若山牧水全集第六巻、雄鷄社、526頁、600円、1958.6.30

 

紀行・隨筆 二

 

   目次

 

靜かなる旅をゆきつつ

 

   上編

 

富士裾野の三日……………………………………………………………九

溪より溪へ…………………………………………………………………三八

落葉松林の中の湯…………………………………………………………五六

信濃の晩秋…………………………………………………………………七一

二晩泊り……………………………………………………………………八一

水郷めぐり…………………………………………………………………八八

湯ヶ島より…………………………………………………………………九三

箱根と富士………………………………………………………………一〇一

 

   中編

 

溪ばたの温泉……………………………………………………………一一一

上州草津…………………………………………………………………一二二

草津より澁へ……………………………………………………………一三五

山腹の友が家……………………………………………………………一四八

木曾路……………………………………………………………………一五九

利根の奥へ………………………………………………………………一七三

みなかみへ………………………………………………………………一九七

利根より吾妻へ…………………………………………………………二〇六

吾妻川……………………………………………………………………二一八

吾妻の溪より六里が原へ………………………………………………二二七

 

   下編

 

子供の入學………………………………………………………………二五九

香貫山……………………………………………………………………二六四

發動機船の音……………………………………………………………二七二

村住居の秋………………………………………………………………二八〇

雪のおもひ出……………………………………………………………二八七

櫻咲くころ………………………………………………………………二九四

溪のながれ木……………………………………………………………三〇〇

溪をおもふ………………………………………………………………三〇五

土を愛する村……………………………………………………………三一二

入江の奥…………………………………………………………………三二六

 

みなかみ紀行

 

みなかみ紀行……………………………………………………………三三八

大野原の夏草……………………………………………………………四〇一

追憶と眼前の風景………………………………………………………四一〇

杜鵑を聽きに……………………………………………………………四三四

白骨温泉…………………………………………………………………四四三

通蔓草の實………………………………………………………………四四九

山路………………………………………………………………………四五八

或る旅と繪葉書…………………………………………………………四七〇

野なかの瀧………………………………………………………………四八三

或る島の半日……………………………………………………………四八三

伊豆紀行…………………………………………………………………五〇三

雪の天城越………………………………………………………………五一九

 

靜かなる旅をゆきつつ


  序に代へて

 

とにかくに自分はいま旅に出てゐる。

何處へでもいい、とにかくに行け。

眼を開くな、眼を瞑ぢよ。

さうして、

思ふ存分、

靜かに靜かにその心を遊ばせよ。

斯う思ひつづけてゐると、

汽車は誠に心地よくわが身體を搖つて、

眠れ、眠れ、といふがごとく、

靜かに靜かに走つてゆく

                   ――『利根の奥へ』の一節――

 

(5)    例言

 

 私は旅を好む。旅に出てをる間に、僅かに解放せられた眞實の自分に歸つてゐるのだと思ふ樣な場合が甚だ多い。

 この『靜かなる旅をゆきつつ』はそれらの旅から歸つて、或はその旅さきで、書いた紀行文を主として輯め、それに机の側に籠りながら折々書いてゐた小品文を加へて一册としたものである。これらは曾て各種の雜誌新聞に出したものだが、すべて行數や時間の制限のあるなかに書いたゝめに、それ/”\文章の長短筆致に一致を缺き、且つ諸所重複した所などのあるのを憾みとする。ことに一つの連續した旅、たとへば何日に出て何日に歸つた或る一期間の紀行が數篇に分つて書かれ、それらがとり/”\に右の事情の下に置かれてあるのなどに對しては一層この感が深い。

 

『利根の奥へ』『みなかみへ』『利根より吾妻へ』『吾妻川』『吾妻の溪より六里ケ原へ』等は右の續きものゝ紀行の一つであつた。最後の六里ケ原からは高山鐵道を想はせらるゝ私設の汽車に乘(6)つて芒と楢との冬枯れはてた高原を横切り輕井澤に出、それから信越線で戸倉温泉にゆき一泊、翌日松本在の淺間温泉に行き二泊、賑やかな歌會を濟ませて更らに桔梗ケ原の中にある妻の在所を訪ね、廿六日に東京に歸つたのであつた。大正七年秋のことである。同じく連續したものに『落葉松林の中の湯』『信濃の晩秋』がある。これは大正八年の晩秋で、大町からは其處の友人(これは『山腹の友が家』の中に出て居る友人のことである)が忙しい中を松本在の村井驛まで送つて來、一泊してその翌日東西に別れて私は東京へ歸つた。も一つ長く續いたものに『溪ばたの温泉』から『上州草津』『草津より澁へ』『山腹の友が家』を経て『木曾路』に終つてゐるものがある。これは前に通つた吾妻の溪から草津に曲り、信州へ出たものであつた。木曾からは名古屋に一泊、小さな歌會を開いて歸つて來た。大正九年の初夏であつた。『水郷めぐり』のあとは潮來から下總水海道町に廻つて其處の友人を訪ね、翌日三人して筑波山に登り、山腹の町に一泊して歸つた。これは八年の初夏であつた。それ/”\の旅の終りまで書いておけばよかつたが、殘念にもそれをしなかつた。その他『溪をおもふ』『溪のながれ木』は大正八年、『櫻咲くころ』『溪より溪へ』『二晩泊り』等は同九年東京在住時代の執筆で、あとはみな同年夏駿河沼津町在に移り住んでからそのをり/\に書いたものである。永い後の自分の思ひ出のために書き添へておく。

 

(7) 彌次善多式のも時に惡くないが、ほんたうに靜かな旅、心を遊ばせ解き放つ旅、われとわが足音に聽き入る樣な旅をするとならば、ひとり旅に限る樣である。そして行くさきざきでも人に逢はぬことである。本書を校正しながらいよ/\この感を強くした。これからの私の旅は多分おほくこの傾向を帶びるであらうと思ふ。

 

 この本の文章はまことに幼く、且つ拙い。獨りで苦笑し赤面し心痛しながら、いま校正刷を見つつある所である。然し、この一册を編んだことによつてこれからは幾らか自分にもよき文章――といふよりよき旅を、なすことが出來るかも知れぬといふ氣がしてゐる。

   大正十年六月廿二日

                       駿河沼津在楊原村にて

                           若山牧水

 

(9)上編

 

 富士裾野の三日

 

 十月九日午後一時、沼津驛を發した汽車が三島を經て裾野の傾斜を登り始めた頃、私の腰掛けた側《がは》の窓には柔かな日影が射してゐた。然し空には何處《どこ》となく雨氣を含んで、汽車の直ぐ横手に聳えてゐる愛鷹山の墨色は眼に見えて深かつた。この山はいつも落ちついた墨色をしてゐる木深い山であるが、けふはとりわけ濕つて見えた。峰から空にかけては乳の樣な白雲が渦を卷いて、富士はその奥に隱れて見えなかつた。

   駿河なる沼津より見れば富士が嶺《ね》の前に垣なせる愛鷹の山

   眞黒なる愛鷹の山に卷き立てる雨雲の奥に富士は籠《こも》りつ

 私の掛けてゐる背後の席には大工か指物師と見ゆる二人連が頻りに自分たちの爲事《しごと》のことを語(10)り續けてゐた。揃つて老人らしいその聲音《こわね》がいかにもこの窓の小春日に似つかはしく聞きなされた。

『俺《わし》は前かたあの愛鷹の奥から出たちふ樫を手にかけた事があつたが固えの固くねえのつて、まるで飽《かんな》をかん/\撥《は》ねつ返すだからナ。』

『さうづらナ、何しろあゝ見えて山が深えだから。』

『まだ/\何と云つたつてあん奥の方に入つて行けアいゝ木があるづらに。』

『天城道を通つてもこてえられねヱ木がざらに眼につくだからナ。』

 次第に登るにつれていつとなく窓の日影も消えて行つた。そして汽車が御殿場の驛に入るか入らぬに、

『きてえに雨の來る處だでなア。』

 と言ひながら立ち上つた背後の老人たちのあとから私も昇降口を下りて行つた。なるほど驛前の廣場には粒の荒い雨が降り出してゐた。

 見ればその山上の町は祭禮であつた。揃ひの着物を着て襷を掛けながら顔に紅白粉《べにおしろい》を塗つた子供達が其處の廣場には大勢群れてゐた。驛前から續いた一筋町の軒並にはみな提灯を吊して、造花や幕で美しく飾られてゐた。其處《そこ》へこの驟雨が來たので、提灯をはづす、飾りものを取り入れ(11)る、着飾つた女が走る、濡れそぼたれて子供が呼ぶ、たいへんな騷ぎが始つてゐるところであつた。

 私もツイ手近の休茶屋に飛び込んだ。其處にも雨をかぶつた男女が多くは立つたまゝに高聲で何やらめい/\に喋舌《しやべ》り立てゝゐた。その間で私は辛うじて今夜は須山《すやま》泊りにし、明日|十里木《じふりぎ》を經て大宮に出るがいゝだらう、印野《いんの》を通るが本統の十里木街道ではあるが印野には宿屋がない、十里木にも無論ない、大宮までは到底行けつこない、といふ事などを二三の人の口を繼ぎ合はせて聞き出し得た。その時がもう二時半を過ぎてゐた。それから須山といふ村まで三里の雨道も私にとつては餘り樂ではなかつたが、此儘この祭禮の町にまごついてゐるのも本意ではなかつた。で、追はるゝ樣に洋傘《かうもり》を開いて雨の中へ出て行つた。

 恰も其處に御輿《みこし》と山車《だし》とが來懸《きかか》つてゐた。神輿には醉拂《よつぱら》つた若者どもが雨も何も知らぬげに取りついて騷いでゐたが、山車は靜かなだけにみじめであつた。二條の綱につかまつた一列の行列が苦笑しながらひつそりと濡れてゐた。ことにその先登に立つた三四人の藝者の手古舞姿《てこまひすがた》はわざわざ塗りあげた両腕の刺青《いれずみ》の溶けてゐるだけでも悲慘《ひさん》であつた。大急ぎでその人ごみの中を通り拔け、神社の前を過ぎ、火の見の櫓《やぐら》の下を右に曲ると其處はもう祭禮も人聲も無い蕭條《せうでう》たる雨の野原であつた。

(12) 道幅は意外に廣く、且つ眞直ぐであつた。そして大きい轍《わだち》の痕《あと》が一尺二尺の深さで掘られてゐるのを見るとこの邊にあると聞いた砲兵聯隊の道路である事が解《わか》つた。そのどるゝん、どるゝんといふ底響きのする砲の音は、沼津に移り住んで以來殆んど毎日聞き馴らしたものであつた。さう思ひながら耳を澄ましてもけふは唯だ一面の雨ばかりで、小銃一つ聞えない。雨はまつたくよく降つた。低くさした洋傘からはやがて雫が漏《も》り始めて、羽織の袖も裾も見る/\びつしよりになつてしまつた。その大降りが小一時間も續いた。

 富士がツイ右手に聳えてゐる筈なのだが、唯だ雨ばかりが四方を閉ざして、山を包んでゐる雲の影すらもよく見えなかつた。折々路傍に体茶屋らしい小家など眼に入るが、雨の調子と脚の調子と、イヤ洋傘を兩手に握り込んで前かゞみに急いでゐる身體全體の調子とが、今は非常によく合つて、それを亂すのが惜しい氣持でたゞ只管《ひたすら》に急いだ。そして雫《しづく》の垂れる洋傘の下には常に道の兩側に沿うた野の一部が見えて、其處には必ず枯れかけた草むらに松蟲草《まつむしそう》の紫の花が眼についてゐた。折々は荒れた垣根になつて木槿《もくげ》の咲いてゐるのも見えた。その垣根も木槿の花も極めてとび/\に道ばたに見らるるのみで、數軒の家が集つて一部落を成してゐるといふ樣な所は見えなかつた。

   道ばたの木槿《もくげ》は馬に食はれけり

(13) 不圖この句が雨に硬くなつてゐる頭の中に思ひ出でられた。道ばたの木槿は馬に食はれけり、それはどうでも埃などうす白くかぶつてゐる木槿でなくてはならぬと思はるゝのだが、また斯うした雨中の路傍にもよくぴつたりと當てはまるのが沁々《しみじみ》と感ぜられるのであつた。それからは口のうちで、また聲に出してその句ばかりを脚に合はせて誦《そら》んじながら急《いそ》いだ。道ばたの木槿は馬に食はれけり、道ばたの木槿は馬に…………。

 野砲兵第十五聯隊、と云つたと思ふ、看板の懸つた兵營の門前まで來た時、漸く身體を眞直ぐにして歩けるほどの小降りになつてゐた。そして改めて周圍の大きな野原を見廻す事が出来た。富士は全く見えなかつた。足柄の方にはいま自分の濡れて來たのが降り懸つてゐるのか雲の樣に濃い雨脚《あまあし》が山を包んでゐた。たゞ眼の前の愛鷹のみはくつきりと野の中に浮き出て、夕方近い冷たい色を湛《たた》へてゐた。行列をなしたのには一度だけであつたが、一騎か二騎づつ馳けてゐる兵士には幾度となく出逢つた。馬も人も光る樣に濡れてゐた。中には荷馬車の上に据風呂《すゑぶろ》ほどの大きな眞鍮《しんちゆう》の湯沸釜を積み、微かな煙をあげながら引いてゆくのにも逢つた。この曠席《くわうげん》に散らばつてゐる隊から隊に飲料を配つて歩くものだらうと想はれた。其處此處で喇叭《らつば》の鳴るのも寂しく聞えた。

 野の中のかさな坂にかゝつてゐる時であつた。その頃いよ/\雨も降りやんで、うすら冷たい(14)風が立つてゐた。坂に沿うたかなりの廣さの窪みの中に雨外套をつけて立つてゐる一人の兵士が遠くから見えてゐたが、やがて私の近づくと共に彼は矢庭《やには》に擧手の禮をして言葉をかけた。

『燐寸をお持ちではありますまいか。』

 私は直ぐ煙草の火だと思つた。そして袂からその箱を取り出しながら、

『空箱をお出しなさい、半分わけませう。』

 と道端に寄つて行つた。

『イエ一寸それを貸して下さい、いまこの丘の向側に野營してゐるのでありますが火を消してしまつて…………』

『それではなか/\燃えつきますまい…………』

『イエナニ火は穴を掘つて燃《も》してゐるのでありますから……』

 言ふうちに彼は下から手を延ばして私の燐寸を受取るや否や厚く着ぶくれた身をかへして丘の方へ馳けて行つた。この雨の後で一本や二本の燐寸で火がつくか知ら。また、ついた所でそのあとを如何《どう》するだらうと、私は其處に手持無沙汰に佇みながら考へた。時計を出して見ると四時を少し廻つてゐた。いつそのことあれを遣るからと言つてしまへばよかつた、燐寸に未練を殘さないにせよ此儘立ち去つてはいまの兵士が歸つて來て困るだらう、それとも本統に返しに來るか知(15)ら……、いろ/\に考へてゐると、下から見上げた顔の赤らんだ可愛らしさが思ひ浮べられた。いづれにせよもう少し待つて見ようと、泥草鞋《どろわらぢ》の重さを今更の樣に感じながら三四分間もそこらをぶら/\と歩いてゐた。するといま馳けて行つたと同じ所から彼は現れて來た。そして割合に上品な顔に笑《ゑ》みを湛《たた》へながら馳けて來て擧手の禮をした。

『つきましたか。』

『つきました、ありがたくありました。』

 と手を延べてその小きな箱をさし出した。

『それは君にあげませう、此處で一本煙草につけて行けば程なく僕は須山に着きませうから………』

『イヱもういゝのであります、火は洞穴を掘つて燃してゐるのでありますから。』

『でも心細いでせう、一寸お待ちなさい。』

 と言つてゐるうちに彼は三四歩飛びすざつてまた不動の姿勢をとり、

『イヱもういゝのであります。』

 と禮をして以前の樣に丘の方に馳けて行つた。何といふことなく微笑を誘はれながらそのうしろ影を見送つてゐたが、それが隱れてしまふと急に身に浸む心細さを覺えた。そして急にまた速(16)力を加へて歩き出した、どんな所に何人位集つて野營してゐるのであらうと丘の蔭のその一團の事などを想像しながら。

 あたりの野は大抵草原のまゝであつた。芒が大方で、その間に松蟲草が咲いてゐた。耕された所には必ず桑と玉蜀黍《たうもろこし》とが一緒に作られて、桑はまだ青く、玉蜀黍は葉も幹も枯れてゐた。が、その枯れた中にまだ實の取り殘したのがあるらしく、漸く暮れかけて來た夕闇の畑でがさがさと音を立てゝその實をもいでゐるのを見掛けた。おもふに土地の者はこの玉蜀黍を常食の一部にしてゐるに相違ない。畑といふ畑に食用物とては大抵こればかりで、道ばたに見るあばら屋の壁には必ず皮をむいたこの實の束が眞赤に掛け渡されてあつた。そしてそゞろに思ひ起さるゝのは自分の郷里の事であつた。自分の郷里といふうちにも例の天孫降臨の地の高千穗附近の高原がまるでこの通りであるのであつた。十歳から十二三歳の頃の記憶がそれに續いてうすら寒く思ひ起されて來たりした。兵隊とマツチの事のあつてからは人家とは全く離れて、愛鷹の山は益々近く、今はその山の裏手に歩みかゝつて來てゐるのであつた。そして葦原の野に杉の木立がとび/\に見え出し、やがてこれが一帶の森となつて連つてゐる邊へ來ると、道は次第にゆるやかな登りになつて、ぽつり/\と行手の薄闇の中に灯影が見え出した。そしてこれが石油の灯でなくて電燈である事が解ると、疲れた身には何だか不思議な事でゞもある樣に思ひなされたりした。御殿場(17)の祭禮の忙しいなかで聞いて來た須山村はさうした野原の末の丘の上に在る小さな宿場であつた。

 二軒あると聞いた宿屋の清水館といふへ寄つた。その家は丘の上でも最高地に位置する樣に見えた。通された二階の部屋の高い腰窓をあけると、それこそ其處は見ゆるかぎりの涯《はて》ない原野で、一帶に闇のおりた近い木立やとほい野末に向つて立つただけでそゞろに身の引き繁るのを覺えた。

 危ぶんで來た風呂も沸いてゐた。わざと雨戸を締めさせないで廣々とあけ放つたまゝ、火鉢に火をどつさりと熾《おこ》して、盃を取つた。身にこたふる寒さである。御殿場から比べて餘程登つて來てゐるに相違ない。寒さを消すまでがぶり/\と飲んでゐると眼の前の空の其處此處にゆくりなくも星が光り出した。そして見る/\うちにその數は繁く、やがて一面氷つた樣な靜かな星月夜となつてしまつた。

 床を延べに來た女中もその星には驚いた樣に暫く窓際に立つてゐた。

『そのツイ下の處に大きな電燈が二つ點いてゐるが、彼處は何だね。』

『何でもありません、百姓の庭ですよ。』

『百姓の庭ね?』

(18)『大きい百姓は忙しくなりますと夜までも庭で爲事をしますから………‥』

 と言ひながらがら/\と雨戸を締めてしまつた。

 

 便所の窓から見てゐるうちは、晴れたやうにも曇りのやうにもあつたが、私の癖の長い用を終つて部屋に歸つて窓を繰つて見ると疑ひもなき晴天である。しかも無類の日和を思はせる空だ。

 まだ日は出てゐなかつた。何とも言へぬ微妙な、宏大な傾斜を引いて遙かに足柄の方に下り擴《ひろ》ごり行いてゐる曠野はまだ夜露の濡れたまゝであつた。そしてその端《はし》から端にかけ、あまねく吹き渡つてゐる冷たい風がはつきりと眼にも見え心にも感ぜられた。ことに宿の眼下の窪地一帶に吹くそれは例の薄黄に枯れた玉蜀黍の葉から葉へあざやかな音を立て、枯葉にまじる桑の青葉の露の色はことさらに深く見えた。瞳を据ゑてこの廣い景色に向つてゐると、遠く喇叭のひゞきが聞え、汽車の喘ぎが聞ゆる。見れば遙かな野末を御殿場へ急ぐそれの煙が眞白く細く地に這うて見えてゐた。

 ふと心づをながら慌てゝ頭を擧げやうとすると、これはまたどうであらう。やゝその窓からは斜めうしろに恰度この荒れた宿屋の背戸のところにくつきりとして我が富士が巓《ね》はその錆色の姿をあらはに立ちはだかつてゐるのであつた。や、わが富士よ、と手をもさし伸べたいツイ其處(19)に、そのいたゞきにはすでに薄紫の日影を浴びてにこやかに聳えてゐるのであつた。

 日は足柄の上から昇つて來つゝあつた。一段々々と照らされゆく眞裸體《まはだか》の富士、やがてその日の影が裾野に及ぶと其處を流れてゐる風は一齊《いつせい》に光り始めた。芒が光り、玉蜀黍が光り、この部落を圍んでとび/\に立つてゐる杉の黒い木立が光る樣になると、もうその鮮かな日光は私の立つてゐる高い窓までもやつて來てゐるのであつた。

 尻端折に草鞋ばき洋傘一本を手に提げて宿屋を出かけた私の姿は昨日自宅の門を出た時と同じであつたが、心持はもうすつかり旅の者になり切つてゐた。昨日の午前、私は非常に忙しい爲事を果すために机に向つてゐた。が、どうしたものか一向にそれが捗らなかつた。書き損ねの原稿紙が膝の横に堆《うづたか》くなるのみであつた。はては肝癪の頭痛まで起つて來るので、私も諦めて書齋を出て早晝の飯を催促した。そして晩酌のために取つてある酒の壜を持ち出して一人でちびちびと飲み始めてゐると、先刻《さつき》から心の隅に湧いてゐた慾望が次第に大きくなつて來た。今年の八月、私たちが沼津に移住した日から毎日々々座敷の中からも縁側からも門さきからも見て暮す二つの相重つた高い山があつた。一つは富士で一つは愛鷹である。一つは雲に隱れて見えぬ日でもその前に横たはつている愛鷹山は大抵の雨ではよく仰がれた。その二つの山は家から見ては二つ直ちに相|繋《つなが》つてゐる樣だが、實はその間に十里四方の廣さがあるために呼ぷ十里木といふ野原がある(20)といふ事を土地の人より聞かされたのであつた。思ひがけぬその事を聞いた日から私の好奇心は動いてゐた。よし、早速行つて見よう、少し涼しくなつたら行かう、と。

 忙しい爲事を仕損ねたといふその午前は十月の九日、空に薄雲は見えながら晴れてゐた。そして幾枚もの原稿紙を書き破りながら、私はその日不思議なほど朝のうちからその廣い野原のことを考へてゐたのであつた。爲事の思ふやうに出來なかつたのも一つはそのためであつたかも知れない。そして晝飯の席で飲み始めた一二合の酒は、容易《たやす》く私に一つの決心を與へた、よし、思ひ切つて今日これから其處へ出懸けて見よう、と。大急ぎで停車場に行くと辛うじて一時發の汽車に間に合つた。御殿場までの切符は買つたものゝ、果して其處から道があるのかどうかもよくは知れなかつた。それに約束の爲事の日限を遲らす苦痛も充分に心の中に根を張つてゐた。私は汽車の中で微醉の後の身體を日に照らされながら斯んなことを考へてゐた、とにかく御殿場まで行く、其處でよく訊いて見て都合がよかつたらその野原へ行つて見る、若し不便だつたら夕方まで其處等で遊んで家に引返して爲事を續けることにしようと。ところが思ひもかけぬ御殿場での雨と混雜とは却つて私を狼狽させて殆んどあとさきなく追つ立てる樣にして暴雨の野原へ歩き込ましたのであつた。

 今朝はそれが全く異つてゐた。今まで聞いた事も想像したこともない野中の村に端なくも通り(21)かゝつて昨夜、夜を過した事が既に私の心を改めてゐた。それに珍しい昨夜から今朝にかけての天氣である。私はもう今朝は完全に爲事からも何からも解放されて一個の者として一心に唯だこの野の奥へ行き度い心になつてゐたのだ。

 宿の前から道は登りになつてゐた。傘を開いてうしろかつぎに強い朝日に乾しながら、てく/\と登り始める。十軒あまりの家の間を行き過ぎると直ぐ杉の森に入つた。少し登ると、幾程もなく杉は盡きて灌木の荒い林となつた。富士はいよ/\明かにその林の向うに大きく親しく見えて居る。宿の前から續いた急な坂が一しきり切れた所に休んで居ると、下から一人の馬子が登つて來た。道を問ふ樣にして聲をかけ、馬のあとについて登り始めた。そして聞けばその馬子も十里木の宿まで行くといふ。これ幸ひと私はそれに頼んで乘せて貰ふことにした。須山から十里木まで二里、其處から大宮まで五里、ことにこの五里の道の惡さはひどからうと今朝聞いて來てゐるので少しでも脚を大事にしでおきたいからであつた。

 馬の背からは淺い林を越えて一面の野原が見渡された。左手には愛鷹の裏山が――この山は沼津あたりの海岸からは唯一つの峰を持つた裾廣い穏かな山にしか見えぬが、正面の峰の裏にはそれより高い峰が三つも竝んで聳えてゐるのであつた、地圖には愛鷹から次第に奥にして位牌嶽、呼子獄、越前獄、と記してある、いづれもその七八合目から上は御料林だといふ事でいかにも茂(22)つた山となつて居る――薄い深い紅葉の色を見せて木深く靜かにうねつて居る。いま通つて居るのはつまりその山の根で、それから富士の根がたまで二里か三里か、富士を正面にして左右に亘る野原の廣さはそれこそ十里か十五里か、見る涯もない裾野である。そのなかでも恰度馬から見て過ぎる其處の野は唯だ一面の穗芒の原で、それに豐かに朝日が宿つてゐるのであつた。餘りの美しさに馬を止めさせで煙草にしてゐると、夫婦者の一組が追ひついてこれも煙管を取り出した。彼はこの邊の地理に明るく、それから通りかゝつた或る小さな峠風《たうげふう》の所は昔此處に關所のあつたあとだと教へた。この邊に、といぶかると、この道は昔箱根の拔け道に當つてゐたのでそれを見張つてゐたのだといふ。彼等夫婦は同じく十里木まで竹細工の出稼ぎにゆく者であつた。

 關所のあとだといつたあたりからまた林に入つた道はゆるやかな下りになつて、やがて其處に五六軒の茅家《かやや》の集つてゐる所が見えた。十里木である。夫婦者の教へるまゝに其の村に唯だ一軒あるといふ茶店の前で私は馬から下りた。馬の上の朝風はかなりに寒かつた。で、竹細工屋のするまゝに私も泥草鞋を其處の大きな圍爐裡に踏み込んで榾火《ほたび》にあたつた。見れば其處の棚の上に小さな酒樽があつたので私は竹細工屋への禮心地に茶店の老婆に徳利をつけて貰つた。そして盃をさゝうとすれば側から女房が慌てゝ止めた。

『ハアレ、お前は六百六號を注射したばかりだによ。』

(23)『もう、五日もたつてるだで、一杯ぐれえいゝづらによ。』

 と笑ひながら彼はそれを受けた。

『ほんによ、お前んとこぢア此間中えれえ惡かつたちふでねえかよ。』

 店の老婆はその女房に話しかけた。

『初めはの、頭が割るゝごと痛えちふだで氷で冷してばつかり居つたがよ、醫者の言ふにや身體のしんに毒があるからだで、一本拾圓もする六百六號ちふ譯を二本も注射したゞよ。』

『幾らしてもよ、利《き》けばいゝがよ、おらがの樣に…………』

 三人の間には暫く老婆の不幸話がとり交はされた。『生きてせえ居ればよ、おら乞食してゞも三百里が五百里でも迎えに行くと云ふだ』といふ樣な月並な嘆きもこの山中の老婆の口から聞けば其處に僞ならぬ力が感ぜられた。老婆には一人娘で、去年から普請にかゝつて漸く分家が出來上つて婿や子供とそちらに移ると同時にこの春四十歳で死んだのだ相だ。

 榾火に草鞋をあぶりながら、半ば横になつたまゝ見上ぐる軒先に富士山があつた。店の前の道幅は其處だけ幾らか廣くなつて、馬などを繋ぐ場所となつてゐた。つまり其處は西の野と東の野との運送品を交換する場所に當つてゐる事を私はあとで知つた。その廣場の端に古びた木の鳥居が立つてゐた。その鳥居の眞上に富士山は仰がるゝのだ。初めそれを富士の神を遙拜するための(24)鳥居だとばかり私は思つてゐたが、暫く鳥居の方から小さな徑が玉蜀黍畑を横切つて向うの笹山に通じ、その山の根に小きな嗣《ほこら》のあることが解《わか》つた。山はまことに笹ばかり繁茂して、青く圓く横たはつてゐるさまが眞上の富士のあるだけに手にもとりたい愛らしさであつた。その笹でこの部落の者は生活してゐるのださうである、竹行李を編みパイプを作つたりして。現に私の前に同じく横になつて榾火にあたつてゐる色の蒼い四十男もこの竹を目的に登つて來た者であつた。

 私は先刻《さつき》から思ひついてゐた事を老婆に打ち出して見た、どうか今夜一晩を此家に泊めて呉れ、喰べるものは何もいらぬ、酒と布團とがあればよいからといふのであつた。不思議な人間だといふ風で初めは相手にもしなかつたが、竹細工屋まで口添へして呉れて、たうとう老婆も承知した。それを聞くと私は急に圍爐裡から飛び降りた。そして洋傘や羽織を其處に置いて身輕になりながらいま來た道の方へ引返して歩いた。馬から見て過ぎた芒の野原をもう一度とつくと見て來たかつたからであつた。

 近いと思つたに一里がほど灌木林を歩いてから美しい野には出た。日の闌《た》けたせゐか穗芒のつやは先刻《さつき》ほどでなかつたが、見れば見るほど廣い野であつた。美しい野であつた。

 野は唯だいちめんの平野ではない。さながら大海の中に出て見るうねりのやうに無數の柔かな圓い高みがあつて、高みは高みに續き、はてしなくゆるやかに續き下つて其處に無縫無碍《むほうむげ》の大き(25)な裾野を成してゐるのである。その一つ一つの小高いうねりの、また、いかばかり優しく美しくあることか。一帶の地面には青い芝草が生《は》えてゐる。東京の郊外の植木屋などが育てゝゐる芝である。その芝の中に松蟲草が伸び出でゝ濃《こ》むらさき薄《うす》むらさきの花を咲き盛らせ、その花よりなほ丈《たけ》高く輕やかに抽《ぬき》んで咲いてゐるのは芒である。これはまたこの草ばかりが茂りに茂つて、上に咲き揃つたその穗などはまるで厚い織物の樣にも見えてゐる所があつた。或る窪みには芒が茂り、或る高みには松蟲草が咲き、その二つが相寄り相混つて咲き擴がつてゐる場所もあり、それがさきからさきと續いて美しいつやのある大きなうねりを其處にうねり輝かしてゐるのである。

 富士山はこのうねりの野の端から端に臨んで唯だ大きく近く聳えてゐた。私は兼ねてから斯ういふ感じを持つてゐた、多くの山もさうだが、ことに富士は遠くから見るべきだ、近づいて見る山ではない、と。要するにそれも眞實に近づいて見ぬかがごとであつた。斯うしてこの日仰いだ富士は全くの眞裸體であつた。あたりに一片の雲なく、唯だ或る一點だけ萬年雪の殘つてゐるほかは頂上近くにすらまだ雪を置いてゐなかつた。頂上からこの野のはての根がたまで唯だ赤裸々《せきらら》にその地肌を露《あら》はして立つてゐるのみである。ことに其處からは世にいふ森林帶の山麓にもたゞ僅かにあるかなきかの樹木を一わたり置いてゐるのを見るに過ぎぬのであつた。このあらはな土の山、石の山、岩の山が寂《せき》として中空に聳えてゐる姿を私はまことに如何《いか》に形容したらよかつた(26)であらう。生れたばかりの山にも見え、全く年月といふものを超越した山にも見えた。ことにどうであらう、四邊《あたり》にどれ一つこの山と手をとつて立つてゐる山もないのであつた。地に一つ、空に一つ、何處をどう見てもたつた一つのこの眞裸體の山が嶺は柔かに鋭く聳えて天に迫り、下はおほらかに而かも嶮しく垂り下つて大地に根を張つてゐる。前なく後なく、西もなく東もない。

 山に見入つてゐた瞳を下してこの大きな野を見ると其處に早や既に一種の狹苦しさが感ぜられた。私はとある小高い所から馳け降りて他の小高い所へ移つて行つた。更に他の一つへ走つた。鶉の鳥がそのまろい姿を地面から現はして、鋭く啼きながら飛んで行つた。あとからも立つのを見た。

 

 この見ごとな野原の一端に出て來て、野を見、山を仰いだ私は一時まつたく茫然としてしまつた。そしてその時間が過ぎ去ると更にまた新しい心で眼前の風景に對した。海中のうねりにさながらの野原のうねり、その無數のうねりをなす圓みを帶びた丘のうちで、どれが最もすぐれて高く且つ見ごとであるかを眼で調べ始めた。そして、やがて脱兎のごとく最初に立つた一點から走り出した。

(27) どの丘が一番高いといふことは、謂はゞ不可能のことであつた。眼《め》分量で計つて認めた一つの高い丘へ馳け上つて見ると、更にまたそれより高い樣な丘がその先にあつた。二つ三つと馳け廻つた後、私も諦めて或る一つの丘の上にどつかりと身對を横たへてしまつた。柔かな草の上に仰向けにころがると、富士は全く私の顔を覗《のぞ》き込む樣にして眞上に近く聳えてゐるのであつた。そして其處から正面に見ゆる山腹に刳《ゑぐ》つた樣な途方もなく大きな崩壞の場所が見え、その崩れた下の端に鳶の喙《くちばし》に似た恰好をして不意に一個所隆起してゐる所が見えた。即ち寶永山である。刳れた場所は或る頃の噴火の痕《あと》で、その時噴き出されたものが凝つてこの寶永山を成したのだといふ。

 富士の山肌の地色の複雜さを私は寢ながらに沁々《しみじみ》と見た。遠くから見れば先づ一色に黒く見ゆるのみであるが、決して唯の黒さでない、その中に緑青《ろくしやう》に似た青みを含み、薄く散らした斑《まだ》らな朱の色も其處らに吹き出てゐる。黄もまじり、紫も見ゆる。そして山全體にわたつて刻まれた細かな襞が、襞に宿る空の色が、更にそれらの色彩に或る複雜と微妙とを現はしてゐるのである。富士山は唯だ遠くから望むべきもの、ことに雪なき頃のそれは見る可《べ》からざるものといふ風に思つてゐた私の富士觀は全く狂つてしまつた。要するに今日までは私は多く概念的にこの山を見てゐたのであつた。けふ初めて赤裸々なこの山と相接して生きものにも似た親しさを覺え始めたの(28)である。一種流行化したいはゆる『富士登山』をも私は忌み嫌つて今まで執拗にもこの山に登らなかつたが、斯うなつて來るとその考へも怪しくなつた。早速來年の夏はあの頂上まで登つてゆきたいものだなどと、鮮かに晴れた其處を仰いで微笑せられた。

 寢轉んでゐる芝草の中に六七寸高さの純白な花の群りさいた草を私は見附けた。何處となく見覺えのある草花である。摘み取つて匂ひを嗅ぎながら思ひ出した。俗にせんぷりと稱《とな》へ、腹痛の藥になると云つて幼い頃よく故郷の野で摘み集めた草であつた。見れば其處らに澤山さいてゐる。珍しさや昔戀しさに私はそゞろに立ちよつてそれを摘み始めた。芒や松蟲草などの蔭に、ほんとに限りなく咲き擴がつてゐるのであつた。

 をり/\鶉が飛んだ。じゆつ/\、じゆるん/\といふ風の啼聲をば初めから耳にしてゐたのであつたが、草から出て飛ぶのを見るまでは何の鳥だかはつきり解らなかつた。一つの丘からまひ立つては直ぐ近くの芒の中にまひ下る。見れば誰一人ゐないと思つた野原の中にも矢張りそちこちと人影が見えるのであつた。遠くの丘の頭などに馬の立つてゐるのも見ゆる。人は多く芒を刈つてゐるのであつた。大きな鎌を、遠くから見たのでは自身の身體よりも大きい樣に見ゆる鎌を兩手に振つて、振子の動く樣な姿で刈つてゐるのである。或る所をば荷馬串が二臺續いて通つてゐた。白い芒の中から現れてはまたその波に隱れてゆく。さながらに沖に出てゐる小舟の樣な(29)ものであつた。

 せんぷり草はいつか兩手に餘るほどになつた。いつ何處に生れたともない微かな白い雲が空に浮んでは富士の方に寄つて來て、またいつとなく消えてゆく。丘から丘に歩いてゐるうちに私の心は次第に靜かに、次第に寂しくなつて來た。あたりに輝く芒の穗も、飛んでゐる鶉も、いづれも私の心に今までにない鮮かな影を投ぐる樣になつた。歩くのが苦しく、私はまた一つの高みの上に坐つてしまつた。が、永くは坐つても居られなかつた。そして賢くも最初目標としておいた野の端の杉木立の方へいつとなく私は小走りに走つてゐた。心のうちで、または口に出して、『左樣なら、左樣なら』と言ひながら、今はまさしく西日の色に染まりつゝある野の中を極めて穏かな心持で小走りに走つてゐた。

 一里餘りを急いで先刻の茶店まで歸つて來ると、老婆は居ずに圍爐裡の榾火が僅かに煙つてゐた。急に寒さを覺えて、勝手口から新しい榾を運びながら草鞋もまだとらぬまゝに圍爐裡に足を踏み込んだ。そしてとろ/\と火の燃え出すのを見て、仰向けに疊の上に寢てしまつた。軒さきには例の富士が眞赤に夕日を浴びて聳えてゐるのだ。

『もぎたてをお前に喰はすべいと患つて玉蜀黍を取りに行つてたゞアよ。』

 と言ひながらまだうす青いそれを抱へて丸い樣になつて老婆が何處からか歸つて來た。

(30) 何とも云へぬうまいものに燒きたての灰だらけの奴を噛りながら、

『お婆さん、これをさかなに一本熱くしてつけて呉れ。』

 と甘えて言ふと、

『どうせ泊るだら、まア草鞋でもとつてから飲んだ方がよかんべいによ。』

 といふ。

 足を洗ひに背戸の方へ出てゆくと、うすら寒い夕日がそこにも射してゐた。そして親指ほどの大きさの赤い色をした見馴れぬ豆が乾してあつた。名を訊くと、聞いたこともない名であつた。

『喰べたいなア、直ぐこれを煮て貰へないかなア。』

『うまくも何ともねヱだよ。』

 と言ひながら早速それを鍋に入れて圍爐裡にかけて呉れた。私がせつせと榾をさしくべてゐると間もなくその鍋の蓋はごと/\と音を立てゝ泡を吹き出した。

 そこへ平べつたい箱を二つづゝ重ねて天秤で擔いだ五十歳ほどの男が西の坂から登つて來た。

『おばア、今日は生魚だよ、どつさり買つて貰うだ。』

 爐端の私を不思議さうに見ながらその魚賣は家に入つて來た。丁度私の頼んだ酒を徳利に移してゐた老婆は振り向きもしないで、

(31)『生魚《なまうを》はおつかねヱからおらやアだよ。』

 と素つ氣もなく言つた。

『馬鹿言ふでねヱ、下田から發動で持つて來たばかりの奴を擔いで來たゞによ、まだぴん/\跳ねてらア。』

 老婆はのそり/\と石段を降りて行つた。私も横になつたまゝ背伸びをして老婆のあけた箱を覗いて見た。中には小鯵と大きな鯖とが入つてゐた。

『小鯵を十も貰つとくべヱ。』

 と老婆は片手に掴んで入つて來た。これが伊豆の下田の沖でとれたものかと思ふと、その枯木の樣な指の間に見えてゐる青い小魚が私には何だか不思議なものゝ樣に眺められた。

『鯵ぢァつまらねヱ、鯖を頼むだよ、八疋持つて來た奴がよ、まだ一疋も賣れねヱだ。』

 魚賣は慌てゝ飛んで降りて自分で鯖を捏げて來た。然し、『鯖はおつかねヱ、おらやアだ。』とばかしで老婆はどうしても買はうと言はなかつた。初め八貫と言つたのを七貫五百から七貫にするとまで言つたが矢張り買はなかつた。

『僕の方で買はうか』と私も餘程言ひたかつたが、何だか老婆の氣が量《はか》られて言ひ出しにくかつた。見たところ、喰ひたくもないものではあるが、この年寄の魚賣もあはれであつた。何處から(32)來たのか知らないが、とにかく五六里の山坂を擔ぎ上げて來たのである。

『此處の奥の谷によ、××の山の衆が來てゐるだで、彼處に把持つて行くがいゝだ、彼處ならおめえの言ふ値で買ふによ。』

 と老婆は早速鍋の豆を皿にとつてその小鯵に代へながら言つた。

『さうかネ、をれならまア行つて見べえ。』

 と出て行つた。

 私の一本の徳利がまだ終らぬ頃にその魚賣は歸つて來た。

『やんやらやつと二本だけ押し込んで來た。』

 と笑ひながら一服吸つて、小鯵の錢を受取つてまた坂道を降りて行つた。

 やがて四邊《あたり》がうす暗くなつても老婆はなか/\洋燈《ランプ》をつけなかつた。寒さが次第に背に浸みて來るのに戸も締めなかつた。富士の頂上のみはまだ流石に明るくうす赤く見えて、片空に夕燒でもしてゐるらしい風であつた。この分では明日もまた上天氣に相違ないと私は思つた。

 大きな男がのそりと入つて氣て、

『おばア、酒を一升五合がとこ何かにつめてくろ。』

 と、噛みつける樣に言つた。老婆がうろたへて空壜を探し出したり洗つたりしてゐる所へ、急(33)にズドンといふ銃の音がツイ十間とも離れてゐぬらしい所へ起つた。そして間もなく銃と一羽の鷄とを提げた大きな男が同じくのそりと入つて來た。

『ハレマア、お前ちは鯖二疋ぢア足りねヱのかえ――』

 と、それを見た老婆は驚いて腰を伸しながら叫んだ。

 二人の大男が出て行つたあとに酒を二合呉れ醤油を一合呉れといつて汚い女房や小娘が三四人もやつて來た。丸くなつて動いてゐる老婆にはせつせと私の焚く榾火の影が映つて、いつか軒端の富士もうす暗くなつて來た。そこへまた今度は山戻りらしい老爺が入つて來て、立ちながらコップ酒を飲み始めた。初め私を憚つてゐたらしいが、漸く洋燈を點《とも》しにかゝつた老婆が一二度聲をかけると、やがて彼は私に挨拶しながら圍爐裡に草鞋を踏み入れた。その頃、私の徳利も三本か四本目になつてゐて、かなりにもう醉つてゐた。で、老爺のコツプの空《す》くのを待つて私の熱いのをついでやつた。そのあとにまた一人、同じ樣なコツプ酒の男が來て――彼等はこれを毎日の樂しみとしてゐるらしかつた――それも同じぐ圍爐裡に並んだ。そのうちに晝間の竹細工屋が裾長く着物を着てにこ/\しながら入つて來た。

 

 十月十一日 快晴

(34) 眞暗な闇の中に眼の覺めた時は、惡酒の後の頭の痲痺で一切前後の事が解らなかつた。何處に寢てゐるのかも、どうしてゐるのかも一向に解らなかつた。用便を催して眼が覺めたのであつたが、それすらどうして果していゝか解らなかつた。そのうちに雨戸の節穴らしい明るみが眼についた。それで漸く昨夜自分の泊つた場所と事情だけは解つた。とりあへずその節穴をたよりに起き出して、手さぐりに雨戸をあけた。

 戸外は月かとも思はれる星月夜であつた。或は月が何處かに傾きながら照つてゐたのかも知れぬ。眼の前の笹の山から空にかけてくつきりとよく見える。そして骨にしみる寒さである。用便を濟まして雨戸をそのまゝに床に來てみると、枕許には手燭も水も置いてあつた。灯を點けて時計を見ると丁度二時半であつた。續けざまに氷つたやうな水を飲んでゐると、老婆が次の間から聲をかけた。聞けば、昨夜竹細工屋の來たのを最後に私の記憶は切れてゐるのであるがその後また一人村の男が加はつたのださうだ。そして老婆の止めるもきかずにそれらの人に酒を強ひて、果ては皆醉拂つて自身初め他の人まで唄など唄ひ出したのださうだ。そのうちに自分は足を榾にかざしたまゝそこに眠つたのを竹細工屋が抱いてこの床の上に連れて來たのだといふ。

 三時を過ぎると老婆も私も起き上つて爐に火を作つた。そして、お茶代りにまた一本つけて貰つて、老婆と話しながらちび/\と飲んで夜の明けるのを待つた。昨日の夕方煮て貰つた豆が今(35)朝はしみじみとうまかつた。二つかみほど分けて貰つて持つて歸ることにする。漸くほの/”\と明るんで來るのを待つて老婆は通りに向つた戸をあけた。冷たい空に富士はいち早く明けてゐた。全く、拜み度い日和である。

 老婆に別れてその十里木の里を出た。まだ何處でも眠つてゐた。總てゞ十七戸あるといふその村も見たところではほんの七八軒にすぎぬ樣にしか見えなかつた。他は大方掘立小屋に近いもののみであるのだ。富士に日のさして來るのを樂しみながら、自から小走りになる坂道を面白く下つてゆく。道は富士と愛鷹との間の澤を下るのだが、昨日より谷あひが狹かつた。露を帶びた芒の原では鶉が頻りに啼いた。

 一里ほど下つたところに十里木より少し大きい部落があつた。世古辻《(せこのつじ》といふ。そこからはもう駿河灣の一部が望まれた。そして靄に眠りながらそのあたり東海道の沿岸が見えて來ると、僅か一日か二日あゝした處を歩いて來た後でも言ひ難い嬉しさが湧いて來て、漸く心の安堵するのを覺えた。

 そこから吉原に下るのが最も近く道もよいのださうだ。餘程さうしようかと考へたが、矢張り初め考へた通り、そこから斜めに見渡さるゝ裾野を横切つて大宮町に降りてゆく事に決心した。四里あまりあるといふ。

(36) それから四時間ばかり、殆んど淺い森の中を歩いた。折々仰いで見る富士の形も次第に變つて、一二度ならず道をも違へた。道と出水のあとのかさな谷とがすべて白茶けた小石原となつてゐてどれがどれだかよく解らないのである。よく/\迷つて來れば何はともあれ左手に降りてゆきさへすれば開けた所に出られるといふ心があるので、迷つたのも構はずに歩いたりした。灌木林が盡き、杉林となり、桑畑となり、やがて茶畑となる頃になつて初めて人家を見た。その邊一帶の裾野はいま頻りに開墾中だとのことで、家のない前科者や、トロール船に追はれて生計を失つた小さな漁師たちが寄つて一つの部落を成しつゝあると聞いてゐたのであつたが、通りがゝりにはそれらしい所も見えなかつた。たゞ、或る村を通りかゝると路傍に小さな小學校があつてその門札に何々村開墾地分教場と記してあるのを見た。教場と同じ棟の端に先生の家族の居宅が設けられて、生徒の遊んでゐる庭に張物の板の乾してあるのなどは、自分の生れた村の學校などが思ひ出でられて可懷《なつか》しかつた。村は極めて直線的に斜めに傾いた大平野の一點に當つてゐて、そこからは斜め上に富士が見え、斜め下に駿河灣が見下された。

 その邊に来ると宿醉《ふつかよひ》と空腹と惡路とにすつかり勞れ果てゝ、脚も痛み、時々氣の遠くなるのを覺えた。大宮の町に降りたらば早速旅館兼料理屋といふ風の家を探してとにかく大いに喰ひ飲み且つ一睡りしたいものと咽喉を鳴らしながらふら/\と急いだが、なか/\にはかゞ行かなかつ(37)た。富士は微笑んだ樣に大きく高く眞上に聳え、遙かの麓の平野にはその大宮の町がいつまでもほの白く小さく見えてゐるのであつた。

 

(38) 溪より溪へ

 

 四月六日

 熊谷で乘換ふべき秩父鐵道の發車時間がこの四月一日とかから改正されて、一時間あまり待たねばならぬことになつてゐた。で、驛から近くの土堤に出て見る。

 櫻が大分色めいてふくらんでゐた。しつとりと雨氣をふくんで垂れ下つた大空の雲の下だけに一層そのうす紅が鮮かに眼に沁《し》みた。この土堤の櫻は大抵が、みな重々と枝を垂れて、枝いつぱいにうるほひのある大きな蕾を持つてゐるさまは却つて滿開の時よりも靜かでいゝと思つた。花を見るとも見ぬともつかぬ人たちがめい/\に傘を持つて堤のうへを往來して居る。私もふら/\と櫻の木の盡きるはづれまで歩いて行つた。そして、川原に降りて砂のうへに暫く腰をおろす。

 眼のまへの廣々した川原から、その向うに續いた平野、それらの涯を限つてずつと低く山脈が垣をなしてゐる。山には一帶にほの白い雲が懸つてゐた。ずつと遠くの、見覺えのある越後境あ(39)たりの高山には却つて淡い夕日が射して、そこの殘雪を照らしてゐた。近々と雲の垂れた空にはしきりに雲雀が啼いて、廣い川原には砂を運ぶトロが何かの蟲の樣にあちこちと動いてゐる。

   乘換の汽車を待つとて出でて見つ熊谷土堤《くまがやどて》のつぼみざくらを

   雨ぐもり重きつぼみの咲くとして紅《あか》らみなびく土堤の櫻は

   枝のさきわれより低く垂りさがり老木櫻の蕾しげきかも

   蟻の蟲這ひありきをりうす紅《べに》につぼみふふめるさくらの幹を

   雨雲の空にのぼりて啼きすます雲雀はしげし晴近からむ

   まひ立つと羽づくろひするくごもりの雲雀の聲は草むらに聞ゆ

   身ふたつに曲げてトロ押す少年の鳥打帽につぼすみれ挿せり

   をちかたに澄みて見えたる鐵端の川下うすく夕づく日させり

 

 小さな汽車が寄居町を過ぎると、谷が眼下に見え出した。數日來の雨で、水量は豐かだが、薄く濁つて居る。青白く露出した岩床いつぱいに溢れて、うねりながら流れて居る。對岸の山腹には杉山とまだはつきりと芽ぐまぬ雜木林とが諸所に入り混つて、その間の畑の畔などに梅の老木とも彼岸櫻とも見ゆる淡紅色の花がをり/\眼につき、峰には雨を含んだ雲が垂れ下つてゐて、(40)いかにも春の夕暮らしい。

 波久禮、樋口、本野上などの停車場を過ぎる間、暫くけはしい溪に沿うてゐたが、やがて桑畑の中に入つて寶登山驛に着くと私は汽車を降りた。そして車中で聞いて來た溪喘の宿長生館といふに行く。藝者なども置いてある料理屋兼旅館といふので多少心配して來たのであつたが、部屋に通されて見ると意外にもひつそりしてゐる。障子をあけると疎らな庭木立をとほして直ぐ溪が見えた。荒々しい岩のはびこつた間に豐かに湛へて流れて居る。汽車づかれの身でぼんやり縁側に立つてゐると、瀬の音がしみ/”\と骨身に浸みて來た。

 湯を訊《き》くと、いまは客が無いので毎晩は立てずに居る、ツイ近所に親類の宅があつて其處に立つてゐるから案内しますといふ。二三丁の所を連れられて其處へ行く。少しぬるいから、とて茶の間の樣な部屋で待たされた。見れば三味線などが幾つも懸つてゐて、それらしい着物も散らばり、ちやうど夕暮時で若い女が幾人も出たり入つたりしてゐる。藝者屋だナ、と私は思つた。白粉くさい湯から出て、それでもほつかりしながら、宿屋の小娘の提げた豆提灯の灯影をなつかしく思ひつゝ泥濘《ぬかるみ》の道を歸る。初め通る時には氣のつかなかつた梅の花片が、泥濘のうへにほの白く散り敷いてゐるのが幾所でも眼を惹いた。

 廣い建物のなかに今夜の客は私一人であるのださうだ。飲まうと思つたゞけ酒を豫《あらかじ》め取り寄せ(41)て置き、火鉢に炭をついで自ら燗を爲ながらゆつくりと飲む。そして思ひがけなく久しぶりの旅心地になることが出來た。

 

 四月七日

 實によく睡れた。少し過ぎたかと思つた酒も頭に殘つてゐない。かつきりと眠が覺めると、枕もとのガラス戸ごしに、まだ充分明けきらぬ空が見ゆる。たしかに青みを帶びた空だ。この幾日、隨分と雨に苦しめられたので、眼のまよひかと思はれたが、確かに晴れてゐる。

 起き上つて縁側に出て見ると、矢張り晴れてゐた。まだ日の光のとほらぬ青空に風の出るらしい雲が片寄つて浮んではゐるが、實に久しぶりに見る爽かさである。少し寒いのを我慢して立つてゐると何處で啼くのか實にいろ/\な鳥が啼いてゐる。彼等もこの天氣をよろこぶらしい。そして昨夜とはまた違つた瀬のひゞきである。

   溪の音とほく澄みゐて春の夜の明けやらぬ庭にうぐひすの啼く

 

 宿の者の起きるのを待ちかねて顔も洗はず、一人川原に降りて行つた。宿のツイ下から長さにして約二三丁、幅五六十間の廣さの岩床が水に沿うて起り、二三間の高さで波型に起伏してゐ(42)る。その對岸はやゝ小高い岩壁となつて、其處に小さな瀧も懸つて居る。溪の水は濁つた儘かなりの急流となつてそれらの岩の間をゆたかに流れてゐる。此處がいはゆる秩父の赤壁とか長瀞とか耶馬溪とか呼ばれてゐる所なのである。唯だ通りがかりに見るには一寸眼をひく場所だが、そんな名稱を附せられて見るとまるで子供だましとしか感ぜられない。繊道經營者たちの方便から呼ばれた名稱でゞもあらうが、若しそれらの名からさうした深い景色を樂しんで行く人があつたとすると失望するであらう。私は先づ適當に豫期して來た方であつた。多少オヤ/\とは思つたが、落膽するといふほどでもなかつた。

 何よりうれしいのは此朝の靜けさであつた。朝じめりか雨の名殘か、うす黒くうるほつた岩の原に木や枝の形から粉米櫻に似た小さな白色の花が其處此處とむらがり咲いて、まだ日のささぬ間の春の朝の冷たさが岩の上から水のおもてに漂うて居る。對岸の斷崖を滴り落つる細い瀧のひびきが、遠近《をちこち》におほらかに滿ちてゐる川瀬の音のなかに濁り澄んでゐるのも靜かである。

   きりぎしの向つ岩根にかかりたるちひさき瀧のおとは澄めれや

 

 宿に歸ると部屋の掃除が濟んで、障子が悉く開け放つてあつた。朝日は私の部屋の眞向うの峰の蔭から昇るのである。峰の輪郭が墨繪の樣に浮いて、その輪郭に沿うて日光が煙の樣に四方の(43)空に散つてゐる。そして、程なく柔かな紅みを帶びたそれが、私の坐つてゐる縁側の柱の根にまで落ちて來た。縁は東に向ひ、南に向いては窓があつた。窓さきにはまだ充分に伸び開かない楓のわか葉がいよ/\柔く見えながらその鮮かな日光のなかに浮んで居る。まだ寂びの出ぬ新しい庭さきには荒い砂土のうへに蕗の薹が白い花となつて幾つも散らばり、海棠の花も昨日今日漸く咲いたらしい鮮紅なのが二三輪珍しい日光を吸つてゐる。漸く私の身のたけ位ゐのわか木の梅が二本、川原に下る崖の頭に褪せながら咲いて、あたりの濕つた地にいちめんに花びらを散らしてゐる。その梅の木の根がたに、恰度きら/\輝きながら豐かな溪のながれは眺められた。

   部屋にゐて見やる庭木の木がくれに溪おほらかに流れたるかな

   朝あがり霑《うるほ》へる庭に一もとのわか木の梅は花散らしたり

   朝づく日さしこもりつつくれなゐの海棠の花は三つばかり咲けり

   眞青なる笹のひろ葉に風ありて光りそよげり梅散るところ

 

 櫻の咲かうといふ季節に、實に根氣よく今年は雨が降り續いた。つく/”\それに飽き果てた末、何處でもいゝから何處か冷たアいところへ行きたい、さう思ひながら昨日の朝、まだじめ/\と降つてゐるなかを私は自宅を出たのであつた。そして友人を訪ねて、地圖を借りたり、行先(44)を相談したりして、兎も角も東京を離れて見度いばつかりに此處まで出て來たのであつた。今朝のこの晴、この靜けさは實に私には拾ひものゝ樣にも嬉しいのである。冷たいといふ感じには少し明るすぎもし、柔かすぎもするが、兎に角に難有い。

 まつ白な飯の盛られるのを見てゐたが、どうもそれだけ喰ふのが勿體なく、斯んな朝だけに醉つてはいけないと思ひながら私は酒を註文した。そして自身も、膳も朝日のなかにさらされながら、眩しい樣な氣持で私は思ひついたことがあつた。我等の歌の社中の一人で今度日本郵船會社の紐育支店詰になつて渡米する青年がある。それに何か餞別をしたいといふ樣な事からなまじな品物を贈るより、二人して何處ぞ靜かな所へ一泊位ゐの旅行をする方がよいかも知れぬと思ひ、その青年にも話して置いたのであつた。これは此處に遊ぶに限る、早速電報を打たうと思ひ立つた。そして女中を呼んで用紙を頼むと、この村では電報は打てないといふ。郵便局も無いのださうである。

 思ひ立つた事が齟齬すると何でもないことにもひどく心の平靜を失ふ性癖が私にはある。今朝もそれであつた。膳を下げさせて、また庭から川原に降りて見たが何となく眼前のものに先刻ほどの親しさが覺えられない。部屋に歸つて地圖をひろげながら、もう少し溪奥へ、三峰山《みつみねさん》のあたりまでも行つて見ようかと思つたりし始めた。それにしては少しゆつくりしすぎたが、兎に角秩(45)父町まで行つて見よう、都合ではまた今夜此處へ引返して來てもいゝなどゝ思ひながら、その宿を立ち出でた。

 汽車を待ちながら日のあたる停車場の構内をぶら/\してゐると、風の出るらしい雲も次第に四方の峰々に下りて行つて、多少の曇を帶びては來たが、うらゝかな日和である。このあたりは――秩父の盆地とでも云ひたい所であるが――何となく甲斐の平野に似て、やゝ小さい感じのする所である。溪の流域に沿うて狹い平地があり、その四方をさまで高からぬ山脈が赤錆びた色をして繞《めぐ》つて居る。甲斐ほどすべてが荒くないだけに落ちついた感じをも持つ。謂はゞけふの樣な梅日和によくふさふ國である樣に思はれた。梅といへば、小さな停車場の建物をとりまいて澤山の紅梅がさかりを過ぎたままいつぱいに咲き散つて居た。私一人の乘つた小さな車室にも柔かな日が流れてゐた。暫くまた溪に沿うて走る。ゆく/\其處此處と梅の花のみが眼につく。挑もあるが、これはまだ眞盛りとは云へない。東京と比べて季節の遲れてゐる事が解るが、眼前寒いなどゝは少しも思はれない。

   わが汽車に追ひあふられて蝶々の溪あひふかくまひ落つるあはれ

   山窪に伐り殘されしわか杉の森は眞青き列をつくれり

(46) 秩父町の停車場前の茶店に寄らうとすると恰も其處に一臺の馬車が出立しかけてゐるところであつた。そして三峰へ行くのなら早く乘れ、と私に聲かけた。好都合ではあるが、同じ行くにしても今日は私は歩き度かつた。迷つてゐると、早く行かないと泊る所も無くなるといふ。今日と明日とかゞ山の祭で縣知事の參詣もあるのださうだ。それと聞くと私はまた落膽《がつかり》した。そして喜んだ、早く此處でそれと聞いてよかつた、向うへ行つてさうした場合に出會つたのでは嘸ぞ困つたらうと思へたからである。手を振つて馬車を斷り、茶店に寄つた。

 地圖をひろげながら、私は餘り苦しまずにまた新しい行程を立てた。三峰行の代りにこの内秩父から外秩父の飯能町に出るか、若しくはもう一つ向うの青梅《あうめ》地方に出ようといふのである。いづれにしても一つ乃至二つの峠を越さねばならぬ。茶店の老人を相手にいろ/\考へた末、道も細く山も險しいといふ妻坂峠を越えて名栗川の方へ出る事に決心した。そして明日は一つ小澤峠を經て多摩川の岸に出ようと。さうなると少しも時間が惜しいので、急いで辨當を拵へて貰ひ二合壜や千柿などをも用意してあたふたと其處を出た。

 素通りでもして見たいと思つた秩父見物を諦めて停車場横から直ぐ田圃路《たんぼみち》に出た。耳につくのは梭《ひ》の音である。町はづれの片側町の屋並から、または田圃の中に立つ古びた草屋から、殆んど軒別に機を織るその音が起つて居る。男女聲を合せて何やら唄つてゐる家もある。幾らか曇りか(47)けた日ざしにも褪せそめた梅の花にも似つかはしいその音色である。それに路傍の水田から聞えて來る蛙もまたなつかしかつた。小さな坂を登るとうす黒くものさびた秩父の一すぢ町がやゝ遠く見下された。

   秩父町出はづれ來れば機織の唄ごゑきこゆ古りし屋並に

   春の田の鋤きかへされて背水銹《あをみさび》着くとはしつつ蛙鳴くなり

   朝晴のいつか曇りて眞白雲峰にふかきにかはづ鳴くなり

   桐畑《きりばた》の桐の木の間に植ゑられてたけひくき梅の花ざかりかも

 

 茶店を出たのが十時半であつた。此頃あまり元気でもない身體にこれから峠一つを越えて夕方までに七里の道はかなりの冒險である。心細く思ひながら幼い興味に追はれて急いだ。一里ほど行くといよ/\路は右に折れて杉の深い峽間《はざま》に入込んだ。清らかな小溪が湛へつ碎けつして流れて居る。路は斷えずそれに沿うて登つてゆくのである。峽間の右手に武甲山といふ附近第一の高山が聳えて居る。地圖には千三百三十六米突の高さと出て居るが、頂上からは遙かに品川の海東京の市街が見えるさうだ。斑らに白く仰がるゝのは雪らしい。其處までも登つて見度い氣で急いだ。

(48) が、矢張り身體が駄目だ。二時間ほども登つて來るとびどく疲れてしまつた。そして頂上までは我慢しようと思つてゐた辨當を途中で開く事にした。十二時をば夙《と》うに過ぎてゐたのである。渓が或る場所で瀧の樣に落ちて來て岩と岩との間に狹いけれど深い淵を作つてゐる所があつた。岩と水との間に約三尺四方位ゐ眞白な砂が溜つて乾いてゐた。其處へ路から降りて行つて席を作つた。岩の蔭、岩の裂目、砂原の隅などにいちめんに土筆が萌え立つて居る。その間に蕗の花の白いのも見ゆる。岩の蔭に動いてゐる風は冷たいが、それでも薄い日が正面から射してゐた。實に心たのしく二合壜の口を開く。淵の水面に近く何やらの羽蟲が數多まひ交はしてゐる。それを目がけて小さな青笹の葉の樣な小魚がをり/\飛び上る。それをうつとりと身近に眺めながら冷たい酒を飲んでゐると、心が次第に暖く靜かになつて來た。飛沐《しぶき》を擧げて居る水のひゞきも何となくやはらかな思ひを誘ふ樣で、眼の前からすぐそゝり立つて峰まで續いてゐる眞青な杉の林も、狹間の空にほの白く浮んで居る雲の影も、みな靜かな明らかな春のはじめの調子をなして居る。

 砂のうへに置いた時計の針にせかれて、其處を立ち上る時はまつたく名殘惜しいおもひがした。一生のうち二度と此處に來べき自分でない、といふ樣なことなどまで涙ぐましく心の奥に思ひ出されてゐた。

(49)『左樣なら、左樣なら。』

 と口に出しながら、またうす暗い杉の蔭の路を歩き出した。ほどよい醉と、辨當の荷の減つたためにまた暫く元氣よく急いだ。

   下拂ひ清らになせし杉山の明るき行けばうぐひすの啼く

   つぎ/\に繼ぎて落ちたぎち杉山の峽間《はざま》の渓は遙けくし見ゆ

   岩がくれ落ち落つる水は八十《やそ》にあまり分れてぞ落つ岩あらき渓に

   めづらしき大木の馬醉木山渓の斷崖《きりぎし》に生《お》ひて咲き枝垂《しだ》れたり

   冬咲くはおほかた白く黄色なるもろ木の花の此處にまた咲けり

 

 武甲山の頂上に在るといふ武甲神社の一の鳥居の所までは殆んど杉の蔭のみを歩いて來た。路もぬかつてゐたが割合にいゝ路であつた。が、其處からは急に林が斷えて路幅も狹く險しくもなつた。今まで斷えずその側に沿うてゐた渓の流がその邊からは殆んど形をなさぬ程に小さくなつたことも何となくさびしかつた。今まで我慢しい/\履《は》いて來た日和下駄をぬいで、跣足《はだし》になりながら這ふ樣にして登る。いよ/\勞れて來ると、自分の知つてゐる唯一の藝である伊奈節を聲に出して唄ひながら登つた。その間がかれこれ十四五丁もあつたであらう。辛うじてその妻坂峠(50)の頂上に出る事が出來た。時計は三時であつた。

 頂上にはかなり冷たい風が吹いてゐた。遙かに遠くの空を限つて居る上州信州甲州あたりの連山には寂しい日の光の下にみな白々と雪が輝いて居る。眼の前には武甲山の尖つた蜂が孤立して聳え、その山とこの峠との間に見下される麓には秩父の平野が溪のなりに狹く遠く連つて居るのが見ゆる。峠の南面には名栗川の流域が樹木の深い幾つかの小山となつて、夕づきかけた日光にうち煙つて眺められた。この峠の高さは八百三十九米突あるのださうだ。

 下りは路はよかつたが、足の痛みは段々はげしくなつた。思ひもかけぬ山深い所に一軒家の樣な家があつて、路を訊くに便利であつた。

   菅山のいただき近く枯菅の枯れなびくところ岩が根の見ゆ

   春あさみいまだ芽ぐまぬとほ山の雜木の林見つつさびしき

   山深きかかる溪間に棲み古りて植ゑにし梅の花ざかりかも

 

 足の痛みに泣顔をしながら降りてゐると、思ひがけなく背後から來て聲をかける人があつた。見ると夏のインバネスを羽織つた中年の紳士態の人である。彼も同じく秩父町から越えて來たのであつた。暫く話して行くうちに、私はこの人が今度この山の麓の名栗村の小學校から昨日私の(51)汽車で過ぎて來た青梅町の川向うに、二三里引き込んだ某村の小學校に轉任になつた校長である事を知つた。

『どうも秩父は不便な所でしてネ、此處から其處まで家財を運ぶにすべて東京經由にしなくてはならないのです。』

 といふ。成程さう聞くと大變なことである。確かに十倍か廿倍の廻り道をせねばならぬわけだ。それから種々と秩父に就いての話を聞く。この名栗川一帶は村としても財政が豐かで人情も厚いが、今度の轉任先は埼玉縣でも有名な人氣の荒い所だなどゝいふ話も出た。

 道連の出來たお蔭で割合に早く麓の村に出た。村に辿り着いた所に小さな小學校が建つてゐたが、其處に暇乞に寄ると云つて校長は別れて行つた。峠のこちら側もすぐと溪に沿うて下りて來たのであつたが、麓に着くとそれよりは大きな溪流が他の峽間から流れて來てゐた。即ち名栗川である。其處の岸には眞新しい材木が一杯積まれてあつた。其處此處の山から、また溪から持ち運ばれたものに相違ない。私はまた一人になりながらその溪に沿うて尚ほ三里ほどの道を歩かねばならなかつた。こちら側の溪間は内秩父の方より氣候も幾らか暖いとみえ、同じく到る所に見かけらるゝ梅の花があらかた既《も》う褪《あ》せてゐた。

   楢の落葉まだ散り殘る山かげの畠のくろに蟇《ひき》のなくなり

(52)   假橋のひた/\水にひたりたる板の橋わたり梅の花見つ

   谷の端《ハタ》褪せし老木の梅に隣り一もとの梅は眞さかりにさく

   春立つとけしきばみたる磐蔭の裸木の根を水の洗へり

   岩ばかり土の氣もあらぬ溪合の岩のうへの木芽ぐみたる見ゆ

 

 午後七時、名栗街道から三四丁折れ込んだ峽間の杉山の蔭の鑛泉旅館に漸く辿り着くことが出來た。その時はもう階子段を上るにも手離しでは登り得ぬ程疲れてゐた。

 

 四月八日

 今朝の眼覺にもさやかな溪の音が聞えてゐた。天氣を氣づかひながら床から出て窓の雨戸をあけて見ると、雲は深いが降つては居らぬ。戸をあけたまゝまた暫く床に入つてけふの事を考へる。大きな杉の生《お》ひ茂つた小山の峰が寢ながらに見えて矢張り靜かな旅心地である。

 昨日の豫定では今日は此處から小澤峠を越えて多摩川の上流に出る筈であつた。が、もう昨日だけで山みちは澤山である。珍しいランプの灯を枕もとに仰ぎながら睡れもせぬ程昨夜は疲れ過ぎてゐたのであつた。足も痛い。いつそ今日は此處でゆつくりと休んで、明日の氣持で多摩川へ(53)なり、また名栗川に沿うて飯能へなり出る事にしようときめた。

 やがて日が薄らかに射して來た。藪鶯がしきりに啼く。八時になると湯が沸いた。ラヂウムだといふ事で、リウマチによく利くさうだ。唯だ、小ぎたないのに弱るが、斯うした鑛泉の常だと思へば濟むわけである。宿の前をさゝやかな溪が流れ、岸に竝べて植ゑられた紅梅の花が斷間なくその淺瀬に散つてゐる。私の泊つたのは名栗館といふので、其處から三四丁杉の峽間を奥へ入るともう一軒湯基館といふやゝ大きい宿屋があるがいまは休業してゐた。その邊まで散歩をしたり、歩き/\書きつけて來た一昨日からの歌を見直したりしてゐるうち晝になつた。

 晝前から少し催してゐたが、正午になると村の人たちらしいのが大勢繰り込んで來た。それら老若男女が湯殿で騷ぐ、座敷で騷ぐ、小さな疎末な宿屋がめき/\いふ程騷ぐのである。

 そして中の若者が、お釋迦樣さへ甘茶にだまされまつぱだかといふ樣な唄を呶鳴るのを聞いて思ひ出すと、けふは四月八日である。道理でこの休日を彼等は斯うして騷がうといふのだ。

 また豫定を變へて私はその宿を出た。とても彼等とおつきあかが出來さうにないからである。そして痛む足を引きずり/\四里の道をずつと名栗川の岸に沿うて飯能町まで歩いた。難有いことに日は次第によく晴れて、路傍到る所につき坐つて休んでも惡い心地のせぬ麗日となつて呉れた。

(54)   何やらむ羽蟲の群のまひむれて溪ばたの梅の花につどへり

   白梅の老木の花はあらき瀬のとびとびの岩に散りたまりたり

   ひろき瀬の流れせばまりしらじらと飛沫《しぶき》うちあげ山の根をゆく

   清らけき淺瀬ながらにうねりあひて杉山の根に流れどよめり

   白々と流れはるけきすぎやまのあひの淺瀬に河鹿なくなり

   杉山に檜山まじらひ眞青くぞ花ぐもり日をしづまりて見ゆ

   草の芽を口にふくみてわが吹ける笛のねいろは鵯鳥《ひよどり》の聲

   ところ/”\枯草|生《お》ふる春の日の溪の岩原に鶺鴒の啼く

   谷堰きて引きたる井手の清らかに流れつつ啼く蛙は聞ゆ

   蛙鳴く田なかの道をはせちがふ自轉車の鈴鳴りひびくかな

   黒々とおたまじやくしの群れあそぷ田尻の水は淺き瀬をなせり

 

 七時發の終列車に漸く間に合ひ、池袋を經て家に歸つた。勞れ切つて歸つた身に、妻の顔が明るく映つた。

 

(55) 四月九日

 朝、眼がさめて机の側の窓をあけるとツイ眞向うの櫻の大木が、二三日溪から溪を廻り歩いて來た間に實にうらゝかに咲き垂れてゐた。


(56) 落葉松林の中の湯

 

 信州星野温泉は淺間山の南裾野一帶にひろがり渡つてゐる落葉松林《からまつばやし》の端の方、信越線沓掛驛から北へ二十町ほど入り込んだ所にある。落葉松林の奥から流れ出た溪流に沿うて温泉宿が唯だ一軒あるのみだ。輕井澤驛からこの邊にかけては信州のうちでも最も寒氣が烈しいと云はれてゐる處だけに、殆んど夏場のみを目的に經營せられてゐる樣なもので、私が初めてその名を教へられて出かけて行つたのは今年の十月末であつたが、ひよつとするともう休業してゐるかも知れぬからよく沓掛で樣子を訊いて入り込むがよいと言はれた程であつた。温泉と云つても湧き出した湯の温度が低いために火を焚いて温めてゐるのだ。行つてみると休んではゐなかつた。雪が積つても休まないさうである。その頃は恰度農閑季に入るので附近の農夫達でもやつて來るのであらうと想像された。湯は胃腸によく利くと云ふ。

 注意せられた通り沓掛驛で降りると直ぐ驛員に同温泉の事を訊いて、では汽車ごとに其處から馬車が來てゐる相だが、と更にたづぬると若い驛員は笑ひながら、いゝえそれは夏だけのことで(57)すと答へて歩み去つた。馬車どころか近所を探しても人力車一つ無かつた。爲方なしにやゝ大型なトランクを提げて昔は中仙道でもやゝ著名であつたその沓掛の寂びはてた宿場を出はづれると、路は玉菜の作つてある畑を過ぎて直ぐ落葉松の間に入つた。十月の末、この邊のこの樹木は半ば既に落葉してゐる。散り殘りのその黄葉《もみぢ》もすつかり褪せ果てゝ、眞直ぐな幹と細かい枝とがはつきりと見透され、廣い林の中も極めて明るい。その奥にこの宿場の飲食店の酌婦らしいのがただ獨りで腰を屈めて頻りに何かあさつてゐた。茸らしい。先刻通りすぎた或る家の前にも蓆一杯に小さなしめじが乾されてあつた。泥濘の乾き切らぬ路にはこまごました落葉が眞新しく散り敷いてゐるのだ。

 ツイ右手に起つて居る溪の響をなつかしく聞きながら、午過から照り出した薄暖い日光を背に受けてぼんやりと歩いてゐると、間もなく林を拔けた。其處に一軒の茶店があつて、庭の隅に一臺の俥《くるま》が置いてある。聲をかけると内儀らしいのが此方には返事をせずにあらぬ方を向いて何か言つた。すると一人の若い男がその茶店の一部になつてゐる鍛冶場の奥から出て來た。爲事を爲てゐたと見え、手には何か光つた金屬の棒を持つてゐた。私等(私は若い學生を一人伴つてゐた)を見るといかにも在郷軍人らしいお辭儀をしてやがてその俸を持つて來た。一臺きり無いので學生は遲れて歩かなくてはならなかつた。もつとも荷物さへ無くば私でも歩き度い日和なり路(58)なりではあつたのだ。

 俥はすぐ溪に沿うた。溪の向うは例の寂びはてた廣大な落葉松林で、白々と石の露《あらは》れてゐる其處此處には枯薄が叢を作つて、その蔭からこの蔭へと眞白な水泡《みなわ》をあげながら氷つた樣に流れて居る。ああ久しぶりに聞くその寒い、ほしいまゝな水のひゞき!

 

 さうした覺束ない寂しい場所を選んだのは、其處にひつそりと籠つて是非この十日ほどの間に爲《し》上げねばならぬ或る爲事《しごと》を持つてゐたからであつた。それに温泉場ならば此頃また起つて居る持病の痔の痛みを我慢するにも都合がよいといふ理由もあつた。で、其處がよし休業してゐないとしても、その温泉宿の模樣がこの目的に添はぬ樣ならば直ぐにも其處を出て他の場所、更に靜かな温泉場を選ぶつもりであつたのである。二階の部屋に案内せらるゝと直ぐ私は坐りもせずに一方の窓の障子をあけてみた。落葉松が十本ばかり、ツイ軒さきに沿うて寂然《じやくねん》と立つてゐる。それの落葉は障子の根方から板屋根いちめんにまで褐色鮮かなまゝに散り渡つてゐる。その木立を透いて溪の枯薄原が見え、木立の上には早や夕づいた山の雲が寒い紅色を宿して澱《おど》んで居る。一方の窓を引きあけると例の溪の水が小さく寄り合ひながら白々と流れ下つて、向うの山腹には夕日の影が黄葉を染めて漂つて居る。

(59) 其儘窓に腰かけて何といふ事なく頭痛に似た疲勞を覺えて居ると、その夕日の射して居る邊に啼く樫鳥の聲が烈しく溪を越えて聞えて來た。相距てゝ啼くらしい幾羽かの鳥の烈しい聲と水の響とのほか唯だはつきりと寒さが身に浸みるのみで、何の物音も何の人聲も聞えて來ない。

『これはいゝ所だ、ねエ君、此處に定《き》めませうよ。』

 私は遲れて着いた學生の顔を見るなり眠が覺めた樣な氣で斯う呼びかけた。彼も出來たら短い小説なり書いて行きたいと言つてゐたのである。

 私の樣な怠け者が早速その翌日から爲事《しごと》にかゝつた。東京ではその頃馬鹿に雨が續いて、現に信州へ向けて立つて來る朝までもじめ/\と降つてゐた。それが碓氷《うすひ》を越ゆる頃から晴れて滯在中大抵はよく晴れてゐた。初め一方の窓の障子にあたつてゐた日光はやがてまた他の一方に移つて、折々窓をあけてみると溪の流は眩い樣に終日光り輝いてゐるのだ。勞れると湯に入つた。湯は朝の八九時頃から沸いて、時に熱かつたりぬるかつたりするが、とにかく大變に温まる湯である。湯殿が廣くて明るいのも氣持がよかつた。季節だけに湯治の客と云つても二三囘やつて來た團體を除いて常の日は私等のほかに三人ほどしかゐなかつた。

 湯から出て來て專念に筆を執つて居ると、何處でかよく冴えた音いろでかすかにかん/\、(60)かん/\といふ風な音が聞ゆる。幾度も重なるので氣をつけてみると日があたつて張り切つて居る障子からその音は出て來てゐる。筆を持つたまゝぢつと見てゐると、それは庭の落葉松の落葉が風に吹かれて飛んで來てはその障子にあたつて音を立てゝゐるのである事が解つた。思はず立ち上つて障子を開くと、それこそほんとにちひさな生きものゝ樣に群つてたけ高いその梢から枝のさきからいつせいに散りなびいてゐるのであつた。

 

 東南に溪をめぐらしたその宿の北には小さな岡がある。例により全部落葉松のみが生えてをる。散歩に出るには初めの日に通つて來た樣に溪に沿うて沓掛の方へ出るか、またはこの岡を越えて更に無限に打開けた裾野の林の中に入り込むかするよりほか行く處がない。餘りの麗かな日光に誘はれて或る午前私等は庭の大部分を占めて居る廣い池の側を通つてその岡へ登つて行つた。岡には落葉松の間に宿の別莊風の家が三四軒立つてゐる。雨戸はみないづれも固く閉されてあるのだ。庭木として植ゑられた楓が濡れた紅ゐを湛へて寂びはてた庭のうへに散りみだれてゐる。石とも土ともつかぬ火山性の白茶けた土地のうへに散つてゐるだけにことにそれが眼に立つ。が、その楓も私等の行つた初め二三日の間だけが盛りであつたらしく、やがて惶しく散り失せてしまつた。

(61) 岡の背を超すとそれらの別莊と一寸建て樣の違つた一つの建物があつた。半分は和風、半分は洋風に建てゝある。見るともなく見ると門標に『山本畫室』としてある。少からず私は驚いた。友人山本鼎君の畫室が沓掛の附近に出來てゐるといふ事を聞いてはゐたが、思ひもかけぬ斯んな場合に見出さうとは思はなかつた。間違ひもなく見馴れた彼の筆蹟である。それを見てゐると、行違つて二三年も逢はずにゐる友の顔がまさしく其處に見える樣にも感ぜられて來た。雨戸は此處も閉されて川原の樣なその庭には側の林から吹き送らるゝ落葉松のおち葉が一面に散り敷いて、矢張り其處にも一本|眞紅《しんく》な楓が立つてゐた。

 林のなかに入つて行くと、今更の樣に今日の靜けさが身に浸んで來る。やゝ疎らになつた林の梢からはそれこそ誠に靜心《しづごころ》なく例のこまかい黄色い木の葉がはら/\はら/\と散つてゐるのだ。幾年かの間に散り積つた松葉のうへにいかにも匂ひ立つ樣に鮮かに散り重なりつゝあるのである。耳を澄せば散り合ふ音が何處といふことなしに林のなかに起つてゐるのが感ぜらるゝ。さうして、その落葉朽葉の薄れた邊に小さな茸が生えてゐる。たゞの白茶色のしめじと黄しめじとがとび/\に生えてゐる樣だ。その小さな茸の濕つた圓味のある笠のうへにもまた落葉松の葉は散り渡つてゐる。

 ぼんやりとその落葉するさまを見上げて立つてゐると、一寸には氣のつかなかつた松毬《まつかさ》より一(62)層小さいぼどの鳥が、ちい/\啼きながら葉の散る枝から枝を飛んでゐる。山雀《やまがら》らしい。氣がつけば其處にも此處にも殆んど林全體に渡つて細い澄んだ聲で啼き交しながら遊んでゐる樣だ。

 その岡の小さな林を通り拔けると其處には意外な大きい道路が通じてゐた。まだ最近開かれたらしく、後で聞いて知つたがそれは昨年あたりから着手せられた千ヶ瀧遊園地といふのゝ爲に設けられた道路なのだ相だ。その道ばたから眞正面に淺間火山が仰がれた。まる/\と高まつて行つたその山嶺にはその朝極めて微かの煙しか認められなかつた。しかもいつもの樣に白々と立ちのぼる事をせず、うらゝかに射した日光の下にやゝうすい紫を帶びた黝《くろ》さをもつて僅かの山の窪みを傳ひながら其處に纒《まつは》り澱《おど》んで居る。山の八合目あたりから下は一帶に植林地帶らしい褪《あ》せはてた黄葉《もみぢ》の原となつてゐる。

 道路を踏み切つて少許の荒野があり、それを過ぐるとまた例の林となつて居る。しかも既う何處まで行つても盡きさうもない深いそれとなつてをる。其處の縁の日向に遊んでゐると突然一疋の犬が馳け寄つた。そのあとから豫想の通り獵服の男が出て來た。雉子三羽と山鳩を二三羽打つて居る。二三服煙草を吸ひながら彼は立話をして行つた。

『どうも見ごとな落葉ですね。』

 私は又しても耳に入る林一帶のその微かな音色に心を取られながら彼に言つた。

(63)『えゝ今日はまだ風が少いからだが、少しひどい日に林の中を通つてゐると、まるで先の見えない位ゐ散つて來る事がありますよ、吹雪と同じです。』

 雉子の多いことだの、今年はさほどまだ寒くないことだの話してゐるうちに、犬は何か嗅ぎつけたと見え、烈しく尾を振りながら林沿ひの雜草の中へ馳け入つた。

 

 千ケ瀧遊園地といふへも或日行つてみた。この遊園地の目的は夏の避暑地を作らうといふのである。ツイお隣の輕井澤にも劣らぬ立派な處にしようといふ意氣込で着手したのだといふ。落葉松林の一部をやゝ薄くして、その林の中にとび/\に小さな貸別莊が幾つとなく建築せられつゝあつた。既に立派に出來上つてゐるのもある。来年の夏までには是非五十軒とか八十軒とかを作りあげる事になつてゐるさうだ。ずつと奥の方に溪に臨んで建てられて青く塗られた倶樂部と呼ばるゝ家などはなか/\立派なものらしかつた。

 遊園地の中央ほどに出來てゐる共同浴場も變つてゐる。其處此處に雪白な白樺の幹の立ち混つてゐる落葉松の林の中に玄關などには大理石を用ゐた小綺麗な建築で、内部には脱衣室と浴室とがあるきりで番人とてもついて居ずがらん洞だ。浴室は三面廣やかな明るい硝子張となつて居り、湯に浸りながら飽くなく林の風情を眺めらるゝ趣向になつて居る。私等の入つてみた時には(64)現に程よく湯が沸いてゐて、入浴隨意といふのだが、あまり明るすぎ、靜かすぎて、一寸裸體になる勇氣がなくて終つた。いま一つの特色はこの浴場には火を焚く場所がないといふ事だ。それは浴場から一町ほど離れた上手に釜を置き、其處で沸して地中をこちらに送る樣になつてゐるといふ。

 その日の歸り、極めて僅かの傾斜を持つた野のずつと下手の方から附近に似合はしからぬ一臺の幌馬車の走つて來るのを――そしてそのあとから幾臺かの人力車の續いて來るのを――不思議に思ひながら眺めたのであつたが、宿に歸つてからきけばその遊園地經營者が東京の何とかいふ華族樣を案内して連れて來たのであつた相だ。藝者衆をも束京から連れて來たのだ相だ。さう聞いてあの森閑たる林の中の浴場に眞晝間から湯のみが獨り沸いてゐた理由が讀めた。入浴隨意と書いてあつたのは平常の事で、今日お先に失敬しやうものなら大變な事になるのだつたねと私達は笑ひ合つた。それにしても――さうだ、あの倶樂部といふ家にもその時土地者らしくない若い女たちが頻りと廣さうな二階を掃除して或者は床の軸など懸けてゐるのを見たのであつた――あんな林のたゞ中でその夜どんな宴樂が催された事であらうと想ふとそゞろに微笑せずにはゐられなかつた。

四五日もゐるうちに日をきめて其處に泊つてゐる湯治客とはすつかり顔馴になつてしまつた。矢張り最初に推察した通り、全部で三人しか泊つてはゐず、みな胃の病《わる》い人のみで、中にも上州松井田の人といふ老人と私は浴室で落ち合ふ事を喜んだ。障子窓を透して日のよくさしこむ廣いながしにお互ひ裸體のまゝ汗を流しながら坐り込んで永い事話し合ふ事があつた。

『僅か三四人の客に終日斯う沸し通しにするのでは燃料だけでも大變でせうね。』

 と私がいふと、

『なあにネ、其處等にある落葉松ばかり焚いてるだから大層な事もありますまいよ、それにソラ宿の入口にある製板所も此處の宿でやつてるだから、彼處で出來る木の端片だつてなか/\のものでせうし、一度沸いてからなら鋸屑《のこくづ》の乾したのだつて結構間に合ひませうよ。』

 痩せた、田舍者らしくもない老人は靜かに斯う答へながら、

『近いうちに電氣で沸す樣にしたいものだと言つてますがね、うまく行きますか如何だか。』

 と附け加へた。

『それだけの電力を引くのはまた大變なものでせう、一體何處から斯んな所に電氣が引いてあるのです。』

 薄赤く煤けたランプをのみ寧ろなつかしい氣持で想像して來たのに、夕方ぱつと點つた電燈に(66)驚いたこの宿の第一夜の事を思ひ出しながら私が不審がると、老人は笑ふともなく笑ひながら、

『なあにネ、あの電氣は自分で起して使つてるのですわ。』

 といふ。

 飲み込めない顔をして彼の眼を見ると、

『ソラ、入口に製板所がありませう、その隣に小さな小屋があつて晝間はその屋根の側の樋《とひ》から水が落ちてゐますぢアろ、あの小屋が發電所で、自分の家で使ふだけの電氣をば彼處で起してるのですよ。』

 との事である。

『小さな機械でせうから幾らの電氣も出はしますまいがネ……、昨年でしたかあの横械に故障が起つて、東京からその道の技師を高い金を出して二人とか呼んだ相ですがネ、どうしても直らない、主人も既う諦めてゐた所へ、恰度泊り合せてゐた小諸町の時計屋の亭主が一寸私にも見せて呉れと言つて何かちよいといぢつた所がそれで急にまた以前の通りになつてまア今日になつてるのだ相ですがね、妙な事もあるものですよ。』

 斯んな話がいかにも面白く私には聞かれたのであつた。明暗常無き電燈もその話を聞いた夜からは何だかしみ/”\眺めらるゝ氣などした。

(67) 或日二階の縁側に出て日向ぼつこをしてゐた所へ背の高い、粗野ではあるが高尚な顔をした青年が突然その隣室から出て來て、あなたは若山牧水さんぢアないかといふ。意外に思ひながらさうだと答へると、自分は美術院のY――といふ者で今度山本さんの畫室を借りて此處に繪をかきに來てゐる、あなたの事は兼々山本さんから噂を聞いてよく知つてゐたが斯んな所で逢はうとは思はなかつたといふ。私も驚いた。食事をばこの宿へ來て喰べて、夜もその畫室に寢る樣にしてゐるのだ相だ。

 その人の行つてゐる時に私はその『山本畫室』を訪ねて行つた。そしてその室内にも入つて見た。何といふ明るさと靜けさと冷たさとを其處は持つてゐたことだらう。大きなストーヴと卓子と椅子ときりない極めて簡單なその室の一方の高い窓には、殆んど正面に淺間の禿山が仰がれた。そして窓から下はすぐ一つの溪間と落ち降つてゐて、その窪みの両側とも例の黄葉した林である。林から林が續き、やがて近々と淺間の山が起つて行つてゐる。眼下の溪間からずうつと打續いて行つた林と、淺間の山と、をれに連つた名も知らぬやゝ低い山脈とがこの室とは何だか關りもないものゝ樣に近く遠く寂然《じやくねん》と見渡されて、深碧な空からは實に多量の冷たい光線が曇りのない窓障子を透して室内に落ちてゐるのである。よく晴れたその日の日光は廊下に距てられて室内には何の影響もない。

(68) ものを言ふのも惜しい樣な氣持で暫く室の眞中の椅子に凭《よ》つてゐるうちに全身の精力は何だかすべて耳の邊に吸ひ寄せられて行つてしまひさうで、後ではその邊の神經が痛み出して來るのを感じた。

 

 その邊の風物は既に冬枯れて見ゆるのにまだ『秋』といふ言葉に關聯した團體旅行などがその寂しい温泉場にもやつて來た。雉子の獵場といふだけにそんな人達も折々來て泊つた。或朝、十時頃百人餘りの團體が押しかけて來た。折惡く時雨れてゐたが、宿にゐた所が到底爲事など出來はせぬと考へたので、傘をさしながら私等は沓掛まで出かけ、其處から汽車で小諸町まで裾野を降りて行つた。一時間ばかりの汽車はずうつとなだらかな傾斜を降つてゆくのだが、右も左もすべて裾野の林である。雨中の黄葉が褪せながらにも美しく眺められた。そこの町には知人があるので訪ねてみたが生憎く留守であつた。床屋にも寄りたし、買物もしたしといふのであるが何しろ寒いので會つて七八年前この町に滯在してゐた時よく來た事のある驛の前の小料理屋へ上つた。

 特に熱くつけさせてちび/\と飲み始めたが一向に氣が冴えない。留守であつた知人といふのはよく飲む男なので久しぶりに大いに飲まうと樂しんで來た的が外れて、何となく心がぐれてし(69)まつたのだ。一緒に行つた學生はまた素下戸《すげこ》で一杯の對手にもならず、庭先の冬木から石燈籠に降るこまかい雨を眺めながら飲めども/\醉はない。女中を呼んで、酒の飲める藝者がゐるかと訊くと、居るといふ。とにかくそれを呼んで貰ふ事にして、二人とも殆んど物を言はず、一方はたゞ食ひ一方はたゞ飲んでゐた。

 歩いて來たとみえ、袖を濡らしながらそのいはゆる左利きなる女が入つて來た。案外にも若い。まだ二十歳を出ない位ゐだ。女中奴、出鱈目を言ひ居つたと思ひながら杯をさしてみると、なるほどよく受ける。そして飲む。唯だにやり/\と笑ひながら飲んでゐる。顔はなか/\美人だが、どうも少し足らないらしい。何處にか低能の相を持つて居る。これもまた黙り込んで唯だ水を飲むが如くにして飲むだけだ。オヤ/\と思ひながらそれでも豫定の四時間あまりを其處に過し、團對客の歸り去るといふ時間に宿に着く樣に加減して汽単に乘つた。

 雨はその時きれいにあがつてゐた。いつか風が出て、顔や手足が隨分冷たい。そして行きがけには雲にとざされて見えなかつた淺間山が、星の影の一つ二つと見えそめた紺青の夕空にくつきりと冴えて汽車の窓から仰がれた。よく見るとその山嶺には今までに見えなかつた薄雪が鹿の子まだらに積つてゐるのだつた。

(70) 爲事も片附いたので私達は滯在十日足らずでその裾野の中の温泉場とも云へぬ温泉場を引上げた。立つ日はまた朝から誠に暖に晴れてゐた。畫室に一寸暇乞に寄ると畫をかきさしたまゝY――君は沓掛の停車場まで送つて來て呉れた。寢衣《ねまき》のまゝで幅廣な眞黒な帽子を被つた背の高い彼は溪沿ひの小春日にも、人影の無い停車場にも誠に相應《ふさ》はしく眺められた。程なく輕井澤の方から煙を上げて來た小さな汽車に乘つて私達は別れを告げた。來る時には碓氷を越えて、今度は篠の井を廻つて松本を經、甲州路を通つて東京へ歸らうといふのである。そしてその夜は松本近くの淺間温泉に泊るつもりであつた。が、急に豫定を變へ、松本から輕便繊道に移つて二時間ばかり、北安曇の大町まで行つてしまつた。雪積み渡した大きな山岳の麓にあたるその寒驛に降り立つと月が寒々と冴えてゐた。

 

(71) 信濃の晩秋

 

 私達が十一月六日の朝星野温泉を立つて沓掛驛から乘つた汽車は輕井澤發新潟行といふ極めて小さな汽車であつた。小型な車室が四つ五つ連結されたまゝで、がた/\と搖れながら黒い小犬の樣に淺間の裾野を馳け下るのである。

 日はこゝちよく晴れてゐた。初め私は朝日のあたる左手の窓に席を取つてゐたが、小春日にしては少し強すぎる位ゐの光線なので、やがて右手に移つた。淺間山が近々と仰がるゝ。二三日前薄く積つてゐた頂上の雪は今朝はもう解けて見えない。湯來の樣な噴煙が穩かに眞直ぐに立昇つてゐる。まつたく靜かな天氣だ。

 輕井澤から小諸まで一時間あまり、この線路の汽車は全然淺間火山の裾野の林のなかを走る樣なものである。時に細い小さな田があり、畑が見ゆるが、それとても極めて稀である。林は多く廣々した落葉松林《からまつばやし》で、間に雜木林を混へて居る。それらが少しもう褪せてはゐるが一面の紅葉の世界を作つて居るのだ。雜木の中に立つ白樺の雪白な幹なども我等の眼を惹く。車窓から續いて(72)それら紅葉の原にうらゝかに日のさしてゐるのを見渡しながら、明るい靜かな何といふ事なく醉つた樣な氣持になつてゐると、その裾野のはて、遙かに南から西へかけて連り渡つた山脈の雄々しい姿も自づと眼に映つて來る。中でも蓼科山《たでしなやま》と想はるゝ秀《すぐ》れて高い一角には眞白に雪の輝いてゐるのが見ゆる。程なく小諸驛に着いた。

 小諸町は私にとつて追懷の深い所である。廿四か五歳早稻田の學校を出て初めて勤めた新聞社の為事も面白くなく、一二年が間夫婦の樣にして暮してゐた女との間も段々氣拙《きまづ》い事ばかりになり、それと共に生れつき強かつた空想癖は次第に強くなつて、はてはさうした間に於ける自暴自棄的に荒んだ生活が當然齎す身體の不健康、さうした種々から到頭東京に居るのが厭になつて、諸國に歌の上の知合の多いのを便宜に三四年間の計畫であてのない旅行に出てしまつた。そして第一に足を留めたのが小諸であつた。幸ひ其處の知合の一人は醫者であつた。土地にしては割に大きい或る病院に勤めて、熱心に歌を作つてゐた。私は先づ彼によつて身體に浸み込んでゐる不快な病毒を除いて貰ひ、それから更に樂しい寂しい長途の旅に上らうと思つたのである。かれこれ四ヶ月も其處には居たであらう。そんな場合のことで、見るもの、聞くもの、すべてが心を傷《いた》ましめないものは無いと云つていゝ位ゐであつた。その小諸驛を通るごとに、その甘い樣な酸いやうな昔戀しい記憶は必ずのやうに心の底から出て來るのが常であつた。ことにその朝の樣に落(73)ちついた、靜かな心地の場合、一層それを感じないわけに行かなかつた。  其處へ小柄な洋服姿の男が惶しく車室へ入つて來た。一度入つて席を取つておくと同時にまた惶しく身をかへして飛び出した。その顔を見て私はハッと思つた。立ち上つて窓ガラスをあけながら見廻したが、何處に行つたかもう影も見えない。ときめく心に私は思はず微笑んだ。屹度彼に相違ない、當時其處の病院に私が訪ねて行つた岩崎君に酷似《そつくり》だと思つたからである。程なく彼は手に大きな荷物を提げて轉ぶ樣にブリツヂを降りて來た。その惶てた顔! まさしく彼は醫師岩崎樫郎に相違なかつた。昔も今も彼の惶て癖は直らぬものと見える。

 彼のあとから八九歳の少年と白髪の老婆とが、これも急いで降りて來た。見送りらしい人達も二三引續いた。荷物の世話や惶しい別れの挨拶などが交されてゐる間に汽車は動き出した。發車しても彼はなほ何か惶てゝゐた。そしてそれこれとポケツトを探してゐたが、舌打をすると共に、『しまつた、切符を落して來た!』

 と呟いた。私は立ち上つて彼の前に行つた。まだ席に着く事もせずにゐた彼はツイ眼の前に思かもかけぬ男が笑ひながら立つてゐるので、ひどく驚いた。

『やア、如何《どう》したんです?』

 彼は私の行つてゐた頃から少し經《た》つて小諸の病院を辭し、郷里の靜岡へ歸つて開業したが、思(74)ふ樣に行かぬのでまた小諸へ戻り、やがて今度諏訪郡の或る山村に單獨で開業し、ずつと其處に居るのだといふ事を人づてに私は聞いて知つてゐた。で、小諸で彼を見やうとは私には意外であつた。聞けば慈惠醫院卒業生で信州に開業してゐる者の懇親會が一昨日上田で開かれ、その歸りを小諸に廻つて以前の病院を訪問し、今日諏訪の方へ歸るところなのださうだ。

『隨分久しぶりですねえ、何年になりますかネ、さうだ、十一年、既《も》うさうなりますか、それでもよく一目で僕だと解りましたね。』

『だつて一向變つてゐないぢアありませんか。』

『眞實《まつたく》さうだ、あなただつて變つてはしませんよ。』

 立つたまゝ相共に大きな聲で笑つた。變つてゐない事もない、彼は私より一つ歳上であつたと思ふが、スルトいま三十六歳、惶てることを除いては何處にかそれだけの面影を宿して來た。

『阿母さんですか?』

『さうです。これが長男です、コラ、お辭儀をせんか、もうこれで二年生です。』

 私は老人に挨拶した。痩せた、利《き》かぬ氣らしい老女と對しながら、彼が二度目の小諸時代に迎へた妻とこの人との間がうまく行かなくて困つてゐるといふ噂を聞いた事など自づと思ひ出されたりした。

(75) 小諸を離れると汽車は直ちに千曲川に沿ふ樣になる。今までの森や林とも離れるが、引く續いて裾野の穩かな傾斜を降つてゆくのだ。日は益々澄んで、まるで酒にも似た熱と匂とを包んで來た。千曲の岸や流を眺めて居ると、一層しみ/”\と當時の事が思ひ出されて來る。四ヶ月の間恰も夏の末から秋にかけてゞあつた、病院に寢てゐなければ、私は多くこの千曲の岸に出てゐた。さなくば町の裏手を登つて無限に廣い落葉松林の中に入つて行つた。疲勞と、悔恨と、失望と、空想と、それらで五體を滿しながら殆んど毎日の樣にふら/\と出て歩いてゐたものであつた。やがて可懷《なつか》しい布引山が眼の前に見えて來た。飛沫をあげながら深碧に流れてゐる千曲の岸から急にそゝり立つた斷崖の山には、眞黒な岩壁と、黄葉との配合が誠に鮮かに眺められた。

 二三の思ひ出話が續いて出たが、どうも氣がそぐはない。この若いドクトルは一分の手も休めないで見失つた切符を探してゐるのだ。はては老人も手傳つて探すことになつた。宛《あたか》もこの小さい寫室全體がその氣分や動かされてゐる樣にも見ゆるまでに。その間に田中を過ぎ、大屋を過ぎ、上田を過ぎた。どの土地にも私の追懷の殘つてゐない處はない。考へてみれば私はまつたくよくこの近所をば彷徨したものだ。切符は終《つひ》に出なかつたが、上田を過ぎてからは彼もやゝ落ちついて談話の裡に入つて來た。話して居れば十一年の間に當時其處で知り合ひになつた幾人もない中の二人の若い人が死んで居る事などが解つた。二人とも肺で倒れたといふ。

(76) 篠の井驛乘換、其處で私は酒を買つて乘つたが彼は昔の通り殆んど一滴も飲まなかつた。私一人でちび/\と重ねながら姨捨の山を登る。いつ見ても見飽かぬ風景だが、今日はこの天氣だけに一層趣が深い。うち渡す田も川も遠くを圍んだ山々も皆しんみりと光り煙つて居る。岩崎君は寫眞機を取出してあれこれと寫してゐた。

『もう歌は止めて今はこれですよ、この方が僕の樣な氣の短い者には手取早くていゝ。』

 長い隧道《トンネル》を越えて麻績、それから西條、明科、田澤と過ぎて午後三時過ぎ松本驛着、私は其處でこの舊友とその家族とに別れて同伴の學生門林君と共に下車した。門林君は關西生れで今度一緒に信州に來て見て彼は初めて山らしい山を見たと言つて喜んでゐたのであつた。星野あたりで見る山もいゝにはいゝが、松本市の在にある淺間温泉から眺むる日本アルプスは更に雄大なものである、是非其處の山を見てお置きなさいと勸めて此處へ降りたのである。

 松本停車場から淺間温泉へ行くには驛前の乘合自動車に乘るのを常としてゐたので、のこ/\と改札口を出てその發着所へ歩いて行くと既に大勢の人が其處に集つてゐる、何かの團體客らしい。そして自動車は一臺も見えない。幾度にも往復してこの團體を送り込まうといふのであらう。オヤ/\と思ひながら兎に角驛の待合室に入つて、見るともなく時間表を見てゐるうちに不圖或る事を私は考へついた。そして門林君を顧みた。

(77)『ねヱ君、君ハアルプスの山を遠くから望むのがいゝか、それとも直ぐその麓から見上ぐるのがいいか。』

 けゞんな顔をしてゐた彼は、

『それは麓からの方がよささうに思はれます。』といふ。

『では君これからいゝ處へ行かう、淺間よりその方がよさ相だ。』

 惶てゝ私は切符を買ふと、とある汽車に乘り移つた。此處からこの輕便繊道によつて終點に當つている北安曇郡の大町まで行かうと思ひついたのだ。山を見るにもよく、ことに其處には親しい友人もゐるので、急に逢ひたくもなつたのであつた。

 今朝沓掛から篠の井まで乘つたのより更に小さい車室の汽車がごとごとと走り出すと、私は急に身體の疲勞を感じた。今迄は珍しく會つた友人に氣を取られて忘れてゐたのであらうが兎に角|既《も》う六時間あまり坂路ばかりの汽車に乘り續けて來てゐるのである。昨今の自分の身體の疲れるのも無理はないなどゝ思ひ出すと、矢張り淺間まで一里あまり、俥でゞも行つてゆつくりと綺麗な温泉に入る方がよかつたか知れぬと、心細い愚痴が出て來たが、もう追ひ附かなかつた。これから大町まで二時間ほどかゝる、どうかして眠つてゞも行き度いと努めたが、謝體の動搖の烈しいのと、これも急に身に浸みて來た寒さとで到底眠れさうもない。唯だ眼を瞑《つむ》つて小さくなつて(78)ゐた。

 山國の事で、暮れるとなると瞬く間に日は落ちてしまふ。何といふ山だか、豐かに雪を被つた上にうす赤く夕日が殘つてゐたが程なくそれも消え去ると忽ちのうちに夜が襲つ來た。近々と其處等に迫つて聳えて居るとり/”\の山の峰にはいつの間にか雲が深く降りて來た。麓から麓にかけては暮靄《ぼあい》が長く/\棚引いて、芥火《あくたび》でもあるか諸所に赤い炎の上つてゐる所も見ゆる。輕鐵《けいてつ》の事で、驛々の停車時間も極めて區々である。或所では十分も二十分も停つてゐる樣に思はれた。車室から出て見ると今まで氣がつかなかつたが、月が出てゐた。仰げば眼上《まうへ》に迫つて幾重にも重りながら雲を帶びてゐるアルプス連山の一列前に確かに有明山だと思はるゝ富士型の峰が孤立した樣に半面に月を受け、半面は墨繪の色ふかく高々と聳えて居る。この山にのみ雲が居ない。然し、何といふ寒さだらう、永くは立つてもゐられない。

 寒さと心細さに小さくなつてゐる間に午後六時何分、漸く大町に着いた。友人中村柊花は此町の郡役所に勤めてゐるのだが、此頃引き移つたその下宿をばすつかり私は忘れてゐた。兎に角彼に逢つて置き度いと思つたので停車場とは反對の位置に町を突き拔けた所に在るといふ郡役所まで先づ行つて見る事に決めた。九時間近くの汽車で筋張り果てた脚には寧ろ歩くことが快かつたが山下しの風がひしひしと耳の邊を刺すには弱つた。片割月が冬枯れ果てた町の上に森《しん》として(79)照つてゐる。郡役所には灯が明るく點つて宿直の人らしいのが爲事《しごと》をしてゐた。中村君の下宿を聞いて更に其處に行く。老婆が二人、圍爐裡に寄つて茶を飲んでゐたが當《たう》の友人はゐなかつた。多分何處ぞの茶屋で宴會でもあるらしいといふ事であつた。多分そんな事になりはせぬかと心配して來たのであつたが、運惡く的中した。附近の宿屋の名を老婆に訊ねて、名刺を置きながら、其處を出た。

 宿は對山館といつた。思ひ出せばかねてから折々聞いてゐたその名である。アルプスに登る人で、といふより廣く登山に興味を持つ人でこの名を知らぬ人は少なからう位ゐに思はれるまでその道の人のために有名な宿なのだ。通されたのは三階の馬鹿に廣い部屋であつた。やれ/\と手足を投げて長くなつた。兎に角先づ風呂に行く。指先一つ動かざず、唯茫然と温つてゐる所へ、女中が來て、『中村さんつて方がいらつしやいました。』といふ。

『えツ!』と思はず湯の中で立上つた。若しかすると、といふ希望で心當りの料理屋に電話をかけて貰ふやうに女中に頼んでおいたのであつたが、それがうまく的中したのであつた。

 急に周章《うろた》へて湯から出た。既に眞赤に醉つてゐる中村柊花は坐りもやらず廣い部屋の眞中に突立つてゐた。

 固く手を握り合つたまゝ、二三語も發せぬうちに私は彼に引張られて宿を出た。驚いてゐる門(80)林君も一緒であつた。今迄彼等が飲んでゐたといふのゝ隣の料理屋に上つて、早速酒が始つた。肴は土地名物の燒鳥である。疲れと心細さで凍つてゐた五體を燒きながら廻つてゆく酒の味は全く何にたとへ樣もなかつた。其處へ同じく舊知の榛葉胡鬼子君も中村君の注進によつて馳けつけて來た。一別以來の挨拶や噂話が混雜しながら一渡り取り交はされると漸く座も落ち着いて、改めて歌の話や我等の間で出してゐる雜誌の話などがしんみりと出て來た。その頃には既《も》ういち早く酒の醉も廻つてゐた。やがて一人二人と加つていつの間にか五六人にもなつてゐた藝者たちの躍が始まる樣になると大男同志の中村君も榛葉君もよろ/\と立上つて一緒になつて躍り出した。

   木曾のおん嶽、夏でも寒い、袷やりたや、足袋添へて、

   袷ばかりは、やられもせまい、襦袢したてゝ、帯そへて、

   木曾へ木曾へと、皆行きたがる、木曾は居よいか、住みよいか、

 宿屋に歸つて床についたは二時か三時、水を飲み度さに眼を覺すと荒らかに屋根に雨らしい音が聞ゆる。昨夜料理屋の三階から見た月の山嶽の眺めはまだ心に殘つてゐるものをと不思議に思ひながら、起き上つて雨戸を細目にあけて見ると、夜はいつやら明け離れて、四顧茫々と唯だ雲か霧かが立て罩めたなかに、これはまた大粒の雨がしゆつ/\と矢の樣に降り注いでゐるのであつた。

 

(81) 二晩どまり

 

 三四人のお醫者さまを中心とし、それに陸軍教授大学助教授といふ風の人たちが寄つて一つの歌の團體が出來てゐる。私もその中の一人である。毎月一囘づゝ寄り合つて歌を作つたり批評し合つたりしてゐるのであるが、この四月はそれを止めて何處ぞへ一泊がけの旅を爲ようといふ事になつた。みな忙しい人たちなので、時間の都合から行先をきめるに大分迷つたが、とにかく誰も行つた事のないのを興味に木更津へ行つて見ようといふことになつた。そして去る十日土曜日の午後四時半兩國驛發ときまつた。それも行く事にきまつた六人が一緒には立てないで、四人だけ先發、殘り二人はその日の終列車であとを追ふといふ事になつた。

 私等先發の四人が木更津に着いた時は日が暮れてゐた。先づ宿をきめて、それを停車場の告知板に書きつけて置くのが急務であつた。驛で訊くとこの土地で重な宿屋と呼ばれてゐるのが四軒ある、何屋に何屋だと教へて呉れた。中でどれが一等いゝんですと尋ねると、それはどうとも言へない、大抵似たものだと笑つて居る。海岸に最も近いのをいゝとしようといふ説や、いや兎に(82)角極く靜かな所を選むがよいといふ意見など出て、同じ汽車を降りた人達がみな停車場から消え去つて了ふまで其處に四人して立つてゐたが、何屋といふのは名がいゝから其處に行つて見ようといふのでぶら/\歩き出した。が、其處は滿員だと云ふ事で女中たちが忙しさうに立働いてゐた。次の何屋もまた同樣であつた。オヤ/\と言ひながら、通りかゝりの若者に何々屋といふ宿屋はどこだと訊くと、ツイ筋向うの家を指して、彼家です、あの帳場に坐つて横を向いてゐるのが有名な松井須磨子の前の亭主です、と意外な事まで附け加へた。どうも大變な宿屋だナ、そんな所は止しませうよ、と帳場を窺《のぞ》いただけで通り過ぎたが、四軒のうち殘るのは一軒になつた。それは料理屋町らしい處に在つた。賑かな三味線太鼓が四邊《あたり》に聞えて、その家にもさうした客があるらしかつた。明るい玄關をやゝ遠くから眺めながら四人はまた暫く佇んだが、其所をば諦めてもと來た方へ引き返した。そして終《つひ》にその四軒のほかの謂はゞ第二流の何々屋といふのへ泊る事になつた。それも二部屋欲しいといふ希望は駄目で、僅かに八疊一間で我慢せねばならなかつた。土曜日の上に選擧騷ぎのため斯うこんでゐるのだ相だ。これが自分一人か乃至は同じ浪人仲間だつたら風釆から斷られたとも僻《ひが》むのだが、けふの連はみな堂々たる紳士であつた。

 然し、却つて面白かつた。床に挿した法外に大きい櫻の枝も鄙びてゐて、膳を丸く寄せて酒を酌んでゐると、殆んど頭上にさし出たその花が誠に珍しく見上げられた。頭を突き合せるやうに(83)して二列に八疊の間へ六つの床を敷く、そしてその中へ潜り込んで雜談を交してゐる所へ、十一時すぎて後發の二人が着く。中の一人が持つて來たウヰスキーの壜を見ると、私もまた起き上つて他の人の寢てゐる枕許で三人して飲み始めた。そのため一時眠りについた人も眼を覺して、談話がひどく賑かになつた。隣室のことも氣には懸るが、押へられない可笑しさ面白さである。四十歳前後のいゝ歳をした連中が、まるで中學の修學旅行に出かけた形であつた。

 翌朝は意外に早く皆が眼を覺ました。中に一人、精神病専門U――醫學土だけはシミンセイ氏といふ名を貰つた。彼は他が全部着物を着換へてしまふまでもぐつたり眠つてゐた。二三日前の新聞に十四日間眠り通した嗜眠性腦炎とかいふ病人のあつた記事が出てゐたのださうだ。八時幾分發の汽車で一同北條に向つて立つ。

 汽車の中も賑かであつた。一行のうち、見ごとな禿《はげ》を持つてゐる人が二人、ちゞれ毛が一人、その他天神髯、發賣禁止髯など種々あつて、どうした機會かそれら髪や髯の惡口を言ふ事が始められた。それも三十一文字、二十六文字、十七文字等の形式に於てゞある。一吟一詠、どつといふ笑聲が起つて、車室全體知るも知らぬも皆我等と同一氣分に滿ち搖ぐまでになつた。鋸山の麓を走る頃から海の眺めが甚だよくなつた。そして海岸の山から山には思ひがけなかつた山櫻が白々と咲いて、天はこの上もなく麗かに晴れて來た。

(84) 那古船形驛下車、那古の觀音船形の觀音双方に詣つて、海岸ぞひの路を北條へ歩いて行つた。路の兩側は殆んど桃畑のみ續いてゐるかのように、紅いその花が眼についた。東京ではまだ氣のつかなかつた燕が地上低く飛び廻つて、松原の蔭の水田から蛙の聲がしきりに聞える。路傍の生垣の若葉といひ、路に立つ埃といひ、もういつの間にやら、夏に入つた樣な心地がした。

 北條では海に近い宿屋で、輝く沖を眺めながら海老だ、鮑だ、※〔魚+是〕《しこ》のぬただと勝手な事を言ひ言ひゆつくりと晝食をとつた。いつまでも盃を嘗めてゐる者、夙くに飯を濟まして二階つづきの納凉臺に出て仰向けに寢てゐる人、さま/”\である。シミンセイ氏は此所でもまた出立の際に引起された。

 三時幾分かの汽車で五人の人は歸つて行つた。そして私だけ一人殘る事になつた。これは昨日東京を立つ時に打合せて來た事で、私の友人の一人で今度日本郵船の紐育支店詰になつて渡米するのが居る。その出發前に一緒に東京を離れた靜かな所で一日ゆつくり遊び度いといふ希望から斯うしたのであつた。打合せ通り都合よく行けば午後四時半の汽車で彼は來る筈である。その時間に私は停車場へ出て待つてゐたが、來なかつた。次は六時三十分である。それにも見えなかつた。何と云つてもあと三四日のうちに船に乘らなければならぬ人である。而も突然の任命ではあつたし、種々の出立用意で來られぬのかも知れぬと私は半ば諦めながら告知板に宿の名を書いた(85)まゝ、宿に帰つてそれまで待たせてあつた夕餉の膳を取り寄せた。部屋の直ぐ下が小さな川の川口となつてゐて、星が澤山その上汐らしい豐かな水面に映つて居る。そして四邊《あたり》は雨の樣な蛙の聲だ。先刻まで賑かであつたゞけ私は淋しくて、膳をもそこ/\に下げさせ、床を延べて寢てしまつた。某所へ背の高い友人はせか/\としてやつて來た。矢張り何彼と忙しくて豫定のに乘れず、辛うじて終列車に間に合つたのださうだ。納凉臺に出て闇の中で暫らく話す。沖には鯖釣だといふ火が一列鮮かに浮んで居る。宿ではもう遲いから何所かへ出て飲まうかと勸めて見たが、ひどく疲れてるといふので其儘床を竝べてやすむ。

 明くる日もよく晴れた。渚に寄る小波の音も聞えぬ位ゐよく凪いで居る。舟を雇つて鷹の島から沖の島めぐりをすることにした。この二つの島は館山灣の一里ほど沖に二つ竝んで小さく浮んでゐるのである。先づ手近の鷹の島に舟を着けた。この島には水産學校の實驗所とかいふのが建つてゐて、普通の人家は無く、島全體が繁茂した密林となつてゐる。林の木は風のためかみな丈低く枝を張つて、見るからに硬さうな葉が屋根の樣に日光を遮つて居る。或る所では椿の花が一面に散つて腐つてゐた。海岸に砂原は少く、大抵は岩の荒い磯となつて居る。その磯を二人で廻りながら波に濡れて貝を拾つた。幼い頃の記憶で、喰べられる貝の大抵をば覺えてゐた。

 その島を廻り終ると沖の島へ出た。其處には人家らしいものもなく、唯だ一面の森のみだ。そ(86)して意外にもその森の中に二三本の山櫻の大きな木が混つてゐて今をさかりに咲いてゐるのを發見した。海に浮んだ森の中のこの清らかな花を見て私は思はず驚きと歡びの聲をあげた。私は櫻の中で最もこの深山の花らしい山櫻を愛してゐるのである。一本のその木の大きな枝がずつと他の木を拔いて海の方に咲き枝垂《しだ》れた蔭に清い砂原があつた。其處に用意して來た辨當を運ばせて、私は先づ冷たい洒を含んだ。ツイ近くには柔かな波が岩を越え、岩を滑りして日に光つて居る。

 ゆつくり話さう、などゝ言つて出會つたのだが、この年若い友人とは平常繁く往來してゐるので別にもう話す事とても無かつた。そして彼は餘り酒を嗜《たしな》まなかつた。やがて彼は其所等に散らばつてゐる流木を集めて火をつけた。よく乾いたそれは直ちに赤い炎をあげてとろとろと燃え出した。すると今度は附近から石を集めて來て火の周圍に大きな竈を造り始めた。見てゐても可笑しい位ゐの苦心で彼は火の三方に石を積み、平たい石で屋根を拵《こしら》へ、その背後に煙を出す穴まで爲上《しあ》げてしまつた。

『だつて、斯んな遊びをするのは一生のうちもうこれがおしまひですよ。』

 と私の笑ひに答へながら、

『そうら御覽なさい、よく煙が出ませう。』

(87) と言つて更に遠くへ出かけて五尺八九寸の身を屈めながら一心に流木を集めて居る。今年歳廿四、紐育には多分五年程居る筈で、其後も出來るなら日本には歸り度くないと彼は言つて居る。父一人子一人の彼は物心のつく頃からその父と合はず、高等商業を卒業する一年程前から終《つひ》に獨力で勉強もしたのであつた。今度の事もまだ父には告げず、唯だ波止場でだけ一寸逢つて行きませうなどゝ言つてゐるのだ。

 一時近く舟に乘つた。そして眞直に宿には歸らず館山町の方に上つて行つて、其所の料理屋で藝者などを呼んで大いに騷いだ。おとなしい彼も終に醉払つて、膝頭までもない宿屋の褞袍《どてら》を踏みはだけながら得意の吉右衛門ばりなどが出たりした。

 夕方、俥で宿に歸り、直ぐ停車場に行くと終列車が将將に動き出さうといふ所であつた。


(88) 水郷めぐり

 

 約束した樣なせぬ樣な六月廿五日に、細野君が誘ひにやつて來た。同君は千葉縣の人、いつか一緒に香取鹿島から霞ヶ浦あたりの水郷を廻らうといふ事になつてゐたのである。その日私は自分の出してゐる雜誌の七月號を遲れて編輯してゐた。何とも忙しい時ではあつたが、それだけに何處かへ出かけ度い欲望も盛んに燃えてゐたので思ひ切つて出懸くる事にした。でその夜徹夜してやりかけの爲事を片肘け、翌日立つ事に約束した。一度宿屋へ引返した細野君はかつきり翌廿六日の午前九時に訪ねて來た。が、まだ爲事が終つてゐなかつた。更に午後二時までの猶豫を乞ひ大速力で事を濟ませ、三時過ぎ上野着、四時十八分發の汽車で同驛を立つた。

 三河島を過ぎ、荒川を渡る頃から漸く落ち着いた、東京を離れて行く氣持になつた。低く浮んだ雲の蔭に強い日光を孕んでをる梅雨晴の平原の風景は睡眠不足の眼に過ぎる程の眩しい光と影とを帶びて兩側の車窓に眺められた。散り/”\に並んだ眞青な榛《はん》の木、植ゑつけられた稚い稻田、夏の初めの野菜畠、そして折々汽車の停る小さな停車場には蛙の鳴く音《ね》など聞えてゐた。

(89) 手賀沼が、雜木林の間に見えて來た。印旛沼には雲を漏れた夕日が耀いてゐた。成田驛で汽車は三四十分停車するといふのでその間に俥で不動樣に參詣して來た。此處も私には初めてゞある。何だか安つぼい玩具の樣な所だと思ひながらまた汽車に乘る。漸く四邊《あたり》は夜に入りかけて、あの靄の這つてゐるあたりが長沼ですと細野君の指さす方には、その薄い靄のかげにあちこちと誘蛾燈が點つてゐた。終點の佐原驛に着いた時は、昨夜の徹夜で私はぐつすりと眠つてゐた。搖り起されて闇深い中を俥で走つた。俥はやがて川か堀かの靜かな流に沿うた。流には幾つかの船が泊つてゐて小さなその艫《とも》の室には船玉樣に供へた灯がかすかに見えてゐた。その流と利根川と合した端の宿屋川岸屋といふに上る。二階の欄干に凭《よ》ると闇ながらその前に打ち開けた大きな沼澤が見渡されさうに水蒸氣を含んだ風がふいて、行々子《よしきり》が其處此處で鳴いてゐる。夜も鳴くといふことを初めて知つた。風呂から出て一杯飲み始めると水に棲むらしい夏蟲が斷間なく灯に寄つて來た。

 六月廿七日。近頃になく頭輕く眼が覺めた。朝飯を急いで直に仍《そこ》から一里餘の香取神社へ俥を走らせた。降らう/\としながらまだ雨は落ちて來なかつた。佐原町を出外れると瑞々しい稻田の中の平坦な道路を俥は走る。稻田を圍んで細長い樣な幾つかの丘陵が續き、その中にとりわけて樹木の深く茂つた丘の上に無數の鷺が翔《かけ》つてゐた。其處が香取の森であると背後から細野君が(90)呼ぶ。

 參拜を濟ませて社殿の背後の茶店に休んでゐると鷺の聲が頻りに落ちて來る。枝から枝に渡るらしい羽音や枝葉の音も聞える。茶店の窓からは殆んど眞下に利根の大きな流が見えた。その川岸の小さな宿場を津の宮といひ、香取明神の一の鳥居はその水邊に立つてゐるのだ相だ。實は今朝佐原で舟を雇つて此津の宮まで廻らせて置き、我等は香取から其所へ出て與田浦|浪逆《なさか》浦を漕いで鹿島まで渡る積りで舟を探したのだが、生憎一艘もゐなかつたのであつた。今更殘念に思ひながら佐原に歸り、町を見物して諏訪神社に詣でた。其處も同じく丘の上になつてゐて麓に伊能忠敬の新しい銅像があつた。

 川岸屋に歸ると辨當の用意が出來てゐて、時間も丁度よかつた。宿のツイ前から小舟に乘つて汽船へ移る。宿の女中が悠々として棹さすのである。午前十一時、小さな汽船は折柄降り出した細かな雨の中を走り出した。大きな利根の両岸には眞青な堤が相竝んで遠く連り、その水に接する所には兩側とも葭《よし》だか眞菰だか深く淺く茂つてゐる。堤の向側はすべて平かな田畑らしく、堤越しに雨に煙りながら聳えてゐる白楊樹《ポプラ》の姿が、いかにも平かな遙かな景色をなしてゐる。それを遠景として船室の窓からは僅かに濁つた水とそれにそよぐ葭と兩岸の堤とそれらを煙らせてをる微雨とのみがひつそりと眺めらるゝ。それを双方の窓に眺めながら用意の辨當と酒とを開く。(91)あやめさくとはしほらしやといふその花は極めて稀にしか見えないが堤の青葉の蔭には薊の花がいつぱいだ。

午後二時過ぎに豐津着、其處に鹿島明神の一の鳥居が立つて居る。神社まで一里、雨の中を俥で參る。鹿島の社は何處か奈良の春日に似て居る。背景をなす森林の深いためであらう。かなりの老木が隨分の廣さで茂つて居る。其の森蔭の御手洗《みたらし》の池は誠に清らかであつた。香取にもあつたが此處にもかなめ石と云ふがある。幾ら掘つてもこの石の根が盡きないと言ひ囃《はや》されて居るのだ相な。岩石に乏しい沼澤地方の人の心を語つて居るものであらう。此所の社も丘の上にある。この平かな國にあつて大きな河や沼やを距てた丘と丘との對《むか》ひ合つて、斯うした神社の祀《まつ》られてあると云ふ事が何となく私に遙かな寂しい思ひをそゝる。お互ひに水邊に立てられた一の鳥居の向ひ合つて居るのも何か故のある事であらう。

 豐津に歸つた頃雨も滋《しげ》く風も加はつた。鳥居の下から舟を雇つて潮來へ向ふ。苫をかけて帆をあげた舟は快い速度で廣い浦、狹い河を走つてゆくのだ。ずつと狹い所になるとさつさつと眞菰の中を押分けて進むのである。眞みどりなのは眞菰、やゝ黒味を帯びたのは蒲《がま》ださうである。行行子の聲が其所からも此所からも湧く。船頭の茂作爺は酒好きで話好きである。潮來の今昔を説いて頻りに今の衰微を嘆く。

(92) 川から堀らしい所へ入つて愈々眞菰の茂みの深くなつた頃、或る石垣の蔭に舟は停まつた。茂作爺の呼ぶ聲につれて若い女が傘を持つて迎へに來た。其所はM――屋といふ引手茶屋であつた。二階からはそれこそ眼の屆く限り青みを帶びた水と草との連りで、その上をほのかに暮近い雨が閉してゐる。薄い靄の漂つてをる遠方に一つの丘が見ゆる。其所が今朝詣でゝ來た香取の宮である相な。

 何とも言へぬ靜かな心地になつて酒をふくむ。輕らかに飛び交してをる燕にまじつてをりをり低く黒い鳥が飛ぶ。行々子であるらしい。庭さきの堀をば丁度田植過の田に用ゐるらしい水車を積んだ小舟が幾つも通る。我等の部屋の三味の音に暫く樟を留めて行くのもある。どつさりと何か青草を積込んで行くのもある。

 それらも見えず、全く闇になつた頃名物のあやめ踊りが始まつた。十人ばかりの女が眞赤な揃ひの着物を着て踊るのであるが、これはまたその名にそぐはぬ勇敢無双の踊であつた。一緒になつて踊り狂うた茂作爺は、それでも獨り舟に寢に行つた。

 翌朝、雨いよ/\降る。

 

(93) 湯ヶ島より

 

 東京にて、Y――君。

 

 此處に來て恰度今日で十日になる。何をするともなく、寢たり喰つたりして時間をたてたのだ。少し歸り度い氣も起つて來たが、大いに爲事をする樣に言つて出て來た手前、何か少し爲て行かないことにはどうもきまりが惡い。出來る出來ぬは別として、とにかくもう少し居て行かうと思ふ。

 

 二十二日夜、F――君の渡米送別會場からの寄せ書、難有う。顔ぶれは少し淋しくはなかつたか。N――君は旅行としても、S――やM――は何故出なかつたのだらう。そんなにも忙しいのかね。

 ことに惜しかつたのは折角此所から送つた生椎茸をその場で喰べなかつたつてね。お上品な人(94)たちにも困つたものだ。あれを君、女中に一寸洗はせて、直ぐその場で鍋に入れて煮ればいゝぢやないか。會場が松喜《まつき》だと聞いて、諦めたと喜んだのは其所だつたのだ。實は此處に來たてに僕は二三日つゞけてあれを牛肉と一緒に煮てたべたのだ。そのうまさを諸君列座の處でやつて貰はうと思つたのに、殘念なことをした。

 皆で分けて持つて歸つたはよかつたね。幾らにもなりはせなかつたらう。ことに君の寄せ書の『持つて歸つてこれを家庭で翫味する』はよかつた。君から家庭といふ言葉を聞かされると、何だか異な感じがするが、さうでもないのか知ら。

 矢張り自身で持つて出て行けばよかつたのだ。二十二日に會に出て、三日にまた此處へ歸つて來られるやうだといゝのだけれど、僕にはどうもそれが出來ない。酒を始めると二三日が間は飲み續けて、病人にならぬとやめない。それが此頃非常に恐くなつた。

 F――君には大阪への歸りに是非此處へ寄つて呉れる樣に頼んでやつたのだけれど、矢張り忙しいと云つて、寄らなかつた。アメリカの特派員なんかになつたらまた忙しいことだらうね。思ひやられる。この友人にも恰度九箇年逢はない。同君がまだ神戸新聞にゐた頃、須磨で一寸逢つたのが終だ。今度逢ひそこねてまたこの年數は隨分と増される事だらう。二十二日に集つた同級生の名前を見ても君とT――君に昨年か一昨年,永樂倶樂部で逢つて立話をした位ゐのものだ。(95)他の人では顔つきすら一寸思ひ出せない名前があつた。

 とにかく名前の並んだのを見たゞけでも、皆、忙しさうだ。その中に在つて僕が斯んな

溪間の温泉へ來て十日も何一つせずに寢轉んでゐるといふと、ひどく閑日月を樂しんてゐる樣だが内心甚ださうでないから可笑しい。喰ふから喰ふ迄、寢るから寢る間、或は寢て居る間にでもだね、何か知ら始終考へてゐなければならない。

   おほかたの身のゆくすゑといふ言葉いまは言葉にあらざりにけり

 これは六七年前に詠んだ僕の述懷だが夜半の寢覺のこの思ひは年毎に深くなつて來る樣だ。

 その中で、君一人はまだ女房も貰はないだらうし――それとも貰つたかしら、だとすれば非常に失禮――最ものんきであるわけだが、事實どうだね。仲間で子供の二三人も携へてないといふのは他に一人だつてないだらう。

 ひどくせちがらい話になつて、苦笑だ。實はこの溪間の春景色など書きつけようと執つた筆なのだ。

 

 僕が此處に來たのはこの十六日であつた。眞上の天城には諸所まだ白い雪が殘つてゐるのが仰がれた。然し、この温泉宿のある溪間はもう何と云つても春だつた。宿に着いて、溪に臨んだ二(96)階に通された時、白い泡をふいて流れてゐる淺瀬の光を見て僕はほんとに『やれ/\難有い』と思つた。その瀬に、濡れた岩から岩に、射してゐる日光は全く冬に見られぬ色と輝きとを持つてゐた。その日僕は一人都會そだちの青年を連れて來たのであつたが彼の喜びはまた僕以上であつた。部屋を素通りして溪に向つて縁側に出たきり、なか/\入つて來ない。

『先生、あれは何です、珍しい鳥が啼いてゐますが。』

『ほんとにね、何だつけかナ、よく聞いた鳥だが……、駒鳥とも一寸違ふし……』

 暫く耳を澄して考へたが、思ひ出せなかつた。翌日、青年は歸つて行つたが、鳥は毎日その溪端で啼いてゐた。

『なアんだ!』

 と僕は或る時、獨りで笑ひ出した。その鳥は君、鶯サ。鶯が例のホーホケベチヨをやる間に折々啼き立てる烈しい合の手で、いはゆる鶯の谷渡りと稱せられてゐる啼聲なのだ。幼い時から聞き馴れてゐるそれを、何だか一寸思ひ出せなかつたのだ。

 春はあけぼの、といふ。山の端やう/\あかうなりゆく、といふ。溪も、溪を圍む常磐樹の木立もまだしつとり濡れてゐる日の出前に、こゞしい岩の間に出てこの鳥を聞くのは全く靜かだ。瀬のひゞきの一途に響くのもこの時間の樣だ。夜なかに眼の覺めた時の響はどうも今の僕には荒(97)すぎる。

 

 君は秋田市で大きくなつたのだつたかしら。さうすると炭燒|竈《がま》の煙の靜かな事は知つてゐまい。晴れてゐてもいゝが、それだと朝早く山の襞から淡い雲のたなびく頃か、或は雨のあがりかけた頃に、山腹の一點から細々と立つてゐるこの煙を僕はいつもいゝ氣持で眺める。野火の煙もさびしいものだが、それは一般的で、炭燒の烟の寂しさはまつたく獨りぼつちの寂しさだと思ふ。

 宿を出て爪先上りの小さな坂を登ると、この煙が幾つも望まれる。谷向うの山蔭に一つ、少し谷を奥に入つたあたりの山からはとび/\に二つか三つ立ち昇つてゐる。或る日、僕は一番手近な谷向うの煙を目あてに谷を渡つて疎らな雜木林を登つて行つた。其處には七十に近いかと思はれる爺さんと孫だか伜だか十四五歳の少年との二人が朝とも晝ともつかぬ飯を喰つてゐた。

 竈の前には小さな流が眞白になつて流れ落ちて、その向うの若木の杉の森の中には椎茸山が入れてあつた。一二日續いた雨の後だつたので、實に見ごとに椎茸が出てゐた。つまりさういふ山から取つた眞新しい奴《やつ》を先日君たちに送つてあげたのだ。

 炭燒といひ、椎茸山といひ、斯ういふのを見ると僕は定つで自分の子供の頃を思ひ出す。僕が(98)物心のつく六つ七つの頃になるともうやめてゐたけれど、その前祖父の達者だつた頃は僕の家でも盛んにこの炭も燒き椎茸も作つてゐたのだつた。それでもそれらの山を受け繼いだのが近所の者だつたので、十歳位ゐになるまでよく其處へ連れて行かれた。で、炭燒の知識も幾らかあるので、一層この烟や竈が可懷しいのかも知れない。然し、その日その爺さんの飯を食ふのを見ながら、彼と話し合つた所によると伊豆の燒きかたと日向の燒きかたとでは大分變つてる樣だ。椎茸作りは全く同じだつた。たゞ僕の方でやつてゐたのは山も深いし一帶が大仕掛であつた樣だ。たとへば椎茸の出盛る頃になると猿の群が來てこの椎茸の粒々しいのを惡戯から――椎茸を喰ふのではなく――もぎ捨てゝしまふ。その椎茸山は溪を挾んだ兩側の杉の木山にずつと入れてあるのだが、その中央どころに番小屋を立てゝ、夜になると猿群をおどすためによく火繩銃を打つた。僕はよくその番小屋に連れられて行つて泊つて來たものだつた。猿の鳴聲、火繩の匂ひ、斯んな話を始めるとたまらなくその頃が戀しくなる。また、そんなに盛んに椎茸を作るので、僕の方でいふ捨山といふのも多かつた。捨山とはもう一時出盛つたあとの椎茸山をば持主の方で構はなくなる、従つて其處に出てゐる椎茸をば誰が探つてもいゝといふことになつてゐるのだ。それを採りによく母や友だちと出かけて行つた。どういふわけだか、椎茸といふと僕には猿の因縁がある。或る時友だちばかりの二三人で、それらの山をあさり廻つてゐると、二三匹づれの猿に出逢つ(99)た。子を連れた猿は、なかなかわれ/\子供たちを見た位ゐでは逃げなかつた。我々の方で蒼くなつた。その時、友だちの逃げ出さうとするのを引きとめて僕はその日連れても來なかつた犬の名を頻りに呼んで口笛を吹いた。そしたら――か、どうだか――猿奴、大いにあわてゝ逃げて行つたので、大いに僕は面目を施したことなどあつたのだ。こちらには中々捨山どころか、もうもう古く腐つた樣な椎茸の木一本でも捨てゝはない。十本か二十本、腐れて仆《たふ》れてる側にしめ繩が結つてある。

 

 今日はひどい雨だ。

 今朝、四時前だつた、頻りに戸を叩く音がする。やがて宿の内儀が一人起きたらしく、玄關の雨戸越しでの應待が折から眼の覺めてゐた僕の部屋に聞え出した。戸外で言ふ聲はその頃から降つてゐた雨で、よく聞えなかつたが、内儀の言ふには、湯に入りたいのならツイ其處に共同湯があつて夜でも良由に入れる樣になつてるから其處へ行つたらいゝだらう、と言ひすてゝたうとう戸をあけずに引込んでしまつた。今頃、一體どうした人たちだらう、斷られてこの雨にどうするのだらう、と思かながら僕もまた眠つて了つた。朝食の時に女中に訊くと、それは二人の角力取であつたさうだ。昨日の夕方七時に下田を立つて夜中に上下六里の天城を越え、都合十一里を歩(100)いてあの時に此處まで來たのださうだ。

『早く泊めて呉れつて言へばね、戸をあけて泊めてあげたのでせうに、向うではたゞ湯に入れて呉れとだけ言ふんですつて、……第一内儀さんも恐かつたのでせう。四時から六時まで共同湯で入つたり寢たりしていま向うの部屋に來て二人ぐつすり寢てますよ、二時間たつたらまた起きて沼津まで行くんですつて。』

 おそろしい元氣な人たちもあるものだと思ひながら、いつもより遲れた朝食を喰つて廊下を歩いてると、また風變りなお客樣が入つて來た。左樣だネ、どうでも普通の日本の風呂樽を三つは重ねゝぱなるまいと思はるゝ位ゐ横も縱も厖大な西洋人が野蒜《のびる》の花の樣に痩せた日本美人を連れて入つて來たのだ。その後湯に入らうと降りて行くと、恰度この兩人が入つてゐた。遠慮してその濟むのを待つて行つて見ると驚いた、いつも滿々と溢れてゐる湯が君、まるで半分位ゐ減つてゐるのだ。いまのフロダルカサネスキー氏のためにはみ出されてしまつたあとなのだ。

 斯んな山蔭の、溪奥の湯にも、いろんな人がやつて來るよ。

 

 では、これで筆をおく。御機嫌よう。(三月二十五日)

 

(101) 箱根と富士

 

 珍らしい晴であると共に、寒さもきびしかつた。黒瀬橋の袂で待ち受けた電車に乘つて三島町に着く間、初め端折つてゐた裾を下して草鞋ばきの脚絆の脚さきをくるみながら私は固くなつてゐた。

 電車から降りると漸く朝日の色が濃くなつてゐた。案外にハイカラな店飾があるかと思へば直ぐ隣に煤《すす》びた格子に圍まれた女郎屋があるといふ風なその古びた宿場町は深い朝日を浴びて如何にも賑かげに見えた。再び裾を折つて、輕い足どりを樂しみながら宿の中ほどにある三島明神に詣でた。物さびた金屬の屋根からは早や霜が頻りに解けて雫してゐた。その雨垂と飛びかふ鳩の羽音とが木立に圍まれたその一區域に聞えるばかりで、朝寒の宮にはまだ子供の遊ぶ姿も見えなかつた。

 宿《しゆく》はづれを清らかな川が流れ、其處の橋から富士がよく見えた。毎朝自分の家から仰いでゐるのに比べて、僅かの距離でも此處に來て見る山の形は餘程變つてゐた。沼津の自分の家からだと(102)その前山の愛鷹山が富士の半ばを隱してゐるが、三島に來ると愛鷹はずつと左に寄つて、富士のみがおほらかに仰がるゝのであつた。克明に晴れた朝空に、まつたく眩いほどにその山の雪が輝いてゐた。橋を過ぎて程なく、道は坂になつた。即ち舊東海道の箱根越にかゝつたのである。

 坂にかゝるとともに年を經た松並木が左右を挾んで立つた。そして道はすべて石だゝみである。初からさうした石を選んだのか、年と共にさうなつたのか、すべて角のとれた一抱へほどの固い石のみが敷き詰められてある。峠に出る四里が間、ずつと石だゝみだと豫て聞いてゐたこの風變りの坂道を靜かに登つてゆくと、松並木の聞からは純白な富士山が到る處に仰がるゝのであつた。

 坂は嶮しくはなかつたが、少しの平地とても無かつた。唯だ打ち續いた穩かな傾斜が僅かの屈折を帶びて何處までも續いてゐるのである。車は無論通はず、荷を運ぶのは馬の背によるのである。馬はみなその石だゝみのために藁沓を履いてゐた。それでもよく躓いた。その度ごとにそれを叱り警しむる馬子の大きな掛聲がこの馬鹿長い坂路の到る所に起つてゐるのを聞くと、そゞろに昔の面影を想ひ起さずにはゐられなかつた。松並木は次第に盡きて、右も左も大きな傾斜をひろげた冬枯の野となつた。大方は草原だが、人里のある前後には青やかに大根の畑が連り、稀には蜜柑畑もあつて、色づき切つたその實の摘み殘されてゐるのもあつた。

(103) 今は次第に荷になつて來たインバネスを左右の肩に移しながら私は五町行つては休み十町登つては休んだ。勞れたわけではなかつたが急ぐこともなかつた。休めば乃ち富士が仰がれ、若しくは伊豆半島の細やかな山襞の蔭にうらゝかに輝いてゐる駿河灣が見下された。沼津の千本濱から田子の浦にかけた弓なりの松原などもくつきりと見え、その松原に寄せてゐる細かい白い波のすぢ目すら鮮かであつた。が、さうした遠景よりなほ深く私は自分の坐つてゐる路ばたから四方に廣がつて行つてゐる野原の美しさに心を惹かれた。それは全く狐色になりはてた冬深い草の野の靜けさであつた。數かぎりないこまかな柔かなうねりを追うてつらなり、其處には冬の日影と枯れ伏した草の色との極めて靜かな調和が行はれ、見れば見るほど心の凪ぎを覺ゆる眺めであつた。そして廣やかな野の靜けさに浸りながら、碧瑠璃《へきるり》の空に澄んだ富士の高嶺を仰ぐ時、いよいよ靜かに心はおちついてゆくのであつた。

 峠に着くのを待ちかね、私は路から二三町折れ込んだ野原のやゝ小高い所に登つて晝食をした。荷にしながら三島から提げて來た酒の壜を枯草の中にころがして、先づ仰向けに身體を横へた。こまかに入りまじつた茅萱《ちがや》の枯葉のさきには陽炎《かげろふ》でも立つてゐさうで、その深い草の匂ひは酒に先立つて私を醉はす樣であつた。唇うつしにちび/\と冷たい酒をなめながら、その朝特に妻の炊いてくれた強飯の結びを私は小一時間もかゝつて樂しみ貪つた。寢ては食ひ起きては飲む(104)といふ樣な子供じみた食事もさうした深い枯草の中では少しも不自然でなかつた。

 麓から峠までに小さな部落を三つか四つ通りすぎた。いづれも置き忘れられた樣な古びた村で總てが坂なりに傾斜したその通路の家々は大方いま百姓をしてゐるらしかつた。蕎麥の刈つたのが何處にも乾してあつた。或る村を通りすぎた路ばたに一人の年老いた乞食の休んでゐるのを私は見た。乞食と云つても普通の乞食ではないらしく何やら嵩《かさ》張つた襤褸包《ぼろづつみ》を背負ひそれに背を凭《もた》せて眠つた樣に坐つてゐた。私の足音にぢいつと顔をあげたが、白く延びた髪が眉あたりにも垂れてゐるのが痛ましかつた。それは私が晝食をする前であつた。長い食事を終へて再びその坂道を登つてゆくと、またこの老人を見た。今度も彼は前と同じ姿勢をして休んでゐた。被つたまゝにうなだれた羅紗帽の黒いのが油ぎつて汚れてゐた。氣味惡さと何やら一種の興味とを覺えてその前を通りすぎ、二三町も登つた頃、また一人同じ樣な老人の休んでゐるのを見た。これは振分にした荷物を足もとに置き、杖をついて立つたまゝに路傍の崖に痩せた身體を凭せてゐた。私の登つて來るのを見てゐたらしく、近づくのを待つやうにして目禮した。惶てゝ私もそれを返したが、言葉は一寸唇には出なかつた。足早に通りすぎて、二人は道連なのかそれとも別か、乞食かさうでないかと妙に胸を騷がせて私は考へた。それと共に足も早くなつて程なく峠に出た。其處の野原の枯草の中には靜岡縣と神奈川縣との境界標立つてゐた。

(105) 峠から箱根町に下るのはわけはなかつた。降りついた其處は殆んど藁屋ばかりの荒れ古びた宿場で、その裏には直ぐ蘆の湖の水が光つてゐた。湖の中ほどに見ゆる丘の上には高々と見ごとな洋館が立つてゐた。話に聞いてゐた離宮であることが直ぐ解つた。そしてこの古びた寒驛の石ころ道に自動車の走つてゐるのを發見した時にはかなり變な氣がしたが、藁屋ながらに何々ホテルなどの金文字の出てゐるのを見る樣になると却つてそれも面白く微笑まれた。箱根町を過ぎ元箱根に入ると一層この新と舊との微妙な錯雜が深くなつてゐた。此處には宿屋などもなか/\立派なものがあり、そしてそれぞれに自動車の車庫を置き裏にはボートを浮べてゐると云つた風であつた。然し紅葉も過ぎた今はこの山上湖畔の避暑地も實に閑寂なものであつた。私の見て驚いた自動車も恐らく塔の澤あたりの温泉場から湖見物に來た客であつたであらう。

 元箱根を通る頃、午後二時すぎの日は明るくこの靜かな町に射し町裏の清らかな湖に射してゐた。そして一寸の間見なかつた富士の山を思ひがけずも湖の眞上の空に見出でた時など、私はすつかり十日も歩き續けて來た旅人のやうな靜かな氣になり切つてゐた。そして急に引緊めた歩調で箱根権現の大きな鳥居の前から左に折れて湖沿ひの小徑に歩み入つた。其處から姥子《うばこ》の湯まで二里あまりの山路であるといふ。歩みながらに見る湖の水は驚くほど澄んでゐた。そして第一私はこの蘆の湖が斯う大きい深い湖であらうとは思はなかつた。たかだか榛名山の榛名湖位ゐのも(106)のと思つてゐた。が山の根から根を浸して廣がつた眺めはなかなか榛名などの比ではなかつた。そして私の歩んでゐる徑のツイ下から眞蒼に深く堪へてゐるのである。徑は初め淺い苦竹《まだけ》の藪の根を過ぎて、やがて深い林の中に入つた。藪の根でも林の中でも、その枯葉を敷いて休むと必ずその下にはぴちや/\と寄せてゐる小波の聲を聞いた。藪から切り出した苦竹の青い束を績み込んだ小船の徐ろに漕いでゐるのを見ることもあつた。林には老木が多く、蜘蛛手《くもで》にひろげた枝といふ枝はみなきれいに落葉してゐるのであつた。常磐木の殆んど無いその廣やかな落葉樹林に極めて稀に楓の眞赤の紅葉の殘つてゐるのを見た。

 湖尻《うみじり》といふ唯だ一軒の家のある所から湖に分れて右手の山を登つて行つた。そしてこの山中に、同じく唯だ一軒の湯宿のある姥子の湯に着いたのは漸く日の入らうとする處であつた。通された二階の室からは恰も眞正面に富士が見えた。鮮かな夕榮を浴びて、其處からは極めて華奢に細まつて見ゆるその頂上など、濡れた樣なうす紅いろに染つてゐた。

 其處の温泉は甚だぬるかつた。然し窟の樣になつた岩石の間から多量に迸り出るその湯は透明無比に澄んでゐた。湯槽《ゆぶね》の底にはその透明さを見せるためか机ほどの岩を幾つも轉がしたまゝに置いてその岩の間に湯垢一つ殘さぬ樣を見せてあつた。湯の深さは眞直ぐに立つて私の鼻が辛うじて出るのであつた。狹い中を泳いだりして私は身體の温まるのを待つた。

(107) 晝の晴れたと同じく、更くると共によき月夜となつた。若し夜なかに眼がさめたならば障子だけあけて見よ、このガラス戸ごしに月夜の富士が寢ながらに見えるからとわざ/\番頭の言ひ置いた通りに私はひそかに障子をあけて見た。暫くは解からなかつたが、漸く瞳の定まると共にまことに其の雪に氷つた氣高い姿が水を湛へた月夜の空に夢のやうに見えて來た。私は終に床から起つて廊下に出た。遠空の山のすがたはいよ/\明かにいよ/\寂しく、近くに垣をなして連つた山々の峰から襞は晝にもまして鮮かな光と影とを分ち、家を圍んで茂り合つた落葉樹林の枝から幹に宿つてゐる月の光はまつたく深い霜の樣であつた。

 山の高いだけ、翌朝の寒さはまた一しほであつた。湯のぬるいのを補ふために私は熱燗の酒を取つて、眞白な息を吹き/\朝早くその宿をたつた。宿の庭さきから落葉の深い林の中をとろとろと下ると其處には眼にあまる廣大な原野が開けてゐる。仙石原《せんごくばら》といふのである。二寸から三寸に及ぶ霜柱を踏み碎きながら野原の中をひた下りに二里あまり馳せ下つて、宮城野川を渡ると乙女峠の麓に出た。

 登りは甚だ嶮しかつたが、思つたよりずつと近く峠に出た。乙女峠の富士といふ言葉は久しく私の耳に馴れて居た。其處の富士を見なくてはまだ富士を語るに足らぬとすら言はれでゐた。その乙女峠の富士をいま漸く眼《ま》のあたりに見つめて私は峠に立つたのである。眉と眉とを接する思(108)ひにひた/\と見上げて立つ事が出来たのである。まことに、どういふ言葉を用ゐてこのおほらかに高く、清らかに美しく、天地にたゞ獨り寂しく聳えて四方の山河を統ぶるに似た偉大な山嶽を讃めたゝふることが出來るであらう。私は暫く峠の路の眞中に立ちはだかつたまゝ靜かに空に輝いてゐる大きな山の峯から麓を、麓から峯を見詰めて立つてゐた。そして、若し人でも通り合せてはといふ掛念《けねん》から路を離れて一二町右手金時山の方に登つて、枯芒の眞深い中に腰を下した。富士よ、富士よ、御身はその芒の枯穗の間に白く/\清く/\全身を表はして見えてゐて呉れたのである。

 乙女峠の富士は普通いふ富士の美しさの、山の半ば以上を仰いでいふのと違つてゐるのを私は感じた。雪を被つた山巓も無論いゝ。がこの峠から見る富士は寧ろ山の麓、即ち富士の裾野全帶を下に置いての山の美しさであると思つた。かすかに地上から起つたこの大きな山の輪郭の一線は、それこそ一絲亂れぬ靜かな傾斜を引いて徐ろに空に及び、其處に清らかな山巓の一點を置いて、更にまた美しいなだれを見せながら一方の地上に降りて來てゐるのである。地に起り、天に及び、更に地に降る、その間一毫の掩ふ所なく天地のあひだに己れをあらはに聳えてゐるのである。しかもその山の前面一帶に擴がつた裾野の大きさはまたどうであらう。東に雁坂峠足柄山があり、西に十里木から愛鷹山の界があり、その間に抱く曠野の廣さは正に十里、十數里四方に及(109)んでゐるであらう。しかもなほその廣大な原野は全帶にかすかな傾斜を帶びて富士を背後におほらかに南面して押し下つて來てゐるのである。その間に動いてゐる氣宇の爽大さはいよ/\背後の富士をして獨りその高さを擅《ほしいまま》ならしめてゐるのである。

 斯ういふ事に思ひ耽りながら、私は麓の茶屋で用意して來た二合壜の口をなめてゐた。頭の上にも芒、顔の前にも横にも、白けつくした穂芒ばかりのこの野の一點の靜寂は小さな壜の中に鳴る酒の音をすらえならぬものになしおほせてゐた。其處へ突然人の話聲が聞えて來た。驚いて振返ると、峠の路から折れて二人の老人が私の坐つてゐる方へ登つて來るのであつた。一人は七十歳ほど、一人は五十歳あまり、共に相當の人品で、殊に耳についたのはその二人の話し合ふ訛が、斷えて聞かぬわが生國近くのそれである事であつた。私に氣づかぬ二人は大きな聲でその烈しい訛で、頻に仙石原の温泉は何處に當るだちぅ、箱根は何方《どちら》だといふ樣な事を語り合つてゐた。私は何といふ事なく此二人の老人が可懷《なつか》しく、二人を驚かさぬ樣に注意しながらその芒の蔭からたち上つた。そして帽子を取つた。

 けれども相當に二人は驚いたらしく、同じく惶てゝ帽子を取りながら私の方に歩み寄つて來た。彼等は私とは反射に御殿場から仙石の方へこの乙女峠を越え樣としてゐるのであつた。そして私がその仙石原をいま通つて來た事を話すと彼等は喜んで私にその地理を訊ねた。別れ際にそ(110)の年若の方の老人は笑ひながら、貴郎《あなた》にはよく自分等の言葉が解る、何處へ行つてもこれで難儀をするのだが、と全く日本語とは思はれぬ其怪しい訛で私に言つた。私も笑ひながら、私も實はあなた達と同じ九州生れですよ、といふと老人は意外な表情をして、へえ左樣ですかい、この方は頭山《とうやま》滿先生のお豈樣なのですが、と傍へに立つてゐる痩形の年上の老人を紹介した。意外な處で意外な人に逢ふものだと私も思つた。そして改めて老人たちにお辭儀をした。年上の老人はにこやかに笑ひながら、この麓の東山村に來て居りますが、これから御一緒に降りるのだとお寄りを顧ふのですけれど喃《なう》、と言つて呉れた。

 老人達は峠を南へ、私は北へ『左樣なら』をした。二合の酒に醉つた私はそれから二里の下り坂をどうしてものろ/\と歩いて居られず、とつ/\と馳けながら一氣に走り降りた。そして峠から見て感心した曠野の中の一部落御殿場の驛に汽車を待つべく霜どけの道を急いだ。老人の住むといふ東山村はその途中にあつた。

 

(111)中編

 

 溪ばたの温泉

 

 上州中之條町で澁川から來た軌道馬串を降りた客が五人あつた。うち四人は四萬《しま》温泉へ向ひ、私だけひとりそれらの人たちと別れて更に五里ほど吾妻《あがつま》の流に沿うて溯《さかのぼ》り、その溪ばたに在る川原湯温泉といふにやつて來た。此處には一昨年の秋、通りがゝりに一晩泊つた事がある。今度はこの前とは違つた敬業館といふのに宿をとつた。滯在するにはその方が宜からうといふ事を度々此處に來て居る或る友人から言はれてゐたからであつた。

 この宿は大抵自炊の客のみだとは聞いてゐたが、着いた晩早々から食物の心配をせねばならなかつたには少々驚いた。自炊と云つても飯だけは宿で炊いて呉れる、頼めば汁も添へて呉れる、それだけなのだ。他は一切自分で處置せねばならぬ。私は夜に入つて其處に辿り着いたのであつたが、長火鉢の前にやれ/\と脚を投げ出すと番頭がやつて來て、先づお茶は御持參かと訊い(112)た。とりあへず鮭の鑵詰など買つて貰つて、何の氣なく醤油を女中に言ひつけるとサイダーの空壜に半分ほども入れて持つて來た。五勺とか一合とかいふのだらう。上草履も着いた晩に先づ買ひ入れた物の一つであつた。

 よほど舊い家らしく、階子段《はしごだん》の板などすべて窪みが出來てゐる。そして崖に沿うてあちこちと作り足されたらしい部屋數が隨分と多い。何れも舊式な作りざまで、見るからにうす暗さうな部屋ばかりである。幸に私の通された――と云つても着いた晩はさうではなかつたが、紹介して呉れた人がよかつたためか大變明るい、眺めのよい室に、その翌日から移ることが出來た。その代り、浴室に行くには大小六個の階子段を降りねばならなかつた。浴室と云ふより湯殿と云ひたい古びたそれは男女の分をあはせて十室ほどある。元來この川原湯温泉の湯元は唯だ一個所で、それをそれ/”\の宿屋に分けて引いてあるのであるが、この宿だけはそのほかに自家專用の湯口を一つ持つて居る。それがまた大變に利《き》くのださうだ。着いた晩、その場の方に入つてゐるとわざ/”\番頭がやつて來て、今夜お着きになつた客人は身體も勞れてるし湯にも馴れないからなるたけ長湯をせぬ樣にと注意して呉れた。少し長湯をするとのぼせる樣である。湯治效能の重なものは胃腸だといふことで、温度はかなりに高く、ほゞ無味無臭、よく澄んでゐる。

 溪ばたと云つても軒下や庭さきを直ぐ溪が流れてゐるといふのではない。流の岸から急にそゝ(113)り立つた崖があつて、其崖の端に三四軒の温泉宿を初め一つの小さな部落が出來てゐるのである。崖の根に危い吊橋が懸つて居るが、其處から落葉松などの茂つた嶮しい坂を三四町登つて來ることになつてゐる。

 で、私の部屋からは溪向うの、それも溪からやゝ小高くなつた傾斜に出來てゐる村であるが其處などは餘程眼下に見下された。長い瀬となつて流れてゐる溪を見るには、窓から少し身體を乘り出して見なければ見えないほどの急な勾配になつて居るのである。此頃よく降り續いてゐる雨は私が此處に來てから三四日毎日降つてゐたが、場所が高いだけにさまでじめ/\と感ぜずに過すことが出來た。

 眞下の崖も、宿から上の方に同じくずつと嶮しく聳えて行つてゐる山腹も、ひとしく深い木立となつて居る。そしていま柔かな若葉が一面に萌え立つて居るところだ。

 

 私が今度斯んな山奥の、たべものとても無い樣な温泉にやつて來たのは、朝夕のごた/\に勞れてゐる身を休ませる事のほかに一つの用事を抱へてゐたのであつた。この三年間ほどに詠みすてた歌がいつの間にか隨分の數に上つてゐる。それを整理して一册の歌集を編む、そのためであつたのだ。が同じ行くならば今までに行つた事のない所へ行つて見度いと先づ思つた。そして地(114)圖や噂の上で知つてゐる、自分の性に合ひさうな所を彼處此處と考へ廻した。現にこの川原湯の近くにも夙うから好ましく思つてゐた四萬温泉もあれば澤渡《さわたり》温泉もあつた。いろいろと惑つた末、結局この川原湯にきめたのは温泉そのものよりもその近くに曾て甚しく私の感興をそゝつた或る溪があるからであつた。例の關東耶馬溪と呼ばれてゐる吾妻川の或る一部の峽間《はざま》がそれである。

 この前其處を見たのは秋のずつと末、落葉の季節であつた。深く切れ込んだ峽間の、岩ばかりから成り立つた兩岸の山腹に生ひ茂つてゐる樹木は一齊にみな落葉してゐた。また思ひのほかにその岩山の木立は深くもあるし、老木ばかり揃つてゐた。瀬となり淵となつて流れてゐる深い溪をさし掩うたその裸木のさびしい木立に心を惹かれて立ち眺めながら、これでは嘸ぞ若葉のころがいゝだらうと自づと思ひ浮べられもしたのであつた。そして恰もいまうすみどりの若葉の萌え立つたところへ再びその溪間にやつて來たのである。私には先づこの事が何より幸福に思はれてならなかつた。

 然し、私の樣な昂奮しやすい者は斯うした場合によく失望を味ひがちである。或る時非常に感動して接した事で、後から見て實に苦笑にもならぬ落膽を覺えさせられた事が今まで幾度となくあつた。この溪に對してもまたさうではないか、と久しぶりに見る溪の面影を樂しく心に描きな(115)がらも少なからぬ不安を感じてゐたのである。ところが幸にしてそれは杞憂であつた。わが吾妻の溪は矢張り私にとつて甚だ親しい眺めであつて呉れた。其處の若葉も、躑躅も房の短い山藤の花もまたよくわが永い間の期待にそうて呉れた。私は此處に來て以來もう幾度となく其處へ出かけて流に沿うた斷崖の道をあちこちと歩くのを樂しんでゐるのである。

 温泉宿から十町ほど川下に下ると新大橋といふ橋が懸つてゐる。その橋に立つて川下を見るとツイ右手に白絲の瀧といふのがあり、その下手にそれより細くてあるかなきかのさびしい瀧が二つ懸つてゐるのが見ゆる。左手にも一つある。そしてずつと川上から廣い瀬となつて流れて來た吾妻川は橋を過ぐると直ぐ正面の大きな岩山の根に突き當つて形を消して居る。岩山は高さが百間程もあらうか、たゞ一面の斷崖で、いまその襞々に躑躅が眞紅に咲き散つてゐる。頭上には松が竝び、その斷崖の周圍をば他の若葉の深い山が包んで居る。普通いふ關東耶馬の溪は先づ其處から始まるのだ。橋を渡つて桑畑の中を一二町下ると思ひがけぬ足もとの木立の下に急に瀧の落つる樣なとゞろきを聞く。前の岩山に突き當つた急流はその根に沿うて岩を穿ちながら左に折れて、渦とも瀬ともつかぬ形となつて其處に流れ出てゐるのである。そして更にそのまゝの形を續けて下の方へ激しい勢で流れ下つてゐる。その邊から溪の兩岸はすべてこゞしい岩壁となり、石や砂は無論のこと轉がつた岩とても其處らに影をとゞめない。道路はその急湍を見下しながら、(116)左岸の中腹を鑿《うが》つて通じてゐるのだ。

 それは誠に恐しい樣なところがある。道の片側、溪に面した方には丁寧にずつと柵が立てゝあるが、それに手をかけながらも立つたまゝでは到底下の流の見て居られない所が多い。道から溪まで岩壁の高さがどの位ゐあるであらう。或る所では流を挾んだ岩と岩との間隔がほんの一跨《ひとさまた》ぎか二跨ぎ、二尺か三尺にしか見えぬ所がある。恰度通り合せた土地の若者にあゝ見えて實際はどの位ゐ離れてゐるのであらうと訊いたところ、どんな挾い所でも二間はあるさうだと答へて行きすぎた。その一跨ぎか二跨ぎにしか見えぬ岩の裂目の中を一河の水がくるめき合つて流れてゐるのである。上流だとは云つてもその邊り吾妻川の水量は青梅邊の多摩川の二三倍は確かにあるのである。さうした挾い岩と岩との間をくる/\くる/\渦卷きながら流れ走つてやがて一つの岩壁に突き當る。其處でまた一つの大きな丸みのある渦を上げて、更に挾く深く岩を縫うてゆく。

 私の今度見てゐる間は常に雨後の事で、水量も増し、濁つて居る。此前落葉の頃に見た時はずつと溪が痩せてゐたが、然し今とても流のすがたに變つた所はない。濁つてはゐても餘りに水の勢が激しいので殆んど何處を見ても濁りは見えず、すべて青みを帶びた白渦となつてゐるのだ。道路の場所によつてはその渦卷く水が曲折する事なくほゞ眞直ぐに岩溪の底を走つてゐるのを見(117)から眞白になつて現はれた流が濡れて黒く乾いて白い岩と岩との間を練れに練れて殆んど音をも立てないかの樣に流れ下つて來てゐる。それをぼんやり見下しながら立つて居ると自づと心に杳《はる》かな思ひが湧いて來るのである。また、更に離れた遙かな木蔭に一個所白くその渦のうち上つてゐるのを見出す事もある。其處で大抵流が曲つてゐるのだ。これもまた靜かな心を誘ふ。時にはほんの眼下に前後を若葉に掩はれた二坪か三坪の間が大きな一個の渦となつてむく/\と動いてゐる所もある。水痩せて清らかに澄んだ日にはこの邊は必ず深い淵となつて藍色に湛へてゐる場所であるのだらう。

 これらはすべて溪の流があらはに道から見下される眺めであるが、道の通じてゐる岩壁の蔭になつたりまたは木立の茂みに遮《さへぎ》られたりして見えない所がかなりに多い。然し、その響の聞えない場所とては全くない。暫く眼下の眞白な流に見恍《みと》れてゐてやがて歩みを移すと直ちに深い若葉が四邊《あたり》を包んで、その溪も向うの山も見えなくなる。そして急に前とは趣を變へて脚もとの岩の蔭から聞えて來る流の響が獨りこの靜かな溪間の空に滿ち渡る。自づと立ち止つてうしろ手を組むとか、蹲踞《しやが》んで煙草に火を點けるとか爲《し》たい樣な氣持になつて來る。さうして耳を傾けながらその響の如何によつて大抵流のすがたも想像することが出來るのだ。或る所ではしやアしやアといふ樣に聞え、或る所ではどうツどうツといふ風に響いて居る。

(118) この溪間の道の逍遙を樂しませて呉れるものに、溪の流のほかに瀧がある。土地の人の普通に關東耶馬と云つてゐるのは前に言つた新大橋から下流約十二三町の間、つまり道が岸壁を鑿つて通じてゐる間だけを言つてゐるのであるが、その短い距離を歩く間にもその對岸に六つか七つか小さな瀧を見ることが出來る。まことに小さいものであるが、普通の人には眼にもつかぬ樣なそれらの瀧に却つて私は親しみを覺えさせられた。この溪を挾む兩岸に樹木の深い事はこの前此處を通つた時の紀行にも私は書いておいたが今度聞けばすべて官有林であるのださうだ。私はどうかこの溪間の林がいつまでも/\この寂びと深みとを湛へて永久に茂つてゐて呉れることを心か祈るものである。ほんとに土地の有志家といはず群馬縣の當局者といはず、どうか私と同じ心でこのさう廣大でもない森林のために永久の愛護者となつてほしいものである。若しこの流を挾んだ森林が無くなるやうなことでもあれば、諸君が自慢して居るこの溪谷は水が涸れたより悲慘なものになるに決つてゐるのだ。

 その深い岩山の森の奥に湧く水はかなりに豐かであるらしい。山全帶が凸凹屈曲のはげしい岩山であるために一個所に湧いた水は唯だそれだけの小さな路を作つて細々と溪の方に流れ出て來る。幾つもの泉から落ち合つて大きな流を作ることをしない。その小さな流の末が溪に落つるに當つて、殆んど悉くあるかなきかの寂しい瀧となつて岩の間に懸つてゐるのである。苔にくるま(119)つた老木の根がたから一すぢの糸となつて垂れてゐるのもあれば、黒く濕つた岩壁の廣い片隅に何とも云へぬ清さ靜けさ柔かさを持つて、ほそ/\と流れ落ちてゐるのもある。餘程高い所から落ちてゐても、大部分は木立に隱れて見えず、僅かにその末の雪の樣に亂れ散つてゐるのが見ゆる所もある。滔々と流れ下る大きな瀧に對して私は多くたゞ珍奇の感をのみ感ずるが、これらあるかなきかの夢のやうな瀧に對つてゐると、心の底に沈んでゐた人間の寂しさやものなつかしさがあからさまに身體を浸して來るのを覺えがちである。

 

 新大橋から下流十二三町、道の右手に木柵の盡きた所、即ち岩壁を出外れた所で馬車屋などのいふ關東耶馬の溪は終る。其處から更に二三町桑畑中の道を下ると雁が澤橋といふがある。それを渡つて小高い所に出るとずつと下流に當つて打ち展けたいはゆる吾妻高原を遠望することが出出る。見渡すかぎりおだやかな傾斜を帶びた數十百の丘陵が恰もいま※〔女偏+漱の旁〕黄色《もえぎいろ》に萌え立つた若葉を被つて、波浪の樣にうねり亙つてゐるのである。そしてその中央どころに影は見えないが吾妻川の流れてゐるのが解る。夏のはじめの雲は其處に此處に眩しい光を含みながら散らばつて、見るからに爽かな大きな眺めを成してゐる。

 それから背後を振返るとツイ眼の前に當つて恰も掩ひかぶさる樣に道陸神《だうろくじん》峠といふ嶮しい山が(120)聳えて居る。殆んど岩石から成り立つて形怪しいその山の複雜した襞から襞にかけても同じくまだ青み切らない柔かな若葉が濃く薄く萌え立つて居る。そしてその幾重にか折り疊まつた鋭い峰の向う側には底深い光を宿した初夏の空がくつきりと垂れ下つて、險しくは見えても案外に奥の淺いその山を孤立したものゝ樣に浮き上らせて見せてゐるのである。まつたくこの山は附近に連亙した群山の中で一つだけ立ち離れた姿をもつて聳えて居る。わが道陸神の溪は、――關東耶馬溪とはどうも感心した名稱でない、本物の耶馬溪すら山國川といふのを漢字音にもぢつたものだといふではないか――實にその山の根を穿つて流れてゐるのである。遠く吾妻高原の遙かな風景を望み、顧みてまた道陸神峠の向う側に實に高く實に長く連亙した群山を仰いだ心で見ると、何と云つてもこの不思議な形をもつて流れてゐる溪流は大自然のなかに寄生してゐる一小風景に過ぎぬと思はざるを得ないのである。さう思ひながら眼前の嶮しい峠を仰ぎ、その麓の溪の流をおもふと、私にはまた一種の可懷《なつか》しい微笑が浮んで來るのである。

 雁が澤橋を渡つて下ること二町ほどの所に北に折れて川中温泉といふへゆく小さな徑がある。その分れ目の所に一軒の茶屋がある。私は自分の温泉宿を出て溪間をその茶屋まで下つて一本の濁つた麥酒を飲んではまた谷奥へ引返すのを常とした。さうして渇いた喉を沾ほした微醉の身で長い瀬と白い渦との靜かに流れてゐる峽《はざま》に入り込むと、もう其處には寄生風景も大自然も何も(121)かもない、唯だ靜かなおだやかな心境のみがあるのを感ずるのだ。

 

 呼子鳥が啼いてゐる。來た當座は聞かなかつたが、一昨日あたりから頻りに啼く樣になつた。聞けることゝ樂しんで來た杜鵑も郭公も土地にゐないのか季節のせゐかまだ一度も啼かぬのに漸くこの鳥を聞いて安堵した。この湯に釆て既《も》う八日を經てゐるのだ。初めよく降つた空も昨日あたりから晴れて來た。これで漸く天氣も定るのだらう樣に思はれる。

 爲事は一向にはかどらない。この二三年に詠んだ歌を寄せてみると案外にも千首を越してゐた。それを机の上に置いて何とも云へぬわびしい思ひで眺めながら清書することにすら苦しくてゐる。歌を見るとよく解る。一昨年の今日は山城の比叡山に登つてゐた。昨年の今頃は上州の榛名山に登つてゐた。毎年この若葉の頃になると必ずの樣に家を出て旅をして居る。私にとつてよく/\心の落ちつかぬ季節らしい。その時々の歌を見ればそれが解る。今度はその歌すら出來ないで、唯だ出たり入つたり湯にのみ甘えて居る。そして晴れゝば例の溪間へ出かけるのだ。

 二三日うち、私は持つて來た爲事を斷念して此處から草津に登り白根山を越えて信州の澁温泉の方へ出たいと思つてゐる。(五月十八日上州川原湯にて)


(122) 上州草津

 

 五月廿日、朝五時、川原湯温泉を立つた。荷になるものをば全て昨日小包にして自宅へ送つて置いたので、ほんの身ひとつに尻端折である。宿の老母や娘たちまで出て見送つて呉れる。恰度その溪ばたの湯に十日ゐたわけだ。

 幸によく晴れた。道はずつと吾妻川の溪流に沿うて溯る。自分の歩くところは久しい間溪沿ひのひやゝかな山の蔭となつてゐたが、峰から峰にかけての若葉に射す朝の日影は、近來にない鮮かさであつた。雨後の濁りが漸くとれて、今日あたり溪も清らかに峽間の岩を浸してながれてゐる。

 溪に沿うた一すぢ町の長野原を出はづれると淺間が見えた。煙は極めてほのかにそのまろやかな頂きに纒りついてゐる。その山のずつと右手の空にそれとは違つて嶮しく聳えた山脈が仰がるる。七八合頃までは森林帶らしい墨色で、それから頂上にかけてはとつぷりと深い雪なのだ。行き合せた荷馬車屋に訊いてみると案のごとく白根山から澁峠にかけての山であつた。近々あれを(123)越えて澁に出ようといふのだ。

 一昨年の秋、通りかゝつて何といふ事なく非常に親しく眺められた道下の小學校には今日もまた頻りに生徒の集つて來る時刻であつた。先生をとりまいて田甫の道を來かゝつてゐる者もあれば既に運動場で機械體操にぶらさがつてゐる者もある。附近に人家とてもない廣い山の窪のまんなかに建てられたこの小學校は矢張り私にとつて親しいものであつた。そのあたりから道は溪に直接に沿はなくなり、斷えず淺間を前面に仰いでいかにも高原らしい所を通つてゆく。沿道の村は大掃除らしく、とびとびの百姓家がみな疊から養蠶具を道路に出して乾してゐた。

 日影といふ折から右に折れた。これからが草津街道なのだ。石から石に傳ふ小さな溪に沿うて山窪の登りになつて居る。折れて間もなく數臺續いた荷車の列に追ひついた。績まれたものゝ一部分が斯うした山中にふさはしくない現代式の食料品なのを見ても温泉道らしい心地がする。それにしてもこの石ぼこ道をこれから三里餘り引いて登るのは大抵ではあるまいとそゞろに馬が眺められた。

 僅かの違ひでも川原湯あたりに比べるとこの邊は更に春が遲い。いま楢などが芽をふきかけてゐる。附近一帶にその木が多く、まだうす黄いろい若葉の木の並び續いた野窪には若草が萌え揃つて、そして杜鵑が啼いてゐる。大抵高い山とか探い森とかで聞きなれたその鳥がまだ充分若葉(124)もしない高原の木立のなかで啼いてゐるのは珍しかつた。まだ時間が早いので、溪に降りたり、楢の木蔭に行つて見たり、休み/\登つて行く。振り返れば到る所から淺間が見られた。登れば登るだけ、その山もまた高く大きく眺められた。煙の迷つてゐるあたり、雪がまだらに殘つてゐるのだが、日光のせゐか馬鹿に美しく輝いて見えた。

 野原が盡きてやゝ木立の深い溪間になつた。山腹の其處此處の山櫻がうす紅くまたほの白く咲いてゐる。この花を今年初めて見たのは先月の、四月の十日に安房の海岸に行つた時であつたが、それから四十日を經た今日またこの山國で見ることになつた。道下の溪ばたにその木の大きなのがやゝ褪せながら咲いてゐた。その根がたに私の好きな虎杖草《いたどり》が伸びてゐるのをも見出して――喉が渇いても草津から流れて來るらしい溪水をばよう飲まなかつた。そしてその代り行く行く虎杖草を折つて食つて來たのだ――其處へ降りて行つた。そしてその肥えた柔かな草を噛みながら櫻の根の岩に腰をおろして仰ぐともなくその咲きみちたこまかな花を仰いでゐると、吹く風もないのに斷間なくちら/\と散つてゐる。そしてその花の咲いたまんなかどこの小枝に一羽の小鳥のゐるのを見出した。花より先に萌ゆるといふこの木の若葉よりも小さなほどの鳥で、しかも實に澄んだ高音をあげて啼く。

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

(125) 聞いてゐると、鳥のからだ全體がその音色ででもある樣に、その小さな姿などは目に入らずに、澄んだその高音のみが花の間から落ちて來るのだ。よく聞くと何處か遠くの方にもこれと同じ鳥がゐて同じく高音を張つてゐる。

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

 私の岩を離るゝまでその小鳥はその木のなかで啼いてゐた。溪間を通り拔けると行く行くまた杜鵑の聲を聞く。

 多少の人家や畑などある所を過ぎて、落葉松林の中に入つた。この木も、諸所に立ち混つた白樺の木も、いま漸くそのみどり深い葉を出した所で、奥知れぬ林からはその新しい脂《やに》の匂ひが嗅《か》がれさうにも思はれた。そしてこの稚木の林は野の起伏に伴うて西に束に實に限りなく連り亙つてゐるのである。そしていま自分の歩いてゐる所がいかにも廣大な高原の上に在るのに氣づかずには居られぬほど、四邊《あたり》の眺めが開けて來た。やゝ勞れの出た前後を包む眩しい日光までさもひろ/”\と乾いて感ぜらるる。

 此處から見る淺間山は甚だすぐれた姿を示して居る。おほらかに聳えた頂上から、充分にのびのびと左右に延びて行つた裾野全帶が少しも隱るゝ所なく眼界の中央に置かれてあるのである。(126)ことにその廣やかな裾野の見ごとさよ、六里ヶ原と呼ばれてゐる一部の高原などはさながら手で掬はれさうにも親しく其處に見下されてゐる。一昨年の秋、其處をよぎらうとして苦しんだ記憶などがそゞろ微笑と共に患ひ出されて來た。淺間から左手の空には次から次とそれ/”\の形をとつて數知れぬ山が並び立つて居る。霞むともなく霞んだ雲と光との中に妙義、榛名、赤城、少し離れて越後境の三國峠位ゐはそれらしいと推量出來るが、その他は地圖をひろげても見當がつきかぬる。

 山腹に沿うた道はやがて峠らしい或る廣場に出た。其處には明和六年云々と刻んだ古い石の塔などが建つてゐて、四萬、澤渡方面から登つて來た山道も其處で落ち合つてゐる。廣場を越えてとろ/\と二三丁降りてゆくと並木の樣になつた木立が見えて、草津の取つきらしい場末町の原の傍《かた》へから起つてゐる。此處も大掃除らしく、種々雜多な家財が日向の道に所狹く並べられてあつた。更にその町すぢを二三丁、とある廣やかな坂の上に立つとその下から右に折れてやゝ細長い窪地一帶にかけ、ぎつしりと大小さま/”\の人家が建ち並んでゐるのであつた。そして濛々たる湯氣が一種の匂と共に其處此處に立ち騰つてゐる。

 坂を降りて突き當りの一井旅館といふへ入る。西洋まがひの大きな建物だが、今は餘り客はないらしく、ひつそりとした二階の一室に通さるゝと共に私はぐつたりと横になつた。時計は十二(127)時を少しすぎてゐた。歩いたのは僅か五里ほどだが、何といふことなくひどく疲れた。川原湯滯在の湯づかれが出たのかも知れない。

 硫黄色に濁つた内湯に入る。この地の湯は直ちに人の皮膚を糜爛さすと聞いてゐるので、まさか一日や二日ではと思ひつゝも何となく氣味が惡くて長くは浸つてゐられない。匆々に出て晝飯を呼ぶ。一杯飲みながら縁さきの欄干の蔭にまだ充分さきかねてゐる櫻の蕾をぼんやり眺めてゐると、突然一種異樣なひゞきの起るのを聞いた。笛とも喇叭ともつかぬ、話にきく角《かく》といふのゝ音《ね》いろが斯うではあるまいかと思はるゝ寂しい響である。そしてそれは私の室のツイ前面に建つて、多角形をなしたペンキ塗の建物の中から起つてゐるのだ。その建物は疑ひもなく浴場である。さう思ふと私は直ぐ感づいた、噂に聞いてゐた草津の時間湯の浴場が其處で、あの笛はその合圖に相違ないと。そゞろに私は盃をおきながら縁側に立ち出でゝその笛に耳を傾けた。

 案のごとくその異樣な響の止むか止まぬかに何處からともなく二人三人、五人六人づゝ怪しい風態《ふうてい》をした浴客が現れてそのペンキ塗の家にぞろ/\集つて來始めた。まことにそれは何といふ不思議な、滑稽な、みじめな姿であることぞ。普通にちやんとした足どりをとつて歩いてゐる人とては殆んど一人もない。大抵は跛足《びつこ》を引いてゐる。跛足といふよりは身體を捩ぢ曲げて歩いてゐるのだ。兩手で杖に縋つてゐるのもある。すべて湯の強さにあてられて皮膚の糜爛を起してゐ(128)る人たちであるのだ。男あり、女あり、皆褞袍姿で、それ/”\に柄杓を持ちタオルを提げ、中には大きな聲で唄か何かをどなりながら、えつちらおつちらやつて來るのである。やがて浴場内では拍子木の鳴る音がした。

 私は大急ぎで飯をすまして其處に出かけて行つた。そして恐々ガラス戸の破れから中を窺き込んだ。三四十人の者が裸體になり、手に/\一枚の板――幅一尺長さ一間ほど――を持つて浴槽内を掻き廻してゐるのである。初めはさうでもなかつたが暫く見てゐるうちにその攪拌の調子に一絲亂れぬ規律が出來て、三四十本動いてゐる板の呼吸が自らにしてぴたりぴたりと合つてゐるのに氣がついた。しかも時のたつに從つてその調子はいよ/\烈しくいよ/\整然となつて來た。そして板の音と泡だつ湯の音とのほかは、寂然《じやくねん》として聲がない。間々、『ハ、ドツコイ/\』といふ風の懸言葉がそちこちから漏るゝばかりである。そのうちにとある一人が聲を張つて或る節の唄を唄ひ出した。すると一同これに應じて、『ハ、ドツコイ/\、ヨイシヨヨイシヨ』と囃すのだ。一人が終れば、それを受けてまた他の一人が唄ふ。すべてみな同じ節なのだ。唄ふ者も、囃す者も、みな呼吸迫つた眞劔な聲である。初め氣がつかなかつたが、湯を攪《か》き立てゝゐるなかには四五人の女も混つてゐるのだ。男同樣兩足を踏んばり、眉を怒らし、聲を合せて、『ハ、ドツコイ/\』と囃してゐる。ザブリ、ザブリといふ湯の音も何となく鬼氣を帶びて、物を噛む(129)樣にひヾいて來る。

 私は一心にそれらを見詰めてゐるうちに自づと瞼の熱くなるのを感じて來た。今は珍しさや好奇心などの境ではなくなつて、一心になつた多人數の精神が其處に一種の物凄さを作つてゐるのを感ずるのだ。見たところ、さして眼に立つ病人風の者はゐない。が、斯うした荒行の入浴法がどうしても人に或る眞劔さを覺えさせずにはおかぬらしい。それが相寄つて一種の鬼氣を成してゐるのである。草津といふと梅毒を聯想する位ゐだけれど、その患者ばかりがさして多いといふのでは無いさうだ。

 再び拍子木が響くと一同ぴたりと板を止めて、やがて隊長といふのゝ命令に從つて極めて靜肅にいま攪きたてた湯の中に浸るのだ。そんなに攪き廻した後でも湯は尚ほ百二十度から三十度の熱を持つてゐるといふ。入浴中は絶對に不言不動、誤つて身を動かせば自身のみならず同浴者の皮膚をも傷ふものださうだ。さうした心身不動の入浴時間は正に三分間に限られてあるのである。

 その三分には湯揉みの時とまた異つた嚴肅さがある。靜まり返つたなかに、時々たゞ隊長の號令が響く。それ/”\意味ある言葉なのだが、我等には唯だ『ウオー、ウォーン』 『ウォーン』といふ風にしか聞えない。その『ウオーン』に對して齒を喰ひしばつた入浴者一同はまた一々『ウオー』『ウオーイ』といふ含み聲で應ずるのである。試みにぞの隊長の號令をその順序に書いて(130)見ると、

『宜しくばそろ/\下りませう。』

『揃つて三分。』

『改正に二分。』

『限つて一分。』

『ちつくり御辛抱。』

『辛抱のしどころ。』

『サツ宜しくば上りませう。』

 即ちこれだけで終るのださうだ。

 見終つて何となく頸の重くなつたのを覺えながら、私は其處を離れた。恰度そこへ宿の番頭が來て見物の案内をしようといふ。それをば斷つて自分一人でぶら/\歩いてみることにした。私の見た時間湯(それは熱の湯と呼ばるゝのであつたが、其他全部で六個所に在り、それ/”\毎日四囘づゝの入浴にきまつてゐるのだ相だ)の直ぐ側にまた眼を欹《そば》だたしむるものがあつた。湯畑といふので、やゝ長方形になつた五十坪ほどの場所一面に沸々として熱湯が噴出してゐるのである。一面に大小の石が敷き詰められてあるが、硫黄が眞黄に着いたそれらの一つ/\の蔭から間(131)斷なく湯の玉の湧きつらなる樣は誠に壯觀である。場内には幾つかの大きな桶の樣な物が設けられて硫黄を採つてゐる。

 徳川三代將軍が其所の湯をどうかしたといふ札の掲げてあるその柵に添つてとろ/\と曲り下れば旅館や商店のぎつしりと建ち竝んだ狹苦しい賑かな街路に出る。宿屋などは下よりも二階三階と次第に大きく造られた樣にも見えるものなどがある。その狹い、傾斜を帶びた街を例の身體を曲げたり杖に縋つたりした連中が裾をばはだけて歩いてゐるのである。その街を通りすぎた所に一つの激しい溪が流れてゐる。何の氣なしにその側に立寄ると、思ひもかけぬかなりな熱氣がむつと面を撲《う》つて來た。即ちこの溪は諸所に湧いた温泉の末が一つの溪流を成して流れ下つてゐるのである。

 その湯に沿うて尚ほ少し下るとその道の行きどまりになつた所に瀟洒な裸木の門があつた。誰に訊くまでもなく私はそれも兼ねて噂に聞いてゐた癩病患者の入浴場と定めてある湯の澤であることを直覺した。そして何となく其處に脚をとゞめて歩み入る事を躊躇してゐると恰も私の前に來かゝつた十二三歳の少年があつた。それを見てその側の荒物屋の店の中から内儀らしいのが、聲かけた。

『××屋に油があつたか。』

(132)『うゝん、彼處になかつたから△△屋まで行つて來た。』

 と言つて提げてゐた小徳利を振り上ぐる顔を見ると、この少年が即ち例のいたましい病者であるのであつた。

 それを見ると愈々その門内に歩み入る勇氣が失せて、私は先刻《さつき》時間湯を見た時と同じ樣な心の寒さを覺えながら引返した。振返つて見た門の内には何やらの木立と共に小綺麗な家が竝んで、人影の見えぬ二階には明かな夕日がさしてゐた。一並びの家並《やなみ》を挾む狹い澤の片側にまたその夕日の赤いのを見た。

 山道であつたり、道草を食つたりして來たにせよ、今日歩いた五里の里程に合せて私の疲勞が普通でなかつた。殊に身體より心の方が餘計に疲れてゐた。そして妙に感傷的になつて、見るもの聞くものにつけ、すべて可笑《をか》しいほどおど/\する樣になつてゐた。さうした心に映つた草津は、この大きな高原の窪みに出來てゐる年古りた温泉場は、餘りにも不思議な境界であつた。今までに知つてゐる温泉場に較べて手触りが餘りに異り過ぎ強過ぎた。いはゆる湯治の覺悟で來るならば又此處ほど信頼出来る湯はあるまいと思はれたけれど、ことに自分如き毒氣の多い身體を持つたものは一度は是非ゆつくりと浸つてこの不思議な湯の力を浴び度いものとは思はれたけれど、兎に角一夜泊りの身にとつては何となく親しみ難いものがあつた。一巡り町を巡つて宿に歸(133)つて來ると故知れぬ心細さが病氣の樣に身を包んでゐた。實は二三日此處に滯在してそれから信州の澁温泉に越すつもりであつたが、いかにも氣持が落ちつかないので明日すぐ信州の方へ入り度いと患ひ立つた。そして明日の山道は七里からあると聞いてゐたので餘り好きではないけれど馬で越さうと思ひ、その事を宿の番頭に頼んだ。すると途方もないといふ顔をしながら、とても今の雪では馬など通はないといふのだ。それでは案内者を頼んで呉れ、と言ひ置いて、この落ちつかぬ心を消すために夕飯を待ちかねて酒を取り寄せた。

 飲みかけてゐると例の笛だか喇叭だかゞ鳴り出した。夕方の入浴時間が來たのである。なるほど、一個所でなく其處でも此處でも鳴つてゐる。そして庭を距てた前面の浴場からは程なくゴツトン/\といふ板の音が聞え始めた。次いで、その寂しい唄が其處此處で起つた。

 聞いてゐるうちに私はその唄の節に記憶のあるのを思ひ出した。水産學校の生徒がよくうたふ唄だとか云つてずつと前に或る種類の女から教へられたことのある『三浦三崎でよう、どんと打つ浪はよう、……』といふ、あの節である。唯だ記憶にあるそれは如何にも海の上で唄ふにふさはしい明快な調子であつたが、いま眼の前に聞く湯揉みの唄は何とも言へぬ單調と重苦心さとを帶んで聞えて來るのであつた。男ばかりでなく、間々女の唄ふ聲も混つて聞えて來た。

 そのうちに附近に料理屋などあるらしく賑やかな三味線の音が聞え出した。宿のツイ裏手の(134)山の上にも雪の殘つてゐるほどで、夕方かけて増して來た寒さと共に其處らに立ち騰《のぼ》る湯氣が次第に深くなつた。そしてその中にそちこちとうるんだ樣に電燈が點つてゐるのである。湯揉みの板の音がいよ/\烈しく、その唄も次から次と續く。そしてその間には料理屋の三味線の騷ぎが聞え、按摩の笛も混る。

 やがて番頭は甚だ恰好な案内者を見つけた事を知らせて呉れた。よく睡れ、よく睡れ、と願ひながら充分に醉ひ切りもしないで惶てゝ私はうらさびしい床に入つた。

 

(135) 草津より澁へ

 

 五月廿一日 曇 のち晴

 案内者は六十歳近い老爺であつた。見るからに好人物らしいのが先づ私の心を輕くした。昨日までの日和下駄を草鞋に代へて出掛ける。午前六時であつた。庭さきの時間湯では早や既に例の湯揉みの板が烈しく鳴り出してゐた。左樣なら不思議な時間湯、いつか私もお前の厄介になりにやつて來度いものだ。

 この窪地の温泉町を出外れると直ぐ落葉松林に入つた。道はこの廣大な高原の傾斜と共に斷えず輕い登りとなつてゐた。限りなくつゞいた落葉松の高さは一間半から二間ある。土地が寒くて瘠せてゐるため、樹齢はこれでも既に三十年を越えてゐるだらうと案内者の吉田孝太郎爺は言つた。すべて官有林であるのださうだ。そしてこの落葉松林の中の其處此處にはこの林の枯枝を拂ひ下草を刈る事によつてのみ生活を營んでゐる人たちが棲んでゐるといふ。

『ぞれア人間といふのは名ばかりだアね、第一米といふものを喰はねエで生きとるだからナ。』

(136) 孝太爺は斯う言ひながら、前こゞみになつてのそりのそりと私の前を歩いて行く。

 郭公が啼いてゐる。戀しい聲であつた。朝曇のうそ寒い空には雲が低く垂れて、果のないこの落葉松林を掩うて居る。その間で唯一弱が啼いてゐるのだ。初めはやゝ離れたあたりで啼いてゐたが次第に聲が烈しくなり、我等の歩いてゆく近くに啼き移つて來た。そして四五町さきのたけ低い林の梢から梢を飛ぷ姿まで折々見え出した。案外に大きい鳥である。僅かに芽を吹いた林のうすあおいうへをすれ/\に餘り敏捷でないその鳥の飛ぶ姿は耳近く聞くその聲と共にあはれに寂しいものであつた。

『あれはハツポウ鳥だアね。』

 老爺は私の注意深い姿を振返りながら言つた。

 落葉松林の次第登りになつた傾斜のはてに全部白々と見ゆる枯木の原が私の目を惹いた。まことに針の様に一本々々が眞白く立ち竝んでゐるのである。何年前とかの白根山噴火のあとだといふ。その枯木林に續いて山は次第に灰白色となり、薄い代赭色《たいしやいろ》となつて其處に鋭い白根山の頂上が見ゆる。今は煙も斷えてゐるといふが、脚早いうす雲が感の樣にそのあたりを走つて居る。枯木林から少し下つては白い枯木と殆んど眞黒く見ゆる針葉樹との相混つた廣い林となりやがてこの落葉松林となつてゐるのだ。

(187) それらの林の其處此處に雪が望まれたのだつたが、草津から一里半も來た頃には落葉松の林の盡きると共に我等の脚もとに埃によごれたその大きなかたまりがぼつ/\と見ゆる樣になつた。いつもさう爲《し》つけてゐるらしいとある場所に來ると、孝太爺は道からそれて、

『此處で一服やつて行きませう、これから上は雪になりますだデ。』

 さう言ひおながら、負つてゐた荷をおろし岩の上に腰かけた。薄日が雲を漏れて、きたない其處らの雪の上にさして來た。私も老爺の側に行つて腰をおろす。

 曇つてはつきり見えぬが、其處からはよく遠望が利いた。淡い光を宿した雲から雲の間に竝び立つてゐる遠い山の影は昨日草津までの途中で見たより更に廣く更に遙けく展開して眺められた。何と云つても其處からは淺間が最もよい。高山に登らねば高山の姿はわからぬといふ、輕井澤や小諸あたりから見馴れた淺間とは思はれぬ位ゐ秀れた高さ大ききを持つて中空に聳えてゐるのである。晴れゝばその向うに富士も見えるといふ。日光の具合か、上野下野方面の山は多く雲にかげり、越後境の連山はその輝いた積雪と共にはつきりと見渡された。この年老いた案内者はどれを尋ねても殆んど判然と山の名をば知つてゐなかつた。

 眼を落すと海抜四千五百尺の高さを以つて誇つて居る草津温泉が遙かな眼下の高原の一點に僅かにほの白く見下された。その邊一帯は草野に似た落葉松の原が續き、少し登つて右手には枯木(138)と眞黒な老樹との混つた荒れはてた、原始的な山林がゆるく浪打つた山肌なりに廣々と起伏してゐる。曇つてゐるだけに却つてこの手近な一郭の眼界は或る沈んだ明瞭さを以て見渡された。その明るく澄んだ原野の何處でか、唯だ一つ例の郭公の啼いてゐるのが聞ゆる。地を打つ樣な斷々なその聲は、聲から聲を追つて少しの斷間もなく眼下の廣大な窪みの中から起つてゐるのである。

 そのさびしい聲を耳に殘して程なく我等は其處を去つた。そしてとある山の背を廻つて今までとは異つた方角の一つの境界に面する事になつた。それと共に雪も多くなつて、雪と土とを半々に踏んで歩く樣になつた。その道から右手向うの澤にずつと打ち開けて眺められた森林は思はず私に驚きの聲を擧げさせた程見ごとなものであつた。其處には噴火の時の影響が全く無かつたらしく、少しも荒らされた痕《あと》がなくて、昔ながらの森のままに深々と靜もり茂つてゐるのだ。矢張り眞黒く見ゆる針葉樹林で、老爺に訊くと樅《もみ》、栂《とが》、があらなどの樹木から成り、諸所さうじの木の落葉した白い梢がうつすら赤みを帯びて混つて見えた。さうじの木とはあとで白樺の方言であることを知つた。があらとは栂によく似た木で、土地の者はこの木で專ら箸を作つて職としてゐるといふ。その老木たちの黒い葉や枝は全く曾つて見たことのない鮮かな深いつやを帯びて私の眼に映つた。ことにこの大森林を美しく見せるのはその森全體の地面に置渡して枝葉がくれに見えて居る雪である。雪もまた他の露出した場所に凍てついてゐるのより遙かに清らかに見えた。(139)何と云つても既う五月の末である。この高山の森にも今洽く春が廻つて來つゝあるのであらう。この見ごとな森は我等の通りかゝつてゐる山腹の根方の廣い澤全體を埋め、更に遙かに延びて向うの峰まで及んで居る。先刻《さつき》郭公の啼いてゐたあたりの荒れた森といひ、この茂つた森といひ、共に私としては生れて初めて見る種類のものであつた。

 その森を眺めながら或る澤の雪の傾斜を登りかけてふいと孝太爺は立ち止つたが、いま私どもの立つてゐる足の下の雪の深さは十間からあるだらう、そして七八間の下の深い所に橋が埋つてゐるのだと言ひ出した。今年は三四十年目の深い雪であつたさうだが、それにしても餘りの事に私は舌を卷いた。その澤を通り過ぎて芳の平といふに出た。其處で白根山の噴火口道、及び萬座山中の萬座温泉に行くべき道は分れて居るのださうだ。そして夏にでもなれば茶店が出るさうだが、いまはたゞ一面の雪の原である。仰いで見る噴火口の赤茶けた山嶺には相變らず雲が忙がしく流れてゐた。その芳の平に二つの小さな弛があつて、近年まで浮島が浮いてゐたさうだが、今は無くなつてゐた。その側を通り過ぎて少し行くと急に山が嶮しくなつてあたりが一面の森となつた。雪はいよ/\深くて、全然もう地の影など見ることは出來なくなり、栂だの、があらだのゝ枝や幹が雪の中から折れ傷《いた》んで現れてゐる。

 今までにもさういふ所があつたが、その邊からは全然道路といふものを見ることが出來なくな(140)つた。そして案内者は單に自分の見當をたよりに栂や樅の梢の出た雪の上を何處といふ事なく登つてゆくのだ。これも生來初めての經驗なので、私は初め浮かれ心地に面白がつて登つて來たが、山が次第に嶮しく、遠くも近くもすべて雪に掩はれた森の中に入るに及んで自づと一種の恐怖に捉はれ始めた。恐怖とまではゆかずとも、一目見るにも一歩踏むにも少しもゆるがせにせぬ嚴肅な氣持である。

 思ひもかけず此處で杜鵑の聲を聞いた。恰度霧の樣な雲が我等の周圍を掠《かす》め走つてゐる時であつたが、かなり離れた方角で極めて突然にしかも惶しい聲で啼き始めた。その聲の方を振り返つて見ると山續きの向うに同じく雪が一面になだれて壁の樣に嶮しく聳えたあたり、黒い縞を成して樹木が亂れ立つてゐる。その邊からその鳥の聲は落ちて來るのであつた。者爺のあとにくつ付きながら、五尺八尺と老木の梢ばかりが現れて靡いてゐる雪の山腹を歩むこと半道ほどで、漸く峠に出た。この澁巓は草津から峠まで三里、峠から澁まで四里あるのださうだ。

 峠には風があつた。今歩いて來たとは反對の溪間から雲のちぎれが頻りにまひ昇つて來るのであるが、それでも峠の附近僅かな平地には薄々とした日が射してゐた。以前あつたといふ茶屋のあとが幸に風をよけ、日を受けてゐるので、其處に虎杖草《いたどり》の枯枝を折り敷き更に茣蓙を敷いて晝飯の席を作つた。時計は十一時であつた。何よりも先づ私は持たせて來た酒の壜を取り出した(141)が、さほどとは思はなかつた山の雪の意外にも深いのを知つたので、とても飲む勇氣はなかつた。僅かにちびり/\と舌のうへに零《こぼ》すのだが、その味ひはまた格別であつた。孝太爺も用心してほんの型ばかりしか受けなかつた。

 我等の坐つて居る山の背は恰も信州と上州との國境に嘗つてゐる事を知つた。坐つて左手に見やる山から山は上州、右手に見下す雲がくれのそれらは信州の峰である。風の當るせゐか日光のためか、我等の坐つた附近の木の根がたなどにはほんの僅かばかり雪が解けて地面の表はれた所がある。そして其處をば必ず微かな水が流れてゐる。氣をつけて見るとそのかすかな木の根の雪解《ゆきげ》の水も或るものは上州に向つて流れ或るものは信州の方へ清らかな筋を引いてゐるのであつた。

 歩いてゐるうちは汗をかいてゐたが、暫く休んでゐると寒さのきびしいのが解る。とにかく風もひどいのだ。充分に休みもせず、飯を終ると直ぐ出かけた。

 雪は更にこちら側が深かつた。併し下り坂なのと木が少いのとで、今度は老爺より先に立つて兩手を振りながら驅け出したりした。が、中には怖い所があつた。何百間か何千間かの高い斜面の雪がまん中どころに多少のふくらみを帯びてなだれて居る。そのふくらんだあたりを横に切つて通るのである。身體をも斜にし一歩々々其大斜面の雪を抱く樣にして通りすぎた。

(142) 一里半も雪の中を下つて一つの打ち開けた澤に出た。そして其處に草津を出てから初めて一軒の小屋を見た。例のがあらの木で箸を造る者の住んで居る小屋である。知合と見えて案内の老爺は私を誘つて小屋の中に入つて行つた。中には一人の痩せこけた男が大きな爐に榾《ほた》を焚いて、木屑の中に坐つてゐたが、やがて※〔者/火〕立つた鑵子《くわんす》から澁茶を酌んで呉れた。『旦都は峠のものがまだ殘つてるだらう、此處まで來ればもう安心して飲んでいゝから』と孝太爺の出して呉れたのを自分も飲み、爺や小屋の亭主にも勸めた。茶飲茶碗に二三杯づつしか無かつたが、それでもいゝ氣持になつた。

 其處へまた戸をあけて男が二人入つて來た。一人は五十歳位ゐの土地者で、一人の二十五六歳の若者は洋服をつけて髯《ひげ》を立てゝゐた。二人は小屋に入るなり酒と鑵詰とを出して飲み始めた。そして空壜を側に置いてぼんやりしてゐる我等に勸めて呉れた。洋服の男がこれから草津へ越えるので、一人はそれを此處まで見送つて來たものらしい。

 一二杯馳走になつてゐるうちに小屋の亭主と四十男とは此頃一緒に飲食した時の割前の事で口論を始めた。次第に聲高になつて行つたが、どちらつかずに納まつた。そして今度はとりなし顔に持ち出きれた婿取話に花が咲いた。

『お前ん近くに心當りは無えかなア。』

(143)『さうよ、あるにはあるが、片眼が不自由だデよ、年は三十一二で丁度いゝがなア。』

『片輪ぢア話にアならねエ、第一客商賣ぢアねエか。』

『さうよなア、それもさうぢやが二人も子供があつちやア、さうちよつくらちよつと婿になり手も無からうに。』

『どうだね、僕がならうかナ。』

 さう洋服の若者が茶々を入れて笑ひ話になつたのを機に私は老爺を促して其處を出た。

 もうその澤には雪は無かつた。澤とは云つても山の一部が平坦な高原をなしてゐる樣な所で土地が痩せて畑地にはならず、夏場だけ此處に馬を放して牧場にするのださうだ。

『彼處に見えるのが今婿取の話のあつた温泉宿だ。』と老爺に言はれで見下すとずつと下の溪間に一軒荒れた藁葺の在るのが見えた。人の住んでゐる氣勢もなく、四邊《あたり》には雪がまだとつぷりと殘つて居る。其處に僅かながらも甚だ效能のある湯が湧いて、冬はあの通り雪に埋れて駄目だが、夏になれば宿を開いて客を迎へるのだといふ。その湯宿の主人たちが相次いで死に絶えあとに殘つた一人娘の十七歳になるのに一昨年婿をとつたが、昨年直ぐ子供が生れるとそのあとを追うてその婿も流行感冒で死んで行つた。そして現にその殘された若い嫁のおなかには子供が宿つてゐるのださうだ。それを皆氣の毒がつてあゝして第二の婿を探してゐるのだといふ。

(144)『そしてあの小屋にゐた洋服の男は何だね。』

 私が尋ねると、案のごとく彼はこの邊の官有林に勤めでゐる役人であつた。送つて來た四十男は官有林から伐り出す竹で細工物を造つてゐる竹細工屋であるのださうだ。

『あの竹がそれでやすよ。』

 と老爺の指さすのを見ると我等の歩いてゐる溪向う一帶が一面の深いさうじの木即ち白樺の林で、その下草に竹が青々と伸びてゐる。さうじの木は元來何の役にも立たぬぐうたら木だが、ああして竹を文高く伸ばすためにのみ林として殘されてゐるのださうだ。そのさうじの木の林の何といふまた見ごとなことであらう。

 いづれも二丈三丈に伸びた大きな白樺である。幹の方はいづれも眞白で、梢にかけては葉を吹くに間近なためかうす赤みを帶びて細かく繋く枝をかはして居る。うち仰ぐ山の半面が殆んど全部その白樺の森で、参差《しんし》として立ち込んでゐるのである。この木の森で斯うした見ごとなものを見たのも生れて初めてゞあつた。五月の末に雪の中を三里餘も歩くといふことから初めて今日一日の旅は私に幾つかの新しい經驗を得させて呉れた。この林の若葉のころ、黄葉《もみぢ》のころ、嘸かしと患はれながら飽かず眺めて通り過ぎた。

 幕岩、燕岩など附近の名勝となつてゐる珍しい大きな斷崖の下を溪に沿うて下つて行くと、琵(145)琵琶池といふ山中の池としてはかなりに大きな池があつた。先日來續いた雨の後で澄んだ水はいつぱいに湛へ、まだ冬のままの岸の落葉樹の林の影を明らかにうつしてゐた。この邊でもまだ海拔四千六百五十尺からあるといふ棒杭が建てゝあつた。それを過ぎてなほ下ると道の左手に振返つて望まるゝ偉大な瀧がある。澗滿瀧といふ。

 高さ三百九十尺、幅六十二尺と認めた路傍の棒杭は兎もあれ、とにかく珍しい瀧らしいので道からそれて見に行つた。瀧の懸つてゐる所から下の溪は兩岸とも何十尺かの深い斷崖となつて切れ込んだまゝずつと續いてゐるので、瀧の下あたりに近づいて仰ぐことは出來ない。岸の斷崖の一部に遠望する場所がこさへてあつて、其處から三四丁の間隔をおいて望むのである。瀧と云へば大抵樹木欝蒼たる中に懸つてゐるのを常とする。欝蒼とまではゆかずとも岩山の蔭とか峡間《はざま》の奥とか必ずうす暗い樣な場所にのみ私共は見馴れて來た。ところが、澗滿瀧は全くさうでないのである。瀧の落口の左右はずつと打開けた樣な高原で――その遠望に今私の見て通つて來たさうじの山や燕岩等の嶮崖はあるが――瀧から川下は左右とも全然の禿岩と云つていゝ位ゐ丸裸體の斷崖である。そしてよくは解らないが、瀧は多分南か西か、或はその中央かに面して落ちてゐるのである。水量とても貧しくないそれがいま太陽に向つて赤裸々に三百九十尺を落下してゐる姿は歩き勞《つか》れた私の心に少なからぬ昂奮を覺えしめた。禿岩とは云つでも左右の斷崖には小さな雜(146)木がばらばらと生えてゐて、まだ冬のまゝの明るい姿を保つてゐるのも寧ろこの瀧にふさはしく眺められた。ことにその雜木の中に二三の山櫻の花のほころびかけてゐるのも風情があつた。その位ゐの高さなので瀧は幾つかの荒い縞を作つて落ちてゐた。そして瀧そのものよりその下の溪流が湛へつたぎちつ、自分の立つてゐる斷崖の下を細々と流水てゐるのが更に私の目を慰めた。暫し崖の上に横になりながらこの珍しい瀧を眺めて時を過した。

 それから杉の植ゑ込まれた山と山との間の急な坂を下りて程なく上林温泉の横を過ぎ、一つの橋を渡つて家の建ち込んだ澁温泉に入つた。そして其處の津端屋といふのに草鞋を解いたのは正に五時であつた。

『旦那の脚の達者なのには魂消た。』

 と幸太爺にほめられながも一度湯に入つて二階の部屋に上らうとすると、兩方の脚ともまるで筋金入りの樣になつてゐた。

 鮮かな西日が窓から一杯に射し込んだ部屋に眞裸體のまゝ打ち倒れながら、思はず知らず、

『やれ/\。』

 と聲に出して言ひ出でた。

 信州に入ればもうこつちのものだと思はれたのだ。四方の勝手も解つてゐるし、知人も多い(147)し、何だか自分の郷里に入つた樣な心安さが自づと胸の底から湧いて來る。

『やアれ/\。』

 と繰返しながら、どうして今夜この歡びを表はしたらいゝものだらうと考へ始めた。


(148) 山腹の友が家

 

 五月廿二日、朝遲く澁温泉を立ち、豐野から信越線に乘つて午後二時篠の井驛に着いた。驛にはN――君とE――君とが出て待つてゐた。歩く先々から僅に電報で打合せておいた邂逅が斯う調子よく行かうとは思はなかつた。それに三人揃つて顔を合せるのは六七年目のことである。用意してあつた乘合自動車で直ぐ松代町に向つた。そして何一つ纒つた話をするひまなく千曲川を渡つて其處へ着いた。

 松代は見るからに古びた寂びた町であつた。昔は重要な城下町として、折々講釋などにも出て來る所だが、今は汽車からも見棄てられた樣な位置に在つて、山を負ひ川を控へた平野の中にひつそりと殘つてゐるといつた風に見えた。その平らかな町を通り過ぎやうとして兩君は談合しいしい種々なものを買ひ込んでゐる。今夜の飲食物なのだ。間口の廣い、奥の暗い荒物屋風の店に入り込んだN――君はとある箱の中から目の下二尺近い鯛を一疋引き出して何か店の者に云ひつけて居る。街路の眩しい日向《ひなた》から軒の低い家の中のそれを見て居ると何だか可笑味《をかしみ》が感ぜられて(149)來る。

『信州松代もなかなか馬鹿に出來ないネ、見ごとな鯛ぢアないか。』

 笑ひながら聲をかけると、

『なかなかどうして、これで案外新しいんですよ、越後から來るんですがね。』

 E――君が代つて答へた。山嶽の繪をかくために彼がこの國に入つてから既に一年ほど經つてゐる。で、もうすつかり信州通になつた氣でゐるのだ。

 彼等は尚ほ其處の薄暗い土間に立ちながらあれこれと相談して、蟹や海老の鑵詰、夏蜜柑など買つた。いつの間にか私の好きなものをすつかり覺え込んでゐるのである。

 町をはづれると田圃に出た。

『ソラ、この道の突き當りの山の中腹に二三十軒の村がありませう、その眞中所に白い瓦葺が見えませう。あれがN――君の家です。』

 E――君の指さすのを眺めながら、なるほどいい場處にあると思つた。程なく山にかかるといかにも夏を思はせる強い日が背中から射して來た。裾を端折つて一列に登りながら、私は昨日通つて來た澁峠の雪の話をした。峠を中心に前後二三里が間年寄つた案内者と二人で道とても見えぬ積雪の上を歩いて來た事を話して、

(150)『雪の盡きたあたりまで降りて來ると其處此處に山櫻が咲いてゐたつけが、其處を通りすぎて澁まで降りつくと、もう櫻も散つて恰度いま桑が芽を吹き始めた所だつた。』

 たけ高いN――君のうしろについて登りながら坂の左右に青々と伸びた桑を眺めて斯う話しかけたが、この友人の家もいま養蠶でさぞ忙しいだらうのにと不圖思ひついた。そしてその事をさういふと、なアにいま三眠から起きたばかりの所だから大した事はない、といふのであつた。

 六七町も登つてこの友人の家に着いた。坂の左手に大きな柿の四五本立ち竝んでゐる下に門があり、それを入つて庭の方に行かうとするとE――君が呼び止めた。そして無言のままに左手を指ざした。

 なるほど大きな景色である。僅かしか登つて來なかつたが、下が平野であるために意外に大きな展望が其處にあつた。眼の下一面がいわゆる善光寺平で、その盆地の近くを千曲川、遠くを犀川が流れ、やがて二つが合して川中島の廣い川原となつて北に流れてゐる。松代町は此處から見ても寂しい町である。犀川の向う、我等の立つて居る正面が姨捨に當り、姨捨山から冠着山となり、その蜂を超えて遙かな空には夕づいて來た霞のなかに日本アルプスの連峰がほの白く垣をなして浮んでゐるのだ。

『秋が嘸いいだらうな。』

(151) 私は附近に茂つた柿の木立を振り仰ぎながら言つた。

『さうです。秋だと一面が冴えて來ますからね、其處等がずつとはつきりして來ます。』

 と答へながらN――君は歩き出した。庭から直ぐ座敷に上つた。先づ着換へなさいと言つてまだ尻端折のままのN――君は浴衣を持つて來て呉れたが、全く眞夏の樣な氣持のする日で、それを借りるとE――君と私とは裏の井戸に行つて冷たい水で肌を拭いた。

 廣い座敷には友人の机が置かれてあつた。その机にも床の間にも彼の愛讀書らしいものが澤山積まれてあつた。古びた座敷の中のそれに一册二册と眼を移してゆくといかにもこの友人にふさはしいものに見當るので自づと微笑まれて來た。そして自分自身いかにも久しい間書籍に向はぬさびしさが感ぜられた。

 縁さきに見渡さるる庭も隨分廣かつた。別に工風も凝らしてないが苔の見ゆる平らかな地面に柿や柘榴の老木が立ち竝び、その間にはもの寂びた天然石が大小幾つか配合されて、それら木の根や岩の蔭には、山國にのみ特に見られる大きな小田卷の花が紫深く咲いてゐた。庭の隅にある花壇には見ごとな純白な芍藥が咲き、細い葉としなやかな花とを持つ花蘭の花といふも咲いてゐた。これも初めて見る藤牡丹の花といふのは幹や葉は牡丹で、花は藤の樣に房をなして咲き垂れてゐた。庭全體にある明るさと古めかしさとが、斯うした山腹に在る家のことを忘れさせる樣で(152)あつた。

 直ぐ酒が出た。その間にこの友人の老母や極めて質朴さうな細君たちに逢つた。阿父さんは村の訴訟事で長野市に行つて今夜は歸られないとの事であつた。意外だつたのはこのN――君に十歳にもなる子供のある事であつた。酒をふくみながら見る庭さきをば桑を背負つた下男や下女たちが幾度も往來してゐた。蠶室は二階らしく、そちらをばけふ細君が一人で受持つてゐるらしかつた。

 その夜の酒は實に長く續いた。酒と共に談話も盡きなかつた。ことに私は山や溪間の一人ぼつちの旅を十日あまりも續けて來たあとに斯うした親しい友達と逢つたので何も彼も無闇に嬉しく、埒もなく飲み、埒もなく語つた。二人とも私が歌の結社を作つた最初からの同志で、社中では最も重要な地位にゐる人たちである。十餘年の間にそれぞれ別々には幾度となく逢つて居るが、斯う顔を揃へる事は珍しい。ことにそれが東京でもない斯うした山の中で逢つたので、何彼とお互ひに昂奮しがちであつた。ことに私は飯も喰はず、帶も解かず、何か喋舌《しやべ》りながら寢込んでしまつたといふ。

 然し、先を急ぐ豫定があつたので、翌朝は日の出ぬ前に起きた。顔を洗ふと、茶と共にまた酒が出た。醉つて知らなかつたが、歸らぬ筈の阿父さんは昨夜遲く歸られたのであつたさうだ。今(153)朝初對面の挨拶をする。六十あまりの、痩せた、靜かな老人であつた。

 晝間と違つて冷々とした霧の流るる庭さきの樹木を見やりながら一杯二杯とこの老人と盃のやりとりをしてゐる間に、私は友人とこの父親が並ならず似通つてゐるのを見た。丈高い身體のものごしから物の言ひぶり、恐らくはその性質まですべて父ゆづりの友である樣に思はれて來た。そしてさうした事を恩ふうちにこの友人が甚しく自分の生家を嫌つてゐる事が心に浮んで來た。E――君初め仲間うちで、よくこの事は話題に上つてどうしてN――君はああ自分の家を嫌ふのだらう、細君がいやなのだらうか、百姓を繼ぐのが不愉快なのか、ほんとに可笑しい樣だと言ひながら直接その事を問うてみると、いつも當人は苦笑するのみで曾つて正確に返事をした事がなかつたのだ。昨日から事に紛れて氣がつかなかつたが、いま端《はし》なくそれを思ひ出してその友人の顔を見、家人たちの顔を見て居ると何となくそぐはぬ心地になつて來た。

 友人は夙うに或る蠶業學校を出て、それ以來ずつと縣廳郡役所に務めて蠶業方面の事務に當づて來た。今度初めて私も來て見たのだが、いかにも彼の生家は土地での資産家らしく、しかも彼は家にとつて一粒種の相續人であつた。だから何もそんな所に務める必要はなく、家では常に彼に歸宅を勸めるけれど彼は曾つてそれに耳を貸さうとしなかつた。そればかりでなく同國内のツイ近い所に務めてゐても年に數へるほどしか彼は自分の家を見舞はなかつた。稀に歸つて來て(154)もほんの一日か二日を型ばかりに其處に過すのみであつた。性質め綺麗なのと、やり出したことはやり遂げずにおかぬ氣性の張つた所などから、務め先に於ける彼の評判は常によかつた。ただ、彼は到る所で酒色の巷に出入した。氣前はよし、男振も立派なのでまんざらでない艶聞など、よく東京に居る私たちまでも聞えて來たが、彼はそれに溺れるでもなかつた。不快な酒だ、いやな場所だと言ひながら、其處から離れ得ずに居るといつた風であつた。で、俸給など全部そのために費されて、よくよく苦しくなると家に歸つて父を口説くらしかつた。

 ところが、役所に於ける彼の地位が高くなるにつれて、蠶業國を以て聞えて居る土地の蠶業者たちから彼に向つて爲向けらるる誘惑が次第にひどくなつて來た。蠶種の檢査とか、繭の品評會とかいふ事のある毎に彼は斷えずそれらの不快や不安やの中に沈んでゆかねばならなかつた。さうした場合に遇ふごとに彼は走り書きの葉書や手紙に不平を漏らして遠く私たちにまで訴へて來た。一日も早く斯の地位を去りたいと思ふが、それかと云つて家に歸るのはいやだし、束京あたりで何か自分に出來る爲事《しごと》はないものかなどとも言つて來た。それと共に彼の酒浸りの状態は益々烈しくなる樣子であつた。困つたものだ困つたものだと友人同志で言ひ合つてゐるうちに、突然この二月ほど前にいよ/\思ひ諦めて自分の家に歸る事に決心した、これから極めて從順に生れた村の土に親しむつもりだと言つて來たのであつた。

(155)『矢張り細君を嫌ふらしいんですよ、細君とは從兄妹同士か何かでちひさい時からN――君の家で一緒に育つて來たんださうです。』

 などといふ噂をも聞いてゐた。

 その細君といふ人は極めて柔和な、別に見ぐるしいといふ人ではない。年はかなりいつてゐる。どうかするとN――君より上かも知れぬ。父親と云へば前に云つた樣な好々爺である。ただ母親がなかなかしつかり者であるらしく私には見えた。私の郷里の家などがさうであつたが、母親一人で一家を處理してゆくと云つた風の家ではないかと思はれた。

 今朝はほどほどで酒を切りあげた。そしてそのあとで、E――君が繪をかき、その上に私やN――君が歌をかいてのよせがきを二三枚作つた。其處へ何かの用事で入つて來た母親は、

『なア、H――よ。』と友人の名を呼んで、

『先生にお頼み申してちつと親孝行になる歌を書いてお貰ひ申しといたらどうだぞい。』

 とまんざら戯談《じようだん》でなく言ひかけられた。やれやれと苦笑しながらN――君を見るとこれはまた年甲斐もなく眞赤になつてゐた。

 朝、暗いうちから聞えてゐた桑切機械を見に二階に登つてゆくと、其處には頬冠りをした細君が二人の下男を指圖して働いてゐた。甘酸い樣な匂ひのなかにその何式とかいふ機械は眼の覺む(156)る樣な迅速さで青々した葉を刻んでゐるのであつた。まだ黒い色をした小さな蟲にその刻んだ桑を振りかけてゆく細君の手さきもまた敏捷なものであつた。二階をおりると阿父さんは畑から刈り込んで來た桑を蓄へる冷たい穴藏へ案内された。庭には近所の人らしいのがN――君をとらへて、うちの蠶が今朝斯う斯うだが、あれでいいだらうかと心配相に相談しかけてゐる。

『H――よ、お前あとでちよつくら行つて見てあげろよ。』

 と母親の聲が聞える。

 程なくE――君と私とはこの柿の木の多い家を辭した。もう此處で別れよう、と言ふのを、せめて松代まででも送らうと言ひながらN――君はついて來た。

 昨日の坂を下りかけて、『どうだネN――君、落ち着けさうかネ。』と笑ひながら言ひかけると、

『どうもむづかしいやうですネ、とても駄目らしいですよ。』とこれも笑ひながら言ふ。

『どうも僕には不思議だがナ、君がなぜあんなに自分の家を嫌ふかと思ふと……』とE――君も言つた。

『みんないい人たちぢアないか、君には何處が氣に喰はないんだい。』

『何處と云つて……』口を食ひしばる樣な例の癖を出しながら、『何處と云つても何も無いよ、無いけれど、どうも其處んとこがむづかしいもんだよ。』

(157)『僕は君の子供さんを見て驚いたよ、ちつとも知らなかつたんだからネ、いづれはあの子供さんたちのよき阿父さんになつて終るといふ事になるだらうがね。』

『まア其處らだらうナ、それがまたいいんだ。』

『然し、この坂を登つたり降りたりする君の姿を想像する事はとにかく何だか悲哀だナ、永いことまたこの坂の幻影が僕の眼の前に出て來る事だらうよ。』

 宿醉《ふつかよひ》の重い足どりで松代の町に入ると乘合自動車の出るには三十分ほど待たねばならなかつた。それを待ちながら蕎麥屋の土間で麥酒を飲んだ。そして急に元氣のよくなつたN――君は其處までの豫定をすてて篠の井まで自動車に乘つた。

 篠の井まで出て來ると私たちも別れるのがいやになつた。三人して停車場の人ごみの中をあつち行きこつち行きして思案した末、たうとう其處からツイ今しがた出て來た山腹の家に電報を打つことに決議して、また其儘三人づれで松本行中央線の汽車に乘り込んでしまつた。今日我等三人の豫定はE――君の宿をとつてゐる松本市で汽車をおりて、それからすぐ淺間温泉にゆつくり旅づかれの骨を伸ばさうといふのであつた。

 姨捨の山腹を登る時、汽車の窓から遙か遠くに例の村のある山が見えた。あの邊だらうなどと首を突き出してゐると、

(158)『今朝おとなしく親孝行の歌を一首書きつけて來れば斯んな事にもならなかつたでせうにねヱ。』

 と皮肉なE――君が言つて置いて自分で舌を出した。

 

(159) 木曾路

 

 鹽尻驛で木曾線に乘換ふる時、嘸ぞ私は苦々しい顔をしてゐた事であらうとおもふ。少しも心が据らず、ともすれば足もとさへよろ/\しさうで、故のない不安が身體全體に浸みてゐた。上州路を獨りで歩いてゐるうちはまだよかつた。澁峠を越えて信州に入ると其處には舊くからの飲仲間が待つてゐた。殊に松本がひどかつた。淺間温泉で飲み、市中で飲み夜も晝もなく飲みつぶれて、四五日目のけふ漸くもとの獨りとなつて木曾路にかゝらうといふのである。その暴酒の苦痛と疲勞とから逃れるには矢張り酒より外にはない。惶しい乘換の間に私は日本酒とウヰスキイとを買ひ込んだ。そして汽車の窓にゆつたりとよりかゝりながら、久しぶりにゆるめるものゝ樣に自分の顔の筋肉をゆるめた。

 洗馬、贄川と過ぎてゆくうちに次第に四邊《あたり》の山の深くなるのが感ぜられた。桔梗が原の一部とも見らるゝ高原が徐ろに山に移つてゆく。急に迫らぬ峽谷の大きな姿が疲れた眼に快よかつた。常に窓の下に見えて居る犀川がいつとなく痩せて、やがてはまことの溪流となつて若葉の下に白(160)々と流れてゐるのも親しかつた。私の隣に乘つてゐたまだ若い母親に連れられた五つか六つの男の子が充分に廻らぬ舌で頻りに母親に甘えてゐる聲もよく四邊の靜かな山や溪に似つかはしく聞きなされた。漸く落ちついてゆく氣持で、何となくこの汽車から離れたくない思ひをしながら私は奈良井驛で降りた。

 奈良井はまつたく峽谷になり切つた溪あひに一筋深く殘つてゐる樣な古い宿場であつた。恰度午後の二時頃であつたが、曇を帶びた日光が石ころを置き並べた屋根から屋根に照つてゐた。

『斯んな所に生れたのかなア。』

 と私は石ころの多い街道を歩きながら周圍を見廻した。この春から或る友人の紹介で私の家に書生に來てゐる青年が木曾の奈良井の生れである事を知つてゐたので、それをいま思ひ出したのであつた。やや登りになつた通りを――古びてはゐてもその傾斜を帶びた細長い宿場はその日何となく賑かさうに私の眼に映つた――心あてに見廻して登つてゆくと、果して××屋といふ看板を掲げた家が左側に見附かつた。赤い紅殻塗《べにがらぬり》の欄干のついた二階には雨戸が固く締り、表口の障子も蹄つてゐた。よほど立寄つて聲をかけたい心が動いたが、時間が時間なので唯だ黙つてそのひつそりした家を眺めながら通り過ぎた。通りすぎると直ぐ宿場の家並も終つた。そして其處に氏神らしい神社の森が茂つてゐた。

(161)『此處で奴さんも遊んだのだナ。』

 などゝ微笑まれながら、小心者の正直一方な寂しい顔をした彼が思ひ浮べられた。その神社の前からいよ/\坂となつて、鳥居峠の道は始まつてゐた。

 その山坂は案外に廣かつた。然し、この春からかけて降り續いた長雨はこの邊もひどかつたものと見えて、道がひどくいたんでゐた。うす赤い色の岩石が到る處になだれ落ちて、半ば道を埋めてゐる所もあつた。木深くない山の腹のその坂道を曲り/\登つてゆくと、次第に晴れて來た午後の日が斷えず左手の正面から射して、連日の酒に疲れ果てた身體にそゞろに汗が浸《にじ》みだして來た。汽車で飲み殘して來た小さなウヰスキイの壜を手にしながら、急ぐこともなく登つて居ると、手足の疲勞は次第に強くなるが、頭は幾らかづつ晴れて來た。路傍の淺い木立では頻りに鶯が啼き、溪向うの峰には杜鵑の聲が折々聞えた。

 振返つて見るといま汽車で入り込んで來た峽谷の大きい姿がいよ/\明らかに眼に映つた。この旅に立つ前、同じくこの木曾生れである或る人から私は木曾の地圖を書いて貰つて持つて來た。いま、木曾の分水嶺をなしてゐる鳥居峠を登りながらそれを取り出して見ると、その地圖には洗馬と贄川との間に在る櫻澤といふからいはゆる『木曾』は起つて居ると書いてあつた。斯うして見下すどの邊からがその木曾であるか、かなり遙かな遠望の利くなかに立つてその櫻澤の位(162)置を初め、この峽谷が開けて行つた向うの平野、洗馬鹽尻あたりの地理を想像するのはいかにも靜かな心地であつた。その開け去つた遙かな空に一點純白な雪の峰を見出でた時は一層心が冴えた。八ケ嶽か、それとも甲州のどの山嶽か、確かに方角はその見當であつた。鋭い汽笛がツイ脚下に深く切り落ちた若葉の峽間《はざま》から聞えて來た。上りか下りの汽車が隧道《トンネル》に入るものらしい。列車の響も徐ろに山を上つて來た。

 登りつめた峠は深い掘割になつてゐた。時計を出して見ると奈良井から一時間と四十分ほどかかつてゐた。その險しい掘割の片側の根に去年の虎杖草の枯れて茂つてゐるのを押し折つて私は腰を下した。そして其處からは坐りながらに今まで越えて來たとは反對の方角に遙かに延びて行つてゐるほんたうの木曾の峽谷と、それを挟んで連つてゐる數限りない山野とを望み見る事が出來た。なんといふ可壞《なつか》しい姿で初めて見るわが木曾の流は自分の坐つて居る山の麓から流れ出てゐたであらう。光つた長い瀬が見えた。それを挾む磧《かはら》のうす白いのも見えた。そして柔かに曲り廻つて重疊した山と山との間にその末を消して居るのである。霞み煙つた下流に當る峽谷の遙かな邊を眺めて居ると、單に天然自然に對する憧憬といふよりも、私には何となく我等人間界の可壞味を其處から感じて來る樣にのみ思はれるのであつた。

 嘗める樣にして持つて來た小壜の餘瀝がなほ幾滴か薄黄ろくその底にあつた。それを嘗めなが(163)ら私は幾度か心からなる大きな息をついた。恰も夙うに來べきであつた所へ今漸くやつて來た、といふ氣持がどうしても胸の底から湧いて出て爲やうがなかつたのである。その穩かな心躍りを感じてゐるうちに、私は更に胸を衝かれる樣な一つの光景を見出した。さうして坐つてゐる眞向うには木曾の溪を距てゝ何といふ山だか、既に薄く若葉したもの、まだ冬のままの姿をしてゐるものなど、幾つかの山が徐ろに重り合つて行つてゐる。それらの奥に遙かに頭を擧げねばならぬ一際すぐれた高い峰が見えたのである。とある一部、紺の色に晴れた夕空にかすかに光と影とを帶びて輝き聳えてゐる雪の峰――私はそれを見出すと思はず知らず立ち上つた。壞中から地圖を取り出すまでもなく、それが御嶽の峰であらねばならぬ事を感じながら、惶てゝ取り出して披《ひら》いてみると果してそれであつた。鳥居峠の圖の上から一すぢ點線を引いてその端に御嶽山と記した山の形が描かれてあつた。そして、

『鳥居峠、時の頂上より遙かに御嶽見ゆ、峠には遙拜所もある筈。』

 と記してあつた。

白く輝くその峰を仰いでゐると、廣い前景をなす數多の群山たちはいつか薄鼠色に翳《かげ》り去つて、その峰ひとつ、遠い空に浮び立つてゐる樣にも思ひなされて來るのであつた。思はず立ち上つた私はやがてまた枯枝の上に腰をおろして、寂然《じやくねん》として聳えて居るその孤獨な山に久しい間わ(164)れを忘れて向つてゐた。遙拜所といふのは私の坐つてゐる所より一つ左手の峰の端に建てられてゐるのがそれらしかつた。

 峠からの下りは足が速かつた。道近くの松山の中で啼いてゐる杜鵑に耳をかしながら急ぐともなく急いでゐたが、もう一度私は或る處で子供らしい歡喜に兩手をさしあげて立ち止らねばならなかつた。その頃御嶽の峰は既にうす黒い山の向うに隱れて見えなかつたが、今度はそれとは反對の空に新たに眞白く嶮しい山が見えて來たのである。駒ケ嶽である。御嶽は獨り離れてとほく高く、これはひし/\と他山を壓して屏風を押したてた樣に嶮しく聳え亙つてゐるのである。一は純白、一は疎らに荒く雪を置いて居る。一に對しては遙かに帽子を擧げて敬意を捧げたく、これには近々と大聲に呼びかけて見たい念が湧く。

 駒ケ嶽を仰いだ眼を下に移すと自分のいま下つて行きつゝある山の麓に溪に沿うて山の傾斜なりに細長くかたまつてゐる一つの宿場が見えた。うち晒された小さな屋根が餘所に散ることなくひつそりと一處にかたまつてゐるのが、いかにもあはれに見下された。お六櫛の名所として聞えてゐる藪原の宿らしいのだが、あまりにもそれはさびれはてた所であつた。

 山道を降りつくしてその宿場に入ると、まさしく藪原であつた。奈良井よりは更に傾斜が急で、兩側の屋並に挾まれた通りにも大きな石が露出して、さながら山の坂道であつた。お六櫛を(165)作るらしい家が殆んど軒別に並んで、作つて居る姿の見えて居る家もあり、古びた障子を締めた中から木をひく音のみ聞えて居る家もあつた。土産にと思つても、その櫛を賣つてゐさうな店が一寸見當らぬ。つまり作るばかりで賣店らしい店がないのである。それほどに寂しい古驛であつた。實はそのまゝ私は溪に沿うて宮の越まで歩いてゆくつもりであつた。が、少し峠で時間をとりすぎた。それに急に烈しい風が出て、今にも一雨やつて來さうな風にも見えて來た。で、恰度間に合ふ五時幾分の汽車に乘るために宿外れにある停車場に急いで、其處から汽車で宮の越を過ぎ、次の福島町で下車した。

 藪原あたりに比べて急に大きくなつた木曾川が屈折してその溪間に僅かの平地を成す、さういつた風の所にぎつしりと建ち込んで町を作つてゐるのが福島であつた。停車場は町よりずつと高い所に設けられ、一つ急な坂を降りて溪ばたの町に入るのであつた。私は町をかなり奥に入つた溪ぞひの岩屋本店といふに泊る事にした。例の、特に今度私の旅のために描かれた木曾地圖福島町の所には、

『宿は岩屋本店よからむ、ことに奥座敷よし、直ちに木曾の流に臨む。』

 としてあつたので、その座敷を所望したが、それは夏のさかり場か餘程特別の時でなくては戸を開けぬ事になつてゐるのださうだ。

(166)『何しろお掃除が大變ですから。』

 と或る二階の角の部屋に案内した女中は坐蒲團を直しながら氣の毒げに言つた。それほど廣いその宿屋も先づ夏の御嶽講のためであるらしく私には受取られた。それでもその部屋に角に切られた窓をあけると直ぐ溪の流と、その岸から直ちに欝蒼と茂り起つた急峻な山の森とが望まれた。降るともなく大粒の雨が恰度その森に注いでゐた。

 疊の上に横になつてみると著しい身のつかれである。しかし單に山を越えたゝめの疲勞でなく、ゐても立つても居られぬ樣な心ぐるしいそれである。疑ひもなく連日の酒の長い宿醉がさうなつて表れて來てゐるのだ。待ち兼ねた風呂に入つては手足一つ動かさぬ樣に唯ぢいつとして汗を拔いた。そしてよろ/\としてあがりながら熱い酒を取り寄せた。舌を燒き、腸《はらわた》を刺して身に廻つてゆくその味ひはまた格別であつた。うまいでなく、にがいでなく、やれ/\これで生き返るといふ心である。小さな徳利を二三本も重ねてゆくうち漸く私はまともに物を見定め得る樣になつた。この部屋に通つた時音を立てゝゐた雨はあがつて、うすら冷たい夕あかりが溪向うの山の深い若葉の上を掩うてゐた。部屋の下に小さな野菜畑があり、その畔に並んだ三四本の桐の木の間に光つて見えて居る溪の瀬からは薄い靄が立つてゐた。瀬の音に混つて何やらの鳥が向うの森で鳴いてゐたが、やがてそれもひそまつた。

(167) 飯をすますと繪葉書でも買はうと宿を出た。戸外は曇つた月夜であつた。町は意外にも賑かで、店々の燈火も明るく、店飾りもなか/\に派手に見えた。行き交ふ人々のうち、例の雪袴を穿いたのが數多目につく。ことに十歳前後の男の子の群が全部それで遊んでゐるのが可愛いかつた。繪葉書にはいいのが殆んどなかつた。みな俗惡な、惡く氣取つた月並なものばかりであつた。僅かに材木流しを寫したものに木曾らしい所があるのでそれを買つた。この町にないとすれば木曾には木曾を知るに足る繪葉書が無いと見ねばならぬ。惜しい事だ。繪葉書をたづねて町の端から瑞へ歩く。建ち込んだ家の僅かに途切れた樣な所にかゝると、必ずの樣にその間から溪のひゞきの流れて來るのがいかにも溪あひの町らしかつた。

 町の中ほどの所に行人橋《ぎやうにんばし》といふのがあつた。御嶽に登るにはこの橋を渡るのではないかと思はれた。橋の上に立つて見ると細かな瀬波をたてゝ流るゝ溪いつばいに朧ろな月影が宿つて、四邊の山に近々と雲の降りて來てゐるのも旅の心を深くした。料理屋なども多いらしく、それらしい燈火が溪の流にも落ちてゐた。三味線の音いろも聞ゆる。例の私の木曾地圖に書き込まれた文句が思ひ出された。『宿屋は岩屋本店よからむ、……』の次に、

『木曾踊は向城へ渡る橋のたもと××亭がよからむか。』

 とあつたのだ。その積りで旅費も用意してゐたのだが、松本滯在が祟つて此處ではもう木曾節(168)も木曾踊もあつたものでなく極めてひつそりとこの溪の都を通り拔けねばならなかつた。

 

 五月廿七日

 意外にも快晴、眼も耳もしんとするほどの天氣であつた。早朝、周章《うろた》へて出立、裾を深く端折つて日和下駄のまゝ溪に沿うた道を急ぐともなく急いで下る。溪は右手にきら/\と朝の光に輝いてゐた。

 例の地圖を見ると、福島を出外れて少し行つた所に鳥居の符をつけて、

『此處に古き御嶽遙拜所あり。』

 とあるので、氣をつけてゆくと辛うじてそれらしい所を見附けた。道の右側、溪寄りの方に古い塚の樣に小高くなつて、四邊には杉が茂つてゐる。塚の上に登つてみたが、伸び揃つた杉が邪魔で、山はよく見えなかつた。昔、中仙道時代に此處を通る旅人がすべて此處から彼の高山を拜んで行つたのかと思ふと、夏草の茂つて居るこの廢趾も可懷《なつか》しい思ひがした。其處を通りすぎて、暫くして私は大きな景色を見出した。

 鳥居峠の方から流れて来た木曾川と、御嶽山の奥から出て來た王瀧川とが、双方とも白い瀬を上げて其處で出合つてゐるのであつた。道路から見ると四五丁ほどの距離を置いた斜め下にそれ(169)を豐かに見下す事が出來た。双方とももう溪としては極めて大きい をなし、川幅も廣く水量も多く、かなりの大きなうねりをあげて流れてゐるのだ。いふまでもなく青みを帶びた清らかなうねりである。道からは木曾川の方よりも王瀧川の方を餘計まともに見る樣になつて居た。このあたりやゝ廣やかに開けてゐるこの峽間《はざま》で、斯うした大きな二つの溪が流れ合つてゐるのすら既にめづらしい眺めであるのに、恰度その二つの流の中ほどの遠空に例の純白な御嶽山が墨色の群山を拔いてくつきりと表れてゐるのである。そぞろにまた帽を振りたい氣持で私は道ばたの埃をかむつた草の上に坐り込んだ。

 このあたり、對岸は一帶に御料林になつてゐると見えて山全體に木立が深く、其處の木を運ぶためであらう、山の根方に溪に沿うて輕便鐵道が出來てゐて、木材を積んだ小さな車が折々愛らしい汽笛を鳴らして過ぎるのが見えた。また、私の歩いてゐる左手の頭上に當る山腹をばほんとの汽車が烈しい響を立てながら二三度通つて行つた。崖から崖に渡すために見ごとに大きな陸橋の架せられてあるのも幾つとなく眼についた。人によつては汽車が通つたゝめに木曾の風光が烈しく損なはれた樣に説かれてあつたのを見聞きしたが、私には却つてこの汽車が木曾を大きくし複雜にしてゐる樣に感ぜられた。青葉の山に諸所隱見してゐる陸橋など、私には甚だ親しい景色であつた。昔の木曾をも矢張り私は中仙道なしには想見しにくい如く、今の此處をも單に溪流と(170)してのみは見たくない。今度の旅の初めに見て通つて來た上州の吾妻の溪などゝは全く趣きが變つてゐる樣に思はれるのだ。

 棧《かけはし》に着いた。峽のやゝ迫つた所、一部分だけ兩岸の樹木が茂り、その間、溪が深く淵をなして湛へてゐるのである。その最も狹い所に岩疊な吊橋が懸つてゐた。橋上から見ると樹木の年古く老い茂つてゐるのが先づよく、穩かな渦をなした淵の青みに遊んでゐる數多の魚の明らかに見えるのが更によかつた。昔、一人の老詩人がぽつ然として此處を通りかゝつた事を想ふのも似つかはしくなくはなかつた。私は元來名所舊蹟といふ事に一向興味を持たない方であるが、此處で彼の翁のことを想ひ出すのは割合に親しかつた。

 溪はいよ/\大きく、岸の諸所には見ごとな木材が積みあげられてあつた。通りかゝつた上松驛の構内にもそれが山と積まれてあつた。例の御料林からの小さな材木汽車は此處を終點としてゐるらしい。上松の町を過ぎて十四五町の所に寢覺の床があつた。

 此處のながめも夙うから寫眞などで見るところでは私の好みに近さうにも思はれなかつたので大した期待も持つて來なかつたが、先づそれが正しかつた。寢覺の床それ自身よりもそれを見下る臨川寺といふのゝ位置の方が面白からうと想像してゐたのも當つた。私は唯だその寺の庭さきから例の岩床と迫つた水の流とを遠く見下したにとゞめて下には降りてゆかなかつた。降りて遊(171)んでゐる旅人らしい人影は澤山に見えた。私と前後して上松の町から歩いて來た若い西洋人の夫婦らしい人もその寺の庭隅から急な坂を降りて行つた。

 私は寺の縁先で賣つてゐる繪葉書を員ひながら住職の在否を尋ねると在宅だといふ。名刺を出して面會した。例の私のために木曾の繪圖と案内とを書いて呉れた早稻田大學の學生は此處の住職とよく相識り、幼い頃からよくこの寺には來てゐたのださうだ。それで私にもその寺に寄つて、都合では二三日も泊つてゆく樣にと勸めて呉れたのであつた。

 住職からも直ぐその話が出て、もう數日前からその學生の手紙で私を心待ちしてゐたのだ相だ。そして是非上れといふ。私も東京を立つ時はこの溪間の寺で靜かに水を聽いて眠る樣な一夜二夜を樂しんで來たのであつたが、餘りにもう旅の日夜が永すぎてゐた。ゆつくり一笠一蓑《いちりふいつさ》の旅心地になつてこの溪間を歩いて見たいものと計画して來たその木曾に辿りついた時は初めとは似もつかぬ慌しい心になつてゐた。そして萬事をこの次の機會に待つことにして、今度はたゞ素通りだけの旅にとゞめておきたいと思ふ樣になつてゐたのである。

 強ひられて座敷に通ると、まことに居ながらにして長い溪のながれを充分に眺め下すことが出來た。部屋を吹き通す眞晝の風も冷やかに澄んでゐた。私が來たならば斯う/\する積りでゐたといふ種々の預定を心苦しく聞きながら名物の蕎麥を馳走になつて、程なくその寺に別れを告げ(172)た。上松驛まで引返す道から駒ヶ嶽らしい山の雪が仰がれた。

 上松驛からは汽車、そのまゝ眞直ぐに名古屋に行く積りであつた。車室の隅に席をとつてゆつくり構へると、間もなくいま坐つてゐた寺の下を右手に寢覺の床を見下しながら走りすぎた。其處を過ぎると用意して來た酒の壜を取り出して心靜かに飲みながら左右の車窓にあちこちと眼を移してゐた。其處へ思ひがけぬ一人の痩せた蒼白い青年が車室の反對の隅から歩いて來て、『若山先生ではないか。』といふ。

 彼は我等が創作社の同志の一人で信州伊奈の人であつた。初めて見る人であつたが、私の酒の飲みぶりで愈よさうだと思つて聲をかけたのださうだ。私もその人の詠んだ歌をばよく知つてゐた。そして彼が夙うから不治の病に冒されて始終床の中の人である事を知つてゐたので、この偶然な邂逅を一層驚いた。聞けば一種の奇蹟から急に病氣が輕くなつたので、その奇蹟を感じた大本《おほもと》教の深い教へを受けるためにこれから綾部まで行くのだといふ。一昨日までは起き上る事も出來なかつたものが、今は斯うしてゐても平氣である、綾部には一週間だけゐる筈で歸りには東京を廻つてあちらでまたお訪ねしようとも言つた。

 話し入つてゐる間に、いつの間にか溪はすつかり開けてゐた。そして麥の黄いろい岐阜の平野が西日に染められて廣々と見えて來た。

 

(173) 利根の奥へ

 

『束方時論』の八月號に三上知治氏のかいた『利根の奥へ』といふ旅行スケツチが載つてゐた。日光から中禅寺湖湯元を經て、金精峠といふを越え、利根水源の一である片品川の源に出て、迫貝老神《おつかいおいがみ》といふ僻村を通つて沼田町に達し、更に右折して其處で片品川と合してゐる利根の本流に沿うて溯り、ずつと水上の越後境に在る湯檜曾といふ小きな温泉場まで辿つた事が輕妙で質實な繪と文章とでかゝれてあつた。私はそれを見てひどく心を動かされた。そして急に思ひ立つた、よしこの秋は自分もこの通りに溪から溪を歩いて見ようと。

 元來私は峽谷の、しかも直ちに溪流に沿うた家に生れた。そして十歳までを其處で育つた。そんなことのあるためか、溪谷といふと一體に心を惹かれ易い。それもこの二三年來、身體が少し弱つて、何といふことなく靜かな所/\をと求めるやうになつてから、ことにそれが著しくなつた。岩から岩を傳うて流れ落つる水、その響、岩には落葉が散り溜つて黄いろな秋の日が射してゐる…………、さうした場所を想ひ出すごとにほんとに心の底の痛むやうな可懷しさを感ずるの(174)が常となつてゐる。昨年も用事を持つた出先で、そんな事を想ひ出して、そのまゝふら/\と秩父の奥へ出かけ三四日歩いて來たことがあつた。時季から云へば春の末、若葉にかけてもさうだが、とりわけて秋に於て最もその心が動く。黄葉《もみぢ》の頃、さらにその落葉のころ、空のいろが澄み定つて來ると規則のやうに其處の溪此處の山奥とそのなつかしい幻影がとりどりに想ひ出されて來る。

 右の三上氏のスケツチを見たのは雜誌の出たより少し遲れて九月の初めであつた。自分も行かう、と思ひ立つと同時に直ぐその豫定を作つた。自分のやつてゐる雜誌の十月號を九月の末少し早目に出して、直ぐ日光へ出かける。其處の近くには歌仲間の親しい友人が居るし、ことにその弟は束照宮の神官をしてゐるので、その人に頼んで日光を見物さして貰ふ――まだ私は日光を見たことがない――それから愈々獨りになつてこのスケツチ通りの旅行を始める、と斯うであつた。早速その通りに友人にもその弟さんにも手紙を出して、いつもに似ず勢ひ込んで雜誌の編輯にも手をつけた。友人たちからは折返し、歡んで待つてゐるといふ返事が來た。分縣地圖栃木縣群馬縣の部を買ひ込む。それが不充分に思へたので參謀本部の二十萬分のを買つて來る。他の個所は兎も角、山越しのところだけは今少し詳しいのが欲しいと更に五萬分のを幾枚か求めて來る。來る人ごとに十枚近いその地圖を持ち出して極めて得意にその計畫を話して聞かせる。聴く(175)人はまた言ひあはせたやうにいかにも羨しい眼つきをしてそれを聽いてゐた。計畫を立つると同時に私の心は既うすつかり夜となく晝となく利根の奥へ遊んでゐたのである。

 が、運の惡さと私は風邪を引いた。たいした事はなかつたが、熱が一向引かない。そのほかにもまた故障が起つて雜誌の發行が意外にも遲れた。九月の末どころか、十月の六日だかに漸く出來て來た。そしてその頃から毎日不快な雨が降り續いた。十月のうち、晴れた日と云つては、ほんとに幾日もありはしなかつた。其處へ毎日の新聞は今年の初雪の圖ぬけて早いことを報じて來た。何日には何處の山、何日には何の峰と、點々として白くなつてゆくありさまが私の心の中には美しくもまた恨めしく一つ/\と映じて居た。これではとても金精峠は越されない、峠どころか湯元あたりまでもあぶないものだと思はれた。そして十月の末近く思ひ切つて右計畫斷念の旨を友人たちに云つてやつた。殘念ながらどうもその外はあるまいといふ返事が來た。

 諦められないのは私の心である。そこに浮んで居る溪のまぼろしである。金精越えは思ひとまつてもその溪の奥へまでは行つて見たい。少し平凡だが三上氏の紀行とは逆に高崎から入り込んで行つたら解《わけ》もなく行けさうである。黄葉もいゝだらう、などゝ考へてゐるうちにいつとなく第二の計畫が明瞭に私の頭のなかへ出來てゐた。其處へ思ひがけない金が入つて來た、自分の書いた短册を分つといふ會の中へ或る特志家が餘分の金を拂ひ込んで呉れたのだ。子供のも慥《こしら》へ度い(176)し、あなただつてそとへ着てゆくやうな着物は一枚も無いぢやアありませんかと言ひ張つてゐる細君を遮二無二拜み倒してその大切な『不時の收入』をば自分の財布に封じ込んでしまつた。風邪と雨と旅行中止とですつかり氣を腐らせてゐた私は急にまた元氣づいてそれまで打ち棄ててゝあつた雜誌十一月號の編輯にかゝつた。十月もずつと末の事である。漸くそれを終つて印刷所へ持つてゆくと、流行の惡風邪で職工が三分の二から休んでゐるためこの十一日でなくては校正が出せないといふ。一わたりでも自身で眼を通して置かないと編輯を急いだゞけにどんな組違ひが出來るかも知れぬので、仕方なくそれを承知して、その代りどんな事があつても十一日には全部を組み上げること、十二日には僕は居なくなるのだからと呉々も言ひ置いて、サテ愈々十二日出立ときめてしまつた。其處へまた一つ困つた事が起つた。昨年の春から私は郷里の姉の娘を呼び寄せて或る學校へ出してゐた。種々の事情でその娘をば生れ落ちると郷里の私の宅へ引き取つて育てゝゐたので姪とは云つても眞實の妹と同じであつた。幼い時から彼女もまた私を兄さんと呼んで來て居たのである。十二日出立ときめて私が印刷所から歸つて來た晩その姪が妻の前でめそ/\泣いてゐる。曾つて見ない事なので内心少からず驚きながら、どうしたのだと訊くと、妻がよく/\困つたという顔をして、

『××さんが、どうしてもお國へ歸り度いんださうですが、どうしませうね。』

(177)と言ふ。

 生れてから一度も他家へ出た事のない彼女が二年近くも三四百里距てた束京へ來てゐたのはよく/\淋しい事であつたに相違ない。で、朝晩歸り度い/\で心は一杯になつてゐたらしい。ところが恰度この月の十三日が私の父の七周忌に當る。ほんたうならば私が歸國せねばならぬのだが歸れば種々混雜した事の起るのが解つてゐるので、歸る/\と言つて置いて、ツイその間際になつて歸られないと言つて置いたのであつた。その手紙を書きながら恰度そこへ來てゐた姪に戯談ながらに、

『どうだ、俺の代りにお前が歸つて來るか。』

と言つた。

『えッ!』

 と言つて私を見上げた彼女の瞳は寧ろ氣味の惡いほど輝いてゐた。思ひがけない事だつたので私の方でも驚いて、失敗《しま》つたと思ひながらいゝ加減にその場をば誤間化して置いたのであつたが、その時から彼女の歸り度さは一層具體化されたものとなつたのである。そして折にふれては恐る/\私に許しを乞うた。馬鹿、いま歸つてどうする、と叱りつけて耳にも入れない風を裝ひながら内心可哀相に思つてゐたのであつた。彼女は今度は叔母に縋つた。然し叔母にはその郷里(172)の複雜した事情、いま歸つてはなか/\出て來られないこと、從つて今少しで成就するいまの勉強が無駄になること、等のことがよく解らないので、歸していゝものか惡いものか、姪とその叔父との間に挾つてたゞ途方に暮れてゐるのみであつた。その夜もまた泣きつかれて如何していゝかわからずにゐるところであつたのである。そして、若し出來ることだつたら歸してあげて下さい、あんまり可哀相だから、と言ひながら姪と一緒になつて泣き顔をしてゐるところであつた。私もつく/”\可哀相になつた。

『それでは!』

 と思ひ切つて言ひながら、どんな故障があつても必ずまた出て來るといふことを誓はせた上歸ることを許してやつた。彼女は實際飛び立つばかりに歡んだ。そして早速行李を引き出して用意を始めた。事實、歸るとすれば恰度その翌日出立せねば七周忌には間に合はぬのである。同じ歸すならばそれに間に合せて、そして叔父の代理で歸つて來たと言はせ度かつた。

 サテ、早速必要なのはその旅費である。これが近いところならば何でもないのであるが、汽車から汽船、それから馬車、人力車、徒歩といふ順序に手をかけてどうでもまる四日間を費さねば歸りつけない私の郷里ではその旅費もなか/\少くないのである。それに久しぶりに歸るものに、親族どもの手前、何も持たずには歸されない。歸れとは言つたものゝそれを思ふと私は暗然と(173)した。一緒になつて喜んでゐた妻もそれを察して、やがて黙り込んでしまつた。が、要するに私は思ひ切るよりほかは無かつた。そして自分の旅費として取つて置いた財布を持ち出して來て妻に渡した。

『少し足りないかも知れないが、買物をば大抵にして、女の事だから旅費方に出來るだけ多く殘して置くがいゝ。どうしても足りなかつたら、あとはお前の方で、どうとか都合して見て呉れ。』

 翌日の夜、喜び勇んだ姪は、然しながら生れてから今日まで常に貧乏といふものばかり見て來てゐる彼女は、私共の胸中をも充分に察する事が出來るので、濟まない/\と泣きながら八時の夜行で東京驛を立つて行つた。それは十一月八日の事である。

 十一月九日、折よく訪ねて來た友を幸ひに、朝から私は酒を取り寄せたり、饒舌《しやべ》り込んだりして有耶無耶に暮した。折角思ひ立つたことだから、何とか旅費を拵へて出かけたがいゝだらう、と妻は氣の毒さうに勸める。うん、うんと空返事をしながら、がつかりしはてた自分もそれに釣られてまたあれかこれかと金策を考へ出した。

 

 十一月十日、幾ら馴れた事でも金策といふものは決していゝ氣持のものでない。午前中に出か(180)ける筈であつたのが午後に延びた。出來れば幸ひ出來なければそれまでといふ氣で不承々々に出かける。出版業××社を目的に行つたのだが、日曜で誰も來てゐなかつた。却つて幸ひの樣な氣もして其處を出る。夙うから其處の重役某氏を或る友人から紹介せられてゐたので、いつそその私宅を訪ふ方がいい樣に思ひながら。

 その見で××新聞社に友人△△君を訪うた。彼はこれから自分の出かけようといふ(果してさう行くかどうかとは思ひながら)上州の生れである。その細君もまたさうである。そしてその細君の弟は私の歌の結社の社友で、若し出かけるとすれば是非その家を訪ふつもりでゐたので何かの傳言もありはせぬかとおもひ、またその邊一帶の地理をも聞かうと思つてゞあつた。『やア!』と言つて應接室へ出て來た彼は平常より冴えない顔をしてゐる。『どうしたのだ』と訊くと、例の風邪にやられて社に出て來たのも二週間目に今日が初めてだといふ。では、忙しいだらう、と言ひながらツイ長いこと話し込んでしまつた。上州も廣いと見えて、彼は利根の水源地方のことをば餘り知らなかつた。その代りその郷里である吾妻川(これも末は利根に落ちるのであるが)の沿岸に就いては詳しい。行つたついでに是非そちらをも巡れといふ。無論そのつもりだつた、と興に乘じ今までは思つてもゐなかつたことまで口走つて、更に其處の山や温泉のことについて額をつき合せて語り合つた。それが濟むと彼のいま着手してゐるといふ長篇ものゝ創作の事や、(181)または私自身の書かうとしてゐる事などまで話が延びて電燈が點いたので驚いて立ち上つた。

『では行つて來たまへ!』

 と玄關で彼に言はれて、はつと思ひながら、

『オイ、果して僕は明後日立てるのかネ?』

 と言ひ出して、大笑ひをしながら別れた。彼と知つて十五年、彼に逢ふごとに私の心は常に淨められ温められる。會つてその違例を見たことがない。けふもお蔭で非常に氣持がさつぱりした。それで歸りの電車を駿河臺下で降りて其處らで旅行用の小さな買物をした、齒みがき、石鹸、ナイフ、手拭、一二種の藥などを。

 

 十一月十一日、雜誌の校正の出る日である。私は午前の三時に起きた。そして急ぎの手紙、一二枚の短册などを書いて置いて妻を起し、朝飯をいつもより一時間も早く喰べて家を出た。

 朗らかな日和である。近くの牧場で鳴く牛の聲も、附近の樹木も、天の雲も、行きあふ男女も、みないき/\とした輝きを持つて居る。これから屹度この天氣が續く、と斯う思ひながら力強い足どりで電車へ急いだ。

 赤坂見附で降りた。ある宮樣の裏門を行き過ぎると直ぐ木深い屋敷町になつてゐて割に解り易(182)い所に私の訪ねる家はあつた。案内を請ふと家族らしい婦人が出て、いま主人は湯に行つて居るがお待ちになりますかといふ。親切な態度に心を惹かれて、では待たせて頂きますと言ひながら遠慮なく下駄をぬいだ。應接室は二階にあつた。何式といふのだか、かなり屈折多く造られた洋室で、明るい室であつた。椅子に腰を下して、何を考へるともなくぼんやりとしてゐた。見れば其處には額がかゝつてゐる。大きな寫眞の原色版で、日本らしく思はれない、大きく連つた山岳が寫されてゐる。積り積つた雪は、日光を受けて微かな青みを帶びながら光り沈んでゐる。空は寧ろ暗いほどの藍色でその峰を掩ひ、其處には片雲の影だに浮べない。蒼茫たり遠山のほとり、豁達《かつたつ》として胡天開く、といふ古い詩などが自らにして唇に浮ぶ頃は、私は實にはつきりとしてまだ見たことのない上州越後境の連山の景色を心のうちに思ひ浮べてゐた。幾つかの角を成し突き出てゐる窓からは靜かな初冬の日光がカーテン越しに室内に射してゐる。ほんとに何といふ靜かな色であらう。床にも、机にも、机の上の煙草にも、その光の及ぶところすべて一糸亂れぬ靜寂が流れてゐる。私はいつか他人の室内で他を待つてゐるやうな氣持を忘れて、唯だ徒らにぼんやりとしてゐた。

 が、それも永くは續かなかつた。扉の開く音がして其處にちやんと背廣を着た五十年輩の一紳士が入つて來ると共に、私の幻影境は忽ちにして掻き消された。僅かに立ち上がつて首を下げたき(183)り、碌々初對面の挨拶もせず私は非常に惶てゝ(何のためにあゝ惶てたか自分にもわからない)持つて來た風呂敷包を開いた。そして四五册の雜誌を其處へ取り出し、その中の一册を取つてとある頁を開きながら、今までに私の書いた斯うしたものを集めて一册とし、これを貴下の牡から出版して貰ひたいが、といふ事を口早やに頼んだ。彼は不思議さうに私を見、その雜誌を一寸手に取つたが、やがて徐ろにそれを下に置いて言つた。私の方の社では一度雜誌に出たものをよせ集めたものなどは出版しないことにしてあるのですが、と。オヤ/\と私は思つた。が、直ぐ、イヤ到底それだけでは足りもせぬからどうせこれから新たに筆を執らなくてはならぬ、唯だ今日はその見本のやうにしてこれらを持つて來たのですと言つた。彼は更に徐ろに答へた。これからお書きになるといふより、お書きになつたものをお持ちになつて斯う斯うだがと御相談なさつては如何です、と。

 私は忽ち行き詰つた。なるほど、と答へたきり、もう事の成否の問題よりも一刻も早くこの室を出たい氣が先立つた。どうして斯う輕率に斯んな所へ出かけて來たのだらう、と思ふと冷たい汗は容赦なく身體に浸んで來た。そして手早くいま出した雜誌を包みにかゝると、彼は今一度それを手に取つて何處を見るともなくばら/\と頁を繰りながら、〇〇君とはどうして御存じです、と初めて私を紹介してよこした友人の事に就いて問ひかけた。忘れて居た、私はまだ同君に(184)就いて何にも言つてゐなかつた。それを先にしておいて、自分の用談を持ち出すべきであつたと思ひついたが、既に遲かつた。極めて間の拔けた調子で友人の事を少し語り合ふと、話はまた途切れた。今度は彼の方で椅子を立つて、では兎に角これをお預りしておいて私の方には出版ならば出版だけの主任といふ者が居るので一應その方にお話だけを傳へて置きませう、といふことで會見は終つた。

 此處の話がさう旨く纒らうとは初めから思つてゐなかつた。が、斯うまで飽氣《あつけ》なく終らうとも思はなかつた。何といふ自分のヘマさだらうと自ら顔をほてらせながら、また電車に乘つた。そして神樂坂下で降りた。同じく出版業□□社を訪ふためである。其處には同じ樣な用事で既に幾度も來てゐるので、足が重いとは云ひながら行きやすかつた。案内せられて二階の應接間に通ると、其處の窓にも亦た靜かな日の光が射してゐた。今度は自身で椅子をその側に移して主人を待つた。

 其處の用談は意外な位ゐに都合よく進んだ。僅か二三句談話を交したまゝで、私は思つてゐただけの金を受取る事が出來た。而かも斯うした事が此處では一二度も重なつてゐるので、心からの感謝と恐縮とを感ぜずにはゐられなかつた。さア、これでいつでも出かけられる、といふ勇氣を溢るゝばかりに身に抱いて足早やに其處を出た。そしてその歡びを今少し落着かせ、緊張させ(185)るために、私はとりあへず或る酒場に入つて酒を命じた。その足で直ぐ本所の印刷所へ行くと珍しく校正が揃つて出て居る。加勢に來てゐて呉れた友人と共に夜七時まで間斷なく赤インキの筆を動かしながら、勞れ果てて其處を出ると身を切るやうな風が吹いて、空には今しも落ちかゝつた片割月がかすかに光り、見渡す限り實に滿天の星である。

 

 十一月十二日 快晴

 なるたけ早く出ようと思つたが、矢張り留守中のあれこれを指定したりなどしてゐるうちに思ひの外に時間が經つた。上野驛發午前十一時五十分、車中いつぱいのこみ樣である。身のめぐりのごたごたが漸く一先づ落ちついたと思ふ頃赤羽を過ぎて汽車は平野の中に出た。見れば西北の空にかけ、濃い墨色を描いて秩父一帶の山が見ゆる。難有いことに、けふも拜み度いやうな晴天である。

 鴻の巣驛あたり、畑は次第に少くなつて打ち續いた稻田となつた。濟んだ所もあるが、いま頻りと刈り急いでゐるらしい。稻が一帶に私の國あたりのより丈が短いやうである。半分もない位ゐに思ふ。先から先へと續いてゐる人影がいづれもみな靜かに日の光のなかに動いて諸所に立つてゐる馬も眠つてゞもゐる樣である。汽車の進むにつれて車窓の左右とも次第に山が近づいて來(186)た。いづれの嶺にもまだらの眞新しい雪を置いて居る。ことに右方はるかに孤立して望まれるは筑波らしい。日光の蔭となつて唯だぽつとりと黒く見えて居る。熊谷を過ぐると、林が直ちに汽車を包んだ。多くは松で、その下草の薄が日を孕んでほの白く輝いてゐる。そしてそれらに混つた雜木の黄葉《もみぢ》がまた目覺むるばかりに美しい。新町を過ぎ、烏川を渡ると見覺えのある大きな山が左手に程近く見えて來た。淺間山である。殆んど全山眞白に雪に包まれて、嶺ばかりうす黝《ぐろ》い雲に閉されて居る。そのために彼の可懷しい煙は見ることが出來なかつた。右手には赤城、其處も斑らに白くなつて居る。その雲に僅かに現れて居る群山には雪が鏡のやうに輝いて居る。傍の人に問へば越後境の清水越であるといふ。地圖を開いてみると正しく其方角に當つて居る。

 日は暖かに私の凭《よ》つた窓に射して、そゞろに昨日の應接室の窓を想ひ出させる。兎に角に自分はいま旅に出て居る。何處へでもいゝ、兎に角に行け。眼を開くな、眼を瞑《と》ぢよ。而して思ふ存分靜かに/\その心を遊ばせよ。斯う思ひ續けてゐると、汽車は誠に心地よくわが身體を搖つて、眠れ、眠れ、といふがごとく靜かに靜かに走つて行く!

 程なく高崎驛着、其處で下車した。

 惶てゝ出て來たものゝ、また何處をどう通つて何處まで行かうといふちやんとした豫定が出來てゐなかつた。汽車から降りると取りあへず其處の待合室へ入つて行つて、腰を下しながら如何(187)したものかと地圖を相手に考へ始めた。老神|追貝《おつかひ》の方を先にして湯原《ゆばら》湯檜曾へ廻るか、それともそちらを先にして老神を後にするか。いづれにせよ沼田へは如何して行くか、考へ餘つて驛前の茶店に寄つて柿をむきながらそれとなく問ひ始めた。それなら速くその電車に乘らなくては駄目だ、それに遲れてはとてもけふの間に合はぬと其處の主人に叱り飛ばさるゝ如くにして大いに驚きながらまた洋傘《かうもり》を掴んで飛び出した。主人も追つて出て大聲に電車を呼ぶ。そして辛うじてその電車に飛び乘る。

 一體この電車は何處まで行くのだと車掌に問ふと、伊香保まで、と言ふ。伊香保、と聞いて何といふ事なく私はまた驚いた。伊香保といふのがこの方面に在ることは知つてゐたが、いまこの電車が其處まで行くのだとは知らなかつた。では沼田へはどうして行く、と訊くと澁川で他の電車へ乘り換へるのだといふ。今日中に行けるかと訊けば、さア、行けないことも無いだらうといふ。ではまたどうせ其處で惶てなくてはなるまい、惶てる事は東京だけで澤山だ、旅に出た時のみは精々ぼんやりしてゐたいといふ平常の持論から、今日中に沼田へ行くといふ事をば未練なく思ひ止つた。サテ、澁川で泊るかどうするか。

 澁川といふのも耳に馴れた地名である。前に云つた××新聞牡の△△君夫婦によつて幾度か繰返し/\聞かされた所である。羨しい彼等が戀は多分其處を中心にして醸《かも》し出されたのであつた(188)と思ふ。其處に端なく一夜を明すといふのも決して惡い氣持ではない。が、伊香保も惡くない。いゝ機會であるから少し位ゐの廻り路ならば其處へ寄つて一寸でも四邊を見て來ようかとも思はれる。斯くして永い間車掌に待たせて置いた切符を終に伊香保行きに切つて貰ふ。心が漸く落ちついた。

 極めて裾野の美しい山が傾きかけた日を受けて車窓の右に見える。疑ひもない赤城山である。實になだらかな、整然たる線を引いて穩かにまた嚴めしく平野の面に流れ出て居るのである。そして山嶺は三つか四つに分れ、半面のみ、雲が斜陽を受けて眩しくきらめいてゐる。行く/\その山の麓に青い流と白い磧とが隱見する。これも疑ひなく彼の利根川であらねばならぬ。車窓の左、これは全く夕日の蔭になつて唯だ黒くのみ眼に浮ぶ寧ろ奇怪な二三の連峰が見ゆる。さうであらうと思ひながら傍人に問ふと果してそれは榛名であつた。電車はその峰の麓を廻り廻つて伊香保へ登るのだといふ。そゞろに今宵これからの行途が樂しまれた。

 舊知の思ひのする澁川町にはもう電燈が點つてゐた。車ながら見て過ぐればやゝ斜に傾いた高原の中に土着した古い市場であつた。町を過ぐれば蕭條たる桑畑である。闇が冷かにその原の隅に這うて、餘程もう電車は高いところを走つてゐるらしい。程なく林に入る。夕闇ながら雜木の黄葉が目にほのめく、空山落漠といふ光景をのみ想像して來たのに、まだこれでは話に聞く『伊(189)伊香保の紅葉』も大丈夫だと思ふ。餘程の傾斜と見え、ごう/\といふ音のみ徒らに烈しく電車は一向に走らない。黒くのみ見えてゐた榛名山がいつの間にか深い美しい紫紺の色を湛へて直ぐ眼上に浮き出して仰がるゝ樣になつた。車窓の右に見え、時に左に現はれる。急に山が開けて四邊が明くなつたと思つて眼を放つと、遙かの空に赤城の山が今は只黒々として見えて居る。

 或る所では我等が電車は永い間運轉を停めて山から降りて來る電車を待つた。四邊は深い杉林で、進行の停つたと同時に烈しく身に感ぜらるるは『夜』である、さうして寒さである。見れば運轉手たちは林から杉の枯枝を集めて來て線路の中に火を焚いてゐる。その眞赤い焔に心を惹かれて私も扉をあけて降りて行つた。地上に降り立つて初めて氣がついた、月夜である。自分の影が黒々と其處に映つて居る。仰げば八日か九日の小さな月が丁度眞上に、峰のかたへに懸つて居る。そゝり立つた峰の肌に寒々と流れ落ちたその光の何といふ冷たい色ぞ!

 停車場を出た時、私はまつたく疲れ切つてぼんやりしてゐた。月の光を浴びながらとぼ/\と登つてゆく坂路はまた隨分嶮しかつた。漸く人家の竝んだ所へ出ると、軒下の溝の其處此處から白い湯氣が立ち昇つてゐた。やれ/\と思ひながら、電車の中で聞いて來た千明《ちぎら》といふへ落ちつく。初め通された室は六疊ほどの極めてお疎末な所であつたが、足を投げ出してほつかりしてゐるところへ、こちらが空きましたからと云つて連れて行かれた室は隨分と大きい控室附きの所で(190)あつた。浴室へ案内せられて入つてゆくと、どう/\と音を立てゝ瀧が落ちてゐる。ぬるからずあつからず、而して臭からず、濁つては居るが流石天下の名湯であると感心しながら肩を打たす。

 

 十一月十三日 快晴

 ぐつすりと夢も見ずに熟睡して自宅のつもりで眼を覺ますと、自宅ではない。時計を見ると五時である。五時に眼を覺すのは此頃の習慣となつてゐるのだが、旅に出ても變らないのに微笑まれた。床のまゝで繪葉書など書きながら戸をあけるのを待つ。なか/\にあけないので待ちかねて起き上る。手拭をさげて降りてゆくとまだ家中眠つてゐるらしい。廣い湯槽《ゆぶね》にたゞ一人飽くばかり浸つてやがて二階に歸る。

 廊下に出て見ると昨夜は氣がつかなかつたが、思つたよりも更に此處の位置は高く、眺望はそれに從つて廣大なものである。いま漸く四方の白みそめたところで、霧とも雲ともつかぬものが眼下の廣い窪地の底から徐ろに棚引きながら昇りそめてゐる。方角は解らないが兎に角眼前の三方を圍んだ遠い山脈の嶺にはあまねく雪が置き渡して空は蒼暗く晴れてゐる。寒さはしみ/”\手足にしみて、庭さきの楓は朱を零《こぼ》した如くに染つてゐる。庭にもいつぱいに散り敷いて、その上(191)に霜が深々とおりてゐる。久しく立つてゐられぬほど寒い。また床の中に潜る。

 やがて諸所で物音が聞え出して漸く雨戸が開かれた。跳ね如きて見てまた眼を見張つた。正面の山脈の眞白な嶺から嶺にかけていま茜色の日光がさしそめたところである。一つから一つと見てゐるうちに次ぎ/\と染つてゆく。嶺のみは斯くて明るく輝き、一帶の低地にはまだ夜の影が漂うて名殘とも見ゆる淋しい雲が其處此處に雪のごとく凝つて居る。が、それも暫し、やがて光は飛矢のやうに其處から其處へと飛び/”\に射して來る。窪地全體、漸くその光を湛ふるやうになつて氣がついたが、其處は驚くべき廣大な黄葉《もみぢ》の原であるのであつた。まことに思びもかけぬ紅ゐである。多くは雑木の原らしいが、雑木とは思はれぬほど色が深い。その頃になると最初目立つて輝いた遠山の諸峰はいま一種の燻銀《いぶしぎん》の色に變つて、あまねく照り渡つた光の蔭に沈みながら靜かに竝んでゐる。

 八時十分發といふ二番の電車に辛うじて馳けつける。あまりの景色のよさに障子をあけ放つて寒さに慄へながら飯の前に一杯飲み初めた酒のために遲れたのであつた。小走りながら見て過ぐると町はづれの林なども見ごとな黄葉であつた。電車に乘込むと車内には五人ばかりの先客があつた。其處へ其處の驛長とも見ゆる男が顔を出して、どうでせう皆さん、朝の一番をもうそろそろよして貰ひ度いやうに皆が言つてゐますが、といふ。朝の一番か、何時だつたネ、と一人が言(192)へば六時三十分サ、と一人が答へた。六時三十分、それは早い、それならもうよしてもいゝだらう、どうですネ、と初めの一人が他の四人に謀る。もういゝだらう、第一朝の早いのは宿屋一統の迷惑サ、ハヽと肥つた六十近い一人が大きな聲で身體を搖つて笑ふ。ではよしませうか、と驛長も笑ひながら語勢を強める。よすがいゝだらう、と四五人一緒になつて答へた。では早速さういふことにしませう、皆が喜びますよ、と驛長は帽子に手をかけて出て行つた。斯くて伊香保發一番午前六時三十分の電串は廢止せられた事になつたのである。のんきなものだと思ひながら改めて五人を見廻すとみな相當の服装をしてゐる。土地の有志家といふのであらう。親切な人たちで、私が十枚ばかりの繪葉書を出さうとして切手を賣る家のないのに困つてゐると、中の一人は自分の切手を讓つて呉れ、且つ通りがゝりの若者を呼びよせそれを郵便局に持つてゆく事を命じて呉れた。

 登りと違つて下りの電車は實に心地よく走つた。霜を帶びた林も畑も野原もみな朝日に濡れ輝き、近く仰ぐ榛名も、遠く見る赤城もひとしくこの爽かな秋晴の光の下にうち煙つて居る。澁川で沼田行に乘換ふべく待つてゐると、其處に異樣なる乘物が動いて來た。見たところは汽車に近いが煙を吐かない。名は電車だが、汽車の機關車風のものが眞先きにくつ着いてそれが三つばかりの車臺を引いて走るのである。而して人間の乘るその車臺はゐざり車の如く低くして直ちに線(193)路に附着してゐる。私はこれをモウニヤア車と命名した。モウニヤアとは友人▽▽が愛娘田母子ちやんが三歳の時の造語である。形怪しく恐畏すべきものを見るごとに彼女は直ちにこれをモウニヤアと呼んだ。語源については父も母も多くの小父さんたちも知るところがない。

 モウニヤア車は然し侮る可からざる速力を出して走り出した。うち續いた桑畑と三四の村落とを通り越すと、直ちに利根の流に沿ふやうになつた。そして私の心も漸く伊香保の朝酒の醉と、モウニヤア車の可笑味とを離れて白々と流れたその清流に注がれて來た。地圖によれば利根の本流は越後境の白澤嶽鶴ケ嶽笠科山等に源を發して沼田を過ぐる頃、同じく越後境の尾瀬峠、野州境の鬼恕沼山外毘沙門山等から流れ出して來た片品川と合して、いまこの邊を流れてゐるのである。兩岸なほ※〔さんずい+問の口が舌〕く、水量ゆたかに溢れて自分の謂ふ溪谷とは聊かまだ趣を異にしてゐる。而かも水の多い割には少しも濁つたところがなく清冽《せいれい》透徹して岩を噛んで居る。岩にもまた見るべきが多く、それを掩ふは即ち松と黄葉とである。此邊柿が多いと見え、到る所殆んど野生の如くに生《な》り枝垂れてゐる。車中、地方の一老人の言に聽き、片品川を後にして利根本流の方に先づ溯る事にきめる。

 沼田町もまた澁川と同じくこの地方の一主都として利根片品兩川に挾まれた高原の上に位置して居る。モウニヤアから降りると(土地の人は一般に軌道々々と云つて居る。何とか軌道會社云(194)々といふのだらう)小日向行の馬車は年後の二時でなくては出ぬといふ。その間約三時間、驛前の宿屋に晝飯の仕度を命じて置いて町内を散歩した。案外に賑かな町である。何處も同じで、それらしい狹い露路に入ると晝ながら爪弾の音などそこ此處に漏れて居る。行き逢ふ女のすさんだ顔も旅さきでは何んとなく身にしみて見ゆるものである。近郷から出て來たらしい荷駄馬などの群つてゐるも土地柄らしく四辻や町はづれで不圖頭を擧ぐると必ずその向うに積雪の山の聳えて見ゆるも旅らしい。山から山にかけての空は今日もまた微塵を留めない。

 やがで切符を貿つて馬車に乘る。恐るべき惡路である。うと/\とでも爲やうものなら忽ち首など打つ飛んでしまひさうな搖れかたである。首ばかりか、身體が既に危い。しつかと兩手に其處らを掴んで五體を固めてゐるのである。そら來たと思ふと同時に腰を浮かして腹に全力をこめる。それでないと忽ち滅茶々々につぶれてしまひさうだ。折々黄葉の間に溪の姿が見ゆるが、今はそれどころで無い。つく/”\これを待つ事をやめてぶら/”\と歩けばよかつたと思ふ。が、歩くにしても樂ではない。道路は半ば溝である。聞けば雪の來た後だといふ。

 雪の山は段々と近づいて來た。丁度馬車の正面に當る方角に見ゆる山の形にどうも見覺えのある氣がするので、不圖思ひついて馬車屋にあの邊の山は伊香保から見えはせぬかと訊けば、見えますとも、千明《ちぎら》さんの庭などからは眞正面だ、といふ。これあるかなと思ひながら、朝から輕て(195)來た今日一日の行程をたいへん遠いものゝ樣に思ふ。清水越は、と訊けば清水はあの山の向うで、けふお客さんの行く湯原は丁度あの山の下の所に當るといふ。身體の節々が次第に痛んで來た頃、日は暮れてゐた。やがて馬車の影がうすく黒く地に映る。月は見えないが、よく晴れてゐるらしい。氣がつけばそこらの路傍に雪が斑々として殘つてゐる。たうとうこれのある所まで入り込んで來たのだと思ふ。とある山蔭に人家が疎らに竝んで燈火の漏れる宿場があつた。爐の焚火が赤々として家ごとに燃えて居る。馬車は其處に停る。小日向といふ村であつた。馬車から降りて筋張つた脚を引きながらその小日向の筋向ひに音のみ激しい溪間の橋を渡れば湯原といふ温泉場がある。其處の藤屋といふへ寄る。

 湯は何處だ、と小娘に尋ぬるととある重き引戸をあけ、其處に一つ階子段がありそれを降りるともう一つある、それを降りればいゝのだと言ひすてゝ行つてしまふ。灯一つない眞の闇である。手さぐりに壁につかまりながら爪さぐりに廊下らしい所を行く。廊下と云つてもかなり烈しい傾斜である。やがて階子段、みし/\と降りてゆけばまだ一つある。それを降りつくして漸く闇に馴れた眼の前に成程濛々たる湯氣を上げた揚槽が見える。小さな豆らんぶが湯氣の一點をうす赤く染めてゐる。凍えはてた手に辛く着物をぬいで湯へ浸る。程よき温度、泣きたいやうな心地である。漸く心が落ちつくと、どう/\といふ響が四邊をこめてゐるのに氣がつく。溪の響で(196)ある。充分に温つて窓から窺いてみると下も下、ツイ眞下に夜目にも著しい湍がしら/”\として見えて居るのであつた。

 

 十一月十四日 雨

 戸を繰ると思ひもかけぬ雨である。蕭々として降つてゐる。尚ほ驚いたのは自分の窓の前の屋根に白々とした雪のあることであつた。眞下の溪を距てゝ向うの小山はまだらに小さな松を散らしたほか、一刷毛にはいた黄葉の山である。そしてその蔭に雪が流れてゐる。

 ほの/”\と明けてゆく靜かな湯槽に浸りながら、今日はゆつくり此處で休むことにきめた。明日、晴れたならばこの溪に沿うて、とぼとぼと歩いてゆく。(もつとも、もうこれから先は馬車も何もないさうだ。)湯槽で聞けば場檜曾の奥にも更に幾つかの温泉が溪に沿うて在るといふ。雪は深からうといふが、行けるだけは奥深くわけ入つて見よう。漸くこれから自分の思つた通りの旅になる、と何とも知れぬ感謝の念がしみ/”\と身體の奥から湧いて來る。幸ひに風邪にも罹らず、元氣もいゝ。難有い難有いと繰返して思ふ。

 時雨は終日やまない。雪は次第に解けそめた。向うの山襞は今は幾條かの白い筋となつて來た。それにしても何といふ美しい黄葉の色であらう。(十一月十四日湯原藤屋にて)

 

(197) みなかみへ

 

 十一月十四日 雨

 この湯原温泉は沼田から入り込んで利根上流の流域に於いて附近の山仕事に從事する者たちにとり唯一快樂場であるらしい。深い溪流に架した橋一つを境にして小日向村があるが、其處はこれからの山奥と川下との物貨の交換所の樣な地位にある宿場である。其處には前橋高崎沼田あたりの商人とこの附近更にこれから上流の住民たちとの接觸場であり、それと共に溪一つを距てたこの小さな温泉場は自然と彼等の飲酒場となつてゐるらしい。靜かな時雨のなかを傘をさして散歩すると二三十軒もない人家の中に御料理といふ風の事を書いた軒燈や腰障子が幾つも眼につく。極めて野趣のある料理屋で、大抵は草鞋ばきのまゝ足を踏み込み得る大圍爐裡が即ち座敷である樣である。折からの雨を幸ひに朝のうちから飲んでゐる連中が往來からよく見える。圍爐裡の焔と煙との中に直徑一尺近くもありさうな大鍋が自在鍵によつて吊し下され、往來まで流れ出てゐるその臭氣によつて確かにそれは豚鍋と察せられる。そして圍爐裡の周圍に足を踏み込みな(198)がら並んだ大男どもの間には、矢張り銀杏返しに結つた若い女が挾つてゐる。あやしき風俗の客たちは聞きとることも出來ないだみ聲で呶鳴り合ひながら、もう大分いい機嫌になつて飲んでゐる。私も元來斯ういふ場所は好きである。が、流石に一人では入つて行く勇氣がない。行くさきさき、三四軒もさうした宴樂の席を横目に眺めて通りすぎながら心ひそかに東京なる惡友某々等を思ふの情に堪へなかつた。

 今朝の雨で路の中央は全く解けたが、軒下などにはまだ雪が殘つてゐる。宿場を出外れて見ると溪向うの山も大方は斑らに解けて、黄葉の色の一層鮮かなのが見えるが、やゝ少し溪奥の大きな山の方を見ると尚ほ白皚々たるものである。※〔黒+幼〕暗な雲の垂れてゐるのを見ると、そのあたりは現に雪が降つてゐるのかも知れない。渦卷きながら流れてゐる溪流には雨のために解けた雪解水で急に水量が増してゐる。そして其處らの川原に散り積つてゐたのを流し出して來たらしく、殆んど溪いつばいのやうに落葉が流れ下つてゐる。

 昨日までの旅日記を書きかけて見るが、何しろ寒い。まだ霜すら知らぬ所から急に斯うした奥へ入り込んで來たゝめ一層身體に浸みるらしい。殆んど入り續けの樣に湯に入つてゐる。無色無臭、温度高く、湧く温泉の量も豐かである。唯だ溪に臨んで崖の中腹に造られた浴室が極めて疎末なもので、壁も屋根も窓までも穴だらけのため、山から吹き下し、溪から吹き上ぐる雪の風が(199)刺す樣に入り込んで來る。汗を垂らしながらも流し場に出て横になつてゐるといふ樣な事は出來ない。他に客も無く、大方は私一人だけ、のび/\と五體を伸して浸りながらうと/\としてゐると、まるで船にでも乘つてゐる樣に眞下の溪の音が四邊を罩めて響いて居る。

 夕方湯槽で一緒になつた人から山の話を聞く。前橋の材木商とかで三十前後の骨格の逞しい善良らしい人である。今年の雪が早かつたため悉く惶てゝゐるのだといふ。此儘材木を山に積んで今年の冬を越すとすると早くて來年の三四月、置いてある場所が窪地ででもあらうものなら五月末までは動かす事が出來ない。その間の金利といふものが少なからぬ額に上るのださうだ。で、無理にも今のうちに山から出して置く必要がある。その足もとにつけ込んで山師(山仕と書くのかも知れない。山の勞働者である)共がなか/\動かない。この村に居る某々といふなどは一日の賃錢がいま七兩八兩に上つてゐるのださうだ。そんなに高い金を出しても山を急がねばならぬといふのはよく/\の事ですよと笑ひながら、

『然しまた面白い事もあります、奴等は根が馬鹿ですからネ、こちらの使ひ樣ひとつでどんなにでも働きますよ、今日も七八人連れて山に行くとばら/\雨が降つて來た、それをいゝ事に早速休まうとするのです、で、こつそりその中の一人を呼んで宿場から酒樽を擔ぎ上げさせた所、奴等は飲んだ勢ひで雨も何も忘れて平常よりも餘つ程働きましたよ、可哀相にもなつて夕方早く切(200)り上げましたがネ、苦しい中に面白味もありますよ。』

 といふ。それら材木の上にはもう六七寸も雪が積つてゐて甚だ危險なのださうだ。それを山の高い所から里まで下して、それから筏に組んで溪を流す。

『また斯ういふいゝ事もあります、いまこの溪で杉材を持つてゐるのは私だけなんです、ところが他の山毛欅だの朴だのといふ重量の強い材木を流さうとするにはそれを浮かすためにどうしても輕い杉材が必要なんです、で、筏師どもが私に泣きついてどうかその木を貸して呉れ、さうすれば前橋までは無賃でその山全部の木を流して行くといふんですがネ、まあそんな事で此處等で法外の賃錢を拂つたり馬鹿な酒代をねだられたりする埋合せがつくのですよ。』

 山の賣買、木材の容積の量りかた、それからの喧嘩、一日七八兩も取つてゐて年中前借から前借をせねば暮して行けぬ山師共の生活、さうした珍しい話に心を惹かれ夕飯をばこの人と一緒にする事にしたが、二三本飲んでゐるうちに彼は早やその前借連中に呼び出されて他へ出かけて行つた。私も誘はれたが、矢張り勇氣が無かつた。取り殘されて獨りさびしく盃をなめてゐたがいつかつぶれて眠る。やがて眼を覺して見ると恐しい風である。溪の響を吹き消して荒んでゐる。明日は然しこれで晴れるだらう。

(201)

  十一月一五日 半晴半雨

 凄じい凩は朝まで續いた。起きて見ると朝燒のした空に雪が飛んでゐる。雪よりも凄じいのは落葉だ。何處からどう吹き廻して來るのだか、時とすれば溪あひの空いちめんにそれらの木の葉が渦卷いてゐる。これで山といふ山は丸坊主になるのだらうと思つてゐると、やがて凪いだ後で見れば向うの山は矢張り昨日ながらの朱を流した黄葉の山である。雪がまた昨夜のうちに幾らか積つたらしい。

 まだ薄暗い廊下を降りて湯にゆく。驚いた事には一夜の中に湯槽が古池と變つてゐる。何處から吹き込んだか落葉が一面に浮いてゐるのだ。強い好奇心に動かされながら惶てゝ着物を脱いで飛び込んで更に驚いた。まるで水である。二間ほどさきの岩洞から引いた湯の樋に落葉が溜つて堰止めたのと荒れ破れた四方から吹き込む凩に吹き冷やされたためであるらしい。然し此儘ではもう着物を着るにも着られない。落し湯の栓を探してそれを拔いた上、其處に在つた洗濯盥を抱へて冷えた湯を汲み出しにかゝつた。半分以上も汲み出して置いて樋の落葉を掃除し、我慢をしながらそのぬるい中へ浸つてゐると漸くに温い湯が滿ちて來た。やれ/\と顔を洗はうとすると其處に置いた筈の歯磨も楊子も皆失くなつてゐる。周章《うろた》へて汲み出したので其時洗ひ流してしまつたらしい。滿々と滿ちた湯の面にはまだ頻りに木の葉が飛んで來る。附近にその木があると見(202)え大抵は栗の葉である。枝から離れて直ぐらしく、眞新しい黄いなその面からは鮮かな匂ひなど嗅げさうな氣持である。

 止みさうで風はなか/\止まない。雪は見えないが日照雨が荒く斜に走つてゐる。起き上り早々湯の汲み出しで悉く身體は疲れたし、けふもう一日此處に休む事にする。そして終日湯に浸つた。栗の葉はあとから/\窓を越えて飛んで來た。

 

 十一月十六日 晴

 風はまだあるが、雨は止んだ。覺束ない空ながら思ひ切つて出かける。けふはこれから更に上流、この街道の行きとまりになつてゐる湯檜曾といふのまで行く豫定であるのだ。

 路は終えず溪に沿うた。殆んど荒い瀬ばかりで、何處を見てもたゞ白々と流れてゐる。岸の疎らな木立は悉く皆葉を落して、根もとには斑らに雪が積つてゐる。山は遠くなるだけ眞白で、その山腹に雪を浴びて煙の樣に見えて居る落葉林の遠景は見れば見るほど蕭條たる心を誘ふ。路で一緒になつた一人の老婆が『旦那は炭の買出しに來たのだらう』といふ。まアそんなものだネ、と返事をすると。この附近でも炭の値の張つてゐる事から、しまひには米や味噌の高價な事をも訴へる。米が惡いので兩に一升九合、良いのなら一升三合位ゐだらうといふ。それだと東京より(203)高いわけである。しかもその質の劣惡な事は宿屋でたべてみて自分もよく知つてゐる。

 山から吹き下す向ひ風はたび/\私をして足を踏み留めしめた。林の下草に茂つてゐる熊笹の蔭から吹きあぐる雪片は寒いといふより私には先づ緊張した感を懷かせた。そして全身に汗を覺えながら急ぐともなく急いだ。行く/\歌が幾首か出來る。

 一時間も歩いた頃、どうしたものか、空が急に晴れて來た。それこそ嘘の樣に瞬く間に眞蒼に變つてしまつた。風もぴたりと凪いだ。そして身ぶるひの出る樣な新鮮な明るい日光が一時に眼前に落ちて來た。驚きながらも私の心は躍り立つた。溪や、溪を挾む落葉林の山や、其山の間に折々見えて眞白に聳えた遠方の嶺や、それらの間に滿ち溢れて來たこの輝やかしい日光などはまつたく私を酒に醉つた者の如くにしてしまつた。何といふ事なくたゞ涙ぐましく、時には泣く樣な聲で獨り言を言ひながら歩いた。殊に段々細く嶮しくなつて行く溪の流は次第に私の心を清淨にし、孤獨にし、寂しいものにしてしまつた。その溪はやがて二つに分るゝことになつた。一は利根の本流(と云つても既《も》う小さな溪流に過ぎないが)として地圖に記され、向つて右手の山間にその白い水上を隱し、左手のは越後境の清水越から流れ出て來てゐるらしく、地圖にはその名すら書いてない。清水越はツイ頭の上に白く凍てついた大きな姿を聳やかしてゐる。私のけふ行かうとしてゐる湯檜曾はその無名溪に沿うてゐるのである。

(204) その二つの同じ樣な大きさの溪が落ち合ふ所からは早や湯檜曾は遙かに見えてゐた。やがて一つの橋を渡つてその宿場へ入る。これはまた寂しい宿場である。溪に沿うて戸數十四五ばかり、一人二人の子供が路傍に遊んでゐるのみで四邊に人の影すら見えぬ。温泉もあると聞いてゐたし、斯うまでとは思はなかつたので異樣な感にうたれながらおど/\と歩いてゆくと、障子に御宿と書いた一軒の大きなお寺ででもありさうな藁屋を見出した。私は躊躇なく其處へ入つて行つた。出て來たのは三十近くの割に上品な婦人であつたが、私の宿を求めたのをば直ぐ斷つて、今は宿屋をば廢めて居る、この二三軒先に福田屋といふがあるから其處へ行けといふ。止むなく其處を出ると成程福田屋といふがある。木賃宿と認めた障子をあけて案内を乞うたが、容易に返事がない。段々大きな聲を出してゐると十七八の雪袴をはいた娘が裏の庭から出て來た。宿を頼むと顔を眞赤にしながら何やら口の中で言つて、兎に角に斷つた。そして當惑し切つて立つてゐる私を見て、郵便局に行つたら泊めて呉れるだらうといふ。

『郵便局?』

 と訊き返しながら、いま見て過ぎて來た郵便局へ引き返した。ガラス戸などはめたハイカラな二階屋であるが、其處にも人はゐなかつた。やがてこれも土地柄に似ぬ中老人が出て來て、夏ならば多少客をも泊める用意がしてあるが、今は到底駄目だ、それより福田屋ヘ行つたらいゝだら(205)うといふ。斯う/\だと答へると、それなら俺が一緒に行つて話をしてあげやせうと言ひながら一緒にまた福田屋へ後戻つた。そして老人と娘との間に話が交されて、漸く私は下駄を脱ぐ事が出來た。

 其處も二階建で、見廻せば名殘なく煤で染つてゐる。内湯があるといふので、何は兎もあれそれへ急いで行つて見て驚いた。湯殿にはまるで窓も壁も無いと云つていゝ位ゐのものである。温泉は割合に熱かつた。寒さと好奇心に促されて思ひ切つてその湯へ浸る。湯槽の縁に頭をもたすと、紙片一つない荒目の櫺子窓から左右双方の眞白な雪の連山が仰がるる。そしてこの一部落は阿部貞任の一族が隱れ棲んだ後だといふ兼ねて聞いた話などを思ひ出すともなく思ひ出しながら、手足一つ動かさず、唯だ專念に身體の温まるのを待つた。

 

(206) 利根より吾妻へ

 

 十一月十六日 晴

 漸く全身の温るのを待つて二階へ歸つた。その間に炬燵の用意が出來てゐた。何といふ事なく心細いおもひをしながらそれに入つて當つてゐると、今更らしく溪川の音が耳につく。二三枚だけ開けてある雨戸の間の黒く煤けた障子を開いてみると、河原の樣に石の出た街道を挾んで直ぐ激しい溪となつてゐる。溪からはまた烈しい風を吹きあげて、永くは障子もあけてゐられない。其處へ待ち兼ねた酒を持つて來た。嘸ひどいものだらうと唇に持つて行くと案外にさうでもない。もつとも、此方の唇が痺れてゐたのかも知れない。さかなはこちらの註文した罐詰(鯨であつた)のほかに大根おろしと小豆を鹽※〔者/火〕にしたのと椎茸の汁とであつた。小豆の鹽※〔者/火〕とは生れて初めて食ふものであつたが、時にとつて罐詰よりもうまかつた。先刻《さつき》から見てると家の中には初め逢つた小娘のみで、他には誰もゐないらしい。見たところ何處に田があるとも見えぬ溪間だが、矢張り何處かへ稻の刈入れに行つてゐるのであらう。雪袴を穿いたまゝの黙り切つた小娘(207)は、それでも宿屋の娘である、折々階下から上つて來ては炬燵の火の具合を心配したり、酒の燗の按排を氣にしたりして深切にして呉れた。

 温泉と炬燵と酒とのお蔭で漸く身體は温くなつて來た。然し、先刻からの心細さは少しも去らない。何といふ事なく炬燵の上に置いて眺めてゐる時計の針の進むと共にその心細さも加つて行く心地である。ちび/\と酒をなめながら、私は地圖をひらいて見た。今處で今夜泊るといふのは兼ねてからの豫定で、若し宿が靜かであつたら二三日も休んでゆく氣であつた。それで先刻もああして無理に宿を頼んだのであつた。が、斯うして落ち着いて見ると靜かどころか餘りに淋しい。天井も壁も襖も深い煤で、手足をさし入れてゐる炬燵の薄團は垢で光つてゐる。人聲ひとつせぬこの二階であの激しい溪を聞きながらどうして今夜を明かさう。さう思ふとランプの灯ひとつを見詰めてぼんやり坐つてゐる自分の姿が目に見えて來る樣だ。若しまた今夜のうちに大雪でも來て、あとへ引返す事が出來なくなつたらどうだらう。現に街道にはいつ降つたのか晝間ですらあんなに白く見えてゐた。ツイ眼の上の清水越にはあの通りの深さではないか、などと考へてゐるともう暫くもぢつとしてゐられない樣な心細さが身に浸みて來る。折角あゝして無理を言つて泊めて貰つて、晝飯を喰つたばかりで飛び出すのは初めこの宿を世話して呉れた郵便局の老人にも忙しい中に汁を煮たり飯をたいたりして呉れてゐる此家の娘にも濟まない、斯うした寂寥を(208)戀ひ求めてこそ出て來た今度の旅ではないか。など獨りで強ひて自分の臆病を矯め樣とするのだが、すればするだけ心は落着を失つて行くのだ。豫め量を言つて近所から取り寄せた三合の酒は醉ひもせぬ間になくなつてしまつた。愈々最後の一杯を飲み乾すと共に私は勇氣を出してこの宿場を立つことに決心した。立つとしても再び湯原へ引返すのは嫌だ、此處から僅か二三里らしいから谷川温泉まで越えて見よう、と地圖をたゝみながら愈々それに決め、急いで飯を掻き込んだ。そして柄になく餘分の茶代を置いたりして、娘に詫びを言ひ/\なつかしい其木賃宿を立ち出でた。何とも言へぬ淋しさと安心とが今更の樣に心に湧くのを感じながら、また、一生恐らくこの宿の事をば忘れえないだらうなどとひそかに思ひながら。

 午後三時、空は難有くなほ先刻のまゝに晴れてゐた。急ぐにつれて酒の醉も次第に現れて來た。見返れば清水越にはいつのまにか午後の光が宿つて積み渡した雪の上にほのかな薄紫が漂うて居る。それに連つたずつと奥、藤原郷の方の山々にはまともにいま日が射すと見え、嶺といふ嶺がみな白銀色に鏡く光つて見えてをる。一里あまりをばいま來た路を引返すのである。廣く且つ深いその溪間に照り淀んで居る日光はいよ/\濃くいよ/\淨く、ただ溪の響のみがその間に澄み切つて釀し出されてゐる。折々何やらの鳥が啼く。行き逢ふ人もない。自づとまた三四首の歌が出來て來る。

(209)   日輪はわがゆくかたの冬山の山あひにかかり光をぞ投ぐ

   日輪のひかりまぶしみ眼を伏せて行けども光るその山の端に

   澄みとほる冬の日ざしの光あまねくわれのころろも光れとぞ射す

   わが行くは山の峽なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路

 然し、路傍の枯草に寝ころんだり、溪に降りて淵に遊ぷ魚を眺めたり、手帳に歌を書きつけたりしてゐる間に、暮れ速い冬の日脚はいつとなく黄昏《たそがれ》近くなつて來た。そしてひとつの峠にかゝつた頃は其處等はもうとつぷりと暮れて、唯だ遠い高山の嶺にのみ儚い夕陽の影が殘つてゐた。坂は險しくはないが、なか/\に長かつた。漸く峠らしい所に着くと、思ひもかけぬ高い險しい山がその正面にそゝり立つて、嶺近く崩るゝ如くに雪が積つてをる。その大きな山に續いて同じく切りそいだ樣な岩山が押し連り、斑らではあるが雪が崩れてをる。山は全く落葉しつくして、此處等にはもう黄葉の影もない。炭を燒くらしい煙が細く山腹の夕闇に立つて居る。その麓に今まで沿うて來たとは異つた溪が流れて、その溪ばたに家は見えないが温泉場らしい湯氣の凍つた樣に立ち上つて居るのが見ゆる。いかにも寂しい眺めである。またしても湧いて來る心細さをこらへながら、その湯氣を目あてに寒い山を降りて行つた。

 宿はそれでも三階建の堂々たるものであつた。その三階の角で溪の瀬の上にかけ出しになつた(210)樣な部屋に案内せられた。恐しい瀬の音である。洋燈を持つて來る間、森閑としたその角の部屋に坐つてゐると、こゝろもち自分の身體をも搖り動かしてゐねばならぬ位ゐに響いて居る。温泉にお入りになるならこれを點して行く樣にと言つて宿の婆さんが提灯を置いて行つた。をかしく思ひながらそれを點して降りて行くと楷子段を三つも降りて河原に接した所に浴室はあつた。なるほど、洋燈《ランプ》ひとつ點つてゐない。眞暗な中に誰か入つてゐると見え湯を使ふ音が湯氣の蔭でしてゐる。私は裸體になつたまゝ湯槽まで提灯をさげて行つた。そしてツイ手近にそれを掛けて置いてひつそりと湯に浸る。此處にも殆んど窓も壁もないと云つていゝ。溪向うの山がくつきりと軒端に見えて居る。月夜らしい。湯に浸つてゐるとまつたく身體に響くほどの瀬の音だ。

 また提灯を持つたまゝ部屋に歸る。廣い二階にも三階にも灯影ひとつ見えない。自分の部屋だけがぽつかりと赤く染つてゐる。膳など運んで來るにも提灯を提げてゐるのだ。やれ/\と思ひながら、何だか不思議な世界に來てゐる樣で、氣持は割合に靜かであつた。たゞ、とても普通では今夜は睡れまいと思ひ、豫め銚子の數を増して註文して置く。

 さうした心遣ひも要するに無駄であつた。瀬の響にはやゝ馴れて來てもなか/\睡れない。不氣味0だとは思ひながらまた提灯を點して便所ついでに湯に入りに行く。宿の者か近所の者か老婆ばかり三人入つてゐた。月は山を離れて寒々と中空に照つてゐる。軒を出てゆく湯氣はまるで凍(211)つた樣にその月影に靡いて居る。近頃に起つたらしい村での離縁話を三人が長々と喋舌《しやべ》つてゐるのを聞いてゐるうちに、うと/\と睡くなつたので惶てゝ上つて布團を被つた。

 

 十一月十七日 雨

 睡りつくと案外によく睡れた。起きて見るとしめじめと時雨が降つて居る。この頃毎朝の樣に降つて來るので程なく晴れ樣からと慰め顔にいふ老婆の言葉を聞き流してけふは兎に角ゆつくり休む事にする。この谷川村は初め越後あたりから出稼ぎに來てゐた人たちがいつとなく棲みついて部落をなしたもので、今では戸數が二十位ゐはあり、みな木挽と炭燒とを生業としてゐるのだ相だ。湯檜曾と同じく此處がこの溪の行きどまりの部落でこれから上には一軒の人家も無いといふ。雨の晴間に出て歩いて見ると、其處此處と散つてゐる小屋の入口にみな七五三繩が張つてある。聞けばこんな村にすら例の西班牙風邪が流行つて來て、大半はやられてゐるのだ相な。雨雲の懸つてゐる山肌には昨日と同じく細い青い煙が二個所三個所と立ち昇つて、奥の大きな雪の山は今日は見えない。いまこの邊は漬菜の盛りと見え、私の泊つてゐる温泉の一つの湯槽をその菜洗ひ場所として村の女どもが其處に集つて終日青いその菜を洗つてゐた。温泉で、しかも浴槽で菜を洗ふなどとは到底二度とは見られぬ圖だと感心しながら私も終日湯に入りづめにそれを見て(212)暮した。夕方かけて雨は雪と變つた。新たに戸外から背負ひ込んで來る菜の上には雪がほの白く降つてゐた。あゝ寒い、一風呂温まつてから洗ふべえといふ樣なことを言ひながら私の入つてゐる湯槽に飛び込む女もあつた。ひどく疲れたと見え、葉書一つ書くのすら物憂くてひと日を過す。明日も若し降る樣ならぢつと此儘休んで行かうなどとも考へる。何としても寂しい場所、寂しい日であつた。

 

 十一月十八日 晴のち雨

 昨夜のうちに降つた雪が窓際に白く殘つてゐる。少し怪しいが兎に角晴れてゐる。いろ/\考へた末矢張り出懸ける事にする。

 一昨日立つて來た湯原まで二里、その間をこの谷川村から其處の小學校に通ふ三四人の生徒と一緒になつて歩いた。冬になると雪に埋れて全く路といふものがなくなる。さうなると一軒から一人づつ順番に大人が出て生徒たちを送り迎へするのだ相だ。時々雪崩のために潰される事もあるといふ。それでなくてさへ毎日二里の山路の通學は容易なことではない。一緒になつて道草を喰ひながら湯原温泉に着く。其處でキャラメルを買つてやつて皆に別れた。

 湯原からは先日の馬車に懲りてゐるので今日は沼田まで歩くつもりであつたが、どうも少しづ(213)つ先の事が氣になりだした。實はこの廿三日に信州の松本市で自分等のやつてゐる創作社の歌會が開かれる事になつてゐて、是非ともそれへ出席しなくてはならぬ。沼田から高崎へ後戻りして汽車で行くのならわけはないが、初めて見る上州山水の意外にも秀れてゐるのを知ると矢張り最初の計畫通り中之條から長野原を經、淺間山の裾を越えて信州に入りたい念が先に立つ。さうするには不知案内の土地ではあり餘程時間の儉約をする必要があるのだ。それでこそ今朝も強ひてあんな世離れのした溪奥の温泉を立つて來たのであつた。それこれで終に眼を瞑《つむ》つてまた例の恐しい馬車に乘る事にする。合鮎してゐるせゐか、先日ほど馬車も搖れないやうだ。そしてまた湯檜曾谷川あたりと違つてこの附近は遲れながらもまだ黄葉の世界である。車の窓から利根に沿うた川岸のそれを眺めながら行く。大きな荒瀬を下つてゐる筏などを見ると、そぞろに湯原温泉で逢つた善良な材木商を思ひ出さざるを得なかつた。

 馬車の中で地圖を擴げたり手帖を出したりしてゐると、何處へ行くかと訊く人がある。鑛山師か土木係と云ひたい中年の男である。中之條へ出るつもりだと答へると、繪を描きにかといふ。まアそんな事だと答へると、それなら沼田から澁川へ廻つて行くのではつまらない。沼田の手前の月夜野橋といふ所から右へ折れて山を越して行くがよい、よい景色の所があるといふ。實はそんな風な間道はないものかと地圖を渉つてゐた所であつた。折角のおもひで出て來た旅に同じ道(214)を空しく往復するなどは誠に勿體ないといふ日頃の考へから、その男の注意はひどく私を喜ばせた。道の難易などを根掘り葉掘り問ひたゞしてゐると、傍に乘りあはせてゐた一人の少年が突然口をはさんで中之條へ行くなら月夜野橋から行くより矢張り沼田まで出て其處から俺《わし》が村を通つて行つた方がずつとよいといひ出した。これはまだ十五六歳の逞しい身體をした少年で、この馬車には途中から乘つた者であつた。乘るまでは妹と見ゆる病人らしい十歳ほどの娘を背に負つて歩いてゐた。中年の男と少年とは双方が言ひ出した道の難易適不適に就いて各々主張した。どちらとも解らずに私が當惑して居ると、やがて一つの立場に着くと共に、『私は此處で降りなくてはならぬから……』と言つて男の方は降りて行つた。そのあとで少年を相手に細かくその道の方の事を訊いてゐると、馬車屋がうしろを振向いて、景色のいいのは成程いまの旦那の言つた道だらうがとても入り込んでゐて初めての人には通れさうもない、それよりこの兄のいふ道の方が解り易くていゝだらうといふ。それで漸く私も安心して愈々この少年と共にその村まで行く事にした。

 沼田の馬車屋で晝食を濟ませ、兄妹と連立つて歩く。妹をばまた兄が背負つて行くのだ。妹の脚に腫物が出來て容易に癒らず、醫者に見せたら切斷しなくてはいかぬといふ、それも可哀想でこの奥にある奈女澤温泉といふが腫物や切傷によく利くので、其處へ連れて行つてたのだ相だ。(215)利いた樣かと訊くと、餘程いゝ樣だが何しろ淋しがつてまだ豫定の半分もたゝぬのに是非歸ると毎日泣くのでまた連れて歸る所だといふ。妹も割に大柄な娘で嘸重からうと思ふのにその風をも見せず、痛いか痛いかと幾度も低い聲にいたはりながら負つてゆく。言葉少なのこの朴訥な少年がひどく私は好きになつた。度々路端に休んでゆつくりと山にかゝる。四五日ぶりの赤城の山がまた正面の薄雲がくれにその姿を現はして來た。村の名は忘れたがこの邊一帶廣々とした高原になつてをり、今度行く筈で行かなかつた片品川の流域が鈍い曇日の日光のもとに末遠く續いてゐるのが見渡される。とある小さな家の前に立ち停つた少年は、

『俺が祖母樣の宅だから休んで行くべえ。』

 と私を誘つて中に入つた。煙草など商つてゐる百姓家である。婆さんは裏の畑に出てゐた爺さんをも喚んで來て、一緒に病人の脚を調べた。聞いてゐると、醫者の言つたのではこれは次第に骨の腐つて行く病氣だから一日も速く切らなくてはいかぬと言つたのださうだ。側で聞いてゐて寒い心になりながらも私も立ち寄つてその傷口を眺めた。湯に行つてから次第に乾いてその傷口も小さくなつたと皆して喜んでゐるのだが、その邊眼に見えてうす黒く窪んでゐるのを見てゐると何とも言へず私はいたましい氣になつた。そして矢張りそれは思ひ切つて切る方がよくはないか、若しその醫者の言ふ樣に次第に骨が腐つて行く樣にでもなつては取返しがつかぬから、とそ(216)れとなく勸めて見た。兄と同じく言葉數の少いその娘はそれを聞くともう涙ぐんでゐる。他の三人とも途方に暮れた樣にそれを黙つて見てゐるのだ。

『念のためにもう一人他の醫者に診て貰つて御らんなさい、それが湯がいいと言つたら湯で癒す事になさい、とにかく私の友達にもそれに似た病氣で脚を失くしてゐるのがゐるので何だか氣になりますから…………』

 と言ひ置いて私は其處を出やうとした。

『××、(私は殘念にもこの少年の名を忘れた)お前ちよつくら峠まででも旦那を送つて行つて來う、峠からは一本道だが……』

 爺さんの言ふのを引き取つて、

『ウム、俺もさう思つてゐた。』

 と少年は直ぐ立ち上つた。

 私は驚いてそれを固辭した。そして地圖を出して見せたりして、それよりは少しも早く妹さんを阿母さんたちの側に連れて行く樣にと言ひながら、惶てて其處を出た。

『そんなら俺たちも行くべえや。』

 と言ひながら少年は急いで妹を負つた。爺さんも婆さんも門まで出て來た。然し、少年とも直(217)ぐ別れねばならなかつた。獨りになつて山に沿うた岨路を辿つてゐると、思ひもよらぬ向うの丘の樣になつた畑の畦から、

『右い/\と行くだよ、十町も行くと水車があるだからなア。』

 といふ少年の大きな聲が聞えて來た。兄の屑につかまつて淋しく笑つてゐる娘の顔も見えさうだ。

『ありがたう/\。』

 と帽子を振りながら私は何となく涙の出て來るのを覺えた。私の帽子を振るのを見て彼等は畦を降りて行つた。どうか彼の醇朴な兄の上に、いたましい妹の上に幸福あれ、と繰返し/\思ひながら、路ともつかぬ路を急いだ。


(218) 吾妻川

 

 沼田から次第高に高まつて來た高原はこの邊から縱に幾つかの丘陵となつて一つの山をなしてゐる。その丘と丘との間の澤には克明に小さな田が作られて段々と上の方へ重なつてゐる。いま恰庶政穫の盛りで、笠をかぶつた男女がそれら小さな田の所々で働いてゐた。小さな岨路《そばみち》の眞中に馬が繋がれてゐて通りかぬる樣な所もあつた。然し、路を訊くには便利で、かなり複雜した澤から澤、丘から丘への路を迷ふ事なしに峠まで辿り着いた。田や畑の盡きたあたりから山は雜木の林となつて、少し遲いがまだ黄葉の深い色を堪へてゐた。峠の林の蔭に長々と寢轉んで疲れた身體を休めてゐる所へ、晝前から催してゐた時雨がたうとう降つて來た。

 困るには困つたがさう惡い氣持もせず、落ちついた心で穩かな坂路を半ば濡れながら降りて行つた。折々立停つて見ると、吾妻《あがつま》の奥らしい深山の山間には濃く淡く時雨雲が漂うて、それぞれの峰だけが墨色に浮いて見ゆる。麓に近づくにつれて雨は次第に強く、蝙蝠傘が頻りに漏り始めた。山の此方側にも同じく百姓たちが働いてゐた。ことに雨が來たので、必死となつて刈り廣げ(219)た稻を運んでゐた。

 程なくぽつ/\と人家の見ゆる里に來た。先程の少年から聞いた中山村といふのだらう。此處から中之條町までまだ三里近いといふ。何といふ事なく身體は疲れたし、雨もひどいので泊めてくれる家があつたら此處で一晩泊つて明日早く中之條へ出ようかと思ひ始めた。宿屋があるだらうかと訊くとハンギヨウといふ小字に一軒あるといふ。麓から其處までまだ半道ほどあるのださうだ。愈々泊る事にきめてそのハンギヨウといふへ急ぐ。中山村といふのはいかにも寂しい山村であつた。周圍をぐるりと幾つかの小さな圓々しい山が並んで取り巻き、その山山の裾野とでも言ひ度い樣に四方から僅かな傾斜を持つた平野が落ち合つて廣い窪みを作つてゐる。その山の窪全體が中山村なのだ。諸所に散在してゐる藁屋は(不思議にも藁屋のみの樣に私の眼に映つた)みな眞黒に古びて、そして割合にみな棟が高く、屋根の急な作り樣である。一寸見ると小さな寺が飛び/\に立つてゐる樣だ。そして今日あたり村全體の老人子供までみな野原に出て駈け廻つてゐる樣に忙しく働いてゐる。雨の白く煙つた四方に稻を擔《かつ》ぐ者馬を追うもの、田の畔の刈り殘りを刈り急ぐ者、いづれも皆くち一つ利かずに動いてゐる。眺めながら通つてゐる私にはそれらが何だか蟲か人間か解らぬ樣な氣がしたりした。

 ハンギヨウとはどんな文字を書くのだらう。地圖を見ても出てゐない。兎に角そのハンギヨウ(220)に着くと村役場や駐在所などあつて村の主都らしい。一軒の宿屋は直ぐ知れた。山屋と云つた。二階があつて、室が二つある。深切にも私一人のために風呂をたてゝ呉れた。濡れて凍えた身體を温めて風呂から上り、夕飯を待ち兼ねて先づ酒を註文した。卵でも燒いて呉れと頼むと、それと一緒に何かの肉鍋を持つて來た。東京を出て以來、肉に別れてゐたので誠に珍しく、急いで箸をつけると牛や豚でない。櫻でもなく、鷄に近いが違つてゐる。兎だな、と訊ねると左樣《さう》であつた。宿のツイ向うに雜木山があつて、落葉松なども立ち混り、見ごとに黄葉してゐる。雨が懸つてゐるため一層靜かに見ゆる。山の此方側には小さな溪があるらしく、瀬の音が鮮かに通つて來る。

 まだ酒の終らぬうちに、一人合宿を願ひ度いと云つて宿の主婦が一人の老人を連れて來た。私が風呂に入つてゐる頃に二人連の客があつて、既に隣室は塞がつてゐたのだ。老人は下駄屋であつた。一杯如何ですと私が盃を勸めてもどうしても取らず、部屋のずつと隅に小さく坐りながら下駄の荷を調べたり何か手帳に書いたりしてゐた。飯を濟ますとこの老人と枕を並べて寢た。よく睡つたが、一二度枕許の水を飲むために眼をさますと、禿げた小さな頭が常にあちら向に豆ランプの火影に見えてゐた。

 

(221) 十一月十九日 晴

 朝早くハンギヨウを立つ。雨のあとが霜柱などになつてゐるが昨日まで歩いてゐた利根の奥とはずつと緩い樣だ。路が直ぐ溪に沿うた。溪も昨日まで見て來た溪と違つて、廣い澤の中ほどを流れる藻草の多い樣な淺い流である。常に雲の蔭から射してゐる薄い朝日を負うてこの淺い緩い流に沿うて歩いてゐると、この數日になかつた靜かな氣持を覺えた。附近の山も昨日までと違つてみな低く圓く並んで居る。

 やがて快晴となつた。その深い蒼みを堪へた遠空の一方に附近では一等高い、圓みを帶びた山が常に私の行手に見えてゐた。圓い嶺の附近にはまだらに雪が見えて居る。何といふ山だらうと地圖をひろげても一寸恰好なのが見當らぬ。一寸の間道連になつた小娘に訊くと、淺間ですといふ。あ、淺間か、といかにも意外なまた當然な樣な氣がして久しぶりに親しい友人に邂逅した樣な感情を覺えた。今までは全く未知の世界を歩いてゐる緊張した氣持であつたが、あれが淺間だと聞くと、もうこれからは舊知の國に歸つて來た樣な安堵の思ひもするのであつた。見ればいかにも頂上の雪のあたりに薄く煙が纒《まつは》り着いてゐる。淺間よ、淺間よ、と心の中に繰返す。一兩日の後、あの麓を越すのだとおもふと、また遙かな、旅らしいおもひも湧く。

 次第に眼界が展けて、午前九時頃、背後に鮮かな黄葉の高原を負うた大きな流を見る樣になつ(222)た。吾妻川である。豐かな流と、眞白な川原と、そしてをの對岸の何といふ黄葉のいろの深いことぞ。吾妻川、吾妻川、斯うして口のうちで繰返してゐると、先に淺間山を見て覺えた舊知のおもひとまた異つた或るなつかしさを沁々と私は感じて來た。吾妻川といふ名はもう十四五年來私は親しい友佐藤緑葉を通じその家族たちを通じて聽いて來た名であつた。友も、その妻も、みなこの川の畔に生れた。『上州』といふ名がこの友人と關聯せずには私には思ひ起されない以上に『吾妻川』『吾妻郡』は親しいものであつた。手を握る樣なおもひで、私はいまその川を眺め、川岸の山を眺め、その川の方に向つて足を速めた。

 中之條町は直ぐであつた。晴れ渡つた秋の午前の陽の下に、その町は一すぢ長く見出された。白々と乾いた街道の入口に足を踏み入れた時は、いかにも旅馴れぬ者の感ずる樣な、子供々々しい胸騷ぎを私は覺えずにはゐられなかつた。訪ね樣とする田中家は直ぐ解つた。阿母《おかあ》樣だナ、と思はるゝ老婦人が廣い店さきに居られた。やがて田中江風君が奥から出て來た。そして奥まつた座敷に伴はれた。

 この田中家は前に言つた友人の細君の生れた家である。その直ぐの弟の田中辰雄君とは私は久しい交りであつた。彼は秀れた素質を持つて歌を作つてゐたが、不幸にも相模の三崎に病を養つてゐる間に夭折した。續いてその妻も逝いた。遺された小さな娘がいま現にこの田中家で生長し(223)つゝある筈である。その弟で東京で畫を學んでゐる稻三君とも知つて居る。末の弟である江楓君とは彼が我等の結社に加つて歌を作つてゐる關係から文字の上では知つてゐたが逢ふのは今度が初めてであつた。永い事噂にのみ聞いてゐた此等友人たちの厳父田中翁にも程なく逢ふ事が出來た。斯んな妹さんがあらうとは一寸忘れてゐた美しいさかりの妹さんにも逢つて思はず私は顔を赤くした。

『東京の小父さんにお辭儀をなさい。』

 と云つて連れて來られた髪の濃い娘さんは故人の忘れがたみの人であつた。まだ左程とも思はなかつたのにもう彼の友が逝いてから七八年は經つてゐる。この遺された人はいま尋常の二年だといふ。

 百年を經た大きな欅の立ち並んで居る庭も、その落葉を堆く屋根に置いてゐる離室《はなれ》も、廣く邸をとり圍んだ古い塀も、いづれもみな物語の上で親しくないものはない。森《しん》とした座敷からそれを見、これを見てゐると私はなか/\に江風君との談話に身の入らぬのを感じた。

 午後同君に連れられて町のあたりを散歩する。東京の友人が出た農學校にも行つて見た。彼の生家は吾妻の向う岸にあり、其處からこ學学校に通つてゐる間に同じくその頃此處から高崎の女學校に通つてゐた今の細君と相知るやうになつたのだといふ昔語がそゞろに思ひ出されて來る。(224)つゞいては早稻田の學校に筒袖を着て出て居つた彼のありし日などもあり/\と眼に浮んで來た。

『此處です。』

 町から少し離れた岡の蔭に來て江風君は言つた。彼も緑葉君などの出た農學校を出て先年から養鷄をやつてゐた。そして今度大規模にそれを擴張してやるために養鷄場を設くる事になつたと聞いてゐたその場所が其處なのである。二三人の大工が頻りに工事を急いで居る。二千羽から飼へるやうな設備にするのださうだ。

『もう直ぐ出來上ります、さうすれば私だけ獨りこちらに引移つて來るのです。』

 といかにも樂しさうに彼は自身の計畫を語る。岡の上には森があつて町の空を遮ぎり、前面はずつと開けた田圃となつて直ちに吾妻川に接してをる。附近で此處が北風を避けて一等暖い場所なのださうだ。それで鷄の耐寒のために此處を選んだといふ。

『然し淋しいでせうね。』

『一軒家ですから淋しいには淋しいでせうが、なアに、すぐ馴れますよ、晝は鷄や家鴨と遊んで、夜はゆつくり本でも讀むんです、お蔭でこれからは少しその方の勉強も出來さうです。』

 といふ。田中家は代々農を主とした家業を守つて來た。それに亡くなつた辰雄君といひ、次の(225)稻三君といひ、その上にまた姉達まで、みな藝術の方面にのみ走らうとしていづれもその嚴父の心を痛めしめた。辰雄君や緑葉夫人などは、殆んど一時勘當同樣な状態にすらなつてゐた。末の弟の江風君にもまた掩ひ難くその性癖はあるらしい。それを抑へて老父の側《そば》に靜かに鷄を飼つて過さうといふ同君の心には人知れぬ寂しさがあるに相違ない。いま何げなくいふ彼の言葉からも私は沁々その心を感ずるのを覺えた。

 夜は妹さんが心づくしの馳走で、江風君とその親友某君との三人して遲くまで飲み且つ語つた。さうしてゐるうちにも次第に私はこの家を初めて來た家の樣な氣がしなくなつた。晝間からさう感じてゐたが、まるで自分の故郷にでも歸つてゐる思びがしてならなかつた。醉うて後私たちはこの家に關係のある東京の人たちに宛てゝ寄せ書の手紙を書いた。その中にも私はたゞその事をのみ書いた。

 

 十一月二十日 晴

 阿父様《おとうさま》たちからも頻りに留められたが、何しろ信州松本での歌會が氣にかゝる。無理にお斷りして朝早くお暇した、まるでまた自分の家を立ち去る時の幼時の記憶をかすかに感じながら。

 直ぐ馬車に乘つた。今日は終日馬車に搖られて長野原といふまで行き、明日は愈々話に聞いて(226)ゐた淺間の裾野六里が原を横切つて輕井澤へ出る豫定である。その夜は、小諸一泊、翌日松本市まで、その翌二十三日が歌會出席といふ風に。

 馬車に乘つた側に來て江風君は言つた。

『此處から程なく原町といふ宿場を過ぎます、其處を過ぎて半道か一里か行つたら車の左手に氣をつけておいでなさい、其處から例の關束耶馬溪と云はれてゐる吾妻の溪谷にかゝります、兎に角變つた溪ですから。

 と。

『難有う。』

 と言ひながら別れた。馬車は比較的平坦な道路を心地よく走り始めた。

 

(227) 吾妻の溪より六里が原へ

 

 午前正五時に立つ筈であつた馬車は三十分ほど遲れて中之條町を立つた。古びた町はまだ霜に眠つてゐた。そして高原の一筋町を出外れると輕い下りになつた坦道が心地よく桑畠の中を走つてゐるのであつた。左手近くに吾妻川が流れてゐるらしいが、桑畠の端に隱れて見えない。川の向岸に連つてゐる山裾には霧が白く靡いて、瀧の音が寒々と起つてゐる。

 風が寒いのでひしと締め廻した馬車の幌に、やがてほんのりと茜色の日が射して來た。今日も靜かな秋晴らしい。乘合客は私と共に三人であつた。一人は身なりの立派な商人風、一人は土地の者らしい内儀で、共に四十歳前後の人たちであつた。馬丁は二人ついてゐた。さういふ土地の規則なのだか、偶然に一人は乘り合せたのだか、二十歳そこ/\の二人が眞丸く寄り合つて御者臺に乘つてゐた。日の光が次第に強くなつて來るに從つて今まで唯だ黙々と走つてゐた馬車の内と外とで種々の談話が交はされるやうになつた。内儀風の女と馬丁たちとは知合だと見えて、初めから折々何やら問ひつ問はれつしてゐたが、そのうち何かの拍子で商人風の客が草津温泉の事(228)を尋ねたのがもとで話は暫くその温泉で賑つた。草津温泉には此處等から近いため馬丁も内儀もなか/\其處の事情に詳しかつた。ことに内儀はその草津に生れたのださうだ。一體に湯が荒い事、中には三分間を限り辛うじて入つて居られる樣な湯もある事、それだけによく利いて皮膚病骨の病氣または腦病癩病などには嘘の樣によく利くといふ樣な事から癩病患者ばかり寄つて入湯して居る一部落の話が出た。其處は山の一段落込んた澤となつて居り其處に限り彼等の入浴が許されてあるが、不思議にこの病氣に罹る者は金を持つて居るので自然町としてもこの部落を重んぜねばならぬ事になつて居る。中にはまた金に目が昏れたかそれとも知らず/\氣心が通ずるのだか病人と知りつゝ一緒になつて、人目を盗みながら山を出て行く土地の娘の居る事なども話し出された。話はやがて其處に最も多い梅毒患者の上に移つて行つた。其處に行くのは大抵二期とか三期とか可なり病勢の進んだものに多いのだが、さうでなくとも多少その氣のある者は入湯するなり直ちに局部から腋の下首筋などが爛れて来る。爛れ切るまでに三週間を要し、それからはまた次第に療《なほ》つて乾いて行く。乾き切るまでがほゞ二週間、先づ草津の入湯期間は普通この五週間と見られてゐるのださうだ。ひどいのになると手も足も動かす事が出來なくなり、人手によつて浴場にも運ばるゝ樣になる。さういふ浴客のために土地には看護婦とも湯女《ゆな》ともつかぬ女がゐて招きに應じて介抱する事になつて居る。

(229)『さうなるとまたその女と客との間にいろんな事が起るだらうね。』

 商人は中途で口を入れた。

『さうですね、そんな話は餘り聞きませんけれど何しろ深切なものださうですよ、もつともお金も澤山とるさうですが……少し乾きかけて來たお客などは痒くて/\夜も眠れないで隱しどころから何からその女に掻かせるのださうですから。』

 そんな話の出始めた頃内儀は馬車から降りるべき所に來てゐた。何といふ村だか家が十軒ほども幌の間に窺《のぞ》かれて、日は愈々明るく其處の藁屋根や柿の木に照り注いでゐた。

『幌を上げませうか、大分暖くなつた樣ですが。』

 私は商人に言つた。

『左樣ですね、、上げませう。』

 狹い車内が急に明るくなつた。ツイ右手に岩石のみから成り立つた山が鮮かな朝日を受けて形面白く聳えて居る。妙義山に似て、更に痩せて居る。馬丁に訊くと岩櫃山《いはびつやま》と云ひ、昔何とか太郎といふ大賊がこの山に籠つてゐたのださうだ。散り殘りの紅葉が痩せ光つた岩の峽間《はざま》々々に少しづつ見えて、如何にも美しい。

『なアよ、いまの××後家はあれで歳は幾つづらな。』
(230)『さうよな、三十七かな八かな、まだ四十にはなるめえに。』

 狹い御者臺に押し並んで、ふらり/\と赤い顔を搖られながら若い馬丁たちは話し出した。

『無理や無えや、稀《たま》にやあ~いふ話でもせずにや居られめえ。』

『ひとごとか、手前がよつぽど痒いづらに。』

『ハヽヽヽヽ。』

『ハヽヽヽヽ。』

 ピイツ/\と吹く彼等の口笛がよく馬の蹄《ひづめ》に合つて、此間の利根縁の馬車と違ひ、速度も餘程速い。岩島といふ宿の立場に暫く休んで、やがてまた走り出した。客は矢張り二人きりであつた。商人の客は東京深川の材木商で、山のことで長野原町の小林區署まで行くのださうだ。私も今日は長野原町泊りときめてゐたので宿屋も一緒に爲《し》ようなどと話し合ふ。

 岩島を出て程なく馬車は吾妻川の岸に沿うて走るやうになつた。中之條からもう三四里も溯つて來たので、今は川の幅も狹く、岩床が露れて、如何にも溪流らしい姿となつて居る。利根の流域に別れて以來、ほんの一二日の事ではあつたが如何にも久しぶりに可懷しい溪を見る樣で私の心は次第に澄んできた。それに今日は何といふいゝ天氣であらう、岩にあたつて碎ける水玉の一つ/\にもその朗かな秋の日の光が宿つて居るのである。

(231) そのうちに一人の馬丁が車内に入つて來て、先程およそに我等がからげて置いた幌を完全に上にまくし上げてしまつた。そしてにこ/\しながら私の側に腰を下して、

『これから段々有名な關東耶馬溪になりますので。』

 と言つた。

 中之條を立つ時、田中君が私に注意した事をこの男はよく覺えてゐたのであつた。

『難有う、これからが左樣なんだネ、今までだつてなか/\いゝ景色lだつたが……』

 私はさう言ひながら人の好さ相な若者に感謝しい/\半身を窓から乘り出す樣にして見下した。馬車は可なり高い山の中腹を走つて居るのだ。そして悉く葉を落してしまつた木立のずつと底の方に見えつ隱れつ澄み切つた溪の流が見下された。

 我等の馬車の通つて居る岨路《そばみち》は――あとで聞いたのだが其處は道陸神《だうろくじん》峠といふのださうだ――大抵溪から百間内外の高さを保つてずつと長く、左樣、かれこれ一里近くも、斷崖の中腹に穿《うが》たれてゐた。その斷崖と相對した向う側にほゞ相同じい嶮しさの山が削つた樣に聳え立つてその山と山との間、木と岩とが深々と相迫つた所に溪が流れて居るのである。山はうち見た所全部うす黒い岩ばかりで、その岩から岩を縫うて怪しく枝を張り擴げた老木が一面に生ひ茂つて居る。溪は時に瀧となり、渦となり、多くは長い淵となつて、岩の間に藍の樣に湛へて居るのである。

(232) 馬車の腰掛に片膝ついて半ば立ち上つたまゝこの溪に眺め入つた私の心は少なからぬ驚きに波打つてゐた。漸くいま來べき所に來たといふ安心と感謝とが、その驚きの下にはまた溢れてゐたのである。眞實私は名には久しく聞いてゐたがこの吾妻の溪谷をこれほど好ましい溪とは想像しなかつた。今度急に溪といふものが見度くなつて無理を爲《し》ながら出かけて來た旅行の興味の大半は利根の奥にのみ注がれてゐた。そして到る所滿足と感謝とで見廻つて來た。末になつてはあの樣に大きな川となつて流れて居るものが僅か二足か三足で飛び渡る事の出來る樣に細まつて居る水上まで見極めて來たのである。實は溪はもうそちらだけで澤山であつたのだ。利根から折れてこの吾妻の峽谷に入り込んで來たのは主として中之條町を通り度いのと、豫《か》ねてから話に聞いてゐた六里ケ原といふ淺間裾野の高原を横切る事と、その二つに心を惹かれてからの事であつた。そして端なく通り懸つたこの吾妻の溪はまつたく溪らしい溪である。利根の水上より遙かに溪らしい幽邃と閑寂とを備へて居る。五町、十町、十五町と見てゆく間に私は殆んど醉つた者の樣になつてしまつた。何時からとなく永い間心に宿つてゐた溪といふものゝ幻影を端なくいま眼の前に見据ゑた樣な、寧ろ不思議に近い感動をすら覺えてゐたのである。

 有難いことに日は相變らず麗らかに照つてゐた。幾らか風は出たらしいが、あちらの山こちらの山、散る葉もない冬枯の峽間に唯だ寂然《じやくねん》と明るく照り入つて居る。そしてその底に溪が青く(233)また白く、日向となり蔭となつて靜かに流れてゐるのである。さうした岨道だけに馬車もずつと歩みを遲くしてゐた。道も惡く動搖は可なりひどかつた。そして馬丁たちの吹く口笛のみが何だか鳥の樣にピイツ、ピイツと斷えず響いてゐた。

『これでもうおしまひです。』

 やがて、私の側にゐた馬丁は息を呑んだ私の顔を見て笑ひながら言つた。

『さうかね、これでおしまひかね。』

 私も鸚鵡返しにさう言つて腰を下した。一里近くも沿うて來た溪を離れて馬車は急に速度を増しながらだんだら畑の間を走り始めたのである。そして私達がその馬車から降りて、向うから來て居る筈の長野原の馬車に乘り換ふべき川原畑といふ宿場のツイ其處である事を知つた。そしてその溪向うに川原湯といふ温泉場のある事をも私は地圖で知つてゐた。そしてふら/\と私の心は迷ひ始めた。

『これは今夜其處の温泉に泊る事にして、もう一度あと戻りしていまの溪を見て來うか知ら、また來ると云つてもなか/\さう勝手にゆくものではない……』

 などと考へ始めたのである。

 然し、實際私も時間をば急いでゐた。明日明後日と間をおいて、廿三日には如何しても信州松(234)本市に開かるゝ歌會に臨まねばならなかつた。それを斯うした西も東も解らぬやうな、信州松本とは縁もゆかりもないやうな遙かな山深い溪間をうろうろして居たのでは果してその日に其處に到り着く事が出來るかどうか考へて來れば如何にも心細い話であつた。それかと云つてあれほどの溪を唯だ馬車から見て通つただけでは何ともまた氣が濟まなかつた。斯んな邊鄙《へんぴ》な山奥に一生のうちにまた二度と入つて來られるかどうかといふやうな感傷心もいつの間にか萌して來てゐたのである。泊らうか、止さうか、頭の痛くなるまで考へてゐるうちに馬車は笛を吹いてその川原畑といふ、家のかず十餘りしかない寂しい立場に留つてしまつた。

 幸か不幸か、待ち合せて居るべき向うの馬車はその時まだ其處に來てゐなかつた。それを知ると、殆んど發作的に私は材木商人の前に行つて帽子を取つた。

『御一緒に長野原まで參るつもりでしたが、急に氣分が惡くなりましたので、私は一晩此處に泊つて行かうかと思ひます、いろ/\難有うございました。』

 そして呆氣にとられてゐる彼の前に自づと汗の滲むのを覺えながら、惶てゝ其處を出て川原湯への道を訊くと、丁度その駐車場の背戸の眞下に危い吊橋が懸つてゐた。そしてツイその向う岸、目と鼻の間の斷崖の上に白々と秋の日に輝きながらその小さな温泉場は見えて居るのであつた。

(235) 私の寄つた養壽館といふ宿屋は見るさへも氣味の惡い、數百間も高くそゝり立つた斷崖の先端の所に建てられてゐた。そして通された三階の窓をあけるとツイ眼下に、而かもずゐぶん遙かな下に溪が流れてゐた。いま馬車から見て來たのゝ上流に當つてゐるのだ。此處邊に來るともう普通の溪となつてゐるが、それでも大きな、なだらかな山と山との間に一すぢ白く瀬の音をあげて流れてゐるのを見ると矢張り遙かな思ひが湧く。障子を開け放つてそれを眺めながら晝食した。そして大急ぎで私は宿屋を出た。

 いま私の渡つて來た吊橋は間道であつた。温泉から中之條街道に出るには他に立派な道がついてゐた。とろ/\と下りになつたそれを十四五町も行くと立派な橋があつて、直ぐ先刻《さつき》通つて來た街道に出た。それからまた二三町も行くと例の深い峽間《はざま》の溪が見えそめた。馬車では解らなかつた奔流の響が斷崖に籠りながら冬木立の眞下から聞えて來た。

 温泉場あたりで見ると川幅も可なり廣く、水量も豐かで、溪といふより當然川と言ひ度い流であるがそれでも此處に來るとぐつと狹く深くなつて岩から岩の間を渦卷きつ湛へつして流れてゐるのである。所謂關東耶馬と稱《とな》へられてゐる距離が半道餘りもあるであらう。その間ずつとその状態が續いてゐるのである。然しこの溪と九州耶馬溪とを斯のやうに比較するのは私には賛成出來ない。まるで溪の性質が違つてゐるからである。耶馬溪は眺めがずつと開けて居る。兩岸の山(236)もさまでは高からずまた迫つてもゐず、溪はたゞ奔湍相次ぐと云つた形で、この吾妻の溪の唯だ靜けく、迫り合うた狹い峽の底を穽《うが》つてゐるのとは全く趣きが違つてゐる。若し強ひて類似してゐる處を求むるなら耶馬は寧ろ二三日前に見て來た利根の上流にちかいと私は思うた。唯だ双方ともすぐれた溪といふ意味で斯く呼ぶならば許されぬ事はないであらうがそれにしてもあまり愉快な名稱ではない。私は耶馬も好きである。世間の人はよく彼處に落膽したといふ事をいふが、それは山陽の詩などを餘りに鵜呑にして出懸くるからの事で、溪としては矢張りすぐれた溪である。が、何といふ事なく酷《ひど》く心の疲勞を――心ばかりではない謂はゞ生命全體の疲勞をしみ/”\と感じて居る昨今では私は寧ろこのどちらかといへば形の小さな深くて靜かな吾妻の溪により多く心の惹かるゝのを感じた。よく南畫などに殆んど在り得べからざる形状に於て所謂深山幽谷の溪の描かれてゐるのを見る事がある。さう云つた趣きをこの吾妻の溪は何處にか持つてゐる。だから永く見て居る間には飽くかも知れない。厭味に見えるやうになるかも知れない。が、それはそれとして先刻《さつき》馬車から見たと違ひ、斯うしてとぼ/\落葉の積つた岨道を歩きながら見て行くと私には愈々深い親しみを覺えずには居られなかつた。

 溪そのものも好いとして、更に私を喜ばせたものはその深い流を挾む兩岸の岩であつた。そしてその岩の間に怪しく枝を張つて居る樹木であつた。樹木は何の木だか葉でもついて居れば幾ら(237)か見當がつくであらうが、完全に落葉し盡してゐるので一向に解らなかつた。椋か榎か乃至は欅に似た幹や枝を持つてゐた。岩と岩との間に形怪しく生ひ出て、しかも年中この山谷の風雨に荒されてゐるために一本として普通眞直ぐに伸び育つてゐるものはない。いづれも根もとから直ちに幾つかの太い枝に分れ、その枝の先はまたそれ/”\に細々と分れ散つて居る。幹と云ひ枝と云ひ太く短く、殆んど瘤と皺だらけの樣な樹木のみで、そして不思議な位ゐすべてが老木である。考へて見ると斯ういふ嶮岨な場所では伐つて薪なり何なりに爲やうにもその足場がないであらう。それらの樹木のまだ眞新しい今年の落葉がその根元の岩の上に一面に散り敷いてゐた。さうした深い谷間の、日影も碌々射さぬ樣な岩の面にはまた青い苔や岩松がずつと這ひ渡つてゐるのである。その上にまた紅葉の色香の失せぬ細かな落葉が鮮かに散り渡つてゐるのだ。或る場所ではこれらの岩と木の根の間を縫うて、それこそ絲のやうに細いきれいな瀧が眞白く垂れ下つてゐるのも見えた。一ヶ所ならず、二つ三つもそれを見た。

 寒巖枯木といふ言葉は我等にはやゝ乾いた意味を以つて理解せられ易い。然し斯うまで一面の溪一面の山がすべてその岩その枯木を以て埋められて居ると其處に言ひ難い濕ひ、言ひ難い大きな自然さを感ぜずには居られなくなる。たま/\山鳩や樫鳥が翼に日光を受けて溪を飛び越えて居るのを見ても一層靜けさは胸に浸んで來る。次第に吹き募つた風が、上から下から落葉を吹き捲(238)くつて來る道を先刻《さつき》とはまた違つた昂奮に固くなりながら、私はとぼ/\と次第に川下に歩いて行つた。歩きながら幾首かの歌を手帖に書きつけた。

   岩山のせまりきたりて落ち合へる峽の底ひを水たぎち流る

   うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に

   青々と溪ほそまりて岩かげにかくれゆく處落葉木は立つ

   見るかぎり岩ばかりなる冬山の峽間《はざま》に青み溪湛へたり

   せまりあふ岩のほさきの觸れむとし相觸れがたし青き淵のうへに

   夕さむき日ざしとなりてかげりたる岩かげの溪の藍は深けれ

   寒々と岩のはざまに藍ふかくながるる溪は音もこそせね

   岩蔭ゆ吹きあげられて溪あひの寒き夕日にまふ落葉見ゆ

   岩かどをまはれば溪はかくろひて岩にまひたつ落葉|乾反葉《ひそりば》

   幾すぢの絲のかかりて音にひゞくかそけき瀧に立ち向ふかも

   おのが身のさびしきことの思はれて瀧あふぎつつ去りがたきかも

   そそり立つ岩山崖の岩松に落葉散りつもり小雀《こがら》あそべり

   岩のあひに生ふる山の木大けきが立ちならびゐて葉を落したり

(239)   岩山の岩のなぞへに散りしける落葉眞新し昨日かも散れる

   岩山にあらはに立てるとがり岩のとがれるあたり落葉あざやか

   峰《を》に襞《ひだ》に立ちはだかれる岩山の山の老樹はことごとく落葉

   岩山に生ふる山の木おほかたはふとく短くて枝張り渡す

   岩山の岩をこゞしみひと伐らず生ふる大木は枝垂したり

   何の木か古蔓《ふるかづら》なし垂りさがり落葉して居るその岩端に

   とある木は大き臼なし八方に枝はりひろげ落葉して居る

   落葉して寒けきひと木なかば朽ち眞洞《まほら》なせるが枝垂らしたり

   ものいふとわれにかも向ふ岩山の落葉せる木木はわれのめぐりに

 兎角して一里ほども下つて行つた。その邊は溪も次第に開けかけて來たので、もう其處あたりで下るのをやめて、また温泉のはうへ引返さうと思つた。日もいつか餘程傾いて、見廻す峽谷の大半は日蔭となつてしまつた。恰度其處に一つの吊橋の懸つてゐるのを見出した。珍しく長い吊橋で、橋の上にはまだ夕日の影が殘つてゐた。私はその橋の方に降りて行つた。ゆら/\と搖れる不氣味な上を一度向うまで渡り、更に引返して來てその眞中と思はれる邊に腰を下した。そして靜かにその古びた板の上にあぐらをかきながら、携へて來た酒の壜を取り出した。實は晝飯の(240)時に飲み度かつたが、その時は一刻も時間が惜しく、歩きながら飲まうとして一本提げて來たのであつた。然し、異樣に緊張した今日の私の心にはどうも途中で飲むだけの餘裕が出て來なかつた。そして此處から引き返さうとして偶然この珍しい飲場を見出したのであつた。

 橋は隨分古びたものであつた。現に私の坐つて居るあたりも二三個所板が朽ちて穴が出來てゐた。そして風の烈しいのが吹いて來ると直ちに搖れた。下を見ると可なりに高く、其處は淵尻の眞白な瀬となつてゐた。上の方を見ると次第に細く迫つた淵で兩岸の岩は眞白に乾びてゐた。風は益々強く、折々兩側の山腹からくる/\と落葉のかたまりを吹き上げて來た。吹きあげられたかたまりは軈てちり/”\にまひ散つて、更に高く中空さして飜るもあり、雨の樣に溪の方に落ちて行くのもある。溪は既に暮れ去つてゐるので、その暗い淵の上の空に吹きあげられた落葉ばかりが赤い夕日を受けて輝くさまは誠に見ごとであつた。私の居る所にはまだ夕日がさしてゐたが、そのあたりにもはら/\と小さいのがまつて來た。矢張り椋の葉らしいのが多かつた。不思議な飲酒場での冷酒は常にもましてしみ/”\と腸《はらわた》に浸み渡つた。そして一杯二杯と甞めてゐるうちに、好い心持に醉つて來た。元來宿の女中に二合壜を註文したのであつたが無かつたので四合壜を持つて來てゐた。かういふ場所だけに足のふらつくほどに醉ふのは恐しく、まだ一合以上も殘つてゐるのを捨てるのは惜しく、さればとて持つて歸るのも面倒であつた。其所へ恰も若い男(241)が通りかゝつた。彼が向うの坂からさも不審相な顔をして降りて來る時から私は知つてゐたのであるが、やがて氣持のいゝ笑顔で私を見ながら、

『今日は。』

 とつゝましく通り拔け樣とすると猶豫なく私は呼びかけた。そして盃をさした。幸にして彼も一合位ゐは行ける側《がは》の人であつた。そして暫く話し合つてゐるうちに偶然にもこの若者は私が昨晩泊つて氣た中之條の田中家とは知合の原町の酒屋さんである事が解つた。しかもその田中家の稻三君とは農學校で同級であつた相だ。私も名刺を出したりして、名殘り惜しく壜の殘りを飲み乾して別れた。

 歸りは大分暮れてゐたので歩調を速めて歩いた。大きな聲をあげていま作つたばかりの歌を唱ふと餘りに鮮かに反響が返つて來るので却つて寂しさの増すのを覺えたりした。或る所では一抱へもある大きな石を全身の力で漸く押し動かし道下にころがし落した。すると暫く物凄いごろごろどしんといふ樣な音が聞えてゐてやがてどぶうんと下の淵に沈むのが解つた。斯んな事をしてゐるうちに次第に心細くなつて、後には小走りに走つて宿まで歸つて來た。

 此處の温泉場は利根の奥で幾つか見て來た原始的のそれらと違つて世間並な立派な温泉場であつた。浴室などなか/\よく整頓してゐた。宿に歸るなり、大急ぎで浴室に飛込むと其處には既(242)に二人の若い女が入つてゐた。石鹸を使へと勸めて呉れるものごしなどで、この二人が素人でない事は私にも解つた。多分客に連れられて沼田か高崎あたりからでも來て居るものと思つた。そしてそのつもりで一言二言挨拶してゐると案外にもこの土地で勤めてゐる者である事が解つた。この宿のツイ崖下に料理屋があり、其處から湯を貰ひに來てゐるのださうだ。斯う云ふ山の中にも藝者といふ者が入り込んでゐるのか、と晝間の昂奮の後ではあり私はひどく意外な思ひがした。そして普通の時と違ひ何といふ事なく尊敬に似た親しさを感じた。で、湯を出がけにまんざらの世辭でもなく、歸りには私の部屋にお寄りなさい、御茶をさしあげませうと言ひ置いて來た。そして部屋に歸つて暫く心待ちに待つたが來る樣子もないので私は酒を取り寄せて飲み始めた。毎晩のきまりを飲み乾して、これから飯に爲やうとしてゐる所へ、『今晩は』と言ひながら先刻の女たちが這入つて來た。しかも何事ぞ、いつの間に着換へたかちやんと彼等の職業服に着換へて來てゐるのである。私はまたかなり驚いた。が、さうした場合いやな顔をする勇氣も無かつた。一時の驚きが去ると共に却つて子供らしい歡びが感ぜられて、更に酒をとり寄せ肴をとり寄せる事にした。聞けば此處の宿屋は料理業をも兼ねてゐるのださうだ。土地に居る藝者はいまはこの二人ぎりだといふ。それでは今夜はこれで總揚げをやつてゐる譯だネ、といつの間にか鳴り始めた三味の音を可懷しく聞きながら大きな聲で笑ひ出す頃は晝間と打つて變つた浮かれ心地(243)に私もなつてゐたのであつた。

 然し、要するに困つた事であつた。兩人は平常から何か嫉視してゐるらしく、少し席が亂れて來ると露骨にそれを目顔に出して啀《いが》み合つた。はては今夜の私を奪ひ合ふ素振すら見えて來た。私は思はず正氣づいた、此奴等はこれで草津の行きか歸りでその路用でも稼ぐ氣でゐるのではないかと思ひ當つたからである。そして『もうお時間ですが』とにや/\しながら番頭の入つて來たのを機會に二人とも歸してしまつた。やれ/\と思ふと何とも知れぬ苦笑がこみあげて來た。それから、私は明日の朝の出立の早い事を呉々も頼んで、勘定もその時濟ませてしまつた。

 女中の床を延べてゐる間に便所に行つて、何の氣なく窓をあけて見ると實に寒いやうな月夜である。明らかな月かげが空にも山にも一杯に滿ち溢れて、星もまばらに山近くに光つて居る。そして不圖其處から下を見下すと思はずも身ぶるひの出る嶮しい斷崖で、その底に廣い瀬がきらきらと月光に輝きながら、山に響き、崖に響いて淙々と流れてゐた。

 

 十一月二十一日

 あんなに喰ひ醉つて睡つたのだが、氣を許さなかつたので、正しく豫定通りに眼が覺めた。午前四時である。頭の重いのを我慢して湯に行く。槽を溢るゝさびしい湯のひゞきを聞きながら森《しん》(244)としたなかに浸つて居ると、昨日の晝間から夜にかけての出來事が如何にも遙かな追懷の樣に頭の中に浮んで來る。そしてうとうと睡くなる。

 割に長湯をして部屋に歸つたが、まだ誰も起き出づる氣配が無い。今日はどうでも六里ヶ原の中に在るといふ停車場吾妻驛から草津鐵道に乘つて信州に入り輕井澤で乘換へ、小諸町まで行つて居らねばならぬ日取となつた。この川原湯から長野原を經てその草津線の終點吾妻驛までの距離が五里云ひ六里といふ。しかも吾妻驛を出る汽車は毎日僅かに二囘限り、午前九時五十分、午後は三時二十分のがあるだけだといふ。そのうち是非午前のに乘らなくては私には都合が惡い。こちらを五時出立として九時五十分までには五時間しか無い。その間に不案内の山道を五里なり六里なり歩くといふのは餘程の努力で無くてはならぬ。昨日一日遊んだ祟で私はこれからそれを決行しようといふのだ。

 我慢しかねて一二度呼鈴を押して見たがまだ返事がない。そろ/\五時を過ぎやうとする。私はたうとう支度をして洋傘《かうもり》を持ちながら階子段を降りて行つた。それを聞きつけて番頭が出て來た。そして只今お茶漬の用意をして居る嘘をいふ。飯はいらない、酒を一二杯コップで飲まして呉れと立ちながら飲んで居ると生卵を持つて來た。大急ぎでそれをも飲み乾しやゝ機嫌を直しながら宿を出た。戸外はまだ明らかな月夜である。そして一歩動くたびに寒さが骨に沁む。霜の(245)凍つた木蔭の崖道を降りるのは難儀であつた。そしてその崖の根がたの吊橋を渡る時は私は終に下駄を脱いで跣足になつた。湯に入つたので咋夜の酒がまた新たに五體を廻り始めたらしい。橋の半ばで振仰ぐと昨夜の宿は誠に頭上に高々とそゝり立つて、私の居た部屋だけ雨戸が開かれ、うす赤い灯影が明方の寂しい月の光のなかに浮いて居る。

 私は恐しい速度で道を急いだ。常に幾らかづつ登りになつて固く凍てついても居るが、溪に沿うた道は割合に立派な道であつた。月の光がだん/\白んで行くのを足許に見ながら、始終左手の方から聞えて來る水の響を聞いて急いで居ると、手足のさきが凍える樣な寒さと共に譯の無い寂しさ心細さがむづむづと全身を襲うて來る。その心細さに追はれて小走りに調子をつけながら急いだ樣なものであつた。

 長野原町に着いた時は漸く皆朝飯の用意をして居る頃であつた。此處で何か喰べて行かないと困るかも知れぬと思うたが、餘り急いだため胸がつかへて一向に食慾が無かつた、それに一寸の時間も惜しかつた。僅かに町外れの掛茶屋に寄つて茶の代りに酒を一本飲む。其處で聞けばこれからならばまだ草津から出て吾妻驛へ行く定期馬車に間に合ふだらうとの事であつた。それに勇氣を得て、また更に急ぐ。

 永い坂の曲角をまがると、ツイ眼下の窪地に小學校があつて小さな黒い樣な生徒がいま頻りに(246)集つて來る所であつた。宿醉の常の感傷心と、前途をおもふ心細さと、漸う出始めた身體の疲などからであつたらう、私にはその時偶然に發見した小學校が、其處に集つて來る小さな生徒たちが、無上《むしやう》に可懷《なつか》しいものに眼に映つた。そして暫く坂の上から洋傘を杖つきながら茫然と立つてその群れ騷いでゐるのを見てゐたのであつた。その時傍らを通りかゝつた人に訊くと丁度この下から停車場へ行く近道があつて、却つて本道よりもいゝかも知れぬとのことであつた。が、馬車に心を惹かれてゐる私はをの深切な注意に耳を傾け得なかつた。そしてまた急ぎ始めた。小學校から眼を移すと、これも氣の附かなかつた淺間山がその坂道の眞正面の遠空にがつしりと浮んでゐた。これにも私は心を躍らせた。一昨日であつた、利根の流域から名も知らぬ山を時雨のなかに越えてその夜は地圖にも出てゐぬ村の木賃宿に泊り、其翌日名久田川の寂しい澤をとぼ/\と下りながら不圖遙かな空に雪を頂いた高い山を見出でて恰度道連になつてゐた村の娘に名を尋ねるとそれが思ひもかけぬ此淺間山であつたのであつた。それが一昨日で、昨日は終日谷間の道で見ることなく、今日また斯うして親しく仰ぐのである。今日はいよ/\あの山の麓を過ぎるのだと友人を見るやうにも可懷しく仰がるゝ。一昨日と違ひ頂上からは、濃い黒煙が遙かに東の空に靡いて居る。

 日影といふ村が草津道とこの道との出合ふ場所になつて居る。私は胸をときめかせながら古い(247)藁葺の馬車駐車場に入つて行つた。其處には赤く榾火《ほたび》が燃えて、小間物の行商人が荷をひろげてゐた。居合わせた二人の女は口早に私の問ひ懸くるのに殆んど振り向かうともせず、その馬車はもう夙うに通り過ぎたといふ。眞實かと問ひ返しながら、まだ定期の時間に間があるではないかと詰《なじ》ると、今朝はあちらに客の無いのが解つてゐたので、幾らか早く立つて來たのだといふ。私は其處に腰を下す事をもせず、黒い腰障子を手荒く締めて道路に出た。サア、愈々どうでも歩かなくてはならぬ破目になつた。今朝から既に三四里歩いて居る、そして時計はまだ八時にならぬ、あとの二里を二時間で行くのはさう難儀でないと自分で自分を勵まして歩き出したが、爭ひ難くその時既に充分に私は疲れてゐた。昨夜かれこれ三時間ほどしか眠つてゐない。それに昨夜も今朝も一粒の飯を喰つてゐない。起きがけから走るやうに急いで來て、なまなか先刻馬車があると聞いてからは急にまたがつかりしてしまつたのである。が、兎も角も歩かなくてはならぬ。正直にちく/\と痛み始めた足をなだめて、心細くも急いだ。速力のずつと鈍つたのは自分にもよく解つてゐた。

 大津といふ寒驛を過ぎ、羽根尾といふから今までの街道と分れて左に折れ、溪を渡つて直ぐ急な坂にかゝつた。昨日今日馴染んで來たこの溪に別るゝ事も心細さをそゝらずにはおかなかつた。坂はよごれた雪を載せて全部かた/\に凍ててゐた。餘程注意して歩いても兎もすれば滑り(248)がちだ。それでも初めその坂をさほどに思はなかつたが、登れど/\盡きないのを見ると私は大抵の場所をばそれで通す日和下駄を脱いで足袋跣足になつた。冷たくはあるが足袋裏はさまでに汚れぬほどよく凍つてゐた。不快な汗が全身から湧いて、口はねばりつ渇きつした。幸に路傍到る所に氷柱が並んで下つてゐたので、それをぼき/\と折り取りながら噛んで登つた。疲勞と焦燥とで頭も次第に怪しくなつてゐたので正確な事は解らないが、私にはその凍つた坂が半道も或は一里も續いた樣に思はれた。そして辛うじて一つの峠らしい所に出て、やれ安心と下駄を履いたのであつたが、それがまた非常な間違ひであつた。

 今まで登つて來た險阻な坂は北に面して凍つてゐた。その峠らしい所からは山の南側に越えてほゞ峰に近い中腹を曲りつ折れつして山の形なりに登つて行くのである。今までの坂の凍つてゐたのに反して此方側は道といふ道が一面に泥田の樣に泥濘《ぬかる》んでゐた。暫くは下駄で歩いて見たが、直ぐまた跣足になつた。跣足になつても氷の上と違つてどろ/\した赤土道の滑るのは同じであつた。一度、二度と横滑りに泥の中に這ひ轉がると共に私はすつかり絶望してしまつた。これではもうツイ向うの峰に停車場が見えてゐたところで到底豫期した時間に間に合ふ筈はないからである。時計はまたその峠らしい所に出た時既に九時を過ぎてゐた。いまはもう時間の問題でない。如何にして無事にこの山の泥道を歩かうかといふのである。

(249) 私はやがて一策を案じて泥だらけの足に――足どころが身體中それであつたが――下駄を履きながら道から一歩を外れて林の中を歩き出した。林と云つても手入のしてない灌木林であるために、寧ろ荒い藪の樣なものであつた。其處は滑りはしないが、枯木の枝、張り渡した茨、蔓草などを避け/\歩く苦痛はまた別であつた。そして茫然着流してゐたインバネス――それは旅行のために友人から借りて來たものであつた――の裾を忽ちに一二個所かき裂いてしまつた。それを脱いで肩にかけると今度はまた袴に袖に、種々なものがからまつて來る。私は終《つひ》に必要と肝癪とから着物全部を脱ぎ捨てゝくる/\と一つに押し包んで引抱へながらシヤツとヅボン下になつて帽子を眼深に押し下げ藪の中を前かゞみにくゞつて行つた。少しはもう氣が變になつてゐたのかも知れない。然し、それでもなほ赤泥の中を這ふよりは確かに氣持がよかつた。

 如何にその苦行の時間の永かりし事よ、もうか/\と思はるる峠はなか/\にやつて來なかつた。あとでは私はまことに涙をほろ/\零《こぼ》しながら、何やら獨り言を言ひながら、ふら/\として歩いた。が、要するに幾らかづつは距離を縮めて居たのである。終に一つの掘割みた樣な所を通り過ぎると、嗚呼、どうであらう、其處には驚くべき廣大な原野が忽然として見る眼も限りなく展開せられたのである。更に尚ほどうであらう、其原の正面、空の色の眞深いあたりにそれこそ神鎭りにしづまる如く淺間が寂然《じやくねん》として低く、手近く、うす黒く聳えてゐたのである。嗚呼、(250)その噴煙よ、黒々として、團々《だんだん》として、限りなく/\わが原野の方に溢れ落ちて來て居るその噴煙よ。

 私は大きな聲を發しながら、抱へた着物の包を兩手にさし上げて一散にその原の中へ馳け出した。そしてその狐色をした草原の一部へ、荷物と共に身體を投げ出してしまつた。淺間の煙は寢ながらも手に取れる樣にツイわが眞上にもく/\と靡き落ちて來てゐるのである。

 暫くさうしてぢいつと仰臥してゐるうちに異樣に混亂してゐた自分の神經も次第に鎭つて來た。私は立ち上つて苦笑しい/\泥だらけの着物を擴げて着始めた。慘めなのは借物のインバネスである。もとからよれ/\にはなつてゐたが、裾の方の裏地など、單に掻き裂かれたのみでなく破けて下に垂れてゐるのである。煙草が吸ひ度いが、無論一本も殘つてゐない。幾らか安心すると共に暫く氣のつかなかつた空腹が痛い樣に感ぜられて來た。九時五十分の汽車どころか、時計は既に十一時を過ぎてゐるのだ。着るものをすべて身につけて尚ほ暫く其處に坐つてゐたが、やがて立ち上つて歩き出した。

 空は誠に悲しいまでに澄み晴れて、その中ほどに大きく淺間の煙が流れて居る。遙かな末まで亂るる事なく一條となつて流れ、三里も五里も或は更にも遠く靡いてゐるらしい末には何處の山だか、地平の上に二つ三つ、雪を斑らに頂いて立つて居る。見渡す限り殆んど高低のない原野で(251)ある。六里ヶ原といふのは正しく六里四方もあるために呼ばれてゐる名かも知れないなどと思はれて來た。諸所植林の開墾をしかけた樣なところが見ゆるが、多くはたゞ一面の狐色をした草原で、その中を私の歩いてゐる道が眞直ぐに通じてゐるのだ。此處に來ると平坦ではあるが泥の深いのはほゞ同じであつた。たゞ、今までの坂道の土は赤く、此處は黒かつた。そして此處は路傍の草原を極めて安らかに歩くことが出來た。いくら雪の解けた後だとは云へ斯うまで泥海にしたのは馬車のせゐらしかつた。客馬車は日に一度ださうだが、そのほか荷馬車らしい轍《わだち》が見ゆる。この道を、しかもあの坂を、一體どうして通るのだらうと恩ふと、何だか恐しい事の樣にも思へた。それでも流石に今日あたりは止めてゐるのか、一臺にも逢はなかつた。

 苦しい中に幾首かの歌を書きつくる。

   寒き日の淺間の山の黒けぶり垂り渦卷きて山の背に這ふ

   山の背に凝りうづまける淺間山の煙のはしはいまなびくらし

   頂ゆやや垂りくだりひんがしへやがてたなびく淺間山の煙

   眞ひがしになびきさだまれる淺間山の煙の末の山は何山

   この幾日ながめつつ來し淺間山をけふはあらはにその根に仰ぐ

   芒の原に立つは楢の木くぬぎの木落葉して立つそのところどころ

(252)   おほどかに東になびく淺間山のけぶりは垂りてまなかひに見ゆ

   噴き昇る黒きけぶりの噴き斷えず淺間の山は眞暗くし見ゆ

   寒き日を淺間の山は低くし見ゆ噴きのぼりたる煙の蔭に

 停車場に着く半道ほど手前のところに應桑といふ村のあることを聞いてゐた。もつともこの邊の人のいふ里程ほどあてにならぬものはないが、それでも大抵その村に着く筈と強ひて足を速めてゐるが一向に影も見えない。そのうち思ひがけなく一二軒の百姓家が道近くの野に立つてゐるのを見出した。一軒の方はすつかり雨戸が締められてあつたが、一軒はあいてゐた。私はその一軒に歩き寄つて聲をかけた。腰の曲つた老婆が出て來て不審相に私を見て居る。私は四邊を見廻しながら鷄卵は無いかと尋ねた。鷄を飼はないから無いとのことである。それでは濟まないが一杯でも二杯でもいゝから飯を喰べさせて呉れと頼んだ。すると老婆も漸く氣の毒さうな顔になりながら、どうも氣の毒だが飯をばみな野良へ持つて出て自分の分だけ殘してあつたがそれをば今しがた食つてしまつた、もう十町も行くと應桑に出る、さうしたら何なりとあらうから、といふ。それでも私はさうして老婆と言葉を交へたゞけで大變に心が安らかになつた。漸く人心地がついたといふ樣な安心を覺えて、そのうへ水の一杯を所望するのであつたのをも忘れて幾度も禮を言ひながら老婆と別れた。赤染んだ障子に一杯に日のさしてゐるのも立ち去り難く身にしみ(253)た。

 漸く人家の屋根が幾つか野の末に見え出した。正しく應桑である。咽喉を鳴らして辿り着いたが、何れも百姓家ばかりで飲食店らしい所がない。漸く一軒、『まんぢゆう』と筆太に書いてある腰障子の家を見出した。何を考へる事もなく私は其處に入つて行つた。煙の立ちこめた中に老婆と老爺とが榾火の爐を焚いてゐた。私は立つたまゝ饅頭を呉れる樣にと頼んだ。驚いて泥だらけの姿を見上げてゐた老婆はやがて、これから慥《こしら》へる所でまだ出來てない、お菓子ならあるがといふ。ではそれを下さいと言ひながら爐縁に腰を下した。老婆の持つて來たのを見ると大きなねぢ棒その他珍しい駄菓子である。咽喉につまるのを我慢しながら一つ二つと喰べ始めてゐると先劾から唯だ黙つてじろ/\私を見てゐた爺さんが、少し聞きとりにくい鼻聲で、

『足を圍爐裡に踏み込んだらいゝだらう、草鞋のまゝでいゝのだから』と注意して呉れた。不意に酒くさい息が私の冷え切つた鼻に感ぜられた。難有うと言ひながらそれとなく爺さんの周圍を注意すると徳利が一本その膝の蔭に見えてゐるのだ。

『お姿きん、お酒がありはしないだらうか。』

 と訊くと、あるといふ。周章《うろた》へて私はくるりと身體を廻しながら泥だらけの足袋をそのまゝ圍爐裡に踏み込んで、それを註文した。そして眼の前に吊り下げられた大きな藥罐の中に白い樣な(254)黒い樣な圖太い徳利の漬けられるのを見ると、私の身體には不思議な活氣が湧いて來た。

『これは難有い、酒があらうとは思はなかつた。實は……』

 急に雄辯になつた私は今日の道中の難儀を極めて早口にこの老婆老爺に向つて話し始めた。老婆はわざ/\榾の火を増しながち、そして菜漬の皿を勸めながら、面白相にそれを聞いて呉れた。一本の徳利をば殆んど味を知らずに私は飲み込んだ。二本目のに口をつくる頃、何かは知らぬ難有さにともすれば口が吃《ども》るのを感じたのであつた。

『肴もあるよ。』

 鼻聲で爺さんは教へて呉れた。初め私はこの老人をこの婆さんの亭主だと見たのであつたが、さうではなく、他所《よそ》から飲みに來てゐるのであつた。

『難有う、お姿さん、肴を下さい。』

 婆さんは笑ひながら、肴と云はるゝ肴でもありましねえが、と殆んど白くなつた鹽鰯《しほいわし》を取り出して來て榾火の上に載せた。

 其處へ若い男が入つて來た。醫者などのよく着る事務服の黒いのを着て眼鏡をかけてゐる。色の白い、まだ廿年位の若者である。

 

『ハ、もう晝けえ。』

(255) 爺さんは驚いた樣に聲かけたが、それには返事もせず突つ立つてぢつと其處等を見据ゑたまま、

『御飯!』

 と叱りつくる樣に老婆に言つた。

 老婆は急いで膳を出しながら、

『お前にも鰯を燒かうかの。』

 と訊いた。

『いらねえ。』

 と言つて、ざぶ/\漬物で飯を喰べ始めたが、老婆はやがて饅頭の餡だと思はるゝ小豆を椀に盛つてそれに黒砂糖をふりかけながら若者に勸めてゐた。

 爺さんは近所の炭燒で、少し金が手に入ると斯うして飲みに來るのださうだ。その爺さんも可なり醉つてゐた。私も二本目にかゝると忽ちに醉つてしまつた。そして久しぶりに腹から出す樣な大きな聲で笑ひながら昨夜の總揚げの話など持ち出した。

 然し、烈しい空腹であるといふこと、これから停車場までまだ一里近くの道程《みちのり》だといふことなどが頭にあるので、三本目を取るには取つたが流石に飲み盡すことをせず、一二杯で爺さんに讓(256)りながら、私も茶漬を所望した。

 腹が出來ると眠くなつた。これが私には恐かつた。若し一眠りでも眠らうものなら、午後の汽車にも乘り遲れるに決つて居る。いつそ醉つた勢ひで此儘飛び出すに如くはないと、旅のあはれを沁々感じながら矢庭に立ち上つた。勘定は七十何錢、八十錢定らずであつた。それに一圓出しての釣錢に別に三十錢を添へて、圍爐裡の端に置いて出やうとすると婆さんは驚いてそれを辭退した。

『いゝえ、非常に難有かつたのだから、それに着物の泥も落して貰つたのだから……』

 と私も惶てゝ戸外に出やうとした。すると食事を濟ませて奥の間に入つてゐた先刻の若者は――この婆さんの末子か孫で土地の小學の代用教員か何かしてゐると私は見たのであつた――その時突然出て來て、

『斯んなもの、僕の家には貰はないから!』

 と言ふや否やその錢を引つ掴んで私の方に投げ出した。私も驚くと共にむつとしたが、婆さんは更に魂消た。ころがる樣に土間に飛び降り、散らばつた錢を掻き集めて、

『勿體ない事を、まアお前、勿體ない事を……』

 とおろ/\しながら、憐れみを請ふ眼で私を見上げてそれを渡さうとした。

(257) 若者は可笑しい位ゐ險しい眼で私を睨んで立つて居る。私は老婆が氣の毒なので、黙つて錢を受取りながら、同じく黙つたまま帽子を取つて土間を出た。

 その家は道路からやゝ高くなつてゐた。庭先から石段を降りて道路に曲る。その道に曲つて二三間すた/\歩いて後を振返ると腰障子の間からまだ腰を屈めて老婆が泣き相な笑顔をして見送つてゐた。私はそれを見ると先刻のまゝ手に握つてゐた銀貨銅貨をツイ側の、私と同じ位ゐの高さになつてゐる石垣の上に置いた。そして氣がつくと其處には菊が一杯に植ゑてあつた。時過ぎた赤い色の鄙びた菊が石垣に沿うてずつと咲いてゐた。

 若者は何故怒つたか、何か學校で氣色の惡い事でもあつたのか、婆さんと二人で樂しまうとして歸つて來た晝飯の腐に怪しき闖入者が居たゝめか、それとも藝者買の馬鹿噺がこの年少の清教徒を憤らしめたか、それらの全てがさうせしめたか、いろ/\思ひながら歩くうちに初め腹立たしく、やがて可笑しく後には少年の頃の自分自身を見る樣な心が起つて、そゞろに涙ぐましい思ひがして來た。いまの若者の出てゐるであらう小學校の側を通りすぎた。わア/\と晝休みで騷いでゐる子供の聲は、一層私にその哀愁をそゝり立てた。

 どうして斯んな原中に斯うした部落が出來たらうと審《いぶか》られる位ゐ案外に戸數の寄つたその村を通りすぎると、また限りもない冬枯の原野である。宿外れの或る休茶屋から馬に乘つて出懸けや(258)うとする一人の旅人に出會つた。澤山の荷物を鞍の兩方に置き、その上に布團を敷いて坐つて、一人の馬子がついてゐる。同じ停車場に行くのだらうと不圖その顔を仰いで見ると、それは例の痛ましい病人であつた。髪も眉も殆んど壞《く》え落ちてゐるほどの男であつた。私は瑞なく中之條から馬車に乘合せた内儀の話を思ひ出した。草津温泉の谷底に一部落を限られて病を養つてゐるといふ人たちの事を考へ出した。そして其處にも絶望してまた自分の家に歸つて行くらしいこの馬上の人を思ふと到底二度とはその顔が見られなかつた。

 馬は私より一足さきになつた。醉の次第に出て來る私は次第にその馬と人とから遲れた。そして初めその顔を見た時よりも更に私に苦痛に思へたのは、その馬の行く後から強烈な香水の匂ひがいつまでも/\匂つて來る事であつた。

 停車場行の標札の出てゐる辻に來てもその馬は曲らずに眞直ぐに野原の道を歩いて行つた。それではあの人は汽車にも乘れないのかと思ひながら、附近に何もない原中を夕づいて來た西日に染められて行くうしろ姿を私はやゝ暫く立ち留つて見送つてゐた。

 其處を曲ると停車場は直ぐであつた。建てられて間もないらしい白ざれたそれが二三の同じく新造らしい家屋と共に原の一部に見え出した。

 

(259)下編

 

 子供の入學

 

 東京にてW――君。

 けふから漸く旅人《たびと》が小學校に通ひ始めた。夙うからこの子の學校の事が氣になつてゐながら何何手續といふ風の事を病的に億劫がる私の癖で、九月といふ聲を聞くまで打ち捨てゝ置いたのだつたが、その朔日《ついたち》となつて惶てゝ周章《うろた》へ始めた。それも自分一人ではどう事を運んでいゝか解らず、この土地に移住を企てた最初から家を探したり借りたりその他一切の面倒を見て貰つてゐる或る年老いたお醫者さまの許へ出かけて行つて相談したのであつた。それには先づ寄留手續を爲なくてはなるまい、これから一緒に役場と學校とに行つて村長にも御紹介申しませう、とわざ/”\その老醫は私を連れて暑いなかを村役場から小學校へと廻つて寄留と入學との手續を果し乍ら、それらこの村での重立つた人たちを引合はせて呉れた。さういふ場合に會つてみると、いよ/\(260)自分にも此村の生活が始まつて來てゐるのだといふ靜かな意識が上つて來ずにはゐなかつた。それが一昨日で、昨日は私だけで子供を連れて學校へ行つた。そしてまた校長に逢つて教室や教科書の事を訊き、受持の先生にも紹介して貰つて來た。いよ/\今日から普通の登校となつたのだが、御存じの通りあの子は柄にないはにかみやで臆病なのだ。それに學校まで少し遠い。大人の足でゆつくり三十分はかゝる。しかも山の根の砂畠の中を曲りくねつた道なので私が送つて行つた。

『あれなアに、あんなに鳴いてゐるのは?』

『あれかい、あれは蟋蟀サ。』

『何處にゐるの、向うの山んなかで鳴いてるの?』

『うゝん、この畑の中にゐるのだよ、葱《ねぎ》の根つこだの、薯《いも》の葉の蔭だのに。』

『ふゝん、ずゐぶん澤山ゐるんだナ。』

 斯んな事を言ひながら私のしてみせた通りに薯畑の葉の上を踏んで例の黒い小さな蟲を追ひ出してゐる。まだ前の學校の徽章のついたまゝの帽子を冠つて、鞄をかけて袴をはいた小さな姿を見てゐると、前から心にあつた可哀相な氣持が急にまた強くなつて來た。謂はゞ自分の我儘から斯んな所に移つて來て、斯んな小さな者に時はづれの入學をさせたりなどみじめな思ひをさせる(261)事がいかにも氣の毒でならなかつたのだ。この春小石川の學校に出したばかりで、其處には漸く友達なども出來かけてゐたのを引離してまた新たに比處に入學させるわけなのだ。それに風俗や氣風の變つたこの海岸村の子供たちとこの臆病者がよく合つて呉れるかどうかもよほど考へさせられた。現にけふも兩人《ふたり》で急いでゐると、矢張り登校途中の眞黒な連中が急に兩人の側を駈け拔けて行つて向うからこの子の顔をしげしげと眺めたりするのが居るのだからネ。が、學校に着いてみると案外に聞き分けがよくて、昨日教はつといた教室の前に獨りでずん/\と歩いて行つて軒下に立つて居る。私はわざと今朝は學校の庭には入らなかつた。籬根《かきね》の所に立つて暫くそれを見てゐたが、却つて永くゐてはよくなからうと子供に見える樣に帽子を振つておいて歸つて來た。先刻の畑中の道をぶら/\と歩いて來ると、富士が眞上に仰がれた。前景の愛鷹山には細長い白雲が棚引いて、その奥に富士は却つてくつきりと晴れて聳えてゐた。富士から左にかけては駿遠に亘る連山が低く遠く垣を作り、富士と同じく濃い紺の色を湛へて靜まつてゐる。道ばたの黍の穗のそよぎといひ、如何にも身に浸む秋の氣持である。

 宅には妻が私以上に心配して待つてゐた。そして樣子を聞いて大喜びで、ようしたもんですねエと言ひながら茶を入れかけてゐる所へ、たつた今送り屆けて置いて來たばかりの者がのつそりと音もしないで勝手口から上つて來た。そして驚いて見詰めた兩親の顔を恐々《こはごは》眺めながら、

(262)『だつていくら待つても僕の先生だけ出て來ないんだもの、もう鐘が鳴つて他の組はすつかり先生が揃つたんだけんど……』

『嘘をつけ!』

 私は自分にも驚く程の大きな息ごんだ聲を出した。そして帶から時計を引き出した。

『ソラ見ろ、今漸く鐘が鳴らうといふ時ぢアないか、サ、早く馳け出して行きな、行かないとひどいよ!』

 斯う私が口を切るや否や泣き出した彼の聲も隨分ひどかつた。私はます/\怒る、妻はうろたへるといふ騷ぎのなかに土地生れの女中が飛んで來た。そして兩手を取つて、今度はわたしが送つてあげますから、私なら先生もよく知つてゐますからと説き勸めるのだが、なか/\うんと言はない。私が恐ろしい顔をして立ち上ると、母親と女中との間に挾まれてまた勝手の方に泣きながら出て行つた。そしてたうとう女中に手を引かれて行く姿が籬《かき》の向側の胡麻畠の中に見えた。

 

 W――君。

 斯んな騷ぎをやつて豫てから移住後の一事業だと考へてゐた長男入學の一幕は濟んだ。第一日が濟めばあとはやりよいと思ふ。何だか彼が流浪の第一歩を見る樣で氣の毒だが、こらへて貰は(263)ねばならぬ。

 越して來て半月過ぎた。ひどくぼんやりしてまだ何事も手につかないが、永い疲勞が出て來たのか1も知れない。來た時殆んど眞青だつた門前の稻田が半ば穗を揃へた。廣い田の上を群れて渡る雀の聲が日に/\繁くなつてゆく。田の畦に細々續いてゐる木槿《もくげ》の花の紫は毎朝眼が覺める樣だ。田圃の端《はづ》れに一列長い竹藪が連り、その蔭に狩野川が流れ、其向う、川を越して沼津の町の美しい側面が見ゆる。

 書齋にゐても見ゆるが、門の前に立つと全く眞上に富士が聳えてゐる。此頃毎日空模樣が變なので多くは雲の中だが、晴れると深い紫紺の色が冴えて仰がるゝ。これから此山に雪の深くなるのが時々家内での話題になると思ふ。

 とりあへず以上第一便の筆をとつた。(九月三日)

 

(264) 香貫山

 

 こちらに着いた晩、八月十五日であつた、まだ夜具が屆いて居ないので取敢へず沼津の町向う、狩野川の縁にある小さな宿屋に泊つた。一家して他處に泊るなどといふ事は生れて初めての經驗なので三人の子供たちは不思議やら珍しいやらで、おどおどしながらも二階一ぱいになつて騷ぎ廻つた。恰度その晩は宿屋が空《す》いてゐて、二階には我等の家族だけの樣であつた。

 その翌朝、小糠雨が降つて居た。慌しく手提《てさげ》の中や風呂敷に押し込んで來た、停車場や汽車の中での餞別などを取り出して調べて居る私たちの側には小さな腰窓がついてゐた。

『たいへん近くに山があるのですネ、何といふ山でせうか。』

 疲れ切つてぼんやりした樣な妻が雨の中を見ながら言つた。

『あれが香貫山《かぬきやま》サ、あの麓に今度借りた家があるんだよ。』

『さうですか、あれが香貫山』

 さう言ひながら妻は更に身體を曲げて窓の方に顔を近づけた。

(265) この前、家を借りるために私だけがこちらに來た時、私も初めてこの山とその名とを知つたのであつた。歸つてその話をすると、妻は先づその山の名に心を動かされた。そして名から推していろいろにその山の姿を想像してゐたらしかつた。

『どうだネ。』

『いい山ですことねエ、ほんとに名のとほりの山だわ。』

 さう言はるると私にも初めて見た時よりは一層圓みと青みとを帶びて――四條派の古い繪などに見る――山の樣な氣がしてその日のこまかな雨のなかに眺められたのであつた。

 その香貫山は我等の借りた侘住居の古びた家の縁側からやや眉を擧げ加減にしてツイ眞向うに見渡される。長火鉢を置いた茶の間からも、茶を飲みながら、飯を喰ひながら、その稚松《わかまつ》ばかり生え並んだ山腹を眺むることが出來る。二つか三つ重なり立つた樣になつてゐるそれぞれの峰も、峰から峰にわたつた襞も、すべて圓やかに伸びてゐて、其處に生えてゐるのはまつたく愛らしい小松ばかりである。

 移つて來た當座は夏であつたが、その頃から考へてゐた樣に此頃次第に秋の更けてゆくと共に、縁側からこの山を見るのが日にましよくなつて來た。ほかほかと足裏のぬくとい南向きの縁(266)に立つて、おなじく一ぱいに日影を受けてゐるこの穩かな山を見て居ると、何ともいへぬ靜けさと温《あたた》かさとを覺ゆるのである。それにいま眼に見えて松の下草が黄いろくなつて來た。

 

 登つたのはツイ近頃のことであつた。惜しいものに手を觸るる樣な躊躇を覺えてゐたのであつたが、或る日一番上の子供にせがまれて登つて行つた。

 少し登りかけて先づ私の眼をよろこばしたものは麓に沿うて大きな弧を描きながら海に入つてゐる狩野川の眺めであつた。そしてその川に沿うて建ち並んでゐる沼津の町の美しさであつた。駿河には一體に大きな川が多い。富士、天龍、大井、安部川などあるが、水量の豐かな事から云つたらこの狩野川に上越すものはない樣に私には思はれる。水源は近い天城山《あまぎやま》から出てゐるので、富士川などと比較にはならぬ樣に思はるるのだが、見たところではまことに深い廣い豐かな姿をもつて流れて居る。地圖で見れば伊豆と駿河の直角をなした隅のところに小さく描かれて居り、私もツイ近年までその名さへ知らない川であつた。沼津町は大正三年に丸燒けになつて、殆んど町全體が新築された樣な状態にあるので、意外にハイカラな美しい町である。ことにこの山に登つて見てそれを感じた。

 なほ少し登ると松の間を開墾して薩摩芋や大根などの作られた小さな畑があつた。一面に蟋蟀(267)が鳴いて、其處からは廣く海が見渡された。畑のめぐりの松は私の家の縁側から仰いで考へてゐたより遙かに大きな松で、二間三間の高さに茂つてゐた。その松の間に露出して二三の大きな岩の並んでゐる所があつた。私は子供と共に一つの岩に登つて、海を見ることにした。この八歳になる東京育ちの子供は生れて初めて山登りといふことをするのであつた。で、息をはずませながら、あれを見、これを見、くるくる身體を廻すやうにして登つてゐたのだ。

 白く晒された岩の上から見ると、ツイ眼下の麓に我等の住む小さな部落が明らかに見えてゐた。彼處其處と辿つて、自分の家を探して居た子供は、やがて大きな聲を出した。

『ア、見える見える、二階の窓が開いてらア、お母さんはいま何をしてゐるでせう、呼んで見ませうか。』

 といふなり、更に聲を張り上げて、

『かアさアん、みイちやアん、まアちやアん……』

 と母や妹たちを呼び出した。それは實に大きな聲であつた。これならまことに聞えるかも知れぬと私にも思はれた。縁側に居ると折々斯うして呼ぶ子供の聲が山から聞えたからである。が、私にはその開いてゐるといふ窓すらはつきりと見えぬのであつた。寧ろ木立に圍まれたその家の縁側に蹲踞《しやが》んでゐる自分自身のまぼろしなどが見えたりした。

(268) 頂上は其處から近かつた。同じやうな圓つこい峰の頂きが二つ三つ並んでゐるので、それにも行きこれにも登つたが、とある一つの峰が一番高いことが解つた。その頂上は殆んど平地にちかい圓みを帶びて、芝草が生えて居た。そのあたり、女郎花、吾木香など秋草の咲いてぁる間に新聞紙の朽ちたのや罐詰の殻が散らばつてゐた。

『沼津案内記』によるとこの山の高さは海拔六百五十尺あるといふ。然し海岸の平地に殆んど孤立したやうな姿で立つてゐるので、頂上からの眺望は意外に速くまで及んでゐる。左手一帶に遠く見渡さるる伊豆の國も、地圖から得た概念では唯だ一つの天城山脈を持つた大きな半島にしか考へられぬが斯うして見てゐるとその半島のうちにかなり複雜した、そして海から直ぐ嶮しい高さを以て聳えて行つた山の背が幾つともなく入り組んでゐるのを見るのだ。その長い伊豆の根と、西はずつと霞の奥までも伸びてゐる御前崎との間に駿河灣が圓やかなふくらみを帶びて湛へてゐる。日光などの加減もあるであらうが、二三度私が香貫山から眺めたこの海はいかにも大きな池のやうにのみ思はれた。その廣やかに輝いた池の奥のつまりが即ちこの山の左手寄りに見下さるる江《え》の浦である。其處は一種の寂びを帶びても見ゆる見るからに悲しいやうな靜かな入江である。入江から沖にかけて、蟻の樣な漁舟が散り浮んで居る。同じく蟻の樣に小さい伊豆通ひの汽船がその輝いた海の中に折々煙の輪を上ぐるのも可憐である。伊豆側を除いた池の周圍は靜浦の御用(269)附近からかけて沼津の千本松原、田子の浦三保の松原と、數里にわたつて打ち續いた深い松原となつて居る。

 海の光に疲れた眼を北に移すと、其處には鈍い黄色を帶びた富士の大きな裾野が小波の樣にうねりながら次第高になつて擴《ひろ》がつて行つてゐるのを見る。ことに足柄の方の連山と富士との間に挾まれて向うせばまりにゆるやかに登つて行つてゐるあたりに、淺間や八ヶ嶽などに見られぬ裾野の景色を見ることが出來る。東海道線の汽車は即ちその大きな澤の低處を三島から御殿場まで登つて行つてゐるのである。眼下に見る沼津の停車場からは殆んど二三十分おきにこの裾野に向つて百足のやうな汽車を送り出したり迎へ入れたりして居る。沼津驛から西に出て行くのはいま豐かな稔りに垂り靜まつて居る稻田の中を海岸の松原に沿うて微かな煙を這はせながら眞直ぐに段々小さく走つてゆく。

 眼前の裾野の大部分に根を下して黒く聳えてゐるのは愛鷹山である。三千四五百尺の山らしい。御料林だといふことで、樹木が深いか殆んどいつでも黒々と見えてゐる。その山の眞上、常に多少の雲の影を纒《まと》はせながら空の眞中にのそりとして富士山が立つて居る。芝草の生えた香貫山の頂上から見れば、まるで頭上に臨んで何か物でも言ひかけてゐるやうに見ゆる事がある。そんな時にはこちらからも手を振つて何か言ひ度い心を起させらるる。が、おほかたは矢張り冷た(270)く澄んで、彼女獨りの魂を守つてゐるやうに見ゆる場合が多い。

 富士から左にかけては何といふ山々だか、甲斐から信濃遠江にかけた山脈が遠い低い垣を作つて連つて居る。

 この圓い小松山には四方から登られるやうに道がついてゐる。二三日前、私が獨りで登つて頂上の芝生に寢ころんでゐると、其處へ沼津の女學校のまだ一二年生らしい娘たちがほゞ二百人近くも登つて來た。なかには田舎らしくもない美しい子なども混つてゐて、私はこそこそと其處を立ちのいたが、やがてこの赤い袴をはいた雀たちは八方に散らばつて松の根がたをあさり始めた。もうぼつぼつ初茸《はつたけ》が出るさうである。

 初めて子供を連れて登つた日、頂上で飲んだウヰスキイが利いて私は其處から幾らも降りぬ松原の中でころんで下駄の緒を切つてしまつた。手布を裂いてそれをすげてゐると近くに蹲踞《しやが》んで待つてゐた子供は、やがてそんな山の上まで這ひ登つてゐる赤い辨慶蟹を見付けた。

『ホウ、斯んな赤い蟹がゐる、東京だとこんな奴は一錢はするネ、父さん。』

 暫らくそれを追つてゐたが、

『ヤ、此奴は大きいや、此奴なら二錢だネ、父さん。』

 二疋とも彼はよう捕へなかつた。そしてまた私の側に來て蹲踞みながら、

(271)『足の裏を蚊に刺されると、何處が痒いんだか解らないネ、父さん』

 醉つ拂つた父はそんな話を涙ぐましく聞きながら、感謝した。我等父子の遊び場所には持つて來いの山であると。(十月七日)

 

(272) 發動機船の音

 

 ずつと以前、十幾年も昔になるかと思ふ、就いてから幾らもたゝぬ新聞記者の職業もいやになりいろいろの動搖から身體も心もすつかり疲れ果てゝゐた頃、私は東京から逃げて横浜市内の安下宿の友人の一室に暫くごろ/\してゐた事があつた。秋から冬にかけての頃で、いゝ日和が毎日續いた。友人は下級な西洋人相手の烈しい職業を持つてゐたので晝間はいつも私一人がその煤煙の頻りに飛び込んで來る古汚い室内に留守をしてゐた。その安下宿は大抵下級な船員や、または主に外国船のそれらの船員を相手に金を取つて暮してゐる若者たちの宿であつたが、私の友人といふのはその仲間でも一種の兄貴株になつてゐた。で、夜になるとその下宿の者、または他から來た者どもが大抵その室に集つて酒を飲んだ。そのあとでは必ず花札が持ち出された。そしてその勝負の結果ではまた南京町だの素人の眼にはつかない樣な怪しい飲食店などでの酒となつた。他《ひと》の細君だらうが淫賣だらうが見さかひのつかぬ連中の事/\フェ、よく女の事から喧嘩騷ぎも持ち上つた。さうした中に入つて私も一緒にその友人の尻について飲んだり食つたりしてゐたので(273)ある。さういふ氣持と共に彼等の身體は獣の樣に強かつた。 夜はさうして寢ないで騷いでゐて、晝は必ずまた烈しい職業に出向いて行つた。が、私はさうは行かなかつた。夜は酒の勢ひでどうやら彼等の相手が出來ても、ぽつんと取り殘された晝間になるとまるで病人であつた。日當りのいゝ窓際を選んで寢てゐるか、波止場に腰かけてぼんやり波や船を見てをるか、――或日さうしてゐると思ひがけぬ見知り人等の顔が大勢見えたので周章《うろた》へて物蔭へかくれた事があつたが、それは與謝野寛氏の洋行を送る一群であつた――または西洋人の仲間だけで拵へた丘の上の小さな公園に入り込んで芝生の上にこつそり寢てゐるか、大抵そんな事であつた。

 この頃、東京の友人佐藤緑葉君に書いた手紙の中の一句を今でも私は擴えて居る。『横濱の港には恐ろしく君の好きさうなものがあちこち走つてゐるよ』という樣な文句であつた。

 好きさうなものといふのは港内を走せ廻つてゐる小型な輕快な發動機船の音であつた。あのぽツ/\ぽツ/\と圓い輪の煙と共に發する齒切れのいゝ音、あれが私にひどく珍しかつた、また氣にも入つた。その氣風から佐藤もこれが屹度好きに違ひないと思つたものであつた。

 今度沼津に越して來るとその發動船の音が朝晩引つきりなしに聞えて來るのに驚いた。伊豆の西海岸一帶からこの狩野川の川口に入つて來るもので、横濱で私の珍しがつた頃は、世間一般にはまだなか/\現今の樣にこの船は用ゐられてゐなかつた樣だが、今では小さな漁村にすら二三(273)艘は備へてある。この川口に出入するのは漁魚用のものより寧ろそれを輸送するもので、各地でとれた鮮魚を沼津驛から汽車に托するためのものである相だ。とにかくよく出入する。夜なかなど眼を覺してゐると一層鮮かに、ツイ枕許を走るかと思ふほど、例のぽツ/\を響かせてゆく。

 沼津といふ名からも察せられる様に、この地はもと沼澤地であつたらしく、海岸から山の根まで――そのなかに沼津町や私の住む楊原村《やなぎはらむら》などがあるのだが――べたりとした平地である。そして私の居る香貫部落は有名な野菜の産地である。季候がよく、地味もいゝので、一年中寸時の休みもなく何か彼か採れるのださうだ。土地の人が畑を大事にする事は全く可笑しい位ゐで、午前中に二畝だけの菜を拔いたならば、午後には直ぐ其處に他の種を蒔くと云つた風である。で、その平面の畑地が斷えず何かの色を帶びて居る。地肌を露はして居る時が少い。青かみどりか、または少し黄ばんで居るか、常に種々の色どりが組み合せられてゐる。

 狩野川の末はそれらのはづれを流れて海に入つて居る。土地の名物の西風の凪いでゐる朝の間など、それらの美しい畠の間の徑《こみち》を歩いてゐると、例の齒切れのいゝ音と共に白いまん圓い煙の輪があとからあとからと續いてをの葱や大根の葉のうへに浮んでは消えてゆくのを見る。船の姿は大抵は畑にかくれて見えない。たゞ煙だけが輪をつないで斜めに上つてゐるのである。

 沼津の町は狩野川の川口から十町ほど上手の所に眞白な家並をならべてゐるのであるが、其處(275)から出てゆく發動船のうちに、この江の浦灣一帶に沿うた部落から部落への乘客のみを運輸してゐるものがある。船や會社の名を白鷺と呼んでゐる樣に、船體は白く塗つてあり、荷物を運ぶ他の發動船よりは形もずつと小さくて綺麗である。

 この船に乘つて川口を離れ樣とすると、恰度富士山が沼津の町の上いつぱいになつて仰がるる。川を離れて海に出る樣になると、靜涌から千本にかけて一帶の深い松原を前景にする事になつて、富士は急に大きく高く眺めらるゝ樣になる。先月の事であつた。信州から遊びに來てゐた中村柊花君と一緒にこの船に乘つて江の浦灣を廻つたのであつたが、わざと客室には入らず、船尾の一重敷もない樣な狹い處に坐つて、繪や寫眞で見馴れてゐるこの景色を樂しんだ。そして、

『月並といふ奴もこの位ゐになるとなか/\馬鹿に出來ないものだね。』

 と言つたりした。凪いではゐてもその小さな船は川口のあたりで少しく搖れた。そしてその狹い場所に擴げた洒やたべ物の上にこまかな飛沫がとんで來た。

 山蔭の池に似て靜かに深いその入江の奥には樹木の茂つた――魚を寄せるためだといふ――島があつて、三角形に尖つたかなりの高みの頂上には古びた祠《ほこら》がある。その島のむかうの岸の山蔭に一握りに握れさうに家の建ち込んだ三津《みと》といふ古びた賑かな入江町がある。富士は其處からは入江を前に森の深い島を左手にした空のあひにみえて居る。

(276) その漁師町の裏から微かな登りの山を越えて、なだらかな傾斜を下らうとすると其處に小さな丘と狹い田圃とがこまかに入り混つた一區域が見下さるゝ。そのあたりの天然そのものが日向ぼつこをして居る樣な澱んだ靜かな小さな場所であるが、その丘の蔭田圃の中に長岡温泉と古奈《こな》温泉とが並んでゐる。

 

 東京を去つていつの間にか半年たつた。東京に居る時には毎日二人か三人、五人か十人位ゐづつ來客があつた。こちらから出す客もあり、向うから提げて來る客もありして多くの場合が酒となつてゐた。よく/\人の顔をみるのゝ辛い時は散歩に出た。でなくば布團を被り、雨戸をしめて寢てゐた。そして、せねばならぬ爲事をば自然と夜でなくてはやられぬ樣な状態になつてゐた。そんな夜は晩酌を少し早目にし、夕飯を終ると直ぐ客の來ぬ間に床に入り、二三時間を熟睡してから起き上るのであつた。

 その來客がこちらに來てからは大抵十日に一人位ゐの割である。相當の距離を置いた離室を書齋としてゐるので、家族との交渉も輕くなつた。斯うして朝から晩まで、先づ全く自分自身の時間となつたわけであるが、さればと云つて豫《か》ねて樂しんで來た自分の爲事といふものをば殆んど何もしてゐない。唯だをり/\自分で顧みて思ふのは、東京ではあれでよく生きて來たなア(277)といふ事である。

 今までどうして此等を片附けて來てゐたらうと自分ながら不思議がらるゝ忙しい爲事を割合に多く私は背負つてゐるのであつた。これと云つて眼立たぬ爲事であるが、それが無くなれば早速に家族して困らねばならぬ爲事なのである。東京京では現在より數の多いそれらを受持つてゐた。が、一向に自分でもそれが氣にならなかつた。氣の張つてゐたせゐもあらうが、一つには全ての仕事をごまかしで片附けてゐたのである。時間が出來、心が多少とも落付いて来るともうそのごまかしが出來なくなつた。くだらぬ仕事でもこつ/\と丁寧にやつてゆくといふ風になつて來たのである。急に大人になつたものだとも苦笑きれるが、漸く其處に自分の生長を見出した思ひがするのである。今までは要するに何が何やら解らなかつたのだ、自分の生活も自分の爲事も。然し、なまけ者は終になまけ者である。すべての仕事に對する態度が違つたといふだけで、そのために熱心に費す時間といふものは依然として一日の中の極く僅かな部分に過ぎぬ。他はたゞ何をするともなくぼんやりと過してゐるのだ。

 散歩は矢張り東京に――都會に限る樣である。このあたりは景色のいゝ所があると云つても何しろ場所が狹い。二三度行くうちにはその附近の者に顔を見知らるる。顔を見知らるゝ樣になると散歩の味ひはめつきり減殺されるやうに私は思ふ。銀座でも、淺草でも、もと住んでゐた近所(278)の貪民窟のやうな場末町でも郊外でも、一切その心配は無かつたのであつた。

 釣に行かうとすればきれいな海岸の砂原でも、ずつと靜かな寧ろ氣味の惡いほどの山の根の淵でもどちらにも行ける。私は幼い時からこれが好きなので、をり/\出かけてゆくが、降つても吹いてもといふだけの元氣はない。それにもう水を見て過すには寒さがきつくなつて來た。

 自然と自分の部屋に閉ぢ籠るわけだが、無念無想の端座《たんざ》に時を送る修業は出來てゐない。火鉢を抱いて雜誌でも讀むといふのが落ちになる。それに出てゐるのは先づ小説なるものだ。歌が段々拙くて滅亡するのも近くださうだが、この大流行の小説なるものの正體も我等歌よみからみると隨分めんやうなもののやうである。十二月號の『新潮』と『文章世界』とによつて世間的代表作と各自々信の作との表目をみることが出來たが、曾て讀んだそれらの題目と内容とを想ひ起して來ると『へえ一』とばかり、いよ/\不可思議に思はるる事が多い。いや、兎に角何等かの興味で面白く讀ませて貰ふやうな小説なるものには先づ近頃殆んど出合はない。從つてその雜誌も手に取つたり置いたりである。唯うまいのは煙草だ。好きには好きでも量をば過さない方針でゐたが、こちらに來てからは自づとその埒を破るやうになつた。自分の吹いた煙の立ち昇るのをみてゐると、香を焚いて經を讀む人たちの靜かな心持とも似てゐるのを思ふのである。しみじみ淋しい夕方など、今迄の癖で何處かへ出かけて一口飲み度いなアと思ふ事があるが、東京のやう(279)に簡單に氣樂に孤獨を樂しみながら飲むといふ場所が沼津には無い。在るのは所謂お料理屋で、行けばどうしても女の一人か二人は呼ばねば具合が惡い。それには金の都合もあればその一場の氣持の適不適もある。それこれで大抵は痛いやうな心を靜め我慢しておもむろに火鉢に炭をつぎ足す事になるのである。(十二月九日) 

(280) 村住居の秋

 

     小さな流

 

 この沼津の地に移住を企てゝ初めて私がこの家を見に來た時、その時は村の舊家でいま村醫などを勤めてゐる或る老人と、その息子さんと、この家の差配をしてゐる年寄の百姓との四人連で、その老醫の息子さんが私たちの結んでゐる歌の社中の一人であるところから斯んな借家の世話などを頼むことになつたのであつたが、先づ私の眼のついたのは門の前を流れてゐる小さな流であつた。附近を流るる狩野川から引いた灌漑用の堀らしいものではあるが、それでも水量はかなり豐かで、うす濁りに濁りながら瀬をなして流れてゐた。

『今日は雨の後で濁つてますが、平常《へいぜい》はよく澄んでるのですよ。』

 と早稻田の文科の生徒でその頃暑中休暇で村に歸つてゐたその息子さんは、同じくその流に見入りながら私に言つた。

(281) いよ/\家族を連れて東京から移つて來て見ると家が古いだけにあちこちと諸所造作を直さねばならぬところがあつた。井戸の喞筒《ポンプ》などもその一つであつた。完全に直すとすると十八圓ばかり出さねばならなかつた。その時その餘裕が私に無く、差配一人でも出し澁つた。そしてほんの當座の修繕をしておく事にして、差配は私と妻とを連れて勝手口から小さな畠の畔を通りながら櫻や柳の植ゑ込んである一ならぴの木立の下まで來て、

『なアに、これがありますからあちらはほんの飲み水だけで澤山ですよ、何や彼やの洗物はみな此處でなさいまし。』

 と言つた。

 其處には特に目にたつ大きな枝垂柳が一本あつて、その蔭の石段をとろ/\と降りて例の流に臨んだ洗場がこさへてあつた。

 其處は石段が壞れてゐて足場がわるく、向側の道路からあらはに見下されたりするので妻などはよくよくの時でなくては出掛けて行かなかつたが、埃つぽい眞夏の道を歩いて來た時など下駄のまゝ其處から流の中に歩み入つてゆくのは心地よかつた。八歳になる長男などは泳ぎも知らぬ癖に私の其處に行くのを見付けては飛んで來て眞裸體になりながら一緒になつて飛び込んだ。水の深さは恰度彼の乳あたりに及ぶのが常であつた。後にはその妹も兄や父に手を取られながらそ(282)の中へ入つてゆくやうになつた。そして其處に泳いでゐる小さな魚の影を見たと云つては大騷ぎをして父子《おやこ》して町に出て釣道具などを貿つて來たりした。

 その年の八月が過ぎ、九月も半ば頃になるといつとなく子供たちは其處に近づかなくなり、水量も幾らか減つて次第に流が澄んで來た。そして思ひがけなくもその柳の蔭の物洗場に一面に曼珠沙華が咲き出した。まつたく思ひがけないことで、附近の田圃の畦などに眞赤なその花を一つか二つ見附けてひどく珍しがつた頃まで、まだ氣がつかなかつたのであつた。オヤ/\と思ふうちに、咲きも咲いたり、まつたく其處の土堤を埋めて燃えひろがる樣に咲いて行つた。

 盛りの短い花で、やがてまた火の消えた樣にいつとなくひつそりと草隱れに莖まで朽ちてしまふと、今度は野菊が咲き出した。ぽつり、ぽつり、とそれこそ一つ二つの花が光の中に浮くやうに靜かに徐ろに草むらのなかに咲いて來た。附近の田圃も其處此處と刈られ始めて今は全く灌漑の用はなく、唯だ斯うした家ごとの洗場や野菜洗のために流れてゐるらしい水はいよ/\このごろ痩せて澄んで來た。柳や櫻の葉も次第に散つて手足を洗ひに日に一度位ゐづゝ私の出てゆくその洗場の石段などはおほかたその落葉のために埋れてしまつた。

 

     土橋

 

(283) 道路から小さな流の上にかけられた厚ぼつたい土橋があり、それを渡ると花崗石の門が立つてゐる。その門から一二間の廣さでゆるやかに曲りながら十四五間ほど小砂利が敷かれて、其處にまた蔦のからんだ古びた冠木門がある。私の好きなのはその石の門と土橋との間にある二坪あまりの所から富士を仰ぎ、遠く沼津の町の方面を見ることである。土橋の上も無論よい。移つてからもう三月ちかく、よほどの雨の日でもなくば私は先づ毎朝此處に來て眼を覺すのを樂しみとしてゐる。

 この家はもとどんな人が建てたのだか、元來は矢張り百姓家らしいが、それから何代かの間を經てあちらに繼ぎ足しこちらを造作して今日に及んでゐるらしい。が、とにかくその入口の土橋はまさに正しく富士の嶺に向つて架けられてある。

   駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山

   愛鷹の眞黒き峰にまき立てる天雲の奥に富士は籠りつ

 先づ愛鷹の山が見える。この愛鷹山は見やうによつては富士の裾野の一部が瘤起《りうき》したものとも思はるゝほどの位置と形とを持つて居る。やはらかに四方になだれた裾野の、海に向つた一端に其處だけ不意に隆起したやうな、三千尺ほどの高さを持つた山である。ぞして沼津あたりの海岸から見ればこの山の麓がまた直ちに富士の裾野と調子を合はせて西南東の三方にゆるやかに擴が(284)つてゐる。山の五合目近くまで、即ち富士の裾野と同じ樣なゆるやかな傾斜を持つた部分までは大抵いま開墾されてゐるやうで、それから上が急に嶮しくなり、そのあたりから御料林だといふことで墨色をした木深い峰となつてゐる。その峰の眞上の空に富士山は靜かに高く聳えてゐるのである。

 移つて來た頃からツイこの十日ほど前まで、この富士山もまだ眞黒な色をしてゐた。木深いためではなく、露はに見ゆる山の肌が黒いので、愛鷹の峰とちがつて何となく寂しく寒く眺められてゐた。この山は矢張り遠くから見るべき山だ、近くでは駄目だ、と毎日思つてゐたものであつた。

 が、いつであつたか、もう二十日も前のこと、或朝非常によく晴れて寒い朝があつた。附近の野菜畑の間を歩いてゐると畑中にゐる女房たちが、寒い筈だ、今朝は初めて山に雪が見えたと挨拶してゐる聲を聞いた。よく見ればいかにも鮮かな朝日を受けた頂上のあたりに、微かに白く降つてゐるのが見えた。それは晝になつてはもう影もなくなつたが、それから折々さうした日が續いた。そして一昨日の夜のことであつた、かなりに烈しい雨が降つて、朝かけてからりと晴れた。何氣なく私はいつものやうにその朝早く門前の土橋の上まで來て思はず息を呑んで立ち止つた。眞青な空に浮き出た山全體が、それこそ毛ほどの隙もなく唯どつしりと眞白くなつてゐた(285)のである。驚いて家に飛び込んで、まだ睡つてゐた妻子や、信州から來て滯在してゐた友人やを引き起して、土橋の上まで連れ出してそれを仰がしめたのであつた。そして恐らくこれが今年この山の根雪となるものと思はれたのであつた。斯うなるとまたこの山の姿は一段と美しく見えて來る。もう遠近をいふ必要がなくなつて來るのを感ずるのだ。寧ろ近いだけいゝかも知れない。

 沼津の町はこ、の大正三年に全燒したのであつた。狩野川の川口に在る漁師町らしい場末などが多少殘つただけで殆んど全部燒けてしまつた。で、今の町は建て直されてからまだ間のない町なのだ。和風洋風と半々に混つた町の建築がいづれもみな新しく、且つ土地の氣風から殆んど東京化してゐる樣な所なのでその建てぶりもなか/\に氣が利いてゐる。そのうら若い町の横顔が私の門前の土橋の上から實にくつきりと見渡さるゝ。

 土橋を道路に出ると、道路の下からずつと左右東西に打ち開けた水田で、田の向側には一列に青い竹藪が連つてゐる。その竹藪の向うの蔭をば極めて水のゆたかな狩野川が流れてゐるが、その四五丁下流に當つた向岸に町の半面は見えてゐるのである。

 その邊は町の中でも目貫の場所で、會社銀行料理店などから普通の商家まですべて大きいのゝみが並んでゐる。それをずばりと切斷した樣な河岸の軒並がはつきりと水田の末に眺めらるゝのだ。十四五丁距てた距離から云つても、東南の日光を受くる方角から云つても、次第に刈られて(286)冬の姿を表はしてゆく昨日今日の田圃の前景から云つても、いよ/\この町の遠望は私に樂しいものとなつてゆく樣である。(十月三十日朝)

 

(287) 雪のおもひ出

 

 私は日向國の或る峽谷に生れた。山としても峽谷としてもみたところかなり深かつたが、其處は九州でも南寄りの海岸に近かつたので、ひどく暖かであつた。正月の來るたびに思ひ起すことだが、その村の小學校で新年の式をするごとに、私たちは學校裏の小さな溪間に入り込んで梅の花を伐り出して來ては式場の花瓶に挿したものである。

 私の生れた家の前の崖下を直ぐ溪が流れてゐた。岩に圍まれた淵と、眞白な瀬との連續した溪で、細かな砂の溜つてゐるなどゝいふ處をばをの頃その溪に見ることは出來なかつた。その激しい溪に沿うて四五里に亘る細長い私たちの村は出來てゐたのである。その溪を中にして深い深い峽谷の空、私の家からみればやゝ南がかつた西の空に、尾鈴山といふ附近第一の高峰が聳えてゐた。その尾鈴から東にかけて七曲峠、冠嶽といふやうな切りそいだ嶮山がそれこそ屏風をたてたやうに連つて南の空を限つてゐたのである。

 その尾鈴にだけ、年のうちに一度か二度、ほのかに雪の降ることがあつた。それもほんの頂上(288)から八合目あたりにかけほんのりと斑に積むだけであつたが、それでもそれを見るといふことは子供の時分の私たちにとつて少からぬ歡びであつた。

『コラ/\早う起きてみんか、尾鈴い雪が降つたど。』

 斯う言つて父から呼び覺された記憶が實に心地よく思ひ起されて來る。

 その山に降る雪がどうかすると暮れかけたその峽間《はざま》の村までも降つて來ることがあつた。すると私たちはみな戸外に出て、餌を待つ池の鯉のやうにてんでに大きく口を開いて天からまつて來るその白い小さなものをわれがちに呑み取らうとしたものであつた。

 その私が初めて自分の足で親しく地上に積つた雪を踏んだのは、どうもよく思ひ出せないが七歳か八歳かの時であつた。其頃私たちの村に母の親類に當る鈴木といふ人が來て住んでゐた。もと近くの延岡藩で相當の役を持つてゐた人であつたさうだが、性來の剛腹と頑固とそして絶えず何かをたくらんでゐる山氣とが禍をして終に其城下町を棄てゝ山の中に引込む事になつたものらしい。村に來ては始終病身で貪乏で、いつも父や母に厄介をかけ通してゐた。その人の息子に信さんといふ人があつた。まことに正直な若者であつたが、その父親と合はずに絶えずその病身な親からいぢめつけられてゐた。私の父や母も常に『信が可哀相だ』と言つてゐた。その頃信さんは廿三四歳でもあつたかその信さんに連れられて私は私の二番目の姉の嫁いでゐる先に行く事に(289)なつた。何で行つたのだか覺えてゐないが、何か信さんが自分の事を頼みに行くのに強ひて私もくつ着いて行つたやうに思ふ。私はその鈴木の小父をもこの信さんをも好いてゐた。姉の嫁いでゐる先といふのが同じやうな山の中の村で、義兄は其處の小學校の校長をしてゐた。普通なら一度海岸に出て、其處からまた他の谷間をその村に入り込むといふのが順路なのだが、信さんはそれをずつと近く、何とかいふ山越をして行つたのである。

 その山の根まで行くと雪が降り出した。其處までの里數は今でも推定出來るが三里ほどあつたわけだ。思ひがけぬ事で、信さんも弱つた。そして私を背負つてその山を越さうと思つたらしい。その用意をするために、その山の根の村の――村と云つても戸數四五十あるなしの處だつた樣におもふ――小學校に寄つた。小學校の教場と棟續きに先生の住む部屋が出來てゐたが、その先生は私の父や義兄などゝ知合である事を知つてゐたので信さんは其處に寄つたものらしい。其處で背負ふ紐や、上から羽織るものを借りた。勿論同じくこの不思議な天候に驚いてゐた人たちから泊つてゆけとか何とかすすめられたに相違ないが、血氣な信さんは聞かなかつた。實際何か非常に急ぐ重大な用事で、そのため信さんはひどく昂奪してゐた事が思ひ出されて來る。そして家内中に送り出されて、ちら/\降つてゐる雪の中に出て行つた。

 小學校と云つても極めてかさな粗末な掘立小屋式のものであつたに相違なく、先生の住居の入(290)口と生徒の昇降口とが一緒になつてゐた。その汚い下駄や草履の片の散らばつてゐる樣な土間へ先生と奥さんとその娘さんとの三人がひとしく降り立つて送つて呉れたのであつた。先生はかなりの老人であつた。奥さんの事は少しも記憶がない。それからもう一人の娘さんだ。私はいまこの娘さんの事が書きたくてこの文章を書きかけたのかも知れないほど、この人のことをはつきりと覺えて居る。

 初め私は圍爐裡の傍《そば》に坐らせられた。信さんは腰かけたまゝ手を炙つてゐた。そしてどんどと火を焚いて餅を燒いて出された。親たちと信さんとが大人同士の談話を交してゐる間にその娘さんは頻りに私にその餅をすゝめて呉れた。いかにもそうつと、唯だ眼顔でだけ言ふ樣にして勸めて呉れたのであつた。それがどれだけ私に嬉しかつたことか、ともすれば泣き出す樣にしてその餅を見てゐたに相違ない。そしていよ/\その雪の中に出てゆく事になつて親子三人が土間に降り立ち、信さんと私とは軒下に立つた時、娘さんは親たちのために押されて其處にあつた壞れかけた下駄箱に押しつけられさうになりながら、信さんの背中に負はれた私をいたましさうに見てお辭儀をした。その悧發さうな顔に上つた微笑の美しかつたこと、瞳の澄んでゐたこと、今でも私は秀れた小さな畫を見る樣に眼《ま》のあたりに其顔を思ひ出す事が出來る。

 歳は私より三つ四つ上であつた。髪も着物も覺えてゐないが、やゝ面長で、眼も鼻も、口も(291)すべてくつきりとした顔であつた。明るい、聰明な顔であつた。どうした譯だか、私は其後しばらく果物の柿を見てはこの人の顔を思ひ出したものであつた。私の郷里にとうげんじといふやゝ長めな、霜がおりてゞなくては甘くならぬ柿がある。綺麗な柿だがこの柿を見てはをり/\其娘さんの事を思ひ出したものであつた。或は其時、餅と一緒にこの柿をも御馳走になつたのであつたかも知れない。其後、名を聞く事もせず一度も逢ふ事なしに濟んでしまつた。

 山にかゝると雪はもう積んでゐた。初め洋傘《かうもり》をさしてゐたが、路が狹くて木の枝にかゝりがちの所からやがて信さんはそれをばつぼめて私には手拭で頭から頼冠りをさせ、自分は長い髪のまゝ濡れて行つた。この人は幼い時母親の不注意から圍爐裡に落ちて頭に大きな火傷をしてゐた。それでそれを隱すために襟あたりまで髪を延ばしてゐた。背負つて登るとは云つても、私ももうまるきりの幼兒でないので相當に重い所から、暫く登つては信さんの背から降りてその眞白な上をたど/\と歩いて行つた。何しろ雪といふものを手に取つて見るのが生れて初めてなので、それの績もつた山を歩いて越さうなどとは全く思ひもかけぬ事であつた。で、最初は珍しい一心で元氣よく登つてゐたが、次第に四邊が恐くなつて來た。行けば行くぼど先を閉ざしてゐる樣な降りやう、をり/\木立の上からくづれ落つる音、ことに大きな山鳥がまひ立つた時からたうとう私は信さんにとりついてしまつた。

(292) 無論さう大きい峠ではなかつたのであらう。やがて向うの麓に出ることが出來た。其處にかなりな溪が流れてゐた。それに懸つた橋が名の通りの一本橋であつた。其處に行くと信さんは暫く立止まつて見てゐたが、やがて私を背からおろしておいて自分一人で先づそれを渡つて行つた。そしてその橋に積つてゐる雪をすつかり落して置いて再び私を背負つた。その時信さんが私を顧みる樣にして言つた言葉を私はよく覺えて居る。

『繁ちやん、お前ゆうと俺にとつついちよらんとあぶねえよ、ちつとでも動いたらあぶねえよ、落つたら兩人とも死なんならんから』といふ樣な事であつた。その言葉つきから少からぬ危險を私は感じた。そして兩手を信さんの肩から頸に廻して、顔をばその背に臥せてしまつた。渡りかけると、然し、案外に容易に渡りおほせた。そして向う地につくとどしんといふ風に信さんは私をおろした。そしてにこ/\しながら言つた。

『こりからちつた歩くどが』

 私も唯々として彼に手を引かれながら歩き出した。そして雪で白くなつてゐる一本橋を顧みてぞつとした。その溪に沿うては梅の花が雪をかぶりながら到る所に咲いてゐた。そして程なく人里に出た。

『あら、まア』と言つて戸口をあけた姉を見ると私はたうとう泣き出してしまつた。三人の姉の(293)中で私はこの姉を最も好いてゐたのであつた。もう夕方で座敷には洋燈がついてゐた。

 信さんはその後父親と二人で臺灣に渡つて甘酒屋を始めた。が、幾らもたたぬうちに親子喧嘩をしてあちらで行方不明になつたと聞いてゐた。父親も折角成功しかけたその甘酒屋で我慢せず、濁酒《どぶろく》を作りかけると忽ちにまた失敗し、びどい病身になつて再び私の村に歸つて來た。そして私の東京に出た初め頃に死んでしまつた。

 一昨年あたりではなかつたかと思ふ。或る歌の雜誌の新年號で歌壇番附といふ風なものを掲げ、その大關の所に私の名が出してあつた。するとそれから半年もたつた頃臺灣の或所から、それを見たと云つて、多分私の知つてゐる若山さんだと思ふが、あなたは鈴木信太郎といふ名を覺えてはゐないかと書いた手紙をよこしてくれた。


(294) 櫻咲くころ

 

 三月××日

 朝、漸う爲事に手を着けやうとしてゐるところへ、K――君がやつて來た。

『けふは、お休み?』

 と訊くと、

『いゝえ。』

 と言つたまゝ、人一倍背の高い身體につんつるてんの着流しで、坐りもせず私の机の側に立つてゐる。髪が延びて、顔色が極めてよくない。氣分でも惡いのだらうと、私も椅子のまゝで暫く煙草をふかす。

『いやな天氣ですね。』

『たまりませんね、頭が痛くて爲樣がない、それに…………』

 と言ひながら右の眼の上を指で押へて

(295)『二三日前から此處が痛んで爲樣がないのです、ソラ、少し腫れてませう。』

『神經衰弱でせう、僕もどうもいけない、氣候のせゐですね。』

 障子をあけ放つて火鉢を中に坐つたが、いつもの雜談が一向に逸《はず》まない。

『散歩しませんか。』

『いゝですね、だつて、お忙しいんでせう。』

『いゝえ、忙しいには忙しい筈なんだが、斯んな日には何も出來はしません。』

 連れ立つて門を出ると、

『一寸煙草を取つて來ます。』

 と言つて坂の下の自宅に降りて行つた。そして金口の美味《おい》しい煙草を持つて來た。天氣が斯んなだけに一層味が落着いてゐる。空は赤黒いと言ひ度い樣ないろに曇つてむし/\と暖い。然し、部屋の中に居るよりよほど氣持がいゝ。

 廢兵院の門を過ぎて巣鴨の通りを横切り、染井墓地に入る。彼岸が過ぎたばかりのところなので、どの墓もきれいに掃除がしてある。いつも行き馴れた無縁墓地の所に行き、枯芝の上に腰を下す。四邊には『四十五歳位男』だの、『六十歳位女』だのと書いた小さな一寸角ほどの木標がずらりと並んでゐる。大抵行倒人らしい。

(296) 墓地の下には狹い水田があつたのだが、半分は埋め立てられ、半分は沼の樣になつて何やら水草が生えてゐる。その向うに森見たいに古木の茂つてゐた大きな宅地は昨年あたりから幾つかに分割されて、其あとに新しい家が十數軒も建てられてゐる。僅か伐り殘された喬《たか》い木の枝には今日しきりに椋鳥が群れて騷いでゐる。水草の青い濕地からは折々鶫が飛び立つた。

 やがて立ち上つて廣い墓地をあちこちと歩く。幹の朽ちかけた老木なども立ち込んでゐるので、その間を名も知らぬ小鳥がほがらかに囀り交してゐる。私は一體に墓地が好きだが、その中でもこの染井は靜かでいゝ。沈丁花が到る所に咲いてゐて、強い匂ひが濕つた地に浸む樣に流れ渡つてゐる。もう少しすると櫻が咲く。此處の櫻は他の雜多な木と混つてゐるだけに、そして騷ぎ立つる人も入り込まぬだけに、私は好きだ。

 骨になつてまで小さな甕のなかに閉ぢこめらるゝのはいかにも窮屈だ、僕などは死んだら何處か山の中あたりに埋めつ放しにして欲しいものだ、それが一番速く自然に歸る道ではないか、など此處に來るとよく出る雜談が出たりして、やがて墓地を出外れて西ヶ原の高臺に向いた田圃に出た。この廣い、靜かな田圃にも小さな工場が大分建てられて來た。

 二時間程歩いて宅に歸る。お蔭で頭が輕くなつた、これから爲事に出かけようと言つてk――君は歸つて行つた。別れて二階に上ると、Y――君が待つてゐた。そして今日は是非とも短(297)册を書いて欲しいといふ、この人の短册を預りつ放しにして書かずにおいたこと既に二年近くになるのださうだ。いや/\ながら二三枚書く。字の下手なせゐか、私はこれを書くことに何の興味も持たぬ。ことに此頃それがひどくて、強ひて書かされると頭が痛くなる。で、一種の副業として幾らかの金にでもなるなら爲かたがないが、でないことには一切書かぬ事にきめてあるのだが、さうもゆかぬ場合が多い。けふも、僕はたゞでは書かないよ、と云つて君から金をとるのも變だから近いうちに酒の二三升も持つて來姶へと言つて酒の歌を書いて渡す。

 曇りはます/\ひどくなつた。漸く獨りになつて机の側の窓をあけると、驚いたことに桃の枝が紅くなつてゐる。昨日あたりからの暖氣で急に斯う咲きかけたものらしい。その木はかなり大きな木で隣家の二階屋根の蔭に枝を張つて居る。重い空のもとだけに、その稚《をさな》い紅ゐが一層私の眼を驚かした。

   部屋にゐてくるしきけふのくもり日を窓に見てをる桃の木の花

   かき曇りぬくとこきけふを桃の木の蕾ふふみて紅ゐ深し

 

三月××日

けふは晴れて風がいくらか寒い。それだけにいゝ氣持で、朝から机に向つてゐた。午後三時(298)頃、

『若山さん、湯に行きませんか。』

 といふK――君の聲が表の通りから聞えて來た。一緒に湯にゆく。何だ彼だ忙しくて湯に入るのも全く久しぶりである。幸ひにすいてゐる場槽《ゆぶね》に浸りながら、行つて見度い其處此處の温泉場の話などが出た。春さきの山あひの温泉のことなど、考へるだけでも心が躍る。

 湯の歸りをK――君に誘はれて同君宅に行き、湯豆腐で一杯飲むことにする。同君の二階からは眞向うに某華族の邸つゞきの林が見え、其處にいま梅が澤山咲いてゐる。殆んど同君宅の庭つづきの如くにして咲き續いてゐる。一杯の筈がツイ永くなり、今夜の晩酌のために晝間から料理させておいた田螺《たにし》を自宅から取り寄せたりなどしてゆつくりと飲む。K――君は或る印刷術の雜誌を編輯發行してゐる傍ら、あれこれの會社に關係してゐて非常に忙しい人なのだが、矢張り私と同じでこの櫻の咲く頃になると頭が重く、兎角なまけがちになる側の人である。正宗白鳥の愛讀家である事も亦た同じで、けふもその作の話が出る。

『白鳥の作のことを話してゐるとこつちの氣持まで靜かになるだけでも有難いではありませんか。』

 などゝ兩名は醉つた眼をあげて言つた。

(299) 飲みながら一二首私は歌が出來た。恐らくこれが今年の梅の歌の最後だらうとおもふとさびしい氣がした。

   夕寒うかげりきたれば庭杉の木かげの梅の花の眞しろさ

   湯豆腐の熱きをすすりゆふまぐれ靜けくぞ見る庭の梅の花を

 

(300) 溪のながれ木

 

 立川驛での乘換は意外な時間を待たねばならなかつた。で、二人して近所の多摩川の岸まで出て見る。

 廣い岡の樣になつて打ち開けた桑畑の中に中學校が建つてゐる。その側を通つて四五町ほど行くとすぐ川に出た。連日の雨で、水が大分増してゐる。我等の立つてゐる岸の田圃の水も青草の畦《あぜ》を越してそちこちに音を立てながら溢れてゐる。

『螢がゐさうですね。』

『今度屹度澤山見られますよ。』

 やがて漸く其處を出た小さな汽車は暮れかけて來た野原を次第に山の根に近づいて行つた。雜木林と桑畑とのつゞき合ひになつてゐる附近の野原では麥の刈られたあとの黒い畠が鮮かに眺められた。林には栗の花が咲いてゐた。原の向う、溪を越したあたりの低い山脈の襞から襞には眞白な雲がこまかに流れわたつて、まだ充分に雨氣を含んだ夕空の微光のもとに靜かな眺めを成し(301)て居る。

 青梅驛で大紙の乘客はおりて行つた。貨物もまた大部分おろされた。その次の日向和田驛で我等はおりた。そして舊い記憶にある杉木立の間から多摩の瀬の見下さるゝ宿屋を探しながら溪ぞひに歩き始めた。

『何處でもいゝから洋燈《ランプ》でも點つてるやうな部屋で一晩ゆつくり話しませうか。』

 斯ういふことを言ひながら今日の晝すぎ、ひよつこり我等は出かけて來たのであつた。この年若い友人は繪の勉強に京都へ行つてゐるのだが、今度|阿父《おとう》さんが外國に行くために暫く東京に歸つて來てゐた。そしてお父さんをも見送つて二三日うちにまた京都に行く筈になつてゐる。けふはそのお別れの意味もあつた。ふり續く梅雨に、二人とも足駄ばきに傘を提げてゐた。

 日向和田驛をおりると直ぐであつたと記憶するその藁葺の宿屋はなか/\見當らなかつた。道々訊いてみると、一軒あるにはあつたが今は休業してゐる、多分それらしいといふのだ。そのほかに一軒二里ほど川上に行つた所に某屋といふのがあるといふので、止むなく其處まで行くことにした。汽車をおりた頃から暮れかけてゐたので、歩いてゐるうちに暗くなつた。道下の溪ばかりが唯だ靜かに白く輝いて、迫り合うた兩岸の山には雲がとつぷりとおりて來た。空には星もない。折々螢を追つてゐる子供の群に出會つたり、道ばたに積んである刈麥の匂ひに氣がついたり(302)して、靜かではあるが幾らか心細いおもひもしだした頃に一つの吊橋を渡つた。橋の上にも螢を追ふ子供がゐたが螢は見えなかつた。それを渡りあがるとツイそこの桑畑の中に二三軒の灯影が見えて、その中に尋ぬる宿屋があつた。

 溪の見える部屋は、と訊いてみたが無かつた。そして通された部屋の窓際には何やらの樹木が青々と茂つて、頻りに蟇《ひき》らしものが鳴いてゐた。竹藪らしい闇をとほして溪のひゞきはその窓から冴え/”\と響いて來た。洋燈の蔭で、との希望も空であつた。煤び果てた天井からは電燈が吊されて、赤いやうな濁つた光を放つてゐた。

『これは困つた、これぢやアなか/\醉ひませんよ。』

 と言つて笑つた。薄い酒の徳利が六七本も並んだ頃は、二人とも言葉尻が怪しくなつてゐた。そしていつか十二時に近かつた。

 翌朝も深い曇ではあつたが、ふつてはゐなかつた。このまゝ引返すのも惜しいし、恰度その登山口にも當つてゐるので、急に豫定をかへて二人は草鞋ばきになりながら霧の深く罩めてゐる御嶽《みたけ》山に登つて行つた。

 山上の神社までゆくと、その邊は霧のなかに荒い雨がふつてゐた。立ち並んだ杉の大木の幹から幹にかけて消えつ浮びつ輪を作つて動いてゐる霧のなかにはら/\はら/\と條を引いてふつ(303)てゐるのだ。そんな日でも社殿の中には人聲がしてゐた。當番の神官が詰めているのだろう

 半道ほどくだると霧の中を離れた。更に半道あまりおりて來るといよ/\明るくなつた眼界に遙かに多摩の流を見下すことが出來た。この邊の多摩は兩岸が岩である。白く露はれた岩床の間に瀬となつて流れてゐる。そしてそれをさし挾んだ山腹には稚木《わかき》の杉があを/\と伸び茂つてゐるのだ。

 溪には折柄の出水を幸に流し出したらしい杉丸太が勢ひよく流れてゐた。眞白な瀬より瀬へ横になり縱になり、後から後から飛沫をあげて流れてゐる。

 一息に雨の山みちを上下して來たのでかなりに疲れた二人は道ばたの岩に腰をおろして、見るともなくこの流木を眺めてゐたが、ふと何か思ひ出したらしい友人は、

『なんださうですね、ヴァイオリンなんか造るに、同じ木を使つても、斯うして荒い溪から溪を流し出して來た木とさうでないのとでは、出來上つてからの音いろに非常な相違があるさうですね。』

 と言ひ出した。

『へえ、さうですか、そんな微妙な事がありますかね。』

.唯だぼんやりと水の流るゝのに見入つてゐた私はその突然な話に少なからぬ興味を覺えた。

(304)『それにはいろ/\理由があるでせうが、兎に角機械なんかの力で何卒《どう》かしてその溪から出たものと同じ木質にしようと苦心してもどうしても駄目ださうです。』

 と言ひながら彼は立ち上つた。二人並んで歩きながら見下す溪には尚ほ頻りにその細長い材木が人影とても見えぬ溪奥から相連つて流れ出して來るのが見えた。

 

(305) 溪をおもふ

 

   疲れはてしこころのそこに時ありてさやかにうかぶ溪のおもかげ

   いづくとはさやかにわかねわがこころさびしきときし溪川の見ゆ

   濁りゐてみまほしきものは山かげの巖が根ゆける細溪の水

   巖が根につくばひをりて聽かまほしおのづからなるその溪の音

 

 二三年前の、矢張り夏の眞中であつたかとおもふ。私は斯ういふ歌を詠んでゐたのを思ひ出す。その頃より一層こゝろの疲れを覺えてゐる昨今、溪はいよ/\なつかしいものとなつて居る。ぼんやりと机に凭《よ》つてをる時、傍見をするのもいやで汗を拭き/\街中を歩いて居る時、まぼろしのやうに私は山深い奥に流れてをるちひさい溪のすがたを瞳の底に、心の底に描き出して何とも云へぬ苦痛を覺ゆるのが一つの癖となつて居る。

(306) 蒼空を限るやうな山と山との大きな傾斜が――それをおもひ起すことすら既に私には一つの寂寥である――相迫つて、其處に深い木立を爲す、木立の蔭にわづかに巖があらはれて、苔のあるやうな、無いやうなそのかげをかすかに音を立てながら流れてをる水、ちひさな流、それをおもひ出すごとに私は自分の心も共に痛々しく鳴り出づるを感ぜざるを得ないのである。

 

 溪のことを書かうとして心を澄ませてをると、さま/”\の記憶がさま/”\の背景を負うて浮んで來る。福島縣を離れた汽車が岩代から羽前へ越えようとして大きな峠へかゝる。板谷峠と云つたかとおもふ。汽關車のうめきが次第に烈しくなつて、前部の車室と後部の車室との乘客が殆んど正面に向き合ふ位ゐ曲り曲つて汽車の進む頃、深く切れ込んだ峽間《はざま》の底に、車窓の左手に、白々として一つの溪が流れて居るのをみる。汽車は既によほどの高處を走つて居るらしくその白い瀬は草木の茂つた山腹を越えて遙かに下に瞰下《みおろ》されるのである。私の其處を通つた時斜めに白い脚をひいて驟雨がその峽にかゝつてゐた。

 汽車から見た溪が次ぎ/”\と思ひ出さるる。越後から信濃へ越えようとする時に見た溪、その日は雨近い風が山腹を吹き靡けて、深い茂みの葛の葉が亂れに亂れてゐた。肥後から大隅の國境へかゝらうとする時、その時は冬の眞中で、枯木立のまばらな傾斜の蔭に氷つたやうに流れてゐ(307)た。大きな岩のみ多い溪であつたとおもふ。

   おしなべて汽車のうちさへしめやかになりゆくものか溪見えそめぬ

   たけながく引きてしらじら降る雨の峽《かひ》の片山に汽車はかかれり

   いづかたへ流るる瀬々かしらじらと見えゐてとほき峽の細溪

 

 秋の、よく晴れた日であつた。好ましくない用事を抱へて私は朝早くから街の方へ出て行つた。幸ひに訪ぬる先の主人が留守であつた。ほつかりした氣になつたその歸り路、池袋停車場へ廻つて其處から出る武藏野線の汽車に乘つてしまつた。廣々した野原へ出て、おもふさまその日の日光を身に浴びたかつたからである。一度途中の驛へおりたのであつたが、其處等の野原を少し歩いてぬるうちに野末に近くみえてをる低い山の姿をみると是非その麓まで行き度くなり、次の汽車を待つてその線路の終點驛飯能まで行つた。着いた時はもう日暮で、引き返すとすると非常に惶しい氣持でその日の終列車に乘らねばならなかつた。それに何といふ事なく疲れてもゐたので、餘り氣持のよくない乾き切つたやうな宿場町の其處にたうとう泊つてしまつた。運惡くその宿屋に繭買ともみゆる下等な商人共が泊り合せてゐて折角いゝ氣持で出かけて來た靜かな心をさん/”\に荒らされてしまつた。不愉快な氣持で翌朝早く起きて飯の前を散歩に出た。漸く人の(308)起き出た町をそのはづれまで歩いて行つて私は思ひもかけぬ清らかな溪流を見出した。飯能と云へば野原のはての、低い丘の蔭にある宿場だとのみ考へてゐたので、其處にさうした見事な溪が流れてゐやうなどゝは夢にも思はなかつたのである。少なからず驚いた私はあわてながらその溪に沿うて少しばかり歩いて行つた。眞白な砂、洗はれた巖、その間を澄み徹つた水が淺く深く流れてゐる。昨夜來の不快をも悉く忘れ果て、急いで宿屋へ歸つて朝飯をしまふなり私はまたすぐ引き返して、すつかり落ちついた心になり、その溪に沿ひながら山際の路を上つて行つた。溪をはさんだ山には黄葉《もみぢ》も深く、諸所に植ゑ込んだ大きな杉の林もあつた。細長い筏を流す人たちにも出合つた。ゆる/\と歩いてその日は原市場で泊り、翌日は名栗まで、その翌日長い峠にかゝると共にその溪は愈々細く、終には路とも別れてしまつた。そして落葉の深い峠を越すと其處にはまた新たな溪が流れ出してゐた。

   朝山の日を負ひたれば溪の音冴えこもりつつ霧たちわたる

   石越ゆる水のまろみをながめつつこころかなしも秋の溪間に

   うらら日のひなたの岩にかたよりて流るる淵に魚あそぶみゆ

   早溪の出水のあとの瀬のそこの岩あをじろみ秋晴れにけり

   鶺鴒《いしたたき》來てもこそをれ秋の日の木漏日うつる岩かげの淵に

(309)   おどろおどろとどろく音のなかにゐて眞むかひにみる岩かげの瀧

 

 淺瀬石川《あぜいしがは》といふのは津輕の平野を越えて日本海の十三潟に注ぐ岩木川の上流の一つである。其處きりで鱒の上るのが止るといふ荒い瀬のつゞく邊に板留といふ小さな温泉場がある。温泉は川の右岸に當る斷崖の中腹に二個所とその根がたの川原に接した所に一個所と、一二丁づゝの間隔を置いて湧いて居る。私の好んで入つたのはその斷崖の根の温泉で、入口には蓆《むしろ》が垂らしてあるばかり、板の壁はあらかた破れて湯に入りながら溪の瀬がみえてゐた。或る日の午後ぼんやりと獨りで浸つてゐると次第に湯がぬるんで來た。氣がつくと板壁の棍の方から溪の水がひそかに流れ込んで來てゐるのである。四月の廿日前後であつたが、その日あたりから急に雪が解け始めたらしく、溪の水の濁つて來るのは解つてゐたが斯う急に増さうとは思はなかつた。呆氣にとられて裸體のまゝ小屋の外に出てみると、赤黒く濁つた水がほんの僅かの間に全く川原を浸して流れて居る。丁度其處の對岸の木立のなかに――そのあたりにも水が流れ及んでゐた――網を提げた男が一人、あちこちと歩いてゐる。雪解を待つて鱒は上つて來るといふ事を聞いてゐたが、彼はいまそれを狙つてゐるのらしい。やがて、また一人あらはれた。

 雪が解けそめたとは云へ、四邊の山は勿論ツイその川岸からまだ眞白に積み渡してをるのであ(310)る。その雪と、濁つた激しい溪と、珍しく青めいたその日の日光とのなかに黙々として動いてゐるこの鱒とりの人たちがいかにも寂しいものに私の眼には映つた。遙かな溪を思ふごとに私の心にはいつもそれら寂しい人たちの影が浮んで來る。

   雪解水《ゆきげみづ》岸にあふれてすゑ霞む淺瀬石川の鱒とりの群

   むら山の峽より見ゆるしらゆきの岩木が峰に霞たなびく

 

 相模三浦半島のさびしい漁村に二年ほど移り住んでゐた事があつた。小さな半島に相應した丘陵の間々に小さな溪が流れてをる。一哩も流れて來れば直ぐ汐のさしひきする川口となるといふやうな溪だ。それでも私はその溪と親しむことを喜んだ。川に棲むとも海に棲むともつかぬやうな小さな魚を釣る事も出來た。

   わがこころ寂しき時しいつはなく出でて見に來るうづみ葉の溪

   わが行けば落葉鳴り立ち細溪を見むといそげるこころ騷ぐも

   溪ぞひに獨り歩きて黄葉見つうす暗き家にまたも歸るか

   冬晴れの芝山を越えそのかげに魚釣ると來れば落葉散り堰けり

   芝山のあひのほそ溪ほそほそとおち葉つもりて釣るよしもなき

(311)   こころ斯く靜まりかねつなにしかも冬溪の魚をよう釣るものぞ

 

 みなかみへ、みなかみへと急ぐこゝろ、われとわが寂しさを噛みしむるやうな心に引かれて私はあの利根川のずつと上流、わづか一足で飛び渡る事の出來る樣に細まつた所まで分け上つたことがある。

 狹い兩岸にはもうほの白く雪が來てゐた。斷崖の蔭の落葉を敷いて、ちよろ/\、ちよろ/\と流れてゆくその氷の樣になめらかな水を見、斑らな新しい雪を眺めた時、何とも言へぬこゝろに私は身じろぎすら出來なかつた事を覺えてをる。いま思ひ出しても神の前にひざまづく樣な、ありがたい尊い心になる。水のまぼろし、溪のおもかげ、それは實に私の心が正しくある時、靜かに澄んだ時、必ずの樣に心の底にあらはれて私に孤獨と寂寥のよろこびを與へて呉れる。

 

 溪の事はまだ澤山書き度い。別しても自分の生れた家のすぐ前を流れてゐる故郷の溪の事など。更にまたこれからわけ入つて見たいと思ふ其處此處の河の上流のことなど。


(312) 土を愛する村

 

 家族を連れてこの土地へ引越して來た最初の夜、鐵道便で出した夜具の都合から一晩だけ狩野川にかゝつてゐる御成橋の袂の小さな宿屋に泊つた。

 翌朝、こまかな村雨がふつてゐた。思ひがけなかつたこの夏の朝の雨は移住騷ぎのごた/\に勞れ切つてゐた私ども夫婦の心を非常に靜かにして呉れた。宿屋の二階の窓際に寄つて茶を飲みながらツイ眼の前に濡れてゐる橋や川や川向ひの沼津町の家並などを見てゐると土地不似合に見事なその鐵橋の上を――あとで解つた、御用邸への道筋なので特に斯うした橋を架け名もそれから來たものであつた――幾人となく引續いた女の野菜賣が番傘をさして町の方へ渡つて行つた。一人二人ならば眼にもつかなかつたであらうが、後から後と續いて渡つて行つた。

『きれいな葱ですことねエ。』

 妻もそれを見てゐたものと見えて側から言ひ出した。常から葱好きの私のことが心に浮んでゐたらしい。東京あたりの葱の樣に白根ばかりでなく、白いところが三四寸、その先の青いとこと(313)が一尺餘りもある細身のそれを誠に見ごとに束ねて籠に入れてゐるのだ。蕪や夏大根なども籠の中に混つてゐた。葱に限らず、一體に野菜食ひの私はそれを見ながら思ひがけぬ一要件を果した樣な安心を覺えざるを得なかつた。

 雨のあがるのを待つて豫ねてから借りて置いた家の方へ移つた。鐵道便の家具や書籍などが屆き、そちこちと家内の建具を直したりして五六日は解《わけ》もなく經つて行つた。どうやら一片附片附いて普通の夕食をとる樣になつて氣がついたのだが、かなりに廣い庭さきの籬根《かきね》ごしに強い臭氣が襲つて來るのだ。それも定つて夕方、座敷を掃き出し障子をあけ放つて樂しみの晩酌を始めるとやつて來るのだ。例の下肥料をまく匂ひである。

『これぢやア困りますね。』

『どうも然し、これは田舍暮しには附きものだからね。』

 と強ひて諦めながら暑いのを忍んで障子をしめたり、妻が秘藏の鳩居堂からとり寄せてゐた香を焚いたりして、その場をしのいだ。附きものとは言ひながら精々月に一二度の事だらうと思つてゐると、なか/\どうして、殆んど毎日か隔日若しくは三日置き位ゐに遠く近く匂つて來るのだ。籬根のツイ向側の畑などからは臭氣どころかその音まで聞えて來る事がある。鳩居堂の香はいつの間にかたゞの醤油に代り、やがてはその醤油を焚くことすら勿體ないと思ふやうになつて(314)來た。

 東京生活の永年の疲勞が出て來たとでもいふ風に、越して來てから一月あまりといふもの、私はただ何をするともなく不馴な廣い家の内をぶら/\と歩き廻つたり寢ころんだりしてゐて、先住者の荒らしつくした庭の手入をするでもなく、家のめぐり一つ歩いて見るでもなかつた。九月が半ば過ぎて、朝晩幾らか秋氣づいて來た頃になつて漸く其處等に出歩いて短い散歩などする氣になつた。出て見ればなるほど驚くべき野菜畑である。

 野菜と云つても別に種類が豐かなわけでなく、珍しいものが出來るといふのでない。ありふれた葱、大根、蕪、人參、芋、牛蒡、薩摩藷といふ風のものなのだが、その手入の行き屆いてゐること、あまり廣くない地面を細かに幾つかに仕切つて次から次へと寸時も土地を遊ばしておかないで何か彼か植ゑつけ取りあげしてゆく敏速なこと、右に擧げたものゝほかに蕎麥、胡麻、粟といふやうなものから特に時季を急ぐいろ/\な菜や瓜に茄子などの畑がぎつしりと相つまつて竝んでゐる美しさには私は幾度となく驚きの眼を見張つたのである。昨日此處を通る時にはまだ胡麻がいつぱいだつたのにいま見ればもう何處からか杓子菜の幼いのが移植されてゐる、蕎麥のあとに葱が分根されて來てゐる。二三人して土をならしてゐたと思ふと一二日すると何の芽だか解らないのがうす青く萠えてゐる、と云つた風である。元來私の住んでいる楊原村は上香貫下香(315)貫、我入道他一二の大きな部落に分れ、我入道は狩野川の川口に當つて專ら漁業に從事して居り、上下香貫のうち香貫山の南麓に添うた一部分が主としてこの野菜を作つてゐるのである。そして私の借りてゐる家は恰もその畑の一端に當つてゐるのだ。若松ばかりがきれいに茂つて形のまろやかな小さな山の香貫は茶の間の縁側から三四丁の東に當つて眺めらるゝ。

『沼津案内』には、

  狩野川を距てゝ沼津の東に近接せるは楊原村香貫である。此地は気候暖く地味肥沃にして蔬菜及び果實に富み、年々蔬菜の促成栽培をなし、逸速く京濱地方へ夥多の蔬菜を搬出し好評を博して居るが、これらの蔬菜果實はまた香貫女によりて沼津の町々へ賣捌かれてゐる。新しい野菜や瑞々しい果物を滿載した籠を擔いだ數十人の香貫女が町の隅々まで呼び歩く聲と姿の優しきは心のどかな平和郷を思はせるが、云々

 と書いてある。その狩野川は香貫山の裏、北東の所を流れてやがて沼津の町に添うて海に入つてゐる。

 沼津といふ名から推してもこの附近はもと沼澤地であつたらしく、地味の肥えてゐるのもそんな關係からだらうが、土地の人のその畑を大切にする事は全く見てゐて可笑しい程である。その邊を出歩いて見受くる菜畑にせよ葱畑にせよ、それこそ雜草一本生やしては置かない。そして一(316)つの畑が空くとすると一日とは遊ばせないで直ぐ次の栽培に移る。私どもが毎日々々と肥料攻めにあつた理由も其處から來てゐたのであつた。第一、畑に出て仕事をしてゐる男女の働きぶりからして違つてゐる。今まで畑仕事などゝ云へば長閑な動作をのみ心に描いてゐたのだが、此處のはまるで何か一つの餌を探し出した蟻のやうに執劫で敏捷である。幾度となく繰返していふ私の口癖だが、

『まつたく土を甞めてるやうだネ。』

 といふ氣がするのである。或る年寄の百姓の言ふ所によれば、この土地の畑では毎年一反から二百四五十圓の收入が上るといふ。或る時遊びに來てゐた和泉の堺の在の地主の息子である友人にその話をすると、

『なんぼなんでもそれは嘘でせう、私どもの方では一等いゝ水田からでも百五十圓はむづかしいとしてあるのですから。』

 と本當にしなかつた。その後、信州から來た同じく百姓である友人にそれらの話をすると、

『それは上るかも知れませんよ、卸賣ばかりなら困難かも知れないが、あゝして毎朝自身で擔いで小賣に出懸くるのですからね。』

 と言ひながら、つく/”\感心して路ばたの葱に見入つてゐた。その時、恰度來合せて同じく私(317)の家に泊つてゐた画家のT――君はさうした話の續きに、

『どうも此奴が描きにくいんでネ、この葱の奴が!』

 と、鬚だらけの顔をしかめて同じくその美しい畑を眺めてゐた。そのやうに相當以上の收入のある癖に土地に金持がない、これは土地の若者が遊びずきであるからだとその老百姓はこぼした。ツイ隣の伊豆に入れば大小の温泉が竝んでゐるし、第一川の向うに見えてゐる沼津の町は小さな割には遊ぶのに極めて便利に出來てゐる町らしいのだ。さう聞けば畑に出てゐる娘たちの身なりの派手なのも際立つて眼につくのである。

 斯う書きかけておいて私はいま庭さきの籬根ぞひには何が作られてあるかを見に出て來た。籬の曲つた角の北の所にはうれん草、南側には杓子菜と豌豆とはうれん草のまぜ植、人參と小さな三いろの畑があり、その向側にな聖護院と葱との大きな長い畑があつて、北側のはうれん草の向うには芋畑があつた。けふは暖い雨あがりで、富士は眞白な綿雲に包まれてゐて見えなかつた。これらの畑の間の小さな徑を――實に狹い、つまり土の吝嗇から來てゐるのだ――歩くと到る所からこの山が仰がるゝのである。

  芋の葉のやぶれ靜けき霜月の香貫が原ゆ富士のよく見ゆ

  夕づける寒き日に透き畝高《うねだか》の葱のはたけのさみどりぞ濃き

(318)   刈株の蕎麥の根赤き霜月の香貫が原に雲雀ゐて啼く

 

     山の根の淵

 

 移住當時、ぐつたりと疲れてまだろく/\近所の散歩をもようせずにゐた頃、はる/”\と千葉縣の方から友人が訪ねて來た。或る朝、二人とも早く起きて飯の出る前を門前の小流の端に立つて眞向ひの富士を見てゐた。そしてふとした事から話し始めた歌の話が次第に面白くなつて、誰からともなく歩き出した歩みがなか/\に盡きず、門前の道を香貫山の北側に沿うて二三十分間も奥の方へ歩いて行つた。そして小松の茂つたその山の根と狩野川の流とが相接した所に思ひもかけぬ大きな見ごとな淵のあるのを見出した。

 其處には二つの川が落ち合つて渦を卷くやうな大きな淀みを作つてゐた。その落ち合つた場所よりその道、山の根の道に沿うて少し上手に行く崖下の淵の見事さはなほ一層であつた。幅が百間か百二十間、長さは道に沿うた處だけが三丁ほどで道と離れて曲つた向うは更に五六丁の間同じやうな深い淵をなして續いてゐるのが見ゆる。流るゝとも見えぬ水面には水泡《みなわ》一つ浮いてゐず、そのあたりひどく急峻になつた香貫山の崖の根を横に通じてゐる道の眞下から直ぐ底の見えぬ深さとなつてゐるのである。對岸は赤松の林から雜木林が續き、その向側には桑畑でもあるら(319)しい高みの原となつてひつそりとしてゐる。その林の根方もこちら側と同じ深さで湛へて、常に松の影雜木の影を映して居る。今までいろ/\な所で見た淵のうちでも最も大きな見ごとな淵であつた。しかも何處か上州か信州あたりの深山の中にあるべき種類の淵の姿である。どうしてもこれが斯んな平地の、しかも汐臭い風の吹く山蔭にかくれてゐやうとは思ひ設けられないものであつた。崖の端の路傍に立つて、疎らに立ち竝んでゐる松が枝《え》ごしにこの深碧の水のとろみに見入つた時は、私はまつたく容易には聲も出せなかつた。この狩野川は天城山から流れ出て、伊豆半島の附根にあたるごた/\した所を流れて沼津の海に注ぐのであるが、その流の短い割には甚しく水量が豐かで、恐らく有名な富士や天龍にもまさつてゐるであらうと思はるゝ。その淵尻で落ち合つた一つの川は富士山の方から出て來た黄瀬川で、箱根の鐵道を東から越して來ると御殿場あたりから車窓の左右に白々と流れてゐるのを見るあの溪の末である。

 その朝以來、數日の間私は毎日續けてその淵を見に行つた。そしてその廣い豐かな水の面に折々大きな魚の飛ぶのをみた。小さな舟を浮べて釣つてゐる人をもみた。氣のつかなかつた道の崖下の松の根に竿を出して坐つてゐる人をもみた。そしてたうとう自分にも沼津の町にでかけて釣道具を買つて來て、その崖下の松の根に蹲踞《しやが》むやうになつた。

 淵の深さは思つたより更に深くて、ツイ岸ばたから三尋ほどの絲が沈んで行つた。私は幼い時(320)から釣が好きで、それも始終立つたり歩いたりして手を動かしてゐるのでなく、竿を地につきさしたまま懷手をして坐つてゐる釣が好きであつた。謂はゞ其處の淵は私にとつて願ひどほりの釣場であつたのだ。人も釣つて居るし、をり魚も飛んでゐるので何か知ら釣れるには相違ないが、サテ何が釣れるのかは解らなかつた。場所がらから考へると先づ鮒は大丈夫とみた。で、專らそれを目的として釣り始めたのだが、二日通ひ三日通ひするうちに唯の一疋をもよう釣らなかつた。そのうち他の人と一緒に行き合はす事がある。みるとそれらの人は多く十四五尋もある長い絲で竿無しの投げ釣をやつてゐるのだ。或る時、その人の側に行つて一對此處では何が釣れるのかと訊いた。その人は私の二間長さの竿を見て笑ひながら、此處は大きな鯉の居る所として有名なのだといふ。そして餌は薩摩薯のゆでたのを丸めて使つてゐるのであつた。

 私はまた早速町へ出て投げ釣の一式を買つて來た。薩摩薯をもわざ/\ゆでさせて、絲の切れるやうな大きな魚の手觸りを夢想しつゝ勇んで淵に出かけて行つた。馴れない不樣な投げかたではその丸めた餌は大部分は水に入る前に鈎から離れてこぼれ落つるのであつた。其處で次の日は薯に飯粒を混ぜて摺鉢で充分に摺りつぶし、餌に粘りけのあるやうにして針から落つるのを防がうとした。それはどうやら成功したが、魚の寄らないのは前と同じであつた。私は郷里で黒鯉釣の時に用ゐた方法を思ひ出して、今度は薯と飯粒との上に煎つた糠を混ぜて摺り餌に香氣を含ま(321)せて魚を誘はうとした。

 斯ういふ事をしながら九月の初めから今日まで約半ヶ年の間私は思ひだしたやうにしてはその淵に通つて絲を沈ませるのだがいまだに一尾の魚を其處から釣り上げ得ないでゐる。その間に私の門前を二尺から二尺五寸にも及ばう位ゐの大きな鯉を提げて人の通るのを折々見受くるのだ。訊けばみなその淵で釣つたものである。それこれで此頃では妻や女中の嘲笑があまりに烈しいので私の釣も暫く途斷えてゐるが、行き度い心はいつも下ごもりに籠つて燃えてゐる。

 私の好んで坐る或る一本の松の蔭の前の水は流るゝともなくとろりとして上の方に逆さに流れてゐる。目立たぬ程の大きな渦の一部に當つてゐるのだ。松の根がたから露はれた苔岩は水際から急に大きくなつて切りそいだやうに眞直ぐに淵の深みに入つて行き、やがて底の方の姿をば水に隱して居る。そのほかには石も見えず、藻も見えず、たゞまつ青な水が湛へてゐるのみである。その水を見ながら二時間三時間半日がほどを過す事は眼前の竿や絲の有無に係らず私にとつては何とも言へぬ靜かな物さびしい、解き放たれた樂しみにほかならぬのである。頭の上を――水面から二三間の上を道路がが通つてゐなかつたならば或は竿も絲も無しになほ私は樂しんでそれだけの時間を其處で送るだらうと思ふ。

 ことに此頃は水に射す日の色がよくなつて來た。あまり強い日はいやであつた。寂びた靜かな(322)此頃の日光はその動くともなく動かぬでもない水の深みに清らかな影を落して四邊を更におちついたものにしてゐる。對岸の雜木の紅葉も水に映つて一層鮮かないろを見せて居る。これが悉く落葉しつくしてその寒林の影をうつす頃になるとなほいゝだらうと思つて居る。さうして釣つてゐる時は頭上の道もかなりに氣になるが、然し其處をずつと行き過ぎて、二三丁も先から振返つてこの嶮しい山の根の道が深碧な淵の上に通じてゐるのを見る眺めも誠になつかしいものである。そのあたりにはこの間まで柿紅葉に圍まれた二三軒の小屋があつて、其處の老爺たちがその淵だけの小さな舟を作つて毎日隱居仕事の釣商賣をやつてゐるらしい。其處からは富士も淵の上に仰がるゝ。

 淵に臨み、富士を仰ぐやうな山蔭に私も一つ草庵が結び度い。千圓か二千圓もあつたら出來さうなものだ、その金が無いものかなア、と思ひながら、其處の桑畠あたりがいゝか、此處の松原を切り拂つて建てたらいゝか、などゝ、はかない空想を樂しんでゐるのである。

   流るとしあらぬとろみの青淀に一すぢうつるわれの釣絲

   やごとなきおもひにもあるか持つ竿に垂りたる絲は張りてたるまぬ

   淵のうへにあらはれて居るひとつ岩冬はいよいよ眞白なるかな

   向ひ岸おそき紅葉の照りてゐて靜かなるかも冬の日の淵

 

(323)     松原

 

 千本松原とも沼津公園ともいふ狩野川の川口から西に連り起つた松原も、料理屋があつたり別莊があつたり記念碑が立つたりしてゐるあたりは、いかにも公園くさく人間くさくていやだが、僅か其處から二三丁も西の方に入り込むと全く自然のまゝの深い松原を見ることが出來る。

 何といふ思ひがけない老松の多いことだ。しかもその老松の何といふ海岸らしくない眞直ぐな、伸びやかな幹をもつて聳えてゐることぞ。見上ぐるばかりその眞直ぐな高い幹は伸び/\と中空に聳えて行つて、やがて其處で自由に枝を張り渡して居る。枝は枝と相まじはり、二本から三本とつらなつて終に西田子の浦まで三四里に及ぶ長い松原となつてゐるのである。幅は二三丁を出でないが、木立が深いからその中に入つて立つといかにも深い林の中に居るのを思ふのである。沖から吹く土地名物の西風に幹はいづれも大抵陸の方へ傾いて居る。然し、その木全體がおほらかに傾いてゐるので、中途から曲りくねつてゐるのではない。この強い西風から被むる土地の潮害を防ぐために指一本松一本といふきびしい法度をこさへて昔この松原をそだてたものであるさうだ。

 松の下草には雜木の茂つてゐる所がある。雜木の中にも櫨がちの所があつて此間からの紅葉は(324)まことに美しかつたが、もう散つたであらう。または一切他の樹木がなくて、細かな砂原の打ち開けたあたりにいちめんの薄の穗がそよいで、沖からさす日の光に輝いてゐるのも見ごとであつた。或る所には厚い芝草原があつて、高い梢を漏れて來る靜かな日光に自づと日向ぼこを思はすやうな所もあつた。

 さうした林を横切ると小石の深い濱に出る。ほど/\の圓い眞白な小石が深く積つてゐるので、其處を歩いてゐると自づと自分の下駄の音に耳を傾けずにはゐられなくなるのが常である。濱からは正面に伊豆半島が伸びて見え、右手寄りにはかすかに三保の松原から遙かに遠州路の岬の端が望まるゝ。風の無い日のこの圓やかな海の靜けさはまた格別で、ともすると物寂びた池に臨んでゐるやうな思ひも起きて來る。

 海に疲れた眼を返すと、其處の長い松原の眞上に例の眞白に雪をいたゞいた富士の高嶺が仰がるゝ。松の木の間を歩いてゐても見える事がある。松原のまんなかどころに、その松原の長いなりに一本の徑が通じて居るが、をの徑を歩き始めると、私はどうしても踵をかへすのがいやになるくらゐ靜かでいゝ徑だ。

 どういうふわけだかこれを土地の人は甲州街道と呼んで居る。例の伊賀越道中沼津の平作が腹を切つたのはツイ前面を通じてゐる東海道でなくて、この甲州街道なのださうだ。

(325)   松掻きのをみなが唄の老いたるもこの松原の冬にふさへや

   老松の梢《うれ》うちつらねあづさ弓張りわたす濱の松原は見ゆ

   横さまに空にそびゆる直幹の老松が枝は片靡きせり

   くもり日は頭重かるわが癖のけふもいで來てあゆむ松原

   うしほぞとおもひもかぬる清らけき澄みぬる凪を今朝濱に見つ

   末とほくけぶりわたれる長濱を漕ぎ出づる舟のひとつありけり

   松原の茂みゆ見れば松が枝に木がくり見えて高き富士が根

                   (十一月二十五日、沼津在にて)


(326) 入江の奥

 

   ただに居りて居りがたき日の夕暮を外に出で來れば涙はくだる

 

 伊豆の大瀬崎と駿河の狩野川の川口との狭い間に二三里も深く入り込んだ入江の奥はまるで山蔭の池のやうな靜けさと、そしてさういふ處に思ひがけぬ深さとをもつて、湛へて居る。そのあたり、入江を挾んだ山はみな斷崖で、現にその崖をも切り削いで建築用其他の石材を採取してゐるので樹木なども深くなく、何となく寒げな姿をしてゐる。けれどその崖の根の水はまつたく深く澄んで、これが沖に連つて大きな浪やうねりを上げてゐるのかと思ふと不思議な氣がする位ゐである。

 ぢつとして居るに居られぬやうな,譯とてはなく心の焦立《いらだ》つ時が私には折々ある。そんな時の或日の夕暮、私はその入江の奥をふところ手をしながらせか/\と歩いてゐた。三時頃に家を出(327)て三里近い道をそこまで歩いて行つたのである。

 漁師町とも舟着場ともつかぬ五六十軒の家のかたまつた宿場がその附近の崖の根に散在してゐる。ことにずつと奥になると、道は屈折の烈しい磯の崎を迂囘することをせずに宿場から宿場へ崎の根方に隧道《トンネル》を穿つて通じて居る。がらん洞な一つを通り拔けると恰も其處へ上から切り出した石を落されたり大きな聲で呶鳴られたりしてぼんやりした心を驚かしながら、いつかよく/\の奥のつまりまで私は歩いてゐたのだ。

 何處まで歩いてもその日のいらいらした心苦しい氣持は直りさうになかつた。亂暴に急いで來たので勞れも出て居た。恰度其處の道下の狹い所で小さな地引網を引いてゐた。この網の上るのを見て、それから歸らうと強ひて自ら諦めながら私は道ばたの石に腰かけて十人ほどの人の引いてゐるそれをぢいつと眺めてゐた。もう上りに近い頃で、程なく私はそれが白子網《しらすあみ》である事を知つたが、いよ/\その上らうとする時であつた。なかの一人が、何やら頓狂な聲を出した。すると十人ほどのすべてがそれに合せて手足を振り動かすやうな大きな叫聲をあげた。その聲を聞きつけるとツイ近くの部落から三五人の男女が馳け出して來て其處に集つた。そして道から飛び降りて惶てゝ地引の仲間に加はる者もゐた。網尻について舟を浮べてゐた二人の男は、その網の上り終るのを待ちかねて網の中から二すくひ三すくひの白子《しらす》を掬ひ取るや否や自分の舟の中に打ち(328)あけて、あたふたと沖の方に漕ぎ出して行つた。網につかまつてゐた中からも二三人の男が矢庭に其處の砂地に上げてあつた他の小舟を押し下して同じく地引網の中から白子を掬つて漕ぎ出した。その間に無性矢鱈に急いで地引をば引き上げたが、中にはかなりの白子が入つてゐた。が、彼等はそれをば殆んど眼に入れないさまで、たゞ一刻も早く引上げた網を整理しようとあせるらしかつた。しかし、なかなかそれが思ふやうに行かなかつた。見物人は増し、彼等の叫び罵る聲は一層高まつた。

 沖に漕ぎ出た舟はいま掬つて行つた白子を頻りに海に撒いてゐた。見るとその舟のぐるりに大きな渦の面の樣に、また夕立雨のふり注ぐやうに、無數の波紋がかすかな音をも立てかねまじきほどに一面に卷き起つてゐるのである。私にはそれを見て彼等の叫聲の意味が漸く解つた、白子を追うて來た何やら他の大きな魚の群が彼等の網のあとからいま其處に寄つて來たのである。白子はさて置き先づその大きな魚族を逃すまいと彼等漁師は猛りたくらんでゐるのであつた。白子を撒くのは其處に寄つた魚族を逃すまいための囮であるのだ。

『何です?』

 私は側に來て立つてゐる土地の茶屋者らしい若い女に訊いた。

『うづわですよ。』

(329)『ああ、うづわですか。』

 うづわとは普通いふさうだ鰹のことである。

 船では一人の男が有合せの釣道具に白子をさして釣り始めた。沙魚《はぜ》釣でもあるらしい小さい竿が二重に曲る樣に撓んで見る/\二疋三疋と大きなうづわが釣りあげられた。そのうちに他の一艘は網の用意が出來たと見るやくるりと漕ぎ返つて濡れしとつた網を山のやうに積み載せると共にどや/\と四五人の新しい漕手を飛び乘せて狂ほしげに漕ぎ出して行つた。一艘の方では一人はせつせと白子を撒き、一人は頻りに釣つてゐるのである。それを中心にとり圍んで小さな圓を描きながら、網舟はえつさえつさと漕いで廻つた。

 冬の夕暮のうすら明りはいつの間にか青やかな月の夜となつてゐた。其處から見る入江の向地の山蔭は墨繪のやうに深い影を作り私等の立つてゐるあたりはまともに滿月らしい光を受けてゐた。其處へ程なくその死物狂ひの網は引きあげられた。狂ほしい人影と叫聲との中に打ちあけられた網の中のうづわは素人目にも二百近い數がよまれた。網の者も見物人もみんな全く醉つた者のやうであつた。

 私もいつかぽうつとした心地になつてゐた。

『これを一疋賣つてくれませんか。』

(330)『さアさ、幾らでもお持ちなさい。』

 掌にまだ微動を感ずる魚の尾を掴んで一二町も歩いて來ると、漸くその場の醉興から私は醒めかけた。これから自宅まではまだ二里のうへあつた。それかと云つて其處にこの新しい魚を捨てるにも忍びなかつた。持てあましながら袂の蔭にかくすやうにして提げて歩いて來ると、其處の漁師町の中ほどに小さな飲食店のあるのを見付けた。矢張りまだ多少醉つたやうな氣持でゐたのかもしれない、殆んど何の躊躇なく私はその店に入つて行つた。

『これを片身だけ料理して酒をつけてください、片身は君にあげます。』

 その店の亭主もそれを何處から提げて來たかを知つてゐた。そして笑ひながら私の手から受取つた。

『火鉢を出しませんから……』

 と言つて誘はれて私は店の奥の圍爐裡に寄つた。煤けた箪笥や鼠入らずや、夕飯の後の散らばつてゐる部屋の圍爐裡の側には生れたての赤ん坊が寢かしてあつた。そのすぐ側に私は坐つた。亭主は大きな薪をさしくべながら,背後を向いて隣家にでも行つてるらしい女房を呼んでゐた。見るともなく見ると其處の勝手口のあけすてゝある戸口からはツイ鼻先に海の波が見えた。ひろく滑らかにうねつて來てはザアツと眞白に碎け散つてゆく。月の光はいよ/\深く其處に射(331)してゐるのである。

 忘れてゐたやうな夕方からの自分の心持をふとまた思ひ出した。それと共に何とも知れぬ惡寒が身内を通つて行つた。そしてともすれば零れさうな涙を覺えて私はぢつと酒を待つた。

                  (十二月二十日)

みなかみ紀行

   

山かげに流れすみたる

みなかみの靜けき

さまをおもひこそ

やれ   牧水

     序文

 幼い紀行文をまた一册に纏めて出版することになつた。實はこれは昨年の九月早々市上に出る事になつてゐて既に製本濟になり製本屋に積上げられてあつたところを例の九月一日の震火に燒かれてしまつたものであつた。幸ひ紙型だけは無事に印刷所の方に殘つてゐたので、本文をばすべてもとのままにし、僅かにこの序文だけを書き改めて出すことになつたのである。

 紀行文集として本書は私の第三册目にあたる。第一は『比叡と熊野』(大正八年九月發行)、第二は『靜かなる旅をゆきつつ』(大正十年七月發行)、そしてこれである。なほそれ以前雜文集として出したものの中にも數篇の紀行文があつたとおもふ。
 本書に輯めた十二篇は、新しいのを初めに、舊い作を終りの方に置いてある。即ち『みなかみ紀行』は昨年四月初めの執筆で最後の『伊豆紀行』は一昨々年あたりに書いたものであつた。或る一つの旅のことを幾つかの題目のもとに分けて書いてあるのがあるが、これは新聞や雜誌等(336)から求められて書いた場合にその要求の行數や期日に合はすために自づと斯うなつたもので、中には永い時日を間に置いて書き繼いだものなどもある。從つて文體や筆致及び文の長短等に調和を缺いた處のあるを憾む。
 なほ言ひ添へておきたいのは、私の出懸ける旅は多く先づ心を遣るための旅である。ためにその紀行文もともすればその場その場の氣持や情緒を主としたものとなりがちで、どうしても案内記風のものとは離れてゆかうとする。で、大概は當つてゐるであらうが、文中に認められた里數とか方角とかに就いては必ずしも正確を期し難いといふ事である。要するに若し讀者が私と共にこれら山川の間に心を同じううして逍遥し得らるる樣な事にでもなれば本書出版の望みは達せられたと見ていいのである。

 旅ほど好ましいものはない。斯うして旅に關して筆を執つてゐると早やもう心のなかには其處等の山川草木のみづみづしい姿がはつきりと影を投げて來ているのである。折も折、いまは一年中落葉のころと共に私の最も好む若葉の季節で、峰から溪間、溪間から野原にかけて茂つてゐるであらう樹木たち、その間に啼きかはして遊んでゐるであらういろいろの鳥たちのことを考へると、しみじみ胸の底が痛んで來る。
(337) 旅はほんとに難有い。よき旅をし、次第によき紀行文を書いてゆきたいものといままた改めて思ふ。

大正十三年五月廿日

                            富士山麓沼津市にて

                   若山牧水

 

(338)   みなかみ紀行

 

 十月十四日午前六時沼津發、東京通過、其處よりM―、K―、の兩青年を伴ひ、夜八時信州北佐久郡御代田驛に汽車を降りた。同郡々役所々在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌會に出席せむためである。驛にはS―、O―、兩君が新聞社の人と自動車で出迎へてゐた。大勢それに乘つて岩村田町に向ふ。高原の闇を吹く風がひし/\と顏に當る。佐久ホテルへ投宿。
 翌朝、まだ日も出ないうちからM―君たちは起きて騷いでゐる。永年あこがれてゐた山の國信州へ來たといふので、寢てゐられないらしい。M―は東海道の海岸、K―は畿内平原の生れである。
あれが淺間、こちらが蓼科、その向うが八ヶ岳、此處からは見えないがこの方角に千曲川が流れてゐるのです。』
 と土地生れのS―、O―の兩人があれこれと教へて居る。四人とも我等が歌の結社創作社々中の人たちである。今朝もかなりに寒く、近くで頻りに山羊の鳴くのが聞えてゐた。

私の起きた時には急に霧がおりて來たが、やがて晴れて、見事な日和になつた。遠くの山、ツイ其處に見ゆるの落葉松の森、障子をあけて見て居ると、いかにも高原の此處に來てゐる氣持になる。私にとつて岩村田は七八年振りの地であつた。
 お茶の時に山羊の乳を持つて來た。
あれのだネ。』
 と、皆がその鳴聲に耳を澄ます。
 會の始まるまで、と皆の散歩に出たあと、私は近くの床屋で髮を刈つた。今日は日曜、土地の小學校の運動會があり、また三杉磯一行の相撲があるとかで、その店もこんでゐた。床屋の内儀が來る客をみな部屋に招じて炬燵に入れ、茶をすゝめて居るのが珍しかつた。
 歌會は新聞社の二階で開かれた。新築の明るい部屋で、麗らかに日がさし入り、階下に響く印刷機械の音も醉つて居る樣な靜かな晝であつた。會者三十名ほど、中には松本市の遠くから來てゐる人もあつた。同じく創作社のN―君も埴科郡から出て來てゐた。夕方閉會、續いて近所の料理屋の懇親會、それが果てゝもなほ別れかねて私の部屋まで十人ほどの人がついて來た。そして泊るともなく泊ることになり、みんなが眠つたのは間もなく東の白む頃であつた。
 翌朝は早く松原湖へゆく筈であつたが餘り大勢なので中止し、輕便鐵道で小諸町へ向ふ事にな(340)つた。同行なほ七八人、町では驛を出ると直ぐ島崎さんの『小諸なる古城のほとり』の長詩で名高い懷古園に入つた。そしてその壞れかけた古石垣の上に立つて望んだ淺間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去十四五年の間に私は二三度も此處に來てこの大きな眺めに親しんだものである。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の季節に於てであつた。急に千曲川の流が見たくなり、園のはづれの嶮しい松林の松の根を這ひながら二三人して降りて行つた。林の中には松に混つた栗や胡桃が實を落してゐた。胡桃を初めて見るといふK―君は喜んで濕つた落葉を掻き廻してその實を拾つた。まだ落ちて間もない青いものばかりであつた。久しぶりの川はその林のはづれの崖の眞下に相も變らず青く湛へて流れてゐた。川上にも川下にも眞白な瀬を立てながら。
 昨日から一緒になつてゐるこの土地のM―君はこの懷古園の中に自分の家を新築してゐた。そして招かれて其處でお茶代りの酒を馳走になつた。杯を持ちながらの話のなかに、私が一度二度とこの小諸に來る樣になつてから知り合ひになつた友達四人のうち、殘つてゐるのはこのM―君一人で、あと三人はみなもう故人になつてゐるといふ事が語り出されて今更にお互ひ顏が見合はされた。ことにそのなかの井部李花君に就いて私は斯ういふ話をした。私がこちらに來る四五日前、一晩東海道國府津の驛前の宿屋に泊つた。宿屋の名は蔦屋と云つた。聞いた樣な名だと、幾(341)度か考へて考へ出したのは、數年前その蔦屋に來てゐて井部君は死んだのであつたのだ。それこれの話の末、我等はその故人の生家が土地の料理屋であるのを幸ひ、其處に行つて晝飯を喰べようといふことになつた。
 思ひ出深いその家を出たのはもう夕方であつた。驛で土地のM―君と松本から來てゐたT―君とに別れ、あとの五人は更に私の汽車に乘つてしまつた。そして沓掛驛下車、二十町ほど歩いて星野温泉へ行つて泊ることになつた。
 この六人になるとみな舊知の仲なので、その夜の酒は非常に賑やかな、而もしみ/”\したものであつた。鯉の鹽燒だの、しめじの汁だの、とろゝ汁だの、何の罐詰だのと、勝手なことを云ひながら夜遲くまで飮み更かした。丁度部屋も離れの一室になつてゐた。折々水を飮むために眼をさまして見ると、頭をつき合はす樣にして寢てゐるめい/\の姿が、醉つた心に涙の滲むほど親しいものに眺められた。
 それでも朝はみな早かつた。一浴後、飯の出る迄とて庭さきから續いた岡へ登つて行つた。岡の上の落葉松林の蔭には友人Y―君の畫室があつた。彼は折々東京から此處へ來て製作にかゝるのである。今日は門も窓も閉められて、庭には一面に落葉が散り敷き、それに眞紅な楓の紅葉が混つてゐた。林を過ぐると眞上に淺間山の大きな姿が仰がれた。山にはいま朝日の射し(342)て來る處で、豐かな赤茶けた山肌全體がくつきりと冷たい空に浮き出てゐる。煙は極めて僅かに頂上の圓みに凝つてゐた。初めてこの火山を仰ぐM―君の喜びはまた一層であつた。
 朝飯の膳に持ち出された酒もかなり永く續いていつか晝近くなつてしまつた。その酒の間に私はいつか今度の旅行計畫を心のうちですつかり變更してしまつてゐた。初め岩村田の歌會に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其處で東京から一緒に來た兩人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む、それから片品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とさういふのであつたが、斯うして久しぶりの友だちと逢つて一緒にのんびりした氣持に浸つてゐて見ると、なんだかそれだけでは濟まされなくなつて來た。もう少しゆつくりと其處等の山や谷間を歩き廻りたくなつた。其處で早速頭の中に地圖をひろげて、それからそれへと條《すぢ》をつけて行くうちに、いつか明瞭に順序がたつて來た。『よし……』と思はず口に出して、私は新計畫を皆の前に打ちあけた。
『いゝなア!』
 と皆が言つた。
『それがいゝでせう、どうせあなただつてもう昔の樣にポイポイ出歩く譯には行くまいから。』
 とS―が勿體ぶつて附け加へた。
 さうなるともう一つ新しい動議が持ち出された。それならこれから皆していつそ輕井澤まで出(343)掛け、其處の蕎麥屋で改めて別杯を酌んで綺麗に三方に別れ去らうではないか、と。無論それも一議なく可決せられた。
 輕井澤の蕎麥屋の四疊半の部屋に六人は二三時間坐り込んでゐた。夕方六時草津鐵道で立つてゆく私を見送らうといふのであつたが、要するにさうして皆ぐづ/\してゐたかつたのだ。土間つゞきのきたない部屋に、もう酒にも倦いてぼんやり坐つてゐると、破障子の間からツイ裏木戸の所に積んである薪が見え、それに夕日が當つてゐる。それを見てゐると私は少しづつ心細くなつて來た。そしてどれもみな疲れた風をして默り込んでゐる顏を見るとなく見廻してゐたが、やがてK―君に聲をかけた。
『ねヱK―君、君一緒に行かないか、今日この汽車で嬬戀まで行つて、明日川原湯泊り、それから關東耶馬溪に沿うて中之條に下つて、澁川高崎と出ればいゝぢやないか、僅か二日餘分になるだけだ。』
 みなK―君の顏を見た。彼は例のとほり靜かな微笑を口と眼に見せて、
『行きませうか。行つてよければ行きます、どうせこれから東京に歸つても何でもないんですから。』
と言つた。まつたくこのうちで毎日の爲事を背負つてゐないのは彼一人であつたのだ。
(344)
『いゝなア、羨しいなア。』
とM―君が言つた。
『エライことになつたぞ、然し、行き給い、行つた方がいゝ、この親爺さん一人出してやるのは何だか少し可哀相になつて來た。』
と、N―が醉つた眼を瞑ぢて、頭を振りながら言つた。
 小さな車室、疊を二枚長目に敷いた程の車室に我等二人が入つて坐つてゐると、あとの四人もてんでに青い切符を持つて入つて來た。彼等の乘るべき信越線の上りにも下りにもまだ間があるのでその間に舊宿まで見送らうと云ふのだ。感謝しながらざわついてゐると、直ぐ輕井澤舊宿驛に來てしまつた。此處で彼等は降りて行つた。左樣なら、また途中で飮み始めなければいゝがと氣遣はれながら、左樣なら左樣ならと帽子を振つた。小諸の方に行くのは二人づれだからまだいゝが、一人東京へ歸つてゆくM―君には全く氣の毒であつた。
 我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車はそれからごつとんごつとんと登りにかゝつた。曲りくねつて登つて行く。車の兩側はすべて枯れほうけた芒ばかりだ。そして近所は却つてうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が眺められた。
 疲れと寒さが闇と一緒に深くなつた。登り登つて漸く六里が原の高原にかゝつたと思はれる頃(345)には全く黒白《あやめ》もわからぬ闇となつたのだが、車室には灯を入れぬ、イヤ、一度小さなを點したには點したが、すぐ風で消えたのだつた。一二度停車して普通の驛で呼ぶ樣に驛の名を車掌が呼んで通りはしたが、其處には停車場らしい建物も灯影も見えなかつた。漸く一つ、やゝ明るい所に來て停つた。『二度上』といふ驛名が見え、海拔三八〇九呎と書いた棒がその側に立てられてあつた。見ると汽車の窓のツイ側には屋臺店を設け洋燈を點し、四十近い女が子を負つて何か賣つてゐた。高い臺の上に二つほど並べた箱には柿やキヤラメルが入れてあつた。そのうちに入れ違ひに向うから汽車が來る樣になると彼女は急いで先づ洋燈を持つて線路の向う側に行つた。其處にもまた同じ樣に屋臺店が拵へてあるのが見えた。そして次ぎ/\に其處へ二つの箱を運んで移つて行つた。
 この草津鐵道の終點嬬戀驛に着いたのはもう九時であつた。驛前の宿屋に寄つて部屋に通ると爐が切つてあり、やがて炬燵をかけてくれた。濟まないが今夜風呂を立てなかつた、向うの家に貰ひに行つてくれといふ。提燈を下げた小女のあとをついてゆくとそれは線路を越えた向う側の家であつた。途中で女中がころんで燈を消したため手探りで辿り着いて替る/\ぬるい湯に入りながら辛うじて身體を温める事が出來た。その家は運送屋か何からしい新築の家で、家財とても見當らぬ樣ながらんとした大きな圍爐裡端に番頭らしい男が一人新聞を讀んでゐた。

(346)
 十月十八日
 昨夜炬燵に入つて居る時から溪流の音は聞えてゐたが夜なかに眼を覺して見ると、雨も降り出した樣子であつた。氣になつてゐたので、戸の隙間の白むを待つて繰りあけて見た。案の如く降つてゐる。そしてこの宿が意外にも高い崖の上に在つて、その眞下に溪川の流れてゐるのを見た。まさしくそれは吾妻川の上流であらねばならぬ。雲とも霧ともつかぬものがその川原に迷ひ、向う岸の崖に懸り、やがて四邊をどんよりと白く閉して居る。便所には草履がなく、顏を洗はうにも洗面所の設けもないといふこの宿屋で、難有いのはたゞ炬燵であつた。それほどに寒かつた。聞けばもう九月のうちに雪が來たのであつたさうだ。
 寒い/\と言ひながらも窓をあけて、顎を炬燵の上に載せたまゝ二人ともぼんやりと雨を眺めてゐた。これから六里、川原湯まで濡れて歩くのがいかにも佗しいことに考へられ始めたのだ。それかと云つてこの宿に雨のあがるまで滯在する勇氣もなかつた。醉つた勢ひで斯うした所へ出て來たことがそゞろに後悔せられて、いつそまた輕井澤へ引返さうかとも迷つてゐるうちに、意外に高い笛を響かせながら例の小さな汽車は宿屋の前から輕井澤をさして出て行つてしまつた。それに乘り遲れゝば、午後にもう一度出るのまで待たねばならぬといふ。
(347)
 が、草津行きの自動車ならば程なく此處から出るといふことを知つた。そしてまた頭の中に草津を中心に地圖を擴げて、第二の豫定を作ることになつた。
 さうなると急に氣も輕く、窓さきに濡れながらそよいでゐる痩せ/\たコスモスの花も、遙か下に煙つて見ゆる溪の川原も、對岸の霧のなかに見えつ隱れつしてゐる鮮かな紅葉の色も、すべてみな旅らしい心をそゝりたてゝ來た。
 やがて自動車に乘る。かなり危險な山坂を、しかも雨中のぬかるみに馳せ登るのでたび/\膽を冷やさせられたが、それでも次第に山の高みに運ばれて行く氣持は狹くうす暗い車中に居てもよく解つた。ちら/\と見え過ぎて行く紅葉の色は全く滴る樣であつた。
 草津ではこの前一度泊つた事のある一井旅館といふへ入つた。私には二度目の事であつたが、初めて此處へ來たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の佗しい笛の音が鳴り出した。それに續いて聞えて來る湯揉みの音、湯揉みの唄。
 私は彼を誘つてその時間湯の入口に行つた。中には三四十人の浴客がすべて裸體になり幅一尺長さ一間ほどの板を持つて大きな湯槽の四方をとり圍みながら調子を合せて一心に湯を揉んでゐるのである。そして例の湯揉みの唄を唄ふ。先づ一人が唄ひ、唄ひ終ればすべて聲を合せて唄ふ。(348)唄は多く猥雜なものであるが、しかもうたふ聲は眞劍である。全身汗にまみれ、自分の揉む板の先の湯の泡に見入りながら、聲を絞つてうたひ續けるのである。
 時間湯の温度はほゞ沸騰點に近いものであるさうだ。そのために入浴に先立つて約三十分間揉みに揉んで湯を柔らげる。柔らげ終つたと見れば、各浴場ごとに一人づゝついてゐる隊長がそれを見て號令を下す。汗みどろになつた浴客は漸く板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓を取つて頭に湯を注ぐ。百杯もかぶつた頃、隊長の號令で初めて湯の中へ全身を浸すのである。湯槽には幾つかの列に厚板が並べてあり、人はとりどりにその板にしがみ附きながら隊長の立つ方向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が經つ。隊長が一種氣合をかける心持で或る言葉を發する。衆みなこれに應じて『オヽウ』と答へる。答へるといふより唸るのである。三十秒ごとにこれを繰返し、かつきり三分間にして號令のもとに一齊に湯から出るのである。その三分間は、僅かに口にその返事を稱ふるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。動かせばその波動から熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためであるといふ。
 この時間湯に入ること二三日にして腋の下や股のあたりの皮膚が爛れて來る。軈ては歩行も、ひどくなると大小便の自由すら利かぬに到る。それに耐へて入浴を續くること約三週間で次第にその爛れが乾き始め、ほゞ二週間で全治する。その後の身心の快さは、殆んど口にする事の出來(349)ぬほどのものであるさうだ。さう型通りにゆくわけのものではあるまいが、效能の強いのは事實であらう。笛の音の鳴り饗くのを待つて各自宿屋から(宿屋には穩かな内湯がある)時間湯へ集る。杖に縋り、他に負はれて來るのもある。そして湯を揉み、唄をうたひ、煮ゆるごとき湯の中に浸つて、やがて全身を脱脂綿に包んで宿に歸つて行く。これを繰返すこと凡そ五十日間、斯うした苦行が容易な覺悟で出來るものでない。
 草津にこの時間湯といふのが六箇所に在り、日に四囘の時間をきめて、笛を吹く。それにつれて湯揉みの音が起り、唄が聞えて來る。
   たぎり沸《わ》くいで湯のたぎりしづめむと病人《やまうど》つどひ揉めりその湯を
   湯を揉むとうたへる唄は病人《やまうど》がいのちをかけしひとすぢの唄

上野《かみつけ》の草津に來り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも


 十月十九日
 降れば馬を雇つて澤渡温泉《さわたりおんせん》まで行かうと決めてゐた。起きて見れば案外な上天氣である。大喜びで草鞋を穿く。
 六里ヶ原と呼ばれてゐる淺間火山の大きな裾野に相對して、白根火山の裾野が南面して起つて(350)居る。これは六里ヶ原ほど廣くないだけに傾斜はそれより急である。その嶮しく起つて來た高原の中腹の一寸した窪みに草津温泉はあるのである。で、宿から出ると直ぐ坂道にかゝり、五六丁もとろ/\と登つた所が白根火山の裾野の引く傾斜の一點に當るのである。其處の眺めは誠に大きい。
 正面に淺間山が方六里に渡るといふ裾野を前にその全體を露はして聳えてゐる。聳ゆるといふよりいかにもおつとりと双方に大きな尾を引いて靜かに鎭座してゐるのである。朝あがりのさやかな空を背景に、その頂上からは純白な煙が微かに立つてやがて湯氣の樣に消えてゐる。空といひ煙といひ、山といひ野原といひ、すべてが濡れた樣に靜かで鮮かであつた。濕つた地《つち》をぴた/\と踏みながら我等二人は、いま漸く旅の第一歩を踏み出す心躍りを感じたのである。地圖を見ると丁度その地點が一二〇八の高さだと記してあつた。
 とり/”\に紅葉した雜木林の山を一里半ほども降つて來ると急に嶮しい坂に出會つた。見下す坂下には大きな谷が流れ、その對岸に同じ樣に切り立つた崖の中ほどには家の數十戸か二十戸か一握りにしたほどの村が見えてゐた。九十九折《つづらをり》になつたその急坂を小走りに走り降ると、坂の根にも同じ樣な村があり、普通の百姓家と違はない小學校なども建つてゐた。對岸の村は生須村、學校のある方は小雨《こさめ》村と云ふのである。

(351)   九十九折けはしき坂を降り來れば橋ありてかかる峽《かひ》の深みに

   おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨の里といふにぞありける

   蠶飼《こがひ》せし家にかあらむを壁を拔きて学校となしつ物教へをり

   校にもの讀める聲のなつかしき身にしみとほる山里過ぎて

 生須村を過ぎると路はまた單調な雜木林の中に入つた。今までは下りであつたが、今度はとろり/\と僅かな傾斜を登つてゆくのである。日は朗らかに南から射して、路に堆い落葉はから/\に乾いてゐる。音を立てゝ踏んでゆく下からは色美しい栗の實が幾つとなく露はれて來た。多くは今年葉である眞新しい落葉も日ざしの色を湛へ匂を含んでとり/”\に美しく散り敷いてゐる。をり/\その中に龍膽の花が咲いてゐた。

 流石に廣かつた林も次第に淺く、やがて、立枯の木の白々と立つ廣やかな野が見えて來た。林から野原へ移らうとする處であつた。我等は双方からおほどかになだれて來た山あひに流るゝ小さな溪端を歩いてゐた。そして溪の上にさし出でゝ、眼覺むるばかりに紅葉した楓の木を見出した。

 我等は今朝草津を立つとからずつと續いて紅葉のなかをくゞつて來てゐたのである。楓を初め山の雜木は悉く紅葉してゐた。恰も昨日今日がその眞盛りであるらしく見受けられた。けれどいま眼の前に見出でゝ立ち留つて思はずも聲を擧げて眺めた紅葉の色はまた別であつた。楓とは思(352)はれぬ大きな古株から六七本に分れた幹が一斎に溪に傾いて伸びてゐる。その幹とてもすべて一抱への大きさで丈も高い。漸く今日あたりから一葉二葉と散りそめたといふ樣に風も無いのに散つてゐる靜かな輝やかしい姿は、自づから呼吸を引いて眺め入らずにはゐられぬものであった。二人は路から降り、そのさし出でた木の眞下の川原に坐つて晝飯をたべた。手を洗ひ顔を洗ひ、つぎつぎに織りついだ樣に小さな瀬をなして流れてゐる水を掬んでゆつくりと喰べながら、日の光を含んで滴る樣に輝いてゐる眞上の紅葉を仰ぎ、また四邊の山にぴつたりと燃え入つてゐる林のそれを眺め、二人とも言葉を交さぬ數十分の時間を其處で送つた。

   枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなんと申さむ

   露霜のとくるがごとく天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉

   溪川の眞白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を

   もみぢ葉のいま照り匂ふ秋山の澄みぬるすがた寂しとぞ見し

 其處を立つと野原にかゝつた。眼につくは立枯の木の木立である。すべて自然に枯れたものでなく、みな根がたのまはりを斧で伐りめぐらして水氣をとゞめ、さうして枯らしたものである。半ばは枯れ半ばはまだ葉を殘してゐるのも混つてゐる。見れば楢の木である。二抱へ三抱へに及ぶ夫等の大きな老木がむつちりと枝を張つて見渡す野原の其處此處に立つてゐる。野には一面に(353)枯れほうけた芒の穗が靡き、その芒の浪を分けてかすかな線條《すぢ》を引いた樣にも見えてゐるのは植ゑつけてまだ幾年も經たぬらしい落葉松の苗である。この野に昔から茂つてゐた楢を枯らして、代りにこの落葉松の植林を行はうとしてゐるのであるのだ。

 帽子に肩にしっとりと匂つてゐる日の光をうら寂しく感じながら野原の中の一本路を歩いてゐると、をり/\鋭い鳥の啼聲を聞いた。久振りに聞く聲だとは思ひながら定かに思ひあたらずにゐると、やがて木から木へとび移るその姿を見た。啄木鳥である。一羽や二羽でなく、廣い野原のあちこちで啼いてゐる。更にまたそれよりも澄んで暢びやかな聲を聞いた。高々と空に翔《ま》ひすましてゐる鷹の聲である。

   落葉松の苗を植うると神代振り古りぬる楢をみな枯らしたり

   楢の木ぞ何にもならぬ醜の木と古りぬる木々をみな枯らしたり

   木々の根の皮剥ぎとりて木々をみな枯木とはしつ枯野とはしつ

   伸びかねし枯野が原の落葉松は枯芒よりいぶせくぞ見ゆ

   下草のすすきほうけて光りたる枯木が原の啄木鳥の聲

   枯るる木にわく蟲けらをついばむと啄木鳥は啼く此處の林に

   立枯の木々しらじらと立つところたまたまにして啄木鳥の飛ぶ

(354)   啄木鳥の聲のさびしさ飛び立つとはしなく啼ける聲のさびしさ

   紅ゐの胸毛を見せてうちつけに啼く啄木鳥の聲のさびしさ

   白木なす枯木が原のうへにまふ鷹ひとつ居りて啄木鳥は啼く

   ましぐらにまひくだり來てものを追ふ鷹あらはなり枯木が原に

   耳につく啄木鳥の聲あはれなり啼けるをとほく離《さか》り來りて

 ずつと一本だけ續いて來た野中の路が不意に二つに分れる處に來た。小さな道標が立てゝある。曰く、右|澤渡《さわたり》温泉道、左花敷温泉道。

 枯芒を押し分けてこの古ぼけた道表の消えかゝつた文字を辛うじて讀んでしまふと、私の頭にふらりと一つの追憶が來て浮んだ。そして思はず私は獨りごちた、『ほゝオ、斯んな處から行くのか、花敷温泉には』と。

 私は先刻《さつき》この野にかゝつてからずつと續いて來てゐる物靜かな沈んだ心の何とはなしに波だつのを覺えながら、暫くその小さな道標の木を見て立つてゐたが、K-君が早や四五間も澤渡道の方へ歩いてゐるのを見ると、其儘に同君のあとを追うた。そして小一町も二人して黙りながら進んだ。が、終に私は彼を呼びとめた。

『K-君、どうだ、これから一つあつちの路を行つて見ようぢアないか、そして今夜その鼻敷温(355)泉といふのへ泊つて見よう。』

 不思議な顔をして立ち留つた彼に、私は立ちながらいま頭に影の如くに來て浮んだといふ花敷温泉に就いての思ひ出を語つた。三四年も前である、今度とは反對に吾妻川の下流の方から登つて來て草津温泉に泊り、案内者を雇うて白根山の噴火口の近くを廻り、澁峠を越えて信州の澁温泉へ出た事がある。五月であつたが白根も澁も雪が深くて、澁峠にかゝると前後三里がほどはずつと深さ數尺の雪を踏んで歩いたのであつた。その雪の上に立ちながら年老いた案内者が、やはり白根の裾つゞきの廣大な麓の一部を指して、彼處にも一つ温泉がある、高い崖の眞下の岩のくぼみに湧き、草津と違つて湯が澄み透つて居る故に、その崖に咲く躑躅や其他の花がみな湯の上に影を落す、まるで底に花を敷いてゐる樣だから花敷温泉といふのだ、と言つて教へて呉れた事があつた。下になるだけ雪が斑らになつてゐる遠い麓に、谷でも流れてゐるか、丁度模型地圖を見るとおなじく幾つとない細長い窪みが糸屑を散らした樣にこんがらがつてゐる中の一個所にそんな温泉があると聞いて私の好奇心はひどく動いた。第一、そんなところに人が住んで、そんな湯に浸つてゐるといふ事が不思議に思はれたほど、その時其處を遙かな世離れた處に眺めたものであつたのだ。それがいま思ひがけなく眼の前の棒杭に『左花敷温泉道、是より二里半』と認めてあるのである。

(356)『どうだね、君行つて見ようよ、二度とこの道を通りもすまいし、……その不思議な温泉をも見ずにしまふ事になるぢアないか。』

 その話に私と同じく心を動かしたらしい彼は、一も二もなく私のこの提議に應じた。そして少し後戻つて、再びよく道標の文字を調べながら、文字のさし示す方角へ曲つて行つた。

 今までよりは嶮しい野路の登りとなつてゐた。立枯の楢がつゞき、をり/\栗の木も混つて毬《いが》と共に笑みわれたその實を根がたに落してゐた。

   夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の實

   音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の實の色のよろしさ

   柴栗の柴の枯葉のなかばだに如《し》かぬちひさき栗の味よさ

   おのづから干て搗栗《かちぐり》となりてをる野の落栗の味のよろしさ

   この枯野|猪《しし》も出でぬか猿もゐぬか栗美しう落ちたまりたり

   かりそめにひとつ拾ひつ二つ三つ拾ひやめられぬ栗にしありけり

 芒の中の嶮しい坂路を登りつくすと一つの峠に出た。一歩其處を越ゆると片側はうす暗い森林となつてゐた。そしてそれがまた一面の紅葉の渦を卷いてゐるのであつた。北側の、日のさゝぬ其處の紅葉は見るからに寒々として、濡れてもゐるかと思はるゝ色深いものであつた。然し、途(357)中でやゝこの思ひ立ちの後悔せらるゝほど路は遠かつた。一つの溪流に沿うて峽間《はざま》を降り、やがてまた大きな谷について凹凸烈しい山路を登つて行つた。十戸二十戸の村を二つ過ぎた。引沼村といふのには小學校があり、山蔭のもう日も暮れた地面を踏み鳴らしながら一人の年寄つた先生が二十人ほどの生徒に體操を教へてゐた。

   先生の一途《いちづ》なるさまもなみだなれ家十ばかりなる村の學校に

   ひたひたと土踏み鳴らし眞裸足に先生は教ふその體操を

   先生の頭の禿もたふとけれ此處に死なむと教ふるならめ

 遙か眞下に白々とした谷の瀬々を見下しながらなほ急いでゐると、漸くそれらしい二三軒の家を谷の向岸に見出だした。こゞしい岩山の根に貼り着けられた樣に小さな家が竝んでゐるのである。

 崖を降り橋を渡り一軒の湯宿に入つて先づ湯を訊くと、庭さきを流れてゐる溪流の川下の方を指ざしながら、川向うの山の蔭に在るといふ。不思議に思ひながら借下駄を提げて一二丁ほど行つて見ると、其處には今まで我等の見下して來た谷とはまた異つた一つの谷が、折り疊んだ樣な岩山の裂け目から流れ出して來てゐるのであつた。ひた/\と瀬につきさうな危い板橋を渡つてみると、なるほど其處の切りそいだ樣な崖の根に湯が湛へてゐた。相竝んで二個所に湧いてゐ(358)る。一つには茅葺の屋根があり、一方には何も無い。

 相顧みて苦笑しながら二人は屋根のない方へ寄つて手を浸してみると恰好な温度である。もう日も※〔日/〓/口〕《かげ》つた山蔭の溪ばたの風を恐れながらも着物を脱いで石の上に置き、ひつそりと清らかなその湯の中へうち浸つた。一寸立つて手を延ばせば溪の瀬に屆くのである。

『何だか溪まで温かさうに見えますね。』と年若い友は言ひながら手をさし延ばしたが、惶《あわ》てゝ引つ込めて『氷の樣だ。』と言つて笑つた。

 溪向うもそゝり立つた岩の崖、うしろを仰げば更に膽も冷ゆべき斷崖がのしかゝつてゐる。崖から眞横にいろ/\灌木が枝を張つて生《お》ひ出で、大方散りつくした紅葉がなほ僅かにその小枝に名殘をとゞめてゐる。それが一ひら二ひらと斷間《たえま》なく我等の上に散つて來る。見れば其處に一二羽の樫鳥が遊んでゐるのであつた。

   眞裸體《まはだか》になるとはしつつ覺束な此處の温泉《いでゆ》に屋根の無ければ

   折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り來《く》いで湯のなかに

   樫鳥が蹈みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り來わが見てあれば

   二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に

 夜に入ると思ひかけぬ烈しい木枯が吹き立つた。背戸の山木の騷ぐ音、雨戸のはためき、庭さ(359)きの瀬々のひゞき、枕もとに吊られた洋燈の灯影もたえずまたゝいて、眠り難い一夜であつた。

 

 十月二十日

 未明に起き、洋燈《ランプ》の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其處を立ち出でた。驚いたのは、その足もとに斑らに雪の落ちてゐることであつた。惶てゝ四邊を見廻すと昨夜眠つた宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更に遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたをちこちの峰から峰が眞白に輝いてゐる。

   ひと夜寢てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり

   起き出でて見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり

   朝だちの足もと暗しせまりあふ峽間《はざま》の路にはだら雪積み

   上野《かみつけ》と越後の國のさかかなる峰の高きに雪降りにけり

   はだらかに雪の見ゆるは檜《ひ》の森の黒木の山に降れる故にぞ

   檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ

 昨日の通りに路を急いでやがてひろ/”\とした枯芒《かれすすき》の原、立枯の楢《なら》の打續いた暮坂峠の大きな澤に出た。峠を越えて約三里、正午近く澤渡温泉に着き、正榮館といふのゝ三階に上つた。此處(360)は珍しくも双方に窪地を持つ樣な、小高い峠に湯が湧いてゐるのであつた。無色無臭、温度もよく、いゝ湯であつた。此處に此儘泊らうか、もう三四里を歩いて四萬温泉へ廻らうか、それとも直ぐ中之條へ出て伊香保まで延ばさうかと二人していろ/\に迷つたが、終に四萬へ行くことにきめて、晝飯を終るとすぐまた草鞋を穿いた。

 私は此處で順序として四萬温泉の事を書かねばならぬ事を不快におもふ。いかにも不快な印象を其處の温泉宿から受けたからである。我等の入つて行つたのは、といふより馬車から降りるとすぐ其處に立つてゐた二人の男に誘はれて行つたのは田村旅館といふのであつた。馬車から降りた道を眞直ぐに入つてゆく廣大な構への家であつた。

 とろ/\と登つてやがてその庭らしい處へ着くと一人の宿屋の男は訊いた。

『ヱヽ、どの位ゐの御滯在の御豫定で被入《いら》つしやいますか。』

「いゝや、一泊だ、初めてで、見物に來たのだ。』

 と答へると彼等はにたりと笑つて顔を見合せた。そしてその男はいま一人の男に馬車から降りた時強ひて私の手から受取つて來た小荷物を押しつけながら早口に言つた。

『一日だとよ、何の何番に御案内しな。』

 さう言ひ捨てゝおいて今一組の商人態の二人連に同じ樣な事を訊き、滯在と聞くや小腰をかゞ(361)めて向つて左手の溪に面した方の新しい建築へ連れて行つた。

 我等と共に殘された一人の男はまざ/\と當惑と苦笑とを顔に表はして立つてゐたが、

『ではこちらへ。』

 と我等をそれとは反對の見るからに古びた一棟の方へ導かうとした。私は呼び留めた。

『イヤ僕等は見物に來たので、出來るならいゝ座敷に通して貰ひ度い、たゞ一晩の事だから。』

『へ、承知しました、どうぞこちらへ。』

 案のごとく、ひどい部屋であつた。小學校の修學旅行の泊りさうな、幾間か打ち續いた一室でしかも間の唐紙なども滿足には緊《しま》つてゐない部屋であつた。疊、火鉢、座布團、すべてこれに相應したものゝみであつた。

 私は諦めてその火鉢の側に腰をおろしたが、K-君はまだ洋傘を持つたまゝ立つてゐた。

『先生、移りませう、馬車を降りたツイ横にいゝ宿屋があつた樣です。』

 人一倍無口で穩かなこの青年が、明かに怒りを聲に表はして言ひ出した。

 私もそれを思はないではなかつたが、移つて行つてまたこれと同じい待遇を受けたならそれこそ更に不快に相違ない。

『止《よ》さうよ、これが土地の風かも知れないから。』

(362)となだめて、急いで彼を湯に誘つた。

 この分では私には夕餉の膳の上が氣遣はれた。で、定つた物のほかに二品ほど附ける様にと註文し、酒の事で氣を揉むのをも慮つて豫じめ二三本の徳利を取り寄せ自分で燗をすることにしておいた。

 やがて十五六歳の小僧が岡持で二品づゝ料理を持つて來た。受取つて箸をつけてゐると小僧は其處につき坐つたまゝ、

『代金を頂きます。』

 といふ。

『代金?』

 と私は審《いぶか》つた。

『宿料かい?』

『いゝえ、そのお料理だけです、よそから持つて來たのですから。』

 思はず私はK-君の顔を見て吹き出した。

『オヤ/\、君、これは一泊者のせゐのみではなかつたのだよ、懷中を踏まれたよ。』

 

(363) 十月廿一日

 朝、縁に腰かけて草鞋を穿いてゐても誰一人聲をかける者もなかつた。帳場から見て見ぬ振である。もつとも私も一錢をも置かなかつた。旅といへば樂しいもの難有いものと思ひ込んでゐる私は出來るだけその心を深く味はひたいために不自由の中から大抵の處では多少の心づけを帳場なり召使たちなりに渡さずに出た事はないのだが、斯うまでも挑戰状態で出て來られると、さういふ事をしてゐる心の餘裕がなかつたのである。

 面白いのは犬であつた。草鞋を穿いてゐるツイ側に三疋の仔犬を連れた大きな犬が遊んでゐた。そしてその仔犬たちは私の手許にとんで來てじやれついた。頭を撫でゝやつてゐると親犬までやつて來て私の額や頬に身體をすりつける。やがて立ち上つて門さきを出離れ、何の氣なくうしろを振返ると、その大きな犬が私のうしろについて歩いてゐる。仔犬も門の處まで出ては來たがそれからはよう來ぬらしく、尾を振りながらぴつたり三疋引き添うてこちらを見て立つてゐる。

『犬は犬好きの人を知つてるといふが、ほんたうですね。』

 と、幾度追つても私の側を離れない犬を見ながらK-君が言つた。

『とんだ見送がついた、この方がよつぽど正直かも知れない。』
(364) 私も笑ひながら犬を撫でゝ、

『少し旅を貪り過ぎた形があるネ、無理をして此處まで來ないで澤渡にあのまゝ泊つておけば昨夜の不愉快は知らずに過ごせたものを……』

『それにしても昨夜はひどかつたですネ、あんな目に私初めて會ひました。』

『さうかネ、僕なんか玄關拂を喰つた事もあるにはあるが……、然しあれは丁度いま此の土地の氣風を表はしてゐるのかも知れない、ソレ上州には伊香保があり草津があるでせう、それに近頃よく四萬々々といふ樣になつたものだから四萬先生すつかり草津伊香保と肩を竝べ得たつもりになつて鼻息が荒い傾向があるのだらうと思ふ、謂はゞ一種の成金氣分だネ。』

『さう云へば彼處の湯に入つてる客たちだつてそんな奴ばかりでしたよ、長距離電話の利く處に行つてゐたんぢやア入湯の氣持はせぬ、朝晩に何だ彼だとかゝつて來てうるさくて爲樣がない、なんて。』

『とにかく幻滅だつた、僕は四萬と聞くとずつと溪間の、靜かなおちついた處とばかり思つてゐたんだが……ソレ僕の友人のS-ネ、あれがこの吾妻郡の生れなんだ、だから彼からもよくその樣に聞いてゐたし、……、惜しい事をした。』

 路には霜が深かつた。峰から辷つた朝日の光が溪間の紅葉に映つて、次第にまた濁りのない旅(365)心地になつて來た。そして石を投げて辛うじて犬をば追ひ返した。不思議さうに立つて見てゐたが、やがて尾を垂れて歸つて行つた。

 十一時前中之條着、折よく電車の出る處だつたので直ぐ乘車、日に輝いた吾妻川に沿うて走る。この川は數日前に嬬戀村の宿屋の窓から雨の中に佗しく眺めた溪流のすゑであるのだ。澁川に正午に着いた。束京行沼田行とそれ/”\の時間を調べておいて驛前の小料理屋に入つた。此處で別れてK-君は束京へ歸り私は沼田の方へ入り込むのである。

 看板に出てゐた川魚は何も無かつた。鷄をとりうどんをとつて別盃を擧げた。輕井澤での不圖した言葉がもとになつて思ひも寄らぬ處を兩人《ふたり》して歩いて來たのだ。時間から云へば僅かだが、何だか遠く幾山河を越えて來た樣なおもひが、盃の重なるにつれて湧いて來た。午後三時、私の方が十分間早く發車する事になつた。手を握つて別れる。

 澁川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、沼田町に着いたのは七時半であつた。指さきなど、痛むまでに寒かつた。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になつてゐた郵便物を受取つた。局の事務員が顔を出して、今夜何處へ泊るかと訊く。變に思ひながら澁川で聞いて來た宿屋の名を思ひ出してその旨を答へると、さうですかと小さな窓を閉めた。
(366) 宿屋の名は鳴瀧と云つた。風呂から出て一二杯飲みかけてゐると、來客だといふ。郵便局の人かと訊くと、さうではないといふ。不思議に思ひながらも餘りに勞れてゐたので、明朝來て呉れと斷つた。實際K-君と別れてから急に私は烈しい疲勞を覺えてゐたのだ。然し矢張り氣が濟まぬので自分で玄關まで出て呼び留めて部屋に招じた。四人連の青年たちであつた。矢張り郵便局からの通知で、私の此處にゐるのを知つたのださうだ。そして、

『いま自轉車を走ちせましたから追つ附けU-君も此處へ見えます。』

 といふ。

『アヽ、さうですか。』

 と答へながら、矢つ張り呼び留めてよかつたと思つた。U-君もまた創作社の社友の一人であるのだ。この群馬縣利根郡からその結社に入つてゐる人が三人ある事を出立の時に調べて、それぞれの村をも地圖で見て來たのであつた。そして都合好くばそれ/”\に逢つて行き度いものと思つてゐたのだ。

『それは有難う、然しU-君の村は此處から遠いでせう。』

『なアに、一里位ゐのものです。』

 一里の夜道は大變だと思つた。

(367) やがてそのU-君が村の俳人B-君を伴れてやつて來た。もう少しませた人だとその歌から想像してゐたのに反してまだ紅顔の青年であつた。

 歌の話、俳句の話、土地の話が十一時過ぎまで續いた。そしてそれ/”\に歸つて行つた。村までは大變だらうからと留めたけれど、U-君たちも元氣よく歸つて行つた。

 

 十月廿二日

 今日もよく晴れてゐた。嬬戀以來、實によく晴れて呉れるのだ。四時から強ひて眼を覺まして床の中で幾通かの手紙の返事を書き、五時起床、六時過ぎに飯をたべてゐると、U-君がにこにこしながら入つて來た。自宅《うち》でもいゝつて言ひますから今日はお伴させて下さい、といふ。それはよかつたと私も思つた。今日はこれから九里の山奥、越後境三國峠の中腹に在る法師温泉まで行く事になつてゐたのだ。

 私は河の水上《みなかみ》といふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる樣な歡びを覺えるのが常であつた。

 矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみなかみを尋ねて見ようとこの利根(368)の峽谷に入り込んで來たことがあつた。沼田から次第に奥に入つて、矢張り越後境の清水越の根に當つてゐる湯檜曾といふのまで辿り着いた。そして其處から更に藤原郷といふのへ入り込むつもりであつたのだが、時季が少し遲れて、もうその邊にも斑らに雪が來てをり、奥の方には眞白妙《ましろたへ》に輝いた山の竝んでゐるのを見ると、流石に心細くなつて湯檜曾から引返した事があつた。然しその湯檜曾の邊でも、銚子の河口であれだけの幅を持つた利根が石から石を飛んで徒渉出来る愛らしい姿になつてゐるのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍つてその石から石を飛んで歩いたものであつた。そしていつかお前の方まで分け入るぞよと輝き渡る藤原郷の奥山を望んで思つたものであつた。

 藤原郷の方から來たのに清水越の山から流れ出して來た一支流が湯檜曾のはづれで落ち合つて利根川の溪流となり沼田の少し手前で赤谷川を入れ、やゝ下つた處で片品川を合せる。そして漸く一個の川らしい姿になつて更に澁川で吾妻川を合せ、此處で初めて大利根の大觀をなすのである。吾妻川の上流をば曾つて信州の方から越えて來て探つた事がある。片品川の奥に分け入らうと云ふのは實は今度の旅の眼目であつた。そして今日これから行かうとしてゐるのは、沼田から二里ほど上、月夜野橋といふ橋の近くで利根川に落ちて來てゐる赤谷川の源流の方に入つて行つて見度いためであつた。その殆んどつめになつた處に法師温泉はある筈である。

(369) 讀者よ、試みに參謀本部五萬分の一の地圖「四萬」の部を開いて見給へ。眞黒に見えるまでに山の線の引き重ねられた中に唯だ一つ他の部落とは遠くかけ離れて温泉の符號の記入せられてゐるのを、少なからぬ困難の末に發見するであらう。それが即ち法師温泉なのだ。更にまた讀者よ、その少し手前、沼田の方角に近い處に視線を落して來るならば其處に「猿ヶ京村」といふ不思議な名の部落のあるの見るであらう。私は初め參謀本部のものに據らず他の府縣別の簡單なものを開いて見てこの猿ヶ京村を見出し、サテも斯んな處に村があり、斯んな處にも歌を詠まうと志してゐる人がゐるのかと、少なからず驚嘆したのであつた。先に利根郡に我等の社中の同志が三人ある旨を言つた。その三人の一人は今日一緒に歩かうといふU-君で、他の二人は實にこの猿ヶ京村の人たちであるのである。

 月夜野橋に到る間に私は土地の義民|磔《はりつけ》茂左衛門の話を聞いた。徳川時代寛文年間に沼田の城主眞田伊賀守が異常なる虐政を行つた。領内利根吾妻勢多三郡百七十七箇村に檢地を行ひ、元高三萬石を十四萬四千餘石に改め、川役網役山手役井戸役窓役|産毛《うぶけ》役等(窓を一つ設くれば即ち課税し、出産すれば課税するの意)の雜役を設け終《つひ》に婚禮にまで税を課するに至つた。納期には各村に代官を派遣し、滯納する者があれば家宅を捜索して農産物の種子まで取上げ、なほ不足ならば人質を取つて皆納するまで水牢に入るゝ等の事を行つた。この暴虐に泣く百七十七箇村の民を(370)見るに見兼ねて身を抽んでて江戸に出で酒井雅樂守の登城先に駕訴《かごそ》をしたのがこの月夜野村の百姓茂左衛門であつた。けれどその駕訴は受けられなかつた。其處で彼は更に或る奇策を案じて具さに伊賀守の虐政を認めた訴状を上野寛永寺なる輪王寺宮に奉つた。幸に宮から幕府へ傳漣せられ、時の将軍綱吉も驚いて沼田領の實際を探つて見ると果して訴状の通りであつたので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奥平家へ預けてしまつた。茂左衛門はそれまで他國に姿を隱して形勢を見てゐたが、斯く願ひの叶つたのを知ると潔く自首するつもりで乞食に身をやつして郷里に歸り僅かに一夜その家へ入つて妻と別離を惜み、明方出かけやうとしたところを捕へられた。そしていま月夜野橋の架つてゐるツイ下の川原で礫に處せられた。しかも罪ない妻まで打首となつた。漸く蘇生の思ひをした百七十七箇村の百姓たちはやれやれと安堵する間もなく茂左衛門の捕へられたを聞いて大いに驚き悲しみ、總代を出して幕府に歎願せしめた。幕府も特に評議の上これを許して、茂左衛門赦免の上使を遣はしたのであつたが、時僅かに遲れ、井戸上村まで來ると處刑濟の報に接したのであつたさうだ。

 舊沼田領の人々はそれを聞いていよ/\悲しみ、刑場蹟に地藏尊を建立して僅かに謝恩の心を致した。ことにその郷里の人は月夜野村に一佛堂を築いて千日の供養をし、これを千日堂と稱へたが、千日はおろか、今日に到るまで一日として供養を怠らなかつた。が、次第にその御堂も荒(371)頽して來たので、この大正六年から改築に着手し、十年十二月竣工、右の地藏尊を本尊として其處に安置する事になつた。

 斯うした話をU-君から聞きながら私は彼の佐倉宗吾の事を思ひ出してゐた。事情が全く同じだからである。而して一は大いに表はれ、一は土地の人以外に殆んど知る所がない。さう思ひながらこの勇敢な、氣の毒な義民のためにひどく心を動かされた。そしてU-君にそのお堂へ參詣したい旨を告げた。

 月夜野橋を渡ると直ぐ取つ着きの岡の上に御堂はあつた。田舍にある堂宇としては實に立はな壯大なものであつた。そしてその前まで登つて行つて驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げられてあつたからである。そして附近には唯だ雀が遊んでゐるばかりで人の影とてもない。百姓たちが朝の爲事に就く前に一人々々此處にこの香を捧げて行つたものなのである。一日として斯うない事はないのださうだ。立ち昇る香煙のなかに佇みながら私は茂左衛門を思ひ、茂左衛門に對する百姓たちの心を思ひ瞼の熱くなるのを感じた。

 堂のうしろの落葉を敷いて暫く休んだ。傍らに同じく腰をおろしてゐた年若い友は不圖何か思ひ出した樣に立ち上つたが、やがて私をも立ち上らせて對岸の岡つゞきになつてゐる村落を指ざしながら、『ソレ、あそこに日の當つてゐる村がありませう、あの村の中ほどにやゝ大きな藁葺(372)の屋根が見えませう、あれが高橋お傳の生れた家です。』

 これはまた意外であつた。聞けば同君の祖母はお傳の遊び友達であつたといふ。

『今日これから行く途中に鹽原多助の生れた家も、墓もありますよ。』

 と、なほ笑かながら彼は附け加へた。

 月夜野村は村とは云へ、古めかしい宿場の形をなしてゐた。昔は此處が赤谷川流域の主都であつたものであらう。宿を通り拔けると道は赤谷川に沿うた。

 この邊、赤谷川の眺めは非常によかつた。十間から二三十間に及ぶ高さの岩が、楯を並べた樣に並び立つた上に、かなり老木の赤松がずらりと林をなして茂つてゐるのである。三町、五町、十町とその眺めは續いた。松の下草には雜木の紅葉が油繪具をこぼした樣に散らばり、大きく露出した岩の根には微かな青みを宿した清水が瀬をなし淵を作つて流れてゐるのである。

 登るともない登りを七時間ばかり登り續けた頃、我等は氣にしてゐた猿ヶ京村の入口にかゝつた。其處も南に谷を控へた坂なりの道ばたにちらほらと家が續いてゐた。中に一軒、古び煤けた屋根の修繕をしてゐる家があつた。丁度小休みの時間らしく、二三の人が腰をおろして煙草を喫《す》つてゐた。

『ア、さうですが、それは……

(373) 私の尋ねに應じて一人がわざ/\立上つて煙管で方角を指しながら、道から折れた山の根がたの方に我等の尋ぬるM-君の家の在る事を教へて呉れた。街道から曲り、細い坂を少し登つてゆくと、傾斜を帶びた山畑が其處に開けてゐた。四五町も畦道を登つたけれども、それらしい家が見當らない。桑や粟の畑が日に乾いてゐるばかりである。幸ひ畑中に一人の百姓が働いてゐた。其處へ歩み寄つてやゝ遠くから聲をかけた。

『ア、M-さんの家ですか。』

 百姓は自分から頬かむりをとつて、私たちの方へ歩いて來た。そして、畑に挾まれた一つの澤を越し、渡りあがつた向うの山蔭の杉木立の中に在る旨を教へて呉れた。それも道を傳つて行つたでは廻りになる故、其處の畑の中を通り拔けて……とゆびざししながら教へやうとして、

『アツ、其處に來ますよ、M-さんが……』

 と叫んだ。囚人などの冠る樣な編笠をかぶり、辛うじて尻を被ふほどの短い袖無半纏《そでなしばんてん》を着、股引を穿いた、老人とも若者ともつかぬ男が其處の澤から登つて來た。そして我等が彼を見詰めて立つてゐるのを不思議さうに見やりながら近づいて來た。

『君はM-君ですか。』

 斯う私が呼びかけると、ぢつと私の顔を見詰めたが、やがて合點が行つたらしく、ハツとした(374)風で其處に立ち留つた。そして笠をとつてお辭儀をした。斯うして向ひ合つて見ると、彼もまだ三十前の青年であつたのである。

 私が上州利根郡の方に行く事をば我等の間で出してゐる雜誌で彼も見てゐた筈である。然し、斯うして彼の郷里まで入り込んで來やうとは思ひがけなかつたらしい。驚いたあまりか、彼は其處に突立つたまゝ殆んど言葉を出さなかつた。路を教へて呉れた百姓も頬かむりの手拭を握つたまゝ、ぼんやり其處に立つてゐるのである。私は昨夜沼田に着いた事、一緒にゐるのが沼田在の同志U-君である事、これから法師温泉まで行かうとしてゐる事、一寸でも逢つてゆきたくて立ち寄つた事などを説明した。

『どうぞ、私の家へお出で下さい。』

 と漸く色々の意味が飲み込めたらしく彼は安心した風に我等を誘つた。なるほど、ツイ手近に來てゐながら見出せないのも道理なほどの山の蔭に彼の家はあつた。一軒家か、乃至は、其處らに一二軒の隣家を持つか、兎に角に深い杉の木立が四邊を圍み、濕つた庭には杉の落葉が一面に散り敷いてゐた。大きな囲爐裡端には彼の老母が坐つてゐた。

 お茶や松茸の味噌漬が出た。私は囲爐裡に近く腰をかけながら、

『君は何處で歌を作るのです、此處ですか。』

(375) と、赤々と火の燃えさかる爐端を指した。土間にも、座敷にも、農具が散らかつてゐるのみで、書籍も机らしいものも其處らに見えなかつた。

『さア……』

 羞しさうに彼は口籠つたが、

『何處といふ事もありません、山でゝも野良でゝも作ります。』

 と僅かに答へた。私が彼の歌を見始めてから五六年はたつであらう。幼い文字、幼い詠みかた、それらがM-といふ名前と共にすぐ私の頭に思ひ浮べらるゝほど、特色のある歌を彼は作つてゐるのであつた。

 收穫時の忙しさを思ひながらも同行を歡めて見た。暫く黙つて考へてゐたが、やがて母に耳打して奥へ入ると着物を着換へて出て來た。三人連になつて我等はその杉木立の中の家を立ち出でた。恐らく二度とは訪ねられないであらうその杉叢が、そゞろに私には振返られた。時計は午後三時をすぎてゐた。法師までなほ三里、よほどこれから急がねばならぬ。

 猿ヶ京村でのいま一人の同志H-君の事をM-君から聞いた、土地の郵便局の息子で、今折惡しく仙臺の方へ行つてゐる事などを。やがてその郵便局の前に來たので私は一寸立寄つてその父親に言葉をかけた。その人はゐないでも、矢張り黙つて通られぬ思ひがしたのであつた。

(376) 石や岩のあらはに出てゐる村なかの路には煙草の葉がをり/\落ちてゐた。見れば路に沿うた家の壁には悉くこれが掛け乾されてゐるのであつた。此頃漸く切り取つたらしく、まだ生々しいものであつた。

 吹路《ふくろ》といふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をり/\路ばたの畑で稗や粟を刈つてゐる人を見た。この邊では斯ういふものしか出來ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られてゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼についた。小走りに走つて急いだのであつたが、終に全く暮れてしまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つた。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間《はざま》の奥の闇の深い中に温泉宿の灯影を見出した時は、三人は思はず大きな聲を上げたのであつた。

 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先づ何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその廣いのと湯の豐かなのとに驚いた。十疊敷よりもつと廣からうと思はるゝ浴槽《ゆぶね》が二つ、それに滿々と湯が湛へてゐるのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあつた。乏しい灯影の下にづぶりつと浸りながら、三人は唯だてんでに微笑を含んだまゝ、殆どだんまりの儘永い時間を過した。のび/\と手足を伸ばすもあり、蛙の樣に浮んで泳ぎの形を爲すのもあつた。

(377) 部屋に歸ると炭火が山の樣におこしてあつた。なるほど山の夜の寒さは湯あがりの後の身體に浸みて來た。何しろ今夜は飲みませうと、豐かに酒をば取り寄せた。鑵詰をも一つ二つと切らせた。U-君は十九か廿歳、M-君は廿六七、その二人のがつしりとした山國人の體格を見、明るい顔を見てゐると私は何かしら嬉しくて、飲めよ喰べよと無理にも強ひずにはゐられぬ氣持になつてゐたのである。

 其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。一人はK-君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原多助の生れたといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK-君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私とを見比べながら、

『矢張り本物に違ひはありませんねヱ。』

 と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。

 

 十月廿三日

 うす闇の殘つてゐる午前五時、昨夜の草鞋のまだ濕つてゐるのを穿きしめてその溪間の湯の宿(378)を立ち出でた。峰々の上に冴えてゐる空の光にも土地の高みが感ぜられて、自づと肌寒い。K-君たち二人はけふ一日遊んでゆくのださうだ。

 吹路《ふくろ》の急坂にかゝつた時であつた。十二三から廿歳までの間の若い女たちが、三人五人と組を作つて登つて來るのに出會つた。眞先の一人だけが眼明で、あとはみな盲目である。そして、各自に大きな紺の風呂敷包を背負つてゐる。訊けばこれが有名な越後の瞽女《ごぜ》である相だ。收穫前の一寸した農閑期を狙つて稼ぎに出て來て、雪の来る少し前に斯うして歸つてゆくのだといふ。

『法師泊りでせうから、これが昨夜だつたら三味や唄が聞かれたのでしたがね。』

 とM-君が笑つた。それを聞きながら私はフッと或る事を思ひついたが、ひそかに苦笑して黙つてしまつた。宿屋で聞かうよりこのまゝこの山路で呼びとめて彼等に唄はせて見たかつた。然し、さういふ事をするには二人の同伴者が餘りに善良な青年である事にも氣がついたのだ。驚いた事にはその三々五々の組が二三町の間も續いた。すべてゞ三十人はゐたであらう。落葉の上に彼等を坐らせ、その一人二人に三味を掻き鳴らさせたならば、蓋し忘れ難い紀憶になつたであらうものをと、そゞろに殘り惜しくも振返えられた。這ふ樣にして登つてゐる彼等の姿は、一町二町の間をおいて落葉した山の日向に續いて見えた。

 猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で晝食をとつた。相迫つた斷崖の片側の中腹に在る一軒(379)家で、その二階から斜め眞上に相生《あひおひ》橋が仰がれた。相生橋は群馬縣で第二番目に高い橋だといふ事である。切り立つた斷崖の眞中どころに鎹《かすがひ》の樣にして架つてゐる。高さ二十五間、欄干に倚つて下を見ると膽の冷ゆる思ひがした。しかもその兩岸の崖にはとり/”\の雜木が鮮かに紅葉してゐるのであつた。

 湯の宿温泉まで來ると私はひどく身體の疲勞を感じた。數日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其處で二人の青年に別れて、日はまだ高かつたが、一人だけ其處の宿屋に泊る事にした。もつともM-君は自分の村を行きすぎ其處まで見送つて來てくれたのであつた。U-君とは明日また沼田で逢ふ約束をした。

 一人になると、一層疲勞が出て來た。で、一浴後直ちに床を延べて寢てしまつた。一時間も眠つたと思ふ頃、女中が來てあなたは若山といふ人ではないかと訊く。不思議に思ひながらさうだと答へると一枚の名刺を出して斯ういふ人が逢ひ度いと下に來てゐるといふ。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄つて來たH-君であつた。仙臺からの歸途沼田の本屋に寄つて私達が一泊の豫定で法師に行つた事を聞き、ともすると途中で會ふかも知れぬと言はれて途々氣をつけて來た、そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの邊に泊つて居らるゝかも知れぬと立ち寄つて訊いてみた宿屋に偶然にも私が寢てゐたのだといふ。あまりの奇遇に我等は思はず知らずひしと兩手(380)を握り合つた。

 

 十月廿四日

 H-君も元氣な青年であつた。昨夜、九時過ぎまで語り合つて、そして提灯をつけて三里ほどの山路を登つて歸つて行つた。今朝は私一人、矢張り朗らかに晴れた日ざしを浴びながら、ゆつくりと歩いて沼田町まで歸つて來た。打合せておいた通り、U-君が青池屋といふ宿屋で待つてゐた。そして昨夜の奇遇を聞いて彼も驚いた。彼はM-と初對面であつたと同じくH-をもまだ知らないのである。

 夜、宿屋で歌會が開かれた。二三日前の夜訪ねて來た人たちを中心とした土地の文藝愛好家達で、歌會とは云つても專門に歌を作るといふ人々ではなかつた。みな相當の年輩の人たちで、私は彼等から土地の話を面白く聞く事が出來た。そして思はず酒をも過して閉會したのは午前一時であつた。法師で會つたK-君も夜更けて其處からやつて來た。この人たちは九里や十里の山路を歩くのを、ホンの隣家に行く氣でゐるらしい。

 

 十月廿五日

(381) 昨夜の會の人達が町はづれまで送つて來て呉れた。U-、K-兩君だけは、もう少し歩きませうと更に半道ほど送つて來た。其處で別れかねてまた二里ほど歩いた。收穫時の忙しさを思つて、農家であるU-君をば其處から強ひて歸らせたが、K-君はいつそ此處まで來た事ゆゑ老神まで參りませうと、終に今夜の泊りの場所まで一緒に行く事になつた。宿屋の下駄を穿き、帽子もかぶらぬまゝの姿である。

 路はずつと片品川の岸に沿うた。これは實は舊道であるのださうだが、故《ことさ》らに私はこれを選んだのであつた。さうして樂しんで來た片品川峽谷の眺めは矢張り私を落膽せしめなかつた。ことに岩室といふあたりから佳くなつた。山が深いため、紅葉はやゝ過ぎてゐたが、なほ到る處にその名殘を留めてしかも岩の露はれた嶮しい山、いたゞきかけて煙り渡つた落葉の森、それらの山の次第に迫り合つた深い底には必ず一つの溪が流れて瀧となり淵となり、やがてそれがまた隨所に落ち合つては眞白な瀬をなしてゐるのである。歩一歩と醉つた氣持になつた私は、歩みつ憩ひつ幾つかの歌を手帳に書きつけた。

   きりぎしに通へる路をわが行けば天つ日は照る高き空より

   路かよふ崖のさなかをわが行きてはろけき空を見ればかなしも

   木々の葉の染まれる秋の岩山のそば路ゆくとこころかなしも

(382)   きりぎりしに生ふる百木《ももき》のたけ伸びずとりどりに深きもみぢせるかも

   歩みつつこころ怯《お》ぢたるきりぎしのあやふき路に匂ふもみぢ葉

   わが急ぐ崖の眞下に見えてをる丸木橋さびしあらはに見えて

   散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり

   しめりたる紅葉がうへにわが落す煙草の灰は散りて眞白き

   とり出でて吸へる煙草におのづから心は開けわが憩ふかも

   岩蔭の青渦がうへにうかびゐて色あざやけき落葉もみぢ葉

   苔むさぬこの荒溪の岩にゐて啼く鶺鴒《いしたたき》あはれなるかも

   高き橋此處にかかれりせまりあふ岩山の峽《かひ》のせまりどころに

   いま渡る橋はみじかし山峽の迫りきはまれる此處にかかりて

   古りし欄干《てすり》ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を

   いとほしきおもひこそ湧け岩山の峽にかかれるこの古橋に

 老神温泉に着いた時は夜に入つてゐた。途中で用意した蝋燭をてんでに點して本道から温泉宿の在るといふ川端の方へ急な坂を降りて行つた。宿に入つて湯を訊くと、少し離れてゐてお氣の毒ですが、と言ひながら背の高い老爺が提灯を持つて先に立つた。どの宿にも内湯は無いと聞い(383)てゐたので何の氣もなくその後に從つて戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異《ことな》つたたいへんな處へ湯が湧いてゐるのであつた。手放しでは降りることも出來ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲つて辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を辿る。その中洲の樣になつた川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いてゐるのだ。

 這ひつ坐りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に永い間浸つてゐた。いま我等が屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみを持つてゐるだけで、四邊は油の樣な闇である。そして靜かにして居れば、疲れた身體にうち響きさうな荒瀬の音がツイ横手のところに起つて居る。やゝぬるいが、柔かな滑らかな湯であつた。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降つてゐた。石の頭にぬぎすてゝおいた着物は早やしつとりと濡れてゐた。

 註文しておいたとろゝ汁が出來てゐた。夕方釣つて來たといふ山魚《やまめ》の魚田《ぎよでん》も添へてあつた。折柄烈しく音を立てゝ降りそめた雨を聞きながら、火鉢を擁して手づから酒をあたゝめ始めた。

 

 十月廿六日

 起きて見ると、ひどい日和になつてゐた。

『困りましたネ、これでは立てませんネ。』

(384) 渦を卷いて狂つてゐる雨風や、ツイ溪向うの山腹に生れつ消えつして走つてゐる密雲を、僅かにあけた雨戸の隙間に眺めながら、朝まだきから徳利をとり寄せた。止むなく滯在ときめて漸くいゝ氣持に醉ひかけて來ると、急に雨戸の隙が明るくなつた。

『オヤ/\、晴れますよ。』

 さう言ふとK-君は飛び出して番傘を買つて來た。私もそれに頼んで大きな油紙を買つた。そして尻から下を丸出しに、尻から上、首までをば僅かに兩手の出る樣にして、くる/\と油紙と紐とで包んでしまつた。これで帽子をまぶかに冠れば洋傘はさゝれずとも間に合ふ用意をして、宿を立ち出でた。そして程なく、雨風のまだ全くをさまらぬ路ばたに立つてK-君と別れた。彼はこれから沼田へ、更に自分の村下新田《しもしんでん》まで歸つてゆくのである。

 獨りになつてひた急ぐ途中に吹割の瀧といふのがあつた。長さ四五町幅三町ほど、極めて平滑な川床の岩の上を、初め二三町が間、辛うじて足の甲を潤す深さで一帶に流れて來た水が或る場所に及んで次第に一個所の岩の窪みに淺い瀬を立てゝ集り落つる。窪みの深さ二三間、幅一二間、その底に落ち集つた川全帶の水は、まるで生糸の大きな束を幾十百|綟《よ》ぢ集めた様に、雪白な中に微かな青味を含んでくるめき流るゝ事七八十間、其處でまた急に底知れぬ淵となつて青み湛へてゐるのである。淵の上にはこの數日見慣れて來た嶮崖が散り殘りの紅葉を纒うて聳えて居(385)る。見る限り一面の淺瀬が岩を掩うて流れてゐるのはすがすがしい眺めであつた。それが集るともなく一ところに集り、やがて凄じい渦となつて底深い岩の龜裂の間を轟き流れてゆく。岩の間から迸《ほとばし》り出た水は直ぐ其處に湛へて、靜かな深みとなり、眞上の岩山の影を宿してゐる。土地の自慢であるだけ、珍しい瀧ではあつた。

 吹割の瀧を過ぎるころから雨は霽れてやがて澄み切つた晩秋の空となつた。片品川の流は次第に痩せ、それに沿うて登る路も漸く細くなつた。須賀川から鎌田村あたりにかゝると、四邊》の眺めがいかにも高い高原の趣きを帶びて來た。白々と流れてゐる溪を遙かの下に眺めて辿つてゆくその高みの路ばたはおほく桑畑となつてゐた。その桑が普通見る樣に年々に根もとから伐るのでなく、幹は伸びるに任せておいて僅かに枝先を刈り取るものなので、一抱へに近い樣な大きな木が畑一面に立ち並んでゐるのである。老梅などに見る樣に半ばは幹の朽ちてゐるものもあつた。その大きな桑の木の立ち竝んだ根がたにはおほく大豆が植ゑてあつた。既に拔き終つたのが多かつたが、稀には黄いろい桑の落葉の中にかゞんで、枯れ果てたそれを拔いてゐる男女の姿を見ることがあつた。土地が高いだけ、冬枯れはてた木立の間に見るだけに、その姿がいかにも佗しいものに眺められた。

 そろ/\暮れかけたころ東小川村に入つて、其處の豪家C-を訪うた。明日|下野《しもつけ》國の方へ超え(386)て行かうとする山の上に在る丸沼といふ沼に同家で鱒の養殖をやつてをり、其處に番小屋があり番人が置いてあると聞いたので、その小屋に一晩泊めて貰ひ度く、同家に宛てゝの紹介状を沼田の人から貰つて來てゐたのであつた。主人は不在であつた。そして内儀から宿泊の許諾を得、番人へ宛てゝの添手紙をも貰ふ事が出來た。

 村を過ぎると路はまた峽谷に入つた。落葉を踏んで小走りに急いでゐると、三つ四つ峰の尖りの集り聳えた空に、望《もち》の夜近い大きな月の照りそめてゐるのを見た。落葉木の影を踏んで、幸に迷ふことなく白根温泉のとりつきの一軒家になつてゐる宿屋まで辿り着くことが出來た。

 此處もまた極めて原始的な湯であつた。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちてゐた。湯から出て、眞赤な炭火の山盛りになつた圍爐裡端に坐りながら、何は兎もあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いといふ。驚き惶てゝ何處か近くから買つて來て貰へまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹づれで飛び出したが、やがて空手で歸つて來た。更に財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走つて貰つた。

 心細く待ち焦がれてゐると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでゐる頭に、この氣まぐれな山の時雨がいかにも異樣に、侘しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れてゐる溪川の音とに耳を澄ましてゐるところへぐしよ濡れになつて十二と八歳の兄と妹と(387)が歸つて來た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄顔に大さな壜を取出して私に渡した。

 

 十月廿七日

 宿屋に酒の無かつた事や、月は射しながら烈しい雨の降つた事がひどく私を寂しがらせた。そして案内人を雇ふこと、明日の夜泊る丸沼の番人への土産でもあり自分の飲み代でもある酒を買つて來て貰ふことを昨夜更けてから宿の主人に頼んだのであつたが、今朝未明に起きて湯に行くと既にその案内人が其處に浸つてゐた。顔の蒼い、眼の險しい四十男であつた。

 昨夜の時雨が其儘に氷つたかと思はるゝぱかりに、路には霜が深かつた。峰の上の空は耳の痛むまでに冷やかに澄んでゐた。溪に沿うて危い丸木橋を幾度か渡りながら、やがて九十九折の嶮しい坂にかゝつた。それと共に四邊はひし/\と立ち込んだ深い森となつた。

 登るにつれてその森の深さがいよ/\明かになつた。自分等のいま登りつゝある山を中心にして、それを圍む四周の山が悉くぎつしりと立ち込んだ密林となつてゐるのである。案内人は語つた。この山々の見ゆる限りはすべてC-家の所有である。平地に均らして五里四方の上に出てゐる、そしてC-家は昨年この山の木を或る製紙會社に賣り渡した、代價四十五萬圓、伐採期間四(388)十五個年間、一年に一萬圓づつ伐り出す割に當り、現にこの邊に入り込んで伐り出しに從事してゐる人夫が百二三十人に及んでゐる事などを。

 なるはど、路ばたの木立の蔭にその人夫たちの住む小屋が長屋の樣にして建てられてあるのを見た。板葺の低い屋根で、その軒下には女房が大根を刻み、子供が遊んでゐた。そしてをり/\溪向うの山腹に大風の通る樣な音を立てゝ大きな樹木の倒るゝのが見えた。それと共に人夫たちの擧げる叫び聲も聞えた。或る人夫小屋の側を通らうとして不圖立ち停つた案内人が、

『ハヽア、これだナ。』

 と呟《つぶや》くので立ち寄つて見ると其處には三尺角ほどの大きな厚板が四五枚立てかけてあつた。

『これは旦那、楓《かへで》の板ですよ、この山でも斯んな楓は珍しいつて評判になつてるんですがネ、……なるほど、いゝ木理《もくめ》だ。』

 撫でつ叩きつして暫く彼は其處に立つてゐた。

『山が深いから珍しい木も澤山あるだらうネ。』

 私もこれが楓の木だと聞いて驚いた。

『もう一つ何處とかから途方もねえ黒檜が出たつて云ひますがネ、みんな人夫頭の飲代になるんですよ、會社の人たちア知りませんや。』

(389) と嘲笑ふ樣に言ひ捨てた。

 坂を登り切ると、聳えた峰と峰との間の廣やかな澤に入つた。澤の平地には見る限り落葉樹が立つてゐた。これは楢でこれが山毛欅だと平常《へいぜい》から見知つてゐる筈の樹木を指されても到底信ずる事の出來ぬほど、形の變つた巨大な老木ばかりであつた。そしてそれらの根がたに堆く積つて居る落葉を見れば、なるほど見馴れた楢の葉であり山毛欅の葉であるのであつた。

『これが橡、あれが桂、惡《あく》ダラ、澤胡桃《さはぐるみ》、アサヒ、ハナ、ウリノ木、……』

 事ごとに眼を見張る私を笑ひながら、初め不氣味な男だと思つた案内人は行く/\種々の樹木の名を倦みもせずに教へて呉れた。それから不思議な樹木の悉くが落葉しはてた中に、をり/\輝くばかりの楓の老木の紅葉してゐるのを見た。おほかたはもう散り果てゝゐるのであるが、極めて稀にさうした楓が、白茶けた他の枯木立の中に立混つてゐるのであつた。

 そして眼を擧げて見ると澤を圍む遠近の山の山腹は殆んど漆黒色に見ゆるばかりに眞黒に茂り入つた黒木の山であつた。常磐木の森であつた。

『樅、栂《とが》、檜、唐檜《たうび》、黒檜《くろび》、……、……、』

 と案内人はそれらの森の木を數へた。それらの峰の立ち並んだ中に唯だ一つ白々と岩の穂を見せて聳えてゐるのはまさしく白根火山の頂上であらねばならなかつた。

(390)   下草の笹のしげみの光りゐてならび寒けき冬木立かも

   あきらけく日のさしとほる冬木立木々とりどりに色さびて立つ

   時知らず此處に生ひたち枝張れる老木を見ればなつかしきかも

   散りつもる落葉がなかに立つ岩の苔枯れはてて雪のごと見ゆ

   わが過ぐる落葉の森に木がくれて白根が嶽の岩山は見ゆ

   遲れたる楓ひともと照るばかりもみぢしてをり冬木が中に

   枯木なす冬木の林ゆきゆきて行きあへる紅葉にこころ躍らす

   この澤をとりかこみなす樅《もみ》栂《とが》の黒木の山のながめ寒けき

   聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色に見ゆ

   墨色に澄める黒木のとほ山にはだらに白き白樺ならむ

 澤を行き盡すと其處に端然として澄み湛へた一つの沼があつた。岸から直ちに底知れぬ蒼みを宿して、屈折深い山から山の根を浸して居る。三つ續いた火山湖のうちの大尻沼がそれであつた。水の飽くまでも澄んでゐるのと、それを圍む四邊の山が墨色をしてうち茂つた黒木の山であるのとが、この山上の古沼を一層物寂びたものにしてゐるのであつた。

その古沼に端なく私は美しいものを見た。三四十羽の鴨が羽根をつらねて靜かに水の上に浮ん(391)でゐたのである。思はず立ち停つて瞳を凝らしたが、時を經ても彼等はまひ立たうとしなかつた。路ばたの落葉を敷いて、飽くことなく私はその靜かな姿に見入つた。

   登り來しこの山あひに沼ありて美しきかも鴨の鳥浮けり

   樅《もみ》黒檜《くろび》黒木の山のかこみあひて眞澄める沼にあそぶ鴨鳥

   見て立てるわれには怯《お》ぢず羽根つらね浮きてあそべる鴨鳥の群

   岸邊なる枯草敷きて見てをるやまひたちもせぬ鴨鳥の群を

   羽根つらねうかべる鴨をうつくしと靜けしと見つつこころかなしも

   山の木に風騷ぎつつ山かげの沼の廣みに鴨のあそべり

   浮草の流らふごとくひと群の鴨鳥浮けり沼の廣みに

   鴨居りて水《み》の面《も》あかるき山かげの沼のさなかに水皺《みじわ》寄る見ゆ

   水皺寄る沼のさなかに浮びゐて靜かなるかも鴨鳥の群

   おほよそに風に流れてうかびたる鴨鳥の群を見つつかなしも

   風たてば沼の隈囘《くまみ》のかたよりに寄りてあそべり鴨鳥の群

 さらに私を驚かしたものがあつた。私たちの坐つてゐる路下の沼のへりに、たけ二三間の大きさでずつと茂り續いてゐるのが思ひがけない石楠木《しやくなぎ》の木であつたのだ。深山の奥の靈木としての(392)み見てゐたこの木が、他の沼に葭葦《よしあし》の茂るがごとくに立ち生《お》うてゐるのであつた。私はまつたく事ごとに心を躍らせずにはゐられなかつた。

   沼のへりにおほよそ葦の生ふるごと此處に茂れり石楠木の木は

   沼のへりの石楠木咲かむ水無月《みなつき》にまた見に來むぞ此處の沼見に

 . また來むと思ひつつさびしいそがしきくらしのなかをいつ出でて來む

   天地《あめつち》のいみじきながめに逢ふ時しわが持ついのちかなしかりけり

   日あたりに居りていこへど山の上の凍《し》みいちじるし今はゆきなむ

 昂奮の後のわびしい心になりながら沼のへりに沿うた小徑の落葉を踏んで歩き出すと、程なくその沼の源とも云ふべき、清らかな水がかなりの瀬をなして流れ落ちてゐる處に出た。そして三四十間その瀬について行くとまた一つの沼を見た。大尻沼より大きい、丸沼であつた。

 沼と山の根との間の小廣い平地に三四軒の家が建つてゐた。いづれも檜皮葺《ひはだぶき》の白々としたもので、雨戸もすべてうす白く閉ざゝれてゐた。不意に一疋の大きな犬が足許に吠えついて來た。胸をときめかせながら中の一軒に近づいて行くと、中から一人の六十近い老爺が出て來た。C-家の内儀の手紙を渡し、一泊を請ひ、直ぐ大圍爐裡の榾火《ほたび》の側に招ぜられた。

 番人の老爺が唯だ一人居ると私は先に書いたが、實はもう一人、棟續きになつた一室に丁度同(393)じ年頃の老人が住んでゐるのであつた。C-家がこの丸沼に紅鱒の養殖を始めると農商務省の水産局からC-家に頼んで其處に一人の技手を派遣し、その養殖状態を視る事になつて、もう何年かたつてゐる。老人はその技手であつたのだ。名をM-氏といひ、桃の樣に尖つた頭には僅かにその下部に丸く輪をなした毛髪を留むるのみで、つる/\に禿げてゐた。

 言葉少なの番人は暫く榾火を焚き立てた後に、私に釣が出來るかと訊《き》いた。大抵釣れるつもりだと答へると、それでは沼で釣つて見ないかと言ふ。實はこちらから頼み度いところだつたので、ほんとに釣つてもいゝかと言ふと、いゝどころではない、晩にさしあげるものがなくて困つてゐたところだからなるだけ澤山釣つて來いといふ。子供の樣に嬉しくなつて早速道具を借り、蚯蚓を掘つて飛び出した。

『ドレ、俺も一疋釣らして貰ふべい。』

 案内人もつゞいた。

 小舟にさをさして、岸寄りの深みの處にゆき、糸をおろした。いつとなく風が出て、日はよく照つてゐるのだが、顔や手足は痛いまでに冷えて來た。沼をめぐつてゐるのは例の黒木の山である。その黒い森の中にところ/”\雪白な樹木の立ち混つてゐるのは白樺の木であるさうだ。風は次第に強く、やがてその黒木の山に薄らかに雲が出て來た。そして驚くほどの速さで山腹を走つ(394)てゆく。あとからあとからと濃く薄く現はれて來た。空にも生れて太陽を包んでしまつた。

 細かな水皺《みじわ》の立ち渡つた沼の面はたゞ冷やかに輝いて、水の深さ淺さを見ることも出來ぬ。漸く心のせきたつたころ、ぐいと糸が引かれた。驚いて上げてみると一尺ばかりの色どり美しい魚がかゝつて來た。私にとつては生れて初めて見る魚であつたのだ。惶《あわ》てゝ餌を代へておろすと、またかゝつた。三疋四疋と釣れて來た。

『旦那は上手だ。』

 案内人が側で呟いた。どうしたのか同じところに同じ餌を入れながら彼のには更に魚が寄らぬのであつた。一疋二疋とまた私のには釣れて來た。

『ひとつ俺は場所を變へて見よう。』

 彼は舟から降りて岸づたひに他へ釣つて行つた。

 何しろ寒い。魚のあぎとから離さうとしては鈎《はり》を自分の指にさし、餌をささうとしてはまた刺した。すつかり指さきが凍《こご》えてしまつたのである。あぎとの血と自分の血とで掌が赤くなつた。

 丁度十疋になつたを折に舟をつけて家の方に歸らうとすると一疋の魚を提げて案内人も歸つて來た。三疋を彼に分けてやると禮を言ひながら木の枝にそれをさして、やがて沼べりの路をもと來た方へ歸つて行つた。

(395) 洋燈より榾火の焔のあかりの方が強い樣な爐端で、私の持つて來た一升壜の開かれた時、思ひもかけぬ三人の大男が其處に入つて來た。C-家の用でこゝよりも山奥の小屋へ黒檜の板を挽きに入り込んでゐた木挽《こびき》たちであつた。用が濟んで村へかへるのだが、もう暮れたから此處へ今夜寢させて呉れと云ふのであつた。迷惑がまざ/\と老番人の顔に浮んだ。昨夜の宿屋で私はこの老爺の酒好きな事を聞き、手土産として持つて來たこの一升壜は限りなく彼を喜ばせたのであつた。これは早や思ひがけぬ正月が來たと云つて、彼は顔をくづして笑つたのであつた。そして私がM-老人を呼ばうといふのをも押しとゞめて、たゞ二人だけでこの飲料をたのしまうとしてゐたのであつた。其處へ彼の知合である三人の大男が入り込んで來て同じく爐端へ腰をおろしたのだ。

 同じ酒ずきの私には、この老爺の心持がよく解つた。幾日か山の中に寢泊りして出て來た三人が思ひがけぬこの匂ひの煮え立つのを嗅いで胸をときめかせてゐるのもよく解つた。そして此處にものゝ五升もあつたらばなア、と同じく心を騷がせながら咄嗟の思ひつきで私は老爺に言つた。

『お爺さん、このお客さんたちにも一杯御馳走しよう、そして明日お前さんは僕と一緒に湯元まで降りやうぢやアないか、其處で一晩泊つて存分に飲んだり喰べたりしませうよ。』

 と。

(396) 爺さんも笑ひ、三人の木挽たちも笑ひころげた。

 僅かの酒に、その場の氣持からか、五人ともほと/\に醉つてしまつた。小用にと庭へ出て見ると、風は落ちて、月が氷の樣に沼の眞上に照つてゐた。山の根にはしつとりと濃い雲が降りてゐた。

 

 十月廿八日

 朝、出がけに私はM-老人の部屋に挨拶に行つた。此處には四斗樽ほどの大きな圓い金屬製の煖爐が入れてあつた。その側に破れ古びた洋服を着て老人は煙管をとつてゐた。私が今朝の寒さを言ふと、机の上の日記帳を見やりながら、

『室内三度、室外零度でありましたからなア。』

 といふ發音の中に私は彼が東北生れの訛を持つことを知つた。そして一つ二つと話すうちに、自身の水産學校出身である事を語つて、

『同じ學校を出ても村田水産翁の樣になる人もあり、私の樣に斯んな山の中で雪に埋れて暮すのもありますからなア。』

 と大きな聲で笑つた。雪の來るのももう程なくであるさうだ。一月、二月、三月となると全く(397)この部屋以外に一歩も出られぬ朝夕を送る事になるといふ。

 老人は立ち上つて、

『鱒の人工孵化をお目にかけませうか。』

 と板圍ひの一棟へ私を案内した。其處には幾つとなく置き並べられた厚板作りの長い箱があり、すべての箱に水がさら/\と寒いひゞきを立てゝ流れてゐた。箱の中には孵《か》へされた小魚が蟲の樣にして泳いでゐた。

 昨夜の約束通り私が老番人を連れてぞの沼べりの家を出かけやうとすると、急にM-老人の部屋の戸があいて老人が顔を出した。そして叱りつける樣な聲で、

『××』

 と番人の名を呼んで、

『今夜は歸らんといかんぞ、いゝか。」

 と言ひ捨てゝ戸を閉ぢた。

 番人は途々M-老人に就いて語つた。あれで學校を出て役人になつて何十年たつか知らんがいまだに月給はこれ/”\であること、然し今はC-家からも幾ら/\を貰つてゐること、酒は飲まず、いゝ物はたべず、この上なしの吝嗇だからたゞ溜る一方であるとと、俺と一緒では何彼と損(398)がゆくところからあゝして自分自身で煮炊をしてたべてゐる事などを。

 丸沼のへりを離れると路は昨日終日とほく眺めて來た黒木の密林の中に入つた。樅、栂《とが》、などすべて針葉樹の巨大なものがはてしなく並び立つて茂つてゐるのである。ことに或る場所では見渡す限り唐檜のみの茂つてゐるところがあつた。この木をも私は初めて見るのであつた。葉は樅に似、幹は杉の樣に眞直ぐに高く、やゝ白味を帯びて聳えて居るのである。そして賣り渡された四十五萬圓の金に割り當てると、これら一抱二抱の樹齢もわからぬ大木老樹たちが平均一本、六錢から七錢の値に當つてゐるのださうだ。日の光を遮つて欝然と聳えて居る幹から幹を仰ぎながら、私は涙に似た愛惜のこころをこれらの樹木たちに覺えざるを得なかつた。

 長い坂を登りはてるとまた一つの大きな蒼い沼があつた。菅沼と云つた。それを過ぎてやゝ平らかな林の中を通つてゐると、端なく私は路ばたに茂る何やらの青い草むらを噴きあげてむくむくと湧き出てゐる水を見た。老番人に訊ねると、これが菅沼、丸沼、大尻沼の源となる水だといふ。それを聞くと私は思はず躍り上つた。それらの沼の水源と云へば、とりも直さず片品川、大利根川の一つの水源でもあらねばならぬのだ。

 ばしや/\と私はその中ヘ踏みこんで行つた。そして切れる樣に冷たいその水を掬み返し/\幾度となく掌に掬んで、手を洗ひ顔を洗ひ、頭を洗ひ、やがて腹のふくるゝまでに貪り飲んだ。

(399) 草鞋を埋むる霜柱を踏んで、午前十時四十五分、終に金精峠の絶頂に出た。眞向ひにまろやかに高々と聳えてゐるのは男體山であつた。それと自分の立つてゐる金精峠との間の根がたに白銀色に光つて湛へてゐるのは湯元湖であつた。これから行つて泊らうとする湯元温泉はその湖岸であらねばならぬのだ。ツイ右手の頭上には今にも崩れ落つるばかりに見えて白根火山が聳えてゐた。男體山の右寄りにやゝ開けて見ゆるあたりは戦場ヶ原から中禅寺湖であるべきである。今までは毎日々々おぼく溪間へ/\、山奥へ/\と奥深く入り込んで來たのであつたが、いまこの分水嶺の峰に立つて眺めやる東の方は流石に明るく開けて感ぜらるゝ。これからは今までと反對に廣く明るいその方角へ向つて進むのだとおもふと、自づと心の輕くなるのを覺えた。

 背伸びをしながら其處の落葉の中に腰をおろすと、其處には群馬栃木の縣界石が立つてゐた。そして四邊の樹木は全く一葉をとゞめず冬枯れてゐる。その枯れはてた枝のさき/\には、既に早やうす茜色に氣色ばんだ木の芽が丸みを見せて萌えかけてゐるのである。深山の木は斯うして葉を落すと直ちに後の新芽を宿して、さうして永い間雪の中に埋もれて過し、雪の消ゆるを待つて一度に萌え出づるのである。

 其處に氣て老番人の顔色の甚しく曇つてゐるのを私は見た。どうかしたかと訊くと、旦那、折角だけれど俺はもう湯元に行くのは止しますべえ、といふ。どうしてだ、といぶかると、これで(400)湯元まで行つて引返すころになるといま通つて來た路の霜柱が解けてゐる、その山坂を酒に醉つた身では歩くのが恐ろしいといふ。

『だから今夜泊つて明日朝早く歸ればいゝぢやないか。』

『やつぱりさうも行きましねエ、いま出かけにもあゝ言ふとりましたから……』

 涙ぐんでゐるのかとも見ゆるその澱んだ眼を見てゐると、しみ/”\私はこの老爺が哀れになつた。

『さうか、なるほどそれもさうかも知れぬ、……』

 私は財布から紙幣を取り出して鼻紙に包みながら、

『ではネ、これを上げるから今度村へ降りた時に二升なり三升なり買つて來て、何處か戸棚の隅にでも隱して置いて獨りで永く樂しむがいゝや。では御機嫌よう、左樣なら。』

 さう言ひ拾つると、彼の挨拶を聞き流して私はとつとと掌を立てた樣な急坂を湯元温泉の方へ馳け降り始めた。

 

(401) 大野原の夏草

 

 富士の裾野のうちで、富士をうしろにし、眞正面に足柄山、右に愛鷹山、左に名も知らぬ外輪山風の低い山脈を置いた間の廣大な原野を土地では大野原と呼んでゐる。地圖にもさう書いてあるので、これが此野の固有名詞かも知れない。名の示す通り、うち見たところ十里四方にも及びさうな大きな原野である。東海道線の汽車はその野のはづれ、ずつと足柄山に寄つたところを通つて、野原の中に駿河驛、御殿場驛、裾野驛があり、裾野の候斜を下りつくしたところに三島驛がある。

 御殿場から歩いてこの廣大な野原を横斷したのは一昨年の秋であつた。野原いちめんの芒がほうけ、松蟲草のすがれた十月であつた。若草の伸び揃うた頃にもう一度この野の中を歩いて見度いとその時思つたのであつたが、昨年は病氣がちで果さず、今年もその春の頃をば空しく過ごして、いつのまにかすつかり夏めいた六月のはじめに漸くその望みを遂ぐることが出來た。

 今度は裾野驛で汽車から降りた。そして其處からてく/\歩いて、野原の中の西寄りに在る唯(ゆ)(402)一の部落須山村といふまで、輕い傾斜を四里があひだ片登りに登つて行つた。 裾野驛はもと佐野驛と言つた。その佐野の舊い宿場を出はづれる時が丁度十一時であつたので其處で稻荷鮨を買つて提げたが、程なく土ぼこりの立つ道を歩き歩き喰べて行つた。心あてにした恰好な木蔭もなく、茶を貰つて飲む茶屋らしいものにも行き合へさうになかつたからであつた。それでも一里ほどの間はとびとびに人家があり、やがてそれが絶えて一面の麥畑と桑畑との原となつた。麥は半ば黄色に熟れて、諸所、刈つてゐるのにも出會つた。桑には小さな美しい實がなつてゐた。子供の時の記憶を思ひ出して、路ばたのそれを一つ二つと摘みとつて喰べて見ると、ほゝら温いうす甘いものであつた。

 路の埃は實に夥しいものであつた。このあたりの地質が火山性の乾き易い土らしいのに、數日うち續いた日照のあとであるのだ。途中に渡つた黄瀬川など、僅に岩から岩の筋目を辿つてちよろちよろと流れてゐるにすぎなかつた。そしてその細い流も底に着いた水垢のため、枯葉の樣な色に見えてゐる。鮎の上つて來る話を聞いてゐたので、暫く橋の上に立つてあちこちとその流を――水垢の色が透くので色づいては見えるが水はよく澄んでゐるのだ――見てゐたが、なか/\その魚のすがすがしい姿などは見えなかつた。ぼくぼくと草鞋で踏んで登るその野の路の兩側には麥や桑の畑の中に、またはこま/”\と茂り合つた丈低い雜木林の中に、頬白の鳥がつぎつぎと(403)啼いてゐた。路の行手にはあらはに晴れた富士山が鹿の子まだらに雪を殘してゆつたりと聳えてゐた。

   眞日中の日蔭とぼしき道ばたに流れ澄みたる井手《ゐで》のせせらぎ

   道ばたに埃かむりてほの白く咲く野いばらの香こそ匂へれ

   桑の實のしたたるつゆに染まりたる指さきを拭くその廣き葉に

   埃たつ野なかの道をゆきゆきて聞くはさぴしき頬白の鳥

 腰から下をほの白く土埃に染めながら、登るともなく登つて、この野の中のたゞ一つの村を包むうす黒い杉の林を見出でた時には、富士は全く眼の前に、愛鷹山はツイ左手に迫つて見えた。廣い野を歩き盡してそのはての山の根に近づくなつかしきをばよく武藏野で經驗したものであつたが、久しぷりに今日またそのしみ/”\した心持を味はつた。杉の林を歩き拔けると、一握りにかたまつた須山村があつた。四方にめぐらした杉林は恐らく風を防ぐためであらう。秋の時に泊つた清水館といふに草鞋を脱いだ。

 この前通された部屋は富士を仰ぐによかつたが、今は繭買が入り込んでゐてそちら側は全部ふさがつてゐた。反對の側の一室に入ると、今度は愛鷹の裏山の青々と茂つてゐるのが眞向ひに見えた。竝び立つた若杉、渦を卷いて見える雜木の若葉、眼の覺める眺めであつた。末廣がりに廣(404)がり下つた野の末には足柄箱根の連山が垣をなしてうす背く見渡された。

 まだ時間は早かつたが、塵に勞れて散歩をする元氣もなかつた。障子をあけ放つてぼんやり煙草に火をつけてゐると、宿屋の軒下の庭には、伊豆あたりからでも登つて來たらしい鰹節賣が一杯に荷を擴げてゐた。そして其處も矢張り輕い坂をなした門さきの路を通る百姓たちを呼び留めては無理強ひに一本二本と賣りつけてゐた。多くは眞青な桑を背負つたままの百姓たちは大抵それをばにや/\と笑ひながら受取つて行き過ぎた。

 一時、その客足の斷えた時があつた。其處へ一人の男が通りかゝつた。二十代か三十代かそれとも四十にかゝつてゐるか、一向年齢の解らぬ背の低い丸坊主であつた。帯をば尻の頭にしめて、だらりと兩手をふところに入れて居る。一目見てそれと解る白痴である。門にもたれてゐた鰹節賣の六十爺はそれを見ると、矢庭に聲をかけた。

『××!』

 と名を呼んでおいて、

『あれにナ、石を投げてみろよ、あたるといゝ音がするぜ!』

 見ると宿屋の石の門の眞向ひには半鐘柱が立つてゐた。男はニヤリと笑つたが、やがてその猪首を傾げて、眩しさうに柱の上に吊つてある半鐘を見上げた。そしてまた鰹節賣の胡麻鹽の頭を(406)見て、ニヤリと笑つた。上の前齒が三四本ずらりと缺けてゐるのだ。それが一層この男を白痴らしくも、また可愛らしくも見せて居る。

『投げて見ろよ、見ろ、ソラ!』

 言ひながら爺は足許の小石を拾ひあげて半鐘の方へ向けて投げあげた。うす赤い齒莖をあらはに見せて相變らず同樣な笑ひを續けてゐた男は、度々爺の勸むるまゝに、やがて自分も一つの小石を取りあげた。そして徐ろに首を動かして高い柱の上を見上げた。

 直ぐ投げるかと見てゐると、彼は投げなかつた。腕を曲げて投ぐる姿勢に首をも身體をも傾げてはゐるが、なか/\投げなかつた。もどかしがつて胡麻鹽頭の背の高い爺は更に二三度自身に投げで見せて、果は本氣になつて嗾《けしか》けてゐたが、終に投げなかつた。そしてその投ぐる姿勢をば少しもくづさずにぢいつと其處に突つ立つてゐたが、やがてそろ/\と三四間坂の下手に降りて行つて其處から改めて振返つてまた半鐘を見上げた。その顔が二階の私からよく見えた。いつか以前のにや/\した笑顔は失せて、いかにも眞劍の眞顔である。それでも、齒の折れた唇頭は矢張り少しあいてゐた。この齒も誰かの惡戯で折られたものに相違ないと私は思つた。

 其處へ桑を負つた客が通りかゝつた。この客に四本の鰹節を賣りつけた爺は、何やら追從を言ひながら不圖またこの白痴の眞面目な顔を見て大きな聲で笑ひ出した。

(406) 私が風呂に入つて出て來るまで彼は少しも前と變らぬ姿で石を持つて其處へ立つてゐた。夏でも蚊帳を吊らぬといふその野原の夕方は沼津あたりと違つてかなりに冷えた。暮れそめていよいよ青みを増してゆく山を見るのは樂しみであつたが、あまりに冷えるので私は夕飯の膳に酒を添へて持つて來たのと同時に、障子をしめたのであつた。その時までも同じ樣に彼は立つてゐた。上に行き下に行き、四五間の間を廻りながら片手に石を持つて半鐘を見上げてゐるのである。鰹節賣はいつの間にか荷を片附けて、姿は見えなかつた。

 長い食事が終ると、私は立つて障子をあけたが、もう白痴の姿も見えなかつた。そして半鐘には冷たい月の光が落ちてゐた。月夜の富士を心に描いて惶《あわ》てゝ私はそとに出た。宿から少し坂を登つた所から富士はよく仰がれた。朧な月の影を帶びて、晝間よりも一層高みを増して黒檜の樣に仰がれた。月には大きな暈《かさ》があつた。見渡す野原いちめんに冷たいその暈の影が落ちてゐるのが感ぜられた。

 ぐつすりと眠つてゐると、恐ろしい物音が私を呼び覺した。繭買と鰹節賣とが私のまん前の部屋で掴み合ひの喧嘩を始めてゐたのである。徳利や皿の割れる音が續いて起つた。苦笑しながら蒲團を被つてゐると、二三の人々が駈けつけて來た。暫く經つて後、うとうと私はまた眠つて行つたが再び異樣な音に襲はれた。半鐘の音である。しかもツイ軒先で鳴るそれである。驚いて(407)私は飛び起きた。そして雨戸を繰りあけた。月光に浮いて一人の男が柱の上の半鐘を打ち鳴らしてゐる。やがて二人三人と宿の前の坂道を人が走り出した。凄じい音で喞簡《ポンプ》も坂を降りて行つた。此處から一里半ほど下の山蔭に在る下和田村といふのが燒けてゐるのださうだ。時計を見ると丁度一時半であつた。

 

 拵へて貰つた握り飯を腰に提げて、新しい草鞋に履き代へて、朝早くその宿を出やうとすると驚いた。例の白痴がいつのまにかやつて來て昨日の通りに石を持ち腕を曲げ首をかしげて、今朝ほどじやんじやんと鳴りわめいた半鐘の下に佇んでゐたのである。側をそつと通り拔けながら、私はその眞面目な顔を見るのが恐ろしかつた。

 村を出はづれると、一里ほどの間低い灌木の林の中を登つた。つゆじめりのした林の茂みには黒つがといふ鳥があちらこちらで啼いてゐた。行々子《よしきり》に似た啼聲で、それより遙に寂びのある山の鳥の聲である。一里ほど登つたところで、私は路を右にとつた。眞直ぐに行けば戸數十軒あまりの十里木といふ峠村を越えて、駿河灣に面した裾野の森林帶を横切つて大宮の方へ行くのである。一昨年はそれを行つたのであつたが、今度は十里木まで行かず、その手前で折れて、いはゆる大野原の夏草原の中間を横斷して御殿場へ出ようといふのである。

(408) 林から折れて出ると直ぐ大野原の一端に入り込んだ。この前の時も一寸此處へ立ち入つて、涯のない野原の美しさと、それを前に置いて獨り高く聳えて居る富士山の神々しさにつく/”\と心を醉はせたのであつた。その時は眼に滿つる一面の秋草の野であつた。たまたまに野のうねりの圓い岡から岡へ啼いて飛ぶのは鶉であつた。いまはまた見ゆる限りの青草の海である。珍しく紅空木の花が咲いて居るほかは何ひとつ花とて無く、名さへもわかぬ草の種類がひた茂りに茂つて居る。そして天にも地にも入り亂れて雲雀が啼き交して居るのであつた。

 元來この大野原は陸軍野砲兵の實彈射撃演習地となつてゐるのだ。野の中央所に砲を据ゑて、一日は野の下部を目がけて撃ち、一日は上手の方に的を置いて撃つのださうだ。今日は幸ひにもその上手に當る富士の根際の方の休みの日であつた。それで其處を通る事が許されてゐたのである。

 それでもやがて下の方で撃ち出した大砲の殷々たる響を聞くと何となく心が騷いだ。ことに自分の通つてゐる道から兩側にかけ三四尺四方の穴を穿つて落下した彈の痕が無數に散らばつてゐるのを見ると、あたり一面に草のみ茂つて人の影とても無い中のことで、どうしても落ちついて歩いてゐる氣になれなかつた。大海もうねりの樣に、野から野にかけて穩かな圓みを持つた岡が柔かな草に掩はれて連り亙つてゐるのであるが、その中でもやゝ大きな岡のあるのを見ると道か(409)ら逸れてその上へ登つて行つた。そして其處へ腰をおろして兩手で膝を抱きながら眼の前に聳えた富士を仰ぐのが樂しみであつた。空は紺青色に晴れてゐるのだが、何處からとなく薄い雲が生れては富士の方へ寄つて行つて、やがてまた夢の樣に消えてゐた。その雲も眩ゆく寂しく、その雲の落すうす黒い影の動きも富士の肌へに寂しく仰がれた。

 二三里をひたすらに草の中を歩いて、印野村へ出た。須山より更に小さい野中の村であつた。通り拔けるとまた野原である。更に二三里を歩いて御殿場へ出た時は、漸く正午に近い頃であつた。

   ひそやかにもの言ひかくる啼聲のくろつがの鳥を聞きて飽かなく

   草の穗にとまりて鳴くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は

   夏草の野に咲く花はただひといろ紅空木の木のくれなゐの花

   寄り來りうすれて消ゆる水無月《みなつき》の雲たえまなし富士の山邊に

 

(410) 追憶と眼前の風景

 

 私は日向の國尾鈴山の北側に當る峽谷に生れた。家の前の崖下を直ぐ谷が流れ、谷を挾んで急な傾斜が起つてほゞ一里に渉り、やがて尾鈴の嶮しい山腹に續いて居る。

 この山は南側太平洋に面した方は極めてなだらかな傾斜をつくり、海抜四千何百尺かの高さから海に向つて遠く片靡きに靡き下つてゐるのであるが、私の生れた村に臨んだ側は殆んど直角とも言ひ度い角度で切り落ちた嶮峻な斷崖面をなして聳えて居る。無論岩骨そのまゝの山肌で、見るからにこゞしい姿であるが、その割には樹木が深い。伐り出すにも伐り出せないところから、いつとはなしに其處に生えたいろ/\な樹が昔のまゝに芽ぐみ茂つてゐるのであらう。村人に聞くと樅の木など最も多いといふ事である。そして春になると其處に意外に多くの山櫻の吹き出すのが仰がれた。

 一日二日と雨がつゞけば、その山腹には三つも四つも眞白な見ごとな瀧が懸つた。日頃はあるかなきかに流れてゐるその岸壁の水が雨のために急に相當の谷となり瀧となつて現はれて來るの(411)である。さうしてさういふ日には實にいろ/\の形をした雲が山に生れて、あちこちと動くのが見えた。それほど嶮しい山であつても唯だ一面の鏡を立てた樣な岩壁となつてゐるのではない。その間には、全體の傾斜に添ふ樣な嶮しい角度で幾多の襞が切れてゐる。無論さういふ山肌である處から縱に切れる處は無く、多くはみな横に切れて疊まつてゐるものらしい。そしてその疊まつた岩襞の間から雲は生れて來るのである。

 この雨の日の瀧と雲とが、どれほど幼い頃の私を喜ばして呉れたであらう。子供心にも常の日のその自分の眼の前の山は餘りにも嶮しく餘りにも鋭く感ぜられたに相違ない。眼鼻があかないといふ氣がしてゐたに相違ない。それが雨の日となると全く山の姿が變つてしまふ。襞々から湧いた雲は、平常《へいぜい》たゞ一面に聳えて居る岩の山を、甚だ奥深いものに見せて呉れた。更に雲は濃く淡くたなびいて、幾つかに疊まり聳えて居る岩山の尾根の樹木の茂みをそれ/”\に浮き立たせて見せて呉れた。そしてそれらの雲よりもなほはつきり白く落ちて居る大小の瀧は平常の寂しい山を甚だ賑かにし柔かにして呉れた。その山の雨の日に對する讃美と感謝とからであつたらう、私は中學を出る頃まで自ら若山雨山と號してゐたことを思ひ出す。そしてなほそれと共に思ひ出すのは、その山に山櫻の花の咲き出す頃の美しさである。

 尾鈴からその連山の一つ、七曲峠といふに到る岩壁が、ちやうど私の家からは眞正面に仰が(412)れた。幾里かに亙《わた》つて押し聳えた岩山の在りとも見えぬ襞々にほの/”\として咲きそむる山ざくらの花の淡紅色は、躍り易い少年の心にまつたく夢のやうな美しさで映つたものであつた。そんな山だけに樹といふ樹は大抵年代を經た古木であつたに相違ない。うすべに色に浮んで見ゆるその山ざくらの花は多くふくよかな圓みをもつてゐた。枝を張り渡した古木にみつちりと咲き靜もつてゐる花のすがたであつたのだ。その圓みを持つた一團の花一樹の花が、うす黒い岩山の肌に其處此處に散らばつて見渡さるゝ。北側だけに、山腹にはおほく日が昃《かげ》つてゐた。そのうすら冷たい日蔭に在つてもなほこの花だけはほのかに日の光を宿してゐるかの樣に浮き出でゝ見えたのであつた。

   さくら花咲きにけらしなあしひきの山の峽《かひ》より見ゆるしら雲

 中學の文法の時間に、或る引例として引かれてあつたこの古歌に無上の憧憬を覺えたのも矢張りさうした心を櫻に對して懷いてゐたからであつた。私の生れた處はさうした山奥であつたゝめに、その頃尋常小學校だけしか村になかつた。で高等小學と中學とをば村から十里餘り離れた海岸の城下町で學んだのであつたが、その中學の寄宿舎に在つて戀しいものはたゞ父であり母であり、その故郷の山の山ざくらの花であつた。その頃、幼いながらに詠んだ歌にそのこゝろが殘つてゐる。

(413)   母戀しかかるゆふべのふるさとの櫻吹くらむ山のすがたよ

   父母よ神にも似たるこしかたにおもひでありや山ざくら花

 

 さうした山あひの郷里を出て來てから十七八年たつてゐる。その間にをり/\思ひ出す郷里のことは、年のたつに從つて種々の事情と共に私にはあまり香ばしからぬ心持をのみ起さしめる樣になつて來た。それでも不思議にその谷間から仰ぎ馴れてゐた山ざくらに對してだけは寧ろ年ごとになつかしい追懷を深めてゆく傾向があるのである。十七八年の間に二三度歸國はして居るが、いつも惶《あわたゞ》しい時間であつたり、その花の咲く季節でなかつたり、心ゆくまでそれに向ふといふことを一度もようしてゐない。いつか一度ゆつくりその花の頃を選んで歸國したいと思ひながら、次第に年を重ねて來てゐる。そしてその季節に逢ふごとに、オ、もうあの花が咲くのだなア、とその面影を心に描くのが常となつてゐる。

 一體櫻には非常に種類が多いとかで、東京近郊に咲くのだけでも何十種とかに上るさうである。專門的の詳しい事を私は知らないが、此處に謂ふ山櫻は花よりも早く葉が出て、その葉は極めて柔かく、また非常にみづ/\しい茜《あかね》色をしてゐる。花の色は純白、或は多少の淡紅色を帶びてゐるかとも思はれる。或はその美しい葉の色が單瓣のすが/\しい花に映じて自づと淡紅色に見え(414)るのかとも思はれる。多くは山地にのみ見られる樣で、あれほど櫻の多い束京にもこの花ばかりは殆んど見掛けなかつた樣におもふ。

 丁度その花の頃は旅行のしたい季節ではあるし、よくあちこちと出かけて行つては山に咲き野に咲く一本二本のそれを見出して心を躍らしてゐたのであつたが、今年偶然にもこの花の非常に多い處を發見した。それはいま私の滯在してゐる伊豆湯ヶ島温泉附近である。

 東海道三島驛で分れた駿豆鐵道の終點大仁驛から四里、乘合の馬車なり自動車なりによつて輕い片登りの道を登つてゆくと天城山の北の麓に在る湯ヶ島の宿場に着く。その宿はづれから右手を見下すと其處は思ひがけぬ嶮しい崖となつて丁度崖の下で二つの溪流が落ち合ひ、白い奔湍となつて流れ下つてゐるのを見る。その溪沿ひに、川下にまた川上に、次から次と實に限りないこの山櫻の花の咲いてゐるのを私は見たのである。

 私の此處に來たのは三月の末、廿八日であつた。右に言つた宿はづれの崖の上から見下した溪間の流に臨んで二軒の温泉宿がある。その一軒に暫く滯在して病後の疲れを直さうと思つて來たのであつたが、その時に既に或る場所の櫻は咲いてゐた。同じ山櫻のうちにも幾つかの種類があるらしく、また樹齢にもよると見えて、その時からかけて次ぎ/\と咲き繼いだ花は到る所の溪間にそのみづ/\しい姿を見せてゐた。

(415) 此の溪流は天城山及びその連山から流れ出して來た流で末は沼津町の裏に青々と湛へて伊豆通ひの汽船をも入れ、千本松原近くの海に落つる狩野川となるのであるが、まだこの湯ヶ島附近では岩から岩を越え石から石に飛沫をあげて走る純然たる溪流である。その溪を挾む兩岸の木立のなかに眼覺むる樣な色とかがやきとを點じて最も多く咲き混つてゐるのである。或は木立から拔けて眞白な瀬の上にあらはに咲き垂れてゐるのもある。また溪から山腹に茂つてゐる杉山の中に、一本二本くつきりと鮮かに咲いてゐるものもある。杉山のはづれが薄黄いろい枯萱の山窪となり、その山窪の原の中に一本ぽつつりと寂しく咲いてゐるのもある。またその萱山のいただきの圓みの上に何かの目じるしでゞもある樣に見ごとな古木がうらゝかに咲き盛つてゐるのも見えた。常磐木の茂みのなか、または流れくだる瀬々のうへに咲いてゐるのはいかにもみづ/\しく鮮かであるが、萱野のなかに獨りだちに咲いてゐるのはあたりの日の光を其處に集めて咲いてでもゐる樣に美しいなかに何とも云へぬ寂しさを含んでゐる。炭燒の煙のうすあをく立ち昇る雜木林のまだ芽ぶかぬなかに吹いてゐるのもまたほのかで、ものさびしい。

 普通湯ヶ島温泉と云つてゐる二軒の湯宿――それも溪に沿うた三四丁の上と下とに在るのだが――から七八丁川上の方へ入ると其處にまた世古の湯木立の湯といふ温泉が溪を距てて湧いてゐる。二つとも極めて原始的な音泉で世古の湯の方には二軒の小さな宿屋があるにはあるが、湯は(416)その二軒の間の溪ばたに僅かに屋根といひ壁といふ名のみのものを持つた浴場の中に湧き、殆んど脱衣場や休憩室といふべき場所もないので、晴天の日は人は多く溪の石の頭に衣服を脱ぎ、飛沫のかゝる瀬際に立つて浴後の赤い素肌を晒すのである。この湯は晴雨によつて温度を異にし、雨となると少し過ぎる位ゐの熱さとなる。その湯の筋向うの同じく溪ばたに湧く木立の湯といふのは更に變つてゐる。地面よりやゝ低く掘り下げた四周に石垣が築かれ、その上に草葺の屋根が拵へてある。それが即ち浴場なのだが、唯だこれだけの設備があるのみで附近に人家も無ければ何も無い。切り立つた岩に挾まれた深い淵とそれに續く激しい瀬と岩の崖と崖の上の森とが在るのみなのだ。湯槽《ゆぶね》の中には堆《うづたか》く散り溜つて腐れた落葉の間に、僅かに兩足を置いて蹲踞《しやが》むだけの石が二つ三つ置いてある。湯は泡の玉をなしてその落葉の間に湧き、温度は極めてぬるいが、ラジユウムを含んでゐる事では伊豆諸湯のうち一二を爭ふのださうだ。

 私は此處でこの不思議な二つの湯の紹介をしようとしたわけでなく、唯だ言ひ度いのはこの二つの湯を圍む溪ばたの樹木のうち、殆んどその半ばが山櫻ではないかと疑はるゝほど、その花の多いのに驚いたことであるのだ。若木も多いが、更に老木が多い。樫や椎の茂みを拔き、この木とは思へぬほどのたけ高い梢を表はして咲き靡いてゐるのもあれば、同じ樣に伸び古りた幹や枝を白々とした瀬の眞上にさし横たへて滴る樣に咲いてゐるものもある。世古の湯の崖に咲けば、(417)對岸の木立の湯の背後の森には更に見ごとに咲き出でてゐるのである。

 其處から四五丁上にのぼれば二百枚橋といふ橋がある。そのあたりは兩方が萱山で、岸に木立とてもなく、やゝ打ち開けた川原となつてゐるが、その川原にすら二三本の老樹が山の風に片靡きに傾かせられたままの枝にみつちりと花をつけて咲き靜もつてゐた。

 

 地味に適してゐるのか、薪炭に伐られぬのか、兎に角此處の溪間にはこの花が多い。散る盛りには溪の流の淵といふ淵淀みといふ淀みに到るところ純白な花片が散り浮いてゐた。

 そしてこの溪には河鹿が頻りに鳴く。よほど早くから鳴くと見え、私の來た時には既にその聲が聞えてゐた。やう/\窓の明るみそめる夜明方の浴槽にたんだ獨りひつそりと浸りながら、聞くともなくそれの鳴く音に耳を澄ますのはまた溪間の温泉の一徳であらう。

 山魚《やまめ》、うぐひ、鮠《はや》などの魚が瀬や淵で釣れる。どういふわけだか、私はこれらの川魚、といふうちにも溪間の魚をば山櫻の花の咲き出す季節と結んで思ひ出し易い癖を以前から持つてゐた。冬が過ぎて漸くこれらのうろくづと近づき始めた少年時の囘憶とのみでなく、矢張り味も包もこの頃が一番いいのではないかとおもふ。

 温泉場から一里ほど上に溯つたところに淨簾《じやうれん》の瀧といふ、伊豆第一の名瀑と伊豆案内記に書い(418)てある瀧があるが、其處の瀧壺で釣れる山魚の腹からはよく蛇や蜥蜴を見出すことがあるといふ。荒瀬にふさはしい敏捷な魚ではあるが、また誠に美しい色と姿とを持つた魚である。

 

 天城山が火山であつたといふことは極めて當然な樣な話で、しかも私はそれを知らなかつた。その噴火口のあとが山上にあつて、小さな池となり、附近に青篠《あをすゞ》の茂つてゐるところから育篠の池ともいひ、周圍が八丁あるところから八丁池とも呼ぶといふ話はことに私の興味をそゝつた。或る日、案内せられて其處へ登ることになつた。

 登り三里の山路といふので、病後で弱つてゐる身體には少し氣にもなつたが、久しぶりに履きしめた草鞋の氣持は非常によかつた。四月十二日、天氣もまた珍しい日和であつた。

 何しろ眼につく山ざくらの花である。温泉宿の附近はもうその頃はおほかた散つてゐたが、少し山を登つてゆくと、まだ眞盛りであつた。そして眼界の廣まるにつれて、あちらの溪間こちらの山腹と、例のくつきりと縁をとつて浮き出た樣に咲き盛つた一本二本の花の樹木がまつたく數かぎりなく見渡された。東京あたりに多い吉野櫻などは先づ遠く望む時にはいゝが、近づいて見るといかにもこてこてと花瓣ばかりが枝さきにかたまつてゐて、ともすれば氣品に乏しい憾みを抱く。山ざくらは近寄つて見たところもまことに好い。そのうす紅いろのみづみづしい嫰葉《わかば》がさ(419)ながらその花びらを護る樣にもきほひ立つて萌えて居る。その中にたゞ眞しろくただ淨らかな花がつつましやかに咲いてゐるのだ。雨によく、晴によい。ことに私の好きなのはうらゝかな日ざしのもとに、この大木の蔭に立つてその花を仰いだ時である。この文章のなかに私はよく咲き籠《こも》る咲き靜もるといふ言葉を使つた樣に思ふが、それは晴れた日に見るこの花の感じがまつたくそれである。葉も日の影を吸ひ、花びらもまた春の日ざしの露けさを心ゆくまでに含み宿して、そしてその光その匂を自分のものとして咲き放つてゐるのである。徒らに日光を照り反す樣な乾いたところがなく、充分にくくみ含んで、そして自づと光りかがよふといふ趣きがある。それがこの花を少なからず露けくし輝やかにし、咲きこもり咲き靜もるといふ言葉が自づと出て來ることになるのである。さうして近くから仰ぐもいゝが、斯くまた山の高みからあちこちに咲き盛つてゐるのを見渡すのも靜かで美しい。一つ一つと飛び/\に咲いてゐるのがいかにもこの花に似つかはしい。

『海が見えだしました。』案内の一人が言つた。

『靜浦から江の浦の海ですね、そうれ、沼津の千本松原も見えます。』

 と、もう一人がいふ。

 いつ湧いたともない霞がその入江その松原をうす色に包んでゐた。

(420)『オ、富士!』

 私は思はず手を擧げた。

 ツイ其處から續い七ゐるのが箱根の連山、その次が愛鷹山、それらの手前に青々した平野が田方郡の平野、中にうねうねと輝いてゐるのが狩野川、それらを圍む樣にして低くごたごたと散らばつてゐるのが城山、徳倉山《とくらやま》、寢釋迦山その他、左に寄つて高く連つてゐるのが眞城《さなぎ》、達磨《だるま》の枯草山であり、海の向うにずうつと雪を輝かしてゐるのが赤石山脈の連峰であるとそれ/”\に教へられながら、私は暫くは富士のいただきから眼を離すことが出來なかつた。

 何といふ高さにその嶺は照り輝いてゐたことであらう。たとへそれを背後にして登つて來たとは云へ、既に幾度か振り仰いでゐねばならなかつたこの嶺に、今まで氣づかずにゐたのは、まつたくそれが思ひがけぬ高い中空に聳えてゐたからである。毎日々々見馴れてゐるこの山でありながら、全く異つた趣き、異つた高さで仰ぎ見ねばならなかつた。斯うした場合によく思ひ出す言葉の、高山に登り仰がずば高山の高きを知らず、といふ意味が事新しく心に湧いて來るのであつた。その意味に於て乙女峠から見た富士もよかつた。愛鷹のいただきに這ひ登つて見た富士もよかつた。また遠く信州の淺間、飛騨燒嶽の頂上に立つて足許に湧き昇る噴煙に心をとられながらも端なく遙かな雲の波の上に拔き出でてゐる富士を見出でて拜み度い思ひに撲たれたこともあつ(421)た。が、乙女愛鷹は餘りに近く、狎れ過ぎる感がないではない。燒嶽淺間山では餘りに遠くて、ただ思ひがけなく望み見た心躍りが先立つたものとも言ひ得る。さういふ點に於て富士を望み仰ぐに同じ山地からするにはこの天城などが最も恰好な位置に在るのではあるまいかとも自づと思ひ出でられたのであつた。

 丁度またその日は程よい霞が麓の平野を罩めてあた。箱根愛鷹の峰もそれに浮んでゐる形であつたが、富士はまつたくその水際だつた美しい大きな傾斜を東西ともに深い霞の中に起して、やがて大空の高みに哀しく鋭くそのいただきを置いてゐるのである。麓の野山の霞み煙つてゐるだけに雪に輝く中腹以上の美しさはいよ/\孤獨にいよ/\神々しいものとなつてゐるのである。その背景には更に深い霞のをちに赤石連山が白楮《しらたへ》の峰をつらね、前景ともいふべき一帶には愛鷹箱根の山の散らばりから裾野の端を包むに海があり、其處の渚には靜浦の濱に起り千本濱を經てとほく富士川の河口田子の浦に及ぶ松原あり、少し離れては三保の松原がさながら天の橋立の形に浮んでゐる。然し、さういふものを一向に内に入れずに、富士の山だけ、遙かに青い空に聳えて芙しく寂しく仰がるゝのであつた。

 

 其處等は丁度御料林の杉の植林地帶であつた。

(422) 温泉場から十四五丁も來た頃から直ぐに御料地となり、打ち渡す峰から峰、溪から溪がすべて御料林であり御獵場であるのであつた。十五年から二十年に及ぶらしい若々しい杉の木立が行けども行けども盡きなかつた。そしてその林道の曲り角、山の襞へ折れ込まうとするあたりごとに据返ると必ず富士が仰がれたのであつた。その山の襞、僅かに水の落ちてゐる樣な溪あひにまた一つ珍しいものを見出でた。それは山葵澤《わさびざは》であつた。

 天城山の山葵《わさび》といふ名をば久しく聞いてゐた。そしてその山葵澤なるものをも繪葉書などではたびたび見てゐた。然し眼《ま》のあたりに親しく見るのは初めてゞあつた。山と山との間の溪に石垣で築きあげて小さな段々田とか棚田とかいふ風のものを幾つも/\作りなす。その田の中には程よい小石を一面に敷きならし、それに全體にゆきわたる樣に次ぎ/\にちよろ/\と水を落す。その小石原いちめんに眞緑の山葵が植ゑつけられてゐるのである。水を行きわたらせる爲か小さいは小さいなりに大きいは大きいなりにその次から次の田はすべて平らかに作られてある。茂りならんで居る山葵の大きさも殆んどみな相均しい。蕗に似て更に小さな柔かな葉を、たゞいちめんに瑞々しくうち廣げて茂つてゐるのである。見るからに清淨なすが/\しいものであるのに、今が季節と見えて其處にも葉の茂みから拔けた一尺ほどの莖に群つて花瓣の小さな眞白な花が咲いてゐた。虎耳草に似て、疑ひもなく深山のものらしい花である。

(423) 通つてゆく道ばたでもその幾つかに出逢つたが、それらはみな杉の蔭の小さなものであつた。

『ア、彼處を御覽なさい、あんなに大きい山葵澤が。』

 と呼ばれて見た溪向うのそれは、道で見て來たものより遙かに見ごとなものであつた。向う側の山はこちらと違つて雜木林であつた。そしてまだ少しも春の氣の見えぬ落葉林であつた。こまかに網の目を張つた樣な落葉樹の枝の烟り渡つてゐるなかに、それこそ目覺むる樣なその段々田が山の襞に沿うて長々と下から上へ作りあげられてゐるのであつた。然かも一つならず二つ三つと山の切れ目ごとに、大きく縱に群青《ぐんじやう》の縞をなし朽葉色《くちばいろ》の森の中に浮き出でてゐるのであつた。

 

 二里あまりも登つた頃、やがて我等三人はいま溪向うの山葵澤つゞきに眺めて來たと同じい落葉樹林のなかへ歩み入つた。年代といひ、植物性といひ、すべてさういふものから超越してしまつてゐる樣な、珍しい面白いを通り越し何となく不思議なものを見る樣なそれら老樹の幹や枝の限りなく群り連つてゐるなかを、私はたゞひつそりと二人の案内者のあとについて歩いて行つた。うづだかい落葉朽葉の柔かく草鞋を理むる道を二十丁も歩いたであらうか、我等がけふの目的として登つて來た舊噴火口のあとだといふ青篠《あをすず》の池に着いたのであつた。

 その廣い林を出はづれたあたりはやや下り坂になつてゐたが、其處を降りて相向つたこの池は(424)先づいかにも可憐なものに眺められた。周圍八丁といふのが卵なりに湛へてゐるのである。一寸から二三寸の深さが汀から二三間づゝ相續き、さきは小波が輝いてよく見えぬが湖心でも三四尺どまりの深さだらうといふ。水は清く澄んで、飲むことも出來ると聞き、私は先づ手頃の朽木を汀の淺みに置いてそれに飛び移り、草鞋を濡らすことなしに充分に咽喉をうるほした。

 そして、汀に近く枯れ伏した草の中につき坐つて、更にこの可憐な池に向へば、池のめぐりはなるほど一面の青篠の原である。我等のいま降りて來た南側と幾分西がゝつた側の兩面には近く大きな落葉樹林が迫つて居るが、ぞれでも林と池との間の多少の坂地には矢張りいつぱいに茂つて居る。そして東と北との側には汀から極めてなだらかな傾斜が高まり行き、やがて兩方ともまんまるい頂きをつくり、其處にはたゞ青篠の密生があるのみである。これらの茂みが作る青やかなふくらみは、一層この池を優しいもの可憐なものに見せてゐるのだ。

 水際の枯草の上ではやがて樂しい晝餉のむしろが開かれた。酒とウヰスキイと魔法瓶とお茶と蜜柑と林檎と、折詰の料理と、味噌燒の握飯とが、白茶けた柔かな草の上にひろげられたのだ。海拔四千尺の山上では流石に伊豆の春ともおもへぬうすら冷たい風が吹いて、眼の前の小さな池は斷えず一面に皺ばみながら微かに白く光り、枯草續きの汀のこまかな砂の上ではそれでも湛へた水のめぐりの際を示すやうにちやぶちやぶといふ音を立てゝ居る。茶と酒とウイスキイとはめ(425)いめいの手に配られながら、樂しい時間が極めて靜かにたつて行つた。

 我等の坐つてゐる眞正面の池越しの篠山の上に鋭く尖つた落葉樹林のいたゞきが見えて居る。それがこの天城連山中の最高峰である萬次郎嶽といふのださうだ。實は初めは其處まで登つて、炭燒小屋か山葵澤の小屋を探して一晩野宿しやうかといふ相談が起つたのであつたが、まだなかなか寒からうといふので見合せることにしたのであつた。來て見ればなるほど寒い。四合壜を獨りであけて、後にはウヰスキイの人の領分にまで侵入して行つたが、それでも私はまだ寒くて醉ふことが出來なかつた。

 然し、野宿せぬのは惜しかつたと、ぼんやりと水の輝きから青篠の山の圓み、次いで萬次郎嶽の尖つた頂きなどを見廻しながら、考へてゐると、不圖或る面白い企てを思ひついた。私の友人にまだ年若い一人の政治家がゐる。その友人は自分の好みからわざ/\一人寢の携帶天幕を作らせて持つて居る。そしてそれを自分の主義政策發表宣傳のための途上に使ふ目的でこの次の總選擧から用ゐるのだと言つてゐる。あの天幕を借りて、この夏此處に登つて五日なり十日なりを獨りで過して見たらどうであらうと思ひついたのであつた。

 さう思ふとその天幕の出來上つた頃、束京の或る新聞に大きな寫眞となつて出てゐたその小さな天幕、天幕の中に唯だ一つ吊るされた丸型のランプ、その下の寢臺に腰かけてゐる友人、さて(426)は天幕の入口際に立つてさびしく微笑してゐる某政黨の老首領の面影などまで、あり/\と眼の前に浮んで來た。みな私の親しみ尊とんでゐる人たちである。

 然し、よく獨りで、この山上の夜に耐へ得るであらうか。此處は帝室御獵地で、猪や鹿の巣とされてゐる深山の奥である。然かも彼等は自分等の恰好な遊び場としてこの池を選んでゐるのではなからうか。然し、求めて彼等から危害を加へることはあるまい。唯だこちらの氣持、その中にゐて動ぜぬ氣持だけである。それだけの信念を持ち得るかどうか。まんざら持てないこともない、と平常の自分を考へながら私は思つた。一夜だけならば知らず、五日十日となると唯の興味だけの事ではなくなるだらう、さうなれば……。

 ふとした思ひつきから、いつか本氣になつてその天幕の中で勉強するといふ事にまで空想して行つてゐた時、傍らの一人は私を呼びかけた。

『ねえ先生、そんなに野宿に心殘りならこの六月か七月かにもう一度いらつしやい。その頃なら野宿だつて出來ますよ。それにその頃だと萬次郎は石楠木《しやくなぎ》の花ざかりですからね。』

 單に萬次郎嶽での野宿の事ばかり考へてゐると思つたか、斯う言つて彼は慰めて呉れたのであつた。石楠木も此處の名物であることを思ひ出しながらなるほどその頃の山もいゝだらうと思つた。そしてなほひそかに天幕の空想を追はうとした。が、いつかそれも本氣ではなくなつてゐ(427)た。

 池には飛び跳ねる小魚もゐぬのであつた。風は幾らか凪いで來て、池の輝きも薄れた。唯だひつそりとした篠山の向うに垂れた蒼空の重たい霞、池の左手に突き出て來てゐる雲の樣な落葉樹の端、すべてが唯だ靜かであつた。

 たゞ可憐だとのみ見てゐた池に對する私の考へが次第に變つて來た。いはゆる池らしくないこの水面の明るみも、水の淺いのも向う側に低く圓くつゞいてゐる篠の山も、森のはづれも、それらの上に垂れた大空も、何れもみな相寄つて此處に一つの大きな調和を作つてゐるのを感じて來たのである。矢張りこれは山上の池である、噴火口跡の池であると思ふ心が、一種の寂しさが、眼の前の小波のひかりの樣に、また枯草の蔭に寄せてゐるその小さな音の樣に、親しく身體に浸みて來た。箱根の蘆の湖や、榛名の榛名湖などに覺えた親しさが、自づと私の心に來て宿つてゐたのである。

『ほとゝぎすは啼きませんか。』

 私は先刻《さつき》の石楠木の花の話を思ひ出しながら、一人に訊いた。私の國の尾鈴山の八合目以上が夏の初めになるとこの石楠木の花の原で、そして其處に非常に杜鵑の多かつた事を思ひ出してゐたのだ。

(428)『居ますとも、よく啼きますよ。』

『郭公は?』

『……?』

『カツコウ、カツコウと啼く、あれです。』

『ア、居ます。』

 他の一人が答へた。

 これはどうしても、もう一度出直して來なくてはいかぬと私は思つた。小さい天幕の中に唯だ一つ吊りさげられてゐる丸型ランプの影がまた心をかすめて行つた。

 そんな話をする頃、私たちは池の汀を歩き出してゐた。そのあたりの砂――不思議なほど白いこまかい砂であるのだ、をり/\海濱の何處かで見る樣な――や枯草には眞新しい、二三日前の激雨に消されてゐない獣の脚あとが盛んについてゐるのを見た。これは猪で、これは鹿だといふ説明を聞きながら、私はまた故郷に於ける自分の少年時代を思ひ出した。幼い頃よく其處の山の澤などでこの二つの脚あとを見つけ出しては心をときめかしたものであつた。私の父は醫者であつたが、私の友だちの父は大抵は獵師であつた。

 汀の一點から折れて青篠の中に入り込んだ。入つて見ると肩をかくす深さである。先に行く人(429)のそれを押し分くるざわざわといふ音が、まるで人間でない樣な氣をそゝつた。

『それ、見えます、ツイ其處です。』

 二人のうち、一人の中年の案内人は篠から身體を伸び出す樣にして山の下を指ざしながら私を顧みた。

 黒いかと思はれるまで蒼い海が眼下の山の峽間《はざま》から向うに廣がつて見下された。今まで見て登つて來たのは駿河灣の海であつた。此處のは相模灣である。

『それが大島です。』

 島とはおもはれぬまでに近い所にそれは見えた。意外に大きい島だともおもはれ、極めて小さい島だとも思はれた。私の好きな三原山の頂上の煙は、その時途斷えてゐたか、見えなかつた。

 さきに食事をした場所に引返して二三服の煙草を吸ひ、この可憐《いぢら》しい池に『左樣なら』をした。時計は午後一時半であつた。そして、また前の森の中を落葉の音を立てながら歩み始めた。

 さきに私たちの登つて來る時、私は涯知れぬこの森を見渡して、殆んどただ一葉の青い木の葉をも見ないと思つたのであつた。そして池の縁に坐つてこの森のはづれが池に差し迫つたあたりを見ながら、其處に初めて一團のうち茂つた常磐樹のあるのを見た。黒光りのする緑葉で、一本一本がまる/\と茂つて居る。落葉木の中にも見え、森から青篠の中にもとび/\に立つてゐ(430)た。何の木であらうとその時思つたのであつたが、いま歸り路に近づいて見ると、どうもその葉が馬醉木に似てゐる。然し、その幹は違つてゐる樣にも見え、またさうらしくも思はれる。これは何の木ですと訊いて見ると、たけ高い方の案内人は言下に、

『牛殺しです。』

 と答へた。では矢張り馬醉木であつたのだ。この木に毒素があつて、好んで植物を喰ふ獣も、この木ばかりは喰はないのださうだ。そこから馬の醉ふ木と云ひ、此の土地では牛殺しの木と呼ぶのに相違ない。けれども驚いたのはその幹である。例の鹿の群に木の芽立を荒らされるを恐れて殆んどこの木ばかりが植ゑてある奈良の春日神社の公園にかなりの老木があつたと覺えてゐたが、なか/\それらの比ではない。幹のまはりは正に一抱へに餘り、元來が灌木である筈のこれの高さが一丈から一丈五尺に及んでまる/\と茂つて居る。幹の大きさで驚いたのはこの木ばかりでない。大抵普通の大ききが普通の鐵瓶位ゐのものと思つてゐた百日紅の幹を試みに私は兩手で抱へて見たが、なか/\その半ばにも及ばず、兩人で腕を伸ばし合つて辛うじて抱き廻すことが出來た。

 此處に私が此二種類の樹木を引いてこの山の森の木の大きさを語らうとするのはこの二つが最も普通に知られた木であり、且つ一種はその葉で、一種はその幹の特殊の色でこの森の中に在(431)つても私にも見分がつき易かつたからであるが、その他の樹木に對しては、平常樹木の好きなだけに普通の人よりは幾らか樹木に就いての知識のある身だと自信してゐる私にも皆目《かいもく》見當がつかぬのであつた。山櫻々々といつも大騷ぎをしてゐる私が、この山櫻などは隨分大きい方でせうねエと案内人に杖で叩いて見せられて、その根その幹その枝さきまで熟視しながらまだ山櫻だと納得出來兼ねたのを見ても、それは知れる。山毛欅だの、欅だの、これは此處で初めて名をも聞いた木のうりの木だの、そのの木だのといふのゝ幹の大きさ枝の繋さ、そしてその全體の美しさ不思議さに至つては私は初めから筆にすることを斷念せねばならぬのである。

 私は初めに、年代を超越し植物性を超越した樹木の森と言つた。全くその通りなのである。罅裂《きれつ》の入つた巨岩が其處に立つてゐると見れば、それはぼろ/\とした緑青色《ろくしやういろ》の苔を纒うた何やらの樹の幹であるのだ。うち交し差し渡した枝のさきの、殆んど電信線にも似た細さのものがある。試みにそれを杖のさきで叩いて見ると意外にも動かうとはしないで、たゞカン/\と響いて金属同樣の音を立てる。二本の木が一二丈の高さのところで一本に結ばりついて眞直ぐに立つて行つてゐるのもあれば、横倒しに倒れた大きな直い幹から直角に伸び出でた枝とも※〔薛/木〕《ひこばえ》ともつかぬ二三本がそれ/”\一抱へ以上の大きな木となつて並び立つてゐるのもある。そしてその倒れた幹の根は四疊敷の座敷全體ほどの容積を持つた土壤をまだしつかりと抱いて放たず、その土の上か(432)ら周圍には小さな庭園にでも見る樣な木立が新たに出來て茂つてゐる。一體この木などはどの位ゐ昔に生れ、どの位ゐ前に横倒しになつたものであらう。

 なめらかな木肌の色のうす赤い百日紅ばかりが唯だ一面に矗々《すくすく》と伸び茂つてゐる所もあつた。山毛欅ばかりがその亘大な根や幹を並べつらねて、空には日の光さへ煙らふばかりに細かい枝を張り渡してゐるところもあつた。おほくは落葉樹の林だが、時には樅の老木の一ところ茂つてゐるのを見た。これはまたいかにも世を讓つた老人たちの集りらしくも仰がれて可笑しかつた。また稀に半ば折れたか朽ちたかした樣な杉が一本だけぽつつりと落葉木の中に混つて立つてゐるのをも見た。死ぬのを忘れ、知慧を恐れた老婆が眼を瞑《つぶ》り指を組んで其處に坐つてゐる樣であつた。或る窪地では思ひがけない樒の密生林に出會つた。いまその青黄いろい花の盛りで、烈しい香氣が樹木に醉ひ樹木に疲れた私の心に怪しい注射を射す樣に思はれた。

 初め私たちは池から離れてまた二十丁も戻つた時、最初に入り込んだ林をば出はづれたのであつた。そして其處から更にもと來た道を下つて行けば何の事もなかつたのだが、不圖其處に一條の分れ道のあるのを見て、これは何處へ行くのかを訊くと、ずつと林の中を通つて下田街道の峠にあたる隧道《トンネル》のところへ出る道だといふので、それでは是非これを行かう、なあに途中で暮れても月があるぢやないかといふので強ひて其道へ折れたのであつたが、さて行けども行けども森であ(433)り林であつた。をりをり振り返つて見ると、落葉の枝の網の目を透して遙かに遠く富士山の姿が望まれるばかり、他に何もなかつた。流石に私も疲れ果てゝ、折から右手に折れる小徑のあつたを幸ひそれを辿つて、やがて落葉林を出はづれ、杉の林に入り、永い間そのうす暗い木下道を急いで降りて來ると漸く枯れなびいた萱草山の頂上に出た。

 其處に來ると、久しぶりに遠望が利いた。やれ/\と立つて眺むると、其處の峰、彼處の襞、眼下の溪間と到るところにほの/”\として暮れ殘つてゐる山櫻の花が見渡された。

 萱山を馳せ下ると、其處には下田街道の廣い往還があるのであつた。(伊豆湯ヶ島にて)


(434) 杜鵑を聽きに

 

 毎月一囘、きまつて東京から歌を見て呉れと云つてやつて來るS――君が、今月十四日の夕方に來た。歌を見て貰ふのも目的の一つではあらうが、一緒に一晩飲まうといふたのしみが寧ろ大きいかも知れぬ。

 その夜は子供たちのがや/\する私の宅の茶の間でとりあへず一杯飲むことにした。そして、明日は何處かへ出かけようといふ相談が二人の間に交された。土地の料理屋も珍しくないし、靜岡まで延すか、それとも近くの長岡温泉にするか、裾野へ登つて五龍園の瀧を見るのもそろ/\時候がよくなつた、と杯の重なるにつれて(その癖彼は四五杯も飲むと赤くなる側なのだが)いろいろな行きたい處が話題に上つて來た。

『君、箱根へ行かう、蘆の湖だよ、屹度いま杜鵑が啼いてゐるに相違ない。』

 かなり更けたが、まだ其處だけあけ放つてある雨戸の間から灯かげの流れた庭さきの闇の色をうつとりと眺めながら、私は或る感覺を覺えて斯う言ひ出した。濕りを含んだ夜風が、庭木の柔(435)かな葉むらを動かしてゐるのを見てゐると、不意にこの鳥の鋭い聲が身に感ぜられたのだ。

『さうだ、彼處に限る、もう屹度啼いてゐるよ、……』

 私の追つかけて言ふ言葉と共に、話はすぐきまつた。小田原へ廻らずに、三島から舊道を登つて蘆の湖へ出る、そして其處へ一泊して、翌日は蘆の湖から強羅へ廻つて小田原へ降りる、といふ風に。さうきまると、ちび/\飲んでゐるのが面倒になつて、直ぐ二人とも床に入つてしまつた。床に入りながらも、私には湖水の縁で啼いてゐる鳥の聲があれこれと想像せられた。ことに、一夜眠つた明方の湖水の靜けさ、恐らく深々とあたりの山腹に動いてゐるであらう朝靄の眞白さ、その中を啼いて渡る杜鵑の聲、若葉の輝き、すべて身近にまじ/\と見る樣な氣がして、なかなかに寢つかれないほどであつた。

 翌朝、私は三時に起きた。或る二つの雜誌へその日のうちに歌の原稿を送らねばならなかつたのだが、歌は幸ひにもその前、伊豆の湯ヶ島温泉滯在中に詠んだのがあつたが、すべて詠みすてたまゝで、イザ清書するとなるといろ/\と見直さねばならぬ處が多かつた。それで友人の起き出るまでに一つの雜誌へ出す分をば辛うじて清書し終へたが、一方分だけは殘つてしまつた。止むなくそれを蘆の湖の宿屋でやる事にして、午前九時二人とも草鞋を履いて、門を出た。初夏の頃にありがちの朝曇の深い空であつた。

(436) 三島の宿を出はづれると直ぐ舊道の登りになるのだが、いつの間に改修されたのか、名物の石だたみ道はすつかり石を掘り出して普通の砂利敷道に變つてゐた。雲助やごまの蠅や關所ぬけやまたは種々のかたき打だの武勇傳などと聯想されがちであつたこの名高い關所道も終《つひ》に舊態を改めねばならなくなつたのかと思ひながら、長い/\松並木の蔭を登る。山にかゝつた頃から曇は晴れて、うしろに富士が冴えて來た。

 見晴らしの利く木蔭などを見つけては幾度となく腰をおろした。勞《つか》れたわけではなかつたが、私は湖に着くまでにS――君の持つて來た歌稿を見てあげようと思つたのであつた。或る處では眞正面に富士の聳え立つて居る松の蔭で見た。或る處では伊豆駿河の平野に續いて同じ樣な重いみどりの色に煙つてゐる海面を見下しながら、脚に這ひ上る山蟻を拂ひ/\深い若葉の蔭で見た。次第に登つて道ばたに樹木の絶えた草山の原を登る處に來ると、帽子をぬぎ、肌をも拔いであらはに日の光に照らされながら、やはらかな芒の茂みの中で見た。そして、肩を並べながら、此處が面白くない、この句を斯うしたらいゝだらうと、一々ペンでノートに書き入れて行つたのであつたが、部屋の中で向き合つて見る時よりも遙かに身が入つて、私自身にも面白かつた。また、この人の熱心はいつとなくその作の上に今迄にない進歩を見せてゐるのであつた。

 片登り四里の傾斜を登りつくして、峠の青草原から眞下に蘆の湖を見下した時は、流石にいゝ(437)心持であつた。この前私獨りで矢張りこの舊道を登つて此處から見下した時はあたりの草も湖邊の樹木も悉く落葉しつくした冬であつた。その時はいかにもこの山の間の湖が寂しい荒れたものに眺められた。今日見るのはすつかりその時と趣きを變へて、水の色も柔かく、ことに向う岸の權現《ごんげん》の社からかけて大きな森林に萌え立つた若葉の渦卷の晴々しさ、をの手前に聳えた島の上の離宮の輪奐《りんくわん》の輝やかさ、すべてみな明るい眺めに滿ちてゐた。眞青な上に白い波を立てゝ走つてゐる一二のモーターボートも親しい思ひをそゝつた。

 程なく舊本陣石内旅館の離室《はなれ》に我等はおちついた。部屋の玻璃窓の下にはすぐ小波がちやばちやばと微かな音を立てゝをる。廣々と山から山の根を浸した湖の面を坐りながらに眺むる事が出來た。

 お茶を一杯飲むと直ぐ私は机に向はねばならなかつた。側にゐて邪魔をすまいと、今まで途々ひろげて來たノートを懷中しながらS――君は散歩に出かけた。亂暴に鉛筆で書き捨てゝある歌を一首一首とノートから拾つて原稿紙に寫しとつてゆくのだが、作る時にはみな相當に思ひ昂《たかぶ》つて詠んだものでも、暫くの時日を經ていま改めて見直すとなると、なか/\に意に滿つるものがない。一句寫してはペンを擱き、一首書いては一服吸ひつけるといふ風で、一向に爲事がはかどらない。二十首寫さうとして、漸く六七首も寫し終へた頃風呂がわいた。丁度S――君も歸つて(438)來た。あとは明白の朝早く起きて書き次ぐことにして、諦めて机を片附けた。 風呂から上つて來ると、湖には一面に夕空の明るい光が映つてゐた。庭さきの石垣の上に濡手拭をきげて立つてゐると、少し離れた山の根の岸で、頻りに何やらの鳥の啼いてゐるのが聞える。そのみづ/\しい音色からたしかに水鳥の聲ではあるが、行々子とも違ふし、友もその名を知らなかつた。其處へ、思ひがけなく杜鵑の啼くのが聞えて來た。

 實は宿屋に着く早々、机に噛りついたので最初樂しんで來たこの鳥の事など、まるで忘れてゐたのであつた。また、實際晝間は啼かなかつたのかも知れない。そして次第に夕づいて來た空や山や湖の靜けさのなかに、いま漸く嘴を開いたものであらう。實に久しぶりに聞くおもひである。昨年も聞いたではあらうが、聞かずにおいた筈はないが、サテ、何處で聞いたか一寸思ひ出せない。或はどうかして聞かなかつたのかも知れない。一昨年もまたさうである。とにかく心の中に奥深く巣くつてゐるこの聲が、久しぶりにそのねいろを擧ぐるが樣に、一聲二聲と耳を傾けてゐるうちに、胸は自づとそのときめきを強めて來た。啼く啼く、實によく啼く。この鳥の癖で、啼き始めたとなると全く矢繼早に啼きたてるのである。

 部屋には膳が運ばれた。山の上の空氣の意外の冷たさには初め部屋に入つた時から驚いてゐたのであるが、今は湖に面した側の玻璃戸を悉くあけ拂ひ、ツイ眼下に小波のきらめきを眺めて二(439)人は徐ろに盃をふくんだ。杜鵑の聲は、湖とは反對の側の山の上から落ちて來るのであつた。夕日の光が向う岸の森のうへに聳えて居る山のいたゞきに消えてしまつても、なほ暫くは啼き續けてゐた。その山の中腹から上の草原は、まだ眞冬のまゝの枯れほうけた色を殘してゐるのであるが、その枯野の色と杜鵑の聲とが妙に寂しい調和をなす樣にも思はれて、圓味を帶びた頂上の暮れてゆくのが惜しまれた。わざと點けずにおいた電燈の光が部屋を照らしてもなほ暫くこの鳥は啼きつゞけてゐた。

 氣持よく飲んだ酒のあと二三時間を實によく熟睡する癖の私は、やがてからりとしたすが/\しい心地で眼を覺ました。あふむけのまゝ、身うごきもせずに眼を開いてゐる瞬間に、

『ほつたんかけたか、ほつたんかけたか、けきよ、けきよ』

 と啼く例の聲が耳に入つた。オヤ、と思ひながら、なほ靜かに待つてゐると、ツイ軒ちかくででも啼く樣に、しみじみと聞えて來る。僅かに首を候けて縁側の方を見ると、玻璃戸がほんのりと明るい。サテよく眠つたものだと、枕許の時計を見ると矢張り眞夜中で、丁度二時半であつた。

『すると月夜だナ。』

 さう思ひながら私は躊躇なく夜具から出た。そして、玻璃戸から覗くと、何といふ明るい靜か(440)な景色であらう。湖も、山も、しつとりと月の光を吸ひ込んでゐるのである。 友人はよく眠つてゐた。私はひそかに手拭を取つて、戸をあけて、庭へ出た。濕つた水際の土に自分の影が墨の樣に映つた。月は丁度湖水の眞中の空に在つた。岸に並ぶもろもろの山も森もすべて一抹の影を帶ぶる事なく、あらはにその光を浴びてゐるのであつた。この明るい世界の中に、何處にひそんで啼くのか、實に自由自在に、ほしいまゝにこの鳥は啼き入つてゐるのである。

 私は岸にしやがんで手拭を水に浸した。そして冷たい音を立てながら丁寧に髪を洗ひ顔を洗つた。水の搖らぎが遠く丸く、月のもとに影を起してひろがつた。それを見てゐる間も、澄み張つた鳥の聲は、聲から聲を追ふものゝ樣に、明るい中へ落ちて來るのであつた。

 次の間の電氣をつけて、私は机に向つた。昨日の殘りの爲事を續けるためである。四邊の氣配と、自分の頭の澄んでゐるために、昨日より遙かに心地よくペンを動かす事が出來た。時々勞れて、頭を擧ぐると、玻璃戸越しの月明とそれをうつした水の輝きとが、この靜かな部屋を包んでゐるのである。私は次第に昂奮して、終には小さな聲に出して、いま寫してゐる自分の歌をうたひ始めた。

 其處へ次の部屋から友人が顔を出した。黙つたまゝ私のゆびさす戸外を見て、彼も急に眼を(441)瞠《みは》りながら、そつと庭へ出て行つた。そして永い間、歸つて來なかつた。

 夜が次第に明けそめた。私も、大抵で諦めて、爲事の机を片附けた。そして友を探すともなく戸外へ出た。月はいつか、湖心を去つて、うしろの山の端《は》近く移つてゐた。そして、先刻《さつき》は見なかつた陰影が山々の襞に生れてゐた。ことに、湖に浸つた麓の方に、それが深かつた。

 何處からとなく薄い靄が水のおもてに動きそめた。山の方にも、ところ/”\にそれが見え出した。またゝくうちに、どちちからとなくそれらが落ち合つて、やがて湖も山も、すべて姿をまっ白い中に消してしまつた。

 宿の庭から、モーターボートのための小さな棧橋が湖の中へ設けられてあつた。その端にしやがんで、飽くことなく煙草を吸つて居る私のめぐりの水の上に、無數のかすかな音が聞え始めた。靄がぴつたりと水のおもてを閉ざしてしまふと、急に其處にも此處にも魚が跳び始めたのである。ちよぴつ、ちよぴつ、ちやぽん、ちやぽん、と實に數かぎりないその音が、さながら俄雨でも降り出した樣にあたり一面の水の面に起つたのである。

 靄の中から友の影が現はれて私の側に來た。たけの高い彼の姿が、しめつてゐるものゝ樣にも思はれた。同じ樣に彼も蹲踞《しやが》んだ。そしてこのちひさな水の音に久しい間、二人とも聞きとれてゐた。

(442) 朝飯の膳に一二本の熱い酒を啜つてゐると、嘘の樣に靄は晴れて行つた。まつたく不思議な速さで、影もなく何處かへ消えてしまつた。それとともに、柔かな日の光が向うの峰から滑つて來た。魚のとぶのも一齊に減つてしまつたが、稀にとびあがる小さな姿は銀の色に輝いて見えた。そして、魚のとぶ音から離れた聽覺は、また、

『ほつたんかけたか、ほつたんかけたか』の濕つた、鋭い聲に神經を澄ませねばならなかつた。

 

(443) 白骨温泉

 

 嶮しい崖下の溪間に、宿屋が四軒、蕎麥屋が二軒、煎餅や繪葉書などを賣る小店が一軒、都合唯だ七軒の家が一握りの狹い處に建つて、そして郵便局所在地から八里の登りでその配達は往復二日がかり、乗鞍嶽の北麓に當り、海拔四五千尺(?)春五月から秋十一月までが開業期間でその他の五箇月は犬一疋殘る事なく、それより三里下の村里に降つて、あとはたゞ全く雪に埋れてしまふ、と言へば大抵信州白骨温泉の概念は得られる事と思ふ。そして胃腸に利く事は恐らく日本一であらうといふ評判になつてゐる。

 松本市から島々村まではたしか四里か五里、この間はいろ/\な乘物がある。この島々に郵便局があるのである。其處から稻扱村まで二里、此處に無集配の郵便局があつて、附近の物産の集散地になつて居る。それより梓川に沿うて六里、殆んど人家とてもない樣な山道を片登りに登つてゆくのだ。この間の乘物といへば先づ馬であるが、それも私の行つた時には道がいたんで途絶してゐた。たゞ舊道をとるとすると白骨より三里ほど手前に大野川といふ古びた宿場があつて、(444)其處を迂囘する事になり、辛うじて馬の通はぬ事もないといふ話であつた。温泉はすべ七ての大野川の人たちが登つて經營してゐるのだ。女中も何もみな大野川の者である。雪が來る様になると、夜具も家具も其儘にしておいて、七軒家の者が殘らずこの大野川へ降りて來るのだ。客を泊めるのは大抵十月一杯で、あとは多く宿屋の者のみ殘り、いよ/\雪が深くなつてどんな泥棒も往來出來なくなるのを見ると、大きな家をがら空きにしたまゝすべて大野川に歸つて來るのださうだ。稀な大雪が來ると、大野川全體の百何十人が總出となつて七軒の屋根の雪を落しに行く、さうしないと家がつぶれるのださうだ。

 信州は養蠶の國である。春蠶夏蠶秋蠶と飼かあげるとその骨休めにこの山の上の温泉に登つて來る。多い時は四軒の宿屋、と云つても大きいのは二軒だけだが、この中へ八百人から千人の客を泊めるのださうだ。大きいと云つても知れたもので、勿論一人若しくは一組で一室を取るなどといふ事はなく所謂追ひ込みの制度で出來るだけの數を一つの部屋の中へ詰め込まうとするのである。たゝみ一疊ひと一人の割が贅澤となる場合もあるさうだ。彼等の入浴期間は先づ一週間、永くて二週間である。それだけ入つて行けば一年中無病息災で働き得るといふ信念で年々登つて來るらしい。それは九月の中頃から十月の初旬までで、それがすぎて稻の刈り入れとなると、めつきり彼等の數は減つてしまふ。

(445) 私の其處に行つてゐたのは昨年の九月二十日から十月十五日までゞあつた。矢張り年來の胃腸の痛みを除くために、その國の友人から勸められ遙々と信州入りをして登つて行つたのであつた。松本まで行つて、其處でたゝみ一疊ひと一人の話を聞くと、折柄《をりから》季節にも當つてゐたので、とてももう登る元氣は無くなつたのであつたが、不思議にまた蕎麥の花ざかりのその季節の湯がよく利くのだと種々説き勸められて、半ば泣く/\登つて行つたのであつた。前に言つた稻扱からの道で馬の事を訊ねたほど、その頃私の身體は弱つてゐた。

 が、行つて見ると案外であつた。その年は丁度歐洲戰あとの經濟界がひどく萎縮してゐた時だとかで、繭や生絲の値ががた落ちになつてゐたゝめ、それらで一年中の金をとるお百姓たちのひどく弱つてゐる場合であつたのださうだ。白骨の湯に行けば繭の相場が解ると言はれてゐるほど、その影響は早速その山の上の湯にひゞいて、私の行つた時は例年の三分の一もそれらの浴客が來てゐなかつた。一番多かつた十月初旬の頃で四五百人どまりであつた。ために私は悠々と滯在中一室を占領する事も出來たのであつた。

 彼等の多くは最も休息を要する爺さん婆さんたちであるが、若者も相當に來てゐた。そしてさうした人里離れた場所であるだけその若者たちの被解放感は他の温泉場に於けるより一層甚だしく、入湯にといふより唯だ騷ぎに來たといふ方が適當なほどよく騷いだ。騷ぐと云つても料理屋(446)があるではなく(二軒の蕎麥屋がさし當りその代理を勤めるものであるが。)宿屋の酒だとて里で飲むよりずつと割が高くなつてゐるのでさまでは飲まず、たゞもう終日|湯槽《ゆぶね》から湯槽を裸體のまゝ廻り歩いて、出來るだけの聲を出して唄を唄ふのである。唄と云つても唯だ二種類に限られてゐる。曰く木曾節、曰く伊奈節、共に信州自慢の俗謠であるのだ。また其處に來る信州人といふ中にも伊奈谷、木曾谷の者が過半を占めてゐる樣で、從つてこの二つの唄が繁昌するのである。朝は先づ二時三時からその聲が起る、そして夜は十一時十二時にまで及ぶ。私は最初一つの共同湯に面した部屋にゐたのであるが、終にその唄に耐へ兼ねてずつと奥まつた小さな部屋へ移して貰つたのであつた。然し、久しくきいてゐるうちに、その粗野や無作法を責むるよりも、いかにも自然な原始的な娯樂場を其處に見るおもひがして、いつか私は澁面《じふめん》よりも多く微笑を以てそれに面する樣になつた。粗野ではあつても、卑しいいやらしい所は彼等には少なかつた。これは信州の若者の一つの特色かも知れぬ。

 湯は共同湯で、二箇所に湧く。内湯のあるのは私のゐた湯本館だけであつたが、それは利目が薄いとか言つて多く皆共同湯に行つて浸つてゐた。多勢ゐないと騷ぐに張合が無いのであらうと私は割合にその内湯の空くのをいつも哀んでゐた。サテ、湯の利目であるが、私はその湯に廿日あまりを浸つて、其處から燒嶽を越えて飛騨の高山に出、更に徒歩して越中の富山に廻り、其處(447)から汽車で沼津に歸つて來たのであつたが、初め稻扱から白骨まで六里の道を危ぶんだ身にあとでは毎日十里十一二里の山道を續けて歩き得たのも、見樣によつては湯の利目だと見られぬこともない。然し私は温泉の效能がさう眼のあたりに表はるゝものとは思はぬ者である。胃腸の事はとにかく、風邪にも弱い私が昨年の冬を珍しく無事に過し得たのは(もつとも傳染性の流感には罹つたが)一に白骨のお蔭だと信じてゐる。其處の湯に三日入れば三年風邪を引かぬとも稱《とな》へられてゐるのださうだ。

 山の上の癖に、溪間であるため眺望といふものゝ利かぬのは意外であつた。溪もまた溪ともいへぬ極めて細いものであつた。八九町も急坂を登ると燒嶽と相向うて立つ高臺があつた。紅葉が素敵であつた。十月に入ると少しづゝ色づきそめて、十日前後二三日のうちにばた/\と染まつてしまつた。それこそ全山燃ゆるといふ言葉の通りであつた。附近の畑にはたゞ一種蕎麥のみが作られてゐた。「蕎麥の花ざかり」の言葉もそれから出たものであらうと思はれた。

 私は時間の都合さへつけば今年の秋も登つて行き度いものと思つてゐる。夏がいゝ、夏ならば東京からも相當に客が來るのでお話相手もあらうから、と宿の者は繰返して言つてゐたが、それよりも寧ろ芋を洗ふ樣な伊奈節を聞く方が白骨らしいかも知れぬ。それに「時はアルプスの登山客で大變ださうだ。私の考へてゐるのは、それらの何にもが影を消すであらう十月の半ばから雪(448)のちらちらやつて來る十一月の半ば頃まで、ぽつちりとその世ばなれのした湯の中へ浸つてゐたいといふことだ。無論、ウヰスヰーに何か二三種のよき鑵詰などどつさり用意してだ。其處から四里にして上高地六里にして飛騨の平湯がある。共に燒嶽をめぐつた、雲の中の温泉である。

 

(449) 通蔓草の實

 

 宿を出て二三丁とろ/\と降《くだ》ると宿の横を落ちて來た小さな溪が洞穴を穿つて流れてゐる處がある。其處まで見送るつもりで、私は友人親子と今一人の女客と共に宿を出た。が、何となく別れかねてせめて峠まで行かうかと言ひながら、洞穴の上を越して森の中へ入つて行つた。檜峠は温泉より二里ばかり、その溪を越すと徑はずつと深い森の中を片登りに登つてゆくのである。

 一月あまりも降り續けた雨が漸くその一二日前から霽《あが》つてゐた。そしてそれと共に今まで遲れてゐたといふ附近の山々の紅葉が一時に色を増した。それは全く湯宿の二階から眺めてゐて可笑しい位ゐに一晩二晩のうちに眞紅に燃えたつて來た。私どもの登つてゆく大きな國有林も同じく二階から望んで呆れた山の一つであるのだ。紅葉してゐる木はみな喬木であつた。中でも山毛欅が最も多く、橡も美しくその大きな葉を染めて立ちまじつてゐた。樅、栂《とが》などの常磐木にはことに見ごとな老木があつた。白樺ばかりが山の窪に茂つてゐる所もあつた。これの紅葉は既に過ぎて、針のやうに棒の様に大小さま/”\な幹のみがその雪白の色を輝かせ窪みに沿うて立ち續いて(450)ゐるのである。徑を埋めてゐる新しい落葉もかなりに深く、私ども四人が踏む足音は際立つて森の中に響いてゐた。山鳥の尾の長いのがツイ足許からまひ立つて行つた事もあつた。

 森と云つても平野のそれと違ひ、極めて嶮しい山腹に沿うて茂つてゐるので、木立の薄い處では思ひがけぬ遠望が利いた。遙かな麓に白々と流れてゐる溪流が折々見えた。日本アルプスの山々を縫うて流れて來た梓川の流である。それに落つる他の名もない溪が、向うの山腹に糸のやうに細々と懸つてゐるのも見えた。そして峠眞近になつた或る崖の端からは眞正面に燒嶽が望まれた。その火山の煙は頂上からも、また山腹の窪みからも、薄々とほの白く立ち昇つてゐた。晴れ渡つた秋空にその煙の靡いてゐるのを見ると、續けて來た話を止めて、ツイ兩人とも立ちとまつてぼんやりと瞳を凝らさねばならぬ靜けさが感ぜられた。また、思ひもかけぬ高い山の腹に炭燒の煙の立つてゐるのをも見出だすことがあつた。歩きながら一二首の歌が出來た。

   冬山に立てるけむりぞなつかしき一すぢ澄めるむらききにして

   來て見れば山うるしの木にありにけり樺の林の下草紅葉

 聲に出してそれを歌つて見ると、友人はひどく昂奮して讃めて呉れた。

『これは佳い、この調子だとけふは珍しく出來るかも知れませんね。』

身體の具合を損ねて以來、私は全く久しい間歌らしい歌を作らずにゐたのであつた。さう(451)言はれてみると、これらを皮切りに今日は何だか詠めさうな氣もして、我にもなく私まで珍しい昂奮を覺ゆるのであつた。

 峠には一軒の茶屋があつた。其處で私どもはお別れの杯を擧げ、女たちは早晝のお辨當を使ふといふことになつた。肴には幸ひに串のまゝの岩魚が圍爐裡に立てゝあつたので、それで燗をぐつと熱くして一杯二杯と飲み始めた。十月初旬でも其處等の山中はもう充分に寒かつた。それに別盃といふので自然飲む速度も早く、醉ふのも早かつた。ツイ自分の横手の障子に暖く日影のさしてゐるのを見ながら、お蔭さまで山の淋しさにも多少は馴れた、これからはゆつくり心を据ゑて湯治をしようとか、この次にはいつ何處で逢ふのかね、などゝ言つてゐると私の心には何とも言へぬ或る落ちついた寂しさが萌えて來た。さうですね、またほどなく逢へるでせう、大抵一年に一度位ゐは何處かで逢へる樣に自然となつてゐる樣だからと友人もやゝ醉つて赤い顔を擧げながら言つた。この友人と私とはよしあしにつけその性質に實によく似た所を持つてゐた。自づと話もよく合つた。で、樂しい時、寂しい時に最もよく思ひ出されるのはこの友人であつた。逢ふのは嬉しく、別れるのはいつでも辛かつた。

 その日もさうであつた。二本ときめて飲み始めた銚子が三本となり、四本目になつた時、私は笑ひながら言ひ出した。

(452)『ねヱ?…君、ついでに峠の下まで送つて行かう、何だかもう少し歩き度いと思ふからね。』

『さうですか。』

 と言つた友人も笑ひ出した。峠から麓までは一里ほどの坂であつたが、今までよりずつと嶮しいのをお互ひに知つてゐた。

『それは難有いが……』

 友人ほすぐ眞顔になつて、

『歸りが大變でせう。』

『歸りかね、……歸りは、なアに大野川の方に廻つて今夜は其處で泊つて來るよ。』

 と、ほんの突嗟の思ひつきで私は口に出して了つた。白骨温泉は湯宿が四軒、他の家が三軒、それだけの七軒が全く他の部落とかけ離れた山の奥にあるのであつた。そして其處から一番近い部落といふのが大野川であつた。のみならず七軒の人たちはすべて大野川の者で、一年のうち五月から十一月まで、雪の消えた間だけ其處から登つて白骨で營業してゐるのであつた。で、飲食物から何から、すべて大野川から運んで來るのを私は知つてゐた。そしてその耳に馴れた大野川といおふ宿場に種々な好奇心が動いてゐるのである。然し、その日峠から其處へ出かけて行かうとは全く夢にも思ひがけぬ、醉が言はせた即興に過ぎなかつたが、さう言葉に出してしまつて見る(453)と、可笑しくも實際にさうしてもいゝといふ氣が湧いて來た。

『さうですか、なるほど、それも面白い。』

 友人も勢《きほ》ひ立つて調子を合せた。

『あアれ端《はじめ》や、お前先生にそんな事してお貰か申しちや濟まねヱに。』

 年寄は惶てゝ息子の名を呼びながら注意した。が、なアに、それもいゝでせうと笑ひながら息子は相手にならなかつた。

 其處からの下りのひどく嶮しいのを知つてゐる私は、茶店で草鞋を買つて下駄に代へ尻端折の身輕になりながら、下駄には別に手紙を添へて丁度白骨の湯宿の方へ通りかゝつた牛引の若者にことづけた。何を運ぶにも此處では殆んど牛を使つてゐた。馬では道が通りかぬるのださうだ。

 茶屋を出て少し下ると四五軒の古び果てた百姓家が窪みを帶びた傾斜なりの畑の中に散らばつてゐた。そして其處で路は二つに分れる。一つは大野川の方に向ふ本道で、一つは私たちの行かうとしてゐる新道である。私はいま新道を下つて明日その舊道を登らうといふのだ。左に折れた新道は山腹といふより懸崖といふに近い大きな傾斜を横切つて、ひた下りに下る。この邊、今までの森は既に盡きて多く一帶の灌木林となつてゐる。右手眞下に先刻とは異つた一つの溪流が同じく眞白になつて流れ下つてゐる。即ち乗鞍嶽から出た大野川である。その大野川と、先に左手(454)下に遠望した梓川と合ふ所で、この新道もまた峠から大野川の宿を廻つて來た舊道と相合ふことになる。其處で我等は別れることになつてゐるのだ。

 その別れの場所は程なく來た。一里あまりの急坂を下りて來た我等は其處で釣橋を渡つて大野川を越え、直ぐ左手に梓川の思ひの外の大きな奔流が岩を越え岸を噛んでゐるのに相對したのである。四人は先づ一服と水に臨んだ路傍の落葉を敷いてそれ/”\煙草に火をつけた。もう言ふことも無ささうに見ゆる別れの言葉が何度も取り交はされ、そして改めて帽子をとり手拭をとつて辭儀をしながら三人は梓川の流に沿うて南の方稻扱の宿へ、私一人は逆に大野川の右岸を溯つて大野川宿の方へ、いよ/\最後の「左樣なら」をした。時計はまだ午後一時であつた。

 一人となつて急に私の歩みの速度は増した。酒の醉も眼立つて出て來た樣に感ぜられた。今までは片側の空のうち開けた山の中腹を通つて來たのであるが、其處からは兩方に嶮しい山の切り立つた狹い/\峡間《はざま》の底を溪に沿うてゆくのである。別れた三人も北と南の差はあるが、これも今日一日同じ樣な谷底道を歩かねばならぬのだ。「左樣なら」「左樣なら」といふ心持がいつまでも胸に殘つて、わけもなく私は急いだ。寂しいとか悲しいとか云ふのではないが、急がずには紛らし兼ぬる心持なのだ。然し、程なく疲勞がやつて來た。元來が白骨籠りの病人には今日の道は無理であつた。それに友人が多く飲んだにしても、兎に角二人で四本の田舍酒が身體に入つてゐ(455)る。「疲れた!」と思ふと、埒もなく手足の筋が緩み痛んで來た。

 一日のうち一時間も日光が射すだらうかと思はれるこの谷間の徑には到る處に今を盛りの通蔓草の實が垂れ下つてゐた。じめじめと濕つた落葉の上を踏んで急いでゐると、ツイ其處の鼻さきに五つも六つも十あまりもうす青くまたうす紫に一條の蔓に重なり合つて熟れてゐるなどが眼についた。一つ二つと手すさみに取つて食ひながら歩いてゐたが、私は不圖遠くの留守宅に兄妹三人して仲よく遊んでゐる子供たちの事を思ひ出した。彼等にとつては恐らく生れて初めて見るものらしいこの山の果物を手にとる時の彼等の笑顔がはつきりと思ひ浮べられた。そして母を取卷いてぞろ/\と青い葉や蔓と共にこれを引出す彼等のそれぞれを思ひ浮べると同時に、私は早速これを蔓のまゝ箱詰にして郵便局から送つてやらうと思ひ立つた。普通の郵便局は白骨から八里松本市の方に離れた島々村でなくてはない事を知つてゐるが、無集配局ならば島々より二里近い稻扱村にあるのだから當然大野川にもあるものと思はれたのだ。さう思ふと其處等に下つてゐるこの通蔓草の實を無關心で見る事が出來なくなつた。あれかこれかと選み始めたが、サテさうなると多い樣でもかつきり都合のいゝのになか/\行き合はなかつた。さがつてゐる枝が餘りに高かつたり、溪の中流に垂れてゐたり、粒が小さかつたり、青過ぎたり、五町十町と道ぞひに探してゆくに甚だ骨が折れた。それでもいつか片手には青々としたその蔓が幾重にか垂れ下つて來(456)た。

 或る一本の樫の木に草鞋のまゝに攀ぢ登つて頻りに蔓を引いてゐると、不圖遠くの方でうたふ唄聲を聞いた。人にも會はぬ寂しい山路であつたので、いかにも思ひがけないものに思はれ、茂つた枝葉の中に身を靜めながら耳を澄ますとそれは例の伊奈節を唄つてゐる男の聲であつた。唄はよくわからぬが一人か二人の聲である。信州を旅行した人はよく知つてゐるであらうが、この國に專ら流行してゐる民謠に二つの節がある。一は木曾川の流域を本場とする木曾節であり、一は天龍川に沿うた伊奈谷の伊奈節である。簡素に於ては前者まさり、優婉の節廻しは伊奈節遙かに木曾節にすぐれて居る。いまその伊奈節がこの日影乏しい秋の溪間に起つて居やうとは思はなかつた。そゞろに身内に湧く興趣に心をときめかせてなほ聽いてゐると、やがてはその唄も解つて來た。

   東|高津谷《たかつや》西駒ヶ嶽あひを流るゝ天龍川

   天龍下れば飛沫《しぶき》がかゝる持たせやりたやひのき笠

 私はそれを例の牛を追つて來る若者たちの唄だと思つた。そして彼等を驚かすことを恐れて急いで樫から降りて來た。何故ならば私の登つてゐた枝はその溪間の徑の眞上にさし出てゐたからである。そしてまた急ぎ足に歩き始めた。程なく途中で逢ふことゝきめて來た牛追たちにはなか(457)なか出逢はなかつた。が、やがてその伊奈節は溪に沿うて洪水のためにくづれ落ちた道路を直してゐる若者の唄つてゐるものであることを知つた。一人の老爺と二人の若者とが其處の川原に榾《ほた》火を焚きながら石を起し、砂を掘つてゐた。薄暮の樣な深い日陰が其處を掩ひ、流の白い飛沫と榾火の煙との間に動いてゐる三人の姿は如何にも寂しいものに私には眺められた。やがて其處に私が近づくと、二人は唄をやめた。老爺も背を伸してこの不意の旅客の通りがゝりを見詰めた。私は帽子をとりながら、二言三言の挨拶を置いて足早に通り過ぎた。通蔓草とりの間に私の酒の醉はすつかり醒めてゐた。そして氣味の惡い樣な寒さと寂しさが足の先までも浸みて來た。

 

(458) 山路

 

 朝八時、案内者と共に白骨温泉を立つ。逗留二十日の馴染で宿の者は皆出て來て名殘を惜んで呉れる。ことに今まで誰がそれだか氣もつかなかつた無口の内儀などは急に勝手許から飛んで來て、既に草鞋をつけて土間に立つてゐる私の袂をとらへて、これは俺からあげるのだからと言ひながら手拭やら煙草やら菓子包やらを無理強ひに押し込んで呉れた。

 送られて裏の背戸口を離れると直ぐ切り立つた崖の森となつてゐる。嶮しい徑にかゝると其處には眞新しい落葉が堆く積つて、濡色をした美しい橡の實も澤山落ちてゐた。三四丁も登ると崖は盡きて山間の枯芒のなかをとろ/\降りに降ることゝなつた。着物や着茣蓙《きござ》の端に觸れて頻りに音をたてながら芒の霜が落つる。この邊の霜は雪ともつかず氷ともつかぬ細かな結晶となつてゐて地といはず草木の枝葉といはず、一面に眞白に置き渡してゐるのである。

 先に立つてその荒い霜を落しながら歩いてゐた老案内者は不意に徑からそれて傍の雜木の中に入つて行つた。そして高い背を屈めて頻りと何かを探してゐる。やがて一種の昂奮をその赭《あか》ら顔(459)に見せて林から出て來た。如何《どう》したのだ、何があつたと訊くと、イヤ熊が出たといふ。熊はこの深山に圓い土の塔を作つて棲んでゐる蟻の群を好んで食ふので、先刻から熊の足あとらしいものをちよい/\見て來たのだが、いまその蟻を食つた跡があつたので愈々さうだといふことが解つた、而もぞの跡の乾いてゐる所を見れば一昨夜の雨より後、昨夜あたり出たに相違ないといふ。此邊にも出て來るのかと呆れゝば、どうして/\温泉宿の勝手口の裏にもよく餌をあさりに來るといふ。

 蟻の巣の跡を見てからこの七十歳前後の老人は急に雄辯になつた。そして自分のこと他人のこと、いろ/\な熊狩の話をしだした。一人で年々七八頭も打つものがゐるが、それ等はそれで十分一年の生活費が得らるゝわけだけれど皆博奕に打込むので、もと/\だとも笑つた。昨今はよほど熊も少くなつたが、まだ/\向うの、と我等の歩いてゐる溪向うに大らかに峰を張つて朝日を浴びた木深い山を指しながら、霞澤嶽などにはかなりの數が棲んでゐるだらう、現にもう今年もあの山で一頭打つた者がゐたが、まだ鑑札日の前だつたので値段はずつと安かつたさうだ、と語りながら、ふと氣づいた樣に、

『今日からが丁度鑑札日だが、宿の總領もあとから若い衆打ちに來る筈だ。』

 といふ。成程その日は十月十五日、銃獵の解禁日であつた。若い衆とは何だと訊くと、猿の事(460)ださうだ。そして、俺も旦那のお供をしねヱと總領と一緒に來るのであつたと如何にも殘念さうに言つた。お前もそんな歳をしてゐてまだそんな荒獵をやるのかと笑かながら振向いて老爺の顔を仰ぐと、熊打にはもうよう出かけねヱが若い衆位ゐなら何でもねヱ、去年は七尺からある大鷲を打つたが、斯んな山でもあれ程の鷲をば皆珍しがつたとやゝてれ氣味に自慢する。そして話は鷲に移つて、折々田畑に出てゐるとこの大きな鳥が飛んで來て被つてゐる手拭を浚《さら》つてゆく。それも若い者と老人とをよく見分けて老人のばかりを狙つて來る、然し俺はまだこの歳になるが一度も浚はれた事がない、老人でも少し違ふのが鷲にも解るらしいとまた自慢である。手拭をば巣を編む材料にするのださうだ。温泉宿に乾した着物なども浚はれる事があるといふ。

『この山だよ、若い衆の居る山は。』

 溪ばたに出て一里ほども來て、徑が再び山腹の償斜を登る頃、老爺は立ち止つて私に教へた。我等の歩いてゐる大きな傾斜は一面に荒れた野原となつてゐた。火を放つて燒いたあとらしく、二抱へも三抱へもある大きな白樺の幹が大方は半ば燃えたまゝに立ち枯れてゐた。そしてその跡には落葉松の苗が井條式《せいでうしき》に植ゑられてあるのだが、多くはまだ芒の蔭となつてゐる位ゐの大きさであるのだ。その野原の續き、山の頂上に近いあたりから深い森となつてずつと奥に茂つて行つてゐる。その森を彼は指してゐるのであつた。森はまた見事な紅葉の森であつた。こんもりと立(461)ち竝んだ喬木から喬木がいづれもまだ渦を卷いた樣な茂みをなして、そして殘りなく美しく染つてゐる。思はず擧げた私の讃歎の聲を聞いて案内者は言つた。

『さうだ、今日あたりが丁度さかりづらよ、明日明後日となるとへヱ散るだから。』

 私は雨ばかり續いた温泉宿の二階から其處の溪向うの山を毎日眺めてゐたのであつたが、丁度昨日一昨日その長雨があがると同時にほんとに瞬く間に見まがふほどの紅葉の山と染まつたのを見て驚いたのであつた。高山は季節を急ぐといふ。今日見てゆくこの紅葉もまつたく明日は枯木の山となつてゐるのかも知れない。

 枯芒を折り敷いて我等は暫く其處で休んだ。其處から燒嶽が手近く眞正面に見えた。我等の休んでゐる山と、向うの霞澤嶽と次第に奥狹く相迫つた中間の空にあらはれて見えるのである。燒嶽と硫黄嶽と二つ竝んだ火山からは相連なつて濛々たる白煙を上げ、その煙は僅に傾いて我等のゐる方角に靡いてゐるのであつた。けふは別しても煙が深い樣に見えた。時とするとほんの一筋二筋、それこそ香の煙の樣に立ち昇つてゐることもあるのである。けふは山の根方からも中腹からも頂上からも山全背が薄白く煙りたつてゐる樣に見ゆる。

『この天氣も永くねエな、煙が信州路の方へ向いてゐるだから。』

 老爺は煙草の煙を吹きながら私と同じ茣蓙に坐つてゐて言つた。

(462)『ホウ、あの煙の向うは飛騨かね。』

 向う向きに飛騨に靡けば晴れるといふことを聞いて私は言つた。そして我慢してゐた慾望が腹痛の樣に身内に起きて來るのを覺えながら、それを押し靜める如くひそかに息を呑んだ。そして自分も惶《あわただ》しく一二本の煙草を吸ひすてたが、やがてツイ側の老爺の顔に微笑を投げ乍ら言つてみた。

『ねエ爺さん、お前さんはどうしてもあの山に登るのはいやかね、ほんとにそんなに危險なのだらうかナ。』

 老爺も私の微笑を感ずる樣に矢張り向うを見たまゝ微笑ひして、

『登れねヱことはねヱだが、何しろもう永いこと登つて見ねヱだからなア、路がどうなつてるだかサ。』

『上高地の宿屋で今夜詳しい事を訊けばいゝぢやアないか、大體の事はお前よく知つてるわけなんだから、路だつてさう大した變りはないだらうよ。』

 

 私は待望の胃腸によくきくといふので遙々駿河からこの信州の白骨温泉といふへやつて來て三週間ほど湯治してゐた。島々郵便局所在地から八里もあるといふ全く世の中と隔離した山奥の温(463)泉場であつた。乗鞍嶽の北麓に當り、海拔四千八百尺、温泉宿の裏山に登ると殆んど相向ひにこの火山と對することが出來た。そしてどうかして一度その煙の傍まで登つて行きたくてたまらず、頻りに機會を窮つたが不幸にもその滯在中殆んど雨ばかりが續いて、よく完全に朝から晴れたといふ日がなかつた。漸くその天候の定まりかけた頃になると私は其處を立たねばならぬ日取に當つてゐた。それも初め入つて來た松本市へ出て行く道を歸るが惜しく、白骨から上高地温泉へ出、其處から飛騨へ越して平湯温泉といふへ廻り、更に飛騨の都高山町へ出て遠く越中路へ歩き、富山市から汽車で駿河へ歸らうと定めたのであつた。そして白骨から上高地へ、上高地から平湯への道を地圖で見ればすべてこの火山の麓を通ることになつてゐるのである。そこで宿の者を呼んで燒嶽登りの相談をして見た。どうせ山深い道を通るのだから平湯までは案内者を伴れなくてはならぬが、それにしても今頃は燒嶽登山は危險である。第一あの山をよく知つてゐる案内人がいまこの湯にゐない、八月二十日頃を先づ登山期の終りとしてあるので其頃までだと幾人もゐるのだが……と番頭は言つた。更に主人に逢つて訊いてみると、平湯までは誰にでも案内させるが、燒嶽は先づ無理でせう、何しろもう十月の半ですから、と言つて笑つた。さう言はれて見ると私も笑つて諦めねばならなかつた。そしていよ/\昨夜、平湯までならこの年寄が詳しいからと案内人の定まると共に、それとなく案内人自身にももう一度私は謎をかけて見た。そして矢(464)張り同じ結果を得てゐたのであつたのだ。

 この背の高い、年老いた案内者はそれでも此處に來て終に私の熱心に動かされた。今夜上高地温泉でよく訊いてみて、あまり昔の道と變らない樣だつたら一つ登つて見ませう、なアに、行つて見れば何程の事もないに相違はないのだから、と言ふ樣にまでなつて呉れたのだ。私は思はず立ち上つて遠く眞白な煙に向ひながら帽子を振つた。そして何といふことなく一聲二聲の大きな叫びを擧げた。すると老爺も惶てゝ立ち上つてその大きな掌を振つた。

『あんまりあの邊で高話をして若い衆を追ひ散らすでねヱと今朝總領が言ふとりました。』

 と笑ふ。成程さうかと、もう一度私はこの深い色に燃え立つてゐる頭上の大森林を見上げて新たな讃美と歡喜の情を致した。

 徑は程なくその森つゞきの密林の中へ入つて行つた。誠に驚くべき樹木である。いろいろと木の名をも尋ねたが、一番眼についたのは山毛欅であつた。いづれも幹の直徑二尺から三尺に及び、おほかた青い苔を纒うて眞直ぐに天に聳えて行つてゐるのである。それが十本二十本百本と次ぎ次ぎに相聳えてすく/\と伸びた大枝小枝のさきに鮮黄色の葉をつけてゐる。既に地に散つてゐるのもあるが、まだ枝にある方が多い。まことに今日を盛りの黄葉《もみぢ》の木であり森であるのであつた。この木の葉は朴に似てやゝ小さく、長さ八寸幅二寸位ゐ、朴よりも繁く枝についてゐ(465)る。そして同じく葉脈のすぢを浮かして見せるほどの鮮かな色に黄葉してゐる。中にはまた常磐樹の栂《とが》もあつた。樅も立つてゐた。樅などの老いて倒れたあとは其儘に小さな野菜畑にもなりさうに廣く苔づいて朽ちてゐるのがあつた。到る所のそれらの朽木には種々雜多な茸が生えてゐた。食へるもの、毒なもの、闇に置けば光るものなど、私には到底見分けもつかず名も覺えられないものであつた。そのうちでも美味なものといふのを老爺は行く/\もぎ取つて行つた。今夜宿で煮て貰はうといふのである。

 國有林であるといふこの森林を我等はたゞ黙々として一時間も一時間半も歩いて行つた。行けども行けどもたゞ樹木であり、幹であり、黄葉であり、落葉であるのだ。洩日の美しい所もあつた。じめじめとうすら冷たい日蔭をくゞつて行く所もあつた。たま/\からりと晴れた所に出たと思ふと、直ぐ足もとから下が何千尺の山崩れとなつた斷崖の上に立つてゐるのであつた。

 

 丁度さうした崖に近い所にちよろ/\と水が流れ落ちてゐた。日を眞正面に受けて、下を覗けば目眩《めくるめ》く高さだが、樫のめぐりには綺麗に乾いた落葉が散り敷いて極めて靜かな場所であつた。其處で我等は晝食をすることにした。時計も折よく十二時にほどなかつた。

 落葉の上に坐ると、遙に崖下に白々と輝いて流れてゐる溪が見えた。梓川の上流であらねばな(466)らぬ。單に山崩れの場所といはず、附近の山全帶が屏風を立てた樣な殆んど垂直の嶮しい角度で雙方に切り立つて起つてゐる底をその溪は流れてゐるのであつた。其處に見え、なほそのずつと上の方にも見えた。すべて激しい奔流となつてゐるのであらう、飛沫をあげて流れてゐる雪の樣な白さである。我等の眼の前に一本の楓の木が立つてゐた。さほど大きい木ではなかつたが、清らかに高く伸びてゐた。その紅葉も眞盛りであつた。一葉二葉と酒の香に似た秋の日の光の中に散り浮いて來る小さな葉は全く自ら輝くものゝごとくに澄んだ光を含んでゐた。山蕗の葉で傍への清水を掬んで咽喉をうるほしながら永い時間をかけて、そして何となくうら悲しい樣に靜かな心になりながら握り飯を貧り喰つた。歌が一二首出來る。

   うち敷きて憩ふ落葉の今年葉の乾き匂ふよ山岨道《やまそばみち》に

   うら悲しき光のなかに山岨の道の邊の紅葉散りてゐるなり

 其處を立つて暫く行くと上高地に行く道と平湯に向ふのとの分れる所に來た。明日は燒嶽から降りてまた此處を通つて飛騨へ越すのだナ、と話し合ひながら右に折れた。また暫く森が續いたが、やがて思ひがけぬ異樣な場所に通り懸つた。今まで續いた密林と截然《せつぜん》たる區劃を置いて其處には全部白々とした枯木の林立があつた。枝は折れて巨大な幹のみ聳ゆるもあり、ばら/\と白い枝を張り渡して枯れてゐるもある。これらはみな數年前、大正二三年の頃の燒嶽大噴火の時に(467)その熱灰を被つたものであつたのだ。なほ少し行くと次第に枯木は盡きて、終に山肌一面が眞白に崩れ落ちてゐる所に出會つた。此處を通るはかなり危險であつた。上下何百丈かにわたるざらざらとした崖を横に切つて紐の樣な徑がついてゐるのだが、兩足を揃へては立ち停る事も出來ぬほどの狹さである。自然崖の腹を兩手で抱く樣にべつたりと身體を崖に寄せて片足づゝ運ばすのである。心して踏むその足許からは斷えず音を立て、白色の土塊《つちくれ》が落ちてゆくのだ。ばら/\と崩れ落ちてゆく遙かの下には梓川が岩の間を狹く深く流れてゐる。

 其處を過ぎると廣大な川原に出た。たゞの川原でなく、山の火の流れたあとの川原である。見る限り、浪の起伏に似た岩石の原となつて、ところ/”\に例の骨ばかりの枯木が梢を見せてゐる。そして其處からは直ぐ眼の上にその火山のあらはな姿が仰がれた。遠くから望んだ通りに、この火山の煙は山の八合目ほどより上の到る所から煙を噴いてゐるのであつた。濛々とした煙は今は空をさして立つことなく、山に沿うて我等の立つてゐる眞白な川原の方にしめりを帶びて流れ落ちて來てゐるものゝ如くであつた。

 異樣な緊張が私の心に起つた。そして、靜かに杖を兩手に執つて見廻すと徒らに廣いその岩の原の中にはもう徑といふものがついてゐなかつた。夏を過ぎては往來もないらしく、稀に通つた人の足あとは先日来の長雨ですつかりかき消されてゐた。老爺にもよく行くさきの見當がつかな(468)かつた。で、兩人して手分をしてあちこちと適當らしい方角を選んで岩から岩を渡つて行つた。そして其處に私は舊い地圖には記されてゐない一つの大きな池、豫《か》ねてよく話には聞いてゐる大正池といふのを眼の前に見た。

 大正池は噴火の熔岩が梓川の流を堰き留めて作りなした池である。蒼々と湛へられた池の中には先にて來たと同じい枯木の林が白々として梢を表はし、枝を張つてゐるのである。さうした森全部を地殻と共に此處まで押し流して來たのか、それともまだ以前の森のまゝでゐる間に下を堰かれて水に浸つたものかであるであらう。私は見失はない樣に岩の中の最も巨大なものゝ傍に案内人を置いて獨りでその池まで石原を横切つて行つた。池の近くには流石に痩せた熊笹などが疎らに生えてゐた。水は眞蒼に澄んでゐた。汀から急に深くなつた水中の枯木の幹や枝には藻草が青く纒つてゐた。そしてその中には何やら小魚の群などでも潜んでゐるらしく眺めらるゝも寂しかつた。三四町の幅をおいた池の向うには岩ばかりから成り立つた嶮しい山が恰もその池を抱く樣にして聳えてゐた。何の聲なく音なく、たゞ冷たく湛へた水と、いつか夕づいて來た日の光とが私の眼の前にあるばかりであつた。

 急に寂しくなつて、私は水際を離れた。大股に岩の原を歩き出して見返ると、例の大きな岩に登つてわが老爺は頻りに煙草の煙を吹いてゐた。言葉少なになつた兩人は折々聲をかけ合せつ(469)つ次第にその岩の原を渡り終り、また一つの森の中に入つた。これは殆んど栂《とが》の木から出來てゐる樣な常磐木の寒い森であつた。森で辛うじて一本の徑を見出すと、老案内者はその顔に寂しい微笑を浮べて言つた。

『もう大丈夫だ、この森を拔けさいすりや宿屋だ。』

 まことにその森を拔け切らうとするあたりで、俄に烈しい犬の吠聲が我等を目がけて起つて來た。そして今見て來た池の上流なる川の岸に二棟三棟の屋根の低い家が見えた。それが今夜私達を休ませ眠らせて呉れる上高地温泉旅館であつたのだ。

 やれ/\と安心して振返ると、今通つて來た黒い森の上に濛々として燒嶽の山の煙が流れ落ちてゐるのが見えた。今夜はよくその煙までへの路を聽きたゞす必要もあるのであつた。


(470) 或る旅と繪葉書

 

   この一篇は大正十年秋中旬、信州から飛騨に越え、更に神通川に沿うて越中に出た時の追懷を、そのさき/”\で求めて來た繪葉書を取出して眺めながら書きつゞつたもので、前に掲げた「白骨温泉」「通蔓草の實」「山路」の諸篇に續くものである。

 

     上高地温泉

 

 上高地の温泉宿はこの時候はづれの客を不思議さうな顔をして迎へた。そして通された二階にはすつかり雨戸が引いてあつた。一つの部屋の前だけがら/\とそれが繰りあけらるゝとまだ相當に高い西日が明るく部屋にさし込んで來た。その日ざしの屆く疊の上できやはんを解いてゐると、あたりのほこりのにほひが感ぜられた。

 やれ/\と手足を伸ばしてうち浸つた温泉は無色無臭、まつたく清水の樣に澄んでゐた。そしてこの宿に入つた時玄關口に積まれてあつた何やらの木の實がこの湯槽の側までも一杯に乾しひ(471)ろげてあつた。よく見ると落葉松の松毬《まつかさ》であつた。この松毬をよくはたいて中の粒をとり、種子として賣るのださうで、一升四圓からする由をあとで聞いた。湯から出てそこ等を窺《のぞ》いてみると座敷から廊下からすべてこの代赭色の鮮かな木の實で充滿してゐるのであつた。一年にとり入れるその種子が何斗とか何石とかに及ぶさうで、金にして幾ら/\になると、白骨温泉から私の連れて來た老案内者は頻りに胸算用を試みながらその多額に上るのに驚いてゐた。

 長湯をして出てもまだ西日が殘つてゐた。下駄を借りて宿の前に出て見ると、ツイ其處に梓川が流れてゐた。どうしてこの山の高みにこれだけの水量があるだらうと不思議に思はるゝ豐かな水が寒々と澄んで流れてゐる。川床の眞白な砂をあらはに見せて、おほらかな瀬をなしながら音をも立てずに流れてゐるのであつた。私は身に沁みて來る寒さをこらへて歩むともなく川上へ歩いて行つた。

 川に沿うた徑の左手はすぐ森になつてゐた。荒れ古びた黒本の森で、樅|栂《とが》の類に白樺などもまじり七八町がほども澤の樣な平地で續いてやがて茂つたまゝの山となつてゐる。川の向う岸は切りそいだ樣な岩山で、岩の襞には散り殘りの紅葉が燃えてゐた。そして川上の開けた空には眞正面に穂高ヶ嶽が聳えてゐるのであつた。

 天を限つて聳え立つたこの高いゆたかな岩山には恰もまともに夕日がさして灰白色の山全體が

(470) 或る旅と繪葉書

 

   この一篇は大正十年秋中旬、信州から飛騨に越え、更に神通川に沿うて越中に出た時の追懷を、そのさき/”\で求めて來た繪葉書を取出して眺めながら書きつゞつたもので、前に掲げた「白骨温泉」「通蔓草の實」「山路」の諸篇に續くものである。

 

     上高地温泉

 

 上高地の温泉宿はこの時候はづれの客を不思議さうな顔をして迎へた。そして通された二階にはすつかり雨戸が引いてあつた。一つの部屋の前だけがら/\とそれが繰りあけらるゝとまだ相當に高い西日が明るく部屋にさし込んで來た。その日ざしの屆く疊の上できやはんを解いてゐると、あたりのほこりのにほひが感ぜられた。

 やれ/\と手足を伸ばしてうち浸つた温泉は無色無臭、まつたく清水の樣に澄んでゐた。そし

(471)ろげてあつた。よく見ると落葉松の松毬《まつかさ》であつた。この松毬をよくはたいて中の粒をとり、種子として賣るのださうで、一升四圓からする由をあとで聞いた。湯から出てそこ等を窺《のぞ》いてみると座敷から廊下からすべてこの代赭色の鮮かな木の實で充滿してゐるのであつた。一年にとり入れるその種子が何斗とか何石とかに及ぶさうで、金にして幾ら/\になると、白骨温泉から私の連れて來た老案内者は頻りに胸算用を試みながらその多額に上るのに驚いてゐた。

 長湯をして出てもまだ西日が殘つてゐた。下駄を借りて宿の前に出て見ると、ツイ其處に梓川が流れてゐた。どうしてこの山の高みにこれだけの水量があるだらうと不思議に思はるゝ豐かな水が寒々と澄んで流れてゐる。川床の眞白な砂をあらはに見せて、おほらかな瀬をなしながら音をも立てずに流れてゐるのであつた。私は身に沁みて來る寒さをこらへて歩むともなく川上へ歩いて行つた。

 川に沿うた徑の左手はすぐ森になつてゐた。荒れ古びた黒本の森で、樅|栂《とが》の類に白樺などもまじり七八町がほども澤の樣な平地で續いてやがて茂つたまゝの山となつてゐる。川の向う岸は切りそいだ樣な岩山で、岩の襞には散り殘りの紅葉が燃えてゐた。そして川上の開けた空には眞正面に穂高ヶ嶽が聳えてゐるのであつた。

 天を限つて聳え立つたこの高いゆたかな岩山には恰もまともに夕日がさして灰白色の山全體が(472)さながら氷の山の樣な靜けさを含んで見えてゐるのであつた、今日半日仰いで來たこの山は近づけば近づくだけ、いよ/\大きく、いよ/\寂しくのみ眺められ、立ちどまつて疑乎《じつ》と仰いでゐるといつか自分自身も凍つてゆく樣な心地になつて來るのであつた。

 そゞろ打身慄ひを覺えて踵《きびす》をかへすと、其處には燒嶽が聳えてゐた。背後に傾いた夕日に照らし出されて眞黒に浮き出た山の頂上にはそれこそ雲の樣に噴煙が亂れて昇つてゐた。

 右を見、左を見、この川端の一本道を行きつ歸りつしてゐるうちに私はいつか異樣な興奮を覺えてゐた。これほど大きく美しく、そして靜かな寂しい眺めにまたと再び出合ふことがあるであらうか、これはいつそ飛騨に越す豫定を捨てゝここに四五日を過ごして行かう、そのためどれだけ自分の靈魂が淨められることであらう、といふ樣なことを一途になつて考へ始めてゐたのであつた。

   いはけなく涙ぞくだるあめつちの斯るながめにめぐりあひつつ

   またや來むけふこの儘にゐてやゆかむわれの命の頼みがたきに

   まことわれ永くぞ生きむ天地《あめつち》のかかるながめをながく見むため

 その夜は凍つた樣な月の夜であつた。數へて見ると九月十五夜の滿月であつた。

 

(473) 燒嶽の頂上

 

燒嶽の頂上に立つたのはその翌日の正午近かつた。普通日本アルプスの登山期は七月中旬から八月中旬の間に限られてあるのに私がその中の燒嶽を越え樣としたのは十月十六日であつたため案内者といふ案内者が求められず、僅かに十年前そこに硫黄取りに登つてゐたといふだけの白骨温泉の作男の七十爺を強ひて口説いて案内させたので、忽ち路に迷つてしまつた。そして大正三年大噴火の際に出來た長さ十數町深さ二三十間の大龜裂の中に迷ひ込んだのであつた。初めは何の氣なしにその中を登つてゐたが、やがてそれが迷路だと知つた時にはもう降りるに降りられぬ嶮しい所へ來てゐた。そしてまご/\してゐれば兩側二三十間の高さから霜解のために落ちて來る岩石に打ち砕かるゝ虞れがあるので、已むなく異常な決心をしてその龜裂の中を匍ひ登つたのであつた。

 あとで考へると全く不思議なほどの能力でその一方の燒石の懸崖から匍ひ出した時は、兩人ともただ顔を見合はせるだけで、ろくに口が利けなかつた。そして兎にも角にもその山の頂上、濛々と煙を噴いてゐる處に登つて來たのであつた。

 悲しいまでに空は晴れてゐた。

(474) 眞向ひに聳え立つた槍や穗高の諸山を初め、この眞下の窪みはもう飛騨の國で、こちらが信州路、あれが木曾山脈でそのなほ左寄りが甲州路の山、加賀の方の山も見える筈だと身體を廻しながら老案内者の指し示す國から國、山から山の間には霞ともつかぬ秋の霞がかすかに靡いて、眞上の空は全く悲しいまでに冴えてゐた。

 黙然と立つてそれらの山河を眺め廻してゐるうちに、私は思はず驚きの聲を擧げた。木曾路信州路と教へられた方角に低くたなびいた霞のうへに、これはまた獨り靜かに富士の高嶺が浮き出て見えてゐるのであつた。

   群山の峰のとがりの眞さびしくつらなれるはてに富士のみね見ゆ

   登り來て此處ゆ望めば汝《なれ》が住むひむがしのかたに富士のみね見ゆ (褄へ)

 この火山は阿蘇や淺間の樣な大きな噴火口を持つてゐなかつた。其處等一面の岩の裂目や石の下から沸々と白い煙を噴き出してゐるのであつた。

   岩山の岩の荒肌ふき割りて噴き昇る煙とよみたるかも

   わが立てる足許廣き岩原の石の蔭より煙湧くなり

 

     平湯温泉

 

(475) 噴火の煙の蔭を立去ると我等はひた下りに二三里に亙る原始林の中の嶮しい路を馳せ下つた。殆んど麓に近い所に十戸足らずの中尾といふ部落があつた。そして家ごとに稗《ひえ》を蒸してゐた。男とも女とも見わかぬ風俗をした人たちがせつせと靜かに火を焚いてゐる姿が何とも可懷《なつか》しいものに私には眺められた。この邊にはこの稗の外は何も出來ないのださうである。

 一刻も早く其處に着いて命拾ひの酒を酌み、足踏み延ばして眠らうと樂しんで來た蒲田温泉は昨年とか一昨年とかの洪水に一軒殘らず流れ去つてゐるのであつた。そしてその荒れすさんだ廣い川原にはとび/\に人が動いて無數の材木を流してゐた。その巨大な材木が揃ひも揃つて一間程の長さに打ち切つてあるので譯を訊いてみると川下の船津町といふに在る某鑛山まで流され、其處で石炭代りの燃料とせらるゝのださうである。

 止むなく其處から二里ほど歩いた所に在るといふ福地温泉といふまで來て見ると、此處もまた完全に流されてゐた。さうなると一種自暴自棄的の勇氣が出て、其處から左折して更に二里あまりの奥に在るといふ平湯温泉まで行くことにきめた。實は今日燒學に登らなかつたならば上高地から他の平易な路をとつてその平湯へゆく筈であつたのである。福地からの路は今迄の下りと違つて片登りの輕い傾斜となつてゐた。月がくつきりと我等の影をその霜の上に落してゐた。

 燒嶽と乗鞍嶽との中間に在る樣なその山あひの湯は意外にもこんでゐた。案内者の昔馴染だと(476)いふ一軒の湯宿に入つてゆくと、普通の部屋は全部他の客人でふさがつでゐた。止むなく屋根裏の様な不思議な部屋に通されたが、もう然し他の家に好い部屋を探すなどゝいふ元氣はなかつたのである。

 やがてその怪しき部屋で我等二人の「命びろひ」の祝ひの酒が始まつた。まつたく燒嶽の龜裂の谷では二人とも命の危險を感じたのであつた。這ひかけた岩の腹から辷り落ちるか、若しくは崖の上から落ちて來る石に打たるゝか、どちらかの運命が我等のいづれにか、或は雙方ともにか、落ちて來るに相違ないと思はれたのであつた。其時の名殘に荒れ傷いた兩手の指や爪をお互ひに眺め合ひながら一つ二つと重ねてゆく酒の味ひは眞實涙にまさる思ひがするのであつた。

 路に迷つたのは兎に角として蒲田や福地温泉の現状すら知らずにゐた此老爺は或はもう老耄《らうもう》し果ててゐるのではあるまいかと心中ひそかに不審と憤りとを覺えてゐたのであつたが、其皺だらけの顔に眞實命びろひの喜びを表はして埒もなく飲み埒もなく食ひ、埒もなく笑ひころげてゐる姿を見てゐると、わけもなく私はこの老爺がいぢらしくなつた。そしてあとからあとからと酒を強ひた。彼の酒好きなことをば昨夜上高地でよく見ておいたのであつた。

 そのうち彼は手を叩いてその故郷飛騨の古川地方に唄はるゝといふ唄をうたひ出した。元來が並外れた大男ではあるが、眼の前で頻りに打ち鳴らしてゐる彼の掌は正しく團扇位ゐの大きさに(477)私には見えたのであつた。

   オンダモダイタモエンブチハフノモオマヘノコヂヤモノ、キナガニサツシヤイ、イカニモシヨツシヨ。

   ヒダノナマリハオバエナ、マタクルワイナ、ソレカラナンヂヤナ、ムテンクテンニオリヤコワイ、ウソカイナ、ウソヂヤアロ、サリトハウタテイナ。

 斯うしたものを幾つとなく繰返して唄つた末、我を忘れて踊り出さうとしてはその禿げた頭をしたたかに天井に打ちつけて私を泣きつ笑ひつさせたのであつた。

   としよりの喜ぶ顔はありがたし殘りすくなきいのちを持ちて

 餘りに疲れ過ぎたせゐかその夜私はなか/\に眠れなかつた。眞夜中に獨り湯殿に降りてゆくと、破れた様な壁や窓から月が射し込んでゐた。平湯温泉には一箇所共同湯があるのみであるが、僅かにをの宿だけが持つてゐるといふその内湯のかさな湯殿の三方は田圃となつてゐた。そして霜の深げな稻の上に照り渡つてゐる月光は寧ろ恐ろしいほどに澄んでゐた。

 

     飛騨高山町

 

 翌朝、老案内者は別れて安房峠といふを越えて信州路白骨温泉へ歸つて行つた。私は平湯峠を(478)越えて高山町まで出るつもりであつたが、流石に昨日の疲勞で足が利かず、途中の寂しい村に泊つて其次の日の夕方高山町に着いた。

 高山では某といふ旅館が一等いゝといふ話を聞いてゐたので、とぼとぼとその門口へ辿《たど》り着いて一泊を頼んだ。ところが茣蓙を背負ひ杖をつき、一月餘りも床屋に行かなかつた私の風體からも、一も二もなく斷られてしまつた。然し、もう私は其處から動くのが苦しかつた。でもう一度押し返して頼んでゐると内儀が笑ひながら帳場から出て來て、どんな部屋でもよろしくば、といふことで階子段上の長四疊に通された。それでも嬉しく、風呂から上つて夕飯の膳に向ひながら一杯飲み始めてゐると、階子段の下で珍しい音の鳴り響くのを聞いた。電話の鈴が鳴つてゐるのである。オヤ/\高山に電話があるのか、と先づ思つた。これは強《あなが》ち高山町をさう見たわけではなかつた。私は二十日餘り、郵便局まで八里もあるほどの白骨温泉に身を養つてゐて、二三日前から急に無理な歩行を續けて來たので、全く世離れのした、茫乎《ぼうつ》とした氣持になつてゐた。其處へ不意にその珍しい音が鳴り響いたのでひどく不恩議に聞えたのであつた。それを聞きながら私は不圖或る事を思ひ浮べた。そして急いで女中に電話帳を持つて來させた。

 幸ひその中に福田といふ姓を見出したので、この福田といふ家に斯ういふ人がゐはせぬかと女中に訊くと、おゐでになります若旦那ですといふ。それを聞くと私は躍り上つて喜んだ。そ(479)して大急ぎで女中に電話口までその福田夕咲君を呼び出して貰つた。

『君は福田夕咲君か、僕だ/\、解るかね僕の聲が!』

 解りやうはなかつた。私が高山町に來て福田君の事を思ひ出すのはさう不自然でなかつたが、斯うして電話口で私の聲を聞かうとは彼にとつては全く思ひもかけぬ事であつたのだ。

 彼と私とは早稻田の學校で同級であつた。そして同じ詩歌友達で、飲仲間であつたのだ。そして聞くともなく彼の郷里が飛騨の高山で、その父か兄かゞ其所の町長をしてゐると云ふ樣な事をも耳にしてゐた。それを偶然その高山町に來て思ひ出したのであつた。

 彼も丁度夕飯を喰ひかけてゐたのださうだが箸を捨てゝ飛んで來た。話し合つて見ると八年振の邂逅であった。その間彼はずつとこの郷里に引込んで居り、筆不精のお互ひの間には手紙のやりとりも斷えてゐたのであつた。

 何しに、どうして來たのかと彼は問うた。實は私の此處に來たのはひどい氣紛れからで、胃腸病には日本一だといふその山奥の白骨温泉に一箇月間滯在の餘定で遙々駿河の沼津からやつて來て居り、その歸りを長野市に廻つて其處で我等の社中の短歌會を開く事になつてゐた。その歌會までにあと六日七日といふところまで來ると、ぢいつとその寂しい湯の中に浸つてゐるのがいやになつた。そして順路を長野市まで出るより、四五日をかけて飛騨から越中を廻つて其處へ出る(480)方が面白さうだと急に白骨を立つて斯んな所まで來たのであつた。

 で、頻りに滯在を勸める彼の言葉をも日數の上からどうしても斷らねばならなかつた。そして明日早朝出立だと首ひ張つてゐると、彼は不意に怒つた樣に立ち上つた。そしていま取り寄せたばかりの膳を突きやつて、それでは斯うして宿屋の酒など飲んでゐられない、さア、速く立ち給へといふ。

 それからが大變であつた。此處の家は高山一の老舗で、娘は歌も詠むし詩も作ると云つて一軒の料理屋に連れて行かれた。やがてすると、高山一の庭のいゝ家を見せようと云つて、その歌を詠む娘や藝者たちを引率した儘また他の料理屋へ行つた。『あそこはオツなものを食はせるネ』とまた他へ移つた。よく/\時間が切れて流石馴染の料理屋でも困り切る樣になるとそれでは夜通し飲める所へ行かうと大勢して或る明るい一郭へ出かけて行つた。斯くしてとろりともせず飲んでるうちにいつか東が白んで來た。サテ引上げやうとその明るい街から出やうとすると、丁度その出口に古びはてた三重の塔が寂然《じやくねん》として立つてゐた。例の飛騨のたくみの建てたものであるといふ。

 

     飛騨古川町

 

(481) 高山一泊者は終に二泊になり、次の日には郊外の高臺に在る寺で歌會が開かれた。そして三日目の朝また茣蓙を着、杖をついてその古びて靜かな町を離れる事になつた。

 福田君は急に忙しい事が出來たといふ事で、自動車の出る所で別れ、その代りに昨日の歌會に出席した中の同君の友人某々兩君が高山の次の町、四里を離れた古川町まで送つて呉れる事になつた。古川町と云へば二三日前に平湯で別れた老爺の故郷である。高山よりももつと古びた平かな町であつた。そゞろになつかしい思ひで自動車から降りて眺め廻してゐると、一寸草鞋酒をやりませうと、とある家に案内せられた。草鞋を履いてからの別れの酒の意味ださうだ。

 正直にそのつもりでゐると、終に草鞋をぬがされた。そして一二杯と重ぬるうち、いつか知らこの二三日來の身體に醉の廻るが速く、うと/\となつてゐる所へ、なんの事だ、いま別れて來たばかりの福田君がひよつこりと立ち表はれた。長距離電話で呼び出されて、自動車で驅けつけて來たのださうだ。さうなるといよ/\私も腰を据ゑて杯を取らざるを得なくなつた。

 折から雨が降り出した。この雨では屹度鮎の落つるのが多からうと、急に夕方かけて其處から二里の餘もある野口の簗《やな》といふへ自動車を走らす事になつた。

 簗は山と山の相迫つた深い峽谷に在つた。雨は次第に強く、櫟の枝や葉で葺いた小屋からは頻りにそれが漏り始めたが、然し、どんどと燃える榾火《ほたび》の側に運ばるゝ鮎の數もそれにつれて多く(482)なつた。連れて來た二三人の中に今日初めて披露目をしたといふ女がゐた。今迄一切黙つて引込んでゐたのが、その雨漏に濡れながら急に唄ひ出した聲の意外にも澄んで清らかであつたも一興であつた。

   時雨降る野口の簗の小屋に籠り落ち來る鮎を待てばさびしき

   たそがれの小暗き闇に時雨降り簗にしらじら落つる鮎おほし

   簗の簀の古りてあやふしわがあたり鮎しらじらととび跳りつつ

   かき撓み白う光りて流れ落つる浪より飛びて跳ぬる鮎これ

   おほきなる鯉落ちたりとおらび寄る時雨降る夜の簗の篝火

 翌朝は三人に別れて雨の中を船津町へ向つた。途中神原峠といふへかゝると雨いよいよ烈しく、洋傘などさしてゐてもゐなくても同じやうなので、私は古川町で買つて來た一位笠《いちゐがさ》(土地の名物一位の木にて造る》を冠つたまゝ、ぐつしよりと濡れて急いだ。

 

(483) 野なかの瀧

 

 八月×日

 此頃は大抵毎朝斯うだが、今朝はことに空の紺が深い。

 その空の右手寄りにずつと低く伸びて行つてゐる富士の裾野の一部が見ゆる。おほらかに張り渡した傾斜のうへにはおたまじやくしに似た薄雲がちら/\と散らばつて、如何にも朝明《あさけ》の風を思はしめる。

 門の前に立つて暫くそれらを眺めてゐたが、急にその邊を歩いて見度い氣持が起きて來た。埃をあびた草の原の大きな傾斜、そのなかにぽつ/\と咲いてゐる撫子や桔梗などの花、さうしたものがまざ/\と思ひ浮べられて來た。

 顔を洗つたまゝの濡手拭を持つて急いで門口から入つて、汽車の時間表と時計とを見比べると其儘に私は家を飛び出した。それでも停車場に着いてみるとまだ六時五十分發のに十分ほど餘裕があつた。餘りに急いだので、其處までゞ私はもう勞れを覺えてゐた。爪先から裾にかけては土(484)埃でうす白くなつてゐた。そして夥しい場内の人ごみを見るとツイ先刻の感興にも可なりの嫌氣がさして來て、よほど其儘自宅へ引返さうかと思つた。然し、歸つたところで家内の者に笑はれる位ゐのもので其處には何の事も無かつた。で、出札口への行列にいつとなく入つて兎に角に裾野驛までの赤切符を買つた。

 車内に辛うじて一つの席をとるとお茶と辨當とを買つた。發車と共に始めた朝食の間に、私はゆつくりと窓から富士を見ることが出來た。これはまた一層深い紫紺の色に晴れて、頂上近い地肌の色さへも見とめられる。そのあたり、二三ヶ所の殘雪がくつきりと浮き出てゐる。見てゐる間に一時|澱《をど》んだ氣持もまた少しづゝ冴えて來るのを覺えた。三島を過ぎ、次第に野原を登る樣になると、矢張り出て來てよかつたと思ふ樣なつた。

 次の驛、裾野で降りた。初めて下車する驛である。停車場から眞直ぐに型の樣に田舍びた一本筋の宿場町が出來てゐる。料理屋、醫院、郵便局、小さな銀行出張所、さうしたものが眼につきながら二三丁も行くと、行きどまりになつて、左右にやゝ廣やかな道路が通じてゐる。ぽくぽくと乾き果てたそれは左から右へ微かな登りになつてゐる。即ち三島から御殿場へ登つてゐるものである。それを登つて御殿場まで出れば沼津から見た傾斜の一端を縱斷することになるのだ、訊いてみれば沼津からの道のりだといふ。私は眞白く續いたそれを見て暫く其處に佇んだ。

(485) その道路を突き切る徑があつた。私はぶら/\とをれへ歩いて行つた。六七軒の屋並を出はづれると眼の前には斜めに廣く黒ずみ渡つた林が見られた。見るからに裾野らしい植林である。喜んでその方へ歩んでゐると、とろ/\と降りた田圃のはづれに意外に綺麗な橋が架つてゐた。温情橋と眞新しく記されてある。

 その名から思ひ出したのは一時大阪で鳴らした實業家の岩下清周といふ人が富士の裾野に廣大な土地を買ひ込んで、其處に一種の植民事業を試み、そのために學校をも建て、橋をも架けたと聞いてゐたそれである。それとすればその學校の校長をしてゐる柳下君は豫ねてから歌などやる人で、私も一二度逢つてゐた。突嗟の思ひつきでその人を訪ねて行かうと思つた。

 橋に立つて見ると、下を流れてゐる水はまことに清らかに澄んでゐる、そして水量も豐かだ。散らばつた岩の一つ/\に白い瀬を立てゝ、淙々と流れてゐる。渡るとすぐかすかな登りになつて、あたりは瑞々しい林だ。老木といふではないが、いづれも伸びやかに伸び揃つた青々しい樹木である。道には眞青な小さい櫟の實などが落ちてゐた。冷やかな風があつて、眼下の瀬の音をかき消す位ゐの蝉時雨が林を包んでゐる。

 温情舍と呼ぶその學校は林を出はづれた所にあつた。洋風二階建の立派なものである。校舍の二階の開け放たれた邊に人のけはひがするので、其處へ聲をかけようとして門を入つて行くと、(486)草花など植ゑた庭の右手に平屋建の長屋風の家があつて、その一番はづれに柳下といふ門標が出てゐた。其處へ歩み寄つて、二三度聲をかけたが、返事がない。やがて眞向ひの校舍の二階から三十歳あまりのしとやかな婦人が私の聲を聞きつけたと見えて降りて來た。聞けば其家の主人は沼津の少年團を率ゐて御殿場の奥で植林の講習とかをやつてゐるといふ。奥さんは町の醫者に出かけられたのださうだ。さう聞けばいま橋の渡りあがりの林の中でそれらしい若い身持の婦人に逢つたのであつた。

 然し私は落膽しなかつた。これはもう一度訪ねて來たいものだと思ひながら、其處を辭した。引返して橋を渡つて、佐野(停車場の名も以前は佐野と呼んでゐた樣に其處は佐野といふ土地である。)の町へ出たが、前に困つた道端へ出てまた途方に暮れた。朝日もそろ/\暑くなつてゐた。兎に角もう少しこの道路を上の方へ登つて草の深い溪ばたにでも出會つたら其處で遊んで歸らうと心をきめた。

 その道路沿ひにもさびしい宿場町が續いてゐた。門口にはちよろ/\と澄んだ水が流れて、ダリヤ、おいらん草、松葉菊などの紅い草花が水のほとりに植ゑられてあつた。五六町でまた田圃中に出た。金時足柄長尾などの低い山垣が田圃越しの右手に見え、左には野原を距てゝ森の深い愛鷹山の墨色が仰がれた。富士は此處に來ると、愛鷹を前にせず、たゞ單獨に青廣い野の中に聳(487)えてゐるのである。見馴れた雲といふものが一片もそのあたりに見えない。千とか二千とかいふ登山客が今日は大喜びでその山を這ひ登り這ひ下りしてゐるのであらうと思ひながら仰いでゐると、そゞろにその晴れたあらはな山の姿に微笑が湧く。

 なほ十町も歩いてゆくと、不圖左手に立てられた古びた木札に佐野瀑園五龍館佐野ホテル入口と和洋の文字で認められてあるのを見た。雜誌の口繪などから記憶のある富士裾野佐野の瀧といふのゝ瀧の形が思ひ出されて來た。餘りのあてなさに困つてゐたことゝて、一も二もなく私は其處を左に曲つてとろ/\と降りて行つた。埃を浴びた畑の中の石ころ路である。

 古びて骨の出た樅か栂《とが》らしい枝つきのまゝの大きな木の門を入つてもまた畑が續く。瀧のひゞきはかなりの重みを含んで近くに響く。木立があつて、その蔭に俥が四五臺休んでゐた。木立の中を下らうとすると前面に瀧が見えた。一つ、二つ、三つ、見廻せばなほ一つ二つのそれが岩と樹木との間に僅かの距離をおいて白々と相並んで落ちてゐるのである。瀧の前に架けられた危い橋には水煙がまつてゐた。その向うの高みに洋館まがひの宿屋が建つてゐるのである。

 通された部屋からは六つあるうちの四つの瀧がよく見えた。庭木立を距てゝであるが、その木立には水煙が薄い輸をかろげて後から後から降りかゝつてゐるのである。瀧壺にはいちめんにちやぱ/\と波が押し合つてゐる。瀧の高さはすべて四丈ばかり、彎曲した斷崖の五六ヶ所から(488)三間四間、乃至は十間十五間の間に分れてとり/”\に落ちてゐるのだ。うち一つ二つのゝ水量は意外に豐かなものであつた。瀧のめぐりをば淺い林がずうつと圍つてゐる。林の向うは斜め登りの畑になつてゐるわけだ。

 部屋の裏手には孟宗竹が少しばかり並んで、その奥が小廣い櫟の林となつてゐる。瀧からと林からと入り亂れた微風が室内を吹き通した。

 思ひもかけぬ處に來たといふ氣がした。部屋のまんなかにつくねんと坐ると、瀧を見るでも何でもないが、とにかく好い處へやつて來たと思はずにはゐられなかつた。サイダーを飲みながら、これでは今夜一晩ゆつくり此處に睡つて行かうかといふ氣も起きて來るのであつた。晝飯の註文を訊きに來た少女の女中の態度も氣に入つて、

「今夜一晩泊めて貰ひます。」

 と言つてしまつた。そして枕を借りて晝飯の時間までぐつすり其儘睡つてしまつた。

 ツイ庭さきの瀧のそばまで下りてゆくのも懶《ものう》かつたが、年後二時三時となると流石にたいくつした。そして晝食の時に聞いておいた景が島といふのへ出かけて見ることにした。

 裏手の林を拔けると其處は一段高い平地の青やかな田圃であつた。小さな溪を渡り、部落を過ぎ、小山の間に入り込んだ所にその景が島といふのはあつた。小さな溪が深々と岩を穿つて流れ(489)てゐる或る一ヶ所に、水が二手に分れ、中に二三十坪ほどの廣さの岩塊を置いて流れてゐる。その岩塊には松や雜木が茂り、中に何やらお堂が祭つてある。其處が即ち景が島であるのであつた。二手に分れて流るゝとは云へ、その一方は今は悉く水が涸れて、狹深い岩の間に小石原のみが見られた。一方の流は同じく深く岩を刳《ゑぐ》つて、小さいが青く湛へた淵と、飛沫《しぶき》をあげて流れくだる短い瀬とが岩の蔭に連續してゐた。

 景が島の景色のいゝ話を女中から聞きながら私は何故だか廣やかな淺瀬の中に大きい圓い石が無數に散らばつて、水がそれらの間をしやあ/\ざあ/\と流れ騷いでゐる--そんな處を想像してゐた。つまり部屋から見えてゐるすべての瀧を合せた上流のさうした處であつたのだが、來て見ると僅かに瀧の一つに相當する位ゐの水の流るゝ一支流の斯うした景色であつた。

 が、とれもまた好かつた。木立の深いが先づよく、筋ばつた岩もよく、岩を穿つで流るゝ溪はことに私の心を惹いた。私は嶮しい岩を流まで下りて行つた。

 下りた所は小氣味の惡い淵と淵とをつなぐ小さな激しい瀬であつた。滑らかなうねりを作り、眞白な泡と玉とを打ちあげて流れてゐた。暫く蹲踞《しやが》んでそれを見てゐたが、やがて私は着物をぬいで肌襦袢一つになり、その瀬の中に入つて行つた。膠《にかは》のやうな、そして實に強い力を持つた水の筋は滑かに冷かく私の病み痩せた兩脛を押したくつて流れてゆく。私は手近の石の頭につかま(490)つて一生懸命に身體を支えてゐねばならなかつた。

 押し流される樣にして二三間下へ下つて行つた。其處はもう壺の樣な淵である。瀬から上つて淵の頭の岩の蔭に私は腰をおろした。前も岩、うしろも岩、左は淵、右は短い激しい瀬、見上ぐれば蒼い空にさし出て兩岸の樹木が茂つてゐる。

 切り立つた樣な兩岸の岩はみなふところ深く刳れてゐる。そしてその刳れた所に模型地圖の山脈などに見る幾つかの高まりが縱横に岩面を走つてゐるのである。前を見、うしろを見して私は思つた、此邊一帶が火山岩とか火山何岩とかいふ軟かな岩質で――といふよりか富士の噴火のあとのまだ硬まらぬ上を水が流れて斯う細く深く刳つたものであらうと。そして宿の前に瀧を懸けた斷崖なども熔岩の流の毛すぢほどの皺に相違なからうと。さう思ふと裾野一帶のだゝつ廣い平野の中に、普通に見ては眼につかぬほどの自分一人の窪みを作つてひそかに流れてゐる此處等の溪がいぢらしくもまた滑稽にも考へ出されて來た。

 立てば頭のつかへる岩蔭に坐つた私に氣づかぬのであらう、眼の前の石に鶺鴒がとんで來た。頻りに尾を振つて、石から石へと移つてゐる。脚のほそき、糞を落す微妙さ、そして其處に一羽の友が飛んで來ると一緒にくる/\ところがる樣にまつて行つた。鶺鴒を見てゐた私の眼は、其處にまた一つの小さな生物を見出した。うす黒い岩にぴつたりとしがみついた蛙である。痩せに(491)痩せて、そして岩と全く同じい色あひの、果物の皮の落ち散つてゐる樣な平たい蛙である。多分河鹿であらうと思ふが、それにしてはやゝ大きい樣にも見ゆる。これは水際の泡にまひ寄る細かな羽蟲を覗つてゐるのだ。さう見ると眼と口とは生き/\とした矢張りまがひのない生物である。をり/\水に飛んだ。そして圓みを作つて拗《ねぢ》れながら流れてゐる激しい水の中を眼にもとまらず敏捷に泳ぎ渡る。

 淵ではをり/\魚が飛んだ。ぴしよん、ぴたりと云ふかすかな冷たい音が、岩の蔭から蔭へ傳はる。淵の上からは蜩の聲が雨の樣に落ちてゐるのであつた。その中に法師蝉の夕日づいた澄んだ聲も混つてゐた。

 景が島を去つて田圃に出ると、矢張り裾野のみが持つ風景の廣さ大きさがしみ/”\と感ぜられた。下るともなく下り行つた傾斜の遙かな四方には夕方の低い雲の波が起つて、近い山、遠い山脈をうす黒く浮ばせてゐる。埃を被つて咲いてゐるみそ萩の花が路傍に續き、田から田に落ちてゐるかすかな水のひゞきもそゞろに秋を思はせる。立ち止つてうしろを見返ると、富士もまたむら雲の渦卷の中に夕日に染まりながら近々と立つてゐた。

 宿に歸ると、先刻とは違つた女中がやつて來てどうか部屋を換つて呉れ、此處には多勢連の客を通し度いからといふ。まつたくその部屋は一室だけ小高く離れた離室になつてをり、混雜する(492)場合など私一人には勿體ない部屋であつた。移された部屋の隣にもやがて二人連の客が來た。私は鈴を押して女中を呼んだ。そして、いま見る所では向うの西洋室が皆あいてゐる樣だ、あちらに私をゆかして呉れぬかと尋ねた。帳場に訊きに行つた女中はやがて歸つて來てい先刻横濱から電報で西洋人が來ることになつてをり、どの部屋もすべて駄目だといふ。諦めて風呂に行つて歸つて來ると、女中が來て、一室だけ不要の樣ですから西洋室にお移り下さいといふ。喜んでそちらへ移つて、粗末な椅子を窓に寄せて瀧を見ながら麥酒をとり寄せた。暑からうが、靜かなだけを喜ばうと洋室を選んだのであつたが、來て見るとよく風が通した。今夜は十二三日頃の月夜の筈、珍しい寢臺の上からゆつくり月と溪の流とを見て一夜を明さうと、子供の樣に樂しんでゐると、また女中が來た。そして如何にも言ひにくさうに、また意外な西洋人から電報でいま直ぐ此處に來るやうに云つて來た、他に洋室が無いし、誠に申し兼ねますがもう一度あちらの日本間へ移つて頂き度いといふのである。

 私は暫く黙つて麥酒を口に含んでゐた。いつもならば必ず此處で顔の色を變へるか、大きな聲を出すかする所であるがと思ひながら、その日の私は自分でも不思議な位ゐ怒る氣になれなかつた。困り切つて立つてゐる女中の顔を見やりながら、承知の旨を答へて、手づから飲み殘しの壜とコップとを持つて立ち上つた。移つてみると、流石に氣持は平らかではなかつた。病氣によく(493)ないのを知りながら更に一本の麥酒を命じて、惶しく飲み乾すと散歩に出た。

 今度は宿の前の橋を渡つて、晝間初めてやつて來た御殿場道の方へ歩いて行かうとした。橋に來ると、面を掩ひ度い水煙である。月が明かに瀧に射して、はじけ散る荒い飛沫《しぶき》も、練る樣に岩から落つる大きな流もたゞ一樣に白々と月光の裡にある。暫く橋の上に立つてゐると、瀧の流は斷えずこまかに動いてゐるものであることを知つた。際立つて風があるでもないに、瀧は決して眞直ぐには落ちてゐない。或は右に、或は左に、時には飛沫のかたまりの樣に碎けて落ち、時には生絹《きぎぬ》を練る樣に滑らかに圓く光つて落ちてゐる。瀧から起る響もまたそれにつれて變つてゐた。

 木立を通りすぐると野なかの畑である。豆畑があつた。玉蜀黍《たうもろこし》畑があつた。茄子《なす》畑があつた。桑の枝の亂れてゐる畑もあつた。それらがごちや/\に植わつてゐる樣な狹い畑もあつた。すべてが打ち開けた月光の世界である。そして蟋蟀が鳴き、馬追が鳴き、或るものゝ細かな葉さきには露の玉が光つてゐた。ことに私の心を動かすのは玉蜀黍の長い垂葉とそのほうけた花の穗さきである。ひつそりと垂れた葉のみだれには月の影も亂れながらにこま/”\と靜けく宿つてゐるのであつた。

 睡れ、睡れと念じながら歸つて蚊帳に入ると、難有や願ひの通りぐつすりと睡りつくことが出(494)來た。

 翌朝早く起きて便所にゆくと、廊下で一人の大きな西洋人に逢つた。注意して見ると西洋人はこの男一人であつた。私の一寸ゐた室は勿論、他の室も空いてゐた。室料が高く私を氣の毒がつての宿の處置か、それともこららの懷中を危ぶんだか、または電報の約束が間違つたか、變な事をするものだと思ひながら、朝飯を待つた。

 宿を出て御殿場道に出ると忽ちこの野中の瀧も西洋建の宿屋も青い田圃に隱れてしまつた。停車場に入ると運よく汽車が來た。案の如くこんでゐた。一番最後の列車の、展望車の樣にうしろのあいてゐる昇降臺に立つてゐると、側にゐた東京者らしい少年が、

「やア、活動寫眞々々々々!』

 と叫ぶ。

 見れば汽車の停つたあとの線路の中を一人の女が裾もあらはに馳けて來るのであつた。乱暴なことをするものだと呆れて見てをると、それでも車掌が二三十秒も笛を吹くのを待つたゝめか、たうとう汽車に乘つてしまつた。そして私のまん前に來て立つた。切符をば無論車掌から買つたのである。

 十七八歳の、肉づきのいゝ、女學生風の女であつた。横顔が汽車の壁に凭《よ》つて立つてゐる私の(495)正面一二尺の所に見ゆる。ゆたかな耳朶は濃い紅ゐに染り、水際だつた襟からは見る/\汗が玉となつて滴つた。そして大きく吐く息づかひがこちらの身にも傳はる樣であつた。

 眼をそらすと富士は昨日の朝の樣に同じく深い紫紺の色に冴えて汽車のうしろに聳えて見えた。汽車はおほらかな野原の傾斜を眞直ぐに走せ下つてゆく。


(496) 或る島の半日

 

 旅さきの癖で朝飯の膳に一二本の酒をとり寄せ重苦しい宿醉《ふつかよひ》を呼び出しながら飲んでゐると、惶《あわただ》しく女中が飛んで來てほんたうにもう船が出ますといふ。案内役の伊勢崎君もその顔を見て流石に腰を浮かした。そして窓に出て向うを見てゐたが、

『ほんまに出よるわ、しやうのないやつちやなア。』

 と舌打ちしながら、手を振り聲をあげてその舟を呼んだ。そして私共二人は飯も喰ふことなしにあたふたと袴を著けてその舟まで驅け著けた。『郵便船やよつて、出るとなつたら一分も待ちよりやしまへん。』といふ宿屋の女中に『なアに、あの船頭知つとるよつて、構ふことあらへん。』と伊勢崎君はたかをくゝつてゐたのであつたが、矢張り斯う周章《うろた》へねばならなかつた。

 あたふた乘り込んだ舟は普通の漁船の小型なもので、中央に屋根が葺いてあり、その上に〒の字の旗が立てゝあつた。先客のために屋根の中に入り得ない私たちは艫《とも》の荷物の上に辛うじて腰掛けたが、ツイ眼の前には昨夜眞夜中に著いた停車場が見えた。停車場から左寄りの山蔭と海岸(497)の石垣との間に寂しげな宇野の町が眺められた。石垣に寄する小波の音といひ、朝あがりの日かげに忙がしげに行き交うてをる船頭や仲仕や客人や泣いてる子供や、聞きわけかぬるふれ聲の女の魚賣やの姿が、怪しい自分の心に如何にも粗雜な新開港であるといふ感じを抱かせた。

 それらの背景に極めて不似合に大きな見ごとな棧橋が停車場前から突き出てゐた。山陽線と四國鐵道とをつなぐ連絡船は即ちその棧橋から發著するのである。我等の小舟は棧橋につかまりながら徐々と海に出て、帆を張つた。

『えらう此頃は郵便船も見識が高うなつたなう、萬作さん。』

 伊勢崎君は汗を拭き/\船頭に聲かけた。裾長の著流しで學生帽を被つた四十年輩の船頭はただにや/\と笑ひながら懷中から煙管を取り出してゐた。

『お蔭で飯もよう喰はんと走り出して來居つて……、ひもじうて叶はんがな。』

『どだい此處等の宿屋の女中があきまへんわ。』

 船頭の代りに屋根の下から答ふる者がゐた。白髪でもありさうな年恰好の聲であつた。

『ぢつきに出るのはよう解り切つてるのに、まだぢや/\と吐《ぬか》しをつて……』

『をなごの手ぢやわい、そりや。』

『ちよつとでも長う樂しまうと思うてけつかるのや。』

(498) 屋根の下は急に賑はつて來た。

 棧橋を離れると前面の海に幾つかの島が見え出した。海に島が浮んでゐると云ふより、島に圍まれた海と云つた方が適當か知れない。ぺたりと凪いで、池の樣に靜まつてゐる。そしてその古池の樣な海に瀬戸特有の潮流があらはな水脈《みを》となつて流れてをるのが見ゆる。奥から奥へと並んだ島々の蔭にかけて、その流はほの白う流れ渡つてゐるのである。大小さま/”\な船がまたそれらの島蔭に見えてゐた。上り下りの帆の向きの異つてゐるのも馴れぬ眼には興深く眺められた。何百間かに亙る天然石に日蓮の寢像を刻みかけてゐる牛が首島といふのも、遠く近く垣の樣につらなり渡つた島の中にさし示された。

『ホウ、金比羅參りが來居つた。』

 一艘の帆前が綺麗に滿艦飾を施しながらとある島の蔭から現はれて來た。

『えらい靜かなお參りや。』

 誰やらが言つた樣に、すれちがふまでに近づいてもその青や赤の新しい旗で飾り立てた船はただひつそりと走るのみで人影もろくに見えず話聲ひとつ聞えなかつた。

『これが直島ですよ、もう著きます。』

 長い旅の疲れと朝酒の醉とで、ろくに何を見るともなくぼんやりと何やらの荷に腰かけて風に(499)吹かれてゐる耳のはたで伊勢崎君が囁《ささや》いた。

『さう、もうこれが直島ですか。』

 私は船の右手に近く鹽田でもあるらしい砂濱の出た一つの島を改めて見やりながら強ひて睡氣を追はうとした。時計を見れば宇野を出てから一時間ほど經つてゐる。見廻せばそのあたり左手の海にも三つか四つの島が濃淡の影を重ねて居るのであつた。

 舟から上ると、其處は小さな舟著場らしい部落になつてゐた。この直島の主都に當る所だといふ。友人のあとについてその部落を横切り、この島の郷社八幡宮の下に宮司三宅其部氏を訪うた。三宅氏の家はこの島の神官職を勤むる十數代にわたり、當主其部翁は友人伊勢崎君の爲に月下氷人に當るのださうだ。けふ突然兩人して翁を驚かしたのは瀬戸内海の中のこの小さな島に崇徳上皇配流の故跡があるといふのと、今一つは瀬戸名物の鯛網を見物するにこの島は甚だ恰好だといふのとで、私は岡山市滯在中同市の人伊勢崎君に勸められ同君はまた島の三宅翁を頼つて、此處までやつて來たのであつた。

 髪にも髭にも白いのがかなり混つた割には極めて元氣な矮躯赭顔《わいくしやがん》の翁は折柄所用で外出しかけて居たにも係らず、懇ろに我等がために古文書を展き、繪圖を示し、流されてこの島に三年の月日を送られた上皇の故跡をいろ/\と説明せられた。そして當時上皇の詠まれた

(500)   松山や松のうら風吹きこして忍びて拾ふ戀忘貝

 といふ歌によつて忘れ貝と呼ばれて居るこの島特有の貝殻の拾ひ取つてあつたのを特に私のために分けられたりした。中に美しい純白なものがあつたが、これなどは今極めて稀にしか拾へない種類なのだそうだ。

 併し、惜しい事に歴史上の年代や考證がかつた話を聽くべく餘りに私は旅に疲れてゐた。今度の旅に出てまだ幾日もたつてはゐないが、その出立前からかけての烈しい不攝生、不健康、ことに岡山に來てからの四五日が間、夜晝なしに飲み續けてゐた暴酒や不眠のために殆んど全くの病人となつてゐた私にとつてはそれらの入り込んだ話はともすると頭の中で纒《まとま》らぬがちであつた。幸ひに翁は説明を中途でやめ、これから順々と重な故跡を案内しませうと自分から立ち上つた。そしてそのあとを豫ねて鯛網見物の場所ときめてあつた琴弾《ことひき》の濱へ出ようといふのである。

『なアに、御覽の通り島が小さいのですから全體を廻るにしてもざつと半日あれば足りますよ』

 と言つて、長い杖を一本私に渡しながら大きい聲で翁は笑つた。

 三人續いて門を出ると、直ぐ徑は坂になつた。若い松がまばらに生えて、山の肌はうす赤い。雲は多いが、折々暑い日が漏れて、私の身體はすぐ氣味の惡い汗になつた。その赤い山襞のあちこちに、遙々都から御あとを狙うて來た御側の女がやがて身重になつて籠つたあとの森だとか、(501)同じくおあとを慕はれた姫宮がどうなされたとかいふ樣な傳説のあとを幾箇所も見てすぎた。

 程なくその島の脊に當つてゐると思はるゝ峠を越すと、今まで見て來たと違つた海が割合に廣々と見渡された。峠に崇徳上皇を祭つたお宮があつた。小さいながらにがつしりとした造りで、四邊には松が一面に枝を張つてゐた。東西に向つた海の眺め、海に浮ぶ二三の島の眺め、それらを越して向うに見渡さるゝ四國路の山から山の大きい眺め、流石に私も暫しは疲れを忘るゝ心地になつた。其處を磯の方にとろ/\と二三丁も下ると、けふ目ざして來た重もの目的のお宮の跡といふのに出た。

 其處もかさな山襞の一つに當つてゐた。浪の寄せてゐる磯まではほんの十間もないほどの僅かに平たい谷間で、あたりには同じく松がまばらに立ち並び、間々雜木が混つてゐた。三宅翁は携へた杖で茂つた草や落葉をかき分けてゐたが、やがて目顔で私を呼んだ。行つて見ると、その杖の先には小さな石を盛んだ石垣風の所が少し現はれてゐた。

『どうした建築の法式でしたか、この石垣が三段に分れて積まれてゐます、此處が一段とその上と、もひとつ上の平地と……』

 翁の杖の先に從つて眼を移すと、成程それ/”\三坪ほどの平地を置いて、二三尺の高さに三段に重なつてゐるのである。思ふにこの一段ごとに一軒づつの小屋があり、御座所やお召使または(502)警護の者共それ/”\の住所にあてられてゐたものらしいと想はれた。二坪ほどの御居間に三年餘もお籠りになつた當時の御心持を想ふと、古い歴史のまぼろしが明かに眼の前に現はれて來る樣な昂奮を覺えずにはゐられなかつた。仰げば峰まで二三丁の嶮しい高さ、下はとろ/\と直ぐ浪打際になつて、眞白な小波が寄せて居る。住民とても殆んど無かつたと傳へらるゝ當時のこの小さな島の事を心に描いて來ると、あたりに立つてゐる松の木も茅萱の穗も全く現代のものではない樣な杳《はる》かな/\心地になつて來るのであつた。

 いつまで立つてゐるわけにもゆかなかつた。帽子をとつて四邊の木や草に深く頭を下げて、私たちは磯の方に降りて行つた。崖下の浪打際をやゝしばし浪に濡れて歩いて行つて、やがて少し打ち開けた平地の所に出た。其處等にもくさ/”\の傳説のあとがあつた。平地の南の端、三四十の家の集つてゐる玉積の浦(この名もなつかしい)には寄らずに田圃を西に横切つて行くと一列の並木の松が見えた。其處に著くと松並木の蔭におほらかに彎曲した大きな濱があつて、同じく弓なりに寄せてゐる小波が遙かに白く續いてゐた。例の忘れ貝は多くたゞ其處からのみ出るといふ琴弾の濱(この名も同じ上皇に因縁した傳説から出たものであつた)が其處であつた。そして其處に粗末な漁師の小屋が五六軒松の根に建てゝあつた。私たちは其處でこれから鯛を鯛しようといふのであつた。

 

(503) 伊豆紀行

 

 二月九日

 O――君とS――君と、一人は會社を一人は學校を怠けて、束京驛まで見送つて來た。この二人は昨日珍しく降つた雪に浮れて私を訪ねて來、ツイ雪見酒が過ぎて昨夜そのまゝ泊つてゐたのである。

 停車場の食堂の入口で飲み始めたビールが軈てウヰスキイに變る頃は、十二時幾分かの汽車に乘るのがいやになつて、一時三十五分の京都行に延ばす事にきめた。昨夜の名殘もあるので、三人とも直ぐ眞赤に醉つた。

『先生は斯んな帽子を被つて旅行しようといふのですか、一體これはもう何年被りました、僕のを貸してあげますよ、これをお被りなさい。ソラ、よく似合ふでせう。』

 と、首まで赤くなつたS――君は自身の帽子をぬいで私に被せた。何といふ型だか、毛の深い温い帽子である。

(504)『ほんとだ、それに手袋もお持ちでありませんネ、これを差上げませう、まだ買つたばかりのだから』

 とO――君は、これも毛深い眞新しい手袋を取つて私に渡した。あやしき帽子を被つて眼の垂れた私の顔が食堂の鏡に映つて居る。食堂内には西洋人が多かつた。

 歩廊に登ると、まことに好い天氣だ。雪を被つた全市街の上にうらゝかに射し渡した日光の底の方には微かに霞が釀《かも》されてゐる。靜かに汽車は動き出した。

 驛を出ると直ぐ私は睡つた。品川をも知らなかつた。そして眼をさますと汽車は停つてゐた。見廻せば國府津である。乘降が大分混合つてゐる。其處を出ると足柄か天城か、眞白に雪の輝いた連山が眺められた。車窓近くの百姓家の段々畑の畔に梅が白々と咲いて居る。今年初めて見る梅である。箱根にかゝると私の好きな溪流が見え出した。そして、細かな雪がちら/\とまひ始めた。御殿場では構内を歩く驛の人が頭布を被つてゐる程繁く降つてゐた。而かも其處を離れて裾野を汽車が走せ下ると次第に晴れて遙かの西空は眞赤な夕燒、龍卷に似た黒雲が二すぢ三すぢその朱色の光の中に垂れ下つてゐた。

 沼津驛下車、直ぐに俥で狩野川の川口へ行く。この前泊つた川岸の宿は滿員といふので名も知らぬ小さな船宿へ入る。ぬるい風呂に浸つてゐる頃から耳についてゐた風は次第に烈しく雨戸を(505)搖るがし何といふ事なく今夜の酒は飲むだけ次第に氣を沈ませてゆく。三方壁の樣になつた――一方に小さい四角な高窓がついてはゐるが――四疊半の煤びた部屋の床に古木らしい大きな枝の梅がなか/\器用に活けてある。

『いゝ梅でせう、わたしが自宅《うち》から持つて來たの。』

 あやしげな女がひよつこり入つて來て煙草をねだりながら言ふ。活けたのもお前か、と訊けば、それは此家《ここ》の旦那だと正直に頭《かぶり》を振る。不圖思ひついた事があつて沼津在に二瀬川《ふたせがは》といふ所がある相だが、と尋ぬると二瀬川はツイこの川向うで、わたしの家はその隣村だといふ。そんなことから、私はもと上州前橋の生れで、沼津の廓《くるわ》に身を賣り、その何とか村の者に請出《うけだ》されてゐたが姑《しうとめ》との仲が合はず、今は此處に預けられてゐる、兄さん(と彼女は云つた)は旦那より五つ年下だと側の宿帳をひろげながらの身の上話などが出た。そのうちに階下《した》から呼ばれて降りて行つたがまた上つて來て、此家《ここ》の旦那は根が遊人だけによく解つてゐるが、お内儀《かみ》さんは藝者上りの癖にちつともわけが解らず、辛らくて爲樣《しやう》がないといふ風の事をまだ拔け切らぬ上州辯で話して、たとへ何にせよ宿屋一軒に番頭板場が居るでなし、女中はわたし一人で晝は子守までさせられ、肩が張つて斯の樣だと骨をめき/\いはせながら泣顔をする。

 漸く私も醉ふのを斷念して、直ぐ床に入る。風はいよ/\ひどい。明日はどうせ汽船は出ま(506)い、さうなればその二瀬川の知人を訪ねて見ようなどゝ思つてゐるうちに案外に早く熟睡した。

 

 二月十日

 夜中一二度眼の覺めた度毎に例の風を聞いたのであつたが、朝六時過ぎ、暫く耳を澄ましてもひつたりと何の音もせぬ。怪しみながら床を出て高窓の戸を引開けて見ると驚いた、その小汚い窓の眞正面にそれこそ玲瓏を極めた大富士の姿が曙のあやを帶びて如何にも光でも發するものゝ樣に聳えてゐるのである。見廻したところ其處等の樹木の梢から屋根からいづれもみなしんと靜まり返つて唯だ雀の聲のみ鮮かだ。惶てゝ階下に降りて訊くと汽船は二時間遲れてこの七時半には出る相だといふ。

 以前はツイこの川岸に横着けになつてゐたものだが、今は川口が淺いため汽船は沖にゐて其處まで艀を發動船で運ぶのだ。川口を離れると昨夜の名殘らしく隨分大きな浪が打ち寄せる。四五十人鮨詰に立つてゐた艀の人達も大抵は蹲踞《しやが》んでしまふほどであつた。本船に移つて大半は階下の船室に入り込んだが私は早速|蓆《むしろ》を敷いて甲板に席を作つた。船に強さうな十二三人もみなその樣にした。積荷は既に濟んでゐたらしく、程なく發船、私の席からは其處に積み重ねられた魚の空樽《あきだる》の間に殆んど斷えず富士が仰がれた。やがてそれ/”\の人の間に船の上らしい談話が交され(507)始めた。どうも今朝五時頃に裾野に靡いてゐた雲で見ると私は東南風《ならひ》らしいと見たがといふ人が居ると、イヤ、あれは確かに西風《にし》だ、今こそ斯う不氣味に凪いでゐるがやがてこれが月の落ちぐちにでもなつたらどつと吹いて來ませうよといふ老人もある。この老人の言葉に私は狹苦しい席に身體をねぢ向けて空を探すと、なるほどくつきりと澄んだ沖近くに二十日頃の有明月が寂しく懸つてゐるのであつた。

 戸田《へた》近く、汽船は斷崖にひた/\と沿うて走る。切りそいだ崖の根がたにどばん/\と浪の打ちあげてゐる所もあり、またその根に狹く荒い石原があつてそれに白々と寄せてゐる所もある。崖の上は大抵一面に枯れ果てた萱山で、海岸沿ひに電信柱が一列遠く連つてゐるのが見ゆる。一昨日この邊も降つたらしく、雪が斑らにその山のいたゞきに殘つて居る。浪の色ほ深い紺碧、風は無くても船はいい加減に搖れて居る。

 戸田の港を出た後から先刻の老人の豫言が力を表して來た。煙突や帆柱に風のうなりが起る樣になると、船は前後に烈しく搖れ始めた。私は幸に身體を凭せ懸ける所を持つてゐたのでよかつたが、さうでない人々は坐りながら前後にずり動かされねばならなかつた。いつの間にか話聲はぴたりと止んで、例の吐《もど》すうめきが起り出した。階下《した》の船室から這ひ出して欄干《てすり》にしがみつきながら吐いてゐる若者もあつた。ものにつかまりながら辛くも立ち上つて沖の方を見ると空は物凄(508)いぼどにも青く冷たく澄み渡つて、沖一面の白浪が泡立ちながら此方を目がけて寄せて來てゐるのである。この西伊豆の海岸は、西風《にし》の吹き出す秋口から冬にかけてよく荒れがちであるのださうだが、終に今日もその例に漏れぬ事となつたのである。あとで聞くと、その荒れるうちでも今日のなど最も強いものであつた相だ。

 土肥には寄るには寄つたが、なか/\艀が近付かない。またそれに乘り移る時汚物によごれた婦人客の有樣など、見て居られなかつた。そして此處ではまだずつと先まで、松崎とか下田とかまで行く可き人のうちでもものを吐き吐き下船する人が隨分あつた。いたましい汽笛を殘してこの小汽船米子丸はまた外洋の白浪の中に出て行つた。土肥は温泉のあるため乘降客は多いが港らしくなつてゐないので船は永く留つてゐる事も出來ぬのである。

 土肥を出て直ぐ、私は眼覺しい風景に接した。高い岩壁に沿うて十丈又は十五丈もある黒鐵色の岩礁が二三本鎗の穗尖の樣に鋭く並んで聳え立つて居る。沖から寄せた大きなうねりはその岩礁といふ岩礁、岩壁といふ岩壁に青く寄せ白く碎け縱横自在に荒狂つてゐるのである。わが汽船はその眞近に吹き寄せられながら或は高く或は低く上りつ下りつして實にあはれな心細い歩みを續けて行く。その邊に來るともう私すらが無事に坐つてゐる事は出來なくなつた。物につかまりながら立つか、或はぺつたりとこれも同じく何物かに身を寄せて俯伏せに寢てゐるか、いづれか(509)でなくては身が保てない。私は飛沫を浴びながらS――君の帽子を耳までも深く被つて全身に力をこめながら立つてゐた。そして時には甲板よりも高く蜒《うね》つてゆく長いうねりを息をひそめて見つめてゐたが、思はず知らず或る時大きな聲を上げてしまつた。岩壁と岩礁との僅かの間、浪といふ浪が狂ひ廻つてうち煙つてゐる眞中に實に見ごとな、遙かな富士を發見したからである。何といふ崇嚴、何といふ清麗、朝見たよりも益々うらゝかに輝き入つて、全面白光、空の深みに鎭つてゐるのである。富士は近くてはいけないが、いつの間にか此處あたりは恰度距離も見ごろな所となつてゐたのである。船よ、御身もこれで幾らかづつは歩いてゐるのだナ、と思はず欄干を叩いて微笑せざるを得なかつた。

 然し、甲板の上は富士どころの騷ぎでないのであつた。三つづゝ積み重ねて七八所に束ねてあつた空樽が餘りの動搖にいつか束ねた繩を切つて一齊に甲板の上に轉げ出したのである。甲板にゐた人たちは幾らか船に強い方の人であるべきだが、うち見た所私のほかには最初強風を豫言した例の痩老人のみが先づ生色あるのみで、他は大抵もうへたばつてしまつて居る。汚物の鑵が倒れ溢れても起さず、汐を被つても拭はず、たゞもうべつたりと甲板にしがみついてゐるのである。その上を鱗《うろこ》だらけの空樽が幾つとなく轉げ廻るのだから耐らない。思はず私も手を出しかけたがつかまつてゐる手を離せば忽ち私自身空樽同樣とならねばならない。爲方《しかた》がないから唯だ大(510)きな聲を上げた。私と反對の側に掴《つかま》つて立つてゐた老人も等しく金切聲を張りあげた。聞きつけて船長らしい大男と今一人若いのとが出て來たが、彼等だとてさう自由に歩けるものではない。暫く樽と角力をとつてゐたが流石に如何にかくゝりつけてしまつた。今までの遠景から眼を移してその樽の轉げるのを見廻してゐるうちに私も何だか少し氣持が變になつて來た。嘔くのかナ、と思つてゐる所へ向側の老人が這ふ樣にして私の方へやつて來た。さうして私に並んで立ちながら、

『どうも貴方は豪氣ですナ、私は始終この船には乘つてゐるからだが、普通の人でこの荒れに醉はないとは珍しい、まつたく豪氣だ。』

 と讃める。さうなるとこちらも氣を取り直さねばならず、暫く話してゐるうちにいつか嘔氣をも忘れてしまつた。老人は年六十七八、墨染の十得の長い樣なものを着て、まだ斯んなに船の搖れなかつた前にはちやんと正座しながら茶道捷徑といふ本を手提の上に置き、齒の無い聲で高らかに讀んでゐたのであつた。沼津本町の人、茶を教へに田子港まで行くのだ相な。ひとしく浪の面を見詰めながら並んで立つてゐると彼は口のうちで、然しかなりいゝ聲で、「鳥も通はぬ八丈が島へ……」と追分を唄ひ出した。それが船の烈しい動搖につれて間々常磐津に似た節廻しにも移つてゆくのである。

(511) さうしてゐる間に船は八木澤、小下田、宇久須といふ樣な幾つかの寄港場を悉く見捨て阿良里《あらり》といふ港へ非常な努力で入つて行つた。この港はどの風にも浪一つ立たぬ附近唯一の良港であるといふ。成程小さくはあるが港らしい港だ。奥に入つてゆくと赤茶色の山の蔭に僅かに沖の餘波を思はせる小波が立つてゐるのみであつた。あはれな汽船は其處に入りながら寧ろ物悲しい汽笛を長々と鳴らし始めた。

 私は元來今日はこの船で松崎まで行くつもりであつた。イヤ、若し船の都合がよかつたらずつと一息に下田まで行つてもいゝと思つてゐた。が、今日は一切此處より出船しないといふ。それもまた強《あなが》ちに惡くないと私は快く諦めた。そして何處に泊るも同じだからこの思ひもかけなかつた小さな港に一夜を明すも面白からうと心にきめた。艀に移らうとして不圖見ると例の老人が――彼はこの次の田子港まで乘る筈で、其處には迎ひの人も來るべき筈であつたのだ相だが――幾つかの手荷物を持て餘してゐる。私はそれを手提一つと風呂敷包一つとに區分させ、自分のものをば腰に結びつけて、その手提をば代つて持つてやることにした。サテ、陸に上つて、私はこの老人と別れ樣としたのだが、此處から田子まで距離が約一里、其間に峠もあると聞いて、その田子に宿屋の有無を訊きながら其處まで老人と一緒に行く事にまた覺悟を變へた。そしてとぼとぼ歩き始めると、船にゐたよりも私は身體のふらつくのを感じた。最初の峠は隨分嶮しく、且つ(512)路が水の無い溪見た樣な路なので歩きにくい事夥しい。其處を幾度となく禮を言ひ/\先に立つてちよこ/\歩いて行く老人の後に從ひながら私は彼の健康さに舌を卷かざるを得なかつた。

 二つ目の峠――といふ程でもなかつたが――を登り切ると、 泡浪立つた廣い入江の奥に位置する田子の宿が直ぐ眼下《ました》に見えた。屋並《やなみ》の揃つた、美しい宿場である。鰹節《かつをぶし》の産地で、田子節といふのは此處から出るのだと老人は説明した。宿屋は高屋と云つた。ところが、生憎剛と部屋がいま全部|閉《ふさ》がつてゐて合宿で我慢して頂くわけには行くまいかといふ事である。私を案内して一緒に其處まで行つて呉れた老人はそれを聞くと却つて喜んだ樣に、それでは矢張りこれから私の行く家へ御一緒に參りませう、極く懇意な仲で、ことに私はいつも其家《そこ》の離室《はなれ》に滯在する事にきめてあるので少しの遠慮もいらないから、とたつて勸める。兎に角晝飯だけ――もうその時二時を過ぎてゐた――此家で濟ませませう、貴方も如何です、と當惑しながら私がいふと、ではさうなさい、その間に私は向うに行つて主人にもよく話をして來ます、後程伺ひますからと言ひ置いて老人はそゝくさと出て行つた。

 日の當る窓際で私は焦れてゐた酒にありつき乍ら考へた。斯うした浦曲《うらわ》で茶の師匠と相食客をするのも面白くなくはないが、多少でも窮屈の思ひをするのは嫌だ、それに茶の一手でも辨《わきま》へてゐるとまだ便利だが、どうも新派和歌では始まらない、これは矢張り斷るに限る、と思ふと今更(513)老人に逢ふのも面倒で、大急ぎで飲み乾して飯をば喰べず其處を出た。出がけに手紙代りの歌を一首、書きつけて宿に頼んで來た、もう一度あの好人物さうな老人の顔を見たくも思ひながら。

 如何にも鰹節が到る所に乾してあつた。高くなつた/\と朝晩勝手で女中を相手に嘆《こぼ》してゐる妻の顔などが心に浮んで、苦笑しながら無數に乾しひろげられたそれ等を見て通り過ぎた。風は相變らず烈しく、私の五六歩前を歩いてゐた二人の若い酌婦風の女の上にまだ乾かぬ乾物が竿のまゝ落ちて來たりした。宿場《しゆくば》を離れると直ぐまた山にかゝつた。

 酒のせゐか、幾らか風をよけた山蔭のせゐか、その峠をば私も極めて穩かな氣持で登り始めた。梅が幾つか眼につく。初めこの旅を思ひ立つた時、この花の盛りを見る氣でゐたのであつたが次第に日が遲れてもう過ぎてしまつたらうと諦めて來たのにまだ結構見らるゝ。浪に揉まれながらの船からも海岸の崖の上に咲いてゐるのがよく見えてゐた。一帶にこの國にはこの木が多いかも知れぬ。段々畑の畔などに列を作つて咲き靡いてゐる所もある。伊豆は天産物の豊かな上によく細かな所にまで氣をつけて人々がその徳を獲ようとする、と云つた數年前天城を越す時道連になつた年若い縣技手の話を私は端なく思ひ出した。国が曖かだから山椒の芽や櫻餅に用ゐる櫻の葉などを逸早く東京あたりへ送り出す、その山椒の價額が年平均何萬圓、櫻の葉が何萬圓、などゝその技手は細かな數字をあげて話して呉れたのであつた。そんな風でこの伊豆には模範村と(514)表彰された村が全體で何個村とかあると云ふ事であつた。氣侯や地味を利する事には餘程鋭敏な國であるらしい。

 今度は獨りだけに荷物とても無く、極めて暢氣に登つて行くとやがて峠に出た。何といふ事なく其處に立つて振返つた時、また私は優れた富士の景色を見た。いま自分の登つて來た樣な雜木山が海岸沿に幾つとなく起伏しながら連つてゐる。その芝山の重なりの間に、遙かな末に、例の如く端然とほの白く聳えてゐるのである。海岸の屈折が深いから無數の芝山の間には無論幾つかの入江があるに相違ない。その汐煙が山から山を一面にぼかして、輝やかに照り渡つた日光のもとに何とも言へぬ寂しい景色を作つてゐるのである。現にいま老人と通つて來た阿良里と田子との間に深く喰ひ込んだ入江などは眼の醍むる樣な濃い藍を湛へて低い山と山との間に靜かに横はつて居るのである。磯には雪の樣な浪の動いてゐるのも見ゆる。私は其儘其處の木の根につくねんと坐り込んで、いつまでも/\この明るくはあるが、大きくはあるが、何とも言へぬ寂びを含んだながめに眺め入つた。富士の景色で私の記憶を去らぬのが今までに二つ三つあつた。一つは信州淺間山の頂上から東明《しののめ》の雲の海の上に遙かに望んだ時、一つは上總の海岸から、恐しい木枯が急に吹きやんだ後の深い朱色の夕燒の空に眺めた時、その他あれこれ。今日の船の上の富士もよかつた。然しそれにもまして私はこの芝山の間に望んだ寂しい姿をいつまでもよう忘れないだ(515)らうと思ふ。

 風が冷たく夕づいて來たのに氣がついて身體を起すと、また此方側の麓には藍甕《あゐがめ》の樣な海と泡だつた怒濤とがあつた。雜木の木の間にそれを眺め/\下りて行くと時雨らしいものが晴れた空からはらはらと降つて來る。最初はほんとに時雨か霰かと思つた。が、まことは風が浪の飛沫を中空に吹きあげて、それが思はぬあたりに落ちて來るのである。汐けぶりなどといふ言葉ではとても盡されない。汐吹雪、汐時雨、しかもそれがいゝ加減に高い山を越えて降つて來るのである。そして海と風とのどよめきが四邊を罩めてゐる中に、ちゝちゝと木の葉の樣な眼白鳥が幾つとなく啼いて遊んでゐる。この小鳥もこの海岸には非常に多いらしい。

 私が異常な昂奮に自ら疲れて仁科村字濱町といふ漁村に着いたのはもう灯の點く頃であつた。普通に歩けばその日のうちに充分松崎まで行けたのであるが、また行くつもりであつたが、この附近の餘りに景色のよさに諸所道草を食つてゐて斯うなつたのであつた。其處の鈴卯旅館といふに泊る。

 

 二月十一日

 終夜怒濤を聞きながら睡りつ覺めつして朝早く起きて見るとよく晴れたなかに相變らず風が荒(516)れて、日の丸の旗が慘めに美しく吹きはためかされてゐる。紀元節なのだ。朝食をすますと風の中を犬の子の樣にして散歩に出た。昨日通つて來た海岸をもう一度見直し度かつたからである。昨日の夕方、もううす赤くなりかけた夕日のなかを疲れ切つて歩いて來ると片方《かたへ》は麥畑になつてゐる、とある路傍に思ひがけなく怒濤の打ち上る音を聞いた。終日濤聲に包まれてゐたのであるから普通なら別に驚かないのだが、通りかゝつた其處は左がやや傾斜を帶びた背い麥畑で右手海寄りの方は一寸した窪地を置いて直ぐその向うに小高い雜木林の丘がある許り、その附近暫く浪や海の姿に遠のいてゐる場所であつた。其處へ突然足許からどば-んといふのを聞いたのだ。怪しみながら窪地の邊を窺《のぞ》いて見ると一つの大きな洞穴《ほらあな》がその雜木の丘の根にあいてゐて、その洞の中で例の浪が青みつ白みつ立ち狂つてゐるのである。しかもその洞が外洋から如何《どう》通じてゐるのか、打ち見たところどの方角からにせよ直徑二三丁の距離を穿つてゐるのでなくては浪は導けない地勢にある。私は痛い足を引きずりながら洞の側へ下りて行つた。洞は次第に奥が廣くなつてゐるらしく、暗いなかに大小の浪が怪しい光を放ちつゝ縱横に打ち合つてゐるのであつた。宿に着いてその話をすると、向う側は三所《みところ》から洞になつて入り込み中程で落ち合ひ乍らこちらに拔けてゐる、その中ほどの所には上からも大きな穴があいてゐてそれを土地の人は『窓』と呼んで居るといふ事であつた。今日はぞの『窓』をも見たい希望であつた。

(517) この濱町といふ所は――この附近全體がさうではあるが――恰も五本の指をひろげた樣に細高い丘が海中に突出して、その合間々々が深い入江となつて居るといふ風の所である。で、一つの入江の浪打際を過ぎて丘を越ゆると、思ひもかけぬ鼻先に碇泊中の帆柱がゆらり/\と搖れてゐると云つた具合だ。宿《しゆく》を出外れた所に御乘濱と呼ばれた大きな入江がある。その前面、即ち外洋に面した方には大小數個の島礁が並び立つて、美しく内部を取り圍んでゐる。風の無い日ならばどんなにか靜けく湛へてゐるであらうに、今日はまた隅から隅まで浪とうねりとに滿ち溢れ、宛《さなが》ら入江全體藍の壺を搖りはためかす形となつてゐる。路は崖を鑿《うが》つて入江に臨んで居る。岩蔭に身を跼《かが》めて暫くその浪と島と風とに見入つて居ると、駿河灣を距てた遙かな空には、沖かけての深い汐煙のなかに駿河路一帶の雪を帶びた山脈がほの白く浮んで見えて居る。富士は見えなかつた。

 洞穴に來て見ると昨日の通りに暗い奥から生物の如く大きな浪が打ち出して居る。その『窓』といふのへ行かうと其處等を探したが勝手が解らない。また一度路傍まで出て久しい間行人を待つたが流石に土地の人もこの風をば恐れたか誰一人通らない。見ると山蔭の麥畑の中に百姓家らしい唯だ一軒の藁屋が日を浴びて立つて居る。四方森閑と締め廻してあるのでてつきり留守と思ひ諦めてゐるとたまたま戸口があいて一人の老婆がちよこ/\と出て來て直ぐまた引つ込んだ。(518)私はそれを見ると喜んでその一軒に登つて行つた。そして裾に吠えかゝるか犬を制しながら庭に立つたまゝ戸口にはやゝ遠くから聲をかけた。軈て先刻遠くから見たらしい老婆が着ぶくれた半身を現はしてさも不審相に私を見て居る。私は口早に(犬が恐かつたのだ)この路下の洞穴のほかにもう一つ附近に洞穴がある相だが(矢張り犬のために窓といふ嘗葉を忘れてゐた)それにはどう行くかと訊くと、それには……と言ひかけてそゝくさと奥へ引つ込んで了つた。そして今度は愛憎笑ひの顔を出して、とにかくこちらへ入れといふ。犬に迫はれながら戸口を入つて私も意外な思ひをした。唯の百姓家とのみ思ひ込んでゐたのに、中に入つて見ると其家は何かの御堂であつた。土間の左手はさゝやかながら物寂びた本堂、正面の所が庫裡――と云つても長四疊程の小さな部屋で、中に切られた爐には赤々と焚火が燃えてゐた。ぞしてその圍爐裡の正面には小机を置いて六十歳あまりの和尚らしい人が坐り、同じく不審相に私を見迎へてゐた。

 

(519) 雪の天城越

 

   幾年《いくとせ》か見ざりし草の石菖の青み茂れり此處の溪間に

 乘合自動車の故障の直されるあひだ、私はツイ道ばたを流れてゐる溪の川原に降り立つて待つてゐた。洪水のあとらしい荒れ白んだ粒々の小石の間に伸びてゐる眞青な草を認めて、フト幼い頃の記憶を呼び起しながら摘み取つて嗅いで見ると正しく石菖であつた。五つ六つから十歳位ゐまでの間夏冬に係らず親しみ遊んだ故郷の家の前の小川がこの匂ひと共に明らかに心の底に影を浮べて來た。私の生れた國も暖い國であるが、なるほどこの伊豆の風物は一帶に其處に似通つてゐる事などもなつかしく思ひ合はされた。

 まだ枯葉をつけてゐる櫟林や、小松山や色美しい枯萱の原などを、かなり烈しい動搖を續けながらこの古びた乘合自動車は二時間あまりも走つて、やがて下田街道へ出た。其處で私だけ獨り車と別れた。車は松崎港から下田港へ行く午後の定期であつたが、私は下田とは反對の天城の方へ歩かうといふのであつた。