若山牧水全集第三巻、雄鷄社、488頁、600円、1958.7.30
 
  目次
 
牧水歌話
 
  第一編 和歌評釋
 
尾上柴舟氏の歌……………………………………………………………七
與謝野晶子女史の歌……………………………………………………一八
前由夕暮氏の歌…………………………………………………………三五
自歌自釋…………………………………………………………………四五
評釋補遺…………………………………………………………………六四
 
  第二編 歌集を讀む
 
『相聞』を讃む…………………………………………………………七一
『酒ほがひ』を讀む……………………………………………………七九
『朝夕』を読む…………………………………………………………八五
『收穫』合評のうちに…………………………………………………八八
 
  第三編 秀歌をおもふ心
 
さうですか歌……………………………………………………………九二
一首一句の解剖…………………………………………………………九五
人いろゝの缺點………………………………………………………一〇二
無題三四………………………………………………………………一一一
無名の詩人……………………………………………………………一一四
 
  第四編 感想斷片
 
樅の木蔭より(一)…………………………………………………一三三
樅の木蔭より(二)…………………………………………………一四四
裾野より………………………………………………………………一四八
林中の温泉より………………………………………………………一五五
技巧私見………………………………………………………………一六一
雨夜座談………………………………………………………………一六五
編輯後記………………………………………………………………一七一
 
和歌講話
 
  歌謡と批評と添削
 
座談二三………………………………………………………………一八三
萬葉短歌全集…………………………………………………………一八六
石川啄木君の『悲しき玩具』………………………………………一九一
前田夕暮君の『陰影』………………………………………………一九七
添削と批評……………………………………………………………二〇二
 
  和歌評釋
 
『雲母集』の歌………………………………………………………二一七
『桐の花』の歌………………………………………………………二二三
『啄木歌集』の歌……………………………………………………二三七
『佇みて』の歌………………………………………………………二五四
『森林』の歌…………………………………………………………二六二
年少作家の歌…………………………………………………………二六八
『與謝野晶子集』の歌………………………………………………二八二
 
  私の歌の出來た時
 
春の歌…………………………………………………………………二八九
夏の歌…………………………………………………………………二九七
秋の歌…………………………………………………………………三〇四
冬の歌…………………………………………………………………三一一
 
 
    批評と添刪
 
  歌についての感想
 
生命の欲求力その他…………………………………………………三二一
夜話……………………………………………………………………三二五
青葉の窓より…………………………………………………………三三二
桐の葉の蔭……………………………………………………………三三六
虫を聽きつつ…………………………………………………………三四八
ひとり言………………………………………………………………三五二
いろいろの歌と人……………………………………………………三六七
或る二人の詠草………………………………………………………三七三
加藤東籬集を讀む……………………………………………………三八一
 
  和歌評釋
 
その一−その八………………………………………………………三九九
 
  批評と添刪
 
その一−その六………………………………………………………四四八
 
第三卷 歌論・歌話 一
 
牧水歌話
 
(5)     序文
 
 各々の思想や感情が言語と全然同一のものであるならば是等を表現するに際して何等の困苦をも感ぜない譯であるが悲しいことには言語は如何に發達したとて單なる概念に過ぎないのである。思想や感情そのものがよし如何に微妙であり如何に無量の味を持つてゐるとしても一旦これを言語に由つて表現せむとする時多くは無味乾燥の物と化し易く同時に表現せむとする者に取つて烈しい苦痛が生じて來る。この苦痛を最も切實に感ずるのは詩人殊に短歌人である。よし吾々が思想を表現するに比軟的適當なる言語を求め得たとしてもその喜びは事實に於てかの文選職工がアルハベットの一活字を拾ひ得た單なる喜びにすら劣ることが多い。私は今迄自分の歌を見て一度も滿足の笑をもらしたことがなく夫と同時に如何にせば滿足なる一首を得ることが出來るかと考へない事はない。表現せむとする内容とそのために使用する言語との是等の關係に就て極めて無神經なる人々を暫く不問に附するとして、吾々は如何にしても我が思想感情をさほど迄に安價に見棄つる度胸もなくまた是を單なる言語に托して自己を瞞着するを快しとする迄自棄してゐないのである。この場合、表現は即ち技巧であつて又吾々の詩の生命である。かの深山幽谷に隱(6)遁して感興の生動するがまゝに聲をあげて歌ひ自己の詩が木魂となり遂には忘却の裡に葬らるゝをも意とせぬ樣な詩人及び瞬間の詩は例外とする。自己の詩的情緒を各人共通の言語によりて表現し以て永劫に自己の生命を紀念せんとする人々にとつては是等の言語を最も適當に驅使して自己と同化せしむる技巧を必要とせなければならないであらう。斯く考へれば自己の詩歌それ自身を唯一絶對とすると同時に又他の詩人が經驗した藝術上の苦心の痕をたづねて詩歌鑑賞の能力を養ひ自己が表現の參考とするのも敢て自己の生命を汚すものではないと信ずる。
 牧水歌話はこの意味に於て讀者に何物かを提供し併せて著者が藝術に對し如何なる態度を持つてゐるかをも詳かにするであらう。若し讃了後この書を介して文字以外の或物を讀者の腦裡に留めることが出來るならば著者は夫を以て滿足とするであらう。また私がこの出版をすすめた所以の一つは本書を通じて眞個の著者の如何なる人であるかを語りたいからであつた。
  明治四十五年二月十日夜            平賀春郊
 
(7) 和歌評釋
 
  ここに引いた二三の人の歌のほかに、もつと評釋して見度い人の歌が澤山ある。また曾て此他に評繹を試みたもので其原稿の見當らぬため止むを得ず除いたものもある。言ひ足りぬ所、禮を缺いた所、或は歌の眞意を誤解して居るものなどの無いとも限らぬ。それらに對しては謹んで謝意を表する。
 
     尾上柴舟氏の歌
 
 尾上柴舟《をのへさいしう》氏の作に對して略《ほ》ぼ一定せる世評といふのは、『哲學的』といふ一語に歸着する樣である。哲学的とはどういふ意味であるか、單にそれのみでは餘りに漠としてゐる。私も同じく哲學的なる批評を拒避せざる一人として私自身の見地に據る解釋を述べて見度い。柴舟氏の作物の價値は晶子女史の歌の、歌として價値多きが如きと稍や趣きを異にしてゐる。この問題を解くことがやがて氏の作の全てを知るよすがにもならうかと思ふ。私が氏の作を尊しとする所以は一に(8)此處に在る。
 氏の歌は宇宙の永遠裡に浮ぶわれといふ一個の存在物を持てあましてゐる苦悶から起つてゐるかと恩ふ。
 世に謂ふ喜怒哀樂、單純な對外的感情生活、又は一種の宗教的臭味を離れた所に氏の歌の權威はある。少くとも氏以前の日本の短歌にこの事の無かつただけでもその事業は大である。
 唯だ氏の斯の行きかたが甚だ遊離的であることが殘念である。徹底が無い。甚だ簡易なるあきらめが氏の右の苦悶の起るあとから、あとからと附いて廻つてゐる。そして今一つ飽足らぬのは、斯の感じかたが多くは單に知識の方面からのみ來てゐることである。直覚的な所がない。それに數年來の氏の苦悶(?)は早くもその思索的な所から離れて、實世間に於ける日常生活に没頭して了ひ、今日は殆んどその影をすら認むるに困難である。たまたまその思索が日常生活に接觸する際に於て、一閃の光を發せぬでも無いが、それは既に右のあきらめのために曇らされて通常一般の市井哲学にしか値しなくなつてゐる。
 是等の諸點は尊むべき氏の作物を甚だ安價に、甚だ稀薄にして了つてゐるのである。安價稀薄はまだ忍ぶべきも、間々作物全體を根本から誤解せられてゐる傾きがある。私は氏のために常に是を遺憾として居る。
(9) 以下數首を引いて短い評釋を試みる。多く明治四十年五月發行の『靜夜』、同四十二年八月發行の「永日』に據らうと思ふ。
 
   やすらけき死にや急ぐと晩秋の空ゆく鳥に目をとめて見る
 柴丹氏の歌の趣きは殆んど『靜』の一字で盡きてゐる。動搖してゐる所、派手な所は露ほども無い。この歌なども亦たさうである。秋も暮れがたの風さへ斷えた大空を遙に高く一羽の鳥が翔つてゐる、一心に行衛を定めて迷ふことなく靜かにとんでゐるその姿は、心おきなく死の國へ急ぐものとも見受けられる、といふ意味である。死に急ぐ姿に見ゆるといふ烏は即ち死そのものの姿といふも差支へないであらう。作者は空を行く一羽の鳥に寄せて自分の死に對する憧憬を漏らしてゐるのである。
 
   美しき死をば死なむと弱りゆく※[虫+車]《いとど》の聲をきく夜ごろかな
 秋もすゑ、夜ごと/\に弱つてゆく※[虫+車]の聲に聞き入りながら、どうかして迷ひのない汚れのない『死』へ自分の生命を任《ゆだ》ね度いものだと靜かにわが身の行衛に心を集めてゐる境地の歌。
 
(10)   よもすがら聞くやこほろぎとこしへの生命《いのち》に倦みし人を悲しみ
 眼を瞑ぢて永遠の生命をおもふ、おもへども/\盡くることなき苦しさよ、そのくるしさに、ふと心をそらして戸外の蟲に終夜耳を傾けてゐたといふ。佳い歌だが難がある。三句の『とこしへの』から下が何となく露氣《つゆけ》のない説明に陷ちてゐる。折角の境地の情趣が甚だしく荒らされてゐる。また『とこしへの生命』などといふ大きな言葉も餘りよく使ひこなされてゐない。どうにでも意味の取れぬこともない。
 
   ふたたびは生れむ國の聲ぞとも細かに吹きぬ夕秋の風
 少し厭味のある、腰の弱い歌ではあるが棄て難い。死してまた生るるときく次の世の聲ででもあることかと秋の夕暮の風に耳を傾くるといふ歌。説明と描寫とが混同して用ひられてあるので明瞭を缺いてゐる。『ふたたびは生れむ國の聲ぞとも』は説明で、そのあとは描寫風になつてゐる。
 
   窓の灯の油の壺に小さなる波見て秋の夜を更かしけり
 前の一二首よりか遙かに透明な、佳い歌である。窓際の机に凭つて燈下に獨り坐つてゐる、戸(11)外には折々庭の樹木を鳴らして風が過ぐるが、此處の獨座の境を妨ぐる迄で無い、夜の更くるに從つて愈々心も澄んで來る、眼に入るもの、心に映るもの、いま唯だ『我』あるのみ、イヤ、我が前の洋燈の壺に微かに動くともなく、油の液が動いてゐる。――氏の歌にしては珍しく油の拔けた一首であると思ふ。
 
   もの言へばみな見かへりてさて行くよ書《ふみ》のなかなるいにしへ人は
 靜かに古書に對へば、書中の人々皆ちらとわれを見返つて、さてさつさと待つて了ふといふ讀書感の一つである。『もの言へば』は強ち書中の人に向つてものを言ひかけたわけでなく『一心に讀み入れば』位の意味であらう。即ち、古來の書に由つて安らかに我身を導かれんことを求むると雖も、彼等はただ輕き瞥見を與へたに過ぎぬ、我は依然として我のみの我である、といふのがこの歌の底の意であらう。
 
   うしろ影われによく似る古き世のあくたを運び倦《うん》じたる子は
 これも前のと同じく述懷の一つ。歴史や知識や畢竟ずるに何ものぞ、自分以前にも自分と同じく古來の書籍や傳説に由つて一切の解決を得ようと藻掻いて、そして、失望してそのまま迷ひを(12)續けて行つた人達が澤山ある、その寂しいうしろ影の何ぞ我身に似たことかといふ絶望もあり、自嘲の氣味もある一首である。『うしろ影われによく似る』はよく利いてゐる。
 
   あたたかう胸にしむ香をふとおぼえ土に心のよる三月《やよひ》かな
 氏は時として、自分自身との對座に倦んだ末に、この宇宙の自然物に惆悵《ちうちやう》憧憬の思を寄することがある。これなどもその中の一首である。三月が來た、何とも知れず胸の奥に沁み入る香のある心地して、わが立つ地にそことなくなつかしく心を寄するといふ歌。これは霜解け、草萌えそむる三月の歌。氏の作には矢張り秋の風物を咏んだものが多い。即ち、
 
   しづやかに月は照りたり天地の心とこしへ動かぬがごと
 何も月があるから秋の歌だと斷定するのではないが、氏の作であるだけに是も秋の感じを誘ふ一首である。天に雲無く、地に風無く澄み渡つた夜のなかに、青く、白く、げに靜かにも月の照りたることかな、と一輪の月の心を宇宙の全ての心として、その靜寂をよろこんだ歌である。
 
   月照れりかく聞くからに潜《さん》として涙はおちぬ雨のごとくに
(13) 靜けさに生きた彼は、唯だ月照れり、と聞くだにもその心既に慟哭せむばかりに躍らざるを得ないのである。彼の『靜』を愛し、『自然』を愛する絶叫がこの一首となつた。氏の作にしては稀に見る激しい口調で、よく緊張してゐる。その場の氣分も充分に出てゐると思ふ。若し此一首に次いで氣分の豐かな作を求むるならば、
 
   つけすてし野火のけむりのあかあかと見えゆくころぞ山はかなしき
 春の初め、田舍の國人は山や野に火をはなつ。まま開墾の目的でも行ふが、多くは古い枯草を燒いてわが飼へる牛馬のために新しい軟かな若草を穫むとして、毎年二月三月の頃に附近の野山に火を放つ。我等は田舍に生れたがため、よくこの野燒きの心もちに親しんで居る。最初に火をつけるのは能く風の凪ぎがちな夕方から始める。そして燒かうと豫定した區域の盡くるまでは一日でも二日でも燃ゆるままに放任しておく。靜かな日の多い春の初め、特に凪ぎ渡つた夕暮など火はほの/”\と紅味《あかみ》を帶びて杳《はる》かの山の中腹にうね/\と燃えてゐて、しつとりした匂ひをふくんだ薄い煙が麓の村里へ下りて來る。その煙の匂ひを聞き遙かにこの山の火を仰いでは、言ひ難いものの哀れを感じた頃の少年時代が中々に忘れがたい。これは自分一人の追憶であるけれど、この追憶のない何人でもこの一首の歌を讀んだならば必ずこれに類したこころもちを了解するに(14)相違ないとおもふ。私は曾つて甲州ざかひの連山を歩いてゐて、偶然にも自分の歩いてゐる峰の一部の燃えてゐるのを見出し、そぞろに歩を止めて涙を落したこともある。また或る時房州の海岸から、ゆくりなく海を距てた伊豆の山に火の放たれてあるのを發見して、其儘砂の上につき坐つて夜氣に病體の侵さるゝを忘れたこともある。春の初めの其頃になれば、その火を見、その煙を嗅がなくては、どうも春に逢つた樣な心地のせぬ位にその野火を戀しく思ふ。牛馬のために村人に放たれて山腹を這へる火の裏には、靜かな、やるせない生活の匂ひもひそんでゐるであらう。
 
   玻※[王+黎]《はり》の戸に重きかしらをもたすかな出で入る人を冷やかに見て
   夕暮の空に富士ありわが心著くところなく旅の道ゆく
   またしても憂き旅人となりにけり杉生《すぎふ》のうへを富士のうごける
 など右の野火の歌と共に何れも旅の歌であるが、旅中の作となると不思議に濕ひを帶びて來る。この暫しの間は、氏が一切の理窟から離れて人間本來の心に返つて居るからであらうかと思ふ。けれども、旅の歌は甚だ少い。
 
   ああしづやかここに母なしわれもなしただ相向ふ顔二つあり
(15) これは母君を失はれた際の作。歌にはいささか消化しきらぬわざとらしい所があるが、これにもどこか氏の人生觀、若しくは死生觀といふ樣なものが影を見せてゐる。母の死顔をぢいつと見詰めて居ると、もう母の死んだといふことも自分の生きてゐるといふことも何も考へられぬ、唯だひとつの心が遠くの方へ限りもなく流れてゐる樣な、といふ寂しい悠久な思ひに身が浸つてゐる場合の歌であらうと思ふ。顔と顔と相對してゐるといふ樣な目の前の現實をば現實としておいて心は遙かにそれらを離れた所に走つてゐるのであらう。
 
   起き出でて今日のどよみにまた入らむいまし時計は六時をぞうつ
   あさなあさな心に逐はれ身に逐はれつめたき土を出でて踏むかな
 是等は氏が靜かな心を持して實生活に入らむとする際に起る感想であらう。以下少しく此種の歌を引いて見る。此場合にも何等うろたへた厭味な筋はないけれど、何となくその影が濃くない。歌に熱がない、餘りに弱々しい。
 
   くやしくもまことを云ひつ巧なるつくりがたりの群にまじりて
 世間の人々はみな虚僞の言動の裡にのみ生きてゐる、その中に交つてゐながら何としたことぞ
(16) 自分はツイ眞實のことを語つて了つたといふ、世間に對して固く引締めて居る心を吾れ知らず一寸ゆるめて周章《うろた》へてまた引締むる場合の歌であらう。成程と合點は出來るが唯だそれだけのことでさして大した同感も起らない。老人の繰言を聞いた場合の興味位ゐしか起らない。
 
   電車來り自動車來るとばかりにわれは大路《おほぢ》を横ぎりしかな
 市街に於ける自分の小さな姿を咏じたものである。厭味らしい小主音のないだけ前の一首よりこの歌が秀れてゐるだらう。
 
   新らしき手袋はめてここちよく冬のちまたを行くあしたかな
 これも日常生活に於ける小さな出來事に係る自分の姿を咏じた一首。自然に圭角も除《と》れてその日常生活裡に從順に流れ込んだ自分といふものが、流されながらに微かな滿足に甘んじて居る風が見えて決して惡くはない。けれ共前からの氏の歌を讀んで來た身には何とも云へぬはかなさを覚えざるを得ないのだ。
 
   垢つきて垂るる電車の釣革にすがりゆらめくこの不安かな
(17)   終點の電車下りてしばらくのこの自由なる身を立たすかな
 みなさうである。しんみりとした靜かな歌で、決してわるくはないが、何となく作者の自らあきらめて落着いた小さな姿を、讀者もその場の出來心で一寸憐れみ度い樣な心地になるではないか。私はそれがいたましいことに思はれて仕方がない。
 
 早や定められた紙數を書きつくした。氏の作に就いてはまだ言ひ度いことが澤山ある。けれ共筆をおかねばならなくなつた。とにかく、以上だけでも我が信ずる柴舟氏の歌の姿をば諸君に紹介し得たと思ふ。今までは重に氏の長所を説きこれより少しくその短所と認むる點に就いて述ぶるつもりでゐたが、それも止めねばならぬ。尚ほ説き殘した佳作を此處に附記してこの章を終へやう。
 
   ふわふわと青の木ぬれを雲流る思ふことなく窓に居よれば
   おなじ地におなじ木ならび今日もまたおなじ葉と葉と相觸れて鳴る
   おのづから手こそ額《ぬか》をば支へけれ部屋に人なきしばらくの間も
   ひややかにこの大地《おほつち》はわれを載せゆるくめぐれり月と日の下
(18)   絶間なき心の中のたたかひをたすくとならし今日も風吹く
   忘れたるものあるここち今日もまた夕日の森をうな低れてゆく
   物怖《ものおぢ》は秋ぞもて來し葉をすべる露の音にも胸そぞろなる
   遠き樹のうへなる雲とわが胸とたまたま逢ひぬ靜かなる日や
   波もなき湖《うみ》の底にしいたるらし沈むこころの猶やすらけき
 
     與謝野晶子女史の歌
 
 今私の手近に與謝野晶子女史の『舞姫』『夢の華』の二歌集があるのを便りとして、此等二集中の歌を茲に引く。兩書共に女史が才筆煥發した際の作だと世に定評がある。『夢の華』以後にも『常夏《とこなつ》』及び『佐保姫』が出て居る。近くまたそれ以後の集も出る筈だとか聞いて居るが、最近の作はまたそれとして後に引くことにする。前記の二集を先にしたわけは同女史の作風が天下を風靡してゐた時代に出たものでもあるし、女史が或一期の作風を知るに甚だ便利であるからである。
 
(19)   美くしき女ぬすまむ變化《へんげ》もの來よとばかりにさうぞきにけり
 變化ものは妖怪變化の徒をいふ。さうぞきにけりは裝束《さうぞ》きにけりで裝束を着けること(從つて化粧する意味も伴ふ)、即ち美しい女を盗まうといふ妖怪變化が世に居るならば、さアいまやつて來よ、私は斯の通りに粧ひ凝らしてお前どもの前に立つて居る、いつでも盗まれて行かうぞよ、といふのが表の意味で、いふまでもなくわが姿の花を欺く美しさに衿り驕《おご》つた心持を歌つたものである。一句一句に重なつてゆく調子の高さが先づ作者の感興の甚だ充實してゐたことを示し、歌つてある題材は題材だし、相應じて牡丹の花のやうな濃艶な一首となつて居る。牡丹の花と云へば晶子女史の當時の作物は全體に渉つて均しく牡丹の花のやうな風情を帶びてゐたものである。尚ほ二三の例を引けば、
 
   かざしたる牡丹火となり海燃えぬ思ひみだるる人の子の夢
 みどりの黒髪に燃え立つ樣なくれなゐの牡丹の花をかざしてゐた、そして、飽くこと知らずわが戀人に思ひ耽つてゐる間に、いつか心は亂れ/\て夢ともうつつともなく髪の牡丹がまことの火焔となつて燃えに燃え、終には大海のやうに燃えひろがつて行くやうな、といふ一瞬の狂熱を歌つたものである。
 
(20)   わがこころ君を戀ふると高ゆくや親もちひさし道もちひさし
わが心君をおもひおもふ時、眼中、親もなく、道徳も無し、と思ひ昂じて喝破したものである。高ゆくやは次第々々に思ひ昂じてゆく時の心を言ひ表したもので、誠に味のある一句である。一體に晶子女史の歌は調子がいい。而かも甚だ自然である。その時の心持が言葉や調子の上にしつくりと乘つてゐる。
 
   隣國に走り火さすな鎭まれと山を拜ろがむ山禰宜たちよ
 山禰宜は山神に奉仕する神官をいふ。昔高山大澤の如きには必ず神靈あるものとしてこれらのものを人格化して畏敬してゐた時代があつた。この歌はその心持を會得してから讀まねば面白味が無い。即ち、とある山に不圖火を失した、折からの風につれて見る見るうちに山一杯に燃え廣がつて、やがては境界を接した隣國の山へも飛び移らむとして居る、それと見たその山の神官共が周章へ騷いで、色を失ひながらも、あはれ願はくは鎭火してたぴ給へとおめき叫んで祈つて居る壯觀を歌つたものである。斯ういふ純客觀的な物語風のものであるが、しかも惻々として人に迫る強い情緒を有つて居る。これも題材の選擇と調子の高いところから來てゐるのであらう。所(21)がその得意な題材の選擇調子の巧妙が、却つて禍をなして失敗の作となつてゐるものがまた少なくない。例へば、
 
   おん舟に居こぞる人の袴より赤き紅葉の島さして來ぬ
   燭さして赤良小舟《あからをぶね》の九つに散り葉のもみぢ積みこそ參れ
 前の一首は、舟に乘込んだ人々の(勿論女官か何かであらう)袴の色より更に赤い紅葉の島にやつて來たといふ。後の一首は九艘の(九といふに意味は無い、唯だ許多の舟くらゐの意味)赤い舟にあかあかと燭をつけて眞赤に散り敷いてゐた紅葉を掻きあつめて積んで來たといふ歌。二首とも唯だ色彩のあくどいわざとらしい配合が目につくだけで、却つていかがはしい廣告繪でも見るやうな惡感が起る。
 
   牡丹いひぬ近うはべらじ身じろぎにうごかばかしこ王冠の珠
 王さまの部屋に一莖の牡丹があつた。王さまには之を愛するあまり、今少し身近においてその燃ゆるやうな花を見やうとの意がある。その時牡丹の曰く、いえ/\私は參りますまい、あまりお傍近く參つて萬一わが君の王冠の珠にでも觸つたら如何しませう、まア、想うてさへ勿體な(22)い! といふ歌。これも餘りに厚化粧に凝り過ぎて折角の牡丹も王冠の珠も――即ち歌全體が死んでしまつた。
 
 以上擧げた歌のうち「わが心」の一首を除いては、何れも純抒情の歌でない、どこか物語風な、叙事的な所がある。これが當時の女史の一大特色で、女史の良人寛氏にもこの傾向があり、一般の風調と餘程趣きを異にして居る。新派が起つて初めて見得た歌風でもあり、その作者の特色を重んずる點に於て、またこの特色を發挿するに甚だ非凡なる才能の動いてゐる點に於て、私は人一倍敬意を有つて居るが、私一個の主張や好みから云ふとこれが甚だ物足らぬ。成程一寸見はいかにも自立つて活々として面白くもあるけれど、何處にか作爲のあとがあつて、根柢の無い(少くとも弱い)所がある。だから讀者の方でも眞剣になつて讀めない。讀むには讀んでも其場限りの興趣で終つて了ふといふ傾きがある、心に殘る所が少い。近來の女史には次第にこの傾向が薄らいで來た樣であるが、『舞姫』前後は大半これらの歌で滿ちてゐた。今少しその優れた作を引いて見よう。
 
   春の月縁の揚戸の重からば逢はで歸らむ歌うたへ君
(23) 朧ろなる春の夜、ふら/\と心うごいて更けたも知らずにツイ通ひなれた戀人の家に足は向いた。來て見ればもう縁を廻つて雨戸がしつとりと下りてゐる。靜かな月の光がそれに流れて開《あ》けうとて容易にあきさうにも無げに見ゆる。それでは私は歸ります、ただせめてものことに歌なりと揚戸ごしに歌つて下されよといふ位ゐな輕い醉つた樣な趣きをうたつたものである。古代の戀のすがたであらう。
 
   うすいろを着よと申すや物焚きしかをるころものうれしき夕《ゆふべ》 香をたきこめたころもを着けて、ゆふべ靜かに居るに、心は何となくときめく。その姿を見て、同じくば今宵は薄色の衣を着けたまへと傍からひとが(恐らくはこれ愛人)すゝめたといふ歌。
 
   京の衆に初音《はつね》まゐろと家ごとにうぐひす飼ひぬ愛宕《おたき》の郡
 京に住みたまふ人々に玉のやうな初音を聞せ參らせむとて家々でみんな鶯を飼つてゐます、山城國愛宕郡では――舊都をめぐる村落の初春の風情が見えぬでもないが、聊か誇大に失してわざとらしい感が起る。
 
(24)   春の雨高野の山におん兒《ちご》の得度の日かや鐘おほく鳴る
 山高く、老樹古木に世をへだてた高野の奥に、けふはまた何方かやんごとなき兒さまの御髪《みぐし》おろさせ給ふ日なるべし、春雨のしとしとと小止みもなきに、あの鐘の音の多く鳴ることよ!
 
   君が妻いとまたまはば京に往《い》なむ袂かへして舞はむと思へば
 よろしう御座います、さう仰有るならばわたしは京へかへります、また/\昨日のやうにあの長いくれなゐの袂をひるがへして誰に氣がねもなく舞ひ出でませうほどに、といふうら若い妻の一寸した口説《くぜつ》のあとの怨言《かごと》と見るべきものであらう。
 
   夜によきは爐にうつぶせるかたちぞとうきおん人のものさだめかな
 思ひ屈し、思ひ怨むことがあつて、傍なる人にものも言はず、ひとりそむいて圍爐裡に近くうつぶして居ると、つく/”\自分の姿を見つめてゐたその人が、それ/\夜のその姿はまた一段だと、憎くやうち微笑《ほほえ》んでいらつしやる!
 
(25)   京の宿に五人のひとの妻さだめ妻も聞く夜の春の雨かな
 若い五組の夫婦が京の宿屋に泊り合せて、春雨の夜のつれ/”\から話は妻の品さだめに移つた。或男は心の優しいのを採るといひ、或る男は姿の美しいのを選ぶと言つた。あれよこれよの無遠慮な暢氣な談笑を、傍ではそれ/”\五人の妻が、これも微笑みながらも心を留めて夜の更けるのも知らずに聴き入つて居る。戸外には尚ほ雨の音が斷えぬ。
 
   母と伯母夜は涙のながるると見しり顔する小さき人よ
 まだうら若い姉と妹とは何彼につけて耐へぬ思ひを語り合つては互ひに慰めつ慰められつして居る。今夜もまた兩人だけ向き合つて、誰に氣兼もない打明話のすゑは、いつものやうに思ひ餘つた涙にかき暮れて居る。するとその傍に餘念もなく遊び耽つてゐた妹の子供が、ふいとその兩人の泣顔に目をつけて、また今夜も泣いて御座る、母さまと伯母さまとは夜になつたら屹度のやうに泣かねばならぬと決つてゞも居ることかと獨り合點の知つたかぶりをして、また餘念もない自分の遊びに取懸るといふやうな風情を歌つたものである。輪郭だけではあるが、短い物語でも讀むやうな心地がする。この歌にせよ前の數首にせよよくも斯んな複雜な事柄をすら/\と素知らぬげに客易《たやす》く詠み込まれたものだと思ふ。この二歌集には隨所に斯の種類の歌が載つて居る。(26)次に私は同女史の叙景の歌を擧げて見度い。
 女史の叙景の歌についても私から言ふと大分不滿がある。以上に述べたとほりの作爲のあとがまた叙景の上に見えて居る。都合よく景物を配合し對照して如何にも調子よくまた綺麗な(俗にいふ繪のやうな)景色が歌の中に仕組まれて居る。天然の姿といふ所がない、目さきばかりの感がともすれば讀者の胸に起る。例へば女史の作中に多い杜鵑の歌(叙景と限るわけでなく)を茲に引いて見よう。
 
   初夏の玉の洞出しほととぎす鳴きぬ湖上のあかつき人《びと》に
   ほととぎす東雲どきの亂聲に湖水は白き波立つらしも
   ほととぎす安房下總の海上に七人ききぬ少女子まじり
   ほととぎす海に月照りしろがねのちひさき波に手洗ひ居れば
   ほととぎす水ゆく欄にわれすゑてものの涼しき色めづる君
   ほととぎすきき給ひしかきかざりき水の音するよき寢ざめかな
(一)は初夏の玉の洞からでも出たやうな清しい杜鵑の聲が曉の湖上に船を浮べてゐる人の上に落ちて來たといふ歌。(二)は亂れ啼く杜鵑の聲にさそはれて曉の湖水には白々と波が立つやう(27)だといふ歌。(四)は月夜の海上で白銀のやうな波に手を洗つて居るとその鳥が啼いて通つたといふ歌。(五)は朝の寢ざめに添臥して居る人にあなたは咋夜ほととぎすをお聞きでしたかと訊ねると否や私は聞かなかつたと一方は答へる、靜かな朝の枕もと近くさら/\と玉を轉ばすやうな水の音が聞えて來る、さてはあの水の音ではなかつたかと、うつら/\自分の耳を疑ひ始めるといふ歌。
 何れも立派な杜鵑に適した趣きの見ゆる歌ばかりであるが、餘り都合よく景と情との配合が出來上つて居るではないか。本當に繪のやうだ。私は斯の繪のやうなを嫌ふ。もつと自然でありたい。私も杜鵑を愛する一人だが私の感ずる眞實の杜鵑の風情は斯んなお芝居風の平面的のものでない。或人が女史は日本古來の文學の中に出て来る文字上の杜鵑を知つてゐるきりで本當の鳥をば知らないのではないかと云つたことがあるが、或はさうかも知れぬ。杜鵑以外の歌にも斯ういふ傾向は溢れて居るが、それはそれとして、實に得難い美しさと巧みさとをば常に感ぜしめられる。
 
   遠つあふみ大河ながるる國なかば菜の花さきぬ富士をあなたに
 遠江の國に大河が流れて居る(大井川天龍川)。その河のほとり、雪白き富士をうしろに國を(28)埋めて菜の花が咲き亂れて居るといふ歌。模樣風の日本畫を見るやうだ。
   保津川や水に沿ふなる雌松山《めまつやま》幹むらさきにしののめするも
 保津川は京都嵐山の峽間を流るゝ川。その川に沿うた雌松林(俗に赤松といふ)の美しう立ち並んだ幹々に東雲時の紫がかつた微かな光が流れそゝいで居るといふ歌。松の姿、水のすがた、ほのぼのと明けそむる朝の日かげの靜かな尊いありさまが目に見えるやうだ。
 
   絽の蚊帳の波の色する透きかげに松|千《ち》もとみる有明の月
 涼しい夏の明方、風も絶えて天地は水のやうに靜かである。ふと眼がさむれば波に似る薄縁色の絽蚊帳を透いておばしま近く千本萬本松の木立がうす青く見渡される。木立の上にはあるかなきかの有明の月の光が流れて居る。
 晶子女史の叙景の歌に續いて純抒情の歌を當時の作中から引くつもりでゐたが、そのうち幸ひ同氏最近の歌集『春泥集』を見ることを得たので、今度はその中から引いて昨今の女史が咏みぶりを覗ひ度いとおもふ。
 『春泥集』も前の『舞姫』『夢の華』とその歌の趣きにさう大した相違はない。唯だ第一に氣の(29)つくことは歌の分子が非常に濃《こまや》かになつたことである。内容といひ、調子といひ實にそのきめがこまかになつて居る。特にその調子では現代に於て口語を除いての日本語の粹をつくしたとも言へるほど巧みに言葉や文句が自由に易々と使つてある。斯うなると言葉そのものに既に一抹の包もあり匂もありげに見える。
 順序なく、目についた歌を此處に引用して見よう。
 
   よそごとに涙こぼれぬある時のありのすさびにひきあはせつつ
 或る時々の自分の物思ひに思ひ及んで、何だか自身のことでも無さ相に、泣くともなく涙がこぼれて來るといふ意味であらう。過ぎし日のありのすさびの物思ひに涙を引きあはするといふ樣なよそよそしい言ひかたが、初句のよそごとにといふ言葉によく適《かな》つてゐる。ほろ/\と自分の頬を傳ふ涙を、ずつと離れて見てゐる靜かな心地が誠によく表れてゐる。丁度この一首は白い絹絲でも引いた樣な情緒であり、調子である。
 
   おきふしに惱むはかなき心より萩などのいとつよげなるかな
 朝夕の起きふしにさへ惱むほどはかなくも衰へた自分の心がらから、あの萩のやうなものまで(30)が大變に強さうに見えまするといふ歌。何かの物思ひにやつれはてて、もの憂げな惱ましい瞳に薄や紫苑の亂れたなかにたちまじつて居る萩を眺めながら、ねたましい樣な心もちも混つてこの歌が出來たのだらうと思ふ。雨に亂れた秋草、その前に物おもふ人、その場合の心もちが斯の調子によつて遺憾なく出て居るではないか。
 
   はかなかるうつし世人の一人をば何にもわれはかへじと思へる
 頼み甲斐も無く果敢ないこの現世の人の中の一人を、私は、天にも地にもかけがへないものと思ひ込んで憑《たよ》つて居りまするといふ歌。幾分か自分のはかなさを嘆《かこ》つた所もあるし、また幾分か自分を嘲つた心持の見えぬでもない。六かしく云へば戀に対する疑ひの聲だとも言へやう。要するに遣瀬ない戀の一面の嘆きである。斯ういふ嘆きは盲目的に大騷ぎをやつて居る戀の時代には起るものでない。心がやや落着いて自分のいま居る周圍を見廻すやうになつてから起つて來るあはれさの一つである。その心もちとこの落着いた騷がぬ咏みぶりと何とよく調和して居ることぞ。
 
   わが如く君ゆゑに泣く人ひとりこの世にあるが苦しかりけり
(31) 自分と同じやうにあなたに思ひ込んで居る人がこの世にもう一人あるために日夜云はうやうなくつらい思ひに責められて居りまするといふ歌。これも沈んだ戀の嘆きの一つである。別に嫉むでもなく怨むでもなく唯だ自分一人で耐へ難い苦しさに耐へ忍んで居る場合の寂しい沈んだ歌である。
 
   わが外に君が忘れぬ人の名の一つならずばなぐさまましを
 これは云ひかたの巧みな一首であると思ふ。歌の意味は私以外にあなたのお忘れにならぬ女の名が唯つた一人だけでなく、幾人も幾人もあつたのならば、まだしも慰むことが出來ませうに、といふのである。つまり、この私の外にあなたの御心に殘つて居る女が二人や三人で無いといふのならば、お心の浮氣さを思ふばかりで左程に氣にも留めないで居られませうものを、たつた一人のあの人のことだけが私と並んでお心のなかに殘つて居ますばつかりに片時も安い思ひが致されませぬといふのである。前の一首と違つてこれには一寸すねた姿も見えて居る。巧みさは落ちるかも知れぬが寧ろ前のの方が重味があらうかと思ふ。
 
   三十路をば超していよいよみづからの愛づべきを知りくろ髪を梳く
(32) 佳い歌だ。十九、二十歳の若かつた頃には餘りに眼の前のあれこれを捉ふるに忙しく、何彼と思ひ驕つてはゐたもののほと/\自分といふものをば忘れてゐた、いま斯う三十をも越すやうになつて、漸く身も心も落着くにつれ今迄殆んど知らなかつた樣な自分といふものに氣がついて、ます/\その可愛ゆさ尊さの念が増して來る、そして事新しげに可懷《なつかし》くも自分の黒髪を梳きあげるといふ歌である。初句から四句までが説明臭くてそのため多少の情味を缺いた氣味はあるが、歌はれたことがことだけに何となく強く身に沁みる。
 
   わが机袖にはらへどほろろちる女郎花こそうらさびしけれ
 また優しい歌を引く。心してわざとやさしくこの袖で机をば拂つたものを、まああの女郎花の散ることは、といふのである。机の上にほろ/\とこぼれ散る女郎花の花びらに寂しい思ひを寄せて佇んだその机のあるじの面影までも見ゆるやうである。
 
   さびしかる銀杏の色のくわりんの實机にありぬ泣かむと寄れば
 朝夕倚りなれた文机に面をふせて思ふさま泣かうものをといそぎ心地に來て見ると、銀杏色をしたくわりんの實がひとつほつかりと其上に載つてゐたといふ、輕い一寸したスケツチ風の歌で(33)あるが、其場の何ともつかぬさびし心がよく味はれる。くわりんとは秋みのる香の高い薄黄い果實である。大きさは先づ柿ほどで一寸細長い寂しい形をしてゐる。
 
   わがはした梯子の段の半《なかば》より鋏おとせし春の晝かな
 これもスケツチ風の、どうかすると蕪村の俳句にでも見やうかと思はれる趣きの歌である。下女が梯子段から鋏を落したといふ些細な出來事にたつぷりと動いた春の晝の氣分をこの作者は見逃さなかつたのである。初句の「わがはした」のわがとあるのも一寸したことだが甚だ味のある言葉だと思ふ。ただはしためがとして了へばこの鋏の落ちた春の晝の或る一家の氣分を表すに餘程ちからが無くなると思ふ。
 
   むらさきと白と菖蒲《あやめ》は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで
 女史獨特の美しい歌である。池のなかに白とむらさきのあやめが咲き混つて、しかもどことなくめい/\によそ/\しく綺麗に咲いてゐるといふ。このあやめを直ちに美しい男女によそへて見るもいいだらう。
 
(34)   戀をする男になりて歌よみしありのすさびの後のさびしさ
 いさゝか飄逸な趣きのある歌。女の身でありながら戀をする男の心もちになつて女を思ふ歌をつくつた、そのかりそめごとのあのうらさびしさよといふ意味である。よくありがちのことを輕く言つた所に棄て難い味がある。
 
   都をば泥海となしわが子らに氣管支炎を送る秋雨
 秋雨を咏んだなかでは恐らく最も新味あるものであらう。降り續く秋雨にわが住む都は泥海のやうになつてしまつた、空は暗く家は濕つたなかに私の子供はみな氣管支炎に罹つて了つたといふ歌。
 
   日輪はめでたし五十日雨雲のちりばふことを許さぬ時に
 五六十日も照りに照つて大空の隅にだに雨雲一つ散らばふことを許さぬ時、心より日輪の偉なるをおもふと太陽を讃美したものである。この一首にせよ、前の秋雨の一首にせよ、隨分思ひ切つた大膽な云ひかただが、腕が腕だけにすこしも不調和な感じを誘はせぬ。
 要之、『春泥集』一卷は今迄の女史の作に比してひどく歌に落着きが出來、歌の情緒氣分、及(35)ぴそれを言ひ表す手法上に一體の調子が甚だしく濃密になつて來たのが先づ最も目につく。猶ほ女史の特長及び缺點といふべきものをば、他日他の作家と比較して論評して見度いと思つて居る。
 
     前田夕暮氏の歌
 
 『収穫』は夕暮君の歌集、いまそのなかから色々の歌を拔いて短い評釋を試みる。
 
   別れ來て晩夏《おそなつ》の野に草を藉《し》き少女のごとくひとりかなしむ
 別れたあとの疲れたもの靜かな哀感は世に最も清々《すがすが》しいものの一つであらう。その清い、弱々しい感情の裡に自分を解き放つて、まるで初々しい少女の樣な心地になつて、留め度もなく悲しみ耽つて居るといふ歌。野は漸く秋に入らうとして草には沈んだうす黄色い晩夏の日光が流れて居る。薄黄な日光を浴びて、両手で頭を抱いて居る男の寂しい肩も眼にうかぶ。
 
   すてなむと思ひきはめし男の眼しづかにすむを君いかに見る
(36) 心はつめたく醒めて居る、その心を宿して双の瞳は水のごとく冴えて居る、哀れなる女はその瞳の前に何も知らずに坐つて居る。女よ、お前はまだ私のこの瞳《め》の光に氣が附かないのか、と憫れみ、嘲つた氣持が冷たく我等の胸にも傳はる。歌の上からいふと君いかに見るの五句が餘程だれて居る。
 
   かへり行く女よ汝《なれ》が肩あげのさびしきあとにほこり浮く見ゆ 『左樣なら。』『左樣なら。』
 言葉數もすくなく別れやうとする、うつむいて室を去る女のあとに從つて自分も立上つた、夢中になつて頬をそめて語り合つてゐたツイ先刻までは氣の附かなかつた女の肩上げあとの所にほこりが浮いてゐるのが急に自分の眼についたといふ歌。肩あげのあとといふのが既にうらさびしく身にしみる。それに微かにほこりが浮いて居るといひ、別れ行く女の後姿といひ、自然今まで二人の話し合つてゐた事がらなどまで想はせられるのだ。
 
   崖上《がけうへ》の秋の梢をみてありぬ別れしあとの午後のひととき
 この作者は蜜語抱擁の戀の歡喜をば歌はずに、つねに別後の哀感――而かも餘り急迫せぬ物靜(37)かな哀感を歌ふ事に親しんで居る。これもその中の一首。取亂さずに自分を客觀視して居るので大變明かにこの歌の境地に在る作家の姿が表はれて居る。うらみを言へば場所が少し不明である。斯ういふ風に歌ふならば矢張り明細に場所を寫した方がよくはないかとおもふ。室内の別れかそれとも野外の逢引か、直ぐわかる樣にして貰ひ度かつた。
 
   秋の宵机の上の白菊のにほひをやかぐ別れしをんな
 これは別れて家に歸り去つたころの女を想ひやる歌である。灯のかげの白菊の香がどんなに深くそのひとの胸の奥へ沈んで行つたであらう。
 
   つかれたる皮膚にしづかにこほろぎのねのひびくなり獨りねの夜《よる》
 それほど佳い歌ではないが、皮膚にひゞくといふこの皮膚といふ字がひどく心持よく心を刺す。かすかな蟲の音にそそられて何となく皮膚のいたみを感ずるといふのが如何にもすつきりと出て居る。たゞ五句が甚だ不相應だ。消化して居ない。
 
   屋根上を風さわぎ行く崖下のつめたき家に石の如くぬる
(38) ぞんざいに、素直に歌ひ下してある所に深い味がある。間然する所がない。想像する、頃は冬で、崖には蔦かづらが黄色く枯れ、崖の上の木々の梢から散り積つた落葉は屋根の上にうづたかい。風が吹く、しきりに吹く、何といふあの音だらう、泡立つた眞白い海の樣に騷ぎ立つては、またひつそりと靜まりかへる、と、驚いた樣に自分のこの寢姿に心が集る!
 
   傷つきし小指のさきに冬の夜のつめたさ感じふとめざめけり
 果實《くだもの》の皮をとるとてか、それとも人待ちわびてのつれづれのあやまちか、とにかく指さきに露ばかりの微かな傷があつた、氣にもとめないで忘れてゐたに、冬の夜の冷たさがしげ/\とその皮膚のやぶれに這ひ寄つて惡夢にでも襲はれた樣に身ぶるひして眼がさめた、傷の痛さはとにかくとして、わが寢姿の何といふ寂しいことであらう。
 
   くちづけを忘れし人はさびしげにひとりしごとの針はこぶかな
 おど/\した瞳、滴る樣な紅ゐの頬、そしてつつましやかに寄せてゐたその唇のこころもちをも既《も》う忘れたか、強ひでもせねば齒を見せて笑ふことさへせぬ寂しいひとは、けふも窓邊により添うて無心に衣を縫つて居る。ああ、その指さきの青銀色のこまかい針のはこび!
 
(39)   君つれて君も知るなる人妻の初戀人の郷里《くに》にかへらむ
 しみ/”\と打解け果てた或夜の物がたりのすゑに、とう/\君のまへにわが昔の初戀を打明けたことがある、君も涙をながして幾度かうなづいてその切ないざんげを聽いて呉れた、その古戀人の住める國、わが故郷《ふるさと》へ手を取つて、いざや今日歸りませうといふ歌。實に色々と複雜した感情が驚くべく流暢に歌つてある。『收穫』の中では有數の調子の高い一首である。
 
   嵐なす頭《かしら》のなかにあはれなる女の顔の小ひさくただよふ
 かき亂れて嵐の樣になつて居る頭の奥に、消えみ消えずみ、女の顔が漂つて居るといふ歌。面白い歌だ。けれど面白いから作つたといふ風の浮いた所が少し見えて胸に強く來ない。
 
   野木ひともと梢あかるう暮れのこるあひびきの子の唇《くち》を吹く風 青い五月の平野には、おもむろに日光が消え去つた。終日の明るい光に疲れを覺えた樣に草は瑞々しくそよぎを靜めてゐる。今しがたまで啼いてゐた小鳥の群も、ツイひつそりと聲ををさめてしまつた。菜や、豆や、大麥、小麥の畑に埋められたこの平野の片隅に些《いささ》かばかり墾《ほ》り殘され(40)た小さな岡がある.一本の楢の古木が今年も青い葉をつけた。消え去つた日の光は、殘るともなくその梢に明るい名殘をとどめて居る。
 この木蔭を命に逢引を樂しんで居る若い二人がある。日の暮れかゝる頃、市街をぬけては何《いづ》れかが先きになつて此處で遲れた一人を待ち合はす。麥の穂の匂ひ、純白な菜種の花は、新しいネルの單衣《ひとへ》を着流した湯上りの肌に迫つて來る。なぜ斯う遲いのだらうとたのしいはかない怨みはいつかそのうす紅の唇に上つて、吹き馴らした口笛がさびしく廣い野に流れて行く。吹くとも見えぬ微風は聲の原《もと》を索《たづ》ねて、しめやかに其唇に集つて來る、ああ、五月の野の涼しいあはれさ!
 
   あくびをばこらへてわれをつつましうまもれる君といかで思はむ
 どう致しまして、欠伸をこらへて、出たい涙を押しかくして、一生懸命にこの私を可愛がつてゐて下さるのだと、どうしてまア思ひませう!
 可愛らしい皮肉の歌であらう。細い横目で女を見やる男の顔、男の前に困り切つた女の顔、とりどりに歌のうしろにかくれて居る。
 
   何物にか踏みにじられしあとに似て自棄《じき》のこころのやるよしもなし
(41) 鋭い刃物で果實でも切りさいた樣な、ぐつと一氣呵成的に歌つてある所に命がある。誰に何といはせる餘裕も與へず、寧ろ威丈高になつて咏んだといふ趣がある。
 
   停車場を出づればほこり顔をうつ疲れし心わびしかりけり
 疲れた身には寧ろ心地のいい程に輕く電車は揺れてゐた。もう少し此儘にしてゐたいと思つてゐる間に停車場に着いて了つた。驚いた樣に車室から停車場の構内を出て來ると、薄黄色い黄昏《たそがれ》の塵埃がぼんやりした顔にざアーと吹きつける。宛然《まるで》うしろからでも追ひ立てられてゐる樣な、いやーな心持が水の如く胸の底に湧いて來る。
 都會生活をやる者の朝夕に經驗する斯の感じがよく出て居る。歌の調子もまことに自然である。
 
   君かへる夜の電車のあかるさを心さびしく思ひうかべつ
 冷たい手を握り交はしてこの部屋を別れ去つた人は、今頃どの邊を歸りつゝあるであらう、もう深更《よふけ》の乘合も少ない電車の隅に袂を膝に重ねて、矢張り自分と同じ樣なことを思つてゐるのであらう、その俯向いた白い横顔が見える樣だ、と色々なものの取散らされた室の机に倚りかかつ(42)て居て男の歌つたものであらう。『電車の明るさ』といふのが如何にも寂しい冷やかな感じを告げて居る。
 
   君によりをしへられけるかなしみに別れて更に悲しみをえぬ
 戀から獲たかなしみ、戀に別れた後のかなしみ、女よ、女よ、お前はこの兩樣のわが悲哀を知つてゐるかと、何處か女を恨み且つ憫れむ樣な氣分も動いてゐるかとおもふ。佳作というでもないが、如何にも自由に歌つてある。
 
   わが世界君には見えず魂のふたつまどへる悲しさに生く
 君は君、われはわれ、全然魂の棲む世界を異にしてゐる。そして何かしら愛着の念に惹かされて別れ去ることもなし得ないで斯うして日を迭つて居る。
 
   戀人を待つおもひしてひかへ刷《ずり》待てばこの日の暮の鐘鳴る
 ひかへ刷とは印刷物の校正刷のこと。活版所の校正室で、戀人でも待つ樣な氣になつて一生懸命に校正刷の出來て來るのを待つて居る、それが出來たら一刻も早くその用を濟ませて、宿に歸(43)つて休息を貪ぼらうにと本氣になつて待つてるけれど中々に出來て來ない、其内に日は暮れて街路には夕の鐘が鳴つて居る、オヤオヤ今夜も亦遲くなるのかなアと云つた歌であらう。下らぬ事を歌つてあるのだけれど、ドらぬ事をやつて生きて居る身に取つては中々興を惹く。戀人と校正刷とを比べた所にも、味の無い生活の影が見えるぢやないか。
   君にわかれ町の小坂をのぼる時やや胸苦し疲れをおぼゆ
 町の小坂といふのが大變一首の印象を鮮かにして居る。亢奮ののちの疲れを負つて、こつ/\と町中の坂を登つて行くうしろ姿が眼に見える樣だ。季は晩春、時は夜、いま出たばかりの月が坂下の市街の上に黄色い濁つた光を投げて居る。
 
   思ひやる亢奮したる悲しみを胸に抱へて歸りし女
 むつとせき上げて來た憤怒と怨恨と悲哀とに、溢れやうとする涙を抑へ、唇を噛みしめてかへつて往つた女を可哀想だとも、美しいとも、面白いとも、色々に思ひやつて、自分までが居ても立つても居られなくなつたといふ趣きが歌はれてある。改行
 
(44)   あたたかき汝《な》がだきしめに馴れやすきわれの心を逃さしむるな
お前の愛してゐる男は、お前の温い心に、眞白な腕に、飽くほどに抱かれてゐて、それでともすれば小鳥のやうにお前から飛び去つて他の花へ草へ木の梢へ移らうとする、どうか逃がさずにしつかりと抱いてゐて呉れ、おれが逃げたらお前が寂しかろ、それをおもふと耐へ難くまたうら寂しい、さういふ間も、それ、飛び去らうとして居るではないか。
 
   しばらくは妻となしても許すべき君をあはれみ溺れそめける
 小さな『我』がその憎み憫れんで居る女のなかに滅び沈んで行く哀感を歌つたものである。古来の戀の歌は總てそのものゝ中に作者が自己を同化さして咏んであるけれど、この作者に限つて戀と自己とを全然隔離し、對照して咏んで居る。この歌なども極めて自我の強い男が、弱者を憫れむ心持から不知不識の裡に女に溺れ、戀に沈んで行く所を歌つたもので停習的の古い臭味が少しも無い。
 
   自棄《じき》の涙君がまぶたをながるるや悲しき愛にさめはてしころ
 女にも亦自覺の時は來る。全然惑溺してゐた境地から不意に浮み出た――追放せられた時、自(45)己を意識した時、にはもう既に何とも施す術は無かつた。女のとる可き最も手近な手段として、ええ既うなるまゝになれと投げ出した時、流石に頬には涙が流れてゐた。
 前に擧げた晶子女史のと比べて見ると誠に面白い對照を見得るであらう。
 
    自歌自釋
 
 從來行はれた歌の評釋は作者以外の人が自分で讀んで得たゞけの範圍でその作物に對し解釋と批評とを下したものであつた。今度私は自分で咏んだものを自身で評釋して見る。
 私もこれまで幾度も他人の作の評釋といふことをやつて見た。そして成るたけ間違つたことは言はぬ積りでゐてもツイ/\作者に對して相濟まぬやうな粗略なことを言つたり書いたりした。そしてまた自分の作に就いて他から評釋を受けた場合にも丁寧すぎて顔の熱くなるやうなきまりの惡い思ひをさせられたり、または全然自分の心もちとかけ違つたことを書かれたりした覺えがある。自歌自釋は少くともそれらの不快とは緑を絶つことが出來るかと思ふ。
 歌は一昨々年の頃に咏んだものゝ中から引く。
 
(46)   おもひ屈《く》し古ぼろ船に魚買《うをかひ》の群とまじりて房州へゆく
 積り積つたあれこれの物思ひに耐へかねてひとりこつそり古ぼけた船の中にきたない旅客と入混つて海に浮いた時の、何とも云へぬぼんやりした心持を歌つたものである、房州へゆくといふ重くない言ひ下しが此場合私は好きである。
 
   病院の玻璃|戸《ど》によれば海こえておぼろ夜伊豆の山燒くる見ゆ
 病院は房州の海邊に小さく建つてゐた。藥とりに行つた私を引留めて近頃開業した若い醫者は夕飯などを御馳走した。部屋の硝子障子ごしに朧夜の海が廣く見渡されて、渚にまろぶ小波の音も通つて來る。話しつかれて見るともなく海面を眺めてゐると、殆んど水平線とも見ゆる所に古い日本繪の朱のいろでも見るやうな一列の火を見附けた。何でせうと訊くと、あれは伊豆の山燒ですと、こともなげに教へて呉れたので、はつと胸のときめいたことを覺えて居る。以上だけの事實を傳ふべくこの一首はあまりに淡すぎた。いつそのこと二首か三首にして見るも面白かつたらう。人の好い若い醫學得業士、海邊の新しい小病院、みな一首となるだけの好題目である。
 
   われひとり多く語りてかへり來ぬ月照る松のなかの家より
(47) 北條で汽船から降りた日の夜、私は宿屋から或る一軒の家を訪ねた。其家には歌を咏んで夙うから名前だけ知つてゐた某婦人が肺病のために轉地療養をしてゐた。東京を出る時友人から紹介せられてゐたので、夕食後訪ねて行つた。初對面のひとは若い言葉數のすくない花やかな人であつた。机のうへには白梅のはながさしてあつた。私は獨りで何か知ら話しこんで、やがて家を出た。家は海ちかい松林のなかに在つたので、静かな月のひかりが梢を洩れて砂みちの上に散つてゐた。これだけの事實を言ひ表すにも一首では物足りぬが、斯んな事實をよそにしても此一首だけに一縷の氣分の動いて居ることを信ずる。
   日は日なりわがさびしさはわがのなり白晝《まひる》なぎさの砂山に立つ
 渚に散らばる砂山の一つに立つて、四邊《あたり》に打ちけぶる春の日光に眼をしばたゝきながら、その日光と自分のこゝろと融和しない趣きを歌つたものである。寂しい心に觸るゝうらゝかな春のひかりの裡には云ひがたい悲哀がひそんでゐた。
 
   ここよりは海も見えざる砂やまのかげのひなたに物をおもひぬ
 小さな砂山のかげに坐れば、もうどちら向いても海は見えなくなつた、濤の音も急に遠くなつ(48)た、濃い陽炎が立つて居る、その小さい靜かな場所に身を置いて何憚らず物おもひに耽るといふ歌。こゝよりは海も見えざるの二句はちからがあるが、第五句の物を思ひぬは甚だ弱い。
 
   きさらぎや海にうかびて煙ふく寂しき島のうす霞みせり
   火の山にのぼる煙にむかひてゐてけふもさびしき終日《ひねもす》なりき
 外房州の正面の大洋には遠く數多の島が見えみ見えずみ浮んで居る。その中に混つて、常に幽かな煙を上げて居る一つの小さな島がある。即ち伊豆の大島である。この海上の小さな火山が春のはじめの淡い霞を帶びた姿はまことに寂しく私の心に映つたものである。それだけまたこの歌の物足りなさが眼について來る。今少し突込んで咏んだら可かつたらうものをと殘念に思ふ。後者にも亦たその憾みがあるが、唯だ兩個《ふたつ》の寂しい存在《エキジステンス》が黙然として相對した姿を想像して頂き度い。
 
   愚かなり阿呆烏の啼くよりもわが悲しみをひとに語るは
 目も口もつぐみはてゝ濁つた自身の悲哀の裡に自ら身を浸して居る時の歌。夕空に浮く阿呆烏のやうな印象が讀者の心に殘れば幸甚である。尚ほ同じ時の歌に、
 
(49)   わがこころ濁りて重きゆふぐれは軒のそとにも行くを好まず
   耳もなく目なく口なく手足なきあやしきものとなりはてにけり
 などといふのがある。何れも斯ういふ境地にあつて咏んだので歌に大した元氣はないが、その代りに匠氣も無く、極めて正直に自由なだけ、作者の思ひ出はわるくないのである。作爲の歌、匠氣ある歌は、その場はとにかく、時經つて後繰返す時、實に何より先きに作者自身に耐へ難い苦痛と恥を覺ゆるのが常である。
 
   なつかしく靜かなるかな海の邊の松かげの墓にけふも來りぬ
 巨きな背の高い松の幹が幾十となく並立つてゐた。松木立の下は白い砂濱で、浪が近く碎けてゐた。墓は木立の中に在る。多くは自然石を突立てた無縁塚のやうな墓石の間には、薄黄くこぼれ菜が咲いてゐた。一生を海に働いて、そして海に對して永久に眠つてゐる幾十の生命がこの根もとに在るのだと思ふと、自分には常に云ひ難い寂寥と可懷しさとがその松木立に歩み入るごとに心に浸んで來た。
 
(50)   いつ知らず生れし風の月の夜の明けがたちかく吹くあはれなり
 眼がさめたら、風が家のめぐりに吹いて居る。いつの間に吹き出したのであらう、昨夕はあれほど凪いでゐたのに、と思ふともなく思ひ乍ら枕をかへすと、戸の透間からほんのりと月の光がさして居る。もう夜の明けるに間もあるまいと眼をつむると、風がまた一しきり軒さきの椿の木に音を立てゝゆく。
 
   青海《あをうみ》の鳥の啼くよりいや清くいやかなしきはいづれなるらむ
 靜かに凪ぎわたつたあを海のうへに、一聲二聲、啼いてわたる海鳥の聲よりも、もつと清く、もつとかなしいものは何であらう、恐らく他にはありますまい、といふだけのこと。いづれなるらむは少々月並臭を帶びてゐるが、土臺この歌を咏む時に既にその海鳥の聲に誘はれて作者の胸はせまり瞳は細くなつてゐたのであるから斯うなるのも無理は無からう。また、さういふ場合、さうあつていゝことだと私は思ふ。
 
   砂山の起き臥ししげきあら濱のひろきに出でて白晝《ひる》の海聽く
 白く光る砂丘が幾つとなく起伏して居る荒漠たる海邊に正午の日光を浴びながら立つて居る(51)と、浪の碎くる遠雷めいた音響がそこ此處の砂丘の間から菊えて來るので思はず耳を澄ますといふ歌。自分にしては割に修辭がよく行つたと思ふ一首である。
 
   好かざりし梅の白きをすきそめぬわが二十五歳《にじふご》の春のさぴしさ
 誰やらのもとに送つた繪葉書に書いてやつた一首である。唯だそれだけの一首で大した歌ではない。今まで嫌ひでしたが、何となく今年はこの白梅の匂ひが私の心を惹くやうに覺えますと、獨りで海邊に逃れて行つてゐる男が、齢につれて變つてゆく自身の心持に一寸驚いたといふ歌である。
 
   安房の國朝のなぎさのさざなみの音《ね》のかなしさや遠き富士見ゆ
 凪いだ朝、渚には甘えるやうな、悲しむやうな、そゝるやうな、小波が斷えず微かな音を立てて居る。兩手に膝を掻抱いて砂上に坐つてその音に聞入つてゐたが、ふいと頭をあげると、海を越えて、霞んだ空に淡白く富士の遠山が浮いて居る。
 
   うちよせし浪のかたちの砂の上に殘れるあとをゆふべさまよふ
(52) 風のあと、浪はやゝ靜かならんとしつゝある。0雲はまだ晴れず、沖には既に夕闇が降りて來
た。大きく妙に輪を描いて引いて行つた浪のあとが遠く渚に續いて居る。ふところ手をしたまま、口笛一つ吹きもせずぶら/”\と歩いて居ると、自分の踏みくづす砂の音が獨り自分のあとに續いて居る。
 
   安房の國海のなぎさの松かげに病みたまふぞと今日もおもひぬ
 東京にゐて、遠く房州の海邊に病を養つてゐる人を思ひやつて咏んだ歌。この歌を咏む時の作者の心持がさはり無く一首の上に流れ出てゐるかとおもはれるほど調子の自然なのを私は愛する。斯ういふ種類の抒情詩は出來るだけ純で自然であり度い。
 
   君が住む海のほとりの松原の松にもたれて歌うたはまし
 出來た當座は少し自分の感情に醉ひ過ぎてゐはせぬか、との不安のあつた一首であるが、今見れば矢張り追懷《おもひで》はわるくない。この日この時、自分の心の奥に確かに動かし難く斯ういふあまえる樣な感情が起きてゐたものに相違ない。今考へれば自分ながら可笑しいが、そのために此の素朴な歌を斥ける氣は起らぬ。
 
(53)   思ひうみ斷えみ斷えずみわがいのち夜半にぞ風のながるるを聽く
 當時は人からもほめられ、自身でも得意であつた一首であるが、今見れば少々わざとらしさの鼻につく心地がする。歌の意味は夜の戸外の風の斷續につれて色々の物思ひにつかれ果てた自分のいのちが覺めたり睡つたりしてゐるとのこと、戸外の風に自分のこゝろをゆだね盡してゐる境地を歌つたものである。
   憫《あは》れまれあはれむといふあさましき戀のをはりに近づきしかな 怨み、憎み、憤りしてゐた時のちからも失せて、今はお互ひが事につけて常に憐憫の惰を以て對するやうになつたといふ強い戀の終りがたのあはれさを自ら嘲り憐れんだ一首である。
 
   はや夙くもこころ覺めゐし女かと思ひ及ぶ日死もなぐさまず
 女はさきに覺めてゐた。後れ走せながら其處に氣のついた時の男の心地の馬鹿らしさ口惜しさ辛さに比べて、この歌は大分間が拔けてゐる。死もなぐさまずなどと大まかなことを云つてゐる場合では無かつたらう。といふのが、餘り逸《はや》り過ぎて斯うなつたものである。心のきほひ立つた(54)時、一歩退いてそれを傍觀しながら咏み出だす心懸を失つてから出來たものである。
 
   林なる鳥と鳥との別れよりいやはかなくも無事なりしかな
 なんのことだ、と放心したやうな境地の歌。樹木の梢で一聲二聲啼き交はしてちりぢりに分れてゆく鳥の群は、もうそれきりで永劫逢ふことも無げに私には見えた。それを比喩に持つて來たのである。その鳥の啼聲の印象がこの一首に在れば幸である。
 
   山おくにひとり獣の死ぬるよりさびしからずや戀の終りは
 これは失敗の作。前に引いた『はや夙くも』のやうに没頭しても困るが、斯うまた離れて了つても困る。これでは『戀の終り』といふものを概念化して、それに他のものを組合せて歌に作つてゐるといふ形になつて居る。同じやうな事を歌つた中にも、
 
   けだものはその死處《しにどころ》とこしへに人に見せずと聞きつたへけり
 の方がよほど強いちからを持つてゐるかと思ふ。この歌などは頭も尻尾もないやうだが、それで何處か目に見えぬちからを持つてゐると自分では思つてゐる。
 
(55)   わがめぐりいづれさびしく寄邊なきわかきいのちが數《かず》さまよへり
 歸趨する所を知らず、さればとて其儘其處に靜かに自己を保つて居るにも耐へ得ぬ若い生命《ひと》が自分を初め自分の周圍に澤山群つてゐる、といふ若き日の悲哀寂寥を歌つた一首である。出來るならこれを具體化して繪畫にでもかいて貰ひ度いと私は念つて居る。私はよく『いのち』といふことをいふが、これは實在とか、生存とか、或は a life とか云つた樣な意味のつもりである。一層碎けて云へば、生きた意味の人とかこころとか云つてもいゝわけである。
 
   さびしきはさびしきかたへさまよへりこのあはれさの耐へ難きかな
一つの寂しい生命はもう一つの寂しい生命の方へ、ともすればお互ひに迷ひ寄らうとする、その間のあはれさの耐へ難さよといふ歌、萌えそめたかすかな戀を抑へて居る悲哀である。
 
   花摘みに行くがごとくに出でゆきてやがてなみだに濡れて歸りきぬ
 理窟は言ふまい。繪を見るつもりで見て貰へばいゝ。
 
(56)   おぼろなる春の月の夜|落葉《らくえふ》のかげのごとくもわれの歩めり
 朧ろにうるんだ春の月の夜、首を垂れてとぼ/\と行くわが姿の何といふさびしいことであらう。
 
   首たかくあげては春のそらあふぎかなしげに啼く一羽の鵞鳥
 春の空は青く晴れてゐた。郊外の水田に沿うた百姓家からよろよろとして一羽の大きな鵞鳥が路の方に歩き出して來て、首をふりあげて二聲三聲高い聲で啼いた。丁度通り合せた自分にはどんなにその聲が身に浸んだらう。私は何故だか知らぬがこの一首が無闇に好きである。なぜ好いかの説明は出來ないが、兎に角非常に好きだ。この歌を讀めばいつでも其場に充ちてゐた春のこころもちを自分の身に呼び返すことが出来る。或は歌はれたことが眼前の實景であつたゝめかとも思はれる。
 
   玻璃戸漏り暮春《ぼしゆん》の月の黄に匂ふ部屋につかれて歸り來しかな
 夜更けて身も心もつかれ果てゝぼんやり自分の部屋に歸つて來て見ると、これはまア、部屋いつぱいに月の光が流れ込んで薄黄ろく光つてゐると室の戸口に佇んで驚いた時の歌。
 
(57)   ガラス戸にゆく春の風をききながら獨り床敷きともしびを消す
 これは前の一首に續いて出來た歌である。二首とも輕く自分を描寫して、其場の氣分を表はさうとしたものである。その歌の咏みぶりの主觀的であると客觀的であるとに論なく、一首々々の印象を明瞭にするやうに心がけたいものであると思つてゐる。
 
   めぐりあひやがて直ちに別れけり雨ふる四月すゑの九日《ここのか》
 四月廿九日、その日は雨が降つてゐた。偶然に邂逅して、餘り話もせず、其儘別れてしまつたといふ日記風の咏みぶりである。表向きの出來事を輕く寫してその奥のこゝろもちを表はさうとしたものである。雨のふる晩春の一日の靜けさは自然に斯ういふ風の歌を咏ましたのかも知れない。
 
   いねもせず白き夜着《よぎ》きて灯も消さずくちずさむ歌のさびしかりけり
 爲すべき仕事もなしはて、夜も更けたので、白い寢衣《ねまき》に着かへて自分の枕もとに來て坐つた。身も心も靜かに勞《つか》れてはゐるものの、何とやら心殘りがして此まま眠るのがいかにも物足らぬ、(58)手近の洋燈を消すのさへ躊躇はれて、その薄あかるい火さきを眺めながら、思ふともない物思ひに耽つてゐる、そして不圖氣がつくと、いつ知らず自分は低聲で何か歌をうたつてゐるのであつた、その歌の何とまア寂しいことぞといふ一首。灯も消さずの一句が何となく落ち着いてゐない氣がするが、全體に浮いた調子がない。それで飽足らぬ寂しい自分の心持と、風も無げな靜かな夜の氣分とを語つてゐる。
 
   やうやくに待ちえしごとくわがこころあまえてありぬ病みそめし身に
 とう/\病氣になつてしまつた、多少の不安はあるものゝ、アヽまアよかつた、という樣なはかないあきらめと安堵とが、それと共に心の何處やらに起つて來た、そして朝夕の藥さへ樂しんで飲まうといふ境地に在る一首。
 
   濁りたるままに心は凪ぎはてて醫師の寢臺によこたはるかな
 これは上の句が説明になつてゐる。それだけ歌が前の一首より深くない。けれども初歩の人は恐らくこの後者の一寸理窟めいた合點のしやすいのを喜ぶであらう。
 
(59)   命より摘み出だすべき一すぢのさびしさもなし悲しさもなし
 しみ/”\と自分の命を振返つて見ると、荒みに荒み、濁りに濁り何處を如何と捉へどころも無い有樣である。一般の森羅萬象と自分の生命との間の輪郭も今は定かでない、斯ういふ存在の如何ばかり詛はしきことぞと、自ら悲しみ憤つた一首である。調子から云つて、割にだれた所のないのが喜ばしい。素朴である。
 
   わがいのち盡きなばなむぢまた死なむわが歌よ汝《な》をあはれに思ふ 彼は自身の歌を自分の生命の澄んで結晶したものだと如くに考へて居る、謂はゞ歌は彼に取つて一種の信仰であつた。自分が死んだら、歌よ、お前も亡びてしまふであらう、歌よ、歌よ、おれはお前が不憫でならぬといふ一首。こゝの自分が死んだらは、何も息を引取るの心ではない。斯う心が荒んで來ては、いつかその歌も出來なくなるであらうといふ心がこの一首には混つてゐる。
 
   雲まよふ山の麓のしづけさをしたひて旅に出でぬ水無月《みなつき》
 これは何處ぞ山の深い所へ行つてゐたいとの念願から甲州の奥の某温泉へ旅行した時、汽車の(60)中で出來た一首である。初めは初句が『おほいなる山の麓』であつたのを斯う改めた。大いなるでは説明に陷ちてそれだけ印象がうすくなる。これを詠んだのは丁度汽革が國分寺驛を過ぎてあの廣い林の間を走つてゐた時で、同時にもう一首出來た、
 
   たひらなる武藏の國のふちにある夏の山邊へ汽車の近づく
 といふのである。雜木と雜草とを以て掩はれた武藏の平原の殆んど際限も無げな廣漠なところを、微かな煙をあげて、田舍びた小さな汽車が走つて居る。彼はその汽車に乘つてゐた。煩雜な混濁した生活から逃れて暫しを山深い所で暮さうといふ旅の中途に在るのである。時々煤のまつて來る窓に倚つて、眼をかすかに開いて走りゆく汽車の行方を眺めて居ると今迄見えなかつた國境の夏の山が、次第々々に豐かにそのうすら青い姿をあらはして來るのであつた。
 
   初夏の雲のなかなる山の國甲斐の畑に麥刈る子等よ
 四方の天を限つて甲斐には幾多の高山が連亙してゐる。雲の多い夏の初め、此等の山にはいづれも白々と日の光を孕んだ梅雨晴の密雲が懸つてゐる。平地の少いこの國では多く山を開いて畑を作る。その畑にも雲の斷片が迷うて居る。漸う雨の晴れたを待ち受けて、百姓共は黄色く熟れ(61)た大麥小麥の收穫に取懸つた。西の山、東の山、其處にも此處にもこれら蟻の樣な小さな姿がせ
っせと動いてゐる。それを眺めて詠んだ一首、同じく汽車中の作であつた。
 
   山山のせまりしあひに流れたる河といふものの寂しくあるかな
 大きく、重く、暗い山が幾つとなく重なり聳え、それらの麓を縫うて一條の河が流れ出で、やがてまた山の間に其姿を没してゐる。或日の夕暮、一人の旅人がその河の河原に來て佇んだ。彼の眼の前に山はまことに暗く重く、行くともない河の流は夕空の餘光を宿して鏡のやうに光つてゐた。物音も無い斯ういふ境地に立つてゐると自分一人この宇宙の間に生きてゐる樣な寂しい物物しい感じに襲はれて、彼は對岸の渡舟を呼ぶのさへ忘れはて永い間この河に對してゐた。その時の作。當時の感興に比しては今でも云ひ足りぬ氣がしてならぬ。詩形から來る不滿であらうが、また一方から見れば、その短い形のなかにあとさきの無い味ひも籠つてゐると思ふ。この一首など、下の句は如何にも單純な云ひかたであるが、却つてその裡にその場合の作者の心持が含まれてはゐまいか。その場の心持と一致する樣な言葉を遣ふことは、これら短い詩を作る上に最も必要なことであらう。
 
(62)   おほどかに夕日にむかふあを山の高き姿を見れば尊し
   わが對《むか》ふあを高山の峯ごしにけふもゆたかに白雲の湧く
 など、いづれも山の奥の溪間に小さくなつてゐた自分の姿を見るやうな單純な濁りのない歌である。私はこの單純を愛する。
 
   木の葉みな風にそよぎて裏がへるあを山に人の行けるさびしさ
 溪間の宿屋の二階から眼に入るものと云つては狹い青空と廣い高い夏の山とであつた。或日の午後、眼の前の山には吹き冴えた風が流れ渡り、青々した木の葉は皆裏を返して瀬の樣に白くなつてゐた。ぢいつと見るともなくその風の山を眺めてゐると細い一條の小徑に沿うて一個の杣人《そま》が何か小さな物を背負うてとぼとぼと山を登つてゐるのを發見した。風に飜る夏の木の葉の間をたつた獨り、見え隱れに辿つてゐるその姿の寂しさ、いつまでも/\見てゐるうちに私の眼には涙が一杯になつてゐた。
 
   めづらかに明るきこころさしきたりたまゆらにして消えゆきしかな
 暗く濁りきつてゐる自分の心のおくに珍しくも涙のやうな微かな明るみがさして來た。これは(63)と驚いてゐるうちに早やまた影を消してもとの暗さに返つてしまつたといふ、澱んだ心の一片を詠んだものである。
 
   衰ふる夏のあはれとなげやりのこころのすゑと相對《あひむか》ふかな 夏も將さに終らんとして、秋は間近に迫つて來た。時候の代り目といふうちにも特にこの頃はあはれが深い。天のものにも地のものにも何となく勞れた樣な靜かな哀愁が含まれてゐる。それらのものと、久しい間の自暴自棄に衰へ果てた自分の心とが、いましんみりと對ひ合つてゐるといふ歌である。
 
   影さへもあるかなきかにうちひそみわが命いま秋を迎ふる
 前の一首と似た歌である。荒み果て、衰へはてた自分のいまのいのちは、眼の前に迫つて來た秋に對して何となく一味の怖れを懷いてゐる、そしてまた云ひ難いなつかしさをもいだいてゐる。兎角して、露のやうになりながらつゝましく秋を迎へてゐるといふ一首。
 
   涙ややにうかみいづればせきあげしかなしみは早や消えて影なし
(64) これも似た樣な一首である。せきあげて來たかなしさが、涙の出るに及んで、驚いたやうに影を消して茫然となつた心が、頬を流れた涙のあとを眺めてゐるといふ一首。元來斯ういふ風の細かい情趣を歌つたものは、註釋すべきものであるまいと思ふ。斯うだから斯うだといふ所には殆んど意味がなく、不言不語《いはずかたらず》の裡に心から心に傳はる味ひがあるべきだらうと思ふ。然し何れに限らず註釋などはあまり賢い仕事でないのだから致方がない。こゝに引いた三四首はいづれもみな客觀的の詠みぶりで、割合にそれらの境地に在る作者の主觀を傳へ得たかと思はるゝ。短歌は表面から主觀的の詠みぶりでなくてはならぬやうに多くの人は云つてゐるが、それには私等は耳を傾くる必要がない。主觀とは何も肩を張り眉をあげた姿ばかりをいふので無いのだ。
 
     評釋補遺
 
   君を見てきのふに似たる戀しさを覚えさせずば神よ咒はむ
                        ――與謝野晶子――
 ともすれば亂れむとするわかい、恣まゝな自分の心を命かけつつ抑制して居る寂しさも味はるる。光のごとく來り、光の如く消えて行くうら若い日の戀のあはれも酌まれやう。刻一刻に歩み(65)離るゝ自身の愛のうしろ影を見送つて、やるせなく身もだえして居る若い女の面影も眼に見ゆる。
 華々しい歌で充滿してゐたその當時の作者の作の中で私の眼に觸れた最初の寂しい一首である。これから一つ二つと斯の種類の沈んだ、いらいらした歌が混る樣になつて來たと記憶する。
 
   命死なぬ神のむすめは知らねどもこの世に永くちぎり來しかな
                         ――おなじく――
 曾つて西洋の名畫に『かなしめる天使』といふ題目のあるのを見た。悲しめる天使、悲しめる天使、この題目の與ふる印象は直ちにこの歌の與ふる印象と變つて行く樣に私には思はるゝ。同じく戀に別るゝ聲であるこの歌が實に如何ばかり尊く、哀しく我等の心に響くであらう。極み至つた戀のはてに立つて、靜かに過去をかへりみ、寧ろ絶望的に自己を投げて歌つたあはれさのなかにちりほどの俗念も混つてゐない。
 
   石の影しろく靜かにひたりたる沖の小島の夏の夕暮――與謝野寛――
 暮れやうとして暮れなやむ夏のゆふべ、淡い乳に青い雫を落した樣な空氣は、しつとりと渚の(66)近くを掩うて居る。日はもう夙うに落ちたが闇となるにはまだ間がある。なめらかにくすんだ海面には波といふ波もない。さまで遠からぬ沖邊の小島の端の方に二つ三つ立ら並んだ石があつて、その石の邊りにのみ日没後の餘光が集り淀んで居る樣に、石は白々と靜かな水に影を浸して居る。
 黄昏の永い、夏の海邊の靜けさが殘りなく味はれる。石の影しろく靜かにひたりたる、沖の小島の、夏の夕暮、といふ文字又は文句の上から來る感じが、實際の境地の感じを表す上に非常に加勢して居る。斯ういふ境地は歌ひ樣によつては誠に平凡な、無味なものになつて了ふものである。
 
   長崎の盆の供養に行きあひぬひとつ流さむ赤き燈籠――おなじく――
 この歌の命は四句目の、ひとつ流さむにあるかと思ふ。我等であつたら、われも流さむ、位ゐでやつておくに相違はない。それでは誠に味が無い。ひとつ流さむといふひとつといふ言葉にその旅人が赤い燈籠をとりあげて水に臨んだ時の心持が名殘なく表れて居るとおもふ。
 
   海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大ぞらのもと(67)――高村光太郎――
 唯だ見る海と空と、蒼々茫々、眼に滿てるもの一切無限である、無窮である。傳習と開化の底から僅かばかり拾ひ溜めた知識もいつか知ら消え失せて、生れ落ちたまゝの原始時代の人間と同樣になつて、天地宇宙に今更ならぬ驚きをなしたといふ歌。少しわざとらしい所のないでもないが、いつまでたつても好きな歌である。なほ同氏には『大うみの圓きがなかに船ありて夜を見晝を見こゝろ恐れぬ』其他、當時の詠草の中には多くこの種の歌を見受けたものであつた。
 
   夕なぎの波うちぎはのひたひたにさびしきことを思ひつづくる――金子薫園――
 唯ださぴしきことを思ひつゞくるといふだけの情緒であらうけれど、歌のすがたが上品なため、優しく深く心に沁みて行く。ひたひたにといふ言葉のために夕なぎの波うち際があるのか作者自身がその浪打際に居たのか一寸不明の憾みがあるけれど、私は前説を採りたい。それが當然でもあるし、さぴしきことを思ひ續くるといふ一種の淡い情緒を歌ふ上から技巧としても至極いいと思ふ。出來るなら斯ういふ疑問の起きぬ樣、隙を置きたくないものである。
 
(68)   松かげの水田のなかのかもめ鳥石なげうてば餌かとおもへる――三都木貞子――
 海のほとり、松の林の木の間に忘られた樣な水田がある、人氣のない靜けさに氣を許して鴎が餌をあさつて居る。端なくそこへ逍遥《さまよ》ひ行きふと餘念のないこの鳥のさまを見出でゝ、心憎さについ足もとの小石を拾つて投げてみた。が、たいして鴎は驚きもせず白い姿をなほ靜かに松の木の間の水田の中に保つて居るといふ歌。人は或は幼稚な詠みぶりといふかも知れぬ。一寸見ればいかにも幼い。然しよく味へば、その鴎に、その靜けさに、身をも世をも傾け盡した作者の心持が如何にもよく了解出來ると思ふ。邪念のない神のやうに清い歌である。これが斯んないゝ感じを與へるのも、或は反對に幼稚な淺薄な感じを與へるのも、要するにそれを詠む時の作者の態度、心持一つに原因する。この瞬間のこゝろもちは實に不思議な位ゐ鋭敏に正直に讀者の胸に傳はるものである。
 
   春の雨降れる宵なりあたたかう君にながるるわが涙かな――平野萬里――
 同じく極めて淡白な自然な、そして限りなく人の心を誘うて行く歌である。前のよりも一層調子がいゝ。巧まず作らぬ眞情流露の高調に達したものと思ふ。荒んだ心にもこの歌などを聲に出(69)して、誦して居ると、いつか清々しい涙が胸の底を傳ふを覺ゆる。斯んな歌は黙讀するより高々と誦《そら》んじた方が情味が深い。
 
   一片《ひとひら》の雲やかたへは白う照り片へは黒う動き去りけり――窪田通治――
 ゆたかな日光、水々しい大ぞら、晴れわたつた眞晝の頃に一片の雲が浮んでゐた。行くともなく、動くともなくいつしか淡くうすれうすれて、夢のやうに消えて行つた。その消ゆる時片へは淡く白く光り片へは幽かな黒みを宿してゐたといふ。殆んど眼にも見えぬ微細な一點を捉へて、天地の靜けさを歌はうとしたものである。讀者はその雲の消息を了解するといふよりも、先づゆつたりとこの天地の靜寂に心を取られて行く。
 
   ねがはくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ
   佛には櫻のはなをたてまつれわがのちの世をひととふらはば
                          ――二首、西行法師――
 西行法師は最も純な日本の詩人であつた。これらの歌を讀んで居ると、清い、寂しい、靜かな自然に歸つて行つて、いまにも『死』の前に辿り着かうとする作者のこゝろもちが實に無限に我(70)等の胸に通うて來る。斯くて作者はこのねがひのまゝに櫻の花の眞さかりのころ杳として無窮のおくへ往つてしまつた。繰返し/\この歌に讀み耽つて切りに我が西行法師を憶ふ。
 
(71) 歌集を讀む
 
   本編には一昨々年頃に出版せられた歌集の重もなるものに對し、その時々『創作』誌上に於て試みた批評紹介を輯めた。とりわけ本編に於ていろ/\の物足りなさを感ずる事の多いのを憾む。
 
     「相聞』を讀む その他一二
 
 『相聞』を讀んだ。『相聞』は「明治三十五年以後、最近に至るまで凡そ八年間のわが製作より抽いて先づこの短詩壹千首を出版し………」と云ふ與謝野寛氏の歌集である。八年間と云へば悉しくは知らぬけれど、例の明星の最も隆盛を極めてゐた時代が多分このうらに包含せられて居るのであらうと思ふ。その間のこの先輩の努力の結晶したものが即ち『相聞』である。
 卷を取つて讀んで行くと一首々々に假初ならぬ氏の苦心や熟練が表はれてゐて、いつか知ら深い尊敬と愛慕の情とが心の底に湧いて來る。私に取つて近來稀に見る内容の豐かな、印象の強い(72)歌集であつた。
 氏の歌の長所は云ふまでもなくその爛熟した技巧にある。月々の雜誌などで十首二十首づゝ見て居ると、餘りにも巧妙なその技巧が我らの眼には常に寧ろ反感を誘つてゐた。そして氏の歌と云へば唯技巧だけで、内容などは全然空虚なものゝ樣に信ぜられてゐたものである。けれ共壹千首斯う集つた所を見ると、そんな反感の起る餘裕もなく、しみ/”\とそのなかから何物をか獲させられた樣な感じが起つて來る。
 氏の歌の尊い所以の一であらうが、一首と雖もかりそめに作つてない。みな細心な用意から出來上つて居るので、一首々々と全卷の味を殘す所無く噛みしめやうとするには一通りならぬ努力がいる。だから氏の歌は歌人以外の一般の人には餘り歡ばれなからうと思ふ。我等が氏の歌を尊ぶ所以も、なる程斯ういふ風に詠むものだなといふ氏の苦心の存する所、自身の作歌上に參考になる所などを知るといふ點が餘程分量を占めて居る。歌そのものゝ内容から來る印象は矢張り我等に取つて食ひ足りぬ所が少くない。いかに見事に、面白く、よく出來てゐる歌でも、からりと奥まで見え透つて捉へ所の無いものは、見たあとで我等の心は寄り所なくうら淋しい。
 内容に、外形に、隨分と新工夫をこらさうと苦心してあるのは能く了解せらるゝ。しかしその工夫といふものもほんの表面にだけしか及んでゐないのではあるまいかと疑はざるを得ない。歌(73)はれた主題といひ、表白法と云ひ、少し位ゐ表面に變化があつた所で、根柢が同じであれば矢張り同じく舊いものに相違ない。我等が氏の歌から何等の新味をも味はせられないのは事實である。常に新しい試みを續けて居らるゝ氏等に對し、こればかりは少し意外な感がする。森鴎外氏の序文の中に『與謝野君の歌さへ人に古いと云はれるやうになつた』と同氏の歌が大變新しいものゝ樣に書いてあるのは甚だ怪しいものだ。若し私に明治の新しい歌を咏み出した人を求めさせたら私は躊躇なく尾上柴舟氏を第一に置く。勿論これは歌の内容を主としての話である。
 讀みながら私が好きな歌と思つたものを左に少し書き拔いて見る。この位ゐの程度で擧げて行ったらまだ澤山あるであらうけれど、割愛する。
 
   二荒山山火事あとの立枯の白木の林うぐひすの啼く
   しらしらと老の白髪ぞながれたる落葉の中のたそがれの河
   沖邊より汐みちくれば大いなる石のうつろの哀しげに泣く
   青立ちし蓬は刈るな朝の雨ゆふべのしづく白く置く見む
   山のかぜ凍りて寒し草燒けば青きけむりに薄みぞれ降る
   子の四人そがなかに寢る我妻の細れる姿あはれとぞ思ふ
(74)   信濃路や淺間の嶽の爐を出でてけぶりの上を朝わたる月
   みなみ風いと暑苦し海龜の砂の卵は龜の子となる
   石の影しろく靜かにひたりたる沖の小島の夏の夕暮
   うなじより血汐ながるる大年のいまはのごとくわが心吼ゆ
   かなしきは淺草寺の本堂の扉しまりて火のともる時
   食《は》みて啼く一弱の雀二羽となり三四羽となりぬ粟の穗のうへに
   わだつみも夕となれば人を戀ひ葦邊をさしてひたひたと鳴る
   よろこびにうらさびしさぞまじりたる未だ我等は戀せざるらむ
   わが妻のかたちづくらずなりたるを四十にちかきその夫子《せこ》の泣く
   山ありき雪を載せにきその如く聞きよく告げよわが髪の雪
   この寢ぬる朝けの風の冷きに別れて往なば君の病みなむ
   御そら行く月とし云はばとりがたし眞玉といはば損なはむかも
   その父はうち打擲《ちやうちやく》すその母は別れむといふあはれなる兒等
   廣大のわが姿なるあめつちも泣く日のありて秋の來れる
 卷中一番多いのが比喩の歌で殆んど一册の六七分以上を占めて居るであらう。次が擬人法を用(75)ゐた歌.それからいやに誇張して、ために恐しく幼稚な歌になつてゐるものもある。例を引けば、
   いにしへも斯かりき心いたむとき大白鳥となりて天ゆく
   わが涙野分の中にひるがへる萱草の葉のしづくの如し
   わたつみの豐旗雲か秋かぜに伊群れて渡る白き鵠《くぐひ》か
   いかにせむこの日頃こそ暇なけれ小琴のごとく君來て泣けば
   東海の夜明と君がくちびるとわが思ふこと大かた赤し
   馬の脊にわかき男とわが妻を縛りて荒ききりぎしに追ふ
 などは初から七八頁迄の所で眼についたもので、尚ほ
   獅子王の臂を虻刺す泰山はこの時ねむり日は眞中ゆく
   山を見て山の鳴る待つ人嗤ふ愚かなるかな猶君を待つ
   黒き血の油ながれて種泣きぬ宿命に似る樫の搾木に
   くちをしく生れて馬の乳を飲まず戈壁《ゴビ》の沙漠に許嫁無し
   富士の嶺はをみなも登り水無月の氷の中に尿垂るてふ
 などいふものが澤山眼につく。
 佳い歌とは思へぬけれど、短歌の赴くべき一面の傾向かと我等の興を惹いたものに次の樣なの(76)がある。
   この殿に御肴たふべ酒たふべ我も舞はむぞはれやとうとう
   さしも誰おもひやりなき灸すゑし醜き蛙いぼある蛙
   先生がなぜにえらかろ油屋のお紺を見ては泣かしやるものを
   薄暗き方界節がまた通る漂泊の音つんとこつんとこ
 以上の如く色々の歌はあるが、『相聞』一册のうちで我等の頭に最も明らかに印象を留めて居るのは、旅の歌、萩の家を悼む歌、山川登美女史を悼む歌、伊藤博文公を悼む歌の四つである。或る一事件に對して多くの歌がまとめてあるからでもあらうけれど、斯ういふ場合には氏の感情が他の時と異つて餘り修飾せずに咏みいでられてあるからだと私は思ふ。この考へにして萬一にも誤りが無かつたならば、私は氏の特長である技巧の才能に封して一面咒咀の念を發せずには居られない。粉飾し、作爲し、やがて全然自己を遊離し去つた藝術といふものに、本當に何の味があるのであらう。斯ういふ考へは、或は唯だ氏等に取つて一笑だにも値しないものかも知れぬ。それは致しかたがない。唯だ我等は我等に斯の考へを笑ひ過すだけの餘裕がまだ出て來ないことを自ら感謝して居るのである。
 かれこれと生意氣なことは云ふものゝ、『相聞』は近來になく私に取つて可懷しみの多い、讀み(77)でのある歌集であつた。この一册を讀んでゐると、今更の樣に著者に對して強い感謝の念が湧く。
 
 歌を咏む人は批評などすべきでない、他に憎まれるだけでも損ではないか、と先日某先輩に會つた時、論す樣に私に語られた。白秋君に詩歌の批評を書いて呉れと頼んだ時、書いてもいゝが、自分の書くことゝ、自分の作物に表はれて來ることゝが時とすると一致しないで困る、そんな場合は何うか作物の方を重く見て貰ひ度いものだとの話であつた。
 某氏の言葉をもよく諒とする。憎まれたくもなく、また初めから批評など露ほどもしたくは無いのだが、色々の事情で書かなくてはならぬ場合に私などはよく遭遇する。そんな場合、私は何も憚る所なく自分の思ふ所を書いて見るもいゝと信じて居る。そのため他の憤怒と嘲笑とを買ふかも知れないが、一向差支へのない事ではないか。他は他、われはわれ、根本に於て其存在の意義を異にして居る。私の言ふ事は私自身に取つては絶對の權威があるがそれを他にまで及ぼさうとは念つてゐない。私の云つた事が何等の影響を他に及ぼさなかつたら、それまでのこと、つゞまり私は音無しく私の敗北を觀念して引下るまでのことである。私はその敗北を一向耻辱と感じない。そして何だ彼だと面倒極る具體的の責任問題に卷込まれることから逃れたい。自分以外、(78)他との交渉は私に取つては餘り重要の問題でない。自己自身に對してさへ充分の注意と愛撫とを拂ひ得ない身分でありながら、どうして自分以外の他に對してそれ等のおもはくをすることが出來得やう。先づ自己を充實せしめよ、その充實せるを自由ならしめよ、わが祈祷はこの外に出で得ない。
 論議と作品、これは云ふまでもなく白秋君の言に賛成する。我等の最も緊張せる、眞面目なる努力はその作品に限り、それ以外に出で得ない。その論議にはえて多少の誇張と餘裕とが含まれてゐて、根柢の内容は案外に薄弱なものである。たゞ一寸見掛が派手なだけで、實は刺身にツマの添へられた樣なものに過ぎぬ。詩人の内容は自己の充實にあり、自己に強ひられたその第一の表現が作物となるわけであらう。然し、云ひたくば充分に云ふがいゝ。何も右顧左眄の窮屈を忍び、小つぽけな自己の保安を計る必要もあるまい。天地の前に自己を放置せよ。これも我の祈りの一つであると信ずる。
 
 寄邊無く彷徨せる魂と、寄邊なく彷徨せる詩人と、何ぞ然く多數なる。
 彼等は多く自己存在の意義を、自己以外のものに由つてのみ求めむとして居る。自己に由つて自己を明かにせむとせず、他に由つて自己を明かにせむ事を企つる。茲に於て彼等の彷徨は始ま(79)り而も終に歸趨する所を知らずして終るであらう。
 自己を認識せよ、餘す所なく自己を味はへ。その瞳に映ずる所、舌に感ずる所に、我等の生命は香つて居る。
 
     『酒ほがひ』を讀む
 
 『酒ほがひ』一册は玲瓏たる大理石の圓柱を僕に聯想せしむる。
 吉井君の歌は恐らく一首々々がみな繪になるだらうとおもふ。世間では北原君の歌を繪畫だ、繪畫だといふけれども同君のを繪にまとめるには餘程骨が折れるだらう。また吉井君のは皆舞臺に上せられる。
 吉井君の歌を表面だけ見ればいかにも強烈に主觀的に咏みなしてあるけれど、内實は案外弱い。強い主觀と見えるのは、同君の趣味である。あらゆる事象は悉く同君の趣味と同化して歌となるのだ、趣味で咏むといふと一寸浮薄に聞えるけれど、僕が吉井君に就いていふのは全然それと違つて居る。同君の趣味性は同君の確實な人生観であると僕は思ふ。宗教、哲學を離れた純藝術の上に立つた同君の人生觀である。『一寸オツだから』とかいふ樣な輕い趣味では決して無い。
(80) 藝に醉ふ――例へば芝居を見て、舞臺で演じて居る劇の内容に刺戟せられるのでなく、その役者の藝の巧みに醉はされる――といふのは、吉井君の歌に對して以外には、今の歌壇で誰のに對しても云ひ得まい。僕に取つては誠にこの事が尊く思はれる。その藝も、さんざ骨を折つて漸く出來上つた藝でないのだから、見てゐて苦しいところが少しもない。
 吉井君の歌は、心の暗さを知らぬ人の飲む酒である。何の掛念もなく其場々々に薔薇色に頬をそめて醉ひ得る人の幸福を同君の歌に由つて見ることが出來る。
 さういふ場合の酒の味は、多くはぼうつと花やかに醉つて、そのまゝ事もなくさめて了ふものらしく想はれる。吉井君の歌を讀んでも、讀んだあとには淡い一種の同じ樣な單純な色か匂かゞ微かに殘つてゐるきりで、――例へばあゝ好い氣持だつたといふ醉心地を覺ゆるきりである。この作者はこれを以て歌の全てであると信じてゐるのかも知れない。これはやがて異論の生ずる所で、一體詩歌は考へさせるものか醉はせるものかといふ大きな問題も此處から起つて來るのであらう。考へさせるといつても色々種類のあることで、一概に何とも云へないが、その如何に係はらずとにかく詩歌は酒であつてほしい。清水でも泥水でも乃至藥でもないと思ふ。考へさせるといふと、直ぐ自然主義學の手ほどき講義を聯想する人があるが、困つた話だ。
 吉井君の歌は非常に強烈なものゝ樣に思はれて居るが間違つて居る。一寸口あたりは強いが中(81)味は極く淡白なものだ。
 歡樂、耽溺の趣きが、高い調子で歌つてあるに係らず、それほど我等の胸を撲たるゝことがないのは、何處か心が遊んで居るからである。同じ趣きでも勝利の悲哀などといふ痛切な感じをば、『酒ほがひ』に求めることの出來ぬのは事實だ。
 『酒ほがひ』を讀んで行くうちに僕の感じた一つは、これらの歌は何れも讀者の全身をば刺戟しないで、何處か一部分を刺戟して行くといふことである。卑近な云ひかたゞけれど、頭の端の方がぼうつとなつたとか、胸のどこかゞ明るくなつたとか云つた調子である.ガアンと五體が響いたといふ風の事はない。つまり醉ふは醉つても泥醉はせぬといふ形だ。
 『酒ほがひ』の著者は最も客觀性に富んだ人である。よし自身に泣くことがあつても、側から手を拍《う》たんばかりにその流るゝ涙を眺めて居る。歡んで狂せず悲しんで僞らぬ趣は直ちにその歌に表はれてやがて讀者の胸に移る。 この人の歌は平出修氏などの『スバル』の一派に由つては盲目的にかつぎ上げられ、世間の一部からは毛嫌ひせられて食はず嫌ひの惡評を蒙つて居る。後者に屬する不幸な人がこの『創作』の讀者などに大分多い樣に見受けられる。その人々のために僕が吉井君の歌を見て嬉しく感じた所を少々お傳へして見よう。特に傑出したのを引用するといふのでなく、唯だ手富りに採つて來(82)る。
 
   海出でて酒場に入ればわが椅子の主まらがほにあるがたのしさ
 夏日蒼海の潮から上つて、大きな五體の濡れた手を拭き/\行きつけの酒場に行つて見ると、常に自分の席ときまつて居る眞白な籐椅子が何とはなく主待ち顔に寂しく室の一隅に横はつて居る。おゝ我が友よ、いまやつて來たと思はず莞爾《につこり》するといふ趣きであらう。前にもうしろにも髪の毛一つの因縁も理窟もない。其場だけの、この溢るゝばかりの情趣を僕は尊ぶ。
 
   君がため瀟湘《しやうしやう》湖南の少女らはわれと遊ばずなりにけるかな
 一首の心は、戀人よ、お前とこんな仲になつてから此處ら瀟湘湖南の美しい少女等がみんな私と遊ばなくなつてしまつたぞといふ意味である。品よく濟まして、あまく拗ねた面影が、かすかな哀愁を帶びて歌のおもてに浮んでゐる。それは兎に角何といふ調子のいゝことだらう。少し咽喉のいゝ人だつたら聲に出して歌つて見給へ、眼をつぶらず歌ひ得たら幸ひであらう。僕はよく聞き手まで泣かせることがある。
 
(83)   しろがねのいさごを踏めばかなしみの歌きこゆなり海近うして
 海近く、銀のごとき白砂を踏んで歩めば、さら/\とかなしみの音を立てゝ砂のくづるゝといふ。
 
   やみあがり吉彌がひとり河岸《かし》に出で河原蓬に見入るあはれさ
 吉彌とは祇園あたりの可愛い妓であらう。その吉彌が病後のいたいけの身を歩まして夕暮か有明かの河岸に出て、露のおりた河原蓬のあを/\したのに見入つて居る姿を詠んだのだ。錦繪のものとして舞臺のものとして、申分はあるまい。
 その他
   自墮落の身を砂の上に横たへぬ信天翁と誰の名づけし
   かつて君がさむき腕に觸れしより多情多恨の子となりしかな
   いくたりの男のために取られたる手かは知らねど我も取りたる
   くちづけを七度すればよみがへる戀と輕んじくちづけをする
 などの種類は、くだらないと云へば云へる程、邪氣のない投《はふ》りつ放しのものであるが、吉井君に歌はれるとそこに深い命が根ざす。眞似る人は『スバル』あたりに澤山あるが、頭から物が違(84)つて居る。尚ほ斯うして引いて行つたら限りがない。以上の數首で他は大概推察が出來やうと思ふ。特に吉井君の歌には出來不出來が少いから大概みな似通つて居る。
 感心ばかりして居るのではない。飽き足らぬ所も澤山ある。その最もいやな方面をば近頃の同君の『苦痛の谷』や『水莊記』とかいふものがよく代表して居ると思ふ。
 平出修といふ人は吉井君の腹の中に棲む寄生蟲である。だから吉井君以外の天下をば毫《すこ》しも知り得ない。吉井君はそのために傷められる樣な柄でないからいゝけれど、修氏その人をば隨分滑稽に思ふ。先月の『スバル』で吉井君のを稱揚すると共に前田君と僕の歌を何とか貶してあつたが、可笑しい事である。吉井君のに感心するならするで音なしくして居られたらいゝ。僕等のをかれこれ云はるる資格は無い。一體斯ういふ人の議論はその仲間だけの茶飲話か何かの時に限つて權威を持つて居るものであることを知覺して貰ひたいものだ。
 
 屋根の上には石ころが並べてあつて、その石ころに青苔が這つて居るといふ樣な暗い山國の旅籠屋《はたごや》で、この『酒ほがひ』を讀み得たことを感謝する。讀んで誠にいゝ心持になつてゐる所へ緑葉君から批評を書けといふ通知を受けたから、取りあへず是を書いた。この一册の内容に對しまだ甚だ云ひ足りぬ。尚ほ是は唯だ讀者としての僕の感じたゞけであることを一言斷つておかねば(85)ならぬ。(信州にて)
 
     『朝夕』を讀む
 
 岡稻里君の歌は極く柔い、こまかな線から成立つてゐる。僕は以前から斯ういふ特長を極度まで持つて行つて、優美な、しんみりした模樣畫風の歌を詠んで見るも面白からうと思つてゐた。そしていま岡君の歌集を見てやゝその滿足を覺えた。餘りに理窟張つた面倒な歌ばかりでも、全く肩が凝つて仕樣がない。『朝夕』の中から僕の好きな歌を擧げて見れば、
   こちら向き秋の畠にたつ女あはれに見つつ遠よそにすぐ
   うす暗う風に湧き立つ雲のもと秋の山こそいと小さけれ
   木屋町のともし火のかげ一つ減りまた一つへり夜は秋めきぬ
   秋の日にうす黄を帶びし榛林ざわめき立ちぬ湖《うみ》のほとりに
   わが手してうゑし杉苗たけ伸びぬ子等の代には山を掩ふべし
   南風すこし吹きそひしらじらと九月の山は雨かくし降る
   しみじみと秋のおとこそきこえくれ夜ふけてひとり扉に立てる時
(86)   黄ばみたる雜木のなかのまだら松ひよろひよろとして秋に痩せたり
   初秋の海のかがやき地をてらしそらを照らして明るきゆふべ
   かの山にまた白雲のわきいでて同じやうなる日のつづきけり
   旅にして紀の國に入る夏の朝すずしく棕梠のうちつづきけり
   黒牛の顔茫として暮れかかる皐月の原のうすきさびしさ
   ほのうかぶ眞白き花のたそがれにそこはかとなく月のさしけり
   逢坂山さくらの落葉柿のおち葉そこはかとなくふみまよふかな
   加茂川の瀬の音きこゆふと京にあるを忘れてもの思ふとき
   鳥が鳴くあな鳥が啼くうすうすと草にさす日をかなしみて啼く
   しめやかに雨きく宵の灯のかげに虫ひとつゐて夏めきにけり
 などの如きは單に僕が好きだといふのみでなく、この作者の特長であると信ずる。
 苦言を呈することを許さるゝならば、同君の歌の七八分通りは説明から出來てゐると云つていい。斯うだから斯うだと一々叮嚀に斷つてあるので、自然作物に力が拔けて、それだけのことになつて仕舞ふのが多い。今一つは、單に言葉そのもののみから成立つてゐるといふ感が起る。要するに是も説明的の弊から生じた缺點であらうが、讀者は單に述べられた意味の顛末を合點する(87)のみで、他に何の感興も起らないのが多い。作者自身の感じかたが弱いのか、目さきだけの景情に惶《あわ》てすぎたゝめか、或は歌といふ先入觀念のために支配されたゝめか、何處かに原因があることゝ思ふ。小主觀の露出してゐるのや、淺い寓意的の歌をも見受くるが、是は厭味に陷る。例へば
 
   黄なる葉に秋の日かげぞこぼれける歸依のよろこび在るるばかり
   歌をよむわれ一本の大木の松にも如かずこの里に住む
   大波のよするがごとく樹をゆする風にめざめぬかなしき旅の夜
   失ひしにほひかへらず冷えはてし酒をふたたびあたたむるとも
   汗流し人のきそへる生活の路に草など摘みてゐしかな
 近江の海のほとりの舊家に、ゆたかに歌を詠み暮して居るときく此の『朝夕』の著者の生活を羨まざるを得ない。出來るなら、單になぐさみに歌ふといふでなく外に其境地を利用して、眞劍に歌のために努力して頂き度いと思ふ。 
 
(88)     『收穫』合評のうちに
 
 前田君の歌はよく僕に『白銀の絲』といふ樣な印象を與へる。雜誌などで十首二十首づゝ見て居ると隨分蕪雜な醜い事柄が歌はれてあつた樣に思はれるけれど、斯う一緒に纏められた所を見ると、少しもそんな感じは起らぬ。いかにも清々しい、すつきりした歌が多い。たとへ暗黒な題材が捉へてあつても、寧ろそれが快く僕等の耳に響く。綺麗なメスで腫物を刺さるゝ快感を覺ゆる。
 そして歌が固い。火の側に持つて行つても容易の事では熔け相にない。しつかりしてゐる。僕は常にこの固い所に謂ひ知らぬ新味を感ずるのだ。
 重い、大きい、深いといふ樣な所は割に少ない。そして君の――著者よ、僕は君自身に宛てゝこの感想を語らう、その方が自由で心地がいゝ――常に云つて居る現實生活の苦痛と醜惡とを歌ふといふ主張はまだ充分には實際の作物に出てゐない。作物には寧ろ明るいこゝちよい響と色とが溢れて居る。何處か小意地の惡い匂ひはするが、まだ人をして氣味惡がらせるに至らぬ。君のいふ『藝園の私生兒』といふ特色も際立つては發見することが出來ない。若し君が深く斯くあり(89)と自身し、斯くありりたいと希望して居るのならば今一歩突込む必要があるだらうと思ふ。
 君の生れた海つゞきの相模の平原、あの平原に迷うて居る明るい寂しさは君の歌に一杯に溢れて居る。これらの歌を見て居ると曾つて夏の日あの邊を走る汽事の中に在つた僕自身をいつか知らおもひ浮べるのみならず、一首々々と讀んで居るうちにその一首々々に關聯した君の過去の生活がありありと眼の前を歩いて行く。この意味に於て僕には下卷の古い方の歌が可懷《なつか》しい。麹町の土手三番町に下宿して居た頃の君などは別しても心に浮ぶ。赤く光る鐵瓶とよく咬《く》ひつく小犬とを命の樣にしてゐたあの下宿の老婆、二階の障子を開くと置ぐ眼の前に見えてゐた青い五月の胡桃の樹、半夜枕を蹴つて遠く越後の國へ奔らうとした若い若い君、などが痛々しく思ひ出される。事實より離れ得ぬ我等が歌の幸ひは斯んな所にも散つて居た。
 上卷の最新に詠まれた歌と、下卷の古い方の歌とで何れが佳いかといふ事は僕等の周圍で度々話題に上る疑問である。僕は僕の嗜好から云へば何となく古い方のを好むけれど、矢張り近頃の作の方が君に取つて重んずべきものであらう。輪郭の正しい君の特色はどうしても近頃の作物に於て多く見る事が出來る。思ひ切つて、他に許さぬ君の特色を出したらいゝ。
 君の作物にはスケツチ風の詠みぶりが非常に多い。そして最もよく成功して居る。例を引けば、
(90)   わすれ行きし女の貝の襟止の白う光れる初秋の朝
   かへり行く女よなれが肩あげのさびしきあとにほこり浮く見ゆ
   崖うへの秋の梢をみてありぬ別れしあとの午後のひととき
   かへり行く裾短かなる弟のうしろ姿を君とながむる
   いま一度うなづきてわれに見せよかし言葉すくなきさびしき女
   白菊の青きつぼみをにぎり居し君がをさなさ兒のなつかしき
 など、其他甚だ多い。これもいゝには相違ないが、僕は次の樣なのを、もつと好む。
   荒《すさ》みゆく我れのこころをいかむともなし得で秋に行きあひにけり
   やすらかに汝が夫を愛せよといひやりしより二秋を經ぬ
   しばらくは妻となしても許すべき君をあはれみ溺れそめける
   斯くまでになりし女の心さへ男はかなし容るる能はず
『收穫』一卷は一面君が半生の戀愛史と見る事が出來る。そして君は日本の戀愛詩の上に一種獨特の鮮かな色彩を投じた。僕はこの一點を以てこの『收穫』を重しとする第一義に置く。誰かよく君の如く冷やかに自己の戀愛を解剖し得たであらう。
 友よ、君は『收穫』により、僕は『別離』により、共に時を同じうして過去を葬る墓を築い(91)た。君と云ひ僕と云ひ、この三四年間の生活は短い樣で、實はなか/\長かつた。或はこの短かかつた間がお互ひの質量の全生命中の最も多くの割合を占める樣にもならぬとも限らぬ。この一事を思ふ時、僕は自身の墓の上に置いた自身の手を誠に容易に放し難い。君も亦た或は同感であらうと信ずる。
 
    本書五十八頁 和歌評釋春泥集中の一首
      わがはした梯子の段のなかばより鋏おとせし春の晝かな
    といふの第一句わがはしたとあるのを私は其後の句の調子から何の氣なくわがはしための意にとつて其旨で解釋しておいた所、あとからふと若しやさうで無いのでは無かつたかと氣づいたことがある。わがはしたは通俗いふ所のわがはしたなさよの輕い間投詞に用ゐられてあつたのではなかつたかといふ疑問だ。事實さうとすれば無論鋏を落した主は作者自身であつたのだ。作者が作者だから何か確かな據る所があつて斯ういふ用ゐかたをしたものかと思ふ。と、すれば私はとんだ無作法を働いたわけになる。念のため茲に此旨を附記しておく。
 
(92) 秀歌をおもふ心
 
 『秀歌をおもふ心』は曾て雑誌『創作』誌上に於て、其讀者のために作歌上の注意を與ふ可く、毎號執筆してゐたものである。感想もあり、作法風のものもあり、誌上の歌に對する批評もある。其中から取捨して、雜誌の讀者のみならず、廣く一般に對して興味あり利益ありと認むるものを採つて本編を編んだ。
 
     さうですか歌
 
 本誌に限らず、投書中の一部の歌を見てみると中々立派なものが多く既に老手と許すべきものもある。
 けれども、それを幾人か並べて、サテずうつと、見渡すと何れあやめと引きぞわづらふ悲哀を覺えざるを得ないのだ。
(93) みながあまり器用過ぎるからではあるまいか、と私にその理由を質《ただ》した人がある。成程一理あるかも知れぬ。器用はえて早熟し易く、摸倣に走り易い。從つて、同じ型にみんなが集つて來て同じ所に止つて居るといふ結果を生むのかも知れぬ。
 斯ういふ種類の器用は、一面その人に眞摯の氣の缺けてゐることを語つてゐると思ふ。衒氣、匠氣、獨りよがり、などもこの器用から陷り易い厄病、といふより墳墓である。
 眞摯な歌はたとへ上手ならずとも、強みがある。永久牲を有つて居る。
 歌はまことなりと樣に云ひ傳へてゐた昔の言葉には無限の味がある。昔と云つても、まことといふのが漸次墮落して一時は道義上の意味に解せられてゐた時もあつたらしいが、もとの心は確かにさうでは無かつたらう。眞は新なりといふ言葉もまた動かし難い。まつたく眞そのものは時間をすら超越して居る。歌ふところは眞なるべく、歌ふ態度は眞摯なるべし、私は常にこれを憶ふ。
 
 投稿歌中で最も眼につくのは、例のたゞごと歌といふのである。私は新たに是等に對して、さうですか歌と名をつけた。所以は、その歌を讀んでも唯だ、さうですかと返事をすればそれで充分であり、またそれ以上に返事のしやうがないからである。手近にある没書歌中から二三の例を(94)引いて見よう.
   この頃は只意義もなくただ起きて事務をつとめて夜は只寢ぬ
   一人寢のねざめさびしきその夜の夢などしのぶあたたかき床
   長《とこ》しへに子供でゐたく思ふ子に親はかなしく妻をすすむる
 など、何れかさうですかならざらむ。そして没書の八割は斯の種類が占めて居る。是等は作者自身がその歌つて居る境地に對して殆んど何等感觸することなくして、平氣の平左で三十一文字にして仕舞ふが故に起る弊だと思ふ。斯ういふのが例の報告歌、筋書き歌である。若し作者にして意義もなく起きて働きて寢て暮す其咋今の境遇に對して本當に何とか感ずる所があつたのならば今少し何とか歌へたらうと思ふ。歌にする前に先づ自ら深く感じ、味ひ觀照して後、初めて三十一文字に表すべきである。自ら感ずることなくして他に強ひようとは無理な相談ではあるまいか。
 自ら深く感じて、そして他がそれだけ感じて呉れないのは、それは技巧が足りないからである。自分の心そのまゝの調子が歌の上に表れたならば、取材の如何は問はず、その歌は生きてゐねばならぬ。
 技巧の不足な歌は添刪すれば生きるが、さうですか歌は一寸手がつけられぬ。改めれば初めか(95)ら全然作り更へねばならぬ。
 
     一首一句の解剖
 
 今度は歌の一首々々に就いて私の慊《あきた》らぬ所を述べて見る。歌は今囘の投稿中から取つた。作者の名をばお預りにしておくが、何れも相當に聞えて居る人達である。
 
   いたはれどなほなぐさまぬこのおのれ自棄の浜に咽びてのみあり
   死か死かこころするどくなるままにうちふるひてはよろぼふ身かな
   青春のあまさかなしさしみじみとあぢはひもせぬ愚なる來しかた
   われをかすめ君がなさけの逃げゆくをさびしくあはれ見送りてあり
   辛うじて死よりかへりし男の眸《め》葵の花にみ入るあはれさ
 この五首は某君の原稿の通りを初めから五首だけ書き寫したものである。
 この人の特色は先づその咏みぶりのわざとらしい所にある。わざとらしい所から、その歌は大方淺薄なものとなり終つて居る。例へば練習用の假空的計算表を見る樣なもので、歌に底がな(96)い、眞が無い、熱が無い、力が無い。述べられた筋の言葉のみが並んで居る。いつぞや云つた『さうですか』『なるほど』の歌に近い。第一、第二、第三の三首などは明かにさうである。
 そして一體に歌がのんきに出來てゐる。第一の歌の上の句はよしとして、『自棄の涙に咽びてのみあり』の下の句の何ぞ呑氣にして間の延びたることぞ。どこに自棄の涙の痛みがあり、悲哀があり、味ひがある。これでは『蚊帳のそとには蚊がないて居り』ぐらゐの感触しか讀者に與へはせぬ。即ち作者のわざとらしさが斯く姿を變へて居るに過ぎぬからである。萬一さうでなかつたのならば、あまりのんきに作者が自分の心を語るからである。(然し心から斯の境地を感じたのならば、幾ら何でも斯う平氣に語り出し得まいと恩ふ)。斯んなものだらう位ゐで、自棄云々のその境地に輕い好奇心を動かしてふい/\と三十一文字に綴つた故であらう。さうでなく、心からこれを痛感してゐてこの位ゐにしか云へぬとなれば、それは技巧が足りないからである。自分の思ふことを云ひ表し得ない耻しい地位に平氣に居るのである。何れにせよ、上に云つた何れの理由もみな、歌を、自分みづからを侮辱した行爲と云はなくてはならぬ。第二の一首は一首全體がさうである。こころするどくなるままにには何處やら骨があるが、他はみな空零な感じ、空零な言葉に過ぎぬ。特によろぼふ身かなのかなは取分けて一體の感じを輕くしてゐる、(かなは一番使ひ易いから誰でもよく使ふが、實は甚だ困難な言葉なのだ。この言葉のために折角の歌を
(97)殺す人は少くない。)第三の歌は純然たる説明である。『さうですか』である。しかも丁寧に『青春のあまさ悲しさしみ/”\と味ひもせぬ』といふ説明を更に「愚なるこしかた』と重ねて説明し盡くしてある。こんな抽象的な説明にどれだけの影が伴ふものか考へれば解り相なものだと思ふ。第四は前の三首に比してはやゝ影が濃いが、矢張りわざとらしい、作りもの臭い。廻りくどくしてうるさく、ものをかすめたやうな云ひぶりがひどく一首を無氣力にせしめて居る。サテ採るとなればこの五首のうち先づ『辛うじて』の一首であらうが、これにも難は少くない。辛うじて死よりかへりしといふ心持をば了解せぬではないが、何だかこのまゝでは荒漠として居る。それは先づ可いとしても見入るあはれさとなぜ丁寧にことわつたものであらう。何々男の眸と出たらばあはれさなどゝいふ説明を加へないでなぜそのまゝに突き離して歌はなかつたらう。その方がどれだけ力強く表はれて居たか知れないのだ。何々あはれさ、何々かなしさ、さびしさといふのが矢張り前に云つたかなと同じで能く使へば甚だ生きて來るが大概はぶち壞しになるのが多い。凡手の濫用すべき手法でないのである。が、この『辛うじて』の一首は一寸印象派風の氣の利いた歌である。
 この作者は非常に藝術に熱心な人であるのだが、作物は今度に限らず、多くは根柢の淺いものであつた。恐らくは藝術といふ名前のみか、或はその表面のみを見て、輕卒に騷いで居る種類の(98)人では無からうかと疑はざるを得ない。私はこの人に先づ沈思瞑目を勸めたい。そしてしつかりと自己の姿を發見してそれから泰然と己が行く所へ行つて欲しいと思ふ。
 
   かへるべき家さへあらず淪落の女を母とよばされきぬる
   貰はれてこしは何らの薄幸ぞあさましきひとを母とはしける
   云ひもせば家を追はるるわりなさに母にいさめむこともかなはず
   男甲斐なくその妻をさばきえぬ父をあはれに思ふならねど
   爭論のをはりに母を罵りつひとり床ひく父のあはれさ
 これはまた他の人の作、同じく原稿の初めから五首を寫したものである。讀んで大概の想像がつく如く、この人は養子か何かに貰はれて來て、身を嘆き、家庭を悲しんだものと受取らるる。
 この作者を親しく知つて居て、深くその地位境遇に同情した上に此等の作を讀んだなら或は是非をいふ餘地はないかも知れぬ。けれ共それは作者として豫期すべからざる所、また讀者としても詩を鑑賞する途でない。サテ此等の作の作物としての價値如何。私はどうしてもたゞごと歌の一種にすぎないと思はざるを得ない。
 第一の淪落といふ言葉も調和がとれて居ないし、呼ばされきぬるのきぬるも間延びがして居(99)る。そして一首として見る時に、成る程さういふ事情に在るといふことだけは承知出來るが、要するにそれだけである。さうですかで事がすむ。これだけの複雑した境地を歌ひ盡さうとするには今一段の工風を要すべきであらう。第二然り、第三、第四、第五皆然りと云はねばならぬ。質朴な素直なこの作者に對しては誠に氣の毒に思ふが、止むを得ない。手法から云つても、一句一句ねち/\と疊みかけて氣長く口説いてゐる樣な所が甚だ生氣を失して居る。わりなさにも變だし父を哀れに思ふならねども甚だ持つて廻つた力の無い云ひかたである。こゝにも父のあはれさがあつた。が、採れば五首のうち、この爭論のの一首であらう、ともかく内容の輪郭だけは出てゐる。他はみな空零な言葉のみの羅列である。と云つて何も私は事實の描寫のみを勸めるのではない。感情なり、思想なり、何でも構はぬ、唯だそれが感情の説明、思想の叙述であつてほしくない。感情そのもの思想そのものであつてほしいのだ。
 このB君(假りに)の樣な咏みかたが近來甚だ多くなつた。人の感想が複雜になり、種々のことがよく目に見える樣になつて來たことゝて斯うなるのは或は無理のないことかも知れぬ。けれ共、それならそれでそれだけの準備を作物の上に拂はねばならぬ筈だ。それだけ複雜になつたものを無雜作に平氣でもとの通りに打ち出さうとした所で充分に出るわけがない。せめて其間に非常な苦悶でもあるべきだのに一向その風もなく甚だ諸君の平氣であるのは私には寧ろ不思議の感(100)がある。諸君のみでない。もう作物の上に既に一家をなしたと傳へられてゐる人々の上にこれと同樣なことが平氣で繰り返されて、當人も世間も別に怪しむ風がない。
 
 歌に限らず、小説でも何でも、出來得べくんば何等の助勢をからず、表はさうとする作品の眞髓そのものだけを出したいものであるのだ。然し、藝術とか何とかなつて出る以上、言語をかり、言語の連なりかたに由つて種々の形を假り、つゞまり一の形式となつて出て來るのである。それは止むを得ないとしても出來るだけはそれらの假勢を増長せしめず、最も都合よく運用して、眞髓そのものに近いものを出すべきであり、出し度いものである。私は作物を鑑賞するに、よく、あれには粉があると云ひ無いといふ。眼を瞑《と》ぢて作物に觸れて見るに、或は指先に粉か塵か砂ばかりが觸れるもあり或は作品の上に多少のそれらの混ずるを感ずるもあり、或は微塵の砂なく粉なく、玲瓏たる作品の眞髄そのものに觸るゝもある。希《ねがは》くば我等は常に最後の境地に在り度いものであると念ふ。
 友人福永挽歌は、『わが人生は沈黙と涙なり』と言つた。彼も粉と塵とを恐るゝ一人であるのだ。
 
   酒の香のものうえしたるわが感に堪へじとやうに匂ふかなしさ
(101)   わが饑の味覺をそそるウイスキイ強くかなしく胸に沁み入る
   やはらかき脂肪に富みし細胞に湧く本能の淡きかなしみ
   このままに冷たき床に犬のごと寢ぬるはかなしうつぶしてぬる
   悲しみは君一人を愛するといふことにさへ倦みはてて來ぬ
 これはC君の作。前のA、B両君の缺點を併せ持つてゐる觀がある。
 第一は全然言葉の意味を爲してゐない位ゐに持つて廻つた云ひかたである。斯く/\のわが感じに(この抽象的の感もいやだ。)耐へ難いまでに酒が匂ひ立つてるといふのであらうが、擬人風に酒を主格としたのも實感を殺ぎ、子供がものを言ふ様な廻りくどい説明は頭から物を零にしてゐる。第二はそれだけのこと。第三に至つては馬鹿におどかしたものだ。やはらかき脂肪に富みしと丁寧に細胞を説明しておいて、さてその細胞に湧く本能の………淡きかなしみだ相だ。三べん廻つてワンとも云へない苦笑を感ずるではないか。而かも脂肪、細胞、本能と古唐物屋が燒け出された混雜を呈してゐる。なぜもつとすなほに云へないものであらう。第四はまた思ひ切つてぬる/\して居る。下の句十四文字のうちぬるうつぬるとうくすつぬ段の語が六個も使つてある。從つて斯んななめくじが癩病に罹つた樣な耐へ難い不快な印象を生むに至るのだ。歌の一つも詠まうといふに一首の内容律とそれに用ふる言語及び其音律との關係位ゐは知つてゐなくては(102)困るぢやアないか。此有樣で以て一人寢を悲しむなどとは片腹痛い次第だ。
 
     人いろ/\の缺點
 
 毎號、どんな歌を没書にしてゐるか、今度それを少し調べて見よう。引例を本號文の没書中から取る。箸にも捧にもかゝらぬ樣なのは致しかたがないので、割にその中での佳作と認むるものから此處へ引くことにする。作者の名はお預り。
 
   料理屋の女にうつつぬかしては通ふ男のばかげたるつら
   時折りはあの居酒屋へ酒のみに行かむなぞ思ふ氣まぐれ心
   居酒屋ののれんの下を流れくる物の臭ひにこころそそらる
   煙草をば輸に吹きながらつらしかめ空みる人にせまる夕ぐれ
 この作者は平常は割合に上手な人であるのに今度はなぜ斯う拙かつたらう。いづれの歌もみな例の『さうですか』で無いのはない。第一が然うだ、第二が然うだ。よく考へて見給へ、さうより外には眞實これらの歌に對して御返事の致しやうがないではないか。『通ふ男のばかげたるつら』(103)と云つたところで、その馬鹿げた面の印象などは少しも歌に出てゐない。『行かむなぞ思ふ氣まぐれ心』の間の拔け加減は無いではないか。斯んなことを云つてゐて一體作者はどんな氣持がしてゐるのであらう。二首とも先づ自ら嘲る述懷の歌ともおもはれる。が斯ういふ淺薄な手輕な述懷では、少しもその述懷の意味(自分の描かうとする心持)は他には通じはせぬ。誰も相手にする氣遣ひは無い。ことに斯ういふ主觀を直接に出した述懷風のものだけに、厭味が深く、ものが輕薄になつてゐる。誰しも初めは斯うした調子で詠み出したがるものだが(一つは詠み易いから)大概失敗する。どうせ初めからさう完全に詠み出し得る筈のものでもないから致しかたがないとしても、同じことならこの述懷風のものを成るたけ差しひかへる方がいゝ。やるならいつそ極く素直にむき出しにやる方が却つて厭味が無くて宜しい。幼き人の小首かしげて勿體らしく切り出す有樣はまことに見にくいものである。
 第三の一首はまた至極きたない詠みかたである。唯だ醜惡そのものが極めて漠然と出てゐるだけで、暖簾の下を流れ出たものの匂ひに心を取らるゝ境地の鋭いあぢはひ、意味といふものは寸毫も歌の上に出てゐない。
 以上の三首ともあまりに丁寧に、自分の語らうとする所を説明して居る。だからそれだけ歌に力が拔けてゐて、廻りくどさが眼立つてならない。今すこし素朴に、簡明に歌へたらば同じこと(104)でも斯うまで見劣りのせらるゝことも無かつたであらう。
 最後の一首は先づ佳いが、これも上の句があまりに丁寧すぎてゐるかの觀がある。それに反し下の句はよく緊張してゐる。要するに此作者の歌には説明が多過ぎて、そのため歌に詠んだそもそもの主題(内容)を閑却してゐる。
 
   酒のみの父に似るなとよく言ひし母の瞳も忘れざるなり
   眠り得ぬかなしき我のかたはらに醉うて臥しける兄の横顔
   僅かなる酒も尊しさびしかる命のいつか唄うたひ出す
 此作者の歌は五六首だけ採つて詠草中に出てゐる。その殘りの中のこれ等である。『忘れざるなり』、忘れないのよ、左樣ですかとつい云ひ度くなる。なぜ斯う格調の上の不備に氣がつかないのであらう。大分古くから作歌に從つてゐる人ではないか。第二も「ただごと歌」に過ぎない。これにも何か寓意があると取ればありさうだが、さうなればいよ/\鼻つまみである。見たまゝの境地だけだとすれば、餘りにも力が無い。歌の目鼻が一向あきらかでない。第三は厭味が勝つてゐる、僅かなる酒も尊しといふのも厭味であれば、命のいつか唄うたひ出すもいや味である。半可の濟ましかた氣取りかたが誠に眼につく。此人の作は一體いやに濟ました所があつてい(105)かにも一首の一首の影が稀薄である。今少しざつくばらんの所があつて欲しいと思ふ。
 
   夕顔のしろきが濡れて咲く露臺薄月夜ともなりにけらしな
   水ちかくひとりは寢じなふとさめし歡樂の夢失戀のゆめ
   薄月夜百合さけるころ見てしよりまめまめしくも事ふる女
   水のごとく澄みし宵なり岩田橋月滿潮に君を待つかな
 此人はまたいやに氣取つたものゝ言ひぶりをする人である。然かく言はむがためにのみ徒らに苦勞して、言はうとするものゝ本體を忘却して居る。第一でも恐らく、下句のうす月夜ともなりにけらしなといふ眼を細め首をかしげた言ひぶりがしたかつた爲に此一首が出來上つたものかと思ふ。きれいには綺麗だが生氣精氣の無いうつくしさである。ほんの上つ皮ばかりで突き入つた感じは正直に讀者の方にも起らない。第二も亦た同樣の缺點を帶びてゐる。水ちかく獨りは寝じなはまだ可いとしても、歡樂のゆめ失戀のゆめはどうしても活動寫眞むきである。第三は一寸意味をとるに苦しむ。想ふに極めて夢幻的な美はしさを表はさうと試みたものであらうが、根柢が無い、徒らにぼうつとしてゐる。そことなく大海の上を渡る秋の霧のほのかさは、ほのけきなりにもおかし難い強い深いいのちを持つて居る。あの心もちで斯の境地を出して貰ひ度いものだ。終(106)りの一首もまた、岩田橋月滿ちしほに君を待つが作者の頼みのつなかと見受けられて心細い。
 斯ういふたちの詠みぶりを用ふるのは多く一種のハイカラな人たちの中から出て來る樣である。自分で何かしら一味の覺束ない藝術觀を作り立てゝ、何か彼か理窟をつけながら自分獨りで感心しつゝ作歌に從ふ。その結果は間々わるい獨りよがりに陷り、牢乎として拔き難き弊に沈んでゆく。そして此らの組は割に眼の明いた人たちの中に多い。自省を望み度いものである。
 
   いたましや死を思ひつつ樹に倚れるゆふべ淋しくさわぐ風かな
   四月ゆふべ花なき樹に倚りひびきくる町のどよみに流せる涙
   思ひみだれ身を投ぐ草に初夏のくもる光のかなしきひる哉
   戀ごころ草のかをりの流れくる明るきたそがれわれを泣かしむ
   初夏の花みのるなり曇り日のうすき勞れも寂しき思ひ出
   なつかしく死を思ひみるかたはらに南瓜の花の黄にひかる畫
 斯う並べて見るとみな相當に出來てゐる。別に没書にするにも當らないほどのものである。なぜ採らなかつたか。私は以前から此作者の斯ういふ詠みぶりがひどく厭やであつた。夙くから少しの變化もなく倦みもせず克明に斯うして詠んで送つて來られるのを見ては氣の毒にも思はれて(107)如何にか注意してあげたいものと念ひながらツイ/\今日になつて了つたのだ。なぜ嫌ひなのか。よく注意して見給へ、實に一首々々に生氣がない。極めて細うい綺麗な線で丁寧に美しく何か描いてはあるが、いづれも多くは死んでゐる。特に一首々々として存在する權威などありはしない。取材の範圍も(多くは草花の類)極めて狹く限られて居り、詠出の手法もまた千篇一律に固定して居り、眼懸くる處は必ずの樣にほんのりとした弱い感情感覺の片端(といふより寧ろその陰影)である。變化は無くとも千篇一律でもそれは敢てとがめない。がその作物全體に渉つて個性も無く、特殊のちからも無いとなればほと/\困つて了はざるを得ないのだ。第一作者自身はこれで何等の不滿をも感じないのか。感じないとすれば早や一言の要もないが、若し少しでも不滿な心が動いてゐたならば、ぐづ/\してゐずに豁然として覺醒すべきであらう。然うでなくば幾ら數おほく歌を作つたところで何にもならない。徒らに作者の幼い道樂心を滿腹せしむるに過ぎない。須《すべから》く眼目を一新せしむる要があると思ふ。
 今囘の苦言はこれでお預りにして置く。大抵似た傾向だから多く言ふ要も無いのだ。以上述べた中でも技巧の拙い人は改め易いが、わるく固まつた人は餘程の聰明と果斷とがなくては改め難からうと思ふ。私の言のうち、採るべきものがあつたら早速採つて頂き度い。唯だ言ひ添へておきたいのは、私はともすればものを誇張していふ癖があるので、それにおびえて固くならないや(108)うにしてほしいことだ。言の禮を缺くものをもお詫びしておく。
 
 前月號の詠草中から眼立つた歌を引いて短い評釋を試みて見よう。
   はるかなる旅をし思ひうす濁る山脈を見てやがて歸りぬ
   旅に出づる心となりて家に入りひとりさびしく頬杖をする
   身にひめて死にを思へるかたはらに家の者らは夏をかこち居り
   あめつちのこの一隅に生ける身のにほはざるこそうらさびしけれ
   あれ見よ暗のなかより角折れし牛がさびしく涙ぐむなり
   肩を見よけだものに似る神に似る何か重荷のかかりてあらむ
   なみだなみだ盡きずかなしう頬をつたへ生きて甲斐ある若きいのちぞ
   青空のもとに椅子おき午後の日にひかれる豆の花を見てあり
 など何處か似寄つた佳いところがあるやうである。
 第一と第二第三とは少しの誇張も會釋も無く極めて無愛想に詠んであるが、それでも其場の作者の心持がよく我等の心に傳はつて来る。『はるかなる旅をし思ひ』も『うす濁る山脈を見て』も『やがて歸りぬ』もいかにも落ち着いた隙の無い動きの無い句である。鵜の毛ほどの理窟説明と見(109)るべきものがない。第二の一首も亦然り。そして此等の素朴な歌がどれほど生き/\と我等に語つて云るであらう。單に素朴なばかりでなく能く微妙に感覺も感情も働いてゐる。はるかなると云ひ、うす濁ると云ひ、やがてと云ひ家に入りと云ひ、みな血脈が高々とうつて居る。觸《さ》はれば言葉にあたゝかみを感ずる。つらなり渡る遠い山脈、その日は空もわが心も曇つてゐた。遠い山脈を眺めながら茫然と佇んで居るほどにいつとなく心の奥がかすかに明るく痛みそめて、其上に山のあなたの遙かな空が影を映して來やうとする。眼を閉ぢてこゝろの痛みを抑へながらやがてうす暗いわが家へ歸るといふ其場のこゝろもちが能く一首の裡に出てゐるではないか。第三の一首はやゝ違つてゐる。これも極めて素知らぬげに自分の心持を訴へてゐるのであるが、矢張りその歌に厭味も衒氣もないために、能く曇ることなくその心が出てゐる。けれ共少しく熱氣に乏しいため(此人の作は全體にその氣味がある、注意を望む)いさゝか空語に近い感じがせぬでもない。第四の歌には小さいながら何處となく生きた感じが動いてゐる。斯く天地の一隅に生きながらもわれとわが身にその生命の痛みが一向に觸れて來ない物足らなさを嘆いたものであらう。何となくまだ言葉がこなれてゐない。第五、第六の二首は一寸風變りのよみ方である。感覺派、印象派とも云ふべき部に屬するものであらう。角の折れた牛の顔がおく深い時のなかに現はれて、寂しく涙を垂れてゐるといふそれだけの繪を描いて自分のさうしたうら寂しい、何か事ありげな(110)心を語らうとしたものであらう。あれ肩を見よ、いかにも眼に見えぬ重荷でも懸つて居りさうだといふはつとした驚きから、何かは知らず獣に似る神に似るとうろたへながらも輪郭ふかく詠み下したものと思ふ。まだ徹底はしてゐないが、血はたしかに通つてゐる。第七は平凡な、よく歌はれた種類の歌であるが、いかにも正直な純な心の叫びは幼いながらも矢張り棄て難い一線の青みを帯びてふるへてゐる。そこが尊いと思ふ。最後の一首はどこが佳いととりたてゝ云はれぬが、騷がない靜かな姿が心を惹く。晴れた午後、屋外に椅子を置いて豆の花に見入つてゐるといふ清楚な水彩畫の味ひが嬉しい。
 いつのまにか豫定の紙數を書き盡さうとして居る。
   芝山の牛らの背をうちしめしよせ來るなり海の夕霧
   島の樹のそれと見ゆまで近づきし舟のうしろに鵜が啼いて立つ
   青空をひるがへりきてつばくらの泥をふくめり悲しや春の日
   旅ごろも夏の近江にさすらひて糸操少女を戀ふさびしさよ
 など其他尚ほ云ふべき歌があるが止めねばならぬ。川原に立つて砂金を拾ひ得たやうな歡喜と光輝とをこの詠草中に覺ゆることが度々ある。私は誠に嬉しいのだ。
 
(111)     無題三四
 
 まだ暗いうちに一寸眼がさめたらしきりに雨の降つてる樣子であつた。ぐつすりまた寢込んで、今度起きたときには日が窓にさしてゐた。一寸急ぐ用事があつて神田橋まで出懸けたがどうにも電車に乘るのが惜くて柔い日光に照らされながらずつと河岸通りのぬかるみを歩いて行つた。潮のさした河岸には荷揚人夫が元氣よく働いてゐた。歸りにも電車をよして神田の賑やかな通りを選つて來た。そしてどうしたものか急に麥酒の味を思ひ出して心持や舌のさきが變になつたので、ふら/\と見知らぬレストラントへ登つた。二階で註文を待つてゐると、うるんだ日光をどよめかして午砲が鳴つた。斯う汗ばんだ身體に浸みてゆく冷たい酒の匂はまた何とも云ひがたい。此頃は牛乳だけで朝飯を廢してゐるのでお晝に飲むのが別してうまい。一二杯飲んでるとひどく醉つてふら/\しながら歸つた。今日は緑葉が來る筈なので外出したいのを我慢してゐるけれども一向來ない。窓をあけて濠を行く舟を見てゐるうちに眠くなつたので毛布をかぶりながら睡てしまつた。眼がさめて大いに緑葉を憤慨しながら獨りで湯に行つた。湯屋には駒鳥か何か澤山飼つてあつて、透る聲で啼いて居た。湯屋から歸つてぼんやりしてゐる所へ富田君が來た。(112)夕飯後一緒に本郷の平賀君を誘うた。誰からも彼からも雜誌はまだかまだかと催促せらるゝ。實際發行日に遲らすのはつらいものである。今度からはと改めて決心はしたものゝ危いものだ。
 雜誌の話から歌の話に遷つて、一言二言いふうちに自分は獨りで躍起になつた。どうしても其日生れて其日初めて歌を詠むやうな心持を毎日持續して行かなくては駄目だ、自分の過去未來に右顧左眄してゐたり、他人及世間との交渉にばかり腐心してゐて、どうして思ふやうな歌がよめるものか、斯の意味に於て僕は情實とか地位とかいふものを實に淺間敷くなさけなく思ふ。いやだいやだ、一首として自分で滿足するやうな歌もよめないでゐる現在が、死にかけた蛇のやうに、不快に苦痛に思はるる。一首詠んだら、それでその場の自分の生命は全然破壞してしまつたものと感ずる程骨身に響くものが欲しい。それでなくて、何のために歌をよむ、自分はわけが解らなくなつて來る。
 かういふことを氣色ばんで話しかけたが、兩人共ぼんやりした顔をして聞いてゐるので、またつまらなくなり、何處か寄席へでも行かうと誘ひ立てた。そして三人して若竹に入る。戸外の夜の空氣は極めて濃かで暖かであつた。空の低い所で星がひとつ二つ青く光つてゐる。身體の何處かは圓右やむらくの上手な話に面白がらされてゐるのだが、何だか自分と一向交渉のないやうな氣がして少しも身にしまぬ。平賀君と別れて富田君と二人、水道橋迄歩いた。濠瑞の櫻には何だ(113)かもう花でも咲いてるやうな氣持がせらるる。先刻聞いた橘之助の三味の移り香に誘はれて大きな聲で歌でもうたつて見たい心地なので試みにうたひ出して見ると、それはもう自分の心の聲ではない。どうして斯う自分といふものが一つにまとまつてゐて呉れないのだらう。(三月一日)
 
 私がいつぞや作歌の上に技巧の必要なことを述べたあとで、諸所でちよい/\と賛成の旨の言葉を見受けた。その中に、何だかいやな氣持のする言葉も混つてゐた。
 何も私は技巧は必要ですよと初めから名乘をあげて技巧を使ひ技巧論を唱へるわけではない。唯だどうしたら自分の思ふ通りを、自分そのままを、間違ひなく遺憾なく云ひ表はし得やうかと、能ふだけの努力を其ために支拂つて居ると云ふだけの事で、それが即ち技巧だらうとは、實は第三者に由つて稱へらるべき性質のものであるのだ。あの場合、あゝはいつて見たものの(不必要だなどといふ説に對していふ上から)本當は私はどんなものを技巧といふのだか知らないのだ。また作家當人には強ち知る必要はあるまいかとも思ふ。技巧に限ります、と云ふわけでなかつたことを一寸書足しておく。
 
 殆んど外國語の一語をすら知らないので、彼我の比較は出來ないが、私はわが日本語にも亦た(114)棄て難いいのちのあることを信じて疑はない。斯ういふ所が斯うだとの説明をば御免蒙るが、この海洋に浮く島の上に何千年來生息して來た日本人種に、よし幾多の缺點はあらうとも、亦た棄てがたく好い所のあると同樣に、此人種に今日まで用ゐられて來た日本語に私は少からぬ愛情と感謝とを持つてゐる。出來るなら私は私の歌にこの日本語の好い所を極度まで結晶させて見度い。使ひやうによつては(即ち技巧の程度によつては)この言語それ自身が、我等人間同樣の感觸を帶びるに相違ないと信ずる。何となくすたれ氣味になつて來た我が日本語よ、私は心から御身の健在を祈るる。
 
     無名の詩人
 
 この章には『創作』誌上に多く作物を掲げ來りし年若き歌人中にて、優秀なる數君を選びその歌に對して一昨年頃自分の述べた批評を輯めてみた。讀者は此等調未だ整はぬ歌の中に棄て難き生命の流動してゐるのを發見するであらう。
 
▽和田山蘭君
和田君の名を知つたのは大分久しい以前であつた。が、其歌風の定まつたのは昨年あたりから(115)のことかと思ふ。その歌風は大方の人には餘り受けさうもない詠みぶりである。現に先月發行の秀才文壇では滅茶々々に叩かれてゐる。斯ういふ有樣だ。『和田山蘭の作の如きは短歌の墮落を示すもので、渡邊紫などの作と何の差異をも認め難い。彼等は人生に對するに成心を以てしてゐる。從つて彼等の眼に入るは人生そのまゝの姿ではなくて彼等が勝手に創造した遊戯の世界である。山蘭たるもの、どこまでふざけ散らさうとするか。中年男の彼は滑稽新聞のやうな歌をあかず作らうといふ勇氣はあるが、誇張した技巧を除けば彼は何物をも持たない。氣の毒な位ゐ貧弱な姿を曝露してゐるのは彼である。』和田君がこれを見たか如何だか知らないが、嘸ぞ苦笑したことだらうと思ふと、僕まで涙の出る樣な苦笑を感ぜずには居られなかつた。是に對しては何も云ふことはない。唯だ右の成心を以て人生に對する云々の言葉に其儘のしを附けて御返上したら如何と思つた。僕は何の因縁だか知らないが、咋今の和田君の作を誠に歡んで讀んでゐる。今日はその僕のよろこびを披露して見度くなつた。引例として本誌四、五月號の同君作から數首を引く。
 
   あまあまとうす明るかる心なりしがかく重ぐらく誰がしにけむ
   暗く重くにぎれば火かと思はるる熱き心となりにけるかな
   年に一度ただ一度にてまことよししみじみとうまき酒を飲みたや
   酒の代り餅を馳走にせむといふそのこころ強ちわろくもあらじ
(116) 是等は四月號に出てゐる。この四五首(これに限らなくとも他のどれでもいゝが)を見たゞけでも僕には未見の數百里外の和田山蘭といふ一個人が眼の前に浮んで來る。そこが先づ嬉しい。彼が他に關聯なく自己自身を守つて眼をぢいつと据ゑて、狂ひ廻ることなしに詠んで居る可懷しい姿である。さて以上の四首はみな一見抽象的の、ともすれば空虚な概念か氣障な主觀に傾き易い方の詠みぶりであるのだが、斯くいふ作者の心が豐かで浮ついてゐないだけに、歌もぢいつと落着いてゐる。そして、濕ひも相當にあるし、燃え立たぬ熱氣も罩つてゐる。左樣だ、燃え立たぬ熱氣は彼の作全體に浸み渡つて燃えてゐる。枯草の蔭の大地に萌えて來る陽春の氣分は恐らく和田君の最も愛してゐる所だらうと想ふ。彼は甚だ無雜作にして而かも甚だ巧緻な技巧によつて自分の思ふ所を隙間なく表現してゐる。斧をも使ひ、針をも用ふる。それがときどき、
   少女少女そこの少女――わかい女ちらとこち向け淡雪がふる
   小鳥はよやな――わがこのごろのひとり居のこの寂寥に――よやな小鳥は
 の樣なものとなる。これも好い。きほひ立つて斯ういふ歌を詠む時の同君は紅顔の少年に似た微笑をその片頬に浮べてゐるに相違ない。我等はその微笑につれて徽笑する。これらの一面に彼はまた甚だ輪郭の明瞭な印象風な詠みぶりを試みる。内發的外發的に通じて氣分の豐かな歌を詠む。
(117)   窓明く淡雪ややにはれてけりその窓のへに這ひあそぶ稚兒
   手を帯にはさみたるまま見てありき我が教室の窓の落日
   しんかんと日曜の日の教室のなつかしきまでしづまりかへる
   大きなるあかい太陽うるはしき町の少女の眞顔横顔
   からからとくさの根株のうす黄なる三月の野のゆふべ火放つ
   部屋にゐて酒をのめどもなぐさまずぞろぞろ樽を野に運びけり
   三五人川原の芝に火をはなち酒を飲むなりかなしや春の日
 などの中には打見ただけを荒い筆と色彩とで滿幅の畫としたのもあり、云ふ所は表面――背景だけでまことはその裏に口をつぐんだ彼の氣分の漂つてゐるのもある。そして、何れも堂々たる一首の權威に驕つてゐる。
 僕の想ふ和田君はたとへその愛する家庭に妻はあり子はあらうとも一面また杯をあげて柳暗花明の墳に躬自ら子供の樣になつて行遊することの出來る――寧ろしたい方の人では無からうかと思ふ。そして尚ほ且つその間に在つても自ら慰むることを得盡さず、常に一抹の寂寥に追はれつ追ひつしてゐる人ではなからうか。無暗に他を推測する失禮をば恕して頂き度い。が、昨今の君(118)の作には確かにさういふ所が見えてゐる。それが徹底を欲する側から見れば甚だ飽足らぬ。敢て君に問ふ、君自ら徹底を欲せざるか、或は欲して能はず、自ら昏うして不即不離の境を逍遥しつつあるか。希くば聽くを得たい。このことは少くとも君と僕とに取つてのみにも興味ある問題であらうと思ふ。僕亦た人生の漂流兒、殆んど歸趨する所を知らないで日夜その苦を盡してゐるのであるが故に。
 ――斯ういふことを云ひ出すと僕はもうおち/\と君の歌の細かな詮索續けるのがいやになつた。云ふ可きことは多いが筆を擱くく。歌は―― 要するに我等そのものではないのである。君にも恐らくこの憾みが深からうと思ふ。(五月二十五日夜)
 
 ▽加藤東籬君
 和田君の歌に續き加藤東籬君の歌に就いて一言を費し度くなつた。和田君の歌より、もつと重く沈んでゐるのが加藤君のものである。より多く瞑想的であり、靜觀的である.同君の歌と云つた所が僕は本誌四月號で一度見たばかりであるが、それだけでも充分加藤君を語つてゐるものと思ふ。両君共青森の方の人である。同じ北國の人でやゝ似た樣な傾向を帯びてゐる人々に大日向森郎、小田觀螢人、越前翠村、奥村壽の諸君がある。加藤君の作は温く澄んでゐる。冷たいやう(119)で温い、鈍いやうで鋭い、固つてる樣で靄然《あいぜん》としてゐる。技巧といひ詠みぶりといひ和田君のに比してやゝ若くして而かも大人の風がある。
   錢無くて愁へず二月花咲かず南の山のうすがすむかな
   欝々と愁ひに眠り二月の日林の中に暮るるを知らず
   舊き友は何を思ひし鷄のあつもの作りわれ待つといふ
   祈らざる心をいかに慰めむ白晝靜かに野を燒く男
   野火放てば青き煙は立ちのぼり一縷かなしくかぎろひにけり
   深々と落日のひかり山に滿つ胸にしみ入るなにのさびしさ
   國道のはてに横たはる春の山青くなるまで青森に居る
   縣廳の松のみどりの下歩む吾の姿の目に浮ぶかな
 その他、何れとして棄つべきものがない。色に例へたら先づ藍か青、曇りのない玉の靜かに輝く可懷しさも罩つてゐる。和田君加藤君等の作に尊いのは、亞鉛板か針金のさきか又は金メツキの光る樣な周章へた所、キザな所、から騷ぎのない所に在る。徹底不徹底の問題に移れば前に和田君に就いて云つた所を繰返さねばならぬが、是はその個人の人生觀から出て來ることで第三者の容喙すべき範圍であるまいと思ふ。両君の作風は共に歌の上にのみその生を委ねるといふ所が(120)ない。だからいつでも詠歌を廢し得る人たちである。それも可い、唯だ萬一よすことがあつたとしても歌に親しんでゐた時と同樣にその自己の生に對する愛着を消耗して貰ひ度くないものである。それは實に比すべくも無い痛ましい事實であらうが故に。それにしても可懷しきは樹木深く空暗く雪多しと聞く北の國である。動搖極りなき心を抑へて昨今また切りに北方の空を憶つて居る。
 
 ▽江波戸白花君
 江波戸白花君の歌が和田君の一部の歌とよく似てゐる。が、細かに見れば大分違ふ。一は餘程大まかな所がある。白花君のは細かく結晶してゐる。美しいが却つて辛辣な所があり、底意地の惡い所がある。兩君共時々人を茶にした洒落を試みるが、それなども白花君の方が一枚上かも知れぬ。素人離れのした所がある。
   欠伸する手の上るとき下るときさびしきものにわれを思へり
   家持たばつむじまがりはかなうまじと云ひにける夜の母が眼のさび
   波の上に浮べる鳥を見てあれば浮べる鳥にならむとぞ思ふ
   笑ふやうに作られてある顔ながらあはれ深くも笑ふものかな
(121) 此等は江波戸君が極く生眞面目な顔をして詠んだものだと思はれる。少し心をゆるめて横目でものを見るとなると彼はまた更に切れ味のいゝ歌を詠み出づる。
   父がいふ如く不孝の子なりけり不孝の袖を吹けや春風
   あたたかき床の中より錢のこと思へるものと君は知らじな
   妻もげにすぐれし君と思ふらむ微醉のまゆの少しゆらげば
   身重にもならばあはれや深からむ愛づるに倦みし妻が横顔
   實に彌生教師が妻もうす化粧うらはかなくも艶めきてけれ
 など、何といふ心憎い、つら憎い歌ひぶりであらう。斯う云ふ事を云ひながらも彼は自分の眼を瞑ぢたり曇らしたりしたことはない。笑ふにしても僅かに齒を見せるばかりである。彼の歌を見る人もぎくりと胸には來るが顔をくづして笑ひもせず、泣くまでに物を思はせられることもない。彼の歌の權威は確かに其處に在る。そして落つる所は前に云つた加藤和田の兩君の作風と同じであらう。けれ共前者にはより多く生のまゝの人生の匂ひが深く、これには餘程藝術品として薫りの高い所がある。
 
 ▽小川水明君
(122) 『かなしみの玉』とは水明君の歌にたとふる最も適當なものと私は思ふ。彼の歌はこの五六月の頃から俄かに變つて來た。それまではいかにも自分で自分を持て餘した狂氣じみた歌が多かつた。殆んど意味を成さぬものが多かつた。それでも全篇を通じて彼の押しつめた心持は可なりに受取ることが出來たので、私はその解らぬなりの歌を飽かず愛讀してゐたのであつた。それが俄かに變つて、ひどく落着いた靜かな詠みぶりとなつた時、私は微笑を禁じ得なかつた。彼は終に持てあました自己の生命を他にゆだねようとかゝつたなと私は思つた。半ば狂つてゐる彼の心、彼の手足のみを主題としてゐた彼の歌は、俄かに山を詠じ風を詠ずるといふ風になつたのである。自分自身で處理しかねた自分の生命を山河風月のふところにゆだねて暫しのゆめを結ばうと思ひ立つたのである。彼はみづからその間に細やかな寂しい宗教を發見して、それにたよらうとしたのである。謂はゞ今の彼の歌は彼がそのさびしい世界にうたつてゐる讃美歌である。
   雨晴れて水のかさ増す音ひぴく東山より出づる月かげ
   まだ啼きてありぬとばかり起きいづる有明ごろの田の蛙かな
   魚釣ると雨のふり來し河原にてしぼるべきまで袖ぬらしける
   いつしかに晴れて夜空は月となりねざめの心かたむきしかな
   さやさやと若葉ながるる夜の風に盈ちぬる月のやや傾きぬ
(123) 何ぞ、その姿のかなしく澄んで靜かなるや。私は深くこの境地を諒とする。たゞ希くばこのまま澱んで濁り腐らざらむことをと祈つて居るのだ。ともすれば腐り易い境地である。次第に弱く、次第に小さくなり易い。世間によくある平々凡々の叙景詩や模樣繪やらになつて欲しくない。天地の間に君自身を見失つて欲しくない。永久に『かなしみの玉』を曇らして欲しくない。
 東山を離るゝ月かげ、その月かげに傾かむとする寢ざめの心、それらのやはらかな趣きにうち對ふと同時に、
   むざむざと四つ這ひになりふた三足歩むも憂しや顔あげにける
   さびしさのいかばかりにも匂ふやともろのわが手をさしあげて見る
   春の彼岸鐘の音をきくかなしさに南無と指くみ坐りてぞ聞く
   今一度なきて見よかしこの鷄はわれと異るなき聲をあぐ
 などの心持、熱い心をも棄てゝ貰ひ度くないと思ふ。とゝのつて力の無いものより、力餘りあまつて整はざるものゝ方が頼もしいではあるまいか。若しそれ一歩進んで淺き瀬にこそあだ波はたての確信を持つて、靜かに歌ひ出づる秋《とき》のわが小川君の上に來ることがあつたならば、私は眞先きに君のために大白《たいはく》を擧げむと欲するものである。
 
(124) ▽加藤玄裳君
 この人も一すぢの宗教を作つてそれに縋つて居る。が、水明君はその宗教の裡に自身を打ち込み、玄裳君はやゝ少し離れて眺めて居るといつた形がある。前者は狹くして鋭く、後者は廣くして鈍い。
 玄裳君の歌の案外に鈍くして力の無い所以はその概念的の詠みぶりに出でて居る。彼が自己の生に對する思想及び感情は一種の既成的概念から出立して居る、と認むべき點が多い。勿論誰にも獨特の人生觀がある。それの無いのは既に一個の作家として立つ資格が缺乏して居ると稱して差支へはないが、私の茲に玄裳君に對して求むる不足は、その人生觀の有無に就いてゞはない。彼がその人生觀――概念のために檢束せられて、眼を細め肩をせばめて固くなつてゐる腑甲斐無さを齒掻ゆく思ふのである。彼は何を見るも何を思ふも何に觸るゝも實に可笑しい位ゐ固苦しく構へて居る。そして一々勿體らしく感心して居る。それがぼつ/\と克明な歌となつて出るのだ。私は彼の歌にどこやら村夫子の面影があると思ふ。
   五十鈴川この透きとほる水底の石をかぞへてひとり遊ばむ
   手をひたし掬べば水の骨髓に沁み通るまで冷たかりけり
   うすぐらき心のかげのありありと見ゆるがかなし水にむかへば
(125)   されど悲し五十鈴の川の夕ぐれは水も暗かりわれも暗かり
   濁りたる春の川水我が胸のそこをぞ流る岸に來ぬれば
 など、如何にも落ら着いた、深みのありげな詠みぶりであるが、どうも煮え切つてゐない、徹底してゐない。能く解つてゐるこの作者自身が既にさぞ喰ひ足りないことであらうと推量して居る。同じ出發點から來てゐるのであらうが、玄裳君の作には拙い漢詩や漢畫によく見かける總括的の歌が多い。例へば山があつて雲が懸つて、風が吹いてゐるとすれば、それらを總て一首に詠み込まうとする。正直に物その物の名を詠み入れずとも、それらの物から生るゝ情趣の全てを一所に集めて――そのためによく感情其他が抽象的のものとなる――ぼかした樣な一幅を描き上げる。大きくは見えるが、深み、鋭さ、明るさには自然缺けて來る。
   朝熊山雨雲くらく峯かくす夕はわれの胸も曇れり
   街の上友のいやしき噂をば立ち聞く宵ぞ春はかなしき
 の二首に就いて見るに、作者の得意とする所は前者にある。歌としての上下から見ても此場合私も前者を採る。然し内容の確乎としてゐるのは後者である。前者は概括的の感情であり後者には小さいながらも鋭い事實のきらめきがある。出來るなら徒らなる述懷風の詠出を減じて欲しい。その代りに君の歌に不足がちの『事實』を今少し取入れて欲しい。
(126)   いづくまでこのか弱なる命をばうち引きずりて生きんとはする
   何處まで沈みはてなば悲しさの消ゆる命ぞ浮く時もなし
 の種類は最も多く君の歌に見かくる所であるが、讀者は案外に此等の嗟嘆に同感しないことを承知したまへ。先日の手紙に、此頃手帳を懷中してよく街に行くとの消息があつたのを見て、私はひそかに喜んだ。君の歌に今後必ず寫生風の作を見ることを得るだらうと豫期しつゝ。
 わるい所ばかり洗ひたてゝ來た。これから長所をあげたいが、あまり長くなるから止しにする。君の思想感情を今少し解放すべきこと、生命を自然に放任すべきことをお勸めしたいために斯う長々と書いてしまつた。君の獨特の長所をば何處までも自由に發展させ給へ。私はそれを止し給へといふのでは決してない。書きかたが下手だから、誤解なきやうに希望する。
 
 ▽桐田蕗村君
 この人の作はあまりに普遍的に出來てゐる。眼に見るまゝ心に思ふまゝ、極めて輕やかにふいふいと歌になつてゐる。だから何十首讀んでも何の感じも殘りはせぬ。一首々々に就いての巧拙が眼につくばかりである。人生觀も出てゐねば、作者の趣味さへ出てゐないと云つていゝ。普通の世間の人が何といふことなく盆栽を買つて來たり、草花をいぢつたりするのと大差は無げに見(127)ゆる。好きだからとだけで今の我等は漫然と詩歌に對することが出來なくなつてゐる。その我等の一群に蕗村君をも入れ度いではないか。
 玄裳君の作が概括的であるならば、蕗村君のは更に甚しい概括的である。而かも後者には取りとめてどうといふ一貫した主觀も何もない。たゞ漫然とそこらのものを見廻して、美しいものを美しいといひ、悲しきものを――或は悲しかり相なものを――悲しいと歌つてゐるだけである。即ち桐田蕗村の歌の根元が無いのだ。蕗村の歌であつて蕗村は紛失してゐる。
 君は先づ醒めねばならぬ。衣服を、寧ろその皮膚をすら剥いだ氣持になつて、血の滴る全身の末梢神經を鮮かにこの天地人生の間にさらさなくてはならぬ。生温い皮を被つた鈍い瞳を痛いまでに見開かなくてはならぬ.
   瞳をとぢてあるは心の耐へ難し蓋しや君を忘れける時
   泣かぬ日は心つれなしあをあをと生駒の山の眼にうつるかな
 引きしまらぬ作者の心は、歌になつても甚だ間延びがしてゐる、蓋しや君を忘れける時も呑氣なれば、泣かぬ日は心つれなしは愈々のん氣である。實際でない感情をやす/\と誇張し、またさう誇張することに自ら感心して眼を細め首を曲げた姿があり/\と歌の上に出て居る。
 君は餘りに安價に主觀を賣つて居る。實に容易く悲しといひ、さびしと泣く。それに準じて出(128)來た歌が悲しくもさびしくもなくなつてゐる事實に氣が附かずにゐる。
   かなしさや貧しく醉へる唇に殘りの酒をまた近づけぬ
   土手に寢てわらぴの芽などつみてみる海のひびきも身にかなしけれ
 の類が誠に多い。君の歌を乾菓子にたとへて友人と話したことがあつたが、君自身も恐らくそれを拒むまいと思ふ。梅花のかたち松葉のいろ、美しく上品にかたまつてゐる菓子の心はどうも君の歌に似通つてゐると思ふ。前に云つた樣に君の心を感觸を生命全體を解放し給へ。固まらせておき給ふな。(玄裳君と違ふ所は玄裳君は固くなつて居り、蕗村君は固まつて居る。)
 本誌七月號に出た明石の海の歌は近頃に見ぬ佳作であつた。想ふに實地明石に於ける同君の誇張せぬ聲であるからであらう。それでもまだきちんとをさまり過ぎてゐる、歌になりすぎてゐる、流動してゐない、固まつて居る。蕗村君に似た缺點のある人々に、鷲野飛燕、花岡和歌子、波江野梨花(枯れたなかにも鋭さはあるが、)遠藤桂風其他の諸君がある。
 
 ∇山口はま子君
 海邊の松、峰のすゝき、これらはこの作者を聯想さする姿である。大きくはないが固い鋭い。要領を得てゐる。たるんだ所が無い。と同時に一方では餘りに固すぎ、要領を得過ぎてゐる憾み(129)がある。或は盆栽の松に似むを恐れしめ、或はこのまゝ早や暢び行く無からむかを恐れしむる。
 由來女流作家に見る弊は、進むこと甚だ速かなると同時に、直ちに或る一定の地位に固着してまた動かざる所にあつた。某君然り、某君然り、獨りわがはま子女史の割合に滾々不盡の才を肆《ほしいま》まにするを私は私《ひそ》かに快しとして居るものである。そして尚ほ一層の豫期を同君の上に懸けて居る。幸ひにわが面に投ずるに失望の瓦礫を以てすること勿れ。
 一首々々を見る時にはさほどでないが、一體を通じて見た時に何となく同君の作から來る感じが固い。乾魚を噛るに似たものがある。一首々々の根元が極めて狹い所から出てゐる心地がする。作者の知らむと欲して、僅かに知り得て居る世界は極めて狹い。信州の山と山との奥に棲む作者の眼界の廣からぬが如く、心や感情の知る所も甚だ廣くない。徒らなる廣漠を求むるのではない。私は作者の歌の愈々固く愈々狹く終に化石し化木せむことを恐るゝものである。豫りに自己の趣味に溺るゝ勿れ、作歌のために自ら小さく固く自己を縛しむる勿れと勸め更に同君に新しい書籍の讀書を勸め度い。そしてつゆ/\しく廣大無邊の人生の間に君を讀り歩ませ度い。肩の凝るが如く君の心の凝結するを見るに忍びない。
 君は常に事實を歌つてゐる。寫生の態度で主題を取扱ふ。それだけ浮いた所はないが、またそれだけものが固くなつてゐる。物の表面ばかりを知つて、その内面の心持を見得ないから斯うな(130)るとの非難をば逃れまい。表面の寫生に甘んぜず、その奥の心を掴んで欲しいものと思ふ。
 取入るゝ材料の豐かなのは近頃君を以て最とする。到る所に極めて自由に君の感興が動いてゐる。固い/\とはいふものゝ一首々々にはみな相應の濕ひもあり軟かみも溢れてゐる。
   またしても時雨るる山のなつかしさ澤のながれもやや濁りけむ
   泣き足らぬこのおもむきのなつかしさ峽はこよひも時雨するらむ
   眼をふたぎ胸にもろ手をそとあづけかくて夜ごとに松風をきく
   ああまたも尾より峰よりながれ來るかの松かぜの堰かむすべなき
   二十二ぞいつまでかかる浮かれごと思ふか野には燕とぴかふ
   夏ふけぬうれひはつゆもあらぬかによそほふ身こそかなしかりけれ
   故もなく冷笑のわく夜ぞさびし葭の葉ずれが五月雨となる
   ともすればうつむく友のなで肩にねたましきまで夕陽のさす
 などには誠に僞らず、わざとらしからぬしんみりした心の影が落ちてゐる。左樣だ、わざとらしい分子もこの人に大分わざはひをなしてゐる。わざとらしいのが即ち例のしん粉細工風の形ばかり整つて中味の乾いたものを生むのである。これにも注意して貰ひ度い。達者な歌もこの作者に多い。印象の鮮かなのも多い。世間話風ではあるが活達に主觀を投げて割合に人の心を動かし(131)てゐるのもある。
   あはれ「お夏」涙ながらに死にに行く足どりさへもややに亂して
   ああ山と空とのけじめ見えわかず雨は斜めに木の肌をうつ
   咲きおくれし藤のゆらぐもかなしけれ雨あざやかにふりいでしかな
   さわ/\と葭のしげみに夕風がおとづるるころ洲にあそぶ蟹
   よろ/\と醉ひたる杣人《そま》が水飲みに澤へ下ればふり出でし雨
   久にして相見し部屋に匂ふ梅その一と夜さを止まず雨ふる
   よろこびて死にし高尾よ梅川よ昔の人はあはれなりけり
 才に任せて歌を作る可からず、歌に芝居をさす可からず、また一つこの註文をさゝげ度い。同じ叙景でも水明君のと異る所に心を留め、單なる興味によつて其場々々に作歌するを止めて貰ひ度い。個人の歌に根のあるのと無いのとは其處から來る。一首々々は面白いが、ずつと讀み終つて何も無いといふ歌は殆んど有り甲斐の無いものである。紙の上のみの歌たる可からず、其人そのものゝ歌たる可し。
 
     附記 山口君は信濃、桐田君は大阪、加藤君は伊勢、小川君は越後、江波戸君は銚子、加藤和田(132)の両君は青森の人である。早世した『創作』には尚ほ他に多くの秀才が集つてゐた。これらの人々の多くがひと知れず草のなかに埋つて行くのではなからうかと思ふと、まことに言はう樣なきいたましさを感ぜずには居られない。
 
(133) 感想斷片
 
   本篇には詩歌に對する自分の感想文をあつめた。「編輯後記」及び「雨夜座談」の二章のほかは何れも『創作』に掲げたものである。書いた時の順序に從うて配列しておいた。
 
     樅の木蔭より (その一)
 
 伊藤左千夫氏の主宰せらるゝ雜誌『アラヽギ』六月號に、「短歌研究」と題し十七頁を費して左千夫氏初め六人の人達が各私の『別離』から短歌六首を拔き、精細の批評を下して居らるゝのを見た。今迄私の目にふれた歌の批評の中で、いつぞや『明星』の「伶人を笑ふ」以外に斯う丁寧に一首々々に就いて言及せられたのを見たことがない。しかも「伶人を笑ふ」の不眞面目極るものであつたに反し、是はどうしても襟を正さずには聽き得ない程の嚴格な親切なものである。若輩私如きものゝ作品に對し、これまでにして頂いたことを思ふても先づ限り無き感謝の念を禁(134)じ得ない。繰返し拜見してこの厚意に悖らざらむことを期して居る。そして改めて此處に擧上の私の心持をしたゝめ尚ほ是に對する私の感じをも書添へて御禮に代へ度い。
 『アラヽギ』は、いふまでもなく根岸派を代表する雜誌である。されば歌の内容外形ともに先づ何よりも格調の整頓に重きを置いてあるので、私等如き無作法幼稚な調子で咏んでゐる者の歌は嘸かし卑近に亂雜に、また腹立たしくも見ゆるに相違ないと誠に恐縮に思ふ。「短歌研究」中の批評も主として措辭の蕪雜や内容の散漫なのを指摘してある樣である。豫て覚悟してゐたことではあり、隨分と身に沁みる個所もあつた。
 けれ共それら部分的の諸點を除いては不幸にして私は諸氏の所説に服從することの出來ぬ個所が多かつた。なぜ出來ないかといふ根本的の説明は、議論下手の私には到底出來相にもないので、それをば見合すけれど、要するに私は諸氏が常に斯くの如き態度を以て歌に臨んで居らるゝならば、角を矯めんとして酷殺せらるる牛の數が嘸かし夥しい事であらうと切實に感ぜざるを得なかつたのである。なんとなく口幅つたい云ひ分だけれど少し位ゐ眼がすがまうと口がゆがまうと私は生きた人間の歌が咏み度い。眉目整然たる人形をば作り度くないのである。生きた人間にして尚ほ且つ眉目清秀の歌を咏み得れば勿論これに優《ま》したことはない。この最後の意味に於て私は深く諸氏に對して感謝するのである。茲に右六首の批評のうち、最も短いものを二首分ほど拔(135)いて左に轉載しその批評に對する私の考えを申上げ度い。
 
   風凪ぎぬ松と落葉の木《こ》の叢《むら》のなかなるわが家いざ君よ寢む
  〇純いふ。作者の意はどんなつもりか知らぬが、自分は次のやうな意に解釋した。郷里の初冬である、此三四日は風が續いて吹き荒むで落葉をまくり上げてゐる。さら/\と騷々しい中にもさくさした事件が自分のまはりに持ち上がつてゐた。然しやうやく皆も納得して呉れてこゝろ易く戀しい人と起居することが出來るやうになつた、けふは風も凪いで落葉の木の叢の中に松もおとなしく目立つて居る。こんな場合を連想して此歌の内容にやゝ面白味を感ずることが出來た。事件や境遇はいろ/\に想像が出來る。然し大體に於て右のやうなこゝろもちのあることは認められるのであらう。缺點を指摘しやうとすればいくらもあらう。風凪ぎぬを最初に置いたに就ては多くは云はぬ。寧ろ此場合には境涯の一變化を想像せしむるに他により適切の方法がないかも知れぬ。わが家といふこともよく利いた、なくてならぬ語である。が松と云ふうちに何となく態とらしい處がある、それが全首の趣味感に影響すべき理由が少くとも吾々には判然せぬからである。最後の寢むは自分の餘り好まぬ語だ。
  〇柿人曰ふ。「松と落葉の木の叢の中なる吾が家」は外から我家を見た所でなくてはならぬ。所が第五句に突然「いざ君よ寢む」となると何だか家の内の事に思はれる。「いざ入りて寝ん」などあれば外(136)部から見た感じとは合つてゐる、或は二三四句は矢張家の内に居て自分の家を斯く意識してゐるかも知れぬが夫れでは「松と落葉の木の叢の中なる」といふ詞は説明的になつてしまふ。一體「いざ君よ」など相對的に云つて居乍ら相對的な情が全體に沁み出て居らぬから結局相對的に「君よ」など云つてる功が無くなつて無駄な詞になつてしまふ。第一句の「風凪ぎぬ」も利いて居らぬ。風が凪いだからいざ寢やうでは詰らな過ぎる。作者の意もさうでは無からう。然し「いざ」などいふ詞を使つたためにさう云ふ風に取れてしまふ。兎に角不自然な構成の歌である。
  〇左千夫評。萬葉集束歌に、いざせを床にと云ふ歌がある、いざ君よ寢むなどいふ情緒は、遠く萬葉時代の詩人に歌はれて居る、新派を名乘る多くの人達の歌を皆古い樣に云ふてる此作者にもかういふ古い歌がある、之れを敢て惡いと云ふのではない、例に依て詩趣を捕ふる爲の、言語配布が餘りに散漫では無いか、落葉の木の叢のなかなる、何といふ弛緩した散漫な詞だらう。之れは兎に角、冬木原の吾家といざ君よ寢むの情緒と何の交渉があるであらう、それから風凪ぎぬといざ君よ寢むと何の必然的關係があるのか、斯く何れも必然的に交渉のない事柄を漫然配列した處で、そこに如何なる組織を成立し得るであらう、風が恐しくて寢られなかつたが漸く風が凪いだ、さア寢やうと云ふのではあるまい、これならば、松と落葉の木叢だの吾家だのといふ詞は更に必要がない筈だ、讀んで見る處では、女と二人で外に散歩でもして居つた樣な詞つきであるけれど、今まで知らなかつた家を見つけ出したのでゝもあるかの如く、松と落葉の木の叢のなかなるなどゝ事細かに事々しい説明は何の事ぞ、吾家は、松林に冬木の落葉樹も多い中にあつて淋しいとか面白いとか云ふなら(137)らば思想の纏りはつくが、いざ君よ寢むでは、丸で三十一文字中の詞が各自勝手に動いて居ると同じで、情緒の一貫も感じの纏りも就き樣が無いではないか、客觀的描寫などいふ詞に囚はれた不自然極つた記述である、前に云つた東歌の内容は、こんなに桶に一ばいになるまで苧をうまなくとも明日といふ日が來るではないかさあ寢るとしようと云ふのである、これならばいざせ小床にといふ情緒が全篇にきいてるではないか、一つの強い情緒で三十一文字の全語を一貫して居るを注意せよ、血液が全身に渡つて居ねば健全な體ではない、思ひつきは新しくとも、活きた情緒の動きが三十一文字の全語に行渡つて居ねば生命のある歌でない。
 
   男あり渚に船をつくろへり背《せな》にせまりて海のかがやく
  〇千樫曰。牧水君の歌は總じて想も趣味の持ち方も吾々と共通して居る所が多い樣に思ふ。此歌もひねくつた所などはない。けれどもこれだけでは物足らない。今一歩深く進んであるものを捉へなければならぬと思ふ。
 これだけでは文字上の意義以外に作者當時の情調を味ふことはむづかしからうと思ふ。此歌は船をつくろつて居るといふ事件を描くのが主眼ではなからう、都會を逃れてきた作者、靜かな海邊に船をつくろつて居る男、せまる樣に輝く海、大自然の中に人間が吸ひ込まれでもする樣な心持。晴れ渡つた靜かな小春日のうちに、一種の淡い悲しみが犇と寄せてくるが如き感じが讀者に共鳴的に味はれる樣にありたいと思ふ。此歌はさういふ感じを現はす歌として餘りに説明的ではあるまいか。説明(138)的である爲にたゞ平面的に見た個々の材料を並べた丈の作になつてしまつたのである。『背にせまりて』だけではないか。又此歌はさういふ感じを表現せんとしたものではなくてたゞ強い色(三造の南風式に)を出さうとした歌とすれば男ありといふ樣な表現法は一層拙いと言はなければならぬ。こゝにいうておきたい事がある。『別離』を讀んで私は連作的の歌即ち同じやうな氣分で幾首もつづけて作つた歌が甚だ多いと思つたことである。勿論吾等の連作の歌とは異つて居るけれども、牧水君の此傾向は面白いと思ふ、たゞ牧水君の歌は餘りに作り放しな、さうしてそれが散文的なものが多いと思はれることである。此點に於ては同君が尚一層の真面目な研究をせられむことを望むものである。
  〇柿人曰ふ。主景たるべきのは第一二三句である。第四五句は副景である。副景を結句に置いたといふ事も此歌の据らぬ一因である。然らば四五句の副景を前にすれば此歌は活きるかと云へば矢張依然として詰らぬ。夫れは第一景物の捉へ方が表面的で少しも情趣を伴つて居らぬからである。「男あり」といひ「渚に船をつくろへり」といひ「海のかがやく」といふ只是れ個々の材料駢列に過ぎぬ。その材料も少しの振つた所も新らしい發見の點もない、是では只事歌といはれても辯解はあるまい。夫れから第一句で切り第三句で切つてあるが斯樣に重い句法を用ゐるなら第四五句を今もつと調子を強く響かせねば尻こけになつてしまふ。
  〇左千夫評。これでは散文も散文幼稚な散文の一節と云ふの外ない、第一男ありといふ詞が、どんな韻文的容積をもたらして居るか、其男といふのは若いのか老いているのか、どんな風をしてるのか(139)裸體でも居るのか、着物を着て居るのか、唯男と云つたゞけでは女ではない男だといふだけの意義だけしか解つて居ないでないか、これが長い文章でもあれば初めに男ありと書起しても長く書いてる内にどういふ人間であるといふ事の判るだけに書けるが、三十一文字中の初一句に男ありと云つただけで、何の意義も現はれては居ないでないか、試みに少しく藝術的に考へて見よ、男ありと云へる詞が、何を描いて居るか何を現はして居るか、讀者の頭にどんな印象を與へ得るか、年齢も判らず、服裝も判らずでは男といふものゝ單なる輪廓だも現はれやしないでないか、概略の説明にも成つて居ないのだ。牧水ともあるものが、何とてこんな風船玉のやうな歌を歌集へ出したのだらう。船をつくろへりとて其通り、藝術的に見るならば、何等の意義をも現はしてゐないでないか、更に云ふ、男ありだの船をつくらふだのいふ詞は單にそれだけでは、談話の語としては意義があるけれど詩語としては何の意義も無い詞だ、何となれば其船の大小形状新舊の程度等少しも判らないから、詩語としては全く空虚な言語であるのだ。以下評するに及ばず。
 
 前の一首。
 作者は唯だ歌一杯に表れた情趣を歌つたゞけで、郷里の初冬でも何でもない。總體歌の評釋などではよく斯種の強ひてこじつけた想像を加味してあるものだが、私は嫌ひだ。松は實際に松の木の交つてゐた林中の家で歌つたのでそれを正直に歌ひ下したものである。態とらしく感ぜらるゝのは自身の偏つた趣味で自然を批判せらるゝ淺薄な(この歌の作者に取つては)見かたではあ(140)るまいか。外から見た所でなくてはならぬとは少々獨斷的である。或は説明に傾いてゐるかも知れないけれど、説明だから何もかもいけないとは私は思はない。その説明を歌に活かせば結構なことであると思ふ。唯だその爲に句に緊張を缺き、折角の押し詰めた情緒を散漫にしたことは口惜しい。左千夫氏の批評は皮膚も感情も千乾びはてた場末町の荒物屋の主人でも云ひ相なことであると私は悲しんだ。一々に辯解する煩を避けて、この一首を咏だ時の作者の感じを書いて、風が恐しかつたわけでもなく、松や落葉樹を不必要とも認めぬ理由に代へたいとおもふ。落葉した林がある、落葉樹に混つて其處此處に松の樹が立つて居る、林の中に家がある、若い男女がその家に棲んで居る、林には今しがたまで切りに風が荒んでゐた、その風が冬によくありがちの俄かにぴつたりと止んでしまつた。風のあとの夜の薄明裡に浮んで疎々たる落葉樹の梢と、それらの梢を拔いて聳えて居る眞黒な松の茂りの一團がシーンとして見渡される、うるほひのある、而かもまだ落着かぬこの場の靜けさ、女よ、女よ、我等はもう寢やうではないかと女に頼つた男の心が、萬分一でも想像して頂ければ作者の願ひは足るのである。それが出來なければ勿論この歌は死んで居るのだ。苧は桶に滿たずとももう寢ようといふ心をもよく諒するけれど、風の後の落葉林に流れた夜の氣分に追はれて女にすがる男の心をもまた認め度いと思ふ。
 後の一首。
(141) 割合にほめて頂いたので嬉しがつて斯う云ふのだととられては苦しいけれど、私は千樫氏の批評に對して特に敬意を捧ぐる。斯ういふ觀かたで他の諸氏の樣にびし/\と言及して頂いたならばどんなにか快く、獲る所が多かつたらうと割に氏の言葉の少いのを遺憾に思つた。いかにも句と句とがばら/\になつて居て、そして大きな點をぼつ/\と落して、一貫して調和を保つといふ樣なことにもならずに、極めて貧弱な細い線で斯の大きな題材を描き上げようとした樣な拙劣な矛盾を平氣でやつて居る。今思へば誠に汗顔の至りである。實際私に限らず、今の一部の新派の歌人は措辭句法其他一切の表白法に就いては誠に無知で拙劣である。何れを主景何れを副景と分つことを好まず、分つ必要を認めない。強ひて云へば初句から結句までが全て副景で、主景はその奥の「自然」の碎片であるとでも云ふのであらう。作者の眞實に見たのは半裸體の四十餘りの男であつたが、強ひてそれにする要を認めず、裸體でもよし、着てゐてもよし、若者でもよし、老爺でも構はない。とにかく船を繕つてゐる一個の男と云へば其處に一個の氣分が動くと信じて咏んだ。一首の表はさうとした感じは千樫氏の評に出てゐるので細説するに及ばない。
 それ/”\作者の趣味が違ふから、といふ理由のもとに甲の作者、または甲派の作物をば、乙または乙派の人々が寸分も解し得ないといふことは常に私に大きな不愉快を與へて居る。元來趣味といふものに由つて我々の藝術は司配せらる可きもので無いと私は思ふ。各個の人生觀の異るこ(142)とに由つて其處に自然に藝術觀の上に異論の起るのは止むを得ぬ、寧ろ富然のことである。けれ共、若し眞から人生に對し藝術に對して眼の開いてゐる人であつたならば、その異論の如何に係らず、必ずや對手の眞意を能く了解し得可きであると信ずる。この事の無いのは極めて人爲的の所謂趣味に囚はれたり、または一層厭ふ可き私情黨派心に自ら眼が眩んで居たりすることに由つてであらうと思ふ。宇宙人生の眞は一途にしか出てゐない。藝術上の主義主張の相違ごときは末梢の問題に屬するものであらう。そのために偏狹なる自己以外の何物をも見得ない如きに到つては、誠に嘆かはしき至りであると謂はねばならぬ。
 藝術を單なる形式と爲す勿れ。藝術と自ら稱ふる不自然なるものゝために自己の尊き生を汚すなかれ。その聖き光輝を曇らすること勿れ。
 
 散文的であるといふ事に就いて今一言附加へさして頂き度い。それも私もいま斷然斯うだと言ひ切ることは出來ないので、謂はゞそれに對して疑ひを存しておくといふに留つて居る。私は私の歌のなかから全然この散文的の分子を驅除し得ないのである。私は自身の歌を詠む時に於て、その歌の極めて印象深く鋭どからむことを欲する。如何にせば我が思ふ所を、何等弱むることなく、小さくすることなく、變形することなく發表し得るかといふ事に就いて苦心する。そのため(143)にはあらゆる手段を選び度くない。だから、結果の如何によつては時に説明を用ふることもある、散文口調に據ることもある。強ちに所謂韻文そのものゝために盲從することを欲しない。我等が和歌そのものの形式を假るに至つたそもそもも即ち其處にある。我々は我々の生命のあらはれに最も親しい形式として和歌を採つたに過ぎないのだ。なにも和歌のために自己そのものを右往左往さする煩を學ぶ要は無いのである。
 因習に慣れた眼などから見て、他によつて定められてある和歌といふものゝ見地それのみから見て、甚だ正しからぬ詠みぶりをしては居るが、それが却つて歌はれた内容に取つて、より多く親しいものであつたなどゝいふ現象は起らないであらうか。そのために一層一首の印象を強からしめたといふ樣なことは無いであらうか。私は切りに是を疑ふ。
 
 而してこの疑ひは、一面私が深く藝術上の形式の威力を信ずることに起因して居るものと認められる。絶對の權威者たる『時』のために酷待せられ愛撫せられて育つて來た諸種の形式の奥には、急《には》かに我等の冒し得ぬちからがある。我等の祖先が無限の『時』に押流されながら尚ほ且つ斷ゆることなく傳へ/\來つた我等の言語の底にもまた冒し難い血汐が流れて居る。我等は此等の前に常に一味敬虔の念を捧ぐることを忘れ得ないのだ。
(144) 萬々一また此處に聲あつて、汝が生も亦た形式の一を出でざる可しと告げられたならば如何であらう。疑惑は更に大きく更に遠方にまで及ばねばならぬ。
 筆を續くるに耐へない。
 
 最後に、この一二言は強ちにアラヽギ同人諸氏に答へた言葉で無いことを斷つておく。(明治四十三年七月記)
 
     樅の木蔭より (その二)
 
 苦しいから歌を詠むと、よく斯う云つてゐたものであつた。そして正直のところは矢張り面白いから詠み耽つてゐたらしく思はるゝ。くるしいからとてぼつり/\歌をならべてゆく哀れさをば漸くこの頃になつて味ひ始めた。
 不治の病者の枕もとの藥、私の歌はよくその藥に似通つて居る。
 枕もとの幾品かの藥に自分の全てのたましひを迷ひ纒はらせてゐる蒼ざめた不治の病者を私は時に面憎く思ふ。それと同じ樣に哀れな歌に辛うじて自己の生存を托してゐる樣な目下の自分自(145)身の生活を誠になさけなく思はざるを得ない。歌が主で自己は客ではないかといふ悲しい疑問が時々起つて來る。要は自己の充實にある、自分の生命を豐富ならしむるにある。何すれば主客を轉倒して歌のためにからくも自己の存在を保ち得る樣なはかない生活を續くるのかと眞實腹が立つて來る。
 この意味に於て私は歌を詠むのを廢し度い。そして靜かに自由に自己といふもの、人生、宇宙といふものに對して考へ耽り度い。生れて來たからにはそれを殘り無く味ひ盡して死んで行き度い。
 然し、啼かぬ小鳥、光の無い夏の夜の螢のさびしさもまた身に沁みるではないか。
 
 徳富蘆花氏の『巡禮紀行』の中に、はる/”\日本から聖地エルサレムを訪うた蘆花氏、阿弗利加の蠻地に六年間傳道して英國へ歸省の途にある壯年宣教師マツケー君、其蠻地の土人にして中央亞弗利加に傳道師たるアブダラ君の三人が例の聖書にあるヨルダン河を見物に行つた記事がある。曰く、
  アブダラ君は氣早く著物を脱ぎすて、黒條々の身を跳らして河に飛び込み、彼岸に泳ぎつきて葭など手折りつゝあり。マツケー君はポケツトより小さき瓶取出して土産にヨルダンの水(146)を掬む。余は黙然として濁れる水の流れを見る。
 縱横無盡にヨルダン河中を跳ね廻つて恬然たるアブダラ君、數千里の遠きを携へ歸つた小瓶の中の水に對して遙かにヨルダンをしのばうといふマツケー君、靜かに手を拱《こまぬ》いて流れ去り流れ行くヨルダンに臨んだ徳富氏、とり/”\に趣きがあるではないか。
 あらゆる人間の前をば日夜眼に見えぬ大きなヨルダンが流れて居る。我等はそのヨルダンの岸に來ては立去る旅人の群の一人に外ならぬ。水に跳るべきか、掬むべきか、または眺め見て去るべきか。
 
 私にはどうしても天然を歌ふことが出來ない、と斯う云つて來た人がある。其人の歌を見ると山なら山をうたはうとするには先づ其形から始めて雲のかゝつた有樣、樹のなりふりに及んで水の流れてゐる所まで詠みこまうと苦心してゐる。これでは見取圖といふのに外ならなくなつて唯だ單なる報告に留る。歌はうと思つた山の氣分、感じを最もよく現はして居るものを先づ十分に感得して、それだけに專ら心を注いで歌つた方が遙かに山が活きて來る。例へば一本の樹木だけを詠んで山の感じを現すとか、一莖の草のそよぎを捉へて黄昏の氣分を出すとかするの類である。また、山だけ、草木だけが歌の上に表れてゐるのでは、生きてゐる歌と云ひ難い。昔は山な(147)ら山を眞中に置いて作者自身はその山の周圍を八方に飛び廻つて、その山を詠んだといふ傾向が見ゆる。私等はさうでない。作者自身の位置を先づしつかりさせておいてそれから山なり空なりに對する。(その場合、心は熱しても瞳は冷やかでありたい。)だから歌はれた山のかげには歌つた作者の瞳が靜かに輝いてゐる。斯くてこそその歌に生命があると私は信ずる。
 歌にするだけの事實を有つてゐないくせにうろたへ騷いで其處等中から物を拾ひ集めて來て歌といふ穴に詰め込まうとし、はては自分自身までも肩をせばめ尻をつぼめて穴の中に這ひ込まうとする人の多いのは誠に滑稽である。斯ういふ人の作物は單に言葉や文字ばかりから成り立つてゐるのでそれらのものを取除けたら跡にはなんにも殘らない。歌を作るより先に、まづよく感じよく味ふことに努力すべきである。感じ味ふべき根本たる自己の洗滌開拓に着手すべきである。
 あまりに容易く、事もなげに三十一文字を並べ得る諸君よ、諸君の歌の九分通りは新聞の記事と何のえらぶ所がない。歌は決して報告文や記事文と同一でない事を知覺し給へ。雨が烈しく降つて木の葉が鳴つて居るといふ事實を知らせるだけが歌の本領ではない。強雨鳴木のこゝろもちに同感せしむるだけの能力を備へてこそ初めて詩歌の意義が出て來るのだ。
 
 明治四十三年の東京は終に夏を知らずして秋を迎へた。あの燃ゆる樣な夏を待ち望んでゐる間(148)に、野分めいた風と雨とは八月の半ば以上にわたつて市街を埋めた。八月二十日の夜の十二時を過ぎた今でも窓際の二本の樅《もみ》の樹に切りに風が鳴り雨が流れて居る。それらの物音はこの部屋の明るい燈下に集うていま身邊に云ひ難い冷氣が滿ち漂うて居る。色々の境遇上からか今年は秋が來たといふ事が今迄にない恐怖を私に感ぜしむる。この恐ろしい秋に際して私は暫く旅に出てゐたいと思ひ立つた。先づ信州邊から始めて北國畿内申國四國あたりまで行き得れば行つて見度い。同地方の人々でこの負乏な巡禮に一夜の宿りをかし度いといふ人があつて呉れゝば甚だ幸である。行程の模樣其他は東京月島佐藤緑葉あてに問合せて頂けばよく解る。私は兩三日の中に出立する。(八月二十日牛込柳町にて)
 
   裾野より
 
 この『裾野より』及び『林中の温泉より』の二篇は、私が信州旅行中東京なる友人佐藤緑葉に書き送つた消息中のものである。私の歌と私の斯うした日常の生活とには少なからぬ縁故がある、わざとこの一册中に收めておく。この旅行中に出來た歌はみな「路上」に出て居る。
(149) 例の通りの男は、例の通りの風をしてまだ千曲川の近所にうろうろして居る。身體《からだ》などは幾らか肥えて來たかと思はるゝが、頭の方は相變らずぼんやりして居る。氣がついて見ると、近頃僕はよく瞼を瞑ぢてゐる樣だが、心の眼も同樣に瞑ぢてゐるのかも知れない。時たま非常に心が明るくなりかけたナと思はるゝ事があるが、直ぐさま又暗くなる。
 
 東京も左樣か知れないが、今年は此地方は近年にない雨の多い秋だ相だ。はつきり晴れた日と云つたらほんの一割か二割かの氣がする。どし/\降るのならまだしもだが、ぼんやり曇つて居らるゝには誠に以て閉口する。健康の人はこの曇日を愛する相だが、僕には眞平だ。
 で、稀《めづ》らしく晴れでもすると子供の樣にころ/\して家を出かくる。ふところ手のまゝ當もなく歩いてると誠にいゝ氣持だ。高原の雲は眞實《まつたく》好い。雨の晴れぎは日没の際などほんとに何とも云へない。空氣はいゝし、いゝ頃加減の冷たさが肌に沁んで、思はず腹の底から呼吸をして、秋だ、秋だ、と言ひ度くなる。
 島崎さんの小説でこの信州を舞臺にとつたものに、よく旅人々々といふ言葉が出て來てるだらう、『族人の群は幾つとなく丑松の傍を通りすぎた……』といふ樣な調子で。初めこの旅人といふのが何となく仰山らしく、わざとらしく聞えていやな氣持がしたものだが、實地信州に來て見(150)ると、まつたく行き交ふ人々がいかにも遠國から遠國へ急ぐ旅人らしく見受けられる。これは一つは此土地の人の風俗が一寸近所へ行くにしても草鞋脚絆で背に茣蓙を負つて出掛くるといふ風だからでもあらうし、一つは四方が空濶で空氣が澄んでゐるためでもあらうし、また高原の端から端に連つてゐる道路が餘り屈曲もせずに白けたまゝ續いてゐるせゐもあらう。また信州は御存じの蠶の國で、繭や生絲の小さな行商人が、あちこちの村から村へ渡り歩いてゐるのが多いので、それ等の姿も、一種他所に見られぬ寂しい觀を帶びてゐる。夕方など裾野や田畑の中の霧などの薄々降つてゐる道路を獨りでぶらぶら歩いてゐると、よく此等の群に出逢ふ。彼等は知る知らずに係らず、必ずのやうに挨拶をかけて行く。その挨拶がまた氣に入つた。曰く、『お勞《つか》れ!』と此の短い一言だ。この頃では先づこちらからこの懷かしみのある挨拶を懸くるまでになつた。
 晴れた日に、路傍の草むらの中に横になつて、勞れた身體を安めてゐると、時々この小旅客の群が叢中の僕には氣のつかぬまゝに色々なことを話して通りすぎる。一人で急ぐのもある、馬の上で唄をうたつて通るのもある。
 
 田はもう大方黄色くなつたが、まだ收穫は始まらぬ。蝗の飛んで居る田の畦から、線路を越え、人家の裏庭を通りすぎて、丘や林に入り込むのもいゝ。茸狩にも行つたが、茸を探すより、日光(151)の漏れて來る枝の下に足を投げ出してぢつとしてゐる方が面白い。土の香とも松やその他の落葉の香ともつかぬ匂ひがしつとりとしてゐて、時々松かさが靜かな音を立てゝ落ちる。山雀が枝から枝へ移つて行く。若しもう少し深い松林に行かうなら折々これらの松の木を伐つてゐる所に出逢ふ。その斧の音も誠に身に沁みる。一方では斧で伐り倒し、一方では鋸で引いてゐる。木屑の香の高い中に、多くは半裸體の杣人《そま》が唄をうたひながら、この仕事に從事してゐるのを見ると、妙な世界にでも來た樣な思ひがある。彼等の森林生活に於て唄つてゐる唄の一つを紹介しようか。
   元締、金貸せ、また女郎買ひに――、金を貸さねば、嬶《かか》を貸せ――。
 いま一つ、
   木挽さんかや、そりアなつかしや――、わしが殿御も、また木挽――。 松の梢の青いなかを渡つて居る秋風と調子を合せたこれらの唄が聞えて來る時、僕は言ひ知れず我等人類のなつかしさを感ぜずには居られない。
 落葉松はすつかり黄色くなつた。この木の落葉を以て冬ごもりの巣を營む蟻が居る。僕は最初落葉松の林には必ずその落葉が圓く堆くなつてゐるので、風か水のために自然に斯うなるのだらうと思つてゐた。そして或時何氣なくその圓いのゝ一つを兩手で掬《すく》つたら、さあ大變、驚くべき蟻の大群が其中からむく/\と現れた。聞いて見るとこの蟻のために命を落す人もある相だ。い(152)かにも森林らしい話ではないか。
 秋草は大方枯れた。林を出て黄色い野の草むらに日向ぼこの樣に寢ころんで居ると、白い蝶々などが顔の上を低くまつて通る。林の中でも出逢ふことがある。寂しい哀れなものだ。或時は野鼠が僕の寢てゐる顔の直ぐ近くにやつて來て、さもけゞん相に僕を眺めてゐた。斯んな時は何だか彼等と同類か友人かになつた樣な穏かな情味が起つて來て、話でも出來たら面白からうとむきになつて思ふことがある。
 信州では、丘と丘、山と山との間の窪地を澤と呼ぶ。澤に降りて通蔓草《あけび》の實を取つて食つたりなどするのも面白い。澤には多く水が流れて居る。ちよろ/\と流れてゐる傍によく白い鶺鴒の雌雄が遊んで居る。日本人の先祖の男女二柱の神さまがこの鶺鴒のおこなひを見て、初めてみとのまぐはひを学ばせ給うたといふ話なども興味深く思ひ起される。この白い小さい鳥は原始時代の素朴な生活を語るに甚だ適當してゐる樣に私には見ゆるのだ。
 
 淺間の烟は愈々親しみを増す。晴れ渡つた月の夜など特に好い。淺間といふ山は元來甚だ無細工な形をした山で、眞晝間などは見るのが氣の毒な位ゐだ。それが月の夜と、夕陽の時とだけは姿に甚だ優美と權威とを帶びる。夕日が日本アルプスの方に沈まうとすると、其のはなやかな光(153)線は正面《まとも》に淺間に注ぐ。すると(大方淺間には雲が居る)頂上の方の雲も一種の彩を帶びるし、雲から出て裾野の森林帶に及ぶまでの燒土原の山腹が嚴かな代緒色《たいしやいろ》に輝くのだ。其頃、小さな雲の斷片が山のそここゝに數多彷徨して居るのを見る。
 今日のことだ。晝すぎ餞湯に行つてゐると、半禿の老人があとから入つて來て、『只今は大した騷ぎでしたな』といふから、何ですと訊くと、淺間が噴火しましたよといふ。驚いて、見えますかといふと、いえ雲で見えはしませんが何しろ大した音響で、まるで地震の樣でしたと語つて居るうちに、湯屋の前の狹い露地を子供や大人が大騷ぎで急いでゐるのが見えた。僕も周章てて上つて見たが、生憎く雨の後で山は六七分通り厚い雲に包まれてゐて何が何やら一向樣子が解らない。一緒に湯に來てゐた某新聞小諸支局員のM――君は、本當に噴火したのなら直ぐにも登らねばならぬが……と言つてゐるので、では僕も一緒に登らうかと言ふと、行きませうといふ。だから都合では僕も一二日のうちに登山することになるかも知れぬ。然し今のところでは極く平穏だ。火山の麓の古驛は常にこの響のために騷がされてゐる樣だ。
 この裾野一帶から千曲川の沿岸、和田峠鹽尻峠に及ぶ舊道に沿うて散在してゐる宿驛は殆んど悉く古驛式情調を帶びて居る。一つは寒國のせゐもあるのだらう、家が煤けて古い奇妙な建築で、道路が石ころばかりの凹凸道でいかにも敗殘の姿だ。その癖どんな小さな宿驛にでも數多の(154)料理屋がある。そして必ず藝妓と名のつく者を置いて居る。酌婦に至つては愈々多からう。これも例の蠶業地のためだとか聞いた。その田舍藝者の生活が僕には誠に興味深く眼に映ずる。彼等の多くは何處其處からの流れ者で、大方はもう身を棄鉢にしてゐるのが多い。前言つたM――君に惚れてゐる女はツイ近頃富士見町から落らて來たのだ相だ。それから曾て前田夕暮君の居たことのある某下宿屋に奉公してゐたといふ女の成れの果に出逢つた。
 或時、幾ら飲んでも醉はないで、氣が沈んで仕樣がないので、諸君の馬鹿騷ぎを眺めながら、自分の古い歌を低聲《こごゑ》で吟じてゐると、一人の女が側にやつて來て、東京ではそんな唄がいま流行るのですかと訊いた。
 東京が戀しい。
 八月の暑い盛りに、何日だつたか銀座通りを歩きながら、切りに旅に出たくなつて、旅に出たら一切の苦悶が解決される樣に考へ込まれて、汗を拭き/\色々なことに思ひ耽つたことがあつたが、もうあの邊の街路の並木は黄葉して、早や散つてゐるかも知れない。しみ/”\と秋の浸みてゆく市街の各所の、色々な情調が實際身ぶるひのする程可懐しい。都會の女、都會の食物、都會の音楽――一切の都會の生活が、斯うして離れてゐると改めて明かに眼に映る。
(155) 今夜この原稿を書いてゐる僕の側に来て居るI――君(山岳寫生のため、久しく此國に來てゐる洋畫家)は上野の繪畫展覽會を見るために明朝の汽車で立つ相だ。僕も愈々歸り度いが、歸るまい。矢張り最初の思ひ立ち通り、このまゝの旅を續けて行かう。數日のうち、越後路へ入るつもりだ。豫てあこがれてゐた日本海の暗碧色の浪に面する日も遠くはない。今年の初雪をば恐らくあちらで見ることになるだらうと思ふ。さう思ふと急に何だか寂しさの襲うて來るのを感ずるが、僕は行く。愈々飽きるまで行つて見る。左樣なら、御機嫌よう。(十月廿二日夜信州小諸にて)
 
     林中の温泉より
 
 またか、と言ひ給ふな。今一度だけ辛抱してこの火山の麓に日にまし滅びゆく秋の姿と、その秋に對して居る小旅客との曲もない消息を讀んで呉れたまへ。
 報知もしなかつたが、僕はいま淺間の森林帶のなかに湧く小さな鑛泉場に來て泊つてゐる。
 昨夜と一昨夜と、繪卷物のやうに引續いて不快な惡夢に襲はれたゝめ、今日は朝から非常に疲れてゐた。で、出たり入つたり湯にばかり親しんでゐたが、晝飯を濟ますと暫く微睡《まどろ》んだ。そして午後三時ごろから唯だ獨りでぶら/\と宿を出かけてみた。薄い二すぢ三すぢの雲は浮んでゐ(156)たが麗かに晴れて、さまで寒いとも感ぜぬほどの日和で、宿の前の徑が直ぐ近くの赤松の林に入り込む邊まで歩いてゐるうちに、もう疲れた心の底には一味の新鮮と温和とを感じてゐた。赤松林の丘の背を超すと、木立は盡きて明るく日光を受けて居る狹い澤に出た。澤には坂なりに小さい畑が幾枚か開墾せられてある。畑には大豆が作られてゐたものらしいが、既に拔き取られたあとで、掘りかへされた土が黒く濕つて居る。山番と畑番とを兼ねたらしい小屋が一軒見えた。人かげは見當らなかつた。
 僕は畑の中の徑を拾つて澤の奥の方へ歩いた。澤の彼方側《あちらかは》は一帶に打續いた落葉松の林である。『落葉松はすつかり黄色くなつた』と僕は前號の通信に書いたが、今は黄色を通り越して既に赤味がゝつてゐる。風の吹く日でもあつて見たまへ、その細かい葉がまるで時雨の樣に散つて居るのだ。木立の下を透かして見ると、古ぼけた赤毛布でも敷いた樣にぴつたりと散り布いてゐる。其上を歩くとぼくぼくと軟い。試みに指で掘つて見たら薄赤い新しい落葉の下には、幾年の間にか散り積つて朽ち去つたものが二三寸の深さに達してゐた。朽ちた葉は其の木のための肥料となるものだと聞いた。
 細小な澤は程なく盡きて、丘と丘、林と林とが次々と相迫つた所へ僕は歩いて來た。四邊《あたり》に懸け構ひの無い自由な音を立てゝ眼の前に溪が流れて居る。枯草のなかに表れて居る大きな岩の根(157)がたに腰を下した。四邊《あたり》には芒が多い。それに混つて一尺ほどに延びた落葉松の子が親木にならつて葉を落してゐる。根がたにこぼれた細い薄赤いその葉に微笑を與へながら僕は袂から煙草を取出した。そして土地の冷たさが身體に浸み上つて來るのにも氣のつかぬ位ゐ茫然と身を横へてゐた。
 徑を距てゝ對ひ合つて居る山腹の落葉松林の上には赤々と夕日の光が流れて居る。溪間には白樺がひつそりと立ち並んでその眞直な、雪のやうな幹と軟い黄葉とには既に微かに闇が匂ひそめて居る。溪の聲の高いことよ、僕の心の鼓動はいつともなく溪の聲と調子を合せて、ゆたかにも波打つてゐるのである。瞑目してこの自身の心に耳を傾けてゐたが、やがて起き上つて僕は溪の水際まで降りて行つた。水際には僅かばかりの蘆が生えてゐた。蘆のなかに立つてゐると、いかにも日の暮れたのに氣のつくほどの薄暮と冷たさとが身に迫つて來る。狹い谷の石の間を飛び越えて向うの山に移つた。其處は白樺の木立である。疎らになつた黄色い葉の間の幹の白さ、僕はそれらの木の間を傳つて山を登り始めた。徑らしいものもないのであるが、兎に角その山に登つて見たかつたからである。
 丁度其處は森と森との繼目になつてゐる所で、雜木が密かに枝を交へてゐた。這ひ登るにも非常の困難だ。手足などには幾個所も小さな傷をつけた。枝や葉の透いたところを選んで、上へ上(158)へと進んで居るうちに、夜になつたら如何しやうといふ不安が胸に湧いて來た。が、また夕月のあることにも心づき、よし月が無いにしろこのまゝ山を越えて麓の方まで十町あまりも這ひ下れば、屹度何處かへ通ふ路があるに相違ないことを知つてゐるので、そのまゝ引返すことを止めて進んだ.
 その山の頂上近くまで進んだ時には、溪間と違つて未だ落日後の光線が明るく木の間に殘つてゐた。そして漸く塒についたばかりの小鳥(多分頬白か何かだつたらう。)の群が其處等の枝からばら/\と惶しく飛び立つた。頂上らしい所へ出ると暫く森が途切れて黄色い熊笹の原があつた。日はもうとつぶりと暮れてゐるので、明るい西から南にかけての半空を限つて聳え渡つた日本アルプスの山脈には例の穏かな黄昏《たそがれ》のいろがまつはり着いて、一體の大氣がいかにもしつとりと瀾つて居る。僕は歩くのがいやになつて深い熊笹の中に仰臥した。眼の上いつぱいに垂れかゝった空の蒼さ、重さ。見給へ、月が淡く空に浮んで居る。日光のなごりと夕月の光線と、靜かに融け合つて空一杯に醗酵してゐるのである。僕は呼吸を止めては、やがてまた深く吸ひ込んだ。二羽の蝙蝠が僕のすぐ上をまつてゐる。
 其處へ、遠雷の樣な音響が幽かに大地を搖つて起つた。まだ荒れてるな、と僕は寢ながら思つた。君、淺間が一昨夜から切りに荒れてゐるのだ。昨日などは五分と間をおかずに鳴り轟いてゐ(159)た。噴煙は晴れた空に雲のやうに東に流れて、其末は武藏の秩父山までに屆いてゐた。今日は餘程凪いでゐたのだが、また始めたのだらう。僕は半身を起して淺間の方に振向いた。驚くべき烟は薄黒く聳えた山頂から今日も同じく東へ流れて居る。そして油の樣な濃密な烟の根がたには薄赤く火光を宿して居るのである。
 緑葉君、僕が火山を愛する所以は、その一抹の烟が常に原始時代を戀ひ慕ふ僕の心に、更に一絃のしらべを傳ふるが故である。まだ少年のころ、日向肥後の國境から遠く阿蘇の烟を望んで謂ひやうなき敬虔の念に撲たれたのも、恐らくこの心に由つてゞあつたらう。同じく幼年のころ、山と山との狹間の僕の故郷の空が、一種の音響と曇りとに掩はるゝことがあつた。母は僕を抱いて霧島さまのお荒れの日だと教へた。その日のつゝましやかな幼い心をも僕は忘るゝことが出來ぬ。海に浮んで不斷の烟を上げて居る伊豆大島の火山については、安房から相模から度々君に書き送つたことがある。今秋、端なくこの淺間の麓からこれらの消息を傳へ得る僕自身を甚だ幸に思ふ。火山の烟に對ふ時、僕の心つねに『永遠』に對つて波立つを覺ゆる。僕は眉を擧げて、また頭を垂れて、深い/\熊笹の中で斷えては續く噴烟と音響とのために全身を熱せられてゐた。
 氣がつくと月の光が湖の樣に僕を取卷いてゐた。何といふことなく非常の恐怖を感じて矢庭に飛び起きさま、熊笹原を走り下り始めた。そして程なく茂つた赤松林の中に走り入つた。月の漏(160)るる林のなかの靜かなこと、僕は茫然と立止つて四邊《あたり》を窺ふ樣に心をすませてゐたが、やがてまた兩手を懷中に預けて、徐ろに木の間を拾つて歩いた。
 最初の想像は外れなかつた。十二三町も歩いたかと思はるゝころ、林は盡きて黒い畑に出た。畑の畦を廻つて行くうちに小さな路を發見した。それに沿うて暫く歩いてゐると、また可なり深い林に入つた。これは困る、一體どの方角に出ればいゝのだらうと當惑したが、兎に角歩いてる方角へ歩くより外に適當な考へつきはなかつた。所が愈々困つたことにはその路が林の中で十字形の辻を作《な》してゐる所へ出た。心あての温泉宿の方角へ行く路は餘りにも心細いほど哀れな小さなものである。これについて行つて中途で見失ひでもしては愈々困ると思つたので、今少し麓の方へ降りて行かうと曲らずに暫く歩いてゐる所へ、突然人の唄聲を聞いた。先づ驚いたが、僕はすぐ袂から煙草を取出して火をつけた。そして向うの近づくのを待つた。
 村の若者が馬を引いて來たのである。腹一杯に唄つてゐる彼の聲を聞きながら、僕は今一本煙草をつけた。闇から突然彼を驚かすことを避けるためである。けれ共、彼は驚いた。僕が温泉宿への道を訊いても容易には返事もしなかつたが、漸く合點が行つたと見えて、それでは〇〇館の客人かと反問するので、左樣だと答へると、それはまァ飛んでもない所へ來たものだと手綱を持替へて道を教へ始めた。が、何分にも夜ではあり林の中ではあり方角の要領が飲込めないのでま(161)ごまごしてゐると、彼は手綱を其處の松の枝につないで、それでは俺が途中まで連れて行つてやらうと言ひ出した。それには及ばないと一度は斷つたが、もう先に立つて歩いてゐるので數多|度《た》び禮を言ひながら後についた。松を漏れた月の光が彼の逞しい肩や背に斑々として落ちて來る。僕は獨歩の『忘れ得ぬ人々』を思ひ出さずには居られなかつた。
 一寸した丘の背まで來て彼は立止つた。もう向うに〇〇館の灯が見えるといふのでよく見ると成程谷間みたいになつた所へ赤いのが見えて居る。それではといふので、僕は袂を探つたが何も持つて出なかつたので、すひさしの敷島の袋を取出して彼に與へて別れを告げた。彼は尚ほ暫く立停つてゐたが僕のうしろから、今夜は俺も湯を貰ひに行かうと呶鳴つた。是非來るがいゝと呼び返しながら僕は小さな赤い灯を目あてに小走りに急いだ。其處には熱い酒と、男女混浴の温泉とが僕を待つてゐた。(十一月九日夜、酔後、菱野より)
 
     技巧私見 その他二三
 
 自分の言ひ表はさうと思ふところを――單に自己をといふもよい――何の遺憾もなく直ちに文字や言葉と融和させることが出來または出來ると容易く信ずる人々にとつては、元より斯ういふ(162)必要はあるまいが、さうでない我々は常にこの表白法のために少なからぬ勞苦を拂はせられる。即ち技巧に關する苦心の一端は常に此處から生じて來る。元來の死物である文字や言葉に血の氣を通はせて、生きて居る自己の生命をそのまゝに表はさうといふのであるから、この苦心の出て來るのは當然のことであると思ふ。
 説明をしたり、報告をしたり――よく云ふ事件や感想の筋書きをやつて詩歌なりと滿足して居らるるならば兎に角、思想感情其ものを生のまゝに云ひ表はさうとつとむる事に於て、愈々此苦心の價値を認めざるを得なくなる、そして詩歌はいやでも其筋書きから絶縁せねばならぬものと私は信じて居る。
 出來るならば、三十一文字中のどの一字に觸つても温みを感ずる位ゐにしたい。歌はれてある内容と共に一字一句が、或は直ちに歡樂であり、或は悲哀悲慘そのものであるやうに歌ひ度い。一目見ただけで襲はれるやうな感じを持つほどにその歌に生氣あらしめたい。『なるほど、これは斯んなことを歌つたのだな、解るにはわかる』といふやうな感じを讀者に持たれることは詩人の恥辱である。また歌はれた事の顛末に同情を持たるゝために、延いてその歌をよく見らるゝことも詩人の名譽では決して無い。歌と歌はれた事實とのあひだに間隙あらしむるは確かに作者の負債である。
(163) 以上の如く唯だ單に文字文句を驅使せむためにさへ、私は夥しく技巧の使命の偉大なるを思はざるを得ない。尚ほ表白に關しても文字言葉に對する苦心以外に主題の眼の着け所、描寫の方法、その他甚だ多い。それにつけても私はわが歌壇に甚だ單純なる技巧不必要論者の多きに驚かざるを得ない。
 勿論、技巧といふを、文字に驅使せらるゝことゝ思惟する程度の人は斯く云ふ私の眼中にないのである。
 
 想像は極力排斥せざる可からずと憚りげもなく息捲く人がある。若し私が獨り居て、ふと強い黒髪の香をおもひ起して身をふるはすことがあつたとしたら(私はよく經驗する、私ばかりに限るまい。)その髪の有無は問はず、現に身をふるはせた私の感じの存在――想像から起る觸覺、實感――をどうして否み得るであらう。
 
 よく自然を咏み入るゝ私の歌を見て、私の歌に主觀が無くなつたやうに非難する人がある。我がこころゆく山川草木に對ふ時それを歌ふとき、山川草木は直ちに私の心である。心が彼等のすがたを假つてあらはれたものにすぎぬ。その歌に主觀のこもらぬ道理のあらう筈がないと私は信(164)じてゐる。これは、主觀そのものでなく主觀の説明を所謂強烈な主觀だと心得てゐる人々には或は物足らぬことかも知れぬが、振返つてその人々にその人々の主觀の有無をさぐらせ度い。早い話が、私が同じ態度で茲に女を歌へば決してこの非難は起りはせぬ。山を歌へば大した理由のもとにそれが起る。要は流行の證明にすぎないのである。
 
 三味線の音は日本人種が三千年來持ち傳へた悲哀そのものであると誰やらが云つたのを記憶する。歌もまたさうではあるまいか。
 
 歌にもまことに憾みが多い。
 歌つてゐる間はそれに生命を專らにしてゐるから別に不滿は起らないものゝ、一歩その境地から離れると、何だくだらないこれつぱかしが自分ぢあない、もつと他に多くのことがあると斯ういつも思ふ。其時の何か斯う物足らぬやるせなさと云つたら無い。
 けれども、他の方途に由つたところで果してこの物足らなさが殘りなく填充せらるゝものであらうか。私には矢張り寂しい疑ひが殘る。(四十四年二月麹町區飯田河岸にて)
 
(165) 雨夜座談
 
 歌とは何ぞや、といふ質問に出合つたとしたら、私などは眞先きに當惑する一人である。實のところ私はいま歌のなにものたるかを知り得ずに居る。
 最近に出版せられた某博士の『和歌入門』といふ本のなかには、歌を高尚優美のこころを養ふ方便か何かと認められる樣な口調が漏らしてあつたと記憶する。或人はまた歌をば單に吟誦用のものと認むるとも云つて居る。或人は唯だやるせない心のものゝあはれを調子よくうたひ出づるものだとも云つて居る。或人はまた意味はなくただ小鳥のうたふ樣に歌ひ出づるもの、つゞまり歌をうたふは我等の本能なりとも云つて居る。また或人は我等が日常生活の報告なりとも云つて居る。其他なほ私の耳目に觸れない幾多の意見があるであらう。
 意味のとり樣によつては、右の説のうら、先づ/\自分の思ふ所と似通つて居ると認めらるゝものが無いではない。然し大體に於て私は右のいづれにも一致することが出來ないのだ。
 然らば汝の謂ふ歌とは何ぞや。
 それをいまこの『牧水歌話』に於て、その編纂思ひ立ちの主旨上、輕々しく公言することを私(166)は好まない。若し僅かに一夜の座談として附け加ふることを許さるゝならば、少くとも私の思つて居る歌は、今少し意味の深いものであることだけを述べておき度い。
 私は數年前に出版した自身の歌集『獨り歌へる』の序文に於て、自己即詩歌、すなはち、我は直ちに我が歌なり、と云つておいたことがある。現今でもさう信じて居るが、今はそれをいま少し明瞭に考へ始めて來た。斯う云ふ考へは或は極めて幼稚なものであるかも知れぬが――。
 私の藝術の對象は全部『自己』そのものである。あらゆる外界の森羅萬象も悉くその『自己』といふものに歸着せしめて初めて其處に存在の意義を認める。そして、私は宇宙の間に生み落された『自己』の全部を知り確めむがためにのみ生存して居るものといふやうに思つて居る。畢竟、我が生存の意義は『自己』を知り、自己の全てを盡すことに由つて初めて生じて來るものと信じて居る。
 頭《てん》から何等をも感知することなく、空から空へ生死して行き得た人はそれでも可からう。が、かりそめにも自分の生きた姿を、わが生存を、ちらとでも認め得たものは、なか/\それで濟まぬ。若し私の實例を以てすれば、それからそれへと殆んど無限に根を張つた自分の發掘にいやでも應でも從事せねばならなくなる。私の全力はそのために注がれ、しかして、その全力は同時に私の悲しい歌となつて居る。
(167) この事業が果して首尾よく成就するものであるか。何處まで掘つたら生命の全部を發見し得るか。更に進んでその發見した生命に何等かの作用を何處まで施し得るか。
 詩人國木田獨歩は、我とは何ぞやといふ問は強ちにその答へを要求し得て初めて意味あるものとなるのでない、問そのものが既に實在である、といふ樣なことをその詩のなかに云つて居る。私もまたこの意味に於て、切りにこの疑問を宇宙の間に放ちつゝ、その發掘に努めて居る。其處で私は改めて斯う云ひ得ると思ふ、即ち、我が歌は宇宙に存在する我を知悉せむとする努力なりと。
 
 斯く信じて私は自身に歌を咏みつゝある。が、さういふものは歌でないといふ批判を與へられた時、私は強くこれに抗辯することが出來ない。何となれば世に謂ふ歌といふものに對しては私は何等の知識を持たないからである。
 けれ共、私はこの抗辯の出來ないことに由つて擧上の自信を飜さうなどとは夢にも思はぬ。その時は獨り離れて自分自身の信ずる歌を歌つて――強ちに歌と云はずとも、我が信ずるこの一生の事業のために、行き得るところまで行くだけのことである。天上天下唯我獨尊、誠に憚り多いことではあるが私はその心持だけに於てもこの故聖人の云つたことを我が一生の上に持ち度いと(168)常に思つて居る。
 
 このついでに今少しこの座談を續け度い。幸ひ今夜は而が降つてゐるので、いろ/\とものゝ喋舌り度い晩である。雪まじりの雨にしては割合に温い。ツイ先刻午前一時の鳴るのを聞いた。
 五、七、五、七、七と三十一文字に限られた形式に從つて、なぜ上に述べた樣な歌を作つて居るか。これもいま私には明答が出來ない。唯だ僅かに、便宜上ぐらゐの返答しか爲し得ない。我等日本人種の體質と、日本語の性質との關係上、この五七調が最も適當に言語としての使命を果し得るものだといふ風の議論をば度々見もし、聞きもした。或人はまた世界中で日本語ほど角張つた言語はない、それだから特に短詩形に於て成功するのだとも云つてゐた。なるほど、さういふ種々の本來の約束があるのかも知れぬ。それは兎も角として、私の貧しい經驗から見たところでは、矢張りこの五七が一番よく自分の心と一致し易かつたかと思つて居る。
 けれども、この五七調を喜ぶ所以は、他からひとりでに與へられた型ではあり、身邊悉く之によつて埋められてゐたゝめ、他を知るの暇無く斯うなつたのではないかと疑へば疑ひ得る餘地がある。私も唯だ比較的にこの五七調、就中五七五七七の一形式を選んだゞけで、これに強ち絶對の權威を認めてゐるのでは決して無い。例の八雲たつ………の時代からは我等の體質にも思想に(169)も感覺感情にも餘程の變移を生じてゐるだらうと思ふ。この點から見ても、その歌の諧調上に同じく何等かの變移があつて然る可きではあるまいか。
 先づ何ともつかぬ不自由を感じ、ついで斯ういふ事を疑ひ始めた私は近來漸く舊型の外に出た型に由つて我が謂ふ歌を歌ひはじめて居る。根本は矢張り五七、七五の調に出でゝゐる樣だが、時に或は長く、或は短く、要はその歌の内容が含める諧調に從つて終始してゐるものゝ如くである。是に由つて果してみづから滿足し得る事が出來るか、如何か。いづれ數年の後を期せねばならぬ。
 新體詩、長詩と呼ばれて居るものゝ一部が略ぼ右の我が考へと似てゐる樣であるが、底の意味がどうも違ふ。私は矢張り私自身の要求に迫られて作り出した方途に從つて歩むよりほかは無いと思ふ。しかしてその一歩々々の覺束なさを獨りひそかに悲しみ危ぶんで居る。
 
 同じく短歌から出てやゝ長い型の詩を(新長詩と名づけられてある)作つて居る某氏は、短歌には純抒情の作を盛り、新長詩には思想味の勝つた作品を盛る可きものと云つて居るのを見た。一應道理に聞えるが、矢張り賛同し難い。我が謂ふ歌を歌ふ時、我が生命は極めて高潮に達し、(170)切迫しつめてゐる時である。その時、其處に殆んど思想、感情と盛り分け得る餘裕などありはせぬ。渾然として透明な白熱した一個の生命そのものがあるのみである。その時その生命の赴く詣諧調音律に從ひ極めて自由な形式を採つて歌ひ出でたらそれで即ち充分である。
 元來短歌とか長詩とか、いやに道理めかしく區別せられたのが既に私は氣に喰はぬ。作爲から成る藝術は多く斯ういふ邊に芽ざして來るのだと思ふ。
 
 私にとつては多く咒《のろ》はれがちなる形式も、時としてそのあまりに巧妙に間隙なく用ゐられてあるのを見る時、私は常に我を忘れて讃嘆する。饐えたる憎惡は変じて讃美となり、藝術は形式なり、とさへ叫ぶ時もある。
 藝術と形式との問題は、恐らく私の一生を貫く悲劇ではなからうかと思ふ時もある。
 
 雨ます/\降る。窓外の樫にみだるゝその冬逝く聲のなつかしくもさびしきことよ。(四十五年二月本郷に於て)
 
(171) 編輯後記
 
        その一
 
 本書に收めた原稿の多くは曾て『和歌講義録』『文章世界』『秀才文壇』及び『創作』等の雜誌に出たものである。最も舊いのが多分明治四十二年邊りに書いたものかと思ふ。卷末に收めた『雨夜座談』の一章だけが最近の執筆にかゝるものである。書中七八分通りはその書かれてあるものゝ性質上多く歌の初心者に對して説き教へる樣な態度で筆が執つてある。此點をよく合點しておいて讀んで欲しい。
 書肆の方では和歌作法といふ一章を設けて欲しいとの註文であつたが、私は斷つた。作法などといふものに由つて辛うじて作らるゝ樣な歌は歌で無い。形式上の和歌といふものより、先づその人の内容を鮮明にし豐富にし度い。さうすれば自然と其處からまことの歌が出て來るものと私は思つて居る。而してひそかに本書一卷はそのために多少の暗示を與へ得るであらうと信じて居る。
 出來るなら表白法に就いての注意を今少し具體的に書き添へておき度かつたが、時日と紙數と(172)がこれを許さなかつた。このためには修辭學の本を讀むも可からうし古今集などを新しい心で熟讀するも甚だ可いであらう。云ふまでもないが今尚ほ世間に流布して居る歌ことばとかいふ如きものに制限せらるゝ必要は無い。どこまでも自由を尊び、歌のために言葉及び語句を使用すべきである。言葉のために司配せられてはならない。
 歌を咏む助けになる最も手近な一法は、先づ他人の作を――成るたけ知名の人の作を熟讀することである。少々解らぬなりにも反覆熟讀して居るうちには何か知ら屹度心に思ひ當るところが出て來るものだ。そしてそれからそれと進んで行く間には必ず自分獨りで能く了解が出來、習はぬなりにそれに類したものを咏み出で得るやうになるに相違ない。其處で起つて來る問題が例の摸倣である。私は最初の間はこの摸倣を寧ろ當然の結果だとして決してとがめない、歌といふものを或程度まで了解し盡すまでは敢て差支へない。たゞいつまでも摸倣の境地に留つてゐる樣では、それは既に階段、方便としての摸倣でなく、摸倣そのものであるが故に無意義千萬のものと認むると同時に一種の罪惡として極力是を排斥せねばならぬ。不知不識の裡に若し摸倣の境地に入つたと氣がついたら一刻も早く其處を出て、更に獨我の尊い境を拓かねばならぬ。尚ほ一つこの他人の作を讀むに就いての大切な注意を述べようならば、初めから自分の利用の爲に讀まうとする如き、または身知らずの不謙遜な心で讀む如きは甚だ愚劣な、またその作者に對して極めて(173)失禮な所業である。力めて虚心平氣、一點濁りの無い心を保持してその作物に對せねばならぬ。而して願ふ所は出來るだけ深くその作の内容を知らむと努め、延いて歌といふものを根柢より了解せむことに專ら心を致すべきである。而して後、そのために啓發せられた清い、瑞々しい心を以て自らの作に取懸る可きである。生意氣にも初めから他の作物を鵜呑みにして取懸りどこぞ旨く眞似てやる所はないかと云ふ如き態度で拾ひ讀みをする輩は直ちに先づ自己を暗愚にし僅かの小成に安んじて手も足も出なくなり、せい/”\投書雜誌の終りの方に一首か二首拾ひあげられてそれで最後を告ぐる樣な徒輩となり終るのである。現今最もこの徒輩多きを見る。我等は互ひに警めてこの恐怖す可き、呪咀すべき境地から離れねばならぬ。斯の如きは不知不識の裡にみづから自己を安價にし、暗愚にし、やがて救ひ難きに到るものであるとその許多の實例を携へて私は斷言する。
 今一つ作歌上の注意の重なる一個條として、私は茲に氣取るなといふ一語を書き添へておく。私の謂ふこの一語の裡には、歌らしい歌を咏むなといふ意味もある、ひとりよがりになるなといふ意味もある。眼を細め、首を傾け、肩までつぼめて總てのものを見る樣な事をするなといふ意味もある。更に恒に常に鮮明なる自己を保て、我が心を濁らし曇らすな、と心を曲ぐるな、咏まむとするものゝ本體を掴め、中心を刺せ、凡そでものを視るな、ごまかすな、七分八分で安心す(174)な、行く所まで行け、といふ事をも附け加へておく。不透明な、にやけた、よろ/\した歌などは多く以上の點に注意せぬが故に生じて來るものである。
 これはまた別途の老婆心であるが近來流行して居る雜誌の投書のこと、これなども餘程注意しないと、まゝ例の田舍天狗を作り易いもとゝなる。人眞似でやす/\と三十一文字を並べて投書といふことをする。先づ首尾よく一首か二首、多いのは五六首位ゐ採用せられて初めて活字で自分の名と作物とが雜誌の上に載つて來る。さア耐らなく嬉しい。同じことを繰返した後幾らかの年月を經るに從ひ、天晴れの自免天狗となり了せる。投書も宜しい。誠に勵みがついて一歩々々進歩して行く自己の足跡をも眺め得るし、結構なことである。が、唯だ憂うるのは、これも投書それ自身に滿足しての投書であつては前に述べた小成に安んじ、極めて氣障な生意氣な、憐れむ可き一種の型に入つて了ふ樣になり易い一事である。それでも可いぢアないかと云ふ方面の人はおいて問はず、若し心からまことに詩歌に親しまうといふのであつたらば、よく/\心してそれに溺れず、投書として傍觀するだけの餘裕を持つてゐなくてはならぬ。誘惑に恐れず、眼前の小に迷はず、遠く深く詩歌を重んじ、自己を尊ぶ心懸があつて欲しい。
 
        その二
 
(175) 實は、多少の稿料に代へむがために本書の編纂をば思ひ立つたのであつた。そしてその内容に就いては最初あまり多くを期待してゐなかつた。所が、編輯を終つて一わたり目を通すに際し、私はこの豫想の甚だ間違つてゐたことを發見した。
 一度ずつと讀み終つて、曾て三四度自身の歌集を編む時に經驗した感謝と滿足とを同じくこの座談風の作品の裡から感じ出すことに氣がついたのである。そして私はしみ/”\斯う思つた。虚僞をまじへぬ勞作の一切は全て我が生そのものであると世に謂ふ創作と何の異る所がない。
 
 勿論、不滿が多い。どちらかと云へば斯ういふ手引風の書物として決して完全のものでない。
 本書を作らむがために改めて筆を執つたわけでなく、從來多くは外的の要求からその折々に書き捨てたものをいま拾ひ集めたに過ぎぬものである。斯の意味に於て自身の藝術的良心に對し多少不愉快な所が無いではない。けれ共、それは極めて細かに衝き入つた謂はゞ末梢の問題である。この一册の底を流れて居る著者の主觀――人生觀藝術觀に至つては其處に微塵の虚僞も無い、ためにする所もない。我が著書なりとして世に推薦するに何等躊躇する要を見ない。 嚴密にいふならば私ごときが、とても斯ういふ書物を書き得る道理が無いのだ。歌を咏み始めて既に十幾年、右も左も解らなかつた時代はとにかくとして、曲りなりにも自分の信ずる歌とい(176)ふものを知り始めてから私は早や百首或は千首の歌を作つて居る。而して其中の唯だの一首たりとも衷心我れ作り得たりと思つたことが果してあるであらうか。唯だの一度も無い。無いのみならず、一首を作るごとに何だか自分自身を、我が信ずるものを、汚濁した樣な不快と恐怖とを感ずることが誠に多いのだ。眼に見えて、手には取られぬものゝ憎さ、いとしさ、恐しさ、私は眞實常にこのために心の安まる日が無いのだ。斯くして終に一生を凝惑と苦悶との裡に葬むるに至るやも計り難い。一生のみならず、私の墳墓それ自身もまた永遠にこれら暗く寂しき象徴として殘るのかも知れない。
 
 それにしても、一首、せめて一首、これこそといふ歌を咏んで眼を瞑ぢ度い。
 さうしてまたひそかに思ふ、その一首こそはわが『死』そのものではないかと。
 
 書きかけては止し、書きかけては止し、新たに書き加ふ可き此等數十枚の原稿に對してすら、私は我が混濁せる日夜のため茲に意味無く數日を費さゞるを得なかつたことを恥ぢ且つ悲しむ。して、愈々筆を擱かねばならぬ時が來た。 その間にあつてこの貧弱なる一書が極めて心地よく製作せられつゝあることを喜ばずには居ら(177)れない。書肆と云ひ印刷所と云ひ、單なる商賣關係以上の親切を以て本書に接して呉れて居る。表紙の題字をば親友福永挽歌が書いて呉れ、序文をば同じく平賀春郊が書いて呉れた。
 
 して、私はいよ/\最後のこの原稿を書き終へると共にこの東京をあとにして旅に出て行き度いと念ふ。夜を日に次ぐ無意義なる談論と、無意義なる飲酒と、無意義なる職業と、すべて自己瞞着の方便に過ぎざる東京の生活を唾棄し、たとへ暫くたりとも我が生命の呼吸を自由ならしめ度い。私は本書の成るを待ち得ずして此儘直ちに先づ信濃の山深き邊に急ぐであらう。季正に嚴冬二月、蒼穹を限る彼の大山脈を埋めて我が愛する雪は唯一寂寥の權化たる太陽のもとに靜かに孤獨の歡びを恣まにして光り輝きつゝあるであらう。噫、我が愛する山よ、雪よ、太陽よ、希くば同じく常に孤獨なる我をして汝等が熱き呼吸の裡に置くことを許せ。敢て祷る。(明治四十五年二月十七日夜。東京本郷に於て)
 
(179) 和歌講話
 
(181)     卷首に
 
 本書は主として和歌愛好の初心者に和歌の一般を知らしめ、兼ねて作歌の刺戟を與へむ目的を以て編んだ。この一册を讀んで一首なりとも歌を作つて見たくなる欲望を起さしむれば即ち足るのである。
 本書の原稿は大部分曾て二三の雜誌に掲げたものである。書中諸處本號云々等の語あるはその故である。文體も或は一致を缺いてゐるかも知れぬ。その時はその時、といふ意味から昨今小生の抱いてゐる意見と異つたふしがあるかも知れないが、それもその儘にさし置いた。それも唯だ枝葉の問題で、根本に於ての相違は無い。
       大正六年二月梅蕾む頃 小石川創作社にて
                        牧水 生
 
(183) 歌話と批評と添削
 
     座談二三
 
 或る雜誌から文學に志す青年の座右の銘はといふやうな問を受け、私は作歌に關して次の如く答へた。此處にもそれを引く。
   歌は常に己が身體のうちにありと思へ、活字に刷られて雜誌の上にありと思ふな。
   己が身體は宙ぶらりんにふら/\迷ひてありと思ふな、自然の底に根を張りて大樹の如くにありと思へ。
 
 文章世界で新進歌人十何人集とかいふのを發表した。そしてその批評を求めて來た。ずつと一わたり眼を通して讀後感のやうなものを書き送つておいた後で、或る友人に邂逅した。その友人(184)も右の批評を求められた一人であつた。その時に期せずして我等の間に上つた話題は、新進云々とはいふが少しも新進らしいところは無いぢァないか、寧ろそれに比べて僕等の方が餘程新進らしい氣持を持つてゐるやうだよ、と云ふことであつた。事實、ずつと並べられた彼等の作品は内心から動き出てゐるやうな生氣を殆んど見なかつた。若しあるとすれば見て呉れがらの大向ふを相手にした附け元氣であつた。唯だ眼につくのはそれ/”\器用なこと、妙にとりすましてゐることなどであつた。
 
 時々、歌といふものゝ下らなく見え出す癖が私にはある。その癖の出て來るのは、自分といふものや汎《あまね》く人生といふものゝ眞面目に考へらるゝ、私としては比較的頭のはつきりした、心の緊張した時に限られてゐるやうだ。その時は他人の作は勿論、自分自身に作るのなどがいかにも馬鹿々々しくて仕樣がない。これは強ち私ひとりの經驗では無いと思ふ。
 さうした、心の緊張した、はつきりした場合にありがたく尊く見ゆるものが眞個の藝術では無いだらうか。
 では、馬鹿々々しく見ゆる歌は藝術では無いのか。
 とも云ひ兼ぬる生々しい經驗を私は幾つか持つてゐるのだ。そして、歌には歌の境地があると(185)寧ろ反抗的に考へてみる。
 が、要するにこの馬鹿々々しく見ゆる所には必ず何等かの缺陷があるに相違ないと思ふ。眞實の新しい歌は其處まで歩を進めて初めて新しい歌の意味を生ずるのではあるまいか。
 
 歌の歌くさくないのも困るだらう、鼻つまみにならぬ程度に於て。
 
 自分のを見ても、ひとのを見ても、歌が一向面白くない。
 探し廻つて歌を作ることには、もう飽きた。作らずにゐられない所まで、自然に身體から歌が湧いて來る所まで、自分の生活を進めて行き度い。
 而してまた思ふ、くだらぬおしやべりをするものだと。
 
 けさは暴風雨日和《しけびより》だ。
 黒い、鋭い雲が表れて走つてゐるかと思ふと、バラバラと大粒の雨が落ちて來る。
 窓前の青梧桐の枝といふ枝がよれ/\になるまで風にもまれてゐる。
 みな嘸《さぞ》いゝ氣持だらうなと思ふ。
(186) ガラス窓をしめ切つて、この風雨のなかにぼんやりとゴーホの畫集を開いて見てゐると心が次第に靜かになつてゆく。何となく涙ぐましい心地である。
 
 もつと吹け。
 降れ。(五年九月二十三日、本郷にて)
 
     萬葉短歌全集
 
 自分が初めて東京に出た年、先づ買ひ求めた本の中に源氏物語湖月抄と萬葉集略解とがあつた。双方ともに大阪版の安つぼい本で帙入になつてゐた。けれど多くは唯だ本箱に置いて嬉しく眺めてゐるきりで、開いて讀むといふことは少なかつた。なまけ者のせゐでもあつたが、當時の自分には略解なり何なりが既に厄介過ぎてゐたのである。
 そのうち源氏物語忍草といふ本のあることを知りそれを讀んで源氏を讀破したやうな顔をするやうになり、次いで神田の大學舘から出てゐる千葉勝重といふ人の萬葉の短歌ばかりを漢字仮名(187)まじりの當世風に書き改めた菊判截の袖珍本を見付けて以來、それにのみ噛り着いてゐて、萬葉萬葉と云ひもし聞きもしてゐるくせにまだ略解をすら通讀し終らずにゐる。
 その袖珍本の萬葉をば隨分讀んだ。前後十年間あまり、それこそ何度繰返して讀んだか知れない。表紙は夙うに破れ去りその時/\に歌の上につけておいた種々の符號で一册はまるで鉛筆やペンのあとだらけになつてゐる。この本と唐詩選(これはもつと小型のものであつた)と獨歩の武藏野とは其頃の私の側から殆んど離れたことが無かつた。旅行に出る時など、その何れか若しくは全部かゞ必ず自分と共にあつた。その唐詩選も武藏野もいつの間にか失《なく》してしまひ、大切な萬葉すら咋年あたりから所在が解らなかつたが、此頃聞けば信濃の伊奈に行つてゐるといふことだ。
 
 土岐哀果君が萬葉集の短歌だけを集めた本を作ると聞いた時、妙なことを始めたものだと思ふと同時に、自分は直ぐ右の袖珍本を聯想した。そして便利なものが出來るなとのみ待受けてゐた。いよいよ出來上つて來たのを見ると半ばは當り、半ばは豫期が外れてゐた。單に便利な本と云ふほかにこれはまだ今までにないいろ/\變つた意味に於て萬葉集といふものを自分等の前に紹介して呉れて居る。
(188) 單に古典としてゞはなく藝術として萬葉といふものを我等に直接なものにしようといふのが土岐君の思ひ立ちであつたらしいが、その他に彼の意を用ゐたのは、これを全部作者別個人別にしたところにあるであらう。萬葉集といへば我等には多く全體のものとして、單色のものとして映りがちであつた。有名な數人を除くはかは殆んど誰彼の見わけがつかなかつた。それがこの本にょると明瞭に區劃が立つて、今まで唯だ佳い歌だとのみ見過して來たものがなるほどこれは斯ういふ人の作であつたかと領かるゝ節が多い。數多く出てゐる人の歌でもとび/\にあるのを/\む時はその歌ばかりが先立つて眼について何となく鹿爪らしく感ぜらるゝが、斯うしてその人の作だけ一個所に集めてみると其間にまた別の趣が出てその歌にもその作者にも格別の親しみを増し易い。各自異つたそれらの人々の風貌をさへ自ら思ひ起さしむる。むき/\に生々として歌ひいそしんでゐた人々の群が遙に眼に浮んで來る。個人牲云々といふ様な議論を除《ぬき》にしてもこの作者別の編纂法が自分に與へた興味は甚だ多かつた。編纂者も斷つてはあるが、出來るだけでもいゝから更にこれに年代表でも添へてあつたら尚ほ嬉しかつたらうと思ふ。
 印刷の仕方、用紙製本等が例の東雲堂式の氣の利いたものであることもよく本書に適つてゐる。讀みよくもあり、携ふるにも便利である。唯だ誤植らしいのゝ兎角眼につくのは憾み深い。
(189) 斯道の先達六人氏の序文も眼に立つものである。そして何れも言葉をそろへて土岐君のこの仕事に驚嘆し感謝してゐる。斯ういふ事に價値を見出すべく餘りに深入りしてゐる樣に見ゆる先達たちが打揃うて驚嘆してゐるといふ事は自分にとつてはまた一つの驚きであつた。そして此の割では自分等ごときは更に二三倍の驚嘆と感謝とを本書の編纂者に捧げねばならぬ義理だと思はれた。
 事實、思ひもかけぬ所から飛び出して來て瞬く間にこの一大事業を成し遂げた土岐君の腕は凄いものである。然し、これはこの人だからこそ斯く眼の前にこの仕事が出來たのである。與謝野寛氏の序に「實は十年前から自分も萬葉集に就いて一書を公にする用意をして居るが何時完成するか覺束ない、左右に氣をとられてぐづぐづしてゐる自分のやうな人間のする仕事と土岐君のやうにてきはきとして要領を得る才人のする仕事とに是だけの差がある。土岐君が此書の校正刷を見せられた時自分は今更の如く自分の怠惰を憎く思つた」とあるのを見て何とはなく同感せられた。少くとも萬葉集に對し土岐君よりより深い造詣尊敬興味を持つてゐる人には斯うてきはきとは事が運ばなかつたらうと思ふ。
 
 言ひ落したが本書は偏に「萬葉集古義」に據つて編まれたものだと云ふ。だから曾て其他の註(190)釋書を通して萬葉を讀んでゐた人々にとつては多少の不滿が伴ふであらうが、それらは本書を喜ぶ範圍に屬さないものと見てよからう。唯だずつと讀んでゆくにはこの方が頭を惑はす事なくて氣持がいゝ。本書より出でゝ更に深くわけ入らうと思ひ立つ人々も亦た少くないことであらう。それも本書の一徳である。
 
 久しぶりに人麻呂を讀み旅人を讀み、自分はいま家持の作に讀み入つて居る。眼前に開かれた頁には斯ういふ歌が出てゐる。
 
      十二日内裏に侍ひて千鳥の聲を聞きて
   河洲にも雪はふれれや宮のうちに千鳥鳴くらし居むところ無み
      二十三白興につけて三首
   春の野に霞たなびきうらかなしこの夕影に鶯鳴くも
   わが宿の五十竹葉群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
   うらうらに照れる春日に雲雀あがり情かなしも獨りし思へば
                    (四年十二月六日午前)
 
(191)     石川啄木君の『悲しき玩具』
 
 單に詩歌として玩味するといふ點から見たなら、此前に出た同君の『一握の砂』の方が秀れてゐると思ふ。ひとつは是には作者自身の撰擇を經得なかつたのと、ひとつには割合に短い時間に、しかも初めから終りまで悉く病中の作であつたことなどが、その因をなしてゐるのであらう。
 病中の作といへば、却つて佳いのが出來さうなものだといふやうなことが多くの故人などを例にして考へられまいものでもないが、その場合がよほど違つてゐる。表面の境遇は別にしても石川君は死ぬ間際までも死ぬことを豫期してゐなかつた。あんなに永くわづらつてゐながら病氣といふものとすら靜かに面接することをしなかつた人である。實際はそのために全然捕捉せられて身動きも出來ないでゐながら、心の中では他人が病氣に罹つてゐるのだか自分が罹つてゐるのだか解らぬといふ風の所があつた。それほどまでに、内外の生活に於て彼は混亂し動搖してゐたのである。二年に渉る彼の病床は、燃ゆるやうな、しかもあてのない反抗と空想との巣であつたのである。謂はゞ、後年の彼はその乾いた巣の燃ゆるにつれて自分も空しく燃え去つたのであつ
 
      (192)た。自分自身といふものを盡さなかつた憾みがさぞ深からうとおもふと、ひとごとならず身に沁みて來る。
 さうした場合に在つた彼が、前からさはど大切にも考へてゐなかつた詩歌のために大した努力を割かうわけがなかつた。彼は彼の生命の所在を、眼に見えぬ何處か他の所に認めてゐた。『悲しき玩具』は彼のさびしい空蝉の骸《から》にすぎぬ。而して、あとにもさきにも實際に存在するものはその骸のみである。
 
 彼が死んで行つた直ぐあとであるせゐか、物を思はせらるることの強いのは『一握の砂』よりこの『悲しき玩具』である。歌に觸れて直ちにどうといふことはないが、その歌をぢつと見てゐると、ざらざらに乾いた言葉や文句の背後に打消すことの出來ぬ恐しいやうな物影が動いて來る。これは「故獨歩は、驚き度い、と云つたが私は、驚き度くないと思ふ」とこの書の終りに附けてある「歌のいろ/\」といふ感想文の中に彼自身が云つて居る樣に、ぢいつと眼を据ゑて彼が對した人生の影であらう。あともさきもない無氣味な、意地の惡い此物影が『悲しき玩具』の隨所に散在してゐる。いやではあつても、我等は恐らくこの影から眼を反け得ぬであらう。
(193)
 さういふ種類の歌がこの『悲しき玩具』の、いや恐らく石川君の歌の全體の特長であるだらうと思ふ.假りにそれらの歌を數首茲に引いて見よう。
 
   そんならば生命が欲しくないのかと、
   醫者に言はれて、
   だまりし心。
 
   かなしくも
    病いゆるを願はざる心我に在り。
   何の心ぞ。
 
   茶まで斷ちて、
   わが平復を祈りたまふ
    母の今日また何か怒れる。
 
(194)   やまひ癒えず、
   死なず、
    日毎に心のみ險しくなれる七八月かな。
 
   かなしきは、
   (われもしかりき)
    叱れども、打てども泣かぬ兒の心なる。
 
   時として、
    あらん限りの聲を出し、
   唱歌をうたふ子をほめて見る。
 
   ひさしぶりに、
    ふと聲を出して笑ひて見ぬ――
   蠅の兩手を揉むが可笑しさに。
 
(195)   目さまして直ぐの心よ!
   年よりの家出の記事にも
   涙出でたり。
 
   旅を思ふ夫の心!
   叱り、泣く、妻子の心!
   朝の食卓!
 
   よごれたる手をみる――
   ちようど
   この頃の自分の心に對ふがごとし。
 
   よごれたる手を洗ひし時の
   かすかなる滿足が
(196)   今日の滿足なりき。
 
   庭のそとを白き犬ゆけり。
   ふりむきて、
   犬を飼はむと妻にはかれる。
 
   何がなしに
   肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ――
    秋近き朝。
 
大上段に振りかぶらぬところに却つて意地のわるい鋭さがある……、人生が……、現代人が……、藝術がと云はぬ裏に却つて深いそれらの閃きがある。それにつけても昨今歌を詠む多くの人が幼堆極る理窟をつけて今更らしく大騷ぎをやるために、歌をやらぬ他の人々から歌といふものまでを馬鹿にされる傾きのあるのが心外でならない。
 
(197) その場限りのくふぁらぬ愚癡や、頭から人を馬鹿にしたやうな雜報歌が、また『悲しき玩具』の中には少くない。けれども、よし、石川君が生きてゐたにしろ、今更それらを眞面目になつて責めるだけの張りが僕にはない。彼は頭からさう思つて作つてゐたのだ。また、石川君の歌は、一首々々づつ讀むべき歌でないことを附加しておく。一册なら一册、一生なら一生を通じての作として讀むべき種類のものである。(二年七月十五日)
 
     前田夕暮君の『陰影』
 
 なかに純粹な晶玉を包んで居る一個の石魂があるとする。前田夕暮君の歌は、その石塊の外部に當る石である。玉に深い関係がありさうで、考へてみれば何でも無い。
 
 平凡なる人生、在るがまゝの現實といふことを彼はあまりに手輕に引受けてあまりに在るがまゝに取扱つて居る。現實といふこと、人生といふことは、たゞ眼前のそれ以上に彼にとつては何の意味でもない。あまりに容易《たやす》く總てを承認して、其處に何の影を遺さぬ。もの珍しく、興味深く覺えつゝ、『陰影』一册をゝみ終つて、サテ振返つてみた時に手に捉る何もの、心に殘る何もの(198)を殆んど發見し得ぬのはその故である。
 
 それは多少の、興味はある。けれどもそれはさきを樂しく誘惑されてゆく興味である。その作物よりして生に對する烈しい暗示、黙示といふ如きものを發見するは甚しい難事、寧ろ不可能のことであらう。鋭く深く、衝動的にその歌より感觸を獲ることなどは全然望み得ない。
 
 その誘惑の一因は、何やら手ざはり鮮かに感ぜしむる彼の技巧の素朴の致すところである。いはゆる訥辯の能辯なるものである。夕暮は常に拙いから常に新しい、といふ下馬評なども此邊から出てゐると思ふ。
 
 彼の主觀に、總括はある。直覺は乏しい。なるほどと思ひながら、うはの空のなるほどで通り過ぎてしまふのが、此處から出る。彼の歌に色彩はあつて光の乏しいのも此處から來てゐる。
 
 極《ご》くあらはに現實を取扱つてゐた點に於て、石川啄木君などが前田君と周じであつた。而して前田君が多く描寫々實の丁寧な手法に據るに反し、石川君はよく空言空語になりがちの言ひつ放(199)しの歌を作つてゐた。それでゐて石川君の方が何處となしに現實味に富み、底ぢからのある壓力を持つてゐると思はるる如きは、矢張り直覺力の多寡、眞實性の多寡に原因してゐることゝ思ふ。
 
 石川君の作は、一册または一代の作を通じて讀むことに於て意味深く、前田君のは寧ろ一首一首を讀むことに於て味がある。これは前田君の描寫の手腕のすぐれてゐることを語つてゐる。
 
 歌集などを評する場合、ともすれば困難を感じがちのいはゆる集中の佳作なるものをこの『陰影』からは割合に易々として拔き出して來られる。次に客觀的に描き出されたうちで優れたものを引いて見る。
   二人をば見たる男の眼の光野に秋草の刈りほされたる
   黄ばみたる陸穗畠《をかぼばたけ》を出でてきし女の肩にこほろぎのとぶ
   晩夏の草にいねけり野の中の踏切番の小さきむすめは
   皺よりし古外套をまとひみつかくしに手など入れてみるかな
   何やらむ新聞紙もて包めるを提げたる友の寂しげに見ゆ
(200)   戸の外につきいだされし小娘の泣きなむとしてこらへたる顔
   小皺よりし小さき顔の少年が物をおもへり夏草のうへ
   物を書くわが手のくびの日に燒けて土塊に似る色のかなしさ
   彼の海の魚のさましてひとむらの青木のもとに男のねむれる
   妻がもちし古き時計のやや錆びて振れど動かぬ秋の朝かな
   冬の朝くちなしいろの封筒のひとつ入りある門の受函
   冬の赤き夕日に鳥が死ぬるあり呼吸する胸のふくらみを見よ
   夕ぐれの光をはらみはてしなく海ぞふくらむ灰白色に
   來るごとに物を忘れてかへりける君をかなしく今おもひいづ
   わが妻が女中にものをいひをれりくろばあの青き葉をつみながら
   鉛筆をけづり鉛筆をけづり物思ふ心に光ほとふれきたる
   霧やがて霽るれば山はうすいろの藍をながしぬ日の色恋し
 など、いかにも織細に、いかにも鮮明に、針のさきで刺すやうに描かれてある。斯ういふ種類の詠みぶりになると彼の歌は誠に獨得の光輝を發する。
(201) けれども不幸にして、私は、あまりに慾が深いのかそれとも全然見當違ひかと悲しく自身を省みながら、どうしても斯ういふだけに滿足して居ることが出來ぬのである。單なる寫生ではないか、巧みな構圖に過ぎないぢやないかと、感心して讀んでゐる下から直ぐ思ひ起されて來る。俳句の一面に對して感じがちの不滿までも思ひ起されて來る。
 
 總括や概念から生れるさうですか歌の多いなかゝら鋭い主觀的色彩を帶びたものを拔くのもあまり困難でない。
   このあかるき悲しみのうち新しき二人の世をばかたちづくらむ
   何となき物めづらしき眼うつりに君を愛しぬ君をにくみぬ
   肉親の冷き心こころをば別にさびしと思はざりける
   やるせなくわれとわが身のいとほしく自棄の心を慰さめてゐぬ
   懸命に妻を叱れる愚かなる男ぞと知り苦笑ひする
   曇り日の青草を藉けば冷たかり自愛のこころかなしくも湧く
   久にしてあへば親子のへだたりの思ひのほかに深かりしかな
   寂しきか笑ひもせずにわが顔を見てある妻の顔の眞面目さ
(202)   貪しかる生活のなかに眼ざめ來し君がこころのやるせなからむ
   素直なる心になりていぬる時冬の夜床のなつかしきかな
   牛を見に霜ふみてゆく初冬の朝のこころのなつかしきかな
   世の常の喜びに夙く殘されて靜かなりけり悲しきふたり
 等のうちには流石に何やらむ一脈のらからがあつて脈うつてゐるのを感ぜずにはゐられない。なぜ、その上に薄く被つて居る膜みたやうなものを取りのけてしまはないのだらう。
 
 定められた紙數が盡きた。『陰影』を材料にして投げ出して見たい疑惑は、まだ甚だ多い。私の書いたこれは『陰影』評としては或は多少酷に過ぎてゐるかも知れぬ。或は全然誤解であるかも知れぬ。萬一それであつたならば私は深く前田君に謝せねばならぬ。けれども今は私は少しもさうだと思つてゐない。これは一面私が昨今自分自身の藝術を追求するために烈しい苦悶に陷つてゐることを語つてゐるのかも知れぬ。(二年十月廿五日郷里に於て)
 
     添削と批評
 
(203) 月々私の許に集つて來る人々の歌の中よりとり出で批評を加へ添削を附して見る。
 
   沈みゆく日を見てあれば音もなく秋はゆくらしわれ涙しぬ
 第五句のわれ疾しぬがよくない。この句のために沈みゆく日を見てあれば音もなく秋はゆくらし、といふいかにも靜かな、丁度晩秋の日の夕暮らしいしんみりした調子から、急にあわてふためいて木に竹をついだやうな具合になつてゐる。秋ゆくらしいといふうち見たところの光景印象を歌はうとならば寧ろ終りまで客觀的に歌ひ終つた方がよろしい。それを完全に歌ひ終つたときには、われ涙しぬとわざわざぎごちなくことわらずとも却つて十分にその心持が一首の上に表れてくるのである。サテその第五句を如何するかといふ問題だが、これはその場合に於ける作者當人でなくては完全な改作は出來にくい道理である。私はかりに第四句までの調から推して、鳥もとばなくとか、風も落ちつゝとかしたらばと思ふ。この種類の主觀的客觀的の云ひかたを一首のうちに併合して歌ふ人が可なり多いやうであるが、大方は失敗して居る。見たまゝを歌はうとならば初めから終りまで見たまゝを、心に思ふこと感じたことを詠まうとならば、また全部その態度で行く事が一首の影を濃密にするものである。
 この歌と反對に、悲しいとか嬉しいとかいふことを歌つたあとで、その景物のやうにして何々(204)し居れば秋の風吹くとか樹の葉散るなりとかいふやうな手段をとる人がまだ甚だ多い。これも駄目である。いづれ後ほどその好適例が出て來るであらうからその時また述べる。
 
   ぼんやりと空を眺めて煙吹いて暮れゆく秋を味ひしかな
 氣のない歌である。第一、暮れゆく秋を味ひしかなと云つたところで、その暮れゆく秋の味からしてよく解らないではないか。同じことならばその暮れゆく秋を味ふといはずして、晩秋そのものの味を充分に表はした方がよくはなからうか。
 然しまたこの一首は、ぼんやりと空を眺めて、煙吹いて、といふ所、なほそのぼんやりした調子を續けて、暮れゆく秋を味ひしかなといふあたりに、何となく晩秋のとりとめのない一面の味ひが出てゐないではないとも云ひ得る。それにしても、要するに淺い作たるをば免れぬ。
 
   女こそいと甲斐なけれ亡き父の軍日記を取り出づるにも
   紅の帽ぬふ手悲しき肌ざはりかかるときしも亡き父おもふ
   秋の夜は風吹くままにさそはれぬいざ窓ささむ濕るこころに
 ともすればさうですか歌になりがちな述懷歌にしては、みな相當に重みと深みとを持つてゐ(205)る。小生共の所謂「まことに歌つたもの」であるが故であらう。浮華な心から生れ出なかつたゝめか、言葉も調子もまことにしんみりとおちついてゐる。女こそいと甲斐なけれと無造作に詠み出でたあたりにも秋の夜は風吹くまゝにさそはれぬといとさりげなきあたりにも、言葉にみな作者の心が宿つて居る。紅の帽を縫ふとはどういふ意味か、亡き父君のそれを指すのか、それともたゞ子供の帽子かなどを縫はうとしてその場の囑覺などから急に亡き父のことを思ひ起されたのか、迷ひ易い。特殊のことを歌ふ場合などにはそのことを斷つておく必要がある。
 
   蘇鐵の香る白堊の館にしみ/”\と初秋を見る疲れし旅人(伊勢にて)
   海濱の闇に逃れし山國の男地平に動く海は見たれど
   凝固せし蒼海のやみと我が瞳の怪しく閉ぢて波に微笑む
   柔らかきいたみに瞑る七條の灯の秋の幻を戀ふ
 恐しく大づかみなものゝ云ひかたのしてある歌である。そして無理強ひに自分の歌に同感せしめようとするやうなあくどいところがある。疲れし旅人といふ大まかな言葉では、唯だ一人見知らぬ市街の白堊の館の前に佇んだ寂しい旅人の面影を思ひ浮ぶることがまことに困難である。疲れた旅人といふぼうつとした一種の概念しか頭にはうかばない。海濱の闇に逃れしといふのも解(206)らない。これも一種の概念を寫したものかも知れぬ。地平に動く海とはいかにも肉感的な鮮かな言葉だが、そのあとが……要するにこの一首は解らずじまひである。わざ/\凝固せしとむづかしくいはずとも同じ意味でもつと人間の匂ひのする言葉がありさうなものだと思ふ。波に微笑むもわざとらしい。その次のでは、秋のまぼろしがまた大まかすぎて、捉へどころのない、透徹しないものとなつた。此等の作者はまだ極く年の少い人であるらしい。それ故、私は斯の種の缺點の多いのを敢てとがめたくない。寧ろ一種の期待を持つて接して居る。これらに以上いふやうなあらはな缺點が影を消して來たときには、他と異つた光を放つ作品とならうかと思はるゝふしがあるからである。第一はいかにも印象的であることである。第二は此等ぎごちないなかにもいかにも血の氣が溢れてゐることである。(もつとも茲に引いた三四首だけでは、此等の言葉は或は可笑しく聞えるかも知れないが)、希くば今少し自分を引き留めて歌つてほしい。あまりに逸つては駄目である。幼い概念の具體化などをも止めにする方がよろしい。いま假りに第一の歌を改めて見よう。先づ歌はむとする印象の中心を定めねばならぬ。若し、單に旅行の途次に斯う/\した事に出會つた、いかにも鮮かにその蘇鐵が眼に映つたといふのならば、
   伊勢の旅とある白堊の舘のうちに茂る蘇鐵を見て過ぎにけり
 とでもすれば、よほど原作より混亂することなくその旅の日に於ける作者と歌はれた蘇鐵の影(207)とがはつきりと一首の上に浮んで來るであらう。若し又これがその蘇鐵を見たことによつて急に旅の日の自分の疲勞などを思ひ出したといふのならば、
   ふと見たる白堊の館の大蘇鐵旅倦みし身に匂ふ秋の日
 など、置いて見たい。旅のうちに秋が立つたなアといふのならばまた多少改める必要もある。何れにせよ、先づ歌はうとする一首の核心を定めて、それに向つて純粹な透徹した心を集める心がけが必要である。漫然とたゞはしやぎ切つたのではよろしくない。
 
   秋はよし秋はよきかな青きそら色づきしままに夕暮となる
   秋行くか野菊ひとりが屋根裏に涙ににじみ夕暮に散る
 青きそら色づきしまゝに夕暮となる、といふしつかりした景情の上に置くべく、秋はよし秋はよきかなはあまりにはしやぎすぎてゐる。まるで手拍子を打つてゐる形である。その言葉のみが、糸の切れた凧みたやうに空に浮んでゐるのを感じませんか。ぴつたりと肉身が言葉に密着しなくてはよろしくない。野菊の歌も何となく粉つぼい。前のと同じく充分に血の氣の通つてゐない憾みを感ぜざるを得ない。これは咏まうとするときの作者の心に隙のあつたためである。ぴつたりとその歌はうとする心持に浸つて、また他念なくそれを言葉に移したとき、斯の弊の生ずること(208)は先づ殆んど稀であらう。そしてこの一首を仔細にふ調べて見ると手法の上にもだいぶ缺點がある。餘りに句がきれ/”\になつてゐる。秋行くかで切れ、野菊ひとりが、屋根裏に、で切れ、涙に浸み、で切れ第五句に及んで居る。切れるのもいゝが、各句とも甚だだれてゐて力が薄い。屋根裏といふ言葉もちと曖昧である。屋根の上に咲いてゐるといふ意か。俗に天井裏といふ、異つた部屋に挿してある意味か。また野菊が散るといふのも無いことはないであらうが、先づ菊といへば散るといふより末枯れる姿が我等には親しいではないか。野暮なことを詮議だてするやうだが、先づその位ゐの心の準備はあつてほしいものである。前の一首の一、二句を直して見ようと思つたが、此等は幾らにも直しやうはある。右云つた言葉を頭に置いて御自身改めて御らんなさい。後のを改めるとなれば根本から作り代へねば駄目だし、それでは無意味だと思ふから止しにする。
 
   いや深うひとのしのばれ泣き明す夜ごろもしげきこの若き身ぞ
   日もすがら何をなげくやこほろぎよひとしのぶ身に涙あらすな
   よしやわれうもれ木の身となりぬとも十八の戀わすれもえめや
 いづれも調子はいゝ。而してみなうはの空で歌つてある。調子のいいのに自分からぼうつとな(209)つて、何をいつてるのか自分でも解らないのではありませんか。勿論讀者の方には此等の中に述べられてあるやうな愁嘆などつゆばかりも通じはしない。
 
   しめやかに秋雨つづけばわが胸のうつろにたまる寂寥の水
   青き星まだらに散れるそらのもとわがたましひのひとり歩める
   百舌鳥の聲聞かむと入りし林には影さへ見えず死を思はするかな
 巧みでもあり、上品でもあるが、歌に人間の匂ひがしない。自分といふものから離れて作られた作品、あまりに幼い抽象味の勝つた作品だと思ふ。今少し自己をあけ放して――心構へを除いてから咏まれたい。
 
   母人は憂しやけはしき眼を見はるわが許されし女のまへに
   束の間も二人が口をきくにさへ心置きたる六月のこしかた
   許されし二人の前に仰ぐにはあまりけはしき母のまなざし
 
   弟妹が片手にあまりおめ/\と亡父《ちち》の命を金にせばめし
(210)   小姑に母は泣かされ生家より子にひかされてよく戻りくれし
   亡父のよすがも小姑多き家に嫁ぎ恙あらせず見とどけし母
 共に一家内の出來事を歌はれたものである。前の三首は若夫婦が母に對する事件と了解出來るが、あとのはそれより一層こみ入つたことゝ推察される。前號にも云つておいた通りこれでは自分だけに解つて他に通じない、例のさうですか歌の一である。よし、事の道すぢだけは解つても、歌つた人のさういふ心持になど到底同感出來るものでない。單に思ふことを三十一文字中に述べ得たことを以て安心してはいけない。述べた效果の――單に述べるといふだけでは歌でないことを前號にも説いたと思ふが――如何を虚心平氣になつて自ら省察する必要がある。
 
   幻は消えて新らし御社の年ふる杉に初日昇りて
   君が代の具現なるらん御社の高根の杉に昇る初日は
   御社の神代杉の初日影治まる御代の權化とも見ん
   千歳ふる社頭の杉の初日影君が御代とも基調するらん
 芽出度い新年御題社頭杉の歌である。第一番目のは寓意の作であらう。つまりまぼろしといふのが「過去」であり、めでたくないものであり、初日はそれを拂ひ除き得る希望であり、めでた(211)いものであるのであらう。解るには解るが、これを讀んで我等の多くは眞實その芽出度い喜ばしさを感ずるであらうか.第一作者はどうであらう、心からさう感じて歌ひ、今でもこの歌を見てきう感ずるであらうか。邪推であつたら許して頂きたい。私はさうではないと思ふ。少くとも、どうだ、おめでたからうといふ位ゐの程度のものかと思ふ。而して我等讀者の方ではその幼推、そのわざとらしさのみが目に立つて、めでたいどころの騷ぎではないのである。然し、右の邪推なら云々は眞實であつて、作者はこの一首を咏み、眺むることによつて、心からこの一首に歌はれてあるやうな喜悦と祝福、乃至作歌の滿足を感じてゐるのかも知れぬ。若しさうであつたならば私は作者に對して誠にお気の毒に思はざるを得ないのである。即ちさうした作者の現在を我等はまこととは思はぬ位ゐに遠く離れて眺めてゐるからである。そして、少くとも我等の知識は作者の立場より我等の立場の方をずつと高い正しいものと見ることを命じてゐるからである。斯うなれば一面歌のよしあしは第二になつて、人の問題になつて來る。即ち斯うした低い趣味、幼稚な滿足に停滯してゐることをやめて、もつと高い地位にまで進むやうに自己を訓育してほしいといふことになつて來る。第二第三第四、悉く然うである。具現、權化、基調などゝいふ言葉が却つて作者は得意なのであらうが、とんでもないことである。此處に細説するをやめ作者自身の再考と自覺とを促したいと思ふ。
(212) 元來私はあまり添削といふことをしません。單に批評だけ加へて、先づ内容及び修辭の上に自覺を促し、その上各自に推敲を重ぬるやうに希望します。技巧もですが、先づその歌を作る心の本體を作つておかねばならぬと思ふからです。
 
   白う寄す波打ち際の破船の上に金鎚の音悲しかりけり(原作)
   しらじらと波寄る濱の破船の中に金鎚の音悲しかりけり
 靜かな歌です。原作の上句に少々無理もあり云ひかたがうるさかつたので改めてみました。第五句も悲しう起るとしたらと思ひましたが、どららでもいゝでせう。
 
   ふりかへり吾が足あとを消す波を見て恐しく思ひけるかな
   今朝よりの風おさまりて夕まぐれ赤き波立つ赤き波立つ
   舟人よ、荒浪のなかに傾ける汝が船體の悲しからずや
 三首とも前の破船の歌と同じ作者です。いかにもうひ/\しい子供らしい心の表れたのを悦びます。この純粹なこころもちを失ふことなく、すまさず氣取らず進んでほしいといのられます。(213)「舟人よ」の一首は前の二三の歌から續いて讀むからいゝ氣持で讀みました。この一首だけ離れてゐたらいかにもわざとらしい幼稚なものに見えるかも知れません。
 
   荒れ狂ふ海邊に立ちて泪ぐみ歌の集見るあはれなる子よ
 これはいけません。歌の集見るあはれなる子よと云つて作者自身にはその場合の心持が充分に解るかも知れないが、他の讀者には駄目です。まがひもない例のさうですか歌です。
 
   哀れなる逃亡の子獨り町ゆけば多くの犬のあとを追ひゆく
 これも右同斷。あはれなる逃亡の子と言つても何やら解らず、そのあとを犬がくつ着いてゆくのも要領を得ません。つまり、逃亡の子といふやうな文字面やまたは事實に興味を持ちすぎ、それにあまえたやうな態度で歌ふから斯ういふことになりやすいのです。それに例のさうですか歌になる資格として、いかにも表面の叙述にのみ留つてゐるではありませんか。
 
   美しき歴史を持ちしこの人も髑髏となり何も云ひ得ず
 同じく左樣ですかの一つ。第一斯んな悟りすましたやうな理窟をいふのはおよしなさい。云つ(214)てみたところで仕樣がないでせう。
 
   花は咲く月下香《チユーベローズ》の花は咲く君忘れずや固き誓を
 美しい文字は並んでゐるが、要するに氣のぬけた麥酒です。それに今では一寸そこらに見あたり兼ねる位ゐの月並ものです。作者も本氣にこんなことに出合ひこんなことを感じて咏んだのではなく、多分その場のつくりものなのでせう。
 
   秋深し悲しき者は今日もまた森の落葉を踏みにゆくなる
   靜けさを慕ひ泣くべう來し森のあまり明るき秋の午後かな
   忍び啼く鳥の瞳に漂へる不安の影よ落葉する森
 みな相當に出來てゐます。けれど少しも生氣がない。平板に過ぎ、至つて粉つぽい。また一面のつくりものではないでせうか。
 
   耕せる土にほか/\日の照りて十月の畑に農夫のかなしさ(原作)
   耕せる土にほか/\日の照りて農夫の身に秋はかなしき(改作)
(215) 靜かな歌です。下句原作はいかにも説明がうるさすぎますので改めました。農夫はたづくりと訓むのです.
 
   鼻を煩ひて痛くさびしう遠近の秋の哀れを戀しう慕ふなり
 なんといふうるさい、そゝつかしい歌でせう。まるで眼をつぶされたとんぼが部屋の中で跳び廻つてゐる形です。何でも彼でも思つてることを(或は思つてゐるかも知れぬことを)べちやべちやにしやべつてしまへば新派の歌になると思つてる人ではないかと思はれます。
 
   病みてあり暗き頭よと黙してふるふ夜半は冷く/\潤ふ
 讀んでゆくうちに何が何やらさつぱり解らなくなつてしまひました。一體何を歌ふつもりだつたのでせう。これらはみな歌はむとする對照物とその時の自分の心とをしつかりときめないで、たゞもう無闇に先走つて歌つたゝめ、斯うなつたのです。畫をかくにも先づ構圖といふことをします。詠まうとする最初に當つていかにその場の心が燃え立つて居やうとも一先づ自らその心を靜かに省みて、それから言葉に移すことを心がけてなくてはなりません。ありのまゝをふいふいと吐き出すことは却つてそのありのまゝを傷けがちなものです。
(216)   繙けば亡き面影の髣髴す君が香高しページページに
   黙契す君の別れの一雫戸板の上のそのまなざしよ
 君が香高しと肩をそびやかした姿も、この場合ふさひかぬる音調ですし、髣髴す黙契すはお役所の報告書と間違ひやすく、君が別れの一しづくは一寸端唄を偲ばせます。歌はれた内容とそれに應ずる用語の用意のかりそめならぬことをよく考へてほしいと思ひます。
 
(217) 和歌評釋
 
   『雲母集』の歌
 
 專ら初歩の和歌愛好者のため本號以下引續いて和歌評釋の筆を執らうと思ふ。一はひろく和歌といふものを知らしめむため、一は之を詠む人の參考にもならうかと思ひ立つたのである。本號には北原白秋著『雲母集』の中から引いた。同書は大正四年八月の出版である。
 
   大鴉一羽渚に黙《もだ》ふかしうしろにうごく漣《さざなみ》の列
   大鴉一羽地に下り晝深しそれを眺めてまた一羽來し
 前の一首。大鴉が一羽渚にぢいつと下りて居る、そのうしろにはあとから/\と幾重とも知れぬ漣の列がさら/\さら/\と寄せては引いてゐる、といふのである。黒光りの大きな鴉がた(218)つた一羽、物音ひとつせぬ寂しい濱にひよつこりと下りてゐる、そのうしろには遠淺になつた靜かな海にきらきら光つた漣の長い列が幾重となく白い線を引いて寄せてゐる、そのしいんとした景色がよく鮮かに一首の上に現れてゐると思ふ。
 後の一首。大鴉が一羽地に下りてゐる、その一羽の鴉の姿にも如何にも晝の更けたのが現はれてゐる、其處へまた一羽何處からともなく大きな鴉が下りて來た、といふのである。二羽の鴉を點出することによつて、更け沈んだ眞晝の靜けさ、而かも何點となく力の動いてゐる靜寂が充分に歌はれてゐる。
 
   日ざかりは巖を動かす海蛆《ふなむし》もばつたりと息をひそめけるかも
 同じく眞晝の靜寂を歌つたものである。海岸の巖の上に群れてゐる無數の海蛆がうじや/\間斷なく動き廻るためにまるで巖そのものが動いてゐるやうにも見えてゐた、が、流石にこの日ざかりには彼等もばつたりと息をひそめて動かなくなつた、巖も漸く巖の姿に歸つてしいんと靜まつたといふのである。單に干乾びた靜寂でなく、なま/\しいそれの氣勢の見えてゐるのがありがたい。巖を動かす海蛆も、大まかに云つてゐるあたりに云ひ知れぬ味ひがある。
 
(219)   日の光ひたと聲せずなりにけり何事か沖に事あるらしや
 深味を説くことの困難な一首である。
 じい/\と燃え入つてゐた日光が、ひたと鳴りをしづめた、いま、沖邊では何か事が起つたのではなからうか、といふ海邊に立つての一首。日の光に別に聲のあるわけでは無いが、照りに照つてゐる時には如何にも音でも立てゝ照り輝いてゐるやうに見ゆるものである。其處へ突然何かの調子――作者の心の調子で、はたとその聲が斷え果てたやうに思はれた、サテは何か何處かで物事でも起つたらしい、と急に眼さきの暗くなつたやうに騷ぎ立つた心を眼前のしいんとした景色を背景にして歌つたものである。餘りの靜けさに驚いてわけもなく騷ぎ立つ心、さうした事はよくあるものである。それを何の説明をも用ゐずに斯う明かに歌ひ出してあるのである。
 
   ひとり來て涙落ちけりかきつばたみながら萎み夏ふかみかも
 杜若が皆しほれて咲いてゐる、きて/\夏も更けたことであるわいと(夏深みかもは夏が更けたからであらうかといふ程の疑問の心を含んだ感嘆)眼の前の花に對しながら、其處にしよんぼり立つてゐる自分自身のうら淋しい姿に思ひ及んで自然に涙を零した、といふ意。
 
(220)   しん/\と寂しき心起りたり山にゆかめとわれ山に來ぬ
   海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて來ぬ
 おちつかぬ、護謨鞠のやうな心もちがそのまゝに出てゐる。言葉にも調子にもその心もち以外に不純なものが少しも附いてゐない。
 
   かぢめ舟けふのよき日にうちむれていちどきにあぐる棹のかなしも
 かぢめ舟はかぢめを取る丹、それが幾つも/\ひとゝころに集つてゐて、かぢめを取るための長い樟までが一緒にきら/\日に光りながら並んで海から上つて來ることもある、麗らかなひかりの中にその濡れた棹どもの動くさまが如何にもあはれに見ゆるといふ一首。靜かな、明かな、物あはれな歌である。
 
   石崖に子ども七人腰かけて河豚を釣り居り夕燒小燒
 夕燒小燒はよく子供たちが夕燒のした時に唄ふ歌である。それをそのまゝ持つて來てあるのだが、それがいかにもよく調和してゐてわざとらしくない。わざとらしくないのみならず、その句のあるために夕燒小燒のした海邊の崖に多くの子供がいつしんに魚に釣り入つてゐる景色がはつ(221)きり水の滴るやうに歌ひ出されてある。
 
   波つづき銀のさざなみはてしなくかがやく海を日もすがら見る
 波の續く限り、海には漣が立つて居る、靜かな日、その漣はみないちやうに白銀色に輝いてゐる、いつまでも何處までもその漣の輝いてゐる海を終日眺め暮した、といふ一首。病床吟とあるが、いかにもその病床に在る作者のさまも見えるやうだ。
 
   音もなき海のかたへの麗らなるわが屋の下のさざなみの列
   麗らかや此方へ此方へかがやき來る沖のさざなみかぎり知られず
 音もなき海、浪も立たず油のやうな海、海のかたへのわが屋、いかにも廣大な海の傍に小さく住みすましてゐる小さな家を思はせる。麗らなるわが屋、日あたりのよい風も強くはあたらぬ家、その家に在つて見下せば果しもない海原は凪ぎに凪いで、たゞ眼の下の石垣のほとりにのみ麗らかなさゞなみが立つてゐる、といふのである。次の一首も、よく解るであらう。
 
   うつらうつら海に舟こそ音すなれいかなる舟の通るなるらむ
(222) 講釋しにくい一首。
 うつらうつら聞ゆるともなく舟の行く音がする、さて/\このうち煙つた夢のやうな沖津邊をいかなる舟の通つてゐることぞ、といふのだ。繰り返し/\てんでにひとりで讀んで見たまへ。自らこのゆめの世界に引き入れられてゆくに相違ない。
 
   漕ぎつれていそぐ釣舟|二方《ふたかた》に濡れて消えてゆくあまの釣舟
 今まで寄り添うて漕いでゐた二艘の舟がやがて二方に分れたと思ふと、まもなく見えなくなつた、海には烟の樣な雨が降つてゐるのだ。
 
   蕪の葉に濡れし投網をかいたぐり飛び飜《かへ》る河豚を抑へたりけり   蕪の葉に濡れし投網を眞書間ひきずり歩む男なりけり
 海ばたの蕪|畑《ばたけ》、その上に今うつた投網を引き上げて中の魚をつかみ出してゐる所である。血の滴るやうな、といふ言葉があるが、ほんとにこれなど血の滴るやうな新鮮と明瞭とを持つた印象深い歌である。見たそのまゝ、感じたそのまゝが、ぴつたりと紙の上に歌の上に、こぼれ出てゐる。
(223) 今囘はこれでよしておく。
 念のために云つておくが、これを見てこれはなるほど佳い歌だ、早速乃公も眞似てやらうなどといふ不心得を起しては甚だよろしくない。この『雲母集』の著者の歌境などは容易に眞似られるものでない。唯だ斯ういふありがたい歌の境地があるとだけ知つておいて、よく/\その妙境を噛み味つて欲しい。さうすれば自然また其處からそれぞれの人の歌の境地が生れて來るに相違ないのである。上すべりのした讀みかたや眞似かたをするのは誠にその人にとつて損なことである。
 もう一つ云つておきたいのは、本誌に限らないが此頃の投書家諸君の歌は多くみなこせ/\した、氣取つたものばかりである。正直な、放膽な作は極めて少ない。さういふこせ/\した人たちは此處に引いた歌を見て、いかにその正直で、自然で、自由であるかを――さうしてまたそれらの歌が如何に深い味ひを持つてゐるかに注意してほしいものである。
 
     『桐の花』の歌
 
 「桐の花」も北原白秋氏の歌集である。いまその一册のなかゝら、眼についたものを引いて評釋を試みる。
 
(224)   春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕
 春の日の暮方、どの窓をも閉めきつた室内はまるで古い葡萄酒のやうに重く明るく澱《おど》んでゐる。机も椅子も、書棚も、厚いみどりの窓帷《まどかけ》もみなしつとりと靜まりかへつて、何ひとつ動くものも、音を立つるものもない。
 たゞ一つ、籠に飼はれた一は羽の小鳥が、いまは早やこの場の靜寂に耐へかねて白銀のごとく鋭く透き徹つた音色で、寧ろけたゝましく鳴き立てた。椅子に身を埋めて物思に耽つてゐたこの室の主人は、驚きながらも惱ましくその小鳥の方を見あげて、鳴くな、鳴くな、愛する小鳥よ、今しも日は暮れかけて、見よ、あのやうに戸の面の春草《わかくさ》に眞赤な夕日が流れてゐるではないか、どうぞこのまゝこの惱ましい靜けさのなかに私を沈めておいてくれ、と鳥に向つて云ひかけた風に歌つてある。
 この鳥が籠の鳥であるか、または血のやうに春の夕日の流れそゝいでゐる戸の面の草原で鳴いてゐる鳥であるか、明かでないが、一首の調子気分から見てこれは主人と同じく室内にゐるものと見る方が適當のやうである。この歌の第一の長所はその調子の張り切つてゐる所にある。いかにもその場の情趣そのまゝを見るやうな、惱ましい緊張がある。聲に出して歌ふ事によつて、斯(225)んな歌は益々佳くなつてゆく。
 
   しみじみと物のあはれを知るほどの少女となりし君と別れぬ
 筒井づつふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずして誰か撫づべき、といふ伊勢物語のなかの一首を想はせられる歌である。子供同志のころは何の氣もなく、たゞ/\仲好く遊び暮して來た、けれどもお互ひいつまでも子供で居るものではない、短かゝつた黒髪もいまは丈なす美しさとなつて來た、徒らにただ君よ我よと言ひ交して睦んでゐた二人の胸に今は等しく物のあはれを知る心が芽ぐんで來た、羞かしいといふ心も萌えた、お互にさきの心を讀まうとする瞳も開いた、人目を怖れる習ひもついた、その間に冷たい「時」は次第次第に進んでゆく、そしていつとはなく自身の願ひとは反對にうと/\しくもなりゆいて終にはもう全く縁のない路傍の人同志になり了つたといふ哀感を歌つたものであらう。
 世間ありがちの出來事ではあるが、斯うしなやかに歌ひ出されて見ると、また全く別種の深い味ひが出て來るではないか。
 
   ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも
(226) 同じく調子の勝つた一首。
 赤々と春の日はさし、春の川瀬はさら/\と淀みもなく清らかに流れてゐる。その川瀬の、あの水ぐるまの廻りやうは!
 春の夕日にきらめきながら、やまず/\もめぐつてゐる水車のすがたはさることながら、讀者は更にその水車に向つて一途に瞳を輝やかせてゐる作者のその時の心をも掬まねばならぬ。
 
   かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし
 戀人の瞳の美しさを讃嘆した一首である。
 かれこれと詮議だてしての讃美でなく、たゞもう一途に、斯くまでも黒くかなしき色やあると打ち出でた邊に云ひ知れぬ熱や力がこもつてゐる。かなしきは普通に謂ふ悲しみでなくその底に愛でいつくしむ哀慕の心をこめたかなしさである。
 
   黒燿の石の釦をつまさぐりかたらふひまも物をこそおもへ
 美しい冷たいこの黒燿石の釦をつまさぐりつゝ、何氣なくお話をば致してゐまする間でさへも、胸の底ひは抑へかねた物おもひに燃えてゐるのでございます、といふ一首。
(227) 言葉には出てゐないが、何となくその歌のかげにはかすかな怨みも含まれてゐるやうである。黒燿の石の釦などといふあたりにその人の若さ美しさなどもしのばれる。
 
   寂しき日赤き酒とりさりげなく強ひたまふにぞ涙ながれぬ
 これも戀の歌。
 いろ/\に思ひ餘つて、今は故知らぬはかなささびしさに囚はれてしまつてゐる。それを知つか知らずでか、傍らの瓶をとりあげてたださりげなく酒を強ひる女のさまを眺めて耐へかねた涙は終に頬にあふれ出でたといふのである。 卓子か何かを中に差向ひになつてゐる二人のさまも見え、きれいな歌ではあるが、多少芝居がかつた所があつて、間違へば厭味になりさうだ。
 
   ゆく春の喇叭の囃子身にぞ染む造花ちる雨の日の暮(淺草にて)
 時は暮春、淺草の人ごみの中にもどことなくその季節のなやましさは浸み渡つてゐる。その群衆に立ち混つてゐると、折も折、何處かの家で吹きたてた喇叭の囃子が聞えて來た、聞き馴れたそれすらも今はいかにもしみ/”\と聞きなされるといふ一首である。
 
(228) 造花《つくりばな》散る雨の日の暮といふ背景がいかにもよく利いてゐる。生花でなくてつくり花といふのにその場やその時の情趣が殘りなく表れて、姿も心も清新な歌である。
 
   けふもまた泣かまほしさに街に出で泣かまほしさに街よりかへる
 言つてはないがこれも暮春の歌であるやうに思はれる。そして例の調子の張り切つた歌である。この作者は實に自由に、言葉といふものを自身の心と同化させる人である。言葉そのものが直ちにその人の悲哀となり、心の韻律となつてゐる。だから、この歌など、何にも云はずに唯だ獨り聲に出して歌つてゐると、自から其時の作者の心と一致してゆくやうに感ぜられる。
 
   癈れたる園に踏み入りたんぽぽの白きをふめば春たけにける
 何といふ上品な、美しい歌であらう。つと、とある庭園に踏み入れば、そこらにいつぱいたんぽぽが咲き亂れてゐた、その花を踏みつゝ立つてゐると、嗚呼もう春も暮れるのだといふ暮春の感じが油然として胸の底から湧き上つて來る、といふのである。
 例によつて言葉に一分のたるみもない。踏み入ればなどゝいふのも決して不用意に使はれたものではない。單に入り行きなどゝいふのでなく踏み入りとあるので其時の作者の心が何かしら思(229)ひ昂《たかぶ》つていら/\してゐたらしく感ぜらるゝ。白きをふめば春たけにけるといふのでもそのやゝ硬い古風な云ひかたのなかに云ひ知れぬ緊張、しいんとした氣持が含まれてゐるではないか。
 
   病める兒はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出
 もろこし畑には青い幹と葉とを思ふさま生ひ伸ばしてあの植物が高々と茂り合つてゐる、夏の初めの靜かな夕方で、その葉さきにはもう露でも宿りさうだ、折しも月はこの廣漠たる平原のはての低い空に漸く黄ないろを鮮かにして照りそめやうとしてゐる。其處へ一人の少年が佇んでゐる、頭や兩眼のみ徒らに大きい手足の細い、いろの蒼い病兒である。晝間からたつた獨りでしきりにほそ/”\とハニモニカに吹き入つてゐたのであつたが、斯う既《も》う夜にならうとするのに一向氣もつかぬげに尚ほしんみりと幼い單調な樂器を唇頭から離さうともしないといふ叙景の歌。同じことでもたつぷりと新味が湛へて歌はれてある。
 
   太葱の一莖ごとに蜻蛉ゐてなにか恐るるあかき夕暮
 葱がきかんに生ひ伸びて、廣い畑はまるで箱庭の林のやうになつてゐる。その葱の青い穗さきに殆んど必ずのやうにそれ/”\蜻蛉どもがとまつてゐる。人もゐず風も吹かぬのに、何ものをか(230)恐るゝごとく、ふい/\と皆が互にその穗さきからまひ立つてはまた來て止る。赤い夕陽は今しもその畑に油のやうに濃密な光線を溢るゝばかりに投げてゐる。
 
   青き果のかげに椅子よせ春の日を友と惜めば薄雲のゆく
 木立の深い庭園に、背い果實をつけた一もとの樹があつた。そのかげに椅子をよせて、親しい友と共に言葉も少く暮れゆく春を惜みかなしんでゐると、木の間に透いて薄い雲がしら/”\と盡きず盡きず流れてゐる。
 
   啄木鳥の木つつき了へて去りし時黄なる夕日に音を絶ちしとき
 とある一瞬の印象が、甚だ鮮かに歌はれてある。
 大きな老木の、幹の皮さへ朽ちかゝつたのに一羽の啄木鳥が來てしきりとその木肌をつついてゐた。そして既う充分にお腹も滿ちたのか、或は早やその蟲を啄み盡したか、ふいとその幹から飛び立つた。とぴ立ちながら一聲或は二聲、短く鋭い聲をふり立てゝ啼き去つた。折しも其處ら老木の立ち並んだ木立には今しも沈まうとする夕日が一面に黄く散り布いてゐた、といふのである。
 單に其場の景色や出來事を、短くありのまゝに述べたゞけで、靜かだとも寂しいとも美しいと(231)もいつてゐない所に却つてそれ等いろ/\の複雜した情趣が力強く浮んで來てゐると思ふ。さういふ場合だけに少しも冗漫な口調を用ひてない。きつつきの木つつき了へてといひ、去りし時、絶ちし時といやに重複してゐるやうであるが、うまく疊みかけて云つてゐるので却つて緊張を覺えしめてゐる。
 
   草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寢て削るなり
 萌えたつた若草の上に寢ころんで赤鉛筆を削りだした、ほろ/\とその柔かな草の上に散つてゆく赤い粉末のあまりにも美しいのに心を惹かれて、今はもうたゞそのためのみにせつせと鉛筆を削つてゐる、といふ一首。
 うつつなくその草にその粉に心をとられて、ぢつとしてはゐられないやうな氣持になつた時の作であらう。序詞見たいにしてこの歌の初めに作者自ら
   草に寢ころべ
   草に寢ころべ
 としてゐる。
 
(232)   干葡萄ひとり摘みとりかみくだく食後のほどをおもひさびしむ
 卓に獨り、食を終つた。たべるともなく摘みとつて干葡萄を噛み碎いてゐる間に、故知らぬさびしさが早やひそ/\と身に萌えそめて來る、といふ若き日のさびしさを歌つたものであらう。
 
   カステラの黄なるやはらみ新しき味ひもよし春の暮れゆく
 この作者は今まであまり他の歌つてゐなかつた食物についてよく歌つてゐる。そして何れも新味に富んでゐる。新しいカステラ、やはらかなカステラ、うまい美しいカステラ、獨り、(と斷つてはないがそんな氣がする)しみ/”\とその菓子を愛で味つてゐる若者、うつとりとしみ/”\と春の暮れて行かうとする折からの季節、それらを噛みしめてこの一首を味はつてほしい。
 
   いつしかに春の名殘となりにけり昆布干場のたんぽぽの花
 或る海邊にての作。
 ぶら/\と散歩の途か何かに、と或る荒磯の昆布干場に行きあつた、ふと見るとそこらに一つ二つとたんぽぽの花が咲いてゐた、おゝもういつかこれが春のなごりとなつたのかなアといふ意味であらう。單純な歌ではあるが「桐の花」の中でもこれなどは最も私の愛誦する一首である。(233)昆布のとれるところいへばどうせ荒磯である。その干し場の砂の上か岩の上か、いづれにせよとげとげしい荒砂か、眞黒な岩かと見ていゝであらう。其時昆布が干してあつたか如何《そう》かはとにかく、いづれ昆布のきれや貝がらがそこらに散亂してゐる所に相違ない。渚には可なりな浪が斷えず碎けて居り、霞みながらも沖の方には大きなうねりが動いてゐる。其處へぼんやりと立ち入つて見ると、これはまた思ひがけなく黄な花が砂をあびてそこ此處に咲いてゐた。過ぎ去つた春を思ふこゝろに燃えてゐる眼にその二三の可憐な花が、はんとにどんなに強く映つたことであらう。いや/\、斯ういふ冗《くど》い説明は不要としても、何といふしんみりとした、底さびしいこの一首の調子であることぞ!
 
   野薊に觸れば指《をゆび》やや痛し汐見てあればすこし眠いたし
 歌の初めに、春愁極りなしといふ序詞を添へてある。前のたんぽぽの一首に續いて同じ時に出來た歌らしい。
 同じく海邊、おなじくゆく春の惱みの天にも地にも滲み渡つてゐる季節、やるせなさに野薊に觸つてみれば指が痛く、流れて止まぬ沖邊の汐の光れる方へ眼をうつせば眠が痛むといふ、身の置きどころのないやうな場合の歌である。
 
(234)   洋妾《らしやめん》の長き湯浴をかいま見る黄なる戸面《とのも》の燕《つばくら》のむれ
 洋妾といへば、何かは知らず寧ろ気味のわるいほど一種妖艶の女性を我等にしのばせる。その妖艶な放縱な一女牲がいつまでも/\湯殿から出て來ない、微かに/\湯を使つてゐる音のみは聞えてゐる、ゆく春のゆふぐれがたのどんよりと、黄に澱んだ日光はその湯殿を包み※[よんがしら/卓]めて照つてゐる、その日光のなかを、湯殿のめぐりをあれあのやうに燕の群がとんでゐるといふ意味であらう。かいま見ると云つても別に燕が覗いてみるわけではあるまいが、宛らそのやうにつういつういと軒近くとんでゐる敏捷な美しい小鳥をよく活かすためにわざと斯う云つたものであらう。
 
   ものづかれそのやはらかき青縞のふらんねる着てなげくわが戀
 戀づかれとでも云はうか、今はもう戀しい悲しいの心のほかに、何かは知らず物憂いやうな思ひがいつとしもなく身に添うて居る、その柔らかな倦みごゝち、それは丁度いま私の着てゐるこの青縞のふらんねるにも似たやうな、といひながら尚ほ際知らず物思ひに沈んでゆく。
 
   惱ましく廻り梯子をくだりゆく春の夕の踊子がむれ
(235) 踊りつかれて、身もたよ/\と汗ばみながらかき噤《つぐ》んで、物々しい螺旋梯子を下りゆくうら若い舞妓の一群、――晝の踊りはいま終てたのである。
 
   ただ飛び跳ね踊れ踊子|現身《うつしみ》の沓のつまさき春暮れむとす 現身の沓のつまさき、――狂ほしくも踊りに踊つて早やつまさきはぢり/\と痛むがまでになつてきた、もつと/\踊れ、痛め、それ、お前の踊つてゐるつまさきから、それ、ちろ/\と春は逃げて行かうとしてゐるではないか、といふほどの意か。飛び、はね、踊つてゐるやうな一首の調子は惻々として我等にまでその爪先の春の痛みを傳へて來るやうである。
 
   くろんぼが泣かむばかりに飛び跳ねる尻ふり踊にしくものはなし
 泣かむばかりに現なく、たゞひたすらに踊り入つてゐる一人の黒人、光るやうなその黒人、その黒人の踊りにまさる物のあはれがまたとあらうか、といふ歌か。即興の、單に一途に興じ去つた歌であらう。けれども、愚かな、眞黒な一人の男が何かの情にかられて現なく埒もなく踊り狂つてゐるそのさまをふいと眺めて、くろんぼが泣かむばかりにとび跳ねる尻ふり踊にしくものはなしと、歌ひいでたあたりに云ひ知れぬ人間の哀惜が溢れてゐると思ふ。
(236)   わが世さびし身丈おなじき茴香も薄黄に花の咲きそめにけり
 いゝ歌だ。うつら/\とわが世さびしく思ひ沈んでゐるものに、この茴香もいつしか花をつけて來たといふ歌であるが、單にさういふだけでなく、日ましに丈の延びてゆくあの青い晩春初夏の草、――それを日毎に眺めてゐた作者――とかくするまに、その茴香はいつか自分と同じ背丈にものびて來て、たうとうあの樣な花が見えそめた、見るもの聞くもの、いよ/\我が周圍はさびしくもなりまする、といふやうな複雜な意味がこもつてゐると思ふ。
 
 『桐の花』の歌を引くことをば、以上で止めておく。以上數首引用した歌によつて、その作者の詠みぶりのどんな風であるかは、大方に推察のついたことゝ思ふ。目に見、耳に聞き、手に肌に觸れたそのまゝをたゞ只管に詠みいでてゐるところに、冒す可からざるちからが生じて來てゐるのである。この人の作には一切もう理窟もなく思索もなく、切端迫つたその場の感情や、身に觸れて出る一途の官能によつて常に歌が生れてゐる。さうある事は元來人間本來の姿であつたがためにその詠出しの眞に迫つて出て來た時の作には、實にもう注釋のつけやうもない、所謂押しも押されもせぬ立派なものとなつて出て來る。極端な複雜と極端な單純とが一緒になつたやうな形(237)である。それが一歩誤つて多少強ひて作爲せられたときの作となると、いかにも幼稚な、わざとらしい、厭味のものとなつてしまふやうである。茲にはその佳作と認めたものゝみを拔いた。
 
     『啄木歌集』の歌
 
 『啄木歌集』は故人石川啄木君の遺稿中その短歌を輯めたものである。明治十八年に生れ、同四十五年の春肺を病んで東京小石川で亡くなつた。幼い頃から人なみすぐれた秀才であつたと聞く彼の短い一生は、多く不遇の裡に過ぎてしまつた。曾ては稀有なる天才とまで地位ある人々に讃へられ、やがては田舍の小學校代用教師、または地方新聞の記者などに不本意の日を送りつゝ、亡くなる時は某新聞の校正係といふ地位にあつて永久に眠り去つたのである。さうした境遇に在つて歌つてゐた彼の歌が、果してどんなものであつたか、次に數首を引いて見よう。要するに彼の歌には、世に謂ふ歌の趣味とか歌ごころとかいふやうな似而非高尚優美な所などは少しも無かつた。寧ろ、眞の無垢玲瓏な人生といふものが歌といふものゝ形をかりてその姿を現はしてゐるといふが適當であらうと思ふ。
(238)
   新しき明日の來るを信ずといふ
   自分の言葉に
   嘘は無けれど1
 いつまでも/\斯のやうに不本意な、濁り澱んだ苦しい境遇にぼんやり佇んでゐる自分では決してない、生れ代つたやうな新鮮な、光り輝いた未來が來るに違ひないと信じてゐる、さういふ自信だけは確かに今のやうな自分の身體の裡にもひそんでゐる、が、一體何時になつたら、その信じてゐる新しい明日の日が來るのであらうといふ、永い間の過去の經驗をふり返つて絶望ともない絶望を歌つたものである。露骨に輕卒な叫をあげず、悲憤慷慨口調でそれを歌はず、殆んど他を對手にせぬやうな、獨りごとでもいふやうな態度のなかに、却つて云ひ難い深刻な苦痛が溢れてゐる。
 
   新しきからだを欲しと思ひけり
   手術の傷の
   痕を撫でつつ
 前の一首をやゝ具體的にして云つたやうな一首である。もつとも、前の一首の出來た時とこの(239)一首の出來た時との間には二三年の間隔があつた。この歌は彼の晩年に腹膜炎で切開手術を受けた後の作である。
 例によりまことに何氣ない風に歌つてある。ひよつと見ると自分の身體には大きな傷が出來てゐる。噫、傷などのない立派な新しい身になりたいものだといふのである。表面は唯それだけだが、この作者の作だけに種々の事を思はせられる。自分の心は過去の種々な苦しい境遇から濁り切つてゐる、それをもとのやうに澄ましたい、生れ代つた樣な身になりたいといふ前の一首に對して心ばかりかたうとう身體まで斯んな有樣になつてしまつたといふ聯想が我等の心に浮ばぬであらうか。一度ついた傷は墓に行くまで我等の身體に消えはせぬ、段々頽れ澱んでゆく我等の生命、我等の心を眺むる時によく何氣ないさまで此等の歌が讀めるであらうか。
 
   何處やらに澤山の人があらそひて
   鬮引くごとし
   われも引きたし
 實に説明のしにくい歌である。何處といふことはないが、其處等中いつぱいに人間が群つて、大騷ぎで鬮を引合つて居るやうだ、とてもぢつとしては居られなくなつた、俺も馳け出して行つ(240)てその鬮引きの仲間に混《まじ》らうか、といふやうな一首である。如何してこの一生を送つて行つたらいゝか、あゝでもない斯うでもないと、いつか眼の前もうす昏《くら》くなつて來たやうなわれと我が身を持てあますやうになつて來た――ところへ、ふと氣がつけば何も解らぬ人間どもがたゞもうがや/\と血眼になつて盲目蛇のやうに騷いでゐる、あゝ俺もあゝしていつそのこと何でも彼でも盲目滅法に驅け出して行つて見やうか、といふやうな、複雜した名状しがたい煩悶や絶望が歌はれてあるのだと思ふ。鬮といふのを無目的な人生とでもいふやうなものゝ象徴と云へば云へぬでもなからうが、そんな事を云はれたらこの作者は屹度例の冷たい苦笑を漏すであらう。
 
   高きより飛びおりるごとき心もて
   この一生を
   終るすべなきか
 高い、斷崖の頂からでもとぴ降りるやうな心持で、この自分の一生を終る方法は無いものかなア、といつた一首。
 うよ/\、じめ/\と、まるでうぢ蟲同然の生活をしてゐるのがつく/”\厭になつた、おなじくばあの崖からでも飛び降りるやうな張りつめた氣でこの矩い一生を送つてゆく法は無いものか(240)といふのである。
 
   何がなしに
   頭のなかに崖ありて
   日毎に土のくづるるごとし
 何といふことはないが、この頃の自分の頭のなかに一つの崖があつて、それがほろり/\と間斷なしにくづれてゐるやうだ、との一首。
 次第に衰へてゆく自分の氣力生力を眺めて歌つたものと見ていゝであらう。
   かうしては居られずと思ひ
   立ちにしが
   戸外《おもて》に馬の嘶きしまで
 いかにも疲れ果てた、もう世のなかのありとあらゆる事がらを知つてゐる、なるやうにしかなりはせぬといつたやうな作であると思ふ。
 いろ/\とツイ考へ込んでしまつた、あれを思ひこれを思ふと、とてももうぢつとして坐つて(242)は居られなくなつた、どうにかせねばと、惶《あわただ》しく身を起したが、サテどうすると云つた所で今さらどうなるものでもない、と、また再びぐつたりと身を投げるといふ一首であらう。そゝくさと身内も熱して立ち上つたとき、丁度戸外を通りがゝつたものでもあつたらう、一聲高く馬が嘶いた、それを聞くと同時にまたひいやりともとの自分に心が歸つてわれとわが身を冷笑するやうな風にぐつたりとなつたといふので、馬に別に大した意味があるのではない。
 
   はたらけど
   はたらけどなほわが生活樂にならざり
   じつと手を見る
 一首の意味は誰にでも解ることゝ思ふ。作歌の技巧の上からこのい一首を少し解剖して見よう。此作者に限らず、秀れた作者の作は皆さうであるが、歌の樣な短い型のものに於ては、餘程心の調子を一途にして、散漫にせずに、純一な心で歌はねば出來た歌のちからが甚だ弱い。花を詠じ鳥を歌ふ場合などの作は、何しろ既に一つの定つた對象が向ふにあるのであるから、まだしもそんな心地になり易いのであるが、石川君の作は多く唯だ自分といふもの、生活といふものをのみ主題として歌つてゐる。自分といひ、生活といひ、何といふ茫漠たる、大きな、漫然たる題目で(243)あらう。それを彼は常に斯の如くに緊張した一首々々として、從來寧ろ「高尚優美」の代名詞位ゐにしか考へてゐられなかつたものゝ上に盛つてゐるのである。この一首にしても、唯だ漫然と概念的に貧しいとか苦しいとかいふことを考へてゐるのでなく、しみ/”\とそれを感じ味ひ、それに對する抑へがたい自分の衷情を述べてゐるのである。而して、單に幾ら働いても自分の暮しは樂にならぬといふやうな事だけなら世間で誰しもよくいふことだし、聞く方でも、さうですね位ゐにしか感じてはゐないのであるが、この一首のそれと異つて寧ろ氣味の惡い位ゐの沈痛な印象を讀者に與へるのは、主として、結句の、じつと手を見るといふ一句にあるかと思ふ。石川君は上にいふ如く思索的方面の才能の秀れた人であつたと同時に眼前に起る事象を直ちにそのまゝ寫生して作物の上に移す技能に、極めて優れた腕を持つてゐた。それも強ひて「寫生」をあさらうとする卑しい心でなく、自然に起り來る事象をよく鋭く認め得た人であるのである、或時のこと、ふとした考へから幾ら働いても/\自分の生活ばかりは樂にならぬやうではあるがと思ひ入りながら、見るともなく自分のやつれ果てた手に眼が注いだといふ所に何の理窟も説明もない恐しい力があるのである。自分の手は自分の働きをする唯一の道具である、それが故に、その場合、自分の手に見入つたといふのでは同じ事でも必ずこの一首より得たゞけの感銘は得られないと信ずる。
 
(244)   よごれたる手を見る
   ちようど
   このごろの自分の心に對ふが如し
 これは前のよりやゝ淡い味ひではあるが、捨て難い。何といふよごれ果てた手だ、と不圖自分で自分の兩手に驚いて見入りながら、いつか知ら心のうちでは、ちやうど此頃の自分の心と同じぢアないか、と動くともなく動いて來る感じを禁めかねてゐるのである。
 
   今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
   泊りし宿屋の
   茶のぬるさかな
 ゆつくりと思ふ存分泣いて見たいと――思ふ存分われとわれ自らに親しんで見たいと――夙うから願つてゐた、漸くその願ひが屆いて、いそ/\とけふ唯だ獨りやつて來たこの宿屋の、この茶のぬるさは何といふことぞ、と事ごとに自分の願ひの頽れてゆく、いはゆる一種の幻滅の悲哀を彼は此處でも歌つてゐるのである。宿屋といふのは、自分の宅は尚更ら、友人の宅でもいや(245)だ、誰ひとり知る者も無い旅館の一室に誰ひとり氣兼もなく……といふ意味であらう。
 
   この日頃
   ひそかに胸にやどりたる悔あり
   われを笑はしめざり
 事々しく打ち出でて云ふ捏のことでもないが、この頃自分の心の奥深く自然に湧き出でたひとつの悔がある。――噫、あゝせねばよかつた、あれは全く自分がわるかつたと思ふその心が、事につけ折にふれ眼の前に現れ出て、今は氣輕に笑ふことをすら許されなくなつたといふのである。
 誰にもよくある事である。大概の人はこれを多くは自分で自分の心を瞞着して、その悔を悔とせずに通してしまふ。然しこの作者はさうでなかつた。自分に對して何處までも生眞面目な性格はまた、此處にも窺はれるであらう。
 
   眠られぬ癖のかなしさよ
   すこしでも
   眠氣がきせばうろたへてねる
(246) 何だか、人間生活のいかにもどん底にある一つの現象を見せられるやうな歌である。そして斯うした生活がいまはずつと一般になつて來てゐるのだから仕方がない。
 あまりに身の衰へたためでもあるか、心は徒らに尖つてきて、眠らう/\とつとめてもなか/\眠られぬ身となつてしまつた、これでは益々よくないぞとあせればあせるほど却つて目は冴えてくる、さうした場合、少しでも眠氣のさす時があれば、何を捨てゝおいても先づ一眠入《ひとねいり》することに急ぐ癖がついてきたといふのである。その睡眠といふのが、何だか方今の我等の生活にとつて、いかにも尊い、はかない藥ででもある樣に思はれるではないか。同時にまた斯うした一つの出來事を捉へて、さういふ場合の一人間を十分に現はしてゐる作者の手腕をも認めねばならぬ。
 
   いと暗き
   穴に心を吸はれゆく如く思ひて
   つかれて眠る
 眞暗な、底も知れぬやうな穴があり、その穴の底へ底へと次第に自分の心が吸はれて行くやうで、何とも云へぬ苦悶と不安とに身をもがいてゐたのであつたが、今はもうもがき勞れて、いつ(247)ともなく重い眠りに沈んでゆく、といふ歌。
 
   目さまして直ぐの心よ
   年よりの家出の記事にも
   涙出でたり
 これはまた前の二首と違ひよき睡眠の後を歌つたものと思ふ。
 久しぶりにゆつくりとよく眠つて、いま漸く眠がさめた、雨に洗はれた春さきの草木でゝもあるやうに珍しく心がはつきりと鮮かになつてゐる、――其處へ、讀むともなく讀みかけた新聞の記事のなかに或る老人の家出の事を記した一項があつた、平常であつたならば他の多くの記事と共にたゞ一目に見過してしまふ事であるのだが、折も折、美しく澄み切つた今のこの心には、それがいかにもしみじみと身に沁みて、思はずも涙を落してしまつたといふのであらう。沙漠のなかの二本か三木の青々した植物のやうにも、この心が尊まれるではないか。
 
   人間のつかはぬ言葉
   ひよつとして
(248)   われのみ知れる如く思ふ日
 これも一寸前の一首に似てゐる。一般の人間社會のまるで知らない言葉を、今日は何やら自分獨りが知つてでもゐる樣だといふのである。言葉といつても單なるそれではない。今の一般の人たちの思ひも及ばぬ大きな事實、人間界の底の底の深い眞實、それを私獨りが知つてゐる、とでも云ふのであらう。斯うした場合に於ける一瞬間の彼の心の光をよく想像することが出來ると思ふ。然し斯る場合にも彼は我を忘れて思ひ昂ることの出來ない人であつた。われのみ知れる如く思ふ日といふなかには例によつて多少とも自分を嘲笑ふやうな心が動いてゐないではない。人間のつかはぬ言葉とさりげなく云つたなかには、また心にくい深い味ひが籠つてゐる。これを私が註釋したやうに、ぐつと露骨に打ち出したならば、それこそ何の味も匂ひもないものとなつてしまふ。常に極く無雜作に歌ひ出でた彼にはまた別に自らなる用意があつた。
 
   まれにある
   この平らなる心には
   時計の鳴るもおもしろく聽く
 自分にしては極めて稀なこの靜かな平らかな心には、きゝ馴れてゐるあの時計の音までがいか(249)にも興味深く聽きなされるといふのである。
 深い青海の底に靜かに一匹の魚が尾鰭ををさめてぢつとしてでもゐるやうな、靜かな可懷《なつか》しい印象を受けて來る。我等讀者は斯うした場合にあつた作者を想像することによつて、自づとわれとわれみづからを可懷しむ心が湧いて來ると思ふ。
 
   空家に入り
   煙草のみたることありき
   あはれただひとり居たきばかりに
 通りがゝりの空家に入つて、じめ/\と薄暗いなかでゆつくりと煙草を吸つたことがあつた。あゝ、暫くなりとも自分獨りでゐたいばつかりに、といふのである。
 
   よく笑ふ若き男の
   死にたらば
   すこしはこの世のさびしくもなれ
 なんといふよく笑ふ男ぞや、あんな男が死んだなら、少しはこの世が靜かにもなることか、と(250)いふひとを嘲り自分をはかなんだ、輕い一首である。
 
   氣の變る人に仕へて
   つくづくと
   わが世がいやになりにけるかな
 斯うせよといふからさうして居れば、いつのまにやらまた彼せよといふ、あゝせい斯うせいと一體これは如何したらいゝのだらうと、同じくすら/\とした一首。
 
   人ごみの中をわけ來る
   わが友の
   むかしながらの太き杖かな
 石川君には斯うした即座の寫生の歌がまた可なり多かつた。大上段に振りかぶらぬなかに甚だ捨て難い味がある。
 群集のなかを押しわけてやつて來る友人の――大方停車場に出迎ひにでも行つてゐた時の作であらう――オヤ/\奴さん、昔ながらに太い杖をばついてゐる、といふのである。破顔一笑して(251)舊友と相見る心持があり/\と目に見えて來る。
 
   船に醉ひてやさしくなれる
   いもうとの眼見ゆ
   津輕の海をおもへば
 彼の津輕の海を思ひ起す毎に自分の心にうつるは妹の事である。船に醉うていつもと違つて、まことに優しくなつてゐたあの時の彼女の瞳のことである。
   見も知らぬ女教師が
   そのかみの
   わが學舍の窓に立てるかな
 曾て自分等の學んだ事のある学校の前を通りかゝつてみれば、見も知らぬ一人の女教師がその窓邊に佇《た》つてゐたといふのである。久しぶりに故郷などへ歸つて斯うした事に出合つた場合の心持がそれとなく一首の裏に動いてゐるではないか。
 
(252)   君に似し姿を街に見る時の
   こころ躍りを
   あはれと思へ
 女へあてゝ詠んだものであらう。斯うして毎日街を歩みながら、時としてあなたによう似た女を見ることがある、その時々はつとする、この心躍りをあはれと思つて下さい、といふ一首。
 戀の歌としては先づ珍しいおちついた寂しい一つであらう。
 
   そんならば生命が欲しくないのかと
   醫者に言はれて
   だまりし心
 手術がいやだとか、藥がいやだとか、あまり長い病氣に自分ながら早や倦みはてゝ子供のやうにもなつて來る、そんならばもう命が惜しくはないのかと醫者にいはれて、自づとまた黙りこむやるせない心を歌つたものである。
 
   病室の窓にもたれて
(253) 久しぶりに巡査を見たりと
 よろこべるかな
 全ての世間といふものと隔離せられたこの病室の窓に倚つて、たゞぼんやりと戸外を眺めてゐたが、折しもそこへ通りかゝつた巡査のかげをちらりと見てあゝ巡査を見た/\とさも珍しいものでも發見したやうに欣び立つ自分の心を眺めて歌つたものであらう。
 
   ドア推してひと足出れば
   病人の眼にはてもなき
   長廊下かな
 漸く立ち上つて歩み得るやうになつて來たので、喜び勇んで病室の扉を押してみた、すると、まアこの長廊下の何といふ長い事ぞと、とても今の身に歩みも兼ぬる、意外にも雄大なる病院の長廊下を打ち眺めてまた新たな哀愁に囚はれる病人の心を詠んだものである。
 
(254)     『佇みて』の歌
 
 今度は土妓哀果君の最近の著作「佇みて」の中からその特長とも見るべき歌を引いてみる。「佇みて」は昨年の五月、著者が朝鮮滿洲の方を旅行した時の作が輯められてあるのである。ありふれた旅の歌と違つた味ひを覺えしめられるのが誠に多い。
 
   それとなく、ひとりとなれば、あのころのこころに
   ならんと眼を
    瞑るなる。
 旅に出て、誰一人知る者もない全く獨りぼつちの身となれば、いつの間にやら自分の心はあの頃の昔に立返らうと自づと眼をも瞑らうとする、といふのである。あのころのこころといふのは、あの當時の自分の心といふ意味で、即ち追憶の日である。あゝいふこともあつた、斯ういふこともあつた、噫あのなつかしい追憶の日に、といふのだ。朝夕の忙しい職業裡から離れて端なくも斯う唯だの獨りとなつた汽車中か宿屋での作と見ると一層なつかしさの増す歌である。
(255) 土岐君の歌も前の石川君の作と同じく、極く凡俗な日常使ひ慣らされた言葉を以て歌つてある。然しそれとて不用意に亂雜に用ひてあるのではない。さうした言葉に含まれてある意味を充分に生かして詠んである。詠んである題材も日常生活裡に於ける一些事とも見るべき、一寸人の氣のつかぬ事がらなどが、多く採られてゐるが、さうした間に却つて深い人間の味ひを覺えしめられるものがある。
 
   たそがれの、
   さびしき心の前に來て、
    ボーイは寢臺をつくりにかかる。
 前の一首に續いて出來た作らしく思はれる。旅中の一日、そこはかとなく物などの思はれて、いつになく打ち沈んだ或る黄昏のこと、ぼんやりとした自分の前に來て、使丁はいまいそ/\と寢臺の用意にとりかゝつてゐるといふのである。さびしき心の前、の心といふのは自分といふのと同じである.夕暮の何處となく勞れた樣な靜かな心の底には起るともなくいろ/\の物思ひが起つて来る。さうした場合の自分の前に來てさうした自分に係りもなくボーイが云々といふのである。この場合、このボーイまで何となく愛らしい美少年でゝもある樣に聯想せられる。
 
(256)   舷橋《ブリツジ》をのぼらんとして、
    てのひらに
    しつとりと夜露をにぎりたるかな。
 夜の港の歌である。港には大小幾多の汽船帆船が碇泊してゐたであらう。それらの船々には赤や青のさま/”\の記號燈がかゝげられてあつたに違ひない。それらの船々の間を漕ぎ廻る小さな舟の櫓の音や、呼び交す舟子どもの濁聲や、またはひた/\と眞黒にうねる夜の波の音が其處等中に起つてゐたに違ひない。それらの間に浮んでゐるある一つの大きな汽船、それはこれから自分の乘つて行くべき〇〇丸である、その汽船に乘り移らうとして通船から舷橋の欄干に手をかけた、スルと如何であらう、その絃橋の欄干にはしつとりと夜露がおりてゐた、といふのである。舷橋とは汽船の横腹についてゐる乘降用の階段である。その階段に手をかけた刹那の旅馴れぬ人の心がよく現れてゐる。
 
   浴室のきふじの靴のびしよ/\に
   濡れて、五月の
(257)   夜となれりけり
 船中の作としてあるから、この浴室は汽船の中のそれであらう。さう思ふと一層情趣の深いのを覺える。ゆつたりと湯槽に浸つて、何思ふともなく夢見るやうな心地になつてゐると、浴室づきの給仕が何かとあちこち立働いてゐる、見るともなくうち見やればその給仕の靴はびしよ/\に濡れ終つてゐるのであつた、といふのである、五月の夜となれりけりは、その浴室にその給仕の靴の濡れてゐるのに氣づくと同時に、おゝいつのまにやら夜に入つたといふ感じがしんみりと身に湧いたといふのであらう。イヤ、びしよ/\に靴を濡らしてゐる給仕よ、といふ心持と、しつとりと暮れて行つた船中の五月の一夜との間に何とも云はれぬ調和を感じたと見る方がよいかも知れぬ。
 
   や、や、――
   朝鮮服が立つてをり、白くぼんやりと、
    朝のみなとに。
 斯うした調子はこの作者獨特の境地である。程なく上陸しやうといふので、夜のひきあけの甲板に見るともなく眺めて立つて居れば、次第に、港は近づいて來る、その港の岸に、や、や、居(258)たぞ、居たぞ、朝鮮服が! といふのである。厳密に三十一文字にはなつてゐずとも、自然に出て來た聲の調子のなかに、却つて、それよりもよく詞つた節まはしを感ずるであらう。
 
   朝鮮の、五月のひるの
    ポプラの青葉、
   そよりともせず、鷄遊べり。
 別にとりたてゝいふ程のこともないが、朝鮮のと初めから云ひ出したあたりに、見知らぬ國に立ち入つた場合の、事ごとに驚きの眼を見張る心持なども窺はれる。
 
   やうやう食慾のつき、
   卓上の
    あかき葵の花びらを嗅ぐ。
 住い歌だ。やう/\食慾のつき、は兩樣に解せられる。旅づかれか何かで一向おなかも空かなかつたが、といふのと、時になつたので自然と食慾が出て、といふのとである、私は前の意味にとつてこの一首を味ひ度い。漸くもの欲しい心地になり――すが/\しいおらついた心地になつ(259)て來た、と見ると、自分の前の卓の上に眞赤な葵の花が置いてあつた、それにすら何となく心が惹かれて、手近に引き寄せてしみ/”\とその薫りを嗅いでみた、といふのであらう。卓上といふのも私は食卓と解し度い。そして初夏の草花の眞赤に咲いてゐる卓を前に、靜かに食事を待つてゐる旅の若者をあり/\と思ひ浮べずにはゐられない。
 
    耕年の鈴のひびきを
     路ばたに
    よけし心の、しづかなるかも
 耕しをする牛、その牛が鈴をつけて向ふからやつて來る、その牛の通り過ぎるのを、ぢいつと路傍によけて待つてゐる間の靜かな心よ、といふのである。じやらん/\と鈴を鳴らして歩いてゐる牛、それに添つてゐる朝鮮人、荒れた四邊の山や野や、さうした背景を考へ出すことに於て一層この一首の味は深い。
 
   桃の花、
   秋風嶺驛の柵のほとりに赤かりし
(260)    午後三時かな。
 秋風嶺といふ停車場があつた、その停車場の柵のそばに桃の花が眞赤に咲いてゐた、折しもその時、時計は午後の三時をさしてゐた、とふつ/\と思ひ出した樣に詠んである。晩春の小さな停車場の柵のほとりに咲いてゐる眞赤な桃の花と、午後の三時といふ時間との間に何とはなしに一種のさびしい調和が見出されてゐるではないか。
 
   わが顔のまことに黄ろく
    痩せたるが
   朝鮮に來て、さらにいとしも。
 旅情のゆたかな作。知らぬ他國に來てから、この自分自身といふものが一層に愛《いとし》まるゝといふのである。自分の平常氣になつてゐるこの黄ろい痩せた顔よ、しみ/”\今朝はお前がなつかしいといふやうな、朝の洗面後、鏡に向つた時の作でゞもあるかと思はれる。
 
    ぎやつ、ぎやつ、――
    この鵲のこゑの、さびしさに、
(261)   五月の朝の 眠たかりけり
 靜かな、うるんだ五月の朝、あやしい聲で空を啼いてゆく鳥がある、アヽあれは鵲だなと思ひながら、聞くともなく遠ざかりゆくそのきゝ馴れぬ鳥の聲に耳を傾けてゐると、うと/\と何とはなしに眠くなつて來るといふのである。心のゆるんだ旅館の五月の朝にいかにもふさはしい歌と思ふ。
 
   唾を吐き、唾を吐きつつ、
   このみやこの
   貪しき巷を通るなりけり。
 貪しいこの都といふのは、京城のことであらう。何といふきたならしい街路だと、荒れはてた舊い都を且つ賤しみ、且つなつかしんで歩いてゐる樣が目に見える。
 
   よぼよぼと、そつと、
   聲をかくれば、ふりむけり、
    南大門のたそがれの顔。
(262) 南大門とはその荒れはてた舊い都に殘つてゐる城廓の一門かと、記憶する。よぼとは今は亡んだその國の住民を親しんで呼ぶ名稱であつたと思ふ。夕方、その南大門のほとりを通つてゐると、彼等見馴れぬ風俗をした住民が自分の前を歩いてゐる、何とはなしにフイと唇に出て、よぼよ、よぼよと聲をかけると黄昏の薄闇のなかに、その人間がぼんやりと此万を振りむいた、といふのである。さりげなく云ひ捨てゝある言葉のなかに、いろ/\と深い味がこもつてゐる。
 
     『森林』の歌
 
 本號には最近に出た前田夕暮君の歌集『深林』(大正五年九月十日發行) の中から佳作を拔いて評釋を試みる。同君と私とは作歌上の信念に於て可なり相違したものを持つてゐる樣である。だから同書全體としての作には隨分反對したい傾向が見えてゐるのであるが、此處には唯だ私の眼に佳作と映じたものゝみを拔いて來た。或は此等が全部著者會心の作でないとも限らぬと思ふから、先づ一言を認めて置く。
 
   氷小舍ひつそりとして黒き馬大戸の前に尾を垂れにけり
(263) 榛名山に遊んだ時、榛名湖畔で出來た作らしい。
 氷小舍といふから、中にぴつたり氷が詰められて少しの空氣も通はぬやうに密閉せられてある、或る薄暗い建物を聯想する。その氷小舍の重い大きな扉の前に、いま眞黒な馬が居て、その長い尾を垂れてゐるといふ歌である。
 如何にも印象的な、はつきりした歌であると思ふ。一體にこの作者は以前から斯うした寫生式の歌に長じてゐた。あるがまゝの自然に觀て、それを直ちに一首の上に描き出す手腕は確かなものである。
 
   氷小舍のなかに氷をひく音の鈍くひびきつ霧深し、晝
 同じ時の歌。
 氷小舍の中で氷をひく鋸の音がじよつきんじよつきんとのろく聞えて、戸外には霧が深々と降りてゐる、この眞晝よ、といふ一首。
 霧深し、晝。と句を切つたのなども印象を深くする一手法となつてゐる。
 
   わが前のましろなる樹を白樺と知りて直ちに手ふれけるかも
(264) 自分の前に何やら眞白な幹の樹が立つてゐる。氣がつけばそれは白樺であつた。
 アヽ白樺か、と直ぐにその幹に手を當てた、といふ一首である。
 卒直に歌ひ下してある中に、白樺の樹に對して持つ作者の強い愛情が實に氣持よく出てゐる。
 
   白樺のもとによりそひ打ちあふぐ秋近き空の色のかなしさよ
 白樺の樹蔭から、と云つたゞけでは云ひ足りない、自分の好きなこの白樺の幹により添うて、見上げた空には秋近い光がありありと漂うてゐた、その光の何とはなく身に浸みてかなしいことよといふ一種感傷的な歌である。
 佳い歌とは恩ふが、私は前の一首の卒直なのを採り度い。
 
 . 白き牛肥えしが乳房ほのあかみひとつ離れて草はみゐたり
 多勢牛のゐる中に、眞白な、肥えた牛だけ唯だ一疋が群を離れて草を食つてゐた。見ればその牛の乳房は仔牛でも居ることか、ほの赤く染つてゐた、といふのである。
 同じく印象深い作である。歌つてない、多勢の牛の群も眼に見えるやうだ。
 
(265)   わがめぐりつどひ來れる野馬の眼のつぶらにすむにやや恐れけり
 牧場の歌。
 廣い野原に――云つてはないが、さう思はれる――入つて行くと、諸所に離れ/\に遊んでゐた馬が自分を見つけて多勢集つて來た。その多くの馬がみな、濁りのない、大きな眼を見張つて自分を見つめてゐるのを見ると、云ふやうなく可愛いなかに何となく一種の恐しさも混つて來るといふのである。
 いかにも野の匂ひのする清新な作である。それにしてもやゝ恐れけりは少々幼稚ぢやアないか。
 
   乳色の花むらがれる一もとの木をおそれけり山ふかく來つ
 山深くわけ入つて行くうちに、何といふ樹だか、乳色をした白い花がいつぱいに吹き垂れてゐるのを見つけた。ぢいつとそれを見てゐると、何とはなくその花がたゞの花ではないやうに思はれて來て、そゞろに虔ましい思ひが身に浸んで行くといふのである。
 山の奥の、四邊みづ/\した樹木ばかりの中に一本、眞白な花をつけた何やら名の知れぬ樹と、それを仰いでぢいつと立ちつくしてゐる男との影がありありと見えて來る。
 
(266)   わが着たる蓙《ござ》に來て鳴る山風に秋をおぼえて山越えありく
 自分の着てゐる蓙には折々風が吹いて來て音を立てる。
 その蓙を着ながら、段々と山深く進んでゐると、如何にも秋の立つのが親しく思ひ起されて来るといふのである。
 秋だ、秋だ、といふ氣持の一首である。
 
   うつつなく物をおもひて歩みしに蝶々むらがり日にのぼりけり
 ぼんやりと我を忘れて歩いてゐると、不圖自分の前かたから多勢の蝶々がむら/\と一團に群つて大空の方へまひ上つて行つた、といふ一首。
 日にのぼりけりは太陽の方へまひ上つて行つたといふのであるが、ぼんやりしてゐる所へむら/\とまひ上る蝶々に驚いて、ふり仰ぐと其處には皎々たる太陽があつた、といふので、何となく一首の上に神秘的な色彩を與へてゐる。
   わら草履しろき踵をあらはにもみせて娘の小走りにつつ
 ちよつとした寫生であるが、實に生きてゐる。その娘、といふよりその娘の踵そのものが、實(267)に親しく思ひ浮べられる。
 斯うしてみると、自分の心を、また眼をさへ常に鮮かに持つてゐたらば、歌になる材料は實に其處等に無限に滿ちてゐると思はねばならぬ。
 
   わが兒いまだ父の怒れる眼を知らずされば笑ひていだきけるかも
 この兒はまだ俺の怒つた顔を知らないのだ、と思ふと強ひても笑顔を作つて抱いてやらねばならなくなつた、といふ自分の子を愛する一首だと恩ふ。
 されば笑ひて、のあたりに何だか少し生々すぎる口調があるやうにも思ふが、その素朴の内にまた云ひ難い味があるとも思はれる。
 
   ながき尾を地に垂れにつつわがあとをつき來し犬よ歸りゆくかも
 何處の犬だが、長い尻尾を地に垂れて(垂れにつつが不快だが)長い間自分のあとについて歩いて來た犬が、ア、急にあと返つてゆくわい、といふ一首。よくあることだが、その時のさびしい、靜かな心持がよく出てゐる。心を澄ましておくこと、常に靜かに保つて居ることは、また作歌の上に忘れてならぬ必要事である。
 
(268)   船底に砂のするるをききしときわれおり立ちぬ夜の渚に
 般の底が妙に觸るゝ音が急に耳に立つた。
 と、同時に私は船から降り立つたのであつた、夜の暗い渚に、といふのである。
 何處までも質實な感觸といひ、手法といひ、心憎いばかりだ。
 この數首を見ても解るやうにこの作者は何處までも眼の前の、或は心の奥の、現實に即いてのみ歌つてゐる。だから、それが、重々しい、徹底した作となつてゐるのだ。上辷のしない、嘘や気取りやごまかしやの無いのが、誠にありがたい。手法から云つても多くは寫生的で、普通われ等の何の氣なしに見落してゐるやうな細かな所をよく捉へてゐる。
 
     年少作家の歌
 
 既に一家をなしてゐる人の作と、本誌投稿家の作とを代り/\に評釋して行つて見よう。本號には先づ本方投稿歌の中から引用する。
 
(269)   あすはあすせめて一日の清かれと朝風呂にしてしみ/”\水浴ぶ(省三)
 明日は明日、といふのが厭味で却つて力を弱くしてゐるがとにかく佳い歌だ。清かれといふのも單に清いといふ意味でなく、はつきりと緊張した一日を送り得る樣にといふ意味を含めてほしかつた。一日の生活に入らうとする謂はゞ門出の朝ぼらけに、祈祷の如くしみじみと水を浴びてゐる引きしまつた人の心が誠に尊く感ぜられる。
 
   時雨めきしとど飛沫《しぶき》のふりかかる甲板《でつき》なり遠く燈臺が廻る(美奈志鳥)
 下の句の、よく舌の廻らぬやうな詠みぶりのなかに、わざとならぬ緊張した心が表れてゐると思ふ.村時雨のやうにばら/”\浪のしぶきが甲板の上に亂れて來る。搖れ搖るるその甲板の上に辛うじて身を立たせて四邊を見渡してゐると、ふと燈臺の光が眼に入つた。遠い遠いその燈臺は、時に白く、時に赤く止む時なく廻轉して輝いてゐる。といふのであるが、風の烈しい海上に浮びながら遠方の小さい燈臺の光を雨と亂れた飛沫ごしに眺めてゐる心持が可なり充分に現はされてゐる。
 
(270)   アカシヤの若葉のかげの白壁の家をながめて急ぐ祭日(芦螢)
 いかにもあどけない、うひ/\しい水彩畫のやうな一首である。これを讀むと我々の心には、どことも知らぬ廣い平野の初夏の景色が浮ぶともなく浮んで來る。何となくときめいた祭日のその平野には、そこ此處に派出な着物をつけた人々の姿も隱見し、笛や太鼓の響も聞えて來る。さうしたなかをいそ/\と急いでゐるこの作者、アカシヤの若葉に圍まれた白壁の家など何だか小さな物語めいた聯想さへも浮ばうとするではないか。
 
   初夏の朝のひかりの戀しさにけさも下しぬ青きまどかけ(一勢)
 前の一首を水繪とするならば、これは油繪であらう。心憎いのは、そのカアテンを上げるといはずに下したといつてみる事である。初夏の朝のいかにもみづ/\しい光が戀しくて戀しくて耐らない、そしてあらはにそれを浴びることをなさずして靜かに窓の帷を下して、その帷越しにさし入る戀しい青い光に心おきなくうち浸つてゐるといふ、ほんとに心にくい歌である。省三君のとこの作とはその感情の柔かに且つ濃やかな點に於てよく相似通つて居る。
 
   懸命に吹く矢あたれば心ふとあはれまれてわれ手をひたうつも(三蛇甕)
(271) 今度の博覧會に南洋の土人を連れて來てある。その中食人種といふのに彼等の唯一の武器であるとかいふ吹矢を吹かせて觀覽人に見せてゐる。この歌はそのことを歌つたものである。斯んな所へ連れて來られて、毎日々々多くの人に面を洒させられながら懸命になつて矢を吹いてゐる、そのいぢらしい有樣に心を惹かれて立止つて見てゐると、折しも吹き出したその矢がうまく的に當つた、それを見てわれ知らず手を拍ち囃したといふのである。極く輕いスケツチ風のものではあるが、何となく棄て難い。唯だ三句以下の云ひかたがいかにも説明的で、ぎごちないのがいやだ。
 
   棧橋もひとも我等もゆら/\に揺れてさびしき別れなりけり(紫絃)
 よく整つた作であるが、何となく力が乏しい。その別離のさびしさといふものが一向讀者の心に通じて來ぬ。恐らく作者自身その寂しさを痛感することなく、これは丁度歌にするにいゝといふ位ゐの考へで詠んだものではあるまいか。
 
   熔鑛の火かげにあまた人群れてあれども父はあらずなりけり(道忠)
 鑛山の熔鑛爐係か何かしてゐた父の永眠後に詠まれたものである。熔鑛爐とは鑛山から掘り出(272)した鑛石を釜に入れてとろ/\に焚き熔かす所である。それらの事は詳しくは私は知らないが、曾て某鑛山に行つたとき、その大きな釜みたやうなものゝ一方の口からはとろ/\に熔け終つた眞赤な鑛石の液體が恐しい勢で流れてゐた。それを四五人の男が別の器に受けて他へ運んでゐるのを見たことがある。物々しい機械と、室に滿てる火氣と臭氣と音響等とに全く別天地のやうに凄愴な觀を里してゐた。その間に働いてゐる人もみなこの世の人ならぬげにも見受けられたのであつた。この歌を見て直ぐ私にはさうした光景が心に浮んだのである。さうした熔鑛爐に今日も同じく液體の火は流れ、機械はうめき動いてゐる。その前には變りもなげに數多の人が群れてゆゝしい仕事に從つてゐる。それだのにたゞ一人その群のなかから今はわが父を見出すことは出來なくなつたのだ、といふ意味である。一言も悲しいとか淋しいとか云つてはゐないが、斯うした一本調子の素朴な言葉のなかに、云ひ知れぬそれらの感情が充分に含まれてゐるではないか。特に場所は場所なり、一層深くこの感を惹き易い。
   幸福はいつ來るものぞほと/\に針の運びももの憂くなりぬ(その枝) 斯うして毎日々々變りもなく針を動かして物をば縫つてゐるが、一體いつになつたら幸福といふものは私の身にめぐつて來るだらうといふ禁めかねた一種絶望的哀愁が寧ろなげやりなこの調(273)子の底に深く沈んでゐる。一寸見たところではいかにも平凡な作のやうだが、斯んな歌は永く見れば見るだけ、味の深くなるものである。眞實の心から出た聲だからであらう。
 
   しとしとと降る雪の夜の空室に長き尾垂れし猫は歩めり(峰次郎)
 印象の深い一首である。しと/\戸外には雪が降つてゐる、もう餘程深く積つたことであらう、その夜のとある一室、其處には人もゐなければ殆んど何一つ置いてもないに、一疋の猫がのそりのそりと歩いてゐる、何といふ尾の長い猫であらうぞ、といふほどの作である。初めもなければ終りも無いやうな、物の兩端を切り離してつき出したやうな斯の詠みぶりに、一種の光が宿つてゐる。
 
   笛吹けばあはれ悲しきわれをしもとらへて月は高くありけり(長次郎) 悲しさに耐へかねていとしみ/”\と笛を吹く、殖えの音はいよ/\澄みゆきわが悲しみもいよいよ澄んで來る、ふと見れば天心深く一個の月が懸つて皎々と輝いてゐる、さながら悲しみの身の氷れよといふごとくわれに臨んで輝いて居る。改行
 
(274)   不平なく夜業を終へて叔父と共に風呂屋に行けば十時が鳴れり(花魂)
 先づ/\今日も樂しく可笑しく夜業の仕事をかたづけた、どれ叔父さん一風呂浴びて來やうぢやありませんかと手拭さげて一緒に湯屋にとび込めば、オヤ/\丁度十時の時計が鳴り出したといふ一首。いかにもすら/\と苦もなく詠んである口調のなかに、不平なくといふ氣持も、十時が鳴れり(サテ、暖つた所で寢やうかナ、といふ何となくゆつたりと安堵した)といふ氣持もよく了解出來る。まことに自然な歌である。
 
   春來れば苗床つくり茄子きうり蒔きつつほかに事なかりけり(はな子) いつのまにやら春が來た、いつものやうに苗床を作つて、茄子の種胡瓜の種と蒔いてしまへば、もう他には用もないといふ田舍任ひののんきな淋しい春の日を歌つた一首。これも自然に唇から漏れて出たやうな調子のなかに、深い心が表れてゐる。
 
   學校を嫌ふ弟に意見する父の眼のかなしき四月(おなじく)
 右と同じ調子の一首である。學校を嫌ふといふ弟を前にした優しい父に對する同情が動くともなく動いてゐるのが目に見えるやうだ。それのみならず、その父と子とを包んでゐる四月あたり(275)の一種のやるせない氣分も佳き背景としてそのうしろに匂つてゐる。
 斯うした寫生風の詠みぶりが近來甚だ多くなつた。よい傾向ではあるが、心しないと極く雜漠な味のないものとなり易い。客觀風の措寫といひ寫生といつても、要するに作者自身の問題である。こちらがしつかりしてゐなくては、眼前ありとあらゆるものを寫生したところで何にもならぬ。
                                      廢園をさまよひてあれば沈丁花わが生に似てかなしかりけり(虹汀)
 甚だ云ひ足りないが、底力のある歌である。雜木雜草の生ひ茂つた廢圍のなかに、ふと一本の沈丁花を見出でた、何といふ烈しい惱ましいその匂ひぞ、とその雜草中の沈丁花が何とやらこのごろの自分に似た樣にも思はるゝといふ意味であらう。云ひ足りないが惡い作ではない。
 
   しらじらと月は岬にかがやけど海はも暗し燈臺ひかる(逸名)
 海には、その夜、風があつた。晴れ渡つた大空のもとに次ぎから次ぎへと大小さま/”\の浪が群り起つてゐた。月はいま漸く水平線を離れたばかり、遙か一すぢの岬にはしら/”\と白い光が流れてゐるが、一帶の海面はまだ暗い。泡だつたその暗い大海の片隅に一つの燈臺が光つてゐる(276)といふ歌である。眼前ありのまゝの光景を左程の感嘆も無しに歌つてあるなかに却つて云ひ難い趣きがある。噛みしめてのち味の出るといつた側の作である。
 
   いちめんに海はあかるし波の上白く光りて海鳥のとぶ(同)
   雨あがりの海のしづけさしら/”\と飛魚のむれが夕陽に光る(同)
 いづれも似た樣な海の歌だが、こららの方は唯だこれだけの、云はれたゞけのことが何か器物にでも入れられてある樣に、動くことなしに表れてゐるのが物足らぬ。何處か渇いて枯れてゐる。
 
   ひるやすみわれ寢て居れば起されて秋蠶棚を掃除しにけり(同)
 あつさりとした、秀れた俳句などによく見受くる型の歌である。折角の晝の休みにうと/\と一ねむりやつてゐたものを、また起されて今度は秋蠶棚の掃除をさせられたといふのである。その時のありさまが眼に見える樣である。その時の作者の心があり/\と一首の上に踊つてゐるのを悦ばしく思ふ。
 
   くもり日は石のごとくも見え渡る鑛山町の空とぶ鴉(同)
(277) 石の浮彫でも見る樣な歌だ。曇つた日にはまるで石のやうにも見ゆるこの鑛山町の空を、アレいま鴉がとんでゐるといふのだが、死んだ樣にも冷たい鑛山町、町の上のくもり空、その中をたつた一つとんでゐる黒い鳥の姿は誠に何かの暗示の樣にも見ゆる。捉へてある景色、云つてある言葉に何の無駄がなく、しいんとした緊張した歌になつてゐる。
 
   なにといふさびしさをもておほどかに富士の裾野の暮れてゆくかも(同)
 身も世もあられぬと云つた樣な調子の歌である。私はその調子をとる。靜かに/\暮れてゆく富士の裾野を眺めてゐたが、次第にわれ知らず昂ぶり來る心の動きをとゞめかねて何といふさびしさをもて云々と詠み出でたあたりに作者の心の熱が通つてゐる。ゆくかもは多少不消化だ。ゆくらむの方がよいかも知れぬ。
 
   しみ/”\と汽革のひびきがこの心撫でゆくごとく覺ゆるひと夜(同) しみ/”\した靜かな小夜なかに、遠く走る汽車の響が聞えて來た、ぢいつと聞き入つてゐるといつの間にか自分の心も柔らいでゆく樣な……といふのであらうが、何となくその心持が直接に讀者に傳はらないのはこの歌が説明風に出來てゐるせゐであらう。
 
(278)   谷底のま深く暗きその色に心しみ/”\親しまれけり(同)
 この歌もまたさうである。云つてあることがらだけはよく解るが、その場の作者の心持といふものは出てゐない。その時の心そのものではなくて、その心に似せた他の或物が表れてゐる觀がある。
 
   桐の樹の根もとにゆきて悲しみあればわしわし蝉のなきいでにけり(同)
 悲しみあればの一句が一首の影を薄くしてゐる。うはの空に聞えて一向身に沁まない。この一句のみならず、一首全體から見ても何となくぼんやりしてゐる。恐らく作者のその時の心もぼんやりしてゐたに相違なからう。
 
   淋しさにわがよる椅子は朝あけのみどりの山に向ひてゐたり(同)
   寢椅子よりうち仰ぎみる眞晝日の青ひと色の空のさみしさ(同)
 同じく椅子の歌で双方ともいゝ歌である。どららかと云へば私は前者をとる。後者にはやゝ説明が勝つてゐる。
(279)
   園丁のみだらなる姿わがことの如く悲しき眞晝なるかな(兼也)
   ほの白く朝づき來ればまひ出でてかなしき空をゆくよ蜜蜂(同じく)
 二首とも、悲しみの珠のごとくに澄み入つてゐる。日は麗らかに照り籠り、丈高く伸び出でた青草の葉を搖る風も無い、空は飽くまで蒼く地は飽くまでに靜かである。この眞寂界に引き入れられ了つた作者の眼の前に一人の園丁が動いてゐる。園には雪のごとくに白い花、針で刺すやうな紅の花の群がうつとりと夢見るやうに咲いてゐる。それらの花の間に動いてゐる園丁の、これはまた何といふしどけない姿であらう、隱すべき所もあらはに、髪は延び眼は濁り、老いたる熊の病んだやうな手を出して何やら蟲を取つて居る。それを見ると共に急に心臓に銀の針でも當てられたやうな、云ひ難い冷たさを覺えてそゞろにぞつと身を慄はすといふ一首。よく眞晝の花園の靜けさを歌つてあると思ふ。後の蜜蜂の一首も、格調其他、寧ろ前のに優つてゐるかの觀がある。
 
   いなごひとつ稻の葉先に飛びつきつ向ふの山に煙立つ見ゆ(正一)
   なにごとか思ひうかべて梨むきつ見つめてゐたり牛蒡畑を(同じく)
(280)   專念に俵あみゐる弟の横顔見れば悲しとぞ思ふ(同じく)
 これも同じく靜かな所ではあるが、溝口君より客觀的に動的に詠んである。一すぢに澄み入つた心の、神經の前には僅か蝗一つの飛ぶ影すら見逃がせない、その蝗に驚いて眼を擧ぐると向ふの遠山にはしら/”\と一すぢ煙が上つてゐた。窓の下から直ぐ引き續いた牛蒡畑、其處には強い靜かな光線が降り注いで重り合つた葉はお互ひに深い影を投げてゐる、見るとなくそれに見入りながら、心もそらに梨をむきつゝ、ありとしもない物思ひに耽つてゐる。その姿が、その背景が、眼に見えるやうではないか。一心に編み入つた弟の、一糸動かぬ顔色にフト眼がついた、と同時に憐れとも尊いともつかぬ感情がしいんと身を浸して起つて來たといふ一首、これもなか/\佳い作である。眼の前の微細な景情を寫し描いて、そしてそれに其場の自身の心を傳へるこの人の手際は巧みなものである。然し、斯の種の手段はともすれば手段のための手段に陷ることが多い。例へば強ひて種々な景物を、蝗とか牛蒡とかを、持つて來て配合させ、うまく一首をでつち上げる。それでは既う出來ぬ前から歌は死んでゐる。飽くまでも實情實感でなくてはならぬ。
 
   明方のもの靜かなる悲みになつかしいかな蜩の鳴く(嵐鳥)
   無花果の實も葉も青き七月の白々はそき晝の雨かな(同じく)
(281) 佳い歌だが少し弱い、薄い。實感が乏しく強ひてさうした靜かな境地を作つた樣な風がほの見える。
 
   椿の果青褐色に光りゐてこの曇り日のいかにわびしき(朱鳥)
   かろやかにひともし蜻蛉とべるがにわれは酒場に杯を取らむぞ(同じく)
 歌つてある場合々々の作者の心持をばよく推量することが出來るが、惜しいかなそれを歌ふに用ひた言葉が消化れてゐない。さうした柔かな心持を傳ふべく此等の言葉は餘りにがさ/\ぎし/\してゐる。歌の言葉は直ちに歌はむとする心持そのものであらねばならぬ。その心すなはちの洗練された象徴であらねばならぬ。
 
   屋根の雪いまだ消えなく紅椿うつらうつらに日の中に咲けり(夢之助)   春あさき小田の泥鰌を双手にてすくへばあはれ冷たかりけり(同じく) いづれも濁りのない、そして自由な詠みぶりである。作者の心の柔かさ穏かさが窺はれて快い。
(282)   足袋のちり拂ふ夕の雲の包まことはる/”\と晴れにけるかも(桐之助)
 其時の作者の、ほつとした、はれ/”\した心持がありのまゝに出てゐる。
   ほの/”\と月のぼる見ゆわが心さびしくもあるか母と向ひて(渡邊順三)
 何處か句調に落ち着かぬところはあるが、佳い。一、二句は特に佳いと思ふ。ほの/”\とした月の光に浮き出でた母子の影、其處にも人間の哀しみは漂うてゐる。
 
   明るみに流れしいのちほの/”\と晝の酒場を出づるなりけり(雨絃) この人の他の數首はわざとらしいのやぎこちないのが多かつたが、この一首だけは先づ自然で、そしてこなれてゐた。
 
     『與謝野晶子集』の歌
 
 『與謝野晶子集』は大正四年三月の出版、それまでの同女史の作から一千二百首ほどを自選せられたものである。
(283) 當時の歌壇を震駭させた「みだれ髪」の、
   道をいはず後を思はず名を問はずここに戀ひ戀ふ君とわれとは
   罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられしわれ
   夜の帳にききめきあまき星もあらむ下界の人ぞ鬢のほつるる
   ああこの子櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
   清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
   やは肌のあつき血汐にふれもみでさびしからずや道を説く君
   御相いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧遮那佛
   ゆるされし朝よそほひのしばらくを君にうたへな山の鶯
   なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
   ほの見えし奈良のはづれの若葉宿うすまゆずみのなつかしかりし
 などの自由奔放を極めた、而かも稚趣滿々たる作から十數年を經た後の新作に及んでゐるのである。叙景抒情、ともに女史の作は多く才から出てゐた。ことに叙景にそれが多かつた。殆んど配合のみから成つたやうな歌のみ目についてゐた。巧みだとも、美しいとも思ふが、而かも何處やら親しみ難い不自然さがついて廻つてゐた。抒情の歌にすら、どうかするとさうした芝居がゝ(284)りのものが混つてゐたが、新作になる丈けそれが失せて來てゐる樣だ。茲には特にその中でも新しい、女史が良人渡歐後、その留守居の淋しさ悲しさ、または抑へがたい哀慕の心を詠んだものから引いて來る。連作風になつた此等には、女史の作としては誠に稀に見る素直な心が動き出てゐるからである。
   わが起居《たちゐ》涙がちにてあることも旅なる人のみな知れること
 何につけ彼につけ、朝夕の起居すら涙ながらにして居ることを、旅なる人はようく知つてゐて呉れるのだ、と涙に暮れた自分自身を淋しく振りかへりながら遠く離れてゐる人の心に據り頼つてゐる心持を歌つたものである。
 何處にか、反語のやうな、多分知つてゐて呉れることであらう、それとも何とも思はないでゐるであらうか、いやいやみな知つてゐて呉れるのだ、と自分の心を抑へ/\して自ら慰めて諦めてゐる樣がほの見ゆるのをいゝと思ふ。それに少しのこだはりなく、すら/\と歌ひ下してあるのは、いつもながらこの作者の腕の冴えである。
 
   おのれこそ旅ごこちすれ一人居る晝のはかなさ夜のあぢきなさ
(285) 旅に出てゐるその人より斯うして一人殘つて居る自分の方が却つて旅の心地がする、夜につけ晝につけて、といふのである。
 晝のはかなさ夜のあぢきなさを重ねたあたり、少々輕過ぎるかと思はるゝが、自由なものである。
 
   あぢきなく弱きかたへと日にすすむ心と知れどとらへかねつも
 日にましあぢきなく心弱くなつてゆくことよと氣付いてゐるが、さて如何ともこの心の取り返しやうはありはせぬ、と投げ出したやうな、絶望に似た心持が一首の裏に働いてゐる。簡單な座談平語風の中にも何處にか人に迫る眞摯さがある。生きたこゝろさへ※[よこめ/卓]《こも》つてゐたら、何も大騷ぎをせずとも佳い歌は生れて來るのである。
 
   ただ一目君見んことをいのちにて日の行くことを急ぐなりけり
 たゞ一目、逢ひたいばかりに少しも速く目の前の時の過ぎゆけよと祈らるゝことではある、といふのである。速く/\日が經つて、相逢ふ時の來ればよい、といふのである。
 いまの所謂新派和歌の中にも隨分戀の歌は多いが、斯うした淡雅な、而も心深い自然のものは(286)少いと思ふ。そして、なみならず之れをなつかしいと思ふのである。
 
   君こひし寢てもさめてもくろ髪を梳きても筆の柄《え》をながめても
 寢てもさめても――眼に映るすべてのものが戀しさの種とならぬものはないといふのである。平凡だが、自然である。うつかりと唇を漏れ出た溜息に似たこの歌に理窟や形式を離れた強さがある。
 
   わが男ひとへにたのむ哀れさのこの頃となりあからさまなる
 身も世もなく據りかゝつてゐる自分の哀れな姿が、此頃では斯うもあからさまになつたのか、と云ふのである。わが男は即ち自分の據り頼んでゐる人のことである。もとより昔から一も二もその人に據つてゐた、でも斯うまで露骨に、耻も外聞も忘れて據りかゝつてゐやうとは思はなかつた、といふのである。 自ら驚き、はかなんだ樣も見えて、まことに哀れ深い一首と思ふ。
 
   その妻をいひがひなしと憎みつつ罵りつつも歸り來よかし
(287) 何といふ云ひ甲斐ない、意氣地のない妻であらうと憎み罵りながらも、兎に角早く歸つて來て呉れればいゝ、といふその妻の歌である。
 
   十歳《とを》の子と一人の母とたぐひなく頼みかはすも君あらぬため
 十歳かそこらのこの幼い者とその母とが世にないものにかたみに深く頼み交してゐるのも、矢張りあなたがいらつしやらぬばつかりだ、といふのである。
   うらめしと思ふこころもうちかへし寢《ね》にぞ泣かるる逢ふすべなさに
 恨めしいと思ひ昂ることもあるが、直ぐまた埒もなく泣きくづれるのみである。いかばかり恨んだところで、逢へるすべはないではないか、といふのである。
 
   あな戀しうち捨てられし恨みなどものの數にもあらぬものから
 前の一首と同じ。けれども、前のより何だか氣の拔けてゐるのを思ふ。
 
   はれやかに人目ばかりをもてなしてある人にさへならふすべなし
(288) いつも晴れやかに人まへを飾つてゐる人を日頃はうとましくも思つてゐたが、今ではもうさうした人たちの眞似すら出來なくなつたといふのである。あゝいふ風にしてゐたならば、と思つても、それが出來ぬと自らをうとみもし、あはれみもした一首である。
 以下註釋をよして單に歌のみを引いておく。歌はいづれも前の如く平明簡易、而して掬して盡きない力を持つてゐるのも亦た前のと同じである。敢て註釋の要を見ないと思ふ。
 
   待つべしとなだらかに云ひ君やりし人ともあらず狂ほしきかな
   よそものに君をなすとは思はねどただ見がたきがあさましくして
   男をば目はなつまじきものとする卑しきことは思ほえなくに
   また君と見てかたらはん時のいと長きおそれに病するかな
   わかれ住むかかる苦しさならはでもあらましものをうつそみの世に
   身も人もいのちの耐へずなりたらばあはれならまし遠く別れて
   筆とればまたわがこころやるせなく騷ぎそめたり文かかでねむ
 
(289) 私の歌の出來た時
 
   春の歌
 
       梅の花
 
 私は、左樣、この二十四五歳になるまでこの花が嫌ひであつた。いやに白茶けたやうな、而かもいつまで經つても散らうとしないその花も、いやにゴツ/\した幹も、みな氣に入らなかつた。ことに雪霜をしのいで咲くといふ樣なことで昔から讃め上げられてあるのに對してすら何やら反感を持つてゐた。
 ところが廿五歳の春、その前一二年來續いてゐた戀愛關係のやうな出來事の煩に耐へかねて、獨りこつそり東京を脱け出して安房の太平洋岸の或る小さな漁村に遊んでゐたことがあつた。暖かな土地で、まだ一月にもならぬといふにもう其處此處の岩の蔭や松林のなかなどにちらほらと(290)この花の白いのが咲きそめてゐた。どうしたことであつたかその當時の何といふことなく疲れたやうな、何事にまれ一心不亂になることの出來ぬやうな氣持になつてゐた身には、妙にその花がなつかしく感ぜられた。ちやうど私の机を置いて居る窓の前にもこの花が咲いて居た。それを見い見い繪葉書に認めて或る友人の許へ送つたのが次の一首であつた。これが恐らく私の作中に梅の表れた最初であつたらう。拙い歌だが、そんな縁故で私は梅の咲くごとにこの一首を思ひ出す。
   好かざりし梅の白きを好きそめぬわが二十五の春のさびしさ
 
 それを皮切りにして、それから毎年私はこの花の咲きそむるのを見るごとに妙に心をときめかすやうになつた。別に愛らしい花だとも、美しい花だとも思ふのではないが、これが咲けば、オオ、またいつの間にか春になつた、といふやうな哀愁を覺えて、今まで暫く忘れてゐた物思ひとでもいふ風のものに沈むのが癖となつた。自分の心にも過ぎ去つた遠い春が――云へば氣障だが――歸つて來るやうな哀愁に誘はれるのである。次に尚ほ同じ花の歌數首を引いて見よう。
 三十歳の春。
   年ごとにする驚きよさびしさよ梅の初花をけふ見出でたり
   梅咲けばわが咋《きそ》の日もけふの日もなべてさびしく見えわたるかな
(291)
 三十三歳の春。
   梅のはな技にしらじら見えそむるつめたき春となりにけるかな
   梅の木の蕾みそめたる庭の隅出でて立てればさびしさ覺ゆ
 
 これは梅の歌ではないが、同じやうな趣きを歌つた一首。春は私にはともすれば追懷の心のみを誘ふやうである。
   春來ぬとこころそぞろにときめくを哀しみて野に出でて來しかな
 
       櫻の花
 
 嫌ひではないのに、私にはこの花の歌は少い。ずつと以前、十八九歳の漸く歌を作り始めたころには却つて多かつたやうである。然し、それも多くは題詠風の幼いもので、
   母戀しかかるゆふべのふるさとの櫻咲くらむ山の姿よ
   春はきぬ老いにし父の御ひとみに白ううつらむ山ざくら花
   父母よ神にも似たるこしかたに思ひ出ありや山ざくら花
(292)   行きつくせば浪あをやかにうねりゐぬ山ざくらなど咲きそめし町
   朝地震す空はかすかに嵐して一|山《ざん》白き山ざくら花
 などの類である。その次ぎに作つたのは明治四十五年春、信濃の山の中をぶら/\と廻つた末、急に東京が戀しくなつて上諏訪から富士見邊の長い高原を汽車で通つて來ると、その高原を降りつくした甲斐の盆地にこの花が其處此處とほの白く咲いてゐたのを見て大いに驚きながら詠んだ二三首である。前夜泊つた上諏訪には未だ雪が深々と積つてゐたのであつた。
   をちこちに山櫻咲けりわが旅の終らむとする甲斐の山邊に
   見わたせば四方《よも》の山邊の雲深み甲斐は曇れり山ざくら咲く
   雪殘る諏訪山越えて甲斐の國のさびしき旅に見し櫻かな
 
 それから東京に歸つてゐると、間もなく四月の十三日に石川啄木君が死んだ。その臨終の枕邊から縁ひとつ距てた庭には八重櫻が今を盛りと咲き盛つてゐた。
   初夏の曇りの底に櫻咲き居り衰へはてて君死ににけり
   病みそめて今年も春はさくら咲き眺めつつ君の死にゆきにけり
   君が娘《こ》は庭のかたへの八重櫻散りしをひろひうつつともなし
 
(293)     伐木の歌
 
 私の郷里では陰暦の正月四日にどの家でも必ず木を伐る風習が行はれてゐる。いづれもみな薪にするための木であるが、舵初めとか何とか云つて一種の縁起となつてゐる。大正二年父の病氣のため暫く郷里に歸つてゐた時、この日に會つた。父は既に亡くなつたあとなので、私が家長として家人や雇人などと一緒にとある雜木林に入つて木を伐つた。其處は高い大きな山と山との間に挾まれた高原で、林は隨分深かつた。家を出でゝ十年あまりの間手にしなかつた鉈といふものをとつてその水々しい林の中に佇んだ時は、誠に何ともいへぬ心地になつたのであつた。
   われも木を伐る廣き麓の雜木原春日つめたやわれも木を伐る
   春の木立に小斧《よき》振ることのかなしさよ前後不覺に伐りくづしけり
   春の木は水氣《すゐき》ゆたかに鉈切れのよしといふなり春の木を伐る   栂《とが》の木の茂れる蔭に小半時あまり小斧振り伐り倒しける
   山柴の樫の冬青木《もちのき》のいろいろあるなかに椿まじれる悲しかりけり
   椿の木は葉の茂ければぽつたりと冷たき音《ね》してつちに倒るる
   わが伐りし木々のみだれて倒れたる碧き姿を見てあるしばし
(294)   ややありて指にはまめの出來てきぬもはや止めむと木かげに坐る
   青木伐りつかれて村のむすめたち夜床のくしき話をぞする
   さびしさに娘のむれに入りゆけば一人のむすめわれに云ふことに
 
       春の歌
 
 話があとさきになつた。前に引いた梅の白きをすきそめぬの歌の出來た同じ海岸にそれより一二年前、私は一人の女を連れて、ひとに隱れて行つてゐたことがあつた。その時出來た歌を次にあげてみる。春といふ言葉も何もない歌が多いが、兎に角その時は春の初めであつた。そして、よし、その作つた時が春でなかつたにせよ、私には此等の歌を讀み返す時には必ず「春」といふ感じが伴ふのが常である。
   戀ふる子等かなしき旅に出づる日の船をかこみて海鳥のなく
   ああくちづけ海そのままに日は行かず鳥まひながら死《う》せはてよ今   接吻くるわれらが前にあをあをと海ながれたり神よいづくに
   山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇《くち》を君
   いつとなくわが肩の上にひとの手のかかれるがあり春の海見ゆ
(295)   沙濱の丘を下りて松間ゆくひとのうしろを見て涙しぬ
ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ
   君かりにかのわだつみに思はれて云ひよられなばいかにしたまふ
   涙もつひとみつぶらに見はりつつ君かなしきをなほ語るかな
   君さらに笑みてものいふ御頬《みほ》の上に流るる涙そのままにして
   立ちもせばやがて地にひく黒髪を白もとゆひに結ひあげもせで
   このごろのさびしき人に強ひむとて葡萄の酒を求め來にけり
   いかなれば戀のはじめに斯くばかりさびしきことを思ひたまふぞ
   もの多く云はずあちゆきこちらゆき二人は悲し貝をひろへる
   渚ちかく白鳥群れて啼ける日の君がかほよりさびしきはなし
   わがうたふかなしき歌や聞えけむゆふべ渚に君も出で來ぬ
   くちづけの終りしあとのよこ顔にうちむかふ晝のさびしかりけり
   海人のむれ鴉のごときなかにゐて貝を買ふなりわが戀人は
 
(296)       旅の一日
 
 大正五年春、三月の初めに東京を出て松島から盛岡青森津輕と雪のなかを彷徨《さまよ》うて秋田方面から福島市に出て來たのは四月の二十日過ぎであつた。青森津輕の方には梅すら咲いてゐなかつた。秋田には漸くそれが咲いていま七日もしたら櫻が咲かうといふ所であつた。そして福島に着いてみると、既に滿開、市街も、郊外の信夫山も辨天山も到る所櫻と桃との眞盛りであつた。福島の友人と一緒に其處から二里ほど離れた瀬上に他の一友人を訪ねて一泊し、翌朝三人して飯坂温泉に向つた。飯坂は瀬上より二里か三里、その間がずつと開けた平野で、平野を圍んだ四方の連山にはまだ白々と雪が輝いてゐるが、平野一面既に/\春は更け渡つてゐる。変の畑、菜の花畑、その上を彩るものは桃の花である。よほど桃果の出來るところと見え、どの畑にもその周圍には桃が植ゑてある。桃畑そのものもある。その花が丁度いま滿開のところであつた。麗らかに照り入つた日光は、幾日幾夜か打ち續いた酒の後の疲れ果てた旅の身に、而かも今まで右も左も雪の中に埋れてゐて出て來た旅の身に、溶けよとばかりさしてゐる。二人の友とても同じく宿醉《ふつかよひ》の、多くは沈黙がちな疲れた身體である。平野のはてに低い山が見え、その山の麓だといふ飯坂温泉はなか/\眼界に表れて來ない。行く/\歌ひ歌うた歌。
(297)   花ぐもり晝は闌けたれ道芝に露の殘りて飯坂とほし
たわたわに落つる春田のあまり水道邊に續き飯坂とほし
   行き行けば菜の花ばたけ蝶々の數もまさりて飯坂とほし
   友ふたりたけぞたかけれだんまりの杖をうちふり飯坂とほし
   菜の花のすゑの低山やますそにそれとは見ゆれ飯坂とほし
 
       夏の歌
 
        初夏
 
 春の歌の部で、梅が好きになつたといつた心の裏にはいろ/\な理由もあるであらうが、一つは梅の咲くことによつて春の來たのが解るといふ心持が餘程深いだらうと思はれる。春に限らず、一つの季節から次へ移るその間際の微妙な變移に常に私は心を惹かれるのが癖である。春だ春だと思つて、まだ其處此處の畑の隅や堤の上に八重櫻などが咲き盛つてゐるうちに、ふつと眼を移して杳《はる》かの地平線の方を見ると、もう其處にはまるきり春に見られぬ色や形や匂ひを※[横目/卓]めた
(298)雲の姿が動きそめてゐる。おゝ、夏が來た、と思ふ其時のこゝろもち、それを私は限りなく愛するものである。昨今ではそんなでもないが、以前は私は隨分この初夏を歌つたものである。春の騷々しさが過ぎて青葉若葉の頃となると、今迄と打つて變つた靜けさが天地を包んで来る。しかもその靜けさは夏より秋に入る時の靜けさではなくて、何處までもみづ/\しい、そして底に抑へ難い刀を含んでゐる靜けさである。歩いてゐる脚下の地にも、眼にうつる天にも草木にも、身體に觸るゝ空氣にも云ひ難い微妙な力が動いてゐる。それが好きであつたものと思はれる。
 次に其の歌を少し並べて見る。詠んだ場合を説くのをば省略する。それぞれ歌によつて各自に解釋して貰ふのがいゝやうである。幼稚なるを栂め給ふな、もうその幼稚な歌を作つて喜んでゐた可懷しい時代は私にはなくなつたのだ。
   はつ夏の雲あをそらのをらかたに湧き出る晝麥の笛吹く
   ものごしに靜けさいたく見えまさるひとと住みつつ初夏に入る
   木々の間に白雲見ゆる梅雨晴の照る日の庭に妻は花植う
   くちつけをいなめるひとはやや遠く離れて窓に初夏の雲見る
   四月すゑ風みだれ吹くこよひなりみだれてひとのこひしき夜なり
   あめつちのみどり濃《こまか》き日となりぬ我等きそうてかなしみにゆく
(299)   疲れはてて窓を開けばおぼろ夜の嵐のなかに啼く蛙あり
   しめやかに嵐みだるるはつ夏の夜のあはれを寢ざめ眺むる
   空のあなた深きみどりのそこひよりさびしき時に通ふひびきあり
   蛙鳴く耳をたつればみんなみにいなまた西に雲白き晝
   あをあをと若葉萌え出る森なかに一もと松の花咲きにけり
   窓ちかき水田のなかの榛の木の日にけに碧み嵐するなり
   いとかすけく濃青《こあを》のひるの高ぞらに鷲《とび》啼く聞ゆ死にゆくか地《つち》
   あなさびし白晝《まひる》を酒に醉ひしれて皐月大野の麥畑をゆく
   畑なかにふと見いでたる痩馬の草|食《は》みゐたり水無月眞晝
   棕梠の木の黄色の花のかげに立ち初夏の野をとほく眺むる
   水無月の洪水《おほみづ》なせる日光のなかにうたへり麥刈少女
   遠くゆきまた歸り來て初夏の木にきこゆなり眞晝日の風
   一すぢの糸の白雪富士の根に殘るがかなし水無月のそら
   松咲きぬ楓も咲きぬはつ夏のさびしき花の吹きそめにけり
   日を浴びて野ずゑにとほく低く見ゆ涙をさそふ水無月の山
(300) 以上は『別離』の中の歌である。
 
   風光り櫻みだれて顔に散るこころ汗ばみ夏をおもへる
   いちはやく四月の街に青く匂ふ夏帽子をばうちかづきけり
   ふらふらと野にまよひ來ればいつの間に淋しや麥の色づきにけむ
   雲まよふ山の麓のしづけさをしたひて旅に出でぬ水無月
   停車場の汽車の窓なる眼にさびし山變の畑に麥刈れる子等
   木の葉みな風にそよぎて裏がへる青山にひとの行けるさびしさ
   かたはらの地《つち》を見詰めて松の根にわれの五月をさびしがるかな   わが肌の匂ふも肌の上を這ふ蟻の歩みもさびしき五月
 以上はその次に出版した『路上』の歌である。この二歌集の歌を比較してみても其の間に幾らかの變遷のあるのはよく解るであらう。その後も初夏の歌がないではないが次第に少なくなつてゐる。
(301)
       ほととぎす
 
 夏、と云つても同じく初夏の頃が多いが、その頃に啼く鳥をばいづれもみな私は好きである。梟もよくこの頃の夜に啼く。頬白鳥《ほゝじろ》も啼く。みな、性かな、聽いて居れば自づと眼の瞑ぢられてゆく種類のものであるが、その中でもほとゝぎすが矢張り耳だつて聞える樣である。ほとゝぎすといふといかにも古めかしい月並ものゝやうに思はれるが、昔珍重せられてゐたとまた異つた意味に於て私はこの烏を愛してゐる。山奥か、高原か、そんな所でこの鳥を獨りでぢいつときいてゐると、何だか全く現代離れのした、杳かな思ひが胸に宿つて來る。四邊《あたり》の風物も何となく原始時代の面影を帶びて來るやうにも思はれるのである。そして、自分獨りがその中に生きてゐるやうな靜寂をすら覺えしめられる。その思ひにくらべて、歌は多くは説明的な拙いものだが、とにかく引いてみる。
   糸のごとく空を流るる杜鵑《とけん》あり聲に向ひて涙とどまらず
   うつろなる命をいだき眞晝野にわが身うごめき杜鵑《ほととぎす》聽く   ほととぎす聽きつつ立てば一|滴《たま》の露よりさぴしわが生くが見ゆ
   瞰下せば霧にしづめるふもと野の國のいづくぞほととぎす啼く
(302)   眞晝野や風のなかなるほのかなる遠き杜鵑《とけん》の聲きこえ來る
   暈帶びて日は空にあり山々に風|青暗しほととぎす啼く
   朝雲ぞ煙には似るこの朝けあわただしくも啼くほととぎす
   ほととぎすしきりに啼きて空青しこころ冷えたる眞晝なるかな
 
       夏の哀愁
 
 次第に更けゆく夏の眞中、しいんと照り沈んだ眞晝などに何とも知れぬ哀愁を感ずることがある。非常に澄み入つた心の閃きを見ることもあれば、唯だもうやるせない身體の苦惱を覺ゆることもある。
   梅雨雲の空にうづまき光る日はこころ石とも冷えてあれかし
   ほろほろと遠く尺八鳴り出でぬこの曇り日の窓のいづれぞ
   啼きまよひ鳶こそ一羽そらにまへくもり日もわれも流れ流るる
   夏深しいよいよ痩せてわが好むつらにしわれの近づけよかし
   わが顔は酒にくづれつ友が顔は神經質にくづれゐにけり
   おほいなるぱいぷ買ひたし大いなるぱいぷくはへて睡りてありたし
(303)   わが皮膚《はだ》に來て濡るる煤煙その如く獨りを悲しむこころ燃えをり
   指もてつまめば汗ぞしみらに光り居りはだへさびしや蝉なきやまず
   くもり日になきやまぬ蝉とわがこころ語らふごとく衰へて居り
   向つ峰にけふもしらじら雲い立ち照り輝くに獨り居にけり
   輝けば山もかがやき家も照り夏眞白雲わぴしかりけり
   うららかに獨りし居れどうら寒きこころをりをり起りこそすれ
   夏草の花のくれなゐなにとなくうとみながらに挿しにけるかな
   凶鳥《まがどり》の鴉群れなきこもりゐの窓の晝空けぶりたるかな
   日のひかり紫じみて見ゆまでに空にとびかひなくむらがらす
   早苗田のうへをめぐりて啼く鴉早苗萎ゆかになくむら鴉
   みづからのいのちともなきあだし身に夏の青き葉きらめき光る
   土ほこりにまみれ疲れて風の畑の木かげに入れば居たり青蛇
   其處此處とつちの燃ゆるにかなしみて蛇はも幹によぢ登りけめ
 
(304)     秋の歌
 
       川口の沙魚釣
 
 私のいま移り住んでゐるのは相模の三浦半島、東京灣に面した海岸である。右にも左にも眞白な砂濱が續いて、かれこれ三四里に亙つてゐる。
 その砂丘と、砂丘から砂丘に續いてゐる松林との間に出來た小さな漁村に、爲すこともなく暮してゐると、時々耐へ難いさぴしさと所在なさに襲はれることがある。そんな時、私はよく近所の小さな河に魚釣に行く。
 小川は松の茂つた砂山の蔭に淵のやうに淀んで、やがて砂の間を深く縫つて海に注いでゐる。大きな上げ汐の時にはその淀みまで汐がさして來る。その淀みの岸の蘆の深みにゆつたりと腰を下して糸を垂れてゐると、沙魚や鮒などの小さな魚が面白く釣れるのだ。
 蘆の深みの眞向ふには右に云つた松林の砂山があつて、靜かな澄み入つた秋の日光が青黒い木立にしいんと照り沈んで居る。一心になつて釣つてゐたのが、ふとどうかしたはずみで心が逸れ(305)て浮きから眼を離すと、急に四邊のさびしいのに心づく。見體のめぐりはたけ高い蘆ばかりで、背後を見返ると深い竹藪、眼の前には淀みと松山と日の光とがあるばかりだ。その時再び心づかれるのは、浪のひびきだ。それは前面の松山を越えて聞えて來るのだ。
 何といふことなく平常《ふだん》聞き馴れてゐる浪の響に心が惹かれてふら/\と立ち上ると、釣竿をそのままにしておいて蘆を分けながらその濱の方へ歩いて行つた。海は白々と輝いて、續きに續き、波は岸に碎けてゐる。浪の間にごろ/\がら/\と浪にもまるゝ石の音も聞えて居る。
 その時に詠んだ歌。
   秋の濱かぎろひこもり浪のまにまに寄り合ふ小石音斷たぬかな
   秋の日かげ濡れし小石に散り渡り寄せ引く浪を見つつかなしも
   風の音身にこたへつつ砂山の蔭にかがみて秋秋といひし
   白砂に穴掘る小蟹ささ走り千鳥も走り秋の風吹く
 
       芝山
 
 どうかすると、居るにも居られぬやうな、靜かな日に出あふことがある。秋に特にそれが多いやうだ。
(306) 仕事は手につかず、他は勿論妻子にすら逢つてゐるのがつらい。
 そんな時、私はよく手籠に酒と土瓶とを入れて附近の小さな山に出かけてゆく。山は雜木杯の山で、小さな半島だけにそれに登れば四邊の田や畑や、人家や、遠く近くの海原を見渡すことが出來る。大きい深山の靜寂や森嚴は無いが、どことなく親しみやすい明るさを持つて居る。
 其處の程よき場所を選んで、憐寸をすつて火を作り、青い枝を切つて地にさし、酒をうつした土瓶を、それに吊つて火の上にさしかける。火は次第に燃え、酒は漸く強い匂ひを四邊の木立の間に漲らす。木も匂ひ、火も匂ひ、地も匂ひ、風も匂ひ、やがては照り沈んでゐる日光までが酒と同じ匂ひに染まつて來るやうだ。
   靜心しづまりかねつ酒持ちて秋山さして出でゆくわれは
   靜心人目をいとひ秋山の楢葉もみぢの根を踏み登る
   妻にさへものいふ惜み靜心たもちこらへて秋山に來し
   酒煮ると枯枝ひろふに落葉鳴る落葉鳴りそね山は恐し
   獨りなれば躬ながらわれの尊くて居つたちつ酒を焚きたぎらかす
   楢山の下葉もみぢにときをりに風渡りつつ酒煮え來る
   額《ぬか》に觸るる楢葉のもみぢつみとりつ唇《くち》にふくみていふ言葉なし
(307)   酒飲めばこころは晴れつたちまちにかなしみ來りかしこみて飲む
 
       曼珠沙華
 
 秋の彼岸が來れば咲くといふわけか、曼珠沙華のことを普通彼岸花といつて居る。細長い莖のさきに火花を散らしたやうに眞赤に吹き出づるこの花は、いかにも彼岸のあとさき、秋の風のそよそよと吹き立つた田畑の畔などに眼覺むるばかりに見出さるゝのだ。咲く時季が時季のせゐか、そんなに強い色を持つた花のくせに、私にはいつもそれが淋しくのみ眼にうつる。
 その花がいま私の住んでゐる海岸の松林の下草に群り咲くのを發見した時は私は随分驚いた。今まで藪蔭か田畑の畔の半ば枯れかゝつた雜草の中に混つて咲くものとのみ思つてゐたが、眞白に風に吹きさらされた砂丘の上に眞赤に散らばつて咲いたのだから驚いたのも無理はない。
 左の數首がその時の作だ。その日は風が非常に強かつた。そして、よく晴れてゐた。吹き上げられた砂が針のやうに顔に當つて、ともすれば身體まで吹き飛ばされさうだ。充分には呼吸もようしないやうな氣分が、どこか數首の上に傳はつて出てゐるやうだ。
   風に靡く徑の狹さよ曼珠沙華踏み分け行けば海は煙れり
   砂山を吹き越す風を恐ろしみ眼伏せて行けば燃ゆ鼻珠沙華
(308)   砂山のばらばら松の下くさに燃え散らばりしこは曼珠沙華
   眼鏡かけし何か云ひかけ見かへりし曼珠沙華の徑の痩せほけし友
   鰯煮る大釜の火に曼珠沙華あふり搖られつ晝の浪間ゆ
   一心に釜に焚き入る漁師の兒あたりをちこちに曼珠沙華折れし
 
       木槿
 
 曼珠沙華と前後して木槿が咲く。
 この花について左のやうな文章を書いたことがある。この花は盛りが永いので、歌もいつといふことなく、ぼつ/\と出來たのを集めたのだ。
 
       道ばたの木槿は馬に食はれけり
    土用が更けて、しいんと照り沈んだ日中などに不圖この句を思ひ出すことがある。または、土ほこりを浴びた路傍のこの花を見付けて慄へるやうにこの句を思ひ出すこともある。深げに見ゆる夏のうしろに忍び寄つた、明らかな、鋭い、そして寂しい秋のすがたがいかにも鮮かにこの一句に出てゐると思ふ。貞享元年の八月に芭蕉が江戸を立つて大井(309)川をこえてからの吟で『眼前』ともまた『馬上吟』とも題してあつたといふ。
    この六七年來、毎年一度はこの句を思ひ出す。そして、噫、またこの句を思ひ出す時季が來たのかといつも思ふ。今年も既にそれをば味ひ過した。この近傍にはこの花が別して多いやうだ。
 
   濱街道住むとしもなき假住の籬根《かきね》の木槿さかり永きかも
   籬越しに街道を行く人馬車《ひとうまくるま》見居つつさびしむらさき木槿
   たまたまに出でて歩けば其處の家|彼處《かしこ》の籬根木槿ならぬなき
   魚買ふと寄りし藁屋の軒深く魚の匂ひて木槿窓越しに
   さびしきはむらさき木槿花びらに夏日の匂ひ消えがてにして
   この濱の不漁《しけ》の續くや風よけの窓邊の木槿むらさきぞ濃き
   南吹き西吹きて浪の遠音さへ日ごとに變り木槿咲き盛る
   ところがらならぬ破璃戸に風ぞ吹く木槿に晴れし日の續きつつ
   砂ほこり吹きまきし風の夕凪に玻璃戸は重し木槿輝き
   降り立ちて砂ぼこりせる花木槿しみじみ見れば勞れたる身ぞ
 
(310)       友を戀ふる歌
 
 これは別に秋の歌といふではないが、作つたのは秋であつた。
 北の國、西の國、離れ/”\になつてゐる友の誰にも彼にも久しく逢はぬ。元氣のいゝ連中も居ないと見えて、かんばしい手紙一本よこす男もありはせぬ。さう思へば思ふほど、逢ひ度さが募つて來るが、サテ、逢つたところで昔のやうに打解けて隅から隅を打ち出して、物語るやうな若い心の者もゐなくなつたであらう。それにしても一度打ち寄つてゆつくり酒でも飲みたいものだといふ時の作であつたと思ふ。拙い歌だが、さうした心は今でも心の何處かに燃えて居る。
   木犀の匂ふべき日となりにけりをちこち友の住みわびし世に
   笑顔泣顔さらぬげにただ見合ひつつ夜明けてもなほ酌まむとすらむ
 
       秋のこもり居
 
 朝、起き上つて戸を繰ると寢衣《ねまき》の肌に吹き込む風が何といふことなく身にしみて、いつ散つたとも知れぬ木の葉が庭に散り敷いてゐる。さうした朝夕が次第に重つて秋の更けたのが眼に見えてわかるやうになると、私は殆んど毎年のやうに妙に考へ込む癖がある。今まで何の氣なしにぽ(311)い/\とやつてのけて來た自分の擧動、さうしながら續いて來てゐる自分の現在、さうした種々のことが何だか急に事新しくはつきりと頭に浮んで來る。そして批判したり玩味したりしてゆく多くのことが殆んどみな悔恨となり、咒咀となつてゆく。
   わくら葉の青きが庭に散りてあり朝はひとみのわびしいかなや
   思ふままにふるまひてさてなりゆきを見むと思ふに心つめたし
   死を思ひ樂しむは早や秋の葉の甲斐なきごとく甲斐なかりけり
   われならぬ人居りてけふもわが如くわびしき事をしてゐたりけり
   とりとめて何も思はぬ時おほし葉の散るごときわが身なるらん
   ふかきより浮び出でつつ心ややあらはになりて悲しみてゐる
   髪の毛のひとつひとつがよごれゆくごとき淋しさ身を去りかねつ
 
     冬の歌
 
       雪來る
 
(312) 國境の遠い山々にほの白く雪の來る頃、私はこの晩秋初冬の季節に次第に親しみを覺えて來た。落葉をかき集めて火をつけた煙の靡いてゐる郊外の村などをぶら/\と歩くのも靜かな心地だが、室に籠つて窓さきの日光に親しんでゐるのもなつかしい。
 二首、いづれも舊作。
   いと靜かにものをぞ思ふ山白き十二月こそゆかしかりけれ
   甲斐が根に雪來にけらしむらさめのいまは晴れてなうち出でてみむ
 
       落葉
 
 晩秋初冬をなつかしむ心持はやがて落葉をなつかしむ心持となりやすい。惶《あわただ》しい外界を主なる對象としてゐた春や夏や秋の半ばが過ぎると、自然に心の瞳は自分の内の方へと向つて來る。われとわが姿を見入るやうに、心は心のみと親しまうとして來るのである。そしてさうした季節のききがけとなつて私の眼に映るものは落葉である。
 單に落葉をするといふその事がなつかしいのか、落葉する季節がなつかしいのか、落葉の歌は私にはかなり多いやうである。舊作と思はれるのから順次に引いて見よう。
   われ生れて初めてけふぞ冬を知る落葉のこころなつかしきかな
(313)   いかにせむ胸に落葉の落ちそめてあるが如きを思ひ消し得ず
   落ちそめてあるが如きを思ひ消し得ず
   かへり來よ櫻黄葉の散るころぞわがたましひよ夙く歸り來よ
   ことごとく落葉しはてし大木にこよひ初めて風のきこゆる
   晴れわたる空より木より散り來るああ落葉《らくえふ》のさまのたのしさ
   身を起しまた忍びやかに歩みいでぬ落葉ばやしの奥の木の間を
   手ふるればはららはららと落葉《らくえふ》す林のおくのひともと稚木《わかぎ》
   かへり來て家の背戸口わが袖の落葉松の葉をはらふゆふぐれ
   長月のすゑともなればほろ/\と落葉する木のなつかしきかな
   火の山の老木の樅《もみ》のくろがねの幹をたたけば葉の散り來る
   眼の前に散りし木の葉に惶しくもの云はむとし涙こぼれぬ
   木の根に落葉かき敷き手をあつるわが廣き額《ぬか》のなつかしきかな
   すがれつつ落ちゆく秋の木の葉よりいたましいかなわれの言葉は
   おほらかに風なき空に散りてゐる木の葉ながめて窓とざすかな
   風もなき秋の日一葉また一葉落つる木の葉のなつかしきかな
   秋の葉の日に光るかなひそひそと急ぐは早やも散りしきりつつ
(314)   玉に似てこころふとしも靜まりぬ路傍の落葉踏むに耐へむや
   わが行けば落葉なり立ち紙溪を見むと急げる心さわぐも
 
       冬の山
 
 落葉を戀ふる心はまたともすればその落葉の深い山かげにあくがれてゆく。實際、何か忙しい仕事などしてゐる時でも、ふつとこの眞冬の山のことを思ひ起すと矢も楯もたまらぬやうに戀しくなつて來る。ちやうど、さういふ時ぶらりと信濃をさして出かけて行つたことがあつた。その時の歌數首。
   おなじくば行くべきかたもさはならむなにとて山へ急ぐこころぞ
   問ふなかれいまはみづからえもわかずひとすぢにただ山のこひしき
   さびしさを戀ふるこころにうづもれて身に事もなし山へ急がむ
   山戀ふるさびしきこころ何ものにめぐりあひけむ涙ながるる
   山に入り雪のなかなる朴の木に落葉松に何とものをいふべき
 
       冬の海
 
(315) 山に限らない、海さへ冬はさびしい、靜かなものである。もつとも之れは東京灣の入口に當つてゐる靜かな海である。私はその海邊に靜かな冬を二つ過した。
   おほよそに見し海ぎしの芝山の冬近づくと黄葉しにけり
   濱につづく茅萱が原の冬枯に小松まじらひわが遊ぶところ
   真冬日のひかり乏《とも》しき細海に漕ぎ出る船のかぎり知らずも
   向ふ岸安房の國邊の山かげに一むら黒き釣舟のかず
   横濱に入り來る船か煙あげ入日の崎を廻り浪見ゆ
 
       時雨
 
 時雨が非常に好きなくせに、どうしたものか時雨の歌が少い。しかも、林や山の時雨でなく、僅かにあるそれらは悉く屋内でのそれである。冬の夜、獨りで起きてゐることの好きな癖が偶然この數首を作らしめたのかも知れない。
  その一。
   こよひまた眠られぬ身に凍みひびく冬の夜雨は神のごとしも
   夜の市街もわが身もいとど凍みとほり氷れとごとく時雨降るなり
(316) その二。
   望《もち》ちかき夜にかもあらめ時雨ふり籠りて聞けば浪のゆたけき
 
       冬の夜
 
 その一。
   火を斷たじ沸湯《にえゆ》たたじとつとめつつ或夜さびしく起きてゐにけり
   わがそばに火ありて水を煮るを得べし玻璃のうつはに水も滿ちたり
   消すまじとこころあつめて埋火に向へる夜半を雪凍るらむ
 
 その二。
   とりとめて物思ふとにはあらねども夜半獨り居るは樂しかりけり
   つま子等が寢くたれ床を這ひ出でてともし掻き上ぐる冬の夜の机
   箱の隅の粉炭《こなずみ》つげば何の枯葉かまじりて燃ゆる匂ひするなり
   長火鉢にひとりつくねんとよりこけて冬の夜飽かず思ふ錢のこと
   棚の隅あさり探して食ひものに鼻うごめかす冬の夜の餓鬼
 
 【作歌捷徑】批評と添刪
 
        内容
 第一編 □歌の大道の向ふべき所を指示す
 第二編 □よき歌とあしき歌との區別を詳説す
 第三編 □初歩作家の陷り易き病弊を一々引例批評し且つ添刪せり
 
     序言
 
 すべて實地の作例に就き、小生の意見感想を述べて作歌上の參考に資したい希望から本書を編んだ。單に參考といはず、本書を讀む事によつて歌に對する興味の深まる樣にとの願ひも籠つて居る。
 
 本書に輯めた文章の多くは一度雜誌『創作』に掲げたもので、本誌とか本號とかいふ風の言葉の出て來るのなどはそのためである。文中引用せる作例の歌はすべて小生の主宰せる歌の結社創作社々中の人の作から引いた。作者の名はすべて略いておいたが、かれこれ二百人ほどの人の歌が論議せられてゐる。
 
 多くはその場その場に書きすてたものを輯めて謂はゞ杜撰なるものであるが、我等と同じく歌の道に入らうとする初歩の人々にとつて多少の刺戟ともなり手引ともなつて呉れゝば難有い。
  大正九年九月             駿河沼津の在にて
                          牧水生
 
(321) 歌についての感想
 
     生命の欲求力その他
 
 うまいの拙いのとはいふものゝ要するに眞實の歌の出來る第一の要素はその作者が自ら營む生活に對して如何に熱心であるか忠實であるかに係つてゐる樣である。自分の生命を追求し、欲求する力が強ければ強いだけ、性質や器用不器用の差によつて表はれる形や色彩には種々あらうが、根本に於て動かす事の出來ぬ強みをその人の歌は持つてをる。つまり、自分の生命、自己の生きてゐると云ふ事に常によく目をとめてゐる人、尚ほ其處から進んで自分みづから自分の生を營んで行かうとする人、それらの人たちから僅かに眞實の歌が生れて來る樣に思ふ。これには意識してさうやつて行く人と無意識の裡に自然にさうなつてゐる人との両樣がある樣である。例へば萬葉集時代の作者はその後者に屬し、我等現代人の多くはどうしても前者に屬し勝ちの樣であ(322)る。即ち意識して自己の生を營んで行かうとする部類に屬する樣である。
 そして普通「歌を作つてゐる」といふ人たちは多くは眼の前に見せられた「歌」といふ藝術品の魅力に釣られて、何だか知らないが自分も作つてみたくなつたといふ調子で殆んど無意識の裡に一種の物眞似をしてゐるに過ぎない樣である。さうしてゐるうちにその既成の藝術品――「歌」から刺戟せられ啓發せられて無意識ながらに前に云つたと同じ樣な、即ち自己の生命の欲求力に促されて作るとほゞ同じ樣な傾向を生ずる事がある樣である。が、謂はゞそれは偶然な、間接な結果に過ぎない。從つてさう云ふ所から自己の才能のあるに任せて(才能のある人は)徒らに形式の整頓若しくは裝飾に腐心する樣になり易いのだと思ふ。斯くて極めて全身的な、靈的な爲事であるべき所から移つて眼さき手さきの爲事となる樣になるのである。自然「歌」といふものが「自己」と直接でなくなり、机の上雜誌の上のものとなり移つてゆくのである。さうして次第に「樂しみもの」「慰みもの」の端となつてゆくのである。
 よく世間で生活を二つに分けて靈と肉との兩樣から成り立つてゐる樣に云ふ。そしてその肉の方面の欲求にかけては各自漏なく熱心である樣だが、一方の靈の生活に對しては一般に極めて漫然たるものが多い。知らず/\その欲求が心に萌して來ても多くは見て見ぬふりをするか乃至は力めてそれを押しつぶさうとする人が多い樣である。どうしてさう云ふ傾向になるか、據る所も(323)おほいであらうが、肉の方の生活に追はれるとか、一種の懶惰《らいだ》からそれ追及する事をやめるとか、さはらぬ神に崇なき安逸に耽るとか、いづれさうした原因などから起つてゐるに過ぎないと思ふ。そして、それらをなす根抵には矢張り「無知」が横はつてゐるに相違ない。自分の生活、唯一絶對の自分の生活、それに對して多少の了解を持ち始めたならば到底さう暢氣に過してゐるわけには行くまいと思ふ。
 さう云つたからと云つていきなりそれが具體的に一首々々の歌に詠み出でらるべきではないが、要するに歌を詠む最初の態度を斯うときめて置く必要があるといふのである。即ち各自の生活と歌といふものとが今少し直接にならなくては駄目だといふのである。「歌を作る」といふ事を片手間の爲事とせず、上品な氣の利いた慰みとせぬ樣にしてほしいと云ふのである。この問題は最も直接に各自が朝夕の上に係りつゝ遙かに一生に通じてゐる事であるのだ。
       〇
 村夫子といふ言葉の故事來歴をいま私は知らぬ。中學で漢文の先生から教はつた樣な氣がするが、思ひ出せない。然し、村夫子といへば直ちに或る種の型を持つた人物を想像することは出來る。村での物知りで、小さなお天狗で(わるく云へば井戸の蛙で)憤りつぼくて、多くは好人物でよく細君の尻に敷かれてゐる――さう云つた人物をだ。そして私は折々おもふ、どうも創作社(324)にはこの村夫子式の歌よみが多くはないかと。
 もの知りの程度も多くは時代遅れのそれである。遠目には見ても現代の生活に觸れようとせぬ。觸れぬどころか確と見定めて調べて見る事をもせぬ。彼が持つ聰明には何等能動的の力が伴つてゐない。即ち自己の聰明を外に動かすだけの活氣を缺いてゐる。ただ退いて守る、君子危きに近よらぬ種類のそれである。そして兎もすれば雲を南山の麓に眺め菊を東籬の下に採るといつた風の彼等の先輩であつた村夫子の遺して行つた享楽法を取つて人生全しとしやうとする。自分から欲して享樂しようとするのでなく、與へられたる習慣と形式とに從つて無意識にその中に赴いて安座するのである。而してさうする事を自己獨りのみが能くし得る一大事業の如くに不用意にも考へ込んで極めて安價な驕慢を持つ。そして、私のみる所では、さうした中から當人甚だいい氣持になつて歌といふものを作る――と云つたところがありはせぬかと思ふのだ。
 さう云ふ種類の歌には多くは歌の周圍に古固い殻がくつ着いてゐる。歌はれた喜びにせよ悲しみにせよ、すべてきまり文句の型に入つたものである。そしてそれらの歌は作る人にも讀む人にもお互ひの生活に何等の直接さを持つてゐない。たか/”\朝夕の盆栽の代りに見て樂しむ位ゐのところである。
      〇
(325) 女人の或る種の人は進むとなれば實に速かに進む。添刪をしたり批評をしたりするにも斯の種の人を相手にするほど張り合ひのある事はない。效果がめき/\と眼に見えてゆくからである。
 が、さうした人は或る程度まで進むと多くはぴたりと停つてしまふ。そして一度停つたとなつたら一向もうそれ以上には進まない。即ら押せども突けどもいつかな動かぬ形となるのだ。どうしてであらうかと常に私はその事を考へてゐる。いま我等の仲間には割合に多くの女流作家がある。そしてそのいづれもがいま頻りに向上の途にある。どうか限りなく/\進み進んで、右いふ固定状態に陷らぬ樣に祈りたいものである。
 
     夜話
 
 病みついてゐた兄妹のうち、初め危險がられてゐた妹の方がさきに起きられるやうになつた。或日、床から出て來て、臺所に近い茶の間の隅にぺとりと坐つてゐたが、何を聞きつけたか疲れ果てた眼を幾らか輝かしながら、
 『ホラ鳴いてる、キイヤー、キイヤーつて』
 なるほど、臺所の流しもとあたりに蟋蟀が鳴いてゐた。水甕の蔭にでもゐるのか、靜かな晝さ(326)がりを極めてかすかに折々思ひ出した樣に鳴いてゐた。
 この四歳になる病みあがりの子供の耳を澄ました姿を見て思はず私は涙ぐましい氣になつた。なんといふ靜かな姿であつたらう。
 我々が自然を見る時、或は聽く時、どうかすると斯うした靜かな自然な、姿になる事がある。しかもそれは極めて稀な事ではあるまいか。
       〇
 地味のせゐか、私の今住んでゐるあたりには桐が澤山植ゑられてある。私の家の窓からも、縁からも臺所からも厨からも、到る處に眼につく。近くに見てゐるうちに段々この木が好きになつて來た。幹や枝やその木質も好きだが、葉はことにいゝ。ばかばかしいほど大きくて厚くて、色は純粹でそして脆い。この頃、この葉が頻りに落ちる。庭にも、門の前の小徑にも、新しいのゝ散つて居るのが朝々眼につく。
 風を感じ、季節を感じ、およそこの木位ゐ感じ易い樹木は無からう樣に思ふ。自然の變移がその一本の木に質にあり/\と見えて行く。どうかしてこの親しい樹木を充分に歌つて見たいと思つてゐるのだが、どうしても出來ない。やはり此の木と同じく飽くまでも自然に飽くまでもすなほに、そして感じ易くならなくては駄目なのかも知れない。
(327)       〇
 もう刈られたらうが、ツイ先頃まで附近の郊外に出かくると到る所に蝦夷菊の花が眼についた。黍や葱や陸稻などに隣つて矢張り大きな畑に作られてゐるのだ。滿開の頃はその畑一面が眞紅の花で埋つて目が覺める樣であつた。市中で賣つてるのなどを二三本手に取つて見れば何んだか造花くさい下品な花で、今まで私の嫌ひな花の一つであつたが、斯うしてみづ/\しく畑に咲き盛つてゐるのを見ると、またまんざらでも無い樣に思はれて來た。幾度もこの花畑の側を通るうちに一つ二つとその花の歌が出來かけたが、どうも氣に入らない。で、或月わざ/\手帳とペンを持つて其の畑へ出かけて行つた。その畑はまだ新しく開墾されたものらしく、小さい流に沿うて、畑に隣つた荒地には鐵道草などが茂つてゐた。
 その荒地に坐つてかなり長い時間を過した。歌は思ふ樣に出來なかつたが、然しいゝ心持の時間であつた。こまかに見てゐると花や葉の色や形、またはその根の土などに今までに知らぬ親しみを感ずる事が出來た。こちらから親しんで行けばゆくだけ、自然は我々に親しみを寄するものである事を此頃しみじみ感じてゐる。
       〇
 或る日、或る雜誌の記者が來て、月の歌を十首、明日の朝までに作つてくれといふ。亂暴な話(328)だが安受合に受合つて兎に角原稿紙を擴げてみたが一向に出來ない。
 その夜は月夜であつた。これ幸ひと庭に出て空を仰いでゐるうちに、いつか歌の事など忘れてしまつて、實に久しぶりに、少し大きく云へば生れて初めて見るやうな氣持で、心ゆくばかりその夜の月に眺め入る事が出來た。
 月だの星だのと云ふものまで、我々はおほかた忘れて暮してゐる樣に思ふ。       〇
 繪畫の季節になつた。見ずにしまふのも心殘りで、忙しい時間を割いて院展にも二科にも一寸行つて見た。たまらないと思ふほど好い作も見當らなかつたが、矢張りちよいちよい心を惹かれながら見て廻つた。何しろ數が多いので疲れるには疲れるが其處を出て來たあとの心は何といふ事なしに淨められてゐるのを感ずる。其處が藝術の力だと思ふ。
 畫を見ながら折々は歌のことを考へた。平常から『繪具が使へたら……』と思ふことの多いだけ、その畫の前に立つと思ふ事が多かつた。また、教へらるゝところも多かつた。
 すぐまた文展が開かれる、出來るだけ丁寧に見らるゝことを諸君にもお勤めする。
       〇
 昨年の今ころであつた、私の發表した或る一連の歌に對し、三井甲之氏が批評した中に、こん(329)どの歌の中には名詞止めに終つてゐるものが多い、名詞止めに終つてゐるものには多く理智で作られた歌が多いものだ、それがいけない、といふ風の意味のあつた事を記憶する。
 なるほどその時の歌は幾らか強ひて作つた、頭で拵へた、即ち理智でこね上げたところがあつたのである。そこへ同氏の批評を見たので、甚だ參つてしまつたのであつた。この事は今でも常に私の心に殘つて、自分の作を見る時でも、他の作を見る時でも、よく引き合ひに出して考へて見る。そして今では一概に名詞止を否定するではなく、此處にまた一境地があるのだとも考へ出してゐるが、兎に角普通名詞止めの歌を見れば大抵無感動な、作爲的な、筋書き式のものが多い樣である。
 創作社にもかなり名詞止めの歌を作る人がある。或る人になると毎月々々過半がそれである。
 めいめいに自分の歌をこの見地から批判して見る事を希望する。
       〇
 全然無感動ではないが、その感動にかなり不純なものや稀薄なものゝあるのを思ふ。不純なものゝ多くは歌らしい、歌人らしい感動をすることである。或は一のものを十の樣に誇張することである。中には御芝居式の贋《にせ》感動をする人もゐる。これらの人の歌はその弊が直ぐ目立つて解るが、稀薄なものの方は一寸目に立たぬことがある。
(330) 稀薄な感動を稀薄なものゝ樣に現はしたのだからいかにも自然でよさ相だが、矢張りいけない。つまり初めからその歌の影が極めて薄い、あつても無くてもよさ相なものが多い。
 斯うした歌を作る人も、また前に云つた名詞止の人と同じく一度か二度でなく、大抵一年を通じて同じいやうな心細い歌を作つてゐる。その歌を見ればその作者の影のうすいまぼろしが自然と眼の前に浮いて出て氣味のわるい思ひをすることなどがある。
       〇
 不純なものは云ふまでもなく、稀薄なものやその他、この頃の歌の調子が極めて低くなつた。歌に少しも張りが無い。澄みが無い。
 一首の初めから終りまで、凛として張つてゐるといふところが無い。一句々々ばらノ/\に挫折してゐるか、へな/\に萎縮してゐる、若しくは空調子の空洞なものである。松の風が吹き澄んでゐる、その澄んだところが無い。
 歌ひ上ぐると云ふ張つたところ、歌ひ澄ますといふ澄んだところ、これらは即ち昔からいはれてゐる歌の調べである。景樹のいはゆる「歌は理わるものにあらず、調ぶるものなり」の謂ひである。
 窪田通治氏はこの調べを書の筆勢にたとへて居られた樣である。書いた文字は同一文字でも書(331)く人によつてその文字に活きたのと死んだのが出來る。その筆勢、それが即ち歌に於ける調べであると。
       〇
 「ことわるものにあらず」のことわるといふのは斯う/\だと説き明かす、斯う/\だと申述べる、の意である。ところが多くの歌は大抵自分の心を直ちに歌ひ上ぐる事をばせずに、大抵は斯う/\だと説明してゐるのだ。その説明もまた一向に力のない、冴えの無い説明が多い。
 このしらべの張る張らぬは技巧の不備からも來るが、まことはその作者の生活の強弱に由來する。いはゆる影の薄い人からは影の薄い歌しか出來ない事になるのだ。また此處でいふ影の薄い人は決して病弱の人を指すのではない。獨歩にせよ、子規にせよ、透谷にせよ、啄木にせよ、みな病弱な人であつた。そして、何れもあゝした張り切つた作品を殘して行つた。私のこゝで謂ふのは、自分の生きてゐる事について何等の考慮執着を持たずして生きて行く人を主として指すのである。自分といふもの人生といふものに就いて何の知るところのない人、考ふるところの無い人、さうした人たちに取つて此の自然が何であらう。人生が何であらう。同時にまた藝術が何であらう。
 私はやゝ深入りして云ひ過ぎやうとしてゐた。全然自分の生命に就いて考へる事が無いとまで(332)行かずとも、それを考へようとする努力の強弱、または自己の生に對する執着心の濃淡が自然とその生活力の強弱を誘ひ、それはまた直ちにその歌の上に反應して來るのである。濃きものは濃く、淡きものは淡く現はれて來るのである。
       〇
 いのちの寂しさに耐へ兼ねて叫ぶ聲。よろこびに擧ぐる聲。それが即ち我等の歌でありたい。
 私はまた斯うも思ふ。みづから擧げたその叫びによつてその寂しさはさらに鋭く、よろこびは更に深く、歩一歩我等の生命の歩みに力を添ふるものが即ち我等の歌でありたいと。
 
     青葉の窓より
 
 おもしろいと思ふ歌が、一向に世に影を絶つてゐるやうである。面白いといふのに語弊があるならば、もつと生々しく身に沁む歌と言つてもいゝ。作歌者、若くは和歌研究家の間ばかりでなく、平《ひら》の人間として親しみを感ずる歌の意味である。
 
 うまいなア、と思ふ歌は或はあるかも知れぬ。なるほど、うまいことを言つてる、みごとなも(333)のだ、と思ふのには折々出逢ふが、そのために動かされる心の量は誠に僅かなものである。自身に歌を作つてゐればこそ感心もするが、でなかつたら何でもないほどのことが多いのである。また、或る趣味の上から或る種の歌に同感の出來る事もあるが、これとても唯だ微笑に値ひするだけのことである。
 
 生地のまゝの人間の歡び、悲しみ、寂しみを歌つたもの、よろこびかなしみさびしみそのものであるところの歌がほしいものである。言ひ得べくば、技巧などはどうでもいゝ程度に生々しいものが見度いのである。
 
 眞物の萬葉の歌を讀む時、私は幾らかこの渇仰の滿足を感ずる。が、悲しいかな永い「時」が彼と私との間を距てゝゐる。生地のまゝの歌であると承知はしてゐても、どうしても離れて取扱ひたい氣が湧いて來る。その歌のなかに全身ををさめて滿足してゐることが出來ない。
 
 現代の、いま眼の前に生きて動いてゐるお互ひのよろこび、かなしみ、さびしみ、それがそのまゝに歌ひ度いのである。極めて微かで盲目である私ごときものゝ生命のうちにすら、かなり眼(334)に立つよろこびかなしみさびしみが動いてゐる。深く眞實に生きてゐる人のいのちにはどんなにかそれが大きく深く波打つてゐることであらう。なぜそれをそのまゝに歌ひ出して、聽かして呉れないのか。
 かすかながらも人間といふもの、われといふものが自分の眼のうちに見えて來てからは、私は絶えずいろ/\の絶望や寂寥や、または尾鰭の無いよろこびやを感じて生きてゐる。大小はあつても、書き棄てられた幾十幾百第の小説戯曲、若しくは繪董彫刻の類には、片々とそれが溢れて、浮いてゐる。ひとりわが短歌にのみ、その影の見えぬのはどうしたものか。
 
 歌には歌として永い間に結ばれた約束があるといふ。が、その約束は果して歌をして次第に人間世界と緑を絶つてゆくために結ばれた約束であるのだらうか。歌の創立者、彼の萬葉集の作者たらは果してさういふ心でその約束の根をおろしたのであらうか。歌といふ約束、歌の境地や歌の形は人間のためにそれほど不便な、厄介な器物であるのであらうか。
 
 理窟はいらない、また知りもしないが、兎に角私は前に云つた樣な歌がほしくてならぬ。また、出來ねばならぬものであり、出來るものと信ぜられてならない。
(335) 実際、私の心はいま現在の歌に對して永い欠伸をしてゐるのだ。
 芭蕉西行のさびを言ふ人がある。ありがたいものに私もそれを眺めては居る。が、其處に到り着く長い道程をおもふ時に私共はもう堪へがたい焦燥と、その反動の冷淡とを感ぜずには居られない。
 あまり遠くのことをば考へてゐたくない。兎に角に眼の前のことを片づけてからにしたい。胸にこびりついてゐるこの惱ましさから取り除いて、大きなことも、遠いことも考へ始めたい。私には何よりも先づこの生の身が氣になつてならぬ。
 
 歌に就いて斯うしたことを云ふにつれて、今更に不安を感じて來るのはこの身の處置である。ぼんやりとはしながらも絶えず私には自分の過去が思ひ出されて來る。これから以後のことも頭に上つて來る。さうした時の悔と不安と苦惱と――、私は矢張り何は擱いても自分の眞實の生きかたを講究して行かねばならぬのを繰返して思ふのである。
 
(336)     桐の葉の蔭
 
      その一
 
   砂丘に立らて沖見る海女《あま》の裾いと寒げにも靡く夕かな
   夕風に白帆孕ませすなどりの船かぎりなくあらはれにけり
   かそかにも煙をながくたなびかせ機械漁船は歸り來にけり
   九十九里ここの荒海を走り來る機械漁船の煙なつかし
   赤き旗あをき新旗なびかせてすなどり船は歸り來にけり
   つぎつぎに水平線にあらはるるすなどり船は限り知られず
   大船を陸にあぐると海女あまた波打際に入りにけるかも
   鬨の聲をり/\擧げつ海女あまた大漁の船引きあぐるなり
   波の音も消ええなむばかり大漁にゆふべの磯の賑ひにけり
   男どち船にすがりて女どち綱にすがりて引きあぐ船を
(337)   潮騷《しほざゐ》に入りつつ船を引きあぐる海女の裳裾のしとどなるかも
   大漁の夜の濱邊のなつかしさかがり火赤くそらを染めつつ
   北見れど南を見れど九十九里引きあぐる船のかぎり知られず
                   (前號所載 三橋たかを)
 これらの歌を讀んで先づ快く感ずるのはその自由な點にある。わき目をふらず、たゞ一心に、自分の心に感じた儘を、歌はうとするところを、歌つてゐる點にある。いはゆる「歌臭く」ない所にある。讀んでゐて先づ心に我等も作者と同じ自由を感ずる。作者の心の開き心の動きが何等の障りなくいかにも心地よく我等の心に傳はつて来る。歌らしい美しい言葉や、持つて廻つた格調といふ風なものも無いが作者の感じた感動はかなり純粹に我等の心に通じて來る。いろ/\の理窟をば別にして歌は先づ斯う行かなくてはならぬとおもふ。歌のはじめが即ち斯うであつた。
 よく見ればこれらの歌にも缺點はある。先づ第一にまだ何處やら薄いところがある。淺いといふ感じを持つ。不消化な所もある(よく知らないがこの作者は二十歳そこ/\の小学校を出た程度の農天であるらしい)。然し、徒らに深く強くといふ概念を以て「歌」を作爲するより、生のまゝの、心のままの此等の作品に對してまだ/\私は深い尊敬を持つのである。此等の歌はいはゆる「歌」といふ垣根に距てらるゝ事なく心から心に通ふ或る廣い世界を持つて居る。讀者は心(338)を平かにし、身體を豐かにし、極めて安らけく此等の作品に對する事が出來る。掌に取り、檢微鏡臺に載せ、咳一咳《がいいちがい》して覗き込む窮屈さを感ずるに及ばぬ。あゝだ斯うだといぢり廻してゐるうちにいつか粉となつて飛んでしまふ樣な――そんな事になりはせぬかと氣遣はるゝ樣な不安さを持つ事なしに、何はともあれ先づ自分の心を打ち開いてそれに親しんで行ける親しさを覺ゆるであらう。慾はあるが、大體に於て斯うした行きかたを私は歌の上にとりたいと思ふのだ。
 この歌の校正の出た時、印刷所の校正係の四十近い男が沁々とした聲で、
『斯ういふ歌ならば私どもにもよく解りまするなア』
と云つた。歌に無知な單なる校正係の故を以て、この言葉を蔑視する事を私は好まぬ。
 
   生きの日のわがけふまでの闘ひは苦しきことに盡きたりしかな
   死ぬべしとひそかにおもふ人間の覺悟はいかに哀しからずや
   意地も棄て望もすてて死ぬべしと男泣きに泣く夜半の寢覺に
   何となく今日は朝より寂しくて醫者來る時の待たれぬるかな
   醫者待ちて胸をうたるるその音がわが樂しみの一つとなれり
   髪も伸び髯も伸びたる病人のわが貧相は生き恥さらし
(339)   身動きは今日はならぬとあきらめてベツドのそばの花見てありし
   氷嚢を額に載せしつめたさの心よろしきに眼を瞑づわれは
                      (おなじく 山崎三春南)
 これ等はどうだ。
 更に
   はなばなしく降りしきりゐし牡丹雪のいつかあたたかき雨となりつつ
   空しろくうるほひわたり時ならぬけふ牡丹雪のこの里に降る
   あたたかき雨にまじりて降る雪のあまねき光そらに充ちつつ
                      (おなじく 潮みどり)
 これ等はどうだ。
 
 衒ひや、氣取りや、小手先や、乃至屁理窟をよせ。歌を、指さきに、ペン先に、机の上に、ノートの上に、若しくは俺は物識りだとおもふ頭の中に在るものと思ふな。唯だいつしんに自分の心を視よ、心の底を視よ、其處の清さを見よ、深さを見よ、其處にのみ歌は在る。眞實の歌は、唯だ其處にのみ在る。其處からのみ生れる。
(340) 要するに、心を絶對に純潔に持て。若しよごれてゐたらば何はおいても純潔にせよ。その純潔の心を張り、強め、さうしてその心そのまゝに歌へ。何もその場合考へてをる事はいらない。
       〇
 極めて正直に、心そのまゝの姿を歌は現す。謂ひ得べくば、作者そのまゝの人間を歌はあらはす。
 大きな心からは大きな歌が小さな心からは小さな歌が、靜かな心からは靜かな歌が、とり亂した心からは取亂した歌が、何もわからない心からは何も解らない歌が(歌でない歌が)偉人からは偉きな歌が、へなちよこからはへなちよこな歌が、實に可笑しい位ゐ正直に出て來る。
 歌は自分の鏡だ、と私はかつて本誌に書いた。近來ます/\その感を持つ。作つた歌を見て、自身をかへり見よ、其處におん身はどんな感じを持つか。
 樂しい新しい踴躍か、居耐らぬ慚愧か。その場合おん身は更に自身に對して、歌に對して、どんな處置をとらうとするか。みづから更に新しく生きようとするか、眼を瞑つて自ら殺すか。
 
 一番困るのは何も解らないで解つた樣な顔をしてゐる連中だ。少しでも歌が解つて來たら黙つ(341)て置いてもどうにか斯うにかその人は自分で動いて行く。行かずには居られない。解らない連中は、要するに縁なき衆生だ。而して、歌を詠んで見ようと兎にも角にも思ひ立つた人間には何處にか歌の解るべき素質がひそんでゐるのだと私はおもふ。そして、解ると解らぬとは努力の差と、行かうとする方角の違ひから生じて來ると思ふ。
       〇
 解る、と一口に云つても其處にまた夥しき程度がある。小さな歌から大きな歌へ、へなちよこからさうでない歌へ、と進んで行く一歩々々の道が實に無限であるが如くにだ。
 私はこのごろつく/”\さう思ふ、何だ彼だといふが自分等の現在作つてゐる歌は要するに常に拙劣甚しいものだと。要するにそれらは向うに望んで居る所へ達しようとする道中のみち草に過ぎないと。
 向うに望んで居るもの、それは實に廣大無邊なものかも知れない。が、それは不思議にしみ/”\と現在の身に見えて居る、感じられて居る。さうして一心に其處に向つて心は急ぐ。その道中に知らず/\落して行くものがいはゆる現在の自身の作だ。向うを望んで居る眼から、心から見ればそれは實に見苦しいものが多いのだ。
 然し、要するにそれら見苦しいものも親しく自分の身から出たものに相違ない。それらを除い(342)ては現在の自身といふものは何處にも無くなつて了うのだ。僅かにそれによつて現在の自身を知るほかはない。その意味に於て私は現在の自身の作をいつくしむ。實にかなしくいとしく、二なきものとしてそれをいつくしむ。
 向うに望んで居るもの、それを手近に引き寄せる、自身からそれに近寄らずにこちらに引き寄せる術が無いではないかも知れぬ。それはたゞ「概念」によつてだ。引き寄せた、と思ふだけだ。向うにあるものは嚴として向うにある。いやでもおうでも其處まで自分等は自分の脚で歩いて行かなくてはならぬ。
 恐らく死ぬまでこの歩みは續くべきものであるだらう。最後の一首を作るために現在無數の假作をなしつゝあるのだ、とも云ひ得るであらう。また、最後の一首とは、一生を通じて作つて來た作全體のことだとも云へるだらう。まつたく、かりそめには出來ないと此頃しみ/”\思ひ出した。
 現在に甘んずる事もよくないだらうが、現在に絶望する事をも私はとらぬ。若しそれ、めくら滅法に思ひ昂つて踏んぞり返つて「オレガ、オレガ!」と思ひ込んで居る人種に對しては、何と云つていいか、私は全く言葉を知らぬ。
 
(343) 蚊遣香が盡きて、大分蚊が入り込んで來た。開け放つた窓先には大きな桐の葉が電燈を浴びていかにも青々と靜けく垂れて居る。雨はあがつて居る。十二時十五分だ。
 今夜は前號で眼についた歌を材料にして評釋風の座談を試みるつもりであつたのだが(前號にはいろいろな意味で佳い歌が多かつた。)いつか妙な所へ話が逸れて行つた。とにかく、けふは此處で筆を擱く。
 
       その二
 
 毎號の歌を讀んで見て私の最も不滿に感ずることは一帶の歌がすべて申し合せた樣に平板であることだ、單調であることだ。お互ひが少しも個性を持つてゐないといふことだ。
 一つ/\原稿で見てゆく時にはそれほどにも思はないが、一度活字に組まれて校正刷となつて現れて來ると直ちにそれが眼立つ。誰の作も彼の作も殆んど無差別で、よくも斯う同じ樣なことが云へたものだと寧ろ感心させられる事がある。今度『批評と添刪』を書かうとして本誌前號を通讀しながら一層その感を強めた。試みに各自に於てそれ/”\の詠草欄に眼を通して見るがよい、寒心する所が多いであらう。
 要するに解つてゐないからだ。各自が各自といふものをよう現はしてゐないからだ。イヤ、各(344)自が各自を知つてゐないからだ。『歌』といふ一つの型のあることのみを知つて、たゞ其處のみに眼をくれて、『自分』といふものを忘れてゐるからだ。『自分』を歌はうとせずたゞ『歌』を作らうとするからだ。だから百人寄つて作つても其處に現はるゝものは要するに一個の型にすぎずして、お互ひそれ/”\の個性――そのためにこそそれぞれの歌がある筈だのに――といふものは全然忘却せられてゐることになるのだと思ふ。
 お互ひあまりに無意識に歌を作つてゐる。歌の根元――即ち自分といふものに眼覺むることなしに唯だふら/\と意味なき勞作を續けて居る、私のよくいふ眼ばかりや手さきばかりで歌を作つて居る。眼を瞑じ手をふところにし、徐ろに自分に親しむ、歌に親しむといふことを忘れてゐる樣である。知らず/\さうやつて居る。それで眞實の歌の出來やう筈は無いのであつたのだ。
 
 歌の腰の据つてゐないのや、よく云ふ指さきで少し磨つてぷつと吹けば直ちに消えて飛んでしまふ樣な歌の出來るなど、いづれも其處から出て居るであらう。少しでも眞實に「自己』に根ざした歌ならばたとへ技巧の不完全などはありとしても何處かに他から動かす事の出來ぬ或る力を持つてゐるものだ。本誌にもそれが稀にはある。たゞ、稀にあるのみだ。
(345)       〇
 個性の無い歌、乃至乏しい歌の別しても眼立つのはそれが風景を詠んだものである場合ことにはげしい樣である。なんといふへなへなした、お座なりの、あつても無くても同じ樣な叙景の歌の多いことぞ。梅雨が降つて栗の花が咲いて梟が啼いてゐるとか、霧が流れて苗が植わつて蛙の聲が聞えるとか、風が吹いて松の木が搖れてゐるとか、其處らの襖の繪にでもあり相ないはゆる『いゝ景色』の歌が實に無數に並べてある。
 叙景の歌の本意が若し『いゝ景色』を叙べることであるならば名所繪葉書に及ばない事蓋し遠いであらう。歌は何しろ形が窮屈だ、よい景色をなす所の物象の名前だけを並べたところで幾らも包含出來ない。其處へ行くと繪葉書は木から草から岩石溪流山岳雲霧花鳥人物の類をあの小さい面によく收め得るのである。
 まさか誰もさうは思ふまい。が、結果は先づそんな事に陷ちてゐる。昨今行はれて居る叙景の多くの歌は單に人の眼を惹くに足る樣な物象の名を配列したに留る程度のものゝみではないか。綺麗さうな、よき眺めでありさうな、謂はゞ思はせぶりな、乃至は單に道具立に過ぎぬ歌が多いのである。
 叙景の歌は必ずしも『よき景色』の歌ではない。第一『よき景色』そのものが決して固定した(346)ものではないのである。須磨明石の箱庭式をよしとするもあらうし九十九里の砂丘一點張りをよしと見る人もあるであらう。三保の松原から富士の高嶺を仰いだからとて必ずしもよい歌が出來る筈のものではない。(卑近なことをいふ樣だが、いろ/\程度はあらうとも實際は大抵知らず/\この流儀の人となつて居るのだ、大抵は『趣味』や『人眞似』からいゝ景色らしいお座なりを云つてゐるのだ。)そんなものでは決してない。要はたゞその時眺めた景色がいかに自分の心を動かしたか、その景色に對して自分の心がいかに動いて行つたか、いかなる姿となつてその景色に對したか、その景色はまたいかなる姿となつて自分の心の中に浮んで來たか、其處である。景色と自分の心とが次第に融け合つて、洗錬されて、其處に一つの新しい『自然』を作る、其處まで待つて初めてまことの叙景の歌が生れて來るのだと私は思ふ。決して單なる景色の説明や見取圖ではないのである。
 斯ういふとたいへんむつかしい事の樣に思はれるが實際は何でもない。一つの風景に對したとする、そしてその風景に動かされた心はおのづから他の雜念を離れて澄んで來る、その澄んだ心に靜かに映つてゐる眼前の風景、それをそのまゝに(その儘にといふ處に技巧の巧拙が生ずるのであるが)詠み出づればよいのである。さうすれば其處には單に風景の摸寫とも異つた一つの新しい風景が創造されて來るのである。
(347) つまる所は『人』の問題である。小さな人からは小さな歌しか出來まいが、それでも右の樣な相當の覺悟を以て作歌に從ふならばさう/\下らぬものは作れないと思ふ。あまりに安つぽく取り扱ふ所から眼も鼻もあいてゐない怪しきものが出來て來るのである。ことにこの叙景の歌は作り易いとしてたゞ漫然と山川草木――を山川草木の名詞を並べ立てゝ歌だと思ふ人が多い。斯ういふ人に限つて歌の素をなす感動も何も無しに徒らに一首にまとめようとする。感動なしに歌を作らうとするは心臓なしに生きて行かうとすると同じである。
 
   田兒の浦ゆうち出て見れば眞白くぞ不盡のたか嶺に雪はふりける
   わかの浦に潮みら來れば潟を無み蘆べをさして鶴鳴きわたる
   足引の山河の瀬の鳴るなべに弓月が嶽に雲たちわたる
 今更ながら斯うした歌を見てゐると自づと襟が正されて來る。斯うなるともういはゆる『叙景の歌』から離れて一種崇嚴な神秘の境をさへ思はせらるゝのである。
       〇
 叙景の歌のことから思ひ浮べらるゝは『寫生』といふことである。一部の人は『寫生』そのも(348)のが既に歌の全てであり極致である樣に説いてゐたかにも見えた。私は寫生を要するに『自然』の奥所に到らむとする努力の一階段であり、他方面から云へば作歌上に於ける手段の一つだと思つて居るのである。
 『寫生』は斯くて靜かに『自然』に親しんで行く事を教へる。靜かにものに對する、對してその奥所を觀る事を教へる。取り亂した感激や、お座なりの述懷などは自づとそのために取り除かれる。思はせぶりや甘い感傷などに對してもまた然うである。
 私の見るところでは本誌の歌には最もこの寫生のみちが缺けてゐる樣である。今後出來るだけこの事を頭に置いて詠出上手法の確實を期し、主觀の透徴を計つてほしいと思ふ。然し、『寫生』は手段の一つである。寫生々々と凝り固まつて、角を矯めて牛を殺す樣な、本を忘れて末に趨る樣な弊に陷る事からは離れてゐなくてはならない。『寫生』を通して次第に『自然』の奥へ/\とわけ入つてゆく樣に、といふそれだけである。
 
     虫を聽きつつ
 
       〇
(349) 個性の豐かな歌云々といふことを先號で書いた所、その個性といふのを「一風變つた歌」と解釋した人がある樣に見える。
 とんでもない事である。私の謂ふ意味は眞質にその人の人間性に眼覺めた歌といふことで、何もわざとらしい付け元氣の歌などをさすのではなかつた。つまりそのわざとらしさから離れたいばかりに云つた樣なものであつた。
 要するに歸する所は「人間」とか「人生」とか「自然」とかいふ大きな流れであるのだ。その流れに源を發してゐさへすれば立派にその人の歌は個性に富んだものとなつてゐるのだ。その流れにもとづかずに中途半端からふら/\と浮いて出た樣な、根無し草の樣な歌には正直にそれ/”\の人としての強みを持つてゐない、それを排するために先號私はあゝ云つたのであつた。語を換へて云へば本物でありさへすればよいのだ。無知や小才や物眞似やなぐさみ半分で作らるゝ歌にはこの本物があり得ない。大抵いゝかげんのまやかし物でありがちだ。從つて眞實にそれぞれ個性に富んだ歌があつたならば、その間には却つて堂々たる共通點があるのである。恰もお互ひが人間であるが如くにだ。風變りなものを作つて得意でゐたりなどすれば段々とこの個性の作、本物の歌から遠ざかつてゆくのみである。
       〇
(350) いま少しお互ひの生活に直接なもの、讀んでぴりゝと響く樣な歌が欲しい、と誰しもが考へてゐる樣である。咋今の歌に飽き足らぬといふ人の殆んど全部が、さう考へてゐるのではなからうかと思はるゝ位ゐである。
 私もその一人である。然し、闇雲に慷慨慨悲憤してさう云ひ度くない。一體生活に直接なといふことからしてかなり種々な色どりや程度のあることだとおもふ。一本の木一莖の草を歌ふことが生活に迂遠で、錢や米や電車やを歌ふことが生活に直接であるとは私は思ひ度くない。近頃の所謂生活派といふ人たちの力みながら歌つてゐる所を見ると其處に却つて生活と離れた滑稽味やばか/\しさを感ぜさせらるゝ事が多い樣である。死んだ石川君の作などは流石に何處から見ても、取材や手法の如何を問はず生活に直接であつた。彼は眞に内生活に眼覚めた人であつたからだ。本物であつたからだ。でない人が凡その概念や理窟や一種の新趣味でそれを眞似ようとした所で到底出來るものでない。理窟では出來ても、作物では出來ない。謂はゞ其處に藝術の難有さがあると云つてもいゝ位ゐなものだ。
 生活に直接な、といふことにはもつと根本的な要素がいると思ふ。第一いまの歌は「自由」を失つて居る。みな大抵前こゞみになつて眼さき指さきにのみ力が集められ、靈魂の自由、生の力の自由、眼界の自由、手足の自由が全く忘れられてゐる。たましひそのまゝ、人間そのものゝ表(351)現と云つた所が無い。見る方でも自然さうなる。自分全體でその歌に對することをせずに矢張り指さきでひねり廻しながら見るといふことになるのだ。言葉や格調の上にまた取材の上に次第に斯くして窮屈に落ちてゆく樣な所がある。詩歌は生活の不自由から逃れて自由を叫ぶがためにこそ歌はるべきものらしく考へらるゝのに、いやがうへにもその「不自由」の中に小さくなつて入り込みながらあくせくとやつてゐるのでは、まつたく「もう歌を見る氣がなくなつた」と云はざるを得ぬことになるのである。
 與へられた歌といふものゝ「約束」から縛られずにそれを思ふまゝにこちらで驅使するだけの「自由」が欲しい。その自由さへあれば「約束」などはまた喜んで、そして極めて微妙に、こちらに驅使せらるゝであらうと思ふ。それを彼等も待つてゐるのだと思ふ。それには先づこちらの生活から變へて行かなくては駄目だ。こちらの生活自身が既にものが小さくて、おまけに眼に見えぬ種々なものに縛られた樣なものであつては、到底その「自由」どころのことではないのである。
 結局、お互ひの生活が問題である。もつと生活に直接な歌が見たいものだ、といふその失望の聲それ自身が既にその人の生活の現はれであるのかも知れない。此處を考へずに徒らに他を罵つて快しとする舊型の村夫子式慷慨はチト安價である。兎に角さういふ失望乃至希望は今ではまつ(352)たく萬人普遍のものとなつて居る。而して誰一人まだその聲にそふ樣な歌を作つて呉れぬ所を見ると、よく/\のことであらねばならぬのだ。飛んだり跳ねたりの時期でない、もう夙うに實行の秋に入つてゐるのだ。我等の仲間も單に『創作』といふ世界のみに跼蹐してうまいの拙いのと云つてゐる場合でないかも知れない。
       〇
 自由の極り到つた處、自然の極り到つた處に自づと「寂び」が生ずる。靜かなありがたい境地である。然し最初からその「寂び」を作りにかゝつてはそも/\の「自由」を失ふことになる。「寂び」は畢竟生ずるもので、作るものではないと思へばよい。
 
     ひとり言
 
       その一
 
 輝け。
 ひややかに輝くと、火のごとく輝くと、そはその人の本然に據る。
(353) とにかく輝け。
 歌は輝くこころよりのみ生る。
       〇
 寂は輝の極り沈みたるものである。
 輝くことなくして、先づ寂をねがふ、愚及び難し。
       〇
 自己を知れ。
 否、修養書のいはゆる「自己を知れ」ではない、根本的に自分の生きてゐることを痛感せよといふのだ。
 やがて其處に生命のなやみは起る。
 詩歌――すべての創作はその惱みから生るゝ。云ひ得べくんば、純眞無垢のこゝろの輝きは其處から發する。
       〇
 自己を知らうとする努力に、讀書、思索、而して創作がある。
       〇
(354) 全身的であれ。
 井戸端會議式の不平や、いつの間にか狡猾な習慣の老婆から押賣せられてゐた趣味や興味や、若しくは不良少年式の小手先の冴えや、それらは殆んど作者自身眞實自分に關係のあることか無いことかを危ぶむ程度のものが多いのだ。其處に何のひかりがあらうぞ。ありとすればそは僅にガラス玉のひかりである。
 自己全體を自然の前に神の前に投げ出して初めて其處に純眞無垢の自然の光が宿る。謂はゞ、その光の發する時、われみづからが神であり、自然の表象であるのだ。
 その光をすなはちわれらはわれらが歌に點《とも》す。
       〇
 われみづからの小さき智慧にたよるな。
 おのれを空しうしてたゞ神の前に立て。
       〇
 おのれだにきよからば路傍の草にも神を見む。
 おのれだにきよければ隨所に輝く歌を見る。
       〇
(355) 友よ、歌をうたはむ。
 わが生《よ》のあかしのために。
 いのりのために。
 
       その二
 
 作歌に苦心する、また、苦心せよ、といふことをよく聞く。
 苦心は必要である。佳き歌を作らむがためにいやが上に苦心することは誠に必要である。が、苦心すればするだけ拙《まづ》い歌を作り上げる樣では爲樣がない。
 苦心する、苦心するといふその事を以て直ちに作歌道の妙諦であるが如くに心得、更にこれを他に吹聽するが如きは飛んだ事だと思ふ。
 噛みつく樣な、いはゆる苦心する心持を以て歌に對するより先づ極めてのんぴりした自然の心持を以て對する事を私は望む。歌を恐るゝより歌に親しめ、と思ふ。
 歌、と聞いて五體を固むる結果が、次第に血の氣の無い、無機物の樣な歌を製出するもとになるのではないか。
       〇
(356) 木草の芽に降る春の雨の樣な心持で、私は歌をうたひたい。その場合、木草は自分の心である。
 歌は心から出るといふ。誠に心よりほかに歌のいづるところは無い。心から出ると共に、同時にまた心を養ひ育つる樣な心持で次第に私は歌をうたつて行き度いものである。
 自由で、長閑で、慈愛に滿ちた歌、私はそれを歌ひ度い。
       〇
 若し歌といふものが弓矢繊砲隙間なくかけつらねた堅城であつたならば、私はたゞ遠く眺めてその側を通り過ぎる一旅客であるだらう。ましてや城を枕に討死などといふ勇士では、とてもあり得ない。
       〇
 初めから解剖臺に載る心持で生れて來なかつたと同じく、初めから解剖臺に載する氣持で私は自分の歌をも作らない。
 この骨が某博士の所謂何とかで、この筋が何の何だ、成程これは結構な組織で御座ると、冷え切つた屍體をさん/”\に切り刻まれてほめられるより、何はともあれ飛んだり、跳ねたりする歌を作り度い。
(357)       〇
 萬葉集の自由、濶達、雄渾は何處から來たか。彼等もなほ歌は斯うした歴史ある形式だからとか何とか云ひながら、右顧左眄、苦心し苦勞して一首々々をこね上げたか。
       〇
 我等は幸に歌といふ藝術創作上、手頃の愛すべき形式あることを知り得た。それでもう澤山だ。この形式をまつたく自分のものとして自由にとり扱へばいゝのである。授けられたる形式だと思はず、自分で發見したものだと思へばいゝのである。
       〇
 萬葉集を讀むには、作歌上の辭典とせず、手本とせず、經典とせず、この頃の流行物とせず、また自己吹聽の具とすることなしに、唯だ雜誌の小説か何かを讀むつもりで讀むがいゝ。言葉がむつかしいだけで、最も我等に親しい事が歌はれてあるのである。恐るゝな、親しめ。これを恐しいものにするのは、たゞさうした學者たちだけの爲事である。
 
       その三
 
 割合に心の靜かな場合に、ともすれば私の空想に上つて來るなつかしい景色がある。大きな山(358)が、峰が、幾つか並んでゐる間の溪間から眞白な雲が淙々とたち昇つてゐる所である。白雲岫を出づ、といふ古い句があるがあれよりもつと近い、親しい景色であつてほしいのだ。私の記憶からこれに類した實景を引き出さうとしても、なか/\思ひ當らない。甲州の韮崎停車場を離れた汽車が信濃の諏訪境へ進み出すと直ぐ八ケ岳の裾野の續きでゞもあるらしい廣大な雜木林の高原にかゝる。その雜木林を通して見る左手の山間《やまあひ》、鳳凰岳とか地藏岳とか駒ケ嶽とかいつたと思ふ、かなり大きな二三の山岳の間には殆んど必ずの樣に白雲の屯してゐるのを見るが、それはたゞ溪間に靜かに凝り淀んでゐるだけで、徐々として立ち昇つてゐるといふのではない。
 私はその景色を空想することによつて、自分の心の開くのを覺ゆる。萎縮してゐたもの、苦んでゐたものが、次第に解き放たれて自然に豐かに伸びて行く。吐く呼吸すら輕く豐かになるのを感ずる。
 私は、いま、斯うした歌が詠みたいのだ。靜かに自然に立ち昇つてゐる雲、そのやうな歌が詠みたいのだ。或は輕く、或は疎《あら》く、または種々なちひさな缺點があらうとも、とにかくさうした自然な、おほまかな歌が詠みたくてならない。
 溪が靜かに巖を噛んでゐる樣な歌、樫の葉が一つ落ちるのすら聞えさうな深夜の燈下に唯だひとり一輪の黒のダリヤに向つてゐる樣な歌、いろ/\な歌が眼の前にらら/\してゐないではな(359)いが、何は兎もあれ、私はいまさうした自然な、とりつくろはぬ歌がうたひたい。
       〇
 君は君の向つてゐる地《つち》から聲の發するのを聞いたことはないか。さうだ、蟻が這つたり、日がさしたり、草が生えたりしてゐる地からだ。
 僕はをり/\ある。それと同じに樹木の梢からも、雲の光からも、めい/\その聲の發して來るのを聞くことがある。
 そんなとき、自分は自分の身をわれながら尊いと恩ふよ。
       〇
 雨が續いたり、曇つたりしても、秋はさすがに秋だ。旅のことををり/\思ふ。
 考へてみれば私は今まで三十年の間、かなりいろ/\の山や川を見て來たわけだが、眞實、それに面して來たといふはつきりした記憶は、先づ殆んど無いと謂つていゝやうな氣がして來た。今までのは、みな、うはの空で見て來たのではなかつたか。
 溪のずつと奥、露出した大きな岩と岩との間に懸つてゐる細やかな水を心から熟視したことがあるか。また、眞黒な岩にぶち當つて渦卷き立つてゐる海洋の浪を見たことがあるか。
 果してあると答へ得るであらうか。
(360) 自然を愛するの、自然を見てゐるのと云つてゐたことの恥しさをこの頃頻りに感ずる。
       〇
或る日、客があつた。舊くからのわが社友で、或る山國の小學校の教師をしてゐる人である。初對面であつた。
 その人といろ/\の話をしてゐるなかに、彼は斯ういふ事を云つた。私は今までいはゆる修養書といふものを一册も讀んだことがない、歌の事を斷えず考へて居ればそれが自分にとつてどれだけ修養になるか解らない、と。
 私はそれを聽きながら心の中で、ありがたい事を聞くものだと忽つた。歌が修養になる、一寸聞けば變な樣だが私は夙くからさうならなくては嘘だと考へてゐた。歌は要するに人そのものである。歌を見詰めてゐるといふことは自分の心即ちたましひを見詰めてゐることになるのである。自分の心(自分のいのちと云はうか)、それを斷えず見詰めてゐて初めて歌が出來るのだ。然うして見詰めてゐるものを少しづゝでもよくして行かうとするのは、これは當然ではないか。
       〇
 詠んだ歌に靜かに指を觸れて見よ。
 何のさゝはりなしに、自分の心に觸れる思ひがするか、どうか。
 
(361)       その四
 
 秋田の旅の歸り、信州の松本に泊つた第二日目の夜に、土地の歌を作る女の人たちが三四人、宿に訪ねて來て何か話をして呉れといふ事であつた。その時は夕方の酒の後で、私は大へん醉つてゐた。言つた事も無論醉つての上の言葉だが、中に斯ういふ一句があつたのを不思議に覺えてゐる。「歌をば自分の鏡だと思ひなさい」といふのである。
 對手が女の人であつたために咄嗟の思ひつきで斯ういつたのだらうとも思ふが、まことに歌ほどその作者の面目をよく寫すものはないやうである。その人うまれつきの性格から、歌はれた其場の態度まで不思議な位ゐ微妙に一首の上に表はれて來る。自分といふもの、生命といふもの、人間といふものに對する理解の程度、それに對する態度如何まで表はれて來るやうである。
 歌を單に鏡だ、としてそれに對して心を動かしてゐるのも可い。更にその鏡面から靜かに奥に入つて行く心がけがあつたらなほいゝだらうと思ふ。
       ○
 私の舊友で、ホトトギス派ではかなりの地位に居る或る俳人がある。今はどうだか知らないが七八年前同じ牛込區内に下宿して繁く往來してゐた頃、その友は下宿の自分の一室をいつも綺麗(362)に片附けて、机の上に一本の線香を立て、その前に端座して句作に耽つてゐるのをよく見かけた。當時の私は、そんな馬鹿なことをして生きた句が出來るものかと罵つてゐたものであつたが、然し、騷々しい下宿屋などではさうして心を靜めるのも一つの手段であつたかも知れぬ。尚ほ單に手段とすることなく、さうした一縷の香の煙に全く自分の心を託するやうな三昧境まで入り得て、更にそれに對して思ひを凝すやうなことが出來たら一層いゝだらうと思ふ。強ちに線香を要するまでもなく、心を澄ませば直ちに其處に縷々として立ち昇る自分の心、自分の生命を感ずる樣な境地にまで進めば尚ほありがたいことではないか。
   閑けさや岩に浸み入る蝉の聲
   あかあかと日はつれなくも秋の風
 といふ樣な境地はあらゆる自然の景象が私の謂ふこの香の煙をなしてゐるものと云つていゝかも知れぬ。
       〇
 北海道函館の社友K――君から爲替券を入れて左の如き手紙が來た、ツイ先日の事である。
   近來さつぱり歌が作れず。また歌が面白くなく相成申候。『創作』の歌を見てもどういふものか感動させられず、つまらなく存じ居り候、今少し人の心へ迫る樣の歌欲し(363)く候。それゆゑ『創作』も止めようかとも思ひ候へども先生とこのまゝお別れする事殘念に候間又々繼續する事に思ひ直し候。
 昨今の歌の面白くなく、一向に直接に人の心に響かぬ憾みをば私も本誌六月號かに述べて置いた。斯うした手紙を讀んで更にこの感の新たなのを思ふ。
 研究といふものゝ盛んな時代にはその反對に創作は必ずのやうに衰へてゐるらしく思はれる。今は謂はゞその研究時代に屬してゐるのかも知れぬ。(と云つて、ろくな研究が行はれてゐさうにもないが。)あゝでもない斯うでもないで、右顧左眄、自ら小さくなつてゐる形がめい/\にある樣である。斯くして歌の根本を成す主觀力が萎縮して各自に小さくちんまりと納つてしまつたのであらう。とにかく面白くないのは事實である。私は今度、「前月歌壇」風の批評を書いてみるつもりで何ケ月か或は何年目かに短歌雜誌の重なもの六七種に眼を通さうと企てゝ、あまりにその無味單調なのに驚いて、中止してしまつた。その以前から自分の雜誌の歌の拙いのを始終氣にして居たのであつたが、他のものを通覽するに及んで、これは決して自分のものばかり拙いのではないと思つた。思つたどころか、他より幾らかいゝところがあるかも知れぬとまで思つた。これは多少色眼鏡であるかも知れぬ。でないかも知れぬ。いづれにせよ、他のことは先づ如何でもいゝ、せめて自分等のだけでも、このK――君と同じ嘆聲を發せぬまでに押し進めて行き(364)度いものである。少し眼のある人は、K――君ならずとも同じ感を持つてゐるに相違ない。どうかして一刻も速くそれをとり除いて了はうではないか。一人でも二人でも先覺者が出て來たらば、睡れる者も自づと覺めるであらう。作れなくなつてゐた人も、驚いて作り出すであらう。それに際し私は先づ云つて置く、世間の傾向などに決して眼を向くるなと。因循な、微温的な、村夫子風な、ヂレツタント風な所など斷じて排斥せねばいけない。先づ睡りより覺めよ、而して少し無茶だと思つても自分の思つた方向へ猛進して欲しいものである。
 「それゆゑ「創作」も止めようかとも云々」を讀んだ時私は實際暗涙を覺えた。難有う、未見の友よ、私は決して徒らには此言葉を聽かないつもりである。(九月下旬)
       〇
 一人平均三十首として三百人の投書では都合九千首からの歌を見ることになる。丁度萬葉集を二倍した量に當る。之れを短時日の間に見て了ふといふ事は考へるだけでも可なり苦労な仕事である。
 で、山と積まれたのを前にして澁々ながら選にかゝるのだが、いつのまにか私は本氣になつてそれ等に對するのが癖である。上手下手、邪道正道の別はあつても、兎に角精一杯になつて各地それ/”\の人がみな自分及び自分の周圍に對する感傷や批判を述べてゐるので、いつの間にかわ(365)れ知らずその誠心に惹き入れられてゆくのである。(さういふ場合、ふざけたものや餘り下手なのに出會ふとツイむきになつて憤慨もする。)
 ことに今度は初號の事でもあり、八九分通り私には初對面の人であつた。一概には云へないが、初對面即ち初心者の人が多いやうであつた。而してその初心の人の作がいづれもみな眞面目な一本氣のものであるのを見てつく/”\嬉しく感じた。他の社に見られぬ、本社獨特のものであるが樣にも思はれたりした。いろ/\な新聞雜誌の投書欄を渡り歩いて所謂投書家氣質になり切つてゐる人の惡達者な氣取つた狡猾な詠みぶりを見ると眞實身ぶるひの出る樣な不快を覺ゆるのであるが、今回はそれが一つも無かつた。どうか斯の素朴な正直な調子を其儘に次第に高く強く、且つ清くして行き度いものである。
 正直な一本調子な歌にはその歌つてある事柄なり技巧なりの如何に係らず、何處にか眼に見えぬ力が含まれてゐるものである。
 技巧その他、自分の思ふことを自由に、上手に歌ひこなすやうにならうとするには先づ讀むのが第一である。相當の地位に在る人の歌集なり何なりを熟讀玩味するのである。その間には自然に詠歌のこつといふ風のものが會得せられるであらう。それと今一つは練習である。人にもよらうが、初めの中は餘りかれこれ考へずに虚心平氣でどし/\思ふだけのことを詠みならしてゐた(366)方がいゝかと思ふ。
 三百人のうら、先づ二百七人十の人の作には多少に係らず戀の歌が混つてゐた。そしてその戀の歌に限つてみな拙かつた。
 或人は戀歌を作らねば歌よみでない樣に(若しくは一人前でない樣に)心得て儀式的に作つてゐる風が見えた。或人はひとがする故われもしてみむ傾向を帶びてゐた。みな虚僞である。佳い歌の出來やう道理がない。或人はまた針ほどの事を棒程に云つてゐた。それは電車に乘り合せたきれいな人を見ても時に味な心地になるものである。あるからと云つてそれを、君を戀しぬ身も燃ゆるがになどと變な聲を出してみた所で誰も相手にしはしない。
 中には眞實に戀愛状態に在つて作つてゐるらしい人もあつた。流石にこの種類の人の作にはやゝや見るものがあつたが、要するにまだ微温的な、お芝居風な不徹底なものであつた。戀と云へば兎に角その人の生涯に於て重大な事件である。自他ともにこれほど心を動かすものは尠い、それと同時にこれほどまた玩ばれ易いものもない。眞實らしくは見えても、容易に人を動かすことの出來ない程度の戀歌は、要するにまだ戀を玩びながらの作歌であらうと思ふ。戀を玩ぶ、即ち自分の心を玩びながらの作であらうと思ふのだ。
 
(367)     いろいろの歌と人
 
 本誌投稿歌の中から、よしあしにつけ眼についた歌を引いて來て、座談を試みる。
 
   教子の柩守りてしづ/\と魂滑消るがに吾はゆくなり
   亡き友を弔ふ子等の歌ききて人等なきつつ夕日はかげる
   教壇に立ちて見やれば唯一つ空しき席に涙ながれぬ
   成績を處理してあれば世を去りし教子の圖畫寂しく光る
 これは或る小學の教師をして居る、仮りにA――君と呼ばう、作者がその教へ子の死去を悼んでの詠である。しんみりした、少しも浮いたところのない歌ではあるが、どうも切實でない。しづ/\とと云ひ、魂滑消るがにわれはゆくなりといふあたりの調子が、いかにも間のびがしてゐて、のんきなため、さう思はせるのではあるまいか。次の一首でも、人等なきつつ夕日はかげるも調子の上からも歌はれた景象の上からもいかにも悠長である。第三第四首は幾らか引き締めた印象が殘るやうだが、これだとて涙ながれぬなどと大づかみに云ひ放つてしまはずに唯だ一つ出(368)來た新しいその空席そのものを今少し精細に(塵が溜つてゐるとか、いたづらのあとが目に立つとか、隣席の生徒の肩まで寒げに見ゆるとか)歌つた方が却つてその涙流るゝ心もちがよく出て來ると思ふ。ひとが死んだ、しかも自分の久しい間手しほにかけて來た幼い生徒がなくなつた、といふのだから悲しいには相違ない。けれど斯う不用意に歌はれてはその悲哀も誠にお疎末なものに見ゆる怖れがあるのである。あまり大ざつぱに悲しいとか涙ながるゝとか云つてしまはずに、よくその悲しみを自分の心で噛みしめて、それから靜かに言葉に移した方がよく表れるものである。場合にもよるが感じた事を直ちに歌に移すには餘程の手腕がいる。普通は寧ろその感じを心の裡で充分に釀してから歌つた方がいゝ樣だ。
 
   嬉しさにをどり歩きぬ教へ子の九割が高女に入りしよろこび
   子供等の首尾よく合格せし今日のこのよろこびよ何にたとへん
   苦と憂さのすべてがここに蘇へり斯る喜びとなりたるものか
   うれしさよかかるうれしさとおちつきがまたとこの世にありにけらしや これは同じく教職にあるB――君の作。いかにもお嬉しさうであるが、斯うのしかゝつて嬉し(369)がられてみると、こちらはまつたく途方に暮れて、手を揉みながらうろ/\せざるを得ないのを感ずるのである。これも亦た、その感じたことを今少し押し靜めて、相當に形體《かたち》あるものとなるのを待つてから詠み出でなかつたゝめ斯う取り亂した見苦しさとなつたのである。思つた事を唯だぽい/\と饒舌つてしまへば歌になると思つては間違ひである。そして、歌は一面自分の心の鏡であることをも考へてほしいと思ふ。何といふ騷々しいこの歌の姿ぞ!
 
   尾長鳥しきりに啼きて空曇る我が日の晝も更けにけるかも
   霧々々まこと思ひに疲れゐき濡れつつ空にとぶ山つばめ
   寂しきは風にありけりこの生命白雲のごと吹かれぬるかな
   雪解水ひた騷ぎながる地も空も白雲となり光る曇り日
 これはC――君の作二十七首の中から最初より第四首までを書き拔いたものである。實に私は驚いた。試みに次に私の舊作數首を書き並べて見る。
 
   杜鵑しきりになきて空青しこころ冷えたる眞晝なるかな
   いしたたきやまずしもなく淋しさにわが日の晝も更けにけるかな
   雨々々まこと思ひに疲れゐきよくぞ降り來しあはれ闇をうつ
(370)   つめたきは風にありけりわがこころ白布のごと吹かれたるかな
   わが赤子ひた泣きに泣く地も空も白雲となり光る曇り日
 廿七首が殆んどこの状態である。私をなぶつたつもりなのかとも思つたがそれにしてはあまりに丁寧であり、この作者として餘りに意外である。斯うしたらば私が喜ぶと思つたのか、それともふら/\と斯ういふ事に興味を以て作り上げたものか、いづれにしても驚いた事である。この作者はなか/\熱心なそしてやりやう一つでは前途のある人だとひそかに思つてゐたのであるのにどうして斯んな心得違ひをして呉れたのだらう。眞實、私はこれが熱心のあまりの一時の發作であり、思案の外であつてほしいことを祈つて、改めて作者の自省を祈つておく。
 
   さみしらにふと見下せば忘草その忘草われに味氣なし
   忘草吸はまく煙草とりあげてそつとマツチをすりにけるかも
   ふくみたる煙草の苦さ悸へつつそつと吹くなり何ぞ馬鹿氣たる
   我が前に手を打つ友は醉ひたるかあああ幸なるわれが友かな
 これはD――君のを初めより四首引いたもの、そしてこれに添へられた手紙に
   どんな値の歌を作つてゐるのか自分で判りません。佳いと思つてゐても投書すると没(371)書になります。斯うして先生の許へ送つても掲載されたことがありません。自分の歌の缺點など薩張りわかりません。御多忙では御座いませうが何卒御加筆御評の上御返送下さるやうお願ひ致します。
 と認めてあつた。斯ういふ疑問を持つてゐる人はこの作者のみでないやうなので、わざと此處に引いて返事に代へようと思ふのである。
 が、いよ/\批評しようとして筆をとつてみると、どう云つていゝか一寸自分にも解らなくなつて來たことにいま私は氣附いてゐる。とにかくこれらの歌が完全な歌でないことだけはわかつてゐるが、――なるほどこれなら毎號掲載せずに來た筈だとは思つてゐるが――サテ、細かにそのわけを云はうとすると、なか/\むつかしい。そして一體から謂へば先づふざけて作つたとしか考へられぬこれらの歌も、この作者の手紙や、茲に引いた四首以外の歌について考へてみると、なか/\さうでない。そして、私は次第に或る強い氣の毒さを覺えて來たのだ。
 私の解する所では、この作者は何も彼もつまらない味氣ない、馬鹿々々しい心持のみに日を送つてゐるらしい。そして、それを歌つたものが即ちこれらの作であると思ふ。けれど、作者よ、さう解釋するのは餘程私の立ち入つた解釋で、普通一般では恐らくこれを滑稽視し終るに相違ないのだ。それがまた當然と思ふ。淋しさにあたりを見廻すと煙草がある、あつたところでその煙(372)草が一體俺に何になるのだ、と斯う云へばまだ幾らかいゝかも知れぬが、さみしさにふと見廻せぱ忘草その忘草われに味氣なしでは誠にあつけないものになつてしまふ。第二首目もさうだ、煙草を吸はうと思つてマツチをすつた、といふことだけでほんとにどうなるだらう。何ぞ馬鹿氣たる、といひ、あああさいはひなるわが友かなといひ、みなその眞の心持は出ることなしに、先づ可笑しさが先に立つのみである。亂暴な言葉で云へばすべてこれらは屁でもないことになつて居る。作者よ、君は或は斯ういふかも知れぬ、自分には實はすべてが屁でもなく見えて困るのだと。だが、作者よ、世の中の萬事が、自分自身が、屁でもなく感ぜらるゝやうな味氣なさは、他に比すべくもない深い悲痛であらねばならぬ。さうした色の消えた、芝居氣のない心持を歌ふには、尋常一般の心がけでは出來はせぬ。その味氣ない心持をさながらにうつす味氣ない調子は、空威張の高調歌よりどれだけ私には難有いか知れない。が、これでは困る。これではまつたく氣の拔けた、唯だ言葉のさきだけの味氣なさとなつてゐる。さうした心の味氣なさは出てゐなくて、歌そのものが味氣ないものとなつてゐる。今少しその心を平明にし、靜かにし、そして落ちついた態度で歌ひ出してほしいと思ふ。實は私も其處に到り度くてたまらなくてゐるのだ。作者よ、意を盡さないが、兎に角更に君の努力を祈つて筆を擱く。
(373) 誰しも自分の歌を拙いと思ふ人はあるまい。が、出來るだけその思ひ昂る心を抑へて充分に熟讀玩味してほしい。思ひもかけぬ缺點が、何點に潜んでゐないとも限らぬものである。
 
     或る二人の詠草
 
   荒み果ての心を括りゆるみなき冬さりにけり陽の寒々と
   カーテンを洩る午後の日にまふ埃側の男が昵と※[目+貴]め居り
   カーテンを洩る陽に埃透きゐしが照ずなり居り疲れて見上る
   殘業の窓の靜けさ寒々と岬山端に殘れる夕陽
   一群の女工の歸るあとを追ひ冬の夕陽に走れる小犬
   一群の女工追ふ犬鳴きもせず冬の夕陽のかろき埃す
   現せ身の恍と遊びぬ黄昏の停車場を出て見る山暗し
   住み馴れの呉に歸りし寂しさよ一日遠ほく恍と遊びて
   霜ぐれの靄たつ朝陽冷え冷えと瞳に沁みながら官舍の道ゆく
   知らぬ犬庭を歩りけるうら寂し霜ぐれ朝陽樹々に靄立ち
(374)   冬ざれの庭の靜けさ晝曇り知らぬ小犬の去らざりにけり
   一つ二つ一つ二つ腕を動かす列のうちかなしくなりぬ明き秋の陽
   他愛なく恍と見とれぬ朝靄の消えはてぬ空とべる飛行器
   朝靄の消えゆく空の快さ響き近寄るプロペラの音
   現せ身ははるか忘るる恍として今飛行器の水際をはなれ
 右は今月の詠草中、或る一人の分三十首のうち初めより十五首を引いたものである。あと十五もこれと似たものであつた。この三十首のうち私はどういふ考へでどれを採りどれを捨てたかを此處に書きつけて見やうと思ふ。
 第一首、荒み果ての心を括り、のの字怪し、同じくばこれを荒み果てしとせむ方緊張もし讀みよくなるべし。心を括りゆるみなき冬さりにけり、何となく遽《あわただ》し、冬は來にけりと改めむ。瑕は多いが、説明的でもあるが、何處にか眞面目な、實感の動いてゐる一首である。故に採る。
 第二首、下の句少し落ちつかず、且つ下品な云ひかただが、その實境がよく了解出來る。あやぶみながら採る。
 第三首、説明のみのうるさき一首なり、棄つ。
 第四首、殘業といふ言葉、其處(或る工場か會社か)のみにて用ゐらるゝ言葉ならむも意味自(375)から解るべし。岬山端は何と訓むにや、みさきやまはか、うるさし、岬の山にて澤山なり。殘れる夕陽、さきに窓の靜けさといひ、此處に斯く云ひ、常に名詞どめにて云ひ切れり。かなり窮屈にて油の切れし機械じみたれどそのため何となく印象の強まる思ひせぬにもあらず。先づ改めずに置く。未成品のうまみとでも謂ひつべきか。採る。
 第五首、走れる小犬、これもまた名詞留なり、前のは靜かにさせる夕陽なればともかく、これは小犬なり、ちと動かして見むかと小犬走れりと改む。冬のゆふべの日光、寒げに明らかなり。採る。
 第六首、前のと同じものなれど、何となくだらけたり。採らずに置くべし。第七首、何のことやら解らず、イヤ、大抵汽車か何かに乘つて遊びに行き歸つて來ての作なるべしと推察はすれど、それにては相濟むまじ。現せ身の、恍と遊びぬ、この人にこの句、選者チト戸惑ひの感ありし。第八首、住み馴れの、のの字怪し、住み馴れしとして第二句を呉に歸りてとしては如何。第四句、ほの字不要。第五句、また恍《くわう》と遊びしか。全體にだらけたり、採らず。第九、霜ぐれ、方言にやと思へどよく解らず。眼にしみながら行く、といふのも可笑しい、眼に沁む覺え何々を行くならば意味は通る。官舍の道行くも少し突然すぎる。よくなりさうだが、あまりにかた言の作ゆゑ採らざりき。第十、歩りけるとあるのを初め私はよう讀まなかつた、ありけるならば假名で(376)書くか歩けると書いてルビを振る必要がある。が、此處で強ひて斯んな古めかしい言葉を使ふ必要はない。歩むかたゞの歩くで澤山である、歩めるが此處にはふさふと思ふ。いゝ境地だが、どうもガサ/\してゐる。惜しいと思ひながら棄てた。第十一、これもザラ/\してゐる、言葉を繼ぎ合せ/\して作つてゐる樣だ。もつとしつとりと行かぬものか。第十二、第一第二句を初めヒトツフタツヒトツフタツと讀み、あとでイツニツイツニツと讀み直したが、どつちでも可笑しい。作者の心持はよく解るが、獨立した一首の歌としてはなか/\のことである。第十三、たあひなくでなく、たわいなくだと思ふ。餘程今月はこの作者は恍の字に參つたと見え、此處でもまた恍としてゐる。飛行器の器の字怪し。採れない事もなからうが採つた所でしかたもない程のものである。第十四、これも前同評、これらの作を採らねばならぬ作者とさうでない作者とがある。此處でこれを採つた所でこの作者を値づけるものでは決してないと思ふ。第十五、現せ身はといひ、はるか忘るゝ、といひ恍として、といひ、水際をはなれと切つた所といひ、がらにない離れわざをやつてゐる形である、やつてるな、と選者は微笑しただけであつた。
 以上より四首を採り、殘り十五首より三首を採り、都合七首を今月に於けるこの作者の收穫として詠草に入れておいた。かなり鋭い眼と、鮮かな感覺と、而して絶えぬ生命のなやみとをこの作者は持つてゐる。が、それが常に部分的にしか現れて居らぬ。全身的でない。で、出來る歌が(377)みな極めて小さなものばかりだ。且つ、言葉といふものに對する理解と同情とを殆ど持つて居らぬ。殆んどいづれもその歌が埃つぼくカス/\してゐたり、ザラ/\してゐるのは其處から来て居る。惜しいこと、慘しいことに私はこれを眺めて居る。
 
   めづらしく里見川原に水出でて落鮎くると網はる男
   傾けば水もこぼれむ三日月の雨のまをうすら光りてあるも
   兒童らは晴れと着かざり集ひたる運動會の心勇みや
   朝寒の川もや空にひろごりて紅き太陽すかして見ゆる
   お祭の千歳樂の唄の聲太鼓のひびきの近く聞え來
   産土の神にまゐらすみあかしをともしてかへる松の宵やみ
   産土の神のきざはし下り立ちてわがともしたるみあかしを見ぬ
   稻の穂に月ふりかかる田圃道産土神のともし見かへる
   局員のいたづらごとの電話さへ更けて靜けき街にさす月
   明日の旅氣にかかりつつそこそこに準備ととのへ天みてねたり
   床屋にてふと見し新紙太き筋逝きたる人の記事を見守る(小野氏の死)
(378)   あまりにも驚くことの久しかり去る月あひし人の死哀れ
   あひあひて一と月ばかりその人は今は世になし十月の末
   秋風はかなしみもちて長尾なる野に山にいま吹きて居るらむ
   長雨の晴れし月夜に吐息して現世去りし人を思ひぬ
 これは他の一人の詠草中初めより十五首を引けるもの。
 第一首、佳い歌だ。落鮎來むと、すべきかとも思うたが、原作のまゝの方が力がある。男網はるかとも思うたが、先づ原作に從つた。落鮎來むと男網はる、の方がいゝやうにもあるがと惑ひながら。採る。
 第二首、傾けば水もこぼれむが一寸何の事か解らなかつた位ゐ私にはこの形容句が三日月に對して縁遠く思ひなされた。あまりに幼いためか、または概念じみてゐるためか、とにかくに不消化である。雨のまをうすら光りてあるも、といふのもかなりあくどい云ひかたである。採らうかと思つたが、棄てた。
 第三首、幼い歌だが、一本調子のすがすがしい所がある。微笑みながら採つた。斯ういふ場合の作者の單純な心に私は親しみを持ち易くて困る。
 第四首、少しうるさい。たいへん濕ひのあらねばならぬ境地でありながら、句が、言葉がみな(379)乾いて、少し指さきで擦つて後吹けば消えてしまひさうだ。景色をたゞ報告してはいけない。第五、また同評、且つ平俗に過ぐ。
 第六首、ともして歸る、といふのはどうしたわけか、神にあぐべき灯をまだ上げもしないうちに持つて歸るとは聞えぬことなり、何かの思ひ違ひと改めおけり。松の宵闇も無理なり、下蔭とせば無理もなく意味も通るわけなり。先づ平明の作。第七、これも同じ。採るべし.
 第八首、第五句で作者自身の動作を叙してあるが、それではまた第四首の如くへな/\した報告に終る。同じことでもその御燈明を主題にして、あらはに云はずともそれに對する作者の感懷を洩らした方がいゝと思ふ。改作の後採用した。
 第九、こまかな歌の樣で、案外間のぬけた、しなびた一首である。且つまた平俗な趣味に落ちてゐる。單に局員といふも無理であらうし、街にさす月とわざ/\丁寧にことわらずとも街の月かなとあつさりしておいた方が落ちつくかも知れぬ。生氣なく、私の好まない歌である。
 第十、さうですか歌、第十一、さうですか歌。床屋にてふと見し新紙太き筋、のあたり淨瑠璃の文句にでもありさうだ。この作者はこれでぐつと碎けたつもりでゐるかも知れないが、よくない考へだ。記事を見守る、此處でもたゞ間のぬけた自己動作報告をやつてゐる。第十二、さうですか歌、ぢつと見てゐると何だか心細くなつて來る。なぜ斯う浮薄な、輕卒な文句が平氣で續い(380)てゐるのだらう。歌は決して景色や事實や感動の報告ではないのだ、謂はゞ第十一は事實の報告、これは感情の報告ではないか。斯んなそゝつかしい、輕薄な調子で果してひとの死を弔ふ眞意がのべられたと思つてゐるのか、死者若し靈あらば『馬鹿にするナ!』と憤慨するであらう。第十三、さうですか歌、之も浮いてゐる。はんの口さきの哀傷である、腹から出た深さも重さもありはしない。第十四、第十五、いづれ劣らぬさうですか歌、細評の煩に耐へず。
 以上十五首より五首を拔き、殘り十五首より一首を拔き、都合六首、今月の詠草中に收めておいた。この作者は非常に歌に熱心な人である。が、眞實の歌といふものが了解されてゐるかどうかは疑はしい。作りなれてゐるだけに大抵一通りには詠みこなす。が、さうした歌には殆んど靈が入つてゐない。たゞ多くは言葉だけのものとなつてゐる。而して當今の歌を作る若い人たちの六七分は大抵この言葉だけの上手な歌つくりである。本誌の詠草またこの例に洩れてゐない。極めて平和らしいこの作者を偶然(といふうちにも、上に擧げた挽歌數首の餘りにのんきなのに憤りを發した關係がないではない)その例證の様に此處に引いたことを心中氣の毒にも感じてゐるが、これを機として一轉期が作らるれば自他共に幸である。
 月々三十首の詠草を送る人のうち、六七首を誌上に拔かるゝのは先づ成績のいゝ方である。その六七首さへ何の躊躇なしに採り得るといふのは多くないのだ。考へて來ると心が寒くなる。人(381)間は眼の覺める事が肝心である。おのづから自分の身に出來てゐた一種の惰性や習慣や因循やからフツと眼を轉ずると、今まで自分の知らなかつた新しい世界のあることを知るものである。生命の進歩は其處から生ずる。フツと眼を轉ずるといふのも袖手《しうしゆ》空しくその折を待つてゐては駄目だ。絶えずその用意期待を自分の心に藏めてゐなくてはその機は來ない。この新春を期し、深くこの心がけを養ひたいものと思ふ。
 
     加藤東籬集を讀む
 
 『加藤東籬集』が出來る――といふ言葉は我等の仲間にあつては殆んど何等の理由を考へぬ前に先づ何とも云へぬ安堵と滿足と、そして單に歡びといふよりは一種の矜《ほこ》りに近い或る感情を誘起すべく一致してゐたのである。その期待せられた『加藤東籬集』は創作社叢書第一編としてこの五月二十八日に出來上つてまさしく我等の手に置かれた。
 
 もつとも私自身は一册になる以前に著者に代つてその書の校正をしてゐたゝめ、既にその内容に對する印象をばいち速く胸に刻んでゐた。その印象は先づどんなものであつたか。
(382) 曰く、何とも云へぬ暗い失望であつた。
 愈々製本が成つて取りあへず身邊の諸友の間に配布した。
 そして、數日を經てお互ひが出會ふ毎に交はされた言葉はどんなものであつたか。
『どうだネ、讀んだかネ』
『ウ、讀みました』
「どうだネ………………』
『さア、どうも少々困りましたネ、餘り加藤張りが出てゐすぎるので………………』
 甲乙丙悉くこれであつた。痛い所に觸れる樣に實はお互ひこの問題に觸れて行き度くなかつた。
 
 本が出來上ると直ぐ、他に用事もあつて、この著者が上京して來た。そして三四日間私の宅に泊つて行つた。遠慮のない間柄であるとはいへ、いかに口の惡い私であるとはいへ、この黙り入つた、常に疊の面を見詰めてゐる樣な年長者の著者に向つてはなか/\早速にはその讀後感を述ぶる事が出來なかつた。愈々今夜の夜汽率で立つといふ日になつて、二人して宅の近くを歩きながら私は漸くくちを切つた。
 夙うからその間の消息に感づいてゐたらしい著者は、待ち設けてゐた樣にとぎれ/\云ふ私の(383)言葉に聞き入つた。
『そでしかナ、そでしかナ』
 と國の訛を出しながら、僅かその間に一二の自分の言葉を交へながら、ほんとうに耳を傾けて聽き入つてゐた。抑へ難い昂奮はその俯向いた顔をうす赤く染めてゐた。
 これで生れ代つた氣で、今後の歌を作る、と云つてこの寂しい人は遠い郷里へその自身の最初の著作を抱へて歸つて行つた。
 見送つたこちらの心にも、前にも増した寂しさが喰ひ込んでゐた。
 
 この寂しさを懷きながら、私はその後幾度かこの歌集を繰返した。忙しい日が續いたので、僅かに一度に五首十首づつと手當り次第に讀んで行つた。そして、さうしてゐるうちに私は次第に勇氣づいて來た。
『よし、加藤君は終に加藤君だ、他の誰もが持たぬ別種ないゝ所を彼はしつかりと持つてゐる、難有い!』
 と、繰返せば繰返すほどにこの會心の微笑を深めて行きつゝあるのである。『要するにこれは書物の編輯の爲方が間違つてゐたのだ、味噌も糞も餘りにごた/\に詰め込ん(384)だため折角の彼獨特の光明も見わけにくかつたのである。つまり屑が多過ぎたのだ。その屑のために元來が餘り冴えない彼の特質が全く掩ひ隱されてしまつたのだ、惜しい事をした。』
 と思ふ樣になつた。あんな人に編輯などさせずにこちらでもう少し注意したならば斯んな事にもならなかつたであつたらう、といふ自責に似た愚痴も出る樣になつた。いかに忙しかつたとはいへ、彼は自身の十年間の勞作を輯《あつ》むる處女歌集の原稿作成を自分よりずつと年下の少年たちに一任してしまつて、其處の雜誌此處の雜誌から舊作を寄せ集めさせ、書き寫させ、自身殆んど眼を通す事もせずに私の方に廻して來た。こちらはまたこちらで、送つて來た原稿を直ぐそのまゝ印刷所の方へ渡してしまつた。數年來信じ切つてゐる彼のものであつたゝめ斯うもしたのであつた。それ無くして一應こららで氣をつけたらばまた方法もあつたのであらうにと憾《うら》まるゝのである。無頓着同志の爲事が此處に思ひもかけぬ大きな穴をあけてしまつたのだ。
 
 私が加藤君の歌を初めて見たのは――昔話を始める樣で少々變だが――明治四十四年の三月であつた。第一期の『創作』を出してゐる頃で、その頃は本誌はあらゆる人の投稿を自由に受けてゐた。毎月何百通となく寄つて來る原稿の中に他の雜誌では折々見てゐた樣であるが直接に見るのはその時が初めての或る一人の歌があつた。驚くべき異色を持つたもので、私はまつたく昂奮(385)してしまつた。當時は現今より選歌を嚴重にしてゐたので大概の人が先づ一首二首位ゐから三首五首と進み、相當の素質のある人でもかなり永い月日を通して漸く半頁組一頁組になつてゐたものであつたが、その時私はこの初對面の人の作物をいきなり最上級の位置にある一頁組に採用してしまつた。それが即ち加藤東籬君のものであつたのである。それほど富時にあつては驚異に値する作を彼は作つてゐたのだ。
 『加藤東籬集』を披くとなつかしいかな、その時初めて見た作物が先づ第一頁に出て居る。
   舊き友何を思ひし※[奚+隹]のあつもの作りわれ待つといふ
   あを海のほとりの友の心より書きたるたよりまた披き見る
   錢なくて愁へず二月花咲かず南の山のうす霞むかな
   鬱々と愁へに眠り二月の日林の中に暮るるを知らず
   祈らざる心をいかになぐさめむ白晝靜かに野を燒く男
   野火放てば青き煙は立ち昇り一縷かなしくかぎろひにけり
   深々と入日の光山に滿つ胸に沁み入る何のさぴしさ
   公園の松に立ら寄り松風に吹きすまされぬさびし春の日
   盆栽の梅咲く頃となりにけり衢に塵は輕く起れり
(386)   かすかにも市のどよみの聞え來る香取の宮の春の樹に凭る
   出水して向ひの町の白壁の水に映りぬやよひ雁啼く
 斯うした歌は、『創作』第二卷第四號を持つてゐる人はあけて見るがよい。ちやんとその百七十八頁から百八十頁にかけて出てゐるのである。
 富時は『明星』はなくなつたが新詩社がまだその偉きな餘威を振つてゐた時であつた。まだまだ星や董の時代であつた。さうした間に、しかも突如として斯うした歌が私の手許に舞ひ込んで來たのである。私はまつたく驚いてしまつた。しかも後にその作者が中年の農夫である事を知るに及んで私の心は益々動いたものであつた。現に急速な推移を遂げつゝある現在の歌風から一昔前の此等の作を見る時には其處に云ひ難い粗雜や幼稚があるに相違ない。然し斯うした漲る樣な心の流を感ずるには「今」も「昔」も無い筈である。いや、斯うした澄み動く心の流が果して今の歌壇の歌に見らるゝであらうか。
   舊き友何を思ひし※[奚+隹]のあつものつくりわれ待つといふ
   蒼海のほとりの友の心より書きたるたよりまた披き見る
 これらの歌は當時と全く同じい力を持つて今の私には迫つて來る。
 斯うした大まかな、額を擧げてものをいふ樣なまつ正直な歌が彼にはかなり多い。
(387)   そろそろに彼岸櫻の咲くといふ都邊戀し上らばやと思ふ
   丘に登れば杳かに心かなしみぬ煙のごとき春草の色
   樹には樹の思われには我の思の恣まなれ冬のしづか日
   鳥が子を捕られて騷ぐ夏の朝うつかりと起き青稻田見る
   折も折子を捕られたる烏奴《からすめ》が狂ひて低くわが上を飛べり
   喰はぬ目にあふかも知れず働かう働かうといふ心になりぬ
   不平なく今年の夏を送らむと土を相手に働かうとする
   己が手一つに世の幸福を作らむと酒の如くに醉ひて思へり
   惜しと思ふ人が死ぬればその子供大きくなりて世を歩むなり
   一飯を惠みてやればその乞食わが所有《もの》の如くなつかしきかな
   わが畑の玉萄黍《もろこしきび》に來る烏その黒鳥憎からぬかな
   梨の實のうれて靜に落つる音に聽けよ餘りに逸まる心
   五十路にはなほ十三年を餘せりき何か爲さむと或夜思へり
   午飯はことに身にしむ眞赤なる漆紅葉の散る頃ほひに
   泣くが如き磨臼の音は父母を思ふ心に響き來にけり
(388)   冬の家の焚火の如く靜かなれ愚かになれと此身をおもふ
   馬の如くまたも獨りとなりにけり野に草を喰む馬の心に
   七八日畑に來りて働けば太陽もまた寂しかりけり
   野の末に見ゆる町あり語り得ぬ寂しさをもて夕陽に眺む
   秋更けし青森灣の海見むと我に連れられ來にし妻なり
   村雲の月の面を流れゆく見ればか胸の騷がしきかな
   朝なさな物など言はであらむより猫柳など折りに行かまし
   諦めて四十男が眠らむとすればま青き夏の夜の月
   津輕人遠くも來つれ駿河なる富士の高嶺を仰ぎ見にけり
 色もそつけも無い、云はうとしたことを唯だ云つたに過ぎないといふ此等の歌に、歌らしくもない歌に、捉へどころのない人間の心の寂寥や悲哀が、心のうごきが實にみづ/\しく盛られてゐるではないか。彼の持つ「言葉」といふものこそ豐かでなけれ、粗野ではあれ、日常生活に使ふそのまゝを用ゐてみな相當に用ゐ活かしてゐるではないか。これらを見て私は貪しくとも眞實の「言葉の使命」はみな相當に此處で果されてゐるのを感ずるのである。
 
(389) 然し、彼は右云つた一本調子の歌を作らうとして――イヤ、彼の考へてゐるまゝの歌を何の氣なしにぴよい/\と詠み出づる事のあまりに無關心なために遺憾なく彼の歌の缺點を暴露して居る。あまりに無頓着なあまりに自由な(といふよりはあまりに疎漏な無知な)ためにその作られた歌は易々として平板單調な、一本調子な、内容空疎な、たゞごと歌に墮して行つてゐるのである。集中よりその例を引くべくいま餘りにむごたらしいのを感ぜざるを得ないまでにさうであるのである。折角出來たこの第一歌集を手にしたわれ等友人どもを何とも云へぬ失望の淵に沈ましめたのも謂はゞ一に其處から來てゐるのである。然り、彼はあまりに歌に對して無知であつた。あまりに輕々と取扱ひすぎた。
 いま少し言ふ。
 それは單に「言葉」や「表現法」の問題のみでなく、今少しつつ込んで「彼そのもの」の何處にかまだ/\お疎未なところがあつた故であらねばならぬ。彼の感情が、彼の思想が、彼の生きかたが、生命に對する彼の態度や知識が、それを「歌」に盛らうとする彼の態度や手際が、薄つぺらであつたからであつたのだ。
 彼は決して世に謂ふおつちよこちよいではない。それこそ、毛ほどもそんな所はない。唯だ、少しいい氣な所がある。自己に對して安易過ぎる。何かを感じながら、感じ詰め樣とせずにたゞ(390)ふわ/\と浮んで流れつゝ、而かもそれに我流な色をつけ、匂ひを添へ樣とする樣な所がある。進んで徹せず、退いてまた徹しない。それに、ものを深く考へ樣とせぬ彼の弊は案外に世の惡影響などを不知不識の裡に深く受け入れてゐる、イザ歌ふといふ段になつて無闇に最上級の形容詞や副詞を使つて大上段に振りかぶりながらいかにも誇張した云ひ方をする。内容の影のうすい所へもつて來て徒らに恐しい大きな言葉――單に言葉といはず不消化極る身振り手振りの表現法を行當りばつたりに使ふ爲に、その作物をば實に眼もあてられぬ滑稽な、安つばい悲慘なものにしてしまつてゐる。引例の要はない、隨所のページを披いて見よ、それの眼につかぬ所は殆んど絶無と云つていゝだらう。 斯うした事などが、親しく彼を知らぬ人にいかにも彼を安つぼく見せはせぬかとまで氣遣はるゝのである。今更ながら「歌」のすがたと「人」のすがたの離し難い微妙な約束を思はずには居られない。
 
 さういふ危險はあるがそれが成功すれば右に引いた如き自然な、豐かな熱を持つて極めて主觀味の勝つたものとなる。それと共に彼の作に多いのは退いて靜かにものを觀る樣な、ひそかに/\われとわが心に親しまうとする樣な寂しいものごしの歌である。寧ろこの方に彼の佳作は(391)多いかも知れぬ。
   心なき草木に身をやたぐふべき山の櫻の下にまろべば
   心よく死を思ひたる曉の如くに人のなつかしきかな
   地の上に春の夕の煙たつ樹のかたはらにねて身を思ふ
   ゆく春の風につらなりほろ/\と鴿《いへばと》の啼く胸の痛さよ
   心深うわが住みなれし青桐の葉の散りそめし家に鷄啼く
   曙の青葉のなかの板屋根に烏つどへり啼くこともなく
   定かにも秋の虫なく眼の前の青き林のはつ秋の風
   野蒜の香背戸の畑に漂へり夕月の頃飢ゑて歸れば
   春淺き林のくまに立つ時のわがもの足らぬ目に雁の見ゆ
   おのづから言葉少なになりにけり山に櫻の咲ける頃ほひ
   呼びとめて語らふ人もなかりけり道の柳の花らるゆふべ
   藁砧木枯の音みなわれに親しみ深くなれるこのごろ
   野の畑に青油菜はみのりたりわが語り得ぬさびしき心
   笑はざる父の顔より逃れむと蛾をとりにきぬ青田の畔に
(392)   歸り來れば秋風の吹く古家に誰も居らざりき子等もをらざりき
   革の帶うすら冷くなりにけり秋風の家に兎を飼へば
   この九月畑の豆を盗まれて腹立たしきに畑の虫鳴く
   父が手に畑の南瓜はとり去られ跡に靜にこほろぎの鳴く
   わが家の飯焚く煙ほそ/”\とわが落葉掻く身をめぐるなり
   秋餅をつき一騷ぎして裏畑に出づれば晝の陽は黄いろなり
   この夜の深きにまたも風おこり落葉の村の晝の如き月
   木枯の風の寂しさ萱刈りて雪がこひする霜月の朝
   わが馬もわが橇もみな音を立て靜なる林の道を行くなり
   雪を掬ひて手を洗ひけりさて仰ぎ冬の夜の村の小き月見る
   赤き鳥|啄木鳥《けら》の來りて樹を叩く煙の如く雪の降る日は
   木の葉散り過ぎ靜かになれば啼き出づる鴒をきく朝の食卓
   働けば身につき纏ふ勞れありおんばこの實の零《こぼ》るる秋の日
   遙かなる岩木山《いはき》曇らし降る雪にいざやわが橇乘りも出さむ
   かたはらの茶壺をとりてふりてみぬかの宿無しの犬吠ゆる夜半
(393)   兎をば忘れて草にまろびゐぬ兎の草をとりに來りて
   夏の夜の更けしづまりてやがて月山の端あかく入るあはれなり
   わが窓のうす青かるは我を待つ妻のさぴしき灯なるらむ
   村雨も野末の風も秋の木にをり/\來りわれ騷がせぬ
   雨につけ風につけても身にしむはわが軒に來る雀なりけり
   何がなし宮の落莫を踏みたくて出でて來れば里の子等ゐる
   町裏に海鳴のする秋の日は友が店ごと訪ね行かまし
   假初に唄ひすてゆく行きずりの男の唄も冬なりと思ふ
   錢欲しと思ふ心を叱りつつ對へばしろき岩木嶺の雪
   わが背戸の木に啄木鳥の來る頃となれり寂しき如月日和
 斯うした歌を拾つて行つたらまだ/\眼につかぬ澤山の數があるとおもふ。胸を張り額を擧げて歌ふといふ種類のものには前に述べた幼い缺點が出易いが、此等の、靜かに瞳を落して歌ふといふ部類になると流石にそれが誠に少い。 加藤君には非常に熱情的な所と、まことに冷靜な所との二方面がある。それは前に引いた歌といま書き並べたこれらの歌とを比べて見れば直ぐ解る。その何れが加藤君の本質であるか、それ(394)は俄かに決すべき問題ではないが、歌の方面で若し私の希望を云へば此等の難の少い歌風より寧ろ危險性を帶びた前に引いた純主觀の詠みぶりを同君によつて更に洗錬し更に高調して歌ひ出してほしいものに思ふ。いま此處に引いた種類の詠風は謂はゞ一般的な、誰でもが少し注意しさへすれば詠み出し得る側に屬するのを思ふからである。
 
 彼の孤獨な、靜かに澄める心は隨所の自然物に常に安らかな宿りを見出す。かの單調を極めた北津輕の平野に在つて彼はこのためによく秀れた叙景詩を作つて居る。これは前に引いた歌の中にも數多混つて居るが、今少し附加するならば次の樣なのが目立つ。
   鷄と鴉と啼きて明けむとす羽後の山脈あからみそめて
   野分の後の水氣ふくめる遠木立しろき日影に見やる寂しさ
   をちこちの刈田の面の水色の煙の中におりゐる烏
   ぎい/\とまたももぎ取る音がしぬ玉萄黍畑の初秋の風
   秋なれば斯くもあやしき水色に澄みたる煙ひねもす晴れず
   丘を越え落葉を踏みてつと立てば小學校の唱歌の聞ゆ
   木枯の風を染めつつわが庭のとど松のあたり夕陽かなしき
(395)   雪はれて一朶の雲の影落ちてさびしかりけり岩木川原は
   薄々と雪降りみだれ門の内の箒の如き樹に月いづる
   わが家の近くに來り啼く郭公あを葉に暗き家の近くに
   馬鈴薯の畑の草とりわがすなり近くの野木に郭公の啼く
   頻りにも蛙は鳴きて雨呼べり曇日の雲光り輝く
   大空の曇日はよしうち煙り野邊の青木に觸るる風無し
   鳶とべり秋のはじめの海原のごとく霞める野の邊の空を
   切株に腰うちかけて休らへばもの靜かにも鳴く鳥のあり
   木枯の風吹きやみて靜なる月夜となりぬわがちさき窓
 彼の作る叙景の歌にはみなその底に人間の匂ひがしてをる。いはゆる單なる景色の歌ではない。
 眼前の風物におもひをやつている彼の周圍にも社會がある、家がある。一軒の戸主として、子とし夫とし、父としての彼がある。
   桐の葉に明るく秋の雨降る日寂しや泣きて生るるみどり兒
   容貌《おもざし》のどこかすぐれぬ妻とゐて黙して春の雁を聞く宵
(396)   氣まぐれにわが兒の頬に唇つけぬ明るき窓に馬追とべば
   無慾なるわが父の手より引受けていかにかせむと思ふ古家
   無我なる事父の如くば尊かり米飯の如尊かりけり
   母が畑の胡瓜をとりに行く後を子供の如くついて行くなり
   いつになく沁々母の可懷しくついてゆくなり初秋の畑
   土くれの如く無爲にあれかしと父は願ひぬ我の身體を
   大粒の雨となりたる夕まぐれ軒に菊つる父はさびしも
   はや父の寢覺なるらむマチすりて煙草を吸へる秋の靜か夜
 
 この一卷の歌集に含まれた特色――よき方面のそれをば大抵右に擧げ盡したとおもはれる。いま一つ最後に、全體を通じてこの一卷の基調《キイトーン》をもなしてをるべきものを謂ふならば寧ろ可笑しいほどの正直さ無邪氣さと、寧ろ無知に近い根強さ執拗さとがこの作者の生活に、その作品の根抵に横はつて居るといふ事である。初めに云つたこの一卷を通じての缺點――あらゆる幼稚や誇張も多くは唯だ讀者に一種の微笑か苦笑を強ふるに止つてさほどに深い反感を催さしむることの無いのは(意地惡く云へばまた別であるが。)一にこれにもとづいてゐる。十首のうち僅々一首か(397)二首かしか出來てゐるものはないほどの不完全な作品でありながらなほ且つ何處にか人を惹きつけずにおかぬ強みもまた此處から出てゐる。云ひ得べくんばこれ實に質のよき東北人の持つ特色であるかも知れない。單なる無知と滑稽とに終つてゐないのはこの作者が東北人としての秀れた一人である事を語つてゐるものかも知れない。
 詠歌に從ふ十年、しかも刻々と變化し推移し來つた過去十年間の歌壇の風潮を全然よそにしてそれこそ實に十年一日、こつ/\と自分獨りの世離れた道を歩いて來たといふ事は、それだけでも既にこの著者の、この歌集の占むべき極めて稀な獨特の境地であらねばならぬ。私はこれを尊敬すると共に、更にこの著者が果して如何なる態度に出でて今後の境地を開いて行くかに愼重なる期待を捧げねばならぬ。
 加藤君は年齢に於てもう若くない。從つてこの問題は他の多くの場合に於けるより餘程の緊張さを持たねばならぬ。私はこの『加藤東籬集』一卷を以て加藤君の全部だとはどうしても思はれない。彼は要するに今までは歌について餘りに何も知らなかつた。まつたくの子供であつた。而してこの第一歌集を出した事によつて僅かにその眼が開きかけた事の樣に考へらるゝ。彼自身、この一卷を手にして寧ろ感無量のものがあらう樣に考へらるゝ。寧ろ不思議なる人としての彼が生命のみづ/\しさを信じ、彼が持つ「素質」のなほ處女地の如きものなるを信じ、私は此處に(398)改めて新たなる尊敬と期待とを彼に寄せて、彼の健康を祈るものである。(大正八年六月二十三日)
 
(399)  和歌評釋
 
     その一
 
   圖書館の大きなる時計のもとにゐてしんと本讀む眞黒き頭
 圖書館のがらんどうな大きな室、其處にひつそりと集つてゐる大勢の人たち(自分もその中のひとりである)、何となく息苦しいやうなその場の沈黙――さういふ場合にふいと顔を擧ぐると向うに大きな時計が懸つてゐる、そしてその直ぐ下にしいんと何かに讀み入つてゐるひとつの眞黒な頭が眼についた、といふのである。何でもないことだが、あせらず巧まず、寧ろぼんやりとその時の自分の眼についたゞけを云ひ下したなかに、その場の空氣も、それに對した自分の氣持も誠によく表れてゐると思ふ。この作者は常に自分からものを遠くに引き離して眺めながら詠んでゐる。うろたへてその中に自分自身飛び込むことをしない。だからその眼は常に澄んでゐてその心にはとり亂したところがない。だから歌の上に寫し出された景象はよく明瞭で、それを取り(400)扱つてゐる言葉には何處か心憎いゆとりかある(まゝ、そのゆとりが過ぎて駄洒落や空語に近くなつてゐるのがないではない)。次にあぐる母を詠んだ數首の中にも、さらぬげに云ひすてた中に誠になつかしい心が滿ちてゐると思ふ。
   早起の母は乏しき灯のかげにひとりさら/\と茶漬食します
   早起の母は茶漬にここだくの鹽ふりかけてさらさらと食す
   乏しらの灯かげに母が面《おも》見ればつばらつばらに見ればかなしも   先生が笛吹きければ生徒等は集る集るひなたのまんなか
 先生が笛を吹いた。それを聞くと今まで散らばつて遊んでゐた生徒どもがばんら/\と四方からとび集つて來た。見て居ると何だかそこの處ばかりが一際日の光も濃くなるやうだ、といふのだ。集る集るひなたのまんなか、といふ十四音のなかに作者の躍つた心持がよく出てゐる、飛んで集る雀子のやうな生徒連も。
 
   しまりなき日ごと日ごとになにものかわが身をぬけてとびゆくごとし
 だらしのない日夜を送つてゐる。さうかうしてゐるうちに、何だか、自分のからだからぼつ(401)ぽつと何やら拔けて離れて行くやうだといふのである。
斯うしてゐては爲樣がないと思ひながら、なか/\その不快な境地から身を脱し得ない。さうして、日ごとに自身の生命のちからの褪せ萎《しな》えて行くのを悲しんだ一首と思ふ。ぐたりとしながら、而も常にいら/\した不安さを忘れ得ない時の心持が先づ一通りは出てゐるやうだ。斯ういふ種類の歌は餘程心を押しつめて混濁をとり去つてから詠んだのでなくては、多くは空言空語に終りがちのものである。この作者もまだ全くその境地を離れ得てゐるとは見られぬ。
 
   遠見せよ近くを見るなといふままに霞む香貫《かぬき》の山を眺むる
 眼を病んだ時の作。幼い歌だが、私には先づその素直さがありがたい。而かも素直に作らうとしてのそれでない。まつたくふら/\と出て來た純粹の心そのものであるのだ。近くを見てはいけない、遠方を御らんなさいと云はれてその通りに病《わる》い眼をあげて見ると、速くの方に香貫の山が霞んで見えて居る、といふのであるが、さうした場合の靜かな景惰がよく表れてゐるではないか。では俺もひとつ素直に幼く詠まうかナ、といふのでぽい/\産出したのでは、斯のしんみりした味ひは到底持つことは出來ない。歌はまことに正直なものだ。
 
(402)   風もなき冬の日だまり石垣にもたれつつ見る青海さびし
 其處には風が少しも落ちて來ない。そしてほつとりと日光が澱《おど》み溜つて居る。その石垣にもたれながらぼんやりとして眺めやる冬の海のさびしいことよ、といふのである。斯樣のものをば斯う一本調子にぐつさりと云ひ下してしまはないで、さうした場合の感觸、即ち自分の身に感ずる日光の色だとか、匂ひだとか、温かさだとか、若しくは石垣のそれ、或は眼の前の海に對するそれ、それらをもつと小きざみに歌つた方が效果のあるものであるが、これだとて決してわるくはない。少くとも嘘を云つたものでないだけの強みをばこの一首は確かに持つて居る。巧拙にかかはらず、しんから身に感じたことを云ひさへしたら不完全ながらに生命のあるものであるのだ。
 
   孤りなる生きのさぴしさ飲みそめし寢酒の癖も春となりにけり
 こゝろもちはよくわかるが、さりとてひとりなる生きのさびしさなど、大上段に振りかぶるべき場合でもないと思ふ。もつとほかにしつくりした言葉は無かつたか知ら。春となりにけりも大づかみすぎる觀がある。ひとに同情を強ひる無自覺なずるさがある。
 
   夜を寒みたらちねが手の霜やけに塗る獣《けだもの》のあぶら悲しも
(403) 恐らくけだものゝあぶらが云つてみたかつたのではなからうか。次の一首は見たところは淡いが正直だと思ふ。
 
   いつになく和めるこころネクタイをかへてつとめに出でてゆくかな
   眞夜中といまなりければ飯を食むいやかしましき工場の隅に
   身もこころもつかれはててはわづかなる隙をぬすみて窓によるかも
 調子の引き緊つてゐるのが難有い。それも此頃流行の強ひて高まらせた形ばかりの高調でないのが好ましい。この二首に限らずこの作者の前號の作は(今號のも)みなよかつた。寸分もたるみのないその心が見えるやうであつた。
 
   頬ぬらし寂しき朝を起きいでぬさまざまの夢を見てしものから
 種々雜多な夢に襲はれて、欝々とこの朝を起き出でた、氣がつけば何やら自分の頬は濡れて居る、といふのである。夢のうちで泣いた涙に氣づいたことゝいひ、あゝまた今日も明けたのだといふやうな重い心で見つむる朝の日ざしといひ、かなり複雜したこゝろもちをよくすつきりと歌つてある。
 
(404)   衣ずれの音して友の起きいでぬさぴしき朝に歩み入るはも
 同じく朝の寂寥を歌つた一首。眠つてゐるともなくさめてゐるともなくうつ/\としてゐるとうす暗いなかにこそ/\といふ衣ずれの音がする。アヽもう友は起きたのだ、と思ふと、また今日一日の寂寥のうちに歩み入つて行くそのうしろ姿が眼に浮んで來る、といふのである。
 
     その二
 
   温き朝餉|食《を》し居れば裏畑の麥はみどりに日に煙りたり
 郷里に歸省した時の作。何の他奇の無い、すら/\とした一本氣の歌だが、なかなか斯う經く歌へないものだ。朝の御飯をたべながら、見るともなく眼をやると、すぐ縁さきから續いた畑の麥は煙るがやうに青々と遠く眺めらるゝといふのだが、御飯から立つ湯氣も縁さきから麥畑にかけて照つてゐる早春の朝日の色もさながらに自然のあたゝかみを持つて目に浮んで來る。平凡な、そして靜かな作だ。イザ歌に詠まうとすると、大抵の人は多少にかゝはらず見えを切るものである、きまりをつけるものであるが、この作者にはそれが無い。他の作もみなさうだ。
 
   おだやかに日の落ちゆけるこのゆふべ庭に出づれば潮鳴り聞ゆ
(405)   煤けたる提灯さしよせふるさとの風呂にひたれば夜の親しも
   きさらぎの空青々し日のひかりすかせば羽虫群れつつ流る
 
   神崎を過ぐれば早も煤煙にうすぐもりたる大阪の見ゆ
   大阪の弟を訪へば路次の奥まひる小暗く雪は降りつつ
 この作者の詠みぶりも前のとよく似てゐる。何の嫌味も無い。がこれが過ぎれば例のたゞごと歌(私の謂ふさうですか歌)になり易い。心を靜かに保つてゐて詠むと同時にその心の張りを矢はぬやうに注意せねばならぬ。この二首は但馬から大坂の弟を訪ねた時の作、作意は説くまでも無からう。
 
   しよう/\と雨に濡れつつ麥畑のよく見ればそこに雲雀がゐるも
 蕭々と降る雨に眼の前の麥畑は一面に濡れ浸つてゐる。ぼんやりと雨を見、麥を見してゐると、オヤ/\ツイ其處に雲雀がゐるぢヤないか、といふ歌。この作者は平常《へいぜい》はどちらかと云へば才の勝つた、謂はゞ俳味のある作をする人である。この一首にもそれがほの見えて居るが、嫌味になる程度に及んでゐない。才氣走つた、乃至俳味のある作といふと、一寸見たところは引き立(406)つが、多くは底の淺い、臭いものになりがちのものである。でも、前號のは概してみな佳かつた。
   晝餉食し出づればいつか鶺鴒《いしたゝき》二つとなりて屋根を歩み居り
   いしたたき一弱がとべばまた一羽ばらばらとびて屋根を去らずも
   風のかげの土手にまろびて小半日舟を見て居る身も世も忘れ
   ひとしきり舟の往來の絶えしかばわれもさびしと立ち上りたり
 この作者も腕の冴えた、眼の利いた作をする人である。大きくはないが、常に齒切れのいゝ歌を詠む。唯だ、風をよけた土手の蔭に寢ころんで半日近くも丹を見て喜んでゐたといふのだが、身も世も忘れといふ結句にこの作者の面目はよく出てゐる。子供のやうに舟を見て喜んでゐた、といふ自分に對してにやりと漏した微笑が即ちこの結句となつたものと思ふ。永らく病んでゐる
人と聞くと、一層これらの歌に點頭かるる。自分の居る下宿屋の娘が海苔とりに行くのを見送つては、
   病み上り美《は》しき吾妹が海苔とりに出でゆく日なり風な吹きそね
 と歌ひ、その海苔とりの側に出かけて行つては、
(407)   はしけやしわが見に來れば舟寄せて乘らずや君と問ひし妹はも
など、馴れたものだ。
 
   明るさをしたひてひとり山に來ぬ鶯の啼く二月の山に
   山に來て山松原の枝わたる鶯の羽根ひかるを見たり
   山に來てうれしきものは松原の枝なき渡るうぐひすの聲
   すがすがし松のこむらの奥に聞く向つ谷間のうぐひすの聲
 一人の美少年を見るやうな歌だ。怜悧で、瞳が澄んで……幼いながらによく細かで、自然を失はぬ程度の粉飾を施すことを忘れて居らぬ。眼さき、指さきの巧を樂しむのに甘んじなかつたならば、たいしたことにならうと思ふ。
 
   うらら日の畑に雲雀のこもり聲姿見えずも麥深ければ
   空をゆく由布山風の寒ければ雲雀は畑にこもり啼くかも
 似てゐるが、前者よりやゝ硬い。而して、より多く小手さきの冴えを樂しまうとする癖がありはせぬかと思ふ。どこまでも自然で、どこまでも全身的で押し進んで行つて欲しいものと思ふ。
 
(408)   紅椿ひとつ綺麗に見えにけり折りに行かうか寺の藪かげ
   友の呼ぶに走り降れる梯子段三段目よりすべり落ちたり
 この作者はまだ高等一年生の娘さんであるさうだ。さう思つて見ると、この幼い歌がまことに快く破顔一笑されるのである。
 
   道のかたへに小犬よけたれば大犬はのそりのそりと歩みて行けり
   頭より尾まで嗅《かざ》みて犬と犬なんとも云はず別れて行けり
 なんともない歌のやうだが、面白い。作者の靜かな心をなつかしく思ふ。
 
   わが前に一かたまりの埃立つ春まだあさき裏のほそみち
 これは何でもない歌のやうだが、いかにも好いところを見附けてゐる。イヤ、見附けてゐると云つてはわるい。常にその心を新鮮に且つたるませずに保つてゐたならば、斯うした好境地が斷えず自づとその心に映つて來るであらう。
(409) 月々集つて來る歌だけにも、千紫萬紅、實にいろ/\なのがある。實にうまいと思ふのもある。が、たゞ憾むらくはそれらの歌がみな小さい。底力のある、器宇の大きいのが誠に少いのだ。要するにこれは人間そのものゝ問題になつて來るだらうが、飽くまでも偉大な生命を持つた人が出て、山の樣な、また海の樣な、作を見せて呉れるのが待たれてならぬ。而して、これは單に本誌の歌のみでなく、現下の歌壇一般に對して缺けてゐるところなのではあるまいか。
 
     その三
 
   心こめ大股に道も踏み急ぎやすみなせそと心ひきしむ
   溪川の古りぬる橋もいそぎゆく身にしあれればあやぶみもせず
   今のわれは改札口のひらくをもたぬしく思ひて汽車まつ身かも
 このほか尚ほ數首、いづれも作者が舊友と逢はむがために或る場所へ急ぎゆく心を歌つたものである。數首とも、いづれもみな素朴卒直、くきりくきりとその眞情を一首々々の上にうつし出してゐる。白状すれば私はこれらの歌が果して完全なものであるか否かを知らぬ。けれど、昨今の私は一首々々のちんまりした、見たところのきれいな作より、斯うした活きた心そのまゝに躍つてゐるやうな、生々した歌により多くの同感を持つてゐるのである。云ふだけのことをづきづ(410)きと云つてしまふ、といふ風の飾りのない平淡な、而して力の滿ちた作をありがたく思つてゐるのである。正直私はこの作者の歌を讀み終へた時、心の※[足+勇]躍を禁じ得なかつた。いま再び見て、その感を繰返してゐるところである。
   高く笑ひ梯子を登る友の聲に學びやの日の手にとるごとし
   心ゆるし語る言葉も折榮えてすればいよいよたぬしき我等
   重みあるなつかしき聲をきくなべに深くたのめり友のいのちを
 唯だ、斯うした風の歌を作らうとして作り損へば三七八頁所載「いろいろの歌と人」の中に引いたB――君の作に墮る怖れがあると思ふ。同じづき/\と云つてしまふといふなかにも、うろたへ騷いで取り亂したまゝに云つてしまふのと、その場の自分をよく自分の眼にうつすやうな態度でいそ/\しながらしかも靜かに云ひ出るのとでは大變な違ひがあるものである。
 
   毒を飲むほかにこの世にたのしみはなきものとして死にし君はも
   死ぬるべき命と知りて玄海の濤の遠音を聞きけむその夜
   はるばると聞ゆる濤の遠音さへ死ねよ死ねよと聞えしものか
 これは自殺せし友を思ひて詠める連作中の一部である。前のより餘程力の無い云ひかたではあ(411)るが、平凡な、謂はゞ座談平語とも見ゆる調子のなかに矢張り掩はれぬ眞摯なこゝろが響いてゐる。これが唯の座談平語となるもならぬも、要はたゞ作者の態度と技巧とにあるだけである。
   わらはれても悲しまれても今更にさはりはなしと思ひ死にけむ
   死を思ひて頭重ればふらふらと呼子の濱へい行きし君よ
 
   雨はれの朝の空氣を爆々とうちひびかせて飛行機來る(A――君作)
   爆々と音いさましく飛行機のこの朝きたる空はかがやか
   電光の眞黒《まっくろ》雲にきらめけば墜ちたりといふ飛行機あはれ
   いなびかり黒雲黒風に引裂かれ眞逆さまに墜ちたる飛行機
   蒼ざめし顔して來りきぞの夜も眠らざりしと云へる友はも(B――君作)
   病める身に黒きマントを引き廻し歩める友を見つつさびしき
   鉢植のチユリツプさげて病める身に黒き帽子をかかむり居るも
   ねもごろに鉢のチユリツプ床に置きその蒼ざめし顔は笑みつつ
   あをざめし友の顔よりさびしきはそのかかむれる眞黒き帽子
 いづれをも同じやうな心に於て喜び讀んだ。私には斯うした型の連作を作つたといふよりも、(412)寧ろ斯うしたみづ/\しい心でぞく/\と作歌したといふことがうれしかつたのかも知れない。詮ずればいろ/\これらにも缺點があるやうだが、私は先づその佳い所を云ひ度かつた。
 
   一人ゐるこころ著しものつそりと蟇《ひき》が穴より田に這ひ入れば
 のつそりと蟇が穴から出て來たがやがて田の中へ這ひ込んで行つた。と、其處に自分だけたゞ獨り居るのだといふ氣持が急にはつきりして來た、といふのであるが、穴から田に這ひ入る蟇を前にした作者のしいんとした有樣がよく鮮かに出てゐる。
   田の水にむらがりて居るひきがへるおのれおのれとつがへるあはれ
   かたすみに鳴ける蛙のひそまれば春としもなき田のけはひかな
   田うちびといまだ乏しみ田の畔を烏わたりて動きけるかも
 みな細かで、そして柔かだ。
 
   ひとところ黒雲うごき櫻咲きつよく吹きしく春風の音
   菜の花のいちめんにひかり搖れてをりふみ讀みつかれ窓ひらきしに
 この作者の歌はずつと前から餘程他と變つてゐた。ぴく/\と動きやめぬ神經其ものが歌とな(413)つたと思はれるのが殆んど全部であつた。此頃は割に平凡に(よき意味の)なつて來てゐるのだが、兎に角この二首だとて幾らか變つてゐると見てよい。第一首、青空には一ケ所だけに黒い雲が浮んで居る、地には櫻が咲いてゐる、その間を烈しく(春風の音といふのでさう思はれる。)春の嵐が吹いてゐる、といふのだ。これを繪にして考へて御らんなさい、文展の中には到底入りさうもない、よし入つたところで一點か二點の異つた作品として取扱はるべき種類の繪ではないか。第二首、讀書(だらうと思ふ、ふみなどゝいはずに書籍なら書籍、手紙なら手紙とはつきり解るやうに詠みたいものだ。)に勞れて窓をあけると、窓前一面の菜の花に日光が流れてゐたといふのだが、いちめんにひかりゆれてをりといふのを見てゐると、何だか唯だ一面の菜の花といふでなく、さうした一面の菜の花のなかの一本々々がそより/\と光りゆらいでゐるのを感ずるのである。他念なくて心に詠むといふこと、もしくは新鮮にその感覺を働かせるといふことは、知らず知らずの間に斯うした機微を讀む人の心に感ぜさせるものである。のほゝんの作にはそれが無い。
   山なかの一もとさくら山櫻誰も見に來ずわれの來て居る
 直譯すれば、山の中に一本の櫻がある、見ごとな山櫻だ、誰もそれを見に來てゐない。自分だけ來てゐるのだといふのだ。妙な云ひかたゞが、それでもさうしたなかに一脈の氣分が動いてゐ(414)ると思ふ。山の深さも、櫻の靜けさも、それにたゞ毒り對してゐる一個のすねものの姿も、小さくはつきりと出てゐるではないか。(さうだ、この人の歌は決して大きくない、槍薙刀乃至二尺八寸三尺五寸のわざものではなくて、小さく鋭い匕首である。)
 みなわるくはないが、作者に云つて置きたいのは、斯うして段々小きざみに入つて行つたらばやがては身動きの出來ない、苦しい凝りに出會ひはしないかといふことだ。ほど/\で大きく背延びがして貰ひたい。遠い峰でも望む氣で、瞳をひとつ轉じて貰ひたいものである。
   それぞれに花を見るとて動き居る人の姿はさびしきものよ
   ぢつとして櫻の花をながめ居るに誰かうしろでさややき居るも
   さびしくも横道をして崖に來て谷底の川を見つめ居るかな
   谷底のながれの音を聞いてゐしが疲れの出でてねむくなりたり
   東風《こち》寒き夜半にはあれど電柱の球にはすこし蟲の來て居る
 
      その四
 
   青田中をさな兒一人走り來てくるりととんぼがへりしてをり
   青田中鍬を光らす農夫あり空には烏大圓をゑがく
(415) この人の歌を詠む心の中には餘程ふざけた所が混つてゐる。少くとも眞剣でなくうはの空で手先で作つてゐると思ふ。歌の中心點、即ち作者の心の光といふものがどの一首にも宿つてゐない。青田の中に子共が來てとんぼがへりをした、といふ事に作者が異常の感興を催して、つまり其際に作者の心が光を發してこの一首となつたのなら今少し歌に力があるわけだ。ところが何もありはせぬ。青田といふものだの子供だのとんぼがへりといふものだのが並べてあるだけで、それらを貫いて流れてゐねばならぬ作者の主觀は心の力は影も形も出てはゐない。第一くるりと蜻蛉返りしてをりなどといふ間のぬけた調子があるものでない。くるりとと云つたら刹那の感じでせう、其處へ持つて來てしてをりなどと間だるい永續を意味する言葉の使はるゝ道理は無いのである。想ふに青田だの蜻蛉返りだのといふものを見て、こいつは一つ歌になりさうだぞといふ程度で作りあげたものであらう。郎ち作者の心は留守になつて唯だ眼と手とが動いたわけである。次ぎの一首も田の中で百姓が鋤を光らしてゐる、が、どうもこれだけでは乃公《だいこう》の歌にはなりさうにない、何か近所に無いかなア、と仰いだところが烏がゐた、其處で即ち空には烏大圓をゑがくとなつたわけだらうとおもふ。もう少し突込んで考へればとんぼがへりとか大圓を描くとかいふことが云つてみたいばかりの爲事であつたかも知れない。若し作者が鋤の光るのを見て何か心に感じたのなら何も勘左衛門公の援助を乞ふ必要はないのである。歌はもと/\三十一文字しかな(416)いのだ、なるたけ道具立をば少くしたいところではないか。
 作者N――君よ、君は此頃言葉を使ふのが少し上手になりかけた、と同時に初め君の下手時代の作中にあつた眞摯さがなくなつた。即ち歌といふものを作るそも/\の素質を失ひかけて來た。それでも尚ほ君は一般的にいはゆるお上手にならうとするのか。
 
   われは悲し百姓の家に生れゐてみんなにまざり稼ぐことせず
   みみづから弱きを知りて百姓といふが悲しや野良の秋晴
 こゝろをひと所に集めて、靜かに詠み出づる事をしない歌は大方例の「さうですか歌」になりがちである。(解らない人があるかも知れぬ、さうですか歌とは普通いふたゞごと歌のことである、「さうですか」とよりほかにその歌に對し返事の出來ない種類の歌の事である。)この歌なども歌つてある事はみなかりそめならぬ事のみである。が、たゞ斯ういふ一首々々にせられてみると一寸御挨拶に困るのである。詠み出づる時の心が散漫ではなかつたらうか、たゞフイ/\とひとり言でもいふ氣持で作られたのではなかつたらうか。今少し引き緊めて、自分で自分の心を洗練して、消化して而して後靜かに一首にまとめる心懸があつたら斯んなつかまへ所のない歌は出來なかつたらうと思ふ。
(417) 斯うした作が寄稿の中で一番多い。この作者などはまだ物の解つてゐる方だ。
 
   かくも戀ゆれかかる日君に逢ひたらばわがあやまつにかへる日あらめ
   おほかたの戀さびしもよ月見草さけばとて泣く君にあらなん
 戀ゆれは戀ふれ、あやまつはあやまちの誤りである。あやまつなどは東北の人には止むを得ぬあやまつだといつてしまへばそれまでだが少し心すれば直せぬことはないと思ふ。戀ふれ、あらめは特別の必要でもなかつたら文法からは戀ふ、あらむとあるべきである。一首の中に誤りが都合四つあるわけだ。それは尚ほいゝとして一首の大意はどういふのだらう。斯んなにも戀しく思つてゐる、斯ういふ日に君に逢つたなら……、サテそれからどういふのだ。要するに解らない。斯ういふ一人合點の作も今少し一首々々を大事に考へて心をひそめて作つたならば出來ぬ筈だと思ふ。第二首君にあらなんも君にあらざらんの思ひ違ひか何かと思はれるが、それは先づとして矢張り一首の意味が解らない。全然何か思つてゐることを云ひ違へてゐるか、若しくはおほかたの戀さびしもよ月見草だの咲けばとて泣く君にあらなんといふ樣な美しい歌らしい口調や詞句に眩惑されて作つてゐるのではないかと思ふ。
 作者よ、これは私の推察だから違つたら御免なさい、君は君の地方で一方の牛耳をとつてゐる(418)人らしく想はれる。種々の地方など歩いてみるとよく解るが、さういふ地位に立つてゐる人に私は割合に同情を持つてゐるのである。で、どうかしてこの雜誌の上でもそれだけの待遇をしたいと從來も人知れぬ苦勞をして來てゐるのであるが、さういふ人はそれだけにまた自分の方でも一倍の努力をして欲しいものだと思ふ。さうでなくて、徒らにその地位のために自ら驕り、自ら悶え、他を恨むなどのことがあるとすれば、即ちその人自身の不幸だと謂はねばならぬのだ。小さな自身の境遇や周圍の批評などに悶々するのは誠に愚かである。何故それらを一氣に脱ぎ捨てゝ一本立の自然兒として立ち表はれて來ないのか。私は時々不思議に思ふことが多い。
 
   とりどころひとつもあらぬ人間と思ふ心をしみじみ叱る
   笑ふ時腹に力のなきごとく淋しき日なり風の聞ゆる
   風吹けば二階の居間のほのゆれてほのかにあはれ身にひびくかも
   一杯の水にあきたる後のごと何かに厭ける心地す今は
 前號を通じて私の眼を引いたのはこの人の作であつた。而も急轉直下(直上か)の變りかたであつたので一層驚かせられた。全體を通じて、いかにも腹の底から出た樣な、嘆きといふべくあまりに沈んだ、おちついたこの嘆息の聲を聽いて、自づと心を正しうせらるゝのを感じた。見(419)よ、その歌には一點の衒氣がない、見えがない。見て呉れの力や光が被せてない。たゞ、自分自身を對手にしたゞけの眞實の聲である。自分の生命を見守り、自分の生命に向つて語つてゐる寂しい獨語である。完全な歌としては尚ほ幾分不消化不洗練の所がないではないが、イヤに歌らしい歌、徒らに讀者のみを對手にして作られてゐる歌の流行する昨今に此等眞摯の作を見出して私の胸は異樣に躍らざるを得なかつた。
 
   耕しのわがそば近く今日もまた一羽の鴉いづこよりか來
   そば近く來つる鴉をこよなくもなつかしみつつわれ耕しぬ
   塗りたてし畔を歩める鴉さへ憎からぬまでこころおちゐぬ
 これも上手な歌ではないが眞實の歌である、小さくともわびしくとも何處かに人間の姿の動いてゐる歌である。次の數首などもまたさうである。
   雨晴れて田へ來ぬ父のすがたはも遠く畑に見えいでにけり
   ふる雨のはげしくなりてしよんぼりと遠くの人も見ゆる田の中
   ふる雨のはげしくなれば鍬の手をしばらく休め耳澄ませけり
(420)   たまきはる生命の病めばいぶせかるわが生みの家に歸り來にけり
   夕さればひと日の仕事なし終へし父をまことの心に迎ふる
   草も木も土にひれふす犬吠のみさきの風をおそろしと思ふ
   白き波に噛まるる岩の黒々とかしらあらはす犬吠の海
 かなり不器用な歌だが正直だ。正直だ、といふ中にも唯だの饒舌では困るが、これらはみな相當に魂の眼のあいてゐる正直である。病氣をしてわが生家に歸つて來たといふだけの一首の裡にも相當に時間も含まれて居り、背景も出てゐる。犬吠崎の歌などは子供の描いた風景畫の樣な稚趣と新鮮とを持つてゐる。眼の澄みと心のおちつきとがなつかしい。
 
   隣りにもひとは籠りて夏眞晝たまたま蠅を打つ音聞ゆ
   君待つとつけし灯にしみじみとわが掌を見入りけるかも
 蠅うちの一首は詞といひ何といひ間然する所のない歌である。森閑とした夏の眞晝の景趣も、それを背景にした作者の面目も、一絲亂れぬ清澄裡に浮んでゐる。次の、灯かげに自分の掌を見入るといふのもまた女人ならではと思はるゝ位微妙な作である。
 
(421)     その五
 
   故郷の母のいたつき癒えたりや旅に悲しく秋も更けぬる
   秋の風さはな吹きそね故郷の古き家ぬちに我が母は病む
   薄日さす古き家ぬちに病む母の秋をさぶしみ寢ておはすらむ
 みな餘りに安易である。他郷で病母を思つてゐるといふその心に同感が持てぬ。歌に表れただけを主とすればいゝ加減のお座なりを云つてるとしかとれない。また作者が眞實に母を恩つてゐる(それは母だから何とか思はないことはないだらうが。)といふのなら、歌が嘘を云つてゐるわけである。(つまり技巧が足りないのだ)何となれば眞質に思つてゐるといふだけの強い調子を此等の歌は持つてゐない。旅に悲しく秋も更けぬる、といふのんきな調子でやられると少し忙しい時などには、ハイ/\さうですかとツイ言ひたくなるではないか。秋の風よ吹いて呉れるな、といふのも、秋をさぶしくといふのも作者眞實の心かどうかを疑ひたい樣な氣までして來るのである。秋の風よ吹いて呉れるなと空を眺めて眼を細めるより、熱が出て呉れるなとか、又は母その人に就いて今少し密接な固有な聯想の起るのが自然でもあり、歌となつても力がこもると思ふのだ。また、普通相當の年輩の人が秋を特別に淋しく思ふなどといふのも、少しわざとらしくは(422)あるまいか。これらは少し立ち入りすぎた批判ではあるが、輕い調子のあまい歌を見てゐると、ツイ斯うした穿鑿もしてみたくなるのである。いゝ氣持で歌を作るといふ事もそれが非常に強い力を持つてなら、即ち止むに止まれぬ力を持つてなら、幾らあまくとも宜しい。でなくて唯だフイフイとしたいゝ氣持でいかにも詩人らしいいゝ氣持か何かになつて作つて行くと、ともすると斯うした輕いものになりがちである。
 
   なく蟲の暗夜更けたりなやむべき心は澄みぬわれねむとする
   更けたればぬるべきものを蟲なけば窓おしやりぬ此闇ふかし
 鳴く蟲の暗夜ふけたり、はまだいゝとして、なやむべき心は澄みぬは變だ、惱んでゐる心は澄んだと云ふ意か、それだとべきが可笑しい。亦、そのあとへ突然われ寢むとする、と結んであるのも變だ。句がバラ/\で、一向一首の統一がない。バラ/\の句そのものもまた隨分不純粹なものである。歌を作るには今少し言葉に鋭い感覺を持つてゐてほしい。畫工が畫をかくのを考へて見給へ。繪具がパレツトに出る、それを刷毛に受ける、そしてカンバスに向ふ、その時はもう繪具でなくなつてゐるのだ。畫工のたましひ、即ち畫工の描き出さうとする彼自身の主觀そのものとなつて一個の畫を形作つて行きつゝあるのではないか。歌よみは繪具の代りに、言葉を持
(423)つ。言葉はその時のその作者のたましひを表はすべき大事の使命を持つてゐるのだ。それを無機物扱ひにして、粉か土くれ同樣にこね廻さうといふのは無理である。この三首に限らずこの作者は何か意味深いことを云はうとしてはゐるらしいが、ごみ/\してゐてすべてその意が通らない。
 
   魔睡劑《くすり》にてねむりしあとの頭《づ》のつかれ眼にしろ/”\と秋の風吹く
 さうわるい歌でもないが、魔睡劑と書いてくすりと訓ませるのは無理だ。魔睡劑といふのを利かせやうとならばはつきりとさう云つた方がよろしい。が、この場合にたゞ藥の一字でも事は足りると思ふ。朝月と青いてつきと訓ませ、秋風と書いてかぜと訓ませやうとする類をよく見かくるがこれらはすべて無理だ、私はみな消してゐる。秋風なら秋風とはつきり一首のうちに詠み入れるがよろしい。卑怯な、または瞞着の態度をとつてはいけない。頭のつかれも可笑しい。づと云つて直ぐ頭と解りますか、「私は少し頭《づ》が變だ」など、どうも變だ。明瞭を缺くばかりでなく、づといふ發音は餘り快い音でない、何となくきたならしい思ひを誘ふ樣だ。同じことならもつとはつきりした、自然な、そして心地のいゝ音を使つてほしい。これも言葉に對する敏感を缺いた一例である。
(424)   夕の森風のまにまにまふ落葉笠かたむけて人は過ぎける
 西行法師、といふわけでもないが、薄黄葉した森のはづれを笠傾けてゆく旅法師の姿など聯想せらるゝ。落葉がするからといつて笠を傾けてゆく人は先づ現代にはない。謂はゞこの一首は落葉に對する作者の趣味觀だとも見るべきであらう。趣味も強ちにわるくはない。が、斯うした月並の、團扇の繪にでもありさうな程度では心細いと思ふ。同じ繪模樣のこの場面でも斯うした團扇繪風の人物でなく、夕風にしきりに落葉してゐる盛蔭に一人の人物を置いて、これを新しい繪、ゴッホでもいゝ、コローでもいゝとして眺めて御らんなさい。どれだけそれから受くる印象が強いか、また鮮かだか。
 
   白壁に釘をさすごと一すぢにわが胸に吹く初秋の風
   深林に一本の枯木立つごとくわが生くことの淋しさ極まれり
   血をこのむ人の亡びに似たるかなをどりつ沈む秋の落日
 この作者の歌は全部殆んど比喩から出來てゐた。比喩もよく生かして使へば惡くはないが、多くは單なる興味に留つて極めて幼稚な淺薄なものになりがちである。此處に引いた歌などはまさ(425)しくその部類に屬するものである。何處にもうるほひのない乾いた、寧ろ氣味の悪い比喩のみである。一種の幼い概念からのみ出てゐるからである。前の落葉の歌でもこの比喩の歌でもその人の鑑賞眼の甚だ低いのを示して居る。この低い處から脱け出たならば、諸君の今まで知らなかつた新しい、廣い世界が必ず諸君の眼前に展けて來る。それを信じて一日も速くその脱出を企てゝほしいと思ふ。
       〇
 今號の歌で眼についたのは末の郎子君と河脇萍花君とであつた。河脇君は全體としてよく郎子君のは一首一首見るのに興が深い。前號の槐《ゑんじゆ》の歌や、わが宿を訪ふ人々はの歌でもみな眞珠か何かに彫りつけた樣な明るさと細かさとを持つてゐる。今號の下り鮎の歌でもさうだ。
   遠つ瀬の音をさやけみ下り鮎い群れて下るけふのよき日に
   川下に網を張られて逃げ上る鮎はかなしもけふのよき日に
 など、いかにその一句が、その一首が、かなしく澄んでゐることか。うらゝかに晴れた平野の川、芒の穗が光り、小石の粒が光り清らかな水が流れてゐる、その小さな澄んだ遠景が双眼鏡か何かを透してのやうにはつきりと胸の奥に映つて來る。さうして、さうした光景はとりもなほさず作者の心の反映ではないか。その光景を通して作者の心が出てゐるのではないか。
(426) 河脇君のは一首々々は一寸引けない。三首なら三首、五首なら五首、まとめてみると其處にやゝあらけづりな作者の心がはつきりと浮んで來る。夕映の雲の下に山の嶺が靜かに聳えてゐる樣な、といふと少し大き過ぎるが、何處やらに沈んだ重々しい氣分を彼の歌は持つてゐる。初め幾らか帶びてゐた浮華な調子(それは恰も水に油の浮いてゐる樣なものであつた。)が此頃殆んど除《と》れて來た。いま少しみがきがかゝれば難有いと思ふ。たゞ硬くなりたまふな。
 
     その六
 
   小さなる籠にかはれてなき急ぎ死にいそぐ蟲の哀れなるかな
   いくそばく命あるぞとなき急ぐ松虫の聲をきく寢ざめかな
   秋たけていまだも吊れる青蚊帳の床にめざめて聞くは松虫
 小さな理智と小さな感傷とを強ひて働かせて作つてゐる、といふ觀がある。形はみな整つてちんとすましてゐるが、慘《いたま》しいかな血が通つてゐない。小さく固まつて、極度の近眼鏡の人が細字でも書くやうに、眼と指さきとのみがくつ着いて、そこだけ働いて作られたのを感ずる。見る方でもそれだけの部分としか見ない。四肢五體を寛やかに置いて、心を開いて讀むといふ自由も活氣も與へられてゐない。みな、歌の、作者の罪である。
 
(427)   川千鳥まなくひまなくしば鳴けばまた思ひ出し汝なりけり
   吉田河たぎりうづまき流るれば心もしぬにいまし思ほゆ
 二首愛人たま子の爲に、と詞書がしてあつた。また思ひ出し汝なりけりの出しは出すか出でしか、この凝屋さんに不似合のことである。この歌も形は出來てゐるが、一向その眞情が通じてゐない。斯うした切口上で見えを切つて居るあはれな作者の風貌だけが僅かに想見せられる。そしてそれはもとより歌の志す所でなくまた作者の狙ふ所でもないと思ふ。言葉や調べがもの/\しいだけに、却つて彼の祭日過ぎての山車《だし》屋臺が埃にまみれて立つてゐる慘めさを想はせられた。斯うした古めかしい堂々たる歌の言葉や調べを私は一概に否定し去るものではない。たゞ古歌などにあつてはそれが自然であり、且つ必要であつたから尊いのだ。斯うしたこの歌がその必然性を持つてすら/\と歌ひ出されたものか如何かは甚だ疑はしいことである。そしてその結果は右言うた如く徒らに無機物に近い綺麗さを見するに留つたのである。
 本を忘れて末に趨るは徒勞ではないか。
 
   これの世を憚りつつの戀ゆゑに泪しげかる逢瀬なりけり
(428)   身をふせてうつつなきがに泣いじやくり別れともなし夕かたまけて
   百日の別れと云へばひとすぢのねぎごとを云ひて身をふする汝は
 愛人N、F市にかしまだたん日近づき初秋の風、空、みなおのづからなるかなしみにあり、と詞書がしてある。どうせ戀の歌だ、あまいのは豫て承知だがこれではちと熱が過ぎはせぬか。そして、心の迫つたげにも似ぬ何といふ科白のくどいことぞ、これの、世を、憚り、つつ、の、戀、ゆゑに、涙、繁かる、逢瀬、なり、けり、これでは首をあげたり下げたり、かなり手間をかけて聽かねばならぬ。次のでは、うつつなきがにないじやくり、の小唄口調に似もつかず、別れともなし夕かたまけて、と急に固くなつてる。腰折といふ言葉は文字通りに此等の歌にあてはまるのではなからうか。
 私はこの詞書に見える熱情を持つた人が斯んな間のぬけた、蒟蒻の舞踏然たる歌を作る心理状態の解釋に苦しむものである。私は自然に湧く滑稽味に馳られて以上半戯談に言つてのけたが、この作者は決して戯談に作つてるのではないらしい。而して知らず/\斯うした調子に出たものらしい。私に斯うして引用せられて恐らく大いに意外に感ずるであらう。私は矢張りこれを作者の歌に對する眞質性を缺いたゝめと思ふ。詞書を正直としてさうした一本氣や熱情がありさうに見えて、何處か遊んでゐる。純粹の涙以外の氣味のよくない微笑が何處かにひそんでゐる。作者(429)自身はさうは思はないか。何故斯うへな/\した手並などを用ゐずにむき出しに眞劍にならないのか。どうしても眞劍になり得ずとならば、何故もつと飛びのいて切れ味鋭い光つた遊びや皮肉を見せないのか。どつちつかずの半可通はおのづからなる苦笑である。
 
   大形の浴衣の襟をくつろげてよし戸のかげに三味線ひくも
   衣架にかけしひとへの千草花ざかり宵の灯に來て松虫のなく
   三軍の兵さしまねく將軍が端居の夢をつつむかたびら
 夏衣十首とある中の三首。悲しいほど月並である、團扇繪風である。斯うした幼い趣味に止つてゐる人をみると、太陽のありがたさも、自分の踏んでゐる地のありがたさも、自分の生きてゐる難有さも、少しも知らぬ人らしく思はれてならない。
 斯う云ふ人たちがまだ大分多い。ひとから傳へられた、習慣から養はれた趣味以外に、なぜ自分自身の鮮かな感覺を信じ、理智を信じて、自分の世の新鮮と不可思議とに驚かうとしないのか。
 
   せきあへず涙ながして語りけり大き朱欒《ざぼん》を賣りし土人は
(430)   休らふべき御胸もとめてわが心障子に襖にぶつかり歩く
 二首別人の作だが、亂暴さはよく似てゐる。何の爲に土人は泣いたのです。朱欒を賣るのが惜しいと云つてゞすか。とでも思はなくてはこの歌の意味は解りません。連作としても無理だが、連作でも無い樣であつた。斯ういふ一人合點の作は歌の出來た時に少しく自分で反省すれば直ぐ解る筈でせう。また、後の一首は自分の悶えを抱き慰めて呉れる人の胸の代りに自分の心は障子や襖に打つ突かつて歩いたといふのです。襖は嘸ぞ驚いたでせう。
 成程どうかしたはずみで斯うした氣持が若い人に無いとは云へないが、それを斯うした歌にしてどれだけの價値があると思ひます。これも何の氣なしにいゝ心持で一首にしてしまつたのに相違ない。餘り無意識にぴよい/\と三十一文字に並べて行くと大抵結果は斯うなつてしまひます。一首出來たら先づ自身で作者氣を離れてよくそれを眺めて御覧なさい。
       〇
   常盤木のなかに紅葉の散りしけば山里の秋はさびしかりけり
   欅の葉散りしくころは山の峰にしらじらとして雪ふりしかな
 二首ともに平板な歌だ。然し、いかにも自然で、(歌はれた景象も極めて自然であり、それを歌ひ出でた作者の心にも何の構へが無い。)事無く澄んだ裡に強いちからを持つてゐる。平板若し(431)くは平凡な歌といはるゝ種類は大抵この目に見えぬちからを持つて居らぬ、いはゆるさうですか歌になりがちのものである。それは、たゞ目前のありのまゝを殆んど何の感動なしにとり入れてそのまゝ歌にしてしまふからだ。云ひ表はしかたの上手下手もあることだが、大抵は歌を作るそも/\の態度を誤つてゐるから起ることである。景色なら景色を詠むとする、少くともその景色と一致するまで自分の心の醇化するのを待つてから詠まなくては駄目だ。やア、いゝ景色だといふので自分の心のしなび切つてゐるのには目もくれず三十一文字にしてしまつたのでは、いゝ景色もたゞ苦笑のほかはあるまい。右に引いた二首などは、左程深くはないが歌はれた境地と、それを歌ふ心とが或る程度まで一致してゐるのを見る。そしてその間に離し難いちからが生れてゐる。
 
   木の實こぼれあらしのあとの青空のひろごりゆけばこころよきかな
   下を見て思へるときも御空ゆく雲の心にうつる秋かな
   ふり仰ぐ身は朝空にきよらなる素肌の人のごとき雲みる
 これも平凡な歌、そして魚のはねてゐる樣な生力を感ぜしむる歌。第一首を讀めば、第一句によつて先づ我々の眼には成熟しない青い木の實などが落ち散つて、雨に洗はれた大地の新しさな(432)どが眼に浮ぶ。この第一句はよく利いてゐる。それを背景にしてあらしの後の空を眺めてこころよきかなといふあたりに少しの無理も少しの芝居氣もない。下を向いてゐる時でも秋空の雲の心が通つてゐる様な、といふ小さな一首の裡にも何となく若い人の心臓の血を見る樣な親しさが※[横目/卓]つてゐる。第三首もまた鮮かな感覚と澄んだ心との表はれである。
 
   故郷に歸り來りて二三日ひとに逢ふのを願はざるなり
   こつそりと知らぬふりして或る夜われ友を尋ねん心もすなり
   ただ今とおのづと下るわが頭父と母とはありがたきかも
   温かに腕を握らん人のあれしっかりとわれも握り返さん
   弟の遺せし鷄は今日もまた卵をうみぬさびしき卵
   おのがじし扱《こ》く稻こきの音にひたりだんまりて何に思ひ入るかも   弟のとむらひの日の村太皷さびしう納屋にまだありにけり
   梢《うれ》にゐて柿もぐわれを仰ぎつつ呼びかくる吾子にひとつを落す 斯うした人事を歌うたものが極めて少い。多くは山や川や草や木を歌うたものゝみである。これは人々の好みにもよることであらうが、ひとつは諸君の心のまだ充分に開いてゐないせゐであ(433)あると思ふ。正直、草や木を歌ふのは容易だが、人事はむづかしい。右に擧げたのなどもたゞその傾向を持つてゐるといふだけで、まだ佳く出來てゐるとは云ひ兼ぬるかも知れぬ。人事を詠む人の多くの癖としてどうも粗笨に流れ易い。いはゆる俳句趣味を以て見た日常生活や、一寸新しいものを讀み噛つて得た生活觀などから出る人事の歌が多い。山間の溪に向ふやうに、一莖の草に向ふやうに、心を澄ませて對してゐたならば、溪や草より遙かに自分に直接であるだけにこの人事の歌が好んで作られねばならぬことゝ思ふ。佳い歌が作られねばならぬことゝ思ふ。(人事と云つたのもかりそめの名で、實はもつと人生に直接であるべき題材をとり扱つたものゝ謂である。)
 
     その七
 
   かつてわれに叱言をのりし父ながら今も罵る父はかなしも
   かつてわれをののしりしごと罵れど父の御聲のおとろへはもよ
 同じ人の二首のうち、どちらがいゝだらう。解るには後のがよく解るが、何となく力を覺ゆるのは初めのだ。後のは説明があらは過ぎてゐる。前のはかた言乍ら一本調子で云つてゐる。前のを何とか直したいものだ。
   昔ながらにののしりませど老の日の父の罵り聞けばかなしも
(434)   昔ながらにののしりませど老の日の父の罵りいまはかなしき
   常日頃ののしりませる父の聲今日聞けばなどいたましきかも
   常日頃ののしりませど父の聲けふの聲のなどいたましきかも
 など、まだ幾つもあるであらう。ついでに言つておく、歌のよしあしを見る眼には私にはかなり自信がある。これは理窟からでなく常に多くは直覺から來てゐる。が、歌を直すことは誠に下手である。で、大抵選歌の中のをも直さぬことにして、いゝ素質があると思へば形のまづいまゝに採つて居る.まゝ、たまりかねて手を入れることがあるが、果してそれが前よりずつとよくなつてゐるかどうかは自分にも確信のない場合が多い。
 
   裸木の梢すくすく空をさし日路いたましき冬は來にけり
 どうも第二句が氣になる。すくすくといふ音が果して斯ういふ透明な、緊張した場合に相應するであらうか。すくすく、すくすく、御自分口のうちで繰返して御らんなさい。
 
   はつはつに麥ぞ芽をふけ楢立てる霜ふかき道の目には親しく
   小松生ふる丘越えゆけばそこにまた冬の畠に日は降りしきる
(435)   清き川いくつ渡りて來しものぞみ寺の見えてまたも橋あり
 一月號N――君の作。
 大きいところはないが、よく神經の動いたこまかな作である。第一首は、おゝ/\麥が芽をふいた(はつ/\には元來やうやうに、辛うじて、僅になどの意。)何といふこの道の親しく見ゆることぞよと路傍には楢の並木が續いて霜の深く降りてゐる麥畑の中の道の行く手を見渡しながら歌つたものと思はれる。氣持のよく解る、また氣持のいゝ歌ではあるが無理が多い。麥ぞ芽をふけは芽をふくである可きである。強い感動を表す時にその位ゐの文法上の約束をば無視する方が却つて效果の多い事もあるものだが此處ではそれほどの必要はないと思ふ。楢立てる、霜ふかき道の目には親しく、のあたりもかなりうるさい耳ざはりである。麥ぞ芽をふくとし、楢立ちてとしたならば幾らか落ちつくかも知れぬ.それはそれとして、サテ一二句の麥が芽をふいたといふ事と、その道との關係はどうなのだ。麥畑の中の道と解したのは推察にすぎない。眞實《ほんたう》は句その物が今少し明確であらねばならぬのである。一體は昨今は歌を作るのがぞんざいになつて來たのでそんな事にお構ひなしの人が多い。然しそれは決して心ある人のすべき事ではない。歌を唯だ雜誌上一ケ月間の生命だと考へてほしくないものである。第二、第三の二首とも、調子の平俗幼稚で且つ低いのを憾むが、生氣のゆたかなみづ/\しい處がある。この調子でこの作者などが歌に(436)甘ゆることなく今少し靜かに正規して作つて行つたら必ずよくなるであらうと思ふ。甘えたり、玩弄物現してゐては要するに所謂投書家で終る。
 
   ささがにの蜘蛛の巣をはるさま見つつ母戀しさの泪たまれり
   妹も大きむすめとなりはてて空の秋陽に傘かざすらむ
 同じくT――君の作。
 二首とも懷郷の歌である。N――君のよりやゝ落ち着いた老巧なところがあり、それと共にまた何處か乾いた所をも感ずる。第一の下句などさほど惡いとは思はぬながら、何やらそら/”\しいのを覺ゆる。空《くう》でものを云つてるのを思ふ。第二の空の秋陽にの一句はわざとらしい。見えを切らないことである。矢張り落ちついて自然に自分の氣持どほりを歌ふに限る。背景や鳴物に苦心してゐる間には折角燃え上つたその心もいつか冷えてしまふであらう。湧いて來る感興、こゝろ、それをたゞ大切にそのま\に育め。きうして詠め。ちらと感興がわく、大騷ぎでそれに尾鰭をつけたり、彩色《いろどり》をしたりするな。
 
   屋根の霜庭樹の霜もとけそめて日は漸くにたけにけるかな
(437)   青幹をとけて流るる竹の霜家の蔭のつちにしたたる音す
 同じく他のT――君の作。
 正直な歌である。由來正直な歌といふと多くはぼんやりした平板な作が多いものだが、同君のは常に相當の鮮かな生氣を持つてゐる。
   明け六つを撞き終へたれば製絲場の汽笛は鳴りぬ嬉しかりけり
   線香を開山堂にたてにゆけばひときは繁く鷄なきたちぬ
   看經《かんきん》を終へて歸れば田面《たづら》より霧濛々と流れ來るかな
 同じくS――君の作。
 これも正直な歌である。前のT君のには個性的な感覺の新しさがあり、この人のにはそれがない。(此處に引いた歌のみでなく、全體として。)そして極めて通俗な普遍的な感情の親しさがある。この二傾向はこの二人に限らず、全體を通じて流れてゐる樣である。而して後者は多く平板單調、たゞごと歌に納り、前者は往々奇矯に走り、作爲に墮つる。
 
   堀割の坂を超え過ぐとわが馬車の眞白の馬は嘶きにけり
(438)   冬といへどまだ枯れはてぬ野の草はほのかに温《ぬく》き心地こそすれ
 同じくK――君の作。
 坂をのをはいらない、これがないとどれだけ調が引き立つか知れない。二首とも素直な、佳い歌である。第二首など、この頃の若い人の作に珍しい歌ひぶりで、歌そのものがあたゝかい樣に思ひなされる。
 
   戸を繰れば間近く見ゆる烽火山《うねびやま》今朝はつはつに霞かけたり
   ひとり身はさびしきかもよひんがしの蜂火の山に春は立ちつつ
 第一首、わるい歌ではない、相當に出來てゐる。が、この一首から讀者は果してどれだけの力を感ずるであらうか。戸をあけたところが、烽火山が大さう近く見えて、(この間近く見ゆるといふ言葉はこの一首で最も生々した一句である、けれどもこの朝に限つて間近く見えたといふのか、それとも元來ツイ近くに見えてゐるといふ意味かよく解らない、惜しい事である。)かすかに霞がかけてゐるといふかなり心を動かされねばならぬ境地であるが、果してそれだけの實情がこの歌を通じて味はれるであらうか。私は不幸にしてそれを感じない。さうした説明された景色とそれに對する作者の情趣とをたゞ輪郭的に知り得るだけで、それ以上のこの境地に相當すべき(439)筈の力、感興をこれから感じないのである。それかと云つて決してこの歌が説明的であるといふのではない。要するに作者の呼吸、作者のこゝろが張らなかつたのである。張りのない淡いこゝろ(私はこのこゝろを生活力ともいふ)でこの歌が作られたものであることを私は想像する。而してこの種の歌が現今最も汎く行はれてゐるのである。わが『創作』には元來少い方であつたが、近來甚だ多くなつて來た。この作者などは相當に理解力のある人で、そして斯うした(此處には一二首を引いたゞけだが、この人の作は概ねこの傾向である。)作をしながら内心必ず一種の不滿を感じてゐるであらうと恩ふ。自身みづから食ひ足りないとも思ふであらうし、また他へ對しては(假りに選者たる私などに對して)それほど惡い作品とも思はないのに案外それほど認められないといふ風な不滿も恐らく懷かれてあるに相違ないと思ふ。私もさういふ人々(かなり多くある)に對して誠に氣の毒に思つてゐるのである。歌を作る呼吸もよく解つて居り、また眼も手も相當に發達してゐて、そしてその作品の影が常にあまり濃くない。これはまことに氣の毒な事である。要するに私は夫等の人々に對して自ら努めてその厭ふべき一種の水平線を打破せよといふの外はないのである。不滿だとは云ひながら恐らくその人たちは自分自身行きついた一定の場所をたゞ空しく彷徨してゐるだけで、それをどう處置するかの勇氣をば持つてゐないのだらうと思ふ。さういふ※[行人偏+低の旁]徊派の群を私は一面また甚だ慊りなくも思ふのである。改行
(440) 第二首、これは正直に駄作である。ひとり身は淋しきかもよもかなり甘たるい空疎な言葉(從つてそのこゝろも)であるが、更に續いてひんがしの烽火の山に春は立ちつつは氣の無い事夥しい。空言空語たゞ所謂歌らしいあまえごゝろを歌らしい言葉でおしやべりをしたにすぎない。
 
   母うへの焚きたまひたる風呂ゆゑに沸く音しみじみ身にしみわたる
   しみじみと素はだ沈めてきき居ればわきたつ風呂の音のよろしも
 第一首、たゞ微笑に値するだけの作である。焚きたまひたる風呂故にといふあたり、甘えてたゞ他にこびむとするに留り、句そのもの歌そのものとして何等の力を持つものでない。母上に焚いて貰うた事を心から喜ぶとならば今少し正直に、斯う芝居式でなしに云ふ事が出來ると思ふ。年少らしい作者の作として人情的に一種の同情は持を得るものゝ、獨立した歌としては價値の無いものである。調子も自然とひねくねしてゐる。
 それに比べて第二首は佳い。これならばこれだけ切り離して立派な歌である。句から句への調子もよく伸びてゐてまことに心地がよい。
 
   遠そらにあかね流れつあけ近み降りし雪かも木ぬれたわわに
(441)   そのかみのわが大祖父が朝なさなうましうましと召せし寒の水
   をちかたにたかだか話す誰が聲かはつきり聞え雪野はさみし
 第一首、かなりごた/\した歌である。この一首に限らずこの作者の作は一體にみな落ちつきのない、喘息|病《やみ》の呼吸の樣なものが多い。大づかみな、大味な中に何處かに澄んだ、生きたところがあつて、よく磨いたら嘸ぞよくなるだらうと樂しみにしてゐるのだが、今のところ常にその期待は裏切られてゐる。つけ/\とものを云ふ樣なその歌ひぶりを決して私はわるいとは思はぬが、その中にかなりの不純の混つてゐるのを憾むのである。かなりなわざとらしさを常にその多くの作品中から私は感じてゐる。もつと丁寧に、もつと自然に歌といふものに對する事は出來ないものであらうか。この一首、遠空に茜流れつで一つ切れ、あけ近みで切れ、降りし雪かもで切れ、木ぬれたわわにで切れてゐる。そしてこれらばら/\した句を統一する何等の力、主觀も流れて居らぬ。尚ほ第三四句のあけ近み降りし雪かもといふのも少しも生きてゐない、寧ろ無意味の句となつてゐる。茜さす遠空の晴を眺め、サテ曉方にでも降つたのであらうかといふ驚きも歎美も殆んど表れてはゐない。要するにお粗末だからである。
 第二首、これは謂はゞ作者得意の境地で、一氣呵成に云ひ下した裡によく言外の心が動いてゐる。が、さほど深みのある作ではない。たゞ即興の妙である。作者の作、概ねこれを出でないの(442)を憾む。第三首、いゝ場面であり、いゝ歌にならうとしてゐるが、矢張り投げやりに失してゐる。うち見た所では第五句が難らしいが、更に全體からも考へ直す必要があると思ふ。
 
   常陸なるを筑波見ませ拜みませしらたへにして二並ませる
   玲瀧とふたなみませるを筑波を見つつ馴れつつかたじけなけれ
   夕ぐれの青葉がくれによき音もて吹かなとねがひ習ふ尺八
   滿身のひびきとおもふ太き音のありがたや時に鳴りもこそすれ
 異色あり、また出色の作をいまこの作者はつくらむとしつゝある樣である。いづれもみな達意の作、而してまたその内心もよく澄みよく張つてゐる樣である。いまだその生活にその歌に透徹した深みを見ないのを思ふが、兎に角に思ふ事を割合に障りなく云つてしまひ得る技能と、一途になつてゐる念力とを私はひそかに尊んでゐるのである。斯の種の歌を作る人の癖としてともすれば饒舌になり、はやくちになるものである、それを先づ愼んで頂きたい。そして專ら内に努むる、内を養ふ事を心がけて賞ひたい。
 
       その八
 
(443)   梅の實が大きくなれりなが雨がつづくころかも夕ぞら曇る
   讀みあきてかんがへあきて窓をくるくればつつじの紅のよろしも
   やはらかきわか葉のほつ枝が夕かぜにもみならきれてたそがれにいる
   世の中がむやみに悲しくなりにけり楢の若葉のそよぐゆふぐれ
   灰色の雲がいくつもわがまへをすぎゆくごとしうれひにしづむ
   なにものか來りてわれをそこなはばそらおそろしきうれひにしづむ
 以上は本號に發表すべきであつた某君の詠草のなかゝら拔いたものである。 第一首、梅の實が大きくなつた、長雨の續く頃であらう、夕空が曇つたといふ、間違ひのない、實際の事を歌つたものであらう。サテ、歌としてこれをどう見るか。
 先づ表面の調子から見る。梅の實が大きくなれり、(これからしてだれてゐる樣におもふ。)ながさめが、つゞくころかも、夕空くもる、二三度これを繰りかへして見給へ。いかにも間のぬけた、何處にどう力を入れてゐるのか一向わからぬのを誰しも感ずるであらう。世に空つ調子といふ事がある、その空つ調子すらこの歌には無いのである。「梅の實が大きくなれり長雨が」我等は普通の世間話にでも斯うしたふやけた口調をば使ふまいと思ふ。一句々々重ねて讀んでゆくうちに何だか馬鹿にされた樣な肝癪すら起つて來るのである。
(444) 一體作者は何を歌はうとしたのか。梅の實の大きくなつたことをか、空の曇つたことをか、それともこれからの雨のことをか。そしてまたそれがどうしたといふのだ。
 恐らく雨に對する感じを詠まうとしたのであらう。が、作者の心には、楔が無い。イヤ、その心の有無からして怪しいものである。たゞぼんやりした眼をきよろつかせ、これだけのものを繼ぎ合せてむぐ/\と云つてみたに過ぎないのであらう。紙屑が雨にうたれてちり/”\になつてゐる形である。
 第二首、所謂へなぶり口調である。そして洒脱をも缺いて居る。讀んでしまつて『ふざけなさんナ』といふほか、文句なし.
 一體作者はこの躑躅を見て眞實いいと思つたのか?
 どの程度で?
 どんな氣持で?
 そしてこの歌を作つてその躑躅に對したこゝろとよく適《あ》つてゐると思つたか。殘念だとも、面目ないとも思はなかつたか?
 おもふにこの歌を作る時、作者の心は極めてふやけた、締りのないものであつたらう。私は歌に必ず正しい事をうたへとはいはぬ。曲つたこと、暗いこと、また正しいこと、そのいづれでも(445)よろしい。唯だそれが必ず張りつめたものであつてほしい。ドストイエフスキーなどの小説を見たまへ、篇中の人、多くは善人でない、けれど必ずこの張りつめた、眞剣の心を持つた人である。即ち作者がさうである。斯うしたふやけた、ふざけた氣持で作られたものに何處に藝術としての資格があるか。少し小生意氣になりかゝつた連中は(云つておく、この作者はそれではない、何も知らないのだ。〉えてさうした、變な道に行きたがり、以て得意となす傾向がある。憫むべきである。
 第三首、前二首に比べて幾らかいゝかも知れぬ。が、何といふ氣の無い歌だ。ことに第五句たそがれに入ると急につめたい説明に折れたあたり、完全に死んでしまつた。
 第四首。
 なぜ斯う意氣地なく外れて行つてしまふのであらう。屹度何かを云はむとしたに相違ないのだが、云はうとしたこと、感じた事に正面して極めつくすことをせず、われから碎けて斯うした屁の樣な駄洒落に落ちてしまつたのである。斯うした無氣力者、自暴自棄者に對しては寧ろ憫れむにも足りぬのを思ふものである。
 第五首。
 第六首。
(446) 空言空語、それにしてもまた餘りに安つぼい空言空語ではないか。一體云ふ氣で云つてゐるのか、寢ごとの樣に云つてゐるのか。私にはその區別からつきかねる。
 この作者の名を云へばあゝあの人かと誰しも氣のつく程度の地位を本誌では持つてゐる人である。よくなりさうで一向によくならず、殊に今月あたりは斯ういう風に態度を墮して來た。云ひ難い嘆きを私はこれに對して持たざるを得ぬ。歌といふものがよく解らぬのかも知れぬ。それならば何故解らうと努めないのか。兎に角に歌といふものに親しみ始めて、ことに或る程度まで踏み込んでも來たものが、何故もう少し敬虔な熱心なこゝろが持てないのか。歌は兎に角として、その人のさうした一生すらも眼に見えて來るではないか。私はそれを悲しむ。
 自己をおろそかにすな。行く路の西はあれ東はあれ、とにかくに自己の一生を疎末にすな。われひと共にこれを念じ度い。
 此處ではこの作者の歌を引用したが、決して一二人に限らない。殆んど悉くが咋今この傾向を持つて居る。歌に現はるゝこゝろの影がみな極めて薄い。胸をひらいて歌ひ出すといふ力が殆んど無い。多くは眼さき、手さき、乃至は頭ばかりで作つて居る。一首の生れいづるそも/\の感動、一首を貫いて毅然としてゐねばならぬ筈の強い感動といふものが歌の裡に動いて居らぬ。景物離合の妙を誇る輩か、言葉や口調で嚇し、ごまかし得たりとなす手合か、いづれは本末轉倒の(447)形を帶びてゐぬ者は少い。よし淺くともその本末だけは正して置き度く、今後專らそのために力を注ぎたいと思ふ。
 
(448) 批評と添刪
 
     その一
 
 批評添刪を求めらるる人が近頃甚だ多い。その希望に應じたいのは山々だが、どうも時間がない。
 で、その代りにこれから毎號詠草の中から歌を引いて批評添刪し、それを誌上に掲げて各自の參考に供したいと思ふ。歌の弊は大抵似たものである。指摘せられた他の歌の缺點が直ちに自身の作の上に思ひ合せらるる場合が多いに相違ない。それを思ひ、これを思ひ、なるたけ丁寧に作歌に從つて欲しいと思ふ。なるたけ初歩の人の作を引くつもりだが、中にはさうでない人のも混へる考へである。それ/”\の作者を標準にして筆を取るので、批評の程度は一致せぬであらう。
 
   秋草の實のなる草を探ねてはしばし佇むわが心かも
 意味不明瞭である。秋草の實のなる草とは先づ何を指すのか、實のなる草なら何草でもか、或はまた草に限定があるのか。(斯く細かに云ふはその事でも解つて居れば一首の意が解るかも知(449)れぬと思ふがためである。)暫し佇んだのは何の意か。
 役所の報告書の樣に明確にする必要はないが、一首の形を成すべき何等の意味も捕捉せられぬ樣な歌は困る。在つて無きに等しい。然し、この作者はこれを作つて甚だいゝ心地になつたに相違ない。何を云つたか自身でも或はよく解らなかつたかも知れないが、斯うなだらかに云つてしまつて見ると何か知ら素敵な(或は詩的な)事を云つた氣がして大いに收つたかも知れぬのである。それでは困る。作つた歌をば先づ自分で批判して見ねばならぬ。反省して見ねばならぬ。ぼんやりしたいゝ氣持で作つたり發表したりしてはいけない。
 斯ういふ歌は添刪のしやうがない。改めるなら作者の意を訊いて全體から變へてゆかねばならぬ。これをば作者の再考に待つほかはない。
 
   見出でては草の實を彩り何時になり蒔かむ種かもあはれなす業
 これも全然不明瞭である。
 彩りは採りの誤りだらう、第一斯ういふ簡單な文字を間違つてまで漢字で書くことはない、とりと仮名で澤山である。いつになりはいつにならばであらう。あはれなすわざは全然無意味。これを作つて作者には何か意味が解つたのかと思ふと私には不思議である。或は私に斯う云はれて(450)みると作者自身にも次第に解らなくなつて來るのではあるまいかとも思はれる。兎に角に今少し氣をつけて叮嚀に作つて頂き度い。
 
   ひとり居て電車のひびき聞きをればここだく淋し土の匂す
 ここだく淋しがいやだ。私はここだくといふ樣な古めかしい言葉をばよく/\の必要のない限り使ひたくない.こゝにその必要があるかどうか、電車の響にここだくでもなからうではないか。それは兎に角、ここだくさびし、といふとかなり調子が高くなる。それがこの一首にふさふか如何か。私の想ふ原作の意味は、日の當つてゐる眞晝、靜かに居れば電車の軋が聞えて來る、聞くともなく耳を澄ませばあたりには其處となく土の匂ひが立つて居る、といふのではないか。そのつもりで斯うして見た。
   ひとりゐて電革のひびき聞き居ればかすかなるかも土の匂へる
 まだ不消化だが、今はさきを急いでゐる。第四句をそことしもなくとするがいゝか、さうすれば五句は原作通り土の匂ひすの方がよい。第三句の聞きをればも何とかしたい氣がする。
 
   なぐさめも足りぬるものを現身《うつしみ》の身に淋しけれ蟋蟀の聲
(451) 第二句まで意味不明。或はもう澤山だ、どうかこの上鳴いて呉れるなといふ意味か、それとすれば實に厭味だ。慰めも足りぬるものをは隨分舌つたるい云ひ方である。斯うしたあまえ口調で身をくねらせた有樣は田舍廻りの新派悲劇そつくりで、眞面目な歌には禁物である。一時かうした流行が、歌壇に無いではなかつた。或は私自身その一幕位ゐ相勤めた事があつたかも知れぬ。それだけに今は厭らしい。かうした甘えた樣な情緒はその時作者の或る一部の慰藉を購ひ得るものである。しかも一部に過ぎない。全身的ではない。所謂ちよつといゝ氣持になるに過ぎないのである。またかうした歌を見せらるゝ方でも一寸いゝ氣持になり得る事がある。やつてるナ、と云つた樣な相手の(作者の)胸のうちを見透した快味、若しくは他人の芝居によつて自身のさうした芝居氣を滿足せしむる快味など、要するに眞面目な、生一本な鑑賞では決して無い。
 第一鳴いてゐる蟲に向つて、あゝもう慰めには充分だよ、などゝ本氣でやられるものでない。淋しいと感じたならば淋しいだけで澤山ではないか。何も變なしぐさで見えを切る事はないのである。うつし身の身に淋しけれも矢張り芝居附屬の鳴物にすぎない。浮華にして空語、一向淋しくないひゞきである。
 斯んな甘え歌、芝居歌は次第に少くなつたのだがまだ幾らか殘つて居る。これは少し言葉などが自由に使へる樣になつた半可通程度の人に多い樣である。斯ういふ所に通り懸つた人は成るた(452)け早く通り拔ける覺悟を持たなくてはいかぬ。また大抵斯うした程度の人が斯うした作をした時は並ならぬ手柄をしたつもりでゐるのだから始末が惡いのである。
 
   垂穂續く稻田|過《よ》ぎれば蝗あまた驚きて去る晝深みかも
 此頃この晝深みかもだとか淺みかもだとか何々ゆだとかいふ言葉が無闇に用ゐられる。特にゆなどは大抵の場合誤つて(例、夕立ゆいたくな降りそ夕時を雨戸を閉ざす遠近の家。)用ゐられてゐる。古めかしく上品で、いかにも意味深長らしいから使ひたいのであらうが、使ふには矢張り使ふ場合があるのである。使ふなではないがそれだけの覺悟をもつて使つてほしい。この晝深みなども斯う蝗の飛ぶのは晝の深いせゐであらうかとわざ/\首を傾けることはないと思ふ。深いと感じたら直截に深いと云つたらいゝ。想ふに深い淺いが問題でなくみかもが問題であつたのだらう。見たゞけの好きこのみで何の必然性を持たぬ言葉を濫用することは甚だよろしくない。そのため折角の歌が空虚になり、浮華に陷りがちである。假りに次の樣に改めてみた。
   晝深き稻田よぎればふためきて蝗はとべりわれの手足に
 驚きて去るといふといかにも大きな者がのそ/\として立ち去る樣だ。言葉に對する眞質の感覺をば今少し鋭くしてほしい。
(453)   芝山に童べ騷ぎつ蓙もちてすべりゐたりぬ秋のま晝を
 さわぎつ、ゐたりぬ、斯んなぎこちない片言めいた言葉がよく氣にならぬ事だとおもふ。これでは子供が秋のよき日に辷ったり轉んだりして遊んでゐる輕快な姿は見えなくて中風病みの婆さんが石ころ道を歩いてる樣だ。
   芝山に童騷ぎあひ蓙もちてすべりあそべり秋の眞晝を
   とく起きて庭に出づれば朝顔の露もしとどに花咲く處
   朝顔の聲も立つかにばつと咲く其の花見たり朝の心に
   朝顔の聲も立つかに咲く見れば其たまゆらは樂しきものを
 これが歌を作り始めて一二ケ月もたつたといふ程の人の作ならば先づよき出來としても見ねばならぬ。が、二三年も苦勞した人の作であつて見れば唯だ『さうかい』とか『さうですか』とかより返事のしやうのない駄作である。歌にすこしも力がない、感激がない、心が動いてゐない。作者よ、君は博物教科書の中に有る標本畫としての朝顔と立派な藝術としての朝顔の繪との區別を知るか。そして歌は標本畫としてのそれか藝術としてのそれかを知るか。君は歌を作るに常に(454)自身より遠くへ離して置いて作る。歌を作る時、恐らくは君の心は閉ぢ、感覺は埃にまみれ、唯さかしい眼と、器用な手さきのみが活躍して、あゝでもない斯うでもないと同じくさかしい意識の赴くまゝに組み變へ挿し變へして作つてゐるやうに見受けられる。君の歌を見る事もかなり久しい。その時ごとに君のその怪しい苦心もほゞ察することが出來る。そして一面それに同情してゐる。が、私はいまだ曾て君の作に心を動かされた事がないのである。時には反感を起させられる位ゐ君は折々の取材や表現法を變へて來る。そして、それは常に君の本體(こゝろと常に私の云つてゐる)とはかけ離れたものである。あゝ作らう斯う作らうと働いて居る君の樣子は眼に見えるが、いまだ曾て歌を通じて君の内心の發露を見た事は無い。君の心にふれた事はない。若し君が眞實に歌を作らうとするならば「歌を作る」といふ概念から離れて先づ自分の心を天日のもとに曝らし出さねばならぬ。その感覺に末梢神經に眞實の自分の血液を注ぎ込む事をせねばならぬ。歌、といふ事をさらりと忘れて君自身を先づよく注視したまへ。そして、これが俺だ、おれの歌だと思ふ樣になりたまへ。さうしたならば或は君の歌にも血の氣の通つて來ることになるであらうと思ふ。
 幼いことを云ふ樣だが、文字通りに眼を瞑ぢ手をふところにし、其處に自分の心を集めて出來て來る歌を先づ自ら唯だ獨りして咀嚼する癖をつけて見たまへ。歌は紙に書くもの、他に見せる(455)ものと最初から思つてかゝる習慣をさらりと忘れてしまひ給へ。
 
   わが思ひ人には告げずひとり來て夜の潮鳴り涙して聞く
 また一種の芝居歌である。涙して聞く、は新派悲劇である。單に自分の擧動を叙して他に何等かの推察を強ひる風の手法は既うあまりに幼く餘りに古い。しかもその畢動が自然に出でぬ芝居がゝりの甘いものふざけたものに於てをやである。わが思ひ人には告げず、人には告げずとも折角三十一文字にするからには歌にだけはもらしてどうか。私は此頃斯んな大づかみな、他に甘えたやうな歌が大嫌ひである。自分の思ひを歌はうとならば自由自在に歌ふがいゝ。海鳴りを聞きながら涙を流す程の事があつたらそれを突込んではつきりと歌ふがいゝ。浪打際に立つてゐたなら夜の浪のうねりが見えたであらう。なぜそれだけでもはつきり歌ふことをせぬか。遠くには悲しい空の光が見えたであらう、なぜそれを歌はぬか。涙がひとりでに流れたら、なぜそれを切實に歌はぬか。
   すつかりみな投げてしまひてほんとうの男一人になるべかりけり
 へな/\の痩男が一人相撲をとつたらば斯うもあらうかといふなか/\行き屆いた歌ださうで(456)す。近く寄つてお手にとつて御覽なさい。
 
   夕庭の樹群《こむら》をしげみ暗ければ自づから風は雨呼びにけり
 木立が茂いので庭が暗い、といふのは解る。が、これも腹には何も無くて、木群を茂み暗けれぱ、だの、自づから風は雨呼びにけり、だのといふ繊細な言葉が使ひたいばつかりに作り上げられた一首である樣に恩はれる。若し庭の茂みがうす暗くなり、今にも風出で雨降らむとする氣勢を歌はうとならば今少し實感的に、活きた感じを活きた言葉で詠まなくてはいかぬ。斯うした安白粉をぬりたてゝ喜ぶのは子守女のする事である。
 
   敷石の濡れて冷たく土ひゆる秋をしもだし虫の音を聞く
 秋をし黙し虫の音をきく、粗雜な感じを粗雜な言葉で述べてゐるにすぎぬ。斯うした大掴みな、お粗末な事を年中云つてゐて腹の蟲が満足してゐる所を見るとよく/\慢性になつてゐるものと見える。
 
   われ未だ若かる故に此の酒も多くな飲みそ害になるべし
(457)さうです、およしなさい。
 
   足もとを離れし雲か目下野《めしたの》の面にひろごり動く白雲
 わるいと云ふ歌ではないが、この歌には感動がない。あの雲はいま僕の足許を離れて行つた雲かナ、さうらしいよ、といふ程のものとして先づ受け取られる。目下野もをかしいが、目下野の、面に、ひろごり、動く、白雲、のあたり、かなりねち/\としてぼんやりしてゐる。
 
     その二
 
   無花果を食みつつ蜂が薄き羽根動かす秋とまたなりにけり
 これは「愛兒の一周忌に」と詞書がしてあつた。無花果に蜂の來てゐるのを見て、あゝまたあの頃になつたのか、といふ一首である。心の痛みを露骨に云はずに、しかもその亡兒の親しんでゐたらしい果物の木を歌ふことによつて、ことに其處に小さな蜂の姿をまで點じて(意識的にわざとさう巧んだものではなく、自然に出てゐるだけに特に)その深い細やかな心を現はさうとしたものである。そしてそれが十分に想像出來る。一誦愁然、實に深みのある佳い歌である。唯だ第二句の食みつゝはどうか、牛や馬なら食むもいゝだらうが、それを蜂に使ふのはどうしたもの(458)か。この一語だけは飯に小石の混つてゐる樣な感じがしてならぬ。で次の樣に改めた。
   無花果に寄りつつ蜂が薄き羽根動かす秋とまたなりにけり
 こゝろもちとそれを現はす言葉との關係、それは實に微妙なものである。心がそつくりそのまま言葉となつた樣な、乃至は言葉の中にしつとりと心が浸み入つた樣な調子にゆかぬと眞實の心持は出ぬものである。ことに歌に於てそれが重要なことであるのだ。
 
   曇り空いつしか晴れてとほつ山の秋の山肌の黄葉せる木々
 遠つ山のと云つておいて、更に秋の山肌のと押し重ぬる必要があるかどうか。しかもそのすぐ下には黄葉せる木々といふ言葉もあるではないか。これは、眼で見ただけ心に感じたゞけを遮二無二ごたごた云つてしまはねば氣がすまぬ樣なところから出た弊だと思ふ。これでは「歌ふ」のでなくて「饒舌つてゐる」形である。普通の世間話にしても同じ樣な事を繰り返し/\饒舌り立てらるゝは決していゝ氣持のものではない。況して歌に於てをや。此頃「歌ふ」といふことゝ「語る」といふこととをよく混同する人がある。歌はやはり體を眞直ぐにして、額をあげてうたひあぐべきものである。首をかしげ、眼つきを變へ、手ぶりを混へて饒舌り込むのとは全然に違つてをる。この相違はよく心得べきことである。この一首はさほど優れたものではないが、とにかく(459)次の様に直してみた。
   曇り空いつしか晴れてとほつ山のその山肌の黄葉つばらか
 是でもまだその山肌のゝそのなどかなりにうるさい言葉である。たゞ山のはだへのとした方がおとなしくていゝかも知れぬ。
 
   一しきり風は過ぎたりチクチクと靜寂《しゞま》のなかの時計親しも
 しゞまのなかの時計親しもは子供の片言に似て、かなりにうるさい。うるさいのはその歌ひかたが(或はその語りかたが)説明になつてゐるからである。これでもか/\といふ風に惡丁寧に拾ひあげて説明してゐる傾向があるからである。それにチクチクも可笑しい。蚤にさゝれたのに使ふならばチクチクもいゝだらうが、この風の過ぎたあとの尊い靜けさを歌ふには矢張り清水にごみの入つてゐる感がせざるをえない。
   ひとしきり風は過ぎたりしみ/”\と時計は聞ゆこの靜けきに
 しみ/”\を初めひそやかにともしてみた。それはその時の作者の心持によつていづれかゞ選ばるべきであらう。
 
(460)   二つ三つ梢《うれ》に花もつ山茶花にゆふ風しるく冬ざりにけり
 夕風しるくはほんの瞬間の、眼前の出來事である。冬ざりにけりは秋から冬に移らうといふ永い期間のことではないか。言葉を用ゐるに不用意甚だしい。   二つ三つ梢に花持つ山茶花にこがらし著き日となりにけり
 これには夕方の心が出てゐないが、これは上の句がたゞ山茶花のみでなく二つ三つ花をつける樣になつたといふ同じく永い期間のことわりがついてゐるので、一寸入れにくかつた。強ひて入れるならば連作にしてそれをば別な一首とする方がよいだらうと思ふ。
 
   いそ/\と雪解の澤を過ぎにけりいづれゆ春は來る心地して
 下の句は「何處からか春が來る心地して」の意であらうが、云ひかたがいかにも變である。
   いそ/1と雪解の澤を過ぎにけりはや其處此處に草の萌えたる
 あまりいゝ添刪ではないが、春の來る心地がするといふことをあらはに云はずとも眼前のその光景を云つた方が上にある雪解の心もはつきりする樣に思はれたので斯うしたのである。
 
   明るみを戀ひつ悶ゆる冬の雲鉛の如く垂れにけるかな
(461) 戀ひつ悶ゆるは實に苦しい。斯ういふ擬人法は特に幼稚に云ふ時か滑稽味を帶ばしむる時でなくては使ひたくないものである。たゞ單にその光景を叙するだけではなぜ滿足出來ないであらう。
   あかるみを底ひに宿し冬の雲鉛のごとく垂りて來にけり
 
   やがてしてしぐるるならむ時雨風吹けば深山は楢落葉する
 時雨風も楢落葉も字面《じづら》が椅麗なだけで不消化である。それはとにかくとして時雨風吹けば深山は楢落葉する、はかなりあくどい。惡丁寧である。言葉の上にだけ變な趣味臭い味ひがあるのみで、その實景の心持などは一向に出てゐない。
   やがてしてしぐるるならむ風立ちて山の楢の葉散りしきるなり
 とすればいくらかその風の立つてゐる感じが直接に出るかも知れない。やがてしても間だるいが、まアこのまゝにしておく。この作者は一體に歌になる實體のことを忘れて言葉の上の變な趣味から歌を作りあげようとする傾向がある。歌を作るに、言葉は誠に必要であるが、言葉からは決して歌は出來ぬことを覺悟せねばいけない。
(462)   秋立てばおほかたの日の風にして槻は既に散り盡したり
 第二三句は「大抵の日は風が吹いて」といふ意味であらう。おほかたの日は風にしてといへばまさしく説明である。これをおほかたの日を風吹きてとすれば説明を離れて句が活きて來る。「大方の日の風にして」は背をくゞめて相手を上目づかひに見あげながら説明してゐる形である。「大方の日を風吹きて」はすなほに自づと歌ひあげた形である。僅かな違ひだが其處で歌の死活は生ずるのだ。槻はつきである。恐らく欅の誤りであるとおもふ。
 
   田のくろの枯れ草の群れに火を放ち蝗の卵燒きにけるかも
 變にしやれた言葉を覺えて隱白粉《かくしおしろい》を塗る不良少年式に使ひ廻されるのも困りものだが、枯れ草の群れでも困る。枯草叢といふ言葉があるではないか。
 
   冬がれの梢眺めつ疲れける心に弾かなゆふぐれのセロ
 夕暮のセロ、喜のセロ、朝のセロ、やがては午前五時五十六分のセロなどが飛び出して來るかも知れない。疲れける心とはなんだ。言葉といふものをまるで路傍の馬糞の如くに心得てゐる人たちよ、お前の心を馬糞で包んでもお前はなんとも感じないのか。
(463)   冬がれの梢《うれ》眺めつつ疲れたる心に彈かな悲しきセロを
   冬がれの梢眺めつつゆふぐれの疲れ心に彈かばやセロを
   ゆふまぐれ冬木の梢を眺めつつ今日の疲れにセロか彈かまし
 
     その三
 
 今囘は女流の作から此處に引かうと思ふ。先號の批評が少しきびしかつたので或る夫人からは「どうして先生はあんなに思ひ切つたことを仰有るでせう、私はあの批評に全部眼を通すことが出來なかつた」といふ意味の手紙を頂いた。で、今度は幾らかその程度を低め、言葉を丁寧にするつもりである。が、サテ實地に當ると如何なるか。
 
   一本のポプラの朽葉さわわ音立てつつ吹けり空はすみけり
 さわわ音も可笑しい。立てつつ吹けり空は澄みけり、この調子で風冴えて空の澄み渡つた秋晴の光景がよく想像出來ますか。朽葉といふのは地に落ちて朽ちたのを云ふのだが、此處ではまだ梢に在るのを指すものらしい。或る樹木に風が冴えて空が晴れた、といふ風景を詠んだものには類歌がかなりに多い。この一首を添刪したところでそれら類歌の上に出るらしくも思はれぬの(464)で、以上たゞ缺點だけを指摘するに留めて置く。斯く調子のへな/\なのは心の張つてゐぬこと、及び一首を成す素因である調子といふものに初めから無神經であることなどから來てゐるらしい。また題材を採るに斯うした類型的のものを平氣で選ぶのは「自然」を見る眼が開いてゐないためである。世間流行の趣味とか極めて月並な鑑賞眼を以てせずして、今少し感覺を新鮮にし鋭敏にしたらば斯うはなるまいと思ふ。
 
   入海に夕もやこむる堤道くりやの母におもひははすれ
 佳い歌だ。イヤ、佳い歌になるべきところだ、惜しいと思はずにはゐられない。夕靄のこめて來た入海に沿ふ堤、此處まで讀むと實に豐かな情緒を帶びて明瞭にその光景が眼に浮ぶ。其處へ突然、厨の母に思ひは馳すれ、と云はれたのでは折角靜かに心に浮んで來てゐたその光景さへ散らばつてしまふ。先づ聲に出してこの上の句を誦んじて見よ、而して次ぎにこの騷々しい下の句を續けて見よ。其間の心持がよく調和し得るかどうか。これは一首の中に餘りに複雜なことを詠み入れようとしたための失敗だと思ふ。堤をゆきながら母を思ひ出したのならば先づその事だけを詠んだらよろしい。そしてその母は今こそ厨に居らるゝだらうといふ樣なことを歌ふとならば更に別に一首として若しくは二首三首として詠んだがよい。連作といふのゝ難有味面白味は其處(465)にあるのだ。
   入海にゆふもやこむる堤道みち長うして母をこそおもへ
   道ゆきてそぞろにおもふゆふぐれの厨にいまか母立たすらむ
   夕もやのふれる海邊の道をゆきおもひぞいづるかなしき母を
 など、拙いけれど原作よりはよほど作者の心に近いものであらうかと思はれる。それにしても原作の下の句は惶《あわたゞ》しい、まるで針箱を引つくり返した形ではないか。女流の作には不思議にも「靜けさ」と「落ちつき」とを缺いてゐる。或は作者たち自身には氣がつかなかつたかも知れないが、讀みかへして見たまへ、大抵さうであらう。腹の底から呼吸をする落ちつきと靜けさとが無く、いつも咽喉の端でせか/\云つてゐる調子である。「男の深み」と「女の深み」との差がさうまでひどいとは思はなかつた。お互ひの前に「歌」は正直にそれを語つてゐる樣である。
 
   百舌のなく聲をし聞けばかなしさのうしほのごとく胸におぼえぬ
 「百舌の聲をきいてあなたは潮のやうな悲しさを覺えたのですか」と改まつて訊かれてみると作者自身も少々「オヤ/\」と感ずるだらう。無邪氣にやつてのけた可愛さはあるが、少々度がすぎた。斯ういふのはいつも云ふやうに作つたものを後でよく注意して見直してみるとすぐその缺(466)點がわかるものである。やりつぱなしがいけない。(悲しさのとあるから、胸にせまりぬとでもなくては文法が合はない。注意。)
 
   なるままになしておかむとおもひつつわづらふ心の深みゆくかな
 右と同作者の作であり、同じく憎氣のない可愛い歌である。私は元來大上段に振りかぶつた誇張たつぶり芝居氣たつぶりの作より斯うした、自然な、おとなしい歌を好む。が、これではあまり「たゞのお話」すぎる。平氣でこの歌を繰返して御らんなさい、一向わづらひも無ささうな歌ではないか。聞く人が少し皮肉屋か何かであつたら早速「オヤ/\さうですか、御愁傷さま!」と一本參るところである。參られても致し方がない、それほどこの歌は浮き/\してゐて力が無いのだから。
 
   あかときのむらさき色の雲ひくくながれゆく空野分の強し
 一向に腰が据つてゐない、ポイ/\浮いてゐる。雲の歌だからこれでいゝでせうなどと云ふ可からず。
 この一首に歌はれた景色は實に清爽な、磨き上げた玉か銀かの樣な感じを與ふるものであらね(467)ぱならぬやうである。要するにたゞのお話のやうに「歌」に對するから、斯う言葉や調子が浮いて來るのである。眺めた景色を一度靜かに胸に映して御らんなさい。そして其處に生るゝ感興を待つて徐ろに――早口に饒舌らずに――それを言葉に移して御らんなさい。決して斯うはならないと思ふ。戸口から馳け込んで來て「アノネ、阿母さん、いま斯う/\だつたのよ」では歌は甚だまごつく。
   あかときの雲むらさきにたなびきて野づらにひくく野分するなり
   むらさきに朝雲ひくくみだれあひていちじるきかも今朝の野分は
 
   つぼみたち花さきいまか散りいそぐ萩はさながら世のうつりざま
 甚だいけない、あなたにも似合はない歌である。萩の花の咲き散るさまを眺めてうつし世のさまを思ふといふ、それはなるほどさういふ感じをふつとお持ちになつた事があるかも知れない。月並な述懷ではあるが、それも感傷的な女性として強ちに無理でない。唯だいけないのはこの一首の言葉と調子である。さうした微妙な(萩を見て無常を思ふといふ、よほど微妙な心境であらねばならぬ。)寂しい、しんみりと落ち沈んだ心持を歌ふべく餘りにこれでは元氣がよくはないか。莟だち、花咲き、今か、散り急ぐ、と丁寧にその言葉と調子とをしらべて御らんなさい、か(468)なり荒つぼい聲色だ。萩はさながら世のうつりざま、と大きく見えを切つたところも「やア、高島屋ア!」と來べき形だ。いけない/\、今一度その心を絹漉しにする必要がある。
 
   初旅やうらかなしさとよろこぴの渦卷となり身ぬちめぐるも
 説明である、斯う/\あるといふ感情の説明である。かなし、喜ばしといふ感情そのものゝ現はれでは無い。感情の説明と感情そのものとの差は初めは一寸區別のつかぬものらしいが、然しどうしても其處までゆかねば駄目だ。
 
   もが/\と四つの牛は喰みながら大いなる車につながれて居り
 さう惡い歌といふではない。さうした情景が兎に角に一首の上に浮いて居る。けれど、要するに唯それだけだといふ程度のもので、一首から浸み出る感動の強みといふものはない。作者自身さう力んで作つたものでないらしいとも思ふが、さうした極く簡素な、寂びた情景にはまたそれに附隨した味ひがあるものである。それの無いのがわぴしい。矢張り言葉がぞんざいである、洗練せられてゐない。
 
(469)   秋悲しこのさびしさにたへかねて文庫にあまる文を見にけり
   文がらをなみだながしつかきあつめ落葉につつみて火を放ちけり
 先づこれを芝居として聯想せしめよ。(その外には一寸思ひよりが無い。)一人の女が涙を流して文がらを抱いて庭におりて、サテ落葉をかきあつめて其處へ文がらを載せ、思ひ入れよろしくあつて火を放つ、煙は濛々と立ら昇る、それを眺めて……、先づ此頃ではあまり本舞臺などにはかゝらない型である。それを最も靈的な、身ぶり手ぶりの筋がきを嫌ふ歌で行かうといふのである。作者の大膽驚くべし/\。斯んな大づかみな、上つ皮ばかりの趣味や感興からはもう大抵でお離れなさい。さうして振り返つて御自分の心を靜かに噛みしめて御らんなさい。あなたはまだ少しもあなた自身といふもの、自分自身の生命といふものを御存じでない樣だ。外形だけの生活、外をのみ見てゐる生活、根のない生活、あなたはいまそんな生活しかしておゐででない樣だ。云ひ過ぎであつたら、御免なさい。
 
   針もてばなごむこころか一すぢにたけりやまねばかなしきかもよ
 早口になりすぎました。意味もわからぬ位ゐです。而して誠に輕い。
 
(470)     その四
 
   雲のかげ野の面をおほひひとところ日のさしてゐて人のかげ見ゆ
 雲の影がいちめんに暗く野に落ちてをる。そのなかに唯だ一ところほつかりと日がさして其處に人の居るのが見ゆる、といふ如何にも靜かな、はるかなおもひをそゝる一首である。調子も割合にしつかりと動き無く歌はれてある。たゞ初句に雲の影といひ五句に人の影といふのは拙い。日のさしてゐても弱い。斯ういふ調子は無意識で使ふのだらうがそのためどれだけ一首の腰を危くするか知れない。下句を「日のひかりさし人のゐる見ゆ」とでもしたら幾らかよくなるかとおもふ。
 
   日もすがらほこりのなかに立ちゐつつ心ほとほとつかれぬるかな
   しみじみと疲れはてけり都べのきほへるなかに起き臥すわれは
   ともすれば沈むこころにむちうちてわがなりはひにいそしむわれは
 どうかすれば氣取りになり思はせぶりになる境地をよく一本調子にしつかりと歌つてある。斯うした述懷風の作は詠み易い樣で、何でもない樣でなか/\詠めぬものである。餘程はつきりと(471)正面にものを(詠まうとする)見詰めて眞質に心の底から湧きあがる眞摯さ正直さをもつて歌はないと、ともすれば厭味に陥り、あまいセンチメンタルなものになりがちだ。たゞ正直に歌へばいゝワ、といふわけにもゆかぬ。厭味や思はせぶりはなくとも其處に一首のなかにこちらで歌はうとするだけの力が籠つてゐなくては駄目だ。例のたゞごと歌さうですか歌は多く其處から生れる。この難澁な境地をこの作者が或る程度まで詠みこなしてゐるのを嬉しく思つた。斯んな作風を澤山見たいものである。(たゞ都邊のきほへるなかは少々無理だとおもふ。はつきりしてゐない。)
   日のひかりさびしき此處はもやもやとうまごやし生ふる野のひとところ   日のありか見えつつ曇るさつき野の銀のそらより草に雨降る
   麥熟れてひざしも赤き六月の野に湧く水はゆたかなるかも
 明るい、みづ/\しい歌である。鮮かな感覺の産物である。斯ういふものに限つていやがうへにも純粹に洗錬しなくてはならぬものであるが、まだ其處まではこの作者の作は到つてゐない。作者に感覺の鮮かさはある。が、それを歌のうへに、言葉のうへに移す時、かなりな不純が混つ(472)て來てゐるのを見る。技巧の洗錬といま一層の豐かさとを望まざるを得ない。第一首はまだよいとして第二首の下句は少しごたついてゐる。第三首のひざしも赤きのもあたりには稚氣と厭味とがまざ/\と出てゐる。
 
   青葉がくれ登りて來れば陽はつよし麥畑ありて人黙し刈る
 いゝ場所が詠まれてある。青葉がくれに登つて來ると山上には陽が強く照つてゐる。其處の黄熟した麥の畑に人がゐていつしんに刈り入つてゐる、といふいかにも初夏らしい風景が詠まれてゐるのだが、このまゝでは唯だその説明に過ぎずして、さうした場所の眞實のこゝろもちは一向に出てゐない。青葉がくれに登つて來てぢつとその眩い樣な光景に對して佇んでゐる作者の輝き澄んだ心といふものを現はすべく餘りにこの一首は粗雜である、がさがさしてゐる。第三句で句を切つたのも、第五句の「人黙し刈る」といふ不消化な云ひかたも、まだ/\餘程考ふべき餘地がある。單なる記述説明と歌との差のどんなに大きいかを考へてみる必要がある。
 
   ひつそりと籾蒔き入るる眞晝田の水《み》の面《も》ゆたけき陽のひかりかも
 これも前の歌に似た、明るい輝やかしい境地が歌つてある。そして前のより整つても居る。(473)が、ひつそりとは厭味である。靜寂そのものでなく、「ひつそり」といふ言葉を使はんとする作者の態度、心事、が先づ眼につくのを感ずる。眞晝田といふ言葉も少し無理ぢやアあるまいか。一時は少し位ゐの無理な言葉を使ふのもいゝが、出來るだけ早く其處から離れて完全な動きのない言葉でのみ詠み出づる必要がある。「眞晝田」といふ風な言葉乃至文字には一種の新しい『趣味』が味はるゝ。が、それに誘惑されてはいけない。
 
   靜かなる外の面をいまし行く馬車の響に晝のこころとなれり
   うす陽さす小庭の晝のしづもりをふと鳴き出づる雨蛙かな
 正直な、靜かな歌である。これこそ前のゝ樣に表面には云つてゐないがいかにもひつそりした歌である。「ひゞきに晝のこゝろとなれり」とよそごとの樣に云ひすてゝあるなかにも不思議に實感が働いてゐる。眞實にさう感じて、それをそのまゝ氣取る事なく徐ろに落ち着いて歌ひ出したゝめであらう。雨蛙の歌には微かながら蛙の聲のしめやかさが籠つてゐる。
 
   尖り葉の松の葉がくり松のはな咲きてさぴしも夕陽のなかに
 言葉の歌である。寧ろ言葉のみの歌である。そしてこの松の葉は青いみづ/\しいそれでなく(474)て枯れ乾いたとげ/\しいのを聯想する。見たところはなか/\手際よく作られた苦勞人の作の樣だが要するに作りもの臭い。作者の手と頭とで作られたのを思ふ。「夕陽のなかに」も取つてくつ着けた樣だ。
 
   をちかたの山邊にこよひちら/\と灯の見ゆれ春蠶《はるこ》飼ふらし「灯の見ゆれ」は言葉の調子が据つてゐない。なほ「灯の見ゆれ春蠶飼ふらし」は一種の思はせぶりに似て歌を弱くして居る。斯ういふのは妙に他にあまえやう媚び樣とする一つの作歌手段であつてその結果はみづから自分の歌を害ふ因となりがちである。寧ろ「春蠶飼ふらしきともしびの見ゆ」と正直に云ひ下した方が歌の姿がすつきりと据つて來る。試みに「ともしのみゆれはるこかふらし」と聲に出して云つてみるがよい。へな/\として腰のすわらない樣がおのづからにして感ぜらるゝであらう。改むれば可燐な、わるくない歌である。
   數珠玉《すゞだま》の蔭にかくれて魚釣れるそこはくの人小川邊に見ゆ「そこはくの人小川邊に見ゆ」は「これ/\でこれ/\ですよ」と云つた按排である。説明しようとするからいけない。説明は要するに心の落ち着かぬところから生ずる。瞳を澄せて靜かにそ(475)の歌はうとする對象に見入りながらその對象と自分の心と融け合ふ境地にまで到れば自づとこの乾燥した説明などはしてゐられないものである。及び腰で、腰を浮かしながらものを云はうとするからいけないのだ。
 
   はたた神鳴るよと聞けばたちまちに氷雨降りしく初夏の野に
   教へ兒がものをぬすみてひと知れず出して置きたる心根あはれ
 雷が鳴り渡るよと見る間に氷雨が降つて來た、この草青い初夏の野に、といふのだ。その心持が自然に出てゐる。自然現象を自然現象のまゝに――わざとらしい誇張や、一種趣味化して之れを眺むるといふ態度やを捨てゝ――純粹な心にとり入れて歌へばおのづからにして佳い歌が出來る筈のものである。この一首などは一寸見ればいかにも幼い樣だがその光景に對して躍つてゐる心のさまがよく出て歌が生きてゐる。第二首にもその自然さが出てゐて自らひとの心を動かす作となつてゐる。この人の作には常に瞳のちら/\せぬ落ら着きがあつてなつかしい。(第二句、「ものを盗みて」は「盗みはしつれ」の方がよくはなからうか。)
 
     その五
 
(476)   暮ちかく頭おもたくつかれたりひびくともなくいかづちきこゆ
   窓ぎはにすわりつつ見れば雨あしのふときゆふだち埃立つるなり
   一本のビールをひそかに冷しおき庭をあゆめば口ゑまむとす
 多少の不純が見えぬでもないが、いづれの歌にも心を押し沈めて壓搾して云つてゐる樣な底力のある所がある。空洞《うつろ》な中から強ひても大きな聲を張り上げ樣とする不安定が無い。一首のうちの一句々々にも生命の籠つてゐるのを感ずる。
   暮ちかく頭おもたくつかれたりひびくともなくいかづちきこゆ
 う段の音が重疊してゐるのみでなく第三句で一首を切つた上に、暮ちかく頭重たくと響くともなくとが相對してゐる樣な不用意な置き方がしてあつて誠に危つかしいのであるが、不思議にもそれが左程に氣にならぬ程度にこの歌は生きてゐる。これは心の正動(可笑しな言葉だがまさしく動くといふ程の意である)が技巧の不足に打勝つたものである。
 これに就いて思ひ出した。本號所載K――君の作に
   曇りふかく暮るるゆふべの庭草に觸るる風ありこころはゆらぐ
   暮れかかる家のなかよりうち見やる外面あかるくうごく草の葉
 などゝいふのがある。此等はいかにも氣力浮薄な、不愉快な作である。つまり歌になる底の力(477)が缺乏してゐて乃至は一首を洗錬する熱意が缺けてゐて、たゞうはの空で作つてゐるからである。自づと「行きかかる來かかる足に水かゝる足輕怒るお輕こわがる」の亞流に近いのを思はしむるに到つたのである。
 
   降りしきる雨のさなかのふるさとの山低かれどみな青きかな
   白壁のところどころの落ちこぼれわがふるさとの家古びたり
   鳥屋《とや》の邊にくぐみゐたまふわが母のうしろすがたの老いませるかな
 これらもみな生一本の作である。金の伸棒とまで行かずとも磨き澄した鐵の棒が一本づつ光つてゐる樣な清澄さを感ずる。第一句から第五句まで一氣に歌ひ下してあるのもいゝ氣持だ。歌は出來るならば斯くの如く大まかで、純潔で、つまり天に向つて長息《なげき》を吹くといふ形であつてほしいと思ふのだ。然し、歌はうとする心の複雜さが増し色彩が混雜して來ると歌の姿の上にも千姿萬態が自からにして生じて來るわけである。斯くして歌のきめの細かくなるのはよいとしても、歸する所は一首の姿に「亂れ」があつてはいけない。「たるみ」があつてはいけない。きめの細かいは細かいなりに整然としてゐなくてはならない。凛と張つた絲の如くにあらねばならぬ。その絲の何處に觸れてもおのづと澄んだ音色を發するものであらねばならぬ。絲がたるみ、乃至は(478)切れては歌とはならぬ。各自に考へて見よ、胸に張れるわれ自らの絲の姿を!
 同じ作者の作でも、
   汽革窓にわがふるさとの海は見ゆ雨にくもりてかそけくも見ゆ
 には何處にか身體を曲げたさまが見えて居る、媚態がある。この媚態を喜ぶのは作歌者としてまだ極めて低級な「心のなぐさみ」に遊んで居るものである。
 また
   常緑樹の葉のしげければ室の内冷たけれども蚊のわづらはし
   ふかぶかと青葉たれこむる家の内に山あきついま流れ入りたり
 の二首に見るに、二首ともその下句には作者獨特の明快さを持つて居るが上句はいづれとも不十分であり不明瞭である。樹木と室内との印象が甚だ朦朧として居る。解るには解らうが、いつもいふ通りそれでは歌にはならぬ。「たるみたる絲」である。
 
 三句で切るとか四句で切るとか、或は初句から五句まで歌ひ通すとかいふ事にもみな相當の了解を持つてやつてほしい。三句で切つたがよいか五句まで一氣に詠んだ方がよいか、一首の出來た時によく自省して欲しい。口から出まかせにやり放して置くのは自己に厚いものではない。一(479)首を動きのない、たるみのないものにするには是非それ位ゐの覺悟は必要である。さうしてゐるうちに自然と言葉のありがたさや句調の微妙さが了解されて來るのである。
 
   雨の夜の廊下をつたひひそかなるはづれの部屋に案内されたり
   しみじみと雨の紫陽花見てあるに宿の朝餉のはこばれにけり
   うつうつと耳にしながら目ざめたる家をめぐりて啼く朝雀
   夙く起きてまづ嬉しかる鳥の聲すずしき聲に啼きちらけをる
 いづれも靜かな歌である。總體の重量から云つて多少の物足らなさを感じないではないが、それは作歌當時の作者の身體なり心なりがさうであつたものと先づ諦めらるゝ。出來るなら今少し調子の張つた、生命の核心に觸れて行つたものが欲しいのである。これではこゝろの中心から出たといふでなく、それを遠卷きにして撫でてゐると云つた風な所がある。が、さういふものとしては先づ完全に出來たものと云つてよい。三人や五人は斯の流儀があつてもよいであらう。あまり澤山出られては困る。
   陽のぼれば雀もいつか啼き減りてけふの勤めの支度などする(同じ人の作)
 にはたるみがある、下句がいけないのだ。
 
(480)   汗ながし白髪の母を連れあるくこの新兵をあはれとおもへ
   小きざみにわが母うへのあゆみたまふこの足音をいとしとぞ思ふ
 兵營に母が面會に來た、その時の作である。無駄な心持(芝居がかりの人情などの)や無駄な言葉のない、小さいなりに引き緊つた歌でぁる。ともすれば斯うした作は所謂人情にからんだ新派悲劇式のものになりがちであるがこれにはそれが無くていかにも淡白に而かも純粹に人間の心情の出てゐるのもよい。
   醉ひはてては妻をうたがひ子をうたがひ怒りさかまくこれはわが父
   はらばひて煙草くゆらすわが父は五十八年間世に生きて居る
   醉ひ狂ひてもわれをたよらすおんこころかたじけなわが怠るべしや
 かなり性癖の變つてるらしい父に仕へてゐる人の歌、第一に難有く思ふのはさうした父に對つて作者が實に靜かに心を平かにして正面してゐるその態度である。イヤ、その態度がさながらに歌に出てゐる事である。誇張もせず、泣き叫びもせぬ生一本の心がそのまゝに三十一文字の上に、現はれてゐる。これはなか/\出來ない事だ。大抵は其處に空洞な誇張や芝居が這入るものであ(481)る。
 
     その六
 
   砂の崖にいよりてふかき息をつくうつし身いとし獨りぞけふも
 砂丘にあそんで孤獨を樂しみ嘆く歌。
 歌におちつきが乏しい。砂の崖にいよりて深き息をつく、といふのも何となくわざとらしく聞ゆる。深き息をつくも突然で且つ説明臭くなつて居る。うつし身いとしもこの作者位ゐの程度になれば既に甘すぎるし、ことにその下の濁りぞけふもは甘いこと夥しい。一首の姿に亂れがある。さういふ場合に於ける純粹な感情を現はすには今少し澄んだ引緊つた所がなくては不可ぬと思ふ。唯だ云ふ事をいつてしまつた、だけではいつも云ふ通り歌にはならない。
 直すとなると當人以外には厄介な歌だが、
   おのづから出づる吐息の深かるや砂山の崖にひとりまろびて
 とした方が少くとも一首の統一はつくであらう。
 
   欄により暮れゆく山を見てあればうらさびしくも霧たちわたる
(482) 見てあればがいけない。甚だ間延びがして居る。續いてうら淋しくもといふ言葉までいかにも空虚な響を持つことになつて居る。一首にひそまる感動が無いではないが、甚だうはついたそれである。それを押し靜めて歌ふだけの用意が作者に缺けてゐたのだ。
 
   放課後のまどにもたれてうつつなく家など思ふに青葉そよげり
 これも第三句うつつなくが不用意である。うつつなくといふ強い言葉を用ひておいてすぐその下に家などおもふにといふ樣な曖昧な、だらけた云ひかたがしてある。
 極く初歩なら兎に角、次第に言葉に對する感覺を強めて行きたいものである。此處には一寸目についた三首を引いたにすぎないが、この不用意な、無感覺なやりかたがいま一體を通じて行はれてゐる樣である。歌を作る根本の心は極めて大らかに、極めて自由に、思ふさま手足を伸ばして歌ふがよいが、その心をやる言葉や句法に對してはみな相當の用意を以て對して欲しい。でないと折角の歌の心を殺してしまふことになりがちだからである。
 
   ぬばたまの闇の大地にふりそそぐ雨の音ききこころたのしむ
   赤だすき早苗とる子の手ぶりよき見てをればふと笑みの湧くかな
(483) 虚心なところがいゝ。歌に何等の臭みが無い。このまゝで今少し調子が張つて來ると本物だ。
 
   波と波もみ合ひ白くくづれあふ川尻に來てさけぶ子等よし
 波と波もみあひ白く崩れあふ、といふ句、大きくはないが鮮明である。その印衆が一首を通じて輝いてゐる。叫ぶ子等も突然だと云へば突然だが、心持は解る。未成品ではあるが、きりゝとした、よく作者の心の出た作である。
 
   櫻咲くけふの旗日をつま子|率《ゐ》て香良洲の宮に詣でけるかも
 これも素直なのが嬉しい。こせ/\した、思はせぶりの作のみ眼にふれる咋今、一層斯うした一本調子の歌がなつかしい。
 
   ゆふさればわれのうからは一樣にすげ笠つけてならび歸るも
 並び歸るも、などは少々苦しいが、然しこの作にも歌を作るぞと狙ひをつけた所がない。いかにも大勢の田植歸りの中にあつておのづからに詠み出でた正直さが味はるゝ。
 
(484)   大浪のくだけしごときしろき雲梅雨のはれまの山にかかれり
   梅雨ばれのこのあつき日を桑摘みに山にのぼれば風のつめたき
 これなどもまたさうである。すべて感興を受けたまゝを正直に、そして正確に歌つてある。歌にどことなく大まかなところがある。探し歩いて種にするとか、安白粉を塗り立てたといふ淺間しいいやな所が無い。これで作者その人が段々深く大きくなつてゆけば歌も從つてさうなつてゆくのである。此處等に擧げた人たちの多くはまだ野生のまゝの形である。これで自分で自分を培ふことを怠らなければ前途は有望だとおもふ。
 
   ほのぼのと宵月出でてみなかみの野ずゑおぼろに彌彦山見ゆ
   おぼろなる提灯つけし車ゆく月夜の白き病院の坂
   雪どけの信濃川づらほのぼのとひかりてさむき春の月の出
 この人のにはいつも淡い色どりがある樣だ。どららかと云へば白粉組に近い。が、こゝに引いた數首のごときは程よきさまに塗つてあるのでさまで氣にもならず、いゝ心持の明るさをおぼえしめらるる。然し、斯ういふ行きかたは――謂はゞ自分の趣味興味で詠歌の世界を作つて居ると云つた風の――ともすれば行きづまりがちなものだ。同じところに停滯してゐるうちにはいつか(485)鼻持のならぬ臭氣を伴ふ樣にもなつて來る。正直なもので斯うした作は早く眼につくが、その作から受くる力といふものは極く中途半端な、甘いものである。いはゆる底力といふ風の強みを持つてゐない。
 
   笛吹の瀬の音いたくくぐもると見ればしらしら雨の降り來る
   をとこひとり笠かたむけて桑を摘むむかひの畠の霧小雨かな
   この宿の竹の葉ならし降るあめのうらさびしかもうぐひす聞ゆ
 この人のにもそれと同じ傾向がある。先號のなどは餘程それの拔けた方であつた。以上三首ともみな面白いが、謂はば即興風の小味なところにとゞまつてゐる。斯ういふ側の人に限つて人一倍の才氣を持つてゐるものだから、今少しゆつたりと眼をひらき心をひらいて、自然に/\と心がけて行つたならば嘸ぞ進歩も早からうにといつも思はるる。
〔2022年4月6日(水)午後4時20分、入力終了〕