若山牧水全集第六巻、雄鷄社、526頁、600円、1958.6.30

 

紀行・隨筆 二

 

   目次

 

靜かなる旅をゆきつつ

 

   上編

 

富士裾野の三日……………………………………………………………九

溪より溪へ…………………………………………………………………三八

落葉松林の中の湯…………………………………………………………五六

信濃の晩秋…………………………………………………………………七一

二晩泊り……………………………………………………………………八一

水郷めぐり…………………………………………………………………八八

ヶ島より…………………………………………………………………九三

箱根と富士………………………………………………………………一〇

 

   中編

 

溪ばたの温泉……………………………………………………………一一一

上州草津…………………………………………………………………一二二

草津より澁へ……………………………………………………………一三五

山腹の友が家……………………………………………………………一四八

木曾路……………………………………………………………………一五九

利根の奥へ………………………………………………………………一七三

みなかみへ………………………………………………………………一九七

利根より吾妻へ…………………………………………………………二〇六

吾妻川……………………………………………………………………二一八

吾妻の溪より六里が原へ………………………………………………二二七

 

   下編

 

子供の入學………………………………………………………………二五九

香貫山……………………………………………………………………二六四

發動機船の音……………………………………………………………二七二

村住居の秋………………………………………………………………二八〇

雪のおもひ出……………………………………………………………二八七

櫻咲くころ………………………………………………………………二九四

溪のながれ木……………………………………………………………三〇〇

溪をおもふ………………………………………………………………三〇五

土を愛する村……………………………………………………………三一二

入江の奥…………………………………………………………………三二六

 

みなかみ紀行

 

みなかみ紀行……………………………………………………………三三八

大野原の夏草……………………………………………………………四〇一

追憶と眼前の風景………………………………………………………四一〇

杜鵑を聽きに……………………………………………………………四三四

白骨温泉…………………………………………………………………四四三

通蔓草の實………………………………………………………………四四九

山路………………………………………………………………………四五八

或る旅と繪葉書…………………………………………………………四七〇

野なかの瀧………………………………………………………………四八三

或る島の半日……………………………………………………………四八三

伊豆紀行…………………………………………………………………五〇三

雪の天城越………………………………………………………………五一九

 

靜かなる旅をゆきつつ


  序に代へて

 

とにかくに自分はいま旅に出てゐる。

何處へでもいい、とにかくに行け。

眼を開くな、眼を瞑ぢよ。

さうして、

思ふ存分、

靜かに靜かにその心を遊ばせよ。

斯う思ひつづけてゐると、

汽車は誠に心地よくわが身體を搖つて、

眠れ、眠れ、といふがごとく、

靜かに靜かに走つてゆく

                   ――『利根の奥へ』の一節――

 

(5)    例言

 

 私は旅を好む。旅に出てをる間に、僅かに解放せられた眞實の自分に歸つてゐるのだと思ふ樣な場合が甚だ多い。

 この『靜かなる旅をゆきつつ』はそれらの旅から歸つて、或はその旅さきで、書いた紀行文を主として輯め、それに机の側に籠りながら折々書いてゐた小品文を加へて一册としたものである。これらは曾て各種の雜誌新聞に出したものだが、すべて行數や時間の制限のあるなかに書いたゝめに、それ/”\文章の長短筆致に一致を缺き、且つ諸所重複した所などのあるのを憾みとする。ことに一つの連續した旅、たとへば何日に出て何日に歸つた或る一期間の紀行が數篇に分つて書かれ、それらがとり/”\に右の事情の下に置かれてあるのなどに對しては一層この感が深い。

 

『利根の奥へ』『みなかみへ』『利根より吾妻へ』『吾妻川』『吾妻の溪より六里ケ原へ』等は右の續きものゝ紀行の一つであつた。最後の六里ケ原からは高山鐵道を想はせらるゝ私設の汽車に乘(6)つて芒と楢との冬枯れはてた高原を横切り輕井澤に出、それから信越線で戸倉温泉にゆき一泊、翌日松本在の淺間温泉に行き二泊、賑やかな歌會を濟ませて更らに桔梗ケ原の中にある妻の在所を訪ね、廿六日に東京に歸つたのであつた。大正七年秋のことである。同じく連續したものに「落葉松林の中の湯』『信濃の晩秋』がある。これは大正八年の晩秋で、大町からは其處の友人(これは『山腹の友が家』の中に出て居る友人のことである)が忙しい中を松本在の村井驛まで送つて來、一泊してその翌日東西に別れて私は東京へ歸つた。も一つ長く續いたものに『溪ばたの温泉』から『上州草津』『草津より澁へ』『山腹の友が家』を経て『木曾路』に終つてゐるものがある。これは前に通つた吾妻の溪から草津に曲り、信州へ出たものであつた。木曾からは名古屋に一泊、小さな歌會を開いて歸つて來た。大正九年の初夏であつた。『水郷めぐり』のあとは潮來から下總水海道町に廻つて其處の友人を訪ね、翌日三人して筑波山に登り、山腹の町に一泊して歸つた。これは八年の初夏であつた。それ/”\の旅の終りまで書いておけばよかつたが、殘念にもそれをしなかつた。その他『溪をおもふ』『溪のながれ木』は大正八年、『櫻咲くころ』『溪より溪へ』『二晩泊り』等は同九年東京在住時代の執筆で、あとはみな同年夏駿河沼津町在に移り住んでからそのをり/\に書いたものである。永い後の自分の思ひ出のために書き添へておく。

 

(7) 彌次善多式のも時に惡くないが、ほんたうに靜かな旅、心を遊ばせ解き放つ旅、われとわが足音に聽き入る樣な旅をするとならば、ひとり旅に限る樣である。そして行くさきざきでも人に逢はぬことである。本書を校正しながらいよ/\この感を強くした。これからの私の旅は多分おほくこの傾向を帶びるであらうと思ふ。

 

 この本の文章はまことに幼く、且つ拙い。獨りで苦笑し赤面し心痛しながら、いま校正刷を見つつある所である。然し、この一册を編んだことによつてこれからは幾らか自分にもよき文章――といふよりよき旅を、なすことが出來るかも知れぬといふ氣がしてゐる。

   大正十年六月廿二日

                       駿河沼津在楊原村にて

                           若山牧水

 

(9)上編

 

 富士裾野の三日

 

 十月九日午後一時、沼津驛を發した汽車が三島を經て裾野の傾斜を登り始めた頃、私の腰掛けた側《がは》の窓には柔かな日影が射してゐた。然し空には何處《どこ》となく雨氣を含んで、汽車の直ぐ横手に聳えてゐる愛鷹山の墨色は眼に見えて深かつた。この山はいつも落ちついた墨色をしてゐる木深い山であるが、けふはとりわけ濕つて見えた。峰から空にかけては乳の樣な白雲が渦を卷いて、富士はその奥に隱れて見えなかつた。

   駿河なる沼津より見れば富士が嶺《ね》の前に垣なせる愛鷹の山

   眞黒なる愛鷹の山に卷き立てる雨雲の奥に富士は籠《こも》りつ

 私の掛けてゐる背後の席には大工か指物師と見ゆる二人連が頻りに自分たちの爲事《しごと》のことを語(10)り續けてゐた。揃つて老人らしいその聲音《こわね》がいかにもこの窓の小春日に似つかはしく聞きなされた。

『俺《わし》は前かたあの愛鷹の奥から出たちふ樫を手にかけた事があつたが固えの固くねえのつて、まるで飽《かんな》をかん/\撥《は》ねつ返すだからナ。』

『さうづらナ、何しろあゝ見えて山が深えだから。』

『まだ/\何と云つたつてあん奥の方に入つて行けアいゝ木があるづらに。』

『天城道を通つてもこてえられねヱ木がざらに眼につくだからナ。』

 次第に登るにつれていつとなく窓の日影も消えて行つた。そして汽車が御殿場の驛に入るか入らぬに、

『きてえに雨の來る處だでなア。』

 と言ひながら立ち上つた背後の老人たちのあとから私も昇降口を下りて行つた。なるほど驛前の廣場には粒の荒い雨が降り出してゐた。

 見ればその山上の町は祭禮であつた。揃ひの着物を着て襷を掛けながら顔に紅白粉《べにおしろい》を塗つた子供達が其處の廣場には大勢群れてゐた。驛前から續いた一筋町の軒並にはみな提灯を吊して、造花や幕で美しく飾られてゐた。其處《そこ》へこの驟雨が來たので、提灯をはづす、飾りものを取り入れ(11)る、着飾つた女が走る、濡れそぼたれて子供が呼ぶ、たいへんな騷ぎが始つてゐるところであつた。

 私もツイ手近の休茶屋に飛び込んだ。其處にも雨をかぶつた男女が多くは立つたまゝに高聲で何やらめい/\に喋舌《しやべ》り立てゝゐた。その間で私は辛うじて今夜は須山《すやま》泊りにし、明日|十里木《じふりぎ》を經て大宮に出るがいゝだらう、印野《いんの》を通るが本統の十里木街道ではあるが印野には宿屋がない、十里木にも無論ない、大宮までは到底行けつこない、といふ事などを二三の人の口を繼ぎ合はせて聞き出し得た。その時がもう二時半を過ぎてゐた。それから須山といふ村まで三里の雨道も私にとつては餘り樂ではなかつたが、此儘この祭禮の町にまごついてゐるのも本意ではなかつた。で、追はるゝ樣に洋傘《かうもり》を開いて雨の中へ出て行つた。

 恰も其處に御輿《みこし》と山車《だし》とが來懸《きかか》つてゐた。神輿には醉拂《よつぱら》つた若者どもが雨も何も知らぬげに取りついて騷いでゐたが、山車は靜かなだけにみじめであつた。二條の綱につかまつた一列の行列が苦笑しながらひつそりと濡れてゐた。ことにその先登に立つた三四人の藝者の手古舞姿《てこまひすがた》はわざわざ塗りあげた両腕の刺青《いれずみ》の溶けてゐるだけでも悲慘《ひさん》であつた。大急ぎでその人ごみの中を通り拔け、神社の前を過ぎ、火の見の櫓《やぐら》の下を右に曲ると其處はもう祭禮も人聲も無い蕭條《せうでう》たる雨の野原であつた。

(12) 道幅は意外に廣く、且つ眞直ぐであつた。そして大きい轍《わだち》の痕《あと》が一尺二尺の深さで掘られてゐるのを見るとこの邊にあると聞いた砲兵聯隊の道路である事が解《わか》つた。そのどるゝん、どるゝんといふ底響きのする砲の音は、沼津に移り住んで以來殆んど毎日聞き馴らしたものであつた。さう思ひながら耳を澄ましてもけふは唯だ一面の雨ばかりで、小銃一つ聞えない。雨はまつたくよく降つた。低くさした洋傘からはやがて雫が漏《も》り始めて、羽織の袖も裾も見る/\びつしよりになつてしまつた。その大降りが小一時間も續いた。

 富士がツイ右手に聳えてゐる筈なのだが、唯だ雨ばかりが四方を閉ざして、山を包んでゐる雲の影すらもよく見えなかつた。折々路傍に体茶屋らしい小家など眼に入るが、雨の調子と脚の調子と、イヤ洋傘を兩手に握り込んで前かゞみに急いでゐる身體全體の調子とが、今は非常によく合つて、それを亂すのが惜しい氣持でたゞ只管《ひたすら》に急いだ。そして雫《しづく》の垂れる洋傘の下には常に道の兩側に沿うた野の一部が見えて、其處には必ず枯れかけた草むらに松蟲草《まつむしそう》の紫の花が眼についてゐた。折々は荒れた垣根になつて木槿《もくげ》の咲いてゐるのも見えた。その垣根も木槿の花も極めてとび/\に道ばたに見らるるのみで、數軒の家が集つて一部落を成してゐるといふ樣な所は見えなかつた。

   道ばたの木槿《もくげ》は馬に食はれけり

(13) 不圖この句が雨に硬くなつてゐる頭の中に思ひ出でられた。道ばたの木槿は馬に食はれけり、それはどうでも埃などうす白くかぶつてゐる木槿でなくてはならぬと思はるゝのだが、また斯うした雨中の路傍にもよくぴつたりと當てはまるのが沁々《しみじみ》と感ぜられるのであつた。それからは口のうちで、また聲に出してその句ばかりを脚に合はせて誦《そら》んじながら急《いそ》いだ。道ばたの木槿は馬に食はれけり、道ばたの木槿は馬に…………。

 野砲兵第十五聯隊、と云つたと思ふ、看板の懸つた兵營の門前まで來た時、漸く身體を眞直ぐにして歩けるほどの小降りになつてゐた。そして改めて周圍の大きな野原を見廻す事が出来た。富士は全く見えなかつた。足柄の方にはいま自分の濡れて來たのが降り懸つてゐるのか雲の樣に濃い雨脚《あまあし》が山を包んでゐた。たゞ眼の前の愛鷹のみはくつきりと野の中に浮き出て、夕方近い冷たい色を湛《たた》へてゐた。行列をなしたのには一度だけであつたが、一騎か二騎づつ馳けてゐる兵士には幾度となく出逢つた。馬も人も光る樣に濡れてゐた。中には荷馬車の上に据風呂《すゑぶろ》ほどの大きな眞鍮《しんちゆう》の湯沸釜を積み、微かな煙をあげながら引いてゆくのにも逢つた。この曠席《くわうげん》に散らばつてゐる隊から隊に飲料を配つて歩くものだらうと想はれた。其處此處で喇叭《らつば》の鳴るのも寂しく聞えた。

 野の中のかさな坂にかゝつてゐる時であつた。その頃いよ/\雨も降りやんで、うすら冷たい(14)風が立つてゐた。坂に沿うたかなりの廣さの窪みの中に雨外套をつけて立つてゐる一人の兵士が遠くから見えてゐたが、やがて私の近づくと共に彼は矢庭《やには》に擧手の禮をして言葉をかけた。

『燐寸をお持ちではありますまいか。』

 私は直ぐ煙草の火だと思つた。そして袂からその箱を取り出しながら、

『空箱をお出しなさい、半分わけませう。』

 と道端に寄つて行つた。

『イエ一寸それを貸して下さい、いまこの丘の向側に野營してゐるのでありますが火を消してしまつて…………』

『それではなか/\燃えつきますまい…………』

『イエナニ火は穴を掘つて燃《も》してゐるのでありますから……』

 言ふうちに彼は下から手を延ばして私の燐寸を受取るや否や厚く着ぶくれた身をかへして丘の方へ馳けて行つた。この雨の後で一本や二本の燐寸で火がつくか知ら。また、ついた所でそのあとを如何《どう》するだらうと、私は其處に手持無沙汰に佇みながら考へた。時計を出して見ると四時を少し廻つてゐた。いつそのことあれを遣るからと言つてしまへばよかつた、燐寸に未練を殘さないにせよ此儘立ち去つてはいまの兵士が歸つて來て困るだらう、それとも本統に返しに來るか知(15)ら……、いろ/\に考へてゐると、下から見上げた顔の赤らんだ可愛らしさが思ひ浮べられた。いづれにせよもう少し待つて見ようと、泥草鞋《どろわらぢ》の重さを今更の樣に感じながら三四分間もそこらをぶら/\と歩いてゐた。するといま馳けて行つたと同じ所から彼は現れて來た。そして割合に上品な顔に笑《ゑ》みを湛《たた》へながら馳けて來て擧手の禮をした。

『つきましたか。』

『つきました、ありがたくありました。』

 と手を延べてその小きな箱をさし出した。

『それは君にあげませう、此處で一本煙草につけて行けば程なく僕は須山に着きませうから………』

『イヱもういゝのであります、火は洞穴を掘つて燃してゐるのでありますから。』

『でも心細いでせう、一寸お待ちなさい。』

 と言つてゐるうちに彼は三四歩飛びすざつてまた不動の姿勢をとり、

『イヱもういゝのであります。』

 と禮をして以前の樣に丘の方に馳けて行つた。何といふことなく微笑を誘はれながらそのうしろ影を見送つてゐたが、それが隱れてしまふと急に身に浸む心細さを覺えた。そして急にまた速(16)力を加へて歩き出した、どんな所に何人位集つて野營してゐるのであらうと丘の蔭のその一團の事などを想像しながら。

 あたりの野は大抵草原のまゝであつた。芒が大方で、その間に松蟲草が咲いてゐた。耕された所には必ず桑と玉蜀黍《たうもろこし》とが一緒に作られて、桑はまだ青く、玉蜀黍は葉も幹も枯れてゐた。が、その枯れた中にまだ實の取り殘したのがあるらしく、漸く暮れかけて來た夕闇の畑でがさがさと音を立てゝその實をもいでゐるのを見掛けた。おもふに土地の者はこの玉蜀黍を常食の一部にしてゐるに相違ない。畑といふ畑に食用物とては大抵こればかりで、道ばたに見るあばら屋の壁には必ず皮をむいたこの實の束が眞赤に掛け渡されてあつた。そしてそゞろに思ひ起さるゝのは自分の郷里の事であつた。自分の郷里といふうちにも例の天孫降臨の地の高千穗附近の高原がまるでこの通りであるのであつた。十歳から十二三歳の頃の記憶がそれに續いてうすら寒く思ひ起されて來たりした。兵隊とマツチの事のあつてからは人家とは全く離れて、愛鷹の山は益々近く、今はその山の裏手に歩みかゝつて來てゐるのであつた。そして葦原の野に杉の木立がとび/\に見え出し、やがてこれが一帶の森となつて連つてゐる邊へ來ると、道は次第にゆるやかな登りになつて、ぽつり/\と行手の薄闇の中に灯影が見え出した。そしてこれが石油の灯でなくて電燈である事が解ると、疲れた身には何だか不思議な事でゞもある樣に思ひなされたりした。御殿場(17)の祭禮の忙しいなかで聞いて來た須山村はさうした野原の末の丘の上に在る小さな宿場であつた。

 二軒あると聞いた宿屋の清水館といふへ寄つた。その家は丘の上でも最高地に位置する樣に見えた。通された二階の部屋の高い腰窓をあけると、それこそ其處は見ゆるかぎりの涯《はて》ない原野で、一帶に闇のおりた近い木立やとほい野末に向つて立つただけでそゞろに身の引き繁るのを覺えた。

 危ぶんで來た風呂も沸いてゐた。わざと雨戸を締めさせないで廣々とあけ放つたまゝ、火鉢に火をどつさりと熾《おこ》して、盃を取つた。身にこたふる寒さである。御殿場から比べて餘程登つて來てゐるに相違ない。寒さを消すまでがぶり/\と飲んでゐると眼の前の空の其處此處にゆくりなくも星が光り出した。そして見る/\うちにその數は繁く、やがて一面氷つた樣な靜かな星月夜となつてしまつた。

 床を延べに來た女中もその星には驚いた樣に暫く窓際に立つてゐた。

『そのツイ下の處に大きな電燈が二つ點いてゐるが、彼處は何だね。』

『何でもありません、百姓の庭ですよ。』

『百姓の庭ね?』

(18)『大きい百姓は忙しくなりますと夜までも庭で爲事をしますから………‥』

 と言ひながらがら/\と雨戸を締めてしまつた。

 

 便所の窓から見てゐるうちは、晴れたやうにも曇りのやうにもあつたが、私の癖の長い用を終つて部屋に歸つて窓を繰つて見ると疑ひもなき晴天である。しかも無類の日和を思はせる空だ。

 まだ日は出てゐなかつた。何とも言へぬ微妙な、宏大な傾斜を引いて遙かに足柄の方に下り擴《ひろ》ごり行いてゐる曠野はまだ夜露の濡れたまゝであつた。そしてその端《はし》から端にかけ、あまねく吹き渡つてゐる冷たい風がはつきりと眼にも見え心にも感ぜられた。ことに宿の眼下の窪地一帶に吹くそれは例の薄黄に枯れた玉蜀黍の葉から葉へあざやかな音を立て、枯葉にまじる桑の青葉の露の色はことさらに深く見えた。瞳を据ゑてこの廣い景色に向つてゐると、遠く喇叭のひゞきが聞え、汽車の喘ぎが聞ゆる。見れば遙かな野末を御殿場へ急ぐそれの煙が眞白く細く地に這うて見えてゐた。

 ふと心づをながら慌てゝ頭を擧げやうとすると、これはまたどうであらう。やゝその窓からは斜めうしろに恰度この荒れた宿屋の背戸のところにくつきりとして我が富士が巓《ね》はその錆色の姿をあらはに立ちはだかつてゐるのであつた。や、わが富士よ、と手をもさし伸べたいツイ其處(19)に、そのいたゞきにはすでに薄紫の日影を浴びてにこやかに聳えてゐるのであつた。

 日は足柄の上から昇つて來つゝあつた。一段々々と照らされゆく眞裸體《まはだか》の富士、やがてその日の影が裾野に及ぶと其處を流れてゐる風は一齊《いつせい》に光り始めた。芒が光り、玉蜀黍が光り、この部落を圍んでとび/\に立つてゐる杉の黒い木立が光る樣になると、もうその鮮かな日光は私の立つてゐる高い窓までもやつて來てゐるのであつた。

 尻端折に草鞋ばき洋傘一本を手に提げて宿屋を出かけた私の姿は昨日自宅の門を出た時と同じであつたが、心持はもうすつかり旅の者になり切つてゐた。昨日の午前、私は非常に忙しい爲事を果すために机に向つてゐた。が、どうしたものか一向にそれが捗らなかつた。書き損ねの原稿紙が膝の横に堆《うづたか》くなるのみであつた。はては肝癪の頭痛まで起つて來るので、私も諦めて書齋を出て早晝の飯を催促した。そして晩酌のために取つてある酒の壜を持ち出して一人でちびちびと飲み始めてゐると、先刻《さつき》から心の隅に湧いてゐた慾望が次第に大きくなつて來た。今年の八月、私たちが沼津に移住した日から毎日々々座敷の中からも縁側からも門さきからも見て暮す二つの相重つた高い山があつた。一つは富士で一つは愛鷹である。一つは雲に隱れて見えぬ日でもその前に横たはつている愛鷹山は大抵の雨ではよく仰がれた。その二つの山は家から見ては二つ直ちに相|繋《つなが》つてゐる樣だが、實はその間に十里四方の廣さがあるために呼ぷ十里木といふ野原がある(20)といふ事を土地の人より聞かされたのであつた。思ひがけぬその事を聞いた日から私の好奇心は動いてゐた。よし、早速行つて見よう、少し涼しくなつたら行かう、と。

 忙しい爲事を仕損ねたといふその午前は十月の九日、空に薄雲は見えながら晴れてゐた。そして幾枚もの原稿紙を書き破りながら、私はその日不思議なほど朝のうちからその廣い野原のことを考へてゐたのであつた。爲事の思ふやうに出來なかつたのも一つはそのためであつたかも知れない。そして晝飯の席で飲み始めた一二合の酒は、容易《たやす》く私に一つの決心を與へた、よし、思ひ切つて今日これから其處へ出懸けて見よう、と。大急ぎで停車場に行くと辛うじて一時發の汽車に間に合つた。御殿場までの切符は買つたものゝ、果して其處から道があるのかどうかもよくは知れなかつた。それに約束の爲事の日限を遲らす苦痛も充分に心の中に根を張つてゐた。私は汽車の中で微醉の後の身體を日に照らされながら斯んなことを考へてゐた、とにかく御殿場まで行く、其處でよく訊いて見て都合がよかつたらその野原へ行つて見る、若し不便だつたら夕方まで其處等で遊んで家に引返して爲事を續けることにしようと。ところが思ひもかけぬ御殿場での雨と混雜とは却つて私を狼狽させて殆んどあとさきなく追つ立てる樣にして暴雨の野原へ歩き込ましたのであつた。

 今朝はそれが全く異つてゐた。今まで聞いた事も想像したこともない野中の村に端なくも通り(21)かゝつて昨夜、夜を過した事が既に私の心を改めてゐた。それに珍しい昨夜から今朝にかけての天氣である。私はもう今朝は完全に爲事からも何からも解放されて一個の者として一心に唯だこの野の奥へ行き度い心になつてゐたのだ。

 宿の前から道は登りになつてゐた。傘を開いてうしろかつぎに強い朝日に乾しながら、てく/\と登り始める。十軒あまりの家の間を行き過ぎると直ぐ杉の森に入つた。少し登ると、幾程もなく杉は盡きて灌木の荒い林となつた。富士はいよ/\明かにその林の向うに大きく親しく見えて居る。宿の前から續いた急な坂が一しきり切れた所に休んで居ると、下から一人の馬子が登つて來た。道を問ふ樣にして聲をかけ、馬のあとについて登り始めた。そして聞けばその馬子も十里木の宿まで行くといふ。これ幸ひと私はそれに頼んで乘せて貰ふことにした。須山から十里木まで二里、其處から大宮まで五里、ことにこの五里の道の惡さはひどからうと今朝聞いて來てゐるので少しでも脚を大事にしでおきたいからであつた。

 馬の背からは淺い林を越えて一面の野原が見渡された。左手には愛鷹の裏山が――この山は沼津あたりの海岸からは唯一つの峰を持つた裾廣い穏かな山にしか見えぬが、正面の峰の裏にはそれより高い峰が三つも竝んで聳えてゐるのであつた、地圖には愛鷹から次第に奥にして位牌嶽、呼子獄、越前獄、と記してある、いづれもその七八合目から上は御料林だといふ事でいかにも茂(22)つた山となつて居る――薄い深い紅葉の色を見せて木深く靜かにうねつて居る。いま通つて居るのはつまりその山の根で、それから富士の根がたまで二里か三里か、富士を正面にして左右に亘る野原の廣さはそれこそ十里か十五里か、見る涯もない裾野である。そのなかでも恰度馬から見て過ぎる其處の野は唯だ一面の穗芒の原で、それに豐かに朝日が宿つてゐるのであつた。餘りの美しさに馬を止めさせで煙草にしてゐると、夫婦者の一組が追ひついてこれも煙管を取り出した。彼はこの邊の地理に明るく、それから通りかゝつた或る小さな峠風《たうげふう》の所は昔此處に關所のあつたあとだと教へた。この邊に、といぶかると、この道は昔箱根の拔け道に當つてゐたのでそれを見張つてゐたのだといふ。彼等夫婦は同じく十里木まで竹細工の出稼ぎにゆく者であつた。

 關所のあとだといつたあたりからまた林に入つた道はゆるやかな下りになつて、やがて其處に五六軒の茅家《かやや》の集ってゐる所が見えた。十里木である。夫婦者の教へるまゝに其の村に唯だ一軒あるといふ茶店の前で私は馬から下りた。馬の上の朝風はかなりに寒かつた。で、竹細工屋のするまゝに私も泥草鞋を其處の大きな圍爐裡に踏み込んで榾火《ほたび》にあたつた。見れば其處の棚の上に小さな酒樽があつたので私は竹細工屋への禮心地に茶店の老婆に徳利をつけて貰つた。そして盃をさゝうとすれば側から女房が慌てゝ止めた。

『ハアレ、お前は六百六號を注射したばかりだによ。』

(23)『もう、五日もたつてるだで、一杯ぐれえいゝづらによ。』

 と笑ひながら彼はそれを受けた。

『ほんによ、お前んとこぢア此間中えれえ惡かつたちふでねえかよ。』

 店の老婆はその女房に話しかけた。

『初めはの、頭が割るゝごと痛えちふだで氷で冷してばつかり居つたがよ、醫者の言ふにや身體のしんに毒があるからだで、一本拾圓もする六百六號ちふ譯を二本も注射したゞよ。』

『幾らしてもよ、利《き》けばいゝがよ、おらがの樣に…………』

 三人の間には暫く老婆の不幸話がとり交はされた。『生きてせえ居ればよ、おら乞食してゞも三百里が五百里でも迎えに行くと云ふだ』といふ樣な月並な嘆きもこの山中の老婆の口から聞けば其處に僞ならぬ力が感ぜられた。老婆には一人娘で、去年から普請にかゝつて漸く分家が出來上つて婿や子供とそちらに移ると同時にこの春四十歳で死んだのだ相だ。

 榾火に草鞋をあぶりながら、半ば横になつたまゝ見上ぐる軒先に富士山があつた。店の前の道幅は其處だけ幾らか廣くなつて、馬などを繋ぐ場所となつてゐた。つまり其處は西の野と東の野との運送品を交換する場所に當つてゐる事を私はあとで知つた。その廣場の端に古びた木の鳥居が立つてゐた。その鳥居の眞上に富士山は仰がるゝのだ。初めそれを富士の神を遙拜するための(24)鳥居だとばかり私は思つてゐたが、暫く鳥居の方から小さな徑が玉蜀黍畑を横切つて向うの笹山に通じ、その山の根に小きな嗣《ほこら》のあることが解《わか》つた。山はまことに笹ばかり繁茂して、青く圓く横たはつてゐるさまが眞上の富士のあるだけに手にもとりたい愛らしさであつた。その笹でこの部落の者は生活してゐるのださうである、竹行李を編みパイプを作つたりして。現に私の前に同じく横になつて榾火にあたつてゐる色の蒼い四十男もこの竹を目的に登つて來た者であつた。

 私は先刻《さつき》から思ひついてゐた事を老婆に打ち出して見た、どうか今夜一晩を此家に泊めて呉れ、喰べるものは何もいらぬ、酒と布團とがあればよいからといふのであつた。不思議な人間だといふ風で初めは相手にもしなかつたが、竹細工屋まで口添へして呉れて、たうとう老婆も承知した。それを聞くと私は急に圍爐裡から飛び降りた。そして洋傘や羽織を其處に置いて身輕になりながらいま來た道の方へ引返して歩いた。馬から見て過ぎた芒の野原をもう一度とつくと見て來たかつたからであつた。

 近いと思つたに一里がほど灌木林を歩いてから美しい野には出た。日の闌《た》けたせゐか穗芒のつやは先刻《さつき》ほどでなかつたが、見れば見るほど廣い野であつた。美しい野であつた。

 野は唯だいちめんの平野ではない。さながら大海の中に出て見るうねりのやうに無數の柔かな圓い高みがあつて、高みは高みに續き、はてしなくゆるやかに續き下つて其處に無縫無碍《むほうむげ》の大き(25)な裾野を成してゐるのである。その一つ一つの小高いうねりの、また、いかばかり優しく美しくあることか。一帶の地面には青い芝草が生《は》えてゐる。東京の郊外の植木屋などが育てゝゐる芝である。その芝の中に松蟲草が伸び出でゝ濃《こ》むらさき薄《うす》むらさきの花を咲き盛らせ、その花よりなほ丈《たけ》高く輕やかに抽《ぬき》んで咲いてゐるのは芒である。これはまたこの草ばかりが茂りに茂つて、上に咲き揃つたその穗などはまるで厚い織物の樣にも見えてゐる所があつた。或る窪みには芒が茂り、或る高みには松蟲草が咲き、その二つが相寄り相混つて咲き擴がつてゐる場所もあり、それがさきからさきと續いて美しいつやのある大きなうねりを其處にうねり輝かしてゐるのである。

 富士山はこのうねりの野の端から端に臨んで唯だ大きく近く聳えてゐた。私は兼ねてから斯ういふ感じを持つてゐた、多くの山もさうだが、ことに富士は遠くから見るべきだ、近づいて見る山ではない、と。要するにそれも眞實に近づいて見ぬかがごとであつた。斯うしてこの日仰いだ富士は全くの眞裸體であつた。あたりに一片の雲なく、唯だ或る一點だけ萬年雪の殘つてゐるほかは頂上近くにすらまだ雪を置いてゐなかつた。頂上からこの野のはての根がたまで唯だ赤裸々《せきらら》にその地肌を露《あら》はして立つてゐるのみである。ことに其處からは世にいふ森林帶の山麓にもたゞ僅かにあるかなきかの樹木を一わたり置いてゐるのを見るに過ぎぬのであつた。このあらはな土の山、石の山、岩の山が寂《せき》として中空に聳えてゐる姿を私はまことに如何《いか》に形容したらよかつた(26)であらう。生れたばかりの山にも見え、全く年月といふものを超越した山にも見えた。ことにどうであらう、四邊《あたり》にどれ一つこの山と手をとつて立つてゐる山もないのであつた。地に一つ、空に一つ、何處をどう見てもたつた一つのこの眞裸體の山が嶺は柔かに鋭く聳えて天に迫り、下はおほらかに而かも嶮しく垂り下つて大地に根を張つてゐる。前なく後なく、西もなく東もない。

 山に見入つてゐた瞳を下してこの大きな野を見ると其處に早や既に一種の狹苦しさが感ぜられた。私はとある小高い所から馳け降りて他の小高い所へ移つて行つた。更に他の一つへ走つた。鶉の鳥がそのまろい姿を地面から現はして、鋭く啼きながら飛んで行つた。あとからも立つのを見た。

 

 この見ごとな野原の一端に出て來て、野を見、山を仰いだ私は一時まつたく茫然としてしまつた。そしてその時間が過ぎ去ると更にまた新しい心で眼前の風景に對した。海中のうねりにさながらの野原のうねり、その無數のうねりをなす圓みを帶びた丘のうちで、どれが最もすぐれて高く且つ見ごとであるかを眼で調べ始めた。そして、やがて脱兎のごとく最初に立つた一點から走り出した。

(27) どの丘が一番高いといふことは、謂はゞ不可能のことであつた。眼《め》分量で計つて認めた一つの高い丘へ馳け上つて見ると、更にまたそれより高い樣な丘がその先にあつた。二つ三つと馳け廻つた後、私も諦めて或る一つの丘の上にどつかりと身對を横たへてしまつた。柔かな草の上に仰向けにころがると、富士は全く私の顔を覗《のぞ》き込む樣にして眞上に近く聳えてゐるのであつた。そして其處から正面に見ゆる山腹に刳《ゑぐ》つた樣な途方もなく大きな崩壞の場所が見え、その崩れた下の端に鳶の喙《くちばし》に似た恰好をして不意に一個所隆起してゐる所が見えた。即ち寶永山である。刳れた場所は或る頃の噴火の痕《あと》で、その時噴き出されたものが凝つてこの寶永山を成したのだといふ。

 富士の山肌の地色の複雜さを私は寢ながらに沁々《しみじみ》と見た。遠くから見れば先づ一色に黒く見ゆるのみであるが、決して唯の黒さでない、その中に緑青《ろくしやう》に似た青みを含み、薄く散らした斑《まだ》らな朱の色も其處らに吹き出てゐる。黄もまじり、紫も見ゆる。そして山全體にわたつて刻まれた細かな襞が、襞に宿る空の色が、更にそれらの色彩に或る複雜と微妙とを現はしてゐるのである。富士山は唯だ遠くから望むべきもの、ことに雪なき頃のそれは見る可《べ》からざるものといふ風に思つてゐた私の富士觀は全く狂つてしまつた。要するに今日までは私は多く概念的にこの山を見てゐたのであつた。けふ初めて赤裸々なこの山と相接して生きものにも似た親しさを覺え始めたの(28)である。一種流行化したいはゆる『富士登山』をも私は忌み嫌つて今まで執拗にもこの山に登らなかつたが、斯うなつて來るとその考へも怪しくなつた。早速來年の夏はあの頂上まで登つてゆきたいものだなどと、鮮かに晴れた其處を仰いで微笑せられた。

 寢轉んでゐる芝草の中に六七寸高さの純白な花の群りさいた草を私は見附けた。何處となく見覺えのある草花である。摘み取つて匂ひを嗅ぎながら思ひ出した。俗にせんぷりと稱《とな》へ、腹痛の藥になると云つて幼い頃よく故郷の野で摘み集めた草であつた。見れば其處らに澤山さいてゐる。珍しさや昔戀しさに私はそゞろに立ちよつてそれを摘み始めた。芒や松蟲草などの蔭に、ほんとに限りなく咲き擴がつてゐるのであつた。

 をり/\鶉が飛んだ。じゆつ/\、じゆるん/\といふ風の啼聲をば初めから耳にしてゐたのであつたが、草から出て飛ぶのを見るまでは何の鳥だかはつきり解らなかつた。一つの丘からまひ立つては直ぐ近くの芒の中にまひ下る。見れば誰一人ゐないと思つた野原の中にも矢張りそちこちと人影が見えるのであつた。遠くの丘の頭などに馬の立つてゐるのも見ゆる。人は多く芒を刈つてゐるのであつた。大きな鎌を、遠くから見たのでは自身の身體よりも大きい樣に見ゆる鎌を兩手に振つて、振子の動く樣な姿で刈つてゐるのである。或る所をば荷馬串が二臺續いて通つてゐた。白い芒の中から現れてはまたその波に隱れてゆく。さながらに沖に出てゐる小舟の樣な(29)ものであつた。

 せんぷり草はいつか兩手に餘るほどになつた。いつ何處に生れたともない微かな白い雲が空に浮んでは富士の方に寄つて來て、またいつとなく消えてゆく。丘から丘に歩いてゐるうちに私の心は次第に靜かに、次第に寂しくなつて來た。あたりに輝く芒の穗も、飛んでゐる鶉も、いづれも私の心に今までにない鮮かな影を投ぐる樣になつた。歩くのが苦しく、私はまた一つの高みの上に坐つてしまつた。が、永くは坐つても居られなかつた。そして賢くも最初目標としておいた野の端の杉木立の方へいつとなく私は小走りに走つてゐた。心のうちで、または口に出して、『左樣なら、左樣なら』と言ひながら、今はまさしく西日の色に染まりつゝある野の中を極めて穏かな心持で小走りに走つてゐた。

 一里餘りを急いで先刻の茶店まで歸つて來ると、老婆は居ずに圍爐裡の榾火が僅かに煙つてゐた。急に寒さを覺えて、勝手口から新しい榾を運びながら草鞋もまだとらぬまゝに圍爐裡に足を踏み込んだ。そしてとろ/\と火の燃え出すのを見て、仰向けに疊の上に寢てしまつた。軒さきには例の富士が眞赤に夕日を浴びて聳えてゐるのだ。

『もぎたてをお前に喰はすべいと患つて玉蜀黍を取りに行つてたゞアよ。』

 と言ひながらまだうす青いそれを抱へて丸い樣になつて老婆が何處からか歸つて來た。

(30) 何とも云へぬうまいものに燒きたての灰だらけの奴を噛りながら、

『お婆さん、これをさかなに一本熱くしてつけて呉れ。』

 と甘えて言ふと、

『どうせ泊るだら、まア草鞋でもとつてから飲んだ方がよかんべいによ。』

 といふ。

 足を洗ひに背戸の方へ出てゆくと、うすら寒い夕日がそこにも射してゐた。そして親指ほどの大きさの赤い色をした見馴れぬ豆が乾してあつた。名を訊くと、聞いたこともない名であつた。

『喰べたいなア、直ぐこれを煮て貰へないかなア。』

『うまくも何ともねヱだよ。』

 と言ひながら早速それを鍋に入れて圍爐裡にかけて呉れた。私がせつせと榾をさしくべてゐると間もなくその鍋の蓋はごと/\と音を立てゝ泡を吹き出した。

 そこへ平べつたい箱を二つづゝ重ねて天秤で擔いだ五十歳ほどの男が西の坂から登つて來た。

『おばア、今日は生魚だよ、どつさり買つて貰うだ。』

 爐端の私を不思議さうに見ながらその魚賣は家に入つて來た。丁度私の頼んだ酒を徳利に移してゐた老婆は振り向きもしないで、

(31)『生魚《なまうを》はおつかねヱからおらやアだよ。」

 と素つ氣もなく言つた。

『馬鹿言ふでねヱ、下田から發動で持つて來たばかりの奴を擔いで來たゞによ、まだぴん/\跳ねてらア。』

 老婆はのそり/\と石段を降りて行つた。私も横になつたまゝ背伸びをして老婆のあけた箱を覗いて見た。中には小鯵と大きな鯖とが入つてゐた。

『小鯵を十も貰つとくべヱ。』

 と老婆は片手に掴んで入つて來た。これが伊豆の下田の沖でとれたものかと思ふと、その枯木の樣な指の間に見えてゐる青い小魚が私には何だか不思議なものゝ樣に眺められた。

『鯵ぢァつまらねヱ、鯖を頼むだよ、八疋持つて來た奴がよ、まだ一疋も賣れねヱだ。』

 魚賣は慌てゝ飛んで降りて自分で鯖を捏げて來た。然し、『鯖はおつかねヱ、おらやアだ。』とばかしで老婆はどうしても買はうと言はなかつた。初め八貫と言つたのを七貫五百から七貫にするとまで言つたが矢張り買はなかつた。

『僕の方で買はうか』と私も餘程言ひたかつたが、何だか老婆の氣が量《はか》られて言ひ出しにくかつた。見たところ、喰ひたくもないものではあるが、この年寄の魚賣もあはれであつた。何處から(32)來たのか知らないが、とにかく五六里の山坂を擔ぎ上げて來たのである。

『此處の奥の谷によ、××の山の衆が來てゐるだで、彼處に把持つて行くがいゝだ、彼處ならおめえの言ふ値で買ふによ。』

 と老婆は早速鍋の豆を皿にとつてその小鯵に代へながら言つた。

『さうかネ、をれならまア行つて見べえ。』

 と出て行つた。

 私の一本の徳利がまだ終らぬ頃にその魚賣は歸つて來た。

『やんやらやつと二本だけ押し込んで來た。』

 と笑ひながら一服吸つて、小鯵の錢を受取つてまた坂道を降りて行つた。

 やがて四邊《あたり》がうす暗くなつても老婆はなか/\洋燈《ランプ》をつけなかつた。寒さが次第に背に浸みて來るのに戸も締めなかつた。富士の頂上のみはまだ流石に明るくうす赤く見えて、片空に夕燒でもしてゐるらしい風であつた。この分では明日もまた上天氣に相違ないと私は思つた。

 大きな男がのそりと入つて氣て、

『おばア、酒を一升五合がとこ何かにつめてくろ。』

 と、噛みつける樣に言つた。老婆がうろたへて空壜を探し出したり洗つたりしてゐる所へ、急(33)にズドンといふ銃の音がツイ十間とも離れてゐぬらしい所へ起つた。そして間もなく銃と一羽の鷄とを提げた大きな男が同じくのそりと入つて來た。

『ハレマア、お前ちは鯖二疋ぢア足りねヱのかえ――』

 と、それを見た老婆は驚いて腰を伸しながら叫んだ。

 二人の大男が出て行つたあとに酒を二合呉れ醤油を一合呉れといつて汚い女房や小娘が三四人もやつて來た。丸くなつて動いてゐる老婆にはせつせと私の焚く榾火の影が映つて、いつか軒端の富士もうす暗くなつて來た。そこへまた今度は山戻りらしい老爺が入つて來て、立ちながらコップ酒を飲み始めた。初め私を憚つてゐたらしいが、漸く洋燈を點《とも》しにかゝつた老婆が一二度聲をかけると、やがて彼は私に挨拶しながら圍爐裡に草鞋を踏み入れた。その頃、私の徳利も三本か四本目になつてゐて、かなりにもう醉つてゐた。で、老爺のコツプの空《す》くのを待つて私の熱いのをついでやつた。そのあとにまた一人、同じ樣なコツプ酒の男が來て――彼等はこれを毎日の樂しみとしてゐるらしかつた――それも同じぐ圍爐裡に並んだ。そのうちに晝間の竹細工屋が裾長く着物を着てにこ/\しながら入つて來た。

 

 十月十一日 快晴

(34) 眞暗な闇の中に眼の覺めた時は、惡酒の後の頭の痲痺で一切前後の事が解らなかつた。何處に寢てゐるのかも、どうしてゐるのかも一向に解らなかつた。用便を催して眼が覺めたのであつたが、それすらどうして果していゝか解らなかつた。そのうちに雨戸の節穴らしい明るみが眼についた。それで漸く昨夜自分の泊つた場所と事情だけは解つた。とりあへずその節穴をたよりに起き出して、手さぐりに雨戸をあけた。

 戸外は月かとも思はれる星月夜であつた。或は月が何處かに傾きながら照つてゐたのかも知れぬ。眼の前の笹の山から空にかけてくつきりとよく見える。そして骨にしみる寒さである。用便を濟まして雨戸をそのまゝに床に來てみると、枕許には手燭も水も置いてあつた。灯を點けて時計を見ると丁度二時半であつた。續けざまに氷つたやうな水を飲んでゐると、老婆が次の間から聲をかけた。聞けば、昨夜竹細工屋の來たのを最後に私の記憶は切れてゐるのであるがその後また一人村の男が加はつたのださうだ。そして老婆の止めるもきかずにそれらの人に酒を強ひて、果ては皆醉拂つて自身初め他の人まで唄など唄ひ出したのださうだ。そのうちに自分は足を榾にかざしたまゝそこに眠つたのを竹細工屋が抱いてこの床の上に連れて來たのだといふ。

 三時を過ぎると老婆も私も起き上つて爐に火を作つた。そして、お茶代りにまた一本つけて貰つて、老婆と話しながらちび/\と飲んで夜の明けるのを待つた。昨日の夕方煮て貰つた豆が今(35)朝はしみじみとうまかつた。二つかみほど分けて貰つて持つて歸ることにする。漸くほの/”\と明るんで來るのを待つて老婆は通りに向つた戸をあけた。冷たい空に富士はいち早く明けてゐた。全く、拜み度い日和である。

 老婆に別れてその十里木の里を出た。まだ何處でも眠つてゐた。總てゞ十七戸あるといふその村も見たところではほんの七八軒にすぎぬ樣にしか見えなかつた。他は大方掘立小屋に近いもののみであるのだ。富士に日のさして來るのを樂しみながら、自から小走りになる坂道を面白く下つてゆく。道は富士と愛鷹との間の澤を下るのだが、昨日より谷あひが狹かつた。露を帶びた芒の原では鶉が頻りに啼いた。

 一里ほど下つたところに十里木より少し大きい部落があつた。世古辻《(せこのつじ》といふ。そこからはもう駿河灣の一部が望まれた。そして靄に眠りながらそのあたり東海道の沿岸が見えて來ると、僅か一日か二日あゝした處を歩いて來た後でも言ひ難い嬉しさが湧いて來て、漸く心の安堵するのを覺えた。

 そこから吉原に下るのが最も近く道もよいのださうだ。餘程さうしようかと考へたが、矢張り初め考へた通り、そこから斜めに見渡さるゝ裾野を横切つて大宮町に降りてゆく事に決心した。四里あまりあるといふ。

(36) それから四時間ばかり、殆んど淺い森の中を歩いた。折々仰いで見る富士の形も次第に變つて、一二度ならず道をも違へた。道と出水のあとのかさな谷とがすべて白茶けた小石原となつてゐてどれがどれだかよく解らないのである。よく/\迷つて來れば何はともあれ左手に降りてゆきさへすれば開けた所に出られるといふ心があるので、迷つたのも構はずに歩いたりした。灌木林が盡き、杉林となり、桑畑となり、やがて茶畑となる頃になつて初めて人家を見た。その邊一帶の裾野はいま頻りに開墾中だとのことで、家のない前科者や、トロール船に追はれて生計を失つた小さな漁師たちが寄つて一つの部落を成しつゝあると聞いてゐたのであつたが、通りがゝりにはそれらしい所も見えなかつた。たゞ、或る村を通りかゝると路傍に小さな小學校があつてその門札に何々村開墾地分教場と記してあるのを見た。教場と同じ棟の端に先生の家族の居宅が設けられて、生徒の遊んでゐる庭に張物の板の乾してあるのなどは、自分の生れた村の學校などが思ひ出でられて可懷《なつか》しかつた。村は極めて直線的に斜めに傾いた大平野の一點に當つてゐて、そこからは斜め上に富士が見え、斜め下に駿河灣が見下された。

 その邊に来ると宿醉《ふつかよひ》と空腹と惡路とにすつかり勞れ果てゝ、脚も痛み、時々氣の遠くなるのを覺えた。大宮の町に降りたらば早速旅館兼料理屋といふ風の家を探してとにかく大いに喰ひ飲み且つ一睡りしたいものと咽喉を鳴らしながらふら/\と急いだが、なか/\にはかゞ行かなかつ(37)た。富士は微笑んだ樣に大きく高く眞上に聳え、遙かの麓の平野にはその大宮の町がいつまでもほの白く小さく見えてゐるのであつた。

 

(38) 溪より溪へ

 

 四月六日

 熊谷で乘換ふべき秩父鐵道の發車時間がこの四月一日とかから改正されて、一時間あまり待たねばならぬことになつてゐた。で、驛から近くの土堤に出て見る。

 櫻が大分色めいてふくらんでゐた。しつとりと雨氣をふくんで垂れ下つた大空の雲の下だけに一層そのうす紅が鮮かに眼に沁《し》みた。この土堤の櫻は大抵が、みな重々と枝を垂れて、枝いつぱいにうるほひのある大きな蕾を持つてゐるさまは却つて滿開の時よりも靜かでいゝと思つた。花を見るとも見ぬともつかぬ人たちがめい/\に傘を持つて堤のうへを往來して居る。私もふら/\と櫻の木の盡きるはづれまで歩いて行つた。そして、川原に降りて砂のうへに暫く腰をおろす。

 眼のまへの廣々した川原から、その向うに續いた平野、それらの涯を限つてずつと低く山脈が垣をなしてゐる。山には一帶にほの白い雲が懸つてゐた。ずつと遠くの、見覺えのある越後境あ(39)たりの高山には却つて淡い夕日が射して、そこの殘雪を照らしてゐた。近々と雲の垂れた空にはしきりに雲雀が啼いて、廣い川原には砂を運ぶトロが何かの蟲の樣にあちこちと動いてゐる。

   乘換の汽車を待つとて出でて見つ熊谷土堤《くまがやどて》のつぼみざくらを

   雨ぐもり重きつぼみの咲くとして紅《あか》らみなびく土堤の櫻は

   枝のさきわれより低く垂りさがり老木櫻の蕾しげきかも

   蟻の蟲這ひありきをりうす紅《べに》につぼみふふめるさくらの幹を

   雨雲の空にのぼりて啼きすます雲雀はしげし晴近からむ

   まひ立つと羽づくろひするくごもりの雲雀の聲は草むらに聞ゆ

   身ふたつに曲げてトロ押す少年の鳥打帽につぼすみれ挿せり

   をちかたに澄みて見えたる鐵端の川下うすく夕づく日させり

 

 小さな汽車が寄居町を過ぎると、谷が眼下に見え出した。數日來の雨で、水量は豐かだが、薄く濁つて居る。青白く露出した岩床いつぱいに溢れて、うねりながら流れて居る。對岸の山腹には杉山とまだはつきりと芽ぐまぬ雜木林とが諸所に入り混つて、その間の畑の畔などに梅の老木とも彼岸櫻とも見ゆる淡紅色の花がをり/\眼につき、峰には雨を含んだ雲が垂れ下つてゐて、(40)いかにも春の夕暮らしい。

 波久禮、樋口、本野上などの停車場を過ぎる間、暫くけはしい溪に沿うてゐたが、やがて桑畑の中に入つて寶登山驛に着くと私は汽車を降りた。そして車中で聞いて來た溪喘の宿長生館といふに行く。藝者なども置いてある料理屋兼旅館といふので多少心配して來たのであつたが、部屋に通されて見ると意外にもひつそりしてゐる。障子をあけると疎らな庭木立をとほして直ぐ溪が見えた。荒々しい岩のはびこつた間に豐かに湛へて流れて居る。汽車づかれの身でぼんやり縁側に立つてゐると、瀬の音がしみ/”\と骨身に浸みて來た。

 湯を訊《き》くと、いまは客が無いので毎晩は立てずに居る、ツイ近所に親類の宅があつて其處に立つてゐるから案内しますといふ。二三丁の所を連れられて其處へ行く。少しぬるいから、とて茶の間の樣な部屋で待たされた。見れば三味線などが幾つも懸つてゐて、それらしい着物も散らばり、ちやうど夕暮時で若い女が幾人も出たり入つたりしてゐる。藝者屋だナ、と私は思つた。白粉くさい湯から出て、それでもほつかりしながら、宿屋の小娘の提げた豆提灯の灯影をなつかしく思ひつゝ泥濘《ぬかるみ》の道を歸る。初め通る時には氣のつかなかつた梅の花片が、泥濘のうへにほの白く散り敷いてゐるのが幾所でも眼を惹いた。

 廣い建物のなかに今夜の客は私一人であるのださうだ。飲まうと思つたゞけ酒を豫《あらかじ》め取り寄せ(41)て置き、火鉢に炭をついで自ら燗を爲ながらゆつくりと飲む。そして思ひがけなく久しぶりの旅心地になることが出來た。

 

 四月七日

 實によく睡れた。少し過ぎたかと思つた酒も頭に殘つてゐない。かつきりと眠が覺めると、枕もとのガラス戸ごしに、まだ充分明けきらぬ空が見ゆる。たしかに青みを帶びた空だ。この幾日、隨分と雨に苦しめられたので、眼のまよひかと思はれたが、確かに晴れてゐる。

 起き上つて縁側に出て見ると、矢張り晴れてゐた。まだ日の光のとほらぬ青空に風の出るらしい雲が片寄つて浮んではゐるが、實に久しぶりに見る爽かさである。少し寒いのを我慢して立つてゐると何處で啼くのか實にいろ/\な鳥が啼いてゐる。彼等もこの天氣をよろこぶらしい。そして昨夜とはまた違つた瀬のひゞきである。

   溪の音とほく澄みゐて春の夜の明けやらぬ庭にうぐひすの啼く

 

 宿の者の起きるのを待ちかねて顔も洗はず、一人川原に降りて行つた。宿のツイ下から長さにして約二三丁、幅五六十間の廣さの岩床が水に沿うて起り、二三間の高さで波型に起伏してゐ(42)る。その對岸はやゝ小高い岩壁となつて、其處に小さな瀧も懸つて居る。溪の水は濁つた儘かなりの急流となつてそれらの岩の間をゆたかに流れてゐる。此處がいはゆる秩父の赤壁とか長瀞とか耶馬溪とか呼ばれてゐる所なのである。唯だ通りがかりに見るには一寸眼をひく場所だが、そんな名稱を附せられて見るとまるで子供だましとしか感ぜられない。繊道經營者たちの方便から呼ばれた名稱でゞもあらうが、若しそれらの名からさうした深い景色を樂しんで行く人があつたとすると失望するであらう。私は先づ適當に豫期して來た方であつた。多少オヤ/\とは思つたが、落膽するといふほどでもなかつた。

 何よりうれしいのは此朝の靜けさであつた。朝じめりか雨の名殘か、うす黒くうるほつた岩の原に木や枝の形から粉米櫻に似た小さな白色の花が其處此處とむらがり咲いて、まだ日のささぬ間の春の朝の冷たさが岩の上から水のおもてに漂うて居る。對岸の斷崖を滴り落つる細い瀧のひびきが、遠近《をちこち》におほらかに滿ちてゐる川瀬の音のなかに濁り澄んでゐるのも靜かである。

   きりぎしの向つ岩根にかかりたるちひさき瀧のおとは澄めれや

 

 宿に歸ると部屋の掃除が濟んで、障子が悉く開け放つてあつた。朝日は私の部屋の眞向うの峰の蔭から昇るのである。峰の輪郭が墨繪の樣に浮いて、その輪郭に沿うて日光が煙の樣に四方の(43)空に散つてゐる。そして、程なく柔かな紅みを帶びたそれが、私の坐つてゐる縁側の柱の根にまで落ちて來た。縁は東に向ひ、南に向いては窓があつた。窓さきにはまだ充分に伸び開かない楓のわか葉がいよ/\柔く見えながらその鮮かな日光のなかに浮んで居る。まだ寂びの出ぬ新しい庭さきには荒い砂土のうへに蕗の薹が白い花となつて幾つも散らばり、海棠の花も昨日今日漸く咲いたらしい鮮紅なのが二三輪珍しい日光を吸つてゐる。漸く私の身のたけ位ゐのわか木の梅が二本、川原に下る崖の頭に褪せながら咲いて、あたりの濕つた地にいちめんに花びらを散らしてゐる。その梅の木の根がたに、恰度きら/\輝きながら豐かな溪のながれは眺められた。

   部屋にゐて見やる庭木の木がくれに溪おほらかに流れたるかな

   朝あがり霑《うるほ》へる庭に一もとのわか木の梅は花散らしたり

   朝づく日さしこもりつつくれなゐの海棠の花は三つばかり咲けり

   眞青なる笹のひろ葉に風ありて光りそよげり梅散るところ

 

 櫻の咲かうといふ季節に、實に根氣よく今年は雨が降り續いた。つく/”\それに飽き果てた末、何處でもいゝから何處か冷たアいところへ行きたい、さう思ひながら昨日の朝、まだじめ/\と降つてゐるなかを私は自宅を出たのであつた。そして友人を訪ねて、地圖を借りたり、行先(44)を相談したりして、兎も角も東京を離れて見度いばつかりに此處まで出て來たのであつた。今朝のこの晴、この靜けさは實に私には拾ひものゝ樣にも嬉しいのである。冷たいといふ感じには少し明るすぎもし、柔かすぎもするが、兎に角に難有い。

 まつ白な飯の盛られるのを見てゐたが、どうもそれだけ喰ふのが勿體なく、斯んな朝だけに醉つてはいけないと思ひながら私は酒を註文した。そして自身も、膳も朝日のなかにさらされながら、眩しい樣な氣持で私は思ひついたことがあつた。我等の歌の社中の一人で今度日本郵船會社の紐育支店詰になつて渡米する青年がある。それに何か餞別をしたいといふ樣な事からなまじな品物を贈るより、二人して何處ぞ靜かな所へ一泊位ゐの旅行をする方がよいかも知れぬと思ひ、その青年にも話して置いたのであつた。これは此處に遊ぶに限る、早速電報を打たうと思ひ立つた。そして女中を呼んで用紙を頼むと、この村では電報は打てないといふ。郵便局も無いのださうである。

 思ひ立つた事が齟齬すると何でもないことにもひどく心の平靜を失ふ性癖が私にはある。今朝もそれであつた。膳を下げさせて、また庭から川原に降りて見たが何となく眼前のものに先刻ほどの親しさが覺えられない。部屋に歸つて地圖をひろげながら、もう少し溪奥へ、三峰山《みつみねさん》のあたりまでも行つて見ようかと思つたりし始めた。それにしては少しゆつくりしすぎたが、兎に角秩(45)父町まで行つて見よう、都合ではまた今夜此處へ引返して來てもいゝなどゝ思ひながら、その宿を立ち出でた。

 汽車を待ちながら日のあたる停車場の構内をぶら/\してゐると、風の出るらしい雲も次第に四方の峰々に下りて行つて、多少の曇を帶びては來たが、うらゝかな日和である。このあたりは――秩父の盆地とでも云ひたい所であるが――何となく甲斐の平野に似て、やゝ小さい感じのする所である。溪の流域に沿うて狹い平地があり、その四方をさまで高からぬ山脈が赤錆びた色をして繞《めぐ》つて居る。甲斐ほどすべてが荒くないだけに落ちついた感じをも持つ。謂はゞけふの樣な梅日和によくふさふ國である樣に思はれた。梅といへば、小さな停車場の建物をとりまいて澤山の紅梅がさかりを過ぎたままいつぱいに咲き散つて居た。私一人の乘つた小さな車室にも柔かな日が流れてゐた。暫くまた溪に沿うて走る。ゆく/\其處此處と梅の花のみが眼につく。挑もあるが、これはまだ眞盛りとは云へない。東京と比べて季節の遲れてゐる事が解るが、眼前寒いなどゝは少しも思はれない。

   わが汽車に追ひあふられて蝶々の溪あひふかくまひ落つるあはれ

   山窪に伐り殘されしわか杉の森は眞青き列をつくれり

(46) 秩父町の停車場前の茶店に寄らうとすると恰も其處に一臺の馬車が出立しかけてゐるところであつた。そして三峰へ行くのなら早く乘れ、と私に聲かけた。好都合ではあるが、同じ行くにしても今日は私は歩き度かつた。迷つてゐると、早く行かないと泊る所も無くなるといふ。今日と明日とかゞ山の祭で縣知事の參詣もあるのださうだ。それと聞くと私はまた落膽《がつかり》した。そして喜んだ、早く此處でそれと聞いてよかつた、向うへ行つてさうした場合に出會つたのでは嘸ぞ困つたらうと思へたからである。手を振つて馬車を斷り、茶店に寄つた。

 地圖をひろげながら、私は餘り苦しまずにまた新しい行程を立てた。三峰行の代りにこの内秩父から外秩父の飯能町に出るか、若しくはもう一つ向うの青梅《あうめ》地方に出ようといふのである。いづれにしても一つ乃至二つの峠を越さねばならぬ。茶店の老人を相手にいろ/\考へた末、道も細く山も險しいといふ妻坂峠を越えて名栗川の方へ出る事に決心した。そして明日は一つ小澤峠を經て多摩川の岸に出ようと。さうなると少しも時間が惜しいので、急いで辨當を拵へて貰ひ二合壜や千柿などをも用意してあたふたと其處を出た。

 素通りでもして見たいと思つた秩父見物を諦めて停車場横から直ぐ田圃路《たんぼみち》に出た。耳につくのは梭《ひ》の音である。町はづれの片側町の屋並から、または田圃の中に立つ古びた草屋から、殆んど軒別に機を織るその音が起つて居る。男女聲を合せて何やら唄つてゐる家もある。幾らか曇りか(47)けた日ざしにも褪せそめた梅の花にも似つかはしいその音色である。それに路傍の水田から聞えて來る蛙もまたなつかしかつた。小さな坂を登るとうす黒くものさびた秩父の一すぢ町がやゝ遠く見下された。

   秩父町出はづれ來れば機織の唄ごゑきこゆ古りし屋並に

   春の田の鋤きかへされて背水銹《あをみさび》着くとはしつつ蛙鳴くなり

   朝晴のいつか曇りて眞白雲峰にふかきにかはづ鳴くなり

   桐畑《きりばた》の桐の木の間に植ゑられてたけひくき梅の花ざかりかも

 

 茶店を出たのが十時半であつた。此頃あまり元気でもない身體にこれから峠一つを越えて夕方までに七里の道はかなりの冒險である。心細く思ひながら幼い興味に追はれて急いだ。一里ほど行くといよ/\路は右に折れて杉の深い峽間《はざま》に入込んだ。清らかな小溪が湛へつ碎けつして流れて居る。路は斷えずそれに沿うて登つてゆくのである。峽間の右手に武甲山といふ附近第一の高山が聳えて居る。地圖には千三百三十六米突の高さと出て居るが、頂上からは遙かに品川の海東京の市街が見えるさうだ。斑らに白く仰がるゝのは雪らしい。其處までも登つて見度い氣で急いだ。