若山牧水全集第五巻、雄鷄社、500頁、600円、1958.8.30
 
紀行・隨筆一
 
目次
旅とふる郷………………………………… 三
第一編
山の變死人………………………………… 五
空想者の手紙…………………………… 一二
曇り日の座談…………………………… 一八
第二編
林間の燒肉……………………………… 二五
鹿………………………………………… 三〇
火山の麓………………………………… 三三
雪と淋しき人々………………………… 四一
第三編
山より妻へ……………………………… 五二
野州行…………………………………… 五六
御牧が原………………………………… 五九
春日の湯………………………………… 六八
山湯日記………………………………… 七四
第四編
椿………………………………………… 七七
河豚……………………………………… 七九
青める岫………………………………… 八三
鷹………………………………………… 八五
砂丘の蔭………………………………… 八七
浪と蛸とヂンの酒……………………… 九四
岬の端(青空文庫)…………………… 一〇四
秋亂題…………………………………… 一一四
第五編
旅の歌…………………………………… 一二五
海より山より…………………………… 一五一
上編
浴泉記…………………………………… 一五三
北國紀行………………………………… 一七六
南信紀行………………………………… 一八五
鹽釜行…………………………………… 一九五
津輕野…………………………………… 二〇一
松島村…………………………………… 二〇九
板留温泉………………………………… 二一四
板留より………………………………… 二一八
その後…………………………………… 二二七
旅から歸つて…………………………… 二三七
中編
燈臺守…………………………………… 二四三
裾野……………………………………… 二六七
下編
元旦記…………………………………… 三〇六
線路のそば……………………………… 三一三
春の一日………………………………… 三二一
廻り網…………………………………… 三二六
夏の花…………………………………… 三三〇
夏の鳥…………………………………… 三三二
ダリアの花……………………………… 三三五
物置の二階……………………………… 三三八
屋根の草………………………………… 三四四
立秋雜記………………………………… 三五一
私と酒…………………………………… 三五六
比叡と熊野……………………………… 三六九
上巻
旅日記…………………………………… 三七一
比叡山(青空文庫)…………………… 三八一
山寺(青空文庫)……………………… 三九二
旅の或る日……………………………… 四〇二
熊野奈智山(青空文庫)……………… 四〇八
下卷
おもひでの記…………………………… 四三一
秋草の原………………………………… 四六七
或る日曜の朝…………………………… 四七一
山上湖へ………………………………… 四七九
 
旅とふる郷
 
(5)第一編
 
 山の變死人
 
 東京にて、R――君へ。
 
 昨夜、と云つても今朝の三時近くだ。床に入つたが、睡れないので、まだ灯を點けたまゝ雨漏で煤け切つた天井に洋燈《ランプ》の火さきのうす赤く揺曳するのをぼんやり眺めてゐた。僕の留守中は殆んど物置見たやうになつてゐるガラン洞な古い大きな二階へ、此頃は毎晩僕一人|睡《ね》ることになつてゐる。其處へ、惶しい勢ひで下の大戸を叩く音が起つた。母がやがて起きて行つて何か應待してゐる。田舍者の癖で、而かも急きこんでゐるから一層高調子だ。首縊りがあつたから直ぐ來て呉れと云ふのだ。久しく睡着かれないで神經が昂奮し易くなつてゐるところだつたので、それを聞くとひとしく僕の動悸は急に烈しくなつた。まるでその變事が我等に關係ある如くにまで思(6)はれた。聞耳立てゝ事情をくはしく知らうと力めたが、それからはひそ/\話になつて、一向解らない。すると、やがてして階子段口の襖があいた。愈々たゞ事ならず驚いてゐると、提灯をさきにして父が顔だけ此方に見せながら、
『首縊りがあつたげな、行て見んか。』
『行かう!』
 言下に跳ね起きて、父のあとについた。
 家を出ると、冷たい月の夜だ。
 山が漆のやうに黒く、山と山との間を流れ下る長い溪の瀬が凍つたやうに白く輝いて居る。
『今夜あたり、霜でも降りさうだな。』
 父はまろく肩をつぼめて小刻みに急いでゐる。死んだ男の名などを聞いても何年振りかに村に歸つて來た身には一向誰ともわからない。理由は、父を迎へに來た兩個《ふたり》の若者も知らんと言ふ。一番鷄の啼くのが、月光の底から平たく慄へて響いて來る。
 藁家が四軒か集つてゐる部落の一番西の端の家に男は縊つてゐた。家の上は推の樹山で屋根の半分はその蔭で眞黒だ。庭の方にのみ月が際立つて明るい。その月光のなかに十人ほどの人數が一|團《かたま》りになつて何やら呟いてゐる。見ると、丁度家の出入口の軒さきに、ブラリと下つてゐる。(7)巡査も來てゐた。巡査と、醫者である父との指圖で尻ごみをする若い者を叱りつけて、それを庭の眞中に持つて來て轉がした。着物をば漸く腰の端に纒ひ着かせたぎりの双肌ぬぎで、頭をば青々と剃つて居る。月光と松明の明りとで凍てたやうになつてゐるその顔をよく見ると、何處やら見覺えがあるので、先刻聞いた名前を思ひ合せて見ると、漸く解つた。博勞をしてゐた男で、名代の酔漢《のんだくれ》であつた。
 追々遠近の部落のものが集つて來てよほど賑かになつた。そして、高い笑聲も起つた。この家に年ごろの娘がゐて、それが情人の所へ夜遊びに行き、歸つて來て戸口を入らうとすると、ひよいとこのブラリを發見して腰を拔かしてしまひ、庭中這ひ廻つたのださうだ。その娘の兄と、この博勞と宵のくちに喧嘩をして、博勞も喧嘩強い男ではあつたが血氣盛りの者には敵せずに散々に打ちすゑられた。
『今夜、汝《われ》が家《とこ》に行《い》て首を縊るけ、さう思ふとれ!』 と地に倒れて泣き乍ら罵つてゐたのださうだ。そして果して約束を遽げたのであつた。
『此《こり》う、どうし置《ちよ》こか。』
 檢視もすんで、誰かゞ屍體を指しながら斯う言つた。
『近《ち》けぢアねえか、彼處《あすこ》に置いちよけ、蓆《むしろ》でも被《かぶ》せち。』
(8) 一人が椎の樹山を振返つてさう言つた。其處は、墓場だ。
 歸る路は僕が提灯を持つて、父と兩人《ふたり》であつた。
『今夜はこりア初霜が降りるぞ。』
 年|老《と》つた父は同じ樣なことを繰返しながら僕のあとに小刻みについて來た。
 
 もう一つは、十日程前の暴風雨の時だ。雨が烈しくて、瞬くうちにこの峽間の村を貫いてゐる溪が三四丈も増水して、田も畑もあつたものでなかつた。僕の家の下などは、忽ち十間四方位ゐの巨大な渦卷きの淵となつて、まだ壞れぬまゝの家などがくる/\と廻つて流れて來たりした。馬の流れるのも見えた。斯んな風なら屹度死人もあつたらうと言つてゐると、果してあつた。家財だけでも流すまいとして溺れ込んだのが二人、一人はわれからこの濁流のなかに跳び込んだのださうだ。それから毎日、各部落から人が出てこの溪から下の大河筋、遠くその海岸あたりまで三個の屍體を探すべく、幾組も/\彷徨してゐた。そして漸く發見したのが、自分から跳び込んだといふ女|一個《ひとり》であつた。齢は二十六歳で、妊娠中であつたさうだ。しかもこの前の洪水の時にはその妹が同じく跳び込んで死んだのださうだ。
 その女の家の祖父に當る人とかゞ、その父を青孟宗竹で手足を縛つたまゝ山に棄てゝおいて殺(9)したことがあるさうだ。それで姉妹《きやうだい》とも斯んなに村に迷惑をかけるやうな死態《しにざま》をせねばならぬのだと言つて、屍體探しの人達は口々に罵つてゐた。
 それは兎も角、三四日目に探し出した屍體を擔いで通る時は實にいやであつた。暴風雨後《あいけあと》の秋の日光がかん/\照り輝いてゐる道路を、十四五人の一團が蟻のやうに眞黒に群つて、ひとつは臭氣をふせぐ方便でもあつたらう、大束の線香をその屍體の箱の隅に山のやうに燃《も》し立てゝ、足早やに通り過ぎた。その煙を入れまいとして、僕の家では障子を悉く閉めさせた。
 
 是はやゝ舊聞だが、話の主人公が僕の舊友であつたゞけに附加へておく。
 話は簡單で、僕のツイ近所の家の二男に竹造といふ僕より一つ歳うへの男がゐた。極く氣さくな面白い性質《たち》で、顔もよくそれに適つてゐた。僕とは村の尋常小學に出てゐる頃、朝夕一緒に遊んでゐたものだ。その男が、今年の早稻の植付のころ、繊抱腹を切つて死んだ。その前二年間ほど、竹造には情婦《をんな》が出來てゐた。その情婦といふのも僕の小學校の仲間であつた一人なのだが……。それが豐後からとか出稼ぎに來てゐる男とをかしくなつた。それを竹造は見て見ぬふりをして、ずゐぶん永い間我慢をしてゐた。とう/\耐へ兼ねたものか、夜遲く女の家に行つて門口から呼び出しにかかつた。けれどもいつもと調子が違ふので、女が聞えぬふりをしてゐると、戸(10)をあけて入つて來る樣子なので、女は自分の床を這ひ出して父親の床に潜り込んで息を殺してゐた。男が内に入つてあちこち探し廻る時、女はたしかに男が鐵砲を持つてゐるのを見たのださうだ。やがてして一たん男は外に出たがやゝしばらくしてまた戻つて來て、もとの樣に戸口から二聲三聲呼び立てた。なほ息を殺してゐると、突然鐵砲の音がして、男は血に染んで倒れてゐた。
 女はそれからまだまる半年もたゝぬのに、もうまた他の新しい男を作つてゐるのださうだ。それでも、この盂蘭盆と彼岸とには死んだ男の墓参りをしたとやらで、評判がだいへん好い。
 僕がまだ十歳位ゐの時だつた。この竹造の家にあそびに行くと、丁度彼は親爺と喧嘩をしてゐた。そして突然《いきなり》驅け出して、その日も洪水《でみづ》で溪は黒濁りになつてゐたが、そのなかへ跳び込んでしまつた。親爺も直ぐそれに續いて、烈しい奔流のなかを三四町も流されて行つて、辛うじて竹造を引上げて來たことがある。親爺も竹造も半死半生であつた。倒れてゐる竹造を睨みつけながら、畜生、畜生、と矢張り其側に倒れたまゝ親爺は唸つてゐた。その時の竹造の蒼かつた顔を、鐵砲腹の話を聞きながら、僕はまじ/\と恩ひ浮べた。
 
 R――君、
 このごろ、靜かな日和が續いてくれるので何よりうれしい。四方の山々には、秋だのに薄く霞(11)がたなびいてゐる。昨夜よく睡なかつたので、僕のこゝろも何だかぼんやりして居る。變死人の話は、まだ幾つもある。心のはつきりした時しみ/”\と筆がとつて見たいと思ふ。
 
(12) 空想者の手紙
 
 東京にて、M――君。
 
 書くこともなく、書きたくもなく、書かずに居れば甚だ無事なんだが……、イヤ實際いま僕は地に埋れた小さい黒い石か、木の實のやうな氣持で居たいんだ。
 
 單色の山脈が幾つも/\起き伏してゐるなかのひとつの溪間に爲すこともなくぼんやりして居る身にとつては、空想がほんに唯一の糧なんだ、油なんだ。ほとんど眞空めいた、風もないところへほそぼそ點つて居るいのちの燈《ともし》に、ぽとりぽとり滴り落ちる油なんだ。
 
 斯うして居ると、人間はよほどノンキになつて來る。斯うして居ると、には多少の説明が必要だが、めんだうだから、やめにする。要するに僕が斯うして故郷に歸つて居るのは、まるで知ら(13)ぬ異國へ突然持つて行かれて居るやうなものだ。歸つた當座は火や氷のやうな怨恨、嘲罵、皮肉及びそれらのあらゆるものが家族親族郷黨等によつて僕の身邊に注がれたが、反應のない仕事に彼等自身倦んでしまつた。いまでは向うでも僕を、妙な、えたいの知れぬ奴が入つて來て居るといふ樣な風に眺めて居る。
 
 僕は朝起きると飯を喰つてすぐ背戸口からうしろの小さな峠を越える。其處を越えるとすつかりもう山と空とのみの世界だ。人間と云つたら僕獨りのやうなものだ。細かにしらべたら炭をやいたり材木を伐つたり、案外な數の人間が居るであらうが、居ないに等しい。小さな山が、洋心の波浪のやうに、おだやかに重なり合つて遠くまで續いて居る。そのはてに、可なり高い峰が聳えて寂しい天を劃《かぎ》つて居る。信濃の山岳の峻嚴は無いが、中央亞細亞のあたりの蒼茫をしのばする。朝の月でも空に殘つてゐて見給へ、僕は實際小羊のごとくに、そこら小山の麓のみちを、木の雫に濡れながら頭を垂れて彷徨する。 一時間ばかり歩いて家に歸る。家では二階の西の隅の小さな暗い部屋を居室ときめて、便所と飲食とのほかには終日めつたに其處から出ない。眼に見える仕事といつたら、東京から來た新聞と雜誌と手紙とを讀むことだ。
(14) 夕方、もう一度、然しこれは寒かつたらやめにするが、背戸の峠を越えることが習慣になつて居る。この時の、山々のなつかしさよ!
 さだかに見えなかつた高いあたりの山の襞がほんのりと赤い夕日に浮きいづるもこの時である。あたりの雜木山に立つ赤松の陰影の長く明かになるもこの時である。鵯の啼く音のさむしく悲しくなるのもこの時である。山の向うを眼に見えず流れ行く水の音がかすかに胸の動悸を誘ふもこの時である。盡く夕日に染められた自分の袖や肩に赤い山の蜻蛉の來てとまるもこの時である。
 峠を超えて歸つて來ると家の臺所には火が燃え立つて居る。その側でこのごろ漸く少しづつ飲め始めた父と共に毎晩小一時間位ゐづつ酒を飲む。僕が現實にかへつてゐるのはほんのこの間のみかも知れない。この間だけは何も思はず何も考へず、手の忙しく銚子に行き、盃に行き、箸に行くにつれて無念無想の空漠な時を過す。醉へば直ぐ睡る癖がついてきた。夜なかに必ず三四時間位ゐづつ眼のさめてゐるのも癖になつた。
 
 睡眠以外の右のいづれの時間も、すべて僕の空想の時間である。瞑想となる時もあり、妄想と形を墮《おと》す時もある。バカげきつたことを實に眞劍な顔をして考へてゐるのなどに、ひよつと林の(15)なかあたりで氣がつくと、近くの木の枝に對してさへ頬を染めることがある。
 
 この一兩日、空想の主題となつてゐるものを御紹介しようか。
 僕の村から五里ほどの所に美々津《みみつ》といふ古い港がある。岬になつてゐるので、さうでなくてさへ日向洋《ほうがなだ》の浪は高いのに、風の曰など其處のはなに來て立つ浪と云つたら、實にすさまじいものだ。一個の浪、うねりといふのか、の長さが一町から二町に亙り、いよ/\碎けたつ時の高さは二間または三間に及ぶ。濱が遠く續いてゐるので一二里の間はその浪がずつと見渡され、すゑは潮けぶりのなかに重く消えて居る。潮のいろは、濃密な紺碧だ。
 その美々津の崎の尖端になつてゐる岩の間に、といふより浪のそこに、堅牢な書齋が造り度いといふのだ。
 崎には松などが茂つてゐて、峻嶮な崖になつて居る。その崖のはなを深く碎いて、赤煉瓦か何かで、窓にはいかなる浪にも耐ふる堅牢なガラスを用ゐ、潮引き風凪いだ午前午後などにはその窓をあけて蝋のやうになつた額を日光に晒し、膠《にかは》の如くになつた瞼、うすいガラスのやうになつた瞳に遠い潮の光を痛々しく滲み込ませ、潮滿ち、窓に及ぶやうになつた時は、靜かにその障子の戸を閉める。若しそれ、此處の海の特色の激浪怒濤の荒れ狂ふ時となつたら、更に更にその戸(16)を堅く閉ざして、屋根も、あたりの岩も嶮崖も悉く浪の底となつたなかに、靜かに蝋燭か小洋燈に火を點じて、愛する讀書に耽り、空想に溺れてゐたい!(卓子《テーブル》の蔭には時のこゝろに任せて、赤い、青い濃密な液體にコップを滿たし度い!)
 君、驚き給ふな、そんな時に穿くスリッパの色あひまで僕は既に考案を了して居る。
 
 その他、何、また何。
 憐れな空想兒の彷徨ふ世界は誠に痛ましいほど廣いものだ。
 
 M――君、君も斯んなことを埒もなく書さ立てられては迷惑だらうと傍ら恐縮して居る。近刊の詩集の批許でも書くと可いと思ひながら右の状態で、書けはしない。僕の一身はまだどうなるやら解らずに居る。どうしてもよそへ出さぬと親などは言つてゐるが、すると、中學か小學の教師、または村役場にでも出るのだらう。自分も、出てもいゝと思つて居る。とにかく、僕の藝術のためにも此所に斯うして引込んで居ることがなか/\にいゝと思ふ。たゞ、さうしてゐられまいかと思はれることもあるので、悲觀して居る。
 秋の更けゆくにつれてこの山の村は次第に好くなつて來る。靜かな日の續くせゐであらう、批(17)判の心がまことに明かになり高くなりして、自身にはづかしくて拙いものは作れぬ。氣持のいゝものを作り度くて、心は燃えて居る。『死か藝術か』を見るのが、もう苦痛になつた。まだほんとうの藝術にはよほど間が遠い。これから僕のものも少しはどうにかなるだらう。「夏の悲哀」は君の雜誌ではだいぶ評判がわるかつたが、あれは評者がわからないからだ。あのなかに僕の出發點にもならうかと思はれるものが二つ三つあつたのだ。心細いものだが、それでもその芽を哀しくいとしく思ふ。
 
 甚だ意をつくさないものだが、締切日を考へ出して、俄かに斯んなことにして送り出す。君のために、僕のために、平靜の日の續けかしと祈る。(十月十三日郷里に於て)
 
(18) 曇り日の座談
 
 今日は朝から曇つて居る。溪の瀬の音がひとり澄んで響いて居る。
 いま、背戸口から小さな丘を越えて腹こなしに歩いてると、その丘の中腹に在る薩摩芋畑で近所の者が芋を掘つて居るのに出合つた。掘つてしまふには少し早いぢアないかと越えをかけると、是を見なさい、こんな有樣だから早くつても掘つてしまはなくてはならぬのだといふので、よく見ると鍬の行《とど》かぬあたりがだいぶ烈しく荒らされてゐる。猪《しし》だナといふと、左樣です大きな奴と小さな奴と昨夜二三疋で荒らしたものらしいと怒つた樣な顔をして掘つて居る。まだ斯ういふ所あたりまで猪が出るのかナと内心私も驚いた。
 その畑に出たとすると山の形からどうでも咋夜あたり斯うして私が机を置いてゐる二階の部屋と僅かに二間ぐらゐを隔てた前の山の杯のなかをその二三疋が通つて行つたものと見ねばならぬ。昨夜は私は二時頃までも灯をつけて起きてゐた。オヤ/\と何だか呆《あき》れ度くなつた。
(19) そんな風で、今でも附近の山からその猪を獵《か》つて來ることがあるが、自分の十歳《とを位ゐの頃のやうには多くない。その頃はまだ縣道といふものが開けず、全く世の中とかけ離れてゐたので、この山里にはいろ/\の野獣と山民とが雜居してゐた樣な形だつた。近くの港に大阪商船の航路が開け、次いで縣道といふ樣なものが通じて來てからは、手近の北海道か臺灣のつもりになつて諸國から種々な山師共が入り込んで來たゝめ、この靜かな未開の地が一時非常な混亂を里したことがあつた。それから猪も鹿も次第に影を斷つやうになつた。
 鹿は時々山から人里まで追ひ出されて來た。猪の逃げる所をば見たことがないが、雜木原や茅原を走る時はその鎌形の牙のためにさつ/\と木や草が刈り落されるさうだ。その牙のために命を落した人や犬の數も少なくない。犬では自分の家に飼つてゐた樫《かし》といふのが肋骨を二三枚も割き破られて死んだまゝ擔ぎ込まれたことがある。樫は近郷に聞えた名犬で、自分の父はその死骸に取りついて男泣きに泣いたさうだ。人ではこれもその道の名人と稱せられた喜兵衛といふ爺さんが愈々手負|猪《じし》(手負になるまでこの獣は極めておとなしいが、手負になると非常な勢を以て反抗して來る相だ)に追ひ縋られた時、馴れた事で直ぐ手近の木の枝に飛びついてぶら下つた。生憎《あいに》くとその木が何とかいふ撓み易い木であつたので終《つひ》にその片足を切り取られたのださうだ。爺さんは其後家に籠儀つて火繩ばかり綯《よ》つてゐたが、今も存命中であるか如何かと思ふ。猪狩《ししがり》にはい(20)ろいろ面白い形式が行はれてゐる。幾人か組んでゆくのであるが、その中の大將ともいふべきは勢子と呼んで、先づ陣地の手配りをする。それから一手に獵犬を使ふといふやうな役である。猪が取れれば組の多少に係はらず必ずその頭だけはその勢子に分配される。それからその致命傷の彈をあてた者が同じく片股一本、その他の部分をば更に組々の人數で等分するのである。若しその致命彈を打つたのが生れて初めての者(多くは若者)であつたならば忽ちその猪一頭をその男に進上する。そしてその男の家ではそれを肴に一同の者に酒を振舞つて祝はねばならぬ。猪を切り割くにもいろ/\法があるが、そんなことは柳田國男さんがこの土地に來られた折詳しく調べて一册の書物にして居られる。
 兎に角、猪の肉はうまい。特にあの皮の所がうまい。あの皮肉《かはみ》の厚薄によつてその猪の値段はきまるのだ。
 
 猪打ちには行つたことがないが、狐や狸をばよく取りに行つた。彼等が山を歩くには矢張り一定の路すぢをきめて歩く。だから其處だけが幅二三寸の路らしいものとなつて落葉の間に殘つてゐる。それをうぢと稱へてゐる。うぢを拾ひ/\辿つて行くと終《つひ》にはその穴に到達するのである。そして穴の口に枯枝に唐辛子を混ぜて火をつけ、その煙をせつせと穴の中にあふぎ込む。暫(21)くすると妙なうなり聲が漏れて、やがてその主人公が蹌踉として出現に及ぶ。其處を重り合つて打ち殺すのだ。考へてみれば殘酷な話サ、到底いまは出來さうにない。
 一時、日清戰爭の頃であつたと思ふ、狐や狸の皮の値段が馬鹿々々しく上つたことがある。で、右の樣な方法では間遠しいので例の爆發藥ダイナマイトを鰯か何かに包んでおいて、それを食はせて取つたことがある。冬の夜、爐邊に集つてゐると、さうだ、其頃はまだ洋燈がなく爐の中に高い臺を据ゑ、それに松の節を焚いて燈明としてゐたものだ、不意にどう――んといふ音が遠くで起る。オ、またやつたナ、と皆して顔を見合せたものだが、一發二發と續いて鳴る事などある、子供心にも非常にそれが淋しかつたものだ。けれどさうして取つたのは頭部が裂けて値が惡いといふので、私などはまた他の秘法を發明して、――或る藥を魚肉などに配合して――それを右のうぢ傍《ばた》に置いておく。翌朝未明に其處に行つてみるとその魚が無い。サテはといふのでそのうぢについて探してゆく。屹度谷ばたに降りて水の近くに死んでゐた。探してゐる間も、いよ/\長くなつて死んでゐた所を見附けた時も、其處等に霧の深い朝など多く、實に不氣味で、さびしかつた。現にその心持が身體の何處かに殘つてゐさうな氣がする。
 
 これこそは現在全く影を斷つたらしい、土地でにくと呼んでゐる獣がゐた。一本の角がうしろ(22)向きに頭部に生えて、黒い毛の、小柄なものであつた。これは自分の家の前面に聳えてゐる尾鈴山の、しかも北側でなくては栖んでゐなかつた相だ。この尾鈴といふ山は南側は海ばたから極めて柔かな傾斜を起して次第に四千尺位ゐの高さに及び、それから一轉して殆んど直角に近い角度で切れ落ちてゐる。だから北側は全面殆んど岩の斷崖で、その裂目々々に僅かに林が出來てゐる位ゐだ。私の家は溪を距てゝその斷崖に面してゐる。その斷崖面の、日光を受くる事も少ないやうな場所にこの獣は栖んでゐた。獵師に追はれて逃場に困つた時など、よく數丈の崖を飛び降りて逃げた相だ。いま全く居なくなつたと思ふと、二三度見たあの愛らしい野獣の姿を可懷しく思ひ浮べる。その角で曾て印形《いんぎやう》を彫つておいた事があるが、いつかそれも失くしてしまつた。
 尾鈴といふ山はそれからそれと隨分奥が深いので種々な獣がゐた相だ。熊や狼や山猫などといふものもよく取れたといふ。松茸とりに行つて母たちの曾て出會つたといふうす赤い大きな不思議な獣は屹度山猫であつたらうといふことになつてゐる。
 
 肥後の宮地町から豐後の方へ越えやうと、二三里が間は坦々たる平道であつたが、たしか坂梨といつたと思ふ、其處まで行くと、はたとその道は杜絶《とだ》えて前面には削り立つたやうな急坂が、寧ろ嶮山が、聳えてゐた。無論車も馬も通じはせぬ。九十九折《つづらをり》の坂路を辛うじて這つて登つた。(23)冬近いその山坂に山茶花の咲いてゐたのを今にも忘れえぬ。サテ愈々登り終つて前の方を見渡すと、再び驚いた。眼のかぎりなだらかな平野が微かな傾斜を帶びてうち靡いてゐる.この急坂はつまり太古の阿蘇の舊噴火口の跡であるのだ相だ。小諸から見える浅間の牙山《ぎつぱやま》といふ屏風のやうな岩山もまたさうだといふ。親しくさうした場所に臨んだ場合、何とも云へぬ悠久な、なつかしい思ひの起るのが常であるが、この尾鈴山の北面にも一寸さういふ趣きがある。ことに雨の日が好い。重《かさな》り重つた大きな山の襞々に白い雲が屯して、一部の山の外輪《アウトライン》だけがくつきりと雲の中に浮び出る。雨が烈しいか、幾日か續けば、遠目によく解らなかつた大きな瀧が其處にも此處にも現れて來る。
 山櫻も多い。ほの/”\と其處此處に匂ひ出る頃になると、この嶮しい山が急に優しく見え出すのも可笑しい。陰の多い山だけにこの花が特に眼に立つやうだ。
 松の多かつた頃は松茸がよく取れた。何しろ山が山であるため、路もない所を踏み分けて歩くのだが、迷ふ事も極めて多い。だから一晩二晩野宿の覺悟でゆくのが多い。野宿するには炭燒竈を探してそれに寢るのだ。新しいのならば小屋があるから其中へ寢る。古いのになると竈の中に入つて寢るのだ。自分も一度古竈に寢たことがあるが其處等に何やら鳴いてゐるやうで恐くてとても睡れなかつた。
(24) 山の襞々からうす青い炭燒の煙が昇つてゐるのを仰ぐのも靜かなものである。
 
 溪のことを言はなかつた。名を呼ばれたのを聞かぬが、村が坪谷《つぼや》だから坪谷川とも云ふのであらう、尾鈴山の麓についてこの村を率ゐて流れてゐる。自分の家もこの溪に臨んでゐる。亡き祖父は我が家を呼んで省淵廬と言つてゐた。自分がよく獨りでこの溪に遊んだころは到る所岩床で、瀬にしろ瀧にしろ、また淵にしろ、まことに風情があつたが、今は濫伐から來る毎年の洪水のため悉く礫原に變じて甚だ淺間しくなつた。使徒が祭壇にでも近づくやうに恐る/\あの淵、あの瀧へ寄つて行つた自分の少年の頃が自ら恩ひ出される。
 噫、それでも今日はまつたく溪の音がよく冴えてゐる。難有い心地だ。
 階下《した》で松脂《まつやに》を煮る匂ひがする。
 父が膏藥を造つてゐるのである。
 窓の前を猪の通るやうな山の村の、今は極めて老いたる醫者である父は、まことに神さまのやうに、善き、尊きひとであるのだ。
 彼のために、健康を祈つてくれたまへ。(十一月五日午後二時)
 
(25)第二編
 
 林間の燒肉
 
 西から東に並行して居る二つの嶮しい山の峽間《はざま》を一條の河が流れ、その河に沿うて二戸三戸と小さな茅屋《あばらや》が續いて朝夕に微かな煙をあげながら、古い寂しい一個の村を成して居る。彼はその中の一軒に獨り子として生ひ立つた。
 樹木の繁茂した、人跡の稀なこの山國には數多の獣類が繁殖してゐた。冬になれば野猪《のじし》の群がよく人里に出て、僅かばかりの畑を荒すことが多かつた。限られた狹い天地で先祖からの山の仕事に從つて變化のない日を送つてゐる村の住民に取つて、この猪《しし》を獵《か》ることは寧ろ樂しみの一つとして期待せられてゐた。各自の家には必ず一挺の鐵砲が備へられ、臺所か納戸の濕氣の無い場所を選んで二三條の火繩が懸けられてある。彼等の多くはまだ新式の獵銃を知らなかつた。
 この村から何處へ出るにしても是非いづれかの峠を越さなくてはならなかつた。二人か三人、(26)或は五六人の一團がこの峠を越して山深く分け入つた日の夕方には、殆んど必ずのやうに彼等が朝のうちに越して行つた峠の方に、一發若しくは二發の銃聲の起るのが常であつた。彼等はその峠からその日の獵の成績を銃聲によつて村の者に報告するのである、一頭を獲《う》れば一發、二頭を獲れば二發と云ふやうに……
 その銃聲は漸く雲の降りかけた峽《はざま》から峽に反響して、夕暮の靜かな村に殘りなく響き渡つた。村では女房共が夕餉の仕度に忙しい頃で、構ひつけられぬ子供連中は、各自寄り集つて寒い夕風に凍えながら焚火をしてゐる者もあり、晝から續いた根つ木の遊びにまだ夢中になつてゐるものもあつた。そして、峠からの銃聲を先づ第一に聞きつけるのは此等子供の群である。それを聞くや否や、背負つた赤子をも振落さむばかりにその峠を目がけて走り出す。彼の少年もまたその中の一人であつた。
 峠からは物々しい山裝束をした男が四五人、一個の四足獣の足を縛つて其間に一本の青木の棒をさし貫《とほ》し、さも重さうにシヅ/\と村の方に擔いで降りて來る。他の者は各自大きな火繩銃を肩にして、恰もそれを保護する樣に從つた。枯草の香に似た火繩の匂ひはこの一群に縷《いと》の樣に着き纒うてゐる。
 多くは河畔の木立の中にこの獲物は擔ぎ込まれる。そして勢子《せこ》とよぶ一群の中の長者は、手を(27)洗ひ口をゆすぎ、柴を切つて水に浸し、それを四邊《あたり》に振りながら何かの咒文を唱へて先づ山神に祈祷を捧ぐる。そしてやをら腰に帶びた山刀をぬいて徐ろにその獲物をさばきに懸る。さばくとは猪の四肢五體を切り分くる謂ひである。
 仰向けに置かれた獣の肋に鋭い山刀の刀が當ると見る間に、音を立てゝ荒い皮や骨が切りさかれる。その胸の邊には脂ぎつた鮮血が朱のやうに豐かに湛へてゐる。勢子は赤く滲んだ山刀の手を止めて、先づ自ら口をつけてその鮮血を十分に吸ひながら、さアと目顔で皆に合圖する。すると殘りの者も等しく顔をさし寄せてその血を貪り吸ふのである。吸ひ終つた彼等の眉や鼻や鬚には赤いものがぽとぽとと滴つてゐるのもある。猪の生血は精氣の藥であると彼等は信じて疑はなかつた。
 其場に馳け集つて來た子供等は逸早く四邊《あたり》から枯木の類を集めて火を作る。炎々と燃えあがる炎と煙との間に立ち交りながら獵師の山刀を借りて大きな串を作る。そして勢子から渡された猪の臓腑や肉の斷片をそれに突きさして燃え立つた火の中に投ずるのである。そして火の周圍を圓く取卷きながら、燒け滴る肉の脂肪の音と匂ひとに聞き入りつゝ、眼を輝かしてその燒くるのを待つてゐる。して、まだ燒け兼ねて血の滴《た》れてゐるのにも頓着なく獵師の用意して來た鹽を借りて、恰も骨をも噛み割かむばかりに貪り始める。煙は彼等の目鼻を襲ひ、飛び火は彼等の脛を襲(28)ふがそれにすら頓着せぬ。これは恐らく彼等が一年中に味ひ得る食物中の最も美味なるものであつたらう。燃え盛る火光に照らされて、獵師を初め、子供等の喜悦に滿ちた顔は夕闇の中に赤々と浮き出してゐる。その家が土地の豪族たる故を以て、彼の少年はそれ等の中でも最も傲《おご》つて見えた。
 或者は二本の毛深い脚を、或者はまだ瞳の瞑ぢ切らぬ猛獣の頭を提げながら、獵師はそれ/”\家に歸り去つた。未練の多い子供も終にはその火を見棄てねばならぬ。一人去り二人去り、とう/\火と煙と匂ひとがうす暗い木立の中に殘された。雲は愈々溪間に深く降りて來る。やがては火も煙も消えはて、僅かに殘つた肉の匂ひに誘はれて四邊《あたり》に棲む小さな獣がうろん臭い眼つきをして寄り集つて來るのであらう。
 
 十年あまり經つた。
 東京の或る繁華な一街路に沿うた西洋料理屋《レストラン》の二階で杯を擧げてゐる一人の青年があつた。濃密な料理の匂ひと酒の香りと電燈の灯影とは、さながら青い液體のやうに彼の身體を埋めて居る。眼の前に並んだ大きな花瓶には秋草の花が露を含んで咲きみだれ、それらの間を行交ふ男女も、壁に懸つた油繪の額も、あらゆる一切の裝飾もみな打煙つて見えた。青年は恍惚として大き(29)な杯を置きながら前に置かれた燒肉の一片を切り取つて噛みしめた。ついぞ覺えぬ鮮かな味覺を誘ふ空腹の身に浸み渡つてゆくその味ひは、久しく忘れてゐた遠い追憶をこの青年の上に呼び起さしむるに十分であつた。燒肉、燒肉、野猪と牧牛との差こそあれ、彼は彼が曾つて十歳未滿の少年たりし日に貪り馴れた彼の林間の燒肉に寸分違はぬ味と匂ひとをこの白磁の皿の上の肉片に由つて感じ出したのであつた。
 彼の倚り懸つた二階の窓の下の明るい秋の夜の街路をば、數多の男女が三々伍々相伴うて逍遥して居る。
 微かな身慄ひをさへ覺えて、急に靜かになつた彼の心には、年來忘れてゐた山の姿と水の流れと、銃の音と、火繩の匂ひと、火と煙と、それに走る幼なかりし自身の小さい姿とが鮮かに影を投げてゐた。
 
(30) 鹿
 
 梅雨が霽れて、峽間《はざま》の狹い畑に熟れすぎた麥を刈るに山の農夫の忙しい時であつた。黄いろな畑と畑との間に一條の河が流れて、その水の深く湛へて淵となつた邊には、特に一叢の木立が青暗く茂つてゐた。一人の少年はその茂みの端に小さく身を置いて、獨りで糸を垂れてゐた。時たまほそい糸のさきに上つて來るものは、口の邊の薄赤い山鮠《やまはえ》かいだであつた。思ひの外に大きいこの木立の中の淵は上下の瀬の音にさへ遠ざかり、碧い水の上には日光《ひざし》と雲の影とが所々斑らに落ちてゐた。
 突然、無心の少年の耳に時ならぬ物音が響いて來た。峽から峽に反響して落ちて來たその物音は疑ひも無く銃《つつ》の音である。この音に馴染んでゐる少年は、發作的に胸をときめかせて立上つた。音はまた續いた。
 彼はすぐさま小暗い木立の中を走り始めた。そして漸く其林を出外れて麥畑の一端に馳けつけた時彼は其處よ此處よと走り騷ぐ幾人かの農夫を發見した。犬をも見た。そして最後に一頭の大(31)きな鹿が畑の中を驀地《まつしぐら》に走つてゐるのを見出した。彼の顔は紅くなつた。そして殆んど夢中に自分の家に走つた。彼の家は其處から遠からぬ山腹に在る。
 家から出て來た彼は尚ほ走ることを續けて、他と同じく麥畑の方に向つた。彼の右手には先頃彼の父が大阪土産として持ち歸つた小さな杖銃《スチツクガン》が握られてゐた。
 燻《い》ぶるやうに照り渡つた梅雨霽の日光がこの峽間の山畑に重々しく澱《をど》んでゐるなかに、火繩の匂ひと煙硝の匂ひとは諸所に起つた。力のない銃音《つつおと》が二度も三度も續いた。
 丁度鹿は少年が家を馳け出た方向に飛んでゐた。彼は驚きのあまり、殆んど狙ひも定めず、その動物の前面に突きつけるやうに一發を放つた。鹿はすぐ方向を變へて附近の木立の中へ走り込んだ。木立の中には以前の淵があるのである。
 續いてその跡を追うた少年は既に淵の中に泳いでゐる鹿を見た。二度目の狙ひをつけやうとする時に、二頭の大きな犬が同じく淵の中に弾丸の樣に飛び込んだ。その中の眞白な一頭は少年の家に永らく愛飼せられてゐる「樫」と呼ぶ獵犬であつた。彼は引金に指を入れたまゝ、狼狽した。そして二頭の犬と、角の美しい獣との間の慘しい爭闘を凝現して木蔭の岩に突立つてゐた。
 爭闘は永く續績かなかつた。鹿は水に入らざる前、既に一二ケ所の手傷を負うてゐたのである。大きさも鹿に劣らぬ獵犬「樫」は、曾つて幾頭の野猪《のじし》をさへ噛み殺した經驗を持つてゐた。
(32) やがて馳け集つた農夫共に圍まれて、鹿の屍體は木の間に靜かに横たはつた。その手の銃に彈丸の籠つてゐるのに氣のついた少年は、歡喜のあまり、狂氣のやうに矢庭にその屍體の頭に小鳥打用の散弾を打込んだ。そして彼の傍に引添うてまだ牙をむき由してゐる「樫」の濡れた顔に頬摺りした。
 季節を憚つて、――麥の熟れる頃は全ての銃獵は國法に依つて禁ぜられてある――そのまゝ林の中で鹿の屍體はさばかれた。案の如く鹿の腹には生るゝに間もない子が孕まれてゐた。
 
 その翌くる日も少年は、また林の蔭に坐して、獨り糸を垂れてゐた。
 
(33) 火山の麓
 
 日光《ひざし》の淡い日であつた。
 正午《ひる》少し下つた頃、私は獨り碓氷峠の絶頂の古茶屋の庭の床几に腰かけて居た。ツイ眼の前から幾多の山が浪を打つて遠くの方へ續いて居る。曇つたともつかぬ淡い雲の中の太陽は夫等の峯から峯、峽《はざま》から峽へ鈍紫《にびむらさき》の澱《をど》んだ光を投げて居る。中にも鋭い角度をなして幾つともなく空に突き出て居る妙義山の峯々の輪郭がしよんぼりとその光線の中に浮いてゐるのが取分けてうら寂しい。山の麓からは關東平原の一角が開け始めて白く光る河も見え、河に沿うた道路、または小石の集つた樣な平原的の宿驛などが、何れも薄い日光《ひざし》の底に黙然として沈んで居るのが見ゆる。遠いはては雲が暗く烟つてゐて解らない。風も無ければ鳥も啼かぬ、私の瞳の動くさきへは或る寂寥が影を引いて流れてゐる樣な日であつた。
 私は繪葉書を二三枚書いた、其一枚は東京の友人T――君へ、一枚はT――君の細君へ。
 二年前のことである。夏のころ、私はT君と一緒に暫くこの碓氷の麓の輕井澤に遊んでゐた。(34)この峠にも幾度か登つて來た。或時などは詩歌を解する米國人の某牧師をも誘つて來て此茶屋から少し奥に行つた林の蔭でT君と私とは和歌を咏み、温良なる牧師は短いソンネツト風の英詩を作つた。そして銀のかざりのある萬年筆を取出して、繪葉書に書きつけてT君と私とへ分けて呉れた。その原詩をばいま忘れたが、山を越え、山を越えて靜かに急げ、泉の樣な幸福が卿等《けいら》若人を待つて居るといふ樣なものであつたと覺えて居る。私等の和歌は多く戀を歌つたものであつた。T君にしろ私にしろ、丁度その頃は夢の樣に戀に醉つて居るさかりであつた。
 葉書を書いてゐると、當時の記憶が、澱んだ胸の底から青暗い光を帶びて浮いて來る。私は筆を擱いてその林の蔭へ行つて見た。木立の少しく疎らになつた所で、白ぼけた薄がむら/\と亂れて四邊《あたり》の灌木の葉はみな黄色に染つて下葉から散りかけて居る。少し眼を遠くへ移せば例の寂しい山脈が其處らに浪を打つて續いて居る。妙義山などは宛然《まるで》壞れ去つた古い殿堂の圓柱のみが立ち並んでゐる樣だ。私はまた茶屋の床几に歸つた。靜かな心が妙に波立つて少しも落着かないので、何だかうしろ髪を引かるる樣な心持を懷《いだ》きながら山を降ることにした。
 茶店を出た私のうしろには久しく犬が吠えてゐた。この峠は往時中仙道唯一の要所で關所のあつた所である。今は僅か十軒足らずの人家があるのみで、それも此峠にある熊野權現の神官か何からしい。道の右手の古い大きな家の庭には白い繭が一ぱい乾してあつた。その隣の家は近所で(35)の豪家らしく、窓には郡内の蒲團と廣い熊の皮が乾してあつた。雨續きの後の天氣でこの山上の十軒も今日は何となく忙《せは》し相に見えた。山を下りて行くうちに日はよく晴れて來た。まだ紅葉には間のある頃で、誰一人行き逢ふものもない。ほか/\と照らす日光《ひざし》に雨後の秋の草木から發する香が何だか酒精分でも含んで居る樣で汗の浸む私の身體《からだ》にしんみりと迫つて來る。路の直ぐ傍らに二本の大きな古木があつて風もないのに、ひらり/\と細かい黄色な葉を高い梢から落してゐるのを見た。其姿が如何にも可懷《なつか》しい。歌に咏まうとしたが出來なかつた。山を降り盡くさうとする所に深い森があつて、其奥から洋琴《オルガン》の音の漏れて來るのを聞いた。歸りおくれた避暑の洋人でも住んで居るのであらう。森の端《はづ》れに谷がある。この夏の洪水で眞白な河原ばかりが徒らに廣くなつて居る。河原を渡れば舊輕井澤の宿《しゆく》である。
 八九分通り避暑客の歸つたあとの此職場は宛然《まるで》空家ばかり並んで居る樣だ。砂つぼい道路をぽくぽく歩いて行くと、南側の仰々しい金ぴかや色文字の英語などの看板ばかりが眼に立つて、人には極く稀にしか行き逢はない。一軒の料理屋に寄つて斷られ、蕎麥屋でも斷られ、辛うじてと或る宿屋に上つて漸くにありついた。數日中に此處を引拂つて歸るといふ下女の投げやりな酌を斷つて、雨戸の年分閉めてある薄暗い二階で私は獨りで一杯々々と熱いのを徐ろに飲み下した。空き腹だからでもあつたらうが、直ぐ醉つた。醉ふにつれて心は穩かな物なつかしい哀感に(36)滿ちて來た。顔まで子供々々しくなつた樣に思はれて、瞼も頬も稀《めづら》しく熱して來る、獨りで旅に出て居てよく出逢ふ心持である。
 私は眼に見えぬ或るものに手を引かるゝ樣な氣持で宿屋を出た。そして急いで本道を右に折れた。來て見れば目的《あて》にした例の家は矢張り舊《もと》の通りに立つてゐた。
 例の家とは私等が二年前に借りて暮して居た家である。今年の借手も既に歸つたと見え二階も階下《した》も雨戸がしめられて庭には草が延びて居る。二階からは正面に淺間が見えたがと振返つて空を見上ぐると、可懷《なつか》しい火山は今日はよく晴れて細い烟を僅かに東に流して居る。私等はT君と私の友人のM君(同じ學校の商科生であつた)と三人で、階下だけ借りて自炊して居た。縁側を下りるとすぐ小さな流れがあつて、毎日其處で食器などを洗つて居た。流れを距てた向うの家には東京の某女學校生徒の一團が來てゐて同じく自炊をしてゐた。そして私等の食事の用意などするのを見てはいつも指《ゆびさ》して笑ひ合つて居たものである。其小さな流れにも變化はない。葱の栽ゑてあつた壁横の畑には今年も同じ野菜が片隅に青く取り殘されて居る。葱畑の隣の小さな風呂屋には以前と同じく細い煙突から煙が立つて居る。
 僅か二年前! けれ共私には既に一世紀も距つてゐる昔の樣な氣がしてならない。あの時分にはT君も私も水々しい少年清教徒であつた。私の戀といふものゝ殆んど極度に達して居た頃で、(37)輕井澤に來てゐながらも殆んど二十四時間の全部を捧げて私は戀人のことを思つてゐた。四邊《あたり》の野は月見草の盛りで、秋草の花も深かつた。T君と二人で朝から夜まで、多くは夫等草花の咲き茂つて居る野を逍遥《さまよ》ひながらお互に感情の赴くまゝに色々なことを打ち明けて話し合つた。T君は其の以前から小學校の時同窓であつた某孃に切りにおもひを寄せて居た頃である。彼は人知れず摘み集めた草花の一定の量に達するのを待つては直ぐ小包にして某孃の許に贈つてゐた。其頃私の戀人の兄は瀕死の病氣にかかつてゐた。不幸な家庭にある彼女が命を賭して兄の看病に從つてゐる有樣は鉛筆の走り書きの彼女の消息で眼に見える樣で絶えず私をはら/\させて居たものである。其うち彼女自身の上に容易ならぬ動搖の起りかけた事を知らして來た時、私は直ぐ其日に輕井澤を立つた。よしや歸つた所で私の力で如何することも出來ぬ事をば知り拔いてゐたが其儘《そのまま》ぢつとしてゐることは出來ず、騷ぐ心を暫らくも瞞着せむため、わざと汽車にも乘らずに雲の懸つてゐる碓氷峠を歩いて越えた。麓まで送つて來て呉れたT、M両君に後で逢つた時、山に登つて行く君の姿が馬鹿に寂しかつたと言はれたが、實際私のさうした感情は其時限りに破れて了つたものと云つてもいゝ。それから上野停車場に着いて以後今日になるまでの自身の生涯の動搖は次第に暗く、打續いて來てゐるのである。
 甘い追憶に滿ちた私の身體《からだ》はいつかその家を離れて附近の野原をぶら/\と歩いてゐた。曾て(38)T君と一緒に多くは無言のまゝ花を摘み歩いた原である。日はぽか/\と照つて、醉つた五體に長い歩行を許さぬ。其處此處に倒れて下らないことばかり考へてゐた。この夏の洪水で此土地の荒された事も非常である。もと草の茂つてゐた野原が七分通り砂原となつて居る。家の倒れたもの、木の枯れたものなど到る所で眼につく。平地や四邊《あたり》の丘に在る粗造の洋館の多くは朱色に塗られたものが既に悉く戸を閉してゐるのなども荒凉の觀を添へて居る。美しかつた秋草の風情など露ほども認め難い。時計を出して見て驚いて私は輕井澤を離れた。
 路を舊中仙道の方に取つて少し元氣よく歩き始めたが、醉はまださめぬので直ぐ疲れて來る。輕井澤を少し出て離山《はなれやま》の眞下あたりに來ると、此處は洪水の影響もなく、依然とした深い秋草の天地である。何百町歩とも知れぬ廣い區域に薄の穗が波を打つて、其間には月見草、女郎花、吾木香、桔梗、野菊、其他名も知らぬ草花が一面に咲き亂れて居る。野のはてには草刈らしい人の姿が小さく見えて、其外には何もゐない。私は非常に自由な天地へ出て來た樣な氣がして、帽子を遠くへ投げやり下駄をも脱ぎ棄てゝ、就中《なかんづく》柔か相に茂つて居る草の中へ倒れ臥した。出來るなら裸體《はだか》にでもなつて見たい程だ。
 先刻《さつき》碓氷峠でT君夫妻へ宛てゝ何だかひどく述懷めかしい事を書いた葉書を出して來たのを悔《くや》しく思ひ始めた。T君の細君は彼が當時秋草の花を小包で迭つた其人であつた。子供も二三ケ月(39)前に出來てゐる。彼は斯くして極めて幸福な家庭を作つて、事もなく毎日某社へ出勤して居るのである。それに自分が斯ういふ風になって、斯ういふ所からあんな葉書を出したら、あの人の惡いT君があれに對して果してどんな冷笑を浴びせることであらうと想ふと、思はず五體がぞつとした。そして斯うして草の上に横つて居る自分の姿の寂しさ淺間しさが痛いまで明かに眼に映る。T君を初め、某君、某君などの落着いて生活を營んで居る樣が次から次へと眼の前に並んで表はれる。尚引續いて此頃までの自身の荒んだ自暴的の生活も浮んで來る。強からぬ者は、その自暴的生活にさへどん底までは落ち着くことが出來ないで、旅へ、旅へ、とさながら母を慕ふ小兒の樣に斯うして旅に逃れ出て來たではないか。それほど慕つて來た旅が汝に與へたものは果して何であらう!
 『では一體如何すればいゝ、僕にはあゝいふ生活に辛抱して居る事はとても出來んのだ。』
 思はず聲に出して、身體を起した。恐らくその顔は死人の樣に蒼ざめてゐたに相違ない。女郎花ともう一つ名の知れぬ黄色い草花が起き上つた私の頬や額にうるさく觸れて居る。それを拂ふのも五月蠅いので、眼を瞑ぢて石の樣に凝然《ぢつ》として居ると、頭はくら/\と痛んで今にも眩暈《めまひ》が起り相だ。思はず背後《うしろ》の方を振り返ると、今まで私の背に敷かれてゐた草や花がぽつり/\と身を起しつゝある、私はまたその上へ倒れ伏した。眼を瞑れば色々な妄想が浮んで來る。見開いて(40)ゐると額の上に枝垂《しだ》れかゝつた草花が點々と見えて居る。私はたうとう友だちにでも話す樣に此等の花に他愛もなく物を言ひかけて見た。心が落着いて來るに從つて、今度はまた沈んだ寂しさが身を浸す。輕く瞼を合せて呼吸をもあるか無いかに續けて居ると、其處ら此處らに細々と蟲の鳴いて居るのが聞えて來る。背には地の冷たさが傳つて來た。
 起き上つた時には身體がまだよろ/\してゐた。けれ共もう歩調をも確かにして、今まで二三時間内の自分を思ひ切り冷笑しながら暮れかゝつた路を大股に急いだ。輕井澤から追分の宿まで淺間の麓に沿うて三里半、よほど急がねば夜が深くなる。馬鹿なことをして居る間に大分時間を空費した。
 
(41) 雪と淋しき人々
 
 淺間火山の連山の一つに籠の塔といふ海拔八千尺近い山がある。八分通りは草山だが、絶頂に近い僅かの部分が眞黒な堰松の林となつて居る。その林の端が深い黄色な草原となりかけた所へ、落葉した白樺と落葉松とが二三十本疎らに立つて金屬性のやうな固い細かな枝を張つてゐる。まだ十一月の初めだといふのに、林にも此等の樹の根もとにも斑らに白く雪が積つて居た。
 溪間の眞白な白樺の木の間を縫うて一條の細い徑がこの山上へ通じて居る。或る麗らかな日であつた、二人の青年がこの徑を傳つて麓から登つて來た。そして愈々これから徑が下り坂になるのだと知つて、彼等は附近の雪を氣にしながら、日の嘗つた草原を選んで腰を下した。軟かな青い煙草のけむりが細々と葉の落ちた枝の間を昇り始めた。
 險阻な所を登つて來たゝめ、二人の顔は薄紅く熱してゐた。額には微かな汗さへ殘つて瞳は昂奮に潤《うるほ》つてゐた。そしてその瞳には彼等の面した半空を劃つて遠く東南西の三方に連つた甲州境の山岳から日本アルプスの諸高山の白雪が幻影のやうに映つてゐるのである。いま彼等の登つて(42)居る山の麓の廣い裾野と、一條の河と、河向ひに連亙《れんこう》した高原とを挾んで中ぞらに群り亙つた一帶の高い山脈には何處と云はず雪が日光に光つて居る、或山には暗く、或山には鈍い紫に、そして正面《まとも》に日光を受けた山には古銀のやうな白いかゞやきに。
 
『私は實際斯う云ふ崇嚴な、廣大な雪の景色を見るのは生れて初めてゞす、第一私などは東京に出て初めて足もとに積んだ雪を見たのですからねえ。』
『すると、お國には雪は無いのですか……貴君《あなた》のお國はたしか日向でしたネ。』
『さうです、日向です、……全然無いといふのではありません。けれども高い山のいたゞきに僅かに白く積るのを見るくらゐなものです。それも一年のうらに極く稀なのですから……。朝、母に起されて山の頂上が白くなつてるのを見た時などは大した歡喜《よろこび》でした。そして稀らしくばらばらとその人里などまで降つてゞも來やうものならそれこそ大騷ぎでしたよ、みんな戸外に出て飛び廻つたものです……。その少年の一人なのですからねえ、私がこの雪の山を見て驚くのも無理は無いでせう。』
 彼は聲に出して輕く笑つた。この信濃に生れて信濃に育つた彼の同伴者《つれ》は、如何にも不思議な話を聞くやうに驚いた顔をしてゐたが、やがて一緒になつて笑ひ出した。
(43)『それでも東京にはよく降るでせう。』
『降るには降つても、これとは全然趣きが違ひます。』
 惶しく打消して、はたと思ひ當つたやうに彼は瞳を上げて同伴者を見返つた。
『左樣です、一度ほゞこれと似通つた景色に出會つたことがありました。それも餘程感じは違つてゐますがね……。一昨年の一月でした、私は少し頭を惡くして暫く三浦半島の三崎に行つてゐたことがあります。その時のことです、非常に風の荒れた夜の翌朝で……私の宿は直ぐ海に臨んだ海岸にあつたものですから風の當りも特別に強くて殆んど船のやうに搖れ續いていたのです。その上に恐しく浪も荒れて睡ることも出來ずに、夜の明けるのを待つてゐますと、明方になつて急に凪いで漸くとろとろと睡着《ねつ》くことが出來ました。そして起きて見ますと……何處でもさうでせうが特に海岸の風のあとには一種云ふに云はれぬ新鮮《フレツシユ》な明るい感じが漲つてゐるもので、特にそれが好く晴れた朝ではあつたし一段と快感を覺えさせずにはおきません。で、大喜びで早速|渡船場《わたしば》に馳附けて城ケ島へ渡りました。城ケ島といふのは三崎の町から七八町も離れた小さな島で、その島の住民と町との間に渡船場が設けられてあります。
 町中のものがみな出て來たといふやうに朝日の明るい海岸には澤山な人が出てゐました。船を繕ふ者や唯だ馬鹿噺をして笑つて居る者、または急いで沖へ漕ぎ出す者など全く微塵曇りのない(44)活氣に滿ちてゐるのです。あゝいふ光景は斯んな寒い山國では一寸見ることが困難でせう……。港に碇泊してゐる數十艘の帆前船は潮沫《しぶき》に濡れた帆布を乾すやら船の掃除やら、高い聲が其處等に滿ちて大變な騷ぎです。渡船に乘つて港を横切りながらも斯ういふ光景に見恍《みと》れて獨りで喜んでゐますと、宿屋から一緒に伴れ立つて來た男が惶しく私を呼びますので、振返つて見ますと西の方に向けて指ざししてゐます。その方へ眼を移すと同時に私は實際飛び立ちました。
 それがその雪なのです。ほゞ此と似た場面ですが、船から向つて左手の端が伊豆牛島の端で、青い海から起つた半島の岬そも/\から眞白な雪です。その岬から天城山《あまぎさん》を中心とした伊豆牛島が悉く眞白で、それから足柄箱根の連山、引續いて富士、富士を越えてからは名も知らぬ相模路の山々がみな豐かに白衣を着なしてゐるのです。それまでも富士やその近所の二三の山には雪が見えてゐましたが斯う一帶に、而かも一夜のうちに白くなり終らうとは全く意外であつたのです。斯ういふことは全く稀だと船頭も珍しがつてゐました。私がどれだけ歡んだかは、もう言はなくともいゝでせう。』
 彼は晴やかに微笑してまた一人を見返つた。聽者《ききて》の方では雪のことより自身にとつて珍しい海の話に深く耳を傾けてゐたのである。この山國の若人はまだ海を知らないのだ。で、あとを促すやうに無言に強く語者《かたりて》の瞳を見詰めた。
(45)『島に着きますと……島にはたゞ一ケ所だけ小さな漁村が丘のやうな山の麓に薄暗く固つてゐるのです。私共はそれを拔けて山へ登りました。山から見渡すと渡船《わたし》の中よりもまた一段と眺望が廣くなつてゐます。特に私の眼を惹いたのは大島の火山です。海に浮いで寂しい噴烟《けむり》を揚げてゐながらその日は同じく純白な雪を冠つて遙かの沖に見えてゐるのです。この淺間などとは又違つた寂しみをその火山は帶びてゐるのです。』
 言ひかけて背後《うしろ》を顧みたが、噴烟の末が少し空に流れてゐるばかりで淺間はそこから見えなかつた。
『海には昨日の名殘で、恐しく巨きなうねりが青く白く日光に輝きながら見渡す限りの洋上にうねり渡つてゐるのです。そのうねりに浮ぶ伊豆から相模の群山の雪、私共は改めて讃美の言葉を發することもせず、唯だ石のやうに黙つて此の大景に對したのでした。』
 ほんの行き懸りから語り出した追懷談は次第に彼の心を落着かしめた。そして更に深い明かな記憶が萌《きざ》し始めた。
『それから其丘を越えて、私共は島の南側の磯に降りました。其處の磯は非常に廣いもので、眞黒な巌石の原野です。矢張りひどい風のあとゝいふ氣勢《けはひ》はそれ等大きな巌石の間にもあり/\と動いてゐて、目の前の海はきら/\と日に輝き渡つてゐますし、何となく身の引緊るやうに感ぜ(46)られて、暫くは兩人とも茫然《ぼんやり》してしまひました。
 左樣だ、私はまだ貴君《あなた》に、その日一緒に島に渡つた同伴者《つれ》の男のことをお話しませんでしたが……彼は肺病患者なのです。打明けてさうだとは彼も言ひませんでしたが、確かにさうです。その男を初めて私が知つたのは……話がだんだん後へ歸りますけども……』
 彼は言葉を斷つて、微笑の齒を見せながら煙草を一本吸ひつけた。脚絆を着けた兩人の脚はうす黄いろな枯草のなかに靜かに日を受けてゐる。
『元來私はその頃、我々の時代に誰しもかゝり易い懊悩病にかゝつてゐたものですから、非常に肉體も精神も衰へて、終《つひ》には親しい友人の顔を見るのすら苦痛な位ゐになつたのです。ですから誰にもかくしてこつそり東京を逃げ出して、三崎に行つてゐたのです。そして海際の親切な宿屋に心地よく三四日寢起してゐますと、或日の夕方、私の隣の室に來て泊つた男がゐました。室に入るなり非常に元氣な態度を示して盛んに下女にからかつたりなどしてゐましたが、それが如何いふわけだか私には初めから附元氣らしく聞えて仕樣がないのです。それも恰度隣室の私に當てつけてやつてゐるのかとまで思はれる位ゐで、私は最初から不快に感じてゐたのです。所が食事も濟んで下女の下つた後で、彼は頻りに咳き初めました。それは/\力の無い、聞いてゐると此方も咽喉の邊が變になるやうな、厭アな咳なのです。それでなくてさへも眠り難い時でしたから、(47)私は殆んど一晩その咳を聞き明かしたやうなものでした。それでも一晩だけ泊つて明日は他處《よそ》へ行くのだらうと樂しにみにしてゐますと、翌朝の食事の時下女に二三週間滯在する樣なことを言つてゐます。是は助からぬ、早速自分から宿を變へるか部屋を移すかせねばならぬと氣を揉みましたが、私の居た部屋といふのがまた素敵に好い部屋で、部屋を移すとすれば海の見えぬ所へ行かねばならぬし、宿を代へるとすれば折角馴染になつた親切な人達に別れねばならぬのです。それも厭やで、ぐづ/\してゐるうちにその日も暮れました。夕方散歩から歸つて來て、特に酒を註文して此方でも元氣をつけてやらうと試みました。そして少しづつ飲んで居るうちに何時か本氣に醉つて了つて隣室の客のことなどは忘れてしまひ、大きな聲で曾て自分の作つた和歌などをうたつてゐますと、不圖|低聲《こごゑ》に私に合はせて歌つてゐるのが聞えました。驚いて歌ひ止めると直ぐ向ふでもやめましたが、それはその隣室の男がやつてゐたのです。私は其時からその男を不快に恩ふ心が餘程薄らぎました。その翌日、宿の老人が私の室にやつて來て、これから用があつて三浦城址の方に出かけるが見物に行かないかと誘つて呉れました。早速同意して身仕度をしてゐますと、老人は隣室の男にも聲をかけてゐます。けれども男は何だか煮え切らぬ返事をしてゐましたが、愈々私達が門口を出かけますと後から追つて來ました。齢《とし》は確かに私より二つか三つ下ですが、何處となく顔の老《ふ》けた痩せた男です。私を見て快活に挨拶して、後には昨夜の歌のことな(48)ども話し出しましたが、私は好い加減に返事して、名前さへ言ひませんでした。向うでも老人にばかり五月蠅い位ゐ種々なことを話しかけて、自分獨りの老人だぞといふ風にも見えるほどでした。その晩は別しても咳いてゐた樣です。その翌日です、私がその男と島に渡つたのは。
 私が島に渡るつもりで、渡船場《わたしば》で舟に乘つて乘合を待つてゐますと、その男がぶら/\と蒼い顔をしてやつて來ました。私を見附けると妙に人懷しいやうな笑ひ方をして、何處へ行くのかと訊きますから、島に渡るのだ君も行かないかと思はず誘ひますと、行きませうと直ぐ元氣よく舟に飛び乘つたのです。
 ……。で、その黒光りに光つてゐる廣い磯で、私達は餘り話もせず、貝を拾つたり、暖かな砂原に寢轉んだりしてゐました。その男の臆病なことは夥《おびただ》しいもので、浪打際には少しもよう近寄らず、風のある巌の端にもよう行かないのです。そして私が干潮に乘じて浪を冒して烏貝や榮螺《さざえ》などを拾ふのをさも驚いたやうに見守つて、巌のかげに小さくなつてゐるのです。實際その時彼はもう餘程勞れてゐたらしいので、口には出しませんが如何にも宿に歸り度い風でした。で私も歸る氣になつて、ぶら/\歩いて來ますと突然私達を呼留めた者が居ます。驚いて振返ると、巨大な巌と巌との間に潮がさし込んで小さな入江見たいになつてゐる所へ舟を浮べて一人の老漁師が今迄魚を突いてゐたらしく手に金突《かなつき》を持つて立つてゐるのです。そしてこれから町の方へ歸(49)るのだが旦那達もこの舟に乘つて行かないか、極く安くで乘せて行くから、と言ふのです。喜んだのは同伴《つれ》の男で直ぐにも乘り相にしますから、君は舟に乘れるのかとその磯端浪の高いのを氣にして訊きますと、舟なら幾らでも乘れる、櫓も漕げると打つて變つた元氣です。私も元來は思ひがけなく斯んな所に舟のあつたことをひどく歡んでゐたのですから、踊るやうにして飛び乘りました。
 この城ケ島の磯といふのは三崎の港になつてゐる正反對の側にあるのですから、謂はゞ三浦半島の尖瑞で直接に大洋に面してゐるのです。ですから平常でさへ隨分浪が荒いのに、其日は前夜の風の後でせう、さア荒れる/\、眞青な奴が山のやうにうねつて來ては巌に當つて瀑布のやうに碎ける、眞白な泡を湛へてどろ/\と大きな渦が卷く、流石手馴れた老漁師の手にも殆んど舟が自由にならない位ゐです。私はまた斯ういふ所が大好きなのですから、噛みつくやうに漁師に叱られながらも小さな舟一杯になつて浮れ出しました。同伴《つれ》の男も術無さ相に私に調子を合はせてはゐましたが、それも決して本當の元氣ではない、次第に彼の顔の蒼くなつて行くのに氣はつきましたが、別に心にも留めず、私は唯だもう夢中でした。舟の近くの青い大きなうねりの中に魚の居たのを見附けては歡び、切り取つた樣な斷崖の中腹に數十羽の鵜が群れてゐるのを見ては鐵砲を欲しがりしてゐたのです。其中、舟は漸く外洋の磯の瑞を曲つて港の中に入りました。其(50)處は浪も靜かで、青い水底に藻草の動いてゐるのがよく見えます。漁師はこれで漸く安堵したといふ風に櫓から手を離して煙草入を取出しました。すると今迄黙つてゐた同伴の男は突然立ち上つて代つて櫓を握りました。本當に漕げるのだなと珍しいものを見る樣にその方を見てゐますと、不圖此方を向いた其時の彼の顔の蒼さ! 本當に恨み死《じに》に死んだやうな顔でした。
 とかくして舟が岸に着くや否や彼はよろ/\として岸に上つて、もう耐《たま》らぬといつた風に砂原に坐つてしまひました。漁師に錢を渡してから、如何かしましたかと彼の側に行つて訊ねますと、鋭い瞳で微笑しながら、何か言はうとして、つと立上つて物蔭の海端に走りました。そしてせきあげて物を嘔吐《もど》す氣勢《けはひ》がします。私も周章《うろた》へて走つて行つて見ますと、如何でせう、俯伏しになつた彼の前には赤いものが砂の上に飛び散つてゐるのです!
 
 それから五日ほど經つた時、私は一日がけでまた城ケ島に遊びに行つて、宿に歸つて見ますと、その男はもう宿を立つてゐました。宿の者も醫者も頻りに留めたが、如何《どう》しても聽かないで、自宅へ歸るとか云つて午後から俥で立つたのだ相です。私には半切《はんきれ》の端に三四行ほど、不意に思ひ立つて歸る、此處で死んでは餘計にお世話をかけるから、と書いたものが殘してありました。宿帳に認めてあつた東京小石川區白山御殿町の彼の宿所を宛に私からもすぐ手紙を出しましたが、(51)さういふ者は居ないとの附箋づきでまた返つて來ました。自分の宿所までも隱し歩いてるのですかねと言つて、宿屋の者は不快《いや》な顔をしてゐましたつけが……』
『その男は如何しましたでせう。』
『さう、如何ですか、何だか矢張りあの調子でやつてゐるやうに思はれてなりません。』
 兩個《ふたり》の間には尚ほ暫く談話が續いてゐたが、やがて立上つてお互ひに着物についた枯草を拂ひ合つて歩き出した。
 彼等のうち一人はこの籠の塔の峠を超して上州の方へ行つて了ふ旅の身である。一人はそれを送つて峠の裏にある鹿澤《かざは》温泉まで行つて其處に一晩だけ一緒に泊つて明日は信州に歸るべき約束になつて居る。
 彼等の立ち去つたあとの堰松の根の雪は一層明らかに白かつた。夕暮の風につれて淺間の噴煙《けむり》が彼等の眼に近く垂下つて來た頃には、曲り蜒《くね》つた坂路の向うに、むら/\と湯氣を吐いてゐる温泉が見下された。
 
(52)第三編
 
 山より妻へ
 
 日向和田《ひなたわだ》から多摩川に沿うて、だら/\坂を二里登つた。川と云つてもすつかり溪で、到るところがまつしろな急瀬《きふらい》ばかり、それを挾んで杉のとしごろの青いのがみつしりと茂つてゐる。いよ/\山にとりついてから急に峻しくなつて、とう/\双肌《もろはだ》ぬぎで登つた。山の下までは、照るともなしの日が照つてゐたが、山の半ばほども登つて來ると、風もないのに、生きものゝやうな霧の斷片《ちぎれ》が非常な速力で、そこの溪こゝの峽間《はざま》からまひ昇つて來て、なんだか獨りでゆつくりなどとても歩いてゐられなかつた。この間、四十二町。いま僕の居る家は社のすぐとりつきで、この二階の窓から三方がすつかり見晴らされて、むやみに佳い。前面(机をすゑた)がすぐ恐いやうな社の森で、樹木は檜、樅及び杉、みな何百年か斯うしてゐた連中だらう。左手は、何か名の知れぬ巨きな老樹を透かして、遙かに南畫にあるやうな山岳が連つてゐるのを見下し得る。や(53)や身體《からだ》をねぢむけて、うしろを見ると、二三十町を距てた下の溪がこれも老樹の間に見える。
 そして、着いてすぐは、暫く霧が晴れて、この家の附近にはさゝぬが、左手の遠い山岳にはうす赤い夕日が當つてゐた。すると、一瞬ののちには、また、霧が精靈のやうに、そこ此處をまひ歩いてゐる。遠くの/\方には、晴れた雲が日光を宿してゐる。この景色を、くはしくまちがひなく書かうなら、數人して、手わけして書かなくてはとても駄目だ。正しい時計を前において、三分、五分の間には、もうたいした變化の生じたことを知らねばならぬ。
 鳥がむやみに多い。
 と、以上を書きかけておいて風呂に入つて來たら、どうだらう、濃密を極めた霧が、身邊――宇宙を包み終つて、あの近くの社の森ももう見えない。窓さへあけられぬ。ぢいつと見ると、ソラ、この間の雨のやうに、白い柱を作つて、迅速に追つかけ/\走つて居るのだ。
 
 あまり、新しい經驗なので、すつかり面食《めんくら》ひのていだ。いゝのだか、わるいのだかすらもよう言へぬ。この斷定をつけるには少くともいま一二日を經過せねばなるまい。
 寒いよ。山の人でいま綿入羽織を着てゐない人はない。けふは割に暖かなのださうだが、火鉢をそばからよう離さぬ。はあつと息をふくと、白うくなつて出る。
(54) イマ、階下《した》に、新しい旅人が飛込んで來た。霧で大騷ぎをした話をして騷いでゐる。さつき僕の通つて來たあの溪谷の徑を、この霧では、なるほど驚いたらう。どうだ、三間ききは見えない深さだ。僕の眉根が痛いほど固くなつて來てゐる。風が、障子を動かし始めた。暗い、暗い。(以上、二十日、夕方)
 
 右まで書きかけてゐたところへ女中が膳を持つて來た。たいした御馳走だつた。推茸に乾白魚《ほししらす》、茗荷の吸物、泥鰌の柳川鍋、山芋のすつたの、山芋(巨きいんだぜ)の煮たの、それに乾海老のつくだ煮、と、も一つ、二合瓶、これはもつとも主觀的産物だが、――ちび/\やるうらに、暗かつたあたりが急に明るくなつたので、振向いてみると、どうだ、霧がすつかり晴れて、西の(前面)溪間から、大きな煙筒から煙が出るやうに、眞白い雲がちぎれ/\に、むくりむくりと湧き上つて來るではないか。その雲はあまり高くへは昇らず、丁度眞すぐに眺めらるゝ眼の程度のところあたりに來て、幾つにか切れてところどころに空中に浮んでゐる。しばらくこのあやしき景を眺めて、また、ちび/\を始めてると、思ひもよらぬ雨の音だ。オヤと振向くと、驚いた、まったく雨がばらばらと落ちてゐる。雲はどこぞへ行つてしまうてゐる。而かも明るい。ふとうしろの方(東)の溪を見下すと、二三十町下の世界の狹い平野には、きれいな夕日が當つてゐる。(55)そして、さつき僕の近くに居た奴だらう、雲が二つか三つその下の方へ下りてゆきつゝある。その雲には虹のやうな日光が宿つてゐるのだ。大きな雨が、しきりに落ちて來る。
 ――少し逆上《あが》つて、素晴しい勢ひで瓶をとり上げると、からさ、忽ら追加追加と叫んで、宿の人を驚かした。そして、とう/\例の如くめでたくなつて、今朝まで、正體無し。
 もつとも、夜中に眼がさめた時、恐しい雨の音だつたが、今朝起きてみると矢つ張り降つてゐた。どうか雨ばかりは欲しくないと思つてゐたので、少々がつかりの態《てい》だが、止むを得ぬ。鳥がネ、そこら中で啼いてゐる。向うの山の頭が明るいから、若しかすると、雨もあがるかも知れぬ。そして、いまでも、前とうしろとでは、たいした景色の違ひかただ。うしろの方では、山と山との間に雲が澱んで、消えたり表れたり、ソラ、橋本雅邦のかいた日本畫によく出てくる山と雲との景色で、信州生れのお前は、まだこの種の景色の記憶が鮮かであると思ふ。太鼓が、そここゝで鳴つてゐる。朝のおつとめだらう。
 歌を作らうと思ふのさへ、おつくうだ。このまゝ、ぼんやり、この不思議な空氣のなかに浸つてゐて見よう。どてらを借りて、ぬく/\と着込んで、火鉢に當つてゐる。東京では變事無しかネ。誰も來ない? お前の動作をきかして呉れ給へ。左樣なら。(二十一日、朝七時半)
 
(56) 野州行
 
     停車場
 
 停車場までE――君が送つて來てくれた。停車場で大きな柱時計を仰ぐ氣持は、惶しいなかにも言ひ難い靜けさの寵つてゐるものである。時間がやゝ早かつた。やらうかと驛前のビヤホールに寄る。
 氷のやうに冷たいのが靜かに咽喉を通つてゆく。彼も無言、我も無言、まだ朝のうちの亭内にはきれいに水が打つてあつた。發車のベルをば聞き流しながら、一汽車乘り後れた。
 左樣なら、左樣なら、誰々によろしく、左樣なら。
 白い晴子に白い洋服のうしろ姿は眞直ぐに歩廊を歩き去る。窓から離れて腰を下すと私は全く獨りになつてしまつた。汽車の足は次第に速くなつてゆく。淺草あたりの空は青黒く燻《いぶ》つて、其處等いつぱいにきら/\と日の影が散らばり、この汽車自身も光つて居る樣に思はれた。
 
(57)     喜連川
 
 下野國喜連川《しもつけのくにきつれがは》といふまぼろしは永年私の頭に浸み込んでゐた。上州野州といふ樣な聯想から上州同樣山深い國としてのみ描かれてゐた。その奥州街道の喜連川は霧深い峽間に在るうねうねした坂路の一筋街、と斯う考へてゐた。
 ところが、大宮から小山宇都宮と、行けども/\山らしい影も出て來ぬ。全くの平野である。汽車の兩側には黄色い瓜の花のみ眼について、汗は斷間なく流れ出る。汽車自身も汗みどろの形だ。
 宇都宮より三つ目、氏家驛下車、直ぐに馬車に移り、また田圃の中を走る。一里ほども行つた所で、小高い丘を越えた。峠を過ぎると下に大きな河が見えその向うに白々とした町が見えた。此處だなと思ふと、もう私の胸は踴《をど》り始めた。初めて見る喜連川の町は山ではないが、眞白な河原を前に、背後に青やかな丘を負うてゐた。
 石の鳥居を入つて石段に突き當つて左に折れて、と馬車屋の教へた高鹽君の宅はすぐ知れた。冠木門《かぶきもん》をくゞり、藺や河骨のある小さな池の間を通り、玄關に立つた時、私はまた新たな動悸を感じた。家内には三十歳前後の、靜かな婦人がたゞ獨り居られた。上つて座についた時、その阿(58)母さんに呼ばれて九歳《こゝのつ》に六歳《むつつ》ぐらゐのよく似た可愛い孃さんが表れた。そして何か云ひつけられて兩人《ふたり》競爭して戸外へ驅け出した。兎も角もと勸められて風呂に浸つてゐると、ツイ傍の勝手口で早口の男の聲を聞いた。二年目に聞くその聲、私は直ぐ立ち上つて風呂の中から呼び懸けやうとした。
 その夜は泉水に面した座敷で嬉々として酌み交した。酒を飲むといふより寧ろ何彼と話すのが主であつた。友人の阿父《おとう》さんも――高鹽家は土地の郷社の神宮をして居らるゝ――我等の無作法な席に永いこと相伴《しやうばん》をして下された。仲間には齋藤春光君、大村松之助君、やゝ遲れて春光君の兄さんも來り加はられた。
 短夜の殆んど曉近くに漸く席を離れて私だけは、本宅を離れた靜かな座敷に誘はれた。うと/\とすると既う枕もとの窓は明るくなつてゐる。蚊帳を出て窓を開くと、すぐ前は淺い竹の林でその上はしん/\とした杉や欅の森となつてゐる。雫の散る音も聞ゆる。昨日からのことなど思ひ出してゐると、何となく自分の故郷にでも歸つてゐるやうな思ひがして、そゞろに涙ぐまれて來た。久しく忘れてゐる人情といふものゝしみ/”\と身に浸み起るをすら感じた。
 
(59) 御牧が原
 
   岸の柳は低くして
   羊の群の繪にまがひ
   野薔薇の幹は埋もれて
   流るゝ妙に跡もなし
   蓼科山《たでしなやま》の山なみの
   麓をめぐる河水や
   魚住む淵に沈みては
   鴨の頭の深緑
   花咲く岩にせかれては
   天の鼓の樂《がく》の音
   きても水瀬《みなせ》はくちなはの
   かうべをあげて奔るごと
(60)   白波高くわだつみに
   流れて下る千曲川
 
   あした炎をたゝかはし
   ゆふべ煙をきそひてし
   駿河にたてる富士の根も
   今はさびしき日の影に
   白く輝く墓のごと
   はるかに沈む雲の外
   これは信濃の空高く
   今も烈しき火の柱
   雨なす石を降らしては
   みそらを焦す灰けぶり
   神夢さめし天地の
   ひらけそめにし昔より
   常世《とこよ》につもる白雪は
   今も無間《むげん》の谷の底
(61)   湧きてあふるゝ紅の
   血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
   翼をかへす淺間山
 
   あゝ北佐久の岡の裾
   御牧が原の森の影
   夢かけめぐる旅に寢て
   安き一日もあらねばや
   高根の上にあか/\と
   燃ゆる炎をあふぐとき
   み谷の底の青巌に
   逆まく浪をのぞむとき
   かしこにこゝに寂寥《さびしさ》の
   その味ひはにがかりき
           ――島崎藤村作「寂寥」中の一節――
 
(62) 七月二十四日、午前九時、小諸を立つ、春日の湯に向ふためである。順路を行けば何處より何處を經て百澤《ももざは》町に向ふべき旨小諸の友人たちは丁寧に教へて呉れたけれど、私は一種の好奇心から名のみは永く聞いてゐた御牧が原を横斷し、同じく百澤に出づべく思ひ立つた。
 小諸を出る時、昨夜の宿醉《ふつかよひ》で身體がふら/\してゐた。一本提げて行きますかと握らせやうとする酒の瓶を斷つて、(あとで大いに後悔したが)裾を端折《じゃしよ》つててく/\と歩き出した。晴れ切つた日光はかつ/\と上から照りつける。通りがかりの懷古園の松林が今日に限つてイヤに黒染みて見えてゐた。
 うつ/\と何かに思ひ耽りつゝ夢うつゝに六七町の坂路を降りて小さな落葉松の林を拔けると、ツイ目の前に千曲川の流が表れた。廣い眞白な河原の一方に偏つて悠々と、あを/\と流れてゐる。その上に古い危い吊橋が懸つてゐる。橋の中ほどの鐵線《はりがね》に握《つか》まつて私は暫く水の流に見入つてゐた。七八年も前になる。一二年間の長旅を思ひ立つた或る秋、殆んど毎日私は斯うしてこの橋の上からこの水を眺めて泣いたり笑つたりしてゐた事があつた。七八年間の「時」のながれ、それがいまあり/\と私の前後に顯れて來たやうにも思はれた。
 川を渡るとすぐ坂になつた。御牧が原への路に折れ込んでから坂は一層險しくなつた。日はぢり/\と照りつける、そよとの風も無い。五歩に一度十歩に一度立ち止つて振返ると、淺間山に(63)はいつぱいに雲が懸つて、薄青黝《うすあをぐろ》く光つてゐる。
 喘《あへ》ぎ/\辛くもその九十九折《つづらをり》の急坂を登りつめると、忽ち眼前に驚くべく廣大な平原が展開した。波浪のやうにうねり續いた低い丘陵には、松林や麥畑が果もなくうち續いて、その間にぼつりぼつりと人間の影が見える。しいんとして空の光の烟り渡つてゐるなかを、何處からか幽かな聲の流れて來るのは山鳩が啼いてゐるのである。遠くの野末を僅かに動いて行くのは荷を負うた馬である。私は汗を拭くのも忘れて、暫くはこの目新しい光景に茫然として眺め入つた。眞實《まつたく》私にとつては初めての景色である。武藏野の平野も、肥筑の平原も、廣いには廣いがそれらとは全然趣きが違つて居る。荒れ乾いた、いかにもこれは高原の姿である。
 曾て輕井澤にゐた時、或る西洋人の宣教師が輕井澤の自然は何となくヱルサレムの高原に似てゐると言つたことがあつたが、この原なども何處かアラビアあたりの片隅にでもありさうに想像される。
 いま登つて來た方を振返ると、千曲川の岸から殆んど直角に近い角度で削り立つた木深い斷崖である。眞下に青い流が隱見してゐる。その坂の長さ約十幾町、これでは勞れたも無理はないと今更がつかりしてゐると、不圖何やら物音がする。見廻せば坂の登り口からツイ横手の松の蔭に一人の老婆が麥を扱《こ》いてゐる。折からとていかにも可懷《なつか》しく草を分けて歩み寄つた。が、こちら(64)の挨拶には目も呉れず、せつせと黄色い穗さきを扱き落してゐる。私はその側の松蔭に腰を下して所在なく煙草を取り出した。私等のいま住んでゐる海岸ではもう二ケ月も前に刈り取つたものを、などといかにも出來の惡さうな短い麥藁を眺めながら立て續けに二三本を喫ひ捨てた。山鳩は間斷なく遠くの林で啼いてゐる。大きな山蟻が熱《ほて》つた足に這ひ上り這ひ下りしてゐる。 我に歸つて歩き出すと、前にはたゞ草いきれのむんむとする中にあやしい小徑があるかないかに續いてゐるのだ。出立當初からそれのみを氣にして來た路迷ひは愈々それから始まつた。何しろ同じやうな徑が深い草の蔭に其處にも此處にも通じてゐる。途方に暮れてゐると幸ひ遙かの麥畑に人がゐるので其處までやつて行つて訊ねると、その麥畑の中を南の方へメタ行くと松林に入る、松林を今度は東の方へメタ下ると何とやらで何とやらと、現在聞いてゐるうちに頭が變になるやうなあやしい教へかたなので、心細いことこの上ないながらも、とにかくメタ歩いて行くと廣い溜池の側でその徑は無くなつてしまふ。また今度は別な男を發見しては其處へ行つて訊ね直すと、また例の何とやらで何とやらのべつにメタ行くことをのみ教へて呉れるのだが、その通りに行ってみると結果は矢張り同じことになつてしまふ。兩脚とも泥だらけで、芒や茨のために血さへ其處此處浸んで來る、咽喉は痛いやうに渇き出す。松林の中などで何處ぞ水の音でもせぬことかと立ち止り/\耳を澄すが一向そのこともない。どうかして遠い所でそれらしいものを聽き(65)出して、千辛萬苦たづね當てゝ見るとこれはまた赤濁りの湯のやうな水だ、例の其處此處に作つてある溜池から出て來る奴らしい。同じやうなことを繰返すこと十囘か二十囘、ほと/\精も根も盡き果てゝ小さな木蔭に辛うじて日を避けながら寢轉ぶと、冷たい汗がうつすらと全身に流れてゐる。何といふ怪《をか》しな所だらう、と終《つひ》にそんなことを考へ始めた。信州は山國としては一股によく開けてゐる國である。それに比べて此處ばかりは全く別天地の觀があるではないか。路らしい路のないのが第一、路を訊いても教ふる法を知らぬのが第二、それよりも先づあの住家《すみか》の不潔なのは何だ、五町か十町おきに雨夜の星の如くに散在してゐる住家をば、初め私は單に肥料小屋かと思つた。一度水を貰ひに立ち入つて、そしてそのまゝ爪先立てゝ引き返したこともある。あの中に住んでゐる仲間に親子もあるだらうし夫婦もあるだらう。また惚れ合つた若者同志もあるだらう。一體それ等が如何して如何いふ暮しを立てゝゐるのかと考へてゆくと、何だか苦しい滑稽を覺えずにはゐられなかつた。
 そして不圖斯ういふ事を憶ひ起した。數年前、矢張り小諸に來てゐた頃のことである、小諸からこの御牧が原に來て開墾に從つてゐる四十近い或一人の男が歌が好きで、私の小諸に居る間、よく其處に出て來て種々の話をした。後はもと小諸の或る立派な商家の息子である相だが、何か感ずる事があつてわざと自家《うち》を出てこの原に籠つた。初めは全く一人で木の根を掘り荒土を鋤い(66)てゐたが、何時となく彼の許に人が集つて來た。中には浮浪人が多かつた、夫等に對して彼は全然|來者不拒去者不追《きたるものをこばまずさるものはおはず》の方針をとつていたが、數日にして去るもあり、其儘其處に留るもあつた。彼の最も困難したのはこの荒原の中に貯水池を設けることで、失敗に失敗を重ねながら一つのそれを造るに二年とか三年とかの日數を費し、絶望して手を引いたのゝ多い中に、辛くも獨力で漸く水の漏らぬやうになし得たことをも語つた。いま私が通つて來る途中に出合つた幾つかの溜池は、畢竟《つまり》それと同じものであつたのだらう。或時また斯ういふ事もあつた、原にも可なりの人家が出來たから是非神社を一宇建立したいと種々手を盡したが、丁度其頃一般の社寺合併さへ行はれてゐた際で、獨立したそれは許可せられず、漸く何とか遙拜所といふのを設けることになつた、そしてその第一囘の祭禮を今度行ふことになつたから、是非その日原まで來て頂き度いといふ招待を受けたことがあつた。何かの都合でそれにはよう行かなかつたが、行けばよかつたといふ氣はいまだに消えずに居る。
 そんな事を思ひ浮べて居ると、今まで唯だ苦しくのみ思はれてゐたこの高原の小さな殖民地が、何となく興味深く感ぜられて來た。それならばいつそこれから百澤へ出る事を思ひ止つてその人を尋ね、其後の彼の事業の經過またはこの原の現状、産物とか生活状態とかいふものを聞いて見やうかと思ひ立たれた。そして、ぎし/\といふ足腰を起して今度は彼の家を訊ね始めたが、私(67)の覺えてゐるのは彼の姓だけなので、矢張り急には解りさうにもなかつた。腹は空く、をり/\氣は遠くなる、折角振ひ起した勇氣も興味も瞬くうちに消滅して、また草の上につき坐つた。遠くで鷄の啼く聲が聞えた。見ればいま自分の坐つてゐる畑の向うの丘の中腹に一軒の小屋がある。聲はどうも其處から起つてゐるらしい。それを頼りにまた立ち上つた。下の方からその小屋の附近に人聲のするのを聞き鷄の歩いてゐるのを見附けた時はまた烈しい昂奮を覺えた。小屋には三十前後の主人夫婦と汚い子供が三人ゐた。皆うち驚いて私の周圍に集つたが、私の請ふまゝに鷄卵と(唯だ二つきりなかつた)水とを出して呉れた。水は井戸(と呼ぶ所)から汲んで來たのだが例により赤く澱《をど》んで居る。私は卵の代を三倍にしてその水を沸して貰ふことを頼んだ。特にその主人はそれから十町ばかりも私を送つて來てくれた。そしてもう大丈夫といふ見當のつくまで丁寧にそれから先の路を教へて引き返した。心細くも私はまた一人して坂路を降つたが、なるほど主人の言つた程度の所まで歩いて來ると、左右の丘が一帶に開けて、その一端を横切つて走つてゐる電信柱の數本を發見した。そして、私は眞實一種の暗涙を覺えつゝその電信柱に向つて小走りに走つた。いよ/\最後の坂を降り盡すと其處に坦々(?)たる大道が通じて、無數(?)の人馬が往來してゐた。それは舊中仙道百澤の宿であつた。(七月二十六日、春日の湯にて)
 
(68) 春日の湯
 
 自分の近くに春日《かすが》の湯といふのがある、蓼科山《たでしなやま》の麓で、極く靜かで、頭によく利く、是非一度來ては如何かと、北信濃のS ――君からいろ/\親切に勤められたのは昨年の秋からであつた。病人を伴れて相模の方へ移る時も、そんな方へ行くより一家内してこららに來るがよいではないかと云つて呉れた。暑くなり始めにもさう云つて勤められたのであつたが、病人はまだ其處までの道中に耐ふべくもないし、それを殘して獨りで出懸ける勇氣もなし、それかと云つてそんな山の中の温泉にぼんやり浸つてゐる味ひは數年この方知らないことなので行き度さは山ほどだし、どうしたらよいかと獨りでさま/”\惱んでゐた。細君もいつかそれに氣がついたと見えて、あとはもう大概心配ないからゆつくり行つていらつしやい、S――さんにもわるいから、と言つて呉れるやうになつた。それならば、と喜び勇んで飛び出したのが今度の信濃行となつたのである。
 
 S――君と二人、春日の湯に着いたのは七月二十四日の薄暮であつた。私はその日小諸から御(69)牧が原を歩いて來たので、ほと/\疲れ果てゝゐた。夕立のあとに暫く續いてゐた夕燒もいつか光ををさめて、次第に暗くなる狹い坂路を辛うじて一歩二歩と拾つてゐると、遠くの山の頂は追い追々と黒染みまさり、傍の溪の茂みからは鴫に似た鳥など折々とぴ出して、瀬の響も骨に喰ひ込むやうで心細い思ひがしてならなかつた。兎角して坂の右手に折れ込んだ谷合に所不似合な家の屋根が泣び立ち、煙がしげく立ち上つて居るのを不圖見出した。
『此處だな!』
 と思はず口走ると、
『左樣です!』
 と友は微笑む。
 一軒の湯宿の縁に泣くやうな恩ひで腰を下すと、その側を通つて女中どもが切りと膳を客室に運んでゐる。さう多くもないのだらうが、何とやら人のどよめきがそこらに漂ひ、伽藍堂《がらんだう》な臺所には何やら湯氣が立ちこめて薄赤く洋燈の灯が浸《にじ》んでゐる。軒近く山の樹木が立ち茂つて、身體の汗が急に冷たい。
 とりあへず湯にとび込んで、サテ廣々した三階の一間で先づ一杯を傾くることになつた。先刻《さつき》から耳についてゐた杜鵑がしきりに啼いて、折も折、まんまるな月が眞向うの峯に浮び出た。は(70)てはその月の光に浮んでとび交す影さへ見えだした。
 
 湯とは云つても鑛泉で、普通の温泉の熱さは無い。體温よりやゝ低い位ゐなので最初入つた時は冷たいが、暫く浸つてゐればその冷たさは感じなくなる。無色、無臭、腦胃腸及び切傷にいゝといふので、あまりきたない病人は來てゐない。高い樋から豐かに落ちてゐるのに頭や肩を打たせてゐると、眞貫身體の輕くなる心地がする。その冷たいのゝほかに、冷えた身體を温めるために沸かしてあるのもある。これは湯槽《ゆぶね》は小さいし古くはあるし、特に遊び半分に入つてゐる連中が多いので騷々しさ此上ない。中學生らしい連中と土地の若い衆連との間に、寧ろ競爭的に行はれる故《ことさ》らだつた無作法には實際弱らされた。
 信越線の小諸驛からも田中驛からも五六里づつある。それが一帶に爪先上りの山路なので隨分不便である。だから入浴者も附近の百姓たちか、廉《やす》いをいゝことの學生連に限られてゐるやうだ。從つて二十日間の滯在中、一人の話相手も出來なければ、眼を歡ばせるやうな美しい人にも出合はなかつた。東京の本郷の人だとかいふ四十ちかくの婦人が來てゐた。上品な人であつたが永い腦病でゝもあることか、蒼い頚をして髪も極めて薄かつた。屋根には石の置いてある板廂の薄暗い二階の窓際に、毎朝この人がいろ/\の草花を取つて來ては、何かの空瓶に挿しかへてゐ(71)る樣が憐れであつた。折を求めては遊びに來い/\と言つてゐたが、何だか痛ましいやうな、氣味の惡いやうな思ひがして近寄り得なかつた。屋根から落ちて腰を打つたといふ氣さくな話ずきの大工の爺さんも來てゐた。東京の深川に若い頃行つてゐたといふので、あとでは前の年増さんとたいへん仲が好くなつてゐた。或日の夕方やつて來た、頭の曲つたやうに長い、眼つきのよくない四十男は、翌日から部屋々々を廻つて歩いて髪を刈ることを強請した。そして涙を流しながら刈られてゐる人も多かつた。後には愈々圖々しくなつて湯槽にまで剃刀を持ち込んで其處で鬚を剃らせろと口説いてゐた。此男はバリカン修繕屋で、附近から古い傷んだバリカンを集めて來ては三四日入湯する、其間に刈つたり剃つたりして入湯費位は作り更にその古バリカンを磨ぎ上げては山を下つてゆく、毎年一囘位ゐやつて來るのださうだ。なるほど湯に入らない間にはせつせと磨いでゐたが、二三日するとその造り笑ひのきんきら聲は聞えなくなつた。
 
 涼しいには全く涼しい。晝寢するにはすつかり窓を締め切つて、夜はまた冬の蒲團を被《き》てからでなくては安心し睡れなかつた。私の部屋の眞下を小さな溪が流れてゐた。近所を散歩して歸つて來て、その溪で足を洗ふのに、あまり丁寧には洗つてゐられなかつた。あまりに冷たくて、直ぐ手や足が痛くなるからである。その溪に麥酒をつけておいて散歩に出て、歸つて湯にとび込(72)んで、それから栓を拔くことは先づ第一の樂しみであつた。
 
 そんな土地だけに、たべ物に贅澤は言へない。三度のおかずは先づ罐詰もので、その他には鯉の料理である。夕暮ごとに庭さきの池に入つて鯉を追ひ廻す脊の高い宿の主人の姿が目についてゐる。洗ひにしても鯉こくにしても二三度重なれば鯉には倦きるが、罐詰には却つて倦きない。信州に行くごとに私は次第に罐詰美を噛み出すやうである。數年前、淺間の裏山の鹿澤《かざは》温泉に行つてた時も、全く斯の通りであつた。其處はもつと山の深いだけに兎がよく取れた。湯のせゐか、空氣のせゐか、幸ひにお腹がよく空いた。三度々々待ち受けて箸を取る幸福を味つたのはまことに久しぶりであつた。
 それに酒が廉い。一合六錢となれば最上等の部で、四錢からある。味は無いが、直ぐ頭に來るといふのでもない。杯は先づ大抵飯茶碗の大きさである。
 
 涼しいのと、枕の下を溪水の流れてゐるのとを取柄にして、眺望といふものは私の部屋には無かつた。宿を出て一二町下ると、東北に淺間山、西南に蓼科山が眺められた。淺間は――山は一帶にさうだが――どうしても近くで見る山でない、この位ゐ離れて見るといかにも莊嚴に仰がれ(73)る。夏のことでいつも雲が深く、明方か夕方かに極く稀にその頂上の煙が眞直ぐに立ち昇るのが見られた。通り雨のあるごとに、圓やかな輪郭の、山肌の青い蓼科によく大きな虹が懸つた。
 四邊《あたり》には秋草がすつかり咲いてゐた。葛、吾亦紅などを見たのは久しぶりであつた。そして、實に鳥が多い。彼等の啼くは朝に多く、落葉松林を離れた霧がうす雲となつて中空に棚引く頃、澤は全く此等の鳥の聲に埋れてゐる。
 
 この山の湯から二里あまり山路を降つた所に望月といふ町がある。中仙道での著名な舊い宿場だ。四方を山に圍まれた、深い底見たいな所だが、町の過半は絃歌紅燈の巷である。山深く行ひ澄してゐるものを、時々惡友が現れて私をこのあやしき底の町へ連れて行つた。温泉宿の酒の終るのが大抵夜の九時か十時、提灯を吊して二里の山路、それから二時か三時まで飲んで騷いで、夜が明ければまたとぼ/\と坂道を這ひ登るのである。
 その山の湯から下つてこの海濱に歸つて來ると、暑さが忽ち身を襲うた。この三四日、半病人となつて寢てゐる。(八月二十日、北下浦にて)
 
(74) 山湯日記
 
     秋近し
 
 大抵五時に起きる。今朝もさうだ。障子をあけると丁度眞向うの、峽間の開けてゐる空に二筋ほど金色の雲が棚引いて、眞赤な日輪が昇る所であつた。そして仰ぐといふよりも寧ろ眺め下すといつた風の地位にその日輪は在るのであつた。
 厠にゆき、顔を洗ひ、身も輕いやうな氣持になつて毎朝の散歩に出た。煙草が誠にうまい。宿からとろ/\と下るとやゝ開けた所に出る。東北に淺間が見え、西南に蓼科が聳えてゐる。今朝はいつになく雲深く、しかもいつもの光り輝いた雲でなくして重々と垂れてゐる。淺間は僅かに裾野のみ表はれ、蓼科からはいま切りに白い雲の離れてゆくところで、次第々々に青い圓やかな山の肌が露れて來る。そしてその址に射して來る朝日の影の何といふ爽やかな色であらう。
 徑のめぐりには犬蓼や女郎花がさものび/\と咲いてゐる。今朝はいつもほど露が深くない。露はよく晴れた日に深いやうだ。
(75) 吹くともなく風が見えて、いかにも秋の近づいたのを思はせられ、そゞろにうら寒い心が起る。部屋に歸ると長火鉢に鐵瓶が湯氣を吹いて居る。それが如何にも可懷《なつか》しく、近々と寄り添うて火箸を取つた。(八月二日、春日の湯にて)
 
     秋の鳥夏の鳥
 
 露の深い朝のこの瞬間は何となく重々しい燻銀《いぶしぎん》の色に輝いて見ゆる。葛の菜や朴の葉は目立つて白々と寒い色を帶びて居る。谷の方から起つた霧は次第に峰へたなびいて、やがては空に昇つて消えてゆく。峰に竝んだ赤松の肌にはあかあかと朝日がさしてゐる。そんな朝に限つて鳥の聲が多い。 杜鵑は切りに啼く。これも曇つた日には少ないが晴れ渡つた空から空へ峰から峰へ翔《ま》ひ交しては啼いてゐる。時としては宿のうしろの松の梢に來てすら啼く。驚いたことには百舌鳥がいまないてゐる。私共は幼い時からこの鳥がなきさへすれば秋が來たと思つたもので、秋とこの鳥とはいつも深い因縁を結びつけて考へてゐたものだ。その鳥がこの青やかな夏の山でないてゐる。樫烏《かけす》もなく、鵯もなく。此等も矢張り秋の鳥冬の鳥といふ考へが遠くから身に浸みてゐた。名を知らぬのゝ多いなかに、駒鳥に似た聲の鳥がゐる。誠によく澄んだ聲で、この鳥のなく時は木々の雫(76)も散り落ちさうに思はるゝ。山鳩もうれしい音《ね》いろである。聽いて居れば自づと頭が垂れてゆき、瞳さへ瞑《と》ぢられて來る。
 なかにも私のうれしかつたのは、思ひがけなくこの峽で郭公の聲を聞いたことであつた。或朝、宿から澤の方へ入り込んでゆくと、右云つた種々の鳥のなき交してゐるなかに、不圖、かつくわう、かつくわうと啼く聲を聞いた。われ知らず立ち停ると、暗く、切りに啼く。同じ程の間を置いてはかつくわう、かつくわうとないてゐる。その聲のする方へ耳を澄ましてゐると、やがて今度は遙か離れた落葉松林の霧の中でないてゐる。曾て讀んだウオヅオスの詩の中にこの鳥のことを歌つて、私がまだ少年であつた時、どうかしてお前の姿を見たいと思ひ、岡から岡、谷から谷へとその聲する方へ、實に幾度び探ね歩いたことであらう、而も終に見ることが出來なかつた、今はお前は私にとつて鳥でない、聲そのもの、彷徨へる聲そのものである、と云つてゐたのを覺えてゐる。彷徨へる聲、彷徨へる聲、いま親しくこの鳥を聽きながらこの言葉の適切なのが一層身に沁みる。
 今朝はそれもなかねば杜鵑もなかぬ。たゞ窓の下の小さな流におり立つて鶺鴒が二羽、ちゝろちゝろとないてゐる。しきりに肌寒い。羽織あらば着なまく思ふ。けふは眞實曇るのであらうか。(八月二日、春日の湯にて)
 
(77)第四編
 
 椿
 
 初めてこの漁村に汽船からおりた時、私は實際椿の花の多いのに驚いた。その日は風のひどい正午で、汽船から濱までの艀はほんの目と鼻の僅かな距離なのに十何分間もかゝつたであらう、そのあひだ眞白な波がしらと渦との中にもまれてゐた。濱にあがつてほつかりした氣もちで眩しく四邊《あたり》を見廻すと例の黒々と光つた葉がくれに眞赤な花が鈴なりに咲いて其處等中に茂つてゐた。船着場から兼々借りておいた百姓家に行くまで十町あまりの路傍も殆んどこの樹の連續で、その百姓家に初めて睡つた翌朝、顔を洗ひに背戸口の井戸に行つてみると、その井戸を圍んだうす暗い木立も全部この樹であつた。而かもその花の眞盛りであつた。
 この實からとる油が土地で一合二十錢もするといふからなるほどいゝ副業であらう、のみならずこの樹の幹は漁舟のあげ下しに砂の上に布く「シラ」に最も適當なのださうだ。まる/\とか(78)たまつて茂つたこの樹がいつも吹く海の風のまゝに身をまげて立つてゐる姿も、寧ろ金屬製でゞもあるかのやうに靜かに輝いたこの花も、私にはみな珍しく且つ懷しかつた。
 その花ももう散つた。日ましに強くなつて來る日光にその葉のみは愈々黒く輝いてゐる。(四月十五日)
 
(79) 河豚
 
 こちらに移つて來て間もないころであつた、濱邊を歩いてゐると山の方から流れてきた小さな溪が砂丘の間を深く縫つて海に注いでゐるのに出合つた。丁度その波打際に近い所に一人の若い男が專念に何かの魚を料理してゐた。皮を剥いで水の中に投り込んである肉があまりに綺麗なので、何魚かと訊ねたら河豚《ふぐ》だといふ。それを喰べるのかと訊くと黙つてうなづく。うまいものだといふ評判は聞いてゐたし、好奇心が先立つて、その河豚を少し讓つて呉れないかと頼み込んでみた。すると今まで自分の手もとばかり見詰めて包丁をとつてゐた男は不意に顔をあげて私を見た。そしてむづかしい顔をして、他處《よそ》の者にはやられないと言ふ。何故《なぜ》だと問返すと、うるさゝうに、危險《あぶな》いからだと答へてまた料理にかゝつた。
 それから餘程日を經たころの或夜、東京から訪ねて來た一人の青年洋畫家と遲くまで酒を飲んだあとで、醉つたにまかせて兩人《ふたり》で濱に散歩に出た。家を出ると大粒の雨がばら/\やつてゐたが傘もさゝずに小さな松林をぬけて海の見ゆる所へ行くと、私は驚いて立ちどまつた。西と東と(80)の岬から岬にかけてこの濱一帶のなぎさがずうつと一列の松明で續いてゐる。何事だらうと波打際まで行つてみると手に手に小さな手綱やかなつき(魚を突くもの)を持つてしきりに何かを漁つてゐる。皆膝の上あたりまで波に浸つて片手には松明をかざしてゐる。その松明のほとりは雨の降るのも見え、漁師のあから顔も見え、そしてずうつと灯かげが波に映つて居る。何かと叫び交す聲や波の音や雨の降るのや入り亂れていかにも物々しい光景であつた。彼等はみな今夜の大潮を利用して彼岸河豚といふのをとつてゐたのである。その時も私は一尾すら手に入れることが出來なかつた。
 その後次第に土地にも馴れ漁師にも顔馴染が出來てきた。二三日前のことである、漸く朝飯を濟ましたところへ一人の若者が汗ばんだにこにこ顔でやつて來て、ちよつと來て御らんなさいといふ。何か事ありげなので笑ひながら隨いてゆくと麥畑の向うに椿の木立の茂つてゐる溪間へ私を連れ込んだ。そして指すところを見ればこれはまた巨大な河豚が銀色の腹を上にさらして淺瀬に置かれ、水は音をたてゝその周圍を流れてゐる。長さが二尺四五寸太さが三升樽ほどある。虎河豚といふ種類で咋夜の巾着網にかゝつたのだといふ。いかにも虎のやうな見事な斑がついて、まだ生きてるかの如く光つてゐる。
 やがて彼は大小二個の出刃庖丁を用意して料理にかゝつた。その椅麗な皮をば破らぬやうに剥(81)いて河豚提灯《ふぐぢやうちん》を張るのださうだ。腹には粟粒ほどの黄いろい卵が実に無數につまつてゐた。腹のものは全《まる》で毒だがわけてもこの卵はひどい、この一粒二粒を食つても鶏などは立どころに死んでしまふなどと掌にそれを掬つて見せたりした。小さく切り割いて水の中に浸しておくその肉の一片をとりあげてみると、魚肉といふよりは鳥の肉に近い程固い色彩《つや》のあるもので、見るからに唾《つ》が走りさうだ。うまさうだネと恩はず讃嘆すると、これでまづけりや口の方が無理でさアネと大得意である。皮を破らずに剥がうとするので大分手間がとれて殆んど一時間半もかゝつて料理が終へた。私は溪の小蟹を追つたりなどしてその終るのを待つてゐた。やがて、よく煮て食ふこと、うまいからとて一度に貪食すると五體がだるくなるといふやうな注意を添へて、中でも上等なところを澤山私にわけてくれた。 私はそれを兩手に提げて家に走り歸つた。河豚と聞いて妻は顔色を變へた。そして一寸でも隙があつたら投げ棄てさうなのでとう/\本氣の喧嘩に迄なつた。ではどつさりとお上んなさい、蒼くなるのを見てゝやるからといふやうなことで、とにかく私はその半分を鍋に入れ、半分をば味噌漬にした。ぐら/\煮立つのを見て私は徳利を提げて酒屋に走つた。この位ゐ煮たらばもうよからうと聊か不安ながらも待ち兼ねて鍋をおろし代りに洒の湯をかけ、皿を出すやら、膳を出すやら、獨りで大騷ぎである。ソーラ御らんなさい、父さんがもう蒼くなる、少し右の目が釣つ(82)て來たやうだなどと子供を相手に騷いでゐるのを家のそとへ追ひやつて、サテ泰然と箸をとつた。
 とにかくうまい。けれど豫想してゐた程ではなかつた。先刻《さつき》の若者はこの虎河豚は大きいだけに大味である、うまいのは小さいのゝ方がうまいと言つてゐたが、そんなこともあるだらう。ツイ我れ知らず箸が進むので、もうそろ/\手か足かしびれて來はせぬかなどと考へてゐるうち、杯の方もはかどつて、いつのまにかそのまゝ其處にぐつすり寢込んでしまつた。眼がさめて、腹でも痛むかと探つてみたが、その事もなかつた。
 
(83) 青める岫
 
 移つて來て恰度一月ぐらゐたつた頃であつた。私は東京からあそびに來てゐた友人に誘はれて一緒に上京した。實はあまり氣が進まなかつたのであるが、他に用事もあるしするので恐々《こは/”\》ながら出て行つた。漸くおちつきかけた身心をその上京によつて打ち壊されるのを何よりもあやぶみながら出て行つた。
 果《はた》してさん/”\な目にあつた。雨の激しい午前五時に靈岸島に着いてすぐ向島に或る友人を訪ねて先づ一杯とやり始めたのがそも/\で、その後滯京九日間、眼がさめてはまた醉ひつぶれるまで、晝となく夜となく、全部酒に浸ることになつてしまつた。強《あなが》ち飲みたいばかりから飲んだわけでなく、私の上京を傳へ聞いて集つて來る友人のうち誰一人として酒といふものを離れて私を考へる人はなかつたのである。三日の滯在豫定が九日に延びて、漸く蹌踉と靈岸島から汽船の甲板に這ひ上つて、東京といふものを振返つた時、私はほんとに身ぶるひした。
 その日も雨で風の烈しい日であつた。次第に東京を離れて灣口に近づくころなど、小さな汽船(84)はまるで青い木の葉のやうに浪の間に揉まれてゐた。浦賀港を出て千駄崎を廻つて私の住む下浦《したうら》の沖にかかつた頃、私はとう/\船室の臭氣に耐へかねて、横しぶきの雨に顔を打たれながらむきだしになつて甲板の上に立つてゐた。見ると、僅か九日の間に灣の三方を圍んだ山々がみな急に青み渡つていかにも夏の來たのを知らせ顔であつた。杯とさま/”\な人間の顔と燈火とのみの間にあつて殆んど蒼空をすら仰がなかつた數日間から急に斯んな天然の間に出て來たので私の萎え衰へた心は非常に驚いた。千駄崎も安房の須崎も皆さうであつたが、とりわけて最も手近な松輸崎の鼻は恰も研ぎすました槍の穗先をみるやうに最も細く最も長くそして最も青やかに渦巻く浪の間に浮んでゐた。ぢいつとそれを見てゐると何とも言へぬ哀愁が胸の底からこみあげて、自つとほてつて來るびしよ濡れの兩頬にめづらしくも涙の流るゝのを覺えた。
 
(85) 鷹
 
 知つてゐる人は知つてゐるであらう、山の深い眞晝の空に高く/\輪をかいて啼いてゐる鷹の聲ほど身にしみて靜かなものは多くあるまい。
 私の居る濱の裏の山に二羽の鷹が栖んでゐる。無論こんな半島の山のことで決して深山ではないが、全山悉く繁茂した松林で、而かも傾斜の極めて急な峰が三つ相接して聳えてゐるのでいかにも深い峽間《はざま》を思はせる。その峰の一つの頂近いところに彼等はいつも啼きながらまつてゐる。二羽一緒のこともある、一羽だけ姿を見せてゐることもある。いま雛でもそだてゝゐるのではないかと思はれる。昨今恰度松の穗さきの延び揃つたさかりで、その峽間に歩み入るとまるで身體の毛穴に迄松の匂が浸み入るやうだ。峰のうしろは初夏特有のなやましい雲の峰がわづかに影を見せて輝いてゐる。何處かで水の流れてゐる響もする。時にはまた忘られたやうに晝の月の浮んでゐることもある。その深い空の片すみに小さく影を刻んで、高く/\殆んど聲そのものでゝもあるかのやうに澄み徹つた、鋭い、しかもいひ難く物あはれな音いろでほろ/\と啼いてゐるの(86)を聞くと、私はもうそのまゝ地べたにつき坐つてしまひたいやうなやるせない心地になつてゆく。七つか八つの頃故郷の山を彷徨してゐた少年の自身を憶ひ起すことなどもある。
 時としてはこの鷹がその峯を離れて遠く沖の方の雲のかげを舞つてゐるのを見出すこともある。そんな時など、おゝ友よと、思はず知らず心の中で呼びかけずにはゐられない。まこと、彼等はいま私にとつて最も親しいなつかしい友である。
 
(87) 砂丘の蔭
 
 東京にて、W――君へ。
 
 この間、また不意な用事で二週間ほども上京してゐたけれど、わざと君をば訪ねなかつた。君が痔を病んで酒が飲めず、いつぞや越前君の行つた時でも越前君にのみそれを強ひて自身では茶とか湯とかをちび/\飲んでゐたといふ話を聞いたので、とてもさうした光景の君を見るに忍びなかつたから、わざと黙つて歸つて來たのであつた。今でも君はまだ湯か茶かを啜つてゐるのか、さうだとすれば正しく天下の悲慘事だ。
 然し、五十歩百歩だ、私も一向元氣がない。東京におる間はいろ/\のことから止むを得ず元氣を裝はなくてはならなかつたが、こちらに來てからは手放しで悄氣《しよげ》てゐられるからいゝ氣になつて悄氣てゐる形だ。何しろ目も鼻もあいてはゐない。
(88) 三月に來て、いつのまにか七月になつた。當時毎日深い霞のなかに沈んでゐた鋸山《のこぎりやま》が、今はまつたく夏の姿になり切つた。この山は此處等から見れば誠に風情のある山で、さん/”\に切り刻まれた――この山からは石灰石を盛に切り出す――痕さへもそれほど殺風景に映らない。淋しくなれば晝日中でも濱に出てこの山と相對するのが癖になつた。時間や天氣の具合で、ずつと遙に離れて見えることもあるし、直ぐ眼の前に近づいて來ることもある。殊に雨氣を催した時など實に眼の覺むるやうな鮮かな藍色を帶びて近づいて來る。その時は無論この山に限らず、ずうつと連亙した安房路一帶の山脈がみなさうなるのだ。そして海は急に引緊つて、沖の方に立つてゐる浪といふ浪も同じく群阿保色に變り、その穗がしらだけは際立つて白くなる。何の事はない、そっくり廣重の繪のままだ。昨今ではすつかり盛夏の趣を帶びて來た。よく晴れた日などは朝から夕方まで、薄いけれど輝いた白雲がその頂上を去らずにゐる。その雲はこの山ばかりにゐるのでない、附近の丘に登つてずつと沖邊の伊豆の大島を望むと、其處の三原山にもしら/”\しつとりとまつはり着いてゐる。眞夏でなくては見られぬ雲だ。
 鋸山の右手うしろに駱駝の脊のやうに二つ相並んだ峰が見ゆる。此邊では双子山と呼んでゐるが、これはあの八犬傳の初めに出て來る安房の富山なのだ。この山のことから、或日ふと濱の砂の上に寢轉びながら、一緒に遊んでゐた二三の子供に八犬傳の話をして聞かせた所、それがたい(89)へんの評判になつて三人が四人と見も知らぬ子供の聞手が日ましに殖えて來て、あとでは番屋の大きな猟師どもまでその野外講談に加はるやうになつて來た。
 番屋と云つてもちよつと解るまい。濱邊の一際高くなつた、ずつと沖邊を見渡し得る所に建てられた粗末な小屋で、彼等漁師は終日其處から沖を眺めて魚群の來るのを見張つてゐるのだ。今は概ね鰯漁ばかりの樣だが、イザその一群の影が見えたと思ふと、彼等は備へ着けられた法螺貝を取つて高々と吹き鳴らす。その法螺の音が響き渡ると其處此處の松蔭のきたない家から、或は丘の方の田や畑から、ぞろ/\とより多くの漁師が馳せ集つて、それ/\の部署によつて、えい/\聲に、沖を目がけて漕ぎ出すのである。君にこの鰯漁の光景を語りたいけれど、實地に見ないことにはとてもそれを信じまい。まるで昔の戰記に見る舟いくさだ、實に凄壯を極めてゐる。だが、それはせい/”\一日に一囘か多くは數日に何囘かしかないのだから、其間の番屋といふものはそれはそれは閑散なものだ。網の破れを繕ふとか釣糸を作るとかゞせめてもの仕事で、多くはごろ/\と寢轉んでゐる。鍋釜の用意もあるので、閑ならば閑で、漁があればあるで、よく貪乏徳利も持込まれる。私も追々とこの番屋の衆に馴染が出來て來た。何だか私を置くにこの番屋なるものは甚だ適當してゐるらしく思はれてならない。
(90) 私の借りてゐるのは百姓家の座敷の二間だ。十疊に六疊で、六疊の方は佛間になつてゐる。附近でも格のいゝ百姓家らしく、その大きな佛壇などは永年の磨きこみで赤黒く光つてゐる。朝や夜など机によつてゐると――私はその薄暗い六疊の方を自分の部屋にあてゝゐる――斷えず線香の煙がうしろから流れて來て初めのうちは變な氣持だつた。家は藁葺で、道路から一二町ばかり引込んだ畑の中になつてゐる。で、物を買ひに行くにも濱に出るのもその畑中の徑を通らなくてはならぬ。初めて來た時にはその畑は一面に青い麥であつた。その麥は次第に延びて、雨の日などは袂や裾を濡さずには通れなくなり、黄いろく熟れてやがて刈られた。刈られた富座は砂地の畑が一面に日光を反照して、これは困つたと思つた。が、直ぐその畑は利用せられて、いまいろ/\なものが栽ゑてある。大豆、小豆、黍、粟、それに土地名産の落花生などだ。味噌買、魚買、豆腐買、すべて私一人でやつてゐるので毎日二三度づつはこの畑の中を通る。空いつぱいに夕燒のした夕方など手に重い物を提げて黒々とした我家のうしろの小高い丘を仰ぎながら歸つて來るのはいゝ氣持だ。家のめぐりに庭ともつかず畑ともつかず、種々の果樹や野菜などの植ゑ込んである場所が馬鹿に廣い。苺も多かつた、枇杷も多かつた、梅もあつた。いまは桃のさかりだが、數本の柿や蜜柑や無花果にも青い小さいのがなつてゐる。毎朝起きたてにこれらの木の下をぶら/\と歩きながら、胡瓜や玉萄黍などの日に/\延びて行くのを見て廻るのが癖になつた。
(91) けれども野菜には實際苦勞した。移りたてにはそれこそ葱一本大根一本手に入らないので、仕方なしに東京の友人に頼んで少しづつ送つて貰つてゐた。此頃では漸く此處に斯ういふ者が來てゐるといふのが知れて三崎や浦賀に出る野菜賣が賣れ殘りを――と云つてもせい/”\大根位ゐのものだ――持つて寄るやうになつたが、矢張り我慢は出來ず、今度は横須賀に頼んで取寄せてゐる。茄子や胡瓜はあるらしいがそれとてもまだ口にすることが出來ない。土地の者は野菜といふものゝ必要を感じないらしい。其處に持つて來て病人も私も並外れての菜つ葉好きと來てるから耐らない。肉類も皆無だ。魚といつても多くは煮るか燒くかの小魚類で、刺身となると先づ浦賀か三崎に出なくては見られない。たゞ心配して來た洒ばかりは先づ相當に飲めるのがある。こればかりはいつ君が訪ねて來ても驚かない。が、それより先づそのお痛い所を片附けるのが急務だ。
 
 たゞ一軒、F――といふうちに出入りしてゐるだけで他へは何處へも出かけない。全くの獨りぽつちの境地を守つてゐる。たゞ待たれるのは郵便だ。けれどまた斯ういふ事もある、先々月の末のこと或日とりわけて郵便の待たれた正午ごろにやう/\郵便屋さんがやつて來た、しかも一本書留ですよといふ。雀躍してとび出した所書留は書留だが差出人を見ると東京區裁判所とある。不審ながら開いて見ると恐しや/\先づ第一行に被告若山繁といふ書出しだ。まつたくの所(92)その時私は蒼くなつた。事實は例の『創作』をS――舍で印刷してゐた頃のその金がまだ幾らか殘つてゐて突然斯んなことになつたのだが、實にいやな氣持だつた(先月の初め上京したのはその用のためであつた)。きず持つ脚の、手紙に對しては時々さうした疑惧《ぎぐ》を懷かせられるが、安心して受取られるのは小包だ。たべ物もあり、書物の時もあり、先日などは北海道から幾莖かの鈴蘭を根ごとに送つて來た。惜しいことにその花は枯れてゐたが、うれしさは未だによう忘れぬ。書物はまた格別だ、買ふのでなく多くは借りて讀んでゐるのだが、まるで餓鬼のやうに噛りつくので大概のものでも一日か二日かに讀んでしまふ。そして讀み終つたあとの淋しさと云つたらない。
 貧乏は相變らず烈しいものだ。幸ひ右のF――といふうちで食料品など商つてゐるので、大事の酒をば我慢せずとも濟んでゐる。郵便と言つたが、それにもましてありがたいものは何と言つても矢張りこの液體であらうか。
 
 然し、私は何故斯う怠けてゐるのだらう、眠つてばかり居るのだらう。明方ぼんやりと眼が覺めると低く高く間をおいて枕もとに濤の響が通つて來る、鷄が啼いてゐる、何やら漁師が叫んでゐる、雨戸の節穴がほんのりと明るくなつてゐる、あゝ、また今日も明けたのか、と思ふその時(93)の寂しさ心細さと云つたらない。それからずうつと一日を埒もなく欝々として暮してしまふのだ。
 ひとつは身體のせゐもある。何しろ永い間いろ/\な不養生をして虐待しぬいて來て、今急に斯んな靜かな境地に入つたゝめ、諸所の機關が俄にがつかりしたものだらう。照れば照り、曇れば曇るで身内の具合が毎日變つてゐる。細君もまだ札附の病人で、外見には先づ普通に見ゆるやうになつたが、局部的病状は依然として續いてゐる。あんまりうるさいので一時藥をも止してみたが、また飲み始めた。幸ひ土地のお醫者が親切なので歡んで居る。何しろ元氣なのは旅人《たびと》大人《たいじん》一人さ、我等|兩人《ふたり》はまるで大人《たいじん》のお附人だ。
 
 休暇が直ぐだらう、こつそりやつて來ないか。こちらからは出來るだけは出て行かぬことにしたい。久しぶりにゆつくりと逢ひ度いものだ。(七月六日、夜十二時、うそ寒い雨だ)
 
(94) 浪と蛸とヂンの洒
 
 東京にて、O――さん、
 
 十四日か十五日にはといふ葉書が來てはゐたのですが、豫定變更を常としてゐる自身から推して、どうもそれが眞實と受取れませんでした。それかといつてその二三曰前から氣はもうそわ/\し通しで、急ぐ用事をばそれ前に是非片附けておきたいものと、ちやうどその日も丸裸體になつて机に向つてゐたのでした。十五日の午後三時頃、やアといふ聲がうしろにしました。はつと思つて振返るとまがひのない中村柊花君が莞爾《につこり》として縁の先に立つてゐるではありませんか。
 こららから信州へ出て行くといふのなら別にさう遠いやうにも思へませんが、信州からわざ/\こちらまで出て來るといふことはなか/\たいしたことのやうに思はれます。中村君はまだ下駄をぬがずにつゝ立つたまゝ、
『たいへんな所におゐでるのですねえ。』
(95) とさも感に耐へた口調で、流るゝ汗を拭いてゐます。私は何だか恥しいやうな恐縮のやうな色々な氣持でこの遠來の客を迎へたのです。
 折よく、私が生れて初めて立てたといふ曰くつきの据風呂がちやうど好い加減にわいてゐました。それとも一浴びやつて來るかと濤の響の續いてゐる濱の方を指しますと、さうですネ、その方がよささうだといふので連立つて濱へ出ました。二三日前の暴風雨の名殘で幾らか濁つてはゐましたが、それでも清らかな此處の海は少なからず山國の友を喜ばせました。青い浪やうねりは兩人の身體を斷えず輕く搖つてゐます。爪先には細かな砂が快く觸れてゐて、ともすればふうわり身體が浮びます。三間五間と僅かに泳いで、寄りつ離れつ順序の立たぬ談話はそれからそれへと續きました。泳ぎながら眺めやる我等の眼のさきには午後かけて幾らか雨氣づいた房州路一帶の山脈が淡い藍色を帶んで、身のめぐりの浪の間にくつきりと浮んでゐます。友はこの景色をも大層なつかしがりました。
 夕方、私は友を座敷に置きつ放しにしておいて濱を馳け廻りました。そして其處から章魚、此處からヒメヂ、カハハギと土地名物の小魚を買ひ込んで、サテそれから椿の蔭の井戸端での料理です。もう馴れたもので、なか/\巧者にやり上げます。とう/\其夜は土地の酒屋さんの肝をつぶさせることになつてしまひました。
(96) 十六、七日の兩日はどうして暮しましたか、夢の樣に過ぎてしまひました。浪に入つたり貝を拾つたり大方は濱で過した樣です。附近の川に釣にも行きました。雨のぼそ/\降つてゐる蘆の茂みの中にしやがみ込んでうきに眺め入つた兩人《ふたり》のさまをも御想像下さい。
 十八日も朝早く釣りに出かけました。そして家に歸つたのが九時半頃、もうちやんと赤飯《せきはん》のおむすび、章魚の煮たのなどのお荷物が出來てゐました。それに中村君が酒屋に走つて提げて來る。用意全く整つた所で、兩人共|跣足《はだし》になつて、てく/\と濱づたひに歩き出しました。
 私の附近は右も左も濱續きで、漁家は並んでるし、ちよつと何かして遊ばうといふ場所もなく、誠に平凡な單調な所なのです。一里ほど東の方へ行きますと千駄が鼻といふ岬端になつてゐて、磯もあり浪も高く、松や岩などもなかなか面白くなつてゐます。今日は其處へ行つて半日遊ばうといふわけだつたのです。
 少し危なかつた朝曇の空も次第々々に明るくなつて、私共の歩き出したころはいかにも柔かな小春日和となつてまゐりました。沖も誠に靜かで、足もとにうち寄する小波の音も夢のやうです。鰯の群など、ツイ波打際までやつて來てゐて、どうしたはずみにか、一度にどつと波の上に跳ねあがります、油のやうなうねりの上に小さな光つた小魚が百も千もばら/\と篠つく雨のやうに(97)とび上るさまは奇觀です。濱には大勢の猟師どもがいづれも黙々として大きな網を繕つてゐます。多くは裸體の、赤びかりのした身體を眺めて、そしてその背景を成してゐる磯馴松《そなれまつ》や白砂や又は遠見に上る浪を見て友はしきりに興に入つてゐました。
 千駄が鼻のずつととつ鼻の、大きな磯と磯との間にある砂濱に私共は先ず荷物を下しました。すぐ頭の上には大きな老松が幾本も青い枝をひろげてゐます。何はともあれ、別しても其處はきれいな青浪の中にとび込みました。岬になつてゐる所だけに浪が大きう御座います。それだけまた泳ぐのには面白いのです。その浪のうちよする中に浮んで二三艘の小舟が切りに何やら漁つてゐます。兩人はそれに近寄つて舟の底に溜つてゐる榮螺を買ひました。それから濱の四方に馳けて燃料を集めました。むく/\と白い煙の立ち始めたのを見て、その火を中に、我等は風呂敷包みを開いて席を作りました。いづれも裸體のまゝなのです。手にも足にも背中にも砂だらけです。一人は長く一人は圓く、一人は白く一人は眞黒です。そして沖を眺めたり大きな呼吸をついたり、大事の迫る前拵《まへごしら》へよろしくあつて兩人は緊張した顔を見合せました。
『そろ/\始めやうか。』
『うん、ちやうどいゝころだ。』
 先づ徳利です、大きな茶碗をめい/\手に取つて、それへとく/\と注ぎ込みます。琥珀色の(98)濃い液體が茶碗に滿ちます。いつ眺めてもいゝ色なのに、浪が寫るか空が映ゆるか、まるで寶石のやうによく光り匂ひます。
『何といふいゝ色だらう。』
『うん。』
 もう問答無益です。
 折からちろ/\と火も燃え立ちました。其中へ今の榮螺を具合よく置き並べますと、芳烈な磯の匂ひ潮の匂ひ肉の匂ひが鼻をついて起ります。
『ネー君、酒の肴にはこの榮螺だけで我慢して、持つて來た※[者/火]肴をば飯の時に取つて置かうぢアないか。』
『ウン、それもいゝが少々それぢア心細いネ、鹽を持つて來るとよかつた、あの舟は魚ならまだ澤山取つてゐるのに。』
『どうだらう。章魚を買つて來て燒かうか、章魚なら鹽がなくとも味がありさうだ。』
『ヨシ、ぢやア僕が行つて來る。』
 既に全身赤く廻つてゐる中村君は大した元氣です。言下に先刻の舟を目がけて馳け出しました。そして七八丈も峙つてゐる斷崖の蔭の浪打際に危く立つて丹を呼んでゐます。腰のめぐりに(99)手拭を卷いたきりの脊の高い痩せた男が兩手をあげたり振つたりして離れた舟と應對してゐる有樣が遠くからはどんなに面白く見えましたらう。まるで赤い蜻蛉のダンスです。私は獨りで砂まみれになつて笑ひくづれました。
 彼は尚ほ幾個かの貝と二疋の章魚とを抱へて歸つて來ました。炎々と燃え立つてる中へその生きてる奴を打ち込みますと一瞬間は八本の足を卷き縮めして奮闘してゐましたが、やがて黒焦になつてしまひました。それをすぐ浪の中にぶち込んで洗ひあげて兩手でぼり/\と噛つてみますと、程よい鹽加減で結構たべられます。蠻人の宴樂は斯くして次第に佳境に進みました。
 榮螺を噛み章魚を噛んで、ちび/\とやつてゐますと、海はます/\光り輝き、海を越えての山も輝き、あげ潮と見えて浪は段々近く我等に迫つて來て、赤い炎の上にも盃にも、をり/\飛沫がとんで來るやうになりました。沖から吹くそよ風は頭上の松が枝に聲を斷たず、近くを通る汽船の煙も長閑です。
   樹の枝に琴は懸けねど
   朝風の來て彈《ひ》くごとく
   面影に君はうつりて
   わが胸を靜かに渡る
(100) 心の落着くまゝに好きな歌など口ずさんでゐますと、海も雲も輝く中に、醉が次第に全身に廻つて飯の濟むころには私は砂の上に仆れて帽子を顔にあてたまゝぐつすり寢込んでしまひました。
 眼がさめてみると中村君は何やら切りに書いてゐます。私は四五十分間も眠つたらうといふことです。それからまた浪にとび込んで泳ぎました。海馴れぬ人がとき/”\横浪をかぶつては今度は青い蛙の樣に大きな岩にしがみ着くなどいろ/\大騷ぎをやりながら、隱れた岩表れた岩のそれからそれへと傳ひ歩いて小さな貝など取りました。とかくする間にをり/\眼につく沖の色の變化が次第に烈しくなつて、仰げば空にも夕燒の影を宿した旗雲が棚引くやうになりました。浪から出て半日ぶりの着物をつけ、荷物を片附けかけた頃には、急に四邊《あたり》の風物の冷たくなつてゐるのに氣がつきました。幾すぢかの水脈《みを》を引いて流れてゐる沖邊の潮は、紫となり藍となり紺となり、暫くも同じ色を保つて居りません。松吹く風にも早や黄昏の聲が聞えます。四方の岬にも夕日を受けて眞赤に染つてゐるのがあり、蔭となつて墨色をしてゐるのもあります。兩人《ふたり》並んで波打際を辿る頃には、十五夜近い夕月がうつすらと空に懸り、程なくきらきらと其處等の波に影を宿すやうにもなりました。さうなつては海も山も急に秋めいて何とも言へぬさびしさが兩人の身を包みました。眞實私共は其時十分に疲れてもゐたのです。
 
(101) 翌日は附近第一の高山、お富士さんといふへ登りました。登りは僅か十町位ゐでせうが、隨分嶮しい勾配です。その位ゐの山ですけれど、この平坦な小半島に在つては有數の高山といふわけです。昔、この山が駿河の富士山と脊くらべをやつたところ、どうも少しばかり駿河の方が高い、どうがなしてこの敗北を償ひたいものと四邊を見廻すと幸ひ足もとに一足の古草鞋が落ちてゐた、それを引き寄せて踏臺にしたところ丁度向ふと同じ高さとなつたといふ話です。山に乏しい土地の人の心を語つてゐるものでせう。この頂上からは殆んどこの半島の全部が見渡されます。東北には遠く木更津の海が湛へられ、西北には逗子葉山のあたり相模灣がちやうどこの半島の首に當る所へ深々と喰ひ込んで來て居り、その他は無論足もとからの海で、まるで一つの離れ島の樣に雲深いその日の四方に燻銀《いぶしぎん》の海が輝いてゐました。頂上の平地は極く狭い、五六疊敷もありませうか、其處に小さな石の祠があり、日露戰役の記念碑があり、曲りくねつた七八本の老樹があつて、そのほかの空地には秋草が乾いたやうに茂つてゐます。むらさきや、白や、黄色や、いろ/\の小さな花をつけてゐますが、みな名の知れぬ雜草です。朝から曇つてゐたのでしたが、私共が頂上に登りついた頃から風が出て、奥深くとろんこに澱んでゐた濃鼠の雲の層が次第にくづれ始め、そのちぎれた雲は私共の頭に近くさつ/\と足速に流れ過ぎます。それらの雲とすれす(102)れに、ソレいつかも書きました鷹が一羽ひゝろ/\と啼きながら靜かに輪をかいてゐます。峯の上に風に混つて聞えて來るこの鳥の聲をばいつもいつも哀れ深く私は聞くのです。木更津の海が云々と前に言ひましたが、實は登つた早々には曇りに閉されて見えなかつたのです。それが程なく空の中ほどに、いや實際思ひの外に高いところにきらり/\と、浮いた雲のかけらのやうに光りそめました。さうすると其處の島も此處の岬もぼつ/\と見え出して、眞白な帆を張つて輕快に走つて行く帆前船なども眼界に點ぜられました。直ぐ眼下の海には巨きな水脈《みを》が豐かなカーヴを描いて表れてゐます。御存じか知りませんが、山の上から海のこの大きな水脈を望むのは、いかにも胸の廣くなる遠くなる思ひのするものです。煙草を吸ひ/\あちこちと見廻してゐた私共の身邊にはいつの間にかうす明るく日光が落ちてゐました。小さな實を結んだ草など、顔の近くにそよ/\としてゐます。その草の中に仰向けに倒れてゐるうち、今日は中村君の方が先にうと/\とし出したやうです。をりをり眼を開いてみますと、空の雲も漸く高く定つて、ひゝろ/\の啼聲も次第に澄み、何處で打つのかドヽンガドン/\と太鼓の音も聞えます。起き直つて麓を見ますと、耕し盡された小さな丘陵が波のやうにあちこちとうねつてゐて稻や芋やの田畑が續きに續きしづかに日光を浴びてゐます。わきてもこの邊は今年は出來がいゝと聞いてゐましたが、如何にもさうらしく思はれます。とびとびに散つてゐる村落の一つに、細長い幟《のぼり》の立つてゐる所(103)がありました。豐年祭とか秋祭とかいふのでせう。斯うしてぢいつとそれを眺めてゐますと、樂しいといふより何だか人間のさびしさといふやうなものが、胸に萌すのをおぼえました。ドヽンガドン/\と太鼓の音は風につれて遠くなり近くなりしてゐます。麓から眼を移すと、遠くの高い山から山にかけてはみな純白な雲が降りてゐました。海はまるで日にかざされた鏡です。
 私は木かげから松かさを集めて來てそれに火を移しました。要はないがあまりにさびしかつたからです。日光の明るいなかに斷續した炎をあげて燃え入つた火をば常から私はすきでした。松かさの中には枝からもいだ青いのも混つてゐましたので、松脂の匂ひがその火と共に其處等に流れました。
『君はヂンを知つてゐますか。』
『いゝえ。』
『あの酒がこの松脂の香に似てゐます、明日東京に行つたら何處ぞいゝ酒場で飲んで御らんなさい。』
 斯く言ひつゝも自分ながらこの東京々々といふ言葉がしみ/”\なつかしく悲しく身にしみました。沖には次第に舟の數が増えて來ます。(九月二十一日)
 
 岬の端
 
 細かな地圖を見ればよく解るであらう。房州半島と三浦半島とが鋭く突き出して奥深い東京灣の入り口を極めて狹く括つてゐる。その三浦半島の岬端から三四里手前に灣入した海濱に私はいま移り住んでゐるのである。で、その半島の尖端の松輪崎といふのは私たちの濱からやゝ右寄りの正面に細く鋭く浮んで見ゆる。方角はちやうど眞南に當る。また、前面一帶は房州半島で、五六里沖に鋸山や二子山が低く聳え、左手浦賀寄りの方には千駄崎といふ小さな崎が突き出てゐる。だから眼前の海の光景は一寸見には四方とも低い陸地に圍まれた大きな湖のやうで、風でも立たねば全く靜かな入江である。それで、奥には横濱あり、東京あり、横須賀があつて、其處へ往來の汽船軍艦が始終出入りしてゐるので、常に沖邊に煙の影を斷たず、何となく糜爛した、古い入江の感をも與へる。
 私の居るのは千駄崎寄りの長さ二三里に亘つた白濱で、松の疎らに靡いた漁村である。濱に出ると正面に鋸山が見える。續いて目につくのは右手に突き出た松輪崎である。細かくおぼろに霞の底に沈んでゐた時も、うす/\と青みそめた初夏の頃も、常になつかしく心を惹いてゐた。一度その崎の端まで行つて見度いとは、早春こちらに移つて來て以來の永い希望であつた。盛夏のころ一月あまりを私は下野信濃の山邊に暮してゐたのであつたが、歸つて來て眺めやつた海面は、いつの間にかすつかり秋になつてゐた。日毎に微かな西風が吹いて、沖一帶にしら/”\と小さな波が立つてゐる。とりわけて目を引いたのは松輪崎の尖端に立つてゐる白浪で、西から來る外洋のうねりを受け、際立つて高い浪が眞白に打ちあげて、やがては風に散つて其處等を薄々と煙らせてゐる。
 其處からずつと脊を引いた岬一帶の輪郭は秋めいた光のかげにくつきりと浮き出て見えて居る。
 
 或日、とりわけて空の深い朝であつた。食後を縁側の柱に凭つてゐたが、突然座敷の妻を見返つた。
『オイ、俺は今から松輪まで行つて來るよ、いゝだらう。』
『今から?』
 とは驚いたが、兼ねて行き度がつてゐるのを知つてゐるので、留めもしなかつた。
『そして、いつお歸り? 今夜?』
『さア、よく解らんが、彼處に宿屋があるといふから氣に入つたら一晩か二晩泊つて來やう、イヤだつたら直ぐ歸る。』
 幾らか小遣錢を分けて貰つて私はいそ/\と家を出た。風が砂糖黍の青い葉さきに流れて、今日も暑くなりさうな日光がきら/\と砂路に輝いてゐる。
 道路を外れて直ぐ濱に出た。下駄を脱いで手頃の繩に通して提げながら高々と裾を端折つた。波打際の濡砂の上を歩いてゆくと、爪先が快く砂に入つて、をり/\は冷たい波がさアつと足の甲を洗ふ。
 今日も風が出てゐた。渚から沖にかけて海はしら/”\とざわめいてゐる。不圖目をあげると思ひも寄らぬ方にほんのりと有明月が殘つてゐた。沖の波に似た白雲の片々が風に流れて、紺深く澄み入つた空の片邊に、まつたく忘れられたものゝやうに懸つてゐる。ア、と思ふ自分の心の底には早や久しく忘れてゐる故郷の山川が寂しい影を投げてゐた。故郷と有明月、何の縁も無さゝうだが、有明月を見るごとにどうしたものか私は直ぐ自分の故郷を思ひ起すのが癖である。溪間の林の間を歩いてゐた自分の幼い姿をすぐ思ひ浮べる。
 その朝は何故か渚に漁師の姿が少ないやうであつた。下駄を砂上に引きずりながら、私はこの有明の月をどうがなして一首の歌に詠まうものと夢中になつて苦心した。一里あまり、二里ほども歩いてゆくうちにとう/\その一首も出來ず、雪の様な濱は尽きて眞黒な岩の磯が表れた。浪の音が急に高く、岩上に吹く松風の声もあり/\と耳に立つ。兎も角もと私は其處に腰を下した。足の裏がちくちくと痛んでゐる。雲の片《かけら》は次第に消えて白い月影のみいよ/\寂しい。
 大概の見當をつけて崖を這ひ上つてみると果して小さな路があつた。今度は下駄を履いて松や雜木の木の間を辿る。ずつと見はるかす左手の海の面がいかにも目新しく眺められて、ツイ磯の深い浪の間には無數の魚が群れて居さうに思はれる。小さな丘を越すと一つの漁村があつた。金田といふ。も一つ越すとまた一つあつた。狹い溪谷みたいな所に二三十戸小さな家が集つてゐる。中に一軒お寺があつて切りに鉦《かね》が鳴つてゐた。風のせゐか、此處の漁師も沖を休んで居るらしく、其處此處に集つて遊んでゐた。小さな茶店に休んでゐると其處にも四五人がゐて、何か戰爭の話が逸《はず》んでゐた。村出身の予備後備の軍人の年金の話で、いま一戰爭あつて引出されると俺もこれでまた一稼ぎ出來るがなア、何しろ斯う不漁《しけ》ぢア仕樣がねえと圖太い聲を出したのを見るともう五十歳に近い大男であつた。年金を當に戰爭に出度がる、耳新しいことを聞くものだと思つた。
 それから暫く嶮しい坂になつて、登り果てた所は山ならば嶺《いただき》、つまりこの三浦半島の脊であつた。可なり廣い平地で、薩摩芋と粟とが一杯に作つてある。思はず脊延びして見渡すと遠く相模灣の方には夏の名殘の雲の峯が渦卷いて、富士も天城も燻《いぶ》つた光線に包まれて見えわかぬ。眼下の松輪崎の前面をば戰闘艦だか巡洋艦だか大きなのが揃つて四隻、どす黒い煙を吐いて灣内を指してゐる。此頃館山港に三十隻からの軍艦が集つて、それから垂れ流す糞便で所の者は大困りだといふ二三日前の誰かの話を不圖思ひ出した。その演習も終つていま横須賀に歸つて行く所であらう。斯うして揃つた姿を見てゐると、何とはなしに血の躍る心地がする。松輪への路を訊くと、芋畑の中にゐる爺さんが伸び上つて、その電信柱について行きさへすれば間違ひはないと教へてくれる。なるほどこの丘の脊を通して電信柱が列なつてゐる。そしてその先が小さくなつてゐる。
 
 やがて柱の行列の盡きる所に來た。なるほど、この電線はこの岬端にある劍崎燈臺(土地では松輪の燈臺と呼んでゐる)に懸つてゐるものであつたのだ。燈臺は今はたゞ白々と嚴しい沈黙を守つて日に輝いてゐるのみである。そして附近に人家らしいものも見えぬ。あちこちと見廻してゐると、すぐ眼下の崖下にそれらしい一端が見えて居る。私は勇んで坂を降りて行つた。咽喉も渇き、腹も空いてゐた。
 降りて行つて驚いた事には其處は戸數五十近くの舊い宿場じみた漁村であつた。前に小さな淺さうな入江があつて、山蔭の事でぴつたりと靜まつてゐる。一わたり歩いてみた所では宿屋らしい家も見えず、腰かけて休むべき店すら見つからぬ。此處が松輪かと訊くと、左樣だといふ。兼ねて想像してゐた松輪には小綺麗な宿屋か小料理屋の二三軒もあつて、何となく明るい賑かな浦町であつた。これは/\と呆れたり弱つたりしたが、何しろ飯を食ふ所がない。宿屋が一軒あつたが客が無いので今は廢めたのだ相だ。それならもう少し歩いて三崎までおいでなさい、これから一里半位ゐのものだと、その漁村の外れの藁葺の家に歸り遲れた避暑客とでも云ふべき若い男が教へて呉れる。窺くともなく窺くと年ごろの痩形の廂髪が双肌ぬぎの化粧の手を止めて此方を見てゐる。その前の鏡臺からして土地のものでない。仕方なく禮を言ひながら其處を去つて少し歩くと小さな掛茶屋があつて、やゝ時季遲れの西瓜が眞紅に割かれて居る。其處に寄つてこぼすともなく愚痴を零《こぼ》すと、イヤ宿屋はあるにはあるといふ。エ、では何處にあると息込んで問ひ返すと、燈臺の向ふ側にいま一ケ所此處みたいな宿屋があつて其處にさくら屋といふのがあるといふ。いゝ宿屋か、海のそばかと疊みかければ、二階建で、海の側で、夜は燈臺の光を眞上に浴びるといふ。それではと矢庭に私は立ち上つた。そして教へられた近路を取つて急いだ。これで今夜は樂しく過される。兼ねて樂しんでゐた獨りきりの旅寢の夢が結ばれるともう其事ばかり考へて急いだ。前の丘を越え戻つて、燈臺の下の磯を目がけて行くと木がくれに二三の屋根が表はれ、やがて十軒あまりの部落に出て來た。先づ目についたはさくら屋といふ看板で、黒塗りのブリキ屋根の小さな軒に懸つてゐる。海のそばといふ私の言葉には直ぐ浪うち際の岩の上にでもそそり立つてゐる所を想像してゐたのであつたが、これは狹い砂濱の隅に建てられたマツチ箱式の二階屋である。再び驚いたが、もう落膽《がつかり》する勇氣も無い。私はつか/\とその店頭へ歩み寄つた。
 むく/\肥つた四十恰好の内儀《おかみ》が何だか言つてゐるのを聞き流して私は取りあへずそこの店さきにある井戸傍に立つた。頭から背から足さきまで洗ひ流して、直ぐ二階に上らうとした。また内儀が何か言ふ。あまりに頬の肉が豐富で口はその奥に引込んで而かも齒が缺けてゐるため、何をいふのか甚だ解し難い。下座敷がよくはないかといふ樣なことではあつたが、私はずん/\階子段を上つてしまつた。そして海に向いた方の部屋の障子を引きあけてみて驚いた。其處はふさがつてゐた。しかも三十前の男女が恐しい風をしてまだ蚊帳の中に寢てゐる。惶《あわ》てゝ其處を閉めたが、サテ他にはその反對側に今一つきり部屋がない。てれ隱しに恐々《こは/”\》それをも窺いてみると三疊位ゐで、而かも日が眞正面《まとも》に當つてゐる。
 すご/\下に降りると内儀は笑ひながら奥の間(と云つてもこれより外に座敷らしい處はない)の縁側に近い所へ座布團を直した。兎もあれ麥酒を一二本冷やして呉れといふと、そんなものは無いといふ。いよ/\なさけ無くなつたが、それでも酒はと押し返すと、どの位ゐ飲むかと訊く。何しろ大變なものであらうが、兎に角少しでもやつて見ようと決心して、二合ばかりつけて呉れ、それに罐詰でも何でもいゝから直ぐ飯を食はしてくれと頼むと、罐詰もないと呟く。そして小さな燗徳利を持つて戸外《そと》へ出てゆく。オヤ/\二合だけ買ひに行くのと見える。
 裸體になつて柱に凭《よ》つてゐると、流石に冷たい風が吹く。日のかん/\照つてゐる庭さきには子供が三人長い竿で蜻蛉を釣つてゐる。赤い小さいのが幾つも幾つもあちこちと空を飛んでゐるのだ。二階で起き上つた氣勢《けはひ》がして何やら言ひ爭つて居る。その聲の調子から二人とも藝人だなと直ぐ氣づかれた。降りて來た男を見ると髪が長い、浪花節だなとまた思ふ。女の方はずつと若く、綺麗な荒《すさ》んだ顔をしてゐた。
 むく/\動いて内儀さんが歸つて來た。そしてまた蜻蛉釣の子供を呼んで何やらむぐ/\言ひつけてゐる。やがて物を燒く匂ひがする。はゝア壷燒きだなと感づいた頃はもう好し惡しなしに燗のつくのが待ち遠かつた。
 案じてゐた程でもないと思ふと、直ぐまたあとを酒屋に取りにやつた。少しづつ醉の廻るにつけて、何となく四邊《あたり》が興味深く思ひなされて來た。矢張り初めの思ひ立ち通り此處に一晩泊つて歸らうか。それともこのまゝ一睡りして夕方かけて先刻《さつき》の路を歩かうか、浪花節語りと合宿も面白いかも知れぬ、肥つちよの内儀さんも面白さうだ、などと考えてゐると次第に靜かな氣持になつて來た。柱に凭れたまゝ斜めに仰ぐ空には高々と小さな雲が浮んで、庭さきの何やらの常磐樹の光も冷たく、自身をのみ取り卷いてゐるやうな單調な浪の音にも急に心づき、秋だ/\と思ふ心は酒と共に次第に深く全身を巡り始めた。またしても有明月の一首をどうかしてものにしたいと空しく心を費す。
 二度目の酒も終つた。飯も濟んだ。泊らうか歸らうかの考へはまだ纏らぬ。其うち二階ではまた何か言ひ合ひ始めた。壞れた喇叭の樣な男の聲に混つてゐる女の聲はまるでブリキを磨り合せてゐるやうだ。それにしてもなか/\いゝ女だ、久しぶりにあゝした女を見た、などとまたあらぬ事を考へ始める。
 うと/\してゐると、突然ぼう――つといふ汽船の笛が直ぐ耳もとに落ちて來た。
 三崎行だな、と思つた時には既に半分私は立ち上つてゐた。
『おばさん、勘定々々、大急ぎだ。』
『…………?』
『三崎だ/\、大急ぎ!』
 驅けつけた時は丁度砂から艀を降す所であつた。身輕に飛び乘るとする/\と波の上に浮び出た。小さな、黒い汽船はやゝ離れた沖合に停つてまだ汽笛を鳴らしてゐる。房州の端《はな》が眼近に見え、右手は寧ろ黒々とした遠く展けた外洋である。せつせと押し進む艀の兩側には、鰹からでも追はれて來てゐたか、波の表が薄黒く見ゆる位ゐまでに集つた※[魚+是]《しこ》、の群がばら/\/\と跳ね上がつた。
 
(114) 秋亂題
 
   その一
 
   道ばたの木槿《もくげ》は馬に食はれけり
 土用が更けて、しいんと照り沈んだ日中などに不圖この句を思ひ出すことがある。または、土ほこりを浴びた路傍のこの花を見つけて慄へるやうにこの句を思ひ出すこともある。深げに見ゆる夏のうしろに忍び寄つた、明らかな、鋭い、そして寂しい秋のすがたがいかにも鮮かにこの一句に出てゐると思ふ。貞享元年の八月に芭蕉が江戸を立つて大井川を越えてからの吟で、眼前ともまた馬上吟とも題してあつたといふ。
 この六七年來、毎年一度はこの句を思ひ出す。そして、噫、またこの句を思ひ出す時季が來たのかといつも思ふ。今年も既にそれをば味ひ過した。この近傍にはこの花が別して多いやうだ。
 芭蕉には一體に秋の句に佳いのがあるやうである。一寸思ひ出すだけでも、
(115)   あか/\と日はつれなくも秋の風
籠り居て木の實草の實拾はばや
   鎖《とざし》あけて月さし入れよ浮御堂
   松風の軒をめぐりて秋暮れぬ
   物言へば唇寒し秋の風
   秋風の吹けども青し栗のいが
 など、いづれも身に沁みる。これ等は皆彼の旅中吟であつたと思ふ。
 今謂ふ詩人とは彼はたしかに違つてゐた。私には年ごとにこの人が可壞しく思はれて來るが、ことにこの秋のころにはそれが一層深い。
 
 言へば月並だが、また旅を憶ふ頃となつた。
 友人と一緒にこの秋は八王子あたりから汽車を降りて甲州街道を甲府まで歩いて見る約束であつたが、果されさうもない。せめて相模に來て居るだけに大山へ登つてその頂上に一週間もお籠りをして來たいと思ふが、それすら如何だか解らぬ。
 さうした歩く旅もいゝ。汽車もいゝ、小春日のぬく/\射した窓際に凭り掛つてうと/\と物(116)を思ふもいゝし、煙草を吸ふもいゝ。腰が痛くなつたら鐵道案内を取り出して恰好な途中下車驛を探し出す。汽船ならば上等な室が欲しい、白い寢床に搖られながら小さな窓に雲を見、浪を眺めて行く。
 私はまだ郷里の中學に居た頃から深い望みを懸けてゐた三つの港が日本にあつた。一は肥前の島原港、一は伊豆の下田港、一は羽後の酒田港、確《しか》とした理由は思ひ出せぬが、何かといふと先づ此等の古い港を思ひ浮べて幼い族行慾を自らそゝつてゐたものである。酒田は未だに知らぬ。下田には失望した。島原はやゝ好かつた。下田と島原とは港の形が實によく似てゐる。續いて今また行つて見たいと思つてゐるのは備後の鞆、薩摩の坊の津、能登の三國か三尾、仙臺の石の卷、熊野の新宮、北海道の室蘭などである。
 旅といふと私は直ぐ港と停車場とを思ふ。上野驛のかさ/\したのも嫌だが東京驛にもまだ馴染み難い。亡びゆくものは皆なつかしいと云ふからか知らぬが、舊《もと》の新橋驛は古くもあり小さくもあつたが親しみ易かつた。見知らぬ停車場にぼんやり降り立つた心持は不安ながらに靜かな好いものである。その記憶の最も鮮かなのは甲府驛と和歌山驛とで、双方とも改札口を出ると眞夏の日がかん/\と照つてゐた。構内に草花などみつしりと植ゑ込んであるのに出會ふと驛長驛員の顔まで見入らるゝ心地がする。急雨の夜半、自分の急行列車が凄じい勢ひで通り過ぎる山あひ(117)の寒驛に、一人二人の驛員が眞黒に雨に濡れながらカンテラの灯を振つてゐるのを見た時など、只事ならずあはれ深い、いつもうまい辨當を賣る驛をば舊友の如くにも待ち迎ふる時がある。港と停車場、汽船と汽車、ともに私には酒と離して考へる事は出來ない。
 實際、旅がしたい。
 いつか既《も》う風を厭ふやうになつた砂山の蔭に寢ころびながら、薄むらさきに霞んだ對岸の鋸山の裾を廻つて細い煙をあげて外洋さして出て行く汽船を眺めては、胸の痛くなるまでさう思ふ日が續いてゐる。
 
 地圖が欲しい。精巧な大きな日本地圖、そして世界地圖。
 斯うした靜かな秋の夜に、それが一幅この横の黒い壁にでも懸つてゐたら、ほんとうにどんなに嬉しいだらう。ぢいつと見詰めて心あたりの所にそれからそれへと眼を移してゐると、細く突き出たり深く入り込んだりした海岸線など極めて微妙な詩の韻律を追つてゐる樣にも思ひなさるゝ時がある。私は前から地圖が好きで、參謀本部の東京郊外邊のものなど幾枚いぢり破つたか知れぬ。
 目的なしに、單に地圖だけを見て居ることが既に好きなのである。山があり、川があり、海が(118)あり、島がある。其處を見此處を見してゐるうちに、單にそれ等ばかりでなく、それ等の間に何處となく流れてゐる人間の悲哀といふ樣なものをも感じて來る。數年前父の看護に郷里に歸つてゐた頃、東京から友人の手紙に、ゴーガンが遙々出かけて行つたタヒチの島といふを見付け出すために隨分多くの地圖を探して辛うじて發見した、とあつた一節など深くく身に沁んで讀んだものである。昨今私は進化論に關する書物を讀んで居る。二十二歳であつたダーウインが探検船ビーグル號に乘り組んで六年間といふものを世界の各所を經巡つたといふ樣なことから、地球の歴史、生物の歴史、人類の歴史、更にまた世界各地に於ける動植物の分布などの事を讀むにつけ、此頃一層地圖を可懷しく思つてゐるのである。
 高山に登つて四方の國々、さては遙かな蒼海等を眺むる時、我等はともすると言ひ難い寂寥悲哀を覺ゆることがある。地圖に見入る心はこれに似通つてゐるかも知れない。
 
 東京に居る人はいま郊外に出て見るが好い。晴れ切つて微かに霞んだ地平線の方に國境の連山が更にかすかなむらさき色を帶びて浮び出てゐるのを見るであらう。そして、久しく忘れてゐた底の/\胸の動悸を感ずるであらう。日はうらゝかに哀《かな》しく、地は行くに從つて優しさに燃え、木といふ木、林といふ林は宛ら各自の魂の煙つてゐるかの樣に到る所秋の光に煙り立つて居る。
(119)   行かむがために行く者こそ、まことの旅人なれ
   心は氣球の如くに輕く
   身は惡運の手より逃《のが》れ得ず、
   何の故とも知らずして
   たゞ、行かむかな、行かむかなと叫ぶ。
 涙のやうなこの歌が今日また深く心にはぐくまれてならぬ。何の故とも知らず、行かむかな、行かむかなと心の奥に悲しまれてならぬ。
 
 秋めいてから海は多く荒れがちである。海濱の白砂のなかに穴を掘つて砂色をした濱蟹といふ小さな敏捷なのがゐる。この蟹がずつと上の陸の方へ巣を掘る時は屹度海が荒れると言ひ傳へられてゐるが、咋今上へ/\と移つてゐる。波打際には朝な夕な汚い藻草や船具の碎片などが打ち上げられて、眞白に美しかつた長濱が急に黒ずんで見えて來た。
 家に籠つてゐると、その日/\の風や汐の具合で濤の響がずつと東から、または西の岬から聞えて來る。夜半に眼の覺めた時分など、この西東の移り變りが妙に心を淋しませる。その濤のひびきも此頃めつきり硬くなつた。
(120) 今日の東京日々新聞に白根山の降雪として、
  白根山は十四日來降雪を見たり
 とある。各國の高山の頂きが點々と白くなつて行きつゝあるのを思ふと何となく尊い心地がする。それにしてもこの小さな半島ではいつ迄待つてもそれを見る望みはあるまい。(十月十七日)
 
    その二
 
 砂山の蔭で日向ぼつこをしながら本でも讀むといふなら格別、ぶら/\と歩くには濱はすつかり駄目になつた。まだそれほど風が寒いといふではないが、どうも親しみが薄くなつた。そして家の裏口から拔けて自づと山の方へ足が向き易い。
 一二日強い風の吹いた事があつたが、それからめつきり欅の葉が赭《あか》くなつた。紅葉したとか黄葉したとか言ひ度いが、まつたく赤黒くちゞかんでしまつたのだ。それでも今いちばんこの樹が四邊《あたり》の山では眼に立つて見ゆる。つまり他に紅葉する木が無いからだ。暖國では何處でもさうらしい、私の國などがまつたく左樣だ、秋のよほど更けるまで眞青でゐていよ/\となると、急に赤黒く染つて、惶しく散つてしまふ。楓だつてその通りだ。北國の人は斯んな話をいかにも不思(121)議に聞くであらう。私が初めて紅葉らしい紅葉を見たのは信州で秋を迎へた年で、淺間の裾野から千曲川の沿岸が一雨ごとにあり/\と色濃く染つてゆくのを驚きふためいて眺めたものであつた。そのわびしい欅の樹と附近に多い松林の下草になつてゐる芒とが先づ眼に立つては見ゆるばかりだが、それでもしみ/”\秋の深くなつたのは解る。晴れゝば尚ほさら、曇つても降つても此頃の山は可懷《なつか》しい。山々といつても此邊の山は丘の續いてゐるのに過ぎぬのだが、土地に居れば矢張り山らしい思ひがする。防風林とか風致林とか嚴めしい札の立つてゐる所のほかは大抵松林と杉林、それに淺い竹藪などで、他は多く開墾しつくされてゐる。此間栗が喰べたくて永いこと山の方の人に頼んでおいたところ、それでも一升ばかり持つて來てくれたが、一體何處からこれを拾ひ集めたらうと思ふと可笑しかつた。そんな山畑の一隅に立つならば屹度一眸のうちに二疋か三疋の牛を見ることが出来る。耕作にも運搬にも全て牛を使つてゐる樣だ。地は除り肥えてゐるとは見えぬ。そして次から次と暫しも休めずにその田畑をば使つてゐるらしい。墾《ほ》りかへされた地が冷たい風に乾いて、其處此處に牛の立つてゐるのを見渡してゐると何かなしに靜かな心地になる。牛はよく海岸の草原に連れ出されてゐることもある。土地が狹いから農ばかりでは立たぬのであらう、かなりの山の方からも出かけて來て漁業に從つてゐる者がある。歩き疲れた夕暮など思はぬ所で沖の道具を擔いだ男に出合つて驚く事が多い。
(122) 深い山の事が思ひ出される。落葉の頃になると特にさうだ。大きな峯が双方から迫つた谷間、それも南を受けて乾いた落葉が深々と溜つてゐる、その落葉の中に腰を下して、岩から岩を傳つてゆく水の音でも聽いてゐたい。
 子供の頃、よく谷間に通蔓草《あけび》を取りに行つた。兩岸からの枝と枝とを絡んで這ひ渡つた蔓の蔭には熟れた甘い實が無數に垂れてゐた。それをも貪り飽くと、今度は石を起して小魚をあさる。それにも飽いて、ふと上の方を見あぐると、峯ちかい中空に晝の月が白々と浮いてゐたものだ。急に淋しくなつて谷を出て路もない灌木の林の中を通つてゐるとよく足もとから野兎が飛び出した。先日、風が出て、沖の白い日であつた、濱に出てゐると思ひもよらぬ邊に晝の月が懸つてゐる。端なくも久しく忘れてゐた故郷の事を思ひ出し、暫く獨りで苦しい佗しい思ひをした。歌に詠まうと力めたが、その深い心持はとう/\出ずに終つた。
 
 木犀も無い。女郎花の無いのに氣づいた時にもさうであつたが、この花のないのは一層さびしい。かすかな雲が空に光つて自身の瞼を動かすのさへ氣になる秋晴の眞晝など、をり/\この黒つぼく茂つた樹のまぼろしを眼の前に描き出すことがある。おなじ匂ひの高い木の花で沈丁花は春の花、木犀はやはり秋の花である。かれをおぼろ月夜にふさふとすれば、これは秋の日かげの(123)冴え沈んだ眞晝がいゝ。靜かにその匂ひ浸つてゐると、久しく別れてゐる友人のことなどしみじみと思ひ起される。
   木犀のにほふべき日となりにけりをちこち友の住みわぴし世に
 昨年の秋の作である。
 また故郷の話だが、私の家から七八町も西に當る山の中腹にキンゲンナと呼び馴らされた舊家があつた。其處に昔から一本の樹があつてその花が非常によく匂ふ。さや/\と西風の吹く日など、庭に出た母などがフト足をとゞめては眩しげに夕日に手をかざしながら、
『さうら、キンゲンナの花が匂ひ出た。』
 とよく言つたものだ。いま考へてみればそれは木犀の花であつた。
 
(125)第五編
 
 旅の歌
 
    武藏國御嶽山の歌
 
霧降るや細目にあけし障子よりほの白き秋の世の見ゆるかな
鐵道の終點驛の溪あひの杉のしげみにたてる旅籠屋
あをやかに山をうづむる若杉のふもとに細き水無月の川
多摩川のながれのかみに沿へる路麥藁帽の重き曇り日
頬《ほ》につたふ涙ぬぐはぬくせなりし古《ふる》戀人をおもふみなかみ
搖るるとなく青の葉がほのゆれて居る溪の杉の木見つつ山越ゆ
(126)ふるへ居る眞青の木の葉つみとりて瞼にあつる山はさびしも
奥山の木蔭の巖にかかりたるちひさき瀧を見つつ悲しき
      日向國の歌
日向の國都井の岬の青潮に入りゆく端《はな》にひとり海見る
大うねり風にさからひ青うゆくそのいただきの白玉の波
港口夜の山そびおゆわが船のちひさなるかな沖さして行く
かたかたとかたき音して秋更けし沖の青なみ帆のしたに打つ
      紀伊國の歌
一の札所第二の札所紀の國の番の御寺をいざ巡りてむ
粉河寺遍路の衆のうら鳴らす鉦々《かね/”\》きこゆ秋の木の間に
鉦々のなかにたたずみ旅人のわれもをろがむ秋の大寺
(127)      安房國の歌
戀ふる子等かなしき旅に出づる日の船をかこみて海鳥の啼く
白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の國を旅ゆく
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇《くち》を君
ああ接吻《くちづけ》海そのままに日は行かず鳥まひながら死《う》せ果てよいま
いつとなうわが肩の上にひとの手のかかれるがあり春の海見ゆ
ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ
君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ
いかなれば戀のはじめに斯くばかりさびしきことを思ひたまふぞ
このごろのさびしきひとに強ひむとて葡萄の酒をもとめ來にけり
(128)ものおほく云はずあちゆきこちらゆきふたりは悲し貝をひろへる
わがうたふ悲しき歌やきこえけむゆふべ渚に君も出できぬ
ふと袖に見出でし人の黒髪を唇《くち》にあてつつ朝の海見る
     おなじく
おもひ屈《く》し古ぼろ船に魚買の群とまじりて房州へゆく
われひとり多く語りてかへりきぬ月照る松のなかの家より
ゎれよりもいささか高きわか松の木かげに立ちて君をおもへり
日は日なりわがさびしさはわがのなり眞晝なぎさの砂山に立つ
いつ知らず生れし風の月の夜のあけがた近く吹くあはれなり
物かげに息をひそめて大風の海に落ちゆく太陽を見る
青海の鳥の啼くよりいや清くいやかなしきはいづれなるらむ
(129)好かざりし梅の白きをすきそめぬわが二十五の春のさびしさ
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしき空に白富士の見ゆ
おぼろ夜の多人數なりしそがなかのつかね髪なりし人を忘れず
     信濃國の歌
麓なる山のひとつのいただきさの青深草に寢て淺間見る
火の山や麓の國に白雲の居る夜のそらの一すぢの煙
夜となればそらを掩ひて高く見ゆ眞晝は低しけむり吹く山
火の山にしばし煙の斷えにけりいのち死ぬべくひとの戀しき
ゆるし給へ別れて遠くなるままにわりなきままにうたがひもする
ものを思ふ四方《よも》の山べの朝ゆふに雲を見れどもなぐさみもせで
ほととぎす聽きつつ立てば一滴《ひとたま》の露よりさびしわが生くが見ゆ
(130)胸にただ別れ來し人しのばせてゆふべの山をひとり越ゆなり
     おなじく
名も知らぬ山のふもと邊《べ》よぎむとし秋草の花を摘みめぐるかな
朴の木に秋の風吹く白樺に秋風ぞ吹く山を歩めば
秋晴のふもとを白き雲ゆけり風の淺間のさびしくあるかな
かたはらに秋草の花かたるらく亡びしものはなつかしきかな
秋草の花よりもなはおとろへしわれの命のなつかしきかな
秋草の花のさびしくみだれたる微風《びふう》のなかのわれのよこ顔
秋風のそら晴れぬれば千曲川白き川原に出てあそぶかな
沈みゆく暗き心にさやるなく家をかこみてすさぶ秋風
こころやや昔の秋にかへれるか寢ざめうれしき夜もまじり來《き》ぬ
(131)さらばいざさきへ急がむ旅人は裾野の秋の草枯れて來《き》ぬ
火の山のいただき近き森林をよぎらむとしてこころいためり
雲去れば雲のあとよりうすうすと煙たちのぼる淺間わが越ゆ
火の山の老樹《おいき》の樅のくろがねの幹を叩けば葉の散り來る
風立てばさとくづれ落ち山を這ふ火の山のけむりいたましきかな
秋の森ふと出であひし溪間より見れば淺間に煙斷えて居り
溪あひのみちはかなしく白樺の白き木立にきはまりにけり
蟲けらの這ふよりもなほさびしけれ旅は三月を超えなむとする
終りなき旅と告げなばわが胸のさびしさなにと泣き濡るるらむ
はつとしてわれに返れば滿目の冬草山《ふゆくさやま》をわが歩み居り
冬枯の黄なる草山ひとりゆくうしろ姿を見む人もなし
(132)峯の草わがよこたはるかたはらに秋のあは雪消え殘り居り
蒼空《あをぞら》ゆ降りきてやがて去りゆきぬ山邊の雲もあはれなるかな
いただきの秋の深雪《みゆき》に足あとをつけつつ山を越ゆるさびしさ
終りたる旅を見かへるさびしさにさそはれてまた旅をしぞ思ふ
     おなじく
おなじくば行くべきかたもさはならむ何とて山へ急ぐこころぞ
問ふなかれいまはみづからえもわかずひとすぢにただ山の戀しき
さびしさを戀ふる心に埋《うづも》れて身にこともなし山へ急がむ
山戀ふるさびしきこころ何ものにめぐりあひけむ涙ながるる
山に入り雪のなかなる朴の木に落葉松になにとものを言ふべき
枝もたわわにつもりて春の雪晴れぬ一夜やどりし宿の裏の松に
(133)     おなじく
朝空に黄雲たなびき蜩《ひぐらし》のいそぎて鳴けば夏日かなしも
岨路《そばみち》のきはまりぬれば赤ら松|峯越《をご》しの風にうち靡きつつ
朝雲ぞけむりには似るこの朝けあわただしくも啼くほととぎす
峯のうへに卷き立てる雲のくれなゐの褪せゆくなべに秋の風吹く
みねの風けふは澤邊に落ちて吹く廣葉がくれの葛の秋花
うららかに獨りし居れどうら寒きこころをりをり起りこそすれ
向《むか》つ峯《を》にけふもしらじら雲い立ち照り輝くに獨り居にけり
輝けば山もかがやき家も照り夏眞白雲《なつましろぐも》わびしかりけり
麓邊の路のひとすぢしらじらと見えて向つ峯《を》雲わきやまず
     甲斐國の歌
(134)雲まよふ山の麓のさびしさを慕ひて旅に出でぬ水無月
辻々に山の迫りて甲斐の國甲府の町はさびし夏の日
山あひのちさき停車場ややしばし汽車の停れば雲おり來る
山々のせまりしあひに流れたる川といふもののさびしくあるかな
わが向ふ青高山《あをたかやま》の峯越しにけふもゆたかに白雲の湧く
おほどかに夕日に向ふ青山のたかきすがたを見れば尊し
木《こ》の葉みな風にそよぎて裏がへるあを山にひとのゆけるさびしさ
     おなじく
雪殘る諏訪山越えて甲斐の國のさびしき旅に見し櫻花
をちこちに山ざくら咲けりわが旅の終らむとする甲斐の山邊に
見渡せば四方の山邊の雲深み甲斐は曇れり山ざくら咲く
(135)     多摩川の歌
多摩川の淺きながれに石なげてあそべば濡るるわが袂かな
多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにも思ふ人のあれかし
曇日の川原の藪のしら砂にあしあとつけて啼く千鳥かな
山のかげ水見てあればさびしさがわれの身となりゆく水となり
     下總國の歌
河を見にひとり來て立つ木の蔭にはのかに晝を鳴く蛙あり
眼とづるはさぴしきくせぞ大ぞらに雲雀啼く日を草につくばひ
根のかたにちさく坐れば老松の幹よりおもく風降り來る
耐へがたくまなこ閉づればわが暗きこころ梢に松風となる
波もなき海邊の砂にわが居れば空の黄ばみて春の月出づ
(136)なぎさ邊の藻草昆布のむらがりのなつかしいかな春の月出づ
しら砂に顔をうづめてわれ祷るかなしさに身を傷《やぶ》るまじいぞ
     おなじく
下總の國に入日し榛原《はりはら》のなかの古橋わが渡るかな
藪雀群るる田なかの停車場にけふも出で來て汽革を見送る
榛原のあをく煙れる下總に水田うつ身はさびしからまし
     相模國三崎港の歌
あらさびしやわが背のかたに少女《をとめ》居りほほゑめるごとし海へ逃《のが》れむ
明日行かむ海思ひ居ればゆきずりの街の少女もかなしみとなる
わが渡る五月の海に魚《うを》海月《くらげ》さびしく群れてさざ波もなし
海緑《うなべり》の五月の雲もわが汽船《ふね》の濡れしへさきもうらがなしけれ
(137)曇り日の船の機關に石炭をつぐ萌黄服《もえぎふく》、海はわびしき
古汽船《ふるぶね》のあぶらの匂ひなつかしく身に浸み來て午後の海渡る
わが古汽船雲のかげりの浪をわけさびしき海をさすよ岬へ
雲深き岬へわたる古汽船のあとより起る夏の青浪
夏あさき岬のはなに立つ浪のなつかしいかなわが船を搖《ゆ》る
雲晴るれば海は俄かに紺碧の浪立ちわたり搖るるわが船
あかあかと西日に浮び安房が崎相模の海に近く寄るなり
岬より夕日に向ひうすうすと青いろの灯をあぐる燈臺
あをやかに雙眼鏡にうつり出で五月の海に魚釣る子等よ
なつかしく午後二時ぞ打つ風呂《ゆ》やわかむこの窓掛にゆるる海の日
月の出の巖《いは》の暗きに時をおき浪白く立ら千鳥啼くなり
(138)わが眠る崎の港をうす青き油繪具に染めて雨降る
みな忘れよ崎の港のこのひと夜五月の雨が降りそそぐなり
旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に
亡びゆくこのはつ夏のあはれさのしばしは留れ崎の港に
ゆく春の海にな浮きそ浪ぞ立つかなしき島よ夙く流れ去れ
あを海の岬のはなに立つ浪の消しがたくして夏となりにけり
あをあをと雲に蔭《かげ》れる彼の岬このみさきいざ飛びて渡らむ
新しきうすむらさきのこの紙幣夏のみなとの朝の遊女屋
わが二十八歳《にじふはち》のさびしき五月終るころよべも今宵も崎は地震《なゐ》する
みどり兒の死にゆくごとく月あをき崎の港を出でてゆく船
     同じく三浦半島の歌
(139)入りつ海朝霧ながるをちこちの岬に夏の日はさしながら
黒がねの鋸山に居る雲の晝深くして立ちあへなくに
傘さし見れば沖津邊《おきつべ》夏の夜の紺の潮騒《しほざゐ》うかびたるかな
ものうさに幾日か見ずて過ぎにけむこよひ眞やみの海ぞさびしき
晝の濱思ひほうけしまろび寢にづんとひびきて白浪あがる
近づけば雨の來るとふ安房が崎今朝藍深く近づきにけり
この汐風いたくし吹けばふし/”\のゆるみ痛みて沖あをく曇る
田尻なる雜木《ざふき》が原の山ざくらひともと白く散りゐたりけり
海越えて鋸山は霞めども此處の白濱浪立ちやまず
ひとすぢに白き邊波ぞ眼には見ゆ御そらも沖も霞みたるかな
     伊豆の海の歌
(140)ことことと機關のひぴきつたひ來る秋風の海の甲板《でき》の椅子《いす》かな
伊豆の海や入江々々の浪のいろ濁り黄ばみて秋の風吹く
雲|裂《さ》けて入日は海に漏れにけり赤きに浮び浪の立つ見ゆ
ふと時計の振子とまりし如くにもこころ冷えきて暴風雨《しけ》を見るなり
次ぎのうねりはわれの帆よりもたかだかと聳えて黒くうねり寄るなり
はたはたと濡帆はためき大つぶの飛沫《しぶき》とび來て向かむすべなし
やと叫ぶ船子等《かこら》の聲に驚けば海面《うなづら》黒み風來るなり
とびとびに岩の表れ渦まける浪にわが帆は傾き走る
やうやくに帆に馴れ浪に馴れにつつこころゆるめば海は悲しき
泡だてる岬をややに離れ來れば沖は凪ぎゐて雲にかげれり
いろ赤くあらはれやがて浪に消ゆる沖邊の岩を見て走るなり
(141)     九州一周の歌
闇のうちにあまた帆ぞ鳴る帆ぞ動くわが汽船の漸く動き出でむとする港に
船室の窓よりやはらかき朝日きたるいでわがいとしき麥酒を呼ばむかな
身體は皮膚のみのごとくつかれたり船室の窓よりかなしき朝日來る
すれすれに岬の絶壁をすぐ、わが船室の時計の音
風出でて浪ぞ立つ朝日いまだ低くして陰翳《かげ》のみ多き海に
乘換驛待ちゐし汽車に乘りうつる窓にましろき冬の海かな
大海の荒れの岸邊の浪のかげに人群るる見ゆわが冬の汽車
有明の海のにごりに鴨あまた浮べり船は島原へ入る
冬山の國ざかひなるいただきを搖れまがりつつゆけるわが汽車
櫻島はけむりを噴かぬ山なりきあはれ死にたる火の山にありき
(142)海の黒さよほそぼそとしてうかびたる佐多の岬の夕日の濃さよ
浪高み船の歩みの遲さよなみさきのはなの白き燈臺
やよ老人いま船室には君とわれのみわが杯をねがはくは受けよ
船は遙るれども歩むともなし窓に黒く月夜の陸《くが》が見ゆれども動かず
     故郷の歌
ふるさとの美々津の川のみなかみに獨りし母の病み給ふとぞ
さくら早や背戸《せど》の山邊に散りゆきしかの納戸《なんど》にや病みたまふらむ
病む母よ變りはてたる汝《なれ》が子を枕にちかく見むと思ふな
病む母を眼とぢ思へばかたはらのゆふべの膳に酒の匂へる
病む母をなぐさめかねつあけくれの庭や掃くらむふるさとの父
     おなじく
(143)ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り
草山に膝をいだきつまんまろに眞赤き秋の夕日をぞ見る
草山にねてあるほどにあかあかと去《に》にがてにすと夕日さすなり
母が飼ふ秋蠶《あきご》の匂ひたちまよふ家の片すみに置きぬ机を
ふた親もわが身もあはれあかあかと秋の夕日のかげに立つごとし
いづくにか父の聲聞ゆこの古き大きなる家の秋のゆふべに
まんまるに袖ひき合せ足ちぢめ日向《ひなた》に睡る父よ風邪ひかめ
父よなど坐るとすればうとうとと薄きねむりに耽りたまふぞ
とりわけて夕日よくさす古家の西の窓邊は父の居るところ
ほたほたと喜ぶ父のあから顔この世ならぬ尊さに涙落ちぬれ
わがそばにこころ拔けたるすがたしてとすれば父の來て居ること多し
(144)二階の時計したの時計が違《たが》へゆく針のあゆみを合はせむと父
老いふけし父の友どちうちつどひ酒酌む冬の窓の夕陽《せきやう》
蜜蜂も赤く染まりて夕日さすかなしき軒をめぐるなりけり
寸ばかりちひさき繪にも似て見ゆれ思ひつめたる秋の東京
われを恨み罵りしはてに噤みたる母のくちもとにひとつの齒もなき
母が愛は刃《やいば》のごときものなりきさなりいまだにその如くあらむ
夕されば爐邊に家族つどひ合ふそのときをわれはもとも恐れき
わづかの酒に醉ひては母のつねに似ずくちかろく夜のかなしかりけり
あはれ今夜のごとく家族のこころみなひといろにあれ一色にあれ
姉はみな母に似たりきわれひとり父に似たるもなにかいたまし
あはれみのこころし湧ける時ならむしみじみものいふ母のかなしも
(145)くづ折れてすがらむとすれど母のこころ悲哀《かなしみ》に澄みて寄るべくもなし
家に出づる羽蟻《はあり》の話も案のごとくこの不孝者のうへに落ち終りけり
母姉われ涙じみたる話のたえま魚屋《うをや》入り來ぬ魚の匂へる
その障子もこの窓もみなしめきりて冬のゆふ陽に親しみて居り
椅子ながら山々のあひの落日を見居れば二階、父の入りきぬ
起き出でて戸を繰れば瀬は光り居り冬の朝日の光れる峽《かひ》に
あなかしこし靜けき御魂《みたま》に觸るごとく父よ御墓にけふも詣で來ぬ
     諸國の歌拾遺
立川の驛の古茶屋さくら木の紅葉の蔭に見送りし子よ
幾山河越えさりゆかばさびしさの終《は》てなむ國ぞけふも旅ゆく
峽縫ひてわが汽車走る梅雨晴の雲さはなれや吉備の山々
(146)われ車に友は柱に一語二語醉語かはして別れ去りにけり
草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒
晩夏《おそなつ》の光しづめる東京を先づ停車場に見たるさびしさ
一すぢの糸の白雪富士の嶺《ね》に殘るがかなし水無月の空
野の奥の夜の停車場を出でしときつとこそ接吻《きす》はかはしけるかな
木《こ》の芽つみて豆腐の料理君のしぬわびしかりにし山の宿かな
小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君
山の家の障子ほそめに開きつつ山見るひとをかなしくぞ見し
名も知らぬ河のほとりにめぐり來ぬけぶり流るる秋のゆふべに
春|白晝《まひる》ここの港に寄りもせず岬をすぎてゆく船のあり
ただひとり知らぬ港に降り立ちぬ停車場前に海あり浪寄る
(147)海にひとつ帆を上げしあり浪より低しかなしや夕日血に似て滴《したた》る
港には浪こそうねれ夕陽は浪より椅子のわが顔に映《は》ゆ
初夏の街のすみなる停車場のほの冷たさを慕ひ入るかな
ゎれひとも同じこころのさびしさか朝青みゆく夏の停車場
水無月の青く明けゆく停車場に少女にも似て動く機關車
眼のまへを大いなる浪あをあをとうねりてゆきぬ春のゆふぐれ
並《な》み立てる岬のあひにゆらゆらと海の搖れゐてゆふぐれとなる
またもわれ旅人となりけふ此處の岬をぞ過ぐいとしきは浪
あをあをと海のかたへにうねる浪岬の森をわが獨り過ぐ
浪々々沖に居る浪岸の浪やよ待てわれも山おりて行かむ
地よりいま生れしに似るあを海に向ひて語るふたつ三つの言葉
(148)法隆寺の前の梨畑梨の實をぬすみし若き旅人なりき
停車場に入りゆく時の靜かなるこころよ眼にうつる人のなつかし
 
(149) 卷末に
 
 書くともなく書いてゐた小さな散文の中から手近に殘つてゐただけを集めた。初め書く時には何等かの興味や必要から書いたのであらうが、斯うして校正刷になつて出て來るのを見てゐると誠にあはれなものばかりである。一册として出版するといふことを今は何だか讀者や出版者に對して恐縮に思ふ。唯だ、今まで私の詠んで來た和歌の背景の一部としてでも見て頂けば幸である。
 書いた順序もよく覺えて居らぬ。第二編に入れたものが最も舊く、明治四十二年の頃であつたかと思ふ。最近のは昨年の春この三浦半島に移つて來てから書いたものである。郷里の事を書いたのは大概大正元年の頃であつた。
 卷末の和歌は諸所旅行中に詠んだものから順序なく少しづつ集めてみた。郷里の歌は大正二年に出版した歌集『みなかみ』一卷が全部さうなので、此處にはたゞ父や母や家族の事を詠んだのだけ採つておいた。
   大正五年五月十四日
                     相模國三浦半島にて
 
(153)上編
 
 浴泉記
 
 二月七日 雨後曇
 午前四時半起床、お茶だけ飲んで家を出る。雨だと聞いてゐたのは、霙であつた。六時二十五分東京驛發、横濱で辨當。平塚あたりから薄い日がさして來た。僅かに切れた雲の間に箱根足柄の山が見え、みな眞白に雪を被つてゐる。國府津驛前の海が濁つた浪をあげてゐる。風が出たのだ。山北、御殿場、悉く積雪、富士は現に降つてゐるらしく黝暗《えうあん》な雲が一面に垂れ下つてゐる。十時何分沼津驛下車、直ちに俥にて狩野川の川口へ。ろく/\酒の温らぬうち汽船が出る。恐しく冷たい風で、江の浦内浦の眺望も富士の雪景もみな諦めて穴倉の樣な船室に小さくなつてころがる。午後二時半、土肥《とひ》著。
 この前來た時泊つた明治館といふへ行く。
(154) 海岸から四五丁奥まつた山際だ。土肥では大きな方で、湯も割に綺麗だ。この前は丁度正月の二日でたいへんこんでゐたが今度はさうでもあるまいと思つて行くと、また滿員だといふ。足利時代からあつたといふ附近の金鑛を此頃新たに發掘に著手したとかするとかいふので其方の人達がつめかけてゐるのだ相だ。オヤ/\と思ひながら突立つてゐると其處の内儀が、若し唯だ靜かなだけをよいにして頂けるなら土蔵の二階があいてゐるが如何でせうといふ。他を探すのもめんだうになつてゐた所なので、兎に角それを見せて貰ふ。土蔵はずつと引き込んだ裏手に獨立して建てられて、二階といふのは十疊に四疊半の二室、疊もさつぱりしてゐて天井も立派だし且つそれほど低くない。窓が唯だ普通の室らしくないがそれでも各室二個所、ガラス戸づきで開かれてある。土蔵だけにがつしりした造りですつかり四邊《あたり》と隔離した靜けさを持つてゐる。私は喜んだ、これは却つていゝ、不便な位ゐは我慢する、第一隣室といふものが無いのが氣に入つたと私は其處に腰をすゑることに決心した。掃除をさせ、荷物を持つて來させ、湯からあがつて、サテ其處に置いてある椅子に凭《よ》ると眞赤な夕日が遙かの海上にいま落ちてゆく所であつた。海岸の松原が墨の樣だ。心配してゐた程でなく夜はよく睡れた。しかも十二三時間あまり。
 
 二月八日 晴
(155) 何といふ事なく、身體の疲れてゐるのに氣がつく。朝、鼻をかむと血が混つてゐる。のぼせてゐるのだと思ふ。湯は熱くなくぬるくなく、いゝ加減である。葉書を
三四枚書いたまゝ、持つて來た『白痴』を讀んで暮す。夜またよく睡る。まつたくこの室は靜かだ。少し氣味の惡い位ゐ。
 
 二月九日 快晴
 今朝また少し鼻血。あまりいゝ天氣なので海岸に出てみる。來る時汽船から見ておいた港の向う側の斷崖の方へ廻つて、危い/\と思ひながらたうとう下まで岩傳ひに這ひ降り、日あたりの岩の窪に坐つて一時間あまりを過す。眞蒼に湛《たた》へた岩と岩との間の狹い入江にはけふは浪といふ浪もない。たぽ−んざぶーり、ざぶざぶといふけだるい音がすぐ脚下の岩の蔭に續いてゐて、よく見れば蒼い底には木の葉の樣な小魚が列を作つて泳いでゐる。折々立ち上つて沖の方を見るといつぱいの光で、舟も帆も見えない。何處を通つてゐるのか石油發動船の音が遠くなり近くなりしてものがなしく聞えてゐる。海越しの駿河路一帶の山には雪が輝いて、海岸沿ひに淡く霞がなびいてゐる。手帳の中に葉書が三枚入つてゐたのを見附けて友人へ書く。夢の世界の樣な靜かな一時間であつた。
 少し風邪氣味なので寧ろ抵抗療法になるかと思ひ幾度も入浴する。結果はいいやうである。散(156)文集『海より山より』の原稿の一部を整理する。
 
 二月十日 雨後曇
 朝來微雨、昨日の續きの机に向ふ。私は二つの窓のうち東北に開いてゐる方の側に机を置いてゐるのだが、直ぐ下は葱《ねぎ》と大根の野菜畑でそのさきに二側《ふたがは》だけの人家が並び、その向うは山となつて樟《くす》其他|常盤樹《ときはぎ》の茂つた鎭守の森が少し見え、その他は蜜柑畑と杉と雜木の山とが全面に見えるやうになつてゐる。杉も雜木も斯うして微かな雨の煙つてゐるところはまるで春である。やがて晝かけて豪雨となる。郵便初めて來る。葉書二、雜誌一、雜誌は二月號の『創作』である。大變に遲刊したのを出來上るまで待ちもせず、こららへ出かけて來たのであつたが、印刷所で無斷で紙質を落したりなどしてゐていかにも見すぼらしい。いかに體裁《ていさい》に構はぬ雜誌だとは云ひながら、これではあんまりだなどと眺めらるゝ。
 雨が漸く小降になつた頃、女中が惶《あわただ》しく馳け上つて來て來客だといふ。驚いてゐると眞赤な顔をして松井白花君が上つて來た。咋夜お葉書を拜見したら耐らなくなつてやつて來ましたと言ふ。何しろ意外なので手をとりながらも尚ほ不思議な氣がしてゐる。出て三四日にしかならないのだが東京の噂など早やなつかしい。夕方大いに馳走をとり寄せて遠來の友を犒ふ。晩酌は毎晩(157)二合づつときめておいたのだが、斯ういふ相棒を得ては我慢が出來ない。土藏の二階、今夜大いに賑ふ。
 
 二月十一日 曇
 重づめをこさへて貰ひ、酒の壜《びん》をさげて二人して海岸に出かける。曇つてゐるのが難だが松井君も勤めの身で今日の午後の船でまた歸らねばならぬので、晴れる事もあらうかと、覺束なく空を眺めながら出かける。一昨日行つた荒磯へ行つたのだが、その日と違ひ、風はひどく、日は照らず、寒くていけない。やがて大きな洞窟を見附け、附近から山の樣に燃料を集め、どん/\と火を焚きながら二人それ/”\席を作る。洞の事で風はなし、次第に火が大きくなると少し過ぎる位ゐ暖くなつて來た。火の傍に並べておくと壜は自らに燗を作る。一咋日と違つた凄じい浪の音が洞の前後を圍んで物々しく打ち上げるのだが、飛沫一つ飛んでは來ず、僅かに此處から出て行く煙の間に眞白なその穗さきや松の青い枝が見えるだけだ。徐ろに盃を擧げ、重箱を開いた。斯ういふ事に經驗のない松井君は悉く嬉しくなつて、ともすれば躍り出さむとするのだが、洞もそれほど大きくない。アハヽアハヽとたゞ歡びながら傾くる。斯うなれば雨が來ても雪が來てももう驚かない。洞中宴樂約三時間、流石に腰と尻とが痛くなつた。
(158) 一度宿に歸り更に汽船發著所に行く。規定より二時間ほども待つたれど船來らず、諦めてまた宿屋へ引き上げた。
 夜、また長い酒。どうした調子か戀愛談出づ。僕曰く、
『君たちはたゞもう惚れて貰ひ度い一方だらうネ。』
『いゝえ、さうでもありませんが、まア、さうですネ。』
『僕なんかはどうも頻りと惚れたくて耐らないよ、どうかして惚れて見たいと藻掻くのだが…』
 など。
 
 二月十二日 半晴半曇
 朝六時船來る。松井君はそれで立つた。もと通り獨りの寂しい部屋となつてまた机に向ふ。夜は何も見ないでなるたけ澤山睡る事にしてゐる。
 
 二月十三日 曇
 鑛山の連中が出て行つてしまふのが大抵朝の七時だ。それから湯槽《ゆぶね》が靜かになる。一人でゆつたりと手足を伸して浸られる、湯も澄んで來る。今朝もしみじみさう思ふ、斯うして湯に浸りな(159)がらもどうしたものか自分の心は始終そはそはしてゐる、斷えず何かに追つ立てられてゐる樣だ。此處に來て丁度けふで七日だ。まだ一日だとて眞實に温泉に來て浸つてゐるといふ樣な氣がしない。解き放して心や身體を遊ばせるといふ事がない。一生これだとすると、これからの事が隨分と思ひやられる。あれやこれや考へて行くといつか眼さきが寒くなる。金でもあつたらなアと、またさもしい事を思ひ出す。急いで湯から出て机に向ふ。底寒い一日。
 
 二月十四日 晴後微雨
 いつの間にか湯槽での顔訓染が出來て來る。昨今この宿では鑛山の人たちを除いたらあとは可笑しい位ゐ老人連ばかり揃つてゐる。不便で、暖い土地だからだらう。病氣と見えるのが一人、あと三四人はみな達者な爺さんたちだ。七日に初めてこの宿に來た時、船で知り合ひになつて一緒に連れ立つて來た一人の老人があつた。老人といつてもまだ六十歳位ゐでその人自身の話す所によると殆んど年中斯うして諸國を廻つて歩いて有名な神社佛閣があれば其處へ參詣するのださうである。なるほど携へてゐる二册の和綴の帳面には一杯に神社やお寺の印形《いんぎやう》が捺してある。この人とはほんの一時間位ゐしか(滿員といふので、その夜は危く私と土藏に合宿をする所であつたのだ)顔を合せてはゐなかつたが、何かの話のついでにしみ/”\した調子になつて『どうも老(160)人《よしより》といふものは家にゐるものではありませんよ、それに養子といふものは面倒なものでしてなア、縁あつて親となり子となつたのですからわけ距てなどする積りでは無いのですけれど、矢張りなア、向うではつけつけ言つて貰ふ方がいゝのでせうがどうも左樣ゆかぬものでして、なるたけこちらでは言葉に出さずにそぶりで何かを知らせやうとする、向うではそれが解つたやうな解らぬやうな風になつてその間に自然双方の心に距てが出來まして……』といふ樣な事を言つて、『どうも私は子に運のない方でして長男は中學でなくなり、次男は丁度大學を出るといふ年に死にましてな、あとはあつて要もない女の子ばかり二人殘つて居ります』などとも言つた。始終斯うして歩いてゐるせゐだらう、顔の色は眞黒だが極く柔和な上品な人で天神髯をたてゝゐた。翌朝その部屋に訪ねて行かうとするともう先刻六時の船で立つてしまつた相だ。紙きれに處と名とを書いて私にとて殘してあつた。東京の川崎在の人ださうである。いま泊つていはゆる湯治をしてゐる老人連もよしあしに係らず、矢張り自宅にゐなくていゝ、乃至はゐたくない人たちらしい。とにかく斯うした自由のきく人は先づ幸福な人たちと見ねばなるまい。その中で右の川崎の老人などは健氣な方で、さうでないのがごろ/\斯んな所で湯に浸つてゐるのであらう。中には一人二十歳前後のあやしい美人を携帶してゐる老人もある、此等はさしづめ不良の組であらう。中の一人に淺草橋とかに店を持つてゐるといふ中田さんといふのが一番お喋舌で、いつか私をも(161)話仲間に入れてしまつた。そして今日晝過にひよつこり土藏に上つて來て、『よくこれで窒息しませんナ』などとやつてゐたが、たうとう彼に引つ張り出されて山の方に散歩に出た。到るところ梅が眞盛りだ。眞白になつて流れてゐる溪間に誰の所有だか、まつたくの野梅だか、白々と咲き傾いてゐるのなどを見ると矢張りすてがたい花だと思ふ。これらから見れば東京の公園あたりの梅はまるで紙屑だ。伊香保では斯うの鹽原ではどうの、會津東山では百圓札を何枚どうしたのといふ風の中田さんの話をきゝながら隨分奥まで登つた。溪が小さくなつて岩から岩を傳ひ、小さな瀧のやうになつて流れてゐた。談話はまつたく都會人に限る。かなり念の入つた斯うした話でも彼の話してゐるのを聞いてゐるとそれほど不快でない、そして、ツイよく/\の所まで聞かせられてしまふ。例の金山事務所の仕事であらう、登る路すがら幾ところも新しい穴の掘りあけられてあるのを見た。山こそいゝ災難だと思ふ。
 午後、微雨。湯槽の中でそのみちのものらしい或る男の話すのを聞いてゐると、普通百貫目の鑛石から一匁の金が得られゝばいゝとしてあるものなのださうだ。百貫目々々々と、その容積を空に描いて、サテ僕のペンさきの金は幾匁あるのだらうなどと考へた。
 
 二月十五日 曇
(162) 朝五時前起床、湯から出て暫く附近を散歩した。雨氣だつてはゐるが、非常に長閑《のどか》な朝で、近來にない好い氣持になつて宿に歸つた。歌も久しぶりに三つほど出來た。今日こそ一つうんと仕事をしようと力んで歸つてきた矢先を無知な横著な女中どものためにすつかり癇癪を起させらられ、終《つひ》に一日滅茶々々となる。直ぐ轉宿しようと考へたが室内に散らばつてゐる荷物を片づけるのがイヤさにそれも思ひとまる。
 
 二月十六日 曇雨折々雪
 朝、警が際立つて感ぜられたが海岸の松原に散歩に出る。さ程大きな松原ではないが、一帶が老木で木蔭の荒々しい石原には落葉が一杯に積つてゐる。前面の海は山の蔭になつてゐるのであくどいほど黝《くろ》ずみ渡り、山の上から沖にかけては雨か雪かを含んだ密雲がずうつと遠く崩《なだ》れてゐる。漸く山を越えた朝日の光がこの邊にそゝぐころ、松原に音をたてゝ霙が降つて來た。午前は机。年後、二三度馴染になつた按摩の家へ出かけて肩を揉ます。若いくせに彼はなかなかよく語る。沼津に大錦組の角力が來るさうだ。歸りはひどい風で雪が烈しく顔を打つ。夜よく眠れず。
 
 二月十七日 晴
(163) 六時起床、戸をあけてみると薄墨を流した空だ。オヤ/\と思ひながら長湯をしてゐる間に次第に明るみ、日がさして來た。今朝は溪奧へ行く。ずゐぶん寒い、附近の高い山(といつても大抵草山)には斑《まだ》らに雪が積んでゐる。梅がまた眼につく。單に薪か炭にするのみだと思つてゐた雜木山に、椎茸山も混つてゐた事に氣がつく。自分の郷里でやるのと同じやりかたらしい。さうした雜木の最近伐り拂はれた後の明るい傾斜《なぞへ》に樟が黒々と目立つて散在してゐる。それに蜜柑山と批杷山と竹の林と赤みがかつた小さな杉山と、これらがみな附近の小さな山から山を占めてゐる。よく手の入れられた斯うした山や溪の間にはまた自ら別種の風景が出來てゐるのを思ふ。とある溪端《たにばた》に樟腦を焚く小屋があつて、青い微かな煙と共に芳烈なその匂ひが流れてゐた。これも郷里を思ひ出させる一つである。溪ばたの路をば鑛山通ひの荷駄馬が折々通つてゐる。
 午後、全く晴る。郵便出しかた/”\海岸の方に行くと、例の按摩に會つた。遠眼はきかないが近くなら人の顔が解るらしい。『旦那、二階が空いてるさうですよ』といふ。昨日療治のついでに何處かこの海岸に閑靜な宿はないかと訊くともなしに訊いたのであつたが、心當りがあるから私が行つてきいて見ませうと言つてゐたのだ。そして彼に連れられてその宿を見に行く。宿屋の格は現在《いま》のより一二段落つるが、家人が至つて親切だといふのである。二階に上ると二つ三つの屋根と蜜柑批杷松の木立などを透して直ぐ前に海が見ゆる。日が廊下に一杯に當つてゐる。隣室(164)に學生らしい客がゐる。とにかく現在のところがいやになつてゐた際とて、按摩の厚意を無にするも氣の毒で兎に角此處にしようといふ事になつた。どうせ何處へ行つてもさういゝ氣持にはなれはしまい、などと思ひながら川の土堤をぶら/\と歩いて宿へ歸る。久しぶりに明るい日光が水にも石にも芝生にも照つてゐた。イヤイヤながら荷物を片づける。
 夕方轉宿、吉村屋といふのだ。ひどい風で、濤聲またこれに伴ふ。晩酌一本追加、直ぐ床に入る。折々眼がさめると風と濤とは次第にひどくなつて來る樣子だ。割に安眠。
 
 二月十八日 晴 大風
 五時半起床、湯に入る。先の宿のより餘程ぬるし、此處で湧くのでなく他から引いて來るため。濱に出て氣がついた。咋夜の風はあとかたもない。空もきれいに晴れて、浪ばかりが目ざましく寄せてゐる。背後に山を負つてゐるので此處にも海にもまだ日がさゝず、遙かの駿河路に、それも海岸よりずつと奥寄りの方の高山に先づほんのりと射すのが見えた。やがて次から次と移つて前面一帶の海岸を染め、終《つひ》に海に及んだ。半島らしく見ゆるその尖瑞は御前崎か知らと思ふ。さうすればそこの燈臺守は私の知つてゐる人である筈である。代赭色《たいしやいろ》をした冬枯の山から山が薄く染つてゐるのは靜かなものだ。奥まつた高い一帶には雪が斑らに輝いてゐる。細く延びた(165)岬からずつと沖にかけてはいかにも昨夜の風の名殘らしい影を留めた密雲が低く凝つてゐて、同じく日光に染められてゐる。そのものものしい雲の姿は、今日もまた風かと呟かずにはゐられないほどだ。日漸く高く、山から岬、岬から洋上の雲に漂つてゐた茜色が次第に白茶けて來ると、海の色は急に變つた。鮮かな藍となつた。そして全面に泡だつてゐる浪がしらがきら/\と光り出した。藍は沖になるだけ深く、浪打際から二三丁が間の浪は悉く薄い濁りを帶びて立つてゐる。
 やがて、案の如く風起る。隨分ひどい。朝食後、數日ぶりのこの日光がうれしく、風を冒してまた散歩に出る。漁夫共が集つて船をずつと陸の方へ引き上げてゐる。折角ひろげて乾した大きな網の上へは怒濤の飛沫《しぶき》が雨のやうに飛んでゐる。辨天島の魚見といふへゆく。此處は土肥の港(入江か)を作つてゐる崎の一つの斷崖の上で、其處から沖を見張つてゐては、ソレ鰯が來た鰹が來たと合圖をする所なのださうである。其處に登れば駿河灣一面から外洋まで隨分と限界がひらけて來る。頂上は雜木林でその下の斷崖には老松が枝を張つてゐる。その松の枝を透かして眞下の荒磯に打ち寄する怒濤がよく見える。それもしつかりと木につかまつてからでなくては恐くて覗かれぬが、ましてけふはこの風だ。冷たさに慄へながら自ら肌には汗の浸むのを覺ゆる。案の如く海は廣大な藍甕となり果て、そして一面が渦まいてゐる。濱からは見えなかつた對岸の高い山も見えて、それらがみな白雪、惜しいことに一つの草山に遮られて富士だけは見えない。と(166)もすれば吹き飛ばされさうで、永くはさうしてゐられない。早速飛びのいて附近のだらだら坂になつてゐる草原に逃げて來た。其處はまた嘘のやうに風から離れてゐて、日がほく/\と照つてゐる。靜岡縣といふ木標が幾つも立てゝあるのを見れば縣有林とでもなつてゐるらしく、大抵は櫟の木だ。海から吹き上ぐる風はみなこの傾斜の向側から中空へ突き拔けて、たゞ音ばかり凄じい。落葉した櫟の枝から枝には眼白鳥《めじろ》が頻りに移つてゐて、やがて二羽となり三羽となつた。坂のずつと下には白梅が二三本咲いてゐるのが見える、いかにもそれがこれらの枯木の枝を透かして見るとほんのりと浮び出てゐる樣だ。あゝ靜かだ! と思ふともう私の心は何やら騷ぎ立つて來た。どうしてもぢつと坐つてゐる事が出來ぬ。騷がしい場所に在れば在るで、斯うした靜かな場所に來れば來るで、何彼と常に私の心は波立つ事をやめぬ。呪《のろ》はしきこの心よ!
 宿に歸ると海に面した側《がわ》の雨戸がみな締められてあつた。湯に浸つてゐると頭のしんが微かに痛む。風に疲れたものらしい。床を延べて寢る。家がめりめりと絶えず音をたてゝゐる。寢ながらいろいろ一身の事を思ふ。
 
 二月十九日 快晴
 薄暗いうちにたゞ獨り湯槽《ゆぶね》に浸りながら久しい間耳を澄しても風の音がせぬ。曇つたのだらう(167)と思ひ込んで、サテ湯から出て仰いで見ると晴れてゐた。まだ日の影は匂はないが、確かに靜かに晴れてゐる。濱に出てみると、浪もひたりと凪いでゐる。やがて日がさして來た。何といふ麗らかなそのいろよ!
 朝食後また濱に出てゐると、大勢の漁師が濱深く船を引き上げたあたりに群つて何か呼び合ひながら働いてゐる。荒れた後の海邊には、まつたく何とも云へぬ新鮮さが滴り溢れてゐるものである。其處へ一艘、すぐ續いてまた二艘、發動船が音高く入り込んで來た。一艘からは何やら商品らしい雜貨の荷上げが始り、他の二艘には早速炭の積み込みが始められた。次第に乾いてゆく濱の上には忽ち一杯に大小の網が乾し並べられた。新鮮と活氣と、そしてそれらを押し包んだ靜寂とが濱にも海にも今はまつたく滿ち渡つた。
 うつとりとそれに見惚《みと》れてゐると、不圖側に來て匂やかに笑ふ女があつた。明治館の湯槽での馴染の一人、女優と名乘つてゐたハイカラさんである。昨夜急に電報が來て今朝の汽船で東京に歸るのだといふ。ところが今朝の六時に來べき沼津行一番の汽船が咋日の風のためか斯う八時過ぎてもまだ來ないので困つてゐるのだ。では暫く僕の宿で休んでゐたらいゝだらうと汽船宿にさう言つて連れ立つて歸る。何の用だと訊くとよく分らぬが今度自分の出る舞臺《こや》がきまつたらしい、多分淺草の××座だらうと思ふと言つてゐる。七歳の時から舞臺に出たのださうで、田舍巡りを(168)して歩いた時の追懷談など面白く聞く。十時過ぎてまた濱に出てみる。まだ汽船の影もなし。砂の上に坐つて聞くともなしに聞いてゐると同じく汽船を待ちあぐんでゐた四五人の人達がいつそこれは汽船を待つよりこの積荷の終るのを待つて發動船に便乘して行かう、此頃の汽船は馬鹿に石炭を儉約するので速力から云つても一時間はこちらの方が速い、たゞ少し寒いばかりだ、といふ樣な話である。危ぶむ彼女に勤めて同じく左樣する事にさせる。ところがまたその木炭を積むこと積むこと、一時間、一時間半、十二時近くなつてもまだ出さぬ。幸に風もたいしたことなく日は益々よく照つてゐた。二人して焚火などして遊ぶ。附近で目立つ斯うした若い女と竝んで永い間坐つてゐるので注意がみなこちらに向いてゐる。中にも沼津か靜岡あたりの店員と見える三人連の小僧どもは辛抱強く先刻《さつき》から何彼と野次り續けてゐる。先刻宿屋でもさう思つたのだが、丁度其處の部屋の具合も神田か牛込あたりの下宿屋そつくりだし、また斯うしてゐる所など、まるで十年前の書生時代に返つた樣で苦笑おのづから禁じ難い。漸く出船、先づ小さな傳馬《てんま》に乘つてそれから本船の炭俵の上に移る、危なつかしいその姿を眺めてゐると流石に氣の毒になつた。もう少し僕に元氣があると此儘沼津まで送つて行つてやるのだがなア。
 宿に歸ると郵便が澤山來てゐる、野菊、柊花、山蘭、留守宅などから。小包も一つ、それは浦君から葉卷をい送つて呉れたのだ。飛び立つてよろこぶ。手紙もみなしみ/”\したものゝみであつ(169)た。斯うしてみると各自がみなそれ/\自己の道を靜かに踏みしめて歩いてゐるのが鮮かに見える樣で云ふ樣なく可懷しい。妻からのはことに嬉しかつた。この前私から、持つて來た仕事が少しも出來ぬと愚痴を言つてやつたのに對して、それはわたしの方ではおいでになる前からさう思つてゐた、到底現在ではそれは無理なのだからそんな事は頭に置かないで唯だ普通の湯治だと思ひ專心に身體に注意をする樣に、といふのである。これを讀んで急に私は活氣づいたのを感じた。感謝すべき今日の郵便よ!
 ずつと夕方まで晴れ、且つ凪いでゐた。數日來にない今日はよき日であつた。夜、珍しく遲くまで起きてゐた。
 
 二月二十日 晴 風
 元來此處の温泉は痔、胃、僂麻質斯《りうまちす》、貧血症其他にいゝといふのだから私などには最もお誂へ向きなのだ。上にあげた諸病、一として心當りのないものはないのである。幾らかは利いて呉れるかなア、と廣い湯槽に獨り葉卷をくはへてガラス戸ごしに戸外の風と日光とを仰ぎながら浸つてゐる。氣のせゐか腕から胸のあたり、少し太つた樣だ。體温と幾らも違はない位ゐの温度だが、たいへんよく温まる湯である。それに、入る人の少いせゐか手入がいゝためか、前の宿のよ(170)り餘程きれいだ。
 けふもまた風が出た。汽船の來ぬのがさびしい。陸からも來るには來る樣だが大抵の郵便はこの汽船便によるので、ぽうつといふ港口の汽笛を聞くと直ぐ郵便を聯想するのが毎日なのだ。陸から來たと見え、正午一便來る。神澤理一君から救世軍の「ときの聲」健康號といふのを送つて來た。全紙過半酒毒の記事である。おもふに私が温泉に行つたと聞いて必ずこれはいつもの飲み過ぎの結果だらうと合點して特に同君はこれを送つてくれたのだらう。初めから終りまで一行殘らず精讀する。なるほど淺間しい話ばかりである。が、どうもまだ私には對岸の火としか思へない、自分の世界にはないことの樣に思はれてならぬ。とにかく過去の或る時代が私のは惡かつたのだ。雨戸は終日締め切られ、風の音濤の聲が家を搖つてゐる。よく聽けば風の音のなかには松の聲がよほど混つてゐる。枯木の鳴るのも聽える。斯うして耳を澄ましてゐると却つて机邊はいっもより靜かなやうだ。一囘も外出せず。口もきかず。風をきゝながらけふは晝酌。
 
 二月二十一日 快晴
 一日ごしに凪ぐ樣だ。けふはかなしいほど靜かな日。對岸の山がほの白く霞のうちにかゞやいて、絲のやうになつた岬のあたりは殆んど沖のひかりに消されてゐる。辨天崎の磯に行つてみ(171)る。うしろに物々しい絶壁を負つて、思つたより荒い磯だ。日あたりの小さな洞に石地藏の樣に坐つて永い時を過ごす。累積した大きな岩から岩の下を潜つて鳴りどよんでゐる單調な浪の音がやがては重苦しい哀感をそゝつて來る。我とわが身を怖るゝやうな氣持でひそかに其處から歩み出た。
 午後、今度は辨天崎の向う側、斷崖の上に續いた草山に寢に行く。木の間ごしの眼の下の浪は兎も角、ずうつと續いて行つた斷崖のいよ/\のはづれのあたりに白々と寄せてゐるのを見つめてゐると、心はまたしても深い寂寥のうちに沈んでゆく。私の居るツイ下から斷崖は小さく彎曲してゐて、その入江の中に二つ三つ露れてゐる岩の頭にも皆しら/”\と小さな浪が立つてゐる。見て居れば遙かの沖からは大きな弧を描いて長いうねりが後から後からと寄せてゐるのだ。そしてその先が入江や遙かに續いた斷崖に達しては渦となり浪となつてゐる。明らかな日の光はそのうねりにも渦にも浪にも、また岩にも崖にも崖の上の樹木にもみなしつとりと照り入つてゐる。浪は動き岩も森も日光も、眼に入る全體が動いてゐる樣にも感ぜられて來る。それと共に自分のこころも大きく寂しく浪うつてゐるのである。斯うした時、私は常に大きな自然と人間のたましひとの間に解きがたい微かな一致を感じて、深い哀感に撲たるゝが癖である。小さな鷹が一羽、何處から來たか久しい間私の居る上あたりを舞つてゐた。
(172) 歸つて湯に入ると手や足が頻りに痛む。どうかしてせめてその崖の端《はづ》れの岩の露出してゐるあたりまでも行つてみたく、羽織をぬぎ裾を端折り、一歩々々に極めて深い用心を拂ひながら――踏み外づせば十丈か十五丈の崖を浪の中へ飛ぶわけだ――這ひ降りて行つた。岩のあたまには寒い風が立つてゐた。首だけ出して覗いてみると崖の下は極めて純粹な藍のいろにどよめいてゐた、そして雪白な浪のくだけと。その時に受けた手足の傷なのだ。
 
 二月二十二日 曇 風
 型のごとくけふ風、しかも曇つてゐる。私は元來風は好きである。斯うしてぢつと耳を傾けてゐると、まつたく靜かな氣持になつてゆく。終日籠城、めづらしく歌を作る。今度はどうしたものか、永い間の疲労が湯に入ると同時に出て來たものか、眞實意地も張りもなくぐつたりとしてしまつてゐた。春陽堂から出す筈(昨年の九月に書き上げる筈だつたのである)の和歌作法書を今度こそは書きあげようと殆んどそれが全部の目的で出て來たのだが、そして毎日どうかしてそれに氣を向けようと幾度となく試みてみるのだが、どうしても筆がとれず、五百枚そのためにのみ用意して持つて來た原稿用紙はまだ全部そのまゝに手もつけずに殘してある。そのほかに新潮社から出す散文集の編輯も持つて來た用事の一つであつた。これは舊く書きすてゝおいたものが(173)多いのでそれらに幾らか朱を入れゝばいいので、どうにか間に合せた。もう一つ、南光堂から出す歌集の編輯、これも大方出來てゐたのを清書すれば濟むので完成した。あとは添刪詠草の返附、三月號の選歌、これらであるが、到底これは滿足にやれさうにない。それから自分でも不思議な位ゐなのは歌の出來ないことであつた。今まで東京を離れて旅に出さへすれば、たとへ二日三日のそれでも二十首、三十首、時としては百首位を作らずに濟んだことは先づ殆んど無い。それが今度は二十日から斯うしてゐて、それも人に逢ふでなく、する筈ではあるが仕事をするでなしに終に殆んどよう作らなかつた。あたりの自然などは、大きいところこそないが誠に私の氣に入つてゐる此處なのである。矢張り自分の氣の張つてゐない、生力の充實してゐないためである。さう思ふと、實際心細い。餘事を思はず、とにかくに身體を速くよくしようと思ふ。今日の樣に、少し氣に入つた歌が一首でも出來て呉れると、急に生き返つた樣にうれしい。今日は先づ成績のいゝ方であつた、毎日これが續いて呉れるといゝと思ふ。といふうちに、もう歸らねばならぬ時になつてゐるのだ。
 
 二月二十三日 曇 風
 けふも風、さうひどくもないのだが船が來ない。夕方かけて全く凪ぐ。明日は大丈夫と思ふ。
(174) 荷物をまとめかけておいて葉書をかいたり、歌を考へたりする。いよ/\別れだと思ふと、土地に名殘が惜しまるゝ。そして、歸つてからの東京の事が恐しく眼にうかぶ。
 何となくおちつかずに過す。
 
 二月二十四日 晴
 五時起床、星の見える湯槽から先づけふの凪と晴とをよろこぶ。湯から上つて名殘の散歩に出る。梅がまことにきれいだ。幾本も並んで咲いてゐる岡などには、中にうす青んで見ゆる花もある。とある寺の裏山には竹と梅と椿が同じ位ゐに混つて茂つてゐる。しつとりした墓地に入り込むと、繍眼兒《めじろ》が其處でも此處でも啼いてゐる。午前の船來らず、また散歩。今度はやゝ遠くまで行く。到るところ煦々《くく》として春の光が滿ちてゐる。歌、幾首か出來る。
 午後二時半、ずつと沖から汽笛が聞える。荷物を持つて濱に出る。宿の者も揃つて送つて來る。艀舟《はしけ》に乘つて餘程漕ぎ出た時に、不意に私の名を呼ぶ人がある。中田老人だ。何度となく頭を下げてゐる。
 幸にこの航路一番の大船で、船室は甲板にあり、船室の屋根は平面で自由に坐られるやうになつてゐる。屋根に蓙《むしろ》を敷き、ゆつたりと席を作る。海上極めて穩か、附近の潮は黒いまでに澄ん(175)でゐる。岸に沿うて進む。岸は多く岸壁と菅山、その何處にも物悲しさうな日光が漲つてゐる。戸田《へた》の崎を廻つたころ、私は携へて來た酒の壜をあけてゐた。そして何の氣もなくひよいと首を擧ぐると、らやうど眞上に、それこそ眞正面の高空に富士がくつきりと聳えてゐた。七合目あたりまでは雲で、それから上の雪白な頂きが空に浮んでゐるのである。私は實際跪いて合掌したい程に思つた。程なく沼津の千本松原が見えて來た。
 
(176) 北國紀行
 
 秋田市にデツサン社といふ短歌の會がある。わが創作社の阿部たつを、帶屋久太郎、中村長二及び川越守固君等の主宰する所である。そのデツサン社が發企《ほつき》になつて、今度同市に同縣下の歌人大會を開く事になつたから出席して呉れないかといふ手紙を阿部君から貰つてゐた。かなりに仕事は溜つてゐるし、どうしようかと考へてゐたが、いざとなると矢張り諦めかねてとう/\出かけることになつた。八月三日の夜、折から來合せてゐた數日來上京中の平賀春郊君や、家族の者と共に山手線の電車で上野驛に行くと、やがて越前翠村君もやつて來、それらの人に見送られて、程なく發車した。午後九時の事である。晝すぎから平賀君と飲んでゐた酒の醉がそれと共に全身に廻つて、うと/\しながら幾つかの停車場を越えた。折々窓から覗いて見ると、果しない平野には極めて薄い月光が流れてゐて、榛《はん》の木立か松の林かゞ遠く近く見渡された。開き棄てた窓からは、時々細かい雨の降り込んで來るのをも覺えた。車中は身動きも出來ぬこみやうである。
(177) 白河驛あたりで私の頭も漸く冴えて來た。午前三時の頃で、幾らか雲も薄らいだと見え、月光がはつきり地に印してゐた。と共に風が出て、泉崎矢吹驛のあたり、汽車の響と共に線路に沿うた松林からは斷えず烈しい音が聞えて來た。福島驛午前五時半、全く夜が明け放れた。酒辨當などを買ひ込んで板谷峠にかかるを待つ。程なく汽車はその山路にかかつた。折も折、大粒の雨が一齊に落ちて來て、翠巒更に一層の鮮かさを加へ、うねり/\登つてゆく山の左側には、遙か下に溪が白い泡を立てゝゐるのである。對坐した一老人も同じく澤の鶴の壜を手から放たないでゐたが、いつか口をきゝ合ふやうになり、羽後の酒田の人とかで、いろ/\その土地の話を聞いた。絶頂の峠驛に著いた時、その次の大澤驛に故障が出來て二時間近くの停車となつた。が、私は場所が場所だけに一向不平を感じなかつた。雨の疎らに降つてゐる歩廊《プラツトホーム》をぶら/\濡れながら歩いてゐると、車内の空氣と人とに濁り切つた頭が次第に澄んで來るのを覺えた。目に入る數軒の人家もその周圍の深い薄の原も、雜木の林も風も雨も、いづれもみな寂しい峠の宿場の風情を語つてゐる。昨年の春、此處を越ゆる時はひどい吹雪であつた。まだ暮れもしないのに電燈をつけねばならぬ程で、その時も一寸立ち出でてみた此處の歩廊も附近の人家も山も悉く眞白に閉されてゐたのであつた。やがて發車、大澤關根を過ぐると米澤の平野に出た。雨も晴れた。
 新莊を過ぎて程なく汽車はまた高原らしい所に入つた。米澤より山形を經て新莊まで約三時間、(178)其間は全くの平野で、遠く雲の蔭に山影を望む事が出來た。高原はやがて山となり、再び雨を見た。院内驛より平野、こゝよりは秋田領に入るのださうである。大曲驛に停車してゐた時の事である。丁度私の凭れてゐる窓の前で車掌を捉へて『この汽車に上野から乘つた人で若山といふ人がゐる筈であるが…』と訊いてゐる人がある。見知らぬ人ではあるが、思はずこららからも聲をかけた。羽後日報社の廣瀬といふ人で、同じく明日の短歌會に出るのださうである。六時過ぎ漸く秋田に著いた。歩廊《プラツトホーム》には大勢の人が出てゐて呉れた。阿部君のほかはみな初對面で、川越帶屋中村の三君及び上杉翠峯深澤夏村の諸君であつた。強い雨の中を俥で或る旅館へ引き込まれた。高西旅館といふのである。早速湯殿で二十時間餘の車内の煤煙を洗ひ落して上つて來ると明るい部屋にはずつと膳が並んでゐた。話と盃と交々相飛んで、折からの強雨もなか/\にその興を助けて呉れた。餘程更けて食事が濟むと、丁度雨も止んだ。少し散歩しようといふ事になり、從つて戸外に出た。雨後の冷氣が快く肌を刺して、仰げば天の河など見えさうな心地である。ただの散歩と思つてゐると、程なく一行はとある大きな冠木門《かぶきもん》を潜つた。そして通された座敷からは、しと/\に濡れ光つてゐる庭木の奥深く點ぜられた燈籠形の電燈が幾つも/\見通されて、何だか夢の樣な場面である。續いて我等の前には數個の綺羅《きら》びやかなる人たちが現れた。是なん蕗《ふき》と共に土地名産の一に謳はるゝ所のものであるであらうと、思はず居ずまゐを正さゞるを得な(179)かつた。忽ち酒、忽ち絃《いと》、忽ち唄、それら花の樣な人たちの間に立ち混つて、電燈の玉のやうになりながら跳び廻つてゐる中村君阿部君たちの姿が折々眼の前を走つたが、間もなくそれも遠ざかつて自分は目出度くつぶれてしまつた。
 翌日は不幸にも豪雨であつた。旅館から會場まで僅か一二町の所を行くに羽織も袴も忽ちに濡れ終つた。これでは來會者も如何あらうかと發企者たちの心を察してゐると、ぼつ/\と集つて開會時間の十時には既に三十人に近く、やがて三十六人になつたさうである。會場は田中町の富貴見樓、廊下を繞つて悉く廣い菖蒲の池で、いまは青い實ばかりとはいへ棄て難い庭である。阿部君の開會の辭、次いで多年斯道の研究を積んで居らるゝといふ市の中學教師石田氏の「萬葉集に就いて」の講話があつた。その次に私に何か喋舌れといふ事になつた。元來私は斯ういふ場席で喋舌ることの極めて拙劣なのを知つてゐるので、昨夜も特に阿部君にその事を約束しておいたのであつたが、愈々その場になると矢張りさうも行かぬ樣な破目になり、短い談話をした。題を附ければ、「靈のある歌とない歌」とでもいふべき程のもの、案の如く云ふ事が後《あと》や前で不得要領極るものとなつた。改めて何か土地の新聞にでも書き改める積りで、程々に切り上げた。食事後、當日呼物の短册交換が行はれ、朗吟や雜談で午後五時頃散會になつた。遠くは三四十里の所からなど出席した人もあつたとかでお互ひに初對面が多いらしくなか/\談話の進むのを見た。私に(180)は全部初めての人で唯だ僅かに秋田魁新聞の若松太平洞君のみを識つてゐた。數多の來會者の中に特に私の嬉しかつたのは縣下角館町から同じく三十里近くをやつて來た遠藤桂風君に逢ふを得た事であつた。同君とは手紙の上だけでは十年來の交友で私がまだ學校にゐた頃からよく歌の批評などし合つたものである。私よりも數歳年長、よく和田山蘭君に似た人であつた。また能代港(こゝも三十里からあるのだ相だ)から來た人に越前北方君といふがあつた。此人は會つて日露役の際樺太から朝鮮守備軍に從つてゐた事があり、その從軍中親しくした一人の小野八太郎といふがあつて、その小野といふのは日向國の私と同郷で而かも幼時極めて親しくしてゐた男なのでそれを通じてよく私の事を聞いてゐたのだ相である。その故に一度逢つて置き度く、忙しいのを棄てゝ出席したのだといふ。思はずも昔なつかしい話を聞いて私も非常に嬉しかつた。
 會が果つると、有志十六七人によつて懇親會が開かるゝ事になつた。場所は志田屋とかいふ如何にも老舗らしい大きな家である。前夜にもまさる美人連十名あまりが、四邊《あたり》を取り卷いて飲め飲めといふ。豈飲まざる可けんや、大いに飲み且つ醉ふ。就中《なかんづく》自分の隣に坐つてゐた遠藤桂風老が、突如として庄内名物おばこ節を唄ひ出すに及んで、われ知らず立ち上つて手を拍つた、を最後として完全に我を忘れてしまつた。況《ま》してその夜は太平洞を初め、翠峯迷花など隨分豪の者が揃つてゐた樣である。
(181) 確かに一度旅館に歸つたが、それから何處を如何《どう》來たのか、間もなく前と同じ樣な光景の裡に自分を見出した。其處は自分の凭《もた》れてゐる欄干をも、ほとほと浸さんばかりにして河が流れてゐた。
 曇つてはゐたが翌六日は雨が上つてゐた。前と同じく人々に見送られて、午前十一時五十二分の汽車で帶屋君と共に秋田を立つた。帶屋君は湯澤町の自宅に歸るのである。
 横手驛で偶然昨日會場で別れたまゝの石田君が乘り合せた。一寸上京して來るといふのである。二時半、湯澤で帶屋君は下りて行つた。一緒に下車する樣にと切りに勸められたが次囘を期して別れた。院内を過ぎると山で、約束してゞもあつたかの樣にまた雨が白々と降つて來た。險しい山で、而かもなか/\樹が深い。その茂つた遠い山腹に靜かに雲の浮んでゐるのなど、疲れた眼には誠に親しみ深く眺められた。雨の降り込む窓を閉ぢもせず、石田君と萬葉の話をしながら峠を越した。峠を過ぎると長く續いた高原で、其處は一面の秋草である。雨は尚ほ止まず、斜めに降り注ぐなかに搖れそよいで咲いてゐる種々の花がいかにも可憐であつた。原を下つて平地に出ると、日の光がさして來た。四時二十六分、石田君と別れて新莊驛で乘換へた。最上川に沿うた酒田線によつて羽後の酒田港に向ふためである。
(182) 酒田行は實は私自身にも多少意外であつた。多年行き度いと思つてゐた處ではあつたが、愈々今日それを實行させたのは、今朝秋田の宿屋を立ちがけにデツサン社から贈られた汽車質の豐富であつた事と、二三日來の雨で最上川の景色が嘸かしいゝだらうと想はれた事とが、直接の原因となつたのであつた。古口驛あたりからその最上川が小さな汽車の窓に沿ふやうになつた。豫想通り水は岸に溢れて、その急な流れから直ぐ削つた樣に木深い山が聳えてゐた。眞白な瀧も諸所に懸つてゐた。五月雨を集めて速し最上川、今は五月雨ではないが、汪洋として而かもその流れの激しい所、いかにもこの古句の意に適つて見えた。兩岸の木の深いのが特に眼を惹いた。が、汽車の窓からでは駄目だ、一度是非舟で下るか岸に沿うて歩いてみたいものだと思はれた。狩川邊から峽谷は盡きて平原が開けた。萬頃の青田の上、空いつぱいに渦を卷いた雨の後の夕燒雲の末ほどに、炎々として太陽の所在が見える。とある長い橋を渡つた。折しもその夕陽は大河を縱に黄金の波を漲らしてゐたのである。その波の盡きる所、其處にわが酒田港があらねばならぬのだ。
 
 酒田滯在二日、八日午前四時半河口を出る渡津丸に乘つて私は酒田を立つた。恐しい勢ひで海中に押し出した最上川の濁りは、大きく弧を描いて遠く北に去つてゐる。私どもの汽船はやがて(183)その濁りに別れて西を指して進むのである。日よく晴れて、海は黒いほど碧い。甲板の物蔭に自分だけの席を作つて、小さく蹲踞《うづくま》りながら私は飽く事なくこの碧い海に見入つた。ばたん/\と舷側に打ちつける浪の音は、いかにもその日の風の冴えたのに適してゐた。天の一角には丁度いま別れて來た河口の濁りの樣に、圓を作つてうろこ雲が白々と輝き散つてゐる。右手に近々と眺めらるゝ海岸一帶は多くは奇巖怪松の斷崖が多く、間々長蛇の樣な低い砂丘を見る事もある。要するに一直線で單調で、瀬戸や九州の海岸を見馴れてゐる眼には異樣に感ぜられた。日漸く高く風の冴ゆると共に海は愈々碧澄んで來た。私が宿屋で用意して來た折詰と白鹿の壜詰とを取り出す頃には、其處此處に例の船暈《ふなよひ》の聲も聞えて來た。正午過ぎに薄鼠色に光りながら粟島が、やがて夕方近く落日の陰に輝きながら佐渡島が、右手の海上に見えて來た。午後六時半新潟著、小さな汽船は身體に似合はぬ烈しい汽笛を鳴らしながら信濃川の河口を溯つて行つた。
 新潟一泊、一二度萬代橋を往復したのみで翌朝六時半發車、信濃に向つた。新潟から柏崎まで三時間がほどは眞平らな青田の中で、柏崎から暫くの間昨日別れて來た碧い海に沿うた。鯨波青海川のあたり、實に締麗な海岸で、海水浴らしい人も大勢見かけられた。斯んなにいゝ處と知つたら、一二日此處濤で遊ぶ樣に計畫して來たものをと汽車の窓につかまりながら、飽くまでも澄み透つて、さながら少女の髪か肌のやうな波や眞砂を眺めて悔んだが既に及ばない。柿崎から黒(184)井までの松林もまた好かつた。直江津高田を過ぎ、新井驛邊からこゞしい山路になつた。而も登るに從つて車窓の左に見事な溪谷を見下す樣になつた。水は餘り豐かではないらしいが、溪が深々と切れてゐるのでいかにも山深く溪深く感ぜられた。雨を呼ぶらしい風が溪間に滿ちて、白々とひるがへる葛の裏葉に否《いな》み難い秋の心が動いてゐる。
 柏原驛あたりから坂は下りになつて、遙か遠く薄鼠色にうち煙つた空の下に大きな平野が見え出した。地圖に依るまでもなく、私は其處が信州長野の平であることを知つた。
 
(185) 南信紀行 (續北國紀行)
 
 今朝新潟を出た信越線のその汽車をば長野で降りて、午後四時過同驛を立つ中央線に乘り換へるつもりでゐた。で、長野驛に著くと私は手提を提げてぶら/\と大勢と一緒に改札口を出て、初めて長野市の一角を見た。私は南信といはず北信といはず信州をばかなりによく歩いてゐる癖に、その首府である長野市をば今日まで知らなかつた。從つて有名な善光寺さまをも知らなかつた。私の郷里ではお盆の十六日の朝、佛さまの供物《くもつ》を川へ持つて行つて流すのを常としてゐるが、その時ごとに母たちからお精靈樣《しやうりやうさま》はこの御供物《おくもつ》に乘つて信濃の善光寺へお歸りになるのだぞよとよく言ひ聞かせられてゐたので、子供心にも信州信濃の善光寺さまといふ印象はなか/\に深かつた。其後東京に出る樣になつてから歸省した折など、信州に行つたといへば必らず善光寺樣へ詣つたかと尋ねられたものであつた。初めは正直にいゝえと答へたがあまりに誰からも訊かれるので、とう/\行つた/\と嘘をついてゐたのであつた。
 改札口を出ると直ぐ私は俥を呼んで、その善光寺樣への往復を命じた。販かながら極めて古び(186)た狹い街路は直ちに輕い登りになつた。木曾から遠く南信を貫いて續いて來た善光寺街道が即ち此處に辿りついてゐるので、昔ながらの舊態を存してゐるのだ相である。坂を殆んど登り盡さうとした時、先刻から催してゐた雷雨が終にやつて來た。しかも極めて急激に瀧落しのやうにやつて來たので、旋風に似た風も吹き立ち、俥など到底進めさうにない。ともすれば轉覆しさうである。車夫を止めて近くの氷屋にとび込んだが、なか/\止みさうにないので、私は單身殆んどびしよ濡れになりながら山門を驅けぬけて大きな御堂の階段を登つて行つた。濛々たる香の煙が堂内をたて罩めて、立ち並んだ物々しい四邊《あたり》の佛具などさすがに敬虔の思ひをそゝる。禮拜《らいはい》を終へて振返ると、サテ恐しい雨である。高い軒から瀧の樣に注ぎ落ちる雨滴の煙が堂内の煙と深さを競つて、ツイ隣家の屋根すらはつきりと見わけ難い。廻廊を一巡りしながら、丁度その側面の所からふと振仰ぐと、氣のつかなかつた山が急に背後から聳え立つてゐるのを見た。木深い山腹をば白々と雨が降り包んで、その峰越しに續けさまに紫電が閃いて來る。雨聲と雷音とこの異樣な境地とは、私をしてともすれば一種の感興裡に導かうとするのであるが、汽車の時間もまた氣にかゝる。參詣か雨宿りかで堂内には幾十といふ人がゐた。私の側の一團の聲高に語り合ふのを聞いてゐると、この雨で長野近在には何十萬といふ金が落ちたと云ふ。聞けば四十日とか雨が無かつたのださうだ。なるほど汽車から見た田の多くはみな白く干割れて、桑や黍などの立枯になつ(187)てゐるのがよく目についたのであつた。私は俗にいふ雨男《あまをとこ》といふので、私が旅に出さへすれば必ずのやうに雨が降る。現に今度も秋田に著いた夜から、其處でも三十幾日目とかの雨が降つた。長野に入ればこれである、などと心の中で苦笑してゐると、車夫が迎へに來た。烈しかつただけに晴れるも速く、停車場に著いた時は黄色い夕日が其處らに散つてゐた。やがて發車。人々のどよめくので氣がつくと、広い/\川中島の平野の空に大小二つの虹が重り合つて鮮かに浮き出てゐたのである。なんだか久しぶりに珍しいものを見る樣で、子供の樣に嬉しかつたが、汽車が次第に姨捨の山に懸ると共にいつとなく消え去つた。山の高くなるに從つて今更ながら眺めらるるは此處の車中の景色である。いはゆる田毎の月を宿すといふ無數の青田に連つてやがて遠く長野平となり、其中心とも見るべき所に千曲川と犀川とが落ち合ひ、信濃川となつて汪洋と流れ行く彼方には、飯綱だか妙高だか或は黒姫か戸隱か、幾多の高山が雲表に聳え立つてゐるのである。私は此處を通る毎に肥後から大隅へ越す山上の大觀を思ひ出す。そしてその明と美とは遙かに此處に劣り、雄と大とは數段の上にあるのを思はざるを得ない。兎に角に汽車から見る此種の景色でこの二ケ所に比すべきは日本では恐らく他にないと思ふ。姨捨驛を過ぎ冠木隧道を過ぐると、汽車はその大觀から離れて急に翠巒重疊の間に入る。この邊にも一降り來たらしく、山がみな濡れてゐる。虹がまた二つ、それら小さな山々の上に懸つてゐた。數年前泊つたことのある寂しい宿(188)場|麻績《をみ》町には西日が薄くさしてゐた。
 六時十分西條驛著、黄昏《たそがれ》の心細さのひし/\と身に沁むのを覺えながらその山驛に降り立つと、直ぐ眼前の改札口に笑み傾けてゐる小河原素山君を見た。泣く樣な心持で私はその手を取つた。肩を並べて停車場を離れると、此處も寂しい宿場である。此處らで一休みして行かう、僕の家はまだ小一里からあると突然同君がいふ。土地産の青い林檎をむいて麥酒を飲みながら、兩人は多くまじ/\と向ひ合つて坐つてゐたが、やがて三味を持つた女が入つて來た。その三味の音を聞きながら徒らに數本の瓶を倒して兩人共さ程に醉ひもしなかつた。まだ幾らか降つてるらしい夕闇の窓を通して仰がるゝ黒い山の姿が、ともすれば心を惹いてほど/\にその茶屋を立ち出でた。此處も今日は久しぶりの雨であつたが、同じことならも少し降つて呉れたらよかつたにと言ひながら、路々友はまだ全く濕り切らない田の土を指して見せたりした。白く見渡される乾いた河原にはをり/\螢が飛んでゐた。小さな星が空に見え出して、四邊をとり卷いた山のいたゞきの蔭は深い紺青の闇を湛へ、夜風の冷たいのがはつきりと身に解る。君、あんな所に灯が見えるぜといふと、隨分高い山腹なんだが彼處にも村がある日向村といふのだといふ。日向村といへば二人ばかり其處にもわが創作社の社友がゐる筈だ。あんな所に住んでゐるのかなアと、遙かな灯影を仰ぎながらその人の歌の事など胸に浮んだりした。歩くのがいやな樣になつて路傍にしや(189)がんだりすると、一面の蟲の聲が身を襲つて來る。まつたくの闇夜で山上の灯影も星も益々冴えて來た。
 思ひがけない田の中の織道線路を越すと小さな宿場になつてその中程の所に友の家はあつた。彼とは數年來の交りだがその家族とは初對面である。土地の小學校々長庵原君同じく教師でわが社友である伊藤君等來訪、深更まで酒であつた。翌朝朝食の後、兩人《ふたり》して近所の小山に登つた。秋になれば此處等に盛んに松茸が出るんだといふのを聞いたりすると、もう私の眼には鮮かな陰影を落した木の根がたに、その幻影があり/\と見える樣にも可懷しい。遠い故郷の山などが急に心をかすめて過ぐるのをも感じた。柴を折り敷いて兩人並んで寢轉びながら、參差《しんし》として枝を交はした松の梢を仰ぎつゝぼつ/\と話を交す。煙草の煙さへ眞直ぐに立つ靜かな日で、土の匂ひがゆつたりと感じられる。昨夜見た灯は彼處だといふのを仰ぐと、成程遠い山の襞々に家らしいものが見えて居る。起き直つて、麓を見ると其處にも僅かの家が見えて、白々と一條の道が續いてゐる。それが善光寺街道なのださうである。昔はこの沿道の者は多く參詣人を相手に生活してゐたが今は多く百姓になつたといふ。友も農を家業としてゐるのである。午後は友の書棚から小泉八雲傳を引き出して讀み暮した。書棚にはいろいろ可懷しい書物が私などの十倍ほども詰つてゐる。夜、小學校の先生たちや寺の和尚など來訪、中にその日向村から降りて來た社友宮澤君(190)もゐた。翌日も雜談と讀書と酒とで夕方近くまで其處で暮し、友と宮澤君とに送られてその坂北村を出で西條驛より乘車。一昨日其處で降りたと同じ時刻の汽車である。見返れば一昨日と同じ樣にして改札口に立つてゐる友の姿が見えた。
 七時十二分松本著、大名町の高山館といふのへ行つて、其處から二個所へ電話をかけた。一は蠶種檢査所なる中村柊花君へ、一は信濃民報社の市川杏果君へ、市川君先づ來り、續いて中村君來る。いづれもしたゝかに驚いてゐる。小河原君へは新潟から電報を打つておいたが、こららへはまるで黙つてゐたからである。中村君は病氣だと聞いてゐたが案外に元氣である。程なく宿を出て或る旗亭に登つた。そして型の如く大小の藝者なるものなど呼ばれたが、殆んど三味など手に觸れしめず、三人だけ固まり合つて語り合つた。まつたく額と額をつき合せんばかりにしてゞある。とう/\終りには女どもが棄鉢になつて騷ぎ出した程であつた。久しく酒を斷つてゐたといふ中村君先づ大いに飲み、十日を越ゆる盛夏の旅行に勞れ果てゝ、ほと/\生氣を失つたかに見えてゐた私も急に若返つて大いに飲み、若い市川君のつぶれたのをば棄てゝ置いて、更に二人だけ他の店へ移つて飲み始めた。さしも旺んであつた談話が盡きて、怪しげな唄や詩が呶鳴られ出した頃は正に曉白んでゐたに相違ない。翌日はおあつらへむきの宿醉日和、細かな雨が降つてゐる。起きるとからまたちび/\飲み始めて夕暮に及んだが今日は極めて順從《おとな》しかつた。夜、社(191)友西久美子さん初め四人の閨秀歌人來訪、醉に乘じて何か頻りに談じ立て、夜の更くるのを知らなかつた。翌朝九時半同市發。停車場まで中村市川兩君と共に行くと、其處には既に昨夜の令孃たちが見えてゐた。
 次の村井驛下車、俥を探して無く、子供を雇つて荷物を持たせ廣丘村に向つた。目的の家に著いて濃い生籬の門を入ると廣い庭には午前の明るい日光が一杯にさして二三羽の鷄が遊んでゐるばかり殆んど人氣がない。玄關で二三度聲をかけると軈て裏庭の方から百姓姿をした髯の濃い三十六七の躯幹長大な人が出て來た。義兄《あに》だナと思ひながら、私は若山ですといふと、おうと言つたぎり暫く顔を見詰めて居らるゝ。所へどうもよく似た聲だとは思つたけれど餘り意外だつたからといふ聞き馴れた聲が聞えたかと思ふと小走りに奥から眞赤になつた潮みどり子が飛んで來た。彼女は私の妻の妹である。
 妻と結婚して六年、私は未だにその生家を訪はなかつた。而して今日、しかも極めて突然に其處へ出かけて行つたのである。一家の驚きはもとよりの事で、實はふら/\と出かけては行つたものゝ、其處の玄關に立つに及んで、流石に私自身異樣の感にうたれざるを得なかつた。丁度養蠶期で疊のあげられた廣い座敷の隅に蓙を敷いて、極めて間の拔けた、而も極めて熱心な初對面の辭が交換せられた。折惡く舅《ちち》と嫂《あね》とは揃つて病床について居られた。義兄《あに》にも姑《はは》にも義弟《おとうと》にも、(192)甥にも、然し、どうも初對面の感がしなかつた。噂や寫眞で能く知つてゐたからでもあらうが、六年の間には他を通じて自然とお互ひの心持が解り合つてゐたからかも知れない。みどり子は妻が病氣の際、半年あまりも三浦の海岸に介抱に來てゐて呉れたので、この人だけが唯一の舊知であるのだ。
 舊びた池や築山に向つて、人々とぼつ/\と話を交してゐると、私はいつのまにか今までに豫期しなかつた心の平安と慰藉とを感ぜざるを得なくなつて、此處がわが妻の生れた家である、この人がその母である、兄であると思ふと……、イヤとり立てゝさう思ふといふ程でなくとも、その間には既に何とも言へぬ人間共通の親しみが湧いて來て、ぢつとしてはゐられない樣にまで心の踴るのを感ずるのであつた。
 一寸の間もその會談の中にまじりたいとあせつてゐる感嘆女史(みどり子の異名)は殆んど三十分間おきに蠶室へ立たねばならぬのだ。或時私も其處へ隨《つ》つて入つてみた。殆んど初めて見るといつてもいゝ位ゐ私には珍しいこの黒色の小さな蟲はいま二眠とかから覺めた所なのだ相だ。女史の掌からこぼるゝ小さな青い葉の片が彼等の上に散るや否や、まるで夜降る雨の樣な音を立てゝさわさわと騷ぎ出す。それは/\何んとも云へないほど可愛いものですよ、これが、この小さなものが……とそろそろ得意の感嘆が始まらうとする。見れば何式とかいふ最新の飼養法だと(193)かで、四隣の障子は悉く密閉してあるのである。一心になつて桑をふつてゐる彼女の白い額にはこまかな汗が滲んでゐる。其處へ姑の發議で、丁度斯ういふ忙しい中で此儘此處ではあまりになんだから、がけの湯へでも案内したならばといふ事になり固辭したが容れられず、陽の漸く夕づく頃、義兄と共に家を出た。田の間を暫く行き、それから秋草と松林との續いてゐる輕い傾斜を一里半も登つて、密林中のその寂しい湯に著いた。温泉宿にも下座敷一杯に蠶が飼つてあつた。二階の一室に障子をあけ放つて物靜かな義兄と對酌してゐると、野分に似た山風が、林と家とを押し包んで、速い夕燒空の下には白馬、乘鞍、其他日本アルプスの連山が頂きのみうす赤く染め出して聳えててゐるのが見える。
 その夜は近頃になく熟睡した。そして翌朝、ふと眼がさめてみると凄じい風の音である。四邊《あたり》の松林を吹き靡けてゐる風がまるで怒濤の樣に聞えてゐる。私はてつきり暴風雨《しけ》だと思つた。その風につれて烈しく降つてゐる雨の音が正しく聞えてゐる樣に思つた。そして、恐々《こは/”\》ながら床から出て、そうつと雨戸をあけて見てまた驚いた。透明な曙のいろは遙かの連山のうへに薄紫にたなびいて、雲ひとつ浮ばない大空には今し日の光がさしそめやうといふところである。附近の折り重つた松山の襞々にはまだ幾らか未明のかげが漂うて、たゞ白々と風がすさんでゐる。見てゐれば見てゐるほど秋である。秋の風である。
(194) 極めて獵の好きな義兄は、その時も空氣銃を携へてゐた。それを持つてその風の吹く松林の中で午前を過し、晝から歸路についた。その頃は風も凪いで、今度こそ眞實《まつたく》空が雨氣づいて來た。其夜の夜行で歸るつもりだつたのだが、話が盡きず、舅《ちち》も今日は起き出てその話に加はられたりして遲くまで語り更かして其處に泊つてしまつた。翌朝は微雨、みどり子に停車場まで送つて貰つて其處から汽車、不快な雨に降りこめられながら、隧道の多い甲州路を走つて夜九時歸宅した。十六日のことである。
 秋田の會を濟ませたらば、歸りに飯坂あたりの温泉にでも一二泊して直ぐ歸る筈であつた旅が、さきからさきと飛んで完全に二週間も遊んでしまつた。夏の旅行で、多くはまた到る所酒ぜめにあひながらの事で、ことごとく疲れてしまつた。しかも東京のこの暑さは!
 
(195) 鹽釜行
                                    三月十五日、宿屋を出るとツイ眼の前の停車場すら、何となくほんのりと見える樣に朝靄が罩めて居る。これは素晴しい天氣だと思つた。
 發車にはまだ四十分も間があつた。構内や驛前の廣場をぶら/"\歩き廻る。廣場の隅々には屋臺店の果物屋がせつせと店を開いて居る。果物といつても多くは林檎で、つや/\した眞紅なのが其處にも此處にも山の樣に積まれて、朝日がしっとりと流れて居る。
   朝づく日停車場前の露店《ほしみせ》にうららにさせば林檎買ふなり
 汽車の室内にストーブが焚いてあつた。いま燃え立つたといふ風に眞赤に燃えて居る。その癖車體は古汚い小さなものであつた。いかにも仙臺鹽釜間の小さな支線を走る汽車だと思はれた。
 乘合も至つて少く、ストーブの直ぐ前に独り席を占めて、手をかざし顔をさし寄せてゐると、そゞろに朝の疲れが身内の何處からか浸み出して來る樣に感ぜられる。四邊では汽笛が斷えず響いて、機関車だけの黒い小さいのなどが頻りにあちこち動いて居る。煤煙がをり/\車窓から入(196)つて來る。麥酒でも一本提げて來ればよかつたと思つてゐると、ごとん/\と汽車は動き出した。構内を出ると朝日が窓を染めて來た。
 田圃に出ると、平野を限る遠近の山々に悉く雪のあるのが眺められた。昨日をり/\汽車の窓に降つて來たのなどまで思ひ出されて可懷しさ云ふばかりない。遠い山はやゝ灰色に、近いところは純白に輝いて居る。或る山の頂上には朝日を受けた一團の黒い雲が居て、一層雪を鮮かに見せて居る。
 三十分も走つたかと思ふ頃、早や鹽釜に著いた。
 
 鹽釜驛は小さな山と山との間に在つた。停車場を出ると十數人の宿引が私共を取り卷いた。黙つてそれを拔け出ると、溝のやうな入江の側に出た。小蒸汽や帆前船や漁船などがぎつしりとそれに詰つて居る。日はます/\麗かに輝いて、船から船の話聲など、いかにも長閑である。入江に沿うて、此處にも澤山の果物店や大福餅おでんなどの屋臺店が並んで居る。何だか不思議なところに來た樣な心地で、私はぶら/\それらの臭氣と物音と光線との間を通つて行つた。そして鹽釜明神への路を訊いてその方へ歩調を速めた。
 鹽釜明神にも私は意外な思ひで參詣した。鹽釜といふところは直ぐ海の岸に在つて、明神樣の(197)大きな鳥居の下には眞白な濤が打ち寄せて居る、とそんな風にかねて想像してゐたのであつた。海は海だが溝のやうな入江で、明神はそれより更に引き込んで赤茶けた杉の森の丘の上に在つた。
 境内には泉三郎の寄進したといふ金燈籠《かなどうろう》、林子平の獻じた日時計などあつた。よく聞く鹽釜櫻には無論まだ早かつたが、四季櫻といふのが社前に一本咲いてゐた。極く細かな花で、薄紅である。私の國で寒櫻といふのゝ種類であらうと思つた。
 茶店に休んで繪葉書數枚を書く。茶店の娘が誠に可愛いゝ愛嬌者であつた。すき者の某々君と同伴であつたらば、などとその友の顔を思ひ浮べて微笑まれた。
 
 もとの入江に丘を降つて、松島遊覽汽船といふのゝ出るのを訊ねた。ところが生憎にも先刻《さつき》汽車が著くと同時に出帆したとかで、次のはあと二時間近くも待たねばならなかつた。別に待つて見る所もなく當惑して佇んで居ると、では汽船の中でお待ちなさい、此處に居るより暖かですと待合所の人が言つて呉れたので、案内せられてその小さな汽船に乘つた。なるほど三方ガラス窓の明るい船室には日光が豐かに流れてゐて、いかにもいゝ氣持だ。座布團二三を押し並べて横になつて居ると、船は微かに搖れて、ガラス窓がをり/\はたはたと音を立てる。
 實は昨夜仙臺の宿屋で少し飲み過ぎて、今日は朝から頭が重かつた。斯うして日に照らされて(198)ぢつとして居ると一層それが明らかに感ぜらるゝ。小さな出入口をくゞつて私は舷側へ出た。それから陸地《をか》に飛び移つた。
 入江の近所をうろ/\と歩いてみたが、一寸入つて一杯飲む樣な恰好な所がない。私は酒屋に寄つて一本を買ひ求め、盃を一つ讓つて貰ひ、林檎をも袂に入れて再び船に戻つて來た。船室には一人の大きな男がいつの間にかやつて來て長々と寢てゐた。私はその枕もとにうしろ向きに座を取つてガラス越しに入江を眺めながら徐ろに一杯々々と重ね始めた。ツイ隣の漁船でば鰻に似た魚をせつせと割いて居る。その男のうしろには若い女房が丸々した乳房を出して子供に飲まして居る。そとには隨分荒寒い風が吹いて居るが、此處にはそよともせぬ。微かに/\搖れて居る船の心持が一層酒の醉を速める樣だ。私は瞬くうちに靜かな、沈んだ、いゝ氣持になつて行つた。
『エヽ、貝那、恐れ入りますが、燐寸をお持らぢアございますまいか。』
 斯う呼びかけられて私は喫驚した。寢てゐた男が起き上つて鉈豆煙管《なたまめぎせる》を指にして居る。
 私は黙つて袂から燐寸を出してやつた。
『難有う御座い、今日は御見物で。』
 四十過ぎの、荒《すさ》んだ顔をした男である。髪も薄くなつて、眼も澱《をど》んで居るが、何處か人の好さ相な光を宿して居る。
(199)『えゝ、松島見物です。』
『結構で、……今日は何《いづ》れから、……ハヽア、仙臺から、……、當地はお初めてゞいらつしやいます?』
 よく喋舌る。初め甚だ興覺めたのであつたが、そのうちに彼は松島の名所説明を始めた。何しろこれから行かうとして居る所の事なのでツイ私も耳を傾けた。そして思はず一杯を彼にさした。
『へゝえ、どうも、これは恐れ入ります、飛んでもないことで……』
 煙管を捨てゝ嬉しさうに彼はにじり寄つた。
『一口に八百八島と申しまするが、それは彼の江戸八百八町の類で御座りまして、えゝ、第一當灣内を分ちまして内海に外海……』
 棒讀みに暗記して居る樣な、いやしい口調が今日は如何したものかたいへんなつかしく身に沁みる。やりとりして居るうちに、松島の沖に出るまで取つておくつもりの四合瓶一本は忽ちに盡きた。くだらぬことゝは思ひながら、如何しても私はまた貧弱な財布を引き出さざるを得なかつた。
『濟まないがもう一本買つて來てくれませんか。』
『もうお止しなさいまし、もう澤山で、……左樣で、では一寸行つて參ります。』
(200) 私は急にがつかりした樣なさびしい氣持になつて窓にもたれた。すると、ばり/\、ばり/\といふ音が聞えた。驚いて振返ると舟の舟との間に張りつめた廣い薄氷《うすらひ》の間に、いま一艘新しい舟が入つて來るところであつた。その舟には行火《あんくわ》や飲食の器など散らばつて、これも松島見物を終へたらしい人が二三人乘つて居る。俺も汽船を止して和船でぼつ/\廻りたいものだなア、一體幾ら懸るだらうなどと考へてゐると先刻《さつき》の男がやつて來た。内には入らずに窓越しに酒の瓶をさし出しながら、更に三つの茹卵子《ゆでたまご》をも其處から投《はふ》り込んだ。
『入り給へ、入り給へ。』
 と私は大いに狼狽へながら舷まで出て呼び止めたが、振返り/\幾度もお辭儀をしい/\停車場の方へ行つて了つた。印絆纏の裾に〇〇ホテルと横文字で染め拔いてあつたのを見れば、彼はそこの客引の一人であつたのだ。
 舷に立つて居ると脚も頭もふら/\する。もう松島巡りなんか止さうか知らと私は恩つた。(三月十七日、盛岡菊池方にて)
 
(201) 津輕野
 
 青森驛を出ると直ぐに四邊の光景は一變した。右も左も茫々漠々たる積雪の原を走つて行くのである。汽車の中にはストーブが眞赤に燃えてゐた。
 窓のガラスが急に眞白に輝くのに驚くと、汽車は小山の間に走り入つて居るので、其處の傾斜に積つた雪が窓全體に映り輝いてゐるのである。所によると五六尺からの厚みを見せて雪の層の辷り落ちたあとなどもあつた。山間を出外れると、今度は紫紺の美しい空が映る。今朝は近來にない晴天で、空には我等が、夏にのみ見るものと思つて居た雲の峰がその外輪だけを白銀色に光らせて浮んで居る。この雲もこの北國に來てから初めて見たものである。私の國などでは見られない。
 大釋迦驛《だいしやかえき》に著くと、二人の青年が惶しく私の窓に走り寄つた。五所川原町から出迎へてゐてくれたのである。驛前の茶屋に休息して晝食を喰ふ。食前一杯を酌み交はして居ると、いつのまにやら空は暗くなつてばら/\と白いものが障子に打ちつけて來た。
(202) 橇を出して迎へるわけだつたのだが、それには途の雪が少し淺くなつた、馬車は橇よりもつとひどく搖れてとても乘られますまいから馬を用意して來ました、貴下のお乘りになるのはあれで、加藤東籬さんの所の馬ですといふ。なるほど三疋の馬が怪しい西洋馬具を著けて軒下に繋がれてゐる。
 足駄を雪沓《ゆきぐつ》に履き代へた後、二三人がかりて漸く馬背に押し上げられた。臍《ほぞ》の緒切つて以來、馬と云ふのに初めて乘るのである。初めは誰か馬の口を取る人がつくのだとばかり思つてゐた。いざ出立となつて毛内《もうない》君が先頭、次が私、あとから林君が走ることゝなつたのだが、豈計らんや、どの馬も手放しである。兩君は、特に毛内君は深く騎乘の心得があると見え、いゝ心持でとつ/\と走らせる。大いに驚いたが、此場に及んで既う弱音も吹けなかつた。それに騎馬で行くといふ事に子供らしい面白味をも感じ、いま飲んだ酒の醉も手傳つて、ままよ落ちるなら落ちた時の事、と度胸をきめて手綱を取つた。と云ふより鞍を掴んだ。加藤東籬君、永い間の交際で今日初めて逢ふ筈の未見の友、その家に飼はれたこの馬よ、希《ねがは》くばその主人が爲に遠來の客を跳ね飛ばす事勿れ、と只管に請ひ祷《いの》られながら……。馬は走る。わが尻は鞍上せましと右往左往に上下する。
 路は程なく山に懸つた。雪の深くなつたのが眼立つてわかる。どの山もただ白々と唯だ丸々と相續いてゐるのみで、これといふ森林も、寸分の地肌をも見る事は出來ない。山に續く大空も何(203)となく低く/\垂れ下つて來てゐる樣で、思はず眉が引き締めらるゝ。
 或る峠では途上の氷を切つてゐた。雪が凍てゝ厚い氷となつてゐるのである。三尺も四尺も切り拔いてゐる所などあつた。數人の人夫はこの異形の三人を斧に杖つきながら見送つてゐた。馬はよく走つた。ふとしては切りさしのまだ軟い雪の中に卿を踏み込んで前脚悉く埋れ去ることなどもあつた。
 私も初めの間は皆と口調を合せて大聲に喋舌り合つて來たのであつたが、いつしか口を喋んでしまつた。二人の青年は、もう欣ばしくて耐らぬといふ風にあとになりさきになり馬に轡《くつわ》を噛ませて、唄ひつ叫びつして駈け廻つた。私が獨り遅れてとぼ/\と山の峽間《はざま》を歩ませてゐると、思ひもよらぬその向うの岨路から、急に晴れやかな笑ひ聲の落ちて來ることなどあつた。
 上り坂幾町、澤から澤の九十九折《つづらをり》幾町(その間は最も雪が深かつた)、漸く四邊の空氣の明るくなりそめたのを感じた時、私は思はず馬を引き停めた。疎らに雪を拔いて並んで居る落葉樹の梢を透かして、直ぐこの山の麓から右にも左にも眞向うにも、殆んど眼の及ぶ限りに連り亘つた太平原が眼についたからである。他の二人も私と同じく馬を停めてゐた。そして兩人一緒に指してこれが有名な津輕平原ですと教へてくれた。
 いま我等の馬を立てゝゐる小さな山脈は丁度この平原を兩分する位置にある樣に思はれた。こ(204)の麓からずうツと扇の樣に擴《ひろが》つた雪の原は全く何方《どちら》にも際限《はて》がない。そしてその四方はひとしく深い煙の樣なものに閉ぢられて居る。雪でも降つてゐるのかも知れない。唯だ遠く左手に當つて高い嶺が、ひとつ古鏡のやうに輝いてゐた。岩木山ださうな。
 下り坂が暫く續いて馬は平地を走るやうになつた。いま眺めた津輕平野である。そして我等の前の一本の路のみ泥を帶びて細く續き、四望悉く眞白に光つた平である。諸所に雜木林と村落とがあつた。
 五所川原町に程近くなつた頃、路傍の林の蔭から二人の人が現れて帽を振るのに出會つた。ア、加藤さんだ、加藤さんだ、といち早く馬上の人はそれを認めて叫んだ。私の胸は踴つた。手紙の上だけではあつたが互に勵まし勵まされて來た永い間の尊い友人、その人といま初めて相見るのである。
 なるほど、寫眞で見覺えた加藤君であつた。私は唯だ帽子を取つて頭を深く下げたのみ、何にも言ふ事が出來なかつた。彼もまたさうであつた。いま一人は、これも創作社の舊い社友である原むつを君であることを知つた。
 馬を下りようとしたのであつたが、兎に角そのまゝ宿まで行つた方がよからうといふので、其儘また我等だけ馬を驅つた。五所川原に入つたのは漸く薄暮、四里半の難道を二時間餘りで驅け(205)たわけである。宿のツイ手前で馬を下りて、私だけ引返して加藤君等を迎へに行かうとしたのであつたが、脚がまるで棒の樣になつてゐてとても歩けなかつた。宿は林旅館、林君の自宅である。其處にはまた數多の人が迎へてゐてくれた。和田山蘭君の弟靈光君もその中に居た。三階の大きな座敷にほツかりして坐つて居ると其處の窓ガラスを通して例の眞白な津輕平野の一部が見渡される。雪がまた盛んに降つて來た。夜に入ると凄じい風となつた。
 風呂から上ると十人あまりの人がめい/\銚子を控へて私を待つてゐた。何といふ晴々しいその顔色ぞ、私は直ちに雨のやうな盃を引受け/\飲み干さゞるを得なかつた。程なく、唄が出た。いづれも津輕特有の唄であるさうだ。いかにも、單調を極めて、而も何とも云へぬ哀愁を帶びた調子である。甲唄ひ、乙應じ、滿座手を拍つてこれに合すのである。所へ、俄に調子外れの拍手が起つた。私の隣に坐つて、今まで唯だ手をのみ拍つてゐた加藤君が突如として聲をあげたのである。彼生れて四十年の間、たゞの一度も唄つた事のない人であつた相だ。加藤さんが唄つた、加藤さんが唄つたと滿座の若い人達は一齊に立上つて手を拍ち足を踏みならした。
   ドダバ、ヱコノテデー、アメフリナカニ、カサコカブラネデ、ケラコモキネーデ。
 彼は痩躯をゆすりながら眼を瞑ぢて繰返し/\この唄を唄つて居る。その横顔を打眺めつゝ私は心ひそかに彼が竹馬の友、いま東京に在る和田山蘭を憶ひ起さゞるを得なかつた。
(206)   泣く如く加藤東籬が唄うたふその顔をひと目見せましものを
 
 翌日、凍つた雪を踏んで加藤和田林の三君と松島村に向つた。松島村は同じく津輕平野の中の一部落、五所川原から約半道、何處から何處までとも區限《くぎり》のつかぬやうな、タモといふ榛《はんのき》に似た落葉樹と藁家とが點々と散在してゐる寂しい村である。この村に加藤君も和田山蘭君も生れたのであつた。
 加藤君の家も舊い藁葺家の一つであつた。通された座敷の暗い廣い中に立つて居ると加藤君が雨戸をあけた。軒から殆んど直ちに雪が續いて、縁より二三尺も高く積つて居る。軒とその積んだ雪との隙間に僅かに空や庭樹が見える。今日はよく晴れてゐた。
 同君の家は農家だが、同君自身は身體の弱いため、餘り田畑などには出ないらしい。初めての挨拶をしに來て立つてゆくその細君のうしろ姿を見送りつゝ、彼女がよく働いて呉れますので……といつもの低い調子で彼は私に言ひ足した。何もないが此等の御馳走もみな自分の家で作つたものばかりである、夏ならばもつと種々の野菜などがあるのだが……今度千五百坪ばかりの地面に梨と林檎を植ゑることになつた、それが實るやうになつたらその中に小屋を作つて私だけはそちらに行つてしまふつもりです、とも彼は語つた。今年十五歳になつた長男をも、小學校を出(207)ると農學校に入れて矢張り百姓にするつもりです、とも附け加へた。
 煤けた床の間には同じく煤けた澤山の書物が積んであつた。この部屋で、彼のあの靜かな/\歌が今迄作られてゐたかと思ふと、何とも云へぬ可懷《なつか》しさ難有さを覺えしめられた。晝頃から始まつた酒はずツと夜まで續いたのであつたが、別に醉ふといふでもなく、それからそれと濕《しめ》やかな話のみが續いて行つた。
 翌日、四月一日の朝もまたそんな風で晝になつた。そしていつともなく細かな雨が降り出した。
『ホヽ――、珍しいものが鳴く。』
 私は縁側に出た、蟇《ひき》が近くで鳴いてゐたのである。斯んな深い雪の中で何處に忍んでて鳴くのだらうと不思議であつた。見渡す限り平らかな雪の中をあちこちと多くの人が橇を引いて歩いてゐる。それは各自それ/”\の田の雪の上に肥料を運んで置くのださうだ。
   白雪のいづくにひそみほろほろとなきいづる蟇か津輕野の春
   午かけて雨とかはれるしら雪の原のをちこち肥料《こえ》運ぶ見ゆ
 
 午後打連れて小字吹畑なる和田家を訪うた。山蘭君の兩親竝びに一人だけ殘して置いてある彼の長男を見舞はむためである。七八町も行くと其家だ。何やらの落葉樹、松などが家を圍んでゐ(208)た。彼が家は代々の神官職で、父君で十四代、山蘭君が歸れば十五代目になるのだといふ。
 オー、と叫びながら阿父《おとう》さんは飛んで出ていきなり私の手を取られた。そしてそのまゝ座敷へ連れて、いや寧ろ引きずられて行つた。阿母《おかあ》さんは、唯だ疊に手をつかれたきり、涙でものが言へなかつた。今年七歳になる夏男君は、東京の小父さんが來ると云ふので綺麗な著物に著かへてゐた。靈光君も、同君の兄で山蘭君の弟に當り今は出でて他姓を繼いで居る老一君もわざ/”\來つて、此席に加はつて居らるゝ、全く水入らずの一座である。酒出でて情緒愈々|濃《こまや》か、嚴父初め我等一同、打揃つて筆を執つて遙かに山蘭の健康を祝する意味の長い手紙を書いた。
 阿父さん先づつぶれ、次いで次ぎ/\に倒れて床に入つた。眼がさめて考へると、私は三度も五度も阿父さんの荒鬚《あらひげ》のその口で接吻せられたやうだ。今夜も風が屋根を搖つて荒んでゐる。
   汝《な》が父はさきくぞおはす汝が母はさきくぞおはす汝がふるさとに
 
(209) 松島村
 
 今まで雪の原を歩いて來たせゐもあつたらうが、加藤東籬君に導かれて始めてその奥座敷に通つた時、私にはまるで眞暗であつた。恐らく冬中締め切りになつてゐるらしい縁側の雨戸を加藤君は急いであけた。雨戸に添うて庭には雪が五六尺も積つてゐた。縁側に出て立つて見ると、その高さは私の乳か肩あたりまである。
 直ぐに始つた酒は、其日は飲むことより話すのが常に先立つたので、靜かなままに晝から夜まで續いた。其間、私がをり/\便所に立つので、加藤君は、『小便なら其上になさい。』
 と縁先の雪を指さした。
 實際便所は遠かつた。中の間、其處にも爐があつて誰かゐた。それから勝手、其處にはより大きな焚火の爐があつて大勢の人達がゐた。それらを通り拔けて今度は土間、土間の次が厩《うまや》で、それから何か今一所あつて漸く便所である。人のゐない所を通らうとすれば玄關に出て庭を廻るの(210)だが、それにすれば凍つて凹凸した雪の上を歩かねばならなかつた。
 翌朝、勝手(と云つても十疊か十二疊の廣さはあると見た)の流しもとで顔を洗ひながら丁度其處に來合せた加藤君に訊くともなしに私は訊いた。
『此地方の農家の間どりはみな斯うなのですか。』
『大概同じです、大小の差はありますが……。』
 言ひながら何か持つてゐたものを下に置いて彼はツイ其處の板戸をあけた。『これが咋夜話した籾を造《こしら》へる所です。』
 隨いて行つて見ると可なり廣い板の間がぴか/\する樣に綺麗になつてゐる。昨夜何かのついでから信州の話が出た。其時加藤君は藤村の「破戒」を見ると信州では稻を刈つたまゝ田の中で籾にして俵に詰めるといふことだが眞實《ほんたう》かと私に問うた。私はその問を不思議がりつゝ、眞實ですとも、私等の郷里でも無論さうしますよと答へた。羨しいことだ、こららではとてもそんな事は出來ない、稻を刈るとすぐ家に運んで、家の中で漸く俵にするのだと言ひながら、田には水が多いし、收穫と殆んど同時に雪が來るといふことなども話したのであつた。
『今の、雪の時節いつぱいは種々の用は大概此處でやるのです。』
 其處に繋いであつた大きな犬の頭を撫でながら彼は附け加へた。
(211) 今度は勝手の他の上り口から土間に降りた。其處には田畑に使ふ器具など隅の方に置いてあつた。新しいのや舊いのや數多の雪沓《ゆきぐつ》の吊してあるのをも見た。
 その次の厩には二頭の馬が居た。その一頭は咋日私を大釋迦から五所川原町まで乘せて來た馬であつた。
『斯う屋根續きに厩のあるなども私等の方には無いことです。』
『斯うしないと第一馬が寒くて――それに飼ふのにも不便ですから。』
 大雪が積つてツイ庭先の井戸までが埋れてしまひ、雪を煮て凌いだといふ話を數日前盛岡の菊池君から聞いてゐたので、成程さういふ事もあるであらうと思ひながら聞いてゐた。
 加藤君は今度は庭に出た。そして一軒の小屋から入口に立ちながら、
『これがいつぞや手紙に書いてあげた堆肥を作る所です、昨年中に造《こしら》へておいたのをばツイ先日すつかり田に運んでしまつて今は空虚《から》になつてゐます。』
 先年、この地方一帶に大凶作であつた時、その荒れ果てた土地を恢復さすべく自分はいま何も思はず、たゞ專念に肥料を作つてゐるといふこの友の手紙は少なからず私の心を動かしたものであつたが、それが此處であつたのかと、私は思はず眼をそばだてた。
 堆肥の製法、更に燻炭《くんたん》の事など語り合つて、私共は漸く座敷に歸つた。
(212) お茶の時であつた。加藤君は急に耳を澄まして何かを聽いてゐる樣であつたが、立つて障子を細目にあけながら、
『違つてゐた。』
 と笑つてゐる。
『何………?』
『啄木鳥《けら》かと思つたのです。』
 この人が好んで啄木鳥を歌ふのをも私は夙うから知つてゐた。居ないと知りつゝ私も立つて障子をあけた。
『あの梨の木によく來るのですが……。』
 大きな老木である。その隣にはトド松とかいふ常磐樹が立つてゐる。それらの庭も、遙かに見渡す平野もしいんとして唯だ白く光つてゐる。
 やがて私共はそこから六七町を隔てたといふ和田山蘭君の留守宅にその父母君たちを訪ふべくうち連れて家を出た。またしても眼にうつる津輕平野、唯一枚のガラス板を置いた樣な、味もそつけもない津軽平野、諸所疎らに落葉樹が立つて居る。その落葉樹の蔭々にこれも極めて疎らに茅屋《かやや》が立つて居る。そしてそれが何處までも/\際限なく續いて居る津輕平野、今はそれらが悉(213)く眞白に埋れてゐる津輕平野、而していま我等の歩いてゐる松島村は實にその曠原の一部分を占めて居る寒村であるのである。
 私は加藤君のあとからこつ/\と足を運ばせながらも四邊を見渡して、斯んな寂しい村落にしかもずつと以前から東籬山蘭の兩君が打ち揃うて歌など作つてゐたといふことが、何だか不思議なことの樣に思はれてならなかつた。
 程なく此附近では珍しいものゝ常磐木の四五本竝んでゐる家が見えた。不意に東籬君は、
『彼處です、山蘭の宅《いへ》は。』
 
(214) 板留温泉
 
 入口に一枚の蓆《むしろ》が垂らしてある。夫をかゝげて入ると直ぐそこに三疊敷程の湯槽があり一杯に無色無臭の温泉が湛へてゐる。荒目な板壁の隙間から直ぐ眼下に眞白な荒瀬の波が見える。
 時には二三人も一緒に落ち合ふことがあるが殆んどいつも空いてゐる。たゞ獨りぼんやりと頭を湯槽の縁にもたせてゐると、川瀬と反對の方の窓の上には今にも落ちて來さうな絶壁がのしかゝり、それを傳ふ苔清水に日が光つてゐる。汗が額から落ちるやうになれば槽《ふね》から出て其板壁に身を倚せる。時には湯氣のたつ裸體のまゝ川原に出て、手頃の石に手拭を敷き、温い日に照らされながら足もとの波に見入ることもある。
 何彼と云つてゐるうちにもう奥州もすつかり春になつた。麗らかな日和が續いて、近所の山は次第に雪が解けそめた。遠い所はまだ眞白だが、それでもすつかり霞に閉ざされた。眼を落して石の蔭を見れば小さな草がうす緑に芽ぐみ初めてゐる。流れ去り流れ出る川瀬の行方にも何やら薄い陽炎が燃えて居る。
(215) 川は」岩木川のずつとみなかみ、一つの支流に當る淺瀬石川《あぜいしがは》といふのである。その岸から殆んど直角に斷崖が聳《そばだ》ち、斷崖の直ぐ上が道路になつて川に向つた片側に二十軒ほどの温泉宿や其他の家が竝んで居る。温泉は斷崖の中腹に二個所、直ぐ川原に沿うた斷崖の根に一個所、都合三個所に湧く。私の好んで入るのはその川原の湯である。宿の前の道路をいま五里ほど山の方に進めば十和田湖に出るといふ。 夜はをり/\やつて來るやうだが、もう十日ほど以前から流石季遲れの今年の雪も降りやんだ。遠くの山はみな眞白でも、手近の山々は日に/\斑らになつてゆく。
 四五日前、とりわけてよく晴れた暖い日があつた。宿の二階から見下す淺瀬石川の瀬が見る/\うちに濁つて來た。同時に水量も増して來る。附近の山の雪がその日一時に解け始めたのである。日は麗らかに霞み渡つて、解け始めたとは云ふものゝ川向ひの山肌はまだ眞白、その麓をこの濁水が鼕々《とう/\》として流れ下る異觀は、雪解の川といふものを初めて見た身にとつて非常になつかしいものであつた。斯んな時に鱒が盛んに遡《のぼ》つて來るのだ相だ。
 その日の午前はまだ無事であつた。午後二時頃、いつもの崖下の湯に行つて見ると、川瀬の飛沫が盛んに板壁に打ちつけて居る。裸體になつて湯槽に手を浸してみると、いつもより餘程ぬるい、そして濁つてゐる。よく見れば入口の反對の側から既に増水した瀬の水が浸入して來てゐる(216)所だ。面白半分に入つてゐると、非常な勢ひで増してゐる川水は終に入口の方からも注ぎ入つて來た。覗いてみると壁越しの川原はもう立派な瀬となつて流れてゐる。私がまだ幼かつた頃、母と共に郷里からは隣國に嘗る豐後の別府に入湯に行つてゐたことがあつた。何といふ湯であつたか、子供の事で湯槽の中を泳いだりなどして夢中になつてゐると、上げ汐のためいつのまにかその湯槽が背後の大海と續き合ひになつたので大いに驚いた事があつた。そんな舊い記憶など思ひ起しながら、次第にぬるく濁つてゆく湯から這ひ上つて急いで著物を著た。蓆戸から出て見るともう二三の人が網を手にして岸邊の雜木の間などをあちこちしてゐる。鱒を取るのである。
 それは四五日前のこと、四月の十六日と云ふ今日は、其川向ひの草山も半分近く黄色い枯草の肌を露はして來た。今朝もよく晴れた。起きて湯から上つて二階の縁から向うのまる/\しい高山を仰いでゐると、その雪の消えた所だけに五六人の子供が居て、しきりに何やら探してゐる。訊いてみるとそれは片栗草の芽を摘んでゐるのだ相だ。昨夜さしあげた刺身のつまがそれで今年の初物でしたと宿の人は笑ひながらつけ加へた。葱でもなく、野蒜でもなく、はうれん草でもない、何であらうと非常にうまく喰べたのであつたが、あれが片栗といふものかと、私には生れて初めての深みどりの若草を心の中に思ひ起しながら、この風情の變つた摘草の群が飽かず/\うち仰がれた。
(217) 珍しい燕が川の上をまつてゐる。明日か明後日、私はこの板留温泉を出て一應青森へ引き返し、それから福島の方に向ふ。(五、四、一六、板留温泉丹羽君方にて)
 
(218) 坂留より
 
    其の一
 
 東京にて、越前君。
 黒石は大吹雪、其處で松井君高田君に別れて唯だ獨り馬車に乘つた。幌で嚴重に包んである馬車の中へ、雪は煙の樣に降り込んで來ていつか膝も袖も白くなる。程なく吹雪は止んだが、隨分淋しい途だつた。山が次第に迫つて來るのを幌の隙間から覗いて、もうか/\と心を躍らせてゐるのだがなかなか馬が走らない。漸う著者いたかと吐息《といき》つくと、其處は温湯《ぬるゆ》といふ處であつた。そのうちにまたちらららと降つて來る、四邊は暗くなる。
 かなり長い橋が二つ續いた。双方とも眞白に積つてゐる上を幾度びか辷りさうにして辛くも渡り終ると正しくそれよと思はるゝ灯影と屋並とが坂の上に見えた。程なく馬車は停る。黙つて降り立つと激しい瀬の音が急に耳を襲つて來た。馬車屋について大きなくゞり戸を開けると中は眞(219)暗だ。此方に來いといふのに續いて長い土間らしい處を足さぐりに從つて行くと、また一ケ所か二ケ所かの戸をあけた。すると中には明るく灯が點《とも》つて焚火らしいものも見えた。折りから夕飯らしい團欒の中から一人の男が立ち上つて來た。それが永い間話に聞いてゐた丹羽洋岳君であつた。
 改めて二階の座敷に案内せられ、眞赤な山の樣な爐の火に兩手をかざしてゐると、再び豪雨に似た瀬の音がひし/\と耳に響いて來た。その夜の洒、その夜の談話、それは君の想像に一任した方がより多くしんみりしたものであらうと思ふ。
 越前君。
 然し、流石に勞れた。君に送られて上野驛を立つて以來二十有幾日、いま斯うして振返つてみると隨分遙かな思ひがする。その間、夜となく晝となく僕を取卷いてゐるものに先づ酒があつた、煙草があつた、烈しい談話があり宴樂があつた。いゝや、それよりも更に僕の身にこたへたものは人々のなさけである。僕は今度の旅に出てほど、斯うした愛、人情といふか人間味と云ふか、を感じたことはない。考へてみれば何だか空恐しいやうである。而していかにそれに酬ゆべきか、これも僕にとつては可なりな努力であらぬばならなかつた。
 君も御存じの、丹羽君の下の荒瀬に臨んだ浴場、人氣の少いまゝにいつまでも/\其處の温泉に浸つてゐると、何とも云へぬ疲勞が出て、ほと/\瞼さへよう開《あ》かぬ。そしてその疲勞は直ち(220)にまた何とも云へぬあまい悲哀に移つてゆく。四肢五體も解け失せて哀しい涙のみが獨り頬を流れてゐるのを感ずるやうな場合もある。
 此處に著いたのが四月の五日、けふで三日になる。辭退してはあるのだが、毎朝丹羽君の細君が御飯の前にお酒を持つて來て呉れる。飲むまいと決心はしてゐても、ゆた/\に燗罐《かんびん》に滿ちてゐるのを眼に見ては如何しても抑へきれぬ。飲む、醉ふ。うと/\としてゐるうちにいつのまにやら頭の上には電氣が來て點つてゐる。
 實は丹羽君に頼んで暫く獨りで置いて貰つて其間に今度の旅の歌も纏めたいし、紀行見たいなものをも書いてみたいと思つてゐたのだが、此分では甚だ心もとない。また斯うも思ふよ、なまなか拙い歌など竝べずに靜かにぢいつと斯うしてゐるのが却つて俺の眞實の仕事ぢアないか知らと。(四月七日)
 
    其の二
 
 何彼と思ひ惑つてゐるうらに咋日もまた型のごとく暮れて了うた。夜は丹羽君と共に大いに醉ひ彼からヨサレ節とジヨンカラ節との傳授を受けた。無器用極るお弟子を相手に、唯だ黙々と同じ唄を繰返し/\唄つて聞かせるお師匠樣を遙かに想像して呉給へ。瀬の音は相變らず高い。も(221)う少し雪が消えれば鱒が取れるのださうだが、惜しいことだ。昨日よく晴れて向ひの山の枯草が斑らに露れてゐたが今朝見ればまた眞白だ。僕等の唄つてゐる間にまたどさ/\降つたと見える。
 今朝、例により一本聞し召して好い氣持になつてる所へ丹羽君の細君が來て何か言ふ。青森以來隨分苦勞してみたが奥州女人の言葉は終に聞き取り難いものと斷念《あきら》めた。兎に角|階下《した》まで一寸降りて呉れといふ意味に聞えたので、丹羽君でも呼んでる事と何氣なく階子段を降りると、其處には若い娘さんが顔を染めて立つてゐた。身なりも言葉も土地の人でないらしい。兄が東京で大變お世話になつたさうだから、折角こちらにおいでになつたのに此儘お歸しするのも殘念故お伺ひした、お邪魔では無からうかといふことである。僕も一寸|狼狽《うろた》へたが取り敢へず座敷へ案内した。
 僕の『海の聲』の出た頃ださうだから舊い話には舊い話だが、いまその兄さんの名を告げられても急には思ひ出せない。念のためと思つたのだらう、妹さんはその人の寫眞を二枚持つて來て居られた。それを見て漸くその面影をば思ひ出したものゝ、まだ前後が判然《はつきり》しない。却つて自身の健忘性だの、酒精中毒だの斯うした言葉が獨りでに醉つた頭の中に繰返される。寫眞は東京と京城とで撮られたものである。
『で、兄さんは只今どちらです、朝鮮ですか。』
(222)『いゝえ、朝鮮から臺灣の方へ參つて居ましたが、大正二年に病氣で別府へ來て其處で亡くなりました。』
 是はまた意外であつた。そしてわざ/\妹さんが僕を訪ねて來られた理由も漸く解つたと思つた。
 それから種々と亡き人の事を訊いたのだが、妹さんにも餘り詳しくは解らなかつた。
『齢《とし》が十歳《とを》も違つてゐましたものですから……』
 と羞《はにか》まれる横顔が寫眞の人と似通つてゐるのも哀れであつた。これが多分兄の最後の作で御座いませうと、何商店かの罫紙の裏に走り書きしてある一篇の短い詩をも示された。それには山鳩のことが歌つてあつた。
 父も母も頻りに待つてゐるから、是非宅の方へ來て呉れといふことを言ひ置いて娘さんは歸つて行つた。その阿父さんは何をしてゐるんだかもまだ知らないが、近頃何處からか轉任して來たといふことである。山林官か何かと思ふ。その兄さんは外國語學校を、いまの娘さんは此春〇〇女學校を出たのだといふ。
 斯んな家の十軒か二十軒かしかない雪に埋れた山奥に來て、斯ういふ話を聞かうとは全く思ひがけなかつた。いま娘さんを送り出して、斯うして机に向つて咋日の續きを君へ書かうと頭を纏(223)めてゐるのだが、なんだかそんな事ばかり思ひ廻されて何ひとつ纏まらない。で、これも旅の挿話《エピソード》の一つよと思ひ、取り敢へず以上を認めた。(四月八日)
 
     其の三
 
 荒目な板壁の隙間から直ぐ眼下に眞白な荒瀬の波が見ゆる。この原始的《プリミチイヴ》な浴場に多くは唯だ獨り、いつまでも/\浸つて居る。額から汗が落ちる樣になれば槽《ふね》から上つてその板壁に身を倚する。時に裸體のまゝ川原の石に手拭敷いてぼんやり波に見入る事もある。何彼と云つてるうちにもう奥州もすつかり春になつた。見給へ、麗かな日光のもとに光り沈んでゐる雪の嶺々の天に連つたその末が、いかばかり深々と霞んで居ることか。眼を落して石の蔭を見れば、小さな草がうす緑に芽ぐみ立つて居る。流れ去り流れ行く河瀬の行方にも、何やら哀しげな陽炎が燃えて居る。卵を生みに上つて來るといふ美しい鱒の姿も眼に見えさうだ。
 今朝、青森五所川原から揃つて便りがあつた。みんな淋しいと云つて居る。僕も淋しい。別れて來た人たちの顔がそれ/”\と心の中から浮び出て來る。 越前君。
 また筆が逸れつゝある。僕は今日青森の追懷を書かうと思ひ立つて居たのだ。
(224) 青森に著いた時は漸く來べき所に來著いたと云つた樣な安心と慰藉とを感じた。が、市街には失望した。如何いふ譯だか僕の頭には門司や馬關の聯想が以前からこの市街と結ばれてゐた。そして青森を歩きながらこれは市街といふより寧ろ大きな市場そのものだと思つたりした。いかにも東北線の終點驛で北海道への渡り口だとも思つた。が、港には驚いた。斯んな雄大な自然な港を僕は今まで見た事がない。いかに青森灣といふものを控へて居るにもせよ、港の天然、港の氣分、全く他と類を異にして居る。一々の叙景叙事をば止すが如何にも大口を開いて大海に――といふより大自然に向つてゐると云つた樣な快さを覺えざるを得なかつた。青森の家屋はみな直角的若しくは直線的であると思つた。そのくせ、地上に尻が据つてゐない樣な氣がした。風の吹く日が恐《こは》かつた。この地方の人々の風俗は總て僕にとつて珍しいものであつた。藤野君の二階から寒いのも忘れて一時間も二時間も僕は此等を眺めることを喜んだ。犬の皮をふか/\と著てゐる人も通つた。蝸牛に短い脚を著けた樣なのも通つた。これは婆さんが何かを背負つて賣り歩いてゐるのださうだ。女の老若は僅かに漏るる蹴出しの色で判斷した。もつとも是は雪の日の眺望と知り給へ。女の顔は一帶に輪郭が明瞭《かつきり》してゐて、僕の好みにちかゝつた。女のもさうだらうが男の肌の白いのには驚いた。可哀相にお湯屋に行つて僕は明るみへよう出なかつた。(四月八日)
 
(225)     其の四
 
 だん/\長くなる。
 實は青森の印象は斯うした外界の風物より、其處で會つた個人々々の印象が僕には餘程深いのだ。今までの僕の旅は多く行く先々の山川風土に親しむ事であつたが、今度は全く異つてゐる。なるほど雪も山も海も、すべて僕にとつては最初の眺め、最初の驚きでないものは無かつた。が、それよりは更に人に親しまれた。お互ひ同士の人間といふものが、それ/”\の生活が、どれだけ興味深く僕の眼に映つたことだらう。これは全く偶然であつたかも知れない。四邊の寂しい自然がさうさせたのかも知れない。乃至は僕の年齢がさうさせたかも知れない。
 それは、種々な人に會つた。海の底の巖かげに動いてる貝の樣な人、日あたりに咲いた雪白な桃の花のやうな人、平家蟹の甲良の裡に鶸《ひわ》のやうな心を宿してゐる人、海鼠のやうな人、二十日鼠のやうな人、自身の運命の、自身の生命の次第に自分から逃れて行きつゝあるのをぢつと眺めてゐるやうな人、活動寫眞の悲劇から拔け出して來て雪の中に醉ひ倒れてゐる樣な人、鼻の下の短くないらしい人、何にも知らない人、總てを知り悉《つく》してゐる樣な人、漸く自分の生活の味を噛み出して來たらしい人、その他、あれこれ。
(226) すべてが僕にはなつかしかつた。此等の人たちはいづれも極めて自然に僕に接して呉れた。僕は今まで曾つてこれほど自然な人々の仲間入をした事がない。僕は今度人間といふものゝ難有さをしみじみと痛感した。
 イヤ、斯ういふ風に言ふと、僕の眞實の心持とは何だか少し離れてものを言つてゐる樣だ。要するに僕は唯だ嬉しかつた。
 越前君。
 二三日にして僕はこの可懷しい宿にも別れねばならぬ。一晩青森へ引返して、そして眞直ぐに東京に歸る。親しく君の舊知の消息を傳へるのもいま數日だ。和田君にも君からよろしく言つておいて呉れたまへ。左樣なら。(四月九日)
 
(227) その後
 
    その一
 
 青森市にて、木村さん、暫くおしやべりの對手になつて下さい。誰に宛てゝもお禮やら、お詫やら、無闇に言ひ廻らなければならない氣がして……その中でも何だか貴下が一番言ひ易い氣がしますから。
 こららに歸り著きましたのが五月の朔日《ついたち》。明けて二日には妻子や義妹《いもうと》達を悉く遠國のその實家《さと》の方へ旅立たせて、たつた獨り居殘りました。ひとつは彼等に對して餘り永い間留守番をさせたお詫お禮のこゝろもち、ひとつには唯んだ獨り居殘るといふことが非常に望ましかつたからです。實際、その時私は彼等と物語ることすら苦しいほど疲れてゐました。
 そして、獨りになつて、やれ嬉しやと思ふと同時に私は床についてしまひました。季候の急變から風邪を引いたのがもとで、ひどい發熱から延いて身體中の總ての機關《からくり》に狂ひの出た形です。(228)斯ういふ場合、曾つても遭遇したことのある顔面神經痛といふのが最も辛く、平常大自慢の胃腸すらすつかり駄目になつてゐたことを知りました。
 それにそら、ホンの二三週の豫定で出かけた旅行が、悠々として正に七十幾日を超したものですから、その間には實に種々雜多な用事が私を待つてゐました。おど/\しながら待ち構へてゐた細君からこれは如何する、これをどうしますと、一々突きつけられた時には、流石に私もげつそりしました。
 藥罎、水を湛へた洗面器、乃至は食器などの竝んでゐる間に混つて、此等蓄積せられた無情な辛竦《しんらつ》なる而して皮肉な仕事どもは、晝夜間斷なく私の枕頭を壓迫してゐたのです。イヤ現にしてゐます。ただ枕頭が机邊と變つたゞけです。
 でも、初め七八日間は何もかも夢中で唯だ空しく仰臥してゐました。幸ひ偶然にも東京から友人夫婦が私の方に移つて來ましたので、それに介抱して貰ひました。それから後です。寢床、便所、長火鉢、机、縁側などの間の室内旅行が行はれ始めましたのは。
 自分ながら可哀相でもあり、滑稽でもあり、時には獨りで泣き笑ひも致しました。御笑察下さい。強ひて机に向つてはみましても、何しろ頭が頭なのですから何ひとつ出來はしません。通信教授の歌の詠草、及びその返送を促す催促状、出版物の校正刷その催促状、原稿の催促、乃至は返(229)事を書かねばならぬ幾多の私信、それらをぼんやり眺め廻しながら頭の中では實に飛んでもない事を考へて居るのです。あの時は面白かつた、あれはあゝするより斯うする方がよくはなかつたか知ら、あの人はいま如何してるだらう、あの人の顔には面白い特長があつた、あの邊も既《も》う雪が消えたに相違ない、どうも彼處に廻らなかつたのは殘念だ、この次ぎ行くとすれば……などと全く埒のない空想やら追懷やらが、ぐた/\になつた頭の中を駈け廻つてゐるのです。
 ですが、斯う並べ立てるといかにも目下の私が大病人のやうに聞えはしませんか。きうではないのです。謂はゞ長途の疲れなのでせう、而かも御存じの通り可なり複雜した長途でしたから……語を換へていへば、猪《しし》食つた酬いです。病氣といふは敢て當りません。
   懲りずまにまたも食はなむみちのくのその猪《しし》の味わすれかねつも
 
    その二
 
 秋田は梅、滯在一夜。福島は櫻、滯在四日。漸う明けそむる頃赤羽あたりを走つて來た福島からの夜行汽車が愈々上野驛に著いて先づ眺め上げた上野山は全く青葉となつてゐました。
 滯京三日、五月一日朝七時靈岸島から汽船に乘りました。小さな汽船が次第に東京灣の眞中あたりに浮び出た頃、私は理由のない哀愁に囚はれて、殆んど靜座にも耐へられないのを感じまし(230)た。永い旅を終へて家に歸る時、常に覺えがちのこの哀愁、これは或は貴下にもお覺えのある事のやうな心地もせられます。
 その朝、初め曇つてゐましたが、やがて青空となりました。海は油のやうに重く、雲は動かず遠く水平線に群れてゐます。房總半島の低い山脈には、春でもない秋でもない、まつたく初夏特有の淡い霞がたなびいて、遠く岬の端の方にはをり/\白浪が上ります。甲板《デツキ》の隅の物かげに人目を避けながら私は携へた酒の壜を抱へ込んで、また改めて遠い邊土の旅にでも出る樣なさびしい心持で、この雲を仰ぎこの海を眺めました。眞實《まつたく》、このまゝこの汽船が何處にも寄ることなしに、ずん/\沖遠く出て行つて呉れたらどんなにいゝだらうと思ひました。
 汽笛が鳴り出しました。どうでも降りねばならぬ場所まで來たのです。正午近かつたでせう。黙々として艀船《はしけ》に乘り、黙々としてそれから降りました。降り立つて砂の中に下駄を踏み込みますと、
『やア、旦那、暫くでしたネ。』
 突然大きな聲で呼びかけられました。今朝來、初めて此處で口をきかねばならぬ羽目になつたのです。
 荷物を汽船場に預けて、道路を行くのを避けて私は濱邊を辿りました。子供たちが海を泳いで(231)ゐます。私は改めて垢じみ切つた自分の綿入姿を顧みずには居られませんでした。
 濱から一二丁折れ込んで畑の中を通らねばなりません。麥が私の乳のあたりまで伸びて、さらぬだに狹い徑を一層狹くしてゐます。私は白く閉《しま》つてしいんとしてゐる障子の前に立ちました。そして先づ子供の名を呼びました。
 障子は直ぐ開《あ》いて丸々した顔が表れました。そして直ぐ眞赤になつて引つ込みました。お話したかとも思ひますが、今年四歳の男の子です。
 妹が飛んで來ました。洗濯でもしてゐましたか襷がけでした。そしてこれも直ぐ引き込んで衣服《きもの》を著かへ始めました。妻は髪を結つてゐました。
 兎にかく、がつかりして私は座に坐りました。いつの間に羞《はにか》むことを覺えましたか、襖の蔭から覗いてゐて容易に子供は私の膝に來ませんでした。漸く馴れたのと種々戯れながらも、私の心の底には先刻《さつき》の汽船以來の寂しい氣持がどうしても脱《と》れませんでした。
 
    その三
 
 少し夏めいて來ると私は酒を冷して飲むのを愛します。その癖を知つてゐますので、程なく冷え切つた一瓶とコップとが私の前に並べられました。久しくさういふ事から遠ざかつてゐたゝめ(232)でせう、彼等|姉妹《きやうだい》自身さうすることを寧ろ歡ぶらしく見えました。
 ちぴ/\やつてゐますと、開け放たれた障子の向う、やゝ色づきかけた麥畑の中を一人の女が重さうに一つの荷を擔いで來ました。先刻汽船場に預けて來たものなのです。それから部屋中が俄かに活氣だちました。
 青森發の時、實に種々樣々な土産物を頂きました。實を云ひますと、無事にこれだけの荷物を自宅《うち》まで持ち著け得る自信は私にはありませんでした。でも人々の厚意と、それ/”\珍しいものらしい品物とを見てゐますと、流石に途中で開いたりなどする元氣もなく、停車場ごとで大騷ぎをしながらも終にそつくりそのまゝを相州|北下浦《きたしたうら》まで擔ぎ著けたわけなのです。これは誰から、これは斯ういふ人からと贈られた人の事をも言ひ添へて次ぎ/\と並べますと、子供は無論のこと大人もまるで子供同樣になつて喜び騷ぐのです。中に妻に宛てた津輕塗の硯箱や絲まき楊枝入れなど出て來ました時は、これは一つ私に下さい、いゝえ上げられません、折角の厚意を無にすることになるぢアありませんか、と姉と妹との爭論まで持ち上りました。飛行機も持ち度し、飴の罎にも手を著け度し、お菓子の箱にも突貫したしといふわけで、子供などは寧ろ途方に暮れてる形です。冷たいのを重ねながら眼前の光景を打眺めて、いかにも旅から歸つて來たといふ氣持を漸く覺えそめました。
 
(233)    其の四
 
 すつかり夏になりました。
 昨日今日、空は磨き立てた鋼鐵のやうによく光り輝いて、永い間の降りや曇りにいゝ氣持に葉を伸してゐた樹木どもは、今日憐れにも萎れ返つてゐます。 大きくは呼吸《いき》もつけないやうなこの靜かな強い夏の日を私は愛します。身内の汗や膏が自然に排出せられていつ知らず清らかに痩せて行くやうな、この夏の日を愛します。
 ぢいつとこの輝いた空や日光や、萎れた木の葉や、またはをり/\木の葉を渡つてゆく微風などに對してゐますと、次第々々に瞳が落ちて行つて、このまま永い眠りにでも沈みさうな快さを覺えます。蜂の群の唸り聲が遠くなり近くなりしてゐます。園の蜜柑の木からでせう。その花は大方もう散りましたが、まだ澤山の蜂がその葉かげに集つてゐます。
 蜜柑のことを云ひますと林檎の花を思ひ起します。二三日前に來た板留の丹羽君からの葉書にその花の滿開のこと、咽喉も裂けさうに啼くといふ閑古鳥のことなど書いて來ましたので、急に耐へ難い寂しさと昂奮とを覺えました。
 延いては其處の友、青森の友、津輕の友だちのことをも事新しく思ひ起しました。
(234) 旅から歸つた、とは云ひますものゝ心はまだ落著くさきを知らずに、其處此處と彷徨《さまよ》ひ歩いてゐるのであります。
 
    その五
 
 私は黄金の波の打ち渡つてゐる稻田の原を見渡すよりも、其處の畑彼處の片岡に靜かに穗を垂れてゐる麥の秋を眺むることを好みます。何といふことなく親しみと柔みとを覺えます。
 その麥も、もう刈られました。煙草を脣《くち》にしたまゝぶらりと戸外《そと》に出てみますと、其處此處にさくさくといふ鎌の音を聞いた二三日も過ぎて、附近の畑は哀れな姿となり、その肌の砂地を殘りなく露《あらは》しました。
 その砂畑の徑《みち》に足をよごしながら、私は殆んど毎日釣りに通ひます。いえ、海へ出るのではありません。岡や藪の蔭の小さな小川に行くのです。 たんだ獨り、糸を垂れてゐますと、四邊の木や竹には遍く日が射し風が流れて、をり/\何やら鳥の啼く音《ね》、初夏の花の強い匂ひに出會ふほかは何ひとつ心を動かさるゝこともなく、全く無念無想の幾時間かを費し得るのです。
 私は一面跳ねたり踊つたりして騷ぎ廻るのを好むところもあり、また斯うして獨り靜かに一切(235)のものから離れて心耳《しんじ》を澄ましてゐることを愛する心も有ります、そして、後者の方が確かに私の本質らしく思はれます、そしてその癖多くの場合、いろ/\の習慣から前者の方面のみが表面に現はれて居る樣です。たま/\斯うして自然の本質に返つて自分の心を自由にして置き得る間はこの上もなく楽しいありがたい時なのです。
 青森の海、岩木の峯、津輕平野の雪、相見た多くの人々、想ひ起しますと、彼等の前に私は餘りに燥然たる旅客でありました。いまにして實に云ふ樣なき悔と羞恥とを感じます。
 木村さん、私はいま一度、是非そちらへ參ります。もう今度は人にも土地にも馴染んでゐますから十分おちついて、思ふまゝに自分の心を働かせることが出來ると信じます。
 斯う書いてゐますと、すぐ今にも飛び出し度い氣持になるから可笑しいぢアありませんか。もうそちらもすつかり夏めいて來たことでせう。輕快な青森五所川原の若人たちの時季となつたわけです。いよ/\明るい彼等の顔が眼の前に浮びます。松島村の梨の花も程なく咲くことでせう。板留の温泉宿の前をば、十和田へ越ゆる旅客がぽつ/\通ることでせう。
 そして貴下は明るい瞳、暗い額《ひたひ》であの宿置室に宵々麥酒の冷たいのを愛しておゐでるでせう。をりをりは柯芳|和尚《おしやう》の圓い頭も其處に點出せらるゝことゝ思ひます。
 要するに夏は好い。光り輝いて、而かも何處か寂しい冷たさを包んだ夏、私は限りなく夏を愛(236)します。いつも斯う悄《しよ》げてはゐません。ぼつ/\と元氣にかへります。そして久しぶりに力いつぱいに歌つてみたい。
 木村さん。今のところ他へは何處へも便りをせずにおきます。恐れ入りますが、あなたからよろしくお傳へおき下さいまし。では左樣なら。(五、五、二〇)
 
(237) 旅から歸つて
 
 棕梠の花が散りそめた。またもとの寂しい木に返らねばならぬ。
 縁側に出ると直ぐ眼の前にこの木が三本並んでいる。いづれも二間から三間近い高さの老木で、その下には無花果が、極めて低く廣く枝を張つて居る。若葉の蔭には例のうす青い果實が、もう澤山|實《な》つて居る。無花果の蔭に飲料不適の札を貼られた古井戸があり、その井戸から眞南に細い徑が通じて居るが、今は双方から麥に掩ひ狹められて殆んど歩き難い。方途《はうづ》もなく長引いた北國の旅から、流石に何だかきまりのわるい思ひをしながら、自分の肩までも延びた青麥の穗を驚いて見廻しつゝこの徑を通つて歸つて來たのは今月の朔日《ついたち》であつた。その代りこれから俺が留守居をするからゆつくり遊んで來るがよいと妻子をその實家の方へ旅立たしたのはその翌日であつた。さうして獨り殘ると同時に私は床についてしまつた。氣候が急變したゝめか、風邪を引いたのがもとで、例の腦が痛み出した。旅の疲れが出た、といふ方が適當かも知れない。
 夙《と》つくに濟まさねばならなかつた仕事が留守の間に隨分溜つてゐた。妻の希望を容れて直ぐ信(238)州へ立たせたのも、ひとつはその仕事を急いで片附けたいからでもあつた。ところが、仕事どころか、頸から枕、枕から肩まで濡らしつゝ自分自身で頭を冷さねばならぬ事になつたのである。
 努めて床から離れて居ようとした。縁側に出て見ると、きら/\光つた庭さきに續いた畑には重々と大麥小麥が穗を垂れてゐる。畑向うの丘の松林には、すつかり穂が伸び花が著いて、それを越えた海の空にはむく/\と惱ましい雲の峯が湧いて居る。三本の棕梠の木には毎日さわやかな風が吹いて、いつとなくその輝いた葉の蔭に黄色い花が見え出した。ほんの咋日まではまだ梅すら咲かぬ、雪のまだらな國に留つてゐた身にとつて、今年は一層この花が眼を惹いた。
 
 朝曇つて晝かけて照り出す。さうした日が幾日か續いて居る。今日こそは來ませうよ、と宿の婆さんが今朝挨拶してゐたが、なか/\雨になりさうもない。百姓はみな田が乾いて植ゑつけに困つてゐるのださうだ。
 降らうか、照らうかといふ今日のやぅな空模樣が頭のわるい身には最もよくない。四五日前から床をばあげて強ひて机の側に來てゐるのだが、どうも永く坐つてゐられない。坐つてゐるにしても空しく時計の鳴るのを數へてゐる位ゐのものだ。
(239) 棕梠は早や散りかけたが、蜜柑の花は今漸く盛りにならうとしてゐる。棕梠と違つて見榮えのせぬ花だが、それでも極く靜かな、かをりの高いものである。よく晴れた日など、障子を通して濃い香りが机のほとりまで流れて來る。家のめぐりには十數本その木が茂つて居る。
 家のめぐりの庭とも畑ともつかぬ所を宿の人たちは、園と呼んでゐる。園に出て見るといま隨分いろいろのものが眼につく。蜜柑の木も凡てこの園にあるのだ。
 家も園も小さな丘を背負つて居る。丘は深い椿の木立だ。どうかすると暗い葉がくれにまだ散り殘りの眞赤な花を見る事がある。その木立の前側一通りにまばらに山櫻が植ゑてあつて、小さな櫻んぼが草の上などに澤山散つて居る。やがて梢に這ひ上る子供の群を見ることであらう。
 柿はまだ早い、形の面白い蕾のまゝで居る。枝を張つた老梅には、今年は澤山の實がついた。先日の暴風雨で餘程吹き落されたが、それでもまだ十分殘つて居る。枇杷も今年は豐年の樣だ。この木も十本位ゐある。杏は駄目かも知れぬ。
 桑の實も可愛いものだ。うす紅のや濃紫に熟れたのや、雨を欲しげに實つてゐる。桑と入れ混ぜに茶が竝んでゐる。芽をつまれて今は佗しい姿である。旅から歸つた日、次の部屋から新茶を作る匂ひが漏れてゐた。
 大きな葱坊主がゆく春の名殘を留めて居れば、菜たねの莢《さや》も果敢《はか》ない思ひ出を語つて居る。そ(240)れらの傍には玉蜀黍《たうもろこし》の芽生《めばえ》や甘藷《いも》の苗床が近づいた盛夏をほのめかして居る。馬鈴薯は既に伸びた。今にもあの白い花が咲き出さうだ。隅々には紫蘇が勢ひよく新しい葉をひろげてゐる。
 蕗《ふき》やみつばの時季も既に過ぎた。今はそれらの蔭の和蘭苺《オランダいちご》のうす青い實が毎朝瞳を惹《ひ》く。
 數本竝んだ蜜柑の木を園の境にしてそれから南は一帶に畑となつて居る。蠶豆《そらまめ》は程なく拔かれてしまふ。麥もそろ/\黄色くなつて來た。
 園の中の小さな徑をずつと行き拔けると、左手が一段低い水田になつて、今は早苗《さなへ》が作つてある。
 蛙の聲が一面だ。
 右手がまた蠶豆の畑で、畑の中には二三本の蜜柑が匂ひ立つて居る。畑と田のはづれは、栗や杉や榎や珊瑚珠の木の淺い木立を境にして小さな溪が流れて居る。落葉に埋れてちろ/\流れてゐるのだが、諸處に小さな淵があつて、小鮒や沙魚が釣れる。
 
 よく/\机の側に居られなくなると、縁側から下りてこの園の中をぶら/\歩く。よほど注意しても、蜘蛛の単に顔や髪を引つ懸けられがちだ。朝霧に輝いた蜘蛛はまだ幾らか可愛いゝが、夕方になると憎らしい。
(241) 此頃のやうに天氣が續いても此處の土は全く乾き切らず、下駄の音もしない。今日など、一層もの靜かである。蜜柑は、然し、斯んな曇り日には匂はない。
 
 矢張り旅のために、延び/\になつてゐたものなどあつて、近日中に自分の著書が一二種重なつて出ることになつてゐる。その不足の原稿を書き足すべき原稿紙、または赤インキで染つて居る校正刷。
 通信教授の和歌の詠草。
 返事を出さねばならぬ手紙、端書。
 そんなものが机の上に、周圍に一杯滿ちて居る。
 その机の隅を方二寸ばかり押しあけて一輪の雪白の芍藥が挿してある。咋日の午後切つて來て、今朝少し萎えてゐたが、切口を燒いて挿し直したらまた勢ひがよくなつた。まつ白な花瓣から蕋にかけて小さな黒蟻が二疋あちこちしてゐる。匂ひがあるやうにもあり、無いやうにも思はれる。
 
 原稿紙や詠草の上に眞白な笊が置いてある。中には蠶豆と莢豌豆とが入つて居る。今暫くは鰥(242)夫暮《やもめぐら》しの形で、自分で食ふだけの事をば自分でやらねばならぬ。原稿を四五行書いては豆をむいたり、煙草を吸つたりして居るのである。 旅さきで私が餘り煙草を吸はないので意外がられたが、(歌にはたくさん歌つてあるさうだ。)時によつてはよく吸ふ。此頃たいへんうまい。それも、どの煙草がうまいのだかよく解らない。この机のめぐりにもいろ/\なのが轉つてゐる筈だ、バット、カメリヤ、八千代、敷島など。
 
 また齒がじか/\痛む。
 だん/\曇りがひどくなつて來たが、眞實今日は降る氣かも知れない。肩から背に張つてある按摩膏《あんまこう》が、何だかじと/\して來た樣だ。
 
 それにしても今日は郵便が馬鹿に遲い。(五月十七日、正午)
 
(243)中編
 
 燈臺守
 
『近藤さん、米一斗五升、同じく炭一俵、同じく燐寸一包……』
『よし、よし、よし……』
『富田さん、玉葱一包。』
『よし。』
 船頭たちは一々帳面と照し合せて種々雜多な荷物を船に積み込んで居る。
『一木さん、酒三升。』
 と讀み上げると同時にその帳面を持つた老爺は、
『また大將飲み始めたな。』
 と細い聲で呟いた。
(244)『なアに、今度はお客樣だ。』
 積み込んでゐた一人の若い船頭がひよいと頭をあげて、其側でこの風變りの荷積を興深く眺めてゐた私を顧みて笑つた。
 私も笑つたが、それと共に咋夜買ひ込んで來た數本の酒の壜の事を思ひ出してその在處《ありか》を見廻すとそれはまだ船には積まれずに其他の私の荷物と一緒に濡れた砂の上に他の荷とはやゝ離して置かれてあつた。その上の一束のダリアの花が今朝は別して燃え立つ樣に眼についた。これは私の妻から友人の妻への贈物で、わざ/\東京から持つて來たものであつた。
 荷積の終ると同時に私も船に移つた。普通の漁船より餘程大形の船で、やがてする/\と砂から海の上へ押し下された。
 港を圍んでゐる山々の其處此處に青みがかつた朝日がさして、暴風雨あとの鹽臭い風が急に際立つて感ぜられた。港の隅の方に集つてゐる多數の碇泊船はありたけの帆を張つて久しぶりの日光に乾してゐる。その帆を卷き上ぐる小さな車の音がコロ/\コロ/\とまるで蛙の鳴くやうに四邊に起つてゐた。荷物の間に船頭が作つて呉れた座席に私は小さくマントにくるまつて坐りながら珍しい今日の航海に斷間なく胸を躍らせてゐた。
 中に幾つかの小島などあつて、下田の港は隨分廣い。その港口の方には外洋からうねり寄る浪(245)が高々と打ち上げて、その向ふには黒色に輝いた海が見えてゐる。その方角へ一直線に進むものと樂しんでゐると船は次第に別の方向へ漕がれた。
 二十分も經つたかと思ふころ、船はとある山蔭の大きな岩と岩との間に漕ぎ入れられ五人の船頭は等しく尻を捲くつて波の中に飛び降りた。そして船をば其處の岩にしつかと繋ぎ留めておいて、初めから船に積まれてあつた十個あまりの大きな空樽をどん/\岩の上へ運び上げた。岩から更に其處の灌木林の中に擔ぎ込んだと見てゐると、やがて二人の船頭は重さうにその樽の一つを擔いで出て來た。そのあと、そのあとと續くので漸く私にも彼等の爲《し》てゐる事柄が解つて來た。そして立ち上つてその林の方を見ると、果してその蔭からちよろ/\と小さな溪が岩の上に流れ落ちてゐた。
 清水で滿たされた樽が再び擔ぎ込まれると船は岩から解かれて、今度は眞直ぐに港口の方に漕がれた。港口に近づくにつれて浪は次第に高まつて來たが、やがて削り立つたやうな斷崖の下を漕ぐころは全く狂瀾怒濤の眞只中に在つた。程なくその眞白に泡立つた中を漕ぎ拔けると五人の船頭は船いつぱいになつて叫び合ひながら大小二枚の帆を張つた。
 船はそれから只一直線に蒼黒い大きなうねりの中を上りつ下りつ常に斜めになつたまゝ驀地《まつしぐら》に走つた。遠く近く赤い岩礁の上に飛び散つてゐるその岬端《かふたん》の海は其處等中がゆさ/\と搖れ動い(246)てまるで大きな渦卷のやうにも見えた。時には帆柱よりも高くうねりの峰を仰ぐことがあり、時にはそのうねりとうねりの間に挾まれて吸ひつけられたやうに船の動かぬこともあつた。時にはまた頭の上から瀧のやうな飛沫が落ちても來た。船の中のものは勿論、大きな方の帆すらじと/\に濡れ終つて、それがばた/\とはためく毎に雫は雨の樣にそこらに飛び散つた。一體私が東京から下田に著いて以來海は毎日荒れて、實は一昨日出るべきであつたこの神子元島《みこもとじま》燈臺行の船も漸く今朝出帆したのであつた。
 岬から遠ざかるにつれて海は却つて穩かになつて、張り切つてゐた二つの帆もをり/\だらりと帆柱に纏ひ著くやうな事が多くなつた。私は元來船には強い方で、現に二三日前東京から下田までの汽船でも乘合三四十人のうち醉はぬ者はたゞ二人きり無かつた中の一人であつたのだが、今日の航海には身體も精神も大分疲れて來た。そしてその疲勞と共に何とも知れぬ哀愁が身體を浸して來るのを感じた。
 今にも浪に飛び込むことかと斷えず固くなつてゐた四肢五體が海の穩かになるとゝもにぐつたりと、くづれて、漸く船頭たちとも言葉を交し得るやうになつた。
『旦那も矢つ張り燈臺の方の人かね。』
 彼等の一人が私に訊いた。
(247)『いゝや、唯だ一木君と舊い友達でネ、遙々東京から訪ねて來たんだが……、一木君は相變らず酒を飲むと見えるね。』
『一頃は月給がみな酒になりよつたが、お内儀さんが來さしてからぴつたり止めさした、なア。』
 と仲間を顧みた。
『うん。』
 丁度帆を直しに立ち上つたその男は、沖の方を望みながら、
『ホヽ今日は速え、もう見え出した。』
 と言つてそれとなく私を見下した。
私も直ぐ立ち上つたが、なるほど舶の方に當つて一つの大きな岩の島が浮かんでゐる。
『あれだネ、神子元島は。』
『うん、もう直き燈臺も見ゆるよ。』
 さう聞くと一時忘れてゐた友のことがまた私の心にいつぱいになつて浮かんで來た。三四年逢はずにゐるうちに燈臺守などになつて一體どういふ風に變つてゐるか、非常に平静にはなつてゐるらしいが果して一生燈臺守で暮すつもりか、細君はどんな女か、今日はどんなに自分を待つてるだらうなどと、私の心は先きから先きへと動いて行つた。
(248) 程なく燈臺は見え出した。黒いと見えた岩の赭《あか》い肌も解るやうになつた。兼ねてから樹木一本無い赭岩《しやがん》の島だと聞いてゐたが、眞白な丈高い燈臺はたゞ寂然としてその岩の端に突き立つてゐるのである。、やがて最も高く聳えてゐる岩の頭に一二の人の立つてゐるのが眼に入つた。それが何やらせつせと振つてゐるのも見え出した。
 島に近づくに從つて海はまた泡立つて來た。
 
『危ねえ!』
 と船頭に叱られながら私はいち早く船から岩に飛び移つた。
 驚くほど老けて見ゆる友と向ひ合つて立つた時、私は彼の眼が涙で一杯になつてゐるのを見た。やがて險しい岩の上を並んで歩き出さうとすると、彼はそそくさと自身の履いてゐた草履を脱いで私の前に揃へて呉れた。そして私の履いてゐた下駄を自身に履いた。
 私は荷物の中からダリアの花だけを取つて携へながら斷崖の横に岩を掘つて造つてある細い徑を友のうしろから喘ぎ/\登つて行つた。二三丁も登つたと思ふと、この島の頂上らしい所に出た。其處の五六坪ほど岩を均《なら》して平地にしてある所には二三人の女と、四五人の子供とが集つて(249)私た払の登つて來るのをさも珍しさうに眺めてゐた。私たちが其處に登り著くと一人の若い女が突然其中から離れてその平地の隅に岩をくり拔いて造つてある洋風の家屋の中へ駈け込んだ。私たちも續いてそのあとから入つて行つた。
 友の部屋は殆んど眞四角らしく感ぜらるゝ六疊敷位ゐの部屋で、私は直ぐこの家屋の石造りである事を知つた。唯一つ附いてゐる長方形の小さな窓の所で見ればその壁の石の厚さは二尺位ゐあつた。
『大暴風雨《おほしけ》の時に浪が打ち上げて來ても壞れぬ樣に造つてあるのだが、どうも野蠻な建築さネ、……浪がかい、來るとも、さうなれば宛然《まるで》海嘯《つなみ》と同じだからな。』
 友は笑ひながら、其處のガラス戸を押し開けた。窓の中程まで例の赤味がかつた岩の頭が直ぐくつ著いてさし出てゐて、その上に極めて濃い紺青《こんじやう》の秋の空がくつきりと見えてゐる。私は初め入つて來た時からこの窓の空を非常に寂しく感じてゐた。
 其處へ先刻《さつき》の若い女――初めて逢つた友の妻は私の持つて來たダリアを何やら大きな壺に投げ挿しにして持つて來て窓に載せた。美人ではないが、うひ/\しいまだほんの娘らしい人である。
『田舍者でネ、可笑しい事ばかりだよ、先刻君が見た通りで、あんなに待つてゐた君に逢つても物ひとつよう言はんのだからな。』
(250) 窓の石の上にその壺を置くと直ぐ羞しさうに室から出て行くあとを見送つて友は言つた。友の郷里の遠い親類に當る家から呼んだことをば前から手紙で聞いてゐたのであつた。
 ダリアは花屋の骨折で幸ひに枯れなかつた。そして蕾の樣なのを選んで來たのだが、途中ですつかり滿開になつてゐた。いろ/\の背景がいゝせゐか、此處では一段と見勝《みまさ》りがせられて、そぞろに私は妻の土産の思ひつきのよかつたことを喜んだ。
『何年ぶりに斯んな花を見るのだらう。』
 と言ひながら友は立つて行つて眞黒く痩せた顔をその花の亂れた中へさし入れたりした。
 餘り久しぶりに逢つたゝめか、どうも二人とも思つたほどに心が打ち解けなかつた。そしてお互ひに互の心を讀まうとする樣な風も見えた。斯んな事は曾ての彼には全然無いことであつたが、などと私はそれにも心が配られた。
 どや/\と入口の方が騷がしくなつて、先刻の船頭共が荷物を運んで來た。友は直ぐ飛び出して自分だけのものを室内に運んで來た。
『これはお土産か。』
 と私の持つて來た酒の壜の束ねたのを提げながら、
『オイ、此方から先にしろ。』
(251) と細君に言ひつけた。
 解いてゐる友の荷物は多く食料品であつた。中には私のために特に取つたらしい西洋手拭や枕などもあつた。そして最後に幾通かの手紙や新聞を取り出して、早速開封して讀みかけたが突然彼は立ち上つた。
『オイ、久留米の叔父が俺に百圓呉れた、百圓!』
 と頓狂な聲で細君を呼んだ。細君も濡れた手のまゝで入つて來て眼を見張りながら手紙を引つ張り合つて讀んでゐたが、
『まア嬉しい!』
 と言つて、身體に嬌態《しな》をしながら踊るやうにして出て行つた。勝手元は共同で、彼の部屋の筋向うに當つてゐたが、今の友の聲が聞えたと見えて其處でも他の細君連との間に百圓々々といふ話が始つた。
『何だネ。』
 私は少し手持無沙汰の氣味で其處に落ちてゐる爲替券を眺めながら訊いた。『イヤ、僕の叔父がネ、還暦の祝ひの代りに送つて呉れたのだよ、貪生少し浮めるわけよ。』
 と言つて耐へてゐたやうに笑つた。
(252) やがて酒が始つた。以前は二人とも一升二升を平氣で平げたものだが、昨今私はめつきり身體を傷めて一向に飲めなかつた。友はまた私にも増して弱くなつてゐた。それでも酒が次第に身體に廻るやうになると段々昔の氣持がお互ひに萌して來た。
『それで如何だ、もうすつかり落ち著いた樣なのか。』
 先刻から訊かうと思つてゐたことを漸く私は打ち出した。
『うん、もうすつかり落ち著いた、もう以前の樣な馬鹿な眞似はせん、一生おとなしく燈臺守で暮して行くよ、のんきだからなア、第一食ふに困らん。』
 幾らか反語の樣に聞えぬでもないが、矢張り眞實さう思ひ込んでゐるらしいと私は思つた。
『君の覺悟ぢア當にアならん。』
『うゝん、馬鹿な、今度こそは確かだ、それに斯んなものが出來て來るともう動きが取れんがナ。』
 彼は側に來た細君を顧みながら、ふと思ひついた樣に、
『君とこの子供は如何だ、達者か、どうも僕の身體には子の種がありさうにないのでこればかりは悲觀してるよ。』
 過去を思ひ出したか、首を縮めて苦笑した。
『どうだ、僕のを遣らうか、ハヽヽヽ。』
(253) 話はやがて吉原の事になつたり、品川の事になつたり、當時の遊び友達の事になつたり、他愛もない高笑ひが酒と共に次第に烈しく續いて行つた。 其處へ先刻の船頭がもうすつかり例の樽の水をもそれ/”\運び上げたと見えて、そろ/\歸らうと思ふからと云つて次囘の註文品を訊きに來た。
 それを聞くと私は發作的に膝を直した。
『一木君、僕はもうお暇しよう。そしてこの船でまた下田まで歸らう!』
『なに!』
 彼の險しい眼がきらりと光つた。
『逢ひさへすれば氣が濟む、ゆつくりとまたいつか機會を待つて逢ふことにしようよ!』
 言ひ終らぬうらに彼の荒々しい手が私の腕を掴んだ。そして遮二無二私を引き寄するなり其處に捻《ね》じ臥せて續けさまに擲《なぐ》りつけた。
 細君が驚いて仰山な聲で叫びながら彼を引き離さうとしたが女の腕ではなかなかさう行かなかつた。次の部屋から、先刻船著場で友の紹介した此の燈臺の臺長だといふ五十歳あまりの中老人が出て來てニコ/\笑ひながら漸く彼を引き離した。
『馬鹿奴、折角今までひとを待たせておいて、來て直ぐ歸るといふ奴が何處に在る!』
(254) 立ち上つたまゝ細君に捉《つか》まつてよろ/\しながら彼は尚ほ私を白眼《にら》みつけて罵つてゐた。
『取消し/\、ぢやこの次の船まで厄介になるよ、どうも僕が惡かつた。』
 私は腕や背をさすりながら、この孤島に一週間餘りの日を過すことに改めて決心した。
 考へて見れば初めからさうした下心でやつて來ておいて、どうして今の樣な氣になつたことかと醉つた上とは云ひながら私は自分の所作を訝つた。そして、非常に友に對して濟まぬ思ひがした。
 臺長や他の二人の臺員や、はてはその細君達をも呼んで來て、酒はそれから夜まで續いた。
 
『何か書きでもするなら此處で書き給へ、殆んど誰も來やしないから。』
 その後二三日して、友は同じ家屋内の事務室といふ札の懸つてゐる一室に私を連れて行つた。其處は他の室よりやゝ廣く、壁には隙間なく世界地圖や日本地圖、航海地圖、萬國々旗表などいふものゝ古いのが懸け列ねてあつて、その隅には僅かの書物や帳薄類を入れた箱、同じく簡單な醫療器械や藥品を入れたガラス戸の棚などあつた。中央には間拔けて大きい卓子《テーブル》が頑張つて、其上に唯だ宿直日誌だの新聞の綴込だのが置いてあつて、半ばは砂で白くなつてゐた。
 さう言ひながら友は何處からか小形の卓子を持つて來て窓の際に据ゑた。椅子をも割合に新し(255)いのを探して來た。そして雜巾桶を持つて來てその卓子うを拭いたり、煙草盆を持つて來て其上に置いたりしてくれた。
『難有う、素敵な書齋が出來た。』
 かう言つて私は椅子に凭りながら、斯うした細かい世帶じみた事に氣のつくことなど、以前の彼には見出す事の出來なかつた樣子を感ぜざるを得なかつた。
 椅子からは殆んど眞上に眞白な燈臺が仰がれた。手近には唯だ尖つた岩を見るのみで、海は見えなかつた。秋を思はする風が斷えず窓のガラス戸を鳴らして、獨り居るには靜か過ぎる程の部屋であつた。
 この友を初めて知つたのはまだ私が早稻田大學の豫科に居る頃であつた。何課目かの試驗の前でその日は特にそのための質問日とされてあつた。私はその頃夢中になつて讀んでゐた北村透谷の『透谷全集』を教師の眼の屆かぬ室の隅の机に載せて一心になつて讀み耽つてゐた。その時、私の背後の机にゐたのが彼で、少し伸び上つて覗きこみながらコツ/\と私の肩をつゝいた。
『そんげな物を讀んどつちア落第しますど。』
 顔の中で最も眼立つ大きな鋭い眼に微笑を見せて彼は言つた。聞けば彼も同書の愛讀者であつたのだ。そしてお互が九州生れであるといふやうな所から餘り親しくはしなかつたが何だか外な(256)らぬ思ひがしてゐた。彼は肥前の名高い金滿家の二男か三男かである事をあとから私は聞き知つた。
 その後一年ほど經つと突然彼の姿が教場に見えなくなつた。彼と同じく哲學科に出てゐた彼の同郷生に樣子を聞くと、その男は笑ひながら斯う言つた。何か急に思ひついて郷里に歸つて二萬圓とか財産を分けて貰つて五島沖の小さな島を全部買ひしめて年を飼つたり鷄を放したり桑や茶を植ゑてすつかり百姓を氣取つてゐる、が、あの變人の事だからいつまでそれが續くか解らないと。私もその島の名など聞いて葉書を出したが、返事は來なかつた。
 その後四五年經つてから私が或る新聞社に勤めてゐた頃、或日突然彼は例の通りニヤ/\しながら私の下宿を訪ねて來た。背廣の黒い帽子を被つて古汚い脊廣を著てゐた。亞米利加から昨日横濱に著いたのだといふのだ。
 その島の百姓仕事は一年餘りで嫌になつて、島全體を二束三文に賣り拂つた金で暫く博多や長崎で馬鹿遊びをしてゐたが、それが尋きるとその頃重野安繹博士などの兄事してゐた老儒者が種ケ島に居るのを訪ねて行つてその學僕になつた。
『初めて行つた時、老先生自身玄關に出て御座つた、入門の事を頼むと黙つてその儘奥へ引き込まれたが、やがてちやんと袴を著けてまた出て御座つた。』
(257)と、思ひ出した樣に敬虔な眼をして彼は言つた。
 其處ではかなり滿足して仕へてゐたらしいが不幸にも其後間もなくその儒者は長逝した。彼はそれから亞米利加へ渡つた。以前財産を分けて貰ふ時から郷里の家とは義絶同樣であつたらしいが、渡米の時汽船賃を貰つていよ/\家族親族から絶縁を申し渡されたのであつたのだ相だ。果樹園の雇、皿洗ひ、鑵詰工場の職工、さうした事をしながら其處此處と流れ歩いたが終に健康を害して昨日横濱まで歸つて來た。歸る時も一二の日本人と一緒になつて半ば下級の船員同樣の仕事をやりながら太平洋を渡つて來たのだといふ。
『まだ船で取つた金の殘りが幾らかある、これから何處かで一杯飲み直さう、矢っ張り生れた國の酒が美味いね。』
と自分で註文して取り寄せた下宿の酒に舌鼓を打ちながら彼は言つた。昔ながらの鋭い大きな眼にはもう以前の澄んだ所は失くなつて、いかにも落ち著かぬイラ/\した光を宿してゐた。彼はそれから暫く私の下宿にゴロ/\してゐた。繪が好きで、よく繪具箱を擔いで郊外の雜木林などを寫生して歩いてゐたが、どうして傳手を求めたか、深川あたりのペンキ屋の職工に入り込んだ。酒の癖がよくないので、間もなく其店の主人を擲つて飛び出して、今度は電車の運轉手になつた。
(258) 東京にも立派な彼の親族や友人などがあつたのに、どうして從來手紙すら往復しなかつた私の所を選んで突然彼が訪ねて來たか不思議であつた。私も丁度その頃彼と同じ樣に焦燥した、落ち著かぬ朝夕をのみ送つてゐたのであつた。一面非常に明るい靜かな生活境を頭に描いて居りながら、眼前の一切にすべて深い興味や執着を持ち得ず、自分から求めた自暴自棄に走りながら、身體を捻ぢ曲げ/\して暗い所へ這入つて行く樣な日を重ねてゐた。其處へ同じ型ではあるが自身よりずつと大仕掛の放浪者の入り込んで來たといふことは一面迷惑ではあるが私にとつて非常に心丈夫な事であつたのだ。斯うして新米の電車運轉手と下級の新聞記者とは十錢二十錢の金を出し合ひながら、その日/\を一杯二杯の酒に代へてゐたのである。
 すると間もなく豫期してゐた不健康が其うちに私の身體へやつて來た。いよ/\東京の生活に耐へられなくなつた時、父の病死など起つて止むなく私は郷里へ引き込んだ。そして其處に二年近く我慢して、終に再び東京へ出て來た時は、彼は思ひもよらぬ燈臺守となつてこの神子元島へ渡つてゐたのであつた。 東京では似て非なる舊時《もと》通りの生活が私の身に始つた。健康や年齢の加減も加はつて到底舊時そつくりの状態に在ることには耐へ得なかつた。人生とか社會とかいふものを唯チラ/\と横目に見ながら自分の性質の赴くまゝにズル/\と思はぬ方へ赴いてしまふことは當時の私にとつて(259)餘りに無意味であつた。そして斷えず頭に描いて憧れてゐる自分の眞實の生活と、常にそれに裏切つてゐる放縱な放浪的な性質とを私は先づそのいづれもが共有してゐるらしく見ゆる事業熱によつて調和しようと企てた。
 そして、その企てはその何れをも互に混濁させ疲労させたに留まつて――私全體の生命生活を空しく混濁させ疲労させたに過ぎないことになつてしまつた。いよ/\さうした状態のどん底に沈んで、手も足も出なくなつたと自分でも思はるゝ昨日今日になつて私は端なくこの洋上の一孤島に靜まり返つてゐる舊友を思ひ起したのであつた。
 
 海面から斷崖の絶頂まで十六丈、絶頂から其處に建てられた燈臺の最高部である燈室まで十二丈の高さがあつた。その燈室は周圍も屋根も圓くなつて居り、そして總てが厚いガラスから出來てゐた。其處に登れば伊豆の天城山が最も眼近に北の方に見え、その蔭に駿河相模の山々が續いて、その反對には伊豆の七島がとび/\に海上に散つてゐた。望遠鏡を取ると恐しい勢ひで流れてゐる黒潮の姿をもあり/\と見ることが出來た。ツイ眼を落すと三十丈の眞下に激浪が白々と岩を噛んでゐた。どうかすると薄い雲がさつ/\と風と共に音をたてて、その燈室を掠め飛ぶ事もあつた。霧の立つた夜など、其處に登つてゐると種々の山の鳥がその輝いた一部の空に沿うて(260)怪しい聲で啼きながら飛び巡つてゐる事もあり、または驀地《まつしぐら》にその壁に飛びついて嘴を碎いて死ぬるのもゐた。多く天城の山から來るのだ相な。
 けれども私のやうな神經衰弱症の者にはその燈室は餘りに明るくて、忘れて崖下の浪打際でも見やうものなら今にも其處へ飛び込まねばならぬやうな恐怖に襲はれがちで、到底落ち著いてぢつとしてゐる事など出來なかつた。そして私はその燈室とたゞガラス張の床一枚を隔てた階下の夜間宿直室といふのが好きであつた。燈臺の礎から其室に到るまでは厚さ四尺の花崗石《みかげいし》の外壁のなかに螺旋形の暗い狹い階段が廻り/\登つて來てゐるのだ。が、その室だけは面積にして疊二枚敷位ゐの廣さを持つた圓い室となつて居り、小さいながら二個の窓がついてゐた。中には机と椅子とが一つづつ、それに油入れの鑵や、燈室掃除用の拭巾《ふきん》などが置いてあつて、夜は宿直員一人づつが毎晩此室に詰めて頭上の燈火を監現してゐねばならぬ筈なのだが、朝の大掃除と夕方の點火とのほかは殆んど其處に登つて來る人は一人もなかつた。
 高い/\階上の室内に居るといふ意識と晝間でもほんの黄昏がた位ゐの明るさしかない靜けさと、餘程荒れた日ででもなくては眼下の怒濤の響すら聞えて來ぬ厚い四方の石の壁とは流石の神經質の私をしてもすつかり身心を解きほぐして全く自由に自分の魂を遊ばせることが出來た。岩の頭で友だちと共に釣を垂るゝ時のほかは、私は殆んど多くの時間を此處で過した。はては友も(261)笑ひながら私のこの樂しみを妨げようとしなくなつた。
 元來この島は周圍十五六丁位ゐの岩礁で、固い枝葉の一種の磯草が僅かに岩蔭に生えてゐるほか磯馴松一本をすら見ることが出來なかつた。水も無論無い。洗濯や入浴のためには天水を溜めるやうに鄭重な仕掛がしてあり、飲料水その他の食物及び日用品等をば一週間に一度づつ數哩を距てた對岸の下田港から燈臺附屬の便船で運んで來ることになつてゐた。岩石のほか柔い土といふものが少しも無いので、をり/\交替で下田へ渡つて土を磨んで來ないと一種奇妙な病氣に罹りがちである相だ。
 私がこの島に渡つてからいつの間にかその一週間が過ぎ行いて、明日は下田からの便船の来る日となつた。友から誘はれた魚釣を斷つて私はまた獨りでその好きな室へ登つて行つた。
 椅子に凭つてゐると、眼の前の壁に懸つてゐる唯だ一つの小形の八角時計がチク/\と動いてゐるほか、全く世界は死んだやうな靜寂に閉されてゐる。とぢた瞼の次第に熱くなつて來るのを感じながら、私はまたこの二三日來頭の中に纒はり著いてゐる問題に就いて考へ始めた。
 
 或日二人とも大きな岩の蔭に黙り込んで釣り入つてゐた時に突然友が私を見返つて問ひかけた。
(262)『いま君は一體どんな暮しをしてゐるのだ。』
 その聲にはいつもと違つて重々しい力が入つてゐた。二年あまり續けてゐた出版業には悉く失敗して借金ばかりが殘つてゐるし、それ以來何處に勤めてゐるといふでもないといふことをば彼はよく知つてゐる筈だ。そして唯だ僅かに無名の青年文學者として立つてゐるといふだけのことで親子三人の一家がどうして東京の眞中で保たれてゐるのか、さうした状態についても大抵彼には消息が飲み込めてゐるに相違ない。
 で、私もその質問には狼狽した。で、苦笑しながら何といふことなく釣竿を持つてゐる手首の垢づき切つて磨れ破れてゐる衣服の袖口を撮《つま》み上げた。
『これさ、どうも斯うも言ふことはないよ。』
 友は笑ひもせずにそれにぢいつと眼を留めながら、
『實をいふと僕も君がそんなのを著て來たので初め臺長などに紹介する時、氣が引けて仕方が無かつたのだよ。あの變人の臺長が船著場まで人を出迎へたといふことも殆んど無いことだのに、その日はまた曾て見たこともない羽織袴まで著けて行つたらう。そんなにして出迎へられた君のそのざまと云つたら無かつたのだからねえ、僕は實際泣いたよ。』
 さう言はれてみると、私にも言ひ難い羞恥の念が燃えた。
(263) 黙つてゐる私を尚ほ見守りながら彼は語調を轉ぃて言ひ續けた。
『どうだ、いつそ僕と同じ商賣を始めんか。』
『え?』
『燈臺に來んか、僕は色々考へたんだが、これは屹度君にも適すると思ふ。』 彼は竿を上げておいて專心に私の方に向いた。
『横濱にその學校みたいなのがあるのだ、それに六ケ月入つてゐて、出さへすれば直ぐ二十二圓取れる、學校に居る時も七分通り官費でやつて呉れるから月々五圓か三圓もあれば足りるのだ。燈臺といへば大抵何處でも斯んな處だからネ、生活費なんか幾らも入りアせん、此處なんか月給の外に難場手當といふのを呉れるので僕なんかいま二十六圓ばかになるのだが、つましくさへすれば十五圓か二十圓丸きり殘るわけだよ、僕にだつてもう幾らかの貯金が出來てるのだから察しがつくだらう賜賜、何も強ひて殘さないでもいゝがさうして生活の根柢を固めておいて一方で君の創作を熱心にやればいゝぢアないか。毎日の仕事と云つた所で、朝の掃除と夕方の點火と、二三行の日誌を書けば濟むわけだ、それも交替でだよ、故障なんか殆んどあるもんぢアないよ。暴風雨の日なんかにア一寸困るがその位ゐのことア我慢せんぢア。』
 いつ知らず私が耳を傾けてゐるので、彼は一層熱心になつた。
(264)『滿三十歳まではその學校に入られるから君には丁度一年まだ餘裕があるわけだ、……、なアに入學試驗はあるが小學卒業程度でいゝし、それに若し君が入るとなれば此處の臺長から學校の方に一寸手紙を出させれば身體檢査なんか如何にでもなるよ。學校を出て義務年限が二年あるが、それさへ經てば嫌になつたらいつでも止せるぢアないか。』
 その日の談話は尚ほ細々と續いて行つた。そして兎に角僕にも少し考へさせて呉れと云つてその日はそれで終つたのであつたが、その時以來その問題はしつとりと私の頭にこびり著いてしまつたのである。
 要するに自分如きは自ら社會の表面に出てずん/\と押し進んで行くべき柄で無い。寧ろ物蔭にかくれながら靜かに社會といふものを望み見てしみ/”\とそれを味ひつゝ、轉じてまた自分自身を味ひ養つて行く、さうした生活が最も身に叶つた自分の路では無いだらうか、若しさうとすれば友の言ふやうにこの燈臺に籠るのなどが最も適當してゐるかも知れない、――私は先づ斯う思つた。
 自分は餘りに今まで自分といふものに期待し過ぎた。そしてそのため取り返しのつかぬ自分の生命を刻々に目に見えずして滅して行きつゝあるではないか。その哀しむべき生命のためにもこの厚い石壁の室と眞青な大海とに抱かれて三年五年の休養をとる方がよくはないか――斯うも思(265)つた。そして私はまだ餘りに何も知らない、知つてゐるのはほんの自分一個の眼前を通り過ぎる泡沫のやうな快樂や苦痛に過ぎない、あらゆる人類の底に通じて横はつてゐる深刻な、微妙な根本的の事實に就いては殆んど與《あづか》り知る所がない。そのための讀書、思索、さうした事に要する金と時間のためにもこの燈臺生活は今までにない便宜を與へて呉れるだらう――斯うも思つた。
 が、繰り返し/\さう思ひ確めようとするごとにあとから/\と不思議なほどの力強い寂しさが身體の何處からか浸《にじ》んで來て、自分ながら如何とも爲し得なかつた。それはもう理由もない、取り返しもつかぬ絶望的な、冷たいものであつた。
 
 澄んだ、足速な壁の時計のセコンドの響が室内に滿ち渡つて居る。とりわけても風のない日で高く聳えたこの燈臺自身も死んだ樣な靜けさの裡に立つて居る。
 矢張り自分は思ひ切つて友の親切な勸告をも斷らう、と終に私は悲しい氣持で決心した。そして、
『三年五年!』
 呟きながら離るゝともなく椅子を離れた。實際口でこそ三年五年といふものの、一切先きの知れぬ自分にとつては假初にも油斷のならぬ大切な時間である。その間をさうした休養とか云つて(266)ゐる餘裕などは如何にもありさうに恩はれない。後は後、今は今、更にまた他は他、自分は自分、矢つ張り現在あるがまゝに從つて揉まれてゐた方が、どれだけ自ら慰められるか解らない。
『それにこの燈臺の人たちの生活の單調さは如何だらう!』
 飲み物、食ひ物、見るもの、聞くもの、此頃見馴れてゐる斯うしたものがまざ/\と眼の前に並んで來た。そして、あの事務室の戸棚の隅にしよんぼりと入つてゐる埃だらけの藥品と醫療器械とを思ひ起すと、舊《もと》の健康を失つてゐるだけに、急に身體がぞつとした。
 この凪ならば明日は早く船が來るであらうと、今にもその船の見える樣な氣持で、そゞろに小さな梯子から上の燈室へ登つて行つた。
 海は誠によくはれて、大島の三原山の頂きには煙か雲か眞白に纒はり著いてゐる。それでもよく見れば流石にもう十月の末だ、吹くともなく西風が吹いてゐるらしく、島に近い海面には光つた波が先きから先きへ一齊に白けだつて續いて居る。
 不圖眼を落すと燈臺の下の磯で釣つてゐる一人の男が居る。一木だな、と思ひながら見てゐると側の岩かげからその細君も表はれた。魚の餌にする小さな蟹を取るのはいつも彼女の役目であつた。
 ぢいつとそれを眺めながら、明日はこの友とも別れるのだと私は今更の樣に思ひ當つた。
 
(267) 裾野
 
 その日の夕方、清二《せいじ》はいつものやうに二階の手術室にこつそり入り込んでゐた。そして金屬製の冷たい椅子に腰を掛けながら、懷中から取り出した書籍を膝の上で開いてみたり、微かな足音をもさせないやうに五歩十歩と歩いてみたり、または長く垂れた白い帷布《カーテン》の裾を僅かにめくりながら拭き込んだ硝子窓に顔を寄せて次第に明るく暮れてゆく裾野の夕日を眺めたりしてゐた。
 窓の直ぐ下の廣い庭には、丁度院長の子供たちが三人して林檎の實を落してゐた。もと北國街道の稍重要な宿場であつたこのK町で御本陣といへば附近で誰知らぬ者もなかつた大きな宿屋の建物の其處此處に手を入れて病院の形とした院長は、泉水築山の庭をつぶして一面に柿や林檎や、またはその周圍に籬がはりに落葉松などを植ゑ込んだ。柿は實も葉も薄く色づいてゐるが、粒の小さい肉の硬いこの地方の林檎は熟しても尚ほ青いまゝであつた。この小さな果樹園の一部には鞦韆《ぶらんこ》や遊動圓木やが設けられ、共同椅子も二三ケ所に置いてあつた。
 硝子を通して清二自身の顔も染るほどに窓の正面に當るA――火山の頂上にはいま眞赤な夕燒(268)雲が懸つてゐた。雲の上には時を置いて噴き出す噴煙が圓々と凝つて同じく夕日に染りながら幾つか續いて昇つてゐた。穩かな傾斜を引いて右に左に流れ出てゐる廣々とした裾野には、森林帶にも、それに續いた草原にも、またはずつと下方の田畑の邊にも、靜かに夕日がさしてゐた。
 庭の子供の叫び聲や、階下の藥局の笑ひ聲がをり/\厚い硝子を通して耳に入つて來るほかには、三方の窓の附いたこの明るい室内に※[虫+車]《こほろぎ》ひとつ鳴いてゐない。椅子、卓子《テーブル》、手術臺、硝子戸越しに光つてゐる戸棚の中の種々な機械、さうした箇々のものからも自づと冷たさを放つてゐるやうで、あれを眺めこれを見廻してゐるうちに、清二は自分の四肢五體の引き締められるやうな寂寥を感ぜずには居られなかつた。
 彼はそれが好きであつた。で、嚴しい院長が塵の入るのを厭つて平常は醫員にすら出入を許して居らぬこの二階の手術室にいつもこつそり忍び込んで、空しい、靜かな時間を過すのを常としてゐた。この病院の副院長を務めてゐる友人を頼つて彼がこの二階の一室に寢起きするやうになつてから既に二月あまり經つてゐた。いつの間にか秋風が立つて柿や落葉松の葉などが次第に散り始めた此頃では別してもこの室内の冷たさ寂しさが可懷しく身に浸みた。かすかに眼や鼻を刺して來る藥品の匂ひすら、何となく親しいものに思はれてならなかつた。
 一面には山師だなどといふ評判をとりながらも、田舍には珍しい進取的な、研究好きな此處の(269)院長はわざ/\斯んな室を設けて、をり/\腹部切開や手足の切斷など、土地不相應の治療を行ふことはあつたが、それは極めて稀で、普通の小手術をば階下の診療室で行つてゐた。で、殆んどこの室は常に空いたまゝで、毎日のやうに入り込んでゐる清二も、いまだ曾て人に見咎められたことはなかつた。
 椅子に凭つて輕く眼を瞑つてゐると、書籍の重みとその上に重ねた双手の重みとの膝に傳はつてゆくのがはつきり解るほど、彼は例によつて氣味の惡い自分の身體の疲労を意識してゐた。一種の自暴自棄から――何も彼もその時の自分の現在に對する激しい嫌惡の情から、急に持ちくづした不身持のため、今まで新聞雜誌の賣藥の廣告を見てすら眉を顰めてゐた不潔な病毒に冒されて以來彼は打つて變つた陰欝の性質となつた。そして朝夕顔を合せてゐた友人達に逢ふのも不快で、折角面白くなりかけてゐた新聞社の職業をもうち捨て、總てに隱れて彼は遙々東京からこの田舍の友人の許にやつて來たのであつた。東京に居た時、隱し度い一方から永い間醫者にも診せずにおいたゝめ、病毒はもう餘程深く身體に喰ひ入つてゐた。で、二月餘りも此處の友人の治療を受けながらまだ一向はか/”\しい效果も見えなかつた。斯うした身體の衰弱と共に彼は自分の心の次第に荒んで行くのをも感じてゐた。益々陰欝になり、絶望的になつてゆくのが眼に見えて解つてゐた。知る知らぬに拘らず人の顔を見るのが厭で、晝間は多く附近の林や野原に出て時間を(270)つぶし、夜は日が暮れると直ぐ灯を滑して床に入つた。この靜かな手術室の好きなのも一つは其處から來てゐた。そして、眼を瞑つて何も思ふまいと努むる下から、如何しても落ち著かぬ、焦燥《いらいら》した氣持が、直ぐ頭を擡げて來るのが常であつた。
 その日はそれでも平常《いつも》より餘程靜かな心持で居ることが出來たので、彼は椅子に凭れたまゝ讀みさしの書物をやゝ興深く讀み續けてゐた。そして、夕燒雲が次第に褪せて、室内の暗くなつたのに氣がついても、尚ほその室を出やうとしなかつた。
 不圖彼は何處かで自分の名の呼ばれてゐるのに氣がついた。わざと黙つて耳を澄ませてゐると、階下《した》から二階の自分の室へ呼んで廻つて、居ない/\と騷いでゐる。餘程このまゝ黙つて了はうかと考へたが、何だか何時もと違つた調子のやうにも聞きなされたので、彼は何といふことなく胸を波立たせながら、ひそかに手術室を出た。そして、冷たい暗い階子段を降りて行つた。 彼の姿を見出すや否や、其處に立つてゐた書生は惶しく呼びかけた。
『アツ、木崎さん、何處にゐました、電話ですよ、東京から長距離です!』
 彼は忽ちはつと思つた。東京から長距離、一體如何した事だらうと、其處に立つたまゝ眼を見張つた。
『速くなさい、先刻から探してたんです!』
 電話室では、また、けたゝましく鈴《ベル》が鳴り續いた。
 呆氣に取られておど/\しながら受話器を耳に當てた清二の聲は、初め咽喉につまつて能く言葉を成さなかつた。この町の交換局と東京らしい交換局との間に二三度交換手の問答が取り換はされて、彼は漸く對手の聲を聞いた。太く濁つた、男の聲であつた。
『貴郎は木崎さんですか、木崎さんですか……。』
 と繰り返して訊いておいて、一段聲を改めて、
『糸子さん、出ましたよ!』
 と叫んだ。
 清二は再びぎよつとした。糸子とはこの五六ケ月間顔をも合はせない彼の情人の名であつた。彼は數多度び唾を呑み込んで一層強く受話器を押し當てた。『もし/\、貴郎は木崎さんで被居《いら》つしやいますか、……わたし、誰だか解つて?』
 紛ひもない糸子の聲である。
『僕です、僕です、如何したんです、あなたは!』
 狼狽へ切つた清二の聲は、まるで眼の前に居る者を叱り飛ばすやうな調子であつた。眞實、何(272)といふことなく彼女の聲を聞くと同時に、彼は狼狽へながらも既に抑へ難い一種の憎惡を覺えてゐたのである。
 何十里かの距離を距てゝ聞えて來る女の聲にも忍び兼ねた憤怒の調子があつた。たび/\混線したり、途切れたりして、疳高に澄んだ彼女の聲も完全には通じなかつた。況して清二の聲など、殆んど向うに聞えぬ場合が多かつた。清二はます/\焦《ぢ》れて、果ては間々に口を出す交換手をまで叱りつけた。 彼女は何でそんな所へ行つてゐるのかと責め問うた。行くなら行くで何故その事を知らして置かなかつた、行つた先まで隱す必要はあるまいと責めた。そして、急に話し度い用事が出來たから直ぐ歸京して貰ひ度いと言ひ足した。
 清二は言下に歸ることは出來ぬと言ひ切つた。そして一體今になつて何の用事があるのだと反問した。よしまた用事があるにしても手紙で濟みさうなものを何故斯んな仰々しい電話などを懸けてよこすのだ、第一いま何處に居るのですと責め問うた。女はそれには答へないで、歸られぬなら歸られぬでいゝから今夜にも此方を立つて妾が訪ねて行く、停車場に出てゐて呉れ、と言ひ切るなり直ぐ電話を切つてしまつた。惶てゝ清二は把手を廻したが、既う甲斐が無かつた。
 ほんとに何處の家から懸けてよこしたのだらうと思ひながら、ぼんやり電話室を出やうとする(273)と額も背も汗びつしよりになつてゐることに氣がついた。と同時に再びかつと顔のほてるのを覺えた。
 額や顔を撫で廻しながら廊下に出ると、果して其處には友人の醫者と二人の看護婦が笑ひながら此方を見詰めて立つてゐた。
 友人は直ぐ聲をかけた。
『如何したのです、誰です?』
『うゝん、つまらぬ事です!』
 僅かに斯う答へてさらぬげに其處に立ち止つたが、汗は更に滲《にじ》みやまなかつた。
 
 まさかとは思つたが、咋夜のはつきりした口調といひ、あれから九時か十時に東京の停車場を立つ夜行でこちらに朝の六時に著く汽車のあることをも思ひ出したので、兎も角もと清二は頃を計つて停車場へ出かけて行つた。公然と待合所には入らないで、改札口から五六間離れて石炭屑や材木の山積してある蔭に佇みながら汽車の著くのを待つた。
 うすら寒い朝で、附近に遊んでゐる子守どもは、各自の息の白くなつて出るのを珍しがつてゐた。鐵道線路を越えて向うの城址の松木立に混つた何やらの木が眞黄に黄葉してゐるのなども、(274)今朝は何やら眼立つて眺められた。
 程なく薄霧の殘つてゐる廣い野原の向うから煙をむく/\吐き立てゝ汽車が走つて來た。そしてつい清二の眼の前に來て停るや否や、それ/”\の扉をあけていろ/\の旅客が降り立つた。波立つ心を抑へて清二はそれらの人々に油斷なく注目してゐたが、總てが改札口を出終つて了ふまで終にそれらしい人は發見されなかつた。そのうち、汽車はまた笛を鳴らして動き出した。
『やつぱり來なかつたな!』
 底の拔けたやうな苦笑を覺えながら、斯う思ひ諦めて清二は材木の蔭から歩き出した。まだ朝飯も喰つてゐないのだが、何だか直ぐ病院に歸り度くなかつたので、彼は懷中手《ふところで》をしたまゝぶら/\其處の踏切を越えて、城址の林の中に歩み入つた。
 其處は公園といふわけになつてゐるのだが、殆んど平常手を入れてないので、大きな松や樺や山櫻やその下に生ひ茂つた雜草など、まるで荒い自然のまゝの林であつた。徑には種々の樹木の落葉がいつぱいに散り布いて、雨の後のやうに濡れてゐた。樫鳥がけたゝましい聲で啼き立てながら、同じく濡れたやうな大きな梢から梢の間を飛んでゐた。
 清二は林の奥の神社や茶店などの建つてゐる方には行かないで、大きな古石垣の蔭に沿うて、一面に落葉松の植ゑ込んである川岸の方へ歩いて行つた。足も下駄も衣服の裾も直ぐ草の露でび(275)つしよりになつたが、馴れてゐるので氣にもかけず、幾らか歩調を速めて行くと、五六分間もかからぬうち、いつも來馴れた、靜かな森の中に入ることが出來た。
 幾年間か散り積つた柔かな落葉の上に立つと、いつものやうに可懷しい川瀬の音が忽ち清二の身を包んだ。濃く植ゑ込まれた林の直ぐ傍は切り落したやうな斷崖となつてゐて、その下をC――河が青々と流れてゐるのである。遙か上の方から白々と大きな瀬になつて泡立らながら流れて來たC――河は丁度この落築松林の下に來て、其處の斷崖に突き當ると共に深い淵となつて折れ曲つてゐるのである。清二が好んで腰を下す木蔭からはこの長い瀬も青い淵も共によく細かな木立を透して見下された。この瀬も淵も木立も、この頃の清二にとつては殆んど毎日見ずに過すことの出來ない程親しいものとなつてゐた。
 彼は漸く自分の來べき所へ來たやうな豐かな氣になつて、其處につき坐つた。そして急いで煙草を取り出して火を點けたが、朝早いせゐか、四邊に滿ちた瀬の音が今日は常よりも荒いやうに聞きなされて、ぢいつと其處らが見廻はされた。
『それにしても何故今頃になつてあんな事を云つてよこしたのだらう。』
 心がやゝ落ち著くとまた昨夜來の疑問が彼の胸に繰返された。用事と云つても、別にこれといつて思ひ當ることはなかつた。別れよう、別れませうとお互に本氣になつて言ひ合つてから確か(276)に六ケ月は經つてゐる、その間それこそ葉書一枚やりとりしなかつた。それが今になつて突然ああいふことを、しかも斯んな離れた所へまでも云つて來やぅとは眞實意外である。彼は正直この永い間忘るゝともなく、彼女のことをば忘れてゐた。寧ろ醜い恐しいものででもあるやうに自分の心が彼女に觸れて行くことを忌み厭つてゐた。そして當然彼女自身もまたさうであらうとばかり思つてゐた。
『それが今になつて……。』
 幾ら考へても解らなかつた。
『そのくせ、來ると云つといて來もしないぢアないか!』
 彼は何げなく顔をくづして微笑した。
 が、突然何かに烈しく突き當られたかの樣にぎよつとした。
『若しや?』
 でも、まさかそれほどまでに彼女が大膽に、惡辣になつて居やうとは、清二には信ぜられなかつた。
 然し、咋日の電話で最初自分を呼び出しておいて糸子を招いたのは確かに大野の聲であつた。最初は解らなかつたが、どうしてこの病院に自分の居ることが、また病院に長距離電話の懸つて(277)ゐることが解つたらうと思ひ訝つてゐるうちに思ひ出したのは大野のことであつた。それと同時に最初の電話の聲が思ひ合はされたのであつた。
 すると、いよ/\糸子は今は大野と一緒になつて自分を愚弄してゐるのだらうかと思つた時、清二は見る/\眼の前の昏くなつてゆくのを感じた。そして全身の力を集めてそれに耐へようとした。
 永い間、痙攣《ひきつけ》られたやうに彼は自分の兩眼を見開くことが出來なかつた。眼前には大野の顔が見え糸子が見えた。否、何といふことなく一團となつたものが彼の面前に渦を卷いて起つてゐた。彼はひつしと五體を縮めて、その渦を打ち壞すかの樣に、そのまゝ其處に倒れてしまつた。
 
 立ち並んだ木の間に斜めに射し入る秋の朝日が其處に犬の死骸のやうに轉つた清二の身體を包んで、朗らかに照つてゐた。黄葉した落葉松の細かな葉は斷間なく散り續いて、風もない靜かな日なのに、瀬の音は遠くなり近くなりして斷えず清二の耳に通つてゐた。二十分か三十分間も經つたころ、彼は漸く半身を起した。そして硬張つたやうな自分の顔を數多度び撫で摩《さす》りながら、故《ことさ》らのやうに大きな口を開いて欠伸をした。
 どうでも可い。如何なつたところで現在の俺に何の交渉があるものか。何のために俺はいまあ(278)んなに昂奮したのだらうと思ひ出した時は、彼は懶い、寧ろ快いやうな疲勞を覺えてゐた。
『事は既に過ぎ去つてゐるのだ。何もそれに對して俺が責任を負はねばならぬ義理はない。無論資格も無い。早い話が何の未練も糸瓜も俺はもう持つてゐないぢアないか。』
 ともすれば此頃の彼に起りがちな捨鉢な氣分はいつともなく彼を襲うて來てゐるのであつた。そしてそれが彼の胸を輕くした。何か度外れた大きな聲でも出して見たいやうな氣のするのを抑へて、彼は再び其處にごろりと横になつた。そして伸び/\と仰向けになりながら、明るい日光のなかにほろ/\と散つてゐるこまかい木の葉を眺めてゐた。點けたまゝで吸はうともせぬ煙草はやゝ暫くの間彼の指さきに細い煙を立てゝゐた。
 さうしてゐるうちに彼は耐へ難いほど睡くなつて來た。咋夜も電話のことでよく睡らなかつた上、いまの激しい昂奮の後の疲勞から、ともすれば他愛なく瞼は合はうとするのであつたが、流石にうすら寒いその日の温度と、病氣であるといふ考へとは容易に安心して彼を睡らせなかつた。そして、さう斯うしながらうと/\してゐる間に彼の頭にはいつの間にやらまた薄すらと彼女の影が來て宿つてゐた。今はもう咋日の電話の事とは全く關係の無い、すべての現在とも切り離された二三年前の、或は一二年前の美しい彼女であつた。
 三年前の夏季休暇を清二は東京から五六時間の汽船と二三時間の馬車とで行ける或る海岸で過(279)した事があつた。そして始め二三日のうち、珍しいに任せて朝も夕も殆んど浪に浸り續けになつて泳いでゐたが、彼の泳いでゐるのを見附けるとツイ濱續きの家から飛び出して來て一緒になつて泳ぐ十四五歳の少年がゐた。あまり交通の便利でない邊鄙《へんぴ》なその海岸へは、夏になつても避暑などに出かけてゆく人が極めて稀なので、一目見ても東京者だと解るこの少年を彼は親しいものに眺めてゐた。少年の方でも亦さうであつた。そしてすぐ口をきゝ合ふ仲になつた。その間に清二はこの少年が或る中學の生徒であること病氣で永い間此處に轉地して來てゐる姉の許にいま泳ぎに來てゐることなどを聞き知つた。そして、或日泳ぎの歸りに少年に引つ張られて彼の宿に寄つたが初めてその時自分と同年位ゐのその姉を見たのであつた。そして、その美しいのに驚いた。
 永い間海岸に轉地して來てゐるといふだけでも推せられたが、清二は一目見て、その人の病氣の種類を知つた。如何にもその病氣特有の血色の好い、瘠せてすらりとした女であつた。どうかした拍子には險があるとも言ひ度い位ゐ明るいぱつちりした瞳と云ひ、締つた脣元といひ、暫く話してゐる間にも直ぐ解るほど、氣性の勝つた女であることをも思つた。
 この日を初めに三度に一度、五度に一度は泳ぎの往復に彼等|姉弟《きやうだい》の部屋を訪ねたが、然し清二は殆んど極端にその病氣を恐れてゐた。叔父が最初で、三人の從兄弟が將棊倒しにばた/\と死んで行つたのもその病氣であつた。親しい友人がその爲に藻掻きに藻掻いて倒れたのをも見てゐ(280)た。で、訪ねて寄るには寄つても上へは上らず、漁師の家の狹い縁側に腰を掛けて十分か十五分話してゆくだけに留めて置いた。姉は直ぐ清二の心を覺つて、これは宿のを借りたのですから大丈夫ですよと言ひながら唯つた一つだけ眞黒な、大きな茶呑茶碗を奥から持つて來たりした。さうした、まるでずつと年下の者に對するやうな態度まで清二には苦々しく思はれたのであつたが、その頃折々雜誌などに發表してゐた彼自身の作品――多くは短い詩歌であつた――を彼女が讀んでゐたことなどが解つてから、次第に談話が親しくなつた、別に作るといふではないが永い間の病氣の徒然から彼女はさうした文學物や雜誌類を貪り讀んでゐたので、清二がどんな學校に居ることも、その關係してゐる雜誌の事などもほゞ知つてゐたのだ。さうして一週間か十日かも經つころには、やゝ濱から離れた山際の寺の一室に彼女自身清二を訪ねて來るやうになつた。青い苔の著いた四五本の老松の蔭を歸つてゆく浴衣がけのうしろ姿を、つく/”\美しいと見送ることはあつたが、それ以上には露ほども清二の心は動かなかつた。第一、矢張り病氣が恐かつた。彼女の去つた後の室の障子をば特に悉く開け放つたりすることもあつた。彼女はまた彼女で、清二を訪ぬるごとに自分自身の綺麗な茶呑茶碗を袂に入れて來てゐた。揶揄ふやうな媚びるやうな科《しな》をして其小さな茶碗を取り出す彼女を見る毎に美しいとも思ひ、面憎いとも思つた。
 ……。清二はさうした追懷《おもひで》を繰返す毎に、當時の彼女の美しかつたことを思ひ浮べると同(281)時に、當時の自身の如何ばかり幼い清い心を持つた青年であつたかに常に思ひ當つた。そして、錐で刺されるやうな苦痛を感じた。
 そのうちにその漁村の子供や女どもの間に彼等兩人の間にさも/\事ありげな評判が立てられた。清二は唯だ苦笑したゞけで別に氣にも懸けなかつたが、それでも可なり五月蠅くもあり、腹も立つた。で、泳ぎにも飽いてゐたし、よし行くにしても道を變へて濱へ出たりした。女の訪ねて來るのも自然稀になつた。休暇が終りかけると、清二は豫定よりも早くその海岸から引き上げた。それから間も無くであつた、清二と彼女との間にしげ/\と手紙のやりとりせられるやうになつたのは。
 眞實《まつたく》清二は面と向つて話してゐる彼女よりも、細々と書いた彼女の手紙の爲に餘計心を動かされた。彼女の父は夙くに亡くなつて、殘つてゐる母は繼母であつた。肉親の兄が或る小さな銀行に務めてゐること、いつぞやの弟は腹違ひであること、如何したものか幼い時から兄とは敵同志のやうに氣が合はないで唯だ一人自分に仲好くして呉れるのは彼の幼い弟だけであることなどを清二は彼女の手紙によつて知つた。自然自宅にゐても面白くないので、一時激しかつた病氣をいゝことに自分から好んで斯んなところに來てはゐるが、貴郎《あなた》の思つて居るほど自分の病氣は重くはないとも書いてあつた。母や兄は私の斯うしてゐるのを結句いゝことにして、一向構ひつけて呉(282)れないとも書いてあつた。此處に移つて二年にもなるがこの夏初めて此處に居た幸福を感じたとも書いてあつた。今までは如何なりとなる儘になれと捨てゝおいた自分の身體であつたが此頃になつて急に自分ながら可愛くなつた、是非もう一度普通の身體に返らねばならぬと思ひ立つてゐるとも書いてあつた。何時の間にやら私は齢《とし》を取つてゐた、それを思ふと口惜しくて涙が留度もなく流れる、それでも私はまだ全然《まつたく》の娘でゐるのだとも書いてあつた。私の態度の粗々《あらあら》しいのは全く境遇と病氣のためである、若しこれが貴郎の眼に著いてゐたらば見逃して呉れ、私はいつでもこれを改めることが出來るのだとも書いてあつた。
 學校から歸つて來ると殆んど毎日のやうに斯うした手紙が机の上に清二を待つてゐた。それを見るごとに、痛いものにでも觸るやうに清二は初めは容易に封をもよう切らなかつた。臆病な、そして口でこそ彼此言つてゐるものゝ曾つて女と云ふものゝ眞性に接したことのない彼にとつては、斯うした強い調子の手紙は却つて打ち解け難い恐怖を伴つて感ぜられた。で、夫等に對する清二の返事は如何にもおど/\した、煮え切らぬものばかりであつた。
 が、さういふうちにも清二の心は次第に彼女に捉へられて行つた。秋が過ぎ冬になつた。冬期休暇が近づいて來ると、彼女の手紙には必ずもう一度この海岸の冬を見に來るやうにと種々の勸誘の言葉が繰返し認めてあつた。行くともつかず、行かぬとも定らぬうちに十二月の或る朝、清(283)二はT――港行きの汽船に乘つてゐたのである。
 暖い海岸にはまだ春も立たないのに椿が咲き、梅が咲き、黄な菜の花も咲いてゐた。或る日の午後|兩人《ふたり》は村端れの松林まで散歩に行かうと連れ立つて寺を出た。そしてぶら/\砂深い道路を歩いてゐると、路傍の小料理屋に土地の小學校の教員たちが忘年會とでも云ふのであらう、五六人寄つて飲んでゐたが、その前を通りかゝつた兩人を見るや否や、一度にどつと聲を上げて笑ひ出した。中には露骨な言葉で、かさに懸つて嘲罵する者などもゐた。臆病で、癇性な清二はそれを聞くと既うかつとなつて眼さきが眩みさうであつたが、それでも黙つて、振り向きもせずに其處を通り過ぎた。彼女も何とも言はなかつた。そして、曾て來たことのある松林の奥の浪打際に行くまで、兩人とも終に一言をも發しなかつた。
 其處まで行くと清二は立ち止つたが、まだ昂奮し切つた顔をして黙つてゐた。彼女は清二の側に近づくと、伏目に彼の顔を見上げて、おど/\しながら口を切つた。
『…………、どんなにかお腹が立つたでせう?』
 清二は言下に答へた。
『いゝえ、ちつとも!』
 と言つておいて直ぐ附け加へた。
(284)『却つて非常に快い氣持でした!』
『まア!』
 彼女は眞紅な顔を擧げた。
『眞實《ほんと》ですか?』
『眞實ですとも、……貴女《あなた》は?』
『まア!』
 と再び繰返した時には彼女はその身體を投げるやうにして清二に縋り附いた。清二はそれをしつかと抱き留めると共に彼女の豐かな鬢の中にその熱い顔を埋めた。
『…………、あの時初めて俺は彼の女の身體に手が觸れたのであつた。』と清二は醉つた者のやうに半身を起して其處の落葉松の幹に身を寄せた。
 あれは一月の十三日であつた。夙うに休暇は切れたのでその日の午後いよいよ彼はその漁村を去ることにした。するとその日になつて突然彼女も歸ると言ひ出した。驚いて押し留めたが、なかなかに聞かないので、怪しく騷ぎ立つ心を強ひて抑へながら清二は彼女と共にT――港まで馬車に乘つた。その夜の夜航で東京へ立つ積りであつたのだ。松原の事があつて以來、打ち解けたやうで却つてその間に深い距りの出來たのを彼等は感じてゐた。そして、其後二日ほどは顔をも(285)合はせずにゐたし、逢つても妙に話が弾まなかつた。特に清二はさうであつた。さうした素振《そぶり》の自分を時々ぢいつと見詰むる女の瞳を思ふと彼は何とも云へぬ苦しい思ひに身を責めてゐた。
 數限りなく漁火の浮いたT――港の海はその夜とりわけても春らしく凪いでゐた。それを宿屋の二階から黙つて眺めながら、互ひに心を推《すゐ》し合つてゐたのであつたが、終に彼等はその夜の夜航に乘らなかつた。そして、その夜初めて清二は彼女が燃え立つやうな派手な長襦袢一枚になつて直ぐ自分に隣つた床に入るのを見たのであつた。續いて二日、三日、彼等はその二階から惱ましい早春の海を眺め暮したのである。
 東京での密會はなか/\容易でなかつた。特に母や兄や弟の眼を盗まねばならぬ彼女の苦勞は尚ほ一層であつた。
 …………、あの日の事、彼處の事、とひとつ/\まじ/\と思ひ起して來ると、清二はもうぢつとしてゐることが出來なかつた。ふら/\と落葉松の幹を離れて立ち上ると、脱いだ下駄をも履かないで木から木の間を縫つて音をも立てないやうに歩き出した。
『が、…………。』
 彼は思つた。
 若し自分等の戀の間に幸福といふものがあるとしたら、然うして苦しんで逢引をしてゐたあの(286)二三ケ月間に過ぎない、と。
 實際、T――港の夜以來、清二もすつかり度胸をきめてしまつた。といふより、生れて初めてさうした心持を知り、女といふものを知つたのである。無論もうさうなれば病氣も何も眼中には無かつた。彼女は即ち自分、自分は彼女、而してこの戀を成就するためには如何なる努力、如何なる犠牲をも捧げねばならないと一途に思ひ昂つた心の裡には微塵の曇りも無かつたのである。彼女だとて亦た然うであつた。斯うした兩人《ふたり》の出合つた時、其處には唯だいつしんに燃え入つた歓喜の※[火+餡の旁]があるばかりであつたのである。
 斯うした間に彼女の健康はめき/\と恢復して來た。そして、それと共に突然頭を擡げたのは夙うから起りかけてゐた彼女の結婚問題であつた。
 その話を彼女の手紙で知ると同時に彼は咄嗟の思ひ附きから直ぐ一通の手紙を認め、書留郵便にして彼女の兄に宛てゝ送り出した。先づ彼女と自分との間を打ち明け、さうした不始末を詫び、自分の地位や性質をも明らさまに告げた後、兩人に結婚を許して欲しいことを書いた。尚ほこれは相當の地位ある人を介して申込むが普通であるが、それはたゞ形式に過ぎないし、今の場合心も急《せ》くのでとりあへず不躾にも斯う直接にお願ひすると書き加へた。
 返事の無いまゝに今にも頭の上に落ちかゝりさうな不安に耐へかねて彼は追ひかけて二度三度(287)と同じ手紙を送つた。そして、待ちに待つたその返事の代りに彼は走り書きの彼女自身からの手紙を受取つた。ああいふ亂暴なことをなさるから母や兄の怒りは曾つて見ぬほど激しく、そのため私は多分明日午後何時かの汽車で母に送られて郷里――彼女の郷里は中國の端れであつた――の伯父の許へ返されることになつたと、同じく怒りや絶望に震へたやうな走り書きに認めてあつた。
 暫く茫然となつてゐたが、彼はやがて覺悟を決めて立ち上つた。そして一本の手紙を書いて懷中すると直ぐ其處の小使に電話をかけて時間を問合せた後、××中學の門前に駈附けた。そして其處から出て來た多勢の生徒の中から彼女の弟を見出して拜むやうにしてその手紙を托した。
 その翌日は大雨が降つてゐた。時間を計つて或る停車場で清二の乘つた電車は折から滿員で、彼は正面のガラス扉《ど》を開けて辛うじて身體を捩ぢ入れながら扉《ドア》を締めるとその把手を握つて正面に向き直つて立つてゐた。そして濡れた扉の向うに立つてゐる黒い雨合羽の運轉手の背を見るともなく見てゐると彼は不圖自分の前の扉のガラスに自分の顔の寫つてゐるのを見出した。よく見るとその顔の兩眼には涙がいつぱいに溜つてゐた。それを見ると今まで耐へてゐた心が一時に破れて、涙は頬を傳つて流れ落ちた。誘はれたやうに後から後からと愈々烈しく落ちて來たのであつた。
(288)『…………、さうした、人中で聲をあげても泣き兼ねないやうな一途な氣持になり得たのも實にその時が俺の一生の最後であつた。』
 さう思ふと、清二は急に自分の瞼が熱くなるのを感じた。口惜しいともなく可懷しいともなく、當時そのまゝの昂奮した涙ともなく、熱い涙がはら/\と零れて來た。
 
『居た、居た!』
 急に身近に斯ういふ聲を聞いて振り返ると眞白な診察衣を着けたまゝ、友人の醫者が笑ひながら石垣の蔭から歩み寄つて來たのであつた。
 清二はそれを見るとふら/\と歩み寄つて片手をさし出した。眼から頬にかけて、涙はそのまま流れてゐた。
 呆氣に取られた若い醫者は惶てゝ吸ひさしの煙草を投げ捨てながら自分も手を延べて不氣味さうに清二の手を握つた。
『どうしました、……………、飯も喰はないで出かけたと聞いたものだから、多分此處だらうとは思つてゐたのだが……………。』
 この、人の善い笑ひ顔を見てゐると、清二はその前に何も彼も打ち明けて了ひ度くなつた。そ(289)して昨夜《ゆうべ》の電話の事から、糸子の事、お互ひの現在の事まですつかり喋舌つてしまつた。
 ………、その日の電車で〇〇停車場まで行つて兼て手紙で打ち合せておいた通りに首尾よく女を盗みとつて或る所へ隱してしまつた。間もなく彼は警察へ呼出された。二度も三度も呼び出された。それを見兼ねて女は一度自分から實家の方へ歸つて行つたが、結局また彼の許へ逃げて來た。折惡しくその前後が彼の學校の卒業試驗に當つてゐたが、彼はその試驗所へ顔出しもしなかつた。間もなく斯うした女と同棲してゐることが知れると口やかましい同郷人の忠告となり、彼と郷里の親との絶交となつた。
『…………、其頃僕の親達は勝手に自分の嫁を決めて田舎で伜の卒業を待つてゐたのです。それをさう無理とも思ひませんでしたが、何しろその時の僕は自分から進んで親を捨て度いやうな氣持がしてならなかつたのです。』
 清二は笑ひながら話の途中で言ひ足した。
 さうして罪人のやうにして兩人《ふたり》が縮み屈んでゐる上へ襲つて來たのは貪乏であつた。その日から自分で食はねばならぬ事であつた。無論其の時の清二の頭には學校など失くなつてゐた。そして一生懸命になつて職業の口を探してゐた。其處へまた追つて來たのが彼女の病氣であつた。次いで彼女の兄の發病であつた。
(290)『………、同じ病氣になつたことが妹に對する兄の心を和らげまた同じく妹の心をも和らげたのです。そしていま考へれば可笑しいが、そうして今までの兄と仲置りをしようとする女の態度が當時の僕には憎くて/\なりませんでした。で、隨分思ひ切つて意地惡く苛《いぢ》めました。何處に自分に斯んな殘忍性が潜んでゐるのかと自分ながら折々は不思議にも思ひましたよ。』
 それでも、半年ほど兩人の同棲は續いてゐたが、彼女は次第に清二を疎んで自身の兄や母を慕ふやうになつた。清二の眼を盗んでは兄の入つてゐる病院や母の許を訪ねてゐた。清二もそれを知つてはゐたが、倦み易い彼は、――馴れない激しい勞働に勞れ果てゝすつかり意氣地を失くしてゐた彼は、もうそれほど執念深く彼女を苛《さいな》むことをしなかつた。いや、もつと深く立ち入つて考へれば、清二はもうその時、戀といふもの、女といふものゝ重苦しさに耐へられなくなつてゐたのかも知れなかつた。
 さうした彼の状態は怜悧な彼女の眼によく映つてゐた。それが時々彼に對する憐憫の心となることもあつたが、多くは抑へ難い侮辱や反抗の念となつた。そして、急に飛び込んだ斯うした實生活の激しさが、發作的に彼女を放縱にしたやうにも見えた。病氣が募つて幾日も床に著くやうになると、清二は先づ醫療の費に差し支へた。それを彼女は口汚く罵りながら、兼てから自分の兄弟のやうに親しくしてゐる醫者があるからそれに頼まうと云つて自分で呼寄せたのが大野とい(291)ふ若い醫學士であつた。清二は程なく彼が彼女の兄の入つてゐる病院に努めてゐることを知つた。そしてまた偶然にも清二の親友の一人と同郷人で所謂文學愛好者の一人である事を知つた。
 そのうち、終に兩人はさうしたお互ひの状態に耐へられなくなつて、誰からともなく別れ話を持ち出したのであつた。そして綺麗に手を切つてしまつた。『それからでサ、………、さうなつて了ふと今までの總ての事が何だか埒もなく馬鹿々々しく見えて來て、丁度その反動ででもあるかのやうに僕は急に今まで知らなかつた自由な世界に飛び込みました。その結果がつまりこれでサ、ヒツヒ!』
 泣く樣な聲で笑ひながら彼は手を擧げて自分の頭の毛を※[手偏+毟]つた。浸み入つた病毒のために、まだ拔け止らない髪は容易く彼の指さきに黒々と※[手偏+毟]られて來た。
 
 年後の四時頃、傾いた夕日を受けて清二はまた朝と同じ樣に停車場の材木の蔭に庁んでゐた。何かの都合で昨夜の十時のに乘り遲れて今朝六時に立つ汽車に乘らないとも限らぬと思ふ懸念があつたからである。彼是とは疑ふものゝ、清二はまだ糸子が何の要もないのに自分を愚弄するほど阿婆擦《あばず》れてゐるとは思へなかつた。
 汽車は着いた。大半の旅客は改札口を出終つたが彼女は見えなかつた。われ知らず材木の蔭か(292)ら出て改札口に近づいてゐた清二は、ずつとその一群の終りの方に、寧ろ意外な、すらりとしたその姿を見出した。そして、商家の丁稚らしい男に首を傾《かし》げて何かものを訊きながら改札口を出て來る彼女の姿や横顔を見詰めて、相變らぬその美しさに何とはなく清二は胸を踴らせた。
 ツイ眼の前に懷中手《ふところで》をして突立つてゐる清二に氣の附いた時、彼女は喫驚した顔をくづして笑つた。清二も笑つた。
『まア!』
 と言つたまゝ、澄んだ大きな眼を見張つたが、すぐ傍に不審相に立つてゐる先刻の男を振返つて、
『難有うございました。迎ひに出てゐてくれましたから………。』
 と丁寧に首を下げた。
 清二は黙つて先に立ちながら、兼て考へてゐた樣に取りあへず停車場前の宿屋に入つて行つた。
 座敷に入ると直ぐ清二はまだ坐りもせずに彼女を顧みた。
『如何したのです!』
 彼女は急に返事をしなかつた。コートを脱いで衣桁《いかう》に懸けて、一度|欄干《てすり》のついた廊下に出て丁寧に著物の袖や裾をはたきながら座敷に入つて來るとまだ其儘清二が突立つてゐたので、眼と眼(293)と合ふと急に眩しいやうにそれを外《そ》らして其處に坐つて了つた。
 女中が眞赤に熾《おこ》つた炭火を持つて來た。
 清二も所在なく座についたが、俯向いたまゝ執念《しふね》く口を噤んでゐる女を見ると、既う持前のいらいらしさが込みあげて來た。
 何か烈しい皮肉でも言つてやらうかと顔を擧げると、女は袂を顔に當てゝ泣き出した。
『如何したといふのです、何か起つたのですか。』
 階子段を上つて來る女中の足音を聞くと彼女は急に顔から袂を離したが、茶や掻卷《かいまき》を置いて出て行くのを見送ると、
『隨分ネ、貴郎《あなた》は!』
 咎めるやうに低聲《こごゑ》で斯う言ひながら、まだ涙の干ぬ眼を眞正面に清二を見詰めた。
『何故です。』
『斯んな所まで逃げなくたつて可いぢアありませんか!』
『逃げはしません。唯だ來たかつたから來たのです。』
『妾に隱さなくつたつていゝでせう。』
『何を言つてゐるのです、………隱すも隱さないも、もうそんな必要は無い筈です。』
(294) 彼女はまた黙つて下脣を噛み締めた。これは心の焦立つ時の彼女の癖で、よく血を出した事があつた。やがて、俯向いてゐる彼女の長い睫から涙が落ちて來た。
 清二はまた暫く石像のやうな女の睫から落ちる涙を黙つて見詰めて居ねばならなかつた。一頃より目立つて窶れた横顔や眉のあたりを眺めてゐると、耐へられない憐れさを覺ゆるのだが、それと共にまた自分にも解らぬ憎惡の念も湧いて來た。が、餘りにそれが永く續くので、終に彼も我を折つた。
『まア、話は後にしませう、…………如何です、風呂にしませんか、疲れたでせう、身體は何ともありませんか。』
『どうぞお先に。』
 聞ゆるか聞えぬ位ゐの女の聲を聞き流して彼は掻卷を持ちながら部屋を出て行つた。そして、障子を締めやうとして、不圖振返ると惶しく袂を顔に押し當てゝ其處に突き伏す女の樣子が眼に入つた。
 
 其夜の食膳に清二は二月あまり斷つてゐた酒を取り寄せた。久しぶりの酒は直ぐ彼を醉はせてしまつた。
(295) 風呂から出ては清二はもう何も彼女に訊ねなかつた。唯彼女自身、または兄の病氣の話、續いて大野の話などが出た。大野、と言つた時、清二はそれとなく瞳を動かして彼女を見たが、彼女も微笑して清二を見返した。大野の話が出るごとに清二が險しい顔をするのが常だからであつた。で、如何考へても彼の疑つたやうなことのありさうな風もなく、唯だ案の定彼女は大野に逢つて初めて清二の所在を知つたのであつた。大野はその同郷人の伊賀から偶然この事を聞いてゐた。他には一切秘してゐたが唯だ親友の伊賀にだけは他に必要もあつて清二も居所を知らせてあつたのである。
 汽車の疲勞が出たものか、一緒に酒にでも醉つたやうに彼女もうつとりとしてゐた。顔の血色もよくなり、身をくづした肩にも手にも足にも軟かさが滿ちてゐた。
 容易に盃を擱かぬ清二をちよい/\と眺めながら溜息のやうにして彼女は言ひ出した。
『駄目ネ、…………、種々《いろ/\》話し度いことがあつて來たのだけれど、斯うして逢ふと何も既うよう言へない。』
 直ぐには清二は何ともよう答へなかつた。
『然し、理由は何だか知らないが、よう來ましたネ、何だか僕もたいへん嬉しくなつた。この町は駄目だが、明日はH――といふ温泉に行きませう。此處から一里はど山を登るのですが、なア(296)に、山と云つても平らな野みたいなものです。其邊一帶に白樺や落葉松の林があつて其處の温泉宿からはこの廣い裾野が一面に見えます。盛りは過ぎたが、まだ秋草が一面でせうよ。折々あなたの事を空想しながら其處を歩いたものだつたが、たうとうそれが實現されてしまつた。アハハ………。』
 見ると、女はまた泣いてゐた。
『駄目、妾はまた明日歸らなきアならない!』
『え?』
 清二は驚いた。
『嘘でせう!』
『いゝえ、眞實《ほんたう》!』
『何故です?』
『何故でも、………、もう何も訊かないで下さい、理由は無いのですから………、兄に隱れて來たのですから…………。』
 女聲撃はよく聞えなかつた。
 清二は、然し、女の歸るといふのを信じなかつた。いつものやうに唯だ拗ねて見るのだと思つ(297)た。そして却つて久しぶりに眞實の彼女を見るやうな氣がして可憐《いぢら》しかつた。後は兎もあれ、此處に來てゐる間だけでも出來るだけ慰め撈《いたは》つてやりたいものだと思ひ込んだ。
 膳を下げると清二は一應病院の友人に逢つて來る必要があつた。女の來たことだけは電話で一寸言つて置いたが、其時清二は手許に一銭の小遣も持つてゐなかつたのだ。
 三十分ほどしてそゝくさと病院から歸つて來ると、座敷にはもう一つの床が敷かれて、寢衣《ねまき》に著換へた女はその枕許で小さな化粧道具を前に向うむきになつて顔を直してゐた。清二が入つて來ても、お歸りなさいと細く言つたまゝ振り向かうとしなかつた。
 それを見ると清二は竦んだやうに敷居際に立ち止つた。そして我ともなく惶しく手を拍つた。
 驚いた彼女は狼狽へて振り返つたが、すぐまた向うむいて、立ち上つた。そして、手速く化粧道具を押し隱してから、
『どうしたの?』
 と身近く寄つて首を傾《かし》げながら訝つた。白粉の匂つてゐるその顔を清二は見ることが出來なかつた。
 女中が來ると清二は、床をもう一つ敷けと言ひつけた。
 床が敷かれると、同じく其處にぼんやりと立つてゐる女を僅かに見やつて、低い聲で言つた。
(298)『糸子さん、僕はいま………、わるい身體になつてゐます。わるい病氣です!』
 それを聞くと女は、つと身を交はして障子をあけて廊下へ出た。
 清二も氣の拔けた樣に、やがてその後に從つた。
 戸外は冷たい月夜であつた。
 女は欄干《てすり》に兩手をかけて、それに顔を押し當てたまゝ、固くなつて蹲踞《しやが》んでしまつた。
 清二も何ともよう言はなかつた。寒さうな彼女の肩に手を置くことすらよう爲《し》なかつた。
 明らかな月夜の天にはA――火山の噴煙が眞直ぐに黒々と昇つてゐた。
 
 それから五日か六日目であつた。清二は一通の手紙を受取つた。それは思ひも寄らぬ彼女の兄から送られたものであつた。いまだ曾つて斯ういふことの無かつた人からなので、清二は驚いて封を切つた。そして更にその文面に驚いた。五六日前から妹の行方が解らなくなつたが、貴下の方に行つてはゐまいか、よし行つてゐなくとも彼女の事に就いて篤と御相談したいことがあるから、出來るなら歸京して貰へまいかと、極く簡單ではあるが、案外にも打ち解けた口調で認めてあつた。
 清二はそれを握つたまゝ、暫くは呆然として果してこれが眞實であらうか、眞實この人から出(299)たものであらうかとさへ怪しまれた。あの翌朝、殆んど喧嘩の樣にして振り切つて歸つて行つた女がまだ家に歸らない………、とすると一體彼女は如何なつたのであらう。何處へ行つたのであらう。
 何の要領も與へずに唯だ遙々一夜來て泊つただけで歸つて行つた女の事が、また新しく清二の不審を喚び超した。平常と全然違つてゐた彼女の擧動、初めから終りまで殆んど泣き續けてゐた樣子なども續いて思ひ起された。どんな場合でも、他人の前で泣顔ひとつ見せたことの無かつた彼女が、殆んど正體なく泣きくづれてゐた汽車の窓の顔さへ眼に見えて來た。そして、さう思ふ清二の面前にはありありとして大きな凶事が浮んで來た。清二は咄嗟の間に立ち上つて歸京する決心をした。
 汽車中段々と不安の念に驅られてゐた清二は、東京の停車場に著くと〇〇病院の兄に電話をかけた。そして、その返事を聞くと直ぐ其處に赴いた。
 初めて見る白い臥床《ベツド》の上の彼女の兄は、想つてゐたより一層窶れてゐた。目鼻立に似た所はあるが顔も身體も妹より小さい樣に見えて、齢《とし》よりずつと老けてゐた。この人を永い間苦しめてゐたのだと思ふと、いろ/\言ふべきことを考へて來たのであつたが、清二もはき/\とは口が利けずに、たゞ頸が下げられた。
(300) 過去の事に就いては彼は何とも言はなかつた。清二の詫を言ひ出すのをも手を振つて制した。そして細い、はつきりした聲で言つた。
『妹が參つたでせう。』
『え、見えました。そして一晩だけ泊つて、その翌日、早くこちらに歸られた筈です。』
 彼はそれを聞くと、黙つて眼を瞑ぢた。それが清二の言ふ事をば一々承知してゐる樣に見えた。清二はまご/\しながら訊ねた。
『そして此方へはまだ歸らないんですか、あのまゝずつと歸れば××日の夕方には著かれる筈です。』
 兄は尚ほ黙つてゐた。苦痛を忍ぶ樣子があり/\とその千乾びた顔に見えてゐた。氣を焦《いら》ちながら清二は空しくそれを眺めてゐるよりほか無かつた。
 やゝ暫くして、
『實は貴下に種々御相談したいことがあるのですが、生憎く今日母が來てゐませんので、濟みませんが二三日中にもう一度來て頂けないでせうか。』
『え、承知しました。私は當分此處に居ますから………。』
 と友人の伊賀の番地を認めて置いて、清二はその室を出た。そして、二階を降りると直ぐ通り(301)がかりの看護婦を頼んで大野に面會を求めた。
 さう恩つて見れば如何にも好人物らしい大男の大野は、清二を見るなり、
『如何でした、K――町は?………行つたでせう!』
 と笑つた。そして直ぐ、妙な事から電話の事が露《ば》れて、ツイ貴下の事を兄さんに打ち明けましたよ、と笑ひながら眉を寄せた。
『ところが……。』
 とまた續けて、
『用心しないといけませんよ、出來たらしい、新しいのが!』
 清二は苦笑しながら、強ひて心を落ち著けて、その所謂「新しいの」に心當りは無いかと訊いた。
 大野もそれをば知らなかつた。上では何か心當りがあるらしいが、……何しろ氣の毒なのは彼處だ、とてももう永いことはあるまいに、と言ひながら二階を指さした。
 
 伊賀の宅に行くと突然だつたので彼等夫婦は驚いて清二を見たが清二はまた更に驚いた。彼等は糸子がK――町に清二を訪ねて行つたことを知つてゐた。そして今まで清二と一緒に居るもの(302)だとのみ思つてゐた。
『何の氣なしに大野に君の事を喋舌つたのだ。すると間もなく糸子きんがやつて來てK−町に君の居るといふのは眞貫かと訊くから、知られた上なら仕方がないと思つて、眞實だと言つてやつた。そしたら、是非至急に遇つて置きたいことがあるからこれから其處まで訪ねて行く。それで衣服《きもの》を著換へて出ては宅で怪しまれるから僕の細君のを一寸貸して呉れと言つて、此處で著換へて行つたよ。』
 聞くごとに清二は驚いた。彼女は衣服の事は勿論、伊賀の名をすら殆んど口にしなかつた。
 急には返事も出來なかつたが、其夜酒が出てから清二は一伍一什《いちぶしじふ》を、ことに今日病院で見聞した一切を友人夫婦の前に打ち明けてしまつた。夫婦も驚いて顔を見合せるよりほかは無かつた。
 夜遲く枕についても清二はなか/\眠れなかつた。そして襖越しに聲をかけて見た。
『ねえ君、一體何と思つてそんな場合に僕を訪ねて來たのだらう。』
『さア………。』
 友人も眼を覺してゐた。
『逢つたところで、それこそ用談らしいことは一口も言はなかつたのだからねえ。』
『さア、………昔の事でも懷ひ出したのぢア無いか。………、現在にやつてゐる事と昔の事とが(303)自然に思ひ較べられて、そしてふら/\出懸けて行つたぢア無いか。まア謂はば自分の初戀《フアスト・ラブ》に別離を告げに行つたやうなものかも知れぬよ。』
 或はさうかも知れぬと清二も思つてゐたのであつた。そして、衣服を借りに行く位ゐだから、姿を隱すやうになつたのはほんの其場の思ひ立ちで、ことに自分が意外な病氣に罹つてゐた事などが、反動的にさうさせたのであつたかも知れぬと當夜の事を心の裡に思ひ出した。それにしても伊賀の事位ゐは話し出す機會があつたらうにとも訝かられた。衣服の事があるから、と例の鼻柱の強い見榮坊をも思ひ浮べた。
 相談したいことがある、といふ衰へ果てた彼女の兄の打ち解けた言葉が不思議な位ゐに強く清二の心を捉へてゐた。若しや改めて結婚して呉れといふのではあるまいか。若しさうであつたならば自分は如何なる處置を執る可きであらう。たとへ何と云つても彼女を斯うした境地に伴つた同伴者は確かに自分である、と清二は胸の鼓動の高まるのを覺えながら眼を見開いて天井を見詰めてゐた。
『結婚、結婚……………。』
 清二は寢がへりをしながら、今度は自分自身の事を考へ始めた。過去のこと、現在のこと、更に未來のこと、殊に彼は自身の頽廢し、衰弱した現在をよくよく耐へ難いものに思つてゐた。と(304)ても此儘ではゐられない、サテ此處から脱け出すとすると、取りあへず先づ世間並の生活が彼の眼に映る。世間並の生活、靜かな、疲れた樣な生活………。
『結婚、なるほどそれも此際いゝかも知れない………。』
 而して夫婦になつた後の糸子のまぼろしがはんのりと彼の心に來て宿つた。空想がちの彼は、或る宗教家たちの傳記などにでもありさうな、悔い改めた、新しい寂しい生活がかすかに思ひ浮べられもした。
『が、………。』
 彼は自身でも驚く位ゐ一種の衝動を感じて、息を呑んだ。斯うした感傷的の心持に次第に沈んでゆきつゝあつた時に、不圖眼の前に描き出されたのは、現在の、今夜いま頃の彼女の面影である。何處か自分の知らぬ所に、知らぬ男と隱れ忍んでゐる彼女の姿である。さういふ場合、男に接してゐる彼女の擧動は生々しい經驗から、清二には鮮か過ぎる程十分に想像し得らるゝのであつた。 點けすてた電燈が友人夫婦の貧しい生活を露骨に照らし出してあか/\と壁際に點つてゐる。
『矢つ張り駄目だ、俺の飛び出す場合ぢア無かつた。今になつて人情の、義理のと云ふのも恥しい位ゐのものだ。終つたものは要するに終つたまゝに任せて置けばいゝのだ。一體どんな氣で俺(305)は斯んなところへ飛び出して來たのだらう!』
 彼はすゝり上ぐる樣な氣持で自身を冷笑しながらともすれば湧き立つて來る自分の心を力めて抑へつけようとした。そしてその方便ででもあるかの如く今朝立つて來た裾野の古驛を心に描いた。其處の暗い、冷たい病院を思ひ浮べた。窓から見ゆる火山の煙を想像した。
『彼處がいゝ! 寢られるだけおとなしく彼處に寢て居ればいゝのだ。何も強ひて死の中を掻き廻して燃えさしの煙を見る必要はないのだ。さうだ、早速また明朝彼處へ歸つて行かう!』
 まじ/\と彼は天井を見詰めながら、サテ其處までの汽車賃をどうして作つたものだらうと考へ始めた。
 
(306)下編
 
 元旦記
 
 うす/\門を叩く音に氣がつきながらまだはつきり覺めずに居ると、やがて妻が出て行つて應待してゐる。程なく門はまた締つた。
『何だ』
『小荷物です、大阪の大島武男さんから……』
『ほう、何だ』
 妻は隣室で手紙か何か讀んでゐるらしく、
『おさかなですつて、……味噌漬で、この元日から三日頃までがたべ頃なんださうです。』
 この人からは咋年も恰度今日あたり妹さんの手料理だといふ蒲鉾を貰つた事がある。
『細野さんのも、さうしてみると小包なんですねエ。』
(307)『らしいネ。』
 私も恰度その事を考へてゐたところであつた。上總の細野春翠君から自分の畑でとれた百合根と牛蒡とを送つたからといふ手紙を受取つたのはもう三日も前である。それでまだ荷物が屆かない。その手紙よりもう一日前日向の越智溪水君から猪肉を送つたといふ便りを貰つて、毎日郵便局に注意してゐるのだがまだ配達して來ないでゐるのだ。此頃この土地の郵便局と來たら、實に無責任で特に小包などは三日四日必ず局に留めて置くものらしい。細野君のは近國だしするから必ず鐵道便だらうと思つてゐたのだが、斯う遲れるところを見れば矢張り小包と見える。
 眼が全然《すつかり》覺めた。
『何時だ。』
『十二時半です。』
 妻と姪とは隣室を掃除してゐる。
 掃除も濟んで、兩人ともこちらの室に來て床に入つた。ふと氣がつくと鐘が聞える。二ケ所か三ケ所で鳴つてる樣だ。
『鳴つてる樣だネ。』
『えゝ、もう先刻《さつき》から。』
(308) 興味深く聽いてゐたらしい妻の返事を聞きながら、私はツイ側に寢てゐる加藤東籬君を起した。この二十九日に突然彼は津輕から上京して來たのであつた。熟睡してゐたらしい彼は容易に返事をしなかつたが、私が『オイ、起きないか、除夜の鐘が鳴つてるよ。』
 といふと、漸く『え、え、……』と蒲團の中から首を出した。氣の毒に、この珍客にも私の家では家族と雜魚寢をして貰つてゐるのだ。
『聞えるだらう、ソレ。』
『アー、聞えますナ。』
 次ぎ、次ぎと、いかにも靜かに響いて來る。それぞれの記憶を思ひ浮べながらも私は久しぶりにこの鐘を聽く樣な氣がしてならなかつた。やがて、友も、妻も、姪も、みな睡つて行つた。
 私は次第に心の冴えてゆくのを感じた。そして程なくその鐘の音も斷えてしまつた。『終つたナ』と恩ふと自然に私は半身を起してみた。そして左右に睡入つてゐる人たちを見廻しながら、靜かに起き上つた。先刻まで起きてゐた妻たちの埋めて行つた茶の間の火鉢の火をかき起してから私は顔を洗つた。そして何といふ事なく机を電燈の眞下に持つて來て、その上に原稿紙を擴げた。が、やがてそれはホンの一時の昂奮で、頭は昨日來の雜多な用事でひどく疲れてゐる事に氣がついた。と、思ふと私はまた机を舊《もと》の所にしまつて、今度は酒の用意を始めた。家中ありたけ(309)の火鉢(と云つても二つ)に火を山の樣におこして双方に湯をしゆん/\沸かした。食卓を出したり、座布團を配置したりして、先づ妻を起した。午前の二時である。一時間は彼女も睡つたわけだ。續いて姪が起きて來た。
『睡ければ俺たちの出かけたあとでまた寢直せ。』
『いゝえ、睡くはありません。』
 寢恍聲《ねぼけごゑ》で言つてゐる。
『頂いたのを早速開きませうか。』
『アゝ、いゝネ、恰度よかつた。』
 正月らしい雜多な食物の擴げられた卓上に、まだ桶のまゝの先刻の大島君からの贈物が持ち出された。その間に私は加藤君を起した。
 酒の匂ひが室に流れる頃、その魚の燒けつく匂ひも起つて來た。
『元日だ、過したまへ。』
 加藤君も何時になく盃を重ねてゐる。
『いま三時だ、あと二時間は飲んでいゝ。』
『フヽヽ、そんなには飲めません。』
(310) 妻も盃に脣をつけてゐる。そして、
『斯んなお正月をしてゐると、今年は何だかいゝ年らしく思はれてなりませんね。』
 などと言つてゐる。
 何彼と云つてるうちに矢張り五時まで飲み續けた。急いで雜煮を喰つて、加藤君と共に家を出た。戸外はまだ闇で、月が寒々と殘つてゐる。大晦日といひ元日と云つても斯んな郊外の事で、犬が遠くで吠えてゐる位ゐ、昨夜といひ今朝といひ實に靜かなものだ。兩人は醉つた身體を擦り寄せて津輕節を低聲《こごゑ》に唱ひながら電車通りに出た。大手町までは空いてゐたが、其處で乘換へると電車は恐しいこみやうだ。みな深川の不動樣への初詣りだ相だ。日本橋まで來ると終《つひ》に私などは人と人とに押し上げられて足は下を離れてしまつた。幸に結ひ立ての高島田が三人同じやうに身體の近くにもがいてゐるので僅かに眼と心とを慰める。永代橋の袂で降りる筈なのだがこの始末で身動きも出來ず、たうとう不動樣の前の停留場まで持つて行かれてしまつた。
 其處から駈足で永代橋まで戻り、大川に沿うて汽船發著所まで馳けつけると、何の事だ、けふは三崎行きは休航だ相だ。加藤君が津輕の眞中に生れてまだ何處も他國を知らない人である事を知つてゐるので、今度の上京を幸ひ、少し暖い國の海岸の冬でも見せ度いと考へて、けふ元日早々三崎行きを企てたのであつた。椿の咲いてるのも、梅の咲いてるのも(北國の梅は違ふさうだ)(311)まだ見た事がないのみならず、こゝ三四ケ月は全然雪の中に埋つてゐなければならぬといふ人に三崎あたりの此頃の日光や、海のひかりや、椿や、水仙や、菜の花の咲き盛つてゐる所を見せたらどんなに驚くだらうと思はれたのである。
 兩人《ふたり》はそれから東京停車場へ待つた。横須賀行の切符を買つて、陸路を三崎へ行かうといふのである。汽車は出た。大きな市街の上を渡る汽車の窓から見る大正七年一月一日午前八時頃の日光は煙りながらも晴れてゐた。 途中鎌倉下車。鶴ケ岡八幡、長谷の大佛、觀音と見て歩く。觀音堂の上から海がよく見えた。
『ア、咲いてる、咲いてる。』
 といふので不圖振返ると一本の椿の老樹の下に立つて加藤君が口を開いて仰ぎ入つてゐるのである。これが四十二歳厄年の人で、十七歳とかの息子のある人と如何して思へやう。この靜かな友の姿を見てゐると、私は漸く東京を離れて旅に出てゐる樣な、しみ/”\した心地になつて來た。
『ネ、加藤君、もつと遠くへ行かうよ、これからのろ/\と三崎まで歩くのがいやになつた。いつそのことこのまま藤澤へ出て、それから汽車で沼津まで行かう、そこからなら富士もいいよ、そして明日海を渡つて伊豆の土肥へ行かう、伊豆はまた三崎とは一段だ、其處には温泉もあるし、それから……』
(312) 加藤君には三崎が何處か、土肥が何處か見當はつかないのだ。言下に行く事にきめる。さうするともう大塔宮の土牢だの江の島だのを見て廻るのが面倒臭く、直ぐ電車で藤澤に出た。其處から汽車、國府津あたりから案の如く富士が正面に晴れて來た。やがてその裾野を越えて沼津驛下車、街を突き切つて狩野川の川口の宿屋に著いた頃は程よい黄昏であつた。通された室の前の廣い入江には明日の朝土肥に渡るといふ汽船が靜かに浮んでゐる。
 
(313) 線路のそば
 
 日向國宮崎町にて、H――君。
 
 まだ通知もしなかつたが、この五月の九日にまた引越した。いはゆる東京の郊外で、小さな丘の中腹、疎らに立ち並んだ楢の木立をさし挾んでツイ傍を山の手線の鐵道が通つてゐる。その反對の側には廢兵院の鬱蒼たる森が横つてゐる。
 前から越したいとは思つてゐたが、斯んなところへ來やうとは全く意外であつた。しかも突然のことであつた。八日の午前、久しぶりに妻や子供を連れて保の出た麥畑でも見せてやらうと、ぶら/\散歩にやつて來た。そして通りかかつたのがこの丘で、不圖見ると或る一軒の空家にいま引越して來たばかりの荷物の置いてあるのが眼についた。前から越さうと思つてゐたところではあつたし、特に眠が速かつたのかも知れない。すると、荷車や家具などが雜然として置きすててある板塀續きのその隣家の門に貸家札の張られてあるのが直ぐまた眼に入つた。妻を見返ると(314)彼女もそれに氣がついてゐたらしい眼をして私を見返した。
『見て行かうか。』
『エ、見て行きませうよ。』
 斯んな風で、直ぐ其場で借りることにきめてしまつた。元來いまのやうに雜誌發行の仕事などやつてゐると、市内にゐないとどうしても不便で、越すにしても是非市内の、しかも郵便局の近くに越したいといふ希望で探してゐたゝめ不快《いや》でたまらぬ今までの金富町の家にもツイぐづ/\と腰を据ゑることになつてゐたのだ。市内で、郵便局の近くで、日當りがよくて、四間か五間で一寸した庭などあつて、それで家賃が九圓か十圓、たか/”\十二圓位ゐの所を見附けようといふのだからなか/\無い。實はもうその、家さがしにうんざりしてゐたのだ。
 
 初め塀から入つて見ると、裏に三坪はどの庭があつて、部屋は六疊、四疊半、三疊、二疊で、六疊と三疊の兩部屋が庭に面して、南七分西三分位ゐの見當で日を受けてゐる、家作もまだ新しい。井戸は勝手のツイ前で、その日越して來てゐた家と二軒だけの專用となつてゐる。それに四邊《あたり》が木深くて、極めて閑靜だといふ樣なことから急にそんな邊鄙なところへ越して來ることにきめたのだらうが、自分ながらよく解らない。市内に絶望した結果、自暴《やけ》氣味で斯うしたものと考(315)へられぬでもない。また市内に住むといふのは、仕事の上からの止むを得ぬ要求なので、内心では決してそれを欲してゐたのではない。實はそれに耐ふべく、餘りに僕は疲れてゐたのだ。それこれが一氣呵成的に、斯うした思ひがけない郊外中でも不便な、而して靜かな所へ移り住むことになつたのだらうと思ふ。兎に角、僕はいまそれで滿足してゐる。
 
 電車はそれほどでないが、汽車の通るたびに夥しい音響の襲つて來るのが引越して來た當座の最大苦痛であつた。知つてるだらうが、山手線を通る汽車といつたら現今は貨物ばかりで客車はない。その貨物もまた無闇と長く、時には三四町にもわたるかと思はれる位ゐのすら走つて行く。それが前に言つた楢林一つを距てゝ走るのだから眞實《まつたく》夥しい音だ。音ばかりぢやない、土地が搖れるのだ。或る午後、庭いぢりをした泥足のまゝ縁側に腰かけてぼんやり煙草を吸つてゐると、例の貨車がやつて來た。恐しい煙だと先づ遠くから來るその煤煙を眺めてゐたら、やがてゆさゆさと縁が搖れ始めた。見るともなく見てゐると、庭のはづれにずつと植つてゐる薔薇の青葉がさかんに搖れてゐる。幾つも咲いてゐるなかの一つの花などは、折も折、その時こぼれ落ちてしまつた。
『あれですものねエ!』
(316) といふ聲がしたので氣がつくと、妻も隣室の三疊でこの汽車を眺めてゐたのだ。
 煤煙も折々室内にやつて來る。汽車ばかりでなく、丘の頂上には電燈の球を作る工場があり、麓の水田を埋めた所には護謨製造の工場があるので、それらの煙突からもやつて來るやうだ。靜かに讀み入つた書籍の上などへふうわりと舞つて來られると、まつたく意外のものを見る思ひがする。一寸見ると四邊《あたり》は眞實《まつたく》樹木のみ茂つてゐるやうな所なのだからネ。
 來る早々氣になつたのは、矢張りこの線路だ。ソラ、君のまだ東京にゐる頃は漸く這ふことの出來る位ゐだつた子供がいまは五歳で、しかも竝はづれた大柄の子で、惡戯ざかりとなつてゐるのだ。これが線路に出て行かねばいゝがと、そればかりを氣にして口を酸くして警めてゐた。所が二三日前のことだ。もう夕方で、僕はよそから歸つて來て疲れた身體を座敷に投げ出して新聞を讀んでゐた。するとツイ近くで二三度けたゝましい汽笛を鳴らして來た電車があつた。蟲が知らせるといふのか、その汽笛を聞いた時すら何やら胸騷ぎがしたのであつたが、やがて直ぐその電車がギイーといふ音をして停つてしまつた。と思つた時は僕は玄關から飛び出してゐた。そしてその電車の方へ馳けつけやうとその梅林の側まで來ると、二人の車掌が紺飛白の筒抽を著た子供を逆さに抱へて線路から降りて來やうとしてゐるのが眼についた。てつきりもうやられたことだと僕は思つた。血や手や足がまぼろしとなつて眼前に渦卷いた。小さな溝を一氣に跳び越えて楢(317)林にとび込むと、それよりもやゝ荒い紺飛白を著た僕の子供は其處の一本の木の下に蒼くなつてすくんでゐた。車掌に抱かれたのはこの子の友達でツイ近所の子供であつたのだ。いきなりそのすくんでゐるのゝ手を取つて僕は引き立てた。そのうちに今一人の子供は「驛に連れて行け」といふ一人の男の腹立聲と共に急に電車に連れ込まれてしまつた。息の切れるやうな泣聲が聞えてゐたが、電車は進行を始めた。僕はわれ知らず自分にすがりついてゐる子供の頭を力まかせに毆りつけた。二度三度と續けざまに子供を楢の根もとの笹の中に倒れるまで毆りつけた。この子が生れて初めてのことである。まつたく掌があとで少し痛かつた。
 
 夏の初めになればやつて來る苗賣の聲を君は覺えてゐるだらう。今年僕は初めてあれを呼びとめてみた。常に貪しい惶しい生活をしてゐるので、その賣聲をば愛してゐながら、それを買つて植ゑて見やうなどと曾つて考へてみたこともなかつた。今度の家には幸に庭がある。植《うわ》つてゐたのをば前の人が持つて行つたと見えて、掘り荒らされたまゝになつてゐるので是非其處に何か植ゑねばならぬとは思つてゐたのだ。
 たうもろこし、なす、きうり、いんげん、ふぢまめ、しそ、たで、ゆふがほ、かんな、ほうせんくわ、てつせん、をみなへし、しをん、ちどりさうなどといふのを二三度にわたつて買ひ込ん(318)だ。それから金物屋に出かけて小さな鋤《すき》のやうなものを買つて來て跣足《はだし》になつて硬い庭土を起し初めた。そしてそれを細かに揉み碎いて、小さな畑のやうなものを三つも四つも作つて、みんなそれに植ゑ込んでしまつた。枯れたものも二三あるけれど、大抵はついたやうだ。
 朝夕|尻端折《しりばしより》でそれに水をかけてやつてゐる若山牧水の姿を想像することは、或は君の困難とするところだらうかと思ふ。
 
 なまけ者の癖に朝早いのは前からのことだつたが、此處に來て一層早くなつた。大抵四時か四時半、五時には必ず起きてゐる。起きて用をするのではないが、太陽のまだ輝かぬ間の靜けさとやはらかさとがいまの身には何よりうれしいからなのだ。自分で汲む井戸の水も、それを庭の畑にそゝぐのも、または煙草をくはへてひそかに門を出てゆくのも、みなうれしい。
 例の楢林をぬけて線路に出ると、其處はかなり高い土堤になつてゐるので、人家と森と入り混つた武藏野がずうつと見渡される。この頃はそれがみな瑞々しい青葉となつてゐるので、一層いい。この邊に多い白鷺が、幾つも/\空を啼いて通る。あの眞白な、痩せた姿は愛らしいものだ。靄が次第に晴れて來ると遠い地平線の方に低い/\山脈が見え出す。思ひも寄らぬ空に富士山が輝いてゐるので驚いたこともあつた。山は、夕晴の時にも見える。
(319) 廢兵院の森もいゝ。いゝといふより何やら不思議の森だといふ氣がする。此處ばかりはそれこそ日がな一日かすかな物音ひとつ起つたことがない。常にしいんとして終日其處の梢からは雫でも落ちてゐるやうに感ぜらるゝ。注意深く其處此處の籬根から奥を覗いてみると、深い木立の間に、いろ/\な建物が立つてゐるやうだが、僅かに玻璃窓《がらすまど》が光つてゐるきりで、矢張り何の物音も、動いてゐる影もない。三萬坪からあるだらうが、まつたく此處だけ氷つたやうに周圍と境を異《こと》にしてゐる。晝は深山らしい種々の鳥、夜は梟が毎晩鳴いてゐる。
 噂だけかも知らないが、此處の奥には手も足もまるつきり無くて、僅かに甕のやうなものゝなかに入れられて生きてゐる人も居るといふ。
 
   けだるさを叱り叱りて起きいづるしののめの空に深き靄降れり
   午前四時五時まだ過ぎずしののめの靄降れるまのわれのたのしさ
 たのしさとは云ふものゝ、一日中の寂しいのもまたこの時である。僕のいのらが、僕のたましひがまつたくわれにかへつて靜かに瞳をひらいてゐるのは、多く唯その時のみなのだ。その靜かな、澄んだ瞳に映つて來るあらゆるもの、といふうちにも自分自身のこと、過去のこと……それがみな胸に沁み入るやうな悔恨や寂寥を伴はぬものはないのである。過去から延いては未來の影(320)がよりどころのない不安を引いて頭に上つて來る。さうしたなかにある獨りぼつちの自分を描きながら、殆んど毎朝これら線路の傍や、林の中や、森のかげ、若しくは麥畑の畔を歩いてゐるのだ。が、それも暫しで、やがて空が光り輝いて、種々雜多な汽笛の音や人の聲などが其處等に滿ちて來ると、忽ちまた萎《しな》びた機械《からくり》人形の自分に返つて、惶しい、そして何もせぬ一日のくらしに入るのである。
 書けば永くなりさうだ。此處で切つて置かう。
 君は元氣か、この夏あたり、一寸でも出て來られないか。(六、五、三一)
 
(321) 春の一日
 
『やア!』
 と言ひながら、彼は呆氣《あつけ》にとられて、眼の前の襖をあけて來た友人の顔を見上げた。
『暫くでした、お變りも無く!』
 と友人はわざとらしく丁寧に頭を下げながら其處へ坐つた。
 彼はそれには返事もせずに尚ほしげ/\とその顔や姿を見詰めながら、
『どうして解つた?』
『どうしてつて天眼通でさアね、いくら逃げても駄目ですよ。』
 とよそ/\しくいひながら、ツイ片手を延ばして其處の窓を引きあけた。
『なアるほど!』
 と初めて生氣のある生來の聲を出して、
『これア好い處だ!」
(322) 窓からは一面に墓場が見下された。照るとも曇るともない日光がしつとりとその上に流れて、中どころに植わつてゐる大きな椿には花がいつぱい咲き枝垂れてゐる。
『好いとも、…、好いには好いが、だつてどうして解つた、……自宅《うち》で喋舌つたか?』
 友人は意地惡くにや/\笑ひながら、尚ほきよと/\と其處らを見廻して、『ホ、あんな大きな銀杏もある、秋だつたら素敵でせうねエ。』
 彼も諦めて、一緒に窓から首をつき出して毎日見馴れてゐる荒れはてた墓地を見てゐたが、不圖《ふと》氣がついて、
『一體けふは何曜日だね?』
『金曜!』
 友人は素直に答へた。
『何か起つたのか、役所はどうした、細君でも病《わる》いのか?』
『イヽエ。』
 と終《つひ》に友人も本氣になつて、
『何でもないんですよ、此處の解つたのは、ソラ、信州の中村君から聞いたのです。』
『なアるほど!』
(323)と言ふと、兩人《ふたり》とも大きな聲を出して笑つた。
 彼はどうしたものか、近來ひどく人に逢ふのが辛くなつてゐた。朝晩顔を合はさねば氣のすまなかつた親しい友人や門下生などとも言葉を交ふるのが苦しく、とう/\斯うした部屋を借り込んで朝起きると自宅を飛び出して夜遲くまで此處に籠つてゐた。そして、誰にもこの部屋の所在をば知らせなかつたのであつた。
『信州になら知らしてやつても大丈夫と思つて手紙の表に書いたのだつたが、蟻の穴から壞れた形だネ。』
 ともう一度聲を合せて笑ひながら、
『でも君、頼むから君だけにしておいて呉れたまへ、折角おとなしくなりかけてる所なんだから。』
『大丈夫です、誰にも言ひはしません。』
 友人もいつか全く平常の眞面目な顔になつてゐた。
『あんまり淋しくなつたもんだから、……、實は今朝山の神と一悶著あつたものですからネ、むしやくしや腹で到頭役所もすつぼかしてしまつたのです、そしてふいと此處のことを想ひ出して、中村君の手紙を探して、やつて來たのです。どうもお邪魔してすみません。』
『いゝや、それア却つてよかつたが……、僕も何だか淋しくて仕樣が無かつたところなんだが…(324)…、もう君は細君と始めたのかい。』
『うゝん、矢つ張りこれが無いからです。』
 と指を丸くしてみせた。
『だつて貪乏は百も承知の上で出て來たんぢやないか。』
『だつてあんまり酷《ひど》いからなのでせう、見ると聞くとぢア大きな違ひですからねエ、先生|郷里《くに》から出て來て二三ケ月しかたゝないのに著物はぬがされる、借金の言ひわけはさせられるといふので、次第に白暴糞《やけくそ》になつた形なんです。今日もふて寝なんかしてます! 女なんて仕様のないもんだ!』
 吐きすてる樣に言つたが、また氣を變へる樣に立ち上つて、今度は一方の他の窓をあけた。
『ホウ、咲きましたねエ、櫻が!』
『今氣がついたのかい、もう君二三日前から咲いてるよ。』
『でも此處のはまた別な樣だ、オヤ、木蓮もある。』
『木蓮ぢアない辛夷だよ、木瓜も見える筈だ、……他處《よそ》の誰のものでも斯うして寢ころんで見てゐられるのは惡い氣持ぢアないよ。……どうだ、久しぶりだ一杯行かうか。』
『さうですねエ、ほんとに、久しぶりだ、奥さんにはよくお目にかゝりますが、奥さんも氣の毒(325)だ、あゝして留守番ばかりさせられてゐちあ……』
『僕もさう思はんぢアないよ、可哀相だとは思ふんだが、……だつて夜は毎晩歸つてやるんだからいゝぢアないか、ハヽヽヽ。』
『さうはいきません、……氣のせゐか此頃お宅の空氣が非常に冷たい!』
『さうかねエ、困つたもんだ。君たちに逢ふのが辛いばかりでなく、女房や子供の顔を見てゐるのも苦痛なんだよ、身體の具合も少々|病《わる》いやうだし、ひとつは氣候のせゐがあるかも知れん!』
『さうですかねエ、ひとつはお齢のせゐもありませう、ハヽヽヽ。』
『まさか……兎に角一杯行かうよ、久しぶりだ。一寸僕は出て來るよ。』
『いゝえ、それなら私が行つて來ます、イヽエ、その位ゐは持つてます。』
『それぢアこれで何か罐詰でも買つて來てくれ給へ、蟹か何か。』
 さう言ひながら、はや二階を降りやうとしてゐる友人に小さな財布を投げやつておいて彼は身を起した。そして、ツイ軒端に櫻の花の枝垂《しだれ》のさきが屆いてゐる窓際の七輪に石油臭いたきつけの屑を入れ始めた。(六、四、一二)
 
(326) 廻り網
 
 惱《なやま》しい位ゐ靜かな晝過ぎ、ふところ手をしたまゝ私は例《いつも》の砂山の番屋の前に立つてゐた。對岸の安房の國の名もない小さな山々にまで光と影との襞が明らけく、潮はとろりと青んで、今が下げ汐の最中らしく、痩せた入海の中ほどには純白《にぶじろ》い大きな水脈《みを》が浮いて見える。
 番屋には誰もゐなかつた。大概の時には一人か二人網を繕ふか繩を綯ふかして沖を見張つてゐるのに如何したものか、繩や藁が散らばつてがらんとして居る。その番家の縁に腰を掛けて煙草を取り出しながら、冬でもない春でもない寂しい海に眺め入つて、いつしか吾を忘れてゐると、ひよつこり一人の漁師がやつて來た。
 顔は知つてゐるが名も知らない男なので挨拶もせずに居ると、彼は其儘黙つて番屋の中に入つて切りに何やら取り出し始めた。やがて、もう一人來た。どうも二人の樣子がいつもと違つて見ゆる。著物も長いものを著て居るし、同じ樣に持つて來たものは大きな、色合までも同じな紺の風呂敷包である。一人はその包を番屋の奥から取り出して來た叺の中に押し込んで居る。其處へ(327)また同じ樣な漁師がやつて來た。忙しさうでもあるし、何となく氣が引けて心を殘しながら私は番屋を立ち去つた。
 宿に歸らうとして或る知り合ひの漁師の家の庭を通りかゝると、其處の六十歳あまりの爺もまた同じ樣な身ごしらへをして、そのうしろで婆さんがせつせと例の風呂敷包を作つて居る。包の中には布團が入れてあつた。
『どうしたの、何處かへ行くのかね。』
『えゝ、廻りに行くでサ。』
『廻り……? 廻りつてどんな事をするの。』
『なアに、大津の沖にせいごが見えたつて云ひますからネ、何だか知らねえが行つて見るでサ。』
 風呂敷を結び終つた婆さんが口を出した。
『漁次第ぢア、年内にや歸らねえつて云ひますからネ、老人《としより》にや船底が冷えませうよ。』
 何だか知らないが兎に角速くの方に出漁するものだといふ事だけは解つた。初め、爺さん夫婦は何か内輪話をしてゐたらしかつたので、それにも遠慮されて、もつと詳しい事を聞きたいとは思ひながらまた私は其儘其處を立ち去らざるを得なかつた。
 宿に歸ると机の上いつぱいに日がさして、此處も却つて物憂い樣な靜けさである。程なく濱の(328)方から出船合圖の法螺貝が聞えて來た。貝の音《ね》も今日は何となく澱《をど》んで聞ゆる。ぢいつとそれを聞いて居る間に、私はまた番屋に行つて見る心になつた。
 番屋にはもう誰も居なかつた。そしてその丘の下の砂濱に皆集つて居る。いつもはずつと上の方に引き上げられてある大きな漁船が波うち際まで引き下されて、十人ほどの漁師はその周圍に集つて種々なものを績み込んで居る。例の紺色の風呂敷包が特に砂の上に目立つて散らばつて居り、大きな竈や釜やも並べてある。或者は薪を割つて居り、或者は水を擔いで來、或者は大根をしたたかに提げて來た。漁師の家族も大勢砂の上に群れて居る。けれども今日の天候のせゐか、それがみな極めて靜かに落ちついて見えて、殆んどものを言つてるらしくも見えぬ。私も砂山を降りてその群の中に入つて行つた、
『さア、そろ/\出かけべえや。』
 總てのものが船の中に積まれたのを見終つて、この長濱番屋の頭をして居る忠左船頭は徐ろに命令した。船は音なく砂の上から油の樣な波の上に浮び出た。
 私が再び番屋の丘に登つた頃は船はこの長い/\白濱の渚に沿うて靜かに漕いで居た。櫓を漕ぐ矢聲が寂しく續いて、次第に遠くなりつゝある。私の側には六さんといふ若い勇み肌の漁師が同じくこの船を見送つて立つてゐた。
(329)『駄目よ。』
 彼は獨り言のやうにして私に應じた。
『漁は半分調子もんですからネ、威勢で勝たにや漁《と》れはしませんよ、あんな爺ごろばかりが乘り出したつて、ヘツヘ!』
 憫れむ樣に笑ひ捨てゝ、
『この前、私どもが木更津の沖に行つてた時にや、二十歳から三十歳ごろの者ばかりで、房州千葉三崎邊の船が何十艘つて集つてる中でそりア目ざましいもんでした。』
 聞いてみると土地の若い漁師はみな其日々々の漁に忙しく、いつもは遊んでゐるやうな連中だけが昨今の不景氣から遠くへ出かけたわけださうなのだ。
 年内どころか、二三日するとこの船は歸つて來た。その話を聞いて急いで濱へ出てみると、もう船のあと始末もして了つて、連中はいま番屋で皆して湯氣の立つ油揚飯を喰つてゐた。なるほど、よく見れば爺さん半爺さんの集りであつた。(五、四、――)
 
(330) 夏の花
 
 下婢に導かれて私の部屋に入つて來たのはまつたく思ひがけぬ人であつた。 その時分、私の居た下宿屋は或る新開街のずつとはづれの榛《はん》の木の林の蔭に在つた。だん/\と切り開かれて來たその林は僅かに其處に十四五本ばかり殘されて、ツイ私の机を置いた窓に近く、柔かな、細かな葉を交して初夏のみどりにうち煙つてゐた。そしてその日はその頃にありがちの風を交へて雨がほそぼそと降つてゐた。窓をしつかり閉ぢて、雫の垂るゝガラス越しに茫然と其葉のそよぎに見入つてゐた時に、眼覺むるばかり美しいその人は入つて來たのであつた。
 その人と知り合つてからかれこれ二年あまり經つてゐた。その人は若い未亡人であつた。肺を病んでゐるといふためばかりでなく、つゆのやうに清くさびしくそしてさかしい人であつた。
 私たちがをり/\歌など詠み交すやうになると間もなく、二人のあひだにわけあるらしい噂が身近に立ちそめた。私も、おそらく彼の人もたゞ寂しい微笑《ほほゑみ》でそれを聽いてゐた。
 私は不意の、しかも初めての訪問をいぶかりながら、それとなくその人の樣子に眼をつけてゐ(331)た。眼立つてその日はうち沈んで見えたからである。
 或る事情で今までの海岸の住居を引きあげて暫く郷里の方へ歸ることになりました、とのみ彼女は多くを語らなかつた。そして、何といふことなく二時間ほども居て歸つて行つた。
 ともすればとぎれがちの話の斷間に私はをり/\窓の戸をあけた。その時ごとに眞青の榛の葉ごしに細かい雨が降り込んで來たのであつた。
 その日の私の豫覺は的中《あた》つて、その人の二度目の結婚を聞いたのはそれから間もなくであつた。
 
   めぐりあひやがて直ちに別れけり雨降る四月すゑの九日《ここのか》
   ゆく春の嵐のみだれ雨のみだれ靜かにひとと別るる日なり
   ひややかにつひに眞白き夏花のわれらがなかにあり終りけり
 
(332) 夏の鳥
 
 山深く、若しくは溪の奥深くわけ入らうといふのならば別、東京あたりの郊外にぶらりと杖をひいて聞き得る鳥のなかでは私は頬白鳥《ほほじろ》が好きである。
 樹木ならば楢か櫟の落葉樹、しかもそのおら粟に似た親しみをこの鳥は持つて居る。
 漸く色づきかけた麥の畑中の徑をぶら/\と歩いてゐると、不意に頭の上の櫻の梢などから
  一筆啓上つかまつりそろ
と啼くといふこの鳥の寂《さび》深い聲が落ちて來る。驚いて見上ぐると微風にそよいで光つてゐる葉がくれに矢張り落葉色をしたこの鳥が靜かにとまつてゐるのである。佇んで耳をすましてゐると、今度は向うの岡の何やらの木の上でも同じのが啼いてゐる。あちらがやめれば、こちらのがまた啼き初める。
 遠く續いた麥のいろにも、ほか/\する地のほめきにも、光り煙つてゐる岡の上の雲のむれにも、歩き疲れて何やら浮世なつかしくなつてゐるわれ等のその時の心にも、すべてによく調和し(333)て、しみじみと耳が傾けらるゝ。
 月並のやうだが、私は杜鵑も好きである。
 私は此鳥を聽いてゐるとずつと昔の太古の世界をふら/\と思ひ浮べる事が多い。たつた獨り、此世に生れ落ちてゐる樣な寂しさを感ずる事が多い。
 夜はいやだ、眞晝の雲が四方の空に輝いてゐる時に聽くのが好きだ。溪間でもよい、原の中ででもよい。
 梟も好い。
 ゆふぐれ、または東明《しののめ》の寢ざめなどに思はずも聞きつけて、心を澄ますことが多い。
 
   ひとつ/\足の歩みの重き日の皐月の原にほほじろの啼く
   わが死にし後《のち》の靜けきかかる日に斯くほほじろの啼き續くらむ
   ほととぎす聽きつつ立てばひと滴《たま》のつゆよりさびしわが生くが見ゆ
   わがいのち空に滿ちゆき傾きぬあなかすかなり遠ほととぎす
   眞晝野や風のなかなるほのかなる遠き杜鵑《とけん》のこゑきこえ來る
   暈《かさ》帶びて日は空にあり山々に風青暗しほととぎす啼く
(334)   朝雲ぞ煙には似るこの朝けあわただしくも啼くほととぎす
   なきそめしひとつにつれてをちこちの山の月夜に梟の啼く
   たそがれのわが眼のまへになつかしく木の葉そよげり梟のなく
   耳すませばまこと梟にありにけりさびしき鳥をきけるものかな
 
(335) ダリアの花
 
 對社會、對自己、それらのすべてに疲れ果ててゐたといふか、何かなしに物かげにかくれてゐたいやうな時に私は人知れず結婚してしまつた。
 そして一二の親しい友人にすら秘して、或る場末の女郎屋街の素人屋の二階を借りて隱れ栖んだ。わざわざ其處を選んだのではなかつたが、或る便宜もあつたし、却つてそんな所の方が身も心も解きほぐして休息するに適當してゐるかも知れぬと考へたからであつた。
 西隣りの遊女屋の物干臺には毎日店を張る前の涼みにとか、または洗物を持つてなど、よく遊女どもが登つて來た。それらの遊女たちに覗き込まれて何かとからかはれながら、私たちは沈黙した、緊張した、打疲れた樣な朝夕を過してゐた。そして一日も早くそれを機として生れ代つた樣な新しい生活に入らうと努めてゐた。
 毎朝私は日の出る前に起きて、程近い停車場に出かけた。其處で二三種の新聞などを買ひ、まだ人の少い郊外電車に乘つて、同じく郊外の岡の上に設けられた或る大きな花園に行くのを常と(336)した。
 その花園では秋草などをも作つてはゐたが、殆んど全部ダリアの花で埋つてゐた。華洲園と書いた木札の立つてゐる入口の輕い傾斜の坂道を登ると、ばら/\と並んだ稚松の間から廣い花園の一端が見えそめて、やがて露を帶びたその花が山深い湖のやうな靜けさで身のめぐりに咲き亂れて居るのを見るのであつた。
 淡紅《とき》、眞紅、雪のやうに白い花、または夜の蝶に似た黒い花も混つてゐた。私の乳のあたりまで生ひ伸びて咲いてゐるなかを歩くともなく歩いてゐると、ほんたうに自分の皮膚まで清められるやうであつた。水をやつてゐる園丁などが居るばかりで、多くはその頃私ひとりきり入園者はゐなかつたので、すつかり心を開いてそれらの花や葉に對する事が出來た。そして自分の今までの穢れた血や、疲れた魂が清水に浮く油のやうにそれらの花の上に浮んでゐるのを感ずることもあつた。洗へ、洗へ、そして新しい身に返れ、私はいつもその時斯う心を引き緊めて思ひ昂つてゐた。
 或る朝、その園内に佇んでゐると、はら/\と日の照るなかを通り雨が降つて來た。
 彫られたやうに靜かであつた花といふ花は、その時かすかに搖れ渡つた。私も蒼い額を日光に晒しながら、帽子をとつてその鮮かな雨の粒に濡れて立つた。
(337)   夏はいまさかりなるべしとある日の明けゆく空のなつかしきかな
   わが薄き呼吸《いき》も負債《おひめ》におもはれて朝は悲しやダーリアの花
   とほり雨朝のダリアの園に降り青蛙などなきいでにけり
   とほり雨過ぎてダリアの園に照る葉月の朝の日の色ぞ憂き
   夏の樹にひかりのごとく鳥ぞ啼く呼吸《いき》あるものは死ねよとぞ啼く
 
(338) 物置の二階
 
 昨春以來私共が部屋を借りて居た宿の主人は永年横濱に出て運漕業を營んでゐた。それが今度惡質の卿氣を病んで急に歸つて來ることになつた。そのため私共は他へ移らねばならなくなり、知り合ひの土地の人をも頼んで諸所探し歩いたがなかく/\無い。元來この土地は例の呼吸氣病を恐れて他所から來る人を排斥する方針をとつてゐるので、空いてゐる部屋があつても貸さないのである。一二日がかりで漸く借り出したのが今の宿で、半農半漁のほかに宅地の周圍に廣い蜜柑畑を持つて居る家である。
 先々代が植ゑて置いたといふ蜜柑はいま揃つて見事な老木となつて居る。當代の主人が六十歳を越して居る樣な所から推しても徐程舊い木に相違ない。その蜜柑畑の隅々に聳えて居る松も附近では見る事の少い位ゐ揃つた老松である。道路から一町ほど引き込んだ藁葺の家はそれらの樹木に圍まれて屋根をすら見る事が出來ぬ。
 奥座敷の暗い八疊を家族の居間に宛てた。そして私自身はその廣庭の隅に建てられた物置小屋(339)の二階に机を置いて、多く其處に籠ることにして居るのである。
 物置小屋は附近に珍しい瓦葺で、建つてからまだ幾らも經つては居ぬ樣である。兩手をかけねば動かぬ位ゐの重い戸をあけると、其處には雜多な農具や沖の道具が押し込んである。其隅に階子段がついてゐて、それを登れば先づ織機《はた》が在り、長持や古葛籠《ふるつづら》、養蠶の道具など置いてあつて、その奥に赤染んだ疊が敷かれてゐる。
 八疊あるのだが、こららにも箪笥その他|平常《ふだん》不用の家具が竝べてあるので極く狹く見ゆる。それに私の樣な脊の低い者でもすこし頭をかゞめて歩かねば直ぐ棟木につかへる。二階々々とは言つて居るが、天井と云つた方が適當かも知れない。
 小さな窓が南と東に在つて、あとから急拵へに附けたらしい障子が嵌めてある。私は左手から光線の來るのを喜ぶ癖があるので、東の窓邊に直角になる樣に机をくつ着けて、南の窓に向つて坐ることにして居る。正面の方のは少し大きいが、机の側の窓は三尺四方位ゐしかない。
 その小窓を開けると、直ぐ壁際から鬱蒼たる蜜柑の林となつて居る。林のはづれに一列の松が泣び聳え、その梢の間から絶えず浪が響いて來るのである。
 何もよう爲ないのだが、机の側に來てさへ居れば幾らか心が安まるので、朝も妻子より一二時(340)間も早く起き、此處に來て坐つて居る。
 屋根が低く、窓が小さく、それに附近の木立が餘りに茂いので、自然と風を遮つて、晴れた日は非常に暑い。多くは半裸體で、左の肩や背を窓に凭せながら讀んだり書いたりする事にして居る。
 花時は嘸かしと思はれるのだが、今も尚ほ蜜柑の木立には種々の蜂が無數に群れて居る。浪が凪いで風の無い晝間など、その羽音だか唸り聲だかが氣味の惡い樣に、また何だか總て世の中の事が物憂くなる樣に、窓に滿ちて聞えて居る。
 赤い肌に黒い縞のある蜂が窓から多く出入するのに或時氣がついた。机の上に來てとまる事もある。更に氣をつけて見ると、ツイ自分の頭のうしろの窓の戸袋の中に巣をくつて居るらしいのだ。私は元來餘り蜂をば嫌ひでないのだが、斯う身近に群れて來られると流石に氣味が惡いので、可哀相だと思ひながら四五疋立て續けに打ち殺した。けれどもなか/\數が減りさうにない。そして、一つ一つ何か脣《くち》にくはへて運んで來るのを見てゐるとまた不憫にもなつて、其儘に捨て置いてあるのだが、不意に肱や髪の上に來てとまられたりして膽を冷す事が屡々だ。いつそのこと殺し盡さうか、此儘に巣立たしてやらうか、と毎日その事で氣を揉んで居る。
 斯う書きながら不圖眼をやると雨戸の棧を一疋這つて居るところだ。何か、緑色のものを銜へ(341)てゐる。何かの花の蘂らしい。
 
 物置の二階に鼠や蜂と同居しながらも、唯だひとつ私の嬉しかつた事は、母屋と離れた一軒立ちの、而かも斯うした天井であるために、全く他と隔離してゐる事であつた。
 そしてその喜びも忽ちに破れてしまつた。
 或日、例の如く机に向つて、好い氣持になつて居ると、極めて細い、軟かな聲で、
『父うちやん!』
 と呼ばれた。
 驚いてそちらを見ると、織機《はた》の蔭の階子段に眞圓《まんまる》な、小さな(とも言へない位ゐ肥つて居る)顔がくづれ相に笑つて此方を眺めて居た。
 物置相當の階子段で、とても今年四歳やそこらの子供の登れさうもないものなので、すつかり安心してゐたのであつたが、終にその時からその幸福も諦めてしまはねばならなくなつた。階下の入口の戸を締めて置けばいゝのだが、家人の都合で大抵其處はあけ放たれて居る。
 この子は初めから親爺子《おやぢつこ》であつた。まだ乳の飲み度い盛りに母親の病氣のために母親から押し離たれて以來、すつかり父にのみ懷いてしまつた。便所に行くにも、御飯を盛るのにも父親の手(342)でなくては承知しなくなつた。斯うなると何だか憎らしいなどと言つてるうちに、また母親には赤ん坊が生れたのである。
 で、今でも餘程よく機嫌をとつても母親とは遊ばないで、間がな隙がな父のあとを狙つて居る。こちらに移つてから、日に幾度か物置の階子段の下でこの子の泣聲が起つて居たのであるが、とうとう彼はその階子段を這ひ登つて來たのだ。
 
 今度は宿に矢張りこの子と同じ歳になる男の子が居る。いゝ遊び相手なのだが、大きさも強さも氣性も、この子の方が遙かに優れて居るため、始終宿の子は泣かせられ續けである。それをこの子の母親なり父親なりが宿に氣兼ねして、わけもなくこの子を叱るので、子供心にも不平が募ると見えて、今では却つて宿の子を見さへすれば泣かせ始めて、宿の人たちからも憎まれるやうになつた。
 座敷には母親と赤ん坊が多くは寢たまゝで居るし、新しい玩具は無し、庭に出て宿の子たちと遊ばうとすればその幼い兄弟共は一致してそれを近づけぬ樣にする。青い葡萄を摘んでは叱られ、鷄の雛を籠から出しては叱られ、いよいよ居る所が無くなつて非常な努力で階子段を這ひ上つて來たのであらう。
(343) くづれさうな、それでも何處か惡いことをした樣な、他を憚つた笑顔を見てゐると私も一途には叱れなかつた。
 
 それでも三度に一度は追ひ降さねばならぬ。泣きながら追ひ降されて行つたかと思ふと、もう庭で廻らぬ舌の軍歌が聞える。
 それが暫くやんだかと思ふと今度はまた火の附く樣な泣聲が起る。宿の人ややがてはその母親の聲も混つて來る。何かまたやつたのに相違ない。
 机のまま少し延び上れば南の窓を越えて庭の一部が見ゆる。
 母親に叱られ棄てゝ泣いて居るか、又は泣きながら手を引かれて奥座敷の方へ歩いて居るのなどを見る場合が殆んど毎日だ。
 
『子供のために!』
 險崖からすべり落ちながらのやうに、斯う思ひ著いた絶望に似た苦痛のために、この物置の二階は或は私にとつて容易に忘られない記憶となつて殘るかも知れない。(五年六月二十日)
 
(344) 屋根の草
 
『ねエW――さん、八ケ岳は上諏訪からの方が近いぢアありませんか。』
 言ひかけて同じ下宿のD――君が私の部屋に入つて來た。手には何やら薄い書籍を持ちながら、
『さうすると何でせう、信越線を廻るより中央線で諏訪へ行つた方がいゝでせう。』
 書籍は地圖であつた。それを手早く開いて私の前に置きながら、顔をまぢかく寄せてそれらしい所を指さきでさして居る。
『無論さうです。でも松原湖は諏訪とは反對の側にあるのですから矢張り信越線の方から行く方がいいでせう。それに昨年あたり小諸から其處の近くまで輕便鐵道も出來た筈です。』
 D――君が八ケ岳のことを言ひ出したのはてつきり私が二三日前、金さへ出來たら八ケ岳の麓にある松原湖へ出かけ度いものだと言つたのに關聯してゐると考へたので私は直ぐ斯う答へた。
『なるほど……』
 と答へたきり、一心に地圖に見入つてゐたが、『ねエW――さん、信州の往きか歸りに御嶽《みたけ》か(345)妙義山に登つて見たいと思つてゐるのですが、……御嶽はいゝ所ですか。』
『さうですネ、兎に角變つた所です。青梅《あうめ》から二里ほど歩いてそれから山に懸るのですが二三十町登つた山の上に神官ばかりで出來た三四十戸の部落があつて、その神官の子供たちばかりのために小學校なんか出來てましたよ。何しろ非常に霧の深い所です。』
『でも夏だとそんなでもないでせう。』
『秋ほどにはないでせう……それに遠望もあまり利かず、まア寂しい靜かな山です。月の夜なんかによく佛法僧とかいふ鳥を聞きましたつけ。』
『宿屋は?』
『神官の宅で泊めてくれます、まるで普通の宿屋と同じです。』
 彼はまた黙つて暫く考へてゐた。
『妙義山は?』
『妙義はたしか松井田で汽車を降りるのです。それから一里半もありましたか……、これは關東平原の縁から切り立つたやうに聳えた岩山です。山の半腹に神社があつて、社の周圍に急な傾斜で二三十軒の町らしい所が出來てゐて、宿屋なんか中々大きいのがあつたと覺えてゐます。そこから關八州が見晴らされるわけださうですよ。』
(346)『どつちにしようかなア。』
 彼はまた地圖を爪繰り始めた。
『それア信州へ行くのなら妙義ですよ。御嶽《みたけ》は別に出直して行つた方がいゝでせう。第一中央線で行くより信越線の方が遙かに面白い。碓氷もいいし、碓氷を出て輕井澤から淺間の裾野を見渡した時なんかほんとにぞつとします。』
『だつて、中央線も素晴しい景色だつてぢアありませんか。』
『景色はですが、夏は隧道がたまらない、何しろ小佛笹子なんてのから始つて諏訪までには三四十もあるでせう。碓氷の方にも二十五六たて續けに續きますけれど、こららだと其處だけ電氣で運轉するので、窓があけて置けますから却つて涼しい位ゐですが、中央線の方は煤煙で窓があけられません。景色と云つても先づ雨の日ならば雲と山との具合がなか/\面白いが、かん/\照りつける時に見る景色ぢアありませんよ。たて込んだ山の中を走るのですから殆んど遠望がききませんもの。』
『だつて、富士見なんて所は素敵だつてぢアありませんか。』
『オ、さうだ、あのあたりはいい!』
 私の心には久しく見ないでゐる山深い景色がひいやりとして浮んで來た。
(347) 東京から行くと甲府の盆地を過ぎて釜無川を渡る。そして韮崎の停車場に著く、其停車場附近で初めてこの線路での落葉松を見ることが出來るのである。私はこの木を見て漸く山國へ入り込んだ安心を感ずるのが常であつた。その停車場の石炭屑のこぼれてゐる傍の落葉松林から、遠い中空に聳えて居る駒ケ岳、鳳凰岳、乃至八ケ岳から蓼科山の頂きや裾野や、または汽車の窓から眺め下さるゝ木深い渓谷、その渓間に白々と澱んで居る密雲、さうした光景がまざ/\と眼の前に描き出されて來た。
『韮崎から富士見、富士見から上諏訪、そのあたりはまつたく素敵です。ことに夕かけて其處等を通るやうにすれば一層ようござんす!』
 私が意氣込んで斯う言ひ出したのを見て、兼ねてから中央線を通るつもりでゐたD――君は、漸く安心したやうにいつもの明るい笑顔になつた。
『それぢア、矢張り中央線から行くことにしませう。金が殘つたら歸りに信越線を廻ります。』
 青山學院の生徒であるこの青年は二三日うちに東京を立つて先づ上諏訪に友人を訪ね、それから日本アルプス連山中にある白骨温泉に行くことになつてゐるのである。其處で讀むために彼は原書和譯とりまぜていろ/\な書籍を買ひ込んで來た。メエテルリンクの「青い鳥」、スエデンボルグの「神智と神愛」「天界と地獄」、メレヂユコフスキイの「人及び藝術家としてのトルスト(348)イ並びにドストイエフスキイ」、夏目漱石の「心」、窪田空穗の「日本アルプスへ」など、まだ他に學校の參考書などもあつた。そして一册を求める毎に抱き締める樣にして一々私に持つて來て見せてゐたのである。
 私もいつか今日明日に迫つてゐる仕事をも忘れて、氷など取り寄せながら眼の前の地圖を種に、それからそれへと黴の生えた旅行談に耽つた。一しきりそれが濟んで部屋が靜かになると、窓の側に書きかけの原稿紙が幾度びか風に吹かれて飛び散らうとして音を立ててゐるのに氣がついた。
 彼は見るともなく其机の上に眼を移しながら、『あなたの松原湖はいつになりませう。早くお仕事が濟みますとネ、御一緒ですけど。』
『でも中央線では駄目ですよ。行けば私は信越線で行きますから。ハヽヽヽ。』
『ハヽヽヽ、困つたな!』
 よしこの仕事が滿足に出來上つたところで、それから得る報酬では眼前に迫つて居る苦しい債務の半ばだも濟ますことは出來はせぬ、『松原湖どころか!』と私の心は初めから苦笑してゐたのである。
『この部屋はなか/\風が入りますネ。』
 ぼんやりと原稿紙から目を離さずにゐた彼は暫くしてから斯う言つた。
(349)『エ、風はようござんすが、どうも煤煙がひどくて、……御らんなさい、直ぐこれだ。』
 出して見せると私の掌から肱にかけて薄黒く油じみて光つてゐる。
『これは酷《ひど》い!』
 と言ひながら、ツイ二尺ほど距てた向うが隣家の壁となつてゐる薄暗い窓から空を首を傾《かし》げて仰ぎ込んだ。
『この小さな窓に、ほんとに何處から入つて來るのですか、ペンを持ちながららよつとでも何か考へてますと、もう紙にも机にもベツとり來てますからネ。實際氣味が惡い。』
 彼は煤煙のことはもう何とも言はなかつた。そしてやや暫く其儘窓から覗いてゐたが、
『どうもよく晴れましたねエ。何だか秋の空のやうだ。』
『風のせゐでせう。』
 私も何氣なくさう言ひながら身をそらして屋根と屋根との間の狹い空を振り仰いだ。そしてその空の眞實高々と定つてゐるのに驚いた。向うの屋根の頂きには何やら四五本の青草が生ひ立つて風に吹かれて細々とそよいでゐる。
『いゝ雲ですネ、こま/”\に散らばつて……、ほんとうにもう此分では秋ですよ。』
『さア愚圖々々しちア居られない、明日にでも出かけるかな!』
(350) 地圖を取り上げると手拍子をとりながら彼は部屋を出て行つた。誘はれたやうに私も立ち上つたが、サテ、何處に行かう氣も出なかつた。(五年七月二十二日本郷湯島にて)
 
(351) 立秋雜記
 
 耳を傾けてゐればゐるほど、だん/\蟲の聲が滋くなる。湯島天神町といへばさう場末でもない東京の街中に斯うまで蟲が鳴いて居やうとはまつたく意外であつた。其處でも此處でも四邊《あたり》いつぱいに鳴いてゐる。さすがに松蟲鈴蟲などはゐない。みな蟋蟀だ。
 硝子窓を開け放つて、すぐその下に枕を寄せて寢てゐると、屹度夜半の二時か三時に眼の覺めるのがこの一月餘りの間の癖になつて居る。そして眼の覺めたまゝ東明《しののめ》を待つのだが、時には起き上つて机に向ふこともあり、電燈を點けるのがいやさに暗い窓につめたく腰を掛けて煙草を吸ふこともあり、時には枕のまゝ窓から流れ入る風に汗ばんだ額を吹かせてぢつとしてゐることもある。
 この二階の窓の近所で唯だ一本の樹木である青梧桐《あをぎり》が丁度私の部屋の前に立つてゐて、その實や葉がさら/\と音を立ててゐる夜などは踏み剥《は》いだ蒲團を惶てゝ被り直さねばならぬやうな冷たさを感ずることもある。いつの間に降り出したか知らぬ雨に枕許をびつしより濡らして居るこ(352)ともあつた。
 今夜は今しがた月の沈んだ後らしく、眞闇でもない深げな空に青い星が離れ離れに三つ四つと煌《きらめ》いて居る。闇のなかに浮き出た青梧桐に微かに風が見えて、あの黒色の小蟲の聲がまつたく降るやうだ。
 斯うしてゐて東が白んで來ると階下《した》に下りて、音を立てないやうに顔を洗つて、まだ女中すら起きない前に私は毎朝散歩に出る。屋並も、街路《とほり》もまだしつとりとしてゐて、靜かだ。此頃になつて殆んど毎朝一時間ばかり霧が降つて來る。
 湯島天神の境内を通り拔けて裏の石段から不忍の池へ出る。蓮はもう散つてしまつた。それでもいかにも疲れたやうな、靜かな顔をした散歩者は青い葉ばかりの池の畔をまだ澤山歩いてゐる。私は元來この蓮の花を好まなかつたが、今年の夏を偶然この池の近くに過したために何となく親しみを感ずるやうになつた。蓮の花そのものよりもそれを見てこの腐つたやうな池のめぐりを歩いてゐる此等の朝の人々を親しく思ひ始めたのかも知れない。鴨やかいつむりの水鳥が散り殘りの花の蔭を泳いでゐるのを見ることがある。一時は鷺が毎朝空から群れてまひ下りて來たが、此頃ではすつかり居なくなつた。蜻蛉釣の子供もいつの間にか影を消した。
 池から上野の山へ登ると、櫻の葉がもうすつかり黄ばんで、路傍に散つてゐるのも非常に多い。(353)私は毎年木槿の花が咲くとあゝ秋が來たと思ふのが常だがこの櫻の葉の染まるのを見ると、いよいよ深くそれを感ずるのだ。柿も、漆も、櫨もいゝが、この木の黄葉が最も人なつつこい。
   ほろほろと櫻黄葉の散るころぞわがたましひよ夙《と》く歸り來よ
 十年も前に江戸川べりを歩きながら詠んだ歌だが、今でも毎秋この悲哀を繰り返す。
 大佛下から折れて動物園圖書館の邊へ廻るとこの落葉はます/\深くなるやうだ。深い霧のなかに子供が石を投げてゐるのを見るとそれは銀杏の樹だ。もうこの樹の實も熟れ始めたのだらう。葉はまだゆつたりと青い。
 私は停車場《ステーシヨン》の朝が好きだ。晝も夜もいゝが、朝の停車場ほど柔かな、靜かな、親しみを持つたものは無い。人といふ人がみな各自鮮かな輪郭を同じ色に染めかへて押し合つてゐる樣な心地がする。自分もその中に入つて、そしてそれらをぢいつと眺めてゐるのが誠に可懷しい。
 朝の六時ころに上野に著く汽車があるが、それはこの數日間毎囘殆んど百人位ゐづつの學生らしい男女を送つて来る。見てゐると改札口を出た彼等はやがて俥に乘つて、身體よりも遙に大きいやうな荷物を前に抱へながらそれ/”\の方向に走つてゆく。何となく悲しいやうな微笑を覺えながら目送せざるを得ない。
 漸く人通りの繁くなつた廣小路を歩いて四辻の角まで來ると、其處に立つてゐる一人の新聞賣(354)りの子供は黙つてその籠から二種の新聞を取り出して私に渡す。二ケ月間毎朝同じ事を繰り返すので彼もいつか私と私の買ふ新聞とを覺えてしまつたのだ。それを棒のやうに細く卷いて洋杖《ステツキ》代りに振りながら下宿屋に歸つて來ると、漸くお茶の湯が沸いて居る。
 私は凡そ二月目ごとに種々の用事を帶びて轉住先の海岸から東京へ出て來るのだ。今度出て來たのは去る七月の八日で、一週間ほど滯在の豫定であつた。知り合ひの下宿屋へ來て見ると、學生街の夏のことで其頃は二階も階下も殆んどがら空きであつた。二十室からある二階のその室この室と見て歩いて、青梧桐《あをぎり》のさし懸つてゐる窓のこの室を選んで机を借りて据ゑてみると、非常に居心地が好い。午前と午後、または風の具合などで涼しさの變る毎に机と座布團とを携へてその室この室と移つて歩くのさへ何となく樂しみとなつた。遠い旅さきの惶しさもなく、家族に圍まれてゐる懶《ものう》さも無く、深い林の蔭にでも隱れてゐるやうな靜けさが常に私の身邊を包んでゐた。で、私は直接の用事のある二三の人を訪ねたほかは極く親しい友人にも上京したことを知らせず、僅に朝夕の散歩に出るだけで、常に四疊半の室にたつた獨りで籠つてゐた。そのうちに一週間は經ち、一月は經ち、終に二月も過ぎてしまつた。さすがに今は此室にも飽き、家族戀しさを感じても來たが、今度はまた新しい用事を濟まさないことには歸るにも歸られなくなつてしまつた。學校の暑中休暇も終つたので、今まであれほど靜かであつたこの二階が忽然として喧燥の(355)巣となつた。ヴァイオリンが響き、尺八が鳴り、浪花節が唸られる。階子段は不斷に跳ね返るやうな音を立てゝ來た。斯うなると私はまた室にぢつとしてゐられなくなつたが、暑い日中にさうさう出ても歩かれず、いよ/\夜半の寢覺と朝の散歩とが身にしむやうになつた。
 留守居の妻からの手紙で見ると、あの砂ほこりのした濱街道に木槿の花が咲き續き、それからそれの砂丘《すなやま》の松林には曼珠沙華が燃え立つてゐるさうだ。して見ると、あの松輸崎の端《はな》には毎日西風が吹き寄せて、外洋のうねりが白々と中空に碎け立つてゐるに相違ない。あゝ、さう思ふと流石に住み馴らしたあの砂丘の村も惡くない!
 それにしても速く錢《かね》を拵へてその村へ歸つて行き度い。
 東がだん/\白んで來た。風は次第に烈しく、ガラス戸が暫くも鳴りやまぬ。この分では今朝は霧はおりて來ないだらう。何となく青梧桐がいたましい色をしてゐる。(五年九月−日)
 
(356) 私と酒
 
 私の生れたのはずつと暖い國なので、蝮、ひぐらしなどいふ毒蛇類が甚だ少くない。さうして以前斯ういふ云ひ習はしが行はれてゐた、蝮に噛まれて死ぬ數と燒酎飲んで死ぬ數と年々相等しいと。で、土地には女ですらアノ泡盛燒酎の一升を平げ盡してけろりとしてゐる連中が多かつた。私の祖母などその中の豪の者であつた相だ。その血を享けてか、父も極めてよく酒を愛した。
 私の村には尋常小學きり無かつたので、高等小學と中學とをば十里ほど離れた城下町で修めねばならなかつた。そしてその小中學の時代、暑中休暇で家に歸ると、私はいつも獨りで二階に寢て朝寢をした。すると父はよくその階子段から幾度も/\首を出しては私の樣子を窺ひ、終には聲をかけて呼び覺ました。
『繁! 起けんか、今朝は好いぶえんが來たど!』
 ぶえんとは刺身となるべき生魚の俗稱である。海岸から五六里山の間に入り込んだ私の村までそのぶえんを運ぶには、夏季は必ず涼しい夜間を選んでひた走りに走つて來なくては腐敗する恐(357)れがあつた。で、ぶえんの事をはしりとも云つた、そのはしりの著くのは定つて早朝であつた。少々眠くとも父のこの聲を聞くとどうしても起きないわけに行かなかつた。階下に行つてみると他の家族はすつかり朝飯を濟まして唯だ父だけが私を待つて遲れてゐるのである。私が顔を洗つてゐると父は早速そのぶえんを料理して、やがて深い井戸から一升徳利を引き上げる。父は夏季は一切酒を冷して飲んだ。そして背戸に續いて直ぐ山となつてゐる小座敷に他の家族を避けながら其處の障子を悉く取り拂つて兩人はゆつくりと相対する。何しろ私はまだ十幾歳かの少年、殊に父は極めて寡言の人であつたので双方とも終始殆んど無言で、而も一時間若しくは二時間の樂しい朝食(或は朝酒か)が續くのであつた。
 温厚な父が酒のためには隨分失敗を重ねてゐた。私は幼い時からそれを見てゐるので、初めは子供心にも酒を憎み、父をも淺間しいものに思ひ驕つてゐた。そしてそのために苦勞の斷えぬ母親や姉などに深い同情を持つてゐたものであつたが、矢張り享け繼いだ血筋のせゐか、それともまた次第に老い降《くだ》りながら酒のためには常に妻や娘などから手酷しくいぢめ拔かれてゐる老人にツイ同情したせゐか、いつの間にか自分も父と同じくこの怪しい液體を愛する者となつてゐた。
 父は三年前の十一月、終にその愛するものゝために命を終つた。中風で半身不隨になつてゐる報知を受け、永年歸省する事すらしなかつた不幸の私も惶しく東京を立つて歸りにくい郷里に歸(358)って行つた。其頃久しく醫者の命令で斷《た》つてゐた酒を私が歸つてから彼はまた少しづつ用ひ始めた。私共も少なからず氣を揉んでそれを止めたが、なか/\聞かない。それでも好きなものゝためにか、却つて其頃から病氣は薄らいで、三四ケ月もすると全く恢復してしまつた。恰も時季が夏であつたので、久しく忘れてゐたぶえんの朝酒はまた我等の間に繰返さるゝやうになつた。十幾歳であつた私は既に三十歳になり、向ひ合つてゐる父の老衰はなか/\またその程度でない。秋近い朝涼《あさすず》の山の空に眞白な雲の浮んでゐるのを眺めながら、私はともすると以前のことを思ひ出して寂しい氣持になりがちでゐた。父はそんな事に氣もつかぬらしく、そして盃もほんの僅かの數しか重ね得なかつたが、樂しさうな樣は前と少しも違はなかつた。或夜、彼は村の飲友達の家の嫁取りに招かれて行つた、そして餘捏強ひられたものと見え、近頃になく醉つて村の若者に背負はれて來た。私はその夜も獨りで二階に寢てゐたが、父は暫く私の名を呼んでゐた。私はわざと返事をしなかつた。今度は眠つてゐる十二歳にかなる姪を引き起して騷いでゐた。翌朝二階から降りて行くと父は掻卷《かいまき》を著て臺所に寢てゐる。如何したのだと訊くと、昨夜の踊り勞れよと笑つて傍にゐた家族の者も別に氣には留めてゐなかつた。私も何か戯談など言ひかけて、朝飯をすますとすぐ山の方へ散歩に出た。十分間も歩いたかと思ふと、涙聲で私の名を呼ぶ姪の聲を聞いた。馳せ歸つてみると、一切もう駄目で、口移しに吹き込む水をすら飲むことなく、終《つひ》に永《とこ》し(359)へに彼は眠り去つた。六十八歳であつた。獨りで杯を啣《ふく》む時など、私はをりをりこのさびしい寡言の飲仲間を思ひ出すのである。その飲み癖など實にあり/\と似通つてゐることを思ひ起す。
 
 一杯の酒を飲むに隨分心を使ふ事がある。如何すれば此場合最もうまく飲めるかと云ふのである。何だか身體がよごれてでもゐる樣に感ぜらるる時は何はおき先づ湯屋に赴《ゆ》く。そして微かな街路《とほり》のほこりをすら氣に病んで足つまだてて家に歸つて來る。少しおなかゞ大きいと思ふ時には、大抵散歩をする。それもあまり歩き過ぎたり、行く先の如何で、折角の飲み度さを幾分なりとも減滅させる事のないやうに注意せねばならぬ。今日は豆腐か、肉か、肴か。または一切眼や手を使ふ煩はしさに耐へかねて何にもなしで、瞑目細心、唯ちび/\と飲み入る事もある。そんな時は定つて強烈な酒を欲する。 停車場の樓上とか、公園の中とかの樣なところを強ひて求めて行く時もある。市街を離れた野原の草のなかや樹の蔭を遙に慕つて行く時もある。見知らぬ人が群れ合うた燈の影の暗い樣な所へ、まるで深い山にでも入つて行く心持を懷いて這入り込む事もある。そして、此等は多く必ずたつた獨りで飲み度い時に限る樣である。
 友人の顔など見て、むら/\と飲みたさの湧き起る時も多い。心も合ひ、飲みぶりも合つてゐ(360)る人に對した時、特にこの慾は著しい。やア、と顔を見合はするなり一種の哀情を引いてこの慾は湧き上る。唯だ憾むべきは、顔見ればいやでも飲み合はねばならぬといふ風にわれひと共にいつの間にか癖づいて來てゐる事である。飲み度さの心の相搏つ時はあり/\双方の面にその色が表はれてなか/\隱すべくもないものである。また、偶々相會うて興容易に昂らず、何となくうら寒く感ずる時など、これを呼んで互に心を温めようとする場合もある。これは寧ろあはれ深いもので右のいや/\ながらもの例にはならぬ。宴會などといふのは、酒は多く手段のみに用ゐらるるやうである。
 
 酒の時間は多く夜に限られてゐるやうであり、私などもまた同感ではあるが、強ちさうとのみは言はれない。露を帶びた地がしいんと靜まつてゐる上にほがらかな朝日が流れて、眼に見えぬ微風が空を渡つてゐる、そんな朝など。またはかん/\と照り入つた日光が金屬のやうな青葉の上に注いでゐる眞晝。家の奥に籠つてゐても何となく戸外の日光に血を吸はれてゐるやうな好天氣の日。煙のやうに心の疲れてゐる時。雪のあけぼの雨の夕暮、または昨夜のつかれのお迎ひの月並もまた棄て難く、汽車汽船の窓に落ちて來る春霞秋暉、私は全く時間に關係なくこれを欲してゐるやうである。要するに自分の心の澄んでゐる時、かわく時、憧がるゝ時、一途になつた(361)時、時をわかたずしみ/”\と飲み度くなつて來るのであらう。
 酒の種類も亦たその場合次第である。一體に私は日本酒を好んではゐるが、火の樣に強い洋酒でなくてはならぬ時もある。新鮮な生麥酒に雀躍する事もある。顔も埋まるやうな大容器に息をつかぬ事もあり、樫の實のやうなリキウルグラス一杯に緊張した五分間十分間を費す事もある。仔犬のやうにはしやぎ入る時もあれば、半死の熊の樣な時もあり、または深山の苔の下の小石のやうな場合もある。どさ/\と雪の降る夜半、冷たいヂンの幾滴に白い林檎を噛まむと思ふ折もあり、ほくら/\に香りかげろふ秋の山に枯枝折り焚かむ願ひもあり、繩暖簾の白馬に指さきを燒く例《ためし》もある。荒川土堤の青草に眠り倒れて春の夜寒に驚いた覺えもあり、お城の濠にとび込んで親切な角燈氏をヅブ濡れにした記憶もある。
『隨分あなたは召上るさうですねえ。』
 と好奇な眼を輝かせながら、
『一體どの位ゐ行きます、一升ですか、二升ですか。』
 といふ種類の質問に出合ふ事、殆んど際限がない。中にはあり/\と挑戦的險惡相を表はして、なアに俺だつて、といふ輩もある。いかにも私は酒を嗜む。これ無しには實際のところ一日もよ(362)う居らぬ。けれども右の如き質問に際會しては、眞實答ふるに由なき苦笑を感ぜざるを得ぬのである。
 二三滴を甞めて醉ふ事もあり、一升二升、三日四日と續けても尚ほその味ひを失《なく》さぬ場合もある。彼等のいはゆる酒に強いといふ事は私には初めから問題でないのである。徒らに大杯を傾け、酒宴の席に長座し得るといふことは或は彼等の胃の腑の強固、または痩我慢の證左にはなるかも知れないが、決してそれは酒そのものゝ與り知る事ではないのである。酒を愛するあまり自然にその量の進むといふのならば聞える、痩我慢や好奇心や仕方無さから無闇に濫飲して以て一種の誇りと心得てゐる如きに至つては、全く酒の賊である。
 食料ともならず藥にもならぬこの不思議な飲料が最初如何して作られたかと折り/\不審がられる事がある。私の生れた土地は初めにも言つた如き山國で種々山に關する物語は多いが、其中に猿酒云々の事がある。昔獵師の一種族に峰渡りと呼ぶ一團があり、彼等は殆んど自分の住む家とても持たぬが多く、晝も夜も峰から峰溪から溪と渉り渡つて數日間も人里に出る事がない。流石に彼等も寂しい事をば知つてゐる。その寂しさに襲はれつつ一縷の望みをかけてあさり求めたものはその猿酒であつたといふ。斧を知らぬ深山の奥の老木の洞に數多の猿共が集つて其處此處(363)の梢から拾ひ集めた種々の果實を貯へて置く、それに自然と雨露が溜り、いつの間にやら獨りでに※[酉+發]酵して芳醇の香を放つ立派な猿酒となるのださうだ。この猿酒の話は子供の頃から私の興味を惹いてゐたが、いま酒に關する古事を調べた或人の記事によると、
 須佐之男尊が高天原に於て天照大神と宇氣比して勝ち勝佐備て種々の狼藉をせられし時大神は之を咎め給はず、屎麻理散せる如く見ゆるは醉ひて吐き散せるならん、
 と仰せられしにより既に其頃よりこの飲物の我等が祖先の間に行はれてゐたりしならむと言ひ、然らずば尊が高天原より追放せられて後に出雲國肥河上に到り足名椎手名椎のために大蛇を斬り給ひし時突然八鹽折の酒を造る事をば知り給はざりしならむと斷じてゐる。尚ほ、日本書紀に、
  天孫瓊々杵尊の御子達生れましゝ時に神吾田鹿葦津姫《かむあがたかあしつひめ》卜定田《うらへた》を以て號けて狹名田と言ひ其の田の稻を以て天甜酒《あまのたむざけ》を釀して之を嘗《にはな》ひしたる、
 由が見えて居るとて以て「當時釀造の法あり人々の間に酒といふものが知られて居たのは明かである」と言つて居る。而して酒を釀すには初め人みづから米を噛んで造つたと云ふ旨の記載せられてあるのを見て、私は端なく猿酒の話を思ひ合せて微笑んだ。酒、サケの言葉は、榮えであつて、「飲めば榮え樂しむ義也(倭訓栞《わくんのしをり》)」とある。蓋し酒、笑、開は同語根(サク)にて榮え(364)(サカエのカエがケとなる)同意義だといふのである。(仙覺萬葉集(?)にはさけはさくるなり、風寒邪氣を避くるより來るとあるが、少々あやしい。)更に酒をまたキ、ミキ(御酒《みき》、神酒)ともいふが、ミキのミは美稱敬稱で、神又は長上に奉るために斯う云つた事は、黒酒白酒をクロキシロキと訓むのでも解る。神に何か言を申し上げる時に我等の祖先は我等が今日友人同士に行ふ如く酒を用ゐたものであらう。また、このキは元來クシの約まつたもので、ケと相通じ、ケは即ち御食のケであり、古くは凡て飲食物を指して稱へた名であるといふから、酒をば今日の米や水の如く無くてはならぬものと見てゐたものであらう。それかあらぬか日本の古典には誠に酒に関する記載が多い。更に、大学寮式に、
  凡博士諦説者依2日數1給2食料1。日米二升、酒一升、鹽一合、後略
 と見えて居る。即ち給料は現品給與であるが其中に酒まで含まれてをるのは寧ろ豫想外と言はねばならぬ。
 尚ほ、直相式に、
  瓮四口、(盛2参議已上白貴酒黒貴酒1並暖酒科)炭一斛、(五位以上暖洒料受直買用)
 とあるをも引いて、酒を煖める材料、またはその錢までも給せられた事を述べて居る。
 我等の祖先が如何ばかり酒を愛し尊んで居たかは此等を見てもよく解る。支那で上古酒を造つ(365)た者があつたところ、時の王禹はこの飲料必ず後世を誤らむちてその造り主を殺してしまつた。儒教でも佛教でもまた基督教でも飲酒をば固く忌んで居るのは人の知る通りである。かの大伴旅人卿の
  酒の名を聖と仰せしいにしへの大き聖の言のよろしさ
 の歌は、魏書にも太祖禁v酒(ヲ)、而儒人竊(ニ)飲、故難v言v酒(ヲ)、以(テ)2白酒(ヲ)1爲(シ)2賢者(ト)1以(テ)2清酒(ヲ)1爲(ス)2聖人(ト)1から來たのだと云ふし、尚ほこの歌を評して眞淵は、「或人儒人の言を擧げて此歌をそしれるはいまだ天下の心を得ざるなり、皇朝の人古より酒と色につき世を亂せし事なし、かゝる小事と人情をいましむれば人の心に表裏の出で來めり、皇朝のこと他國の文もていふ事なかれ」と氣を吐いてゐる。全くである。
 
 サテ、梯子酒のそれからそれと、思はずも長くなつた。考へてみれば私も隨分今までに酒を飲んで來た。恐らくは尚ほこれからも飲むであらう。その從來飲んで來たのに二つの場合があつた、一つは自ら進んで飲みたくて飲んだ時と、一は他から強ひられて飲んだ時とである。この後者は今後出來るだけ避けたいものと思ふ。身體にも惡く、第一酒に對して相濟まぬ義である。飲みたくて飲む時、これは前にも言つたが私は殆んど悉く心の、魂の要求から飲んだ場合が多かつた。(366)咽喉が渇いたからと云つて呻りつけるのは極く稀に麥酒位ゐのものであつた。心が渇く、魂が孤獨を叫ぶ、かうした場合が後來私になくなるとすれば或は私は酒をよすかも知れぬ。乃至、心自身たましひ自身燃えに燃えて他に何等の欲求を要せずなつた場合、或は私は酒をよすかも知れぬ。(大正五年初秋)
 
(367) 校正を終りて
 
 多くは旅さきでその場/\に書いたものである。異つた雜誌に書き送つたため、同じ材料を二度書いたものなども混つてゐる。旅さきの惶しい氣持は正直にその時の筆に現れてゐていま讀み返しながら面の汗ばむのを覺えがちである。
 書いた順序は中篇が最も舊く、次ぎは下篇中の「私と酒」及び「物置の二階」「廻り網」等相模の三浦半島に移つてゐた時書いたものである。一昨年の頃であつた。「立秋雜記」「屋根の草」もその頃自分だけ上京して下宿してゐた時のものである。最近のは「浴泉記」で、今年二月の作。
 何の氣なしに通信文の樣にして書き棄てゝしまつてゐたが、斯うして纒めて印刷してみると矢張りそれ/”\の創作と見ねばならぬ。今後はそのつもりで書いて見度いものと思ふ。
  大正七年七月十七日
                           牧水生
 
比叡と熊野
 
(371)旅日記
 
 五月八日 微雨後晴
 とろ/\したかと思ふと、もう起きる時になつてゐた。午前の三時だ。昨夜、お別れだからと云つて四五人の人が訪ねて來、ツイ夜更しをしたのであつた。そして昨夜のうちに片附けて置かうと思つてゐた旅仕度、といふより留守中の手あてを少しもようしなかつた。起き上つてあれこれと片附ける。
 義妹《いもうと》が態々たいてくれた赤飯の膳に一本つけて貰つて緩くりといろいろ話し乍ら朝飯を濟ます。生れたばかりの赤ん坊を抱いて坐つてゐる妻に別れを告げて、家を出る。二人の子供は睡入つてゐる。義妹と姪とは東京驛まで送つて來ることになつた。雨がばら/\してゐる。私の旅立ちに雨の降らぬ事は殆んど無い。
(372) 東京驛には思ひがけず柴山武矩君が來てゐて呉れた。六時二十五分發車。昨夜の寢不足に今朝の酒が馬鹿に利いて、漸く汽車に乘り込んだ安心と共に、早速睡氣がやつて來た。旅に出るといふことは楽しいには相違ないが我々の樣な生活をしてゐる者には自身の旅さきのこと、あとに殘す家族の事と、その準備がなか/\一通りでない。後にはもう準備に疲れてしまつて、いつそ止めてしまはうかなどと癇癪も起つて來る。が、汽車に腰を下せばもう安心だ。兎に角に自分一人の旅の心地となる。やれ/\と思ふと同時に、私はこくり/\と始めてゐた。
 横濱々々と呼ぶ聲に眼が覺めた。すると丁度私の窓の前に創作社々友の石黒春峰君の顔が見えた。驚いて聲をかくるとその背後に同じく廣瀬雄四郎君の顔も見えた。や、や、といふうちに長谷川草月、下島茂君も現はれ、この二人は車内に入つて來た。他の用事で石黒君に今日發の時間を言つてやつたので、斯うして來てゐてくれたのだ相である。そして下島君は鎌倉に用事もあるので大船まで、長谷川君はどうせ遊んでゐるから國府津までこれから見送らうといふ。まごつきながら感謝してゐると、發車した。
 雨はいつの間にやら霽れてゐた。思ひがけぬ友人の顔を見て急にときめいて來た私の瞳の前に、雨後の若葉が何とも言へぬ輝きを見せて四邊《あたり》にそよぎ出した。同君たちの提げて來てくれた冷酒の壜もあけられて、落ち着かぬ、然し楽しい談話は忽ちこの一室を壓する樣になつた。が、これ(373)も暫しの間で、惜しい/\と言ひながら下島君は大船へ、また一時間ほどして長谷川君は國府津へ降りてしまつた。私も餘程國府津へ降り度かつたが、先途《さき》の時間が打合せてあるためにそれも出來ず、手を握つて別れた。
 箱根にかかると空はます/\明るく、煙つた雲間から水の樣な日光が射して來た。溪流、青葉、遠近の峰、そしてこの日の光、次第に私の旅心地は確かになつて來た。久しく忘れてゐた生々しい感じが、身體の其處此處からむず痒い樣に起つて來た。富士は光り煙つた深い雲に包まれて、僅かにその青やかな裾のみを見せてゐた。
 沼津から海がをり/\車窓に沿ふ樣になつた。蒲原興津のあたり、照り白んだ濱には大勢の漁師共が働いてゐた。鏡の樣な沖を漕いでゐるのも見えた。富士川も、大井川も、好かつた。重々しく輝いてゐる青葉の山の間から極めて靜かに流れ出して來てゐる姿が難有いものゝ樣にも見られた。天龍川もさうであつた。そしてそれを渡ると直ぐ濱松である。三時、同驛下車、其處には法月紫星君たちが出迎へてゐてくれた。
 その夜、同市花屋で歌會が催された。同地斯界の長老加藤雪腸君を初め法月君其他二十人程、果てたのは一時過ぎであつた。濱松には六年前にも一度來た事があり、其時にも同じ會が開かれた。そして其時逢つた數人のうち大塚唯我、伊藤紅緑天の兩君がいつの間にか他界の人となつて(374)ゐた事を知り、少からず驚いた。
 
 五月九日 晴
 午前十時出立、今日の汽車は大分こんでゐた。發車間もなく舞坂となり、次いで辨天島となつた。日はよく晴れてゐた。
 引汐と見え、島の附近は一帶に洲となつて遙かに今切の砂丘の邊りに眞白な浪のあがるのが見えて居る。濱名湖は美しい樣な寂しい湖である。かねてから私は信州の諏訪湖を見ると何となく亡びゆく物の姿を見る樣な、一種廢頽した氣分を覺ゆるのが常であつたが、今日の濱名湖にも亦それに似た感覚を起させられた。
 湖畔を過ぐれば廣い/\稚松の原を走る。小さな松の間にはふりまいた樣に躑躅が咲いてゐる。程なく豐橋、其處を過ぐればまた海が見え出した。浮いて見ゆるのが多分渥美半島であらうと思ふ。この旅の歸りには其處に渡つて、伊良湖崎の端《はな》を見る事になつてゐるのである。まだ見ぬ前のいろ/\な空想が頭に上る。名古屋を過ぎ木曾川を渡れば美濃の高原となる。關ケ原あたりを走る頃、數年前の大地震の時私は小さな新聞記者として出かけて來てゐた事があつた、その時の事など、なつかしく心に浮ぶ。伊吹山には頂上近い山腹に雪の殘つてゐるのが見えた。米原《まいばら》彦根(375)のあたり、次第に曇つてやがてばら/\降り出した。日も漸く暮に近く、青黒く濡れてゆく山野の景色もまた惡くなかつた。大津となり、山科となり、心次第にときめく。京都着はもう何分かの後に迫つた。
 六時四十分京都驛音、そわ/\と立ち上ると直ぐ眼の前に秋田瑞穗君が見えた。私が創作社を結んで以來、歌の上での京都と私との關係はかなり深い且つ長いものであつた。創作社支社がこの地に出來てからも隨分になる。それでゐて私はまだ京都の誰をも知らなかつた。支社の人十數名ある中に顔を知つてゐるのはこの秋田君だけであつた。惶しく挨拶をすると、彼はその側の人々を紹介して呉れた。朝川光太郎君、雨森長三郎君、坂部廣吉君、藤井草宣君、常磐井現雄君、西内白穗君など、一人一人名を聞いてその顔を見てゆくうちに、私は瞼の熱くなつて來るのを留めかねた。殆んど十年來の心の友達であるこの人々と、いま漸く親しく手を握るのである。私はただ空しく頭を下ぐるだけで、ろく/\口がきけなかつた。
 驛前から電車で祇園へ出た。其處の或るカフエーでお互に初めての杯を擧げた。私もその頃漸く自由にものゝ言ひ得らるるだけの心の落ち着きを持つてゐた。明るい灯の下に輝いたこれらの人々の顔を改めて一人々々見廻した。そして心のうちで、私はいま確かに京都に來てゐるのだと恩つて安心した。
(376) 程なく私の宿ときめてあつた吉田町神楽坂吉野館といふへ行く。其處に京大醫科生である秋田君は夙うから下宿してゐるのである。皆、遠いのに送つて來て呉れた。其處では烈しい歌の議論が出て、到頭其の中某々兩君は取つ組み合ひを始め、二人とも額に大きな瘤を作つて了つた。京都の社友には銀行會社に勤めてゐる人たちと帝大同志社眞宗大學其他に出てゐる学生と半々になつてゐる。そして後者はともすると過激派的色彩を帶ぶるらしかつた。今夜着京早々私はその一貫例を見たわけである。驚きもし、可笑しくもあり、感心もした。それが濟んで更に快談、一時過ぎ散會した。
 
 五月十日 雨
 さすがに疲れて今朝は遲かつた。隣家に下宿してゐる朝川君に誘はれて風呂に行き、歸つて來るともう晝であつた。其處へ秋田君が歸つて來た。彼は今朝早く徴兵檢査を受けに行つたのであつた。そして甲種合格であつたといふ。いゝ身體ではあるが、まさかと思つてゐた所へそれと聞き、お互ひに顔を見合せる。同君は今年卒業なので、卒業後の準備などあら方もう出來てゐた所へ斯うなつたので、兎に角に大きな一頓挫である。やがて學校の友達も集つて來て、入營後の始末など相談するため早速郷里へ歸つて來るがよからうといふ事になつた。同君の郷里は栃木縣で、
(377) 秋田君がその準備をして居る間、私は來合せた社友藤井君、白木義詮君、柏樹玲果君たちに案内せられて黒谷の山内から大谷家の岡崎御坊、若王寺、永觀堂あたりを傘さしながら見て歩いた。到るところ寂び果てた御堂や庭園で、いづれも欝蒼たる若葉に包まれ、ことに今日は細かな雨がそそいでゐる。何とも言へぬ靜かな、さうして鮮かな眺めであつた。
 夕方、三人に別れて宿に歸り、直ぐまた秋田君と連れ立つて出かけた。彼は今夜九時發の汽車に乘るので、それまでに大いに飲まうといふのである。四條の橋際の京都料理を自慢にしてゐるといふ或る料理屋に腰を据ゑ、灯に輝いて流れてゐる加茂川を見下しながらゆつくりと相酌む。私は元來酒を飲めばものを喰べない方なのだが、此日は大いに喰つた。甘くもあり又腹具合もよかつたかして自分乍ら可笑しい位ゐ、持つて來る程のものをみな喰べて行つた。程なく、打ち合せてあつたと見え西内雨森の兩君來り加はり、席は愈々賑かになつた。九時の汽車をば悠々と閑却し、十一時何分のに辛うじて間に合ひ、大元氣で彼は歸つて行つた。
 雨森君たちは雨の降る中を態々又私の宿まで送つて來て呉れた。其歸りは多分もう電車は無かつたらう。
 
(378) 五月十一日 雨後晴
 午前午後にかけ、常磐井、藤井、藤元慈祐、筒城牛太郎、栢樹の諸君來訪、藤元君とも七八年に及ぶ知り合ひなのだが、逢ふのは初めてであつた。夕方、朝川、常磐井兩君と銀閣寺に行く。朝川君は京大法科を今年出るので同じく今日徴兵檢査を受けたのださうだが、この人は丙種であった。銀閣寺は想像以上によかつた。金閣寺ほど俗びてゐず、技巧をこらしたその庭園などにも自からなるさびが出てゐて、殆んど自然に近い靜寂を持つて居る。庭後の木深い山から流れ出てゐる筧の水音を聽いてゐると、ほんとに心が澄んで來る。其處を出て法然院といふを訪うた。此處は深い木立の中の寺だ。木魚の響が、薄暗い木立の中に起つてゐる。寺を出ると薄暗い夕空にこの平野を限る四周の嶽がその峯だけを明るく見せて聳えてゐた。
 夜、檢査の濟んだ心祝ひにとて常磐井君と共に朝川君に連れられ、祇園へ行く。四五軒のカフエーを廻つてゐるうちに電車がなくなつてしまつた。きらばとて今度はまた或る物古りて明るき家に席を作り、たうとう一夜を飲み明してしまうた。
 
 五月十二日 晴
 今日は創作社京都支社の人たちが私のために保津川下りをしようといふ日である。朝川君は試(379)驗前だからと家へ歸り、常磐井君と二人だけ、祇園より直ちにかねて定められてあつた二條驛へ急ぐ。其處でまた多くの初對面の人に逢うた。木村流二郎、廣田權三、辻井彌太郎君など。綿引蒼梧君とは同君が高等師範在學中東京で逢つた事があるのださうだがすつかり見忘れてゐた。その他、藤井、西内、雨森君等同勢九人、九時何分發の汽車で丹波の龜岡に向うた。
 嵯峨を過ぐると直ぐ汽車は川に沿うた。眞實の激流、一二日來の雨で水量が増したとやらで一層の壯觀である。ことにこの激流を包む山はいま一帶が青葉若葉に輝いてゐるので、その奔瑞が尚ほ際立つて見ゆる。やがてこの溪谷を舟で下らうといふのである。
 十時半龜岡着、驛には坂部君が待つて居た。龜岡は同君の郷里なので舟其他の準備のため彼だけ昨日からこちらへ出かけてゐたのであつた。昨今、この保津川下りが非常に多く、十日も前から約束して置かねば舟が手に入らぬのである相だ。ことに今日は日曜だし、いまの汽車一杯の人がみな川原に出て來た程なので、皆もそれを氣づかつてゐたのであつたが、幸に坂部君の骨折で午後の二時頃に出るのを無理に借りる事になつた。それまでの二三時間を何處で過さうかといふ事になつたが、なまじ混み合つた茶屋などで晝飯をたべるより寧ろ此處の川原の方がよくはないかと、かねて用意してあつた辨當を廣々した川原の眞中に運ばせ、大きな白鶴《はくづる》の壜も幾本か其處に竝んで、晴々しい賑やかな酒宴が開かれた。そして直ちに、一杯二杯の人も、一升組も、共に(380)共に底を拔いての打ち寛いだ談笑裡に落ちて行つた。而してまだ酒のなかばも盡きぬ頃、舟が來たといふ。そこで直ぐそのままの宴席を丹に移す。間もなく舟はこの賑かな一團を乘せながら、隼の樣にこの奔流の上に走つた。
 
(381) 比叡山
 
 山上の宿院に着いた時はもう黄昏《たそがれ》近かつた。御堂の方へ參詣してからとも思うたが、何しろ私は疲れてゐた。「天台宗講中宿泊所」「一般參詣者宿泊所」といふ風の大きな木の札の懸つてゐるその冠木門を見ると、もう脚が動かなかつた。
 門を入るとツイ眼の前に白い花がこんもりと咲き枝垂れてゐた。見るともなく見れば、思ひもかけぬ幾本かの櫻の花である。五月の十八日だといふに、と思ふと、急に山の深いところに來てゐるのを感じた。飛石を傳つて、苔の青い庭を玄關まで行つたが、大きな建物には殆んど人の氣も無く、二三度訪うても返事は聞かれなかつた。途方に暮れてぼんやりと佇んでゐると、何やら鳥の啼くのが聞える。靜かな、寂しいその聲は曾つて何處かで聞いたことのある鳥である。しばらく耳を澄ましてゐるうちに筒鳥といふ鳥であることを思ひ出した。思ひがけぬ友だちにでも出會つた樣に、急に私の胸はときめいて來た。そして四邊《あたり》を見廻すと何處もみな鬱蒼たる杉の林で、その夕闇のなかからこの筒拔けた樣な寂しい聲は次から次と相次いで聞えて來てゐるのであ(382)る。
 坂なりに建てられたこの宿院のずつと下の方に煙の上つてゐるのを見た。どうやら人の居る氣勢《けはひ》もする。私は玄關を離れてそちらへ急いだ。あけ放たれた入口の敷居を跨ぐと、中は廣大な土間で、老婆が一人、竈の前で眞赤な火を焚いてゐる。私はいきなり聲をかけてその老婆の側に寄りながら、五六日厄介になりたいがと言ひ込んだ。驚いた老婆はさも胡亂《うろん》臭さうに私を見詰めてゐたが、此頃こちらでは一泊以上の滯在はお斷りすることになつてゐるからといふ素氣もない挨拶である。
 私は撲たれた樣に驚いた。そして一寸には二の句がつげなかつた。初めこの比叡山に登つて來たのは參詣のためでなく、見物でもなく、或る急ぎの仕事を背負つて來たのであつた。自分のやつてゐる歌の襍誌の編輯を今月は旅さきで濟ませねばならぬ事になり、東京から送つて來たその原稿全部をば三四日前既に京都で受取つてゐたのである。そして急いで京都でそれを片附けるつもりであつたが、久しぶりに行つた其處では同志の往來が繁くて、なか/\ゆつくりそんな事に向つてゐるひまが無かつた。印刷所に廻さねばならぬ日限は次第に迫つて來るし、困つた果てに思ひついたのはこの山の上であつた。それは可からう、其處には宿院といふのがあつて行けば誰でも泊めて呉れるし、幾日でも滯在は隨意だし、と幾度びか其處に行つた經驗のある或る友人も(383)大津へ、大津から汽船で琵琶湖を横切つて坂本へ、坂本から案外に嶮しい坂に驚きながらも久しぶりにさうした山の中に寢起きする事を樂しみながら、漸く斯うして辿り着いて來たのである。
 さうして斯ういふ思ひもかけぬ返事を聞いたので、私はまつたくぼんやりしてしまつた。そして尚ほ押し返へして二三度頼んでみた。老婆の態度はます/\冷たくて、まご/\すればそのまま追ひ出しも兼ねまじき風である。終に私も諦めた。では一晩だけ泊めて下さいと言ひ棄てながら下駄を脱いだ。長くはさうして立つてゐられぬ位ゐ、私の脚は痛んでゐた。
 通された部屋はもう薄暗かつた。投げ出された樣に其處に突き坐つてゐると、廣い屋内の何處からか微かな讀經の聲が聞ゆる。聞くともなく耳を傾けてゐるとまた例の鳥の啼くのが聞えて來た。山鳩の啼くよりは大きく、梟よりは更に寂び、初めもなく終りもないその聲に耳を澄ましてゐると、もう先程の癇癪も失望もいつか知ら消え失せて、胸はたゞ言ひ樣のないさびしさものなつかしさで一杯になつて來る。私は立ち上つて窓をあけた。少しの庭を距てて、眼の及ぶ限り一面の杉である。戸外はまだ明るかつた。ぼんやりと其處らを見廻してゐると、ふと大きな杉の間に遠く輝いてゐるものを見出した。琵琶湖だナ、と直ぐ思ひついた。
 讀經は何時か終つたが、筒鳥は尚ほ頻りに啼く。それに混つて何だか名も知らぬ小鳥らしいの(384)の啼くのも聞えて居る。窓に倚りかゝりながら、私はいよ/\耐へ難いさびしさを覺えて來た。そして、端なく京都の友人の言つてゐた言葉を思ひ出して、そそくさと部屋を出た。
 案の如くその宿院から石段を一つ登れば一軒の茶店があつた。其處で私は二合入の酒壜を求めながら急いで部屋へ歸つて來た。出來るなら飯の時に飲み度いが、今通りすがりに見れば食堂といふ札の懸つてゐる大きな部屋があつた。飯は多分其處で大勢と一緒に喰べなくてはなるまいし、ことに寺院附屬のこの宿院で公然と酒を飲むのも惡からうと、壜のまま口をつけやうとしてゐるところへ、薄暗い窓のそとからひよつこり顔を出した者がある。十四五歳かと思はれる小柄の小僧である。
「酒買うて來て上げやうか。」
「酒……? 飲んでもいいのかい?」
「此…で飲めば解りアせんがナ。」
「さうか、では買つて來て呉れ、二合壜一本幾らだい?」
「三十三錢。」
 それを聞きながらこの小僧奴一錢だけごまかすな、と思つた。たつた今三十二錢で買つて來たばかりなのだ。
(385)「さうか、それ三十三錢、それからこれをお前に上げるよ。」
 と、言ひながら白銅一つを投り出してやつた。
 犬の樣に闇のなかに飛んで行つたが、直ぐまた裏庭から歸つて來て窓ごしにその壜をさし出した。
「燗をして來てあげやうか。」
「いや、これで結構だ。」
 彼はそのまま窓に手をかけて立つてゐたが、
「酒好きさうな人やと思うてゐた。」
 と言ひながら行つてしまうた。
 苦笑しい/\私は手早くその冷たいのを一口飲み下した。二口三口と續けて行くうちに、次第に人心地がついて來た。窓の前の庭も今は全く暗く、遠くの峰に幾らか明るみが殘つてゐるが、麓の湖はもう見えない。筒鳥の聲もいまは斷えた。部屋はまだ闇のままである。なるやうになれ、と投げ出した心の前には却つてこの闇も親しい樣に思ひなされてゐたが、やがて廊下に足音が聞えて薄赤い洋燈を持つて入つて來た。先刻の小僧である。思つたより更に小柄で、實に險しい顔をして居る。
(386) 翌朝は深い曇りであつた。窓もあけられぬ位ゐ霧がこめて、庭に出てみると雨だか木の雫だか頻りに冷たく顔に當る。
 未練が出て今一度老婆に滯在のことを頼んでみたが生返事で一向埒があかず、幾らか包んでやれば必ず效能があつたのだと、あとで合點が行つたが最初氣がつかなかつた。ことに朝飯の知らせに來た例の小僧が、滯在は出來ぬが今日山を下るのなら早う來て飯を食ひなされ、と言つたのに業を煮やし、早速引き上げることに決心して、早速其處を飛び出した。そして、一應山内の重なところだけでも見て來ようと獨りぶらぶらと山みちを歩き出した。まだ朝が早いので一山の本堂とも云ふべき根本中堂といふ大きな御堂の扉もあいて居らず、行き逢ふ人もなく、心細く細かな徑を歩いて居ると次第に烈しく杉の梢から雫が落ちて來る。種々の期待に裏切らるる事に此頃では私も馴れて來た。あれほど樂しんで來たこの山も、斯んな有樣で早々引き上げねばならぬのかと思ふと實に馬鹿々々しくてならぬのだが、その下からまた直ぐ次の計畫を考へるだけの餘裕も出來てゐた。今日この山を降りて、何處か湖畔の靜かなところを探し、其處で例の仕事を片附けようと思ひついてゐたのである。
 何とも言へぬ深い感じのする山である。その日は四方を霧が罩めてゐたせゐか、特にその樣に(387)思はれた。木立の梢には折々風が立つらしく、急にばら/\と大きい雫が散亂して、見上ぐれば眞白な雲か霧か颯々と走り續いてゐる。梢ばかりでなく、歩いてゐる身近にも茂つた青い木や草が頻りに搖れ靡いて、立ち止つて眺めて居れば何だか恐ろしい樣な思ひも湧く。
 根本中堂から十三丁とかある樣に道標に記きれた淨土院を訪はうと私は歩いてゐた。淨土院は當山の開祖傳教大師の遺骨を納めた寺で、この大正十年が同大師の一千一百年忌に當るのだ相だ。一時は三千坊とか稱へて山内全部に寺院が建ち並んでゐた相だが、今では寺の數三十ほど、そのうち人の住んでゐるのは僅か十六七だらうといふことである。山の廣さ五里四方と云ひ、到る處杉檜が空を掩うて茂つてゐる。ちやうど通りかかつた徑が峠みた樣になつてゐる處に一軒の小さな茶店があつた。動きやまぬ霧はその古びた軒にも流れてゐて、覗いてみれば小屋の中で一人の老爺が頻りと火を焚いてゐる。その赤い色がいかにも可懐しく、ふら/\と私は立ち寄つた。思ひがけぬ時刻の客に老爺は驚いて小屋から出て來た。髪も頬鬚も殆んど白くなつた頑丈な大男で、一口二口語し合つてゐるうちにいかにも人のいい老爺である事を私は感じた。そして言ふともなく咋夜からの愚痴を言つて、何處か爺さんの知つてゐる寺で、五六日泊めて呉れる樣なところはあるまいかと訊いてみた。暫く考へてゐたが、あります、一つ行つて聞いて見ませう、だが今起きたばかりで、それに御覽の通り私一人しかゐないのでこれから直ぐ出かけるといふわけに行か(388)ぬ、追つ附け娘たちが麓から登つて來るから、そしたら早速行つて聞合せませう、まア旦那はそれまで其處らに御參詣をなさつてゐたらいいだらうといふ思ひもかけぬ深切な話である。私は喜んだ。それが出來たらどんなに仕合せだか解らない、是非一つ骨折つて呉れる樣にと頼み込んで、サテ改めて小屋の中を見廻すと駄菓子に夏蜜柑煙草などが一通り店さきに並べてあつて、奥には土間の側に二疊か三疊くらゐの疊が敷いてあるばかりだ。お爺さんはいつも一人きり此處に居るのかと訊くと、夜は年中一人だが、晝になると女房と娘とが麓から登つて來るのだといひながら、ほんの隱居仕事に斯んな事をしてゐるが、馴れてしまへば結局この方が氣樂でいいと笑つてゐる。
 小屋の背後は直ぐ深い大きな溪で、いつの間にか此處らに薄らいだ霧は、その溪一杯に密雲となつて眞白に流れ込んでゐる。空にも幾らか青いところが見えて來た。では一廻り廻つて來るから、何卒お頼みすると言ひ置いて私は茶店を出た。雀一羽降りてゐぬ、靜かな淨土院の庭には泉水に水が吹き上げて、その側に石楠木《しやくなぎ》が美しく咲いてゐた。其處を出て釋迦堂、五輪塔と五町三町おきに何か由緒のあるらしい寺から寺をぶら/\と訪ね廻つて茶店に歸つて來たが、中學生らしい大勢の客のみで、まだその娘たちは來てゐなかつた。それから私は更にこの比叡の絶頂である四明嶽に登つて行つた。その昔平將門が此處に登つて京都を下瞰しながら例の大野望を懷《いだ》いたと稱せらるる處で、まことに四空蒼茫、丹波路から江州その他へ延びて行つた山脈が限りもなく(389)曇つた空の下に浪を打つて續いて居る。風が寒くて、とても高い處には立つて居られない。少し頂上から降りて、風にねぢけたばら/\の松原に久しい間私は寢ころんでゐた。一羽の鶯が其處らに巣でもあると見えて、遠くへは暫しも行かず、松の葉かげに斷えず囀り續けてゐた。
 其處を降りて再び茶店に歸つて行くと私の顔を見た爺さんは、いま娘が來たので早速寺へ問合せにやつた、多分大丈夫と思ふが、兎に角暫く待つてゐて呉れといふ。幸ひ二三本酒壜の並んでゐるのを見たので、それを取つて冷のままちび/\飲んでゐると、二十歳《はたち》位ゐの色の小黒い、愛くるしい顔をした娘が下の溪から上つて來た。それと二三語何か話し合ふと老爺は直ぐ歯の無い顔に一杯に笑みを含んで私の方に振向いた。私もそれを見て思はず知らず笑ひ出した。
 話は都合よく運んだのであつた。が、何しろその寺はこの山の中でも一番荒れた寺で、住職もあるにはあるのだが平常は其處にゐず、麓の寺とかけもちで何か事のある時のほかはこちらへは登つて來ない、ただ一人の寺男の爺さんがゐるばかりで、お宿をすると云つてもその寺男の喰べるものを一緒に喰べて貰はなくてはならぬがそれで我慢が出來るか、とまた心配相に爺さんは私に問ひかけた。却つてその方が私も望むところだ、何しろ望みが叶つて嬉しい、お爺さんも一杯やらないか、と冷酒の茶碗をさすと、いかにも嬉しさうに寄つて來て受取つて押し頂く。お爺さんも好きらしいネ、と笑へば、これが樂しみでこそこんな山の中にもをられるのだといふ。幸ひ(390)客も無かつたので二人してちびちびと飲み始めた。その途中にふつと氣のついた樣に、若しこれから旦那がその寺でお酒をお上りになる樣だつたら一杯でいゝから寺男の爺に振舞つて呉れ、これはまた私以上の好きで、もとはこの麓で立派な身代だつたのだがみなそれを飲んでしまひ、今では女房も子供も何一つない身となつてその山寺に這入つてゐる程の男だから、としみ/”\した調子で爺さんが言ひ出した。宜しいとも、私も毎日これが無くては過せない男だが、それでは丁度いい相棒が出來て結構だなどと話し合つてゐるところへ、溪の方から頭を丸く剃つた、眼や口のあたりに何處か拔けた處のある、大きな老爺がのそ/\と登つて來た。ア、來た/\と云ひながら茶店の老爺は立ち上つて待ち受けながら、今度はまた世話になるな、といふと、何も出來ぬが客人が困つてなさる相だから、と言ひ/\側にやつて來た。私も立ち上つて禮をいふと、向うはただ黙つて眼をばち/\させながら頭を下げてゐる。それを見ると娘はさも/\可笑しいといふ樣に、顔を掩うて笑ひ出した。茶店の爺さんも笑ひながら、且那、この爺さんはまことに耳が遠いのでそんな聲ではなか/\通じないといふ。自分の聲は人並外れて高調子なのだが、これで聞えないとすれば全然聾同然だ、この爺さんとその荒寺に五六日を過すことか、と私も今更ながら改めて眼の前にぼんやり立つてゐる大きな、皺だらけの人を見守らざるを得なかつた。
 やがてその爺さんに案内せられて私は溪の方へ降りて行つた。今までの處より杉はいよ/\古(391)く、徑は段々細くなつた。そして、なか/\遠い。隨分遠いのだなといふと、なアに今の茶店から七町しか無いといふ。近所に他にお寺でもあるのかと聞くと、釋迦堂が一番近いが其處には人がゐないのだから先づ一軒だちの樣なものだといふ。
 なるほど四方を深い木立に距てられた一軒だちの寺であつた。外見は如何にも壯大な堂宇だが、中に入つて見るとその荒れてゐるのが著しく眼に付く。この部屋を兎に角掃除しておいたから、と言はれて或る部屋に入つて行くと疊はじめ/\と足に觸れて、眞中の圍爐裡には火が山の樣に熾《おこ》つて居た。ぼんやりと坐つてゐると、何やらはら/\と烈しく聞えて來た。縁側に出てみると、いつの間にかまた眞白に霧が罩めて大粒の雨が降り出してゐた。
 
(392) 山寺
 
 夕闇の部屋の中へ流れ込むのさへはつきりと見えてゐた霧はいつとなく消えて行つて、たうとう雨は本降りとなつた。あまりの音のすさまじさに縁側に出て見ると、庭さきから直ぐ立ち竝んだ深い杉の木立の中へさん/\と降り注ぐ雨脚は一帶にただ見渡されて、木立から木立の梢にかけて濛々と水煙が立ち靡いてゐる。
 其處へ寺男の爺さんが洋燈に火を點けて持つて來た。ひどい降りだ、斯んな日は火でも澤山おこさないと座敷が濕《し》けていけないと言ひながら圍爐裡に炭を山の樣についでゐる。流石に山の上で斯うせねばまた寒くもあるのだ。そして早速雨戸を締めてしまつた。がらんとした廣い室内が急にひつそりした樣であつたが、それも暫しで、瀧の樣な雨聲は前より一層あざやかにこの部屋を包んでしまつた。來る早々斯んな雨に會つて、私は深い興味と氣味惡さとに攻められながらも改めてこの朽ちかけた樣な山寺の一室をしみ/”\と見廻さざるを得なかつた。
 爺さんはやがて膳を運んで來た。見れば私の分だけである。先刻《さつき》の峠茶屋の爺さんの言葉もあ(393)るので私は強ひて彼自身の分をも此處に運ばせ、徳利や杯をも取り寄せ、先刻茶屋から持つて來た四合壜二本を身近く引寄せて二人して飲み始めた。 爺さんの喜び樣は眞實《まつたく》見てゐるのがいぢらしい位ゐで、私のさす一杯一杯を拜む樣にして飲んでゐる。斯ういふ上酒は何年振とかだ、勿體ない/\といひながら、いつの間にか醉つて來たと見え、固くしてゐた膝をも崩し、段々圍爐裡の側へもにぢり出して來た。爺さん、名を伊藤孝太郎といひ、この比叡山の麓の坂本の生れで、家は土地でもかなりの百姓をしてゐたが、彼自身はそれを嫌つて京都に出て西陣織の職工をやつてゐた。性來の酒好きで、いつもそのために失敗《しくじ》り續けてゐたが、それを苦に病み通した女房が死に、やがて一人の娘がまた直ぐそのあとを追うてからは、彼は完全な飲んだくれになつてしまつた。郷里の家邸から地面をも瞬く間に飲んでしまひ、終には三十五年とか勤めてゐた西陣の主人の家をも失敗つて、旅から旅と流れ渡る樣になり、身體の自由が利かなくなつて北海道からこの郷里に歸つて來たのが、今から六年前の事であるのださうだ。歸つたところで家もなし、ためになる樣な身よりも無しで、たうとう斯んな山寺の寺男に入り込んだといふのである。その概略《あらまし》をば晝間峠の茶屋で其處の爺さんから聞いて來たのであつたが、いま眼の前にその本人を見守りながらその事を思ひ出してゐるといかにもいぢらしい思ひがして、私は自分で飲むのは忘れて彼に杯を強ひた。
(394) 難有い/\と言ひ續けながら、やがてはどうせ私も既《も》う長い事は無いし、いつか一度思ふ存分飲んで見度いと思つてゐたが、矢つ張り阿彌陀樣のお蔭かして今日旦那に逢つて斯んな難有いことは無い、毎朝私は御燈明を上げながら、決して長生きをしようとは思はない、いつ死んでもいいが、唯だどうかぽつくりと死なして下されとそればかり祈つてゐたのであるが、この分ではもう今夜死んでも憾みは無い、などと言ひながら眼には涙を浮べて居る。五尺七八寸もあらうかと思はれる大男で、眼の大きい、口もとのよく締らない樣な、見るからに好人物で、遠いといふより全くの金聾《かなつんぼ》であるほど耳が遠い。それが不思議に、酒を飲み始めてからは案外によく聞え出して、後では平常通りの聲で話が通ずる樣になつた。そして今度は向うで言ふ呂律が怪しくなつて、私の耳に聞き取りにくくなつて來た。
 今夜死んでもいいなどといふのを聞いてから、急に斯う飲ませていいか知らと私も氣になり出したのであつたが、いつの間にか二本の壜を空にしてしまつた。私だけは輕く茶漬を掻き込んだが、爺さんはたうとう飯をよう食はず、膳も何も其儘にしておいて何か鼻唄をうたひながら自分の部屋に寢に行つた。私も獨りで部屋の隅に床を延べて横になつたが妙に眼が冴えて眠られず、まじ/\としてゐるとまた耳につくのは雨の音である。まだ盛んに降つてゐる。のみならず、妙な音が部屋の中でする樣なので細めた灯をかきあげてみると果して隅の一本の柱がべつとりと濡(395)れて、そのあたりにぽとぽとと雨が漏つてゐるのである。枕許まで來ねばよいがと、氣を揉みながらいつか其儘に眠つてしまつた。
 眼が覺めて見ると雨戸の隙間が明るくなつてゐる。雨は、と思ふと何の音もせぬ。もう爺さんも起きた頃だと勝手元の方に耳を澄ませても何の音もせぬ。まさか何事もあつたのではあるまいと流石に胸をときめかせながら寢たまゝ煙草に火をつけてゐると、朗かに啼く鳥の聲が耳に入つて來た。
 何といふその鳥の多さだらう。あれかこれかと心あたりの鳥の名を思ひ出してゐても、とても數へ切れぬほどの種々の音色が枕の上に落ちて來る。私は耐へ難くなつて飛び起きた。そして雨戸を引きあけた。
 照るともなく、曇るともなく、燻《いぶ》り渡つた一面の光である。見上ぐる杉の木立は次から次と唯だ靜かに押し並んで、見渡す限り微かな風もない。それからそれと眼を移して見てゐると、私は杉の木立と木立との間に遙かに光るものを見出した。麓の琵琶湖である。何處から何處までとその周圍も解らないが、兎に角|朧々《おぼろ/\》とその水面の一部が輝いてゐるのである。
 餘りに靜かな眺めなので私はわれを忘れてぼんやりと其處らを見廻してゐたが、また一つのも(396)のを見出した。丁度溪間の樣になつて眼前から直ぐ落ち込んで行つてゐる窪地一帶には僅かの間杉木立が途斷えて細長い雜木林となつてゐるが、その藪の中をのそり/\と半身を屈めながら何か探してゐる人がゐるのである。頭を丸々と剃つた大男の、紛ふ方なき寺男の爺さんである。それを見ると妙に私は嬉しくなつて大聲に呼びかけたが、案の定、彼は振向かうともしなかつた。
 後、庭に降りて筧の前で顔を洗つて居ると爺さんは青々とした野生の獨活《うど》を提げて歸つて來た。斯んなものも出てゐたと言ひながら二三本の筍をも取出して見せた。
 
 この××院といふのは比叡の山中に建つてゐる十六七の古寺のうち、最も奥に在つて、また最も廢れた寺であつた。住持もあるにはあるが、麓の寺とかけ持ちで、何か事のある時のほか滅多には登つて來ず、年中殆んどこの寺男の爺さんが一人で留守居をして居るのである。四方唯だ杉の林があるのみで、しかも溪間の行きどまりになつた所に在るために根本中堂だの淨土院だの釋迦堂だの、または四明嶽、元黒谷などへ往來する參詣人たちも殆んど立ち寄る事なく、まる一週間滯在してゐる間、私はこの金聾の爺さんのほか、人間の顔といふものを餘り見る事なくして過してしまつた。
 多いのは唯だ鳥の聲である。この大正十年が當山開祖傳教大師の一千一百年忌に當るといふ舊(397)い山、そして五里四方に亙ると稱へらるる廣い森林、その到る所が殆んど鳥の聲で滿ちてゐる。
 朝、最も早く啼くのが郭公である、くわつくわう/\と啼く、鋭くして澄み、而もその間に何とも言ひ難い寂《さび》を持つたこの聲が山から溪の冷たい肌を刺す樣にして響き渡るのは大抵午前の四時前後である。この鳥の啼く時、山はまつたく鳴りを沈めてゐる。くわつと鋭く高く、さうして直ちにくわうと引く、その聲がほゞ二つか三つ或る場所で續けさまに起つたかと思ふと、もうその次は異つた或る頂上か溪の深みに移つて居る。彼女は暫くも同じ所に留まつてゐない。而して殆んどその姿を人に見せた事がない。杜鵑も朝が滋い。これは必ず其處等での最も高い梢でなくては啼かぬ。この鳥も二聲か三聲しか聲を續けぬが、どうかすると取り亂して啼き立つる事がある。その時は例の本尊かけたかの律も破れて、全く急迫した亂調となつて來る。日のよく照る朝など、聽いてゐて息苦しくなるのを感ずる。この鳥は聲よりも、峰から峰、梢から梢に飛び渡る時の、鋭い姿が誠にいゝ。それから高調子の聲に混つて、何といふ鳥だか、大きさは燕ほどでその尾の一尺位ゐ長いのがゐて、細々と、實に細々と息を切らずに啼いてゐるのがある。これは下枝《しづえ》から下枝を渡つて歩いて、時には四五羽その長い愛らしい尾をつらねてゐるのを見る。
 日が闌《た》けて、木深い溪が日の光に煙つた樣に見ゆる時、何處より起つて來るのだか、大きな筒から限りもなく拔け出して來る樣な響で啼き立つる鳥が居る。初めもなく、終りもない、聽いて(398)居れば次第に魂を吸ひ取られて行く樣に、寄邊ない聲の鳥である。或時は極めて間遠に或時は釣瓶打ちに烈しく啼く。この鳥も容易に姿を見せぬ。聲に引かれて何卒して一目見たいものと幾度も私は木の雫に濡れながら林深く分け入つたが、終に見る事が出來なかつた。筒鳥といふのがこれである。
 筒鳥の聲は極めて圖拔けた、間の抜けたものであるが、それをやゝ小さく、且つ人間くさくしたものに呼子鳥といふのが居る。初め筒鳥の子鳥が啼いてゐるのかと思つたが、よく聞けば全く異つてゐる。山鳩にも似、また梟にも近いが、そのいづれとも違つた、矢張り呼子鳥としての言ひ難い寂びを帶びた聲である。
 數へれば際《きり》がない。晴れた朝など、これらの鳥が殆んど一齊に其處此處の溪から峰にかけて啼き立つる。茫然と佇んで耳を澄ます私は、私の身體全體の痛み出す樣な感覺に襲はるる事が再々あつた。
 
 或日の夕方、もう暗くなりかけた頃、ぼんやり疲れて散歩から歸つて來ると、思ひもかけぬ本堂の縁の下から這ひ出して來る男がゐた。喫驚して見ると、寺男の爺さんである。何をするのだと訊くと、にや/\笑つてゐて答へなかつたが、やがてどうも狐や狸の惡戯《いたづら》がひどいので毎晩斯(399)うして御飯を上げて置くのだといふ。どんな惡戯だと訊くと、晝間でも時々本堂の方で寺の割れる樣な音をさせたり、夜になると軒先に大入道になつて立つてゐたり、便所の入口をわからなくしたり、暗くなつて歸つて來る眼の前に急に大きな瀧を出來したりする、が、ああしてお供へをする樣になつてからそんな事はなくなつたと言ふ。では僕たちはお狐さんと一つ鍋の飯を喰つてるわけだネ、と言つて笑つたが、その晩から私は小便だけは部屋の前の縁先から飛ばす事にした。
 
 毎晩爺さんとの對酌が日毎に樂しくなつた。山の茶屋から壜詰を取つてゐては高くつくからと言ひながら爺さんは毎日一里半餘りの坂路を上下して麓の宿《しゆく》の酒屋から買つて來る事にした。爺さんの留守の間、私は持つて來た仕事(旅さきでやる事になつた自分の雜誌の編輯)をしながら、淋しくなれば溪間に出て蕨を摘んだり、虎杖を取つたり(これは一夜漬の漬物に恰好である)、獨活を掘つたりしてその歸りを待つのである。
 此處に一つ慘《いたま》しい事が出來た。この四五年の間、爺さんは酒らしい酒を飲まず、稀に飲めばとて一合四五錢のものをコツプで飲む位ゐで、斯うした酒に燗をつけて、飲むといふ事は斷えて無かつたのである。所が私が來て以來毎晩斯うして土地での上酒に罐詰ものの肉類に箸をつけてゆくうちに彼は久しく忘れてゐた世の中の味を思ひ出したものらしい。元來この寺は廢寺同然の寺(400)で、唯だ毎朝お燈明を上ぐるか折々庭の掃除をする位ゐのもので仕事と云つては何もない。その代りただ喰べてゆくといふだけで、報酬といふものも殆んど無かつた。それでまた諦めてゐたのであるが、彼は急にそれで慊らなくなつた。或る夜、得々として私に言ひ出した。今日酒屋から歸りに△△院といふに寄つて、前から話のあつた事ではあるしどうかこちらへ私を使つて呉れぬかと頼んだ所、お前さへよければいつ來てもいい、働き一つで五圓でも六圓でも金はやるからと言はれた、明日早速里に降りてこちらのお住持には斷りを言うてあちらのお寺へ移る事にする、さうすれば私もまたこれから時々は斯うしたお酒も飲めるからと、いかにも嬉しげなのである。何となく困つた事を仕出かした樣にも思うたが、強ひて止めるわけにもゆかず、それでいつから移るのだと訊くと、旦那がこゝを立たれる日に直ぐ移るといふ。こちらの住持が困りはせぬかと言へば、少しは困るだらうが致し方が無い、大體こららのお住持が餘りに吝嗇《けち》だから斯ういふ事にもなるのだといふ。
 いよ/\私の寺を立つ日が來た。その前の晩、お別れだからと云ふので、私は爺さんのほか、最初私をこの寺に周旋して呉れた峠茶屋の爺さんをも呼んで、いつもよりやや念入りの酒宴を開いた。茶屋の爺さんは寺の爺さんより五歳上の七十一歳だ相だが、まだ極めて達者で、數年來、山中の一軒家にただ獨り寢起きして晝間だけ女房や娘を麓から通はせてゐるのである。
(401) 寺の爺さんは私の出した幾らでもない金を持つて朝から麓へ降りて、實に克明に種々な食物を買つて來た。酒も多く取り寄せ、私もその夜は大いに醉ふつもりで、サテ三人して圍爐裡を圍んでゆつくりと飲み始めた。が、矢張り爺さん達の方が先に醉つて、私は空しく二人の醉ひぶりを見て居る樣な事になつた。そして、口も利けなくなつた、兩個《ふたり》の爺さんがよれつもつれつして醉つてゐるのを見て、樂しいとも悲しいとも知れぬ感じが身に湧いて、私はたび/\涙を飲み込んだ。やがて一人は全く醉ひつぶれ、一人は剛情にも是非茶屋まで歸るといふのだが脚が利かぬので私はそれを肩にして送つて行つた。さうして愈々別れる時、もうこれで旦那とも一生のお別れだらうが、と言はれてたうとう私も泣いてしまつた。
 翌日、早朝から轉居《ひつこし》をする筈の孝太爺は私に別れかねてせめて麓までと八瀬村まで送つて來た。
 其處で尚ほ別れかね、たうとう京都まで送つて來た。
 京都での別れは一層つらかつた。
 
(402) 旅の或る日
 
 伊豆の大仁《おほひと》から來て三島町驛と三島驛とでも同じ樣な失敗をやつた事がある。今度もその日大和の初瀬から立つて高田で乘換へ、和歌山線の終點まで行くつもりで何の氣もなく「和歌山」行きの切符を買つて私は持つてゐた。そして、和歌山、和歌山と呼ぶ聲に猶豫なく立ち上つた。小さいものであるが左右の手に手提や包みや洋傘《かうもり》を持つて車室を出るなり改札口へ出て行つたが、不圖振返つて見ると車内大部分の人は皆落著き拂つて尚ほ腰を掛けてゐる。可笑しいなと思ひながら列に押されて切符を渡して改札口を出た。そして、直ぐ傍の人に訊いた。
「此處は終點ではないのですか?」
「いいえ、終點はこの次の和歌山市驛です。」
 失敗《しま》つた、と思つた。と同時に私は改札口を探ねて驅けつけた。丁度車掌の笛の鳴つた時、辛うじて私は乘降臺の上に在つた。そして車室に入つて見ると偶然にもツイ一二分前自分の出て行つたそれであつた。不思議な顔をして私の顔を仰ぐもあり、合點の行つた樣に微笑んでゐる人も(403)ある。苦笑しながら坐りもやらずに其儘入口に立つてゐた。其處から和歌山市驛までの汽車賃は三錢か五錢であつた。
 汗の乾く間もないうちに驛に着いた。今度は車内の人悉く立ち上るのを尻目にしながら、わざと落ち着いて改札口を出て來たが、その時尚ほ私は胸の騷いでゐるのを感じてゐた。それを靜めるため、先づ待合室に入つて腰を下した。便所にも行つた。
 サテ、これから如何したものか。
 その頃既う私の路銀は殆んど盡きかけてゐた。高野山にも登る筈であつたのだが、それすら見合せざるを得なかつた。登つて一泊して降りて來る位ゐの餘裕はあつたが東京を立つ時から其處には滯在の心算《つもり》であつたので、それを裏切るのが辛かつた。いづれまたゆつくりと出直す時もあるだらうと強ひて諦めながら、幾分その慰めの形で、これは豫定外の初瀬に咋日は折れて長谷觀音に參つて來たのであつた。初め三四日滯在の筈であつた京都に十九日間もぶら/\してゐた時から既に懷中は怪しくなつてゐた。京都を出て大阪三日、奈良二日と廻つて來る間、かなり淋しい思ひが續いてゐたのである。
 サテ如何するか。最初の豫定では此處から五六里顧れてゐるN――郡のH――村に或る友人を訪ねて行く事になつてゐた。が、今ではそれも考へものだと思はれて來てゐるのである。友人と(404)は云つても自分のやつてゐる歌の結社の社友の一人で、まだ逢つた事もない人である。その友人は頻りに私を待つてゐるらしく、道案内なども詳しく書いてよこしてあつた。和歌山まで汽車で、其處の驛前から黒江行の電車で終點まで、其處から俥で日方まで、日方町からまた電車で野上まで、其處から歩いて斯うと、丁寧に注意してあつた。その通りにまた私は携帶した地圖に印をつけておいたのである。
 見れば成程停車場の前から出發してゐる電車線がある。中に黒江行と札を掲げたものも折々動いてゐる。私は荷物を提げて兎に角この電車の待合所まで行つてみた。そして前に友人から言つて來た道筋を確めて見るとまさしく左樣であるといふ。續いて私は熊野を廻つて志摩の鳥羽へ行く汽船が和歌山から出る相だが、それに乘るには如何すればいゝかと訊いた。それは新和歌浦といふ所から乘船するので、それには新和歌浦行といふあの電車に乘ればいゝと指す。その船は毎日かそして何時《いつ》出帆かと重ねて訊くと、毎日夜の十一時半だといふ。
 丁度その時午後の三時半であつた。今から行つて十一時半まで待つも智慧のない話である。では矢張りH――村まで行かう、行つて逢つて直ぐ引返すにしても船には確かに間に合ふ、さうしようと私は漸く決心した。そして急いで切符を買つて黒江行といふのに乘り込んだ。その時應對した電車の係は誠に深切であつた。その深切が私をして友人訪問の心を固めるために餘程力のあ(405)つた事を後で思つた。
 電車は初め市内を走つた。舊城の壕に沿ふあたり、私は端《はし》なく鮮かな記憶を心のうちに思ひ起す事が出來た。和歌山附近には曾て十年程前、まだ早稻田の學校にゐた頃土地出身で同級の親しい友人と共に一週間ほども滯在してゐた事があつた。その友人も今は他國に出て、しかもその後お互ひに逢ふ折も絶えてゐる事など、しみ/”\思ひ起された。その時は眞夏であつたが、いまこの午後の晴れ切つた日光が石垣や腐れた樣な濠の水に射してゐるのを眺めてゐると如何にもあり/\と當事の事が心に蘇つて來て、それがまた何とも言へぬ寂しさと變つて來る。斯うして通りかかるまでぼんやりと忘れてゐた事ではあり、旅の身の心細さが手傳つて特にさうであつたかも知れない。一二度登つた天守閣も白々として日光の裡に浮いてゐた。
 程なく長い松原となり、和歌の浦にかかる。名所の悲哀もかなり多いものだが、此處などもその著しいものであらう。何處をどうと取り立ててあれほどの名に負ふ形勝を見る事など出來はせぬ。平凡を通り越していささか馬鹿々々しいのを思ふ位ゐである。丁度干潮で、片男波を右に紀三井寺を正面に見て走る頃、電車は溝の樣な干潟の臭氣に包まれた。見渡す限り黒々と干てゐるのである。
 其處を過ぐると今度は蜜柑の花の匂ひが襲うて來た。畠や山といふほどではないのだが、其處(406)此處に茂つてゐるその木から流れて來るのだらう、疲れた心を刺す烈しい匂が颯々とした風と共に後から後からと車窓に入つて來る。私は實に久しぶりにこの匂を嗅いだのであつた。腰を浮かして見廻すと今が丁度眞盛りらしく、こんもりとしたその木が白々として花に包まれてゐるのが見える。
 電車から降りて俥に乘つた。そして通り懸つた町は、町といふよりも宿場といふが適當らしい日方の町は他處《よそ》に見る事の少い程古びた、特色のある町であつた。街路が極めて狹く、且つ曲りがちで、軒と軒とは殆んど觸れ合ふばかりに相向ひ、みな蒼然たる古色を帶びて居る。そして商賣は盛んらしく、店頭を見ても行き合ふ生魚や果物などの呼賣りを見ても、何となく活氣が見える。斯うした、見馴れぬ場所を通りかかると、旅に出てゐるといふ心が如何にも判然と浮いて來るものである。そして事ごとに胸はときめく。
 それからの電車を待つ三四十分間は隨分また淋しかつた。小さな、露出《むきだ》しの待合室に夕日を受けて腰かけてゐると、また種々の事が氣になる。これから出かけて行つて若し友人が留守だつたら如何だらうとも思はれ出した。私が彼を訪問する筈であつた日はもう十日も前に過ぎてゐる、といふ樣な事からこれからさきの行途《ゆくて》のこと、留守中の自宅のことなど、それからそれと長い旅に疲れ果てゝ妙に神經質になつてゐる私は、暫くもぢつとしてゐられない樣な焦燥を感じて電車(407)を待つた。やがて向うから來るのに乘り込む。其處から電車は引返すのでだ。少し曇りかけて、風が次第に加はつた。四邊《あたり》にそれと解る蜜柑山からは前より一層強いその花の香が絶えず車窓を包んでゐる。麥は全く黄熟して所々ではもう刈つてゐる。麥を摘んでゐるのも見える。
 電車はやがて川に沿うた。村の名に呼ばるるN――川だな、と思つた。三四十分にして終點着、待合所を出て俥を呼んでこれ/\へ行けと言ふと、其處ならもう乘るが程はない、ツイ其處に見えてゐるといふ。荷物を提げて歩み出すと、道は直ぐ澄んだ川の縁に出た。見れば川に沿うて稍小高くなつた所に五六十軒家の寄つてゐる所が見える。彼處だな、と思ひながら兩手の荷物を提げ代へた。
 
(408) 熊野奈智山
 
 眼の覺めたままぼんやりと船室の天井を眺めてゐると、船は大分搖れてゐる。徐ろに傾いては、また徐ろに立ち直る。耳を澄ましても濤も風も聞えない。すぐ隣に寢てゐる母子づれの女客が、疲れはてた聲でまた折々吐いてゐるだけだ。半身を起して見廻すと、室内の人は悉くひつそりと横になつて誰一人煙草を吸つてる者もない。船室を出て甲板に登つてみると、こまかい雨が降つてゐた。沖一帶はほの白い光を包んだ雲に閉されて、左手にはツイ眼近に切りそいだ樣な斷崖が迫り、浪が白々と上つてゐる。午前の八時か九時、しつとりとした大氣のなかに身に浸む樣な鮮さが漂うて自づから眼も心も冴えて來る。小雨に濡れて一層青やかになつた斷崖の上の木立の續きに眼をとめてゐると、そのはづれの岩の上に燈臺らしい白塗の建物のあるのに氣がついた。
「ハヽア、此處が潮岬だナ。」
 と、先刻《さつき》から見てゐた地圖の面がはつきりと頭に浮んで來た。尚ほ見てゐると燈臺の背後は青(409)々した廣い平原となつて澤山の牛が遊んで居る。牧場らしい。
 小雨に濡れながら欄干に捉《つかま》つてゐると、船は正しくいまこの突き出た岬の端を廻つてゐるのだ。舵機を動かすらしい鎖がツイ足の爪先を斷えずギイ/\、ゴロ/\と動いて、眼前の斷崖や岩の形が次第に變つてゆく。そして程なくまた地圖で知つてゐた大島の端が右手に見えて來た。
「此處が日本の南の端でナ。」
 氣がつかなかつたが私の側に一人の老人が來て立つてゐた。そして不意に斯う、誰にともなく(と云つて附近には私一人しかゐなかつた)言ひかけた。
「左樣《さう》なりますかネ、此處が。」
「左樣だネ、此處が名高い熊野の潮岬で、昔から聞えた難所だよ。」
 日本の南の端、臺灣や南洋などの事の無かつた昔ならばなるほど此處がさうであつたかも知れぬと、そんな事を考へてゐると老人は更に種々《いろいろ》と話し出した。丁度此處には沖の大潮(黒潮のことだと思つた)の流がかかつてゐるので、通りかかつた他國者の鰹船などがよく押し流された話や、鰹の大漁の話、先年土耳古軍艦の沈んだのも此處だといふことなど。
 かなりの時間をかけてこの大きな岬の端を通り過ぎると、汽船の搖は次第に直つて來た。そして程なく串本港に寄り、次いで古座港に寄つて勝浦に向つた。
(410)   船にしていまは夜明けつ小雨降りけぶれる崎の御熊野《みくまの》の見ゆ
   日の岬潮岬は過ぎぬれどなほはるけしや志摩の波切は
   雨雲の四方に垂りつつかき光りとろめる海にわが船は居る
 
 勝浦の港に入る時は雨はなほ降つてゐた。初め不思議に思つた位ゐ汽船は速力をゆるめて形の面白い無数の島、若しくは大小の岩の間をすれすれに縫ひながら港へ入り込んで行つた。その島や岩、またはその間に湛へた紺碧の潮の深いのに見惚れながら、此處で降りる用意をするのも忘れて甲板に突つ立つてゐると、ふと私は或事を思ひ出した。そして心あての方角を其處此處と見廻してゐると、果してそれらしいものが眼に入つた。深く閉した雲の下に山腹が點々と表れてその殆んど眞中あたりに、まことに白々として見えて居る。奈智の瀧である。勝浦の港に入る時には氣をつけよ、側で見るより寧ろいいかも知れぬからと、曾て他から注意せられて來たその奈智の大瀧である。なるほどよく見える。そして思つたよりも山の低いところにその瀧は懸つてゐるが、何といふことなく難有いものを見る樣な氣持で、私は雨に濡れながら久しくそれに見入つてゐた。
 入つて見れば此處の港は意外な廣さを持つて居る。双方から蜒曲して中の水を抱く樣に突き出(411)た崎の先には、例の島や岩が樹木の茂りを見せながら次々と並んで、まるで山中の湖水の樣な形になつて居る。そして深さもまた深いらしく、次第に奥深く入り込んだ汽船はたうとう棧橋に横づけになつてしまつた。熊野一の港だと聞いたがなるほど道理《もつとも》だと思ひながら、洋傘《かうもり》をさし、手提をさげてぼんやりと汽船から降りた。降りたには降りたが、其からさきの豫定がまだ判然と頭のなかに出來てゐなかつた。そして子供らしい胸騷ぎを覺えながら、兎も角もぶら/\と海岸沿ひに歩き出した。雨は急に強く、洋傘がしきりに漏る。街はまた意外に大きくも賑かでもないらしく、少し歩いてゐるうちに間もなく其處等中魚の臭《にほひ》のする漁師町に入り込んだ。鰹の大漁と見え、到るところ眼の活きた育紫の鮮かなのが轉がしてある。或所ではせつせと車に積み、或所では大きな釜に入れて※[火+蝶の旁]《ゆ》でてゐた。
 幾ら歩いてゐても際《きり》が無いので、幸ひ眼に入つた海の上にかけ出しになつてゐる茶店に寄つて、そこにも店さきに投《はう》つてある鰹を切つて貰ひ、一杯飲み始めた。濡れた手提から地圖を引き出して茶店の主人を相手に奈智や新宮への里程などを訊いてゐるうらに、私は不圖この勝浦の附近に温泉の記號のつけてあるのを見出した。主人に訊くと、彼は窓をあけてこの圓い入江のあちこちを指さしながら、彼處に見えるのが何、こちらに見えるのが何、いま一つ向うの崎を越すと何といふのがあるといふ。斯う鼻のさきに幾つとなく温泉のあることを聞いて何といふ事なく私は嬉(412)しくなつた。そして立つて窓際に主人と竝びながら其處此處と眼を移して、丁度そこから正面に見える彼處は何といふのだと訊くと、赤島だといふ。ひた/\に海に沿うた木立の深げな中に靜かに家が見えて居る。行くなら船で渡るのだが、呼んで來てやらうかといふので早速頼んで其處に行くことにきめた。
 小さな船で五六分間も漕がれてゐると、直ぐに着いた。森閑とした家の中から女中が出て來て荷物を受取る。何軒もあるのかと思つてゐたらこの家ただ一軒しか無いのであつた。海に面した二階の一室に通されて、やれ/\と腰を下すと四邊《あたり》に客も無いらしくまつたく森《しん》としてゐる。湯はぬるいがまた極めて靜かで、湯槽《ゆぶね》の縁に頭を載せてゐると、かすかに浪の寄る音が聞えて來る。湯から出て庭さきの浪打際に立つてゐると、小さな魚が無數にそこらに泳いでゐる。磯魚の常で何とも云へぬ鮮麗な色彩をしたのなども混つてゐる。藻がかすかに搖れて、それと共にその魚の體も搖れてゐる樣だ。雨は先刻《さつき》から霽《あが》つてゐたが、對岸の山から山へかけて、白雲も次第に上に靡いて、此處からもまた例の大きな瀧が望まれた。
 凪ぎ果てた港には發動船の走る音が斷間なく起つて居る。みな鰹船で、この二三日とりわけても出入が繁いのださうだ。夕方、特に注文して大ぎりにした鰹を澤山に取り寄せた。そして女中をも遠ざけて唯一人、いかにも遠くの旅さきの温泉場に來て居る靜かな心になつて、夜遲くまで(413)ちび/\と盃を嘗めてゐた。
   したたかにわれに喰《くは》せよ名にし負ふ熊野が浦はいま鰹時
   熊野なる鰹の頃に行きあひしかたりぐさぞも然かと喰《を》せこそ
   いまは早やとぼしき錢のことも思はず一心に喰へこれの鰹を
   むさぼりて腹な破りそ大ぎりのこれの鰹をうまし/\と
   あなかしこ胡瓜もみにも入れてあるこれの鰹を殘さうべしや
 
 六月三日、久しぶりにぐつすりと一夜を睡つて眼を覺すとまた雨の音である。戸をあけてみると港内一帶しら/”\と煙り合つて、手近の山すら判然とは見わかない。たゞ發動機の音のみ冴えてゐる。
 朝の膳にもまた酒を取り寄せて今日は一日この雨を聞きながらゆつくりと休むことにした。東京の宅を立つたのが先月の八日、二週間ほどの豫定で出て來た旅が既うかれこれ一月に及ぼうとしてゐるのである。京都界隈から大阪奈良初瀬と廻つて紀州に入り込んだ時はかなり身心ともに疲れてゐた。それに今までは到る所晝となく夜となく、歌に關係した多勢の人、それも多くは初對面の人たちに會つてばかり歩いて來たので心の靜まるひまとては無かつた。それが昨夜、和歌(414)の浦からこの熊野廻りの汽船に乘り込んで漸く初めて一人きりの旅の身になつた樣な心安さを感じて、われ知らずほつかりとしてゐた所である。初めの豫定では勝浦あたりに泊る心はなく、汽舶から直ぐ奈智に登つて、瀞《とろ》八丁に廻つて新宮に出て、とのみ思うてゐた。が、斯うして思ひがけぬ靜かな離れ島の樣な温泉などに來てみるとなか/\豫定通りに身體を動かすのが大儀になつてゐた。それにこの雨ではあるし、寧ろ嬉しい氣持で一日を遊んでしまふことに決心したのである。
 午前も眠り、午後も眠り、葉書一本書くのが辛くてゐるうちに夜となつた。雨は終日降り續いて、夜は一層ひどくなつた。客は他に三四人あつたらしいが、静けさに變りはない。翌日も雨であつた。また滯在ときめる。旅費の方が餘程怪しくなつてゐるが、此處に遊んだ代りに瀞八丁の方を止してしまふことにした。午後は晴れた。釣竿を借りて庭さきから釣る。一向に釣れないが、二時間ほども倦きなかつた。澄んだ海の底を見詰めてゐると實に種々な魚が動いてゐるのだ。
 
 六月五日、また降つてゐた。
 でも、今日こそは立たうと思つてゐた。瀞八丁を止すついでに奈智の瀧も此處から見るだけに(415)留めて置かうかとも思つたが、幾らか心殘りがあるので思ひ切つて出かける。船頭の爺さんに頼んで汽船から見て來た港口の島々の間の深く湛へたあたりを漕いで廻る。見れば見るほど、景色のすぐれた港だと思はれた。そして對岸の港町に上つて停車場へ行つた。雨が烈しいので、袴も羽織も手提も一切まとめて其處に預けて、勝浦新宮間に懸つてゐる輕便鐵道に乘り込んだ。間もなく二つ目の驛、奈智口といふので下車。
 雨はまるで土砂降に降つてゐた。幾ら覺悟はしてゐてもこれでは餘りにひどいので少し小降になるまで待つてから出かけようと停車場前の宿屋に入つた。そして少し早いが晝食を註文してゐると、突然一人の男が奥から馳け出して來て私の前に突つ立つた。その眼は妙に輝いて、聲まで逸《はず》んでゐる。貴下は東京の人だらう、と言ひながら頭の頂上《てつぺん》から爪先まで見上げ見下してゐる。何氣なく左樣だと答へると、何日にあちらを立つたと訊く。ありのままに答へると、さもこそと云はむばかりに獨り合點して更に何處から何處を廻つてゐたかと愈々勢込んで來た。そのうちに奥からも勝手からもぞろぞろと家族らしいもの女中らしいものが出て來た。その上、先刻《さつき》から店さきに休んでゐた同じく奈智行らしい一行の人たちも立つてこちらを覗き込んで來た。私は何とも知れぬ氣味惡さを感じながら無作法に自分の前に突つ立つてまじ/\と顔を覗き込んでゐる痩せた、脊の高い、眼の險しい四十男を改めて見返さざるを得なかつた。そして簡單に京都大阪奈(416)良と答へてゐると、急に途中を遮つて、高野山に登つたらうと言ふ。まことに息を逸ませてゐる。私はもう素直に返事するのが不快になつた。で、左樣だ、と言つた。實は其處には登る筈ではあつたが登らずに來たのであつた。それを聞くとその男は愈々安心したといふ風に、脊を延ばして初めて氣味の惡い微笑を漏らしながら、左樣でせう、確かに左樣だらうと思つた、サ、何卒《どうぞ》お二階にお上り下さい、實は東京からあなたを探《たづ》ねていらした方があるのです、と言ふ。今度は私の方で驚いた。そして思はず立ち上つた。
「え、誰だ、何といふんです、……僕は若山と云ふのだが。」
「へゝえ、誰方《そなた》ですか、もう直ぐこれへ歸つておいでになりますで、……實はあなたを探して一先づ瀧の方へおいでになりましたので、もう直ぐこれへお歸りで御座いますから、まア、どうぞお二階へ。」
 といふ。
 この正月の事であつた、私は伊豆の東海岸を旅行して二日の夜に或る温泉場へ泊つた。すると、同じその夜、その土地の、同じ宿屋の、しかも私と襖一重距てた室へ私の友人の一人が泊り合せて、さうして二人ともそれを知らずに、翌日それ/”\分れ去つた事があつたのだ。この番頭らしい怪しき男の今までの話を聞いてゐて、端なく思ひ出したのはその事である。そして私がこの頃(417)この熊野を通つて、奈智へ登るといふ事は東京あたりの親しい者の間には前から知れてゐた事實である。誰か氣まぐれに後から追つて來て、今日それが此處を通つたかも知れぬといふ事は強ちに否定すべき譯に行かなかつた。まして此場の異常に緊張した光景は確かにそれを思はするに充分であつた。
「え、誰です、何といふ男が來ました?」
 あれかこれかと私は逸速くさうした事をしさうな友人を二三心に浮べながら、もう眼の前にそれらの一人の笑ひ崩るる顔を見る樣な心躍りを感じて問ひ詰めた。
 今度は相手の方がすつかり落ち着いてしまつた。環《わ》を作つて好奇の眼を輝かせてゐる女中や家族や客人たちをさも得意げに見廻して、兎に角此處では何だから二階にあがれ、と繰返しながら、一段聲を落して、
「東京では皆さんがえらく御心配で、ことに御袋樣などはたとへ何千圓何萬圓かかつてもあなたを深し出す樣にといふわけだ相で……」
 と言ひ出した。
 此處まで聞いて私は再びまた呆氣にとられた。何とも言へぬ苦笑を覺えながら、
「さうか、それでは違ふよ、僕は東京者には東京者だが、そんな者ぢアない、人違ひだ。」
(418) と馬鹿々々しいやら、また何かひどくがつかりした樣な氣持にもなつて再び其處へ腰掛けやうとすると、なか/\承知しない。
「いえもうそれは種々な御事情もおありで御座いませうが、……實は高野山から貴下のお出しになつた葉書で、てつきりこちらへおいでになる事も解つてゐましたので、ちやんともうその人相書まで手前の方には解つてゐますので……」
「ナニ、人相書、それなら直ぐその男かどうかといふ事は解りさうなものぢアないか。」
「それがそつくり貴下と符合致しますので、もうお召物の柄まで同じなのですから、……兎に角お二階で暫くお待ち下さいまし、瀧の方へおいでになつた方々にも固く御約束をしておいた事ですから此處でお留め申さないと手前の手落になります樣なわけで……」
 私はもうその男に返事をするのを見合せた。そして其處へ來て立つてゐる女中らしいのに、
「オイ、如何した飯は、洒は?」
 と言ふと、彼等は惶てて顔を見合せた。先刻からの騷ぎでまだ何の用意にもかかつてゐないのだ。
「ええ、どうぞ御酒でもおあがりになりながら、ゆつくり二階でお待ち下さいます樣に……」
 と、その男は終《つひ》に私の手を取つた。
(419) 先刻《さつき》からむづ/\し切つてゐた私の肝癪玉はたうとう破裂した。
「馬鹿するな、違ふ。」
 と、言ふなり私は洋傘《かうもり》を掴んで其處を飛び出した。そしてじやア/\降つてゐる雨の中を大股に歩き始めた。軒下まで飛んでは出たが流石にその男も其處から追つて來る事はしなかつた。
 幸に私の歩き出した道は奈智行の道であつた。何しろ恐しい雨である。熊野路一帶は海岸から急に聳え立つた嶮山のために大洋の氣を受けて常に雨が多いのださうだが、今日の雨はまた別だ。幾らも歩かないうちに全身びしよ/\に濡れてしまつた。先刻からの肝癪で夢中で急いではゐるものの、程なく疲れた。そして今度は抑へ難い馬鹿々々しさ、心細さが身に浸み込んで來た。矢張り來るのではなかつた、赤島の温泉場から遠望しておくだけに留めておけばよかつた、斯んな状態で瀧を見たからとて何になるものぞ、いつそ此處からでも引返さうか、などとまで思はれて來た。赤島で三晩ほど休んでゐる間に幾らか身體の疲勞も除《と》れて來た。この調子で奈智へ登つて、其處の山上にあるといふ宿屋に籠つて青葉の中の瀧を見てゐたら、それこそどんなに靜かな心地になれるだらう、それでこそ遙々出て來た今度の旅の難有さも出るといふものだ、と種々な可懷しい空想を抱いて雨の中を出かけて來たのだが、まだ山にかかりもせぬ前から先刻の樣な騷ぎに出會つて、靜かな心も落ちついた氣分もあつたものではなかつたのである。半分は泣く樣な氣持(420)でわけもなく歩いてゐると、後から馬車が來た。そして馬車屋が身近くやつて來て乘れと勸める。何處行きだと訊くと奈智の瀧のツイ下まで行くといふ。直ぐ幌を上げて乘り込むと驚いた。先刻の宿屋に休んでゐた三人連の一行が其處に乘り込んでゐたのだ。
 向うでは前から私だと知つてゐたらしく、お互ひにそれらしい顔を見合せて黙り込んだ。平常《いつも》ならば私も挨拶の一つ位ゐはする所であるが、彼等の好奇に動く顔を見るとまた不愉快がこみ上げて來て目禮一つせず、黙つたまま、隅の方に腰を下した。四方とも黒い油紙で包み上げた馬車の中は不氣味な位ゐ暗かつた。そして泥田の樣な道を辿つてゐるので、その動搖は想像のほかであつた。四五丁も行つたと思ふころ、馬車屋が前面の御者臺の小さなガラス窓から振返つて私あてに聲をかけた。この降るなかをお詣りかと訊くのだ。奈習と云へば私は唯だ瀧としか聯想しなかつたが、其處には熊野|夫須美《ふすみ》神社といふ宮幣か國幣の大きな神社があり、西國三十三ケ所第一の札所である青岸渡寺といふ古刹もあるのである。併し、御者のわざ/\斯う訊いたのは決して言葉通りの意味でないことを私は直ぐ感じた。此奴、驛前の宿屋で聞いて來たナ、と思ひながら樫貪《けんどん》に、
「イヤ、瀧だ。」
 と答へた。
(421)「瀧ですか、瀧は斯んな日は危う御座んすよ。」
 と言ふ。にや/\してゐる顔がその背後から見える樣だ。
 暫く沈黙が續くと、今度は私と向ひ合ひに乘つてゐる福々しい老人が話しかけた。このお山は初めてか、といふ樣なことから、今日は何處から來たか、お山から何處へ行くかといふ樣な事だ。言葉短かにそれに返事をしてゐると、他の二人も談話の中に加はつて來た。これは老人とは違つた、見るからに下卑た中年の夫婦者である。私はよく/\の事でなければ返事をせず、一切黙り込むことにしてゐた。すると次第に彼等同志だけで話が逸《はず》んで來て、後には御者もその仲間に入つた。多くは瀧が主題で、この近來どうも瀧に飛ぶ者が多くて、そのため村では大迷惑をしてゐる、瀧壺の深さが十三尋もあつて、しかもその中は洞になつてゐると見え、一度飛んだ者は決して死骸が浮んで來ない、所詮駄目だと解つてはゐるものの村ではどうしても其儘捨てておくわけにゆかぬ、村の青年會は此頃殆んどその用事のみに働いてゐる位ゐだ、況《ま》して斯ういふ田植時にでも飛び込まれやうものならそれこそ泣顔《なきづら》に蜂だ、といふ風のことをわざとらしい高聲で話してゐるのだ。續いて近頃飛んだそれぞれの人の話が出た。大阪の藝者とその情夫、和歌山の呉服屋、これはまた何のつもりで飛んだか、附近の某村の漁師、とそれ/”\自殺の理由などまで語り出される頃は馬車の内外とも少からぬ緊張を帶びて來た。今まで私と同じくただ黙つて聞いてゐた老(422)人まで極めて眞面目な顔をして斯ういふ事を言ひ出した、人が自分から死ぬといふのは多くは魔に憑《つ》かれてやる事だ、だから見る人の眼で見るとさうした人の背後に隨いてゐる死靈の影があり/\と解るものだ、と。
 私は次第に苦笑の心持から離れて氣味が惡くなつて來た。何だか私自身の側にその死神でも密著《くつつ》いてゐる樣で、雨に濡れた五體が今更にうす寒くなつて來た。をり/\私の頚を竊《ぬす》み見する人たちの眼にも今までと違つた眞劍さが見えて來た樣だ。濡れそぼたれて斯うして坐つてゐる男の影が彼等の眼にほんとにどう映つてゐるであらうと思ふと、私自身笑ふにも笑はれぬ氣がして來たのである。
 氣がつけば道は次第に登り坂になつてゐた。雨は幾らか小降りになつたが、心あての方角を望んでも唯だ眞白な雲が閉してゐるのみで、山の影すら仰がれない。小降りになつたを幸ひに出て來たのだらう、今まで氣のつかなかつた田植の人たちが其處等の段々田に澤山見えて來た。所によつては夏蜜柑の畑が見えて、黄色に染つた大きな果實が枝のさきに重さうに垂れてゐる。
 程なく馬車は停つた。やれ/\と思ひながら眞先きに飛び降りると、成程いかにも木深い山がツイ眼の前に聳えて居る。瀧の姿は見えないが、そのまま山に入り込んでゐる大きな道が正しくその方角についてゐるものと思はれたので、私は賃金を渡すと直ぐ大股に歩き始めた。すると、(423)他の客の賃金を受取るのもそこ/\にして馬車屋が直ぐ私のあとに隨いて來た。
「何處へ行くんだ?」
 私は訊いた。
「へへえ、瀧まで御案内致します。」
「いいよ、僕は一人で行ける。」
「へへえ、でもこの雨で道がお危うございますから……」
「大丈夫だ、山道には馴れてる。」
「それでも……」
「オイ、隨いて來ても案内料は出さないよ。」
「いいえ、滅相な、案内料などは……」
 勝手にしろ、と私も諦めて其儘急いだ。が、たうとう埒もない事になつたと思ふと、もう山の姿も雲のたたずまひも眼には入らず、折角永年あこがれてゐたその山に來ても、半ば無意識に唯だ脚を急がせるのみであつた。
「見えます、彼處に。」
 馬車屋の聲に思はず首を上げて見ると、いかにも眞黒に茂つた山の間にその瀧が見えて來た。(424)流石に大きい。落口は唯だ氷つた樣に眞白で、ややに水の動く樣が見え、下の方に行けば次第に廣くなつて霧の樣に煙つてゐる。われともなく私は感嘆の聲をあげた。そして側の馬車屋に初めて普通の、人間らしい聲をかけた。「何丈あるとか云つたネ、あの高さは?」
「八十丈と云つてゐますが、實際は四十八丈だとか云ひます。」
「なアるほど、あいつに飛んだのでは骨も粉もなくなるわけだ。」
 言ひながら、私は大きな聲を出して笑つた、胸の透く樣な、眞實に何年ぶりかに笑ふ樣な氣持をしながら。
 その瀧の下に出るにはそれから十分とはかからなかつた。凄く轟く水の音をツイ頭の上に聞きながら深い暗い杉の木立の下を通ると、兩側に澤山大小の石が積み重ねてある。馬車屋はそれを指して、みな瀧に飛んだ人の供養のためだと云ふ。
「では一つ僕も積んで置くかナ。」
 また大きな聲で笑つたが、その聲はもう殆んど瀧のために奪はれてゐた。
 瀧を眞下から正面に見る樣な處に小屋がけがしてあつて、其處から仰ぐ樣になつてゐる。平常は茶店なども出てゐるらしいが、今日は雨で誰も出てゐない。二三日來の雨で、瀧は夥しく増水(425)してゐるのだ相だ。大粒の飛沫が冷かに颯々と面を撲つ。ぢいつと佇んで見上げてゐると、唯だ一面に白々と落ち下つてゐる樣で、實は團々になつた大きな水の塊が後から後からと重り合つて落ちて來てゐるのである。時には岩を裂く樣に鋭く近く、時には遠く渡つてゆく風の樣なその響に包まれながら、茫然見て居れば次第に山全體が動き出しても來る樣で、言ひ難い冷氣が身に傳はつて來る。
「これで、瀧壺まではまだ二丁からあります。」
 同じくぼんやりと側に添うて立つてゐた馬車屋はいふ。それを聞くと私の心には一つの惡戯氣が浮いて來た、私が其虞まで行くとするとこの馬車屋奴はどうするであらうと。
 私は裾を高々と端折つて下駄を脱ぎ洋傘《かうもり》をも其處に置いて瀧壺の方へ岩道を攀ぢ始めた。案の如く彼は一寸でも私の側から離れまいとして惶てて一緒にくつ着いて來た。苦笑しながら這ふ樣にして岩から岩を傳はらうとしたが、到底それは駄目であつた。殆んど其處等一帶が瀧の一部分を成してゐるかの如く烈しい飛沫が飛び散つて、それと共にともすれば岩から吹き落しさうにして風が渦卷いてゐるのである。それでも半分ほどは進んだが、たうとう諦めてまた引き返した。安心した樣な、當の外れたやうな顔をして馬車屋もまた隨いて來た。私はこの男が可哀相になつた。はつきり人違ひの事を知らせて、酒の一杯も飲ませてやらうなどと思ひながら、もとの所に(426)戻つて來ると、先刻《さつき》の馬車の連中が丁度其處へやつて來た。お寺の方へ先に行く筈であつたが、私達が如何してゐるかを見るためにこららを先にしたものかも知れぬ。驚いた樣に私達を見て笑つてゐる。私は再び彼等と一緒になる事を好まなかつたので、直ぐ其處を立ち去らうとした。そして馬車屋を呼んだが、彼は何か笑ひながら向うの連中と一緒になつてゐて一寸返事をしただけであつた。
 少し道に迷つたりして、やがてお寺のある方へ登つて行つた。何しろ腹は空いて五體は冷えてゐるので、お寺よりも宿屋の方が先であつた。その門口に立ちながら、一泊させて呉れと頼むと、其處の老婆は氣の毒さうな顔をして、此節はお客が少いのでお泊りの方は斷つてゐる、まだ日も高いしするからこれからまだ何處へでも行けませう、といふ。實は私自身強ひて泊る氣も失くなつてゐた時なので、それもよからうと直ぐ思ひ直した。そして、それでは酒を一杯飲ませて呉れぬかといふと、お肴は何もないが酒ならば澤山あります、といひながらその仕度に立たうとして彼女は急に眼を輝かせた。
「旦那は東京の方ではありませんか?」
 オヤ/\と私は思つた。それでも既う諦めてゐるので從順に左樣《さう》だよと答へて店先へ腰を下した。
(427)「それなら何卒お上り下さい、お二階が空いて居ります、瀧がよく見えます。」
 といふ。
 それも可からうと私は素直に濡れ汚れた足袋を脱いだ。その間にまた奥からも勝手からも二三の人が飛んで來た。
 二階に上ると、なるほど瀧は正面に眺められた。坂の中腹に建てられたその宿屋の下は小さい竹藪となつてゐて、藪からは深い杉の林が續き、それらの上に眞正面に眺められるのである。遠くなり近くなりするその響がいかにも親しく響いて、眞下で仰いだ姿よりもこの位ゐ離れて見る方が却つて美しく眺められた。切りそいだ樣な廣い岩層の斷崖に懸つてゐるので、その左右は深い森林となつてゐる。いつの間に湧いたのか、その森には細い雲が流れてゐた。
 がつかりした樣な氣持で座敷に身體を投げ出したが、寢てゐても瀧は見える。雲は見る/\うちに廣がつて、間もなく瀧をも斷崖をも宿の下の杉木立をも深々と包んでしまつた。瀧の響はそれと共に一層鮮かに聞えて來た。
 やがて酒が來た。襖の蔭から覗き見をする人の氣勢《けはひ》など、明らかに解つてゐたが、既うそんな事など氣にならぬほど、次第に私は心の落ち着くのを感じた。兎に角にこの宿屋だけはかねてから空想してゐた通りの位置にあつた。これで、今朝の事件さへ無かつたならば、どんなに滿足し(428)た一日が此處で送られる事だつたらうと、そぞろに愚痴まで出て來るのであつた。
 一杯々々と重ねてゐる間に、雲は斷えず眼前に動いて、瀧は見えては隱れ、消えては露れてゐる。うつとりして窓にかけた肱のさきには雨だか霧だか、細々と來て濡れてゐるのである。心の靜かになつて來ると共に、私はどうもこのままこの宿を去るのが惜しくなつた。此儘此處に一夜でも過して行つたら初めて豫《かね》てからの奈智山らしい記憶を胸に殘して行くことが出來るであらう、今朝からのままでは餘りに悲慘である、などと思はれて來た。折から竹の葉に音を立てて降つて來た雨を口實に、宿の嫁らしい若い人に頼んでみた、特に今夜だけ泊りを許して貰へまいかと。案外に容易くその願ひは聞屆けられた。そして夕飯の時である、その嫁さんは私の給仕をしながらさも/\可笑し相に笑ひ出して、今日は旦那樣は大變な人違ひをせられておゐでになりました、御存じですか、と言ひ出した。
「ホ、人違ひといふ事がいよ/\解つたかネ、實はこれ/\だつたよ。」
 と朝からの事を話して笑ひながら、
「一體その人相書といふのはどんなのだね?」
 と訊くと、齢《とし》は二十八歳で、老《ふ》けて見える方、(私は三十四歳だが、いつも三つ四つ若く見られる)身長五尺二寸(私は一寸二三分)、着物はセルのたて縞(丁度私もセルのたて縞を着てゐ(429)た)、五月六日に東京を(私は五月八日)出て暫く音信も斷え、行先も不明であつたが、先日高野山から手紙をよこし、これから紀州の方へ行つてみるつもりだといふ事と二度とはお目にかかれぬだらうといふ事とが認めてあつたのだ相だ。洋酒屋の息子とかで、家はかなり大きな店らしく、その手紙と共に大勢の迫手が出て、その一隊が高野からあと/\と辿つて今日一度この山へ登つて來、諸所を調べた末一度下りて行つたが、驛前の宿屋で今朝の話を聞いて夕方また登つて來たのだ相である。
「旦那樣が御酒をお上りになつてる時、其處の襖の間から覗いて行つたのですよ。」
 といふ。
「兎に角ひどい目に會つたものだ。」
 と笑へば、
「何も慾と道づれですからネ。」
 といふ。
「え、……?」
 私がその言葉を不審がると、
「アラ、御存じないのですか、その人には五十圓の懸賞がついてゐるのですよ。」
(430)   未ちさく落ちゆく奈智の大瀧のそのすゑつかたに湧ける霧雲
   白雲のかかればひびきうちそひて瀧ぞとどろくその雲がくり
   とどろ/\落ち來る瀧をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかも
   まなかひに奈智の大瀧かかれどもこころうつけてよそごとを思ふ
   暮れゆけば墨のいろなす群山の折り合へる奥にその瀧かかる
   夕闇の宿屋の欄干《てすり》いつしかに雨に濡れをり瀧見むと凭れば
   起き出でて見る朝山にしめやかに小雨降りゐて瀧の眞白さ
   朝凪の五百重《いほへ》の山の靜けきにかかりて響く奈智の大瀧
   雲のゆき速かなればおどろきて雲を見てゐき瀧のうへの雲を
 
 その翌日、山を降りて再び勝浦に出た。そしてその夜志摩の鳥羽に渡るべく汽船の待合所に行つて居ると、同じく汽船を待つらしい人で眼の合ふごとにお辭儀をする一人の男が居る。見知らぬ人なので、此處でもまた誰かと間違へてゐると思ひながら、やがて汽船に乘り込むとその人と同室になつた。船が港を出離れた頃、その人は酒の壜を提げていかにもきまりの惡さうなお辭儀
(431)をしい/\私の許へやつて來た。
 その人が、昨日の夕方、奈智の宿屋で襖の間から私を覗いて行つた人であつた。
 
(432)下巻
 
 おもひでの記
 
    庭梅
 
 順序から云つて私は先づ自分の誕生の時の事から筆を起さねばならぬ樣に思ふ。明治十八年八月廿四日、その日は陰暦では恰度お盆の十六日に當つてゐた相だ。その朝とりわけて氣分のよかつた母堂一人の姉は――私には姉ばかり三人ある、長姉はその頃もう二十歳位ゐであつた筈だ、その姉と其次の姉と二人して朝の掃除をするために、その前から座敷に床をとつてゐた母を――母も既う若くはなかつた、その妊娠の事を他へ物語る彼女の話のなかに、初産の時よりよつぼど恥しかつたといふ言葉が出て來たのを其後私は耳にした事がある――東の縁側へ連れ出して坐らせてゐた。漸う日の光が峰から射して來る頃だつた相だから、餘程早朝であつたのだらう。お盆の事ではあるし、掃除から朝飯の仕度と、姉どもも暫く母を忘れて勝手の方に行つてゐる時に、何の用意もなしに急に産氣づいて私は生れたのだ相である。その朝、祖父も父も留守ででもあつ(433)たのか、唯だ二人の若い姉たちが右往左往して全部その場の處置を執つた樣にのみ、私の記憶には物語られてゐる。
 此處でお前はことんと音をさせて生れたのだよ、と其後もう餘程生長してから度々姉どもは私をその縁側へ連れて來てはからかつた。田舍の家の事で、幅の廣い、頑丈な板縁で、眞東に向いてゐる。中學に出る樣になつて暑中休暇で歸省してゐる時など、其處は家の中でも涼しい所なので私はよくその板縁に寝ころびながら、自分の生れた時の事などを想像して見たものだつた。縁のツイ向うは築山の樣になつてゐて――程なく小さな野菜畑に變へられたが――ゆすら梅(郷里では庭梅と呼んでゐた)の大きな株が二つ並んで、小さな果實が夏ごとに累々となつてゐた。ゆすら梅の少し向うには柚の老木があり、これも毎年軒端に沿うてよく實をつけた。
 
    牡丹櫻
 
 その年、父は厄年の四十二歳であつた。その歳の子は育たぬといふ田舍の習俗から私は直ぐ路傍に棄てられた。路傍と云つても我が家の土塀の裏門の前で、棄てらるゝと共に村での舊家奈須といふ家の細君に拾はれたのである。その縁から私はこの細君を小學校の頃まで「番所の阿母《おつかア》」と呼んでゐた。番所といふのは舊幕時代にその家で何か役を勤めてゐた所から來た名であるらし(434)い。
 棄てられたといふ裏門の所には土地に珍しい大きな八重櫻の木が三本立つてゐた。お前はこの木の根に棄てられたのぢアないか、そんなに泣くならまた棄てやうかと、背に負はれながらよく姉に嚇《おど》されたのを覺えてゐる。この八重櫻についてはもう一つ記憶がある。どうした調子であつたか、これは母が直接に私に語つたのであつたが、母の何歳(忘れたが、十六か十七か、とにかく極めて若かつた)かの時その父の任地(母の父は延岡藩の代官を勤めて當時私の村よりもつと奥の神門《みかど》といふ村に赴いてゐたのだ相だ)から何處とかの神詣りに行く途中、脚絆の紐が解けて、母だけ一人|同伴者《つれ》に遲れてこの八重櫻の根がたで結び直してゐた。それをこの裏門から見たのが私の祖父と祖母で、それから母の身許を探して遮二無二嫁に所望する事になつたのだ相である。恰度花の盛りで、紐を結びながらも思はずそれに見惚れてゐたといふ若かつた母の面影がこの木の花を見るごとに私の想像に上つたものであつた。私の地方には單瓣の山櫻ばかりで、牡丹櫻と呼ばれてゐる八重櫻は私の家のこの三本だけで、他では殆んど何處でも見ることが出來なかつた。恐らく他處者《よそもの》の祖父が何處か他處から持つて來て植ゑたのだらうと思ふ。
 
(435)     祖父の事
 
 私は此處で祖父の事を少し書き足して置かうと思ふ。私の祖父は武藏川越在の農家の出で、幼時より江戸に出で兩國の生藥屋《きぐすりや》に奉公してゐた。そして當時肥前の平戸にシイボルトといふ和蘭の醫者が來てゐるといふ事を聞き、生藥屋から自宅に歸り、更に身延山詣でと稱して自宅を出で、其儘肥前まで行つて其處でシイボルトに仕へて多年の間醫學を學んだ。當時蘭學または洋醫學を修めたと云へばかなりに大したものであつたに相違ないが、それがどうして日向の樣な田舍へ引き籠つたか不思議である。當人の言ふところによると江戸に歸る途中、難船して日向の地に吹き着けられたといふのであるが、これは無論嘘である。おもふに何かさうした人に知られぬ山の中へ隱れ度いか又は隱れねばならぬ必要かがあつて引込んだものに相違ない。彼は日向に居着いてからも一度も郷里へ歸らなかつたばかりでなく、音信すら爲さなかつた。が、西南の役の時、川越藩から出て來た官軍の一隊が恰度私の村へ來て泊る事になり、それで漸く郷里との消息が通ずる樣になつたのださうである。西南の役と云へば私の生れる八年前で、祖父は餘程の老年であつた筈である。それまで音信を絶つてゐたと云へば、兎に角餘程の變人ではあつたらしいが、何か其間に深い事情のあつた事らしく思はれる。彼は初め細島|美々津《みみつ》と云ふ海岸の港町に業を開かう(436)とし、更にそれより山地に入り込んで私の故郷である坪谷村に來り、土地の舊家で酒造家《つくりざかや》をしてゐた奈須家の女《むすめ》を娶り、其處に居を定めた。彼は頗る殖産の道に長けてゐた。醫業のほか、出來るだけ廣大に山林や田畑を買ひ且つ墾き、來て幾年も經たぬうちに其處に於ける有數の財産家になりおほせた。そして一方では非常に文字を愛したらしい。劫い時の私の矜の一つであつたが、二階には十數個の大きな書籍箱が並び、それにはみな漢籍が滿たされてゐた。蘭語の書籍も混つてゐて、これなどは今でも保《と》つてあるかと思ふが、その辭書などは厚さ二寸位ゐの美濃紙の帳面に一杯に極めて細かく和筆で洋文字が筆寫されてゐる。これは彼の肥前時代の苦學の遺品《かたみ》なのである。この辭書が二册續きになつてゐた。漢文は餘程好きであつたと見えて、一寸他出する時でも必ず一二册のそれを携へてゐた相だ。そして晩年には村の氣の利いた青年たちを集めて自らその講義をしてゐた。 彼の亡くなつたのは私の三歳の時であつた相だ。私はその顔をも覺えてゐない。ただ長い雪白の豐かな髯だけを記憶してゐる。私はよくその髯にぶら下りながら戯れたさうである。その一部が切つて保《と》つてあつたが、優に尺餘に及ぶ白髯であつた。其後私は東京に來るやうになつて、何より先にその川越在の祖父の出た後といふを尋ねて行つた。其處には若山の姓を名乘る家が幾軒かあつて、中の一軒には故人の從弟だといふ老人が其頃まだ生きてゐた。そして祖父が身延詣で(437)に行くと云つて一生の門出をした時に、まだ幼なかつた彼はその後を追つて泣いたものであつた相だ。その日は雨が降つてゐて若かつた祖父は簑笠をつけてゐた相だ。此處まで追つて來たのだが、土産を買つて來るからといふのでたうとう泣きながら追ひ返されたのであつたと、もう耳の遠くなつてゐる老人はわざ/\私をその道の曲り角まで連れて行つて呉れたりした。四顧茫々たる平野で、斯んな所から自分の祖父は生れたのかと思ふと、妙に遙かな思ひが湧いてならなかつた。極めて貧しいらしい農村で、その從弟だといふ老人の生きてゐる間は其後も二三度訪ねて行つたが――彼は私を見るのを少なからず喜んでゐた――その歿後はまたすつかり遠ざかつてしまつた。
 
    坪谷村
 
 私の生れた村、詳しく云へば日向國宮崎縣東臼杵郡東郷村大字|坪谷村《つぼやむら》は山と山との間に挾まれた細長い峽谷である。ことに南には附近第一の高山である尾鈴山がけはしい斷崖面を露《あら》はして眼上《まうへ》に聳えてゐるので、一層峽谷らしい感じを與へて居る。村の長さは東西に延びて四五里もあるだらうが、戸數は僅か二百か三百足らずのものであると思ふ。私の家はその一番戸であつた。(今は三番地と呼ぶ事になつてゐる相だ)つまり村の東の入口に當つてゐる。此處に新たに家を建て(438)た事に就いても私は祖父を並ならぬ人の一つに思はざるを得ぬのである。それはその場所が附近でも際立つて優れた好位置にあるからである。或は他に理由があつたか、若しくは偶然であつたかも知れぬが、私には矢張りそれが彼に山川を見る眼があつた故だとのみ思はれてならない。家は村を貫通する唯一の道路に沿ひ、眞下に溪に臨んで居る。そして恰度その溪は其處まで長い瀧の樣になつて落ちて來た長い/\瀬が、急に其處で屈折して居るために其處だけ豐かな淵となり、やがてまた瀬となつて下り走り、斜め右と左とに未遠くその上下の溪を展望する事が出來る地位にある。彼はその自家に名づけて省淵盧《せうえんろ》と呼んだ。膳椀入の箱などにまで省淵盧々々々と書き散らしてある。そして村の眺望の基調を成してゐる尾鈴山をば殆んど正面に、而してまたやや斜めにその全體を眺め得る樣な地位に當つて居る。晴れた日も惡くはないが、私の家の眺望は雨の日が特にいゝ。それは雲と山との配合が生きて來るからである。元來この尾鈴山はその南面の太平洋に臨んだ方は極めてなだらかな傾斜で高まつて來て四千尺近い頂上となり、急に北に面して削り落した樣に岩骨を露はしながら嶮しく切れてゐるのである。常に陰影《かげ》の多いその山の北面には、晴れた日でもよく雲を宿してゐるが、一朝雨降るとなると山全體が、いやその峽谷全體が、眞白な雲で閉されてしまふ。そしてその雲の徂徠によつて到るところ襞の多いその嶮山が恰も靈魂を帶びたかの樣に躍動して見えるのである。
(439) 私はものごころのつく頃から痛くこの溪と山の雨とを愛した。で、歌の眞似などを始め出して雅號といふものを使ふ樣になると先づ雨山と稱したものであつた。白雨とも云つた。現に使つてゐる牧水といふのも當時最も愛してゐたものの名二つを繋ぎ合せたものである。牧はまき、即ち母の名である。水はこの溪や雨やから來たものであつた。
 溪は尾鈴山の裾に沿うて白々と流れてゐる。そして人家は大抵みなその溪に沿うて作られてある。其處に五戸、此處に十戸と、長さ四五里の間に三百足らずの家が散在してゐると言へばその寒村の面影は自ら彷彿するであらう。住民の多くはみな山の仕事に從つてゐる。米麥の如きは村自身の供給にも不足する位ゐにしか出來ない。材木と木炭と椎茸とが最も主要な産物となつて居る。それらは多く大坂に送り出される。大阪の街路に諸所日向炭と書いた看板を見る事を人は知つてゐるであらう。其處では泣く子を嚇すに日向の炭燒にやつてしまふと言つてゐる相である。その木炭の本場として最もこの附近は聞えてゐるのである。
 この村に限らず日向といふ國はその天然の状態から一切周圍の文明に隔離してゐたのである。東南一帶は太平洋で、その洋岸は極めて硬直で更に港らしい港を持たず、西北には重疊した高山の一帶が連亙して全く他との交通を斷つてゐた。自然遙かに離れた孤島の樣な靜寂を保たざるを得なかつたのである。それが大阪商船の航路が開くる樣になつてから急に騷立《さわだ》つて來た。四國中(440)國邊の山師共が宛然《まるで》手近の北海道か臺灣の樣な氣持でどや/\這入り込んで來た。それ等が詐欺を教へ瞞着を教へた。やがて私の村にも縣道といふものが開かれる、工夫が入り込む、賭博が始り、姦通が行はれ、喧嘩が擴まつた。それが恰度私の物心のつく前後に起つた事である。子供心にも苦々しく思はれる事が後から後からと起つて來た。それらを見てゐた故か私の郷里に對する、と云はうか其處の人々に對する記憶は極めて氣拙いもののみである。故郷、と云へば私の心には直ちに懷しい山や川の面影が浮ぶ。が、それ以上に立ち入つて其處の事を思ふのを私は好まない。これは強《あなが》ち右言つた樣な理由からのみでなく、多くは私の感情の我がままからでもあるかも知れない。
 
    名づけ
 
 話はまた前に戻る。
 生れて程なく、私の命名《なづけ》が行はるる日が來た。恰度その一二日前に祖父はどうしても遠方へ出ねばならぬ事があり、その日になつたら斯ういふ名をつけろよと言ひ置いて他出してしまつた。それは玄虎《げんこ》といふ名であつた。第一に不服を稱へたのは二人の(一人の姉はまだ幼なかつた)姉である。ゲンコと云ふのは土地の魚屋などの使つてゐる數の符丁である。そんな馬鹿な名がある(441)ものでない、構はないから祖父《おぢい》さんの留守に變へてしまへといふので、二人して考へた末、繁といふ名にして役場にも屆けてしまつた。彼の頑固な祖父が定めし怒つた事であらうと思ふが、取消されなかつた所を見ると或は唯だ笑つて濟ましたのかも知れない。姉たちが斯ういふ名を考へついたのは當時の繪入郵便報知新聞(今の報知新聞の前身かと思ふ)の續きものに出て來る女傑に自ら男装してまで學問をした葉山繁といふ非常な勉強家があつたので、葉山と若山と似ても居り、それにあやかる樣にと斯う名づけたのださうである。不幸にしてこの繁は稀有なる怠惰者《なまけもの》として生ひ育つことになつてしまつた。
 
    三人の姉
 
 第一の姉とは私は二十歳近くも歳が違つてゐる。彼女の嫁いだのは私の二つか三つの時で、その時向うの家から持つて來た鮮魚の、鯛や鰹などでもあつたか、紅いの青いのの美しさに雀曜《こをどり》して歡んだ事を覺えて居る。彼女の嫁《い》つたさきは、尾鈴山の向側の都農《つの》といふ海岸町の米穀や肥料などを商つてゐる家で、其處から私の家に來るには尾鈴連峰の一つである七曲峠といふを越して來るのが近かつた。或時、義兄《あに》がその峠を越えて來た。そして土産に氷砂糖を持つて來て、これはあの七曲峠に澤山落ちてゐる石であると言つた。私は悉くそれを信じてしまつて、行きさへす(442)ればあの山の上にはこの甘い石が無數に落ちてゐるものだと信じ込んでしまつた。それからは頻りにその峠を越えて來る義兄や姉が待たれて、彼等はまた來るごとにその白いあまい石を持つて來た。三年も私はそれで釣られてゐたと思ふ。其位ゐ私の村では氷砂糖が珍しいものであつたのだ。姉の家は海岸に近かつたので山生れの私は其處に行くことをほんとにどんなに喜んだものであつたらう。行けばまた其處の一族が奪ひ合ふ樣にして私を可愛がつて呉れた。其處には私の村にない西瓜が出來、甘蔗が無數に出來た。磯に行けば大きな海があり、魚が釣れ、海老がとれ、思ふままに貝が拾はれた。姉の家は土地で相應に暮してゐる商家であるが、不幸にも子がない。私が中學に出る頃になると全く子の樣にして愛して呉れた。いろ/\思ひ出して來るとこの姉にも隨分私は反いて居る。
 第二の姉は第一の姉と違つて誠に靜かな人である。第一の姉は快活で敏捷で、よし主人がゐなくとも、一人で立派に商賣のやつて行ける人であるが、この姉は極く控目勝のおとなしい人である。そして彼女は幼い時から非常に文字を愛した。學校(と云つても、寺小屋風の)ものは云ふまでもなく、家にある舊い稗史小説後には漢籍類まで取り出して讀んでゐた相だ。或る日のこと、私の寢てゐる上に蚊帳を吊りながらこの姉がその諳んじてゐる何かの文句をいい口調で誦《くちず》さんでゐるのをうと/\として聞きながら、子供心にも私は言ひ樣なき哀愁を覺えた事がある。後に私(443)が同じくさうして讀物類を好むやうになつたのも、その時の事などが非常に影響してゐる樣に思はれてならぬ。性質から云つて私はまた最もこの姉を愛してゐた。或時はまた斯ういふ事もあつた。溪に釣りに行つて、歸つて來るなり何かの事に拗《す》ね出して私は物置の樣になつてゐる或る暗い縁の隅に寢轉つて半日あまりも起き樣としなかつた。後では家人も怒つてしまつて誰一人手を附けやうとしなくなつた。その時こつそりと私に握飯《むすび》を持つて來て呉れたのがこの姉であつた。一番目の姉と違つて子供は多勢あるが、今も極めて貧しく暮してゐる筈である。彼女の主人は私の村よりも更に山奥の小學校の校長をしてゐる。
 最も不幸な、氣の毒なのが第三の私の直ぐ上の姉である。彼女の二つか三つの頃、彼女を背負ったままその子守が敷居の所で仆れて、彼女の双方の脚を折つてしまつた。そしてたうとう癒る事なしに今日に及んで居るのである。尚ほその上にその時打つた爲か或は生來《うまれつき》か、頭腦《あたま》も兩人《ふたり》の姉などより餘程鈍く、そして單純ではあるが不具者に件ふ惡癖をも少なからず持つて居る。公然と他に嫁ぐ事もならず、日蔭者同樣に一生を私の家で送る事になつて居る。私はこの姉とは中學を出る頃まで實によく爭つて、朝晩殆んど喧嘩の絶間が無かつた。この姉に對するその頃の私の態度はまつたく無智そのものの樣であつた。昨今では三人の姉のうち當時の氣の毒さを思ふためか否か、私は最もこの姉に親しみを感じてゐる。
 
(444)    遊戯(その一)
 
 そんな山中であるため、幼少年時代の私等の遊戯は殆んど天然を對手としたものであつた。凧あげ、根つ木、鬼ごつこ、かくれんぼ、さうしたものも爲ないではなかつたが、先づ極めて稀であつた。私の村にゴム毬といふものを持ち込んだのは私であつた。その程度だから新しい遊戯などといふものは絶無であつた。
 夏は溪に集るが、四季を通じて我等は山や林に親しんだ。何といふ事なく、殆んど常に山の中に入り込んでゐた樣に思ふ。冬から春にかけてはいろ/\な係蹄《わな》をかけて鳥や獣を捕る。蕨、ぜんまいを摘む。椎茸を拾ふ。拾ふといふのは、推茸山の舊くなつたのをばもう持主の方で構はぬので誰でも自由に入り込んで取ることが出來た。勿論新しい本仕掛の山の樣には取れぬが、それでも澤から澤の古山をあさつて行くとかなり澤山取ることが出來た。椎茸は秋にもとるけれどこれは人造で、自然に出るのは春である。或時、椎茸《なば》拾ひ(私の方では茸類を總じてナバと呼ぶ、そして椎茸が殆んどナバの總稱の様になつて居る)に出かけて十疋あまりの猿の群に逢ひ大いに驚いた事などあつた。猿は椎茸を食ふのでもないらしいが、木に生えてゐるのを、好んで兩手で捩ぎ取る癖がある。で、大きな山では茸の發生する頃には毎晩その番に行かなくてはならなかつ(445)た。椎茸山は一體に濕潤な、水のある所でなくてはならぬので必ず澤の谷合に設けられ、番小屋もその側に建てられた。夜が更けて闇が深く其處らに猿の鳴き聲が聞え出す頃になると、鐵砲を打つのである。多くは空砲だが、月明の夜など稀に彈をこむることもあつた。今は次第に山が淺くなつて、容易に猿を見る事も少なからうと思ふ。それから節松掘り、これなども今は殆んど斷えたであらうが私共の頃には盛んであつた。山の深い所の朽葉や土を掘つて、其處に埋つてゐる倒松の朽ちたのからその節の所を切り取つて來るのである。これは燈明用に用ゐられた。焚火の大きな爐の隅の所に二尺ほどの柄のついた網目の臺が立てられて、その臺の上でこの節松の細く割つたものを燃すのである。謂はゞ室内篝だ。この怪しい燈明の下で私どもは暫く本を讀んだものである。其後ランプといふものを用ゐ始めたのは私の家などが先づ最初であつた。筍も隨所の薮に入つて取る事が出來た。
 秋は山の最もうれしい時である。椎拾ひ、栗拾ひ、通草《あけび》とり、山柿とり、から始つてやがて茸取りとなる。秋の山には實に種々の茸が出た。今は名も忘れたがしめじ、かぶたけ、こうたけ、ねずたけなどといふのもあつた。松茸は山深く行かねば取れぬので子供には手が及ばなかつた。それから私の最も好んで爲たのは山芋掘りであつた。これは山にある自然薯《やまいも》を見出して掘るのであるが、これの蔓は秋になれば枯れて節ごとにばら/\に切れ落つるのでその根の所在を發見す(446)るのがなか/\の難事であつた。身を動かせば動かすほどばら/\に散つてしまふので、なるたけ靜かにしてゐながら枝から枝の切蔓を追うて眼を移すのである。秋の山の朗らかな日光のなかに蹲踞《しやが》んでこれを爲るのが何とも云へず樂しみであつた。それだけに上手で、いつも大人を負してゐた。荒い土を掘つて白いその根の次第に太く表れて來るのも嬉しかつた。
 
    遊戯(その二)
 
 寒中にも鰻起しと稱へて溪中の岩を起し、其したに潜んでゐる鰻を追ひ出し、寒さに凍えて運動の自由ならぬに乘じて突いて捕へる遊びもあつたが、山櫻の花が漸う咲き初めやうといふ時に溪に上つて來る魚にふしいだといふのがあつた。いだといふのは東京附近でいふまるたに似てゐるが、このふしいだは特に色が綺麗であつた。赤に青紫を混ぜた樣な何とも云へぬ鮮麗な魚である。このふしいだの上つて來る頃から溪の遊びは始まるのだ。
 ふしいだの時季が過ぐればやがて鮎となる。鮎も實によく捕れた。多くは共釣りで、釣るといふより囮の尻尾につないだ針に引つかけてとるのであるが、われ/\子供ですら半日數十尾を釣ることが出來た。溪の瀬の岩から岩へ飛び渡つて釣つて歩く面白さはいま考へても身體がむず痒くなる。
(447) が、私の特に好んだのは斯うして飛び歩いて釣るのよりも、樹のかげか岩蔭にしやがんで、油の樣な淵の上に浮いた浮標《うき》に見入る釣であつた。そして、友達と一緒に釣るよりも獨りぼつちで釣るのを愛した。そのため、他の人の行かぬ樣な場所を選んで釣りに行つた。わざ/\撞飯《むすび》をこさへて貰つて山奥の溪へ入り込む事が多かつた。よそりがにといふ箕位ゐの甲を持つてゐる蟹の主《ぬし》が棲んでゐるといふ鳥の巣とどろまたは大蛇の居るといふ冷た淵、さういふ場所は大人ですらよう行かぬ位ゐの物凄いところであるが、他《ひと》に逢はぬのが嬉しいばかりに恐ろしいのを我慢して親達にもかくれながら私は出かけて行つた。鳥の巣とどろといふ淵は三方切り削《そ》いだ樣な岩壁で、岩から直ぐ底の知れぬ深淵となつて居り、その一面に瀧が懸つてゐた。謂はば瀧壺の樣な、また薄暗い岩窟の淵の中の樣なところであつた。恐る/\その岩の壁を這ひながら、それこそ心には神を念じつつひつそりと絲を垂れた事を思ふと、今さらながら自分の少年の日がなつかしい。
 やがて少しづつ文字を知る樣になると、少年雜誌や姉たちの讀み古したものなどを假名を辿つて讀む樣になると、一層その癖が烈しくなつた。今までは知らず/\仲間を避けてゐたのが、いつの間にか意識して他《ひと》を避くる樣になつた。さうなつて愈々親しくなつて來たのは山であつた。また溪であつた。多くは獨りで山に登り、溪に降りて行つたが、稀に一人の友があつた。それは私の母であつた。
 
(448)    母の事
 
 私は五歳《いつつ》位ゐから齒を病んだ。右も左も齲齒《むしば》だらけで、痛み始めると果してどの齒が痛むのだか解らなくなり、まるで顔から頭全體が痛むかの樣に痛んで來た。そんな場合、おい/\泣きわめいてゐる私を抱いて一緒に涙を流してゐるのは必ず母であつた。私は母の涙を見ると一層に悲しくなり、尚さらに泣き上げたが、いつ知らずそれで痛みを忘れて、泣き勞れながら眠ることが多かつた。私の家から十丁ほど川上の万に柿の木淵といふ深い淵があつた。此處も何やらの主が居ると呼ばれた大きな淵で、一方は高い岩の斷崖となつて居り、その上の密林中に水神の社があった。母は私だけをひそかに起して背負ひながら幾日とか日をきめて其處へ丑の時詣りといふことをした。眞夜中にこつそりと家を出て、田圃路からやがて淵の頭の淺瀬を選んで徒渡《かちわた》り、どうどうといふ水音をききながらその林の中へ入り込む時には私はもう泣くにも聲が出なかつた。さうして小さな祠の前で初めて火を點じて燈明をあげ、落葉の積つた土の上に私をもひざまづかせ、彼女もさうして共に/\齒の痛まぬ樣にと祈願を籠めたのであつた。
 或時はまた聲も枯れ果て、ただしく/\と頬を抑へて泣いてゐると、母は爲かけた仕事を捨てておいて私を背に負ひながら釣竿を提げて溪へ降りて行つた。さうして何か彼か斷えず私に話し(449)かけながら岩から岩を傳つて小さな魚を釣つて呉れた。いま思へばその頃の母は四十前後であつたらうが、どうしたものか私には二十歳前後の人と想像せられてならない。母といふより姉の氣がした。更に親しいをんなの友達であつた樣にも思はれてならないのである。
 私は前に斷えず山に入り込んで遊んでゐたと書いた。この癖を私に植ゑたのはまさしく私の母であつた。彼女は實にさうして山に入つて蕨を摘み筍をもぎ、栗を拾ふことを喜んだ。蕨汁や栗飯を焚くといふ以外に摘むこと拾ふことが面白かつたのである。父と言ひ合ひをした後など、彼女は必ず籠を提げて山へ入つて行つた。そしてその時必ず私はそのあとを追つたのである。さわり、さわりと微かな音を立てながら深い藪の中で前かがみになつて筍を探して行く彼女の姿を、私は今でもあり/\と眼の前に描くことが出來る。
 半日も山の中に居やうといふ時など、彼女は念入りに辨當をこさへて、そして小さな壜に酒を詰めて籠の中へ入れて行つた。そして私を相手に見晴しのいい山の上や溪ばたで辨當を使ふのを常とした。父もさういふ事は好きであつたが、阿父さんのは大仰《おほぎやう》だから嫌ひだと母はいつも言つてゐた。私の國では殆んど男女の別なく酒を嗜むが、母はことに好きの樣であつた。
 
(450)    海
 
 私の村から海岸に出るには近いところでは僅か五里しかないのであるが、四邊《あたり》を包む山嶽の形から宛然《さながら》二十里も三十里も離れた、山深い所の樣に思はれてならなかつた。で、母に連れられてなど、附近でもやや高い山の頂上へ行つて、あれが海だ、と指ざされると、實に異常のものを見る樣に、胸がときめいた。僅かに白く煙つたり光つたりして見えるだけで、海といふものが果してどんなものであるか殆んど想像することも出來なかつたが、兎に角、この方角に海がある、といふ事を知り得るだけで非常な滿足であつた。そして、それを種に種々雜多な空想を描いたものである。
 私の家から半道ほどのところに何とかいふ草山がある。其處の頂上から海が見えた。その山の澤に非常に澤山な茱※[草がんむり/臾]があるので、それをとりに行つて或日偶然にも海を發見したのであつたが、それからわざ/\それを見るために這ひ登つた。いま見れば小さな山だが、その頃の身には其處に登るといふことは實に大變な冒險の思ひがしてゐたのである。見たさ一心に攀ぢ登つて、頂上に切り殘されてある二三本の松の蔭に立つて遙か東の方に雲がくれに見える細島の海(細島は地名)を眺めながら、わけもない昂奮を子供心に起してゐたことをおもふと、常にその上に鳴つて(451)ゐた松の風さへ新たに思ひ起されて來る。
 七歳か八歳の時であつた、母に連れられて一番上の姉の行つてゐる都農町《つのまち》に初めて出かけて行つた。七曲峠を越ゆれば近いのだが、子供づれには無理であつた。で、私の村から三里はど歩き、山陰《やまげ》といふ村から舟に乘つて耳川といふのを三里下れば美々津《みみつ》といふ小さな港に出られる。都農は其處から海岸沿ひに三里であつた。膽を冷させられる急湍が幾つか續いて、漸く水の流れも緩く、川幅も廣くなつた頃に人家の群がつた所が見え出した。其處が美々津で、船頭も母もそろ/\何かと用意を始めてゐた。舟は次第に下つて、川は愈々廣くなる、と見ると丁度自分等の前方に長い砂の丘が横はり、その丘を越えて向うにをり/\白く煙りながら打ち上がつてゐるものがある。何氣なく母に訊くと、其處はもう海で、あの白いのは浪だと答へた。海! 浪! 私は思はず知らず舟の上に立ち上つた。
 舟が着くか着かぬに飛び上つて母の留めるのもきかず、その砂丘に走つて其處に初めて私は廣大無邊の海洋と相對したのであつた。今まで瀧や溪にのみつながつてゐた水に對する私の情《こころ》はその時から更に海を加ふる事になつて來た。
 
(452)    濡草鞋
 
 「濡草鞋を脱ぐ」といふ言葉が私の地方にある。他國者が其處に來た初めに或家を頼つて行く、それを誰は誰の家で濡草鞋をぬいだといふのである。その濡草鞋をぬいだ群が私の家には極めて多かつた。
 私の家自身が極く新しい昔に於て濡草鞋黨の一人であつたのだ。それかあらぬか、私の村附近に入り込む者は殆んど悉く先づ私の家を頼つて來た。祖父は(その頃の事は話にしか知らないが)極めてのやかまし屋であつたところから、その時代には餘りさうでもなかつた樣だが、私の父はその反對に極く開けつ放しの、賑か好きの、客を好む質《たち》であつたので、來るものをば黒白選ばず歡迎した。それに丁度航路が開け、道路が開けるといふ時代であつたので私のものごころのつく七歳《ななつ》八歳《やつつ》の頃は(或はもう少し前から)最もこの遠來の客が多かつた。山師、流浪者、出稼者、多くは餘り香《かんば》しからぬ人たちが入り替り立ち替りやつて來た。好んで迎へ好んで送り、父はいささかも倦む樣子は無かつたが母は始終それを嘆いてゐた。彼等の來り、且つ去るや、必ず先づよき土産をば置いて行かなかつた。後には流石の父すらも懲りた/\と言ひながら、尚ほその習癖をばやめなかつた。そして、多くはそれらの徒のために無用の事を起しなどして、祖父の作つた(453)財産をその没後|幾何《いくばく》も經たないうちに失くし盡してしまふまでそれが續いてゐた。程なく無一物の彼となると、もうその濡草鞋の徒も寄つては來なくなつた。そして、終には父自身が自分の村を飛び出さう/\と試むる樣になつた。
 母の朝夕の嘆きを眼の前に見てゐるので、理も非もなく彼等をよくない人たちだとは思ひながら、私は知らず/\彼等他国者に馴附《なつ》いてゐた。彼等はまた方便として私を可愛がつて呉れたのであらうが、兎に角に私は自分の村の誰彼よりもさうした人たちをみな偉く、且つなつかしく思つてゐた。鑛山師の高橋さんといふ四國の人、私の村に興行に來て病氣になり、其儘永い間私の家に留つてゐた何とか丸といふ旅役者、他人《ひと》の女房を盗んで逃げて來たといふ綱きん、自分で放《ひ》つた屁の臭ひを惶てて嗅ぐことを喜んだ何齋さんとか云つた旅醫者、ゆでたての團子のさむるのを待ち兼ねていつも水に投げ込んで冷して食つた性急《せつかち》の高造爺、思ひ出して來るとみなとり/”\になつかしい。いま思へば彼等はみないはゆる敗殘の人々であつたのだ。そして私は彼等の語る世間話と、いつとなく讀みついてゐた小説類とで、歳にはませて早くも世間といふものを空想することを覺えてゐた。ちやうどそれはをりをり山の頂上から遙かに光つてゐるものを望んで、海といふものを空想してゐたと同じ樣であつたらう。
 
(454)    父の事
 
 母が私を愛してゐた事は並ならぬものであつたが、それは私が唯一人の男の子であり季《すえ》つ子であつたばかりでなく、私といふものが生れてからは、からりと父の身持が直つたといふ一事が餘程影響してゐた樣に思ふ。それはをり/\母が涙を流して私に語り、他に語るのを聞いてゐた事である。
 父は祖父ほどの人では無かつたらうが、また凡庸の徒ではなかつた。熊本や大阪で修行して、若くから醫者となつてゐた。その道の技能は村ばかりでなく、近郷の者を心服せしむるに充分であつた。一點の邪氣を持たぬ、情に厚い人であつたが、惜しいかな意志が極めて弱かつた。そして常に何かを空想する事を止めぬ小さな野心家であつた。平常は極めて寡言、謹嚴な人であつたが、一度酒に醉ふと思ひのほかの亂暴を働いた。母などは幾度も彼から白刃《しらは》を突きつけられたものださうである。そして醫を業としてゐながら、多くは自宅に落ち着かず、何か彼か、事業といふ樣なことを空想して飛び歩いてゐた。その周圍には必ずまた右に言つた濡草鞋の徒が食つ着いてゐたのである。
 然し、私が生れる時から全然態度が變つたと言はるるほどで、私の物心のつく頃にはもう殆ん(455)ど彼は唯だ一個の好々爺となり終つてゐた樣である。またその頃には祖父の殘した山も林も田畑も失くなつてゐた。
 こればかりは確かだぞ、と言ひながら彼が日參をしてゐた五平田山《ごへいだやま》のことを私は僅かに覺えて居る。五平田とは石炭のことである。その石炭が出るといふので、私の村のずつと奥の山に數人の坑夫を入れてゐた事があつた。そして毎日酒肴の辨當を作つて、父は其處へ出かけてゐた。私も折々連れて行かれた。斷崖になつた岩山に穴をうがつて、とんちん/\といふ槌の音が斷えず響いてゐる。それを父は四國辯の高橋さんと共に谷を距てたこちらの山の木蔭の小屋から酒を酌みながらいかにも樂しげに眺めてゐるのだ。とんちん/\の槌の音の間には折々轟然たる音を立ててその岩山の壞れ落つる事もあつた。それはダイナマイトといふもので、折々はまたそのダイナマイトを淵に投げて魚をとる事もあつた。わけは解らず、ただ母の歎くのが心にあるのでその岩を掘る槌の音や、またはダイナマイトの音そのものがいかにも惡いものででもある樣に思はれて、私は其處に行くのが恐しかつた。そして、もう止せ/\と幾度も父にせがんで、はては自分を可愛がつて呉れる高橋さんにまで頼み込んだ。その時、酒に醉つてゐた高橋さんは、うふゝゝといふ樣な、あらはにそれと解る泣笑ひの聲を立てて矢庭に私を抱き上げたことなどあつた。私は折々この高橋さんの事を今でも夢に見る。程なく彼はこの五平田山の事で父と喧嘩をして私の(456)村を出て行つてしまつた。
 
    五本松峠
 
 私の六歳《むつつ》の時であつたと思ふ。どういふ理由からであつたか、多分種々の事で村が面白くなかつたりまたは齢が齢で幾らか焦り氣味も起つて來たのであらう。父は全家を挙げて隣村の田代といふへ移つて行つた。移り切りに移るといふではなく、謂はば出稼ぎの樣な形であつた。隣村と云つてもその間に五本松峠といふ大きな山が横はつてゐるので、それを越えて行かねばならなかつた。その日、私は母と二人、五六人の見送りや出迎への人たちと一緒にその峠を越ゆる事になり、私だけは祖父の代から使つて來た古めかしい駕籠に乘せられた。
 殆んどその峠の頂上に着かうといふ頃であつた。私はふつと『こま』の事を考へ出した。『こま』は自宅《うち》に飼つてあつた三毛猫で、私と大仲好しであつた。「こまを連れて來たか」と訊くと、「否え」といふ。さア私の肝癪玉は破裂した。あらん限りの聲を出して泣きわめいてたうとう駕籠からころげ出してしまつた。そして、其處の路傍にふんぞり反つて如何しても動かない。どうでも『こま』を連れて來いといふのださうである。手をつくして嚇《おど》しつ賺《すか》しつしてみたがどうしても諾《き》かない。たうとう一緒にゐた一人が連れに行く事になつて、そのまま我々だけ先へ行かう(457)とすると、また泣き立てた。『こま』を連れて來るまでどうしても此處で待つてゐるといふのだ相である。其處はもう私の家から二里ほども離れた山の中である。幾ら急いでも往復には相當の時間がかかる。それに都合よく猫を捕へることが出來ればいいがそれも怪しい。途方に暮れた母や一行の人たちは呆れ驚きながら更に手強く嚇しもし賺しもしたが、耳にも入れない。まるで死ぬ樣に騷ぎ立てて果しがない。終には母まで半ばは泣きながら一行の人達に詫びを言つて其處で猫の來るのを待つことになつた。
 何時間であつたか、高い山の上での徒然《つれづれ》な時間が過ぎて漸く下の方から心細げに鳴く猫の鳴聲が聞えて來た。いちはやくその聲を聞きつけた時、私は今までに知らぬきまりの惡い樣な、悲しい樣な、言ひ樣のない思ひをしたのを覺えて居る。山が下り坂になつた時、この強情な兒を虐めてやれと思つたか、駕籠を擔いでゐた二人の若者は脚に任せて走り出した。駕籠の中には六歳になつた私と大きな猫の入れられた魚籠《びく》とがごろ/\と轉げ合つてその痛さ苦しさと云つたら無かつた。でも私は我慢に我慢を重ねて終に一聲も泣かなかつた。
 この話で恩ひ出す、幼い頃私には斯うした強情な我儘な性質が多量にあつた。矢張りその歳かその翌歳かの事であつた。田代村に移つて幾らもたたない頃の事で、丑藏と云ふ村でも有志の中に數へられる一人の男が私の凧を上げて遊んでゐる所へ通りかかつて會釋《ゑしやく》の積りであつたか一緒(458)になつてその凧を上げて呉れた。ところが、彼の手で上げられてゐた凧が急に蜻蛉返りを打つと共に水田の中へざんぶりと落ち込んだ。それを見ると同時に私はこのよくも見知らぬ男に向つて必死になつて飛びついた。そして全身の力を擧げて泣き喚きながらその男の手と云はず、脚といはず、當るところを引き掻き、噛みついた。新しいのを直ぐ買つて來るからと狼狽《あわ》て騷いで宥《なだ》めかかつたが聽かばこそ、この小さな子供一人をほと/\に持て餘してゐたところへ漸く母が馳けつけて來た。そして、漸く聲を收めた私をつく/”\と見守りながらその男が母に言つた相である。この子供が若し偉くなるとすれば大したものだ、間違つてまた惡くなるとしたらそれも普通では濟まない、と。母も實は自宅の縁から呆れながらこの騷ぎを見てゐたさうである。そしてその男の言つたこの批評をひどく心にかけて其後も折々この話を持ち出した。その丑藏はその後私を非常に可愛がつて閑さへあれば山や谷に連れて行つて呉れた。田代村には三年程もゐたかと思ふが、彼はその間に於ける私の唯一の遊び仲間で、後にはよく彼の家へ連れられて泊りに行つた。私たちがその村を去つて舊《もと》の村へ歸つてからも彼は折々私を見るために五木松峠を越えてやつて來た。その頃はまだ四十には間のある齢であつたが、人の嫌ふ病氣が身にあつたとかで、仕舞にはたうとう自分からずつと山奥の炭燒小屋に引き籠つて其處で死んで了つた相である。丑といふ名のよく似合ふ大きな、人の善い男であつた。休暇などに歸つて五本松峠を見る毎にこの男の事を(459)よく思ひ出した。
 その村での三年間は私にとつて誠に寂しい時間であつた。私の舊の村より更に邊鄙な山奥で、附近の子供達にも一人として遊び仲間になる樣な者がゐなかつた。軈て小學校に行かねばならぬ齢になつたがどうしても出るのが嫌で、幾ら叱られても出席しなかつた。よく/\の思ひで自宅《うち》を出ても、途中の谷で獨りで終日を遊び暮して――夕方ぼんやりと歸つて來た。斯んな癇の強い子を餘り叱るのもよくあるまいといふ譯で、後にはたうとう學校を休む事を許されてその代り自宅《うち》で何かを習ふ事になつた。
 その間、私の最も多くの時間を費したのは谷間の釣りであつた。坪谷村《つぼやむら》の谷よりも小さかつたが、家の前を同じく一つの谷が流れてゐて、狹いままに淺い瀬といふものがなく、巖から巖を傳うて瀧と淵との連絡した樣な木深い蔭の流れであつた。其處に一心になつて釣つてゐると、後から探して來た例の丑藏がよく斯んな處へ獨りで來られると言ひながら一緒になつて釣つて呉れたりした。
 
    三人の叔父
 
 田代村を引き上げて舊の坪谷村に歸つて來た時、たしか私が九歳であつた。前に言ふ通り、そ(460)れまで私は學校に出てゐなかつたので、その補ひをつけるため鈴木の叔父の家へ毎日勉強にやらせられた。
 鈴木の叔父といふのは血縁は無いが母の義理の弟に當つて居り、もとは延岡藩で相當の地位を占めてゐた家であつた。が、この叔父の代になつては悉く零落して、矢張り母の縁から私の家を頼つて來た、矢張り濡草鞋の群の一人であつたと思ふ。能樂、ことに鼓に堪能で武藝にも達してゐた。或時、二人の他國者が土地の酒屋で亂暴をして、巡査を始め大勢がその取押へに向つたが却つて二人の爲めに打ち据ゑられ困り果ててゐた所へこの叔父が通りかかつた。そしてその譯を聞くと直ぐ單身その二人を捉へようとした。二人のうち、一人は五十位ゐ、一人は二十歳位ゐで、年寄つた一人は矢張り柔術《やはら》の心得のある者だつた相である。忽ち三人の間に烈しい格闘が行はれたが叔父の働きは目覺しいもので、後には刃物まで取り出した二人を苦もなく投げ飛ばしてたうとう搦めてしまつた。その頃もう初老に近い齢であつたらうが、このために叔父は非常に村の者に重んぜられ、私もどれだけ鼻が高かつたか知れない。初め村の小學校教員となり尋いで郵便局長となつた。私の通つたのはその局長時代の事で、叔父から讀書算術を習つた。叔父は非常に私を可愛がつて、私にものを教へ始めるとどんな差し迫つた用事をも忘れるのが常であつた。貧しい中から何や彼や買ひ求めておいて、事ある毎に私に褒美に呉れてゐた。
(461) この叔父と私の父とは一面に於てよく似た性質を持つてゐた。夢想家で、その血のうちに年老いても尚ほ消耗せぬ一種の流浪牲を持つてゐた。ただ父のはそれがやや上品で小さく、叔父のは大柄で粗野であつた。行くところまで行かねば承知出來ぬ性《たち》であつた。二人はよく協同して何か彼か計畫してゐたがその頃父は既にその種の事に疲れ始めて、甚しく臆病になつてゐた。それが叔父には甚だ喰足りなかつたらしいが、それでも何處には銀の脉があるとか銅が出るとか云つてよく兩人づれで山や谷をあさつてゐた。二人共揃つた大酒飲みで、飲み始めるといつ迄も果《はてし》が無かつた。叔父が醉つて謠ひ出す謠曲や、長い漢詩などを私はどれだけ憧憬《あこがれ》の眼を以て眺めたものか、この叔父を何故ああ母などは惡く言ふのであらうと不審でならぬ事もあつた。後にはたうとう彼はこの村にも落ちついて居られず、六十近い身で臺灣に渡つた。初め甘酒屋をやり、それで當つたので濁酒《どぶろく》を作り始め、それも成功しかけたのであつた相だが、その頃から腦がわるくなつて私の村に歸つて來た時はもう普通の人では無かつた。それから數年間を廃人同樣で暮して、遂に狂死した。私はこの人に接したのが丁度ものごころのつくころであつた故か、少なからずこの人の感化を受けた樣である。叔父も非常に私に希望をかけて、早く偉くなれ/\と言つてゐたが、偉くはとにかく、この老人と盃のやりとりもせずして別れてしまうた事が殘念でならない。この人の息子に信さんといふ人がゐた。小さい時から親とは仲惡で、臺灣に呼び寄せられた頃大喧嘩(462)をして其後殆んど行衛不明、音信不通となつてしまつてゐた。私はこの人から『幼年雜誌』『小國民』などといふ雜誌といふ物のある事を始めて教はつて、それからそれに噛りついて讀む事を知つたのであつた。
 いま一人の叔父は村の寺の住職であつた。母の妹が其處に縁づいてゐたためで、矢張り血縁の叔父では無かつた。この人は毒にもならず藥にもならぬ好人物一報優しい一方の人であつたが、たいへん讀物の好きな人で、新しいものを見附けては必ず先づ私の家へ持つて來て母へ讀んで聞かせてゐた。いま思へば膝栗毛や弓張月であつたが、挿繪の多い小型の綴本を手に持つて、焚火の圍爐裡に、前に云つた燭臺の松明《たいまつ》をさしくべ/\この頭の圓い聲のいゝ叔父が母や姉を相手にして夜深くまで讀み入つてゐた光景《ありさま》はいま思ひ出してもなつかしい。私が生れて初めて小説といふものを讀んだのはいつもこの叔父の持つて來る繪入郵便報知新聞に載つてゐた村井弦齋作『朝日櫻』といふものであつた。振假名を拾つて駒雄靜子(?)の戀物語に胸を躍らせて讀み耽つたのが最初であつた。この叔父も既う夙うに世を去つた。
 いま一人叔父があつた。父のすぐの弟で、隣村の山陰村《やまかげむら》で同じく醫者をしてゐた。最も近い血族なのにこの叔父の印象は幼い頃の私には餘り無い。無いといふより母を信じ切つてゐた私には母と仲惡のこの叔父が甚しく善く見えなかつたものである。極く平凡な人であつたが、唯だその(463)兄弟仲のよかつたことは異常であつた。若山の兄弟を出會はせたら病人は上《あが》つたりだと村で評判せられてゐた通り、この二人が逢ふと一日でも二日でも離れやうとしなかつた。別に話があるでもないのだが、二人ともちび/\と酒を嘗めながら、誰が何と云つても座を立たなかつた。弟はよく兄を敬ひ、兄はまた極めて弟を愛して全くお話の樣であつた。二里程離れて住んでゐたが、二三ケ月も逢ふ機會が無いとどちらかが飄然と訪ねて行つて一日か二日かを泊つて來るのを常とした。この叔父も亦父と同じく酒のために數年前|命《めい》を終《をは》つた。この叔父の子なる私の從兄は私に深い交渉があるが、それは今少し長じて私の中學時代から始まる。
 
    正月、お盆、祭禮
 
 さうした山村の少年にとつて一年中の樂しみはお正月であり、お盆であり、お祭であつた。正月には別に變つたことは無かつた。唯だ百姓や杣人《そま》たちが業を休んで酒に醉つてゐる位ゐのものであつたが、お盆の印象は餘程深い。これらの行事はすべて陰暦で行ふのだが、そのお盆が來るとなると先づ出來るだけ椅麗にお墓の掃除をして十三日の來るのを待つ。そしてその日の夕方から三日間、お墓と各自の家の門口とに出來るだけ盛んに焚火をするのである。ただ地上に焚くばかりで滿足せず、青竹の大きなのを用意して置いてその先に松明を結びつけ、そして中天に焔を(464)上ぐるのを見て喜んだ。その火の高さ大きさが各戸の間に自然と競爭となつて、いやが上に長い竹大きな質のよき松明を選むことになつてゐたのである。村を圍んだ峰から峰へかけての空に白々と銀河が流れて、その下の溪ぞひにこの篝火が炎々と燃え立つてゐる光景は幼い瞳にどれだけ鮮かに映つたものか。やがて夜が更くるにつれて一つ二つとその火が消えて、ア、何處のが消えた、誰の所《とこ》のも落ちたと數へながら次第に疎らになつてゆく火光を見守つてゐる身には何とも知れぬ哀愁のしみじみと浸み込むのを覺えたものである。十六日の朝には佛壇に供へて置いた供物をすべて青廣い芭焦の葉に包んで下の溪に持つて行つて流した。そしてその供物に乘つてお精靈さまは今朝信濃の善光寺へお歸りになるのだといふ傳説をいかにも眞實の樣に信じ込んで、言ひ難い敬虔の念をもつて淵に浮び瀬に隱るるその影を目送したものである。お盆が過ぐればもう秋になつたと子供心にも深く感ぜられた。その頃、盆蜻蛉と呼ぶ赤い小さな蜻蛉がいつぱいに空に群れてゐるのが常であつた。
鎭守の祭は霜月の末、もうかなり寒い頃であつた。鎭守の社と順番に當つた或る一部落とに祭禮所が設けられてその二ケ所で神樂があつた。祭禮は三日續くのだが、その第一日の前夜をおよどと稱へてその夜は夜通し賑つた。さうした場所を廻つて歩く見世物や行商人等がめい/\華かに店を張つて、平常見たこともない玩具や菓子が竝べられた。ことによく覺えて居るのはカルメ(465)ラ燒で、その匂ひと煙とは異常な好奇心と食慾とを唆つたものである。もう夜もほの/”\と明けやうといふ頃、尚ほ夢中になつて踊つてゐる神樂の若者達が振り廻す白刃の光も神々しく眼に映つた。晝はまた神樂のほかに臼太鼓といふ舞踊が演ぜられた。これは太古に於ける神様たちの凱旋の踊りだといふ事で、村の若者達各自山で獵つて來た鹿の角や山鳥雉子などの綺麗な羽根で身を裝ひ一人の音頭取(これは家柄で世襲であつたと思ふ)の唄や音頭につれて大きな丸い環を作り乍ら、各自《めいめい》前に結《ゆは》ひつけた太鼓を叩いて踊り出すのである。
 いま一つ、鎭守の祭のほかにひきの神さまの祭といふのがあつた。ひきは比企と書いたかとも思ふがよく覺えぬ。ずつと離れた二十里ほども遠い兒湯郡のひきといふ所から出て各所を經巡りながらその途中私の村をも過ぐるので、その折に祭禮が行はれる。なんでもこの神様は女神で、その巡つて歩くさき/”\は戰ひ負けて逃げ廻つたあとであるのだ相だ。私の村附近では先づおろしごといふ部落で一夜祭禮がある、其處はその女神が子供をおろした所ださうだ。その次がうぶのといふのにある。此處でそのおろした子(死ななかつたと見える)の生毛を剃つた跡ださうで、その次がこあらひ、此處で初めてその子を洗はれたのださうである。何處でもただ一夜づつの、いかにも敗戰の女將が嬰兒を抱へて逃げて歩く樣な怪しい祭禮だが、矢張り相當に賑つた。この祭には百姓たちはみな各自の田畑に出來た作物を供へて、その出來榮を競ふ樣な風がある。師走(466)も既うおし迫つた頃の、隨分寒い祭であるがおろしご、うぶの、と私たちは附近で催されるその祭のあとを追ふ事を怠らなかつた。(この「思ひ出の記」をばいつかまた書き繼ぎたいと思ふ)
 
(467) 秋草の原
 
 私の生れた家は東と北とに山を負ひ、前に溪を控へた坪谷村字石原《つぼやむらあざいしばる》一番戸といふのであつた。溪を距てた向側はまた魏峨たる險山となつて居る。その部落と、東隣の部落との間には少しの間人家が斷えてゐて、和田越《わだのこし》といふ小さな峠を越して來ると先づ私の家が取つ着きとなり、そのまま疎らに溪に沿うて西へ細長く總戸数二十二戸からかある石原村《いしばるむら》となるのであつた。西の万から白々と瀧のやうな長い瀬になつて流れて來たその溪は、丁度私の家の眞下で大きく彎曲して其處だけ深い淵となつてゐた。二階からはその大きな淵が一面に見下されて、月の夜など殊に好かつた。
 家の背戸口から直ぐまた他の小徑がついてゐて背後《うしろ》の小山を越す樣になつてゐた。それを越すと、其處にはまた別の溪が流れてゐて、それからそれと幾つとなく折り重つてゐる小さな山脈の間にその溪谷だけの流域ともいふべき比較的平らかな一區劃が出来てゐた。元來が極めて平地に乏しい山地のことでその溪の兩側などかなり克明に手を着けて小さいなりの田なり畑なりに開墾(468)せられてあつたが、それでもまだ山ともつかず森ともつかぬ灌木林風の荒れた平野が澤山殘つてゐた。不思議な事にはこの溪ぞひには人家といふものが一軒もなかつた。私の物心のつく頃になつて四國者だといふ夫婦が來て始めて一軒の小屋を建て、瓦燒きを始めたのであつたが、今でも續いてゐるかどうかと思ふ。
 この溪ぞひの灌木林に秋になればよく栗が落ちた。他の雜木は少し大きくなれば悉く木炭《すみ》に燒いてしまふが粟の木だけは駄目なのださうな。その栗を拾ひに私たちはよく出かけた。點々として立つてゐるこの栗の木の周圍が、今考へれば殆んど萩だつたらしく思ひ出さるる。ほんとに深い萩の原であつた。萩ばかりでは無からうが、到る所の雜木に、灌木に、このこまかな木の混つてゐない所は無かつた。身を屈めて落葉の間に落ちてゐる木の實を拾ひながら、時々腰を伸して見廻せば必ずの樣に其處等に咲き枝垂れてゐるこの薄紅の花びらが眼についた。萩と云つてもなかなか大きい。枝垂れて咲いてゐるのですら子供の私たちより遙かに丈が高かつた。よく熟してゐない栗に出逢ふとその木に登つて枝を搖り動かしながらまだ青い樣な實を落して取つたものだ。梢から下を見ると萩が茂つてゐて其處に待ち受けてゐる友達の姿など見えはせぬ。「いいか、落すぞ!」と呼びながら力一杯枝を搖《ゆす》るとその茂みの中へばら/\と音を立てて青い毬《いが》が落ちて行つた。
(469) この原には茸もよく生えた。大抵栗の落ちるのとあとさきで、栗を詰めた手籠の上に見ごとなしめじやねず茸を載せて持つて歸つたものだ。茸のあるところは栗より範圍が廣いので、探すのに骨は折れたがそれだけ樂しみであつた。それに私は友達大勢と斯ういふことをするのが嫌ひで、大抵は自分一人か、乃至は母と一緒位ゐであつたので、いつもひつそりとその廣い雜木の原を屈みながら探して歩いた。萩のほかには女郎花が最も多かつた。林が伐り開かれて明るくなつてゐる草原などにはこの花が高々と茂つて咲いてゐた。白い花の男郎花《をとこへし》といふのも混つてゐた。
 尚ほ私の忘れられないのはこの原のあちこちに流れてゐる小流れで魚を釣ることであつた。それは溪とも云へない位ゐ小さな流れで、大抵一尺か二尺の幅で流れてゐて、それが其處此處で小深い淀みを作つてゐる、その淀に棲む魚を釣るのである。勿論流れの上には薮が掩ひかゝつてゐるので、竿とても二尺か三尺の長さのものしか使へなかつた。人といふものを知らぬ魚どもなのでなか/\よく釣れた。種類はきまつてゐて鮠《はや》かあぶらめといふ小魚、どうかすると蟹や鰻などの出てゐることもあつた。いつといふことも無かつたらうが、この釣の記憶も必ず秋の季節に係ってゐる。岩から岩を濡れながら這ひ歩いて釣つてゐると、思ひがけぬ見ごとな栗がその淀みのなかに落ち溜つてゐる事などもあつた。折々眼を上げるとその流れの上には例の萩の花がしつとりと咲き垂れて居る。ほがらかな秋の日は背に流れて、どうかするとその溪間の空にほの白い晝(470)の月の懸つてゐるのを見ることもあつた。水でも飲みに來てゐたか、野兎の子の聰《さか》しい眸が不思議さうに岩の蔭からこららを向いてゐたこともあつた。
 
 私は十歳の時限り、殆んど離れ切りにこの故郷を離れたと言つてもいゝ。その後、稀《たま》に歸る事があれば必ずこの原に出かけて行つたが、その時ごとに劫い頃の記憶とは似もつかぬ狹苦しい原であるのに驚かされた。見廻せばいかにも萩が茂つてはゐるが、心のなかの記憶の原は行けども行けどもはてしのない廣い原で、到る所に萩が咲き、栗が稔り、水が流れ、有明月が懸つてゐる。さうした原であらねばならぬ。不思議とまたさうした原の實在が信ぜられてならぬのである。さうして、夏も末、萩の花のほころびかける頃になると私は必ずの樣にこの原のまぼろしを心に新たにするのである。
 
(471) 或る日曜の朝
 
 私の住んでゐる近所の錢湯屋では此頃「時勢に鑑み……」何とやらで朝湯と流しとを廢してしまつた。ただ日曜祭日に朔日《ついたち》十五日だけは從來通りといふのである。
 眼が覺めると頭が重い、昨夜の無理な酒のためだ。一つ二つ寢返りをしてゐるうちに今日は日曜だと氣がついた。我慢して起き上りながら、緑へ出て見るとどうやら珍しく晴れさうだ。廢兵院の森から四邊《あたり》の窪地に靄が深く降りて居る。便所から出ると直ぐ手拭をきげて湯屋へ行つた。
 漸く戸をあけたばかりのところで客は私ひとり、湯も澄んでゐる。熱いのを我慢しながら浸つてゐると、皮膚から溶けてゆく酒の膏《あぶら》が眼に見える樣だ。ながしに出てぼんやりと窓の方を見てゐると、靄は先刻より一層深くなつて庭の木立の間を流れてゐる。たしかに今日は晴れるらしい。久しぶりに日の目が見られると樂しい氣持になつてゐるところへぼつ/\と客が入つて來た。
 湯屋を出ると、咋夜の醉が急にまた身體に出て來た樣である。惡い習慣だと知りながら、食事の時にまた少しばかりの酒を飲んだ。それで幾らか頭もはつきりして、落ちついた氣になつた。(472)新聞を持つて縁側へ出てゐると、薄いながらに日がさして來た。褪《あ》せ/\て咲いてゐる鷄頭や萩の花には露がいつぱいにきらめいてゐる。蝕みはてた青梧桐《あをぎり》の葉のみじめさが今朝は目立つて著しい。庭にも隨分落ちてゐる。
 郵便を出すのを口實に私はぶらりと門を出た。急ぎの用事が幾つも溜つてゐるのだが、久しぶりの日光を見てゐると、どうしても室内に籠つて居られない。足音を盗む樣な、靜かな樂しい氣持で私は何處といふあてもなく歩き出した。ひどい路だが、一歩々々選つて歩く高い足駄のつま先きにもうす茜の日のひかりは洽く流れ渡つて居る。路傍の木も草も家も、工場の煙突も、行き違ふ男女も、みなこの久しぶりの日光のために新しくせられてゐる樣に見ゆる。
 巣鴨の通りを横切つて、とある小さな路次へ折れ込んだ。其處は小さな貧民窟の樣になつてゐて、押しつぶされた樣な古長屋が幾棟か竝んでゐる。長屋のそれ/”\の家の前は何處もみな溝《どぶ》同然で、その中で女房達が言ひ合せた樣に洗濯をやつて居る。洗つてゐるものもまた言ひ合せた樣に大抵みな襁褓《おしめ》だ。永い間降り込められて居た亭主たちも今日は早くから出かけたと見えて、開け放たれた家の中には子供の影すら見えぬ。腐つた樣な疊に靜かに日がさして居る。長屋のはづれに一軒の鍛冶屋がある。私はどうしたものか以前からこの鍛冶屋といふものが好きで、槌の響、鞴《ふいご》の音、迸る火の花、その中で眞黒になりながら働いてゐる男たちまで、みな親しいものに眺め(473)られてならなかつた。今朝も遠くからその槌の音は聞えてゐた。トン、カーン、トン、カーン、と思ひなしか平常《いつも》より今朝は冴えて聞ゆる。いつもの樣に私はその前に永い間立ち止つて彼等の仕事を眺めてゐた。青い焔を擧げて居る火の中から赤熱せられた一個の鐵片が一人の男の手によつて取り出されて滑かに輝いた臺の上に置かれると、立ちはだかつて待ち構へた他の一人はいかにも手答へのありさうな大きな槌を眞向《まつかう》に振り下す。その大槌が凛とした響を殘して再び振り上げられると、初め火中から鐵片を取り出した一人は坐りながらに手槌を以てやや小刻みに己自《みみづから》らの持つたその赤色の繊を打つ。トン、カーン、トン、カーン、と互ひ違ひに冴えた音の起つて居る間、火花は斷間なくその臺の上から四邊《あたり》に飛び散つて居るのである。
 この鍛冶屋の軒にはツイ先日まで二三本の大きな向日葵が咲いてゐたが、暫く見ない間にすつかり枯れてゐた。枯れたまま、木の樣に枝を張つて立つて居る。とり分けても大きく育つてゐたこの花の種を欲しいものだと枝の先に黒くついてゐるその大きな實を眺めながら、流石に露骨に言ひ出し兼ねて、その前を立ち去つた。釣竿を提げた人が二人、足ばやに私の側を通り過ぎた。今日の日曜を荒川あたりで釣るのであらう。枯れた芦や、芦を浸して湛へてゐる濁つた水などが寒いやうに可懷しく私の心をかすめた。
 路を折れて私は染井の墓地の方へ曲つた。曲つて幾らも行かない時、私の丈より二尺からも高(474)い傍への石垣から恰度私の眞前にどたりと飛び降りた人がある。驚きながら見詰むるとまだ若い、二十四五歳の若者で半纏《はんてん》に腹掛、立派な職人である。飛び降りて一寸前のめりに手をついたと見ると、置ぐ起ち上つて一散に馳け出した。石垣の上は墓地で、その奥に寺がある。寺の方で騷ぎ立ててゐる人の聲が聞えて來た。どん/\と馳けてゐる若者の後姿を改めて見送りながら、この人聲を聞いて私は直ぐ「病人!」と思つた。この二月あまり、自分の家に病人のあつた私には自づとさう直覺せられたのである。と、直ぐ背後《うしろ》の寺の門から二三の人が走り出て來た。その中の一人は前のと同じ年頃の若者で、これは下駄を履いたまますた/\と私の側まで馳けて來たが、
「いま此處を半纏を着た男が通りはしませんでしたか。」
 と口早やに訊ねる。
「え……?」
 と答へながら、先刻《さつき》の男の走つてゐた方を指ざさうとして振返ると、眞直ぐな道路の何處にももうその男の影は無かつた。
「畜生、曲りやがつたな。」
 と言ふなり、また馳け出さうとしたが、何かまた思ひ出して立ち止つた。
「早く行かないか、早く。」
(475) 寺の門の前では一人の老婆が枯れた聲をあげて叫んでゐる。
「駄目だよもう、墓地の中に曲り込んだんぢア解りつこはありアしない。」
「だつて行つてみるだけ行つてみなよ、他《ひと》に頼んで捉《つかま》へて貰へばいいぢアないか、早く行かないか、早くサ。」
 老婆は叫び/\よた/\とこちらへやつて來る。
「どうしたんです。」
 私は側の男に訊ねた。
「泥棒ですよ。」
 と、言つたまま彼は諦めたやうに寺の方へ引返して行つた。
 不意な出來事に少なからず私は胸をときめかせながらぼんやりと尚ほ歩み續けた。寺の方では何かまだ聲高な話聲が續いてゐる。斯んな朝のうちから、そしてまた立派な服装をしてゐたが、などと考へながら私は豫定してゐた樣に道路からその若者の入つたらしい同じ方角の墓地の中へ入つて行つた。
 木犀《もくせい》が急に匂つて來た。なつかしい匂ひである。靜かに澄んだこの花を嗅ぐと、いかにも『秋』そのものに觸れる樣で、おのづから心まで澄んで來る。見廻せばなるほど六七間さきにかなり大(476)きなその木が一本、こまかな葉の茂みに、同じくこまかな黄色の花をつけて立つて居る。金木犀といふのらしい。久しい雨で花は幾らか褪せてはゐるが匂ひは實に強い。近づいてみると、苔の延びた地面にも一面に散つて居る。 墓地には矢張り日和を喜ぶらしい人たちが其處此處に出てゐて、墓に水をかけたり、樒を代へたりして靜かに動いてゐる。空は次第に晴れて來て、いまは雲の影さへいかにも高々と定つて居る。數日前の暴風雨にいためられたためか、四邊《あたり》で目立つ欅の木は悉くもう黄葉して、高い梢からははら/\とその枯れた葉を落してゐる。見上げてゐると、その梢から梢にかけて百舌鳥が鋭く鳴き交しながら飛んでゐる。
 讀むともなく墓石の表に刻まれた文字などを讀みながら、廣い墓地の木蔭から木蔭を歩いてゐると、とある椎の木の蔭から突然飛び出した男がある。
「泥棒!?」
と思ふと同時に胸は烈しく波立つたが、よく見ると違つて居る。歳も先刻《さつき》のより若く着物も筒袖ではあるが、半纏ではない。
 馳け出した向うには竹の棒が突き立てられ、一羽の百舌鳥がその頂上にとまらせられてある。その囮を目がけていま一羽の百舌鳥が飛んで來て、危くその棒にしかけてある鳥黐《とりもち》に觸らうとし(477)て危く離れ去つたところであつた。いつの間にか墓地のはづれに來てゐた。そのまま墓地を外《そ》れて駒込の停車場の方へ行かうと歩きかけたが、どうもまだ歸るのが惜しい。今少し歩いてゐたい。またぶら/\と墓地の中へ入り込んだ。私は元來墓地が好きで、その靜かな、雜木の多い中に入り込んでゐると、何とも知れぬ心安さを覺ゆるのが癖である。とりわけてもこの染井と雜司ケ谷の墓地とは氣持がよい。
 あちらへ行き、こちらへ廻りしてゐるうちに、今度は先刻《さつき》とは反對な方角の外れへ出た。前はやや廣くうち開けた田圃で、その向うは西ケ原から飛鳥山の臺になつてゐる。この田圃に降りればどうしても飛鳥山あたりまで行かねば氣が濟むまじく、さうすれば正午すぎても歸られないことになりさうだが、などと考へながら矢張り田圃の方へ降りて行つた。穗をば刈られて幹だけが竝んで立つて居る黍の畑の側を通つてゐると、また先刻の百舌鳥とりの青年の蹲踞《しやが》んでゐるのに出合つた。
 見れば囮の棒は陸稻《をかぼ》の刈られたあとの畑に立ててあり、その上の電信線に一羽の百舌鳥が來てとまつてゐる所である。われ知らず私も呼吸《いき》を呑んでひそんでゐるその青年の側に蹲踞んでしまつた。幾度か飛び降りやうとして躊躇してゐた電信線の百舌鳥は終《つひ》に羽風を切つて飛び降りた。そして、眼を縫はれて棒の先にとまらせられてゐる囮の方へ一直線に飛んで行つたが一度か二度(478)烈しくその囮を蹴つて置いてその下の棒へとまつた。と見ると私の側の青年は驀地《まつしぐら》にそれへ向つて馳け出した。きいきいと鋭く鳴く鳥の聲を聞いて私も思はず微笑した。見事に今度はその烏黐にかかつたのである。
「とれましたネ。」
「ええ、お蔭さまで。」
 晴やかに笑ひながら手には新しい獲物を掴んで立つて居る。
「今日は天氣がいいから捕れませうよ。」
「ええ、夕方までには二十羽位ゐ捕るつもりです。」
 と言ひながらいま捕つた百舌鳥をば直ぐ締め殺して腰に提げた袋に投げ込んだ。
「ほう、彼處にも居ます、あれも屹度やつて來ますよ。」
 と言ひながら彼は袂から竹の皮包みを取り出した。プンといやな臭ひがしたと思ふと、それには細かに刻んだ牛か豚かの肉片が包んであつた。それを囮の嘴へ一片持つて行つて啄ませながら、惶しくまた舊《もと》の黍の蔭に引き返した。私もまた彼について來て蹲踞んだ。
 なるほど、煙つた樣に日の照つてゐる向うの木立の中にきい/\と啼き立つる同じ鳥の聲が、あとから/\と聞えて來た。
 
(479) 山上湖へ
 
 五月三十一日 晴、のち雨。
 晝飯の時、酒を一本つけて貰つた。今度自分の手で出版する事になつた或る友人の歌集が漸く出來て來たので今朝からかかつて寄贈先や註文先へ送る分を荷作りしていま郵便局へ持つて行つて來た所であつた。この數日は何といふ事なく無闇に忙しかつた。が、永い間氣になつてゐた歌集が漸く出來上り、送るべき先へは送つたりしたので、やれ/\といふ氣で一杯飲むことにしたのである。
 家族たちは先に食事を濟ましてゐたので自分獨り、其處等の障子をあけ放つてちび/\と飲み始めた。けふも燻つた樣な初夏の好天氣で、庭前の樹に風が僅かに見え、垣根の雜草の中では雀の聲が微かに起つて、をり/\動くその姿も早えてをる。大きい子供は遊びに出かけ、末の赤ん坊は部屋の隅に小さく睡り、妻と女中がその側で縫物をしてをる。誠に近頃にない靜かな氣持で、一つ/\と盃を唇に運んで行つた。
(480) 穩かな醉が次第に身内に廻つて來るとうつら/\と或る事を考へ始めてゐた。昨日東京堂から受取つて來た雜誌代がまだ其儘財布の中に殘つて居る事も頭に浮んで來て、たうとう切り出した。
「オイ、俺は一寸旅行して來るよ。」
 一寸驚いたらしかつたが、また癖だ、といふ風で、
「何處に……何日《いつ》から?」
 妻はにや/\笑ひながら言つた。
「今から行つて來る、上州がいいと思ふがネ、……」
 實はまだ行先は自分でもきまらなかつたのである。印旛沼から霞ケ浦の方を廻つて見たいといふのと、赤城から榛名へ登つて來たいといふのと、この二つの願ひは四邊《あたり》の若葉が次第に濃くなると共に私の心の底に深く根ざしてゐたのだが、サテ愈々それを實行するといふのは今のところ一寸困難らしく思はれて、妻にも言ひはしなかつたのであつた。
「Y――さんを訪ねるの?」
「ウム、Y――にも逢つて來るが、赤城に登りたいのだ、それから榛名へ。」
 と言つてるうちに急に心がせき立つて來た。もうちび/\などやつてゐられない氣で、惶てて食事をも片附けた。
(481)「それで……幾日位ゐ?」
 爲方無しといふ風に立ち上つた妻はいつも旅に出る時に持つて行く小さな合財袋を箪笥から取り出しながら、立つた儘で訊いた。
「さうさネ、二日か三日、永くて四日だらうよ、大急ぎだ。」
 さう言つてる間に愈々上州行に心が決つて汽専の時間表を黒い布の合財袋から取り出した。上野發午後二時のに辛うじて間に合ひさうだ。袴も穿かずに飛び出した。
「お急ぎなさい、直ぐ出ます。」
 といふ言葉と一緒に前橋までの切符を受取つて汗みどろになりながらとある車室に飛び込んだ。いかにも、腰を下すか下さぬに一杯の人を積み込んだ黒い樣な汽車はごとり/\と動き出した。
 いつもの通り、赤羽を越す頃から漸く心も落ちついて來た。鐵橋を渡ると汽車はまつたく平原の中に出た。忘れてゐたが、今は麥の秋なのだ。黄いろく熟れた、いかにも豐作らしい麥畑が眼の及ぶ限り連つて、二人三人と散らばつた人影が其處でも此處でもひつそりと刈つてをる。この邊は麥畑と水田とが次ぎ/\と隣り合ひ、それ/”\の畔にはいま眞青な榛の木立が並み立つて居る。榛の蔭にはそれらのほかに間々馬鈴薯の畑も交つて、白々と花が咲いて居る。なほ意外であ(482)つたのは、とび/\の水田の中にもう苗を植ゑつけてゐるのも見ゆることであつた。車の搖るるに從つて次第に靜かになつて來た心の底にはいつか遠い故郷の夏の姿が映つて來た。同じく麥刈田植、やがては軒さきを飛んでゐるちひさい螢の姿なども。
 麥畑の鈍い黄と、をちこちの木立を籠めた鈍い緑と、それらを押し包んで煙り渡つてゐる今日の日光との奥の方に秩父山脈が低く長く横伏してをる。雲はあるがごとく無きが如く、風あるが如く無きがごとく、天も地も殆んど同じ樣な鈍い重い光の裡に眠つて、走りゆくこの汽車さへも眠りながらに走つて居るかの思ひがする。車中の蒸し暑い空氣のなかには夏蜜柑の匂ひや女の髪の匂ひがほのかに流れ、うつら/\としてをる私のツイ前には居睡りがちの母親の膝に抱かれた赤兒がをり/\泣いたり、笑つたりしてをる。
 が、神保原驛あたりから急に光景が一變した。そよ/\とのみ車窓から吹き入つてゐた風が俄に荒々しくなつて來た。そしていかにもうすら冷たい。車の左右に靡いてをる葉裏の白々しい光もまた冷たく變つて、遠い野末の畑の上あたりには現に雨でも走つてゐるかの樣にほの白い土煙が長々と起つてをる。次第に近くなつて來た赤城榛名あたりにはすつかり雲が懸つてしまつた。さうかうしてゐるうちに高崎驛に着いた。何となく心の騷ぐのを覺えて私は麥酒を買ひ取りながら口移しに飲んでをると、汽車はまた進行を始めた。そして驛を外れると共に終《つひ》に雨は落ちて來(483)た。惶てて締め切つた玻璃戸を射るそれは、ひとつ/\にシユツ、シユツといふ音をたてて斜めに烈しく注いで來る。一時夕陽がうす青く射さうとした榛名赤城にはいま眼に見えてその荒い雨の走つてゐるのが見えて來た。利根の鐵橋を渡ると間もなく前橋驛に着いた。
 改札口を出ると薄暗い樣な雨と風、罵り交す乘客と俥屋との應答など、すべて暴風雨中の光景である。その中から辛うじて一人の俥夫を求めて、前橋市外下川原といふへ急がせた。烈しい向ひ風の上に俥夫が可なりの老人であるために、俥はをり/\危ふげに立ち止らねばならなかつた。幸ひ雨は小降りになつたので幌をば全部とりのけさせ、傘は無論さされないので濡れながら行く。しかもなほ歩むに等しい足取である。漸く目的の一明館といふへ辿り着いたが、この風雨を避くるためにまだ明るいのにすつかり雨戸が閉してあつた。
 二階から降りて來たY――は私の顔を見て呆氣にとられて驚いた。寧ろ途方に暮れた樣に私の冷たい手を握つて、やがてその部屋に連れて行つた。いつか近いうちに訪ねやうとは言つて置いたが、まさか今日とは思はなかつたのだ。私としても思ひがけぬ事であつた。互ひに笑顔を合せながら急には話の糸口すらも出て來なかつた。何は兎もあれ、と言ひながら彼は酒を持つて來た。そして一口二口と話がほどけて行つた。
「さア、困つたなア。」
(484) と時計を見い/\さも困つた樣にいふ。何故《なぜ》、と訊くと、けふは土曜の夜の集會《あつまり》で、一寸でも教會に顔を出さねば惡いといふのだ。それは無論行つて來るがいい、と押し勸めて出してやつた。出がけに言ひ置いて行つたと見え、宿の主婦が更に酒や肴やを運んで來た。雨はあがつたらしいが、ひどい風だ。窓さきの木の葉の揉まれに揉まれてゐるのが、眼に見ゆる樣だ。その中で蛙の聲が遠くなり近くなりして聞えてをる。兎に角東京から離れて來てゐる意識が漸く心に湧いて來る。
 見るとさつぱりと片附けられた机の上には何やら青葉の廣い草の鉢が置かれてある。鈴蘭らしいと覗くといかにも白い小さな花がその葉蔭に鈴なりに咲いてゐる。旅から旅と渡りながらも讀んで來たらしい種々の書籍が机の附近から床の間にずつと並べてある。大抵は文学書類である中に大小幾種かの聖書や『露西亞語文法』などが混つてゐる。信濃の或る古驛に於ける舊本陣の家に生れ、同じ國の或る豪族の養子となつて成長したが、二十歳の頃に家を出て「南へ、南へ」といふ樣なことを考へながら東京から瀬戸内海の或る海濱に赴いて蜜柑栽培を企て、それが漸くものになりかけるとまた今度は露西亞行を思ひ立つた。そしてその足場として先づ朝鮮の京城に渡つた。其處で羊羹屋をやつたり新聞記者をしたりしてゐる間に終に身體を壞して内地に歸つて來た。そして何の先觸《さきぶれ》もなく私の家へ憔悴した旅姿を現したのはツイこの三月の末であつた。さう(485)なつても郷里へ歸るのを嫌つて、この前橋に居る或る西洋人の日本語教師となつて直ぐこの土地へ來たのであつた。私と知合になつたのはまだ彼が十七八歳の頃であつた。
「君は一體いま幾歳《いくつ》になつたのかネ?」
 また降り出した雨にびつしより濡れながら歸つて來た彼の顔を見ると私は問うた。
「二十……八かナ、九かナ、……何故《なぜ》?」
「何故でもないが……」
 寢るのが惜しくてずつと遲くまで話した。非常に冷える夜で、火鉢には斷えず火を眞赤に起しながら。
 
 六月一日、快晴。
 自宅に寢てゐる氣で眼を覺すと、椋鳥らしい聲や雀の啼くのがたいへん身近に聞えてをる。漸く意識がはつきりして來ると共に、寢ながら片手を延ばせば戸の開かれさうな所に窓のあるのを知つた。半身を起してそれを開く。櫻の大きな青い枝が直ちに窓を掩うてゐた。その向うにも同じく三四本うす暗く續いて、やがて松の木立となつて居る。そして雀は櫻に、椋鳥は松の梢に群れて居るらしい。見たところ、素敵な天氣だ。
(486) 長い髪を枕に垂らして熟睡してゐる友の蒼い顔を暫く見てゐたが、櫻の葉に落ちて來る日光の茜色が次第に鮮かになるのを見ると耐へ兼ねて先づ私は起き上つた。薄暗い廊下に出て其處の雨戸を一二枚繰りながら驚いた。眼の前を大きな利根川が流れてをる。廣い川原の中に白々とした荒い瀬がしらを見せながら流れてをる。そして、その遠景をなす山々の驚くべき眺めよ!
 ずつと右手寄りに近いのは直ぐ榛名と解る。その次の圓々しい頂を見せた高山は疑ひもなく淺間であらねばならぬ。見よ、その頂上にしつとりと纒り着いて僅かに端を靡かせた白い噴煙を。淺間に懷かれた樣な風になつて寂しい一つの山が立つ。妙義である。それからずつと左手にかけて、殆んど眼界の及ぶ限りに押し並んだ一列の山脉、滴る樣な朝日の蔭に鮮かな墨色を流して端然と續いて居る。手前の、わけても墨色の濃いのは秩父らしい。その奥に、ずつと奥に、純白な雪を被つて聳えて居るのは、サテ何處の山だらう。信濃か、甲斐か、と頭の中に地圖をひろげてゐる所へ、背の高い友が來て立つた。
 友もその山をば知らなかつた。ただ甲州のずつと奥、寧ろ西南部に位置する邊らしいといふ。
「よく晴れましたねエ、斯んな事は僕がこちらに來てから幾度もありはしません。昨夜の暴風雨のせゐですね。」
 と言ひながら、
(487)「見えますよ、蓼科《やでしな》が。」
「え、何處に?」
 なるほど、淺間妙義のやや左、墨色の群山の奥に、見覺えのあるその山の嶺が僅かに見ゆる。其處にもほのかに雪が輝いて居た。
 顔を洗ひに庭に降りた。庭はかなりに廣く、木立が深い。そして川端であるせゐか、庭の中の二箇所から清水が湧いて居る。一つはやや傾斜をなした上手の方に湧くので自づと其儘庭の中を小さな流となつて下つてゐる。庭の種々の木立の蔭いちめんに美女櫻といふ愛らしい草花が咲き亂れて、其他にも薔薇や小田卷などが水に沿うて咲いてゐる。葵の蕾も既う大きい。大きな柘榴の木が三四本、それにも鮮紅な花が見ゆる。
 實はその朝直ぐ赤城に登る積りであつた。が、妙に氣分が重く、頭も痛み、咽喉も怪しい。額もかなり熱い。それに友人が憤つた樣に留めるので、その日一日を其處に留る事にする。朝食後、一時間あまり附近の川原から公園の方を散歩する。今日が鮎漁の解禁日だといふので、川の上下にそれらしい人が多く見えてゐた。且つ朔日《ついたち》であるために附近に多い製絲や織物工場の工女たちが白粉を塗り、晴着を着て廣い川原で遊んでゐた。日曜學校の方をも助《す》けてゐる友人は途中から其處へ出勤し、自分だけ宿に歸る。書籍を引出して讀みかけたが、どうも頭が痛むのでやがて蒲(488)團を被つて寢る。
 夕方、二人して散歩に出る。友人が常に來て遊ぶといふ林へ行つた。川端で、誠にいい林だ。アカシヤのみの林もあり、楢や松の雜木林もあつた。それから尚ほ川沿ひに歩いて或る川魚料理の茶屋に入つた。が、あてにして來た鮎は無くて、其代り鯉を種々に料理させて喰べた。夕陽の蔭に眞向ひの榛名山が紫紺の色に浮び、やがてはその上に二つ三つの大きな星と共に五日頃の月が出て、渦卷き下る川瀬の波は光と影とをなめらかに織りなしてゐた。
 
 六月二日、晴。
 晴れてはゐるが、昨日の樣に鮮かに山影を眺むる事は出來なかつた。中天のみ蒼く、四方は淡く煙つてゐる。庭の草木の色はそれだけに瑞々しく、柘榴の花や柿若葉の間を輕やかに燕が飛び、小さな井手の流を距てた水田からはいちめんに蛙の聲が起つてゐる。まだ咽喉と頭とが痛い。非常に忙しい筈の間を斯うして空しく費してゐるのは何となく心に濟まず、赤城登りをばまたに延ばして今度はこのまま東京に引返さうと思つた。が、折角來たのにもう一日延して御らんなさい、といふY――君の言葉に引かされてまた思ひ留る。彼の出勤したあと、蒲團など出して見たが寢て居るのも辛く、今度は黙つて通り過ぎやうと思つてゐた萩原朔太郎君を訪ねて行く。萩原君と(489)も久しぶりであつた。前橋市は一體に水の豐かな所らしく、同君の寂びた庭にも清い流が通つて
ゐる。その水際には虎耳草《ゆきのした》が眞白に咲き、ゆづり葉の老木が靜かに日光を遮つて居る。その庭の流を聞きながらたうとう半日語り續け、晝飯を馳走になつてから歸る。歸る途中、思ひがけずW――君に出會つた。同君はわが創作社の舊い社友で、早稻田を出ると共に横濱の某商館に勤めてゐるとのみ思つてゐたのに此處で會ふのは意外であつた。阿母さんが近く亡くなられて急にこちらに歸つてゐるのださうだ。思ひ出せば、前橋は彼の故郷であつた。歸つて、お醫者である萩原君の阿父さんから頂いて來た藥を飲んでぐつすりと夕方まで寢る。
 夜に入つてW――君と萩原君と前後して訪ねて來てくれた。W――君は何處ぞへ出て久しぶりにゆつくり飲まうと頻りに勸めて呉れるけれど、一生懸命我慢して用心する。
 
 六月三日、曇、晴、のち雨。
 幾らか熱もあるし、運惡く曇つて來たが、思ひ切つて登る事に決心する。惟だ赤城へは此處から七里ほど歩かなくてはならぬ。榛名ならば伊香保まで電車でゆき、あと山上の湖まで二里の路だといふので、赤城をばまたの時に思ひ殘し先づ榛名へ登る事にする。今度目ざして來た山上湖は赤城の方が遙かにいいのださうだ。その電車までY――君に送られ、何となく心細い氣持で赤(490)城の麓を廻りながら澁川で乘り換へ、伊香保に向つた。この邊は昨年の秋、利根の上流へ行つた時通つた記憶がまだ新しい。澁川から伊香保まで登つてゆく歩みの遲い電車の左右は全く若葉の世界である。東京附近よりは一月近くも季節が遲いらしく、若葉の色もまだ柔かで、まま藤の花が見え、山畑の隅には桐が咲いてゐる。赤城躑躅とでもいふのか眞紅のそれは隨所に咲き盛つてゐた。
 伊香保をば足早に通り過ぎた。この身體では折角の温泉にも飛び込む勇氣がないからである。それでも町端れの茶店に腰かけ熱燗を一杯引つかけて勇氣をつけ、愈々尻を端折つて出かけた。家竝《やなみ》を出はづれると、忽ち山路になつた。そして、深い青葉若葉の茂みのなかから種々樣々な鳥の聲がいつせいに降つて來た。
 今度無理をして山へ/\と念じて來たのも實はこの鳥の聲が聞き度いからばかりであつた。私は山深い所に生れて幼くからこの深山の鳥のさま/\な聲に親しんで來た。そして、どうしたものか、春の鳥より秋から冬へかけての鳥の聲よりもこの若葉の頃に啼く鳥に深く、心を惹かるる習慣をつけて來た。初夏の風物は一體に私は好きであるが、眼前の若葉の色の惱ましいのを見るにつけて先づ思ひ出さるるは山深く棲む種々な鳥の聲である。昨年も恰度この頃、私は山城の比叡山に登つてゐた。十日ほど其處の山寺に籠りながら朝夕に啼くその聲々を聽いてほんとにどれだ(491)け心を澄まし魂を休ませたであつたらう。日もささぬ木立の深いなかで眼を瞑つてそれに耳を傾けてゐると、久しく忘れてゐた『自分』といふものに思はずも邂逅《めぐりあ》つた樣な哀しさ樂しさを沁々と身に覺えたのであつた。痛い樣なその記憶がこの季節と共にまざ/\と私の身に歸つて來た。そして心の渇く樣にひたすらに山が戀しくなつたのであつた。その望みは先づ達せられた。踏みしむる路は微かに濕りを帶び、眼上の峰、見下す溪間は萌え立つた若葉に渦卷き、種々樣々の名も知らぬ鳥の諸聲《もろごゑ》は其處から此處からと溢れ出て私の身を刺して來るのである。歩調を緩めて歩きながら私は此頃に珍しい緊張と滿足とを覺えてゐた。然しそれら小鳥の聲ではまだ充分には安心出來ぬ何物かを心に持つてゐた。
 その若葉の溪、濶葉樹の林は長くは續かなかつた。やがて松や落葉松が井條風《せいでいふう》に植ゑ込まれたまだ年若い植林地帶に辿りかかつた。深山らしい小鳥の聲もそれと共に盡きて、僅かにとび/\の松の梢に頬白鳥《ほほじろ》の啼くのが聞えてゐた。曇りは晴れて、燻《いぶ》つた日光が山から射して來た。路は溪とも分れて、無邊際とも思はるる廣い乾き切つた松林や落葉松林の間に入つたのである。用心のために前橋の友人から借りて着込んで來た冬シヤツや肌着から終には羽織の裏までも濕る位ゐに汗が湧いて來た。
 或る眞直ぐな長い坂の中途であつた。不圖私は自分の耳に通じて來る或る聲を聞いた。立ち留(492)つて耳を澄ましてゐると、やがてその聲は續いた。くわつくわう、
くわつくわう、くわつくわう、かつこう、かつこう――まさしく彼の聲である。郭公の啼く聲である。
「あ――」
 と思はず私は息を飲んだ。そして眼を※[目+貴]《みは》つてその聲の方角を探《たづ》ぬるとなだらかな傾斜を帶びた山肌が大きく幾つも起伏して先から先へと續いてゐる。淡い日光を浴びた稚松の林は色さへも何となく薄赤みを帶びて唯だ寂然とひそまつてをる。寂しい聲は淺い海の樣な其林の何處からか起つて來るのだ。
「あ――、あ――」
 私は呻く樣に幾度か低く聲に出して、身體の何處からともなく湧いて來る感動を抑へた。そして、強ひて心を靜かに保ちながら白茶けた坂を登つて行つた。
「ほつたんかけたか、ほつたんかけたか!」
 斯うした烈しい啼聲がまた突然私の頭上を通り過ぎた。
 杜鵑《ほととぎす》である。しかもツイ私の身近に落ちてその聲は停つた。「ほつたんかけたか、ほつたんかけたか!」
 やがてまた直ちに續いた。よく透かせばその姿も見えさうに思はれる所からである。私はひつ(493)そりと路傍の青い草の上に坐り込んだ。
「ほつたんかけたか、ほつたんかけたか!」
「くわつくわう、くわつくわう、……」
 私は終《つひ》に仰向けに草の上に身を延ばした。そして双方の掌をきつく顔の上に置きながら眼を閉ぢた。
 二つの聲は、一つは近く一つは遠く、時にはかたみがはりに、時には同時に、間斷なしに聞えて來た。何とも云へぬ靜寂と光明とがその聲に聽き入つてゐる私の身邊をしつとりと包んで來た。山はただその鳥の聲のためにかすかに呼吸《いき》づき、ひそまり返つてゐる四邊《あたり》の松の木はただそのためにほのかに光を放つてゐる樣にのみ私には思はれて來た。あゝ、鳥は啼く、鳥は啼く。
 私はまた更なる鳥を聞いた。釣瓶打ちに打つ樣な、初め無く経りも無いやるせないその聲、光から生れて光の中へ、闇から闇へ消えてゆく樣なその聲、筒鳥の聲である。
 多くの鳥の中で筒鳥と、郭公と、而して杜鵑と、この三つの鳥はいつからとなく私の心のなかに寂しい巣をくつてゐた。私の心が空虚になる時、私の心が渇く時、彼等は啼いた。私の心がさびしい時、あこがるる時、彼等は啼いた。私の心が何かを求めて動く時、疲れて其處に横はる時、彼等は私と同じい心に於て私の心にそのまことの聲を投げて呉れた。それら私の心の親友どもは、(494)いま、明るい日光の、匂ひ煙る松の林の、斯うしてゐる私の眼の前で聲を揃へて啼いてゐる。嗚呼、まことに啼いてゐる。
 私は非常に疲れて起き上つた。眩しい日光に何となく羞しさを覺えながら醉つた者の樣にふらふらと歩き出した。鳥どもは遠く離れ/”\になりながらまだ啼いてゐる。一時の昂奮の去つた後に聞く彼等の聲は、更にまた別種の寂寥を帶びて其處から彼處からと聞えて來るのである。疲れながら、私はやや足を急がせた。そして程なく或る意外な光景を見出した。
 伊香保から山上の湖まで二里といふこの二里の山路はただひたすらに登るものだとのみ考へてゐた。そしてかれこれ既う一里餘り來たであらうかといふ時、或る峠らしい場所に達した。急ぎ足にその峠を過ぎ樣として、驚いた。恩ひもかけぬ平原が廣々と其處から前方にかすかな傾斜を保ちながら打ち開けてゐたのである。平原の四方には、四つ五つの鋭い峰が多くは頂上の岩を露はしながら各自獨立して聳えてをる。その中で最も高く見ゆるのがその形から推して榛名富士と呼ばるるものであらう。おもふにこの平原は古への大噴火口の跡で、その火口が次第に狹まりながら幾個所にも分れて火を噴く樣になり、その一つ/\が峰となつて殘り、この榛名富士の一蜂がその最後まで活動してゐたものであらう。斯うした火山の形を私は阿蘇火山に於て見た事がある。阿蘇は現に煙をあげてゐるが死火山としてのこの山の頂上に登つて來て私は圖らずもこの寂(495)しい平原を見出したのである。原の夏はまだ極めて淺いものであつた。白茶けた熊笹が茂り、去年の草の蔭に僅かに青みを見せて雜草が萌え、其間に柏と見ゆる老木が諸所に散らばつて、漸く芽を吹かうとしてをる。ただこれのみは鮮かな躑躅の花がそれら熊笹や枯草の間にちり/”\に燃えてゐるがこれとてもまだ蕾がちであるらしい。見渡す限り、ただ茫漠たる原の上にこれはまた夥しい雲雀の聲である。よく聞けばその聲は天からのみならず地よりも起る。人を怖れぬ山上の雲雀たちは強《あなが》ちに蒼天高くまひ昇らずとも親しいその巣に籠りながら心ゆくばかり各自の歌をうたふことが出來るのであらう。ぼんやりとこの景色に見恍れてゐた私はそれら夥しい雲雀のなかに混つて聞えて來る例の聲、郭公の聲を聞いた。首を垂れて聞いてゐるとそれはこの廣い野の端の方から起つて來る。煙り渡つた薄雲は靜かに原一面の上に垂れて、雲に射し原に照る日の光も恰も煙の樣である。とび/\に立つ裸山、その嶺の險しい岩、それらの山に圍まれた大きな窪みをなすこの寂しい原、この原の何處にひそんで彼の鳥は啼くか。聽き入ればその聲すらも、今はまた煙のごとくに原のをちこちを迷うてゐるのである。
 原の中央を貫いて私の歩む路は眞直ぐに續いて居る。ぼんやりと一里近くも歩いて行くと、やがて白々しい光を帶びて榛名富士の根がたに低く湖が見えて來た。落ちついた心に靜かに湖の汀を圍んで茂つて居る木立を眺めてゐると、或る一個所に一軒若しくは二軒の人家がほの白く建つ(496)てゐるのを見出した。それはまさしく今夜ゆつくりとこの疲れた身體を眠らすべき旅宿湖畔亭であらねばならぬ。
         〔2023年8月24日(木)午前9時30分、入力終了〕