若山牧水全集第八巻、雄鷄社、514頁、600円、1958.9.30
紀行・隨筆 四
目次
紀行
金精峠より野州路へ………………………… 5
鳳來寺紀行……………………………………20
木枯紀行………………………………………38
こんどの旅……………………………………67
身延七面山紀行………………………………98
信濃の春…………………………………… 128
半折行脚日記……………………………… 143
九州めぐりの追憶………………………… 165
梅雨紀行…………………………………… 194
北海道行脚日記…………………………… 215
北海道雜感………………………………… 278
朝鮮紀行 葉書日記……………………… 290
朝鮮紀行…………………………………… 295
岬の若葉と雨……………………………… 338
隨筆
花二三……………………………………… 355
藤の花……………………………………… 358
信州一巡と淺間温泉……………………… 360
秋立つころ………………………………… 367
火を焚く…………………………………… 373
家のめぐり………………………………… 378
信濃の高原………………………………… 382
たべものの木……………………………… 396
鴉と正覺坊………………………………… 404
沼津千本松原……………………………… 413
沼津千本松原……………………………… 419
酒と歌……………………………………… 426
金比羅參り………………………………… 428
夢…………………………………………… 437
湯槽の朝…………………………………… 442
庭さきの森の春…………………………… 445
野蒜の花…………………………………… 449
千本松原の春……………………………… 454
河口………………………………………… 459
鮎釣に過した夏休み……………………… 464
流るる水…………………………………… 468
籠居日記…………………………………… 508
竹と風雨…………………………………… 511
(5) 金精峠より野州路へ
上州と野州との國境にあたつてゐる金精峠《こんせいたうげ》の頂上で、其處まで送つて來て呉れた丸沼の養魚場の老番人と私は別れた。そして獨りになつて降り始めた野州路側の山坂は、まつたく掌を立てた樣に嶮しかつた。自然と小走りになつて、一時間もかかることなく麓の平らかな澤に着いた。
其處には熊笹が身の丈より高く茂つてゐた。ざは/\と音を立てながら足早やに急いでゐると、向うからも同じ樣にして急いで來る男に會つた。上州路へ越ゆる小商人らしかつた。冷たい小流を一二度渡つて、ほどなく熊笹も薄れ、うち開けた湯元湖々畔の平地に出た。大きな落葉松の樹が三本四本と錆びはてた黄葉《もみぢ》を殘して、立ち竝んでゐるのを見た。この樹木は上州路では極めて稀にしか見ぬ樹であつた。熊笹の全く盡きたあたりから枯れはてた葦の原が續いてゐた。葉も穗もからからとうす黄に枯れ靡いてゐる中から、畫布を擔いだ二人の若い畫學生が出て來たりした。
湯元温泉が目の前に在つた。今少しハイカラな温泉場を豫想して來たのであつたが、矢張り山地の、板屋根の上に石を並べた温泉であつた。そして、それらの板屋根がいかにも低く、ぺつた(6)りと地にねばりついてゐるかの樣に見えた。家數は割合に多く、一握りにした樣に固まつてゐた。
歩み入ると、道幅は意外に廣くて、ツイ山の根に沿うた入口に馬車の立場があり、一二匹の馬がつないであつた。丸沼の番人に聞いて來た板屋旅館といふのはほぼ宿場の中程の所に在つた。古びた土間に立つて案内を乞ふと、一泊では、といふ風な顔をしてゐたが、それでも愛憎よく通して呉れた。
部屋は極く粗末な、帳場からは取つ着きにあたる階下《した》の六疊ほどの部屋であつた。一泊者といふので、上州の四萬温泉でもひどい虐待を受けて來たのであつたが、それに比べては此處の内儀や女中の態度は氣持がよかつた。そして久し振に聞く下野の國の訛であつた。二三日うちに逢ふ筈になつてゐるこの國の友人の誰彼の言葉づかひなどが自づとなつかしく思ひ出されて來た。
構への古びてゐるに似ず、湯殿は新築の明るい綺麗なものであつた。湯槽に溢れた湯は卵色に幾らか青みを帶びてゐた。たつた一人、のび/\と浸つてゐると、自づからにして深い溜息が出て來た。信州の北佐久郡を振出しに歩き始めたのが月の十五日であつた。そして今日は二十八日、その間十四日間をば殆んど歩きづめに歩いて上州の山や谷を横切り、此處まで越えて來たのだ。隨分亂暴に歩いたものであつたが、もう此處まで來れば大丈夫、あとは中禅寺、日光、と次第に賑かな人間界に入つてゆくのである。
(7) 實は此處には暫く滯在して、永い歩行の疲れを休め、出來たらばその途中で出來た歌をも見直し紀行をも書いてゆきたい、と考へて來たのであつた。然し、いよ/\此處まで近づいて來ると、ツイ手近の日光に、宇都宮に、喜連川《きつれがは》に、それ/”\友人たちが待つてゐることが心にいつぱいになつて、とてもぢつとしてゐられない思ひがしだした。で、昨夜丸沼の寒い/\寢床の中で、湯元滯在の豫定を捨てて一日も速くそれ/”\に定めてある土地を廻り歩いて友人たちに逢ふことにしようと考へ直したのであつた。
溜息が欠伸に變るまで、ぼんやりと私は手足を伸ばして浸つてゐた。其處へ一人の丈高い青年が入つて來た。彼は先づ湯に入る前に湯殿の隅へ行つて油繪具の刷毛を洗ひ始めた。先刻《さつき》途で會つた二人のことも頭に浮び、よほど此處には斯うした畫學生が入り込んでゐるのだナ、と思つた。
『此處の湯は、あまり永湯してはいけない樣ですネ。』
と、やがて私の側に來て浸りながら彼が言つた。私の額の汗をでも見たのであらう。
『どうしてです。』
『硫黄泉だから、心臓を刺戟すると見えて、あまり永湯したり一日に何度も入つたりすると逆上《のぼ》せて夜眠れません。馴れゝばそれほどでもない樣ですけれど。』
(8)といふ。
なるほどこの湯の色からも匂ひからも、先づその位ゐの用心はすべきであつた、と惶《あわ》てゝ立ち上りながら、
『どうも難有う、ツイぼんやりしました。あなたはもう暫く御滯在でしたか。』
私は訊いた。
『今日で三週間目です。』
身體を拭きながら、何となく私にはこの青年がいま佳き繪をかきかけてゐる樣な氣がしたのであつた。その元氣な、明るい顔と、三週間目とを思ひ合せて。
部屋に歸ると明るい西日が射してゐた。私は汗じみたシヤツやズボン下、着物などをすべて裏返しにして縁側に乾し竝べた。そして、今日までの十幾日間に、斯んなことをする餘裕も無かつたことなどが思ひ出された。自分自身もそら寒い西日を浴びて暫く其處に長くなつてゐたが、やがて繪葉書でも買つて來ようと、戸外《そと》に出た。
宿を出て右になほ二三軒の湯宿の續いた前を通りすぎると、直ぐ其處は湖水になつてゐた。其處の岸からは沸々《ふつふつ》と湧き出た湯が深い湯氣をたてながら空しく湖の中に注いでゐるのなども見えた。
(9) 初めて見る湯元湖は私の豫想よりも遙かに廣く遙かに深く、そして曾つて見たことのない深い景色を見せて呉れた。屈折の多い山の根がたを浸して、ぴつたりと澄み湛へた靜けさは、先づ私の疲れ緩んだ心を引き緊めた。そして更に私の眼を覺すものは、湖の向う岸からうち聳えた黒木の山であつた。
温泉場寄の岸邊は遠淺となつてゐるらしく、水際からすぐ枯葦の原となり、その向うに楊《やなぎ》の竝木らしい枯木立がつらなり、やがて先刻見て來た落葉松の木立となり、其處からは急に直角に近い角度で聳え立つた山となつてゐるのだが、その山腹にはそれこそ漆黒色にも見ゆるほどぎつしりと立ち込んだ黒木の森、常磐樹の林が茂つてゐるのである。温泉場から少し左手寄りになると、この嶮しい黒木の山は湖岸から直ちに起つて切り立つて居る。墨色の森の中に諸所、雪の樣な幹を見せて居るのは白樺で、これが一層森の深みと靜けさを増して見せてゐる。
そしてこれらの茂つた山腹が次第に中空高く聳えて行つた眞上には、白根火山の灰白色の尖峰が槍の樣に、また鋸の樣に、冷やかに臨み立つてゐるのである。
水は清らかで、殆んど湖水全部が青みを宿した深さに澄んで居る。私の歩いてゐる湖岸に沿うた道の背後には男體山《なんたいざん》が聳えてゐる筈だが、それは其處からは仰がれなかつた。
繪葉書にもなか/\いゝのがあつた。澤山買ひ込んで宿に歸る。歸ると、丁度時間もよかつた。(10)今夜は久し振りに人里に出たよろこびを味はふべく、精々御馳走をたべようと、あれこれと注文して見たが、殆んど何も出来なかつた。それでも普通の膳部のほかに、中禅寺湖でとれるといふ鱒のフライと豚鍋とを頼むことが出來た。酒をもそれに準じて注文しておき、獨り靜かに火鉢に手をかざしながら盃を取つた。
いつか戸外には風が出て來た。盃を嘗め、箸をとり、繪葉書を書いてゐる間に、恐ろしい勢ひで庭の木立を吹きはためかしてゐるのが聞えてゐた。
十月二十九日。
二階ならば嘸ぞ搖れるだらうとおもはれるほど夜を通して木枯がすさんでゐた。眠りつ覺めつ、枕許の水を幾度か飲んでやがて朝日のさしそめたころ、起き上つて見ると不思議な樣に凪いでゐた。雲の影すら見えぬ大空には洽ねく日の光が溢れて、まつたくそよとの風もない。でも、他に何の木とてもない寂しい庭に立ち竝んだ數本の落葉松の梢からは、散るともないこまかな黄葉《もみぢ》がひと葉ふた葉と靜かに散つてゐた。私の立つてゐる縁の下あたりには、昨夜のうちに散つたのであらう、眞新しいその落葉が堆《うづたか》く溜つてゐた。
あたりの部屋に客のけはひもせぬ靜けさに、此處に正午まで遊んで昨夜の續きの繪葉書でも書(11)いて、それから中善寺へ向はうなどと考へてゐろところへ、二三人の女中たちが大騷ぎで隣室から二三室通しになつた大きな座敷の襖を拂つて大掃除を始めた。けふは日曜で、東京から百人あまりの團體が此處まで徹夜で登つて來るのだとのことだ。それでは、と朝食後直ぐ草鞋を穿いてその宿を出た。
宿《しゆく》はづれの煙草屋で煙草を買つてゐると店の老婆が、お寒うございます、今朝はこれでお山は四度目の雪でございます、といふ。店を出て振仰ぐと、なるほど湖の對岸からそゝり立つた黒木の山を拔いて聳えて居る白根山の頂上に疎らに白く積つてゐた。道理こそ昨夜からの寒さよ、とそゞろに足が速められたが、湖の岸に出るとまた散歩々調の靜かな足どりになつた。とても急いでは見過せぬ湖から黒木の森の眺めであるのだ。
その湖の尻に大きな瀧が落ちてゐた。それを見て過ぎると道は戦場ケ原に入つた。方二三里のぴつたりとした圓形の平原、それを圍むのは例の黒木の山々だ。山の根がたにはずらりとまんまろく楢や白樺の枯木立が輪をなして茂り合ひ、その背後を圍んで黒木の山が起つて居る。原の中には幾本かの大きな落葉松が立つてゐるのみで、たゞ打ち渡した枯草の原である。煙る樣に温い日ざしが原に落ちて、道はたゞ一本まつ直ぐに原を貫いて眞向うに續いてゐる。その道が枯木林の間に消えたあたり、林の向うにほんのりと霧か霞の樣なものが棚引いてゐるのが見えた。其處(12)だけにほんのりと立つてゐるので不思議に思うたが、あとで思へば昨夜の烈しい木枯に波だつた中禅寺湖の水煙の名殘であるらしかつた。道では三々五々と打ち連れた例の團體客らしい人たちに出逢つた。何れも多少酒氣を帶び、更に今日の上天氣に醉つてゐる樣に見えてゐた。
枯木林に入るとやがて一つの大きな溪に沿うた。湯元湖から出て中禅寺に注ぐものである。多くは葉を落し盡した冬木の中に、岩に激しく眞白になりながら流れ下つてゐるのである。道をそれてその溪ばたの危い岩の上に立つてゐる三人づれの西洋人の少年たちの青味を帶びた服の色なども美しかつた。
ほどなく中禅寺湖に出た。先づ驚いたことは其處が湯元あたりと違つてまだ紅葉の盛りと云つてもいゝことであつた。湖《うみ》べりの道を掩うて立て込んだ木立が見るかぎりに眞紅に染まつた葉を輝かしてゐるのであつた。勿論もう道の上には、草鞋を埋めて散り敷いてゐるのである。その紅葉の木立をすかしてツイ右手に湯元湖よりは遙かに大きい湖が晴れ切つた日ざしを湛へて輝いてゐる。湖の向う岸、いや湖全帶の岸に沿うてひとしなみに自分の歩いてゐる所と同じい樣に紅葉の木立となつて居り、まんまるいその紅葉木との環の背後にはまた湯元と同じく黒木の山がずうつと圍んでゐるのである。
私もいつか醉つた者の樣に、ふらり/\とその湖《うみ》べりの道を、照り匂ふ紅葉の光に染められな(13)がら歩いて行つた。左手に二荒《ふたら》神社の鳥居があつた。そこを過ぐると大きな宿屋の立竝んだ前に出た。間に郵便局があつた。
其處に寄つて留置きになつてゐる數通の郵便物を受取つた。幸ひその隣家が洋食屋であつたので、其處に寄つて、折しも時間でもあつたので晝食を注文しながら、手紙や葉書を讀み、必要なものには返事を書いた。かなり永い時間をかけて晝食を終つたが、まだこれから宿につくには早退ぎる。もう一度いま來た道の紅葉を見て來ようと、再び引返して、先づ二荒山に詣でた。
日の闌《た》くるにつれて紅葉の色のいよ/\深くなるのが感ぜられた。木立を仰ぎ、湖を見、飽くことなく歩いてゐたが、晝食の時に飲んだ酒が非常に身體に利いてゐた。あとでは歩むに苦しくなつたので、道から湖の岸に降り、そこの綺麗な砂の上に寢てしまつた。眠くもあるが、流石に風邪が恐しく眠られない。うと/\してゐるうちに、フイと歌が心のうちから湧いて來た。腹這ひながらノートに書きつけた。
裏山に雪の來ぬると湖岸《うみぎし》の百木《ももき》のもみぢ散り急ぐかも
見はるかす四方《よも》の黒木の峰澄みてこの湖岸の紅葉照るなり
下照るや湖邊《うみべ》の道に竝木なす百木のもみぢ水にかがよひ
舟うけて漕ぐ人も見ゆみづうみの岸邊のもみぢ照り匂ふ日を
(14) みづうみの照り澄むけふの秋の空に散りて別るる白雲の見ゆ
歌を書きつけながら砂の上に横たはつて居る身體のめぐりに楓や錦木、その他名も知らぬ種々雜多の紅葉の散つて來るなかに、これはまた眼だつて柔かな色の、葉も柔かに大きい一種があつた。よく見ると、二三日前、丸沼まで登る途中案内人から教へられたはなの木といふのゝ葉であつた。何やらになつかしくてその葉を口にあてながら一首を詠んだ。
はなの木のもみぢより濃き錦木の紅葉をよしと誰も言はなくに
かなりの時間を砂の上に費して午後三時ころ、かねて豫定してゐた米屋旅館に入つた。この宿屋は私の友人の叔父の經營してゐるもので、友人から是非其處に行く樣にと言はれてゐたのであつた。多くある中禅寺湖畔の宿屋のうち、この米屋だけ一軒、普通のと離れて二荒神社と反對の靜かな湖岸に建てられてある。で、通された二階の障子をあけると湖を越して眞正面にいたゞきのその奥の院に祭られてあるといふ二荒山の山全體が仰がれた。この山、またの名を男體山といひ、また黒髪山といふ。この宿から仰ぐ山の姿にはまことにこの二つの名のいづれともふさはしいと思はるゝ雄々しさみづ/\しさが感ぜられた。夕方かけて何處からともない眞白な雲があらはれ、この豐かな山腹を昇りつ降りつしてゐた。
夕食まで宿の若主人であるⅠ――君に連れられて附近の歌が濱や立木觀音などを見て歩いた。(15)夕食の膳にはどつさり御馳走が出て、昨夕の恨みを晴らすことが出來た。ゆつくりと食べ且つ飲んで、やがて湖に面して廊下に出て見ると湖の面はうすら寒い月の夜となつてゐた。黒髪山もその光に濡れて、晝間より更にくつきりと高く中空に聳えてゐた。
十月三十日、快晴。
朝は霧が深かつた。湖岸の紅葉は霜に濡れていよ/\美しかつた。華嚴の瀧までⅠ――君が見送つて呉れた。
あまり瀧といふものゝ好きでない私にも華嚴の瀧だけは流石に見ごとなものだと眺められた。四邊の岩のすがた、冬木立、その間に深い色の紅葉の殘つてゐるのなどもよかつた。Ⅰ――君に別れて馳せ下る九十九折の急坂にはまつたく織る樣な人出であつた。多くは美しく着飾つた都人士で、その間に二人引の人力車が續き、自動車が唸りながらに上下してゐるのである。一時秋の初めから流行したコレラで屏息してゐた人たちが、病氣の終熄と共に斯うして押し出して來たのださうだ。
般若、方等と呼ぶ二つの瀧が淀んで落ちてゐるのを見るところがあつた。私には瀧よりも、その瀧を見ようとして端なく仰いだ二荒山の荒れ寂びた姿が難有かつた。中禅寺潮の方面から見る(16)この山は前にも云つた樣にいかにもみづ/\しい豐かな山容を持つてをるのだが、一歩こちら側に來て仰ぐと、これまたいかにも二荒山の名に似つかはしい死火山の物寂びた山嶺が仰がるゝのであつた。
頂上から中腹にかけ、全部龜裂して赤茶けた山肌を洒してゐるのである。
馬返しの電車終點で打合せておいた通り、S――君に會ふことが出來た。七八年ぶりの再會で、私は辛うじて彼を見分け得たが、彼は私を全く見忘れてゐた。
『でも、まさかあなたがそんな風をして來やうとは思ひませんでしたからなア。』
と、しげ/\と私の草鞋脚袢尻端折の姿を打ち眺めた。半月ほどの山歩きに、荷物を通して洋傘を擔ぐ古羽織の肩の所などすつかり破れて綿が出てゐたのである。
直ぐ電車に乘つて日光町の同君方に向つた。途中で裏見の瀧に廻りたかつたが、一先づ日光に落ちついて、それから出直さうといふ同君の意見に從つたのであつた。
兩人竝んで腰かけた膝の上には電車のガラス窓を通して温かな秋の日がさしてゐた。或る所で、S――君は少し身をくゞめて窓ごしに眞向うの方を仰ぎながら、
『あれが鳴蟲山です、今でもあそこには鹿が出て折々鳴くのを聞くことがありますよ。』
と一つ二つそれに就いての思ひ出話をした。折からの事ではあり、私にはその事が少なからず(17)興味を惹いた。
聞きのよき鳴蟲山はうばたまの黒髪山にむかふまろ山
鹿のゐて今も鳴くとふ下野の鴨蟲山の峰のまどかさ
友がさす鴨蟲山のまどかなる峰のもみぢは時過ぎて見ゆ
草枯れし荒野につづくいただきの鳴蟲山の紅葉乏しも
今にして獵《かり》とどめずば美しき鹿が歩みを其處に見ずならむ
茸狩に行きてえ狩らずかへるさのゆふ闇に鹿を聞き出でしとふ
夜更けて聞くといへれどをそごとぞ暮れがたにただ鹿は鳴くとふ
二聲をつづけてあとを鳴かぬといふ鹿の鳴く音をわれも聞きたし
日光板挽町の同君宅は、ツイ大谷川《だいやがは》の岸に臨み、川を距てた向うの山はいま紅葉の眞盛りであつた。中禅寺よりよほど季節が遲れてゐるらしい。
先づ一杯ととり出された酒が、終に夕方まで續き、裏見の瀧は流れてしまつた。電燈がつく樣になると、打連れて明るい町へ出て折から丁度時季だといふ燒鳥を食べることになつた。
その時我等の寄つた或る料理屋の息子はもと大變に歌が好きであつたが、ツイ數日前失戀の樣なことから榛名山の山上湖に入水して自殺したといふ樣な四方山話からよく聞いて見ると、思ひ(18)もかけぬその人は私の興してゐる歌の結社創作社の舊い社友であつたのであつた。非常に驚いて今はたゞ一人殘された妹さんをも部屋に招いて、いろいろと故人のことを聞いたりした。
十月三十一日、曇。
宿醉《ふつかよひ》の重い頭で日光山内のお宮からお宮を見て廻つた。はつきりと醒めきらぬ瞳に映る陽明門も束照宮も、三代廟も、たゞ美しいもの、素晴らしいものとのみしかうつらなかつた。却つて其處の博物館の内に心を惹かるゝものがあつた。
朝から我等のあとを追うて山内を廻るつてゐたといふ昨夜の料理屋の美しい娘さんが友達を三人ほど連れてあちこちと歩いてゐたのに出會つた。この娘さんも、その友達も、みな歌など詠む人であるさうだ。
とある亭に腰かけて四五人が暫く語つた。あたりに末枯《すが》れてゐる萩などを眺めながら娘さんは言つた、兄の死骸を湖水の底から引上ぐるとその腰のまはりにはいつばいこの花をさして眠つてゐたのであつたことなどを。
十一月一日、雨。
(19) 日光に別れて宇都宮市に向つた。
(20) 鳳來寺紀行
沼津から富士の五湖を廻つて富士川を渡り身延に登り、その奥の院七面山から山づたひに駿河路に越え、梅ケ島といふ人の知らない山奥の温泉に浸つて見るも面白からうし、其處から再び東海道線に出て鷲津驛から濱名湖を横ぎり、名のみは久しく聞いてゐる奥山半僧坊に詣で、地圖で見れば其處より四五里の距離に在るらしい三河新城町に廻つて其處の實家に病臥してゐるK――君を見舞ひ、なほ其處から遠くない鳳來山に登り、山中に在るといふ古寺に泊めて貰つて古來その山の評判になつて居る佛法僧鳥を聽いて來よう、イヤ、佛法僧に限らず、さうして歴巡る山から山に啼いてゐるであらう杜鵑だの郭公だの黒つがだの、すべて若葉の頃に啼く鳥を心ゆくまで聽いて來度いとちやんと豫定をたててその空想を樂しみ始めたのは五月の初めからであつた。折惡しく用が溜つてゐて直ぐには出かけられず、急いでそれを片附けてどうでも六月の初めには發足しようときめてゐた。
ところが恰度そのころから持病の腸がわるくなつた。旅行は愚か、部屋の中を歩くのすら大儀(21)な有樣となつた。さうして起きたり寢たりして居るうちにいつか六月は暮れてしまつた。七月に入つてやや恢復はしたものの、サテ急に草鞋を穿く勇氣はなく、且つ旅費にあてておいた金もいつの間にかなくなつてゐた。
七月七日、神經衰弱がひどくなつたと言つて勤めさきを休んで東京からM――君がやつて來た。そして私の家に三四日寢轉んでゐた。その間に話が出て、それでは二人してその計畫の最後の部である三河行だけを實行しようといふことになつた。
七月十二日午前九時沼津發、同午後二時豐橋着、其處まで新城からK――君が迎へに來てゐた。案外な健康體で、ルパシカなどを着込んでゐた。まだ然し、聲は前通りにかれてゐた。豐川線に乘換へ、豐川驛下車、稻荷樣に詣でた。此處は亡くなつた神戸の叔父が非常に信仰したところで、九州へ歸省の途中彼を訪ふごとに、何故御近所を通りながら參詣せぬと幾度も叱られたものであつた。謂はゞ偶然今日其處へ參詣して、この叔父の事が思ひ出され、その位牌に額づく思ひで、頭を垂れた。
再び豐川線に乘つて奥に向ふ。この沿線の風景は武藏の立川驛から青梅に向ふ青梅線のそれに實によく似てゐた。たゞ、車窓から見る豐川の流が多摩川より大きいごとく、こちらの方が幾分廣やかな眺めを持つかとも思はれた。
(22) 新城の町は一里にも餘らうかと思はれる古びやかな長々しい一すぢ町で、多少の傾斜を帶び、俥で見て行く兩側の店々には漸くいま灯のついた所で、なか/\に賑つて見えた。豐川流域の平原が次第につまつて來た奥に在る附近一帶の主都らしく、さうした位置もまた武藏の青梅によく似てゐた。
K――君の家はその長々しい町のはづれに在り、豫《か》ねて聞いてゐた樣に酒類を商ふ古めかしい店構へであつた。鬚の眞白なその父を初め兄夫婦には初對面で、たゞ姉のつた子さんには沼津で一度逢つてゐた。名物の鮎の料理で、夜更くるまで馳走になつた。
翌日一日滯在、降りみ降らずみの雨間に出でて辨天橋といふあたりを散歩した。この邊の豐川は早や平野の川の姿を變へて溪谷となり、兩岸ともに岩床で、激しい瀬と深い淵とが相繼いで流れてゐる。橋は相迫つた斷崖の間にかけられ、なか/\の高さで、眞下の淵には大きな渦が卷いてゐた。淵を挾んだ上下は共に白々とした瀬となつて、上にも下にも鮎を釣る姿が一人二人と眺められた。この橋の樣子は高さから何から青梅の萬年橋に似て居り、鮎を名物とするところもまた同所と似て居る。武藏の青梅は私の好きな古びた町であつた。
夜はK――君父子に誘はれて觀月樓といふ料理屋に赴いた。座敷は南向きで嶮崖に臨み、眼下に稻田が開けて、野末の丘陵、更に遠く連山の起伏に對するあたり、成程月や星を觀るにはいい(23)場所であらうと思はれた。惜しいかなその夜も數日來打ち續いた雨催ひの空で、低く垂れた密雲を仰ぐのみであつた。
友の老父も酒を愛する方であつた。徐ろに相酌みつつ終にまた深更まで飲んでしまつた。
七月十四日。眼が覺めるとすさまじい雨の音である。今日は鳳来山へ登らうときめてゐた日なので、一層この音が耳についた。
樫、柏、冬青《もち》、木犀などの老木の立ち込んだ中庭は狹いながらに非常に靜かであつた。ことごとしく手の入れてないまゝに苔が自然に深々とついてゐた。離室の縁に籐椅子を持出してぼんやり庭を見、雨を聞いて居るのは惡い氣持ではなかつたが、サテさうしてもゐられなかつた。M――君と兩人で出立の用意をしてゐると、家内總がかりで留めらるる。そのうちに持ち出された徳利の數が二つ三つと増してゆく間に、いつか正午近くなつてしまつた。雨は小止みもないばかりか、次第に勢を強めて來た。
漸く私は一つの折衷案を持ち出した。鳳來山登りをやめにして、今日はこれからK――君も一緒にこの溪奥に在る由案内記に書いてある湯谷温泉へ行きませう、そして其處から我等は明日山へ登り、君はこちらへ引返し給へ、若し君獨り引返すのがいやだつたら姉さんを誘はうぢやないか、と。
(24) 斯くして四人、降りしきる中を停車場へ急いで、辛く間に合つた汽車に乘つた。古戰場で聞えてゐる長篠驛あたりからの線路は峽間の溪流に沿うた。そして其處に雨と雲と青葉との作りなす景色は溪好きの私を少なからず喜ばしめた。
三四驛目で湯谷に着いた。改札口で温泉の所在を訊くと、改札口から廊下續きの建物を指して、それですといふ。成程考へたものだと思つた。湯谷ホテルと呼んでゐるこの温泉宿はこの鐵道會社の經營してゐるものであるのだ。何しろ難有かつた。この大降りに女連れではあるし、田舍道の若し遠くでもあられては眞實困るところであつたのだ。
通された二階からは溪が眞近に見下された。數日來の雨で、見ゆるかぎりが一聯の瀑布となつた形でたゞ滔々と流れ下つてゐる。この邊から上流をば豐川と言はず、板敷川と呼んで居る樣に川床全體が板を敷いた樣な岩であるため、その流はまことに清らかなものであるさうだが、今日は流石に濁つてゐた。濁つてゐるといふより、隨所に白い渦を卷き飛沫をあげて流れ下つてゐた。對岸の崖には山百合の花、萼の花など、雨に搖られながら咲きしだれてゐるのが見えた。その上に聳えた山には見ごとに若杉が植ゑ込んであつた。山の嶮しい姿と言ひ、杉の青みといひ、徂徠
する雲といひ、必ず杜鵑の居さうな所に思はれたが、雨の烈しいためか終に一聲をも聞かなかつた。
(25) 温泉と云つても沸かし湯であつた。酒や料理は、會社經營の手前か、案外にいものを出して呉れた。繪葉書四五十枚を取り寄せ知れる限りに寄せ書きをした。
七月十五日。かれこれしてゐるうちに時間がたつて、十二時幾分かの汽車に乘つた。重い曇ではあるが、珍しく雨は落ちて來なかつた。M――君と私とは長篠驛下車、寒狹川に沿うて鳳來山の方へ溯つて行つた。寒狹川もまた岩を穿つて流れてゐる溪であつた。
途中、鮎瀧といふがあつた。平常から見ごとな瀧とは聞いてゐたが、今日は雨後のせゐで凄しい水勢であつた。路を下りてそれに近づかうとすると遠く水煙が卷いて來て、思はず面を反けねばならなかつた。
行くこと二里で、麓の村|門谷《かどや》といふに着いた。見るからに古びはてた七八十戸の村で農家の間には煤び切つた荒目な格子で間口を廻らした家なども混つてゐた。山駕籠や、芝居でしか見ない普通の駕籠などの軒先に吊るされてあるのも見えた。とある一軒に寄つて郵便切手を買ひながら山上のお寺に泊めて貰へるか否かを訊ねた。上品な内儀が、泊めては賞へませうが喰べ物が誠に不自由で、とにかく今日の夕飯だけでもこの村の宿屋で召上つてからお登りになつたがいいでせうといふ。
厚意を謝して其處を出ると直ぐ一軒の宿屋があつた。これも廣重の繪などで見るべき造りの家(26)である。其儘立ち寄らうとしたが、然し其處で夕飯をとるとすると到底今日山へ登る事をばようしないにきまつてゐる。私はいいとしてもM――君は明日はまた山を下らねばならぬ人である。それを思うて、兎にも角にも寺まで行つて見ようといふことになつた。宿屋のはづれに硯を造つてゐる一二軒の家が眼についた。この山の石で造るもので良質の硯の出来るといふ話を聞いたのを思ひ出した。
黒々と樹木のたちこんだ岩山が眼の前に聳えてゐた。妙義山の小さい形であるが、樹木の茂みが山を深く見せた。宿を外れると直ぐ杉木立の暗い中に入り、石段にかゝつた。僅に數段を登るか登らぬに早やすぐ路の傍へから啼き立つた雉子の聲に心をときめかせられた。
石段の數は人によつて多少の差はあつたが、いま途中で休んだ茶店の老爺老婆は一千八百七十七段ありますと言下に答へたのであつた。數は兎に角兩人は直ぐ勞れてしまつた。一度二度と腰をおろして休みながら登るうちに右手に一軒の寺があつた、松高院と云つた。今少し登ると翳王院といふがあり、接待茶、繪葉書ありの看板が出てゐた。其處へ寄つて茶の馳走になり繪葉書を買ひ、本堂再建の屋根瓦一枚づつの寄進につき、更に山上遙に續いてゐる石段を登り始めやうとすると、應接してゐたまだ三十歳前後の年若い僧侶が、貴下は若山といふ人ではないか、と訊く。いぶかりながらその旨を答へると、實は今日の正午頃に私の知人の某君といふが來て、昨日か今(27)日、その人が佛法僧鳥を聽くために登つて來る筈だ、來たらばこの寺に泊めて呉れと言ひ置いてツイ先刻歸つたばかりだとの事であつた。では新城町のK――家から山のお寺へも紹介しておくからとの話はその事であつたのかと思ひながら、意外の便宜に二人とも大いに喜んだ。のんきな我等は、この石段の續いた果にまだお寺があるだらうしその一番高い所に在るお寺に泊めて貰はうなどと言ひながらなほ勞れた足を運ばうとしてゐたのであつた。聞けばこの上には東照宮があるのみで、お寺はもう無いのださうである。もと本堂があつたのだけれど、この大正三年に燒失したのださうだ。
喜びながら手荷物を其處に預け、足ついで故その東照宮までお參りして來ようと再び石段を登つて行つた。大きくはないが古びながらに美しいお宮は見事な老木の杉木立のうす暗いなかに在つた。社務所があつても雨戸が固く閉ざされてゐた。
お寺に引返して足を伸して居ると、程なく夕飯が出た。新城から提げて歩いてゐた酒の壜を取出して遠慮しながら冷たいまゝ飲んでゐると、燗をして來ませうと温めて貰ふ事が出來た。お膳を出されたのは、廊下に疊の敷かれた樣な所であつたが、居ながらにして眼さきから直ぐ下に押し降《くだ》つて行つてゐる峽間《はざま》の嶮しい傾斜の森林を見下すことが出來た。誠によく茂つた森である。そして峽間の斜め向うにはその森にかぶさる樣に露出した岩壁の山が高々と聳えてゐるのであ(28)る。湧くともなく消ゆるともない薄雲が峽間の森の上に浮いてゐたが、やがて白々と其處を閉ざしてしまつた。そしてツイ窓さきの木立の間をも颯々と流れ始めた。
まだ酒の終らぬ時であつた。突然、隣室から先刻の年若い僧侶――T――君といふ人で快活な親切な青年であつた――が、
『いま佛法僧が啼いてゐます。』
と注意してくれた。
驚いて盃を置き、耳を傾けたが一向に聞えない。
『隨分遠くにゐますが、段々近づいて來ませう。』
と言ひながらT――君はやつて來て、同じく耳を澄ましながら、
『ソレ、啼いてませう、あの山に。』
と、岩山の方を指す。
『ア、啼いてます/\、隨分かすかだけれど――。』
M――君も言つて立ち上つた。
まだ私には聞えない。何處を流れてゐるか、森なかの溪川の音ばかりが耳に滿ちてゐる。
二人とも庭に出た。身體の近くを雲が流れてゐるのが解る。
(29)『啼いてますが、あれでは先生には聞えますまい。』
と、M――君が氣の毒さうにいふ。彼は私の耳の遠いのを前から知つてゐるのである。
近づくのを待つことに諦めて部屋に入り、酒を續けた。酒が終ると、醉と勞れとで二人とも直ぐぐつすりと眠つてしまつた。
M――君はその翌十六日、降りしきる雨を冒して山を下つて行つた。そして私だけ獨りその後二十一日までその寺に滯在してゐた。その間の見聞記を少し書いて見度い。
鳳來山は元來噴火しかけて中途でやみ、その噴出物が凝固して斯うした怪奇な形の山を成したものださうである。で、土地の岩層や岩質などを研究するとなか/\複雜で面白いといふことである。高さは海拔僅かに二千三百尺、山塊全體もさう大きなものではないが、切りそいだやうに聳えた大きな岩壁、それらの間に刻み込まれた溪谷など、とにかく眼に立つ眺めを持つて居る。それにさうした岩山に似合はず、不思議によく樹木が育つて、岩壁や裂目にまで見ごとな大木が隙間もなくぴつたりと立ち茂つてゐる。この樹木の繁いことが少なからずこの山の眺めを深くもし大きくもしているのである。多く杉檜等の針葉樹であるが、間々この山獨特の珍しい草木もあるとのことである。