若山牧水全集第巻、雄鷄社、484頁、600円、1958.11.30

 

紀行・隨筆 

 

   目次

樹木とその葉………………………………… 3
草鞋の話旅の話…………………………… 7
島三題………………………………………23
木槿の花……………………………………54
夏を愛する言葉……………………………65
四辺の山より富士を仰ぐ記………………72
野蒜の花……………………………………84
若葉の頃と旅…………………………… 104
枯野の旅………………………………… 114
冷たさよわが身を包め………………… 120
夏の寂寥………………………………… 122
夏のよろこび…………………………… 128
釣………………………………………… 130
虻と蟻と蝉と…………………………… 134
空想と願望……………………………… 138
酒の讃と苦笑…………………………… 147
歌と宗教………………………………… 152
自己を感ずる時………………………… 155
なまけ者と雨…………………………… 156
貧乏首尾無し…………………………… 161
若葉の山に啼く鳥……………………… 168
秋風の音………………………………… 173
梅の花桜の花…………………………… 177
温泉宿の庭……………………………… 180
或る日の昼餐…………………………… 183
桃の実…………………………………… 189
春の二三日……………………………… 195
青年僧と叡山の老爺…………………… 206
東京の郊外を思ふ……………………… 218
駿河湾一帯の風光……………………… 223
故郷の正月……………………………… 235
伊豆西海岸の湯………………………… 239
海辺八月………………………………… 248
地震日記………………………………… 257
火山をめぐる温泉……………………… 282
自然の息自然の声……………………… 288
〔ここまで省略、青空文庫に同じものがあります。〕
補遺
裾野より…………………………………… 305
故郷より…………………………………… 310
閑乎忙乎…………………………………… 313
津軽の友に寄する手紙…………………… 324
鷹…………………………………………… 332
浦賀港……………………………………… 334
「白雪」の話……………………………… 338
旅から帰つて……………………………… 341
移り変り住む場所の話…………………… 347
お祖師様詣り……………………………… 354
暴風雨の夜………………………………… 365
或る歌の友に寄する手紙………………… 371
昨日今日…………………………………… 383
白雲山……………………………………… 392
羽後酒田港………………………………… 395
酒と小鳥…………………………………… 404
古駅………………………………………… 408
秋草の原…………………………………… 414
旅と絵葉書………………………………… 429
夏の言葉…………………………………… 436
雲の峰……………………………………… 444
廿三夜……………………………………… 447
上京記……………………………………… 450
姉への手紙………………………………… 460
秋草と蟲の音……………………………… 474

補遺

(305) 裾野より

  ――緑葉兄へ――

 

 みやこをば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の關……これよりは少々無風流な話だけれど、とにかく浴衣一枚で束京を逃げ出して來た男が、淺間颪の秋風に吹きまくられてゐる有樣をよろしく想像して呉れたまへ。甲州は非常に暑かつた。飯田蛇笏君の宅では葡萄のなかに身を埋めてゐた。彼處は富士の裾野の一端になつてゐるので丘が多い。ぶら/\丘から丘を歩いてゐると、流石に秋で、草花の匂ひ、山のすがた、いかにも自分の姿の輪郭が明かになつたのを感じた。それでもその歸りには木立の中の青い淵にとび込んで子供の樣な騷ぎをやつたものだ。甲府から汽車に乘つて甲信國境の山野を走る時は實に好かつた。天が晴れて、僕の好きな大きな山脈の峯が汽車の窓に斷えず姿を見せてゐる。韮崎の停車場で初めて落葉松の木立を見た。それから二三時間は全然山の間を走つて行くのだ。線路に沿うて秋草の深いのにも驚いた。市街の花屋で見れば何となく桔梗は嫌味らしく見えるけれど、青い草むらで風に吹かれゐるのを見れば哀れがふかい。吾木香も寂しい花だ。君も知つてゐるだらう、六七年前多摩川の岸に居て、戀ともつかぬも(306)のゝあはれに心を浸しながらこの花を摘んで歩いたいとけない自分の姿が忘れられぬ。すゝき、女郎花は云はずもがな、萩などはまるで稻田の稻の樣に茂つてゐた。山の峠にかゝつた頃|白雨《ゆふだち》がやつて來た。山を越して峠を振返ると雨の過ぎた中ぞらに大きな/\虹が懸つてゐた。姨捨あたりから筑摩の平原を見下した時も誠に好かつた。丁度日の落つる頃で、何河か平原の中に白く輝いてゐた。

 小諸驛に着いたのは夜の十時すぎ、岩崎君等に迎へられて今日までこの大きな古風の病院の二階の一隅に起臥して居る。小諸は淺間の裾野の中に散在する古驛の一つで煤けた町が傾斜を帶びて野末の方に小さく引着いてゐるのだ。島崎さんに「小諸なる古城のほとり……」と歌はれた古城址がツイ一二町の所にある。恐しい松の木立の深いところで、その裾を限つて千曲川が流れて居る。黄色な松の落葉を藉いて、崖下の流れを眺めてゐるといつか知ら眼は瞑つて全てをかけ離れた寂しい旅客の愁ひに心は沈んでゆく。こちらに來た當座は毎日の雨と曇で見ることの出來なかつた淺間の煙は昨今明かに空になびいてゐる。此家の二階の手術室からは正面に當る。僕の隣室の窓からは軟かな線を引いて の樣な裾野の輪郭が見渡される。野の中に飛び/\に村落が介在してゐて、夜に入れば薄赤い灯が點る。傾斜を限つた直線の向うには遠く無限に山脈がうねつてゐる。僕のきき覺えた山の名だけでも十に近い。例の日本アルプスの一帶であるのだ。中にも(307)乘鞍、白馬の諸山には白い線を引いてもう雪が降《お》りた。左樣《さう》だらう、小諸にゐてさへ袷に羽織に冬のシヤツで暑くない。病院の室の中には既に爐を開いた所さへある。やがて炬燵が懸るのだらう。藥室の前の庭には二三十本の林檎が實をつけて大分もう紅く熟れて來た。林檎の木に實のなつてゐるのを初めて見た南國生れの旅客には、朝夕の野分がいやに身に沁みる。初めて見たと云へば白樺の樹をも初めて見た。胡桃の樹も初めての樣な氣がする。落葉松は一昨年輕井澤で見たのであつた。白樺の幹の尊い姿は、樹木を切愛する身にとつて殆んど一種の神秘を覺えしむる。町から二里ちかく裾野を登つて淺間の麓に行くと林の中によく見受くる。風の吹いてゐる林の中であの純白な大きな幹に身を倚せて居ると、嬉しい悲しいを離れた涙が零《こぼ》れて來る。そして大きな胡桃の樹によぢ登つてまだうす青い實を落して、石を拾つてその實を叩いて喰べてゐる君の友を想見して呉れ給へ。

 ドクトル岩崎のおかげで、身體《からだ》は大方よくなつた。けれども今までの何や彼やの心の疲労が一時に出たものかして、すつかりぼんやりして了つた。だからまだ歌を詠む氣にならぬ。強ひて考へれば出來ぬこともあるまいが、それは東京にゐる時にする仕事で、こんな所ではどうしてもやりたくない。そのうらにはうんと出來るだらう、手帳から拾ひあつめたら一頁分くらゐはあるだらうからそれをお送りする。それで間に合せておいて呉れ給へ。一切の記憶と未来に對する觀念(308)の全てとから脱却して、本當に遊離した旅の心になり度いと朝夕に希望してゐるのだけれど、なかなか左樣はゆかぬ。却つて心が靜かになるだけ色々のことが思ひ出されて、苦しくて仕樣がない。いつそのこと此まゝ束京へ歸つてまたどさくさの中へまぎれ込まうかともよく思ふ。

   山のあなたのそら遠く、

   「さいはひ」住むと人のいふ。

   噫、われひとととめゆきて、

   涙さしぐみかへりきぬ。

   山のあなたになほ遠く、

   「さいはひ」住むと人のいふ。

 矢つ張り我等はお墓に入るまでこの歌の愛誦家であらねばならぬのかも知れない。

 時々昂奮して酒精分の要求を痛感して困る。甲州に居る時、少々飲みすごして來たものだから、友のお醫者さんから、うんと叱られて目下は謹愼中にある。然し幾度かこつそりをやつて口を拭つて居る。或る時などは少し度を過して、石ころばかりの坂路を轉げ/\して歸つて來たものと見えて、翌朝床の中で眼がさめて見たら手も足も傷だらけサ。これでもお醫者さんの目をごまかいたつもりでゐるのだから驚く。

(309) 折がわるくてまだ淺間にもよう登らぬ。近日中には屹度登れるだらう。追分から松井田あたりの古驛の秋草が素敵だ相だ。そこらをぶら/\して輕井澤に行つて、二三年前のたのしかつた夢のあとでも探してみよう。そして風邪でも引いて來れば世話なしだ。

 以上の有樣で、まだ君にすら手紙一本よう書かなかつた。これを原稿半分、私信半分のつもりで君へおくる。赦して呉れ給へ。今暫くは此處に居ることになるだらう。信州はいつまでゐても飽き相もない國だ。木曾川をも下りたし、越後へも出て黒いときく日本海も眺めたし、前途甚だ茫漠、まア翌《あした》はあしたの風次第ときめておきませう。今日もよく晴れた。これからまた獨りで上の落葉松の林にでも行つて來よう。方何里かに渡つたその林がそろ/\黄色くなりかけた靜けさといつたら無いよ。では、愈々左樣なら。(九月十八日)――明治四十三年――


(310) 故郷より

 

 芦の湖からの君の繪葉書、九日に拜見した。好い繪葉書だネ、箱根町といふのは斯んなところかと驚いた。山に圍まれた湖、湖の隅にちひさく置き忘れられた古驛、黒い樹の群、細くうねつた路、みな好い。見てゐると古い、萬葉あたりの歌でも讀んでゐるやうな氣持になつて來る。

 

 こちらに歸りついたのは豫定の通り先月の廿五日であつた。瀬戸の海を通る時だけ、なんとなく靜かな旅人の心地になつたきり、惶《あわたゞ》しい道中であつた。

 瀬戸をば幾度も通つたが、その度ごとに見る氣持が違つて來る樣だ。年齢や、境遇の加減からだらうと思ふ。あのなかの島のどれにか、ゆつくり一度遊んで見度いとしみじみさう思つた。島の、山かげの小さな灣に百軒ばかり、町の姿をしたところなどが甲板から二三ケ所眺められた。いつぞや讀んだことのある瀬戸内海の島の港の遊女屋のことを書いた小説が端なく頭に浮んで來た。汽船はさういふ風の港めいた所をすれ/\にして通つて行くのだ。波打際からこちらを見てゐる(311)島の男女の顔などをぢいつと見詰めてゐると、涙の落ちさうになることが屡々あつた。

 中國筋、四國筋、または島々の此等の甘酸いやうな港々をぼんやり巡つて歩いたら、さぞ目新しいことが多からうと思ふ。此處らの氣分を描いたものをばまだあまり見かけないぢアないか。洋畫ではちよい/\見たかと思ふ。青木繁氏が死ぎはにかいたとかいふのも備後の鞆港の寫生だつたとか聞いた。

 

 汽船が最後の港に入らうとして、汽笛を鳴らした時は「何だか電氣でもかけられたやうな厭やな氣持であつた。どうしても其處で降りて、何年ぶりかの苦しい故郷の地を踏まねばならぬのだ。夜なかの二時で、眞黒な山が袋のやうに港の海水を包んで、同じく漆のやうな黒い町が汽船のすぐ前にしいんとして居る。客引らしい提灯が棧橋の近所でちら/\して居る。ドドドドと碇が下りる。

 さぞ恨めしい眼つきをしてゐたことだらうと、その時甲板に立ち出でた自分の顔を想像する。

 

 父の病氣はさして急激なものではなかつた。けれど、とても舊《もと》の身體に復《かへ》ることは不可能らしい。若い時からの酒のたたりがいま出て來たわけだ。僕が歸つてから急に眼に見えてよくなつて、(312)いまでは口もきけるし、手足の自由も先づ利く。そして、いよ/\善い人になつて、まるで七つ八つの子供と同樣だ。幼い姪が連れて來た猫の兒を姪には渡さず老人自身が朝晩たまをとらせて歡んでゐる。――大正元年――

 

(313) 閑乎忙乎

 

 十月四日。

 夜が遲いので、どうも早く起きられない。今朝も眼がさめてみると、枕元のあけ放たれた窓さきから、隣家の屋根にかん/\照りつけてゐる日光が餘程時のたつてゐるのを知らせがほだ。私は朝眼のさめた後しばらくを斯うして窓をあけ放しておくのが好きで、それから床を離れるまでの何分間かの靜かな時間がまたなくなつかしい。今朝は烈しい嵐で、窓から見えるお寺の境内の木立の梢が浪のやうに騷ぎ立つてゐる。ごう/”\と鳴りはためいて通つてゆく野分の冷たさがしんみり胸に流れ込むやうだ。藍碧《らんぺき》の蒼穹には白い小さな雲が高々と散つてゐる。枕もとには新聞が置いてあつた。今朝からは國民新聞が一種増してゐる。私は初め國民が好きで、やがてしてあまりにそれが利巧に編輯されるので厭になり、このごろまた人に勸められて取る氣になつたのである。三四種の好きな新聞を耽讀する位ゐの餘裕は欲しいものだ。讀賣に出て來る自身選の短歌の拙いのが氣になる。もすこし嚴選しようといつも思ふのだが、それも程度の問題だ。

(314) 階下《した》におりてゆくと座敷に獨り寢かされてゐる旅人が私を見るなり切りに歡喜する。いつもと少々調子が違ふやうなので變に感じながら對手になつてゐると、喜志が勝手から手を拭きながら出て來て、昨日あたりから聲を出して笑ふことを覺えたんですといふ。なるほど、それで變だつたのだ。一日二日のうちに生長してゆく子供のちからには事毎に驚かされる。勝手に裸體になつて冷水摩擦をやる。酒であぶらぎつた五體に水では却つて氣味がわるい。毎朝願はくばお場に入りたいものだとまた贅澤を考へる。暫く再び子供の體手になる。このごろはどうやら父親の顔を見覺えて來たやうだ。顔も急に人間らしくなつて、昨日か誰やらの言つたやうに「みなかみ」に出てゐる祖父の顔にどこやら似通つて來たやうにも見える。早く約束の寫眞でもとつて郷里の祖母のもとに送つてやらうなどと思ひ立つ。祖母といへば、彼女の病氣はどうであらう。先刻新聞で関西地方大暴風雨の電報を見たときもすぐ風嫌ひの彼女のことを思ひ出したのであつたが、今朝はいやに郷里のことが氣にかゝる。とりあへず手紙でも出して見ようと思ふ。朝飯は割合にうまくたべた。季節のせゐもあらうが、漬物がばかにうまい。二階に上つて、雜誌の發送を三四部包み、用事の手紙をもう一度見直し、編輯や校正で久しく溜つてゐた通信教授詠草を一まとめにして袋に入れそれを提げて家を出た。自宅では不斷の來訪者のためにとても仕事が捗らぬので此頃郊外の某所に行つて仕事をすることにきめてゐるのだ。それどれで早や九時をよほど過ぎてゐ(315)る。

 風は實に烈しい。ウヰスキイのやうな、水晶のやうな日光がべたりと照りつけてゐるなかに際立つて青黒く竝んでゐるありとあらゆる一切の樹木が一切になだれを打つて搖れはためく。青い、うす黄いろい葉がばら/\と其處等で散亂してゐた。時々は向ふ風が袖に孕んで歩みを留めねばならないやうな場合もある。果物屋で買つた大きな柿を歩きながら頬張つてゐると、開いた口のなかゝら咽喉の近所まで烈しく吹き込んで來る風もある。好い氣持だ。それが郊外に入ると一層烈しい。刈り殘りの黍畑などに吹いてるさまは更に壯快極るものだ。柿をかぢりながらこの風に吹かれつゝ、十一月號編輯の手筈を考へて歩く。

 いつもの室に入つてとりあへず身を横にすると、たいへんに勞れてゐるのに氣がついた。仕事にかかる前に自選歌號を開いて讀む。作りあげたまゝでゆつくりと目を通すひまもまだ無かつたのである。昨日今日受取つた諸方面からのたよりのなかにはどれにもみな逐號の發展を祝賀する旨が認めてあつたが自身は内心それに承知できなかつた。ところが斯うして讀んでみると、いかにも各人の歌の進歩があり/\と目に見えて、何とも言へぬ嬉しさがこみあげて來る。彼の國の誰、彼の國の彼と、遠く離れて住んでゐる人たちのむき/\の生活さへ偲ばれて、いつか瞼まで熱くなつて來る。斯ういふ時には歌といふものゝ難有さをつく/”\と考へさせられる。一通り讀(316)み終つた雜誌を顔にあてゝ、仰臥したまゝ永い間いろ/\のことを考へた。一個の室内に、寧ろ一軒のうちに斯うしてたつた獨りでなど居ることの稀なこの頃の自分にとつては、單に斯うした境地だけでもなつかしいものであつた。風は尚ほやまずに吹いて、家を圍んだ疎林の樹木は斷えず凄いやうな音を立てゝゐる。心のみ熱して死んだやうに横になつてゐる間に時は次第に進んで、午砲がなつたのだらう、急に諸所で工場の汽笛が一齊に鳴るのをも聞いた。極く冷たかつた室内のほか/\しだしたのは日光がいつかやゝ西向きの窓に照りつけるやうになつたゝめである。うと/\と起き上つて庭に出た。風は冷たいが日光は温い。双肌ぬぎになつて大きな深呼吸をやる。すつかり揉まれ拔いた樹木の葉はみじめなほど凋れ返つて一種の青くさい匂ひが風の斷え間に漂つて來る。

 晝食をすまして仕事の添削にとりかゝる。今日は割合に上手な人たちの詠草が眼にふれた。時には何とも早や持て餘す程度のによく出會ふことがあるのだ。可なり苦しい事業だが、當分これによつて生活費を得て行かうと思ふので、先づ/\怠けずに働くことにする。それに僅かに一度二度短い言葉をかけたことによつてこちらで驚くほどめき/\と上手になつて く人たちを見てゐると、矢張り愉快な仕事の一つであると思はねばならなくなる。
夕食もまた辨當屋から辨當をとりよせてたべた。いつのまにか風もぴつたりと凪いで濡れたや(317)うに靜かな夕暮だ。落日後のひかりの匂ひ立つてゐる夕空には木の梢や學校や百姓家の屋根がしつとりと浮んで、思ひもよらなかつた小さな薄い色の月も出て居る。あまりに靜かなので仕事も既《も》う手につかず、出がけに岩淵君を誘つて自宅へ歸る。細君の机の上には一寸近所まで出て來る旨が原稿紙に認めてあつて、l家のうちには誰もゐない。冷たい室の隅に今日屆いた郵便物と書物とが積んであつた。郵便は多く投稿で見馴れた文字見馴れぬ字きたない字氣持の好い文字が次ぎ次ぎに眼にうつる。書物は實に嬉しい二册であつた。一は吉江孤雁氏の「水の上」一は三木露風君の「白き手の獵人」である。暫くも手を離すのが惜しいやうであちこちと見くらべて居る。他に雜誌もあつた。「モザイク」「假面」及び「生活と藝術」。

 兩人とも黙つて、書齋にもゆかず電燈の下でそれらのものに見入つてゐたが、ふと氣がつくとまるで喰ひ入るやうに秋の夜の冷たい靜寂が身にしみる。つく/”\淋しくなつて探すともなく勝手の方へ行つて洋燈に灯をつけると其處にお馴染の貧乏徳利が立つてゐる。恐る/\取りあげてみるとなかなか重い。難有さに雀躍《こをどり》して早速七輪に火をつける、湯をわかす、冷たい鍋のものを温める、大車輪だ。電燈の眞下に食卓を置き兩人してゆつくりと酌む。一人は雜誌見ながら、一人は鮮かな四六判の本を抱へ込みながら、幾程もなく、兩人ともほか/\と醉つてしまつた。其處へ東京堂から追加註文の葉書が來た。早速岩淵君に荷包みをして貰つて、細君の歸つたのと引(318)違へに郵便局に出しに行つた。辻町で別れて私一人伊達公邸附近を散歩して歸宅。二階に上り書物を讀みながらいつかしら睡る。一時ごろでもあつたらう。

 

 十月五日、曇。

 けふは無闇に黙つてゐたく、そしてぢつとしてゐられない日であつた。例のごとく仕事に行くつもりで早朝家を出てそのまゝ一日中歩き廻つてしまつた。池袋の或る工場附近の裏長屋では四十女が物さしで七つ八つの蒼い娘をぶちつけてゐた。大塚と板橋との間の路では十四五の小僧の自轉車が三十位ゐの職人にぶちつかり、職人はいきなり小僧の首をつまみ寄せて三つ四つ平手打に頭を殴つた。その職人の掌の大きさが一尺四方もあるやうにツイ側を通りかゝつた私には見えた。廢兵院附近の或る大きな牧場では四五十の牛がみな沼みたやうな泥の上に前脚を折り乳首をうづめて寢ころんでゐた。そして唯だ一疋小屋のなかに立つてゐる牛の股間からは赤い濡れたものが二三尺も垂れ下つてゐた。病氣してゐるのか、分娩でもしたあとかと思つた。私は寧ろ舌よりも頭で煙草を吸ふ傾きがある。平常は別にすひたいとも思はないものが、頭の具合では無闇にふか/\とやる。今日などはまるで齧りつくやうにして吸つて歩いたので、あとで咽喉がいら/\して來た。染井の附近の森のなかでは赤い厚いきれいな着物を着た四つ五つの女の兒が茂つた芝(319)のなかで泣いてゐるので、四邊を見ると、遙か奥の松の木の間で姉とも見える同じく美しい娘が二三人しきりに蜻蛉をとつてゐた。田端の畑のなかを流れてゐる溝に何かの死骸が懸つてゐた。初め猫とおもひ、少し大きいのと毛のあらいのとで犬と知つた。市街と丘と鐵道とに圍まれた僅かの平地の畑には實に雜多な野菜が作られて、黒や淺黄の着物を着た百姓たちが其處で腰を屈めて大きな蜘蛛のやうに働いてゐた。田端より上野に出でむとし、また引返して動坂《どうざか》より白山《はくさん》水道橋を經て神田の三崎町まで歩いた。そして其處のヴイナス倶樂部といふのへ入つて白樺社主催梅原良三郎といふ人の繪畫展覽會を見た。可なり永らくその冷たい室に居て、更に附近に友人を訪ね、そして須田町まで行つて一緒に夕食を喰つた。流石に疲れて、うと/\と電車に睡つて十時すぎ歸宅。一體今日は何里位ゐ歩いたらう。

 

 十月十二日、快晴。

 昨夜土曜にて和田山蘭君來泊。用があるとて朝早く歸らうとするのを引留め一緒に巣鴨の岩淵君を訪ふ。出來たら其處でする氣にて「創作」の選歌を一抱へかゝへながら。

 非常にいゝ天氣である。まつたくの秋晴で日光にも温度にも申分がない。案のごとくちよつと其處等を散歩しようといふ話になり三人連立つて歩き始めた。不良少年を集めた家庭學校、廢兵(320)院、孤兒を養つてゐる養育院分院、一二の宗教学校、狂人病院、それに監獄など、この邊には妙なものが多い。それらの間を歩きながら、それから出た人生問題社會問題など、大分話に實が入つて來て、ツイ池袋を通りすぎ鬼子母神に辿りついた。止せといふのに岩淵君は例の名物の尾花で出来た木兎《みみづく》を買ひこみ得意げにかついで歩く。此處まで來たら早稻田に原田實君を訪ねようといふので、また歩く。斯んな好い天氣にも係らず、同君はせつせと何か勉強してゐた。ひとに逢ふとともすればすぐ上つ調子になりがちな自分の惡癖もこの友に逢ふ時だけは全く起らない。今日もどさ/\と室内に入り込んで座につくと、いつ知らず靜かなおちついた氣分になつてしまつた。二時間ちかく話し込んでとう/\同君をも誘ひ出し、更に戸山が原の方に足を向けた。四五年前の五六年間といふもの、殆んで朝夕行き馴れてゐたこの原にも近頃久しくそむいてゐた。偶然斯うして通りかゝつて見ると、さながら舊友にでも出會つたやうな可懷《なつか》しい哀情がきざして來る。然し僅かの間に驚くほど其處等が變つてゐる。島村先生のお宅といふのをも初めて見た。わざ/\その門前を通つて見る。二階の戸の閉つてゐるので、いま大阪で藝術座開演中のことなど思ひ出した。大阪の秋もいゝだらうと思ふ。秋の京都の舊寺廻りもして見たい。其處此處としきりにまた旅情が動く。草原にねころんで足袋までぬいで誘惑に滿ちた日光に身をさらしながら、しきりにそれこれと心を惱ます。近くには絣の岩淵君、柔い縞物の原田君、紺の背廣の和田君、(321)みなてんでに草原にねてぽつねんと日に浸つてゐる。岸田劉生といふ人の畫から拔けて來たやうな中學生が大股ですつと向うの丘を通る。ツイ側に若い阿母《おかあ》さんが本を讀みながら小さい男の子を遊ばしてゐる。男の子が持つてゐた凧の糸が離れて小さな凧がふわ/\と向ふへ落ちてゆく、本を伏せた阿母さんがそれを追つて立つ。楢の蔭で十二三の少年が畫をかいてゐる、向うを見ては手帳を見る。色のいゝ横顔のあたりに陽災でも立つてゐさうだ。

 醉つたやうな氣持でふら/\と原を拔け、柏木の華洲園に行くことにした。落合の小さな坂を歩みながら原田君が突然、近いうちに皆して遠足會をやつたら如何だらうと言ひ出した。斯うして三人か五人づつ離れ/\になつて話でもして行つたら嘸ぞ愉快だらうといふのだ。自分自身もかねてさういふ希望があつたので直でに賛成し他の兩君もみな悦んだ。それまでに脚絆を買はなくちやと原田君がいふと、岩淵君は僕は官服で行かうかといふ。それは面白からう、がちやりがちやりサーベルを鳴らして歩くのも豪氣だらうぜと衆議一決したのであつたが、やがてしてせめてその日一斗樽の一つも誰か寄附しないかなアといふ話が起ると、同君は惶《あわ》てゝ前の官服説を取消した。華洲園は實に見ごとであつた。ほんとに海のやうに咲き滿ちたダリア、コスモスその他の秋草の花のなかに入つてゆくと、疲れ果てた心にも急に鮮かな血がめぐり始めるやうで、子供のやうに心がときめいて動悸さへ打つ。一昨年あたりから度々自分は此處にやつて來る一人であ(322)るのだが、斯んなにきれいに整頓したのを見るのは初めてだ。今日はまた素晴しい人で園内のそこにも此處にも帽子やらさま/”\な色のパラソルが花のうへに浮いて動いてゐる。昨年か一昨年の夏のころ、自分はよく獨りで茲にやつて來た。古雑誌など賣つて電車賃を作つて來たこともある。その日は通り雨のしば/\する日であつた。園内には自分のほかにたゞ土いぢりをしてゐる二三の園丁がゐたばかり、誰もゐない。雨に濡れながら作つた歌を思ひ出した。「とほり雨すぎてダリアの園に照る葉月の朝の日のいろぞ憂き」「夏の樹のひかりのなかに鳥ぞ啼くいきあるものは死ねよとぞ啼く」など、よく/\靜かな心持になつて詠んだものをばなかなか忘れぬものである。

 其處を出て更に新井のお藥師さまへ詣つた。たいへんな賑ひで三味やら唄やら、斯んな野原のなかで突然斯んな所に出會ふと狐にでもつまゝれたやうで安からぬ心地になる。其處から中野へ出て福永挽歌君を訪ねた。丁度加藤朝鳥君、光用穆君も來てゐて尻端折の我等の姿を見て驚いた。福永君にもしばらく振りであつた。度々留守を喰してゐたので今日は一寸そのお詫びに立寄つた心でもあつた。廣い庭にはだいぶ夫婦の丹精の草花なども見えて、靜かに自分獨りの日を送つてゐる友の境遇がそゞろに羨しい。福永君、原田君、及び光用君など、どこか似通つた性格があるやうだと三人の顔を見くらべて考へる。僕の宅に斯んなに多勢お客のあつたことは初めてだよ(323)と言ひながら家内總がかりでお茶など出る。ほんとに餘り多勢なので心を殘して我等の一組は程々で先づ引取つた。中野から電車、岩淵君の折つて來た薄を持たされて乘つてゐると人がよく此方を見る。秋草を持つて電車に乘るがらでもあるまいと心中しきりに苦笑せられる。原田君は大久保で下車、我等三人は大塚で降りた。そして今夜が十三夜であることに氣がついて、十五夜のお月見をば創作社でやつた。今夜やらないと片月見になつて惡からうぜと謎をかけて岩淵君を陷れ終に同君に一升買はせることにした。和田君は途で鮒のすゞめ燒とらつきよう漬とを買ひ込んだ。大いに安心して途中で湯屋にとび込み熱いやつにゆつたりと浸りながら終日の汗を流し、表に出るともうお月さまが森の上にあからんでいらつしやる。荷厄介にして來た薄を瓶にさし、木兎をも添へてそのかげで三人ゆつくりと酌む。「創作」の歌の批評など盛んに出ていつもより杯も早く進む。主人の優男はいつのまにかちんころのやうに丸くなつて食卓のかげに睡つてしまひ、疎林翁と自分だけは更に大いに酒宴に追加を命じて飽かず酌む。

 陶然として兩人は睡つた主人をそのまゝに森の家に別れを告げ、よれつもつれつして創作社に歸つて眠つた。今日も隨分歩いたが、その割合に勞れもせず、何も彼も愉快な日であつた。その代りに二三日のうちに一晩か二晩の徹夜をやらねばならぬ。――大正二年――


(324) 津輕の友に寄する手紙

 

 奥州北津輕郡松島村にて、加藤東籬君。

 私は實に君に幾本かの手紙の負債を負つてゐます。君を憶ひ起すごとに先づその苦痛が心に浮びます。今夜はその埋合せにこの手紙を書いて、お詫びの心持に代へたいと思ひます。そしてそれを雑誌に載することを許して下さい。實をいふと單に君に對してのみならず、たいへん親しく思つてゐる誰彼の諸君にも悉く私は無沙汰をしてゐます。夫等《それら》の人達に對しても多少なり私の現状をお知らせする便宜を供したいと思ふのです。唯一人、おしやべりの相手に選ばれた君は誠に御迷惑かも知れません。それも赦して下さい。


 この秋から冬にかけて御上京になるやうなことをかねて君御自身よりも通知があり、和田君よりも聞いてゐましたので、誠に待つてゐました。それが土地の凶作のために延期せられたといふ時のあのお便りをば最も身にしみて拜見しました。毎朝新聞で眼に馴れてゐる東北凶作記事の關(325)係中に自身の親しい人を見出すことは、半ば豫期せうれたことながら今さらの驚きであり、苦痛でありました。君とは手紙の往復をしたりなどしてゐますから明らかにさうと知りました。知らない人で同じくこの凶變に會つてゐる人も屹度多からうと思ひます。同じ雑誌でお互に作品を見合つたりしてゐますだけ、夫等の人たちに對して誠にお氣の毒に思はざるを得ません。そして、東北といふ未知の土地に對する深い同情と親愛とを感ぜざるを得ません。

 そのなかに在つて君が別にそれを咎めやうともせず、一言の愚痴をも言はず、また徐ろに新しい企畫をたてゝ、堆肥とやらいふものを作るために朝夕落葉を掃いてゐるとあつたあのお便りは、ほんとに事新しく君の面目をしのばせずにはおきませんでした。君が松島村々役場の助役で、三十七八歳の無口な白皙な偉丈夫で、四五人の子女のお父さんで、同時に老父母に仕ふる忠實な息子さんであることなど、みな新たに私の心の裡に思ひ起されました。そして遠い地平を限る秋の山脈には既に白々と雪が見えて、荒れに荒れた平原を吹き廻る風のなかの木立に靜かに落葉を集めてゐる未見の友をあり/\と心の裡に描きました。村の集會か何かの歸りに氷つたやうな月夜の村を獨りで歩いてゐる君、うす赤い洋燈の光線のなかに靜座して新しい書籍を求めておゐでる君、――歌を通して、手紙を通して私はいつでもさうした君を自身の心の裡に認めます。

 そして、手紙毎に怖れてゐらした、大吹雪のなかに密閉されて了ふといふ時期の殆んど最中で(326)はないかと昨今の君の事を今夜私は寢ざめの床のなかで不圖思ひつきました。約束してそのまゝになつてゐる書籍送付の事をも、延いていま心苦しく思つてゐるところです。屹度何か送ります。

 

 私は相變らずの私です。といふより、私はだん/\自身といふものをくだらなくして行くやうに思はれてなりません。私はよく自身に對して種々な希望を提出した男です。あゝもしたい、斯うもさせたいと、それは實にいろ/\なことを自身の上に構へました。考へてみると、唯の一つそれが實際に行はれてゐないではありませんか。この頃ではもう馬鹿々々しくて、何の妄想をすら自身の上に一描きません。それでも兎に角生きた塊です。さうなつたことの苦痛と愚劣さとをば感ぜないわけに行かぬと見えます。今日もぼんやり新聞か何かを讀みかけてゐて不圖その辛い衝動みたいなものに襲はれて立上りざま家を出ました。別に行くところもなく、手近の植物園の方へ歩きました。ぞく/\しながら、半ばはベソをかいて、無意識に歩いたのです。そんな場合、どんなに人間といふものが、世の中といふものが、うら悲しく、またつまらなく見えるでせう。通りすがりの貧民窟には腐れたやうな子供がうじや/\してゐました。帽子を作る工場、機械を造る工場、その他何々と並んでゐる壕端の工場からはいやに含み聲の氣味のわるい音響が漏れて、蒸氣と煙とはその物々しい煙筒から立ち昇つてゐるのです。私は殆んど何か獨り言を呟きながら(327)いかにも重大な用事を持つた人のやうに急いでその間を拔けて、植物園のずつと奥の、人もあまり來ない何かの針葉樹林のなかの芝生に行つて急いで身對を横たへました。

 つづまりこれを歌にすれば、落葉木立に泣きに來ぬといつた所なのでせう。實際昔はよくその邊へ泣きに行つたものです。そして正直に歌の二三十首も作つて悦んで歸つたものです。今は一切がつまらない。それに寢てゐると云つても冬のことで芝生は薄いし、おまけに雨上りと來てゐますから、すぐじと/\に地の冷たさが着物を通して來ます。暫くはそれにも物ぐさく、ぢつとしてゐましたが、また起上つて、今度は温室の方へ行つてみました。植物だか動物だか解らないやうなあやしい形と匂ひと色とを持つてゐる南國の木や草は、久しぶりではあつたし、さすがに私の目を引立たせました。ぢいつと見詰めてゐますと、例の浮氣心がそろ/\と起きて來て、旅がしたいといふやうなことを思ひ出しました。然しそれもほんの瞬間で、次に私は園内の一隅に飼つてある猿の前に立ちました。猿と私とは夙《と》うからの仲好しで、私はよく上野の動物園の猿公のまへに一時間を賛すことを悦びました。ところが今日のは寒さにいぢけたせゐか、ただゝ然と坐つたきり、殆んど何の活動をも試みませんのですつかり失望して、終にまた手近のベンチにぼんやり腰を下しました。靜かな日で、ずつと立ち並んだ落葉樹林などはまるで煙つてゐるやうです。時季が時季ですから、無論人影は少ない方ですが、でもなかに實に美しい女の歩いてゐるの(328)などがゐました。際立つて匂やかな頬、輝いたその眼、冬の植物園、あの女は屹度戀をしてゐる、と思つたのがもとで、女にでも惚れて見たいとしみ/”\心に言つてみました。昔は惚れて貰ひたかつたのでせう、今はこちらからぞつこん惚れて行きたいと思ひます。身を焦すやうな惚れかたがしてみたいと思ひます。

 たうとう植物園の門を出たときは、前とは異つた寂寞が改めて身に沁みました。でも何處へもゆく所はなし、ぼんやりとまた宅へ歸りました。細君に頼んで熱いやつにありついて意氣地もなく醉つて、この隱遁所《いんとんしよ》へやつて來て、一度机の前に坐つて、耐へられなくなつて床の中に潜りました。それから眼がさめて起上つてこれを書いてゐるのです。いまはもう午前の三時か四時の筈です。ずゐぶん寒さが身にこたへます。でも、何だか好い氣持です。隱遁所とは、私は十一月の初めから自宅の附近に一室を借りて、其處を自分獨りのぼんやりする所ときめてゐます。その室もこのごろ人に知られて、我儘孤獨を貪ることが出來なくなりましたから、また何處かへ移らなくてはなりません。

 

 自分を信ぜ、すべてのものを信ぜず愛しないほど、いやな苦しいものはないと思ひます。眼の前に何のあてもなくなります。歩かうとして第一方向がありません。無論途もありません。掴(329)まうとして其處に藁しべ一本ありません。ぼんやり佇立することが實に忍び難いのです。今日――もう昨日になつたわけですが――半日の日記みたやうなものなど、實に久しぶりの君にくだらぬことを永々と書いて、多少耻しくなりました。よく/\甘えたいやうな氣持にでもなつてゐるのでせう。

 

 要するに此等の苦痛は、自分が居るべきところに居ないから起つて來るのではないのでせうか。(居るべき所にゐないといふ言葉は世間によくいふ不平といふ言葉ともたいへん似てゐるやうです。けれども、私の場合には全く異つたものとして私は感じてゐます。不平といへば私は先づ一種の浅薄な、偏狭な、表面ばかり、眼の前ばかりの感興や物質問題によつて動いてゆく所謂不平黨を思ひ浮べます。私も或はその一人であるかも知れない。が、少なくとも心の裡では全然さうあつてほしくない事を希つてゐるのです。私のこの不滿、苦痛が、自然に無意識に私の身體に起つてゐる身熱や呼吸や血の循環やの如くにあつてほしいのです。)そして、斯の苦痛は矢張り自分といふものを知らないがために自然に生じて來るのだと思ひます。一度はつきりと自分を認知したならば、それを驚嘆し、愛撫し、生長させてゆくよりほか、また他事ありさうにも思はれません。疑惧したり、愁訴したりしてゐるひまなど無い筈だと思はれます。

(330) 何故、其處へ行けないのでせう。

 

 然し、私は多くの人々に比し、目下在り得てるだけの地位をも、やゝ幸福に感じてゐます。他の多くはその地位にすら達してゐないと思はれます。

 早い話が昨今の歌のくだらなさを御覽なさい。大概は在つても無くてもいゝやうなものばかりではありませんか。いはゆる月評子か、又はその月評子を前においた時の個々の作家にとつてのみ存在の意義を持つたやうな歌は、一體何に價するのでせう。

 第一我等の『創作』の歌をして、もつと熱あり、光あり、力あるものにしたいではありませんか。我等は自身の生命を玩弄にする勇氣がありません。また、マア/\と言つて徒らに自ら泣き自ら笑ひ自ら慰めてゐるに耐へかねます。どうしても根本から滿足する程度にまで、自分を持上げなくてはなりませぬ。自ら滿足し、緊張すると同時に、他へ對しても同樣の動きを及ぼしたく思ひます。大きく云へば宇宙のものをさうしたいのです。そしていつも言ひます通り、その時、歌は私の鏡であり、呼吸であるのです。

 饒舌は、然し、常に空しいものです。丁度いま其處此處に汽笛が鳴り出しました。もう明ける(331)のでせう。このごろ、私にとつて朝は必ず苦痛なものとなつてゐますが、今朝はさうで無ささうです。とにかく、これで筆を擱きます。左樣なら。

 是非この春の會ではお目にかかりたいものです。(一月某日)――大正三年――

(332) 鷹

 

 知つてゐる人は知つてゐるであらう、山の深い眞晝の空に高く/\輪をかいて啼いてゐる鷹の聲ほど身にしみて靜かなものは多くあるまい。

 私の居る濱の裏の山に二羽の鷹が栖んでゐる。無論こんな半島の山のことで決して深山ではないが、全山悉く繁茂した松林で、而かも傾斜の極めて急な峰が三つ相接して聳えてゐるのでいかにも深い峽間《はざま》を思はせる。その峰の一つの頂近いところに彼等はいつも啼きながらまつてゐる。二羽一緒のこともある、一羽だけ姿を見せてゐることもある。いま雛でもそだてゝゐるのではないかと思はれる。昨今恰度松の穗さきの延び揃つたさかりで、その峽間に歩み入るとまるで身體の毛穴に迄松の匂が浸み入るやうだ。峰のうしろは初夏特有のなやましい雲の峰がわづかに影を見せて輝いてゐる。何處かで水の流れてゐる響もする。時にはまた忘られたやうに晝の月の浮んでゐることもある。その深い空の片すみに小さく影を刻んで、高く/\殆んど聲そのものでゝもあるかのやうに澄み徹つた、鋭い、しかもいひ難く物あはれな音いでほろ/\啼いてゐるのを(333)聞くと、私はもうそのまゝ地べたにつき坐つてしまひたいやうなやるせない心地になつてゆく。七つか八つの頃故郷の山を彷徨してゐた少年の自身を憶ひ起すことなどもある。

 時としてはこの鷹がその峯を離れて遠く沖の方の雲のかげを舞つてゐるのを見出すこともある。そんな時など、おゝ友よと、思はず知らず心の中で呼びかけずにはゐられない。まこと、彼等はいま私にとつて最も親しいなつかしい友である。――大正四年――


(334) 浦賀港

 

 浦賀といへば直ぐ黒船を聯想する。七八年も前になつた、房州に渡る途中、甲板の上から私は初めてその黒船の港を見たのである。意外にも其處は山奥の瀞《とろ》にでもありさうな錆と靜寂とを持つた古い小さい港であつた。蹄鐵形に雙方からさし出た木深い小山の間に、狹いながらも極く深い潮がとろとろに湛へられて、古めかしい町家が矢張り蹄鐵形にその山の麓にぎつしりと固つてゐた。一つの小山が海に落つる端の所は高い崖となつて、その頂には松が老い茂り、深い木の間には寂びた石の鳥居が見えてゐた。早咲きの梅もとび/\に見え、町から空には小さな鴎が幾つもまつてゐた。

 更に異樣に眼についたのはその寂しい港の奥に一艘の巨大な汽船が全體を朱色に塗られて半ばは傾き、煙突も帆柱も取り除かれたまゝ浮んでゐることであつた。聞けば此處には船渠《ドツク》會社があり、專ら汽船の修繕を行つてゐるとのことで、なるほど、町の中央どころに土地不似合いな大きな煙突が聳え、黒々と煙を吐いてゐるのが續いて目についた。朱色の船の内外には職工らしい者が散(335)見して、大きな鐵板を打つ槌の響が冴えて起つてゐた。港そのものまでも何だか廢物らしく思はせて響いてゐた。

 その港の近くに住むやうにならうとは眞實思ひがけぬことであつた。初め私はこの下浦《したうら》といふ所をも今少しは開けた、物賣る店の十軒なり二十軒なり並んでゐる所だとのみ豫想してゐた。所が來て見れば全くの漁村で、郵便局すら浦賀まで行かねばならぬといふ有樣である。浦賀は此處から東一里半ほゞ海岸傳ひで二つの小さな峠を越す。自然私は月に一囘か二囘、其處に通はねばならぬ事となつた、爲替の受取りまたは何彼と品物の買入れに。

 初めて浦賀の町に足を入れたのは當地移住後十日か二十日の頃であつた。春日煕々《しゆんじつくく》といふに打つて着けた麗らかな日で、明日か明後日かと櫻の咲くのが待たれてゐた。港の西岸に在る愛宕山といふは櫻の名所で可なりの苗木が数百本|植《うわ》つて居る。町も從つて浮き立つて、行き交ふ女など極めて美しく私の眼に映つた。これは/\と意外の賑ひに私は心をときめかした。けれど、要するにそれは當時私の眼が痩せてゐたからで――東京を出て十日なり二十日なり浪と砂との間に小さくなつてゐたゝめに――二度三度と通ふうちに浪にも馴れ砂にも馴れまた浦賀そのものにも馴れて、以前汽船の甲板から眺めた印象通りの寂しい港町となつてしまつた。

 眞實浦賀はいま寂びれた港となつて居る。昔は此處に幕府の御船番所なるものがあつて、陸路(336)の箱根や碓氷の關所と同じく、江戸に通ふ船といふ船悉く一度はこの小さな港に寄らねばならなかつたのださうだ。で、その賑ひは甚しく、土地不似合な長者の家も數多あつた。現に此處に寄港する者の誰にでも眼につく宏大な邸宅を殘して亡んで行つた大黒屋とかいふ家の主人などは東京の銀行で印形を持たずに唯だその顔だけで何千でも何萬でもの取引が易々として行はれたものださうだ。所有の千石船の何十艘か何百艘かを港に集めてその高樓から打ち眺め乍らよく長夜の宴を張つたといふ。それも終《つひ》に亡び他はみな夙くに消え失せて、つまり魂を拔かれた町として浦賀はいま殘つてゐるのである。さうした長者連の代りに煤にまみれた船渠會社の職工が街路に滿ち、眞帆片帆の千石船の代りに傷き痛んだ修繕汽船が時たまこつそり這入つて來ることゝなつた。まつたく浦賀はいまこの船渠會社で保つてゐるのだ。

 昨年の春の末、束京から訪ねて來た若い洋畫家と横須賀に遊び、歸りにこの浦賀を通つた。途中で雨に遭ひ濡れつゝ町を歩きながら何處かで晝飯を喰べやうと然るべき家を探したがなかなか見つからない。大きな看板をかけた家はあるがそれには兩人共懷中が痩せてゐる。殆んど町中を歩き盡した末、とある裏通りに漸く一軒見つけた。御茶漬といふ行燈を掲げて、見るからに東京の繩暖簾式である。重い格子戸を開けて入ると、豫想した腰掛臺は無くて、無愛想な老人が二階への楷子段を指す。まごつきながらも足を洗ひ二階に上つた。これはまた意外、三四十疊は確かに(337)敷ける座敷で、それが三つか四つに區切られて居る。柱も襖も古色蒼然たるもので、雨の日の取分けても薄暗い。刺身と天麩羅が出來るといふのでそれを言ひ付け、何だが不思議な氣持で兩人とも顔を見合せたまゝ燗の出來るのを待つた。出來て來たのを見ればこれはまた意外、なか/\飲める酒である。肴もさうで、刺身は無論、天麩羅だとて東京のものにさう劣るべくも思はれぬ。悉く嬉しくなつて腰を据ゑ、晝飯はたうとう夕食になつてしまつた。低い窓の障子をあけると思ひもかけぬ山が其處に迫つて、僅かに紅葩《こうは》を殘した櫻の梢が雨に濡れて居た。前に言つた愛宕山の裏に當つてゐたのである。其後土地一流と言はれて宿る料理屋をも廻つてみたが、高いばかりで味は無い。以來私の浦賀通ひのよろこびはその不思議な家に寄ることによつて滿たされることになつた。

 とにかく浦賀はいま私にとつての首府である。浦賀に行く、といふことはたいへんなことである。尻ひつからげて一里半、歸りには持てるだけのものを擔いで來る、乾物、牛肉、玩具、菓子。或時、ウヰスキイを一本買つたはいゝが、ちやんぼん/\といふ風呂敷がくれの音に忍び兼ね、途中の峠でたうとうあけてしまひ、他の荷物まで振り落して歸つたこともあつた。――大正五年――


(338) 「白雪」の話

 

   津の國の伊丹の町ゆはるばると白雪來るその酒來る

   眞酒こは御《み》そらに散らふしら雪のかなしき名負ひ白雪來る

   酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし

   白雪と聞けばかなしも早もかもその白雪を手に取らましを

   手に取らば消《け》なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ燒く

   白雪は白雪はとて待つくるしその白雪はいまだにかあらむ

   をりからや梅の花さへ咲き垂れて白雪を待つその白雪を

 

 數年前、大阪に四五日間滯在して居たことがあつた。滯在の終らうといふ前日、創作社社友であつたK――君が二三の青年紳士と共に私を訪れて、大阪の酒にはもう大概お倦きでせうから今日は一つ變つた所で一杯やりませうと誘ひ立てた。停車場から離れた汽車は折から夕暮の黒い(339)樣な大市街を離れて平野の中を走る。一時間ほど經つたであらうか、此處です、と促されて降りた。停車場の立札には「いたみ」とあつた。はゝア、と思つてゐるうちに我々は寧ろ奇妙な巷路に歩み入つた。町といひたいが、巷路の方が相應《ふさは》しい。路は唯だ眞白な、冷たい、廣大な白壁と白壁との間を通つてゐるのである。それが隨分續いた。いづれもこれには酒が滿ちてゐるのだと聞いた時、期せずして私の胸は波打つた。

 藏と藏との間に在る靜かな一軒の料理屋に我等は入つた。そして、今日はこの伊丹中でも出來るだけの酒をお勸めしますから一體どれが一番おくちに合ひませうといふことであつた。その時これがいいと言つたのだらうと思はるゝ白雪の酒が先日はる/”\とこの三浦半島まで送られて來た。當時のK――君が同じ社友のT――君と共にわざ/\その伊丹まで行つて小西釀造元から荷造して送つて呉れたのである。

 この村までは鐵道便が利かない。で、横須賀に居る友人に取次いで送つて貰ふことに手筈をきめて、サテ一日千秋の思ひで待ち受けたがなか/\來ない。たうとうたまり兼ねて或日の午後道程四里の横須賀まで出向いて行つた。品ものは折も折、丁度その日に着いた所であつた。その内容を知つてゐる其處の友人連はどうしても荷造りを解けと言ふ。面を赤らめ合つてまで私はそれを峻拒したが、可哀相にもなつて、それでは僕の村までやつて來給へ、その熱心があつたら少しは(340)割愛しやうと言ひ置いて抱《かか》へて歸つた。まさか來はしまいと思つてゐた所、それから二三日後の日曜日にひよつくり二人連でやつて來た。たゞ飲むも氣の毒と思つたのだらう、手にはてんでに色々なたべものを提げて來た。たうとうほんとに來たのか、實はあんまりうまいので濟まないと思ひつゝ大方もう平げたのだが幸に少うし殘つて居る、と言ひながらその日は非常によく晴れてゐたのでそのまゝ二人を誘つてその酒をば四合瓶一本(實はまだ澤山あつたのだ)、他は土地の酒屋から取つたのを提げて前の濱の松林に出かけて行つた。――大正五年――

 

(341) 旅から歸つて

 

 棕梠の花が散りそめた。またもとの寂しい木に返らねばならぬ。

 縁側に出ると直ぐ眼の前にこの木が三本並んでゐる。いづれも二間から三間近い高さの老木で、その下には無花果が、極めて低く廣く枝を張つて居る。若葉の蔭には例のうすい青い果實が、もう澤山|實《な》つて居る。無花果の蔭に飲料不適の札を貼られた古井戸があり、その井戸から眞南に細い徑が通じて居るが、今は雙方から麥に掩ひ狹められて殆んど歩き難い。方圖もなく長引いた北國の旅から、流石に何だかきまりのわるい思ひをしながら、自分の肩までも延びた青麥の穗を驚いて見廻しつゝこの徑を通つて歸つて來たのは今月の朔日《ついたち》であつた。その代りこれから俺が留守居をするからゆつくり遊んで來るがよいと妻子をその實家の方へ旅立たしたのはその翌日であつた。さうして獨り殘ると同時に私は床についてしまつた。氣候が急變したゝめか、風邪を引いたのがもとで、例の腦が痛み出した。旅の疲れが出た、といふ方が適當かも知れない。

 夙つくに濟まさねばならなかつた仕事が留守の間に隨分溜つてゐた。妻の希望を容れて直ぐ信(342)州へ立たせたのも、ひとつはその仕事を急いで片附けたいからでもあつた。ところが、仕事どころか、頸から枕、枕から肩まで濡らしつゝ自分自身で頭を冷さねばならぬ事になつたのである。

 努めて床から離れて居ようとした。縁側に出て見ると、きら/\光つた庭さきに續いた畑には重々と大麥小麥が穗を垂れてゐる。畑向うの丘の松林には、すつかり穗が伸び花が著いて、それを越えた海の空にはむく/\と惱ましい雲の峯が湧いて居る。三本の棕梠の木には毎日さわやかな風が吹いて、いつとなくその輝いた葉の蔭に黄色い花が見え出した。ほんの昨日まではまだ梅すら咲かぬ、雪のまだらな國に留つてゐた身にとつて、今年は一層この花が眼を惹いた。

 

 朝曇つて晝かけて照り出す。さうした日が幾日か續いて居る。今日こそは來ませうよ、と宿の婆さんが今挨拶してゐたが、なか/\雨になりさうもない。百姓はみな田が乾いて植ゑつけに困つてゐるのださうだ。

 降らうか、照らうかといふ今日のやうな空模樣が頭のわるい身には最もよくない。四五日前から床をなあげて強ひて机の側に來てゐるのだが、どうも永く坐つてゐられない。坐つてゐるにしても空しく時計の鳴るのを數へてゐる位のものだ。

 棕梠は早や散りかけたが、蜜柑の花は今漸く盛りにならうとして居る。棕梠と違つて見榮えの(343)せぬ花だが、それでも極く靜かな、かをりの高いものである。よく晴れた日など、障子を通して濃い香が机のほとりまで流れて來る。家のめぐりには十數本その木が茂つて居る。

 家のめぐりの庭とも畑ともつかぬ所を宿の人たちは、園と呼んでゐる。園に出て見るといま隨分いろいろのものが眼につく。蜜柑の木も凡てこの園にあるのだ。

 家も園も小さな丘を背負つて居る。丘は深い椿の木立だ。どうかすると暗い葉がくれにまだ散り残りの眞赤な花を見る事がある。その木立の前側一通りにまばらに山櫻が植ゑてあつて、小さな櫻んぼが草の上などに澤山散つて居る。やがて梢に這ひ上る子供の群を見ることであらう。

 柿はまだ早い、形の面白い蕾のまゝで居る。枝を張つた老梅には、今年は澤山の實がついた。先日の暴風雨で餘程吹き落されたが、それでもまだ十分殘つて居る。枇杷も今年は豐年の樣だ。この木も十本位ゐある。杏は駄目かも知れぬ。

 桑の實も可愛いものだ。うす紅のや濃紫に熟れたのや、雨を欲しげに實つてゐる。桑と入れ混ぜに茶が竝んでゐる。芽をつまれて今は侘しい姿である。旅から歸つた日、次の部屋から新茶を作る匂ひが漏れてゐた。

 大きな葱坊主がゆく春の名殘を留めて居れば、菜たねの莢《さや》も果敢ない思ひ出を語つて居る。それらの傍には玉蜀黍の芽生や甘藷《いも》の苗床が近づいた盛夏をほのめかして居る。馬鈴薯は既に伸び(344)た。今にもあの白い花が咲き出さうだ。隅々には紫蘇が勢ひよく新しい葉をひろげてゐる。

 蕗やみつばの時季も既に過ぎた。今はそれらの蔭の和蘭苺のうす青い實が毎朝瞳を惹く。

 數本竝んだ蜜柑の木を園の境にしてそれから南は一帶に畑となつて居る。蠶豆《そらまめ》は程なく拔かれてしまふ。麥もそろ/\黄色くなつて來た。

 園の中の小さな徑をずつと行き拔けると、左手が一段低い水田になつて、今は早苗が作つてある。

 蛙の聲が一面だ。

 右手がまた蠶豆の畑で、畑の中には二三本の蜜柑が匂ひ立つて居る。畑と田のはづれは、栗や杉や榎や珊瑚珠の木の淺い木立を境にして小さな溪が流れて居る。落葉に埋れてちろ/\流れてゐるのだが、諸處に小さな淵があつて、小鮒や沙魚《はぜ》が釣れる。

 

 よく/\机の側に居られなくなると、縁側から下りてこの園の中をぶら/\歩く。よほど注意しても、蜘蛛の巣に顔や髪を引つ懸けられがちだ。朝露に輝いた蜘蛛はまだ幾らか可愛いゝが、夕方になると憎らしい。
 此頃のやうに天氣が續いても此處の土は全く乾き切らず、下駄の音もしない。今日など、一層(345)もの靜かである。蜜柑は、然し、斯んな曇り日には匂はない。

 

 矢張り旅のために、延び/\になつてゐたものなどあつて、近日中に自分の著書が一二種重なつて出ることになつてゐる。その不足の原稿を書き足すべき原稿紙、また赤インキで染つて居る校正刷。

 通信教授の和歌の詠草。

 返事を出さねばならぬ手紙、端書。

 そんなものが机の上に、周圍に一杯滿ちて居る。

 その机の隅を方二寸ばかり押しあけて一輪の雪白の芍薬が挿してある。昨日の午後切つて來て、今朝少し萎えてゐたが、切口を燒いて挿し直したらまた勢かがよくなつた。まつ白な花瓣から蕋にかけて小さな黒蟻が二疋あらこちしてゐる。匂ひがあるやうにもあり、無いやうにも思はれる。

 

 原稿紙や詠草の上に眞白な笊が置いてある。中には蠶豆と莢豌豆とが入つて居る。今暫くは鰥夫暮《やもめぐら》しの形で、自分で食ふだけの事をば自分でやらねばならぬ。原稿を四五行書いて豆をむいたり、煙草を吸つたりして居るのである。

(346) 旅さきで私が餘り煙草を吸はないので意外がられたが、(歌にはたくきん歌つてあるさうだ。)時によつてはよく吸ふ。此頃たいへんうまい。それも、どの煙草がうまいのだかよく解らない。この机のめぐりにもいろ/\なのが轉つてゐる筈だ、バツト、カメリヤ、八千代、敷島など。

 

 また齒がぢか/\痛む。

 だん/\曇りがひどくなつて來たが、、眞實今日は降る氣かも知れない。肩から背に張つてある按摩膏が、何だかじと/\して來た樣だ。

 

 それしても今日は郵便が馬鹿に遲い。(五月十七日、正午)――大正五年――

 

(347) 移り變り住む場所の話

 

『如何《どう》です、もう大概でこちらに出て來ませんか。』

『えゝ、さうも思つてますが……』

『何ですが、今の海岸は餘程いゝ所ですか。』

『いゝえ、極めてくだらぬ所です。でも、一寸腰を据ゑるとなかなか動けません。』

『それもさうですネ、それにこの夏などは海岸はいゝでせう。』

『あまりよくもありません。何しろ海邊ですから晝間は砂が燒けてゝ、一歩も戸外には出られません、朝晩はよござんすが。』

『さうですかねヱ、するといつがいゝのです、秋ですか。』

『左樣、秋もあまり好ましくもありません、風でも、浪でも、草木でも、始終ざわざわして居て少しも落ち着きがありませんから。先づ春でせうネ。冬の末から春にかけて、それからずつと春いつぱい、暮れてゆくころから夏の初めも惡くありません。十二月から菜の花も咲きますし、水