若山牧水全集第十巻535頁、600円、1959.04.30

雜文

   目次
雜文
彼の一卷、この一卷……………………… 5
石火記……………………………………… 9
歌の話……………………………………… 12
耳川と美々津……………………………… 15
遠き日向の國より………………………… 16
六號私見…………………………………… 21
行人獨語…………………………………… 37
「佇みて」を讀む………………………… 42
「赤光」に就いて………………………… 47
大會前記…………………………………… 48
誌友大會始終記…………………………… 53
大會後記…………………………………… 58
大會雜觀…………………………………… 63
この不滿を如何…………………………… 69
齋藤茂吉君へ……………………………… 71
「潮音」創刊について…………………… 72
『砂丘』のこと…………………………… 73
父も母も若い俤…………………………… 75
「砂丘」の批評について………………… 77
姉の讀む物語から………………………… 79
『海の聲』のこと………………………… 81
歌日記……………………………………… 83
今後の前田君の境遇……………………… 89
先生の惡口が縁…………………………… 91
出發点一つ二つ…………………………… 95
所感………………………………………… 97
旅より妻へ………………………………… 98
森、湖、及び人…………………………… 112
『海の聲』出版當時……………………… 126
石川啄木の臨終…………………………… 131
半折短册會を起すに就いて……………… 135
大會前記…………………………………… 137
大會後記…………………………………… 145
抗議………………………………………… 156
最近の感想………………………………… 157
時雨酒……………………………………… 158
淺野君に答ふ……………………………… 160
安成二郎君に答ふ………………………… 163
汽車の中にて……………………………… 166
大會雜報…………………………………… 167
解説………………………………………… 172
病床漫吟…………………………………… 176
中央新聞記者時代
不忍池の大螢狩…………………………… 179
夏の都の湊口……………………………… 180
震後の江山………………………………… 184
「新片町より」を讀む…………………… 188
九月の短歌………………………………… 189
靈柩を迎ふ………………………………… 192
秋は寢たり偉人の墓畔…………………… 194
主宰誌編輯便……………………………… 197
明治四十四年……………………………… 199
明治四十五年……………………………… 218
大正二年 ………………………………… 222
大正三年 ………………………………… 242
大正六年 ………………………………… 274
大正七年 ………………………………… 305
大正八年 ………………………………… 327
大正九年 ………………………………… 354
大正十年…………………………………… 363
大正十一年………………………………… 374
大正十二年………………………………… 389
大正十三年………………………………… 415
大正十四年………………………………… 444
大正十五年………………………………… 466
昭和二年 ………………………………… 498
昭和三年 ………………………………… 521

  第十巻 雜篇

   雜文

(5) 彼の一卷、この一卷
         ――詩集の印象――

 私の中學四年の頃、肥後の熊本へ秋季修學旅行が催されたことがある。熊本では或るお寺に泊つて城や市街を見物した。その頃から私は細々と三十一文字を並べてゐて、その周圍では先づ兄貴分の地位に立つてゐた。所でそのお寺に泊つてゐたうち、右の私の弟分に當る或る一人が、とある夕、二册の細長い妙な形の本を持つて歸つて來た。何だと訊くと、歌の本だといふ。なるほど二册ともに歌ばかりで埋つて居る。兩方とも聯か破れてゐた所などを考へると先生古本屋から見出して來たものらしい。翌日は熊本を立つた。肥後の平野を貫いて白々した秋の道路に沿うて阿蘇山麓に進むのである。既に日向から肥後へ幾多の山河を横切つて來てゐるのでその年少い旅行隊はもう大分疲れて居た。火山の麓の宿驛の宿屋はたしか粟屋と云つた。茅葺の屋根には月がさして煤けた窓から月光裡に立昇る山の煙がよく見えた。組が違つて居るので、行進中は一寸逢ふことの出來ぬ右の男が其處へ來て、例の二册を出して、一册のは實によく解るが一方のは一向解らぬ、是でも歌であらうかと日向訛の獣的な調子で私に尋ぬる。よく見ると一方のは表紙に『おぼろ舟』と題してあり、一册のは赤い文字で『みだれ髪』と書いてある。一方の『おぼろ舟』を開いて見ると、いかにもよく解る、當時の我等には實にそれが無上の佳作である樣に思はれた。一方の『みだれ髪』の方を取つて讀んで見ると、例の「夜の帳にさゝめきつきし……」から(6)始まつて一つとして直ぐ了解の出來るといふのがない。仕方がないから、乃公にも解らんといふと、そんなら是をば君に上げよう、持つてゐたつて仕樣がないといつて『おぼろ舟』だけを大事相に懷中して彼は去つた。貰ひ受けた『みだれ髪』を丁寧に一字々々と讀んで見たが中々解らない。そのくせ何だか底に奇妙なものがある樣で、幾度びも/\教師にかくれて繰り攪げて見た。その翌日は愈々阿蘇に登つた。途中休息の間や歩きながらもこの細長な小形の本は幾度びか汚い小倉服のポケットを出入したものだ。阿蘇に登り、三國峠を越え豐後路から日向の國に歸りつくまで常に斯くあつた。阿蘇の舊噴火口の跡だといふ坂梨を登つて、ずうと海の樣になだらかに傾斜した豐後の高原を通る時など、隊に遲れて讀みながら歩いたのなどがよく思ひ出される。その翌年の春、日向の耳川の上流の田代といふ村へ友人を訪ねて行つた。丁度友人は留守で、薄暗い百姓家の――庭さきには山櫻が咲いてゐた――部屋の縁に腰かけて待つて居ると、机の上に『新派和歌評釋』といふ小さな本が載つて居る。何心なく讀み始めると、さア耐らないほど面白い。今まで唯だぼんやりと瞳の前に映つてゐた神秘の國に親しく一歩々々を運び入れる樣な氣持だ。脚絆も解かずに讀み耽つた。それに由つて私は當時の新派和歌といふものを漸く了解し得た樣な氣がした。著者は黒瞳子と書いてあつた。聞けば今の平出修氏である相な。右の熊本で二册の本を買つた男も三四年前郷里を飛び出して文學をやるとか云つて東京に出て來て、前田君などにも大した迷惑をかけてまご/\してゐたが、中途で踏み外づして今では飛んでもない者になつて居る。先日の國からの便りによれば自殺したとも云ひ監獄に入つて居るとも傳へられて居る。『おぼろ舟』の著者は現今の人は大概知るまい、長谷川濤涯と云つた人だ。つい先頃まで數寄屋橋の(7)無名通信社に居るといふので、一度逢ひたいものだと念つて居るうちにもう今は居なくなつた相だ。田代村の友人は兵除にとられて樺太に行き、朝鮮に行き、今は歸つて村の郵便局に居る相だ。來號の本誌にはその人の歌を載せたいものだ。一昨夜であつたか前田君とこの『亂れ髪』の話が出て、毎年梅の咲き出す頃になるとこの詩集が讀みたくなる、そして愈々その歌を見るとすぐいやな氣になるが、とにかくこの讀み度いといふ心持だけは誠にいゝものだと話し合つた。阿蘇を越えた『解らぬ本』はいま東京の早稻田の或る家の二階に破れ/\て殘つて居る。
 同じく郷里の中學に居た頃、私の下宿してゐた大見といふ家――そこの息子は僕等の先輩で歌を詠み文を作つた、今は鹿兒島の港務局とかに居る相だ。名は達也といふ、同地の創作の社友中で誰か一度訪ねて行つて見給へ、背の高い、鼻の隆い男だ――に或日僕を尋ねて若い男がやつて來た。出て見るとそれは久しく逢はなんだ僕の從兄である。彼もまた家業を嫌つて家を出て諸所飛び歩いて數年間といふもの逢ふことが出來なかつたのだが、或時僕の投書した作文か何かを何かの雜誌で見て僕が村を出て某町中學に入つて居る事を知り學校宛に手紙を呉れ、爾來幾度びか文通をばして居た。從兄を見て僕はもう嬉しくて/\仕樣が無かつた。勿論彼の歸國は失意のはてゞある。彼はその夜酒に醉つてまだ子供の從弟を捉へて盛んに憤慨した。そして汚い風呂敷包の中から取出して大聲に讀み始めた本がある、それが即ち薄田泣菫氏の『ゆく春』であつたのだ。從兄には、確かに眞の意味の天才の素があつた。當時彼の作つてゐた長詩、短歌等を思ひ起して見ると、目下盛んに作られつゝある象徴ぶり官能ぶりの作風に全然適合して居る。惜しい事に彼はまだ國にも歸らず、事をも爲さず、いまは福岡の近所に哀れな生活を送つて居るらしい。(8)もう三十を餘つ程越したであらう。餘談はおき、その『ゆく春』は著者から時任霧峯に贈られたとかいふので、霧峯はまた從兄に贈つたといふ履歴つきのものであつたと記憶する。霧峯とは當時の新詩牡で羽振を利かせた人で、與謝野さんなどはよく御存じだらうと思ふ。今でも時々新詩社詠草の中に名を見る園田愛緑氏なども從兄の知人であり、尚ほ熊本縣の緒方雁峯などと云つた人もあつた。恐らく『ゆく春』ほど僕の愛讀した本はないだらう。いつしか一字一句を悉く暗記して、山に行き海に行く時など殆んど間斷なく僕の唇頭にその中のどの詩かゞ上つてゐた。東京に上る時もその本を――言ひ落したが、從兄からその履歴つきの本を強奪しておいたのだ――携へて來た。そして散歩や旅行に出る時など一度として缺かしたことはない。だから中國や紀州や色々な國々をこの本は旅行した。身體に似合はず僕の咽喉は美しい聲を出す、そのいゝ聲で實に幾百千度か吟じ上げられたものだ。所がいまは僕の手許にその本がない。知つて居る人は知つて居るだらう、もと僕等が雜誌新聲に歌を出してゐた頃、一緒に出してゐた關葩水と云つた男がある、小學校からの友人で中學を途中で止し、大阪に出て繪をかいてゐた。その男の戀人が矢澤孝子君の友達であつたか何かで矢澤君も屹度この男を御存じだらうと思ふ。本をばその男に呉れて了つたと覺えて居る。この記憶にして相違が無かつたならば、葩水は昨年死んで了つた、それと共に我が愛する『ゆく春』一卷の行衝も終にもとめ難いであらう、――その後一二册買求めたが、思はるるはあの古い破れた一册である……森の家より野に出でて、ゆふべの雲を眺むれば、緋絨裂けし落武者の、すがたに似たる春の暮、穗の毛のびたる大麥の、畑にかくるゝ笛の音よ……――。
 噫、希くぽ今夜我をして一椀を傾け、かの滿卷の詩を高誦せしめむことを! (明治四十三年)

(9) 石火記
     ――「創作」誌友會の記――

▽あの日の會合の象徴をわが北原白秋君となす。その故は、息せきと馳けつけて、來るや否や、わアつといふ騷ぎに忽ちもう眼が見えなくなり、忽然としてまた脱兎の如く京橋は木挽町まで走せ歸り、二階の部屋から室内の書籍を悉く庭に投じた同君の情緒氣分は即ち當日の會合そのものの情緒氣分であつたと認知せざるを得ないのである。
▽僕は當日の朝、田端の小杉未醒氏の宅から出て來たのであつた。途中で緑葉君と落ち合つて十二時すぎに會場へ行つた。行つて見ると今朝の十時から來て待つてゐる人があるといふ。見れば山崎阿木良君であつた。同君とは昨秋信州で逢つて知つてゐる。
∇縁側の日向で來る人を待つてゐる間のつらさといつたらなかつた。四邊の樹木はすつかりもう芽を吹いて櫻が汗ばんだ樣にそこらに散り乱れてゐる所など、すつかり晩春初夏の重苦しい氣分で、どうしてもじつとしてゐることが出來ない。その心を抑へて鹿爪らしくしかも甚だ呆然として人を待つこころもちといつたらなかつた。其處へ火事だといふ。この風では定めし燒けることでせうね、一體何處です、吉原ですよ、左樣ですか……などとやつてゐるものの何だかひどく氣が氣でない。
▽來る筈の人がなか/\來ない。火事の方に取られましたよとみんな恨めしさうな泣き出しさう(10)な顔をして、燃えてるといふ空の方を仰いでゐる。庭の籬根ごしには三々五々春衣をこらした若い女連中が通つてるのが、あてつけがましく見えてる。つけ元氣の雜談もともすればとだえがちになる。時はたつ。
▽そこへ珍客の長田秀雄君がそろ/\歸營の時間に近づいたといつて帶劍などをつけ始める。耐へかねて膳を出すやうに言ひつける。その間に僕は大いに雄辯をふるつて開會の辭を述べるつもりでゐたが、ばた/\と膳部の並び始めるのを見るともう何をいふのも面倒くさくなつて唯だ口のうちで、ムニヤ/\にして了つた。さアぞれからだ。
▽何しろ初めからさういふ有樣で十分にぢれてゐた所へずらつと銚子が並んだのだから耐らない、電光石火の如くに一同ががぶ/\とやり始めた。がぶ/\では甚だ言ひ足りない、實際はもつと急激なものであつた。十四五本も銚子が什されると、ソロソロ調子外れの黄色な聲がそこらで聞え出した。みんなの目や鼻の格好が少しづつ變つて來た。
▽泰然として腰を拔かす、といふ言葉がある。當日の牧水には聊かその氣味があつた。會のあとで、あの日は君は餘り醉はなかつた樣ですね、と誰からも不思議がられたが、なアに實際は飲まぬ前からふら/\してゐたのだ。だから杯が膝のまはりに七つ八つ宛並んで來た頃は既に泰然として拔かしてゐたのである。
▽怒濤の如くに皆が醉つた(のだ相だ。實は僕もこの怒濤の一分子たりしが故に其詳細を知るの光榮を有しない)その中でも尚ほ且つ珍とするに足るのは〇〇君紛失の一件である。もう會も終りがたで、人は大方歸つて行つた、氣がつけば〇〇がゐない、羽織も帽子も荷物も下駄もある。そ(11)して本尊の人間だけが紛失してゐる。ツイ先刻まで切りに鼻聲になつて山水君に行つたり福永君を捕へたりして飲み廻つてゐた細長いひとが急に見えなくなつた。さア大變といふので手分けをして探したがなかなか見つからない。誰か一人これから△△の彼の宅まで行つてみなくてはなるまいと會場の門口に立つて評議してゐる所へ、――少しくその場の背景を語らしめよ。公園の松木立入り亂れて、アーク燈の薄紫の光ほのかに其間に漂ひ、地には落花白く亂れて、行人殆ど絶えたる眞夜中近く――ふツと向うを見ると、髪長く亂れて泥を帶び、躯幹松の如くに瘠せ、瞳すわり、兩手をだらりと下げた人物が忽然としてその木立の間に表れた。わが〇〇君其人である。彼は醉後獨り身を逃れて晩春の松籟に心耳を濟ましてゐたのださうだ。
▽まだ澤山あるがもう止さう。要するに實に他愛なく醉つて遊んで子供のやうになつてみんなが別れて行つたのである。
▽實は斯ういふ會合でなく少しく鹿爪らしいものにする筈であつたが、幹事の方に急用が起つたり、また講演演説を頼んだ人に差支へがあつたりしたので、それではその種の會はまたに讓り今度は唯だ面白く遊ぶだけの會にしようとツイ當日の二三日前に方針を一變さしたのであつた。そして我等は滿足してこの會合を終つたのである。
▽終りに當日の會合に對し祝詞祝電及び金員を寄せられた原田實君、高鹽背山君、乾山茶花君、東雲堂君の厚意に對し一同を代表して謝意を表する。(明治四十四年)

(12) 歌の話
     ――田山花袋氏を訪ふ――

 四月十七日、快晴。郡山君と共に巣鴨停車場から二時間近くを電車と汽車に搖られ十一時近く横濱へ着いた。横濱の土地に留ること僅に十有五分間、清水氏を同伴して再び東京行の汽車に轉げ込み、車中に用談を濟まし新橋にて同氏と別れ、精養軒、東京印刷所及び他一軒を訪ひ、日本橋のまる花にて麥酒と晝飯とを掻込み、郡山君と別れて、唯一人博文館編輯部三階の應接間に突立つて汗を拭つた時は殆んど既うぼんやりとなつて了つてゐた。午後二時頃の日光が窓に當つて、窓からは風と煤煙と砂塵とに包まれ終つた初夏の市街がいら/\輝いて海の樣に見渡される。何か知ら用事を頼む時にのみ登つて來たことのあるこの三階の應接室は逸早くも自分の身にあれこれと佗しい追憶を強ひずにはおかなかつた。一室を二間にし切つて、一個の机、三個の椅子及び幅廣い書棚のほかには別に裝飾とても見當らぬ。机の上には一個の灰皿と赤いレッテルの半ば破れた燐寸箱が二つ置いてある。

『たいへん白髪がおふえになつたぢアありませんか』
 自分は先づ何より是に驚いた。
『えゝ、僅か一二年の間にどうも……、ひどいお爺きんになりましたよ、もう四十二歳ですから(13)……、考へも何もすつかり變りました』
『でも、ひと頃よりはずつとお肥えになつた樣ですが……』
『そうかね、左樣かも知れない、すつかりのんきになつたから……』

『僕はもとから熊谷直好の歌が好きで……イヤ/\そんなに手帳などに書きつけられては困る、君が聞いてゐて解つただけで……僕などは元來景園派のうちでも、寧ろ景樹より直好が好きだ。何處が好いといふことはないが、あの巧まない裡に却つて強く人の心を惹きつける所がある。そして彼が當時の歌人中に在つて他と異つてゐた第一は、彼は自分自身及び人間といふものを常に自然の一分子と見て靜かに歌つてゐたことで、單に感情そのものに没頭する所などが無かつた。同じ山を詠み草木を詠むにしても常に自分自身の存在を忘れなかつた人である。そして能く自然といふものを見た人で決して空騷ぎの歌をば詠まなかつた。またそのため多く歌が治極的になつてゐる所はある。景樹は巧みだが、どうも俗で不可ん、どこか鐵幹君の風がある。
   咲く花も瀧もましろにあらはれて暮れゆく山のおくぞさびしき
などは直好の歌の好い例である。其他能く記憶してゐないが、
   いまぞ知る野にも山にもおく露はみな旅人の涙なりけり
   里の子が澤に鴫わな張りしよりこころにかかり夜こそ寢られね
   笹の葉の白きは霜の光にてまだ夜は深し岡の邊の里
(14) どこか斯うものの奥に靜かに濟んで居る涙とでもいつた樣な歌が多い。最後の一首などはいかにも旅の心地がよく表れてゐる。

 僕の師匠(故松浦辰男氏)などは始終「初一念で詠め」と言つて聞かした。直好の歌などが如何にもこの初一念から出來てゐる樣だ。初一念とは心で巧まない、作らうといふ氣持で作らないといふ謂である。子供の樣な初一念でなく、考へた上の初一念で詠み度いものだ。昨今の歌はどうもわざとらしく、理窟つぼくて不可ん。歌は決してああいふものぢアないと思ふ。君の作などは新しい歌の中で僕の愛讀してゐるものだ。僕は感情そのままをすぐ歌とせずにそれを眺めてゐる氣持で詠んで見度いと思つて居る。

 僕の最近の作?……僕のなどを言ふとまた相馬君に笑はれるから……、ソラ西園寺侯の雨聲會の時のあれさ、ハヽヽヽ、もつともあれは新聞のが違つてゐたよ。實際は
   大川の水にうつれるともしびのかげさやかなり初秋にして
といふのだ。大いに得意の作なんだが。
 そのほか?…どうも一年に三首か四首位ゐ詠まうといふ歌よみなんだから…。七月頃日光の奥の湯元に行つてゐた。彼處は石楠花の多い處で、その湯元の宿屋になか/\きれいな女中が居た。
   奥山は七月に吹く石楠花の花ばかりとも思ひしものを
 ハヽヽヽヽ、(明治四十五年)

(15) 耳川と美々津

 「即興詩人」を讀んだ人は覺えてゐるであらう、アントニオが賊の山寨から逃れ出て二三十里にわたる曠原を馳けに馳けて來ると、不圖眼の前に眞蒼《まつさを》な異樣なものがあらはれて來た。彼はあまりの驚きに暫しは茫然としてこれを眺めてゐたが、やがて惶しく馬から飛び降りて、「海、海、ああ地中海よ!」と呼んで涙の溢るるにまかしたといふことを。
 また、日本の一詩人が米國に渡る船のなかに在つて、
   海を見て太古の民のおどろきを我《われ》ふたたびす大空のもと
   大空の圓きがなかに船ありて夜を見晝を見こころ怖れぬ
と歌つたこともある。初めて海を見て驚く驚愕《おどろき》は總ての驚愕《おどろき》の中にあつて最も偉大な崇高なものであらうと思ふ。
 私は六歳か七歳の時、母に連れられて耳川を下つたことがある。そして舟が將さに美々津に着かうとする時、眼の前の砂丘を越えて雪のやうな飛沫を散らしながら青々とうねり上る浪を見て、母の袖をしつかと捉りながら驚き懼れて、何ものなるかを問ふた。母は笑ひながら、あれは浪だと教へた。舟が岸に着くや母はわざ/\私を砂濱の方に導いて更に不思議に更に驚くべき海、大洋を教へてくれた。その時から今日まで、海は實に切つても切れぬ私の生命《いのち》の寂しい伴侶《みちづれ》となつて來てゐるのである。
(16) さういふ記憶を除いても私は美々津が好きである。河口の港には必ず着いてゐる氣分、即ち何となく解放されたやうな、ゆつたりした氣分はこの南國の美々津の港に實にいつぱいに滿ちて居る。耳川を下つて來て遙かに此處の帆柱を望み、砂丘や浪を眺めた氣持は言はずもがな、富高の方から車で來てあの幸脇上の阪から白々したこの港を瞰下した時にも、亦た斯の氣持は必ず起つて來る。自由な、爽快な、新鮮な氣持!
 あの渡舟場の舟を待つて砂の上に佇む度ごとに私は常に鮮かに「旅」といふことを思はせられぬことはない。遠くから遠くへ渡る旅の心地、これはどこの港にでもある氣分だが、美々津は一層それが強い。山陰《やまげ》からの高瀬舟を降りて渡舟を待つてゐると、相變らずあたりがざわ/\してゐる。馬車夫は馬を河の中に迫ひ入れて腹を洗つてやつて居る。若い女は筒袖の短い襦袢を着て脛もあらはに桶か何か洗つて居る。見れば色うすく黒く※[月+鰐の旁]のあたりから襟のほとり、乳も腕も氣持よく肥えて瞳は黒い玉のやうに涼しい。眞黒な髪をばゆた/\に無雜作につかねて、馬車夫と何やら聲高に罵り合ひ笑ひ合つて居る。(大正元年)

 遠き日向の國より

 私にはこのごろいよ/\露西亞の新しい人のかいた小説が身にしみるやうになりました。ゴルキイの「夜の宿」(とツイ書きましたが、私の讀んだのは昇さんの譯した「どん底」の方でした)などが、漸くわかるやうになりました。もつとも「どん底」を讀んだのは、二三年前の秋、三四(17)ケ月信州に行つてゐたとき、小諸町の病院の二階で讀んだものでした。そのときには、殆んど無意識に五感を刺戟せられたやうな形で、解つたやうな、解らないやうなものでした。昨今、漸く彼の一篇に出て來る人たちの心持、それを描いた作者の心持に、意識的に同感するやうになつたと思ひます。その時一度讀んだきりの本を、いまになつて憶ひ出すのなども可笑しい話ですが、まつたくさうなのです。そして近頃、鹿兒島からの歸りみち、船の中で、クープリンの「決闘」を讀みました。これは、もう讀みながらも書いてある以上のことにまで心が走つて、却つて困つた位でしたが、こんなのを讀むことは、いよ/\目下の自分の苦惱を鮮明にする所以なのです。ロシア人は、みな、自ら解決することの出來ない人たちらしいのです。一種先天的の無意識的の不安苦惱に驅られて、一意にその方面へやつて行く、そして、いよ/\といふ瀬戸際になつて、眼を瞑つてしまふ。まつたく、いぢらしいほど、さうなのです。そしてそれがまた氣味のわるいまでに目下の私には了解同感出來るのです。悲しいことに、私には彼ほどのエナージイが足りません。健康状態から來るのではないかと思つたりして、自身をかへりみてゐます。
 お讀みでなかつたら、右の二册など讀んでごらんなさい。作としては評判ほどには私には思へないけれど、これらの作ほど、無言の裡に我等に語るものは、多くありますまい。
        *
 歌が出來ない、といふのにもわけがあると思ひます。作りたくないから出來ないといふのか、作らうとしても出來ないといふのか、私のは、いま後方の部に屬してゐます。作れば、無論出來るが、自分の心持と、よほどかけ離れたのを感ずるときに、もうそれを自分の作と認めたくなく(18)なるのです。
 私はこのごろ、人から送られて、人麿の歌集を讀みました。そののち、幾日もたゝぬうちに、これも人から借りて「路上」を讀みました。夜なかでしたが、私は床から起き上つて、この二册の歌集を一所に置いて、何とも言へぬ涙をおぼえました。斯ういう單純な生活――生命といひますか、ヒユーマニチイーと云ひますか――に甘んじてゐた自他の人におもひやる涙であつたのです。――單純なといふ簡單な形容詞では甚だ不充分ですが――
 要するに、その時その時の生命です。今日から、昨日の作をなみするわけにはゆかぬ。そして、唯だ心の注がるゝのは、最も切端迫つたいまであるのです。寧ろ未來といひたい位のいまであるのです。
 前後を考へ合せて、ねち/\とていさいよくぼろを出さずにやつて行く人々を我々は何といひませう。
        *
 東京の佐藤緑葉から手紙をくれました。中に、『西洋の地圖のくわしいのを借りて持つて歸つて「ヴアンゴオホ」のひとり住んだといふタヒチの嶋をしらべてみた。ゴオホはフランスのポストアンプレツシヨニストの中で特にすぐれた人であるが、タヒチとは一體どこだらうと僕は考へたのだ。索引を繰つて、探しあてたところによると、タヒチとは濠太利の東方、ニュージイランドのやゝ北にあたる南太平洋の一孤嶋であつた。』
 と斯うありました。どうでせう、私はもうこゝまで見て呼吸のつまるやうな感におそはれて、(19)地圖のけし粒ほどの嶋と、繪具箱一ケを負つて、澄んだ瞳を動かさずに、そこまでやつて行つたゴオホとをおもひ浮べないわけに行きませんでした。われら眞個に生きざる可からず、極端まで生命のいたみの源を追求しなくてはならぬ――斯んなことを野暮臭くもまた眞劍になつて考へ始めました。要するに、我等は、あまりに上のそらで生きてゐる!
        *
 斯うは考へてゐるが、サテいかにすべきか、いづくに行くべきか、これが少しもわからないのです。
 どうしたらいゝだらう、という叫びを、心から全ての精神を茲に集めて叫び度いのです。これが、まことに、せめてもの願ひです。
        *
 九州はもう梅は過ぎました。鹿兒島には寒櫻とかいつて、淡紅の八重のさくらが咲いてゐました。こちちには三月の中旬でなくては、さくらは見られません。例の山ざくらといふ、花よりも葉の方がさきに出る單瓣の美しいのです。私は、あれを十年ぶりで見るのです。東京にはありません。東京の櫻は造花のやうなものでした。
        *
 嶋原に渡りましたとき、雪がちら/\してゐました。そして、そこ此處に紅梅が咲いてゐました。日も明るく照つてゐたのです。嶋原はまことにいい港でした。たいへんに醉つて、とう/\宿屋でがまんができなくつて、例の灯のみ明るい狹い市街へ入りこみました。そして不思議に例(20)の「別離」のヒロインそつくりの女を、そのなかに見出して、ひどく驚きました。上つてみましたら、その氣質まで、そつくりでありました。
 翌日の晝、汽船でその港を出やうとしましたとき、甲板の上の私の名をしきりに呼ぶものがあります。不思議に思つて見廻しましたら、汽船はすれ/”\に遊廓の裏を通つて出て行きつゝあつたのです。
 私は、(バカなことを云ひ出しましたが)どうしても「別離」のをんなを忘れることが出來ないのを、このごろになつてしみ/”\さとりました。あの時分の自身を、まことにバカ/\しく、物足りなく、齒がゆく、身もだえて思ひ起します。私はそのころ、あまりに何をも知らなかつたのです。そして、一面から云ひますと、戀をする準備の出來てゐない愚かな若者にとつて、彼女はあまりに怜《さか》しくあつたのです。
 問はれるのを恐れて、これから申します。その後、彼の女の生死すらわかりません。私は、こんど上京したら、全力をつくして、彼女のあとを探します。そして、よそながら幸福な生活裡にある彼女を發見せむことを畏れつゝ祈つてゐます。然し、恐らくさうでありますまい。
        *
 旅は然し、作の方から見ますと、大分邪魔になりました。東京から歸郷後の心が漸くまとまつて、ぼつ/\歌の出來かけてゐた(一月號發表分)所へ今度の旅で、またすつかり心の整調を破りました。といふより、身體の健康をこわしました。一首も出來ません。「東北」へも失敬しました。どの雜誌へもよう出しませんでした。四月號までには出來ださせるつもりです。
(21) 一月號の私の作の評判の今さらながらに惡いのに多少驚いてゐます。小細工人どもに、ものゝ解りやうはありませんが、斯うわるく云はれる歌を作らねばならぬやうになつた自分を省るときに、一種緊縮した感をおぼえるのです。これからのは、もつと、ひどくなりませう。
        *
 早く櫻が咲いてくれゝばいゝに、とそれのみいま祈つてゐます。霞の深いところですからね。春は非常によかつたとおぼえてゐます。少し月並だが毎日のやうに酒でも持つて、山のおくへ入り込むつもりです。(二月十九日いやな曇り日)――(大正二年)

 六號私見

     前月歌壇

 初め、斯んなに歌を書きぬくことのみをせず、まとまつた批評の記事を作るつもりであつた。頁と時日との都合から、愈々の場合になつて斯ういふ風にして了つた。これも初めは多くの中から優秀の作と認められるものに點をつけておいてあとから書き移したものであつたが、いざ清書といふ段になつてその優秀と認めた自身の眼に甚だしい疑惑と侮蔑とを投げねばならぬのを感じた。一例を引けば、點をつけたなかに「目はとづれど衰へし身にせまりくる木の葉いきれも悲しみとなる」といふのがある。衰弱した身に迫つてくる夏の樹木の蒼臭い呼吸や色やの心持に取敢(22)へず同感して點を附けたものであつたが、親しく清書のときになつてみると、目はとづれどといふ言葉も全體から見て極めて弱いし、曖昧だし、句と句との移りゆきも甚だふなふなしてゐるではないか。一貫した強みが缺けてゐる。これなどは單に手法の上に故障があるのだが、全體から見てもつと貪弱なのが他に多いかも知れぬ。要之、雜誌々々か又は各個人の特色を見るために拔萃を作つたといふ方が適當かと思ふ。主旨は優秀なるものをとの考へを一貫させた。
 此等のなかでは前田夕暮君の「冬青の葉」が一番私に強く響いた。曲のない、噛み締むれば味の出る詠みぶりが、誠になつかしかつた。尾上柴舟氏のにも同じくさういふ感じを覺えた。尾山篤二郎君については項を別にして記しておいた。
 初めは地方雜誌にまで克明に眼を通して、點だけはみな附けてあるのだが、頁の都合から割愛した。來號は更らにもつと面目を更めて此欄を作り度い。私一人でなしに、誰かに加勢を頼みたいとも思つてゐる。
 然し、見渡したところ、何といふ歌の寂びれかただらう。惰力と因習とによつて空しく羅列せられたあやしきものを通覽することに今更めいた驚きを感ぜずにはゐられない。
 一度高い崖から轉がり落ちた氣にでもなつて、めい/\にもう少し強く驚いて見ようではないか。
 さういふことから、本誌「創作」などをば端から端まで丁寧に、寧ろ辛辣に見ていただきたいものと思ふ。わるい所があつたら、どし/\突き込んで頂き度い。
 詩歌
(23)  朝鮮にて(土岐哀歌)
わが顔のまことに黄ろく痩たるが朝鮮に來てさらに悲しも
韮と垢とたばこと酒とのごつちやになれるそのにほひにも馴れつつあるかも
  夏草の朝(田村飛鳥)
唇をかみものおもふわが前に夏草の花ひからびて咲く
  淋しき血管(山田邦子)
暗き家淋しき母を持てる兒がかぶりし青き夏帽子はも
ちり多きこの六月の夕ぐれのものの明りの迫る悲しさ
兒の肉につと齒あつれば全身の愛ぞめさむれけものの如く
  赤潮と岬の空(寺井義)
夕潮はわが血の色に似て赤しなみだかきたれ海にむかへる
太陽をつつみて空ぞ赤かりき血のごとき心ゆきかへりする
思ひ屈し風青き野の堤防の上にきたりて日の光嗅ぐ
  初夏の鬱憂(村田光烈)
夏來る我の酒屋をいづるとき樹々あを/\と限にうつるなれ
  青き夜空(佐々木順)
いねずして血ぞ走りたるわが眸に薔薇輝けり薔薇輝けり
わが部屋の赤き薔薇を見てゐしがそのまま君は歸り行きけり
くろずめる夜の青葉に雨そそぐわれら無言に見てありしかな
  處女の素肌(小谷清子)
(24)君おはさば許さるまじきうたたねをひそにしてみつ心うれしき
  樫の木(都會詩人)
光なき君が黒髪うちすてて行くも悲しく行かぬも悲し
事みなは道にすてたる食ひさしの蜜柑の皮とばかりあぢきなく
  うしろ影(瀧澤謙)
母よりも父に親しむ子の心思ひやりつつその寢顔見る
  燃ゆるかなしみ(米田雄郎)
空とほく青みわたりてしんしんと夜はふけにけり街をわれ行く
不孝なるわれの涙もにじみたり机にかけしロシヤ更紗に
  路傍の石(佐藤嘲花)
路ばたの石にまろびし幼兒のまろびしままに泣けるをぞ見る
今日もまた雨かや吾兒がかき鳴らすちさき太鼓の音のかろさよ
  五月の薔薇(金子不泣)
五月わが眸はなみだに濡れにけりか黒きつちに咲ける薔薇よ
たまゆらのをののきふとも身を襲ひ手にせる薔薇を地におとしけり
  青葉の壓迫(小野深雪)
橋の上にながめてあればいつしかにこころ流れて君をしぞ思ふ
  喜悦の惱み(奥村博)
たましひは君が頸をいだきしめくちつけしまま瞼ひらかず
  黒き草の實(狹山信乃)
(25)六月の空の濁りよ悔おほき手が植ゐしこの夏ぐさの花
うすじめる土の匂ひをなつかしみ秋さく花の種子まきにけり
君が愛に掩はれてゐるこの心瞳ひらかぬさびしき心
  冬青の葉(前田夕暮)
我が父を眼病院にともなひぬ冬青の葉のなかの白き病室
冬青の葉がべつたり濡れて病室の窓の硝子を青く塗れるも
硝子越し冬青の青葉の濡れたるがわれの心に触るる心地す
冬青の葉のぬれしがうすら光るなりましろき室にたそがれぞ來る
車前草
  霧に浮ぶ灯(石井直三郎)
この三日雨の續けば足裏の黒くなるにも心ひかるる
  このさつき(井淵はな子)
わがままもこのかたくなもいつの間に心のおくにしみつきにけむ
  ぺんぺん草(永山みつ子)
こころよき疲れおぼえて圖書室をいでくるころの小さなる月
  ねむれる貝(山田葉月)
瞳をとぢてあればわが身の見にくさの根はりて立てる天地の見ゆ
君をおもふわが足音のせめてだに強くひびかばうれしかるべき
  草いちご(森園天涙)
梭の音まつたく絶えて機場の灯くらきに雨のひとしきり降る
(26)かかる時腹のそこより湧くわらひ聲ともならばさびしからまし
寸ばかり障子の紙のやぶれより搖るる竹見ゆ日光も見ゆ
  絃の餘韻(逸見義亮)
戀をする心に細き光さし歩みょる夏の音のゆかしさ
  憎み(尾上柴舟)
呆としてありとて何か憎むべき思ふにさへも倦みけるものを
喜もなく悲しみもあらぬ日の空しきなかに一日ゐてまし
弱き音通ふかぎりはつづくべきわが喜劇こそ幕なかりけれ
アララギ
  草の平地(島木赤彦)
誰れかに行きたくなりぬま寂しき草のみどりに身は冷えぬれば
工場の笛折からあはれに聞え來れ雨ふりにふる晝萠黄原
鐵瓶の下しら/\と燃えぬればあはれなる晝の雨はふるなり
  雪の野(松島梧風)
ここはしも山の冷氣のいりきたるさびしき夜半の部屋にぞなりける
  一歩一歩(清水謙一郎)
大海の端に吾立ちゐるなりと思ひうれしく腕さすりつつ
靜まりし濱をうしろにまた煙立てて出行く船ほ悲しも
ふと一羽まひ立ちたれば群烏地をややはなれ羽動かしぬ
  今宵も倦みて(山田駒鳥)
(27)二日三日黙てゐしがさびしげに妻に言葉をつかひて見たり
沈黙に堪へ居る妻をいとはしくあはれになりて今は負けにけり
  勿忘ぐさ(守屋其翠)
川の瀬おとにゆれゆるるなる青木立わがかなしみをあつめてあをめる
  赤楝蛇(並樹秋人)
わが女は汝をおそれて逃げさりぬとりのこされしわれと赤楝蛇
  野路の馬車(金原よしを)
さわがしき群れに離れて夕ぐれの野道の馬車に一人乘りつも
夕月に向ひてさへも捨てられしひとの如くに涙ぐむかな
  鹿教の湯にて(小蟹女)
病みてあれば只ひたぶるに病守るこの安けさよ悲しかりけり
たんぽぽは穗となりにけり春ゆく日しみ/”\おのが身を思ひみる
  無題(斎藤茂吉)
この心葬り果てんと秀の光る錐を疊にさしにけるかも
わらじ虫たたみのうへに出で來しに煙草のけむりかけて我居り
劇と詩
  君がこころ(天野謙二郎)
おろかなるわれをあざける人のなかに君をみいでつかなしみのはてに
ひるのまを君を戀ふるにやつれたるわれなれどなほ夜もいねられず
  蔓草の歌(中川一政)
(28)あはれみてひと夜をわれと寢たりけるきみとあふげば涙ながるる
蔓草のおのがむきむき大木をよじのぼるにもひとしかりけり
かがやかにわれの柩はつくらましこの世をいでてあすはゆくべく
  同(高鹽背山)
それもただつかのまなりきあざやかに伸びし若葉を見入れる心
いかんともしがたく魂の行く方へ背きつつ我悲しうも生く
  同(小柳江村)
雪もいま雨にかはるかほんのりと足のぬくみて寐におちむとす
  同(佐藤謹子)
静なりいと静なり海面を見れば悲しく心しぼめり
空青く小鳥飛ばぬを見てあればふと甘えたき心地する日よ
      新刊歌集
  昨日まで 吉井 勇
 吉井君の歌はいよ/\練れてきた。そして以前捕鯨船時代の元氣に代ふるにいかにも苦勞人らしい錆びを帶びてきた。中に含まれた味ひには昔と變りがない。
  いと微かにおとづれきたる夏の呼吸われにかかりて惱ましきかな
  蝋燭は月草のごと燃えにけり五月の夜のわかうどの窓
  夏鼬鳥をうかがふ夜はふけぬ誰が子ぞわれの門をたたくは
  秋のかぜ馬樂ふたたび狂へりといふ噂などつたへくるかな
(29)  老ぼれし新内ながし過ぎゆきぬ避暑地の街の秋のゆふぐれ
  雪ふればあはれ小せんが脊髓のいたみいかにと思はるるかな
  廣重の海のいろよりややうすしわがこのごろのかなしみのいろ
  われひとり君思ふべき岩蔭に誰が子ぞこよひ尺八を吹く
  夏くれば君がひとみに解きがたき謎のやうなる光さへ見ゆ
  珈琲の香にむせびつつものがたるわが戀がたり聽く人もなし
  夏ゆきぬ目にかなしくも殘れるは君がしめたる麻の葉の帶
  山姥の終らむとせしたまゆらに見かはせし目を誰か知るべき
  新内は秋のこころを歌へりとよろこびし子を訪れてまし
  秋きぬとうらはかなげにいふ女やがて骨牌をとりだす女
  皺がれし歌六の聲もかかる夜に君と聽けばか忘れがたかり
  けふよりはまた蝋燭にしたしまむわがなつかしき郊外の家
  つく/”\と昨日のわれをおもふときはや夜明けぬと燭を消すとき
  なにゆゑにかばかり悔をおぼゆらむ弄びたる戀ならなくに
 経りの「二藝人」の章に納められた狂へる馬樂盲ひし紫朝を思ふ數十首の歌などにはそれ/”\に熱もこもつてゐて一首として棄てがたい。「昨日まで」一卷、讀みもてゆけば何かは知らぬもののあはれがおそ夏の夜のうすものめきて身をつつんで來る。君が愛する夏の日も早や逝かむとするとき、久しぶりに親しく君の温容に接したいものと思ふ。
 春かへる日に 松村英一
(30) 誰しも經驗する一生の或る一期、戀愛結婚産兒職業等を殆どかたの如くに遂げ了つた或の時期に際して、ひとは多く他の異つた新しい生活を欲求するやうに傾いてゐる。松村英一氏はその歌集「春かへる日に」の序文のなかに次ぎのやうなことを書いて居る。「一切のあらゆる繋累を斷ち切つて、朝に出でては畑を耕し、夕に入つては燈下に書をひもとくといふやうな靜かな、誘惑の至らぬ所に於て、もう一度自分といふものを振返り、猶、自己の生活そのものを考察して行きたい――私の求めむとする生活はそれなのです。歌集はその都會と田園との生活の間を劃する一線です。二つの生活の境に建てたる私の記念碑です。」
「春かへる日に」の歌にはさうたいした深い味ひはない。呼吸も細いし、かたちも大きいとは云はれない。ただ、右の序文にも見えるやうに眞の自己の生活を求めて止まぬ不斷の努力、じいつと一ところを見詰めて、かりそめには瞳を動かさぬその態度、さうした點からうまれて來る味ひ、らからが俄かに他におかされぬ特色を帶びてゐる。白状すれば、私は他の歌集や雜誌を讀み續けただらけた態度でこの本にもとりかかつた。そして、やや少し讀んで行くうちにいつ知らず心をとられ、終には居ずまひ正して讀み終つたものである。
 惜むらくは、今少し嚴選してほしかつた。水に油が混つたやうに、思ひ切つてあまい歌が其處らに散見する。特に春の朧夜などを歌つたなかにそれが多い。

  一日のわが生活にともなひてかろくも來るさびしきこころ
  われいつか己が心もうち忘れ夕ぐれどきの來るをば待つ
  かうばしき物煮る匂ひ厨にて妻がわらへば亡き子思ほゆ
(31)  初冬の寒き光の身にぞ染む街をしゆけば亡き子思ほゆ
  看護婦の白き服さへ秋に染む日とはなれども子は病みてあり
  限りなき旅にゆくごとわが汽車は笛吹きならし東京を出づ
  物一つ賣らぬ小き驛に來てほと息つかる倦みし心地に
  ひた/\と我が後より車して來たる人あり雨の夜の街
  酒苦く口に染みゆくそれすらも淋しくなりて夕暮の來る
  いささかのことにいらだつ心さへさびしくなりて秋に入るかな
  鳥の聲しづかに耳にかへりきぬその日よりして秋のなつかし
  ひとり病みて我が生活より遠ざかるこの二三日の秋の靜けさ
  故わかぬ涙つときて眼ににじむこの夕ぐれを風いたく吹く
  よく眠ることをねがひて眼つぶれど眠られがたくなりし夜かな
  我を擧げて念ずる心生れ來ぬさびしき朝のその眼覺めより
  幾たびかわが心碎かれまた碎かれつ物を思へば安らけくなりぬ
  われを鞭つ何の笞ぞかなしくも我を鞭つ強かれとまたも打ちつ
  憎み心の苦さあま苦さわれほ耐ふまじ愛せよとこそ心を抱く
  口にして吹きこころむれば笛の鳴りぬあはれなる音に我をとらへて
  事なげに笑へる女白き齒は美しく冷くもわが心をぞ引くなやみたる夜
  そともらす苦笑ぞわがために可愛ゆしもの言はぬ日の小き苦笑ぞ
  只一つの齒くさり殘れるの一つの齒うづきつつわれを惱ます
 行雲篇第一集 中川一政
(32) 中川君の近頃の氣焔は全く天馬空を翔るの慨がある。天上天下唯我獨尊、われらはただ茫然として仰望、杳かにその威風に驚嘆の眼を細うして居るのみである。而してその作歌を見る、氣焔には充分威赫されてゐるし、手法に一寸巧みなところはあるし、いかにも佳いものであらねばならぬと思はるゝのだが、どうも腑に落ちて佳いものだと飲み込み得るちからがない。凡俗の身の悲哀である。行雲篇にしたところが矢張りさうで、我等はまごつきながらに空しく一篇を讀過した次第であつた。行雲流水去つて歸らず、せめて我等も此半分位ゐでも大悟徹底したいものである。
  わがつらに君がつばきしゆけりともきみをにくまむこころはなきに
  いそのうみのつめたき底の月夜蟹わがかげを見ておとろへにけり
  身はつねに暮るるにちかきここちにていまはをまちてあるここちにて
  うつくしくうまれてかへる日のあらばちたびやちたび身もくだかまし
  しろたへのころもにきよき身をつつみ死ぬる日いまはあらずなりけり
 水仙咲く日 杉野照子
 やさしい歌である。ただあまりに數多く、氣の無い歌までごつちやに集められたまま、一卷としての影をよほど稀薄にして居る。
  あたたかき春の日のもと水仙の花美しく咲き出でにけり
  そことなく春のけはひのせまり來て水仙の花咲き出でにけり
  疑は親にまでさへのびてゆく悲しきはわが荒みしこころ
  唇をかみてこの子は今日もまた人知れずこそ嘆き居るなれ
(33)  いと清く細くおのれの一念のもえてゆらげるこの頃の秋
  やるせなき心おさへてぢつと見る空はくもりて薄光りせり
  飾りなき机の上に手をくみて夕べうするる空をながむる
 渚より 藤元夕水
 新しさと鋭どさのあるのはいゝ。ただ氣取つたそれらであつて欲しくない。小さくすます小さく氣取ることは性分として私の甚だ好まぬところである。著者は福井市のまだうら若い青年であるときく。北國のその近所の人々によつて、他の個所で一寸見ることの出來ぬ明るさ、強さ、鋭さを含む詩歌を相續いて見ることを得たのを何よりも嬉しく思ふ。尾山篤二郎君がさうである。室生犀星君がさうである。藤元君の作にもまだ極めて小さいながらに同じ特色を見るのをたのもしく思つてゐる。願はくばその種の畸形となること勿れだ。
  初蝉のしみ/”\きこゆ海岸に朝の牛乳こころよきかな
  渚より夏の大空をながめやる心の病める、耐へがたき、耐へがたき
  いらいらと心にごりて血ばしれるわが眼すぎゆく秋の雲かな
  ひとすぢの悲しみをもてしみ/”\と心をえぐるここちすれども
  けふもまた一日あびてくらしけるかなしき心さびしき心
  冬の夜のあたりしづかにわがとれる酒の匂ひのうらさびしけれ
 はがぐら 中塚直三
 これは歌集ではない。
 この一卷に對しては批評的言辭を今しばらくつつしみたいと思ふ。ただ甚しく愛讀してゐるこ(34)とのみを記し、左にそれら數句を引用しておく。本書に對する批評は「人生と表現」七月號に可なり詳しく出てゐる。然し私はああまで抽象的に解剖的にのみ立脚して詩歌一般を見たくないのである。
  菓子屑に似て女工等や春日照る
  春の宵やわびしきものに人體圖
  灰の中に生きとる虫や春日影
  街行くに誤診の耻やとぶ燕
  ずか/\と田に入りて蛙釣る兒等よ
  窓の藤煌くや特に妻居ぬ日
  兒の死顔端正と見つ藤の花
  葉柳のこの夕や兒と疎み居る
  風吹いてこの夜暑きの色狂ひ
  額廣うなりゆかむ思ひ夏籠りぬ
  驚きの過ぎしに汲むや家清水
  我死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ
  兒の心ひたぶるに鷄頭を怖づ
  秋風や發病の日に似て凪げる
  赤兒見て出づ門や赫つと秋晴れて
  鍵の錆手につく佗びし晝千鳥
  灰を拂ふ心に去る地なく千鳥
(35) 三人の處女 山村暮鳥
 馬鈴薯の花 柿の村人・中村憲吉合著
 右二册とも裝幀に於て遺憾なき出來榮である。時日の都合上、細評を次號にゆづる。

       尾山篤二郎君の近業

 最近一二ケ月間の歌壇に於て特に異色を放ちつつあるは尾山篤二郎君である。言は聊か私情に渉るかも知れぬが、私は前から朝夕相逢ふ交友のうち、特に尾山君に敬畏の心を持つてゐた。その人格といひ、才能といひ、事あるごとに日を經るごとに、いよよなつかしくもわが胸に沁まぬはなかつた。ただ同君の性質に甚だ不用意な、時にのぞんで即ち發し過ぎる弊があつた。その揮發性の甚だしいところから、前かた發表してゐた作物にはその片光を宿しながらも徒らに空疎な、から元氣な、亂暴なものが多かつた。尾山びいきの人にすら、心からうなづかせることのなかつたのは全く茲から出たものであつた。ところが、昨年來郷里の金澤に歸つてわづらはしい友の群や境遇から離れて、冬かけては雪に閉ぢこめられ、やがては永い病氣にまで罹つた結果か、おのづと彼の思索にその創作に今までに見ぬおちつきを添ふることを得たのであつたらしい。このごろ見る彼の作には、前かたの弊であつた凡そで物をいふ所など、よほど失くなつて來た。それだけ作の重みを増してきた。今少しといふ憾みがないではないが、在る所に漸くものを置いたやうな安心とよろこびを我等の一群はひとしく感じてゐるのである。すつかり解り切つたやうな風をしてゐる同君は、その實大に迷ひ大に惑うて居る人である。今後の彼になほ一層の囑目を拂ひ度いも(36)のである。
 次ぎに七月の早稻田文學と詩歌とから同君の作を引いてみる。特に前者所載のものなどは一篇悉く連作風に出來てゐるので、一首々々引き出すなどは無理な話であるのだが、多少の紹介にもなれば幸ひである。

  踊り狂ひよろこばしげにおちきたる雪に心をぢつと壓さるる
  雪見れば心おそるる、眼をあげて、空のとほきに注ぐかなしみ
  一杯の酒もなし、物狂ほしき心を手もておさへつ、降る雪を見る
  仰げば心怖る、眼を落せばなほ悲しまる、あまりに雪の光れば
  魂を休むるにあまり冷し、眼を射て雪のとほく光れる
  杖もて突けば極めて堅し、朝の雪、空あを/\と地に影をさす
  彼方にわづか空あをし、あはれ、さいつ日見しままのいろ
  とはばやな、手をあげて何處知らなく、雪の舞踊にあはせ、はろ/”\
  福祉を得よ、福祉を得よ、あはれ雪のみぞ生きに踊れり
  下より見る雪のスロープ、月させば木の彫あはし、われわが影に見入る
  斷崖の上の雪、こけて身を堅く伏す、怖しきこと多き日なるかな
                         以上 雪の舞踊より
  水の滴る音をきけば、われいつか水となり、岩の間に生命を注ぐ
  崖の上に坐れば風は嬉しげにわれを廻り草はみな手を打てり、若しわれ崖をとばば彼等欣びに狂ひ死なむか
(37)  われ孤獨に疲れ全き力をこめて笑へり、皺嗄れし笑ひよ、瀕死の者のみが知る空しくして滿てる笑!
           以上 斷篇十五章より  (大正二年)

 行人獨語

 創作牡の人々の歌には、一向に欲望もなく煩悶もない。
 在るがまゝに安んじきつて、安易に巧者に歌といふものを作爲しながら、自ら樂しんで居るかたちである。何といふ生氣のない圖であらう。
 創作社の人々の歌には、概して若隱居臭味が瀰汎してゐる。何事にも早や解り切つた樣な、寸毫も不滿不安の無い悟りすました長閑な顔の行列の甚だ羨望に値すべきものがある。

 和田山蘭君の歌は、陶器の彩色畫のやうである。また、素燒をおもふ。

 小川水明君のは、ガラス細工の宮殿をおもふ。透明にして清冷無比。而してそばで見てゐて危《あぶな》つかしくてたまらない。また曰く、危篤患者に附添つてゐる氣持もする。

 小柳江村君のは、旦那藝の手品つかひをおもふ。

(38) 越前翠村君のは月夜の蟹。(註曰、月あるころ河海の蟹おほむね肉少し。)

 何かむつかしい事を云つて硬くなりきつてゐる人たちにくらぶれば、然し、山蘭君のなどは一種のいゝ皮肉である。

 加藤東籬君の作には、他の人々に比してたしかに一縷暗い煩悶の彫が沈んでゐる。けれど、その背後には例の黄《きいろ》いあきらめがペンキ繪の如くにくつ着いてゐる。

 松岡朝次郎君を加藤君に次いで聯想せざるを得ない。無氣力と相隣れる一種のあきらめ、をさまりがいかばかり彼の作品に薄ぎたない花を咲かしてゐることだらう。よく物の解つた人だけに、それが尚ほいたましい。

 おなじ聰明にも、ガラスの板もあれば水晶の珠もある。僅かに自ら求め得た或る一境に尾鰭をさめて悠々安住の夢を貪らうとする一群の遠影が眼に見えてならない。

 或るあきらめに到り得るまでには、既に幾多の努力が拂はれたに相違ないことに對して我等は尊敬と同感とを持つ。
(39) 而かも我等はその一境からいま一歩新しい歩みを踏み出さならぬものと感じてゐるのだ。稚氣、衒氣の除かれた眞虚の境地に入つて、其處から、他にけがされてゐぬ新鮮清淨の自己といふものを改めて生み出さねばならぬものを信じてゐる。

 何の自覺もなく、朝夕我等が經驗する日常の出來事、及びそれに關する雜多なる感傷を忠實に歌に收めて、自ら安じ慰めてゐる人々が可なり多い。これは自分の生といふものに就いてまだ普通一般の思想感情以上に出て見てゐないせゐではないかと思ふ。さうとしたならば、その根柢に於ては所謂舊派の歌や俳句と幾らも違つてはゐぬ道理である。この項目ついでに特に名を引くのは多少氣の毒の觀もあるが菊池野菊君一派の歌の平板にして無味淡泊なるは恐らくその源を斯の種の所に發してゐるものと認めて可からう。これは同君のみならず、「創作」に於て最も多數見受くる型であるのだ。此等の作品の極めて皮相に留り、たゞ行きずりの感興に過ぎざるなきはもとよりその筈である。

 指田縫三郎君の作が近來甚しく蕪雜淺薄に陷つたもまた右と病弊を近くしてゐるかと思はるる。彼の作には不斷の不滿があり、不平が溢れてゐる。而かもその歌はれてある所は何れとして行住坐臥の、ホンの眼前の浮世の不平に留つてゐないのはないではないか。それで我等が全生的要求、藝術的要求が滿足されやう筈がない。また、靜かにものを眺めて歌つてゐたこの人の以前の特長が次第に影をひそめて、粗々《あら/\》しい感情が何の選擇洗錬を經ずしてそのまゝお疎末に表はれ(40)てゐるやうになつた。謂はゞ淺墓な自暴的態度で自他を取扱つてゐるかたちである。

 うき世の、眼の前の世相を巧みに歌に消化《こな》す手腕に於て、江波戸白花君は矢張り一個の地歩を占めて居る。面白いと見れば、いかにも面白い。而かも彼の歌に表はるゝ不平皮肉諷刺も此頃では如何やら附燒刃臭くなつて來たのを覺えざるを得ない。さういふことをいふに倦厭を感じながらも一種の隋力でやつてゐるといつた姿ではないだらうか。彼の歌に表はるゝ感情のまことに人間の心の底より浸み出でたものとしたならば、我等は實際可笑しいの面白いのと云つてる騷ぎではなからうと思ふ。一皮剥げば何も無き手品づかひの物の哀れをもろともに覺えたくないものと思ふ。

 もつとお互ひに人間臭くあつてほしい。もつと人間であつてほしい。不盡の執着心を我等みづからの生活の上に置き度い。生きてゐることを確め度い。吹けば飛ぶやうな一生であつてほしくない。

 誰。
 彼。
 みなにもつと不平がならべて見度い。然し、もう疲れて來た。印刷せられて諸君の眼に映るとき、何の苦もなくすらすらと書き流されたものとこれが見ゆるに相違ない。實際はなか/\さうでないのだ。自分に問ひ、自分に答へ、希くぼ誤り無きに庶幾《ちか》からむため、可なり苦心して書い
(41)て居る。自分に當てはめて見て、そして自分にも諸君が持つ缺點の有ることを承知しつゝ、それに向つて言ふ心になつて筆を執つたところもある。諸君と自分との違ふだらうと思はるゝことは自分はどうしてもその缺點に甘んじて居られないといふ、唯だそれだけ位ゐのところであらう。

「創作」の歌には概して浮華な輕薄なところが少い。寧ろ無いといつていゝだらう。その代りまた生氣に富み、※[さんずい+發]溂としたところがない。謂はば榮養不良のすがたである。

 お互ひがいろ/\の新知識に缺けてゐる事もその一因であらう。無自覺で作歌に從事してゐることもまたさうであらう。希くば我等ひとしく新しき生活、新しき藝術に對する知能を啓き心痛むがまでに我等を覺醒せしめたいものである。そして、因習、流行、無自覺のそれらから絶縁したいものではないか。

 今少し眼を内部に注がうではないか。ぼんやりと、或はせか/\と外方《そと》を眺めてゐることをも止さうではないか。もつと深くわれ自らと親しまうではないか。

 純粹に缺けてゐる。眼を瞑つてそれらの作品に觸つて見るとき、どこか斯うかす/\してゐる。がさ/\してゐる。單に何かのうへに置かれてあるものゝ如く、感ぜらるゝ。
 生に皺が寄つてゐるからであらう。張りつめてゐないためであらうと思ふ。いや寧ろ自分とい(42)ふものを頭から知らないためではなからうかと思つたりする。

 幸にして、我等が仲間には彼の色盲的な、淺薄にも自他を茶化して醜い得意を恣《ほしいま》まにして居る一知半解の徒輩がゐない。見てくれ專門の、讀者ばかりを相手にして跳ね廻つてゐる芝居者《しばゐもの》がゐない。

 唯だ、新鮮にして清淨なる血液を溢るゝばかりに我等が上に持たうではないか。願ふところは、たゞ、たゞ、それのみである。
   このあと、「短唱に就て」の一章ありたれど、來號に廻りたり。從つて、本號に短唱を休掲せる理由をも述べ得ざりしことゝなれり。たゞ短唱募集に意を注げること、寧ろ舊に増すものあるを知り給へ。本號の編輯校正はおほかた病床に於てなせり。尚ほ目下或る小著述に着手中にて、匆忙目もあてられず、無沙汰其他暫く寛恕を乞ふ。(大正二年)

 「佇みて」を讀む

 土岐哀果君は勤めてゐる新聞社の用務を帶びてさきに滿洲朝鮮に遊んだ。その旅中の作二百首を輯めてこの一册を成したのである。この「佇みて」に於て土岐君は彼獨特の調子を益々強く發揮し、いまは一種の凄味をさへ帶びて來た觀がある。讀んで行くうちに、知らず/\或る調子の(43)なかに引入れられてしまふ。世間の一部では、土岐君の歌はあまりにぞんざいだと言はれてるやうであるが、私はそれと正反對の見を持つてゐる。實によく洗練せられ、琢磨せられたあとの作物であるのだ。一句もかりそめにせず、物の言ひぶりにも實に目に見えぬ用意が拂はれてゐると思ふ。だから、讀んでいかにも快い印象を不知不識のうちに受けてくる。目の速いこと、配合の要を得てゐること、その場の呼吸をよく歌の上に移すこと、物を纏めるに敏捷な事、刻々の自分の生活を常に温い興味を持つて送迎してゐることなど、みな彼の特色に數へることが出來る。私は總體の土岐君の傾向には同感し兼ぬるが、彼獨特の優れた特色、才能に對しては常に深い尊敬を捧げてゐるのである。よくやる私の屁理窟を一切拔きにして、次に「佇みて」一卷から私の眼についた歌を引いて見る。

    唾を吐けば、
     五月のまひる、
    日本の草木はみどりにかがやけるかも。

    たそがれの、
    さびしき心の前に來て、
    ボーイは寢臺をつくりにかゝる。

    浴室のきふじの靴は、びしよびしよに
(44)    濡れて、五月の
     夜となれりけり。

    や、や、−
    朝鮮服が立つてをり、白くぼんやりと、
     朝のみなとに。

    朝鮮へ來しには來しが、
     いまだ、わが
    心は遠く遊ばずあるかも。

    朝鮮の、五月のひるの
     ポプラの青葉、
    そよりともせず、鷄あそべり。

    やうやう食慾のつき、
    卓上の
     あかき葵の花びらを嗅ぐ。

    あけがたの、
(45)     よぼの畠の青麥に
    ほほじろが啼けり、おれも泣こかな。

    大豆、大豆、大豆は黄ろく、
     よぼよ、よぼよ、
    たうがらし、たうがらし、たうがらしは赤し。

    桃の花、
    秋風嶺驛の柵のほとりに赤かりし
     年後三時かな。

    わが顔のまことに黄ろく
     痩せたるが
    朝鮮に來て、さらにいとしも。

    ぎやつ、ぎやつ、――
     この鵲のこゑの、さびしさに、
     五月のあさの、眠たかりけり。

    よぼよぼと、そつと、
(46)    聲をかくれば、ふりむけり、
     南大門の、たそがれの顔。

    唾を吐き、唾を吐きつつ、
    このみやこの
     貧しき屋を通るなりけり。

    朝鮮のやくしやの顔の、ながぼそく、
    青く、ふやけて、いつか、わが
     かなしみとなる。

 以上は二百十頁ある一卷の五十五頁までの中から拔いた。まだいゝ歌と思ふもの、變つた歌と見ゆるものがあるが、何しろ一首三行でもあるし、さう澤山引く譯にゆかぬ。土岐君の歌によつて或一面の時勢相が窺はれるやうなのを見落してはならぬ。すべてのものを一種の興味化し、美化し――臭いものにふたをして行くといつたところも目につく。それが歌としてのよしあしは、私には解らない。(大正三年)

(47) 「赤光」に就いて

 齋藤茂吉君の「赤光」を讀讃んでその讀後感を可なり詳しく書いてみたのであつた。そこへ同君の「さすらひを讀みて」といふ一文が屆いたので、それを讀んでみたところ、前に私の書いた「赤光」評を發表するのがバカ臭くなつたから、やめることにした。
 ついでだから齋藤君に一言しておく。君の牧水嫌ひも執念深いもので、「アララギ」誌上殆ど二年越しずゐぶん聞きづらいいやみやら罵倒やらが續いて來たやうである。今度の「さすらひ」評も見やうによつては折からの「さすらひ」をだしにして私に對するあてこすりを書かれたものだともとられる。歌といふものにたいへんな知識確信及び忠實を持つて居られる君から色々言つていたゞくことは誠にありがたいことゝも思ふ。然し、君のおつしやることは大體に於て私にも夙うに解つてゐたことのみのやうに思はれる。若し私の希望が許さるゝならば、暫くこのまゝ私を私の自由に任しておいてほしいことであるのだ。私はいま(私のいまといふのは刻々に續いてゐるので、殆どこのまゝ涯なくして終るかも知れぬが)非常に迷つて居る。非常に迷つてゐると同時に、はつきりと眼にも見えず言ふことも出來ないが、とり除くことの出來ぬ信念を持つてゐる。其の處まで行つて見たくてたまらない。溪や溝におちこんでそのまゝ歩いて行く私からは斷えず雫が落ちてゐる。(君はその雫のみを見て常に私に喰つてかゝつてゐらつしやる、だから私は今までたゞ黙つて君のおしやべりを聞流してゐた)もと/\貪弱の身であるがため、行くところま48)で行き得ないで仆れるかも知れぬ。それはとにかく、成るべくは途中事少くしてずん/\行ける所まで行つて見度いのである。若しまた君がその私を見逃すに耐へかね、和歌忠勤軍か何かの大御旗を押し立てゝ私を叩きつぶさうとなさるのなら、それは君の隨意である。要するに個人同志の君と私とは全然別物であるので、おつしやる君の方でも言ひばえがあるまいが、聞かきれてゐる私の方でもくだらぬ煩鎖である。だから、わがまゝではあるが、この機に際して右の希望を提出した。
 斯んなことをいふと、失敬な奴だとお憤りにならぬとも限らぬ。私に關して書かれた君のものの眼に觸れる時々私もそんなことを感ぜぬでもなかつた。それもこれで帳消しになるわけだ。(大正二年)

 大會前記

□出席申込、及び茶話會席上で披露する兼題短歌投稿の〆切をば三月二十日とする。地方誌友はその申込と同時に五日間の全會費拾圓を振替で創作社宛振込まれたい。(若し何か事情があつたならば、その日までには申込だけで會費は着京の時に持込まれてもいゝが、成るべくはさうして頂きたい、各會場の手附金などに入用であるからである。)東京誌友は茶話會、觀劇、宴會、送別會等それぞれの部門を明記して矢張り同じく三月二十日までに申込まれたい。會費も右同樣前納を悦ぶ。各部門の會費を左に掲げておく。
   茶話會 參拾圓   觀劇會  壹圓
(49)   宴會 貳圓   送別會   未定
 強ち前納に限るといふではないが、茶話會はいゝとして宴會觀劇會等は申込と同時にその準備を整へるので萬一違約でもされた時は大に困るのだ、その責任を分つて貰へれば、前納には及びませぬ。
□十圓會費の内譯は、宿泊、宴會、觀劇、茶話會、送別會、電車賃、及び外出さきでの晝食夕食料から博覧會や活動寫眞等の入場料までも計入されてあるのである。博覽會時といふので普通であつたら宿屋でも一泊二三圓はきまりであろう。それを右の有樣で行かうといふのが發企人側の苦心の存する所である、驚くべき勉強といつていゝであらう。それで決して見すぼらしくなく行ひ得るつもりでゐる。宿屋は一軒借切りの約を結んであるが、これは場合では六疊に三四人づつやすんで貰ふやうなことにならぬとも限らぬ、前以てお斷りしておく。會期中は僕等も多く宿屋に泊り込むだらうから嘸ぞ混雜するだらうが、我慢してほしい。
□東京府下、千葉縣埼玉縣等の近くからは、右の十圓組でなく、五日中の一日か二日かを出席せらるるも自由であらうと思ふ。市内の人々のため、またそれ等近縣の人々のために特に廿八、廿九兩日を中に挿んだ意味もあるのだ、その兩日は土曜と日曜である。私はまた此頃多くの人に逢ふのを避けてゐたゝめ、名のみは熟知してゐる市内の誌友諸君の誰にも殆ど逢つてゐない、この機會に際して大いにお目にかゝりたいと思ふ。抂げても出席してほしい。
□各停車場に出迎へするやうに前々號かで云つておいたが、餘り仰々しいからそれは取消した。新橋着の人は驛から二三丁だから櫻田本郷町まで歩いて、其處から巣鴨行電車に乘り、春日町で