若山牧水全集第七巻、雄鷄社、484頁、600円、1958.11.30
紀行・隨筆 三
目次
樹木とその葉………………………………… 3
草鞋の話旅の話…………………………… 7
島三題………………………………………23
木槿の花……………………………………54
夏を愛する言葉……………………………65
四辺の山より富士を仰ぐ記………………72
野蒜の花……………………………………84
若葉の頃と旅…………………………… 104
枯野の旅………………………………… 114
冷たさよわが身を包め………………… 120
夏の寂寥………………………………… 122
夏のよろこび…………………………… 128
釣………………………………………… 130
虻と蟻と蝉と…………………………… 134
空想と願望……………………………… 138
酒の讃と苦笑…………………………… 147
歌と宗教………………………………… 152
自己を感ずる時………………………… 155
なまけ者と雨…………………………… 156
貧乏首尾無し…………………………… 161
若葉の山に啼く鳥……………………… 168
秋風の音………………………………… 173
梅の花桜の花…………………………… 177
温泉宿の庭……………………………… 180
或る日の昼餐…………………………… 183
桃の実…………………………………… 189
春の二三日……………………………… 195
青年僧と叡山の老爺…………………… 206
東京の郊外を思ふ……………………… 218
駿河湾一帯の風光……………………… 223
故郷の正月……………………………… 235
伊豆西海岸の湯………………………… 239
海辺八月………………………………… 248
地震日記………………………………… 257
火山をめぐる温泉……………………… 282
自然の息自然の声……………………… 288
〔ここまで省略、青空文庫に同じものがあります。〕
補遺
裾野より…………………………………… 305
故郷より…………………………………… 310
閑乎忙乎…………………………………… 313
津軽の友に寄する手紙…………………… 324
鷹…………………………………………… 332
浦賀港……………………………………… 334
「白雪」の話……………………………… 338
旅から帰つて……………………………… 341
移り変り住む場所の話…………………… 347
お祖師様詣り……………………………… 354
暴風雨の夜………………………………… 365
或る歌の友に寄する手紙………………… 371
昨日今日…………………………………… 383
白雲山……………………………………… 392
羽後酒田港………………………………… 395
酒と小鳥…………………………………… 404
古駅………………………………………… 408
秋草の原…………………………………… 414
旅と絵葉書………………………………… 429
夏の言葉…………………………………… 436
雲の峰……………………………………… 444
廿三夜……………………………………… 447
上京記……………………………………… 450
姉への手紙………………………………… 460
秋草と蟲の音……………………………… 474
補遺
(305) 裾野より
――緑葉兄へ――
みやこをば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の關……これよりは少々無風流な話だけれど、とにかく浴衣一枚で束京を逃げ出して來た男が、淺間颪の秋風に吹きまくられてゐる有樣をよろしく想像して呉れたまへ。甲州は非常に暑かつた。飯田蛇笏君の宅では葡萄のなかに身を埋めてゐた。彼處は富士の裾野の一端になつてゐるので丘が多い。ぶら/\丘から丘を歩いてゐると、流石に秋で、草花の匂ひ、山のすがた、いかにも自分の姿の輪郭が明かになつたのを感じた。それでもその歸りには木立の中の青い淵にとび込んで子供の樣な騷ぎをやつたものだ。甲府から汽車に乘つて甲信國境の山野を走る時は實に好かつた。天が晴れて、僕の好きな大きな山脈の峯が汽車の窓に斷えず姿を見せてゐる。韮崎の停車場で初めて落葉松の木立を見た。それから二三時間は全然山の間を走つて行くのだ。線路に沿うて秋草の深いのにも驚いた。市街の花屋で見れば何となく桔梗は嫌味らしく見えるけれど、青い草むらで風に吹かれゐるのを見れば哀れがふかい。吾木香も寂しい花だ。君も知つてゐるだらう、六七年前多摩川の岸に居て、戀ともつかぬも(306)のゝあはれに心を浸しながらこの花を摘んで歩いたいとけない自分の姿が忘れられぬ。すゝき、女郎花は云はずもがな、萩などはまるで稻田の稻の樣に茂つてゐた。山の峠にかゝつた頃|白雨《ゆふだち》がやつて來た。山を越して峠を振返ると雨の過ぎた中ぞらに大きな/\虹が懸つてゐた。姨捨あたりから筑摩の平原を見下した時も誠に好かつた。丁度日の落つる頃で、何河か平原の中に白く輝いてゐた。
小諸驛に着いたのは夜の十時すぎ、岩崎君等に迎へられて今日までこの大きな古風の病院の二階の一隅に起臥して居る。小諸は淺間の裾野の中に散在する古驛の一つで煤けた町が傾斜を帶びて野末の方に小さく引着いてゐるのだ。島崎さんに「小諸なる古城のほとり……」と歌はれた古城址がツイ一二町の所にある。恐しい松の木立の深いところで、その裾を限つて千曲川が流れて居る。黄色な松の落葉を藉いて、崖下の流れを眺めてゐるといつか知ら眼は瞑つて全てをかけ離れた寂しい旅客の愁ひに心は沈んでゆく。こちらに來た當座は毎日の雨と曇で見ることの出來なかつた淺間の煙は昨今明かに空になびいてゐる。此家の二階の手術室からは正面に當る。僕の隣室の窓からは軟かな線を引いて の樣な裾野の輪郭が見渡される。野の中に飛び/\に村落が介在してゐて、夜に入れば薄赤い灯が點る。傾斜を限つた直線の向うには遠く無限に山脈がうねつてゐる。僕のきき覺えた山の名だけでも十に近い。例の日本アルプスの一帶であるのだ。中にも(307)乘鞍、白馬の諸山には白い線を引いてもう雪が降《お》りた。左樣《さう》だらう、小諸にゐてさへ袷に羽織に冬のシヤツで暑くない。病院の室の中には既に爐を開いた所さへある。やがて炬燵が懸るのだらう。藥室の前の庭には二三十本の林檎が實をつけて大分もう紅く熟れて來た。林檎の木に實のなつてゐるのを初めて見た南國生れの旅客には、朝夕の野分がいやに身に沁みる。初めて見たと云へば白樺の樹をも初めて見た。胡桃の樹も初めての樣な氣がする。落葉松は一昨年輕井澤で見たのであつた。白樺の幹の尊い姿は、樹木を切愛する身にとつて殆んど一種の神秘を覺えしむる。町から二里ちかく裾野を登つて淺間の麓に行くと林の中によく見受くる。風の吹いてゐる林の中であの純白な大きな幹に身を倚せて居ると、嬉しい悲しいを離れた涙が零《こぼ》れて來る。そして大きな胡桃の樹によぢ登つてまだうす青い實を落して、石を拾つてその實を叩いて喰べてゐる君の友を想見して呉れ給へ。
ドクトル岩崎のおかげで、身體《からだ》は大方よくなつた。けれども今までの何や彼やの心の疲労が一時に出たものかして、すつかりぼんやりして了つた。だからまだ歌を詠む氣にならぬ。強ひて考へれば出來ぬこともあるまいが、それは東京にゐる時にする仕事で、こんな所ではどうしてもやりたくない。そのうらにはうんと出來るだらう、手帳から拾ひあつめたら一頁分くらゐはあるだらうからそれをお送りする。それで間に合せておいて呉れ給へ。一切の記憶と未来に對する觀念(308)の全てとから脱却して、本當に遊離した旅の心になり度いと朝夕に希望してゐるのだけれど、なかなか左樣はゆかぬ。却つて心が靜かになるだけ色々のことが思ひ出されて、苦しくて仕樣がない。いつそのこと此まゝ束京へ歸つてまたどさくさの中へまぎれ込まうかともよく思ふ。
山のあなたのそら遠く、
「さいはひ」住むと人のいふ。
噫、われひとととめゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、
「さいはひ」住むと人のいふ。
矢つ張り我等はお墓に入るまでこの歌の愛誦家であらねばならぬのかも知れない。
時々昂奮して酒精分の要求を痛感して困る。甲州に居る時、少々飲みすごして來たものだから、友のお醫者さんから、うんと叱られて目下は謹愼中にある。然し幾度かこつそりをやつて口を拭つて居る。或る時などは少し度を過して、石ころばかりの坂路を轉げ/\して歸つて來たものと見えて、翌朝床の中で眼がさめて見たら手も足も傷だらけサ。これでもお醫者さんの目をごまかいたつもりでゐるのだから驚く。
(309) 折がわるくてまだ淺間にもよう登らぬ。近日中には屹度登れるだらう。追分から松井田あたりの古驛の秋草が素敵だ相だ。そこらをぶら/\して輕井澤に行つて、二三年前のたのしかつた夢のあとでも探してみよう。そして風邪でも引いて來れば世話なしだ。
以上の有樣で、まだ君にすら手紙一本よう書かなかつた。これを原稿半分、私信半分のつもりで君へおくる。赦して呉れ給へ。今暫くは此處に居ることになるだらう。信州はいつまでゐても飽き相もない國だ。木曾川をも下りたし、越後へも出て黒いときく日本海も眺めたし、前途甚だ茫漠、まア翌《あした》はあしたの風次第ときめておきませう。今日もよく晴れた。これからまた獨りで上の落葉松の林にでも行つて來よう。方何里かに渡つたその林がそろ/\黄色くなりかけた靜けさといつたら無いよ。では、愈々左樣なら。(九月十八日)――明治四十三年――
(310) 故郷より
芦の湖からの君の繪葉書、九日に拜見した。好い繪葉書だネ、箱根町といふのは斯んなところかと驚いた。山に圍まれた湖、湖の隅にちひさく置き忘れられた古驛、黒い樹の群、細くうねつた路、みな好い。見てゐると古い、萬葉あたりの歌でも讀んでゐるやうな氣持になつて來る。
こちらに歸りついたのは豫定の通り先月の廿五日であつた。瀬戸の海を通る時だけ、なんとなく靜かな旅人の心地になつたきり、惶《あわたゞ》しい道中であつた。
瀬戸をば幾度も通つたが、その度ごとに見る氣持が違つて來る樣だ。年齢や、境遇の加減からだらうと思ふ。あのなかの島のどれにか、ゆつくり一度遊んで見度いとしみじみさう思つた。島の、山かげの小さな灣に百軒ばかり、町の姿をしたところなどが甲板から二三ケ所眺められた。いつぞや讀んだことのある瀬戸内海の島の港の遊女屋のことを書いた小説が端なく頭に浮んで來た。汽船はさういふ風の港めいた所をすれ/\にして通つて行くのだ。波打際からこちらを見てゐる(311)島の男女の顔などをぢいつと見詰めてゐると、涙の落ちさうになることが屡々あつた。
中國筋、四國筋、または島々の此等の甘酸いやうな港々をぼんやり巡つて歩いたら、さぞ目新しいことが多からうと思ふ。此處らの氣分を描いたものをばまだあまり見かけないぢアないか。洋畫ではちよい/\見たかと思ふ。青木繁氏が死ぎはにかいたとかいふのも備後の鞆港の寫生だつたとか聞いた。
汽船が最後の港に入らうとして、汽笛を鳴らした時は「何だか電氣でもかけられたやうな厭やな氣持であつた。どうしても其處で降りて、何年ぶりかの苦しい故郷の地を踏まねばならぬのだ。夜なかの二時で、眞黒な山が袋のやうに港の海水を包んで、同じく漆のやうな黒い町が汽船のすぐ前にしいんとして居る。客引らしい提灯が棧橋の近所でちら/\して居る。ドドドドと碇が下りる。
さぞ恨めしい眼つきをしてゐたことだらうと、その時甲板に立ち出でた自分の顔を想像する。
父の病氣はさして急激なものではなかつた。けれど、とても舊《もと》の身體に復《かへ》ることは不可能らしい。若い時からの酒のたたりがいま出て來たわけだ。僕が歸つてから急に眼に見えてよくなつて、(312)いまでは口もきけるし、手足の自由も先づ利く。そして、いよ/\善い人になつて、まるで七つ八つの子供と同樣だ。幼い姪が連れて來た猫の兒を姪には渡さず老人自身が朝晩たまをとらせて歡んでゐる。――大正元年――
(313) 閑乎忙乎
十月四日。
夜が遲いので、どうも早く起きられない。今朝も眼がさめてみると、枕元のあけ放たれた窓さきから、隣家の屋根にかん/\照りつけてゐる日光が餘程時のたつてゐるのを知らせがほだ。私は朝眼のさめた後しばらくを斯うして窓をあけ放しておくのが好きで、それから床を離れるまでの何分間かの靜かな時間がまたなくなつかしい。今朝は烈しい嵐で、窓から見えるお寺の境内の木立の梢が浪のやうに騷ぎ立つてゐる。ごう/”\と鳴りはためいて通つてゆく野分の冷たさがしんみり胸に流れ込むやうだ。藍碧《らんぺき》の蒼穹には白い小さな雲が高々と散つてゐる。枕もとには新聞が置いてあつた。今朝からは國民新聞が一種増してゐる。私は初め國民が好きで、やがてしてあまりにそれが利巧に編輯されるので厭になり、このごろまた人に勸められて取る氣になつたのである。三四種の好きな新聞を耽讀する位ゐの餘裕は欲しいものだ。讀賣に出て來る自身選の短歌の拙いのが氣になる。もすこし嚴選しようといつも思ふのだが、それも程度の問題だ。
(314) 階下《した》におりてゆくと座敷に獨り寢かされてゐる旅人が私を見るなり切りに歡喜する。いつもと少々調子が違ふやうなので變に感じながら對手になつてゐると、喜志が勝手から手を拭きながら出て來て、昨日あたりから聲を出して笑ふことを覺えたんですといふ。なるほど、それで變だつたのだ。一日二日のうちに生長してゆく子供のちからには事毎に驚かされる。勝手に裸體になつて冷水摩擦をやる。酒であぶらぎつた五體に水では却つて氣味がわるい。毎朝願はくばお場に入りたいものだとまた贅澤を考へる。暫く再び子供の體手になる。このごろはどうやら父親の顔を見覺えて來たやうだ。顔も急に人間らしくなつて、昨日か誰やらの言つたやうに「みなかみ」に出てゐる祖父の顔にどこやら似通つて來たやうにも見える。早く約束の寫眞でもとつて郷里の祖母のもとに送つてやらうなどと思ひ立つ。祖母といへば、彼女の病氣はどうであらう。先刻新聞で関西地方大暴風雨の電報を見たときもすぐ風嫌ひの彼女のことを思ひ出したのであつたが、今朝はいやに郷里のことが氣にかゝる。とりあへず手紙でも出して見ようと思ふ。朝飯は割合にうまくたべた。季節のせゐもあらうが、漬物がばかにうまい。二階に上つて、雜誌の發送を三四部包み、用事の手紙をもう一度見直し、編輯や校正で久しく溜つてゐた通信教授詠草を一まとめにして袋に入れそれを提げて家を出た。自宅では不斷の來訪者のためにとても仕事が捗らぬので此頃郊外の某所に行つて仕事をすることにきめてゐるのだ。それどれで早や九時をよほど過ぎてゐ(315)る。
風は實に烈しい。ウヰスキイのやうな、水晶のやうな日光がべたりと照りつけてゐるなかに際立つて青黒く竝んでゐるありとあらゆる一切の樹木が一切になだれを打つて搖れはためく。青い、うす黄いろい葉がばら/\と其處等で散亂してゐた。時々は向ふ風が袖に孕んで歩みを留めねばならないやうな場合もある。果物屋で買つた大きな柿を歩きながら頬張つてゐると、開いた口のなかゝら咽喉の近所まで烈しく吹き込んで來る風もある。好い氣持だ。それが郊外に入ると一層烈しい。刈り殘りの黍畑などに吹いてるさまは更に壯快極るものだ。柿をかぢりながらこの風に吹かれつゝ、十一月號編輯の手筈を考へて歩く。
いつもの室に入つてとりあへず身を横にすると、たいへんに勞れてゐるのに氣がついた。仕事にかかる前に自選歌號を開いて讀む。作りあげたまゝでゆつくりと目を通すひまもまだ無かつたのである。昨日今日受取つた諸方面からのたよりのなかにはどれにもみな逐號の發展を祝賀する旨が認めてあつたが自身は内心それに承知できなかつた。ところが斯うして讀んでみると、いかにも各人の歌の進歩があり/\と目に見えて、何とも言へぬ嬉しさがこみあげて來る。彼の國の誰、彼の國の彼と、遠く離れて住んでゐる人たちのむき/\の生活さへ偲ばれて、いつか瞼まで熱くなつて來る。斯ういふ時には歌といふものゝ難有さをつく/”\と考へさせられる。一通り讀(316)み終つた雜誌を顔にあてゝ、仰臥したまゝ永い間いろ/\のことを考へた。一個の室内に、寧ろ一軒のうちに斯うしてたつた獨りでなど居ることの稀なこの頃の自分にとつては、單に斯うした境地だけでもなつかしいものであつた。風は尚ほやまずに吹いて、家を圍んだ疎林の樹木は斷えず凄いやうな音を立てゝゐる。心のみ熱して死んだやうに横になつてゐる間に時は次第に進んで、午砲がなつたのだらう、急に諸所で工場の汽笛が一齊に鳴るのをも聞いた。極く冷たかつた室内のほか/\しだしたのは日光がいつかやゝ西向きの窓に照りつけるやうになつたゝめである。うと/\と起き上つて庭に出た。風は冷たいが日光は温い。双肌ぬぎになつて大きな深呼吸をやる。すつかり揉まれ拔いた樹木の葉はみじめなほど凋れ返つて一種の青くさい匂ひが風の斷え間に漂つて來る。
晝食をすまして仕事の添削にとりかゝる。今日は割合に上手な人たちの詠草が眼にふれた。時には何とも早や持て餘す程度のによく出會ふことがあるのだ。可なり苦しい事業だが、當分これによつて生活費を得て行かうと思ふので、先づ/\怠けずに働くことにする。それに僅かに一度二度短い言葉をかけたことによつてこちらで驚くほどめき/\と上手になつて く人たちを見てゐると、矢張り愉快な仕事の一つであると思はねばならなくなる。
夕食もまた辨當屋から辨當をとりよせてたべた。いつのまにか風もぴつたりと凪いで濡れたや(317)うに靜かな夕暮だ。落日後のひかりの匂ひ立つてゐる夕空には木の梢や學校や百姓家の屋根がしつとりと浮んで、思ひもよらなかつた小さな薄い色の月も出て居る。あまりに靜かなので仕事も既《も》う手につかず、出がけに岩淵君を誘つて自宅へ歸る。細君の机の上には一寸近所まで出て來る旨が原稿紙に認めてあつて、l家のうちには誰もゐない。冷たい室の隅に今日屆いた郵便物と書物とが積んであつた。郵便は多く投稿で見馴れた文字見馴れぬ字きたない字氣持の好い文字が次ぎ次ぎに眼にうつる。書物は實に嬉しい二册であつた。一は吉江孤雁氏の「水の上」一は三木露風君の「白き手の獵人」である。暫くも手を離すのが惜しいやうであちこちと見くらべて居る。他に雜誌もあつた。「モザイク」「假面」及び「生活と藝術」。
兩人とも黙つて、書齋にもゆかず電燈の下でそれらのものに見入つてゐたが、ふと氣がつくとまるで喰ひ入るやうに秋の夜の冷たい靜寂が身にしみる。つく/”\淋しくなつて探すともなく勝手の方へ行つて洋燈に灯をつけると其處にお馴染の貧乏徳利が立つてゐる。恐る/\取りあげてみるとなかなか重い。難有さに雀躍《こをどり》して早速七輪に火をつける、湯をわかす、冷たい鍋のものを温める、大車輪だ。電燈の眞下に食卓を置き兩人してゆつくりと酌む。一人は雜誌見ながら、一人は鮮かな四六判の本を抱へ込みながら、幾程もなく、兩人ともほか/\と醉つてしまつた。其處へ東京堂から追加註文の葉書が來た。早速岩淵君に荷包みをして貰つて、細君の歸つたのと引(318)違へに郵便局に出しに行つた。辻町で別れて私一人伊達公邸附近を散歩して歸宅。二階に上り書物を讀みながらいつかしら睡る。一時ごろでもあつたらう。
十月五日、曇。
けふは無闇に黙つてゐたく、そしてぢつとしてゐられない日であつた。例のごとく仕事に行くつもりで早朝家を出てそのまゝ一日中歩き廻つてしまつた。池袋の或る工場附近の裏長屋では四十女が物さしで七つ八つの蒼い娘をぶちつけてゐた。大塚と板橋との間の路では十四五の小僧の自轉車が三十位ゐの職人にぶちつかり、職人はいきなり小僧の首をつまみ寄せて三つ四つ平手打に頭を殴つた。その職人の掌の大きさが一尺四方もあるやうにツイ側を通りかゝつた私には見えた。廢兵院附近の或る大きな牧場では四五十の牛がみな沼みたやうな泥の上に前脚を折り乳首をうづめて寢ころんでゐた。そして唯だ一疋小屋のなかに立つてゐる牛の股間からは赤い濡れたものが二三尺も垂れ下つてゐた。病氣してゐるのか、分娩でもしたあとかと思つた。私は寧ろ舌よりも頭で煙草を吸ふ傾きがある。平常は別にすひたいとも思はないものが、頭の具合では無闇にふか/\とやる。今日などはまるで齧りつくやうにして吸つて歩いたので、あとで咽喉がいら/\して來た。染井の附近の森のなかでは赤い厚いきれいな着物を着た四つ五つの女の兒が茂つた芝(319)のなかで泣いてゐるので、四邊を見ると、遙か奥の松の木の間で姉とも見える同じく美しい娘が二三人しきりに蜻蛉をとつてゐた。田端の畑のなかを流れてゐる溝に何かの死骸が懸つてゐた。初め猫とおもひ、少し大きいのと毛のあらいのとで犬と知つた。市街と丘と鐵道とに圍まれた僅かの平地の畑には實に雜多な野菜が作られて、黒や淺黄の着物を着た百姓たちが其處で腰を屈めて大きな蜘蛛のやうに働いてゐた。田端より上野に出でむとし、また引返して動坂《どうざか》より白山《はくさん》水道橋を經て神田の三崎町まで歩いた。そして其處のヴイナス倶樂部といふのへ入つて白樺社主催梅原良三郎といふ人の繪畫展覽會を見た。可なり永らくその冷たい室に居て、更に附近に友人を訪ね、そして須田町まで行つて一緒に夕食を喰つた。流石に疲れて、うと/\と電車に睡つて十時すぎ歸宅。一體今日は何里位ゐ歩いたらう。
十月十二日、快晴。
昨夜土曜にて和田山蘭君來泊。用があるとて朝早く歸らうとするのを引留め一緒に巣鴨の岩淵君を訪ふ。出來たら其處でする氣にて「創作」の選歌を一抱へかゝへながら。
非常にいゝ天氣である。まつたくの秋晴で日光にも温度にも申分がない。案のごとくちよつと其處等を散歩しようといふ話になり三人連立つて歩き始めた。不良少年を集めた家庭學校、廢兵(320)院、孤兒を養つてゐる養育院分院、一二の宗教学校、狂人病院、それに監獄など、この邊には妙なものが多い。それらの間を歩きながら、それから出た人生問題社會問題など、大分話に實が入つて來て、ツイ池袋を通りすぎ鬼子母神に辿りついた。止せといふのに岩淵君は例の名物の尾花で出来た木兎《みみづく》を買ひこみ得意げにかついで歩く。此處まで來たら早稻田に原田實君を訪ねようといふので、また歩く。斯んな好い天氣にも係らず、同君はせつせと何か勉強してゐた。ひとに逢ふとともすればすぐ上つ調子になりがちな自分の惡癖もこの友に逢ふ時だけは全く起らない。今日もどさ/\と室内に入り込んで座につくと、いつ知らず靜かなおちついた氣分になつてしまつた。二時間ちかく話し込んでとう/\同君をも誘ひ出し、更に戸山が原の方に足を向けた。四五年前の五六年間といふもの、殆んで朝夕行き馴れてゐたこの原にも近頃久しくそむいてゐた。偶然斯うして通りかゝつて見ると、さながら舊友にでも出會つたやうな可懷《なつか》しい哀情がきざして來る。然し僅かの間に驚くほど其處等が變つてゐる。島村先生のお宅といふのをも初めて見た。わざ/\その門前を通つて見る。二階の戸の閉つてゐるので、いま大阪で藝術座開演中のことなど思ひ出した。大阪の秋もいゝだらうと思ふ。秋の京都の舊寺廻りもして見たい。其處此處としきりにまた旅情が動く。草原にねころんで足袋までぬいで誘惑に滿ちた日光に身をさらしながら、しきりにそれこれと心を惱ます。近くには絣の岩淵君、柔い縞物の原田君、紺の背廣の和田君、(321)みなてんでに草原にねてぽつねんと日に浸つてゐる。岸田劉生といふ人の畫から拔けて來たやうな中學生が大股ですつと向うの丘を通る。ツイ側に若い阿母《おかあ》さんが本を讀みながら小さい男の子を遊ばしてゐる。男の子が持つてゐた凧の糸が離れて小さな凧がふわ/\と向ふへ落ちてゆく、本を伏せた阿母さんがそれを追つて立つ。楢の蔭で十二三の少年が畫をかいてゐる、向うを見ては手帳を見る。色のいゝ横顔のあたりに陽災でも立つてゐさうだ。
醉つたやうな氣持でふら/\と原を拔け、柏木の華洲園に行くことにした。落合の小さな坂を歩みながら原田君が突然、近いうちに皆して遠足會をやつたら如何だらうと言ひ出した。斯うして三人か五人づつ離れ/\になつて話でもして行つたら嘸ぞ愉快だらうといふのだ。自分自身もかねてさういふ希望があつたので直でに賛成し他の兩君もみな悦んだ。それまでに脚絆を買はなくちやと原田君がいふと、岩淵君は僕は官服で行かうかといふ。それは面白からう、がちやりがちやりサーベルを鳴らして歩くのも豪氣だらうぜと衆議一決したのであつたが、やがてしてせめてその日一斗樽の一つも誰か寄附しないかなアといふ話が起ると、同君は惶《あわ》てゝ前の官服説を取消した。華洲園は實に見ごとであつた。ほんとに海のやうに咲き滿ちたダリア、コスモスその他の秋草の花のなかに入つてゆくと、疲れ果てた心にも急に鮮かな血がめぐり始めるやうで、子供のやうに心がときめいて動悸さへ打つ。一昨年あたりから度々自分は此處にやつて來る一人であ(322)るのだが、斯んなにきれいに整頓したのを見るのは初めてだ。今日はまた素晴しい人で園内のそこにも此處にも帽子やらさま/”\な色のパラソルが花のうへに浮いて動いてゐる。昨年か一昨年の夏のころ、自分はよく獨りで茲にやつて來た。古雑誌など賣つて電車賃を作つて來たこともある。その日は通り雨のしば/\する日であつた。園内には自分のほかにたゞ土いぢりをしてゐる二三の園丁がゐたばかり、誰もゐない。雨に濡れながら作つた歌を思ひ出した。「とほり雨すぎてダリアの園に照る葉月の朝の日のいろぞ憂き」「夏の樹のひかりのなかに鳥ぞ啼くいきあるものは死ねよとぞ啼く」など、よく/\靜かな心持になつて詠んだものをばなかなか忘れぬものである。
其處を出て更に新井のお藥師さまへ詣つた。たいへんな賑ひで三味やら唄やら、斯んな野原のなかで突然斯んな所に出會ふと狐にでもつまゝれたやうで安からぬ心地になる。其處から中野へ出て福永挽歌君を訪ねた。丁度加藤朝鳥君、光用穆君も來てゐて尻端折の我等の姿を見て驚いた。福永君にもしばらく振りであつた。度々留守を喰してゐたので今日は一寸そのお詫びに立寄つた心でもあつた。廣い庭にはだいぶ夫婦の丹精の草花なども見えて、靜かに自分獨りの日を送つてゐる友の境遇がそゞろに羨しい。福永君、原田君、及び光用君など、どこか似通つた性格があるやうだと三人の顔を見くらべて考へる。僕の宅に斯んなに多勢お客のあつたことは初めてだよ(323)と言ひながら家内總がかりでお茶など出る。ほんとに餘り多勢なので心を殘して我等の一組は程々で先づ引取つた。中野から電車、岩淵君の折つて來た薄を持たされて乘つてゐると人がよく此方を見る。秋草を持つて電車に乘るがらでもあるまいと心中しきりに苦笑せられる。原田君は大久保で下車、我等三人は大塚で降りた。そして今夜が十三夜であることに氣がついて、十五夜のお月見をば創作社でやつた。今夜やらないと片月見になつて惡からうぜと謎をかけて岩淵君を陷れ終に同君に一升買はせることにした。和田君は途で鮒のすゞめ燒とらつきよう漬とを買ひ込んだ。大いに安心して途中で湯屋にとび込み熱いやつにゆつたりと浸りながら終日の汗を流し、表に出るともうお月さまが森の上にあからんでいらつしやる。荷厄介にして來た薄を瓶にさし、木兎をも添へてそのかげで三人ゆつくりと酌む。「創作」の歌の批評など盛んに出ていつもより杯も早く進む。主人の優男はいつのまにかちんころのやうに丸くなつて食卓のかげに睡つてしまひ、疎林翁と自分だけは更に大いに酒宴に追加を命じて飽かず酌む。
陶然として兩人は睡つた主人をそのまゝに森の家に別れを告げ、よれつもつれつして創作社に歸つて眠つた。今日も隨分歩いたが、その割合に勞れもせず、何も彼も愉快な日であつた。その代りに二三日のうちに一晩か二晩の徹夜をやらねばならぬ。――大正二年――
(324) 津輕の友に寄する手紙
奥州北津輕郡松島村にて、加藤東籬君。
私は實に君に幾本かの手紙の負債を負つてゐます。君を憶ひ起すごとに先づその苦痛が心に浮びます。今夜はその埋合せにこの手紙を書いて、お詫びの心持に代へたいと思ひます。そしてそれを雑誌に載することを許して下さい。實をいふと單に君に對してのみならず、たいへん親しく思つてゐる誰彼の諸君にも悉く私は無沙汰をしてゐます。夫等《それら》の人達に對しても多少なり私の現状をお知らせする便宜を供したいと思ふのです。唯一人、おしやべりの相手に選ばれた君は誠に御迷惑かも知れません。それも赦して下さい。
この秋から冬にかけて御上京になるやうなことをかねて君御自身よりも通知があり、和田君よりも聞いてゐましたので、誠に待つてゐました。それが土地の凶作のために延期せられたといふ時のあのお便りをば最も身にしみて拜見しました。毎朝新聞で眼に馴れてゐる東北凶作記事の關(325)係中に自身の親しい人を見出すことは、半ば豫期せうれたことながら今さらの驚きであり、苦痛でありました。君とは手紙の往復をしたりなどしてゐますから明らかにさうと知りました。知らない人で同じくこの凶變に會つてゐる人も屹度多からうと思ひます。同じ雑誌でお互に作品を見合つたりしてゐますだけ、夫等の人たちに對して誠にお氣の毒に思はざるを得ません。そして、東北といふ未知の土地に對する深い同情と親愛とを感ぜざるを得ません。
そのなかに在つて君が別にそれを咎めやうともせず、一言の愚痴をも言はず、また徐ろに新しい企畫をたてゝ、堆肥とやらいふものを作るために朝夕落葉を掃いてゐるとあつたあのお便りは、ほんとに事新しく君の面目をしのばせずにはおきませんでした。君が松島村々役場の助役で、三十七八歳の無口な白皙な偉丈夫で、四五人の子女のお父さんで、同時に老父母に仕ふる忠實な息子さんであることなど、みな新たに私の心の裡に思ひ起されました。そして遠い地平を限る秋の山脈には既に白々と雪が見えて、荒れに荒れた平原を吹き廻る風のなかの木立に靜かに落葉を集めてゐる未見の友をあり/\と心の裡に描きました。村の集會か何かの歸りに氷つたやうな月夜の村を獨りで歩いてゐる君、うす赤い洋燈の光線のなかに靜座して新しい書籍を求めておゐでる君、――歌を通して、手紙を通して私はいつでもさうした君を自身の心の裡に認めます。
そして、手紙毎に怖れてゐらした、大吹雪のなかに密閉されて了ふといふ時期の殆んど最中で(326)はないかと昨今の君の事を今夜私は寢ざめの床のなかで不圖思ひつきました。約束してそのまゝになつてゐる書籍送付の事をも、延いていま心苦しく思つてゐるところです。屹度何か送ります。
私は相變らずの私です。といふより、私はだん/\自身といふものをくだらなくして行くやうに思はれてなりません。私はよく自身に對して種々な希望を提出した男です。あゝもしたい、斯うもさせたいと、それは實にいろ/\なことを自身の上に構へました。考へてみると、唯の一つそれが實際に行はれてゐないではありませんか。この頃ではもう馬鹿々々しくて、何の妄想をすら自身の上に一描きません。それでも兎に角生きた塊です。さうなつたことの苦痛と愚劣さとをば感ぜないわけに行かぬと見えます。今日もぼんやり新聞か何かを讀みかけてゐて不圖その辛い衝動みたいなものに襲はれて立上りざま家を出ました。別に行くところもなく、手近の植物園の方へ歩きました。ぞく/\しながら、半ばはベソをかいて、無意識に歩いたのです。そんな場合、どんなに人間といふものが、世の中といふものが、うら悲しく、またつまらなく見えるでせう。通りすがりの貧民窟には腐れたやうな子供がうじや/\してゐました。帽子を作る工場、機械を造る工場、その他何々と並んでゐる壕端の工場からはいやに含み聲の氣味のわるい音響が漏れて、蒸氣と煙とはその物々しい煙筒から立ち昇つてゐるのです。私は殆んど何か獨り言を呟きながら(327)いかにも重大な用事を持つた人のやうに急いでその間を拔けて、植物園のずつと奥の、人もあまり來ない何かの針葉樹林のなかの芝生に行つて急いで身對を横たへました。
つづまりこれを歌にすれば、落葉木立に泣きに來ぬといつた所なのでせう。實際昔はよくその邊へ泣きに行つたものです。そして正直に歌の二三十首も作つて悦んで歸つたものです。今は一切がつまらない。それに寢てゐると云つても冬のことで芝生は薄いし、おまけに雨上りと來てゐますから、すぐじと/\に地の冷たさが着物を通して來ます。暫くはそれにも物ぐさく、ぢつとしてゐましたが、また起上つて、今度は温室の方へ行つてみました。植物だか動物だか解らないやうなあやしい形と匂ひと色とを持つてゐる南國の木や草は、久しぶりではあつたし、さすがに私の目を引立たせました。ぢいつと見詰めてゐますと、例の浮氣心がそろ/\と起きて來て、旅がしたいといふやうなことを思ひ出しました。然しそれもほんの瞬間で、次に私は園内の一隅に飼つてある猿の前に立ちました。猿と私とは夙《と》うからの仲好しで、私はよく上野の動物園の猿公のまへに一時間を賛すことを悦びました。ところが今日のは寒さにいぢけたせゐか、ただゝ然と坐つたきり、殆んど何の活動をも試みませんのですつかり失望して、終にまた手近のベンチにぼんやり腰を下しました。靜かな日で、ずつと立ち並んだ落葉樹林などはまるで煙つてゐるやうです。時季が時季ですから、無論人影は少ない方ですが、でもなかに實に美しい女の歩いてゐるの(328)などがゐました。際立つて匂やかな頬、輝いたその眼、冬の植物園、あの女は屹度戀をしてゐる、と思つたのがもとで、女にでも惚れて見たいとしみ/”\心に言つてみました。昔は惚れて貰ひたかつたのでせう、今はこちらからぞつこん惚れて行きたいと思ひます。身を焦すやうな惚れかたがしてみたいと思ひます。
たうとう植物園の門を出たときは、前とは異つた寂寞が改めて身に沁みました。でも何處へもゆく所はなし、ぼんやりとまた宅へ歸りました。細君に頼んで熱いやつにありついて意氣地もなく醉つて、この隱遁所《いんとんしよ》へやつて來て、一度机の前に坐つて、耐へられなくなつて床の中に潜りました。それから眼がさめて起上つてこれを書いてゐるのです。いまはもう午前の三時か四時の筈です。ずゐぶん寒さが身にこたへます。でも、何だか好い氣持です。隱遁所とは、私は十一月の初めから自宅の附近に一室を借りて、其處を自分獨りのぼんやりする所ときめてゐます。その室もこのごろ人に知られて、我儘孤獨を貪ることが出來なくなりましたから、また何處かへ移らなくてはなりません。
自分を信ぜず、すべてのものを信ぜず愛しないほど、いやな苦しいものはないと思ひます。眼の前に何のあてもなくなります。歩かうとして第一方向がありません。無論途もありません。掴(329)まうとして其處に藁しべ一本ありません。ぼんやり佇立することが實に忍び難いのです。今日――もう昨日になつたわけですが――半日の日記みたやうなものなど、實に久しぶりの君にくだらぬことを永々と書いて、多少耻しくなりました。よく/\甘えたいやうな氣持にでもなつてゐるのでせう。
要するに此等の苦痛は、自分が居るべきところに居ないから起つて來るのではないのでせうか。(居るべき所にゐないといふ言葉は世間によくいふ不平といふ言葉ともたいへん似てゐるやうです。けれども、私の場合には全く異つたものとして私は感じてゐます。不平といへば私は先づ一種の浅薄な、偏狭な、表面ばかり、眼の前ばかりの感興や物質問題によつて動いてゆく所謂不平黨を思ひ浮べます。私も或はその一人であるかも知れない。が、少なくとも心の裡では全然さうあつてほしくない事を希つてゐるのです。私のこの不滿、苦痛が、自然に無意識に私の身體に起つてゐる身熱や呼吸や血の循環やの如くにあつてほしいのです。)そして、斯の苦痛は矢張り自分といふものを知らないがために自然に生じて來るのだと思ひます。一度はつきりと自分を認知したならば、それを驚嘆し、愛撫し、生長させてゆくよりほか、また他事ありさうにも思はれません。疑惧したり、愁訴したりしてゐるひまなど無い筈だと思はれます。
(330) 何故、其處へ行けないのでせう。
然し、私は多くの人々に比し、目下在り得てるだけの地位をも、やゝ幸福に感じてゐます。他の多くはその地位にすら達してゐないと思はれます。
早い話が昨今の歌のくだらなさを御覽なさい。大概は在つても無くてもいゝやうなものばかりではありませんか。いはゆる月評子か、又はその月評子を前においた時の個々の作家にとつてのみ存在の意義を持つたやうな歌は、一體何に價するのでせう。
第一我等の『創作』の歌をして、もつと熱あり、光あり、力あるものにしたいではありませんか。我等は自身の生命を玩弄にする勇氣がありません。また、マア/\と言つて徒らに自ら泣き自ら笑ひ自ら慰めてゐるに耐へかねます。どうしても根本から滿足する程度にまで、自分を持上げなくてはなりませぬ。自ら滿足し、緊張すると同時に、他へ對しても同樣の動きを及ぼしたく思ひます。大きく云へば宇宙のものをさうしたいのです。そしていつも言ひます通り、その時、歌は私の鏡であり、呼吸であるのです。
饒舌は、然し、常に空しいものです。丁度いま其處此處に汽笛が鳴り出しました。もう明ける(331)のでせう。このごろ、私にとつて朝は必ず苦痛なものとなつてゐますが、今朝はさうで無ささうです。とにかく、これで筆を擱きます。左樣なら。
是非この春の會ではお目にかかりたいものです。(一月某日)――大正三年――
(332) 鷹
知つてゐる人は知つてゐるであらう、山の深い眞晝の空に高く/\輪をかいて啼いてゐる鷹の聲ほど身にしみて靜かなものは多くあるまい。
私の居る濱の裏の山に二羽の鷹が栖んでゐる。無論こんな半島の山のことで決して深山ではないが、全山悉く繁茂した松林で、而かも傾斜の極めて急な峰が三つ相接して聳えてゐるのでいかにも深い峽間《はざま》を思はせる。その峰の一つの頂近いところに彼等はいつも啼きながらまつてゐる。二羽一緒のこともある、一羽だけ姿を見せてゐることもある。いま雛でもそだてゝゐるのではないかと思はれる。昨今恰度松の穗さきの延び揃つたさかりで、その峽間に歩み入るとまるで身體の毛穴に迄松の匂が浸み入るやうだ。峰のうしろは初夏特有のなやましい雲の峰がわづかに影を見せて輝いてゐる。何處かで水の流れてゐる響もする。時にはまた忘られたやうに晝の月の浮んでゐることもある。その深い空の片すみに小さく影を刻んで、高く/\殆んど聲そのものでゝもあるかのやうに澄み徹つた、鋭い、しかもいひ難く物あはれな音いでほろ/\啼いてゐるのを(333)聞くと、私はもうそのまゝ地べたにつき坐つてしまひたいやうなやるせない心地になつてゆく。七つか八つの頃故郷の山を彷徨してゐた少年の自身を憶ひ起すことなどもある。
時としてはこの鷹がその峯を離れて遠く沖の方の雲のかげを舞つてゐるのを見出すこともある。そんな時など、おゝ友よと、思はず知らず心の中で呼びかけずにはゐられない。まこと、彼等はいま私にとつて最も親しいなつかしい友である。――大正四年――
(334) 浦賀港
浦賀といへば直ぐ黒船を聯想する。七八年も前になつた、房州に渡る途中、甲板の上から私は初めてその黒船の港を見たのである。意外にも其處は山奥の瀞《とろ》にでもありさうな錆と靜寂とを持つた古い小さい港であつた。蹄鐵形に雙方からさし出た木深い小山の間に、狹いながらも極く深い潮がとろとろに湛へられて、古めかしい町家が矢張り蹄鐵形にその山の麓にぎつしりと固つてゐた。一つの小山が海に落つる端の所は高い崖となつて、その頂には松が老い茂り、深い木の間には寂びた石の鳥居が見えてゐた。早咲きの梅もとび/\に見え、町から空には小さな鴎が幾つもまつてゐた。
更に異樣に眼についたのはその寂しい港の奥に一艘の巨大な汽船が全體を朱色に塗られて半ばは傾き、煙突も帆柱も取り除かれたまゝ浮んでゐることであつた。聞けば此處には船渠《ドツク》會社があり、專ら汽船の修繕を行つてゐるとのことで、なるほど、町の中央どころに土地不似合いな大きな煙突が聳え、黒々と煙を吐いてゐるのが續いて目についた。朱色の船の内外には職工らしい者が散(335)見して、大きな鐵板を打つ槌の響が冴えて起つてゐた。港そのものまでも何だか廢物らしく思はせて響いてゐた。
その港の近くに住むやうにならうとは眞實思ひがけぬことであつた。初め私はこの下浦《したうら》といふ所をも今少しは開けた、物賣る店の十軒なり二十軒なり並んでゐる所だとのみ豫想してゐた。所が來て見れば全くの漁村で、郵便局すら浦賀まで行かねばならぬといふ有樣である。浦賀は此處から東一里半ほゞ海岸傳ひで二つの小さな峠を越す。自然私は月に一囘か二囘、其處に通はねばならぬ事となつた、爲替の受取りまたは何彼と品物の買入れに。
初めて浦賀の町に足を入れたのは當地移住後十日か二十日の頃であつた。春日煕々《しゆんじつくく》といふに打つて着けた麗らかな日で、明日か明後日かと櫻の咲くのが待たれてゐた。港の西岸に在る愛宕山といふは櫻の名所で可なりの苗木が数百本|植《うわ》つて居る。町も從つて浮き立つて、行き交ふ女など極めて美しく私の眼に映つた。これは/\と意外の賑ひに私は心をときめかした。けれど、要するにそれは當時私の眼が痩せてゐたからで――東京を出て十日なり二十日なり浪と砂との間に小さくなつてゐたゝめに――二度三度と通ふうちに浪にも馴れ砂にも馴れまた浦賀そのものにも馴れて、以前汽船の甲板から眺めた印象通りの寂しい港町となつてしまつた。
眞實浦賀はいま寂びれた港となつて居る。昔は此處に幕府の御船番所なるものがあつて、陸路(336)の箱根や碓氷の關所と同じく、江戸に通ふ船といふ船悉く一度はこの小さな港に寄らねばならなかつたのださうだ。で、その賑ひは甚しく、土地不似合な長者の家も數多あつた。現に此處に寄港する者の誰にでも眼につく宏大な邸宅を殘して亡んで行つた大黒屋とかいふ家の主人などは東京の銀行で印形を持たずに唯だその顔だけで何千でも何萬でもの取引が易々として行はれたものださうだ。所有の千石船の何十艘か何百艘かを港に集めてその高樓から打ち眺め乍らよく長夜の宴を張つたといふ。それも終《つひ》に亡び他はみな夙くに消え失せて、つまり魂を拔かれた町として浦賀はいま殘つてゐるのである。さうした長者連の代りに煤にまみれた船渠會社の職工が街路に滿ち、眞帆片帆の千石船の代りに傷き痛んだ修繕汽船が時たまこつそり這入つて來ることゝなつた。まつたく浦賀はいまこの船渠會社で保つてゐるのだ。
昨年の春の末、束京から訪ねて來た若い洋畫家と横須賀に遊び、歸りにこの浦賀を通つた。途中で雨に遭ひ濡れつゝ町を歩きながら何處かで晝飯を喰べやうと然るべき家を探したがなかなか見つからない。大きな看板をかけた家はあるがそれには兩人共懷中が痩せてゐる。殆んど町中を歩き盡した末、とある裏通りに漸く一軒見つけた。御茶漬といふ行燈を掲げて、見るからに東京の繩暖簾式である。重い格子戸を開けて入ると、豫想した腰掛臺は無くて、無愛想な老人が二階への楷子段を指す。まごつきながらも足を洗ひ二階に上つた。これはまた意外、三四十疊は確かに(337)敷ける座敷で、それが三つか四つに區切られて居る。柱も襖も古色蒼然たるもので、雨の日の取分けても薄暗い。刺身と天麩羅が出來るといふのでそれを言ひ付け、何だが不思議な氣持で兩人とも顔を見合せたまゝ燗の出來るのを待つた。出來て來たのを見ればこれはまた意外、なか/\飲める酒である。肴もさうで、刺身は無論、天麩羅だとて東京のものにさう劣るべくも思はれぬ。悉く嬉しくなつて腰を据ゑ、晝飯はたうとう夕食になつてしまつた。低い窓の障子をあけると思ひもかけぬ山が其處に迫つて、僅かに紅葩《こうは》を殘した櫻の梢が雨に濡れて居た。前に言つた愛宕山の裏に當つてゐたのである。其後土地一流と言はれて宿る料理屋をも廻つてみたが、高いばかりで味は無い。以來私の浦賀通ひのよろこびはその不思議な家に寄ることによつて滿たされることになつた。
とにかく浦賀はいま私にとつての首府である。浦賀に行く、といふことはたいへんなことである。尻ひつからげて一里半、歸りには持てるだけのものを擔いで來る、乾物、牛肉、玩具、菓子。或時、ウヰスキイを一本買つたはいゝが、ちやんぼん/\といふ風呂敷がくれの音に忍び兼ね、途中の峠でたうとうあけてしまひ、他の荷物まで振り落して歸つたこともあつた。――大正五年――
(338) 「白雪」の話
津の國の伊丹の町ゆはるばると白雪來るその酒來る
眞酒こは御《み》そらに散らふしら雪のかなしき名負ひ白雪來る
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
白雪と聞けばかなしも早もかもその白雪を手に取らましを
手に取らば消《け》なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ燒く
白雪は白雪はとて待つくるしその白雪はいまだにかあらむ
をりからや梅の花さへ咲き垂れて白雪を待つその白雪を
數年前、大阪に四五日間滯在して居たことがあつた。滯在の終らうといふ前日、創作社社友であつたK――君が二三の青年紳士と共に私を訪れて、大阪の酒にはもう大概お倦きでせうから今日は一つ變つた所で一杯やりませうと誘ひ立てた。停車場から離れた汽車は折から夕暮の黒い(339)樣な大市街を離れて平野の中を走る。一時間ほど經つたであらうか、此處です、と促されて降りた。停車場の立札には「いたみ」とあつた。はゝア、と思つてゐるうちに我々は寧ろ奇妙な巷路に歩み入つた。町といひたいが、巷路の方が相應《ふさは》しい。路は唯だ眞白な、冷たい、廣大な白壁と白壁との間を通つてゐるのである。それが隨分續いた。いづれもこれには酒が滿ちてゐるのだと聞いた時、期せずして私の胸は波打つた。
藏と藏との間に在る靜かな一軒の料理屋に我等は入つた。そして、今日はこの伊丹中でも出來るだけの酒をお勸めしますから一體どれが一番おくちに合ひませうといふことであつた。その時これがいいと言つたのだらうと思はるゝ白雪の酒が先日はる/”\とこの三浦半島まで送られて來た。當時のK――君が同じ社友のT――君と共にわざ/\その伊丹まで行つて小西釀造元から荷造して送つて呉れたのである。
この村までは鐵道便が利かない。で、横須賀に居る友人に取次いで送つて貰ふことに手筈をきめて、サテ一日千秋の思ひで待ち受けたがなか/\來ない。たうとうたまり兼ねて或日の午後道程四里の横須賀まで出向いて行つた。品ものは折も折、丁度その日に着いた所であつた。その内容を知つてゐる其處の友人連はどうしても荷造りを解けと言ふ。面を赤らめ合つてまで私はそれを峻拒したが、可哀相にもなつて、それでは僕の村までやつて來給へ、その熱心があつたら少しは(340)割愛しやうと言ひ置いて抱《かか》へて歸つた。まさか來はしまいと思つてゐた所、それから二三日後の日曜日にひよつくり二人連でやつて來た。たゞ飲むも氣の毒と思つたのだらう、手にはてんでに色々なたべものを提げて來た。たうとうほんとに來たのか、實はあんまりうまいので濟まないと思ひつゝ大方もう平げたのだが幸に少うし殘つて居る、と言ひながらその日は非常によく晴れてゐたのでそのまゝ二人を誘つてその酒をば四合瓶一本(實はまだ澤山あつたのだ)、他は土地の酒屋から取つたのを提げて前の濱の松林に出かけて行つた。――大正五年――
(341) 旅から歸つて
棕梠の花が散りそめた。またもとの寂しい木に返らねばならぬ。
縁側に出ると直ぐ眼の前にこの木が三本並んでゐる。いづれも二間から三間近い高さの老木で、その下には無花果が、極めて低く廣く枝を張つて居る。若葉の蔭には例のうすい青い果實が、もう澤山|實《な》つて居る。無花果の蔭に飲料不適の札を貼られた古井戸があり、その井戸から眞南に細い徑が通じて居るが、今は雙方から麥に掩ひ狹められて殆んど歩き難い。方圖もなく長引いた北國の旅から、流石に何だかきまりのわるい思ひをしながら、自分の肩までも延びた青麥の穗を驚いて見廻しつゝこの徑を通つて歸つて來たのは今月の朔日《ついたち》であつた。その代りこれから俺が留守居をするからゆつくり遊んで來るがよいと妻子をその實家の方へ旅立たしたのはその翌日であつた。さうして獨り殘ると同時に私は床についてしまつた。氣候が急變したゝめか、風邪を引いたのがもとで、例の腦が痛み出した。旅の疲れが出た、といふ方が適當かも知れない。
夙つくに濟まさねばならなかつた仕事が留守の間に隨分溜つてゐた。妻の希望を容れて直ぐ信(342)州へ立たせたのも、ひとつはその仕事を急いで片附けたいからでもあつた。ところが、仕事どころか、頸から枕、枕から肩まで濡らしつゝ自分自身で頭を冷さねばならぬ事になつたのである。
努めて床から離れて居ようとした。縁側に出て見ると、きら/\光つた庭さきに續いた畑には重々と大麥小麥が穗を垂れてゐる。畑向うの丘の松林には、すつかり穗が伸び花が著いて、それを越えた海の空にはむく/\と惱ましい雲の峯が湧いて居る。三本の棕梠の木には毎日さわやかな風が吹いて、いつとなくその輝いた葉の蔭に黄色い花が見え出した。ほんの昨日まではまだ梅すら咲かぬ、雪のまだらな國に留つてゐた身にとつて、今年は一層この花が眼を惹いた。
朝曇つて晝かけて照り出す。さうした日が幾日か續いて居る。今日こそは來ませうよ、と宿の婆さんが今挨拶してゐたが、なか/\雨になりさうもない。百姓はみな田が乾いて植ゑつけに困つてゐるのださうだ。
降らうか、照らうかといふ今日のやうな空模樣が頭のわるい身には最もよくない。四五日前から床をなあげて強ひて机の側に來てゐるのだが、どうも永く坐つてゐられない。坐つてゐるにしても空しく時計の鳴るのを數へてゐる位のものだ。
棕梠は早や散りかけたが、蜜柑の花は今漸く盛りにならうとして居る。棕梠と違つて見榮えの(343)せぬ花だが、それでも極く靜かな、かをりの高いものである。よく晴れた日など、障子を通して濃い香が机のほとりまで流れて來る。家のめぐりには十數本その木が茂つて居る。
家のめぐりの庭とも畑ともつかぬ所を宿の人たちは、園と呼んでゐる。園に出て見るといま隨分いろいろのものが眼につく。蜜柑の木も凡てこの園にあるのだ。
家も園も小さな丘を背負つて居る。丘は深い椿の木立だ。どうかすると暗い葉がくれにまだ散り残りの眞赤な花を見る事がある。その木立の前側一通りにまばらに山櫻が植ゑてあつて、小さな櫻んぼが草の上などに澤山散つて居る。やがて梢に這ひ上る子供の群を見ることであらう。
柿はまだ早い、形の面白い蕾のまゝで居る。枝を張つた老梅には、今年は澤山の實がついた。先日の暴風雨で餘程吹き落されたが、それでもまだ十分殘つて居る。枇杷も今年は豐年の樣だ。この木も十本位ゐある。杏は駄目かも知れぬ。
桑の實も可愛いものだ。うす紅のや濃紫に熟れたのや、雨を欲しげに實つてゐる。桑と入れ混ぜに茶が竝んでゐる。芽をつまれて今は侘しい姿である。旅から歸つた日、次の部屋から新茶を作る匂ひが漏れてゐた。
大きな葱坊主がゆく春の名殘を留めて居れば、菜たねの莢《さや》も果敢ない思ひ出を語つて居る。それらの傍には玉蜀黍の芽生や甘藷《いも》の苗床が近づいた盛夏をほのめかして居る。馬鈴薯は既に伸び(344)た。今にもあの白い花が咲き出さうだ。隅々には紫蘇が勢ひよく新しい葉をひろげてゐる。
蕗やみつばの時季も既に過ぎた。今はそれらの蔭の和蘭苺のうす青い實が毎朝瞳を惹く。
數本竝んだ蜜柑の木を園の境にしてそれから南は一帶に畑となつて居る。蠶豆《そらまめ》は程なく拔かれてしまふ。麥もそろ/\黄色くなつて來た。
園の中の小さな徑をずつと行き拔けると、左手が一段低い水田になつて、今は早苗が作つてある。
蛙の聲が一面だ。
右手がまた蠶豆の畑で、畑の中には二三本の蜜柑が匂ひ立つて居る。畑と田のはづれは、栗や杉や榎や珊瑚珠の木の淺い木立を境にして小さな溪が流れて居る。落葉に埋れてちろ/\流れてゐるのだが、諸處に小さな淵があつて、小鮒や沙魚《はぜ》が釣れる。
よく/\机の側に居られなくなると、縁側から下りてこの園の中をぶら/\歩く。よほど注意しても、蜘蛛の巣に顔や髪を引つ懸けられがちだ。朝露に輝いた蜘蛛はまだ幾らか可愛いゝが、夕方になると憎らしい。
此頃のやうに天氣が續いても此處の土は全く乾き切らず、下駄の音もしない。今日など、一層(345)もの靜かである。蜜柑は、然し、斯んな曇り日には匂はない。
矢張り旅のために、延び/\になつてゐたものなどあつて、近日中に自分の著書が一二種重なつて出ることになつてゐる。その不足の原稿を書き足すべき原稿紙、また赤インキで染つて居る校正刷。
通信教授の和歌の詠草。
返事を出さねばならぬ手紙、端書。
そんなものが机の上に、周圍に一杯滿ちて居る。
その机の隅を方二寸ばかり押しあけて一輪の雪白の芍薬が挿してある。昨日の午後切つて來て、今朝少し萎えてゐたが、切口を燒いて挿し直したらまた勢かがよくなつた。まつ白な花瓣から蕋にかけて小さな黒蟻が二疋あらこちしてゐる。匂ひがあるやうにもあり、無いやうにも思はれる。
原稿紙や詠草の上に眞白な笊が置いてある。中には蠶豆と莢豌豆とが入つて居る。今暫くは鰥夫暮《やもめぐら》しの形で、自分で食ふだけの事をば自分でやらねばならぬ。原稿を四五行書いて豆をむいたり、煙草を吸つたりして居るのである。
(346) 旅さきで私が餘り煙草を吸はないので意外がられたが、(歌にはたくきん歌つてあるさうだ。)時によつてはよく吸ふ。此頃たいへんうまい。それも、どの煙草がうまいのだかよく解らない。この机のめぐりにもいろ/\なのが轉つてゐる筈だ、バツト、カメリヤ、八千代、敷島など。
また齒がぢか/\痛む。
だん/\曇りがひどくなつて來たが、、眞實今日は降る氣かも知れない。肩から背に張つてある按摩膏が、何だかじと/\して來た樣だ。
それしても今日は郵便が馬鹿に遲い。(五月十七日、正午)――大正五年――
(347) 移り變り住む場所の話
『如何《どう》です、もう大概でこちらに出て來ませんか。』
『えゝ、さうも思つてますが……』
『何ですが、今の海岸は餘程いゝ所ですか。』
『いゝえ、極めてくだらぬ所です。でも、一寸腰を据ゑるとなかなか動けません。』
『それもさうですネ、それにこの夏などは海岸はいゝでせう。』
『あまりよくもありません。何しろ海邊ですから晝間は砂が燒けてゝ、一歩も戸外には出られません、朝晩はよござんすが。』
『さうですかねヱ、するといつがいゝのです、秋ですか。』
『左樣、秋もあまり好ましくもありません、風でも、浪でも、草木でも、始終ざわざわして居て少しも落ち着きがありませんから。先づ春でせうネ。冬の末から春にかけて、それからずつと春いつぱい、暮れてゆくころから夏の初めも惡くありません。十二月から菜の花も咲きますし、水(348)仙、椿、梅、それに海も山も砂もその頃は極めてしつとりしてゐて、好い氣持です。』
『さうでせうねヱ……、然しあなたは幸福だ、さうして好きなところにぢつとして居られることが出來るのだから。』
『あまり幸福でもありません。止むを得ずぢつとしてゐる形でせう。實際もう海にも飽きました。』
『では東京に出ていらつしやい。もうそろそろ出て來てもいゝ頃でせう。』
『えゝさうも思ひますがネ。實はこれから又一二年間、何處か山の中へ入つてゐたいとも考へてゐるのです。』
『へえ、何處です、信州ですか。』
『とも限りません。何處でもいゝのですがネ、東京から餘り不便でなく、溪あひで、樹木の深いところ、まアさう云つた所です。』
『あなたは海と山とどちらがお好きです。山ですか。』
『さうとも限りません。浮氣ですからどちらも好きなのですが……、それ、今も言つたやうにひとつは季校の關係もありませうし、ひとつは年齢やその時の心持によつても變りませう……。どうせ何處に行つた所で、さう面白からうとも思ひませんが、行つてみないことには氣がすみません。』
(349)『なる程、そして今は山の方がお好きだといふわけですネ。』
『さうです、無闇に山に入つて居たいのです。物音もあまりしないやうな、樹木と峯と雲と、それに溪川の流れの聞ゆるやうな所へぢいつと眼を瞑つて寢ころんで居たらどんなにか好い氣持だらうと思ひます。』
『…………』
『それにもう一つ望みがあるのです。それは湖です、湖畔です。それも山の中の湖で、深い樹木に圍まれたところが欲しいのです。頭の中に描くだけでも、さうした湖畔ほど世の中に靜かな所は無いやうに思はれます。』
『先月の雑誌にあなたは松原湖のことを書いておゐでゝしたネ。』
『えゝ書きました。ところが實はまだ行つて見たことは無いのです。ソラ、あの松原湖のことを書た中にD――君と云ふ青年のことがありましたらう。』
『えゝ、ありました。青山學院の生徒か何かの。』
『えゝさうです。彼は行つたさうです。初め白骨温泉に登る筈だつたのを變更して、八ケ岳の中腹にある澁の湯とかいふのに行つて、そして歸りに八ケ岳と蓼科山の間を越えて松原湖に出たのださうです。』
(350)『どんな所でせう。』
『たいへんいゝ所ださうです。落葉松や何かが茂つてゐて、小さいけれど深い、極めて靜かな湖ださうです。』
『宿屋でもありませうか。』
『あるさうです。ツイ水邊で、三階建か何かの可なり大きいものださうですが、宿屋そのものはあまり靜かで無かつたらしいのです。兎に角私は今年は行きそこねました。』
『來年もあるぢアありませんか。』
『えゝあります。けれど、思ひ立つて、その時に行けなかつた事は殘念です。松原湖にはいつでも行けませうが、さう思ひ立つた私の今年はもう永久に無いものになつてしまひました。』
『…………』
『幻影《まぼろし》に描いてゐる湖は幾つもあります。富士の七湖、赤城榛名の湖、中禅寺、十和田、北海道の何とか云ふの、まだ幾つもありますが、然しまた斯うも思ふのです、さうした湖の傍は暫くはいゝかも知れないが、永く住むには私には餘りに冷た過ぎるかも知れないと。』
『…………』
『矢張り唯だの山の方が親しみが深いかも知れません。一度は信州の輕井澤から越した上州の高(351)原に住んでみやうかと思つたことがありました。とても寂しくて住めるものかと友人に馬鹿にされて止しました。』
『でも、家族がお有りですから、あちこちなさるのは大變でせう。』
『まつたくです。けれどもまた私は斯うも考へてゐます。どうせ斯うぶらぶらしてゐられるのももう永いことぢア無い、今のうち二三年位ゐのものだらう、それならその間に思つたゞけのことをば兎に角遂行して置き度いものだと。思ひかけて置いて永久に手をかけずに濟ましてしまふことは、よかれ惡しかれ、私にとつては耐へ難い苦痛です。』
『それもそうですネ。然し……』
『……、然し何です。ハヽヽヽヽ、大丈夫ですよ、さう無茶なことはしません。山に移るといふのも或は唯ださう言つて見るだけのことになるかも知れません。だが、兎に角海岸には飽きました。』
『東京に出ていらつしやい。矢張り何と云つても東京です。』
『眞實《まつたく》ですネ、斯うして下宿屋の二階にごろごろしてゐても東京の難有さはつくづく解ります。生活と云ふものの隅から隅までを味はふといふのはどうしても都會に限ります。たとへ貧乏してゐても貪乏のし甲斐があります。今朝も斯ういふことがありました。私は御存じの通り朝が早い、(352)大抵四時には起きます。今朝も例の通り天神樣の境内から不忍の方へ散歩に出ました、……ア、君は不忍の蓮を御存じですか。いゝものですネ。私は何だか佛臭くて以前は食はず嫌ひの方でしたが、いま見るとなかなか好い。それもこの東京の隅の、あんな腐つた池に咲いてるから却つていゝのかも知れませんネ。いかにも疲れ切つたやうな朝の心に似合つた花です……。そして池を一めぐりして、いつになくおなかが空いたものですから、ツイ池のそばの「揚げ出し」に寄つて朝食を食ふことにしました。そして一風呂浴びて、一本熱くして貰つて豆腐の料理で靄の降つてる池を眺めながらちびちび飲みましたが、非常にうまかつた。朝の五時やそこいらから風呂に入れて、ゆつくり酒を飲ませるといふ家が田舍に在るものぢアありません。それで金だつて幾らも懸りませんからネ。』
『だから早く出ていらつしやい。出ておいでるとすると今度は何處らにお住みです。』
『さうですネ、櫻木町か根岸の邊はどうです。』
『ア、索敵だ、僕の大好きな所です。あの邊になさい。そして家は僕が探します。』
『………』
『僕はソラ、斯うしてまだ部屋住みの身で、自分の氣に入つた家など選擇するわけにゆきません。ですからせめて友人たちにでも自分の好きな家を勧め度くて、いつでも家を探すとなると大喜び(353)
で探します。』
『さうですか、では一つ願ひますかな。』
『承知しました。で、いつ頃です。』
『ハヽヽ、それはまだ解りません、何しろそれにすればそのつもりでまた一かせぎ稼がねばなりませんから。』
『ハヽヽヽ。』
『ハヽヽヽ。』(大正五年八月、本郷にて)
(354) お祖師樣詣り
私にはひとつ惡い癖がある。どうかしたはずみにちよつと調子を外すと、それからそれへと逸れて行つて、なか/\元通りに歸つて來ない。二三日前、或る心祝ひの事があつて、折柄出會つたE――君を捉へて輕く一杯を擧げたのがもとで、たうとう二三日を酒に浸つてしまつた。
十月十七日午前十一頃、空は紺青に晴れ渡つて、風もなく雲もない。窓のガラスを悉く開け放つて、その二三日間に溜つた急ぎの仕事を片附けるため、一生懸命になつて机にしがみついたが、何しろ激しい酒の續く間私は殆んど一粒も飯を食ふことをしないので腹に力が無く頭がぼうつとして、おまけに手ききがぶる/\慄へて、殆んど文字が書けない。先刻《さつき》から腹の内に起つてゐた苦笑や悔恨の情が、次第にいら/\しさに變つて來て、原稿紙か机の眞中にペンを突き立て度いやうな氣がともすれば起りがちになつて來た。
『ほんとによく晴れたなア、何だか少し氣味が惡いやうだ。』
同じ樣な状態から獨りでゐるに耐へかねたやうに今朝早く私の部屋にやつて來てごろごろして(355)ゐたE――君が、突然斯う言ひ出したので、それを機會《しほ》に私はたうとうペンを投げ出した。
『まつたくだ、何だか皮肉だネ。』
立ち上つて窓に腰かけながら心を靜めようと力めたが、餘りにしいんとした空や空氣や日光は却つていら/\しさを増させるばかりだ。をり/\木の葉をまき散らすやうに眞向ふの眞青な中空に天神樣の鳩がまひ上つては散つてゐる。
『オイ、いゝものをお目にかけようか。』
押入の襖をあけると私は大きな壜を取り出した。まだ黄いろい薄紙を卷いたまゝの一升壜である。
四五日前の留守中に某といふ人が持つて來て置いてくれたものだが、また出直して來ると言つたのを待つて、まだ口を切らなかつた。某と云ふのは未見の人である。
『ほゝオ、これは素敵だ、どうしたのです。』
『實はこれ/\なんだ、が、もう待ち切れないや、お先きに一杯頂戴しようよ、冷《ひや》でネ、燗となるとまた腰が据《すわ》る。』
琥珀色の、といふより淡緑色に見ゆる液體を滿たした壜は餘りに大きくて兩手でなくては酌ぐことも出來なかつた。一杯、二杯、三杯、大きなコツプは黙つて酌がれ、黙つて唇に運ばれた。(356)手早く私は机の上から座敷中を片附けてしまつたので、如何にも其處等が寂然としてゐる。この快晴に、而かもけふ旗日と來てゐるので大概外出してゐるらしく、下宿屋全體も平常《いつも》と打つて變つた靜かさである。積り積つた身内の醉は二三杯の冷酒に迎へられて、直ぐ四肢五體に廻つてしまつた。
其處へ女中が郵便を持つて來た。封を切つてみると五圓の小爲替が入つてゐた。私はすぐ何か思ひ當つて時計を見たが、いつの間にかもう十二時を過ぎてゐる。けふは旗日だ。十二時過ぎては郵便局は駄目だ。
殆んど一語をも交さないうちに一杯二杯とまたコツプは酌がれた。友は窓に、私は机に身體を凭せたまゝ、實際眼をも瞑つてゐたいやうな氣持で、時々手を動かしてゐた。
『かなり今度は續いたネ、ほんとに今日あたりで切り上げよう。もうそんなに未練も殘らないやうだ。』
『眞實《まつたく》だ、ほんとに今日で止しませう。何だかいやになつた。』
『僕もいやになつた、第一身體が言ふことをきかない。』
さう言ひながら私の机の上を見返つた。原稿紙とペンとが、その隅にきちんとして私を見てゐる。
(357)『それにしてもだ、ネ、郊外か何處か非常に靜かな所でもうすこし飲んで、充分に眠つて、それから元の身に歸り度いと思ふよ。此儘ぢア何だかまた後《あと》を引きさうで恐しい。君はさう思はないか。』
『さうネ、さうだと申し分なしだが、……思つたところで仕方が無いでせう。』
私はまたいま机の抽出にしまひ込んだ爲替のことを頭に置いた。そして、郊外のさうした靜かな場所を其處か此處かと考へて行つた。
突然障子があいたので、喫驚して見上ぐるとツイ近所に住んでゐる英ちやんが入つて來た。英ちやんは我々仲間でも××君と呼ばずに英ちやんと呼んでゐるほど年も若く、なりにも顔にも若旦那風の殘つてゐる人である。そして、頭が非常に聰明で、並外れたなまけ者である。
『ヤア、素晴しいものがありますネ。いゝ所に來たぞ。』
兎も角も私はコツプを一つ取り寄せた。それもわざと我々のよりずつと小さなものである。斯うした仲間にこの人の加はることを、この場合私は非常に恐れた。
咽喉でも渇いてゐたと見えて、我々兩人がとめるのも聞かずに彼はぐい/\と二三杯を引つかけた。そして直ぐ眞赤になつてしまつた。
その日、E――君や私が不思議に黙つてゐるので、自然彼も黙り込ん行つた。そして、所在な(358)げにちび/\コツプを取り上げては熱さうな息を吹いてゐたが、
『僕は二三日うちに青梅か日向和田に行きますよ。』
と、繼ぎ穗もなく言ひ出した。
『如何して何しに……』
『あんまり怠けた、自分ながら愛憎が盡きちやつた。其れで二三日ぢいつとしてゐて歸つてからうんと勉強するつもりです。』
それを聞くと、E――君は懶《ものう》いやうな眼を擧げて私を見た。私も微笑して彼を見返した。
『日向和田は仕方のない所だ、もつと他にいゝ所があるでせう。』
程經て言ふともなくさう言ひながら、私は妙に打ち解けた氣持になつた。
『實はネ、此處でいま斯ういふ話が出てゐる所なんです。』
と、三四日の續きを打ち切るために何處か靜かな所に行き度いこと、祭日で困つてゐることなど話してしまつた。
『一万はわけは無い。お出しなさい、私がいま取り代へて來てあげます。』
私は爲替券を取り出して彼に渡した。すると、何處で取りかへて來たものか、紙幣にしてばらばらと振りながら程なく歸つて來た。そして、そのほかにまた二三枚の紙幣を私の手に渡して、
(359)『私も一緒に連れて行つて下さい。』
と、きまりの惡い樣な聲で言ひ足した。
地圖が出た、鐵道案内が出た。市川、稻毛、大宮、飯能、立川、玉川、大森、森が崎、などそれぞれ心當りの場所が繰り返されたが、何しろ單に行つて一杯飲んで來ようといふので無いその場の思ひ立ちだから、なか/\定らない。電車まで出るうちにはきまるだらう、とそのまゝ、下宿を出た。
いつも乘る停留場までにまだ定《きま》らず、もう一つ/\と、たうとう四つ目の春日町停留場まで來てしまつた。
三人は、停留所際の砲兵工廠の赤塀の蔭に蹲踞《しやが》み込んでしまつた。そして、更に評議を續けた。常ですら雑沓を極めてゐる其處は、今日は一層の人で、我等の額を磨るやうにして種々な着物が通つてゆく。たうとうE――君が立ち上つた。
『それぢア、一切若山さんに一任しよう。貴下《あなた》のいゝ所に行くことにして下さい。』
『それがいい。』
英ちやんも立ち上つた。
(360)『よし。』
一緒に立ち上つたが、私はどうしても今夜をあの下宿でない何處かで靜かに明かし度い、それにすればE――君は兎に角、まだ親がかりの英ちやんに自宅《うち》を空けさせることになるのだ。やかましいその母親の顔なども思ひ合されて來た。自宅まで引き返してそのことを斷らせてもいゝが、平常が平常だからとても許されさうにも思はれぬ。折角斯うして一緒に出て今さら彼一人だけ除外する氣には、またどうしてもなりかねる。
またふら/\と歩いた。私はたうとう、水道橋の停留場に入つて行つた。そして、中野までの切符を買つた。電車に乘ると、段々冷酒が利いて來ると見えて、兩人はすぐ頭を窓にあてゝうと/\とやり始めた。
電車を降りると直ぐ私は汽車の時間表を調べた。そして、四邊を見廻すと、兩人が居ない。停車場を出て探すと、ずつと向ふの踏切の所に立ちながら、新井の藥師の方から歸つて來る綺麓な女たちの一群を見附けて、何だか頻りに笑ひ合つてゐる。
『オイ、いま五分すると汽車が來るが、それで立川まで行かないか。』
『サア、ヽヽヽヽヽ、どんな所です。其處は。』
『どんなつて矢張り野原なんだが、近くに林やら川やらあるよ。』
(361)『まア此處とさう變らないでせう。此處にしときませうよ、此際汽車賃が勿體ない。』
それもさうだと私は思つた。此處とすれば新井か堀の内だが、どうも堀の内が靜からしい。そして、うすら覺えの道を左にとつた。
もう夕暮なので、お祖師樣詣りの歸りに後から後からと出遭つた。柿や、栗や、銀杏《ぎんなん》の袋入りをてんでに提げてゐる。さき/”\の籬根にコスモスが咲き亂れて、をり/\はダリアの園の小さいのなどにも出遭つた。田圃の中を通りかゝると、その畔に蟋蟀が鳴き入つてゐる。
堀の内に着いた時はもうすつかり暮れてゐた。お祖師樣の堂のめぐりを一週すると、立ち込んだ欅の梢から今をさかりと落葉が散つて、或る所ではそれを掃き寄せて焚いてゐた。薄青い煙が木の間を這ひお渡つて、その寂しい匂ひが我等を包んだ。
『何だか冬のやうネ。』
『ほんとに。』
さういふことを言ひ合ひながらも私は尚ほ泊るか泊らぬかに思ひ屈してゐた。境内を出ると、門前に御料理御泊宿とした古行燈《ふるあんどん》をかけた大きな家がある。耳を澄ませても、二階あたりに人聲ひとつしてゐない。私はさりげなく兩人をやり過しておいてから、つか/\とその店へ入つて行(362)つた。
『三人づれで一晩御厄介になりたいんだが、一人前幾らでせう。』
薄暗い帳場に居合せた二三人は私を見詰めたなりお互ひに見交した末、一人が、
『お一人樣八十錢づつ頂きます。』
それを聞くと私は通りに飛び出て手を拍つて兩人《ふたり》を呼んだ。そしてほこりまみれの下駄をぬいで、裏二階のしんとした座敷に通されると三人は突立つたまゝ、くづれさうな笑顔を見交した。
『八十錢を一錢でも出たら僕は泊らないときめてゐたのだよ。』
『危なかつた。』
『それア危なかつた。』
風呂から上つて膳の隅に置かせた杯をとりあげた時は、まつたく涙ぐましいやうな靜かな心になつてゐた。
矢張り年下の英ちやんが一番さきに醉つた。
『ねエ、若山さん、今夜といふ今夜、私といふものに對する根本的の批評を聞かして下さい、是非何卒。』
(363)『戯談ぢヤない。そんなものは僕は持ち合せませんよ。』
『無いとは言はせません。貴下は用心深いから隱してゐるのです、隱さずに聞かして下さい。是非聞き度い。』
『隱すも隱さないも、お互ひの仲だ、君にはもう解つてるでせう。』
『否エ、解りません。解るには解つても、もつと根本的に具體的に聞かして下さい。』
『それぢア、斯うしませう。またいつか酒なんか飲まない時に話しませう。今夜はそんな場合ぢアない。』
『否エ、場合です。またといふともう駄目です。第一貴下は私が如何《どう》なるものと見てゐます。』
『解つてるぢアありませんか。速く今の學校を出て……』
『それぢアありません。私に藝術家的、創作家的素質が……。』
『英ちやん、君は一體本氣でそんな事を言つてるのですか。』
『本氣かとは餘りだ。私はこれでも……』
今度は見兼ねてE――君がその先を引き取つた。彼は仲間一番の毒舌家として聞えてゐる。
兩人が顔を火の樣にして聲高に罵り合つて居るのを耳遠く聞きながら、今夜もまた終に埒もないことになつて了つたと私は思つた。一本宛位ゐのつもりで取り始めた銚子はもうその時既に六(364)七本も並んでゐた。それを見ると見る/\眉根の締つて來るやうな醉が頭に込み上げて來た。――大正五年――
(365) 暴風雨の夜
奥さん。
只今何時でせうか、時計が無いので解りませんが、後《あと》まで起きてゐて歌など書いてゐたらしい妻の焚きさしの埋火《うづみび》がまだ幾らか殘つてゐましたのから見ましてもたしか一時か二時、眞夜中らしう御座います。斯うして獨り起き上つて洋燈の蔭に小さく坐つてゐますと、戸外《そと》は家を動かすやうな恐しい暴風雨《あらし》で、裏手の山から背戸の木立を吹き撓めて來る風は實際をり/\この田舍作りの厚い屋根から壁をめき/\、めき/\と軋めかせ續けてゐます。背戸の山と云はず、ありとあらゆる家の周圍の立木はいま悉くそれぞれの聲を上げて、蜜柑は蜜柑、棕梠は棕梠、椿は椿、必死となつてをめき叫んでゐます。北風《ならひ》のせゐですか、風のわりには浪の音が聞えません。聞えてゐますのはいつものどうどつと打ちつける樣な、噛みつくやうな響ではなくて、ざあつといふ大きな急湍らしい聲です。つまり岸邊の浪でなく、沖に立つて泡だちながら流れ合つてゐる白浪の聲です。雨が、その沖の浪と同じやうな音を立てゝをり/\雨戸に打ちつけてゐます。ほんと(366)に、いま何時で御庭いませうか。
奥さん。
眼が覺めますと、思ひもかけぬこの暴風雨です。もつとも晝から降つてはゐましたが、私のやすみますまで斯んなことではありませんでした。ツイ今しがたから吹き出したらしう御座います。私は妙に風が好きで、これの吹きしきつてゐる聲を聞きますと、何といふことなく胸の奥の波立つのを覺ゆるが常なのです。今夜も直ぐまた續けて睡らうとしましたが、なか/\睡れません。傾くるとなく耳が傾けられて、いよ/\眼は冴えてゆきます。たうとう跳び起きて、洋燈の灯をかき上げました。四邊が明るくなりますと、一層激しい風の響、雨の聲です。寒さも身に浸みますので、苦心して火をおこして、湯をも沸し、茶など入れ、爲すこともなく灯の蔭に坐つてゐますと、瞼の熱くなるやうな故知らぬ昂奮に誘はるゝと共に留めどもなく胸は凍つてゆくやうに淋しくなつて參りました。そしてどうした事でしたか、久しく忘れて居たあなたのお顔を寧ろ發作的に思ひ起しました。大きなお瞳、明るいお瞳、さうして常に笑みを含んだ血色のいゝお頬の色、それが實にはつきりと眼の前近く浮かんで參りました。襲はれたような思ひで、私はあたふたとこの筆を執りました。
(367) 奥さん。
あまり突然なので、或はお驚きかとも思ひますが、平常はほんたうに御無沙汰致します。でも、斯うしてゐます私の現状、私のこゝろもち、それらは常に一つ殘らず、どういふ場合にも決して微笑を失はぬあなたのお心の裡にはつきり映つてゐることゝ存じて居りました。身勝手かもわかりませんがさう思ふことによつて淋しいながら安んじて御無沙汰致して居りました。で、只今でもくど/\と現在の境遇など申しあぐることを致しません。同じくば飜つて今少し精細に今夜の風のこと、雨のことなど申し上げました方が、より多くあなたのお心に現在の私と云ふものを彫りつくる途かとも思ひますが、それも出來さうにもありません。ありのまゝの私、これは要するにありのまゝに既に充分にあなたの方へ通じてゐることゝ存じます。
と同時に、奥さん、その後のあなたといふものもかなり明瞭に私に解つてゐると私自身は思つてゐます。時をり、思ひ出したやうに送つて下さる謎のやうな短いおたよりのひとつ/\がまつたく私の思ふ壺に填《はま》つてゆきますのも、常に私の微笑のたねとなつて居りました。頽廢的になつたとか、次第に絶望の底深く沈んでゆくとか――斯う改めて書き直して見ますと或はあなたは、そんな筈はない、よし書いたとしたところで何かその時の氣まぐれだつたらうとおつしやるかも(368)知れません。さうおつしやるあなたの美しい微笑のお顔が眼に見えるやうです。が、御心配いりません。あつたにせよ無かつたのにせよ、氣まぐれにせよ、正氣にせよ、それは既う問題ではないのです。要するにさういふことを書かれなどして、現在に及んで居らるゝあなた、そのあなたの在らるることが確かでさへあれば結構なのです。そして、それは無論確かではありますまいか。
奥さん。
筆があらぬ方に逸れやうとしてゐました。御めんなさい。
先日あなたの方へ參りましたT――君の直覺(彼の言葉そのまま)したところによりますと、程なくあなたにもお芽出度が御座いますさうで、それを聞いて私は眞實《まつたく》言ひ盡し難いよろこびを感じました。夙うから、折にふれてもうあつてもいい頃だと思つてゐたものですから漸く望みを達した樣に思ひました。男のお子ならば矢張り御良人に似てほしく、お孃樣なら當然あなたに似てほしいと思ひます。おせつかいにも私はもうそれ/”\の名前など考へておきました。萬一お許しが出ましたらな申し上げませう。折を見て御良人にも伺つてみて下さい。何しろ、いいことでした。九州の首都とは云へ、東京から四十幾時間も汽車に搖られねばならぬ御地方では、特に御良人は別しても忙しいお身體だし、よし退廢的にならず絶望的にならぬまでも確かにお淋しかつた(369)に相違ありません。そのお淋しさから今度は自然お逃れになるわけです。一日も早くうひ/\しい阿母さんぶりを拜見したいものです。
阿母《おかあ》さんぶり阿父《おとう》さんぶりも人によりけりで御座います。斯うしてお手紙を認めてゐますツイ右手に妻が赤ん坊を抱いて睡つてゐます。そのまた右手の床に大きな坊主頭が一つころがつてゐます。これは今まで私が抱いてやすんでゐました長男の方で、もう四歳になりました。申し上げてもお解りにならないやうな夜具の中に斯うした家族の憐れな休みざまを眺めてゐますと、流石のありのまゝ主義者も何とも言へぬ不安を感ぜずには居られません。愛する者たちのために、まつたく私は何とかせねばなりません。また、決心ひとつで何とか爲し得る信念をも持つてゐるのです。
奥さん。
苦笑せずに下さい。たうとう斯うした世帶話などへ落ちて參りました。さぞ苦々しく思召すでせう。然し、私は斯ういふお話をすることを今は別に恥しく思はぬやうになりました。或はまた、あなたも斯うした話を却つて喜んでお聞き下さるかとも思ふのです。要するに(先刻から何だか頻りに要するにといふ言葉を使ふやうですが)空想的な、徒らに感奮的な時間はもうお互ひ私た(370)ちの間から過ぎ去つたものと見ていいと思ひます。私よりずつとお若いあなたを一緒に申しますのは失禮のやうですが其處には男と女との差があります。また、貧富の相違も多少はありませうが、要するにそれは色あひの違ひ位ゐなもので、一齊に押し寄せて來るこの一生の變移には變りは無いと存じます。それとも、さういふことは少しも知らないとあなたがおつしやるならば、それは致しかたありません。お互ひの隔りの益々遠くなつたのに今更ながら驚くの外はないのです。
奥さん。
筆は段々最初の思ひ立ちとはかけ離れた方へ逸れてのみ參ります。で、思ひ切つて此儘書くのを中止します。そして斯ういふ状態に在る私をほめて御承知下さればそれで滿足することにしておきませう。(十一月十七日夜)――大正五年――
(371) 或る歌の友に寄する手紙
君の方はどうだつたか、こちらはこの二三日ひどく時化た。今夜、からりと晴れたので久しぶりに濱へ出てみると、話には聞いてゐたが、千石船の帆柱だけツイ目の前の海上に突き出てゐるのだ。風をよけて浦賀へ寄らうとあせりながらとう/\此處まで吹き流されて來て沈んだものださうだ。それでも人間だけは助かつたさうだ。そのくせ、今日などは春のやうに霞んでネ、鴎がまつたり鳶が啼いたり、まるで昨日一昨日のことは夢のやうだ。
一度家へ歸つて釣道具を用意してまたぶら/\出かけた。例の川口の芦の中にしゃがみ込んだ。芦はもうすつかり枯れて(さうだ、君の來てた時も枯れてゐたネ。)どんな茂い中にゐてもよく四邊が見えるのだ。初めあの深い竹藪をくぐつて川端へ出ようとしながら、實に久しぶりの感がした。東京に四ケ月も行つてゐて、今度歸つて初めての釣なんだ。そして非常に嬉しい氣がした。眼の前の枯蘆も竹の落葉も濁つた淀も、向う岸の砂山も、その上の松も、または左手に僅かに見ゆる白浪もみんな初めて見るもののやうに鮮かだつた。自分の心臓まで新しくなつたやうに思つ(372)た。
二三日來の雨で水が増し過ぎてゐて、思つたほど釣れなかつた。それでもいつものやうに沙魚《はぜ》ばかりでなく、色々な奴が釣れたよ。浪が高かつたのと、川の水の増したためとでもあつたらう、いつもは居ない磯の小魚が上つて來てゐてネ、それが釣れるのだ。名も知らない種類だが、みな實に綺麗なのだ。蔦紅葉《つたもみぢ》のやうに薄くつて廣くつて美しい斑のあるのが最も多くかかつた。鷹の羽とか僕の國では呼んだと思ふ。山国の君なんか見たら正に雀躍《こをどり》ものだネ。そのほか鰻も居たし、蟹もかかつた。何しろ久しぶりなので、みな非常に面白かつた。
が、例の癖で、少し釣れ始めるともういやになつて、釣竿を其處に置いたまま煙草を取り出した。そして敷いてある新聞紙の重ねたのをずつと廣げてその上に横になつた。その下には蘆を折つて敷いてあるのだから、氣持のいいベツドが出來るのだ。天氣が直ると一緒に急に今日など温かで、さうしてゐると汗でも浸みさうなのだ。きら/\光つてゐる淀の水も實に靜かで、砂山を越えて來る浪の響が何ともいへぬ落ちついた寂しさを誘つて居る。僕はもうすつかり釣のことをば忘れて、其儘ぼんやり睡つたやうに眼を瞑つてゐたが、ふつと驚いて身を起した。何といふこなしに、急にうしろの竹藪から君の姿がやつて來たやうに感じたからなのだ。竹を分ける音までしたやうだつた。
(373) 無論一種の幻覺なのだ。東京でもさうだつたが、今度歸つて來て留守中に幾枚か溜つてゐた君の手紙や葉書を讀んで、一層君のことが氣になつてゐたから、斯んなことになつたのだらう。ぞうつとするほど、氣味が惡かつた。それから家に歸つて來て、直ぐ手紙を書きかけたのだ。非常に昂奮してゐたものだから、恐しい勢で頭から君を呶鳴《どな》りつけたものだつた。が、(それでも五六尺長さ書いてたらう)中途で筆が進まなくなつて、仕舞には頭まで痛み出して、たうとう破つてしまつた。今夜どうしたはずみか、不圖眼がさめて睡られなくなつたので起き上つてまたこれを書き出した。晝間のと違つて、唯だ斯うした平常の消息、鯊釣《はぜつり》のたよりでも書くつもりで書き出したのだ。君もその氣で讀んでくれたまへ。
S――君、君はいまでもM――町に入りびたりになつてゐるのか。さうでないやうにも思ひ、さうのやうにも思はれるのだ。若しさうだつたら大概で考へなほして家に歸らないか。歸つて少し身體を安めないか。實はネ、僕が東京に行つて間もなく君の噂が出た。E――君やT――君と落ち合つて、酒でも出やうものなら必ず君の事が話題になつたのだ。そして笑ひ興じながら一緒に寄せ書きの手紙でも出さうといふことになつたのだが、僕はいつもそれを制止した。そんなものでも見やうものなら、あの男のことだ、屹度何を措いても飛び出して來るに相違ない、そしたら折角納りかけてゐる君の心持がまたさんざんになるだらうから、と僕は考へたのだ。その時ま(374)では、矢つ張りこの初夏の頃の手紙にあつたやうに、すつかり思想を取り代へて、平凡に且つ眞面目になつて稼いでゐることとのみ君を信じてゐたのだ。
ところがどうだ。これら幾本の手紙、まるで狂人じみた、馬鹿げきつたざれ書きや愁訴や、斯んなものが留守中の僕の机の上には載つてゐたのだ。これらを見た時、僕は慄へて腹が立つた。口惜しくもあつた。そして、その中の
近頃はどこからも便りがないので淋しくてなりません。收穫で目が廻るやうです。然し、僕は關せず焉《えん》の方です。無茶苦茶の心持で四日も五日もM――町滯在といふやうな事ばかりやつたものですから、信用は地を拂ふし、家では準禁治産者の待遇にされてゐます。對手がないので手紙などがしきりに待たれます。講談本を讀んだり眠つたり、どうかすると茸狩りなどに出てみる事もあります。死にさうな氣がしてなりません。
夕暮の空のはたてのみだれ雲みだれ亂れて行衛知らずも
及び
僕は淋しい、わけのわからぬ氣分になつてしまつた。アルコール中毒の神經病であらう。罪ない母や妹どもを毎日泣かせてゐる。惡いと思つて泣きながらだ。然しどうすることも出來ぬ。不思議に死といふことが平氣になつて來た。空想すら眞面目には出來ぬ。
(375) といふ最近の葉書を見た時、僕はたうとう泣き度たいやうな氣持になつた。 僕は君を決して馬鹿だとは思つてゐない。くだらない男だとも思つてゐない。實に生《き》一本な、濁りのない感情を持つた、そして、聰明な頭を持つた人だと思つてゐる。働けば立派に世間に出て働き得る素質のある人だと思つてゐる。今でもそれには變りはない。初めて君がこの海岸まで、六七十里の山奥から遙々やつて來て會つた時――もう三年も前になつた――から直ぐさう思つて、そして妙に心を惹かれた。けれど、いま思へばその頃から君は年にも似合はず遊里の味なども知つてゐたやうだし、何處やらに投げやりな、つとめて「絶望」といふものを味ひたいやうな、裏に廻つてものを見ようとするやうな心を持つてゐた人であつた。けれども此頃のやうに、かさにかゝつてたはけを盡す種類の、程度の人だとは全く思ひがけなかつた。そして圖らず今夜しみじみと思ひ起されたのは、いつだつたかの手紙にあつた
私はいま何ものをも信ずることが出來なくなりました。人生が何でせう、神が何でせう、況して詩や歌が何でありませう。唯だ、斯うして舌の上に湛へてゐる酒の味のうまいのは確かです。斯うして若い女の髪を爪繰つてゐた指さきの快感だけは確かです。
と云ふ風の文句のことである。當時、何といふ氣障な、生意氣な事を言ふだらうと唾棄されたこの文句が何故今夜急に斯う親しく思ひ起されたのだらうと、一寸自分ながら不思議でもあつた(376)が、それは要するにこの憐れむべき半可通よと思ひ込ませる導火《みちび》であつたのだ。そして、やがて僕はわれ知らず、自分の頬の熱くなるのを感じた。一體S――君は何故さうなつたらうと直ぐ續けて思ひ廻したことに由つてであつた。
歌などをやり始めたからではないか――、僕は直ぐ斯う思つたのだ。歌をやり始めた最初の君の態度といふものは實に眞劍であつた。從つて進歩も速かつた。僕もまた一々叮嚀に君の歌を見てあげたばかりでなく、年も行かぬ人を相手に後では可笑しいやうな氣焔もはき、自分で讀んで面白いと思つた書籍をば君へ廻したりした。想ふに、その頃からでは無かつたか、君の手紙に次第に右の樣な怪しい文句がなくなり、次いで善からぬ噂を君の身について聞くやうになつたのは。
僕は花の師匠が花の活け樣を教ふるが如く、流儀として、若しくは法則として君に歌のことを説かなかつた。先づ何を措いてもむきだしの自己を知れ、人生を識れ、と言つた。今でもさう信じて居るのであるが、一つは君の性格が、嗜好がさういふ方面に好んで立ち入るべき人であると見たからでもあつた。初めて會つた時から君はよくさうしたことを自身にも言つてゐた。或はさういふことを自ら言ひ、また聽かむとして僕の所へ君は寄つて來たのかも知れなかつた。同氣相求むる心地で僕は君に油をかけた。しかし、僕の想像する如く目下の君の不始末がそのためであるとするならば、餘りにその效能の著しいのに驚かざるを得ないのだ。而して更に僕は稻を蒔い(377)て稗のみ實つた驚きをも感ぜざるを得ないのだ。そして、いづれにせよ蒔いたものは刈らねばならぬと、いまそれを悲しく見詰めてゐるのである。
S――君、君の聰明な頭腦は斯うした僕の愚痴を聞きながら、一體如何なる反應を呈しつつあるか。同感しつつあるか、意外としつつあるか、それとも冷笑しつつあるか。
S――君、歌に對する僕の信念は昨日も今日も少しも變りはない。三十一文字に組み立てる手法としては別としても、歌といふものを知るためにはその根本に人生といふものを置かずに考ふることが僕には出來ない。人生といふものを感じ、味ひ、識つて初めて歌といふものが出て來ると信じてゐる。人生々々といふと大相らしく聞えるが、要するに自分の事である。自分の營んでゆく生活のことである。自分を明かに知ることに由つて、初めて住い歌確かな歌が出來るといふのである。若し僕が熱心な和歌宣傳者であつたならば、今少し露骨に仰山にこの人生説を振りかざして大道の眞中に立ち表れたかも知れない。が、僕は唯だ獨りわが道を信じ樂しむに止まる一種の隱栖者《いんせいしや》に過ぎない。その隱遁所の扉を敲いてやつて來た一人が君であつたのだ。そして、一體君は何を獲てその門扉を辭したか。
君は或は答ふるかも知れない。自分といふもの、汎《あまね》く人生といふものに就いて一心になつて考(378)へた、考へれば考ふるほど解らなくなつて來た、そして終に斯ういふ風になつて來た、自分の意志の弱いのは面目ないが、また止むを得まい、と。若し君にさう答ふる勇気があるならば次のやうな僕の臆斷をも聞く餘裕があるだらう。初めから酒色に耽り度かつた、けれど其處等にころがつてゐる肥料《こえ》臭いノラ息子と同一視されるのも香ばしくない、だから人生不可解といふハイカラ好みの化粧をして明暮に緑の黒髪を爪繰つてゐるのだ、と。
S――君、矢張り僕はひとを説教するなどといふ柄ではない。初めは極く靜かに説いて行つて、情理兼ね盡した上に君にその非を悟つて貰ふつもりでゐた。そのつもりで筆を執つたのだ。が、半ばにも達せぬうちにもう先に進めなくなつた、何だか餘りに馬鹿々々しくなつて來たからだ。で、これで擱く。唯だ僕が現在の君に對してどういふ風に考へてゐるかが少しでも解つて貰へればいいと思ふ。そしてそれが幾らかの暗示にでもなれば結構である。尚は、斯うした――現在の君に對して――僕の態度を表明することによつて、萬一君のその下らぬ放蕩に幾分なり僕といふものの影が與つてゐたとしても、その責任感から僕は自ら脱却したことを告げて置く。そしてよし今後いつまで君のその状態が續かうとも唯だ遠くから見物――もしないかも知れないが――してゐるに過ぎないことを承知しておいてくれたまへ。蒔いた種は刈らねばならぬ、とツイ口をす(379)べらしたのは、あれはほんのお座なりのひと眞似に過ぎなかつた。また、蒔きもしなかつたが、よし蒔いたとしても思ひかけぬ怪しきものがぞく/\周圍に生え出して來るのを見ては、びつくりして其處を立ち退くほかはないのだ。刈るどころの騷ぎか。
いつの間にかすつかり夜が明けて來た、もう明けるのかも知れない。非常に寒い。ではこれで失敬するよ。
S――君、
今日もいい凪だ。鰯船のかけ聲が頻りに聞える、漁があるのかも知れない。
昨夜封までしておいたのであつたが、どうも氣になるのでいま開封して讀み返してみた。そしてまた破いてしまはうかと考へたが、兎に角送つてみることにする。
今朝、今少し書き足したくなつた。
S――君、
一度こちらへやつて來ないか。
この手紙が屆いて直ぐでもいい。そして二三年前のやうに一緒に貝でも取つたり、鯊でも釣ら(380)うぢアないか。同じ場所に、同じやうな状態でのみ居るものだから、なか/\そのいやな惰性から逃れることが出來ぬのかも知れぬ。斯んな變つた場所にでも來てゐるうちにはひとりでに氣が變るかと思ふ。逢へばまたいろ/\立入つて話も出來るだらうし、第一、久しぶりで逢ひたくもある。M――町の酒ばかりがうまいわけでもあるまい。
そして、S――君、當分の間、歌や文學といふやうなものから全然離れてゐて見ては如何だね。よしそれが主な原因で無かつたにせよ、斯うしたものはえて人の氣をあらぬ方へそそつてゆくものだ。さうして妙に逸れ始めてゐる場合など、特にさうだ。自分で、自分の境遇や心持をイヤに悲壮がらせたり、深刻がらせ度がるものだ。一歩其處から立ち退いて自分の姿を見給へ、かなり馬鹿げた景色を眺めることになるだらう。また昨夜の皮肉を持ち出すのではないが、詩だの歌だのといふものは、よくごまかしが利くから、ともすればその蔭に身を忍ばせて自他を瞞着しようとするものだ。その點から云つてもそんな便利物から離れてゐる必要がある。そして、身體一つ、野ざらしになつて此頃の寒風に吹かれて見給へ。大概眼が覺めるだらう。
そして眞黒になつて働くのだ。」新しい氣持、新しい身體になつてお百姓に歸るのだ。一體君は一時あれほど好きであつた土といふものに何故さい親しめなくなつたのだらう。勞働神聖論、就中《なかんづく》農夫神聖論によつ隨分あてられたものだつたが、同じことでも緑の黒髪指頭感觸論で(381)あてられるよりどれだけいい氣持だつたかわからないよ。
兎に角、歌は御法度だ。何處であつたか田舍の中學校の校長から、昔は樂隱居が發句を作つたが、當世は不良少年が新派和歌を作る、と言はれて苦笑したことがあつたが、いま端なくそれを思ひ出してまた苦笑せられた。
然し、斯んなことの解らない君では決してないのだが、ほんとに如何したことだらうと不審でならない。
いろ/\いひたいことも脣《くち》もとまで來てゐるのだが、言へばみんなそれがイヤな月並になつてしまひさうだ。却つて心にもないものになつて表はれさうだ。逢つて、顔と顔とをつき合せたら、或は正直にこの心が通じるかとも思ふ。そのつもりで待つてゐる。
阿母《おかあ》さんにもそのことを打ち明けて暫くひまを貰つてやつて來給へ。待つてゐる。
何だかたいへん種々雜多なことを書いたやうだが、白状するとこれは一種の僕の虚勢なのかも知れない。さういふ所に落ちてゆくさういふ人の性格、さういふものが斯う書いてゐる間も眼の前に實に氣味の惡いほど親しく浮んで來てゐるのだ。(382)では、今度こそ筆を擱く。そして、待つてゐる。左樣なら。――大正六年――
(383) 昨日今日
また、梅の咲く時となつた。
移つて來た時は何の木とも解らなかつたが、いま見れば一目でそれと解るやうに荒れはてた小庭の隅にその稚木《わかぎ》が一本立つてゐる。そして細い枝のそこ此處に淡紅を帶びたほの白い花が蕾みそめてゐる。
秋の木犀ほどではないが、街路《まち》を歩いてゐると不圖それらしい匂ひがするので、其處等を見廻すと果してツイ近くの塀の上にこの木が半ば老幹をきし出して咲いてゐる。公園に行つても先づこの花が眼につく。落葉した雜木の間に埃にまみれて白茶けながら咲いてゐる。
私は元來この花が嫌ひであつた。いぢけたやうな細かい花、曲りくねつた黒い幹、そして褪せ褪せながら枝のさきから散らうとせぬその姿、すべていやであつた。雪霜にめげぬといふ古人の云ひ馴らした讃辭すら一層この花を厭はしむる種となつてゐた。(384)いまでも決しで好きではない。花も、幹も、凍てたやうなその匂ひもいやである。
でも、昔のやうに――昔といふと大きいが、とにかく以前のやうにこの花に面と向つて嘲笑するやうな、唾棄するやうな氣持には、いまなれないのである。
ちやうど私の二十五歳の春であつた。その二三年前から續いてゐた或る女との關係のいざこざにほと/\倦み果てゝ、疲れ果てゝ、その癖身體の何處かには恨みやら愚痴やらが一杯にこびりついてゐる身を、或る海岸の漁村に隱してゐたことがあつた。
暖い荒磯で、一月になるかならぬにもうこの花が其處此處の岩の蔭や、松林の間にほの白う咲きそめてゐた。私の泊つてゐた漁師の家の窓さきにも一本咲いてゐる。
明けても暮れても同じやうな單調な濤のひゞき、同じやうな海原のながめ、岩から岩、砂濱から砂濱、さうした中に知人の顔を見るすら苦しい氣持になつて逃げて行つてゐた身にとつて、ほんとに、どんなにこの珍しくもない花のすがたが心に沁んだらう。
櫻では駄目であつた。無論桃でも駄目であつた。矢張りあの場合、この梅の花が最も親しいものに眺められたに相違ない。
ぼんやりと窓に倚つて、寂しい日光のなかに咲いてゐるこの花を眺めながら、癖ではあつたが(385)其頃の涙ぐましい氣持になつて或る日親しい友人の許に書いたのは次ぎの歌であつた。拙いものだが、梅を見れば毎年先づこの一首を思ひ出す。
好かざりし梅の白きをすきそめぬわが廿五の春のさびしさ
眞實、その春から私にはこの花が棄てられぬものになつた。
『お、梅が咲いた!』
斯うした氣持は其後毎年一度必ず私の心のうちに蘇るのである。驚きといふか、悲しみといふか、はつとしながら瞳を落して自分白身の心を見詰むるやうなこころもち、――それも謂ひ得べくば現在を見詰むるといふよりも過ぎ去つたものを振り返るやうなこゝろもち、それがまたなく可懷《なつか》しいものになつたのである。
一昨日の午後、怪しい此頃の私にしては珍しく靜かな心地になることが出來てゐた。遲れた雜誌の編輯を急いでゐたのだが、餘りの靜けさに誘はれてツイふらふらと机を離れると、帽子も被らずに戸外へ出た。乾いた路上に映る自分の影さへも可懷しいやうな靜かな日で、引き返さう/\と思ひながらとう/\植物園の方まで出てしまつた。
(386) そしてまゝよと其儘その中へ入つて行つた。正門からすぐ左に折れて行くと畑のやうな、沼のやうな所などあつて、やがて梅の木立の中へ入つて行つた。ほゞ滿開で、既に褪せかけてゐるのもある。寂しい匂ひ、寂しい花、ぼんやりとその中に佇んでゐると、久しく忘れてゐた自分の心の中の或るものがほのかに胸に浮び出るやうな心地にもなつて來た。
褪せ/\てなほ散りやらぬ白梅のはなさへいまはうとまれなくに
〇
なぜ私は酒を棄て得ないであらう。棄て去らうとは思はないが、なぜ飲み度い時に飲むだけに留めておき得ないのだらう。
うまくて飲む時、飲み度くて飲む時、それは近來の私には殆ど無いことである。それは、酒を見れば平常《ふだん》の習慣からか幾らかは飲み度いこゝろになる。が、飲まずには居られないといふ時は殆ど稀であるのだ。
けふもまた、その酒を飲んだ。
私の歌の弟子で、某花街に住んでゐる男がゐる。その男は、同郷の關係でその街の老妓某とい(387)ふのを知つてゐた。その老妓は踊りでも唄でも、かなりその道に聞えた女であるさうだ。その女が如何したことか、私の歌を愛誦してゐるといふのである。そして、是非一度お目にかゝり度い、お目にかゝつて一杯さしあげたいと兼てから度々その男を通じて云つて來てゐた。
直接手紙をよこしたこともあつた。同じくその意味を述べて、××河岸の××屋といふ鰻屋は誠に閑静で、そして眺めが好い、店も極く老舗で、第一酒がいゝ、この何日に××軒の××と一緒に其處で持つてゐるから是非來て呉れ、といふのであつた。××軒といふのも新聞でばかりはよく見馴れた都下一二の大きな料理屋で、其處の××といふ女中がまた私の歌の愛讀者で、第一歌集『海の聲』から揃へて持つてゐるのだといふことも、亦た私はその男を通じて聞いてゐた。が、その手紙を見てのこ/\と出かけて行く勇氣もなく、返事も出さずにそのまゝ過ぎてしまつた。其後その男がやつて來て、何もさう斷ることもあるまい、この何日には私が迎ひに來るから一緒に行かうといふ。さう云はれゝばそれを斷ることもせず、何の氣なしに過してゐるとその男がやつて來た。それが今朝のことである。
せき立てられて、ツイ袴もはいた。止せと云ふ妻を叱りつけながら電車賃を貰つて、家を出た。電車に乘つてから考へるともなく考へると、平常は殆ど忘れてゐる自分の服裝のことなどが急に氣になりだした。この季節にインバネス一枚着てもゐず、羽織の袖口には綿が見えてゐる。シヤ(388)ツにはボタンすら着いてはゐない。斯ういふ風をしてそんな女の許へなど如何して出かける氣持になつたのだらうと頻りに悔まれるのだがサテその友人を振切つて歸るだけの決心もつかぬうちに、とう/\その家まで來てしまつた。
私より年上と聞いてゐたのだが、なか/\その樣子も見えない。大きな瞳、あでやかな双頬《さうけふ》、ひよいと見ると二十歳《はたち》そこ/\の人のやうにも見えた。それこそ年にも似合はず私は心が臆して、ろく/\は話も出來ない。抱への若い娘たちが茶や煙草を運んで來るのにすらおど/\せられた。女の方でもやゝ手持無沙汰の樣であつたが、霞むともなく霞んでゐる屋根合の天《そら》を見上げて、いかゞでせう、これからいつぞや申しあげた××屋へ參りませうかと云ひ出した。それがいゝと先づ友人が答へたので、彼女は獨りで承知して室を出た。そして着換へて來たのを見るとわざとさうしたものか以前のよりずつと質素な、黒繻子の襟のものに改めてゐた。促されて戸口へ出てみるといつの間にか俥が三臺用意せられてある。
もぢ/\しながら乘り移ると鈴《りん》を鳴らして元氣よく引き出した。先刻からの悔がいよ/\胸にこみ上げて來るのだが、もう空しく幌深い中に手を拱《こまぬ》いてゐるよりほかは無かつた。
××屋といふのは、然し、なるほど佳いところであつた。二階の南も東も川に臨んで、その川には數多の舟が往來して如何にも春の來たのを思はする日光が水にも舟にも舟の上の人々にも(389)滿々と照りそゝいでゐる。柳にも何やらもううすい緑が見えさうだ。我等の座敷のツイ前面に一つの古い橋があつた。これだけがこの附近に殘つてゐる唯一の木橋だと彼女は私に教へて、近々また鐵の橋になるのださうだが、木であるうちに先生に見て頂いて先づよかつたなどとも云つた。さうした靜かな、明るい場所が、景色が、次第に私の心を落ち着かせて來た。其處へ自慢の酒が出たのである。
いつもより速く醉が廻つた。彼女もさう云つた。いかにも、幾らか色に出てゐる。たべ物も出た。恥しい話だが私の口にはまつたく近來にないうまい物であつた。彼女もそれを喜んで、頻りに歡めた。斯くして、歌の話などしてゐる隙もなく、座はすつかり醉つてしまつた。いつの間にか私はすつかり平常の私に返つて、饒舌《ねうぜつ》になり、はては大きな吐羅聲《どらごゑ》を出して長詩や短歌などをうたひ始めた。野蠻な音聲が、さうした場所に甚だ不似合なことをば心の何處かで承知してゐながら一度乘り出した醉興はなか/\それを引き留め得ないのである。
三四時間もゐて、其處を出た時は三人とも完全な醉つぱらひになつてゐた。これから××軒に行つてお××さんを驚かさうといふ話も出たが流石にそれをば憚られた。そしてまだ日の照つてゐる街路を往来の人に凝視されながら××街へ歸つて來た。夕方の入浴をすませた大妓小妓に幾人も行き合つたが、いづれも彼女を見て驚き笑ひながら挨拶した。午前の私ならばさういふのに(390)出會つてほんとにどんなに恥しい思ひをしたであらう。でも、もう一切が全《まる》で平氣である。却つてこちらから戯談《じようだん》の一つも云ひたい氣持であつた。三人で斯くてまた一軒のカフエに入つた。其處は畫家や文學者たちの知らねばならぬ所となつてゐる樣な一種有名なカフエで、唯だ私はさうしたきらびやかな所が嫌ひなため一度も其處に入つたことがなかつたのである。其處でまた種々な酒が私どもの前に運ばれた。
それから後は私は全然知覺が無い。
眼を覺して見ると私はいつもの汚い自宅の布團の中に倒れてゐた。手も足もばら/\になつてるやうに疲れ果てゝ、自身にもわかる惡臭のおくびが間斷なくこみ上げて來る。
噫、また斯んなに酒を飲んだ。
何といふ醜態であつたらう。女もつく/”\いやになつてゐることであらう。
醜態だ、不愉快だと思ひながら月に五度か十度は斯うした事を繰返す。さうして、一面私はそのために自分の生命を磨消しつゝあるのである。
全然止さうとは思はない。酒を止したら私の世界はどんなにか寂しくなることであらう。それ(391)にしても今少し何とかしたいものである。(×月××日)――大正六年――
(392) 白雲山
この數日、自分は頭や身體の疲勞の意外に烈しいのに氣がついた。不眠、無氣力、食欲不振、そして平常から鈍い判斷力は益々鈍つて唯だ神經のみいら/\と刺《とげ》だつて來てゐる。さういふことに氣がつけば猶更ら身の動きがとれなくなつて、徒らに氣ばかりあせる。斯ういふ時は自分にとつて甚だ危險であることを今までの經驗から自分はよく知つてゐた。われながら驚く樣なくだらぬ事を仕出かすのは多くさういふ時に限られてゐた。
二三日何處ぞへ旅でもして來やう、少しは氣を換へるにいゝかも知れない、と幾日かを思ひ過した。鐵道案内や時間表が毎日持ち出された。大きな河の縁《ふち》に行つてみたい、と思つたが、そんな場所や、宿屋の二階がなか/\見當がつかなかつた。靜かな温泉、とも思つたが、心に上つて來るそれ等はみな遠かつた。海は斯んな場合、考へるだけでもうとましかつた。彼處《かしこ》か此處かと惑つてゐるうちに、半分もういやになつてしまつた。心あての金も段々減つて來た。では矢張り妙義山にきめて置かう、といら/\し出す心を押し靜めて漸く思ひきめた。さうすると、白い雲(393)の懸つてゐるさまや、雲のなかゝら隱見してゐる奇怪な峯などがありありと思ひ浮べられて來た。
朝の四時前から家族を起しての出立は何だか物々しかつた。そうして、ふらりと出かけることが妙に淋しかつた。上野驛で切符を買ふ時もさうであつた。何だか馬鹿々々しくも考へられて、いつそ淺草にでも行つて活動寫眞でも見やうかなどと思はれた。
四五時間汽車に搖られてゐるうちに、その麓の驛に來た。雲の深い日で四邊の山は勿論、ツイ頭の上にある筈のその峯さへ見ることが出來なかつた。峯どころか、ぼつ/\と登り始めると高原のやうになつてゐる左右の小さな丘や林や桑畑の上にすら濃く薄く雲らしいものが斷えず流れて來た。明日から入梅だといふ新聞の記事が今更らしく思ひ起された。雲のなかゝらはしきりに杜鵑の啼くのが聞えた。今年初めて聞く聲である。桑畑の畔に腰かけてぼんやり休んでゐると、ツイ近くに來て啼いてゐるらしく聞える。
神社の前の宿屋に着いた頃、次第に雲が晴れて來た。老杉の梢をわけて、峰の巖肌が直ぐ眞上に仰がれた。麓も茜色に明るく見えて、小さな汽車の走つてゐる煙がはつきりと眺められた。臭い酒ではあるが、飲んでゐるうちに幾らか自分の心も晴れて來た。ともすれば眠くなる身體を叱つて、直ぐ案内者を呼んだ。そして此頃には珍しい草鞋といふものを履いた。
『白雲山に金洞山金鷄山、この三山を合せて妙義山と申すのであります、……』といふ案内者の(394)説明をきゝながら自分は先づその白雲山に登るやうに云ひつけた。岩がちの徑は雨の雫のためにともすれば、滑らうとした。そして、白雲山の中腹にも達せぬ頃、また雲がやつて來た。空からでなく、溪間らしい巖壁の其處此處から湧いて來るのである。折々立ち止つて仰いで樂んでゐた頂上も、いつか見えなくなつてしまつた。
何千丈とかいふその頂上の斷崖の上に立つた時は、流石に自分の身も心も引き緊るのを覺えた。今日はこの雲で下が見えぬから却つていゝが、平常でしたらなかなか平氣で此處には立てませぬといふ案内者の言葉も夢うつゝで聞いてゐた。その方角に淺間山、赤城山、榛名、秩父の連山に甲州の甲武信嶽八ケ嶽、と指す四方ともみな白い雲であつた。
杜鵑がまことにしきりに啼く。巖の蔭にべつたりと坐つて、其處か此處かと瞳を動かしてゐると、其處でも啼き、此處でも啼くやうである。眼の前の霧か雲かが動くにつれてその聲も動いてゐる樣に感ぜらるゝ。自分は元氣この鳥の聲が非常に好きであつた。この鳥を聞く時、自分の心そのものゝ聲のやうにも思はれた。それに先刻麓で初めて聞いた時も、オヤ、と思つたゞけで、今まで毎年聞いてゐた程、心を動かされなかつた。いま斯うして聞いてゐても、亦さうである。巖角につかまつて、巖の面を眺めながらじいつと聞いてゐるうちに自分は何となく自分の心の苦しくなるのを感じた。――大正六年――
(395) 羽後酒田港
院内の峠を越すと遠く裾を引いた高原で、季の早い秋草の花が其處此處と咲いてゐる。山にかかるとから降り出した大粒の雨まだやまず、明るく草原に降りそそいで、をり/\は痛いやうに車窓に入つて來る。
寂しい停車場を幾つか過ぎて、高原の盡きた邊に新庄驛があつた。午後四時半の事である。
惶てて飛び降りて陸橋《ブリツヂ》を渡ると、酒田ゆきといふ札をかけて小さな汽車が停つてゐた。一室に入り込んで腰のめぐりを探つてみると手巾《はんかち》がない、扇子がない。煙草まで前の汽車に忘れて來てゐる。初めて旅でもする者のやうに、私はいつでもこれである。新しく煙草を求めて、サテ車内を見廻すと隨分こんでゐる。大半は背に大きな判を押した白衣姿の行者の一行で、聯想せらるるのは羽後の三山といふ舊くから聞いてゐた、附近にあるべき名山の事である。歴史でも、地理でも、またはいろいろの武勇傳などで、隨分聞いた。途中から酒田に折れるのすら意外であつた今度の放行の事で、忘れてはならぬ此等月山、羽黒山、湯殿山の山の名をも私は今まで思ひつかな(396)かつたのだ。何といふ事なく可懷《なつか》しい思ひで、多くは樂隱居風の東京者らしい此等の人たちを眺めてゐると、汽車は動き出した。
直ぐ見えるものと思つてゐた最上川《もがみがは》は、容易に車窓に現はれなかつた。二つ目か三つ目の驛あたりから、漸くその悠々たる姿を山の間に現はした。豫期に違はず、二三日前からの豪雨で、河は黒濁りに濁りながら、岸いつぱいになつて流れてゐた。小舟一つ見えず、瀬といふ瀬もなく、ただ汪洋と流れてゐる。岸から直ぐ削つたやうに聳え立つた山にもまだ雨後の翠が鮮かで、諸所眞白に小さな瀧の懸つてゐるのも見えた。汽者は大抵岸に沿うて走つたが、私の目についたのは、汽車よりも更に近く河に沿うて續いてゐる街道である。細い道路だが、所々舊びた宿場らしいものも見えて、いかにも昔から續いてゐたらしい街道である。私は中學校で地理など習ひ始めたころからいつかは是非行つてみたいと思はれてゐた三つの古い港があつた。一つは肥前の島原港、一つは伊豆の下田港、いま一つは羽後の酒田港、この三つであつた。前の二つは既に見てしまつた、殘つてゐるのは酒田港だけであるが、島原といひ、下田といび、自分の空想してゐた古い港としていづれも失望させられぬはなかつた。それで、一つ殘つた酒田港をば見たくもあるし、見るのが惜しいやうな氣もしてゐたのである。江戸といつてもまだ世の開けぬ頃、奥州の産物は必ず其處に集つて、其處から海路泉州堺の港に積み出された、といふやうな昔の話などを見たり聞(397)いたりするごとに、私の幼い憧憬は前の二港に懲りながら尚ほこの未見の寒港に向つて注がれてゐたのである。そして、ゆくりなく眼についたこの川沿の舊道がいよ/\私に最後の油を注ぎかけたのだ。失策《しま》つた、汽車で來るのでなかつた、あの道を歩くのだつた、と思つたりした。
河は實に悠々として流れて居る。波一つ立てず、淀を作らず、曇天の下をしら/”\と光りながら動いてゐる。雲が、ほと/\水面近くまで垂れ下つて來てゐる對岸を見ることもあつた。何とかいふ驛で例の山詣りの一行はどや/\と降りて行つた。私も者窓に伸び上りながら其處等を眺め廻したが、眼前の小山のほかは四方唯だ深い雲で、それらしい遠山の姿を見る事は出來なかつた。河に沿うて峽間《はざま》を走つてゐた汽車は急に平原に出た。折しも日の落つる時で、朱を流した夏雲がそれら際限のない水田の上いつぱいに流れ渡つて照つてゐた。とりわけて雲と光の深い一個所は正しく太陽の所在を示し、地圖から見れば其處に最上川が終つて海となり酒田の港があらねばならなかつた。
夕燒は程なく消えた。そして、迫つた闇のなかにまたはらはらと降り出した時、酒田驛に着いた。着くには着いたが、まだ其時まで私はそれからさき如何《どう》すべきかを考へてゐなかつた。停者場前にでも一晩泊つて一日見物してまた新庄へ引返して東京へ歸るか、毎日出るかどうか怪しいが夏ならば大抵出るだらうといふ汽船に乘つて新潟へ越ゆるか、問題は目前に迫つて來た。私は(398)二三十分間狹い待合室で雨を見ながら惑つてゐたが、折から晴れかけたのをいいことにして手荷物をば停車場へ預けたまま、とにかく汽船發着所へ行つて見ようとぶら/\歩き出した。歩き出して驚いたのは、其處から直ぐに街が續いて程なく海も見えることと思つてゐたが、豈圖らんや深い松林である。暗い砂地の林が隨分遠く續いてゐる。人に訊き/\漸く街らしい所へ出たが、人聲もせぬやうな、眞暗《まつくら》な街路《とほり》である。何だか物語の中の市街でも通つてゐる氣持で、恐々《おづ/\》ながら倦みもせずに行くうちに、辛うじて其處を探し當てた。訊けば明日の朝四時半に出帆するのがあるといふ。
その汽船發者所を出ると直ぐ、家並の間を通して光つてゐる廣い水面を見た。河だらうと出てみると果してさうであつた。その河に沿うた細い路をぶら/”\と歩きながら私はまた思ひ惑うた。朝四時半といへば隨分早い。が、とてもわざ/”\一日を費して見て廻る程のところでもなささうだ。いつそこのまま此處等の宿屋に泊つて明朝早く船に乘つてしまはうか。さうするには停車場に預けて來た荷物の事がある。彼處まで行くには大變だ。などと途方に暮れながら立ち止つてぼんやり河に向つてゐると、今更ながら眼につくのは河の大きさである。對岸まで正しく數丁、ずつとその末の方は丘だか林だかによつて黒々と限られてゐてまだ海らしいものは見えぬが、殆んど海に似た豐けさを湛へてゐる。川上の方は雲か山か闇か、折々小さく電光が閃いてゐる。思はず(399)水際まで降りて行つて洗ふともなく私は手などを洗つてゐた。其處へ一人の男が降りて來て同じく何か洗はうとしたが足をすべらして、飛沫を私に引つかけた。そして仰山な聲で笑ひながら詫を言つた。どうしたものか、それを聞くと久しぶりに人間の聲を聞くやうな可懐《なつか》しさを覺えて、私も一緒になつて笑ひ出した。
『まあおかけなさい。』
水際からその男について登つて來ると、其處は小さな氷屋になつてゐた。男のさういふのにつれて、私も不知不識其處の床几に腰を下しながら氷を註文した。見れば麥酒もあるので、それをも取り寄せた。
男の話で私は二三日前の豪雨のため發電所に故障があり昨夜から町内一帶に電燈がつかぬのである事を知つた。そして道理で幽靈のやうな町だと思つた、といつて笑つた。それから男は私のいま思ひ惑つてゐる事を聞くと、それならツイ其處に宿屋があるからそこへ泊つて明朝船で立つがいい、私も隨分旅をばする方だが、酒田ほど淋しい所はない、見物する所などあるものか、と言つた。すると、いま一人の氷屋の亭主らしいのが、さうは言はれない、これでも云々と土地自慢を數へたてた。先刻の男は小樽の商人で、矢張り今日此處へ來たのださうだが、亭主の自慢を聞き終ると、やがて立ち上つて大きな背のびをしながら、さう/\、一つある、それは女郎屋の(400)廉いことだ、アツハツハと笑ひながら、私に挨拶して出て行つた。出がけに、これから鰻でも喰ひに行かうと思つてる所だが、一緒に行かないかと誘つたりした。
二本目の麥酒が盡きると私も獨りで其處を立ち出でた。やや心持が晴れて先刻より脚も輕い。そして、ふつと心に浮んだまま、
『行かうか!』
とひそかに微笑んだ。
大抵河口の方に相違ないと見當をつけてぶら/\と歩いて行つたが、だん/\暗く淋しくなるばかりでそれらしい灯影さへ見當らぬ。たうとう往生して人に訊きながら路を變へて行くと、やがて小高い砂山の上へ出た。潮風らしい匂ひが闇の裡にはつきりと感ぜられて、松の聲が急に耳に立つ。山を降りかけて直ぐに右に折れた所、と聞いた其處へ來たのだが、それでも一向それらしい氣勢がせぬ。詮方なくまた人に訊いた。
『遊廓といふのは此處なのですか。』
『さうです。』
見廻せば東京の質屋らしい店が並んでゐる。さうだらうと思ひながら暖簾の間を窺いては見るのだが、どうも勝手が違つてゐて入りにくい。私はまた飲みたくない氷屋へ寄つて其處の小娘に(401)訊いた。
『此處で何といふ家が一番いいのだい。』
娘は因つて母らしい人に持つて行つた。母らしいのは笑ひながら奥から出て來て、××樓でせうと丁寧に教へながら、その家の前まで連れて來て呉れた。私はいよ/\其家に飛び込まざるを得なくなつた。
なるほど大きな家である。古風な手燭に案内せられながら大小の階子段を右に左に三つか四つ登つた。そして或る一室に入つて窓をあくると、ツイ其處に築山らしいものの突き出てゐるのを見た。縁側の方にも庭があり、松がみつしり茂つて、漸く其處が山に沿うて築かれた家である事が解つた。其處も矢張り電燈が駄目で、やがて燭臺に大きな蝋燭を點して持つて來た。私は手速く勘定して袂へ入れておいた若干の金を其處へ出して、自分は旅の者で樣子が解らないが出來るならこれだけでうまく飲まして貰ひたいといふと、承知しましたと素直にそれを持つて立つて行く。土地の訛はあるが、上品な婆さんである。
全然《まるつきり》頭にない事ではなかつたが、思はぬ調子から極めて急速に思はぬ場所へ飛び込んで來た事を可笑しく思ひながら私は羽織をぬいで衣桁《いかう》へかけた。耳をすますと、海らしい響が遠く聞えて、蝋燭の灯に浮いた庭の松には切りに風が動いてゐる。よく見れば、また雨が降つて來たらしい。(402)大きな家の中は天氣のせゐか、森閑としてゐて他には客もなささうだ。
酒が來た。肴が來た。酒の意外にも上等なのが嬉しかつた。其處へ若い女が來た。どうも藝者の風であると思つてゐると、果して三味を持つて來た。やがて、對娼《あひかた》も出た。顔は綺麗だが、言葉はいづれも土地まるだしである。東京を立つて以來、すつかり酒浸しになつてゐたので、少し飲むと私は直ぐ醉つた。ともすれば風に取られやうとする燭臺の灯かげで、斯うした女たちを見たり聞いたりして盃を續けてゐると、私は次第に旅の氣持の身に浸んで氣るのを感じた。彼等はやがて庄内名物のおばこ節といふのを唄ひ出した。二三日來秋田でよく聞いたもので、極めて粗野な、私の大好きな唄である。
おばこ(註、娘)來るかやと、田圃のはんづれまで出て見たば、コバエテコバエテ、おばこ來もせで、よもない煙草賣《たんばこうり》などふれて來る、コバエテコバエテ。
甲高い單調な唄と三味とを聽いてゐると、例の私の幼い空想は漸くまた面を擡げやうとするのである。斯うしたさびれた船着場に無くてはならぬもののやうにも耳が澄まされて來る。續いて彼等は唄ふ。
酒田山王山で、海老子とかんじか子と角力とつたば、コバエテ/\、
(403) 海老子なしにまた腰やまがた、かじか子と角力とつて投《なん》げられて、それで腰やまがつた、 コバエテ/\。
やがてその聲自慢らしい若い方は獨りして追分を唄ひ出した。例の「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿さまに」といふ土地自慢から始めて繰返し二つ三つを唄つた。九州あたりの土地の唄はいかにも曲折に富んで輕快だが、この地方のは一たいに單調で沈んでゐる。聽いて居れば自然と眼の瞑ぢられて來るのを思ふ。私はその松前追分を聞きながら、數年前淺間の麓の追分で聞いた「小諸出て見りや淺間が嶽に今朝も烟が三すぢ立つ」といふ追分節を思ひ出してゐた。そしてそれは疑ひもなく野の節で、これは正しく海の唄であるなどと思つたりした。
いつの間にか雨が本降りになつて來た。何だか寂しいやうだからと今一人女を呼ぶことになつた。燭臺も二つになつた。これから踊らうといふのである。――大正六年――
(404) 酒と小鳥
誰でもさうかも知れないが、わたしは酒を飲むのに、のみたくてのむ時と、習慣や行掛りでのむ時との二つの場合がある。この頃では前者の、のみたくてのむ領域が、大分狹められて行くやうなのを感じて、内心尠なからず悲しんでゐる。こののみたくてのむ場合にも亦自づから二つの別があるやうだ。一つは、自分の心が非常に熱して來て、心の渇きに堪へ兼ねてのむ時で、他は周圍の景物、例へば珍しい雪が降つたとか、或は如何にも靜かな夕暮であるとかいつたやうな時に、自然に誘はれてのみたくなる場合である。
尚附加へるならば、いま一つの場合がある。それは身體の工合で、固體を腹に入れる前に、それよりも軟《やはら》かな尊い液體を、先づ身體に注射しておくことを、適當と感ずるやうな場合である。
そこで第一の場合の、心の熱した時といふのは、多く歌を作つたり、物を書いたりする時に起つて來る。勿論これは唯一人で、机の上に置いてちび/\とのむ。然も極く強烈なのをやるに於(405)て、言ひ難い味がある。第二の場合には、相手があるもよし、ないもよい。一體わたしは獨酌を好むのだが、その場合非常に心の合つた人であるなら、對酌も亦惡くはない。
この二つの場合には、さかなといふやうなものはあまり問題にしない。殆んど酒ばかりで結構だ。けれども第三の場合の、いはゆる『一杯のみたくてのむ』といふ時には、その時によつて、さかなのあれこれとか、又は自分の身對の工合や氣持を氣にする事が多い。例へば『今夜は肉が食べたい』とか『豆腐が食つて見たい』とか、又は指先の汚れも氣になるやうで、是非お湯に入つて來てからでなくてはと思つたり、もう少しお腹《なか》をすかして來てからといふ氣からそこらを一廻り散歩して來なければならなかつたりする。
多くの場合、わたしは淡白な酒を好む。たとへば伊丹の『白雪』のやうなものである。けれども宿醉《ふつかよひ》の翌朝などは、今少しきつい『さくら』なども惡くはない。概していふと、多勢してのむやうな場合には、普通でさへあれば文句は言はないが、一人でのむ時などは、せい/”\いい酒がのみ度いと思ふ。それから夜更けて机の上に置きたいやうなのは、矢張り強烈な洋酒に多いやうだが、總體洋酒はわたしはあまり好まない方だ。
(406) 要するに、わたしの白然にのみたくてのむ酒は、常に自分の心や身體を清淨にし、又は高潮せしめる。だからそんな場合にはわたしは、酒其物を靈魂あるもののやうにも、將又極めて親しい友達のやうにも思ひ做すことがある。
この頃、餘り澤山詰め込み過ぎた報いで、どうも身體が思ふやうでない。從つて從來ののみ友達などから、『牧水も箍《たが》がゆるんだ』と罵倒される程、酒に耽る場合が尠なくなつた。又中には、わたしのかうした樣子を見て、まじめに禁酒を忠告する人もある。けれどもわたしは、自分といふものに興味を持つてゐる間は、恐らくこの懷かしい友と別れることは出來ないであらう。
春になつて、櫻でも咲いたらば、「創作社」の野外宴會を開いて見たいと思つてゐる。そしてその時に久しく取つておきの、底を拔いて見ようと今から樂しんでゐる。
小鳥の音《ね》を聞く毎に、何といふことなく、わたしは自分の故郷を思ひ出す癖がある。これは郷里のそこここで聞いたいろ/\な小鳥の聲の記憶が、いつまでも耳に消えないでゐるせゐでもあらうが、あの清らかな澄んだ聲音《こわね》を聞くと共に、おのづと自分の純な少年時代や、その背景やが、胸に泛び出て來る爲であるかも知れない。
それからこれは、自分で飼つた經驗がないからでもあらうが、わたしには、籠の中の小鳥に對(407)する興味は割合に少ない。或は又、さうした興味をあんまり持たなかつたから、今迄飼はうとしたこともないのだとも言へやう。時折籠の中で鳴く鶯や駒鳥の音《ね》を聞いて、思ひがけないところで鳴くものだ、と驚く位ゐである。
小鳥と言つても直ぐわたしの頭に泛んで來るのは、この頃ならば、やがて青々とした麥畑の上に囀り出す雲雀の聲か、或はもう少し春が更けて、麥の色づく頃郊外などの通りすがりに、樹木の梢から落ちて來る頬白の聲である。
けれどもさう言つたからといつて、雲雀や頬白が特に好きだといふのではない。山だとか野だとか木だとか草だとかさう云ふ背景の中におかれた小鳥が好きなので、その場合々々によつて、わたしの小鳥に對する好惡は變つて來る。從つて、とりとめてどの小鳥が好きといふことは、わたしにはまづ無いといふより他はない。――大正七年――
(408) 古驛
これは十年程前、二三年に亘る旅行を思ひたつて(半年はどで引返したが)先づ信州に入つた時の話である。數日前、この話の古驛追分から或る友人が繪葉書(この記事中に挿入のもの)をよこした。それを見てゐるとそぞろに當時の事が思ひ出されて來てこの一文を綴る。
追分といふ所は諸國にあるが、此處にいふ信野淺間山の南麓に當る追分の宿《しゆく》はその昔江戸を發した中仙道《なかせんだう》と北國街道とがひとしく碓氷《うすひ》峠を越えてやがて前者は左へ曲つて岩村田から鹽尻木曾の方へ向ひ後者は右に山に沿うて小諸上田を過ぎ越後境の方へ向ふ恰度その分岐點になつて居る西國北國の大名たちの參覲交替の要路に當り、ことには碓氷の關所に近かつたゝめ頗る殷振を極めてゐたさうである。旅籠にして妓樓を兼ねた家が百軒から並んでそれらの家の大きいものになると一軒に二百人近い飯盛女を置いてゐたといふ。それらが現在では悉く廢滅し去つて建物の跡さへ無いなかに當時一流であつたと傳へらるゝ油屋といふのだけが僅かに唯だ一軒のみ荒れ果てた野原の路傍に殘つて居る。大抵の寺院などは遠く及ばない宏大な構へで、荒れ果てゝはゐるが流石に昔の面影が偲ばるゝ。現在では夏季の避暑客、といふ中にも多く學生などのために短期の(409)下宿屋風の事を開業し、夏でなくても強ひて頼めば泊めて呉れる。伽籃堂な煤け切つたその二階などに籠つてゐると何だか現代を離れた幻影の裡に居る樣で何とも云へぬ寂しい昔戀しい心地になる、といふ樣な事を私はその附近の地理に詳しい畫家のI――君から度々聞いてゐた。そして今度思ひ立つた長い旅行の途中に是非一晩でも其家に泊つて見度いと、その日は碓氷をもわざと歩いて越えたあと、種々な樂しい空想を描きながら秋草のすがれた舊い街道をその追分の宿へ急いだのであつた。
山を降りて輕井澤沓掛(この二つに追分を入れて三宿というのださうだ)を過ぎ、追分に入つた時はもう黄昏《たそがれ》であつた。山を負うて前に廣漠たる原野を控へた、十か二十の壞れ殘りのあばら家がとび/”\に立つて居ると云つた樣な所であつた。油屋は路の左手にしいんとして立つてゐた。漸く入口を見付けて幾度も案内を乞うたが返事がない。人影もない夕闇の裡にさうして聲をかけてゐる事が何とも云へず寂しくなつて、無斷で戸をあけて入つてみると中は眞暗だ。その闇の遠い奥にちろ/\と火が燃えて居る。途方もなく廣い土間を足さぐりに歩み寄つてみると大きな圍爐裡ばたに二人の老婆が坐つてゐる。あとで一人の男も出て來た。不時の闖入者に驚いた彼等は私が何と頼んでも宿を貸すといはない。夏場なら兎に角、今は夜具も食器も無いと云ふのだが、私を不審に見たのに相違なかつた。これには寒さと寂しさから途中で飲み/\して來た私の醉つ(410)た姿が、若い癖に袴を履いたり髭を置いたりしてゐる姿が餘程怪しく見えたものであつたらう。頼めば頼む程剛情に斷つて、果は追ひ出しもしかねまじき有樣である。深い落膽と共に私の心には一種の腹立たしさがこみあげて來た。愈々諦めて泣き度い樣な氣持になりながらまたその廣い土間を通つて戸外に出た。
犬の子一つ見當らぬ道のまん中で私は久しい間途方に暮れた。いま通つて來た沓掛まで引返すか地圖で見て置いたこの先の宿場御代田か小諸まで行くか、どちらかにせねばならなくなつたのである。先刻野原の路を此處まで急いだ時には氣にも留めなかつた夕月の影がいまは判然《はつきり》と濃くなつて居た。廣い野の上に懸つてゐるそれは川原の樣に露出した道路の小石の上に白々と照つて、其處らいちめんに蟲の聲が起つてゐる。恰度眞上に當る淺間山もそのさやかな影を浴びて靜けく聳え、頂きには雲か噴煙かしつとりと黒く纒《まと》ひ着いてゐる。それらを茫然と見越してゐたが、やがて身ぶるひの出る樣な寒さを覺えながら私は矢張り御代田まで行く事に決心した。道程《みちのり》にして一里か一里半、この月かげに急げばわけはないと思つたのである。
少し行くと道が二つに分るゝ所に來た。此處で愈々中仙道と北國街道と分るゝのだナ、と思ひながら私は暫く其處に立つて、何とも云へぬ寂しい遙かな感に捉はれながら右と左に遠く分れて白々と續いてゐる道路に見入つてゐた。そして不圖その側に一軒の茶店らしい小家があり、店先(411)の竈に赤々と火の燃えてゐるのを見出した。赤いちろ/\した火が何よりも可懷《なつか》しく目に映つた。見ればその側の棚には酒徳利も並んでゐる。私はふら/\とそこへ歩み寄つた。そして店さきへ腰を下しながら酒を註文して今日一日の、ことにはツイ先刻の寂しい經驗をしみ/”\味はつてゐるうちに家の裏庭に當る所に風呂桶が据ゑてあり、其處でも赤々と火の燃えてゐるのを見た。それを見てちび/\と飲んでゐると、私はもうしみじみこれからこの廣い野原を歩く事がいやになつた。月は次第に冴えて、野末には淡白い霧が罩めてゐるのだ。そして店の老爺に折入つて一泊を頼んで見た。スルト、なんの事だ、その家は木賃じみてこそ居れ、宿屋營業であつたのである。
やがて私はその可懷《なつか》しい風呂から上り、更に酒を新たにし、庭さきの池から鯉を上げさせ、涙の零《こぼ》るゝ思ひで膳に向つた。その時給仕に出た女があつた。二十二三の、どちらかと云へば大柄の、色は薄黒いが眼鼻立の締つたこの家などには思ひもかけぬ田舍離れのした顔であつた。そして東京辯で、よく喋舌つた。試みにさして見た盃をば喜んで引受けて遠慮なく飲んだ。愼んでゐたが、少し酒が廻ると彼女は次第に生地《きぢ》を現して來た。『お前は十二階下にでもゐたのでないか』と云ふと『マア、きう見えて?! 嬉しいわ!』といふ樣な風になつて來た。見たところこの宿の眞實の娘らしかつた、久しく家を脱け出してゐて此頃歸つて來てゐるといふ風であつた。場合が(412)場合で私も醉つたが、女は更らに醉つた。そして終には流行唄などを唄ひ出した。少々私も呆氣にとられてゐた時なので、それを押し止めながら、唄ふなら土地の追分節でも聞して呉れと云ふと、それなら恰度いゝ者が來てゐると云ひすてゝ勝手から二人の老婆を連れて來た。老婆たちは此附近の者で、風呂を貰ひに來てゐたらしい。老婆が來ると娘はそれにどし/\酒を勸めながら、追分を唄へと命じた。そして私を見て笑ひながら、この婆さんたち、昔はこれで土地の女郎衆であつたのだと云つた。
四散した飯盛女郎の中、この土地に殘つた者も幾らかあつたのださうだ。其中の二人のこの老婆たちも程なく醉つて來た。そして二人共兩手に飯茶椀を持つて逆さに膳の上をぽつ/\と叩きながら――それは馬の蹄の音を眞似たものである――聲をそろへて昔馴染のその唄を唄ひ出した。
淺間山さんなぜ燒けしやんす裾に三|宿《しゆく》持ちながら
小諸出て見りや淺間ケ嶽に今朝も煙が三すぢ立つ
西は追分ひがしは關所なかの泊りが輕井澤
最初唯だ打驚いてこの光景に對してゐた私は次第に膳から離れて、床の柱に頭を凭せながら眼を瞑ぢてこの唄に聽き入り度い氣になつた。が、老婆達は思ひもかけぬ振舞酒に夢中になつて唄(413)つて置いてはがぶ/\飲むといふ風に、果てはもうべろ/\になつて了つた。淺間しくも可笑しくもそれを眺めながら飛んだことになつたものだと思つてゐる所へいつの間に行つてゐたのか風呂桶から出たばかりの染めた樣な眞赤な身體に雫をぼた/\滴しながら腰卷一つまとはぬ娘がよろ/\と踊りながら入つて來た。――大正八年――
(414) 秋草の原
T――君とふたり、初めて降り立つた信州輕井澤の停車場の光景はかなり珍しいものであつた。恰度八月の初めで其處の賑ふさかりであつたが、我等と同じ汽車から降りた人は日本人より西洋人の方が多かつた。迎ふる者、迎へらるゝ者、すべて如何にも避暑地らしい放恣な態度で、ことに輕やかな服裝をした女子供たちの仰山な身ぶりや言葉づかひがひどく我等を驚かした。
兩人《ふたり》は一杯に書物を詰め込んだ重い手提をそれ/”\に提げて好奇と不安とに胸をときめかせながら暫く其處に佇んでゐたが、それらの外人連が賑かに立ち去つた後、兎に角手紙で知つて居るM――君の宿の方へ驛前の大通りを歩き始めた。M――君は暑中休暇になると直ぐこの土地に來て二三の外人に日本語を教へながら自炊生活をやつてゐた。そして、たいへんに面白いからと私を招いて呉れた。私は早速その頃最も親しくしてゐた友人のT――君をも誘つて出懸けて來たのであつた。T――君と私とはその夏に早稻田大學の文科を卒業して、本來ならば職業問題などで忙しかるべき時期であつたのだが、兩人《ふたり》ともさういふ事にはまるでまだ無頓着な子供であつた。(414)却つて當時同じ學校の商科の一年生か二年生であつたM――君の方が遙かに世間に明るかつた。
驛前に一かたまりになつてゐる町家《ちやうか》を通り過ぎると廣い道路は眞直ぐに向うの山の麓に向つて原の中を突き切つてゐた。原の其處此處、または原の三方を圍んでゐた圓味を帶びた草山の麓から山腹にかけて白、緑、紅殻色、其他とりどりに塗られた洋風の建築が幾つとなく散らばつてゐるのが眺められた。廣々として平らな原には青草がいちめんに生えて、そのなかに月見草、撫子、女郎花など、さきからさきに限りなく咲き續いてゐるのも西洋の景色らくて珍しかつた。いかにも思ひがけぬ所に來た樣な氣持で、餘りお喋舌もせず、肩を竝べて歩いてゐると、向うから來る三四人連れの外人に出合つた。そしてその中から飛び出して來たのは意外にもM――君であつた。
彼は知合の西洋人たちとこれから散歩に出かけるところであつた。そして私たち兩人《ふたり》にもこのまゝ一緒に行く樣にといふのだ。兩人とも躊躇したが、氣早のM――君は先に行く外人たちを呼びとめて聲高に私達を紹介してしまつた。爲方《しかた》なしに引返して唯だの黙禮に似た挨拶をして、その仲間に入つてしまつた。驛前まで來るとM――君は私たちの荷物を其處の洗濯屋に預けて呉れた。然うして身輕になると何となく私たちも氣が浮々して、思はずT――君と顔を見合せて微笑したのであつた。八月のきら/\した日光の四邊に輝いてるのすら興味深く感ぜらるゝ氣がして來た。
(416) 其處の一帶の高原は淺間の裾野の一部に當つてゐるので振り仰げばツイ其處に白い煙を噴いてゐる活火山が眺められた。高原の四方をば樹木の乏しい寂しい山が垣の樣に取圍んで、夏のさかりの沈黙と眩耀とを押し包んだ純白の雲が其山垣の峰から峰に低い浪を打つてゐた。M――君の英語の達者なのは豫てから知つてゐたが、一人の老人と二人の青年とを――三人とも亞米利加人である事をあとで聞いた――相手に絶えず何か話し散らしてゐるその會話のうまさには今更の樣に驚いた。T――君と私とは唯だ唖の樣に彼等のあとに從つてゐるに過ぎなかつたが、それでも顔をくづして笑ひ出す樣な事が折々耳についた。そして私たちにもその談笑の仲間入をする樣に度々彼等から爲向けらるるのだが、終にその勇氣が無かつた。何處まで行つても涯のない平らな草原には見れば見るほど種々の花が咲いてゐた。葛、すゝき、われもかう、藤袴など其他名も知らぬ無數の花が田畑一つ無くて火山灰から成り立つた樣な荒れた地面に實にこま/”\と咲いてゐるのである。いつかT――君と兩人はM――君の一團から離れてそれら珍しい花を探し探し草むらの中に入つて行く樣な事が多かつた。
斯うして一行は二里あまりを歩いて沓掛の宿《しゆく》まで行き、其處から汽車で引返した。沓掛は中仙道の舊い宿場で、屋根に石を置いたあばら家續きの荒れ果てた一筋町であつた。
(417) 輕井澤は沓掛などと同じく中仙道の宿場の一つで、江戸から來て碓氷峠を降りついた所にあつた。その昔からの宿場のあとを今は舊宿と云ひ、新たに停車場附近に出來た部落を新宿と呼んで居る。舊宿にはまだ昔ながらの舊い建物など殘つてゐるが、軒の低い檜皮茸《ひはだぶき》の屋根の上などには思かもかけぬ金ぴかの歐文看板が掲げてあつたりする。M――君の部屋を借りてゐる家は舊宿の裏手に當る原の中にあつた。玄關の二疊、座敷の六疊の二室を彼は借りてゐた。六疊に隣つた茶の間風の四疊半をば帝大の理科生が借りてゐた。二階の一室にはその頃世間に一寸聞えてゐた某音樂家の家族がゐた。主人は一週間に一度位ゐ東京から來るのみで、平常は三十近いその細君と赤ん坊だけであつた。
私たち三人の共同生活の始められた六疊の間の前は、幅三四尺の狹い庭を置いて直ぐ畑になつてゐた。畑と云つても名ばかりの樣な粗末な荒れたもので、疎らに葱が竝んでゐた。そのはづれに小さな流がながれて、其向うにこれも極めて粗末な風呂屋があつた。物置かとも思はるゝ風呂屋で、中には四五人も入れば滿員になる浴槽があり、屋根には土管製の低い煙突が立つて、晝過ぎになると黒い煙をあげ始めた。その煙の上るあたりに私たちの縁側から眞正面に淺間山が仰がれた。風呂屋と鍵形に曲つた家には東京の芝の女學校の生徒だといふ一團が十四五人同じく自炊してゐた。私たちもその女學生たちも食器を洗ふにはその中間に流れてゐる小ながれを使ふのだ(418)が、T――君や私はどうかして彼等と一緒に出會はぬ樣にと心をつかひ、M――君の當番の時にはわざ/\彼等の出て來るのを待つて自分も出懸けて行つた。女の方にもお跳《はね》さんがゐて、こそ/\と出かけて茶碗箸を洗つてゐるT――君に眞正面からからかひかけて來たりした。その小流の水の冷たさは又格別であつた。野原を一二時間も散歩して歸つて來てその小流に入りながら頭や顔を洗ふのが先であつたが、どうしてもその流の中で顔を洗ひ終るのが苦しかつた。餘りに水が冷たいので、水に浸つた足が痛み出すのである。その流に散歩の出がけに麥酒を沈めて置くのも癖となつてゐたが、その麥酒の沈め場所が折々途方もない所に變つてゐた。例のお跳《はね》さんたちの所業に相違なかつた。
その高原には毎日定つて雷雨が來た。しかも極めて激しいのが多く、大抵附近一二個所づつ落雷した。昨日は大隈さんの別莊の樅に落ちた、今日は三井の別莊の井戸に落ちたといふ風の噂が斷えず言ひ交された。私もT――君もその裂ける樣な音響と電光とを愛したのであつたがM――君の雷嫌ひは寧ろ病的であつた。元來このM――君は極めて亂暴な、粗野な性質を持つてゐた。人によるとまるで獣の樣に言つて人なみに交はる事をすら恥ぢてゐたが、私はその粗野の裡に美しい自然さを見る事が屡々で、永い間友人として親しく交際して來てゐるのであつた。彼自身口(419)癖にして自分一代で三井三菱を凌いで見せると言ひ張つてゐるだけに學生でありながら金錢問題などには隨分露骨であつたし、喧嘩沙汰は平氣でやるし、ことに性慾の事になるとそれこそ野放しの獣同樣のところがあつた。それでゐて彼には我等の眞似がたい大きな素直さと自然さとがあつた。あら削りの大きな樹木か、轉がし出された岩石を見る樣な所があつて私はこの人が好きであつた。その獣の樣だと噂せらるゝM――君が雷にかけては全く一たまりもなかつた。怪しい雲が空に現はれると何處にゐても彼は飛んで歸つて來た。そして六疊の眞中に七輪を持ち出して――若しその時その中に火が熾つてゐたらば何は兎もあれそれを庭さきに放り出して置いて――その小さな四角な角《かど》の上に蹲踞《しやが》む樣にして載つてしまふのである。彼は斯うして電氣から絶縁されたと信じてゐるのであつた。或日、例の如くその七輪の上に小さくなつて蹲踞んでゐる所へ、ぴしよ濡れになつて同宿の理科生が歸つて來た。彼はその日も附近の岩質などを調べて歩いて來たらしく、金槌や鑿《のみ》の入つた大きな袋を擔いで來て、それを先づ庭先の私たちの部屋の縁側に置いて其儘其處へ腰かけた。それを見るや否やM――君は突然七輪の上から飛び降りて來てその袋を兩手して持ちあげさま畑向うの小流の中に投げ込んでしまつた。そしてまた鼠の樣に身をかへして七輪の上に飛び乘つた。理科生も少し變人で、極めて黙り屋で短氣で、豫ねてからM――君とは仲が惡かつた。それを見るや忽ち立ち上つてM――君を睨み据ゑたが、何か大事なものでも(420)入つてゐたのであらう、惶てゝ先づ瀧の樣な雨の中へ飛び出して流の中から袋を引き出して來た。さうして置いていきなり縁側に飛び上らうとして……嗚呼、私はどうしてその時の彼の顔を形容していゝかを知らぬ、髪から瞼毛からぼと/\雫を垂らし乍ら血走つた眼でM――君を睨み据ゑて、無論直ぐにも飛び懸るわけだつたのだが、その氣勢に壓されて私たちも思はず身構へしたほどだつたのだが、縁側に足をかくるかかけぬかにその表情が俄に急變してしまつた。恐しい憤怒から急に變つて泣くとも笑ふともつかぬ、一種呻く樣な不思議な表情に移つて行つたのである。恩はずM――君を振返つて見て、私は吹き出した。これはまた何といふ姿であらう、一尺四方もない七輪の上に筋張つた手足四つを集めて脊をずつと高めながら――宛ら猫がものを狙ふ樣に上目づかひになつて理科生の襲撃に備へてゐるのである。平常の赤ら顔は土氣色に變つて、眼はまことに殺氣を帶びてゐる。併し、これは決して喧嘩のためではなく、雷の來た時、七輪の上に載る時には必ず斯うなるのであつた。なるほど是では理科生の出端の挫けるのも無理はなかつた。それを見これを見、T――君と私とは、彼等二人の間に在つて脊骨の折れるほどに笑ひ轉げたが、どうしても笑ひ足りなかつた。M――君が最初金屬入の袋を投げたのはその持主に對する感情などは寸毫もなく、唯だそれが電氣良導體であるによつてのみであつた。
(421) 秋草の小包(「秋草の原」つづき》
T――君と私とはよく散歩した。午前と午後、大抵日に二度づつは出掛けて行つた。何處といふあてはないが、出掛けて行きさへすれば氣が濟んだ。八月の中旬とはいへ、その高原ではまるで既う秋で、到るところに秋草の花が咲き乱れてゐた。ほんとに、此處の樣な花のおほい高原をば兩人とも今までに見たことがなかつた。西洋の詩などにはよく斯うした花の原の歌はれてあるのを讀むが、それも大抵は繪そらごとゝしか思つてゐなかつた。つまり、想像にすら斯んな花の多い原野を描いた事はなかつたのだ。
山の窪の平地には月見草が主で、そのほか薄、刈萱、女郎花、藤袴、葛、露草、吾亦紅など、普通いふ秋草のたぐひが多く、すこし山地に登つてゆけば鈴蘭や釣鐘草など咲いてゐた。落葉松林の下草に茂つてゐる釣鐘草には隨分丈高く伸びてゐるのもあつた。或日、それらの林をわさりわさりとあてもなく歩いてゆくと思ひもかけぬ小さな窪地に一軒だけかけ離れて建てられた西洋人の別莊の庭に降りて行つた。遊んでゐた幼い子供が兩人の姿に驚いて母親を呼び立てる、出て來た母親は束にして花を摘みためて汗をかいてゐる我等を見て何やら子供に言ひながら、我等に親しく微笑みかけたこともあつた。
(422) T――君も私も一生文學をやつて行かうといふ決心であつた。そして恰度その夏、その專門の學校を卒業した時であつたので、これからさき一生の樂しみやら恐れやらが、一かたまりになつて胸につかへてゐた。散歩する時、または枕を竝べて夜やすむ時、兩人の話し合ふ話題は大抵それに係つてゐた。思想の傾向といひ、恰度その頃兩人ともに出偶つてゐた戀愛事件《ラブアフヱヤー》といひ、兩人の一致は實に前後にない深みを持つてゐた。
そのT――君が私にも言はず、無論M――君には隱して毎日小包郵便を送り出してゐた。知らぬふりはしてゐたが、私はちやんとそれを知つてゐた。散歩さきから摘んで來た秋草の花を彼は毎日東京の戀人の許に送つてゐるのであつた。餘りにセンチメンタルな爲業《しわざ》をきまりわるがつて、それだけは私にも告げずに毎日こつそりとやつてゐた。
無論、東京からも彼の許に手ごたへのある重みの手紙が毎日屆いてゐた。
或る夜の事であつた。
T――君と兩人、洋燈だけ消して雨戸をばあけながら床に入つて寢話をしてゐると、其處へ非常な勢ひでM――君が歸つて來た。そして突つ立つたまゝ吃りながら言つた。
『ほんとに濟まんけどが、いま俺《わし》の情人《ラブ》が……ソラ、例の牛乳屋のあれよ……あれが此處へ來る(423)け、君達は一寸|次室《ネキストルーム》へ引込んでて呉んさい、頼む、頼む……』
私達は驚いた。起きるには起きたが、兩人とも顔を見合せてぼんやりしてゐると、M――君はもう私達の寝床を、
『ナニ一寸の間《ま》ぢアけ、一人分でよからうがの。』
と言ひながら一人分だけ次の二疊の間へ押し込んで、サテまご/\してると君達自身をも押し込むぞといつた顛をして突立つてゐる。
兩人は呆氣にとられながら次の間に引き込んだが、馬鹿々々しくて、寢られはしない。布團の上に暫く坐つてゐたが、其處の小さな高窓をあけると冷たい月の光が射し込んで來た。T――君も私も暫く無言でその青やかな月光に對してゐた。
其處へ次の室には女がやつて來た。なほそれでも私達は途方に暮れたまゝ、茫然と坐つてゐた。すると、T――君が私の肱を掴んで引つ張る。戸外に出ようといふのだが、その疊の部屋は玄關には當つてゐるけれど、其處には一定の下駄も無いのを私は知つてゐた。みな座敷の縁側から直接に上り下りしてゐたのである。
併し、たうとう私達は跣足《はだし》のまゝ戸外《そと》に出かけて行つた。こつそりと音のせぬ樣に雨戸をあけて、忍び足をして逃げ出した。まつたく逃げ出したといふが適《あた》つてゐた。(424)戸外に出ると急にT――君は跳ぶ樣にして駈け出した。私もそれに續いた。
其處の平地を小さな川が流れてゐた。その砂地まで行くとT――君は足をとめた。そして砂の上に腰をおろした。
『まるで獣だネ。』
T――君は唾を吐く樣な口調で初めて口を切つた。
まつたく秋草の花を小包にして送つてゐるT――君の前にはM――君は一個の動物であつた。彼には愛も戀も、情趣も道徳も無かつた。唯だ「女」でさへあればよかつたのだ。
月は實によく冴えてゐた。身近くの草むらから砂や小石、淺いながらに小廣い瀬をなして流れてゐる水、みなそれらが月を受けて光つてゐた。氣がついて振り仰いでみると淺間の山は麓にのみ白い密雲を宿してくつきりと高く全身を表はしてその高原の空に聳えてゐた。噴煙《けむり》は暫くの間眞直ぐに昇つて、やがて傘を開いた樣に平らかにぱつと散つてゐた。眼に入る限りの別莊の屋根から屋根にも露を含んだ樣な月の光が散つてゐた。
『寒いねエ。』
私は肩をせばめながら言つた。瀬のひゞきと數限りない蟲の聲とは一層この夜涼を深めてゐるのだ。
(425)『寒い。』
T――君も噛み締める樣な聲で言つた。
M――君の出入してゐる或る亞米利加の宣教師の許に三人とも茶《テイ-》に招かれて行つた事があつた。
席は室内でなく、庭さきの大きな樅の木蔭に設けられてあつた。宣教師夫婦に三人の子供、それに同じく招待された樣な二三人の外人と我等とであつた。持ち出された椅子はほんの三四脚で、他は樅の根にでも腰掛けるといふ簡素な席で、一脚の卓子《テーブル》に茶や砂糖の道具が運ばれたが、それには樅《もみ》の葉が斷えず散つて來るといふ涼しい午後であつた。
私はM――君に無理強に強ひられて自作の歌を二首朗吟した。すべて其頃詠んでゐた戀の歌であつた。M――君はそれを傍から一々英語に飜譯して行つた。聞いてゐると隨分出鱈目な譯で、すべて戀の對手を呼びかくる「君」といふ風のものを彼は「神《ゴツド》」に變へて行つた。これは其場の主人公が宣教師であるために、わざとあゝして行つたのだと彼はあとで私に私語《ささや》いた。例へば、
身じろがでわが手に眠れあめつちに何事もなしなんの事なし
といふ歌の主人公を彼は平氣で「神《ゴツド》」であるとして神から我等すべてに言ひかくる言葉である、(426)といふ風にやつて行つたのだ。
獨唱の上手であると聞いてゐた宣教師夫人は遂にその日唱はなかつた。私の銅鑼聲に驚いたものであらうと、ひそかに私は汗をかいた。
T――君の毎日の「小包」はさほどでなかつた。が、東京から彼の手に毎日やつて來る厚味のある手紙は私には並ならず羨しいものであつた。私もT――君に劣らず、せつせと東京の方に手紙を書いた。けれどそれに應ずる返事といふものは一つも無かつた。T――君たちの二人は許された戀仲であり、私どものは固く禁ぜられたそれであつたのだ。私はわざとにも公然と自分の人にあてゝ手紙を書いた。彼女の母なり兄なりの手にそれが入つて、そのためにこちらの心持を幾分なり了解して貰へれば幸であると思つたからであつた。が、それも要するに空頼みであつた。私はたゞ毎日空しく書き空しく待つた。
その事が樂しかるべき私の輕井澤の日を却つて毎日憂鬱なものにして行つた。そんな風で二十日近くも滯在してゐるうちに私はとてもぢつとしてゐられない樣な焦燥を感じて來た。その上になほ私の心を暗くするものは職業問題であつた。
T――君はその點でも自由であつた。彼は實家を東京に持つて相當に冨んでゐた。で、學校を出たからと云つて周章《うろた》へて職を探す必要はなかつた。學資すら幾分は自分で稼いでゐた樣な私は(427)全然その反對の位置に在つた。もつとも、學校を出ると直ぐにも或る職業に就き得る樣には或る人の世話でなつてゐた。が、それがあまり望ましい種類のものでなかつた。出來るならもう少し自分の希望に近いものを選び度いといふ我儘から、實は輕井澤の方にも出かけて來て、氣をまぎらしてゐたのであつた。
それこれの事が朝晩に私の心を苦しめた。とても安閑とそのまゝ其處に遊んでゐる氣はないし、それかと云つて東京に行くのも恐《こは》かつた。東京に行つた所で直ぐ自分の人に逢へるでなく、近くに居ると思へば思ふだけ心はいらだつに過ぎぬといふ事をよく知つてゐた。職業問題でもさうで、自分の好むものの見付からぬうちに東京に歸つたのでは義理からもその我儘を捨てゝ眼前に用意せられた職業に就かねばならなかつた。居つ立ちつの思案を重ねた末、さうした種々の苦しさを紛らすためにも此處から東京まで汽車によらずに歩いて行かうと私は思ひ立つた。ことに或る朝、皺くちやになつた鉛筆の走りがきの葉書を彼女から受取つて、一層その風變りな決心を強くした。わたしはいま兄の危篤の看護に從つてゐる、その騷ぎの中で一本だけお手紙を手に入れた、たとへどうでもお互ひが遠くに離れてゐるのはつらいから出來るなら東京に歸つてゐて呉れ、といふ意味がその葉書には認めてあつた。そして、急にその日の午後から二人の友人に別れて私は輕井澤を立つ事にした。
(428) 二人とも驚きながら、草鞋ばきに尻端折の私を送つて來た。宿はづれの松原を通りながら、此處で此頃よく出逢ふ美人がゐるが、どうかしてあれを手に入れたいものだ、などと相變らずM――君は言つてゐた。宿を出外れると道は坂になつた。碓氷峠にさしかかつたのである。その中腹ごろまで二人は送つて來た。そして左樣なら/\と帽子を振り合ひながら別れた。
峠の茶屋に着くころ、その邊はすつかか雲にとざされてゐた。朝から雨模樣であつたのがいよ/\降り出しさうになつて來た。茶屋の床几から見ると四方はまつたく雲の海であつた。風は信州路の方から吹いて、そちらはもう明るかつた。そして走り迷ふ雲の間に幾つかの山の嶺が見えたり隱れたりした。それらを眺めながら私は靜かに床几にかけてゐる事が出來なかつた。立上つて、洋傘を杖つきながら、ぢつとしてその雲の海や、とび/\に立つ山の嶺を見てゐると、何といふ事ない浜が熱い瞼から滲み出て來て、どうしても止らなかつた。
茶屋り者に留められたのを斷つて峠から歩き出すと、もう全く自分の身體は密雲の中に在つた。鼻をつまゝれても解らぬ樣な深い中に在つた。初めは洋傘のさきで道を探し/\歩いたが、しまひにはたうとう私は洋傘を腰にさして、兩手兩足で這ひながら草深い古い道を降りて行つた。――大正九年――
(429) 旅と繪葉書
行くさき/”\で買つて來ておいた各地の繪葉書がいつ溜るともなく三寸高さに重ねられて括つてある。をり/\それを引出して來ては、舊い旅日記などを讀み返す氣になつて樂しむのだ。
いま最初にとりあげた一枚は「大和長谷寺方丈」の繪葉書であつた。おほまかな大きな建築とその兩側に何やらの老木がひつそりと紙面いつぱいに寫つてゐるのみで、人影ひとつ見えない。
見て居ると何やら佗しい記憶が湧いて來る。私がこの寺に詣でたのは三四年前の五月か六月、京都に滯在し、比叡山に滯在し、大阪に滯在し、奈良に立ち寄り、それら至る所で多くの人と會つて酒びたりになりながら一ケ月あまりの後、漸く自分だけになつてよろぼひ/\この長谷へやつて來たのであつた。よろぼひ/\の言葉は可笑しいが、心中全くその心持のしたのをよく覺えて居る。ほんたうは高野山に登つて、人に疲れ酒に腐れた身體を休め淨めたいと思つてゐたのだが、何しろ旅費が殆んど盡きかけてゐた。日數もずつと豫定を超してゐた。そして上下何里とか(430)ある山路にかゝる元氣も全く消耗してゐた。それかと云つて一度心に企てた事を他愛なくオミツトしてしまふのも氣が濟まなかつた。奈良の宿屋で腹這ひになりながらその邊の地圖を開いて、登らうか止さうかと心を腐らせてゐるうちに、ふと見つけたのがこの長谷の所在だつた。咄嗟のうちに私はこの長谷にお參りして高野不參の氣を慰め、兼ねては其處で綿の樣になつてゐる身體に精一杯靜かな睡眠を一夜なり二夜なり取り度いものと思ひついたのであつた。奈良の宿には大阪から送つて來てゐた人もあり、土地の歌人も三四寄つてゐた。
耳梨山、畝傍山などがとろんけんになつた醉眼にいかにも寂しく映つて過ぎた。そして降り立つた初瀬《はせ》驛の前に開けた地勢は何となく低い山垣の相迫つた峽間《はざま》の景色を思はせた。初瀬驛から長谷寺まで一寸の距離があつた。その道の側をばかなりな溪が流れてゐた。同じ汽車から降りた可愛らしい中學生と前後して私は歩いてゐたが、一種の物侘しさからその美少年に問ひかけた。
『長谷寺の見える樣な近くに宿屋がありますか。』
『あります。』
『この溪に沿うて居ればなほいゝし、沿うてゐなくとも極く靜かな宿屋は何といふのです。』
ほんたうに美しいその少年は頬を染めて初め答へなかつたが、一二度も訊くうちに、多分××屋といふのがいゝのでせうと女の子の樣にはにかんで教へて呉れた。
(431) 私は喜んでその宿屋に寄つた。そして夕方近かつたので手提や洋傘を預けておき、兎に角長谷寺へ詣でて來ることにした。狹い、やゝ坂になつてゐたかに記憶する參詣道の兩側には幾軒となく宿屋が竝んでゐた。そして殆んど軒別に留女が出て呼び立てた。それがみな目立つてあだめいてゐる。現に店さきに大鏡臺を持ち出して化粧してゐるのもある。家の古びやうからさうした女の風俗に私は何となく時代離れのしたなつかしさを感じながら、と見かう見しつゝお寺の下に着いた。長く屈折した石段を登つてゆくと評判の牡丹は既に時過ぎてたゞ青々とその兩側に茂つてゐたのであつた。
宿屋に歸つて部屋に通つて見ると、これはまた、恰も溪の流にさし出た樣な位置に當つてゐる。心から嬉しく、二人ほど代つて出た給仕の女をもわざと斷つて手酌でちび/\と幾日にもないおちついた酒を重ね、願ひどほりにぐつすりと眠つたのであつた。もう一晩と未練が出たのであつたが、何しろ懷中の寂しさが心をいらだてゝ翌朝は二本の酒にわれとなだめて紀伊路の方へ出立したのであつた。
あとで聞くと、長谷の宿屋といふのは昔の飯盛制度に同じく、宿屋と娼樓と殆んど相兼ねたもので評判なのださうだ。さう聞くと明るい店さきに持ち出きれた鏡臺もその蔭の大肌脱ぎも、漸く意味が解つて來る。そして氣の毒だつたのは頬を染めて答へて呉れた彼の美少年の心のうちで(432)あつた。
「雨中の那瀑」といふのがその次に重なつてゐた。同じ旅のうちに見た紀州の那智瀑である。
寫眞が惡いのか、印刷が惡いのか、それともわざとさうしたか、上部に雲らしいぼかしを置いたほかは全體眞黒い森らしいなかに、たゞ一條の白い瀑布が懸つてゐるのである。實は廣大な岩壁の眞中に瀑布が懸り、岩壁の上と、瀑から少し距たつた左右とに深い森があつた樣に私は記憶する。私の登つたのもまた雨の中であつたが、いつとなく森に湧いた雲が徐ろに瀑の上に渡つてゆく、その眺めが一層この瀑を大きくしたものであつた。が、流れ落つる下に立つて仰ぐよりも私は紀州の沖を通りながら汽船から望んだこの山腹の瀑布を面白いと見たのであつたが、その繪葉書にいゝのがなかつた。
その日、私は瀑を正面に眺めらるゝ山中の宿屋に泊つた。そして詠んだ數首の歌がある。
末うすく落ち來《きた》る奈智の大瀧のすゑつかたかけて湧ける密雲
白雲のかかればひびきこもりあひて瀧ぞとどろくその雲の蔭に
岩裂けるひびきと聞え澄みゆけばうらかなしくぞおほ瀧聞ゆ
とどろとどろ落ち來る瀧を仰ぎつつ心さむけくなりにけるかも
(433) 雲のゆきすみやかなれば驚きて雲を見て居つ瀧のうへの雲を
「宇都宮二荒山神社」
大きな平野の中に在る市街の喘に起つた小高い丘陵の地勢を占めてこの神社は嚴かに立つてゐた。何しろ四方が打ち開けた平野だけに、単にこの丘の下に平たくかたまつた市街と云はず、遠く平野全帶に臨み給ふ神威を思はせられた。古びて、案外に固く且つ廣々としたこの市街には何處といふことなしに水が多く、そこらに櫻の花が咲いてゐた。
行つたのは昨年の四月であつた。
ひとしきり散りての後をしづもりてうららけきかも遠き櫻は
町なかの小橋のほとりひややけき風ながれゐて櫻散るなり
(433)「リウマチス藥湯崖之湯藥師全景」といふのがある。信州松本だひらから桔梗が原に續いた平野の東に起つた鉢伏山の麓にある鑛泉である。麓と云つてもかなり登つた山襞に嘗當つてをり、大きな山津波のあとに湧き出た湯だといふので普通は「欠けの湯」と呼んで居る。湯宿は大小合せて三四軒、湯槽は多分一個所にあるのみで、薪で沸かすのである。沸し湯の常としてきたない事い(434)ふまでもなく、宿屋その他の設備の惡いのと土地の不便なため、入湯者は主として附近の爺さん婆さんと、リウマチ患者に限られてゐる樣だ。その病氣には實によく效くといふ。杖にすがつて來た者が大手を振つて歸れる樣になつたといふのでその杖を奉納するために出來た樣な藥師堂が湯宿の上手に建てゝあつて、繪葉書にも寫つて居る。四邊はたゞ一面の落葉松の林である。十棟ほどごた/\とかたまつて寫つてゐる湯宿の屋根にはそれ/”\石が置いてある。
この場の麓の村にかれこれ縁故があるので、私は前後二三度もこの原始的な湯に行つた。最後に行つたのはその村の小學校の教師をして居る友人と一緒であつた。友人の時間の都合から私だけ一人さきに行つてることになつた。そして通された十疊ほどの部屋には既に三組五人の先客があつて炬燵に入つてゐた。學生らしいのが二人、他の二組はいづれも百姓らしく、一人の客は手持の辨當をむしや/\とたべてゐた。斯う多勢と合宿をせねばならぬとなると私の豫期は少なからず狂つて來る。久しぶりに會つた友人とゆつくり飲み且つ語りたいとの希望は當然諦めねばならぬからである。變な奴が來たといふ風に白眼視されながら、私は部屋の隅に立つたり坐つたりしてゐたが、そのうちに友人がやつて來た。友人も驚いた。そして永い間帳場と談判した末、新築したばかりらしい離室の二階に移ることが出來た。
二階からは松本だひらを越して例のアルプス連峰を望むことが出來た。それは實に素晴しく大(435)きな美しい眺望であつた。よく晴れた眞晝で、あれは何嶽、こちらは何と明らかに指示された。
辨當を作つて貰つて私たちは裏山に蕨摘みに出かけた。若い落葉松林の下には時すぎた蕨の大きいのが無數にあつた。杜鵑が向うの峰で絶えず啼いてゐた。摘みつかれた兩人は、落葉松の柔かな落葉の上に寢ころんだ。そして友人はこの頃行き詰つてゐる自分の生活問題、結婚問題について、おどおどと私の目顔を窺ふ樣にしながら語り出した。あまりに善き性質と弱い意志とを持つたこの年若い友人は、することなすことに、すべて蹴つまづきがちで、斷えず我々知人仲間から罵り續けられてゐた。そして今日も亦わざ/\私を呼ぶ樣にして、種々の出來事の判斷を請うたのであつた。
宿屋に歸ると離室の二階に二室ある他の一室には年若い二人の女が入つてゐた。
『製絲工場の女工ですよ。』
と友人は私に教へながら、
『この邊で一寸した女工となると大變な勢ひですからねエ。』
と言ひそへた。
襖ごしの二人の女工の騷ぎは、私たちの樂しんだ夜の酒をして折々不純なものにしたのであつた。――大正十年――
(436) 夏の言葉
ひんがしの白みそむれば物かげに照りてわびしきみじか夜の月
疲れつつ起き出で來ればみじか夜の月殘りゐて黍の葉の影
夙く起きて靜かに居れば庭さきの黍の葉ずゑの露もまだ散らず
柿の葉の青きもわれのさびしきもひたすらにして露もこぼれず
これらはすべて夏の曉を歌つたものである。
私は夏めいて來ると大抵毎朝二時から三時の間に起きる。直ぐ机に向つて爲事にかゝる事もあれば、何といふ事なく唯だ煙草に火をつけて、命みじかいこの曉の靜けさに浸つてゐることもある。
つかれたる人のみぞ知るしののめの露の干ぬ間のこのたのしさは
私は寧ろこの夏の朝の疲勞を愛するものである。いかにも遣瀬なく、そしてまたいかにも清らかな感じのする疲れである。
(437) 葉末のつゆのこぼれやうこぼれまいとするあの氣持が確にこの疲勞にはある樣だ。
かすかなほてりを帶びた身體を包む此頃の曉の大氣の冷かさも心憎い。身體はしつとりと疲れて、瞳ばかりが冷かに澄んでゐるのを感ずる。
とほり雨すぎてダリヤの園に照る葉月の朝の日のいろぞ憂き
肺もいまあはき疲れに蒼むめりダリヤの園の夏の朝の日
けふも晴るるか暗きを慕ふわがこころけふも燃ゆるか葉月の朝空
枝に葉にやどり輝く夏の日のひかりかなしきこの朝かな
夏の朝の斯うした心持を歌つたものは私にはなほ少なくない。
井戸端にわが浴び浴ぶる水の音水のたえまにかなかなきこゆ
しみじみと朝空あふぎ立ちつくす夏の眞土のつめたき上に
起き出でて跣足に立てる朝の庭つめたき土に媚ぶるこころか
夏はいまさかりなるべしとある日の明けゆく空のなつかしきかな
此處はなほ物かげなれど朝空をかがやきてゆく白鷺の鳥
此等には疲勞の氣持は含まれてゐないかも知れぬが、而かも或る靜けさに浸つて身を固めた心(438)は同じである。
朝が次第に闌けて、張り渡した大空に浮雲ひとつ見えず、唯だかすかに燻り煙る樣な輝きを持つ夏の眞晝もまた私の好きな一つである。手足ひとつ動かすにもゆるがせに出來ぬ心持である。まばたき一つするのもかりそめならぬ張り詰めたあの氣持である。
いはけなき涙ぞ流る燕啼きうす青みつつ晝更くるなかに
しばらくはうつつともなく眞がなしき夏の眞晝のわれにしありけり
とほき木に蝉の鳴き入りゆくりなく鳴り出でし時計音のわびしも
窓漏れてあざやけきかな七月の青きひかりはわれの机に
朝が早いので私は毎日午睡をする。窓から軒から照り入つた光より逃れる一つの手段でもあるのだ。
かがやきて睡りは來る午ちかみ窓邊の木の葉照り青むなかに
晝焚きて机のかげにおきたればほのぼの昇る蚊遣香のけむり
私は人の言ふほど夏の夜の風情に心を動かされぬ。ひとつは毎晩の晩酌から大抵食後ほどな(439)く眠つてしまふためかも知れぬ。然し、夜を歌うたものが無いではない。
蚊帳に見ゆる夜ふけの風のつめたきにこころ覺めをれば蚊のなく聞ゆ
をりをりに吹き入る風の蚊帳をあふりこころ淋しも秋のごときに
いまをかも露のおくらむ夜あかりに長く垂れたる黍の葉の見ゆ
みじか夜のいつしか更けて此處ひとつあけたる窓に風の寄るなり
うろこ雲空にながれてしらじらと輝けるかげの夏の夜の月
夏はよく私は草花や野菜などを植ゑてたのしむ。これもこの季節の疲勞を愛し、靜けさを好む心から來たものゝ樣に思はれる。
草花を見るのも、畑の草をいぢるのも、矢張り朝が一番たのしい。
眼に見えて肥料《こやし》利きゆく夏草のとりどりの花は咲きそめにけり
朝夕につちかふ土の黒み來て鳳仙花の花散りそめにけり
一重咲ダリヤの花のくれなゐの澄みぬるかなや梅雨ばれの風に
居て見るやならぴて咲ける草花の色香とりどりに飽く花ぞなき
眞白くぞ夏萩咲きぬさみだれのいまだ降るべき庭のしめりに
(440) 泡雪の眞白く咲きて幹につく鳳仙花の花の葉ごもりぞよき
葱苗のいまだかぼそくうす青き庭の畑は書齋より見ゆ
疲れと靜けさに浸る心は、自づと人目沓をくることになり易い。そして、ばつちりと眼を開いて、何を見るともなく見詰めてをる。
青みゆく庭の木草にまなこおきてひたに靜かに籠れよとおもふ
めぐらせる大生垣の槇の葉の伸び清らけし籠りゐて見れば
生垣の槇の若葉のいろ深み土用わびしき風は吹くなり
焚く香のにほひほのかにこもりたる夏《け》ごもりのわが部屋をよしとす
北南あけはなたれしわが離室《はなれ》に濁りこもれば木草見ゆなり
苔のうへ這ひ行く蟻にこころとまるわびしき今日を庭木吹く風
心憂く部屋にこもれば夏の日の光わびしく軒にかぎろふ
なまけつつ心くるしきわが肌の汗吹きからす夏の日の風
なけをるわが耳底に浸みとほり鳴く蝉は見ゆ軒ちかき松に
門口を出で入る人の足音にこころ冷えつつなまけ籠れり
(441) なまけゐて苦しき時は門に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
私のいま住んでゐる家の門口からは眞正面に富士の山が仰がるゝ。
雪の消えたこの山の遠いいたゞきも孤獨な心にはよき友である。
雲まよふ梅雨あけ空のいぶせきにあかつきばかり富士は見らるる
むらさきに澄みぬる富士はみじか夜の曉起きに見るべかりけり
めづらしくこの朝晴れし富士が嶺を藍色ふかき夏空に見つ
たづね來てとまれる人をゆり起す夏めづらしき今朝の富士見よ
陰ふくみ湧きたちさわぐ白雲のいぶせき空に富士はこもれり
富士の前にある愛鷹山は、謂はゞ富士の裾野の一部とも見るべく、同じく大きななだらかな裾野を持つてをるが、その野の繁い襞から襞にかけて朝々眞白な雲が湧く。
明方の山の根に湧く眞白雲わびしきかなやとびとびに湧く
愛鷹の根に湧く雲をあした見つゆふべ見つ夏の終りとおもふ
愛鷹に朝ゐる雲のたなびかば晴れむと待てや富士の曇りを
(442) 夕方雨がをり/\山から降つて來る。
さやさやと音立てて來し雨脚のいま降りかかる窓さきの木に
飯かしぐゆふべのけむり庭に這ひてあきらけき夏の雨は降るなり
はちはちと降りはじけつつ荒庭の穗草がうへに雨の降るなり
漸くかすかな食慾がついて來る。
何はなくたべむとおもふたべものも秋めくものか籠りてをるに
いささかの蜆煮なむと眞清水にひたし生けおく夏のゆふぐれ
斯うしていつの間にか永かつた夏も盡きて世は秋のにほひに移つてゆくのである。永かつたとツイ言つたが、實は私にとつては夏はたゞ短く速くのみ過ぎてゆく思ひがする。
ことにあの照り澄んだ太陽、輝き入つた大地の眞夏の力と靜けさとはほんの一瞬にして過ぎてゆく樣におもはれてならない。そして名もない俚人の歌うた「土用なかばに秋風ぞ吹く」のわびしさあはれさがいちはやく身にしみて來るのをおもふ。
畑中の小みちを行くとゆくりなく見つつかなしき天の河かも
うるほふとおもへる衣《きぬ》の裾かけて埃はあがる月夜の路に
(443) 野末なる三島の町の揚花火月夜の空に散りて消ゆなり
秋づけるもののけはひにひとのいふ土用なかばの風は吹くなり ――大正十一年―
(444) 雲の峰
白雲《はくうん》、岫《しう》を出づ、といふ言葉がある。好きな言葉だ。靜かで、しかも生きた心の動いてゐるのを思ふ。
あながち山の岫《くき》ならずとも、いはゆる天《あめ》の眞洞《まほら》の大ぞらに、むつくりと浮いて出る初夏のころの雲の姿は、みづ/\しく、また輝やかしいものである。むくりむくりと幾重にか湧き重なつて、その根がたに僅かに黝《くろ》みを宿し、圓みを帶びてうち廣がつたあたりはそれこそ朝露の持つ樣なみづみづしい光を帶びて居る。
然し、雲の峰といふ言葉の持つ本来の意味は瑞々しいこのはつ夏の雲の姿でなく、夏の眞盛りに大空高く樓閣を築いた樣に、のしかゝつて現はれる雲のことを言ふのであらうとおもふ。
(445) いつたいに夏の景物はみな力に滿ち溢れた樣な、強い烈しい姿をしてゐて、そのなかに案外に深い寂しさあはれさを含んでゐる樣に私は思ふ。
螢のとぶみじか夜のあはれさ、郭公の啼く明けがたのあはれさ、蝉の鳴き入つた眞晝のさびしさ、ひぐらしの鳴くゆふぐれのさびしさ、これは春にも秋にも冬にもない味はひのものである。無論春にも秋にもそれに似通つたものがあるにはあるが、夏のが一番眼だたないでしかもしみじみと身にしみる樣に思はれる。春や秋のそれらは、あまりに形に見えすぎて却つて底の淺いのをおもふ。
雲の峰もまたこの夏のあはれさを宿したものゝ一つであらう。
ものものしく空には浮ぶが、しかも多くはほんの暫くで消えてしまふ。欝然として聳えたなかに、早や泡沫(うたかた》弱さはかなさを何處ともなくその形に示して居る。眩ゆい位ゐに光り輝きながらそれは決して朝日子の含む光ではない。
土用なかばに秋風ぞ吹く、といふ言葉がある。夏のさかりの、暑いさかり、眩ゆい極みとおもつてゐるなかに早や何處となく秋めいたそよ風のおとづれて來てゐる微妙さを言つた言葉であら(446)うが、雲の峰に現はれるは最もこの頃に多いのだ。
沖邊はるかに聳ゆるものより、幾重か連なつた山の上に立つた雲の峰に却つてうるほひ深いのを覺え、大市街の上にのしかかつて立ち現はるゝものに最も深い陰影とはかなさとを見る樣だ。 ――大正十二年――
(447) 廿三夜
さほどに暑い夜でもなかつたであらうが、眠りそこねてまじ/\してゐる身にとつては、思へば思ふだけ暑苦しく思へて來た。
眠られぬ夜には私はウヰスキイを飲むのを常としてゐた。その夜も初めからそれを思はないではなかつたが、折惡しく腸をこはしてゐたゝめに、いつもの樣に躊躇なく起き上つてその壜を取出す氣になれなかつた。然し、數知れぬ寢返りの後には矢張り蚊帳をくゞつてそとへ出るほかはなかつた。そして盗みをする樣にして戸棚からそれを取出すと、手近の長火鉢の側に坐つて栓をとつた。眞上の柱時計は間もなく二時を打たうとしてゐた。
時ならぬ肌の匂ひと酒の匂ひとに驚いた樣に蚊が群がつて來た。蚊帳に持ち込むはむさくろしいし、不圖私は思ひついて壜とコツプとを持ちながらひそかに庭に出て行つた。
櫻や松の四五本の木立の蔭には涼み臺が置いてあつた。その上にあがつて坐りながら我知らず私は微笑した。忽ち程よい微風が感ぜられ、星とても見えぬ空には夏の夜らしいほの光があつて(448)少しさしかざして酌ぐ分には別にウヰスキイをこぼすぼどの事もなかつた。却つて眼や心の冴えて來るのを覺えながら、思ひがけぬ拾ひものをした氣持で二杯三杯と小さなコツプを重ねて行つた。
漸く眠りの覺めてゆく樣なぼんやり心た心の裡にいつとなく氣て宿つた一つの考へ事があつた。晝間に讀んだ雜誌に載せられてゐた有島武郎といふ人の情死記事に就いてゞあつた。
私はこの人を個人としては少しも知らず、作者としても殆んど知る所がなかつた。この情死事件があつて後、種々なものに書かれた記事によつて初めてその人物の幻影を知り得たと云つてもよい位ゐのものであつた。ことにその日に讀んだ「泉」といふ雜誌に故人の親友たちによつて書かれた同氏追悼の言葉を讀むとこの未知の人の面目がやゝはつきりと解つて來た樣な氣がしてゐたのであつた。
總明で、富有平和の家に生れたにしては苦勞性で、人事社會に對しての充分の考察をも持つてゐたげに見ゆる人が、何故あゝした不合理不自然な出來事の中に突如として身を沈めて行つたか。思ひ殘す所なくその中に亡び得るとわざ/\揚言したその戀といふものも果して眞實であつたかどうか。
蛇の好きなといふその女に、周圍の友人達から一生懸命に彼を奪ひ取つて行くつたとも見ゆるそ(449)の女に、いゝ芝居相手とされて死んで行つたのではなかつたか。また、その女の亭主といふ男の今度の事件に對する態度はどうだ。自分の女房を寢取られた恨みから一途になつて罵り下した言葉としては一萬圓賣買云々も或は無理ではないかも知れぬと一時同情もせられたのであつたが、その女の死後四十九日たつかたゝぬにまた新しい美人を貰ひ受けるとはどうしたことだ。事件に對するつらあてか、それともまた今度は此奴は幾らに賣れると先づその評價からきめて貰ひ受けたのではなかつたか。それともそれ等新聞雜誌の記事をどの邊まで信じていゝものか。
『オヽ!』
私は獨りでコツプをさしあげた。楕圓形とも見ゆる怪しげな月が、濕氣深い空にいま眞向ひの香貫山の峰を離れる所であつた。
『廿三夜か六夜かナ』
さう思ふと、山深い故郷で母と共にこの月を待つた幼い自分の影が心に浮んだ。――大正十二年――
(450) 上京記
敬曉村君
一昨日廿二日に一寸東京へ行つて來ました。この一月ほど毎晩半徹夜(僕一流のやりかたなので夕方食事を濟ますと程なく寢てしまひます、大抵七時から八時の間です、そして夜なかに起きます、十二時から一時二時の頃です、それから机に向つて家族たちの朝食の時まで爲事にかゝり、一緒に食事をして新聞を見ながら、床に入り約一時間位ゐ眠ります、時には朝食をば自分で自分の部屋で整へる事もあります。)を續けてゐるといふ忙しい間でしたので、出來るならば行かずに濟ましたいと思ひましたけれど、どうしても手紙で用の足らない事でしたので、日歸りの事にして出かけました。
用事といふのは、東京日々新聞社で東宮御成婚記念事業の一として募集した「国民の歌」の選をやる事だつたのです。三萬通も集まつた中から先づ社の學藝部で豫選をし、それを印刷にしたのが僕等選者の許に廻つて來てゐました。それの出來がよければそれらの各篇に點數をつけて送(451)り返すだけでも間に合つたのだが、因果な事に、いかにも拙い、先づ五十點といふ點數をつけ樣といふのが無いのです。とても此儘では批評も書きにくいし、とにかくその選評會に出席する必要があると思つたので、朝六時四十分の汽車で出かけました。
牧君
僕が沼津に引越して來て今年でいつの間にやら四個年になつてゐます。もうあと幾つか寢ると足掛五個年になるわけです。その間にそれこそ五六回しか僕は上京してゐません。どうも束京といふ處が煩はしくて、恐しくて、さう氣輕に出懸けるといふ氣になれなかつたのです。ですから、例の地震後の東京をも實はまだ見てゐないのでした。イヤ、先日信州から秩父の奥の山めぐりをした歸りに東京を通りましたけれど、上野驛からずつと山の手線を廻つて來たので殆んど何處をも見ずに通つて來たのです。
今までならば四時間と少しで沼津から東京へ行けたのですけれど、今では五時間半ばかりかゝります。やはり地震後の線路の修繕がまだ充分に出來てゐないのです。横濱または品川をすぎてからの東京の燒跡の哀れさ物凄さが汽車の窓から見えましたけれど、それらの事はもう大抵御存じでせうから略します。とにかく、十二時三十何分かに束京驛に着きました。會議は午後の二時から東京日々社で開かれる事になつてゐましたので、それまでにはまだ時間があるし、第一時刻(452)でもあるから先づ晝飯をたべようと思ひました。で汽車を降りると直ぐ驛の入口の方に廻つて精養軒で出してゐる食堂でたべようと出かけました。何の氣なしに高い足駄を――朝からひどい降りでした――引きずつてその入口まで行つてみて驚きました。中は一杯の人です。見るからに濛々たる湯氣だか人間のウン氣だかが中を立ち罩めてゐます。何といふことなく入口に僕は立ち二階の方へ上らうかと思ひましたが、足駄を引きずつては一寸登つてゆきにくい。
牧君、御存じの通り僕は昔からずつと和服黨で、學校の豫科を出て以來、まだ洋服といふものを着たことがない。それがあゝした洋館の人ごみの中に立つて見ると、此頃ではひどく眼だつ樣になりました。つまり、このあたりの人間がみな洋服を着る樣になつたのです。ですから、あゝした建物の廊下を歩くのにガラ/\と音する下駄、ことに足駄などを引きずつたのでは全く氣がひけます。で止むなく其處を諦めて驛を出てしまひました。
サテ、何處にしようかと考へました。日本橋の方にでも出て行けば恰好な家のあるのを知つてゐますが、それも燒けない前の話だし、サテどうしようかとびしよ/\の雨の中に立つて考へました。そしてツイ眼の前に聳えて居る例の丸の内ビルヂングの地下室一帶がみな何や彼やのたべもの屋であつた事を思ひ出しました。
その丸ビルの正門の入口に行つてみてまだ驚きました。それこそ肩を斜めにし身を曲げてから(453)でなくては入り兼ねるといふ混雜です。なんといふ人間の多さぞやと思ひながら、傘をつぼめ足駄をカラカラ鳴らしながらその中へ割込んでゆきました。そして地下室の方へ降りて行かうとしてまた自づと立ち留まることになりました。その階段の混雜はその丸ビル一階の廣場いつぱいになつて右往左往してゐる中でも最も烈しい場所になつてゐるのです。暫らくぼんやりしてゐましたが、それでも其處へいつて行かないことにはもう一寸他で喰べる所が無いと思つたので、勇氣を出して人海に揉まれながら降りてゆきました。
地下室の廊下は上より狹いだけに一層混雜が眼につきます。先づ曾て行つたことのある其處の中央亭支店へと行つてみますと、東京驛の食堂以上の濛々たるウン氣です。全く人の頭が大きな部屋中に波を打つてゐるのです。その頭の一個々々がみなそれで小刻みに動いてゐるのがよく感ぜられます。その筋向うの花月食堂は、とうろたへた眼を向けますとこれまた同樣の物すごさです。思はず僕はニヤリとしました。とても我々の樣な氣の弱いものには割り込む事の出來ない物凄い力がそこら中に張り滿ちてゐるからです。おとなしくあきらめて階上へ出やうとしながら、同じ地下室の丁度その横丁どほりの樣な所に蕎麥屋だの壽司屋だの小店のあつたのを思ひ出しそちらへ行つて見ますと、驚くべし/\何處もかしこも小さいは小さいなりに皆ぎし/\と詰つてゐます。オヤ/\と思ふうちに、いつの間にやら僕の食慾は影も形もなくなつてゐたのです。(454)食慾がない處か、飯の十杯も喰つた後の樣に、なんだか咽喉もとまでこみあげて來てゐる氣持です。
苦笑滿腹で僕は再び寒い/\雨の中に立ちました。もう食事を斷念して、いつそ日比谷の方でも散歩して來ようかとぶら/\馬場先門の方へ歩きかけると、ツイ其處に文化食堂と大きな看板をかけた食べもの屋が眼につきました。構へは大きいがお疎末千萬な例のバラツクです。そしてその窓さきに一升瓶の竝べてあるのが眼につきました。それを見ると、一時影を消してゐた僕の食慾――だか飲慾だかゞまたフラ/\と腹の中に起きて來ました。何でもいゝから一杯飲んでやらうとそゝくさ其の入口から入らうとしたところが、ドツコイさうはゆかないのです。
馬鹿々々しいぢやアありませんか、停車場で切符を買ふ時の樣に、また此間まで盛んに寫眞になつてゐた玄米の配給を受くる遭難者の樣に、その入口にはずつと一列に人間が列を作つてゐるのです。何をするのだと見ると、さうして竝んだ順序に天どんだとかお刺身だとかジヤミ附パンだとかカツレツだとかチヤアシユウメンだとかお汁粉だとか云つてめい/\たべたいものゝ切符を買つて中に入つてゆくのです。それを眺めながら僕はもう呆れる勇氣もなくなり、おとなしくぞの行列に加はり順番を待つて二合瓶二枚、鴨南蠻二枚、都合四枚の切符を買ひとつて中に入りました。
(455) 同じく人の頭の波です。急には自分の椅子など、見附かりさうにありませんでしたから、先づつか/\と酒の壜の竝んだ方に行つて突立ちながらその一本を所望しました。無論うや/\しく一枚の切符を差出してからです。でも其處の酒場を受持つてゐる小母さんはなか/\親切で、とにかくお尻を半分位ゐ載つけるだけの席を作つてくれました。そしてお燗をもつけて呉れました。ヤレ一杯にありついたと思ふと急に亞鉛屋根に降りつける雨の音が耳につき、隙間だらけの板がこひから吹き込む風が身にしみ出しました。
牧君
だら/\書きつけて來た樣だが、とにかく何ぼ時間だとは云ひながらこの食物に群がつてゐる人間の夥しい數だとかそんなごた/\した中で平氣でガブ/\喰べてゐる有樣だとかいふものが、いかにも現在の「東京」の象徴の樣な氣がしたのです。イヤ、單に「東京」のみでなく「日本」そのものゝ縮圖の樣にも思はれないではありませんでした。君にはさうは思はれませんか。
辛うじて鴨南蠻の一杯だけを平げ、殘り一杯をば丁度隣で燒スルメで飲んでゐた人にプレゼントして、それでもアルコールの力で幾らかいゝ氣持になり、その怪しい集團の中から出て來ました。そして程近い束京日々新聞社へゆきました。學藝部主任のH――君が歡んで迎へてくれました。僕が先着でまだ他には誰も來てゐませんでした。先づ會議室の廣間に通されました。餘りに(456)廣過ぎますね、と言つて出て行つたH――君はやがて他の綺麗な室に案内しました。其處は社長室で、スチームでよく温つて居ました。幸運にも同業の中で燒け残つたこの新聞社はなか/\よき建築を持つてゐるのです。やがて山田耕作君、次いで北原白秋君が來ました。同じく選者である佐々木信綱博士からは僕は病氣で缺席するからとその選だけを屆けて來ました。發表當時は今一人松村武雄博士が加はるわけだつたけれど洋行中で、この四人で合選する事になつてゐたのです。
他の二君の意見も僕と同じでした。僕など初め一二等を無しにして三等だけにしようとまで言つたのだけれど、それでは社が困るといふことで結局二等二人三等三人ときまりました。可哀相に千圓とりそこなひましたね、と言つて同じく學藝部のA――君が笑ひました。一等は千圓の懸賞だつたのです。二等の五百圓だつて拾ひものだよ、と皆して笑ひました。
それでも何だ彼だ三時間近くかゝりました。會が果てゝ山田君は或る音樂會に出なくてはならぬとて歸り、北原君と僕とは社からの招待でツイ近くの中央亭に行つて夕飯をたべました。流石に此處には晝間見た物凄い光景はありませんでしたが、それでもあたりの席に西洋人だの婦人づれの支那人だのといふのがずらりと綺麗に竝んだところを見ると、却つてまた我々の樣な田舍者は氣が引けてしまつてろくには物の味も解らぬといつた形もありました。學藝部の人たちの外に(457)社を代表して社會部長のO――氏が一緒でしたが、この人は社内一の酒豪だといふ事で、恐らくこららの二人の相手として選まれたものだらうと思はれました。食事が果てゝ談話室のストープの前に移ると、O――氏は自分からバーの方へ立つて行つてウヰスキイの大壜を持出して來て口を切り、頻りに我等にすゝめました。折からクリスマスの前の事で、それにちなんで福引などもありあたりの賑やかななかに忽ちその一壜はなくなりました。そのうち神田乃武男が死んだとか危篤だとかいふのでO――氏は一二度電話口に呼び出されました。
河岸を變へよう、といふわけで其處を出、今度はもとの有楽町驛の下のあたりに出来てゐるバラツクのカフエーステージといふのに移つてまたウヰスキイです。このカフエーの主婦といふのは死んだ板垣伯の姪だとかいふ人で新劇方面の人たちは大分この人に世話になつてゐるさうです。かなりの姥櫻《うばざくら》だが、なか/\の美人です。肥後生れのO――氏、柳河生れの北原君、日向生れの僕、と三人とも九州人である事などが妙に詰をはずませて從つてコツプの數も無闇と加はります。
其處へ、やア、と言つて入つて來たのは仲木貞一君でした。君はこの人を記憶して居ますか、早稻田の教室で一緒だつた人、そしてその頃から級中一の美男子で通つてゐた人です。さう言へば思ひ出すでせう。いま中外商業だかの記者をしてゐるとの事でした。
(458) とかくするうちに醉も廻り、夜も更けました。いつどうしてそのカフエーステージを出たか、いつ何處で他の人たちと別れたか、とにかくそれから程經たころ飛びも飛んだり、大森海岸の料理屋茶屋といふのの三階に三人連になつて坐つてゐました。三人とは北原と僕とH――君とです。「藝者を呼べ」「何を仰有るんです、もう午前の二時ですよ」などの問答があつたと覺えてゐますが、とにかくそのうちに今の詩壇がどうだとか小説が何だとかいふ話が始まり、とう/\この三人が主になつて來年早々雜誌を出さう、出して斯界を一新する樣な鮮かな空氣を作つてやらう、雜誌の名は何とする、乃公《おれ》もしつかりする、君もしつかりしろ、などと、果ては火も消えた樣な火鉢を中に三人手を掴み合つてベソを掻くといふ始末にまで及びました。氣がつけば隣の部屋に床を延いて捨てたまゝ女中などもう一人も部屋にゐなくなつてゐるのです。ただ徳利の林立があるのみです。
とろ/\としたかとおもふと軒下を通つてゐる京濱電車の響に眼を覺されました。や、これはやかましい、もつと靜かな家に行つて飲み直さう、とツイその筋向うの松淺といふのに移りました。ここの料理なども君の記憶にあらうとおもふ。君とは落合はなかつたけれど、佐藤とはよく來ました。昨夜も昔戀しくて初め此處に來たのだけれども、近來料理專業に改めて、お馴染の古の家に行つたのでした。
(459) 程なく風呂が沸き、日あたりの座敷のお掃除が出來、鍋だ天ぶらだ海鼠の酢だとごたくを竝べて飲み始めました。いつか三味線の音じめが起り、朝日が西日になり、安房上總が海向うにぼんやりと暮れかゝる頃になつて、えんやらやつとおみこしが上りました。
大森驛でH――君は一人東京へ、僕等二人は一人は小田原まで一人は沼津までの切符を買つて西行の汽車にと乘りましたが、途中で北原の奴はまた謀反を起し、大船驛の近くの大船閣といふ温泉宿に行つて今夜は泊らう、あそこには多少イハクがあるとか何とか言ひ出し、とう/\其處で一人で降りてしまひました。勝手にしろ、で獨り別れては來たものの淋しい夜汽車でありました。僕も實はお湯にでも入つて腰を伸ばしたいは山々だつたのだけれど、いかんせん「創作」の校正を途中でとめておいて出かけてゐたので流石にもうその上のズボラは出來なかつたのでありました。歸つて來ると待ちあぐんでゐる印刷所のオヤヂからウンと叱りとばされて、飲みすぎのあとのブル/\と慄ふ手先で赤インキのペンをとりました。そしてその筆つづきに斯うしたくだらぬ手紙を書きました。
では牧君、これでよします。君も元氣でせう。弱つたとは云ひながら僕もまだ以上を認めた程度の元氣を身體の何處かに残してゐるのです。お互ひに一杯を擧げて残りの健康を祝しませうか。(十二月廿四日)――大正十二年――
(460) 姉への手紙
こちらに歸つてからまだ一度も手紙らしい手紙をさしあげませんでした。ごめん下さい。何しろ五十日に亙る長旅の勞れとその間の留守中に溜つた急用を片附けるためとで、まつたく葉書一本書く時間も精力もなかつたのです。
歸省中はほんとにいろ/\とお世話さまでした、厚く御禮申します。とにかく十二年ぶりに歸つた故郷にあなたを初めまだ二人の姉と末子の私と、四人だけの兄弟が一人も缺けずに打揃うて亡父の十三周忌を營んだといふのは何とも嬉しい事でした。母も嘸かし安心したでせう。なほ、元氣だとは聞いてゐてももう何しろ八十に近い歳のことで、どんなにあらうかと心配してゐた母が、聞いてゐたより一層丈夫なのを見て、私は本統に手を合せました。そしてそれを見るにつけて平常の自分の不孝さが事新しく身にしみたのでした。そして二十日間の滯在中にせつせと口説いて、漸くこちらまでお伴れすることになつた時、私はしんからほつとしたのです。
その母がこちらに來てかれこれひと月になります。が、右云つた忙しさや何かでまだ一向この(461)大珍客のおもてなしをもようせずにゐるのです。何しろあの昔氣質のことで、芝居もいや、活動寫眞もいや、おいしいたべものの出來る料理屋へ案内しませうと言つてもいや、たゞ孫たちと遊ぶのが一番ぢやといふ風なので、お接待のしやうも無いには無かつたのです。そんなら温泉に行きませうか、と不圖考へついて言ひ出しますと、さうさの、温泉になら行つてもいゝといふ御託宣なので、占めた、それなら私自身にも難有い、ゆつくりと出懸けよう、一體何處がいゝだらうと考へ始めてむうかなり日がたつてゐるのですけれど、サテおいそれと恰好な時間が出て來なかつたのです。
ところが、フトした事から一昨日の朝ひよつこりと家を出て、同勢四人、一昨日と昨日と今日の三日間に歩きも歩いたり四個所の温泉場を廻り歩いて、いまこの宿屋に來てゐるのです。
一昨日の朝尋常三年生の岬子が何かの拍子で拗ね始めて、どうしても學校へ行かないと言ひ出したのです。子供は一切妻任せですから私はたゞほんの一寸叱りつ宥《なだ》めつしたまゝで離れの書齋に引上げました。そして十時すぎた頃お茶に呼ばれて茶の間へ行つて見ますと、いづれは兄に連れられて登校したことゝ思つてゐた岬子が悄然としてその隣の部屋に坐つてゐるではありませんか。常にない拗ねかたで、たうとう剛情を張り通したものと見えます。そして私の姿を見るなり、其處につつ臥して泣き始めました。早速私が大きな聲して叱り出す事と想はれたらしい彼女の祖