(524)ひ得る素質をば持つておゐでるとおもふ。この歌、『貧しくて斯くもわが顔ゆたけさを失ひゆくに驚きにけり』とでもすれば幾らかいゝかも知れぬ。

       ◇

   別莊は未だ閉されてありにけり春未だ淺き片瀬の濱に

   土拭ひ日向に並べし鉢の中にチユーリツプの芽は出初めけるかな

   快き土濕りかも小春日の今日終日を田打ち暮す

   夕映の空の廣しも八ケ嶽は此の靜もりをおほどかに立つ

   廻禮を終りて炬燵に眺めみる胡桃の枝は太く張りたる

    先の二首は數年前歌といふものを始めて作つてみた頃、時事新報の歌壇で先生に選をして發表して頂いたもの(どの點をとつて下さつたのですか?)後の三首は本誌二月號及び三月號に載せて頂いたものであります(御添刪以前のまゝ)此の兩者の間に幾分でも進歩が見えませうか、又假令《たとひ》幾分でも將來がありませうか。これ等をとほして私の美點及缺點等、尚歌としての御批評御添刪を御願ひします。

 第一、二首。どの點をとるといふほどの事もなく、唯だどうやら出來てゐるといふ程度でとつたものでせう。双方の間に何の距りも無ささうです(第三首、誌上には今日ひもすがら田を打ち暮(525)すとなつて居るでせう)。然し、双方を通じて何處やらにいゝところがある。唯だこの幼稚さでは困る。もう少し勉強してごらんなさい。『創作』のいゝ所の歌を熟讀するだけでもよろしい。

       ◇

   雨煙る篁《たかむら》したと眺めをれば湯殿の煙0り青くのぼれり

   誰一人氣づかざりしによべの雨いたく軒場の積木0濡らせり

   紅梅の花の盛りに珍らしや雪降りつみて枝覆ひたり

   音もなく降りつもる春の淡雪の庭に降りしはすでに解0けつつ

   日向《ひなた》なる丘のなぞへの枯芝にいこへつつ聞く0松風の音

 第一首。(したとはひたとだらう)千葉縣下の人の假名づかひ0を知らないのは日本一だ、少し羞恥を感ずることにしたい。煙りのりは何のためで0す。)一首の焦點がはつきりしてゐず、從つて一首が散漫になつてしまつた。多分0、篁の中から煙が立ち昇つたといふのだらうが、お察し下され式はいけない。0

 第二首。座談平語、少し氣の利いたさうですか歌である。0

 第三首。右と同評、寧ろ右よりわるい。少しの感動も感興す0らも感じられない。成程ネさうでしたかい、を出でない。君位ゐになるともうこの邊の呼吸は解りさうなものだが、不思議だ。

(526) 第四首。これは面白い。君の性質のいゝ所が出てゐる一首といへるだらう。この靜かさほのかさはまた君等の周圍の人たちの持つ特質ともいへるだらう。

 第五首。いこへつゝ聞くとは何です、『言海』の普及版が出てる筈だから君等みんなして至急一册づつ求めなさい。これは右云つたほのかさが過ぎて早や何でも無くなつてゐるものである。日向なる岡のなぞへの枯芝にいこひつつ松風の音を聞いたといふと見た所はいゝが、歌には何の力もない。歌はその材料や、舞臺裝置のよしあしには關係は無い。

       ◇

   我待ちし月いでにけり銀の雪を照らして月いでにけり

   夜ふかく父の尿をとると起きつゆるびし寒さありがたきかも

   侮ずりて生くるに惜しき人の世やわがあけくれよ光をたもて

   夕ぐれにしばしいとまあり歌書くとノート開けば蜘蛛這ひ出でぬ

   吾がノートを這ひ出でし蜘蛛おもむろにインクの瓶をめぐりて居るも

 第一首。いゝわけだが、何處か氣が拔けてゐますね。月出でにけりの句をば重ねない方がよかつたとおもふ。而して改むるとすれば初めの方でせう。『したごころわが待ちをれば』位ゐにしてもいゝが、あなたの氣持とは幾分離れたものになりさうだ。自身で考へ直してごらんなさい。

(527) 第二首。第四、五句がいけない。此處で一首がひどくがたぴしやしてしまつた。急に直すのもむつかしい。

 第三首。侮ずりては侮づりてです。もとがあなどりでせう、だから同行相通じてタ行のづりでなくてはいけない。佳い歌です。多少言葉の足りないのをおもふが、讀み返してゐるうちに一首を通じての氣持が脈を打つて響いて来る。

 第四首。蜘蛛がやゝ不消化だが、(突然すぎるが)先づ即興の一首として採つて置きませう。ゆふぐれにしばしいとまありの句などいい。たゞ、ゆふまぐれとした方が更によいかも知れぬ。(ともすると夕暮までにの意味かとおもふが、それだといとまありを何とかしたい)

 第五首。この方が面白い。此處に來ると蜘蛛公も消化してゐる。自然になつて來た。

 

   その十九

 

       ◇

    とある家敷跡に桃の一樹滿開なり

   桃の花咲きて明るきこのところ家敷跡なりうらなつかしき

   桃の花見むとて植ゑし人やあはれ家をこぼちて去りにけるらし

(528)   春なれや家はあらねど咲き盛り咲きほこりをるこの桃の花

       ○

   花ちりて未だ芽ぶかぬ梅の木のしばし淋しき春べなるかも

   木々は皆花咲くものぞ榧《かや》さへも花咲き垂るる春となりけり

 第一首。桃の木の歌の中でこの一首だけは先づ採れる。あとの第二、第三首、ともに意味を成さぬ。イヤ、解るには解るが、世間話のそれとして――お察し申すの程度で――解るのである。詩歌としては成つてゐない。

 第四、第五首、こちらの二首は面白い。前の三首と同じく甘いものではあるが、厭味のない甘さはわたしは好きである。

       ◇

   雪どけの水増しにけむ夕ざれば山河の音とどろと聞ゆ

   小夜更けにひとり目ざめぬ今宵又靜に聞ゆる山河の音

   小夜更けに厠に立てばそうそうと闇にとどろく山河の音

   そうそうと山河の音とどろきてまこと靜けきあしたなるかも

   一人居の靜けき部屋に聞え來る山河の音なつかしみけり

(529) 第一、二首は佳作である。歌が生きてゐる。生きてゐるといふのは歌に不純が無く――つまり心と言葉とがよく消化してゐて――歌そのものにひゞき、動きがあるといふ意味である。第三首は何處か言葉に負けてゐる所がある。第四、第五、また然り。これは負けてゐるといふより寧ろ言ひ足らぬ方であるかも知れない。

       ◇

   いささかの物を張りたる身のつかれ室にかへりて憩ひて居るも

   横はり憩ひて居れば一枚は早乾きたりとふ妹のこゑす

   張るものは皆張り終へしうら安さ我と我身をねぎらひてゐる

   二三日張物すれば目に立ちて我手いたくも陽にやけにけり

   陰干すと窓につるせるれんげ草窓べによればかすかに匂ふ

 第一首。身のつかれをあなたは動詞として使はれたかも知れぬ、が、これは名詞と見るべきである。さうすると自づとそのあと第四五句に無理が來てゐる。第二首は失敗である。斯うした連作をばわたしは無理として居る。よし連作であつても一首は一首として意味を成さねばならぬと考へてをる。とするとこの一首だけでは意味をなしてをらぬ。その意味に於て第三首も怪しいものになるが、先づこの邊はよしとしてよいかも知れぬ。か細いながらに心持の出てをる一首である。(530)第四首も好きである。目にたちてといひ、いたくもと云ひ重ねてあるあたりにもどこやら自然さがある。第五首にも、同樣のことが云へるが、唯だ第一句のかげぼすといふ言葉が氣になる。本當ならかげぼしにす、と云はねばならぬ所である。いつそ名詞のまゝ、かげぼしにとした方がよいと思ふ。それで意味は通る。一體にまだかた言めいた、子供らしい歌であるが、ほそほそとした裡に明るさ(これは心が通つてゐないことには出て來ぬことである)を含んで、愛すべき歌であつた。

       ◇

   故郷の方ゆ吹く風温くなりぬ漸やく雪も消えたるならむ

   故郷の兄も早生芋《わせいも》ふせ居らむ我は蒔けるよ鶯菜をば

   鶯菜まくとて畑を耕せばとのさま蛙がまろび出でたり

   久しくも待ち居し雨の降り出でぬ明日は芽ふかむ我が蒔きし菜も

   起き出でて今朝も出で見つはたつものの伸びゆくさまを見る樂しさに

 第一首。故郷のかたゆ吹く風ぬくくなりぬとは大きなことを言つたものである。百里も千里も離れた故郷ではあるまい。多分東の方角に當る隣村か何かであらう、言葉に氣をつけないと一首の形(も心も)が亂れて來ていけない。言はうと思つたことが通らないことになる。第二首は佳(531)い、その氣持がよく出てをる。第三首も同樣幼いながらに面白い。第四首、また幼く、清し。第五首、出でが二つある、餘程の時ならばともかく、避くべきである。恐らく作者は氣がついてゐない程度であらう。第四五句は、右の二三首と同じ意味に於てよし。

       ◇

    故郷より手紙氣りぬ深く憂ふる事ありて

   うつつなくひなげしの花に見入り居し一時前の安けさを思ふ

   けし咲くと心をどりし一時前實に安らけき境なりしよ

   二階よりけしの花畑見下しゐし一時前の思ひの安けさ

   夕餉《ゆふげ》の支度怠るべからずうれひ深き心にたへて買物に出づ

 面白い。複雜なことをよく一氣に歌ひこなしてある。第一首、ことに佳し。第二首は心をどらせしとあるべきでせう、そしてひと時まへはとしたい。字餘りもこの際差支へないであらう。第三首は前二首に較べると、ずつと落ちる。意味よく通らず、従つて一首がゆるんでゐる。第四首は無理だ。意味は解るが心がとほつてゐない、さうですかとなつた。

       ◇

   朝なさな庭樹の枝に來て鳴ける小鳥の聲も聞きなれにけり

(532)   麥の葉のさゆれ清《すが》しく大空の高處《たかど》にひばり囀《さへづ》りにけり

   大空にさへづるびばり聞きながら妻とし急ぐ見晴しの湯へ

   けきよけきよと松の林に啼く鳥の聲聞え來る室のしじまに

 第一首。意味も解り、明るい可愛らしい歌とおもふが、これでも困る、聞きなれてどうしたと云はれてもしかたがない。もう少し一首に力の有ることを必要としたい。第二首は前のよりもつと氣が拔けてゐる。景物だけはいかにも揃つてをるがその景物が一向に務めをしてゐない。「麥の葉の」「さゆれすがしく」「大空の」「たかどに」「雲雀囀りにけり」、一語一句がたゞ一語一句としてしか存在してゐない。それらを統一して一首とする氣力といふものを作者は持つてゐなかつた。いつも云ふ如く歌は『筋』でなく、また『景物』でもない。たゞ作者の『心』が其處に出てゐればよいのである。第三首、先づ可しとするか。此處には君の愉快と得意さが多少とも出てゐる、即ち一首としての氣力が多少とも動いてゐる。これをずつと深くし大きくしてゆくと本當の歌が出來る。第四首。四首の中では第一の作である。前の三首と同じくいかにもかぼそい歌であるが、それでもその細々しい裡に一縷《いちる》の徹《とほ》つた心持《力》のあるのが感ぜらるる。

       ◇

   妹等行く學校着物の破れさいつくろう人なきを悲しみにけり(母亡き後)

(533)   岩肌を瀬走る青水まさり來て齒朶の葉先のふれてしないぬ

 第一首。「妹等行く」の行くはいらない、妹のだけでよろしい。さいはさへ、つくろうはつくろふの誤。この歌は採れる。

 第二首。「瀬走る」は無理だ。「青水」といふと山溪の眞清水より先づどぶの青みどろを思はせる。しないぬはしなひぬ。(なほむつかしい理屈が附けてあつたがそんな事を考へる必要はまだ無い程度の幼いものであらう。おとなしく作つてゐればいゝとおもふ。)

       ◇

    或る歌會にて左の樣な歌が高點を得て居りました。出席したる一同の爲に先生の御高評をあふぎ度く存じます。

   春なれば水をともしみ生野川ひろき河原に草萌ゆるなり

   島の子を戀ひてあゆめば潮ぐもる田代の濱に舟はてにけり

   坂みちにかかりて風はまともなり遠明るみて若葉夕原

   松の木の高きにをりて目白鳥鳴く聲すめる朝の山かな

   籾《もみ》すれば老ひたる母も唄ひけりあはれ老ひたる母のうたかも

 第一首。ともしみが解らない、多分水のともしきの意であらう、どういふわけだかこのみとい(534)ふ言葉をばみなよく使ひたがるが、本當の意味で使つたのは少ない。これは何々さにの意味である。此處にいふとともしみは、乏しき故に、となる。さうとしてこの一首を見てごらんなさい。形をなしてゐない。河原廣きにとすれば漸く解るが。第二首これも解らない。第一、わたしには第一句の島の子からして解らない。さういふ子があるのですか。而して歩んでゐて舟が着いたとなるといよ/\奇妙である。斯ういふのはたゞ何か綺麗な、變つた言葉を使つて見たさ一心で作らるゝものかと思ふ。いたましい事である。第三首また不明。第三句まではよいと思つた。其處へ「遠明るみて若葉夕原」と來た。遠明るみては先づ解るとして若葉夕原とは何事ぞ。恐らく若葉のそよいでゐる夕方の野原といふ意味であらう。若しさういふ事が通るとしたら世界の言語から動詞一切を則るべきである。唖の話はたゞ手眞似だけだが(形だけだが)あの手眞似はすべて動詞なのである。この作者を唖にすると言葉の尊さが解つて来るかも知れない。第四首。この一首で漸く意味の通つた歌を見た。而して先づ先づの作と云へる。わたしなら山の朝かなとする。第五首。これは面白い歌だが、これは原作があります。もう十年も前の新聞か雜誌でわたしの選んだ歌である。作者は信州の伊奈あたりの人であつた。何故さういふことを覺えてゐるかといふと、あまりにこの歌がたび/\作者を代へてわたしの前に出て來るからである。これが果してこの作者の眞作かどうかこの人自身はよく知つてゐるであらう。

 

(535)   その二十

 

       ◇

   土地なれぬみとりにてあれば何事も心せはしくおもほゆるかな

   かしましき都にありてしみじみと我故里の靜けさを思ふ

   故里の驛にこの身の近づけばわけなく躍る胸のおののき

   一入に春雨なぞの降る夜さは身の侘びしさの胸に迫りて

   なつかしき國を離れてみとりする身の寂しさを喞つ春なり

 第一首。『土地なれぬみとり』といふ日本語はどういふことを意味しますか。而して『心せはしくおもほゆるかな』は語調實に悠々としてゐて一向にせはしくない。

 言葉に氣をつけること。言葉に氣をつけないで歌を作らうとするのは繪具なしで油繪をかかうとする樣なものです。而してまた言葉に溺るゝ可からず、それはたゞ出鱈目に繪具をぬりつけてゆく樣なことになります。

 第二首。佳し。斯の樣な一本調子の歌はいま時まことに少なし。わが創作社では頻りに斯ういふ行きかたを奬勵せむとしてゐるのです。たゞこの歌が非常に佳いといふのではない。氣の毒に(536)もまだ初歩の人の誰しもが持つたど/\しさを持つてゐて、一首に重みと力とがない。

 第三首。『故郷の驛にこの身の近づけば』自分を手荷物貨物扱ひにしてゐますね。再び言ふ、歌を作る氣なら言葉に氣をつけること。

 第四首。可憐な境地であるわけだが、どうもこのまゝだと先づ小唄か都々逸の調子が胸に來ていけない。これは然しあなたあたりに云ふにはまだ無理かも知れない。

 第五首。これも可憐な一首で、流石にわるくちを言ひかぬる。佳作としておきませう。

       ◇

   小雀が宿をさがしてゐるらしも向ひの空家の軒端にとまり

   明朝もわが庭先の松が枝に來てさへづれよ可愛きすずめ

   かたりことりと馬車の音きこえ春雨のはれたる朝の長閑なるかも

   春らしきことよと云ひつつ箸やすめ妻は車の音をききをり

   わが住ふ自然はひろし靜かにも心落付けしばし見つめん

 心持のよく解る、可憐な歌である。木や草でなく、(木だか草だか解らない歌がかなりあると想ひたまへ)これは確かに竹であるといふことの解る歌である。が、その竹がまた漸く昨日あたり皮を落したばかりの若竹で、何の力も持つてゐない。一首を貫く力といふものに乏しい。この(537)清らかさを持ち續けながら、ずつと深く入つて行つてほしいと思ふ。

       ◇

     今迄落選せしものゝ中から何となく惜しい樣な氣のするのだけ拾ひ出しました。御批評下さい。

   賣られたる叔父が家居の倉跡に麥の青きが悲しかりけり

   手も足もいたく冷えたる朝まだきつづら折りなる峠行きつつ

   親しさは室に殘れる香水の其の広かなる句ひにもわく

   たえだえにこほろぎなきてこの夜更|外《と》の面《も》は強き雨の降る音

 第一首。あまりに類型的です。斯ういふ事を歌つたのはもう隨分とある。もつとも歌は大抵景色が美しいとか、ひとが戀しいとか、酒が飲みたいとか、おほかた同じ事を歌つたものにすぎないが、それでもそれはそれなりに多少ともの獨自性を持つてゐる筈である。この一首には先づそれが無いと見て差支へないでせう。たゞ、第四五句が幾らか生きてゐる樣にも思ふ。

 第二首。これはさうですか。

 第三首は佳い。これをどうして見落したか甚だ不明を恥づる次第です。あなたの作としてはこれなどは最上級の作だ。

(538) 第四首。これも採れば採れます。然し、まだ單に材料を並べたにすぎぬ(言かかへれば言葉が生きて來ない)といふ所がないではありませぬ。

       ◇

   ビルヂングの石の廊下に僅日のさしゐて寒き春のまひるま

   夕闇に莖立しるき苺畑の眞白き花はいくつも咲けり

   朝々をなきゐし鳥に心とめ聞けばまさしき雲雀なりけり

   みどり濃き野もせを渡る一つらの風にしるけき黄麥の畑

 第一首。『僅日の』はどう讀みます、わづかびの、ですか、わづかひの、ですか。どちらにせよ意味甚だむづかしい。まつたく、言葉には氣をつけませう。ビルヂングなどといふのもわたしは好まない。(別に外国語を嫌ふ意味ではないが)然し、先づいまどき流行る言葉として受取つておいていゝかも知れない。いゝところを掴へてあり、心持もよく解るがどうも完全なものとは申しかぬる。惜しい。

 第二首。『夕闇に』のにが氣になる。わたしは第一句から第二句第三句へと順を追うて意味を(調べを)成す歌を好む。さういふ歌は必ずくつきりとしてゐる。とすると、此處の『夕闇に莖立しるき』は、意味は解るが、かなりぎこちない。不消化である。却つてそのために『苺畑の眞(539)白き花はいくつも咲けり』といふ新鮮明瞭な景物(といふか作者の主觀といふか)が萎びてしまつた。これも惜しい事である。(夕闇にが云ひすきだといふ意味ですよ)

 第三首。これは第四句『まさしき』はまさしく『まさしく』とすべきであつた。それともくのつもりできと云ひ給うたか。

 第四首。これも佳い歌になる素質を充分持つてゐながら、言葉や云ひかたの不消化なため、單なる説明歌となつてしまうた。なぜ斯う『みどり濃き』などとうるさいあくどいことを言はなくては氣がすまないのかナ。

 

   その二十一

 

       ◇

   いらだてる心おしすえ病む床に細きかいなをまた組みてみぬ

   明日の事を誰かはからむ假初に不治病などと諦めがたし

   病む前に植えしダリヤの花咲きて枕邊にしも活けられにけり

   わが身うち巡る血潮の色に似て悲しき花よ赤きダーリヤ

   かくばかり世にも人にもめでらるる君を友としわれも誇らめ(友に)

(540) 第一首。わざとらしい。細きかひななどと断るあたり、うるさし。心おしすゑも芝居がかりに見らるる。要するに全體が不消化なのです。歌は矢張り斯う妙に骨筋だつたものでないとおもふ。さうでない所に言葉と調べの妙味が出て來るのである。ごつごつしたことは新聞の三面記事に頼むがいゝ。

 第二首。意味不明。

 第三首。佳作。ただ君はいやに強調してものをいふ癖がある樣である。『枕邊にしも』などと開き直るより『わが枕邊に』と云つた方がどれだけ生きて來るか知れない。言葉は非常に臆病者だから、亂暴にとり扱はるゝと直ぐ縮み上つてその活氣を失つてしまふ。可愛がつて使つてやらねばならない。

 第四首。サテ、斯ういふのに出合ふと一寸困る。作者を親しく知つてゐると、この歌が生きて來るし、知らないことには一般の概念歌――しかもいやみたつぷりの――としてしか受取れない。然し、浮いた歌でないことはたしかだ。

 第五首。佳作。一種きりゝとした心持を受取る歌である。一首に隙がない。氣持の緊張が直ちに歌に出てゐる。

       ◇

(541)   はり皿につぶして食ぶる苺の實季節のもののすがしさもてり

   茄子胡瓜トマトも植ゑしわが畑屋根の上なる木箱の畑

   朝がほのつるのびたりとこの朝竹の支柱を立ててやるなり

   まゆみの木風の渡ればさみどりの小さき花の音たててちる

   さきみちしまゆみの下に立ちをれば小花まなしく散りかかるなり

 第一首。佳作。一首を通じて極く平凡なおだやかな云ひぶりだが、隙がない。ことに第四、五句、輕く言ひ捨てゝ而かも氣品を保つてゐる。

 第二首。これはやゝしやれすぎた觀があると云ふか、舌が廻らなかつたといふか、どうも下の方らしい。

 第三首。平凡。

 第四首。佳作。第二句を『風吹き来れば』としたい。さみどりの花の音たてゝ散るといふ所など言葉を離れてゐる。

 第五首。これも佳い。ただ、第四、五句のあたりを大人ならば斯うは云ふまいといふ所がある。(まなしくはまがなしくかまなくしの誤でせう。)

 

(542) 質疑應答

 

         〇

 

【問】 二三年前文壇には片岡氏横光氏等によつて新感覚派が起されましたが、それによく似た手法を(無論多少の相異點はありますが)早くから吾々短歌に用ゐて居る友達を私は知つて居ります。私は其友達の短歌二三首を引用して以てその表現手法が果して短歌の墮落ではあるまいかといふ多年の私の疑問を解いて頂きたいと思ひます。邪道であると一面では排斥しながらも又ともすると私はその眩惑的な表現に引きつけられる事があるのですが、今その特徴の著しいものが手元に見當らないのを甚だはがゆく思ひます。

   1西空の夕かがよひが大道の馬糞にたわみたわみ來るかも

   2夕びえや小石川原の草原の夕陽の中にさびしき遠み

   3うづ櫻日あれの風にひそひそと天つ光に散りたまるなり

   4枯木立夕空遠くぼんやりと見てゐるひまの寒さなりけり

(543) 引歌が餘りしつくりしないのでくどい樣ですが私の眞意を判然させたい爲めに今少しいはせて頂きます。それの表現法の中には甚だ晦澁難解で又わがまゝで普通文法では到底説明が出來ない樣な突飛な破格なものが多いのです。

 例へば(これは國語と國文學の紙上で發表された一つの文章ですが)

   イ、僕は空中散火の下ででたらめに惱む原始人の心臓の感傷だ。

   ロ、失戀は嬉しき波止場にのびるテープである。

   ハ、灯のない歩廊のしら/”\さへ汽車が飛躍した。

 といつた種類の表現です。かういふ表現が短歌にも應用されていゝでせうか。

『感覚は絶對だよ。陶醉の境致を捉えてみ給へ、かうならざるをえないよ。』といふのが彼の口ぐせです。實際さうでせうか。

 甚だ長くなつて誠に恐縮ですが私自身と又私の友達の爲めに御教示をお待ち致します。

【答】 歌に感覺の重んずべきは云ふまでもない。唯だそれが本物であるか否かゞむつかしいところだ。

 示された四首の歌はみな歌になつてゐないとおもふ。強ひた感じか、無理に言葉や句を解らなくしたか(實際言葉を知らないのかも知れないが)のいづれかでせう。

(544) また、純粋の感覚から出た言葉ならば多少破格であつても不思議と意味の通ずるものです。強ひてやつたのにはそれが無い。

 イ、ロ、ハに對して云ふ所なし。言葉か、感情か、どつちかの遊戯と見る。

 感覚感情といふうちにも、大小もあり深淺もある。從つて、作られた歌の上にもそれが出て來るわけである。此處をよく考へてほしい。

         〇

【問】 作歌上に於ける語調の位置について。

【答】 『語調』といふのは普通いふ『調べ』を指すものとおもふ。さうであつたらば歌にとつて最も大事なものである。

 だが、これにもともすると誤解が伴ひやすい。本統の歌の調べは直ちに作者の心に根ざしたものであらねばならぬ。口さき手さきの所謂『上つ調子』であつてはいけない。眞實の『心の鼓動』『感覚の飛躍』であらねばならぬ。

         〇

【問】 まだ何も分らないのですが、よくどの本にでも説明的な歌と言ふ言葉がございます。説明的かなあと思つて見るとだん/\いゝ歌だと思つたのまで説明的に見えて來ましてほんとはどん(545)なのを言ふのかさつぱり分らなくなつてしまひます。

 私は自分の歌に對してはよく出來たとか惡いとか一寸位ゐは自分で考へて出すのですがいつもすつかりはづれてゐます。こんな時にはどこがいゝのかと色々分析的に考へますがどうしても分らないので泣きたくなる時があります。例へば大變な比べ方ですが、

   畏こくも神のめぐみかたらちねの母すこやかに吾をみとります

 と云ふのと私の作つた

   大らかな心になりて拜みたし今宵照り出でしまんまるの月

 と云ふのと何政私の歌に力がないのでせう。自分のを讀んで人樣のを讀むと何故力が私にないのかとほんとにいら/\して來ます。初めでございます故よく分かります樣に精進したい道を教へて下さいませ。

【答】 むつかしい質問である。

 歌が本統によくわかるといふのは實にむつかしい事である。でも、相當には解つて來ねば歌は作れないわけである。其處までも解つてゐぬとなれば、もつと勉強しなさいといふのほかはない。あなたの出された二首を比較すればそれは前の『かしこくも』の方がずつと佳い。この歌には充分とは云へないが歌に力がある。『調べ』がある。が、後者にはそれが無い。無いと云はぬまで(546)も、乏しい。何處に無いかと云はれると困るが要するにわたしのよくいふ『さうですか歌』の境地を出てゐないのである。

         〇

【問】 「歌は實感から生れなければならぬ」と言ふことは自分の作歌上常に考へてゐることです。けれども私は此の頃さうは考へて居ても實感から離れた歌が即ち空想にも近い心で作つた歌がよりよく出來榮えがし、作り易い氣がするのです。

 一つの風景に見惚れてゐると他の別な風景が聯想されるのです。こんな時現に見て居る風景を歌に詠まうとしながら別な風景の歌が出來るのです。かうして出來た歌は技巧的に見え、遊戯的に私自身にも見えるのですがどこかしら見捨てるに惜しい氣がするのです。實感からの歌は尊いと知りつゝもそれが作り得ないのはどうした理なのでせう。

【答】 これは「實感」といふことの解釋のしやうに由るであらう。眼前の風景に接してゐても心はそれに向つて動かず、寧ろそれを通じて他の風景を實感するといふ樣な場合であつたらば無論眼前の事實に束縛されてゐることはないのである。

 また、空想も如實に空想したならばそれは實感である。唯だ、都合のいゝ樣にあゝか斯うかと頭で作りあげる空想はいけないのである。繰返す樣に歌は多くの場合、その材料の如何によらず(547)作者の心の生きてるか死んでるかによることを考へ合せて下さい。

         〇

【問】 形式方面のことですが、歌を書く時、假名づかひを文部省改正案の假名使に從ひたいと思ひます。又用語もなるべく日常語を用ひて古語を捨てたいと思ひます。語法もなるべく現代口語の語法順序によりたいと思ひます。

「調べ」等いふものもあまりにやかましく言ふと古語古調に落入らざるを得ないのではありますまいか。「調べ」を新しい語と新しい語法に生かすべく、つとめて、文語文などをほとんど知らずして成長しつゝある現代の少年達の表現法に學ぶべきものが多いのではないでせうか。

 例へば、中學二年の作つた次のやうな歌。

   1西窓にうす白き陽のさし入りてほのかに白し湯ぶねの面は

   2お湯の面は暫しくづれてまたかへる一人湯ぶねにからだひたせば

   3目をつむり顎までひたす心よさ一しきりもづの鳴きてやみたり

   4洗湯に立てば金色三日月の小枝と竹のあひにかかれり

   5咲き亂る菊やコスモス赤ダリヤ貝殻草は面白き花

   6はなぴらにさはればがらら音のする貝殻草はつくりたるよな

(548) すべて原作の儘です。作者は繪も上手です。

 2のお湯といふ言葉は現代普通の言葉であるからこんなに用ひていゝと思ひます。 5の咲き乱るは文法的に言へば終止形だから、此の場合連體形の乱るるとせねば誤りであるけれど口語の文法をこの場合にあてはめてこれでいゝとしたいんです。

 4の金色三日月はキンイロミカヅキとよむのだらうと思ふんです。

 6のつくりたるよな――この言葉はこの作者達の生活する言葉の世界よりすれば換言すれば現代社會の言葉の用法よりすれば、決して調子のたるんだ言葉ではないんだと思はれます。文語中に口語脈をこれ程とり入れるのはわが國語政策の上よりいつても短歌を新しき日本文學として進めてゆく上より言つても必要なことであり、私達、日本人としての務めではありますまいか。

 私は國語教育にたづさはる者です。これに類した疑問をまだ色々持つてゐます。

【答】 「調べ」が古語にのみあると思ふのは間違ひです。「調べ」はいつもいふ通り(前號參照)ただのお調子や上つ調子ではなく、作者の心の動きを傳へる、極く生々しいものであらねばならぬ。それを強ひて古語によつたりして出さうとすればそれはもう本當の「調べ」ではなくなる事にならう。

 それかと云つて座談平語式のものを作れば歌に骨の抜けた、わたしの所謂「さうですか歌」に(549)なる。

 文部省改正案なるものを知らないのでそれについては返事しかぬるが、わたしは然し今の所ではまだ仮名づかひは從來のものでよいと思ふ。よし發音に多少の差などが出來るとはいへ、寧ろ其處に心のしまりがつくことになるかも知れぬ。

 少年達の歌はそれでよいでせう。然し我等は大人であるのである。

         〇

【閏】 萬葉集や古今集の樣な昔の歌集を讀むことは私達の作歌の上には、どんな影響があるのでせうか。

【答】 古今集はともかく、萬葉を讀んでの影響は大したものでせう、歌の出立點が其處にあつたと謂つてもいゝものでせうから。また少しでも歌が解りかけて來たら讀まずにゐられないのが萬葉集でせう。

         〇

【問】 歌の材料即ち歌とすべきものはやはり選擇せねばなりますまいか。何でも出鱈目に作るわけにはいかないものですか。

【答】 出鱈目にやつたでは歌も出鱈目なものしか出來ません。ほんたうをいへば歌は作者の心が(550)主であるのだから材料は何でもいゝわけだが、どんな材料にも正當に働きかけて行き得るだけに心が進んでゐるかどうかが先づ問題でせう。

         〇

【問】 歌と云ふ程の歌は詠めない人間です。然しどうにかかじり附いて行きたいと思ひます。皮肉な社會層に育まれた人間で有るが故にか作歌迄がひねくれてこまります。此の惡癖からのがれようとすれば、壯大な氣分を失つたきはめて狹小なものしか歌ひ得ないのです。心を心の奥底から喜ばし得る事が出氣ません。如何したら好いでせうか。

【答】 ひねくれ樣によりませう。心に眞實を持つたひねくれならばそのまゝに歌ひ出してさほどきたなくないかも知れない。君の所謂壯大な氣分を持つたひねくれならばひねくれ結構です。唯だ、歌は不純不潔を嫌ひますから其處に氣をつけて下さい。

         〇

【問】 半年程以前のこと私が歌を作り初めたときSといふ私の先輩である繪を描いてゐる人から「明るい人間でなくては勝れた藝術は生れない。あの無口な陰氣なM氏の歌を見よ、ちつとも閃きがないではないか。すべからく君も明るい人間になれ」と言はれました。M氏はおとなしい人で某短歌雜誌の中堅の一人として活躍されてゐます。私はこの言葉をきいたときはM氏の歌のよ(551)し惡しなんぞわかるわけはなかつたのですが、同感してもつと胡るい人間にならなくてはいけないなとつく/”\思ひました。けれどこの頃になつてS氏の云つた「明るさが藝術のすべて」と云ふことに疑問を感じるやうになりました。もしS氏の云つたことが誠だつたならば私の樣な陰氣な性格の者には勝れた藝術は生れぬことになります。それだからといつて持つて生れた性格をガラリと捨てゝS氏が云ふやうな人間になることがどうして出來ませう。

 もしかすると、S氏は私を自己に忠實な正直者でいつも損ばかりしてゐる人間のやうに見てゐるのかも知れません。けれど陰氣に見えても歌をやつてやらうと云ふ心持は人に負けないくらゐあるのですが、S氏が云つたやうなことが誠だつたならば一寸困ります。その疑問をときたいのです。

【答】 君に苦し色の赤と青とどつちがえらいかと訊いたら君は何と答へます。明るい人間とか陰氣な人間とかその作者の性質などは問題でない。唯だ人間の生活に眼覺むる事なく、そのために陰氣に見ゆるのであつたならばそれはいけない。

         〇

【問】 歌の勉強には只多く讀み多くものを見て考へそして作る事を續けて行けばよいのでせうか。他に何うしたらよいのでせうか。御導き下きいませ。

(552)【答】 先づそれでよいでせう。唯だ、多く讀むといつても上の空で讀んだのではいけない。その眞味の解るまで噛みしめて讀むべきです。

         ○

【問】 私は自分の歌に對して自信を持つことが出來ません(又自信を持てぬのが當然なほど無價値なものかも知れませんが。)それは何故でせうか。

 自分は無學だ。歌に關する智識もなく、また他の人の歌を讀んで居ない。歌の本質も知らない。自分の作つて居るものは他の人のを見てそれを眞似て作つた、言はば正宗に眞似て作つた鈍刀のやうに自分のは歌に似て居るものだといふ自分及び自分の歌を卑下する潜在意識のため自分の歌に自信を持ち得ないのかも知れませんが。

 又そうならざるを得ないのです。私の歌の教師は先輩の作つた私の眼に映る(勢ひ外面的にしか見得ない)歌しかないのですから。

 そこでお答へ願ひたいのは、

 一、無學者にも歌は作れるか否か。

 一、今の私の立場より言つて、このまま作歌を續けて行けばよいか。

 一、私の作つた次のは果して歌の部類に入るでせうか。

(553)     風なぎし冬の一日の日高浦ゆ沖つ邊遠く阿波の山見ゆ

【答】 自信といつても厄介なもので、僅かの事で自惚れとならぬとも限らない。また、君の樣に妙におど/\してしまふ人もある。双方ともいけないと思ふ。先づ、自分は自分だけの歌を作る、といふ氣になつてごらんなさい。さう急に名人になれるわけもなく、さればとて詠みたい一心で作られた歌には幼いながらになか/\に捨てがたい所を持つてをるものです。無學云々のこと、それは無學の人にも作れる。無學の人だけの歌が作られる。作れるが、本氣に歌を愛する人ならば其處だけに留つてゐることは出來なくなる筈である。で、身に叶ふだけの學問をして、漸次に學問と歌とを押し進めて行くべきであらう。また、心さへあれば相當の勉強は誰にでも出來るとおもふ。(第二問の答は自づと以上に含まれた譯である)。第三問の一首の歌、よい歌です。矢張り幼い所はあるが、「風なぎし冬のひと日の日高浦ゆ」など、偶然であらうがよく出來てゐる。あとの「沖つ邊とほく阿波の山見ゆ」はそれに比べて力が拔けてゐる。斯ういふ所のこまかな味はひなどは矢張り獨りで勉強して行かねば解りかぬる境地でありませう。

         〇

【問】 大家の歌や本誌の本欄に載つてゐる歌の中で、偶々大して佳いと思はぬ歌や「さうですか歌」のやうにさへ見える歌に遭遇することがあります。その時は自分の心の調子に依るのだと思(554)つて、日をかへて再々讀んで見ますが矢張り感心致しません。これは自分に鑑賞力が乏しい故でせうか。若しさうでしたらこの鑑賞力を養ふには如何なる努力を致したら良いのでせうか。又自分の歌の中でも出來た當時は佳いと思つても、數日を經て讀んて見ますとあまり感心しません。何卒御教示を願ひます。

【答】 大家の歌にも佳いのもあらうし拙いのもありませう。で、強ちに鑑賞力が乏しいともいへぬでせうが、その歌に含まれた佳い所を見落すことは間々あることです。自分の眼が低ければその低い範圍のものしか見得ないといふ場合などもある解《わけ》です。充分に鑑賞するには矢張りさうした心を以て熱心に讀むといふ事などのほかありますまい。初心の人ならば評釋など讀むもいゝでせう。來號あたりからその評釋を書いてみるつもりです。

         〇

【問】 題詠の場合に題が必ず主眼點(中心點)とならねばなりませんか。

 例へば月と云ふ題に

   松かげに上る月見つつ箒取る我手に涼し秋の風吹く(私作)

 此の場合に月が背景になりましたが月と云ふ題の場合これでもよいでせうか。

 その他題詠の場合についての注意がありましたなら御伺ひ致します。

(555)【答】 題詠では題が一首の主格をなさねばなりません。が、此處に示された歌を見ると強ちに「秋風」の歌ともいへない。早くいへば月と風との二題が一緒になつた形になつてゐる。そしてそのために甚しく一首が散漫になつてしまつた。つまり主題を主題と定めかねたための失敗といへるでせう。

         〇

【問】 漸く歌が解りだしたと思ひながら喜んで詠歌しようとすると、どうしても自分の氣に入つた歌が出來ないのです。どんなにしても思ふ樣に行かないので、終にはいら/\して來てなげうつことが度々あります。自分で幾分向上した爲であらうと思つてゐますがこれは一體どうした理なんでせう。又この境地から突進する方法を御教へ下さい。

【答】 幾度もそれを繰返して自然々々と進んでゆくといふことになりませう。その苦しさに出合つて詠歌をよすのは折角開きかけた路を自分で壞してしまふのと同じでせう。またそれ/”\の時の氣分による事もありませう。わたしなどは過去二十年あまり、幾度となくそれを經驗して來てゐる樣な氣がします。君等はまだ若いのだし、さういら/\する必要はないわけです。

         〇

【問】 左の二首の優劣如何。

(556)   流石に淋しくもあり今日よりは持つ要もなきパイプを見れば

   今日限り煙草は止めぬ流石に淋しくもありパイプを見れば

【答】 優劣なし。兩方とも拙し。二首ともさうですか歌です。

         〇

【問】 寫生の歌でも何時でも焦點(主題)といふものがなければならないか。別にそれを定めずに唯眼前のものをそのまま歌つたもの、つまり一首の歌を以つて全體的に一の世界を表した場合、それでもいゝと思ひますが、苦し惡いとすれば何故惡いか。例へば

   庭松の梢に夕陽は淡れたりそこら一面未だ消えぬ雪

 なぞそれに當らないでせうか。御教示を乞ふ。

【答】 歌は地圖や鳥瞰圖(見取圖)などの樣に單に其處に在るものを其儘に寫し出すものではない。材料にはするが、要するにその材料を統括する作者の主觀が一首をすべねばならぬ。君はともするとその材料そのものに主客の別を置く事を以て主題を云々して居るかの樣にも聞えるが、(自然さういふ結果になりもするが)元來は材料そのものに主客がある解《わけ》ではない。示された一首では夕陽が主で、あとは背景をなすものである。みながみな、主題をなしてゐるものではない。

         〇

(557)【問】 歌は才のものでせうか。それとも努力のものでせうか。歌道の實に進み難い事を知ると同時に、自分自身の才が疑はれてなりません。

【答】 兩方のものです。才が無くては作れず努力が無くては進まない。兩方、保ち合つて次第に進んでゆくべきでせう。

       . 〇

【問】 一、見るものきくもの思つたもの、さうしてそれによつて心の動いた場合(微かながらも)それを全部歌にしてもいゝのでせうか。二、歌は眞實を歌ふのですか。然りとすれば不純不潔なものもありのまゝに歌ひ出されることになりますが。事實不純不潔なものゝ場合は僞つて歌ふのでせうか。不純不潔なものゝ場合でも歌はずに居られぬ時は如何すべきでせうか。

【答】 (一)、左樣です。然り而して其處で危いのは例の濫作です。材料を澤山見附けて來その一つ一つに歌をくつ附けて並べ立てる樣なことは――九州八幡あたりでは流行つて居る樣であるが――歌の目的ではない。寧ろ一つのものに心を集注する樣にして初めて佳い作が出来るかとおもふ。(二)、眞實と一口に云つてもむつかしいが、自分にとつての眞實を歌へばいいのです。あなたが若し路傍の馬糞に見恍れてしみ/”\ほの/”\とし給うたならばその馬糞を歌ふがよろしい。然し、いやであつたら何も強ひて歌ふことは無い。

(558)         〇

【問】 近頃殆ど歌が出來なくなりました。偶々出來ましても自分ながら感心致しません。それにどなた樣の歌を讀みましても、左程感興が湧いて來ません。只今では先生の御著「和歌講話」を五囘繰り返して讀んで居りますが此の場合如何致したら出來るやうになるでせうか。歌を詠む者に取つて、歌の出來ない程淋しい事はありません。何卒御指示を願ひます。

【答】 歌の出來ない嘆きには目下の小生大いに同感致します。現にまだ一首をもようつくらずにゐる身分ではこの問に答へる資格は無いわけだが、假りに――歌を寧ろ忘れた氣持になつて自分の好きな本などを讀むのも一つの良法です。歌の本でない方が却つていゝかも知れぬ。漢詩とか聖書などを朗讀するもよい。また、散歩などもよい。散歩の途中で見當つた山吹なり篠竹なりを主題にして題詠風に詠みならすのなどもよいでせう。要は、氣分の轉換、生命の洗濯にあるのです。あまりにあせつて却つて自縄自縛式に何も出來なくなる事もあります。鬱屈するのが一番いけない。

         〇

【問】 詩境の湧いた時にいざ作歌しやうと致しますと感じがたゞ莫然として詠めないのですが、どんなに致しましたら其の詩境なり心の動き等を明らかに感じる事が出來ませうか、御教示下さ(559)い。

【答】 詩境は詩興でせう、どうも男より女人の方が文字や言葉に無神經なのは可笑しい。何のあてはないが唯だ詠みたいなアと思ふ、あの一瞬をさして謂はれたものとおもふ。さうした場合、先づ氣を鎭めて自分が曾て經驗した中で美しいと心に殘つてをるもの、または感動した出來事、それらの一つ/\を思か浮べて徐ろに一首々々に詠んでごらんなさい。それか、自分の眼前に在るものゝ何れかを、花瓶なり書籍なり鏡なり、主題としてその逸《はや》る心を其處に集めて詠んでごらんなきい。また、強ひても一首作つて見るとそのあと案外に心がほぐれて次ぎ/\と出來ることもあるものです。

         〇

【問】 歌は事實に即すべく、概念ではいけない、斯うした注意は先輩に屡々聞きます。而して此信條の下に作歌する時、私は度々次の樣な惑ひに陷ります。

 現に歌に詠まうとする材料、即ち眼前の事實そのままでは感興も薄く歌らしい歌にならないが、其事實を基礎として、過去に覺えた事實或は過去に經驗した感興が心に蘇つて眼前の事實と渾然一緒になつてしまつて、それが歌となる場合が多いのであります。例へば和やかなる春の海を眺めて歌はうとする場合其海の實景としては帆船は見えてゐないが目前の海を眺めてゐる事によつ(560)て、帆船が浮かんでゐるのを見た過去の實景が心に浮かび遂に目前の實景に帆船を加へて歌にする。斯うした事は事實に即せぬといふ非難がありませうか。先生の御教示に接したうございます。

【答】 至極同感です。たゞ君は概念といふ言葉を誤解しておゐでる樣だ。君の示された例について云へば、眼前の海に白帆は無いが心にあり/\と白帆を感じたといふならばそれは實感であつて概念ではない。然し、斯うした海には白帆は在るべきもの、在らねば景色をなさぬものとして詠んだのなら、それは即ち概念である。其處の區別はその歌を見ればよく解る。正直なものだ。

 眼前の事實そのものは決して歌ではない。それに對して起る作者の感動の如何によつて初めて歌となり得る場合があるのである。

 新聞記事や、役所の報告書は事實ではあらうが、決して歌をば成してゐないことをおもひ給へ。

         〇

【問】 街道に沿つた未だ新しい亞鉛屋根の二階家、その前に眞赤な花(たしかダリヤですが)が咲き乱れて居てそれが夏の陽射の申にあだかもくるめき燃え上つてるやうに見えるのです。漸くにしてまとめたのが

   ま新しき亞鉛屋根の家ここより見ゆ表にまつかな花群れ咲かせ

ですが、讀み返して見ると最初受けた印象とはずつと異つたものになりました。生ぬるく慊らな(561)く思はれます。彼のゴツホの繪「プロヴンスの大道」のやうなあのやうな劇しくも凄じい風景をそのまま現し度いと思ふと焦々《いらいら》せざるを得ません。

   遠方の亞鉛屋根の家まつかな花押し搖して照れる白日

 作り直しては見たが實にあやふやなものになりました。所詮、我等は前者のやうなもので諦めてあるべきでせうか。かうした場合取るべき態度等、何か御教示願へれば幸甚です。

【答】 改作された歌は概念歌である。徒らに言葉や調子ばかりで強調しようとしてゐる。まだ前のはいゝ。たゞ『おもてにまつかな花群れ咲かせ』は概念臭い。といふより、お芝居臭くなつてゐる。斯んな場合、眼前の事象に対してゴツホはもう少し冷酷だつたかとおもふ。第一、屋根と云つておいてダリヤを持つて來るのから既に不用意である。

         〇

【問】 歌はよく/\考へて作つたのがよろしいでせうか、思つたまゝを歌つたのがよろしいで御座いませうか。お教へ下さりませ。

 左の歌はどこがいけないでございませうか。

   朝まだき靜けき道を荷車は音きしらせて過ぎ行きにけり

【答】 その人の性分にもよりませうし、どつちでもいゝでせう。唯だ、あまり無考へにべらべら(562)やられては、歌がまごつくでせう。

 お示しの一首相當に出來てゐます。かはゆき歌です。が、佳作とはまだ云へないでせう。

 

 

 

 

 

 

若山牧水全集第四巻、雄鷄社、564頁、600円、1958.10.30

 

歌論・歌話 二

 

目次

 

短歌作法……………………………………… 3

 

上編

第一 歌が詠み度い詠んで見ようといふ人…… 5

第二 詠歌のすすめ………………………… 8

第三 先づ讀書せよ…………………………13

第四 何を、如何に讀むべきか……………16

第五 摸倣可なり……………………………28

第六 題詠……………………………………32

第七 寫生……………………………………35

第八 散歩及び旅行…………………………39

第九 同好の友、會合及び囘覽雜誌………43

第十 先輩に就いて ………………………49

第十一 投書といふこと ……………………52

第十二 推敲及び批評 ………………………58

第十三 歌を作らうとする時及び出來た後……73

下編

第一 歌を詠む態度…………………………80

第二 自然そのものとその概念……………84

第三 實感より詠め…………………………88

第四 さうですか歌…………………………92

第五 惡趣味の歌……………………………99

第六 「動」の歌と「靜」の歌………… 103

 

和歌講座…………………………………… 107

 

第一章 挨拶 …………………………… 109

第二章 歌とは何か …………………… 111

第三章 なぜ歌を詠むか ……………… 114

第四章 私にも詠めませうか ………… 115

第五章 どうしたら詠めませう。先づ讀め…… 120

第六章 推敲の是非 …………………… 126

第七章 摸倣はわるい事か …………… 133

第八章 中心を定めること …………… 137

第九章 どんな歌書を読むか ………… 141

第十章 進歩の三階段………………… 143

第十一章 行き詰つた時どうするか…… 149

 

短歌の鑑賞と作法………………………… 155

 

第一編

一 挨拶…………………………………… 157

二 歌の面白味…………………………… 158

三 歌の詠み始め………………………… 162

四 讀書…………………………………… 164

五 短歌評釋……………………………… 167

六 作歌練習……………………………… 184

七 推敲、批評、添削…………………… 194

八 發表欲………………………………… 202

九 作歌と感興…………………………… 208

第二編

一 歌は感動である……………………… 214

二 さうですか歌………………………… 215

三 感動の洗練と生長…………………… 222

四 言葉と調べ…………………………… 224

五 歌と年齢……………………………… 227

六 歌の趣味といふこと………………… 229

最後に…………………………………… 233

 

補遺と單行本以後

 

閑言集……………………………………… 235

所謂スバル派の歌を評す………………… 242

二月の歌…………………………………… 247

『山河』を讀む…………………………… 259

何故に明かに生きざるや………………… 263

最近歌壇の印象…………………………… 270

真晝の山…………………………………… 285

石川啄木君の歌…………………………… 292

我が見たる最近歌壇……………………… 318

『土岐哀果集』の印象…………………… 329

『和歌合評』より………………………… 331

自歌自釋…………………………………… 342

いろいろの人と歌………………………… 400

合評を讀む………………………………… 416

歌話一題…………………………………… 420

批評と添刪………………………………… 421

質疑應答…………………………………… 542

 

 第四卷 歌論・歌話 二

 

短歌作法

 

(5)上篇

 

 第一 歌が詠み度い、詠んで見ようといふ人

 

    歌を詠んで見たい……歌を詠む素質……歌になる種子……人生に於ける欲求歡喜及び不滿……先づ着手せよ……その人にはその人の歌……不安と羞恥……案ずるより産むが易し

 

 歌が詠んで見たいが、私にも詠めるものでせうか、また最初どうしたら可いでせう、といふ風の質問にをり/\出會ふ。また、口に出して斯う云はないまでも、斯うした希望、若しくは疑惑を持つてゐる人は私の知る以外更に世間に多いことゝ思ふ。私は常に言下に答へる。

『お詠みなさい、貴下《あなた》には確かに詠めます!』と。

 なぜならば、詠みたいがと思ふ程度の人には既に詠歌の素質が十分に備はつてゐることを、それ自身に立派に示してゐるからである。

 諸君は路上で諸君の友人に邂逅した時、必ずや、

(6)『ヤ!』

 といふ心持を持つであらう。

 また、思ひがけなく梅や、山茶花の初花を見出でた時、

『ホ、もう咲いたか』

 といふ感動に打たるゝであらう。たとへそれが強い弱いに係はらず、それに類した微妙な感情が無意識のうちに諸君の心に動くに相違ない。それが直ちに言葉となつて現はれることもあらうし、或は唯だ微笑となつて終るか、それにすらならずに濟むことがあるかも知れぬ。

 そのいづれを問はず、それらは立派に歌になるべき種子なのである。その感動を唯だ或る形式に於て發表すれば、其處に『歌』が生れるのだ。

 歌が詠んでみたい、といふ心持は、必ずやその裏に何か知ら一種の『欲求』『滿足』若しくは『不滿』を懷いてゐるに相違ない。他人が詠むから自分もやつて見度いといふのもあらうし、自分ながら解らぬやうな、たとへば齒の生える時に子供のむづかるに似た或る一種の感動が常に自分の身のうちに、心の裡に動いてゐるのもあらうし、或はまた自分の朝夕の起臥に何といふ事なしに不滿を感じて來た、そして捉へどころのない寂寥が斷えず自分の眼の前に動いてゐる、どうかしてそれを追ひ拂はう、若しくはもつと寂寥に親しみ度いと思ふといふ種類の人もあるであらう。

 いづれにせよさうした(イヤ、此處に私の引いた以外その人々によつて更に種々の原因からこの詠んで見たい心は起つてゐるであらうと思ふ。)心持が動いて來たならば躊躇するところなく詠歌の道に入らるゝがいゝ。出來る出來ないは先づ別としても、兎に角に直接《ぢか》にそれに當つて見らるゝが可い。そして、前にも云つた通り、さうした心の動きそめた人は必ず成功する、歌を詠み得るに相違ないのである。それは、成功するにしても限りはある。何しろ二千年から續いて來た日本のこの歌といふ藝術界に於て眞實に歌を詠み得たといふ人は恐らく二三を出ぬであらう、或はまだ一人も出てゐないと云へるかも知れない程のものだから、さうした境地まで成功するとはなか/\に云ひ得ない。また、誰しもそんな事まで考へてゐる人はないであらう。そしてそれはまた考ふる必要のないことであるのだ。唯だその人はその人としての歌を詠み得たら充分ではないか。

 兎に角に詠んで見たいといふ心持それ自身が歌の素質であることをば經驗者として、またさうした無數の經驗者に接して來た事からして私は斷言する。

 其處で初心の人が躊躇逡巡してゐるのもまた無理もない事である。子供が小學校に入る前のやうに、初戀をする少女の樣に、試驗場に臨む受驗者の樣に不安と羞耻とが先立つのも道理である。(8)戀が人生に於ける大きな分量を占めるやうに、否今少し大きな分量を占めるものでこの歌はあるかも知れないのだ。

 が、案ずるより産むが易し、手をつけて見れば案外何でもないものである。そして、一歩々々と深く手を入れてゆくに從つて興味は愈々深く、理解は益々加はるものである。

 繰返して云ふ、詠んで見たいと思つたならば猶豫なくお始めなさい、出來る出來ないは後として先づ手を着けて御覽なさい、貴下は多分その意外にも親しみ易いものである事と、考へてゐたよりも更に興味の深いものであることとに驚かるゝであらう、と。

 そして、いよ/\詠み始むるにはどうしたらよいかに就いて私の知つてゐるだけを以下各章に於て述べて行かうと思ふ。

 

 第二 詠歌のすすめ

 

    生きむとする本然の欲求……人生の歡喜……その歡びを歌にうたへ……人生の苦惱と寂寥……その寂しさを歌にうたへ……歌を知るはわれとわが生命を知るに同じ……肉の生活靈の生活……詠歌は本然の欲求……歌は美の力

 

 詠んで見たいと思うたならば直ぐ始めるが可いと云つた。更に私は一歩進んでこちらからこの(9)詠歌のことをお勸めしたいと思ふ。

 詠んで見たいといふ中にも、他がするからといふ物眞似や、或は一時の好奇心から來るものもあるであらう。若しかすると斯ういふのが寧ろ多いかも知れぬ。云ふまでもなくこれらは決して眞面目なものではない、眞實に道を求むる者の態度では決してない。

 が、私はこれをも尚ほ無きにまさると思つている。ゐるどころか、此等の人たちにさうした思ひ立ちを機縁に、更に眞面目な歌の追求者になつて貰ふ樣に心から勸めたいのである。此等の人に限らず、更に一般の人たちにも何か機會があつたらば一應でもこの言葉を呈したいと思つてゐる。

 歌が詠んで見度いといふ心のうちには何か知ら或る抑へ難い欲求が動いてゐると云つた。その欲求(希望と云ふか)は何か。

 人間には、あらゆる生物には、自己の生命を、生命の力を出來るところまで押し伸べて行かうとする自らなる欲求が備はつてゐる。草を見よ、木を見よ、また人間自身を見よ。無意識に、また意識して、あらゆる機會に自己を生長せしめ、同時にあらゆる艱難から自己を囘避せしめ、またその艱難に耐へて行かうとするために實にあらゆる努力を盡して居る。殆んどそのためにのみ、すべては生存してゐるかの如きものである。多くはぼんやりしてゐるが、考へてみれば大抵さう(10)でないものはないであらう。各自靜かに自己を省みて見るがよい。

 斯くの如くして首尾よく望むがまゝに生長してゆく者に抑へ難い滿足、隱しあへぬ歡喜《よろこび》の溢れて來るのもまた自然であらう。その歡喜をどうして人は現はさうとするか。方法は誠に種々であらう、私は此處で、それを歌にうたへ、と云ひ度いのだ。

 歌にうたふ——めい/\に歌ひ上ぐるその歡喜の裡に人は必ずまた新たなる歡喜を感じ、と共に更に新たなる希望、自己の生に對する向上心を起して來るに相違ないであらう。よろこびのために歌ひ、歌ふためによろこび、斯くて相互に相促し相助けつゝ己が一生を深めてゆく。

 また斯ういふ場合もあらう。人の生れて居るといふことは一面また云ひ難い苦しい事である、寂しいことである。我等は生れながらにして先天的に、本能的に、生きて行かねばならぬ運命を負はせられて居る。極めて稀にこの運命から逃るゝためにみづから自己の生を斷つ人が無いではないが、それはまた容易な苦惱から出た事ではない。多くはみな苦しみながらに賦與せられただけの生命を、運命を、背負ひつゝ辛うじて彼岸まで、死まで辿つてゆく。人によつてはこれは實に年數を離れた長い長い行程であらねばならぬ。その長い間の苦しさ、それに耐へてゆく寂しさ、それをどうして漏し訴へようとするか。私はそれを歌にうたへといふ。

 さうした抑へ難き心より溢れた歌は、また直ちにその疲れ悲しめる心に響いて、われより知ら(11)ぬ尊き慰藉を與へ、深きちからを添ふるに相違ない。

 飜つて云ふ、人眞似や好奇心から歌を詠まうとする人達は、恐らくは未だ曾てこの自分みづからの生命のよろこび、いのちの嘆きを知らぬ人であらう、生きてゐるといふ事を自ら知らぬ人に相違ない。さうでなくばどうしても人眞似や出来心で歌を詠んで見やうなどと思へる筈がないからである。歌は元來さうした人生の深い底に根ざしてゐるものである。少し云ひ過ぎるかも知れないが、畢竟歌を知るは人生を知ることである。人生を、自己自身のいのちを知るは、即ち歌を知ることであると云ふも敢て過言ではないからである。

 生きてはゐるが、自分の生きてゐるといふことを知らない、といふのは何たる哀れな、慘めなことであらう。さうした人たちに私はいま、歌をうたへ、少なくとも歌を知らうとせよと勸めたいのである。歌には限らない、あらゆる藝術や宗教はすべてそれを教へるものであるが、私はいま歌についてのみ云ふ。ことに、それらの中で歌は最も入り易いものであると思ふからであるのだ。

 讀者よ、以上聊か早まつて私は此處に歌の原理論抽象論を持ち出して來た樣な傾きがある。若し以上の話に充分了解が出來なかつたならば出來ないまゝでよろしい。然し、大體然うしたものであるか位ゐの考へをば先づ懷抱してゐてほしい。さうして私はいま一度云ひ直して見よう。

 歌をむづかしいものであると思ふのは誤りである。めんだうなものと思ふのもまた誤りである。(12)詠みたいと思ふ人には自然と詠歌の素質のあることを前に云つた。詠みたいと思つたことのない人にしても少し努めてこれに面すれば必ずや多少なりとも心が動くであらう。歌は(また根本論になる樣だが)人の心の糧ではある。靈と肉より人間の生活はなるといふ。その肉のための、單に物質上の糧をのみ欲する人ならば乃ち止む。多少なりとも心の生活、靈魂の生活を營まうとする人であつたならば自らこの糧に心の動くが當然ではないか。謂はゞ斯うした自然的必然的欲求のあるべき歌がさうむづかしい、めんだうなものである筈はないのである。故に、その喰はず嫌ひに似た臆病と懶怠とを棄てて兎に角に歌に親しまうとして欲しいと思ふのである。

 尚ほいまだこれをも抽象に傾いた話だとするならば、今少し云ふ。

 諸君は諸君の顔や身體の美しく活々とあることを願はないか。と同時に心の美を望まないか。常に美しく、常に活々としてゐようとの希望を懷かないか。若しその希望を懷くならば須らく歌を詠め。歌はまことに疲れ汚れた心を洗ひ淨め、歩一歩美しく、且つ活氣づけて行かうとする使命を帶びてゐるものである。理由は上に説いたすべてを總括して考へて來れば直ぐ解ると思ふ。よろこぴにうたふ歌、悲しみにうたふ歌、いづれもその力を持つてゐぬものはないのである。線路工夫のうたふ唄、荷積人足のうたふ歌、軍人や學校生徒のうたふ歌、酒に醉うてうたふ唄、勞働に、宴樂に、あらゆる俗謠唱歌もみなこの目的に添うて居る。唯だ、和歌はその一層内的に、(13)靈的になつたものに過ぎぬのである。

 山川風土の美を見てもそれを解せぬ人がある。人情の極めて微妙な働きを見ても一向それを感ぜぬ人がある。歌はそれらの人々に對してよく自然を見る眼をひらき、人間の微妙さを感ずる心をひらく事を教へるものである。

 心を開く、——上に人生を知り、自己の生を知れと云うた。およそ大抵の人には無意識にしてこの『知らうとする念願』が多少にかゝはらずひそんでゐるものである。愚夫愚婦の間にも何か知ら一種の宗教心が流れてゐるのなどはその證である。歌はその開かうとして開きかねてゐた心の眼をこゝちよく開かしむる力を自然に持つて居る。自然に開いて來た各自の心の眼の前にこの人生といふものがまたどんなに明かに不思議に映ずることであらう。

 

 第三 先づ讀書せよ

 

    歌は最初どうして詠んだらよいか……景樹が豆腐屋の歌……先づ読書せよ……歌と直覺……詩歌の難有味……読書の楽しみ

 

 詠み度いといふ心が少しでも動いたらば早速それを三十一文字にまとめて見るがよい。

 が、幾らか下心のある人ならば兎も角、あまりに突然に『さア詠め』と云つたところでその人(14)はただ途方に暮れるであらう。誰であつたか、多分香川景樹であつたと思ふ、或人から歌はどうして詠んだらいゝものかと問はれた時に、何のことはない、恩ひついた通りをそのまゝに詠めばよい………と云ひかけてゐたところへ豆腐屋の賣聲が聞えて來た。景樹は早速それをとらへて、

   それ其處に豆腐屋の聲きこゆなりおさん出て呼べ行き過ぎぬまに

 と詠んで、先づ斯の通りだと云つた話がある。景樹は徳川時代の末方の大きな歌人で、當時の歌は多くはたゞ傳統的に古代からの歌風に拘泥し、徒に形式にのみ流れてゐたのを慨して、極端にこの實感實情主義を説いた人であつた。恰度明治に於ける新派和歌の勃興したのと事情がよく似て居る。であるからこの豆腐屋の歌なども面倒臭い形式主義に對する反抗として幾らか故らに詠まれた形があつて、當意即妙の味はあるかも知れないが、歌としては決してよく出來たものではない。が、これも矢張り景樹なればこそ斯う詠めた。頭《てん》から歌に親しまなかつた人に幾ら思ふ通りに詠めと力説したところで斯う早速に詠める筈がない。では、どうすればよいか。

 私は何は擱き、先づ讀書を勸める。

 書籍は多くの場合、それ/”\の道の先輩が自ら苦しみ、自ら經驗し、自ら發明した所のものを書き記して置いたものである。我等はそれを讀むことによつて、謂はゞ一足飛にその先輩の歩いて行つた境地まで到達し得るわけであるのである。到達する、といふことはそれは唯だ到達し得(15)る筈であるといふだけで、なか/\實際にはあり得がたいところであるが、それにしてもそれらを讀めば自らその道に就いて啓發せらるゝ所が少なくないのである。ことにこの詩歌の道などは科學向きのものと異り別にさう秩序的に種々の準備を經てから讀まなくとも、突然讀みついて相當に理解することが出來る便利がある。

 同時にこの詩歌の道は一面また科學向きのものと異つていかに秩序を立て準備を積んで説明し教導しようとしてもどうしても理解の出來ぬところがある。即ちその人自身直接に體得せねばならぬ——理論や説明からでなく、自己の直覺から自ら悟らねばならぬ極めて微妙なところがある。そのためには千百の議論や説明を聞いてゐるより、先輩の作つた作物それ自身を讀むことによつて、その作物の底にひそんでゐる靈魂に自ら觸れることを心がくべきである。また、讀む方の心がけひとつでは實に容易に、實に直截《ちよくさい》にその靈魂はその作物——書籍から讀者の靈魂に通じて來る。また、それでこそ詩歌の難有味はあるのである。

 以上、私は行きがかり上方便として餘りにためにするための讀書をのみ説いて來た樣である。さう功利的にのみ讀むことは實は眞實の讀書の意旨には適つてゐないのだ。たゞ讀みたいから讀む、讀んで難有いから、樂しいから讀む、といふのが眞實であらうと思ふ。まつたく讀書の樂しみを知つた人は一生それから脱することは出來まいと思ふ。靜かに自己の愛する書籍に面した時、(16)心は油を得た火のやうに徐ろに燃え入つて、其處に一個の絶對境を作る。疲れてゐた心は蘇り、涸れてゐた靈は潤ふ。

 農家のための言葉であらうと思ふが、『晴耕雨讀』といふ私の好きな一句がある。晴れては野に出でて耕し、雨降れば窓を閉ぢて書に對するといふのである。いゝ言葉ではないか。私の好みとして若し斯うして一生を送り得たら申し分はないと思ふ。

 

 第四 何を、如何に讀むべきか

 

    先づ歌を讀め……古今萬遍歌千首……現代の歌……了解と感興……感興より詠歌……萬葉集……歌の作法書……歌以外に何を讀むべきか……貧しき靈富める靈と歌……藝術としての歌……讀書の態度

 

 讀書の效能と樂しみとをば説いた。サテどんな書籍を、どんな態度で讀むべきか。

 先づ歌の本を讀むがよい。歌だけ集められたいはゆる歌集を讀むがよい。作法書(本書の如きもそれだが)や註釋書ごときものもあるが、歌といふものに少しも親しまなかつた前には却つて解り難いかも知れぬ。解つても解らなくても、兎に角に歌といふものを讀むがよい。昔の人は『讀書百遍、意おのづから通ず』と云つて居る。眞實である。解らないのは解らないなりに繰り返し(17)繰り返し讀んでゐるうちに自然と何か知ら其意味に觸れて來るものである。また『古今萬遍歌千首』とも俗に云ふ。古今集を萬遍繰返して讀んでゐるうちには自づと千首の歌が詠める、といふのである。古今集に就いては異見もあるが、讀書の功を説いたものとしては同感である。

 歌は古代のより先づ現代のものを讀むがよい。第一その方が解り易くもあるし、年代といふものに壓迫されない(人は何か知ら古いもの、昔のものを難有がる習癖を持つて居る)親しきをも持つことが出來る。

 現代のを讀むのはよいが、實を云へば現代の歌はまだ大成したものではないやうだ。幾つも流派があつて、幾人かの秀でた歌人がめい/\に根《こん》をつくして詠んではゐるが、私の見るところではまだどの流派も、どの歌人も未成品の域を脱してゐない樣に思ふ。みなそれ/”\にかなり露骨なその人獨特の癖を出して(想ふに斯ういふ創設時代いはゞ一種の戰國時代だけに各自が自づと自己に執し過ぎてゐるものらしい。)詠んでゐる。で、初めてこれらのものに讀み入らうとする人は先づその心を以ていづれもの歌集に向ふがよい。

 現代では誰の作を讀むべきか。

 この質問が直接に私に向つて發せられたのならば私は先づ私自身の作をお讀みなさいと云ひたいが、實は躊躇せらるゝ。自分ながら未成品の甚だしいのを知つてゐるからである。では他の誰(18)のを讀んだらよいか。それにも一寸答へ兼ねる。いざと云つて心に浮ぶ誰の作もないからである。で、誰のでもよい、初めは手あたり次第に誰のをでも讀むがよいと思ふ。さうして讀んでゆくうちには自然と自分の性に通ふ人の歌集に出あふであらう。さうすればまた心を改めてそれに讀み入るが宜しい。また、相當の地位に居る人の作にはそれ/”\の癖はあるものゝ、またそれ/”\に必ず秀でた、長所を持つて居る。これは事實だ。

 斯くして一册か二册の、或は數册の歌集を讀んでゆく間には必ずや不用意の裡に歌といふものに對する了解が出て來るに相違ない。充分には解らずとも、何か知らそれに心を惹かるゝのを感ずるであらう。一二册も讀んで寸毫もこの事のないのは、それはよく/\のことだ。その人こそは全く緑無き衆生であるのだらう。若し少しでも心を惹かるゝ節が出て來たならばそれをたよりに一層心をこめて讀むが宜しい。必ずほの/”\と夜の明けてゆく樣に眼の前が明るくなつてゆくに相違ないのである。

 斯くして讀み重ねてゆくうちには次第に了解が深くなり、了解が深くなるに從つて自然と自身にも詠んで見度いといふ感興を催すのが人情であらう、自然であらう。さうしたならば遠慮なく詠むが宜しい。今まで讀んで來たことによつて幾らかでも作歌の手ごころ、詠歌のこつといふものも自然に會得せられて來てゐるに相違ない。斯くて一首作つてみれば具體的にその手ごころが(19)解る。一首より二首、三首と重なるに從つて新たな興味も湧いて來やう。それに伴つて次第に作つてゆけばよろしいのである。(後に引く『ロダンの言葉』參照)

 手あたり次第に誰のをでも讀め、と云つたが、それも程度問題である。その社會に相當の地位のある、そして出來得べくんばあまり詠風に癖のない人のを最初選むのがよいと思ふ。方今印刷術が普遍的になつてゐるので、さもない人たちまで皆競つてめい/\の歌集などを出して居る。斯ういふ歌集のうちにはどんないかゞはしい、作歌の參考にする上に危險なものが無いとも限らぬ。矢張り相當に注意してその書をば選擇すべきである。

 歌集なり、または幾つか出てゐる歌の雜誌なりを通じてほゞ歌といふもの現代の歌といふものが了解出來たならば須らく古代の歌に眼を向くべきである。古代の歌と云つても例の歌の最古のものとして傳へらるゝ素戔嗚尊の『八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣造るその八重垣を』以後二千数百年來に作られた歌を悉く讀まうとしても到底一朝一夕に出來る事でない。また、讀む必要もない。私のここでいふ古代の歌といふ意味は彼の奈良朝時代に編纂せられた歌集『萬葉集』にほゞ盡きてゐるのである。

 日本に歌の行はれ出したのは前に引いた素戔嗚尊の一首を初め神代にもかなりあつた。それは日本最初の史書である古事記日本書紀に出て(いはゆる『記紀の歌』がこれである)居るが、歌(20)の形も充分には纒らず、數もまたとびとびで多くない。それが持統天皇より聖武天皇の朝にかけ、柿本人麿、山部赤人、山上憶良等の出づる頃に及び、歌を詠む風俗が殆んど日本の一般に行はれ、上は天皇より下は遊女乞食の輩までこの道に遊ぶ風になつた。その當時の作を集めたものが即ち『萬葉集』である。

 謂はゞ萬葉集は、この歌集に收められた歌は、歌といふものが出來るやうになつたそも/\の所以を物語つてゐる樣なものである。歌を知らうとか詠まうとかするにはこの點からだけでも是非一讀せねばならぬものであるが、更にこの歌集はその自分の帶びた使命を充分に果しただけの優秀の作物を收めてゐる。『萬葉集』の次に出た歌集は『古今集』であるが、この集に及んでは多少萬葉集の脈を引きながらも餘程惡く變化して居る。その以後次第に惡くなつて徳川時代に及び多少異色ある作家を出し、更に明治時代の所謂新派和歌に及んで居る。その他その間彗星的に一二優秀な歌人の見えないではないが、先づ歌と云へば萬葉集、それと聊か歌ひぶりが違つて來てゐるが現代の和歌、先づそれだけを讀んで見れば歌の大要は飲み込めると云つていい。

 萬葉集は現代よりは千年以上も昔の歌集である。しかも現に我等の使つてゐる假名文字すら無かつた時代に出來た歌集である。その用ゐられた言葉などに現代に通ぜぬものゝ多いのは道理で、從つて現代のものを讀んだよりも難解である。そのための註釋書も多く出て居るが、最も簡略で(21)要を得てゐるのは橘千蔭の著した『萬葉集略解』であらう。これは活版本になつても幾種か出てゐる、中で博文舘から出版せられた佐々木信綱、芳賀矢一兩氏校訂のものが一等いゝかと思ふ。今一つ、これは同集全部の註釋ではないが窪田空穗氏の『萬葉集選』といふものも出て居る。これは言葉のみではなくその意味をも現代ぶりに評釋してあるので、解り易いには最も解り易からうかと思ふ。これらを讀んで先づ萬葉集の如何なるものであるかを知り、更に『萬葉集略解』により、その他の注釋書(例へば鹿持雅澄著『萬葉集古義』、僧契沖著『萬葉代匠記』などその他)に及ぶもいゝであらう。が、これは特に萬葉集というものに深く立入つて研究しようといふ人の爲すことで、單に萬葉集の歌を讀んで見る、讀んで樂しむといふには『略解』あたりで間にあふことであらうと思ふ。また、萬葉集は元來はいはゆる萬葉假名(漢字を日本の言葉にあてゝ認めたもの)で認めてあるので其儘ではよし振假名がしてあるにしてもいかにも讀みづらい。これを普通の假名まじりに書き改めたものに(もつとも双方とむ短歌ばかりで長歌は無い)千勝義重氏の『萬葉短歌全集』及び土岐哀果氏の『個人別萬葉短歌築』がある。ことに後者は全部二十卷に渉つた各卷から作者別に歌を集めて(人麿の作は人麿のだけ、赤人のは赤人のだけ)あるので讀むに便利なのみならず各個人の特徴を知るに恰好である。その他にも尾山篤二郎氏の『萬葉集物語』、及び正岡子規時代から萬葉研究に努めて倦まない『アララギ』派の歌人たちがあるがこの派(22)の人々のにはまだ一卷に纒まつた著作がないので不便である。

 現代の歌と萬葉集とを讀めば歌を讀むには先づ充分である。サテ、その次には何を讀むべきか。

 歌の作法書のごときものも讀まぬにはましであらうが、強ひて讀むがよいとは私は云はぬ。現に本書のごときもこれによつて直接に歌を知り、歌を詠むやうにならせようといふより、さうなるに到りやすい方便を説いてゐるに過ぎないのである。歌は要するに自得すべきものである、自ら會得すべきものである。他から説かれ教へられて覺るべき種類のものではない。歌を説いたものを見て歌を知るより、歌を見て歌を知るべきである。

 では歌の本のはかに何も讀まなくともよいか。

 否、大いに否、讀まねばならぬ大切なものがある。歌以外の文藝上の作品である。

 先づ小説である、長詩であり俳句であり評論である。その他哲學上のもの宗教上のもの、すべて人間の心靈に直接關係のある書き物はすべて讀まねばならぬ部類に屬するものである。

 歌は心の糧である、と私は前に云つた。が、これは實は第二次の言葉で、云ふまでもなく歌は我等が心そのものゝ現はれである。今少しつきつめて云へば心そのものである。靈そのものである。(云つておく、私は『心』といふ言葉、『靈』といふ言葉、乃至は『生命』若しくは單に『人』といふ言葉を常に同意義に使つてゐる。)故に、心の小さきよりは小さき歌生れ、心の大きなるよ(23)りは偉大な歌が生れて來るのは當然であらう。貧しき靈よりは貧しき歌以外生れ出でず、豐かなる靈には必ず豐かなる歌が生れる。小さき心靈を大きくし、貧しき心靈を豐かならしむるにはどうすればよいか。豐かなる歌偉大なる歌を詠むにはどうすればよいか。

 その人の生れつきにもより、その人の經驗にもより、大きくも小さくもなるであらうが、その天稟を助け、その經驗を磨き、更に未知の世界までを窺知せしむることに於いて讀書が最も有效であると私は信ずる。歌を知るために萬葉集を讀め、といつたのも畢竟はこの『人』を知るために、人の心を知るために、己れの心を富ますために讀めといふのと同じことになるのである。歌を詠むためには、といふ直接の目的から方便として先づ歌を讀むやうにとだけ初めに云つておいたが、歌を詠まうとする『心』のために、歌の生れて來る『人』そのものゝために讀むとなると決して歌には限らないのである。限らないのみならず、歌ばかりを讀むために自然と『心』の境界を狹くし、從つて其處から出て來る歌は愈々狹小となつて終には歌の上に最も忌む『形式のみの歌』となりがちである。人間自然の心を離れた、人間本來の生命の根ざさぬ歌となり終る懼れがあるのである。歌のみに執した所謂歌よみの歌には多くは生氣が無い。歌の源である靈が涸れては生氣のあるべき筈がないのである。歌としての歌、といふより藝術としての歌といふことを常に頭に置いて作歌に從ふべきことを私は勸める。

(24) 前に述べた宗教哲學の書、及び小説戯曲評論等は歌の如く形式に據らずして直接に人間の内生活に肉迫し、問題を極めて自由に取り扱つて居る。それだけ私の謂ふ『心』や靈に對して關係が直接である。で、靈を養ふためには、内生活を豐かならしむるためには、どうしても此等歌以外のものに由る方が便利であり有效である。無論歌そのものもまた此等と同じ意味を持つものではあるが、歌のみに執《しふ》することは前に云つた如き弊があるのである。

 宗教哲學小説評論と隨分私は大づかみな物言ひをして來た。それらに皆通曉し得れば大抵の大學者にはなる筈である。さういふ意味で言つたのではない。先づ『聖書』だけを讀んでもいゝ。なまなか哲學概論などをば拔きにして名のある小説を讀むがよい。小説も私は方今の日本作家のものをばこの際あまり勸めたくない。何となれば彼等の方今取り扱つてゐる範圍は極めて狹く、形こそ大きけれ、どうかすると歌よりも更に窮屈な形式主義技巧主義に傾いてゐるかも知れないからである。それより西洋ものゝ飜譯を讀むがよい。原語で讀めれば幸だが、飜譯で結構である。大きなものになればなるだけ、初めは一寸讀みづらいが暫く讀んでゐるうちには手離し難くなるものである。また一篇か二篇を讀んだだけで、これでどれほど自分の心は養はれたらうなどと考ふることは禁物である。心を養ふ、といつてもなか/\範圍の廣い問題で、幾つか讀んで行くうちに自然と『人間』といふもの、『人生』といふものが解つて來る、其處を指していふのであるの(25)だ。これは云ふまでもなく眞面目な讀者には自らに會得せられてゆくことである。

 私などは幼い時から好んで種々のものを讀んで來た。隨分くだらぬものにも讀み耽つて來たが、然しどのためにといふことなく自づと眼の前を明るくせられたのを思はずには居られない。いま此處でどういふものをお讀みなさいと、たとへば日本では国木田獨歩のもの、外国ではツルゲネーフのものなどと、あらましのものを勸められないではないが、それでも矢張り遍《かたよ》り過ぎる懼れが無いではない。先づ各自に好きなものをお讀みになるが宜しい。

 先づ現代の歌を讀め、次いで古代の歌を讀め、而して轉じて聖書、小説の如うものを讀めと云つた。極めて大づかみな話であるが私の斯ういふ意味は先づ大體ながら『歌』を知り、次いで歌を詠む『人間』を知れといふに外ならぬのである。讀むべき種類は解つたとして、此等のものをどう讀めばよいか、どんな態度で讀めばよいか。

 幾度も云ふやうに思ふが、私は説明の便宜として以上を大抵何々するために何を讀めと云つて來た。これはこれを讀んだらこれだけの利益があるぞ、といふ風の云ひかたになり易いが、實はさうとられることは甚だ迷惑なのである。何等かの欲求があればこそ本をも讀む。讀めばまた何等か(例外はあるとしても)獲るところがあるに相違ないのであるが、その獲得すべき利益を先に頭に置いて讀み始めることは甚だよろしくない。著者——書籍に對して禮を失する事にもなら(26)うし、第一さうした態度で讀んだのでは當然獲得し得べきその效果——利益をよう獲ないで終るからである。何となればそんな眼前ばかりの事を考へて讀む樣な心がけでは、色眼鏡をかけて讀む樣では、書いてあることの神隨まで了解することは到底出來ないからである。

 一つの書籍に讀みかゝつたならば飽くまでも虚心淡氣、水のやうな心で而も熱心にそれに讀み入るべきである。なまなかな反撥心や批評心やを起すことなく、出來るだけ作者に同情を持つ氣持で讀むがよろしい。そして、表面に露はれたるもの、裏面に隱れたるもの、その書の持つ特色のすべてに餘すところなく觸れゆくやうに讀むべきである。と同時にまた、眼光紙背に徹る、といふ言葉がある、讀みかけたからにはその書の缺點に對しても是非この覺悟を持ちたいものである。善く讀む讀者には自然と斯の結果は出て來ずには置かない。

 歌を作らうとする人が他の人の作つた歌を讀む時にかゝりやすい最も惡い癖は、讀み進みながらその歌の趣向やまたは言葉に感心する個所があればそれを直ちに自分の作の上に持つて來ようとすることである。これは強ちに摸倣とまでは行かずとも、最も卑近淺薄なる功利的讀書法である。斯ういふことをしては讀んでも讀んだ甲斐なく、作つても作つた甲斐が無い。僅か眼の前に見える、この句がいゝとか趣向がどうだとか云つて直ちにそれを自作の上に持つて來ようなどとする讀みかたでは到底その作物の本當の味など解る筈がない。それより、靜かにそれを讀み終へ(27)てその歌の根本の價値特色を知悉し置き、他日自作をなす時の參考に供するがよいではないか。

 いま一つ惡いのは、兎もすれば他人の作を輕視し、蔑視せむとする人のあることである。これは幾らか眼のあきかけた、いはゆる半可通時代の人に最も多い癖であるが、この小さな我執のために彼は當然受け入るべき光をも幸福をも多くは自分から追ひ退《の》けてゐる。水野葉舟氏も矢張り讀書に關して次のやうに云つてゐる。

  元來騷がしい心、反撥し易い心、素直でない心を持つてゐる人は不幸である。誰でも自ら養はむとするならば、いつも靜かで素直な心を持つてゐるやうに心掛けたいものである。激動し易く反撥し易い心は、健かな心ではない。また強い心でもない。強い心は、靜かで、素直である。その靜かな心で人の言葉を聞き、それをよく判別し、味ひ、その値を噛みしめてゆけば、おのづからその人は自分を養ふことが出來る。

と。悉く私もこれに同感である。

 あれこれと拾ひ讀み、飛び讀みをすることもいけない。これでは心のおちつくひまはない。落ち着かぬ心にどうしてものを充分に咀嚼し吟味する力があらう。

 尚ほ最後に、何から如何讀み始めてよいかわからぬといふ氣持にもよくなりがちなものである。それに就いて同じく水野葉舟氏がロダンの言葉を引いてさうした際に於ける注意を呼んで居らる(28)るのを此處にも引いてみる。

   『——何處から始める。

   ——初めはない。諸君の行き當つた所からおやりなさい。最初諸君の目にとまつた所に立ち停りなさい。そして勉強なさい! 少しづつ統一がついて來る。方法は興味につれて生れて來やう。最初見た時は眼がいろいろの要素を解剖的に分解するが、やがてそれは互に投合して來て全體を形づくる。(高村光太郎氏譯「ロダンの言葉」より)』

『方法は興味につれて生れて來やう』この一語は讀書法のみならず、讀書より一歩進んで實地に於ける詠歌法に就いても實に適中してゐる。然り、方法は興味につれて生れて來やう!

   附記、本章のみならず本書中に引いた書籍には一々發行所を明記しないが何れの書籍でも東京神田表神保町東京堂書店に問合せられれば大抵手に入れ得ると思ふ。

 

 第五 摸倣可なり

 

    藝術と摸倣……道程としての摸倣……練習としての摸倣と摸倣のための摸倣……發表慾と摸倣……摸倣境の脱却

 

 私はいま作歌の初歩として努めて他の人の手に成つた歌を讀むことを勸めた。讀み讀むに從つ(29)て自身に作歌の興の湧くことを述べた。そしてそれに乘じて親しくみづから作るべき由を説いた。斯くして作られた歌に先づ現れて來るのはいはゆる摸放である。

 本來から云へばこの嚴肅なる藝術界に於て摸倣のごときが許さるべき道理はない。すべての藝術はいづれもみなその作者自身のものであらねばならぬ、作者自身の現はれであらねばならぬ。摸倣とは元來自己を失くして他の形を假ることである。自己の現はれであるべきものに初めから自己を失くしてかかるごときが許さるゝ道理は無いのである。が、此處に歌を作る上に於ける一道程としての摸倣といふものがあると思ふ。

 元來他の人の作つたものを見て自身にも作つて見る氣を起すことからして摸倣ではあるまいか。それは先づ作歌の根本義——内容に於ての摸倣であらう。サテ親しく作らうとするに際して矢張り前に讀んで、心を惹かれたものゝ句の調子なり事柄なり、言葉なりに就いて自然とそれに類似のものを用ひようとする傾向の生ずるのは止むを得ぬことであると思ふ。充分に作歌の手ごころの解らぬ時に於てことに然りである。私はこの時代に於ける摸倣は少しも恥づるに及ばぬこと、寧ろ進んで摸倣すべきであるといふほどに思つて居る。

 まことに摸倣は作歌道に於いて一度は經なければならぬ一階段である。讀書が作歌を誘ふ一機縁であるならば、摸倣はまたその道に於ける練習の一であらう。試みにいま歌壇に立てる大家の(30)一人々々に就いてその人の過去にこの摸倣時代のあつたか無かつたかを問うてみるがよい。恐らくは一人として否と答ふる人はあるまいと思ふ。寧ろ或る可懷《なつか》しい思ひを以てその過去の一時代を語り出づる人があるかも知れぬ。摸倣をしなくてはゐられなかつた時代は一面最もその人がみづみづしい作歌慾に促がされてゐた時代であつたかも知れぬからだ。

 さういふ摸倣は實におのづからなるものである。知らず/\他に眞似て居たといふものであらねばならぬ。これは前云ふごとく最も無理のないものであるが、また斯ういふのもあらう。『ひとつ自分もあれを眞似て作つて見よう』といふ意識して爲すところの摸倣である。私はこれまた許さるべきであると思ふ。つまり前に云つた如く練習の一としてである。人眞似ながら兎に角一つなり二つなり作つてみれば幾らか呼吸がわかる。續いて幾つか作つてゐるうちには漸く完全に飲み込めて來て、サテもう他の厄介になつてゐなくともよいといふ時期に到達すべきであるのだ。

 右云ふごとき摸倣は捨てゝおいても自然に直つて來るものである。否、とても他の摸倣などしてゐられない眞正の創作慾が自然と自己の身内に燃えて來るからである。斯くてこそ即ち『摸倣は許さるべきもの』であるのである。空しく手を束《つか》ねて眺めてゐるより寧ろ進んで人眞似なりにも作つてみるがよいといふ所以であるのである。

 此處にひとつ困つたことがある、それはこの摸倣といふことが全然摸倣それ自身を目的として(31)行はれやすい一事である。摸倣せむがために摸倣するといふ憎むべく憐れむべき傾向がやゝもすれば行はれがちなことである。

 摸倣性といふものは人間には生れながらにして備はつてゐるものらしい。かの子供たちを見れば解る。が、それは要するに無自覺の間のことで、子供にしろ少し物ごころがついて來れば大抵な物眞似は止めてしまふ。それであるのにいゝ年をして、しかも人一倍ものごとの解つた、高尚な心を持つて居るべき筈の歌人がこの摸倣性を抑制し得ないとは嘆かはしき限りである。況んや歌人の摸倣は多くの場合單なる摸倣でなくて盗癖を帶びてゐることに於てをやである。

 これらは要するに歌を詠むといふ事に對する無自覺から來るのであらうが、右云つた方便として階段としての摸倣をいつの間にか習性となし、その安易に慣れて其處から脱出する意氣を缺いてゐるのにもよるであらう。また、歌を詠むといふ自分だけのための事業を忘れて、詠んだらば直ぐそれを他に示さねばならぬもの、示すべきものといふ風に思ひ違へてゐるやうな所から自然さう思ひながら無理をして斯ういふ横道へ踏み込む者もあるだらう。自分だけで作るもの、他へ示すはそも/\の末であるといふ考へを初めから持つやうに習慣づける必要を斯ういふことに關しても思ふのである。彼の懸賞に應ずるために他を摸倣するごときは性質最も下劣なもので、沙汰の限りである。

(32) 初めから摸倣しなくてすめばこの上のことはない。が、右云ふごとき階段として、練習として爲さるゝ摸倣ならば差支へないものと私は思ふ。但し、斯ういふ意味で自分はいま摸倣時代に在る、といふことを自ら心に深く記して置く必要がある。そして一日も早くその境地から拔け出づることを心がくべきである。また、斯の時代の作品はたゞ練習品たるに止まつてその人自身の眞實の作品でないことをも承知しておかねばならぬ。

 

 第六 題詠

 

    題詠の起り……題詠の弊……作歌上の一階段……經驗と題詠……題詠と配合……練習としての題詠

 

 題を出して歌を作る、即ち題詠といふことは近來は殆んど廢れて來て(いはゆる舊派の方では盛んにやつて居るけれど)、よし行ふにしても一種の座興か餘興のごとき風にのみ行はれてゐる。これは極めて自然なことで元來題詠といふものゝ起つたのは平安朝の頃に朝廷に『歌合』といふことが行はれた、これは歌を材料にした堂上人《だうじやうびと》の一種の遊戯で、その歌合の歌はみな題詠であつたのだ。そして後には歌は悉く題詠といふ風になつて來て、そのためかあらぬか次第に生氣を失し、造りもの臭くなつて來たのである。

(33) 題詠の弊は歌を一種の型に入れることにある.自由自在なるべき人の心を束縛して、わざとらしい、いはゆる月並な歌しか作らしめないやうにする。しかして後、終《つひ》にはその『不自由』を一種の安息所と心得るやうになり、その中で安價な慰安を求めようとする。即ち遊戯としての詠歌を樂しむやうになりがちなのである。新たに新しい歌(といふと語弊があるが即ち藝術としての歌)を詠まうとする者は心して斯ういふ危險に近づかないやうにするがよろしい。

 けれどもまた斯ういふ場合がある。初め歌を詠み始めようとする時など、唯だ漫然と詠み始めようとしたところでいかにも捉へどころが無いので途方に暮れるものである。さういふ場合に『菊』とか『梅』とかいふ題があるとすれば、まがりなりにも菊なり梅なりについての想をまとめ得ることがある。乃ちこの題詠といふことも前に述べた摸倣と同じく、作歌の一階段として暫らくこれを借り用ゐるも強ち惡いことではないと思ふ。然し、今いふ通り題を設くれば兎に角詠み易いため、いつかその易きに馴れて、やがて心からこの題詠を難有がるやうにならぬとも限らぬ。さうなれば即ち俗にいふ人參|喰《く》つて首くゝるのと同じ結果に陷る。何處までも一方便としての題詠であると意識してかゝらなければならぬ。そして一日も早くその幼い境地から脱け出ねばならぬのである。

 また、斯ういふこともある。我等は行住座臥の間に詠歌の材料ともなるべきかなりいろ/\な(34)ことを經驗しているのだが、それが形を成さぬうちに大抵は影を消してしまふ。たとへば菊の花を見るにしても、種々の場合に見て種々の感じを抱いたことがあるに相違ない。が、その時々別に一首の歌に詠むといふほどのこともなく過ぎてしまつた。が、いま『菊』といふ題に接して過去のことを振り返つてみると當時の印象がその當時よりも却つて明瞭に蘇つて來るものである。

で、さういふ意味で自分自身にこの『題』を課して詠んでみるがよい。題を置いて心を其處に集めてみると思ひのほかにはつきりと恰度寫眞機のピントがよく合つたやうな鮮かな印象を舊い記憶から拾ひ出すことがあるであらう。斯ういふ場合、かりに題詠とは云つてもその題は假物で、實際は矢張り自己の經驗を主としたものであるのである。これらは題詠の善用とも云ひ得るであらう。『鶯宿梅』とか『松上鶴《しようじやうのつる》』とかいふと我等には極めて陳腐な、わざとらしい、不自然な感じを誘ひやすいが、然し斯んな題を流行らせた最初の人には鶯は矢張り梅にとまつた姿が一等よく見えたのかも知れない、またそれが自然であつたかも知れない。が、なるほど鶯は梅の枝にとまらせるに限る、といふ風に直ぐ他がそれを眞似るやうになつては鶯も梅も共に『自然』に根を斷つて死んでしまふ。斯ういふ風に自然物を自分の好むまゝに都合よく按排して、配合して、一首の歌に作り上げることは甚だよろしくない。また、この配合の弊は題詠に最も多く出て來がちのものである。よし題詠にせよ、決して斯く頭で按排した趣向の歌をば作らないやうに心がけたいものであ(35)る。何處までも自然に出でたいものである。目さき手さきの利く小器用な配合歌より、間の拔けた自然の歌の方がどれだけどつしりした氣持のいゝ——確實な存在性を持つてゐるか知れない。

 斯ういふ見地から初心の人たちが集まつて歌を作り試みようとする場合など、練習法の一としてこの超詠を採るのは適當である。

 題が出たならばその題に心を集めて、それに關聯した自己の經驗記憶を考へ出すがよろしい。そしてそれを一首に纒めるか、若しくはその經驗や記憶から推し進めて一の新しい想像の歌を作り出すもよいであらう。(その際、いはゆる配合の歌になり易いから注意すべきである。配合の歌とは謂はゞ材料のみの歌で作者の精神の籠つてゐないものゝことである)。また、あゝ詠み度い、斯う詠みたいと氣ばかりあせつても言葉が自由にならぬのは誰しも經驗することである。この言葉を自由にする方法としては矢張りなるたけ澤山詠み試みるがよい。それには題詠などが便利である。

 

 第七 寫生

 

    やゝ進める繚習としての寫生……歌と材料……詠む態度と詠む技巧……感興を呼ぶ一法……靜かに視よ……作例二三

 

(36) 練習としての題詠を説いた。が、題詠は何と云つても窮屈だ。詠みよいとはいふものゝ何しろ一つの題についてあちこちと心を走らせねばならぬ。少し作歌の程度が進んで來ると、自然とこの題詠には倦いて來るものだ。つまりそれだけ不自然なところがあるのであらう。其處へ來ての練習として私はいま『寫生』といふことを勸める。

 歌が作り度い、といふ氣持がしてサテ作る手蔓を得るに苦しむといふ場合がある。その時には手帳を懷中にして戸外へ出るがよろしい。

 作り度いといふ一種醗酵した氣持の時、眼に觸るゝものは大抵作歌の材料となり得るものである。昔の歌、即ち舊派の歌などに於ては『何の歌を作る』といふことが先づ問題であるやうだが、新しい歌ではその『何の』といふのは殆んど問題にならぬ。即ち材料は何でもいゝのだ、唯だ作る人の心それ自身が問題であるのである。『何の歌』は問題ではないが『何う詠むか』『どんなに詠むか』が問題である。即ち詠む態度と詠む技巧とが主となつて居るのである。で、詠み度いといふこゝろが萌してゐる時には、あまり材料に選り好みをしてゐないで、先づその詠み度い心を滿足さすまで手當り次第に作るがよろしい。門を出ると桐の木がある、その桐の白い幹を詠むもよろしい。桐の根もとには大きな新しい枯葉が落ちて居る、その落葉を詠むもよろしい。その落葉の蔭には白い※[草がんむり/(揖の旁+戈]草《どくだみ》が咲いてゐた、それも充分に歌になる。花のかげの地は微かなしめりを帶び(37)て朝の日影を受けてゐる、それもよければ、その地の上を這つてゐる小さな名もない蟲、その蟲を追つてゐる蟻といふ風に心のまゝに詠み進むべきである。何を詠んでいゝか解らないと云つて苦しむのは愚かである。詠み度いといふ心が出れば——それはなか/\貴重な大切な心である。——その心の消えぬうちに何でも先づ詠むべきである。若し室内にゐてその材料に困つたならば、右いふ如く室外に出かくるがよろしい。(室内でも大抵の材料にはことを缺かぬものであるが。)そして靜かに眼の前のものに心を留めて一首々々と詠むがよい。

 また、その『詠みたいといふ心』を誘ひ出すべき必要のある時がある。即ちその下地はあつてもまだはつきりと詠みたいとまで心の纒らぬ時である。そんな時にも私はこの『戸外に出でよ』と『寫生』とを便利とする。

 先づ、ものを靜かに見よ、と私は云ひ度い。何でもよい、門に續く杉垣の嫩芽《わかめ》、その側に立つて静かにそれを見つめてゐてみよ、心は次第に洗はれて來るに相違ないであらう。疲れた心にはかすかな活氣を感じ始め、鈍い心には次第に感觸が生じ、見る眼を通じて心は知らず/\新鮮になつて來るものである。さうして捉へどころのなかつた、纒りのなかつた心に次第に纒りがついて來る。心に目鼻があいて來る。其處で『詠まう』と思ひ立つて見れば大抵は效能のあるものである。ものを靜かに見てゐよ、といふのは謂はゞ一の精神集中の法かも知れない。

(38) 單に斯うして心を纒めるために見るのでなく、一歩進んで眼で見るまゝを一首に纒めようと努めて見るもよろしい。さうして出來たのが必ずいゝ歌だとはゆくまいが、物を見る眼を養ふために見たままを歌に詠む練習をなすために、初めさうしてゆくのもよい事と思ふ。うまく行くかどうか知らないが、いま斯うして此處を書きながらその流儀でひとつ私がやつて見ようか。

 庭さきに萩と薄とが植ゑ込んである。萩はすつかり散りはてゝ薄のみ二三本の穗を高く拔いてゐる。

   萩の花はや散りはてて薄のみひとり咲けども淋しくぞ見ゆ

   久しくも咲きゐし萩の散りはててこの草むらのすすき穗に出づ

 その向うの杉垣はいま恰度秋のわか芽を出してそれに散り遲れた糸瓜の花が咲いてゐる。

   杉垣の秋のわか芽の葉のかげに糸瓜の花の色冴えて咲く

 見ればその杉垣には雀が遊んでゐる。

   杉垣の下葉は括れて秋の日のあきらかなるに雀あそべり

 など、いづれも前に云つた景樹の『それそこに豆腐屋』式ではあるが、眼に見るものゝ大抵が歌になるといふことはこれでも解ると思ふ。歌! といふと大層むづかしいものゝやうに固くなる癖はいけない。平かに、靜かに、常にその心を澄ませておいて、眼の前の草にでも小鳥にでも(39)

徐にものを云ひかくる氣持で作れば案外に易々《やす/\》として作れるものだ。

 此處に云つた『寫生』は咋今歌壇でむづかしく論議せられてゐる『寫生論』とは違つてゐる。これは唯眼の前のものをよく見て、直ぐこれを歌に詠む練習をせよといふまでゝの『寫生』である。

 

 第八 散歩及び旅行

 

    心を新しくせよ……手帳と鉛筆……散歩の方法……船室車窓……想像と實際……佳景と佳歌

 

 いま説いた寫生の方法を少し押し進めて行くとこの散歩となり、族行となる。

 氣を變へる、心を新しくする、といふことは作歌の上には大切なことである。机に向つて考へ倦《うん》じた際など、ぶらりと戸外に出て冷たい風に吹かれると先刻《さつき》頭の痛くなるはど考へ込んだ時にはどうしても出來なかつた微妙な歌が殆んど無意識に心に浮ぶ事などあるものである。何か用事のある時など急いで路を歩きながら、あとから/\と歌の出來ることもある。で、歌ごころのある人は一寸出るにも手帳と鉛筆とをば離さないがよろしい。ひよつと心に浮んですぐ消えてゆくやうな歌に、なかなか棄て難い佳作が混つてゐるものである。歌はその歌はれた材料や趣向より(40)その言葉その調子が常に主なものであるが故に、ひよつと心に浮んで消えるといふ歌などをばその出來た時々に何かに書き記して置かないと初め自然に心から漏れて來た微妙な調子をば直ぐ逸してしまひがちのものである。斯う/\いふ趣向の歌ではあつたがとその歌の筋をばあらまし覺えてゐてもそれは多くは役に立たない、筋だけでは最初心に浮んだ時の微妙な心持がなか/\出ない。その心持といふものは大抵言葉や調子の上に含まれてゐるからである。散歩に限らず、夜床に就いてから思ひがけず歌の出來ることなどある。そんな時には直ぐ起き上つて紙筆を用意すべきである。明朝起きてから、などと考へてゐては大抵失敗する。

 散歩は先づ獨りの方がよい。雜念を除いて徐《おもむろ》に歩む。歩むにつれて心は次第に統一されて來るものである。さうした時、初めは少し無理でも一首二首眼前の何でもを材料として詠んで見るがよい。初めその一首二首の間は一向面白くなくともさうして續けてゐるうちにはわれ知らず感興が湧いていつか本氣になつて作り出すものである。散歩ごとに必ずさうだとはゆくまいが、多くさうなりやすい。いつのまにかまたさうした癖もつくものである。初めは努めてやつて見なくては駄目かも知れない。兎に角實地にやつて御らんなさい。

 旅行は散歩の大なるものである。汽車の窓、汽船の室、またはぶら/\と山を越えながら、次第に移りゆく大きな景色を眼にしてゐると努めずとも作り度くなるのが當然であらうが、さうで(41)なくとも前に云つたやうに最初二三首強ひても作つて見ると自然それに誘はれて作り度くなつて來るであらう。また、繪葉書や手紙の端などに何の氣なしに書きつけて出した歌に極めて自然な、佳い作を見ることもある。

 散歩にせよ旅行にせよ、兎に角に餘りに心を騷がせてはいけない、餘りに思ひ昂《あが》つてはいけない。自然に湧き上つて來る感興をも力めて抑ゆるやうにして靜かに一首二首と詠んでゆくべきである。作者自身餘りに昂奮してしまふと、出來る歌は極めて粗雜な、概念的なものになりがちである。それは、どうかすると居ても立つてもゐられないやうな昂奮を覺ゆることがある。私としても折々さういふことに出會つた。ぢつと坐つてゐて手帳に歌を書きつけてゐられない、で、私は立ち上つて(相模三崎港の宿屋の二階で)部屋中をそろそろと歩き出した。けれど、力めてその自分みづからの昂奮を噛み味ふやうな氣持で、やゝ遠くに置いて眺めるやうな氣持で、手で觸るのも恐いやうにしてその感興を守りながら三首五首と作つて行つた。一度は武藏秩父の奥の溪間を歩きながらこれは三日間に亙つて續いた感興を守りながら詠み耽つたこともある。斯んなにして歌が出來出すと自分ながら何だか神々しい氣に滿たされて、自分自身のこともなか/\かりそめにはよう扱はないものである。

 昔の言葉に『歌人《うたよみ》は居ながらにして名所《などころ》を知る』といふことがある。これは秀れた歌人はよく(42)直覺を以てまだ見ぬ遠い土地の景色をも知ることが出來るといふ風にも解せられるが、事實はさうでなく、即ち概念を以てその景色を想像し、そしてそれを歌に詠み得るといふ事に當るらしい。甚だよくない言葉である。概念で以て世に名所と謳はれてゐるやうな大景を歌はうとしたところで到底出來るものではない。たとへば富士山が中空に聳えて、その中腹に白雲がたなびき、麓には松原が續いて居る。松原の蔭には波が寄せてゐるといふ景色を概念で頭に描くとする。そしてそれを一首に詠まうとする。それはさう困難なことではないかも知れぬ。かりに、

   波寄する松原のうへに白雲のなびきて富士の峰晴れにけり

 としてみると、とにかくに右云つたゞけの景色は詠んである。が、歌としては少しも出來てゐない。つまりさうした景色だけは眼に見えるが、一首の基調を成すべき作者の心といふものが少しも動いてゐないからである。矢張り實地に見て實際に感じた所を歌はなくては駄目だ。

 また、初心の人は何でも仰山に歌はなくてはならぬものと考へてゐる傾きがある。これは『歌!』といふと直ぐ固くなるのとほゞ同じで、景色の歌を詠むとすればそれがどうしても餘程秀れた絶景佳景でなくてはならぬやうに思ひ込む癖である。これも大變に間違つてゐる。前にも云つたやうに歌に詠むに材料は問題ではなく、常に作者の心が問題であるのだ。作者の心がよく澄んで、よく張つて居れば——充分に感動が發して居ればよいのである。だから感動もなくて強ひて拵《こしら》へ(43)た富士山の歌より充分な感動を以て詠んだ名もない丘の方がよい歌になるのである。景色のよいのに心を動かされたから佳い歌が出來た、といふのならば當然だふぁ、景色のよい所が詠んであるから佳い歌だとは決して云ふことは出来ない。心すべきである。

 

 第九 同好の友、會合及び囘覽雜誌

 

    一夜百首……歌會……點取りの面白味とその弊……即題と兼題……囘覽雜誌

 

 獨りで靜かに勉強するのもよいが、それは餘程後の事で初めの間は勉強仲間があつた方がよいやうだ。自然にさうした仲間が出來ることもあらうし、『自分は此頃歌を始めたが、どうだ君も一つやつて見ないか』といふ風に勸めて見るやうな場合もあらうし、または雜誌の上などで知合になつた仲間もあるであらう。萬事につけて獨學より便利なことのあるのは他の學問などと變りはない。

 お互に歌集其他持つてゐる書籍を見せ合ふとか、種々作品上の話を爲合ふとか、お互に作品を見せ合つて批評をするとか、一緒に集つて作り試みるとか樂しみながら勉強することが出來る。此頃ではあまり流行らないけれど、一時は歌壇の先輩達の間にも一室に集つて各自に一夜百首詠を試みるなどといふ事がよく行はれた。單に練習のためにもなるし、また、初めは練習や座興の(44)つもりで始めたのがわれ知らず感興を呼んでツイ眞面目になつて作り出すことがある。最初二首三首、または五首十首作つてゐる間は強ひて作つてゐてもその間に心が統一され、自然に感興が湧いてそれから本氣になつて作るといふのはよく經驗する事である。一夜百首詠などといふことは後になると億劫でやれないものだが、若い間初歩の間にはなか/\面白い事だ。仲間でも無くば單獨では一寸やりにくいが、さうした仲間があるならばやつて見るがよい。題を幾つか出してやる事もあるし、題無しで自由に詠み競ふ場合もある。出來のよしあしは別としても百首揃つて出來上ると誠によい氣持のものである。また、百首も作るうちには自然氣に入つたのも幾つか出來るであらうし、さうして作り重ねてゆくうちには作歌の呼吸に就いて自然に會得する所があるものである。

 百首でなくとも仲間が集つてする競詠の一方法として點取りといふ事も行はれる。これは大抵最初に題と作る時間とを限つて置いて行ふやうだ。題を出すのはその席にある先輩が混つてゐたならばその人に出して貰ふし、でなかつたらば合議の上で時季のものとか何とか適當なものを選ぶとか、またはその場に在り合せた書籍を手當り次第に開いてその頁の中から題になりさうな文字を拾ひ出すとかいふ風にして定める。題がきまつたならば時間をきめる。三題一首づつ(即ち三首)一時間とか、五題(數無制限とすれば出來たゞけであるがこれは不便である。矢張り一題(45)一首づつ位ゐがいゝだらう)二時間とかいふ風にだ。そしてその時間が來たば出來たゞけの各自の歌を集める。集めた歌をば豫め誰を幹事と定めて置いて題ごとに紙を別にして清書させる。(これは筆蹟により作者の解らぬやうに)。その間に他の幹事は選歌用の紙片を各自に配る。配られたその紙片に各自は名前を認めて置く。その間に清書が濟めばその歌に番號を打つて各自の間に順次に廻すのだ。廻された人たちはそれらの歌をよく讀んでみて各自の好みに從ひ豫め定められた數(大抵三首づつ選ぶのが常だが、集つた人の少ない時には五首位ゐにせぬと選の點數の纒まらぬことがある。)だけの歌をその中から選んで(歌全部を書きぬくのはめんだう故その歌の上に記された番號だけを書く。)前に渡された選歌用の紙に認め、それを幹事に渡すのだ。幹事はそれを全部受取つた後、一枚々々づつ大きな聲で讀み上げてゆく。たとへば『何誰選《なんのたれせん》』と先づ選者の名を云つておいてそれから『何番』、『何番』と選まれた歌の番號を讀み上げる。スルト今一人の幹事はその時その前に清書された歌の紙を持つてゐてその何番といふ聲に應じてその番號の歌を讀み上ぐるのである。讀み上げらるゝとその歌の作者は『何誰《なんのたれ》』と自ら自分の名を名乘る。斯くしてこの歌には一點だけ點數が入つたわけである。(そのやうにその歌の上には點數を、歌の下には作者の名を書き入れる)。斯うして讀み上げてゆくに從つて佳い歌には自然に點が澤山入るので誰のどの歌が何點で最高點、次點がどれだといふ風にその成績を見て樂しむのである。これ(46)は練習といふよりたゞ『樂しみ』といふべきもののやうだが、初歩の間はまつたく面白いものである。これにより作歌欲を誘はれることが少なくない。斯うして樂しみながらに作歌熱を増進させてゆくのもよいことだと思ふ。たゞ注意すべきはこの點とりの時、點のとりたさ一杯でいろいろきたないことをする人があるものである。たとへば先輩の歌を摸倣したり、剽窃したりする如きである。これはいけない。これでは折角の練習のためといふ目的が全く零になつてしまふ。また斯ういふ席上で選ばれる歌は多くは器用な眼さきの利く歌が選ばれるものだから、自然つとめてさういふ歌をのみ作らうとする、これも、躬《みづか》ら進んで病弊に陷るものである。斯ういふ際にも矢張り虚心平氣自分の信ずる歌を作つて居るだけの信念を持たなくてはいけない。遊戯のための歌よみとならぬやうに心がけねばいけない。

 此處に云つたのは『即題』、即ちその席で題を出して作るのだがこの外に『兼題《けんだい》』といふのもある。これはその時の幹事が會の數日前に題と歌の數とを定めて各自からそれを取り集め置き、會の日までに清書をも濟ませて置いてサテ後は右いふごとく集つて共選するのである。また一切題を定めず、近詠何首づつを『持寄り』といふ風にして行ふのもある。

 この點取りよりやゝ研究的なものに『囘覽雜誌』といふを作る法がある。

 囘覽雜誌と云つてもそれを作る方法は幾つもある。たとへば單に各自の作品だけを集めて一册(47)に綴ぢ、それを順次に囘覽するといふのもあらうし、またその卷末にその批評や雜感を書きつけるやうにするのもあるであらうが、初歩の人には最も興味深く且つ利益になると思ふ一法を御紹介しよう。幸ひさうした囘覽雜誌を作つてゐる人達の一册が手許にあるのでそれを見本にする。

 豫め幹事を定め、その幹事は囘覽雜誌をやらうといふ仲間から三首なり五首なりの數を定めて歌を寄せ集める。そして一册の帳面を作つてその一頁の右端に(次の表に於ける星闇の如く)一首づつ書きつける。斯くして全部の歌を帳面に書きつけたのをば順序を作つて各自に囘覽さすのである。これは毎號二度づつ廻すのであるが、第一囘に廻す時には單に歌のみを記して作者の名をば書かずに置く。それを受取つた各自は右の表に於けるA、B、C、(實際はいづれも本名を記す)の如く順次にそれぞれの歌に對する批評を書きつけて次ぎ/\へ廻すのである。斯くして第一囘が一巡し終つたらばそれを幹事の手に戻す。その時幹事はそれまで自分だけ知つてゐた作者の名を歌の上に(表に於ける白木茶花の如く)朱書する。そしてそれを今一度會員に囘覽さすのである。各自はその時に初めて作者の名を知るので今迄はそれを知らなかつたゝめ批評も遠慮なく出来るといふわけである。

 これは研究にもなるし興味も深い。五六人も集つてゐる人たちには私はよくこれを勸める。斯くして眞面目に研究し合つてゆく間にはお互に知らず知らず啓發される所が少なくないもので

(48)白木茶花 星闇の濱邊に立ちて物思へば三崎の山にいなびかりすも

      (A) 惡い歌ぢアないと思ふ、三崎の山の見える邊に曾遊の經驗があつたら一層この歌になつかしさを覺えたゞらうに。

      (B) 感激が足りない。

      (C) …の〔付○圏点〕…に〔付○圏点〕……の〔付○圏点〕……に〔付○圏点〕の|のに〔付○圏点〕が耳にさわる、立ちてと云つたのを受けて物もへばはあまり大まかな云ひかたすぎる、稻光といふ焦點に生命がうすい。

      (D) 恐しい自然である、人間の弱さがしみ/”\感ぜられる、恰度惡魔の響の樣だ、けれど私はそれを悲しまない、たゞ生きて行けばそれでいゝ。

      (E) 成程感激が足らぬやうです、しかし佳い歌ですネ。

      (F) 印象が電信略符の樣に羅列されてゐるやうに思はれて至極つまらない、「物もへば……いなびかりすも」といふあたり、益々くだらなくさせてゐる。

(49)ある。

 

 第十 先輩に就いて

 

    第二期か……單獨の勉強……先輩に就く……師弟關係

 

 同好の友人同志で勉強しながら滿足の出來てゐた時代は多く最も樂しい時代であるやうに思はれる。ほゞ同じ程度の人たちがめい/\お天狗になつてわけもなく唯だ無闇に作つては喜んで居る。が、その時代も餘りに永くは續かないやうである。さうしてゐる間に次第に作歌上の種々の疑問に出會つたり、または自分自分の才分に疑ひを抱くやうなことにもなる。或はまた同輩間の作歌能力や批判能力に慊なくなつて獨り其處から脱け出ようとするに到る。

 それからは單獨に一層深い研究創作に志す人もあるべく、その間に自分の私淑してゐた先輩に就いてその人と共に更に新たなる努力を續けようといふ人もあるであらう。或はまた右いふ作歌上の疑問や、自己の才分に對する疑問を徹底さする事なくして其儘あやふやに中止してしまふ人もあるだらうし、または甘んじてその程度で停つてしまつでそれからはたゞ遊戯骨董のやうに歌を玩ぶ如き人もあるであらう。謂はゞこの時期は作歌行程の第一期の終りに屬するもので、今まで殆んど無意識に自然の力に驅られて來た作歌欲が漸く盡きてこれから朧げながら自ら意識して(50)作り出さうとする時期に際するものゝやうである。すべて物の變遷期に起り易い種々の危險はまた作歌上のこの時期にも起りがちである。

 その時に際して最も安全な、また賢き方法は自己の信ずる先輩に就いて更に新たなる歩みを起すことであると思ふ。單獨で自己の路を開いて行く、といふのは云ひ易くして行ひ難い事である。少なくともまだこの時期にあつては早過ぎる。斯ういふ人に限つて妙に獨りで思ひ昂つて一種病的な、ひとりよがりのものを作つて自然に伸ばして行つたらば充分に伸ぶべき折角の自己の才能をも殆んど故意に自分から枯らしてしまふものである。そして徒らに他を罵り、強ひて自ら高うし、次第に自己の惡い殻を作つてゆく。痩我慢の強いだけ、斯うした人はさうした際に於ても救はれる機會が少ない。

 先輩に就く、といふうちにも種々あらう。單に斯界の先輩だから、といふものもあらうし、個人的の縁故から近づいてゆくのもあらうし、その人の人格や作物を信じて進んでその下に就くのもあるであらう。いづれもよろしい、いづれにせよ、その人に就いたからにはよく心を平かにして其處に安住し、その人の才能を知り明め、その人から受くべき感化をば充分に受くる樣に常に己を空しうして仕うべきである。そして少なくともその先輩の持つて居るだけの才能までには漕ぎつける覺悟を以て努力すべきであると思ふ。

(51) 昔の歌の道に於ては師弟關係といふものが非常にむづかしかつたさうである。これは詠歌といふ事が一種の儀式の樣にも解せられてゐたゝめであるが、現今單に藝術として歌を取り扱ふやうになつてからは自然その間に少なからぬ相違が生じたわけである。嚴密な意味で云へば藝術には師匠も弟子も無い筈である。元來が藝術は各個それ/”\の仕事であらねばならぬ筈故、弟子だからと云つて師匠の行つた道を否應なしに踏襲せねばならぬといふ法はない。要するに師匠は多少とも弟子を啓發すれば足るし、弟子は師匠の或る點を自己の參考とすればよい樣なものである。が、さうはいふものゝ歌は藝術の中で最もその作者の人格の直接に現はれるものであるが故に、單にその作物を參考とするといふ以外にその作者自身に動かさるゝところが多くなる。その才能や作物のために就くと云ふよりその人自身に就くといふ場合が多くなる。これはいかにも自然でまた奥ゆかしい事であるが、それだけまたその下に就くべき先輩についてもよく充分に先づ知つておく必要があると思ふ。

 ことに今の歌壇ではそれ/”\詠風の異なるにつれて流派を立てゝ互に相讓らぬやうな形を呈してゐるのでそのいづれに就くべきかは先づ充分に考ふべきである。西も東も知らぬ時にそのいづれの派にか入つて、やがて物が解るやうになつてどうでも我慢が出來ぬといふ如きか或は何か特別の事情があつたのならば中途で止すもよいであらうが、その人の下に就いて見たりこの人の下(52)に走つて見たり、それ/”\の人の鼻息と自己の僥倖とを窺つてゐる如き、若しくはその先輩を自己の踏臺同樣に心得る如きはまことに態度がきたなく且つ不屆である。そんな態度でそれ/”\の歌だとて了解出來る筈はない。一度その人の下に就いたならば一生其處に居る積りで靜かに身を處すべきである。若し自然に詠風が違つて行つたならばそれは違ふに任せておくべきで、それに就いては先輩の方に先づ充分の理解があらねばならぬ。作歌上に於ける主義の相違を生ずるは止むを得ぬ、この事に關しては自由に異を樹つべきであるが、その情誼の上に於ては飽くまでも師弟又は先輩後輩の道を盡すべきであると思ふ。

 

 第十一 投書といふこと

 

    投書の面白味……投書に就いての自覺……投書の危険……所謂投書家の歌……創作欲と發表歌欲

 

 幾らか自分で歌が作れるやうになる、それを何處かの雜誌へ活字にして發表して見度くなる、そして投書といふことをやつてみる、するとちやんと活字に組まれて自分の名と自分の作とが誌上に現れて來る、といふのは嬉しい事に相違ない。それに勵みを得て更に氣を新たにして作る、投書する、といふのも無理の無い話である。そしてそれはよきことである。

(53) 斯ういふ風に單純な樂しみから、または自分の力をためしてみる心から、投書といふを爲るのはよいことである。そのために幼いながらも刺戟を受けて思ひがけなかつた作歌欲を誘はれて行く事があるものである。が、これらは謂はゞ投書の一つの方便に過ぎない、『歌を作る』といふ大道を進みながらの一つの道草に過ぎない。それを誤つて若し『投書』といふことそれ自身に興味を持つやうになると極めて危險である。

 投書するといふことは、謂はゞ一つの投機である。投書して果して當選するかどうか、當るか外れるか、それを待つ間の投機的興味が餘程投書するといふことの原因をなしてゐる樣である。自ら作つて投じた歌そのものに對する興味よりこの載るかそるかを待つ興味の方が確かに強い。即ち歌といふものを材料にした一つの遊戯、進んでは一つの商賣である。イヤ戯談でなく、事實この投書を商賣の樣にしてゐる人が世間に少なくないのである。これらが眞實に歌を作るといふことのためによいものか惡いものかは既に論議を要せぬ事である。私の特に此處に一言を費し度いのはそんな商賣人的投書家の事でなく、知らず/\さうした危險に陷らうとしてゐる、無垢なる作歌者のためにその注意を呼び度いと思ふがためである。

 人は生れながらにしてかなりに多量に勝負事を好む心、または僥倖を待つ心といふ風のものを持つてゐるものらしい。あれだけ法律でやかましく取締つてゐても種々の勝負事は斷ゆる事なし(54)に行はれ、射倖心を唆る樣な種類の事業は殆んど毎日の新聞紙の廣告面を賑してゐる。惡しき意味の投書も謂はば斯うした人情の弱點に對して設けられた觀が無いではない。多くは年少の人たちが知らず/\斯うした誘惑に導かれて行くのも無理は無いのである。投書をするからには當選したく、當選するとしてもさう下位で當り度くない、それには大抵許多なる競爭者を相手にせねばならぬ。從つてこの『投書心』を滿足さすには『どうしても當選したい』『當選するにはどうすればよいか』といふ事を極め盡すにあることになる。程度の如何はあるにしても兎に角に選者の鼻息を窺ふのが一法である。器用な氣の利いた、眼につきやすい樣な歌を作つて出すことも一法である。その他あれ、これ、と種々方法があるであらう。讀者よ、これでどうして投書といふことが『歌を作る道』の利益になり得やう。第一、投書する人自身が先づ『自己の歌のため』といふことを考へるであらうかどうか。

 斯うした、投書をする人たちの心理状態やその動機やらは要するに私の推量にすぎぬ。或は邪推であるかも知れぬ。此處に私はさうした投書熱に浮かされてゐる人たちの作品の上に現れた諸現象に就いて更に一言を費し度い。これは推量ではない。斷えず眼に見てゐる事實の報告である。

 第一に彼等の歌は器用である。いかにも手際よく、あるべきものをあるべき所に置いて作つてある。なるほど、と思はずには居られぬ樣な歌である。そして彼等はみな相當に作歌のコツを知(55)つて居る。斯うすれば斯うだといふ作歌上のかけひきをよく飲み込んで居る。痒いところに手の屆くやうな、細かな技巧が施されてある。『やつてるナ!』とわれ知らず微笑せずには居られない微妙な呼吸を使つて居る。『うまいもんだ!』と漏らさずには居られない或る種のうまさをそれぞれに持つて居る。(云つておくが、これらは皆投書家中の優秀なるものを指すのである。その劣等なものに至つては殆んど噴飯にも値しないものがあるや勿論である)。時としては私もそのうまさに釣られやうとして、ハツとする事が屡々だ。然し、實際それ等に釣らるゝべく此頃私は餘りに多くの彼等に接して居る。

 彼等の歌を作るや、既に動機が違つて居る。(また、歌ほど正直にその作歌の動機を物語るものはないのである。)即ち『歌』は方便に過ぎず、目ざす所は『當選』である。歌に『本當の歌』が、『生きた歌』が出來やう筈がない。いかに巧に、如何によく呼吸を飲み込んで作つてあつても、要するに歌の『靈魂』が死んで居る。ところが歌は殆んどその『靈魂』のみで持つてゐるものであるのだ。

 然し、斯うした玄人筋の投書家は先づそれでよろしい。彼等自身『歌』といふものに對してはさほどの顧慮を持つてゐぬかも知れぬからである。唯だ氣の毒なのは最初何の氣もなく投書といふことをしていつのまにかその惡い面白味を飲み込み、知らず/\眞正の投書家になつてしまふ(56)やうな人たちである。これらの人は初め方便として『投書』といふことをし、やがては『歌』の方が方便になつて行つたのを氣づかずに居る人が少なくないらしい。そして、次第にその深みに陷つてゆく。

 時にさうした深みに陷つてゐる事に氣のつく人がある。私はよく自身にさう嘆いてゐる人たちに出合ふ。が、その時はもうなか/\に其處から脱け出ることが出來ぬらしい。脱け出ようと苦しみながらもその作は常に血の氣を帶びず、靈魂を持たず、徒に巧緻なる常識の作であるのを見る。よくよく執拗なる痼疾でこの『投書病』はあるやうである。

 投書そのものは惡いものではない。投書によつて作歌欲を進め、知らず/\歌壇一般の傾向といふものを知り、思はぬ知己をその間に得るといふやうなことがあるものである。が、其處には右云ふ如き恐るべき惡弊惡疾が流行して居る。忘れてもそれに罹らぬやうに心がけねばならぬ。その病氣を持つた人は多くは小怜倒な一種の才能を持つた、理窟なども相當に云ひ得る半可通の人に多いので、初めは眞實に偉いのだと思つて近づき度くもなるものである。近づけば大概傳染させられるであらう、それだけの力をば大抵彼等は持つて居る。で、投書をするならばするで充分にその覺悟をきめてかゝらねばよくない。飽くまでも『歌を作るため』といふことを忘れないで、『投書をするために歌を作る、雜誌に發表するために歌を作る』といふ風にならぬやうに本(57)末を誤らぬやうに注意すべきである。

 ついでに云つておく。發表するために歌を作る、といま云つた。これは投書とは違ふが(一種の投書病の變疾とも見るべきものもある。)少し自由に三十一文字を並べ得るやうになると先づ自分が主になつて同臭の四五人を誘ひ合はせ、月々雜誌を出して自分等だけの作品を發表する事がいま流行してゐる。歌壇に一派を作りそのため特に一つの雜誌を出さねばならぬだけの特質を持つたものならばどんな小さな雜誌でもその必要があり權威もあるであらうが、たゞ自分等のものを思ふやうに活字にしたいだけの欲望、お山の大將になりたい虚榮心、そんなことをお上品な、女道樂より金がかゝらぬと考へてゐるやうな道樂心、または社交心、などからさうした事をするのは誠に憐れむべき事である。つまりさうした人たちも此處に引いた投書家たちと同じく、『歌を作る』といふのは客で、先づ『作品を發表する』といふことや『名前を出す』といふことや、唯の『お道樂』が主となつてゐるのである。そしてその結果は自分から進んで自分の歌の芽を摘み棄てるか枯らしてしまふやうなことになりがちなことに終つて居る。兎に角に歌を作るといふ創作欲と、歌を發表するといふ發表欲とを轉倒せぬやうに心がくる事が肝腎である。發表を念とすれば自然『作る』方は留守になりがちである。作る一方であれば自然その作物も優れて來やうし、優れて來ればこららが拒んでも世間でそれを發表せずには置かぬものである。

 

(58) 第十二 推敲及び批評

    出來たままの歌……一首の仕上げ……一首のもと……一首の假成……表現法……心と言葉……心と調子……自得と直覺……技巧といふことの誤解……推敲の危険……實例二三……批評と岡目八目……批評に對する態度………實例二三

 

 歌に作つたまゝで自らなる光を放ち立派に一首として輝くものと、最初は殆んど形をも成さず添削に添削を加へ推敲に推敲を加へてゆくうちに漸く燦然たる光を放つに到るものとの二種がある。そして前者は大抵な優れたる作者にも先づさうざらにあることでなくして、先づ大方の作はこの後者に屬するものであるやうである。

 最初腹のうちで、心のうちで、充分に醗酵し純化するのを待つてから一首として作り出せばよいのであるが、人は大抵この作り出すことを急ぐ、また一首の形として兎に角に早く作り出しておかないとそれを忘れてしまふことなどがある。前に散歩に出る時、床に就く時紙筆を用意せよと云つたのもそれがためである。然うして置いて後|徐《おもむろ》にその一首の作り上げ、仕上げにかかるのである。これを推敲といふ。

 ふつと詠みたいと思ふこと、一つの趣向が心に浮ぶ。その時はまだ形をも何をも成さないもの(59)である.それが充分に醗酵して形を成すまで待ち得ればよいのであるが、單に氣が急くといふのみでなく、そのまゝではいつまで待つても醗酵せぬ場合がある。さればとて棄て去るのも惜しい。さういふ場合は取りあへずそれをそのつもりで未熟のまゝに一首の歌として假りに作り上げて置くのである。而して後、形となつて其處に出て居る未成品の歌に對して更に心を集めて改めてその醗酵を圖るべきである。つまり先にチラリと心をかすめた一つの感興がやがて充分に纒まるに到るまで自爲的にその計畫を廻《めぐら》すのである。成るやうで成らず、身體の何處かに何かゞ附着《くつつ》いてゐるやうな兼好法師の所謂『思ふことを云はぬは腹ふくるゝわざ』の氣持わるやを感ずる場合を作歌上誰しもよく經驗するであらう。さういふ時は先づ何でもいゝから三十一文字の、形のあるものにしておくのだ。そして改めてそれに對して工風を凝すがよい。これは他處で見て來た景色なり何なりに就いてかなりに心を動かされ、一首の歌にしたいなアとは思つたがその場で出來ない、といふ風の場合にもよく適應出來る。さういふ時はよし三十一文字に纒まらずとも自分の心おぼえだけなりと何かに書きつけて置くがよい。そして折にふれてそれに心を集めて見る、次第次第に心のうちにその『一首にしたいなア』と思つたものが形を成して來て、寧ろ最初思つたより餘程いゝ歌になることなどある。また、たとへ出來る出來ないに係はらず、ハツとしたやうな感じ、一種の靈興《インスピレーシヨン》つまり前に云つた『一首にしたいなア』といふ背景を置いて時々突發的に(60)心に感ずることをばそのまゝに忘れてしまふことをせぬがよろしい。多少に係はらず、ハツと感じたからには其處に歌を成すべき何ものかゞ屹度ひそんでゐるのである。それ自身で歌になるか、それが端緒となつて更に他の感興を呼ぶか、どうかする。『斯ういふことを詠んでやらうかナ』といふ風に豫てから考へ込んでゐたことより、斯うした突發的な感じから生れて來る歌に却つていゝものがあるものである。

 以上は主として歌を成す内容についての推敲だが、それより更に推敲を要するものは心に感じたこと思つたことを如何に形に表すべきか、恩つたまゝに表はすにはどうしたらよいのかといふ即ち表現に關する技巧上に關してである。歌は『私はいま斯う/\感じた』といふ風に自分の感じたことを單に描寫し説明するのではものにならぬ、感じた感じ、若しくは思つたおもひそのままを表はさねばならぬ。自分の感じた感じそのまゝをそつと持つて行つて、言葉の上に觸れしめ、そしてその感じそのままが言葉の上に或る調子を帶びて再現する、いや、言葉そのものを自分の感じた感じと同化せしめてしまふ。それでなくてはならぬ。つまり言葉が自分となり、自分の神經となり、自分の心となつて動かねばならぬ。言葉の上に自分を見、自分の心の動きを見ねばならぬのである。これは云ふべくして實に行はれ難いことである。それだけに表現に苦勞し、その技巧に骨を折る。

(61) この表現の技巧については(歌の道はすべてさうではあるが)斯う/\いふ場合には斯うせよといふ定められた方法がない。まつたく各個が獨自に工夫し發明し會得して行かねばならぬのである。それには先づ自分で苦しむよりほかはない。これでもか、これでもかと自ら苦勞して、そして自ら會得すべきである。その間の行程、それが即ち推敲である。云ひかたが惡いかもしれぬ。滿足出來るまで、即ち自分の思ひが充分に言葉に移るまでに推敲に推敲を重ねて行く間にこの表現の秘法を自得するのである。推敲の任務や重且つ大なりと云はざるを得ぬではないか。歌にあつてはことに詩形が小さいだけ僅か一語一音又は半句一句がよく一首全體の死活を司つてゐる。言葉と、その言葉がおのづからにして帶びて來る調子と、それをよく調和させてそして首尾一貫した、活きた、心の動いてゐる一首を成さうといふのである。最初作る時も苦勞だがその時はまだ内に自然に押し出して來る感興がある。一度出してしまつたものに不滿足を感じながら推敲してゆく時の苦心は更に一層なるものがあるのである。

 推敲に際して心すべきは言葉の選擇法である。推敲の目的は自分の思つてゐること(その思つてゐることそのものをよりよく洗錬せるもの、よりよく豐かなるものにするのも推敲の一である。即ち前に云つた内容の推敲がそれである。)を|そのまゝに表現するにはどうすればよいか、といふにあるのである。それを考へ違ひをしてたゞ徒に綺麗な言葉、歌らしい言葉を選んで一首を飾(62)れば推敲の目的が達せられたやうに思つてゐる風習が無いではない。それでは却つて改惡にこそなれ、寸毫も歌を佳くする目的には添はぬ。感じそのまゝの言葉、少なくともそれに最も近い言葉、近い調子、それを選んで當て填めることにせねばいけない。推敲とは充分に現はれてゐない『感じ』や『思ひ』の光を、それを掩つて居る不純なもの(即ち不純の言葉や調子)を取り除いて充分に光り輝かせることである。徒に綺麗な(と思はれる)言葉や調子でその表れかけてゐる光を塗り隱すことでは決してない。

 また、角を矯めて丑を殺す、といふことがある。角の曲つてゐるのを眞直に直してやらうと思つて(曲つてゐるのがその牛の本來なのに)その愛する丑を殺してしまつたといふのである。どうかしてこの歌を今少しよくしたいと徒に思ひあせつて、あゝでもない斯うでもないと無闇に弄《いぢ》り廻してたうとうその歌を臺なしにしてしまふことがある。推敲する時にはまつたく最初作つた時と同じ氣持になつてゐる必要がある。力めてゞもさうなつて、その時と同じ感興を以て從事すべきである。でないと徒に油に水をきしたやうな、初めより却つて惡くする懼れがある。

 また、直し初めていろ/\行《や》つてゐるうちに次第に最初の思ひ立ちより歌の意味の變つて來ることなどもある。これにはよき場合と惡き場合とある樣である。よき場合は外形、表現法を改めて行きつつある間にそれと共に次第に内容、歌はうとしたことの純化を呼ぶに至る如き時で、こ(63)れならばさし支へない。惡き場合は右に云つた如き推敲の誤用である。つまり形のために内容を左右するやうな本末轉倒を爲す場合である。

 弄り毀すといふ場合もかなり多いが、矢張り作りつ放しのまゝで捨てゝ置くより推敲を重ねた方がよいものが出來るやうである。私などは一首の歌のために手帳《ノート》の一頁若しくは二頁(それもかなり大型の手帳である)を眞黒にする事が少なくない。一度作りかけて出來ず、すてゝ置いたままに三年間ぐらゐ、折にふれてその一首のことで心を使つたこともある。果してその歌が佳い歌であるか、佳くなかつたかは問題外として、ほど/\で捨てゝ置くのはいかにも心が濟まぬのである。甚だうしろめたい氣がするが、兎に角に右の手帳の或る一頁を此處に引いて見ようか。

 この春の初め、伊豆の海岸に行つてゐた時の作である。或る朝起きて見ると暖かい海岸にも似ず、珍しく雪が降つて來た。そして斑に小さな山に積つてゐたが、程なく消えてしまつた。それに興を催して先づ詠んだ。

   菅山《すげやま》の大野が原にはだらにも降れる雪見ゆこのあけぼのに これでは云ひ足りない、最初思つたゞけのことが出てゐない。で、

   菅山の海近みかもこの朝けしばらく見えて雪消えにけり

 思つたゞけのことは云へたが、『暫らく見えて雪消えにけり』はいかにも説明じみてゐる。更(64)に、

   菅山の海近みかもこの朝けほのぼの積みて雪消えにけり

 いくらかよくなつたが、まだ言葉が据わつてゐない。

   菅山の海近みかもこの朝けほのかに降りて雪消えにけり

 まだ今見れば不充分なのを感ずるが、その時は兎に角こゝまでで切りあげてある。

 同じ時同じ所で或る野梅《やばい》を詠んだもの、これはたゞ作り變へて行つた經路だけを示さう。

   枯草の小野の傾斜《なぞへ》の春の日に浮き出でて咲ける白梅の花

 原作はこれで、歌はうとした意味だけは出てゐるが下の句が説明臭い。で下句だけを左のやうに改めてみた。

   浮き出でて見ゆる白梅の花

   匂ひて咲ける白梅の花

   匂ひて咲ける梅の一もと

   けぶりてぞ咲く梅の白花

 最後に先づ斯うしてみた。

   枯草の小野のなぞへの春の日にかぎろひて咲く白梅の花

(65) 今一首、矢張り同じ所で同じ頃の作、これもたゞ歌だけ書きぬいてみる。

   霞みあひ四方《よも》のかぎろふ春の日にとほき岬に浪よれる見ゆ

   かき霞みかぎろふよもの春の日にをちかたの崎に浪の寄る見ゆ

   あめつちのかぎろひかすむ春の日にはるけき岬浪のよる見ゆ

   あめつちのかすみかぎろふ春の日にをちかたの崎に浪のよる見ゆ

   かすみあふ四方のかすみのなごめるにをちかたの崎に浪の寄る見ゆ

   かすみあふ四方のひかりのかなしきにをちかたの崎に浪のよる見ゆ

 尚ほ斯くして或る一句などをば三度ほども改めてみた末、

   かすみあふ四方のひかりの春の日のはるけき崎に浪の寄る見ゆ

 いづれも未成品ではあるが、いづれも原作よりはよくなつてゐると思ふ。

 次に批評といふことについて少し述べる。批評は他より批評せられて聽く場合が多く、且つ重要である。

 自分が氣のつかぬこと(大抵は缺點)を他人は、第三者はよく見出すものである。岡目八目といふのがそれである。それが多くの場合批評となる。これだけ了解出來れば他より發せられたる批評に耳を傾くることの價値深きはすぐ解ることゝ思ふ。

(66) これだけは大抵すべてに解ることなのだが、それでなか/\斯うゆかぬ。多くの場合缺點を指摘せらるればその指摘せられた點の如何かを考ふることなどをばせずに先づ腹を立てる、『なんの彼奴が!』といふ風の氣になりやすい。お互に敵視するやうな、同等の地位に在つてお互に競爭してゐるやうな場合に特にこれが多い。また、さうした場合だけ、批評する方では直覺などが鋭くなつてゐて多く正當のことを云ふものであるのだ。これはいけない、誠に損だ。さういふ場合、お互の作は作、地位は地位、批評は批評と頭で區分してその批評に耳を傾くべきである。

 またその反對に自分に同情のある、時にはまた何かの必要から媚を呈するやうな人から讃辭を呈せらるゝ。さうなると何の遠慮も反省もなく眼を細くして喜ぶ。眞正の意味の讃辭ならばまだ無事だが、わざとらしい諛辭《ゆじ》を進められてこれを鵜呑みにすることは實に危險である。これもよく解つてゐてそして實行の伴はぬことである。さう具合よく使ひ分けも出來まいが、批評せられるやうな場合には須らく頭腦を冷靜にして、それらの一切に對して充分の理解を持つやうにすべきであると思ふ。批評もすべて正當に下されるとは云ひ難い。種々ためにする所があつて是を非とし、非を是としたやうな批評がよく行はれる。それらの眞僞を見分くるにも無闇に怒り無闇に喜ぶ態度ではなか/\困難である。

 こちらから他を批評する場合にもまた右と同じく充分なる注意を要する。友人の作などをば進(67)んで批評してやるのが義務である。讃める必要はさう無いものだが、惡口をいつてやる必要はかなりあるものだ。他の缺點を見、且つ責めると同時に飜つて自己自身の作にそれを引比べて見ることも必要である。 私が主宰して發行してゐる歌の雜誌では毎號この『批評と添削』といふ欄を設けて盛んに自他の作を批評し推敲して居る。今月號の同欄を此處に引いて見ようか。

 

   秋草の實のなる草を探ねてはしばし佇むわが心かも

 意味不明瞭である。秋草の實のなる草とは先づ何を指すのか、實のなる草ならば何草でもか、或はまた草に限定があるのか。(斯く細かに云ふはその事でも解つて居れば一首の意が解るかも知れぬと思ふがためである。)また何のために探ぬるのか。暫し佇んだのは何の意か。

 役所の報告書の樣に明確にする必要はないが、一首の形を成すべき何等の意味も捕捉せられぬ樣な歌は困る。在つて無きに等しい。然し、この作者はこれを作つて甚だいゝ心持になつたに相違ない。何を云つたか自身でも或はよく解らなかつたかも知れないが、斯うなだらかに云つてしまつて見ると何か知ら素敵な(或は詩的な)事を云つた氣がして大いに收まつたかも知れぬのである。それでは困る。作つた歌をば先づ自分で批判して見ねばならぬ。反省して見ねばならぬ。(68)ぼんやりしたいゝ氣持で作つたり發表してはいけない。

 斯ういふ歌は添削のしやうがない。改めるなら作者の意を訊いて全體から變へてゆかねばならぬ。で、これは作者の再考に俟つほかはない。

 

   見出でては草の實を彩り何時になり蒔かむ種かもあはれなすわざ

 これも全然不明瞭である。

 彩りは採りの誤りだらう。第一斯ういふ簡單な文字を間違つてまで漢字で書くことはない。とりで澤山である。いつになりはいつにならばであらう。あはれなすわざは全然|無意味《ノンセンス》。これを作つて作者には何か意味が解つたのかと思ふと、私には不思議である。或は私に斯う云はれてみると作者自身にも次第に解らなくなつて來るのではあるまいかとも思はれる。兎に角に今少し氣をつけて丁寧に作つて頂き度い。

 

   ひとりゐて電車の響ききをればここだく淋し土の匂ひす

 ここだくさびしがいやだ。私はここだくといふ樣な古めかしい言葉をばよく/\の必要のない限り使ひたくない。こゝにその必要があるかどうか。電車のひびきにここだくでも無からうでは(69)ないか。それは兎に角、ここだくさびし、といふとかなり調子が高くなる。それがこの一首にふさふか如何か。私の想ふ原作の意味は、日の當つてゐる眞晝、靜かに居れば電車の軋が聞えて來る、聞くともなく耳を澄ませば、あたりには其處となく土の匂ひが立つて居る、といふのでは無いか。そのつもりで斯うして見た。

   ひとりゐて電車のひびき聞き居ればほのかなるかも土の匂へり

 まだ不消化だが、いまさきを急いでゐる。第四句をそことしもなくとするがいゝか。さうすれば五句は原作通り土の匂ひすの方がよい。第三句の聞きをればも何とかしたい氣がする。

 

   なぐさめも足りぬるものを現身の身に淋しけれこほろぎの聲

 第二句まで意味不明。或はもう澤山だ、どうかこのうへ鳴いて呉れるな、といふ意味か。それとすれば實に厭味だ。慰めも足りぬるものを、隨分舌つたるい云ひかたである。斯うしたあまえ口調で身をくねらせた有樣は田舍廻りの新振悲劇そつくりで、眞面目な歌には禁物である。一時斯うした流行が歌壇に無いではなかつた。或は私自身その一幕位ゐ相勤めた事があつたかも知れぬ。それだけに今は厭らしい。斯うした甘えた樣な情緒はその時作者の或る一部の慰藉を購《あがな》ひ得るものである。しかも一部に過ぎない。全身的ではない。所謂ちよつといゝ氣持になるに過ぎな(70)いのである。また斯うした歌を見せらるゝ方でも一寸いゝ氣持になり得る事がある。やつてるナ、と云つた樣な相手の(作者の)胸のうちを見透した快味、若しくは他人の芝居によつて自身のさうした芝居氣を滿足せしむる快味など、要するに眞面目な、生一本な鑑賞では決して無い。

 第一鳴いてゐる蟲に向つて、あゝもう慰めには充分だよ、などと本氣でやられるものでない。淋しいと感じたならば淋しいだけで澤山ではないか。何も變なしぐさで見えを切る事はないのである。うつし身の身に淋しけれも矢張り芝居附屬の鳴物にすぎない。浮華にして空語、一向淋しくないひびきである。

 斯んな甘え歌、芝居歌は次第に少なくなつたのだがまだ幾らか殘つて居る。それは少し言葉などが自由に使へる樣になつた半可通程度の人に多い樣である。斯ういふ所に通りかゝつた人は成るたけ速く通り拔ける覺悟を持たなくてはいかぬ。また大抵斯うした程度の人が斯うした作をした時は並ならぬ手柄をしたつもりでゐるものだから始末が惡いのである。

 

   垂穗つづく稻田よぎれば蝗あまたおどろきて去る晝ふかみかも

 此頃この晝深みかもだとか淺みかもだとか何々ゆだとかいふ言葉が無闇に用ゐられる。特にゆなどは大抵の場合誤つて(例、夕立ゆいたくな降りそ夕時を雨戸を閉ざす遠近の家。)用ゐられ(71)てゐる。古めかしく上品で、いかにも意味深長らしいから使ひたいのであらうが、使ふには矢張り使ふ場合があるのである。使ふなではないがそれだけの覺悟を以て使つてほしい。この晝ふかみなども斯う蝗の飛ぶのは晝の深いせゐであらうかとわざわざ首を傾けることはないと思ふ。深いと感じたならば直截《ちよくさい》に深いと云つたらいゝ。想ふに深い淺いが問題でなく、みかもが問題であったのだらう。見ただけのすきこのみで何の必然性を持たぬ言葉を濫用することは甚だよろしくない。そのため折角の歌が空虚になり、浮華に陷りがちである。假りに次の樣に改めてみた。

   晝深き稻田よぎればふためきて蝗はとべりわれの手足に

 驚きて去るといふといかにも大きな者がのそ/\として立ち去る樣だ。言葉に對する感覺をも今少し鋭くしてほしい。

 

   芝山にわらべ騷ぎつ蓙《ござ》もちてすべりゐたりぬ秋のま晝を

 さわぎつ、ゐたりぬ、斯んなぎこちない片言めいた言葉がよく氣にならぬ事だとおもふ。これでは子供が秋のよき日に辷つたり轉んだりして遊んでゐる輕快なる姿は見えなくて中風病みの爺さんが石ころ道を歩いてる樣だ。

   芝山に童騷ぎあひ蓙もちてすべりあそべり秋のま晝を

(72)   わが思ひ人には告げずひとり來て夜の潮鳴り疾して聞く

 また一種の芝居歌である。わが思ひ人には告げず、これは例の思はせぶりである。涙して聞く、は新派悲劇である。單に自分の擧動を敍して他に何等かの推察を強ひる風の手法は既うあまりに幼く餘りに古い。しかもその擧動が自然に出でぬ、芝居がかりの甘いものふざけたものに於てをやである。わがおもひ人には告げず、人に告げずとも折角三十一文字にするからには歌にだけは漏らしてどうか。私は此頃斯んな大づかみな、他に甘えた樣な歌が大嫌ひである。自分のおもひを歌はうとならば自由に自在に歌ふがいゝ。海鳴を聞きながら涙を流す程の事があつたらそれを突込んではつきりと歌ふがいゝ。浪打際に立つてゐたなら夜の浪のうねりが見えたであらう、なぜそれだけでもはつきり歌ふことをせぬか。遠くには悲しい空の光が見えたであらう、なぜそれを歌はぬか。涙がひとりでに流れたら、なぜそれを切實に歌はぬか。

 

   敷石のぬれてつめたくつちひゆる秋をしもだし蟲の音をきく

 秋をし黙し蟲の音をきく、粗雜な感じを粗雜な言葉で述べてゐるにすぎぬ。斯うした大づかみな、お粗末なことを年中云ってゐて腹の蟲が滿足してゐる所を見るとよくよく慢性になつてゐるものと見える。

 

(73)   小夜ふけて風加はればたちまちに外の面は暴風雨《あらし》となりにけるかも

 風が加はればあらしになりますかねエ、とも云へないぢやないか。どうして斯う皆いゝ年をしてのんきに出來てゐるのだらう。

 

   足もとをはなれし雲か目下野の面にひろごり動く白雲

 わるいといふではないが、この歌には感動が無い。あの雲は今僕の足もとを離れて行つた雲かナ、さうらしいよ、といふ程のものとして先づ受取られる。目した野も可笑しいが、目下野の、面に、ひろごり、うごく白雲のあたり、かなりねちねちとしてぼんやりしてゐる。

 

 第十三 歌を作らうとする時及び出来た後

 

    作り度くて出來ない時……油を注げ……散歩……讀書……朗讀……入浴其他……忙しい時に却つて歌が出來る……感興に乘じた作とその後の處置

 

 歌を作らとしてどうしても氣の乘らないことがある。たしかに心の中に歌はうとする何ものかがひそんで動いてゐるのだが、それはよく解つてゐるが、イザ歌はうとしてみると一向に纒まら(74)ない。強ひて作つて見れば出來ないことはないが、考へてゐたとは似もつかぬ、乾いた、ザラザラした、血の氣のないものが出來る。(ついでに云つて置く、斯んな時の斯んな作は未練なく棄て去るべきである。手帳に書いたのなら全然消してしまふべきである。書いてあればそれが眼の、心の邪魔になつていつまでたつても眞實の作に着手《かか》りにくい。また、後日になつても何やらそれに未練があつて強ひて少し作り變へなどして拙いとは知りながら終《つひ》に自分のものとしてしまふのである、これはその人にとつて一つの負債であり負傷であらねばならぬ。)斯ういふ場合無爲に手をつかねてその『歌はうとする心』の自然に外に湧出して來るまで待つべきものであらうか。

 待つて甲斐のあることもある、そして多くは申斐のないものである。でさういふ場合はこちらから進んでその燻り煙つてゐる火によく油を注ぐべきである。燃え立たうとして燻つてゐた火はよろこんで焔を擧げるであらう。油とは何であるか。これは人によつて違ふ。その性質によつて種々の方法をとつてゐるやうであるが、此處には單に私自身の經驗を述べるに留めておく。

 散歩と讀書とが最もよいやうである。入浴もわるくない。そして散歩にせよ、讀書にせよ、入浴にせよ、要はたゞ心の洗淨、心のちからの集中、そして洗ひ淨められたその心が一途になつて燃燒するに到る、それを待つにほかならぬ。散歩をするにしても殆んど眼を瞑ぢたやうな氣持になつて心を外に散らさず、生命にも代へがたい大事なものを懷き抱へた心地でいつしんにその醗(75)酵せむとしてゐる心を見詰めて歩む、——といふといかにも大變なことのやうだが、實際は何でもない。雜念を去り、心をひと所に集め、痛いものに觸れるやうに敬虔な心地になつて歩む、といふやうなことである。そのつもりで、即ちとれから歌を作るのだ、といふ氣持を忘れずに靜かに歩いて居ればよいのである。さうすれば必ず自然と心が統一されてすが/\しくなつて來る。そして一首二首と作りかけてみると大抵の場合純粹な感興が身體の内から湧いて來て面白く二首三首と出來てゆくものである。散歩する場所はその人の好みによつて、なるべく氣を使はないやうな所、ふところ手をしてのんきに歩ける所、そんな場所なら何處でもよいと思ふ。然し、あまり歩き過ぎるとまた疲れたりなどして駄目になるものだ。先づ自分の住居の近くを三十分か四十分ぶらぶらして來る位ゐがよいかも知れぬ。歩きながら出來るといふこともある。これはずつと遠くの郊外あたりへ出る時が多い。歩行はともすれば我等に種々な空想を誘ひやすい。乃ち歩きながら空想する、空想しながら歩く、さうした境地から自づと作歌欲を起して來るものである。

 散歩より更に有效なのは讀書である。それもさういふ手近な目的で讀む場合には大部な、新しいむづかしいものなどを讀み始めてゐては間に合はぬので大抵は手近な、讀み馴れたものを讀むがよろしい。黙讀より音讀がよい。それも散文より韻文の方がよい。多くは新しいものより古いものゝ方がよい。たとへば萬葉集の歌、祝詞、聖書の詩篇、唐詩選、少し長いが方丈記、若し外(76)國語の出來る人ならそれ/”\の國語によつて書かれた大きな詩人の詩、さういふものを未明の神前に祝詞を誦する神官のやうな緊張した、敬虔な心で音讀するのである。暗記してゐるならば瞑目端座して讀み上ぐるがよい。音讀せよといふのは自分の聲そのものが自然に自身に感興を呼ぶものであるからである。(萬葉集は短歌より長歌の方がよいやうである。音讀する上から短いのだと一首々々代るごとに心が動きがちでいけない。長いのを徐ろに讀むのがよい、長歌にはまた素敵なのがある。)自分の愛讀してゐる歌集などを讀むのもよいが、さうすると兎もすればその歌に囚はれがちになつて知らず/\それに類したものが作り度くなつたり、また現代のなどはツイツイそれに對する批判心などが出て一途に心を張らせるといふ目的に添はなくなる懼れがある。

 また、大部な小説などに讀み入つて、少なからぬ昂奮を感じてゐる時など、その昂奮感興を作歌に利用するもいゝであらう。これは然し多く偶然な出來事で豫てから作りたいと思つてゐたことがこの昂奮に會うて端なく芽を吹くのであるから、いつも然うだとはゆかない。私は曾て國木田獨歩の短篇などを讀んだあとはいつも歌が作りたくなつたものであつた。

 入浴は生理的に氣持をよくすることから效能があるらしい。あまり混雜しない朝湯か晝さがりの湯に入つて——私はいつも錢湯だから——ぼんやりと手足を投げ出してゐると急に歌が作りたくなつてあたふたと着物を着て歸つて來ることなどある。その時も然し惶てゝはいけない。作り(77)度い作り度いといふ心を徐ろに押しなだめて、矢張り湯槽《ゆぶね》の中に居る氣持を毀《こは》さないやうにして歸つて來べきである。歸るまで我慢が出來ず、浴湯で出來ることがある。その時は惜しまずに作つてしまふがよい。そして忘れるのを妨ぐために(まさか浴湯まで紙筆は持ち込めないから。)取りあへず聲に出して歌ふのだ。さう大きい聲も出來まいから中音でよろしい、二三度繰返して歌ふ。さうすれば單にその歌の筋のみでなく言葉も調子もそのまゝに覺えて居られるものである。身體、といふうちにも髪の毛や指頭《ゆびさき》のよごれが氣になつて折角の感興を逃してしまふこともある。入浴はさういふことからも救はれる。

 食後など、餘りお腹《なか》の大きい時も作るのに具合が惡い。その時も先づ散歩か入浴で、身體の具合を適度にすべきである。私の古い作に『朝の飯すごすまじいぞこのこころしんみりとゐて筆とりてまし』といふのがある。

 酒を嗜む人ならば、或場合にはこれを用ゐるもよい。が、度を過しては駄目だ。醉はぬ程度に於て心の昂奮を圖るべきである。私の經驗では酒は作り始めの時より、作り進んでやゝ疲れの見ゆる時に用ゐた方がよいやうである。盡きやうとした感興がこの飲料のために再び焔を擧ぐるのは珍しくない。然しまた旅に出た時など、今夜こそ大いに作つてやらうと樂しんでゐて夕飯の時に一寸一杯と始めたのがもとで一杯々々とたうとうぐでぐでになるまで醉つてしまひ、翌朝ぽか(78)−んとして悲觀するためしも少なくない。

 林の蔭とか流のほとり、さうした所に靜かに獨り腰を据ゑて感興を呼ぶのもよい。これは然し周圍のその靜寂と自分の心とがぴたりと合つた時のことで、大抵は餘りの靜けさに却つて心のそわそわしがちなものである。散歩にはこの缺點は無い。または淺草あたりの賑やかな酒場の隅を森林の奧よりも却つて靜かなものゝやうに感じて其處で作つたことなどもある。

 まだ思ひ出して來れば幾つもあるであらうが、これはたゞ私の經驗を物語つてゐるに過ぎないので、他に忙しい職業を持つてゐる人などが一々斯ういふことをしてゐられるものではない。唯だ讀書か乃至は散歩、これなどはどんな人にでも出來ることゝ思ふ。

 また、非常に忙しい時に却つて意地の惡いやうに歌の出來ることがある。私は曾て學校の試驗場で出來て/"\仕樣がなく、答案用紙の隅の方に盛んに書き散らしてやがて消すのをも忘れてそれをそのまゝ差出した事がある。これは忙しい時は多く人間の心の精神の統一し昂奮してゐるものであるがため、從つて下心のある人にはさういふ際に思ひがけぬ作歌の感興が催されて來るのである。戀をしてゐる人が不思議に佳い作を成すのもまたこれと同じである。工場などで烈しい勞働に從つてゐる人が時々非常に刀の籠つた眞摯の作をなすことのあるのもまたこの故であらう。

(79) 斯うして感興を呼んで歌を作る。感興に乘じた時は人は寧ろ不可思議な力を發揮するもので、どうして自分にあゝいふことが云へたらう、作れたらうと後で自ら不思議がることが少なくない。感興に乘じて作つた作には形の上などでは不備な點があつても何處か理窟を離れて光つてゐる所があるものである。で、さうした時に作つたものを推敲する際には、矢張り作つた時の氣持になつて推敲しないといけない。さうでなくその時とは全く離れた徒に冷やかな氣持で筆を加へて行つたのではその作物を水とも油ともつかぬ變なものに弄《いぢ》り毀してしまふものである。

 また、その反對に感興の作の中には開いた口がふさがらぬ位ゐ馬鹿々々しい作も混つてゐるものである。縱横自在、天馬空を行くの氣持で作る時には作つてゐるので、その時にはそんなことは解らないし、考へてもゐられない。で、感興が萌したらそんな事をば念頭に置かず、出來るだけ作るがよろしい。作れるだけ作つて、それをばそのまゝ暫く棄てゝおくのだ。その時は實際佳いか惡いかゞ解らない。謂はゞすべてがよく見える。而して一晩か、或は二三日も經つてから靜かにそれを取り出して見るがよい。——樂しみでもあり恐ろしくもあるものだ——驚くべく佳いのも、呆れるべく拙いのも、その時には明瞭に解る。その時、愼重にそれらを色別すべきである。

 

(80)下篇

 

 第一 歌を詠む態度

 

    詠みたいといふ欲求……歌を詠む樂しみ……歌の歴史をはなれて、自分の歌を作れ……歌の大道と自分一人の歌と

 

『何のために貴下は歌を詠むか。』

 斯う訊かれたら私は言下に答へる。

『面白いからです。』

 と。

 まつたく、何もむつかしい理由があつて歌を詠むのではない。唯だ、詠みたいから、詠めば面白いから、詠むのである。

 詠みたいから…………といふ單純な欲求の底には、然し、なか/\に言葉に盡せぬいろいろの深い意味が含まれてゐはせぬだらうか。われわれが偶然にこの世の中に生れて來る。眼を開けば(81)其處に未知の不思議な世界が自分を繞《めぐ》つて居る。われ/\は徐にその中に生きて行かねばならぬ。その生きてゆく間にわれ/\の生命のうちに自然に萌して來る『自我』の茅生の一つとしてつのぐんで來たこの『詠みたい』といふ欲求はそも/\何を語つてゐるのであらうか。

 私はいま此處でこの問題の解決を急いでゐるのではない。のみならず、急ぐ必要も無いのを思ふ。何となれば『何を語つてゐるのであらうか』といふ疑問は自らにしてその問題の解決を語つてゐるやうなものであるからである。また、このことに關しては上編第二章『詠歌のすすめ』の中でいくらか説いて來たやうに思ふ。すべて大づかみな云ひかたではあるが、意のあるところは大方察して頂いたことであらうと考へてゐる。而して再び此處に同じ問題を持ち出した所以は、この問題を考ふることによつて自然に『詠歌の態度』といふものが定るであらうと思ふからである。『歌は斯う/\いふ因縁から詠み始める、とすればどんな態度で詠むべきものであるか、』それが自然に心に會得せらるゝ筈だと思ふからである。

 歌を詠むのは『自分』を知りたいからである。

 歌を詠むのは『自分の靈魂』に矚れ度いからである。

 痛いばかりに相觸れて、はつきりと『自分』といふものを掴み度いからである。

 歌を詠むのは『自分』と親しみ度いからである。唯一無二の『自分』といふものが兎に角にこ(82)の世の中に在る。その自分と共に何の隙間も無く、それこそ水も漏らさぬやうに相擁して生きて行く、凡そ世に樂しみは多からうがこれにまさる樂しみは無からうと思ふ、これに越す確固《しつかり》した樂しみは無からうと思ふ。歌を詠むは誠にその楽しみのためである。

 歌を詠むは『自分』を守り育て度いからである。一度自分を知り、親しみ始めて見ればどうしてその自分といふものゝ生長發育を願はずに居られやう。歌はみづからがうたふ子守唄である。唱歌であり軍歌である。而してまことに詩であり歌であるのである。人は自ら歌ふことによりて自ら慰み、自ら歌ふ聲を聽きて自ら勵む。極まりなき寂寥の路、人の生《よ》の路にありてこの歌聲のみ或は僅かにその人の實在を語るものであるかも知れぬ。

 歌はまつたく『自分』のためにのみ歌ふものである。自分といふものを確固とさせ、自分といふものを次第に生ひたゝせてゆく尊い事業である。その尊い事業に對して人は如何なる態度をとるべきであるか。

 歌を、『歌といふものがあるから、』として第三者視し、其處に置いてあるものを取り扱ふ氣で取り扱ふのが歌を誤るそも/\のもとであると私は思つてゐる。歌を玩弄物視し儀式物視し骨董物視して作つてゐるのなどは、すべてさうした態度から出て來てゐるのではないか。でなくして歌はこれから初めて自分が作るものであると思つて見よ。誤解したまふな、これは誇張ではない、(83)また度外れた自負でもない、極めて自然な現象として斯く現はるべきものであるのである。なるほど歌といふ一詩型のあることをも、その歌の歴史をも知つては居る。そしてその型をも假りるには假りるが、要するに自分は自分の歌を作る、といふ覺悟で、歌の歴史を離れ、他人の作つた歌といふものを離れ、極めてなまなましい歌といふものを心に置き、そして右に云つた歌の生れて來る動機因縁を其處に待ち合せ(云つておく、概念からではない、極めて自然にさうなつて來たものを)て作つて見よ。どうして不眞面目な、ふやけた歌など作つて居られやう。

 歌は自分のものである、この心を飽くまでも徹底的に心に浸み込ませよ。そして自ら獨り樂しむ心を以て作れ。これは『歌は他に見すべきもの』といふ風になつて來てゐる、永い間の因習から遠ざかる良法である。然しいくら自分一人の歌だから、と云つて其處に猜疑的な、盲目蛇的な、狷介を極めたさま/”\の小さな心で蹲踞《うづくま》るのはもとよりよくない。歌にはおのづからにして歌の道がある、『歌の大道』がある、上下二千年を通じて流れて來てゐる不盡の流がある。『自分一人の歌』も自らにその流に合するものであらねばならぬ。憂ふる必要はない、『歌』といふものが解りさへすれば、解つて作つてさへ居れば行かうとせずとも自然にその大流の申へ出てゐるのであるのだ。謂ひ得べくんばその『自分一人の歌』がやがてその歌の大道の開墾をなし先達をなすものであるかも知れぬのだ。『他に見すべきもの』として——初めからさう意識して作るもあり、(84)知らず知らずさうなつてゐるのもある——作らるゝ歌の弊は實に數限りなくある。さう云へば既に大抵誰にも感づかれることであらうと思ふ。それは、いま細説しないが、唯だ『他に見する代りに自分に見する氣で作れ、』乃至は『歌に見する氣で作れ』と云つて置き度い。自分に見する氣云々は上に述べて來た事どもから自然解るであらう。要するに自分で自分の歌に親しんでゆけ、自分に親しんでゆけといふ意味である。歌に見する氣云々といふのは心の中によく歌といふもの、歌の眞實といふものを飲み込んで置いて、それへ示すつもりで作れといふのである。胸の中の歌の鏡に自分の作つた歌を寫せといふのである。にや/\しながらふざけた作をするなといふのである。

 其他まだ幾つかの説かねばならぬ態度があるであらう。そしてそれらは以下に説く所に自然と表はれて來るであらう。此處にはたゞその大要を示して置くに過ぎぬ。而してその大要は『歌の生れて來る所以』を知ることにより自然と感得さるべき性質のものである。

 

 第二 自然そのものとその概念

 

    「自然」といふ事……文展の繪……「自然」の光と作者の靈魂の光……「自然」の靈魂と作者の靈魂との一致……「自然」のふところに身を托して歌ひあげよ

 

(85) 私は詠歌の上に『自然』といふことを非常に重んずる。此處で『自然』といふのは普通いふ山川草木の風景を指すのでなく、それ等風景や我等人間其他の一切を引つくるめた大自然界の諸現象の中に通じて流動してゐる一種の靈感謂はゞ宇宙意志とか自然意志とかいふべきものであるのだ。

 私が本書の原稿を書き急いでゐる頃、恰度文部省繪畫展覽會の第十二囘目が上野公園で開かれた。或日、其處へ行つて見た。

 美しい繪が澤山並んでゐる。實際眩しいほど並んでゐる。一めぐり見廻つて囘場を出た。そして徐ろに其處で得て來た印象を心の中に再現せしめようとして努めて見たが、殆んど何物をも留めてゐないのに驚いた。描かれてあつた物の種類や形状は記憶してゐても、それ等から受けた筈の何等の力をも感じ直すことが出來なかつたのだ。

 見る眼が足りなかつたのかも知れない。が、よし多少のそれがあつたにしても、兎に角に私はそれ等多くの繪に對して斯う斷言することが出來るとおもふ、曰く、其處の繪はあまりに『自然』から遠ざかつてゐる、そして『自然の概念』にのみ墮してゐる、と。

 いかにも美しく描かれてゐる。自然を摸した色彩が眩いほどに畫面に點出されてゐる。在るべき所に在るべきものが配置せられ、痒いところに手のとゞく周到な注意でもつて一體の構圖が作(86)製せられて居る。一寸見ては如何にも見ごとだともおもひ美しいとも感じた。が、要するに一瞬だけのそれで、一寸程經た後、それを心に呼び返さうとしても、もうその力は無い位ゐに薄弱なものだ。

 眞實に傑れた繪と云はれてゐるものなどからは、我等は何ともこ云ふことの出來ない一種微妙な感動を受ける。自分の眠つてゐる心がおのづと眼を覺して來る樣な或る暗示をも與へられる。これと彼等との差は一體何處から出て來るのか。

 おもふにこれは其處に描かれた人物に人物の靈魂なく、其處に描かれた風景に風景の靈魂が宿つてゐないからだ。即ち一幅の靈魂としてその繪を活かし輝かすべき『自然』の靈魂、『自然』の光が宿つてゐないからだ。斯ういふ風景は斯ういふ感じをひとにそゝるもの、斯ういふ人物は斯ういふ印象を人に與ふるもの、と云つた風の『自然』に對する普遍的な理解や統計から出た考へ即ち『自然』そのものではないが『自然から出た概念』は誠に違算なくそれらの繪に表はれてゐる。けれども要するにそれ等は『概念』である。『自然』の干乾びた解釋であつて、終に生動止むなき『自然』そのものゝ表はれではないのである。塗られた繪具は單なる繪具であつて、『自然』そのものゝ發する光ではないのである。

『自然の光』と云つた。が、要するにそれは『自然』に對して感得し得た作者の靈魂の光ででも(87)あるのだ。『自然』の光を眞實に如實に感ずると感ぜぬとはまた作者の靈魂が自然であるか不自然であるか、活きてゐるか死んでゐるかに係つて居るのである。作者の靈魂が『自然』の一部として在るがままの光輝を持つて居り、何等の曇や埃を帶びてゐなかつたとしたならば、即ち何等の概念や習慣やに囚はれてゐなかつたとしたならば、其處で忽ち『自然』と作者との相互の靈魂がぴつたりと相一致して渾然たる光輝を發するに到るのである。

 古今集の序文に、歌は天地を動かし鬼神を泣かしめ、と書いてあるのは取りも直さず此處に云ふこの大自然の靈魂と作者の靈魂とが融合一致した一種の靈妙境を謂ふに外なちぬものと私は信ずるのだ。

 おほくの人は自分が『自然』の一部であることを忘れてゐる樣だ。一部も一部、その極く内部の中心點に立つてゐるものと見れば見可き至妙境に立つてゐることを忘れてゐる。そしてともすれば『自然』を他人扱ひにしようとする。自分とはかけ離れた一種の對照物として對しがちだ。其處に置いてあるものを扱ふ樣に、山や川や人生やを、あちこちとひねくり廻さうとする傾向を帶び易い。そして其處に極めて巧妙な『自然』の模型を作りあげる。多くの人はそれを見てまた『配合の妙を得て』云々などと讃めあげる。何ぞ知らん、それはもう『自然』からは全然根を斷つた、一種の枯死物にすぎないのである。

(88) 私は出來るならば、さうした『自然』を玩弄物現する樣な愚かな僭越な態度を捨て、出來るだけ深く『自然』のふところに身を托して、自分と『自然』との融和を計り、そして『自然』の心を自分の口を假つて歌ひ擧ぐるといふことにしたいのである。『自然』の心を、光を、身に帶びて安らかに歌ひ擧ぐるといふ境地にまで進み度いのである。

 

 第三 實感より詠め

 

    感じた通りに詠め……實感の素質……歌の取扱ふ實感の範囲……自由と形式……破壞と建設……實感の質の高下……實感を出來るだけ嚴肅に取扱へ

 

 實感より詠め、といふことを先づ大體に於て私は云ひ度い。とりあへずこれを實際に行ふ場合を云ふならば先づ次の二つに大別せらるゝ。

 感じた通りに詠め。

 感じないものを感じたごとくに詠むことをするな。

 といふのである。これは云ひかへれば、概念から詠むな、感覺なり感情なりすべて自己の體得したところから詠めといふことに當るのである。

 概念を以て詠むことの忌むべきは既に説いた。そして、それと同時に必ず自己の體得したとこ(89)ろから詠め、といふ心持をも大方了解して貰つたことゝおもふ。此處にはたゞ質感の素質に就いて一二言を費さうとおもふ。

 實感と云ふのは實に意味の廣い言葉である。およその人の感ずる感覺感情、すべてそれらを實感と云ひ得るであらう。痛い痒いから、飲み度い食ひ度い、嬉しい悲しい、すべてさうである。

 然し私が此處で、作歌の上で、謂ふ實感は一般のそれ等を指すのでなく、或る限られたものである。御承知のごとく歌は藝術のうちでも型の小さい詩歌のうちにあつて更に小さい形を持つたものである。そしてその取扱ふ範圍は一般の散文などと違つて或る限られた方面——一口に云へば人間の靈魂のはたらきを主として詠み出づるものである。すべて散文と云ひ詩歌と云ひ、取扱ふ問題は人生を出てはゐないのだが、詩歌は人生全體を丸ごと取扱ふことをせず、それを煎じ詰めた焦點の問題に觸れて行かうとする。その詩歌の中にあつて歌は一層強くその傾向を帶びねばならぬ。龍を描いて睛を點ずるといふ、その龍の瞳にもあたる一點を取扱はうとするのである。

 從つて一體がさう無雜作に取扱はるべき性質のものでない。僅か三十一文字の中に取り入れる言葉にせよ、よく/\注意して選ばねばならぬ。就中《なかんづく》、その一首の歌のもとをなし魂をなす、感動感覺に微塵の粗末さ亂雜さがあつてはならぬ筈だ。即ち、初めに云つた『歌は實感から詠め』といふその實感に對する作者の態度は極めて貴重な重要な意味を帶びて來るのである。

(90) いはゆる新派和歌には汎く『自由』がゆるされてゐる。これは極めて當然のことで、遠く古今集の昔からツイこの明治時代まで、歌は殆んど『形式』によつてのみ詠まれ教へられ傳へられて來た觀があつた。それをその弊から脱して和歌本然のつとめを果さうがために、記紀萬葉時代即ち最初歌の生れた當時に歸らうがために、力めてその凝固し切つた『形式』から離れて『自由』の野に馳驅しやうとしたのである。その初めは謂はゞ破壞時代で、何でも彼でも舊いものに對抗して、即ち『形式』に反抗して『自由』を振りかざして戰つたものであつたのだ。その飛沫が四邊に散つてともすれば『自由』は『亂雜』となり『粗野』にならうとした。これもその當時にあつては止むなき事であつたのだ。ところがその破壞事業は先づ殆んど完全に目的を達したのである。昔からやつてゐた老人達ならば知らぬこと、若い人達で昔のいはゆる舊波の歌を詠まうとする人は殆んどいま見懸くることも出來ぬ有樣になつてゐるのである。さうして破壞時代の次に來なければならぬ筈の建設時代にまさしく今が當つてゐる。その運動も完全ではないまでも或る點までは出來上つてゐると見ていゝ時になつてゐるのだ。さうした時代にあつて、なほその破壞時代の餘弊である惡い『自由』の鵜呑み式詠風が行はれてゐる觀のあるのは誠に殘念な事である。新しい歌といふと『何でもいゝ、感じた通りに詠め、』といふ態度がともすれば自由を通り越して亂暴になり粗末になりがちなのを私はよく見て居る。此處に『歌は質感から詠め』といふ話を(91)するに當つても私には先づそのことが殘念に思はれでならないのだ。

 萬葉集の中にはよく男女閨中のことがあからさまに歌つてある。それがいかにも公明正大で、讀む者に少しも野卑ないやらしい思ひを起させない。作者たらが眞劍で、行ふべき事を行つたといふ堂々たる心持で詠んでゐるからだ。それだのに現代の戀愛歌ではその事の動作を歌はず單にそれに對する感情だけを抒ぶるにしても實に鼻持ならぬいやらしさを覺えしむるものが多い。實感の質の高下美醜の差など、自らその間に觀取さるべきであるとおもふ。

 實感の色わけ、即ち諸種の出來事に伴つて起る感覺感情の差は、敢て深く問ふに及ばないと私はおもふ。唯、それに對する作者の態度、それを取扱ふ作者の氣持から其處に大きな差異を生じて來るのだ。今少し深く詮ずれば作者の本質のよしあしといふことにも及ぶべきであるが、それは一般に對して云はるべきで、單に實感の上に限られた事でない。

 言葉を換へて概略的に云へば、すべての實感を出來るだけ嚴肅に取扱へといふにある。かりそめにもふざけたり、ぼんやりしたりしてそれに對すべきでない。また同じ感動にも淺いと深いとある。深めらるべきものあらば出來るだけ深めて行つて、然る後歌に盛るべきである。淺い感動からは矢張り淺薄な歌しか出來ないものである。

 

(92) 第四 さうですか歌

 

    「さうですか歌」とは何か……その實例……無感動乃至感動微弱な歌……感動と感動の概念との相違……感動を凝視せよ………説明の歌……感動と感動の説明との相違……方便としての説明………ぬるま湯の歌

 

 各種新聞雜誌の歌壇の歌を選びながら、惡いと見て拾つる歌の中で一番多いのは私の謂ふ『さうですか歌』である。『さうですか歌』とはどんな歌のことか。

 或る一首の歌に對した場合、その歌の持つ感動——これはその歌の發する感動とも云へる——に對して、こちらもそれに連れて感動して殆んど何の返事も出來ない樣な場合がある。くだけて云ふならば『ウーン』と云つたきり返事が出來ないといふ、あの氣持である。さういふのは多くの場合、秀逸な歌である。或はまた、『なアるはど、これは面白い』と思ふ(または返事する)場合がある。これは秀逸まではゆかずとも、先づ佳作の部に屬する。その次ぎに『フン、一寸面白いな』といふ場合がある。これは先づ佳くもなくわるくもないといふ、例の無難の作とでもいふのに屬するであらう。サテその次ぎになつて、その歌に對して何とも返事の出來ない場合がまた生じて來る。返事の出來ないのは最初に云つたのと同じだが、その出來ない心持に於ては大變な(93)相違のある場合なのだ。つまり、返事に困るといふ、あの心持なのである。強ひて返事をするならば、『ハア、さうですか』とでも云はねばならぬ場合である。さうした場合の歌を指して私は夙うから『さうですか歌』といふ名稱を附して居る。

 先づ極めて豐富なる實例に就いて語らう。これらは東京の某新聞に今日投書して來た歌の中から引くものである。

   こころよき目覺めなるかもへやぬちにひとりめざめて空を見つむる

   二人ゐて小夜のくだちに鳴く蟲の聲をあはれとききにけるかも

 これは同じ人の作だが、二首ともまぎれのない『さうですか歌』である。『空を見つむる』と聞き終り、『ききにけるかも』と聞き終つて諸君はこの『さうですか』とでも云ふよりほかに一體何と返答をしやうとするか。

   遠方に提灯一つゆれ光りわが行く野べの道は暮れたり

   戸を閉し夕陽を忌みて母上は蠶室ぬちに桑切りてをり

   今朝もまた暴風雨《あらし》すさべり厨べの暗きに鳴けるこほろぎあはれ

   曇り空ひたす沼の面の浮草に白き花見ゆ寂しきものか

 各首別人の作だが、『さうですか』であることは比々《ひひ》皆然りである。これ等の歌はそれ/”\みな(94)意味もよくわかるし、その態度の眞面目なのも氣持がいゝ。然しどうしてもこれらに對して、佳い歌だといふ感じをば持つわけにはゆかない。不本意ながらも『さうですか』と返事せざるを得ないことになつてゆくのだ。然らばどうして斯うした結果に陷り易いのであらうか。

 私は先づこの弊に陷り易い二種顆の型のあることを云ふ。

 第一は無感動な歌である。乃至は感動微弱な歌である。その歌に感動が無いがために、若しくは弱いがために、『さうですか』になつたといふのである。おもふにすべて出來のわるい拙い歌はおほかたこの『さうですか』に屬することになると認めてもいゝほどであるが、その出来のわるい拙いといふのはまた多くこの無感動から來てゐる樣である。『歌は人のこゝろをたねとして』と古人も云つてゐるが、この人の心といふのは私の此處で謂ふ感動であるのだ。感動にも烈しい感動靜かな感動いろ/\あるが、それに就いてはまた後に説かう。とにかく感動は謂はゞ一首を成す元素であり根本である。その根源たるべきものが紛失してゐたのでは、どうしても藻ぬけのからの歌とならざるを得ないわけである。

 無感動の歌はあまりに無雜作に作るところから來る。強ひて作るところからも來る。また、感動そのものと感動の概念とを誤解して自分は斯う/\感動して作つたと思ひながらも實はその感動の概念を一首に盛つてゐるのをも多く見受ける。この場合、殆んどすべてその歌は説明の歌と(95)なつてゐる。此處に例に引いた『二人ゐて』などはそれだ。この一首から受ける感じは『鳴く蟲の聲をあはれと聞いた!』といふのでなくして、『聞いたのであつた』といふ感じである。これが感動そのものと感動の概念(または説明)との分れる所である。これは多く形だけでは解らない。たゞその作歌動機若しくは作歌態度の差が正直にその作物に表はれて來ることによつて鑑別出來るのである。

 無雑作に作り、強ひて作る傾向を持つ人には私は斯う云ひ度い、いま少し自分自身の心、作らうとしてゐる心——感動——を凝視してから徐にお作りなさい、と。凝視しながら更にその感動の醗酵を待ち、清澄するを待つのである。さうして後作り出せば、少なくともその歌には不快な亂雜や滑稽な無意味やは略かれて出て來るとおもふ。

 無感動の話はこれにとゞめておく。次に『さうですか』を生むのは『説明』の歌である。説明の歌と云つても、説明するところから右に云つた無感動の歌に墮ちてゆくといふにすぎぬのであるが、また自づと多少その間に違つた趣を持つてゐないではない。

 説明の歌とは『斯う斯うだから斯う斯うだ』『斯く/\斯やうしか/”\』といふ種類の歌を指すのだ。例へば、

   飽きそめしその日その日の事務なれどなりはひなれば務むるなりき

(96)   この頃はさわりさわりと寄せて來る浪音きくもうとうとしかり

 と云つた風のものである。すべて理窟を云ふ形のもの、説明をするもの、これ/\しか/”\といふ風な報告式のものなどみなこの部に屬して來るのである。

 歌は感動を主とするといふことを屡々云つた。ところがその感動を忘れて單に事實の描寫や報告や説明を以てして歌だと信じてゐる人が意外に甚だ多いのである。感動そのものと感動の説明との違ふことを前に云つた。この差は一寸見わけにくい。作る上にも混同し易い。然し、單に事實の説明や報告をして甘んじてゐるのは、これは少し心すれば自分でもその缺點に氣附く筈のものだと思ふ。然し、これもなか/\むつかしいにはむつかしい。歌は感動を主とするとは云ふが、サテ感動そのものは無形な捉へがたいものである。要するにそれを言葉に托して、聲に出すとか文字に書くとかして其處に初めて歌といふ形になつて表れて來るのである。そしてその感動そのものも決して故なしには生じて來ない。何か感動すべき對象があつて初めて活動を起すのである。その對象と云ふのは心の中に生じた何等かの出來事か、若しくは外界の事物、それである。故にどうしてもそれを言葉にし文句にするには、その心中の出來事若しくは外界の事實を主題としないことには言葉も文句も形をなして來ない。從つてどうしても多少の説明、即ち斯く/\の故に斯う感動した、といふ形を假らぬわけにはゆかぬのである。

(97) 其處が問題だ。即ち單にその説明が説明のみとして存在するに留まるか、若しくは説明は方便であつてその説明を通して作者の感動が躍動してゐるかの差が生じて来るのである。つまり繪畫で云ふと山や川の形が(さうした風景の畫であれば)此處でいふ『説明』である。その描かれた山や川が單に山や川の形を摸したものに留まるか、或はまた大自然の呼吸を吐く山や川となつて一幅の中に自然の靈感を漂はすか、即ちその作者の感動が其處に山や川の形を持つて表はれてゐるか否か、の差であるのだ。斯うも云へ、一首の中に取り入れられた材料、例へば心のうちの出來事とか外界の事物とかいふものがたゞ材料としてのみに威張つてゐるか、若しくはそれらが一首の中に消化せられて作者の感動の骨となり光となり匂となつて働いてゐるか、といふ差である、と。

 初めから感動のないものならば、これは話にならぬ。多少ともその材料に對して感動を起したものにして矢張り單に材料だけしか歌の上に出てゐないとするならば——即ち説明なり報告なりに留つてゐるならばそれは感動が弱いからである。是非強める必要がある。強めるには前に云つた樣にその材料なり感動なりを凝視し内省するも必要である。さうしながら次第に感動の統一を計るも必要である。而して常に自己を一段の高所に置いて材料を瞰下すべきである。決して材料を眞中に置き、その前後左右を右往左往すべきでない。右往左往することはとりも直さず材料の(98)影のみを大きくして自己の姿を小さくし消滅さするものとなるのであるからだ。さうするか若しくは眼を瞑ぢてその詠まうとする材料の中に心を遊ばせ、心と材料としつくり融和するのを待つて詠み出づるかである。この『眼を瞑ぢる』といふのは幼い樣だが一種の統一を計る方便で、亂雜を拂ふには效能があるものだ。さうするうちに自づと感動に調子がつき統一がついて來るものである。

 サテ讀者よ、私は少し繞舌りすぎた樣だ。或は諸君はこの繞舌の前に徒に途方に暮れてゐたかも知れぬ。然し讀者よ、よし煙に卷かれながらでも、私のいふ『さうですか歌』の意味と、その忌むべき境地から逃れるにはどうしたらいゝかの大體とをば多少とも了解しては呉れなかつたらうか。

 ついでに今少しつゞける。

『さうですか歌』といふ風の命名によるならば『ぬるま湯の歌』とも謂ふべき歌がまた隨分と多く作られてゐる。前に云つた感動の不足な微弱な歌は、感動強く作らうとしてよう果さず、止むなく弱い歌となつてゐるのを指したのであるが、それとは違つた微温湯式の歌があるのだ。これは初めから強く深くと望まず、ほんの指頭の觸感位ゐを樂しみ弄んでゐると云つた風のものである。つまり人間性の根本的な、全力的な爲事として歌を見てゐない人の爲ることである。『先づ(99)先づ斯んなところで』と云つた風の作りかたである。斯ういふ風の作者たちは底の心のことを考へようとしないから、たゞ、うち見たところの出來あがり具合をのみ氣にかける。從つてその出來上りはいかにもよく纒つた、きれいなものである。器用なものである。

 斯ういふのは如何に器用に出來たとしても、要するに歌の形を假りた一種の遊戯品にすぎない。我等から見れば矢張り『さうですか』の言下に取扱ふよりほかなき代物であるのである。斯の種の作者たちはまた不思議に例の宗匠樣になりたがるのも妙である。

 

 第五 惡趣味の歌

 

    趣味といふ事……歌らしい歌を作らうとする傾向……趣味に耽溺せる迷信派と趣味を惡用する狡猾派……それ等の人の人種別……其他の惡趣味の歌

『さうですか歌』に次いで多いのが『惡趣味の歌』であを。單に『趣味の歌』と云つた方が通じがいいかも知れない。

 これを專ら自分の趣味とする方面に心を遊ばせて其處に詠歌の立脚地を置く、と解釋する場合には別に非難すべきでないことになるかも知れない。然しそれは最も善良にこの『趣味の歌』を解したことであつて、實際に詠まれて居る所謂『惡趣味の歌』の場合には適應しかぬる樣だ。

(100) そのなかで一番多いのが所謂『歌らしい歌』を作らうとする傾向である。歌といふものは何處までも優しいもの美しいものであつて(反對にその逆に出て奇效を奏せむとする人も問々にはある。)その中に眼を細め眉を縮めてちんまりと納つてゐようとする傾向である。この中がまた自から二派に分れてゐる樣に見える。一は即ち『歌』と聞くと一も二もなく眼を細め首を縮める一派である。一はにやにやしながらも手さき指さきで上手にその『趣味の歌』を捻出する人達である。後者は一種の狡猾派で、さうする事によつて安價な賞讃を博せむとする一方自分もまた安價な成功慰安に甘んじやうとするのである。何となればこの一派は非常に道具立がうまく、配合が上手で、其處に使はれた色彩も華やかなり、いかにも口あたりのよさ相な歌を作るから誰の眼にも一寸つき易いのである。これはこの傾向を決して自分からいゝとは信じてゐないのだ。一種の狡猾と一つはさう思ひながらも容易に其處から出る事の出來ぬ弱さとから、にや/\しながら勿體らしい顔をして其處に安住してゐるのである。前者は頭から『歌は斯うしたものだ』と信じてゐる一種の迷信派である。一般の迷信の根の深いがごとく、これらの人たちをその迷信から引つ張り出して來ようとするのはなか/\むつかしい樣に見受けられる。

 斯ういふ人たちに限つて、またなか/\にうまいのだ。手際が上手である。斯うやれば斯うした味ひが屹度一首の上に出る、といふ一種のこつを實によく呑み込んで居る。手法の上に、また、(101)取材の上に、なか/\拔目のない熟練した手際を持つて居る。さうしながらさうした歌といふものを作り出す興味に自分から惑溺して行く人が甚だ多い樣である。而して現今の新派和歌といふものをひどく無氣力のものにし、型の小さなものにし、安つぼいものにして來たのは、多く此等の人の力に負ふところが多いのであることをば彼等自身まだ氣がつかないかも知れない。

 斯ういふ人たちに限つてまた必ず三人か五人の仲間を作り、そしてその間の機關雜誌を發行しその中で各自に勿體らしい感想を述べ、それに應ずる作品をそれ/”\に掲載して居る。云ふこともなかなかに氣が利いてゐる。何となれば彼等はみな相當の聡明さを何處かに持つてゐるのだ。つまりその聡明さが彼等をして自づから眼ばかりが働いて手も足も出ないものにし、從つて一種の自恣式淫樂に耽るよりほかないものにしてしまつたのかも知れないのだ。

 彼等には若旦那風の人が多い。地位の高くない年少な會社員銀行員店員と云つた側に多い。また、身體の強くない学生間に多い。

 斯ういふ風にこの流派の歌の傾向や作者の系統やを並べて來ると、説明を要せずして此處にいふこの『趣味の歌』の實質が解つて來るであらうとおもふ。 彼等が斯うした歌を作るのは質際止むを得ぬのかも知れないのだ。元來『趣味』といふ言葉が先づ一種の逃避的慰安から出て來たものであるといふ氣がするではないか。まつたく一言にして(102)云へばこの流儀の歌は逃避的であり、自己瞞着的であるのである。

 それも本物ならば、眞實にその物蔭に潜んで、靜かに自分獨りを慰め樂しましめてゐる樣な態度で作らるゝものであるならば、また、採るところが無いではない。たゞ、その中途半端の、思はせぶりの、見て呉れ一方の、わるく納つた種類のものを見ることは、實に弊に耐へない感じがするのである。

 私はツイ筆が走つて此處には專ら意識的に斯うした歌を作つて樂しんでゐる人たちをのみ相手にして物を云つて來た。さうでなくして、自づとこの傾向の歌を作つてゐる人もなか/\少なくない。歌は美しいもの優しいもの、歌を作れば必ずさうしたことを云はねばならぬものゝ如くに信じて作つてゐる人たちなどがそれである。これは極めて初歩の人に多い。

 それは私がこれまで幾度も云つて來た概念といふものから作歌せらるゝもので、その不可なことは直ぐお解りだらうとおもふ。『概念から詠むな』『實感から詠め』のあたりを參照して下さればよく解るとおもふ故に、此處には再説しない。

 自恣的淫樂に耽つてゐるといふ側の人たちに今一度云つておき度い。さういふ歌の存在する意義に就いて、かれこれの理窟は君たちの方が私よりよく御存じかも知れない。而して、それが決して歌の本道でないことをも君たち自身或はよく承知であらうとおもふ。兎に角に、さうした道(103)に踏入つた以上、なか/\其處から出て來られないものだといふ推察は私にも充分つく。故に、出來るだけ速く深くその底まで落ちて行くがよい。そして一時も速く其處の自分に愛惜をつかしてその深みから飛び出して來る樣にといふことを特に希望しておき度いのだ。

 まだこのほか、歌といふとすぐ戀愛や接吻を歌はねばならぬと信じて(?)年中そんなことを云つてゐる人や、色街のこと芝居のことしか云へない人や、下手な比喩と安繪具とでごて/\に作りあげたものを天晴れ理想派だとか何とか云つて納つてゐる人や、いろ/\ある樣だ。此等もまた『惡趣味歌』の仲間であるのかも知れない。

 

 第六 「動」の歌と「靜」の歌

 

    長嘆息といふ事……「萬葉」の歌と「古今」以後の歌……感情と理性……「動」の極の「靜」……理智によつて感動を洗錬し眞實のものとせよ

 

 歌にはごて/\と事實の描寫や報告を並べ立つべきものでないといふことを前に云つた。まつたくさうした務めを果すためには歌のほかにいろ/\な形を持つた藝術上の形式があるのである。

 歌は要するに一氣に自己のおもひを吐く、感じを訴へる、歌ひ擧げるといつた所にその持前が(104)あるとおもふ。極端に云へば、たゞ『わアつ』と叫んだだけで叫んだ氣持が解りさへすれば何も他に文句を云ふ必要はないといふ風のところへまでも行つていゝかも知れぬのだ。既に誰だか古人も『歌は長嘆息《なげき》だ』といふ風のことを云うて居たとおもふ。長嘆息と書いて『なげき』と訓む。『長息』、すなわら長く息づくの意である。胸にあるおもひを長き呼吸《いき》に漏らすといふ意味である。

 平易な比喩から話を進めてゆく。さうなれば前に云つた『わアつ』といふのも長嘆息の一であり、また、人知れず漏らすかすかなるなげきもあるわけである。前者を私は假りに『動』の歌と稱へ、後者を『靜』の歌と呼んだのだ。

『萬葉』時代の歌は殆んど『動』の歌である。『古今』『新古今』となつて次第に『靜』の傾向を帶びて來た樣に見受けられる。前者の歌は多くこちらから他へ働きかけて行かうとする感動であり、後者は退いて靜かに見るといつた風である。前者には感情一方のものが多く、後者にはよほど理性が加はつて來てゐる。

 現代にはこの二つの傾向が並び行はれてゐる樣に思はれる。『動』の歌のある一方には『靜』の歌があると云つた風である。而して私の見るところでは、最初からこの『靜』の歌といふのゝあるのは甚だ考ふべきだとおもふのである。たゞ、『動』の極まり到つたところに自づと『靜』の生ずるは當然なことで、其處に初めて『靜』の眞實な強みも出て來るとおもふのだ。初めから(105)感動を殺し、理智を働かせて作るとすれば自然それは説明に陥ち概念に流れて、歌の境地から離るべきものとなつてゆかねばならぬ。

 然し、現代の我等の生活に於て全然理智の影を絶つた感動があるかないかといふことは一考せねばならぬ問題である。それと共に全然理智を排斥してのみ歌が作らるゝか否かは、私自身今なほ考へねばならぬことに屬してをる。此處にはたゞ歌の出立點が『長息《なげき》』に在つたといふことを告げて諸君の作歌動機に一種の暗示を與ふるに留めておく。その『なげき』の本質が全部感情感動より成ると見るべきか、また多少理智を含むものであると認むるかの心理問題はこれを他日に遺しておくことにする。それにしても理智のために感動を殺すとか弱めるとかいふことは全く避けねばならぬ。理智を働かせて感動を洗練し清淨にし上辷りのせぬ、底力のある、眞實の感動にしようとこそすべきである。

 

和歌講座

 

(109)第一編

 

   第一章 挨拶

 

 本講座編輯のかたが見えて、作歌講義を六七十枚の原稿紙に書いて頂き度いといふ依頼を受けた。さういふ事が不得手で、從來もひどく書き惱んで苦しんだ經驗があるに係らず、ツイ斷りかねて引受けてしまつた。そしてどうでも書かねばならぬ時が來た。

 私は元來何も知らない男である。歌壇の人として生活すること約十數年、相當の位置に居る樣に認められてゐながら、まだ歌といふものを本統は知らずに居る。およその眼見當《めけんとう》をばつけてゐるものの一般的の定義から見た『歌』といふものが果してどうしたものであるか、知らないでゐる。日本文學史とか日本歌學史とかいふものを讀んだならば、其處に何とか書かれてはゐるであらうが、實はまだ氣にとめてそれらを讀んだことがない。

 然し、それは單に私一人の上に限らず、誰しもが自己流の解釋を下して解し得た『歌』を信じて、それ/”\詠歌に從つてゐるに相違ないことゝも見らるゝ。而してそれらとり/”\の歌のうちに、おのづからにして眞實のものであつた『歌』が日本固有の藝術『歌』の大道に合して其處に(110)自づと『歌とは斯ういふものである』といふ事になるとおもふ。

 斯ういふ見地に於て私は此處に自己の解し信じてゐる歌に就いて多少を語らうと思ふ。イヤ、歌そのものについて語るといふより、實は歌の作法、歌はどうして作ればいゝかといふことを書く樣に要求せられてゐるので、歌は先づ斯うして作つてごらんなさい、といふ事に就いて語らうと思ふのである。それも矢張り一般定義的の作法といふでなく、私自身の初めて歌を詠み出した少年時代から今日までに經驗した道について、多少の案内役を勤むるといふに留まることにならうと思ふ。從つて語る相手とする人たちをも、初め五七五七七と指を折つて歌を作る極く初歩の人たちを目標とすることにもなるであらう。

 斷つておかねばならぬのは、私はひどく説明下手である。組織的に、順序だてゝ説明し解釋するといふ事が誠に不得手である。從つて此處に書く事も極めて斷片的な、秩序のないものになるであらうとおもふ。どうかその斷片的な中から自然に一種の暗示をでも受けらるゝ事のある樣にと祈らるゝのである。

 初め紙數六七十枚に書き盡す樣にと註文せられた時、そんな僅かの間によく書けるか知らと考へたのであつたが、サテ書くとなつてみると六七十枚は愚か、五行も十行も書くことは無い樣な氣になつてゐるのである。斯うして向ひ合つて(紙上に於てだ)居ればもうそれで澤山だといふ(111)風の氣持しかせずに居るのである。そんな有樣で一章々々に就いて書くことも極めて短い、簡單なものだらうと思はるゝ。どうかその積りで注意して讀んで頂き度いとおもふ。

 

   第二章 歌とは何か

 

 この講座を讀まるゝ人は少なくとも歌に就いて多少の知識、興味を持つて居らるゝ人であらうとおもふ。即ち、歌は五、七、五、七、七の三十一音から成る形式を持つた日本固有の藝術である位ゐのことをば知つて居る人たちであらうとおもふ。そして單にそれだけで飽足らず、今少し内容的な何物かを知らうとしてゐる人たちであらうと察せらるゝ。而して此處に若し「歌とは何ぞや」といふ疑問が出たとすると、それに答ふるために私にも多少の興味が湧いて來る。

 歌は即ち『ウタ』である。其處等に百姓がうたひ、荷馬車引がうたひ、職工がうたひ、軍人がぅたひ、學生がうたひ、役者がうたひ、藝者がうたつてみるあのいろいろな『ウタ』と同じものである。もとをたゞせば同じものである。 なぜ百姓たちはわざ/\聲に出してあゝしたうたをうたふであらうか。

 うたひたいからうたふのである。うたはずにゐられないからうたふのである。

 なぜうたひたくなるのであらう。うたはずにはゐられないのであらう。

(112) 曰く、彼等が生きてゐるからである。意識してか無意識でか——恐らくは常に後者であるが——彼等自身自分の生きてゐる事を感じてゐるがために、自づと聲に出してあゝしてうたをうたふのであるのだ。痛ければ押へ、痒ければ其處を掻く。それと同じに、彼等の生身から湧く一つの感覺から動作に移る現象の一つとして彼等はうたをうたふのである。

 痛み、痒みは肉體から起る現象であり、うたをうたふのは彼等の心の中から起るものであるだけの違ひはある。

 なぜ彼等たちは——人間は、その心の中にうたをうたひたくなる欲求を持つのであらうか。

 それは、彼等が何も無い空のところに自分の『心』の存在を感ずるがためである。多くは無意識ではあらうが、彼等は彼等の心の存在を感じてゐるのである。その存在を感ずると共に、恰も彼等の肉體が痛みを感じ痒みを感ずるが如くに、喜びを感じ、悲しみ、愁ひ、樂しみ其他を感ずるのである。痛みを押へ、痒みを掻くと同じく、彼等はその喜びにつけ、悲しみにつけ、それを聲に出して他に漏らす——發散さす——のである。喜びの高きにつけ、悲しみの深きにつけ、それを漏らす聲に自づと高き低きの調子を帶びて來る。それが即ち彼等の『ウタ』であるのだ。

 彼等は多くその喜び悲しみを聲に出して發散きすのみで、自らそれを言葉に托してうたひあぐることを知らぬ。彼等の殆んど全部が、誰か知ら他の人の作つておいた歌謠及び調子を借りて來(113)て、それに自分の感情を托するのはこのためである。而してその中の極く僅かの人がたまたま自分で自分の心を言葉に乘せてうたふ。他の多くがそれに唱和追隨するといふ風になるのである。 サテ、話がだん/\わきみちにそれてゆく樣であるが、然らば彼等のうたふ『ウタ』と我等の謂ふこの『歌』とは全く同一のものであるか、それとも多少の相違を持つであらうか。

 生れ出づる原因は同じであつたが、所謂『歌』となつて離れて獨立して來るとその間に少なからぬ距離を見る樣になるのである。

 どういふ風にか。

 彼等の『ウタ』は要するに右に云つた痛し痒しの域を去ること遠からぬもので、單純至極のものが多い。可笑しければ笑ひ、悲しければ泣く、と云つた形である。それで滿足して居らるればいゝが、必ずやそれだけで滿足出來ぬ境地にまで心の鍛錬が押し進められてゆくに相違ない。各自の心が次第に深くなり、複雜になつてゆくに相違ないい。イヤ、相違ないではない、此處に我等がこの『歌』の欲求を持つてゐるのが現にその證據である。

 それではその『歌』とはいよ/\何であるか。

 急には云へない、以下次ぎ/\に語るところが自づとその問題に觸れてゆくであらう。

 

(114)    第三章 なぜ歌を詠むか

 

『なぜ貴下は歌を詠みますか』

 といふ質問に會つたとすれば、私は答へる。『詠めば面白いからです』と。 答へは簡單であるが、その中にいろ/\な意味が含まれてゐる樣に恩ふ。それは、面白いにも種々原因はあらう。ずつと昔に詠まれたもので、今なほ人々の口に云ひ傳へられて殘つてゐる歌がある。現に歌を詠んで居ることによつて極めて上品な、立派な人として認められてゐる者もある。自分も一つ詠んで見よう、といふ興味から出たものもあらうし、何か知ら面白さうだから詠んで見ようといふのもあるであらう。いろ/\あるであらうが、兎に角多少とも歌といふものに興味を持たないことには誰も斯うしたものに眼をば向けまいと思はれる。

 この、歌に興味を持つ、心を惹かれる原因《もと》は何であらうか。

 これにも種々あらう。傳統的に背から傳はつて來たこの道を重んじ尊ぶ習慣からもあらうし、たゞの名譽心や物眞似から出るのもあるであらう。しかし、大體に於て私はこれを斯う解し度い。即ち、歌の一首も詠んで見ようと思ひ出した人は朧ろげながらにもその人自身の存在を自覚しだした人であると。存在といつても主としてその人の内的存在、即ちその人自身の心の存在を覺え(115)出した人の謂である。自分の心を感じて、何か知らそれを表はして見度い、さうでもしないことには何となく苦しくていけない、と思ひ出した人のことである。其處から出て、いつとなく歌といふものに興味を持つ樣になるのではなからうか。無意識ではあらうが、前に云つた馬子や百姓たちの唄をうたふのも、もとはこれと同じであらうとおもふ。

 斯くしてかりそめながらにも手をつけて見ると、サテ面白い。今まで一向にまとまつては感じられなかつた自分の心といふものが、兎に角三十一文字の形で其處に並べて見ると自身にも驚くほどはつきりと形をなして表はれて來る。一首は一首と影も濃くなり、面白味も増して來る。

 私自身詠歌を面白しとするのも矢張り其處から出てゐるのだとおもふ。たゞ、極く初歩の人と違つてその面白さにも種々の複雜があり、寧ろその裏に苦痛を伴ふ程度のものとなつてゐるかも知れぬが、兎に角に面白いから詠むといふことに變りはない。複雜云々の事にも追々と詰が進んでゆくであらう。

 

    第四章 私にも詠めませうか

 

『では、私にもその歌が詠めるでせうか』

 といふ質問に折々出合ふ。

(116) 私は答へる。

『詠めますとも、お詠みなさい、あなたには屹度詠める』と。

 歌に興味を持つ。次いで、自分にも詠んで見度いものだ、となる。この時にはこの人の心は餘程もうはつきりと形をなしてゐる。

 さうした心がありさへすれば、上手下手は別として、その人には必ず歌が詠める筈である。「心が形をなした」時、即ち「詠んで見度いと思ひ出した」時は、既に歌となるべき種子の結ばれた時と見てよい。表現を欲する心は、何か表現すべきものの在ることを語つてゐるものと見るべきではないか。それに多少の培養を加へさへすれば、必ず其處に何等かの芽をふくに相違ない。

 斯うした程度に在る人が、一種の羞恥や、臆病や懶惰《らいだ》やから、折角のその種子を空しく乾し枯らしてしまふのを誠に惜しいことに私は常におもつてゐる。さういふ人を幾人も私は見てるのだ。

 それに就いて私は曾つて十年ほど前に書いておいたことがある。そして今でもなはその通りに信じてゐる。少し長いけれど此處に引いて見よう。

   歌を詠んで見度いといふ心持は、必ずやその裏に何か知ら一種の「欲求」「滿足」若しくは「不満」を抱いてゐるに相違ない。他人が詠むから自分もやつて見たいといふのもあらうし、自分ながら解らぬ(117)樣な、たとへば歯の生える掛に子供のひづ.かかに胤た魂鼠こ疎秘跡執が常に自分の身のうちに心の裡に動いてゐるのもあらうし、或はまた自分の朝夕の起臥に何といふことなしに不満を感じて來た、そして捉へどころのない寂寥が斷えず自分の眼の前に動いてゐる、どうかしてそれを追ひ拂はう、若しくはもつとその寂寥に親しみ度いといふ種類の人もあるであらう。

 いづれにせよ、さうした(イヤ、比處に引いた以外その人々によつて更に種々の原因からこの「詠んで見度い」心は起つてゐるであらうと思ふ)心持が動いて來たならば躊躇するところなく詠歌の道に入らるゝがいゝ。出來る出來ないは先づ別としても、とにかくに直接にそれに當つて見らるゝがいゝ。前にも云つた通り、さうした心の動きそめた人は必ず成效する、即ち歌を詠み得るに相違ないのである。それは、成效するにしても限りはある、何しろ二千年から續いて來たわが國のこの「歌」といふ藝術界に於て眞實に歌を詠み得たと見らるゝ人は恐らく二三を出ぬであらう。さうした境地にまで成效するとはなか/\に云へない。また誰しもそんなことまで考へてゐる人はないであらう。そしてそれはまた考ふる必要のないことでもあるのだ。唯だその人はその人としての歌を詠み得たゞけでも充分ではないか。

 兎に角に詠んでみたいといふ心持それ自身が自づから詠歌の素質をなすことをば經驗者として、またさうした無數の經驗者に接して來たことから私は斷言する。と共に其處で初心の人が躊躇逡巡してゐるのもまた無理ならぬ事ともおもふ。子供が小學校に入る前の樣に、初戀をする少女の樣に、試驗場に入る受驗者の樣に、不安と羞恥とが先立つのも道理であるが、案ずるより生むが安し、手をつけてみれば案外何でもないものである。そして一歩々々と進んでゆくに從つて興味は愈々深く、理解はいよ/\加(118)はつてゆくものである。

 更らに續いて斯うも云つてゐる、おのづからにして歌の生れる所以を説いた形にもなつてゐるのでそれをも引用して見よう。

   詠んで見たいといふうちにも、他がするからといふ物眞似や或は一時の好奇心から來るのもあるであらう。若しかすると斯ういふのが寧ろ多いかも知れぬ。云ふまでもなくこれらは決して眞面目なものではない、眞實に道を求むる者の態度ではない。

   が、私はこれをもなほ無きにまさると思つてゐる。ゐるどころか此等の人たちにさうした思ひ立ちを機縁に、更に眞面目な歌の求道者になつて貰ふ樣に心から勸めたいのである。此等の人に限らず更に一般の人たちにも何か機會があつたらば一應でもこの言葉を呈したいと思つてゐる。

   歌を詠んでみたいといふ心のうちには何か知ら或る抑へ難い欲求が動いてゐると云つた、その欲求とは何であらうか。

   人間には、あらゆる生物には、自己の生命を、生命の力を出來るところまで押し伸べて行かうとする自づからなる欲求が備つてゐる。草を見よ、木を見よ、また人間自身を見よ。無意識に、また意識して、あらゆる機會に自己を生長せしめ、同時にあらゆる艱難から自己を回避せしめ、或はまたその艱難に耐へて行かうとするために、實にあらゆる努力を盡してゐる。多くはぼんやりしてゐるが、考へてみれば大抵さうでないものはないであらう。各自靜かに自己を省みて見るがよい。

(119)   斯くの如くして首尾よく臨むがまゝに生長してゆく者に抑へがたい滿足、隱しあへぬ歡喜の溢れて來るのもまた自然であらう。その歡喜をどうして人は現はさうとするか。方法は種々あらう、私は此處でそれを歌にうたへと云ひたいのだ。

   歌にうたふ——めい/\に歌ひあぐるその歡喜のうちに人はまた必ず新たなる歡喜を感じ、と共に更らに新たなる希望、自己の生に對する向上心を起して来るに相違ないであらう。よろこびのために歌ひ、歌ふためによろこぴ、斯く相互に相促し相助けつゝ己が一生を深めてゆく。

   また斯ういふ場合もあらう、人の生れてゐるといふ事は一面また云ひ難い苦しい事である、寂しい事である。我等は生れながらにして先天的に、本能的に、生きてゆかねばならぬ運命を負はされてゐる。多くはみな苦しみながらに賦與せられたゞけの生命を、運命を背負ひつつ辛うじて彼岸まで、死まで辿つてゆく。人によつてはこれは實に年數を離れた長い/\行程であらねばならぬ。その長い間の苦しさ、それに耐へてゆく寂しさ、それをどうして漏し訴へようとするか。私はそれを歌にうたへといふ。

   さうした抑へ難い心より溢れた歌は、また直ちにその疲れ悲しめる心に響いてわれより知らぬ尊い慰藉を與へ深い力を添ふるに相違ない。

   飜つていふ、人眞似や好奇心から歌を詠まうとする人たちは、恐らくは未だ曾てこの自分みづからの生命《いのち》のよろこぴ、生命の嘆きを知らぬ人であらう。生きてゐるといふことをみづから知らぬ人に相違ない。さうでなくばどうしても人眞似や出來心で歌を詠んで見ようなどと思へる筈がないからである。歌は元來さうした人生の深い底に根ざしてゐるものである。云ひ過ぎかも知れないが、畢竟歌を知るは人(120)生を知る事である。人生を、自己自身のいのちを知るは、とりも直さず歌を知ることであるといふも敢て過言でないのである。

 生きてはゐるが自分の生きてゐるといふ事を知らないといふのは何たる哀れな慘めなことであらう。さうした人たちに私はいま歌をうたへ、少なくとも歌を知れ、と云ひ度いのである。歌には限らない、あらゆる藝術や宗教はすべてそれを教へるものであるが、私はいま歌に就いてのみ云ふ。ことに、それらの中で歌は最も入り易いものであると思ふからである。(後略)

 以上甚だ大掴みな云ひかたではあるが、歌といふものに對する私の見解の大體をばこれによつて了解して頂いた事とおもふ。歌がなぜ面白いものであるか、價値あるものであるかに就いても多少の暗示を得られたことであらうとおもふ。

 

    第五章 どうしたら詠めませう。

        先づ讀め

 

 では、どうしたら詠めませう、とその人は云ふに相違ない。

 先づ他の人の作を讀んで御覽なさい、と私は答へる。

 歌は五、七、五、七、七の音調から成つてゐるとは知つてゐても、なか/\オイソレとその五七五七七が並べられない。また、歌は自分の思ふ通りを歌へばいゝ、とは云つてもなか/\その(121)思ふ通りが言葉になつて出て來ない。それをどうにか一首として形に表はす準備として私は先づ「他人《ひと》の作をお讀みなさい」と云ひたい。

 繰返し/\讀んでゐるうちには自づと自分の心のうちに、いま讀んでゐる歌の調子につれ一種の調子が出來て來る。そして知らず/\自分でもそれにつれて一首二首と作り出すことが出來てゆくものである。古人の言に「讀書百遍意おのづから通ず」と云ひ、「古今萬遍《こきんまんべん》歌千首」といふごとき、すべて讀書の難有さを云つてゐるのである。即ち意味の解る解らないに係らず、百遍も二百遍も繰返して讀んでゐるうちにはおのづとその意味が解つて來るといふのが前者で、後のは古今集を萬遍も讀んでゐるうちには歌の千首位ゐは出來てしまふといふ意である。

 ではどういふ歌を讀んだらいゝでせう、といふ質問が次ぎに發せらるゝかも知れない。

 さういふ程度で讀む場合にはさまでむづかしい選擇をする必要もないと思ふが、念のために云ふならば、先づ現代の作をお讀みなさいと私は答へやう。

 これは一に解し易いからである。言葉も思想も、お互ひが一緒に生きてゐる現代の人の作であるだけに、昔の人のものより解し易い。だから先づ現代の作を讀み、次いで古代のものに進むべきであらう。

 現代ではどんな人のを讀むべきでせう、と云はるゝか。

(122) 厄介な質問であるが取りあへず私は答へやう、先づ私の作つたものを讀んでごらんなさいと。

 現代でも既に無數の歌人が輩出して居る。そして何れもそれ/”\に自己の信ずるところに從つて詠歌に努めて居る。而かも何れもそれ/”\特色があるであらうが、さればとて蓋世的に傑出した人はゐない。紅紫黄白とりどりである。その間に在つて自分に最も親しいのは自分である。即ち先づ私は私自身の作を參考用として諸君の前に提供しようとするのである。私のものを讀まれて、それに慊らなくなつたならば誰かまた他の人の作に就いて見らるゝがいゝのである。

 サテ小生の作の歌集として纒つてゐるものは先づ次ぎの三册であらう、即ち『若山牧水集』(明治四十三年より大正五年までに著した七册の歌集の中より一千首を拔いて輯めたもの)『くろ土』(大正七年より同九年までの作一千首)及び『山ざくらの歌』(同十年より十二年までの作八百首)の三册であらう。いづれも牛込區矢來町新潮社出版の書籍である。無論これに限つたことはない。誰にしても相當その道で世間の認めた人の作ならば誰のを讀むもよろしい。

 歌を讀む態度であるが、とにかく參考のために讀むとしても初めから唯だ作歌の足しにするためにのみ讀むといふのではいけない。それでは讀んでもその歌の眞實の價値は解らず要するに唯だ徒らに讀むことになるからである。歌を讀め、といふのは畢竟歌を了解せよといふにある。その「歌を了解する」ためには、飽くまでも虚心平氣、極く恭儉な心持でその歌の前に立たねばな(123)らぬのである。斯うした題材を、構想を、自分も眞似てやらうとか、斯うした技巧を、手法をとつてやらうといふ樣な態度で讀み始めたのでは要するにそれだけの事しかその歌の上から觀取することは出來ない。歌全體の價値、妙味をば知る事なしに終るのである。一つの方便としてみづから作らむと欲すれば先づ他の人の作つた歌を見よと言つたが、眞實の意味はこの「歌を了解せよ」といふにあるのである。そして眞に歌を了解するには斯うした態度で讀む心懸を持たねばならぬのである。

 歌を了解しさへすれば自づと其處に親しみが湧く。その親しみがもとゝなつていつ知らず自分にも詠んで見度い心となり、なほ續いて讀み耽つてゐるうちに自づとその作歌の調が解つて來て自分自身にも意外にもたやすく五七五七七と並べ得る樣になるのである。

 先に現代の歌を讀むのは主として解り易い點からであるが、その現代の歌を了解し得たならば更らにわが國古代の歌を讀んでほしい。それは歌といふものがいかにして生れ、いかにして發達して來たかを知る上にも必要であるし、また、現代の歌の遠く及ばぬ境地を古代の歌は持つてゐるからである。

 古代の歌、と一口に云つたが今斯くいふ私の心には唯だ一つの『萬葉集』が影を置いてゐるのみであるのだ。そのほかにも隨分と數多い歌集があるのだが、特にその道に深入りして研究する(124)といふのならば兎に角、歌といふものゝ概念を知るだけならば先づこの『萬葉集』だけを讀めばよいとおもふ。

『萬葉集』に就いては本講座の「和歌小史」の中に書いてあつた樣なので詳しくは云はぬが、とにかく日本に歌といふものが起つて以來の最大の歌集で、時代につれて種々にその歌風の上に變化はして來たものゝ、殆んどすべての歌はこの『萬葉集』を本にして出て來たものだと云つて差支へのないほど重要な地位を日本の歌の上に占めて居るのである。

 たゞ現代の歌を讀む樣にたやすくはこの古代の大歌集は讀まれない。言葉も違つて居れば第一歌を書かれた文字が現在我等の使つてゐるものと異り、所謂萬葉假名といふので漢字を假りて日本の言葉を表はしたものであるのだ。で、昔からいろ/\の註釋書がこの歌集に就いて表はれたが、最も簡略で要を得てゐるのは徳川時代の國學者橘千蔭の著はした『萬葉集略解』であらう。これは活版本になつても幾種か出てゐる。申で博文舘から出版せられた佐々木信綱芳賀矢一兩氏校訂のものが一等いゝかとおもふ。他にアルス書店出版の土岐哀果氏著『作者別萬葉全集』といふのがある。これは前云つた萬葉假名を全部現代の通りに書き改めた上、各卷を通じて前後區々に入れてある各個人の作をそれ/”\一緒に纒めて——柿本人麿の作は柿本人麿の分だけを一緒に——あるので讀むにも便利だし、各個人の作風を知るにも誠に都合がいゝのである。先づ大抵な(125)らばこの二種の本を備へておけば萬葉集の大體を知るに於て不便はなからうとおもはるゝ。

 ではさうして歌の本ばかり讀んで居ればよいかといふと決してさうでない。此處では專ら作歌に指を染める第一歩の方便としての讀書(主として歌を)を説いたのに過ぎぬ。眞貰の意味の讀書は決してそんなものではないのだ。前にも云つた通り我等が歌を詠むのは自分を知り自分に親しみ、更らに自分を守り育てて行かうとするためと云つてもいゝのであるが、その自分を知る——換言すれば人生を知るといふ上にこの讀書といふことがどれだけ役立つか解らないのである。書籍は多くの場合、それ/”\の道の先輩が自ら苦しみ、自ら經驗し、自ら發明したところのものを書き記しておいたものである。我等はそれを讀むことによつて謂はば一足飛にその先輩の歩いて行つた境地まで到達し得ないまでもそれによつて啓發せらるゝところは少なくないのである。

 人生を知るための讀書といへば可なり範圍が廣くなつて來る。前に云つた詩歌類から小説、戯曲、評論其他の純藝術的作品は云ふまでもなく、其他宗教哲學の本にまでも及ぶべきであるのである。

 以上私は行きがかり上方便として餘りに爲めにするための讀書をのみ説いて來た樣である。さう功利的にのみ讀むことは實は眞實の讀書の趣旨には適つてゐないのだ、たゞ讀みたいから讀む(126)といふのが本統であらうとおもふ。まつたく讀書の樂しみを知つた人の幸福は他の窺知を許さぬ程度のものである。靜かに自己の愛する書籍に面した時、心は油を得た火の樣に徐ろに燃え入つて其處に一個の絶對境を作る。勞れてゐた心は蘇り、涸れてゐた靈は潤ふ。

 

    第六章 推敲の是非

 

 推敲の是非などといふ題目をきくと諸君は驚かれるであらう。推敲をしなければならぬのは定まつてゐることである。それがいいかわるいかといふ事は評議するまでもないことであると言はれるであらう。推敲もとより必要である。短歌のやうな短い形のものでは、その形を整へる上に推敲を重ねなければならぬのは言ふまでもない事であるが、それは出來てからの事で、初心者にあつては、なまじつか推敲することによつて、流露する眞情をわきへ逸らせてしまふやうな事が多いからである。初心者にはなるべく一氣にその感情を抒べて貰ひたいのである。言葉によつて自分の實情を左右されたくないのである。初心の間から、机上でこしらへるといふ習慣をつくるのは、最もいけない事である。これは澄んでゐる生命を濁らせるものである。初心者が完全な指導者を持たないと踏みちがへ易い點である。

 初心者はよくかういふ事を言ふ——

(127)『詠みつぱなしなもんですからお恥づかしいものが出來ました。この三首の中で、初めのは比較的推敲しましたから見られるかと思ひますが、第二、第三のものになりますと、捉まへたものはいゝつもりですが、なつて居りません。云々』

 と。さうしてその作を讀んでみると、推敲したと言つたものが、空虚なものになつてしまつてゐて、推敲しない、詠みつぱなしと言つたものに、作者の溌剌とした情緒が出てゐる。

 一概にさう斷定することは出來ないが、多くの場合さうした傾向はたしかにある。それはどういふわけであらう。推敲がわるい影響をその作に與へるといふわけは、どうも合點が行かない、諸君はさう考へられるであらう。それは至極尤もな疑問である。私はそれについて少しく述べてみたいと思ふ。

 初心者の心掛けなければならぬ要務は、自分の感じた事をなるべくそのまゝ表はしたいと思ひそれを表はしえたかどうかといふ事を省みるところにある。そのまゝといふ事が眼目である。それがわきへそれたりしては、肝心の要務は失はれるのである。そのまゝでは物足らない氣がして机上で勝手な修飾をすることは、自然を人工化するもので、この習慣は恐ろしい惡結果を後に貽《のこ》すものである。

 初心者が歌がいやになるのは、この机上の修飾で、どうにもかうにもならぬからである。歌は(128)入るにむづかしくないといふのは、感情のまゝを歌ふといふところにあるからである。それを自ら苦しんで、役にも立たぬ自分をそこにひけらかさうとするからである。さういふ譯で、初心者は無用の推敲に勞力を徒費することの馬鹿らしさを會得して貰ひたいのである。自然に素直に感じたことをそのまゝに歌ふといふ事——これが作歌の大きな要務であらねばならぬ。

 初心者はいゝ歌を作らうと思はずに、自分の感じた事柄をそのまゝに歌ひえたといふ事が最大の手柄であると思はねばならぬ。そこに、いゝ歌とかうまい歌とか、そんな浮ついた讃美は要がないのである。一念ただ自分の心持を本當に歌ふといふところに驀進せねばならぬ。それ以外の感情が作歌の場合に入ると、その出來た歌は滅茶々々のものである。皮相の修飾など、本當の歌に毫末の必要もない。さういふものが必要だと考へるやうになつたら、その作も作者も墮落である。冗《くど》いやうだが、私はその事を十二分に確めておきたいのである。以下、實例について言はう——

   この朝け空さみどりに晴れわたり見渡すかぎり夏となりけり

 初心者が一本氣にすらりと自分の見たまゝの事柄を歌うたところはよい。これはなまじ修正しない方がいゝ。修正しようと思ふならこのあらはれた歌についてではなく、更にこの場景を今一度見直すことである。さうして、前の歌についての缺點が分つて、それを別に歌ふといふところ(129)に、局面が展開せられるのである。

 形となつて表はれたものについて修正しようとすると、机上の彫琢になる。本當のものが嘘のものになる。歌の心境が生きるか死ぬるかの大事の問題になつて來る。

 自然に對して、も一度歌ひ直す——といふ事は當然なさるべき事で、それは間違つて居らぬ。しかも多くの場合、出來たものについて修飾をするから、惡い影響がその作にあらはれるのである。

 見直して歌つた作はどんなものが出來たであらうか。前のと對照吟味してみるのに、多少の興味が、そこに起つて來るのである。

   けさ見れば晴れたる空のところどころ白雲うかび夏となりけり

 かういふのが出來た。「白雲うかび」といふのが新しい發見である。「空さみどりに」といふ事を「白雲うかび」の裏に見せたのも作者の手柄である。前から見れば、一歩たしかに進めてゐる。前のうたは、實景を見ないでも出來るが、後のは平凡でも何でも作者が本當にものを見てゐるといふ事は否まれない事實であらう。

 かういふ風に見直して、新に作つてゆくのは、生きた推敲を實現するものである。かういふ推敲ならば少しも構はないが、「空さみどり」が抽象的だからと言つて、「空は林檎の青き色に」(130)といふ風に、二句三句を變へて、四句を「晴れわたりつつ」と改めたら、歌は一寸見にいゝやうになるかは知らぬが、作り歌になつて、机上のごまかし歌になるのである。「林檎の青き色に」は清新な色彩感はあるが、かう一つやつて見ようといふ、見せかけになつて、毫も作者の物を見る眼は光つてゐないのである。

 初心の間は特にかういふ見せかけをやつて見たいものである。それが永く附き纒うて、いつまでも本當の歌を詠むことの出來ないことになる人がある。これは徒らに奇を求めて奇に食ひ入られて、奇を趁うて行くならはしをつくる事になるのである。

 かういふ譯から、私は初心者の推敲といふものを奬勵しない、否むしろ牽制する傾きになつてゐるのである。自分が歌に本當に眼が開いて來て、自分の感じを表白するに方つて、内容にふさふやうに一首の形をとゝのへるといふ事は、もとより必要であるが、初心者が、歌の道の本當に分らぬ初心者が、自分の本當の感じをおるすにして見せかけをやらうとすると、その害毒の及ぶところ、窮極するを知らないと言つてもいゝのである。

 出来たものが不滿足だつたら、もう一遍、その物を見るといふ事は必要な事である。それが面倒なくらゐなら、はじめから作つた歌に不滿足の感を起さないがいゝのである。つい机上でこねくるのが早手廻しなので、小手を利かすことになるのである。そして、いくらでも机上にうその(131)歌をつくる。一ダースでも二ダースでも濫作する、一夜百首などと昔、歌の遊戯をやつたものだが、それはかういふところから初まるのである。

 歌は決して多きを誇るものでない、十首作る時間があつたら一首を作れ、百首作る時間があつたら十首でもそれ以下でもいゝから、その歌に自分を完成したものを作つてみるがいゝのである。歌は進んで行くと澤山作れるものではないのである。

 初心者は自分の感じをなるべく完全に表はさうとする心構へから、一首でもいゝから本當の感じをそれに表はしうるものを作り出さなければならぬ。餘計に作らうとしないで、自分の完全な心の姿を表現したと思はれるものを捉へようとしなければならぬ。併し初心者の間はそれが中々出來ない、自分の完全な心の姿といふと、時にそれを捉へ得たとしてもそれが平凡な氣がして、別に不純なものを加へるから、間違のもととなるのである。

 平凡人の平凡な歌! それは少しもみつともないことはないのである。それが自然である。見せかけをするな、眞情を直露する、そこに人間の尊さがある。平凡人が平凡な歌をあからさまに歌ふところに歌の尊さがある。文字上の修飾によつて、歌の價値の上るものゝやうに思つては、それこそ大間違ひである。机上の推敲でいゝ作をえたためしがない、いゝやうに自分のみが思ふだけである。

(132) 正しい道を行け、そこに本當の歌が手を擧げて飾られないわれらの行くのを待つてゐる。私達は一齊にそこへ進んで行かうではないか。右顧左眄してはいけない。勇往直進しなければならぬ。

 推敲は本當の歌が出來てからやつて遲くない。生きた推敲の出來ない間に、文字上の小技に捉はれて自然の感情を殺してしまふやうな事があつては一大事である。

 推敲についてもう一言附け足したい。

 推敲の恐るべき事は、推敲してゐる間に、第一の印象とはまるで異なつたものが、そこに姿をあらはすことである。人爲的推敲の惡結果はこゝに至つて極點に達する。そして、そこにあらはれた、作爲された不自然な姿を想うても見よ、想ふだけでも戰慄するばかりの無氣味さを覺えずには居られまい。

 これではならぬと氣づいた時は、多くの時間無駄骨折して疲れ切つて、あたまが滅茶々々になつた時である。そして、矢張り、もとの作にかへるのが自然だと思つて、疲勞一つを贏《か》ちうる事になる。何と馬鹿々々しい事ではないか。

 机上でする推敲——無思慮でする推敲は、寧ろなさぬ方がましである。推敲で失敗するのは文字に捉はれてしまふからである。自分の本當の感じが、文字の爲めに、直露しえないので、いろいろに妨げをなすからである。推敲は眞劔にやらなければならぬ。

 

(133)    第七章 摸倣はわるい事か

 

 摸倣といふと一概にわるい事と思うてはならぬ。摸倣も進歩の一階段であることを左に述べてみよう。

 初心者に向つて、たゞ詠んでみよと言つたところで、何かめやすになる事、もしくは何か據りどころになる事がなくてはならぬ。そのめやすになる事、據りどころになる事は先輩の歌を參考にして、それを摸倣するといふのも、その一條件であらう。

 たとへば、庭前の一鉢の牡丹の花を詠まうと思ふ場合である。それはその日の日課として、何か目に觸れた事を詠まなければならぬ時に、その牡丹の花に向つて、ぢつと凝視めてゐる。併し、どうも中心になる事が見つからぬ。と、頭に浮んだのは、ある先輩の歌である。それは何でも「廣庭に牡丹のあらぬさぴしさよ」といふ上の句で、下は蝶が頼りどころもなくたゞ舞うてゐるといふ意味の歌であつた。そこで、

   廣庭の牡丹の花のひと鉢を目の前にして歌おもふわれは

   廣庭にただひと鉢の牡丹《ぼうたん》の大輪なるもさびしかりけり

   廣庭に牡丹の花のひと鉢のありて蝶はも來らざりけり

(134) といふやうな作が出來た。三番目のは先輩の歌を逆にいつたものである。あれは牡丹がないのに蝶が舞うてゐるといふのであるが、これは牡丹があつて蝶が來ないといふのである。かういふ摸《ま》ね方は、本歌(先輩の歌)を生かしたもので、材料の取り方の練習には非常に役立つものである。第一、第二の歌は、何れも本歌から組立を取つて來てゐるが、かういふ風に取れば一面作歌の自由といふことも會得するやうになつて來るのである。

 かういふ風に摸倣する事は、自然に進歩を促す動機となるもので、決して惡いことでなく、むしろ進んでやつてもいゝ位ゐである。併し、

   蝶の來て舞へどもこれの廣庭に牡丹の花のあらぬさびしさ

 といふ風にやつては、本歌の辭句をわづかに轉換したのみで、摸倣といふよりは、剽窃に近いものになるのである。これは斷じて避くべきことで、初歩の人が勞を惜しんだり、虚名を賣りたい爲に、かういふ惡習に染まる人を時に見かけるのは嘆くべきことである。習、性となるで、初歩の間はなるべく善い習慣をつけるやうにしなければならぬ。それから又

   廣庭に牡丹のあらぬさびしさよ春のひと日はくれむとするに

 こんな風に上句をすつかり踏襲したりするのは、いかに初心の間でも、許すことが出來ないのである。

(135) 左に摸倣の許される場合を二三例證を擧げて説明し、私の所説を一層たしかにしようと思ふ。

 先輩の歌に、

   おぼろかに空くれゆけばうちつづく野の底べより蛙音を立つ

 といふのがあつて、それから左の如き歌を作つたとする。

   おぼろかにくれゆける野のをちかたに月のぼる見え蛙なき立つ

 摸倣はしてあるが、見方は違つてゐる。これは差支ない摸倣である。けれども、前の方は蛙がなきさうな状景であるが後者はさうでない、「蛙なき立つ」が浮足である。見方の違つてゐるのは、摸倣としてわるくはないが、肝心の中心點を生かすべき背景が誤つてゐる。想ふに作者はかういふ景色の中に立つて歌うたものでなくて、あの先輩の歌を單にもぢくつたのみにすぎないのは、月を配するやうな間に合せをやつたのでも分らう。

   おぼろかにくれゆける野のいづくにか蛙の低く啼きいでにけり

 單純でもかういふ歌の出來るのが本當である。本歌に對して、かういふ摸倣は、初心者の取る手段として、當然許さるべきものであらう。本歌の「野の底べより蛙音を立つ」といふやうな見方歌ひ方は、初心者の未だ往くべき境地でない。徒らに焦つて、そこへ到達しようとすれば、踏襲するか矛盾を見するか、いづれかその一を受けなければならぬ。初心者は初心者のやうに、單(136)純でいゝから、往くべきその一足を踏みはづさぬやうに往けばいいのである。これはなんでもない事のやうで踏みはづす人が多い。注意しなければならぬ事である。

 もう一つ摸倣の許さるべき場合と許されない場合との例を擧げて見よう。

 これもある先輩の歌である。

   ほのぼのとおのれ光りてながれたる螢を殺すわが道暗し

 四、五句の「螢を殺すわが道暗し」といふところに作者の主觀が鮮明すぎる位ゐ鮮明に出てゐる。さういふところを眞似したら、明かに失敗である。

   螢はもおのれ光りてながれゆく野原の草は風にそよげり

 かういふ風の見方なら、本歌から一句なり二句なり取つても、取つたといふ部類に入らないのである。「おのれ光りてながれゆく」といふ景色を目の前にしながら、どうしても表はしえなかつた所が、ふと思ひ浮んだのは、あの本歌である。すぐその句を使つて一首にしても、その句はあの歌の主眼でないから、これを取つて自分の歌に入れるのは初心者として差支へないばかりか、寧ろ賢いやり方と言ふべきである。前の月などを持つて來て机上で一首にもぢくつたのに比べて、この方がどの位ゐいいか分らぬのである。

 こゝに一つ摸倣について言つておきたいのは、摸倣の許されるといふ事をいゝことにして、初(137)心者でもない人が摸倣をして來た習慣から摸倣しなければ歌が出來ぬといふことになつては困るのである。私が摸倣を許すのは初心の間に限るのである。何かめやすになる事、たよりになる事がなければならぬといふので摸倣を許したのであるが、それが生地になつてしまつては大變困るのである。人にたよらない自分の歌が早く出來なければならぬ。それにはいくらいゝ意味の摸倣でも始終やつてゐたら、本歌の作者の境地から一歩も出られなくなつて、自分の歌といふものが容易に出來ないのである。

 摸倣はある時期に限る。その時期が經過したら。さうした習はしから脱却せねばならぬ。そこの進退がなか/\難かしいのである。うか/\して向上心が無かつたら、いつか習《ならひ》、性になつて、一生それから脱却することは出來ないのである。

 摸倣がいくらうまくなつたからと言つて、それは賞めたことではない。進歩の一階段として、ある時期を經過したら、すつぱりと其處を出て、自由な天地に跳び出さなければならぬ。その心掛けが肝要である。

 

    第八章 中心を定めること

 

 初心者は或る場景なり、或る事件なりを歌にしようとしても、それを何う纒めていゝか分らぬ(138)ので、折角の歌興も表白する方法を知らない爲めに挫折してしまふやうな場合があらう。それは甚だ悲しむべきことである。私はさういふ場合の救濟手段として、左にその要點を述べてみることにする。

 庭前は木や草でをぐらく茂つてゐる。朝から今日も梅雨曇りで、今にも雨が落ちさうである。作者はこの場景を前にして立つてゐる。先づ何に眼をつけていゝか。ぢつとその場景に眼を注いでゐても、捉へるべきものが、はつきりしない。この場合、決して焦つてはいけない。靜かに何ものかの眼に入る時を待たなければならぬ。

 蝶が一つひらひらと飛んで來た。作者の眼は忽ちそれに移つた。

   庭さきのくらきしげみにつと來るましろき蝶をよしと見るかな

 蝶が中心になつて一首が出来た。もし蝶が來なくつて、雨が落ちて來たら、その雨が中心になるのである。

   庭さきのくらきしげみを見てあれば雨の粒白く落ち來るかな

 雨が來なかつたら、そのしげみの中から、楓の赤いわか芽を見出してそれを中心にすることが出來る。

   赤き芽をふけるかへでを庭さきのくらきしげみに見いでつるかな

(139) これでも一首が出來る。

 もしその楓の赤い芽が無かつたら、歌にならないであらうか。

   をぐらくも茂れる中に八つ手|葉《ば》の大き濃青《こあを》が目立ちてそよげり

 かう作ることも出來やう。八つ手が特に中心といふ風でなくて見やうによつては自から中心となつてゐるのも歌にして面白いところである。

 かういふ風に、熟視してゐると、それからそれと歌の中心があらはれて、歌になつて來るのである。注意ぶかく事象に眼をそゝぎ、中心になるべきものを捉へようとしたら、必ずそこに或るものを見出すに違ひない。さうして、歌が出來るに違ひない。いくら考へても、歌が出來ないといふ歎聲を洩すのは、つまり事象に對し、それに對する注意力が足りないからである。言ひ換へれば感覺性を鈍らすからである。

 歌を詠まうといふほどの者は、事象に對する神經を鋭くして居なければならぬ。ぼんやりとしてゐては捉へられるべき材料があつても逸してしまふのである。神經を鋭くしてゐたら、何ものにも歌になるべき事が籠つてゐるのを見出されぬことはあるまい。初心者は何ものも歌になるといふ信念を抱いて、それが歌になるかならぬかを吟味するのは後にして、先づ歌ふといふことに猛進すべきである。

(140) 初心者はよく次のやうな問を發する——

『歌になる事、ならぬ事のけぢめがつかなくて困ります。たゞもう夢中で作つてゐるのです。批正していたゞいて、始めて自分の歌の是非が分るのです。それを見て、成程さうかと首肯かれましても、又作つたものが分らなくなるのです。それでいゝでせうか。』

 と。初心者が或る事象を捉へて歌にしようとする場合、これが歌かどうかと吟味してゐたら、折角のびやうとする歌の芽を萎縮させるものである。そんな事はお構ひなしにたゞ詠むがいゝのである。

 森羅萬象すべて歌である! さういふ氣持で歌にするものを片端からかたづけて詠んで行くといふ風にきめてかゝつたら、その氣持は非常に自由で、愉快であらう。さうしてゆく間に、取材が歌になつてゐるか、なつて居らぬかが、自分から自然に會得して來るものである。無論その間には指導者があつて、是非の批判を下して行かなければならぬ。そして進んでゐたら、邪道に入らずに、正しく往くべき道を踏むことが出來て、自分の歌の王國に到り著くことが出來やう。さうすれば、自分の歌といふものが、確かな基礎を置いて建設されるのだから、特殊のものが出て來てゐると確めることを得るのである。

 初めは自由な、こだはりのない氣持で、歌になる、ならないと云ふ事を顧慮しないで、歌ひた(141)い事を歌つていつたらそれでいゝのである。

 

    第九章 どんな歌書を讀むか

 

 初心者は自己の心の糧を豐かにする爲めにどんな歌集を讀んだらよからうかと私に間合される向が多いのである。

 古い歌集を讀むのが初めで、今の歌集は後囘しでいゝか? と云ふ問を發せられる人がこの頃多いのである。

 私はそれに答へて、

「歌集は現代の人のから初めて段々に昔へ昔へと遡つて行く方がいいのである。今の歌を作るのに一番參考になるのは、今の人の代表的歌集である。今の人のが直接に要るとすれば、昔の人のは間接で後廻しになるといふ順序である。今の人の歌集を一々目を通すといふ事は大事業であるから、代表歌人の代表歌を選集したものを讀む方が、勞力が省けて、どの位ゐ簡便だか分らぬ。新潮社發行の『代表歌選』(薫園、牧水共選)がその要求に最も適してゐる。そして若し餘力があつたら、萬葉集選釋(佐々木信綱氏著)古今と新古今(尾上柴舟氏著)などの古歌を拔萃したもの、評釋物を讀むのがタメになるであらう。」

(142) と言ふのを常とする。この方法を取つたら、今の歌、昔の歌の一班を會得することが出來やう。

割合ひに勞少なくして效果が著しく上るものである。

 今の諸事複雜な時代には大がかりで歌書を渉獵する時間の餘裕を有しないから、なるべく簡便な方法を取つて、前記の書物を初期の研究者に薦めた次第である。

 研究の歩を進めて行つて箇々の代表歌人の集について熟讀玩味する餘裕を生じたら、更に古へに遡つて、萬葉、古今、新古今に眼を曝すように願はしいのである。更に又家々の集にも餘力を注ぐやうになれば申分ないのである。

 濫讀よりも精讀が肝要である。一首一首について、作者のその時の心持、その他、修辭のこまかい部分部分にわたつて苦心の存する點をも十分想察すべきである。

 歌集の面白味は箇々の作者の集にある。一首一首、その作者に面接するやうな心持で讀み味つて行く心持は實に愉快なものである。それには嚴選してあるものよりは、作者の長所も短所も分るやうな——どちらかと言へば寛《ゆる》やかに選び集めてあるものの方が、くつろいだ氣持で作者の心にふれて行くことが出來るのである。此の點で昔の集でいへば、西行法師の「山家集」の方が、源實朝の「金槐集」よりも親しみがあるのである。

 

(143)    第十章 進歩の三階段

 

 第一期——第二期——第三期

 歌に進んでゆく道程を假にこの三期に分つてみる。これやがて進歩の三階段である。

 第一期は或る動機から、頻りに歌に入りたくなつて、遮二無二歌が作りたくなるが、前に言つたやうな、そのめやすとなる心の置きどころが分らない。矢鱈に作つてみても、何が何だか分らない、ノートのどの頁も鉛筆で黒くなる。併し自分として不安である。自分の心は空中に石を投げるやうな、頼りどころない不安に襲はれる。

 歌に入らうとする動機は人によつて色々であらうが、(日本人は先天的に歌を詠みえられる素質を持つてゐるから、動機さへあれば誰でも歌の道に入ることが出來る。)ふいと或る雜誌なり、書物なりを見て、そこに歌があるとする、初めは讀む氣もなく讀んで見ると、それが中々面白い、さうして何んだか自分にも出來さうな氣がする。その口眞似をしてみると、歌の調子がおぼろげながら自分の神經に傳はつて來る心地がする、こりや一つ本氣になつてやつてみようかと云ふ氣になる。さうして二三試みて見ると、存外簡單に出來さうである。丁度友達のA君が歌をやつてゐる。A君が今迄は面白さうに歌の話をしかける時があつても殆んど氣にも留めないでゐたが、(144)かうなるとAに逢つて歌の話がしたくなる、Aはどのくらゐの程度まで進んでゐるのだらう? 一つたづねて、どういふ風にやつてゐるか訊いて見よう。

 さうして、Aを訪ねる。ところが、Aも少し前からやり初めてはゐるが、矢張りたゞ作つてゐるばかりで、頼りどころがない。君もやるのか、そりや愉快だ、大にやつてみようぢやないかと云ふ事になつて、ノートを持つて野原などに出てしきりに歌を捉へようとするが、書きつけるものは、どれもこれも同じやうな程度のもので、何處に、めやすを置いていゝのか、さつぱり分らない。Aにきくと、Aも矢張り分らないと言ふ。たゞ作つて居れば面白くてならない、事實また作つて居りさへすれば、どうにかなるだらう、何處かへぶつかる迄作つて/\作りぬいてみてやらう。若い元氣で、猛然と作つて居る、ノートは見る/\鉛筆で黒く染まつて行く。

 かうしてたゞ作つてさへ居れば、どうにかなるものか? かういふ不安が頭の一角から起つて來る、さうしてAに話してみると、Aも同樣である。

「どうだい、誰かに見て貰はうぢやないか。かうやつてたゞ作つてゐるだけでは、何時までたつても、うだつが上りさうもないぜ。見て貰ふとすると、誰に見て貰はうか、君は誰がいゝと思ふ?」

 とAに相談してみる。それでその相談の結果、××だといふ事に定まる。二人で一つ××氏の(145)處へ押しかけようぢやないかと云ふ事になつて、訪問してみる。さうして、今迄作つたものゝ中からその一部を清書したものを持つて行つて見て貰ふ。

 ××氏は一わたりその歌稿を見てから、その可否について話す、かういふ風に進んでいゝとか、わるいとか、その傾向について話す。それがめやすとなり、據りどころとなつて、歌の眼が開いたやうな氣がする、そして研究の歩が定《き》まつて來る、これから作るものは、空中に石を投げるやうな張合ひのないものでなくなつて來る。

 夢中になつて、作つてそれがいゝ加減の量になると、××氏の許に趨つて行く、××氏の批評を聽くと、分るところもあり、分らぬところもあるが、ともかく、歌の道はこの一本道を行けばいゝのだなといふ事が分つて來て、よし/\! この道をぐん/\進んで行けばいゝのだといふ自信を得て來た。

 それで第一期は大凡終ることになつて行く。第一期から第二期に進んで行くと、そのうちに今迄知らなかつた懷疑の腑にぶつつかる。こゝで一寸たじ/\となる、そこを早く拔け出ないと、進歩の道程に支障を生じて來る。その懷疑の腑といふのは一體何であらうか。それは必ず來るべき事で、それを通り越さないと、晴々した日光を仰ぐことは出來ないのである。

 それは××氏のいゝと言はれる歌が自分にはつまらない心地のするものであつて、わるいと言(146)はれるものに、却つて自信のあるものがある事である。××氏の批評されるのを聽いてゐると、一應尤もとは思はれるが、よく考へてみると、どうも合點が出來ない。友達に話してみると、そりや君の方が間違つてゐる、我々はまだ初期のうちだから、××氏の指導によつて進んで行かなければならぬ、君のやうに今から小さい自我を出しては、進歩するものも進歩しえない事になつてしまふ、そんな懷疑に惱まされる間に大に作るさ、今は大いに作る時期であると言はれても、自分の心持をどうも欺いて容易く妥協することは出來ない。一つ××氏にぶつかつて行つて、氏の意見を聽いてみよう、そしてまだ會得が出來なければ、その上の事にすると肚をきめて氏を訪問する。そして氏に自分の煩悶してゐる事を話してみる。すると氏は事もなく言ふ、「誰でもそこへぶつかつて來る、が、あなたは少しその時の來るのが早いやうである、それだけ進歩が早いわけである、あなたの歌にはあなたの全部を出したものとその一部を抽《ぬ》いて出したものと二つある、前の方のは、あなたの思つてゐることをあれも言はう、これも言はうと思つて、それを詰込むから、短い形である歌にはそれがうまく入らない、はみ出したり、溢れ出したりする、あなたはその掴んだ複雜なまゝに表はすから自分ではいかにもその内容が充實していゝやうに見えても單純化することをしないから、第三者には非常にうるさく、煩瑣にきこえる、さういふ傾向のものは、それで失敗するのである、私の採らないのはその點である。説明になつてはいけない、單(147)純化しなければ可けないと私が言ふのはそこである。も一つの一部を抽いて出した方の歌はあなたとしては呆氣ないか知らぬが、單純化されてゐる、私がいゝと言ふのはこゝである。」かう言はれると成程さうかなと首肯かれるが、心から自覺したのではない。半ば醒めて半ばまだ醒めてゐない。さうして矢張り作歌はつゞけてゐるが迷へる者の歌である。

 此の第二期には此の外に懷疑が多く起つて來る。人生を疑ひ、自然を疑ひ、はては自分の存在をさへ疑ふやうになる。さうして暫く作歌を廢するやうにさへなつて來る。

 こゝで、よつぼどしつかりしてかゝらないと、歌を全くやめてしまふやうなことも起つて來るのである。第一期の時、勢ひ込んで作つてかなりの成績を擧ぐるほど、その反動が此の期になつてひどく來る。

 しかも此の期のいろ/\な難關をぬけて第三期に進んで來ると、ずつと樂になる。ともかく自分の作りたいと思ふものが、思ふ通りの、もしくはそれに近い言葉になつて表はれてくる愉快さがある。これまで一知半解であつた歌が、人から教へられずに自分から分つて來て、歌に興味が多くなつて來る。併しこれは人によつて此の期の中頃迄にならないとかういふ氣持が醗酵して來ないことがある。遲速はあつても此の期に入れば、もう占めたものである。歌は自分の手中に入つて來るのである。

(148) それから後は、その人の天分素質によつてどんなにも磨きをかけることが出來るのである。今までのやうに人を多く頼らずに自分で自分を磨いて行かなければならぬのである。併し、時々は自分の信ずる先輩に作を提出して、批評を乞ふことは向上を計る足しになるものである。先輩の言に意外な事から啓發される例もあるのである。自分でよく/\考へて頭を惱ましたことが、先輩の一言で綺麗さつぱりと解決されることもあるのである。

 進歩の三階段の中で第一期は比較的誰でも順調にうなぎ上りにのぼつて行くが、第二期の中ごろから第三期のとつつきに入る迄が困難である。人によると、苦もなく此の關門を通り越す人もあるが、十年餘もこゝに引掛つてどうにもならない人さへある。やめるにもやめられぬ執着があつて、うんうん青い息を吹きながら、あれでもない、これでもないと、煩ひ悶えてゐる。はたから見て隨分氣の毒であるが、自發的に分つて來ない間は、どうにもならないから、かういふ風な人は、その儘うつちやつておかなければならぬ。

 歌は何年やつたら出來るやうにならうか? とか何首詠んだらうまくならう? とか言つて、その返答を迫る人もあるが、それは前述のやうに進歩の三階段を通つて來なければならぬ問題で、その經過の時間は人によつて遲速があるから、何とも明言することは出來ない。速い方が筋がよくつて、遲い方が筋がわるいとは限らない。進歩の遲々としてゐた人が、或る動機から猛然とし(149)て非常な進歩を見せることもあり、初めは長足の進歩に日を刮《くわつ》せしめた人が、ふと行き詰つてしまつて、その間の隨分長いといふやうな事もあるから、一概に言ふことは出來ないのである。

 此の進歩の遲速は自然に任せるより仕方があるまい。たゞ焦らずに、心を落ちつけて、靜かに自分の進むべき路を取つて往くより仕方があるまい。速成法を問うたり、秘訣の傳授を乞うたりする人も時々あるが、さういふ人は歌を本質的に知らない人で、そんな問は問題にも何もならないのであることを附記して置く。

 

    第十一章 行き詰つた時どうするか

 

 進歩の三階段の中で、第二期には當然行き詰る時が來るが、第一期の溌剌たる進歩を示す時でも、時とすると二進も三進も行かぬ場合がある。第三期の自覺の時代でも、なほ此の場合にぶつかる事がある。さういふ時は、どうしたらいゝだらう。

 第一期の時代に行き詰るのは、單調に馴れて感興の起らない場合に起つて來る。日記の歌を初心の間は作れと言はれて、日記をつけて行くやうに、その日にあつた事を夜、囘顧して試作する。毎日毎日の事であるから、さう興味を惹く事も起つて來ないので、つい倦怠してくる。その時は氣分轉換で、別な方法を取つてみるがいゝ。即ち郊外散策もよからうし、日曜の朝など窓前に靜(150)坐して瞑想するのも、新しい思想を呼ぶことが出來るものである。氣分轉換には、なほいろいろの方法があらうと思ふから、思ひ/\に、その方法を撰んで、新しい心境を自分の歌にあらはすことを忘れてはならぬ。

 第二期の時代の行き詰まつた場合については、矢張り此の氣分轉換を用ゐて、疑の暗雲をはらひのけるやうにしなければならぬ。これは考へやうによつてさう深みに入り込まないで浮きあがる事が出來るのである。

 指導者の導下に在る間は、成るべく指導者の言ふ事に從ふやうにせねばならぬ。指導者は自分より先に其の道に入つて進歩の道程を經て來た人で、それから幾多の後進を誘掖して來たのであるから、その經驗によつて指導するのである以上、惡い事を言ふわけはないのである。その言葉を聽いて進んで行つて、間違ひはないとせねばならぬ。自分で求めて懷疑の城を築き、それに籠つて孤立するやうになつては、自分で自分を陷れるものである。前述のやうに小さい自我を楯にして、指導者の忠言にさからふやうでは、自分から進むべき路をゆくのを態々他の邪徑に蹈み込んで行くのである。

 指導者から自分の氣のすむまで説明を求むべきである。つい分らぬところを分らずじまひにするから、懷疑が懷疑を生むやうになるのである。分らぬところは、しつこいと思はれてもいゝか(151)ら、分るところ迄問うて徹底的に解決を求めたら、疑問も氷解するに至るのである。

 自己の作に對しては無論信念を持たなければならぬが、それが嵩じて、他人の忠言を容れないやうでは、獨斷的のものになつて、他人が讀んでも分らぬやうになるのである。それでは、自分だけの記録にとどまつて歌として見ることは出來ないのである。

 前述したやうな、單純化の足らない場合に、これを指摘されて再考を求められたら、自ら深く考へて餘計な事を省いて主要な部分を捉へようとしなければならぬ。歌にはこの單純化と云ふ事が特に必要なことなのである。散文の一斷片と歌と異なるところは、歌の表白には此の單純化を用ゐるからである。

 複雜した事實を三十一字の短かい形に詰込まうとするのは初心者のやつて失敗する所である。第二期に入つてなほ此の失敗をつゞけて行つては困るのである。それを指摘されたら、ハッと氣がついてすぐに考へ直さなければならぬ。未だ固く執つて動かぬといふやうな境地に到らぬ身でありながら、敬愛せる先輩の教ふるところについて、深く戒めねばならぬ事である。明らかに間違つた考へを持つてゐながら、それに固執して、先輩に楯を突くやうな事は間違つてゐると反省しなければならぬのである。

 少しく餘談に移つたが、懷疑に陷つたら、先輩の許に行つてそれを解決して貰ひ、深く考へる(152)やうにしたら、いつ迄も懷疑の暗雲に包まれないでも濟むのである。

 第三期に入つて行き詰るやうな事があつたら、前述の氣分轉換をやるがいゝ。さういふ場合の多くにこれを用ゐて間違はぬものである。

 窓外の景色はいくら見馴れてゐても、季節の變る毎に新しい變化を見るものである。それが自分の歌にいつまでも新しい生命《いのち》を賦與してくれる。自然の恩寵を感謝してゐると、どういふ拍子か出來なくなつた。何か出來るかと思つて、おもひを凝してゐても中々出來ない。時間は空しく經過して行つて、終に一首をもえない。

   むかつ丘《をか》の新樹は雨のはれし後をあをあをとして日にかがよ

へり

 かういふ風の作ばかりしか出來ない。あまりあたりまへなので、これではならぬと焦ればあせるほど出來ない。嘗て先輩から、あせり氣味になつたら、やめた方がいゝと言はれたことを思ひ出す。かういふ場合の戒めなどであるなと考へる。しかし、このまゝやめるのはいかにも殘念である。こゝを一つ落ちつけて、何か新しい事象が見えて來ないかなと見てゐる。すると、

   むかつ丘の家より女出で來り青空見つつ干し物をする

 といふ場面が眼に入つて來る。依然として面白くない。

   むかつ丘の家の女は何か口うごかし居れど歌はきこえず

(153) 一寸つかまへたかなと思つたが、矢張りぱつとしない。これではならぬと思つてゐると干物をかけつらねた。

   丘の家の女は白き干物をかけつらねたり新樹はかくれぬ

 やゝよい。併し自分としてはどうしても行き詰つたと考へたから、先輩に今日の作を書いて持つてつて見せる。先輩は事もなげに言ひ放つ。これは成る程、行き詰つたのかも知れない。併し行き詰つたといふのはこんな作でも得られない時だ。あなたはこれだけでも出來たのだから、ほんとに行き詰つたのではない、殊にあとの「新樹はかくれぬ」の作の如き、何でもないが、何でもないばかりではない、作の内側に何ものかを持つてゐる、二三首の後にかういふ作を得たといふことは決して行き詰つたのではない、大に奮つてやるのだと力づけられて、自分でも「さうかな」と力を得て來る。

 かういふ時、先輩の助言がなかつたら、自分では行き詰つたといふ事に定めてしまつたらう。そして、後へも先へも出なくなつてしまふのである。

 私は若い人の中に、行き詰つたと言ふ聲が聞えると、いつも言つてやる事は、さういふ弱い音《ね》を吐いてはいけない、私など多年歌に携はつてゐて、いろ/\な場合に出逢つたが、未だ曾て、行き詰つたといふ嘆聲をもらしたことはない、さういふ時があると、いつも一方の血路をきり開(154)いて、死地を脱して行く、若い身空で何かといふと行き詰つたといふのは非常に恥辱であるといふ事に心づかなければならない、行き詰るといふ事は、絶對絶命の時である、そんな時がざらにあつてたまるものかと笑つてやるのである。實際今の若い人は「行き詰る」といふ事を鼻唄でも歌ふ氣になつてゐる。思はざる事の甚しいものである。私などは口へ出して一遍だつてそんな事を言つたことはなかつた。

 諸君、夢にもそんな弱い音を吐いてはいけない!!

 

短歌の鑑賞と作法

 

(157)第一編

 

  一 挨拶

 

 日本に古來幾つかの形式を持つた文學が興亡してゐる。時代々々によつて或は歌謠が盛んであり、或は文章が盛んであつた。歌謠のうちにもいろ/\の型があり、或る型は亡び或る型は殘つた。文章にもそれ/”\時代によつて内容形式ともに甚しく違つてゐた。そしてそれらの多くは一つの時代に盛んであつて次ぎの時代には亡んで居る。文章は同じ文章でも、形式も書かれた心持もずつと違つたものとなつてゐる。さうした中でこの短歌ばかりは上古から現代まで、時代によつてその時代相の反映と見るべき變移をその内容に見せては居るが、寸時も斷ゆることなくうち續いて來てゐるのである。

 さういふ事から見れば短歌は日本文學の中にあつてかなり重大な意義を持つものと考へらるべきである。さう考ふると共に如何にも嚴かな、近づき難いむづかしいものゝ樣にも思はれがちである。が、暫らく私はその考へを拾てゝ極めて平易な、我等の日常生活に最も親しいものとして(158)この短歌を取扱ひたいのである。つまり傳統的の短歌、古典としての短歌、日本文學史に於ける短歌といふ風に見る事を止め、單に今日我等の眼の前に在る短歌として先づ此處に短歌を説きたいのである。無論昔から今日に傳つて來てゐる短歌の精神、歌の大道に就いては自づと筆を進めるであらうが、失禮ながら諸君を歌に關しての初歩者と見做し、初めて「歌」といふものに面する人々として説いてゆきたいのである。

 たゞ私は非常に説明下手で、筋道立てゝ説き進めてゆくといふ樣なことが出來ない。僅かに極く斷片的に、座談的に書いてゆくに過ぎないとおもふ。その中から何等かの暗示でも得ていたゞければ幸である。なほ、見界甚だ狹く獨斷に陷るところが多いかともおもふ。然るべく御含みの上、御讀み下さい。

 

    二 歌の面白味

 

 若しひとが私に『どうして歌を詠むか』と尋ねたならば私は答へる、『面白いからです』と。『なぜ面白いか』と問はれると、この返事はちとむづかしい。極く簡單に云つて、『自分が可愛いゝからです』とでもなるであらう。また、これは實際に折々出逢ふ質問であるが、『わたしにも歌が詠めませうか』といふ問ひである。私は常に答へる、『詠めますとも、直ぐやつてごらんなさ(159)い』と。

 自分が可愛いゝから歌を詠む、といふのは少し可笑しく聞ゆるかも知れないが、詮じつめてゆけば先づさうである。つまり自己の生活生命をゆたかにし深くしてゆく、自己を愛しそだてゝゆく、そのために歌を詠む、といふほどの謂ひである。どういふ機會でか、歌といふものゝあることを知つた、讀むとなく詠むとなくいつとなく歌の道に入つたといふ風な入りかたもかなりあるであらうが、さういふ入りかたにしても意識してか又は無意識でか矢張り右の自分の生命を愛しいつくしむ心から發してゐるものと私は見てゐる。斯うした事に關し私は數年前次ぎの樣なことを書いて居る。甚だ幼椎な云ひかたゞが、寧ろその方が解りやすいかともおもふので、此處にそれを引用する。

 

   (前略)人間には、あらゆる生物には、自己の生命を、生命の力を出來るところまで押し伸べて行かうとする自づからなる欲求が備つてゐいる。草を見よ、木を見よ、また人間自身を見よ。無意識にまた意識して、あらゆる機會に自己を生長せしめ、同時にあらゆる艱難から自己を囘避せしめ、またその艱難に耐へて行かうとするために實にあらゆる努力を盡してゐる。殆んどそのためにのみすべては生存してゐるかの如きものである。多くはぼんやりしてゐるが、考へてみれば大抵さうでないものはないであらう。各自靜かに自己を省みて見るがよい。

(160)   斯くのごとくして首尾よく望むがまゝに生長してゆく者に抑へ難い滿足、隱しあへぬ歡喜《よろこび》の溢れて來るのもまた自然であらう。そのよろこびを人はどうして現はさうとするか。方法は誠に種々あらう。私は此處で、それを歌にうたへ、といひ度いのだ。

   歌にうたふ——めい/\に歌ひあぐるそのよろこびのうちに人はまた必ず新たな歡喜を感じ、歡喜と共に更にまた新たなる希望、自己の生命に對する向上心を起して來るに相違ないであらう。よろこびのために歌ひ、歌ふためによろこび、斯くて相互に相促し相助けつゝ己が一生を深めてゆく。

   また斯ういふ場合もあらう。人の生きてゐるといふことは一面また云ひ雜い苦しい事である。寂しい事ある。我等は生れながらにして先天的に、本能的に、生きてゆかねばならぬ運命を背負はされてゐる。苦しみながらに悶えながらに賦與せられたゞけの生命を、運命を、背負ひつゝ辛うじて死まで、辿つてゆく。人によつてはこれは實に年數を離れた長い/\行程であらねばならぬ。その長い間の苦しさ、それに耐へてゆく寂しさ、それをどうして漏し訴へようとするか。私はそれを歌にうたへといふ。さうした抑へ難い心から溢れた歌はまた直ちにその疲れ悲しめる心に響いてわれより知らぬ尊き慰藉を與へ、底知れぬ深い力を添ふるに相違ない。

   飜つていふ、人眞似や好奇心から歌を詠まうとする人たちは、恐らく未だ曾て自分みづからの生命のよろこび生命の嘆きを知らぬ人であらう。即ち生きてゐるといふ事をみづから知らぬ人に相違ない。さうでなくばどうしても人眞似や出來心で歌を詠んで見ようなど思へる筈がないからである。歌は元來さうした人生の深い底に根ざしてゐるものである。少し云ひすぎるかも知れないが、畢竟歌を知るは人生(161)を知ることである。人生を、自己自身の生命を知るは、即ち歌を知ることであるというも敢て過言でないからである。

   生きてはゐるが自分の生きてゐることを知らない、といふのは何たる哀れな、慘めなことであらう。さうした人達に私はいま、歌をうたへ、少なくとも歌を知らうとせよと勸めたいのである。歌には限らない、あらゆる藝術や宗教はそれを教へるものであるが、私はいま歌に就いてのみ云ふ。ことにそれらの中で歌は比較的に入り易いものであると思ふからである。(後略)

 

 ひどく思ひ昂つた物の云ひぶりで今見れば苦笑されるが、然し、大體の意味に於いて歌と自分との關係を右のごとく見る私の意見は少しも變つてゐない。たゞ、右のごとく云つたからと云つて、歌をやれば忽ちに自分の人生が深められやうなどと考ふることは間違ひである。要するに右は歌の生れ出づる根本を説いたもので、實際の歌と自分の生命との關係が右云ふごとく密接に一致して來るまでにはなかなか困難な道程がある。さうしてまた右の因縁關係を離れては歌は生れて來ぬのである。

 なぜ歌を作るか、面白いから作る、なぜ面白いか、自分が可愛いゝからである、といふ意味は大體右の樣なことである。それは全く大ざつぱな根本論であるが、斯うむづかしく大きく考へずとも我等の日常生活に經驗してゐるところから自づとこの根本論に溯つてゆくことも出来るので(162)ある。それを次ぎに説く。

 

    三 歌の詠み始め

 

 前章に私は、『詠まうと思ふが自分にも歌が詠めませうか』『無論詠めます、やつてごらんなさい』と云つた。斯ういふ質問を發する樣になつてゐる人の心の——私は心とか生命とか人生とかいふ言葉を殆んど同意義に使ひがちである、そのつもりで讀んで下さい——うちには歌を詠むに足る素質の備つてゐることが自づとあらはれてゐるからである。即ち、この人は知らず/\のうちに自分に對して、自分の生命に對して何か知らの興味を覺えかけて來てゐるのである。自分が可愛ゆくなりかけて來てゐるのである。つまりこれはその人の生命の芽が、即ち歌の芽が、その人のうちに芽ぐみかけて來ることを語つてゐるのである。月が照つてゐる、美しいと仰ぐ、鳥が啼いてゐる、靜かだと耳を澄ます。これは月の美しさ鳥が音の靜けさがそれ/”\に別に美しく靜けく存在してゐるのではなくて、實はそれを見それを聞く人の心のうちにその美しさがあり靜けさがあると云つていゝのである。天心の月に對して澄み切つた自分の心がさやかな光を發し、落ちついた心が樹上に囀る小鳥の聲を聞きながらそれと同じい音色を自らにあげてゐるのである。畫家が繪具を使つて山を描く。描き表はされたものは山の形だが、まことは畫家その人の心であ(163)る。山に對した時の畫家の心の姿である。

 卯の花がしら/”\と咲いてゐるのを見出でて、美しいと眺め入る。その時は見る人の心のなかにしら/”\と卯の花が咲いてゐるのである。而して、その場のその人の生命といふものはその卯の花の姿になつて存在してゐるのである。あゝ美しい、と感じた時は卯の花の姿になつてゐる自分の存在をわれ自から主張してゐたのである。卯の花のかたちを假りて自分の姿を表現せむとしてゐたのである。

 この表現欲は自己を——自己の生きてゐることを知り始めれば自づと出て來るのが當然であらうとおもふ。さうしてそれが、歌が詠んで見たいといふ心になるのだと私は解する。さうなれば既に其處に歌を詠み出づる素質は出來てゐるものと見てよい。それからはたゞ具體的に所謂三十一文字なる形に作り出せばよいのである。

 それがなか/\むづかしい。單に五、七、五、七、七と指を折つて言葉を列ねてゆくだけならば先づどうにかならうが、それらの言葉をすべて生かしてゆかねばならぬ。斯う斯うで斯う/\だといふに止まらず、斯う斯うで斯う/\だといふ意味の裡に含まれた作者の心の感動をその言葉に傳へねばならぬ。言葉が單なる言葉であつてはいけないのである。言葉が直ちに作者の感動となつてゐなければならぬのである。畫家の繪具がたゞ墨や赤や青であるにとゞまらず、それら(164)が直ちに畫家その人の心の色であらねばならぬと同じである。

 これに就いてはなほあとで説くが、初歩の間は斯うしたことより、先づ如何にせば自分の歌はむとする意味だけなりとも完全に三十一文字の上に托し得るかに努力すべきであらう。これは主としてその人の練習に待つべきであらうが、練習の傍ら、先輩の作などを熟讀するがよい。詠むより先づ讀め、と私はさうした場合によく云ふのである。

 

    四 讀書

 

 初めは失張り歌集などがいゝであらう。といふうちにも讀み落してならぬものに『萬葉集』がある。この本のことは此頃大分やかましく云ひ傳へられてゐるので、諸君の方でも御存じであらうし、詳説を略く。この歌集の歌は謂はゞ日本の短歌の初めをなしてゐる樣なもので、そして歴史的にさういふ意味があるばかりでなく、集中實に佳い作が揃つてゐてその意味でも、歌の源が此處に在るとも見えて居るのである。いづれにせよ是非讀まねばならぬが、作られた時代がずつと昔であつたゝめ、言葉や句法等、解釋するのに甚だ困難である。それでも昨今は所謂萬葉ばやりで、隨分といろ/\な註釋書が出來、ことに土岐善麿君著『作者別萬葉全集』は全部二十巻にわたつての各卷から作者別に歌を集め、例の萬葉假名を現代の文字に假名まじりに書き改めてある(165)

ので甚だ便利である。全部に渉つた註釋書では矢張り橘千陰蔭の『萬葉集略解』が一等手頃であらうとおもふ。

 萬葉集のほかには私は先づ現代作家の歌をお勸めする。此處に一寸困るのは、現代作家の誰々のを讀めばよいかといふことだが、現代は歌の流行につれ、無數の歌人が現れ、そしてそれらの歌人は各々幾つかの流派に分れて各自に優を稱へてゐる。そしてそれ/”\に長所もあり短所もありと云つた具合である。で、いま的確に誰のをお讀みなさいと勸むるのに躊躇されるのである。が、大體はそれ/”\の流派の特色、流派の中での秀れた作家、そのまた作家の特色といふ風なものも早や一般的に知れてゐることなので、それによつて自己の好みに近い流派作家の歌を見らるるがよいとおもふ。

 萬葉の歌を先に讀むか、現代のを先にするか、もまた問題である。私は思ふ、背後に萬葉のあることを知つておいて、即ちあとで萬葉集を讀むことを豫期しておいて現代作家の歌を讀むがよくはないか、と。現代にも秀れた作家が少なくない、少なくとも五六人の作を讀まずば現代の歌の持つ特長は解らないであらう。また、讀むと云つてむさう急に讀み盡せるものではない、急がずにぼつぼつ讀むもよいであらう。萬葉と現代のとをかたみがはりに讀むもまた面白からう。

 歌集のほかには何を讀むべきか、となると、讀んでいたゞきたい書物の何と澤山あることよと(166)驚かるる。歌を作るための一つの方便としての讀書だから私は先づ歌を勸めたが、決して歌ばかりでない。ないばかりか、あまりに歌に執し過ぎると結果は却つて歌を殺すことにもなりかねぬ。

 歌とその作者の生命との關係に就いては先に述べておいた。乃ち、よき歌はよき生命より生れる、或はよき生命よりのみ生れる、といふことになつて來る。さうなれば歌を作る方便としての讀書どころでなく、先づ自分の生命のための讀吾が必要になつて來るわけである。生命のための讀書、これは實にかりそめならぬ言葉である。ともすれば疲れがち濁りがちの我等の生命を淨め慰め勵ますために、讀書は實に偉大な力を持つ。先に私は單に歌に就いて語つた時に、歌が人生——生命に對してこの偉大な力を持つことを云つたが、豈歌に限らむや、或は更に歌にもまして、評論、小説、戯曲、その他長詩俳句等の詩歌類、すべての種顆の藝術、延いて宗教哲學の書物等、すべてその秀れたものは我等の生命に對して、不斷の糧《かて》を與へて呉れるのである。いかに歌を作るためだからと云つて、どうか歌の種類のみに偏した讀書をばせずに下さい。歌ばかりを讀むために自づと心の境界を狹くし、從つて其處から出て來る歌は愈々狹小となつて終には歌の上に最も忌むべき『形式ばかりの歌』となりがちであるからである。人間自然の心を離れた、人間本來の生命に根ざさぬ歌となり終る懼れがあるからである。歌のみに執した、所謂歌よみの歌には兎(167)角生氣がない。歌のみなもとである生命の泉が涸れてゐたのでは生氣ある歌が出來やう筈がないのである。歌としての歌といふより、藝術としての歌、といふことを頭に置いて作歌に從ふべきことを私はお勸めする。歌とか俳句とかを作る人はともするとその道のものにしか眼をつけぬ癖を持つ樣であるが、これは歌とか俳句とかいふものを次第に惡固《わるがた》くしてゆく傾向を帶びて來ると思ふ。もつとも歌だけのことにしても古來の歌及び歌に關する書物を讀み且つその道の研究に没頭するとなるとこれだけで大爲事である。これは極く少數の人のやる事で、一般初歩の作歌者の氣に留めずともよいことであるのだ。

 讀書の話の出たついでに、諸君と一緒に讀むつもりで一二の現代作家の歌の評釋を試みて見よう。矢張り人選に困るが、共に著しく特色ある作として北原白秋君のものと、故石川啄木君のものとを先づ此處に引いて見よう。

 

    五 短歌評釋

 

      北原白秋君の歌

 北原白秋君は現存の人のことではあり、諸君の方でよく御存じのことゝおもひ、紹介を略く。此處には同君の歌集『雲母集』の中から數首を引いた。この歌集に收められた歌はかなり以前(大(168)正一二年頃か)の作であるが、同君の斯うした特色の最もよく現はれてゐた時代であつたかと思ふのでわざとこれを選んだ。此處に引いた數首は作者が三浦半島のとつぱなの三崎港に住んでゐた時の作である。

   大鴉《おほgらす》一羽渚に黙《もだ》ふかしうしろにうごく漣の列《れつ》

   大鴇一羽地に下り晝深しそれを眺めてまた一羽來し

 前の一首。大鴉が一羽渚にじつと下りて居る。そのうしろにはあとから/\と幾重とも知れぬ漣の列がさらさらさら/\と寄せては引いてゐる、といふのである。黒光りの大きな鴉がたつた一羽、物音ひとつせぬ寂しい濱にひよつこりと下りてゐる、そのうしろには遠浅になつた靜かな海にきら/\光つた漣の長い列が幾重となく白い線を引いて寄せてゐる、そのしいんとした景色がよく鮮かに一首の上に現れてゐると思ふ。

 後の一首。大鴉が一羽地に下りてゐる、その一羽の鴉の姿にも如何にも晝の更けたのが現れてゐる、其處へまた一羽何處からともなく大きな鴉が下りて來た、といふのである。二羽の鴉を點出することによつて、更け沈んだ眞晝の靜けさ、而かも何處となく力の動いてゐる眞晝の靜寂が充分に歌はれてゐる。

   日の光ひたと聲せずなりにけり何事か沖に事あるらしや

(169) 深味を説くことの困難な一首である。じい/\と燃え入つてゐた日光が、ひたと鳴りをしづめた、いま、沖邊では何か事が起つたのではなからうか、といふ海邊に立つての一首。日の光に別に聲のある譯ではないが、照りに照つてゐる時には如何にも音でも立てゝ照り輝いてゐるやうに見ゆるものである。其處へ突然何かの調子——作者の心の調子で、はたとその聲が斷え果てたやうに思はれた、サテは何か何處かで物事でも起つたらしい、と急に眼さきの暗くなつたやうに騷ぎ立つた心を眼前のしいんとした景色を背景にして歌つたものである、餘りの靜けさに驚いてわけもなく騷ぎ立つ心、さうした事はよくあるものである、それを何の説明をも用ゐずに斯う明かに歌ひ出してあるのである。

   かぢめ舟けふのよき日にうちむれていちどきにあぐる棹のかなしも

 かぢめ舟はかぢめを取る舟、それが幾つも/\ひとゝころに集つてゐて、かぢめを取るための長い棹までが一緒にきら/\日に光りながらうち竝んで海から上つて來る、麗らかなひかりの中にその濡れた棹どもの動くさまが如何にもあはれに見ゆるといふ一首。靜かな、明かな、物あはれな歌である。

   石崖に子ども七人《しちにん》腰かけて河豚を釣り居り夕燒小燒

 夕燒小燒はよく子供たちが夕燒のした時に唄ふ歌である、それをそのまゝ持つて來てあるのだ(170)がそれがいかにもよく調和してゐてわざとらしくない、わざとらしくないのみならず、その句のあるために夕燒小燒のした海邊の崖に多くの子供がいつしんに魚に釣り入つてゐる景色がはつきり水の滴るやうに歌ひ出されてある。

   音もなき海のかたへの麗らなるわが家《や》の下のさざなみの列

   麗らかや此方《こなた》へ此方へかがやき來る沖のさざなみかぎりしられず

 音もなき海、浪も立たぬ油のやうな海、海のかたへのわが家、いかにも廣大な海の傍に小さく住みすましてゐる小さな家を思はせる。麗かなるわが家、日あたりのよい風も強くはあたらぬ家、その家に在つて見下せば果しもない海原は凪ぎに凪いで、たゞ眼の下の石垣のほとりにのみ麗らかなさゞなみが立つてゐる、といふのである。二番目の一首も、よく解るであらう。

   うつらうつら海に舟こそ音すなれいかなる舟の通るなるらむ

 講釋しにくい一首。うつらうつら聞ゆるともなく舟の行く音がする、さて/\このうち煙つた夢のやうな沖津邊をいかなる舟の通つてゐることぞ、といふのだ。繰り返し/\てんでにひとりで讀んで見たまへ、自らこのゆめの世界に引き入れられてゆくに相違ない。

   漕ぎつれていそぐ釣舟|二方《ふたかた》に濡れて消えゆくあまの釣舟 今まで寄り添うて漕いでゐた二艘の舟がやがて二方に分れたと思ふと、まもなく見えなくなつ(171)た、海には煙のやうな雨が降つてゐるのだ。

      石川啄木君の歌

 石川啄木君は明治四十五年四月十三日、廿八歳で非常な窮乏のうちに長逝した歌人であつた。歌人といふより、初めは詩人として世に出たのであつた。しかも先輩たちの間に稀有なる天才であるともてはやされつゝ當時住んでゐた北海道から東京に出て來た。當時彼の作つてゐた詩はどちらかといへば古典的な、壯重典麗な字句に滿ちたものであつた。が、上京後間もなく彼の抱いて來た花々しい空想は破れてしまつた。詩壇からも社會からも彼は厚遇されなかつた。辛うじて米鹽の資を得る生活を續けてゐるうち不治の病に罹つてしまつた。その頃からである、彼が今までの壯重典麗な詩作をやめて、此處に引いた樣な短歌を作り出したのは。

 彼は先づ歌を三行に書いた。そして歌ふところも在來の歌とはずつと變つた主題を取り、格調を以て歌つた。殆んど自分の常住座臥の生活をのみ歌つたので、いつか世間では生活派などといふ名稱を彼の歌に與へたりした。そして愈々その獨特の調子の冴えやうとする時に死んだのであつた。

   新しき明日の來《きた》るを信ずといふ

   自分の言葉に

(172)   嘘はなけれど——

 いつまでも/\斯のやうに不本意な、濁り澱《をど》んだ苦しい境遇にぼんや佇庁んでゐる自分では決してない、生れ代つたやうな新鮮な、光り輝いた未來が來るに相違ないと信じてゐる、さういふ自信だけは確かに今のやうな自分の身體の裡にもひそんでゐるが、一體何時になつたら、その信じてゐる新らしい明日の日が來るのであらうといふ、永い間の過去の經驗をふり返つて絶望ともない絶望を歌つたものである。露骨に輕卒な叫びをあげず、悲憤慷慨口調でそれを歌はず、殆ど他を對手にせぬやうな、獨りごとでもいふやうなこの態度のなかに、却つて云ひ難い深刻な苦痛が溢れてゐる。

   新らしきからだを欲しと思ひけり

   手術の傷の

   痕を撫でつつ

 前の一首をやゝ具體的にして云つたやうな一首である。もつとも、前の一首の出來た時とこの一首の出來たときとの間には一二年位ゐの間隔があつた、この歌は彼の晩年に腹膜炎で切開手術を受けた後の作である。例によりまことに何氣ない風に歌つてある。ひよつと見ると自分の身體には大きな傷が出來てゐる。噫、傷などのない立派な新しい身になりたいものだなあといふので(173)ある。表面は唯それだけだが、この作者の作だけに種々な事を思はせられる。自分の心は過去の種々な苦しい境遇から濁り切つてゐる、それをもとのやうに澄ましたい、生れ代つた樣な身になりたいといふ前の一首に對して心ばかりかたうとう身體まで斯んな有樣になつてしまつたといふ聯想が我等の心に浮ばぬであらうか。一度ついた傷は墓に行くまで我等の身體に消えはせぬ、段々頽れ澱んで行く我等の生命、我等の心を眺むる時によく何氣ないさまで此等の歌が讀めるであらうか。

   何處やらに澤山の人があらそひて

   鬮引くごとし

   われも引きたし

 實に説明のしにくい歌である。何處といふことはないが、其處等中いつぱい人間が群つて、大騷ぎで鬮を引き合つて居るやうだ、とてもぢつとしては居られなくなつた、俺も馳け出して行つてその鬮引きの仲間に混らうかといふやうな一首である。如何してこの一生を送つて行つたらいいか、あゝでもない斯うでもないと、いつか眼の前もうす昏くなつて來たやうにわれと我が身を持てあますやうになつて來た——ところへ、ふと氣がつけば何も解らぬ人間どもがたゞもうがやがやと血眼になつて盲目蛇のやうに騷いでゐる、あゝ俺もあゝしていつそのこと何でも彼でも盲(174)目滅法に馳け出して行つて見ようか、といふやうな、複雜した名状しがたい煩悶や絶望が歌はれてあるのだと思ふ。鬮といふのを無目的な人生とでもいふやうなものゝ象徴だと云へばいへぬでもなからうがそんな事を云つたらこの作者は屹度例の冷い苦笑を漏すであらう。

   高きより飛びおりるごとき心もて

   この一生を

   終るすべなきか

 高い斷崖の頂からでもとび降りるやうな心持で、この自分の一生を終る方法は無いものかなあといつた一首。うよ/\ぢめ/\と、まるでうぢ蟲同然の生活をしてゐるのがつく/”\厭になつた、おなじくばあの崖からでも飛び降りるやうな張りつめた氣でこの短い一生を送つてゆく方法は無いものかといふのである。

   何がなしに

   頭のなかに崖ありて

   日毎に土のくづるるごとし

何といふことはないが、この頃の自分の頭のなかに一つ崖があつて、それがほろりほろりと間斷なくにくづれてゐるやうだ、との一首。次第に衰へてゆく自分の氣力體力を眺めて歌つたもの(175)と見ていゝであらう。

   かうしては居られずと思ひ

   立ちにしが

   戸外に馬の嘶きしまで

 いかにも疲れ果てた、もう世の中のありとあらゆる事がらを知つてゐる、なるやうにしかなりはせぬといつたやうな作であると思ふ。いろ/\とツイ考へ込んでしまつた、あれを思ひこれを思ふと、とてももうぢつとして坐つては居られなくなつた、どうにかせねばと、惶しく身を起したが、サテどうすると云つた所で、今さらどうなるものでもない、とまた再びぐつたりと身を投げるといふ一首であらう。そゝくさと身内も熱して立ち上つたとき、丁度戸外を通りかかつたものであらう、一聲高く馬が嘶いた、それを聞くと同時にまたひいやりとなつたといふので、馬に別に大した意味があるのではない。

   はたらけど

   はたらけどなほわが生活《くらし》樂にならざり

   じつと手を見る

 一首の意味は誰にでも解ること\思ふ。作歌の技巧の上からこの一首を少し解剖して見よう。(176)この作者に限らず、秀れた作者の作はみなさうであるが、歌のやうな短い型のものに於ては、よほど心の調子を一途にして、散漫にせずに、純一な心で歌はねば出來た歌のちからが甚だ弱い。花を詠じ鳥を歌ふ場合などの作は、何しろ既に一つの定つた對象が向うにあるのであるから、まだしもそれほどのこともないのであるが、石川君の作は多く唯だ自分といふもの、生活といふものをのみ主題として歌つてゐる。自分といひ、生活といひ、何といふ茫漠たる大きな、漫然たる題目であらう。それを彼は常に斯の如くに緊張した一首々々として、從來寧ろ「高尚優美」の代名詞位ゐにしか考へてゐられなかつたものゝ上に盛つてゐるのである。この一首にしても、唯だ漫然と概念的に貧しいとか苦しいとかいふことを考へてゐるのでなく、しみ/”\とそれを感じ味ひ、それに對する抑へがたい自分の衷情を述べてゐるのである。而して單に幾ら働いても自分の暮しは樂にならぬといふやうな事だけなら誰しも世間でよくいふことだし、聞く方でも、さうですね位ゐにしか感じてはゐないのであるが、この一首のそれと異つて寧ろ氣味の惡い位ゐの沈痛な印象を讀者に與へるのは、主として、結局の、「じつと手を見る」といふ一句にあるかと思ふ。石川君は上にいふ如く思索的方面の才能の秀れた人であつたと同時に眼前に起る事象を直ちにそのまま寫生して作物の上に移す技能に、極めて優れた腕を持つてゐた。それも強ひて所謂「寫生」をあさらうとする卑しい心でなく、自然に起り來る事象をよく鋭く認め得た人であるのである。或(177)時のこと、ふとした考へから幾ら働いても/\自分の生活ばかりは樂にならぬやうではあるが、と思ひ入りながら、見るともなく自分のやつれ果てた手に眼を注いだといふ所に何の理屈も説明もない恐しい力があるのである。自分の手は自分の働きをする唯一の道具である、それが故に、その場合、自分の手に見入つたといふのでは同じ事でも必ずこの一首より得たゞけの感銘は得られないと信ずる。

   よごれたる手を見る

   ちやうど

   このごろの自分の心に對ふがごとし

 これは前のよりやゝ淡い味ひではあるが捨て難い。何といふよごれはてた手だ、と不圖自分で自分の兩手に驚いて見入りながら、いつか知ら心のうちでは、らやうど此頃の自分の心と同じぢアないか、と動くともなく動いて來る感じを禁めかねてゐるのである。

   この日頃

   ひそかに胸にやどりたる悔あり

   われを笑はしめざり

 事々しく打ち出でて云ふ程のことでもないが、この頃自分の心の奥深く自然に湧き出でたひと(178)つの悔がある。——噫、あゝせねばよかつた、あれは全く自分がわるかつたと思ふその心が、事につけ折にふれ眼の前に現れ出て今は氣輕に笑ふことすら許されなくなつたといふのである。誰にもよくある事である、大概の人はこれを多くは自分で自分の心を瞞着して、その悔を悔とせずに通してしまふ、然しこの作者はさうでなかつた、自己に對して何處までも生眞面目な性格はまた此處にも窺はれるであらう。

   眠られぬ癖のかなしさよ

   すこしでも

   眠氣がさせばうろたへてねる

 何だか人間生活のいかにもどん底にある一つの現象を見せられるやうな歌である、そして斯うした生活がいまはずつと一般になつて來てゐるのだから仕方がない。あまりに身の衰へたためでもあるか、心は徒らに尖つてきて、眠らう/\とつとめてもなか/\眠られぬ身となつてしまつた。これでは益々よくないぞとあせればあせるほど却つて目は冴えてくる、さうした場合、少しでも眠氣のさす時があれば、何を捨てゝおいても先づ一眠入することに急ぐ癖がついてきたといふのである。その睡眠といふのが何だか方今の我等の生活にとつて、いかにも尊い、はかない藥ででもある樣に思はれるではないか。同時にまた斯うした一つの出來事を捉へてさういふ場合の(179)一人間を十分に現はしてゐる作者の手腕をも認めねばならぬ。

   いと暗き

   穴に心を吸はれゆく如く思ひて

   つかれて眠る

 眞暗な、底も知れぬやうな穴があり、その穴の底へ底へと次第に自分の心が吸はれて行くやうで、何とも云へぬ苦悶と不安とに身をもがいてゐたのであつたが、今はもうもがき勞れていつともなく重い眠りに沈んでゆくといふ歌。

   目ざまして直ぐの心よ

   年よりの家出の記事にも

   涙出でたり

 これはまた前のこ首と違ひよき睡眠の後を歌つたものと思ふ。久しぶりにゆつくりとよく眠つて、いま漸く眼がさめた、雨に洗はれた春さきの草木ででもあるやうに珍しく心がはつきりと鮮かになつてゐる、——其處へ、讀むともなく讀みかけた新聞の記事の中に或る老人の家出の記事を記した一項があつた、平常であつたならば他の多くの記事と共にたゞ一目に見過してしまふことであるのだが、折も折、美しく澄み切つた今の心には、それがいかにもしみ/”\と身にしみて(180)思はずも涙を落してしまつたといふのであらう。沙漠のなかの二本か三本の青々した植物のやうにも、この心が尊まれるではないか。

   まれにある

   この平らなる心には

   時計の鳴るもおもしろく聽く

 自分にしては極めて稀なこの靜かな兵らかな心には、きゝ馴れてゐるあの時計の音までがいかにも興味深く聽きなされるといふのである、深い青海の底に靜かに一疋の魚が尾鰭をさめてじつとしてゞもゐるやうな、靜かな懷しい印象を受けて來る。我等讀者は斯うした場合にあつた作者を想像することによつて、自づと、われとわれみづからを可懷しむ心が湧いて來ると思ふ。

   空家《あきや》に入り

   煙草のみたることありき

   あはれただひとりゐたきばかりに

 通りがかりの空家に入つて、じめ/\と薄暗いなかでゆつくりと煙草を吸つたことがあつた、あゝ、暫くなりとも自分ひとりでゐたいばつかりに、といふのである。

 見らるゝ如くこの兩君の作は特色あるものである。北原君はその清純にして鋭敏なる感覺に於(181)て、石川君はその主題格調の平凡を脱したる點に於て、而して共にまた現代歌壇に新機軸を開いたものと見られて居る。

      素人作家の歌

 一家を成した兩君の作のあとに、謂はゞまだ極く初歩の素人作家の作を少しばかり引いて見よう。これは私の編輯して居る歌の雜誌に寄せられたもので、恐らくまだ年少の人たちであらうと察せらるゝ。

   眞夜中といまなりければ飯《いひ》を食《は》むいやかしましき工場の隅に

 調子の引き緊つてゐるのが難有い。それも此頃流行の強ひて高まらせた形ばかりの高調でないのが好ましい。寸分もたるみのないその心が見えるやうであつた。

   頬ぬらし寂しき朝を起きいでぬさまざまの夢を見てしものから

 種々雜多な夢に襲はれて、鬱々とこの朝を起き出でた、氣がつけば何やら自分の頬は濡れてゐる、といふのである。夢のうちで泣いた涙に氣づいたことゝいひ、あゝまた今日も明けたのだといふやうな重い心で見つむる朝の日ざしといひ、かなり複雜したこゝろもちをよくすつきりと歌つてある。

   衣《きぬ》ずれの音して友の起きいでぬさびしき朝に歩み入るはも

(182) 同じく朝の寂寥を歌つた一首。眠つてゐるともなくさめてゐるともなくうつ/\としてゐるとうす暗いなかにこそ/\といふ衣ずれの音がする。あゝもう友は起きたのだ、と思ふと、また今日一日の寂寥のうちに歩み入つてゆくそのうしろ姿が眼に浮んで來る、といふのである。

   温き朝餉|食《を》し居れば裏畑の麥はみどりに日に煙りたり

 郷里に歸省した時の作。何の他奇の無い、すら/\とした一本氣の歌だが、なか/\斯う輕く歌へないものだ。朝の御飯をたべながら、見るともなく眼をやると、すぐ縁さきから續いた畑の麥は煙るがやうに青々と遠く眺めらるゝといふのだが、御飯から立つ湯氣も縁さきから麥畑にかけて照つてゐる早春の朝日の色もさながらに自然のあたゝかみを持つて目に浮んで來る。平凡な、そして靜かな作だ。イザ歌に詠まうとすると、大抵の人は多少にかゝはらず見えを切るものである、きまりをつけるものであるが、この作者にはそれが無い。

   風のかげの土手にまろぴて小半日舟を見て居り身も世も忘れ

   ひとしきり舟の往來の絶えしかばわれもさびしと宜ら上りたり

 この作者も腕の冴えた、眼の利いた作をする人である。大きくはないが、常に齒切れのいゝ歌を詠む。唯だ、風をよけた土手の蔭に寢ころんで半日近くも舟を見て喜んでゐたといふのだが、身も世も忘れといふ結句にこの作者の面目はよく出てゐる。子供のやうに舟を見て喜んでゐた、(183)といふ自分に對してにやりと漏した微笑が即ちこの結句となつたものと思ふ。永らく病んでゐる人と聞くと、一層これらの歌に點頭かるゝ。

   明るさをしたひてひとり山に來ぬ鶯の啼く二月の山に

   山に來て山松原の枝わたる鶯の羽根ひかるを見たり

   山に來てうれしきものは松原の枝なき渡るうぐひすの聲

   すがすがし松のこむらの奥に聞く向つ谷間のうぐひすの聲

 一人の美少年を見るやうな歌だ、怜悧で瞳が澄んで…………幼いながらによく細かで、自然を失はぬ程度の粉飾を施すことを忘れて居らぬ。眼さき指さきの巧を樂しむのみに甘んじなかつたならば、たいしたことにならうと思ふ。

   うらら日の畑に雲雀のこもり聲姿見えずも麥深ければ

   空をゆく由布山風の寒ければ雲雀は畑にこもり啼くかも

 似てゐるが、前者よりやゝ硬い。而して、より多く小手さきの冴えを樂しまうとする癖がありはせぬかと思ふ。どこまでも自然で、どこまでも全身的で押し進んで行つて欲しいものと思ふ。

   道のかたへに小犬よけたれば大犬はのそりのそりと歩みて行けり

   頭より尾まで嗅《かざ》みて犬と犬なんとも云はず別れて行けり

(184) なんともない歌のやうだが、面白い。作者の靜かな心をなつかしく思ふ。

   わが前に一かたまりの埃立つ春まだあさき裏のほそみち

 これも何でもない歌のやうだが、いかにも好いところを見付けてゐる。イヤ、見付けてゐると云つてはわるい。常にその心を新鮮に且つたるませずに保つてゐたならば、斯うした好境地が斷えず自づとその心に映つて來るであらう。

 

  六 作歌練習

 

      その一 摸倣

 

 ひとの歌を讀んで、面白いと思ふ。其處に摸倣といふことが生れて來がちである。

 これは止むを得ないことで、そして或る程度までは差支へないことに私は思つてゐる。寧ろこの摸倣に陷ることを恐れて手を拱《つか》ねてゐるより進んでひとの作を讀み、讀みながら自分の作歌欲を喚び起し、摸倣でもいゝから盛んに作つてみて最初の手ならしをする方がよい位ゐに私は思つて居る。

 然し要するに摸倣は摸倣である。自分のものではない。自分を出さむがために歌を作らうとして自分でないものが出たのでは話にならない。たゞ、作歌練習の一階程としてのみ許さるべきこ(185)とである。此處に注意せねばならぬのは、これが癖になり易いことである。所謂摸倣癖がついては容易に拔けぬものらしい。それに陷らぬ樣、呉々も注意して欲しいものである。

 もと/\眞面目に歌をやらうとして少しでも歌が解つて來れば、とても他の摸倣などはしてゐられない。繰返すが、自分を出すための爲事である。ひと眞似などしてゐられるものでない。ただ癖にならぬ用心と、これは作歌練習の一としてやつてゐることだぞよといふ自覺を忘れぬことである。そしてその摸倣時代から一時も早く進み出づる覺悟を持つことが肝心である。

 

      その二 題詠

 

 題詠も練習になる。とりやうによれば題詠は——即ち題を設けて歌を作ることは、却つて窮屈で作りにくいともとれる。一理あることである。然し、初歩の人が漫然とたゞ作らう/\で考へ込んでゐても眼うつり心移りがしてなか/\一首にまとまらぬものである。題でもあると、先づ詠むべき目標だけはきまつたわけである。それに向つて心をまとめる。割に作りよいものである。

 此頃では、所謂新派和歌の時代になつては、この題詠といふのは一種の外道として甚だ蔑《さげ》しんだものだが、これも強ちにさうは行かぬとおもふ。「松」ならば「松」といふ題が出たとする。松といふものに對する概念、松とは斯う/\いふものだ、斯う/\いふ風に考へねばならぬ、といふ樣にしてこの題に向つたのではそれこそ肝心の題を、松を、殺してしまふことになるが、これ(186)をさうせずして、曾つて自分の見て來た松のうち、どの松が一番よかつたか、松として最も好もしい姿をしてゐたかを思ひ起し、それを一首にまとめるとなると出合頭の松よりずつと洗錬された松が詠まれはせぬかとおもふ。昔行はれた題詠は無論駄目である。「鶯」といへば必ず梅にとまつてゐねばならぬものとして歌ひ、「梅」といへば必ず鶯を配せねば梅らしくないといふごときはこれ全く論外である。然しこの梅に鶯の配合も、後の追隨者たちのために一種の概念化されてしまつたのだが、これを一番最初に作つた人にとつては梅にとまつて鶯の啼いてゐる姿は非常に美しいものに見えたに相違ない。藪の中で啼いてゐるより遙かに美しくも見え、朗らかにも聞えたに相違ない。梅もまた雀をとまらしてゐるより美しかつたに相違ない。其處で梅に鵜の歌が出來たのであらうが——私はその最初の歌を知らないが——それが如何に美しかつた、佳く出來てゐたからと云つて後の人がすべてそれを眞似る樣では梅も鵜も枯死してしまうのである。これまた摸倣の弊の一つである。然しその最初の一首は屹度佳かつたに相違ない。

 話が逸れたが、題詠といふものも右のごとくとりやうによつては強ちに退け去るべきものではないであらう。ことに初歩者の練習には必要である。一題十首などと云つて、一つの題について十首を作ることなども、ものを各方面から見る練習になるものである。たゞ題詠に溺れぬ事である。何處までもその題を自然の申に採り、夢にもこれを概念化してとり扱はぬことである。前に

(187)云つた樣に、題を自分の記憶に求めるなど、よいことである。斯うあるべきもの、例へば鶴といへば松のてつぺんにとまつて居るべきもの、と考へずに、自分の見た鶴は斯うであつた、思うてゐる鶴は斯うであるとして題に對すべきである。公園の鶴、動物園の鶴、繪に見た鶴、天がける鶴をおもひやる心、生きた題として幾らでも出て來るであらう。

 

      その三 寫生

 

 題詠に次いで寫生を説かう。

 題詠は「自分の記憶にある自然」を主題として詠むべきだと云つた。寫生は「眼の前にある自然」を題目として作歌するのである。この「寫生」といふことは一時大分やかましく論議された事があつたが、此處には例により作歌方便としての寫生を主題として説かうとおもふ。

 畫學生たちのいふ寫生《スケツチ》、あれを我等は歌の上でやらうといふのである。心の中の記憶から引き出す自然——即ち詠まうとおもふ歌の題目となるもの——は自由は自由であるが、またあれかこれかと眼移りがしていけないものである。寫生にはそれはない。即ち詠むべき主題はちやんともう眼の前にあるからである。それを如何に詠むかといふのが問題である。

 何か知ら歌が作り度い、といふ風に心持の動いてゐる時は先づ大抵の物は歌の題目となり得るものである。これ、我等の歌は歌ふべき對照物、即ち歌のなかに取り入れる材料が問題であるの(188)でなくして、詠まうとする自分の心持が主であるからである。相手の物體が主でなく、自分の心が主である。何か知ら詠みたいナ、と心の醗酵する時、その醗酵が先づ難有いのである。それの消えぬ間に、歌に詠み込むべき材料を求めねばならぬ。心さへよく動いて居れば詠むべき材料に就いてはさう心配せずともよろしい。眼の前に在るもの、大抵は歌になる。一時はこの材料を主としてむつかしく云つて、自分の心をば輕んじてゐた時代もあつた。輕んじてゐたといふより、忘れてゐた。今は心が主である。何物に對しても働きかけようとする心を先づ大事にして、そして何物をも歌に詠みこなすことを心がけたい。そしてそれがなか/\むつかしい。其處に「練習としての寫生」の必要が出て來るのである。

 また、一方斯うも考へねばならぬ。感動の發してゐる場合には前云ふ通り材料は何でもいゝわけであるが、時とすると先づその肝心の感動を惹き出すことを必要とする場合がある。ともすると斯ういふ時の方が多いかも知れぬ。この場合にもまた寫生は必要であるのである。

 自づと心の動いてゐる時は、大抵のものは歌になる。寂寥に心の動いてゐる時、机の上の時計の針の歩みも寂しい形象《すがた》となつて心に映る。そのかすかなひゞきもまた寂しく心を打つ。無雜作に投り出された巻煙草の袋の姿も、寂しい心の形象《かたち》として一首に收め得る。立つて障子を開くと、其處には庭の竹がある。竹の姿が自分の寂しさの姿である。よく見れば竹の葉のさきにかすかに(189)露が宿つて居る。露もその時の自分の寂しい心である。

 これがまた心の樂しい時には、時計も、煙草も、竹も、露も、樂しい自分の心として其虞に在るのである。斯くのごとく、心が動いてさへ居れば、材料には困らない。ところが、一向に心の動いてゐない場合がある。その、動かぬ心を動かすためにもまた「寫生」は必要なのである。

 前の場合には眼の前に在る材料を如何にして一首に詠み込み得るか、詠み消化《こな》し得るかといふのが問題である。つまり、手法、技巧の問題である。あとの場合は、おのづからにして物を視ることを會得せしむるのが主となつて來るのである。物を観る、といふのは、畢竟自然を視る謂ひである。眼の前にある一莖の草を視ることによつて、其處に自然の心のあらはれを見ることがある。自然の心の表はれを見ることによつて、おのづと其處に自分の心のあらはれを喚ぶ。それまで形をひそめてゐた自分の心が、眼の前にある何物かを見ることによつて自づと動き出して來る、といふ場合が即ちそれである。これは、動かざりし心を動かす方便としての「寫生」となるのである。

 眼の前に在るものをどう詠むか、といふのは要するに作者それ/”\の練習に待つ外はない。側についてゐて見てあげるのならば、此處は斯うした方がいゝ、其處はさうしなさいと云ふことも出来るが、此處ではそれが出來ない。物をよく寫す心得の一つは、物をよく視ることである。よ(190)く視て、物の特長とか特色とかいふものをその中から發見し、それをなるたけ簡明な言葉で一首に收めるのである。いゝなァ、とおもふ物の焦點を捉へてそれを寫すのである。くど/\とあれもこれも眼で見ゆる限りのものを云つてしまはうとすると、物のかたちは却つて正直に正確に出にくいものである。即ち、印象のうすいものとなつて表はれる。從つてその物の形の盛られた一首の力も微弱なものになつてしまふ。いゝなァと思ふそのいゝ所以の何處に在るかをよく視よく考へそれを一首に寫すべきである。

 此處で注意しておきたいのは、物を寫すに最も必要なのは感覺の鋭敏なことである。あゝで斯うでと如何に精細に物が寫されてゐても、この感覺の鋭敏さ新鮮さが缺けてゐては、其處に寫されたものは單に物體の形象だけで、肝心の作者の心、その物に對する作者の感じといふものは出て來ない。同じ朝顔の花を寫してあるにしても博物學の標本として寫された朝顔の花と、名畫家の寫した朝顔の花との間の相違はつまり其處から來るのである。

 感覺の鋭敏不鋭敏はその人の性來にもよらうが、心がけ一つでそれを磨いてゆくことが出來る。矢張りよく物を視、視得たところに對して自分の心を働きかけさせてゆく樣に心がけて居れば、珠玉を磨くがごとく、その人の心の感覺も洗練されてゆくのである。心の感覺と云つたが、これは要するに視覺聽覺その他五感の集中して感ずる感覺の謂ひである。

(191) 物に働きかけてゆかうとする努力、これが即ち先に云つた、外界のものに對することによつて自分の心を喚び醒まし喚び生かす事になるのである。花を見ても鳥を聞いても一向に感じない人がある。全然無感覺の人は無論これは論外である。然し、多少ともそれを感じ、更らに深く感じて行かうとする人にとつては、このすべての物に向つて働きかけて行かうとする心をいやが上にも深めてゆくのは甚だ必要なことである。前にも云つたとおもふが、月が美しい、山が靜かだといふのも要するにそれをさう感ずる人の心の底にあることなのである。その心を淨め深めてさへ行けは、眼前の自然はすべてみなその心の前に生きて來る。月といふものは寂しいものだ、小鳥の音色はたのしいものだといふ概念化した美感でなく、自分自身の感じを噛み出し得た極めて新鮮な、みづ/\しい生きた感覺が生れて來るのである。自分の心が生きてさへ居れば周圍の自然も常にいき/\と生きて居る。自分の心が死ねば、周圍も死ぬる。簡單な事の樣で、その實甚だかりそめならぬ事なのである。

 寫生についてはまだ云ひたいことがあるが、この項ばかり長くなる樣であるから、擱筆する。

 

      その四 散歩 旅行

 

 物を見る眼、物を感ずる力、それらを常にいき/\とさせておくために、また、それらをより清くより深いものに淨め深めてゆかうとするために、散歩や旅行など、必要である。心の塵や疲(192)れを拂ふに讀書がいゝ、と云つたかとおもふが、それと同じく散歩や旅行なども、それらすべてのために必要である。

 歌を詠むための散歩、などいふのも可笑しなものだが、これも練習には必要である。浸然と歩いてゐていゝ氣持になつて、自づと歌が詠みたくなつたといふのもいゝであらうし、前に云つた樣に努めて外界のものに自分の心を働きかける樣にして行つて自然に作歌欲を喚ぶといふのもいいのである。最初から歌にしよう/\とかゝるより、先づ親しく物を見、物に感ずるやうにと努め、それによつて自然に歌の詠みたくなる樣になるのを待つ方がよいであらう。

 手帳《ノート》を忘れぬことである。そして、出來るに從つて一首々々と書きつけてゆくことである。これはいづれ後で云ふであらうが、歌は話の筋でない。つまり、物ごとの報告でない。梅の枝に鶯がとまつてをりました、といふ報告でない。梅にとまつてゐる鶯を見た時の作者の心持、梅と鶯に對する作者の感じが歌である。この心持とか感じとかいふものは誠に微妙なもので、單に斯う斯うで斯うでありましたといふ物事の筋を報告するのとはよほど違ふ。そのまた感じや心持を言葉の上に移すことゝなると一層むつかしい。言葉が單に言葉でいけず、言葉が即ち作者の感じであり心持であらねばならぬ。さうした言葉や、言葉が連《つらな》つて出來るところの一首の調子、これは歌にとつて實に大事なものである。この大事な言葉や調子は妙に不用意に出て來るものである。通(193)りかゝつた路ばたに薊の花が咲いてゐた。漸う蕾をといたばかりの紅でもない紫でもないみづみづしい花の色、それに羽根の美しい蜂が一疋とまつてゐた。それをふつと一首に詠んだ。不思議に氣持よくすらすらと詠めて、薊の花の露つぼい色からすつきりした蜂の姿まで、よくいきいきと詠めてゐた。やれ嬉しやとそれを心に留めておいて、自宅に歸つて手帳に記さうとするとサテ、その一首が出て來ない。歌つた事柄は薊の花の色をあゝ云つて蜂の姿をあゝ詠んだのであつたがとはつきり覺えて居るが、どうもその時の一首の調子が出て來ない。あゝでもなかつた斯うでもなかつたで、とう/\その一首を捨てゝしまふ、といふ場合が少なくないものである。ほんのちよつとした違ひで歌が生きたり死んだりする事はよくあるものである。で、作歌の嗜みのある人などはノートと鉛筆をば暫くも懷中から離さない用心が必要である。私などはよく枕もとにまで置いて寢た。夢ともなくうつゝともなく出て來た句などにも、なか/\捨てがたい生命の含まれたものがあるものである。

 また、これは初歩の間には少ないかも知れぬが、斯ういふことのある時がある。あとさきなしに、五、七、五、七、七の五つの句のうちどの一句か若しくは二句かゞひよいと出來ることがある。形をば成さないが、形を成さない中にも生命が籠つてゐる、どうがなしてその句にあとの不足の句を足して完全な一首にしたい、と苦心する場合がある。時とするとその一句だけを二年も(194)三年も捨てきれないで、あゝか斯うかとそのあとさきの句に苦勞する事などある。斯うした微妙な句も、ふつと口をついて出た時だけで、あと直ぐ忘れてしまふことがある。これにもノートは必要である。(たゞ一筆を落したゞけで立派な岩の趣きを持つ繪など、あるものである。繪はそれでいゝが、歌はどうしてもそれだけでは形を成さない。無理にもあとの句を揃へねばならぬ。なまなか最初に出來た句が佳い句であるために、あとに附け足す句に本當に苦しむことがある。斯ういふ點に見ても、歌と言葉、歌と句の調子の關係の微妙さはよく窺へる事とおもふ。餘談ながら附け加へておく)。

 

  七 推敲・批評・添刪

 

 此處に一つの難所がある。推敲といふ。これ無しではいかず、やりすぎてまたいかず、甚だ厄介な勉強の一つである。が、是非やらねばならぬことではあるし、またやつて見れば、そしてその使命を悟れば、意外に興味の深いものである。

 推敲とは云ふまでもなく一應出來た歌に就きその缺點を探ねてこれを除き、よし眼に立つ缺點なくとも一首全體として不滿を感ずる場合などには滿足出來るまで自らその一首を添刪して立派なものに仕上げてゆくことを謂ふのである。これが何でもない樣に見えて、而かも甚だむつかし(195)い。

 第一自分自身の歌を鑑賞吟味するといふことが容易でない。非常に勢ひ込んで作つた場合など、出來たものはみな佳作ばかりの樣に見えたりするものである。さうでなくとも、何處か氣に喰はぬ所があるが、サテ何處だらうなどと迷ふことがある。よしその缺點が見えたにしても、それを改作するのがむつかしい。前章「散歩」の終りの方で云つた樣に、歌の出來る時は一種の氣合をかける樣な具合で、ふいと出來る事が多い。さういふのには瑕もあるが、その氣合の一端がその瑕にもかゝつてゐて一種の力を持つて居り、なか/\に手のつけられない事がある。言葉の數を知らない人たちにとつては一層困難である。困難であるからと云つて見す/\瑕だと知りつつそれを取り除かぬわけにはゆかぬ。斯くしてその一首をあゝ直して見、斯う改めて見ることが始まる。

 其處に於てもう一つの困難に出會ふ。あゝでもない斯うでもないと改竄に改竄を加へてゆくうちに、いつか知ら最初作つた時とは違つたものになつてゆくことがある。これは少し經驗のある人ならばよく知つてゐるであらうが、實によくある例なのである。違ひまではせずとも、直すには直して見たが、どうも却つていけない樣だといふ樣な場合、其他いろ/\あるものである。これらは所謂角を矯めて牛を殺すのたぐひで、よくしようとして却つて折角多少ともいゝ所のあつた歌を全然惡いものにしてしまうものである。

(196) 推敲の必要な場合の一つにまた斯ういふのもある。充分に心のうちまでまだ考への纒らぬうちに早く一首にしておく事がある。これはよくあることで、前の章でも云つた樣に、フイと浮んだ感動なり何なりに甚だ貴重なものがあるものである。それが直ぐ完全に表現出來ればいゝが、さう行かぬ事が多い。その場合、まだ未成品とは知りつゝも兎に角一首に纒めて置く。これは必要なことである。而してその心して後でその未成品を次第に直してゆく、といふ樣な場合である。

 暫く間をおいて見る、といふのは推敲するに際して肝心なことである。一生懸命になつてあゝでもない斯うでもないと直してゐる間は、なか/\そのよしあしが眼に見えぬものである。それを一時そのまゝ放置しておいて、暫く時日がたつてから取り出して見直す。かうすると可笑しい位ゐに明瞭にその缺點が見えて來て、ナンで斯んなのにあゝ苦しんだのだらうなどと思ふことがあるものである。それほどでなくとも、兎に角間をおいて見ると冷靜にものを見ることが出來る。

 性分でこの推敲に非常に熱心な人とさうでない人とがある樣だ。私など、どちらかといふと作りつぱなしのままで作を發表した方であるが、さればといつて推敲しないかといふと甚ださうでない。矢張り眼に見えぬ苦勞をこのために嘗めてゐる。他に恰好な引例もないまゝに自分のノートの中からこの推敲のあとを拾つて見よう。

 或る温泉へ行つてゐた時の作から三首引いて見る。その温泉は水田の中に在り、湯の湧出量(197)少なく、湯槽《ゆぶね》は地面より低い所に掘り下げて設けてあつた。秋の初めで、あたりの田に鳴くこほろぎが頻りであつた。

   窓さきの田面《たづら》より低き湯殿なる湯に落ちひびく夜半のこほろぎ

 夥しくまづい。第一、「窓さきの田づらより低き湯殿なる」もうるさい説明だし、「湯に落ちひびく夜半のこほろぎ」も惡く叮寧である。そして一首を通して更らに調子といふものがない。さればとてさうした風變りな湯殿の夜ふけに聽いた降る樣な蟋蟀の聲はなか/\に忘られ難い。其處で少しづつ直しにかゝつた。

「夜半のこほろぎ」が具合が惡さうなので先づこれを「こほろぎの聲」とした。調子はいゝが「夜」が拔けてしまふ。且つ肝心の第一、二、三句が直つてゐない。

   田づらより低き田中の湯宿なる湯槽にひびくこほろぎの聲

「湯宿なる」が可笑しい。「湯の宿の」と改めた。「田づらより低き田中の湯の宿の湯槽に」はどうもうるさい。

   田づらより低き湯槽に落ちひびく窓さきの田のこほろぎの聲

「落ちひびく」がわざとらしい。「窓さきの田」といふもことわり過ぎてゐる。といふ風で、それからも幾度か作りかへて終に、

(198)   田づらより低き湯殿にひびき來る夜半の田づらのこほろぎの聲

として、一先づ一段落をつけたことがあつた。

 もう一首、同じところでの作。

   人の來ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉《いでゆ》溢れて濡るる敷石

 第四、五句甚だ拙し。

   人の來ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉清らかに溢れ流るる

 まだ拙い、惡叮寧である。「いで湯清らかに溢れゆく見ゆ」「在れたる見ゆ」「湯槽をこゆるこのいでゆかも」どうもいけない。

   人の來ぬ夜半をよろこびわが浸るいで湯かすかに溢れたるかも

 やゝ調子をなして來た。が、かすかはやゝわざとらしい感を帶びて居る。乃ち、

   人の來ぬ夜半をよろこびわがひたる温泉《いでゆ》あふれて音たつるかも

 で漸く胸ををさめたのであつた。

 恥さらしのついでにもう一首、同じ所での作を引く。これはどららかといふと直しそこねた例の例になるかも知れない。

   したたかにぬるきこの湯にひたりゐて出でかねて居ればこほろぎ聞ゆ

(199) これを斯う直して歌集『山櫻の歌』に收めてある。

   夜のふけをぬるきこの湯にひたりつつ出でかねて居ればこはろぎ聞ゆ

 なるほど、前の「ひたりゐて」「いでかねてをれば」など、まづい。然し私はいまこの講話を書かうとして偶然手近の古ノートを引き出し、更らにその歌を收めた自分のこの歌集を取り出して來て對照しながら、この「夜のふけを」の一首など、どうも改惡に屬するものではないかと、いま考へてゐるところである。

「したたかにぬるきこの湯に」のしたたかといふ言葉など、確かに未熟な言葉ではある。然しその未熟な、不消化な中にこの場合一種の面白味が無いとは云へぬ。ことに「夜のふけをぬるきこの湯に」としたでは全然説明になつた樣で、甚だ感興を殺す傾きがあると思ふ。

   したたかにぬるきこの湯にひたりつつ出でかねてをれば蟋蟀きこゆ

 どうもこの方がよささうだ。なほ、一考することにしておく。

 餘りいゝ例も無い樣なのでこの邊で切り上げるが兎に角「推敲は必要である」とだけは知つておいて頂き度い。

 次に批評と添刪の話。

 推敲は自作に對して行ふもの、批評添刪は他の人の作に對して下す場合が多い。他に對して下(200)すといふより、他から批評添刪を受ける場合が多い。而して他からこれを受ける事、自作を自ら推敲すると同じくまた必要である。

 他の作を批評するといふこともまたむつかしいものである。岡目八目とやらで他の缺點を見出すことは割に容易なものであるが、美點長所を探すといふことは容易でない。そして批評といふと多く他の缺點を見附けることのみを謂ふ樣な流行を見るのは厭はしいことである。眼につきやすい缺點をも擧げるが、更らに心をひそめてその長所をも見出すべきである。斯くして同好者間にこの批評を取り交はすことは作歌勉強の上にゆるがせに出來ぬことである。

 添刪は先輩が後輩に對して行ふ場合が多い。前の推敲の時と同じく曾て私の行つた批評添刪實例を三四此處に引いて見よう。これは各種の新聞雜誌に投書せられた歌に對して行つたものである。

   屋根の雪おろし終れば冬の月上りて寒き夕となれり

 第三句の「冬の月」が云ひすぎだとおもふ。雪といへばよしそれが確實に冬でなかつたにせよわざ/\冬の月とことわることはないであらう。斷つたがために一首をぎこちないものにして居る。簡單なことだが、これだけのことでも一首の手ざはりはずつと違つて來るものである。さういふところにも歌の微妙さはある。

(201)   屋根の雪おろし終れば月いつか昇りて寒き夕となれり

 第二例

   七まがり曲るといへる前小田の土を運びて一日暮れたり

「曲るといへる」が可笑しい。かつきり七つ曲つてゐるのではないが普通七まがりと云つてゐるといふ意味かも知れないがそれにしても斯うことわる必要はない。「前小田」といふ言葉も不純である。田の土を他に運んだのか田に他から運んだかも不明だが、恐らく後者であらう。乃ち、

   七まがり曲りたる路を前の田に土運びつつ一日暮れたり

 第三例。

   春淺き都の夜に降るといふ雪をさみしみしみじみと見る

「都の夜に降るといふ」の「いふ」が解らない。恐らく都の夜といふのを強めるために云つたのだらうとおもふ。「このまアみやこの夜に!」といふわけであらうが、充分に聞えない。「さみしみ」も「しみじみと見る」も共に弱い。きみしみは或はわざと使つたのかも知れないが、矢張り正常の普通の言葉を使ふ方がよい。

   春あさき都の夜に今宵降る雪をさびしみしみじみと見つ

とすれば幾らかよくなるかも知れぬ。

(202) 第四例。

   つたなければ妹《いもと》の代書とおもふなり倉の蔭にて父の文讀む

意味もよく解るし、心持も相當出てゐて可憐な歌だとおもふが、同じくは、

   つたなきは妹《いもと》が代り書きにけむ倉の蔭にて讀む父の文

とすると多少とも一首が緊るであらう。

 これも切りがないからこの邊で止しておくが、添刪に就いて考ふべきは、なるたけ原作の意味心持を壞さないで改善することである。原作の意味を輕んじての添刪は無意味の場合がある。

 

  八 發表欲

 

 苦勞して歌を作り、作つたものを他に示したい、世に發表したい。

 これは無理もない話である。さうした希望を持ちかけた人たちのために丁度都合よく『投書欄』といふものが各種の新聞雜誌に設けてある。

 恐々《こは/”\》ながらもその新聞なり雜誌なりに出して見る。するとちやんと活字に組まれて自分の名と自分の作とが誌上に現れて來る、といふのは嬉しい事に相違ない。それに勵みを得て更に氣を新たにして作る、といふのも無理のない話である。そしてそれはよきことである。

(203) 斯ういふ風に單純な樂みから、または自分の力をためしてみる心から、投書といふを爲るのはよいことである。そのために幼いながらも刺戟を受けて思ひがけなかつた作歌欲を誘はれて行く事があるものである。が、これらの投書は一つの方便に過ぎない。

『歌を作る』といふ大道を進みながらの一つの道草に過ぎない。それを誤つて若し『投書』といふことそれ自身に興味を持つやうになると極めて危險である。

 投書するといふことは、謂はゞ一つの投機《やま》である。投書して果して當選するかどうか、當るか外《はづ》れるか、それを待つ間の投機的興味が餘程投書するといふことの原因をなしてゐる樣である。自ら作つて投じた歌そのものに對する興味よりこの乘るかそるかを待つ興味の方が確かに強い。即ち歌といふものを材料にした一つの遊戯、進んでは一つの商賣である、イヤ戯談でなく、事實この投書を商賣の樣にしてゐる人が世間に少なくないのである。これらが眞實に歌を作るといふことのためによいものか惡いものかは既に論議を要せぬことである。私の特に此處に一言を費し度いのはそんな商賣人的投書家の事でなく、知らず/\さうした危險に陷らうとしてゐる、無垢なる作歌者のためにその注意を呼びたいと思ふがためである。

 人は生れながらにしてかなりに多量に勝負事を好む心、または僥倖を待つ心といふ風のものを持つてゐるものらしい。あれだけ法律でやかましく取締つてゐても種々の勝負事は斷ゆる事なし(204)に行はれ、射倖心を唆る樣な種類の事業は殆んど毎日の新聞紙の廣告面を賑はしてゐる。惡《あし》き意味の投書も謂はゞ斯うした人情の弱點に對して設けられた觀が無いではない。多くは年少の人たちが知らず/\斯うした誘惑に導かれて行くのも無理は無いのである。投書をするからには當選したく、當選するにしてもさう下位で當り度くない、それには大抵許多なる競爭者を相手にせねばならぬ、從つてこの『投書心』を滿足さすには『どうしても當選したい』『當選するにはどうすればよいか』といふ事を極め盡すにあることになる。程度の如何はあるにしても兎に角に選者の鼻息を窺ふのが一法である、器用な氣の利いた、眼につきやすい樣な歌を作つて出すことも一法である。その他あれ、これ、と種々方法があるであらう。讀者よ、これでどうして投書といふことが『歌を作る道』の利益になり得やう。第一、投書する人自身が先づ『自己の歌のため』といふことを考へるであらうかどうか。

 斯うした、投書をする人たちの心理状態やその動機やらは要するに私の推量に過ぎぬ、或は邪推であるかも知れぬ。此處に私はさうした投書熱に浮かされてゐる人たちの作品の上に現れた諸現象に就いて更に一言を費し度い。これは推量ではない、斷えず眼に見てゐる事實の報告である。

 第一に彼等の歌は器用である。いかにも手際よく、あるべきものをあるべき所に置いて作つてある。なるほど、と思はずには居られぬ樣な歌である。そして彼等はみな相當に作歌のコツを知(205)つてゐる。斯うすれば斯うだといふ作歌上のかけひきをよく飲み込んでゐる。痒いところに手の屆くやうな、細かな技巧が施されてある。『やつてるナ』とわれ知らず微笑せずには居られない微妙な呼吸を使つて居る。『うまいもんだ!』と漏らさずには居られない或る種のうまさをそれぞれに持つて居る。(云つておくが、これらは皆投書家中の優秀なるものを指すのである、その劣等なものに至つては殆んど噴飯にも値しないものがあるや勿論である。)時としては私もそのうまさに釣られやうとして、ハツとする事が屡々だ。然し、實際それ等に釣らるゝべく此頃私は餘りに多くの彼等に接して居る。

 彼等の歌を作るや、既に動機が違つて居る。(また、歌ほど正直にその作歌の動機を物語るものはないのである。)即ち『歌』は方便に過ぎず、目ざす所は『當選』である。歌に『本當の歌』が『活きた歌』が出來やう筈がない。いかに巧に、如何によく呼吸を飲み込んで作つてあつても要するに歌の『靈魂』が死んで居る。ところが歌は殆どその『靈魂』のみで持つてゐるものであるのだ。

 然し、斯うした玄人筋の投書家は先づそれでよろしい、彼等自身『歌』といふものに對してはさほどの顧慮を持つて居ぬかも知れぬからである。唯だ氣の毒なのは最初何の氣もなく投書といふことをしていつのまにかその惡い面白味を飲み込み、知らず/\眞正の投書家になつてしまふ(206)やうな人たちである。これらの人は初め方便として『投書』といふことをし、やがては『歌』の方が方便になつて行つたのを氣づかずに居る人が少なくないらしい。そして、次第にその深みに陷つてゆく。

 時にさうした深みに陷つてゐる事を氣のつく人がある。私はよく自身にさう嘆いてゐる人たちに出會ふ。が、その時はもうなか/\に其處から脱け出ることが出來ぬらしい。脱け出ようと苦しみながらもその作は常に血の氣を帶びず、靈魂を持たず、徒らに巧緻なる常識の作であるのを見る。よくよく執拗なる痼疾でこの『投書病』はあるやうである。

 投書そのものは惡いものではない。投書によつて作歌欲を進め、知らず/\歌壇一般の傾向といふものを知り、思はぬ知己をその間に得るといふやうなことがあるものである。が、其處には右云ふ如き恐るべき惡弊惡疾が流行して居る。忘れてもそれに罹らぬやうに心がけねばならぬ。その病氣を持つた人は多くはまた小怜悧《こりこう》な一種の才能を持つた、理屈なども相當に云ひ得る半可通の人に多いので、初めは眞實に偉いのだと思つて近づき度くもなるものである。近づけば大概傳染されるであらう、それだけの力をば大抵彼等は持つて居る。で、投書をするならばするで充分にその覺悟をきめてかゝらねばよくない、飽くまでも『歌を作るため』といふことを忘れないで、『投書をするために歌を作る、雜誌に發表するために歌を作る』といふ風にならぬやうに本(207)末を誤らぬやうに注意すべきである。

 ついでに云つておく。發表するために歌を作る、といま云つた、これは投書とは違ふが(一種の投書病の變疾とも見るべきものもある)少し自由に三十一文字を泣べ得るやうになると先づ自分が主になつて同臭の四五人を誘ひ合はせ、月々雜誌を出して自分等だけの作品を發表する事がいま流行してゐる。

 歌壇に一派をつくり、そのため特に一つの雜誌を出さねばならぬだけの特質を持つたものならばどんな小さな雜誌でもその必要があり權威もあるであらうが、たゞ自分等のものを思ふやうに活字にしたいだけの欲望、お山の大將になりたい虚榮心などからさうした事をするのは誠に憐れむべき事である。つまりさうした人たちも此處に引いた投書家たちと同じく『歌を作る』といふのは客で、先づ『作品を發表する』といふことや『名前を出す』といふことや、唯の『お道樂』が主となつてゐるのである。そしてその結果は自分から進んで自分の歌の芽を摘み棄てるか枯らしてしまふやうなことになりがちのことに終つて居る。兎に角に歌を作るといふ創作欲と、歌を發表するといふ發表欲とを轉倒せぬやうに心がくることが肝腎である。發表を念とすれば自然『作る』方は留守になりがちである。作る一方であれば自然その作物も優れて來やうし、優れて來ればこちらが拒んでも世間でそれを發表せずには置かぬものである。

 

(208)   九 作歌と感興

 

 歌を作らうとしてどうしても氣の乘らないことがある。たしかに心の中に歌はうとする何ものかゞひそんで動いてゐるのだが、それはよく解つてゐるが、イザ歌はうとしてみると一向に纏まらない。強ひて作つて見れば出來ないことはないが、考へてゐたとは似もつかぬ、乾いた、ザラザラした、血の氣のないものが出來る。(ついでに云つておく、斯んな時の作は未練なく棄て去るべきである、手帳に書いたのなら全然消してしまふべきである。書いてあればそれが眼の、心の邪魔になつて、いつまでたつても眞實の作に着手しにくい。また、後日になつても何やらそれに未練があつて強ひて少し作り變へなどして拙いとは知りながら終に自分のものとしてしまふのである、これはその人にとつて一つの負債であり負傷であらねばならぬ。)斯ういふ場合無爲に手をつかねてその『歌はうとする心』の自然に外に湧出して來るまで待つべきものであらうか。

 待つて甲斐のあることもあるが、しかし多くは甲斐のないものである。でさういふ場合はこちらから進んでその燻り煙つてゐる火によく油を注ぐべきである。燃え立たうとして燻つてゐた火はよろこんで焔を擧げるであらう。

 油とは何であるか。これは人によつて違ふ、その性質によつて種々の方法をとつてゐるやうで(209)あるが、此處には單に私自身の經驗を述ぶるに留めておく。

 散歩と讀書が最もよいやうである。そして散歩にせよ、讀書にせよ、要はたゞ心の洗淨、心のちからの集中、そして洗ひ淨められたその心が一途になつて燃燒するに到る、それを待つにほかならぬ。散歩をするにしても殆んど眼を瞑ぢたやうな氣持になつて心を外に散らさず、生命にも代へがたい大事なものでも懷《だ》き抱へた心地でいつしんにその醗酵せむとしてゐる心を見詰めて歩む、——といふといかにも大變なことのやうだが、實際は何でもない、雜念を去り、心をひと所に集め、痛いものに觸れるやうな敬虔な心地になつて歩む、といふやうなことである。そのつもりで、即ち、これから歌を作るのだ、といふ氣持を忘れず靜かに歩いて居ればよいのである。さうすれば必ず自然と心が統一されてすがすがしくなつて來る。そして一首二首と作りかけてみると大抵の場合純粹な感興が身體の内から湧いて來て面白く二首三首と出來てゆくものである。散歩する場所はその人の好みによつて、なるべく氣を使はないやうな所、ふところ手をしてのんきに歩ける所、そんな場所なら何處でもよいと思ふ。然し、あまり歩き過ぎるとまた疲れたりなどして駄目になるものだ、先づ自分の住居の近くを三十分か四十分ぶら/”\して來る位ゐがよいかも知れぬ。歩きながら出來るといふこともある。これはずつと遠くの郊外あたりへ出る時が多い。歩行はともすれば我等に種々な空想を誘ひやすい、乃ち歩きながら空想する、空想しながら歩く、(210)さうした境地から自づと作歌慾を起して來るものである。

 散歩より更に有效なのは讀書である。それもさういふ手近な目的で讀む場合には大部分、新しいむづかしいものなどを讀み始めてゐては間に合はぬので大抵は手近な、讀み馴れたものを讀むがよろしい。黙讀より音讀がよい。それも散文より韻文の方がよい。多くは新しいものより古いものゝ方がよい。例へば萬葉集の歌、祝詞、聖書の詩篇、唐詩選、少し長いが方丈記、若し外国語の出來る人ならそれ/”\の國語によつて書かれた大きな詩人の詩、さういふものを未明の神前に祝詞を誦するやうな緊張した、敬虔な心で音讀するのである。暗記してゐるならば瞑目端座して讀み上ぐるがよい。音讀せよといふのは自分の聲そのものが自然に自身に感興を呼ぶものであるからである。(萬葉集は短歌より長歌の方がよいやうである、音讀する上から短いのだと一首一首代るごとに心が動きがちでいけない。長いのを徐ろに讀むのがよい、長歌にはまた素敵なのがある)自分の愛讀してゐる歌集などを讀むのもよいが、さうすると兎もすればその歌に因《とら》はれがちになつて知らず/”\それに類したものが作り度くなつたり、また現代のなどはツイ/\それに對する批判心などが出て一途に心を張らせるといふ目的に添はなくなる懼れがある。

 また、大部な小説などに讀み入つて、少なからぬ昂奮を感じてゐる時など、その昂奮感興を作歌に利用するもいゝであらう。これは然し多く偶然な出來事で、兼てから作りたいと思つてゐた(211)事がこの昂奮に會うて端なく芽を吹くのであるから、いつも然うだとはゆかない。私は曾て國木田獨歩の短篇などを讀んだあとはいつも歌が作りたくなつたものであつた。

 酒を嗜む人ならば、或場合にはそれを用ゐるもよい。が、度を過しては駄目だ、醉はぬ程度に於て心の昂奮を圖るべきである。私の經驗では酒は作り始めの時より、作り進んでやゝ疲れの見ゆる時に用ゐた方がよいやうである。盡きやうとした感興がこの飲料のために再び焔を擧ぐるのは珍らしくない。然しまた旅に出た時など、今夜こそ大いに作つてやらうと樂しんでゐて夕飯の時に一寸一杯と始めたのがもとで一杯々々とたうとうぐで/”\になるまで醉つてしまひ、翌朝ぽか−んとして悲觀するためしも少なくない。

 林の蔭とか流れのほとり、さうした所に靜かに獨り腰を据ゑて感興を呼ぶのもよい。これは然し周圍のその靜寂と自分の心とがぴたりと合つた時のことで、大抵は餘りの靜けさに却つて心のそわ/\しがちなものである。散歩にはこの缺鮎は無い。または淺草あたりの賑やかな酒場の隅を森林の奥よりも却つて靜かなものゝやうに感じて其處で作つたことなどもある。

 まだ思ひ出して來れば幾つもあるであらうが、これはたゞ私の經驗の一二を物語つてゐるに過ぎないので、外に忙しい職業を持つて居る人などが一々斯ういふことをしてゐられるものではない。唯だ讀書か乃至は散歩、これなどはどんな人にでも出來ることゝ思ふ。

(212) また、非常に忙しい時に却つて意地の惡いやうに歌の出來ることがある、私は曾て學校の試驗場で出來て/\仕樣がなく、答案用紙の隅の方に盛んに書き散らしてやがて消すのをも忘れてそれをそのまゝ差出した事がある。これは忙しい時は多く人間の心の精神の統一し昂奮してゐるものであるがため、從つて下心《したごころ》のある人にはさういふ際には思ひがけぬ作歌の感興が催されて來るのである。戀をしてゐる人が不思議に佳い作を成すのもまたこれと同じである。工場などで烈しい勞働に從つてゐる人が時々非常に力の籠つた眞摯の作をなすことのあるのもまたこの故であらう。

 斯うして感興を呼んで歌を作る。感興に乘じた時は人は寧ろ不可思議な力を發揮するもので、どうして自分にあゝいふことが云へたらう、作れたらうと後で自ら不思議がることが少なくない。感興に乘じて作つた作には形の上などでは不備な點があつても何處か理屈を離れて光つてゐる所があるものである。で、さうした時に作つたものを推敲する際には、矢張り作つた時の氣持になつて推敲しないといけない。さうでなくその時とは全く離れた徒らに冷やかな氣持で筆を加へて行つたのではその作物を水とも油ともつかぬ變なものに弄《いぢ》り毀してしまふものである。

 また、その反對に感興の作の中には開いた口がふさがらぬ位ゐ馬鹿々々しい作も混つてゐるものである。縱横自在、天馬空を行くの氣持で作る時には作つてゐるので、その時にはそんなこと(213)は解らないし、考へてもゐられない。で、感興が萌したならそんな事をば念頭に置かず、出來るだけ作るがよろしい。作れるだけ作つて、それをばそのまゝ暫く棄てておくのだ。その時は實際佳いか惡いかゞ解らない、謂はゞすべてがよく見える。而して一晩か、或は二三日も經つてから靜かにそれを取り出して見るがよい。——樂しみでもあり恐ろしくもあるものだ——驚くべく佳いのも、呆れるべく拙いのもその時には明瞭に解る。その時、愼重にそれらを色別すべきである。

 

(214)第二編

 

   一 歌は感動である

 

 すべて詩歌はさうであるが、わけても短歌は形が小さい。この小さい形のなかに複雜な出來事の筋を盛らうとしても盛り得るものではない。では、何を盛るか。即ちその出來事の底に横はつてゐる感動を盛るのである。

 感動といふと如何にも大きなものが思ひ浮べらるゝ。また實際大きなものでもある。が、これを壓搾し洗錬すれば、極めて小さな形のものに爲し得るとも見得らるゝ。その壓搾したものを歌に盛るのである。

 ところが普通多くの人はこの感動を忘れて徒らに出來事の筋——解りやすいためにこれを普通いふ「話の筋」と云はう、「芝居の筋」などといふ「筋」である——をのみ苦勞して一首に盛らうとする。斯うしてあゝして斯うなつた、といふ事をのみ傳へようとする。少し作り馴れて來ると一首の歌にその「筋」を詠み込む事はかなり複雜な事まで詠み込み得る樣になる。然しそれは、たとへ詠み込み得たからとて何の效もないものである。前に「芝居の筋」と云つたが、芝居を見(215)るのに極く素人の人は先づその「筋」を見て樂しむ。が、少し芝居が解り出して來ると、もう筋ばかりを見て樂しむ事をしない。筋が織りなしてゐる感動を如何に俳優が演出して居るかに眼を留める樣になる。「筋」は一度見れば解つてしまふ。然し感動は生きものである。常に生きてゐて常に新しい。だから同じ芝居が幾度も/\演出されて少しも鞄きられないのである。

 單に筋のみでなく、出來事の大きな事、非常な事を詠んで佳い歌だとする人もある。が、これも愚かである。たとへば四肢五體を裂かれた樣に痛かつたと單に誇張して歌つたものより、棘でさゝれた樣だつたと眞實の感覺を以て歌つてあるものゝ方が遙かに歌が生きて來る。

 歌は要するに感情感覺——總括して感動と云つたが——のものである。話の筋を傳へるものではない。が、いかに感動そのものであると云つても、その感動の出て來る出來事の筋道を云はねば感動は出て來ない。其處で注意すべきは出來るだけ「筋」に負けない事である。「筋」のみが表面に出ない樣に、筋を殺してその「筋」の持つ感動を一首に滿たすべきである。

 

   二 さうですか歌

 

 歌には感動を盛るべしと云つたところで初心の人は一寸途方に暮れるかも知れない。多少ともこれを具體的に明瞭にせむために私の曾つて書いた「さうですか歌」といふ一章を此處に引いて(216)見よう。たび/\舊稿を引いて來て相濟まぬが、私はいま斯うした事を事新しく繰返す心持になり得ない状態に在るのである。ゆるして頂きたい。云つてある事は昔も今も少しも變つてゐない。

 

   各種新聞雜誌の歌壇の歌を選びながら、惡いと見て捨つる歌の中で一番多いのは私の謂ふ『さうですか歌』である。『さうですか歌』とはどんな歌のことか。

   或る一首の歌に對した場合、その歌の持つ感動——これはその歌の發する感動とも云へる——に對して、こちらもそれに連れて感動して殆んど何の返事も出來ない樣な場合がある。くだけて云ふならば『ウーン』と云つたきり返事が出來ないといふ、あの氣持である。さういふのは多くの場合、秀逸な歌である。或はまた、『なアるほど、これは面白い』と思ふ(または返事する)場合がある。これは秀逸まではゆかずとも、先づ佳作の部に屬する。その次ぎに『フン、一寸面白いな』といふ場合がある。これは先づ佳くもなくわるくもないといふ、例の無難の作とでもいふのに屬するであらう。サテその次ぎになつて、その歌に對して何とも返事の出來ない場合がまた生じて來る。返事の出來ないのは最初に云つたのと同じだが、その出來ない心持に於ては大變な相違のある場合なのだ。つまり、返事に因るといふ、あの心持なのである。強ひて返事をするならば、『ハア、さうですか』とでも云はねばならぬ場合である。さうした場合の歌を指して私は夙《と》うから『さうですか歌』といふ名稱を附して居る。

   先づ極めて豐富なる實例に就いて語らう、これらは某新聞に今日投書して來た歌の中から引くものである。

(217)   こころよき目覺めなるかも部屋ぬちにひとりめざめて空を見つむる

    二人ゐて小夜のくだちに鳴く蟲の聲をあはれとききにけるかも

   これは同じ人の作だが、二首ともまぎれのない『さうですか歌』である。『空を見つむる』と聞き終り、『ききにけるかも』と聞き終つて諸君はこの『さうですか』とでも云ふよりほかに一體何と返答をしやうとするか。

    遠方に提灯一つゆれ光りわが行く野べの道は暮れたり

    戸を閉し夕陽を忌みて母上は蠶室ぬちに桑切りてをり

    今朝もまた暴風雨すさべり厨べの暗きに鳴けるこほろぎあはれ

    曇り空ひたす沼の面の浮草に白き花見ゆ寂しきものか

   各種別人の作だが、『さうですか』であることは比々皆然りである。これ等の歌はそれ/”\みな意味もよくわかるし、その態度の眞面目なのも氣持がいゝ。然しどうしてもこれらに對して、佳い歌だといふ感じをば持つわけにはゆかない。不本意ながらも『さうですか』と返事せざるを得ないことになつてゆくのだ。然らばどうして斯うした結果に陷り易いのであらうか。

   私は先づこの弊に陷り易い二種類の型のあることを云ふ。

   第一は無感動な歌である。乃至感動微弱な歌である。その歌に感動が無いがために、若しくは弱いがために、『さうですか』になつたといふのである。おもふにすべて出來のわるい拙い歌はおほかたこの『さうですか』に屬することになると認めてもいゝほどであるが、その出來のわるい拙いといふのはま(218)た多くこの無感動から來てゐる樣である。『歌は人のこゝろをたねとして』と古人も云つてゐるがこの人の心といふのは私の此處で謂ふ感動であるのだ。感動にも烈しい感動靜かな感動いろ/\あるが、それに就いてはまた後に説かう。とにかく感動は謂はゞ一首を成す元素であり根本である。その根源たるべきものが紛失してゐたのでは、どうしても藻ぬけのからの歌とならざるを得ないわけである。

 無感動の歌はあまりに無雜作に作るところから來る。強ひて作るところからも来る。また、感動そのものと感動の概念とを誤解して自分は斯う/\感動して作つたと思ひながらも實はその感動の概念を一首に盛つてゐるのをも多く見受ける。この場合、殆んどすべてその歌は説明の歌となつてゐる。比處に例に引いた『二人ゐて』などはそれだ。この一首から受ける感じは『鳴く蟲の聲をあはれと聞いた!』といふのではなくして、『聞いたのであつた』といふ感じである。これが感動そのものと感動の概念(または説明)との分れる處である。これは多く形だけでは解らない、たゞその作歌動機若しくは作歌態度の差が正直にその作物に表れて來ることによつて鑑別出來るのである。

 無雜作に作り、強ひて作る傾向を持つ人には私は斯う云ひ度い、いま少し自分自身の心、作らうとしてゐる心、——感動——を凝現してから徐にお作りなさいと。凝視しながら更にその感動の醗酵を待ち、清澄するを待つのである。さうして後作り出せば、少なくともその歌には不快な亂雜や滑稽な無意味やは略かれて出て來るとおもふ。

 無感動の話はこれにとどめておく。次ぎに『さうですか』を生むのは『説明』の歌である。説明の歌と云つても、説明するところから右に云つた無感動の歌に墜ちてゆくといふにすぎぬのであるが、また(219)自づと多少その間に違つた趣を持つてゐないではない。

 説明の歌とは『斯う斯うだから斯うだ』『斯く/\斯やうしか/”\』といふ種類の歌を指すのだ。例へば、

  飽きそめしその日その日の事務なれどなりはひなれば務むるなりき

  この頃はさわりさわりと寄せて來る浪音きくもうとうとしかり

 と云つた風のものである。すべて理屈を云ふ形のもの、説明をするもの、これ/\しか/”\といふ風な報告式のものなどみなこの部に屬して來るのである。

 歌は感動を主とするといふことを度々云つた。ところがその感動を忘れて單に事實の描寫や報告や説明を以てして歌だと信じてゐる人が意外に甚だ多いのである。感動そのものと感動の説明との違ふことを茲に云つた。この差は一寸見わけにくい。作る上にも混同し易い。然し、單に事實の説明や報告をして甘じてゐるのは、これは少し心すれば自分でもその缺點に氣付く筈のものだと思ふ。然し、これもなかなかむづかしいにはむづかしい。歌は感動を主とするとは云ふが、サテ感動そのものは無形な捉へがたいものである。要するにそれを言葉に托して、聲に出すとか文字に書くとかして其處に初めて歌という形になつて表れて來るのである。そしてその感動そのものも決して故なしには生じて來ない。何か感動すべき對象があつて初めて活動を起すのである。その對象と云ふのは心の中に生じた何等かの出來事か、若しくは外界の事物、それである。故にどうしてもそれを言葉にし文句にするには、その心中の出來事若しくは外界の事實を主題としないことには言葉も文句も形をなして來ない。從つてどうしても多(220)少の説明、即ち斯くの故に斯う感動した、といふ形を假らぬわけにはゆかぬのである。

 其處が問題だ。即ち單にその説明が説明としてのみ存在するに留まるか、若しくは説明は方便であつてその説明を通して作者の感動が躍動してゐるかの差が生じて來るのである。つまり繪畫で云ふと山や川が(さうした風景の畫であれば)此處でいふ『説明』である。その描かれた山や川が單に山や川の形を模したものに留まるか、或はまた大自然の呼吸を吐く山や川となつて一幅の中に自然の靈感を漂はすか、即ちその作者の感動が其處に山や川の形を持つて表れてゐるか否か、の差であるのだ。斯うも云へる、一首の中に取り入れられた材料、例へば心のうちの出來事とか外界の事物とかいふものがたゞ材料としてのみに威張つてゐるか、若しくはそれらが一首の中に消化せられて作者の感動の光となり匂となつて働いてゐるか、といふ差であると。

 初めから感動のないものならば、これは話にならぬ。多少ともその材料に對して感動を起したものにして矢張り單に材料だけしか歌の上に出てゐないとするならば——即ち説明なり報告なりに留つてゐるならば、それは感動が弱いからである。強めるには前に云つた樣にその材料なり感動なりを凝現し内省するも必要である。而して常に自己を一段の高所に置いて材料を瞰下すべきである。決して材料を眞中に置き、その前後左右を右往左往すべきでない。右往左往するとはとりも直さず材料の影のみを大きくして自己の姿を小さくし消滅さすものであるからだ。さうするか若しくは眼を瞑ぢてその詠まうとする材料の中に心を遊ばせ、心と材料としつくり融和するのを待つて詠み出づるかである。この『眼を瞑ぢる』といふのは幼い樣だが一種の統一を計る方便で、亂雜を拂ふには效能があるものだ。さうするうち(221)に自づと感動に調子がつき統一がついて來るものである。

 サテ讀者よ、私は少し饒舌りすぎた樣だ。或は諸君はこの饒舌の前に徒に途方に暮れてゐたかも知れぬ。然し讀者よ、よし煙に卷かれながらでも、私のいふ『さうですか歌』の意味と、その忌むべき境地から逃れるにはどうしたらいゝかの大體とをば多少なりとも了解しては呉れなかつたであらうか。

 ついでに今少しっゞける。

『さうですか歌』といふ風の命名によるならば『ぬるま湯の歌』とも謂ふべき歌がまた隨分と多く作られてゐる。前に云つた感動の不足な微弱な歌は、感動強く作らうとしてよう果さず、止むなく弱い歌となつてゐるのを指したのであるが、それとは違つた微温湯式の歌があるのだ。これは初めから強く深くと望まず、ほんの指頭《ゆびさき》の觸感位ゐを樂しみ弄んでゐると云つた風のものである。つまり人間牲の根本的な、全力的な爲事として歌を見てゐない人の爲ることである。『先づ先づ斯んなところで』と云つた風の作りかたである。斯ういふ風の作者たちは底の心のことを考へようとしないから、たゞ、うち見たところの出來あがり具合をのみ氣にかける。從つてその出來上りはいかにもよく纒つた、きれいなものである。器用なものである。

 斯ういふのは如何に器用に出來たとしても、要するに歌の形を假りた一種の遊戯品にすぎない。我等から見れば矢張り『さうですか』の言下に取扱ふよりほかなき代物であるのである。斯の種の作者たちはまた不思議に例の宗匠樣になりたがるのも妙である。

 

(222)   三 感動の洗練と生長

 

 どうも氣になるので今少し附け加へよう。

 感動といふと、ともすると妙に上辷《うはすべ》りの、齒の浮く樣な感傷的《センチメンタル》なものに解せらるゝ場合がある。所謂新派悲劇式の嬉しい悲しいと混同せらるゝ場合がある。

 また一面、痛い、痒い、飲みたい喰ひたいも感動のうちである。

 が、歌にいふ感動をばどうかそれらと混同していたゞきたくないのである。無論、嬉し、悲し、飲みたし喰ひたしは歌ふべきだが、それを歌ふ態度に右謂つたごとき嬉し悲し痛し痒しをとり入れてほしくないのである。而して此處の岐れ目が非常にむづかしいのである。

 幾度も云ふ樣に、歌は形が小さい。この小さい中に所謂「あめつちを動かし鬼神を泣かし」むるほどの深い大きな感動を盛らうといふのである。いやが上にも心すべきは無論である。

 淺き瀬にこそあだ波はたて、といふ。淺い感情感覺からは矢張り淺い歌しか出て來ない。歌の作り初めには、何かと材料を渉《あさ》つて詠む傾向を持つものである。從つてほんの一寸した感情感覺をも拾ひあげてさも仰山らしく詠みたいものである。これもまた止むを得ないことの一つであるが、同じそれを詠むにしてもありのまゝに詠むべきである。淺く感じたものは正直に淺く感じた(223)樣に詠むべきである。さうすればその歌は小さいなりにも兎に角生きたものとなり得る。それを種にして嘘を云つてはいけない。嘘はもう感動を離れた「筋」となり「概念」となつてゆく。

 小さいものを小さく詠め、と云つたが、更に望ましきはその小さな感動をはぐくみいつくしんで、次第に大きくなるのを待つて詠むことである。うろたへて一首にすることをせず、靜かに自分の胸に湧いた感動を見つめてゐると、大きくなるべきものは次第に大きくなつてゆくものである。單に大きくなるばかりでなく、初め多少の濁りを帶び、やゝ形の頽れてゐたものも次第に清らかに澄み、次第に形が整つて來るものである。其處を待つて一首にすれば、同じ材料でもその收穫の上には大きな差を生じて來る。

 さうでなくても感情などといふものは燃燒性のものだから自づと上走りになり易い。それを其儘詠んで成功する場合も稀にはあるが、多くの場合、どうしてもそれを凝視し、内省する必要がある。さうしてゐるうちに、消ゆべきものは消えてゆき、生長すべき感動は次第に大きくなつてゆく。

 更らにまた望ましきは自《おのづ》らにして大きな感情鮮かな感覺を持つてゐたいことである。これはその人そのものが大きく清らかでなくては望まれないことである。自然にさうした偉大な人であればいゝが、多くは我等平凡、どうしても自分で自分をいつくしみ育てゝ行くほかはないのである。(224)自分の感情感覺を育てゝ行く、といふと一寸可笑しくも聞ゆるが、内容はかりそめならぬ事であるのだ。説教や倫理で育てらるゝより、斯うした事から自づと人の大きくなつてゆくことは同じ育つにしても非常にしっかりしてゐるのである。自然性を持つてゐるのである。斯うした點から見ても私は人間——人生といふものと歌との因縁の甚だ淺からぬものであるのを感ずるのである。

 

   四 言葉と調べ

 

 歌は話の、出來事の、「筋」ではない、感動そのものであらねばならぬと云うた。其處でむづかしくなつて來るのは歌に用うる言葉である。文字である。元來、言葉や文字は出來事の經緯、始末を傳ふるためのものである。而して歌ではその經緯始末——引つくるめて「筋」と云はう——を忌むといふ。が、歌だとて前にも云つた樣に何等かの「筋」がなくては形を成さぬ。「筋」を傳ふるためには言葉が必要である。「筋」を傳へて而かもその「筋」を表はさないといふのが歌に於ける言葉の使命なのである。

 要するに歌に於ける言葉は、或る出來事を傳へはするが、出来事そのものゝ經緯ではなくして、その出來事に対する作者の感動を傳ふるを以て旨とする、といふことになるのである。

(225) これを約めて言へば、言葉そのものが作者の感動と同化して來ればいゝのである。嘆きの時、或は稀に喜びの場合、心から發する溜息、あの溜息となつて言葉が表れて來ればいゝのである。

 其處で起つて來るのが即ち「調べ」である。「筋」を傳ふるのみであれば單に平明であれば事足る。官署其他の報告書の如きものである。が、「筋」から生ずる感動を傳ふるとなると、それでは濟まなくなる。其處に起伏を生じて來ねばならぬ。それが即ち「調べ」である。幕末の大歌人香川景樹はこの「調べ」を悉く敬重して、歌は「調べ」そのものである、とすら云つた。『歌は調ぶるものなり、ことわるものにあらず』といふのだ、ことわるは斷る、即ち説明すべきでないの謂ひである。

「調べ」は調子である。が、所謂お調子であつてはならぬ。よくお調子に乘つてどうかうしたといふ。あのお調子であつてはならぬ。『感情』の章に於て述べたが如く、この調子も普通いふ感情と同じくともすれば上辷りのしたくなるものである。それでは本當の「調べ」ではない。所謂お調子である。眞實の「調べ」はよく森嚴によく莊重によく闊達によく微妙に、總じて『自然』から生じて來る「おのづからなる調べ」であらねばならぬ。小細工をほどこしたお調子であつてはならぬ。前述の新派悲劇式の感情からは眞實の「調べ」は出ず、よくこのお調子が出るものである。

(226) 私は曾つて歌を珠數にたとへて斯ういふことを云つたことがある、『眼を瞑ぢ指を延べ靜かにその珠數にさはつて見よ、玲瓏たる珠數の肌のみを感ずるか、それとも指頭に若干の埃を感ずるか』と。この埃が即ち言葉の充分に用ゐられてゐない場合に生じて來るものである。歌が筋ばつてゐる場合など、ことにさうである。

 それではどういふ風に言葉を使へばよいか、どういふ風に歌へば本當の調べが出て來るか。

 曰く、云ひ難しである。これが他人から一二言云はれた位ゐでさつさと出來る程度のものならば誰も苦勞はせぬのである。私自身斯ういふことを云ひながら、言葉は多く筋を語り、調べは一首に起る事なく、あつても作爲的のお調子に陷るものあり、なか/\に患ふ樣に出來ないでゐるのである。要するに斯うした微妙な問題になつて來るとその人自身苦心の末にみづから會得するよりほか方法は無いであらうと思ふ。

 たゞ、概略としても歌の言葉や調べに對して全然無知の人がある。そんな者がある筈はないと思はるゝが、實際には驚くべき多數がある。何の自覺なくして言葉を使ひ、単に五七五七七と並べる事を以て歌の調子だと信じてゐる輩が甚だ多い。

 私は此處に、歌の言葉、歌の調べといふものは先づ斯うしたものであるといふ事だけをば知つてゐていたゞきたいといふことを述べてこの章を終る。あとは實地に於ける諸君自身の辛苦精進(227)に待つのみである。

 

   五 歌と年齢

 

 所謂(いはゆる)舊派の歌は割合に年の行つた人が作る。そしてその反對に今の新派和歌をば年少の人が作るものゝ樣に思はれてゐた時代があつた。十七八歳からせい/”\、三十歳どまりの人のみが新しい歌をば作る、といふ風に。

 これはまだ新しい歌といふものゝ本當の事の解らない時代にあつては止むを得ぬ事であつたかも知れぬ。即ち在来の所謂舊派和歌の弊害を打破するためにかなり亂暴な議論が行はれ、亂暴な試作も發表せられた。それと今一つ、西洋の詩歌の直譯風な戀愛歌が盛んに作られた。星董時代《ほしすみれじだい》などと云はれた時代である。詩歌は殆んど斯うした傾向を出でては何もないといふ調子で專ら行はれた。そんな事から、歌は要するに若い者の爲事だ、といふ風に考へられたことがあつた。これは考へる方もかなり皮肉であり臆病なところがあつたと云つていゝであらうが、また止むを得なかつたかも知れぬ。

 然しその破壞時代創建時代は既に夙うに過ぎてしまつた。いまは盛んに、そして極めて眞面目に新派でも舊派でもない唯だ日本特有の本當の短歌の作られつゝある時代である。流派の違ひは(228)あるが、志すところはすべて同じだ。

 さういふなかに在つてまだ/\『年をとつては歌は駄目だ』といふ聲を聞く。これはかなりよく耳にする聲である。私には不思議でならない。幾度も繰返して來た通り、歌は遊びや飾物ではなく、人の一生に相並んで進んでゆくべきものである。それを、漸く深く人の一生の味を噛み味はひ得る樣になつたであらう中年の人たちが殆んど口を揃へて年をとつては歌は駄目だといふ。全く可笑しな話である。

 これが老年のため全ての方面に能力を失つたから歌を作ることも(見ることも)駄目だといふならば聞える。が、多くはさうでない。他の方面では漸く本氣になつて働き始めてゐて、歌だけに就いてさういふ。もと、歌をやつてゐた人たちがそれである。

 これは矢張り本當の歌を知らないためであると私はおもふ。歌を、矢張り一種の飾り物、贅澤品と見てゐるところから來るとおもふ。それがまた、歌を恐しく厄介な、むづかしいものと見過してゐると二つから來ると思ふ。

 無論、ともに誤つて居る。飾物や贅澤品では勿論無い。さればといつて馬鹿むづかしいものでもない。それはさうまた樂々と易々と出來るものでもない。人の一生が然かあるが如くにである。が、自分の一生が捨てられないと同じく、むづかしいからと云つて歌も捨てられるものではない。(229)捨てられないどころか、年をとるに從つてます/\愛着を歌に對して覺ゆるのが當然であらう樣に私などは考へてゐるのである。

 どうしたものか近來よく斯うした聲を聞くので特にこの一章を入れておく。

 

   六 歌の趣味といふこと

 

 あの人はたいへん歌の趣味をお持ちだ、とか歌の趣味がおありだとかいふことをよく聞く。

 元來趣味と云ふことはどんなことであらうか。私はこれを斯う解する。人が單に生きて行かうとする當面の必要、即ち、喰ふこと、飲むこと、着ること、住むこと、それらを遂行せむがために錢を獲むとすること、其の他等々、斯ういふ當面の事柄を毎日繰返してやつてゐるうちにいつかそれに飽き足らなくなる。而してこれらの「必要」以上に何ものかを求める程になる。其處に生れて來るのが「趣味」だとおもふ。

 これは人間として當然のことで、必要以外といふでなく、或は必要以上のものであるかも知れない。茶の趣味、繪の趣味、その他宗教家たちに聞かれると叱られるかも知れないが、宗教などといふものも斯ういふ見解のもとから云へば矢張り一つの趣味だとおもふ。無論今まで説いて來た歌も趣味の一つである。

(230) が、普通いふ「歌の趣味」といふことは聊かこれと趣きを異にしてゐるとおもふ。早く云へば歌を玩具《おもちや》にしてゐる樣な人をさしてあの人には歌の趣味がおありだと云ひはしないであらうか。

 あらうかでなく、確かにさういふ人が多い。これは趣味の惡用で甚だ嘆かはしいことにおもふ。

 斯ういふ人たちは多く歌といふものを本來の生きた歌としないで、概念化した歌、即ち「歌らしい歌」を作つて心を遊ばせてゐるのである。手近で云へば、歌は優しいもの美しいものであるとしてわれから眼を細め首を曲げて歌らしいものを作つて居る。然し、これらはまだいゝのである。歌の趣味といふことを一種自家廣告用に、社交用に使つてゐる手合もないではないのである。斯うなると無論もう歌でも何でもなくなる。所謂舊派和歌なるものは斯くして亡んだのである。

 さういふひどいのは別として、どうかこの「歌の趣味」といふ言葉に捉へられないでほしいとおもふ。捉へられて來ると、本當の歌は解らなくなる。綺麗な、上品な言葉であるだけによくこれに溺れ易いとおもふので特に注意しておくのである。

 

   最後に

 

 私は以上でこの講義を一先づ切り上げようと思ふ。なほ細目にわたつていひたい事があるのだが、丁度この稿を起してから身邊非常に事多く、どうも落ちついて筆がとつてをられない。甚だ(231)不充分だが、またいづれ改めて書き足すことにしたい。

 歌は要するに作法書などを見てそれがために作れるといふものではない。自分自身の靈魂より精神より而してまた感覺より發して創作すべきものである。到底これを説きあかし得べきものでない。それほど微妙に、偉大なものであると察して欲しい。それを心から察し得る樣になるのにも實は相當骨が折れるのである。其處までに達するにも斯うした講議などを聽いて居るより、先づ讀め、而して詠め、と私はいひたい。讀書百遍意自ら通ず、といひ、古今萬遍歌千首、と古からも云つて居る。自分でよく讀んでみてその味はひを解するが一番である。(讀むには『先づ萬葉集』だが、現代のでは假りに故人長塚節の『長塚節歌集』(東京日本橋通四丁目春陽堂發行)窪田空穂氏の新著『鏡葉』(日本橋區檜物町紅玉堂發行)の二册を擧げて置かう。)

 讀んで解つたゞけの力で先づ自分で作つてごらんなさい。一首作り二首作り、五十首百首となるうちに自然と歌の味なり力なりが解つて來るでありませう。

 繰返し云つておきたいのは、歌といふものを自分自身から離して考へない事です。ガラス板の上に置いて解剖刀で切り刻む樣な態度で歌に對しないことです。玩具屋の店先きであれこれといぢり廻す樣にいぢり廻はさないことです。初めから自分の心のなかにあつたもの、それをいま取り出して一つ二つと並べて見るものとして歌を考へて下さい。いはゞ自分の片われである、分身(232)であるとして見て下さい。自分の生命の影である、鏡であると見るもよいでせう。自分の生命が大きくなれば、歌も大きくなる、歌が進めば自分も進む、といふ風に考へていただけばなほ難有い。

 云へば、また、きりがない。これで止します。

 

 補遺と單行本以後

 

(235)  閑言集

 

〇今月で明治四十年も暮れて仕舞ふ。顧るに今年は餘程短歌にとつての饑饉年《ききんどし》であつた。僕はこれを先づ二つの原因に帰することが出來ると思ふ。一つは所謂新派なるものの一時期が昨年あたりまでに終了を告げたことと、一つは文壇上他に小説新體詩の新萌芽が萌え始めたがため一般の眼目が短歌のうへに向はなかつたこととのこの二つである。

〇所謂舊派なるものに對して起つた新派和歌は數年の間に種々の變化を經て來たが、漸次に自己を整へて先づ昨年あたりでその一段落を告げたものと見てもよからう。かの晶子女史の精粹「舞姫」「夢の華」は實にそのピリオッドであつた。次いで後を繼ぐべきものも無く、甲出て乙没、今年は先づうき油なし漂へるかの觀があつた。が、その間に注意すべき二種の短歌集が出版せられた。一は平野萬里氏の「若き日」にして一は尾上柴舟先生の「靜夜」である。「若き日」は概して擧上の第一期中の作物に屬すべきものかと思ふ。もつともそのうちでも最近の作になるだけ新しい努力の影の見えぬではないが、その好し惡しは兎に角として要するに以前の時期中のものであらう。然し「靜夜」は違ふ、確かに從來の日本の短歌中に見ることの出來なかつた或る種の(236)意味がこの一卷の裡には籠つて居る。それがこの中で首尾よく大成したとは言はないが、その「靜夜」以後の先生の詠みぶりに由つて、ます/\明瞭に一調子をなしつゝあることが明かである。雜誌「明星」の短歌も本年は煩悶時期であつた。その同人中の作でも甲と乙との間には大した差違があつて、そして概して大なる不振の状態であつた。金子薫園氏の詩集「わがおもひ」といふのも出たが、變つた/\といふ評判の高かつたにも係らず、一向以前の氏の調子と異らなかつた。違つた所はたゞその表面だけで、それも春着と秋着との間の差違位ゐだらうと見受けられた。その他には歌集とても出なかつた樣で、數量ともに本年は饑饉年であつたと言ひ得やう。

〇自然主義とか古典主義とか、主義といふ評論上の言葉の最も烈しく流行つたのは本年で、それがまた必ず小説並びに長詩のうへにのみ限られてゐた。歌のうの字でも言ふやうな評論家は無かつた。由来評論家に乏しかつた短歌はいよ/\單に作家及び讀者の上に限られて、從つてその活氣を失し、ます/\不振に赴いたのだらうと想はるゝ。比較的多くの作家及び讀者を有する短歌壇にこの一の評論家無き一事は甚だしく奇異なる現象と謂はざるを得ない。吾人は切に眞の評論家の出でて、時にふれ吾人に苦酒甘酒の饗を寄せられむことを希望する。試みに本年中短歌に就いてかれこれ言はれたことを擧げて見れば、「明星」に隱見した與謝野氏の同人語と二六新聞に出た何とやら氏の佐々木氏攻撃と、十月の「文庫」に出た無花果氏の近時の短歌壇等を數ふるに(237)すぎない。それもほんの斷片的のもので、強ひて僕の眼にふれただけを拾ひ集めたものである。

〇「文庫」の近時の短歌壇中に於て、無花果氏が「明星」の短歌に對しいさゝか敬を失したかの趣きありしに由つて、その翌月の「明星」で與謝野氏から手痛く叱られて居た。その餘沫が僕のうへにも飛んで、「若山氏の歌の未だ歌を成さぬもの多き理由」云々といふ言葉が見えてゐた。これはいかにも道理の話で、僕自身には多き所でなく、詠んだ全部が未だ一として完全な歌を成して居ないと深く意識して居るのである。昨夜詠んで見て可なりに見らるゝ位ゐに思つたものも今朝見れば滅茶である。斯くして僕は殆んど寸時も安じ得ることなく蹌踉として明日を明日をと樂しんで、而して常に昨日の日を繰返して行きつゝある。滑稽且つ悲慘、時には歌など、止して仕舞はうかと念ひ立つこともある。然し流石にまた身に着いた錆で、未練氣なく然うも出來ず、依然として明日を明日をを繰返して、眼ばかり光らせて居る。自分ながら哀れむべき一個の囚人と謂はざるを得ない。

〇然し、斯く苦しんでは居ても未だ決して絶望したことは無い。滑稽でもいゝ、悲慘でもいゝ、兎に角僕には明日があると斯う深く信じて疑はない。「明星」などであゝ叩かるゝとさすがに先輩の言で一寸身にこたへぬではないが、さまでにも痛みはせぬ。「明星」は「明星」、僕は僕、小さいなりにも僕には僕の色合がある。「明星」などと同化するの念もなく必要もない。

(238)〇また事實に於てこれからの短歌は從來の如く單純の流れでは通られなくなるに相違ない。今までは赤なら赤の一色だけが濃く淡く一貫して流れて來たかの觀があるが、これからはなか/\然うは行かぬ。白もあれば緑もあらう。斯くして所謂光彩陸離の黄金世界を現出するかも知れない。

〇今年の終りかた、即ち先月あたりから俄かに一つの新流行が起つて來た。即ち月刊歌集の盛んに出版せられ出したことで現に僕の眼に觸れたものゝみで三種ある。尚ほこの外にも某々氏の何とかやらが出たとか出るのだとか評判せられて居る。三種とは「無絃」「麗人」及び「哀樂」。

〇「無紋」は舊「なのりそ」派の二三氏に由つて出されて居るので、何れもみな昔の詠みぶりが泰然として保持せられてある。中に井上冷石氏のものがやゝ新しく見榮えがするやうだ。「麗人」は内藤晨露氏の手に成るもので、他日短歌中心の韻文雜誌「高鐘」といふのの出るまでの仕事であるといふ。

〇「哀樂」は友前田夕暮の作である。開いて見て第一に驚かるゝのは、その詠みぶりの以前と異つた點で、僕は先づ友が從來用ゐ馴らして來た形式を破つたといふその勇氣に對して多大の尊敬と讃辭とを呈さざるを得ない。そして一首々々熟讀して行くと、案外に不整頓の調があつたり不熟の想が詠み込まれてあるのにも氣がつくが、要するに清新の氣が充ち溢れて居る。この月刊歌(239)集を出すに當つて友

の先づ念つた事は、徹頭徹尾僞らざる情の告白といふに在つたと信ずる。そしてそれが或る程度まで充分に成功して居る。友自ら言へるが如く、華かにして寂しき人生を歌ふべく渾身の努力が捧げられてある。友よ、汝が努力は先づこの一卷に於てはその破壞的方面に遺憾なく成就しある事を記憶し、更に汝が唯一の念願たる汝が新領地を開拓すべく、一歩を建設的方面に進めざるべからざるを僕は敢言する。そして一卷の出づる毎に斷えず汝を視むことを欲する。僕は君のこの「哀樂」を見て、來るべき明治四十一年に於ける一大動脈の早や惻々として吾人の前方に滿ちつゝあるを感ずる。友よ、未來よ、僕謹み勇んでこの二つを祝福すると同時に、われ自らまた一種の歡喜を包み得ない。(哀樂は隔月の發刊で、麹町區一二番町六十八番地白日社發行定價郵税共七錢)

〇僕等が「新聲」の編輯局に關係して以來、漸次に或る一個の特質を成し行きつゝあることは夙くに讀者諸君の知悉せられたることゝ想ふ。僕等は手を分つて散文に長詩に俳句にそれぞれ何れも皆その欄を盛大ならしめむことを期しつゝある。特に僕は僕一個の立場として短歌欄の盛大ならむことを熱望してやまぬ。で切に投稿家諸君の奮勵を希望する。從來一人十五首限りとあつた制限も廢して了ふ。何首でもいゝ、但し無茶には困るが自ら精選して佳いのをどし/\寄せられむことをお勵《すす》めする。そして出來得る限り、柴舟先生にお願ひして、諸君の多くの作を世に紹介(240)したいと念ふ。然し紙數に制限があるので、從つて選拔の上にやゝ嚴の加はることをも覺悟して貰ひたい。(ついでだから言ふが、大阪府堺市關西新詩紅から出して居る雑誌ホノホといふのが盛んに短歌の投稿を歡迎して居る。柴舟先生や車前草社の一連の作物も常に出て居る。新聲に入り切れなかつたならば此處に一殖民地を開くも面白からう。先日も韻文号とか称へて素晴しいものを發刊してゐた。試みにこの雜誌を見て見給へ、代價郵税共十三錢)

〇車前草社と云へば、既う失くなつたものゝやうに噂して居る人があるといふ。とんでもない話だ。現についこの以前にも先生を初めわれ/\三人が近郊を散歩して、その帰り路、淀橋の十二社《じふにそう》で痛飲して各自の法螺(ほら)を吹き合つた位ゐだ。同社の一人でも存在して居る限りは車前草社の嚴存して居ることを認めて貰ひたい。そして吾々同人の作物の表はるゝ所、その何處たるを問はず、何れもみな車前草社の詠草である。

〇どうも短歌壇は時代一般の聲を度外して居るやうだ。小説界長詩界に於てやかましく繰返されて居る評論上の言葉の中には、吾々短歌をやる人の聽くべき言も決して少なくない。然るべき斯界の評論家の無いだけ、吾々作家の方でとりわけても注意すべきことだらうと思ふ。そしてなるたけ實世間と接蝕して、習慣形式等あらゆる桎梏を排除し、一點陰影の無い全自己を三十一文字の上に表したいといふ僕の祈願である。歌といふと何となく吾々人間の普通に謂ふ汚い所を包み(241)てやんごとなき美しき點のみを歌ふものゝやうに今尚ほ思つて居る人が多い。習慣に捉へられた眼で汚く見ゆるものゝ中には云ひがたい絶對美のふくまれて居るものではあるまいか。

〇明治四十一年は程ちかく迫つて來た。肅然としてまたこの新しき研究區城に入らむかな。

(242) 所謂スバル派の歌を評す

 

 編輯務で忙しく、この項の筆を執るのが大變遲れた。今迄に集まつた同人諸君の本論評を見ると、所謂スバル式の歌風に對しては早や殆んど餘す所なく言はれてある樣に見受くる。で、私は最初の予定には反するがその所謂を略《はぶ》いた眞の意味の——も可笑しいが、常にスバルに由つてのみ多くその作を發表せらるゝ先達諸氏の歌ひぶりに就いて、自分の質素な感じを述べようと思ふ。

 與謝野氏夫妻を初めとし、平野、茅野、平出、吉井、北原等の諸氏、何れも並々ならぬ才能を驅つて縱横に歌ひ出でらるゝ所に個々充實せる特色のあるは改めて言ふまでもない。けれ共それ等一體の咏みぶりを貫いては矢張り爭はれぬ潮流の流れて居るのも事實である。即ち如何にも歌らしい歌、藝術らしい藝衝、我等の見る所を以てすれば根底の無い歌、浮いた歌、枯れた歌、作つた歌、人形歌、まだ言ひ得やうが要するに斯の種の型にはまつた歌風に一致して居る。

 私は曾て晶子女史の『佐保姫』を評して『佐保姫』には歌ばかり書いてある、晶子といふ人は出てゐないと言つたことがある。既往同氏の作られた歌は何百或は何千首かあるであらうが、夫等のうちの一首々々は皆誰が作つた所で差支へのない歌が多い。晶子といふ人間、唯一絶對の或(243)一生命とは殆んど何等の關係が無い、極めて普遍的に遊離した、雲の樣な歌が多い。歌としてはそれは如何にも美しいのがあり、をかしいのがある。けれ共不幸にして我等はたゞ眼さきをのみ刺戟せられて終る事が多い。歌を見て歌にのみ讀者の感じの留る事を私は歡ばぬ。歌をば唯だ一種の方便として、その奥に作者の影が、否な作者そのものが一杯に動いて居るのを以て滿足とする。歌そのものを見るのは私のねがひでない、歌を透してその作者の生命を見む事が私の希望の全てである。

 晶子氏の作に對する斯の私の不滿は擧上の他の諸氏に對して総體に普遍して居る。特に寛氏の歌は別してもその作つてある所が眼に立つて、寧ろ見るのが苦しい。歌とは斯う作るべきものだといふ知識が常に先走つてゐて、叙景叙事並びに抒情何れの歌を見るも實に巧みにそのこつが捉へてありかなめな所が睨んであるが、要するに作られた歌は死んで居る。この人は自分で月並調の改革を企てゝおいて、今また改めてそのお隣の月並詞に移らるゝのではあるまいかと、よく私等には思はるゝ。俗に逆さに吊して擲《なぐ》つても鼻血も出ないといふ諺がある。修、蕭々二氏の歌を形容するに何だか適當した言葉のやうに思はるゝ。枯れ渇いて、痩せ細つて居る所などはいかにもよく適合する。特に修氏が近来|切《しき》りに強ひて作つて居るデカダン張りの歌を見ると、白髪を塗つた婆さんの吹く鬼灯《ほほづき》の音を思ひ出さゞるを得ない。吉井氏の歌は近來一向面白くなくなつ(244)た。もとはその咏みぶりには同意しないながらも見る事だけは非常に面白く思つたものであるが、近頃は何だかひどく生氣を失つて來て、見ても一向興を惹かぬ。氏自身のしば/\語らるゝ所として傳へ聞くに、氏は近來|酷《ひど》く歌といふものを輕視して居らるゝ相であるので無理もない話である。然し何と言つても氏と晶子氏との作だけは實に眼中物なくすら/\と思ふ所に走り走つて自由を極めて居るのはよそながら痛快である。スバル派の人の中で、最も内容の充實して居る歌と感ずるのは平野氏の作である。最も私には痛切に響く。物に騷がず靜かに落着いて咏んだといふ樣に見える中に歌に強い所がある。但しこの人も才人の一人、四周の動揺には遲れまいとして、種々に試みる。で、氏の歌の並んで居るのを見ると一首と一首との間に誠に烈しい不調和が動いて居る。私は氏を何處ぞ遠くへ隔離したくて仕樣がない。海の中の離れ島あたりへでも唯だひとり置いて心のまゝに歌はせたら、どんなにいゝ歌——歌らしくない歌が出來るであらうかと常に思ふ。歌のために氏の眼をつぶし、耳を破らむことを請ひ願ふ。

 上に擧げた諸氏と聊か赴く所を異にして、最も眞  劇に歌を咏んで居る人に北原白秋氏がある。もつとも氏自身はスバル派と云はるゝ事を承認せず強くそれに對して拒否の念を持つて居らるゝが、私は此處にさまで深い意味の詮索をせず、行きがかりの便宜上、本欄の中に收めて氏の作に對し寸評を試みむと欲する。氏に取つては官能即宇宙の觀がある。一切の歸依、解決? は一に(245)その鋭い、デリケートな感官に由つて求められ滿足せられて居る。手近にないので親しく此處に引照するを得ないが、氏は『邪宗門』の序文に自らそれに類したことを揚言せられて居たかに記憶する。氏のその鋭敏な感官に觸るゝあらゆる微細な感じそのものは、よしやそれが假空的のものであつても、氏に取つて直ちに動かす可からざる實在となるのである。氏の全生命はその時、一にその感じそのものに由つて存在する。氏はこれを確信して咏んでゐる。されば氏の歌には他の諸氏に見る樣な浮薄な所がない。入るを容《ゆる》さぬ氏 單獨の境地に極めて眞面目に氏一人が住つて居る。氏の感覺には、晶子氏に見る樣な傳習的な謂ふ所の趣味なるものがない。感覺そのものが赤裸々に躍つて居る。これ氏の作に清新の匂ひ横溢する所以である。私なども斯の樣な瞬間の感覺にその時の自己の存在を見出すことが多いので、氏の作をば深く愛好する。而かも私自身を主にして考ふる時には此等の氏の作に對してなほ幾多の不滿足を感ぜずには居られない。第一、氏は餘りに枝梢の感覺に醉ひ過ぎはしないか、餘りに感覺を強ゆるに過ぎはしないか、餘りに一面の限られたる感覺に没頭し過ぎはしないか。是等の諸點は終《つひ》に我等をして同じく一面の浮きたる歌、離れたる歌、作られたる歌のうらみを懷かしむるに傾いて行く。

 馳足の短評、自ら甚だ意を盡さず、諸氏に禮を缺く事の深きを恐る。勿論私は此處に專ら諸氏の缺點と見ゆる諸點をのみ引いて來た。美點長所のさまざまなるは今更我等の口を出す迄もない(246)ことであるからである。擱筆に當り、附和雷同に最も神經過敏にして、尊重すべき先達諸氏の折角の新しき試みを常に滑稽の結果に終らしめ、加之《しかのみならず》延《ひ》いて斯の先達諸氏を自縄自縛の窮地に陷らしむるスバル派末輩諸君の擧動を深く同派のために惜まざるを得ない。

                   ——明治四十三年二月十日夜——

(247)二月の歌(明治四十三年)

 

〇新潮

金子薫園。「一月の雷鳴」

今迄のものとは一寸違遵つた味ひがあつた。いつもの艶が脱《と》れてやゝ重々しい所も見ゆる。好きなのは次の三首、

    一月の雷鳴をききさかづきをおきたる友の蒼白き顔

    松とれて俄かに街のさびしさをおぼゆる日より病をえたる

    さめぎはの酒のおくびの不快なるこころを永く忘れざるべし

 それだけのこととわざとらしい歌も少なくない。例へば

    初雷の二日醉してさめやらぬ頭の底にうちひびきけり

    東京の街をいろどる色彩を眞白くかぎり日夜雪ふる

    雪白きかの三階のあなたより剥がるゝやうに青空となる

 第一調子に(いつものことなれど)少しも落着きがない。ほそ/”\としてゐるか、おど/\と(248)してゐる。誰であつたか金子きんの歌は子供がコップに水を盛つて歩くやうだと言つたが、蓋し當つてるだらう。

 岡稻里、「雪と青菜と」

    年のはじめ霜にかじけし青ものにこころいささかうるほひをもつ

これは説明。

    吹雪の日ことさら家の者どもを親しくおもふこころさびしき

これは月並。

次の數首を採らむ。

    いたましく踏みにじられし野のくさのまた遲々としてもゆるがごとし

    鳥がまたたちかへり啼くおき藁の上より雪はじめじめと消ゆ

    よわよわと女ひとりの歩み來しここまでのみちをおもひやるかな

    絹絲のやうにひかりて青き鳥木の間をついと立ち去りにけり

 ヽヽヽヽ符の所の調子は甚だ融和してゐない。新潮の歌は大變温健なことが看板であるやうだが、温健は平板無事をのみ意味するものではあるまい。堅實な温健が望ましい。

 内藤晨露、「彼女に別るゝ夜その他」

(249)    くちづけよりしづかにはなれいでゆきし女をしばし見送りし戸よ

    ひとすぢの川のみ黒うながれたる淋しき雪のふるさとを出づ

    濁川あかずながるるたそがれの戸外いつしか雪ふりいでぬ

 の三首を拔く。中の一首は佳い歌だ。

 〇心の花

 何十人かの歌が並べてあるが、皆をぢさんの幼稚園と云つた姿で、一として我等の心に觸るゝものがない。其中に唯一人やゝ異色ある作者を見出し得たのをよろこびとする。

 小柳長岡、「我れかくて」

 若過ぎかと思はるゝふしもあるが、この雜誌中では確かに唯一人であると思ふ。

    うつすりと月があらはれ何處となく糸の音ひびく河岸《かし》の上げ潮

    一人居ることに耐へかね灯の街をあゆめば更に君の忍ばゆ

    我が心とすれば沈むあひ逢ふ日樂しく待つと云へる下より

    悲しきにあらねど胸のせまりくるああ夕風に浪の饗す

 最後の一首は下句は佳いのに、惜しいかな上句が説明になつて居る。

 他に森田義郎氏の『歳晩懷在故郷病家兄』といふ長歌がある。長歌といふのが珍しく思はれた。(250)その反歌には流石に重々しい快い感じを誘ふものがある。三首ばかり引いて見よう。

    物言へば聲もこほらむ寒き夜をすとうぶひとつまゐらせもせず

    その目のつかるるまでもうちまもりおなじ藥を見てやなげかす

    物思はあとかたもなくていねがてに聲なき妻を起きかへり見し

 古代の調子で、割合に現今の生活が歌はれてあるかと思ふ。この調子で今少し強く自由に行かぬものであらうか。

「心の花」を見るごとに自分は橘糸重子女をおもふ。往時女史は同誌唯一の眞の詩人であつた。昨今の消息がきゝたいものである。

 〇文章世界

 窪田空穗、「薄氷」

 先づ廣告を見てひどく期待しただけに、落膽の度も強かつた。依然として眞摯の氣のみは三十首近くの歌に缺けてゐないので、どれを見ても不快な心地はせぬがそれにしても何故斯う平板に力弱くなつたらう。どれが斯うと出來不出來がないので引用しての紹介に困るが、茲には流石にと思はるゝ技巧の勝つたものを採つて見る。

    つと船は岸を離れついにしへの大堰のながれわれを載するも

(251)    さらさらとさらさらとしも呟ける音をし呑みてどと波の鳴る

    夜深き海の香よりや現はれしあな寂しきが來ては背を打つ

 同じ技巧でも與謝野氏などのには時として厭味をおもはするが此人のにはそれが無いのが嬉しい。

 西出朝風、「そのころの歌」

 口語調で作つてある。斯うなつても矢張り三十一文字形を追はねばならぬ必要があるのだらうかと不思議に思つた。心もちは浮いた調子で咏んであるのではないらしいが、出來た上から見ればみな浮き氣味だ。口語と碎けたならいつそ他の詩形に飛んだが適當かと我等は思ふ。試みに二三を引く。

    その人も泣いて別れた。この人も泣いてわかれる。夏柳かな。

    尋常の二年へかよふ君ちやんと手をひきあるく、戀人のやう。

    戀びと等物借るよりもたわいなく生死のことを今日も誓つた。

 この人の眼のつけ所は一寸土岐哀果君に似て、もつと輕く言ひ下してある。

 〇あららぎ

 數ある雜誌の中で、讀んで可懷《なつか》しく、尊敬の念を起さするといふ種類のものは今のところ極く(252)少ない。唯だこの「あららぎ」などはいつ見ても實に快く恭く思はする一つである。

 伊藤左千夫、「冬のくもり」

 主觀がいかにも透徹して、動きの無いのは此雜誌に據つて居る人々の歌によく見る特長だが、中にも左干夫氏の作などには別してそれが強い。浮いた所が少しもなく歌の瞳がちらついてゐない。たゞ並ならず精練せられたためか現實と直接の交渉がないやうに思はるゝことが多いが、そこが即ち純藝術として客觀化せられ主觀の到達すべき所だとも言へるだらう。茲に數首を引く。

    霜月の冬とふ此のころ只曇り今日もくもれり思ふこと多し

    我がやどの軒の高草霜枯れてくもりに立てり葉の音もせず

    冬の日の寒きくもりを物もひの深き心に淋しみて居り

    よみにありて魂《たま》靜まれる人らすらも此の淋しさに世を戀ふらむか

    我がおもひ深くいたらば土の底よみなる友に蓋し通はむ

 中村憲吉、「雪来る前の歌」

    日のくらみ野にみちくればこもり居る我にかなしく心ゆらぐも

    泣きあとのみだれ見せむをいささ恥ぢ繕ろふ汝をいたしく思ひき

    なごみ/\談らひすすめばおのづから汝が面晴るるに我が心さへ

 柿の村人、「野の上」

(253)    この朝げ霧おぼろなる木の影に日のけはひして禽《とり》鳴きにけり    冬川原日にけに涸るゝ水を追ひて菜洗ふ娘らの集りにけり

    短か日の川原をいそぐ乏しらの水のあよみよ寒けかりけり

 一首々々注意して讀めばみなそれ/”\心を惹く。けれどもいつぞや此の雜誌が「別離」の歌に對して批評を下した時、諸氏等がどういふ態度で歌を咏まるゝかを一寸のぞき見て以來、どうもその態度に我等は賛成が出來難い。諸氏の作を諸氏の作として見る時は誠に面白い。が、それが我等に交渉が無い(少くとも薄い)といふことは悲しい事實ではないか。ついでに一言書き添へておく。あの「別離」批評の際、小生より諸氏に答へた言葉の中に、ツイ|逸《は》づんで書き下したことゝて、面白く言つたつもりのものが人身攻撃をするものと見做されたやうな文句があつた相だ。飛んでもない間違ひである。尚その外誤解から誤解を生んだことが多かつたが一々今更辯解するまでもないと思ふので省略する。當時直ぐ御返事すべきが禮であつたらうが、旅に出て知らずにゐた。遲れながらお詫のつもりに書き添へておく。

 〇すばる

 長島豐太郎。

 氣のせゐか、ひどく變化が見えたと思ふ。

(254)    わが夢の赤きしづくはたちまちに大河となりて父をへだてぬ

    くれがたの二月の風のまつはればわが前垂も灰色に泣く

    ひそみたる眉のあひだをたもとほる運命のかげ死の鳥の影

    君の來し輕率のあとの水色にくぼみてにほふ春の雪かな

 といふやうなのが今迄僕の眼に映つてゐた此作者の作風であつた。所が

    父の子は父によく似て歪《ゆが》みたる心をもちぬたえずうらぎる

    飼はれたる獣のごとく事ごとに讀まむとすなり父の眼のいろ

    比類なき不孝のわれもかなしみぬ怒りのはてに母の泣く時(上句は寛氏のいやな調なれど)

    われ弱しあはれ短氣の父に媚び邪慳の母に甘えむとする

 などといふ咏みぶりのが今度は多いやうに思ふ。我等は讀んで、無論後者を喜ぶ。在來の所謂スバル調ならば、よし作者は十人あらうが二十人あらうが歌はみんな同じものとしか思はれなかつた。個性の現はれは勿論、歌に血の氣も無いものゝやうに思はれたものだ。生き者を盛る古い壺の一日も早く破壞せられむことを我等は祈つて居る。

 前から好きであつた和見夕潮君の歌を見ないのはうら淋しい。そして二月號は特に淋しい。長島君の外はみな投書から成立つて居る。

(255) ○秀才文壇

 富田碎花、「逃亡と死と」

 一生懸命といふまでに眞面目な所は嬉しい。唯だそれが過ぎて、一句々々是でもか/\と讀者に強ひる傾きの見ゆるのは弊だ。その例、

    わが身から逃亡もせむ死にもせむ君を愛するあまり君より

    ややにして靜座に耐へぬまでなりぬ何おもうてのかかる不安ぞ

 など、みな多少その氣昧がある。今迄には特にそれが多かつたが「逃亡と死と」には少ないので嬉しかつた。尚ほ好んで不消化がちの言葉を使ふやうに見受けられるのと、常に事象の表面の觀念のみを捉へて居るのが此人の損だ。好ましき作二三。

    かかる宵にいづこの寺の禮拜の鐘ぞたださへ人戀しきを

    狂ほしう逢はまほしさに郊外の夜の停車場に來ておどろきぬ

    戀人の別れ居ぞげにあはれなる病かある日も凭《よ》る肩のなし

    鮮紅の襯衣《しやつ》の毛絲のほつれなどかなしきことをおもはさす夜

 歌は矢張り正直な、理屈拔きのものがいゝ。

 近藤嵐翠、「たゞ悲しく」

(256) 富田君のぎこちない所が此人にはない代りに、ともすれば歌の弱過ぎることがある。一方が油繪ならこちらは水彩畫と云つた形だ。「創作」の一月號では僕は近藤君のを最も喜んで讀んだのであつたが、「たゞ悲しく」のなかにも佳作が多い。

    山の手のさびしき家に移り來てあはれや今朝もひとり起き出づ

    汽船より荷あげ人夫のかへるころ我もつかれて家にかへりぬ

    南方の鑛山國の港の夜蕩兒かなしく街をあゆめり

 〇三田文學

 與謝野寛、「落木集」

 眞先の、

    われの齢ややたけ斯かる朝を愛《め》づうすき明りの藍色の山

 は此人獨特のゆつたりした姿が見えて、他に見られぬ好い歌だと思つた。尚ほその他、

    野を燒ける名殘のけぶり庭に入り這へばしづくすわが檐《のき》の霜

    冬くれど短きころもあはれなるわが娘等は膝のあらはる

    毛を垂れて骨出でし馬三つばかりわが門すぎて冬の日の入る

    妻を見て寒く笑ひぬ貧しきは面をそむけて泣く暇も無し

    太やかに曲るぱいぷを啣《くは》へつつ顔をしかめて組めるうしろ手

(257)    片隅の卓にはなれしかの人も寒くやあらむ前のさかづき

    しばらくは君が髪をばまさぐりぬ舞臺の上の若人のごと

 など、何れも同じ趣きが見えて居る。

 けれ共、わざとらしい歌、生氣なき歌、安繪具を塗抹した樣な歌、などと思はるゝも眼についた。特に今度は色彩の配合が愈々わざとらしく濃厚になつて、見てゐていやな氣になつた。

    青白き萩の葉風にひろき野の入日の朱をば消して降る雪

    青やかに二月の朝の海明けて赤き切崖雪をいただく

    いなづまに髪青き鬼乗りて馳せ無邊に投ぐる白き髑髏

 など何れも三色版ものである。そして大概の歌には必ずのやうに白とか赤とか青とかの文字が入つてゐた。象徴ぶりの歌と見ゆるものも多かつたが、何といふことなく我等はまだそれに心を惹かれない。前にあげた毛を垂れし馬といふのにも其風味があるし、他に、

    蝋燭を誰《た》が家よりか啣へ來て枯木にとまるさびしき鴉

    紅き鳥なにに驚く鳴きさしてわれの夢よりをちかたに逃ぐ

 なども左樣だらうと思つた。僕などは今少しわざとらしくなくして斯う行きたいものと思ふ。兎に角二月中で質量共に見ごたへのあつたのはこの「落木集」であつた。

(258) 以上で僕の身邊にある雜誌(歌の載つてゐる)は見盡したことになる。他に「帝國文學」「東亞の光」に多少の歌が出てゐたが手元にないし、曾て見た印象によれば是と取立てゝ言ふべきものは無かつたかと思ふ。帝文の歌の載せかたの粗 笨なのにはいつも乍ら驚かされる。載せる位ゐならもつと如何とかしたらよささうなものぢアないか。ひとごとながら齒掻ゆく思ふ。「東亞の光」には毎號(?)金澤美巖君が其月々々の歌壇の批評を書いて居るが、熱心と眞面目な態度には敬服する。唯だその見かたは大分怪しいもので、僕一個から見ても今まで佳いと云つて引かれ惡いと云つて引かれた例証の歌に曾て同意出來るものが殆んど一首も無かつたことは事實である。その努力に對して世間に一向反響の起らないのも恐らくこれに原因してゐるのかと思ふ。

 他は一に「創作」あるのみであるが、これは紹介するまでも無からう。

 

(259) 『山河』を讀む

 

     一度しみ/”\と熟讀した上で金子薫園氏の歌に對する我等の考へを述べて見度いと念つてゐた。それを果さぬのみならず、茲にまた極めて怱卒の間にこの『山河《さんが》』の批評を書かねばならぬことをいかにも不滿足に思ふ。

『覺めたる歌』に滿ちてゐた混亂は本集に影を没して居る。水のうへか、くもりのない鏡のおもてに影を落す樹か草か花か、或は遠き山河《さんが》のすがたはやがてこの『山河』に見る靜けさである。曾て大人氣もなく取り亂された氏の歌に思はず眉をひそめた我等は、茲に先づ何とも云へぬ安堵を感ぜざるを得なかつた。

 そして、自然に我等の心を惹くのは、次のやうな歌であつた。

    ならはしのごとく眼ざめぬ花賣の白川出でて來る朝明け

    下加茂の森をあゆみて木洩れ日の黄なるを見れば秋とおどろく

    話なかばオルガン鳴りて窓外の高き芙蓉に秋かぜの見ゆ

    初夏の葵まつりのころに來むとばかりいひて別れ來にけり

    かへり來て二日三日はまつはれる旅のこころのなつかしきかな

(260)    秋來ればとつぎゆくてふなまめける人の假寢を次の間に見る

    えりあしの白きに蠅のとまりゐぬつくづく見ればうら若きかな

    こころうくかへりみらるる東京の空雲もなく晴れわたるかな

    五浦の五つの入江あゐいろの波おだやかに松のかげする

    大漁の鰹の腹も背も光る月夜の濱の人のどよめき

    なりはひの蜑《あま》の兒がする物眞似に釣すれば章魚《たこ》のかかり來にけり

    夕くれて繪卷の中に見るごとき一もと杉に海の光れる

    松山のしづくしたたり舟の帆のぬれたる色に日の光りけり

    むらだてる松うごかして海の風鳴れる勿來《なこそ》のさびしき夏かな

    口つくれば酒のにほひも苦からず暮春はもののなつかしきかな

    あたふたと樹蔭の椅子に身を投ぐることあり春の暮れゆくこのごろ

 など、何れとして微塵も曇りのない濁らぬ歌である。私は此等こそ眞個の薫園氏の結晶したものであると思はれてならぬ。是等に對し、理窟はおいて、作者自身にも我れ歌ひ得たりと思はるゝことは無いであらうか。他的刺戟に追はれて、まご/\しながら眼をつむつて手早く作つてのけたといふ不快から遠く離れ得らるゝことは無いであらうか。瞑目此等の歌を誦する時、他人氣混らぬ可懷《なつか》しさを覺えらるゝことはないであらうか。天上天下唯我獨尊の聖《きよ》い靜寂な境地を感ぜ(261)らるゝことはないであらうか。

 佳い歌は引けばまだ多からう。以上はほんの始めから四五十頁までの所で拔いたものである。その間にまた甚しく慊《あきた》らぬ個所も少なくなかつた。何はおき私は氏の歌から説明歌を驅除したくてならなかつた。卷頭の一首から早や説明である。

    晩夏の京都に入れば蒸すごときあつさの中の青き山河

 蒸すごときから最後までは全く説明である。なぜ其の蒸す樣な暑熱の中に靜まりかへつてゐる舊都の意味多い山河の翠滴る姿を直寫せられなかつたらう。斯んな報告書や見取圖の中に打込んでおくのは誠にこゝろない所業であらう。

 一首全體が説明から出來てゐるのが多いと同時に、一首の中に、各句に説明そのものゝ句がまた多い。のみならず、さうでなくとも、不消化の句が多い。力の無い句が多い。

    花賣のすずしきこゑのしみ來り寢たらぬ脳のしきりに痛し

    天龍寺の屋根の瓦に秋かぜのわたるを見つつ半日を消す

    萩いまだ咲かず寺内は秋の水打ちたるごときしづけき朝かな

 など、今少し言葉を言葉としてのみ使用することをせず、直ちに其場の情緒氣分の一片である(262)として用ゐたならば、單にこれ等報告に止まることなく、その境地そのものが出て來たらうものをと殘念に思ふのである。

 長所及び短所と見る兩方面の頂點だけを認めて一先づこの稿を終ることにする。いかにも自他に對して不愉快だが、時日と紙數に制限せられてゐて致し方がない。他日改めて金子薫園氏全體の歌を批評する時があるであらうと思ふ。

 

(263) 何故に明かに生きざるや

 

 一點浮華の氣を混へぬ「東北」は何度繰返して見ても飽かない。斯ういふ性質の雜誌として、結社として方今殆んど唯一、主觀の有るこの東北詩社及び「東北」を私は深く敬愛する。そして心より、無意義なる存在となる勿れと東北詩社及びそれに屬する各個人諸君に希望する。

 

 越前君よりの手紙によつて、二號の批評をやることになつた。私にとつて非常に愉快な仕事ではあるが、丁度いま著書の編輯と旅行出立前との繁忙な時間中に在るので自身の思ふ樣にやれないことを悲しむ。いつかこの補ひをつけ度いと思ひながら筆を執る。

 

 暮秋の空……越前翠村

     やすらかにこの冬ひとりこもるべし焚火の煙わが窓に來る

 好い歌だが聊か明瞭を缺くのを憾む。こもるべしとあるから作者は多分屋内に居るのであらうが、さうすると戸外から來るのなら落葉焚く煙とでもするか、屋内の煙ならば窓を漏れ行くとか(264)何《いづ》れとかに改めねばなるまい。下らない詮さくと云ふ勿れ、動きのとれぬ權威を一首に保たしむべくもつと嚴かな注意を拂はねばならぬ。此位ゐはまだ何でもないと、輕く見るのは非常によろしくない。

     漂泊の歎きもあらじこの町の暮秋の空をふり仰ぐかな

 また不明瞭の一首である。あらじと推定の意味にしたのが先づ解らぬ。強ひて解ればひどく歌が輕くなる、つまり作者があまりに早く自分に媚びて眼を細くしたなどの理由から斯うなるものであらう。これは泳歎の歌にありがちの缺點である。

     相爭ふこともあらなくなりはへる兄弟の家に咲く冬の花

 あらなくが弱い。なりはへるも云へるのかも知れないが耳馴れぬせゐか意義が……なりはへる味ひがはつきりと身にしまぬ。言葉の選擇にも注意したいものだと思ふ。粗雜で滿足して居る所謂新派和歌の時代は既《も》う夙くに過ぎ去つて居るのに驚き度い。自ら輕んずる勿れと我等の新派和歌に告げ度い。相爭ふこともなくして働ける……としても平凡だが先づ意味は取れやう。勿論もつと他に佳い云ひかたがあるに相違ない。相爭ふとか、なりはへるとか家に咲くとかいふ連體段を重ぬることはえて歌の意味を弱めがちのものである。特にうくすつぬふむゆるの段の文字はそれが甚しい。

(265)     くど/\と語りて友の去りしあとしんかんとして灯の明るさよ

 もしんかんとして灯の明るさよが大分あぶないが、それでも此方は斯ういふ方が歌はれた内容に何だか親しみがある樣でよろしい。山蘭君が得意の句法だ。

     自棄のこころふつふつ胸に湧く日なりふところ鏡とり出し見る

 上の句はたいへん意味のある云ひかただと思ふ。いかにもふつ/\と湧いてゐる心地がする。下句は其割に何だか、取つてくつ着けた氣味がないでもない。

     片かげる霜月すゑの海の上に啼くこともなく浮ぶ海鳥

 これは殆ど間然する所のない立派な佳作だと信ずる。内容と調子と何の隙なく一致して居る。白銀そのものの如き印象を有つて居る。

     盆裁のから松の葉がのこりなく散りしあしたの有明の月

     結ぼれしこころゆくべきかたもなし窓のひなたにから松の散る

 の二首、亦た同じである。ただ型は少し小さいかも知れぬ。

     たまさかに小春の空となりぬれば山にかそかに立つ煙あり

 たまさかにが意味を不明にして居る。なりぬればにかかる副詞と見れば折合はぬし、立つにかかるものとしてはあまりに隔り過ぎるのみならずひそかにと重なる弊がある。私ならこれをいつ(266)しかにとして一首の意味と印象とを確めてしまふ。

     わたり者の青年の瞳にすくすくと落葉松林つづく山かな

 いかにも佳さ相だが、瞬間的の景色を咏んだのか一種の述懷風に咏んだのか、一寸意味が酌み兼ぬる。それだけ一首の印象も強くないといふわけだ。續く山かなを續く國かなとすれば後者としての意味は明かになる。下句を生かせば上句を改めたい。

 以上は云ひかけた序でから重もに句法の上より多くの言葉を費した。その内容から云ふ時は、みな相當の質量を含んで居る。厭な氣のするものが一首もない。唯だ何處となく鈍い所がありはせぬかと思ふ。きりりと人を刺す味ひには缺けてはゐぬか、これは此作者のみならず「東北」全體が所持する特長かと認めらるゝ。匕首直ちに胸に迫る慨は殆ど無い。

 

 氣がつくとあまりに精細に書いて來てゐる樣だ。長過ぎては編輯局でも迷惑であらう。これからやゝ總括的に書いて見度い。一首々々に就いての批評は右の翠村君のものを各自の上に引合はせて考へて頂き度い。

「東北」を通じ最も顯著なる特長として私は先づその思想的、瞑想的……延いて何處となく暗示的の氣分に富んで居ることを擧げ度い。試みにそれらの部類に屬する物と認めらるゝ數首を第二(267)號の中からこゝに引いて見よう。

     小窓より何か見つむる妻が手にまがきの菊を折りて與へぬ(洋岳)

     四五度も思ひありげに立ちつくし妻を見し眼のさびしき秋かな(同)

     十二月山陰の家に靜かにも鷄と馬とが養はれあり(同)

     馬ひきて山にあそべば馬もまた首さしあげて晩秋を泣く(岡)

     ほのに湧く自棄の心のやるせなき机によりて秋の空見る(むつを)

     がら/\をもてあぐみたる兒のひとみさびしや靜に夕時雨する(草明)

     堆くこの窓ぎわに吹き寄れる落葉の群も身にしむあした(曙逍)

     僅かなる空の明りを戀ひて啼くこの夕ぐれの鳥の羽ばたき(泣葉)

     はりつめし心なごみて夕まぐれ窓より白き月かげを見る(春葩).

     雲に雲かさなりあひて流れゆく初冬のそらに啼く小鳥あり(同)

     あかつきのこころもちこそはかなけれ心しづかに今日を思へり(山陵)

     蜻蛉とぶ秋の日和の空高ししをしをわれは海にゆくかな(博)

     沈黙す、ほのかに梨の風鳴は障子を漏れて我が膝を打つ(山蘭)

     家に歸りなによりも先づまつさきにくちづけをしぬ吾兒が圓き頬(同)

     鬱としてひたすら沈みゆく心、こころのなかの明るき兒が顔(同)

     木の葉ちり吾の寫眞にいささかのなぐさめを持つ秋の夕ぐれ(東籬)

(268)     秋ふけし庭とど松の老木に歩みよりたる靜けき心(同)

     バイブルに代へて讀む可き本も無し庭落葉松の落葉ぞつもる(同)

     木の葉散り過ぎ靜かになれば啼き出づる鴿《いへばと》をきく朝の食卓〈同)

     眞空の如く靜けき晩秋の日によみがへる懶惰の心(同)

     柿の葉の散る夕なりはてもなく心動きて鴿をきく(同)

     魂に滿ちあふれたるかなしみは深く眼とぢてみじろぎもせず(同)

 及び前に引いた越前君の「やすらかに」「自棄のこころ」「結ぼれし」「わたり者の」など、其他越前君、加藤君の作には殆ど一として其氣味の無いのはない。

 私は以前から斯う云ふ調子を甚しく好んでゐた。さうして茲に「東北」の此等に對して漸く我が同志を得た樣な心地を覺えざるを得ないのだ。それにまた快いのは斯ういふ種類の歌にありがちなわざとらしさがどれにも無いことである。而してまた慊らず思ふ第一は、その何れも透徹を缺いてゐることである。歌の何處にか必ず雲を南山に眺め菊を東籬のもとに採ると云つた風の逃避的な隱居じみた氣持が動いてゐる。匕首に非ず、鎗《やり》に非ず、無論村正に非ずしてひそかに牛骨を割く大刀たる勿れと請ひ祈る所以は一に此處に在るのである。子川上に在りて曰く、逝者は斯の如きか晝夜を舍《や》めずの一句、句長からず、語奇ならずと雖も而も毎《つね》に我等に慟哭を強ふる所以(269)に今一歩想ひ到つて欲しいと思ふ。

 

 段々深入りして長くなる。右の暗示的の歌風に對して菊池野菊、太田忠太郎、和田山蘭の諸君に多く見受くる印象的の咏みぶりに就いて述べ度かつたが、次回を期せねばなるまい。三浦薔薇君にも斯の面影があるがどうもわざとらしくて不可ぬ、力が無い。灰色組の中に混つて獨り菊池君のはなやかなるが目に立つ。「東北」は同君に由つて僅かに戀愛詩を見得る事を矜《ほこ》らねばならぬ。太田忠太郎君は恐らくまだ稚い人であらう、稚い人の皮膚の樣にその歌の甚しく軟かなるも亦た異彩である。私は「創作」時代から同君に囑目してゐた事を打ち明けてこの章を閉ぢやうと恩ふ。

 

 私は數日のうちに東京を去つて旅に出る、山と雲と獨我の境とを慕うての思ひ立ちである、幸ひに諸君が住む北の国へ辿り着き得たならば、また改めて大に詩歌人生を談じ度いと念ふ。(一月二十九日午後の日美しく晴れたり)――明治四十五年

(270) 最近歌壇の印象(明治四十五年)

 

 我等同人は今後毎號本誌上に於てその前月に表れた一般短歌界の現象に對し斯の印象記を作ることにきめた。混沌を極めた現時の斯界に對し、此等我等が忌憚なき自由の批判は必ず多少の寄與する所あらむことを信じてゐる。

 

 〇春の小雪(新潮)服部嘉香

「青海波」を讀みて其作者に送りし歌……といふ斷り書きが添へてある。送りしとあるからには眞實此等の歌を晶子女史の許に送つたものかとも恩ふ。女史の驚愕さこそと察せられて笑止の至りである。その歌といふのを初めから二三首紹介して見よう。

     君はただ波を見るさへ涙する弱き女のひとりなりしかな

     弱き者よかく呼ばるるを誇りとし君は泣くべしかの昨日より

     晶《あき》といふ女の名こそ悲しけれその名を持てる女一人の

 何ほ其他に「江戸川小櫻橋の上に立ちて」といふので

(271)     逝く水を眺むるよりも來る水を見るが嬉しき橋の上かな

     電燈のさせるかぎりは皺よせて媚ぶるがごとき江戸川の水

 といふ種類のものが並べてある。

 批評家である服部君にお尋ねするが、君は短歌といふものを馬鹿にして斯んなものを作つたのか、それとも眞面目に此等を眞實の詩歌であると信じて作つたのか。

 〇濕れるわか草(同)金子薫園

 例によつて氣の拔けたものだが、全然棄てられないのもある。

     陽の入りし遠野の空をながめつつしめれる如き若草をふむ

     春の靄《もや》山にかかれりしづかなる夕よとあゆみとめて仰げる

 この人の所謂叙景歌に就いては他日稿を別にして論じて見度い。

 〇薄萌黄色の春(同)岡 稻里

 金子氏のと殆んど同じもので、依然力のない説明から出來上つたものが多い。二首を採る。

     あたたかき三月に入るこころもち雲のごとくにあるがさびしき

     茫然とこの日もすぎぬうすき日にひよどりが來て啼きしばかりに

 〇ひと時のち(岡)武山英子

(272) 靄がかゝつて見たり、草が萌えたり鳥が鳴いて見たりする外に能のない新潮歌壇に於て特に異彩を放つ佳篇である。自然社の計畫の一に、その月の作物の中で特に眼についた人の作物をばこの「前月歌壇」の外に稿を改めて批評紹介するといふ一項があるがこの一篇などは先づ當然その選に當るべきであつたらうと思ふ。初號のことで手が廻らず、此儘に此中に納めておく。全篇十一首、悉く此處に引き度いと思ふ程で、

     消えなむとしては保てる燈火を見つめつついつかわが泣きてあり

     青ざめし頬を染めて親とあらそひし一時のちの身のつかれかな

     夕かぜの寒くも吹けば小づくりの忙しげに動く母の眼につく

     ねいりたる親のとなりに春ふかき夜のあはれをぞひとり泣くかな

     待つといふ若き心に耐へがたきその淋しさのままにぞ生ける

     西京の伯母の娘の假名がきの上手になりぬ見つむれば淋し

     うつくしきえりあしを見せて仕事するあとの月より雇ひし女

     春の夜のしめりをふみてわがこころ七年まへのものとなりぬる

 など、何處を如何と取り立てゝは云へないがみな佳い歌だ。けば/\しくないだけ大向ふの受けはよくないに相違ない。が、それだけに作品が尊くなる。歌を作らうとした厭やな形跡が少しもない。讀者に強ひる所がつゆほどもない。令兄薫園氏のと誠に不思議な封照を作して居る。

(273) 〇春の林(同)原田實

 考へた所をみんな文字に表はさうとするので、却つて一首々々のちからを弱めてゐる。表現せむと思ひ立つた主題に就いて餘りに此作者の神經質なのを惜む。浮はつかず、常に何物かを考へつゝある趣きは一首か二首の歌にもよく出てゐて可懷しい。

     三つ四つは春に浮きたつ鳥の音か春の林の靜かなること

     春の樹々いつか芽となり葉となればこころにくくも啼く春の鳥

     眼をとぢてあさき林に春を聽くわれおとろへをなつかしみつつ

     春の樹に小鳥啼くごと晴れやかに起きえば仕事いかに進まむ

 他に小澤紫絃其他諸氏の作が數多あるが、何れも水の上に水を注いだ樣な、輪郭も無ければ心核も無い所謂優婉靉靆調に恐れをなし讀了するを得ずして引退がつた。また一首讀んだところで百首讀んだところで同じものにしか見えないのが斯の咏みぶりの特長であるのだらうと信ぜらるる。非か。

 〇未だ生れざる愛兒(詩歌)内藤晨露

 だいぶかた言の歌が多い、言はむと欲して而して口が充分に廻らない趣きがある。しかもその(274)言はむと欲する所といふのも餘所目《よそめ》にはただ徒らに然《しか》く云はむと欲して云へるのみと見えるのがあるのは憾むべきことだ。語られた事實の形骸の悲慘は見えて而かもその本來本質の悲慘は藻拔けの態となつて居る。だからこの概念的の連作から脱せしめて次の如く一首々々引いて來たら岐度眼立つて見えるに相違ない。

     春來りぬ樹々の芽のほころびゆく如く我のやまひのあらたまるらし

     汝の手紙にわけなく涙ながれたりこのままになほ少しねむらむ

     一本の草花のごときさびしさに汝みづからも生きむとするらし

     舟の如く搖るる體をいかにせむいま死にゆかばわれいづち行くらむ

 どうも然しかた言だ。歌に核がない、熱がない。

 〇春(同)近藤元

 これも近來の此人の咏みぶり、例の麥藁細工式の歌に外ならない。幼稚な衒氣、獨りよがりから、多人數の前でぐる/\廻りをして得意になつてゐる有樣が想ひ浮べられて悲慘である。いい加減の他人の口さきから生み出きれた所謂豐かなる天分なるものに釣られずと、たとへ豐かならずとも自分自身の天分に立返つた方がよくはないか。一寸でも世間といふものから眼を離して自身の上にその黒い瞳を落して見給へ。

(275)     眼を開けばわれらの愛のふるさとが杳《はる》かなりけり春來る空(初めより三首)

     春は來る女よ汝が肉體にさす明るさに恐怖はなきや

     春は來ぬそのやはらき日光を額にうけてなみだぐむ女

 など、斯の種の歌に無くてはならぬ熱も脂肪も匂ひも何一つありはしないぢアないか。有るのはただ惡繪具で染色せられた概念ばかりである。君のいはゆる赤きまぼろしであらう。麥藁細工の評語の所以《ゆゑん》は此處にあるのだ。僅かに次の數首を探らむ。

     やはらかき光の中に狂ほしく波と波とが抱き合ふを見よ

     とりとめなき春の心に飛びまはるうれしさうなるかもめの群よ

     おとなしく男の腕に抱かれて二月の夜を斯うして居たまへ

     なにかしらうすらさみしき春の夜の女の肌のやはらかさな

〇寂寥(同)中村琢郎

 鐵工場の隅に落ち散つてゐる鐵屑で作りあげた、とでも言ひ度かつた以前の此作者の咏みぶりが本號に於て著しく變化してゐるのを見る。歌に血が通ひ始めて來た樣で、誠に歡ばしい。

     まぼろしのごとき來しかたまぼろしのごとき行くすゑ涙しづかに

     生くとふはかく在ることか冬晴れの空もつめたし地もつめたし

     死をわすれいのちを忘れ山頂の雪に沁みたる落日を見る

(276)     あてもなき人戀しさや晴れわたる空のそこひに映るわが影

 〇冷たき天地(同)金子不泣

 どうも内容と言葉と一致してゐない。だから自然輕々と看過するべく餘儀なくせられて了ふ。詩は決して語るものではないのだ。

     大空を渡る小鳥の瞳に燃ゆる春はいたまし草に夕陽す

     相ともにあれば戀ふるを知らざりき別れとともにおもひ燃ゆるか

     汝が指をわが掌に握りしめ泣かばと思ふこの夕ぐれを

 〇赤き夢と乳牛(同)廣田樂

 案外の變り樣に多少驚かされの氣味であつた。でもわるくない。こつてりしてゐて而も何處かさつぱりした姿の錦繪である。おなじくば今少し水際だつた腕が見せて貰ひたいと謹んでこれからに期待する。

     水鳥の夜ごとの夢にかげも濃く岸のさくらのまた莟《つぼ》らむ

     みづ鳥のうき寢のゆめをしのぶにも櫻さびしき夜の姿かな

     われにもなく開きし莟おどろきに顫へふるへて一夜明けてし

     水鳥の明けて見はてぬ夢さびし渦まく花をふと喰《は》みてみる

     夢におぴえ啼くみづとりの眼もはるに春が流るる夜の大川

(277)     ちち牛が乳しぼらるるうつつなき人は牧場に春をさびしむ

     人おもふ身は晝もなほみる夢をいつかくもらす沈丁の香よ

     河隈に夢につかれて草を喰む身のさびしさを啼くか水とり

 〇甦りし春の姿(同)細谷明

 前に中村琢郎君に對して述べた評語をすつかり此處にも持つて來度い。而して心から諸君のために今春を祝福したい。

     雨の原青麥のいろしめやかに細きこゑして鳥も淋しからむ

     枯草のごときベットと死のいろの壁にしづかにあそべるいのち

     ひとり死なむひとり死なむわが寂寞の白のベットに砂もて埋めよ

 〇わが生命の上にひるがへる旗(同)梶秀也

 初め一首二首と出來たてに手帳のまゝで見せられた時には、何だか一寸オツなものだといふ氣もしたが斯う並べられるとその缺點がようく解る。要するに此等はまだ詩の附燒匁である。一寸眼さきでちらちらしてそして跡かたも無く消えてゆくものである。一寸象徴的なものと見違へらるゝかも知れぬが、悲しいかな其底に根を持つて居らぬ、實を持つて居らぬ、一寸斯う言つて見たに過ぎぬものである。そして終《つひ》に詩は口さき眼さきのものでは無いことがよく解る。珍らしい(278)ものだから、中でやや佳いと思つたものを引いて見よう。

     今日一日われ畑を耕作してかの太陽と共に眠るうれしさ

     見れば見ればなつかしき畑なり何故にわれは耕作を止めゐたりしか

     芽はいづれど實をむすぶ無し再び耕作はなすまじわが畑まづしければ

     一日一日色異りて新しく生命の上にひるがへる旗

     わが小鳥歌ふを止めば汝は黙して其可愛き限に涙湛ゆるのみにてあれ

 〇憂愁の島にて(同)後藤夢花

 みづから象徴詩の名乘を擧げて作つてあるものである。而して僕は前に『生命の上にひるがへる歌』に寄せた評語を其儘この上に適應するを以て最も至當だと考へる。僕は斯ういふ新しい(?)企てに對して、せめてその作物の巧拙を論ずるだけの地位に立ち度かつた。此のまゝでは既にその作者の出發點が間違つてゐるのを認めてゐるので、多言する餘裕が無い。然し此等の作者、或は他の作者によつて此等皮相の作物以外にやゝ此等に類似して而かも甚だ異れる眞個の作物の出でむことを希望し、而してそのために此等の作者の努力も強《あなが》ちに無益ならざらむことを信ぜむと欲するものである。

     夜に紛れてひとり島にぞ渡る船篝火に響く暗き櫓の音

(279)     跪《ひざま》つき涙はらはら祈るかな闇の底ひの跡なきものに

     憂愁は海のあなたの花なりや水線に湧く黎明の陽よ

 〇ありし日の歎き(同)狹山信乃

 四月は奇妙に女性作家の得意の月であつた。『詩歌』四月號に於て最も纒つた作物を求むるならば即ちこの一篇である。群雄割拠、血腥いこと夥しい本誌に於て流石は女性の優しみも見え、物に騷がぬ咏みなれた口吻も心憎い。『詩歌』の歌で聲に出して歌つて見ようかと思はるゝのは先づ此人のもの位ゐのものだらう。

     思ひうみなげきつかれしいやはてのあはれになりぬ人もわが身も

     くもり日のにぶき光りにさく花のはかなきさまもあはれなるかな

     春きたりもえいづる草のひともとの力にもなほおびゆるいのち

     よろこびにはぐれたる子は春の日もさびしくびとりうたたねをする

     春あかき日にふるへ咲くフレジヤの花にもわれのさびしさのみゆ

     春わかうもえいづる血もうらかなし弱き心のそむきがちなる

     思ふことみなはかなげに消えゆきぬ春くれがたの空のあなたへ

 〇日に燒くる青草(同)前田夕暮

 前に擧げた内藤晨露君のは軟い片言、これはまた恐しく固いかた言だ。

(280)     わが腹をわれみづからが喰ひやぶる蟲の心を思ひあはせつ

     悲しげなる女のねがほいつよりか心に沁みてうすらくもれる

     身をふるはせ啼ける小鳥ぞこころよくわれの心を刺戟し來る

 初めからの三首を茲に擧げたのだが、どれもこれも今少し如何にかなり相なものではないか。第一のは意味はよく解る。悲痛な、また世によくありがちの事に相違ない。だからと云つて斯う話して見た所で仕方が無いではないか。僕の所謂「さうですか」に過ぎない。第二は一寸解りにくい。多分作者の心が曇つたといふのであらうが、力の無いこと甚しい。いつよりかといふのも此作者だけに意味が取りにくい。いつよりともなくといふ意かそれとも平時に違つてといふ意か、若しかすると後者かも知れない。第三などは誠に佳い内容なのだが、これでは矢張り「さうですか」といはねばならぬ。三首ともみな説明である。言ひかたの拙いのを以て矜《ほこ》りとして居るげに見ゆる人に向つて拙いのを責むるも異なものとあきらめてはゐるものゝさすがに慊《あきたら》ぬこと夥しい。輪郭の鮮かな、觸ればぞよ/\としさうな君の特色を知つて居るだけに猶更ら斯んな生温《なまぬ》るに對する不滿が強いのだ。わざとらしいものも多い。

     日に燒くる青草のうへひそやかにおきつかよわき生命の重み

     わがこころの斷面に日の濁りたる光ぞよどむ汝れを思へば

(281)     蟲の如く魚の如く寢れば女等は思はるるなり肌ざはりなど

 斯る種類のものを以て若し新しいと思惟《しゐ》して居たならば、それは餘りにも幼稚であらう。

 不滿は不滿、注意して見れば君の佳い所は流石に曇りなく光つて居る。僕の苦言をば僕の苦言として取捨して欲しい。

     われ等いま咋の甘さを思ひつつ顔そむけつつ味なき實を喰む

     忙しければ「吾」をあはれみ痛むなし我心をば見じとす心

     たそがれの暗き厨に押しだまりわれ歸れども汝は知るなし

     世の常のよろこびに疾く殘されて靜かなりけり悲しきふたり

     我が顛を見ぬやうにのみこころする汝が眼を追へば汝は悲しむ

     恐しき人のこころに觸れぬやう世のすみに妻よ小鳥飼はまし

 擧上の外に普通の白日社々友の詠草が澤山ある。その中に却つて佳いのがある樣だと僕に注意してくれた人もあつた位ゐだが、今號は右だけにしておく。この次、專らさういふ方面に心を注いでまた此筆を執ることにする。

 

 百首歌(中央公論)與謝野晶子

 簡單に評するとすれば大方既うその評語は盡きて居る。此處にはたゞ數首を引くに留めておく。

(282)     人おもひ眠りをなさで朝の街ゆけばかなしき街の錆聲

     野薔薇摘む青水無月の月の暈《かさ》しろあざに似る下にわれゐて

     的を置き弓ひく時にたからかに笑ひし父にやがて背きぬ

     人群れて黒き林を眺めゐし夕方の村眼に消えぬかも

     葉ひとつの香りかなしさにつみとりしおびたたしかる蓬の芽かな

     うば玉の夜のなき國となりたらば嘲笑をのみ人はつくらむ

     うぐひすの歸り來るをうつし世のけうとき人を見るごとく見る

     人々はわが話にて靜まりぬ秋はかかりと思ふ夜かな

     這ひ入りて床下などにねむらまし靜かならまし死ぬによからめ

     みづからの心のごとくいちじろし金錆色のさびしき胡蝶

 〇さゝやき(スバル)茅野雅子

 すなほな、きれいな歌である。讀みさへすればいつでもいゝ氣持になることが出來るのだが讀まずにすごすことが少なくないとも限らぬのは何の罪か。

     すなほなるわが黒髪をなづるにもわかき命の惜しまるるかな

     五歳の子われにならびて琴ひくも物のかなしき一つなりけり

(283)     うらわかき夢のごとくに風ふきぬみだれそめたる心しらねば

     木苺のあかくうれたる谷あひに小鳥の啼ける六月の山

 

 〇心(ザムボア)北原白秋

 おそろしく氣の拔けたものだと驚いた。いくら繪具のかげにほの匂ふテレビンだからとて是ではあんまりひどすぎやう。ひと頃の作には引かへて言葉や句の上に、つやもなければあぶらも無い。あるのは安白粉の秋波である。

     なつかしきロダンの素畫の絹糸のみだれそめにしわれならなくに

     おのがじし弱きけふ日の涙をばはふり落して鳴ける小鳥ら

     にほやかにあてにかなしくくるほしきやんごともなき心ともがな

     ほれ/”\とひとり坐りて泣くときのこころよさもて歌もうたはめ

『槍は※〔金+肅〕《さ》びても名は※〔金+肅〕びぬ、殿につきそふ槍持の槍の穗さきの悲しさよ』(同號所載同君作長詩「槍持」の一節)のその※〔金+肅〕よりも漏るゝ一しづく、やるせなきかなしみを是等短歌の上にもほしかつた。

(284) 甚だ遺憾ながら、本號はこれで筆を擱かねばならぬ。「アララギ」「車前草」「新日本」「秀才文壇」等に多少の歌を見掛けたと思ひながらそれをゆつくり見ることが出來なかつた。もつとも右の中には大したものは無かつた樣である。「アララギ」に就いては來號稿を改めて書かうと思つてゐる。

 創作以外に歌論歌話も多少あつた。「アララギ」に伊藤左千夫、柿の村人、齋藤茂吉諸氏の眞面目なる研究あり、「車前草」に岩谷莫哀君の痛快なる罵倒があつたが、これらの紹介をも割愛せねばならぬ。身體も落着かず、頭も心もおち着かぬうちに時を拾つて筆を走らしたので、それだけの出來しかできなかつたらうと思はれて、自身でも甚だ不滿である。一號二號と筆を重ねるに從つて我等の主張態度に漸次鮮明と權威とを帯び度いものだと希望して居る。

 

(285) 眞晝の山

 

 この秋、いろ/\の人から歌集の寄贈を受けたなかに意外なのが一つあつた。薩摩の森園天涙君から送つて來た同君の「まひるの山」がそれだ。昨年の暮あたり、東京で岩谷莫哀君から一寸その噂をばきいたのであつたが、餘程經つた今日、不意をうたれた形であつた。

 四六版の百六十頁、一頁に四首づつ刷つてある。章を「炭竈の煙」「花咲く樹」「裏山の燒くる夜」「放浪の涙より」「前後の歌」の五つに分つてある。前三章は著者が生れ故郷の奥山の峽間で、身に燃えそめた苦悶や憧憬の火に耐へかねて切に山の彼方に心を走せてゐる時の歌である。あとの二章は、とう/\破壞的にその郷里の谷間を走り出て、傷ついた獣のやうに其處此處と彷徨し歩いたすゑ、突然母の死といふ一事のためにまたもとの谷間に歸つて來て、遺された幼妹二人を擁して新しい生活に入らうとして居る際の歌である。

 右のうち、最も調子の烈しいのは、「放浪の涙より」であらう。當時著者は諸所彷徨の末に熊本市の織物工場か何かに入込んでゐて歌つたらしい。そうした場合だけに一事一物悉く烈しい絶叫となつて居るが、惜しいことに支那人の謂ふ窮して亂れた憾みが入つて來て居る。折角の歌が(286)昂奮の徒勞となり安價なる熱涙と化した形がある。あら筋の歌、雜談の歌がだいぶある。中で、佳作と見るものを引いて見よう。

     逃げいでし己がうはさや高からむ街には春の日の光り散る

     月うすく城山の上に照るころの街はなか/\悲しかりけり

     絶望のきはみふと死をおもふ夕搖るる海波に月あかりする

     一人なる旅人のこころやるせなしこの球磨川の水の濁れる

     戸締りを了へて工場のくらき灯の下に坐れば牢獄の如し

     部屋の隅に壁にむかへばなつかしや涙は瀧の如くに落ちくる

     死にがたきいつしかもとのあはれなる泣き男にかへらむとする

     狂ひじに、死にてゆく日をなつかしむ夜冷かに月の瞼に茂《・(ママ)》つる

     石か棒かおのれの足の冷たさにかたさに匂ふかはたれの月

     織女等の中にまじはりわが生くる眞夏といふかわりなく悲し

     ぽて/\と机の上に熱涙のこぼれくる時死なむと思ふ

     工場よりにごれる空を見るに馴れあはただしくも秋に包まる

     青き淵へのぞめる松のさびしきに凭れてあふぐ肥の國の山(二首旅の歌)

     材木のいかだの上に立てる人父のごとくもなつかしきかな

(287)「前後の歌」はよほどおちついて來てはゐるが、何だが、ほつかりしたといふ所が見える。併し、是を責めるはその場の事情を推せぬしうちである。ただ氣になるのは一時ぐわら/”\に沸立つたものがやがて如何なつてゆくかと思はれることだ。同じく佳作と見るを引けば、

     汽車おそし矢嶽あたりの丘の松痛むこころによろ/\と這ふ

     神嘗祭はたのひら/\なびく晝溘焉として母は死ににき

     母の言葉一つ一つがしら玉となりてかなしく胸にしづめる

     母死せしと強きあかしをしめさずや晝の谷間のほの白き霧

     泣きむつがる妹をいだき白晝の山のひびきにわが對ふかな

     母の死をいそがしめしにあらざるやかなしきことを思ふ昨今

     谷の家に旅によごれて歸る子をさびしく父の待ち給ふらむ

     炭坑のけむりがながれ來る空を一人あふぎて涙をぬぐへり

     涙かくし工場出る時梭の音はうしほのごとく背にせまりぬ

     母にそむき家出なしたる四月來ぬ堪へがたきこの頃の月明

 家出前の歌は、題材の奇は無いが、玲瓏として青く輝いてゐるところがある。純一である。

     山わらべ野分吹く日を山くだりその長き髪笑はれにけり

     灯にそがひ坐りてあれば靜やかに街のびびきの胸を打つかな

(288)     焦げし本に火の燃えうつるこころよき音をききつつゐろりに眠る

     ほうと風ものにおびえしごと吹きぬ骨あらはなる山にむかひて

     くだものの匂ひも若きあによめもなつかし門司の初夏の夜の

     學校と寺院とならび靜かなる午後の光りを浴びて立つかな

     海近きまろらの山はさびしかりひくきさま/”\の樹々の群る

     なぎさべに沈める石のうす青くうごくも見えて海搖るるなり

     月うすしゆふべの渚芥火をたきすてて人の去りにしあとに

     騷がしく山にゆふべの風くるを炭竈の戸にたたずみて聞く

     炭竈のけむり一筋初夏のそらの青をばみだす寂しさ

     花咲く樹花咲かざる樹春ふかき山にのぼれば寂しうなりぬ

     女のことおもひつかれし頭もて友をおもふにかなしき夜なり

     かなしげに小鳥來て啼きとび去りぬ日没近きむらさきの谷

     谷間より豪雨のあとを漂へるかなしき雲を見てはいためり

     雜木とわれ等が立てる丘の上に空はれやかに垂れてありけり

     夏の夜のそらにそびゆる山々の顫動を見つ月の出を待つ

     草とりどりわが寂しさを吸ふ如しあはれ野百合の花もまじれり

     西方の町ぞさびしくころがれり海にかたむく白砂の上に(西方は地名)

(289)    椎茸の亂生したる木をかこみ秋のまひるの樹々はそよげり

     枯れて立つ木のさびしさよ君もまた一月あまり消息をせず

     月あをきここの谷間のかなしさよあそび廻らむ家もあらざり

     月あはくうごく木かげのなかにわが寂しき影のまじるゆふぐれ

     顔にかかる山蜘蛛の巣におどろかる人戀ふる子のおとろへし秋

     人聲をとほくに聞くは耐へ難しつめたき山の晝を眼閉づる

     みじめなる戀の終りを思ふにもおだやかならぬ谷の暮れやう

     うらじろのそよげるを見てゆくりなく嫁きける人を思ひ出にける

     大木にむかひ無心に斧ふるふをとこの澄みし眼はかなしかり

     すさまじくうら手の山の燒くる夜をはづかの父の錢ぬすみ出づ

     かりうどが聲をしぼりて犬呼べるまひるの山をゆけば寂しも

 山の歌のなかには殆ど完全無缺、古來わが國の叙景詩にあつて綺唱に値する程のものがある。而かも山部赤人の雄渾幽微つひに神秘の境に到らむとする偉きさに至つては乏しい。強ひて類を求むれば、右大臣實胡の硬さと暗さとは或は相しいてゐるであらう。

 日本の叙景詩は今まさに滅び行かむとしつつある。我等には何の關係もない例の花鳥風月時代のあられもない傾向に對する近代の反抗とも見れば見られる。然し古來我が國の祖先が眞心から(290)歌つてゐた叙景詩は、徒らに山川河海の鳥瞰圖を作り、または床の間のおかざりにするためのそれでは決してなかつた。自然と人生との間の悲痛な交歡であつた。寂しい對話であつた。

 僕は斯の眞個の叙景詩が、單純がちなる我が民族性の上に全く影を没することを、どうしても信じ能はぬ。

 曾て雜誌「創作」を出してゐたころ、數多集つて來る人々の歌のなかゝら、さうしたかすかな青い芽の萌えそむるやうなのを極く稀に發見して世間の評判に逆ひながら心ひそかに悦んでゐた。何處の誰、あの國の彼と僕はまだその時の人の名と歌ひぶりとをよう忘れずに居る。「まひるの山」の著者などもその著しい一人であつた。そのうち雜誌はやめになる、四離五散する人々のなかでこの著者の咏みぶりの急變して行つたのをも遠くから眺めてゐた。よしあしは外にして、いま思ひがけなく此等當時の古い歌を見るに當つて、端なく叙景詩問題まで思ひ出された。

 著者の歌の尊ぶべき所以は、その生一本《きいつぽん》なる點にある。歌を咏む、と云はず、その自己の生に對する彼の態度がまた全然さうである。大きからざれど勁《つよ》く、輝かざれども鋭い趣きのあるのなどは一にそこに起因するのである。

 東北詩社の越前君和田君の咏みぶりと森園君のと一寸似てゐる。越前七分和田三分位いの割で似てゐる。そして両君はともに森園君よりも芝居好きであることだけが違ふ。

(291) 地方にゐて歌集を出したことも我等の記憶に値すべきことだと思ふ。また昨今の詩歌の讀者がどんな態度でこの本の内容を取扱ふかにも注意する價値がある。

 氣にもつかぬ山の奥や海濱に我等と同じやうなことを思ひ、惱んでゐる人が案外に多いといふのを知るとき、何となく心強く感ぜらるゝ。「まひるの山」を讀み終つて、つく/”\著者に對して敬愛の意を捧げざるを得なかつた。――大正元年――

(292) 石川啄木君の歌

 

     新しき明日の來るを信ずといふ

     自分の言葉に

     嘘はなけれど

        ×

     高きより飛びおりるごとき心もて

     この一生を

     終るすべなきか

        ×

     そんならば生命が欲しくないのかと

     醫者に言はれて

     だまりし心

 今までよりはまた事新しく深い意味において、石川啄木君の歌が私の心に沁みるやうになつた。私自身のために、雜誌のために、幼い評釋を書いて見ようと思ふ。

(293) 短歌といふことを強《あなが》ちに頭に置かず、廣く一般の文藝界に於て、北村透谷、國木田獨歩、石川啄木などといふ人は私の心にいつも同じ光を放つて聯想せられる。性格、思想等に於ては勿論それぞれ違つてゐたやうである。唯だ、自己の生に對する、人生といふものに對する態度が殆んどみな同じでは無かつたかと想像せられるのである。形こそ違へ、その態度はみな同じ光となつてその作品の裡に輝いてゐると思ふ。飽くまでも敬虔《けいけん》な、純粹な、緊張した、底の底まできはめねば止まなかつたその態度は、よし多少の深淺はあらうとも、彼等の作品の底にしみ/”\と不盡に流れてゐる。我等多くが、また他念なく自己本然の姿に歸つてゐるとき、心に浮ぶはまことに彼等の作品である。

 

 啄木歌集一卷を貫いてゐるものは、消さうとして消し難い火のやうな執着である。同時に無限の絶望である。造次顛沛《ざうじてんぱい》、彼は寸毫も自己を忘るゝことの出來ない人であつた。意識して、また無意識のうちに、常に自己をのみ見詰めてゐた人である。彼は強ちに強い人ではなかつた。たびたび自分を茶化さうと試みてゐる。而かも完全に茶化し得ることも出來ず、知らず/\全い自分の姿に立歸つてゐるときが多かつた。その時に出來た歌がみな空を渡る風のやうな捉へどころの(294)ない好い歌となつて遺稿の裡に殘つてゐる。自己をのみ念頭に置いてゐた彼は、常に現在に安住することの出來ぬ人であつた。何か爲し得ると信じ、爲さねばならぬとあせつてゐた。そして一面彼は現實に根ざした空想兒であつたのである。悲しき玩具と自分の歌を呼んでゐたことはいかにも彼にとつては悲しき眞實であつたに相違ない。歌に限らず、彼が持つてゐた現在は、みな悲しき玩具であつたかも知れない。彼の歌の基調をなして居る絶望はその邊から生れて來たものと認めてよいであらう。

 

 餘りに自己に執《しふ》するあまり、寧ろよそ/\しく歌といふものを取扱つてゐたことは、却つて歌の上に好き效果を齎してゐるやうである。もと/\根底のある、内容の豐かな人から、殆んど無意識なほど自然に溢れ出た歌に、却つて生《き》のまゝのその人まるうつしの眞實が、内容が含まれてゐたことは當然のことだと思ふ。彼の歌の悉くがいゝ歌だとは決して言はない。寧ろ數に於てはバカ/\しいくだらぬ歌の方が多いであらう。そのくだらぬ歌はこの才人が歌を作るぞといふ場合に於て作られたものであると私は想像してゐる。われを忘れて溜息をつくやうな、獨り言でも言ふやうな場合の作に、實にいいものがあるのである。彼の心は元來休息といふものを知らぬ、逸《はや》りに逸り燃えに燃えたものであつたらしい。さうして彼の歌には殆んどその面影は見られない。(295)謂はゞさういふ自分の心をじいつと眺めてゐる冷たい傍觀者の歌である。自己批評の歌である。またはわびしいなつかしい回想の歌である。やるまゝにやらせ得るとしたら、彼は一體何をやつたらうと、今になつて私は興味ある問題を彼に就いて抱いてゐる。嘸《さ》ぞ死にたくなかつた死であつたらうと、今更ながら追想せられてならない。その枕もとで見てゐた彼の臨終が明かに眼に浮んで來てならない。

 

 勿論完全な正當な色わけではないが、何となく私には彼の歌が二つの部類に分たれて眺めらるる。一は他念なくひたすらに自分をめぐみ愛《いつ》くしむ歌である。一は、同じく其處から出て、持つて行きどころのない絶望をのべた歌である。それらが一緒に混つた歌も無論多い。そして私の最も強みを感ずるのは、後者に屬するものである。まるで、天の一角をかすめて何處ともなく飛び去る星のやうな、または落ち着くさきを知らぬ一個の人間のたましひの瞳のやうな、見てゐて自分の心まで吸ひ取られてゆくやうな歌が多い。試みにその數首を擧げて見よう。(本來は一首が必ず三行に書いてあるが、茲では假りに二行(註、この全集では一行)にして寫す、その二行の終りの所に茲ではコンマを打つておく。)

     高山のいただきに登り、なにがなしに帽子を振りて、下り來しかな

(296)     何處やらに澤山の人があらそひて、鬮引くごとし、われも引きたし     こころよく、人を讃《ほ》めてみたくなりにけり、利己の心に倦めるさびしさ

     高きより飛びおりるごとき心もて、この一生を、終るすべなきか

     この日頃、ひそかに胸にやどりたる悔あり、われを笑はしめざり

     非凡なる人のごとくにふるまへる、後のさびしさは、何にかたぐへむ

     それもよしこれもよしとてある人の、その氣がるさを、欲しくなりたり

     はたらけど、はたらけどなほわが生活《くらし》樂にならざり、じつと手を見る

     何がなしに、頭のなかに崖ありて、日毎に土のくづるるごとし

     かうしては居られずと思ひ、立ちにしが、戸外《おもて》に馬の嘶《いなな》きしまで

     夜明けまであそびてくらす場所がほし、家を思へば、こころ冷し

     今夜こそ思ふ存分泣いてみむと、泊りし宿屋の、茶のぬるさかな

     ほとばしる喞筒《ポンプ》の水の、心地よさよ、しばしは若きこころもて見る

     石をもて追はるるごとく、ふるさとを出でしかなしみ、消ゆる時なし

     力なく病みし頃より、口すこしあきて眠るが、癖となりにき

     新しき本を買ひ來て讀む夜半の、そのたのしさも、長くわすれぬ

     よく怒る人にてありしがわが父の、日ごろ怒らず、怒れと思ふ

     目をとぢて、口笛かすかに吹きてみぬ、ねられぬ夜の窓にもたれて

(297)     家を出て五町ばかりは、用のある人のごとくに、歩いてみたれど

     手も足もはなればなれにあるごとき、ものうき寢ざめ、かなしき寢覺

     曠野《あらの》ゆく汽車のごとくに、このなやみ、とき/”\我の心を通る

     新しき明日の來るを信ずといふ、自分の言葉に、嘘はなけれど

     よごれたる手を見る、ちようど、このごろの自分の心に對ふがごとし

     よごれたる手を洗ひし時の、かすかなる滿足が、今日の滿足なりき

     人がみな、同じ方角に向いて行く、それを横より見てゐる心

     何となく明日はよき事あるごとく、思ふ心を、叱りて眠る

     いろ/\の人のおもはく、はかりかねて、今日もおとなしく暮したるかな

     百姓の多くは酒をやめしといふ、もつと困らば、何をやめるらむ

     眠られぬ癖のかなしさよ、すこしでも、眠氣がさせばうろたへてねる

     この四五年、空を仰ぐといふことが一度もなかりき、斯うもなるものか

     ドア推してひと足出れば、病人の眼にはてもなき、長廊下かな

     そんならば生命が欲しくないのかと、醫者た言はれて、だまりし心

     もうお前の心底をよく見屆けたと、夢に母來て、泣いてゆきしかな

     わが病の、その因るところ深く且つ遠きを思ふ、目をとぢて思ふ

     かなしくも、病いゆるを願はざる心我にあり、何の心ぞ

(298)     かなしきは、(われもしかりき)、叱れども打てども泣かぬ兒の心なる

     時として、あらん限りの聲を出し、唱歌をうたふ子をほめてみる

     おとなしき家畜のごとき、心となる、熱やや高き日のたよりなさ

     ひさしぶりに、ふと聲を出して笑ひてみぬ、蠅の兩手を揉むが可笑しさに

     茶まで斷ちて、わが平復を祈りたまふ、母の今日また何か怒れる

     やまひ癒えず、死なず、日毎にこころのみ險しくなれる七八月かな

 泣き笑ひをしてゐる、または泣くにも泣かれぬといつたやうな歌が多いではないか。いつとは知らず頭を垂れて考へ込まねばならぬやうなものもある。

     高山のいただきに登り

     なにがなしに帽子をふりて

     くだり來しかな

 何といふ人可懷《ひとな》つこい寂寥ぞ。私はとある見も知らぬ高山の絶頂からつと燃え立つて直ぐ消え去つた冷たい頬を風に吹かせて降りて來る若かりし彼をまざ/\と想ひ浮べる。

     何處やらに澤山の人があらそひて

     鬮引くごとし

     われも引きたし

(299) いかにも不安な、おちつかぬ、寧ろ氣味のわるい印象をこの一首から受ける。

     家を出て五町ばかりは

     用のある人のごとくに

     歩いて見たれど

 つと立ち留つた時の、しいんとした濁り切つた苦惱が、親しく私の身うちにも傳はつて來る。然し、こんな苦惱寂寥は、よく/\種々の事に出會ひ、感じた複雜な聰明な心からでなくては出來ては來ぬと思ふ。歌の味ひも一般には解りにくからうかと思ふ。

     高きより飛びおりる如き心もて

     この一生を

     終るすべなきか

 一見甚だ平凡な歌である。私の所謂《いはゆる》「さうですか歌」とも形を同じうしてゐる。而かもその裏に濡るゝばかりにぴつたりと密着《くつつ》いてゐる人間の匂ひ、輝いてゐる人間の瞳を如何しやう。肺を病む人が身うちの血を喀《は》き盡すやうな烈しい熱氣や絶望や呪呪詛《じゆそ》の心が、出るともなく溢れてゐるのを誰も感じないであらうか。

     新しき明日《あす》の來《きた》るを信ずといふ

     自分の言葉に

(300)     嘘は無けれど

 これもさうである。希くばこの種の歌をば靜かに繰返し/\口のうちで誦してほしい。歌の慘しいたましひがその人の心の裡に必ず甦《よみがへ》るであらう。

 

 もう一方の、以上引いたものよりやゝ形の小さい、ぢいつと眼を落した靜かな歌をあげて見よう。

     いづくやらむかすかに蟲のなくごとき、こころ細さを、今日もおぼゆる

     いと暗き、穴に心を吸はれゆくごとく患ひて、つかれて眠る

     こころよく、我にはたらく仕事あれ、それを仕遂げて死なむと思ふ

     まれにある、この平《たひ》らなる心には、時計の鳴るもおもしろく聽く

     空家《あきや》に入り、煙草のみたることありき、あはれただ一人居たきばかりに

     手も足も、部屋いつぱいに投げ出して、やがて靜かに起きかへるかな

     大いなる彼の身體が、憎かりき、その前に行きて物を言ふ時

     死ぬことを、持藥を飲むがごとくにも我は思へり、心いためば

     眞劍になりて竹もて犬を撃つ、小兒の顔を、よしと思へり

     ダイナモの、重き唸りのここちよさよ、あはれこのごとく物を言はまし

(301)     氣の變る人に仕へて、つく/”\と、わが世がいやになりにけるかな

     こころよき疲れなるかな、息もつかず、仕事をしたる後のこの疲れ

     よく笑ふ若き男の、死にたらば、すこしはこの世のさびしくもなれ

     己が名をほのかに呼びて、涙せし、十四の春にかへるすべなし

     青ぞらに消えゆく煙、さびしくも消えゆく煙、われにし似るか

     おほどかの心來れり、歩くにも、腹に力のたまるがごとし

     ただひとり泣かまほしさに、來て寢たる、宿屋の夜具のこころよさかな

     この次ぎの休日《やすみ》に一日《いちにち》寢てみむと、思ひすごしぬ、三年このかた

     或時のわれのこころを、燒きたての、麺麭《バン》に似たりと思ひけるかな

     人間のつかはぬ言葉、ひよつとして、われのみ知れるごとく思ふ日

     いらだてる心よ汝はかなしかり、いざ/\、すこし※〔口+去〕※〔口+甲〕《あくび》などせむ

     病のごと、思郷のこころ湧く日なり、目にあをぞらの煙かなしも

     わが爲さむこと世に盡きて、長き日を、かくしもあはれ物を思ふか

     晴れし空仰げばいつも、口笛を吹きたくなりて、吹きてあそぴき

     眼を病みて黒き眼鏡をかけし頃、その頃よ、一人泣くをおばえし

     汽草の窓、はるかに北にふるさとの山見え來れば、襟を正すも

     唸※〔口+去〕※〔口+甲〕《あくび》噛み、夜汽車の窓に別れたる、別れが今は物足らぬかな

(302)     かなしきは小樽の町よ、歌ふことなき人々の、聲の荒さよ

     あはれかの國のはてにて、酒のみき、かなしみの滓を啜るごとくに

     こほりたるインクの罎を、火にかざし、涙ながれぬともしびのもと

     手ぶくろをぬぐ手ふとやむ、何やらむ、こころかすめし思ひ出のあり

     夏來れば、うがひ藥の、病ある齒に沁む朝のうれしかりけり

     さびしきは、色にしたしまぬ目のゆゑと、赤き花など買はせけるかな

     見て居れば時計とまれり、吸はるるごと、心はまたもさびしさに行く

     ゆゑもなく海が見たくて、海に來ぬ、こころ傷《いた》みてたへがたき日に

     ほそ/”\と、其處ら此處らに蟲の鳴く、晝の野に來て讀む手紙かな

     水のごと、身體をひたすかなしみに、葱の香などのまじれる夕

     途中にてふと氣が變り、つとめ先を休みてけふも、河岸をさまよへり

     咽喉がかわき、まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ、秋の夜ふけに

     なつかしき冬の朝かな、湯を飲めば、湯氣がやはらかに顔にかかれり

     過ぎゆける一年のつかれ出しものか、元日といふに、うと/\眠し

     それとなく、その由るところ悲しまる、元日の午後の眠たき心

     やみがたき用を忘れ來ぬ、途中にて口に入れたる、ゼムのためなりし

     目さまして直ぐの心よ、年よりの家出の記事にも、涙出でたり

(303)     病室の窓にもたれて、久しぶりに巡査を見たりと、よろこべるかな     寢つつ讀む本の重さに、つかれたる、手を休めては物をおもへり

     たへがたき渇き覺ゆれど、手をのべて、林檎とるだにものうき日かな

     月に三十圓もあれば田舎にては、樂に暮せると、ひよつと思へる

     病みて四月、そのとき/”\に變りたる、くすりの味もなつかしきかな

     いつも子を、うるさきものに思ひゐし間に、その子五歳になれり

     何思ひけむ、玩具をすてておとなしく、わが側に來て子の坐りたる

     お菓子貰ふ時も忘れて、二階より、町の往來を眺むる子かな

     子を叱れば、泣いて寢入りぬ、口すこしあけし寢顔にさはりてみるかな

 是等の數十首を見るとき、いかに彼が自分を愛惜し、憂慮してゐたかゞほゞ窺はれると思ふ。そして、温かな通常人としての彼の半面をも知ることが出來るであらう。まことになつかしい歌が多い。右のうちでも、

     稀にある…………             .

     空家に入り…………

     青ぞらに…………

     死ぬことを…………

(304)     こころよき…………

     ただひとり…………

     この分ハぎの…………

     人間の…………

     晴れし空…………

     汽車の窓…………

     かなしきは…………

     氷りたる…………

     なつかしき…………

     過ぎゆける…………

 などを讀むときは、今にも彼と手をとつて心ゆくばかり語つても見たい心地になる。

     おほどかの心きたれり

     歩くにも

     腹に力のたまるがごとし

       ×

     咽喉が渇き

(305)     まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ

     秋の夜ふけに

       ×

     目さまして直ぐの心よ

     年よりの家出の記事にも

     涙いでたり

 どこがいゝのか解らないやうなところに彼の偉さがある。顧みて他をいふといつた風の心にくいところもある。それもさう言はうとして言つてゐないので其間に些しの厭味がない。

 

 もう一つ彼の特長として擧げたいのは、彼がものに眼をつけるについての鋭敏さである。平凡な中から、唯だ一つ何かを捉へて、生々とそれを一首の裡に生かしてゐる。描寫や叙景に於て、いかにも印象の鮮かな、一首が直ちに繪になり、短篇小説になるやうなのが澤山ある。尚ほ、たいしていゝ歌とは言はれぬまでも味のある物の言ひぶりのしてあることもその一であらう。これらは前にあげた歌のなかからも悠々として引例することが出來るであらうが、更に次に夫等の一端を引いて見よう。

(306)     大いなる彼の身體が、憎くかりき、その前にゆきて物をいふ時

     こつ/\と空地《あきち》に石をきざむ音、耳につき來ぬ、家に入るまで

     田舍めく旅の姿を、三日ばかり都にさらし、かへる友かな

     今は亡き姉の戀人のおとうとと、なかよくせしを、かなしと思ふ

     そのかみの愛讀の書よ、大方は、今は流行らずなりにけるかな

     蘇峯の書を我に薦めし友早く、校を退きぬ、まづしさのため

     師も友も知らで責めにき、謎《なぞ》に似る、わが學業のおこたりの因《もと》

     教室の窓より遁《に》げて、ただ一人、かの城趾《しろあと》に寝に行きしかな

     かなしみといはばいふべき、物の味、われの舐《な》めしはあまりに早かり

     人ごみの中をわけ來る、わが友の、むかしながらの太き杖かな

     わが妻のむかしの願ひ、音樂のことにかかりき、今はうたはず

     ふと思ふ、ふるさとにゐて日ごと聽きし雀の鳴くを、三年きかざり

     三日前に山の繪見しが、今朝になりて、にはかにこひしふるさとの山

     田も畑も賣りて酒のみ、ほろびゆくふるさとびとに、心寄する日

     ふるさとを出で來し子等の、相會ひて、よろこぶにまさる悲しみはなし

     ふるさとの、村醫の妻のつつましき櫛卷なども、なつかしきかな

     年ごとに肺病やみの殖えてゆく、村に迎へし、若き醫者かな

(307)     その名さへ忘られし頃、飄然とふるさとに來て、咳せし男

     意地惡の大工の子などもかなしかり、戰《いくさ》に出でしが、生きてかへらず

     閑古鳥、鳴く日となれば起るてふ、友のやまひのいかになりけむ

     わがために、なやめる魂をしづめよと、讃美歌うたふ人ありしかな

     わが村に、初めてイエスクリストの道を説きたる、若き女かな

     ふるさとに入りて先づ心|傷《いた》むかな、道廣くなり、橋も新らし

     見も知らぬ女教師が、そのかみの、わが學舍《まなびや》の窓に立てるかな

     三度ほど、汽車の窓よりながめたる町の名なども、したしかりけり

     わがあとを追ひ來て、知れる人もなき、邊土に住みし母と妻かな

     船に醉ひてやさしくなれる、いもうとの眼見ゆ、津輕の海をおもへば

     おそらくは生涯妻をむかへじと、わらひし友よ、今もめとらず

     あはれかの、眼鏡のふちをさびしげに光らせてゐし、女教師よ

     演習のひまにわざ/\、汽車に乗りて、訪ひ來し友とのめる酒かな

     若くして、數人の父となりし友、子なきがごとく醉へばうたひき

     雨に濡れし夜汽車の窓に、うつりたる、山あひの町のともしびの色

     アカシヤの街※〔木+越〕《なみき》にポプラに、秋のかぜ、吹くがかなしと日記に殘れり

     かの年のかの新聞の、初雪の記事を書きしは、我なりしかな

(308)     わが妻に着物縫はせし友ありし、冬早く來る、殖民地かな

     平手もて、吹雪にぬれし顔を拭く、友共産を主義とせりけり

     酒のめば鬼の如くに青かりし、大いなる顔よ、かなしき顔よ

     あをじろき頬に涙を走らせて、死をば語りき、若き商人

     子を負ひて、雪の吹き入る停車場に、われ見送りし妻の肩かな

     敵として悼みし友と、やや長く手をば握りき、別れといふに

     みぞれ降る、石狩の野の汽車に讀みし、ツルゲエネフの物語かな

     忘れ來し煙草を思ふ、ゆけどゆけど、山なほ遠き雪の野の汽車

     うす紅く雪に流れて、入日影、曠野の汽車の窓を照せり

     腹すこし痛みいでしを、しのびつつ、長路の汽車にのむ煙草かな

     乗合の砲兵士官の、劍の鞘、がちやりと鳴るに思ひやぶれき

     空知川雪に埋れて、鳥も見えず、岸邊の林にひと一人ゐき

     うたふごと駅の名呼びし、柔和なる、若き驛夫の眼をも忘れず

     出しぬけの女のわらひ、身に沁みき、厨に酒の凍る眞夜中

     わが醉ひに心いためて、うたはざる女ありしが、いかになれるや

     死にたくはないかと云へば、これ見よと、咽喉の痍を見せし女かな

     波もなき二月の灣に、白塗の、外國船が低く浮べり

(309)     三味線の絲の切れしを、火事のごと騷ぐ子ありき、大雲の夜に

     函館のかの燒跡を去りし夜の、こころ殘りを、今も殘しつ

     君に似し姿を街に見る時の、こころ躍りを、あはれと思へ

     いそがしき生活《くらし》のなかの、時折のこの物おもひ、誰のためぞも

     しみ/”\と、物うち語る友もあれ、君のことなど語り出でなむ

     ひや/\と、夜は藥の香のにほふ、醫者が住みたるあとの家かな

     君來るといふに夙く起き、白シャツの、袖のよごれを氣にする日かな

 

 まだなか/\あるが、この位ゐにしておかう。いづれもみな、こゝちよい輕快な印象や感傷を與ふる歌ではないか。土岐哀果君の歌が石川君のに似てゐるとよく言はれたのも、この一面の咏みぶりに於て相通じた所があつたのだと思ふ。このごろは一般によくこの調子を眞似るやうである。一寸素人ずきのする、やり易い型だからであらうが、やりそこなふと實に薄つぺらなものになる。

 

 以上で不充分ながらも私の見た石川君の歌の特色をばほゞ紹介し得たつもりだ。いろ/\もつと述べることが多いやうに考へてゐたが、ちよつと筆に上らぬ。また、くだらぬ説明を附けるよ(310)りたゞ茲に引いたゞけの彼の作を見ることによつて彼の一般を推して貰ふ方が却つて正しいかとも思ふ。私として、彼並びにその歌に對して多少の異見がないではない。然し、それを述べるべく私の心の準備がまだ整つてゐない。故に以上に留めておく。

 

 これは餘事であるが、添へたくなつたからこのあとに書添へておく。それは彼の臨終のありさまである。

 昨年の四月十三日の午前七時ごろ、私は車夫に起された。石川君の細君から同君の危篤に迫つたことを知らしてよこしたものであつた。すぐ馳けつけてみると、座に一人の若い男の人がゐた。あとで、その人が故人の竹馬の友金田一京助氏であることを知つた。病人は、案外に安靜であつた。何しろ二年ごし病んでゐたので、實に見るかげもなく痩せ衰へてゐた。蒼暗い顔には誠に頬骨と深くおちこんだ兩眼のみが殘つてゐた。安靜であつたとは云へ、その前々日かに訪ねた時に比しては、いかにもその朝は弱つてゐた。聞けば午前の三時半ごろからとか殆んど昏睡状態に陷つてゐたので夜の明けるのを待焦れて我等二人を呼んだものであつた相だ。私の行つたこともよく了解して、挨拶するやうなまなざしを永く私に向けてゐた。その時、その場に居なかつた細君が入つて來て、石川君の枕もとに口を寄せて大きな聲で、「若山さんがいらつしやいましたよ」(311)と幾度も/\呼んだとき、彼は私の顔を見詰めて、かすかに笑つた。あとで恩へば、それが彼の最後の笑であつたのだ。「解つてゐるよ」といふやうなことを言ひ度かつたのだが、聲が出せなかつたのだ。さうして三四十分もたつと、急に彼に元氣が出て來て、初めて物を言ひ得るやうになつた。勿論、きれ/”\の聞取りにくいものではあつたが、意識も極めて明瞭で、何か四つ五つの事について談話を交はした。私から土岐君に頼んで、土岐君が東雲堂から持つて行つた原稿料の禮を何より先きに彼は云つた。あとでは、そのころ私が發行しやうとしてゐた雜誌の事などまで話し出した。その樣子を見て、細君も金田一氏もたいへんに安心して、金田一氏はこのぶんなら大丈夫だらうと、丁度時間も來たから私はこれから出勤するといつて歸つて行つた。それから何分もたゝなかつたらう、彼の容體はまた一變した。話しかけてゐた唇をそのまゝに、次第に瞳があやしくなつて來た。私は惶《あわ》てゝ細君を呼んだ。細君と、その時まで次の部屋から出て來なかつた同君の老父とが出て來た。とかくして私が危篤の電報を打ちに郵便局まで走つて、歸つて來てもその昏睡状態は續いてゐた。細君たちは口うつしに藥を注ぐやら、唇を濡らすやら、名を呼ぶやらしたが、甲斐あるやうにも思はれなかつた。私は,ふとその場に彼の長女の――六歳だつたと思ふ――ゐないのに氣がついて、それを探しに急いで戸外へ出た。そして引返した時には、老父と細君とが、一緒に石川君を抱きあげて低いながら聲を立てゝ泣いてゐた。私はその時あわた(312)だしく其處に立入つたのを烈しい苦痛に感じて立ちすくんだ。老父は私を見ると、かたちを改めて、「もうとても駄目です、臨終のやうです」と言つた。そして、そばにあつた置時計を手にとつて、「九時半か」と呟くやうに言つた。時計は正に九時三十分であつた。

 それから私は直ぐにかゝりつけの醫者に走つた。もう然し連れて來る必要もありますまいからといふので、その話をして診斷書を貰つて來た。醫者もさう言つて來るのを心待ちにしてゐたやうな風であつた。醫者から歸ると、老父と細君とは二人きりで手早く既う部屋の樣子を改めてゐた。何といふ惶《あわただ》しい、斯ういふ場合に似つかはしくない怱忙なありさまだらうと、今までとやや所を換へてその時その部屋にたゞ一人横たへてあつた遺骸のそばに坐りながら、かぶせてあつた白布を少し引いて、冷たくなつた彼の顔を見てゐると、何とも名状しがたい思ひがして、とても私はじつとしてゐられなかつた。それから私はまた郵便局へ走つた。死亡を知らせるためである。四ケ所五ケ所へ打電したのであつたが、そのなかに攝津の或るミツシヨンスクールへ入つてゐる彼の妹さんへ宛てたのもあつた。津輕の海を思へば、妹の優しい眼を思ひ浮べるといふ歌があるのはその妹さんのことであらう。それから警察に行き、區役所へ行き、葬儀社へ行き、買物に行き、みな私一人でやつたのであつたが、實にその日は私にとつて苦痛な終日であつた。何をするにも心がどうしても一つに纒らずに、警察では叱られ、荷車には衝突をする、ほんとに氣で(313)も狂ひさうであつた。いやに暖いぎら/\するやうな晴天で、そこ等の街路には櫻の花がふさふさと咲き光つてゐた。歩いてゐても、汗やら涙やらが眼に浸んで、人も電柱などもみな向ふから自分に突き當りさうに見えた。その夜の十時ごろまでは二三の人も來てゐたが、それからはまた午前通りに老父と細君と私との三人になつてしまつた。細君も夙《と》うから同じ病に冒されてゐたのであつたが――大概みな知つてゐるであらうが、石川君は腹膜炎から肺になつて死んだ、――その夜は矢張り異常の出來事のために刺戟せられたせゐか、實に烈しく咳いて、とても見て居られないので、強ひて次の間へ寢させて、兩人だけが遺骸に添うて夜を明した。晝間の惶しい昂奮も次第に靜まつて、まことに淋しい通夜であつた。その前々日に石川君を見舞つた時、よく/\弱りはてた彼は初めて――氣の勝つた人であつたので、それまで餘りその種の愚痴をばこぼさなかつた――自分はまだ助かる命を金の無いために自ら殺すのだ、見給へ、そこにある藥が今まで斷えずにあつたら斯んなに衰弱などしはしない、今でもそれを飲めばすぐ元氣になるのだが、買ふ金がない、小遣ひだつて君、いま僅か〇〇〇――どうも判然と思ひ出せない、二十六錢とも思ひ、一圓二十六錢とも思ふ――だけしかない、それが盡きたら、あとに入つて來る金の見込は無いのだと、嶮しい顔をして言つたのであつた。それから、「一握の砂」以後の歌をまとめて東雲堂へ話して幾らでもいゝから金に代へて呉れないかといふので私はそれを引受けた。そして直ぐそ(314)こを飛び出して、うろおぼえに覺えてゐた名の藥を藥屋で訊いてみるとその時私の持合せの金では買へぬ値段であつた。と言つても一圓あまり二圓足らずのものであつたのだ。私はそれから二人友人を訪ねてその金を作らうとしたが出來なかつた。それから、その少し前雜誌「創作」の事で別に喧嘩をしたわけではなかつたが東雲堂に對して何だか氣まづい思ひを抱いてゐたので、自分が行くよりはとその本の話を持ち込んで貰ふために芝に土岐君を訪うた。それから土岐君がすぐ本屋に行つて呉れて〇〇圓の金が出來たのであつた。石川君は實に悦んださうである。それですぐ買つたものであらう、臨終からお通夜にかけての枕もとにはその藥の生新しい箱が置いてあつた。そしてその戀ひ焦れてゐた藥を殆んど一度か二度飲んだか飲まぬに彼は死んだのであつた。

  かなしきは我が父!

  今日も新聞を讀みあきて、

  庭に小蟻と遊べり

 そのお父さんも實に淋しい人であつた。書きおとしてゐたが、彼の死んだ丁度三十日ばかり前に彼の阿母《おかあ》さんも死なれたのであつた。つづまり自身危篤に陷りながら石川君は母の棺《ひつぎ》を見送つたのであつた。その時には多分この阿父さんもその家に居られたのであつたらうが、それから室蘭の縁家の方へ行つて居られて、今度また數日前に石川君のために上京せられたのである。以前

(315)は僧侶であつたさうであるので、いかにも世馴れた上品な六十近くの老人であつた。兩人して線香の煙を斷たずにつぎ足しながら、たつた一人の子息の亡骸に附添ひつゝ、ともすれば思ひに沈み愚痴を漏らす老人のさまは、實にいたましいものであつた。それでも私を淋しがらせまいとして、斷えず茶を勸め菓子をすゝめつゝ、何か彼か思ひ出しては世間話に氣を紛らせようとして居られた。特に北海道の小樽や室蘭の話など、たいへん詳しく話された。小樽の今は廢物同樣になつてゐるとかの大棧橋に魚を釣りに行かれた話など、いかにも面白相にまたわびしく聞きなされた。夜も更けて既に明けがた近いころであつた。暫く黙つて考へ込んで居られたが、やがて紙に認めて私に示されたのは一首の歌であつた。母うせていまだ中陰もすぎぬにその子またうせにければ、といふやうな前書きがあつて、よく暗記してゐないが、さきたちし母をたつねて子雀の死出の山路を急くなるらむ、といふやうに書いてあつたと思ふ。しら/”\と夜の白むのを待兼ねて私は戸を開けた。戸を開けると庭には眞白に櫻の花が散りしいてゐた。そして、冷たい風がそよそよと吹いてゐた。私は永いこと、縁先に立つて、それらをじつと眺めてゐたが、今までにない靜かな哀愁が胸に湧いて、どうしても泣かずにはゐられなかつた。座敷などを掃除して、改めて私は故人の枕もとに坐つた時、また新たに涙が湧いて來た。老人も細君も、今は遠慮なしに、ものをも言はずに永い/\間額をもあげずに泣いてゐた。

(316) 葬式はその翌日、淺草の土岐君の兄さんのお寺であげられた。(私は都合があつて葬式には出られなかつた。)間もなくお父さんはまた北海道へ行き、細君は(當時、姙娠中であつたことをその時初めて聞いて驚いた。)身體が身體だからと云つて、房州へ轉地療養した。それは何とかいふ外國人を頼つて行つたのだが、思ふやうに厚遇もせられなかつた樣子である。原田實君がその轉地先に彼女を見舞つた時の話によれば、家は同じ病者の合宿所みたいな見すぼらしい一室で、原田君が行くとその娘(臨終の時、私が探しに出た)は戸外から馳け込んで來ていきなり彼の前に端座して傍らの本箱から小学校の教科書か何かを取出して、あらむかぎりの大きな聲を張り上げて讀み始めた相である。その細君も程なく房州を去つて北海道へ行き、そして其處で終《つひ》に永眠した相である。その事をば昨年私は郷里に歸つてゐて聞き知つた。孤兒となるべくあまりに怜悧さうに見えたあの娘や、おなかにゐた子供やはその後どうしてゐるであらう。また彼のさびしい老人はいま何處にゐられるであらう。今でも好きな釣魚を何處ぞの水邊で樂しんでゐられるであらうか。

 多く悲慘でありがちに聞く詩人文學者の最後のうち、石川君の場合もずゐぶん烈しいものであつた。唯だその際に於ける束京朝日新聞社の寧ろ意外な厚遇を故人につくしてくれた事に對しては今でも感謝の念を忘れ難い。と同時に友人甲斐もない私自身の貪乏と疎懶《そらい》とを悔い且つ耻ぢざ(317)るを居ない。三四日前の朝、私は稀な私の靜かな心に誘はれて、故人の最後を見送つた家のめぐりを歩いてゐた。その歌など讀んでゐると、今更に故人が思ひ出されてならなかつたからである。そして、あゝして烈しい不滿足のうちに死んで行つたことがいかにもいたましく殘り惜しく、またそれが私どもに對する一の暗示か皮肉のやうにも思はれて、自ら暗然たらざるを得なかつた。

             (十二月六日)――大正二年


(318) 我が見たる最近歌壇

 

 心を惹くものもないので久しく他の雜誌の歌を讀まなかつたが社友某々君等の依頼もあり、自分にもまた妙に讀んで見たくなたつので、手許にある十册ほどの前月(註、大正三年八月)發行のものをずんずんと讀んでみた。これはその折のおぼえ書である。同感の人もあるかと思ひ、次に御紹介する。

 

 〇現代詩文

 由来この雜誌に據つてゐる人たちの歌は抽象的概念的のものが多く、總體にガサ/\してゐる樣である。今號のでは中村秋津、篠田天水の兩君のをよいと思ふ。中村君のは思つてゐる事がまだ充分に形をなしてゐず、篠田君のは心の表面が既にわるく凝固してはゐないだらうかと思はせられる。全體には前者よく、一首々々には後者がよい。

 0垂乳根の母(篠田天水)

     西窓に夕陽は射し來れ病む母の寢がほさびしくほの赤み居り

(319)     氷嚢をかへばやと探る胸の上にあはれ二つの乳房も垂りぬ

 明暗の生命(中村秋津)

     照れば倦みかげればひたにやすからず心危し夏の熱き日

     耐へかねし脱走人のごとくにも旅に出でゆく心小さけれ

 

 〇青鞜

  まよひ(三ケ島葭)

  眞實の光(岩淵百合)

  暗中より(齋賀琴)

  凡そ女流作家は或る程度に達するや否や忽ち或る一定の型に納まつてしまふこと寧ろ不思議な位ゐである。この三氏も急いでいま其處に到着して居られる樣である。言葉でのみものを言つて居る風な戀の歌ほど飽氣《あつけ》ないものはない。岩淵氏のがやゝなま/\しいが、この人はまだ其處に到着し居ぬ程度に於て幼稚である。

     その後は君とわかれしさびしさをおぼゆるほどに心なごまず (よし)

     さまよはんさまよへるまは暗き身の明日も忘れん今日も忘れん

(320)     ただひとり尊きいのちいだきしめいたはりあれば輝く太陽 (ゆり)

     尊きはわが眞實にはぐくまれし只ひとすぢのさびしき生命

     こしかたのたのしかりしもうかりしもああ何事も君にかかはる (こと)

     こまやかに君とありける朝夕の忘れがたきぞ未練といふや

 

〇生活と藝術

  軟風に向ひて(大熊信行)

  同君のは「創造」にも出てゐるが、それは徒らに元氣のよいもののみであつた。こちらのにはややおちついた所が見え、讀むにもおちついて讀まれた。

     あまたたび會ひゐたるごとく思ふかな

      その妹を

      いまだ知らずも。

     手にとれば

      夏着のしまのふくらめる

      ちぶさも見えし寫眞なりしかな。

 

(321) 〇詩歌

  向日葵畠(前田夕暮)

  安ペンキで塗りたてた樣ななかにとき/”\眼に立つのが混つてゐる。

     夏の日の向日葵畠しんとして物おそろしき向日葵畠

     向日葵畠ひたなきめぐりなきめぐる我が白豚の尾が日に光る

     我が部屋の椅子の上にて椰子の實が青く芽をふく夜のたのしさよ

  日暮れ近きに(田中白夜)

     ほの/”\と暗きそらよりふる雨の妙に光れば鷄が鳴く

     裏庭のかぐろき土に日がさせば遠野にあひる鳴きいでにけり

  干魃(村田光烈)

     干魃ぞと路ゆく人の云へるにも悲しくなりて田に走りたり

     何んにも云はず路の邊にしろく乾きたる馬の糞をじつと見てありにけり

  教員卑下の歌(都會詩人)

     心より語らず君も心よりわれも語らず病めるに向ふ

 青菜(小野みゆき)

(322)     いもと背のちぎり悲しも窓のべのさくらましろに搖ぐなりけり

     くりやより見ゆるはつかの空の青人妻なれば戀ふばかりにて

夏木の實(佐々木順)

     母とともに病む弟を見舞ひけり七面鳥を飼へる醫院に

別離(川端千枝)

     かなしさにうなだれゆけば草にゐて草食む蟲の青きを見たり

     瓜のはなさくときけどもさみしさにふたりはものをいふとせざりき

この雜誌は著しく傾向も歩調も一致してゐて、誰と取立てゝいふべき作も無かつた。

〇我等

秘事二三(吉井勇)

 例のお芝居がかりの戀歌である。作例二三。

     別れよの遠くござりた君ゆゑに未練の涙しとど落ちぬれ

     かにかくに懸けてたもるな薄なさけ身さへ細ると歎きしや誰

     あぢきなう別れし後の身となれば立つ浮名さへ悲しきものを

相思(小島鈴枝)

(323)     あまりにも君を戀しと思ふときわれにいささか憎しみをもつ

     火もていまとりかこまるる身とわれをたとへつつなほ夢を見るかな

市にまじりて(三ケ島葭子)

     しばらくは嵐の中のゆゆしかる鳥とおもひぬけふのおのれを

     わが知らぬ思ひに耽る君を見てただある我となりにけるかな

とにかくと言ふものゝ、今の女流中では矢張りこの人などを一番たのもしく思ふ。

涕泣(原田琴子)

  いつ見ても殆んど比喩《ひゆ》か概念で出來てゐて、薄く固まり、何の生氣もない、よく倦まないものだ。

     わが前におかれしもののわがものにあらざるはよしそこなはぬため

     戀ざめのかなしきころとかこちけり知らぬ罪をば負はされしごと

山上より(原阿佐緒)

     心やや吾にかへると思ふときはや悲しみにむしばまれ居り

     本意とげし心ゆるみのおとろへか君がかたへにかくも病めるは

潮の香(知貝彦太)

(324) 久しぶりで見て心がときめいたが、讀んで了つて失望した。以前の君の歌に見た熱も光もないと思ふが、如何であらう。

 放浪(萬造寺齊)

 あまり大ざつぱで何かの演説でもきいてゐる樣なところがある。一篇を通じて表はさう表はれようとする潜勢力を感じないではないが、それにしては何だか中途半端だ。

     いつかまた光に會はむ我が汽車はもの狂ほしく暗より暗へ

     汽車は我が死骸の上をはしるにはあらざるか息苦しああ息苦し

     寂しさに狂はむとする我を乘せはしれば汽車も狂はむとすや

〇アララギ

 臨海小景、山中秋景(北原白秋)

     兩《もろ》の掌《て》に輝りてこぼるる魚のかず掬へども掬へどもまた輝りこぼるる

     落《いり》つ日の照りきはまれば何がなし小鳥岬をいま離れたり

     木々の上を光り消えゆく鳥のかず遠空の中にあつまるあはれ

     山峽《やまかひ》に橋をかけむと輝くは行基菩薩か金色光に

     帆をかけて心ぼそげにゆく舟の一路かなしも麗かなれば

(325) 此處まで讀んで來て漸く歌といふものに出合つた樣な胸のときめきを感じた。何といふ麗かな、何といふ鋭い、何といふ哀しい歌であらう。私は斯ういふのを、時に發する人間の光だと思ふ。底の底に沈んで居る何ものにもかへがたい人間のみの感ずる尊い悲哀だと思ふ。是がいま實にあらはにいきいきと一首々々の上にうたはれて居る。發せむとして即ち發する、何のくもりもおびぬこのこころこそまさしく歌のすがたであると思ふ。眼にも見えず、手にもとりがたい深い/\歌の姿を、私はいま是等数首の上に見る。

 鍼の如く(長塚節)

 北原君のを讀んで、こららに移ると一寸心の調節が合せにくいのを感じた。彼は全的に燃えてゐるし、之は部分的に燃えてゐる。おなじ人間の感傷でも前者は或る特殊の人か、或は或る場合に稀にのみ感ずるものであり、後者は多くの人が、行住座臥殆んど差別なく感じてゐて而かもこれだけによう歌はぬ事柄であるのだ。而して斯の身近の四篇の景象をじつと靜かに眺めてゐる後者の姿にもまた言ひ難いなつかしさを覺えずにはゐられない。要するにその時のその人の心に透徹した眞實性のこもれるが故であらうと思ふ。

     ちまたには蚤とり粉など賣りありく淺夜をはやく蚊帳吊らせけり

     月見草萎まぬ程と蛙鳴く聲をたづねて松の木の間を

(326)     ころぶしてみれば梢は遙かなり松かさか動くその雀等は

     硝子戸を透して※〔虫+厨〕《かや》に月さしぬあはれといひて起きて見にけり

     かかるときゆふがほ畑に立ちなばとおもひても見つ今は外に出でず

 凪の星(中村憲吉)

 佳い歌だとは見るが、その場合の心持がそれほど生き/\と我等の胸に通はぬのを憾む。

     海原にあらし雨やみ明け近くいま凪の星現れにけり

     電燈の葢《かさ》に虫ゐる小夜ふけてしづかに外に雨ふりいでにけり

     ほかにまたあるひは男近づきて日まはりの花めぐりたらむか

 曇日の若楓(土屋文明)

     一面に曇れる空のいづくよりさして匂へる夕日なるらむ

     かへるでの一葉の上のうす日さへ過ぐるはかなし寄り來《こ》吾妹子《わぎもこ》

 折々の歌(平瀬泣崖)

     わが庭の夜空の木立ほのめけり地にははろかに月出でんとす

     くひなが鳴くとあが言へばさりげなくきそもなきぬといらへたりしか

 諦念、折にふれて(齋藤茂吉)

(327) とにかく、全體から受ける力が薄かつた。そして不圖前に見た北原君のと長塚氏のとの作風のどつちつかずの所に同氏の詠みぶりはあるのではないかと思はれた。そのつもりになつて(齋藤氏の作を讀むのだといふ氣で)讀めばどの一首にもみなうなづかれる。然し、いきなり讀みかかつた時には何だか自分に關係のない特殊のものを見る樣で、殆んど何の感興を惹かぬ歌が多い。感動を以て讀んだ侏儒《しゆじゆ》ひとりやおたまじやくしのうたでも、よく考へてみればどうもその時だけ自分の心を他のものに變へて、或は一部分に制限して、それから感動した形があつた樣である。感覺の鋭敏などといふことを考へ合せてみぬでもなかつたが、その感覺もわるく固くなつた、また偏つたものである樣に思はれて、いや應なしにこちらに傳はるといふ大きな強い所がなかつた。「赤光」をも、うまいなアとは思つて讀んだが、それはそれを讀む時ぎりの感じで、久しく心に殘つてゐるそれではなかつた。どうしてさうなのか自分ながらよく理解が出來かねて、不思議に思つて居る。

     たいぼくの橡のあたまは風のなか※〔漱のさんずいが女〕葉《わかば》たふとく諸向《もろむ》きにけり

     流れ風この朝ながれ橡の樹の※〔漱のさんずいが女〕葉ひつたりと向かせけるかも

     晝さがりひでり幽《かす》かに來はてつる此處に軍鷄《しやも》群れかがやきにけり

 火(島木赤彦)

(328) 此處でもまた中村氏に言ひ齋藤氏に言つた不滿を感ぜずにはゐられなかつた。失禮な言葉であるが下手な彫刻師の手になつたものを見る樣に、歌に少しも動きを感じない。擽《くすぐ》つたい樣にも思ひまた自分の感じが餘りに凡俗平板で斯ういふ境地を覗ひ得ないのかと心細くもある。諸氏等相互の批評などを見てゐると特にそんな氣がする。

     火の上に投げかさねたる草くづれ烟黄いろく渦まき光る

     草深く燃えあがりたる火の炎黒ぐろとして噴きにけるかな

 

 以上で筆を擱くことにする。ずん/\と走り讀みの、甚だ大ざつぱな紹介ではあるが、大方の模樣は察せられることゝ思ふ。思ひ違ひなどの無いとも限らず、いづれまた改めてこの稿を草したいと思つてゐる。

 斯う纏めて讀んで、昨今の歌壇のいかに平板單調、生色の無いものであるかに今更ながら驚いた。その中にあつて「アララギ」の人たちの一心な態度を少なからず尊く思はずには居られなかつた。我等も唯だ月々の雜誌での發表を旨とせず、專念自分の赴く所に深く思をひそめて行きたいものではないか。

 

(329)  『土岐哀果集』の印象

 

 土岐君の歌には、これは不思議ともいへば言へる位ゐだが、底に一向不滿を持たぬ、不平を持たぬ。(使用せられてゐる文字に從へば、かなり豐富に不滿や不平が述べてあるのだが。)

 それかと云つて、すつかり悟り切つた人の持つ冴えも寂びも無い。

 一首々々讀んで行く時には、いろ/\な物や出來事がはつきりと眼に見えて來て、興味を感ずるが、讀んでしまへばそれだけである。電氣館を出た後の心持である。

 巧みな水晶細工に於ける如き巧緻《かうち》と、鮮明とを彼の作は持つ。痒いところに手の屆く快感を覺えがちである。ひやり、ひやりとする樣な手法を用ゐて、常にそれを生かしてゐる。

 子猫の眼のやうな敏捷を以て常に彼は彼の作の題材を捉へて來る、彼の身邊のあらゆるものが悉く彼の短い詩のうちに捉へられて來て、そして小氣味よくその中で動いてゐる。
(330) 次第に複雜に刹那的に、且つ物質的に各自の生活がなり行かうとしてゐる時代に於て、どうしても土岐君の如き傾向を持つた詩人が出なければならぬと思ふ。さういふ意味に於て、自分は心から同君の近來の沈黙を惜しみもし、不思議にも思つてゐる。たゞ、これはお互ひだが、まだ同君も要するに物の形しか見てゐないやうだ。それにもう一つ自分のやうな田舍者の慊く思ふことは、何と言つて威張つても同君の作には惡い意味の江戸つ子式藝術の弊が見えてならぬ。おでんが燒林檎に變らうとも、食ふ態度に變りはない。

 

(331) 『和歌合評』より

 

   草しきて身は休らひつしみ/”\と聞きの親しき松風の音

 休らひつのつは間違つてつかつてゐるのだらう。第一身はも不要、どころでないわざ/\斯う小きざみに斷《ことわ》つたゝめに非常に力を失くしてゐる。つゝの意味なら休らひをればで澤山だ。尚ほ、聞きの親しきもいやだ。此頃流行の一つとなつてゐる樣だが、聞きの親しいの見のよろしいのと、僕にはいかにもわざとらしく聞える。親しく聞ゆるといふ生きた感じは出ずに、多くの場合如何にも乾いた、言葉だけのものとして現れてゐる。一體これらの使用者はそれほど智的に、上品にものを言はねばならぬだけの必然性を以て言つてゐるのか如何か。なぜもつと率直に云へないものか。松風の音も生硬である。要するに言葉を無機物扱ひにした弊が露骨に出てゐる一首である。

 

   けならべて不樂《さぶ》しき身にも向山の櫻若葉はすがしくし見ゆ

 向山は元来むかひやまだらう、それを普通むかうやまとかむかつやまとかよく轉じて使つてゐる。だから僕は初めからそのつもりで讀んでゐた。つまり向つ山とか向う山とか假名を入れるべ(332)きであつたのだらう。これは或は清書の時の誤であつたかも知れない。總評は「※〔けものへん+木〕 猴《もくこう》に冠《かんむり》するもの」で盡きると思ふ。口か頭かだけ前に突き出してものを云つてるのを感ずるのみで、腹はぺしやんこだ。

 

   穗孕める麥の畑に白々と初夏の風ゆき流るかも

 割に此歌は好きな方だが、言葉は矢張り消化されてゐない。然し、聞きの親しきやけならべてさぶしきよりも正直でいゝ。ゆき流るはこの人に似合はぬお上品な言葉だが、これは一寸困つて拜借した形かも知れない。ホハラメルは厄介だが、穗を孕んだ麥と特に斷つてあるのはいゝ。この場合なくてはならぬことゝ恩ふ。菊池君の、初夏の風を概念だとは酷《ひ》どすぎるが、初夏とわざわざ言ふ必要はまつたく無い。斯んな贅語を使ふ代りに、穗孕めるの樣な窮屈な、また行き流るの樣なだれた句を訂正する勞苦を執つて貰ひ度かつた。かと言つて穗を孕むはいけない、それではだれて了ふ。どうしても一首全體から詠み直す必要がある樣だ。

 

   からたちの見れば淋しきその花を久々ぶりに友が家に見つ

 からたちの、見ればさびしきぞの花を、のあたり一寸した味を利かせた風が見えるが、利かせ(333)るために利かせたのではない自然なおちつきが出てゐて無意識の裡に成功してゐる。歌は理屈で作らないと同じく、理屈では解釋出來ぬ微妙な變則な力を持つものである。僕はこの間延びのした兩三句によつてその花の前に佇んだ作者のぼんやりとした、然しながらその中から細く鋭く動いて出て來る感動を感じた。その花とこの花との論には全然不賛成だ。その花でこそ歌が大きく且つ面白くなつてゐる。このにすれば小さくくしやんでしまふ。それこそ一種の概念化だ。見つも原作に賛成する。つとぶきりと切つた所に言ひ難い重みと鋭さがある。全體から見て手法として珍しく成功したものであると思ふ。

 

   里がへりする新妻の髪かたち母がなほすもゆかし春の日

 困りましたネ、非難をすれば妬《や》くと言はれる――が、全たく甘い。それも五體を絞り上げた甘さではなく、所謂舌つたるい種類である。大いに惚れる可く、大いにのろくべしであるが、天然自然に滲み出たのろけではなくして、これ見てくれの大向ふを相手にした惚氣《のろけ》はどうもいけない。ことに、母が直すもゆかし春の日のあたり、丁寧すぎることである。

 

   なきながら落ち氣し雀さにはべの椿にとまり葉をゆるがせり

(334) 氣の無い歌だ。和田君の評と全然同感。作者はこの歌を作りながら一體何を感じたか、恐らく何も感じはせまい。たゞ食後の齒でもつゝきながらペン先でちよい/\と寫生(?)したゞけのことだつたらう。正直なものだ、歌がその通りに出てゐる。

 

   ねむごろにうべなうてくれ疲れつつしじに欲しかる此酒ばかり

 一誦微笑禁じ難き作であるが、少し輕い。輕きを旨として作られたものかも知れないがそれとすればチト重い。ねむごろにうべなうて呉れ、といふも、つかれつつしじにほしかるといふも、共にかなりねち/\してゐて齒ぎれがよくない、東京者に混つた田舍の人が懸命に苦勞してお酒落を言つてゐる形だ。若しこの作者に、いゝ氣持になつて見えを切りながらものを言ふ態度が出て來たとすれば遺憾な事だ。人おの/\行くべき道を持つてゐる。わき目をしてほしくないものである。

 

   遠の空に飛べる小鳥の身をかはす影は細くも太くも見ゆる

 なぜをちの空としたのだらう、とほ空では聞えぬのか。細くも太くも見ゆるといふのもくだらぬことだ。一寸した面白味はあるかも知れないが、要するにそれだけだ。由來この作者にはたゞ(335)眼前だけの面白昧で作られた樣なのが多かつた。一寸變つた景色とか、此奴アものになるといふ風なところを見つけては大喜びで歌にしてゐる風があつた。そして手法が自由になるにつれてそれが増して來る樣に見えぬでもない。危険な話である。眼や指や頭だけで作つてゐては駄目だ、どうしても腹に力がなくてはあつて甲斐なき勞作となり了る。尚ほ、とべる、かはすも少しうるさいと思ふ。とほ空の深きに小鳥身をかはす、とでもすれば引き締まるだけは引きしまるだらう。

 

   明日こゆる山の姿を仰ぎつつ田の畔にわがする尿かも

 イヤな歌だ。小便をするとか何とかいふ特殊な状態を面白づくにひとの前にさらし出したにすぎない一首である。描かれた背景に於ける旅の心持など少しも現れてゐない。矢張り眞實が無いからである、「斯うしたものだ、」位ゐの腹しかないからである。それにしても何といふ間のぬけたものゝ云ひ方だ、山のすがたを仰ぎつつ(チヨン、と一つ入れたいネ)タノ、クロニ、ワガ、スル、イバリ、カモ、…………それ/\氣をつけないと濡れますよ。

 

   ぬば玉の雨夜しづけき螢火の鴨居に居ると知りて久しも

 靜かな歌だ。よく整ひ、相當のまる味を持つた、いはゆる渾然たる作と言ひ度いところだが、(336)其處までは行つてゐぬ樣である。ほたる火も氣になる、唯だ螢であつてほしかつた。知りて久しもにも同じ樣な乾いた感じを誘ふ素因がありはせぬか。雨夜靜けき螢火もよく使はれた樣で實は落ちついてゐない、寧ろ雨夜の鴨居にと云つた方が眞實の落ちつきを持つ事になるであらう。が、作者の苦心をばよく諒《りやう》とする。謂はゞそれが過ぎた形かも知れぬ。また、斯う客觀的に歌ふならばいつそもう少し苦心して言葉や調べの上に今少し渾然たる所を示してほしかつた。

 

   戸をひらけば梅のしげり葉ほのぐらき夜あけの庭にひそまれる見ゆ

 あつさりして氣持のいゝ歌だ。がらの大きな癖に締まるところはよく締つてゐる樣だ。が、戸をひらけばは少々卒直すぎはせぬか。むつかしい所だが、同じことでも戸ひらけばの方がいくらかいゝかも知れぬ。戸をのをの字が何だか大變説明臭く聞えて氣になる。

 

   植ゑし花いづれ淋しき秋草の中にも萩ははや花に出づ

 きれいな歌だ。植ゑし花は不消化である。この場合(註、人に寄する歌なれば)植ゑませしなどあるべきだと思ふ。はや花に出づもさうである。はや咲きにけり、の方が野暮ではあるが穏當であらう。婦人雜誌の口繪を思はせないでもないが、さう惡い氣持のせぬ一首である。

 

(337)   庭草の露の光りに見あぐれば今はさやけき月ありにけり

 これは月蝕の夜、かけてゐた月がいつの間にか照り出した場合を詠んだものだ。だから事情から推して全然芝居歌として見るわけにも行くまいが、どうも芝居臭い。それはこの一首が理智の作、常識の作だからであらうと思ふ。歌に、さうした場合の作者の心の働きといふものが少しも傳はつてゐない。温みが無い。

 

   靜かなる海の上かも我が船の日の大丸の旗ひるがへる

 海上に船が停つてゐるといふ非常事を想像するのが先づ無理だ(註、前評者の後を受けて)。成程海の上かもの上かもが間延びのしてゐるらしいのは眼につくが、さう小きざみにせんさくするを用ゐぬ程度にこの歌には間の拔けた長閑さがある。海のまん中に居る氣持がよく出て居る。日の大丸もこれでいい。

 

   しみ/”\と心の空虚身にぞしむ木蔭に鳩のなきかふきけば

 こころが少しも言葉に乘つてゐない。一種の説明となつて居る。この上の句の樣に大づかみな(338)言葉が口に出やうとする時は、よく/\心してそれを抑ふべきである。

 

   眞晝日を籠居すればとどろかに土用波の音迫りて來るも

 土用波の歌なのだから土用波について云々するのは無意味である。歌は甚だ拙い。眞晝日を籠居すれば、など間の拔けたこと夥しい。土用波の音迫りて來るも、この調子で見るとこの土用波は勝手で使ふ水の音に似てゐる。

 

   赤き灯を水に流しつ油なす闇の港を行く船のあり

 赤き灯を水に流しつ、油なす、闇の港を、行く、船の、あり、何といふかぼそい調子だ。消えて失《な》くなれ。

 

   へだたりて胡桃《くるみ》と※〔木+解〕《かし》と古里の山に大きくそだちゐにけり

 胡桃の木と※〔木+解〕の木の勘定をし始めた人たちよ、一體その木には葉が何枚ありました。大きくがいけない。此のナマな言葉が無かつたら、もつと好きな歌になる所であつたに。

 

(339)   今宵吹く風の冷たさ身にしみて端居のわれの戸を閉ざすかも

 上の句の「今宵吹く風の冷たさ身にしみて」はよく落ちついてゐる癖に何となく氣のない言ひかたである。下の句は例の詩的動作(お芝居とは言はずに置かう)の披露である。「端居のわれの戸をとざすかも……」甚だいゝ氣持らしいがそのため歌もほんの形ばかりの、氣障《きざ》なものになつてしまつた。これまで讀んで來ると上の句の力の無かつた理由がよく解る、即ち風の冷たさなどはどうでもよかつたのだ。戸を閉す作者の姿を想見さすことが一首の目的であつた。

 

   校門のかたへの園に百合の花あはれに小さく咲きいでにけり

 あはれな歌だ。よき意味にもあしき意味にも。前のと違つてあて氣のないものではあるが、要するにそれだけで、力のない小さな歌である。

 

   空蝉《うつせみ》の身を清めむと岩ばしる雪げの水にひたりけるかも

 この一首には一寸註が必要であつたのだ。作者が何とか講中の一人として鳥海山だかに登つた時、その山の頂近くでその登山者の儀式の一つとして水を浴みた、その時の作であるらしい。これは選者たる私には解るが、幾首か連作の中の僅か四五首を斯う拔いて來たのでは他には一寸解(340)りかぬるかも知れない。が、同君前月號の作はみなそれに連つた作ばかりだから大抵は察しのつきさうなものである。それにしては山・野兩君の評は少々やかまし過ぎると思ふ。何もさうたいした事のある作ではない。私には一浴び浴びながら一種の輕い興味から微笑んでゐる作者の心が見えるばかりである。またそれだけでこの一首の使命は果されてゐると思ふ。好きな歌である。

 

   ひた/\に潮さし來り河岸の家の朝のなりはひしづかなるかも

 確かさの無いのは事實。想像はつくが、歌から受取る感じが誠に微温的である。しづかなるかも、と感嘆を急いだのがこの缺點を招いた第一因であらうし、また第三句の河岸の家のもつぎ穗がわるい、落ちついてゐない。朝のなりはひも亦た然りである。いゝ境地を捉へてゐて惜しいことをしたものだ。今少し徹底的にそのみち潮の河岸を寫生したらよかつたらうに。

 

   やうやくに大樹の梢に照りそめし朝の光のあはれなるかも

 これも微温的である。これは矢張り「漸くに大樹の梢に照りそめし朝の光」で突き放してしまふ方がよかつたのだ。其處へ不確かな詠嘆などを持ち込んで來たゝめすつかり光が薄れてしまつた。「朝の光のあはれなるかも」といふ風の煮え切らない、ぬるま湯式の詠嘆は誠に不氣味でい(341)けない。

 

   赤とんぼ秋の入日にむらがれり澄みて連なる低き山なみ

 安つぼい石版畫を見るやうである。言葉に血がない。一首に呼吸がない。一首に徹る呼吸、一首を貫く調子の無いといふことはその一首を作る時作者の心に呼吸がなく、調子が無かつたためである。またそれは觀照が徹してゐなかつたことを示す。見たまゝをフイ/\と言葉にのぼせた事を語る。大きないゝ場面を捉へてゐながらこの一首の何といふ負弱な、矮小な姿を洒してゐることか。今少し腹を据ゑて作らるゝ事を勸める。


(342) 自歌自釋

 

 その一(大正七年)

 

  朝の歌

 

 いつの頃よりか私は一日のうちでいちばん朝を愛するやうな癖がついてしまつた。とりわけて夏はそれがひどい。自然歌にも朝の歌が多くなつた。いまそれらの中から數首を引いて自歌自釋を試みてみる。

       〇

   しみじみと朝空あふぎ立ちつくす夏の眞土の冷きうへに

   いまはただ土の匂もありがたくたたずみてこそありね朝庭

 曉の、つゆさへ散らないやうな靜かな、うるほひのある靜寂のなかに佇んで、四邊と同化したやうな、一途になつた自分のこゝろの清澄を歌つたものである。いかにも單純だが、この場合私(343)はこの單純をうれしく思ふ。

       〇

   柿の葉の青きも我のさびしきもひたすらにして露もこぼれず

 柿の葉の青いのも自分のこゝろの寂寥も、專念一途でつゆさへもこぼれないといふ、前の二首と同じやうな歌だが、これには前の素直さがなく、何處か作りもの臭い氣がしていやだ。寧ろ一枚の柿の葉の青さだけを歌つてその場の靜かなこゝろもちを傳へたならばよかつたらうにと今は思つてゐる。

       〇

   夏の朝ややに更けゆきわがこころはなれ/”\に疲れたるかな

 夏の朝が次第に更けて來て、晝の近づくまゝに今まで一本調子に澄んでゐた自分の心が次第にばら/\になつて疲れて來た、といふのだ。よくある心持で、また捨てがたい境地ではあるが、これも何處やら説明じみてゐてさうした心持そのものは出てゐない。説明はどうしてもいけない、さうした心持を直ぐぺたりと紙の上に押しあてゝ、そこに映つたものが直ちに歌であるやうにならねば駄目だ。その心持を掌の上にひろげて、あれこれといぢり廻すやうな態度で作つてはどうしても生氣を失つてしまふ。出來たものががさ/\してしまふ。

(344)       〇

   わびしさや玉蜀黍畑《もろこしばた》の朝霧に立ちつくし居れば吾子呼ぶ聲す

 あを/\と丈高く延びた玉蜀黍の畑の中に立つてゐると、四邊には動くともなく濃い霧が流れてゐる。目の前の黍の葉には白い露が宿つてゐる。じいつとわれを忘れてその靜かな中に佇んでゐると、不圖《ふと》遠くの方で自分を呼んでゐる幼い子どもの聲が聞えて來た、といふのだ。

       〇

   朝々の眼ざめしばしのものおもひ苦しきにわれは衰ふるらむ

 深い睡眠から覺めると、不思議なほどにも心が冴えてゐる。その冴えた心の上には何處からともなく過去や現在の自分のして來た事、これからせねばならぬ事などが逸早《いちはや》くやつて來て浮ぶのが私の癖だ。さうして、そのいづれもが自分を喜ばせるものや樂しませるものは殆ど皆無といつていゝ。いづれもみな苦い悔恨や、くるしい絶望に近いものばかりである。さうしてその靜かに眼覺めた朝の心は、どうしてもその苦しい事どもから眼をそらすことが出來ないのだ。身體を固くして、それらを見詰めてゐる。そのくるしさに知らず/\自分は衰へてゆくことだらう、といふのだ。石川啄木の歌にも、「眼さましてすぐ起きいでぬ兒が癖は悲しき癖ぞ母よとがむな」といふのがあつた。

(345)       〇

   疲れつつ起きいで來ればみじか夜の月殘りゐて黍の葉の影

 夏の癖で、朝起きたての心はすが/\しくはありながら何處やらひどく疲れてゐる。うつとりと起きて出てみると、空にはまだ月の光が殘つてゐて、はつきりとはせぬが黍の葉の影が地の上に映つてゐる、といふ一首。その黍の葉の影に作者の朝のさびしい心が宿つてゐてくれゝば幸であるのだ。

       〇

   疲れたる人のみぞ知るしののめのつゆのひぬまのこの樂しさは

   しばらくは世のことぐさを思はずてひとりぞあらむこの朝風に

 昔の述懷風の、極めてあまい歌だが、何事にも觸れまいとする疲れた心には時には斯うしたものがまたなくなつかしく思はるゝものである。

       ○

   いつとなく黒みて見ゆる楢《なら》の葉にけさ吹く風のあはれなるかも

 いつの間にか夏ももう終らうとしてゐる、見なれた庭さきの楢の葉さへ何だか急に黒じんで見え出した、それにまた今朝吹く風の何といふ秋らしい音を立つることぞ、といふのだ。


(346)   その二(大正七年)

 

     秋の歌

 

   筏師《いかだし》の焚きすてていにしうす霜の川原のけぶりむらさきに立つ

 以下すべて武蔵秩父の溪間にて詠める歌。

 朝であつた、川原のまろらかな小石には微かにみな霜が降りてゐた。ふと見るとその川原に焚きさしの火があつて、自然に燃え盡きてゆかうとするころの薄紫の煙がかすかに風のない朝空へ立ち昇つてゐる。

 其處を詠んだものだが、少し詠みぶりが概括的である樣だ。そのためその景色だけはいかにもきれいらしく眼にうつるが、その煙の立ち上つてゐる生きた感じはこの歌に拔けてゐるやうに思ふ。

 

   石越ゆる水のまろみをながめつつこころかなしも秋の溪間に

 清らかな水が澄み切つて流れてゐる。そのながれの中に一つの石があつた。ぞの石は水のなか(347)に浸つてゐて、おもてには露《あらは》れてゐない。その石の上を越ゆる時水はやゝまろみを帶びたうねりを作つて音もなく靜かに流れてゆく。一つのまろみは一つのまろみを追うてつぎ/\と流れてゆく。そのまろみを帶びたあたり、水はいよ/\清く、いよ/\軟《やはら》かに、そしていよ/\冷たげに見えてゐた。

 

   はだら黄の木の間に見えて音もなくながるる此處の淀深からし

 よく見ればなめらかな光を帶びて流れて居る、流るるともなきその淀を薄黄葉《うすもみぢ》した木立隱れに見出でた時何か知らハツとするやうな嚴かな氣になつたのであつた。

 

   水痩せし秋の川原の片すみにしづかにめぐる水車かな

 歌もまた痩せてゐる。ペン描きの小品畫を見るやうな小ぢんまりした歌である。作者自身、オヤオヤと思つたが、作つてしまつては消されもしなかつた。

 

   うらら日のひなたの岩に片よりてながるる淵に魚あそぶ見ゆ

 骨ばつた岩の面には日がほがらかに射してゐた。水にも青みを投げて射して居る。溪は其處に來(348)ると急に狹くなつてひた/\と岩により添ふやうにして流れてゐた。それだけ深くもなつて居る。斯ういふ所には必ず魚の多いものだがと窺くともなく窺き込むと果してその岩の蔭に無數の魚が泳いでゐた。水の底までも射し込んだ日光はその小さな魚の動くのにすら光と影とを宿してゐた。

 

   うららけき冬野の宮の石段の段ごとに咲くりんだうの花

 石段には新しい落葉が一杯に溜つてゐた。その乾反葉《ひそりば》の蔭からうす紫のこの草花が行儀よく並び出て咲いてゐた。その花のやうな可愛らしい一首だと思ふ。

 

   草枯れて岩あらはれし冬の野の高きに居れば鵯鳥の啼く

 其處は草山の頂きで、まろやかな平地となつてゐた。そして草もしげらず、土も露《あらは》れ、岩も廣廣と露れて日に乾いた白い苔などが生えてゐた。黄葉《もみぢ》しはてた深い灌木林をおし分けて其處まで登つて來ると急に四邊の開けたのが眼について、思ひなしか汗ばんだ五體に觸るゝ風も寒い。しいんとした氣になつて佇んでゐると、けたゝましく啼き立つる鵯の聲が烈しく耳に響いて來た。聞くともなく耳を傾けて居ると、次第にその聲が可懷《なつか》しく、あたりの草木も遠くの山々も段々自分より遠ざかつて行くのを感じた。歌も私の好きな一首である。

 

(349)   飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり

 宿屋とは名ばかりの百姓家の奥座敷に蓄音機の音譜賣の若者と合宿《あひやど》をして侘しい釣ランプの下に夕餉を濟ませた。お茶とてもない、大きな藥罐に素湯を入れて持つて来た。その湯を詠んだものである。

 

   晴れよとし祈れど西の山々に立つ雲見れば雨もよしと思ふ

 それだけの歌。並び立つ山から山に夕かたまけて雲がしら/\と降りて來た、その景色を眺めつゝ詠んだものであつた。舌のよく廻らぬやうな歌だが、思ふことを思ふだけ言つてしまふと云つた風の自由さがあるやうで可愛いゝと思ふ。

 

   いかめしき白塗の鐵の橋ゆけば秋溪の水のせせらぐ聞ゆ

 かなりの坂道を降りてゆくと思ひもかけぬ白塗の鐵橋が木深いなかにかゝつてゐた。意外な思ひをしながらその小さな鐵橋を渡りかけると、その下には淺い流れが遠く續いて、冴え/”\した水のひゞきがそこらに滿ちてゐた。


(350)   片山を伐りそぎし杉の高山は秋日の晴にくきやかに見ゆ

 鋭く聳えた山の片側の杉はきれいに伐り拂はれてゐた。伐られた處だけ明るく日光を受け、その周圍はこんもりとした杉の木立である。空と山と伐られた跡と茂つた木立と、それらの區劃が實に明瞭《はつきり》してゐるのを歌はうとしたものだつたが、思ふやうに出てゐない。

 

   長雨のあとの秋日をいそがしみひとの來ぬちふ溪の奥の温泉《いでゆ》

 靜けさを歌つたものである。宿屋の者の言つた言葉の裡《うち》に妙にさうした靜かな心持を感じたので、即興的にそれを歌はうとしたのであつた。

 

   秋の溪間温泉とはいへど斷崖《きりぎし》にしたたる引きてやがてわかす湯

 座談平語のやうな中に、さうした温泉場のこゝろもちがいくらかでも出て居れば幸である。

 

   かぐはしき町の少女《をとめ》の來てをりてかなしきろかも溪の温泉《いでゆ》は

 杉の深い溪間の小さな温泉場へリウマチを患つてゐる祖父さんについて一人の綺麗な少女が來(351)てゐた。寂びた、色の失せた周圍にこの少女のみはくつきりと浮き出てゐるやうに見えた。ぼんやりしながら湯の匂ひのする疲れた身體を宿屋の古びた窓にもたせてゐる時など、不圖《ふと》この少女が眼に觸れると、久しく忘れてゐた浮世のかなしみ、人の生《よ》のかなしみに、其處となく心の痛むのを感じたものであつた。歌はまた即興風の輕い一首、かろいまゝにさうした哀愁が出て居れば滿足である。

 

   夜《よ》べの時雨いまはあがると杉むらの山はら這へる朝の霧雲

 靜かな眺めであつた。歌がそれに適《かな》つてゐてくれゝば難有《ありがた》い。

 

   夜の雨のあとの淵瀬に魚寄ると霧《きら》ふ溪間に釣れる兒等見ゆ

 山も溪もみなまだ濡れてゐた。釣つてゐる兒どもたちの着物もまだ濡れてゐるごとくに見えた。

 

   鶺鴒《いしたたき》來てもこそ居れ秋の日の木洩日うつる淵のはたの岩に

 淵は路傍にあつたが、その深い藍色の表を木がくれに見出すと、私はつゝましい氣持になつて路から這ひ降りて行つた。動くものは何もない、と思つたその木深い木蔭の深淵の尻の方に鶺鴒(352)が一羽、その黄色い長い尾を振つて岩の上を飛んでゐた。

 

   その三(大正九年)

 

     梅の花の歌

   よもすがら東南風《いなさ》吹きしきし朝凪に家出でて見れば梅咲き靡く

   束南風吹き沖もとどろと鳴りし一夜に咲き傾きし白梅の花

   わが庭に咲きしばかりかこの朝け出でて歩けば梅到るところ

 相模三浦半島の端に近く、安房に面した海濱に北下浦といふ漁村がある。私は家族と共に其處に二年ほど住つてゐた。これらの歌はその時に詠んだものである。その漁村の眞正面の沖から吹いて来る風を土地の者はいなさと呼んでゐる。一月の末であつたと思ふ、一夜、家を搖がすばかりにそのいなさが吹いた。家の四圍に植ゑ込まれた防風林の犇《ひしめ》き騷ぐ音に混つて吼《ほ》ゆる樣な沖のうなりが終夜聞えてゐた。机の上に下つてゐる釣洋燈が斷えず搖れて、讀書すら出來ない樣な夜であつた。さうして吹くだけ吹いて、朝がたになるとぴたりと凪いだ。

 起きて見ると麗かな日和である。ほか/\と照る日は寧ろ眩しい程で木の葉の吹き散らされた(353)砂地の庭には濃い陽炎までも立ち昇つてゐる。そして、何の氣もなく眺めて私は驚いた、昨日までは眼にもつかなかつた軒先の老梅の木が眼も覺むるばかりに鮮かに咲いてゐるのだ。驚きながら裏庭の梅、田圃《たんぼ》のはづれにある梅の木と記憶を辿つて見て歩けば何れもみなくつきりとこの麗かな日光の裡に咲き靜まつてゐる。いなさは東南の沖から吹いて來て、潮氣を含んだ生温かい風ではあるが、それにしても斯う一夜のうちに咲き揃はうとは他國者の私にとつて全く意外であつた。朝食の後、まだ昨夜の名殘の荒浪が白泡立つて寄せ靡いてゐる海岸に出て見ると、其處の藪蔭、此處の庭先と、到る所にみなこの幹の黒い木が朝晴の日を受けて咲いてゐた。

 

   青鰯浦ちかく來てとびちがふ朝凪の日の梅の花さびし

 これも同じくその漁村で詠んだ一首。鰯の群が浦近く入り込んで凪いだ入江の其處でも此處でも恣《ほしいま》まに飛び交してゐる。それは誠に雨の降る樣にも飛んで居る。その入江の岸に白々と咲いてゐる梅の花の寂しいことよ、といふ意である。

 

   朝な朝な立ち出でて見る白梅の老木の花のさかり永きかも

 朝ごとに來て見ればいつ褪《あ》するものとも無いやうに唯だもう白々と照り輝いてゐる、といふ梅(354)の花の美しさを歌つたものだ。

 

   並《な》み立てる椎の梢に風見えて白梅の花いよよ白きかも

 微風の日、こんもりと茂つた椎の木の梢ををりをり風の過ぎて行くのが見ゆる、その椎の木の蔭の梅の花の何といふ白さぞよ、といふ一首。

 

   梅の花|褪《あ》する傷みて白雪の降れよと待つに雨降りにけり

 盛りの永い梅の花もやがては褪せてゆかねばならぬ、どうかさうならぬうち、この眞盛の白々としたうへに一度彼の白雪の降り積んだ風情《ふぜい》が見たいものだと念つてゐるうちに雪は降らいで何事ぞ雨がしと/\降つて來たといふのである。私の歌としては割合に調子の張つた、自分で好きな一首である。

 

   友の僧いまだ若けれしみじみと梅の老木をいたはるあはれ

 三浦半島に來福寺といふ寺があつて住持の和田祐憲君とは親しくしてゐた。その寺に甚だ梅が多い。梅見にと招かれて或日其處へ行つた。私を案内してあちこちと梅林の中を歩きながら、わ(355)きても老木と見ゆる側に立ち寄つては彼は何彼とその木をいたはつてゐた。それをなつかしく眺めながら詠んだものであつた。

 

   雪もよひ黒雲くづれ夕燒けつ庭の白梅|褪《あ》せ褪せて咲く

 急に雪を催して來た空にはもの/\しい黒雲の片端が崩れ立つて、折柄の落日にさながら血にも似た色を漂はせながら夕燒けてゐる。不圖《ふと》見るとわが家の庭に一本しよんぼりと立つた白梅の花が早や既に時過ぎてうら寂しくもいろ褪せて咲いてゐた、といふのである。何處にか言葉の足らぬ憾《うらみ》がある樣だ。

 

   年ごとに覺え來馴れしさびしさの梅咲くころとなりにけるかな

 季節の移り變る時ごとに故のないさびしさを覺ゆる癖が私にあるが、別しても春の立つ頃、一月から二月にかけてそれがひどい。思ひがけなく咲いてゐる梅などを見出でた時、オ、もうこの花の咲く時が來たのか、と見入る寂しさは年毎に深くなつてゆく樣である。

 

   梅の花紙屑めきて枝に見ゆわれのこころの此頃に似て

(356)   褪せ褪せてなほ散りやらぬ白梅の花も此頃うとまれなくに

 梅は要するに咲き出でた初めの頃、まだ眞盛ともゆかぬうちがいゝ樣だ。一輪二輪、ほろ/\と梢に見ゆるあたりを第一としたい。この花は櫻などと違つてなか/\盛りが永い。色も褪せて、半ばは既う黒みがかつてゐる癖になほ枝を辭することをしない。その姿はいかにも慘めなものだ。紙屑などの枝さきに引懸つてゐるにも似てゐる。それを憫れみ嘲りながら、さういへば何だか自分の此頃もこの花の樣にじめ/\ときたなつぽくなつてゐる樣だとそゞろにわれとわが心を見かへる歌が前の一首である。あとのはそれに續いて出來た一首。きたないとか見苦しいとか云ふものゝ自分の心も何だかこの花の樣に色ざめて、そして汚い執着を何處やらに持つてゐると思ふと一概にこの散り癖のわるい花をも見捨て兼ぬる心地がする、といふのである。倦み疲れた心に自分の生活を見守つてゐる寂しい心を歌はうとしたものであつた。

 

   軒ごとに梅の花咲き乾《から》びたる枯田の里にけふは雪降る

 日照が續いて田も山も冬枯れ果て、百姓家の軒端軒端には梅の花がほの白く咲いてゐる。それにまア珍しい、けふはちら/\と雪が降り出した、といふ一首。早春の山家を歌つたものである。

 

(357)   枯草の小野のなぞへの春の日にかぎろひて咲く白梅の花

 ゆるやかな傾斜を持つた一つの岡、其處にはなだらかに枯草が靡き伏して居る。春の日はたゞ麗かに其處に照り滿ち、酒の精の樣な陽炎がほくら/\と立ち昇つてゐる。その陽炎にほのかに煙らひながら一本の白梅の花が咲き盛つて居るといふのである。これも調子の張つた、好きな一首である。

 

     春の歌

 

   春あさき御そらけぶりて午前《ひるまへ》の植物園にひと多からず

   朝日さすかの温室のガラス戸のすこしあきたり春淺みかも

   木がくれのあを葉がちなる白椿繪かきがひとり描いてゐるなり

 小石川の植物園に遊んで詠んだ歌。

 霜どけのした、まだその黒く濡れてゐる土の蔭には草の芽さへもあらはでない頃の植物園、然し、その廣やかな高臺のうへの空にはほんのり、春の光がきざしてゐる。見よ、其處に浮んだ曇り影を、曇に宿つたほのかな光を。見渡すかぎり草は枯れ、木といふ木はただひつそりと枯木のすがたに立つて居る。歩いてゐる者とても自分のほかには殆んど無い。見れば明るい朝日を浴び(358)た温室のガラス戸が僅かばかり開いてある。あだかもこの新しいうすら寒い春の光線をよろこび迎ふるさまにも空に向つてつゝましく開いてある。此方にはまた青々として茂つてゐる椿の木の蔭に思ひもかけず一人の畫工がゐて黙々と何かを描いてゐる。近づいて見ればその木の花、まだ幾つも咲いてはゐない雪白な椿の花をかいてゐるのであつた。

 

   麓より風吹き起り椿山椿つらつらかがやき照るも

 これは三浦半島の或る椿の多い丘に登つて詠んだものであつた。花の多いのに驚きながら登つて行くと麓から――其處には海が白い浪をあげて居る――汐くさい風が吹き立つて四邊の樹木を吹き靡ける。そのたびごとにあの厚くて固い葉のかげの眞赤な花が日光を受けて濡れた樣にも搖れ輝くといふのである。

 

   椿山松もまじらひ朝風のこゑのさびしも松葉散り來る

   風立ちて木の間あかるき散松葉落椿さへをちこちに見ゆ

 その山には松の木も混つてゐた。その木に宿る朝の風は自ら我等が耳を澄まさしめた。風につれてはら/\とその枯葉さへ散つて來るのであつた。そして、葉も枝も搖れなびいて明るく見ゆ(359)るその風の日の山の地上にはいつぱいに夥しい松葉が散り敷いてその上には其處此處と椿の花も落ち乱れてゐたのであつた。

 植物園の歌も、この椿の歌も、詠まれた場所はいいが歌そのものは力の乏しいあまいものであるのを悲しむ。つまりその場の情景にあまりにあまえすぎた形があるのだ。

 

   わが庭の竹の林の淺けれど降る雨見れば春は來にけり

 庭に小さな竹の林がある。林といふほどでもなくたゞ竹が疎らに立つてゐるのだ。其處に雨がしとしとと降つてゐる。それをぼんやりと眺めながら、おゝオ、ほんとにもう春だなア、といふ心持を詠んだものである。

 竹の林の淺けれど、の淺けれどをいかにもわざわざ春にかけた樣で厭味にとればとれなくもないが、かけたでなくかけぬでなく、自づからにして斯うなつたその場の心の調子を私は憎からず恩つて居る。

 

   しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや

 これも春のはじめの雨の歌だが、前のとは別な場合に詠んだものだ。が、心持はよく似てゐる。(360)二月の十四日に詠んだものであつた事をおもひ出す。

 

   沈丁花いまだは咲かね葉がくれのくれなゐ蕾匂ひこぼるる

 これも早春の歌。まだ花らしく咲きはしないが、葉かげに見ゆるそのうす紅いろの蕾から早やく春らしい匂ひが濃く深く流れ出てゐると云ふのだ。それだけ讀者の胸にピンのさきで刺した樣な「春」の或る印象が宿つて呉れれば難有い。

 

   かすみあふ四方のひかりの春の日のはるけき崎に浪の寄る見ゆ

 たゞうららかに霞み渡つた春の日、見ゆるかぎりの涯から涯をばしつとりと深い霞がとざしてゐる。瞼さへはつきりとは開けられぬ樣な重い靜かな春の日のをちかたに一すぢ長い岬が浮んでゐて、その尖端にかすかに白い浪が上つてゐるといふのである。

 

   ひとかたまり菜の花咲けり春の日のひかり隈なき砂畑のすみに

   黒々と棕梠の影させり菜の花のかたまりて咲く傍の砂に

 これは繪で云へばスケツチブツクの中にかきとめられた樣な繪である。眼前の景象をただその(361)まゝに詠んだものだ。陽炎などの立つてゐる砂地の畑の隅にたゞ一かたまり黄い菜の花が咲いてゐる、といふのと、その菜の花の側に黒々と棕梠の木の影が落ちてゐる、とどうも不滿足だが、これさへ直せば佳い歌になると思ふ。

 

   とびとびに岩かあるらし春の日のとろめる入江浪うごく見ゆ

 藍甕《あゐがめ》のおもての樣に靜かにとろんだ春の入江にところ/”\動くともなく浪が動いてゐるといふ一首。

 

   よりあひて眞直ぐに立てる青竹の藪のふかみに鶯の啼く

 小藪ではない大きな竹の並び立つた青竹山の奥の方に折々鶯が啼いてゐる、といふのだ。その鶯の聲がこの一首のうへで小さな清らかな玉を投ぐる樣にも響いて呉れゝば望は足るのである。

 

   花ぐもり晝は闌《た》けたれ道芝につゆの殘りて飯坂《いひさか》とほし

   たわたわに落つる春田のあまり水道邊につづき飯坂とほし

   行き行けば菜の花ばたけ蝶々の數もまさりて飯坂とほし

(362)   友ふたりたけぞ高けれだんまりの杖をうちふり飯坂とほし

   菜ばたけのすゑの低山やますそにそれとは見ゆれ飯坂とほし

 福島縣の瀬上町に或る友を訪ねて一泊し、その翌日友人二人に誘はれて飯坂温泉まで田畑の間を歩いて行つた。いま一兩日すれば挑も咲かうとし、櫻もほの紅くほころびかけ、道ばたの枯田にはもう水が廻してあつた。その間を宿醉の足どり覺束なく歩みながら、折々聲に出して歌ひ上げた數多の歌の中で記憶に殘つてゐたのが此等の數首であつた。

 

     櫻の歌

 

   なにとなき寂しさ覺え山ざくら花ちるかげに日を仰ぎ見る

   行きつくせば浪青やかにうねりゐぬ山ざくらなど咲きそめし町

 二首とも私の十八九歳の頃の作である。正直に幼いが、子供のかいた繪を見る樣な面白味が無くもない。

 前の一首。はら/\、はら/\と散つて來る山櫻の花蔭に立つて、何とも知れぬ寂しさに襲はれながら仰ぐともなく空を仰ぐ、恰も其處に太陽が輝いてゐたといふのである。

 後の一首。これは私の郷里に近い美々津港での作で、山蔭の小さな港町の春を詠んだものであ(363)る。

 

   母戀しかかるゆふべのふるさとの櫻咲くらむ山のすがたよ

   父母よ神にも似たるこしかたにおもひでありや山ざくら花

   春は來ぬ老いにし父の御《み》ひとみに白う映らむ山ざくら花

 これもまた同じ年頃の作、私は自分の村から十里餘を離れた延岡といふ城下町の中學に出てゐたので、どうした機會でか或る春の夕暮、急に母が戀しくなつた、一心になつて母の事を想うて居るとそぞろにその母の住む郷里の山の景色が眼に浮んで來たのであつたらう。それが先づ一首となり、それから自づと第二第三首の歌と延びて行つたものとおもふ。すべて、微笑をそゝる種である。

 

   けふも雨降る蛙よろこびしよぼしよぼに濡れて櫻も咲きいでにけり

 雨中の櫻である。言葉から調子から甚だ平易に詠みすてゝあるが、さうした中に春のまだ若い頃の氣分が却つてみづ/\しく出てゐる樣に思はれて好きな一首である。雨がしと/\と降り、蛙ががろ/\と鳴き、そのなかにうす紅ゐのこの木の花が濡れながら鮮かに咲きそめたといふのだ。


(364)   鶸《ひは》繍眼兒《めじろ》燕山雀啼きしきり櫻はいまだ開かざるなり   曇さびしいま七日たたば咲かむとふ櫻木立の蔭を行き行くに

 この二首は或る年の四月中旬、秋田市に在る千秋公園で詠んだものである。千秋公園は舊城を直ちに公園としたもので、小高い丘の樣になつた全體に殆んど櫻のみ植ゑてあつた。しかもみな可なりの老木であつた。私の行つた日は深い曇日で、その櫻の木立には春を樂しむ種々な小鳥がいづれもみな※〔口+喜〕々としてうるさいまでに啼き交してゐた。が、例年ならばもう花の綻ぶ頃であるのにその年の寒氣のせゐでいま一週間もせねば咲き出でぬといふのであつた。さうした場合の重苦しい樣な、樂しいとも寂しいともつかぬ感じがこの二首を詠ましめたのであつた。

 

   顔の汗ぬぐひながらに九段坂さくら眺めて登る獨りぞ

 九段坂を登つてゆくと牛が淵の上から眼上《まうへ》の銅像のあたりにかけ咲き誇つてゐるこの花が見ゆる。急に暖くなつた此頃の季候に顔中に流るゝ汗を押し拭ひながら登つて行くと多勢の花見の人が三々五々と連なつて登りつ下りつして居る。そのなかを――その時私は屹度何か面白くもない用事か何かを持つてその坂を登つてゐたに相違ない――自分だけはたゞ一人、連とてもなく登つ(365)て行く、やれ/\、咲いたわ/\といふ一寸自分をも花をも馬鹿にした調子の何處にかこもつてゐる歌の樣である。これに續いて次の一首が出來てゐる。これには坂を登り切つてやゝ落ちつきながら改めて滿目の花を見渡した氣持が出てゐる樣だ。

   九段坂息づき登りながめたるさくらの花はいまさかりなり

 

   日なかには人目ゆゆしみおぼろ夜のくだちに妻と來しさくら狩

 暫く小石川の金富町に住んでゐた頃ツイ眼の下に江戸川の櫻が咲いてゐるのだが、どうも晝日中夫婦づれして花見と押し出す勇氣がない。きまりがわるいと云へば云ふものゝ、要するに貧しき者の悲哀からである。で、大抵の花見客の歸つてしまつた樣な夜の更にひつそりと二人してあの川端の花を見歩いた事があつた。その時の述懷である。

 この一首に續いて次の二首も出來た。

   いそいそとよろこぶ妻に從ひて夜半のさくらをけふ見つるかも

   おほかたは人の歸りし花見茶屋夜ふかきに來て妻と洒酌めり

 

   花見むといでては來つれながらふる光のなかを行けばさびしき

(366)  うらうらと芝生かぎろひわがひとり坐りてをれば遠き櫻見ゆ

   天つ日のひかりさびしも芝生よりふらふらとわれの立ちあがる時

   遠見にも咲きこそなびけ醉ひどれてわが行くかぎり櫻ならぬなき

 束京附近は市内にも郊外にも一體に櫻が多い。これは郊外の花を見歩いた時、手帳に書きつけたものである。花を見ようと出ては來たが、この強い日光――ながらふる光といふのはたゞ流るる光の意だが流るゝ光といふうちには自然弱からぬ日ざしの心がこもつてゐるであらう――の下をとぼ/\と歩いてゐると何といふ事なく或る寂寥が身に迫る、といふのである。この第一首の背景には矢張り遠近にその豐かな花の咲いてゐるのが想像せられなくては意味が薄い。第二首から第四首まですべて、その心をもて詠まれてある。東京の郊外を知つてゐる人には面白く感ぜらるるであらう。

 

   けふもまた風か立つらしひんがしに雲|茜《あかね》さし櫻咲きみてり

 けふもまたやがて咲き出すことであらう、どうだあの朝燒の雲の赤いことは、と櫻のさかりの頃きまつて吹き出す風を詠んだものである。いゝ境地を詠んではゐるが、どうも言葉のうへに無理があつてよく落ち着かない。

 

(367)   窓の障子細目に繰れば風ほこり渦卷けるなかに櫻花見ゆ

 前のと同じ境地を歌つてゐるのだが、この方が少しおちついてゐるかも知れない。窓の障子を細目にあけて見ると、風ほこりの渦卷いてゐるなかに揉まれ/\て櫻の花が咲いてゐるといふのだ。これも東京のこの季節を知つた人でなくては面白くないかも知れぬ。

 

   いついつと待ちし櫻の咲き出でていまは盛りか風吹けど散らず

 これは同じ風の櫻でも漸う咲き出でてまだみづみづしい頃の花を詠んだものだ。

 

     春深く

 

   春眞晝沈み光れる大わだの邊《へ》に立つ浪は眞白なるかな

 麗らかな春の眞晝、海はいちめんに油を流して光り沈み、天のひかりのなかにも重々しい憂鬱が輝き籠つてゐる。その海と天との間はるかに遠く連つた海岸には宛ら雪の樣に眞白な浪が靜かに靜かに寄せてゐるといふのである。


(368)   うつうつと霞める空に雲のゐてひとところ白く光りたるかな

 これも前のと殆んど同じい心持を歌つたものである。暗いまでに霞みこめた大ぞらの一點に一つの小さな雲が浮び、其處に寂しい光を宿してゐると、いふのだ。

 

   田尻なる雜木が原の山ざくら一もと白く散りゐたりけり

 水を淺く湛へたまゝまだ鋤《す》かれずにある田の端に續いて雜木の原がある。その小さな雜木林の中に一本の山ざくらが立ち混り、いま白々と四邊に散り敷いて――櫟の枝にも笹の葉にも、または淺い田の畔の水のうへにも――ゐたといふのである。

 私はこの一首に對して常に小さいけれど清らかな、温雅な心地を覺えしめらるゝ。

 

   庭くらく光り入りたる眞晝の家に菜の花はとほく匂ひ來るかも

 佳い歌になりさうだが、このまゝでは言葉がまだ消化されてゐないと思ふ。きら/\と光り入つた――さういふ場合、何となく手近の所はうす暗い樣にも思ひ付かるるものだ、で、庭くらくと云つた――なかに遠い所の菜の花の匂がほのかに、さやかに、通つて来る、といふ一首。

 

(369)   棕梠の葉の菜の花の麥のゆれ光り搖れひかり永きひと日なりけり

 うららかな光は棕梠の葉に、菜の花に、麥の穗に、眼前のあらゆるものに宿つて、あるか無きかの風と共に靜かに搖れ輝いてゐる、そのほかには何の事も無い、この永い春の日にといふ一首。

 

   晝深み庭は光りつ吾子《あこ》ひとり眞はだかにして鷄《とり》追ひ遊ぶ

 晝の深くなると共に土も小石も光り輝く樣になつて來た、その庭にわが子がひとり、眞裸體になつて一心に鷄を追ひながら遊んでゐる、といふのである。

 

   燕啼く眞晝大野の日の眞下釣竿かたげ行けば遠きかな

 燕がをり/\頭上を啼いて過ぐる、耳に入るものとてはそればかりの、しんと照り沈んだ眞晝の野を釣竿を擔いで通つて行く、その寂しさを詠んだものである。

 

   乾きたる庭にたまたま出でて立てば黄《きいろ》き蝶のまひて來にけり

 乾き果てた庭に珍しく出て見ると、恰も小さな黄な蝶々がひとつまつて來た、といふのだ。何でも無い歌だけれど、自分で好きな一首である。


(370)   家出て見れば空にはひばり山に蟇《ひき》春が悲しとひた鳴きに鳴く

 春の更けゆく頃ともすれば身のうちに故知れぬ悲哀が湧く、耐へかねて戸外に出て見ると空には雲雀、山には蟇、とり/”\に澄んだ聲をあげて鳴いてゐる、といふ場合の氣持を歌つたものである。

 

   とある雲のかたちに夏をおもひでぬ三月の海のさびしき紫紺

 三月の海がさびしい紫紺色を湛へてゐる、その海のうへに浮んだ一ひらの雲のかたちを眺めてゐるうちに不圖夏らしい心地が身體のうちに動いて來た、といふのだが、これにもまた言葉の足らぬのを感ずる。

 

   這ひあがり岩のかどより海を見るさびしき紫紺さびしき浪のむれ

 これも前のに引き續いて出來たものである。季節の言葉は入つてゐないが同じく春の頃のなやみの現れてゐる一首だと思ふ。大きな、險しい、黒々しい岩に這ひ上つて海を見渡す、其處には唯だ紫紺の色に潜んだ海があり、海の面には唯ださびしい浪が群れてゐるのみである、といふの(371)だ。幼い言葉と調子のなかに一種のなつかしさを持つてゐる樣に思ふ。

 

   わびしき濱かな貝がらのくづ砂の屑いざや拾はむ海も晴るるに

 これも前のに續いて出來た一首。何とも知れぬさびしさ何とも知れぬなやみに追はれて春深い海岸に出て居る一人の若者を想像して頂けばよい。此等の歌は日向國美々津港附近で詠んだものである。ついでに數首これらの續きを此處に引いて見る。

   夕陽に透き浪のそこひに魚の見ゆあるまじきこと思ふべからず

   黙然と岩を見つめておもふことひとに告ぐべき際《きは》ならなくに

   たらたらと砂ぞくづるるわが踏めば砂ぞ壞《くづ》るる藍色の海の低さよ

   ふと浪に向ひてうすく笑ひけりあやふき岩を降りはてし時

   春の海魚のごとくに舟をやるうら若き舟子《かこ》は唄もうたはず

 

   けむりありて山に野火燃ゆくもり日の光れるそらを啼きゆく鴉

 ほの/”\とけむり渡つた煙の根がたにかすかに赤い炎も見ゆる、村の人が野を燒いてゐるのだ。空はどんよりと曇つて、惱ましい枯草の煙の匂を漂はせてゐる。その空を一羽の鴉が高くかあ(372)かあと啼いて行く。

 

   春の日のぬくみ悲しもひたすらに淺瀬に立ちて鮎釣り居れば

 無心になつて鮎を釣つて居る。まだ冷たい春の淺瀬の水は斷えず清らかなびびきを立てゝ自分の脛を洗つて流れてゐる。晴れた天からは酒の樣な日光が降りそゝいで、その釣竿を持つた全身を包んで居る。

 

   葉を喰《は》めば馬も醉ふてふ春日野の馬醉木《あしび》が原の春過ぎにけり

 奈良の春日公園で詠んだものである。彼處には鹿が澤山居る。鹿は好んで木の芽の柔いのを喰ふために他の木を植ゑたのではなか/\育たない。そんな事からその葉に毒を持つ馬醉木の木のみがいちめんに植ゑてある。この木の葉は細かな、黒い樣にも見ゆる常盤木で春早く白色の花を開く、鈴なりの小さな花である。その花も既に散り終つて、唯だ一面に青々と茂り渡つたこの馬醉木が原の暮春のながめよ、といふ一首である。何處となく旅情のうごいてゐるのが感ぜられはしないだらうか。

 

(373)     初夏の歌

 

   頬をすりて雌雄《めを》の啼くなりたそがれの花の散りたる櫻にすずめ

 極く以前に作つたものである。其處此處にうす紅の花びらなどの殘つてゐる葉櫻の枝に雀が相寄つて遊んでゐる、それを眺めて輕い微笑を覺えながら詠んだものだ。銀の器などに彫りつけたい模樣である。

 

   風ひかり桃の花びら椎の樹の落葉とまじり庭に散り來る

 これも同じ頃の作。桃の花のさかりの頃、さかりの過ぎゆく頃、椎の木はさかんにその古い葉を落す。水氣と光とのゆたかな空にそよ/\と風でも立てば、あの小きな枯葉がそれ/”\微かな音を立てながら一齊に散つて來る。さびしい靜かなものである。

 

   河を見にひとり來て立つ木の蔭にほのかに晝を鳴く蛙あり

 心がさびしさを求むる時、靜けさをおもふ時、私はよく河を思ひ出す。また細やかに流れてゐる溪の姿を思ひ出す。これもまたさうした心に誘はれて下總の江戸川べりまで出かけて行つて詠(374)んだものであつた。

 

   下總の國に入日し榛《はり》はらのなかの古橋わが渡るかな

   ただひとり杉菜の節をつぐことのあそびをぞする河のほとりに

   藪雀群るる田なかの停車場にけふも出で來て汽車を見送る

   白き花散りつくしたる下總の梨の名所のあさき夏かな

   榛原のあをくけぶれる下總に水田うつ身はさびしからまし

 これらの歌も右の蛙の歌と同じ時同じ川邊で出來たものであつた。季の無い歌にも何處にか此季節の靜けさと惱ましさ(云ひ得べくば)とが含まれてゐる樣におもふ。この頃になると何か知らものにあまえてゐたい樣な氣持になるのが私の癖で、いゝ年をした今日でもなほ斯うした歌の作りたい氣が失せずにゐる。これらを詠んだのは廿四五歳の頃であつた。

 

   眼のまへを大いなる浪あをあをとうねりてゆきぬ春のゆふぐれ

 少し無理な歌だが、夕暮の濱に獨り佇んでゐる眼の前にあを/\とうねり寄る浪のすがたに驚きながらその瞬間の氣持を詠まうとしたものだ。鎌倉の由比が濱での作。

 

(375)   しとしとに入日やどせる青麥のあをき穗ずゑをゆすりても見る

   野は入日|茨《いばら》のかげにありやなし水もながれて我が歸るなり

 みな甘い歌だ。池袋から中野附近をとぼとぼと散歩しながら詠んだもの。『茨のかげにありやなし』はあるかなきかの水の流れてゐる側をぼんやりと歩いて歸りつゝあるの意である。

 

   初夏の曇の底に櫻咲きをりおとろへはてて君死ににけり

   病みそめて今年もあはれ櫻さきながめつつ君の死にゆきにけり

 石川啄木君の臨終にその家で詠んだものであつた。彼の逝いた家の庭は大きな八重櫻の木があつて照るとも曇るともない惱ましい空にいちめんに花をつけてゐた。

   午前九時やや晴れそむる初夏の曇れる朝に眼を瞑ぢにけり

   君が娘《こ》は庭のかたへの八重櫻散りしを拾ひうつつともなし

 

   お女郎屋のものほし臺にただひとり夏のあしたを見に上《のぼ》るかな

   なにやらむ妹女郎をたしなむる姉の女郎に朝はさびしき

(376)   おいらんのなかばねむりて書く文にあをあをさせる朝の太陽

 或る遊廓の朝酒の後の即興である。あゝした場所の持つ一種特別の靜けさと、初夏の朝の持つそれとは相寄つて、なか/\に人のこころを清淨にするものであることをおもひ出す。

 

   はつ夏の街の隅なる停車場のほのつめたさを慕ひ入るかな

   水無月の青く明けゆく停車場に少女《をとめ》にも似てうごく機關車

 遊廓の朝が持つ一種の靜けさ、それは停車場にもある。私はそれが好きでよく用も無いのに其處に出かけて行く事がある。これらの靜けさに浸つて居ると、身も心もの輪郭をすつかり解きほぐして極めて安らかに眼を瞑つて居らるる樣な氣持で、寧ろ山や野に出て覺ゆる靜けさより親しみ易いのを思ふ事がある。

 

   あさなあさな午前は曇るならひとてけふもかなしく海をおもへり

   明日ゆかむ海おもひ居ればゆきずりの街の少女もかなしみとなる

 夏のはじめ、ともすれば空は曇りがちである。重い光をふくんだ雲が空の四方に湧いて自づと瞼の閉ぢらるゝ樣なおもひの日がつゞく。そんな時、私はそれを逃れようとてか、若しくはもつ(377)ともつとその深みに沈んで行かうとしてか、よく旅をおもふ。さうした場合、街で行きあふ何氣ない少女などを見ても心は痛み易い。次の數首もまた同じ氣持から詠まれたものである。

   あらさびしやわが背のかたに少女をり微笑めるごとし海に逃れむ

   戀ひこがれし海に行くとて買ふシヤボンわが蒼き手に匂ふ朝の街

 

   海べりの五月の雲もわが汽船《ふね》の濡れしへさきもうらさびしけれ

   曇り日やきらりきらりと櫓の光りわがをちかたを漕ぎゆく小舟

   わが渡る五月の海に魚|海月《くらげ》さびしく群れてさざ波もなし

   わが古汽船《ふるきぶね》雲のかげりの浪をわけさびしき海をさすよ岬へ

   夏あさき岬のはなに立つ浪のなつかしいかなわが汽船《ふね》を搖る

   雲晴るれば海は俄かに紺碧の浪たちわたりゆるるわが船

 これらはいづれも右の歌に續いて出來たものであつた。行かう/\と思つてゐた海への旅の途上の作である。幼い心のよろこび曜つてゐるさまがそれぞれの幼い歌に感ぜられてなつかしい。此等の歌の持つ感情は甚だ弱い淡いものであるが、而かも甚しく純である。年齢の關係などで、斯んな歌のやす/\と出來る期間は一生のうち幾らもないものゝ樣にも思はれてならない。謂は(378)ばさうした時代の遺品《かたみ》見たやうなものである。

 

   その四(大正十三年)

 

  自歌自釋を書く樣にといふ編輯部からの手紙であつた。引用の歌をば全て今年の五月に出版した『山櫻の歌』のなかより取り、而して、三囘續くる樣にとの事であるからなるべくその時その季節に合ふ樣なものを引いて來ようと思ふ。自歌自釋とは云つても單にその歌の出來た時の四邊の景象とか自分の氣持とかを書くにとどまることになるとおもふ。(十二月末)

   下草の薄ほうけて光りたる枯木が原の啄木鳥の聲

   枯るる木にわく蟲けらをついばむと啄木鳥は啼く此處の林に

   立枯の木々しらじらと立つところたまたまにして啄木鳥の飛ぶ

   きつつきの聲のさびしさとび立つとはしなく啼ける聲のさびしさ

   くれなゐの胸毛を見せてうちつけに啼くきつつきの聲のさびしさ

   白木なす枯木が原のうへにまふ鷹ひとつをりてきつつきは啼く

   ましぐらにまひくだり來てものを追ふ鷹あらはなり枯木が原に

   離《さか》り來て聞けばさびしききつつきの啼く音はつづく枯木が原に

(379)   耳につくきつつきの聲あはれなり啼けるをとほくさかりきたりて

 これは昨年の十月末、上州の暮坂峠の峠寄りの枯野の中で出合つた風物を詠んだものである。

 暮坂峠は上州の草津温泉から澤渡《さわたり》温泉に越ゆる途中に當り、隨分と長々しい登りの峠である。登りが急だといふではない。なだらかに相迫つた二つの山あひの廣やかな澤をはるばると登つてゆくのである。その廣やかな澤が一面の枯野となつてゐる。もと其處に大きな楢の木が茂つてゐたらしい。都會の人たちには考へも及ばぬ大ききで、三抱へ四抱へ、伐りとつたあとの幹の直徑が大抵三尺餘もある大きな楢の木である。初めはそれを一本々々と斧で伐り鋸で引いて倒してゐたらしいが、非常な努力を要するので後にはたゞその木の根方の樹皮の所を圓く切り剥いで水分の吸収を止め、そして自然に枯るゝのを待つ事にしたらしい。そして其木の枯るゝを待つてあたり一面に落葉松の苗を植ゑ込んである。大林區署とか御料林區署とかの事業であるであらう、かなりのんきな大がかりな植林事業であるのだ。植ゑられて既に數年を經たであらう、その落葉松はまだ漸く二三尺の高さで、附近の芒よりもかぼそく見えてゐる。そして立枯にされた楢の木はなか/\容易に倒壞する事をせず、巨大な幹から鋼鐵の樣な頑固な枝を四方に突き出して野原の四方に立ち並んでゐるのである。然し、要するに枯れてゐる。夙《と》つくにその皮は剥げ落ちて雨風に洒《さら》された白茶けた裸木となつて立つて居る。それが五本や十本でなく、殆んど眼の及ぶ限りに(380)立ちひろがつてゐるので、その中に通りかゝると何とはなしに荒凉たる氣持に襲はれる。私は初め珍しく、やがて何とも云へぬ引緊つた氣持になつてその中を通つて行つた。

 其處へ何やらの鳥の啼く聲が耳に入つて來た。一聲二聲と啼き、またそれに應じて遠くの方で一聲二聲と啼く。單音の、澄んだ、鋭い聲である。聞いた聲だが、何であらうと耳を傾けてゐるとやがて解つた。啄木鳥であつたのだ。聲と同じく、姿も極めて敏捷な、鋭い形をしてゐる。それが折々その枯木の白けて立ち並んだ間を飛び交はして啼いてゐるのだ。枯木といひ、この鋭い鳥の姿といひ聲といひ、如何にも似つかはしいものに思つて眺めてゐると、其處へまた異《ことな》つた他の鳥の啼く聲が落ちて來た。鷹である。見れば佐和の眞上の蒼澄んだ高空に、例の暢《の》び極まつた羽根の伸しざまで、徐ろに輪をかいてまつてゐるのである。さうしながら靜かに枯木の蔭にくつついてゐる啄木鳥を狙つてゐるのである。枯木といひ枯野といひ澄み湛へた秋の日ざしといひ、この二種類の鳥を包むに實にふさはしい光景であると思つた。そして悉く昂奮して詠んだのが此等の數首の歌であるのだ。

 

 この暮坂峠の枯野の中ではまた落栗の歌を作つた。澤の一部に偏《かたよ》つて流れてゐる小谷の側、またはずつと山の尾根に寄つたあたりにはこの木の若木老木がたくさんあつた。

 

(381)   夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の實

   音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の實の色のよろしさ

   柴栗の柴の枯葉のなかばだに如かぬちひさき栗の味よさ

   おのづから干てかち栗となりてをる野の落栗の味のよろしさ

   この枯野|猪《しし》も出でぬか猿もゐぬか栗うつくしう落ちたまりたり

   かりそめにひとつ拾ひつ二つ三つ拾ひやめられぬ栗にしありけり

 殆んど同じ場所で出來たのだけれど、前の啄木鳥の歌より調子がやゝ輕い。思ひがけぬものに出合つて子供心にかへりながら拾ひ樂しんだ心持が出てゐるものと解し度い。

 

   とりどりに色うつくしく並びたれこのさかな屋が籠のうちのもの

   いきのよき烏賊はきしみに咲く花のさくら色の鯛はつゆにかもせむ

   噛みしむる物のあぢはひわが肝にこたへてうましよき日ぞけふは

   日に三たびその一たびに食ふものに量《はかり》をおきて物食ふあはれ

 身體をわるくしてゐる時の、たべものゝことを詠んだものだが、それにしては何處かおちつきの乏しいのが殘念だ。


(382)   ゐつたちつする束の間も靜かなれおだやかなれとねがふこころぞ

   掃く間なき此頃の部屋のちりほこりを立てじとわれのたちゐするなり

   隙間より漏れゐて細き冬の日ざしをやごとなきものに眺めこそをれ

   沸き遲きこの湯を待てば寒き夜の夜爲事のあひに頭《あたま》痛めり

 極めて忙しいあひだに在つて自分の心の靜けさを保たうとしながら詠んだものである。何處か一途の心の、かぼそいせつない匂ひが匂つてゐはせぬかとおもふ。

 

   水汲むと井戸より見れば散りしける庭の落葉に霜の明るさ

   身を強めむねがひを持ちてわが浴ぶる水のひびきぞ身にこたふなる

   寒《かん》の水に身は氷れども浴び浴ぶるびびきにこたへ力湧ききたる

   浴び浴ぶる水身にしみて血の色のあざやけきおのが肌となりたれ

   浴び浴びてわが立ちたれば身體よりしたたる水の湯氣たつるなり

   水はもよ豐かにしあれ浴び浴びてなほゆたゆたに餘らむがほど

   鋭心《とごころ》ぞおのづと出づる寒の水あびはててわがたちあがる時

(383) これは寒中冷水浴の歌であるが、これらの歌から採るとすれば中に含まれた清新味であらう。形を略いた、出來事を別にして尚ほ何處かさうしたものが感ぜられはせぬかとおもふ。

 

 『冬凪』といふ題で、つまりさうした心持を歌はうとして作つた數首がある。

   散れる葉のいろあざやけき冬凪のあかるき庭に立てばたのしき

   やがていま梅の咲かむとおもふ頃をすがれて菊の花咲きてをる

   窓にさす冬の日ざしにこころ浮きて立ち出づる庭にみそさざい啼く

   すがれつつなほ咲ける菊の根がたなる枯葉の蔭にみそさざい啼く

   すがれ咲く菊より飛びてみそさざい梅の枯枝にあらはなりけり

   門さきの麥田の土は乾きたりこの冬凪のつづく日和に

   いちはやく箱根の山のすがれ野を燒ける煙見ゆけふの凪げるに

   冬凪に出でてわが見る富士の嶺の高嶺の深雪《みゆき》かすみたるかも

   草枯れし畦道をゆくわが娘くれなゐの帶をむすびたるかも

 かうした歌はひと頃の私には最も作り易く且つ多少得意になつてゐた種頬のものの樣に自分でもおもふが、今ではもう慊《あきた》らぬ。そのつもりで作るのではないけれど、どうも何處か微温湯的の(384)ところがあつて食ひ足りない。

 

     冬から春へ

 

   幼くて見し故郷の春の野の忘られかねて野火は見るなり

 野火はおほかた一月から二月にかけて見らるゝ。遠くの山に――この歌の場合では沼津から見る箱根山――この火の燃えてゐるのを見出すと、オヽもう春だナ、といつも思ふ。そしてさう思ふ心の下にはちひさい時に見て來た故郷の野火の記憶がかすかに浮んで居るのが常である。

 

   假橋を渡れば寒き風吹くや雪解《ゆきげ》の川の水は漲《みなぎ》り

   橋銭をはらひて渡る假橋の板あやふくて寒き春風

 自分のいま住んでゐる近所の黒瀬橋といふのを詠んだものである。輕い即興の作であるが、その輕い味を或る時私は樂しむ。

  かすかなる羽蟲まひをり窓のさきけぶらふ春の日ざしのなかに

  畑なかの草にうごける風ありてけふ春の日のうららけきかも

  かぎろひの昇りをる見ゆ白菜の摘み殘されし庭の畑に

(385)   庭さきの屋敷畑にかぎろひの昇るをひと日見つつさびしき

   はるかなる聲にし聞ゆ庭に出でて呼びかはし遊ぶ妻子が聲は

 春のはじめの頃の憂鬱または靜寂を歌つたものである。前の假橋の歌に較べて心の調子はよほど重くなつてゐるのを覺ゆる。

 

   窓下の霜の畑にかぎろひの立つ日を聞ゆ隣家《となり》の機《はた》は

   藁屋根の軒端をぐらき北窓に起りゐて澄めりその箴《をさ》の音《ね》は

   わが畑のさきの藁屋根いぶせきにその家の妻は機織りいそぐ

   窓あけて見てをれば畑の眞向ひの家に織る機いよいよ聞ゆ

   畑爲事いまを少なみ百姓の妻が織る機ひねもす聞ゆ

 前の數首に續いて、同じ時に出來たものであるが、前のより明るく且つ調子も幾らか緊つてゐはせぬかと思ふ。

 

   寒の雨しらじら降りて柴山のはづれにかかる瀧のかすけさ

   冬の雨しき降る海ゆ寄る浪の高くあがらず岸に眞しろき

(386)   冬さびて赤みわたれる斷崖《きりぎし》の根に寄る浪はかすかなるかな
 私は毎年正月の元日、沼津から汽船で二時間ほどかゝる伊豆西海岸の土肥温泉といふへやつて來るのがこの五六年の習はしとなつてゐる。これらは昨年の正月、その汽船の中で詠んだものである。歌の線の細いのが現在の自分としては甚だ喰ひ足りないがその時は矢張りさうした心境であつたのだらうと記憶せらるゝ。

 

   柴山のかこめる里にいで湯湧き梅の花咲きて冬を人おほし

   湯の宿の靜かなるかもこの土地にめづらしき今朝の寒さにあひて

   わが泊り三日四日つづきゐつきたるこの部屋に見る冬草の山

   雪もよひ寒けき空にうち群れて千羽鴉《せんばがらす》わたるこの里のうへを

   わが向ふ冬草山のうへに垂りて雪をふくめるあかつきの雲

   柴山の尾根より出づる冬の日はひたとさしたりわが坐る部屋に

 これらはその土肥温泉に着いてから滯在の間に詠んだものだが、途中で作つたものよりよほどよく坐つてゐる樣だ。

 

(387)   道ばたの古寺の門《かど》のたかむらの蔭に見出でし梅のはつ花

   青竹のしみ立つかげにほそほそと枝を重りつつ咲けるこの梅

   ひややけき日蔭に咲ける白梅のしみみに咲きて花のちひささ

   篁《たかむら》の小ぐらきかげに浮き出でて咲く梅の花は雪のちひきさ

 土肥は暖い土地で、正月の十日にもなればもう梅が咲く。これはその花を初めに見出した時にあわてゝ作つたものである。少し浮いてゐる。どうも私は浮れる癖があつていかぬが、然しあまりに浮れぬすぎる現代の歌人の中にあつて一人位ゐの浮れ屋があつていゝかも知れぬ。

 

   借り住まふ邸の庭にかぞふれば木《こ》がくれて咲く五本の梅

   春はやく咲き出でし花の白梅の褪《あ》せゆくころぞわびしかりける

   花のうちにさかり久しき白梅の咲けるすがたのあはれなるかも

   老いたるは夙く散り失せつ枝長き若木の梅はあせながら咲く

   ゆくさくさ仰ぎて過ぐるわが門《かど》のあせぬる梅をうとみかねたり

 これは土肥から沼津へ歸つての作である。前のよりおちついてはゐる樣だが、よしあしは自分にもわからぬ。


(388)   まひのぼり空の光にかぎろひて啼き入れる雲雀聞けばかなしも(その一)

   かそけくも影ぞ見えたる大空のひかりのなかに啼ける雲雀は

   天つ日にひかりかぎろひこまやかに羽根ふるはせて啼く雲雀見ゆ

   東風《こち》吹くや空にむらだつ白雲の今朝のしげきに雲雀啼くなり(その二)

   おほどかに空にうごける白雲の曇れる蔭に雲雀啼くなり

 その一、その二、は作つた場合の異つてゐるのを示す。當時はやゝ得意の作であつたがいま見れば多分の稚趣を帶びてゐる。これを拔いてもつと清澄なものにしたいものだ。然しそれもむづかしい問題であまりに凝つて來ると歌の膏《あぶら》が拔けてしまふ虞《おそれ》がある。拔けすぎて味もそつけもないものになることは私の最も恐れるところである。

 

   海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり

   向つ國伊豆の山邊も見えわかぬ入江の霞わけて漕ぐ舟

 靜浦を散歩しながらの作、初めの一首は好きな一首である。

 程經て同じ海岸に出て作つた一首をも書き添へておかう。

(389)   入海の向つ國山春たけて蒼みわたれる伊豆の國山

 

   時雨空小ぐらきかたにうかびたる富士の深雪《みゆき》のいろ澄めるかな

   霞みあふ空のひかりに籠《こも》らひていろさびはてし富士の白雪

   をちこちに野火の煙のけぶりあひてかすめる空の富士の高山

 この前後の季節に於ける富士を歌つた三首である。初めの一首は一月のころ、あとの二首は二月か三月であつたと思ふ。富士の歌はまことに作りにくい。ともすれば概念におちて富士の實際が出て來ない。然し私はこの山を愛してゐる。そのうちには一つ立派に歌ひ生かして見たいものと考へてゐる。(一月十六日伊豆土肥温泉にて)

 

     山櫻の花

 

 私は山櫻の花を好む。すべての花のうち、最もこれを愛する。

 ついでに言つておくが、都會住居の人などにはこの山ざくらの花を知らずにゐる人があるかも知れぬ。東京などに咲くのは多く吉野とか染井とかいふ種類ださうで本統の山ざくらをば殆んど見受けない。この櫻は花よりも葉の方が先に萌える。その葉の色は極めて潤澤な茜《あかね》を含んで居る。(390)そしてその葉のほぐれやうとするころにほんの一夜か一日で咲き開く花の色は近寄つて見れば先づ殆んど純白だが、少し遠のいて眺めるとその純白の中に何とも言へぬ清らかな淡紅色を含んで居る。花のさかりは極めて短く、ほんの二日か三日かで褪《あ》することなくして散つてしまふ。散り初めたとなればそれこそ一寸の間をもおかないではらはら/\と次ぎから次ぎに散り次いで程なく若葉のしめやかな木となつてしまふのである。その山櫻の木の多いところはこの附近では先づ伊豆の湯ケ島である。天城山の北麓に當る峽谷で、温泉がある。私はこの二三年來、その花の咲くころとなれば毎年缺かさずに其處へ出かけてゆく。次ぎに引く數首の歌は一昨年の春、其處に遊んで作つたものである。

   うす紅《べに》に葉はいちはやく萌え出でて咲かむとすなり山ざくら花

   うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花

   花も葉も光りしめらひわれの上に笑みかたむける山ざくら花

   かきすわる道ばたの芝は枯れたれや坐りてあふぐ山ざくら花

   瀬々走る山魚《やまめ》石斑魚《うぐひ》のうろくづの美しき春の山ざくら花

   つめたきは山ざくらの性《さが》にあるやらむながめつめたき山ざくら花

 これらは山櫻に對する概觀を歌つたものである。

(391) 湯ケ島は前にもいふ通り峽谷である。天城の森林から出て來た狩野川のみなかみと根子越の方から出て來た根子谷との落ち合ふあたりに温泉が二三ケ所に湧いてゐるのであるが、その二つの谷のいづれもが山の峽間《はざま》を深く掘つて流れてゐる。岩から岩の間に斷間のない瀬を作りながら流れ下つてゐる。その岸に沿うて淺い深い林が續く。その林の中にこの山櫻の木が極めて多く立ち混つてゐるのだ。花のない時はさほどにも目だたぬが一朝咲き始めたとなると全く目ざましい位ゐだ。

   岩かげに立ちてわが釣る淵の上に櫻ひまなく散りてをるなり

   山ざくら散りしくところ眞白くぞ小石かたまれる岩のくぼみに

   今朝の晴青あらしめきて溪間より吹きあぐる風に櫻ちるなり

 此等は谷間の櫻を詠んだものである。

 此處の谷は地味のせゐかすべての樹木がよく茂つてゐる。木の間の櫻の清らかさ美しさはまた別である。

   朝づく日うるほひ照れる木《こ》がくれに水漬《みづ》けるごとき山ざくら花

   峰かけてきほひ茂れる杉山のふもとの原の山ざくら花

   椎の木の木むらに風の吹きこもりひともと咲ける山ざくら花

(392)   椎の木のしげみが下のそば路に散りこぼれたる山ざくら花

   とほ山の峰越《をごし》の雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花

   日は雲に影を浮かせつ山なみの曇れる峰の山ざくら花

 附近に、また、萱山も多い。そしてまたどうしたことか、この櫻の木だけ伐り殘されてゐるのに折々出合ふ。あたり一面の枯萱の原の中にこの木の花がひつそりと日光を含んで咲いてゐるのもまた寂しい靜かなものだ。

   ひともとや春の日かげを含みもちて野づらに咲ける山ざくら花

   刈りならす枯萱山の山はらに咲きかがよへる山ざくら花

   萱山にとびとびに咲ける山ざくら若木にしあれやその葉かがやく

 

 山櫻の歌をば以上でとどゝめておいて、ついでにおなじ其時その湯ケ島で出來た歌を引いて見よう。

   瀬々にたつあしたの靄のかたよりてなびかふ藪にうぐひすの啼く

   ひたひたと水うちすりてとぶ鳥の鶺鴒《いしたたき》おほしこの谷川に

   たぎち落つる眞白き水のくるめきのそこひ青めり春のひなたに

(393)   岩窪の砂のたまりに荒溪の飛沫《しぶき》はとび來《く》日のいろに照り

   淵尻の淺みの岩に出でて居る鰍《かじか》のすがた靜かなるかも

   石菖の花咲くことを忘れゐきうすみどりなる石菖の花

   道うへの井手に茂りて片なびく石菖草《せきしやうぐさ》の風のかがやき

   踏みわたる石のかしらの冷かさ身にしむ瀬々に河鹿なくなり

   照り澄める春くれがたの日のいろにひたりて立てるとりどりの木よ

   なびきあふとりどりの木のいろどりや春暮れがたの嵐吹く山

   山そばのかけ橋わたるわれのうへに啼きすましたるうぐひすの聲

   茂り葉にこもりて白き房花の咲きしだれたる茂り葉|馬醉木《あせび》

   雪なせるましろき房のすずなりに咲きて垂りたり馬醉木の花は

   梨の木にまとへる藤の咲き出でて梨かとぞまがふ梨の花のあひに

   湯げむりの立ちおほひたる谷あひの湯宿を照らす春の夜の月

   わが宿のいで湯の湯氣のすゑのびて谷むかひなる杉山に見ゆ

 斯うして歌を書き並べて來ながら不圖いま考へついたことがある。此等のこの伊豆の谷間の春さきに詠んだ歌と、先々號に同じこの自歌自釋欄に引いておいた上州の山奥の秋の末に作つた歌(394)との間にはおなじ自分の作ながらにその間に何か知ら一種の相違がありはせぬかといふことを。

 それ/”\の歌から受取る感じが、一方は粗くて冷たく、これは柔くて温い。そしてまた思ふ、作られた場所が違ひ、季節や心持が違へば、自づとその歌の間にもそれに應じた變化のあるのが自然ではないかと。

 

 最後に、その時、湯ケ島から天城山の頂上に在る舊噴火口のあとだといふ青篠《あをすず》の池まで登つて詠んだ歌を引いてこの『自歌自釋』の章を擱く。

   わが登る天城の山のうしろなる富士の高きは仰ぎ見飽かぬ

   たか山に登りあふぎ見高山の高き知るとふ言《こと》のよろしさ

   山川に湧ける霞の立ちなづみ敷きたなびけば富士は晴れたり

   まがなしき春のかすみに富士が嶺の峰なる雪はいよよ輝く

   富士が嶺の裾野に立てる低山の愛鷹山はかすみこもらふ

   愛鷹の裾曲《すそみ》の濱のはるけきに寄る浪白し天城嶺ゆ見れば

   伊豆の國と駿河の國のあひだなる入江のまなか漕げる舟見ゆ

 第三番目の歌はずつと前に讀んだ支那人の文章の中に高山に登つて望見するにあらざれば他の(395)高山の高いのが解らない、といふ意味の名句のあつたのを思ひ出して詠んだのだが、どうしてもその本文を恩ひ出せない。讀者のうちに若しそれを御存じのかたがあつたらば御教へ下さるまいか。おねがひ申します。(沼津市上香貫にて)

 

     その五(大正十三年)

 

   みち汐の今か極みに來にけらし千鳥とびさりて浪ただに立つ

 滿潮も今が頂上になつたのであらう、濱いつぱいに寄せて豐かに浪が立つてゐる、今まで渚で鳴いてゐた千鳥もいつの間にやら見えなくなつた、といふ意。眼前たゞ白浪ばかりの見ごとな寂しい景色を歌つたものである。

 

   夜とならばまた來てやどれしののめの峰はなれゆく夏の白雲

 ォヽ、オヽ、しきりと雲が峰から離れて、明けそめた朝の空へと昇つてゆく、雲よ雲よ、夜になつたらまたしつとりとこの山におりて來いよ、とすが/\しい夏の朝の雲に向つて呼びかける心持の歌。


(396)   寄る歳のとしごとにねがふわがねがひ心おちゐて靜かなれかし

 これは新年を迎へた時の歌。どうか自分の心よ、さういつまでもそは/\せずに靜かに/\おちついてゐて呉れよとねがふ願ひが一年ごとに深くなつてゆく、といふ述懷の歌。

 

   霞みあふ四方の光の春の日のはるけき崎に浪の寄る見ゆ

 西も東も、見ゆる限りが霞んでゐる、煙るともなく輝くともないこの霞の天地の中に、オヽ、あの遠い岬のはなにたゞひとゝころ白々と浪が立つてゐるわい、といふ一首。

 

   枯れし葉とおもふ紅葉のふくみたるこのくれなゐを何と申さむ

 早く云へばもう枯れて落ちたこの紅葉である。それであるのに、まア、何といふこの紅の色の深い事ぞよ、といふ一首。わざと幼い理屈を云つてみて、それとは反對の純粹な感情を詠んだものである。

 

   ゆく水のとまらぬ心持つといへどをりをり濁る貧しさゆゑに

 流れてやまぬ眞清水の樣なすがすがしい心を持つてゐるつもりではあるが、ともすると斯うも(397)濁つて澱《をど》む事がある、この貪しい暮しをしてゐるばつかりに、と自分の貧窮を嘆いた歌。

 

   いつしかに月の光のさしてをる端居《はしゐ》さびしきわが姿かも

 縁側に膝を組んで、折からの月夜に、何思ふともない物思ひに耽つて居ると、今まで庭先にばかりさしてゐた月影がいつのまにやら自分の側にも及んで來た、さやかな月の光に照らし出された自分の姿の何といふさびしいことであらうぞよ、といふ意。

 

   しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや

 降るわ、降るわ、しみじみと降り入つたこの雨は、何と云つてももう春のはじめの、二月の雨ではないかいな、と永い冬が過ぎて明るい暖かい春の來たよろこびを折柄の雨に寄せて歌つたものである。

 

   それほどにうまきかと人の問ひたらばなにと答へむこの酒の味

 そんなにもこの酒といふものがおいしいのですか、と正面から問ひつめて來られたら、さアて、何と返事をしたものかなア、といふ酒を愛する一首。


(398)   かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

 よさうか、飲まうか、さう考へながらにいつか取り出された徳利が一本になり二本になつてゆくといふ場合の夏の夕暮の靜かな氣持を詠んだものである。

 

   幾山河《いくやまかは》越えさりゆかば寂しさのはてなむ國ぞけふも旅ゆく

 人間の心には、眞實に自分が生きてゐると感じてゐる人間の心には、取り去る事の出来ない寂寥が棲んでゐるものである。行けど/\盡きない道の樣に、自分の生きてゐる限りは續き續いてゐるその寂寥にうち向うての心を詠んだものである。

 

   草枯れし畦道《あぜみち》をゆくわがむすめくれなゐの帶をむすびたるかも

 きれいに草の枯れ伏した冬田の畦を、眞紅な帶を結んだ一人の幼い女の兒が歩んでゐる、見れば自分の娘である、くつきりと冬日の中に浮き出でたその帶の見ごとさよ、と特にことよせて親の心を歌つたもの。

 

(399)   寄り來りうすれて消ゆる水無月の雲たえまなし富士の山邊に

 雲の多い六月の頃、浮いては消え消えては浮くそれらの雲がすべて富士を中心にして動いてゐる、といひながら富士山の高さ大きさを讃美したものである。

 

   愛鷹に朝居る雲のたなびかば晴れむと待てや富士の曇りを

 朝、愛鷹からしら/”\と雲がたなびきたつと見たならば、御覽なさい、今にきつと富士山も晴れて來ますから、といふ意。沼津の人など、常に見馴れた景色であらう。

 

   わが門ゆ眺むる富士はおほかたは見つくしたれどいよよ飽かぬかも

 朝の富士、夕の富士、春の富士、秋の富士、明けても暮れても見馴れた富士ではあるが見れば見るだけ見飽きのせぬ山であるといふ一首。

 

   駿河なる沼捧より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山

 よく解る歌であり、極めて幼い歌である。その幼いなかに云ひ難い味ひが籠つてゐはせぬだらうか。


(400) いろいろの人と歌

 

   その一

 

  今後をり/\本誌(雄辨)投稿歌の中からよしあしにつけ眼についたのを引いて短い評釋風のものを書いて見ようと思ふ。

 

   ほそ/\と病みおとろへて死にゆきし女ありけり櫻咲く宵

 ほそ/\と病み衰へて死にゆいた女があつた、櫻の咲いてゐる夜に、といふのだ。綺麗だが、幼稚だ。そしてよしそれが事實であらうとも、作りもの臭いのを免れぬほど餘りに都合よく歌らしく出來てゐる。これを見て受取る感じは、うまく作つたナ、といふほどのことである。若い母の死も、それを包んで咲いてゐる櫻も、共に少しもその實感を持つてゐない。ことに第五句はいかにもくつ付けもの臭い。櫻咲く宵といふからその宵に櫻が咲いたと解するのが適當だらうが、それだとます/\作りもの臭くなるので私は前の樣に解釋しておいたのだ。

 

(401)   春まひる草に身をなげて物を思ふ瞳にかがやける森の椎の葉

 草原に寢ころんで物を思ふ、といふのはかなりもう月並になつてゐる。そればかりなら、オヤオヤまたかと思ふにすぎないだらうが、瞳にかがやける森の椎の葉とあるのでいかにも清新な、切實な感じを持つ歌となつた。恐らくこれは其場の實景であらうと思ふ。輝いてゐる椎の葉のために、春といふのも、草に身を投げてゐるといふのも、みな浮き出してはつきりと點出せられてゐるのを感ずる。これがたゞ雲でも眺めてゐるとして御らんなさい、決して斯の鮮かな感觸をこの一首から受くることは出來なかつたであらう。

 

   黄に咲ける菜種の畑にいちにんの囚人はいま空を仰げり

 これもまた新しい月並とでもいふべきであらうか。菜の花のなかの囚人、それが一人空を仰いだ、といふ、考へれば新しくないこともない。が、どこやらに早やプンと來る臭ひを拒みがたいのを思はざるを得ないのである。みな質感でなくては駄目だ、此處を斯うしたら新しくなるだらう、いゝ急所を掴むことが出来るだらうなどといふので、たゞ頭で作つてゐては到底生きた歌を得ることは難い。歌ほど正直にその場の、作者の作歌態度を表はすものはないのである。


(402)   北枕よべどかへらぬうら若きいまは佛の君にてありけり

 何處がどうといふ惡い歌ではないが、友の死を前にしてゐる人の心の切實さは毫も表れてゐない。至極のんきな一首となつてゐる。ハイ/\、さうですかと返事のしたくなる歌である。調子の加減かと思ふ。心そのまゝに出すといふことが大切である。歌を作るといふ考へで作ることはよくないことである。

 

   睡蓮は銀のさかづき曲水の宴の如くに流れる舟に

 色のあくどい乾菓子を見る樣な歌である。わる固くて何のうるほひもない。睡蓮を銀のさかづきと見るのもわるくはなからうが、何だか折角の柔い生きた花を死物扱ひにするいたましさをも感ぜずにはゐられない。曲水の宴に似てゐるといふのも何だか不自然な感じがある。強ひてさう思つたといふ感じがある。おもふにこの作者は(萬朝報にもよく出す人でその作風は私の頭に殘つてゐる)自然といふものを自然に見ることを知らない人らしく考へらるる。何か習慣や典例やで見てゐる人ではないかと思ふ。折角念入りにきれいに作りあげられた歌にいつでも血の氣の通つてゐたことがない。わざとらしい色や言葉ばかりが目立つてゐる。なぜもつと自分の感覺を裸(403)體にして、正直に、直接に、自然といふものを見て行かないのか。この一首にしても何も銀の杯や曲水の宴などを捻出するまでもなく、睡蓮は睡蓮だけで鮮かな美しさを持つてゐる筈だ。なぜそれを歌ひません。

 

   ひとりきて泪ながれぬひつそりとけふもさみしく桑摘む少女

 一體誰が泣いたのです。作者ですか、をとめですか。そしてなぜ泣きました。

 

   戀すてふ言葉をひとつ賜へかしさらずばわれは死なましものを

 どうぞ御遠慮なく、とやられたらどうします、どうもやられさうだ。

 向ふの心を征服するだけの力のある歌でなくては斯ういふ場合作つた所で仕方がないでせう、へな/\するのみが戀歌では決してありません。

 

   その二

 

   大き子が唄へば小さきがまねびうたふ日曜の日の家居うれしも

 子供の大きい方が唄へば弟か妹か小さい人もそれに眞似て唄ひ出す、それを眺めてゐる日曜の(404)わが一日の嬉しさよ、といふのである。かなり複雜した出來事を割合に手際よく一首に詠み込んで、そしてとにかくにその場の氣分を傳へてゐる。詠みなれた人でなくては出來ぬわざである。然し、佳作とは云へない。先づ歌のがらが小さい。或は呼吸が小さいと云つたがよいかも知れぬ。しやんとして張つたところが歌に無い。腰のすわつた強みがなくて、徒らに口邊の饒告を想はすものがある。同じ人の作に、

   その日頃つとめを持ちて朝夜のみ見るものか子等のただにいとしも

 といふのがあるが、これまた同じく淺い。感動も世間並の一寸した人情を出でず、ことにそれを歌に移した場合に於ける格調の低さ淺さはいよ/\それを安價なものにしてゐる。斯うした格調のものを見てゐると甚だ失禮な想像であるが、讀者には先づ裏長屋あたりに逼塞して住む作者の、強ひても今日の生活に安心立命を見出さうとしてそれを手馴れの三十一文字に托してかぼそい呼吸を吐いてゐるといふ樣な光景が聯想せられるのである。貪を樂しむにも、それを三十一文字に托するにも、もう少し澄んだ毅然たる所があつてほしい樣に思ふ。それでないとその人の歌は、いや歌のみならずその人の生活は段々その泥の中に泥臭く沈んで行く虞れが無いとは云へないのである。同じ樣な境地を歌つたにしても彼の、

   憶良等は今は罷らむ子泣くらむその子の母も吾を待つらむぞ

(405)一首の呼吸と比べてどれだけの人間の差違が其處に見えるかを感じて欲しいのだ。

 

   くろかねの籠にとりつき賣られの身の紫鸚哥《むらさきいんこ》叫びてやまず

 これも安價な人情歌の一である。喜いちやん美いちやんがお互ひの顔色をうかゞひながら強ひても言葉尻をうるませて『まア可愛相ですわねエ』といふ種頬である。不思議とこの所謂人情美を弄ぶ人の作は悪趣味臭くなるものだ。同じ作者の、

   秋空に雲もなければ花火の煙ひとつ上りてその音聞ゆ

 といふのも手馴れたうまいものだが、掩ひ難い一種の惡趣味、おすまし、氣取はその中に見えてゐる。前の「大き子が唄へば……」の作者の作もかなりこの惡趣味臭を帶びて來てゐる樣である。子供ほど可愛いゝものはありませんよ、と隣近所に吹聽しようとする一種の趣味である。「まア、いゝ阿父さんですこと」と云はれたさ一心の子供可愛さは眞實の愛ではあるまい。

 

   しんとしてしづもりふかき湖岸《うみぎし》の木々はわけてもあからみてみゆ

   しんとしてしづもりふかき湖岸の晝をなきをりひとつこほろぎ

 これも一つの趣味歌。先づ着色名所繪葉書とでも云ふ所であらうか。


(406)   秋の陽は河原の石に照りあふれ鮠《はや》釣る人の水近く居る

 魚を釣る者が水近くゐないでどうするものだと理屈を云ふ勿れ、この水近く居るといふ言葉はいかにも自然な實感を含んで私には聞える。廣い河原一面に日が照り輝いてゐる、その河原の一番端の方に小さく絲を垂れてゐる人影がいかにもなつかしく眼前に浮んで來るのだ。

 

   荷を解きて草に放てど我が