 銀行より七磅受。
 夜、ナイツブリジ、マリア方にて飯う.
二月三日 金
 終日臥す。
 夜、関羽方に飯、又ナイツブリジにて安飯くう。
 夜、中井氏状一受。ジキンス状一受。
二月四日 土
 常楠へ状一書留出す。此日、隣室のかたり女去る。
 朝、早起、関羽方にて飯う。児玉氏状受。中井氏より徳川侯世子よりの贈り物一箱(巻烟草箱)受、即時送還す。
    記
 一、巻煙革函 呂色塗光琳風秋草金蒔絵   一個
        螺鈿及飴入内部金梨地
    右
 午後、家の悴ハーチーつれ動物園を見る。それよりグロースター・ロードにて分れ、予は飯い、スローンスクワヤールより公使館近傍に之、キングス・ロード歩して帰り、又西ケンシントン辺に歩す。帰て臥すこと暫時にして大へど吐く。
二月五日 日
 終日在寓、臥す。
 夜、前夜と同一の処歩す。
二月六日 月 陰
 終日、児玉へ状したため出す。常楠へ状一書留出す。
 夜、南ケンシントンより西ケンシントンを歩し、アールスコートより帰る。 モリソン氏状一受。
二月七日 火 晴
 ババアに一志六片やる、へど帚じの為也。
 終日、児玉へ状認め出す。モリソンへも状一出す。
二月八日 水 雨
 『ネーチュール』へ Plague in China を投ず。
 加藤氏より『日本』数葉被贈、礼状出す。
 児玉及常楠へ状、各一出す。
二月九日 木
 午後二時過、キャブにのりナチュラルヒストリー館に之、久く俟つもモリソン氏不来、三時半頃出でてナイツブリジの方へ歩す。又思い返して帰れば館の東園に(153)氏あり、因て聞くに諸処尋ね漸く園に入れりと(前刻、氏急に悪く吐りし由)。それより下層のみ見、で、マリア方に飯、氏は汁一盃にして暫時談し去る。予はヴィクトリアより汽車にて中井氏を訪、不在。因て歩して帰れば十二時也。(途上、又マリア方にて飯う。)
 児玉氏よりハガキ一受。
二月十日 金
 終日終夜臥す。足くたびれし也。
二月十一日 土
 朝、早起、児玉への状認め出す。
 夕、ナイツブリジ、マリア方にて飯う。それより帰れば十二時。
二月十二日 日 雨
 夜、マリア方にて飯、帰れば十一時過。
二月十三日 月 晴
 昨日より大風。
 朝、早起。
 夜、一雨、マリア方に飯、大酔、ハイドパークコーナルにへどはく。
 9 Collars, 3 Shirts, 1 Undershirts, 1 Drawers.
二月十四日 火 微雨
 Early Chinese Knowledge of the Olive を Nature に投ず。
 夕出、閑羽方にて飯、帰りそれより又出、キングス・ロードを歩し、パーソンスグリーンよりフラム・ロードを帰る。
 LとRの別分らねば flagrant, fragraant を混ず。
二月十五日 水 雨
 夜九時、キングス・ロ−ドにてランプのほやかい、近処歩して帰る。
 顕昭の『袖中抄』、暁の鴫のはねかき百はかき、君かこぬよは吾そ数かく。二月十六日 木 快晴
 内の老婆、咋朝よりインフルエンザ、今日医招く、悴共在宅。
 午後三時より四時迄、ナチュラルヒストリー館に読書、
 W. M.Webb 氏にあい、暫時蛞蝓のことを談す。氏は柔軟動物家にして、予の名を『ネーチュール』にて知るとなり。それよりナイツブリジにて安飯、豕二、豆二人前、それよりスローンスクワヤルよりキングス・ロード歩して帰れば平田譲衛氏の状一あり、大坂に代言し居る由。一月三日出也(ダグラス氏より転送)。
(154) 数旬前常楠に面せりとあり。
 中井氏へ状一出す。加藤元四郎氏へ『日本』数葉返す。夜、クロムウェルより西ケンシントンを歩す。十時過なり。友人ヴォルプナグリオにあう、一飲して別る。
二月十七日 金
 老婆インフルエンザ、午後娘来る、夜去る。
 夕、外出、関羽方に飯う。此終日不飲。
 此日、午後及夜二時過迄、伊東祐侃に借りし『大日本通商史』写す。
二月十八日 土 大霧
 午下二時過よりナチュラルヒストリー館にて写字、それより歩して帰り(老婆に二志半かる)、又出チャーチ・ロ−ド迄歩して帰る。中井氏より二磅貸る。又出カンヅメ兎をかい、数盃のむ。老婆に金払う。それより出、西ケンシントンよりアールスコールトを歩して帰る。
二月十九日 日 霧
 終日在寓。『大日本商業史』写す。夜出、アールスコールトより西ケンシントンを歩す。
二月二十日 月 陰
 『大日本商業史』写す。
 夕出歩してベイスウォタールに入湯、それより歩してノチングヒルよりアジソン・ロード、アールスコールトを歩して帰る。
 田島より状一着、日本の地質学の書知せとなり。
二月二十一日 火
 午後三時よりナチュラルヒストリー館に之、別になにも読ず。
二月二十二日 水 快
 午後二時過より館にて写す。Webb氏にあう。それより四時出、歩して西ケンシントンよりムンスター・ロ−ド、フラム・ロードより帰り、又出、飯(関羽方)。それよりチャーチ・ストリート、キングス・ロードよりパーソンスグリーンを歩す。帰れば十二時。
二月二十三日 木 快
 午後、館に之んとす。已に三時過なり。因て関羽方に飯して還る。
 夜九時前出、関羽方に魚を食、歩してキングス・ロード中央に至り帰り、又ノルスエンド・ロードよりブロンプトン停車場よりフラム・ロードを歩して帰る。十時過也。
二月二十四日 金
(155) 午後、館に之んとす。関羽方にて飯、それより一寸家に帰り、西ケンシントンよりウェブ氏を訪(ハンマールスミス・ブロードウェイ二番二階)、妻出迎えられ久く話す。八時過別る。それより歩してナイツブリジにて安飯、歩して帰る。
 同人にキュバの介、一、二与う。同人は同人著パンフレット多く与らる。
二月二十五日 土 快
 午後三時、関羽方に飯、帰りて『群書一覧』写す。
 夕出、アールスコールトより西ケンシントンを経て家に帰り、『一覧』写し、又歩をかえしてキングス・ロード等を歩き帰る。金一文もなくなる。
二月二十六日 日 半晴
 終日在寓。
 夜、九時過ヴォルプナグリオ氏尋来る、共に出、ノルスエンド・ロードにて二盃おごらる。それよりリリー・ロード辺に分れ、予はアールスコートよりホランド・ロード辺を西ケンシントンより還る。
 寒甚し。
二月二十七日 月
 夕、閑羽方にて飯、一志一片半かり。
 夜、状中井氏宛出しにゆく、途上フラム・ロードにて(チェルセア停車場傍の土橋)ヴォルプナグリオにあう.六時頃迄『群書一覧』写す.
 寒甚し。
二月二十八日 火 晴
 午後、起、『群書一覧』写す。一文もなく、僅かに婆にたのみ茶一碗のむ。.パン数片くう。
 夕、前夜迄此家にありし女(予の隣室)、前週月曜夜火を失し、フトン、机等焼しもの、むりに入来る。婆、之をふせぐ。夜に入り(八時前)、又然す。予出行、巡査呼来り、女遁去り、婆、巡査に色々訴う。次で悴帰り、予二志かり出行、関羽に昨日かりし一志一片半返し、飲又食す。
 加藤元四郎氏状一、新聞数葉被送。
三月一日 水
 夜、近傍烟草屋方にてジキンスの召使の男にあう。西ケンシントン辺に歩す。
三月二日 木 晴
 中井氏より二磅貸る。
 夜、キングス・ロード、パーソンスグリーンを歩す。
 十一時過帰る。
(156) 中井氏及加藤氏へ状各一出す。
三月三日 金 晴
 『群書一覧』抄し畢る。
 朝、早起、茶のむ。胸悪くなり吐く。午下、ボルプナグリオ来訪、予病故不面。夕、起、関羽方に飯、近辺歩して帰る。
三月四日 土 晴
 終日在寓。
 夕、出帰る。福本誠氏状一来る。夜、近街を歩す。
三月五日 日 快
 朝、牛肝を食い、ガワー・ストリート迄汽車、十時、福本誠氏をガワル街七十六番なる(税所氏所居りし)にとう。同氏、朝茶のみ居る。巴里より岡部次郎氏同伴、二氏と共に出、バスにのりキウ・ガルズンに之、暫時近傍歩む内開園、三時過迄遊び、三人つれハンマールスミス迄汽車。岡部氏に分れ、福本氏とケンシングトン・ハイストリートよりバスにのり、レドクリフにて下車、浅野長道墓を拝し、予の宅に来る。茶のみ、夜出、その宅に之。岡部氏はマーチノー氏(哲学者九十六才)を訪しに、火事の事、因て早々帰りし。同宿に毛利五郎という医あり。予大飲、前後不知。後にきくに、家出る時倒れかかりしという。
三月六日 月 晴
 終日臥す。夜、福本誠氏を訪、ダグラスへの紹介状書く。
三月八日 水 快
 朝十時、ナチュラルヒストリー館に之、十時半、福本、岡部二氏来る。五時過迄悉皆案内、それより四輪車にて宅に之、話しおる内、海軍の主計福本氏を招き長話し、予待ちかねて岡部氏に分れ帰る、十時半頃。夜、雨。
 夜帰れば、南ケンシントン博物館ストレンジ氏より招る。
 ジキンス氏状一。
三月九日 木
 朝、中井氏より送金二磅。
 ジキンス氏へ状出す。
三月十日 金 晴
 朝、関羽方に飯、それよりジキンスを訪、不在。『群書一覧』六冊返し、ストレンジ氏を訪、不在。汽車にて動物園に之、写真七枚買い帰りストレンジ氏に面す。それより帰宅、暫して夕又出、福本氏を訪、写真おく(157)り、夜十一時迄話す。岡部氏もあり。
 岡部氏より状一受。
三月十一日 土
 終日臥す。
三月十二日 日
 終日在寓。牛肝を煮させ食う。夜、近街歩す。
三月十三日 月 霧
 終日臥す。夜、関羽方に飯、近街、アルスコートよりホランド・パーク辺、西ケンシングトン歩す。
三月十四日 火 霧
 終日臥す。夜、関羽方にて飯、近街歩して十時帰る。
三月十五日 水
 朝、早起、「斎忌考」を撰す所ヘストレンジと同輩パルマー氏より、予を来る金曜日より十二日間傭う旨申来る。
 午後、パルマー氏 G.H. Palmer を訪、それよりナチュラルヒストリー館に之、ブーランジェー氏にあう。図書室にて写す。五時、歩して帰る。早く臥す。
 中井氏へ状一出す。
三月十六日 木 半晴
 朝、早起。午後三持前、南ケンシントン・ミュジュームに行、ストレンジに遇。それよりナチュラルヒストリー館にて写す。五時半に至り帰る。
三月十七日 金 晴
 朝十時より午後四時迄、南ケンシントン館にて日本書の題号翻訳、四時より五時迄ナチュラルヒストリー館にて写す。
 夕臥し、九時、童子に起され、中井氏宛状出し帰り臥す。夜、霧。
 今日より、予の室の下の室へ夫妻のものすむ。
三月十八日 土 半晴
 朝、微雨。
 十時より四時迄、南ケンンソトン館にて翻訳、それより五時迄ナチュラルヒストリー館にて写字。バサー氏妻より、来る二十五日よびに来る。
 夜九時半、中井氏より三磅被送、出て飲帰り、へどはく。
三月十九日 日
 終日在寓。
 夜、近郊を歩す。
三月二十日 月
 十時より四時迄、南ケンシントン美術館はたらく。そ(158)れよりナチュラルヒストリー館にて一時間写字。
 夜、早く臥す。
 午後雪る。
 3 collars, 2 shirts.
 田島 8 Pauton Street, Cambridge.
三月二十一日 火
 十時より四時迄、昨日に同じ。それよりナチュラルヒストリー館にて一時間写字。
 夜、早く臥す。
 午後雪る。
三月二十二日 水 快
 十時より四時迄、南ケンシントン館。それよりナチュラルヒストリー館。
 夜、閉居読書。
三月二十三日 木 陰 朝少雪
 十時より四時迄、サウスケンシントン館。それより五時二十分迄、ナチュラルヒストリー館つめる。
 夜、外出、キングス・ロ−ド迄歩す。
 本日甚寒。
三月二十四日 金 晴
 朝十時より四時迄、美術博物館。それより五時半迄ナチュラルヒストリー館。
 夜、西ケンシントン辺を歩す。
 夕、ジキンス氏状一受。
 常楠状一、加章より廻送。
 午後、博物館に之き、バサー氏へ状一出し、明日の会(□□見る)ことわる。バサー氏不在。
三月二十五日 土 陰
 朝十時より昨日の通り。午下、一寸ナチュラルヒストリー館に写す。小使早引き故也。
 美術館二日分、前週二磅八片受。
三月二十六日 日 晴
 終日在寓。
 夜、近街を歩す。(アールスコートよりハマースミス・ロード辺、それよりレドクリフより還る。)夜、嘔吐す。
 今日より暖くなる。
三月二十七日 月
 朝十時より四時迄、美術館。それより五時十五分迄、ナチュラルヒストリー館。バサー氏に面す。
三月二十八日 火 晴
 朝十時より午後四時迄、美術館。それより五時前迄、(159)ナチュラルヒストリー館。
三月二十九日 水 晴
 朝十時より午後四時迄、美術館。それよりナチュラルヒストリー館に之、小使病気にてウドワルドより断わられ、五時退舘。
 T.Suzuki, La Salle, lll., U.S.A.
三月三十日 木 晴
 朝十時より四時迄、美術館。それより安飯くいかえる。文部省にて、去週六日及今週四日分受く。不在中へ田島氏訪わる。
 夜、中井氏へ状出し(書留)、三磅銀行へ帰す。
 田島氏を訪、不在。近街歩して帰る。
三月三十一日 金
 朝、田島氏訪わる。一時間余咄し去る。
 夜、スロ−ン・ストリートにて安飯。
四月一日 土
 中井氏より(三磅返せしに付)証文返却さる。
 夜、アールスコートより西ケンシントンを歩す。
四月二日 日
 終日在宅。デ・カントルの『耕作植物編』を読む。
四月三日 月
 終日在寓。夜、下にすむもの夫妻喧嘩す。
四月四日 火
 午後、美術館に之、ストレンジ氏不在。斬髪し、夜之き面す。
四月五日 水 雨
 夕出、関羽方に飯、それよりスローン・ストリートにて飯、歩してアールスコートよりハイストリート、チャールチに至り大便し、西ケンシントンよりワラムグリーンに歩し、安飯くう。
四月六日 木
 終日在寓。
 夕出、近街を歩す。
四月七日 金
 終日在寓。
 夕出、近街を歩す。
四月八日 土
 午後、美術館に之、書籍のこしおきしをとりかえる。ストレンジ氏を訪、不在。夜汽車にてベイスウォタールに之入湯、それより歩してノッチングヒル、クインスゲート(巧芸館見る)よりナイツブリジに至り、ヒル・ストリートより歩して還る。
(160) 本日、驟雨、大風と快晴と交互すること甚し。此夕、グロースター・ロード辺の一茶店のかどにならべたる盆栽のバレン花さくを見る。余一生に一度のこと也。
四月九日 日 雨
 終日在寓。
 夜、近街を歩し、ナイツブリジ辺より西ケンシントンに至る。
四月十日 月
 終日在寓。
 夜、近街を歩す。テンプラ買食う。
四月十一日 火 晴
 午後、ナチュラルヒストリー館にて五時迄写す。
 夜、近街を歩す。
 田島及ストレンジ氏へ状出す。
四月十二日 水 晴
 昨夕、ストレンジ氏より『小石川草木図説』返し来る。植物書なる故、美術館にて受ぬとなり。午後二時十五分より五時迄、ナチュラル館にて写す。それよりナイツブリジ、安飯。返ればストレンジ氏より、予を南ケンシソトン館へ読者として入るる札おくらる。
 アーサー・モリソンヘ状一出す。ジキンスより状一受。
 夜、近街にのむ。一人泥酔、余に酒二盃、タバコ一おごり、支部人と呼。余、大に怒る。亭主仲裁。
四月十三日 木 陰
 朝、雨。
 病気(寒き故腹下る)四時迄臥す。
 夜、関羽方に飯、直に返る。状一、オランダ国シュメルツに出す。千八百九十四年、予の「拇印論」を氏が『アーキブ』に出せしを駁せんとする故、其後なにも異論なきか否を聞んとす也。徳川頼倫より巻烟草箱一着。又出、十時後。リード氏及中井氏へ状各一出す。
 夜、雨。
四月十四日 金
 中井氏へ状二出す。
 十二時より二時半迄、ナチュラルヒストリー館に写、バサー氏にあう。ジキンスを訪、帰途アーケードにて岩崎氏(弥之助子)にあう。帰りボウス及『ネーチュール』へ状出す。
四月十五日 土 雨
 ジキンスへ状一出す。
 夜、美術館、七時五十四分より十時迄写す。美術館サイエンス文庫勉学の姶也。
(161) 此夜、予十一時過帰り、戸にカギ付たまま忘れ臥す。
 たまたま下に居る人十二時に帰り、とりくれる。
四月十六日 日
 終日在寓。
 夕、外出。近傍で安飯。
四月十七日 月 陰
 夕、六時十二分より十時迄、美術館にて写す。
 リード氏より状一受。
四月十八日 火 半晴
 午後、B.B.ウドワルド妻君より団扇二おくりし礼状受。ナチュラルヒストリー館にて写。五時より美術館に写。十持前出、歩して帰り、『ネーチュール』の校正(「獅の食物」)出し、大便して帰る。
四月十九日 水 快
 午後三時二十分より五時四十五分迄、美術館にて写す。若き日本人一人あり。それより歩して帰り、又出、西ケンシントン迄歩す。
 此夜不眠、希臘書を読む。
四月二十日 木 晴
 午後、ナチュラルヒストリ舘に之、少時にして出、ジキンスを訪。帰り南ケンシントン館に写。
 夜、早くいぬ。
 此朝より予のまたにたむし如きもの生ず。
 今日の『ネーチュール』に、予の状「ナチュラル・プレイ・オヴ・ジ・ライオン」出。
四月二十一日 金 雨
 午後、南ケンシントン館にて写。それよりノチングヒルゲートに至り、前日湯に之し時見置しモニエル・ウィリヤムスの『英梵字典』十志を購う。
 此夜不寝、又なんにもせず、少く王充『論衡』をよむ。
四月二十二日 土 陰
 朝、リバープール領事ボース氏親書一到る。前日『太平記』隠岐広有の条訳せしを謝する也。
 午後、南ケンシントン館に夜十時迄写。それよりバスにて返る。一寸近街歩し、十二時帰宅、直に臥す。
四月二十三日 日
 終日在宅。夜出て、ナイツブリジ迄歩す。
四月二十四日 月
 一時二十五分より四時四十分迄、ナチュラルヒストリー館、それより十時迄南ケンシングトン博物館に写。
四月二十五日 火 雨
 此日、博物館へ之途上、小児、予を支那人と呼、予大(162)に怒る。其ものはにげ去る。其友はおとなしきものにて、楠次郎に似たり。
 五時十五分より十時迄、南ケンシソトン博物館にて写。
四月二十六日 水
 一時過よりナチュラルヒストリー館、四時過より美術館に写。
 夜、歩して西ケンシントンに至り、帰り又出、歩してチェルセア橋のあちらに至る。
 夜、中井氏へ状一出す。
四月二十七日 木 陰
 午後二時三十五分より六時迄、美術館にて写。
 夜、歩して西ケンシントンに至る。
四月二十八日 金 陰
 午後二時過より四時迄、ナチュラルヒストリー館、それより六時迄、南ケンシントン館に写す。帰途、バスとびのりそこない落る。怪我せず、又走りつきのる。
 夜、フラム・ロード郵便局迄歩す。
 ストレンジへ状一出す。
四月二十九日 土 晴
 朝、早起。一時過よりナチュラルヒストリー館、四時頃より美術館にて写。 夜、無一文、幸に婆に一志かりテンプラ買食う。
 ストレンジ氏状一受。
 □□□□もらい歯一つおつ。
 明日、常楠へ状一出す。
四月三十日 日
 終日在宅。
五月一日 月 半晴
 朝、リバープール松方五郎より諾矩羅《ナクラ》尊者の事聞に来る。早速返事出す。
 十一時過より三時半迄、ナチュラル館、それより十時迄、南ケンシントン館にて写す。此日、役人にインカムタクス返附の請状出す。
 一文なしにて、夜、キュバの銀貨一抵当とし、近処の八百屋より十五片の物かり食う。
五月二日 火 半晴
 アーサー・モリソン状一来る。
 松方氏より礼状来る。
 午後、ジキンスを訪、金一磅かる。徳川世子よりの箱質入。それより帰り、与八及老婆に銭払い、南ケンシントン館に写す。
五月三日 水 晴
(163) 午後、ナチュラルヒストリ博物館に写。それより出、ジキンスを訪、物語三冊渡し、それより南ケンシントン館に写。中井氏を訪、不在、妻にも不面。夜、歩してチェルシェヤ橋よりかえる。
五月四日 木
 午後、ジキンスを訪、久く俟て漸くあう。箱うり二磅もらう。それより南ケンシントン館にて写す。西ケレシントンよりハンマースミスに至り帰る。
五月五日 金
 午後、『御伽草子』及小刀を失いさがす。六時に至り、漸く『御伽草子』出す。それより出、飯くい、ナイツブリジにて髪かり、歩して西ケンシントンを経て帰る。
 婆已に小刀探出せり。
五月六日 土 晴
 四時過より十時迄、南ケンシントン館に写す。それより歩して帰り、又出、歩してキングス・ロ−ドに至り帰る。
五月七日 日
 終日在寓。
五月八日 月
 午後、二館に写す。
 夜、スキンナー氏より一状受。
五月九日 火
 朝、美術館に之、写.それよりスキンナーを訪、一寸談し、それよりナチュラルヒストリ館、それより又美術館に写。
五月十日 水 晴
 収税吏をとい、インカムタクス返附のことを語り、十二時スキンナー氏を訪、一所に印度館に之。それよりバサー氏に面し、石燕図の事話す。それよりウォーターハウスに面し、前年キイウェストにて取し虫の事話す。氏二種と断ぜしもの、実は一種の雌雄なるなり。それよりオーステンに面し、蚊集る計等もらう。それよりジキンスを訪、多忙にて分れ帰り、馬車中、高橋に遇う。
 美術館にて六時迄写。
 夜、ハンマースミス迄歩してかえり、へどはく。
五月十一日 木 晴
 朝、十時過よりスキンナー氏の子分と印度博物館に之、鳥花の画の彩色法を訳述す。四時半おわり、氏に面し、それよりサイエンスライブラリーにて六時迄読。歩して飲ながら還り臥し、十時頃迄ねむる。
(164) 夕、収税吏より状一来る。
五月十二日 金 半晴
 朝、丸で臥す。これは今朝三時に隣のもの芝居にはたらく夫婦帰来り朝間迄はなせしによる。
 午後三時、ジキンスを訪、高橋、藤田弥助つれ来りあり、『御伽草子』かす。それより美術館に之、六時迄写。
 夜、常楠より書留状一通、正金銀行より受取。
五月十三白 土
 加章に本とりにやるべき事。
 今朝二時斗り、となりのもの又遅く返り来り、はなし歌う。因て予シャツ裸でのりこみ、大に罵る。
 朝、関羽に四志かり(日本金貨質に入れ)飯い、歩してケンシントン・ガーズンスにやすみ、それよりナチュラルヒストリ館に写、それよりジキンスを訪。それより南ケンシントン館に写。一昨夜も昨夜も不眠故、甚疲れ、しばしば眠んとす。
五月十四日 日 雨
 終日在宅。
 夜、橋のきわの酒店で二盃ただのませもらい、それよりチャーチ・ストリートで又二盃(支那銀貨質に置)のむ。
五月十五日 月 晴
 午後、ジキンスを訪、不在。南ケンシントン館十時迄写す。夜、歩みてかえり、所々にのみ、途中に吐く。
 伊東祐侃氏状一来る。
五月十六日 火
 朝、伊東氏へ返書出す。
 午後、ナチュラルヒストリー館に之、ブーランジェー氏と話す。それより南ケンシントン館にて十時迄写。
 ナイツブリジにて安飯して歩してかえる。
五月十七日 水 半晴
 クイン、南ケンシントン館に来り、アルバールト・ミュジュムの石すゆ。
 夕出、湯に入。伊東氏を訪、不在。『日本通商史』のこし来る。夜、諸処にてのむ。
五月十八日 木 晴
 午下、ナチュラルヒストリ館に写。それより南ケンシントン館に写。六時かえり、西ケンシントンよりアールスコールトを歩す。
 伊東氏状一来る。
 加章へ五志おくり、書返んことを求む。
(165)五月十九日 金
 午後、南ケンシントン館に写。夜、西ケンシントン迄歩す。ジキンス、「鉢かづき」の校正求らる。
五月二十日 土
 朝、雨風、午後晴。
 ジキンスへ状出す。
 加章より『蝴蝶物語』及『幕府衰亡論』還附。
五月二十一日 日
 終日在寓。夜、近所を歩す。
五月二十二日 月
 午後、南ケンシントン館に写。
 ジキンスヘ状一出す。校正おくる也。
五月二十三日 火
 午後、南ケンシントン館に写。
五月二十四日 水
 夕、サウンダース方にて、シャーツ二、首環六かう。
 夜、高橋遇前へへどはきやる。
五月二十五日 木
 午後、南ケンシントン館に写。
五月二十六日 金 陰
 午後三時出、ジキンスを訪、不在。それよりホワイ・ホールに之、一ギニー受、翻訳料也(南ケンシントン館の)。それより一時斗り南ケンシントン館に写。
 それより歩して西ケンシントンより帰り、又出近隣歩す。
 伊東氏状一受。
五月二十七日 土 快
 終日まどろむ。七時より出、南ケンシントンにて写、十時迄。ジキンス校訂一来る。直に出す。
 夜、帰途、近街歩す。西ケンシントンにて、予の頭に物打抛るものあり。
五月二十八日 日 晴
 終日在宅。
 夜出、南ケンシントン迄歩し、それより歩して帰る。
五月二十九日 月 快
 朝、在宅、『実事譚』よむ。それより午後出、南ケンシントン館に写。夜、テンプラ買い食う。
 伊東氏より、日本古代法に関する書三冊おくらる。
五月三十日 火 晴
 昨日と同じ。
五月三十一日 水 快
 常楠へ状一、書留にて出す。
(166) 夕、古銭質に置き、酒二盃のみ帰る。巽氏より預金の内三磅おくらる。それより出、南ケンシントン、西ケンシントンより宅迄歩し飲む。
六月一日 木 快
 常楠へ状一、書留にて出す。小野英三郎宛状一封入す。
 ケットルより状一来る、返事出す。
 午後、ナチュラルヒストリ館に写、プーランジェーとさんしょう魚のこと話す。ジキンスを訪、多忙にて不逢。それより美術館に六時迄写、帰り直に臥す。夜吐く。
六月二日 金 快
 ジキンス氏一磅送らる。外に質におきし西国の銭かえさる。
 夜、ナイツブリジにて髪かり、歩して西ケンシントンより帰る。
 本日も昨日も暑甚し。
 Y.A. Boulenger, 8 Courtfield Rd, S.Kent.
六月三日 土 快
 夕、南ケンシントン博物館に至る。
 予の文(A Witty Boy 外一)Notes and Queries に出居る。それより少時写し出、西ケンシントンより歩して帰る。四本麦酒のみ、へどはく。
六月四日 日 快
 終日在寓。
 『ネーチュール』及『ノーツ・エンド・クワーリース』へ投書す。
 夜、歩して南ケンシントンよりアールスコート、ノースエンド・ロードを経て帰る。
 終夜不眠。
六月五日 月 快
 朝、早起。
 午下よりナチュラルヒストリー館に写。ブロンプトン街に飯い、南ケンシントン館に写、甚睡たし。それより十時出、バスにて帰る。
六月六日 火 快
 午下よりナチュラルヒストリ館、それよりプロンプトン・ロードに飯い、それより南ケンシントン館に写。
 十時に至り、歩して帰り、テンプラ食う。
六月七日 水
 朝、早起。
 『ネーチュール』へ投書(Crab Ravages in China)。
 『ノーツ・エンド・クワーリース』へ投書(Beaver and (167)Python;Swin Shell)認む。
 夕出、フラム・ロードにてハム及鯖をかい、紙につつみ食う。それより歩して西ケンシントンより帰る。
六月八日 木 晴
 朝、早起。近隣の小児咳嗽息をひき居る。まことにあわれなり。それより四時迄臥す。それより出、南ケンシントンに至り飲、それよりケンシントン園に遊び、歩して帰る。夕、八時より十時迄臥す。夜、不睡。隣室のものおそく帰り長話。
 松方五郎氏ハガキ一到る。
六月九日 金 晴
 朝、早起。モリソンヘ状認、出す。
 午後五時より六時迄、美術館に写。
 それより帰り臥し、十時出、アルスコートよりホラント・ロード近辺より西ケンシントンに歩す。それよりテンプラ買い、又帰り伏す。
六月十日 土 晴
 午後、写す(美術館)。七時より十時に至り、歩して帰り、又出歩す。
 本日涼し。
 館に之途上、バスの中より見るに、美少年フレッチャールによく似たるものあり。
六月十一日 日 快
 本日涼し.
 松方氏状一受、拇印の図おくられし也。(松方五郎 99 Arundel Ave., Lefton Park, Liverpool.)
六月十二日 月 晴
 ナチュラルヒストリ館より坂本浩然『菌譜』寄附の礼状受。
 7 Collars、 2 Shirts.
 あまり暑からず。朝、早起、又臥す。八時より十時迄美術館に写、歩して帰る。本日、酒二本誂えしに来り合さず、閉口。
六月十三日 火 晴
 午後、ナチュラルヒストリー館に写、□魚の事プーランジエール氏に訪、それより南ケンシントン館に写(此日、館にて衣服洗濯しもち入れり。出る時巡査に咎めらる)、十時に至り歩して帰る。
 伊東祐侃氏リバールプールよりの状(十四日出立、帰国)及常楠より状受(児玉亮太郎にあいし時の状也)。
 四本のみねる。
六月十四日 水 陰
(168) 夕、六時迄臥す。それより出、関羽方に飯い、それよりチェルセーの方に歩す。リード氏に遇、話してバークレー・ロードに至り帰る。それより歩して西ケンシントン、アールスコートより帰る。それより又出、ジキンスヘ状一出し帰る。
 モリソン氏より状一受。ジキンスよりも。
六月十五日 木
 銀行より金三磅受。中井氏へ状出し、預け金いくらか聞合す。
 此日、博物館休む。
六月十六日 金
 午後、南ケンシントン館に写。
 中井氏より返事来る。
 モリソン氏へ『気質全書』の訳し出し校訂たのむ。
六月十七日 土
 『気質全書』を訳す。
 夕、南ケンシントン館に写、十時に至り帰り又出、テンプラ買のみすぎ吐く、少し也。
六月十八日 日 晴、夕雨
 終日在寓。『気質全書』翻訳、モリソソ氏へ校訂たのむ。
 夕出、ナイツブリジ迄歩し、又歩して帰れば十二時過。
六月十九日 月 快
 十一時過よりナチュラルヒストリ館に、それより午後八時過迄、美術館に写、飯い返り一寸出、テンプラ買帰る。
 終夜不睡。
 夜雨寒冷。
六月二十日 火 快
 暑。
 朝、婆癪おこる。三時より五時迄、ナチュラルヒストリ館、それより美術館十時迄写し、帰り一寸出、テンプラ買い帰る。
六月二十一日 水
 二時四十五分より美術館に写す。
六月二十二日 木
 三時二十二分よりナチュラルヒストリ館に写、オーステンを訪、不在。ムレー氏を訪、不在。『植物名実図考』のこし、それより美術館に写。
 児玉亮太郎氏状一受。
六月二十三日 金
 常楠へ状二(一は書留)出す。フラム街郵便局員に支那印紙やる。
(169) 午後、美術館に写、それよりベースウォーターに之、入湯、それよりブロンプトン・ロードい飯い帰り、又ノースエンド・ロードに歩す。帰りて嘔吐。
六月二十四日 土
 午後、ビクトリア博物舘に写。
 夜、帰途、レドクリフ辺の酒屋(先年鎌田とつれ行し)にて酒のみしに、 dirty とよばる。盃打つけやらんと思しが、忍び帰る。
 本日、『ノーツ・エンド・クワーリース』に予の文 Walrus 出。
六月二十五日 日 曇
 終日在寓。今日、婆の拵しスチュー甚うまし。又求之に不得。酒一志のむ。『ノーツ・エンド・クワーリー』(貽之美なるに非ず、美人之貽のこと)及常楠へ状一出す。
六月二十六日 月 晴
 暑甚し。常楠へ状、書留一つ出す。
 午後六時頃より出、飯い、美術館に之。館の入口に十四才と十二才斗りの唖児、手まねにて咄しする見る。
 それより館畢り、バスにて帰る。
 夜、不睡。
六月二十七日 火
 本日、冷。
 夕出、六時より美術館に写。それより十時出、南ケンシントンよりアールスコートを経、バスにてリリー・ロード迄帰る。
六月二十八日 水 陰
 冷の方。
 午後五時五十五分より美術館に写。それより髪かり(ナイツブリジ安飯食)、南ケンシントンよりバスにて帰り、十一時迄臥し出、テンプラ買い帰り、一時頃迄宅で飲む。
六月二十九日 木 快
 午後、ナチュラルヒストリ館に之、ムレー氏に面し、苔蘚の事しらべ(ベーカー氏に面す)。オーステンス、ウォーターハウスを訪、それより美術館に六時迄写。ケンシントン園よりノッチングヒルよりシェパードブッシュ、同処よりフラム・ロードにてチジクよりハンマースミスに到り、又バスにて西ケンシントンより歩して帰る。
六月三十日 金 晴、冷
 朝、早起ムレー氏に見すべき標品調べる。それより臥(170)て読乍らね入り、四時半に至り起。
 夕、関羽方に飯。それよりチャーチ・ストリート迄歩し帰り、出又テンプラかい還る。
七月一日 土 晴
 午後、ムレー氏を訪、不在。ジェプ氏に面す。それより植物部書庫に写。それより出、美術館に写。十時に至り帰る。婆に金やりスタウト飲、それより出、油かい帰る。
 今日『ノーツ・エンド・クワーリース』に、予の文「支那の医方」出。
七月二日 日 雨
 終日在寓。三時前迄臥す。夕、出てチャーチ・ストリート迄歩す。
七月三日 月 微雨
 午後六時前、博物館に之、隠花植物部へジェプ氏宛蘚類三十一種、苔類八種のこし、それより美術館に写、十時に至りバスにて帰る。
 吉田永次郎送釆の淡水碧色藻探り大にまいる。
七月四日 火 晴
 午後、ナチュラルヒストリ館にてナラクマン氏に遇、話す。それよりジェネラル文庫、次に美術館に十時迄写し、バスにてノースエンド・ロード迄帰り、歩して帰る。
七月五日 水 晴、夕雨
 朝、早起。十時頃一寸臥し、五時半迄臥す。
 それより出、南ケンシントンに至り、歩してワラムグリンに帰り、それよりサリスベリーに至り、又歩して帰る。
 サール・ウィリアム・フラワール死去。今日チェルセヤ、シドニー街寺にてつとめ有之。
七月六日 木 晴
 午後、ナチュラルヒストリー館に之、ブラクマン氏に薗二つ錫蘭産渡し、それより美術館に写、それより出、ケンシントン園より馬車《ナス》にてチジクに至り、それよりバスにてノースエンド・ロードに至り、歩してパトニー橋(?)の辺に至り、歩してサリスベリー辺に至り、それより帰る。
七月七日 金 晴
 午後、美術館に写。それよりベイスウォーターに入浴。帰途、クインス・ロードの酒店(ステーションの北隣)に、去年チェルセア・ステーション辺の酒店にありし女、羽山繁太郎によく似たるもの、予の声をきき知り(171)声かくる。それよりバスにてシェパードブシュに至り、歩してハンマースミスより帰る。
七月八日 土 晴
 午後、美術館に写。夜、歩して帰る。
七月九日 日 晴
 早朝起。終日在宅。暑くて別に何にもせず。
 夜、歩してチャーチ・ストリートに至り、それより帰る。近街にて安飯くう。
七月十日 月 晴
 朝、早起。(家の猫、足きずつき叫ぶあり。)それより暫時臥。
 午後四時より美術館に写。十持帰り、又出、酒店にて蝋燭一もらい帰る。途中に失い読書を不得、そのまま臥す。銭失わざりしは幸い也。
 2 Shirts, 9 Collars, 1 N.Garment.
七月十一日 火
 午後出、美術館に写。
七月十二日 水
 午後、美術館に写。
 此頃、家の前の家、建物引くずし、小児木を盗んとて群集甚し。
七月十三日 木 晴
 モリソン氏状一受。
 午後、美術館に写。歩してハンマースミスに至り、還りてモリソンへの返事出す。
 近地の子供五才なるもの、川におちいり、去る金曜日死す。昨日葬式。
七月十四日 金 晴
 モリソン氏へ状一出。
 午後、美術館に写。
七月十五日 土 晴
 モリソンヘ状一、『ネーチュール』へ一出す。
 午下よりナチュラルヒストリ館、それより美術館十時迄写し、返り出テンプラ買い帰る。
 本日『ノーツ・エンド・クワーリー』に、予の文「是美人之貽」という句のこと出。
七月十六日 日 晴
 暑。
 朝、早起、終日在寓。
 夕出、南ケンシントン迄バス、それよりハイドパーク迄歩し、それよりヒル・ストリートより歩してかえる。
七月十七日 月
(172) 午後、ナチュラルヒストリー館に写す。
七月十八日 火 晴
 午後、ナチュラルヒストリー館。ジェプ及ブラクマンにあい談す。それより美術館に写。それより飯田氏を訪、コンズイト街に花いける見世物しおれり。団扇五かう。同人弟にあう。それより館にかえり、歩して帰る道に、酒屋の妻に一本やる。夕、早く臥す。夜中にへどはく。
七月十九日 水 晴
 銀行及ジキンスへ状、各一出す。
 午後五時過、ジェプ氏室に至り、同人及ブラクマンに、団扇二本ずつおくる。それより南ケンシントン館に至り、昨日あずけし手書の本二冊受取、ベイスウォーターにて入浴。それより歩してアクスブリジに至り、トラムにてチジクに至り、歩して帰る。
七月二十日 木
 午後、美術館に写。それより夏の薄衣をかいきかえ、歩して西ケンシントンより帰る。
七月二十一白 金
 午後、関羽方に飯。それよりハイドパークに歩、池に群児泳ぐを見る。女二人来り見、児共に詈らる。それより歩して帰る。
七月二十二日 土 陰
 朝、モリソン状一受。
 午後三時より十時迄、美術館に写。それより歩して帰る。
 本日の『ノーツ・エンド・クイーリー』に、予の「スイムシェル」出づ。
 5 Collars, 2 Shirts.
七月二十三日 日 陰
 冷、微雨まじる。
 夜出、チャーチ・ストリート迄歩して帰り、フラム・ロードにて安めしくう。
七月二十四日 月 晴
 午後、ナチュラルヒストリ館、それより美術館に十時迄写す。歩して帰り臥す。
七月二十五日 火
 朝、早起。九時前、門辺へ楽人(女三人、男児二人)来り、ルート及鼓弓ひく。内女一人、甚美人にて美声也。独逸人なりと。
 午後、美術館に写(門氏と飯田氏方にあい、共に)。
 それよりハイドパークを経てクインス・ロ−ドに至り、(173)酒店にて別嬪、羽山繁に似たるものにあい、四片只なげのこと。それよりアールスコートをへて帰る。
七月二十六日 水
 午後二時十分よりナチュラルヒストリ、それより美術館に写す。それよりスロ−ン・ストリートにて安飯、歩して還る。
七月二十七日 木
 午後、関羽方にて安飯。出、チェルセー橋辺の酒屋により別嬪に(肆主の妻)コーンフラワルさしもらう。それより美術館に写。それより六時過、飯田氏を訪、不在。同人弟及加藤信師にあう。団扇三本買、加藤とつれ、ハイドパークよりエジワヤール・ロードよりベイスワータール、キングス・ロード辺(停車場辺)の酒肆により別嬪、羽山繁太郎に似たるもの、もと予の家の辺、乃チェルセー橋辺の酒店にありしものに一本やる。以後のこと不知、但し無事にて帰れり。
七月二十八日 金 晴
 加藤氏へ状一出す。
 午後、美術館に写。かえればジキンスの使来るにあう。テンプラ屋にて借金四片、魚かいかえる。
 『ノーツ・エンド・クイーリース』へ The Wandering Jew を投書す。
七月二十九日 土 晴
 三時過より美術館に写、九時に至り帰り、銀行より金五磅受出、銀行へ受書出し、又加藤氏(信師)書留状一出す。ヤコへ状二本出し、高砂の謡の返事す。それよりノールスエンド街にて安飯くい返る。
七月三十日 日 快
 朝、早起。終日在宅、飲酒す。
 夜、近街をのみあるく。
七月三十一日 月 晴
 朝、早起。
 加章へ状一出す。
 午後一時過より十時迄、美術館に写、歩して帰り臥す。
八月一日 火 快
 朝、加藤章造氏状一来る、返事出す。ジキンスへ状一出す。門氏来る。それより午後三時迄話し、出、関羽方に飯。歩してナチュラルヒストリ館を一寸見、出、彩色屋に之。同氏白粉かい、分れ還る。
八月二日 水 晴
 午後、博物、美術館に写。
八月三日 木 晴
(174) 午後博物、美術館に写。それより飯田氏を訪、門にて同人兄弟出来るにあい、一寸話して帰る。
 ジキンス氏より紙おくらる。
八月四日 金 快
 朝、公使館宛の状を認。午後三時過より六時迄美術館に写。
 門氏へ状一出す。
八月五日 土 陰
 美術館に夕迄写。それより湯に入、彼別嬪ある酒屋に往しも遇ず。
八月六日 日 晴
 朝、門氏来る。門※[草がんむり/(刃+刃)/八/木]香。それより木葉石一つくれ、飯い遊び、四時過出、ナチュラルヒストリ館を見る。
 それより柴田権十郎を訪、不在。栗原金太郎にあい(鋳物工)久くあそび、バスにてハンマースミス(半道あるく)停車場に至り、別れ歩して還る。
八月七日 月 晴
 午後、門氏をまつ、来らず。夕、栗原、柴田二人来り、酒のむ。それより栗原氏、八卦又おかん松の木枕のはなし等ありて、九時に帰る。あとへ飯田清二郎、門二人来り、予と酒のみ、それより汽車にてハンマースミス迄(アルスコートより)至り、分れ還る。
八月八日 火
 『ノーツ・エンド・クーリー』へ活板直し、「ウォンダリング・ジュウ」出す。
 夜、柴田氏を訪、栗原もあり(今日チジックヘ転宿)酒のみ、柴田小便壷ひくりかえし大騒動。それより共に出、かの別嬪のかみさん方に飲、くい帰る。八月九日 水 晴
 一日、公使館宛の状認む。
 夜、例のかみさん方に飲、歩して南ケンシントンに至り、又帰り、又歩して西ケンシントンに至り、一盃のみ帰る。
 十志失う(引出しに入しもの)。
八月十日 木
 九志五片の(六月二十一日附)ポスタルオーダー見出す。
 2 Shirts, 1 Nigtcloths, 3 Handkerchief, 1 Drawer.
八月十一日 金 晴
 四時三十分より美術館に写。
八月十二日 土 快
 午下、飯田を訪、公使館宛の珍状を読、飯田兄弟、打田善二聞之。門氏来り共に出、動物園に之、それより(175)つれ帰り、又出、アールスコート博覧会を見、帰り、柴田氏を訪。それより帰り、門氏、予方に泊す。夜、へどはく。
 予の文 Wandering Jew 今日の Notes and Queries に出。
八月十三日 日
 門氏のへど、同人漸くかたづける。予、雪隠へすてに之く。古来本もと方へはきしは此人一人也。予、以後吐ぬ旨誓う。それより印度館を見る。それよりハイドパークに之き、芝の上に談し、それより氏は富田方へ之、予は柴田氏を訪、一時頃迄話す。
八月十四日 月 晴
 午後、飯田を訪、不在。弟にあう。
 加章を訪、高橋もあり、談して六時に至り、共に出、それより美術館に之、写す。夜、帰途、柴田を訪。
八月十五日 火 半晴
 午後、飯田方に之、途上、酒屋のかみさんにあう。妻子来り、子は下女と門で馬車を待おる。飯田弟、門及打田にあう。それより加藤を訪、八十太郎もあり、明日あたり帰国の途につく由。予昨日来りしを甚不平也。夜十時迄、美術館に写。
八月一六日 水 晴
 朝晩く起。午後三時五分より六時迄、美術館に写。それよりハイドパークに之、歩して帰る。夜、近街を歩す。安飯くう。
 小池張造氏状一受。
八月十七日 木 快
 午後、美術館に写。
 夜、シバタ氏を訪、十一時迄話す。
八月十八日 金
 朝おそく起。
 午後、馬車中にて一磅四志斗り失う。一時五十分より六時迄、美術館に写す。
八月十九日 土 陰
 朝、ジキンス状一受、返事出す。高砂謡の直し也。
八月二十日 日 晴
 午下、柴田及栗原氏、次に門氏、打田氏をつれ来る。打田は肺疾、明日巴里に之く。それより柴田氏とナチュラルヒストリー館を見、それより其宅に之、飯い、止宿す。
八月二十一日 月
 終日栗原氏方に話す。夜、歩して帰る。
(176)八月二十二日 火 晴
 昨夜、スコトランド・ヤードより、予の失し金見出たる由申来る(一磅五志半片)。それ故、同処に至り、六志拾い主にやり、右嚢うけとる(途上飯田方による、高橋来りあり)。帰途、又飯田方による。清水来りあり、門氏と共に出、美術館を見、それより歩してノチングヒルにて飯い、それより別れ還る。銀行へ滑稽状おくり金を求む。
八月二十三日 水
 博物館休み。
 夕、ホワイトレー湯に之、それより歩して帰る。
 銀行より金四磅来る。
八月二十四日 木
 朝、松方五郎氏ハガキ一到る。
 午後、ワラムグリーンにて一磅貸、車《バス》にのり飯田方に至る。兄弟あり、季吉氏と共に夕出、歩してベイスワーターに至る。別品なし。ノチングヒルに飯い、シェパードブシュに至り、別れ帰る。
 夜、田担二文くれる。柴田氏を訪、新聞かる。
八月二十五日 金 晴
 ナチュラルヒストリ館植物室に写す。バサー氏に面す。本日、瑞典へ之。それより出、飯田氏店に之、ハーヴィー氏(男)門氏に画ならい居る。暫時して門氏にあい、出、美術館に写す(スキンナー氏にあう)。それより出る。途にてカデロフ号の水兵(士官)一人にあい、道おしえやる。それよりグロースター・ロードを歩して帰る。
八月二十六日 土 晴
 二持前十五分より四時迄、門氏をナチュラルヒストリ館にまつ。(出違いになり)不会。それより美術館に写。歩して歩る。柴田氏に新聞かえし、同氏立退の通弁する。
八月二十七日 日 晴
 午後、門氏来る、共に飲む。それより五時頃迄話し、柴田を訪、不在。バスにてハンマースミスに至り、それより Dale Street Chiswick 53 栗原氏を訪、不在。主婦より茶くれる。それより出、ターナムグリーン公園に腰かけ喫烟、それより歩してシェパードブシュに至り、バスにのりノチングヒルゲートに之、飯い、バスにてアクスブリジに至り、分れかえる。それより柴田を訪、共に出、暫くして別る。
八月二十八日 月 陰、しばしば微雨
(177) 午後三時過より美術館に写。それより夕出、飯い、又写。十時出、歩して(途上、チャールチ・ストリートにのむ。絹次如き老美人あり)帰り、テンプラ買、又出、歩してチェルセア酒屋(此家、美麗おかみさん六日斗り不在)に之、蝋燭もらいかえり、一本のみ臥す。
八月二十九日 火 夕、雨
 午後、飯田氏を訪。門氏とつれ夕出、ナイツブリジにて飯いシャンペルおごる。それより出、バスにのりハイストリートに之、途上門氏帽落、それをとるとて予の高帽を打落し、氏はそのまま車下る。予まつこと久きも氏来らず、不得止ナイツブリジの髪きり店にて高帽かり着てかえる。後にきくに、門氏の帽はなく、予の帽をひろい着てかえり、それにバス中にて睡り、□□□□□迄行き、車掌におこされ歩して帰ると。
八月三十日 水
 午後、飯田氏を訪、末吉氏と話す。夕、栗原氏と共に其宅に之、飯う。途上ナイツブリジにてマルカーン氏及一支那人に遇う。
八月三十一日 木
 朝、栗原氏とバスにのり、飯田氏店を訪。
 夜、関羽方にて珈琲のみ、帰り臥しへど吐く。
九月一日 金
 午後、美術館に写。それより栗原氏宅に之、不帰。しばらく歩する内、氏馬車を下るにあい、鮭二志三片かい、其宅に之、飯。夜とまる。
 本日、飯田末吉帰国。
九月二日 土 晴、夕雨
 午前八時、カンチ宅を出、共に歩してケンシングトン園に休み、それより歩して飯田氏店に之。ハーヴィー来り、画を門氏に学ぶ。予通弁する。
 午後、加章来る。それより予は出、ナチュラルヒストリ館にまつ。三時前、門氏来り、地質文庫にゆき、石燕の画を二つ写しくれる。大博士 Etherige 氏、石燕其他化石色々見せ説明さる。それより宅にかえり、高帽十二志六片にて買、歩してナイツブリジに至り飯い、門氏シャンペン三盃のみ分れ帰る。
九月三日 日 晴
 午後四時過、マルカーン氏を訪、ホイスキーのみ話して夜に入、氏ノチングヒルゲート迄送らる。他の事不知。途上チャーチ・ストリートとエルム・パークの間と思しき処にてつまずき、ひたいの右側を打、血出、耳に流れ入る。高帽を落し、そのまま帰る。途上、巡(178)査に気付らる。
九月四日 月 快
 四時頃迄在宅。七時二十五分より十時迄、美術館写。
 1 Shirts, 5 Collars.
九月五日 火
 三時十分より十時迄、美術館写。
九月六日 水
 三時より写。六時に到り出、栗原氏を訪、只今帰りし処也。それより予出、色々のもの買い、飯い寝す。
九月七日 木
 朝、大雷雨、市中へ落つるもの二力処(?)。栗原氏、飯田店に之きて休む。終日、栗原氏方にあり。同人睡ること甚し。夕に到り飯い、分れ帰る。
九月八日 金
 十二時五十五分より美術館に写。
 夜、常楠状一受。
九月九日 土
 四時五十五分より美術館に写。夕立出、ケンシントン・ハイストリートより西ケンシントン歩して帰る。
九月十日 日 晴
 終日在寓。夕出、チャーチ・ストリートより南ケンシントン、アールスコートを歩して帰る。
九月十一日 月 陰
 朝十一時頃高橋来り、五時前迄話し、共に出、関羽方に飯。それより予南ケンシントン・ステーションに大便、それより歩して富田方へ(始て)到り、暫時まつ内富田氏帰り、六時迄話し、出、ハイドパーク池辺を歩し(高橋と)ナイツブリジにて飯い出、歩して芝田を訪、やっと別り其家辺をあるく内芝田かえり来り、其番号、マーケットプレース町十二なること分り、其宅に之。不興の体故直に去り、バスに乗(んとする処で、オクスフォードサーカス、マルカーン氏にあう。土曜に出立との事、支那人一人、洋婦二人同伴し居る)、クインス・ロ−ドに到り、例の酒屋に入る処にしたてやレオンにあう。扨高橋の給仕で飲居る内、彼のチェルセヤ来知己の別嬪行すぎ乍ら予を見て挨拶する。それより長々と歩してノチングヒルより帰り、高橋、予方にとまる。二人共カラケツと成る。
九月十二日 火 晴
 朝起、高橋半片、予一片あるのみ。それより出、関羽へ日本、西班牙の金銀貸、質に置んとす、不在。歩して富田方に到る、不在。又歩してナイツブリジの髪斬(179)店に之、予知人の斬髪男に質に置、二志かり、一杯ずつのみ、高橋に五片やり、加章方へ去る。予は新聞一枚かい、ハイドパークにて読む。それより飯い(右の斬髪男に出あう)、美術館に之、写、二時より十時に至る。それより帰れば、銀行より五磅来りあり。出て別嬪のかみさん方にてかえ、歩して帰る。芋二片、ハム六片かう。
 ジキンス状一受。銀杏の事問来る也。ブリチシュ・アッソシエーションで読む筈。
九月十三日 水 晴
 朝、早起。
九月十四日 木
 夜、テンプラ屋に車たのみ、栗原氏を訪、共に出、アクスブリジよりノチングヒルゲートに至り飯い帰り予の室に臥す。
九月十五日 金 朝晴、夕微雨
 朝、栗原氏と宿を尋ね、Richmond Place 16 を約し、それより帰り、車屋来り十志くれというを罵り、それより夕迄荷造り、七時過、新家の娘の世話にて家やというつる。夜、雨る。予栗原氏をおくりサリスベリー迄到り、氏はバスにのり帰る。予は帰り臥す。
九月十六日 土
 夜、栗原氏を訪、とまる。
九月十七日 日
 終日、栗原氏方にあり、柴田来る。飯い、夕出、バスにてサリスベリーに至り、歩してコープを訪、それより歩して富田氏を訪、不分。二若年者に唾し、頭たたかれ帰る。
九月十八日 月
 六時三分より美術館に写。それより出、ホワイトレーに浴す。帰途、彼酒店にてのむ。羽山に似たる別嬪来り、手握んとす。予不答、別嬪怒り去る。帰途、レオンと話す。それよりナッチングヒルに飯い、歩して帰る。(これは富田氏の日記と合すに、十九日記事にして、十九日記事は二十日記事ならん。)
九月十九日 火
 午後、富田氏を訪、夕共に出、ナイツブリジ両マリアにて二度飯い、美術館かどにて分れ帰る。
九月二十一日 木
 朝、早起。
 諸処宿をたずね、富田氏を訪、清水来る。夕、其宅に之、酒ふれまわれ、とまる。
(180)九月二十二日 金
 朝、富田氏方を出、栗原氏を訪、不在。三片しかなし。歩してコープを訪、それより歩して富田氏を訪、栗原来る。共に教育博物館を見、ハイストリートよりバスにて其宅に行、飯い、とまる。
九月二十三日 土 陰
 朝、コープスを訪、鈴木大拙よりの状一受。
 午後、飯田氏を訪、門氏あり、共に出、加藤氏店を訪、酒二本おごらる。それより門氏と柴田を訪、不在。それよりナイツブリジに飯い、美術館を見、ストレンジを訪、不在。それより富田氏を訪、予とまる。門氏はその前分れ、芝居へ行。
九月二十四日 日 朝快、夕微雨
 朝、富田氏方に飯い、十一時頃出、コープスを訪、帰宅。正金銀行より、去る火曜日金来りあり。午後二時前、富田氏を訪、献白書よみ、それよりナチュラルヒストリ館を見、五時過、共にバスにて帰り、『太平記』及『西鶴集』貸し、同氏は直に帰る。予は、夜、ノースエンド・ロードよりチャーチ・ストリート及南ケンシントン迄歩す。
九月二十五日 月 微雨
 午後、フラム・ロ−ドにて二磅郵便為替かえ、飯い、富田氏を訪、斬髪、それよりナイツブリジにて飯い、美術館十時迄写。歩して絹次及おかみさんの別品方にのみ、安飯。それよりノースエンド・ロード歩して帰る。
九月二十六日 火 陰
 朝、正金銀行より『群書類従』七冊、弟よりのもの廻致。午後六時より美術館に写。それより十時に至り出、フラム・ロードよりノースエンド・ロード歩して帰る。
九月二十七日 水 半晴
 午下、富田氏を訪、田之助あり、予出、美術館に写。六時出、歩して帰る。雨り酒店にて三盃のみ、止で歩し出、くつ直し塵に之。(スリッパーはき之、くつとはきかえる。)歩して帰る。
 中井氏へ状一出。
九月二十八日 木 陰
 午後、富田氏を訪、同氏先祖の話等ききかえる。夜、早く臥す。中井氏より金五磅被送。
九月二十九日 金 微雨
 夕、美術館に写。それより飯後富田氏寓を訪、話して十時半に至りかえる。大珍談す。同氏風ひきしが、半なおる。
(181)九月三十日 土 雨
 午後五時二十五分より十時迄、美術館写、歩して帰る。
十月一日 日 雨
 午後出、富田氏を訪、話して十時頃に至り、同氏風引にて予は帰る。
十月二日 月
 午後、富田氏店を訪、夕六時前共に出、同氏衣をあつらえに行、それよりナイツブリジに飯い、飲。九志半予払う。それより美術館に之、ストレンジ氏に面し、絵画部見、それより酒店美少年方に麦酒三盃及ブランジー一盃、レモネード一盃早飲。バスにてチェルセア停車場近傍、かの別嬪のかみさん方に長飲、加章の妻に似たる女に、富田つり九志半やる。歩してアールスコートに至り別れ、予は帰る。同人は女郎かいに行、三時帰宅。
 銀行へ受書出す。
十月三日 火 朝快晴、夕微雨
 午後六時、富田氏を訪、酒(ブランジー)一志おごられ、それより宅に之、飲食、話して十時五十分に至り別れ、歩して帰れば十二時十分過也。
 昨夜、富田不在中へ門、高入(高橋入道是珍)二人三度来りし由、今夜主人話す。
十月四日 水
 夜、栗原氏を訪、とまる.
十月五日 木
 朝、栗原氏と共に出、バスにてラトランドゲートに至り別れ、予は富田店に之、常楠よりの状一受取。
 三時過より写。夕五時に至り出、それより歩してコープスを訪、国元より着の二書(有賀『日本史』及び関場の『浮世絵編年史』)受。彼別嬪のかみさんかたに之、別嬪のかみさんの弟というものと飲。それより出、富田を訪、門氏あり、三時間斗り飲、門氏とつれ出、南ケンシントンにて別れ、歩して帰る(一向不知)。(富田話しに、此日、栗原、柴田、高橋三人来り、次に門来りし由。)之を朦朧組と名く。(後日きく、此事うそ也。)
十月六日 金
 夜、富田氏を訪、同人浄瑠璃やり居る。それより酒のみ永話し、ねているやつ起す。それより就て宿す。
十月七日 土 晴
 朝、富田より先きに富田店に之、暫時にして富田不在中へ金沢という人(宣教師)来る。話すに堀尾権太郎(182)知人の由、乃同人已に死せし由をつぐ。それより此人とつれ出(此人はレジー・クラブへ之)、予は飯田を訪、フロレーあり、因て逃出し、加章店に之、酒一瓶のむ。尋で門氏来る。共に柴田を訪、不在。共に高橋(ヒル・ストリート十五番へ二、三日前にうつれり)を訪、つれ出、近処にて予めし二人に食わせ、それより出、柴田を訪、不在、門氏は去る。予は高橋と二人歩して其宅前に至り、別れ帰る。
十月八日 日
 夜、栗原氏を訪、其宅に至れば七時過也。門、高橋、柴田(早夕よりとまる)在り、高柴二人先入る。予は飯くい卵やき食う。九時過、門とつれ入、同人はターナムグリーンより去る。予は歩して帰る。
十月九日 月 晴
 夜六時より十時迄、美術館に写、歩して帰りにノースエンド出て安飯、豕多く食い、帰り臥して後、へど、ベッドの上に吐く(明日、婆に二志やり掃除さす)。
十月十日 火 霧
 夕迄臥し、それより出、関羽方に飯、バスにてホワイトレーに之、浴す。(途上、彼羽繁に似たる女、他二、三女とつれ、子をだき来る。予には眼かけず。色常より赤し。)バスにてハイストリートに到り、歩してブロンプトンに至り、神田ノブに似たるレストーラントに食し、それより歩して帰る。
十月十一日 水
 此日、朦朧連、連歌百句作り、門氏に送る。
十月十l一日 木 快、夕雨
 午後、高橋来り(栗原方にて予のアドレス聞、それより来る)、共に出、ナイツブリジにて予飯、高橋珈琲、それより(富田店にジョージ訪、ジョージ色々珍き身振す)其宅に之、話し、出てスローン・ストリートに歩む内、門氏にあう。共に飯、酒は高橋おごる。それより高橋去、予は門氏と共にピカジリー迄歩し、又歩して帰る。
十月十三日 金 快、夕雨
 夕、ブロンプトン街に飯、高橋来合す。共に近街を歩し、ジョージを訪、銀行より予宛の状受取、それより髪かりに行、分れ、予はベイスウォーターに行、彼別嬪一人あり、握手二志やる。歩して帰る。
十月十四日 土 快
 三時過迄臥す。亭主来り、悪口す。それより出、栗原方に之、飯い、とまる。
(183)十月十五日 日 快
栗原方にあり。
 午下、柴田、次に夕、高橋来り、飯。予は夕飲なしに出、帰宅。二階にてアルスコート見世物の男等さわぎ音楽し居る間に餐とり出、コプス方にとまる。十月十六日 月 快
 朝、出、諸処やど尋ね、富田方に飯い、又出尋ね、予 Crescent Place にて見当る。夜、就て宿す。高橋宿見し後、高橋と飯う。ジョージを尋ね、車屋をたのみに之、其娘二十斗り別嬪也。
十月十七日 火
 朝、富田を訪、時計かり、カブにてウエストブロンプトンに之、暫時にして仕払いすみ、烟草かいにやりしボカーの子供四人に五片ずつ別やる内に車来り(ポニー一疋)、荷物二度はこび転宿おわる。(高橋は出違い、予はあわず。)それより高橋を訪、不在、富田方に居る内高橋来る。
 夜、ジョージを訪、木かいに之く。ジョージ予宅迄運ばる。サバ一疋買、栗原を訪、食後かえる。
十月十八日 水 半晴
 朝、木をかいに之し内に栗原来り、修繕、書たな拵る。予は博物館に之、二時半間うつし帰れば事なりあり。一処に出、富田を訪、不在。高橋を訪、不在。因て分れ、予はマーケットプレース柴田寓に之、隣室の老夫婦にズボン直し頼み、歩して帰る。それより富田を訪、大酔、ネッキタイ落失す。
十月十九日 木 陰
 午下、富田を訪、テンプラ食い、終日其状を認む。
十月二十日 金
 朝、在宅、書籍を棚につむ。十一時半出、富田を訪、魚食、茶のみ、それより美術館に写。それより富田氏と汽車にてベイスウォーターに之、浴す。それよりバスにてマーブルアーチに之、歩して還る。高橋を訪、不在。
 2 Hank, 15 Collars, 4 Shirts, 2 Nightclothes, 1 Under,
十月二十一日 土 霧甚し
 朝、高橋来り、共に富田を訪、飯い、茶のむ、栗原来る。みな一言せず、そのまま帰る。それより高橋宅に之、広告文かきやる。それより出て歩し、飯い、飯屋主人、高橋のほらにあきれ、一献差上度といい、一盃ずつのみ別れ帰る。
十月二十二日 日 大霧
(184) 午下、富田店に之、富田、高橋、次で来るにあう。予酒(ブランジー)及ソーセージ等かい飲食、それより高橋とつれ出、栗原を訪、柴田あり、暫時して去。鶏、昨日予かいしものクックす。栗原、塩加減大過ぎ食えず。高橋、胸悪くなり、不興して帰る。予は又ワラムグリーン、コープ方迄歩す。
十月二十三日 月 半晴
 朝、富田氏を訪。午後三時過共に出、バスにて Edith Road に之、オルダー氏を訪、已に移宅後也。それより(汽車)アルスコートに到り Sussex Villa を歩し、クロムエル・ロードを歩し帰る。予は高橋を訪、不在。それより飯い、柴田氏を訪。前日、隣室の老夫婦に托せるズボン、仕上り受取帰る。
十月二十四日 火
 荒川氏より、そ−めん、たけのこ、鯛二、しいたけ、醤油、牛蒡おくらる。 富田方にて魚食。四時十分より十時迄、美術館に写、夜、高橋来る。
十月二十五日 水
 富田方にて魚食。
高橋方へ遊び、広告文かきやる。四時十分より美術館に写。
 夜、富田来り、鯛一、罐開き食う。
十月二十六日 木 半晴、午後雨
 朝、高橋来る。共に活版屋(キングス・ロード)に之、同人広告及予の名刺頼み、それより共に富田方に之、魚食う。二時五分より美術館に写し、四時過かえり臥す。
 夕、小池張造氏より、富田、国会傍聴の事、身分等不明の由にて断り来る。富田を訪、十時半帰る。
十月二十七日 金 雨
 昨夜、汽車中にてリバルプール領事ボウス氏死す。
 早朝、高橋を訪、未起上。それより飯い、富田を訪、十一時過、三人にて大学に之。ジキンス多用、二時を約し、富田はせりへ行、予と高橋は加章店に之(加章又せりへ之)、番す。二時に、高橋、大学に之、ジキンスより富田をサー・ジョン・ラボックヘ紹介、国会の札もらう状受く。
 それより予カブにて富田店に至るに、久く帰らず。国会は正午に閉おわる。それより右の紹介状、小池氏へ書留でおくる。三人、富田おごりにて乃武方に飲食、それより高及予髪かり、富高二人雨を冒してピカジリ(185)ーに之、予は歩してコープスを訪、例のかみさん方にて加章妻に似たる女の酌一盃のみかえる。
 ハガキ一小池へ出す。
十月二十八日 土 陰
 ジキンス、ウドワルドへ状出す。
 朝、高橋来る。広告のプルーフなおし、モリソンに再校頼む。それより出、富田を訪、二人魚食、予は食わず、別に洋食くう。富田十志貸す故也。それより出、高橋方にゆき、日本珍画四枚、西洋の写真四枚(折田清志より高橋へ所伝)、それより夕飯分ち食い出。ブロンプトン街の酒屋(愛嬌よき女二人居る)にのみ、それより侠客方に飯(此前ジョージ彼に酒のませやる、其犬高橋にかみかかる)、それより予は美術館に写すこと一時間、十時に至り出、歩して帰る。
十月二十九日 日 晴
 『ノーツ・エンド・クイリース』へ寂照飛鉢の事草し、明日投書す。
 午下、高橋を訪、不在。飯い酒のみ、ナチュラルヒストリー館に之、猿のところ見る。それより返り、火たき臥す。夜、出、ナイツブリジに歩し、又歩してコープスを訪、途中一盃のみかえる。夜、雨。
十月三十日 月 陰
 朝、高橋来る。モリソン氏、広告校正おくられあり、因て渡す。
 富田を訪、不和の事。それより出、加章を訪、六志貸る。
十月三十一日 火
 十二時四十五分より美術館に写。
 朝、高橋をジキンスに遣し、状渡し一磅もらう。夕、受取る。
 夜、中井氏より三磅被貸。
十一月一日 水
 一時迄臥し、富田を訪、金一磅返し、加章を訪、六志返却。それより六時迄話し、笑話の本一つかり来る。
十一月二日 木 朝快、午後雨
 一時迄臥し出、美術館に写、四時閉づ。それより帰り出、活版屋へ之、活版(予の名刺)未成。高橋を訪、不在。帰り暫時して高橋来り話し、九時過、共に出、一盃のみかえる。
 鈴木大拙、米国より状一受。
十一月三日 金 朝快、夕雨、夜に入て暴風雨
 午前十時五十五分より写、四時に至る。それより飯い、(186)高橋を訪、不在。チェルセア、キングス・ロードに行、名刺の板受取、四志払う。返りて臥す。風雨甚きにより公使館宴に趣ず。
十一月四日 土 陰、夜雨
 門氏及鈴木大拙へ状出す。午後一時より美術館に写して夕に至り、雨を冒して高橋を訪、不在。又館に之、十時迄写す。
 館しまいて後、雨を冒してホランド・ロード迄歩す。途上クロムウェル・ロードにて、アイユランドの若き男、オリンピア迄行くものに道を問われ、おくりやる。
十一月五日 日 雨
 朝、高橋来る。午後、打連れ其宅に之、仏国ビング氏への状認めやる。それより夕出、乃武方に飯、分れかえる。珍画、大板一枚もらう。
十一月六日 月
 モリソン氏状至る。予の広告文の誤正さるる也。
 中井氏へ状一出す。
 十一時三分より十時迄写す(美館にて)。夜、不在中へ高橋来る。
十一月七日 火 雨
 朝、富田より細ペンかえし来る.
 巽氏より三磅送らる。
 十二時十四分より美術館に写、夜十時迄。
 夕、飯くいに行処高橋にあい、一杯のむ。館おわりチャールチ・ストリート辺歩す。
十一月八日 水 快晴
 巽氏へ受取書出し、珍画一枚おくる。
 門氏、金沢氏へ状各一出す。
 一時五分より四時迄、美術館に写。
 それより一寸帰り、又出、飯い、加章を訪、六時別れ出、マーブルアーチ迄歩し、それよりバスにてスローン街に至り、ハドク食い(銭はらわずに食にげせんとせしものあり、捕われ払う)、それより歩してコープスを訪、歩して帰る。
 昨夜、富田バス中にて酔居る処、時計及くさり、金三磅など盗まる。
十一月九日 木 陰
 門、巽、バサー、高橋へ状一ずつ出す。
 十一時十分より四時迄、美術館に写。
 夕、高橋来る。其宅に之、状三枚認めやる。それより飲、別る。
十一月十日 金 晴
(187) 朝、高橋来、共にオクスフォールド街に之、靴かう。十四志半、甚よし。それより加章を訪、高橋と飯くい、二時過より四時迄、美術館に写。
 夜、ベイスウォーターに入浴、別嬪方へはよらず、帰途ブロンプトン街侠客方にて飯、帰り臥す。
十一月十一日 土 快、夕雨、夜晴
 朝、早起、希臘文典調べ、九時半出、美術館に夜十時迄写す(十一時五十三分より)。夕、一寸帰れば、バサー氏状一有り。R.Lydekker 氏より予の果然に関する問の答也。高橋又状一のこしあり。因て之き、サー・トレボー・ローレンスヘの状かきやる。
 館仕舞い、三盃のみ、帰り臥す。
十一月十二日 日 晴
 朝、十一時出、コプスを訪、不在中へ高橋来る。それより、夕、出てハイストリート迄歩し還る。暫時して又出、フラム・ロードよりクロムウェル街歩す。
 門、昨夜パトニーにまぎれ行き、知ぬ人の宅に宿し飯くわせもらい、今朝高橋方へ四片かりにくる。
十一月十三日 月 晴
 朝、ウォルトン街、予の家のすぐ後の家、火あり、物悉くやく、原因不詳。
 朝十一時過より八時迄、美術館に写。それより飯いに出るに、高橋にあう。それより其宅に之、ごぼう、しいたけ、笋、合せ煮たるを食、又テンプラ食う。それより帰る。
十一月十四日 火
 朝、羽山兄弟を夢む。又長尾駿郎も。
 巽氏へ書留状一出す。
 十一時十五分より十時迄、美術館に写す。それより歩してチャーチ・ストリートに至り帰る。
 昨日新聞に、動物園のウォーキング魚(トビハゼ如きもの)二疋、印度より持来り、十二年生し後に死せりと。
十一月十五日 水 陰
 ジキンスヘ状一出。巽氏より三磅受。金沢久氏より状一受。
 朝、高橋来る。十二時二十五分より四時迄、美術館にて写す。それより飯い、高橋を訪、八時過バスにてコプスを訪、歩して帰る。
十一月十六日 木 陰
 二時十分より四時迄、美術館に写す。
 夕、高橋来る。それより出、共に別品方に飲、それよ(188)り下条来るとて帰る。予はフラム・ロードよりワラムグリーン迄歩し、チェルセア停車場近処、彼加章妻に似たるものの酌にて一盃のみ帰る。
十一月十七日 金
 一時過より四時迄、美術館に写。
 夕、高橋を訪、それより歩してチャーチ・ストリートに至る。リード氏にあう。牛肉かい食い数盃のみ帰れば、鍵忘れ、為に立つこと十分、漸く入る。(彼の別品、予に此席にてたしかにのむやと問う事。)
十一月十八日 土 陰
 美術館に写。夕、高橋を訪、又館に之、十時迄写し帰る。
十一月十九日 日 半晴
 午後、飯い高橋を訪、ナチュラルヒストリー館猿の処見る。高橋、門つれ来る。門、予の『風俗画報』一冊(ジキンス入用、高砂の能の画入)。それより出、別嬪(ブロンプトン街)に飲み、ヒル・ストリートよりラットランドゲートにて高橋去。門とハイストリートよりマーロース・ロード、グロースター・ロードよりフラム・ロードにて、うまきオクステール吸、チェルセア停車場の辺(彼かみさん)宅にのみ、門ソープ食う内手套忘れしにより、又とり、南ケンシントン停車場にて分る。
十一月二十日 月
 午後、美術館に写。夕、高橋を訪、居らず。
 十時館しまい、チャーチ・ストリート迄歩し、一盃のむ。栗くい帰る。胸悪く四時迄睡られず。グロートの『希臘史』よむ。
十一月二十一日 火 陰
 朝、高橋来る。昨夜、門氏、富田とつれ、飲に行、一向約束の画かかずとの事。因て書状認め、高橋、加藤氏に借りし画報持ち、ジキンス方に之。予は十二時過より美術館に写。五時帰り、蝙蝠傘のやぶれ繕い、又出、写し。
十一月二十二日 水 陰
 朝、高橋来る。予と共に出、分、同人はサー・トレバー・ローレンス宅へ之。予は一時より四時迄、写す(美術館にて)。
十一月二十三日 木 陰
 朝、高橋来る。午後、ナチュラルヒストリー館に之。バサー氏世話にて多腹鰭の魚 Climatius の事うつす。それより出、烟かい、又館に之、其図写す。出る時、(189)ブラクマン氏にあう。氏発見のココリスのスライド貰う約束す。それより二時四十分より四時迄、美術館に写。
 夕、高橋を訪、不在。道に□氏、高橋へ下条虎二郎承会にて来るにあう。つれ帰り二時間して出、高橋を訪、予の方へ来りしと行違い、帰る路上にあい、三人つれ帰り話し、高橋は去る。予は右の人伴い、コプスに宿を求む、なし。因て帰り、共に臥す。
十一月二十四日 金
 午後、美術館に写。夜、高橋、珍客(杉本氏)つれ来る。同人とまる。予は高橋方に之、十時過迄はなし帰る。
 終夜『ナウレッジ』の状認む内、常楠の状よみ、垣内喜八氏死亡の報に接し、中井氏への状認む。
十一月二十五日 土
 朝、杉本去る。書籍四部ほどくれる。高橋来り話す。
 共に郵征局に之、昨夜の書留状出す。予は美術館に之、写。夜八時、高橋を訪、不在。帰れば門をつれ来る。一寸話し出、予は再び美術館に之、写し帰る(四十分斗り)。
 鈴木貞太郎氏一来る、返事出す。
十一月二十六日 日
 午後三時迄臥し、高橋を訪。夕、神田方に食、それより高橋宅に至り話し帰る。
十一月二十七日 月
 朝、高橋を訪、共に十一時ジキンスを訪、俟つこと暫時にして来る。一寸はなし、それより高橋は加藤方へ之、予はその辺迄伴歩し返り、美術館に之、写。七時半、高橋を訪、それよりつれ帰り、中井、ジキンス二氏へ状認め、共にバスにてフラム・ロードに之、書留にて出し帰る。
十一月二十八日 火 快
 朝九時、高橋を訪う、門来る。それより分れ出、美術館に写。十二時過帰り、卵三食い、又出、それより美術館に写。夕返り、又出、館に写。それより九時、高橋を訪、共に帰る。ピックルス食う。それより出、乃武方に飯い別る。
 今午後、高橋、下条を訪う。前日の珍客杉本、礼に来りし由也。
十一月二十九日 水 陰
 午前十二時半(昨夜不臥)中井氏への状認む。
 朝、高橋を訪、それより出、ナチュラルヒストリ館に(190)之、バサー氏に門氏の木葉石渡す。オーステン氏を訪、カービー氏に先年日光にてとりし金※[敝/魚]虫及ホウ二疋渡す。それよりブラクマン氏にあい、コッコリスの標品を見、其標品入れ海水を一小管もらう。それより美術館に四時迄写し、出、それより高橋を訪、不在。帰る家辺に氏にあい、伴い返り、暫時にして去。予は臥し、五時間斗りねる。十二時目さめ、それよりおき、国元、中井氏への状認む。
十一月三十日 木 陰
 朝、中井氏及常楠への状認め出す。
 午後、高橋を訪、共にジキンスを訪、ビングへの状くれる。それより近傍にのみ帰る。夜、高橋来る、暫時にして去る。二人共大酔。
十二月一日 金
 十二時五分より写。四時に至り、高橋を訪。
 夜、中井氏状一受。
十二月二日 土 陰
 朝、高橋を訪。正金銀行を訪、巽氏に面晤。帰り、高橋に面し、夜九時迄、美術館に写。帰れば巽氏状一来りあり。
十二月三日 日 陰
 一時過起、飯いに出、帰り火ともし『ナウレッジ』への状認む。巽氏へ状出す。
十二月四日 月 陰
 朝、高橋来る。それより館に之、一時四十五分より写。夕帰るに、高橋呼に来りあり、因て之、話し、又館へ帰り、十時迄写す。
十二月五日 火
 二時過より美術館に写、十時に至る。
十二月六日 水 雨
 朝、下利、セッチンに人あり、不得止、室内の溺器へ屎す。十二時四十五分より四時迄、美術館に写。それより高橋を訪、共に乃武方に食、同人のオバーコート諸処見ありき、クインス・ロード、レオン方へ之く、同人不在、羽山に似た別品方に之、のむ。別品は不見、汽車にて南ケンシントンヘ帰り別る。
十二月七日 木 晴
 朝、高橋を訪、巽氏へ書留状一出す。
 十一時二十分より四時迄、美術館に写す。それより飯い帰り、『ナウレッジ』への論認む。稿終れば三時四十二分也。直所引用書、和五種、漢一種、独一種、英六種、合して十三種。
(191) 此夜九時過、一寸雨を冒し飲に行、出入の小間物町人サウンダースにあう。予昨夕同人方へ羽山等の写真入れ紙入忘れたりと。
十二月八日 金
 朝九時、巽氏状一受。
 二時過より四時迄、美術館に写。夜、高橋来る。共に其宅に之、巽氏へ状二出す。
十二月九日 土 陰
 朝、高橋を訪。十時二十五分より五時前迄、美術館に写。高橋を訪、其宅にてビフテキ食、七時過カブにてヴィクトリア停車場に至、それより八時二十五分迄俟、同人乗車巴里に趣。予は歩して館に至り、十時迄写。帰れば巽氏状あり、三磅貸る。
十二月十日 日 陰
 巽氏へ状一出す。
 一時迄臥。カー方に至り、前夜忘れおきし論文草稿とり、ナチュラルヒストリ博物館に至り、熊の部見帰り、草稿を刪る。
十二月十一日 月 陰、寒甚し
 巽氏より二状来る、封の儘返す。
 四時五十五分より十時迄、美術館に写。ストレンジ氏にあい、『西清古鑑』見る。カー方に之、のこぎりば小女にマデラ果子二つ(一志)やる。館おわり、バスにてワラムグリーンに至り、安飯、家にて豕一、ソウセージ二、葱及いも食い、バスにて帰り、朝三時二十分迄「果然考」筆す。
 高橋よりハガキ一、夜着く。
十二月十二日 火 雨
 高橋より状一着。朝、ジキンスを訪、有賀の『帝国史』返。
 午下、加章を訪、□□□一やる、それよりタバコのみ、それよりアンダーグラウンド鉄道にて銀行に如き、巽氏に面し、五十磅かる(内千二百フランは仏国リオン渡りのチェク)。それより又地下鉄道にて加章方へ帰り、十志で印籠一貫う。田之助来る。予は出、美術館で七時三十五分より一寸写し、帰り臥す。
十二月十三日 水 雪
 朝、カー方に之、それより高橋へ千二百フランの証、外に一磅にてポスタルオーダー五枚おくる(書留)。それより美術館に之、十一時五十分より十時迄写。それより帰り論文かき、フラム・ロード総局にて書留にして Knowledge へ出す。近街に飲、十二時過帰り臥(192)す。
 ※[虫+隹]《い》及|狒々《ひひ》論成る。フールスカプ九ページ。引用書数、和七、漢六、英七、独一、仏三、二十四種、総六図。
十二月十四日 木 陰
 正午迄臥す。一時十六分より美術館に写、四時に至り帰り、夜出、歩し、四片にて安めしくい、半ペンニーで芋かわんとす、やめて帰り臥す。
十二月十五日 金
 二時四十五分より四時迄写、一度帰り、それより加藤氏を訪、田之助来り、一盃おごられ、それより加章帰途、予とつれ二、三軒にのみ長話す。
十二月十六日 土
 朝、高橋来る。共にジキンスを訪、多忙。それより二人して加章を訪、予は二時一分より美術館に写。夜、高橋を訪、日本飯たき食う。
十二月十七日 日 陰
 午後、高橋を訪、夕に至り門来る。次に(八時頃)下条氏来る。予ホイスキー買来りのみ(下条は不飲)、門とつれ出、飲ながらオリンピア辺迄歩し、つれ帰り伏す。予嘔吐す。
十二月十八日 月 陰
 正午迄臥す。高橋来る、共にジキンスを訪、大きげん、絵一切引とり。帰り侠客方に飯、それより紙かい、高橋方に至る。予は三時四十六分より美術館に写。夜、高橋を訪、それより十時迄写す。
十二月十九日 火
 朝、加章を訪、田之助あり。
 今日高橋方へ田之助三度来る。
 三時二十五分より十時迄写。此間、夕、高橋方に飯う。
十二月二十日 水
 鈴木大拙状一到る。
 朝、加章を訪、印籠三かう。
 午後二時四十五分より四時迄、美術館に写。
 夜、富田を訪、田之助あり、富田と共に呑(I, Say Sir 方、但し同人はあり)。
十二月二十一日 木 陰
 朝、ジキンスを訪、一磅かり、加章を訪、十志払う。それより帰り、高橋を訪。
 二時四十五分より四時迄写。
 夕、富田を訪、家主人の娘に金やる(田之助あり)。それより富田と共に飲、アイセイサー方へ、別品はなし。帰りへどはく。
(193)十二月二十二日 金
 朝、高橋を訪。高橋、ジキンスを訪、三磅かり来る。
 午後、宅に帰り臥す。それより、夕、高橋を訪、金受取一磅渡す。夜八時、共に出、同人はアップル買い帰る。予はフラム・ロード郵便局迄歩し、又ナイツブリジに至り、ソーセージかい帰り食い、臥す。
十二月二十三日 土 霧
 一時過迄臥す。それより高橋を訪、夕より十時迄美術館に写。それより諸所にのみ、大栗六片かい帰りやき少々食う。
 夜、高橋、チジックへ画持行、帰途カンチを訪しと。
十二月二十四日 日 霧
 午後、高橋を訪、四時過より共に飯田を訪、五時過漸くたずねあたる。(高橋、其番地を知ず。漸く飯田の旧居のとなりにて聞合せ、なお不分。予たまたま小児にきき分る。)立談するのみ、一向無挨拶也。ほうほうの体にて逃帰る。ヒル・ストリートにて分れ、予はフラム・ロードにて六片豕肉かい飲み、又高橋を訪。カー出来り、高橋已に寝たりという。
十二月二十五日 月 晴
 午後三時迄臥す。それより高橋を訪、数状認む。
 夜、同人来る。共に出、のみ帰る。
 『風俗画報』一七冊かす。
十二月二十六日 火
 午後、高橋方にあり。夕出、書籍館に之、それより又高橋方に至り、状認む。数盃のみ、帰り臥す。
十二月二十七日 水 陰
 宿の老婆、一昨日より病気也。
 寒甚し。十二時五十分より美術館に写。
 五時過高橋を訪、状九つ認む。それより一盃のみ、帰り臥す。
 バサー氏状一受。
十二月二十八日 木 陰、微雨
 昨夜不眠(四時迄)。マレーの『北国古物史』をよむ。
 朝、飯い、又臥し、三時より博物館に写。それより高橋を訪、手紙認め、ウェプスター(リンコルン)へ出し、帰れば九時半過、道にジョージ老人に六片かる。
十二月二十九日 金 雨
 朝十時三十二分より四時迄、美術館に写す。高橋を訪、不在。因って帰り、『ノーツ・エンド・キーリース』へ一状認む(足印のこと)。
十二月三十日 土 大快晴
(194) 本日一文なし也。
 午前十一時過、高橋を訪、それより美術館に写。五時、一寸帰り珈琲のみ、又出写し、十時帰る。
十二月三十一日 日 晴
 午後、飯い出、ナチュラルヒストリー館ウニ及介の処見帰りて、『淵鑑類函』足跡岩のこと調べる。バサー氏ハガキ一受、※[獣偏+穴]のこと知せる也。
 
   一九〇〇年(明治三十三年)
 
一月一日 月 雨
 午後起、高橋を訪、同人ワルナー女方へ行、不在。一昨日、加章すわりこみ大こまり、又予宅へも来し由。
 三時二十五分より十時迄、美術館に写。それより帰り、『ノーツ・エンド・キーリース』への状認む。勘定十七志、外に九志八片半、高にかし。
一月二日 火 陰
 朝、高橋来る。十二時十五分より十時迄、美術館に写。此間、六時より帰り珈琲のみ、七時より八時迄高方にあり。
一月四日 木
 午後三時二十二分より六時迄、美術館に写。
一月六日 土 陰
 富田を訪、田之助、高橋、次に門来り、咋夜、栗原金太郎ハイドパークにて婬戯中捕われ警察に入牢、今朝下宿の妻君飯田方へ告来り、二時より飯田之き通弁との事に付大論す。終て予は高橋と其宅に之。
(195) 夜、アイセイサー方に高橋と之、のむ。飯田妻の父母来り、ジョージ又一人の画の売子来り、大飲。高橋にけんか吹かくる飲人あり、高、大に酔。予はジョージと其宅へつれ之、ジョージ予を送ること半途、又飲、別れ帰れば十二時也。
一月十四日 日
 午後四時過より高橋方にあり。
一月十六日 火
 夜、高橋。
一月十七日 水
 午下、高橋来る。共に富田を訪。
 銀行より二磅五志受取来る。
一月十八日 木 陰
 朝、高橋来る。午下、共に富田を訪、田之助あり、共に話す。高橋はジキンスヘの予の答文を持し、大学に之。予は話し、夕田之助と呑(新来の赤面の別嬪酌)。
 それよりまたせおき、高橋方へ富田不在中とりおきし醤油持行、富田方へ帰る。入口にて田之助にあい分る。
 富田と又呑(赤面及アイセイサー酌)、別れ高橋方に之、米くい、薩摩汁くう。九時前帰る。それより臥す。
一月十九日 金 雨
 朝十一時過、高橋を訪、戸を閉ず。富田を訪、田ノあり、高橋来る。一時過、高橋、客方へ之。予は富田、田ノ二人と話し、夕五時半出、高橋を訪。高橋、客に叱られ不興の体。九時迄話してかえる。今夜、下条訪う積りの処止む。
一月二十日 土 霧
 午下、富田を訪、高橋、細井あり、次に門氏来り、日本酒のむ。予は麦酒のむ。細井に喧花ふきかけ闘んとす、一同押止む。それより玉つき一同で之。玉つきみなふさがり居る。乃ち酒のみ、転してアイセイサー方に之、長飲。田之、高橋先去る。予は富田、門と富田方に之。八時過より十一時半迄、予は麦酒三、他二人ブランジーのみ、謡うたい、予舞い大さわぎ、予高声にて謡出す時、家の主婦(後家)来り、小言いう。因て門とつれ出、門は南ケンシントン停車場に之、大霧咫尺不弁、予は還る。
 此あとで富田、予等二人を早く帰せし理窟いい、明日主婦より此夜二階近傍に大へど吐ありし小言くらい大迷惑、是れ富田明日ふらふらして予方へ遁来りし理由なりと、後にぞ思い知られける。此へど門吐し旨は明夜始て自白す。又此夜、高橋大酔の上飯田の舅姑方へ(196)之、乱酔して帰宅、宿主の姪女と話しカーにきらわれ、これより大不機嫌の端を開く。
一月二十一日 日 雨
 三時過迄臥。富田氏来り、共に出、高橋を訪(途上アイセイサー瓶さげ来るにあう、笑い居る)、不在。(此前、富田已に之とうに不在。)ハイドパークに之、池辺にペニー宛出し、椅子にかけ喫烟して話し、五時侠客方に飯、六時畢り出れば、門口にて門※[草がんむり/(刃+刃)/八/ホ]香雨にぬれ傘なしに来るにあい、アイセイサー方に飲。アイセイサーに六片やる。隣客女つれ面白からぬ談あるにより去り、予玉つき屋にて一盃のみ、それより三人宅に来り珈琲のみ、話して九時前に至り二人去る。予は臥してマレーの『北方古物志』をよむ。三時過に至り臥す。昨夜、門氏酔て帰り、飯田戸開く遅きを怒り、傘にてガラス打破る。
一月二十二日 月 陰
 朝、高橋を訪、不在。富田を訪、高橋来る。一寸日本酒のみ、高橋つれかえり飯くわせ、状認。高橋はブリチシュ館に之、予は暫く眠る。夕六時、高橋帰り来り珈琲のむ。二人して卵三食う。リード氏の返翰見る。一昨夜の如く酔う勿れ、云々。それより高橋宅に至り、ビング、林二氏への状認む。つれ帰り日本紙を渡す。
 ダグラス氏状一受、予商事殆しを賀する也。
一月二十三日 火 陰
 朝、高橋来去る。予富田氏を訪、日本酒飲。高橋を訪、正に客より電信有て出、カブにのる処也。又富田氏を訪、田之助来る。夕、高橋返る。客むちゃの由大失望す。共に其宅に之、飯い出、飲み別れ博物館に之、八時四十分より十時迄写す。
一月二十四日 水 陰
 午下、高橋を訪、不在。富田方に之、高橋来る。富田リーと玉つきに之、予は高橋と共に其宅に之。夕出、富田を訪、田之助、リーあり。六時過、田、リ二人去る。次に高橋、漬物もち来る。日本酒のみ快話す(群僧の一人鈴ふり切し話等)。次に三人出、富田バスにのり馳去る。予は高橋と烟草屋に之、別れ帰る。七時前也。
一月二十五日 木 晴
 朝八時起、飯い、リー氏へ一書認む。三十三体観音の事也。富田を訪、日本酒のみ、十一時十五分より美術館に写。
午下帰り、又之、ケンドリク氏にあい、去年四月せし(197)翻訳中分らぬ字を正し、スト櫺を訪、しのこしの画帖、暁斎画二つを注訳す。それより富田を訪、日本酒のみ、二片かり、加章を訪、ラグランシ、細井あり、次にリー氏来る。共に其店にゆき、107 New Oxford Street 一客、北条時政竜女にあう所の根付かうに会い、注解しやる。八時出、加章よりかりし二片にてのみ、道を失して、又オクスフォード街に出、歩して帰る途上九時半頃、高橋を訪、門口にて話し帰る。
一月二十六日 金 晴
 朝、経済雑誌社より『群書類從』第九輯受取。
 午前、高橋を訪、つれて富田を訪、高橋去る。次に田之助来る。(此間、日本酒のまさぬ故、面壁無言して数時間まつ。)日本酒一盃半くれ、アンチョビー食い出、三時より四時迄、美術館に写、返り臥す。八時半、高橋来る。珈琲のみ、十時同人とつれ出、歩して其宅前に至り帰る。
一月二十七日 土 陰
 朝、十一時四十五分より美術館に写。七時過、高橋を訪、飯畢る処也。一磅受取、侠客方に飯い、又高橋を訪、勘定の後、共に出、アイセイサー方(アイセイサー顔見せにくる)に二盃、高は一盃飲、タバコかい髪かり別れ帰り、下宿賃及洗濯料払う。
此朝、高橋、チジクへ行、売来る。元一磅七志、利各十二志、此内予之より八志かり、高は後分の中五志八片つかう。
 午後、高橋、富田を訪いしに門、田之助あり、アクアリウムに之くとて騒ぎ居し由也。
一月二十八日 日
 朝、雪。家内悉く午後より夜九時過迄不在。
 予は午後高橋を訪、夕飯後出(此時又雪ふる)、烟草屋に之、別れ帰り、珈琲一盃のみ、ジキンス氏へ『竹取物語』の事調べ記す。
一月二十九日 月 雨
 午一時過、高橋を訪、共に出、ジキンスを訪、勘定を示す。それより共に加章を訪、客入来るに付、去る時五志かり一盃のみ、帰途高橋ポヘミヤの老人ラグランシと話すにあい、高橋は加章方、予は、右老人とオクスフォードサーカス迄歩し別れ、富田を訪、田之助あり。夕、高橋来る。一同酒のみ、出、玉つき屋に之、高橋去る。予は一時問おり、高橋方に之、八時過帰り臥す。
一月三十日 火 陰
(198) 午後三時迄臥す。侠客方に飯、高橋を訪、加章方へ之、不在。富田を訪、ビヤー一本、予払いのみ、田之助及富田と話す。夕、飯塚来る。六時分れ高橋を訪、状数本認め、分れ帰る。美術館に之、八時過より十時迄写す。
一月三十一日 水 陰
 午後、富田を訪、門氏来る。夜、高橋を訪、共に出、烟草屋に之、それよりガス管直す人(日本人多く知る)を誘い酒店にのみ、高橋大酔、予其宅迄おくる。(家の主婦、予の声を女とあやまり、高橋大に叱られること。)
二月一日 木 陰
 一時二十分より美術館に写、それより高橋を訪、ストレンジへ状一出し、富田方に之、日本酒のむ。それより共に出、富田とアイセイサー(不在)方に飲、高橋は来る約束なりしが、他の入口より入りあわず。富田に分れ、高橋を訪うも不在。ビーフ及カロットかい帰り食う。
二月二日 金 雪
 朝、家居、仏足石のことしらべる。
 午下、高橋を訪、不在。
 午下、ストレンジ氏を訪、それより富田を訪、それより出、高橋にあう。其宅に之、それより出、三時十五分より美術館に写。それより書籍を烟草屋に預置、加章を訪、田之助来る。六時閉店後、共に近街に飲、七時後分る。帰途、ボンドムス・ストリート迄歩す。ストリートよりセントゼームス・ストリート迄歩す。雪にて甚すべる。それよりバスにのり帰り臥す。
 Bing 状来あり。
二月三日 土 除
 雪とけ、道甚慈し。朝及午後、家居、読書。
 午後三時過、高橋を訪、八時出、美術館に写。十時に至り帰る。
二月四日 日 陰
 雪未だとけ畢らず、但し、乾し所もあり、寒なお甚し。
 朝十一時、高橋を訪う、未だ起ず。それより昼飯くい話し、夕に至り状認め、夕飯後共に出帰り(九時前)、三時迄日本印板図画のことをしらべる。これは高橋の広告に付 Huish より難問ありし故也。(千六百二十五年に初て出しとの言也。)
二月五日 月 陰
 朝、早起、『嬉遊笑覧』にて版木のこと見出す(Huish(199)へ答る為)。富田使してよび来る。十一時五十分出往く。国元より紀州森田太郎兵エ蔵広目天像の写真及鑑定書来りしを訳せよと也。乃ち日本酒のみおる内リー氏来る。訳畢てスタウト、キドニーふれまわる。それより田之助来り、玉つきに之、予酒のまんとするに、富田、金出さず。因て其店に之き、まつこと二時間、南ケンシントン停車場辺のツクという画商来る。共に又富田を玉つき屋に訪う。三人酒のみ居る所、因て予一盃のみ、出別れ、高橋を訪、数状認め、同人の飯半分食い、共に出別れ、美術館に之、八時より写し十時帰る。十二時迄チューク氏への状の事しらぶ。
二月六日 火 晴
 朝より二時迄チューク氏への状しらべ、それより一寸富田を訪、田之助有り、高橋其客へ状やりしとて、人の糞なめるとて大に怒り居る。それより美術館に之、七時帰り、マッチ探ること十分斗り高橋来る。珈琲こしらえさせのみ、九時前出、其宅に之。九時半帰り、四時迄チューク氏への状認め成る。
二月七日 水 快
 寒甚し。
 午後、高橋を訪、それより状認む。夕、富田を訪、日本酒一本もらう。帰りて飲、出、ワラムグリーンへ往途上、富田方入口へ嘔吐、それよりコープス方に之、戸開ず、因て帰る。
二月八日 木 快
 寒甚し。
 朝早く高橋来る。終日状認め、諸所へ出す。四時過、高橋と共に其宅へ之。二月九日 金 快、陰、午後より雪
 午後、高橋とジキンスを訪。加章を訪(高橋は先去、富田を訪)、二志かり、それより高橋を訪。柴田あり、夕共に富田を訪(柴田と予と飲)。柴田、富田と玉つき畢る頃、高橋も来りのむ。それより柴田、予の宅へ来る。おくり出、帰り臥す。チューク氏へ状一出す。
二月十日 土 晴、午後雪
 二時半迄臥す。午後三時三十五分より十時迄、美術館に写す。此間、夕、高橋を訪、高橋ウィンブルドンより還し所(雪中)大気焔の事。美術館より帰れば、巽氏より三磅半送らる。即時封のまま帰す。
二月十一日 日 快
 午後一時過、高橋を訪。
(200) 午後二時過、下条氏を訪、画見る。それより酒のみ、七時過に至り歩して帰る。(氏の住は Kentish Town Road, Caversham Rd.53.)
二月十二日 月
 午下、高橋来る。つれて其宅へ之、状認む。夕、加章を訪、丁度六時五分にて閉店後也。歩して帰る。下条氏へ『画譚鶏肋』おくる。『風俗画報』九冊かす。
二月十三日 火
 午下、高橋を訪、チジクへ催促に之、不在。富田を訪、田之助あり、共にアイセイ方に飲。予は加章を訪、栗原あり、予大言する内去る。加章と一盃のみ別れ、オクスフォードサーカスに至り、又帰り団扇二かい、富田方に之、高橋とつれ出、アイセイ方に至り、同人不在故、他の女に渡し、高橋と分れ帰る。雪ふり出す。七時高橋来る。予沈酔、高橋不興にて去る。
二月十四日 水 晴
 高橋を訪、不在。十二時十五分より美術館に写。五時、高橋を訪、チュークより返事来りあり、状数認め共に出、アイセイ方に長飲、時計工二人来りのませやり、十一時頃出。又ジョージを訪、同人出来り、共に飲中、戸を緊くしめ、予左の小指の爪はずれ、血夥く出、高橋結びくれる。それより帰り鍵忘れあるを発見、室に入し後火たくもつかず。
二月十五日 木 雨
 失しハンケチとうこと。
 朝十時より高橋を訪、二時五十五分より美術館に写。五時前加章を訪、六時閉店後、質屋へ加章の用にて行に偕い、帰途共に酒のみ別れ帰る。高橋を訪、門あり、共に飲、門は去る。予は高橋と共に歩して帰る。
二月十六日 金
 午後、高橋(富田を訪、共に其宅に至り、加章より金入し由)にあい、シモンズに行、紙注文(二十四枚を二十四クワヤーと誤りもち来り、小僧大不興)。富田を訪、金十志払う。山川あり、近日米に渡るとのこと。それより帰り、入用の書持ち高橋を訪、同人明日客来るとのことにて書物不用。加章を訪、共に飲み、それより富田を訪、高橋あり、一所にアイセイ方に行、飲、分れ帰る。
二月十七日 土 雨
 朝、チューク氏へ状認出す。巽氏へ二磅送り返す。
 午後、高橋を訪、加章来る、アルパート・マンション(201)スへ刀かり持行く処、カブ四志飛ぶとの愁嘆話し。それより帰り、又出、五畤、高橋を訪、勘定す。
 夕、八時十二分より十時迄、美術館に写。帰り、十一時出、ピクルス買帰り、読書三時に至り臥す。
二月十八巳 日 快
 朝、早起。午後二時より五時前迄臥す。それより出、侠客方に飯、高橋を訪(夕、微雨、暫して止む)、不在、帰る。夜、雨。十時出、ナイツブリジ歩し、『ネーチュール』への校正文出す(クラブ・ラヴエージス・イン・チャイナ)。帰途、数盃のむ。
 此夜、高橋、カンチ(栗原)を訪う。
二月十九日 月 雨
 朝、早起。『エンサイクロペジヤ』Totemism の条読。
 午後、国元へ状一認め(夕出す)、それより富田を訪、高橋を訪、丁度帰り来るにあい、状認め、夜出共に飯くい飲、アイセイ用もなきに屡来り、亭主に叱らる。今一人の女は、高橋と期して家(富田居りし)かり十志払しに、高橋来ざりしとて大に怒る。大飲の後帰る。高橋よろよろして入る。それより余又のみ、ハムかい帰り、へど吐き臥す。
二月二十日 火 快
 四時前迄臥す。美術館、四時半より七時迄写。高橋を訪、不在。一寸帰り又出、訪、不在。グラッチー小女に手状渡し、美術館に之、十時迄写し、帰り国元への状一認、明朝出す。
 巽氏より状来る。一昨日送りし二磅及前日封の儘還せし状の受取書也。
二月二十一日 水 陰
 早夜、少しも不眠。
 朝、高橋来る。午下、共にジキンスを訪、仏国より絵入絵本多く(一三〇点)着あり、乃受取、カブにて帰る。
 午後より夜に入り数しらべる。(此間、予は一寸富田を訪、一所に飲。)それより帰る(九時過)。高橋は昨夜下条を店に訪し由。
二月二十二日 木 快
 十一時より高橋方に行、終日、絵本目録作る。夜、九時過帰る。
 本日『ネーチュール』に、予の文 Indian Corn 出。
二月二十三日 金 陰
 朝十時より高橋を訪、アルフレッド・イースト(ロヤル・アカデミシアン)来りあり。去て後、書物の目録(202)作り。夕しまい、共に富田を訪、それより別れ、高橋と共に大飲。七時頃、同人帰る。予は帰宅後、又雨を冒し出、高橋を訪、一磅借りジョージと大飲。返ってへどはくこと。
二月二十四日 土 陰
 朝、早起。書物目録作。高橋来る。博物館ダグへ使わす。三時より出、飯い(高橋、入口にて同人帰るにあい立談、同人イースト方へ之)、美術館、五時二十分より七時迄写し。出、高橋を訪(イースト不在、妻娘不興の体。此日、高橋、汽車中にてマッチの箱に火つき、稠人中大騒動、左の指焼く)、状認めかえる。それより又出一盃のみ、ステキパイ一コ食う。帰れば十一時也。
 本日甚温かなり。
 本日の『ノーツ・エンド・キーリース』に、予の文 Flying Cups のこと出。
二月二十五日 日 快晴
 朝、早起。小指の傷(今月十四日夜以後|緊《きつ》く巻ありしをほどき、繃帯を巻きかえる)、それより不快にて、何もせずに夕に至り出、高橋方へ之、状おき、侠客方はしまりたる故(七時近く)、酒二盃のみ、フラム・ロードにて豚肉四片かい、食い帰る。家の主婦、午後より九時迄不在。夜、書籍目録写す。四時臥す。これ迄鼻孔にのみ自毛ありしに、今日、頬に一本見出す。
二月二十六日 月 陰、夕一寸大雨
 朝、早起、一寸眠り、扨十時迄珈琲のみ、目録作り Tuke 氏へ送り、一時前高橋方へ一状なげこみ(高橋は之を不知、三時迄予をまち、ダグラス方へ之、大に飛され事件不成、閉口して帰る。歌麿の彩色摺の本、一冊一磅半を高しとのこと)、それより同人はチューク方へ行し。
 美術館に之、一時半より七時迄写し、返り三卵を煮もらい珈琲のむ。高橋来る、其宅に之、三志半もらい、共に出、烟草屋に之、二人共借金(高は十片、予は三志)払い酒屋にのむ。アイセイ受け悪し。直に高橋と分れ帰り、目録(一時四十分写し畢る)認め、明朝アレキサンドル氏へ出す(Wm.C.Alexander, Aubry House Aubry Rd.W.)。
 今日より南ケンシントン美術館入口、エキスヒビション・ロ−ドに開き、クロムウェル・ロードは閉る也。
二月二十七日 火 雨
(203) ダグラス氏、目録返し来る。
 朝早起、目録認む。午後、高橋来る。共に其宅に之、余一盃のむ間に同人帰る。予之ばチューク来りあり、因てダウンセラーに俟ち、又富田方へ之、不在、しばらく俟、高橋方に之、状認め、出、共に飲。九時より十時迄、美術館に写す。帰りて臥す。
二月二十八日 水 陰
 烟草屋よりパイプの広告来る。
 朝、早起。飯後、高橋を訪、同人ツーク方へ之、予は帰り珈琲のみ、三時五十分より五時迄、美術館に写。
 高橋を訪、前方大失敗の珍事。それより富田を訪う。
 バサー氏へ富田入用の綿羊のファームの事聞合せ、日本酒のみ、共に出、アイセイ方に飲、分れ高橋を訪う。一磅借んとするも止め、チューク氏へ状一出し、帰て又出、烟草屋へ之、『群書類従』一冊質に入れ、六片かり飲。夜、嘔吐はく事。
 トランスバル、クロンジェー降参の報あり。
三月一日 木 快
 レジー・スミス Relief 事成り、諸家旗を出し祝う。
 朝、高橋来る、状認めやり、それより出、予は富田を訪う。田之助あり、日本飯ふれまわる。午後、田之助氏と共にアイセイ方に呑、主婦(色白き歯なみよき若き女)インコ一疋三十志で買んとて持つ来り、色々のなぐさみす。田之助より、加章、富田の絵、客にけなせしはなし、又高橋、加章の客に自分加章に貸したる絵の元金打あけし等の珍話きき、絶倒せんとす。田之、アイセイとはなし長き故、分れ出、三時三十五分より美術館に写。五時出、富田を訪、不在。加章を訪、不在、店早くしめたり。高橋を訪、タバコ屋へ予往、金はらい書物受出し、帰りストレンジへ状出す。帰れば九時半也。
三月二日 金 陰
 バサー氏より牧畜のこと報せらる。
 午後三時半より美術館に写。夕、富田を訪、田之助あり、玉つきに之、飲(玉はふさがりつかず)、分れて高橋を訪、八時過より出、アイセイ方に呑、取扱不宜、転して玉つき屋に飲。
三月三日 土 晴
 四時二十五分より七時過迄、美術館に写。
 夕、八時前、高橋を訪、不在。それより又館に之き写す。それより帰り、又出でアイセイ方に飲。タバコ一本かい、南ケンシントンよりワラムグリーンに之、安(204)飯屋に食んとするも、人多き故歩して帰る。途上チェルセア停車場辺、彼別嬪のかみさん方に一盃のむ。かの加章カカに似たる背ひくき女もあり。
三月四日 日 快晴
 朝、入道来る。午後、入道を訪、門氏来り、恵美一如という人の本かいくれと頼まる。七時前帰宅。
三月五日 月 陰
 三時十分より美術館に写す。夕、高橋を訪、九時又美術館に之く。
 高橋、スウォン方へ行、不興の事。
三月六日 火 晴
 朝、富田氏を訪、高橋もあり。共に高橋方へ行、一寸出酒のみ、富田を訪、高橋方へ之、午後一時、同人不興の事。因て富田方へ之、田之助あり、ホウボウ魚にて飯ののこり食う。帰て臥し、八時二十分より十時迄、美術館に写。帰途、酒のむ。
三月七日 水 陰
 朝十時四十五分より二時迄、美術館に写。帰り珈琲のみ、又出、五時半迄写。富田を訪、不在。帰り、日本人、食人肉のこと調べる。
 門氏ハガキ一列る。
 家主翁に根付一つ(蛤の)与う。
三月八日 木 雨
 午後、富田を訪、不在。ジョージに三文かり、加章を訪。子カイヤン、フッピング・コッフにて六時に帰るとのこと、四志かり、ポートランド・ロード停車場迄之く。それより帰る。八時、恵美一如氏来る。一時間斗り話す。それよりおくり、シェパードブシュ、アクスブリジ停車場に至り別れ、還れば十一時過也。
 今日の『ネーチュール』へ予の indian Corn へ F.W.Sinclair の答文出。
三月九日 金 陰
 午後、富田を訪、高橋及田之助来る。五時過、女王、プリンス・オヴ・ウェールスの妃と共に富田方の前街を往く、甚にぎやか也。高橋、次に田之助去る。予は富田と玉つきやにのむ。帰りて早く臥す。
 此夕、加章、高橋方へ来り大気焔、大おごりの事。
三月十日 土 快
 朝五時半、早起。日本人、食人肉のことしらべる。
 十時半、高橋来る。共に其宅に之、勘定(昨夜原価七磅半うりし由)。それよりビング、巽氏及チュークへみな書留にて状出(ビングへ七磅半おくる)。それよ(205)り予は富田を訪、門来る。富田外出、高橋来る。門とつれ出。予は四時迄留る、富田帰る。玉つき屋にて卵くい、一盃のむ.それより別れ、高橋を訪、女来りしに会ざりしとのこと。因て□アルマ方(タデマ)状一出し、三盃のみ(門のモリソン方)、別れ一寸帰宅。
 八時四十三分より十時迄、美術館に写す。
 飯田季吉よりハガキ一受。
三月十一日 日 晴
 朝、早起。午後四時前迄、食人肉のことしらべる。それより高橋を訪。前日、荒川領事よりくれし素麺というを見に、素麺に非で葛如きもの也。高橋に一盃、予は三盃食い、別に鯖のさしみ食う。グラチー(高橋方の小女)喜でのこりものの葛食い、best chance と称す。高橋と共に出、同人まち居り、予タバコ屋に入り、かりで一袋シガレトかり来り分ちすい、其門に到り分れ帰れば九時也。
 下条氏へ状一出す。
三月十二日 月 快
 朝、高橋来る。同人、富田方へ之、予継で至る。(帰途、一寸高橋不在中へより、『風俗画報』とり返る。)高橋絵返しもらう所へ田之助来る。予シガレト一本貰い帰る。珈琲のみ卵三食い、美術館に之、三時十五分より七時迄写す。それより高橋を訪、夕飯くう。(紅蘿蔔《あかだいこん》の漬物グラチー致せしとて高橋不興の事。)それより又美術館に之、十時迄写し、帰れば中井氏より金おくり来る(仙□たけ)。受取出し、六盃のみあるき帰る。烟草屋払い、四袋かう。
 高橋話に、去る土曜日、田之助一家同行六人、加章方へ押かけし由。
三月十三日 火 晴
 朝、門氏宛一磅かきとめにて送る。
 富田を訪、田之助あり、ひる飯くい酒一本かい、富田へ借金五志皆済。高橋来る、共に玉つきに行。予は先出、加章を訪、共に数盃のむ。帰れば九時、加藤も亦還る。
三月十四日 水 晴
 朝、富田を訪、田之助あり、予に富田帰れという故、椅子を机上へ抛付やり、出、加章を訪、三時過別れ帰り高橋を訪、一盃のみ別れ帰る。燈火とぼしたまま眠り、高橋三度来るも戸開けず。
三月十五日 木 陰
 朝、高橋来る。富田方へ之しに、予硯箱破れりとて怒(206)り居し由。十二時四十五分より六時迄写。高橋を訪帰り、七時過同人来る。恵美一如氏又来る、和漢書持来る。それより共に珈琲のみ、出、一盃のみ、高橋に別れ、予は恵美氏と歩してシェパードブシュに至り帰る。十二時過也。
三月十六日 金 快
 午後、一寸雪る。
 十時三十六分より美術館に写。午後三時頃、一寸帰れば、高橋来る。ハドソン方へ之、夕、同人を訪。ハドソン方へ之しに、田之助来りありし由。
三月十七日 土
 朝、高橋を訪、それより加章を訪、栗原来る。明日同人を訪うを約し、加章に一志かり、高橋を訪、夕共に飲、同人大酩酊、其宅へおくり之。ナチュラルヒストリ館に之、カービー氏を訪、不在。鉄製明珍のカマキリ一、小使に附して帰る。
三月十八日 日
 夕、雪る。午後、門氏、次に恵美氏来り、話して後、二人加章方へ之、夕迄臥し、それより出、バスにのり、栗原を訪、八時頃也。飯い、とまる。
三月十九日 月 快
 三時頃、栗原方を辞し、バスにて高橋を訪、昨日清水方へ柴田及玉村千代吉と之し由。それより共に玉つき屋にのみ分れ、帰途ヴォルプナグリオにあい一盃のむ。同人ブリチシュ博物館書籍へインキ落せりとて追出されし由。帰れば恵美氏あり。昨日加章方へ之、同氏、十志ずつ一週、四週間出す約束にて、ノチングヒルに宿とりし由。共に出、高橋を訪、一磅かり帰り、宿賃及食料払い、同氏は臥す。予は一寸出一盃のみ、帰れば十二時過也。暫時、仏教書よみ臥す。
 下条氏より前日かせし『百家説林』返さる。
 グラチー、高橋に話、飯田のカカ子つれ今日飯田舅方へ来ると。
三月二十日 火 快
 朝、恵美氏出、加藤方へ之、予は又臥す。午下、高橋来る、一時前去る。それより又臥し、夕出、飯い、一寸帰り、出、八時二十分より十時迄、美術館に写す。
三月二十一日 水 快晴
 朝、早起、仏教書よむ。一時五十分出、飯い、高橋を訪。三時四十分より六時前迄、美術館に写。かえり珈琲のみ、高橋を訪、九時前迄話し帰る。モリソン方に二盃のむ。出る時女二人来り打あたり、予のタバコお(207)とし、予大に怒る。
三月二十二日 木 陰
 朝、高橋来る。それより状認め、二十七本出す。午後四時、同人帰る。
 伊人ヴォルプナグリオ来る。予出んとする内去る。あまりきたなき故断られしと見ゆ。
 夕、予高橋を訪、加章有り、一志貰い出、肉かい帰り食い、八時行ば二人居らず。二盃のみ、帰り臥す。
 今日の『ネーチュール』に、予の文 Crab Ravages in China 出。
三月二十三日 金 晴
  朝、早起、又臥し、四時に至る。四時半より美術館に写。五時半、ヴォルプナグリオ(同室にあり)とつれ帰り、珈琲のむ。卵二ずつ食い、色々話し、七時分れ、予は高橋を訪。帰れば九時也。九時二十分より『ノーツ・エンド・キーリース』へ Foot-outline のこと起稿す。一時に至り臥す。
三月二十四日 土 陰
 十二時五十五分より夕迄、美術館に写。同室のヴォルプナグリオにあう。それより高橋を訪、日本飯くう。(高、イバンスに七磅うる。)共にチジクに之、予はカンチを訪、五志かる。高橋はカー方へ催促に之、二磅得、栗原方へ来る。十一時、共に出帰り、玉つき屋にて予六盃、高は三盃のみ、其門迄送り帰る。
 W.F.Kirby 氏より氏著書 Wonders of Ants 一冊と状(先土曜日鉄のカマキリ呈せし礼状)送らる。
三月二十五日 日 快
 朝起、ゆかの上に据して読書中、ストーヴの火とび、予の背にもえつく。煙、室に満、火の子とぶに気づき、顧れば大変也。因てぬぎ去りもみけす。径八寸斗りの穴もえぬく。幸いに寝衣二枚きたる故、下へはもえぬかず、焦たるばかり也。又ボタンはずれ居たる故、大にぬぎ易かりし。気分悪く、高橋及ヴォルプナグリオ訪うこと止め、夜八時迄臥し、それより起、珈琲のみ、「足跡論」草す。
 I.Yemim, c/o Mrs.Ansill, 4 St.Anns Road, St.James Sq., Notting Hill.
三月二十六日 月 晴
 朝十時過、高橋を訪、不在。十一時五十分より六時迄、美術館に写。高橋を訪、金配分の上、同人飯すませ出、玉つき屋にのみ、神田方に飯う。六片のまちがいより高橋ウェーターを叱り、主人あやまり来る。それより(208)つれ出、近街歩し、分れ帰る。へどはく。
 E.L.Galett より『ブリチシュ・メカニク』今月二十三日分おくらる。予の『ノーツ・エンド・キーリー』へ出せる寂照の事をぬき書せり。
三月二十七日 火 晴
 午後、高橋を訪、高橋、老主婦カーに、昨夜酒のみ足おと高く帰りしとて叱られ中也。それより状等認め談し、六時五十五分より十時迄、美術館に写。帰れば十時十分、恵美氏予不在中へ来れり。
 高橋方に今朝恵美来り、ジョシーの名もらい、又外套一、五志でかう。加章、負担の事。
三月二十八日 水 晴
 朝、恵美氏来る。午後三時迄話し、それよりナチュラルヒストリ館見る。それよりタバコ屋に之、帰り(同人は一寸安飯くい、跡より来る)又話す。八時、高橋来る。共に話し、出、二人別れ帰る。
三月二十九日 木 晴
 朝、高橋を訪。富田、飯によび来る、同人出。
 三時二十五分より美術館に写。四時過、ヴォルプナグリオを宅へ招き、高橋に紹介す、議不成、去る。高橋と共に出、二盃のみ、一同人はきもの屋へ之く。予は館に帰り、六時出、珈琲のみ、高橋を訪、不在。帰り臥す。
 本日、『ネーチュール』に、予の短文 Indian Corn 出る。
三月三十日 金 晴
 朝、高橋来る。出、共に一盃のみ、十二時三十五分より美術館に写。六時出、飯い、高橋を訪、状認め(モリソンへ予状一出す)、九時帰る。
 それより『ノーツ・エンド・キリス』へ Flying Cups の文認める。
三月三十一日 土 晴
 戸出る時、近隣小児(十二才斗り)、チンチン、チャイナマンといい、予大に怒り、夜に入て不止。三時四十分より七時迄、美術館にて写。高橋を訪、六片紛失、カーにはなしに之、二志半かり出、一盃ずつ呑。予は飯い、又館に之写す。夜三時四十五分迄かかり、『ネーチュール』への状畢り封す。明朝出す。
四月一日 日 陰
 終日臥す。六時より『ノーツ・エンド・キリー』へ状認む(Foot-outlines as Records of Pilgrimage or Visit)。
 夜、一寸出、烟草かい印紙一枚かい、『ネーチュール』(209)への状出す。
四月二日 月 晴
 朝、高橋を訪、不在。十二時五十分より美術館に写。
 夕出、高橋を訪、不在。又一寸帰り珈琲のみ、館に之、写す。十時帰る。
四月三日 火 朝半晴、午後雨
 午下、高橋を訪、不在。一時十五分より美術館に写。
 夕六時過、高橋を訪、不在。出る所同人帰るにあい、共に一盃、玉つき屋でのみ、タバコ屋へ之、タバコ(シガレット)二かい、一高橋に渡す(高橋は四、五日、タバコ屋借金積り、今日病なおれりといい、一文はらわず、ごまかしすむ)。それより分れ飯い(今朝コフィー二盃の外何にも飲食せず)、又館に之、写す。
 十時帰り、『ノーツ・エンド・キーリー』への状認む。
 昨夕、ベルジュムにてプリンス・オヴ・ウェールスを、十六才の児二発射しが中らず。
四月四日 水 晴
 朝、高橋を訪。一時十分より美術館に写。六時畢り、高橋を訪、アルマタデマ方より電報来り、やりて方にて女客に接する由也。予は其室にて、高橋の事ツルースのカッチング送来れるを見、それより『養蚕秘録』を写す内、同人帰来る。共に玉つき、酒屋に之、飲、烟草屋に之、分れ帰る。そのまま予は臥す。
 魯日戦争迫れる由、上海電報諸新聞に出。
四月五日 木 陰、午後微雨
 朝、高橋を訪。
 十二時二十分より六時迄、美術館に写。それよりハットク食い、高橋を訪、不在。
四月六日 金 快
 朝、高橋来る。一状認め、□□、高橋は加藤方へ往。
 十一時五十分より美術館に写。一時半、高橋を訪、ショールームかりし由也。(加章方に佐野嘉七来り有り、田之助居ずわり加章不興の事。)暫して恵美氏来る、共に出、直に門口で分れ、五時二十五分斗り前、又館に帰り六時迄写し。飯い、高橋を訪、不在。タバコかい、帰途、富田、高橋つれ、スロ−ン街の方へゆくにあう。それより来り、『ネーチュール』へのプルーフ直し出す。(此内戸棚鳴る故見れば、前日荒川領事よりくれしそうめん、罐語等の入れ箱に藁しきたるに、家の猫臥し居る也。カカよび、箱ながら持出さしむ。)
 巽氏へ状一出す。
四月七日 土 晴
(210) 本日より堅く禁烟・酒のこと。
 二時十五分より美術館に写。夕、高橋を訪、日本金貨及キュバ銀貨質におき、カー婆より四志かり、玉つき屋へ之、飲。高橋酔いかえり叱られ、予方へ来り、十時前迄火とぼしまちおる。予は館へ之、又写し、十時過帰る。(高橋は前に帰り去る。)
四月八日 日 陰
 本日寒。
 午後、高橋を訪、風ひき臥居れり。それより五時過出、栗原を訪。夜、柴田来る。共に飯い、余はとまる、よく睡る。
四月九日 月 晴
 朝、早超、栗原はたらき始める。色々話し、四時に至り分れ還る。高橋オフィス及宅を訪、不在。帰り珈琲のむ。(朝、栗原宅にて、鮭で飯食しきり也。)八時二十七分より十時迄、美術館に写す。帰り臥す。
四月十日 火 快晴
 朝、高橋来る。午下、共に其店に之、予は一片にてバスにのり、加章を訪、一志かり、三時前立出(田之助来る)、高橋方に之く。三時五十五分より美術館に写(十四ページ写、近来の長写し也)。十時帰り、ピクルスのこり食す。 昨日、富田方へ金沢来り、栗原警察行のこと聞き、大呆れの事。
四月十一日 水 朝快晴、夕雨る
 十時頃、恵美氏来る、加章方へ之く。
 午下、高橋を店に訪、状二認む。共に出、同人は帰家、予は一時五十五分より六時迄、美術館に写し。帰りカフィー飲、前日より四、五日つづけ、『淵鑑類函』三百二十巻屈原馬跡のことしらべしが出ず、もはや絶望し、今夕しらべ、ふいと出る。
 夜、高橋来る。雨を冒しチジクヘ之しに、前方不在、カンチを訪しも不興との事。それより帰り、飯い亦来る。俟ども中井氏よりの返事不来。十時過、共に出、タバコ屋を伺う。二客あり、因て分れ帰る。
四月十二日 木 快
 中井氏二磅送らる。
 朝、高橋を訪、不在。帰途、高橋二磅もちおい来る。それを富田へ返させ、予は高橋を訪、丁度帰り来る。それより午下迄話し、予は美術館へ之、十二時四十分より六時迄写。高橋を訪、闇くなる迄話し分れ帰り、十時過出、タバコ買い、三盃のみ、帰り臥す。
(211) 本日の『ネーチュール』へ予の文Illogicality concerning Chost 出。
四月十三日 金 快
 終日在寓。
 朝、高橋来る、二時迄語す。昨夜、武藤という人(道具屋)尋来りし由。予は四時より八時迄臥す。それより、『ノーツ・エンド・キーリー』への状認む。
四月十四日 土 陰
 十二時四十五分より美術館に写。六時頃出、高橋を訪、武藤武彦氏(米国山中店手代にて理学士也)あり、理学の話し、七時分れ、予は館に之、美術文庫に写、それより科学文庫に写、十時帰る。モリソン氏よりハガキ一あり。
 夜、『ネーチュール』へ Myths of the Origin of Sillkworm 認む。
四月十五日 日 晴
 午後、高橋を訪、それより武藤氏を訪、不在。因て名刺残し帰る。夜八時過、高橋来る。話し去る時、武藤氏来る。十時過迄話し、共に出、酒おごられ、歩し別れ帰る。
 武藤氏は古谷竹之助(今は妻とりし由)、坂田貞之助、木村駿吉等、知人なり。ハーバード大学に居りし由。
四月十六日 月 快
 朝、高橋を訪、不在。(高橋は予方へ来り、出ちがいになる。)武藤氏を訪、不在。十一時二十分より十二時半迄、美術館に写。それより出、右二人を訪、又不在。それより又館に之き、八時半迄写し、帰り珈琲のむ。高橋来る。それより出、又館に之、写す。抜書、此日十一時二十分より二度の外出を引去り(合て凡そ一時間余)、凡そ九時間に抜書四十二ページ写す(一時間に四ページ三分の二)。渡英以後尤も多く抜記せること、今日にまさるなし。三十ページ位のこと迄は従前二、三度ありし。Ratzel の History of Mankind 北極人及黒人の処。
 夜、十一時半より加章より所借『浮世絵備考』より予所蔵『浮世絵編年史』へ書入れす。
四月十七日 火 快
 朝、加章を訪、絵うる。高橋方へモリソン来る。高橋、予不在中来り、予の宿賃一磅払わる。
 夜、武藤、高橋二人と飲。
四月十八日 水
 朝、加章を訪、武藤氏来り、次に恵美来る。武藤氏、(212)次に予去る。恵美は晩迄のこる。四時五分より六時迄写。
 此夕、加章、高橋と四盃宛のみ大飲。予武藤氏(金二志返す)に在り、高橋大酩にて来り、共に出飲。
四月十九日 木
 加章を訪、田之助あり、明日画見てもらう約束し、門氏いなかより来る、六時共に出、七時迄共に飲、ポーランド・ステーションにて分れ還る。帰途、武藤氏散歩し、予の門過るにあい、つれ来り植物標品示し一盃のみ、其宅迄おくり行、帰れば十二時。
 高橋はチジク行き。
四月二十日 金 快
 午下、高橋を訪、武藤氏在。それより予絵を持、加章を訪、八枚売る。高橋の符牒、ステキンマルのことなどいうに、加章呆れ失笑、十二志受取帰り、高橋を訪、共に出、ビングヘ予の分絵送還す。それより帰り臥す。高橋は武藤氏一撃。
 打田清志氏、マーセールにて死亡の由、芝田権十郎より加藤氏へ申来る。
四月二十一日 土
 朝、十時起。午下、高橋を訪、加章方へ之帰りし処也。二時十五分より美術舘に写。夕、武藤氏を訪、高橋来る。共に出、デビス方に酒のみ、それより歩し、美術舘における本とりかえり(二人は入口にて俟)、共にハイドパーク池の南を歩し帰り、高橋去る。予は武藤と少しつれ歩し分れ帰る。
四月二十二日 日 快
 朝、高橋来る。共に其店に之、グローセスター州客へ状出す。武藤氏来る。高橋は二時去る。武藤氏とつれ、美少年の酒屋にチース、果子くい飲み、ナチュラルヒストリ館に之、下層□見る。それより六時館を出、又一盃のみ、武藤氏宅に之、夕飯くい、十時半迄話し帰る。
 此日加章方へ、坊主、門、高橋三人之き大食。高橋は、坊主カンチ方へ鐘二つあつらえる話なし、門大呆れの事。此事、坊主明朝自ら予に言う。
四月二十三日 月 快
 朝、ウルバーハンプトンより金来る(Hodson,Compton Hall, near Wolverhampton)。高橋来る。それより坊主来る、去る。高橋とつれ、店へ之、同人は銀行へ、予は加章方へ之。午下、武藤氏来る。予は去り、高橋を訪、又加章方へ使わす、五志かり帰る。それより予(213)は美術館に之、七時十五分より十時迄写し帰る。
 此日、高橋は武藤一撃一盃のむ事。
 Notes and Queries へ Wandering Jew 校し出す。
四月二十四日 火 快
 朝十時前に高橋を訪う。状したため、Lawrence W. Hodson へ出し、共に歩してハイドパーク草原上に出てタバコ吸い、又其宅に之き大便し、三時十五分より美術館に写。九時前一寸帰り珈琲のみ卵三食い、又出写し、十時帰る。
 今日加八十着の筈也。
四月二十五日 水 朝雨、午後晴
 今日、加八十着。
 朝十一時五十分より美術館に写。夕、高橋を訪、宅にあり。荷物国より着、開くとてはたらき、風ひきし由。それより武藤氏を訪、話して十時前に至り帰る。
四月二十六日 木 晴
 早朝、高橋来る。カーより屋賃債促、大こまりとの事。それより十時五十五分より六時迄、美術館に写し。高橋を訪、不在。古銭十七質に入、タバコ屋にて一志かり、侠客方に飯い、コフィー及ビートルット借りて食い、ハイドパークに之、暫時烟すい、武藤氏を訪う処、門へ高橋来り、共に其店へ之、昨日着の荷物見、分れ帰る。六時過ぎ高橋来る。銀行よりの状まち、九時半に至る、来らず。共に出、予タバコ屋に之き二包かり、高橋の門迄歩し、ウルバハンプトンよりの状受取り帰る。丁度十時也。
四月二十七日 金 晴
 朝、高橋来る、銀行へ往しむ。十時四十五分より美術館に写。午下、高橋を訪、不在。暫くして銀行より帰る。金十八磅十五志もち来る(十磅は予より払いすみ)。
 夕、高橋を訪、武藤来りあり、二人湯に入しなり。それより武藤を訪、電信シチーより来り、出行。予は栗原を訪、十一時半帰る。
四月二十八日 土
 夕、五時迄臥す。高橋を訪、下条氏と共に出来るにあう。武藤を訪、高橋来る。九時過、共に出、玉つき屋にのむ中、酌女高橋に支那人といいしより、高橋大に怒る。武藤とつれ出ゆく。予あとにのこり、亭主に注意し、一先帰り状一本認め、又モリソン方にのみ、玉つき屋に之、亭主よび出し、右の女も来る、あやまらす。今日の『ノーツ・エンド・キーリース』に、予の文 The Wandering Jew 出。
(214)四月二十九日 日 陰
 朝早く、高橋方より栗原来る。午後、共に高橋を訪、門辺にて話し、栗原方に行、飯いとまる。ハンマースミス小便場入口にて栗原、人と喧嘩しかかる。四月三十日 月 半晴
 午後九時半、栗原方□前帰る。
 不在中へ高橋二度尋ねる。
五月一日 火 快
 朝、高橋来る。其店へ之途上、むち持し奇男児にあう。
 夜、十時半迄状認め、諸方へ出し、一盃モリソン方にのみ別れ帰り、又出二盃のみ、クインスゲート辺歩す。
五月二日 水 快
 午下、高橋を訪、不在。暫くして同人店の門にて柴田にあい、伴い入り、次に栗原来る。予客へ状を七枚認る内、此輩種々の珍話喧噪言う可らず。店の門にペンキぬる男二人呆れ居る。夕に至り、二人去る。下条氏来る、予と一盃のむ(同人はソーダ水)。それより帰宅、又出一盃のみ、ワラムグリーンに之、安飯くい帰る。十一時半也。
五月三日 木 快、午後大雨
 朝、高橋を訪、加章来る。一時より美術館に写。六時過、高橋を訪、下条へ状出。夜、共に飲帰り、又出飲、予をチンチンという妓あり、予大に怒る。
五月四日 金 晴
 午下、高橋を訪、不在、やがて帰る。加章方へ行しも金還さぬ由。因て高橋店に読書。夜、帰り早く臥す。
 下条氏より状一到る。
五月五日 土 快
 朝、高橋を訪。それより加章を訪、五志帰さる。加八十に始てあい、珍談。屋上の窓破れ、又小僧二人店さきに悪戯し、加章大に怒り叱りちらす。近処の人見居る。それより高橋を訪、途上タバコ屋にて同氏にあう。
 三時二十五分より美術館に写。十時帰り、又出二杯のみ、ワラムグリーンに之、安飯、豕くう。
五月六日 日 半晴
 朝十一時過、高橋を訪、不在。聚雨到る。午後、裸に成り、垢おとし居る処へ高橋来る。落し垢多きを見て驚く。昨夜、富田方へ留りし由也。夕、雨る。五月七日 月 快
 朝、高橋を訪、不在、しばらくして来る。栗原も来り、暫くして去、富田方へ之(四時頃高橋訪しに、なお九星の談し居りしとのこと)。加章を訪、金一磅受取、(215)加八十と三人珍話中、武藤氏来り色々話す。富田詐偽にかかりし由、新聞に出と武藤にきく。それより一度帰り食料払い、高橋方に之、カーに二志払い、美術館に之、六時四十分より十時迄写す。それより帰り、共出、酒二盃のみ、ウァラムグリンに之、安飯くい、十二時帰る。
 ジキンス氏より状一受。
五月八日 火 晴
 朝、早起、高橋を訪。美術館に之途上、女児支那人とよび止ず、傘にて打ちやる。十二時半より六時迄写し。
 夕、飯くい帰り、『ノーツ・エンド・キーリー』の文かき、八時半又出、十時迄写す。
五月九日 水 雨
 高橋を訪、加章を訪、十五志受取る。武藤、門氏あり。
 加章と共に出、ブロンプトン街にて分れ、高橋を訪、夕飯う。犬歯少しかける。酒のみ、帰り臥す。
五月十日 木 晴
 昨夜、武藤氏、高橋方へ来り、共に飲し由也。
 朝、高橋を訪。午下、ピクフォードより荷物とり来り渡し、其会社へ之、引渡すむ(ビング送り也)。
 それより飯い、午後一時四十五分より六時迄、美術館に写。此間、スキンナー氏来り、其銘をよむ。それより帰り、『ノーツ・エンド・キリー』の文認む。
 今夜、日本学会大集会あり。
五月十一日 金 晴
 朝、高橋来る。同氏に托し、ビングへ荷物出せし案内状出す。二盃のみ飯い、ジキンスを訪。(インペリヤル・インスチチュートへ移りて始て予之く也。)『伊藤圭介伝』よむ。二時三十一分より美術館に写す。中途一寸帰り、又ゆき六時迄写し、夕飯くい帰り、『ノーツ・エンド・キリース』へ一文(答え)Pictures composed of Handwriting 出す。それよりバスにてレドクリフに至り、歩してキングス・ロードよりチャーチ・ストリートかえり、数盃のむ。
五月十二日 土 陰
 朝、高橋来る。予三時迄臥す。五時五十分より十時迄、美術館写(此間一寸出、珈琲のむ)。三時迄読書。
五月十三日 日 陰
 朝九時起、珈琲のみ出、烟草かい帰り、夕に至り「仏足石論」草稿成る。夜、深更迄訂正す。
五月十四日 月 晴
 午迄臥す。四時二十五分より美術館に写。十時帰り、
(216) 三時迄、昨夜成し文訂正す。
五月十五日 火
 朝八時起、文訂正す。高橋来る、十時より十一時迄話す。午後、加章を訪、十志受取。それより美術館に之、四時より十時迄写し、帰り又出、ブロンプトンの辺より南ケンシントン停車場迄のみあるき、バスにてレドクリフに至り下車、キングス・ロード辺をのみ帰る。帰れば十二時過。
五月十六日 水 晴
 昼迄臥す。それより『ノーツ・エンド・キーリー』の文清書す。夕、高橋を訪、頃日寒冷にて風ひき臥居る(予も凰ひき中なり)。ビングより今朝着及昨夜着の状開封、金二十六磅六志のチェク封入還附さる。十二時迄『ノーツ・エンド・キリー』への文浄書す。
五月十七日 木 晴
 朝、高橋来る。状認めやる。共に出、飯後一寸帰り、ジキンスを訪、不在。宅へ状おくる。(南ケンシントン郵征局にて前年の濃眉の別品を見るに、眉下皺あり、髪半白也。)それよりスキンナーを訪、和泉整乗のこと答也。四時五分よりサイエンス文庫に写。パルマーに托し、ストレンジへチュークとの争論文渡す。それよりタバコ屋に之、チェク(ビングよりの)替ること頼み、飯い、高橋を訪、不在、一盃のみ帰る。
 今日の新聞に、ブライントンの Brown という童子、三十八才 Modington の小学教師 Mutlis に serious charges を其父母よりいい入れ、八磅払し上、厠中に死するを其妻番し居りし裁判出。
五月十八日 金 曇
 朝、高橋来る。終日『ノーツ・エンド・キーリー』の文作る。(鶏跡犬跡を竹葉梅花にたとうること、四時間斗り探すに不出。かかる分り切たることも一寸出ぬもの也。)それより烟草屋に之、一志かる。五時過、加章方へ之んとせしが二片すてスローン街にて中止。帰りて又文認む、一時迄。然して臥す。
 高橋方の主婦、昨日より病気の由。
五月十九日 土 快
 朝、高橋来る。予は加章を訪、モリソン氏有り、次にカンチ来る。モリソン去り話し中、□がきの議論カンチとする内、門氏来る。カンチ去る。予は加章より五志受取、門氏とのみながら、ハイドパークを歩し、高橋を訪、不在。それより宅へ帰り又出、スローン・ストリートにて門氏去る。それより帰り臥す。
(217) 昨夜より今日マフェキン救軍達せし報により市中大騒ぎ也
五月二十日 日 半晴
 朝、高橋来る。其宅に之、インキもらい帰り、夕迄臥す。それより『ノーツ・エンド・キーリー』の文、一時迄認める。夜、やどのおやじに『風俗画報』日清戦争の処しめす。
五月二十一日 月 晴
 十二時十五分より七時迄、美術館に写。一寸帰り珈琲のみ卵くい出、烟草かい(借りのこと)、又美術館に之、十時迄写す(凡て二十枚写す)。一時半迄『ノーツ・キーリ』の文認むる内、近処の女を隣室の男ぶちたりとかにて、間違い予を見るを求めに来り、予門にて女二人男一人にあう、事なくして分る。隣室の男次に出行き、暫時して帰る。
五月二十二日 火 雨
 朝、高橋来る。共に出、予はブロンプトン・ロードにて同人に別れ、加章を訪、一磅十志受取る。武藤氏もあり、久く話し分れ帰る。予も次に出、高橋を訪、不在。それより寺の前の酒屋へ本あずけ、加章を訪、六時過共に出、予は帰る。高橋を訪、予酔居り同人閉口、今夜下条にあいに行とのこと。予帰り臥す。十一時より三時迄、ギボン『羅馬史』よむ。
五月二十三日 水 陰、時々雨る
 三時より六時迄、美術舘に写す。夜、宿のうらの町辺あるく。三片のチース、二片の餅かい来り食う。
 ストレンジ氏へ状一出す。チュークと浮世絵の往復文のことに付問うなり。五月二十四日 木 陰、時々雨る
 十二時五十五分より美術館に写、六時帰る。
 夜、行列(女皇)あり、見んと欲する内、クロムウェル・ロード歩しすぎ見ず。帰りてストーヴの内へ嘔吐く。
五月二十五日 金 半晴
 午後、アルバート・ゲイトの銀行にて金二十六磅六志取。加章を訪、武藤、飯塚あり、加章と共に近処にのむ。カブにのり高橋を訪、一盃のませ、同人は熊谷方へ之、予は帰り臥す。
五月二十六日 土
 午下、加章を訪、門氏あり、三人のみ、門氏とつれ飯い、高橋を訪、不在。因て同氏と栗原を訪、飯い帰れば十二時也。
(218)五月二十七日 日 快
 午下、高橋来る。共に其宅に之、三時前共に出、一杯のむ。同人は富田方へ之、予は夜出、タバコ屋にて一志かり、ハイストリート辺歩し、一盃のみ帰る。
 此日、朝卵三つ食しきり、何にも食ず。
五月二十八日 月 晴
 午下、加藤を訪、武藤、高橋あり、加章に借金返しもらう内、高橋去る。加章も去る。武藤と話し中、飯田季吉氏来る。予はポートランド・ロード停車場よりバスにて返る。日蝕中也。夜九時、高橋来る、共に出、数盃のむ。
 支那にて Boxer 連、北京に迫る報あり。
五月二十九日 火 晴
 午後、高橋を訪、飯塚氏来る。夕、つれ帰り、顕徽鏡示す。十時過帰る。
 トランスヴァール主府落城の報あり。
五月三十日 水 晴
 一時二十分より六時迄写。高橋を訪、共に歩す。それより帰り又出、アールスコート停車場迄歩す。
五月三十一日 木 陰、夕雨
 朝、高橋来る。カナダより茶の事申し来りし也。
 午下、武藤氏来り、三時迄話す(高橋奇策のこと)。それより予出、高橋を訪、八時過迄話す。帰れは九時。
六月一日 金 雨
 三時四十分より六時迄、美術館に写。それより飯い、高橋を訪。九時前、同人は富田方へ之、予は帰る。十時過より出、ブロンプトン・ロードよりフラム・ロード郵便局に之、印紙かい、帰途飲み、大酒飲倒れかかり巡査二人世話するを見る。それより又タバコ屋に之、しまり居る。因てモリソン方に二盃のみ帰る。十一時四十五分也。十二時過、武藤氏へ状出す。
六月二日 土
 中井氏へ状一出す。
 午下、高橋を訪、不在。十二時五十七分より美術館に写、十時に至り帰り、又出、数盃のみ、ソーセージ買来り食う。
六月三日 日
 朝、早起、『大英類典』よむ。
 午後、臥居る処へ武藤氏特別郵便来る。本日動物園行をことわる也。
 夜九時頃より近街あるく。ソーセイジ買来り食う。
六月四日 月 快
(219) 三時二十五分より十時迄、美術館に写。それより帰り、又出、レドクリフ迄歩し、数盃のむ。
六月五日 火 朝晴、午後陰
 朝、早起、「仏足論」浄書畢る。一時五十五分也。(引用書、和三一、漢一三、英二八、仏五、伊二、独四、西二、梵三、羅一、合計八九。)出て飯う。途上アイセイサー、夫とつれゆくを見る。帰りて、午後、飯塚氏来り、九時過迄話し帰る。予つれ出、二盃のみ帰る。
六月六日 水
 午後、高橋来る。共に其宅に之、夕迄話し、一盃のみ分る。
六月七日 木 晴
 武藤氏状一来る。
 午後二時頃、高橋来る。共々其宅に之、それより醤油もらい、予飯塚氏を訪ば昼寝なり。おき出、牛肉たき、次に米飯下でたかせ、麦酒二本振舞れ、十一時迄話し、同氏おくり、ホロウェー・ロードに出、最後のヴィクトリア停車場之きのバスにのり、帰れば一時半也。
六月八日 金 半晴
 午後二時過出、飯い帰り、少時臥す。それより中井氏宛の状認む。夜九時過、高橋来る。共に出、数盃のむ、高は水盃。それより飯田舅姑方の門歩するに、戦勝祝うとて英旗六、七本、日本旗一出しあり。
六月九日 土 晴
 午後一時過、飯塚氏来る。高橋来り、直に去る。話後ナチュラルヒストリー館見る。それより帰り、ブランジー飲む。十時前去る。予おくり出、共に飯田舅方の日本旗見る、なし。スローン・ストリートにて分れ帰る。
六月十日 日 快
 午後三時出、飯塚氏を訪、四時着、牛飯ふれまわる。
 十時過分れ、カレドニアン・ロード歩し(キングスクロスに至る)、半途にて車にのり帰ればピカジリーにて十一時前、因て二盃一度にのみ、歩して帰る。
六月十一日 月 快
 朝、早起、侠客方にてチョプ食い、シガレト買いホワイトレーに之、入湯。公園を歩し、高橋を訪、昼飯の処。それより共に出、一盃のみ、同人はジキンス方とい分る。予は返り、暫くして高橋来る。長話の後、同人去る。夜九時迄臥し、出、何盃も飲。バーゼス方で美少年にハム六片もらい、帰り食い臥す。
六月十二日 火 晴
(220) 八時出、飯い、高橋を訪、今おきし処也。話す中、霰ふり、雷鳴。加章への状話し帰る(十二時十分)。午後、高橋来る。加章、金はらわぬ旨いう。ブランジーのみ帰る。夜迄中井氏への状認め、出、数盃のむ。それよりキングス・ロードに出、安牛飯くい帰れば十二時近し。
 此日の雷、ノールサンプトンシャイヤーの或る村に落、小児三人死し半村やかる。
六月十三日 水 晴
 朝、早起、侠客方にて飯い、高入を訪。同人シチーへ之く。帰り、中井氏へ状認め、書留にて出し、別に一封『ノーツ・エンド・キリース』への文も同氏へ出す。
 三時五十五分より六時迄写。夕、高橋を訪、共に二盃のみ、ハイドパークに歩し、又モリソン方に之、侠客来りのませ大酔、高橋歩定かならず。十時過、其宅へおくり之、帰り予嘔吐す。
六月十四日 木
 十二時出、飯い、ハイドパークに歩し、二時三分より美術館に写。夕、高橋を訪、不在。夜、モリソン方に飲、インペリアル・インスチチュート前を歩す。十時、帰り臥す。
六月十五日 金 晴
 加藤氏に状一出す。
 牛下、高橋を訪、不在。一時三分より美術舘に写。六時しまいハドク食い、高橋を訪、不在。ハイドパーク歩し帰る。
 巽氏状一来る。前日おくりし書類の受也。
六月十六日 土 半晴
 十二時迄臥す。飯い帰り、高橋を五時迄待つ、不到。
 六時十五分より美術館に写。(行く途にて、門氏、飯田の犬ひき来るにあい、良久くはなす。)帰り見れば、高橋、加章方より金八志持来りあり、それより出、ワラムグリンへ飯くいに之。ふさがり居る故、キングス・ロード、前年加章家辺のテンプラかい帰る。十二時也。
六月十七日 日 晴
 十二時迄臥し、出、飯い帰り、三時半より『サイエンス』への状認む。夜出、三盃のみ帰る。十時過也。
六月十八日 月 快
 加藤及巽氏へ状各一出す。
 朝、高橋来る。十一時五十分より美術舘に写。一寸帰り、加藤、飯田、巽氏へ状出す。それより又館に之、写し。八時出て飯い、又館に之、写し。帰り出てチー(221)ス及パンかい帰り、『サイエンス』への状認む。四時に至り臥し、七時迄おきおる。
 今夕の新開に、合衆軍、大沽《タークー》を陥し報あり。
六月十九日 火 晴
 朝六時より一時迄臥す。午後、家内るす。出て侠客方に飯い帰り、五時より『サイエンス』への状草す。六時、家内帰り来る。八時四十五分より十時迄、美術館に写。又出タバコ屋に行、借金の代りにシガー入おき帰る。
 伊へ状出す。
 飯塚(ハガキ)、加藤章造二氏より状受。
六月二十日 水 晴
 朝、高橋来る。状を渡し、ジキンスを訪しむ、帰る。それより出、其宅に之新聞よむ内、加章方へ之十志持来る、夕也。
 余出て飯い、高橋は宅にて飯い、後一所に出、モリソン方に飲、仏国の中年の女ありて高と話し珍興に入り、タバコ屋及鍵屋を訪い、ハイドパークに之、しまりおり。因て又一盃のみ(高は水)帰る。
六月二十一日 木 晴
 本日、ハイドパーク錬兵場にて石※[奴/石]一ひろう。
 高橋を訪、新聞よむ。同人加藤方へ之、帰る。予まだあり、共に出歩す。
六月二十二日 金 晴
 朝、高橋来る。ジキンス方へ之、予へ二磅、同人へ一磅持帰る。出、共に飲、分る。二時三十一分より六時迄写。飯い、高橋を訪、不在。帰れば巽氏状あり。それより『サイエンス』への状認む。
 夜、高橋来る。共にモリソン方にのみ(アールスコートの博覧会の南亜非利加のアクルバット来る)、リオンという仏人色々の事し見せる。それより出、タバコ屋を訪、又帰りモリソン方へ之、侠客及其弟と高橋大飲。予おくりて其門に至り、又モリソン方へ之、主人一盃おごらる。帰りてへど吐く。
六月二十三日 土 晴
 午後二時半迄臥す。六時五分より館にて写す。二時間斗りハイドパークに行き、調練を見る。それより館にかえり又写し、十時出インキかい帰る。
六月二十四日 日 陰、しばしば雨る
 午後三時出、飯塚氏を訪、酒四本のみ十一時迄はなし、キングスクロス迄歩し、バスにて帰れば十二時半頃也。一昨日シガレト百本かう(一志十一片)。今日高橋四(222)十八本もち来る。夜中に四十二本足らぬわりになる。高は五十余本、同夜迄にやってしまう。
六月二十五日 月 朝晴、夕雨
 今日不飲酒。
 朝、高橋来る。三時四十六分より十時迄、美術館に写。それより帰り、巽氏へ状一出す。
 飯塚氏状一受。
六月二十六日 火 陰
 今日不飲酒。朝、高橋来る。
 一時五分より九時迄、美術館に写。帰り茶のみ※[奚+隹]卵くい、タバコ屋へ之、二志かり帰る。
 ジキンス状一受。
六月二十七日 水 晴
 朝、『サイエンス』への状認む。三時二十九分より五時迄、美術館に写。それより帰り、又『サイエンス』への状認む。飯塚氏来り、八時過迄話し去る。九時過ジキンス状一来る。モリソン酒店に之、前日高橋に近かりし女(ちんがお)、予を支那人という。予酒のまぬ事に決心す。タバコ一つ買い、寺前の店にて又一盃のみ、チース買い帰る。十一時近し。
 加章へ状一出す。
六月二十八日 木 晴
 朝高橋氏来る。午後三時二十五分より六時迄、美術館に写。帰りパン食う所へ、高橋、加章方より五志もち来る。共に出分れ、飯い帰る。夜二時半、『サイエンス』への状おわる。「日本人太古食肉説」引用書数七十一種也(和二二、漢二三、英一六、仏七、伊三)。
六月二十九日 金 晴
 前日より禁酒中々久し。明日より禁烟の事。
 午下、起出て飯い帰り、『サイエンス』への状再校。
 夜、雨。十一時過、中井氏及ジキンスへの状出す。十二時二十分帰り臥す。六月三十日 土 晴
 朝、早起。『サイエンス』への状畢る。門前にガキ群集、やかましきこと言う可からず。九時近く迄、予茫然とし居る。九時十分より十時迄、美術館に写。帰途、パンとチース合して四片かい帰る。
七月一日 日 晴
 終日在宅。『サイエンス』への状しらべる。夕より「タイムス』への状認む。
 夜、雨。タバコ屋にて印紙もらい、中井氏へ状一出す。
 又出、巽氏へ状出す。一文なしになる。
(223)七月二日 月 雨
 四時十分より美術館に写。十時に至り帰り、又出、高橋方へ状一おとし帰る。
七月三日 火 陰
 カラオ氏状一来る。
 朝、高橋来る。昨夜も不在中へ来し由、飯い帰る。
 ヤコへ状持往く。巽氏へ状一出す。
 午後□時□分より美術館に写、□時。
七月四日 水
 巽氏より『ノーツ・エンド・キリース』の校正草稿来る。
 加藤氏を訪、妻あり、共に去る。加八十と夕迄話し、帰り高橋を訪、共にモリソン方にて大飲、帰り予嘔吐す、カーペットの上の敷ものへ。高橋は足もとよろよろとして、はしごふみはずし尻持ちつき、カー大怒りランプ持ち出来る。十二時過也。
七月五日 木 晴
 朝、常楠状一受。
 夕、高橋を訪、共にモリソン方に之、大飲。ちんがお、高橋にキッスせよとすすめ、高橋にげ去る。米屋のおやじ来り、予におごる。
 『ノーツ・エンド・キリース』への状出す。「仏足石論」也。
七月六日 金 晴
 夜、児玉亮太郎氏状一受。
 午下、栗原金太郎氏来る。郵便局への状認め、それより共に加藤章造氏を訪、腹痛しとて帰る。木村寅吉氏来る、暫時して別れ之、加八十、栗原と五時過迄はなし、出、栗原と一杯のみ(加章方に之、一志栗原受)、帰り高橋を訪、共に出、九時頃別る。
七月七日 土 半晴
 十二時迄臥す。栗原氏を訪、飯い臥す。
七月八日 日 晴
 栗原方にあり、会話の本に訳付けやる。
 夜、九時出、帰れば十二時也。
七月九日 月 晴
 午後、高橋を訪、共に加藤氏を訪。予となりの門に立居るを加藤妻君に見られ入る。二人の山中氏来る。高とつれ帰る。夕、飯塚氏来る。夕、高橋とモリソン方に飲。
七月十日 火 晴
 朝、高橋来る。午後、共に栗原方へ之んと高橋を訪うに、主婦不在と答う。因て帰る。夜、高橋、加藤氏よ(224)りの金一磅五志もち来る。共に出、モリソン方に飲。
七月十一日 水 晴
 暑。
 □時□分より美術館に写。六時出、高橋を訪、飯塚氏あり、それより飯塚氏とハイドパークにゆきこしかけ話す中、高橋来る。八時前分れ、高とモリソン方に飲、タバコ屋に之、杖と手写本のこし、三志かり、又飲む。帰途、ソーセージと芋かい来る。明日間にあう。此夜、一寸チンバー中へ嘔吐す。
 クインの宮にて園遊会あり。
七月十二日 木 快
 暑。武藤氏へ、高橋の事に付状出す。
 午後三時頃出、高橋を訪。夕に至り、共に出、タバコかり、ハイドパークに之、こしかける。それより歩して出れば九時前也。
七月十三曰 金 快
 十一時頃、栗原氏来る。翻訳のこりつけ与う。
 二時十五分より美術館に写、六時帰る。
 タバコかいに行んとするに銭なく、ストーヴの隅より拾い、屑をのむ。終夜、『タイムス』への状認む。四時過、褥につき六時頃迄眠らず。僅かに一時間ばかりねむり、眼さむ。
七月十四日 土 晴
 朝、高橋入道来る。十二時十二分より美術館に写。五時過、帰り茶のみ、八時出。
七月十五日 日 晴
 朝起、『タイムス』の状認む。四時過より栗原氏を訪、飯い出、共にターナムグリン公園に涼む。十時過、ハンマースミス辻迄歩し分れ、歩して帰る。一時半臥す。
七月十六日 月 晴
 阿波丸より状一受。
 朝十時前、高橋来る。午後三時、ジキンスを訪、一磅もらう。『東海道名所記』かす。
 午後四時迄、栗原を俟、来らず。加章を訪、今栗原去りしと(木村あり)。それより『タイムス』への状出し帰れば、栗原まち居る。共に飲、それよりセントオスワルド・ロード栗原前住宅へゆき、住人の名きき(これは九星の暦失しを局へかけあうなり)、西ケンシントン入口よりアールスコート・エクスヒビションに入り歩し、中にて予傘にて高帽きたる人打つ、別に事なくてすむ。それより又同入口より出しは十一時過也。
 栗原宅に之、テンプラにて飯くい伏す。
(225)七月十七日 火 晴
 午後五時過、栗原方出、高橋を訪。夜、共にモリソン方に飲む。
七月十八日 水 晴
 朝、高橋来る。午後、其宅に之、四時頃帰る。夜、十一時前出、チース買んとす、なし。
七月十九日 木 快晴
 朝、高橋来る。十二時五十五分より五時迄、美術館に写。それより高橋を訪、共にタバコ屋に之、ハイドパークへ歩し帰る。チースかい食う。(朝、たまご三とパン、茶のみしきり也。)
 夜、十一時より『サイエンス』への状浄書す。
七月二十日 金
 朝、高橋来る。近処の大和尚方へ往しとのこと。高橋、ジキンス方へ之くつもりの処止め、去る。四時に二十分前迄、ジキンスの為ファリクウォルシプ草し(四ページ)持之き、戸たたくも不開、止を得ず帰んとするにゼンキンスにあい、其世話にて門番之き、鍵にて戸あけ予入り、ジキンスに渡し十志もらう。それより飯い、高橋を訪、不在。帰り又ジキンスヘの草を認む。
七月二十一日 土 晴
 朝、高橋来る、午下、栗原来る。午後、加藤を訪、『工芸志料』返却す。夜、九時五分より十時迄、美術館に写す。動物園札二枚渡す。
七月二十二日 日 晴
 本日少く涼。
 午下、高橋を訪、それより同人は山中氏宅へ之、予は帰り、ジキンスへの文認む。
七月二十三日 月
 中井氏より三磅送らる。
七月二十四日 火
 朝、高橋来る。四磅余もち来る。山中氏に絵売し也。
 夕、高橋を訪、共にアールスコートに之、婦女博覧会を見、大水車如きものにのり、又反動車にのる。帰れば十一時過。
七月二十五日 水
 朝、高橋来る。共にジキンス氏を訪、三十八磅借金皆免のこと。それより高橋は山中方へ移る。予は加章を訪、栗原来る。共に動物園を見、トテンハムコート・ロード迄歩し、それよりナイツブリジに至り飯い、ハイドパークに之、すずみ、九時半分れ帰る。
七月二十六日 木
(226) 夕、栗原氏を訪、ナイスポート、キウ植物園へ之、不在也。しばらく俟ち、同人帰り飯い帰る。
七月二十七日 金 朝晴、午後雨
 午下、やどの主婦、へや掃除せんと乞、予出飯い帰れば掃除中也。(これはバグありて、五、六夜つづけ少ししか眠られぬ故言し也。)主翁怨言出す。予去り、キャブにて(高橋にあう)加藤氏を訪、『滑稽類纂』返し、山中氏を訪、木村氏戸あけくれ、武藤氏にあい、一寸立出、二盃のみ別れ、それより歩してハイドパークとおり、雨を冒して栗原を訪、飯いとまる。
七月二十八日 土 晴
 朝、早起。栗原と偽言つき云々のことにて議論す。それより午後五時迄話し、共にターナムグリーンにすずみ、別れ帰る。一寸美術館に之、九時帰る。
七月二十九日 日 快
 昼出、飯う外、終日在宅。ジキンスの調べ物す。
七月三十日 月 快
 午後三時、ジキンスを訪、『伊藤圭介伝』の訳直す。それより加藤八十氏及高橋を訪(高橋と途上あい一盃のみ、立談し帰る)。それより八十氏一寸訪、帰り飯い、又高橋を訪、一寸門口に話す。それより歩してハイドパーク通り帰る。大酔す。
七月三十一日 火 快
 五時三十五分より十時迄、美術館に写。帰り又出、美少年方に飲。
八月一日 水 雨
 十一時三十五分より六時迄、美術館、書籍館に写。(十二時半より二時迄外出、飯いハイドパークに歩む。)それより侠客方に飯い帰る。
八月二日 木
 朝出、帰りジキンスの論文認め、午後四時過持行き、室へのこし来る。それよりハイドパークを歩す。
八月三日 金 晴
 十志、老主婦に渡し、ピクフォードのこと頼む。
 朝出、飯い歩し帰れば、ジキンスのノートあり。因て三時頃之き、前田利保の『石譜』の序、一寸訳し、それより酒のみ、加章、次に高橋、又加章を問う。桑港より一商人(古谷竹次)来りあり、色々桑港の事とう。それよりハイドパーク歩し帰り臥す。
 加藤氏に聞、栗原リウマチスム大患、但さっき来りし由。
八月四日 土 晴
 終日、ジキンスに頼れし論文認む。
(227) 夕、八時三十分より十時迄、美術館に写。それよりフラム・ロード郵便局に之、右の論文の一部出し、帰れば十一時過なり。
八月五日 日
 終日論文認め、二度ジキンスへ出す。
八月六日 月
 終日論文草し、ジキンスへ送る。
 夜、モリソン方に飲、リオンあり、五志余みななくなる。返りて戸に入り得ず。カカあけ入り、予ランプのほや破り、オヤジ来り、予をベッドに入しむ。翌朝眼さむれば、枕頭に椅子おき、へどはくものおき、安全用の蝋燭に火かすかにともりおる。
八月七日 火 晴
 午後ジキンス二度訪、春画等やる。
 日本金貨とスペイン銀貨、質に入、婆より二志かり、加章を訪、三志かる。それより高橋を訪、立談(古谷氏あり、新作とかいう人)。それより栗原を訪、予肉かい来り食い、とまる。ゆかの上に臥す。
八月八日 水 晴
 朝、九時過帰る。それよりジキンスヘの論文認む。
八月九日 木 雨
 朝、十一時三十分より六時迄、美術館に写。夕、中井氏より一磅被送。夜、フラムロード・ステイションに之き、ジキンスヘ論文一出す。それよりモリソン方にのみ(リオンと)大酔、返りてへどはく。
八月十日 金 半晴、午後一寸夕立
 一時三十五分より六時迄、美術館に写。飯いチャノン方にて富田氏にあう。『イブニング・スタンダード』ハイド公園によみ帰れば、七時三十五分、ジキンスへの論文認む。
八月十三日 月
 ジキンス状来る。
 ピクフォールド会社より荷物持来り、老婆に十志あずけありしこと不知というにより帰す。それより中井氏を訪、二磅かり、加藤氏を訪、ピムリコの店に至り、荷物の賃払い、帰途リオンと大飲、帰り前後不知。老婆来り、安全ロウソクをおき去る丈は覚居る。
八月十七日 金
 午後、高橋来る。共にハイドパークに歩す。夕、別れ、キングス・ロードにて飯い、帰り臥す。
八月十八日 土
 午前、博物館に之、一寸写す。
(228) 午後、中井氏を訪、巽氏と議論の末、中井氏にあい二磅かり、巽氏と一盃のみ、十志貰い還る。帰途、加藤氏を訪、飯くわせくれる。夜、リオンと飲、それより博物館に之、書とり帰る。リオンまちおり、又共に飲。
八月十九日 日 晴
 午後、高橋を訪、それより飯塚氏を訪、十時迄話し、帰れば一時半。
八月二十日 月
 午前、高橋を訪、それより飯塚氏を訪、九時半帰る。家に入れば十一時過也。
 『群書類從』四冊(最終)着。
八月二十一日 火 晴
 朝、高橋を訪、それより中井氏を訪、十八磅の証文入れ、四磅かる。高橋を訪、又吉居氏を訪、それより栗原氏を訪、夜、共にハンマースミス停車場迄歩し、帰れば十時半也。
八月二十二日 水 快
 朝、九時半出、ジョージ方に之、紙買しめしもの小児に送しむ。
 午下、飯塚氏来る。紙、一老人おくり来る。木かいに行、夕より二箱作り、一箱だけ荷積すむ。九時頃也。十時半、氏帰る、一磅払う。箱作る内、雨ふる。
八月二十三日 木 晴、一寸雨る
 午後一時、飯塚氏来る。箱つめ畢り、六時、ピクフォールドより人一人、外に二人やとい、早々アルバート・ドクスヘ送る、七志六片。それより飯塚氏とつれ出、スローン街にて別る。
八月二十四日 金 雨、午後晴
 美術館に之、ストレンジ氏オフィスヘ『画家略伝』四冊のこし、六時迄写し帰る。
八月二十五日 土 晴
 朝、吉居氏を訪、それより巽氏を訪、『妖怪学講義』六冊贈る。中井氏より五磅十志かる、外に十七磅十志は、同氏より直ちに郵船会社へ払うことにす。巽氏より二磅かる。それより吉居氏を訪、高橋及加八十を訪帰る。夜、臥居る処へ高橋来る。さっぱり要領を不得して帰る。
八月二十六日 日 陰
 午後、栗原氏を訪、共にキウ植物園に之、それより帰り、八時過迄話し帰る。
八月二十七日 月 晴
 朝、栗原氏同道、宅につれかえり、荷作りにかからん(229)とする処へ高橋来る。それより栗原氏と釘かいに之、飲かえり、荷作りにかかる。栗原喧噪、家内大にあきれ居る.夕に至り止め、出飲、栗原大酔、蹌踉としてスローン街にて分る。高橋、予とモリソン方に大飲、十一時過に至り、予の宅に到り臥す。予嘔吐す。
八月二十八日 火
 朝、栗原氏来る、荷物作る。夕、出す。(朝、巽氏へ箱二、ドックへ箱一。夕、トランク四、ケース二、ドクへ。)それより高橋とスローン街にて分れ、帰り臥す。
八月二十九日 水
 朝、ストレンジ氏を訪い、『北越奇談』、『名家評伝』、『画家詳伝』、『日本紀』、『古事記』、『浮世絵編年史』等は美術館へ寄附す。それより巽氏を訪、ジキンス氏よりくれし五磅受取、吉居氏を訪、十七磅十志にて下等切符買い、高橋を訪。それよりマーブルアーチにて演説するもの日本人の事いうをききとがめ、巡査に押出さる。車にのり栗原を訪。夜、嘔吐す。
八月三十日 木 晴
 午後、栗原と共にベイスウォターに之、入浴。それより富田氏店に之、不在。宅に行、ホイスキー一本、前日荷作りの時箱貰し礼に送る。ビヤー饗応あり。折から飯のくるなる故そのまま立出、予の宅に之、それより栗原宅に之、茶飯食う。
八月三十一日 金 快
 午後一時過、栗原方を出、インペリアル・インスチチュート前歩して帰る。途上ストレンジ氏を訪、不在。それより帰り出、ナチュラルヒストリー館に之、『雲根志』九冊、『大和本草』十冊寄附、ウドワード氏小使に渡す。A.Japp 氏を訪、前年プラクマンに預し菌の帳一とりかえし、半時間斗り苔のこと話し、富田を訪、ビヤー大瓶おごらる。高橋を訪、それよりシェパードブシュを経て、夜、栗原を訪、不在。予出来立の牛肉飯くい臥し居る。十一時、栗原帰る。
九月一日 土 雨
 朝、早起。栗原、飯たき食い、九時頃共に家に帰る。
 十時過着、高橋有り、暫時にして手荷物成り、共に出、南ケンシントン停車場にて栗原に別れ、地下鉄道にて高橋とマンションハウス停車場に至り、カブにてフェンチャルチ・ストリート停車場に至り、一時二十三分出汽車にて船に着、下等室に入、同室人一人あり(宮永剛太郎氏、加賀人)、四時出帆。夜、暫時甲板に出歩す。
 
(230)   一八九六年日記抄(明治二十九年)
 
二月一日 土
 レイデン府 Archive fu※[ウムラウト]r Ethnographie 編帝者シュメルツ氏より、予一昨年十二月二十七日『ネーチュール』に出せし「指印考」の評おくらる。
三月三十日 月
 ジッキンス氏より状来る。予に目黒大仏の写真をおくり、鑑定頼まる。
四月十三日 月
 朝、父の尸を夢む、母も側にあり。已にして七時頃、国元より母の訃音申し来る状二通、及、葬式写真六枚うけとる。
九月六日 日 雨
 午下、十二時過ぎ、杉田氏に別れ帰り、在宅。『ネーチュール』への文認む。
九月七日 月 陰
 博物館に行き、過日の中井氏の電信受とる。ダグラス教授にあう。『ネーチュール』に出す文と死人婚嫁の話を直しもらう。一週問前に帰来りし由。氏は今、李鴻章過日当地に来りしときの行いの事に付き、『ブラックウッド・マガジン』へ投書を草し居る由。
 リード氏はリヴァプールのブリチシュ・アッソシエーションへ行き、不在。夜十時頃、村田忠蔵氏を訪、暫くはなし、帰る。
十月十三曰 火 曇
 国元より『時事新報』及『風俗画報』三冊着。八月着中に、鎌田栄吉氏匿名当地よりの投書あり。
十月二十六日 月 晴
 博物館にて、ダグラス氏の嘱により、公使加藤氏へ支那の事きき合す。夜、博物館帰途、加藤氏を訪、不答。
十月二十八日 水
 午後、博物館へ之く。加藤公使よりの返事来りあり、因てダグラス氏に示す。館内にてリード氏を訪う。夕、加藤氏を訪う。
十一月十日 火 陰
 博物館でダグラス氏に遇う。昨日支那人スンワンにあいし由、是は前日支那公使館に捕縛されしものなり。加藤公使へ一書出す。
十一月十一日 水
 博物館にてダグラス氏を訪。支部人スンワン来在、予(231)はあわず。
十一月十二日 木
 三時二十分より、ダグラス氏と同車、公使館に行。同氏が加藤公使と話す凡そ一時ばかり、去り、分れ、予は加藤八十太郎氏方に行き、飲、かえり、今夜寒く、予嘔吐す。
十一月二十六日 木 陰
 博物館にてダグラス氏に面す。同氏、支那の建築の事書居る由。夜、帰途、食肆にて、印度人、グジャラト人にあい、話す。又、加藤氏を訪、不在。
十二月十七日 木
 夜、印度人バグタニ及其友人にレストランにあう。
十二月十八日 金
 夜、印度人バグタニ氏と共に、博物館埃及室、宗教室を見る。
十二月十九日 土
 夜、博物館仕舞い、印度人バグタニと希臘羅馬室を見る。
十二月二十一日 月 陰
 夜、レストランにてバグタニ及回教人にあう。博物館帰途、加藤氏を訪、十時過帰る。
十二月二十三日 水 陰
 午下、博物館へ行く。途上、細井氏を訪う。木村氏も居れり。
 博物館にてダグラス氏を訪、盆(オシキ)一枚贈る。
 支那人孫、今は自分の幽囚録作り居るとの事。(これは先日の記事)
十二月二十四日 木 陰
 夜雨、食後バグタニと博物館人類学部及びキングス・ライブラリーを見る。
 
(237)     英国滞在中の徳川頼倫侯
 
 大正十年五月二十七日午後四、五時の間、侯、拙宅へ来臨された時、乗車して行くべしと勧めた人ありしも徒歩して、帽は冒らぬのみか旅館に残しおき、葵御紋を五つつけた正服で来臨された一事は、世外同前の小生も大いに感激致したることに御座候。二時間の御約束なりしが、三時間近く御話し申し上げ候。
 大正十一年五月十三日、堂野前種松氏と小生二人、侯を相州大磯付近高麗寺山荘に訪い参らせ、午前十一時ごろより午後五時まで遊びし後、横浜へ帰り申し候。三時間ばかり御話し申し上げたる後、午後二時ごろ鈴木茂市氏案内で堂野前氏とともに荘後の山腹を長々拝見して立ち帰り、少時御話を承わりし後辞し出で申し候。山腹へ向かう時、小生、候が机に近く腰掛けられたる足元を拝見。さて二時間近く山腹の植物などを見たる後、立ち帰りしに、侯の姿勢はもとより両足間の角度少しも二時間前と変りなかりし。かかることは英国の貴人などには時々みたることながら、本邦の昔は存ぜず、近ごろの人士にさらに見た覚えなきところと心窃かに感嘆致し候。
 明治三十年夏、小生案内にて侯と鎌田栄吉氏と三人、英国皇立人類学会の例会に赴きしことあり。諸家の演舌過ぎて後、日本の侯爵来たれりとて、会員二、三の人、侯に近付きいろいろ談されたり。それより、会長(只今男爵)チャーレス・ヘルキュールス・リード氏と学士会員ウィリアム・ガウランド氏(中の島の造幣局創立に大功ありし人。狙仙の名画を多く所持し、英国学士会院の夜会ごとに陳列して自ら悦ばれしが、大戦中これを日本へ売り戻し、その金を国家へ寄付せ(238)り。一昨々春、本山彦一氏拙宅を訪れし時の話に、熊鷹が猴を掴むところの名画幅物は同氏が買われた由)が、侯等三人を学士会院倶楽部に延いて小饗宴を開かれ、それが済んで侯と鎌田氏は馬車、ガウランド氏はどうしたか記臆せず、リード男と小生と打ちつれ日本道でおよそ十五、六町徒歩して帰り候。
 その時、リード男、小生に問いしは、かの侯は学問ありや。小生答う、学問はあまり好まぬ方なり。よって博物館へ案内して、短き時間に学問の要点どもを面白く分かりやすく説明して、半日ごとに学問の大体を会得されんことを期して同行する。なかなかの骨折りなり。ここに一つ妙なことあり。かの侯は、予が話すことを当座面白く覚えるようだが、物の名を一向記憶されず。しかるに、不思議にも一度会いて名刺を受けたる人の名は、いかにむつかしく長き名なりともことごとく覚えおることは、予にはできぬことと申すと、リード男いわく、さればなり、そこが本当の貴人で、平凡なる者はもとより素質の劣れる人の企て及ぶべからざることなり。当国の皇太子(後に有名なりしエドワード七世)など、いろいろと評判ある仁ながら、車夫馬丁といえども親しく話して一度その姓名を聞けば牢記して忘れず。数年数十年の後、突然これに逢うも必ずその姓名を呼んで安否を問える。故に凡衆の評判はなはだ宜しく誰も彼もその一顧に与らんと冀う。したがって政治家などがかれこれ批難したところで、この皇太子の輿望を負わるるは無比すばらしきものあり。これをローヤル・キャラクター(王者の天禀)と申して、貴公らの企て及ぶべからざるところ、まことに日本にも立派な貴人は今もあり、盛邦のために賀すべきの至りなり、と語られし。
 このことは往年、小生これを河東碧梧桐氏に談り、『層雲』とかいう雑誌に書かれたることあるも、俳諧専門の刊行物で一汎人のよむ物ならねば、今に知らぬ人も多からんとて特に申し上げ候。
          (大正十四年九月『南葵育英会会報』三〇号)
(239)   小篇
 
     鉄という名の古意
 
 故平子氏の『仏教芸術研究』上、七一八−二〇頁に、支那でいにしえ鉄といいしは今いう黒い鉄のみを指したものでなく、含鉄などいう時はただ金属を意味した、と説いて『後漢書』など引かれておる。このごろ、たまたま契丹の慈賢訳『妙吉祥平等観門大教王経略出護摩儀』を読むに、四鉄を用うることを載せ、四鉄とは金銀鋼鉄なり、とある。訳者は中天竺摩竭陀国生れで、支那の北方に偏立した契丹国へ来た人だから、あまりむつかしく漢字を穿鑿して古を考えて書いたものと思われぬ。つまり新立の米国の用語にかえって現代英語の通用語より正しき語(例すれば車長持様の物を米国でトランクというなど)があるように、あまねく金属を鉄と称する風が、趙宋と併んで存立しおった大契丹国に遣り行なわれたものか。       (大正三年十一月五日『考古学雑誌』五巻三号)
 
(240)     自ら鳴る鐘
 
 スペイン、ヴィエラの名鐘は、不祥の事起こる前、自ら鳴るといい、那智の妙法山の一つ鐘は、近村に死人あればまた自ら鳴る、と。わが邦に類例があるだろうか。(大正七年八月『土俗と伝鋭』一巻一号)
 
     箱根の幽霊屋
 
 維新前、箱根に幽霊屋という商売をする者あり。売僧とぐるになって、迷信の徒を欺き金を取り、その先霊を見せてやるとて霧深き所につれ行き、僧が念誦すると、彼者、いろいろと幽霊の真似をして見せたということであるが、果たして事実だか如何。(大正七年八月『土俗と伝説』一巻一号)
 
     ちかぼし
 
 「近星が出ると、近い内に火事がある」との飛騨の俗信を、住君の報告(『郷土研究』四の二、一二〇)で知った。近星ということ、只今この辺では、誰も知らず。聞くこともなき名だ。これはいかなる星のことか。住君その他の教えを乞う。
 書物に出た例は、予、ただ二つを知るのみ。蜀山人の『奴だこ』に、延享中、殿中にて、板倉氏が熊本侯を刺した時、細川の紋九曜の星〔四字傍点〕なれば、木室卯雲が、「名月やけふ近星も間に合はず」という句を戯れにせしが、その句弘ま(241)りて、迷惑せし、といえり。また根岸守信の『耳袋』初編に、「近里出づれば、大臣の愁いあり」と。俗説何に由る事と知らざりしに、曲淵氏の物語に、いずれの書にてやありけん、そのことを書きしを見侍りき。老中など病気危急の時は、生干の鱚を御使いして下さること、定例なり。生干あるゆえ、今日は近干しの御使い出でしということ、いつのころよりか誤り伝えけん、との物語おもしろきゆえ、ここに記す、と見ゆ。(大正七年九月『土俗と伝説』一巻二号)
 
     童話桃太郎
 
                南方熊楠「童話桃太郎」参照
                (『日本及日本人』七七七号九一頁)
 
 童子が犬を伴いて鬼を討ち財を獲て還る話は欧州にもある。倒せば、ピトレイが集めたイタリアの童話に、むかし農夫野に耕すに、その娘毎日昼飯を運ぶ。父、娘に、われ地上に糠を落とし行くから、それを尋ねてわがある所へ来たれと言い置く。一日、兄これを知り、その糠を拾うて自分の宅まで落とし往くと、身の禍いとなるぞとも白歯の娘は、例により糠を栞りに兄の家に往き著いたので、鬼の妻にしられた。娘を失うて力を落とした父は、神に祷りて一男児を設け、その児生まれて三日目に、父より小犬一疋と羽織を貰い、姉を尋ぬる途上、牛飼いと羊飼いに逢い、その牛羊の持主は鬼で、神や尊者を何とも思わず、ただ生まれて三日しか立たぬフィリウリエッズ殿を怖ると聞き知り、犬に蒸餅を与え、ただ食え、吠ゆることなかれと命じ、鬼宅に到ると姉が戸を開き、問うてその弟が救いに来たと知る。鬼怖れて二階に匿るるを、犬追いて吠ゆる。フィリウリエッズ登り往きて鬼を誅し、姉を伴れ財金夥しく取りて帰り親子団欒す、という。(大正九年八月十五日『日本及日本人』七八九号)
 
(242)       「むすび考」補
 
 癸亥第一号、石井君の「むすび考」に見えぬ一条を記そう。寛文二年板、曽我休自の『為愚痴物語』五巻二章に、「犬は盗を防ぎ鼻よくききて鷹の鳥をたつる芸あるゆえに、人これをかい置きて養い、鷹の鳥一つたてぬれば、犬飼、内がい袋のまるめいい〔五字傍点〕一つ与うるなり。ここをもって慈鎮の百首に、『はふ鳥もつかれにたつる犬かひの、うちがひぶくろ軽く見えつつ』とあるもこのゆえなり」。『群書類従』三五七なる慈鎮和尚の『鷹百首』に右の歌なく、西園寺入道前太政大臣公経公の『鷹百首』に出でおる。公経公は鎌倉時代の人だから、そのころすでに結び飯を鷹飼が犬に与えたと見える。また鎌倉時代は知らず、徳川時代の初期に結び飯を丸め飯と称えたと見える。(二月二十三日)         (大正十二年五月『集古』癸亥三号)
〔2020年7月18日(土)午後4時30分、入力終了〕