若山牧水全集第六巻、雄鷄社、526頁、600円、1958.6.30

 

紀行・隨筆 二

 

   目次

 

靜かなる旅をゆきつつ

 

   上編

 

富士裾野の三日……………………………………………………………九

溪より溪へ…………………………………………………………………三八

落葉松林の中の湯…………………………………………………………五六

信濃の晩秋…………………………………………………………………七一

二晩泊り……………………………………………………………………八一

水郷めぐり…………………………………………………………………八八

ヶ島より…………………………………………………………………九三

箱根と富士………………………………………………………………一〇

 

   中編

 

溪ばたの温泉……………………………………………………………一一一

上州草津…………………………………………………………………一二二

草津より澁へ……………………………………………………………一三五

山腹の友が家……………………………………………………………一四八

木曾路……………………………………………………………………一五九

利根の奥へ………………………………………………………………一七三

みなかみへ………………………………………………………………一九七

利根より吾妻へ…………………………………………………………二〇六

吾妻川……………………………………………………………………二一八

吾妻の溪より六里が原へ………………………………………………二二七

 

   下編

 

子供の入學………………………………………………………………二五九

香貫山……………………………………………………………………二六四

發動機船の音……………………………………………………………二七二

村住居の秋………………………………………………………………二八〇

雪のおもひ出……………………………………………………………二八七

櫻咲くころ………………………………………………………………二九四

溪のながれ木……………………………………………………………三〇〇

溪をおもふ………………………………………………………………三〇五

土を愛する村……………………………………………………………三一二

入江の奥…………………………………………………………………三二六

 

みなかみ紀行

 

みなかみ紀行……………………………………………………………三三八

大野原の夏草……………………………………………………………四〇一

追憶と眼前の風景………………………………………………………四一〇

杜鵑を聽きに……………………………………………………………四三四

白骨温泉…………………………………………………………………四四三

通蔓草の實………………………………………………………………四四九

山路………………………………………………………………………四五八

或る旅と繪葉書…………………………………………………………四七〇

野なかの瀧………………………………………………………………四八三

或る島の半日……………………………………………………………四八三

伊豆紀行…………………………………………………………………五〇三

雪の天城越………………………………………………………………五一九

 

靜かなる旅をゆきつつ


  序に代へて

 

とにかくに自分はいま旅に出てゐる。

何處へでもいい、とにかくに行け。

眼を開くな、眼を瞑ぢよ。

さうして、

思ふ存分、

靜かに靜かにその心を遊ばせよ。

斯う思ひつづけてゐると、

汽車は誠に心地よくわが身體を搖つて、

眠れ、眠れ、といふがごとく、

靜かに靜かに走つてゆく

                   ――『利根の奥へ』の一節――

 

(5)    例言

 

 私は旅を好む。旅に出てをる間に、僅かに解放せられた眞實の自分に歸つてゐるのだと思ふ樣な場合が甚だ多い。

 この『靜かなる旅をゆきつつ』はそれらの旅から歸つて、或はその旅さきで、書いた紀行文を主として輯め、それに机の側に籠りながら折々書いてゐた小品文を加へて一册としたものである。これらは曾て各種の雜誌新聞に出したものだが、すべて行數や時間の制限のあるなかに書いたゝめに、それ/”\文章の長短筆致に一致を缺き、且つ諸所重複した所などのあるのを憾みとする。ことに一つの連續した旅、たとへば何日に出て何日に歸つた或る一期間の紀行が數篇に分つて書かれ、それらがとり/”\に右の事情の下に置かれてあるのなどに對しては一層この感が深い。

 

『利根の奥へ』『みなかみへ』『利根より吾妻へ』『吾妻川』『吾妻の溪より六里ケ原へ』等は右の續きものゝ紀行の一つであつた。最後の六里ケ原からは高山鐵道を想はせらるゝ私設の汽車に乘(6)つて芒と楢との冬枯れはてた高原を横切り輕井澤に出、それから信越線で戸倉温泉にゆき一泊、翌日松本在の淺間温泉に行き二泊、賑やかな歌會を濟ませて更らに桔梗ケ原の中にある妻の在所を訪ね、廿六日に東京に歸つたのであつた。大正七年秋のことである。同じく連續したものに「落葉松林の中の湯』『信濃の晩秋』がある。これは大正八年の晩秋で、大町からは其處の友人(これは『山腹の友が家』の中に出て居る友人のことである)が忙しい中を松本在の村井驛まで送つて來、一泊してその翌日東西に別れて私は東京へ歸つた。も一つ長く續いたものに『溪ばたの温泉』から『上州草津』『草津より澁へ』『山腹の友が家』を経て『木曾路』に終つてゐるものがある。これは前に通つた吾妻の溪から草津に曲り、信州へ出たものであつた。木曾からは名古屋に一泊、小さな歌會を開いて歸つて來た。大正九年の初夏であつた。『水郷めぐり』のあとは潮來から下總水海道町に廻つて其處の友人を訪ね、翌日三人して筑波山に登り、山腹の町に一泊して歸つた。これは八年の初夏であつた。それ/”\の旅の終りまで書いておけばよかつたが、殘念にもそれをしなかつた。その他『溪をおもふ』『溪のながれ木』は大正八年、『櫻咲くころ』『溪より溪へ』『二晩泊り』等は同九年東京在住時代の執筆で、あとはみな同年夏駿河沼津町在に移り住んでからそのをり/\に書いたものである。永い後の自分の思ひ出のために書き添へておく。

 

(7) 彌次善多式のも時に惡くないが、ほんたうに靜かな旅、心を遊ばせ解き放つ旅、われとわが足音に聽き入る樣な旅をするとならば、ひとり旅に限る樣である。そして行くさきざきでも人に逢はぬことである。本書を校正しながらいよ/\この感を強くした。これからの私の旅は多分おほくこの傾向を帶びるであらうと思ふ。

 

 この本の文章はまことに幼く、且つ拙い。獨りで苦笑し赤面し心痛しながら、いま校正刷を見つつある所である。然し、この一册を編んだことによつてこれからは幾らか自分にもよき文章――といふよりよき旅を、なすことが出來るかも知れぬといふ氣がしてゐる。

   大正十年六月廿二日

                       駿河沼津在楊原村にて

                           若山牧水

 

(9)上編

 

 富士裾野の三日

 

 十月九日午後一時、沼津驛を發した汽車が三島を經て裾野の傾斜を登り始めた頃、私の腰掛けた側《がは》の窓には柔かな日影が射してゐた。然し空には何處《どこ》となく雨氣を含んで、汽車の直ぐ横手に聳えてゐる愛鷹山の墨色は眼に見えて深かつた。この山はいつも落ちついた墨色をしてゐる木深い山であるが、けふはとりわけ濕つて見えた。峰から空にかけては乳の樣な白雲が渦を卷いて、富士はその奥に隱れて見えなかつた。

   駿河なる沼津より見れば富士が嶺《ね》の前に垣なせる愛鷹の山

   眞黒なる愛鷹の山に卷き立てる雨雲の奥に富士は籠《こも》りつ

 私の掛けてゐる背後の席には大工か指物師と見ゆる二人連が頻りに自分たちの爲事《しごと》のことを語(10)り續けてゐた。揃つて老人らしいその聲音《こわね》がいかにもこの窓の小春日に似つかはしく聞きなされた。

『俺《わし》は前かたあの愛鷹の奥から出たちふ樫を手にかけた事があつたが固えの固くねえのつて、まるで飽《かんな》をかん/\撥《は》ねつ返すだからナ。』

『さうづらナ、何しろあゝ見えて山が深えだから。』

『まだ/\何と云つたつてあん奥の方に入つて行けアいゝ木があるづらに。』

『天城道を通つてもこてえられねヱ木がざらに眼につくだからナ。』

 次第に登るにつれていつとなく窓の日影も消えて行つた。そして汽車が御殿場の驛に入るか入らぬに、

『きてえに雨の來る處だでなア。』

 と言ひながら立ち上つた背後の老人たちのあとから私も昇降口を下りて行つた。なるほど驛前の廣場には粒の荒い雨が降り出してゐた。

 見ればその山上の町は祭禮であつた。揃ひの着物を着て襷を掛けながら顔に紅白粉《べにおしろい》を塗つた子供達が其處の廣場には大勢群れてゐた。驛前から續いた一筋町の軒並にはみな提灯を吊して、造花や幕で美しく飾られてゐた。其處《そこ》へこの驟雨が來たので、提灯をはづす、飾りものを取り入れ(11)る、着飾つた女が走る、濡れそぼたれて子供が呼ぶ、たいへんな騷ぎが始つてゐるところであつた。

 私もツイ手近の休茶屋に飛び込んだ。其處にも雨をかぶつた男女が多くは立つたまゝに高聲で何やらめい/\に喋舌《しやべ》り立てゝゐた。その間で私は辛うじて今夜は須山《すやま》泊りにし、明日|十里木《じふりぎ》を經て大宮に出るがいゝだらう、印野《いんの》を通るが本統の十里木街道ではあるが印野には宿屋がない、十里木にも無論ない、大宮までは到底行けつこない、といふ事などを二三の人の口を繼ぎ合はせて聞き出し得た。その時がもう二時半を過ぎてゐた。それから須山といふ村まで三里の雨道も私にとつては餘り樂ではなかつたが、此儘この祭禮の町にまごついてゐるのも本意ではなかつた。で、追はるゝ樣に洋傘《かうもり》を開いて雨の中へ出て行つた。

 恰も其處に御輿《みこし》と山車《だし》とが來懸《きかか》つてゐた。神輿には醉拂《よつぱら》つた若者どもが雨も何も知らぬげに取りついて騷いでゐたが、山車は靜かなだけにみじめであつた。二條の綱につかまつた一列の行列が苦笑しながらひつそりと濡れてゐた。ことにその先登に立つた三四人の藝者の手古舞姿《てこまひすがた》はわざわざ塗りあげた両腕の刺青《いれずみ》の溶けてゐるだけでも悲慘《ひさん》であつた。大急ぎでその人ごみの中を通り拔け、神社の前を過ぎ、火の見の櫓《やぐら》の下を右に曲ると其處はもう祭禮も人聲も無い蕭條《せうでう》たる雨の野原であつた。

(12) 道幅は意外に廣く、且つ眞直ぐであつた。そして大きい轍《わだち》の痕《あと》が一尺二尺の深さで掘られてゐるのを見るとこの邊にあると聞いた砲兵聯隊の道路である事が解《わか》つた。そのどるゝん、どるゝんといふ底響きのする砲の音は、沼津に移り住んで以來殆んど毎日聞き馴らしたものであつた。さう思ひながら耳を澄ましてもけふは唯だ一面の雨ばかりで、小銃一つ聞えない。雨はまつたくよく降つた。低くさした洋傘からはやがて雫が漏《も》り始めて、羽織の袖も裾も見る/\びつしよりになつてしまつた。その大降りが小一時間も續いた。

 富士がツイ右手に聳えてゐる筈なのだが、唯だ雨ばかりが四方を閉ざして、山を包んでゐる雲の影すらもよく見えなかつた。折々路傍に体茶屋らしい小家など眼に入るが、雨の調子と脚の調子と、イヤ洋傘を兩手に握り込んで前かゞみに急いでゐる身體全體の調子とが、今は非常によく合つて、それを亂すのが惜しい氣持でたゞ只管《ひたすら》に急いだ。そして雫《しづく》の垂れる洋傘の下には常に道の兩側に沿うた野の一部が見えて、其處には必ず枯れかけた草むらに松蟲草《まつむしそう》の紫の花が眼についてゐた。折々は荒れた垣根になつて木槿《もくげ》の咲いてゐるのも見えた。その垣根も木槿の花も極めてとび/\に道ばたに見らるるのみで、數軒の家が集つて一部落を成してゐるといふ樣な所は見えなかつた。

   道ばたの木槿《もくげ》は馬に食はれけり

(13) 不圖この句が雨に硬くなつてゐる頭の中に思ひ出でられた。道ばたの木槿は馬に食はれけり、それはどうでも埃などうす白くかぶつてゐる木槿でなくてはならぬと思はるゝのだが、また斯うした雨中の路傍にもよくぴつたりと當てはまるのが沁々《しみじみ》と感ぜられるのであつた。それからは口のうちで、また聲に出してその句ばかりを脚に合はせて誦《そら》んじながら急《いそ》いだ。道ばたの木槿は馬に食はれけり、道ばたの木槿は馬に…………。

 野砲兵第十五聯隊、と云つたと思ふ、看板の懸つた兵營の門前まで來た時、漸く身體を眞直ぐにして歩けるほどの小降りになつてゐた。そして改めて周圍の大きな野原を見廻す事が出来た。富士は全く見えなかつた。足柄の方にはいま自分の濡れて來たのが降り懸つてゐるのか雲の樣に濃い雨脚《あまあし》が山を包んでゐた。たゞ眼の前の愛鷹のみはくつきりと野の中に浮き出て、夕方近い冷たい色を湛《たた》へてゐた。行列をなしたのには一度だけであつたが、一騎か二騎づつ馳けてゐる兵士には幾度となく出逢つた。馬も人も光る樣に濡れてゐた。中には荷馬車の上に据風呂《すゑぶろ》ほどの大きな眞鍮《しんちゆう》の湯沸釜を積み、微かな煙をあげながら引いてゆくのにも逢つた。この曠席《くわうげん》に散らばつてゐる隊から隊に飲料を配つて歩くものだらうと想はれた。其處此處で喇叭《らつば》の鳴るのも寂しく聞えた。

 野の中のかさな坂にかゝつてゐる時であつた。その頃いよ/\雨も降りやんで、うすら冷たい(14)風が立つてゐた。坂に沿うたかなりの廣さの窪みの中に雨外套をつけて立つてゐる一人の兵士が遠くから見えてゐたが、やがて私の近づくと共に彼は矢庭《やには》に擧手の禮をして言葉をかけた。

『燐寸をお持ちではありますまいか。』

 私は直ぐ煙草の火だと思つた。そして袂からその箱を取り出しながら、

『空箱をお出しなさい、半分わけませう。』

 と道端に寄つて行つた。

『イエ一寸それを貸して下さい、いまこの丘の向側に野營してゐるのでありますが火を消してしまつて…………』

『それではなか/\燃えつきますまい…………』

『イエナニ火は穴を掘つて燃《も》してゐるのでありますから……』

 言ふうちに彼は下から手を延ばして私の燐寸を受取るや否や厚く着ぶくれた身をかへして丘の方へ馳けて行つた。この雨の後で一本や二本の燐寸で火がつくか知ら。また、ついた所でそのあとを如何《どう》するだらうと、私は其處に手持無沙汰に佇みながら考へた。時計を出して見ると四時を少し廻つてゐた。いつそのことあれを遣るからと言つてしまへばよかつた、燐寸に未練を殘さないにせよ此儘立ち去つてはいまの兵士が歸つて來て困るだらう、それとも本統に返しに來るか知(15)ら……、いろ/\に考へてゐると、下から見上げた顔の赤らんだ可愛らしさが思ひ浮べられた。いづれにせよもう少し待つて見ようと、泥草鞋《どろわらぢ》の重さを今更の樣に感じながら三四分間もそこらをぶら/\と歩いてゐた。するといま馳けて行つたと同じ所から彼は現れて來た。そして割合に上品な顔に笑《ゑ》みを湛《たた》へながら馳けて來て擧手の禮をした。

『つきましたか。』

『つきました、ありがたくありました。』

 と手を延べてその小きな箱をさし出した。

『それは君にあげませう、此處で一本煙草につけて行けば程なく僕は須山に着きませうから………』

『イヱもういゝのであります、火は洞穴を掘つて燃してゐるのでありますから。』

『でも心細いでせう、一寸お待ちなさい。』

 と言つてゐるうちに彼は三四歩飛びすざつてまた不動の姿勢をとり、

『イヱもういゝのであります。』

 と禮をして以前の樣に丘の方に馳けて行つた。何といふことなく微笑を誘はれながらそのうしろ影を見送つてゐたが、それが隱れてしまふと急に身に浸む心細さを覺えた。そして急にまた速(16)力を加へて歩き出した、どんな所に何人位集つて野營してゐるのであらうと丘の蔭のその一團の事などを想像しながら。

 あたりの野は大抵草原のまゝであつた。芒が大方で、その間に松蟲草が咲いてゐた。耕された所には必ず桑と玉蜀黍《たうもろこし》とが一緒に作られて、桑はまだ青く、玉蜀黍は葉も幹も枯れてゐた。が、その枯れた中にまだ實の取り殘したのがあるらしく、漸く暮れかけて來た夕闇の畑でがさがさと音を立てゝその實をもいでゐるのを見掛けた。おもふに土地の者はこの玉蜀黍を常食の一部にしてゐるに相違ない。畑といふ畑に食用物とては大抵こればかりで、道ばたに見るあばら屋の壁には必ず皮をむいたこの實の束が眞赤に掛け渡されてあつた。そしてそゞろに思ひ起さるゝのは自分の郷里の事であつた。自分の郷里といふうちにも例の天孫降臨の地の高千穗附近の高原がまるでこの通りであるのであつた。十歳から十二三歳の頃の記憶がそれに續いてうすら寒く思ひ起されて來たりした。兵隊とマツチの事のあつてからは人家とは全く離れて、愛鷹の山は益々近く、今はその山の裏手に歩みかゝつて來てゐるのであつた。そして葦原の野に杉の木立がとび/\に見え出し、やがてこれが一帶の森となつて連つてゐる邊へ來ると、道は次第にゆるやかな登りになつて、ぽつり/\と行手の薄闇の中に灯影が見え出した。そしてこれが石油の灯でなくて電燈である事が解ると、疲れた身には何だか不思議な事でゞもある樣に思ひなされたりした。御殿場(17)の祭禮の忙しいなかで聞いて來た須山村はさうした野原の末の丘の上に在る小さな宿場であつた。

 二軒あると聞いた宿屋の清水館といふへ寄つた。その家は丘の上でも最高地に位置する樣に見えた。通された二階の部屋の高い腰窓をあけると、それこそ其處は見ゆるかぎりの涯《はて》ない原野で、一帶に闇のおりた近い木立やとほい野末に向つて立つただけでそゞろに身の引き繁るのを覺えた。

 危ぶんで來た風呂も沸いてゐた。わざと雨戸を締めさせないで廣々とあけ放つたまゝ、火鉢に火をどつさりと熾《おこ》して、盃を取つた。身にこたふる寒さである。御殿場から比べて餘程登つて來てゐるに相違ない。寒さを消すまでがぶり/\と飲んでゐると眼の前の空の其處此處にゆくりなくも星が光り出した。そして見る/\うちにその數は繁く、やがて一面氷つた樣な靜かな星月夜となつてしまつた。

 床を延べに來た女中もその星には驚いた樣に暫く窓際に立つてゐた。

『そのツイ下の處に大きな電燈が二つ點いてゐるが、彼處は何だね。』

『何でもありません、百姓の庭ですよ。』

『百姓の庭ね?』

(18)『大きい百姓は忙しくなりますと夜までも庭で爲事をしますから………‥』

 と言ひながらがら/\と雨戸を締めてしまつた。

 

 便所の窓から見てゐるうちは、晴れたやうにも曇りのやうにもあつたが、私の癖の長い用を終つて部屋に歸つて窓を繰つて見ると疑ひもなき晴天である。しかも無類の日和を思はせる空だ。

 まだ日は出てゐなかつた。何とも言へぬ微妙な、宏大な傾斜を引いて遙かに足柄の方に下り擴《ひろ》ごり行いてゐる曠野はまだ夜露の濡れたまゝであつた。そしてその端《はし》から端にかけ、あまねく吹き渡つてゐる冷たい風がはつきりと眼にも見え心にも感ぜられた。ことに宿の眼下の窪地一帶に吹くそれは例の薄黄に枯れた玉蜀黍の葉から葉へあざやかな音を立て、枯葉にまじる桑の青葉の露の色はことさらに深く見えた。瞳を据ゑてこの廣い景色に向つてゐると、遠く喇叭のひゞきが聞え、汽車の喘ぎが聞ゆる。見れば遙かな野末を御殿場へ急ぐそれの煙が眞白く細く地に這うて見えてゐた。

 ふと心づをながら慌てゝ頭を擧げやうとすると、これはまたどうであらう。やゝその窓からは斜めうしろに恰度この荒れた宿屋の背戸のところにくつきりとして我が富士が巓《ね》はその錆色の姿をあらはに立ちはだかつてゐるのであつた。や、わが富士よ、と手をもさし伸べたいツイ其處(19)に、そのいたゞきにはすでに薄紫の日影を浴びてにこやかに聳えてゐるのであつた。

 日は足柄の上から昇つて來つゝあつた。一段々々と照らされゆく眞裸體《まはだか》の富士、やがてその日の影が裾野に及ぶと其處を流れてゐる風は一齊《いつせい》に光り始めた。芒が光り、玉蜀黍が光り、この部落を圍んでとび/\に立つてゐる杉の黒い木立が光る樣になると、もうその鮮かな日光は私の立つてゐる高い窓までもやつて來てゐるのであつた。

 尻端折に草鞋ばき洋傘一本を手に提げて宿屋を出かけた私の姿は昨日自宅の門を出た時と同じであつたが、心持はもうすつかり旅の者になり切つてゐた。昨日の午前、私は非常に忙しい爲事を果すために机に向つてゐた。が、どうしたものか一向にそれが捗らなかつた。書き損ねの原稿紙が膝の横に堆《うづたか》くなるのみであつた。はては肝癪の頭痛まで起つて來るので、私も諦めて書齋を出て早晝の飯を催促した。そして晩酌のために取つてある酒の壜を持ち出して一人でちびちびと飲み始めてゐると、先刻《さつき》から心の隅に湧いてゐた慾望が次第に大きくなつて來た。今年の八月、私たちが沼津に移住した日から毎日々々座敷の中からも縁側からも門さきからも見て暮す二つの相重つた高い山があつた。一つは富士で一つは愛鷹である。一つは雲に隱れて見えぬ日でもその前に横たはつている愛鷹山は大抵の雨ではよく仰がれた。その二つの山は家から見ては二つ直ちに相|繋《つなが》つてゐる樣だが、實はその間に十里四方の廣さがあるために呼ぷ十里木といふ野原がある(20)といふ事を土地の人より聞かされたのであつた。思ひがけぬその事を聞いた日から私の好奇心は動いてゐた。よし、早速行つて見よう、少し涼しくなつたら行かう、と。

 忙しい爲事を仕損ねたといふその午前は十月の九日、空に薄雲は見えながら晴れてゐた。そして幾枚もの原稿紙を書き破りながら、私はその日不思議なほど朝のうちからその廣い野原のことを考へてゐたのであつた。爲事の思ふやうに出來なかつたのも一つはそのためであつたかも知れない。そして晝飯の席で飲み始めた一二合の酒は、容易《たやす》く私に一つの決心を與へた、よし、思ひ切つて今日これから其處へ出懸けて見よう、と。大急ぎで停車場に行くと辛うじて一時發の汽車に間に合つた。御殿場までの切符は買つたものゝ、果して其處から道があるのかどうかもよくは知れなかつた。それに約束の爲事の日限を遲らす苦痛も充分に心の中に根を張つてゐた。私は汽車の中で微醉の後の身體を日に照らされながら斯んなことを考へてゐた、とにかく御殿場まで行く、其處でよく訊いて見て都合がよかつたらその野原へ行つて見る、若し不便だつたら夕方まで其處等で遊んで家に引返して爲事を續けることにしようと。ところが思ひもかけぬ御殿場での雨と混雜とは却つて私を狼狽させて殆んどあとさきなく追つ立てる樣にして暴雨の野原へ歩き込ましたのであつた。

 今朝はそれが全く異つてゐた。今まで聞いた事も想像したこともない野中の村に端なくも通り(21)かゝつて昨夜、夜を過した事が既に私の心を改めてゐた。それに珍しい昨夜から今朝にかけての天氣である。私はもう今朝は完全に爲事からも何からも解放されて一個の者として一心に唯だこの野の奥へ行き度い心になつてゐたのだ。

 宿の前から道は登りになつてゐた。傘を開いてうしろかつぎに強い朝日に乾しながら、てく/\と登り始める。十軒あまりの家の間を行き過ぎると直ぐ杉の森に入つた。少し登ると、幾程もなく杉は盡きて灌木の荒い林となつた。富士はいよ/\明かにその林の向うに大きく親しく見えて居る。宿の前から續いた急な坂が一しきり切れた所に休んで居ると、下から一人の馬子が登つて來た。道を問ふ樣にして聲をかけ、馬のあとについて登り始めた。そして聞けばその馬子も十里木の宿まで行くといふ。これ幸ひと私はそれに頼んで乘せて貰ふことにした。須山から十里木まで二里、其處から大宮まで五里、ことにこの五里の道の惡さはひどからうと今朝聞いて來てゐるので少しでも脚を大事にしでおきたいからであつた。

 馬の背からは淺い林を越えて一面の野原が見渡された。左手には愛鷹の裏山が――この山は沼津あたりの海岸からは唯一つの峰を持つた裾廣い穏かな山にしか見えぬが、正面の峰の裏にはそれより高い峰が三つも竝んで聳えてゐるのであつた、地圖には愛鷹から次第に奥にして位牌嶽、呼子獄、越前獄、と記してある、いづれもその七八合目から上は御料林だといふ事でいかにも茂(22)つた山となつて居る――薄い深い紅葉の色を見せて木深く靜かにうねつて居る。いま通つて居るのはつまりその山の根で、それから富士の根がたまで二里か三里か、富士を正面にして左右に亘る野原の廣さはそれこそ十里か十五里か、見る涯もない裾野である。そのなかでも恰度馬から見て過ぎる其處の野は唯だ一面の穗芒の原で、それに豐かに朝日が宿つてゐるのであつた。餘りの美しさに馬を止めさせで煙草にしてゐると、夫婦者の一組が追ひついてこれも煙管を取り出した。彼はこの邊の地理に明るく、それから通りかゝつた或る小さな峠風《たうげふう》の所は昔此處に關所のあつたあとだと教へた。この邊に、といぶかると、この道は昔箱根の拔け道に當つてゐたのでそれを見張つてゐたのだといふ。彼等夫婦は同じく十里木まで竹細工の出稼ぎにゆく者であつた。

 關所のあとだといつたあたりからまた林に入つた道はゆるやかな下りになつて、やがて其處に五六軒の茅家《かやや》の集ってゐる所が見えた。十里木である。夫婦者の教へるまゝに其の村に唯だ一軒あるといふ茶店の前で私は馬から下りた。馬の上の朝風はかなりに寒かつた。で、竹細工屋のするまゝに私も泥草鞋を其處の大きな圍爐裡に踏み込んで榾火《ほたび》にあたつた。見れば其處の棚の上に小さな酒樽があつたので私は竹細工屋への禮心地に茶店の老婆に徳利をつけて貰つた。そして盃をさゝうとすれば側から女房が慌てゝ止めた。

『ハアレ、お前は六百六號を注射したばかりだによ。』

(23)『もう、五日もたつてるだで、一杯ぐれえいゝづらによ。』

 と笑ひながら彼はそれを受けた。

『ほんによ、お前んとこぢア此間中えれえ惡かつたちふでねえかよ。』

 店の老婆はその女房に話しかけた。

『初めはの、頭が割るゝごと痛えちふだで氷で冷してばつかり居つたがよ、醫者の言ふにや身體のしんに毒があるからだで、一本拾圓もする六百六號ちふ譯を二本も注射したゞよ。』

『幾らしてもよ、利《き》けばいゝがよ、おらがの樣に…………』

 三人の間には暫く老婆の不幸話がとり交はされた。『生きてせえ居ればよ、おら乞食してゞも三百里が五百里でも迎えに行くと云ふだ』といふ樣な月並な嘆きもこの山中の老婆の口から聞けば其處に僞ならぬ力が感ぜられた。老婆には一人娘で、去年から普請にかゝつて漸く分家が出來上つて婿や子供とそちらに移ると同時にこの春四十歳で死んだのだ相だ。

 榾火に草鞋をあぶりながら、半ば横になつたまゝ見上ぐる軒先に富士山があつた。店の前の道幅は其處だけ幾らか廣くなつて、馬などを繋ぐ場所となつてゐた。つまり其處は西の野と東の野との運送品を交換する場所に當つてゐる事を私はあとで知つた。その廣場の端に古びた木の鳥居が立つてゐた。その鳥居の眞上に富士山は仰がるゝのだ。初めそれを富士の神を遙拜するための(24)鳥居だとばかり私は思つてゐたが、暫く鳥居の方から小さな徑が玉蜀黍畑を横切つて向うの笹山に通じ、その山の根に小きな嗣《ほこら》のあることが解《わか》つた。山はまことに笹ばかり繁茂して、青く圓く横たはつてゐるさまが眞上の富士のあるだけに手にもとりたい愛らしさであつた。その笹でこの部落の者は生活してゐるのださうである、竹行李を編みパイプを作つたりして。現に私の前に同じく横になつて榾火にあたつてゐる色の蒼い四十男もこの竹を目的に登つて來た者であつた。

 私は先刻《さつき》から思ひついてゐた事を老婆に打ち出して見た、どうか今夜一晩を此家に泊めて呉れ、喰べるものは何もいらぬ、酒と布團とがあればよいからといふのであつた。不思議な人間だといふ風で初めは相手にもしなかつたが、竹細工屋まで口添へして呉れて、たうとう老婆も承知した。それを聞くと私は急に圍爐裡から飛び降りた。そして洋傘や羽織を其處に置いて身輕になりながらいま來た道の方へ引返して歩いた。馬から見て過ぎた芒の野原をもう一度とつくと見て來たかつたからであつた。

 近いと思つたに一里がほど灌木林を歩いてから美しい野には出た。日の闌《た》けたせゐか穗芒のつやは先刻《さつき》ほどでなかつたが、見れば見るほど廣い野であつた。美しい野であつた。

 野は唯だいちめんの平野ではない。さながら大海の中に出て見るうねりのやうに無數の柔かな圓い高みがあつて、高みは高みに續き、はてしなくゆるやかに續き下つて其處に無縫無碍《むほうむげ》の大き(25)な裾野を成してゐるのである。その一つ一つの小高いうねりの、また、いかばかり優しく美しくあることか。一帶の地面には青い芝草が生《は》えてゐる。東京の郊外の植木屋などが育てゝゐる芝である。その芝の中に松蟲草が伸び出でゝ濃《こ》むらさき薄《うす》むらさきの花を咲き盛らせ、その花よりなほ丈《たけ》高く輕やかに抽《ぬき》んで咲いてゐるのは芒である。これはまたこの草ばかりが茂りに茂つて、上に咲き揃つたその穗などはまるで厚い織物の樣にも見えてゐる所があつた。或る窪みには芒が茂り、或る高みには松蟲草が咲き、その二つが相寄り相混つて咲き擴がつてゐる場所もあり、それがさきからさきと續いて美しいつやのある大きなうねりを其處にうねり輝かしてゐるのである。

 富士山はこのうねりの野の端から端に臨んで唯だ大きく近く聳えてゐた。私は兼ねてから斯ういふ感じを持つてゐた、多くの山もさうだが、ことに富士は遠くから見るべきだ、近づいて見る山ではない、と。要するにそれも眞實に近づいて見ぬかがごとであつた。斯うしてこの日仰いだ富士は全くの眞裸體であつた。あたりに一片の雲なく、唯だ或る一點だけ萬年雪の殘つてゐるほかは頂上近くにすらまだ雪を置いてゐなかつた。頂上からこの野のはての根がたまで唯だ赤裸々《せきらら》にその地肌を露《あら》はして立つてゐるのみである。ことに其處からは世にいふ森林帶の山麓にもたゞ僅かにあるかなきかの樹木を一わたり置いてゐるのを見るに過ぎぬのであつた。このあらはな土の山、石の山、岩の山が寂《せき》として中空に聳えてゐる姿を私はまことに如何《いか》に形容したらよかつた(26)であらう。生れたばかりの山にも見え、全く年月といふものを超越した山にも見えた。ことにどうであらう、四邊《あたり》にどれ一つこの山と手をとつて立つてゐる山もないのであつた。地に一つ、空に一つ、何處をどう見てもたつた一つのこの眞裸體の山が嶺は柔かに鋭く聳えて天に迫り、下はおほらかに而かも嶮しく垂り下つて大地に根を張つてゐる。前なく後なく、西もなく東もない。

 山に見入つてゐた瞳を下してこの大きな野を見ると其處に早や既に一種の狹苦しさが感ぜられた。私はとある小高い所から馳け降りて他の小高い所へ移つて行つた。更に他の一つへ走つた。鶉の鳥がそのまろい姿を地面から現はして、鋭く啼きながら飛んで行つた。あとからも立つのを見た。

 

 この見ごとな野原の一端に出て來て、野を見、山を仰いだ私は一時まつたく茫然としてしまつた。そしてその時間が過ぎ去ると更にまた新しい心で眼前の風景に對した。海中のうねりにさながらの野原のうねり、その無數のうねりをなす圓みを帶びた丘のうちで、どれが最もすぐれて高く且つ見ごとであるかを眼で調べ始めた。そして、やがて脱兎のごとく最初に立つた一點から走り出した。

(27) どの丘が一番高いといふことは、謂はゞ不可能のことであつた。眼《め》分量で計つて認めた一つの高い丘へ馳け上つて見ると、更にまたそれより高い樣な丘がその先にあつた。二つ三つと馳け廻つた後、私も諦めて或る一つの丘の上にどつかりと身對を横たへてしまつた。柔かな草の上に仰向けにころがると、富士は全く私の顔を覗《のぞ》き込む樣にして眞上に近く聳えてゐるのであつた。そして其處から正面に見ゆる山腹に刳《ゑぐ》つた樣な途方もなく大きな崩壞の場所が見え、その崩れた下の端に鳶の喙《くちばし》に似た恰好をして不意に一個所隆起してゐる所が見えた。即ち寶永山である。刳れた場所は或る頃の噴火の痕《あと》で、その時噴き出されたものが凝つてこの寶永山を成したのだといふ。

 富士の山肌の地色の複雜さを私は寢ながらに沁々《しみじみ》と見た。遠くから見れば先づ一色に黒く見ゆるのみであるが、決して唯の黒さでない、その中に緑青《ろくしやう》に似た青みを含み、薄く散らした斑《まだ》らな朱の色も其處らに吹き出てゐる。黄もまじり、紫も見ゆる。そして山全體にわたつて刻まれた細かな襞が、襞に宿る空の色が、更にそれらの色彩に或る複雜と微妙とを現はしてゐるのである。富士山は唯だ遠くから望むべきもの、ことに雪なき頃のそれは見る可《べ》からざるものといふ風に思つてゐた私の富士觀は全く狂つてしまつた。要するに今日までは私は多く概念的にこの山を見てゐたのであつた。けふ初めて赤裸々なこの山と相接して生きものにも似た親しさを覺え始めたの(28)である。一種流行化したいはゆる『富士登山』をも私は忌み嫌つて今まで執拗にもこの山に登らなかつたが、斯うなつて來るとその考へも怪しくなつた。早速來年の夏はあの頂上まで登つてゆきたいものだなどと、鮮かに晴れた其處を仰いで微笑せられた。

 寢轉んでゐる芝草の中に六七寸高さの純白な花の群りさいた草を私は見附けた。何處となく見覺えのある草花である。摘み取つて匂ひを嗅ぎながら思ひ出した。俗にせんぷりと稱《とな》へ、腹痛の藥になると云つて幼い頃よく故郷の野で摘み集めた草であつた。見れば其處らに澤山さいてゐる。珍しさや昔戀しさに私はそゞろに立ちよつてそれを摘み始めた。芒や松蟲草などの蔭に、ほんとに限りなく咲き擴がつてゐるのであつた。

 をり/\鶉が飛んだ。じゆつ/\、じゆるん/\といふ風の啼聲をば初めから耳にしてゐたのであつたが、草から出て飛ぶのを見るまでは何の鳥だかはつきり解らなかつた。一つの丘からまひ立つては直ぐ近くの芒の中にまひ下る。見れば誰一人ゐないと思つた野原の中にも矢張りそちこちと人影が見えるのであつた。遠くの丘の頭などに馬の立つてゐるのも見ゆる。人は多く芒を刈つてゐるのであつた。大きな鎌を、遠くから見たのでは自身の身體よりも大きい樣に見ゆる鎌を兩手に振つて、振子の動く樣な姿で刈つてゐるのである。或る所をば荷馬串が二臺續いて通つてゐた。白い芒の中から現れてはまたその波に隱れてゆく。さながらに沖に出てゐる小舟の樣な(29)ものであつた。

 せんぷり草はいつか兩手に餘るほどになつた。いつ何處に生れたともない微かな白い雲が空に浮んでは富士の方に寄つて來て、またいつとなく消えてゆく。丘から丘に歩いてゐるうちに私の心は次第に靜かに、次第に寂しくなつて來た。あたりに輝く芒の穗も、飛んでゐる鶉も、いづれも私の心に今までにない鮮かな影を投ぐる樣になつた。歩くのが苦しく、私はまた一つの高みの上に坐つてしまつた。が、永くは坐つても居られなかつた。そして賢くも最初目標としておいた野の端の杉木立の方へいつとなく私は小走りに走つてゐた。心のうちで、または口に出して、『左樣なら、左樣なら』と言ひながら、今はまさしく西日の色に染まりつゝある野の中を極めて穏かな心持で小走りに走つてゐた。

 一里餘りを急いで先刻の茶店まで歸つて來ると、老婆は居ずに圍爐裡の榾火が僅かに煙つてゐた。急に寒さを覺えて、勝手口から新しい榾を運びながら草鞋もまだとらぬまゝに圍爐裡に足を踏み込んだ。そしてとろ/\と火の燃え出すのを見て、仰向けに疊の上に寢てしまつた。軒さきには例の富士が眞赤に夕日を浴びて聳えてゐるのだ。

『もぎたてをお前に喰はすべいと患つて玉蜀黍を取りに行つてたゞアよ。』

 と言ひながらまだうす青いそれを抱へて丸い樣になつて老婆が何處からか歸つて來た。

(30) 何とも云へぬうまいものに燒きたての灰だらけの奴を噛りながら、

『お婆さん、これをさかなに一本熱くしてつけて呉れ。』

 と甘えて言ふと、

『どうせ泊るだら、まア草鞋でもとつてから飲んだ方がよかんべいによ。』

 といふ。

 足を洗ひに背戸の方へ出てゆくと、うすら寒い夕日がそこにも射してゐた。そして親指ほどの大きさの赤い色をした見馴れぬ豆が乾してあつた。名を訊くと、聞いたこともない名であつた。

『喰べたいなア、直ぐこれを煮て貰へないかなア。』

『うまくも何ともねヱだよ。』

 と言ひながら早速それを鍋に入れて圍爐裡にかけて呉れた。私がせつせと榾をさしくべてゐると間もなくその鍋の蓋はごと/\と音を立てゝ泡を吹き出した。

 そこへ平べつたい箱を二つづゝ重ねて天秤で擔いだ五十歳ほどの男が西の坂から登つて來た。

『おばア、今日は生魚だよ、どつさり買つて貰うだ。』

 爐端の私を不思議さうに見ながらその魚賣は家に入つて來た。丁度私の頼んだ酒を徳利に移してゐた老婆は振り向きもしないで、

(31)『生魚《なまうを》はおつかねヱからおらやアだよ。」

 と素つ氣もなく言つた。

『馬鹿言ふでねヱ、下田から發動で持つて來たばかりの奴を擔いで來たゞによ、まだぴん/\跳ねてらア。』

 老婆はのそり/\と石段を降りて行つた。私も横になつたまゝ背伸びをして老婆のあけた箱を覗いて見た。中には小鯵と大きな鯖とが入つてゐた。

『小鯵を十も貰つとくべヱ。』

 と老婆は片手に掴んで入つて來た。これが伊豆の下田の沖でとれたものかと思ふと、その枯木の樣な指の間に見えてゐる青い小魚が私には何だか不思議なものゝ樣に眺められた。

『鯵ぢァつまらねヱ、鯖を頼むだよ、八疋持つて來た奴がよ、まだ一疋も賣れねヱだ。』

 魚賣は慌てゝ飛んで降りて自分で鯖を捏げて來た。然し、『鯖はおつかねヱ、おらやアだ。』とばかしで老婆はどうしても買はうと言はなかつた。初め八貫と言つたのを七貫五百から七貫にするとまで言つたが矢張り買はなかつた。

『僕の方で買はうか』と私も餘程言ひたかつたが、何だか老婆の氣が量《はか》られて言ひ出しにくかつた。見たところ、喰ひたくもないものではあるが、この年寄の魚賣もあはれであつた。何處から(32)來たのか知らないが、とにかく五六里の山坂を擔ぎ上げて來たのである。

『此處の奥の谷によ、××の山の衆が來てゐるだで、彼處に把持つて行くがいゝだ、彼處ならおめえの言ふ値で買ふによ。』

 と老婆は早速鍋の豆を皿にとつてその小鯵に代へながら言つた。

『さうかネ、をれならまア行つて見べえ。』

 と出て行つた。

 私の一本の徳利がまだ終らぬ頃にその魚賣は歸つて來た。

『やんやらやつと二本だけ押し込んで來た。』

 と笑ひながら一服吸つて、小鯵の錢を受取つてまた坂道を降りて行つた。

 やがて四邊《あたり》がうす暗くなつても老婆はなか/\洋燈《ランプ》をつけなかつた。寒さが次第に背に浸みて來るのに戸も締めなかつた。富士の頂上のみはまだ流石に明るくうす赤く見えて、片空に夕燒でもしてゐるらしい風であつた。この分では明日もまた上天氣に相違ないと私は思つた。

 大きな男がのそりと入つて氣て、

『おばア、酒を一升五合がとこ何かにつめてくろ。』

 と、噛みつける樣に言つた。老婆がうろたへて空壜を探し出したり洗つたりしてゐる所へ、急(33)にズドンといふ銃の音がツイ十間とも離れてゐぬらしい所へ起つた。そして間もなく銃と一羽の鷄とを提げた大きな男が同じくのそりと入つて來た。

『ハレマア、お前ちは鯖二疋ぢア足りねヱのかえ――』

 と、それを見た老婆は驚いて腰を伸しながら叫んだ。

 二人の大男が出て行つたあとに酒を二合呉れ醤油を一合呉れといつて汚い女房や小娘が三四人もやつて來た。丸くなつて動いてゐる老婆にはせつせと私の焚く榾火の影が映つて、いつか軒端の富士もうす暗くなつて來た。そこへまた今度は山戻りらしい老爺が入つて來て、立ちながらコップ酒を飲み始めた。初め私を憚つてゐたらしいが、漸く洋燈を點《とも》しにかゝつた老婆が一二度聲をかけると、やがて彼は私に挨拶しながら圍爐裡に草鞋を踏み入れた。その頃、私の徳利も三本か四本目になつてゐて、かなりにもう醉つてゐた。で、老爺のコツプの空《す》くのを待つて私の熱いのをついでやつた。そのあとにまた一人、同じ樣なコツプ酒の男が來て――彼等はこれを毎日の樂しみとしてゐるらしかつた――それも同じぐ圍爐裡に並んだ。そのうちに晝間の竹細工屋が裾長く着物を着てにこ/\しながら入つて來た。

 

 十月十一日 快晴

(34) 眞暗な闇の中に眼の覺めた時は、惡酒の後の頭の痲痺で一切前後の事が解らなかつた。何處に寢てゐるのかも、どうしてゐるのかも一向に解らなかつた。用便を催して眼が覺めたのであつたが、それすらどうして果していゝか解らなかつた。そのうちに雨戸の節穴らしい明るみが眼についた。それで漸く昨夜自分の泊つた場所と事情だけは解つた。とりあへずその節穴をたよりに起き出して、手さぐりに雨戸をあけた。

 戸外は月かとも思はれる星月夜であつた。或は月が何處かに傾きながら照つてゐたのかも知れぬ。眼の前の笹の山から空にかけてくつきりとよく見える。そして骨にしみる寒さである。用便を濟まして雨戸をそのまゝに床に來てみると、枕許には手燭も水も置いてあつた。灯を點けて時計を見ると丁度二時半であつた。續けざまに氷つたやうな水を飲んでゐると、老婆が次の間から聲をかけた。聞けば、昨夜竹細工屋の來たのを最後に私の記憶は切れてゐるのであるがその後また一人村の男が加はつたのださうだ。そして老婆の止めるもきかずにそれらの人に酒を強ひて、果ては皆醉拂つて自身初め他の人まで唄など唄ひ出したのださうだ。そのうちに自分は足を榾にかざしたまゝそこに眠つたのを竹細工屋が抱いてこの床の上に連れて來たのだといふ。

 三時を過ぎると老婆も私も起き上つて爐に火を作つた。そして、お茶代りにまた一本つけて貰つて、老婆と話しながらちび/\と飲んで夜の明けるのを待つた。昨日の夕方煮て貰つた豆が今(35)朝はしみじみとうまかつた。二つかみほど分けて貰つて持つて歸ることにする。漸くほの/”\と明るんで來るのを待つて老婆は通りに向つた戸をあけた。冷たい空に富士はいち早く明けてゐた。全く、拜み度い日和である。

 老婆に別れてその十里木の里を出た。まだ何處でも眠つてゐた。總てゞ十七戸あるといふその村も見たところではほんの七八軒にすぎぬ樣にしか見えなかつた。他は大方掘立小屋に近いもののみであるのだ。富士に日のさして來るのを樂しみながら、自から小走りになる坂道を面白く下つてゆく。道は富士と愛鷹との間の澤を下るのだが、昨日より谷あひが狹かつた。露を帶びた芒の原では鶉が頻りに啼いた。

 一里ほど下つたところに十里木より少し大きい部落があつた。世古辻《(せこのつじ》といふ。そこからはもう駿河灣の一部が望まれた。そして靄に眠りながらそのあたり東海道の沿岸が見えて來ると、僅か一日か二日あゝした處を歩いて來た後でも言ひ難い嬉しさが湧いて來て、漸く心の安堵するのを覺えた。

 そこから吉原に下るのが最も近く道もよいのださうだ。餘程さうしようかと考へたが、矢張り初め考へた通り、そこから斜めに見渡さるゝ裾野を横切つて大宮町に降りてゆく事に決心した。四里あまりあるといふ。

(36) それから四時間ばかり、殆んど淺い森の中を歩いた。折々仰いで見る富士の形も次第に變つて、一二度ならず道をも違へた。道と出水のあとのかさな谷とがすべて白茶けた小石原となつてゐてどれがどれだかよく解らないのである。よく/\迷つて來れば何はともあれ左手に降りてゆきさへすれば開けた所に出られるといふ心があるので、迷つたのも構はずに歩いたりした。灌木林が盡き、杉林となり、桑畑となり、やがて茶畑となる頃になつて初めて人家を見た。その邊一帶の裾野はいま頻りに開墾中だとのことで、家のない前科者や、トロール船に追はれて生計を失つた小さな漁師たちが寄つて一つの部落を成しつゝあると聞いてゐたのであつたが、通りがゝりにはそれらしい所も見えなかつた。たゞ、或る村を通りかゝると路傍に小さな小學校があつてその門札に何々村開墾地分教場と記してあるのを見た。教場と同じ棟の端に先生の家族の居宅が設けられて、生徒の遊んでゐる庭に張物の板の乾してあるのなどは、自分の生れた村の學校などが思ひ出でられて可懷《なつか》しかつた。村は極めて直線的に斜めに傾いた大平野の一點に當つてゐて、そこからは斜め上に富士が見え、斜め下に駿河灣が見下された。

 その邊に来ると宿醉《ふつかよひ》と空腹と惡路とにすつかり勞れ果てゝ、脚も痛み、時々氣の遠くなるのを覺えた。大宮の町に降りたらば早速旅館兼料理屋といふ風の家を探してとにかく大いに喰ひ飲み且つ一睡りしたいものと咽喉を鳴らしながらふら/\と急いだが、なか/\にはかゞ行かなかつ(37)た。富士は微笑んだ樣に大きく高く眞上に聳え、遙かの麓の平野にはその大宮の町がいつまでもほの白く小さく見えてゐるのであつた。

 

(38) 溪より溪へ

 

 四月六日

 熊谷で乘換ふべき秩父鐵道の發車時間がこの四月一日とかから改正されて、一時間あまり待たねばならぬことになつてゐた。で、驛から近くの土堤に出て見る。

 櫻が大分色めいてふくらんでゐた。しつとりと雨氣をふくんで垂れ下つた大空の雲の下だけに一層そのうす紅が鮮かに眼に沁《し》みた。この土堤の櫻は大抵が、みな重々と枝を垂れて、枝いつぱいにうるほひのある大きな蕾を持つてゐるさまは却つて滿開の時よりも靜かでいゝと思つた。花を見るとも見ぬともつかぬ人たちがめい/\に傘を持つて堤のうへを往來して居る。私もふら/\と櫻の木の盡きるはづれまで歩いて行つた。そして、川原に降りて砂のうへに暫く腰をおろす。

 眼のまへの廣々した川原から、その向うに續いた平野、それらの涯を限つてずつと低く山脈が垣をなしてゐる。山には一帶にほの白い雲が懸つてゐた。ずつと遠くの、見覺えのある越後境あ(39)たりの高山には却つて淡い夕日が射して、そこの殘雪を照らしてゐた。近々と雲の垂れた空にはしきりに雲雀が啼いて、廣い川原には砂を運ぶトロが何かの蟲の樣にあちこちと動いてゐる。

   乘換の汽車を待つとて出でて見つ熊谷土堤《くまがやどて》のつぼみざくらを

   雨ぐもり重きつぼみの咲くとして紅《あか》らみなびく土堤の櫻は

   枝のさきわれより低く垂りさがり老木櫻の蕾しげきかも

   蟻の蟲這ひありきをりうす紅《べに》につぼみふふめるさくらの幹を

   雨雲の空にのぼりて啼きすます雲雀はしげし晴近からむ

   まひ立つと羽づくろひするくごもりの雲雀の聲は草むらに聞ゆ

   身ふたつに曲げてトロ押す少年の鳥打帽につぼすみれ挿せり

   をちかたに澄みて見えたる鐵端の川下うすく夕づく日させり

 

 小さな汽車が寄居町を過ぎると、谷が眼下に見え出した。數日來の雨で、水量は豐かだが、薄く濁つて居る。青白く露出した岩床いつぱいに溢れて、うねりながら流れて居る。對岸の山腹には杉山とまだはつきりと芽ぐまぬ雜木林とが諸所に入り混つて、その間の畑の畔などに梅の老木とも彼岸櫻とも見ゆる淡紅色の花がをり/\眼につき、峰には雨を含んだ雲が垂れ下つてゐて、(40)いかにも春の夕暮らしい。

 波久禮、樋口、本野上などの停車場を過ぎる間、暫くけはしい溪に沿うてゐたが、やがて桑畑の中に入つて寶登山驛に着くと私は汽車を降りた。そして車中で聞いて來た溪喘の宿長生館といふに行く。藝者なども置いてある料理屋兼旅館といふので多少心配して來たのであつたが、部屋に通されて見ると意外にもひつそりしてゐる。障子をあけると疎らな庭木立をとほして直ぐ溪が見えた。荒々しい岩のはびこつた間に豐かに湛へて流れて居る。汽車づかれの身でぼんやり縁側に立つてゐると、瀬の音がしみ/”\と骨身に浸みて來た。

 湯を訊《き》くと、いまは客が無いので毎晩は立てずに居る、ツイ近所に親類の宅があつて其處に立つてゐるから案内しますといふ。二三丁の所を連れられて其處へ行く。少しぬるいから、とて茶の間の樣な部屋で待たされた。見れば三味線などが幾つも懸つてゐて、それらしい着物も散らばり、ちやうど夕暮時で若い女が幾人も出たり入つたりしてゐる。藝者屋だナ、と私は思つた。白粉くさい湯から出て、それでもほつかりしながら、宿屋の小娘の提げた豆提灯の灯影をなつかしく思ひつゝ泥濘《ぬかるみ》の道を歸る。初め通る時には氣のつかなかつた梅の花片が、泥濘のうへにほの白く散り敷いてゐるのが幾所でも眼を惹いた。

 廣い建物のなかに今夜の客は私一人であるのださうだ。飲まうと思つたゞけ酒を豫《あらかじ》め取り寄せ(41)て置き、火鉢に炭をついで自ら燗を爲ながらゆつくりと飲む。そして思ひがけなく久しぶりの旅心地になることが出來た。

 

 四月七日

 實によく睡れた。少し過ぎたかと思つた酒も頭に殘つてゐない。かつきりと眠が覺めると、枕もとのガラス戸ごしに、まだ充分明けきらぬ空が見ゆる。たしかに青みを帶びた空だ。この幾日、隨分と雨に苦しめられたので、眼のまよひかと思はれたが、確かに晴れてゐる。

 起き上つて縁側に出て見ると、矢張り晴れてゐた。まだ日の光のとほらぬ青空に風の出るらしい雲が片寄つて浮んではゐるが、實に久しぶりに見る爽かさである。少し寒いのを我慢して立つてゐると何處で啼くのか實にいろ/\な鳥が啼いてゐる。彼等もこの天氣をよろこぶらしい。そして昨夜とはまた違つた瀬のひゞきである。

   溪の音とほく澄みゐて春の夜の明けやらぬ庭にうぐひすの啼く

 

 宿の者の起きるのを待ちかねて顔も洗はず、一人川原に降りて行つた。宿のツイ下から長さにして約二三丁、幅五六十間の廣さの岩床が水に沿うて起り、二三間の高さで波型に起伏してゐ(42)る。その對岸はやゝ小高い岩壁となつて、其處に小さな瀧も懸つて居る。溪の水は濁つた儘かなりの急流となつてそれらの岩の間をゆたかに流れてゐる。此處がいはゆる秩父の赤壁とか長瀞とか耶馬溪とか呼ばれてゐる所なのである。唯だ通りがかりに見るには一寸眼をひく場所だが、そんな名稱を附せられて見るとまるで子供だましとしか感ぜられない。繊道經營者たちの方便から呼ばれた名稱でゞもあらうが、若しそれらの名からさうした深い景色を樂しんで行く人があつたとすると失望するであらう。私は先づ適當に豫期して來た方であつた。多少オヤ/\とは思つたが、落膽するといふほどでもなかつた。

 何よりうれしいのは此朝の靜けさであつた。朝じめりか雨の名殘か、うす黒くうるほつた岩の原に木や枝の形から粉米櫻に似た小さな白色の花が其處此處とむらがり咲いて、まだ日のささぬ間の春の朝の冷たさが岩の上から水のおもてに漂うて居る。對岸の斷崖を滴り落つる細い瀧のひびきが、遠近《をちこち》におほらかに滿ちてゐる川瀬の音のなかに濁り澄んでゐるのも靜かである。

   きりぎしの向つ岩根にかかりたるちひさき瀧のおとは澄めれや

 

 宿に歸ると部屋の掃除が濟んで、障子が悉く開け放つてあつた。朝日は私の部屋の眞向うの峰の蔭から昇るのである。峰の輪郭が墨繪の樣に浮いて、その輪郭に沿うて日光が煙の樣に四方の(43)空に散つてゐる。そして、程なく柔かな紅みを帶びたそれが、私の坐つてゐる縁側の柱の根にまで落ちて來た。縁は東に向ひ、南に向いては窓があつた。窓さきにはまだ充分に伸び開かない楓のわか葉がいよ/\柔く見えながらその鮮かな日光のなかに浮んで居る。まだ寂びの出ぬ新しい庭さきには荒い砂土のうへに蕗の薹が白い花となつて幾つも散らばり、海棠の花も昨日今日漸く咲いたらしい鮮紅なのが二三輪珍しい日光を吸つてゐる。漸く私の身のたけ位ゐのわか木の梅が二本、川原に下る崖の頭に褪せながら咲いて、あたりの濕つた地にいちめんに花びらを散らしてゐる。その梅の木の根がたに、恰度きら/\輝きながら豐かな溪のながれは眺められた。

   部屋にゐて見やる庭木の木がくれに溪おほらかに流れたるかな

   朝あがり霑《うるほ》へる庭に一もとのわか木の梅は花散らしたり

   朝づく日さしこもりつつくれなゐの海棠の花は三つばかり咲けり

   眞青なる笹のひろ葉に風ありて光りそよげり梅散るところ

 

 櫻の咲かうといふ季節に、實に根氣よく今年は雨が降り續いた。つく/”\それに飽き果てた末、何處でもいゝから何處か冷たアいところへ行きたい、さう思ひながら昨日の朝、まだじめ/\と降つてゐるなかを私は自宅を出たのであつた。そして友人を訪ねて、地圖を借りたり、行先(44)を相談したりして、兎も角も東京を離れて見度いばつかりに此處まで出て來たのであつた。今朝のこの晴、この靜けさは實に私には拾ひものゝ樣にも嬉しいのである。冷たいといふ感じには少し明るすぎもし、柔かすぎもするが、兎に角に難有い。

 まつ白な飯の盛られるのを見てゐたが、どうもそれだけ喰ふのが勿體なく、斯んな朝だけに醉つてはいけないと思ひながら私は酒を註文した。そして自身も、膳も朝日のなかにさらされながら、眩しい樣な氣持で私は思ひついたことがあつた。我等の歌の社中の一人で今度日本郵船會社の紐育支店詰になつて渡米する青年がある。それに何か餞別をしたいといふ樣な事からなまじな品物を贈るより、二人して何處ぞ靜かな所へ一泊位ゐの旅行をする方がよいかも知れぬと思ひ、その青年にも話して置いたのであつた。これは此處に遊ぶに限る、早速電報を打たうと思ひ立つた。そして女中を呼んで用紙を頼むと、この村では電報は打てないといふ。郵便局も無いのださうである。

 思ひ立つた事が齟齬すると何でもないことにもひどく心の平靜を失ふ性癖が私にはある。今朝もそれであつた。膳を下げさせて、また庭から川原に降りて見たが何となく眼前のものに先刻ほどの親しさが覺えられない。部屋に歸つて地圖をひろげながら、もう少し溪奥へ、三峰山《みつみねさん》のあたりまでも行つて見ようかと思つたりし始めた。それにしては少しゆつくりしすぎたが、兎に角秩(45)父町まで行つて見よう、都合ではまた今夜此處へ引返して來てもいゝなどゝ思ひながら、その宿を立ち出でた。

 汽車を待ちながら日のあたる停車場の構内をぶら/\してゐると、風の出るらしい雲も次第に四方の峰々に下りて行つて、多少の曇を帶びては來たが、うらゝかな日和である。このあたりは――秩父の盆地とでも云ひたい所であるが――何となく甲斐の平野に似て、やゝ小さい感じのする所である。溪の流域に沿うて狹い平地があり、その四方をさまで高からぬ山脈が赤錆びた色をして繞《めぐ》つて居る。甲斐ほどすべてが荒くないだけに落ちついた感じをも持つ。謂はゞけふの樣な梅日和によくふさふ國である樣に思はれた。梅といへば、小さな停車場の建物をとりまいて澤山の紅梅がさかりを過ぎたままいつぱいに咲き散つて居た。私一人の乘つた小さな車室にも柔かな日が流れてゐた。暫くまた溪に沿うて走る。ゆく/\其處此處と梅の花のみが眼につく。挑もあるが、これはまだ眞盛りとは云へない。東京と比べて季節の遲れてゐる事が解るが、眼前寒いなどゝは少しも思はれない。

   わが汽車に追ひあふられて蝶々の溪あひふかくまひ落つるあはれ

   山窪に伐り殘されしわか杉の森は眞青き列をつくれり

(46) 秩父町の停車場前の茶店に寄らうとすると恰も其處に一臺の馬車が出立しかけてゐるところであつた。そして三峰へ行くのなら早く乘れ、と私に聲かけた。好都合ではあるが、同じ行くにしても今日は私は歩き度かつた。迷つてゐると、早く行かないと泊る所も無くなるといふ。今日と明日とかゞ山の祭で縣知事の參詣もあるのださうだ。それと聞くと私はまた落膽《がつかり》した。そして喜んだ、早く此處でそれと聞いてよかつた、向うへ行つてさうした場合に出會つたのでは嘸ぞ困つたらうと思へたからである。手を振つて馬車を斷り、茶店に寄つた。

 地圖をひろげながら、私は餘り苦しまずにまた新しい行程を立てた。三峰行の代りにこの内秩父から外秩父の飯能町に出るか、若しくはもう一つ向うの青梅《あうめ》地方に出ようといふのである。いづれにしても一つ乃至二つの峠を越さねばならぬ。茶店の老人を相手にいろ/\考へた末、道も細く山も險しいといふ妻坂峠を越えて名栗川の方へ出る事に決心した。そして明日は一つ小澤峠を經て多摩川の岸に出ようと。さうなると少しも時間が惜しいので、急いで辨當を拵へて貰ひ二合壜や千柿などをも用意してあたふたと其處を出た。

 素通りでもして見たいと思つた秩父見物を諦めて停車場横から直ぐ田圃路《たんぼみち》に出た。耳につくのは梭《ひ》の音である。町はづれの片側町の屋並から、または田圃の中に立つ古びた草屋から、殆んど軒別に機を織るその音が起つて居る。男女聲を合せて何やら唄つてゐる家もある。幾らか曇りか(47)けた日ざしにも褪せそめた梅の花にも似つかはしいその音色である。それに路傍の水田から聞えて來る蛙もまたなつかしかつた。小さな坂を登るとうす黒くものさびた秩父の一すぢ町がやゝ遠く見下された。

   秩父町出はづれ來れば機織の唄ごゑきこゆ古りし屋並に

   春の田の鋤きかへされて背水銹《あをみさび》着くとはしつつ蛙鳴くなり

   朝晴のいつか曇りて眞白雲峰にふかきにかはづ鳴くなり

   桐畑《きりばた》の桐の木の間に植ゑられてたけひくき梅の花ざかりかも

 

 茶店を出たのが十時半であつた。此頃あまり元気でもない身體にこれから峠一つを越えて夕方までに七里の道はかなりの冒險である。心細く思ひながら幼い興味に追はれて急いだ。一里ほど行くといよ/\路は右に折れて杉の深い峽間《はざま》に入込んだ。清らかな小溪が湛へつ碎けつして流れて居る。路は斷えずそれに沿うて登つてゆくのである。峽間の右手に武甲山といふ附近第一の高山が聳えて居る。地圖には千三百三十六米突の高さと出て居るが、頂上からは遙かに品川の海東京の市街が見えるさうだ。斑らに白く仰がるゝのは雪らしい。其處までも登つて見度い氣で急いだ。

(48) が、矢張り身體が駄目だ。二時間ほども登つて來るとびどく疲れてしまつた。そして頂上までは我慢しようと思つてゐた辨當を途中で開く事にした。十二時をば夙《と》うに過ぎてゐたのである。渓が或る場所で瀧の樣に落ちて來て岩と岩との間に狹いけれど深い淵を作つてゐる所があつた。岩と水との間に約三尺四方位ゐ眞白な砂が溜つて乾いてゐた。其處へ路から降りて行つて席を作つた。岩の蔭、岩の裂目、砂原の隅などにいちめんに土筆が萌え立つて居る。その間に蕗の花の白いのも見ゆる。岩の蔭に動いてゐる風は冷たいが、それでも薄い日が正面から射してゐた。實に心たのしく二合壜の口を開く。淵の水面に近く何やらの羽蟲が數多まひ交はしてゐる。それを目がけて小さな青笹の葉の樣な小魚がをり/\飛び上る。それをうつとりと身近に眺めながら冷たい酒を飲んでゐると、心が次第に暖く靜かになつて來た。飛沐《しぶき》を擧げて居る水のひゞきも何となくやはらかな思ひを誘ふ樣で、眼の前からすぐそゝり立つて峰まで續いてゐる眞青な杉の林も、狹間の空にほの白く浮んで居る雲の影も、みな靜かな明らかな春のはじめの調子をなして居る。

 砂のうへに置いた時計の針にせかれて、其處を立ち上る時はまつたく名殘惜しいおもひがした。一生のうち二度と此處に來べき自分でない、といふ樣なことなどまで涙ぐましく心の奥に思ひ出されてゐた。

(49)『左樣なら、左樣なら。』

 と口に出しながら、またうす暗い杉の蔭の路を歩き出した。ほどよい醉と、辨當の荷の減つたためにまた暫く元氣よく急いだ。

   下拂ひ清らになせし杉山の明るき行けばうぐひすの啼く

   つぎ/\に繼ぎて落ちたぎち杉山の峽間《はざま》の渓は遙けくし見ゆ

   岩がくれ落ち落つる水は八十《やそ》にあまり分れてぞ落つ岩あらき渓に

   めづらしき大木の馬醉木山渓の斷崖《きりぎし》に生《お》ひて咲き枝垂《しだ》れたり

   冬咲くはおほかた白く黄色なるもろ木の花の此處にまた咲けり

 

 武甲山の頂上に在るといふ武甲神社の一の鳥居の所までは殆んど杉の蔭のみを歩いて來た。路もぬかつてゐたが割合にいゝ路であつた。が、其處からは急に林が斷えて路幅も狹く險しくもなつた。今まで斷えずその側に沿うてゐた渓の流がその邊からは殆んど形をなさぬ程に小さくなつたことも何となくさびしかつた。今まで我慢しい/\履《は》いて來た日和下駄をぬいで、跣足《はだし》になりながら這ふ樣にして登る。いよ/\勞れて來ると、自分の知つてゐる唯一の藝である伊奈節を聲に出して唄ひながら登つた。その間がかれこれ十四五丁もあつたであらう。辛うじてその妻坂峠(50)の頂上に出る事が出來た。時計は三時であつた。

 頂上にはかなり冷たい風が吹いてゐた。遙かに遠くの空を限つて居る上州信州甲州あたりの連山には寂しい日の光の下にみな白々と雪が輝いて居る。眼の前には武甲山の尖つた蜂が孤立して聳え、その山とこの峠との間に見下される麓には秩父の平野が溪のなりに狹く遠く連つて居るのが見ゆる。峠の南面には名栗川の流域が樹木の深い幾つかの小山となつて、夕づきかけた日光にうち煙つて眺められた。この峠の高さは八百三十九米突あるのださうだ。

 下りは路はよかつたが、足の痛みは段々はげしくなつた。思ひもかけぬ山深い所に一軒家の樣な家があつて、路を訊くに便利であつた。

   菅山のいただき近く枯菅の枯れなびくところ岩が根の見ゆ

   春あさみいまだ芽ぐまぬとほ山の雜木の林見つつさびしき

   山深きかかる溪間に棲み古りて植ゑにし梅の花ざかりかも

 

 足の痛みに泣顔をしながら降りてゐると、思ひがけなく背後から來て聲をかける人があった。見ると夏のインバネスを羽織つた中年の紳士態の人である。彼も同じく秩父町から越えて來たのであつた。暫く話して行くうちに、私はこの人が今度この山の麓の名栗村の小學校から昨日私の(51)汽車で過ぎて來た青梅町の川向うに、二三里引き込んだ某村の小學校に轉任になつた校長である事を知つた。

『どうも秩父は不便な所でしてネ、此處から其處まで家財を運ぶにすべて東京經由にしなくてはならないのです。』

 といふ。成程さう聞くと大變なことである。確かに十倍か廿倍の廻り道をせねばならぬわけだ。それから種々と秩父に就いての話を聞く。この名栗川一帶は村としても財政が豐かで人情も厚いが、今度の轉任先は埼玉縣でも有名な人氣の荒い所だなどゝいふ話も出た。

 道連の出來たお蔭で割合に早く麓の村に出た。村に辿り着いた所に小さな小學校が建つてゐたが、其處に暇乞に寄ると云つて校長は別れて行つた。峠のこちら側もすぐと溪に沿うて下りて來たのであつたが、麓に着くとそれよりは大きな溪流が他の峽間から流れて來てゐた。即ち名栗川である。其處の岸には眞新しい材木が一杯積まれてあつた。其處此處の山から、また溪から持ち運ばれたものに相違ない。私はまた一人になりながらその溪に沿うて尚ほ三里ほどの道を歩かねばならなかつた。こちら側の溪間は内秩父の方より氣候も幾らか暖いとみえ、同じく到る所に見かけらるゝ梅の花があらかた既《も》う褪《あ》せてゐた。

   楢の落葉まだ散り殘る山かげの畠のくろに蟇《ひき》のなくなり

(52)   假橋のひた/\水にひたりたる板の橋わたり梅の花見つ

   谷の端《ハタ》褪せし老木の梅に隣り一もとの梅は眞さかりにさく

   春立つとけしきばみたる磐蔭の裸木の根を水の洗へり

   岩ばかり土の氣もあらぬ溪合の岩のうへの木芽ぐみたる見ゆ

 

 午後七時、名栗街道から三四丁折れ込んだ峽間の杉山の蔭の鑛泉旅館に漸く辿り着くことが出來た。その時はもう階子段を上るにも手離しでは登り得ぬ程疲れてゐた。

 

 四月八日

 今朝の眼覺にもさやかな溪の音が聞えてゐた。天氣を氣づかひながら床から出て窓の雨戸をあけて見ると、雲は深いが降つては居らぬ。戸をあけたまゝまた暫く床に入ってけふの事を考へる。大きな杉の生《お》ひ茂つた小山の峰が寢ながらに見えて矢張り靜かな旅心地である。

 昨日の豫定では今日は此處から小澤峠を越えて多摩川の上流に出る筈であつた。が、もう昨日だけで山みちは澤山である。珍しいランプの灯を枕もとに仰ぎながら睡れもせぬ程昨夜は疲れ過ぎてゐたのであつた。足も痛い。いつそ今日は此處でゆつくりと休んで、明日の氣持で多摩川へ(53)なり、また名栗川に沿うて飯能へなり出る事にしようときめた。

 やがて日が薄らかに射して來た。藪鶯がしきりに啼く。八時になると湯が沸いた。ラヂウムだといふ事で、リウマチによく利くさうだ。唯だ、小ぎたないのに弱るが、斯うした鑛泉の常だと思へば濟むわけである。宿の前をさゝやかな溪が流れ、岸に竝べて植ゑられた紅梅の花が斷間なくその淺瀬に散つてゐる。私の泊つたのは名栗館といふので、其處から三四丁杉の峽間を奥へ入るともう一軒湯基館といふやゝ大きい宿屋があるがいまは休業してゐた。その邊まで散歩をしたり、歩き/\書きつけて來た一昨日からの歌を見直したりしてゐるうち晝になつた。

 晝前から少し催してゐたが、正午になると村の人たちらしいのが大勢繰り込んで來た。それら老若男女が湯殿で騷ぐ、座敷で騷ぐ、小さな疎末な宿屋がめき/\いふ程騷ぐのである。

 そして中の若者が、お釋迦樣さへ甘茶にだまされまつぱだかといふ樣な唄を呶鳴るのを聞いて思ひ出すと、けふは四月八日である。道理でこの休日を彼等は斯うして騷がうといふのだ。

 また豫定を變へて私はその宿を出た。とても彼等とおつきあかが出來さうにないからである。そして痛む足を引きずり/\四里の道をずつと名栗川の岸に沿うて飯能町まで歩いた。難有いことに日は次第によく晴れて、路傍到る所につき坐つて休んでも惡い心地のせぬ麗日となつて呉れた。

(54)   何やらむ羽蟲の群のまひむれて溪ばたの梅の花につどへり

   白梅の老木の花はあらき瀬のとびとびの岩に散りたまりたり

   ひろき瀬の流れせばまりしらじらと飛沫《しぶき》うちあげ山の根をゆく

   清らけき淺瀬ながらにうねりあひて杉山の根に流れどよめり

   白々と流れはるけきすぎやまのあひの淺瀬に河鹿なくなり

   杉山に檜山まじらひ眞青くぞ花ぐもり日をしづまりて見ゆ

   草の芽を口にふくみてわが吹ける笛のねいろは鵯鳥《ひよどり》の聲

   ところ/”\枯草|生《お》ふる春の日の溪の岩原に鶺鴒の啼く

   谷堰きて引きたる井手の清らかに流れつつ啼く蛙は聞ゆ

   蛙鳴く田なかの道をはせちがふ自轉車の鈴鳴りひびくかな

   黒々とおたまじやくしの群れあそぷ田尻の水は淺き瀬をなせり

 

 七時發の終列車に漸く間に合ひ、池袋を經て家に歸つた。勞れ切つて歸つた身に、妻の顔が明るく映つた。

 

(55) 四月九日

 朝、眼がさめて机の側の窓をあけるとツイ眞向うの櫻の大木が、二三日溪から溪を廻り歩いて來た間に實にうらゝかに咲き垂れてゐた。


(56) 落葉松林の中の湯

 

 信州星野温泉は淺間山の南裾野一帶にひろがり渡つてゐる落葉松林《からまつばやし》の端の方、信越線沓掛驛から北へ二十町ほど入り込んだ所にある。落葉松林の奥から流れ出た溪流に沿うて温泉宿が唯だ一軒あるのみだ。輕井澤驛からこの邊にかけては信州のうちでも最も寒氣が烈しいと云はれてゐる處だけに、殆んど夏場のみを目的に經營せられてゐる樣なもので、私が初めてその名を教へられて出かけて行つたのは今年の十月末であつたが、ひよつとするともう休業してゐるかも知れぬからよく沓掛で樣子を訊いて入り込むがよいと言はれた程であつた。温泉と云つても湧き出した湯の温度が低いために火を焚いて温めてゐるのだ。行つてみると休んではゐなかつた。雪が積つても休まないさうである。その頃は恰度農閑季に入るので附近の農夫達でもやつて來るのであらうと想像された。湯は胃腸によく利くと云ふ。

 注意せられた通り沓掛驛で降りると直ぐ驛員に同温泉の事を訊いて、では汽車ごとに其處から馬車が來てゐる相だが、と更にたづぬると若い驛員は笑ひながら、いゝえそれは夏だけのことで(57)すと答へて歩み去つた。馬車どころか近所を探しても人力車一つ無かつた。爲方なしにやゝ大型なトランクを提げて昔は中仙道でもやゝ著名であつたその沓掛の寂びはてた宿場を出はづれると、路は玉菜の作つてある畑を過ぎて直ぐ落葉松の間に入つた。十月の末、この邊のこの樹木は半ば既に落葉してゐる。散り殘りのその黄葉《もみぢ》もすつかり褪せ果てゝ、眞直ぐな幹と細かい枝とがはつきりと見透され、廣い林の中も極めて明るい。その奥にこの宿場の飲食店の酌婦らしいのがただ獨りで腰を屈めて頻りに何かあさつてゐた。茸らしい。先刻通りすぎた或る家の前にも蓆一杯に小さなしめじが乾されてあつた。泥濘の乾き切らぬ路にはこまごました落葉が眞新しく散り敷いてゐるのだ。

 ツイ右手に起つて居る溪の響をなつかしく聞きながら、午過から照り出した薄暖い日光を背に受けてぼんやりと歩いてゐると、間もなく林を拔けた。其處に一軒の茶店があつて、庭の隅に一臺の俥《くるま》が置いてある。聲をかけると内儀らしいのが此方には返事をせずにあらぬ方を向いて何か言つた。すると一人の若い男がその茶店の一部になつてゐる鍛冶場の奥から出て來た。爲事を爲てゐたと見え、手には何か光つた金屬の棒を持つてゐた。私等(私は若い學生を一人伴つてゐた)を見るといかにも在郷軍人らしいお辭儀をしてやがてその俸を持つて來た。一臺きり無いので學生は遲れて歩かなくてはならなかつた。もつとも荷物さへ無くば私でも歩き度い日和なり路(58)なりではあつたのだ。

 俥はすぐ溪に沿うた。溪の向うは例の寂びはてた廣大な落葉松林で、白々と石の露《あらは》れてゐる其處此處には枯薄が叢を作つて、その蔭からこの蔭へと眞白な水泡《みなわ》をあげながら氷つた樣に流れて居る。ああ久しぶりに聞くその寒い、ほしいまゝな水のひゞき!

 

 さうした覺束ない寂しい場所を選んだのは、其處にひつそりと籠つて是非この十日ほどの間に爲《し》上げねばならぬ或る爲事《しごと》を持つてゐたからであつた。それに温泉場ならば此頃また起つて居る持病の痔の痛みを我慢するにも都合がよいといふ理由もあつた。で、其處がよし休業してゐないとしても、その温泉宿の模樣がこの目的に添はぬ樣ならば直ぐにも其處を出て他の場所、更に靜かな温泉場を選ぶつもりであつたのである。二階の部屋に案内せらるゝと直ぐ私は坐りもせずに一方の窓の障子をあけてみた。落葉松が十本ばかり、ツイ軒さきに沿うて寂然《じやくねん》と立つてゐる。それの落葉は障子の根方から板屋根いちめんにまで褐色鮮かなまゝに散り渡つてゐる。その木立を透いて溪の枯薄原が見え、木立の上には早や夕づいた山の雲が寒い紅色を宿して澱《おど》んで居る。一方の窓を引きあけると例の溪の水が小さく寄り合ひながら白々と流れ下つて、向うの山腹には夕日の影が黄葉を染めて漂つて居る。

(59) 其儘窓に腰かけて何といふ事なく頭痛に似た疲勞を覺えて居ると、その夕日の射して居る邊に啼く樫鳥の聲が烈しく溪を越えて聞えて來た。相距てゝ啼くらしい幾羽かの鳥の烈しい聲と水の響とのほか唯だはつきりと寒さが身に浸みるのみで、何の物音も何の人聲も聞えて來ない。

『これはいゝ所だ、ねエ君、此處に定《き》めませうよ。』

 私は遲れて着いた學生の顔を見るなり眠が覺めた樣な氣で斯う呼びかけた。彼も出來たら短い小説なり書いて行きたいと言つてゐたのである。

 私の樣な怠け者が早速その翌日から爲事《しごと》にかゝつた。東京ではその頃馬鹿に雨が續いて、現に信州へ向けて立つて來る朝までもじめ/\と降つてゐた。それが碓氷《うすひ》を越ゆる頃から晴れて滯在中大抵はよく晴れてゐた。初め一方の窓の障子にあたつてゐた日光はやがてまた他の一方に移つて、折々窓をあけてみると溪の流は眩い樣に終日光り輝いてゐるのだ。勞れると湯に入つた。湯は朝の八九時頃から沸いて、時に熱かつたりぬるかつたりするが、とにかく大變に温まる湯である。湯殿が廣くて明るいのも氣持がよかつた。季節だけに湯治の客と云つても二三囘やつて來た團體を除いて常の日は私等のほかに三人ほどしかゐなかつた。

 湯から出て來て專念に筆を執つて居ると、何處でかよく冴えた音いろでかすかにかん/\、(60)かん/\といふ風な音が聞ゆる。幾度も重なるので氣をつけてみると日があたつて張り切つて居る障子からその音は出て來てゐる。筆を持つたまゝぢつと見てゐると、それは庭の落葉松の落葉が風に吹かれて飛んで來てはその障子にあたつて音を立てゝゐるのである事が解つた。思はず立ち上つて障子を開くと、それこそほんとにちひさな生きものゝ樣に群つてたけ高いその梢から枝のさきからいつせいに散りなびいてゐるのであつた。

 

 東南に溪をめぐらしたその宿の北には小さな岡がある。例により全部落葉松のみが生えてをる。散歩に出るには初めの日に通つて來た樣に溪に沿うて沓掛の方へ出るか、またはこの岡を越えて更に無限に打開けた裾野の林の中に入り込むかするよりほか行く處がない。餘りの麗かな日光に誘はれて或る午前私等は庭の大部分を占めて居る廣い池の側を通つてその岡へ登つて行つた。岡には落葉松の間に宿の別莊風の家が三四軒立つてゐる。雨戸はみないづれも固く閉されてあるのだ。庭木として植ゑられた楓が濡れた紅ゐを湛へて寂びはてた庭のうへに散りみだれてゐる。石とも土ともつかぬ火山性の白茶けた土地のうへに散つてゐるだけにことにそれが眼に立つ。が、その楓も私等の行つた初め二三日の間だけが盛りであつたらしく、やがて惶しく散り失せてしまつた。

(61) 岡の背を超すとそれらの別莊と一寸建て樣の違つた一つの建物があつた。半分は和風、半分は洋風に建てゝある。見るともなく見ると門標に「山本畫室」としてある。少からず私は驚いた。友人山本鼎君の畫室が沓掛の附近に出來てゐるといふ事を聞いてはゐたが、思ひもかけぬ斯んな場合に見出さうとは思はなかつた。間違ひもなく見馴れた彼の筆蹟である。それを見てゐると、行違つて二三年も逢はずにゐる友の顔がまさしく其處に見える樣にも感ぜられて來た。雨戸は此處も閉されて川原の樣なその庭には側の林から吹き送らるゝ落葉松のおち葉が一面に散り敷いて、矢張り其處にも一本|眞紅《しんく》な楓が立つてゐた。

 林のなかに入つて行くと、今更の樣に今日の靜けさが身に浸んで來る。やゝ疎らになつた林の梢からはそれこそ誠に靜心《しづごころ》なく例のこまかい黄色い木の葉がはら/\はら/\と散つてゐるのだ。幾年かの間に散り積つた松葉のうへにいかにも匂ひ立つ樣に鮮かに散り重なりつゝあるのである。耳を澄せば散り合ふ音が何處といふことなしに林のなかに起つてゐるのが感ぜらるゝ。さうして、その落葉朽葉の薄れた邊に小さな茸が生えてゐる。たゞの白茶色のしめじと黄しめじとがとび/\に生えてゐる樣だ。その小さな茸の濕つた圓味のある笠のうへにもまた落葉松の葉は散り渡つてゐる。

 ぼんやりとその落葉するさまを見上げて立つてゐると、一寸には氣のつかなかつた松毬《まつかさ》より一(62)層小さいぼどの鳥が、ちい/\啼きながら葉の散る枝から枝を飛んでゐる。山雀《やまがら》らしい。氣がつけば其處にも此處にも殆んど林全體に渡つて細い澄んだ聲で啼き交しながら遊んでゐる樣だ。

 その岡の小さな林を通り拔けると其處には意外な大きい道路が通じてゐた。まだ最近開かれたらしく、後で聞いて知つたがそれは昨年あたりから着手せられた千ヶ瀧遊園地といふのゝ爲に設けられた道路なのだ相だ。その道ばたから眞正面に淺間火山が仰がれた。まる/\と高まつて行つたその山嶺にはその朝極めて微かの煙しか認められなかつた。しかもいつもの樣に白々と立ちのぼる事をせず、うらゝかに射した日光の下にやゝうすい紫を帶びた黝《くろ》さをもつて僅かの山の窪みを傳ひながら其處に纒《まつは》り澱《おど》んで居る。山の八合目あたりから下は一帶に植林地帶らしい褪《あ》せはてた黄葉《もみぢ》の原となつてゐる。

 道路を踏み切つて少許の荒野があり、それを過ぐるとまた例の林となつて居る。しかも既う何處まで行つても盡きさうもない深いそれとなつてをる。其處の縁の日向に遊んでゐると突然一疋の犬が馳け寄つた。そのあとから豫想の通り獵服の男が出て來た。雉子三羽と山鳩を二三羽打つて居る。二三服煙草を吸ひながら彼は立話をして行つた。

『どうも見ごとな落葉ですね。』

 私は又しても耳に入る林一帶のその微かな音色に心を取られながら彼に言つた。

(63)『えゝ今日はまだ風が少いからだが、少しひどい日に林の中を通つてゐると、まるで先の見えない位ゐ散つて來る事がありますよ、吹雪と同じです。』

 雉子の多いことだの、今年はさほどまだ寒くないことだの話してゐるうちに、犬は何か嗅ぎつけたと見え、烈しく尾を振りながら林沿ひの雜草の中へ馳け入つた。

 

 千ケ瀧遊園地といふへも或日行つてみた。この遊園地の目的は夏の避暑地を作らうといふのである。ツイお隣の輕井澤にも劣らぬ立派な處にしようといふ意氣込で着手したのだといふ。落葉松林の一部をやゝ薄くして、その林の中にとび/\に小さな貸別莊が幾つとなく建築せられつゝあつた。既に立派に出來上つてゐるのもある。来年の夏までには是非五十軒とか八十軒とかを作りあげる事になつてゐるさうだ。ずつと奥の方に溪に臨んで建てられて青く塗られた倶樂部と呼ばるゝ家などはなか/\立派なものらしかつた。

 遊園地の中央ほどに出來てゐる共同浴場も變つてゐる。其處此處に雪白な白樺の幹の立ち混つてゐる落葉松の林の中に玄關などには大理石を用ゐた小綺麗な建築で、内部には脱衣室と浴室とがあるきりで番人とてもついて居ずがらん洞だ。浴室は三面廣やかな明るい硝子張となつて居り、湯に浸りながら飽くなく林の風情を眺めらるゝ趣向になつて居る。私等の入つてみた時には(64)現に程よく湯が沸いてゐて、入浴隨意といふのだが、あまり明るすぎ、靜かすぎて、一寸裸體になる勇氣がなくて終つた。いま一つの特色はこの浴場には火を焚く場所がないといふ事だ。それは浴場から一町ほど離れた上手に釜を置き、其處で沸して地中をこちらに送る樣になつてゐるといふ。

 その日の歸り、極めて僅かの傾斜を持つた野のずつと下手の方から附近に似合はしからぬ一臺の幌馬車の走つて來るのを――そしてそのあとから幾臺かの人力車の續いて來るのを――不思議に思ひながら眺めたのであつたが、宿に歸つてからきけばその遊園地經營者が東京の何とかいふ華族樣を案内して連れて來たのであつた相だ。藝者衆をも束京から連れて來たのだ相だ。さう聞いてあの森閑たる林の中の浴場に眞晝間から湯のみが獨り沸いてゐた理由が讀めた。入浴隨意と書いてあつたのは平常の事で、今日お先に失敬しやうものなら大變な事になるのだつたねと私達は笑ひ合つた。それにしても――さうだ、あの倶樂部といふ家にもその時土地者らしくない若い女たちが頻りと廣さうな二階を掃除して或者は床の軸など懸けてゐるのを見たのであつた――あんな林のたゞ中でその夜どんな宴樂が催された事であらうと想ふとそゞろに微笑せずにはゐられなかつた。

四五日もゐるうちに日をきめて其處に泊つてゐる湯治客とはすつかり顔馴になつてしまつた。矢張り最初に推察した通り、全部で三人しか泊つてはゐず、みな胃の病《わる》い人のみで、中にも上州松井田の人といふ老人と私は浴室で落ち合ふ事を喜んだ。障子窓を透して日のよくさしこむ廣いながしにお互ひ裸體のまゝ汗を流しながら坐り込んで永い事話し合ふ事があつた。

『僅か三四人の客に終日斯う沸し通しにするのでは燃料だけでも大變でせうね。』

 と私がいふと、

『なあにネ、其處等にある落葉松ばかり焚いてるだから大層な事もありますまいよ、それにソラ宿の入口にある製板所も此處の宿でやつてるだから、彼處で出來る木の端片だつてなか/\のものでせうし、一度沸いてからなら鋸屑《のこくづ》の乾したのだつて結構間に合ひませうよ。』

 痩せた、田舍者らしくもない老人は靜かに斯う答へながら、

『近いうちに電氣で沸す樣にしたいものだと言つてますがね、うまく行きますか如何だか。』

 と附け加へた。

『それだけの電力を引くのはまた大變なものでせう、一體何處から斯んな所に電氣が引いてあるのです。』

 薄赤く煤けたランプをのみ寧ろなつかしい氣持で想像して來たのに、夕方ぱつと點つた電燈に(66)驚いたこの宿の第一夜の事を思ひ出しながら私が不審がると、老人は笑ふともなく笑ひながら、

『なあにネ、あの電氣は自分で起して使つてるのですわ。』

 といふ。

 飲み込めない顔をして彼の眼を見ると、

『ソラ、入口に製板所がありませう、その隣に小さな小屋があつて晝間はその屋根の側の樋《とひ》から水が落ちてゐますぢアろ、あの小屋が發電所で、自分の家で使ふだけの電氣をば彼處で起してるのですよ。』

 との事である。

『小さな機械でせうから幾らの電氣も出はしますまいがネ……、昨年でしたかあの横械に故障が起つて、東京からその道の技師を高い金を出して二人とか呼んだ相ですがネ、どうしても直らない、主人も既う諦めてゐた所へ、恰度泊り合せてゐた小諸町の時計屋の亭主が一寸私にも見せて呉れと言つて何かちよいといぢつた所がそれで急にまた以前の通りになつてまア今日になつてるのだ相ですがね、妙な事もあるものですよ。』

 斯んな話がいかにも面白く私には聞かれたのであつた。明暗常無き電燈もその話を聞いた夜からは何だかしみ/”\眺めらるゝ氣などした。

(67) 或日二階の縁側に出て日向ぼつこをしてゐた所へ背の高い、粗野ではあるが高尚な顔をした青年が突然その隣室から出て來て、あなたは若山牧水さんぢアないかといふ。意外に思ひながらさうだと答へると、自分は美術院のY――といふ者で今度山本さんの畫室を借りて此處に繪をかきに來てゐる、あなたの事は兼々山本さんから噂を聞いてよく知つてゐたが斯んな所で逢はうとは思はなかつたといふ。私も驚いた。食事をばこの宿へ來て喰べて、夜もその畫室に寢る樣にしてゐるのだ相だ。

 その人の行つてゐる時に私はその「山本畫室」を訪ねて行つた。そしてその室内にも入つて見た。何といふ明るさと靜けさと冷たさとを其處は持つてゐたことだらう。大きなストーヴと卓子と椅子ときりない極めて簡單なその室の一方の高い窓には、殆んど正面に淺間の禿山が仰がれた。そして窓から下はすぐ一つの溪間と落ち降つてゐて、その窪みの両側とも例の黄葉した林である。林から林が續き、やがて近々と淺間の山が起つて行つてゐる。眼下の溪間からずうつと打續いて行つた林と、淺間の山と、をれに連つた名も知らぬやゝ低い山脈とがこの室とは何だか關りもないものゝ樣に近く遠く寂然《じやくねん》と見渡されて、深碧な空からは實に多量の冷たい光線が曇りのない窓障子を透して室内に落ちてゐるのである。よく晴れたその日の日光は廊下に距てられて室内には何の影響もない。

(68) ものを言ふのも惜しい樣な氣持で暫く室の眞中の椅子に凭《よ》つてゐるうちに全身の精力は何だかすべて耳の邊に吸ひ寄せられて行つてしまひさうで、後ではその邊の神經が痛み出して來るのを感じた。

 

 その邊の風物は既に冬枯れて見ゆるのにまだ「秋」といふ言葉に關聯した團體旅行などがその寂しい温泉場にもやつて來た。雉子の獵場といふだけにそんな人達も折々來て泊つた。或朝、十時頃百人餘りの團體が押しかけて來た。折惡く時雨れてゐたが、宿にゐた所が到底爲事など出來はせぬと考へたので、傘をさしながら私等は沓掛まで出かけ、其處から汽車で小諸町まで裾野を降りて行つた。一時間ばかりの汽車はずうつとなだらかな傾斜を降つてゆくのだが、右も左もすべて裾野の林である。雨中の黄葉が褪せながらにも美しく眺められた。そこの町には知人があるので訪ねてみたが生憎く留守であつた。床屋にも寄りたし、買物もしたしといふのであるが何しろ寒いので會つて七八年前この町に滯在してゐた時よく來た事のある驛の前の小料理屋へ上つた。

 特に熱くつけさせてちび/\と飲み始めたが一向に氣が冴えない。留守であつた知人といふのはよく飲む男なので久しぶりに大いに飲まうと樂しんで來た的が外れて、何となく心がぐれてし(69)まつたのだ。一緒に行つた學生はまた素下戸《すげこ》で一杯の對手にもならず、庭先の冬木から石燈籠に降るこまかい雨を眺めながら飲めども/\醉はない。女中を呼んで、酒の飲める藝者がゐるかと訊くと、居るといふ。とにかくそれを呼んで貰ふ事にして、二人とも殆んど物を言はず、一方はたゞ食ひ一方はたゞ飲んでゐた。

 歩いて來たとみえ、袖を濡らしながらそのいはゆる左利きなる女が入つて來た。案外にも若い。まだ二十歳を出ない位ゐだ。女中奴、出鱈目を言ひ居つたと思ひながら杯をさしてみると、なるほどよく受ける。そして飲む。唯だにやり/\と笑ひながら飲んでゐる。顔はなか/\美人だが、どうも少し足らないらしい。何處にか低能の相を持つて居る。これもまた黙り込んで唯だ水を飲むが如くにして飲むだけだ。オヤ/\と思ひながらそれでも豫定の四時間あまりを其處に過し、團對客の歸り去るといふ時間に宿に着く樣に加減して汽単に乘つた。

 雨はその時きれいにあがつてゐた。いつか風が出て、顔や手足が隨分冷たい。そして行きがけには雲にとざされて見えなかつた淺間山が、星の影の一つ二つと見えそめた紺青の夕空にくつきりと冴えて汽車の窓から仰がれた。よく見るとその山嶺には今までに見えなかつた薄雪が鹿の子まだらに積つてゐるのだつた。

(70) 爲事も片附いたので私達は滯在十日足らずでその裾野の中の温泉場とも云へぬ温泉場を引上げた。立つ日はまた朝から誠に暖に晴れてゐた。畫室に一寸暇乞に寄ると畫をかきさしたまゝY――君は沓掛の停車場まで送つて來て呉れた。寢衣《ねまき》のまゝで幅廣な眞黒な帽子を被つた背の高い彼は溪沿ひの小春日にも、人影の無い停車場にも誠に相應《ふさ》はしく眺められた。程なく輕井澤の方から煙を上げて來た小さな汽車に乘つて私達は別れを告げた。來る時には碓氷を越えて、今度は篠の井を廻つて松本を經、甲州路を通つて東京へ歸らうといふのである。そしてその夜は松本近くの淺間温泉に泊るつもりであつた。が、急に豫定を變へ、松本から輕便繊道に移つて二時間ばかり、北安曇の大町まで行つてしまつた。雪積み渡した大きな山岳の麓にあたるその寒驛に降り立つと月が寒々と冴えてゐた。

 

(71) 信濃の晩秋

 

 私達が十一月六日の朝星野温泉を立つて沓掛驛から乘つた汽車は輕井澤發新潟行といふ極めて小さな汽車であつた。小型な車室が四つ五つ連結されたまゝで、がた/\と搖れながら黒い小犬の樣に淺間の裾野を馳け下るのである。

 日はこゝちよく晴れてゐた。初め私は朝日のあたる左手の窓に席を取つてゐたが、小春日にしては少し強すぎる位ゐの光線なので、やがて右手に移つた。淺間山が近々と仰がるゝ。二三日前薄く積つてゐた頂上の雪は今朝はもう解けて見えない。湯來の樣な噴煙が穩かに眞直ぐに立昇つてゐる。まつたく靜かな天氣だ。

 輕井澤から小諸まで一時間あまり、この線路の汽車は全然淺間火山の裾野の林のなかを走る樣なものである。時に細い小さな田があり、畑が見ゆるが、それとても極めて稀である。林は多く廣々した落葉松林《からまつばやし》で、間に雜木林を混へて居る。それらが少しもう褪せてはゐるが一面の紅葉の世界を作つて居るのだ。雜木の中に立つ白樺の雪白な幹なども我等の眼を惹く。車窓から續いて(72)それら紅葉の原にうらゝかに日のさしてゐるのを見渡しながら、明るい靜かな何といふ事なく醉つた樣な氣持になつてゐると、その裾野のはて、遙かに南から西へかけて連り渡つた山脈の雄々しい姿も自づと眼に映つて來る。中でも蓼科山《たでしなやま》と想はるゝ秀《すぐ》れて高い一角には眞白に雪の輝いてゐるのが見ゆる。程なく小諸驛に着いた。

 小諸町は私にとつて追懷の深い所である。廿四か五歳早稻田の學校を出て初めて勤めた新聞社の為事も面白くなく、一二年が間夫婦の樣にして暮してゐた女との間も段々氣拙《きまづ》い事ばかりになり、それと共に生れつき強かつた空想癖は次第に強くなつて、はてはさうした間に於ける自暴自棄的に荒んだ生活が當然齎す身體の不健康、さうした種々から到頭東京に居るのが厭になつて、諸國に歌の上の知合の多いのを便宜に三四年間の計畫であてのない旅行に出てしまつた。そして第一に足を留めたのが小諸であつた。幸ひ其處の知合の一人は醫者であつた。土地にしては割に大きい或る病院に勤めて、熱心に歌を作つてゐた。私は先づ彼によつて身體に浸み込んでゐる不快な病毒を除いて貰ひ、それから更に樂しい寂しい長途の旅に上らうと思つたのである。かれこれ四ヶ月も其處には居たであらう。そんな場合のことで、見るもの、聞くもの、すべてが心を傷《いた》ましめないものは無いと云つていゝ位ゐであつた。その小諸驛を通るごとに、その甘い樣な酸いやうな昔戀しい記憶は必ずのやうに心の底から出て來るのが常であつた。ことにその朝の樣に落(73)ちついた、靜かな心地の場合、一層それを感じないわけに行かなかつた。  其處へ小柄な洋服姿の男が惶しく車室へ入つて來た。一度入つて席を取つておくと同時にまた惶しく身をかへして飛び出した。その顔を見て私はハッと思つた。立ち上つて窓ガラスをあけながら見廻したが、何處に行つたかもう影も見えない。ときめく心に私は思はず微笑んだ。屹度彼に相違ない、當時其處の病院に私が訪ねて行つた岩崎君に酷似《そつくり》だと思つたからである。程なく彼は手に大きな荷物を提げて轉ぶ樣にブリツヂを降りて來た。その惶てた顔! まさしく彼は醫師岩崎樫郎に相違なかつた。昔も今も彼の惶て癖は直らぬものと見える。

 彼のあとから八九歳の少年と白髪の老婆とが、これも急いで降りて來た。見送りらしい人達も二三引續いた。荷物の世話や惶しい別れの挨拶などが交されてゐる間に汽車は動き出した。發車しても彼はなほ何か惶てゝゐた。そしてそれこれとポケツトを探してゐたが、舌打をすると共に、『しまつた、切符を落して來た!』

 と呟いた。私は立ち上つて彼の前に行つた。まだ席に着く事もせずにゐた彼はツイ眼の前に思かもかけぬ男が笑ひながら立つてゐるので、ひどく驚いた。

『やア、如何《どう》したんです?』

 彼は私の行つてゐた頃から少し經《た》つて小諸の病院を辭し、郷里の靜岡へ歸つて開業したが、思(74)ふ樣に行かぬのでまた小諸へ戻り、やがて今度諏訪郡の或る山村に單獨で開業し、ずつと其處に居るのだといふ事を人づてに私は聞いて知つてゐた。で、小諸で彼を見やうとは私には意外であつた。聞けば慈惠醫院卒業生で信州に開業してゐる者の懇親會が一昨日上田で開かれ、その歸りを小諸に廻つて以前の病院を訪問し、今日諏訪の方へ歸るところなのださうだ。

『隨分久しぶりですねえ、何年になりますかネ、さうだ、十一年、既《も》うさうなりますか、それでもよく一目で僕だと解りましたね。』

『だつて一向變つてゐないぢアありませんか。』

『眞實《まつたく》さうだ、あなただつて變つてはしませんよ。』

 立つたまゝ相共に大きな聲で笑つた。變つてゐない事もない、彼は私より一つ歳上であつたと思ふが、スルトいま三十六歳、惶てることを除いては何處にかそれだけの面影を宿して來た。

『阿母さんですか?』

『さうです。これが長男です、コラ、お辭儀をせんか、もうこれで二年生です。』

 私は老人に挨拶した。痩せた、利《き》かぬ氣らしい老女と對しながら、彼が二度目の小諸時代に迎へた妻とこの人との間がうまく行かなくて困つてゐるといふ噂を聞いた事など自づと思ひ出されたりした。

(75) 小諸を離れると汽車は直ちに千曲川に沿ふ樣になる。今までの森や林とも離れるが、引く續いて裾野の穩かな傾斜を降つてゆくのだ。日は益々澄んで、まるで酒にも似た熱と匂とを包んで來た。千曲の岸や流を眺めて居ると、一層しみ/”\と當時の事が思ひ出されて來る。四ヶ月の間恰も夏の末から秋にかけてゞあつた、病院に寢てゐなければ、私は多くこの千曲の岸に出てゐた。さなくば町の裏手を登つて無限に廣い落葉松林の中に入つて行つた。疲勞と、悔恨と、失望と、空想と、それらで五體を滿しながら殆んど毎日の樣にふら/\と出て歩いてゐたものであつた。やがて可懷《なつか》しい布引山が眼の前に見えて來た。飛沫をあげながら深碧に流れてゐる千曲の岸から急にそゝり立つた斷崖の山には、眞黒な岩壁と、黄葉との配合が誠に鮮かに眺められた。

 二三の思ひ出話が續いて出たが、どうも氣がそぐはない。この若いドクトルは一分の手も休めないで見失つた切符を探してゐるのだ。はては老人も手傳つて探すことになつた。宛《あたか》もこの小さい寫室全體がその氣分や動かされてゐる樣にも見ゆるまでに。その間に田中を過ぎ、大屋を過ぎ、上田を過ぎた。どの土地にも私の追懷の殘つてゐない處はない。考へてみれば私はまつたくよくこの近所をば彷徨したものだ。切符は終《つひ》に出なかつたが、上田を過ぎてからは彼もやゝ落ちついて談話の裡に入つて來た。話して居れば十一年の間に當時其處で知り合ひになつた幾人もない中の二人の若い人が死んで居る事などが解つた。二人とも肺で倒れたといふ。

(76) 篠の井驛乘換、其處で私は酒を買つて乘つたが彼は昔の通り殆んど一滴も飲まなかつた。私一人でちび/\と重ねながら姨捨の山を登る。いつ見ても見飽かぬ風景だが、今日はこの天氣だけに一層趣が深い。うち渡す田も川も遠くを圍んだ山々も皆しんみりと光り煙つて居る。岩崎君は寫眞機を取出してあれこれと寫してゐた。

『もう歌は止めて今はこれですよ、この方が僕の樣な氣の短い者には手取早くていゝ。』

 長い隧道《トンネル》を越えて麻績、それから西條、明科、田澤と過ぎて午後三時過ぎ松本驛着、私は其處でこの舊友とその家族とに別れて同伴の學生門林君と共に下車した。門林君は關西生れで今度一緒に信州に來て見て彼は初めて山らしい山を見たと言つて喜んでゐたのであつた。星野あたりで見る山もいゝにはいゝが、松本市の在にある淺間温泉から眺むる日本アルプスは更に雄大なものである、是非其處の山を見てお置きなさいと勸めて此處へ降りたのである。

 松本停車場から淺間温泉へ行くには驛前の乘合自動車に乘るのを常としてゐたので、のこ/\と改札口を出てその發着所へ歩いて行くと既に大勢の人が其處に集つてゐる、何かの團體客らしい。そして自動車は一臺も見えない。幾度にも往復してこの團體を送り込まうといふのであらう。オヤ/\と思ひながら兎に角驛の待合室に入つて、見るともなく時間表を見てゐるうちに不圖或る事を私は考へついた。そして門林君を顧みた。

(77)『ねヱ君、君ハアルプスの山を遠くから望むのがいゝか、それとも直ぐその麓から見上ぐるのがいいか。」

 けゞんな顔をしてゐた彼は、

『それは麓からの方がよささうに思はれます。』といふ。

『では君これからいゝ處へ行かう、淺間よりその方がよさ相だ。』

 惶てゝ私は切符を買ふと、とある汽車に乘り移つた。此處からこの輕便繊道によつて終點に當つている北安曇郡の大町まで行かうと思ひついたのだ。山を見るにもよく、ことに其處には親しい友人もゐるので、急に逢ひたくもなつたのであつた。

 今朝沓掛から篠の井まで乘つたのより更に小さい車室の汽車がごとごとと走り出すと、私は急に身體の疲勞を感じた。今迄は珍しく會つた友人に氣を取られて忘れてゐたのであらうが兎に角|既《も》う六時間あまり坂路ばかりの汽車に乘り續けて來てゐるのである。昨今の自分の身體の疲れるのも無理はないなどゝ思ひ出すと、矢張り淺間まで一里あまり、俥でゞも行つてゆつくりと綺麗な温泉に入る方がよかつたか知れぬと、心細い愚痴が出て來たが、もう追ひ附かなかつた。これから大町まで二時間ほどかゝる、どうかして眠つてゞも行き度いと努めたが、謝體の動搖の烈しいのと、これも急に身に浸みて來た寒さとで到底眠れさうもない。唯だ眼を瞑《つむ》つて小さくなつて(78)ゐた。

 山國の事で、暮れるとなると瞬く間に日は落ちてしまふ。何といふ山だか、豐かに雪を被つた上にうす赤く夕日が殘つてゐたが程なくそれも消え去ると忽ちのうちに夜が襲つ來た。近々と其處等に迫つて聳えて居るとり/”\の山の峰にはいつの間にか雲が深く降りて來た。麓から麓にかけては暮靄《ぼあい》が長く/\棚引いて、芥火《あくたび》でもあるか諸所に赤い炎の上つてゐる所も見ゆる。輕鐵《けいてつ》の事で、驛々の停車時間も極めて區々である。或所では十分も二十分も停つてゐる樣に思はれた。車室から出て見ると今まで氣がつかなかつたが、月が出てゐた。仰げば眼上《まうへ》に迫つて幾重にも重りながら雲を帶びてゐるアルプス連山の一列前に確かに有明山だと思はるゝ富士型の峰が孤立した樣に半面に月を受け、半面は墨繪の色ふかく高々と聳えて居る。この山にのみ雲が居ない。然し、何といふ寒さだらう、永くは立つてもゐられない。

 寒さと心細さに小さくなつてゐる間に午後六時何分、漸く大町に着いた。友人中村柊花は此町の郡役所に勤めてゐるのだが、此頃引き移つたその下宿をばすつかり私は忘れてゐた。兎に角彼に逢つて置き度いと思つたので停車場とは反對の位置に町を突き拔けた所に在るといふ郡役所まで先づ行つて見る事に決めた。九時間近くの汽車で筋張り果てた脚には寧ろ歩くことが快かつたが山下しの風がひしひしと耳の邊を刺すには弱つた。片割月が冬枯れ果てた町の上に森《しん》として(79)照つてゐる。郡役所には灯が明るく點つて宿直の人らしいのが爲事《しごと》をしてゐた。中村君の下宿を聞いて更に其處に行く。老婆が二人、圍爐裡に寄つて茶を飲んでゐたが當《たう》の友人はゐなかつた。多分何處ぞの茶屋で宴會でもあるらしいといふ事であつた。多分そんな事になりはせぬかと心配して來たのであつたが、運惡く的中した。附近の宿屋の名を老婆に訊ねて、名刺を置きながら、其處を出た。

 宿は對山館といつた。思ひ出せばかねてから折々聞いてゐたその名である。アルプスに登る人で、といふより廣く登山に興味を持つ人でこの名を知らぬ人は少なからう位ゐに思はれるまでその道の人のために有名な宿なのだ。通されたのは三階の馬鹿に廣い部屋であつた。やれ/\と手足を投げて長くなつた。兎に角先づ風呂に行く。指先一つ動かざず、唯茫然と温つてゐる所へ、女中が來て、『中村さんつて方がいらつしやいました。』といふ。

『えツ!』と思はず湯の中で立上つた。若しかすると、といふ希望で心當りの料理屋に電話をかけて貰ふやうに女中に頼んでおいたのであつたが、それがうまく的中したのであつた。

 急に周章《うろた》へて湯から出た。既に眞赤に醉つてゐる中村柊花は坐りもやらず廣い部屋の眞中に突立つてゐた。

 固く手を握り合つたまゝ、二三語も發せぬうちに私は彼に引張られて宿を出た。驚いてゐる門(80)林君も一緒であつた。今迄彼等が飲んでゐたといふのゝ隣の料理屋に上つて、早速酒が始つた。肴は土地名物の燒鳥である。疲れと心細さで凍つてゐた五體を燒きながら廻つてゆく酒の味は全く何にたとへ樣もなかつた。其處へ同じく舊知の榛葉胡鬼子君も中村君の注進によつて馳けつけて來た。一別以來の挨拶や噂話が混雜しながら一渡り取り交はされると漸く座も落ち着いて、改めて歌の話や我等の間で出してゐる雜誌の話などがしんみりと出て來た。その頃には既《も》ういち早く酒の醉も廻つてゐた。やがて一人二人と加つていつの間にか五六人にもなつてゐた藝者たちの躍が始まる樣になると大男同志の中村君も榛葉君もよろ/\と立上つて一緒になつて躍り出した。

   木曾のおん嶽、夏でも寒い、袷やりたや、足袋添へて、

   袷ばかりは、やられもせまい、襦袢したてゝ、帯そへて、

   木曾へ木曾へと、皆行きたがる、木曾は居よいか、住みよいか、

 宿屋に歸つて床についたは二時か三時、水を飲み度さに眼を覺すと荒らかに屋根に雨らしい音が聞ゆる。昨夜料理屋の三階から見た月の山嶽の眺めはまだ心に殘つてゐるものをと不思議に思ひながら、起き上つて雨戸を細目にあけて見ると、夜はいつやら明け離れて、四顧茫々と唯だ雲か霧かが立て罩めたなかに、これはまた大粒の雨がしゆつ/\と矢の樣に降り注いでゐるのであつた。

 

(81) 二晩どまり

 

 三四人のお醫者さまを中心とし、それに陸軍教授大学助教授といふ風の人たちが寄つて一つの歌の團體が出來てゐる。私もその中の一人である。毎月一囘づゝ寄り合つて歌を作つたり批評し合つたりしてゐるのであるが、この四月はそれを止めて何處ぞへ一泊がけの旅を爲ようといふ事になつた。みな忙しい人たちなので、時間の都合から行先をきめるに大分迷つたが、とにかく誰も行つた事のないのを興味に木更津へ行つて見ようといふことになつた。そして去る十日土曜日の午後四時半兩國驛發ときまつた。それも行く事にきまつた六人が一緒には立てないで、四人だけ先發、殘り二人はその日の終列車であとを追ふといふ事になつた。

 私等先發の四人が木更津に着いた時は日が暮れてゐた。先づ宿をきめて、それを停車場の告知板に書きつけて置くのが急務であつた。驛で訊くとこの土地で重な宿屋と呼ばれてゐるのが四軒ある、何屋に何屋だと教へて呉れた。中でどれが一等いゝんですと尋ねると、それはどうとも言へない、大抵似たものだと笑つて居る。海岸に最も近いのをいゝとしようといふ説や、いや兎に(82)角極く靜かな所を選むがよいといふ意見など出て、同じ汽車を降りた人達がみな停車場から消え去つて了ふまで其處に四人して立つてゐたが、何屋といふのは名がいゝから其處に行つて見ようといふのでぶら/\歩き出した。が、其處は滿員だと云ふ事で女中たちが忙しさうに立働いてゐた。次の何屋もまた同樣であつた。オヤ/\と言ひながら、通りかゝりの若者に何々屋といふ宿屋はどこだと訊くと、ツイ筋向うの家を指して、彼家です、あの帳場に坐つて横を向いてゐるのが有名な松井須磨子の前の亭主です、と意外な事まで附け加へた。どうも大變な宿屋だナ、そんな所は止しませうよ、と帳場を窺《のぞ》いただけで通り過ぎたが、四軒のうち殘るのは一軒になつた。それは料理屋町らしい處に在つた。賑かな三味線太鼓が四邊《あたり》に聞えて、その家にもさうした客があるらしかつた。明るい玄關をやゝ遠くから眺めながら四人はまた暫く佇んだが、其所をば諦めてもと來た方へ引き返した。そして終《つひ》にその四軒のほかの謂はゞ第二流の何々屋といふのへ泊る事になつた。それも二部屋欲しいといふ希望は駄目で、僅かに八疊一間で我慢せねばならなかつた。土曜日の上に選擧騷ぎのため斯うこんでゐるのだ相だ。これが自分一人か乃至は同じ浪人仲間だつたら風釆から斷られたとも僻《ひが》むのだが、けふの連はみな堂々たる紳士であつた。

 然し、却つて面白かつた。床に挿した法外に大きい櫻の枝も鄙びてゐて、膳を丸く寄せて酒を酌んでゐると、殆んど頭上にさし出たその花が誠に珍しく見上げられた。頭を突き合せるやうに(83)して二列に八疊の間へ六つの床を敷く、そしてその中へ潜り込んで雜談を交してゐる所へ、十一時すぎて後發の二人が着く。中の一人が持つて來たウヰスキーの壜を見ると、私もまた起き上つて他の人の寢てゐる枕許で三人して飲み始めた。そのため一時眠りについた人も眼を覺して、談話がひどく賑かになつた。隣室のことも氣には懸るが、押へられない可笑しさ面白さである。四十歳前後のいゝ歳をした連中が、まるで中學の修學旅行に出かけた形であつた。

 翌朝は意外に早く皆が眼を覺ました。中に一人、精神病専門U――醫學土だけはシミンセイ氏といふ名を貰つた。彼は他が全部着物を着換へてしまふまでもぐつたり眠つてゐた。二三日前の新聞に十四日間眠り通した嗜眠性腦炎とかいふ病人のあつた記事が出てゐたのださうだ。八時幾分發の汽車で一同北條に向つて立つ。

 汽車の中も賑かであつた。一行のうち、見ごとな禿《はげ》を持つてゐる人が二人、ちゞれ毛が一人、その他天神髯、發賣禁止髯など種々あつて、どうした機會かそれら髪や髯の惡口を言ふ事が始められた。それも三十一文字、二十六文字、十七文字等の形式に於てゞある。一吟一詠、どつといふ笑聲が起つて、車室全體知るも知らぬも皆我等と同一氣分に滿ち搖ぐまでになつた。鋸山の麓を走る頃から海の眺めが甚だよくなつた。そして海岸の山から山には思ひがけなかつた山櫻が白々と咲いて、天はこの上もなく麗かに晴れて來た。

(84) 那古船形驛下車、那古の觀音船形の觀音双方に詣つて、海岸ぞひの路を北條へ歩いて行つた。路の兩側は殆んど桃畑のみ續いてゐるかのように、紅いその花が眼についた。東京ではまだ氣のつかなかつた燕が地上低く飛び廻つて、松原の蔭の水田から蛙の聲がしきりに聞える。路傍の生垣の若葉といひ、路に立つ埃といひ、もういつの間にやら、夏に入つた樣な心地がした。

 北條では海に近い宿屋で、輝く沖を眺めながら海老だ、鮑だ、※〔魚+是〕《しこ》のぬただと勝手な事を言ひ言ひゆつくりと晝食をとつた。いつまでも盃を嘗めてゐる者、夙くに飯を濟まして二階つづきの納凉臺に出て仰向けに寢てゐる人、さま/”\である。シミンセイ氏は此所でもまた出立の際に引起された。

 三時幾分かの汽車で五人の人は歸つて行つた。そして私だけ一人殘る事になつた。これは昨日東京を立つ時に打合せて來た事で、私の友人の一人で今度日本郵船の紐育支店詰になつて渡米するのが居る。その出發前に一緒に東京を離れた靜かな所で一日ゆつくり遊び度いといふ希望から斯うしたのであつた。打合せ通り都合よく行けば午後四時半の汽車で彼は來る筈である。その時間に私は停車場へ出て待つてゐたが、來なかつた。次は六時三十分である。それにも見えなかつた。何と云つてもあと三四日のうちに船に乘らなければならぬ人である。而も突然の任命ではあつたし、種々の出立用意で來られぬのかも知れぬと私は半ば諦めながら告知板に宿の名を書いた(85)まゝ、宿に帰つてそれまで待たせてあつた夕餉の膳を取り寄せた。部屋の直ぐ下が小さな川の川口となつてゐて、星が澤山その上汐らしい豐かな水面に映つて居る。そして四邊《あたり》は雨の樣な蛙の聲だ。先刻まで賑かであつたゞけ私は淋しくて、膳をもそこ/\に下げさせ、床を延べて寢てしまつた。某所へ背の高い友人はせか/\としてやつて來た。矢張り何彼と忙しくて豫定のに乘れず、辛うじて終列車に間に合つたのださうだ。納凉臺に出て闇の中で暫らく話す。沖には鯖釣だといふ火が一列鮮かに浮んで居る。宿ではもう遲いから何所かへ出て飲まうかと勸めて見たが、ひどく疲れてるといふので其儘床を竝べてやすむ。

 明くる日もよく晴れた。渚に寄る小波の音も聞えぬ位ゐよく凪いで居る。舟を雇つて鷹の島から沖の島めぐりをすることにした。この二つの島は館山灣の一里ほど沖に二つ竝んで小さく浮んでゐるのである。先づ手近の鷹の島に舟を着けた。この島には水産學校の實驗所とかいふのが建つてゐて、普通の人家は無く、島全體が繁茂した密林となつてゐる。林の木は風のためかみな丈低く枝を張つて、見るからに硬さうな葉が屋根の樣に日光を遮つて居る。或る所では椿の花が一面に散つて腐つてゐた。海岸に砂原は少く、大抵は岩の荒い磯となつて居る。その磯を二人で廻りながら波に濡れて貝を拾つた。幼い頃の記憶で、喰べられる貝の大抵をば覺えてゐた。

 その島を廻り終ると沖の島へ出た。其處には人家らしいものもなく、唯だ一面の森のみだ。そ(86)して意外にもその森の中に二三本の山櫻の大きな木が混つてゐて今をさかりに咲いてゐるのを發見した。海に浮んだ森の中のこの清らかな花を見て私は思はず驚きと歡びの聲をあげた。私は櫻の中で最もこの深山の花らしい山櫻を愛してゐるのである。一本のその木の大きな枝がずつと他の木を拔いて海の方に咲き枝垂《しだ》れた蔭に清い砂原があつた。其處に用意して來た辨當を運ばせて、私は先づ冷たい洒を含んだ。ツイ近くには柔かな波が岩を越え、岩を滑りして日に光つて居る。

 ゆつくり話さう、などゝ言つて出會つたのだが、この年若い友人とは平常繁く往來してゐるので別にもう話す事とても無かつた。そして彼は餘り酒を嗜《たしな》まなかつた。やがて彼は其所等に散らばつてゐる流木を集めて火をつけた。よく乾いたそれは直ちに赤い炎をあげてとろとろと燃え出した。すると今度は附近から石を集めて來て火の周圍に大きな竈を造り始めた。見てゐても可笑しい位ゐの苦心で彼は火の三方に石を積み、平たい石で屋根を拵《こしら》へ、その背後に煙を出す穴まで爲上《しあ》げてしまつた。

『だつて、斯んな遊びをするのは一生のうちもうこれがおしまひですよ。』

 と私の笑ひに答へながら、

『そうら御覽なさい、よく煙が出ませう。』

(87) と言つて更に遠くへ出かけて五尺八九寸の身を屈めながら一心に流木を集めて居る。今年歳廿四、紐育には多分五年程居る筈で、其後も出來るなら日本には歸り度くないと彼は言つて居る。父一人子一人の彼は物心のつく頃からその父と合はず、高等商業を卒業する一年程前から終《つひ》に獨力で勉強もしたのであつた。今度の事もまだ父には告げず、唯だ波止場でだけ一寸逢つて行きませうなどゝ言つてゐるのだ。

 一時近く舟に乘つた。そして眞直に宿には歸らず館山町の方に上つて行つて、其所の料理屋で藝者などを呼んで大いに騷いだ。おとなしい彼も終に醉払つて、膝頭までもない宿屋の褞袍《どてら》を踏みはだけながら得意の吉右衛門ばりなどが出たりした。

 夕方、俥で宿に歸り、直ぐ停車場に行くと終列車が将將に動き出さうといふ所であつた。


(88) 水郷めぐり

 

 約束した樣なせぬ樣な六月廿五日に、細野君が誘ひにやつて來た。同君は千葉縣の人、いつか一緒に香取鹿島から霞ヶ浦あたりの水郷を廻らうといふ事になつてゐたのである。その日私は自分の出してゐる雜誌の七月號を遲れて編輯してゐた。何とも忙しい時ではあつたが、それだけに何處かへ出かけ度い欲望も盛んに燃えてゐたので思ひ切つて出懸くる事にした。でその夜徹夜してやりかけの爲事を片肘け、翌日立つ事に約束した。一度宿屋へ引返した細野君はかつきり翌廿六日の午前九時に訪ねて來た。が、まだ爲事が終つてゐなかつた。更に午後二時までの猶豫を乞ひ大速力で事を濟ませ、三時過ぎ上野着、四時十八分發の汽車で同驛を立つた。

 三河島を過ぎ、荒川を渡る頃から漸く落ち着いた、東京を離れて行く氣持になつた。低く浮んだ雲の蔭に強い日光を孕んでをる梅雨晴の平原の風景は睡眠不足の眼に過ぎる程の眩しい光と影とを帶びて兩側の車窓に眺められた。散り/”\に並んだ眞青な榛《はん》の木、植ゑつけられた稚い稻田、夏の初めの野菜畠、そして折々汽車の停る小さな停車場には蛙の鳴く音《ね》など聞えてゐた。

(89) 手賀沼が、雜木林の間に見えて來た。印旛沼には雲を漏れた夕日が耀いてゐた。成田驛で汽車は三四十分停車するといふのでその間に俥で不動樣に參詣して來た。此處も私には初めてゞある。何だか安っぼい玩具の樣な所だと思ひながらまた汽車に乘る。漸く四邊《あたり》は夜に入りかけて、あの靄の這つてゐるあたりが長沼ですと細野君の指さす方には、その薄い靄のかげにあちこちと誘蛾燈が點つてゐた。終點の佐原驛に着いた時は、昨夜の徹夜で私はぐつすりと眠つてゐた。搖り起されて闇深い中を俥で走つた。俥はやがて川か堀かの靜かな流に沿うた。流には幾つかの船が泊つてゐて小さなその艫《とも》の室には船玉樣に供へた灯がかすかに見えてゐた。その流と利根川と合した端の宿屋川岸屋といふに上る。二階の欄干に凭《よ》ると闇ながらその前に打ち開けた大きな沼澤が見渡されさうに水蒸氣を含んだ風がふいて、行々子《よしきり》が其處此處で鳴いてゐる。夜も鳴くといふことを初めて知つた。風呂から出て一杯飲み始めると水に棲むらしい夏蟲が斷間なく灯に寄つて來た。

 六月廿七日。近頃になく頭輕く眼が覺めた。朝飯を急いで直に仍《そこ》から一里餘の香取神社へ俥を走らせた。降らう/\としながらまだ雨は落ちて來なかつた。佐原町を出外れると瑞々しい稻田の中の平坦な道路を俥は走る。稻田を圍んで細長い樣な幾つかの丘陵が續き、その中にとりわけて樹木の深く茂つた丘の上に無數の鷺が翔《かけ》つてゐた。其處が香取の森であると背後から細野君が(90)呼ぶ。

 參拜を濟ませて社殿の背後の茶店に休んでゐると鷺の聲が頻りに落ちて來る。枝から枝に渡るらしい羽音や枝葉の音も聞える。茶店の窓からは殆んど眞下に利根の大きな流が見えた。その川岸の小さな宿場を津の宮といひ、香取明神の一の鳥居はその水邊に立つてゐるのだ相だ。實は今朝佐原で舟を雇つて此津の宮まで廻らせて置き、我等は香取から其所へ出て與田浦|浪逆《なさか》浦を漕いで鹿島まで渡る積りで舟を探したのだが、生憎一艘もゐなかつたのであつた。今更殘念に思ひながら佐原に歸り、町を見物して諏訪神社に詣でた。其處も同じく丘の上になつてゐて麓に伊能忠敬の新しい銅像があつた。

 川岸屋に歸ると辨當の用意が出來てゐて、時間も丁度よかつた。宿のツイ前から小舟に乘つて汽船へ移る。宿の女中が悠々として棹さすのである。午前十一時、小さな汽船は折柄降り出した細かな雨の中を走り出した。大きな利根の両岸には眞青な堤が相竝んで遠く連り、その水に接する所には兩側とも葭《よし》だか眞菰だか深く淺く茂つてゐる。堤の向側はすべて平かな田畑らしく、堤越しに雨に煙りながら聳えてゐる白楊樹《ポプラ》の姿が、いかにも平かな遙かな景色をなしてゐる。それを遠景として船室の窓からは僅かに濁つた水とそれにそよぐ葭と兩岸の堤とそれらを煙らせてをる微雨とのみがひつそりと眺めらるゝ。それを双方の窓に眺めながら用意の辨當と酒とを開く。(91)あやめさくとはしほらしやといふその花は極めて稀にしか見えないが堤の青葉の蔭には薊の花がいつぱいだ。

午後二時過ぎに豐津着、其處に鹿島明神の一の鳥居が立つて居る。神社まで一里、雨の中を俥で參る。鹿島の社は何處か奈良の春日に似て居る。背景をなす森林の深いためであらう。かなりの老木が隨分の廣さで茂つて居る。其の森蔭の御手洗《みたらし》の池は誠に清らかであつた。香取にもあつたが此處にもかなめ石と云ふがある。幾ら掘つてもこの石の根が盡きないと言ひ囃《はや》されて居るのだ相な。岩石に乏しい沼澤地方の人の心を語つて居るものであらう。此所の社も丘の上にある。この平かな國にあつて大きな河や沼やを距てた丘と丘との對《むか》ひ合つて、斯うした神社の祀《まつ》られてあると云ふ事が何となく私に遙かな寂しい思ひをそゝる。お互ひに水邊に立てられた一の鳥居の向ひ合つて居るのも何か故のある事であらう。

 豐津に歸つた頃雨も滋《しげ》く風も加はつた。鳥居の下から舟を雇つて潮來へ向ふ。苫をかけて帆をあげた舟は快い速度で廣い浦、狹い河を走つてゆくのだ。ずつと狹い所になるとさつさつと眞菰の中を押分けて進むのである。眞みどりなのは眞菰、やゝ黒味を帯びたのは蒲《がま》ださうである。行行子の聲が其所からも此所からも湧く。船頭の茂作爺は酒好きで話好きである。潮來の今昔を説いて頻りに今の衰微を嘆く。

(92) 川から堀らしい所へ入つて愈々眞菰の茂みの深くなつた頃、或る石垣の蔭に舟は停まつた。茂作爺の呼ぶ聲につれて若い女が傘を持つて迎へに來た。其所はM――屋といふ引手茶屋であつた。二階からはそれこそ眼の屆く限り青みを帶びた水と草との連りで、その上をほのかに暮近い雨が閉してゐる。薄い靄の漂つてをる遠方に一つの丘が見ゆる。其所が今朝詣でゝ來た香取の宮である相な。

 何とも言へぬ靜かな心地になつて酒をふくむ。輕らかに飛び交してをる燕にまじつてをりをり低く黒い鳥が飛ぶ。行々子であるらしい。庭さきの堀をば丁度田植過の田に用ゐるらしい水車を積んだ小舟が幾つも通る。我等の部屋の三味の音に暫く樟を留めて行くのもある。どつさりと何か青草を積込んで行くのもある。

 それらも見えず、全く闇になつた頃名物のあやめ踊りが始まつた。十人ばかりの女が眞赤な揃ひの着物を着て踊るのであるが、これはまたその名にそぐはぬ勇敢無双の踊であつた。一緒になつて踊り狂うた茂作爺は、それでも獨り舟に寢に行つた。

 翌朝、雨いよ/\降る。

 

(93) 湯ヶ島より

 

 東京にて、Y――君。

 

 此處に來て恰度今日で十日になる。何をするともなく、寢たり喰つたりして時間をたてたのだ。少し歸り度い氣も起つて來たが、大いに爲事をする樣に言つて出て來た手前、何か少し爲て行かないことにはどうもきまりが惡い。出來る出來ぬは別として、とにかくもう少し居て行かうと思ふ。

 

 二十二日夜、F――君の渡米送別會場からの寄せ書、難有う。顔ぶれは少し淋しくはなかつたか。N――君は旅行としても、S――やM――は何故出なかつたのだらう。そんなにも忙しいのかね。

 ことに惜しかつたのは折角此所から送つた生椎茸をその場で喰べなかつたつてね。お上品な人(94)たちにも困つたものだ。あれを君、女中に一寸洗はせて、直ぐその場で鍋に入れて煮ればいゝぢやないか。會場が松喜《まつき》だと聞いて、諦めたと喜んだのは其所だつたのだ。實は此處に來たてに僕は二三日つゞけてあれを牛肉と一緒に煮てたべたのだ。そのうまさを諸君列座の處でやつて貰はうと思つたのに、殘念なことをした。

 皆で分けて持つて歸つたはよかつたね。幾らにもなりはせなかつたらう。ことに君の寄せ書の『持つて歸つてこれを家庭で翫味する』はよかつた。君から家庭といふ言葉を聞かされると、何だか異な感じがするが、さうでもないのか知ら。

 矢張り自身で持つて出て行けばよかつたのだ。二十二日に會に出て、三日にまた此處へ歸つて來られるやうだといゝのだけれど、僕にはどうもそれが出來ない。酒を始めると二三日が間は飲み續けて、病人にならぬとやめない。それが此頃非常に恐くなつた。

 F――君には大阪への歸りに是非此處へ寄つて呉れる樣に頼んでやつたのだけれど、矢張り忙しいと云つて、寄らなかつた。アメリカの特派員なんかになつたらまた忙しいことだらうね。思ひやられる。この友人にも恰度九箇年逢はない。同君がまだ神戸新聞にゐた頃、須磨で一寸逢つたのが終だ。今度逢ひそこねてまたこの年數は隨分と増される事だらう。二十二日に集つた同級生の名前を見ても君とT――君に昨年か一昨年,永樂倶樂部で逢つて立話をした位ゐのものだ。(95)他の人では顔つきすら一寸思ひ出せない名前があつた。

 とにかく名前の並んだのを見たゞけでも、皆、忙しさうだ。その中に在つて僕が斯んな

溪間の温泉へ來て十日も何一つせずに寢轉んでゐるといふと、ひどく閑日月を樂しんてゐる樣だが内心甚ださうでないから可笑しい。喰ふから喰ふ迄、寢るから寢る間、或は寢て居る間にでもだね、何か知ら始終考へてゐなければならない。

   おほかたの身のゆくすゑといふ言葉いまは言葉にあらざりにけり

 これは六七年前に詠んだ僕の述懷だが夜半の寢覺のこの思ひは年毎に深くなつて來る樣だ。

 その中で、君一人はまだ女房も貰はないだらうし――それとも貰つたかしら、だとすれば非常に失禮――最ものんきであるわけだが、事實どうだね。仲間で子供の二三人も携へてないといふのは他に一人だつてないだらう。

 ひどくせちがらい話になつて、苦笑だ。實はこの溪間の春景色など書きつけようと執つた筆なのだ。

 

 僕が此處に來たのはこの十六日であつた。眞上の天城には諸所まだ白い雪が殘つてゐるのが仰がれた。然し、この温泉宿のある溪間はもう何と云つても春だつた。宿に着いて、溪に臨んだ二(96)階に通された時、白い泡をふいて流れてゐる淺瀬の光を見て僕はほんとに『やれ/\難有い」と思つた。その瀬に、濡れた岩から岩に、射してゐる日光は全く冬に見られぬ色と輝きとを持つてゐた。その日僕は一人都會そだちの青年を連れて來たのであつたが彼の喜びはまた僕以上であつた。部屋を素通りして溪に向つて縁側に出たきり、なか/\入つて來ない。

『先生、あれは何です、珍しい鳥が啼いてゐますが。』

『ほんとにね、何だつけかナ、よく聞いた鳥だが……、駒鳥とも一寸違ふし……』

 暫く耳を澄して考へたが、思ひ出せなかつた。翌日、青年は歸つて行つたが、鳥は毎日その溪端で啼いてゐた。

「なアんだ!』

 と僕は或る時、獨りで笑ひ出した。その鳥は君、鶯サ。鶯が例のホーホケベチヨをやる間に折々啼き立てる烈しい合の手で、いはゆる鶯の谷渡りと稱せられてゐる啼聲なのだ。幼い時から聞き馴れてゐるそれを、何だか一寸思ひ出せなかつたのだ。

 春はあけぼの、といふ。山の端やう/\あかうなりゆく、といふ。溪も、溪を圍む常磐樹の木立もまだしつとり濡れてゐる日の出前に、こゞしい岩の間に出てこの鳥を聞くのは全く靜かだ。瀬のひゞきの一途に響くのもこの時間の樣だ。夜なかに眼の覺めた時の響はどうも今の僕には荒(97)すぎる。

 

 君は秋田市で大きくなつたのだつたかしら。さうすると炭燒|竈《がま》の煙の靜かな事は知つてゐまい。晴れてゐてもいゝが、それだと朝早く山の襞から淡い雲のたなびく頃か、或は雨のあがりかけた頃に、山腹の一點から細々と立つてゐるこの煙を僕はいつもいゝ氣持で眺める。野火の煙もさびしいものだが、それは一般的で、炭燒の烟の寂しさはまつたく獨りぼつちの寂しさだと思ふ。

 宿を出て爪先上りの小さな坂を登ると、この煙が幾つも望まれる。谷向うの山蔭に一つ、少し谷を奥に入つたあたりの山からはとび/\に二つか三つ立ち昇つてゐる。或る日、僕は一番手近な谷向うの煙を目あてに谷を渡つて疎らな雜木林を登つて行つた。其處には七十に近いかと思はれる爺さんと孫だか伜だか十四五歳の少年との二人が朝とも晝ともつかぬ飯を喰つてゐた。

 竈の前には小さな流が眞白になつて流れ落ちて、その向うの若木の杉の森の中には椎茸山が入れてあつた。一二日續いた雨の後だつたので、實に見ごとに椎茸が出てゐた。つまりさういふ山から取つた眞新しい奴《やつ》を先日君たちに送つてあげたのだ。

 炭燒といひ、椎茸山といひ、斯ういふのを見ると僕は定つで自分の子供の頃を思ひ出す。僕が(98)物心のつく六つ七つの頃になるともうやめてゐたけれど、その前祖父の達者だつた頃は僕の家でも盛んにこの炭も燒き椎茸も作つてゐたのだつた。それでもそれらの山を受け繼いだのが近所の者だつたので、十歳位ゐになるまでよく其處へ連れて行かれた。で、炭燒の知識も幾らかあるので、一層この烟や竈が可懷しいのかも知れない。然し、その日その爺さんの飯を食ふのを見ながら、彼と話し合つた所によると伊豆の燒きかたと日向の燒きかたとでは大分變つてる樣だ。椎茸作りは全く同じだつた。たゞ僕の方でやつてゐたのは山も深いし一帶が大仕掛であつた樣だ。たとへば椎茸の出盛る頃になると猿の群が來てこの椎茸の粒々しいのを惡戯から――椎茸を喰ふのではなく――もぎ捨てゝしまふ。その椎茸山は溪を挾んだ兩側の杉の木山にずつと入れてあるのだが、その中央どころに番小屋を立てゝ、夜になると猿群をおどすためによく火繩銃を打つた。僕はよくその番小屋に連れられて行つて泊つて來たものだつた。猿の鳴聲、火繩の匂ひ、斯んな話を始めるとたまらなくその頃が戀しくなる。また、そんなに盛んに椎茸を作るので、僕の方でいふ捨山といふのも多かつた。捨山とはもう一時出盛つたあとの椎茸山をば持主の方で構はなくなる、従つて其處に出てゐる椎茸をば誰が探つてもいゝといふことになつてゐるのだ。それを採りによく母や友だちと出かけて行つた。どういふわけだか、椎茸といふと僕には猿の因縁がある。或る時友だちばかりの二三人で、それらの山をあさり廻つてゐると、二三匹づれの猿に出逢つ(99)た。子を連れた猿は、なかなかわれ/\子供たちを見た位ゐでは逃げなかつた。我々の方で蒼くなつた。その時、友だちの逃げ出さうとするのを引きとめて僕はその日連れても來なかつた犬の名を頻りに呼んで口笛を吹いた。そしたら――か、どうだか――猿奴、大いにあわてゝ逃げて行つたので、大いに僕は面目を施したことなどあつたのだ。こちらには中々捨山どころか、もうもう古く腐つた樣な椎茸の木一本でも捨てゝはない。十本か二十本、腐れて仆《たふ》れてる側にしめ繩が結つてある。

 

 今日はひどい雨だ。

 今朝、四時前だつた、頻りに戸を叩く音がする。やがて宿の内儀が一人起きたらしく、玄關の雨戸越しでの應待が折から眼の覺めてゐた僕の部屋に聞え出した。戸外で言ふ聲はその頃から降つてゐた雨で、よく聞えなかつたが、内儀の言ふには、湯に入りたいのならツイ其處に共同湯があつて夜でも良由に入れる樣になつてるから其處へ行つたらいゝだらう、と言ひすてゝたうとう戸をあけずに引込んでしまつた。今頃、一體どうした人たちだらう、斷られてこの雨にどうするのだらう、と思かながら僕もまた眠つて了つた。朝食の時に女中に訊くと、それは二人の角力取であつたさうだ。昨日の夕方七時に下田を立つて夜中に上下六里の天城を越え、都合十一里を歩(100)いてあの時に此處まで來たのださうだ。

『早く泊めて呉れつて言へばね、戸をあけて泊めてあげたのでせうに、向うではたゞ湯に入れて呉れとだけ言ふんですつて、……第一内儀さんも恐かつたのでせう。四時から六時まで共同湯で入つたり寢たりしていま向うの部屋に來て二人ぐつすり寢てますよ、二時間たつたらまた起きて沼津まで行くんですつて。』

 おそろしい元氣な人たちもあるものだと思ひながら、いつもより遲れた朝食を喰つて廊下を歩いてると、また風變りなお客樣が入つて來た。左樣だネ、どうでも普通の日本の風呂樽を三つは重ねゝぱなるまいと思はるゝ位ゐ横も縱も厖大な西洋人が野蒜《のびる》の花の樣に痩せた日本美人を連れて入つて來たのだ。その後湯に入らうと降りて行くと、恰度この兩人が入つてゐた。遠慮してその濟むのを待つて行つて見ると驚いた、いつも滿々と溢れてゐる湯が君、まるで半分位ゐ減つてゐるのだ。いまのフロダルカサネスキー氏のためにはみ出されてしまつたあとなのだ。

 斯んな山蔭の、溪奥の湯にも、いろんな人がやつて來るよ。

 

 では、これで筆をおく。御機嫌よう。(三月二十五日)

 

(101) 箱根と富士

 

 珍らしい晴であると共に、寒さもきびしかつた。黒瀬橋の袂で待ち受けた電車に乘つて三島町に着く間、初め端折つてゐた裾を下して草鞋ばきの脚絆の脚さきをくるみながら私は固くなつてゐた。

 電車から降りると漸く朝日の色が濃くなつてゐた。案外にハイカラな店飾があるかと思へば直ぐ隣に煤《すす》びた格子に圍まれた女郎屋があるといふ風なその古びた宿場町は深い朝日を浴びて如何にも賑かげに見えた。再び裾を折つて、輕い足どりを樂しみながら宿の中ほどにある三島明神に詣でた。物さびた金屬の屋根からは早や霜が頻りに解けて雫してゐた。その雨垂と飛びかふ鳩の羽音とが木立に圍まれたその一區域に聞えるばかりで、朝寒の宮にはまだ子供の遊ぶ姿も見えなかつた。

 宿《しゆく》はづれを清らかな川が流れ、其處の橋から富士がよく見えた。毎朝自分の家から仰いでゐるのに比べて、僅かの距離でも此處に來て見る山の形は餘程變つてゐた。沼津の自分の家からだと(102)その前山の愛鷹山が富士の半ばを隱してゐるが、三島に來ると愛鷹はずつと左に寄つて、富士のみがおほらかに仰がるゝのであつた。克明に晴れた朝空に、まつたく眩いほどにその山の雪が輝いてゐた。橋を過ぎて程なく、道は坂になつた。即ち舊東海道の箱根越にかゝつたのである。

 坂にかゝるとともに年を經た松並木が左右を挾んで立つた。そして道はすべて石だゝみである。初からさうした石を選んだのか、年と共にさうなつたのか、すべて角のとれた一抱へほどの固い石のみが敷き詰められてある。峠に出る四里が間、ずつと石だゝみだと豫て聞いてゐたこの風變りの坂道を靜かに登つてゆくと、松並木の聞からは純白な富士山が到る處に仰がるゝのであつた。

 坂は嶮しくはなかつたが、少しの平地とても無かつた。唯だ打ち續いた穩かな傾斜が僅かの屈折を帶びて何處までも續いてゐるのである。車は無論通はず、荷を運ぶのは馬の背によるのである。馬はみなその石だゝみのために藁沓を履いてゐた。それでもよく躓いた。その度ごとにそれを叱り警しむる馬子の大きな掛聲がこの馬鹿長い坂路の到る所に起つてゐるのを聞くと、そゞろに昔の面影を想ひ起さずにはゐられなかつた。松並木は次第に盡きて、右も左も大きな傾斜をひろげた冬枯の野となつた。大方は草原だが、人里のある前後には青やかに大根の畑が連り、稀には蜜柑畑もあつて、色づき切つたその實の摘み殘されてゐるのもあった。

(103) 今は次第に荷になつて來たインバネスを左右の肩に移しながら私は五町行つては休み十町登つては休んだ。勞れたわけではなかつたが急ぐこともなかつた。休めば乃ち富士が仰がれ、若しくは伊豆半島の細やかな山襞の蔭にうらゝかに輝いてゐる駿河灣が見下された。沼津の千本濱から田子の浦にかけた弓なりの松原などもくつきりと見え、その松原に寄せてゐる細かい白い波のすぢ目すら鮮かであつた。が、さうした遠景よりなほ深く私は自分の坐つてゐる路ばたから四方に廣がつて行つてゐる野原の美しさに心を惹かれた。それは全く狐色になりはてた冬深い草の野の靜けさであつた。數かぎりないこまかな柔かなうねりを追うてつらなり、其處には冬の日影と枯れ伏した草の色との極めて靜かな調和が行はれ、見れば見るほど心の凪ぎを覺ゆる眺めであつた。そして廣やかな野の靜けさに浸りながら、碧瑠璃《へきるり》の空に澄んだ富士の高嶺を仰ぐ時、いよいよ靜かに心はおちついてゆくのであつた。

 峠に着くのを待ちかね、私は路から二三町折れ込んだ野原のやゝ小高い所に登つて晝食をした。荷にしながら三島から提げて來た酒の壜を枯草の中にころがして、先づ仰向けに身體を横へた。こまかに入りまじつた茅萱《ちがや》の枯葉のさきには陽炎《かげろふ》でも立つてゐさうで、その深い草の匂ひは酒に先立つて私を醉はす樣であつた。唇うつしにちび/\と冷たい酒をなめながら、その朝特に妻の炊いてくれた強飯の結びを私は小一時間もかゝつて樂しみ貪つた。寢ては食ひ起きては飲む(104)といふ樣な子供じみた食事もさうした深い枯草の中では少しも不自然でなかつた。

 麓から峠までに小さな部落を三つか四つ通りすぎた。いづれも置き忘れられた樣な古びた村で總てが坂なりに傾斜したその通路の家々は大方いま百姓をしてゐるらしかつた。蕎麥の刈つたのが何處にも乾してあつた。或る村を通りすぎた路ばたに一人の年老いた乞食の休んでゐるのを私は見た。乞食と云つても普通の乞食ではないらしく何やら嵩《かさ》張つた襤褸包《ぼろづつみ》を背負ひそれに背を凭《もた》せて眠つた樣に坐つてゐた。私の足音にぢいつと顔をあげたが、白く延びた髪が眉あたりにも垂れてゐるのが痛ましかつた。それは私が晝食をする前であつた。長い食事を終へて再びその坂道を登つてゆくと、またこの老人を見た。今度も彼は前と同じ姿勢をして休んでゐた。被つたまゝにうなだれた羅紗帽の黒いのが油ぎつて汚れてゐた。氣味惡さと何やら一種の興味とを覺えてその前を通りすぎ、二三町も登つた頃、また一人同じ樣な老人の休んでゐるのを見た。これは振分にした荷物を足もとに置き、杖をついて立つたまゝに路傍の崖に痩せた身體を凭せてゐた。私の登つて來るのを見てゐたらしく、近づくのを待つやうにして目禮した。惶てゝ私もそれを返したが、言葉は一寸唇には出なかつた。足早に通りすぎて、二人は道連なのかそれとも別か、乞食かさうでないかと妙に胸を騷がせて私は考へた。それと共に足も早くなつて程なく峠に出た。其處の野原の枯草の中には靜岡縣と神奈川縣との境界標立つてゐた。

(105) 峠から箱根町に下るのはわけはなかつた。降りついた其處は殆んど藁屋ばかりの荒れ古びた宿場で、その裏には直ぐ蘆の湖の水が光つてゐた。湖の中ほどに見ゆる丘の上には高々と見ごとな洋館が立つてゐた。話に聞いてゐた離宮であることが直ぐ解つた。そしてこの古びた寒驛の石ころ道に自動車の走つてゐるのを發見した時にはかなり變な氣がしたが、藁屋ながらに何々ホテルなどの金文字の出てゐるのを見る樣になると却つてそれも面白く微笑まれた。箱根町を過ぎ元箱根に入ると一層この新と舊との微妙な錯雜が深くなつてゐた。此處には宿屋などもなか/\立派なものがあり、そしてそれぞれに自動車の車庫を置き裏にはボートを浮べてゐると云つた風であつた。然し紅葉も過ぎた今はこの山上湖畔の避暑地も實に閑寂なものであつた。私の見て驚いた自動車も恐らく塔の澤あたりの温泉場から湖見物に來た客であつたであらう。

 元箱根を通る頃、午後二時すぎの日は明るくこの靜かな町に射し町裏の清らかな湖に射してゐた。そして一寸の間見なかつた富士の山を思ひがけずも湖の眞上の空に見出でた時など、私はすつかり十日も歩き續けて來た旅人のやうな靜かな氣になり切つてゐた。そして急に引緊めた歩調で箱根権現の大きな鳥居の前から左に折れて湖沿ひの小徑に歩み入つた。其處から姥子《うばこ》の湯まで二里あまりの山路であるといふ。歩みながらに見る湖の水は驚くほど澄んでゐた。そして第一私はこの蘆の湖が斯う大きい深い湖であらうとは思はなかつた。たかだか榛名山の榛名湖位ゐのも(106)のと思つてゐた。が山の根から根を浸して廣がつた眺めはなかなか榛名などの比ではなかつた。そして私の歩んでゐる徑のツイ下から眞蒼に深く堪へてゐるのである。徑は初め淺い苦竹《まだけ》の藪の根を過ぎて、やがて深い林の中に入つた。藪の根でも林の中でも、その枯葉を敷いて休むと必ずその下にはぴちや/\と寄せてゐる小波の聲を聞いた。藪から切り出した苦竹の青い束を績み込んだ小船の徐ろに漕いでゐるのを見ることもあつた。林には老木が多く、蜘蛛手《くもで》にひろげた枝といふ枝はみなきれいに落葉してゐるのであつた。常磐木の殆んど無いその廣やかな落葉樹林に極めて稀に楓の眞赤の紅葉の殘つてゐるのを見た。

 湖尻《うみじり》といふ唯だ一軒の家のある所から湖に分れて右手の山を登つて行つた。そしてこの山中に、同じく唯だ一軒の湯宿のある姥子の湯に着いたのは漸く日の入らうとする處であつた。通された二階の室からは恰も眞正面に富士が見えた。鮮かな夕榮を浴びて、其處からは極めて華奢に細まつて見ゆるその頂上など、濡れた樣なうす紅いろに染つてゐた。

 其處の温泉は甚だぬるかつた。然し窟の樣になつた岩石の間から多量に迸り出るその湯は透明無比に澄んでゐた。湯槽《ゆぶね》の底にはその透明さを見せるためか机ほどの岩を幾つも轉がしたまゝに置いてその岩の間に湯垢一つ殘さぬ樣を見せてあつた。湯の深さは眞直ぐに立つて私の鼻が辛うじて出るのであつた。狹い中を泳いだりして私は身體の温まるのを待つた。

(107) 晝の晴れたと同じく、更くると共によき月夜となつた。若し夜なかに眼がさめたならば障子だけあけて見よ、このガラス戸ごしに月夜の富士が寢ながらに見えるからとわざ/\番頭の言ひ置いた通りに私はひそかに障子をあけて見た。暫くは解からなかつたが、漸く瞳の定まると共にまことに其の雪に氷つた氣高い姿が水を湛へた月夜の空に夢のやうに見えて來た。私は終に床から起つて廊下に出た。遠空の山のすがたはいよ/\明かにいよ/\寂しく、近くに垣をなして連つた山々の峰から襞は晝にもまして鮮かな光と影とを分ち、家を圍んで茂り合つた落葉樹林の枝から幹に宿つてゐる月の光はまつたく深い霜の樣であつた。

 山の高いだけ、翌朝の寒さはまた一しほであつた。湯のぬるいのを補ふために私は熱燗の酒を取つて、眞白な息を吹き/\朝早くその宿をたつた。宿の庭さきから落葉の深い林の中をとろとろと下ると其處には眼にあまる廣大な原野が開けてゐる。仙石原《せんごくばら》といふのである。二寸から三寸に及ぶ霜柱を踏み碎きながら野原の中をひた下りに二里あまり馳せ下つて、宮城野川を渡ると乙女峠の麓に出た。

 登りは甚だ嶮しかつたが、思つたよりずつと近く峠に出た。乙女峠の富士といふ言葉は久しく私の耳に馴れて居た。其處の富士を見なくてはまだ富士を語るに足らぬとすら言はれでゐた。その乙女峠の富士をいま漸く眼《ま》のあたりに見つめて私は峠に立つたのである。眉と眉とを接する思(108)ひにひた/\と見上げて立つ事が出来たのである。まことに、どういふ言葉を用ゐてこのおほらかに高く、清らかに美しく、天地にたゞ獨り寂しく聳えて四方の山河を統ぶるに似た偉大な山嶽を讃めたゝふることが出來るであらう。私は暫く峠の路の眞中に立ちはだかつたまゝ靜かに空に輝いてゐる大きな山の峯から麓を、麓から峯を見詰めて立つてゐた。そして、若し人でも通り合せてはといふ掛念《けねん》から路を離れて一二町右手金時山の方に登つて、枯芒の眞深い中に腰を下した。富士よ、富士よ、御身はその芒の枯穗の間に白く/\清く/\全身を表はして見えてゐて呉れたのである。

 乙女峠の富士は普通いふ富士の美しさの、山の半ば以上を仰いでいふのと違つてゐるのを私は感じた。雪を被つた山巓も無論いゝ。がこの峠から見る富士は寧ろ山の麓、即ち富士の裾野全帶を下に置いての山の美しさであると思つた。かすかに地上から起つたこの大きな山の輪郭の一線は、それこそ一絲亂れぬ靜かな傾斜を引いて徐ろに空に及び、其處に清らかな山巓の一點を置いて、更にまた美しいなだれを見せながら一方の地上に降りて來てゐるのである。地に起り、天に及び、更に地に降る、その間一毫の掩ふ所なく天地のあひだに己れをあらはに聳えてゐるのである。しかもその山の前面一帶に擴がつた裾野の大きさはまたどうであらう。東に雁坂峠足柄山があり、西に十里木から愛鷹山の界があり、その間に抱く曠野の廣さは正に十里、十數里四方に及(109)んでゐるであらう。しかもなほその廣大な原野は全帶にかすかな傾斜を帶びて富士を背後におほらかに南面して押し下つて來てゐるのである。その間に動いてゐる氣宇の爽大さはいよ/\背後の富士をして獨りその高さを擅《ほしいまま》ならしめてゐるのである。

 斯ういふ事に思ひ耽りながら、私は麓の茶屋で用意して來た二合壜の口をなめてゐた。頭の上にも芒、顔の前にも横にも、白けつくした穂芒ばかりのこの野の一點の靜寂は小さな壜の中に鳴る酒の音をすらえならぬものになしおほせてゐた。其處へ突然人の話聲が聞えて來た。驚いて振返ると、峠の路から折れて二人の老人が私の坐つてゐる方へ登つて來るのであつた。一人は七十歳ほど、一人は五十歳あまり、共に相當の人品で、殊に耳についたのはその二人の話し合ふ訛が、斷えて聞かぬわが生國近くのそれである事であつた。私に氣づかぬ二人は大きな聲でその烈しい訛で、頻に仙石原の温泉は何處に當るだちぅ、箱根は何方《どちら》だといふ樣な事を語り合つてゐた。私は何といふ事なく此二人の老人が可懷《なつか》しく、二人を驚かさぬ樣に注意しながらその芒の蔭からたち上つた。そして帽子を取つた。

 けれども相當に二人は驚いたらしく、同じく惶てゝ帽子を取りながら私の方に歩み寄つて來た。彼等は私とは反射に御殿場から仙石の方へこの乙女峠を越え樣としてゐるのであつた。そして私がその仙石原をいま通つて來た事を話すと彼等は喜んで私にその地理を訊ねた。別れ際にそ(110)の年若の方の老人は笑ひながら、貴郎《あなた》にはよく自分等の言葉が解る、何處へ行つてもこれで難儀をするのだが、と全く日本語とは思はれぬ其怪しい訛で私に言つた。私も笑ひながら、私も實はあなた達と同じ九州生れですよ、といふと老人は意外な表情をして、へえ左樣ですかい、この方は頭山《とうやま》滿先生のお豈樣なのですが、と傍へに立つてゐる痩形の年上の老人を紹介した。意外な處で意外な人に逢ふものだと私も思つた。そして改めて老人たちにお辭儀をした。年上の老人はにこやかに笑ひながら、この麓の東山村に來て居りますが、これから御一緒に降りるのだとお寄りを顧ふのですけれど喃《なう》、と言つて呉れた。

 老人達は峠を南へ、私は北へ『左樣なら』をした。二合の酒に醉つた私はそれから二里の下り坂をどうしてものろ/\と歩いて居られず、とつ/\と馳けながら一氣に走り降りた。そして峠から見て感心した曠野の中の一部落御殿場の驛に汽車を待つべく霜どけの道を急いだ。老人の住むといふ東山村はその途中にあつた。

 

(111)中編

 

 溪ばたの温泉

 

 上州中之條町で澁川から來た軌道馬串を降りた客が五人あつた。うち四人は四萬《しま》温泉へ向ひ、私だけひとりそれらの人たちと別れて更に五里ほど吾妻《あがつま》の流に沿うて溯《さかのぼ》り、その溪ばたに在る川原湯温泉といふにやつて來た。此處には一昨年の秋、通りがゝりに一晩泊つた事がある。今度はこの前とは違つた敬業館といふのに宿をとつた。滯在するにはその方が宜からうといふ事を度々此處に來て居る或る友人から言はれてゐたからであつた。

 この宿は大抵自炊の客のみだとは聞いてゐたが、着いた晩早々から食物の心配をせねばならなかつたには少々驚いた。自炊と云つても飯だけは宿で炊いて呉れる、頼めば汁も添へて呉れる、それだけなのだ。他は一切自分で處置せねばならぬ。私は夜に入つて其處に辿り着いたのであつたが、長火鉢の前にやれ/\と脚を投げ出すと番頭がやつて來て、先づお茶は御持參かと訊い(112)た。とりあへず鮭の鑵詰など買つて貰つて、何の氣なく醤油を女中に言ひつけるとサイダーの空壜に半分ほども入れて持つて來た。五勺とか一合とかいふのだらう。上草履も着いた晩に先づ買ひ入れた物の一つであつた。

 よほど舊い家らしく、階子段《はしごだん》の板などすべて窪みが出來てゐる。そして崖に沿うてあちこちと作り足されたらしい部屋數が隨分と多い。何れも舊式な作りざまで、見るからにうす暗さうな部屋ばかりである。幸に私の通された――と云つても着いた晩はさうではなかつたが、紹介して呉れた人がよかつたためか大變明るい、眺めのよい室に、その翌日から移ることが出來た。その代り、浴室に行くには大小六個の階子段を降りねばならなかつた。浴室と云ふより湯殿と云ひたい古びたそれは男女の分をあはせて十室ほどある。元來この川原湯温泉の湯元は唯だ一個所で、それをそれ/”\の宿屋に分けて引いてあるのであるが、この宿だけはそのほかに自家專用の湯口を一つ持つて居る。それがまた大變に利《き》くのださうだ。着いた晩、その場の方に入つてゐるとわざ/”\番頭がやつて來て、今夜お着きになつた客人は身體も勞れてるし湯にも馴れないからなるたけ長湯をせぬ樣にと注意して呉れた。少し長湯をするとのぼせる樣である。湯治效能の重なものは胃腸だといふことで、温度はかなりに高く、ほゞ無味無臭、よく澄んでゐる。

 溪ばたと云つても軒下や庭さきを直ぐ溪が流れてゐるといふのではない。流の岸から急にそゝ(113)り立つた崖があつて、其崖の端に三四軒の温泉宿を初め一つの小さな部落が出來てゐるのである。崖の根に危い吊橋が懸つて居るが、其處から落葉松などの茂つた嶮しい坂を三四町登つて來ることになつてゐる。

 で、私の部屋からは溪向うの、それも溪からやゝ小高くなつた傾斜に出來てゐる村であるが其處などは餘程眼下に見下された。長い瀬となつて流れてゐる溪を見るには、窓から少し身體を乘り出して見なければ見えないほどの急な勾配になつて居るのである。此頃よく降り續いてゐる雨は私が此處に來てから三四日毎日降つてゐたが、場所が高いだけにさまでじめ/\と感ぜずに過すことが出來た。

 眞下の崖も、宿から上の方に同じくずつと嶮しく聳えて行つてゐる山腹も、ひとしく深い木立となつて居る。そしていま柔かな若葉が一面に萌え立つて居るところだ。

 

 私が今度斯んな山奥の、たべものとても無い樣な温泉にやつて來たのは、朝夕のごた/\に勞れてゐる身を休ませる事のほかに一つの用事を抱へてゐたのであつた。この三年間ほどに詠みすてた歌がいつの間にか隨分の數に上ってゐる。それを整理して一册の歌集を編む、そのためであつたのだ。が同じ行くならば今までに行つた事のない所へ行つて見度いと先づ思つた。そして地(114)圖や噂の上で知つてゐる、自分の性に合ひさうな所を彼處此處と考へ廻した。現にこの川原湯の近くにも夙うから好ましく思つてゐた四萬温泉もあれば澤渡《さわたり》温泉もあつた。いろいろと惑つた末、結局この川原湯にきめたのは温泉そのものよりもその近くに曾て甚しく私の感興をそゝつた或る溪があるからであつた。例の關東耶馬溪と呼ばれてゐる吾妻川の或る一部の峽間《はざま》がそれである。

 この前其處を見たのは秋のずつと末、落葉の季節であつた。深く切れ込んだ峽間の、岩ばかりから成り立つた兩岸の山腹に生ひ茂つてゐる樹木は一齊にみな落葉してゐた。また思ひのほかにその岩山の木立は深くもあるし、老木ばかり揃つてゐた。瀬となり淵となつて流れてゐる深い溪をさし掩うたその裸木のさびしい木立に心を惹かれて立ち眺めながら、これでは嘸ぞ若葉のころがいゝだらうと自づと思ひ浮べられもしたのであつた。そして恰もいまうすみどりの若葉の萌え立つたところへ再びその溪間にやつて來たのである。私には先づこの事が何より幸福に思はれてならなかつた。

 然し、私の樣な昂奮しやすい者は斯うした場合によく失望を味ひがちである。或る時非常に感動して接した事で、後から見て實に苦笑にもならぬ落膽を覺えさせられた事が今まで幾度となくあつた。この溪に對してもまたさうではないか、と久しぶりに見る溪の面影を樂しく心に描きな(115)がらも少なからぬ不安を感じてゐたのである。ところが幸にしてそれは杞憂であつた。わが吾妻の溪は矢張り私にとつて甚だ親しい眺めであつて呉れた。其處の若葉も、躑躅も房の短い山藤の花もまたよくわが永い間の期待にそうて呉れた。私は此處に來て以來もう幾度となく其處へ出かけて流に沿うた斷崖の道をあちこちと歩くのを樂しんでゐるのである。

 温泉宿から十町ほど川下に下ると新大橋といふ橋が懸つてゐる。その橋に立つて川下を見るとツイ右手に白絲の瀧といふのがあり、その下手にそれより細くてあるかなきかのさびしい瀧が二つ懸つてゐるのが見ゆる。左手にも一つある。そしてずつと川上から廣い瀬となつて流れて來た吾妻川は橋を過ぐると直ぐ正面の大きな岩山の根に突き當つて形を消して居る。岩山は高さが百間程もあらうか、たゞ一面の斷崖で、いまその襞々に躑躅が眞紅に咲き散つてゐる。頭上には松が竝び、その斷崖の周圍をば他の若葉の深い山が包んで居る。普通いふ關東耶馬の溪は先づ其處から始まるのだ。橋を渡つて桑畑の中を一二町下ると思ひがけぬ足もとの木立の下に急に瀧の落つる樣なとゞろきを聞く。前の岩山に突き當つた急流はその根に沿うて岩を穿ちながら左に折れて、渦とも瀬ともつかぬ形となつて其處に流れ出てゐるのである。そして更にそのまゝの形を續けて下の方へ激しい勢で流れ下つてゐる。その邊から溪の兩岸はすべてこゞしい岩壁となり、石や砂は無論のこと轉がつた岩とても其處らに影をとゞめない。道路はその急湍を見下しながら、(116)左岸の中腹を鑿《うが》つて通じてゐるのだ。

 それは誠に恐しい樣なところがある。道の片側、溪に面した方には丁寧にずつと柵が立てゝあるが、それに手をかけながらも立つたまゝでは到底下の流の見て居られない所が多い。道から溪まで岩壁の高さがどの位ゐあるであらう。或る所では流を挾んだ岩と岩との間隔がほんの一跨《ひとさまた》ぎか二跨ぎ、二尺か三尺にしか見えぬ所がある。恰度通り合せた土地の若者にあゝ見えて實際はどの位ゐ離れてゐるのであらうと訊いたところ、どんな挾い所でも二間はあるさうだと答へて行きすぎた。その一跨ぎか二跨ぎにしか見えぬ岩の裂目の中を一河の水がくるめき合つて流れてゐるのである。上流だとは云つてもその邊り吾妻川の水量は青梅邊の多摩川の二三倍は確かにあるのである。さうした挾い岩と岩との間をくる/\くる/\渦卷きながら流れ走つてやがて一つの岩壁に突き當る。其處でまた一つの大きな丸みのある渦を上げて、更に挾く深く岩を縫うてゆく。

 私の今度見てゐる間は常に雨後の事で、水量も増し、濁つて居る。此前落葉の頃に見た時はずつと溪が痩せてゐたが、然し今とても流のすがたに變つた所はない。濁つてはゐても餘りに水の勢が激しいので殆んど何處を見ても濁りは見えず、すべて青みを帶びた白渦となつてゐるのだ。道路の場所によつてはその渦卷く水が曲折する事なくほゞ眞直ぐに岩溪の底を走つてゐるのを見(117)から眞白になつて現はれた流が濡れて黒く乾いて白い岩と岩との間を練れに練れて殆んど音をも立てないかの樣に流れ下つて來てゐる。それをぼんやり見下しながら立つて居ると自づと心に杳《はる》かな思ひが湧いて來るのである。また、更に離れた遙かな木蔭に一個所白くその渦のうち上つてゐるのを見出す事もある。其處で大抵流が曲つてゐるのだ。これもまた靜かな心を誘ふ。時にはほんの眼下に前後を若葉に掩はれた二坪か三坪の間が大きな一個の渦となつてむく/\と動いてゐる所もある。水痩せて清らかに澄んだ日にはこの邊は必ず深い淵となつて藍色に湛へてゐる場所であるのだらう。

 これらはすべて溪の流があらはに道から見下される眺めであるが、道の通じてゐる岩壁の蔭になつたりまたは木立の茂みに遮《さへぎ》られたりして見えない所がかなりに多い。然し、その響の聞えない場所とては全くない。暫く眼下の眞白な流に見恍《みと》れてゐてやがて歩みを移すと直ちに深い若葉が四邊《あたり》を包んで、その溪も向うの山も見えなくなる。そして急に前とは趣を變へて脚もとの岩の蔭から聞えて來る流の響が獨りこの靜かな溪間の空に滿ち渡る。自づと立ち止つてうしろ手を組むとか、蹲踞《しやが》んで煙草に火を點けるとか爲《し》たい樣な氣持になつて來る。さうして耳を傾けながらその響の如何によつて大抵流のすがたも想像することが出來るのだ。或る所ではしやアしやアといふ樣に聞え、或る所ではどうツどうツといふ風に響いて居る。

(118) この溪間の道の逍遙を樂しませて呉れるものに、溪の流のほかに瀧がある。土地の人の普通に關東耶馬と云つてゐるのは前に言つた新大橋から下流約十二三町の間、つまり道が岸壁を鑿つて通じてゐる間だけを言つてゐるのであるが、その短い距離を歩く間にもその對岸に六つか七つか小さな瀧を見ることが出來る。まことに小さいものであるが、普通の人には眼にもつかぬ樣なそれらの瀧に却つて私は親しみを覺えさせられた。この溪を挾む兩岸に樹木の深い事はこの前此處を通つた時の紀行にも私は書いておいたが今度聞けばすべて官有林であるのださうだ。私はどうかこの溪間の林がいつまでも/\この寂びと深みとを湛へて永久に茂つてゐて呉れることを心か祈るものである。ほんとに土地の有志家といはず群馬縣の當局者といはず、どうか私と同じ心でこのさう廣大でもない森林のために永久の愛護者となつてほしいものである。若しこの流を挾んだ森林が無くなるやうなことでもあれば、諸君が自慢して居るこの溪谷は水が涸れたより悲慘なものになるに決つてゐるのだ。

 その深い岩山の森の奥に湧く水はかなりに豐かであるらしい。山全帶が凸凹屈曲のはげしい岩山であるために一個所に湧いた水は唯だそれだけの小さな路を作つて細々と溪の方に流れ出て來る。幾つもの泉から落ち合つて大きな流を作ることをしない。その小さな流の末が溪に落つるに當つて、殆んど悉くあるかなきかの寂しい瀧となつて岩の間に懸つてゐるのである。苔にくるま(119)つた老木の根がたから一すぢの糸となつて垂れてゐるのもあれば、黒く濕つた岩壁の廣い片隅に何とも云へぬ清さ靜けさ柔かさを持つて、ほそ/\と流れ落ちてゐるのもある。餘程高い所から落ちてゐても、大部分は木立に隱れて見えず、僅かにその末の雪の樣に亂れ散つてゐるのが見ゆる所もある。滔々と流れ下る大きな瀧に對して私は多くたゞ珍奇の感をのみ感ずるが、これらあるかなきかの夢のやうな瀧に對つてゐると、心の底に沈んでゐた人間の寂しさやものなつかしさがあからさまに身體を浸して來るのを覺えがちである。

 

 新大橋から下流十二三町、道の右手に木柵の盡きた所、即ち岩壁を出外れた所で馬車屋などのいふ關東耶馬の溪は終る。其處から更に二三町桑畑中の道を下ると雁が澤橋といふがある。それを渡つて小高い所に出るとずつと下流に當つて打ち展けたいはゆる吾妻高原を遠望することが出出る。見渡すかぎりおだやかな傾斜を帶びた數十百の丘陵が恰もいま※〔女偏+漱の旁〕黄色《もえぎいろ》に萌え立つた若葉を被つて、波浪の樣にうねり亙つてゐるのである。そしてその中央どころに影は見えないが吾妻川の流れてゐるのが解る。夏のはじめの雲は其處に此處に眩しい光を含みながら散らばつて、見るからに爽かな大きな眺めを成してゐる。

 それから背後を振返るとツイ眼の前に當つて恰も掩ひかぶさる樣に道陸神《だうろくじん》峠といふ嶮しい山が(120)聳えて居る。殆んど岩石から成り立つて形怪しいその山の複雜した襞から襞にかけても同じくまだ青み切らない柔かな若葉が濃く薄く萌え立つて居る。そしてその幾重にか折り疊まつた鋭い峰の向う側には底深い光を宿した初夏の空がくつきりと垂れ下つて、險しくは見えても案外に奥の淺いその山を孤立したものゝ樣に浮き上らせて見せてゐるのである。まつたくこの山は附近に連亙した群山の中で一つだけ立ち離れた姿をもつて聳えて居る。わが道陸神の溪は、――關東耶馬溪とはどうも感心した名稱でない、本物の耶馬溪すら山國川といふのを漢字音にもぢつたものだといふではないか――實にその山の根を穿つて流れてゐるのである。遠く吾妻高原の遙かな風景を望み、顧みてまた道陸神峠の向う側に實に高く實に長く連亙した群山を仰いだ心で見ると、何と云つてもこの不思議な形をもつて流れてゐる溪流は大自然のなかに寄生してゐる一小風景に過ぎぬと思はざるを得ないのである。さう思ひながら眼前の嶮しい峠を仰ぎ、その麓の溪の流をおもふと、私にはまた一種の可懷《なつか》しい微笑が浮んで來るのである。

 雁が澤橋を渡つて下ること二町ほどの所に北に折れて川中温泉といふへゆく小さな徑がある。その分れ目の所に一軒の茶屋がある。私は自分の温泉宿を出て溪間をその茶屋まで下って一本の濁つた麥酒を飲んではまた谷奥へ引返すのを常とした。さうして渇いた喉を沾ほした微醉の身で長い瀬と白い渦との靜かに流れてゐる峽《はざま》に入り込むと、もう其處には寄生風景も大自然も何も(121)かもない、唯だ靜かなおだやかな心境のみがあるのを感ずるのだ。

 

 呼子鳥が啼いてゐる。來た當座は聞かなかつたが、一昨日あたりから頻りに啼く樣になつた。聞けることゝ樂しんで來た杜鵑も郭公も土地にゐないのか季節のせゐかまだ一度も啼かぬのに漸くこの鳥を聞いて安堵した。この湯に釆て既《も》う八日を經てゐるのだ。初めよく降つた空も昨日あたりから晴れて來た。これで漸く天氣も定るのだらう樣に思はれる。

 爲事は一向にはかどらない。この二三年に詠んだ歌を寄せてみると案外にも千首を越してゐた。それを机の上に置いて何とも云へぬわびしい思ひで眺めながら清書することにすら苦しくてゐる。歌を見るとよく解る。一昨年の今日は山城の比叡山に登つてゐた。昨年の今頃は上州の榛名山に登つてゐた。毎年この若葉の頃になると必ずの樣に家を出て旅をして居る。私にとつてよく/\心の落ちつかぬ季節らしい。その時々の歌を見ればそれが解る。今度はその歌すら出來ないで、唯だ出たり入つたり湯にのみ甘えて居る。そして晴れゝば例の溪間へ出かけるのだ。

 二三日うち、私は持つて來た爲事を斷念して此處から草津に登り白根山を越えて信州の澁温泉の方へ出たいと思つてゐる。(五月十八日上州川原湯にて)


(122) 上州草津

 

 五月廿日、朝五時、川原湯温泉を立つた。荷になるものをば全て昨日小包にして自宅へ送つて置いたので、ほんの身ひとつに尻端折である。宿の老母や娘たちまで出て見送つて呉れる。恰度その溪ばたの湯に十日ゐたわけだ。

 幸によく晴れた。道はずつと吾妻川の溪流に沿うて溯る。自分の歩くところは久しい間溪沿ひのひやゝかな山の蔭となつてゐたが、峰から峰にかけての若葉に射す朝の日影は、近來にない鮮かさであつた。雨後の濁りが漸くとれて、今日あたり溪も清らかに峽間の岩を浸してながれてゐる。

 溪に沿うた一すぢ町の長野原を出はづれると淺間が見えた。煙は極めてほのかにそのまろやかな頂きに纒りついてゐる。その山のずつと右手の空にそれとは違つて嶮しく聳えた山脈が仰がるる。七八合頃までは森林帶らしい墨色で、それから頂上にかけてはとつぷりと深い雪なのだ。行き合せた荷馬車屋に訊いてみると案のごとく白根山から澁峠にかけての山であつた。近々あれを(123)越えて澁に出ようといふのだ。

 一昨年の秋、通りかゝつて何といふ事なく非常に親しく眺められた道下の小學校には今日もまた頻りに生徒の集つて來る時刻であつた。先生をとりまいて田甫の道を來かゝつてゐる者もあれば既に運動場で機械體操にぶらさがつてゐる者もある。附近に人家とてもない廣い山の窪のまんなかに建てられたこの小學校は矢張り私にとつて親しいものであつた。そのあたりから道は溪に直接に沿はなくなり、斷えず淺間を前面に仰いでいかにも高原らしい所を通つてゆく。沿道の村は大掃除らしく、とびとびの百姓家がみな疊から養蠶具を道路に出して乾してゐた。

 日影といふ折から右に折れた。これからが草津街道なのだ。石から石に傳ふ小さな溪に沿うて山窪の登りになつて居る。折れて間もなく數臺續いた荷車の列に追ひついた。績まれたものゝ一部分が斯うした山中にふさはしくない現代式の食料品なのを見ても温泉道らしい心地がする。それにしてもこの石ぼこ道をこれから三里餘り引いて登るのは大抵ではあるまいとそゞろに馬が眺められた。

 僅かの違ひでも川原湯あたりに比べるとこの邊は更に春が遲い。いま楢などが芽をふきかけてゐる。附近一帶にその木が多く、まだうす黄いろい若葉の木の並び續いた野窪には若草が萌え揃つて、そして杜鵑が啼いてゐる。大抵高い山とか探い森とかで聞きなれたその鳥がまだ充分若葉(124)もしない高原の木立のなかで啼いてゐるのは珍しかつた。まだ時間が早いので、溪に降りたり、楢の木蔭に行つて見たり、休み/\登つて行く。振り返れば到る所から淺間が見られた。登れば登るだけ、その山もまた高く大きく眺められた。煙の迷つてゐるあたり、雪がまだらに殘つてゐるのだが、日光のせゐか馬鹿に美しく輝いて見えた。

 野原が盡きてやゝ木立の深い溪間になつた。山腹の其處此處の山櫻がうす紅くまたほの白く咲いてゐる。この花を今年初めて見たのは先月の、四月の十日に安房の海岸に行つた時であつたが、それから四十日を經た今日またこの山國で見ることになつた。道下の溪ばたにその木の大きなのがやゝ褪せながら咲いてゐた。その根がたに私の好きな虎杖草《いたどり》が伸びてゐるのをも見出して――喉が渇いても草津から流れて來るらしい溪水をばよう飲まなかつた。そしてその代り行く行く虎杖草を折つて食つて來たのだ――其處へ降りて行つた。そしてその肥えた柔かな草を噛みながら櫻の根の岩に腰をおろして仰ぐともなくその咲きみちたこまかな花を仰いでゐると、吹く風もないのに斷間なくちら/\と散つてゐる。そしてその花の咲いたまんなかどこの小枝に一羽の小鳥のゐるのを見出した。花より先に萌ゆるといふこの木の若葉よりも小さなほどの鳥で、しかも實に澄んだ高音をあげて啼く。

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

(125) 聞いてゐると、鳥のからだ全體がその音色ででもある樣に、その小さな姿などは目に入らずに、澄んだその高音のみが花の間から落ちて來るのだ。よく聞くと何處か遠くの方にもこれと同じ鳥がゐて同じく高音を張つてゐる。

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

『チイピイ、チイピイ、キリツ、キリツ。』

 私の岩を離るゝまでその小鳥はその木のなかで啼いてゐた。溪間を通り拔けると行く行くまた杜鵑の聲を聞く。

 多少の人家や畑などある所を過ぎて、落葉松林の中に入つた。この木も、諸所に立ち混つた白樺の木も、いま漸くそのみどり深い葉を出した所で、奥知れぬ林からはその新しい脂《やに》の匂ひが嗅《か》がれさうにも思はれた。そしてこの稚木の林は野の起伏に伴うて西に束に實に限りなく連り亙つてゐるのである。そしていま自分の歩いてゐる所がいかにも廣大な高原の上に在るのに氣づかずには居られぬほど、四邊《あたり》の眺めが開けて來た。やゝ勞れの出た前後を包む眩しい日光までさもひろ/”\と乾いて感ぜらるる。

 此處から見る淺間山は甚だすぐれた姿を示して居る。おほらかに聳えた頂上から、充分にのびのびと左右に延びて行つた裾野全帶が少しも隱るゝ所なく眼界の中央に置かれてあるのである。(126)ことにその廣やかな裾野の見ごとさよ、六里ヶ原と呼ばれてゐる一部の高原などはさながら手で掬はれさうにも親しく其處に見下されてゐる。一昨年の秋、其處をよぎらうとして苦しんだ記憶などがそゞろ微笑と共に患ひ出されて來た。淺間から左手の空には次から次とそれ/”\の形をとつて數知れぬ山が並び立つて居る。霞むともなく霞んだ雲と光との中に妙義、榛名、赤城、少し離れて越後境の三國峠位ゐはそれらしいと推量出來るが、その他は地圖をひろげても見當がつきかぬる。

 山腹に沿うた道はやがて峠らしい或る廣場に出た。其處には明和六年云々と刻んだ古い石の塔などが建つてゐて、四萬、澤渡方面から登つて來た山道も其處で落ち合つてゐる。廣場を越えてとろ/\と二三丁降りてゆくと並木の樣になつた木立が見えて、草津の取つきらしい場末町の原の傍《かた》へから起つてゐる。此處も大掃除らしく、種々雜多な家財が日向の道に所狹く並べられてあつた。更にその町すぢを二三丁、とある廣やかな坂の上に立つとその下から右に折れてやゝ細長い窪地一帶にかけ、ぎつしりと大小さま/”\の人家が建ち並んでゐるのであつた。そして濛々たる湯氣が一種の匂と共に其處此處に立ち騰つてゐる。

 坂を降りて突き當りの一井旅館といふへ入る。西洋まがひの大きな建物だが、今は餘り客はないらしく、ひつそりとした二階の一室に通さるゝと共に私はぐつたりと横になつた。時計は十二(127)時を少しすぎてゐた。歩いたのは僅か五里ほどだが、何といふことなくひどく疲れた。川原湯滯在の湯づかれが出たのかも知れない。

 硫黄色に濁つた内湯に入る。この地の湯は直ちに人の皮膚を糜爛さすと聞いてゐるので、まさか一日や二日ではと思ひつゝも何となく氣味が惡くて長くは浸つてゐられない。匆々に出て晝飯を呼ぶ。一杯飲みながら縁さきの欄干の蔭にまだ充分さきかねてゐる櫻の蕾をぼんやり眺めてゐると、突然一種異樣なひゞきの起るのを聞いた。笛とも喇叭ともつかぬ、話にきく角《かく》といふのゝ音《ね》いろが斯うではあるまいかと思はるゝ寂しい響である。そしてそれは私の室のツイ前面に建つて、多角形をなしたペンキ塗の建物の中から起つてゐるのだ。その建物は疑ひもなく浴場である。さう思ふと私は直ぐ感づいた、噂に聞いてゐた草津の時間湯の浴場が其處で、あの笛はその合圖に相違ないと。そゞろに私は盃をおきながら縁側に立ち出でゝその笛に耳を傾けた。

 案のごとくその異樣な響の止むか止まぬかに何處からともなく二人三人、五人六人づゝ怪しい風態《ふうてい》をした浴客が現れてそのペンキ塗の家にぞろ/\集つて來始めた。まことにそれは何といふ不思議な、滑稽な、みじめな姿であることぞ。普通にちやんとした足どりをとつて歩いてゐる人とては殆んど一人もない。大抵は跛足《びつこ》を引いてゐる。跛足といふよりは身體を捩ぢ曲げて歩いてゐるのだ。兩手で杖に縋つてゐるのもある。すべて湯の強さにあてられて皮膚の糜爛を起してゐ(128)る人たちであるのだ。男あり、女あり、皆褞袍姿で、それ/”\に柄杓を持ちタオルを提げ、中には大きな聲で唄か何かをどなりながら、えつちらおつちらやつて來るのである。やがて浴場内では拍子木の鳴る音がした。

 私は大急ぎで飯をすまして其處に出かけて行つた。そして恐々ガラス戸の破れから中を窺き込んだ。三四十人の者が裸體になり、手に/\一枚の板――幅一尺長さ一間ほど――を持つて浴槽内を掻き廻してゐるのである。初めはさうでもなかつたが暫く見てゐるうちにその攪拌の調子に一絲亂れぬ規律が出來て、三四十本動いてゐる板の呼吸が自らにしてぴたりぴたりと合つてゐるのに氣がついた。しかも時のたつに從つてその調子はいよ/\烈しくいよ/\整然となつて來た。そして板の音と泡だつ湯の音とのほかは、寂然《じやくねん》として聲がない。間々、『ハ、ドツコイ/\』といふ風の懸言葉がそちこちから漏るゝばかりである。そのうちにとある一人が聲を張つて或る節の唄を唄ひ出した。すると一同これに應じて、『ハ、ドツコイ/\、ヨイシヨヨイシヨ』と囃すのだ。一人が終れば、それを受けてまた他の一人が唄ふ。すべてみな同じ節なのだ。唄ふ者も、囃す者も、みな呼吸迫つた眞劔な聲である。初め氣がつかなかつたが、湯を攪《か》き立てゝゐるなかには四五人の女も混つてゐるのだ。男同樣兩足を踏んばり、眉を怒らし、聲を合せて、『ハ、ドツコイ/\』と囃してゐる。ザブリ、ザブリといふの音も何となく鬼氣を帶びて、物を噛む(129)樣にひヾいて來る。

 私は一心にそれらを見詰めてゐるうちに自づと瞼の熱くなるのを感じて來た。今は珍しさや好奇心などの境ではなくなつて、一心になつた多人數の精神が其處に一種の物凄さを作つてゐるのを感ずるのだ。見たところ、さして眼に立つ病人風の者はゐない。が、斯うした荒行の入浴法がどうしても人に或る眞劔さを覺えさせずにはおかぬらしい。それが相寄つて一種の鬼氣を成してゐるのである。草津といふと梅毒を聯想する位ゐだけれど、その患者ばかりがさして多いといふのでは無いさうだ。

 再び拍子木が響くと一同ぴたりと板を止めて、やがて隊長といふのゝ命令に從つて極めて靜肅にいま攪きたてた湯の中に浸るのだ。そんなに攪き廻した後でも湯は尚ほ百二十度から三十度の熱を持つてゐるといふ。入浴中は絶對に不言不動、誤つて身を動かせば自身のみならず同浴者の皮膚をも傷ふものださうだ。さうした心身不動の入浴時間は正に三分間に限られてあるのである。

 その三分には湯揉みの時とまた異つた嚴肅さがある。靜まり返つたなかに、時々たゞ隊長の號令が響く。それ/”\意味ある言葉なのだが、我等には唯だ『ウオー、ウォーン』 『ウォーン』といふ風にしか聞えない。その『ウオーン』に對して齒を喰ひしばつた入浴者一同はまた一々『ウオー』『ウオーイ』といふ含み聲で應ずるのである。試みにぞの隊長の號令をその順序に書いて(130)見ると、

『宜しくばそろ/\下りませう。』

『揃つて三分。』

『改正に二分。』

『限つて一分。』

『ちつくり御辛抱。』

『辛抱のしどころ。』

『サツ宜しくば上りませう。』

 即ちこれだけで終るのださうだ。

 見終つて何となく頸の重くなつたのを覺えながら、私は其處を離れた。恰度そこへ宿の番頭が來て見物の案内をしようといふ。それをば斷つて自分一人でぶら/\歩いてみることにした。私の見た時間湯(それは熱の湯と呼ばるゝのであつたが、其他全部で六個所に在り、それ/”\毎日四囘づゝの入浴にきまつてゐるのだ相だ)の直ぐ側にまた眼を欹《そば》だたしむるものがあつた。湯畑といふので、やゝ長方形になった五十坪ほどの場所一面に沸々として熱湯が噴出してゐるのである。一面に大小の石が敷き詰められてあるが、硫黄が眞黄に着いたそれらの一つ/\の蔭から間(131)斷なく湯の玉の湧きつらなる樣は誠に壯觀である。場内には幾つかの大きな桶の樣な物が設けられて硫黄を採つてゐる。

 徳川三代將軍が其所の湯をどうかしたといふ札の掲げてあるその柵に添つてとろ/\と曲り下れば旅館や商店のぎつしりと建ち竝んだ狹苦しい賑かな街路に出る。宿屋などは下よりも二階三階と次第に大きく造られた樣にも見えるものなどがある。その狹い、傾斜を帶びた街を例の身體を曲げたり杖に縋つたりした連中が裾をばはだけて歩いてゐるのである。その街を通りすぎた所に一つの激しい溪が流れてゐる。何の氣なしにその側に立寄ると、思ひもかけぬかなりな熱氣がむつと面を撲《う》つて來た。即ちこの溪は諸所に湧いた温泉の末が一つの溪流を成して流れ下つてゐるのである。

 その湯に沿うて尚ほ少し下るとその道の行きどまりになつた所に瀟洒な裸木の門があつた。誰に訊くまでもなく私はそれも兼ねて噂に聞いてゐた癩病患者の入浴場と定めてある湯の澤であることを直覺した。そして何となく其處に脚をとゞめて歩み入る事を躊躇してゐると恰も私の前に來かゝつた十二三歳の少年があつた。それを見てその側の荒物屋の店の中から内儀らしいのが、聲かけた。

『××屋に油があつたか。』

(132)『うゝん、彼處になかつたから△△屋まで行つて來た。』

 と言つて提げてゐた小徳利を振り上ぐる顔を見ると、この少年が即ち例のいたましい病者であるのであつた。

 それを見ると愈々その門内に歩み入る勇氣が失せて、私は先刻《さつき》時間湯を見た時と同じ樣な心の寒さを覺えながら引返した。振返つて見た門の内には何やらの木立と共に小綺麗な家が竝んで、人影の見えぬ二階には明かな夕日がさしてゐた。一並びの家並《やなみ》を挾む狹い澤の片側にまたその夕日の赤いのを見た。

 山道であつたり、道草を食つたりして來たにせよ、今日歩いた五里の里程に合せて私の疲勞が普通でなかつた。殊に身體より心の方が餘計に疲れてゐた。そして妙に感傷的になつて、見るもの聞くものにつけ、すべて可笑《をか》しいほどおど/\する樣になつてゐた。さうした心に映つた草津は、この大きな高原の窪みに出來てゐる年古りた温泉場は、餘りにも不思議な境界であつた。今までに知つてゐる温泉場に較べて手触りが餘りに異り過ぎ強過ぎた。いはゆる湯治の覺悟で來るならば又此處ほど信頼出来る湯はあるまいと思はれたけれど、ことに自分如き毒氣の多い身體を持つたものは一度は是非ゆつくりと浸つてこの不思議な湯の力を浴び度いものとは思はれたけれど、兎に角一夜泊りの身にとつては何となく親しみ難いものがあつた。一巡り町を巡つて宿に歸(133)つて來ると故知れぬ心細さが病氣の樣に身を包んでゐた。實は二三日此處に滯在してそれから信州の澁温泉に越すつもりであつたが、いかにも氣持が落ちつかないので明日すぐ信州の方へ入り度いと患ひ立つた。そして明日の山道は七里からあると聞いてゐたので餘り好きではないけれど馬で越さうと思ひ、その事を宿の番頭に頼んだ。すると途方もないといふ顔をしながら、とても今の雪では馬など通はないといふのだ。それでは案内者を頼んで呉れ、と言ひ置いて、この落ちつかぬ心を消すために夕飯を待ちかねて酒を取り寄せた。

 飲みかけてゐると例の笛だか喇叭だかゞ鳴り出した。夕方の入浴時間が來たのである。なるほど、一個所でなく其處でも此處でも鳴つてゐる。そして庭を距てた前面の浴場からは程なくゴツトン/\といふ板の音が聞え始めた。次いで、その寂しい唄が其處此處で起つた。

 聞いてゐるうちに私はその唄の節に記憶のあるのを思ひ出した。水産學校の生徒がよくうたふ唄だとか云つてずつと前に或る種類の女から教へられたことのある『三浦三崎でよう、どんと打つ浪はよう、……』といふ、あの節である。唯だ記憶にあるそれは如何にも海の上で唄ふにふさはしい明快な調子であつたが、いま眼の前に聞く湯揉みの唄は何とも言へぬ單調と重苦心さとを帶んで聞えて來るのであつた。男ばかりでなく、間々女の唄ふ聲も混つて聞えて來た。

 そのうちに附近に料理屋などあるらしく賑やかな三味線の音が聞え出した。宿のツイ裏手の(134)山の上にも雪の殘つてゐるほどで、夕方かけて増して來た寒さと共に其處らに立ち騰《のぼ》る湯氣が次第に深くなつた。そしてその中にそちこちとうるんだ樣に電燈が點つてゐるのである。湯揉みの板の音がいよ/\烈しく、その唄も次から次と續く。そしてその間には料理屋の三味線の騷ぎが聞え、按摩の笛も混る。

 やがて番頭は甚だ恰好な案内者を見つけた事を知らせて呉れた。よく睡れ、よく睡れ、と願ひながら充分に醉ひ切りもしないで惶てゝ私はうらさびしい床に入つた。

 

(135) 草津より澁へ

 

 五月廿一日 曇 のち晴

 案内者は六十歳近い老爺であつた。見るからに好人物らしいのが先づ私の心を輕くした。昨日までの日和下駄を草鞋に代へて出掛ける。午前六時であつた。庭さきの時間湯では早や既に例の湯揉みの板が烈しく鳴り出してゐた。左樣なら不思議な時間湯、いつか私もお前の厄介になりにやつて來度いものだ。

 この窪地の温泉町を出外れると直ぐ落葉松林に入つた。道はこの廣大な高原の傾斜と共に斷えず輕い登りとなつてゐた。限りなくつゞいた落葉松の高さは一間半から二間ある。土地が寒くて瘠せてゐるため、樹齢はこれでも既に三十年を越えてゐるだらうと案内者の吉田孝太郎爺は言つた。すべて官有林であるのださうだ。そしてこの落葉松林の中の其處此處にはこの林の枯枝を拂ひ下草を刈る事によつてのみ生活を營んでゐる人たちが棲んでゐるといふ。

『ぞれア人間といふのは名ばかりだアね、第一米といふものを喰はねエで生きとるだからナ。』

(136) 孝太爺は斯う言ひながら、前こゞみになつてのそりのそりと私の前を歩いて行く。

 郭公が啼いてゐる。戀しい聲であつた。朝曇のうそ寒い空には雲が低く垂れて、果のないこの落葉松林を掩うて居る。その間で唯一弱が啼いてゐるのだ。初めはやゝ離れたあたりで啼いてゐたが次第に聲が烈しくなり、我等の歩いてゆく近くに啼き移つて來た。そして四五町さきのたけ低い林の梢から梢を飛ぷ姿まで折々見え出した。案外に大きい鳥である。僅かに芽を吹いた林のうすあおいうへをすれ/\に餘り敏捷でないその鳥の飛ぶ姿は耳近く聞くその聲と共にあはれに寂しいものであつた。

『あれはハツポウ鳥だアね。』

 老爺は私の注意深い姿を振返りながら言つた。

 落葉松林の次第登りになつた傾斜のはてに全部白々と見ゆる枯木の原が私の目を惹いた。まことに針の様に一本々々が眞白く立ち竝んでゐるのである。何年前とかの白根山噴火のあとだといふ。その枯木林に續いて山は次第に灰白色となり、薄い代赭色《たいしやいろ》となつて其處に鋭い白根山の頂上が見ゆる。今は煙も斷えてゐるといふが、脚早いうす雲が感の樣にそのあたりを走つて居る。枯木林から少し下つては白い枯木と殆んど眞黒く見ゆる針葉樹との相混つた廣い林となりやがてこの落葉松林となつてゐるのだ。

(187) それらの林の其處此處に雪が望まれたのだつたが、草津から一里半も來た頃には落葉松の林の盡きると共に我等の脚もとに埃によごれたその大きなかたまりがぼつ/\と見ゆる樣になつた。いつもさう爲《し》つけてゐるらしいとある場所に來ると、孝太爺は道からそれて、

『此處で一服やつて行きませう、これから上は雪になりますだデ。』

 さう言ひおながら、負つてゐた荷をおろし岩の上に腰かけた。薄日が雲を漏れて、きたない其處らの雪の上にさして來た。私も老爺の側に行つて腰をおろす。

 曇つてはつきり見えぬが、其處からはよく遠望が利いた。淡い光を宿した雲から雲の間に竝び立つてゐる遠い山の影は昨日草津までの途中で見たより更に廣く更に遙けく展開して眺められた。何と云つても其處からは淺間が最もよい。高山に登らねば高山の姿はわからぬといふ、輕井澤や小諸あたりから見馴れた淺間とは思はれぬ位ゐ秀れた高さ大ききを持つて中空に聳えてゐるのである。晴れゝばその向うに富士も見えるといふ。日光の具合か、上野下野方面の山は多く雲にかげり、越後境の連山はその輝いた積雪と共にはつきりと見渡された。この年老いた案内者はどれを尋ねても殆んど判然と山の名をば知つてゐなかつた。

 眼を落すと海抜四千五百尺の高さを以つて誇つて居る草津温泉が遙かな眼下の高原の一點に僅かにほの白く見下された。その邊一帯は草野に似た落葉松の原が續き、少し登つて右手には枯木(138)と眞黒な老樹との混つた荒れはてた、原始的な山林がゆるく浪打つた山肌なりに廣々と起伏してゐる。曇つてゐるだけに却つてこの手近な一郭の眼界は或る沈んだ明瞭さを以て見渡された。その明るく澄んだ原野の何處でか、唯だ一つ例の郭公の啼いてゐるのが聞ゆる。地を打つ樣な斷々なその聲は、聲から聲を追つて少しの斷間もなく眼下の廣大な窪みの中から起つてゐるのである。

 そのさびしい聲を耳に殘して程なく我等は其處を去つた。そしてとある山の背を廻つて今までとは異つた方角の一つの境界に面する事になつた。それと共に雪も多くなつて、雪と土とを半々に踏んで歩く樣になつた。その道から右手向うの澤にずつと打ち開けて眺められた森林は思はず私に驚きの聲を擧げさせた程見ごとなものであつた。其處には噴火の時の影響が全く無かつたらしく、少しも荒らされた痕《あと》がなくて、昔ながらの森のままに深々と靜もり茂つてゐるのだ。矢張り眞黒く見ゆる針葉樹林で、老爺に訊くと樅《もみ》、栂《とが》、があらなどの樹木から成り、諸所さうじの木の落葉した白い梢がうつすら赤みを帯びて混つて見えた。さうじの木とはあとで白樺の方言であることを知つた。があらとは栂によく似た木で、土地の者はこの木で專ら箸を作つて職としてゐるといふ。その老木たちの黒い葉や枝は全く曾つて見たことのない鮮かな深いつやを帯びて私の眼に映つた。ことにこの大森林を美しく見せるのはその森全體の地面に置渡して枝葉がくれに見えて居る雪である。雪もまた他の露出した場所に凍てついてゐるのより遙かに清らかに見えた。(139)何と云つても既う五月の末である。この高山の森にも今洽く春が廻つて來つゝあるのであらう。この見ごとな森は我等の通りかゝつてゐる山腹の根方の廣い澤全體を埋め、更に遙かに延びて向うの峰まで及んで居る。先刻《さつき》郭公の啼いてゐたあたりの荒れた森といひ、この茂つた森といひ、共に私としては生れて初めて見る種類のものであつた。

 その森を眺めながら或る澤の雪の傾斜を登りかけてふいと孝太爺は立ち止つたが、いま私どもの立つてゐる足の下の雪の深さは十間からあるだらう、そして七八間の下の深い所に橋が埋つてゐるのだと言ひ出した。今年は三四十年目の深い雪であつたさうだが、それにしても餘りの事に私は舌を卷いた。その澤を通り過ぎて芳の平といふに出た。其處で白根山の噴火口道、及び萬座山中の萬座温泉に行くべき道は分れて居るのださうだ。そして夏にでもなれば茶店が出るさうだが、いまはたゞ一面の雪の原である。仰いで見る噴火口の赤茶けた山嶺には相變らず雲が忙がしく流れてゐた。その芳の平に二つの小さな弛があつて、近年まで浮島が浮いてゐたさうだが、今は無くなつてゐた。その側を通り過ぎて少し行くと急に山が嶮しくなつてあたりが一面の森となつた。雪はいよ/\深くて、全然もう地の影など見ることは出來なくなり、栂だの、があらだのゝ枝や幹が雪の中から折れ傷《いた》んで現れてゐる。

 今までにもさういふ所があつたが、その邊からは全然道路といふものを見ることが出來なくな(140)つた。そして案内者は單に自分の見當をたよりに栂や樅の梢の出た雪の上を何處といふ事なく登つてゆくのだ。これも生來初めての經驗なので、私は初め浮かれ心地に面白がつて登つて來たが、山が次第に嶮しく、遠くも近くもすべて雪に掩はれた森の中に入るに及んで自づと一種の恐怖に捉はれ始めた。恐怖とまではゆかずとも、一目見るにも一歩踏むにも少しもゆるがせにせぬ嚴肅な氣持である。

 思ひもかけず此處で杜鵑の聲を聞いた。恰度霧の樣な雲が我等の周圍を掠《かす》め走つてゐる時であつたが、かなり離れた方角で極めて突然にしかも惶しい聲で啼き始めた。その聲の方を振り返つて見ると山續きの向うに同じく雪が一面になだれて壁の樣に嶮しく聳えたあたり、黒い縞を成して樹木が亂れ立つてゐる。その邊からその鳥の聲は落ちて來るのであつた。者爺のあとにくつ付きながら、五尺八尺と老木の梢ばかりが現れて靡いてゐる雪の山腹を歩むこと半道ほどで、漸く峠に出た。この澁巓は草津から峠まで三里、峠から澁まで四里あるのださうだ。

 峠には風があつた。今歩いて來たとは反對の溪間から雲のちぎれが頻りにまひ昇つて來るのであるが、それでも峠の附近僅かな平地には薄々とした日が射してゐた。以前あつたといふ茶屋のあとが幸に風をよけ、日を受けてゐるので、其處に虎杖草《いたどり》の枯枝を折り敷き更に茣蓙を敷いて晝飯の席を作つた。時計は十一時であつた。何よりも先づ私は持たせて來た酒の壜を取り出した(141)が、さほどとは思はなかつた山の雪の意外にも深いのを知つたので、とても飲む勇氣はなかつた。僅かにちびり/\と舌のうへに零《こぼ》すのだが、その味ひはまた格別であつた。孝太爺も用心してほんの型ばかりしか受けなかつた。

 我等の坐つて居る山の背は恰も信州と上州との國境に嘗つてゐる事を知つた。坐つて左手に見やる山から山は上州、右手に見下す雲がくれのそれらは信州の峰である。風の當るせゐか日光のためか、我等の坐つた附近の木の根がたなどにはほんの僅かばかり雪が解けて地面の表はれた所がある。そして其處をば必ず微かな水が流れてゐる。氣をつけて見るとそのかすかな木の根の雪解《ゆきげ》の水も或るものは上州に向つて流れ或るものは信州の方へ清らかな筋を引いてゐるのであつた。

 歩いてゐるうちは汗をかいてゐたが、暫く休んでゐると寒さのきびしいのが解る。とにかく風もひどいのだ。充分に休みもせず、飯を終ると直ぐ出かけた。

 雪は更にこちら側が深かつた。併し下り坂なのと木が少いのとで、今度は老爺より先に立つて兩手を振りながら驅け出したりした。が、中には怖い所があつた。何百間か何千間かの高い斜面の雪がまん中どころに多少のふくらみを帯びてなだれて居る。そのふくらんだあたりを横に切つて通るのである。身體をも斜にし一歩々々其大斜面の雪を抱く樣にして通りすぎた。

(142) 一里半も雪の中を下つて一つの打ち開けた澤に出た。そして其處に草津を出てから初めて一軒の小屋を見た。例のがあらの木で箸を造る者の住んで居る小屋である。知合と見えて案内の老爺は私を誘つて小屋の中に入つて行つた。中には一人の痩せこけた男が大きな爐に榾《ほた》を焚いて、木屑の中に坐つてゐたが、やがて※〔者/火〕立つた鑵子《くわんす》から澁茶を酌んで呉れた。『旦都は峠のものがまだ殘つてるだらう、此處まで來ればもう安心して飲んでいゝから』と孝太爺の出して呉れたのを自分も飲み、爺や小屋の亭主にも勸めた。茶飲茶碗に二三杯づつしか無かつたが、それでもいゝ氣持になつた。

 其處へまた戸をあけて男が二人入つて來た。一人は五十歳位ゐの土地者で、一人の二十五六歳の若者は洋服をつけて髯《ひげ》を立てゝゐた。二人は小屋に入るなり酒と鑵詰とを出して飲み始めた。そして空壜を側に置いてぼんやりしてゐる我等に勸めて呉れた。洋服の男がこれから草津へ越えるので、一人はそれを此處まで見送つて來たものらしい。

 一二杯馳走になつてゐるうちに小屋の亭主と四十男とは此頃一緒に飲食した時の割前の事で口論を始めた。次第に聲高になつて行つたが、どちらつかずに納まつた。そして今度はとりなし顔に持ち出きれた婿取話に花が咲いた。

『お前ん近くに心當りは無えかなア。』

(143)『さうよ、あるにはあるが、片眼が不自由だデよ、年は三十一二で丁度いゝがなア。』

『片輪ぢア話にアならねエ、第一客商賣ぢアねエか。』

『さうよなア、それもさうぢやが二人も子供があつちやア、さうちよつくらちよつと婿になり手も無からうに。』

『どうだね、僕がならうかナ。』

 さう洋服の若者が茶々を入れて笑ひ話になつたのを機に私は老爺を促して其處を出た。

 もうその澤には雪は無かつた。澤とは云つても山の一部が平坦な高原をなしてゐる樣な所で土地が痩せて畑地にはならず、夏場だけ此處に馬を放して牧場にするのださうだ。

『彼處に見えるのが今婿取の話のあつた温泉宿だ。』と老爺に言はれで見下すとずつと下の溪間に一軒荒れた藁葺の在るのが見えた。人の住んでゐる氣勢もなく、四邊《あたり》には雪がまだとつぷりと殘つて居る。其處に僅かながらも甚だ效能のある湯が湧いて、冬はあの通り雪に埋れて駄目だが、夏になれば宿を開いて客を迎へるのだといふ。その湯宿の主人たちが相次いで死に絶えあとに殘つた一人娘の十七歳になるのに一昨年婿をとつたが、昨年直ぐ子供が生れるとそのあとを追うてその婿も流行感冒で死んで行つた。そして現にその殘された若い嫁のおなかには子供が宿つてゐるのださうだ。それを皆氣の毒がつてあゝして第二の婿を探してゐるのだといふ。

(144)『そしてあの小屋にゐた洋服の男は何だね。』

 私が尋ねると、案のごとく彼はこの邊の官有林に勤めでゐる役人であつた。送つて來た四十男は官有林から伐り出す竹で細工物を造つてゐる竹細工屋であるのださうだ。

『あの竹がそれでやすよ。』

 と老爺の指さすのを見ると我等の歩いてゐる溪向う一帶が一面の深いさうじの木即ち白樺の林で、その下草に竹が青々と伸びてゐる。さうじの木は元來何の役にも立たぬぐうたら木だが、ああして竹を文高く伸ばすためにのみ林として殘されてゐるのださうだ。そのさうじの木の林の何といふまた見ごとなことであらう。

 いづれも二丈三丈に伸びた大きな白樺である。幹の方はいづれも眞白で、梢にかけては葉を吹くに間近なためかうす赤みを帶びて細かく繋く枝をかはして居る。うち仰ぐ山の半面が殆んど全部その白樺の森で、参差《しんし》として立ち込んでゐるのである。この木の森で斯うした見ごとなものを見たのも生れて初めてゞあつた。五月の末に雪の中を三里餘も歩くといふことから初めて今日一日の旅は私に幾つかの新しい經驗を得させて呉れた。この林の若葉のころ、黄葉《もみぢ》のころ、嘸かしと患はれながら飽かず眺めて通り過ぎた。

 幕岩、燕岩など附近の名勝となつてゐる珍しい大きな斷崖の下を溪に沿うて下つて行くと、琵(145)琵琶池といふ山中の池としてはかなりに大きな池があつた。先日來續いた雨の後で澄んだ水はいつぱいに湛へ、まだ冬のままの岸の落葉樹の林の影を明らかにうつしてゐた。この邊でもまだ海拔四千六百五十尺からあるといふ棒杭が建てゝあつた。それを過ぎてなほ下ると道の左手に振返つて望まるゝ偉大な瀧がある。澗滿瀧といふ。

 高さ三百九十尺、幅六十二尺と認めた路傍の棒杭は兎もあれ、とにかく珍しい瀧らしいので道からそれて見に行つた。瀧の懸つてゐる所から下の溪は兩岸とも何十尺かの深い斷崖となつて切れ込んだまゝずつと續いてゐるので、瀧の下あたりに近づいて仰ぐことは出來ない。岸の斷崖の一部に遠望する場所がこさへてあつて、其處から三四丁の間隔をおいて望むのである。瀧と云へば大抵樹木欝蒼たる中に懸つてゐるのを常とする。欝蒼とまではゆかずとも岩山の蔭とか峡間《はざま》の奥とか必ずうす暗い樣な場所にのみ私共は見馴れて來た。ところが、澗滿瀧は全くさうでないのである。瀧の落口の左右はずつと打開けた樣な高原で――その遠望に今私の見て通つて來たさうじの山や燕岩等の嶮崖はあるが――瀧から川下は左右とも全然の禿岩と云つていゝ位ゐ丸裸體の斷崖である。そしてよくは解らないが、瀧は多分南か西か、或はその中央かに面して落ちてゐるのである。水量とても貧しくないそれがいま太陽に向つて赤裸々に三百九十尺を落下してゐる姿は歩き勞《つか》れた私の心に少なからぬ昂奮を覺えしめた。禿岩とは云つでも左右の斷崖には小さな雜(146)木がばらばらと生えてゐて、まだ冬のまゝの明るい姿を保つてゐるのも寧ろこの瀧にふさはしく眺められた。ことにその雜木の中に二三の山櫻の花のほころびかけてゐるのも風情があつた。その位ゐの高さなので瀧は幾つかの荒い縞を作つて落ちてゐた。そして瀧そのものよりその下の溪流が湛へつたぎちつ、自分の立つてゐる斷崖の下を細々と流水てゐるのが更に私の目を慰めた。暫し崖の上に横になりながらこの珍しい瀧を眺めて時を過した。

 それから杉の植ゑ込まれた山と山との間の急な坂を下りて程なく上林温泉の横を過ぎ、一つの橋を渡つて家の建ち込んだ澁温泉に入つた。そして其處の津端屋といふのに草鞋を解いたのは正に五時であつた。

『旦那の脚の達者なのには魂消た。』

 と幸太爺にほめられながも一度湯に入つて二階の部屋に上らうとすると、兩方の脚ともまるで筋金入りの樣になつてゐた。

 鮮かな西日が窓から一杯に射し込んだ部屋に眞裸體のまゝ打ち倒れながら、思はず知らず、

『やれ/\。』

 と聲に出して言ひ出でた。

 信州に入ればもうこつちのものだと思はれたのだ。四方の勝手も解つてゐるし、知人も多い(147)し、何だか自分の郷里に入つた樣な心安さが自づと胸の底から湧いて來る。

『やアれ/\。』

 と繰返しながら、どうして今夜この歡びを表はしたらいゝものだらうと考へ始めた。


(148) 山腹の友が家

 

 五月廿二日、朝遲く澁温泉を立ち、豐野から信越線に乘つて午後二時篠の井驛に着いた。驛にはN――君とE――君とが出て待つてゐた。歩く先々から僅に電報で打合せておいた邂逅が斯う調子よく行かうとは思はなかつた。それに三人揃つて顔を合せるのは六七年目のことである。用意してあつた乘合自動車で直ぐ松代町に向つた。そして何一つ纒つた話をするひまなく千曲川を渡つて其處へ着いた。

 松代は見るからに古びた寂びた町であつた。昔は重要な城下町として、折々講釋などにも出て來る所だが、今は汽車からも見棄てられた樣な位置に在つて、山を負ひ川を控へた平野の中にひつそりと殘つてゐるといつた風に見えた。その平らかな町を通り過ぎやうとして兩君は談合しいしい種々なものを買ひ込んでゐる。今夜の飲食物なのだ。間口の廣い、奥の暗い荒物屋風の店に入り込んだN――君はとある箱の中から目の下二尺近い鯛を一疋引き出して何か店の者に云ひつけて居る。街路の眩しい日向《ひなた》から軒の低い家の中のそれを見て居ると何だか可笑味《をかしみ》が感ぜられて(149)來る。

『信州松代もなかなか馬鹿に出來ないネ、見ごとな鯛ぢアないか。』

 笑ひながら聲をかけると、

『なかなかどうして、これで案外新しいんですよ、越後から來るんですがね。』

 E――君が代つて答へた。山嶽の繪をかくために彼がこの國に入つてから既に一年ほど經つてゐる。で、もうすつかり信州通になつた氣でゐるのだ。

 彼等は尚ほ其處の薄暗い土間に立ちながらあれこれと相談して、蟹や海老の鑵詰、夏蜜柑など買つた。いつの間にか私の好きなものをすつかり覺え込んでゐるのである。

 町をはづれると田圃に出た。

『ソラ、この道の突き當りの山の中腹に二三十軒の村がありませう、その眞中所に白い瓦葺が見えませう。あれがN――君の家です。』

 E――君の指さすのを眺めながら、なるほどいい場處にあると思つた。程なく山にかかるといかにも夏を思はせる強い日が背中から射して來た。裾を端折つて一列に登りながら、私は昨日通つて來た澁峠の雪の話をした。峠を中心に前後二三里が間年寄つた案内者と二人で道とても見えぬ積雪の上を歩いて來た事を話して、

(150)『雪の盡きたあたりまで降りて來ると其處此處に山櫻が咲いてゐたつけが、其處を通りすぎて澁まで降りつくと、もう櫻も散つて恰度いま桑が芽を吹き始めた所だつた。』

 たけ高いN――君のうしろについて登りながら坂の左右に青々と伸びた桑を眺めて斯う話しかけたが、この友人の家もいま養蠶でさぞ忙しいだらうのにと不圖思ひついた。そしてその事をさういふと、なアにいま三眠から起きたばかりの所だから大した事はない、といふのであつた。

 六七町も登つてこの友人の家に着いた。坂の左手に大きな柿の四五本立ち竝んでゐる下に門があり、それを入つて庭の方に行かうとするとE――君が呼び止めた。そして無言のままに左手を指ざした。

 なるほど大きな景色である。僅かしか登つて來なかつたが、下が平野であるために意外に大きな展望が其處にあつた。眼の下一面がいわゆる善光寺平で、その盆地の近くを千曲川、遠くを犀川が流れ、やがて二つが合して川中島の廣い川原となつて北に流れてゐる。松代町は此處から見ても寂しい町である。犀川の向う、我等の立つて居る正面が姨捨に當り、姨捨山から冠着山となり、その蜂を超えて遙かな空には夕づいて來た霞のなかに日本アルプスの連峰がほの白く垣をなして浮んでゐるのだ。

『秋が嘸いいだらうな。』

(151) 私は附近に茂つたの木立を振り仰ぎながら言つた。

『さうです。秋だと一面が冴えて來ますからね、其處等がずつとはつきりして來ます。』

 と答へながらN――君は歩き出した。庭から直ぐ座敷に上つた。先づ着換へなさいと言つてまだ尻端折のままのN――君は浴衣を持つて來て呉れたが、全く眞夏の樣な氣持のする日で、それを借りるとE――君と私とは裏の井戸に行つて冷たい水で肌を拭いた。

 廣い座敷には友人の机が置かれてあった。その机にも床の間にも彼の愛讀書らしいものが澤山積まれてあつた。古びた座敷の中のそれに一册二册と眼を移してゆくといかにもこの友人にふさはしいものに見當るので自づと微笑まれて來た。そして自分自身いかにも久しい間書籍に向はぬさびしさが感ぜられた。

 縁さきに見渡さるる庭も隨分廣かつた。別に工風も凝らしてないが苔の見ゆる平らかな地面に柿や柘榴の老木が立ち竝び、その間にはもの寂びた天然石が大小幾つか配合されて、それら木の根や岩の蔭には、山國にのみ特に見られる大きな小田卷の花が紫深く咲いてゐた。庭の隅にある花壇には見ごとな純白な芍藥が咲き、細い葉としなやかな花とを持つ花蘭の花といふも咲いてゐた。これも初めて見る藤牡丹の花といふのは幹や葉は牡丹で、花は藤の樣に房をなして咲き垂れてゐた。庭全體にある明るさと古めかしさとが、斯うした山腹に在る家のことを忘れさせる樣で(152)あつた。

 直ぐ酒が出た。その間にこの友人の老母や極めて質朴さうな細君たちに逢つた。阿父さんは村の訴訟事で長野市に行つて今夜は歸られないとの事であつた。意外だつたのはこのN――君に十歳にもなる子供のある事であつた。酒をふくみながら見る庭さきをば桑を背負つた下男や下女たちが幾度も往來してゐた。蠶室は二階らしく、そちらをばけふ細君が一人で受持つてゐるらしかつた。

 その夜の酒は實に長く續いた。酒と共に談話も盡きなかつた。ことに私は山や溪間の一人ぼつちの旅を十日あまりも續けて來たあとに斯うした親しい友達と逢つたので何も彼も無闇に嬉しく、埒もなく飲み、埒もなく語つた。二人とも私が歌の結社を作つた最初からの同志で、社中では最も重要な地位にゐる人たちである。十餘年の間にそれぞれ別々には幾度となく逢つて居るが、斯う顔を揃へる事は珍しい。ことにそれが東京でもない斯うした山の中で逢つたので、何彼とお互ひに昂奮しがちであつた。ことに私は飯も喰はず、帶も解かず、何か喋舌《しやべ》りながら寢込んでしまつたといふ。

 然し、先を急ぐ豫定があつたので、翌朝は日の出ぬ前に起きた。顔を洗ふと、茶と共にまた酒が出た。醉つて知らなかつたが、歸らぬ筈の阿父さんは昨夜遲く歸られたのであつたさうだ。今(153)朝初對面の挨拶をする。六十あまりの、痩せた、かな老人であつた。

 晝間と違つて冷々とした霧の流るる庭さきの樹木を見やりながら一杯二杯とこの老人と盃のやりとりをしてゐる間に、私は友人とこの父親が並ならず似通つてゐるのを見た。丈高い身體のものごしから物の言ひぶり、恐らくはその性質まですべて父ゆづりの友である樣に思はれて來た。そしてさうした事を恩ふうちにこの友人が甚しく自分の生家を嫌つてゐる事が心に浮んで來た。E――君初め仲間うちで、よくこの事は話題に上つてどうしてN――君はああ自分の家を嫌ふのだらう、細君がいやなのだらうか、百姓を繼ぐのが不愉快なのか、ほんとに可笑しい樣だと言ひながら直接その事を問うてみると、いつも當人は苦笑するのみで曾つて正確に返事をした事がなかつたのだ。昨日から事に紛れて氣がつかなかつたが、いま端《はし》なくそれを思ひ出してその友人の顔を見、家人たちの顔を見て居ると何となくそぐはぬ心地になつて來た。

 友人は夙うに或る蠶業學校を出て、それ以來ずつと縣廳郡役所に務めて蠶業方面の事務に當づて來た。今度初めて私も來て見たのだが、いかにも彼の生家は土地での資産家らしく、しかも彼は家にとつて一粒種の相續人であつた。だから何もそんな所に務める必要はなく、家では常に彼に歸宅を勸めるけれど彼は曾つてそれに耳を貸さうとしなかつた。そればかりでなく同國内のツイ近い所に務めてゐても年に數へるほどしか彼は自分の家を見舞はなかつた。稀に歸つて來て(154)もほんの一日か二日を型ばかりに其處に過すのみであつた。性質め綺麗なのと、やり出したことはやり遂げずにおかぬ氣性の張つた所などから、務め先に於ける彼の評判は常によかつた。ただ、彼は到る所で酒色の巷に出入した。氣前はよし、男振も立派なのでまんざらでない艶聞など、よく東京に居る私たちまでも聞えて來たが、彼はそれに溺れるでもなかつた。不快な酒だ、いやな場所だと言ひながら、其處から離れ得ずに居るといつた風であつた。で、俸給など全部そのために費されて、よくよく苦しくなると家に歸つて父を口説くらしかつた。

 ところが、役所に於ける彼の地位が高くなるにつれて、蠶業國を以て聞えて居る土地の蠶業者たちから彼に向つて爲向けらるる誘惑が次第にひどくなつて來た。蠶種の檢査とか、繭の品評會とかいふ事のある毎に彼は斷えずそれらの不快や不安やの中に沈んでゆかねばならなかつた。さうした場合に遇ふごとに彼は走り書きの葉書や手紙に不平を漏らして遠く私たちにまで訴へて來た。一日も早く斯の地位を去りたいと思ふが、それかと云つて家に歸るのはいやだし、束京あたりで何か自分に出來る爲事《しごと》はないものかなどとも言つて來た。それと共に彼の酒浸りの状態は益々烈しくなる樣子であつた。困つたものだ困つたものだと友人同志で言ひ合つてゐるうちに、突然この二月ほど前にいよ/\思ひ諦めて自分の家に歸る事に決心した、これから極めて從順に生れた村の土に親しむつもりだと言つて來たのであつた。

(155)『矢張り細君を嫌ふらしいんですよ、細君とは從兄妹同士か何かでちひさい時からN――君の家で一緒に育つて來たんださうです。』

 などといふ噂をも聞いてゐた。

 その細君といふ人は極めて柔和な、別に見ぐるしいといふ人ではない。年はかなりいつてゐる。どうかするとN――君より上かも知れぬ。父親と云へば前に云つた樣な好々爺である。ただ母親がなかなかしつかり者であるらしく私には見えた。私の郷里の家などがさうであつたが、母親一人で一家を處理してゆくと云つた風の家ではないかと思はれた。

 今朝はほどほどで酒を切りあげた。そしてそのあとで、E――君が繪をかき、その上に私やN――君が歌をかいてのよせがきを二三枚作つた。其處へ何かの用事で入つて來た母親は、

『なア、H――よ。』と友人の名を呼んで、

『先生にお頼み申してちつと親孝行になる歌を書いてお貰ひ申しといたらどうだぞい。』

 とまんざら戯談《じようだん》でなく言ひかけられた。やれやれと苦笑しながらN――君を見るとこれはまた年甲斐もなく眞赤になつてゐた。

 朝、暗いうちから聞えてゐた桑切機械を見に二階に登つてゆくと、其處には頬冠りをした細君が二人の下男を指圖して働いてゐた。甘酸い樣な匂ひのなかにその何式とかいふ機械は眼の覺む(156)る樣な迅速さで青々した葉を刻んでゐるのであつた。まだ黒い色をした小さな蟲にその刻んだ桑を振りかけてゆく細君の手さきもまた敏捷なものであつた。二階をおりると阿父さんは畑から刈り込んで來た桑を蓄へる冷たい穴藏へ案内された。庭には近所の人らしいのがN――君をとらへて、うちの蠶が今朝斯う斯うだが、あれでいいだらうかと心配相に相談しかけてゐる。

『H――よ、お前あとでちよつくら行つて見てあげろよ。』

 と母親の聲が聞える。

 程なくE――君と私とはこの柿の木の多い家を辭した。もう此處で別れよう、と言ふのを、せめて松代まででも送らうと言ひながらN――君はついて來た。

 昨日の坂を下りかけて、『どうだネN――君、落ち着けさうかネ。』と笑ひながら言ひかけると、

『どうもむづかしいやうですネ、とても駄目らしいですよ。』とこれも笑ひながら言ふ。

『どうも僕には不思議だがナ、君がなぜあんなに自分の家を嫌ふかと思ふと……』とE――君も言つた。

『みんないい人たちぢアないか、君には何處が氣に喰はないんだい。』

『何處と云つて……』口を食ひしばる樣な例の癖を出しながら、『何處と云つても何も無いよ、無いけれど、どうも其處んとこがむづかしいもんだよ。』

(157)『僕は君の子供さんを見て驚いたよ、ちつとも知らなかつたんだからネ、いづれはあの子供さんたちのよき阿父さんになつて終るといふ事になるだらうがね。』

『まア其處らだらうナ、それがまたいいんだ。』

『然し、この坂を登つたり降りたりする君の姿を想像する事はとにかく何だか悲哀だナ、永いことまたこの坂の幻影が僕の眼の前に出て來る事だらうよ。』

 宿醉《ふつかよひ》の重い足どりで松代の町に入ると乘合自動車の出るには三十分ほど待たねばならなかつた。それを待ちながら蕎麥屋の土間で麥酒を飲んだ。そして急に元氣のよくなつたN――君は其處までの豫定をすてて篠の井まで自動車に乘つた。

 篠の井まで出て來ると私たちも別れるのがいやになつた。三人して停車場の人ごみの中をあつち行きこつち行きして思案した末、たうとう其處からツイ今しがた出て來た山腹の家に電報を打つことに決議して、また其儘三人づれで松本行中央線の汽車に乘り込んでしまつた。今日我等三人の豫定はE――君の宿をとつてゐる松本市で汽車をおりて、それからすぐ淺間温泉にゆつくり旅づかれの骨を伸ばさうといふのであつた。

 姨捨の山腹を登る時、汽車の窓から遙か遠くに例の村のある山が見えた。あの邊だらうなどと首を突き出してゐると、

(158)『今朝おとなしく親孝行の歌を一首書きつけて來れば斯んな事にもならなかつたでせうにねヱ。』

 と皮肉なE――君が言つて置いて自分で舌を出した。

 

(159) 木曾路

 

 鹽尻驛で木曾線に乘換ふる時、嘸ぞ私は苦々しい顔をしてゐた事であらうとおもふ。少しも心が据らず、ともすれば足もとさへよろ/\しさうで、故のない不安が身體全體に浸みてゐた。上州路を獨りで歩いてゐるうちはまだよかつた。澁峠を越えて信州に入ると其處には舊くからの飲仲間が待つてゐた。殊に松本がひどかつた。淺間温泉で飲み、市中で飲み夜も晝もなく飲みつぶれて、四五日目のけふ漸くもとの獨りとなつて木曾路にかゝらうといふのである。その暴酒の苦痛と疲勞とから逃れるには矢張り酒より外にはない。惶しい乘換の間に私は日本酒とウヰスキイとを買ひ込んだ。そして汽車の窓にゆつたりとよりかゝりながら、久しぶりにゆるめるものゝ樣に自分の顔の筋肉をゆるめた。

 洗馬、贄川と過ぎてゆくうちに次第に四邊《あたり》の山の深くなるのが感ぜられた。桔梗が原の一部とも見らるゝ高原が徐ろに山に移つてゆく。急に迫らぬ峽谷の大きな姿が疲れた眼に快よかつた。常に窓の下に見えて居る犀川がいつとなく痩せて、やがてはまことの溪流となつて若葉の下に白(160)々と流れてゐるのも親しかつた。私の隣に乘つてゐたまだ若い母親に連れられた五つか六つの男の子が充分に廻らぬ舌で頻りに母親に甘えてゐる聲もよく四邊の靜かな山や溪に似つかはしく聞きなされた。漸く落ちついてゆく氣持で、何となくこの汽車から離れたくない思ひをしながら私は奈良井驛で降りた。

 奈良井はまつたく峽谷になり切つた溪あひに一筋深く殘つてゐる樣な古い宿場であつた。恰度午後の二時頃であつたが、曇を帶びた日光が石ころを置き並べた屋根から屋根に照つてゐた。

『斯んな所に生れたのかなア。』

 と私は石ころの多い街道を歩きながら周圍を見廻した。この春から或る友人の紹介で私の家に書生に來てゐる青年が木曾の奈良井の生れである事を知つてゐたので、それをいま思ひ出したのであつた。やや登りになつた通りを――古びてはゐてもその傾斜を帶びた細長い宿場はその日何となく賑かさうに私の眼に映つた――心あてに見廻して登つてゆくと、果して××屋といふ看板を掲げた家が左側に見附かつた。赤い紅殻塗《べにがらぬり》の欄干のついた二階には雨戸が固く締り、表口の障子も蹄つてゐた。よほど立寄つて聲をかけたい心が動いたが、時間が時間なので唯だ黙つてそのひつそりした家を眺めながら通り過ぎた。通りすぎると直ぐ宿場の家並も終つた。そして其處に氏神らしい神社の森が茂つてゐた。

(161)『此處で奴さんも遊んだのだナ。』

 などゝ微笑まれながら、小心者の正直一方な寂しい顔をした彼が思ひ浮べられた。その神社の前からいよ/\坂となつて、鳥居峠の道は始まつてゐた。

 その山坂は案外に廣かつた。然し、この春からかけて降り續いた長雨はこの邊もひどかつたものと見えて、道がひどくいたんでゐた。うす赤い色の岩石が到る處になだれ落ちて、半ば道を埋めてゐる所もあつた。木深くない山の腹のその坂道を曲り/\登つてゆくと、次第に晴れて來た午後の日が斷えず左手の正面から射して、連日の酒に疲れ果てた身體にそゞろに汗が浸《にじ》みだして來た。汽車で飲み殘して來た小さなウヰスキイの壜を手にしながら、急ぐこともなく登つて居ると、手足の疲勞は次第に強くなるが、頭は幾らかづつ晴れて來た。路傍の淺い木立では頻りに鶯が啼き、溪向うの峰には杜鵑の聲が折々聞えた。

 振返つて見るといま汽車で入り込んで來た峽谷の大きい姿がいよ/\明らかに眼に映つた。この旅に立つ前、同じくこの木曾生れである或る人から私は木曾の地圖を書いて貰つて持つて來た。いま、木曾の分水嶺をなしてゐる鳥居峠を登りながらそれを取り出して見ると、その地圖には洗馬と贄川との間に在る櫻澤といふからいはゆる「木曾」は起つて居ると書いてあつた。斯うして見下すどの邊からがその木曾であるか、かなり遙かな遠望の利くなかに立つてその櫻澤の位(162)置を初め、この峽谷が開けて行つた向うの平野、洗馬鹽尻あたりの地理を想像するのはいかにも靜かな心地であつた。その開け去つた遙かな空に一點純白な雪の峰を見出でた時は一層心が冴えた。八ケ嶽か、それとも甲州のどの山嶽か、確かに方角はその見當であつた。鋭い汽笛がツイ脚下に深く切り落ちた若葉の峽間《はざま》から聞えて來た。上りか下りの汽車が隧道《トンネル》に入るものらしい。列車の響も徐ろに山を上つて來た。

 登りつめた峠は深い掘割になつてゐた。時計を出して見ると奈良井から一時間と四十分ほどかかつてゐた。その險しい掘割の片側の根に去年の虎杖草の枯れて茂つてゐるのを押し折つて私は腰を下した。そして其處からは坐りながらに今まで越えて來たとは反對の方角に遙かに延びて行つてゐるほんたうの木曾の峽谷と、それを挟んで連つてゐる數限りない山野とを望み見る事が出來た。なんといふ可壞《なつか》しい姿で初めて見るわが木曾の流は自分の坐つて居る山の麓から流れ出てゐたであらう。光つた長い瀬が見えた。それを挾む磧《かはら》のうす白いのも見えた。そして柔かに曲り廻つて重疊した山と山との間にその末を消して居るのである。霞み煙つた下流に當る峽谷の遙かな邊を眺めて居ると、單に天然自然に對する憧憬といふよりも、私には何となく我等人間界の可壞味を其處から感じて來る樣にのみ思はれるのであつた。

 嘗める樣にして持つて來た小壜の餘瀝がなほ幾滴か薄黄ろくその底にあつた。それを嘗めなが(163)ら私は幾度か心からなる大きな息をついた。恰も夙うに來べきであつた所へ今漸くやつて來た、といふ氣持がどうしても胸の底から湧いて出て爲やうがなかつたのである。その穩かな心躍りを感じてゐるうちに、私は更に胸を衝かれる樣な一つの光景を見出した。さうして坐つてゐる眞向うには木曾の溪を距てゝ何といふ山だか、既に薄く若葉したもの、まだ冬のままの姿をしてゐるものなど、幾つかの山が徐ろに重り合つて行つてゐる。それらの奥に遙かに頭を擧げねばならぬ一際すぐれた高い峰が見えたのである。とある一部、紺の色に晴れた夕空にかすかに光と影とを帶びて輝き聳えてゐる雪の峰――私はそれを見出すと思はず知らず立ち上つた。壞中から地圖を取り出すまでもなく、それが御嶽の峰であらねばならぬ事を感じながら、惶てゝ取り出して披《ひら》いてみると果してそれであつた。鳥居峠の圖の上から一すぢ點線を引いてその端に御嶽山と記した山の形が描かれてあつた。そして、

『鳥居峠、時の頂上より遙かに御嶽見ゆ、峠には遙拜所もある筈。』

 と記してあつた。

白く輝くその峰を仰いでゐると、廣い前景をなす數多の群山たちはいつか薄鼠色に翳《かげ》り去つて、その峰ひとつ、遠い空に浮び立つてゐる樣にも思ひなされて來るのであつた。思はず立ち上つた私はやがてまた枯枝の上に腰をおろして、寂然《じやくねん》として聳えて居るその孤獨な山に久しい間わ(164)れを忘れて向つてゐた。遙拜所といふのは私の坐つてゐる所より一つ左手の峰の端に建てられてゐるのがそれらしかつた。

 峠からの下りは足が速かつた。道近くの松山の中で啼いてゐる杜鵑に耳をかしながら急ぐともなく急いでゐたが、もう一度私は或る處で子供らしい歡喜に兩手をさしあげて立ち止らねばならなかつた。その頃御嶽の峰は既にうす黒い山の向うに隱れて見えなかつたが、今度はそれとは反對の空に新たに眞白く嶮しい山が見えて來たのである。駒ケ嶽である。御嶽は獨り離れてとほく高く、これはひし/\と他山を壓して屏風を押したてた樣に嶮しく聳え亙つてゐるのである。一は純白、一は疎らに荒く雪を置いて居る。一に對しては遙かに帽子を擧げて敬意を捧げたく、これには近々と大聲に呼びかけて見たい念が湧く。

 駒ケ嶽を仰いだ眼を下に移すと自分のいま下つて行きつゝある山の麓に溪に沿うて山の傾斜なりに細長くかたまつてゐる一つの宿場が見えた。うち晒された小さな屋根が餘所に散ることなくひつそりと一處にかたまつてゐるのが、いかにもあはれに見下された。お六櫛の名所として聞えてゐる藪原の宿らしいのだが、あまりにもそれはさびれはてた所であつた。

 山道を降りつくしてその宿場に入ると、まさしく藪原であつた。奈良井よりは更に傾斜が急で、兩側の屋並に挾まれた通りにも大きな石が露出して、さながら山の坂道であつた。お六櫛を(165)作るらしい家が殆んど軒別に並んで、作つて居る姿の見えて居る家もあり、古びた障子を締めた中から木をひく音のみ聞えて居る家もあつた。土産にと思つても、その櫛を賣つてゐさうな店が一寸見當らぬ。つまり作るばかりで賣店らしい店がないのである。それほどに寂しい古驛であつた。實はそのまゝ私は溪に沿うて宮の越まで歩いてゆくつもりであつた。が、少し峠で時間をとりすぎた。それに急に烈しい風が出て、今にも一雨やつて來さうな風にも見えて來た。で、恰度間に合ふ五時幾分の汽車に乘るために宿外れにある停車場に急いで、其處から汽車で宮の越を過ぎ、次の福島町で下車した。

 藪原あたりに比べて急に大きくなつた木曾川が屈折してその溪間に僅かの平地を成す、さういつた風の所にぎつしりと建ち込んで町を作つてゐるのが福島であつた。停車場は町よりずつと高い所に設けられ、一つ急な坂を降りて溪ばたの町に入るのであつた。私は町をかなり奥に入つた溪ぞひの岩屋本店といふに泊る事にした。例の、特に今度私の旅のために描かれた木曾地圖福島町の所には、

『宿は岩屋本店よからむ、ことに奥座敷よし、直ちに木曾の流に臨む。』

 としてあつたので、その座敷を所望したが、それは夏のさかり場か餘程特別の時でなくては戸を開けぬ事になつてゐるのださうだ。

(166)『何しろお掃除が大變ですから。』

 と或る二階の角の部屋に案内した女中は坐蒲團を直しながら氣の毒げに言つた。それほど廣いその宿屋も先づ夏の御嶽講のためであるらしく私には受取られた。それでもその部屋に角に切られた窓をあけると直ぐ溪の流と、その岸から直ちに欝蒼と茂り起つた急峻な山の森とが望まれた。降るともなく大粒の雨が恰度その森に注いでゐた。

 疊の上に横になつてみると著しい身のつかれである。しかし單に山を越えたゝめの疲勞でなく、ゐても立つても居られぬ樣な心ぐるしいそれである。疑ひもなく連日の酒の長い宿醉がさうなつて表れて來てゐるのだ。待ち兼ねた風呂に入つては手足一つ動かさぬ樣に唯ぢいつとして汗を拔いた。そしてよろ/\としてあがりながら熱い酒を取り寄せた。舌を燒き、腸《はらわた》を刺して身に廻つてゆくその味ひはまた格別であつた。うまいでなく、にがいでなく、やれ/\これで生き返るといふ心である。小さな徳利を二三本も重ねてゆくうち漸く私はまともに物を見定め得る樣になつた。この部屋に通つた時音を立てゝゐた雨はあがつて、うすら冷たい夕あかりが溪向うの山の深い若葉の上を掩うてゐた。部屋の下に小さな野菜畑があり、その畔に並んだ三四本の桐の木の間に光つて見えて居る溪の瀬からは薄い靄が立つてゐた。瀬の音に混つて何やらの鳥が向うの森で鳴いてゐたが、やがてそれもひそまつた。

(167) 飯をすますと繪葉書でも買はうと宿を出た。戸外は曇つた月夜であつた。町は意外にも賑かで、店々の燈火も明るく、店飾りもなか/\に派手に見えた。行き交ふ人々のうち、例の雪袴を穿いたのが數多目につく。ことに十歳前後の男の子の群が全部それで遊んでゐるのが可愛いかつた。繪葉書にはいいのが殆んどなかつた。みな俗惡な、惡く氣取つた月並なものばかりであつた。僅かに材木流しを寫したものに木曾らしい所があるのでそれを買つた。この町にないとすれば木曾には木曾を知るに足る繪葉書が無いと見ねばならぬ。惜しい事だ。繪葉書をたづねて町の端から瑞へ歩く。建ち込んだ家の僅かに途切れた樣な所にかゝると、必ずの樣にその間から溪のひゞきの流れて來るのがいかにも溪あひの町らしかつた。

 町の中ほどの所に行人橋《ぎやうにんばし》といふのがあつた。御嶽に登るにはこの橋を渡るのではないかと思はれた。橋の上に立つて見ると細かな瀬波をたてゝ流るゝ溪いつばいに朧ろな月影が宿つて、四邊の山に近々と雲の降りて來てゐるのも旅の心を深くした。料理屋なども多いらしく、それらしい燈火が溪の流にも落ちてゐた。三味線の音いろも聞ゆる。例の私の木曾地圖に書き込まれた文句が思ひ出された。『宿屋は岩屋本店よからむ、……』の次に、

『木曾踊は向城へ渡る橋のたもと××亭がよからむか。』

 とあつたのだ。その積りで旅費も用意してゐたのだが、松本滯在が祟つて此處ではもう木曾節(168)も木曾踊もあつたものでなく極めてひつそりとこの溪の都を通り拔けねばならなかつた。

 

 五月廿七日

 意外にも快晴、眼も耳もしんとするほどの天氣であつた。早朝、周章《うろた》へて出立、裾を深く端折つて日和下駄のまゝ溪に沿うた道を急ぐともなく急いで下る。溪は右手にきら/\と朝の光に輝いてゐた。

 例の地圖を見ると、福島を出外れて少し行つた所に鳥居の符をつけて、

『此處に古き御嶽遙拜所あり。』

 とあるので、氣をつけてゆくと辛うじてそれらしい所を見附けた。道の右側、溪寄りの方に古い塚の樣に小高くなつて、四邊には杉が茂つてゐる。塚の上に登つてみたが、伸び揃つた杉が邪魔で、山はよく見えなかつた。昔、中仙道時代に此處を通る旅人がすべて此處から彼の高山を拜んで行つたのかと思ふと、夏草の茂つて居るこの廢趾も可懷《なつか》しい思ひがした。其處を通りすぎて、暫くして私は大きな景色を見出した。

 鳥居峠の方から流れて来た木曾川と、御嶽山の奥から出て來た王瀧川とが、双方とも白い瀬を上げて其處で出合つてゐるのであつた。道路から見ると四五丁ほどの距離を置いた斜め下にそれ(169)を豐かに見下す事が出來た。双方とももう溪としては極めて大きい をなし、川幅も廣く水量も多く、かなりの大きなうねりをあげて流れてゐるのだ。いふまでもなく青みを帶びた清らかなうねりである。道からは木曾川の方よりも王瀧川の方を餘計まともに見る樣になつて居た。このあたりやゝ廣やかに開けてゐるこの峽間《はざま》で、斯うした大きな二つの溪が流れ合つてゐるのすら既にめづらしい眺めであるのに、恰度その二つの流の中ほどの遠空に例の純白な御嶽山が墨色の群山を拔いてくつきりと表れてゐるのである。そぞろにまた帽を振りたい氣持で私は道ばたの埃をかむつた草の上に坐り込んだ。

 このあたり、對岸は一帶に御料林になつてゐると見えて山全體に木立が深く、其處の木を運ぶためであらう、山の根方に溪に沿うて輕便鐵道が出來てゐて、木材を積んだ小さな車が折々愛らしい汽笛を鳴らして過ぎるのが見えた。また、私の歩いてゐる左手の頭上に當る山腹をばほんとの汽車が烈しい響を立てながら二三度通つて行つた。崖から崖に渡すために見ごとに大きな陸橋の架せられてあるのも幾つとなく眼についた。人によつては汽車が通つたゝめに木曾の風光が烈しく損なはれた樣に説かれてあつたのを見聞きしたが、私には却つてこの汽車が木曾を大きくし複雜にしてゐる樣に感ぜられた。青葉の山に諸所隱見してゐる陸橋など、私には甚だ親しい景色であつた。昔の木曾をも矢張り私は中仙道なしには想見しにくい如く、今の此處をも單に溪流と(170)してのみは見たくない。今度の旅の初めに見て通つて來た上州の吾妻の溪などゝは全く趣きが變つてゐる樣に思はれるのだ。

 棧《かけはし》に着いた。峽のやゝ迫つた所、一部分だけ兩岸の樹木が茂り、その間、溪が深く淵をなして湛へてゐるのである。その最も狹い所に岩疊な吊橋が懸つてゐた。橋上から見ると樹木の年古く老い茂つてゐるのが先づよく、穩かな渦をなした淵の青みに遊んでゐる數多の魚の明らかに見えるのが更によかつた。昔、一人の老詩人がぽつ然として此處を通りかゝつた事を想ふのも似つかはしくなくはなかつた。私は元來名所舊蹟といふ事に一向興味を持たない方であるが、此處で彼の翁のことを想ひ出すのは割合に親しかつた。

 溪はいよ/\大きく、岸の諸所には見ごとな木材が積みあげられてあつた。通りかゝつた上松驛の構内にもそれが山と積まれてあつた。例の御料林からの小さな材木汽車は此處を終點としてゐるらしい。上松の町を過ぎて十四五町の所に寢覺の床があつた。

 此處のながめも夙うから寫眞などで見るところでは私の好みに近さうにも思はれなかつたので大した期待も持つて來なかつたが、先づそれが正しかつた。寢覺の床それ自身よりもそれを見下る臨川寺といふのゝ位置の方が面白からうと想像してゐたのも當つた。私は唯だその寺の庭さきから例の岩床と迫つた水の流とを遠く見下したにとゞめて下には降りてゆかなかつた。降りて遊(171)んでゐる旅人らしい人影は澤山に見えた。私と前後して上松の町から歩いて來た若い西洋人の夫婦らしい人もその寺の庭隅から急な坂を降りて行つた。

 私は寺の縁先で賣つてゐる繪葉書を員ひながら住職の在否を尋ねると在宅だといふ。名刺を出して面會した。例の私のために木曾の繪圖と案内とを書いて呉れた早稻田大學の學生は此處の住職とよく相識り、幼い頃からよくこの寺には來てゐたのださうだ。それで私にもその寺に寄つて、都合では二三日も泊つてゆく樣にと勸めて呉れたのであつた。

 住職からも直ぐその話が出て、もう數日前からその學生の手紙で私を心待ちしてゐたのだ相だ。そして是非上れといふ。私も東京を立つ時はこの溪間の寺で靜かに水を聽いて眠る樣な一夜二夜を樂しんで來たのであつたが、餘りにもう旅の日夜が永すぎてゐた。ゆつくり一笠一蓑《いちりふいつさ》の旅心地になつてこの溪間を歩いて見たいものと計画して來たその木曾に辿りついた時は初めとは似もつかぬ慌しい心になつてゐた。そして萬事をこの次の機會に待つことにして、今度はたゞ素通りだけの旅にとゞめておきたいと思ふ樣になつてゐたのである。

 強ひられて座敷に通ると、まことに居ながらにして長い溪のながれを充分に眺め下すことが出來た。部屋を吹き通す眞晝の風も冷やかに澄んでゐた。私が來たならば斯う/\する積りでゐたといふ種々の預定を心苦しく聞きながら名物の蕎麥を馳走になつて、程なくその寺に別れを告げ(172)た。上松驛まで引返す道から駒ヶ嶽らしい山の雪が仰がれた。

 上松驛からは汽車、そのまゝ眞直ぐに名古屋に行く積りであつた。車室の隅に席をとつてゆつくり構へると、間もなくいま坐つてゐた寺の下を右手に寢覺の床を見下しながら走りすぎた。其處を過ぎると用意して來た酒の壜を取り出して心靜かに飲みながら左右の車窓にあちこちと眼を移してゐた。其處へ思ひがけぬ一人の痩せた蒼白い青年が車室の反對の隅から歩いて來て、『若山先生ではないか。』といふ。

 彼は我等が創作社の同志の一人で信州伊奈の人であつた。初めて見る人であつたが、私の酒の飲みぶりで愈よさうだと思つて聲をかけたのださうだ。私もその人の詠んだ歌をばよく知つてゐた。そして彼が夙うから不治の病に冒されて始終床の中の人である事を知つてゐたので、この偶然な邂逅を一層驚いた。聞けば一種の奇蹟から急に病氣が輕くなつたので、その奇蹟を感じた大本《おほもと》教の深い教へを受けるためにこれから綾部まで行くのだといふ。一昨日までは起き上る事も出來なかつたものが、今は斯うしてゐても平氣である、綾部には一週間だけゐる筈で歸りには東京を廻つてあちらでまたお訪ねしようとも言つた。

 話し入つてゐる間に、いつの間にか溪はすつかり開けてゐた。そして麥の黄いろい岐阜の平野が西日に染められて廣々と見えて來た。

 

(173) 利根の奥へ

 

『束方時論』の八月號に三上知治氏のかいた「利根の奥へ」といふ旅行スケツチが載つてゐた。日光から中禅寺湖湯元を經て、金精峠といふを越え、利根水源の一である片品川の源に出て、迫貝老神《おつかいおいがみ》といふ僻村を通つて沼田町に達し、更に右折して其處で片品川と合してゐる利根の本流に沿うて溯り、ずつと水上の越後境に在る湯檜曾といふ小きな温泉場まで辿つた事が輕妙で質實な繪と文章とでかゝれてあつた。私はそれを見てひどく心を動かされた。そして急に思ひ立つた、よしこの秋は自分もこの通りに溪から溪を歩いて見ようと。

 元來私は峽谷の、しかも直ちに溪流に沿うた家に生れた。そして十歳までを其處で育つた。そんなことのあるためか、溪谷といふと一體に心を惹かれ易い。それもこの二三年來、身體が少し弱つて、何といふことなく靜かな所/\をと求めるやうになつてから、ことにそれが著しくなつた。岩から岩を傳うて流れ落つる水、その響、岩には落葉が散り溜つて黄いろな秋の日が射してゐる…………、さうした場所を想ひ出すごとにほんとに心の底の痛むやうな可懷しさを感ずるの(174)が常となつてゐる。昨年も用事を持つた出先で、そんな事を想ひ出して、そのまゝふら/\と秩父の奥へ出かけ三四日歩いて來たことがあつた。時季から云へば春の末、若葉にかけてもさうだが、とりわけて秋に於て最もその心が動く。黄葉《もみぢ》の頃、さらにその落葉のころ、空のいろが澄み定つて來ると規則のやうに其處の溪此處の山奥とそのなつかしい幻影がとりどりに想ひ出されて來る。

 右の三上氏のスケツチを見たのは雜誌の出たより少し遲れて九月の初めであつた。自分も行かう、と思ひ立つと同時に直ぐその豫定を作つた。自分のやつてゐる雜誌の十月號を九月の末少し早目に出して、直ぐ日光へ出かける。其處の近くには歌仲間の親しい友人が居るし、ことにその弟は束照宮の神官をしてゐるので、その人に頼んで日光を見物さして貰ふ――まだ私は日光を見たことがない――それから愈々獨りになつてこのスケツチ通りの旅行を始める、と斯うであつた。早速その通りに友人にもその弟さんにも手紙を出して、いつもに似ず勢ひ込んで雜誌の編輯にも手をつけた。友人たちからは折返し、歡んで待つてゐるといふ返事が來た。分縣地圖栃木縣群馬縣の部を買ひ込む。それが不充分に思へたので參謀本部の二十萬分のを買つて來る。他の個所は兎も角、山越しのところだけは今少し詳しいのが欲しいと更に五萬分のを幾枚か求めて來る。來る人ごとに十枚近いその地圖を持ち出して極めて得意にその計畫を話して聞かせる。聴く(175)人はまた言ひあはせたやうにいかにも羨しい眼つきをしてそれを聽いてゐた。計畫を立つると同時に私の心は既うすつかり夜となく晝となく利根の奥へ遊んでゐたのである。

 が、運の惡さと私は風邪を引いた。たいした事はなかつたが、熱が一向引かない。そのほかにもまた故障が起つて雜誌の發行が意外にも遲れた。九月の末どころか、十月の六日だかに漸く出來て來た。そしてその頃から毎日不快な雨が降り續いた。十月のうち、晴れた日と云つては、ほんとに幾日もありはしなかつた。其處へ毎日の新聞は今年の初雪の圖ぬけて早いことを報じて來た。何日には何處の山、何日には何の峰と、點々として白くなつてゆくありさまが私の心の中には美しくもまた恨めしく一つ/\と映じて居た。これではとても金精峠は越されない、峠どころか湯元あたりまでもあぶないものだと思はれた。そして十月の末近く思ひ切つて右計畫斷念の旨を友人たちに云つてやつた。殘念ながらどうもその外はあるまいといふ返事が來た。

 諦められないのは私の心である。そこに浮んで居る溪のまぼろしである。金精越えは思ひとまつてもその溪の奥へまでは行つて見たい。少し平凡だが三上氏の紀行とは逆に高崎から入り込んで行つたら解《わけ》もなく行けさうである。黄葉もいゝだらう、などゝ考へてゐるうちにいつとなく第二の計畫が明瞭に私の頭のなかへ出來てゐた。其處へ思ひがけない金が入つて來た、自分の書いた短册を分つといふ會の中へ或る特志家が餘分の金を拂ひ込んで呉れたのだ。子供のも慥《こしら》へ度い(176)し、あなただつてそとへ着てゆくやうな着物は一枚も無いぢやアありませんかと言ひ張つてゐる細君を遮二無二拜み倒してその大切な「不時の收入」をば自分の財布に封じ込んでしまつた。風邪と雨と旅行中止とですつかり氣を腐らせてゐた私は急にまた元氣づいてそれまで打ち棄ててゝあつた雜誌十一月號の編輯にかゝつた。十月もずつと末の事である。漸くそれを終つて印刷所へ持つてゆくと、流行の惡風邪で職工が三分の二から休んでゐるためこの十一日でなくては校正が出せないといふ。一わたりでも自身で眼を通して置かないと編輯を急いだゞけにどんな組違ひが出來るかも知れぬので、仕方なくそれを承知して、その代りどんな事があつても十一日には全部を組み上げること、十二日には僕は居なくなるのだからと呉々も言ひ置いて、サテ愈々十二日出立ときめてしまつた。其處へまた一つ困つた事が起つた。昨年の春から私は郷里の姉の娘を呼び寄せて或る學校へ出してゐた。種々の事情でその娘をば生れ落ちると郷里の私の宅へ引き取つて育てゝゐたので姪とは云つても眞實の妹と同じであつた。幼い時から彼女もまた私を兄さんと呼んで來て居たのである。十二日出立ときめて私が印刷所から歸つて來た晩その姪が妻の前でめそ/\泣いてゐる。曾つて見ない事なので内心少からず驚きながら、どうしたのだと訊くと、妻がよく/\困つたという顔をして、

××さんが、どうしてもお國へ歸り度いんださうですが、どうしませうね。』

(177)と言ふ。

 生れてから一度も他家へ出た事のない彼女が二年近くも三四百里距てた束京へ來てゐたのはよく/\淋しい事であつたに相違ない。で、朝晩歸り度い/\で心は一杯になつてゐたらしい。ところが恰度この月の十三日が私の父の七周忌に當る。ほんたうならば私が歸國せねばならぬのだが歸れば種々混雜した事の起るのが解つてゐるので、歸る/\と言つて置いて、ツイその間際になつて歸られないと言つて置いたのであつた。その手紙を書きながら恰度そこへ來てゐた姪に戯談ながらに、

『どうだ、俺の代りにお前が歸つて來るか。』

と言つた。

『えッ!』

 と言つて私を見上げた彼女の瞳は寧ろ氣味の惡いほど輝いてゐた。思ひがけない事だつたので私の方でも驚いて、失敗《しま》つたと思ひながらいゝ加減にその場をば誤間化して置いたのであつたが、その時から彼女の歸り度さは一層具體化されたものとなつたのである。そして折にふれては恐る/\私に許しを乞うた。馬鹿、いま歸つてどうする、と叱りつけて耳にも入れない風を裝ひながら内心可哀相に思つてゐたのであつた。彼女は今度は叔母に縋つた。然し叔母にはその郷里(172)の複雜した事情、いま歸つてはなか/\出て來られないこと、從つて今少しで成就するいまの勉強が無駄になること、等のことがよく解らないので、歸していゝものか惡いものか、姪とその叔父との間に挾つてたゞ途方に暮れてゐるのみであつた。その夜もまた泣きつかれて如何していゝかわからずにゐるところであつたのである。そして、若し出來ることだつたら歸してあげて下さい、あんまり可哀相だから、と言ひながら姪と一緒になつて泣き顔をしてゐるところであつた。私もつく/”\可哀相になつた。

『それでは!』

 と思ひ切つて言ひながら、どんな故障があつても必ずまた出て來るといふことを誓はせた上歸ることを許してやつた。彼女は實際飛び立つばかりに歡んだ。そして早速行李を引き出して用意を始めた。事實、歸るとすれば恰度その翌日出立せねば七周忌には間に合はぬのである。同じ歸すならばそれに間に合せて、そして叔父の代理で歸つて來たと言はせ度かつた。

 サテ、早速必要なのはその旅費である。これが近いところならば何でもないのであるが、汽車から汽船、それから馬車、人力車、徒歩といふ順序に手をかけてどうでもまる四日間を費さねば歸りつけない私の郷里ではその旅費もなか/\少くないのである。それに久しぶりに歸るものに、親族どもの手前、何も持たずには歸されない。歸れとは言つたものゝそれを思ふと私は暗然と(173)した。一緒になつて喜んでゐた妻もそれを察して、やがて黙り込んでしまつた。が、要するに私は思ひ切るよりほかは無かつた。そして自分の旅費として取つて置いた財布を持ち出して來て妻に渡した。

『少し足りないかも知れないが、買物をば大抵にして、女の事だから旅費方に出來るだけ多く殘して置くがいゝ。どうしても足りなかつたら、あとはお前の方で、どうとか都合して見て呉れ。』

 翌日の夜、喜び勇んだ姪は、然しながら生れてから今日まで常に貧乏といふものばかり見て來てゐる彼女は、私共の胸中をも充分に察する事が出來るので、濟まない/\と泣きながら八時の夜行で東京驛を立つて行つた。それは十一月八日の事である。

 十一月九日、折よく訪ねて來た友を幸ひに、朝から私は酒を取り寄せたり、饒舌《しやべ》り込んだりして有耶無耶に暮した。折角思ひ立つたことだから、何とか旅費を拵へて出かけたがいゝだらう、と妻は氣の毒さうに勸める。うん、うんと空返事をしながら、がつかりしはてた自分もそれに釣られてまたあれかこれかと金策を考へ出した。

 

 十一月十日、幾ら馴れた事でも金策といふものは決していゝ氣持のものでない。午前中に出か(180)ける筈であつたのが午後に延びた。出來れば幸ひ出來なければそれまでといふ氣で不承々々に出かける。出版業××社を目的に行つたのだが、日曜で誰も來てゐなかつた。却つて幸ひの樣な氣もして其處を出る。夙うから其處の重役某氏を或る友人から紹介せられてゐたので、いつそその私宅を訪ふ方がいい樣に思ひながら。

 その見で××新聞社に友人△△君を訪うた。彼はこれから自分の出かけようといふ(果してさう行くかどうかとは思ひながら)上州の生れである。その細君もまたさうである。そしてその細君の弟は私の歌の結社の社友で、若し出かけるとすれば是非その家を訪ふつもりでゐたので何かの傳言もありはせぬかとおもひ、またその邊一帶の地理をも聞かうと思つてゞあつた。『やア!』と言つて應接室へ出て來た彼は平常より冴えない顔をしてゐる。『どうしたのだ』と訊くと、例の風邪にやられて社に出て來たのも二週間目に今日が初めてだといふ。では、忙しいだらう、と言ひながらツイ長いこと話し込んでしまつた。上州も廣いと見えて、彼は利根の水源地方のことをば餘り知らなかつた。その代りその郷里である吾妻川(これも末は利根に落ちるのであるが)の沿岸に就いては詳しい。行つたついでに是非そちらをも巡れといふ。無論そのつもりだつた、と興に乘じ今までは思つてもゐなかつたことまで口走つて、更に其處の山や温泉のことについて額をつき合せて語り合つた。それが濟むと彼のいま着手してゐるといふ長篇ものゝ創作の事や、(181)または私自身の書かうとしてゐる事などまで話が延びて電燈が點いたので驚いて立ち上つた。

『では行つて來たまへ!』

 と玄關で彼に言はれて、はつと思ひながら、

『オイ、果して僕は明後日立てるのかネ?』

 と言ひ出して、大笑ひをしながら別れた。彼と知つて十五年、彼に逢ふごとに私の心は常に淨められ温められる。會つてその違例を見たことがない。けふもお蔭で非常に氣持がさつぱりした。それで歸りの電車を駿河臺下で降りて其處らで旅行用の小さな買物をした、齒みがき、石鹸、ナイフ、手拭、一二種の藥などを。

 

 十一月十一日、雜誌の校正の出る日である。私は午前の三時に起きた。そして急ぎの手紙、一二枚の短册などを書いて置いて妻を起し、朝飯をいつもより一時間も早く喰べて家を出た。

 朗らかな日和である。近くの牧場で鳴く牛の聲も、附近の樹木も、天の雲も、行きあふ男女も、みないき/\とした輝きを持つて居る。これから屹度この天氣が續く、と斯う思ひながら力強い足どりで電車へ急いだ。

 赤坂見附で降りた。ある宮樣の裏門を行き過ぎると直ぐ木深い屋敷町になつてゐて割に解り易(182)い所に私の訪ねる家はあつた。案内を請ふと家族らしい婦人が出て、いま主人は湯に行つて居るがお待ちになりますかといふ。親切な態度に心を惹かれて、では待たせて頂きますと言ひながら遠慮なく下駄をぬいだ。應接室は二階にあつた。何式といふのだか、かなり屈折多く造られた洋室で、明るい室であつた。椅子に腰を下して、何を考へるともなくぼんやりとしてゐた。見れば其處には額がかゝつてゐる。大きな寫眞の原色版で、日本らしく思はれない、大きく連つた山岳が寫されてゐる。積り積つた雪は、日光を受けて微かな青みを帶びながら光り沈んでゐる。空は寧ろ暗いほどの藍色でその峰を掩ひ、其處には片雲の影だに浮べない。蒼茫たり遠山のほとり、豁達《かつたつ》として胡天開く、といふ古い詩などが自らにして唇に浮ぶ頃は、私は實にはつきりとしてまだ見たことのない上州越後境の連山の景色を心のうちに思ひ浮べてゐた。幾つかの角を成し突き出てゐる窓からは靜かな初冬の日光がカーテン越しに室内に射してゐる。ほんとに何といふ靜かな色であらう。床にも、机にも、机の上の煙草にも、その光の及ぶところすべて一糸亂れぬ靜寂が流れてゐる。私はいつか他人の室内で他を待つてゐるやうな氣持を忘れて、唯だ徒らにぼんやりとしてゐた。

 が、それも永くは續かなかつた。扉の開く音がして其處にちやんと背廣を着た五十年輩の一紳士が入つて來ると共に、私の幻影境は忽ちにして掻き消された。僅かに立ち上がつて首を下げたき(183)り、碌々初對面の挨拶もせず私は非常に惶てゝ(何のためにあゝ惶てたか自分にもわからない)持つて來た風呂敷包を開いた。そして四五册の雜誌を其處へ取り出し、その中の一册を取つてとある頁を開きながら、今までに私の書いた斯うしたものを集めて一册とし、これを貴下の牡から出版して貰ひたいが、といふ事を口早やに頼んだ。彼は不思議さうに私を見、その雜誌を一寸手に取つたが、やがて徐ろにそれを下に置いて言つた。私の方の社では一度雜誌に出たものをよせ集めたものなどは出版しないことにしてあるのですが、と。オヤ/\と私は思つた。が、直ぐ、イヤ到底それだけでは足りもせぬからどうせこれから新たに筆を執らなくてはならぬ、唯だ今日はその見本のやうにしてこれらを持つて來たのですと言つた。彼は更に徐ろに答へた。これからお書きになるといふより、お書きになつたものをお持ちになつて斯う斯うだがと御相談なさつては如何です、と。

 私は忽ち行き詰つた。なるほど、と答へたきり、もう事の成否の問題よりも一刻も早くこの室を出たい氣が先立つた。どうして斯う輕率に斯んな所へ出かけて來たのだらう、と思ふと冷たい汗は容赦なく身體に浸んで來た。そして手早くいま出した雜誌を包みにかゝると、彼は今一度それを手に取つて何處を見るともなくばら/\と頁を繰りながら、〇〇君とはどうして御存じです、と初めて私を紹介してよこした友人の事に就いて問ひかけた。忘れて居た、私はまだ同君に(184)就いて何にも言つてゐなかつた。それを先にしておいて、自分の用談を持ち出すべきであつたと思ひついたが、既に遲かつた。極めて間の拔けた調子で友人の事を少し語り合ふと、話はまた途切れた。今度は彼の方で椅子を立つて、では兎に角これをお預りしておいて私の方には出版ならば出版だけの主任といふ者が居るので一應その方にお話だけを傳へて置きませう、といふことで會見は終つた。

 此處の話がさう旨く纒らうとは初めから思つてゐなかつた。が、斯うまで飽氣《あつけ》なく終らうとも思はなかつた。何といふ自分のヘマさだらうと自ら顔をほてらせながら、また電車に乘つた。そして神樂坂下で降りた。同じく出版業□□社を訪ふためである。其處には同じ樣な用事で既に幾度も來てゐるので、足が重いとは云ひながら行きやすかつた。案内せられて二階の應接間に通ると、其處の窓にも亦た靜かな日の光が射してゐた。今度は自身で椅子をその側に移して主人を待つた。

 其處の用談は意外な位ゐに都合よく進んだ。僅か二三句談話を交したまゝで、私は思つてゐただけの金を受取る事が出來た。而かも斯うした事が此處では一二度も重なつてゐるので、心からの感謝と恐縮とを感ぜずにはゐられなかつた。さア、これでいつでも出かけられる、といふ勇氣を溢るゝばかりに身に抱いて足早やに其處を出た。そしてその歡びを今少し落着かせ、緊張させ(185)るために、私はとりあへず或る酒場に入つて酒を命じた。その足で直ぐ本所の印刷所へ行くと珍しく校正が揃つて出て居る。加勢に來てゐて呉れた友人と共に夜七時まで間斷なく赤インキの筆を動かしながら、勞れ果てて其處を出ると身を切るやうな風が吹いて、空には今しも落ちかゝつた片割月がかすかに光り、見渡す限り實に滿天の星である。

 

 十一月十二日 快晴

 なるたけ早く出ようと思つたが、矢張り留守中のあれこれを指定したりなどしてゐるうちに思ひの外に時間が經つた。上野驛發午前十一時五十分、車中いつぱいのこみ樣である。身のめぐりのごたごたが漸く一先づ落ちついたと思ふ頃赤羽を過ぎて汽車は平野の中に出た。見れば西北の空にかけ、濃い墨色を描いて秩父一帶の山が見ゆる。難有いことに、けふも拜み度いやうな晴天である。

 鴻の巣驛あたり、畑は次第に少くなつて打ち續いた稻田となつた。濟んだ所もあるが、いま頻りと刈り急いでゐるらしい。稻が一帶に私の國あたりのより丈が短いやうである。半分もない位ゐに思ふ。先から先へと續いてゐる人影がいづれもみな靜かに日の光のなかに動いて諸所に立つてゐる馬も眠つてゞもゐる樣である。汽車の進むにつれて車窓の左右とも次第に山が近づいて來(186)た。いづれの嶺にもまだらの眞新しい雪を置いて居る。ことに右方はるかに孤立して望まれるは筑波らしい。日光の蔭となつて唯だぽつとりと黒く見えて居る。熊谷を過ぐると、林が直ちに汽車を包んだ。多くは松で、その下草の薄が日を孕んでほの白く輝いてゐる。そしてそれらに混つた雜木の黄葉《もみぢ》がまた目覺むるばかりに美しい。新町を過ぎ、烏川を渡ると見覺えのある大きな山が左手に程近く見えて來た。淺間山である。殆んど全山眞白に雪に包まれて、嶺ばかりうす黝《ぐろ》い雲に閉されて居る。そのために彼の可懷しい煙は見ることが出來なかつた。右手には赤城、其處も斑らに白くなつて居る。その雲に僅かに現れて居る群山には雪が鏡のやうに輝いて居る。傍の人に問へば越後境の清水越であるといふ。地圖を開いてみると正しく其方角に當つて居る。

 日は暖かに私の凭《よ》つた窓に射して、そゞろに昨日の應接室の窓を想ひ出させる。兎に角に自分はいま旅に出て居る。何處へでもいゝ、兎に角に行け。眼を開くな、眼を瞑《と》ぢよ。而して思ふ存分靜かに/\その心を遊ばせよ。斯う思ひ續けてゐると、汽車は誠に心地よくわが身體を搖つて、眠れ、眠れ、といふがごとく靜かに靜かに走つて行く!

 程なく高崎驛着、其處で下車した。

 惶てゝ出て來たものゝ、また何處をどう通つて何處まで行かうといふちやんとした豫定が出來てゐなかつた。汽車から降りると取りあへず其處の待合室へ入つて行つて、腰を下しながら如何(187)したものかと地圖を相手に考へ始めた。老神|追貝《おつかひ》の方を先にして湯原《ゆばら》湯檜曾へ廻るか、それともそちらを先にして老神を後にするか。いづれにせよ沼田へは如何して行くか、考へ餘つて驛前の茶店に寄つて柿をむきながらそれとなく問ひ始めた。それなら速くその電車に乘らなくては駄目だ、それに遲れてはとてもけふの間に合はぬと其處の主人に叱り飛ばさるゝ如くにして大いに驚きながらまた洋傘《かうもり》を掴んで飛び出した。主人も追つて出て大聲に電車を呼ぶ。そして辛うじてその電車に飛び乘る。

 一體この電車は何處まで行くのだと車掌に問ふと、伊香保まで、と言ふ。伊香保、と聞いて何といふ事なく私はまた驚いた。伊香保といふのがこの方面に在ることは知つてゐたが、いまこの電車が其處まで行くのだとは知らなかつた。では沼田へはどうして行く、と訊くと澁川で他の電車へ乘り換へるのだといふ。今日中に行けるかと訊けば、さア、行けないことも無いだらうといふ。ではまたどうせ其處で惶てなくてはなるまい、惶てる事は東京だけで澤山だ、旅に出た時のみは精々ぼんやりしてゐたいといふ平常の持論から、今日中に沼田へ行くといふ事をば未練なく思ひ止つた。サテ、澁川で泊るかどうするか。

 澁川といふのも耳に馴れた地名である。前に云つた××新聞牡の△△君夫婦によつて幾度か繰返し/\聞かされた所である。羨しい彼等が戀は多分其處を中心にして醸《かも》し出されたのであつた(188)と思ふ。其處に端なく一夜を明すといふのも決して惡い氣持ではない。が、伊香保も惡くない。いゝ機會であるから少し位ゐの廻り路ならば其處へ寄つて一寸でも四邊を見て來ようかとも思はれる。斯くして永い間車掌に待たせて置いた切符を終に伊香保行きに切つて貰ふ。心が漸く落ちついた。

 極めて裾野の美しい山が傾きかけた日を受けて車窓の右に見える。疑ひもない赤城山である。實になだらかな、整然たる線を引いて穩かにまた嚴めしく平野の面に流れ出て居るのである。そして山嶺は三つか四つに分れ、半面のみ、雲が斜陽を受けて眩しくきらめいてゐる。行く/\その山の麓に青い流と白い磧とが隱見する。これも疑ひなく彼の利根川であらねばならぬ。車窓の左、これは全く夕日の蔭になつて唯だ黒くのみ眼に浮ぶ寧ろ奇怪な二三の連峰が見ゆる。さうであらうと思ひながら傍人に問ふと果してそれは榛名であつた。電車はその峰の麓を廻り廻つて伊香保へ登るのだといふ。そゞろに今宵これからの行途が樂しまれた。

 舊知の思ひのする澁川町にはもう電燈が點つてゐた。車ながら見て過ぐればやゝ斜に傾いた高原の中に土着した古い市場であつた。町を過ぐれば蕭條たる桑畑である。闇が冷かにその原の隅に這うて、餘程もう電車は高いところを走つてゐるらしい。程なく林に入る。夕闇ながら雜木の黄葉が目にほのめく、空山落漠といふ光景をのみ想像して來たのに、まだこれでは話に聞く「伊(189)伊香保の紅葉」も大丈夫だと思ふ。餘程の傾斜と見え、ごう/\といふ音のみ徒らに烈しく電車は一向に走らない。黒くのみ見えてゐた榛名山がいつの間にか深い美しい紫紺の色を湛へて直ぐ眼上に浮き出して仰がるゝ樣になつた。車窓の右に見え、時に左に現はれる。急に山が開けて四邊が明くなつたと思つて眼を放つと、遙かの空に赤城の山が今は只黒々として見えて居る。

 或る所では我等が電車は永い間運轉を停めて山から降りて來る電車を待つた。四邊は深い杉林で、進行の停つたと同時に烈しく身に感ぜらるるは「夜」である、さうして寒さである。見れば運轉手たちは林から杉の枯枝を集めて來て線路の中に火を焚いてゐる。その眞赤い焔に心を惹かれて私も扉をあけて降りて行つた。地上に降り立つて初めて氣がついた、月夜である。自分の影が黒々と其處に映つて居る。仰げば八日か九日の小さな月が丁度眞上に、峰のかたへに懸つて居る。そゝり立つた峰の肌に寒々と流れ落ちたその光の何といふ冷たい色ぞ!

 停車場を出た時、私はまつたく疲れ切つてぼんやりしてゐた。月の光を浴びながらとぼ/\と登つてゆく坂路はまた隨分嶮しかつた。漸く人家の竝んだ所へ出ると、軒下の溝の其處此處から白い湯氣が立ち昇つてゐた。やれ/\と思ひながら、電車の中で聞いて來た千明《ちぎら》といふへ落ちつく。初め通された室は六疊ほどの極めてお疎末な所であつたが、足を投げ出してほつかりしてゐるところへ、こちらが空きましたからと云つて連れて行かれた室は隨分と大きい控室附きの所で(190)あつた。浴室へ案内せられて入つてゆくと、どう/\と音を立てゝ瀧が落ちてゐる。ぬるからずあつからず、而して臭からず、濁つては居るが流石天下の名湯であると感心しながら肩を打たす。

 

 十一月十三日 快晴

 ぐつすりと夢も見ずに熟睡して自宅のつもりで眼を覺ますと、自宅ではない。時計を見ると五時である。五時に眼を覺すのは此頃の習慣となつてゐるのだが、旅に出ても變らないのに微笑まれた。床のまゝで繪葉書など書きながら戸をあけるのを待つ。なか/\にあけないので待ちかねて起き上る。手拭をさげて降りてゆくとまだ家中眠つてゐるらしい。廣い湯槽《ゆぶね》にたゞ一人飽くばかり浸つてやがて二階に歸る。

 廊下に出て見ると昨夜は氣がつかなかつたが、思つたよりも更に此處の位置は高く、眺望はそれに從つて廣大なものである。いま漸く四方の白みそめたところで、霧とも雲ともつかぬものが眼下の廣い窪地の底から徐ろに棚引きながら昇りそめてゐる。方角は解らないが兎に角眼前の三方を圍んだ遠い山脈の嶺にはあまねく雪が置き渡して空は蒼暗く晴れてゐる。寒さはしみ/”\手足にしみて、庭さきの楓は朱を零《こぼ》した如くに染つてゐる。庭にもいつぱいに散り敷いて、その上(191)に霜が深々とおりてゐる。久しく立つてゐられぬほど寒い。また床の中に潜る。

 やがて諸所で物音が聞え出して漸く雨戸が開かれた。跳ね如きて見てまた眼を見張つた。正面の山脈の眞白な嶺から嶺にかけていま茜色の日光がさしそめたところである。一つから一つと見てゐるうちに次ぎ/\と染つてゆく。嶺のみは斯くて明るく輝き、一帶の低地にはまだ夜の影が漂うて名殘とも見ゆる淋しい雲が其處此處に雪のごとく凝つて居る。が、それも暫し、やがて光は飛矢のやうに其處から其處へと飛び/”\に射して來る。窪地全體、漸くその光を湛ふるやうになつて氣がついたが、其處は驚くべき廣大な黄葉《もみぢ》の原であるのであつた。まことに思びもかけぬ紅ゐである。多くは雑木の原らしいが、雑木とは思はれぬほど色が深い。その頃になると最初目立つて輝いた遠山の諸峰はいま一種の燻銀《いぶしぎん》の色に變つて、あまねく照り渡つた光の蔭に沈みながら靜かに竝んでゐる。

 八時十分發といふ二番の電車に辛うじて馳けつける。あまりの景色のよさに障子をあけ放つて寒さに慄へながら飯の前に一杯飲み初めた酒のために遲れたのであつた。小走りながら見て過ぐると町はづれの林なども見ごとな黄葉であつた。電車に乘込むと車内には五人ばかりの先客があつた。其處へ其處の驛長とも見ゆる男が顔を出して、どうでせう皆さん、朝の一番をもうそろそろよして貰ひ度いやうに皆が言つてゐますが、といふ。朝の一番か、何時だつたネ、と一人が言(192)へば六時三十分サ、と一人が答へた。六時三十分、それは早い、それならもうよしてもいゝだらう、どうですネ、と初めの一人が他の四人に謀る。もういゝだらう、第一朝の早いのは宿屋一統の迷惑サ、ハヽと肥つた六十近い一人が大きな聲で身體を搖つて笑ふ。ではよしませうか、と驛長も笑ひながら語勢を強める。よすがいゝだらう、と四五人一緒になつて答へた。では早速さういふことにしませう、皆が喜びますよ、と驛長は帽子に手をかけて出て行つた。斯くて伊香保發一番午前六時三十分の電串は廢止せられた事になつたのである。のんきなものだと思ひながら改めて五人を見廻すとみな相當の服装をしてゐる。土地の有志家といふのであらう。親切な人たちで、私が十枚ばかりの繪葉書を出さうとして切手を賣る家のないのに困つてゐると、中の一人は自分の切手を讓つて呉れ、且つ通りがゝりの若者を呼びよせそれを郵便局に持つてゆく事を命じて呉れた。

 登りと違つて下りの電車は實に心地よく走つた。霜を帶びた林も畑も野原もみな朝日に濡れ輝き、近く仰ぐ榛名も、遠く見る赤城もひとしくこの爽かな秋晴の光の下にうち煙つて居る。澁川で沼田行に乘換ふべく待つてゐると、其處に異樣なる乘物が動いて來た。見たところは汽車に近いが煙を吐かない。名は電車だが、汽車の機關車風のものが眞先きにくつ着いてそれが三つばかりの車臺を引いて走るのである。而して人間の乘るその車臺はゐざり車の如く低くして直ちに線(193)路に附着してゐる。私はこれをモウニヤア車と命名した。モウニヤアとは友人▽▽が愛娘田母子ちやんが三歳の時の造語である。形怪しく恐畏すべきものを見るごとに彼女は直ちにこれをモウニヤアと呼んだ。語源については父も母も多くの小父さんたちも知るところがない。

 モウニヤア車は然し侮る可からざる速力を出して走り出した。うち續いた桑畑と三四の村落とを通り越すと、直ちに利根の流に沿ふやうになつた。そして私の心も漸く伊香保の朝酒の醉と、モウニヤア車の可笑味とを離れて白々と流れたその清流に注がれて來た。地圖によれば利根の本流は越後境の白澤嶽鶴ケ嶽笠科山等に源を發して沼田を過ぐる頃、同じく越後境の尾瀬峠、野州境の鬼恕沼山外毘沙門山等から流れ出して來た片品川と合して、いまこの邊を流れてゐるのである。兩岸なほ※〔さんずい+問の口が舌〕く、水量ゆたかに溢れて自分の謂ふ溪谷とは聊かまだ趣を異にしてゐる。而かも水の多い割には少しも濁つたところがなく清冽《せいれい》透徹して岩を噛んで居る。岩にもまた見るべきが多く、それを掩ふは即ち松と黄葉とである。此邊柿が多いと見え、到る所殆んど野生の如くに生《な》り枝垂れてゐる。車中、地方の一老人の言に聽き、片品川を後にして利根本流の方に先づ溯る事にきめる。

 沼田町もまた澁川と同じくこの地方の一主都として利根片品兩川に挾まれた高原の上に位置して居る。モウニヤアから降りると(土地の人は一般に軌道々々と云つて居る。何とか軌道會社云(194)々といふのだらう)小日向行の馬車は年後の二時でなくては出ぬといふ。その間約三時間、驛前の宿屋に晝飯の仕度を命じて置いて町内を散歩した。案外に賑かな町である。何處も同じで、それらしい狹い露路に入ると晝ながら爪弾の音などそこ此處に漏れて居る。行き逢ふ女のすさんだ顔も旅さきでは何んとなく身にしみて見ゆるものである。近郷から出て來たらしい荷駄馬などの群つてゐるも土地柄らしく四辻や町はづれで不圖頭を擧ぐると必ずその向うに積雪の山の聳えて見ゆるも旅らしい。山から山にかけての空は今日もまた微塵を留めない。

 やがで切符を貿つて馬車に乘る。恐るべき惡路である。うと/\とでも爲やうものなら忽ち首など打つ飛んでしまひさうな搖れかたである。首ばかりか、身體が既に危い。しつかと兩手に其處らを掴んで五體を固めてゐるのである。そら來たと思ふと同時に腰を浮かして腹に全力をこめる。それでないと忽ち滅茶々々につぶれてしまひさうだ。折々黄葉の間に溪の姿が見ゆるが、今はそれどころで無い。つく/”\これを待つ事をやめてぶら/”\と歩けばよかつたと思ふ。が、歩くにしても樂ではない。道路は半ば溝である。聞けば雪の來た後だといふ。

 雪の山は段々と近づいて來た。丁度馬車の正面に當る方角に見ゆる山の形にどうも見覺えのある氣がするので、不圖思ひついて馬車屋にあの邊の山は伊香保から見えはせぬかと訊けば、見えますとも、千明《ちぎら》さんの庭などからは眞正面だ、といふ。これあるかなと思ひながら、朝から輕て(195)來た今日一日の行程をたいへん遠いものゝ樣に思ふ。清水越は、と訊けば清水はあの山の向うで、けふお客さんの行く湯原は丁度あの山の下の所に當るといふ。身體の節々が次第に痛んで來た頃、日は暮れてゐた。やがて馬車の影がうすく黒く地に映る。月は見えないが、よく晴れてゐるらしい。氣がつけばそこらの路傍に雪が斑々として殘つてゐる。たうとうこれのある所まで入り込んで來たのだと思ふ。とある山蔭に人家が疎らに竝んで燈火の漏れる宿場があつた。爐の焚火が赤々として家ごとに燃えて居る。馬車は其處に停る。小日向といふ村であつた。馬車から降りて筋張つた脚を引きながらその小日向の筋向ひに音のみ激しい溪間の橋を渡れば湯原といふ温泉場がある。其處の藤屋といふへ寄る。

 湯は何處だ、と小娘に尋ぬるととある重き引戸をあけ、其處に一つ階子段がありそれを降りるともう一つある、それを降りればいゝのだと言ひすてゝ行つてしまふ。灯一つない眞の闇である。手さぐりに壁につかまりながら爪さぐりに廊下らしい所を行く。廊下と云つてもかなり烈しい傾斜である。やがて階子段、みし/\と降りてゆけばまだ一つある。それを降りつくして漸く闇に馴れた眼の前に成程濛々たる湯氣を上げた揚槽が見える。小さな豆らんぶが湯氣の一點をうす赤く染めてゐる。凍えはてた手に辛く着物をぬいで湯へ浸る。程よき温度、泣きたいやうな心地である。漸く心が落ちつくと、どう/\といふ響が四邊をこめてゐるのに氣がつく。溪の響で(196)ある。充分に温つて窓から窺いてみると下も下、ツイ眞下に夜目にも著しい湍がしら/”\として見えて居るのであつた。

 

 十一月十四日 雨

 戸を繰ると思ひもかけぬ雨である。蕭々として降つてゐる。尚ほ驚いたのは自分の窓の前の屋根に白々とした雪のあることであつた。眞下の溪を距てゝ向うの小山はまだらに小さな松を散らしたほか、一刷毛にはいた黄葉の山である。そしてその蔭に雪が流れてゐる。

 ほの/”\と明けてゆく靜かな湯槽に浸りながら、今日はゆつくり此處で休むことにきめた。明日、晴れたならばこの溪に沿うて、とぼとぼと歩いてゆく。(もつとも、もうこれから先は馬車も何もないさうだ。)湯槽で聞けば場檜曾の奥にも更に幾つかの温泉が溪に沿うて在るといふ。雪は深からうといふが、行けるだけは奥深くわけ入つて見よう。漸くこれから自分の思つた通りの旅になる、と何とも知れぬ感謝の念がしみ/”\と身體の奥から湧いて來る。幸ひに風邪にも罹らず、元氣もいゝ。難有い難有いと繰返して思ふ。

 時雨は終日やまない。雪は次第に解けそめた。向うの山襞は今は幾條かの白い筋となつて來た。それにしても何といふ美しい黄葉の色であらう。(十一月十四日湯原藤屋にて)

 

(197) みなかみへ

 

 十一月十四日 雨

 この湯原温泉は沼田から入り込んで利根上流の流域に於いて附近の山仕事に從事する者たちにとり唯一快樂場であるらしい。深い溪流に架した橋一つを境にして小日向村があるが、其處はこれからの山奥と川下との物貨の交換所の樣な地位にある宿場である。其處には前橋高崎沼田あたりの商人とこの附近更にこれから上流の住民たちとの接觸場であり、それと共に溪一つを距てたこの小さな温泉場は自然と彼等の飲酒場となつてゐるらしい。靜かな時雨のなかを傘をさして散歩すると二三十軒もない人家の中に御料理といふ風の事を書いた軒燈や腰障子が幾つも眼につく。極めて野趣のある料理屋で、大抵は草鞋ばきのまゝ足を踏み込み得る大圍爐裡が即ち座敷である樣である。折からの雨を幸ひに朝のうちから飲んでゐる連中が往來からよく見える。圍爐裡の焔と煙との中に直徑一尺近くもありさうな大鍋が自在鍵によつて吊し下され、往來まで流れ出てゐるその臭氣によつて確かにそれは豚鍋と察せられる。そして圍爐裡の周圍に足を踏み込みな(198)がら並んだ大男どもの間には、矢張り銀杏返しに結つた若い女が挾つてゐる。あやしき風俗の客たちは聞きとることも出來ないだみ聲で呶鳴り合ひながら、もう大分いい機嫌になつて飲んでゐる。私も元來斯ういふ場所は好きである。が、流石に一人では入つて行く勇氣がない。行くさきさき、三四軒もさうした宴樂の席を横目に眺めて通りすぎながら心ひそかに東京なる惡友某々等を思ふの情に堪へなかつた。

 今朝の雨で路の中央は全く解けたが、軒下などにはまだ雪が殘つてゐる。宿場を出外れて見ると溪向うの山も大方は斑らに解けて、黄葉の色の一層鮮かなのが見えるが、やゝ少し溪奥の大きな山の方を見ると尚ほ白皚々たるものである。※〔黒+幼〕暗な雲の垂れてゐるのを見ると、そのあたりは現に雪が降つてゐるのかも知れない。渦卷きながら流れてゐる溪流には雨のために解けた雪解水で急に水量が増してゐる。そして其處らの川原に散り積つてゐたのを流し出して來たらしく、殆んど溪いつばいのやうに落葉が流れ下つてゐる。

 昨日までの旅日記を書きかけて見るが、何しろ寒い。まだ霜すら知らぬ所から急に斯うした奥へ入り込んで來たゝめ一層身體に浸みるらしい。殆んど入り續けの樣に湯に入つてゐる。無色無臭、温度高く、湧く温泉の量も豐かである。唯だ溪に臨んで崖の中腹に造られた浴室が極めて疎末なもので、壁も屋根も窓までも穴だらけのため、山から吹き下し、溪から吹き上ぐる雪の風が(199)刺す樣に入り込んで來る。汗を垂らしながらも流し場に出て横になつてゐるといふ樣な事は出來ない。他に客も無く、大方は私一人だけ、のび/\と五體を伸して浸りながらうと/\としてゐると、まるで船にでも乘つてゐる樣に眞下の溪の音が四邊を罩めて響いて居る。

 夕方湯槽で一緒になつた人から山の話を聞く。前橋の材木商とかで三十前後の骨格の逞しい善良らしい人である。今年の雪が早かつたため悉く惶てゝゐるのだといふ。此儘材木を山に積んで今年の冬を越すとすると早くて來年の三四月、置いてある場所が窪地ででもあらうものなら五月末までは動かす事が出來ない。その間の金利といふものが少なからぬ額に上るのださうだ。で、無理にも今のうちに山から出して置く必要がある。その足もとにつけ込んで山師(山仕と書くのかも知れない。山の勞働者である)共がなか/\動かない。この村に居る某々といふなどは一日の賃錢がいま七兩八兩に上つてゐるのださうだ。そんなに高い金を出しても山を急がねばならぬといふのはよく/\の事ですよと笑ひながら、

『然しまた面白い事もあります、奴等は根が馬鹿ですからネ、こちらの使ひ樣ひとつでどんなにでも働きますよ、今日も七八人連れて山に行くとばら/\雨が降つて來た、それをいゝ事に早速休まうとするのです、で、こつそりその中の一人を呼んで宿場から酒樽を擔ぎ上げさせた所、奴等は飲んだ勢ひで雨も何も忘れて平常よりも餘つ程働きましたよ、可哀相にもなつて夕方早く切(200)り上げましたがネ、苦しい中に面白味もありますよ。』

 といふ。それら材木の上にはもう六七寸も雪が積つてゐて甚だ危險なのださうだ。それを山の高い所から里まで下して、それから筏に組んで溪を流す。

『また斯ういふいゝ事もあります、いまこの溪で杉材を持つてゐるのは私だけなんです、ところが他の山毛欅だの朴だのといふ重量の強い材木を流さうとするにはそれを浮かすためにどうしても輕い杉材が必要なんです、で、筏師どもが私に泣きついてどうかその木を貸して呉れ、さうすれば前橋までは無賃でその山全部の木を流して行くといふんですがネ、まあそんな事で此處等で法外の賃錢を拂つたり馬鹿な酒代をねだられたりする埋合せがつくのですよ。』

 山の賣買、木材の容積の量りかた、それからの喧嘩、一日七八兩も取つてゐて年中前借から前借をせねば暮して行けぬ山師共の生活、さうした珍しい話に心を惹かれ夕飯をばこの人と一緒にする事にしたが、二三本飲んでゐるうちに彼は早やその前借連中に呼び出されて他へ出かけて行つた。私も誘はれたが、矢張り勇氣が無かつた。取り殘されて獨りさびしく盃をなめてゐたがいつかつぶれて眠る。やがて眼を覺して見ると恐しい風である。溪の響を吹き消して荒んでゐる。明日は然しこれで晴れるだらう。

(201)

  十一月一五日 半晴半雨

 凄じい凩は朝まで續いた。起きて見ると朝燒のした空に雪が飛んでゐる。雪よりも凄じいのは落葉だ。何處からどう吹き廻して來るのだか、時とすれば溪あひの空いちめんにそれらの木の葉が渦卷いてゐる。これで山といふ山は丸坊主になるのだらうと思つてゐると、やがて凪いだ後で見れば向うの山は矢張り昨日ながらの朱を流した黄葉の山である。雪がまた昨夜のうちに幾らか積つたらしい。

 まだ薄暗い廊下を降りて湯にゆく。驚いた事には一夜の中に湯槽が古池と變つてゐる。何處から吹き込んだか落葉が一面に浮いてゐるのだ。強い好奇心に動かされながら惶てゝ着物を脱いで飛び込んで更に驚いた。まるで水である。二間ほどさきの岩洞から引いた湯の樋に落葉が溜つて堰止めたのと荒れ破れた四方から吹き込む凩に吹き冷やされたためであるらしい。然し此儘ではもう着物を着るにも着られない。落し湯の栓を探してそれを拔いた上、其處に在つた洗濯盥を抱へて冷えた湯を汲み出しにかゝつた。半分以上も汲み出して置いて樋の落葉を掃除し、我慢をしながらそのぬるい中へ浸つてゐると漸くに温い湯が滿ちて來た。やれ/\と顔を洗はうとすると其處に置いた筈の歯磨も楊子も皆失くなつてゐる。周章《うろた》へて汲み出したので其時洗ひ流してしまつたらしい。滿々と滿ちた湯の面にはまだ頻りに木の葉が飛んで來る。附近にその木があると見(202)え大抵は栗の葉である。枝から離れて直ぐらしく、眞新しい黄いなその面からは鮮かな匂ひなど嗅げさうな氣持である。

 止みさうで風はなか/\止まない。雪は見えないが日照雨が荒く斜に走つてゐる。起き上り早々湯の汲み出しで悉く身體は疲れたし、けふもう一日此處に休む事にする。そして終日湯に浸つた。栗の葉はあとから/\窓を越えて飛んで來た。

 

 十一月十六日 晴

 風はまだあるが、雨は止んだ。覺束ない空ながら思ひ切つて出かける。けふはこれから更に上流、この街道の行きとまりになつてゐる湯檜曾といふのまで行く豫定であるのだ。

 路は終えず溪に沿うた。殆んど荒い瀬ばかりで、何處を見てもたゞ白々と流れてゐる。岸の疎らな木立は悉く皆葉を落して、根もとには斑らに雪が積つてゐる。山は遠くなるだけ眞白で、その山腹に雪を浴びて煙の樣に見えて居る落葉林の遠景は見れば見るほど蕭條たる心を誘ふ。路で一緒になつた一人の老婆が『旦那は炭の買出しに來たのだらう』といふ。まアそんなものだネ、と返事をすると。この附近でも炭の値の張つてゐる事から、しまひには米や味噌の高價な事をも訴へる。米が惡いので兩に一升九合、良いのなら一升三合位ゐだらうといふ。それだと東京より(203)高いわけである。しかもその質の劣惡な事は宿屋でたべてみて自分もよく知つてゐる。

 山から吹き下す向ひ風はたび/\私をして足を踏み留めしめた。林の下草に茂つてゐる熊笹の蔭から吹きあぐる雪片は寒いといふより私には先づ緊張した感を懷かせた。そして全身に汗を覺えながら急ぐともなく急いだ。行く/\歌が幾首か出來る。

 一時間も歩いた頃、どうしたものか、空が急に晴れて來た。それこそ嘘の樣に瞬く間に眞蒼に變つてしまつた。風もぴたりと凪いだ。そして身ぶるひの出る樣な新鮮な明るい日光が一時に眼前に落ちて來た。驚きながらも私の心は躍り立つた。溪や、溪を挾む落葉林の山や、其山の間に折々見えて眞白に聳えた遠方の嶺や、それらの間に滿ち溢れて來たこの輝やかしい日光などはまつたく私を酒に醉つた者の如くにしてしまつた。何といふ事なくたゞ涙ぐましく、時には泣く樣な聲で獨り言を言ひながら歩いた。殊に段々細く嶮しくなつて行く溪の流は次第に私の心を清淨にし、孤獨にし、寂しいものにしてしまつた。その溪はやがて二つに分るゝことになつた。一は利根の本流(と云つても既《も》う小さな溪流に過ぎないが)として地圖に記され、向つて右手の山間にその白い水上を隱し、左手のは越後境の清水越から流れ出て來てゐるらしく、地圖にはその名すら書いてない。清水越はツイ頭の上に白く凍てついた大きな姿を聳やかしてゐる。私のけふ行かうとしてゐる湯檜曾はその無名溪に沿うてゐるのである。

(204) その二つの同じ樣な大きさの溪が落ち合ふ所からは早や湯檜曾は遙かに見えてゐた。やがて一つの橋を渡つてその宿場へ入る。これはまた寂しい宿場である。溪に沿うて戸數十四五ばかり、一人二人の子供が路傍に遊んでゐるのみで四邊に人の影すら見えぬ。温泉もあると聞いてゐたし、斯うまでとは思はなかつたので異樣な感にうたれながらおど/\と歩いてゆくと、障子に御宿と書いた一軒の大きなお寺ででもありさうな藁屋を見出した。私は躊躇なく其處へ入つて行つた。出て來たのは三十近くの割に上品な婦人であつたが、私の宿を求めたのをば直ぐ斷つて、今は宿屋をば廢めて居る、この二三軒先に福田屋といふがあるから其處へ行けといふ。止むなく其處を出ると成程福田屋といふがある。木賃宿と認めた障子をあけて案内を乞うたが、容易に返事がない。段々大きな聲を出してゐると十七八の雪袴をはいた娘が裏の庭から出て來た。宿を頼むと顔を眞赤にしながら何やら口の中で言つて、兎に角に斷つた。そして當惑し切つて立つてゐる私を見て、郵便局に行つたら泊めて呉れるだらうといふ。

『郵便局?』

 と訊き返しながら、いま見て過ぎて來た郵便局へ引き返した。ガラス戸などはめたハイカラな二階屋であるが、其處にも人はゐなかつた。やがてこれも土地柄に似ぬ中老人が出て來て、夏ならば多少客をも泊める用意がしてあるが、今は到底駄目だ、それより福田屋ヘ行つたらいゝだら(205)うといふ。斯う/\だと答へると、それなら俺が一緒に行つて話をしてあげやせうと言ひながら一緒にまた福田屋へ後戻つた。そして老人と娘との間に話が交されて、漸く私は下駄を脱ぐ事が出來た。

 其處も二階建で、見廻せば名殘なく煤で染つてゐる。内湯があるといふので、何は兎もあれそれへ急いで行つて見て驚いた。湯殿にはまるで窓も壁も無いと云つていゝ位ゐのものである。温泉は割合に熱かつた。寒さと好奇心に促されて思ひ切つてその湯へ浸る。湯槽の縁に頭をもたすと、紙片一つない荒目の櫺子窓から左右双方の眞白な雪の連山が仰がるる。そしてこの一部落は阿部貞任の一族が隱れ棲んだ後だといふ兼ねて聞いた話などを思ひ出すともなく思ひ出しながら、手足一つ動かさず、唯だ專念に身體の温まるのを待つた。

 

(206) 利根より吾妻へ

 

 十一月十六日 晴

 漸く全身の温るのを待つて二階へ歸つた。その間に炬燵の用意が出來てゐた。何といふ事なく心細いおもひをしながらそれに入つて當つてゐると、今更らしく溪川の音が耳につく。二三枚だけ開けてある雨戸の間の黒く煤けた障子を開いてみると、河原の樣に石の出た街道を挾んで直ぐ激しい溪となつてゐる。溪からはまた烈しい風を吹きあげて、永くは障子もあけてゐられない。其處へ待ち兼ねた酒を持つて來た。嘸ひどいものだらうと唇に持つて行くと案外にさうでもない。もつとも、此方の唇が痺れてゐたのかも知れない。さかなはこちらの註文した罐詰(鯨であつた)のほかに大根おろしと小豆を鹽※〔者/火〕にしたのと椎茸の汁とであつた。小豆の鹽※〔者/火〕とは生れて初めて食ふものであつたが、時にとつて罐詰よりもうまかつた。先刻《さつき》から見てると家の中には初め逢つた小娘のみで、他には誰もゐないらしい。見たところ何處に田があるとも見えぬ溪間だが、矢張り何處かへ稻の刈入れに行つてゐるのであらう。雪袴を穿いたまゝの黙り切つた小娘(207)は、それでも宿屋の娘である、折々階下から上つて來ては炬燵の火の具合を心配したり、酒の燗の按排を氣にしたりして深切にして呉れた。

 温泉と炬燵と酒とのお蔭で漸く身體は温くなつて來た。然し、先刻からの心細さは少しも去らない。何といふ事なく炬燵の上に置いて眺めてゐる時計の針の進むと共にその心細さも加つて行く心地である。ちび/\と酒をなめながら、私は地圖をひらいて見た。今處で今夜泊るといふのは兼ねてからの豫定で、若し宿が靜かであつたら二三日も休んでゆく氣であつた。それで先刻もああして無理に宿を頼んだのであつた。が、斯うして落ち着いて見ると靜かどころか餘りに淋しい。天井も壁も襖も深い煤で、手足をさし入れてゐる炬燵の薄團は垢で光つてゐる。人聲ひとつせぬこの二階であの激しい溪を聞きながらどうして今夜を明かさう。さう思ふとランプの灯ひとつを見詰めてぼんやり坐つてゐる自分の姿が目に見えて來る樣だ。若しまた今夜のうちに大雪でも來て、あとへ引返す事が出來なくなつたらどうだらう。現に街道にはいつ降つたのか晝間ですらあんなに白く見えてゐた。ツイ眼の上の清水越にはあの通りの深さではないか、などと考へてゐるともう暫くもぢつとしてゐられない樣な心細さが身に浸みて來る。折角あゝして無理を言つて泊めて貰つて、晝飯を喰つたばかりで飛び出すのは初めこの宿を世話して呉れた郵便局の老人にも忙しい中に汁を煮たり飯をたいたりして呉れてゐる此家の娘にも濟まない、斯うした寂寥を(208)戀ひ求めてこそ出て來た今度の旅ではないか。など獨りで強ひて自分の臆病を矯め樣とするのだが、すればするだけ心は落着を失つて行くのだ。豫め量を言つて近所から取り寄せた三合の酒は醉ひもせぬ間になくなつてしまつた。愈々最後の一杯を飲み乾すと共に私は勇氣を出してこの宿場を立つことに決心した。立つとしても再び湯原へ引返すのは嫌だ、此處から僅か二三里らしいから谷川温泉まで越えて見よう、と地圖をたゝみながら愈々それに決め、急いで飯を掻き込んだ。そして柄になく餘分の茶代を置いたりして、娘に詫びを言ひ/\なつかしい其木賃宿を立ち出でた。何とも言へぬ淋しさと安心とが今更の樣に心に湧くのを感じながら、また、一生恐らくこの宿の事をば忘れえないだらうなどとひそかに思ひながら。

 午後三時、空は難有くなほ先刻のまゝに晴れてゐた。急ぐにつれて酒の醉も次第に現れて來た。見返れば清水越にはいつのまにか午後の光が宿つて積み渡した雪の上にほのかな薄紫が漂うて居る。それに連つたずつと奥、藤原郷の方の山々にはまともにいま日が射すと見え、嶺といふ嶺がみな白銀色に鏡く光つて見えてをる。一里あまりをばいま來た路を引返すのである。廣く且つ深いその溪間に照り淀んで居る日光はいよ/\濃くいよ/\淨く、ただ溪の響のみがその間に澄み切つて釀し出されてゐる。折々何やらの鳥が啼く。行き逢ふ人もない。自づとまた三四首の歌が出來て來る。

(209)   日輪はわがゆくかたの冬山の山あひにかかり光をぞ投ぐ

   日輪のひかりまぶしみ眼を伏せて行けども光るその山の端に

   澄みとほる冬の日ざしの光あまねくわれのころろも光れとぞ射す

   わが行くは山の峽なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路

 然し、路傍の枯草に寝ころんだり、溪に降りて淵に遊ぷ魚を眺めたり、手帳に歌を書きつけたりしてゐる間に、暮れ速い冬の日脚はいつとなく黄昏《たそがれ》近くなつて來た。そしてひとつの峠にかゝつた頃は其處等はもうとつぷりと暮れて、唯だ遠い高山の嶺にのみ儚い夕陽の影が殘つてゐた。坂は險しくはないが、なか/\に長かつた。漸く峠らしい所に着くと、思ひもかけぬ高い險しい山がその正面にそゝり立つて、嶺近く崩るゝ如くに雪が積つてをる。その大きな山に續いて同じく切りそいだ樣な岩山が押し連り、斑らではあるが雪が崩れてをる。山は全く落葉しつくして、此處等にはもう黄葉の影もない。炭を燒くらしい煙が細く山腹の夕闇に立つて居る。その麓に今まで沿うて來たとは異つた溪が流れて、その溪ばたに家は見えないが温泉場らしい湯氣の凍つた樣に立ち上つて居るのが見ゆる。いかにも寂しい眺めである。またしても湧いて來る心細さをこらへながら、その湯氣を目あてに寒い山を降りて行つた。

 宿はそれでも三階建の堂々たるものであつた。その三階の角で溪の瀬の上にかけ出しになつた