若山牧水全集第四巻、雄鷄社、564頁、600円、1958.10.30
歌論・歌話 二
目次
短歌作法……………………………………… 3
上編
第一 歌が詠み度い詠んで見ようといふ人…… 5
第二 詠歌のすすめ………………………… 8
第三 先づ讀書せよ…………………………13
第四 何を、如何に讀むべきか……………16
第五 摸倣可なり……………………………28
第六 題詠……………………………………32
第七 寫生……………………………………35
第八 散歩及び旅行…………………………39
第九 同好の友、會合及び囘覽雜誌………43
第十 先輩に就いて ………………………49
第十一 投書といふこと ……………………52
第十二 推敲及び批評 ………………………58
第十三 歌を作らうとする時及び出來た後……73
下編
第一 歌を詠む態度…………………………80
第二 自然そのものとその概念……………84
第三 實感より詠め…………………………88
第四 さうですか歌…………………………92
第五 惡趣味の歌……………………………99
第六 「動」の歌と「靜」の歌………… 103
和歌講座…………………………………… 107
第一章 挨拶 …………………………… 109
第二章 歌とは何か …………………… 111
第三章 なぜ歌を詠むか ……………… 114
第四章 私にも詠めませうか ………… 115
第五章 どうしたら詠めませう。先づ讀め…… 120
第六章 推敲の是非 …………………… 126
第七章 摸倣はわるい事か …………… 133
第八章 中心を定めること …………… 137
第九章 どんな歌書を読むか ………… 141
第十章 進歩の三階段………………… 143
第十一章 行き詰つた時どうするか…… 149
短歌の鑑賞と作法………………………… 155
第一編
一 挨拶…………………………………… 157
二 歌の面白味…………………………… 158
三 歌の詠み始め………………………… 162
四 讀書…………………………………… 164
五 短歌評釋……………………………… 167
六 作歌練習……………………………… 184
七 推敲、批評、添削…………………… 194
八 發表欲………………………………… 202
九 作歌と感興…………………………… 208
第二編
一 歌は感動である……………………… 214
二 さうですか歌………………………… 215
三 感動の洗練と生長…………………… 222
四 言葉と調べ…………………………… 224
五 歌と年齢……………………………… 227
六 歌の趣味といふこと………………… 229
最後に…………………………………… 233
補遺と單行本以後
閑言集……………………………………… 235
所謂スバル派の歌を評す………………… 242
二月の歌…………………………………… 247
『山河』を讀む…………………………… 259
何故に明かに生きざるや………………… 263
最近歌壇の印象…………………………… 270
真晝の山…………………………………… 285
石川啄木君の歌…………………………… 292
我が見たる最近歌壇……………………… 318
『土岐哀果集』の印象…………………… 329
『和歌合評』より………………………… 331
自歌自釋…………………………………… 342
いろいろの人と歌………………………… 400
合評を讀む………………………………… 416
歌話一題…………………………………… 420
批評と添刪………………………………… 421
質疑應答…………………………………… 542
第四卷 歌論・歌話 二
短歌作法
(5)上篇
第一 歌が詠み度い、詠んで見ようといふ人
歌を詠んで見たい……歌を詠む素質……歌になる種子……人生に於ける欲求歡喜及び不滿……先づ着手せよ……その人にはその人の歌……不安と羞恥……案ずるより産むが易し
歌が詠んで見たいが、私にも詠めるものでせうか、また最初どうしたら可いでせう、といふ風の質問にをり/\出會ふ。また、口に出して斯う云はないまでも、斯うした希望、若しくは疑惑を持つてゐる人は私の知る以外更に世間に多いことゝ思ふ。私は常に言下に答へる。
『お詠みなさい、貴下《あなた》には確かに詠めます!』と。
なぜならば、|詠みたいが〔付ごま圏点〕と思ふ程度の人には既に詠歌の素質が十分に備はつてゐることを、それ自身に立派に示してゐるからである。
諸君は路上で諸君の友人に邂逅した時、必ずや、
(6)『ヤ!』
といふ心持を持つであらう。
また、思ひがけなく梅や、山茶花の初花を見出でた時、
『ホ、もう咲いたか』
といふ感動に打たるゝであらう。たとへそれが強い弱いに係はらず、それに類した微妙な感情が無意識のうちに諸君の心に動くに相違ない。それが直ちに言葉となつて現はれることもあらうし、或は唯だ微笑となつて終るか、それにすらならずに濟むことがあるかも知れぬ。
そのいづれを問はず、それらは立派に歌になるべき種子なのである。その感動を唯だ或る形式に於て發表すれば、其處に『歌』が生れるのだ。
|歌が詠んでみたい〔付ごま圏点〕、といふ心持は、必ずやその裏に何か知ら一種の『欲求』『滿足』若しくは『不滿』を懷いてゐるに相違ない。他人が詠むから自分もやつて見度いといふのもあらうし、自分ながら解らぬやうな、たとへば齒の生える時に子供のむづかるに似た或る一種の感動が常に自分の身のうちに、心の裡に動いてゐるのもあらうし、或はまた自分の朝夕の起臥に何といふ事なしに不滿を感じて來た、そして捉へどころのない寂寥が斷えず自分の眼の前に動いてゐる、どうかしてそれを追ひ拂はう、若しくはもつと寂寥に親しみ度いと思ふといふ種類の人もあるであらう。
いづれにせよさうした(イヤ、此處に私の引いた以外その人々によつて更に種々の原因からこの|詠んで見たい〔付ごま圏点〕心は起つてゐるであらうと思ふ。)心持が動いて來たならば躊躇するところなく詠歌の道に入らるゝがいゝ。出來る出來ないは先づ別としても、兎に角に直接《ぢか》にそれに當つて見らるゝが可い。そして、前にも云つた通り、さうした心の動きそめた人は必ず成功する、歌を詠み得るに相違ないのである。それは、成功するにしても限りはある。何しろ二千年から續いて來た日本のこの歌といふ藝術界に於て眞實に歌を詠み得たといふ人は恐らく二三を出ぬであらう、或はまだ一人も出てゐないと云へるかも知れない程のものだから、さうした境地まで成功するとはなか/\に云ひ得ない。また、誰しもそんな事まで考へてゐる人はないであらう。そしてそれはまた考ふる必要のないことであるのだ。|唯だその人はその人としての歌を詠み得たら充分ではないか〔付ごま圏点〕。
兎に角に|詠んで見たいといふ心持それ自身〔付ごま圏点〕が歌の素質であることをば經驗者として、またさうした無數の經驗者に接して來た事からして私は斷言する。
其處で初心の人が躊躇逡巡してゐるのもまた無理もない事である。子供が小學校に入る前のやうに、初戀をする少女の樣に、試驗場に臨む受驗者の樣に不安と羞耻とが先立つのも道理である。(8)戀が人生に於ける大きな分量を占めるやうに、否今少し大きな分量を占めるものでこの歌はあるかも知れないのだ。
が、案ずるより産むが易し、手をつけて見れば案外何でもないものである。そして、一歩々々と深く手を入れてゆくに從つて興味は愈々深く、理解は益々加はるものである。
繰返して云ふ、詠んで見たいと思つたならば猶豫なくお始めなさい、出來る出來ないは後として先づ手を着けて御覽なさい、貴下は多分その意外にも親しみ易いものである事と、考へてゐたよりも更に興味の深いものであることとに驚かるゝであらう、と。
そして、いよ/\詠み始むるにはどうしたらよいかに就いて私の知つてゐるだけを以下各章に於て述べて行かうと思ふ。
第二 詠歌のすすめ
生きむとする本然の欲求……人生の歡喜……その歡びを歌にうたへ……人生の苦惱と寂寥……その寂しさを歌にうたへ……歌を知るはわれとわが生命を知るに同じ……肉の生活靈の生活……詠歌は本然の欲求……歌は美の力
詠んで見たいと思うたならば直ぐ始めるが可いと云つた。更に私は一歩進んでこちらからこの(9)詠歌のことをお勸めしたいと思ふ。
詠んで見たいといふ中にも、他がするからといふ物眞似や、或は一時の好奇心から來るものもあるであらう。若しかすると斯ういふのが寧ろ多いかも知れぬ。云ふまでもなくこれらは決して眞面目なものではない、眞實に道を求むる者の態度では決してない。
が、私はこれをも尚ほ無きにまさると思つている。ゐるどころか、此等の人たちにさうした思ひ立ちを機縁に、更に眞面目な歌の追求者になつて貰ふ樣に心から勸めたいのである。此等の人に限らず、更に一般の人たちにも何か機會があつたらば一應でもこの言葉を呈したいと思つてゐる。
歌が詠んで見度いといふ心のうちには何か知ら或る抑へ難い欲求が動いてゐると云つた。その欲求(希望と云ふか)は何か。
人間には、あらゆる生物には、自己の生命を、生命の力を出來るところまで押し伸べて行かうとする自らなる欲求が備はつてゐる。草を見よ、木を見よ、また人間自身を見よ。無意識に、また意識して、あらゆる機會に自己を生長せしめ、同時にあらゆる艱難から自己を囘避せしめ、またその艱難に耐へて行かうとするために實にあらゆる努力を盡して居る。殆んどそのためにのみ、すべては生存してゐるかの如きものである。多くはぼんやりしてゐるが、考へてみれば大抵さう(10)でないものはないであらう。各自靜かに自己を省みて見るがよい。
斯くの如くして首尾よく望むがまゝに生長してゆく者に抑へ難い滿足、隱しあへぬ歡喜《よろこび》の溢れて來るのもまた自然であらう。その歡喜をどうして人は現はさうとするか。方法は誠に種々であらう、私は此處で、それを歌にうたへ、と云ひ度いのだ。
歌にうたふ――めい/\に歌ひ上ぐるその歡喜の裡に人は必ずまた新たなる歡喜を感じ、と共に更に新たなる希望、自己の生に對する向上心を起して來るに相違ないであらう。よろこびのために歌ひ、歌ふためによろこび、斯くて相互に相促し相助けつゝ己が一生を深めてゆく。
また斯ういふ場合もあらう。人の生れて居るといふことは一面また云ひ難い苦しい事である、寂しいことである。我等は生れながらにして先天的に、本能的に、生きて行かねばならぬ運命を負はせられて居る。極めて稀にこの運命から逃るゝためにみづから自己の生を斷つ人が無いではないが、それはまた容易な苦惱から出た事ではない。多くはみな苦しみながらに賦與せられただけの生命を、運命を、背負ひつゝ辛うじて彼岸まで、死まで辿つてゆく。人によつてはこれは實に年數を離れた長い長い行程であらねばならぬ。その長い間の苦しさ、それに耐へてゆく寂しさ、それをどうして漏し訴へようとするか。私はそれを歌にうたへといふ。
さうした抑へ難き心より溢れた歌は、また直ちにその疲れ悲しめる心に響いて、われより知ら(11)ぬ尊き慰藉を與へ、深きちからを添ふるに相違ない。
飜つて云ふ、人眞似や好奇心から歌を詠まうとする人達は、恐らくは未だ曾てこの自分みづからの生命のよろこび、いのちの嘆きを知らぬ人であらう、生きてゐるといふ事を自ら知らぬ人に相違ない。さうでなくばどうしても人眞似や出来心で歌を詠んで見やうなどと思へる筈がないからである。歌は元來さうした人生の深い底に根ざしてゐるものである。少し云ひ過ぎるかも知れないが、畢竟歌を知るは人生を知ることである。人生を、自己自身のいのちを知るは、即ち歌を知ることであると云ふも敢て過言ではないからである。
生きてはゐるが、自分の生きてゐるといふことを知らない、といふのは何たる哀れな、慘めなことであらう。さうした人たちに私はいま、歌をうたへ、少なくとも歌を知らうとせよと勸めたいのである。歌には限らない、あらゆる藝術や宗教はすべてそれを教へるものであるが、私はいま歌についてのみ云ふ。ことに、それらの中で歌は最も入り易いものであると思ふからであるのだ。
讀者よ、以上聊か早まつて私は此處に歌の原理論抽象論を持ち出して來た樣な傾きがある。若し以上の話に充分了解が出來なかつたならば出來ないまゝでよろしい。然し、大體然うしたものであるか位ゐの考へをば先づ懷抱してゐてほしい。さうして私はいま一度云ひ直して見よう。
歌をむづかしいものであると思ふのは誤りである。めんだうなものと思ふのもまた誤りである。(12)詠みたいと思ふ人には自然と詠歌の素質のあることを前に云つた。詠みたいと思つたことのない人にしても少し努めてこれに面すれば必ずや多少なりとも心が動くであらう。歌は(また根本論になる樣だが)人の心の糧ではある。靈と肉より人間の生活はなるといふ。その肉のための、單に物質上の糧をのみ欲する人ならば乃ち止む。多少なりとも心の生活、靈魂の生活を營まうとする人であつたならば自らこの糧に心の動くが當然ではないか。謂はゞ斯うした自然的必然的欲求のあるべき歌がさうむづかしい、めんだうなものである筈はないのである。故に、その喰はず嫌ひに似た臆病と懶怠とを棄てて兎に角に歌に親しまうとして欲しいと思ふのである。
尚ほいまだこれをも抽象に傾いた話だとするならば、今少し云ふ。
諸君は諸君の顔や身體の美しく活々とあることを願はないか。と同時に心の美を望まないか。常に美しく、常に活々としてゐようとの希望を懷かないか。若しその希望を懷くならば須らく歌を詠め。歌はまことに疲れ汚れた心を洗ひ淨め、歩一歩美しく、且つ活氣づけて行かうとする使命を帶びてゐるものである。理由は上に説いたすべてを總括して考へて來れば直ぐ解ると思ふ。よろこぴにうたふ歌、悲しみにうたふ歌、いづれもその力を持つてゐぬものはないのである。線路工夫のうたふ唄、荷積人足のうたふ歌、軍人や學校生徒のうたふ歌、酒に醉うてうたふ唄、勞働に、宴樂に、あらゆる俗謠唱歌もみなこの目的に添うて居る。唯だ、和歌はその一層内的に、(13)靈的になつたものに過ぎぬのである。
山川風土の美を見てもそれを解せぬ人がある。人情の極めて微妙な働きを見ても一向それを感ぜぬ人がある。歌はそれらの人々に對してよく自然を見る眼をひらき、人間の微妙さを感ずる心をひらく事を教へるものである。
|心を開く〔付ごま圏点〕、――上に人生を知り、自己の生を知れと云うた。およそ大抵の人には無意識にしてこの『知らうとする念願』が多少にかゝはらずひそんでゐるものである。愚夫愚婦の間にも何か知ら一種の宗教心が流れてゐるのなどはその證である。歌はその開かうとして開きかねてゐた心の眼をこゝちよく開かしむる力を自然に持つて居る。自然に開いて來た各自の心の眼の前にこの人生といふものがまたどんなに明かに不思議に映ずることであらう。
第三 先づ讀書せよ
歌は最初どうして詠んだらよいか……景樹が豆腐屋の歌……先づ読書せよ……歌と直覺……詩歌の難有味……読書の楽しみ
詠み度いといふ心が少しでも動いたらば早速それを三十一文字にまとめて見るがよい。
が、幾らか下心のある人ならば兎も角、あまりに突然に『さア詠め』と云つたところでその人(14)はただ途方に暮れるであらう。誰であつたか、多分香川景樹であつたと思ふ、或人から歌はどうして詠んだらいゝものかと問はれた時に、何のことはない、恩ひついた通りをそのまゝに詠めばよい………と云ひかけてゐたところへ豆腐屋の賣聲が聞えて來た。景樹は早速それをとらへて、
それ其處に豆腐屋の聲きこゆなりおさん出て呼べ行き過ぎぬまに
と詠んで、先づ斯の通りだと云つた話がある。景樹は徳川時代の末方の大きな歌人で、當時の歌は多くはたゞ傳統的に古代からの歌風に拘泥し、徒に形式にのみ流れてゐたのを慨して、極端にこの實感實情主義を説いた人であつた。恰度明治に於ける新派和歌の勃興したのと事情がよく似て居る。であるからこの豆腐屋の歌なども面倒臭い形式主義に對する反抗として幾らか故らに詠まれた形があつて、當意即妙の味はあるかも知れないが、歌としては決してよく出來たものではない。が、これも矢張り景樹なればこそ斯う詠めた。頭《てん》から歌に親しまなかつた人に幾ら思ふ通りに詠めと力説したところで斯う早速に詠める筈がない。では、どうすればよいか。
私は何は擱き、先づ讀書を勸める。
書籍は多くの場合、それ/”\の道の先輩が自ら苦しみ、自ら經驗し、自ら發明した所のものを書き記して置いたものである。我等はそれを讀むことによつて、謂はゞ一足飛にその先輩の歩いて行つた境地まで到達し得るわけであるのである。到達する、といふことはそれは唯だ到達し得(15)る筈であるといふだけで、なか/\實際にはあり得がたいところであるが、それにしてもそれらを讀めば自らその道に就いて啓發せらるゝ所が少なくないのである。ことにこの詩歌の道などは科學向きのものと異り別にさう秩序的に種々の準備を經てから讀まなくとも、突然讀みついて相當に理解することが出來る便利がある。
同時にこの詩歌の道は一面また科學向きのものと異つていかに秩序を立て準備を積んで説明し教導しようとしてもどうしても理解の出來ぬところがある。即ちその人自身直接に體得せねばならぬ――理論や説明からでなく、自己の直覺から自ら悟らねばならぬ極めて微妙なところがある。そのためには千百の議論や説明を聞いてゐるより、先輩の作つた作物それ自身を讀むことによつて、その作物の底にひそんでゐる靈魂に自ら觸れることを心がくべきである。また、讀む方の心がけひとつでは實に容易に、實に直截《ちよくさい》にその靈魂はその作物――書籍から讀者の靈魂に通じて來る。また、それでこそ詩歌の難有味はあるのである。
以上、私は行きがかり上方便として餘りにためにするための讀書をのみ説いて來た樣である。さう功利的にのみ讀むことは實は眞實の讀書の意旨には適つてゐないのだ。たゞ讀みたいから讀む、讀んで難有いから、樂しいから讀む、といふのが眞實であらうと思ふ。まつたく讀書の樂しみを知つた人は一生それから脱することは出來まいと思ふ。靜かに自己の愛する書籍に面した時、(16)心は油を得た火のやうに徐ろに燃え入つて、其處に一個の絶對境を作る。疲れてゐた心は蘇り、涸れてゐた靈は潤ふ。
農家のための言葉であらうと思ふが、『晴耕雨讀』といふ私の好きな一句がある。晴れては野に出でて耕し、雨降れば窓を閉ぢて書に對するといふのである。いゝ言葉ではないか。私の好みとして若し斯うして一生を送り得たら申し分はないと思ふ。
第四 何を、如何に讀むべきか
先づ歌を讀め……古今萬遍歌千首……現代の歌……了解と感興……感興より詠歌……萬葉集……歌の作法書……歌以外に何を讀むべきか……貧しき靈富める靈と歌……藝術としての歌……讀書の態度
讀書の效能と樂しみとをば説いた。サテどんな書籍を、どんな態度で讀むべきか。
先づ歌の本を讀むがよい。歌だけ集められたいはゆる歌集を讀むがよい。作法書(本書の如きもそれだが)や註釋書ごときものもあるが、歌といふものに少しも親しまなかつた前には却つて解り難いかも知れぬ。解つても解らなくても、兎に角に歌といふものを讀むがよい。昔の人は『讀書百遍、意おのづから通ず』と云つて居る。眞實である。解らないのは解らないなりに繰り返し(17)繰り返し讀んでゐるうちに自然と何か知ら其意味に觸れて來るものである。また『古今萬遍歌千首』とも俗に云ふ。古今集を萬遍繰返して讀んでゐるうちには自づと千首の歌が詠める、といふのである。古今集に就いては異見もあるが、讀書の功を説いたものとしては同感である。
歌は古代のより先づ現代のものを讀むがよい。第一その方が解り易くもあるし、年代といふものに壓迫されない(人は何か知ら古いもの、昔のものを難有がる習癖を持つて居る)親しきをも持つことが出來る。
現代のを讀むのはよいが、實を云へば現代の歌はまだ大成したものではないやうだ。幾つも流派があつて、幾人かの秀でた歌人がめい/\に根《こん》をつくして詠んではゐるが、私の見るところではまだどの流派も、どの歌人も未成品の域を脱してゐない樣に思ふ。みなそれ/”\にかなり露骨なその人獨特の癖を出して(想ふに斯ういふ創設時代いはゞ一種の戰國時代だけに各自が自づと自己に執し過ぎてゐるものらしい。)詠んでゐる。で、初めてこれらのものに讀み入らうとする人は先づその心を以ていづれもの歌集に向ふがよい。
現代では誰の作を讀むべきか。
この質問が直接に私に向つて發せられたのならば私は先づ私自身の作をお讀みなさいと云ひたいが、實は躊躇せらるゝ。自分ながら未成品の甚だしいのを知つてゐるからである。では他の誰(18)のを讀んだらよいか。それにも一寸答へ兼ねる。いざと云つて心に浮ぶ誰の作もないからである。で、誰のでもよい、初めは手あたり次第に誰のをでも讀むがよいと思ふ。さうして讀んでゆくうちには自然と自分の性に通ふ人の歌集に出あふであらう。さうすればまた心を改めてそれに讀み入るが宜しい。また、相當の地位に居る人の作にはそれ/”\の癖はあるものゝ、またそれ/”\に必ず秀でた、長所を持つて居る。これは事實だ。
斯くして一册か二册の、或は數册の歌集を讀んでゆく間には必ずや不用意の裡に歌といふものに對する了解が出て來るに相違ない。充分には解らずとも、何か知らそれに心を惹かるゝのを感ずるであらう。一二册も讀んで寸毫もこの事のないのは、それはよく/\のことだ。その人こそは全く緑無き衆生であるのだらう。若し少しでも心を惹かるゝ節が出て來たならばそれをたよりに一層心をこめて讀むが宜しい。必ずほの/”\と夜の明けてゆく樣に眼の前が明るくなつてゆくに相違ないのである。
斯くして讀み重ねてゆくうちには次第に了解が深くなり、了解が深くなるに從つて自然と自身にも詠んで見度いといふ感興を催すのが人情であらう、自然であらう。さうしたならば遠慮なく詠むが宜しい。今まで讀んで來たことによつて幾らかでも作歌の手ごころ、詠歌のこつといふものも自然に會得せられて來てゐるに相違ない。斯くて一首作つてみれば具體的にその手ごころが(19)解る。一首より二首、三首と重なるに從つて新たな興味も湧いて來やう。それに伴つて次第に作つてゆけばよろしいのである。(後に引く『ロダンの言葉』參照)
手あたり次第に誰のをでも讀め、と云つたが、それも程度問題である。その社會に相當の地位のある、そして出來得べくんばあまり詠風に癖のない人のを最初選むのがよいと思ふ。方今印刷術が普遍的になつてゐるので、さもない人たちまで皆競つてめい/\の歌集などを出して居る。斯ういふ歌集のうちにはどんないかゞはしい、作歌の參考にする上に危險なものが無いとも限らぬ。矢張り相當に注意してその書をば選擇すべきである。
歌集なり、または幾つか出てゐる歌の雜誌なりを通じてほゞ歌といふもの現代の歌といふものが了解出來たならば須らく古代の歌に眼を向くべきである。古代の歌と云つても例の歌の最古のものとして傳へらるゝ素戔嗚尊の『八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣造るその八重垣を』以後二千数百年來に作られた歌を悉く讀まうとしても到底一朝一夕に出來る事でない。また、讀む必要もない。私のここでいふ古代の歌といふ意味は彼の奈良朝時代に編纂せられた歌集『萬葉集』にほゞ盡きてゐるのである。
日本に歌の行はれ出したのは前に引いた素戔嗚尊の一首を初め神代にもかなりあつた。それは日本最初の史書である古事記日本書紀に出て(いはゆる『記紀の歌』がこれである)居るが、歌(20)の形も充分には纒らず、數もまたとびとびで多くない。それが持統天皇より聖武天皇の朝にかけ、柿本人麿、山部赤人、山上憶良等の出づる頃に及び、歌を詠む風俗が殆んど日本の一般に行はれ、上は天皇より下は遊女乞食の輩までこの道に遊ぶ風になつた。その當時の作を集めたものが即ち『萬葉集』である。
謂はゞ萬葉集は、この歌集に收められた歌は、歌といふものが出來るやうになつたそも/\の所以を物語つてゐる樣なものである。歌を知らうとか詠まうとかするにはこの點からだけでも是非一讀せねばならぬものであるが、更にこの歌集はその自分の帶びた使命を充分に果しただけの優秀の作物を收めてゐる。『萬葉集』の次に出た歌集は『古今集』であるが、この集に及んでは多少萬葉集の脈を引きながらも餘程悪く變化して居る。その以後次第に悪くなつて徳川時代に及び多少異色ある作家を出し、更に明治時代の所謂新派和歌に及んで居る。その他その間彗星的に一二優秀な歌人の見えないではないが、先づ歌と云へば萬葉集、それと聊か歌ひぶりが違つて來てゐるが現代の和歌、先づそれだけを讀んで見れば歌の大要は飲み込めると云つていい。
萬葉集は現代よりは千年以上も昔の歌集である。しかも現に我等の使つてゐる仮名文字すら無かつた時代に出來た歌集である。その用ゐられた言葉などに現代に通ぜぬものゝ多いのは道理で、從つて現代のものを讀んだよりも難解である。そのための註釋書も多く出て居るが、最も簡略で(21)要を得てゐるのは橘千蔭の著した『萬葉集略解』であらう。これは活版本になつても幾種か出てゐる、中で博文舘から出版せられた佐々木信綱、芳賀矢一兩氏校訂のものが一等いゝかと思ふ。今一つ、これは同集全部の註釋ではないが窪田空穗氏の『萬葉集選』といふものも出て居る。これは言葉のみではなくその意味をも現代ぶりに評釋してあるので、解り易いには最も解り易からうかと思ふ。これらを讀んで先づ萬葉集の如何なるものであるかを知り、更に『萬葉集略解』により、その他の注釋書(例へば鹿持雅澄著『萬葉集古義』、僧契沖著『萬葉代匠記』などその他)に及ぶもいゝであらう。が、これは特に萬葉集というものに深く立入つて研究しようといふ人の爲すことで、單に萬葉集の歌を讀んで見る、讀んで樂しむといふには『略解』あたりで間にあふことであらうと思ふ。また、萬葉集は元來はいはゆる萬葉假名(漢字を日本の言葉にあてゝ認めたもの)で認めてあるので其儘ではよし振假名がしてあるにしてもいかにも讀みづらい。これを普通の假名まじりに書き改めたものに(もつとも双方とむ短歌ばかりで長歌は無い)千勝義重氏の『萬葉短歌全集』及び土岐哀果氏の『個人別萬葉短歌築』がある。ことに後者は全部二十卷に渉つた各卷から作者別に歌を集めて(人麿の作は人麿のだけ、赤人のは赤人のだけ)あるので讀むに便利なのみならず各個人の特徴を知るに恰好である。その他にも尾山篤二郎氏の『萬葉集物語』、及び正岡子規時代から萬葉研究に努めて倦まない『アララギ』派の歌人たちがあるがこの派(22)の人々のにはまだ一卷に纒まつた著作がないので不便である。
現代の歌と萬葉集とを讀めば歌を讀むには先づ充分である。サテ、その次には何を讀むべきか。
歌の作法書のごときものも讀まぬにはましであらうが、強ひて讀むがよいとは私は云はぬ。現に本書のごときもこれによつて直接に歌を知り、歌を詠むやうにならせようといふより、さうなるに到りやすい方便を説いてゐるに過ぎないのである。歌は要するに自得すべきものである、自ら會得すべきものである。他から説かれ教へられて覺るべき種類のものではない。歌を説いたものを見て歌を知るより、歌を見て歌を知るべきである。
では歌の本のはかに何も讀まなくともよいか。
否、大いに否、讀まねばならぬ大切なものがある。歌以外の文藝上の作品である。
先づ小説である、長詩であり俳句であり評論である。その他哲學上のもの宗教上のもの、すべて人間の心靈に直接關係のある書き物はすべて讀まねばならぬ部類に屬するものである。
歌は心の糧である、と私は前に云つた。が、これは實は第二次の言葉で、云ふまでもなく歌は我等が心そのものゝ現はれである。今少しつきつめて云へば心そのものである。靈そのものである。(云つておく、私は『心』といふ言葉、『靈』といふ言葉、乃至は『生命』若しくは單に『人』といふ言葉を常に同意義に使つてゐる。)故に、心の小さきよりは小さき歌生れ、心の大きなるよ(23)りは偉大な歌が生れて來るのは當然であらう。貧しき靈よりは貧しき歌以外生れ出でず、豐かなる靈には必ず豐かなる歌が生れる。小さき心靈を大きくし、貧しき心靈を豐かならしむるにはどうすればよいか。豐かなる歌偉大なる歌を詠むにはどうすればよいか。
その人の生れつきにもより、その人の經驗にもより、大きくも小さくもなるであらうが、その天稟を助け、その經驗を磨き、更に未知の世界までを窺知せしむることに於いて讀書が最も有效であると私は信ずる。歌を知るために萬葉集を讀め、といつたのも畢竟はこの『人』を知るために、人の心を知るために、己れの心を富ますために讀めといふのと同じことになるのである。|歌を詠むためには〔付ごま圏点〕、といふ直接の目的から方便として先づ歌を讀むやうにとだけ初めに云つておいたが、|歌を詠まうとする〔付ごま圏点〕『心』のために、|歌の生れて來る〔付ごま圏点〕『人』そのものゝために讀むとなると決して歌には限らないのである。限らないのみならず、歌ばかりを讀むために自然と『心』の境界を狹くし、從つて其處から出て來る歌は愈々狹小となつて終には歌の上に最も忌む『形式のみの歌』となりがちである。人間自然の心を離れた、人間本來の生命の根ざさぬ歌となり終る懼れがあるのである。歌のみに執した所謂|歌よみ〔付ごま圏点〕の歌には多くは生氣が無い。歌の源である靈が涸れては生氣のあるべき筈がないのである。|歌としての歌〔付ごま圏点〕、といふより|藝術としての歌〔付ごま圏点〕といふことを常に頭に置いて作歌に從ふべきことを私は勸める。
(24) 前に述べた宗教哲學の書、及び小説戯曲評論等は歌の如く形式に據らずして直接に人間の内生活に肉迫し、問題を極めて自由に取り扱つて居る。それだけ私の謂ふ『心』や靈に對して關係が直接である。で、靈を養ふためには、内生活を豐かならしむるためには、どうしても此等歌以外のものに由る方が便利であり有效である。無論歌そのものもまた此等と同じ意味を持つものではあるが、歌のみに執《しふ》することは前に云つた如き弊があるのである。
宗教哲學小説評論と隨分私は大づかみな物言ひをして來た。それらに皆通曉し得れば大抵の大學者にはなる筈である。さういふ意味で言つたのではない。先づ『聖書』だけを讀んでもいゝ。なまなか哲學概論などをば拔きにして名のある小説を讀むがよい。小説も私は方今の日本作家のものをばこの際あまり勸めたくない。何となれば彼等の方今取り扱つてゐる範圍は極めて狹く、形こそ大きけれ、どうかすると歌よりも更に窮屈な形式主義技巧主義に傾いてゐるかも知れないからである。それより西洋ものゝ飜譯を讀むがよい。原語で讀めれば幸だが、飜譯で結構である。大きなものになればなるだけ、初めは一寸讀みづらいが暫く讀んでゐるうちには手離し難くなるものである。また一篇か二篇を讀んだだけで、これでどれほど自分の心は養はれたらうなどと考ふることは禁物である。|心を養ふ〔付ごま圏点〕、といつてもなか/\範圍の廣い問題で、幾つか讀んで行くうちに自然と『人間』といふもの、『人生』といふものが解つて來る、其處を指していふのであるの(25)だ。これは云ふまでもなく眞面目な讀者には自らに會得せられてゆくことである。
私などは幼い時から好んで種々のものを讀んで來た。隨分くだらぬものにも讀み耽つて來たが、然しどのためにといふことなく自づと眼の前を明るくせられたのを思はずには居られない。いま此處でどういふものをお讀みなさいと、たとへば日本では国木田獨歩のもの、外国ではツルゲネーフのものなどと、あらましのものを勸められないではないが、それでも矢張り遍《かたよ》り過ぎる懼れが無いではない。先づ各自に好きなものをお讀みになるが宜しい。
先づ現代の歌を讀め、次いで古代の歌を讀め、而して轉じて聖書、小説の如うものを讀めと云つた。極めて大づかみな話であるが私の斯ういふ意味は先づ大體ながら『歌』を知り、次いで歌を詠む『人間』を知れといふに外ならぬのである。讀むべき種類は解つたとして、此等のものをどう讀めばよいか、どんな態度で讀めばよいか。
幾度も云ふやうに思ふが、私は説明の便宜として以上を大抵何々するために何を讀めと云つて來た。これはこれを讀んだらこれだけの利益があるぞ、といふ風の云ひかたになり易いが、實はさうとられることは甚だ迷惑なのである。何等かの欲求があればこそ本をも讀む。讀めばまた何等か(例外はあるとしても)獲るところがあるに相違ないのであるが、その獲得すべき利益を先に頭に置いて讀み始めることは甚だよろしくない。著者――書籍に對して禮を失する事にもなら(26)うし、第一さうした態度で讀んだのでは當然獲得し得べきその效果――利益をよう獲ないで終るからである。何となればそんな眼前ばかりの事を考へて讀む樣な心がけでは、色眼鏡をかけて讀む樣では、書いてあることの神隨まで了解することは到底出來ないからである。
一つの書籍に讀みかゝつたならば飽くまでも虚心淡氣、水のやうな心で而も熱心にそれに讀み入るべきである。なまなかな反撥心や批評心やを起すことなく、出來るだけ作者に同情を持つ氣持で讀むがよろしい。そして、表面に露はれたるもの、裏面に隱れたるもの、その書の持つ特色のすべてに餘すところなく觸れゆくやうに讀むべきである。と同時にまた、眼光紙背に徹る、といふ言葉がある、讀みかけたからにはその書の缺點に對しても是非この覺悟を持ちたいものである。善く讀む讀者には自然と斯の結果は出て來ずには置かない。
歌を作らうとする人が他の人の作つた歌を讀む時にかゝりやすい最も惡い癖は、讀み進みながらその歌の趣向やまたは言葉に感心する個所があればそれを直ちに自分の作の上に持つて來ようとすることである。これは強ちに摸倣とまでは行かずとも、最も卑近淺薄なる功利的讀書法である。斯ういふことをしては讀んでも讀んだ甲斐なく、作つても作つた甲斐が無い。僅か眼の前に見える、この句がいゝとか趣向がどうだとか云つて直ちにそれを自作の上に持つて來ようなどとする讀みかたでは到底その作物の本當の味など解る筈がない。それより、靜かにそれを讀み終へ(27)てその歌の根本の價値特色を知悉し置き、他日自作をなす時の參考に供するがよいではないか。
いま一つ惡いのは、兎もすれば他人の作を輕視し、蔑視せむとする人のあることである。これは幾らか眼のあきかけた、いはゆる半可通時代の人に最も多い癖であるが、この小さな我執のために彼は當然受け入るべき光をも幸福をも多くは自分から追ひ退《の》けてゐる。水野葉舟氏も矢張り讀書に關して次のやうに云つてゐる。
元來騷がしい心、反撥し易い心、素直でない心を持つてゐる人は不幸である。誰でも自ら養はむとするならば、いつも靜かで素直な心を持つてゐるやうに心掛けたいものである。激動し易く反撥し易い心は、健かな心ではない。また強い心でもない。強い心は、靜かで、素直である。その靜かな心で人の言葉を聞き、それをよく判別し、味ひ、その値を噛みしめてゆけば、おのづからその人は自分を養ふことが出來る。
と。悉く私もこれに同感である。
あれこれと拾ひ讀み、飛び讀みをすることもいけない。これでは心のおちつくひまはない。落ち着かぬ心にどうしてものを充分に咀嚼し吟味する力があらう。
尚ほ最後に、何から如何讀み始めてよいかわからぬといふ氣持にもよくなりがちなものである。それに就いて同じく水野葉舟氏がロダンの言葉を引いてさうした際に於ける注意を呼んで居らる(28)るのを此處にも引いてみる。
『――何處から始める。
――初めはない。諸君の行き當つた所からおやりなさい。最初諸君の目にとまつた所に立ち停りなさい。そして勉強なさい! 少しづつ統一がついて來る。方法は興味につれて生れて來やう。最初見た時は眼がいろいろの要素を解剖的に分解するが、やがてそれは互に投合して來て全體を形づくる。(高村光太郎氏譯「ロダンの言葉」より)』
『|方法は興味につれて生れて來やう〔付ごま圏点〕』この一語は讀書法のみならず、讀書より一歩進んで實地に於ける詠歌法に就いても實に適中してゐる。然り、方法は興味につれて生れて來やう!
附記、本章のみならず本書中に引いた書籍には一々發行所を明記しないが何れの書籍でも東京神田表神保町東京堂書店に問合せられれば大抵手に入れ得ると思ふ。
第五 摸倣可なり
藝術と摸倣……道程としての摸倣……練習としての摸倣と摸倣のための摸倣……發表慾と摸倣……摸倣境の脱却
私はいま作歌の初歩として努めて他の人の手に成つた歌を讀むことを勸めた。讀み讀むに從つ(29)て自身に作歌の興の湧くことを述べた。そしてそれに乘じて親しくみづから作るべき由を説いた。斯くして作られた歌に先づ現れて來るのはいはゆる摸放である。
本來から云へばこの嚴肅なる藝術界に於て摸倣のごときが許さるべき道理はない。すべての藝術はいづれもみなその作者自身のものであらねばならぬ、作者自身の現はれであらねばならぬ。摸倣とは元來自己を失くして他の形を假ることである。自己の現はれであるべきものに初めから自己を失くしてかかるごときが許さるゝ道理は無いのである。が、此處に歌を作る上に於ける一道程としての摸倣といふものがあると思ふ。
元來他の人の作つたものを見て自身にも作つて見る氣を起すことからして摸倣ではあるまいか。それは先づ作歌の根本義――内容に於ての摸倣であらう。サテ親しく作らうとするに際して矢張り前に讀んで、心を惹かれたものゝ句の調子なり事柄なり、言葉なりに就いて自然とそれに類似のものを用ひようとする傾向の生ずるのは止むを得ぬことであると思ふ。充分に作歌の手ごころの解らぬ時に於てことに然りである。私はこの時代に於ける摸倣は少しも恥づるに及ばぬこと、寧ろ進んで摸倣すべきであるといふほどに思つて居る。
まことに摸倣は作歌道に於いて一度は經なければならぬ一階段である。讀書が作歌を誘ふ一機縁であるならば、摸倣はまたその道に於ける練習の一であらう。試みにいま歌壇に立てる大家の(30)一人々々に就いてその人の過去にこの摸倣時代のあつたか無かつたかを問うてみるがよい。恐らくは一人として否と答ふる人はあるまいと思ふ。寧ろ或る可懷《なつか》しい思ひを以てその過去の一時代を語り出づる人があるかも知れぬ。摸倣をしなくてはゐられなかつた時代は一面最もその人がみづみづしい作歌慾に促がされてゐた時代であつたかも知れぬからだ。
さういふ摸倣は實に|おのづからなる〔付ごま圏点〕ものである。知らず/\他に眞似て居たといふものであらねばならぬ。これは前云ふごとく最も無理のないものであるが、また斯ういふのもあらう。『ひとつ自分もあれを眞似て作つて見よう』といふ意識して爲すところの摸倣である。私はこれまた許さるべきであると思ふ。つまり前に云つた如く|練習の一として〔付ごま圏点〕である。人眞似ながら兎に角一つなり二つなり作つてみれば幾らか呼吸がわかる。續いて幾つか作つてゐるうちには漸く完全に飲み込めて來て、サテもう他の厄介になつてゐなくともよいといふ時期に到達すべきであるのだ。
右云ふごとき摸倣は捨てゝおいても自然に直つて來るものである。否、とても他の摸倣などしてゐられない眞正の創作慾が自然と自己の身内に燃えて來るからである。斯くてこそ即ち『摸倣は許さるべきもの』であるのである。空しく手を束《つか》ねて眺めてゐるより寧ろ進んで人眞似なりにも作つてみるがよいといふ所以であるのである。
此處にひとつ困つたことがある、それはこの摸倣といふことが全然摸倣それ自身を目的として(31)行はれやすい一事である。摸倣せむがために摸倣するといふ憎むべく憐れむべき傾向がやゝもすれば行はれがちなことである。
摸倣性といふものは人間には生れながらにして備はつてゐるものらしい。かの子供たちを見れば解る。が、それは要するに無自覺の間のことで、子供にしろ少し物ごころがついて來れば大抵な物眞似は止めてしまふ。それであるのにいゝ年をして、しかも人一倍ものごとの解つた、高尚な心を持つて居るべき筈の歌人がこの摸倣性を抑制し得ないとは嘆かはしき限りである。況んや歌人の摸倣は多くの場合單なる摸倣でなくて盗癖を帶びてゐることに於てをやである。
これらは要するに|歌を詠む〔付ごま圏点〕といふ事に對する無自覺から來るのであらうが、右云つた方便として階段としての摸倣をいつの間にか習性となし、その安易に慣れて其處から脱出する意氣を缺いてゐるのにもよるであらう。また、|歌を詠む〔付ごま圏点〕といふ自分だけのための事業を忘れて、詠んだらば直ぐそれを他に示さねばならぬもの、示すべきものといふ風に思ひ違へてゐるやうな所から自然さう思ひながら無理をして斯ういふ横道へ踏み込む者もあるだらう。自分だけで作るもの、他へ示すはそも/\の末であるといふ考へを初めから持つやうに習慣づける必要を斯ういふことに關しても思ふのである。彼の懸賞に應ずるために他を摸倣するごときは性質最も下劣なもので、沙汰の限りである。
(32) 初めから摸倣しなくてすめばこの上のことはない。が、右云ふごとき階段として、練習として爲さるゝ摸倣ならば差支へないものと私は思ふ。但し、斯ういふ意味で自分はいま摸倣時代に在る、といふことを自ら心に深く記して置く必要がある。そして一日も早くその境地から拔け出づることを心がくべきである。また、斯の時代の作品はたゞ練習品たるに止まつてその人自身の眞實の作品でないことをも承知しておかねばならぬ。
第六 題詠
題詠の起り……題詠の弊……作歌上の一階段……經驗と題詠……題詠と配合……練習としての題詠
題を出して歌を作る、即ち題詠といふことは近來は殆んど廢れて來て(いはゆる舊派の方では盛んにやつて居るけれど)、よし行ふにしても一種の座興か餘興のごとき風にのみ行はれてゐる。これは極めて自然なことで元來題詠といふものゝ起つたのは平安朝の頃に朝廷に『歌合』といふことが行はれた、これは歌を材料にした堂上人《だうじやうびと》の一種の遊戯で、その歌合の歌はみな題詠であつたのだ。そして後には歌は悉く題詠といふ風になつて來て、そのためかあらぬか次第に生氣を失し、造りもの臭くなつて來たのである。
(33) 題詠の弊は歌を一種の型に入れることにある.自由自在なるべき人の心を束縛して、わざとらしい、いはゆる月並な歌しか作らしめないやうにする。しかして後、終《つひ》にはその『不自由』を一種の安息所と心得るやうになり、その中で安價な慰安を求めようとする。即ち遊戯としての詠歌を樂しむやうになりがちなのである。新たに新しい歌(といふと語弊があるが即ち藝術としての歌)を詠まうとする者は心して斯ういふ危險に近づかないやうにするがよろしい。
けれどもまた斯ういふ場合がある。初め歌を詠み始めようとする時など、唯だ漫然と詠み始めようとしたところでいかにも捉へどころが無いので途方に暮れるものである。さういふ場合に『菊』とか『梅』とかいふ題があるとすれば、まがりなりにも菊なり梅なりについての想をまとめ得ることがある。乃ちこの題詠といふことも前に述べた摸倣と同じく、作歌の一階段として暫らくこれを借り用ゐるも強ち惡いことではないと思ふ。然し、今いふ通り題を設くれば兎に角詠み易いため、いつかその易きに馴れて、やがて心からこの題詠を難有がるやうにならぬとも限らぬ。さうなれば即ち俗にいふ人參|喰《く》つて首くゝるのと同じ結果に陷る。何處までも一方便としての題詠であると意識してかゝらなければならぬ。そして一日も早くその幼い境地から脱け出ねばならぬのである。
また、斯ういふこともある。我等は行住座臥の間に詠歌の材料ともなるべきかなりいろ/\な(34)ことを經驗しているのだが、それが形を成さぬうちに大抵は影を消してしまふ。たとへば菊の花を見るにしても、種々の場合に見て種々の感じを抱いたことがあるに相違ない。が、その時々別に一首の歌に詠むといふほどのこともなく過ぎてしまつた。が、いま『菊』といふ題に接して過去のことを振り返つてみると當時の印象がその當時よりも却つて明瞭に蘇つて來るものである。
で、さういふ意味で自分自身にこの『題』を課して詠んでみるがよい。題を置いて|心を其處に集めて〔付ごま圏点〕みると思ひのほかにはつきりと恰度寫眞機のピントがよく合つたやうな鮮かな印象を舊い記憶から拾ひ出すことがあるであらう。斯ういふ場合、かりに題詠とは云つてもその題は假物で、實際は矢張り自己の經驗を主としたものであるのである。これらは題詠の善用とも云ひ得るであらう。『鶯宿梅』とか『松上鶴《しようじやうのつる》』とかいふと我等には極めて陳腐な、わざとらしい、不自然な感じを誘ひやすいが、然し斯んな題を流行らせた最初の人には鶯は矢張り梅にとまつた姿が一等よく見えたのかも知れない、またそれが自然であつたかも知れない。が、なるほど鶯は梅の枝にとまらせるに限る、といふ風に直ぐ他がそれを眞似るやうになつては鶯も梅も共に『自然』に根を斷つて死んでしまふ。斯ういふ風に自然物を自分の好むまゝに都合よく按排して、|配合して〔付ごま圏点〕、一首の歌に作り上げることは甚だよろしくない。また、この配合の弊は題詠に最も多く出て來がちのものである。よし題詠にせよ、決して斯く頭で按排した趣向の歌をば作らないやうに心がけたいものであ(35)る。何處までも自然に出でたいものである。目さき手さきの利く小器用な配合歌より、間の拔けた自然の歌の方がどれだけどつしりした氣持のいゝ――確實な存在性を持つてゐるか知れない。
斯ういふ見地から初心の人たちが集まつて歌を作り試みようとする場合など、練習法の一としてこの超詠を採るのは適當である。
題が出たならばその題に心を集めて、それに關聯した自己の經驗記憶を考へ出すがよろしい。そしてそれを一首に纒めるか、若しくはその經驗や記憶から推し進めて一の新しい想像の歌を作り出すもよいであらう。(その際、いはゆる配合の歌になり易いから注意すべきである。配合の歌とは謂はゞ材料のみの歌で作者の精神の籠つてゐないものゝことである)。また、あゝ詠み度い、斯う詠みたいと氣ばかりあせつても言葉が自由にならぬのは誰しも經驗することである。この言葉を自由にする方法としては矢張りなるたけ澤山詠み試みるがよい。それには題詠などが便利である。
第七 寫生
やゝ進める繚習としての寫生……歌と材料……詠む態度と詠む技巧……感興を呼ぶ一法……靜かに視よ……作例二三
(36) 練習としての題詠を説いた。が、題詠は何と云つても窮屈だ。詠みよいとはいふものゝ何しろ一つの題についてあちこちと心を走らせねばならぬ。少し作歌の程度が進んで來ると、自然とこの題詠には倦いて來るものだ。つまりそれだけ不自然なところがあるのであらう。其處へ來ての練習として私はいま『寫生』といふことを勸める。
歌が作り度い、といふ氣持がしてサテ作る手蔓を得るに苦しむといふ場合がある。その時には手帳を懷中にして戸外へ出るがよろしい。
作り度いといふ一種醗酵した氣持の時、眼に觸るゝものは大抵作歌の材料となり得るものである。昔の歌、即ち舊派の歌などに於ては『何の歌を作る』といふことが先づ問題であるやうだが、新しい歌ではその『何の』といふのは殆んど問題にならぬ。即ち材料は何でもいゝのだ、唯だ作る人の心それ自身が問題であるのである。『何の歌』は問題ではないが『何う詠むか』『どんなに詠むか』が問題である。即ち詠む態度と詠む技巧とが主となつて居るのである。で、詠み度いといふこゝろが萌してゐる時には、あまり材料に選り好みをしてゐないで、先づその詠み度い心を滿足さすまで手當り次第に作るがよろしい。門を出ると桐の木がある、その桐の白い幹を詠むもよろしい。桐の根もとには大きな新しい枯葉が落ちて居る、その落葉を詠むもよろしい。その落葉の蔭には白い※[草がんむり/(揖の旁+戈]草《どくだみ》が咲いてゐた、それも充分に歌になる。花のかげの地は微かなしめりを帶び(37)て朝の日影を受けてゐる、それもよければ、その地の上を這つてゐる小さな名もない蟲、その蟲を追つてゐる蟻といふ風に心のまゝに詠み進むべきである。何を詠んでいゝか解らないと云つて苦しむのは愚かである。詠み度いといふ心が出れば――それはなか/\貴重な大切な心である。――その心の消えぬうちに何でも先づ詠むべきである。若し室内にゐてその材料に困つたならば、右いふ如く室外に出かくるがよろしい。(室内でも大抵の材料にはことを缺かぬものであるが。)そして靜かに眼の前のものに心を留めて一首々々と詠むがよい。
また、その『詠みたいといふ心』を誘ひ出すべき必要のある時がある。即ちその下地はあつてもまだはつきりと詠みたいとまで心の纒らぬ時である。そんな時にも私はこの『戸外に出でよ』と『寫生』とを便利とする。
先づ、|ものを靜かに見よ〔付ごま圏点〕、と私は云ひ度い。何でもよい、門に續く杉垣の嫩芽《わかめ》、その側に立つて静かにそれを見つめてゐてみよ、心は次第に洗はれて來るに相違ないであらう。疲れた心にはかすかな活氣を感じ始め、鈍い心には次第に感觸が生じ、見る眼を通じて心は知らず/\新鮮になつて來るものである。さうして捉へどころのなかつた、纒りのなかつた心に次第に纒りがついて來る。心に目鼻があいて來る。其處で『詠まう』と思ひ立つて見れば大抵は效能のあるものである。ものを靜かに見てゐよ、といふのは謂はゞ一の精神集中の法かも知れない。
(38) 單に斯うして心を纒めるために見るのでなく、一歩進んで眼で見るまゝを一首に纒めようと努めて見るもよろしい。さうして出來たのが必ずいゝ歌だとはゆくまいが、物を見る眼を養ふために見たままを歌に詠む練習をなすために、初めさうしてゆくのもよい事と思ふ。うまく行くかどうか知らないが、いま斯うして此處を書きながらその流儀でひとつ私がやつて見ようか。
庭さきに萩と薄とが植ゑ込んである。萩はすつかり散りはてゝ薄のみ二三本の穗を高く拔いてゐる。
萩の花はや散りはてて薄のみひとり咲けども淋しくぞ見ゆ
久しくも咲きゐし萩の散りはててこの草むらのすすき穗に出づ
その向うの杉垣はいま恰度秋のわか芽を出してそれに散り遲れた糸瓜の花が咲いてゐる。
杉垣の秋のわか芽の葉のかげに糸瓜の花の色冴えて咲く
見ればその杉垣には雀が遊んでゐる。
杉垣の下葉は括れて秋の日のあきらかなるに雀あそべり
など、いづれも前に云つた景樹の『それそこに豆腐屋』式ではあるが、眼に見るものゝ大抵が歌になるといふことはこれでも解ると思ふ。歌! といふと大層むづかしいものゝやうに固くなる癖はいけない。平かに、靜かに、常にその心を澄ませておいて、眼の前の草にでも小鳥にでも(39)
徐にものを云ひかくる氣持で作れば案外に易々《やす/\》として作れるものだ。
此處に云つた『寫生』は咋今歌壇でむづかしく論議せられてゐる『寫生論』とは違つてゐる。これは唯眼の前のものをよく見て、直ぐこれを歌に詠む練習をせよといふまでゝの『寫生』である。
第八 散歩及び旅行
心を新しくせよ……手帳と鉛筆……散歩の方法……船室車窓……想像と實際……佳景と佳歌
いま説いた寫生の方法を少し押し進めて行くとこの散歩となり、族行となる。
氣を變へる、心を新しくする、といふことは作歌の上には大切なことである。机に向つて考へ倦《うん》じた際など、ぶらりと戸外に出て冷たい風に吹かれると先刻《さつき》頭の痛くなるはど考へ込んだ時にはどうしても出來なかつた微妙な歌が殆んど無意識に心に浮ぶ事などあるものである。何か用事のある時など急いで路を歩きながら、あとから/\と歌の出來ることもある。で、歌ごころのある人は一寸出るにも手帳と鉛筆とをば離さないがよろしい。ひよつと心に浮んですぐ消えてゆくやうな歌に、なかなか棄て難い佳作が混つてゐるものである。歌はその歌はれた材料や趣向より(40)その言葉その調子が常に主なものであるが故に、ひよつと心に浮んで消えるといふ歌などをばその出來た時々に何かに書き記して置かないと初め自然に心から漏れて來た微妙な調子をば直ぐ逸してしまひがちのものである。斯う/\いふ趣向の歌ではあつたがとその歌の筋をばあらまし覺えてゐてもそれは多くは役に立たない、筋だけでは最初心に浮んだ時の微妙な心持がなか/\出ない。その心持といふものは大抵言葉や調子の上に含まれてゐるからである。散歩に限らず、夜床に就いてから思ひがけず歌の出來ることなどある。そんな時には直ぐ起き上つて紙筆を用意すべきである。明朝起きてから、などと考へてゐては大抵失敗する。
散歩は先づ獨りの方がよい。雜念を除いて徐《おもむろ》に歩む。歩むにつれて心は次第に統一されて來るものである。さうした時、初めは少し無理でも一首二首眼前の何でもを材料として詠んで見るがよい。初めその一首二首の間は一向面白くなくともさうして續けてゐるうちにはわれ知らず感興が湧いていつか本氣になつて作り出すものである。散歩ごとに必ずさうだとはゆくまいが、多くさうなりやすい。いつのまにかまたさうした癖もつくものである。初めは努めてやつて見なくては駄目かも知れない。兎に角實地にやつて御らんなさい。
旅行は散歩の大なるものである。汽車の窓、汽船の室、またはぶら/\と山を越えながら、次第に移りゆく大きな景色を眼にしてゐると努めずとも作り度くなるのが當然であらうが、さうで(41)なくとも前に云つたやうに最初二三首強ひても作つて見ると自然それに誘はれて作り度くなつて來るであらう。また、繪葉書や手紙の端などに何の氣なしに書きつけて出した歌に極めて自然な、佳い作を見ることもある。
散歩にせよ旅行にせよ、兎に角に餘りに心を騷がせてはいけない、餘りに思ひ昂《あが》つてはいけない。自然に湧き上つて來る感興をも力めて抑ゆるやうにして靜かに一首二首と詠んでゆくべきである。作者自身餘りに昂奮してしまふと、出來る歌は極めて粗雜な、概念的なものになりがちである。それは、どうかすると居ても立つてもゐられないやうな昂奮を覺ゆることがある。私としても折々さういふことに出會つた。ぢつと坐つてゐて手帳に歌を書きつけてゐられない、で、私は立ち上つて(相模三崎港の宿屋の二階で)部屋中をそろそろと歩き出した。けれど、力めてその自分みづからの昂奮を噛み味ふやうな氣持で、やゝ遠くに置いて眺めるやうな氣持で、手で觸るのも恐いやうにしてその感興を守りながら三首五首と作つて行つた。一度は武藏秩父の奥の溪間を歩きながらこれは三日間に亙つて續いた感興を守りながら詠み耽つたこともある。斯んなにして歌が出來出すと自分ながら何だか神々しい氣に滿たされて、自分自身のこともなか/\かりそめにはよう扱はないものである。
昔の言葉に『歌人《うたよみ》は居ながらにして名所《などころ》を知る』といふことがある。これは秀れた歌人はよく(42)直覺を以てまだ見ぬ遠い土地の景色をも知ることが出來るといふ風にも解せられるが、事實はさうでなく、即ち概念を以てその景色を想像し、そしてそれを歌に詠み得るといふ事に當るらしい。甚だよくない言葉である。概念で以て世に名所と謳はれてゐるやうな大景を歌はうとしたところで到底出來るものではない。たとへば富士山が中空に聳えて、その中腹に白雲がたなびき、麓には松原が續いて居る。松原の蔭には波が寄せてゐるといふ景色を概念で頭に描くとする。そしてそれを一首に詠まうとする。それはさう困難なことではないかも知れぬ。かりに、
波寄する松原のうへに白雲のなびきて富士の峰晴れにけり
としてみると、とにかくに右云つたゞけの景色は詠んである。が、歌としては少しも出來てゐない。つまりさうした景色だけは眼に見えるが、一首の基調を成すべき作者の心といふものが少しも動いてゐないからである。矢張り實地に見て實際に感じた所を歌はなくては駄目だ。
また、初心の人は何でも仰山に歌はなくてはならぬものと考へてゐる傾きがある。これは『歌!』といふと直ぐ固くなるのとほゞ同じで、景色の歌を詠むとすればそれがどうしても餘程秀れた絶景佳景でなくてはならぬやうに思ひ込む癖である。これも大變に間違つてゐる。前にも云つたやうに歌に詠むに材料は問題ではなく、常に作者の心が問題であるのだ。作者の心がよく澄んで、よく張つて居れば――充分に感動が發して居ればよいのである。だから感動もなくて強ひて拵《こしら》へ(43)た富士山の歌より充分な感動を以て詠んだ名もない丘の方がよい歌になるのである。景色のよいのに心を動かされたから佳い歌が出來た、といふのならば當然だふぁ、景色のよい所が詠んであるから佳い歌だとは決して云ふことは出来ない。心すべきである。
第九 同好の友、會合及び囘覽雜誌
一夜百首……歌會……點取りの面白味とその弊……即題と兼題……囘覽雜誌
獨りで靜かに勉強するのもよいが、それは餘程後の事で初めの間は勉強仲間があつた方がよいやうだ。自然にさうした仲間が出來ることもあらうし、『自分は此頃歌を始めたが、どうだ君も一つやつて見ないか』といふ風に勸めて見るやうな場合もあらうし、または雜誌の上などで知合になつた仲間もあるであらう。萬事につけて獨學より便利なことのあるのは他の學問などと變りはない。
お互に歌集其他持つてゐる書籍を見せ合ふとか、種々作品上の話を爲合ふとか、お互に作品を見せ合つて批評をするとか、一緒に集つて作り試みるとか樂しみながら勉強することが出來る。此頃ではあまり流行らないけれど、一時は歌壇の先輩達の間にも一室に集つて各自に一夜百首詠を試みるなどといふ事がよく行はれた。單に練習のためにもなるし、また、初めは練習や座興の(44)つもりで始めたのがわれ知らず感興を呼んでツイ眞面目になつて作り出すことがある。最初二首三首、または五首十首作つてゐる間は強ひて作つてゐてもその間に心が統一され、自然に感興が湧いてそれから本氣になつて作るといふのはよく經驗する事である。一夜百首詠などといふことは後になると億劫でやれないものだが、若い間初歩の間にはなか/\面白い事だ。仲間でも無くば單獨では一寸やりにくいが、さうした仲間があるならばやつて見るがよい。題を幾つか出してやる事もあるし、題無しで自由に詠み競ふ場合もある。出來のよしあしは別としても百首揃つて出來上ると誠によい氣持のものである。また、百首も作るうちには自然氣に入つたのも幾つか出來るであらうし、さうして作り重ねてゆくうちには作歌の呼吸に就いて自然に會得する所があるものである。
百首でなくとも仲間が集つてする競詠の一方法として|點取り〔付ごま圏点〕といふ事も行はれる。これは大抵最初に題と作る時間とを限つて置いて行ふやうだ。題を出すのはその席にある先輩が混つてゐたならばその人に出して貰ふし、でなかつたらば合議の上で時季のものとか何とか適當なものを選ぶとか、またはその場に在り合せた書籍を手當り次第に開いてその頁の中から題になりさうな文字を拾ひ出すとかいふ風にして定める。題がきまつたならば時間をきめる。三題一首づつ(即ち三首)一時間とか、五題(數無制限とすれば出來たゞけであるがこれは不便である。矢張り一題(45)一首づつ位ゐがいゝだらう)二時間とかいふ風にだ。そしてその時間が來たば出來たゞけの各自の歌を集める。集めた歌をば豫め誰を幹事と定めて置いて題ごとに紙を別にして清書させる。(これは筆蹟により作者の解らぬやうに)。その間に他の幹事は選歌用の紙片を各自に配る。配られたその紙片に各自は名前を認めて置く。その間に清書が濟めばその歌に番號を打つて各自の間に順次に廻すのだ。廻された人たちはそれらの歌をよく讀んでみて各自の好みに從ひ豫め定められた數(大抵三首づつ選ぶのが常だが、集つた人の少ない時には五首位ゐにせぬと選の點數の纒まらぬことがある。)だけの歌をその中から選んで(歌全部を書きぬくのはめんだう故その歌の上に記された番號だけを書く。)前に渡された選歌用の紙に認め、それを幹事に渡すのだ。幹事はそれを全部受取つた後、一枚々々づつ大きな聲で讀み上げてゆく。たとへば『何誰選《なんのたれせん》』と先づ選者の名を云つておいてそれから『何番』、『何番』と選まれた歌の番號を讀み上げる。スルト今一人の幹事はその時その前に清書された歌の紙を持つてゐてその何番といふ聲に應じてその番號の歌を讀み上ぐるのである。讀み上げらるゝとその歌の作者は『何誰《なんのたれ》』と自ら自分の名を名乘る。斯くしてこの歌には一點だけ點數が入つたわけである。(そのやうにその歌の上には點數を、歌の下には作者の名を書き入れる)。斯うして讀み上げてゆくに從つて佳い歌には自然に點が澤山入るので誰のどの歌が何點で最高點、次點がどれだといふ風にその成績を見て樂しむのである。これ(46)は練習といふよりたゞ『樂しみ』といふべきもののやうだが、初歩の間はまつたく面白いものである。これにより作歌欲を誘はれることが少なくない。斯うして樂しみながらに作歌熱を増進させてゆくのもよいことだと思ふ。たゞ注意すべきはこの點とりの時、點のとりたさ一杯でいろいろきたないことをする人があるものである。たとへば先輩の歌を摸倣したり、剽窃したりする如きである。これはいけない。これでは折角の練習のためといふ目的が全く零になつてしまふ。また斯ういふ席上で選ばれる歌は多くは器用な眼さきの利く歌が選ばれるものだから、自然つとめてさういふ歌をのみ作らうとする、これも、躬《みづか》ら進んで病弊に陷るものである。斯ういふ際にも矢張り虚心平氣自分の信ずる歌を作つて居るだけの信念を持たなくてはいけない。遊戯のための歌よみとならぬやうに心がけねばいけない。
此處に云つたのは『即題』、即ちその席で題を出して作るのだがこの外に『兼題《けんだい》』といふのもある。これはその時の幹事が會の數日前に題と歌の數とを定めて各自からそれを取り集め置き、會の日までに清書をも濟ませて置いてサテ後は右いふごとく集つて共選するのである。また一切題を定めず、近詠何首づつを『持寄り』といふ風にして行ふのもある。
この點取りよりやゝ研究的なものに『囘覽雜誌』といふを作る法がある。
囘覽雜誌と云つてもそれを作る方法は幾つもある。たとへば單に各自の作品だけを集めて一册(47)に綴ぢ、それを順次に囘覽するといふのもあらうし、またその卷末にその批評や雜感を書きつけるやうにするのもあるであらうが、初歩の人には最も興味深く且つ利益になると思ふ一法を御紹介しよう。幸ひさうした囘覽雜誌を作つてゐる人達の一册が手許にあるのでそれを見本にする。
豫め幹事を定め、その幹事は囘覽雜誌をやらうといふ仲間から三首なり五首なりの數を定めて歌を寄せ集める。そして一册の帳面を作つてその一頁の右端に(次の表に於ける星闇の如く)一首づつ書きつける。斯くして全部の歌を帳面に書きつけたのをば順序を作つて各自に囘覽さすのである。これは毎號二度づつ廻すのであるが、第一囘に廻す時には單に歌のみを記して作者の名をば書かずに置く。それを受取つた各自は右の表に於けるA、B、C、(實際はいづれも本名を記す)の如く順次にそれぞれの歌に對する批評を書きつけて次ぎ/\へ廻すのである。斯くして第一囘が一巡し終つたらばそれを幹事の手に戻す。その時幹事はそれまで自分だけ知つてゐた作者の名を歌の上に(表に於ける白木茶花の如く)朱書する。そしてそれを今一度會員に囘覽さすのである。各自はその時に初めて作者の名を知るので今迄はそれを知らなかつたゝめ批評も遠慮なく出来るといふわけである。
これは研究にもなるし興味も深い。五六人も集つてゐる人たちには私はよくこれを勸める。斯くして眞面目に研究し合つてゆく間にはお互に知らず知らず啓發される所が少なくないもので
(48)白木茶花 星闇の濱邊に立ちて物思へば三崎の山にいなびかりすも
(A) 惡い歌ぢアないと思ふ、三崎の山の見える邊に曾遊の經驗があつたら一層この歌になつかしさを覺えたゞらうに。
(B) 感激が足りない。
(C) …の〔付○圏点〕…に〔付○圏点〕……の〔付○圏点〕……に〔付○圏点〕の|のに〔付○圏点〕が耳にさわる、立ちてと云つたのを受けて物もへばはあまり大まかな云ひかたすぎる、稻光といふ焦點に生命がうすい。
(D) 恐しい自然である、人間の弱さがしみ/”\感ぜられる、恰度惡魔の響の樣だ、けれど私はそれを悲しまない、たゞ生きて行けばそれでいゝ。
(E) 成程感激が足らぬやうです、しかし佳い歌ですネ。
(F) 印象が電信略符の樣に羅列されてゐるやうに思はれて至極つまらない、「物もへば……いなびかりすも」といふあたり、益々くだらなくさせてゐる。
(49)ある。
第十 先輩に就いて
第二期か……單獨の勉強……先輩に就く……師弟關係
同好の友人同志で勉強しながら滿足の出來てゐた時代は多く最も樂しい時代であるやうに思はれる。ほゞ同じ程度の人たちがめい/\お天狗になつてわけもなく唯だ無闇に作つては喜んで居る。が、その時代も餘りに永くは續かないやうである。さうしてゐる間に次第に作歌上の種々の疑問に出會つたり、または自分自分の才分に疑ひを抱くやうなことにもなる。或はまた同輩間の作歌能力や批判能力に慊なくなつて獨り其處から脱け出ようとするに到る。
それからは單獨に一層深い研究創作に志す人もあるべく、その間に自分の私淑してゐた先輩に就いてその人と共に更に新たなる努力を續けようといふ人もあるであらう。或はまた右いふ作歌上の疑問や、自己の才分に對する疑問を徹底さする事なくして其儘あやふやに中止してしまふ人もあるだらうし、または甘んじてその程度で停つてしまつでそれからはたゞ遊戯骨董のやうに歌を玩ぶ如き人もあるであらう。謂はゞこの時期は作歌行程の第一期の終りに屬するもので、今まで殆んど無意識に自然の力に驅られて來た作歌欲が漸く盡きてこれから朧げながら自ら意識して(50)作り出さうとする時期に際するものゝやうである。すべて物の變遷期に起り易い種々の危險はまた作歌上のこの時期にも起りがちである。
その時に際して最も安全な、また賢き方法は自己の信ずる先輩に就いて更に新たなる歩みを起すことであると思ふ。單獨で自己の路を開いて行く、といふのは云ひ易くして行ひ難い事である。少なくともまだこの時期にあつては早過ぎる。斯ういふ人に限つて妙に獨りで思ひ昂つて一種病的な、ひとりよがりのものを作つて自然に伸ばして行つたらば充分に伸ぶべき折角の自己の才能をも殆んど故意に自分から枯らしてしまふものである。そして徒らに他を罵り、強ひて自ら高うし、次第に自己の惡い殻を作つてゆく。痩我慢の強いだけ、斯うした人はさうした際に於ても救はれる機會が少ない。
先輩に就く、といふうちにも種々あらう。單に斯界の先輩だから、といふものもあらうし、個人的の縁故から近づいてゆくのもあらうし、その人の人格や作物を信じて進んでその下に就くのもあるであらう。いづれもよろしい、いづれにせよ、その人に就いたからにはよく心を平かにして其處に安住し、その人の才能を知り明め、その人から受くべき感化をば充分に受くる樣に常に己を空しうして仕うべきである。そして少なくともその先輩の持つて居るだけの才能までには漕ぎつける覺悟を以て努力すべきであると思ふ。
(51) 昔の歌の道に於ては師弟關係といふものが非常にむづかしかつたさうである。これは詠歌といふ事が一種の儀式の樣にも解せられてゐたゝめであるが、現今單に藝術として歌を取り扱ふやうになつてからは自然その間に少なからぬ相違が生じたわけである。嚴密な意味で云へば藝術には師匠も弟子も無い筈である。元來が藝術は各個それ/”\の仕事であらねばならぬ筈故、弟子だからと云つて師匠の行つた道を否應なしに踏襲せねばならぬといふ法はない。要するに師匠は多少とも弟子を啓發すれば足るし、弟子は師匠の或る點を自己の參考とすればよい樣なものである。が、さうはいふものゝ歌は藝術の中で最もその作者の人格の直接に現はれるものであるが故に、單にその作物を參考とするといふ以外にその作者自身に動かさるゝところが多くなる。その才能や作物のために就くと云ふよりその人自身に就くといふ場合が多くなる。これはいかにも自然でまた奥ゆかしい事であるが、それだけまたその下に就くべき先輩についてもよく充分に先づ知つておく必要があると思ふ。
ことに今の歌壇ではそれ/”\詠風の異なるにつれて流派を立てゝ互に相讓らぬやうな形を呈してゐるのでそのいづれに就くべきかは先づ充分に考ふべきである。西も東も知らぬ時にそのいづれの派にか入つて、やがて物が解るやうになつてどうでも我慢が出來ぬといふ如きか或は何か特別の事情があつたのならば中途で止すもよいであらうが、その人の下に就いて見たりこの人の下(52)に走つて見たり、それ/”\の人の鼻息と自己の僥倖とを窺つてゐる如き、若しくはその先輩を自己の踏臺同樣に心得る如きはまことに態度がきたなく且つ不屆である。そんな態度でそれ/”\の歌だとて了解出來る筈はない。一度その人の下に就いたならば一生其處に居る積りで靜かに身を處すべきである。若し自然に詠風が違つて行つたならばそれは違ふに任せておくべきで、それに就いては先輩の方に先づ充分の理解があらねばならぬ。作歌上に於ける主義の相違を生ずるは止むを得ぬ、この事に關しては自由に異を樹つべきであるが、その情誼の上に於ては飽くまでも師弟又は先輩後輩の道を盡すべきであると思ふ。
第十一 投書といふこと
投書の面白味……投書に就いての自覺……投書の危険……所謂投書家の歌……創作欲と發表歌欲
幾らか自分で歌が作れるやうになる、それを何處かの雜誌へ活字にして發表して見度くなる、そして投書といふことをやつてみる、するとちやんと活字に組まれて自分の名と自分の作とが誌上に現れて來る、といふのは嬉しい事に相違ない。それに勵みを得て更に氣を新たにして作る、投書する、といふのも無理の無い話である。そしてそれはよきことである。
(53) 斯ういふ風に單純な樂しみから、または自分の力をためしてみる心から、投書といふを爲るのはよいことである。そのために幼いながらも刺戟を受けて思ひがけなかつた作歌欲を誘はれて行く事があるものである。が、これらは謂はゞ投書の一つの方便に過ぎない、『歌を作る』といふ大道を進みながらの一つの道草に過ぎない。それを誤つて若し『投書』といふことそれ自身に興味を持つやうになると極めて危險である。
投書するといふことは、謂はゞ一つの投機である。投書して果して當選するかどうか、當るか外れるか、それを待つ間の投機的興味が餘程投書するといふことの原因をなしてゐる樣である。自ら作つて投じた歌そのものに對する興味よりこの載るかそるかを待つ興味の方が確かに強い。即ち歌といふものを材料にした一つの遊戯、進んでは一つの商賣である。イヤ戯談でなく、事實この投書を商賣の樣にしてゐる人が世間に少なくないのである。これらが眞實に歌を作るといふことのためによいものか惡いものかは既に論議を要せぬ事である。私の特に此處に一言を費し度いのはそんな商賣人的投書家の事でなく、知らず/\さうした危險に陷らうとしてゐる、無垢なる作歌者のためにその注意を呼び度いと思ふがためである。
人は生れながらにしてかなりに多量に勝負事を好む心、または僥倖を待つ心といふ風のものを持つてゐるものらしい。あれだけ法律でやかましく取締つてゐても種々の勝負事は斷ゆる事なし(54)に行はれ、射倖心を唆る樣な種類の事業は殆んど毎日の新聞紙の廣告面を賑してゐる。惡しき意味の投書も謂はば斯うした人情の弱點に對して設けられた觀が無いではない。多くは年少の人たちが知らず/\斯うした誘惑に導かれて行くのも無理は無いのである。投書をするからには當選したく、當選するとしてもさう下位で當り度くない、それには大抵許多なる競爭者を相手にせねばならぬ。從つてこの『投書心』を滿足さすには『どうしても當選したい』『當選するにはどうすればよいか』といふ事を極め盡すにあることになる。程度の如何はあるにしても兎に角に選者の鼻息を窺ふのが一法である。器用な氣の利いた、眼につきやすい樣な歌を作つて出すことも一法である。その他あれ、これ、と種々方法があるであらう。讀者よ、これでどうして投書といふことが『歌を作る道』の利益になり得やう。第一、投書する人自身が先づ『自己の歌のため』といふことを考へるであらうかどうか。
斯うした、投書をする人たちの心理状態やその動機やらは要するに私の推量にすぎぬ。或は邪推であるかも知れぬ。此處に私はさうした投書熱に浮かされてゐる人たちの作品の上に現れた諸現象に就いて更に一言を費し度い。これは推量ではない。斷えず眼に見てゐる事實の報告である。
第一に彼等の歌は器用である。いかにも手際よく、あるべきものをあるべき所に置いて作つてある。なるほど、と思はずには居られぬ樣な歌である。そして彼等はみな相當に作歌のコツを知(55)つて居る。斯うすれば斯うだといふ作歌上のかけひきをよく飲み込んで居る。痒いところに手の屆くやうな、細かな技巧が施されてある。『やつてるナ!』とわれ知らず微笑せずには居られない微妙な呼吸を使つて居る。『うまいもんだ!』と漏らさずには居られない或る種のうまさをそれぞれに持つて居る。(云つておくが、これらは皆投書家中の優秀なるものを指すのである。その劣等なものに至つては殆んど噴飯にも値しないものがあるや勿論である)。時としては私もそのうまさに釣られやうとして、ハツとする事が屡々だ。然し、實際それ等に釣らるゝべく此頃私は餘りに多くの彼等に接して居る。
彼等の歌を作るや、既に動機が違つて居る。(また、歌ほど正直にその作歌の動機を物語るものはないのである。)即ち『歌』は方便に過ぎず、目ざす所は『當選』である。歌に『本當の歌』が、『生きた歌』が出來やう筈がない。いかに巧に、如何によく呼吸を飲み込んで作つてあつても、要するに歌の『靈魂』が死んで居る。ところが歌は殆んどその『靈魂』のみで持つてゐるものであるのだ。
然し、斯うした玄人筋の投書家は先づそれでよろしい。彼等自身『歌』といふものに對してはさほどの顧慮を持つてゐぬかも知れぬからである。唯だ氣の毒なのは最初何の氣もなく投書といふことをしていつのまにかその惡い面白味を飲み込み、知らず/\眞正の投書家になつてしまふ(56)やうな人たちである。これらの人は初め方便として『投書』といふことをし、やがては『歌』の方が方便になつて行つたのを氣づかずに居る人が少なくないらしい。そして、次第にその深みに陷つてゆく。
時にさうした深みに陷つてゐる事に氣のつく人がある。私はよく自身にさう嘆いてゐる人たちに出合ふ。が、その時はもうなか/\に其處から脱け出ることが出來ぬらしい。脱け出ようと苦しみながらもその作は常に血の氣を帶びず、靈魂を持たず、徒に巧緻なる常識の作であるのを見る。よくよく執拗なる痼疾でこの『投書病』はあるやうである。
投書そのものは惡いものではない。投書によつて作歌欲を進め、知らず/\歌壇一般の傾向といふものを知り、思はぬ知己をその間に得るといふやうなことがあるものである。が、其處には右云ふ如き恐るべき惡弊惡疾が流行して居る。忘れてもそれに罹らぬやうに心がけねばならぬ。その病氣を持つた人は多くは小怜倒な一種の才能を持つた、理窟なども相當に云ひ得る半可通の人に多いので、初めは眞實に偉いのだと思つて近づき度くもなるものである。近づけば大概傳染させられるであらう、それだけの力をば大抵彼等は持つて居る。で、投書をするならばするで充分にその覺悟をきめてかゝらねばよくない。飽くまでも『歌を作るため』といふことを忘れないで、『投書をするために歌を作る、雜誌に發表するために歌を作る』といふ風にならぬやうに本(57)末を誤らぬやうに注意すべきである。
ついでに云つておく。發表するために歌を作る、といま云つた。これは投書とは違ふが(一種の投書病の變疾とも見るべきものもある。)少し自由に三十一文字を並べ得るやうになると先づ自分が主になつて同臭の四五人を誘ひ合はせ、月々雜誌を出して自分等だけの作品を發表する事がいま流行してゐる。歌壇に一派を作りそのため特に一つの雜誌を出さねばならぬだけの特質を持つたものならばどんな小さな雜誌でもその必要があり權威もあるであらうが、たゞ自分等のものを思ふやうに活字にしたいだけの欲望、お山の大將になりたい虚榮心、そんなことをお上品な、女道樂より金がかゝらぬと考へてゐるやうな道樂心、または社交心、などからさうした事をするのは誠に憐れむべき事である。つまりさうした人たちも此處に引いた投書家たちと同じく、『歌を作る』といふのは客で、先づ『作品を發表する』といふことや『名前を出す』といふことや、唯の『お道樂』が主となつてゐるのである。そしてその結果は自分から進んで自分の歌の芽を摘み棄てるか枯らしてしまふやうなことになりがちなことに終つて居る。兎に角に歌を作るといふ創作欲と、歌を發表するといふ發表欲とを轉倒せぬやうに心がくる事が肝腎である。發表を念とすれば自然『作る』方は留守になりがちである。作る一方であれば自然その作物も優れて來やうし、優れて來ればこららが拒んでも世間でそれを發表せずには置かぬものである。
(58) 第十二 推敲及び批評
出來たままの歌……一首の仕上げ……一首のもと……一首の假成……表現法……心と言葉……心と調子……自得と直覺……技巧といふことの誤解……推敲の危険……實例二三……批評と岡目八目……批評に對する態度………實例二三
歌に作つたまゝで自らなる光を放ち立派に一首として輝くものと、最初は殆んど形をも成さず添削に添削を加へ推敲に推敲を加へてゆくうちに漸く燦然たる光を放つに到るものとの二種がある。そして前者は大抵な優れたる作者にも先づさうざらにあることでなくして、先づ大方の作はこの後者に屬するものであるやうである。
最初腹のうちで、心のうちで、充分に醗酵し純化するのを待つてから一首として作り出せばよいのであるが、人は大抵この作り出すことを急ぐ、また一首の形として兎に角に早く作り出しておかないとそれを忘れてしまふことなどがある。前に散歩に出る時、床に就く時紙筆を用意せよと云つたのもそれがためである。然うして置いて後|徐《おもむろ》にその一首の|作り上げ、仕上げ〔付ごま圏点〕にかかるのである。これを推敲といふ。
ふつと詠みたいと思ふこと、一つの趣向が心に浮ぶ。その時はまだ形をも何をも成さないもの(59)である.それが充分に醗酵して形を成すまで待ち得ればよいのであるが、單に氣が急くといふのみでなく、そのまゝではいつまで待つても醗酵せぬ場合がある。さればとて棄て去るのも惜しい。さういふ場合は取りあへずそれをそのつもりで未熟のまゝに一首の歌として假りに作り上げて置くのである。而して後、形となつて其處に出て居る未成品の歌に對して更に心を集めて改めてその醗酵を圖るべきである。つまり先にチラリと心をかすめた一つの感興がやがて充分に纒まるに到るまで自爲的にその計畫を廻《めぐら》すのである。成るやうで成らず、身體の何處かに何かゞ附着《くつつ》いてゐるやうな兼好法師の所謂『思ふことを云はぬは腹ふくるゝわざ』の氣持わるやを感ずる場合を作歌上誰しもよく經驗するであらう。さういふ時は先づ何でもいゝから三十一文字の、形のあるものにしておくのだ。そして改めてそれに對して工風を凝すがよい。これは他處で見て來た景色なり何なりに就いてかなりに心を動かされ、一首の歌にしたいなアとは思つたがその場で出來ない、といふ風の場合にもよく適應出來る。さういふ時はよし三十一文字に纒まらずとも自分の心おぼえだけなりと何かに書きつけて置くがよい。そして折にふれてそれに心を集めて見る、次第次第に心のうちにその『一首にしたいなア』と思つたものが形を成して來て、寧ろ最初思つたより餘程いゝ歌になることなどある。また、たとへ出來る出來ないに係はらず、ハツとしたやうな感じ、一種の靈興《インスピレーシヨン》つまり前に云つた『一首にしたいなア』といふ背景を置いて時々突發的に(60)心に感ずることをばそのまゝに忘れてしまふことをせぬがよろしい。多少に係はらず、ハツと感じたからには其處に歌を成すべき何ものかゞ屹度ひそんでゐるのである。それ自身で歌になるか、それが端緒となつて更に他の感興を呼ぶか、どうかする。『斯ういふことを詠んでやらうかナ』といふ風に豫てから考へ込んでゐたことより、斯うした突發的な感じから生れて來る歌に却つていゝものがあるものである。
以上は主として歌を成す内容についての推敲だが、それより更に推敲を要するものは心に感じたこと思つたことを|如何に形に表すべきか、恩つたまゝに表はすにはどうしたらよいのか〔付ごま圏点〕といふ即ち表現に關する技巧上に關してである。歌は『私はいま斯う/\感じた』といふ風に自分の感じたことを單に描寫し説明するのではものにならぬ、感じた感じ、若しくは思つたおもひそのままを表はさねばならぬ。自分の感じた感じそのまゝをそつと持つて行つて、言葉の上に觸れしめ、そしてその感じそのままが言葉の上に或る調子を帶びて再現する、いや、言葉そのものを自分の感じた感じと同化せしめてしまふ。それでなくてはならぬ。つまり言葉が自分となり、自分の神経となり、自分の心となつて動かねばならぬ。言葉の上に自分を見、自分の心の動きを見ねばならぬのである。これは云ふべくして實に行はれ難いことである。それだけに表現に苦勞し、その技巧に骨を折る。
(61) この表現の技巧については(歌の道はすべてさうではあるが)斯う/\いふ場合には斯うせよといふ定められた方法がない。まつたく各個が獨自に工夫し發明し會得して行かねばならぬのである。それには先づ自分で苦しむよりほかはない。これでもか、これでもかと自ら苦勞して、そして自ら會得すべきである。その間の行程、それが即ち推敲である。云ひかたが惡いかもしれぬ。滿足出來るまで、即ち自分の思ひが充分に言葉に移るまでに推敲に推敲を重ねて行く間にこの表現の秘法を自得するのである。推敲の任務や重且つ大なりと云はざるを得ぬではないか。歌にあつてはことに詩形が小さいだけ僅か一語一音又は半句一句がよく一首全體の死活を司つてゐる。言葉と、その言葉がおのづからにして帶びて來る調子と、それをよく調和させてそして首尾一貫した、活きた、心の動いてゐる一首を成さうといふのである。最初作る時も苦勞だがその時はまだ内に自然に押し出して來る感興がある。一度出してしまつたものに不滿足を感じながら推敲してゆく時の苦心は更に一層なるものがあるのである。
推敲に際して心すべきは言葉の選擇法である。推敲の目的は自分の思つてゐること(その|思つてゐること〔付ごま圏点〕そのものをよりよく洗錬せるもの、よりよく豐かなるものにするのも推敲の一である。即ち前に云つた内容の推敲がそれである。)を|そのまゝに表現するにはどうすればよいか、といふにあるのである。それを考へ違ひをしてたゞ徒に綺麗な言葉、歌らしい言葉を選んで一首を飾(62)れば推敲の目的が達せられたやうに思つてゐる風習が無いではない。それでは却つて改惡にこそなれ、寸毫も歌を佳くする目的には添はぬ。感じそのまゝの言葉、少なくともそれに最も近い言葉、近い調子、それを選んで當て填めることにせねばいけない。推敲とは充分に現はれてゐない『感じ』や『思ひ』の光を、それを掩つて居る不純なもの(即ち不純の言葉や調子)を取り除いて充分に光り輝かせることである。徒に綺麗な(と思はれる)言葉や調子でその表れかけてゐる光を塗り隱すことでは決してない。
また、角を矯めて丑を殺す、といふことがある。角の曲つてゐるのを眞直に直してやらうと思つて(曲つてゐるのがその牛の本來なのに)その愛する丑を殺してしまつたといふのである。どうかしてこの歌を今少しよくしたいと徒に思ひあせつて、あゝでもない斯うでもないと無闇に弄《いぢ》り廻してたうとうその歌を臺なしにしてしまふことがある。推敲する時にはまつたく最初作つた時と同じ氣持になつてゐる必要がある。力めてゞもさうなつて、その時と同じ感興を以て從事すべきである。でないと徒に油に水をきしたやうな、初めより却つて惡くする懼れがある。
また、直し初めていろ/\行《や》つてゐるうちに次第に最初の思ひ立ちより歌の意味の變つて來ることなどもある。これにはよき場合と惡き場合とある樣である。よき場合は外形、表現法を改めて行きつつある間にそれと共に次第に内容、歌はうとしたことの純化を呼ぶに至る如き時で、こ(63)れならばさし支へない。惡き場合は右に云つた如き推敲の誤用である。つまり形のために内容を左右するやうな本末轉倒を爲す場合である。
弄り毀すといふ場合もかなり多いが、矢張り作りつ放しのまゝで捨てゝ置くより推敲を重ねた方がよいものが出來るやうである。私などは一首の歌のために手帳《ノート》の一頁若しくは二頁(それもかなり大型の手帳である)を眞黒にする事が少なくない。一度作りかけて出來ず、すてゝ置いたままに三年間ぐらゐ、折にふれてその一首のことで心を使つたこともある。果してその歌が佳い歌であるか、佳くなかつたかは問題外として、ほど/\で捨てゝ置くのはいかにも心が濟まぬのである。甚だうしろめたい氣がするが、兎に角に右の手帳の或る一頁を此處に引いて見ようか。
この春の初め、伊豆の海岸に行つてゐた時の作である。或る朝起きて見ると暖かい海岸にも似ず、珍しく雪が降つて來た。そして斑に小さな山に積つてゐたが、程なく消えてしまつた。それに興を催して先づ詠んだ。
菅山《すげやま》の大野が原にはだらにも降れる雪見ゆこのあけぼのに これでは云ひ足りない、最初思つたゞけのことが出てゐない。で、
菅山の海近みかもこの朝けしばらく見えて雪消えにけり
思つたゞけのことは云へたが、『暫らく見えて雪消えにけり』はいかにも説明じみてゐる。更(64)に、
菅山の海近みかもこの朝けほのぼの積みて雪消えにけり
いくらかよくなつたが、まだ言葉が据わつてゐない。
菅山の海近みかもこの朝けほのかに降りて雪消えにけり
まだ今見れば不充分なのを感ずるが、その時は兎に角こゝまでで切りあげてある。
同じ時同じ所で或る野梅《やばい》を詠んだもの、これはたゞ作り變へて行つた經路だけを示さう。
枯草の小野の傾斜《なぞへ》の春の日に浮き出でて咲ける白梅の花
原作はこれで、歌はうとした意味だけは出てゐるが下の句が説明臭い。で下句だけを左のやうに改めてみた。
浮き出でて見ゆる白梅の花
匂ひて咲ける白梅の花
匂ひて咲ける梅の一もと
けぶりてぞ咲く梅の白花
最後に先づ斯うしてみた。
枯草の小野のなぞへの春の日にかぎろひて咲く白梅の花
(65) 今一首、矢張り同じ所で同じ頃の作、これもたゞ歌だけ書きぬいてみる。
霞みあひ四方《よも》のかぎろふ春の日にとほき岬に浪よれる見ゆ
かき霞みかぎろふよもの春の日にをちかたの崎に浪の寄る見ゆ
あめつちのかぎろひかすむ春の日にはるけき岬浪のよる見ゆ
あめつちのかすみかぎろふ春の日にをちかたの崎に浪のよる見ゆ
かすみあふ四方のかすみのなごめるにをちかたの崎に浪の寄る見ゆ
かすみあふ四方のひかりのかなしきにをちかたの崎に浪のよる見ゆ
尚ほ斯くして或る一句などをば三度ほども改めてみた末、
かすみあふ四方のひかりの春の日のはるけき崎に浪の寄る見ゆ
いづれも未成品ではあるが、いづれも原作よりはよくなつてゐると思ふ。
次に批評といふことについて少し述べる。批評は他より批評せられて聽く場合が多く、且つ重要である。
自分が氣のつかぬこと(大抵は缺點)を他人は、第三者はよく見出すものである。岡目八目といふのがそれである。それが多くの場合批評となる。これだけ了解出來れば他より發せられたる批評に耳を傾くることの價値深きはすぐ解ることゝ思ふ。
(66) これだけは大抵すべてに解ることなのだが、それでなか/\斯うゆかぬ。多くの場合缺點を指摘せらるればその指摘せられた點の如何かを考ふることなどをばせずに先づ腹を立てる、『なんの彼奴が!』といふ風の氣になりやすい。お互に敵視するやうな、同等の地位に在つてお互に競爭してゐるやうな場合に特にこれが多い。また、さうした場合だけ、批評する方では直覺などが鋭くなつてゐて多く正當のことを云ふものであるのだ。これはいけない、誠に損だ。さういふ場合、お互の作は作、地位は地位、批評は批評と頭で區分してその批評に耳を傾くべきである。
またその反對に自分に同情のある、時にはまた何かの必要から媚を呈するやうな人から讃辭を呈せらるゝ。さうなると何の遠慮も反省もなく眼を細くして喜ぶ。眞正の意味の讃辭ならばまだ無事だが、わざとらしい諛辭《ゆじ》を進められてこれを鵜呑みにすることは實に危險である。これもよく解つてゐてそして實行の伴はぬことである。さう具合よく使ひ分けも出來まいが、批評せられるやうな場合には須らく頭腦を冷靜にして、それらの一切に對して充分の理解を持つやうにすべきであると思ふ。批評もすべて正當に下されるとは云ひ難い。種々ためにする所があつて是を非とし、非を是としたやうな批評がよく行はれる。それらの眞僞を見分くるにも無闇に怒り無闇に喜ぶ態度ではなか/\困難である。
こちらから他を批評する場合にもまた右と同じく充分なる注意を要する。友人の作などをば進(67)んで批評してやるのが義務である。讃める必要はさう無いものだが、惡口をいつてやる必要はかなりあるものだ。他の缺點を見、且つ責めると同時に飜つて自己自身の作にそれを引比べて見ることも必要である。 私が主宰して發行してゐる歌の雜誌では毎號この『批評と添削』といふ欄を設けて盛んに自他の作を批評し推敲して居る。今月號の同欄を此處に引いて見ようか。
秋草の實のなる草を探ねてはしばし佇むわが心かも
意味不明瞭である。|秋草の實のなる草〔付ごま圏点〕とは先づ何を指すのか、實のなる草ならば何草でもか、或はまた草に限定があるのか。(斯く細かに云ふはその事でも解つて居れば一首の意が解るかも知れぬと思ふがためである。)また何のために探ぬるのか。暫し佇んだのは何の意か。
役所の報告書の樣に明確にする必要はないが、一首の形を成すべき何等の意味も捕捉せられぬ樣な歌は困る。在つて無きに等しい。然し、この作者はこれを作つて甚だ|いゝ心持〔付ごま圏点〕になつたに相違ない。何を云つたか自身でも或はよく解らなかつたかも知れないが、斯うなだらかに云つてしまつて見ると何か知ら素敵な(或は詩的な)事を云つた氣がして大いに收まつたかも知れぬのである。それでは困る。作つた歌をば先づ自分で批判して見ねばならぬ。反省して見ねばならぬ。