時枝誠記、日本文法 文語篇、岩波全書183、378頁、300円、1954.4.28
(1) はしがき
本書は、前著『日本文法口語篇』とともに、日本文法記述の一環をなすものである。從つて、前著の「はしがき」及び第一章の「總論」は、本書にも適用されるのであるが、重複を避けて、ここには繰返さなかつた。ただ、本書は、記述の對象が前著と異なり、また、その目的や方法において相違するところがあるので、第一章に總論を設けて、特に、それらの點について述べることとした。
前著『口語篇』は、言語過程説の理論に基づく文法體系の枠を設定するために、煩しいまでに理論のために紙數を割いた。それは、新しい文法體系の組織を試みるために、止むを得ないことであつた。『文語篇』は、理論的な部分を、出來るだけ前篇に讓り、專ら、文語を、既に設定された文法體系の枠に、配當することを試みると同時に、古文の解釋と、文法體系との關連に意を用ゐた。
この『文語篇』においては、歴史的文法を、記述することは、その目的でなかつた。文法書は、その實用的意義からいへば、辭書と同樣に、新古に亙る文法的事實が、一の體系の中に網羅されてゐることが望ましいと考へるのであるが、今日の研究段階から考へて、本篇では、記述の對象を、專ら、上代・中古に限定し、近古・近世については、これを別(4)の稿に讓ることとした。近古・近世の文語法は、今後に殘された要な研究課題であることを、強調して置きたいと思ふのである。
『口語篇』に述べた文法理論の中で、未熟と思はれる部分について若干の補訂を加へた。第二章語論において、體言相當格、用言相當格を加へたことは、第三第四の「活用形の用法」とともに、解釋への文法の接近を意圖した一つの新しい試みである。第四章文章論に、前篇の計畫を、幾分、具體化して若干の項目を加へたが、もとより試案の域を出ないものである。
本篇の稿を草するに當つて、特に、「助詞」の部分は、東京大學大學院學生青木怜子氏の協力によるところが多かつた。
また、本書に用ゐた「かなづかひ」については、私は「現代かなづかい」の根本方針に疑ひを持つてゐるので、(一)新かなづかひ法が、確實な理論の上に制定されるまでは、暫く舊來の方式に從ふこととした。私一己の試案(二)もあるけれども、かりそめに、そのやうなものを實行することは、徒に混亂の種を蒔くことであると考へて見合はせることにした。
(一) 國語審議會答申の「現代かなづかい」について(『國語と國文學』第二十四卷二號、「國語問題と國語教育」に收む)
(二) 國語假名づかひ改訂私案(『國語と國文學』第二十五卷三號、「國語問題と國語教育」に收む)
(5) 目次
はしがき
第一章 總論……………………………………………………………………………一
一 『日本文法文語篇』の目的……………………………………………………一
二 口語・文語及び口語法・文語法………………………………………………一
三 文語法の研究史と文語の系譜…………………………………………………五
四 文語文法における語の認定…………………………………………………一一
第二章 語論…………………………………………………………………………一六
一 詞……………………………………………………………………………二〇
(一) 體言及び體言相當格…………………………………………………二〇
イ 體言…………………………………………………………………二〇
(6) ロ いはゆる形容動詞の語幹………………………………………二一
ハ 形容詞の語幹………………………………………………………二二
ニ 形式體言…………………………………………………………二二
ホ 體言的接尾語……………………………………………………二三
ヘ 動詞の連用形………………………………………………………二四
ト 體言に轉換する用言………………………………………………二四
チ 體言留め…………………………………………………………二七
リ 用言の連體形……………………………………………………二七
(二) 用言及び用言相當格…………………………………………………二九
イ 動詞…………………………………………………………………二九
ロ 形容詞………………………………………………………………三二
ハ 動詞的接尾語………………………………………………………三二
ニ 形容詞的接尾語……………………………………………………三三
ホ 不完全用言…………………………………………………………三四
ヘ 用言相當格…………………………………………………………三四
(三) 接頭語と接尾語………………………………………………………三六
イ 接頭語………………………………………………………………三七
(7) ロ 接尾語……………………………………………………………四一
(四) 敬語……………………………………………………………………五九
イ 辭に屬する敬語……………………………………………………五九
ロ 詞に屬する敬語……………………………………………………六六
二 辭……………………………………………………………………………八五
(一) 助動詞…………………………………………………………………八五
イ 指定の助動詞「に」「の」「と」「あり」「なり」「たり」「す附いふ」………………………………………………………………………………………………八五
ロ 打消の助動詞「ず」「なし」「なふ」「まじ附ましじ」「じ」…一二八
ハ 過去及び完了の助朔詞「つ」「ぬ」「たり」「り」「き」「けり」…一四九
ニ 推量の助動詞「む」「まし」「らむ」(らん)「けむ」(けん)「べし」「めり」「らし」「なり」(推定、傳聞)…………………………………………………一六七
(二) 助詞…………………………………………………………………一九八
イ 格を表はす助詞「が」「の」「い」「つ」「な」「を」「に」「へ」「と」「よ」「ゆ」「ゆり」「より」「まで」「から」…………………………………………一九八
ロ 限定を表はす助詞「は」「も」「ぞ」「なむ」(なも)「や」「か」「こそ」「し」「しも」「だに」「すら」「さへ」「まで」「のみ」「ばかり」「など」「づつ」「つつ」………………………………………………………………………………………………二一三
(8) ハ 接續を表はす助詞「ば」「とも」「ど」「ども」「て」「して」「に」「がに」「と」……………………………………………………………………………二四一
ニ 感動を表はす助詞「か」「かも」「かな」「かし」「が」「がも」(「がな」「ぞ」「なし(詠嘆)「な」(希望)「に」(同上)「ね」(同上)「な」(禁止)「なむ」(なも)「ばや」「や」「を」「よ」「ろ」「ゑ」「ら」「は」「も」「がね」「こそ」……………二五一
第三章 文論………………………………………二六七
一 國語における用言の無主格性……………………………………………二六七
二 文の構造……………………………………………………………………二七五
(一) 總説……………………………………………………………………二七五
(二) 文の統一、完結の諸形式……………………………………………二七五
(三) 文の二つの類型………………………………………………………二八九
――述語格の文と獨立格の文――
(四) 詞と辭の對應關係……………………………………………………二九二
(五) 懸詞を含む文の構造…………………………………………………二九七
三 文における格………………………………………………………………三〇二
(9) (一)述語格…………………………………………………………………三〇二
(二)連用修飾格………………………………………………………………三〇六
(三)對象格……………………………………………………………………三一二
(四)獨立格……………………………………………………………………三一五
(五)條件格 附並列格………………………………………………………三一六
四 活用形の用法………………………………………………………………三二〇
(一) 總説……………………………………………………………………三二〇
(二) 未然形の用法…………………………………………………………三二二
(三) 連用形の用法…………………………………………………………三二三
(四) 終止形の用法…………………………………………………………三二六
(五) 連體形の用法…………………………………………………………三二八
(六) 已然形の用法…………………………………………………………三三三
(七) 命令形の用法…………………………………………………………三三七
第四章 文章論………………………………………………………………………三三九
一 文章論の課題………………………………………………………………三三九
二 連歌俳諧における附句による文章の展開………………………………三四一
(10) 三 散文中における韻文の意義と機能…………………………………三四四
四 文章における冒頭文の意義とその展開…………………………………三四九
五 文章の展開と接續詞………………………………………………………三五五
六 感動詞の文章における意義………………………………………………三六二
――――――――――――――――――
注意すべき動詞活用例………………………………………………………………三六七
索引
(1) 第一章 總論
一 『日本文法文語篇』の目的
文法を記述する目的は、文法を科學的に體系づけ、これを説明することにあるのであるが、『口語篇』總論の中でも述べたやうに、それが、理論的であると同時に、言語の實踐(表現と理解)に寄與するやうに、組織立てられることが大切である。そのことは、決して、文法記述の科學的であらうとすることを妨げるものではなく、むしろ、それが實踐的に有效であらうとするところに、眞に、科學的文法が組織されると考へるのである。ある意味において、その文法學説が、實踐に效果があるか否かによって、その學説の當否が判定出來るとも云ひ得るので、すべて、言語の學問的體系は、言語の實踐的體系を、理論的に投影するところに成立すると、私は考へてゐる。以上のやうな趣旨に基づいて、この『文語篇』の記述は、それが、古典の讀解に役立ち得るやうにといふことを、主要な目的と考へた。實用文法としての役目を、この文法書に負はせることは、その成否は別として、私が終始念頭に置いたことであった。
(2) 文法の記述が、言語の實踐體系の反映でなければならないやうに、文法の教育も、また、實踐的見地を離れてはならないといふことは、既に『口語篇』總輪に述べたことであるが、ここでは、主として文語文法の教育のありかたについて述べようと思ふ。先づ、實踐的見地に立つた場合、口語文法と文語文法の内容、領域のことが問題にされなければならない。このことについては、前著に次のやうに述べて置いた。
文語文の理解と表現には、文語法の知識が必要であるが、現代語即ち口語の生活においては、もはや文語法の組織を、そのまま口語の教授に適用するやうなことは必要ないのであつて、現代語生活をよりよくするためには、それを助ける何等か別の形における口語法の體系といふことが必要とされるのである(八頁、原文を若干補訂す)。
として、口語文法のあるべき組織については、今後の研究に委ねたのであるが、『口語篇』の部門の中に、從來の文法學の部門である「語論」「文論」の外に、新しく、「文章論」を設けたことは、その一端を具體化したものである。文語文法においては、「文章論」は、勿論、考へねばならない重要な部門には違ひないが、更に重要なことは、語論における語の性質上の相違や、活用の種類や、接續上の法則であつて、これらのことは、口語文法では比較的輕く、文語文法においては、特に強調して教授されなければならない點である。一般に口語文法において、語論の詳細な記述が設けられてあるのは、實踐的必要から口語文法に(3)要請されたものであるといふよりは、云はば、文語文法の形式を踏襲したものに過ぎないのである。これに反し、文語文法において語論が詳細であるのは、江戸時代の國語學の業績が示すやうに、それらの知識が無ければ、古文を正確に讀解することが出來ないといふ實際的な要求に基づいて出て來たことである。
文語文法書のありかたは、一般的に云つて、古文の讀解のためといふ實踐的要求によつて規定されるものであるが、問題を、學校教育に限定し、その立場から文語文法書と、その教育の問題を考へてみようと思ふ。
昭和二十六年版國語科學習指導要領に從へば、文語文法は、高等學校の國語科中の他教科、特に古典講讀に隷屬させて、その讀解を助ける意味で課せられることが要求されてゐる。これは、從來、國語科中の他教科に對して、文法が、獨立した一學科として取扱はれて來たことに對する大きな變革とみることが出來るのである。從來でも、文法は獨立して課せられては居つたが、それが古典講讀のために必要であり、また、そのやうな意味を發揮するやうに教育されねばならないことは、當然のことと考へられてゐたのであるが、學習指導要領は、更にこれを積極的に推進めたものであるといふことが出來るのである。一方、教科書檢定基準では、「言語篇」の中に、文法を織込み、讀み方、作文等の方法と並んで、古典讀解の方法として文法を位置づけ、特に獨立教科書としての文法教科書は認めな(4)いことになつたのである。
以上のやうに、文法科を獨立させないといふことは、文法科に實踐的意味を持たせるといふ點から考へれば、當然のことであるが、ここに一つの問題は、右のやうな實踐的意味において課せられる文法の教育的效果についてである。文法は、一つの體系的知識として修得されることによつて、始めて實踐的效果が得られるので、必要の都度、斷片的に教授されたのでは、その效果を充分に發揮することが出來ないといふのである。これは、至極尤もな意見であつて、今後、考究されなければならない、重要な課題である。講讀に即しつつ、しかも文法を體系的に修得させる爲には、何よりも教師自身が、體系的に文法を身につけて置くことが先決問題である。もしそのやうな教師であるならば、斷片的な文法的事項を、その都度、適當に體系の中に位置づけて教授することも可能になつて來るわけである。さうすることによつて、文法教育も始めて實踐的意味を發揮することが出來るのである。
『日本文法文語篇』は、以上のやうに、古典の讀解といふ實踐的用途に應ずる意味を持つと同時に、文語文法を教授される教師の基礎知識の參考として提供しようとするものである。
本書の基礎となつてゐる言語理論については、すべて、前著『口語篇』の總論及び『國語學原論』に讓つて、ここでは繰返さなかつた。
(5) 二 口語・文語及び口語法・文語法
前著『日本文法口語篇』では、口語及び口語法の意味について、別に嚴密な概念規定を行はなかつた。ただ、そこに暗黙のうちに考へられてゐたことは、「古語文法」といふことを、「現代語文法」と同義語に用ゐたことである。即ち、口語文法の名稱を、話し言葉或は音聲言語の文法の意味ではなく、廣く、現代の書き言葉或は文字言語の文法をも含めて、意味したことである。例へば、推量の助動詞に「べし」(『口語篇』二一〇頁)、指定の助動詞に「である」(『同上書』一八九頁)を加へたやうなのがそれである。これらの語は、日常の話し言葉には殆ど用ゐられない、文字言語に屬する語である。「口語文法」の名目を、このやうに擴げて用ゐることは、科學的記述において許されることであるのか、もし、許されるとするならば、どのやうな意味で許されるのであるか。そのやうな點を、先づ明かにして置きたいと思ふのである。
口語と文語との別については、口語は口に云ひ、耳に聞く言語で、文語は讀み書きする言語であると云はれてゐる。(一)從つて、音聲言語を口語、文字言語を文語と呼ぶことがあるが、右の見解に從へば、口語を文字に書き表はした、いはゆる口語文は、文語の一種で(6)あるといふことになるのである。(三)しかしながら、文法の點について云へば、口語も、口語文も大差が無いので、これを一括して口語といひ、廣い意味での文語の中で、口語文を除いた特別の文字言語を、文語と呼び、これを口語に對立させる考方も出て來るのである。(三)一般に、口語文語の類別は、右のやうな考へに立脚してゐるのであつて、それは、必ずしも、音聲言語と文字言語との別に對應するものでないことを知るのである。私が、前著『日本文法口語篇』で用ゐた「口語」の意味は、大體以上のやうな通念に從つたので、そのやうな點から、口語文法の中に、現代の音聲言語、文字言語の兩者の文法を含めて記述することにしたのである。
現代語に關して、以上のやうに、音聲言語の文法と文字言語の文法とを區別しないのは、明治中期以後、言文一致運動が普及して、文字言語の文法と、音聲言語の文法とが、ほぼ一途に歸するやうになつた國語の實情に基づくのである。
口語、口語法或は文語、文語法の名稱の字面から云へば、これを音聲言藷、文字言語及びそれらの文法といふやうに呼んだ方が、より合理的であり、科學的ではなからうかといふ疑問も出て來るのであるが、元來、音聲言語、文字言語の別は、音聲を媒介とする言語、文字を媒介とする言語を意味するのであつて、その中には、文法上の相違といふものは、勘定に入れられてゐない。(四)少くとも、文法上の相違といふものは、音聲言語と文字言語(7)とを區別する根本的基準とはすることが出來ないのである。兩者の文法體系は、相互に交流する可能性を持つてゐるのである。たまたま、言文一致以前においては、音聲言語と文字言語との對立が、文法體系の著しい對立に對應してゐたが爲に、言文の對立は、即ち文法體系の對立であるかのやうな錯覺を生んだに過ぎないのである。このことは、音聲言語と文字言語との機能上の相違についての認識を妨げた大きな原因にもなつて來たと考へられるのである。口語、文語の名稱は、起原的には、音聲による言語、文字による言語の意味に用ゐられてゐたのであらうが、次第に、それらの言語を著しく特色づけてゐる文法體系の相違を意味するやうになり、口語は、現代語法に基づくすべての表現を意味し、文語は、それとは異なつた文法體系に基づく表現を云ふやうになつた。ここに至つて、口語、文語の名稱は、實は二つの文法體系に與へられた名稱として理解されるやうになつたのである。(五)
口語、文語の概念が、音聲言語、文字言語の別に對應しないものであることは、以上の説明によつて明かにされたと思ふのであるが、そのことから、次のやうなごとが云はれるやうになつた。口語は、口語法の歴史的系譜を含めて、これを口語といひ、文語は、文語法のそれを含めて文語と云はれてゐることである。例へば、天草本イソポ物語や狂言記は、現代語法とは異つたものであり、また、それは書かれた言語であるにも拘はらず、現代語(8)法と系譜的につながつてゐるとして、これを口語の中に所屬させる。同樣にして、萬葉集や源氏物語、特にその會話の文法が、當時の音聲言語の文法であつたにしても、我々は、これを文語法の系列の中に置くのである。口語、文語の名稱が、文法體系の相違を意味するものとするならば、右のやうな取扱ひ方にも合理性が認められるのである。
以上のやうな口語、文語の概念には、一つの重要な考へ方が前提とされてゐるのである。それは、我々の言語生活における主體的意識に基づく類別である。(六)口語法と文語法とは、國語史的觀點に立つならば、それは、當然、史的序列の中に位置づけられるべき文法史的事實である。私が、今問題にしてゐる口語、文語の概念は、このやうな歴史的な事實としての概念ではないのである。それは、今日の言語生活の中で對立して意識せふれる二つの文法體系の概念である。我々が源氏物語や萬葉集を讀むといふことは、それは、今日の言語生活の一つの形態である。それは、日常の會話が、今日の言語生活の一つの形態であると同じ意味で云へることである。それは、客觀的には、時間の經過を中に插んでゐるとは云へ、主體的には、一般の思想の傳達(コミュニケーション)と、少しも變りはないのである。そして、そこに經驗される、一般の文法體系とは異なつた文法體系が、即ち文語であり、文語文法と云はれるものである。觀察的には、歴史的事實として認識されるものが、主體的には、體系的事實として意識されるといふ事實は、例へば、神社の建築樣式は、源(9)始時代における一般の住宅建築の樣式として、後の建築樣式に對しては、歴史的事實であると認められても、別の觀點からすれば、それは、住宅や工場や學校などと相並んで、特殊な機能を持つ建造物とされるやうなものである。
文語法が、國語史的觀點とは別に、現代の言語生活における一つの特殊な文法體系として講ぜられなければならない理由は、以上の如くである。
(一) 「話に用ゐる語と文章に用ゐる語とは法則がいくらか違ふ場合がある。かういふ時にはその話に用ゐる方の語を口語といひ、文章に用ゐる方の語を文語といふ」(山田孝雄『日本口語法講義』二頁)。
(二) 「日本語を委しく分ければ、次のやうになります。
(一) 談話に用ひる言語、即ち口にいひ耳に聞く言語
(二) 筆録に用ひる言語、即ち読み書きする言語
(a) 現代の談話に用ひる言語に基づくもの
(b) 筆録に用ひるものとして、以前から傳はつて來た特別の言語によるもの」(橋本進吉『新文典別記口語篇』の中「口語と文語」)
そして、橋本博士は、(一)を口語といひ、(二)を文語といつて差支なからうと云つて居られる(なほ、『橋本博士著作集』第一册「國語學概論」第九章、日本の文語を參照)。
(三) 「口語文も文語文も共に文字に書くものでありますから、どちらも文語に屬します。(中略)(10)とはいふものの、口語と口語文とは、文字に書く書かぬの點を別にすれば、言語として大部分一致したもので、その文法も、大抵は同一であり、之に對して、文語文は、言語としてよほど違つた點があり、文法も差異が多いのですから、口語と口語文とを一つにして、文語文に對照せしめるのが便利です。そこで、この書では、便宜上
口語==口語と口語文
文語==文語文
と見做しました」(橋本進吉『新文典別記』)
(四) 文字言語の音聲言語に對する特質は、單に、音聲言語に文字といふ要素が加つたものであるとは見ることが出來ない。音聲言語は、音聲を媒介とする言語表現であり、文字言語は文字を媒介とする言語表現で、その相違はは、兩者において、言語の機能を異にし、表現技術を異にしてゐることを意味する。兩者の相違は、それらの文法體系とは、本質的には無關係である(拙稿「かきことば」『國語教育講座』第一卷參照)。
(五) 口語體、文語體の文體上の名稱は、音聲言語、文字言語の別とは全く異なる。文法體系の相違に基づく文字言語の文體の名稱である。
(六) 『國語學原論』總論第四項「言語に對する主體的立場と觀察的立場」を參照。主體的立場といふのは、「我々が言語の發音を練習したり、文字の點劃を吟味したり、文法上の法則を誤らない樣に努力したりするのは、かゝる立場に於いてであり、又談話文葦の相手に應じて語彙を選擇したり、敬語を使用したり、言語の美醜を判別したり、標準語と方言との價値を識別して(11)これを使別けたりするのもこの立場に於いてである」(『國語學原論』二二頁)と述べて置いたやうに、例へば、「花を折つてはいけません」「花を折るべからず」の二つの衷現の中、一つを選擇するのも主體的立場においてなされることである。そして、右の二つの表現において、それが文法體系の相違に基づいてゐるといふ意識が、即ち主體的意識である。口語、文語の別は、右のやうな主體的意識に屬するものとしたのである。觀察的立場における認識としては、「花を折つてはいけません」と「花を折るべからず」との表現には、歴史的な序列が謎められるであらうが、主體的意識としては、一方が親しみ易い表現として、他方が嚴めしい表現として意識されるのである。雅語、俗語の別も、觀察的には、歴史的序列における新古の別であつても、主體的意識としては、一方が雅であり、他方が俗であるといふことになるのである。
三 文語法の研究史と文語の系譜
國語の研究史において、文語法の研究が、どのやうな位置を占めて來たか、また、それが今後どのやうに開拓されなければならないかを明かにしようと思ふ。
文語法の研究は、明治以前の國語研究において、ほぼその骨格が作り上げられた。それは、主として、江戸時代の國擧者の手によつて、專ら古代文獻を研究する手がかりとして、或は、和歌、連歌、擬古文を制作する場合の言語的規範として研究されて來たものである。(12)その研究の對象とされた文獻は、近世國學の理念から、殆ど、奈良、平安時代のものに限られ、從つて、文語文法の研究といつても、右の時代の言語の範圍を出でなかつたのである。それは、國學者の立場からいへば、當然なととであつたのである。明治以後になつて、國語學が、ヨーロッパ言語學の組織に從つて再建されるやうになつた時、文法研究は、全く新しい觀點から發足するやうになつた。
ヨーロッパ言語學では、口語或は音聲言語の研究が、文語或は文字言語の研究に優先しなければならないと説く。なぜならば、口語或は音聲言語は眞の言語であり、自然の言語であるが、文語或は文字言語は人爲の言語であつて、そこには、言語の如實の姿を見出すことが出來ないとするのである。また、言語は常に變遷するもので、ある時代の言語をとつて、例へば、江戸時代の國學者のやうに、平安時代の言語をとつて、これが規範であると考へるのは、誤つた考方であると説くのである。このやうにして、言語學の主要な任務は、眞であり、自然である口語、音聲言語について、その歴史的變遷を跡づけることであるとしたのである。これは、明かに、江戸時代の國學における國語研究の否定である。明治以後の國語學は、右のやうな言語學の命ずるところに從つて、現代口語と、その源流を探索し、國語の歴史、特に音聲言語の歴史的研究に全力を注いだ。(一)文法研究の主題も、從つて鎌倉期以後の、文獻言語の底を流れてゐる口語の研究にあつたといふことも當然と(13)いはなければならないのである。奈良、平安時代の言語の研究も、國學的意味とは別の角度から、即ち專ら歴史的觀點に立つて研究されたことは、注目すべきことである。(二)勿論、その間にも、萬葉集、源氏物語等の上代中古の文獻を解釋するために、それらの文獻の言語研究が促されたことは、云ふまでもないことであり、文法史的研究が、これに寄與した點も認めなければならないが、明治以後の國語學の立場から云へば、それらは、むしろ、應用部面であつたといふべきである。
以上述べて來た文法研究史でも明かなやうに、明治以後において開拓されたものは、中世、近世の口語法の史的研究であつて、それは、今日、文語といはれてゐるものの研究ではなかつたのである。しかしながら、ここに注意しなければならない點は、中世以後、言文の乖離が著しくなり、口語に對して、中古以來の言語が、文章言語としての傳統を持ち續け、明治の言文一致の時代にまで及んでゐたといふことである。和歌、連歌、俳諧は勿論のこと、小説、記録、隨筆、論文等、およそ中世以來、文化の發達に重要な關係を持つ文獻は、皆、文語の系譜の上に成立したものであると云つてよいのである。明治以後の國語研究が、この重要な國語生活の面を見落して來たといふことは、既に述べて來たやうに、言語學の對象を、音聲言語に限定して考へるヨーロッパ言語學の言語觀と言語史觀に基づくものではあるが、學問研究の對象設定についての方法論から云へば、大きな錯誤であつ(14)たことは認めなければならないのである。しかしながら、中世以來の文獻言語を、眞正な研究對象として、正面に据ゑるためには、文字言語も、音聲言語と同樣に、或は文化の繼承といふ點から云へば、それ以上に、言語の一形態として、國語生活を構成する重要な要素であることが認められなければならないことである。ここにおいて、言語過程説は、言語を次のやうに規定するのである。(三)
一 言語は、思想の表現であり、また理解である。思想の表現過程及び理解過程そのものが言語である。
二 言語は、音聲(發音行爲)或は文字(記載行爲)によつて行はれる表現行爲である。同時に、音聲(聽取行爲)或は文字(讀書行爲)によつて行はれる理解行爲である。
右の規定に從へば、文字言語は、文字を媒介とする表現行爲であり、理解行爲であつて、それは、音聲を媒介とする音聲言語に對立する言語である。即ち文字言語は、言語學の對象から除外されるべきものではなく、これもまた、眞正な對象として取扱はれなければならないものであるといふことになるのである。
江戸時代の國學者は、その國學的理念から、上代中古の言語については、詳密な研究業績を殘したのであるが、それ以後の文獻言語については、規範的價値觀の上から、これを研究對象とすることを拒んだ。明治以後の國語學者は、また別の言語觀の立場から、これ(15)を取上げようとしなかつた。ここに、中世以後の文語研究は、空白のままに放任されたのであつた。中世以後の文語は、中古の傳統を繼承してゐると云つても、それは決して、中古の法則をそのまま繼承してゐるのではなく、獨自の變遷を經過して來てゐると考へられるのである。中世以後の文語がどのやうに變遷して來たか、またそれはどのやうな性格の言語であつたかといふやうな問題は、恐らく今後に殘された重要な課題であらう。
以上のやうなは文語法研究史の状況にかんがみて、本書は、先づ、上代中古の文法の記述を主とし、中世以後については、これを後の研究に委ねることとしたのである。
本書の記述の對象を、上代、中古の文法的事實に限定した場合、その學問的恩惠の半を、明治以前の國學者の研究に、その半を、明治以後の國語學者の研究に受けてゐる。明治以前のそれは、主しして係結《かかりむすび》と、用言の活用と、てにをは〔四字傍点〕の研究において、精密詳細を極め、明治以後のそれは、西洋文法の組織に倣つて、國語の文法體系を樹立することに苦心が拂はれて來た。しかしながら、既に、『日本文法口語篇』總論第三、四項において述べたやうに、日本の傳統的國語研究と、明治以後の新しい國語研究との間には、言語本質觀の點で、越えることの出來ない大きな斷層が認められるのである。私は、ヨーロッパの言語理論に比較して、日本の傳統的な言語理論に、科學的優越性を認めるところから、明治以後の多くの文法研究の勞作を飛び越えて、江戸時代の文法研究の繼承と發展の上に、この『文語(16)篇』を記述しようとしたのである。從つて、明治以後の研究に習熟した多くの讀者にとつては、本書の體系そのものが、奇異な感を與へるであらうといふことを懸念するのである。それらの點については、『日本文法口語篇』總論第三、四項に解説したので、本書では、これを省略することとした。
(一) 國譜調査委員會編(大槻文彦擔當)『口語法』及び『口語法別記』(大正五、六年)は、口語法史研究の最初の成果である。
(二) 山田孝雄博士『奈良朝文法史』『平安朝文法史』、安藤正次氏『古代國語の研究』の如きものをその代表として擧げることが出來る。そこに見られる著しい點は、歴史的觀點である。
(三) 『日本文法口語篇』一七−一八頁。
四 文語文法における語の認定
『日本文法口語篇』第二章語論には、「語の認定」の項を設けて、語の認定は、表現主體の意識に基づいてなされなければならないことを述べた。このことは、單に語の認定の問題として軍要であるばかりでなく、本書における、すべての文法的記述の原則である。(一)しかしながら、このことは、現代語の文法を記述する場合と、古文の文法を記述する場合(17)とでは、方法や手續きの上に、大きな相違があることを意味する。現代語の文法記述においては、觀察者の主體的意識を以て、表現者の主體的意識とみなすことが許される。何となれば、觀察者自身、現代語の社會圏に屬する一員として、その意識には、客觀的な妥當性があると認めることが出來るからである。もし觀察者の意識に、客觀的な妥當性がないとしたならば、彼は、その屬する言語社會圏の人々と、思想を交換することが出來ない筈だからである。古文の場合には、事情は非常に違つてくる。古文の表現主體(話手)は、我々と同じ言語社會圏に屬するものであるとは云ふことが出來ない。例へば、我々と山上憶良とは、全く異なつた社會圏の人である。故に、我々の意識するところのものが、そのまま、憶良の言語意識であるとすることは出來ない。ここに古文の文法記述の困難な點があるのであるが、憶良の文法記述は、憶良の主體的意識を前提とすることが要請されるのである。本居宣長が、「すべての詞、時代によりて、用ふる意かはることあれば、物語にては、物語に用ひたる例をもていふべきなり」(二)といつたことは、語の意味の解釋についていつたことであるが、そのまま、文法記述にも適用出來ることである。古文の文法體系を、今日の言語意識を以て推すことの出來ないことは、例へば、「心|得《う》」といふ語は、今日の主體的意識では、一般に一語として意識されてゐるのであるが、中古人の意識としては、「心−得《う》」と、二語に意識されてゐたかも知れないのである。もし、さうであるならば、中古(18)文法においては、これを二語の結合した複合語として記述しなければならなくなる。また、例へば、
鈴蟲のこゑのかぎりをつくしても〔二字二重傍線〕、長き夜あかずふる涙かな(源氏、桐壺)
における傍線の語は、現代語では、「雨が降つても〔二字二重傍線〕出かける」「話しても〔二字二重傍線〕駄目だ」のやうに、「ても」が一語として、逆態條件を表はすために用ゐられるのであるが、中古文においては、「も」は「て」と分離して、意味を強めるために用ゐられてゐる、と見ることが出來るのである。
以上のやうに、古語の文法的記述をするためには、古人の主體的意識が明かにされることが先決問題であるが、これを明かにすることは、一般に解釋作業と云はれてゐることである。解釋とは、觀察者の外にある言語的事實を、觀察者の意識的事實として取込むことであると同時に、第三者の經驗を、忠實に、觀察者の意識の中に再生することを意味するのである。ここに、解釋とは、一般に古典研究の前提作業と云はれてゐる解釋と、全く同じ意味である。
古文の文法的記述のためには、古文の完全な解釋作業が前提とならなければならないことは、以上述べた如くであるが、前項にも述べたやうに、古文の解釋のためには、古文の文法體系が明かにされてゐなければならないので、方法論的には、循環論法になるのであ(19)るが、そこにこそ、文法研究の眞の行くべき道があると同時に、文語文法記述の困難な點もそこにあるのである。
(一) 『國語學原論』には、この原則を次のやうに述べて置いた。
「觀察的立場は、常に主體的立場を前提とすることによつてのみ可能とされる」(二九頁)と。ここに觀察的立場とは、文法を記述する文法學者の立場であり、今の場合は、私自身の立場である。また、主體的立場とは、言語を實踐する立場であつて、今の場合は、古文の筆者或は古歌の作者の立場を前提としなければ、文法的記述は不可能であることを述べたのである。
(二) 『源氏物語玉の小櫛』五の卷。ここで、宣長は、源氏物語の語の意味を、古代文獻における用法によつて解釋した契沖の『源注拾遺』の如きものの方法を批判してゐるのである。
(20) 第二章 語論
一 詞
(一) 體言及び體首相當格
イ 體言
詞は、語論及び文論の二つの部門において、取扱はれることが可能であるが、文論にをいては、文の成分として考察されるのに對して、語論においては、主として、語としての性質と、その範圍を明かにし、更に、辭との接續關係を明かにすることを、主要な任務とする。體言には、次のやうな語がある。
山 櫻 ひかり なごり かりそめ いとど
右の中、「山」「櫻」「ひかり]等は、それらによつて指される實體を、具體的に指摘することが出來るものである。しかしながら、文法上の術語としての體言の意味は、實體を指(21)す語といふ意味ではなく、用言が、接續、終止において、語形を變へる語であるのに對して、語形を變へない語を、意味するのであるから、「なごり」「かりそめ」「いとど」のやうな語も體言といふことが出來る。體言は、また、文の成分としての意味とは、全然無關係であるから、「いとど」のやうに、副詞としての用法しかない語も體言である。右のやうな體言の中、屬性概念でない、實體概念を表はすやうな語を名詞と稱することがあるが、それは、日本文法においては便宜的なことである。
體言を、古く、動かぬ語、はたらかぬ語などと云つたのは、その語形を變へないことを云つたのである。また、代名詞も、語形を變へないといふ點から云へば、體言に所屬する語であるが、代名詞は、語の表現性の上から云つて、一般の體言と異なるところがあるので、これは別に立てることとした(本書においでは、これを省略した)。
ロ いはゆる形容動詞の語幹
しづか こと(異) 堂々 優
これらの語は、從來、形容動詞の語幹と云はれてゐたものである。形容動詞の品詞目を立てない理由、及び從來形容動詞と云はれて來た語の取扱ひ方については、『口語篇』第二章第三項に述べたが、これを要するに、右の語は、それだけで、一語として意識されると(22)いふことを根據として、「靜かなり」は、體言「靜か」と、指定の助動詞「なり」との結合であるとし、「春なり」などと同じやうに扱ふこととした。
ハ 形容詞の語幹
たか(高) とほ(遠) あし(惡) ながなが(長々)
右の語は、從來、形容詞の語幹と云はれて來たものであるが、形容詞の語幹は、動詞の語幹と異なり、それだけで、意味を喚起することが出來る。(一)また、そのまま、文の成分として用ゐられる。(二)他の語と複合語を作る時、意味の決定部分となることが、(三)他の體言と同樣であるといふやうな理由で、これもまた、體言の一つに數へることが出來る。
ニ 形式體言
かた(方向の意) ほど やう ごと(如)
右の語は、形式體言(『口語篇』第二章第三項)で、それだけで、單獨に文の成分になることがなく、常に、修飾語を伴つて、
かた 御かた〔二字傍線〕に入り給へば(源氏、葵)
中宮の御方〔傍線〕よりも、公事には立ちまさり嚴しくさせ給ふ(同、若菜上)
(23) やう さりとも、絶えて思ひ放つやう〔二字傍線〕はあらじと思ひ給へて(同、帚木)
忍ぶるやう〔二字傍線〕こそはと、あながちにも問ひはて給はず(同、夕顔)
ごと なほかゝるところも、同じごと〔二字傍線〕きらめたり(同、夕顔)
のやうに用ゐられる。それは、これらの語が、抽象度の高い概念を表はすためであつて、體言としての本質的性格に相違があるのではない。現代語については、形式體言の判定は、比較的容易であるが、古文の場合には、それが困難である。比較的に修飾語を伴つて用ゐられる體言として、これを形式體言として區別することがあるが、一般の體言と形式體言との間を截然と分つことも出來ないし、また、その必要もないことである。
ホ 體言的接尾語
か(しづか〔傍線〕、めづらか〔傍線〕、あたたか〔傍線〕) やか(はなやか〔二字傍線〕、細やか〔二字傍線〕、忍びやか〔二字傍線〕) げ(心細げ〔傍線〕、ゆかしげ〔傍線〕、心苦しげ〔傍線〕) さ(憂さ〔傍線〕、つゝましさ〔傍線〕、心もとなさ〔傍線〕) く(四)(いはく〔傍線〕、おそらく〔傍線〕)
右の語は、一般に、ある語と結合して一語を構成するところから、接尾語と云はれてゐる。しかしながら、「ニ」の形式體言と同樣に、極めて抽象的な概念を表はすものではあるが、それぞれに、ある概念を持つてゐて、それが、意味の決定部分になることも、形式體言や、(24)形容詞の語幹と同樣であるから、これを體言と見ることが、適切である、接尾語と形式體言との相違を、嚴密に規定することは困難である。
ヘ 動詞の連用形
ひかり(光) すまひ(住居) こほり(氷) をしへ(教) おぼえ(覺)
右の語は、動詞の連用形から出來たもので、轉成體言、或は居體言などとも云はれて來た。「をしへ」「おぼえ」のやうに、動詞の意味をそのまま、保持してゐるものもあるが、「ひかり」「すまひ」「こほり」のやうに、原義から、離れて來たものもある。
ト 體言に轉換する用言
かたじけなき御心ばへのたぐひなきをたのみ〔三字傍線〕にて、交らひ給ふ(源氏、桐壺)
右の「たのみ」は、「たのむ」(マ行四段治用「期待する」の意)の連用形であるが、これを、前例同樣に、單純な轉成體言として扱ふことは出來ない。この語の上接の語を見ると、「……を〔二重傍線〕たのみにて」と、助詞「を」を伴つてゐる。これは、明かに、「たのむ」が、述語の資格を持つ動詞として用ゐられてゐることを示すものである。しかるに、下に續く語を見ると、「たのみにて〔二字二重傍線〕」となつてゐて、「たのみ」は體言でなければならない。「にて」の上(25)接の語が、體言或は體言相當格であることは、一般の例である。例へば、
好き/”\しさなどは、好ましからぬ御本性〔三字傍線〕にて〔二字二重傍線〕(源氏、帚木)
御額のほど白くけざやか〔四字傍線〕にて〔二字二重傍線〕、わづかに見えさせ給へるは、たとふべきかたなくめでたし(枕草子、上の御局のみすの前にて)
さで、以上の事で知られることは、この「たのむ」といふ語が、動詞と體言との兩樣に用ゐられてゐるといふことである。しかしながら、一の動詞が、動詞と體言との兩樣に用ゐられてゐるといふだけでは、この文の意味の脈絡を説明するのには、不充分である。助詞「を」は、次のやうな統一を、構成する。
かたじけなき御心ばへのたぐひなき〔か〜傍線〕を〔二重傍線〕、
即ち、單線の部分が、「を」によつて統一された部分で、それが、述語としての動詞「たのみ」の客語である。客語と述語との關係は、客語は述語の中に句攝される關係にあり、全體は、次の圖形を以て表はすことが出來る(この圖形の意味は、『口語篇』第三章文論三、四に述べた)。
かたじけなき御心ばへのたぐひなき〔か〜二重傍線〕を〔三重傍線〕たのみ〔三字傍線〕にて〔二字二重傍線〕
右の圖形の示す文脈は、次の如くである。客語を包攝した述語動詞「たのむ」は、連用形をとることによつて、客語を包攝した全體が體言化されて、下の「にて」に接續すること(26)になるのである。右の圖解を、もし強ひて口語譯するならば、「かたじけない御心ばへの類ひないのを期待し、その期待で〔九字傍点〕交らひなされる。」とでもいふべきところである。ここで、「かたじけなき御心ばへのたぐひなきをたのみ」が、體言相當格と云はれるべきものなのである。現代語で、右に相當する表現法に、次のやうなものがある。
幌の上にてお煙草は御遠慮下さい(小田急線車内掲示)
右の文中の「お煙草」は、動詞的な意味で、上の修飾語を承け、「幌の上にてお煙草」全體が、體言として、下の助詞「は」に接續して行くのである。
わがせこが ゆき〔二字傍線〕のまにまに 追はむとは 千たび思へど たわやめの わが身にしあれば(萬葉集、五四三)
同じ例であつて、「わがせこが行く」を連用形によつで、全體を體言化したものであるむ。
大船を 漕ぎ〔二字傍線〕のすすみに 岩に觸れ 覆らば覆れ 妹によりては(同、五五七)
「大船を漕ぐ」を體言化したもの。
をりふしのいらへ心得て、うちし〔三字傍線〕などばかりは、隨分によろしきも多かりと見給ふれど(源氏、帚木)
「をりふしのいらへ心得て、うちす」を體言化したものである。
(27) チ 體言留め
大空は梅のにほひにかすみつゝくもりもはてぬ春の夜の月(新古今集、春上)
右の歌は、「一月」を留めとする、いはゆる體言留めの歌である。しかしながら、體言留めとは、ただ單に、下句の末尾に、體言が置かれてゐるといふ意味ではない。「春の夜の〔二重傍線〕」の助詞「の」が、何を統一してゐるかを見るのに、それは、「大空は梅の……春の夜」全體を統一し、それを、「月」の修飾語としてゐることは明かである。して見れば、これも、歌全體が、一の體言相當格であると云ふことが出來るのである。換言すれば、體言留めの歌といふのは、一首全體が、一體言を以て構成された歌をいふのである。いはゆる一語文と云はれるもの、例へば、「火事!」「犬!」に相當するところの構造の文である(第三章三(四)獨立格の項參照)。
リ 用言の連體形
春雨の降る〔二字傍線〕は涙かさくらばな散る〔二字傍線〕を惜しまぬ人しなければ(古今集、春下)
かささぎの渡せる橋におく霜の白き〔二字傍線〕を見れば夜ぞふけにける(同、冬)
右の歌の中の「降る」「散る」「白き」は、それぞれ、動詞形容詞の連體形であつて、一般(28)に、體言「こと」「もの」「の」が省略されたものと見て、「降ること」「白いの」などと譯すのである。しかし、これも、連體形そのものが、體言相當格と見ることが出來るのである。ただし、この場合も、前例と同樣に、「春雨の降る」「さくら花散る」「かささぎの渡せる橋に置く霜の白き」全體が、體言格になつたと見なければならない。既に擧げた例、
かたじけなき御心ばへのたぐひなき〔二字傍線〕をたのみにて(「ト」の項參照)
の「なき」は形容詞の連體形であるが故に、「かたじけなき……たぐひなき」全體が體言相當格と認められるのである。
連體形より體言を構成することは、助動詞の附いたものについても云はれることであり、この間題は、文の成分に關係するので、第三章文論第四項「活用形の用法」で總括して述べるつもりである。
(一) 動詞の場合、本來、體言であつたものから出來た「宿る」「うたふ」「赤む」の如きもの以外は、動詞の語幹は、「咲《さ》く」の「さ」、「讀《よ》む」の「よ」のやうに、一語としての意味を喚起することが出來ない。一語の認定といふものは、その語が、單獨で用ゐられるか否かにあるのではなく、そこに意味の屈折が意識される場合は、一語として取扱ふといふのが、本書の語認定の基礎である(『口語篇』第二章總説)。例へば、「歩きかた〔二字傍線〕が確かだ」の「かた」といふ語は、それだけでは獨立して用ゐられないが、「歩き」と「かた」との間に、意味の屈折が意識されるところから、これを一語とするのである。
(29) (二) 「古代形容詞の語幹について」(麻生朝道『文藝と思想』昭和二十六年七月)。
(三) 「山櫻〔傍線〕」「引き戸〔傍線〕」「弱音〔傍線〕」における「櫻」「戸」「音」が意味の決定部分となるやうに、「まどほ」「あしよわ」「夜さむ」 の「とほ」「よわ」「さむ」は、意味の決定部分となり得る。
(四) 「曰はく〔傍線〕」「恐らく〔傍線〕」「安けく〔傍線〕」「たのしけく〔傍線〕」等の「く」で、これは、もと、「あく」(「こと」の意を表はす)と推定される體言が、用言の連體形と合して、「曰ふあく」が「曰はく」となり、「恐るあく」が「恐らく」となり、「安きあく」が「安けく」となり、「たのしきあく」が「たのしけく」となつたものであらうと云はれてゐる(體言的接尾語の項參照、四四頁)。
(二) 用言及び用言相當格
イ 動詞
用言及び活用の意義については、『口語篇』(六六頁以下及び九八頁以下)に述べたので、ここでは省略する。用言の分類は、如何なる基準によつてなされるかといふのに、用言は、その接續と終止において、語形を變ずる語であるから、その分類は、當然、接續終止の方式の相違によつてなされなければならない。動詞は、語尾の母韻變化と、「る」「れ」の音の添加によつて接續終止をなす用言の一種であつて、その方式において、形容詞と相違する。
(30) 活用の種類
更に、動詞は、その語形變化における小異に着目して、文語においては、九種に分類することが出來る。
四段活用 「飽く」「押す」「打つ」等
上二段活用 「起く」「落つ」「戀ふ」等
下二段活用 「う」(得)「受く」「痩す」等
上一段活用 「射る」「着る」、「似る」等
下一段活用 「蹴る」の一語のみ
カ行變格活用 「く」(來)の一語のみ
サ行變格活用 「す」(爲)とそれの附いたすべての語
ナ行變格活用 「往ぬ」「死ぬ」の二語のみ
ラ行變格活用 「あり」「居り」「はべり」の三語のみ
右の「段」とは、五十音圖の横の列の意味であつて、四段とは、語形變化が、五十音圖の「ア」「イ」「ウ」「エ」の四列に行はれ、上下二段とは、「ウ」の列を中にして、「ウ」「イ」上二列、或は、「ウ」「エ」下二列に、語形變化が行はれるものである。同樣にして、上下一段とは、「イ」一列、或は「エ」一列のものを言ふ。變格とは、右の基本方式に對(31)して、若干の出入のあるものである。
活用形
用言は、すべて、助詞及び陳述を表はす助動詞に接續し、或はそれだけで終止するものであつて、その接續し終止する語形を活用形といふ。口語動詞においては、箕然形、連用形、終止形、連體形、假定形、命令形の六活用形を區別したが、文語においては、假定形の代りに已然形の名稱を用ゐて、口語樣に六活用形を區別する。活用形は、用言の接續の状態から歸納されたものであり、それは、また、用言の活用の種類(四段活用、上二段活用等)を歸納する上に手がかりとなるものである。活用形と、それに接續する語との關係は、例へば、「ず」「で」「じ」「む」「まし」といふやうな語は、すべてそれらは、一樣に、一定の活用語尾に接續する。
咲く、――か〔右○〕ず ――か〔右○〕で ――か〔右○〕む ――か〔右○〕まし
受く ――け〔右○〕ず ――け〔右○〕で ――け〔右○〕む ――け〔右○〕まし
そこで、「咲く」と「受く」とは、その接續する語尾が、一方は「か」であり、他方が「け」であるにも拘はらず、一樣に「ず」「で」「じ」等に接續するところから、この語尾を、未然形と名づける。活用形の名稱は、それに接續する助詞助動詞の一端から命名されたもので、この活用形そのものに、未然の意味があるといふわけではない。他の活用形設定の手(32)續きも、同じである。もし、動詞と他の語との接續關係が、個々において、まちまちであつたならば、動詞を九種に要約することも、語尾の接續面を六活用形に整へることも不可能であつたであらう。これらの活用に關する整理記述の經緯は、國語學史の任とするところであるから、ここでは省略する。
ロ 形容詞
形容詞は動詞とは異なつた接續終止の方式を持つ用言であつて、その中に二つの種類を分つこと掛出來る。
ク活用 「高し」「赤し」「つれなし」「こころもとなし」等
シク活用 「さびし」「うらめし」「ゆかし」「わびし」等
ハ 動詞的接尾語
體言的接尾語の附いたものは、それ全體を一體言として取扱ふことが出來るやうに、動詞的接尾語が附いたものは、それ全體を一動詞とみなすことが出來る。
春めく〔二字傍線〕 時めく〔二字傍線〕
うつろふ〔傍線〕 流らふ〔傍線〕
(33)右の「めく」「ふ」は、それぞれ、「その樣な状態になる」「ある状態を持續する」といふやうな概念内容を表はす語で、それが、體言「春」「時」或は動詞「うつる」「流る」と結合して全體で動詞を構成するのである。「めく」や「ふ」は、それだけで獨立して用ゐられることなく、常に他の語と結合して用ゐられるところから、これを接尾語といふのであるが、それ自身概念内容を表はすのであるから、それらの結合したものは、一つの複合語とみなすことも出來るのである(なほ、接尾語の項を參照)。
ニ 形容詞的接尾語
おとなし〔傍線〕 下衆し〔傍線〕
うらめし〔傍線〕 たのもし〔傍線〕 今めかし〔傍線〕
かごとがまし〔三字傍線〕 をこがまし〔三字傍線〕
右の「し」は、極めて抽象的な状態概念を表はし、體言「おとな」「下衆《げす》」に附いて、「おとなし」「下衆し」となり、動詞「うらむ」「たのむ」「いまめく」について、「うらめし」「たのもし」「いまめかし」等となる。故に、これらの語は、成立から云へば、複合語であるが、一般には一單語であると考へられてゐる(なほ、接尾語の項を參照)。
(34) ホ 不完全用言
それ自身單獨に用ゐられることなく、常に他の修飾語を伴つて用ゐられ、或は、特定の活用形しか用ゐられない用言である。
つつみもあへ〔二字傍線〕ず
なぐさめかね〔二字傍線〕つ
いはゆる〔四字傍線〕□
右の「あへ」「かね」は、終止形が、「あふ」「かぬ」と推定される動詞であるが、その用法が限定されて、連用形しか用ゐられない。また、「いはゆる」も、終止形が、「わはゆ」と推定される動詞であるが、連體形しか用ゐられない。その他、「そむ」(初)「おいて」(終止形は「おく」か)「もつて」(終止形は「もつ」か)の如きものが、これに數へられる。
形容詞的な不完全用言としては、
雪のごとく〔三字傍線〕散る
龍田姫の錦には、またしく〔二字傍線〕ものあらじ(源氏、帚木)
ヘ 用言相當格
(35) 以上は、一語の用言と見るべきものを列擧して來たのであるが、元來、用言の主語及び修飾語は、用言によつて表現される概念の中に含まれてゐるものを、抽出したものであるといふ考へに立つならば(第三章文論第一項)、次の如きものは、一語の用言と同じ資格のものとみるべきである。
散りまがふ〔五字傍線〕 漏りきこゆ〔五字傍線〕
こころざす〔五字傍線〕 けぢかし〔四字傍線〕
右の例の「散り」「漏り」は、それぞれ、「まがふ」「きこゆ」の連用修飾語であり、「こころ」「け」は、それぞれ、「さす」「ちかし」の主語であるが、全體として、一語の動詞形容詞と同等の資格あるものとして、取扱ふことが出來る。この原理を推し進めて行けば、例へば、
谷風にとくる氷のひまごとに、うちいづる〔五字傍線〕波やはるの初花(古今集、春上)
における用言「うちいづる」は、それの修飾語を含んで一用言であるとすれば、「谷風にとくる氷のひまごとにうちいづる」は、全體で一用言(動詞)とみなすことが出來る故に、被修飾語「波」との關係は、
動詞(連體形)――體言
の形式に歸着させることが出來る。それは、「飛ぶ鳥」「流るゝ水」の表現形式と全く同じ(36)である。更に、
春立てど、花もにほはぬ山里は、ものうかる音にうぐひすぞ鳴く(古今集、春上)
は、一切が、最後の動詞「鳴く」に包含されて、一首全體を、一動詞とみなすことが出來る。
ほととぎす鳴く聲聞けば、別れにし、故郷さへぞ戀しかりける(古今集、夏)
右の下句の「こひしかかりける」は、形容詞「こひし」に、助動詞「ありける」が、接續したもので、「ほととぎす……戀しく」までが、一形容詞の述語で、それに辭が加つたものと解することが出來るのである。
(三) 接頭語と接尾語
接頭語と接尾語とは、語の内部的な構成要素で、これを研究するのは、文法學以前に屬するもののやうに考へられるが、國語においては、接頭語、接尾語は、その機能において、一語と全く同等に取扱ふべき點において、印歐語のそれと著しく相違する。
接頭語、接尾語は、それぞれに、客觀的な概念を表現することにおいて、詞に屬する。故に、接頭語、接尾語の附いて出來た語は、不完全體言及び不完全用言の附いて出來た語と同樣に、複合語と見ることが出來る。このことは、文意の脈絡を把む上に大切なことで(37)ある。
國語には、特に文の成分上の相違を示す機能を持つ接尾語はない。例へば、名詞を示す ness 、或は、副詞的機能を表はす ly ment のやうなものは無い。
イ 接頭語
接頭語と、それが附く語との關係は、接頭語は、常に下の語の修飾語になつてゐることである。故に、
美しき〔三字傍線〕花(形容詞)
行き〔二字傍線〕なやむ(動詞)
月〔傍線〕夜(體言)
さむ〔二字傍線〕空(體言)
おほん〔三字傍線〕歌(接頭語)
たな〔二字傍線〕びく(接頭語)
のやうに排列してみると、接頭語は、他の品詞と區別される根據が無いのであるが、比較的獨立性が少く、他の語と結合して、一語を構成するやうな語について云はれる。從つて、それは、主體的に意識されるよりも、語源的に、觀察探求されたものであることが多い。(38)主體的に意識されるものは、一語としての體言用言に近いことになる。「ま心」「ま顔」の「ま」や、「はつ孫」「はつ穗」の、「はつ」等は、接頭語と云はれてゐるが、體言との境界を規定することは困難である。文法學上では、主體的に意識されるものが、問題なのであるから、語源的に探求され、分析されたものは、當面の問題にはならない。故に、現代語において、「たなびく」の「た」が、接頭語であると云はれても、それは文法上の問題にはならない。「たなびく」は、一語として意識されてゐるからである。ところが、古文の場合は、事情は異なつて來る。「たなびく」が、「た−なびく」と意識されてゐたか、或は、「たなびく」として一語に意識されてゐたかは、嚴密な解釋作業を經た後でなければ云へない。假に、「たなびく」に、「た−なびく」のやうな意味の屈折が認められるならば、ここに、修飾語「た」と、被修飾語「なびく」との關係が存在するものと考へなければならないのである。現代語においでも、「おまへ」(第二人稱代名詞)の「お」と、「おさかな」の「お」、「おはち」(飯櫃)の「お」と、「お皿」の「お」とは、同一には見ることは出來ないので、前者の「お」(「おまへ」「おはち」における)を接頭語と云ふのは、語源學的見地であり、文法學的意味における接頭語は、後者に限定されるべきで、このやうな判定は、古文の場合には、當代の用語意識の究明を前提とするのである。結局、接頭語とは、獨立性の稀薄な語ではあるが、比較的自由に、他の語と結合して複合語を構成し得る可能性を(39)持つた語であるといふことになるのである。
接頭語「おん」についてみれば、
源氏の君のおん〔二字傍線〕をば、講師もえよみやらず(源氏、花宴)
大臣のおん〔二字傍線〕は更なり(同、少女)
右は、獨立した一語の用法であるが、
おん心をさし合はせ宣はむ事と思ひやり給ふに、いとゞいなびどころなからむが、また、などかさしもあらむとやすらはるゝ、いとけしからぬおん〔二字傍線〕あやにく心なりかし(源氏、行幸)
かの下の心忘れぬ小侍從といふかたらひ人は、宮のおん〔二字傍線〕侍從の乳母のむすめなりけり(同、若菜下)
不動尊のおん〔二字傍線〕もとの誓ひあり(同、若菜下)
なべて世の中いとはしく、かのまた人も聞かざりしおん〔二字傍線〕中のむつ物語に(同、若菜下)
右の語例を見るに、「おん」は、必ずしも、一語における造語成分とはみることが出來ない。「行幸の卷」の場合は、一本に、「いとけしからず、あやにくなる御心なりかし」(『對校源氏物語新釋』卷三、一三七頁)となつて居り、「おん」は、修飾語としての機能を待つて居ることが明かである。「宮のおん侍從」の「おん」も、「侍從」にだけ係るとも考へられず、(40)「乳母」「むすめ」のいづれに係るかを考へてみる必要がある。「おんもとの誓ひ」は、「本誓」の和譯したものに、「おん」が附いたのであるから、意味は、「もとのおん誓ひ」であらう。
一般に、この期における接頭語と認められておるものを擧げれば、
い ――行く ――かくる
いち ――はやし ――じるし
いや ――高し
うち ――見る
うひ ――かうぶり ――ごと
えぜ ――受 ――ざいはひ領
おほ ――前
おほみ(ん) ――歌
おん ――宿世
か ――細し
け ――遠し ――うとし
こ ――松 ――柴垣
(41) ご ――たち
さ ――夜 ――まよふ
た ――ばかる ――易し
なま ――受領
にひ ――室 ――參り
はつ ――風 ――しぐれ
ひが ――おぼえ ――ごと
ま ――草
み ――簾
を ――ぐらし
ロ 接尾語
接尾語の性質は、接頭語に準じて考へられる。接尾語の附いた語が、一つの複合語を構成する時、語の品詞的性格を決定するものは、接尾語にあるのであるから、接尾語が、體言的であるか、用言的であるかといふことが、接尾語分類の基準になる。接尾語が、その機能において、一語と同等に取扱はるべきことは、接頭語の場合と同じである。
(42) 體言的接尾語「げ」をとつて考へてみる。
をかしげ〔傍線〕なる女子ども、若き童べなむ見ゆる(源氏、若紫)
つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげ〔傍線〕にそがれたる末も、なか/\長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見給ふ(同、若紫)
右の例文中の「げ」は、形容詞「をかし」「うつくし」の語幹と結合して、一體言を構成した場合である。ところが、
更にかやうの御消息承りわくべき人もものし給はぬさまは、知しめしたりげ〔傍線〕なるを、誰にかは(源氏、若紫)
……と、息も絶えつゝ、聞えまほしげ〔傍線〕なることは、ありげなれど(同、桐壺)
何の心ばせありげ〔傍線〕もなく、さうどき、誇りたりしよ(同、夕顔)
においては、「げ」は、「知しめしたり」「聞えまほし」「あり」などと合して、一語を構成してゐると見るよりも、それより上の句全體を修飾語として、その被修飾語に立つてゐるとみなければ、文意の脈絡を正當に理解したことにならない。それらの關係を圖示すれば、次のやうになる。
更にかやうの御消息承りわくべき人もものし給はぬさまは、知しめしたり〔更〜傍線〕−げ
聞えまほしげなることは、あり〔聞〜傍線〕−げ
(43) 何の心ばせ、あり〔七字傍線〕−げ
そして、「更にかやうの御消息承りわくべき人もものし給はぬさま」は、體言相當格で、「知しめし」の客語になつて居り、客語−述語の全體が、體言的接尾語「げ」の修飾語になるといふ構造である。第二、第三の例についても、同樣の分解が可能である。
また、「さ」についても同じことが云へるのである。
なほ、かなしさ〔傍線〕のやるかたなく(源氏、夕顔)
今日の氣色に、また、かなしさ〔傍線〕あらためておぼさる(同、葵)
右の「さ」は、一語中の造語成分と考へられるものであるが、次の諸例は、「げ」の場合と同樣に、一體言の機能において理解しなければならない。
うつゝにはさもこそあらめ夢にさへ人目をもると見るがわびしさ〔傍線〕(古今集、戀三)
秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ〔傍線〕(同、秋上)
無かりしも有りつゝ歸る人の子を、有りしも無くて來るが悲しさ〔傍線〕(土佐日記、二月九日)
生まれしも歸らぬものを、わが宿に、小松の有るを見るが悲しさ〔傍線〕(同、二月十六日)
「夢にさへ人目をもると見るがわびし」全體が「さ」の修飾語になり、この歌は、結局において體言止めとなつてゐるのである。
「さ」は、「げ」とともに、形容詞の語幹に接續することにおいて、他の體言と異なる。(44)これは、上代に多い、形容詞語幹或は一般に形容動詞の語幹と云はれてゐる體言の連體修飾的用法と相通ずるものであらう。
體言的接尾語の例
か のど―― しづ――
く(一)おそら―― やすけ――
げ 心細―― たゆ――
さ たのし―― かへる――
たち きん――
どの おほい―― 大將――
ども 車―― 親――
ながら 神―― 身――
ばら 法師―― との――
み(二)しげ――あさ―― 山高――
め ひと――
やか しのび―― 花―― 細――
ら 乙女――きよ―― さかし――
(45)用言的接尾語は、その活用の方式によつて動詞的接尾語と、形容詞的接尾語とに分けられる。
動詞的接尾語
「す」(他動の意味を表はし、四段に活用する)をとつてみる。
若ければ、道行き知らじ、まひはせむ。したべの使負ひて通らせ(萬葉集、九〇五)
天地を照らす日月の極みなくあるべきものを、何をか思はむ(同、四四八六)
右の「す」は、自動の意味を表はす動詞「通る」「照る」に接續して、「通らす」「照らす」といふ他動の意味を表はす動詞を構成する。「懲る」に對する「懲らす〔右○〕」、「果つ」に對する「果たす〔右○〕」「ぬ」(寢)に對する「なす〔右○〕」、「見る」に對する「めす〔右○〕」等の「す」も、その起源においては、右の「す」と同樣なものであつたが、かくして出來た語は、一般に、一語の動詞と考へられるやうになる。それは、複合語が一語となつて行く過程と同じである。
同樣に、下二段に活用する「す」「さす」も自動を他動に變ずる。(三)
くやしかもかく知らませば、青丹よしくぬちことごと見せ〔傍線〕ましものを(萬葉集、七九七)
常陸さし行かむ雁もがわが戀を記して附けて妹に知らせ〔傍線〕む(同、四三六六)
鍵を置きまどはし〔傍線〕て、いと不便なる業なりや(源氏、夕顔)
(46) お文の師にてむつまじくおぼす文章博士召して、願文作らせ〔傍線〕給ふ(同、夕顔)
かの贈物御覽ぜさす〔二字傍線〕(同、桐壺)
「心地なやましければ、人々さげず、おさへさせ〔二字傍線〕てなむ」と聞えさせ〔二字傍線〕よ(同、帚木)
寢殿の東おもて拂ひあけさせ〔二字傍線〕て(同、帚木)
右の接尾語は、特に中古に至つて盛んに用ゐられるやうになつたもので、自動の意味の動詞に接續して、他動の意味を表はし、他動の意味の動詞に附けば、使役の意味になる。「見す」「知らす」「まどはす」「御覽ぜさす」「聞えさす」は、自動の意味を、他動に變じたもので、それぞれ、「目に入れる」「耳に入れる」「見失ふ」「お目にかける」「お耳に入れる」の意味に相當する。
從來、この「す」「さす」は、助動詞の典型的なものとして考へられてゐたものであるが、それらが、客體的な概念を表はすものであることにおいて、詞に屬し、主體的な表現である辭に屬する助動詞とは全く別個のものであることは、既に、『口語篇』(第二章第三項「ト」)に述べたことである。
動詞的接尾語の例
がる 四段 親―― さかし――
さす 下二段 四段以外の動詞の未然形に接續する。他動或は敬意を表はす。
(47) さぶ 上二段 神―― 翁――
しむ 下二段 動詞の未然形に接續する。上代には他動、使役に、中古以後には敬語として用ゐられる。
す(三)下二段 四段の動詞の未然形に接續する。他動或は敬意を表はす。
だつ(四)四段 際―― まめ――
なす 四段 思し―― 着――
ばむ 四段 塵―― 枯れ――
ふ 四段 うつろ―― かたら――
ぶ 上二段 ひな――
む 四段 あやし―― ぬく――
めかす 四段 時――
めく 四段 春―― 賤《しづ》――
めす 四段 しろし―― きこし――
やぐ 四段 花―― 若――
ゆ 下二段 おもほ――
らゆ 下二段 ね(寢)――
(48) らる 下二段 教へ――
る 下二段 笑は――
形容詞的接尾語
「し」を、例にとつてみる。「し」は、一般には、形容詞の語尾と考へられてゐるのであるが、これも他の接尾語と同樣に、一語の機能において他の語と結合するものと考へるのが至當である。それは、極めて抽象的な状態的屬性概念を表はして、詞に屬する。(五)從つて、形容詞は、動詞と異なり、それ自身、複合語的性格を持つてゐる。「赤し」は、「あか−し」であり、「早し」は、「はや−し」で、その語幹の部分は、獨立した一體言と同樣の機能を以て、他の語と結合する。「あか」は、「あか駒」となり、「はや」は、「はや瀬」となる。動詞においては、本來、體言から出來たもの、例へば「歌ふ」「宿る」のやうな語以外は、「咲く」の「さ」、「受く」の「う」が、一語の資格を持つとは考へられない。また、形容詞の語尾「し」は、それ自身、詞であつて、陳述を表はす辭ではない。
「し」が、語の構成要素であるよりも、一語の機能を持つと考へられることは、例へば
花は雪のごとし〔傍線〕
において、「し」は、「ごとし」で一語を構成するとみるよりは、「雪のごと」に接續し、全體で、形容詞を構成するとみる方が合理的である。(六)また、
(49) ここに物思はしき〔二字傍線〕人の、月日を隔て給へらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し(源氏、賢木)
における「しき」は、「物思ふ」に接續して形容詞を構成し、「人」の修飾語になつたものである。「色めく」が「色めかし」となり、「腹立つ」が「腹立たし」、「名立つ」が「名立たし」となると同じものである。
中將のおもと、み格子一間あげて、見奉り給へとおぼしく〔二字傍線〕、み几帳引きやりたれば(源氏、夕顔)
天ざかる鄙ともしるく〔傍線〕ここだくも繁き戀かもなぐる日もなく(萬葉集、四〇一九)
うちなびく春ともしるく〔傍線〕鶯は植木の木間を鳴きわたらなむ(同、四四九五)
「おぼしく」は、「おもほしく」の轉であり、「見奉り給へと思ふ」が形容詞化されたものである。「しるく」も、上に「と」を承けて、「としるく」となつてゐるところから察するに、「……としる」(七)といふ動詞の形容詞化されたものと考へられるのである。
このやうな關係は、他の形容詞的接尾語の場合にも適用出來る。たとへば、「まほし」についてみるのに、
國の物語など申すに、「湯桁はいくつ」と問はまほしく〔四字傍線〕思せど(源氏、夕顔)
御子はかくても、いと御覽ぜまほしけれ〔五字傍線〕ど、かゝる程にさぶらひ給ふ例なき事なれ(50)ば (同、桐壺)
「湯桁はいくつと問ふ」「御子はかくてもいと御覽ず」に接續して、全體で形容詞を構成するのである。
形容詞的接尾語の例
かたし たへ―― 乾《ひ》――
がはし みだり――
がほし 見―― あり――
がまし 恥ぢ―― 歌よみ――
くるし 心―― 見――
けし(八)ゆた―― 露――
し(五) 淺―― ……のごとし 執念―― 腹立た――
なし いはけ―― はした――
にくし 見―― 聞き――
まうし 聞え―― 答へ――
まほし(九)知ら―― あら――
めかし 時―― 上手――
(51)(一) 「おそらく」「やすけく」といふ語法は、古來、延言として説明されて來たものであるが、これについては、次のやうな説明が提出されてゐる。「おそらく」「やすけし」は、それぞれ、動詞「おそる」の連體形「おそる」、形容詞「やすし」の連體形「やすき」に、「事」を意味する體言的接尾語「あく」が結合して出來たもので、從つて、意味は、「おそるゝこと」「やすきこと」と同じになる。上一段活用「見る」は、、「見る−あく」で、「見らく」となり、上二段「戀ふ」は、「戀ふる−あく」で、「戀ふらく」となり、形容詞「惜し」は、「惜しき−あく」で、「惜しけく」となる。助動詞が附いた場合も同じで、「知らぬ−あく」は、「知らなく」となり、「あへる−あく」は、「あへらく」となる(大野晋「古文を教へる國語教師の對話」『國語學』第八輯)。
(二) 「月清み〔傍線〕」「瀬を早み〔傍線〕」などと用ゐられる「み」で、通説に從つて、接尾語としたのであるが、これについては、古來、種々の説が提出されてゐる。本居宣長は、『詞の玉緒』(卷五)、『玉あられ』に、この「み」を取上げ、「月清み」は、「月が清きに」、「瀬を早み」は、「瀬が早さに」の意であるとし、「を」は、あつても無くても意は同じであるとした。『詞の玉緒』では、
あさみ〔傍線〕こそ袖はひづらめ涙川身さへながると聞かばたのまむ(古今集、戀三)における「あさみ」も、「淺きにこそ」といふ意であるとし、
あさみ〔傍線〕にや人はおりたつわが方は身もそぼつまで深きこひぢを(源氏、葵)における「あさみ」は、古今集の「あさみ」を、「淺きところ」の意に解して出來たものであるとした。
山田孝雄博士は、右の「み」を、「あかし」を「あかむ」といひ、「あやし」を「あやしむ」(52)といふ場合の「む」(四段に活用する)と同じもので、「しか思ふ」といふ意で、右の「み」は、その連用形であるとされた(『奈良朝文法史』第二章語論第二節用言)。
天地の心を勞《いとほ》しみ〔傍線〕、重《いか》しみ〔傍線〕、畏み〔傍線〕まさくと詔り給ふ命を(元明天皇御即位の宣命)
更に、連用形が體言に準ぜられて、「す」の客語となつたものも、これと同じである。
さゆり花ゆりも逢はむと思へこそ、今のまさかもうるはしみ〔傍線〕すれ(萬葉集、四〇八八)
連用形で、用言の裝定をなす場合は、
草枕旅を苦しみ〔傍線〕戀ひ居れば、かやの山邊にさを鹿鳴くも(萬葉集、三六七四)
三かの原ふたぎの野邊を清み〔傍線〕こそ、大宮どころ定めけらしも(同、一〇五一)
右の山田博士の解釋説にも、なほ不安定な點が考へられる。山田博士は、「み」を、マ行四段活用の動詞の連用形と見られたのであるが、この語の接續關係を見ると、通常の連用形のそれとは、著しく異なるものが見出される。それは、むしろ體言に近いことを思はせるのである。
あをの浦に寄する白波いやましに、立ちしき寄せ來、あゆをいたみ〔三字傍線〕かも〔二字右○〕(萬葉集、四〇九三)
春の雨はいやしき降るに梅の花未だ咲かなく、いと若み〔二字傍線〕かも〔二字右○〕(同、七八六)
右は、助詞「かも」に接する例である。「かも」は、體言或は用言連體形に附く。
白妙の袖のわかれを難み〔二字傍線〕し〔右○〕て、あらつの濱にやどりするかも(萬葉集、三二一五)
あしひきの山橘の色に出でゝ、わが戀ひなむを人め難み〔二字傍線〕す〔右○〕な(同、二七六七)
右は、サ變動詞に接する例である。サ變動詞は體言或はその相當格に附く。
ひもとかずまろねをすれば、いぶせみ〔四字傍線〕と〔右○〕、心なぐさになでしこを、宿におきおほし(萬葉集、四一一三)
(53) あしひきのいはねこごしみ、菅の根を引かば難み〔二字傍線〕と〔右○〕しめのみぞゆふ(同、四一四)
右は、指定の助動詞「と」に接する例である。「と」は、一般に、體言或は、用言の終止形に附く。
玉にぬく花橘をともしみ〔四字傍線〕し〔右○〕、このわが里に來鳴かずあるらし(萬葉集、三九八四)
山鳥の尾ろのはつ尾に鏡かけ唱ふべみ〔二字傍線〕こそ〔二字右○〕汝によそりけめ(同、三四六八)
右は、強意の助詞「し」或は、係助詞「こそ」の接する例である。「し」は、一般に、體言、用言の連體形、或は、「てし」「にし」と用ゐられ、連用形に附くことはない。連用形に附く場合は、用言が體言に轉成された場合である。「こそ」も、一般に、體言か、他の助詞、或は、已然形に附くが、連用形には附かない。連用形に附く場合は、「笑ひこそ〔二字右○〕すれ」といふやうに、上の用言が、體言に轉成した場合である。
春の野のしげみ〔三字傍線〕飛びくく鶯の(萬葉集、三九六九)
山吹のしげみ〔三字傍線〕飛びくく鶯の(同、三九七一)
右の「しげみ」は、連用形の中止法とするよりは、「飛びくく」の場所或はその状態を云つたものとする方が、解釋がより合理的である。
右の諸例を通觀するのに、「――み」は、動詞の連用形とするよりも、體言相當格とみる方が適切であることを知るのである。もし、これを體言相當格とする時、我々の容易に考へつくことは「赤み」「厚み」「弱み」などと、用ゐられる接尾語との關係である。宣長も指摘したやうに、源氏物語において、「淺み」を、「淺きところ」の意味に解してゐることが、正しいとすれば、この二つの「み」が、全く無縁のものとはいふことが出來ないわけである。そこで、こ(54)の接尾語の「み」から類推して、今、問題とする「み」も、これと同じ種類の語ではないかといふことも考へ得られることである。そこで、「み」は、物の有樣、状態の概念を云ふ語であるとすると、「瀬を早み」を、「瀬の早さに」とする解釋説の一半は、右の説明を云ひ表はしたものとすることが出來る。しかしながら、「み」を體言的なものとする時、「瀬の早さに」といふ原因を表はす意味が出て來る根據が、それだけでは説明されない。ここで、一般に、體言は、文中において、それだけで、修飾格に立ち得ることを知る必要がある。
たまきはる宇智の大野に馬並めて、朝〔傍線〕ふますらむその草深野(萬葉集、四)
まつち山、夕〔傍線〕越え行きて、いほさをのすみだ河原にひとりかも寢む(同、二九八)
右の「朝」「夕」は、體言だけであるが、それが、「朝において」「夕において」といふ修飾語となつてゐる。また、
み立たしゝ島を見る時、にはたづみ〔五字傍線〕流るゝ涙とめぞかねつる(萬葉集、一七八)
久方の天づつたひ來る雪じもの〔四字傍線〕行きかよひつゝいやとこよまで(同、二六一)
においては、傍線の體言は、下の連語に對して、修飾語の關係になつて居り、「にはたづみの如く」或は、「雪じものの有棟で」の意味である。
右の如き語法的關係は、形式體言「ごと」(状態の意)或は「く」(事の意)についても云はれることである(體言相當格の形式體言の項參照)。
おちたぎつ片貝川の絶えぬごと〔二字傍線〕、今見る人も止まず通はむ(萬葉集、四〇〇五)
きし方の御おもてぶせをも起し給ふ、本意のごと〔二字傍線〕、いと嬉しくなむ(源氏、若菜上)
ひと國に君をいませて何時までか我が戀ひ居らむ時の知らなく〔四字傍線〕(萬葉集、三七四九)
(55) ここをしもあやにたふとみ、うれしけく〔五字傍線〕いよゝ思ひて(同、四〇九四)
春の雨は、いやしき降るに、梅の花未だ咲かなく〔二字傍線〕いと若みかも(同、七八六)
右の諸例は、「片貝川の絶えぬ有樣で」「本意にかなつた状態で」「時も知らないことで」「うれしきことに」「咲かないことで」といふやうな意味となるのである。以上のやうな體言的な用法を以て、問題の「み」を解するに、例へば、
うつせみの命ををしに〔傍線〕、浪にぬれいらごの島の玉藻刈りをす(萬葉集、二四)
は、「命を惜しむといふ心境において、浪にぬれ、いらごの島の玉藻を刈つて命をつないでゐる」となり、
遊ぶうちのたのしき庭に梅柳をりかざしてばおもひなみ〔傍線〕かも(萬葉集、三九〇五)
は、「遊ぶ間の(本文に誤字ありやの疑ひがある)たのしい庭で、梅や柳を折つてかざしたならば、物思ひなき状態であるかな」となり、
戀しげみ〔傍線〕なぐさめかねて、ひぐらしの鳴く島かげにいほりするかも(萬葉集、三六二〇)
は、「戀のしげき心境をなぐさめかねて、ひぐらしの鳴く島かげにいほりするよ」の意となる。要するに、「み」を、「……の故に」と解するのは、その文脈から出て來ることで、「み」そのものは、状態有樣心境を云ひ表はす語であるといふことになるのである。
山田博士のいはれるマ行四段に活用する動詞は、右の「み」とは別のものではないかと考へられるのである。特に、「かなしむ」といふ動詞は、上代においては、「かなしび」とあつて、「かなしみ」は、その連用形とすることは出來ない。
(三) 本居春庭『詞八衝 上』に、物を然する「す」は、四段に活用し、他に然さする「す」は、下(56)二段に活用するといふやうに述べられてゐるが、活用の別が、果して意味の別に、そのやうに嚴重に對應するか、どうかといふことは、甚だ疑問である。
梅が香を櫻の花ににほはせ〔四字傍線〕て、柳が枝に咲かせてしがな(後拾遺集、春)
なに人か來てぬぎかけし藤ばかま來る秋ごとに野べをにほはす〔四字傍線〕(古今集、秋上)
春庭に從へば、前者は、下二段で、他に然さする意、後者は、四段で、物を然する意であるとするのであるが、この兩者を、ともに、他動の意と解釋することも可能である。『對校源氏物語薪釋』の索引に從へば、「源氏物語」中には、下二段に活用する「にほはす」は、存在しないことになるので、これは、活用の歴史的變遷とも見られるのである。下二段より四段に移動する傾向は、「あはす」「知らす」等の語において見ることが出來る。なほ、春庭も、二樣に活用して、意味は同じである場合をも認めてゐる(『同上書』「いまする」の註)。
(四) 求めつる中將だつ〔二字傍線〕人來あひたる(源氏、帚木)
姫君たちの御後見だつ〔二字傍線〕人になし給へるなりけり(同、椎本)
右の例は、「だつ」が、「求めつる中將」「姫君たちの御後見」と結合してゐることを示す。
(五) 「し」を、接尾語とせず、陳述を表はす助動詞とする説がある。(永野賢「言語過程説における形容詞の取り扱いについて」『國語學』第六輯)。右の説は、鈴木※[月+良]も、『言語四種論』中に述べてゐることであるが、動詞の語尾を、辭とみないと同樣な觀點から、私は、右の考へ方を斥けた。何となれば、敬語の構成において、聞手に對する敬意を表はすには、動詞においては、
咲く……咲きます〔二字右○〕……咲きはべり〔三字右○〕
と、動詞の零紀號に交代して、「ます」「はべり」が、語尾に附くと同樣に、形容詞においては、
(57) 高い……高いです〔二字右○〕、高うございます〔五字右○〕……高くはべり〔三字右○〕
となつてゐる。もし動詞において、敬語が、語尾に接續すると認めるならば、形容詞も語尾に附くと認めることが至當であつて、從つて、「高い〔右○〕」「高う〔右○〕」「高く〔右○〕」の「い」「う」「く」は、語尾であるといふべきである。また、「や」「か」「かな」等の助詞の接續關係においても、
咲く……咲くか〔右○〕、咲くや〔右○〕、咲くかな〔二字右○〕
美し……美しきか〔右○〕、美しや〔右○〕、美しきかな〔二字右○〕
となつて、これらの助詞が、語尾から接續するとみる方が、合理的である。永野氏の考へは、形容詞を、形容動詞との對比の上から考察したので、形容動詞は、一般の體言と助動詞「なり」「だ」「です」との關係において考へるべきであるが、形容詞は、むしろ動詞との比較において考へるべきものである。
また、次のやうな動詞と形容詞との對應を見れば、
青む なつく たのむ 恐る
青し なつかし たのもし 恐ろし
「し」は陳述であるよりも、動作性概念に對する屬性的状態概念を表はす詞的なものであるといふべきである。
(六) 橋本進吉博士の『新文典』、國定教科書『中等文法』は、これを、助動詞としてゐるが(『廣日本文典』に、既にこれを比況の助動詞としてゐる)、その接續機能において、他の助動詞と相違し、また、「ごとし」の「ごと」は、上説の語と結合する傾向のあることは、口語の「やうだ」の「やう」に近似してゐる。
(58)(七) 「しる」は、動詞「知る」ではなからうか。もし、さうであるならば、それは、主觀的な「認知する」の意味とともに、客觀的な「認知される状態」の意味を持つことが推定される(『口語篇』第三章「ホ」對象語格參照)。從つて、それが、形容詞化されるならば、「田舍であることが認知されるやうな状態で」「春といふことが分かるやうな状態で」の意味になる。「山家集上」の次の歌も同樣に解せられる。
山の端のかすむ氣色にしるき〔三字傍線〕かな今朝よりやさは春のあけぼの
(八) 「ゆたか」「さやか」「のどか」に、接尾語「し」が附いて、「ゆたけし」「きやけし」「のどけし」となり、更に「けし」が接尾語として遊離して「露けし」となつたものか。
(九) 山田孝雄博士の『平安朝文法史』には、助動的「む」に「く」の連なつて、「まくほし」となり、更に「まほし」となつたものとし、「まうし」(まくうし)に對するものとした。『新文典』『中等文法』はともに、希望の助動詞とした。本書が、これを接尾語として詞に屬するものとしたのは、
くれまどふ心の闇も堪へがたきかたはしをだにはるくばかりに聞えまほしう〔四字傍線〕侍るを、わたくしも、心のどかにまかで給へ(源氏、桐壺)
見奉りて、くはしく御有樣も奏し侍らまほしき〔四字傍線〕を、待ちおはしますらむを、夜ふけ侍りぬべし(同、桐壺)
の如き例について見れば、話手の希望の表現のやうにもとられるが、
息も絶えつゝ、聞えまほし〔三字傍線〕げなることはありげなれど(源氏、桐壺)
明くる年の春、坊さだまり給ふにも、いと引き越さまほしう〔四字傍線〕思せど(同、桐壺)
(59) をさなかりつるゆくへの、なほたしかに知らまほしく〔四字傍線〕て、問ひ給へば(同、若紫)
の如き例について見れば、それらは、第三人稱の状態を述べたものである。なほ、「まほし」が、「あり」と結合した「あらまほし」は、主觀的な情意の表現から、それに對應する客觀的な状態の表現に轉じて、「理想的な状態」の意味となる。いづれも詞である。
着るべきもの、常よりも心とゞめたる色あひし、さまいとあらまほしく〔六字傍線〕て(源氏、帚木)
年は六十ばかりになりにたれど、いと清げに、あらまほしう〔六字傍線〕行ひさらぼひて(同、明石)
(四) 敬語
イ 辭に屬する敬語
言語は、一般に、對人關係においてなされる思想の表現、傳達であるから、その思想の表現傳達に關與する人的關係に對する顧慮から、時と場合に應じて、言語主體の敬讓の心持ちを以て表現を規整し、傳達の圓滑をはかることは、何れの言語においても行はれることであるが、特に國語においては、それが、文の云ひ廻しによつて表現されるだけでなく、一語一語の選擇や構成のしかたによつて、表現されるところから、文法上の問題となつて來るのである。古典言語においては、その表現される事柄の關係から、また、言語當事者(話手聞手)の教養の關係から、特に、これらの敬語的表現が豐富に用ゐられてゐるので、(60)これを正當に處理することは、古文を理解する上に極めて重要なこととなつて來るのである。
從來の敬語理論は、すべての敬語を、ただ意味の上から類別するか、或は單に漠然と、對者に對する待遇表現であるとして處理してゐたので、敬語の實際を記述するには不充分であつた。本書は、言語の表現機構の分析から、敬語の實際に即してこれを體系づけたもので、その詳細は、『國語學原論』各論第五章敬語論に述べた。
辭に屬する敬語とは、話手の聞手に對する敬意の表現としての敬語で、第二項(一)助動詞の項で述べるべきことであるが、ここでは、便宜、詞に屬する敬語に附帶して述べることとした。
聞手に對して、話手が敬意を表はすには、陳述を表はす指定の助動詞に相當するところを、敬讓の助動詞「はべり」に置き代へればよいのである。一般に、陳述は、次のやうに表現される。
一 指定の助動詞「なり」(に−あり)が用ゐられる。
波靜かなり〔二字二重傍線〕
今宵は十五夜なり〔二字二重傍線〕
つれなき命なる〔二字二重傍線〕かな
(61)右のやうな場合は、「なり」(に−あり)を、「にはべり」に置き代へて、次のやうに云ふ。
波靜かにはべり〔三字二重傍線〕
今宵は十五夜にはべり〔三字二重傍線〕
つれなき命にはべる〔三字二重傍線〕(一)かな
二 述語が動詞の場合は、陳述が、零記號によつて表現される。(二〉
花咲く■
かの白く咲けるを、夕顔と申す■
右のやうな場合は、零記號の陳述を、「はべり」に置き代へて、次のやうに云ふ。
花咲きはべり〔三字二重傍線〕
かの白く咲けるを、夕顔と申しはべり〔三字二重傍線〕(三)
三 述語が形容詞の場合も同樣である。
風涼し■
心地のかきみだりなやましき■を(源氏、總角)
右のやうな場合は、零記號の陳述を、「はべり」に置き代へて、次のやうに云ふ。
風涼しくはべり〔三字二重傍線〕
心地のかきみだりなやましくはべる〔三字二重傍線〕を
(62)形容詞の場合は、他の助動詞との接續に、指定の助動詞「あり」を介して、
みけしきあしかり(あしく−あり〔二字二重傍線〕)き
のやうに云ふ。この場合には、指定の助動詞「あり」が「はべり」に置き代へられて次のやうに云ふ。
みけしきあしくはべり〔三字二重傍線〕き(源氏、夕顔)
四 存在の概念を表はす動詞が述語となつて、それに陳述の意が加つた場合、これを敬語に云ふには、理論上は、
あはれと思ふ人あり■
の零記號が、「はべり」に置き代へられて、
あはれと思ふ人ありはべり〔三字二重傍線〕き
と云ふべきであるが、このやうな場合は、「ありはべり」の代りに、ただ、「はべり」だけでこれを代用させて、次のやうに云ふ。
まだ、いと下臈にはべりし時、あはれと思ふ人はべり〔三字二重傍線〕き(源氏、帚木)
五 詞に屬する敬語「給ふる」(下二段)が述語になつた場合は、そのままで、聞手に對する敬意を含めたことになる。
われもおくれじと惑ひ侍りて、今朝は谷にも落ち入りぬべくなむ見給へ〔二字傍線〕つる(四)(63)(源氏、夕顔)
いともいともゆゆしき身をのみ思ひ給へ〔二字傍線〕しづみて、いせど物も覺え給へ〔二字傍線〕られず、ほれ侍りてなむ、うつぶし臥して侍る(源氏、蜻蛉)
六 詞に屬する敬語「おはす」「おぼす」「給ふ」(四段活)等が述語となつた場合は、聞手に對する「はべり」を省略することが多い。(五)
若宮は、如何に思ほし知る〔五字傍線〕にか、參り給はむ事をのみなむ思ぼし急ぐ〔五字傍線〕めれば、ことわりに悲しう見奉りはべるなど(源氏、桐壺)
こなたはあらはにやはべらむ、今日しも端におはしまし〔五字傍線〕けるかな。このかみの聖の方に、源氏の中將の、わらはやみまじなひに物し給ひ〔四字傍線〕けるを、唯今なむ聞きつけはべる(源氏、若紫)
なほ、この「はべり」は、時代が下るに從つて、對人的敬語の意味が失はれて、一種の雅語的用法のものと考へられるやうになつて來た。徒然草中の用法には、既にそのやうな例が見られる。
五月五日、賢茂のくらべ馬を見侍り〔二字二重傍線〕しに、車の前に雜人立ちへだてて見えざりしかば、各おりてらちのきはによりたれど、ことに人おほくたちこみて、分け入りぬべきやう(64)もなし(第四十一段)
前なる人ども、「誠にさにこそ候ひけれ。尤もおろかに候」といひて、みなうしろを見かへりて、「ここに入らせ給へ」とて、所をさりてよび入れ侍り〔二字二重傍線〕にき(同)
例文中、後の段の會話の文中の「候ふ」は、聞手に對する敬意の表現である「はべり」に相當するものであるが、本文中の「はべり」は、もはや、對人的敬語として用ゐられたものではない。(六〉
(一) 源氏物語桐壺卷には、桐壺更衣の母北の方が、靭負の命婦に申す言葉として次のやうに出てゐる。
返す/”\つれなき命にもはべる〔三字二重傍線〕かな
(二) 零記號の陳述については、『口語篇』第三章第五項參照。
(三) 源氏物語夕顔卷には、係助詞「なむ」を伴つて、次のやうに出てゐる。
かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる〔三字二重傍線〕
右は、隨身が、源氏の君を聞手として申し上げる言葉である。
(四) 『校異源氏物語』によれば、河内本には、「おち入ぬへくなんみえ侍つる」「おちいり侍りぬへくなむみえ侍つる」といふ本文があることが記載されてゐる。「給ふる」が、話手の行爲に用ゐられた場合には、「侍り」と同價値のものと考へられてゐたことが分る。
しかし、このことは、絶對ではなく、次のやうに云ふことがある。
(65) かく渡りおはしますを見給へ〔二字傍線〕はべり〔三字二重傍線〕ぬれば、今なむ、阿彌陀佛のみ光も、心清く待たれはべるべき(源氏、夕顔)
また後見仕うまつる人もはべらざめるに、春宮の御ゆかり、いとほしう思ひ給へられ〔四字傍線〕はべり〔三字二重傍線〕て(同、賢木)
(五) このことも絶對ではない。次のやうな例が見出せる。
後一條院春日行幸せさせ給ひ〔二字傍線〕侍る〔二字二重傍線〕に母后にて御ともにおはしましけるに(玄々集)
さらば、ただかゝる古もの世に侍りけりとばかり、知し召され〔五字傍線〕はべら〔三字二重傍線〕なむ(源氏、橋姫)
なほ僧都參らせ給はではしるしなしとて、昨日二たびなむ召し〔二字傍線〕侍り〔二字二重傍線〕し(同、手習)
今さりとも七年あまりの程に思し知り〔四字傍線〕はべり〔三字二重傍線〕なむ(同、帚木)
ただし、「給ふ」(四段)には、「はべり」が附くことは殆ど無いやうであるが、時代が降ると、「はべり」に相當する「さふらふ」(候)が、「給ふ」に附くことがある。
老尼涙を抑へて申しけるは、「花がたみ臂にかけ岩躑躅取具して持たせ給ひ〔五字傍線〕候ふ〔二字二重傍線〕は、女院にて渡らせ給ひ〔五字傍線〕さふらふ〔四字二重傍線〕(平家物語、大原御幸)
早々出でさせ給ひ〔六字傍線〕候へ〔二字傍線〕(御伽草子、花世の姫)
若し憎き者殺す秘事など知らせ給ひ〔五字傍線〕候は〔二字二重傍線〕ば(同、磯崎)
(六) 本居宣長は、「はべり」の用法が、對人的な敬語の表現から轉じて、雅語的表現に移つた例を、新古今集の詞書に認めてゐる。
「新古今集は、後鳥羽のみかどの御自撰のぢやうなるに、是も此詞(筆者註「はべり」を指す)の多きは、其ころほひなどにいたりては、はやくかかるたぐひの詞づかひなども、くは(66)しからずなりて、たゞさきぎきの集どもの例のまゝにかゝれたりとぞ見ゆる」(『玉あられ』)
ロ 詞に屬する敬語
詞に屬する敬語とは、表現される事物事柄に關して、用ゐられる敬語である。辭に屬する敬語は、聞手に對する話手の敬意の表現であるが、詞に屬する敬語は、事物事柄に對する話手の敬意の表現として考へることは、妥當ではない。例へば、現代語において、
お電話〔三字傍線〕をいただき〔四字傍線〕たうございます。
の「お電話」「いただく」は、それぞれ、「電話」「もらふ」といふ語に對して、敬語と云はれてゐるが、それらは、「電話」に對する敬意の表現とか、「もらふ」といふ自己の動作に對する敬意の表現といふやうには見ることが出來ない。さうではなくして、ある事物事柄の表現に、それに關與する人相互の關係を考慮し、それを含めて、その事物事柄を表現するところのものである。「電話」は、それに關與する人との關係を抽象した「電話」ではなく、相手がかけるところの「電話」といふ意味を表現して、「お電話」と云はれるのである。これは、自分が相手に向つてかける「電話」の場合にも適用されて、たとへ、それが自己に關することであつても、同時に、相手に關するといふ認識のもとに「お電話をいたします」と云はれるのである。「いただきます」といふ語も同じであつて、「貰ふ」と(67)いふ自己の動作に、相手が關與する意味が加つて、「いただく」といふ語になるのである。從つて、詞に屬する敬語は、話手の敬意の表現といふ概念では、もはや律することの出來ない表現の規整であつて、むしろ、ある事物事柄に關與する人間的關係の辨別を基礎とするもので、云はば、表現者の教養或は儀禮に根ざしてゐる言語的事實であると云ふべきことなのである。以上のやうな理論を、基として、左に、詞に屬する敬語を類別しようと思ふ。
表現される事物事柄の敬語的規整において、先づ、次の二つの場合を識別して置かなければならない。
(一)話題とされる事物事柄に關與する人物と、話手との關係を表現する敬語
(二)話題とされる事物事柄と、それに關與する人物相互の關係を表現する敬語
(一)に屬るものは、例へば、
前の世にも御契や深かりけむ、世になく清らなる、玉のをのこ御子さへ生まれ給〔二字傍線〕ひぬ(源氏、桐壺)
右の例文中の「給ふ」といふ語は、作者紫式部の話題とする事柄、即ち、源氏の君の誕生の敍述に加へられた敬語で、この事柄に關與する人物、即ち源氏の君と作者との關係の顧慮に基づく事柄の表現である。もし、この話題の人物が、名もなき一庶民に屬する場合で(68)あつたならば、恐らく、「生まれ給ふ」といふ表現は用ゐられなかつたであらう。そして、この「給ふ」といふ敬語は、話題の事柄にのみ關するもので、作者に對する聞手即ち讀者には、全く無關係のものである。勿論、右のやうな場合、敬語を用ゐるか否かの判定は、話手の主觀的な認定に委ねられてゐるので、話題の事柄に關與する人物の、客觀的な身分、地位にのみよるものではないのである。以上の種類に屬する敬語には、次のやうなものがある。
「給ふ」(一)
大納言殿(中宮の御兄藤原伊周)櫻の直衣の少しなよらかなるに、こき紫の固紋の指貫、白き御衣ども、うへにはこき綾のいとあざやかなるを出だしてまゐりたまへ〔三字傍線〕るに、うへのこなたにおはしませば、戸口の前なるほそき板敷にゐたまひ〔三字傍線〕て、ものなど申したまふ〔三字傍線〕(枕草子、清凉殿の丑寅の隅の)
話題の中の人物は、大納言殿であつて、それと作者清少約言との關係から、規整された敬語である。從つて、「給ふ」が附いた動詞は、その動作に關與する人物をも含めて表現したことになるので、主語が省略されても、自らそれを暗示することが出來る譯である。
「す」(下二段活。四段、ナ變、ラ變動詞の未然形に接續する)
「さす」(下二段活。四段、ナ變、ラ變以外の動詞の未然形に接續する)
(69)共に他動の意味を表はす接尾語であつて、(二)同時に敬語に用ゐられる。敬語に用ゐられる時は、「給ふ」と結合して、「――せ給ふ」「――させ姶ふ」といふやうに用ゐられる。この場合、「せ」「させ」は、それぞれ、「す」「さす」の連用形である。
その年の夏、みやすんどころ、はかなき心地に煩ひて、まかんでなむとし給ふを、暇さらに許させ給は〔三字傍線〕ず(源氏、桐壺)
御局は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせ給ひ〔四字傍線〕つゝ、ひまなき御前渡りに、人の御心をつくし給ふも、げにことわりと見えたり(同、桐壺)
「す」(四段活。主として四段動詞の未然形に接續する)
わがせこは、かりほ作らす〔傍線〕かや無くば、小松が下の草を苅らさ〔傍線〕ね(萬葉集、一一)
玉きはる内の大野に馬なめて、朝踏ます〔傍線〕らむその草深野(同、四)
右の「す」は、敬意を表はす接尾語として用ゐられてゐるのであるが、これも同時に、他動を表はす接尾語に用ゐられることは、前項の「す」「さす」と同樣である。(三)例へば、
若ければ、道行き知らじ、まひはせむ、したべの使ひ負ひて通らせ〔傍線〕(三)(萬葉集、九〇五)
から衣君にうち着せみまくほり戀ひぞくらし〔傍線〕(三)し雨の降る日を(同、二六八二)
敬語の意味を表はす「す」が結合して、一語の敬語動詞となつたものに、「しろす」(或は「しらす」)「おもほす」(或は「おぼす」)「きこす」「召す」「あそばす」等がある。 (70) 「います」(四段活)
「ます」(四段活。動詞の連用形に接續する)
「あり」「をり」の意味を有する敬語動詞であるが、「ます」は、動詞連用形に接續して、接尾語として用ゐられる場合がある。その時は、前項の「――す」「――給ふ」と同じやうな敬語の意味に用ゐられる。
君は慈《めぐみ》をもちて天の下の政は行ひ給ふ物に伊麻〔二字傍線〕【世波奈毛】(宣命、第四四)
家離り伊麻須〔三字傍線〕わぎもをとどめかね山がくしつれこころどもなし(萬葉集、四七一)
大君は千歳に麻佐〔二字傍線〕武白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや(同、二四三)
右は、獨立動詞としての用法であるが、次に、接尾語としての「ます」の用例を例げる。
わが大君、過なく罪なくあらば、捨《ステ》【麻須〔二字傍線〕奈】、忘《ワスレ》【麻須〔二字傍線〕奈止】おほせ給ひ(宣名、第七)
久方の天の川瀬に舟浮けて、こよひか君がわがり來《キ》益〔傍線〕武《ム》(萬葉集、一五一九)
大王の遠のみかどとしらぬひ筑紫の國に、泣く子なすしたひ枳《キ》摩斯〔二字傍線〕提(同、七九四)
右は、それぞれ、「捨て給ふ」「忘れ給ふ」「來給ふ」の意である。
「おはす」(サ行變格)
「おはします」(サ行四段)
動詞「あり」「居り」「行く」の敬語である。「おはします」は、「おはす」に、前項の「ま(71)す」が附いたものである。
ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせ〔三字傍線〕むとすらむ、(源氏、若紫)
「もののあやめ見給へわくべき人も侍らぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまし〔五字傍線〕て」とかしこまり申す(同、夕顔)
女君はすこし過ぐし給へるほどに、いと若うおはすれ〔四字傍線〕ば、似げなく恥しとおぼいたり(同、桐壺)
「めす」(四段活。動詞連用形に接續する)
「め」は「見る」、「す」は、敬語の「す」で、獨立動詞としては、「見給ふ」の意である。(四)
はふ葛の絶えずしぬばむ大君のめし〔二字傍線〕し野べにはしめ結ふべしも(萬葉集、四五〇九)
高照らす日の御子あらたへの藤原が上にめし〔二字傍線〕給はむと(同、五〇)
右の「めす」は、「見給ふ」意味の獨立動詞としての用法であるが、
石麻呂にわれもの申す夏やせによしといふものぞむなぎとりめせ〔二字傍線〕(萬葉集、三八五三)
高みくら天の日つぎとあめの下しらしめし〔二字傍線〕けるすめろぎの(同、四〇九八)
右の「めす」は、「とり」「しらし」と結合して、「とり給ふ」「しらし給ふ」と同じ意味になる。「おもほしめす」(おぼしめす)「きこしめす」も同じである。
「る」(下二段活。四段、ナ變、ラ變動詞の未然形に接續する)
(72) 「らる」(下二段活。四段、ナ變、ラ變以外の動詞の未然形に接續する)
なぞ、かう暑きにこの格子はおろされ〔傍線〕たる(源氏、空蝉)
「式部がところにぞ氣色あることはあらむ。少しづゝ語り申せ」と責めらる〔二字傍線〕(同、帚木)
「る」「らる」は、一般に、受身、可能の意味を表はす接尾語であつて、中世以後に、盛んに敬語に用ゐられるやうになつたが、この期においては敬語としての用例は極めて少い。
(二)の話題とされる事物事柄と、それに關與する人物相互の關係を表現する敬語に屬するものは、次のやうなものである。
「きこゆ」(五)
よろづの事を泣く/\契り宣はすれど、御いらへもえ聞え〔二字傍線〕給はず(源氏、桐壺)
暗くなるほどに、「今宵、中神うちよりは塞がりて侍りけり」と聞ゆ〔二字傍線〕(同、帚木)
右の「きこゆ」は、現代語の「申し上げる」に相當する語であつて、「云ふ」の敬語として用ゐられたものである。「きこゆ」及び「申し上げる」は、「云ふ」人と、その言葉を受ける人との間に、上下尊卑の識別が考へられ、下の者から、上の者に向つて「云ふ」行爲を表現したものである。これを、次頁のやうな圖によつて表はすことが出來る。甲乙は、
(73)○乙
○甲〔○甲から○乙へ右上がりの斜線〕
話題になつてゐる事柄に關與する人物を示すのである。
「ただわが女御子たちと同じつらに思ひきこえ〔三字傍線〕む」と、いとねむごろに聞えさせ給ふ(源氏、桐壺)
これは人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえ〔三字傍線〕給はねば、うけばりてあかぬことなし。かれは人も許しきこえ〔三字傍線〕ざりしに、御意あやしくなりしぞかし(同、桐壺)
右の「きこゆ」は、「思ひ」「おとしめ」「許し」等の動詞連用形と結合して、接尾語として用ゐられたもので、ここでは、もはや、「申し上げる」といふ原義は失はれて、ただ、そのやうな動作が、下から上に向つてなされることを表現するために用ゐられてゐる。勿論、現代語の「申し上げる」といふ語も、「お助け申し上げる」「お乘せ申し上げる」といふやうに用ゐる場合には、「申し上げる」の原義は失はれて、ある事柄が、下から上に向つてなされることを意味するのに用ゐられるから、その點では、「きこゆ」は、「申し上げる」に相當してゐるとも云ふことが出來るのである。
「まつる」(四段治。動詞の連用形に接續する)
獨立動詞としては、奉仕する意味で用ゐられる。
すみのえのあがすめがみに幣まつり〔三字傍線〕(萬葉集、四四〇八)
(74) 月夜見の持てるをち水いとり來て君にまつら〔三字傍線〕ばをちえてしかも(同、三二四五)
接尾語としては、動詞によつて表はされる事柄が、上位の者に對する事柄であることを表はし、「きこゆ」の接尾語的用法に近い。
大殿をふりさけ見れば、白たへに飾りまつり〔三字傍線〕て(萬葉集、三三二四)
天雲の八重かき別きて神しいませまつり〔三字傍線〕し(同、一六七)
「たてまつる」(四段活。動詞の連用形に接續する)
獨立動詞として、また、接尾語としての用法は、「まつる」と同樣であるが、上代においては、「まつる」が多く用ゐられ、中古において、主として、「たてまつる」が用ゐられるやうになつた。
うへの御有樣など思ひいで聞ゆれば、疾くまゐり給はむことをそゝのかし聞ゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつら〔五字傍線〕むも、いと人聞き憂かるべし。また見たてまつら〔五字傍線〕で暫しもあらむは、いとうしろめたう思ひ聞え給ひて、すか/”\ともえ參らせたてまつり〔五字傍線〕給はぬなりけり(源氏、桐壺)
「たてまつる」は、一般に、奉仕する下位の者を主語とするのであるが、奉仕を受ける上位の者を主語とすることがある。
(源氏は)いとことさらめきて、御装束もやつれたる狩の御衣を奉り〔二字傍線〕、さまをかへ、(75)顔をもほの見せ給はず(源氏、夕顔)
(源氏の)御直衣など奉る〔二字傍線〕を見いだして、(末摘が)少しさし出でて、かたはら臥し給へる頭つき、髪のこぼれ出でたるほどいとめでたし(同、末摘花)
右の例は、「奉仕を受けて衣服を着用する」意に用ゐられてゐるのである。
「まゐる」(四段活)
下位の所から、上位の所へ行くことで、「まかる」(退出する意)に對する語であるが、更に廣くある事柄を、下位の者が、上位の者に對して奉仕することを表はす。
おとどまゐり〔三字傍線〕給ふべき召あれば、まゐり〔三字傍線〕給ふ(源氏、桐壺)
は、左大臣が、召によつて、主上の御前に出ることである。
晝の御ましのかたにおものまゐる〔三字傍線〕足音高し(枕草子、清凉殿の丑寅の隅の)
「おものまゐる」は、主上の御食事を奉仕することである。「まゐる」によつて表現される事柄は、「たまふ」(七九頁)の場合とは反對に、、圖のやうに、下から上へ向つてなされることであるが、「たまふ」の場合と同樣に、この事柄の主格は、甲とも、乙ともすることが出來る。甲を主語とすれば、「……して差上げる」ことを意味するが、乙を主語とすれば、「……の奉仕を受ける」ことを意味する。
○乙
○甲〔○甲から○乙へ右上がりの斜線〕
(76) (源氏)「出でずなりぬ」と聞え給へば、(紫上は)慰みて起き給へり。もろともに物などまゐる〔三字傍線〕(源氏、紅葉賀)
人々大みきなどまゐる〔三字傍線〕ほど、みこたちの御座の末に源氏つき給へり(同、桐壺)
今宵定めむと、おほとなぶら近くまゐり〔三字傍線〕て、夜ふくるまでなむ讀ませ姶ひける(枕草子、清凉殿の丑寅の隅の)
右の例文においては、「まゐる」の主語は、奉仕する者ではなくして、奉仕を受ける者である。
「たまふる」(六)(ハ行下二段。動詞の連用形に接續する)
「たまふ」が、話題の人物に對する敬語であるのに對して、「たまふる」は、話題の人物相互間の關係を、下位の者を主語として表現する場合に用ゐられる。それを圖示すれば次のやうになる。主として、「見る」「思ふ」「聞く」「覺ゆ」等の動詞に附いて、そのやうな動作を、甲が、「させていただく」意味を表現するのである。
「悟しげなき身なれど、捨て難く思ひたまへ〔三字傍線〕つることは、ただかく御前に侍ひ御覽ぜらるゝことの變り侍りなむことを口惜しう思ひたまへ〔三字傍線〕たゆたひしかど、忌むことのしるしによみがぺりてなむ。かく渡りおはしますを見たまへ〔三字傍線〕侍りぬれば、今なむ、阿彌陀佛の御光も心清く待たれ侍るべき」(源氏、夕顔)
(77)○乙
○甲〔○乙から甲へ左下がりの斜線〕
右は、大貳の乳母が、源氏の君に語る言葉で、源氏は、乙であり、乳母は甲の立場にある。
(頭中將)「女のこれはしもと、難つくまじきは難くもあるかなと、やう/\なむ見たまへ〔三字傍線〕知る。ただうはべばかりの情に、手はしり書き、折節のいらへ心得てうちしなどばかりは、隨分によろしきも多かりと見たまふれ〔四字傍線〕ど、そも誠にその方を取り出でむえらびに、かならず漏るまじきはいと難しや」(源氏、帚木)
「まうす」(まをす)
獨立動詞としては、「云ふ」「告ぐ」の敬語、或は政事を執奏する義に用ゐられ、言上する話手と、それを受入れる聞手との間に、下より上への關係が表現される。(七)接尾語として、他の動詞の連用形に附いた場合は、原義の「云ふ」意味は次第に稀薄になつて、ただ上下の方向だけが表現されることは、「きこゆ」「たてまつる」の接尾語的用法と同樣であり、今日の「お返し申し上げる」の「申し上げる」も、同樣に、「云ふ」意味では用ゐられてゐない。
少納言(紫上の乳母)は、僧都に御祈のことなど聞ゆ。二方に御修法などせさせ給ふ。かつは(紫上の)かく思し歎く御心を靜め給ひてなぐさめ、またもとの如くに(源氏の)
(78) 歸り給ふべきさまになど、心苦しきままに祈り申し〔二字傍線〕給ふ(源氏、須磨)
源氏と紫上との別離の場面で、北山の僧都がひとつには紫上のために、また源氏の安泰に歸還されることを祈るのである。「祈り申す」は、「お祈り申し上げる」意で、ここでは、「申す」の原義は、きいてゐない。『校異源氏物語』によれば、河内本には、「祈り聞え給ふ」とあることが記されてゐる。
(生昌)「ひと夜の門のこと中納言(生昌の兄惟仲)に語り侍りしかば、いみじう感じ申さ〔二字傍線〕れて、『いかでさるべからむをりに心のどかに對面して申し〔二字傍線〕承らむ』となむ申さ〔二字傍線〕れつる」とて、また異《こと》ごともなし(枕草子、大進生昌が家に)
「感じ申す」の「申す」は、中納言が清少納言のことについて感心したと云ふ上下關係を表はすためのものである。その他の「申す」は、「云ふ」の敬語である。
(一) 「たまふ」は、元未、甲乙兩者の間に、物が授受される事柄を表現する語で、「與へる」「受ける」のやうな語と異なるところは、事柄の當事者である甲乙の間に、上下尊卑の關係が存在し、上位から下位に向つて行はれる授受を表はすことである。これを圖示すれば、次のやうになる。この場合、重要なことは、この事柄の主語を、甲乙いづれともすることが出來ることである。甲を主語とすれば、「甲が乙に下し與へる」意味となり、乙を主語とすれば、「乙が甲からいただく」意味を表はす。
(79) ○乙
○甲〔○甲から乙へ右下がりの→斜線〕
朕は、佛の御弟子として、菩薩の戒を受賜天任(宣命、第三八)
は、受け奉る」「受けさせていたゞく」意と考へられる。
み舟より仰せたぶ〔二字傍線〕なり。朝北のいで來ぬさきにつなではや引け(土佐日記)
の「たぶ」も同樣に、「賜はる」「いただく」意を表はす。
この「たまふ」が、接尾語として用ゐられるやうになると、行爲の主格と、話手との上下關係だけを表はす敬語となる。
讓り給ふ〔二字傍線〕
參り給ふ〔二字傍線〕
においては、「讓る」「參る」といふ動作の主格が、話手よりも、上位であり、尊者であることを表はすのである。ある場合には、下位者、卑者の側の行爲に附けて、「……をさせていただく」の意を表はすことがある。この場合は意味は後に述べる「たまはる」「たまふる」に通ずる。
陸奥の小田なる山に黄金ありとまうしたまへれ〔四字傍線〕、御心をあきらめたまひ〔三字傍線〕(萬葉集、四〇九四)
圖《ふみ》負へる龜一頭獻らくと奏賜【不止】〔三字傍線〕聞しめし(宣命、第六)
朕一人のみやよろこぼしき、たふとき御命《みこと》を受賜牟〔二字傍線〕(同、第二五)
右の諸例は、それぞれ「申し上げさせていただく」「受けさせていただく」の意と解することが出來る。
なほ、「給ふ」「給ふる」に關しては、釋義門に詳細な考説があり、右に大體を要約し、かつ私案をも加へた(『山口栞』中卷)。改行
(80)(二) 「す」(さす」が、他動の意味に用ゐられる場合は、例へば、
悔しかもかく知らませば、あをによしくぬちことごと見せ〔傍線〕ましものを(萬葉集、七九七)
いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ參らせ〔傍線〕て御覽ずるに(源氏、桐壺)
のやうに、自動的な意味の動詞に附けた場合は、他動詞になり、他動的な動詞に附いた場合は、使役になる。即ち、使役は、二重他動の意床の動詞をいふのである(接尾語の項參照)。
「す」「さす」は、元來、他動の意味を表はす接尾語であるが故に、形の上から云へば、敬語に用ゐられた場合と混同されることになる。例へば、
ある時には、大殿ごもりすぐして、やがてさぶらはせ給ひ〔三字傍線〕など、あながちにお前去らずもてなさせ給ひ〔三字傍線〕しほどに(源氏、桐壺)
更衣の曹司を、ほかに移させ給ひ〔三字傍線〕て、上局に賜はす(同、桐壺)
における傍線の「せ給ふ」は、本來、「さぶらはす」「もてなさす」「移さす」といふ他動或は使役の意味を表はす動詞に、「給ふ」が附いたものである。敬語と、他動使役との區別は、文脈上、本來の動詞(ここでは、「さぶらふ」「もてなす」「移す」)の主語が、誰であるかを檢討することによつて解決がつく。「さぶらふ」の主語は、更衣であり、「さぶらはす」の主語は、帝であるから、「きぶらはす」が全體で他動を表はすことになる。もし、「さぶらふ」の主語が帝であるならば、「さぶらはす」は、敬語となる。この關係は、受身と敬語との間にも存するので、「笑はる」において、「笑ふ」の主語と、「笑はる」の主語が同じであるならば、「笑はる」は敬語となり、主語が異なる場合は、受身となる。
他動を表はす接尾語が、敬語となることは、奈良時代に盛に用ゐられた「す」(四段)につい(81)ても同樣である。
(三) 「負ひて通らせ」は、『萬葉集全釋』、『同全註釋』に、敬語として解釋してゐる。契沖の『代匠記』には、「通らしめよ」と他動の意に解してゐる。「通る」の主語は、童兒であるから、契沖の解に從つて、他動と解した。
「くらし」は、自制の意の動詞「暮る」を他動に轉じたものである。
「消つ」に對する、「消す〔右○〕」、「借る」に對する「貸す〔右○〕」、「過ぐ」に對する「過ぐす〔右○〕」、「燃ゆ」に對する「燃やす〔右○〕」等の「す」(四段活用)は、こゝに云ふ他動の意味を表はす接尾語と見ることが出來る。下二段に活用する他動及び敬意を表はす「す」は、この四段活用の「す」から轉じたものであらうと云はれてゐる(金澤庄三郎『日本文法新論』、安藤正次『古代國語の研究』)。
(四) 獨立動詞としての本來の意味は、「見給ふ」であらうが、「見る」客體が強調されて來た場合、「呼ぶ」「招く」の意味が分化して來るのであらうと思ふ。接尾語として用ゐられた場合には、「見る」意味を失つて、「給ふ」と同義であるとしたのであるが、なほ、
みよしのの此の大宮にありがよひめし〔二字傍線〕給ふらし(萬葉集、四〇九八)
古をおもほすらしも、わごおほきみ吉野の宮をありがよひめす〔二字傍線〕(同、四〇九九)
の例があつて、「めす」が、「御覽ず」の意味を保持してゐるか否かは、にはかに決定出來ないが、今日の「讀んでみる」の「みる」程度の輕い意味ではなかつたかと考へられる。
(五) 獨立動詞としての「聞ゆ」は、本文に述べた以外の意味で用ゐられることがある。
明方も近うなりにけり。鳥の聲などは聞え〔二字傍線〕で、御嶽精進にやあらむ、ただ翁びたる聲にぬか(82)づくぞ聞ゆる〔三字傍線〕(源氏、夕顔)
右の「聞ゆ」は、現代語の「聞える」に相當し、音の知覺されることを意味する。この場合は、敬語ではない。「きく」に對する「きこゆ」は「おもふ」に對する「おぼゆ」、「斷つ」に對する「絶ゆ」に相當するもので、いはゆる自然可能、即ち、自然にさういふことが起ることを意味する。從つて、
先帝の四の宮の御かたちすぐれ給へる聞え〔二字傍線〕高くおはします(源氏、桐壺)
と、體言格に用ゐられた時は、「ある事が耳に入つて來ること」「評判」などの意味となる。知覺の意味の「きこゆ」と、物を云ふ意味の「きこゆ」との意味の分化は、國語の動詞の無主格性に關係するもののやうである(第三章文論第一項)。元來、「きこゆ」は、音の出る事實と、音を耳に知覺する事實とを、總合的に表現する語と考へられるから、知覺する側を主格とすれば、「耳に入って來る」意味となり、現象する側を主格とすれば、「音が出る」意味となる。この對應關係は、「見ゆ」にもあり、知覺を意味すると同時に、物が形を現す意味にもなる。「音が出る」意味の「きこゆ」が、「云ふ」の敬語として用ゐられるやうになるのは、その婉曲性に由來するものではないであらうか。「死ぬ」ことを、「かくれる」「なくなる」といひ、「食ふ」ことを、「いたゞく」「めしあがる」などといふのは、敬語の常である。
(六) 「たまふる」が、話題の人物相互間の關係を表現することにおいて、それは、獨立動詞の「たまふ」(四段活)の用法に關係がある。「たまふ」は、上位から下位へ事柄が及ぶことを表現するのであるが、その際、上位の者も、下位の者もこれを主語とすることが出來る。上位の者を主語とすれば、「與へ下す」意となり、下位の者を主語とすれば、「上よりいただく」意と(83)なる。「たまふる」は、右の下位の者を主語とした場合の用法に近い。恐らく古代においては、四段活の「たまふ」一語によって、この兩者を表現したものと思はれるので、祝詞、宣命等に屡々見られる「申したまふ」「受けたまふ」は、下位の者を主語としたもので、後にこれらの場合には、「たまふる」が用ゐられるやうになったと推定されるのである(義門『山口栞』中卷)。
うちより仰言ありて、(中宮)「さて雪は今日までありつや」と宣はせたれば、いとねたくくち惜しけれど、(清少)「『年のうち、朔日までだにあらじ』と、人々啓したまへ〔三字傍線〕し、昨日の夕暮まではべりしを、いとかしこしとなむ思ひたまふる〔四字傍線〕(下略)」と聞えさせつ(枕草子、職の御曹司におはします頃)
右の文中の、「啓したまへし」は、一本に「啓したまひし」とあるが、「たまふる」の連用形とすれば、「申し上げさせていたゞく」と解することが出來る。
(紀守)「いとかしこを仰言に侍るなり。姉なる人にのたまへ〔四字傍線〕侍らむ」(源氏、帚木)
右の文中の、「のたまへ侍らむ」は、湖月抄本その他には、「のたまひみむ」となってゐる(『校異源氏物語』卷一、七三頁)。「のたまふ」は、動作の主體を敬ふ語であつて、この場合には、自分自身を敬ふこととなつて適當でない。「のたまふる」とすれば、「姉なる人に云はせていただきませう」の意となる。
三月ばかりにある所にまかりたれば女車に誰そと問ひ侍りしかば内へ參ると云ひ侍りしに宣へ〔二字傍線〕し。もゝしきに行く人あらば云々(元輔集)
右の「のたまへし」も同樣に、「云はせていたゞいた」の意である。改行
(84)(七) 本居宣長は、「白《マヲシ》といふに、請問《コヒトヒ》給ふ意あり、古書どもに、請字を、まをすと訓む其意なり」(歴朝詔詞解、第六詔)と云つてゐる。「申し子」「申文」、「申し受く」などの場合には、そのやうな意味で用ゐられてゐるのであらう。鎌倉時代以後の用法に、「申し達す」「申し渡す」「申し傳へる」のやうに、上より下へ向つて「云ふ」場合に用ゐられるのは、もはや敬語的用法ではなく、「云ふ」の異名的用法として、價値的に選擇されたものであらう。今日、「參る」といふ語が、敬語的意味でなく、ただ單に、「行く」の上品な云ひ方として用ゐられてゐるのと同じであると考へてよいであらう。
(85)二 辭
(一) 助動詞
イ 指定の助動詞
に
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
に ○ に ○ ○ ○ ○
二 接續
(一) 上への接續
○體言及體言相當格の連體形に附く。
世のためしに〔二重傍線〕もなりぬべき(源氏、桐壺)
御志ひとつの淺からぬに〔二重傍線〕、よろづの罪ゆるさるゝなめりかし(同、夕顔)
(86) 日もいと長きに〔二重傍線〕、つれづれなれば(同、若紫)
○動詞の連用形に附く。
か〜る事のおこりに〔二重傍線〕こし、世も亂れ惡しかりけれと(源氏、桐壺)
(二) 下への接續
○指定の助動詞「あり」を附けて、全體で、一つの指定の助動詞となる。
八月十五夜なり(に〔二重傍線〕−あり)
物心細げなり(に〔二重傍線〕−あり)
風靜かなり(に〔二重傍線〕−あり)
○接續助詞「て」「して」を附けて、「にて」「にして」といふ。
風靜かに〔二重傍線〕て 風靜かに〔二重傍線〕して
三 用法
指定の助動詞の中で、「に」は、從來、格助詞或は接續助詞として扱はれて來たものであるが、(一)その中に、明かに、助詞と認められるものの外に、助動詞としての陳述性が認められるものがある。ただし、それは、連用形の用法しか持たない。それだけで完結させたり、或は他の助動詞を附ける場合には、指定の助動詞「あり」(別項)を附け、或は介して次のやうに云ふ。この場合、「に」と「あり」との結合した「なり」を、一個の助動詞(87)とみなすことも可能である。
靜かなり(靜かに〔二重傍線〕−あり)
いかなりけむ(いかに〔二重傍線〕−あり−けむ)
體言に「に」が附いたものは、零記號の陳述を伴ふ用言に相當する。それに、中止法の場合と、連用修飾語の場合とがある。
風靜かに〔二重傍線〕、水暖かなり
風涼しく■〔二重傍線〕、水清し
右は、中止法の場合で、「に」は、■に相當する。
風靜かに〔二重傍線〕吹く
風涼しく■〔二重傍線〕吹く
右は、連用修飾語の場合で、「に」は、形容詞連用形の零記號の陳述に粕當する。
尼に〔二重傍線〕そぎたる兒《ちご》の、目に髪のおはひたるを、かきはやらで、うちかたぶきて物など見るいとうつくし(枕草子、うつくしき物)
「尼にそぐ」とは、尼の樣に髪の末を切り揃へることで、ここは、動詞「そぐ」に對する連用修飾語の用法である。右のやうな、「體言−に〔二重傍線〕」の用法は、用言の連用形に相當ずる。用言は、一般に陳述を省略するので、右の指定の助動詞「に」は、用言の零記號の陳述に(88)相當するのである。
尼に〔二重傍線〕そぐ
美しく■〔二重傍線〕そぐ
一般に、連用修飾語即ち副詞的用法に立つ語が、時、所を表す場合には、「に」は、時、所を表はす助詞としての用法に轉ずる。
白雲に〔二重傍線〕、はねうちかはし飛ぶ雁の數さへ見ゆる秋の夜の月(古今集、秋上)
「白雲」は、實在の雲ではなく、大空のことである。(二)
久方の光のどけき春の日に〔二重傍線〕、靜心なく花の散るらむ(古今集、春下)
九品蓮臺の中に〔二重傍線〕は、下品といふとも(枕草子、御方々、君達)
床の上に〔二重傍線〕、夜深き空も見ゆ(源氏、須磨)
右の例は、時、所を表はす語に附いた場合で、助詞として解すべき用法であるが、しかし、また、指定の助動詞としても解し得るところで、これを以て見ても、「に」の助詞と助動詞の用法は、その兩端は判然としてゐても、その中間は連續的であることが分るのである。
「に」が、用言、助動詞の連體形に附いた場合は、連體形の下に體言が省略されてゐると考へれば、前諸例と同じ關係のものと認めることが出來る。
御志ひとつの淺からぬに〔二重傍線〕、よろづの罪許さるゝなめりかし(源氏、夕顔)
(89) 「御志ひとつの淺からぬ(こと)に」の意となる。「女を愛する御心が淺くないので」といふやうに、因果關係として解釋が出來るのは、「に」そのものに、そのやうな意味が寓せられてゐるのではなく、「に」が連用形であるところから、そのやうに解釋出來るのである(第三章文論四項(三)連用形の用法)。
御使の行きかふほどもなきに〔二重傍線〕、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを(源氏、桐壺)
右を、「御使が行つて歸つて來る時間も來ないのに」といふやうに、逆接關係で解釋されるのも、それが連用形であるためである。
火あかき方に屏風ひろげて、影ほのかなるに〔二重傍線〕やをら入れ奉る(源氏、空蝉)
うるさきものの、心苦しきに〔二重傍線〕かんの殿も思したり(同、竹河)
右の例は、連用修飾格の陳述を表はす場合である。
秋は夕暮。夕日花やかにさして、山ぎはいと近くなりたるに〔二重傍線〕、鳥のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど飛びゆくさへあはれなり(枕草子、春は曙)
雪降りこほりなどしたるに〔二重傍線〕、申文もてありく四位五位、若やかにこゝちよげなるは、いとたのもしげなり(同、除目のほどなど)
右の例は、連體形の下に、「時」「所」等の語が省略されたものと見れば、「に」は、殆ど助詞として用ゐられてゐると見ることが出來る。
(90) 以上のやうに、「に」を、指定の助動詞の連用形と認めることによつて、從來の文法上の取扱ひと相違する點は、
(一) 「なり」は、「に」と、別の指定の助動詞「あり」との結合したもので、全體で指定を表はす。
(二) 「政治家なり」「あはれなり」の「なり」を、一律に、「に」と「あり」との結合と認めて、これを指定の助動詞とする。從つて、形容動詞を認める必要がない。
(三) 「に」が、體言に附く場合と、用言、助動詞の連體形に附く場合とを、同じ原則によつて説明することが出來る。
(四) 「に」を、連用形とすることによつて、これを特に接續助詞とする必要が無くなる。接續は、一般に、連用形の持つ機能だからである。
(五) 「に」を、指定の助動詞とすることによつて、「に」の助詞的用法との間に、連關を見出すことが出來る。
(一) 「に」については、從來、次のやうな種々な取扱方が見られる。
(一) 「立派に」「靜かに」を、橋本博士は、「に」で終る副詞とし、「立派なり」「靜かなり」は、右の副詞の「に」を去つて、語尾「なり」を附けたものと説明された(『新文典別記』、形容動詞の活用の種類)。
(91)右の説明に從へば、「に」は、副詞の構成部分であつて、一品詞としては取扱はれてゐないことになる。
(二) 吉澤博士は、右の「立派に」「靜かに」の如き「に」を、形容動詞の中止法及び副詞法に用ゐられる活用形であるとされ(「所謂形容動詞について」『國語國文』第二ノ一)、橋本博士も、この説を認めて、形容動詞の連用形に、「なり」と「に」との二つの形があるとされた(「國語の形容動詞について」『橋本博士著作集』第二册。)國定の『中等文法』は、この説に從つた。
(三) 一方、」『中等文法』は、右の説を、擴張して、「に」を「なり」とろもに、斷定の助動詞「なり」の連用形としても認めた(『中等文法』文語、六五頁)。例へば、
實朝は頼朝の子に〔二重傍線〕して鎌倉右大臣といふ歌人なり
の「に」は、「なり」の連用形である。ただし、「靜かに」の「に」を、形容動詞の活用形とすることば、(二)の場合と變りはない。
(四) 山田孝雄博士は、「立派に」「靜かに」を、副詞「立派」「靜か」に、格助詞「に」が附いたものとされた(『日本文法學概論』三七四頁)。例へば、
この器は金製に〔二重傍線〕してかの器は銀製なり(『同上書』四二〇頁)
の「に」は、格助詞である。(三)の實例と比較してその相違を知ることが出來る。山田博士に從へば、一般に指定の助動詞と云はれる「なり」は、格助詞「に」と、存在詞「あり」との結合であると考へられてゐる。
(五) 用言、助動詞の連體形に附く「に」については、橋本博士は、これを第一種の助詞、即(92)ち格助詞の中に入れられた(『新文典別記』品詞概説(二))。山田博士は、接續助詞の一つとして扱はれた(『日本文法學概論』五三九頁)。
(二) あしひきの山の木|末《ぬれ》に〔二重傍線〕、白雲に〔二重傍線〕立ち棚引くと我に告げつる(萬葉集、三九五七)
大伴家持が、長逝の弟を傷む長歌の終りの句で、この場合の「白雲」は、火葬の煙を云つてゐる場合であるから、「白雲となつて棚引く」意である。「山の木末に」は、煙の棚引く場所を表はす語に附いた「に」であるから、助詞と見るべきである。
の
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
の ○ の ○ の ○ ○
二 接續
(一) 上への接續
○體言に附く。
帝王の〔二重傍線〕上なき位(源氏、桐壺)
下臈の〔二重傍線〕更衣たち(同、桐壺)
(93) ○形容詞の語幹に附く(形容詞の語幹は、體言と同等に扱ひ得る)。
とほの〔二重傍線〕みかど 心なの〔二重傍線〕こと
○助動詞「む」の連體形に附く(連體形は、體言と同等に扱ひ得る)。
絶えむの〔二重傍線〕心わがもはなくに(萬葉集、三〇七一)
(二) 下への接續
○連用形の「の」は、中止形及び連用修飾格としての用法以外には無い。從つて、「の」に、他の助動詞が附くことは無い。
三 用法
「の」も、「に」と同樣に、從來、專ら助詞として扱はれて來たものであるが、(一)その中に、明かに助詞と認められるものの外に、助動詞としての陳述性が認められるものがある。「の」も、「に」と同樣に、極めて限定された活用形しか持たない。
先づ、連用形としての用法について見れば、
鷄が鳴く東の國に、高山はさはにあれども、二神の貫き山の〔二重傍線〕、なみ立ち見がほし山と、神代より人の言ひつぎ、國見する筑波の山を(萬葉集、三八二)
右の例文中の問題のところは、次のやうに、分解し得るところである。
(94) 二神の貴き山の〔二重傍線〕 \
なみたちの見がほし山と / 人の言ひつぎ
即ち、「の」は、「二神の貴き山」が、述語「言ひつぐ」の連用修飾格であることを表はす點で、前項の「に」の連用形と同じである。なほ、次の例と對比して、その類似を知るべきである。
まして情あり、好ましき人に〔二重傍線〕知られたるなどは、愚かなりと思ふべくももてなさずかし(枕草子、はづかしきもの)
前の例が、「二神の尊い山だと〔二字二重傍線〕人が語り傳へ」と口譯することが出來るならば、この例も、「好ましい人だと〔二字二重傍線〕世に知られてゐる男は」と解することが出來るのである。前例中の「の」が、「に」に通ずるやうに、同時に、それは、「なみたちの見がほし山と」の「と」とも相通ずることが分るので、「の」「に」「と」が、極めて近い意味を持つてゐることは、次の例文によつて知ることが出來る。
山吹の〔二重傍線〕にほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ(萬葉集、二七八六)
玉ぼこの道來る人の泣く涙、ひさめに〔二重傍線〕降れば(同、二三〇)
あしひきの山べをさして、くらやみと〔二重傍線〕隱りましぬれ(同、四六〇)
以上は、連用形の用法の中、連用修飾的陳述に用ゐられた「の」の例であるが、次に、(95)連用中止法の場合については、
國の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の〔二重傍線〕、そなたにて見れば、亂れ憂ふる事やあらむ(源氏、桐壺)
やをら入り給ふとすれど、皆しづまれる夜の〔二重傍線〕、御衣のけはひ、やはらかなるしも、いとしるかりけり(同、空蝉)
亂りがはしき事の〔二重傍線〕、さすがに目ざめてかど/\しきぞかし(同、若菜上)
右の諸例は、皆、「の」で中止して、「上なき位にのぼるべき相おはします人なれど」「皆しづまれる夜なれば」「亂りがはしき事なれど」の意で、下に續いて行く形である。これを、次のやうな「に」の用法と比較することが出來る。
帝、かしこき御心に〔二重傍線〕、倭相をおほせて、思しよりにける筋なれば、今までこの君を、親王にもなさせ給はざりけるを(源氏、桐壺)
うちつけに〔二重傍線〕、深からぬ心のほどと見給ふらむ(同、帚木)
「に」が、時、所を表はす語に附いた場合、それが助詞としての用法に轉ずることは、既に述べたことであるが、「の」についても同樣なことが云へるのである。
かの一條の宮(柏木北方落葉宮)をも、このほどの〔二重傍線〕、御志深く訪ひ聞え給ふ(源氏、横笛)
夕霧が、柏木の死後、その北方を訪問することを云つたところであるが、「このほどの」は、(96)「御志」の修師語として懸るのではなく、「訪ひ聞え給ふ」の連用修飾語として用ゐられてゐる。この用法は、既に例示した、連用形中止法の次の用例と、極めて近いものであることは明かである。
やをら入り給ふとすれど、皆しづまれる夜の〔二重傍線〕、御衣のけはひ、やはらかなるしも、いとしるかりけり(源氏、空蝉)
右の用法が、一段進めば、次のやうな、時、所を表はす助詞的用法に轉ずると見ることが出來る。
うち/\のさるべき物語などのついでにも、『古への〔二重傍線〕、憂はしき事ありてなむ』など、うちかすめ申さるゝ折は侍らずなむ(源氏、若菜上)
右の「古への」は、一本には、ただ「いにしへ」とのみあつて、この「の」が、時を表はす格助詞として用ゐられたことが分るのである。以上のやうな「の」の用法が、許されるとするならば、
古《イニシヘ》之《ノ〔二重傍線〕》、益荒をのこの相きほひ、妻問ひしけむ葦の屋のうなひ處女の奧つ城を、わが立ち見れば(萬葉集、一八〇一)
古《イニシヘ》乃《ノ〔二重傍線〕》、しぬだをとこの妻問ひし、うなひ處女のおくつきどころ(同、一八〇二)
における「いにしへの」も同樣に、連體修飾語としてではなく、連用形の用法で、「の」(97)は時を表はす助詞的用法と見ることが出來る。
さほ山の〔二重傍線〕、はゝその色は薄けれど、秋は深くもなりにけるかな(古今集、秋下)
ありあけの〔二重傍線〕、(二)つれなく見えしわかれより曉ばかり憂きものはなし(同、戀三)
秋の夜の〔二重傍線〕、露をば露とおきながら、雁の涙や野邊をそむらむ(同、秋下)
なごの海の〔二重傍線〕、(三)霞の間より挑むれば、入る日を洗ふ沖つ白波(新古今集、春上)
春の夜の〔二重傍線〕、夢の浮橋と絶えして峯にわかるゝ横雲の空(同、春上)
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の〔二重傍線〕、(四)朧月夜にしくものぞなき(同、春上)
右の諸例は、連用形の「の」として解釋し得るものを擧げてみたのである。
次に、「の」の連體形の用法であるが、
世になく清らなる、玉の〔二重傍線〕男御子さへ生まれ給ひぬ(源氏、桐壺)
聞くごとに心動きてうち歎き、あはれの〔二重傍線〕鳥と言はぬ時なし(萬葉集、四〇八九)
右の例文中の「の」は、「玉」或は「あはれ」が、下の體言「男」或は「鳥」の連體修飾語になつてゐることを表はす。そして、この「の」が附いたものは、他の語との接續關係において、用言或は助動詞の連體形と同樣であるところから、これを指定の助動詞の連體形と認めるのである。
玉の〔二重傍線〕男御子
(98) 清らなる〔二字二重傍線〕男御子
美しき■〔二重傍線〕男御子
――
あはれの〔二重傍線〕鳥
あはれ〔二字二重傍線〕鳥
鳴く■〔二重傍線〕鳥
また、「の」が附いた語が、それだけで體言の資格を持つことも、他の連體形の場合と同じである。
これはあひなし。はじめの〔二重傍線〕をばおきて、今の〔二重傍線〕をばかき棄てよ(枕草子、職の御曹司におはします頃)
遊ばすよりなつかしさまさるは、いづこのの〔二重傍線〕か侍らむ(源氏、明石)
あはれなる古言ども、唐の〔二重傍線〕も、やまとの〔二重傍線〕も書きけがしつゝ、草にも、眞名にも、さま/”\珍らしきさまに書きまぜ給へり(同、葵)
の如き用法は、
春雨の降る〔二字傍線〕は涙か、櫻花散る〔二字傍線〕を惜しまぬ人しなければ(古今集、春下)
弱き〔二字傍線〕を助けて、強き〔二字傍線〕を挫く
(99)における連體形と對比して、次のやうに圖解することが出來る。
はじめ〔三字傍線・〔三字傍線〕體言〕の〔二重傍線〕(「はじめのもの」の意)
今〔傍線・〔傍線〕體言〕〕の〔二重傍線〕(「今のもの」の意)
降る〔二字傍線〕■〔二重傍線〕・〔三字傍線〕體言(「降ること」の意)
弱き〔二字傍線〕■〔二重傍線〕・〔三字傍線〕體言〕(「弱きもの」の意)
上に述べて來た、連體形の「の」に類似したものに、助詞「が」がある。
妹が〔二重傍線〕袖 梅が〔二重傍線〕枝 わが〔二重傍線〕心
しかしながら、「の」が、その接續機能において、指定の助動詞「なる」及び用言、助動詞の連體形と同じ資格を持つのに對して、「が」には、そのやうなことがない。「が」を助詞として、「の」を助動詞とする所以である。(五)
(一) 「の」については、從來次のやうな種々な取扱方が見られる。
(一) 「月の〔二重傍線〕光」「玉の〔二重傍線〕御子」「あはれの〔二重傍線〕こと」における「の」について、橋本博士は、『新文典』上級用には、第一種の助詞、即ち主として體言に附くものの中に入れられた。國定教科書『中等文法』は、これに從つた。同博士は、また、右の「の」が體言を修飾する關係から、これを準副體助詞だ呼ばれた(「國語法要説」『橋本博士著作集』第二册、七五頁)。山田孝雄博士は、右の如き「の」を、格助詞の中に入れられた(『日本文法學概論』四〇六頁)。
(二) 「初めの〔二重傍線〕をば」、「唐の〔二重傍線〕も、大和の〔二重傍線〕も」の如き「の」については、橋本博士は、前項の「の」とは別のものと見、體言と同じ資格あるものとして、これを準體助詞と呼ばれた(「國語(100)法要説」『橋本博士著作集』第二册七二頁)。山田博士は、格助詞としての用法の特例と見られた。
(三) 「月の〔二重傍線〕明かなる夜」の「の」については、橋本博士は、前項同樣、第一種の助詞の中に入れ、主語を表はす爲に用ゐたものとされた。山田博士は、格助詞としての一用法とされた(『日本文法學概論』四〇九頁)。本書では、右の如き「の」は、これを助詞の中に入れた。
(四) 本書の本項で、特に力説した助動詞としての「の」については、山田博士は、格助詞の用法中、「體言に附屬して、同じ趣の語を重ね示すに用ゐらる」ものとされた(『日本文法學概論』四一〇頁)。
(五) 本書においては、主格に附く「の」以外は、すべて、指定の助動詞の連體形として、これを説いた。しかしながら、「玉の〔二重傍線〕うてな」雨の〔二重傍線〕夜」の如き、純然たる修飾語に附いたものに對して、「峯の〔二重傍線〕紅葉」「几帳の〔二重傍線〕かたびら」の如き、所有關係を示すものを「所有格を表はす助詞と認むべきかとも考へられるが、今は、これを區別せず、一律に、指定の助動詞の連體形として説いた。山田博士も、この二つのものを、格助詞の用法の中に收め、その相違を、「上下二の體言の關係上より生じたるもの」とされた(『日本文法學概論』四〇八頁)。
(二) 「ありあけのつれなく見えし」を、宣長は、ありあけの月の素知らぬ樣子の意味に解し、それに引きかへ、我が身は、歸らねばならぬ殘惜しきを云つたものと解したのは(『古今集遠鏡』四)、「の」を、主語を表はすものとしたところから來てゐる。もし、そのやうに解すれば、この歌の編次にも合はず、「ありあけ」の語義用法にも合はない。ここは、あはぬ戀を連ねたところで、「つれなし」は、女について云つたものと見なければならない。そのやうに解するためには、「ありあけの」で切つて、女とあはずして別れた時を提示したものと見なければなら(101)ない。
(三) 「なごのうみの」について、宣長が、「初句の〔右○〕もじ、や〔右○〕とあるべき歌なり」と云つてゐるのは、この初句を、第二句に續けて解釋しないことを云つたものと見ることが出來る。
(四) 一般には、「春の夜の朧月夜」と續けて、解釋してゐる。今、「春の夜の」として切れば、春の夜において、他に種々の好ましいもののある中で、朧月が最も優つてゐるといふ意になり、上三句は、環境を提示したことになり、その構想において、次の歌とひとしくなる。
見渡せば、山もと霞む水無瀬川、夕べは秋となに思ひけむ(新古今集、春上)
(五) 山田博士は、「『わが』にて下なる體言を領有せるものあり」として、次のやうな例を擧げられた。
みてぐらはわが〔二重傍線〕にはあらず、あめにますとよをかひめのみやのみてぐら(拾、神樂『平安朝文法史』初版一一頁、昭和二七年版一一頁)
此歌ある人いはく大伴黒主が〔二重傍線〕なり(古、雜、上『同上書』初版三二五頁、二七年版三〇〇頁)
右のが〔二重傍線〕は、「の」の連體形體言格に相當するのであるが、このやうな用例は比較的少く、「の」のやうに、連用修飾法或は連用中止法の用法を持つことが無い。
と
一 活用形
(102)語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
と ○ と ○ ○ ○ ○
二 接續
(一) 上への接續
○體言に附く。
雪と〔二重傍線〕降りけむ(萬葉集、三九〇六)
親兄弟と〔二重傍線〕むつび聞え(源氏、玉鬘)
○いはゆる形容動詞の語幹に附く(形容詞詞の語幹は、體言と同等に扱ひ得る)。
堂々と〔二重傍線〕
泰然と〔二重傍線〕
○用言、助動詞の終止形に附く。
たらし姫神のみことの魚《な》釣らすと〔二重傍線〕みたたしせりし(萬葉集、八六九)
主人も肴求むと〔二重傍線〕こゆるぎのいそぎありくほど(源氏、帚木)
○上に來る詞を省略して次のやうに云ふことがある。
と〔二重傍線〕あれば
(103) (二) 下への接續
○指定の助動詞「あり」を附ける。
人と〔二重傍線〕あらず
その事と〔二重傍線〕あれば
○接續助詞「て」「して」を附ける。
とて、として
「と」も、從來、専ら格助詞或は接續助詞の一つとして説かれて來たものである。(一)「と」も、「に」と同様に、不完全な活用形を持つもので、他の助動詞が附いたり、或は完結させるためには、「あり」を介して、次のやうに云ふ。
人と〔二重傍線〕あり
人と〔二重傍線〕あるべし
「と」は、「に」と性質が似てゐて、相互に入れ替へることが出來る場合がある。
あはれに〔二重傍線〕覺ゆ
あはれと〔二重傍線〕覺ゆ
高天原に〔二重傍線〕千木高知り
現御神と〔二重傍線〕大八嶋國知らしめす
(104)「に」或は「の」(連用形)の附いたものが用言の連用形に相當するやうに、「と」の附いたものも、また、用言の連用形と同じ機能を持つ。その際、「と」は、用言の零記號の陳述に相當する。
あをによし奈良の都の佐保川に、い行き至りて我が寢たる衣の上ゆ朝月夜さやに見ゆれば、栲の穗に〔二重傍線〕夜の霹降り、磐床と〔二重傍線〕川の水凝り、寒き夜を息ふことなく通ひつゝ作れる家に(萬葉集、七九)
右は、奈良の新都營造に參加した工人の述懷であるが、右の長歌中の「に」及び「と」は、次のやうに對句をなし、兩者全く同じ機能のものであることが分る。
栲の穗〔三字傍線〕に〔二重傍線〕夜の霹降り
磐床〔二字傍線〕と〔二重傍線〕川の水凝り
これを、形容詞の連用形に置き代へて見るならば、次のやうに云ふことが出來る。
白く〔二字傍線〕■〔二重傍線〕夜の霜降り
堅く〔二字傍線〕■〔二重傍線〕川の水凝り
更に、「の」の用法を、これに對比するならば、
朝日照る佐太の岡邊に鳴く鳥〔三字傍線〕の〔二重傍線〕夜泣きかへらふ、この年頃を(萬葉集、一九二)
見れど飽かぬいましし君が、もみち葉〔四字傍線〕の〔二重傍線〕うつりいぬれば悲しくもあるか(同、四五九)
(105)の如く、「に」「と」「の」及び用言の零記號の陳述が、皆同一の性質のものであることが分るのである。
以上述べて來たことは、「と」の連用修飾的用法についてであるが、連用中止法の用法としては、
わがせこを大和へやると〔二重傍線〕、さ夜ふけてあかとき露にわが立ちぬれし(萬葉集、一〇五)
むささびは、木ぬれ求むと〔二重傍線〕、あしひきの山の獵夫《さつを》にあひにけるかも(同、二六七)
穗にも出でぬ山田をもると〔二重傍線〕、ふぢ衣稻葉の露にぬれぬ日はなし(古今集、秋下)
これは、次の「に」の用法に相當するものである。
夜はすがらに、いも寢ずに妹に戀ふるに〔二重傍線〕生けるすべなし(萬葉集、三二九七)
うち日さす宮路を行くに〔二重傍線〕、我が裳は破《や》れぬ、玉の緒の思ひ亂れて家にあらましを(同、一二八〇)
「に」は用言の連體形に附くのに對して、「と」は、終止形に附く(時代が降るに從つて、連體形に附くやうになる)。その場合、「に」が附く語が體言或は體言相當格であるやうに、「と」が附く語も、同樣に、體言或は體言相當格とみなされる。從つて、
親はらから〔五字傍線〕と〔二重傍線〕睦び聞え給ふ人々の御樣、かたちよりはじめ(源氏、玉鬘)
はかなき心地に煩ひて、まかでなむ〔五字傍線〕と〔二重傍線〕し給ふを、いとまさらに許させ給はず(同、桐壺)
(106)にをいて、「親はらからと」は「まかでなむと」と同じ機能において下の述語にかゝる。また、それが、用言の連用形の連用修飾的用法とも通ずることは既に述べた。
「限あらむ道にも、『後れ先立たじ』と〔二重傍線〕契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」と〔二重傍線〕宣はするを(源氏、桐壺)
右の例文中の二つの「と」は、ともに、引用句を受けるところの「と」であるが、元來引用句は、他者の言葉を寫したもので、それは次のやうな云ひ方と別ものではない。
(蓑蟲)、ちゝよ/\と〔二重傍線〕はかなげに鳴く(枕草子、蟲は)
木の葉、さら/\と〔二重傍線〕鳴る
右の「ちゝよ/\と」「さら/\と」の「と」を、體言「ちゝよ/\」「さら/\」に附いて、連用修飾的陳述を表はすものとするならば、引用句に附いて、「『……』と〔二重傍線〕」のやうに用ゐられた場合も、これに準じて理解することが出來るのである。
「と」について、二三の注意すべき點を、左に列擧しようと思ふ。
「と」の連用中止法については、既に述べたが、一般には次のやうな云ひかたが行はれてゐる。
「とて」の用法。(二)「と」に接續助詞「て」が附いたもので、「にて」に相當する。「とて」は、今日の語感では、「と云つて」の意味に解せられる語であるが、この語の成立か(107)ら云つても、必ずしもさうではなく、指定の助動詞に「て」の加つたものと理解されるのである。
烏のねどころへゆくと〔二重傍線〕て、三つ四つ二つなど飛びゆくさへあはれなり(枕草子、春は曙)
「と」が受けるものを、體言相當格と見れば、「烏のねどころへ行くことにて」或は「行くので」と同じものと見ることが出來る。次の例も同じである。
修法など、また/\始むべきことなど、掟て宣はせて、出で給ふと〔二重傍線〕て〔二重傍線〕、惟光に紙燭召して(源氏、夕顔)
大臣、人かう謗ると〔二重傍線〕て〔二重傍線〕返し送らむも、いと輕々しく物狂ほしきやうなり(同、常夏)
「として」の用法。「と」に、サ變動詞「す」の連用形が附き、更に接續助詞「て」が附いたものであるが、この場合の「す」は「爲」の意味を表はす詞としてではなく、指定の助動詞「あり」に相當する意味において用ゐられたものである。從つて、「として」は、指定の助動詞の累加したものと見るべきで、「とて」或は「にて」「にして」は、相通ずるものと見ることが出來る。
母屋の凡帳のかたびら引き上げて、いとやをら入り給ふと〔二重傍線〕すれど、皆しづまれる夜の御衣のけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり(源氏、空蝉)
右は、「として」の已然形の場合であるが、ここでは、「す」が「爲」の意味で用ゐられて(108)ゐる。次の例、
髪は扇をひろげたるやうにゆら/\として〔三字二重傍線〕、顔はいと赤くすりなして立てり(源氏、若紫)
先祖《とほつおや》の大臣【止之天〔三字二重傍線〕】仕奉りし位、名を繼がむと思ひてある人なりと(宣命、第二八)
においては、その意味は、「ゆらゆらと」「達つ親の大臣と」と同じことになる。
「とあり」「となし」の用法。この場合の「あり」「なし」は、助動詞であつて、指定及び打消を表はす。從つて、「とあり」は、「にあり」(なり)に、「となし」は、「とあらず」「にあらず」(ならず)に相當する。
しかと〔二重傍線〕あら〔二字二重傍線〕ぬ鬚かき撫でて(萬葉集、八九二)
八百よろづ神もあはれと思ふらむ、をかせる罪のそれと〔二重傍線〕なけれ〔三字二重傍線〕ば(源氏、須磨)
ほととぎす、我と〔二重傍線〕はなし〔二字二重傍線〕に、卯の花の憂き世の中に鳴き渡るらむ(古今集、夏)
右の例文中の「それとなければ」は、「それにあらねば」の意。「犯した罪が大きくないから」の意となる。「我とはなし」は、「我にあらずして」の意である。
詞を伴はない「と」の用法。「と」は一般に、詞に附いて用ゐられるのであるが、上に來る詞を省略して次のやうに云ふことがある。
と〔二重傍線〕あればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき人の少なきを(源氏、(109)帚木)
戸放ちつる童も、そなたに入りて臥しぬれば、と〔二重傍線〕ばかりそら寢して(同、空蝉)
右のやうな場合は、上に來る詞に相當する語を想定して、「これこれであれば」といふ意味になるのである。
(一) 「と」については、從來、次のやうな種々な取扱方が見られる。
(一) 「悠々と」「判然と」を、橋本博士は、「と」で終る副詞とし、「悠々たり」「判然たり」は、右の副詞の「と」の代りに、「たり」を附けたものと説明された(『新文典別記』形容動詞の活用の種類)。右の説明に從へば、「と」は副詞の構成部分として見られたので、一品詞としては取扱はれてゐないことになる。
(二) 吉澤博士は、右の「悠々と」「判然と」の如き「と」を、形容動詞の中止法及び副詞法に用ゐられる活用形であるとされ(「所謂形容動詞について」『國語國文』第二ノ一)、橋本博士も、この説を認めて、形容動詞の連用形に、「たり」と「と」の二つの形があるとされた(「國語の形容動詞について」『橋本博士著作集』第二册)。國定の『中等文法』は、この説に從つた。
(三) 一方、『中等文法』は、右の説を、擴張して、「と」を、「たり」とともに、斷定の助動詞「たり」の連用形としても認めた(『中等文法』、文語、六六頁)。例へば、
人と〔二重傍線〕しての道を盡すべし
の「と」は、「たり」の連用形である。ただし、「悠然と」の「と」を、形容動詞の活用形とすることは、(二)の場合と變りはない。
(110) (四) 山田博士は、「と」の用法の大要を格助詞として説明された『『日本文法學概論』四二三頁)。その中には、
月と〔二重傍線〕花と〔二重傍線〕を賞す
父と〔二重傍線〕語る
雀海中に入りて蛤と〔二重傍線〕なる
雪と〔二重傍線〕あざむく
「死にし子顔よかりき」と〔二重傍線〕いふ樣もあり
しづしづと〔二重傍線〕歩む
(五) 「繪にかくと〔二重傍線〕(或はとも〔二字二重傍線〕)、筆も及ばじ」の如き「と」「とも」を、山田博士は、接續助詞の一つとして扱はれた(『日本文法學概論』五三五頁)。
(二) 「とて」の「て」を、接續助詞とするならば、「て」は、一般に、用言(嚴密に云へば、用言の陳述)に附くのであるから、「と」を、指定の助動詞とすれば、一貫した理論で説明出來るのであるが、「と」を格助詞とすれば、「て」に、極めて變則的な接續を認めなければならないことになる。「に」に「て」が附いて、「にて」で助詞として用ゐられる場合は、指定の助動詞「に」に、「て」が附いて、「にて」と熟合したものが、助詞として用ゐられるやうになつたので、格助詞「に」に、「て」が附いたものではないのである。
あり
(111)一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
あり あら あり あり ある あれ あれ
二 接續
(一) 上への接續
○形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞、打消の助動詞「ず」の連用形に附く。
美しかりき(美しく−あり〔二字二重傍線〕き)
行くべかりき(行くべく−あり〔二字二重傍線〕−き)
行かざりけり(行かず−あり〔二字二重傍線〕−けり)
○助動詞「に」「と」と結合して、「なり」「たり」となる。
○上に來る語を省略して、「あらず」「ありつる」などと云ふ。
○助詞「て」、動詞「來《き》」と結合して、助動詞「たり」「けり」を作る。
(二) 下への接續
○廣く種々な助詞、助動詞が附く。
三 用法
(112) 從來、専ら動詞として、或は存在詞(山田孝雄『日本文法學概論』)としてのみ説かれて來たものであるが、(一)それらの「あり」の中で、陳述を表はすものを、助動詞として分立させたものである。
先づ、次の例、
昔、男あり〔二字傍線〕けり
の「あり」は、存在を表はす詞であるから、ここでは問題でない。
山高からず
右は、外形上は、「あり」を分離することの出來ない融合した形であるが、一方、「山高くはあらず」「山高くもあらず」と對比する時、「山高からず」は、「山高く‐あらず」の融合した形と認められる。「山高からず」の中に埋没したこの「あり」は、もはや、詞としての「あり」ではなく、陳述を表現するものと考へなくてはならない。更に、この「あり」は、「山高し」を打消に云ふ場合に、形容詞「高し」と、打消助動詞「ず」とを結合させるために、その中間に插入された、一種のつなぎ〔三字傍点〕の助動詞と見ることが出來るのである。これは、形容詞と助動詞との結合においてばかりでなく、助動詞と助動詞との結合においても云はれることである。
行かざるべし(行かず‐ある〔二字二重傍線〕‐べし〕
(113) 流るまじかりけり(流るまじく‐あり〔二字二重傍線〕‐けり)
「あり」は、また、指定の助動詞「に」「と」を、完結させ、或は他の助動詞に續けるために、そのつなぎ〔三字傍点〕或は媒介として用ゐられる。(二)
あはれなり(あはれに〔二重傍線〕‐あり〔二字二重傍線〕)
悠然たり(悠然と〔二重傍線〕‐あり〔二字二重傍線〕)
静かならむ(静かに‐あら〔二字二重傍線〕‐む〔二重傍線〕)
判然たるべし(判然と〔二重傍線〕‐ある〔二字二重傍線〕‐ぺし〔二字二重傍線〕)
「あり」を指定の助動詞とし、「に」「と」を指定の助動詞と立てることによつて、「に」と「あり」、「と」、と「あり」との結合した「なり」「たり」も、また、それぞれ一個の指定の助動詞と認めることが出來ることとなつた。ここにおいて、從來、形容動詞として説かれて來た「静かなり」「判然たり」は、それぞれ、體言「静か」「判然」に、指定の助動詞「なり」「たり」の附いたものとして説明されることになるのである(『口語篇』第二章三「いはゆる形容動詞の取扱ひ方」参照)。
助動詞「あり」、は、また、代名詞「さ」「かく」と結合して、接續詞「されば」「かかれば」を作る。また、「うたて」に附いて、「うたてあり」となる。右の「さ」「かく」「うたて」等の語は、體言に所屬する語であるが、一般に連用修飾語としてのみ用ゐられる語で(114)あるために、助動詞「あり」が直結するものと考へられる。
助動詞「あり」は、命令形を持つてゐるので、それが附く語に命令の意味を與へることが出來る。 さりとも、あこは、わが子にてをあれ〔二字二重傍線〕よ(源氏、帚木)
右の「わが子にてをあれよ」は、指定の助動詞「に」に、接續助詞「て」が附いたもので、「を」は感動助詞で強意を表はすのであるから、もしこの文を、普通の叙述で完結させるとすれば、
わが子にてあり 或は、 わが子にあり(わが子なり)
といふべきところであるが、助動詞「あり」の命令形によつて、命令の意を表はしたものである(私の子であつてお呉れの意)。「あれ」の打消、即ち、禁止には、打消助動詞の「ず」に、「あれ」を附けた「ずあれ」「ざれ」がある。
善を以て衆生を化して 非法には順ふことなかれ。寧ろ身命をば捨つとも 非法の友には随はずあれ〔三字二重傍線〕(「金光明最勝王經」春日政治博士の訓讀に從ふ)
右例文中で、「ずあれ」の對句になつてゐる「なかれ」は、「順ふことなし」と用ゐられた形容詞の「なし」の連用形に、助動詞の「あり」の命令形が附いたもので、「存在せざれ」の意味で、全體が禁止の云ひ廻しになるので、「なかれ」自身は、禁止の助動詞とは云ふ(115)ことが出來ないものである。
助動詞「あり」が附いて出來た助動詞に、「なり」「たり」「けり」「り」等がある。「あり」は、元來、動詞「あり」から轉成した助動詞であるために、過渡的には、「……シテヰル」といふ動詞的意味で用ゐられる場合があることは、それぞれの助動詞の項で述べることとする。
助動詞「あり」は、常に詞に附いて陳述を表はすのが例であるが、屡々、上に來る詞を省略して、次のやうに云ふことがある。
あり〔二字二重傍線〕つる小袿を、さすがに御衣の下忙引き入れて、大殿ごもれり(源氏、空蝉)
右の「あり」は、存在の意味ではなく、詞である動詞形容詞が、上に省略されたものと見なければならない。即ち、この記述の前に、空蝉が脱ぎ捨てゝ行つた薄衣を取つて、源氏が立出でたことが書かれてゐるので、それを繰返すことを省略して、ただ陳述だけで、それを理解させようとする云ひ方である。現代語で、「これこれだつた」と云ふところである。現代語において、陳述だけで、前を受ける云ひ方は、
雨が降つてゐる
だ〔二重傍線〕つたら、傘を持つておいで
の「だ」がそれである。委しくは、「雨が降つてゐるなら」「それだつたら」と云ふべきと(116)ころである。
御疊紙に、いたうあら〔二字二重傍線〕ぬさまに書きかへ給ひて、
「よりてこそそれかとも見めたそがれに、ほの/”\、見つる夕がほの花」
あり〔二字二重傍線〕つる御随身してつかはす(源氏、夕顔)
同じ人ながらも、心ざしうせぬるは、まことにあら〔二字二重傍線〕ぬ人とぞおぼゆるかし(枕草子、たとしへなきもの)
以上のやうな「あり」が、打消の「ず」「じ」と結合して、單獨に用ゐられると、助動詞から、感動詞に轉じて、「然らず」「いゝえ」の意味になる。
怪しうかればみたるものの聲にて、「さぶらはむはいかが」とあまたたび云ふ聲に、おどろきて見れば、几帳のうしろに立てたる燈臺の光もあらはなり(中略)。「あれは誰ぞ。けそうに」と云へば、「あらず〔三字二重傍線〕。あるじ、局あるじと定め申すべきことのはべるなり」と云へば(枕草子、大進生昌が家に)
右は、清少納言の局の女房たちが、「あれは誰か、あらはなことよ」と咎めたのに對する生昌の否定的な應答の言葉で、「いやいや」「然らず」の意味である。
語らふべき戸口もさしてければ、うち嘆きて、なほ、あらじ〔三字二重傍線〕に、弘徽殿の細殿に立寄り袷へれば、三の口あきたり(源氏、花宴)
源氏が、弘徽殿の細殿で、朧月夜に會ふ場面であるが、「あらじし」は、ここは、源氏の氣持ちを表はした引用句と見ることが出來る。局の戸口は皆閉つてゐる。こんな筈はないのだがと云ふ意味で、それを措定の助動詞「に」で受けてゐるので、「あらじ」は、體言相當格と見るべきである。
(一) 助動詞の「あり」は、從來、次のやうに取扱はれて來た。
(一) 「白くあら〔二字二重傍線〕ず」「苦しくあら〔二字二重傍線〕ず」のやうに、明かに「あり」の形が現れてゐるものについては、橋本博士は、これを、獨立した動詞が補助的に用ゐられたものとして、補助用言或は補助却詞と呼ばれた(「國譜の形容動詞について」『橋本博士著作集』第二冊、一〇〇頁)。
(二) 「白からず」「苦しからず」のやうに、「あり」が合併して分ち難くなつたものについては、これを形容詞の補助活用と呼ばれた (『同上書』九九頁)。助動詞「ず」に對する「ざり」、「べし」に對する「べかり」も同じ意味において、補助活用と呼ばれた。
(三) 「静かなり」「判然たり」の「なり「たり」については、橋本博士は、これを「あり」とは関係づけず、形容動詞の語尾であるとされた(『同上書』一一二頁)。
(四) 山田孝雄博士ほ、「あり」を存在詞として、その中に、二つのものを區別された。一は、存在を示すものであり、二は陳述の義のみを表はすものである。これが、本『文語篇』における詞としての「あり」、辭としての「あり」に相當するものであるけれども、山田文法においては、詞と辭との別を根本の分類基準とはされてゐないので、終始、これを一括して、存在詞として説かれた。従って、「あり」から派生した「はべり」「けり」「せり」「てり」「めり」「れ(118)り」「なり」「たり」等の語も、形容存在詞、説明存在詞と區別されてはゐるが、根本において、存在詞の範圍を出ないこととなつた(『日本文法學概論』二七〇頁以下)。
(二) 助動詞「あり」が、用言と助動詞、助動詞と助動詞の接續に用ゐられる媒介としての性質を持つものであることは、既に、橋本博士によつて、この語が附いた「美しかり」「行かざり」の如きを、形容詞或は打消助動詞の補助活用であると云はれ、また、「美しくもあり」「行かずはあるべからず」の如き「あり」を、補助用言であると云はれたことにも、うかがへるのであるが、それを、どこまでも動詞の用法と考へて、助動詞として定位しなかつたところに、不徹底なところがあつた。この「あり」を、動詞或は動詞的なものと考へるかぎり、文法的操作と解釋とを對應させることは出來ないのである。
接續の媒介として、「あり」を用ゐるといふことは、語によつても、また時代によつても一定してゐない。例へばへ打消と推量との接續には、「花咲かざらむ」(咲かず‐あら〔二字二重傍線〕‐む)のやうに「あり」を用ゐるが、完了と推量との接續には、「花咲きつべし」のやうに、「つ」「べし」は、直接に結びつく。また、打消と完了との接續は、「咲かざりけり」(咲かず‐あり〔二字二重傍線〕‐けり)のやうに「あり」を媒介とするのが普通であるが、「咲かずけり」といふやうに、直接に結びつく云ひ方が萬葉集仁見えてゐる。形容詞に、推量が附く場合には、「美しからむ」(美しく‐あら〔二字二重傍線〕‐む)のやうに、「あり」を媒介とするのであるが、古い語法としては、「安けむ」「遠けむ」のやうに、「け」といふ語尾に直結することがあつた。同様なことが、「べし」と「む」との接續にもあつて、「べからむ」(べく‐あら〔二字二重傍線〕‐む)と云ふところを、「べけむ」とも云つた。
(119)なり
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已飴形 命令形
なり なら なり なり なる なれ なれ
二 接續
○體言及び體言相當格の用言、助動詞の連體形に附く。(形容動詞の語幹は、體言と同等に取扱ひ得る)。
○いはゆる形容動詞の語幹に附く
静かなり〔二字二重傍線〕
艶なり〔二字二重傍線〕
三 用法
「なり」は、「たり」とともに、從來、指定の助動詞とされて來たものの一つである。成立は、指定の助動詞「に」に、同じく指定の助動詞「あり」の結合したものであるが、「なり」と「にあり」とは、共時的に存在する一つの指定の助動詞の、異なつた現れ方と見なければならない。
(120) 天の下の君とまして、年の緒長く皇后いまさざることも、一つの善からぬ行《ワザ》爾〔二重傍線〕在《アリ》〔二字二重傍線〕(宣命、第七)
乾政官の大臣には、敢へて仕へ奉るべき人無時は、空しく置きてある官爾〔二重傍線〕阿利〔二字二重傍線〕(同、第二六)
いかに〔二重傍線〕ある〔二字二重傍線〕布勢の浦ぞも、ここだくに君が見せむと我をとゞむる(萬葉集、四〇三六)
右の例は、すべて、「行なり」「いかなる」「官なり」と同じものと見るべきである。
「にあり」の「に」は、體言或は用言の連體形に附くのであるから、「なり」も當然、體言か、用言の連體形に附く。その點、推量の「なり」と相違する。
「なり」は、「に」と「あり」との結合で、その「あり」は、動詞「あり」(「有」「在」の意味)から轉成したものであるために、「なり」が、「に在り」の意味か、助動詞として指定、判斷を表はしたものであるか、決定し難いやうな場合がある。
五條わたりなる〔二字二重傍線〕家たづねておはしたり(源氏、夕顔)
この西なる〔二字二重傍線〕家には、なに人の住むぞ(同、夕顔)
その家なり〔二字二重傍線〕ける下人の病ひしけるが、俄にえ生きあへでなくなりにけるを(同、夕顔)
右の諸例は、「に在り」の意味に解せられるが、
人して惟光召させて、待たせ給ひけるほど、むつかしげなる〔二字二重傍線〕大路の樣を見渡し給へる(121)に(同、夕顔)
やをら、起き出でて、生絹《すゞし》なる〔二字二重傍線〕ひとへ一つを着て、すべり出でにけり(同、空蝉)
においては、「に在り」では解せられないもので、指定の助動詞としてしか解することが出來ない。また、
近き御厨子なる〔二字二重傍線〕、色々の紙なる〔二字二重傍線〕文どもを引き出でて(源氏、帚木)
においては、上の「なる」は、「に在る」でも解せられるが、下の「なる」は指定の助動詞である。そして、後の「なる」は、修飾的陳述を表はす「の」と殆ど同じ意味で用ゐられたものと推定されるのである。
吉野|爾有《ナル》〔二字二重傍線〕夏實の河の川淀に、鴨ぞ鳴くなる山かげにして(萬葉集、三七五)
駿河|有《ナル》〔二字二重傍線〕富士の高嶺を、天の原ふりさけ見れば(同、三一七)
右の附訓の「なる」は、その用字法から見れば、「に在る」の意味に用ゐられたものと考へられるが、
うつそみの人|爾有《ナル》〔二字二重傍線〕我や、明日よりは二上山をいろせと我が見む(萬葉集、一六五)
さきはひの何有《イカナル》〔二字二重傍線〕人か黒髪の白くなるまで妹が聲を聞く(同、一四一一)
右の例に從へば、必ずしも、「に在る」の意味で用ゐられたとも斷定し難いやうである。
人を思ふ心は、我に〔二重傍線〕あら〔二字二重傍線〕ねばや、身のまどふだに知られざるらむ(古今集、戀二)
(122)右の「にあり」を、「なり」と同じものと見るか、或は「に在り」と見るかによつて解釋が分れて來る。宣長は、「我が心にあらず」の意味に解してゐるが(契沖『古今餘材抄』も同じ)、金子元臣は、『評釋』において、「我に在らず」の意味に解した。しかしながら、
かいさぐり給ふに、息もせず。引き動かし給へど、なよ/\として我に〔二重傍線〕もあら〔二字二重傍線〕ぬ樣なれば(源氏、夕顔)
正身は、ただわれに〔二重傍線〕もあら〔二字二重傍線〕ず、恥かしくつゝましきより外の事またなければ(同、末摘花)
の用例に從へば、氣の?倒して、自意識を失つた状態、即ち「我でない」の意味に解さなければならない。宣長が、「我が心にあらず」の意味にとつたのは、上の「心」の語に引かれたためであらう。
なり
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
たら たり たり たる たれ たれ
(123)二 接續
○體言に附く。
三 用法
「たり」は、指定の助動詞「と」と「あり」との結合したもので、「と」が體言に附くと同樣に「たり」も體言に附く。接續助詞「て」と「あり」との結合した「たり」(完了の助掛詞)は、動詞の連用形に附いて、これとは別である。
「たり」は、「と」と「あり」との結合であるから、「たり」は、常に、「とあり」と平行して考へる必要がある。
是に由りて、其の母止在須〔三字傍線〕藤原夫人を皇后と定め給ふ(宣命、第七)
「母と在す」は、「母といます」と訓むべきところで、「います」は、詞としての敬語で、「其の母でいらつしやる」の意味である。この用法は、
君は慈をもちて天下の政は行ひ給ふ物爾伊麻世〔四字傍線〕波なも(宣命、第四四)
右の「にいませば」に相當するもので、「に」は「と」と同樣に、指定の助動詞である。
なか/\に人と〔二重傍線〕あら〔二字二重傍線〕ずは、酒つぼに成りてしがも酒に染みなむ(萬葉集、三四三)
世の中は空しきものと〔二重傍線〕あら〔二字二重傍線〕むとぞ、この照る月は滿ち闕けしける(同、四四二)
においては、「と」も「あり」も指定の助動詞で、「人とあらず」は「人にあらず」「人でな(124)く」の意となる。ここに漢文訓讀に屡々見られる「たり」の出で來る根據が考へられる。
曲終王子啓聖人、臣父願|爲《タラ〔二字二重傍線〕ム》唐外臣(神田喜一郎藏「白氏文集」卷三)
野草芳菲(タリ〔二字二重傍線〕)紅錦地 遊絲繚亂(タリ〔二字二重傍線〕)碧羅天(山田孝雄校「倭漢朗詠集」春興)
また、漢文訓讀調の系統に屬するものに
其間山館ニ臥テ露ヨリ出テ、曉ノ望蕭々タリ〔二字二重傍線〕、水澤ニ宿シテ風ヨリ立ツ、夕ノ懷悠々タリ〔二字二重傍線〕(玉井幸助校「海道記」)
ただし、一方、「とあり」といふ形も、これに平行して行はれたと見られるのである。
我レ昔シ前ノ世ニ此里ノ中ニ有テ女ノ身ヲ受テ人ノ妻ト〔二重傍線〕有リ〔二字二重傍線〕キ(今昔物語)
汝ヂ偏ニ法華經ヲ特テ濁世ニ法ヲ護ル人ト〔二重傍線〕有リ〔二字二重傍線〕(同)
今ハ昔、在原業平中將トイフ人アリケリ。(中略)モトヨリ得意ト〔二重傍線〕アリ〔二字二重傍線〕ケル人一兩人ヲ伴ヒテ、道知レル人モナクテ惑ヒ行キケリ(同)
聖人此ニ住給ハヲノレハ守リ奉ル身ト〔二重傍線〕アル〔二字二重傍線〕ベシト(古典保存會本「打聞集」)
す 附いふ の助動詞的用法
「す」(爲)は、元來、サ行變格活用の動詞で、行爲の概念を表はす動詞であるが、ある場合に、指定の助動詞と同じやうに用ゐられることがある。
(125) 先づ、動詞としての用法を見る。
輕んず〔傍線〕 なみす〔傍線〕 勉強す〔傍線〕 讀書す〔傍線〕
等の「す」は、動詞「爲《す》」の本來の意味で用ゐられたものであるが、
心地す〔傍線〕 音す〔傍線〕 涙す〔傍線〕 共通す〔傍線〕 貧乏す〔傍線〕
は、動作或は作用を表はすよりも、物の現象或は状態を云ふに近くなる。このやうな用法が、一歩轉ずれば、
先祖乃大臣止之〔二重傍線〕天仕奉之(宣命、第二八)
いかにする〔二字二重傍線〕ことならむとふるはれ給へど(源氏、若紫)
吉野なる夏實の川の川淀に、鴨ぞ鳴くなる山陰にし〔二重傍線〕て(萬葉集、三七五)
我レ當に是の經の甚深にし〔二重傍線〕て佛の行處ともあると、諸佛の秘密の教ともし〔二重傍線〕て、千萬劫にも逢フこと難キこととを説かむ(『金光明最勝王經古點の國語學的研究』乾、五頁)
櫻散る花のところは春ながら、雪ぞふりつゝ消えがてにする〔二字二重傍線〕(古今集、春下)
右の諸例における「す」は、指定助動詞「あり」と全く同じ意味に用ゐられたものと見ることが出來る。このやうにして、
高うし〔二重傍線〕て
かくし〔二重傍線〕て
(126) なんすれ〔二字二重傍線〕ぞ
の如き「す」の意味が正しく理解されるのである。
「す」の連用形に、接續動詞「て」の附いた「して」は、體言に附いて、ある場合には、殆ど助詞のやうに用ゐられるが、これも、動詞本來の意味における用法から、助動詞的用法、更に助詞的用法へと移行するものと見ることが出來る。
おなじ局に住む若き人々などして〔二字二重傍線〕、よろづの事も知らず、ねぶたければ、皆寢ぬ(枕草子、大進生昌が家に)
犬はかり出でて、瀧口などして〔二字二重傍線〕追ひつかはしつ(同、うへにさぶらふ御猫は)
は、動詞の代用として用ゐられたと見られるのであるが、
蠅こそにくき物のうちに入れつべけれ。(中略)よろづの物にゐ、顔などに濡れたる足して〔二字二重傍線〕ゐたるなどよ(同、蟲は)
かゝる者なむ語らひつけて置きためる。かうして〔二字二重傍線〕常に來ること(同、職の御曹司におはします頃)
は、殆ど陳述にひとしい。
二三人ばかり召出でて、碁石して〔二字二重傍線〕數を置かせ給はむとて(枕草子、清凉殿の丑寅の隅の)
人のもとに來て、ゐむとするところを、先づ扇して〔二字二重傍線〕、塵拂ひすてゝ(同、にくきもの)
(127)は、現代語の「で」の意味に近く、助詞としての用法である。このやうな助動詞と助詞との關係は、「に」の項にも述べたことである。
「いふ」の意味は、いふまでもなく、發言することであるが、この語も、時に、指定の助動詞と同じやうに用ゐられることがある。
秋の夜を長しといへ〔二字二重傍線〕ど、つもりにし戀をつくせば短くありけり(萬葉集、二三〇三)
右の「いふ」は、人の實際に語つたことを述べたのであるが、
秋の夜も名のみなりけり、あふといへ〔二字二重傍線〕ば、事ぞともなく明けぬるものを(古今集、戀三)
においては、もはや、「云ふ」意味ではなく、「あふとなれば」「あへば」の意味で、指定の助動詞として用ゐられたものである。
磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといは〔二字二重傍線〕なくに(萬葉集、一六六)
「ありといはなくに」は、「あらなくに」の意味である。
いでや、さいふ〔二字二重傍線〕とも、田舎びたらむ(源氏、若紫)
「さいふとも」は、「さりとも」の意味である。漢文の「雖」字に、「ども」或は、「いへども」の訓が與へられるのは、國語において、「いへども」が、既に指定助動詞の意味に用ゐられてゐたことを示すのである。春日政治博士は、この「いふ」について、「別に實質的の意味があるのではなく、この語で受ける上の語句を、そこで切斷して、一つのまと(128)まつた命題の形とする形式的作用をもつてゐるのである」と説明された(『金光明最勝王經古點の國語學的研究』坤、二七一頁)。
ロ 打消の助動詞
ず
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
ず ず ず ず ○ ○ ○
(な) (に) ○ ぬ ね ○
起源的には、「ず」の系列、「な」の系列といふやうに、各別個のものが合體して、「ず」「ず」「ず」「ぬ」「ね」といふ打消助動詞の系列を作るやうになつた。「な」系列の未然形「な」、連用形「に」は、奈良時代以後用ゐられなくなつたが、連體形、已然形において、「ぬ」に對して、「ざる」、「ね」に對して「ざれ」が用ゐられることがある。
二 接續
(一) 上への接續
(129) ○「ず」系、「な」系、ともに動詞、助動詞の未然形に附く。
思はず〔二重傍線〕
過ぎにけらず〔二重傍線〕や
せむすべ知らに〔二重傍線〕
○「ず」系列は、形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞及び指定の助動詞「に」「と」には、助動詞「あり」を介して附く。
美しからず〔二重傍線〕(美しく−あら−ず)
走るべからず〔二重傍線〕(走るべく−あら−ず)
靜かならず〔二重傍線〕(靜かに−あら−ず)
人たらず〔二重傍線〕(人と−あら−ず)
○助動詞「あり」と「ず」との結合した「あらず」が、詞を伴はず、單獨に用ゐられて、應答の意味を表はす。
(二)下への接續
○「ず」が他の助詞、助動詞のあるものに接續する場合には、助動詞「あり」を介して續く。
思はざら〔二字二重傍線〕む(思はず−あら−む)
(130) 思はざり〔二字二重傍線〕けり(思はず−あり−けり)
思はざる〔二字二重傍線〕か(思はず−ある−か)
ただし、奈良時代には、「ず」が、直に「けり」(「き」も同樣か)に續いて、次のやうに云ふ場合がある。
思はず〔二重傍線〕けり
心ゆもあは不念寸《おもはず〔二重傍線〕き》(萬葉集、六〇一)
○「ず」に助動詞「あり」の命令形を附けて、「ざれ」といふ命令形を作る。
思はざれ〔二字二重傍線〕(思はず−あれ)
○體言に續く時は、「な」系列の「ぬ」を用ゐるのであるが、「ず」系列の連用形「ず」に「あり」を附けて、「ざる」(一)と云ふことがある。
見れど飽かぬ〔二重傍線〕吉野の川の(萬葉集、三七)
不知《しらざる〔二字二重傍線〕》命《いのち》戀ひつゝかあらむ(同、二四〇六)
○已然形に「ば」「ど」が附く時も同じである。
飛びたちかねつ鳥にしあらね〔二重傍線〕ば(萬葉集、八九三)
あらたまの年の緒長くあはざれ〔二字二重傍線〕ど(同、三七七五)
○「ず」に接續助詞「て」「して」の附いた「ずて」「ずして」といふいひ方は、平(131)安時代には、「で」と云ふやうになつた。
○「飽かな〔二重傍線〕く」「思はな〔二重傍線〕くに」の「なく」といふ云ひ方は、連體形の「ぬ」に、「事」を意味する「あく」といふ語が附いて、「飽かぬ−あく」が、「飽かなく」となつたものと推定されてゐる、(接尾語「く」の項參照)。
三 用法
打消の助動詞は、一般に、話手の否定判斷を表はすものとされてゐる。このことは、例へば、
我は行かず〔二重傍線〕
と云つたやうな場合は、話手が行くことを否定することを表現したものと考へて正しいやうであるが、
雨は降らず〔二重傍線〕
と云つた場合は、雨が降ることを話手が否定すると考へることは、出來ないであらう。打消或は否定といふことの意味は、第三章文論二(四)「詞と辭の對應關係」の項において述べるやうに、非存在の事實に對應するところの判斷であると見なければならない。今、話手が云はうとする「雨は降る」といふ思想は、實際に實現してゐる事實でなく、非存在の事實である。非存在の事實を、非存在の事實として表現する場合に用ゐられる判斷が、打(132)消の助動詞である。それは、假想された事實の判斷に、「む」「らむ」が用ゐられるのと同じである。「我は行かず」の場合も同樣に、「我は行く」といふ思想は、非存在の事實であるが故に、「我は行かず」と表現されたので、これに話手の否定或は拒否の意味が表現されてゐるやうに考へられるのは、人稱の關係から、そのやうに受取られるので、推量の「む」が、第一人稱の動作に關しては、意志を表はすやうになるのと同じである。「べからず」も同樣で、相手に對する禁止を表はすよりも、そのやうな事實の非存在の表現と見るのが正しいのである。
打消助動詞の用法については、接續のところで、若干觸れたことであるが、「な」系列について、次に補足することとする。
「な」の系列の未然形「な」は、
悩ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせな〔二重傍線〕な、いやもひますに(萬葉集、三五五七)
わが門の片山椿まこと汝《なれ》わが手觸れな〔二重傍線〕な土に落ちもかも(同、四四一八)
のやうに用ゐられてゐるが、これは東國の歌に見える用語であつて、恐らく、萬葉集の語彙の一般的な體系とは、別のものであつたと考へられる。
因に、「飽かなくに」「思はなくに」などと用ゐられてゐる「な」はこれとは別である。
次に、連用形の「に」は、
(133) たまきはる命惜しけど、せむすべのたどきを知らに〔二重傍線〕、かくしてやあらし男すらに嘆き臥せらむ(萬葉集、三九六二)
かゆきかくゆき見つれども、そこも飽かに〔二重傍線〕と布勢の海に舟浮けすゑて沖邊漕ぎへに漕ぎ見れば(同、三九九一)
右は、連用中止法の例で、「知らずして」「飽かずして」の意である。
稻日野も行き過ぎ勝爾《ガテニ〔二重傍線〕》思へれば、心戀しき可古の島見ゆ(萬葉集、二五三)
梅の花み山としみにありともや、かくのみ君は見れどあかに〔二重傍線〕せむ(同、三九〇二)
右は、連用修飾語となる場合で、「がてに」は、「堪ふ」「敢ふ」の意味を持つて、下二段に活用する動詞「かつ」の未然形に、「不」の意味の助動詞の連用形「に」が附いたものである(「がてぬ・がてまし考」『橋本博士著作集』第五册。「あかにせむ」は、「飽かず」の意味に、助動詞的用法の「す」が附いたもので、意味は、「飽かず−あら−む」(飽かざらむ)と同じと見てよい(「す」の助動詞的用法參照)。
「に」の用例は、非常に局限されたもの以外には見當らない。
こゝにいふ「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形、及び指定の助動詞の連用形「に」とは異なる。完了の助動詞は、動詞の連用形に、指定の助動詞は體言に附く。
連用形の「ぬ」は「ざる」と平行して用ゐられてゐるが、「ぬ」から派生した「なく」(134)といふ形が頻繁に用ゐられてゐる。
ひと國に君をいませていつまでか、あが戀ひ居らむ時の知らなく〔二字二重傍線〕(萬葉集、三七四九)
妹が見しあふちの花は散りぬべしわが泣く涙未だ干なく〔二字二重傍線〕に(同、七九八)
右の「なく」は、
この川の絶ゆることなく〔二字傍線〕(萬葉集、三六)
における「なく」とは別である。これは形容詞であるが、「知らなく」は、「知らぬ」といふ打消助動詞の連體形に、「あく」と推定される體言(「事」を意味する)が附いたものと説明されてゐる(接尾語「く」の項參原)。從つて、意味は、「知らざること」と同じになる。第二の例文の「干なく」も同樣に、「乾かないこと」の意味で、それに、指定の助動詞の「に」が附いて(「に」は體言に附く)「乾かない状態で」の意味となる。
已然形「ね」は、助詞「ば」が附いて次のやうに用ゐられる。
世の中を憂しとやさしと思へども、飛び立ちかねつ、鳥にしあらね〔二重傍線〕ば(萬葉集、八九三)
右は、あることが既定の條件になつてゐることを表はし「鳥でないから」の意味になるのであるが、
春鳥のさまよひぬれば、なげきもいまだ過ぎぬに、おもひも未盡者ことさへぐ百濟の原ゆ神はふり、はふりいまして(萬葉集、一九九)
(135)右の例文中の「未盡者」は、「イマダツキネバ」と「ず」の已然形を以て訓まれてゐる。そしてその意味は、「未だ盡きざるに」であつて、逆態條件を表はすに用ゐられたものである。同樣な用例は、
天の川淺瀬白波たどりつゝ渡りはてね〔二重傍線〕ば、明けぞしにける(古今集、秋上)
右の「ねば」が通例の用法と異つてゐるところから、宣長は、「ぬに〔二字二重傍線〕の意のねば〔二字二重傍線〕」として注意した(『詞の玉緒』卷三)。
まきむくの檜原もいまだ雲ゐね〔二重傍線〕ば(未雲居)、小松原に沫雪ぞ降る(萬葉集、二三一四)
霜雪もいまだ過ぎね〔二重傍線〕ば(未過者)おもはぬに春日里に梅の花見つ(同、一四三四)
も同樣である。右の已然形の用法は、次のやうに説明出來るのではないかと思ふ。「ねば」が、順接と逆接との二つの用法があるのではなく、語形式としては、二つの句を結び附ける表現形式に過ぎない。それを、一方を順接とし、他方を逆説とするのは、表現された事柄の關係から、そのやうに解釋するに過ぎない。これは、「ねば」だけに限らず、已然形に「ば」の附いたものについて、廣く適用出來ることである。故に、表現形式に即して解釋すれば、「霜雪も未だ過ぎずして、思はぬに春日の里に梅の花見つ」といふことになるのである(已然形の用法參偲)。
「ねば」に相對するものに「ずは」がある。
(136) わが袖は袂とほりてぬれぬとも、戀忘貝とらず〔二重傍線〕は、行かじ(萬葉集、三七一一)
まかぢぬき舟し行かず〔二重傍線〕は、見れど飽かぬまりふの浦にやどりせましを(同、三六三〇)
右は、順接條件を表はしたものと解せられるのであるが、
しるしなき物を思はず〔二重傍線〕は(不念者)、一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし(同、三三八)
かくばかり戀ひつゝあらず〔二重傍線〕は(不有者)、高山の磐根しまきて死なましものを(同、八六)
右は、順接條件では解し得られぬものであるところから、宣長は、「んよりは」即ち「しるしなき物を思はむよりは」「かくばかり戀ひつゝあらんよりは」の意であるとした(『詞の玉緒』卷七)。宣長の右の解釋に對して、橋本博士は、「ずは」は、普通の假設條件を表はす「ずば」とは別物で、「ず」の連用形に、清音の「は」(助詞)が添つたもので、その意味は、連用中止法の「ず」と同じものであるといふ説を出された(「奈良朝語法研究の中から」『橋本博士著作集』第五册)。從つて、「しるしなきものを思はずは」は、「しるしなきものを思はずして」の意味となるといふのである。この説は、宣長の説を、語學的見地から再檢討したものであるが、既に擧げた「ねば」と對比して見る時、「ずして」の意味の「ずは」と、「ずば」(假設條件)の意の「ずは」とを截然と別ける必要はなく、共に「ず」に「は」の附いたもので、順接をも逆接條件をも表はすものであると解した方が適切のやうである。もし、そのやうな説明が許されるならば、「ずは」の「ず」は、未然形として、未然形に(137)「は」の附いたものと同列に考へることが出來るのである。「ねば」と「ずは」が共に單なる接續の形式であるとする時、その相違が何處にあるかと云へば、「ねば」か用ゐられるのは、打消判斷の内容が、既定の事實か、過去の事實であるのに對して、「ずは」の方は、假想のこと、或は將來のことに屬するところに相違があるのである。「は」の清濁といふことは、意味に關することではなくて、ここでは、專ら音聲に關することと考へられるのである。
あらたまの年かへるまであひ見ね〔二重傍線〕ば、心もしぬに思ほゆるかも(萬葉集、三九七九)
は、現實の經驗を述べてゐるのに對して、
立ちしなふ君が姿を忘れず〔二重傍線〕は、世の限りにや戀ひ渡りなむ(萬葉集、四四四一)
は、將來に關する假想の事實について云つてゐるのである。
(一) 「ざる」「ざれ」については、山田博士は、「ず」に存在詞「あり」が附いたもので、意義は「ず」に同じであるとされた(『日本文法學概論』三二七頁)。橋本博士は、「ざる」「ざれ」は、「ず」に動詞「あり」の附いたものではあるが、ここでは補助活用として用ゐられたものとされた(「國語の形容動詞について」『橋本博士著作集』第二册、一〇〇頁)。
なし
一 活用形
(138)語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
なし なく なく なし なき なけれ ○
二 接續
○形容詞及び形容詞と同じやうに活用する助動詞の未然形に附く。
美しくなし〔二字二重傍線〕(「美しくはなし」「美しくもなし」のやうに云ふ。ただし、鎌倉時代以後)
あるべくなし〔二字二重傍線〕(「あるべく(う)はなし」「あるべく(う)もなし」のやうに云ふ。ただし鎌倉時代以後)
○指定の助動詞「に」「と」に附く。
そのこととなく〔二字二重傍線〕
三 用法
「なし」は、從來、專ら形容詞としてのみ扱はれて來たものである。形容詞の「なし」は云ふまでもなく、非存在の概念を表はし、述語に立つことが出來るものである。
ほととぎす間しましおけ汝が鳴けば、あがもふ心、いたもすべなし〔二字傍線〕(萬葉集、三七八五)
における「なし」は、主語「すべ」の述語として、その非存在の概念を表はしてゐる。動(139)詞としての「あり」が、肯定的陳述に點用されたやうに、形容詞としての「なし」も否定的陳述に點用されるやうになる。この場合、「あり」の陳述的用法と對比してみる必要がある。「あり」は、一般に、指定の助動詞「と」或は「に」に附いて、その陳述を助ける。
と一あり〔二字二重傍線〕(たり)
に−あり〔二字二重傍線〕(なり)
右の云ひ方を、打消にするには、「あり」の代りに「あらず」を用ゐて次のやうに云ふ。
なか/\に人と〔二重傍線〕あらず〔三字二重傍線〕
この御酒は、わが御酒ならず〔三字二重傍線〕(に−あらず)
この「とあらず」「にあらず」に相當するものとして、「となし」「になし」が用ゐられた。
おぼしまぎると〔二重傍線〕はなけれ〔三字二重傍線〕ど、おのづから御心うつろひて、こよなく思しなぐさむやうなるも、あはれなる業なりけり(源氏、桐壺)
闇の夜に鳴くなる鶴のよそにのみ聞きつゝかあらむ逢ふと〔二重傍線〕はなし〔二字二重傍線〕に(萬葉集、五九二)
ほとゝぎす、我と〔二重傍線〕はなし〔二字二重傍線〕に卯の花のうき世の中に鳴きわたるらむ(古今集、夏)
右は、それぞれ、「おぼしまぎるることではないが」「逢ふことでなく」「われではなく」の意で、「なし」は、打消の助動詞として用ゐられたものである。
そこはかと〔二重傍線〕なく〔二字二重傍線〕書きまぎらはしたるも(源氏、夕顔)
(140) 何と〔二重傍線〕なく〔二字二重傍線〕青みわたれるなかに(同、紅葉賀)
いづかたによりはつと〔二重傍線〕もなく〔二字二重傍線〕、はて/\は怪しきことどもになりて明しつ(同、帚木)
西面にはわざと〔二重傍線〕なく〔二字二重傍線〕忍びやかにうちふるまひ給ひてのぞき給へるも珍らしきに添へて(同、花散里)
「にあらず」が「になし」と用ゐられた例は、比較的に少いやうである。
ところせき物はぢを見あらはさむの御心もことに〔二重傍線〕なく〔二字二重傍線〕(一)て、覺束なくてのみ過ぎゆくを(源氏、末摘花)
御足ノ金色ニ〔二重傍線〕ハナク〔二字二重傍線〕テ、異ナル色ナリ(今昔物語)
自ラノ爲ニハ惡キ事ニ〔二重傍線〕ハナケ〔二字二重傍線〕レド(同)
「あり」の助動詞的用法には、また、次のやうなものがある。
高し……高く−あれ〔二字二重傍線〕−ど
べし……べく−あり〔二字二重傍線〕−き
右を打消にするには、「あり」の代りに、前例同樣「あらず」を用ゐる。
高く−あれ〔二字二重傍線〕−ど……高く−あらね〔三字二重傍線〕−ど(或は「高くあらざれど」を用ゐる)
べく−あり〔二字二重傍線〕−き……べく−あらざり〔四字二重傍線〕き
右の「あらず」の代りに「なし」が用ゐられることがある。この場合の「なし」は、助動(141)詞で、現代の口語は、この方法を一般に用ゐる。 高く−あらね〔三字二重傍線〕ど……高く−なけれ〔三字二重傍線〕ど
形容詞の連用形に、助動詞の「なし」を附けて打消を表はすことは、平安時代には、まだあまり行はれなかつたやうに見える。
木々のこの葉、まだ繁う〔二字傍線〕はなう〔二字二重傍線〕(二)て、若やかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何と〔二重傍線〕なく〔二字二重傍線〕そゞろにをかしきに(枕草子、祭の頃は)
右の例文中の「何となく」の用法は、既に例を擧げたもので、珍しいことではないが、「繁うはなう〔二字二重傍線〕て」は、形容詞連用形に「なし」が附いたもので、今日の口語の用法に近いものである。ただし、右の本文は、春曙抄本にあるのであつて、前田家本その他に、「しげうはあらで」と、「あらず」を用ゐてゐるところから見ると、或は右の本文は疑はしいのではないかと考へられる。
夜なくもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞさ〔右○〕しもなき〔二字二重傍線〕(枕草子、鳥は)
右は、上の「めでたし」を、「さ」で受けて、それに加へられた打消の助動詞で、「さしもあらず」の意である。
次に、禁止の意味を表す「なかれ」といふ語について附加へて置きたいと思ふ。「なかれ」は、「勿」「莫」「無」の訓として、漢文訓讀に多く用ゐられる語で、例へば、
(142) 莫v恠《アヤシムコトナカレ〔三字傍線〕》紅中遮面咲 春風吹綻牡丹花(倭漢朗詠集、妓女)
供香し誦持(せ)むこと心に捨(つ)ること無(か)レ〔三字傍線〕」(春日政治『金光明最勝王經古點の國語學的研究』坤、一四九)
右の「なかれ」は、禁止を表はして、辭に屬するもののやうであるが、本來、形容詞の「無し」であつて、
國法乎過犯事無久〔二字傍線〕、明支淨支直支誠之心以而、御稱稱而緩事無久〔二字傍線〕、務結而仕奉止詔大命乎諸聞食止詔(宣命、第一)
のやうに、主語「事」の述語として用ゐられたもので、これを命令形にしたものが、即ち「なかれ」である(形容詞「なし」に、指定の助動詞「あり」の命令形が結合したもの)。後に、この「なかれ」だけが遊離して、「云ふなかれ」「入るなかれ」のやうに、動詞に直結するやうになると、禁止の助詞「な」と同じ機能のものと見ることが出來る。
(一) この「なし」は、一般には、形容詞として、主語「御心」の述語と考へられてゐる。從つて、その意味も、「そのやうな御心も格別に無い」といふやうに説かれてゐる。今、この「なし」を助動詞とするならば、「ことになし」は、「異にあらず」の意味で、平生と變つたこともなく、即ち、そのやうな氣持ちが持續してゐることを意味すると解せられる。從つて、末摘花の氣持ちがしつかりつかめないといふ焦燥感(おぼつかなく)が出て來るのである。
(143) 何ばかりの御裝なくうちやつして、御前などもことになく〔二字傍線〕しのび給へり(源氏、花散里)
源氏が、麗景殿の御妹(花散里)を訪問されるところで、「前驅を特に廢して」の意味でなく、「御前驅なども、平生と異ならず、ふだんの通りで」の意味に解せられる。
(二) 春曙本には、なほ、次のやうな本文がある。
晝などもたゆまず心づかひせらる。夜はたまして、いさゝかうちとくべくもなき〔二字二重傍線〕が、いとをかしきなり(内の局は、細殿いみじうをかし)
右は、形容詞と同樣に活用する助動詞「べし」の連用形に「なし」が、附いた場合であるが、これも別本(例へば、「日本古典全書本」)には、「うちとくべきやうもなきが」となつてゐる。この場合の「なし」は、形容詞で、主語「やう」の述語として用ゐられたのである。また、
二十日のほどに、雨など降れど、消ゆべくもなし〔二字二重傍線〕(職の御曹司におはします頃)
右の所も同樣に、「消ゆべきやうもなし」となつてゐる。以上のやうに見て來ると、助動詞「なし」が、形容詞或は形容詞と同じやうに活用する助動詞に附くことが、どの程度に平安時代に行はれてゐたものかは、なほ研究を要することである。しかしながら平家物語になれば、この用法は、極めて一般化されたものになつてゐる。
その時に歌讀むべうはなか〔二字二重傍線〕りしかども、
ふるさとも戀しくもなし〔二字二重傍線〕旅の空いづくも終のすみかならねば(平家物語、海道下り)
なふ
(144)一 活用形
(144)語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
なふ なは ? なふ なへ なへ ○
「なふ」は、萬葉集中、東歌にのみ見られるのであるから、恐らく、當時の中央語の言語體系には存しない東國方言特有の用語であつたと推定されるものである。
會津嶺の國をさ遠みあはなは〔二字二重傍線〕ば、しぬびにせもと紐結ばさね(萬葉集、三四二六)
武藏野のをぐきが雉立ち別れ、往にし宵よりせろにあはなふ〔二字二重傍線〕よ(同、三三七五)
晝解けばとけなへ〔二字二重傍線〕ひものわがせなに相よるとかも夜とけやすき(同、三四八三)
から衣裾のうちかひあはなへ〔二字二重傍線〕ば寢なへ〔二字二重傍線〕のからにことたかりつも(同、三四八二左註の歌)
なほ、山田孝雄博士は、左の歌を連用形の例として擧げられた。
うべこなは、わぬに戀ふなもたと月の努賀奈敝〔二字二重傍線〕行けば戀ふしかるなも(萬葉集、三四七六)
しかし、武田祐吉博士は、「努賀奈敝」は、「永らへ」の轉音であると説明して居られる上に、他に用例もないので、疑問を存することとした。
右の「なふ」について山田博士は次のやうな説明を與へられた。即ち、「なふ」「なは」の「な」は、打消助動詞の「ぬ」(打消助動詞「ず」の項參照)が、繼續的語法を表はす「は、(145)ひ、ふ、へ」にうつつて行つたもので、「ぬ」は、ある時期には、「なにぬね」と四段に活用したものではなからうか。そして、未然形の、「な」が、この「なふ」に面影を止めたものではなからうか。また、「我が手觸れな〔二重傍線〕な」(萬葉集、四四一八)の「な」もこれに關係ある語であるとされた(『奈良朝文法史』第四章、東歌にあらはれたる特殊なる語法)。
まじ 附ましじ
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
まじ まじく まじく まじ まじき まじけれ ○
ましじ ○ ○ ましじ ましじき ○ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の終止形に附く。
○ラ變動詞「あり」及びそれと同じやうに活用する助動詞には、連體形に附く。
やむごとなきにはあるまじ〔二字二重傍線〕(源氏、夕顔)
(146) (二) 下への接續
○「まじ」が、他の助動詞「き」「けり」「む」等に續くには、助動詞「あり」を介して續く。
まぬかるまじか〔三字二重傍線〕りけり(まぬかるまじく−あり−けり)
○「ましじ」の語幹から、體言的接尾語「み」に接續して、「ましじみ」と云ふ。
暫久乃間毛忘得末之自美〔四字二重傍線〕奈毛美(宣命、第五八)
三 用法
「じ」が、非存在の確實性の薄い事柄の判斷に用ゐられるのに對しては「まじ」は、非存在であることが、當然であると考へられるやうな事柄の判斷に用ゐられる。
「今までとまりはべるが、いと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入り給ふにつけても、いと、はづかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく〔三字二重傍線〕泣い給ふ(源氏、桐壺)
「堪へる」ことが、どうしても存在し得ないと考へられるので、「まじく」が用ゐられた。
曉の道をうかゞはせ、御ありか見せむと尋ぬれど、そこはかとなく惑はしつゝ、さすがにあはれに、見ではえあるまじく〔三字二重傍線〕この人の御心にかゝりたれば(源氏、夕顔)
「見ないでゐることが出來る」といふことがどうしてもありえないことだと考へられるやうな事實である。
(147) 「まじ」は平安時代以後、主として散文に用ゐられた語で、奈良時代におけるこれに相當する語は、「ましじ」である。(一)
玉くしげみむろの山のさなかづらさ寢ずは遂にありかつましじ〔三字二重傍線〕(萬葉集、九四)
あらたまの、きへの林に汝《な》を立てゝ行きかつましじ〔三字二重傍線〕、寢《い》を先立たね(同、三三五三)
(一) 橋本進吉博士「萬葉時代の『まじ』」(「上代語の祈究」『橋本博士著作集』第五册、同「『がてぬ』『がてまし』考」(『同上書』)。
じ
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
じ ○ ○ じ じ ○ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の未然形に附く。
形容詞及び指定の助動詞「に」には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
(148) わが行きは久には不有《あらじ〔二重傍線〕》(萬葉集、三三五)
(二) 下への接續
○「生けらじ〔二重傍線〕ものを」(萬葉集、一八〇七)、「生けらじ〔二重傍線〕命を」(同、二九〇五)等の用法がある。
三 用法
「ず」が、非存在の確實な事實の判斷に用ゐられるのに反して、「じ」は、非存在の確實性の稀薄な事柄の判斷に用ゐられる。いはば、打消と推量との複合助動詞と見ることが出來る。
若ければ道行知らじ〔二重傍線〕まひはせむしたべの使ひ負ひて通らせ(萬葉集、九〇五)
「道行き知る」といふことは、話手において、存在しないと考へられる事實である。しかしそれは現實の經驗ではなく、想像上の事柄に屬するために、「じ」が用ゐられてゐる。
わが袖は袂とほりてぬれぬとも戀忘貝とらずは行かじ〔二重傍線〕(萬葉集、三七一一)
右は、第一人稱の行爲を表はす語に關して用ゐられてゐるので、話手の意志が表はされてゐることは、「む」が第一人稱について用ゐられた場合と同じである。
藤壺わたりを、わりなう忍びで窺ひありき給へど、語らふべき戸口もさしてければ、うち嘆きて、なほあらじ〔二重傍線〕に、弘徽殿の細殿に立寄り給へれば、三の口ありたり(源氏、(149)花宴)
「なほあらじ」は、ここでは源氏の言葉の引用と見ることが出來る。「なほあらじと」(そんなことはあるまいと)の意味で、「立寄り給ふ」にかゝる。
春來ぬと人は云へども鶯の鳴かぬかぎりはあらじ〔二重傍線〕とぞ思ふ(古今集、春上)
も同じである。「あらじ」の「あら」は、ともに指定の助動詞で、上に詞が省略されたものと見るべきである。
ハ 過去及び完了の助動詞
つ
一 活用形
語/活用形 未終形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
つ て て つ つる つれ て
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞「あれ」の連用形に附く。
(150) ○形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞(「べし」「まじ」等)及び打消の「ず」に接續する場合は、指定の助動詞「あり」を介して附く。
美しかりつ〔二重傍線〕(美しく−あり−つ)
行くべかりつ〔二重傍線〕(行くべく−あり−つ)
行かざりつ〔二重傍線〕(行かず−あり−つ)
(二) 下への接續
○連用形「て」に「まし」「む」「けり」「き」が、終止形「つ」に「べし」「らし」が附いて、「てまし」「てむ」「てけり」「てき」「つべし」「つらし」等の複合助動詞を作る。
三 用法
「つ」は、「ぬ」「たり」「り」とともに、實現の確定的と考へられるやうな事實の判斷に用ゐられる。「つ」は、主として、作爲的、瞬間的な性質の事柄に用ゐられる。實現の確定的と認定される事柄は、多く完了した事柄に多いので、この助動詞は、完了の助動詞といはれてゐるが、確定的と想定される事柄は、過去のことに限らず、現在將來の事柄にもあることである。
わが心なぐさめかねつ〔二重傍線〕更科やをばすて山に照る月を見て(古今集、雜上)
「わが心なぐさめかぬ」といふことは、過去にあつた確定的な事實として取上げられたの(151)て、その陳述に「つ」が用ゐられたのである。
布勢の浦を行きてし見て〔二重傍線〕ば、百しきの大宮人に語りつぎて〔二重傍線〕む(萬葉集、四〇四〇)
「布勢の浦を行きで見ること」も「大宮人に語りつぐこと」も、將來に屬することであるが、それがともに作者によつて、實現の確定的なこととされた事實であるが故に、「つ」が用ゐられたのである。
山田博士は、連用形「て」に、中止法を認められて、
しらぬひ筑紫の國に泣く子なす慕ひ來まして〔二重傍線〕、息だにも未だ休めず(萬葉集、七九四)
の例を擧げられたが(『奈良朝文法史』二〇一頁、『平安朝文法史』一六七頁)、右の例の如きは、なほ、接續助詞と認めるのが適當であらう(山田博士は、接續助詞の「て」を認められず、それらをすべて、「つ」の連用形とする)。
ぬ
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
ぬ な に ぬ ぬる ぬれ ね
(152)二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞「あり」の連用形に附く。
さてありぬ〔二重傍線〕べき方(源氏、帚木)
○形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞(「べし」「まじ」等)及び打消の「ず」に接續する場合は、指定の助動詞「あり」を介して附く。
(二) 下への接續
○未然形「な」に、「まし」「む」、連用形「に」に、「たり」「き」「けり」「けむ」、終止形「ぬ」に、「らむ」「らし」「べし」等が附いて、「なまし」「なむ」「にたり」「にき」「にけり」「にけむ」「ぬらむ」「ぬらし」「ぬべし」等の複合助動詞を作る。
三 用法
「ぬ」は、「つ」「たり」「り」とともに、實現の確定的と考へられるやうな事實の判斷に用ゐられる。「ぬ」は、自然的、經験的な性質の事柄に用ゐられる。
冬ごもり春さり來れば、鳴かざりし鳥も來鳴きぬ〔二重傍線〕(萬葉集、一六)
「鳥も來鳴く」といふことは、既に實現した事實であるが故に「ぬ」が用ゐられたのである。
(153) 妹が見し楝の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干なくに(萬葉集、七九八)
右の歌の「棟の花の散る」ことは、現在の事實でなく將來に屬することであるが、それが確定的事實として取上げられたために「ぬ」が用ゐられた。更にそれが、必至の事として想定された事實であるが故に「べし」が用ゐられてゐる。
「ぬ」が、將來或は推測の事實の陳述に用ゐられる時は、推量の助動詞「む」「べし」「らむ」とともに用ゐられる。
玉の緒よ、絶えな〔二重傍線〕ば絶えね〔二重傍線〕、ながらへば、忍ぶることの弱りもぞする(新古今集、戀一)
右の「絶えなば」の「な」は、「ぬ」の未然形に「ば」が附いたものであるから、「絶える」ことが、確定的事實であることを條件とするいひ方である。「絶えね」は、「ぬ」の命令形である。
たり
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
たり たら たり たり たる たれ たれ
(154)二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞(「つ」「ぬ」)の連用形に附く。
(二) 下への接續
○未然形に、「む」「まし」、連用形に、「き」「けり」「けむ」、連體形に、「べし」「らし」「らむ」が附いて、「たらむ」「たらまし」「たりき」「たりけり」「たりけむ」「たるべし」「たるらし」「たるらむ」等の複合助動詞を作る。
三 用法
起源的には、接續助詞「て」と存在を表はす動詞「あり」との結合したものであるから、例へば、「咲きたり」(咲きて−あり)は、「咲いてゐる」の意味で、全體は、詞とみなされなければならないのである。しかしながら、「てあり」が結合して出來た「たり」は、話手の判斷を表現する助動詞として用ゐられるやうになつた。一般に、詞は、それに、受身、可能、使役を表はす接尾語や、他の動詞が附いて、
笑ふ……笑はす……笑はる……笑はさる
讀む……讀みはじむ……讀みあやまる
のやうに新しい複合動詞を構成するのであるが、「たり」は、他の助動詞と同樣に、この(155)やうな結合をすることはない。
「たり」は、話手によつて、既に完了したと考へられる事柄や、ある事柄が既に始つて、なほその状態が持續してゐるやうな事柄の判斷に用ゐられる。(一)
女郎花咲きたる〔二字二重傍線〕野邊を行きめぐり君を思ひ出、たもとほり來ぬ(萬葉集、三九四四)
われはもや、やすみこ得たり〔二字二重傍線〕皆人の得がてにすとふやすみこ得たり〔二字二重傍線〕(同、九五)
凡帳のうしろに立てたる〔二字二重傍線〕燈臺の光もあらはなり(枕草子、大進生昌が家に)
富士川といふは、富士の山より落ちたる〔二字二重傍線〕水なり(更級日記)
完了したと考へられる事柄や持績してゐる事柄は、多く過去に屬する事柄であるが、
珠に貫く楝《あふち》を家に植ゑたら〔二字二重傍線〕ば、山ほととぎすかれず來むかも(萬葉集、三九一〇)
いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向ひゐたら〔二字二重傍線〕め、むくつけきこと(源氏、帚木)
そのなかにも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたら〔二字二重傍線〕ばと、珍らしうおもほすなりけり(同、夕顔)
右のやうに、完了した事實として假想する場合にも用ゐられることは、「つ」「ぬ」の場合と同じである。
「たり」は、現代口語の「た」の源流となり、口語としては、他の過去及び完了の助動(156)詞は、皆これに統合された。
「たり」は、動詞、助動詞(「つ」「ぬ」)の連用形に附くので、體言に附いた
五日のあかつきにせうと〔三字傍線〕たる〔二字二重傍線〕人外より來て(蜻蛉日記、下)
のやうな「たり」は、指定の助動詞で、これとは別である。
(一) 春日政治博士は、「たり」及び「り」について次のやうに云つて居られる。
「上代のリ・タリは純粹に完了に用ゐられることはなく、皆動作の継續中であるか、動作は濟んだが、その結果の遺存するかに用ゐられてゐる。」(『金光明最勝王經古點の國語學的研究』坤、二三六頁)
り
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
り ら り り る れ れ
二 接續
(一) 上への接續
(157) ○四段活用及びサ變動詞の命令形に附く。
(二) 下への接續
○未然形に「ず」「む」「まし」、連用形に「けむ」「き」「けり」が附いて、「らず」「らむ」「らまし」「りけむ」「りき」「りけり」等の複合動詞を作る。
三 用法
起源的には、四段活用及びサ變動詞の連用形に、存在を意味する動詞「あり」が接續して
咲き−あり……咲けり
爲《し》−あり……爲《せ》り
のやうになつたもので、「咲き−て−あり」が、「咲きたり」となつたやうに複合動詞であるが、後に、語尾の「り」が、完了を表はす助動詞として用ゐられるやうになつたものである。從つて、「咲けり」には、受身、可能、使役を表はす「る」「す」「しむ」等の接尾語や、他の動詞が附かない。(一)
「り」は、從來、四段の已然形、サ變の未然形に附くと云はれて來たものであるが、奈良時代の用字法の上から、四段活用においては、已然形と命令形とは別音であることが明かにされ、「り」は命令形に附くのが正しいとされた。(二)
白衣のわが下衣失はず、持てれ〔二重傍線〕わがせこ直に逢ふまでに(萬葉集、三七五一)
(158) みつぼなすかれる〔二重傍線〕身ぞとは知れれ〔二重傍線〕ども、なほし願ひつ千歳の命を(同、四四七〇)
雪の木に降りかゝれる〔二重傍線〕をよめる(古今集、春上)
右は、完了といふよりも繼續を表はす場合であるが、
引き動かし給へど、なよ/\として我にもあらぬ樣なれば、いといたく若びたる人にて、ものにけどられぬるなめりとせむ方なき心地し給ふ。からうじて紙燭もて參れり〔二重傍線〕(源氏、夕顔)
右近はものも覺えず、君につと添ひ奉りて、わなゝき死ぬべし。また、これもいかならむと、心そらにてとらへ給へり〔二重傍線〕(同、夕顔)
においては、動作の完了とともに、その状態の繼續を表はしてゐる。
(一) 本居春庭は、「り」の附いた動詞を、一應、一つの詞と認めてゐるが、また、それ、が他の動詞との接續において異なることを指摘してゐる。
四段の活の第四の吾けせてへめれ〔六字右○〕よりらりるれ〔四字二重傍線〕と活くあり。そはさけ〔右○〕らん〔二字二重傍線〕、さけ〔右○〕り〔二重傍線〕、さけ〔右○〕る〔二重傍線〕、さけ〔右○〕れ〔二重傍線〕(中略)などいへるこれなり。さてこのさける〔三字二重傍線〕おもへる〔四字二重傍線〕かすめる〔四字二重傍線〕などをやがて一つの詞としてラ行の四段の活に入るべきさまなれど、受るてにをはるれ〔二字右○〕より受くるは四段の活に全くおなじけれどもらり〔二字右○〕より受るてにをは、いさゝか異にして四段の活の詞ともしがたし。そはさけら〔右○〕ん〔二重傍線〕、さけら〔右○〕ば〔二重傍線〕などは受くれど、さけら〔右○〕じ〔二重傍線〕、さけら〔右○〕まし〔二字二重傍線〕などは受くまじく、さけり〔右○〕せば〔二字二重傍線〕、させり〔右○〕しか〔二字二重傍線〕などはいふべけれど、さけり〔右○〕て〔二重傍線〕、さけり〔右○〕ぬ〔二重傍線〕などはいふべからざれば也(『詞八衢』四種(159)の活の圖、并受るてにをは。原文の用字を少しく改む)
「り」が、助動詞として認められたのは、比較的後であつて、大槻博士の『廣日本文典』も、動詞の語尾として、これを助動詞の項で説いてゐる。
(二) 橋本進吉博士の上代特殊假名遣の研究によつて、四段活用の已然形の語尾は、乙類の假名に屬し、命令形は、甲類の假名に屬し、「り」は常に甲類の假名の語尾に接續してゐるので、「り」は、四段活用においては、命令形に接續するといふのが正しいとされた(「上代文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」『橋本博士著作集』第三册、一八七頁)。
また、サ變の動詞の場合は、命令形を、一般に、「せよ」としてゐる爲に、「り」は、未然形に附くものとしてゐるが、この場合も、サ變の命令形は、「せ」で、「よ」は助詞と認めるべきであるから、「り」はサ變においても、四段活用の場合と同樣に、命令形に附くと云つて差支へないのである。
き
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
(せ) ○ き し しか ○
(け)
二 接續
(160) (一) 上への接續
○動詞(カ變、サ變を除く)、助動詞の連用形に附く。
申しし〔二重傍線〕時(「申し」は、サ行四段の連用形。「申せし時」は誤である)
○カ變サ變の動詞に附く時は、次のやうになる。
來《こ》(一〉し〔二重傍線〕人(「こ」は、カ變の未然形)
來《こ》(一)しか〔二字二重傍線〕(右に同じ)
爲《せ》し人(「せ」はサ變の未然形)
爲《せ》しか(右に同じ)
○形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞及び打消の「ず」に接續する場合には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
高かりき〔二重傍線〕(高く−あり−き)
行くべかりき〔二重傍線〕(行くべく−あり−き)
行かざりき〔二重傍線〕(行かず−あり−き)
萬葉時代には、「行かざりき」の代りに、「き」が、直接に「ず」に附いて、「行かずき」といふ云ひ方があつたのではないかといふことが、次の例によつて推定されてゐる。
(161) 心ゆもあは不念寸山河も隔たらなくにかく戀ひむとは(萬葉集、六〇一)
うつゝにも夢にもわれは不思寸〔三字右○〕振りたる君にこゝに會はむとは(同、二六〇一)
右の「不念寸」「不思寸」は、「おもはずき」と訓めるところである。
(二) 下への接續
○「せ」は、「ば」が附いて、「せば」(二)と用ゐられるが、平安時代以後は、和歌以外には用ゐられない。
かみなづき雨間もおかず降りにせ〔二重傍線〕ば誰が里の間に宿か借らまし(萬葉集、三二一四)
世の中に絶えて櫻のなかりせ〔二重傍線〕ば、春の心はのどけからまし(古今集、春上)
○「き」の未然形に「け」があるといふ説があるが確定的ではない。
○「戀ふらく」「行かまく」と同樣な云ひ方に、「――しく」(四)といふのがある。
わがせこをいづく行かめとさき竹の背向《そがひ》に寢しく〔二字二重傍線〕今し悔やしも(萬葉集、一四一二)
(三)
三 用法
「き」は、囘想された事實の判斷を表はすに用ゐられる。囘想された事實は、過去において成就した事柄であるから、過去の助動詞とも云はれる。
沖つ風いたく吹きせ〔二重傍線〕ばわぎもこが嘆きの霧に飽かましものを(萬葉集、三六一六)
「沖つ風いたく吹く」といふことは、過去において成就したと假定された事實であるが故(162)に、「せば」といふ「き」の未然形とともに「ば」示用ゐられた。(一) 「來《き》し」「來《き》しか」といふことがあるが用例は少い。
(二) 「せば」は、確定的なものとして、假定する云ひ方である。從つて、それに應ずる留りに「まし」といふ推量の助動詞が用ゐられて、全體の意味が強い假定の表現となる。次の和歌の「せ」は、これとは別である。
見ずもあらず、見もせ〔右○〕ぬ人の戀しくは、あやなく今日やながめ暮さむ(古今集、戀一)
つれなさの限りをせめて知りもせ〔右○〕ば、命をかけて物は思はじ(新後撰集、戀二)
右は、「見ぬ人」「知らば」といふ云ひ方に、「も」が插入された云ひ方で、動詞「見」「知り」を、サ變動詞で、再び繰返して、打消の「ず」及び助詞「ば」に續けたものである。「笑ひはせ〔右○〕ぬ」「散りもせ〔右○〕ば」なども同じ云ひ方である。
(三) 山田孝雄博士は、次の「け」を、これにあてゝ居られる(『奈良朝文法史』第二章第二節、囘想をあらはす複語尾)。
つぎねふやましろ女《め》の木鍬《こくは》持ち打ちし大根、根白の白臂《しろたゞむき》まかずけ〔二重傍線〕ばこそ知らずともいはめ(仁徳紀、古事蔀、下)
つぬさはふ、いはれの道を朝さらず行きけむ人の念ひつゝ通ひけ〔二重傍線〕まくは(萬葉菜、四二三)
佐伯梅友氏、また、これについて論じて居られるが(『奈良朝時代の國語』一六四頁)、今は、たゞ問題として記すに止めて置く。
(四) 第二章語論第二項、詞(四)接頭語と接尾語 註(一)參照。「寢しく」は、下二段活用「寢《ね》」(163)の連用形「ね」に、「き」の連體形「し」の附いたものに、更に「事」を意味する「あく」が附いたもので、本來ならば、「療《ね》せく」といふべきところを、「寢しく」となつたものである。意味は、「寢たこと」の意である。
けり
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
け (けら) ○ けり ける けれ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の連用形に附く。
○形容詞に接續する場合には、助動詞「あり」を介して次のやうに云ふ。
高かりけり〔二字二重傍線〕(高く−あり−けり)
美しかりけり〔二字二重傍線〕(美しく−あり−けり)
○打消の助動詞「ず」に接續する場合も通常「あり」を介して、「ざりけり」と云ふのであるが、
(164) ぬばたまの夢《いめ》にはもとなあひ見れどただにあらねば戀ひやまずけり〔二字二重傍線〕(萬葉集、三九八〇)
おろかにぞ我は思ひしをふの浦のありそのめぐり見れど飽かずけり〔二字二重傍線〕(同、四〇四九)
のやうに、直に「ず」に附いて「ずけり」と云ふ。
(二) 下への接續
○未然形の「けら」は、「けらずや」といふ形で奈良時代に用ゐられ、以後には、見られなくなつた。
妻もあらば、つみてたげまし佐美の山野上のうはぎ過ぎにけらず〔二字二重傍線〕ずや(萬葉集、二二一)
梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけら〔二字二重傍線〕ずや(同、八一七)
この花のひとよのうちは百種の言持ちかねて折らえけら〔二字二重傍線〕ずや(同、一四五七)
○連體形「ける」に「らし」が附いて、「けらし」といふ複合助動詞を作る。
うべしこそ見る人ごとに語りつぎしぬびけらしき〔四字二重傍線〕(萬葉集、一〇六五)
うべしこそわが大君は君のまに聞こし給ひて刺す竹の大宮ここと定めけらし〔三字二重傍線〕も(同、一〇五〇)
三 用法
(165) 「けり」は、起源的には、過去の助動詞「き」と「あり」との熟合したものとする説(一)、「來《き》」と「あり」との熟合したものとする説(二)がある。
「けり」は、「あり」の複合した「たり」「り」と同樣に、過去に始まつた動作作用が繼續してゐる事實の判斷に用ゐられ、その繼續が、過去において消滅したか、なほ現在(話手の立場における)に及んでゐるかによつて、これを囘想の助動詞とする説と、現在を表はす説とに分れるが、主要な點は、繼續した事實の判斷に用ゐられることであつて、過去に屬するか、現在に屬するかは、問題でないやうである。(三〉
昔より云ひける〔二字二重傍線〕ことのから國のからくも此處に別するかも(萬葉集、三六九五)
今、いましたち二人を、唐の國に遣はすことは、今始めて遣はす物にはあらず。本より朝《みかど》の使かの國に遣はし、かの國より進《また》し渡【祁利〔二字二重傍線〕】(宣命、第五六)
右の例は、過去より現在に及ぶ囘想された事實の判斷に用ゐられたものである。
葦垣の外にも君が寄りたたし戀ひけれ〔二字二重傍線〕こそは夢に見えけれ(萬葉集、三九七七)
常磐なす岩屋は今もありけれ〔二字二重傍線〕ど、住みける〔二字二重傍線〕人ぞ常無かりける〔二字二重傍線〕(同、三〇八)
右の例文中、第一例の「けり」は、殆ど囘想された過去の事實に用ゐた場合で、第二例中の、「ありけれ」の「けれ」は、過去より現在に及ぶ事實について、「住みける」の「ける」は、事實は繼續した事實であるが、全く過去に屬し、「無かりける」の「ける」は、囘想さ(166)れた事實の判斷に用ゐられた場合である。
「けり」は、「き」が實際に經驗した事實の囘想に用ゐられるのに對して、間接に傳聞たことの囘想に用ゐられる。(四)平安時代の物語に、「けり」が多く用ゐられるのは、それが、傳聞した過去の事實を物語るといふ形式に基づいてゐるからである。
「けり」が、囘想された事實、過ぎ去つた事實に用ゐられるところから、屡々詠嘆の表現に用ゐられる。たとへ、その事が目前に起こつた現在の事實であつても、これを過去として云ふことに、自ら詠嘆の意味が寓せられることは、現代口語の「た」がこれを示してゐる。
釣れた〔二重傍線〕釣れた〔二重傍線〕。大きな魚が。
よくやつた〔二重傍線〕。うまくやつた〔二重傍線〕。
等は、事實としては、現在の、事實に屬することであるが、話手の意識においては、既に完結したことと考へられたのである。
かきつばた衣に摺りつけますらをのきそひ狩する月は來にけけり〔二字二重傍線〕(萬葉集、三九二一)
磯ごとにあまの釣舟泊てにけり〔二字二重傍線〕吾が舟泊てむ磯の知らなく(同、三八九二)
いざ、ただこのわたり近き所に、心安くて明さむ。かくてのみはいと苦しかりけり〔二字二重傍線〕(源氏、夕顔)
(167) かれ聞き給へ。この世とのみは思はざりけり〔二字二重傍線〕。(同、夕顔)
等は詠嘆と解せられるところである。
(一) 山田孝雄博士『奈良朝文法史』第二章第二節へ「複語尾と用言の本幹との接續」に出づ。
(二) 春日博士『金光明最勝王經古點の國語學的祈究』坤、二四四頁。
(三) 春日博士は、「ケリはキアリであつて、『來《ク》』を形式動詞とする時は、動作の過去より繼續して今に存在することを表はすのであつて、「前カラシ(アリ)續ケテ今ニアル』の義である。時からいへば動作の初を過去に想定するけれども、今に存在するのであるから現在でなくてはならない」(『同上書』二四四頁)。とし、更に、「若し已述の如き試論が許されるならば、ケリは全然キ(過去)には因縁がないのであつて、ケリが多く過去に用ゐられないのは宜なることである」(『同上書』二四五頁)として、「けり」の現在説を強く主張されるのであるが、右の説には、「けり」を過去とする説に對する反對説としての強調が多分に含まれて居ると見られるので、博士の云はれるやうに、動作が過去より繼續して今に存在することを表はすかぎりにおいて、それを単に現在とのみ斷定することは正しくないであらう。
(四) 細江逸記博士は、「き」を目睹囘想、「けり」を傳聞囘想として區別された(『動詞時制の併究』)。
ニ 推量の助動詞
む
(168)一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
む ○ ○ む む め ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の未然形に附く。
花咲か〔二字傍線〕む〔二重傍線〕(「咲か」は、動詞の未然形)
花咲きな〔二重傍線〕む〔二重傍線〕(「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形)
○形容詞、形容詞と同じやうに活用する助動詞及び打消の「ず」に附く場合には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
心苦しからむ〔二重傍線〕(心苦しく−あら−む)
思ふべからむ〔二重傍線〕(思ふべく−あら−む)
思はざらむ〔二重傍線〕(思はず−あら−む)
○奈良時代には、形容詞の古い活用形「――け」に附いて、次のやうに云ふことがある。
(169) なかなかに死なば安けむ〔二重傍線〕君が目を見ず久ならばすべなかるべし(萬葉集、三九三四)
橘は常花にもが、ほとゝぎす住むと來鳴かば聞かぬ日無け〔二字傍線〕む〔二重傍線〕(同、三九〇九)
(二) 下への接續
○連體形に體言が附いて、次のやうに云ふ。
思はむ〔二重傍線〕人〔右○〕
ただし、「む」に相當する口語「う」の場合には、特別の場合を除いて、連體形に體言が附くことはなくなつた。
○「む」には、他の助動詞が附かない。それは、助動詞が連續する時、「む」は、常に最後に附くからである。
○「云はまく」といふ云ひ方は、「云はむ」といふ「む」の連體形に、「あく」と推定される體言が結合して出來た體言的慣用句で、「云はむこと」の意味である(體言的接尾語の項參照)。
梅の花散らま〔二重傍線〕くをしみ、わが園の竹の林に鶯鳴くも(萬葉集、八二四)
○「む」の終止形に、「とす」が附いて、「行かむとす」「行かんず」と用ゐられる。
(170)三 用法
「む」によつて判斷される事柄が、第三者に屬する場合、例へば、「花散らむ」「風吹かむ」のやうな場合の「む」は、話手の單純な推量判斷を表はす。
事柄が、話手自身の能動的な行爲に關するやうな場合、例へば、「我は待たむ〔二重傍線〕」「我は聞えむ〔二重傍線〕」のやうな場合の「む」は、話手の意志を含んだ判斷を表はすことが多い。
事柄が、第二人稱者即ち聞手の能動的な行爲に關するやうな場合、例へば、「汝は行かむ」のやうな場合は、聞手に對する勸誘或は婉曲な命令となることがある。
をりあかし今夜は飲まむ〔二重傍線〕ほととぎす明けむ〔二重傍線〕あしたは鳴きわたらむ〔二重傍線〕ぞ(萬葉集、四〇六八)
右の文中の、第一の「む」は、この歌の作者に關する事柄に附いた「む」であるから、意志を表はし、第二の「む」は、「夜の明けむ」の意味で、第三人稱に關する事柄に附いたものであるから、單純な推量(この場合は、將來に起こる事柄の判斷に用ゐられたものである)を表はし、第三の「む」は、この歌によつて呼びかけられてゐる相手、即ち「ほととぎす」に關することであるから、勸誘命令の意味となる。右のやうな現象は、「む」に推量、意志、命令の意味があつて、それが使ひわけられたと見るべきでなく、意志や命令の意味を、推量の形で表現したので、その意味で、意志や命令の婉曲的表現といふことが出來るのである。現代口語では、「う」が專ら話手の意志を表はすやうに、固定されて來たために、(171)推量を表はすためには、別に「だらう」が用ゐられるやうになつた。このことは、換言すれば、「う」が、第一人稱の事柄に關する語にしか用ゐられなくなつたことで、古文の場合とは異なるのである。
そのうちとけてかたはら痛しと思され(1)む〔二重傍線〕こそゆかしけれ。おしなべたる大方のは、數ならねど、程々につけて、書きかはしつゝもみ侍りな(2)む〔二重傍線〕。おのがじゝ怨めしき折々、待ち顔なら(3)む〔二重傍線〕夕暮などのこそ見所はあら(4)め〔二重傍線〕(源氏、帚木)
右の文は、雨夜の品定めにおいて、頭中將が、文《ふみ》の公開を源氏にせがむところであるが、「む」(1)は、聞手即ち源氏に關する事柄について、單純な推量を表はし(「かたはら痛しと思す」といふことは、聞手の意中を推量した事實であるから、陳述に「む」が用ゐられたのである。)、(2)は、話手に關することに附いてゐるので、意志を表はすに近く、(3)(4)は、ともに第三人稱的事柄に附いて、單純な推量を表はすのである。
古文においては、表現される事柄が、假想された事柄、將來に起こると推量される事柄については、それに對する陳述に、推量の助動詞を用ゐることが嚴格に守られてゐる。特に連體格になる場合にも、これが守られてゐたことは、現代口語に比して著しい特徴といふことが出來る。例へば、口語において、
出かける時は、知らせて下さい。
(172)といふ場合、「出かける」といふ事柄は、現實のことでなく、將來に起こると推量される事柄であるが、その陳述に、推量の助助詞が用ゐられるといふことはない。「出かけるだらう〔三字二重傍線〕時」といふ云ひ方は、口語では一般的ではない。ところが、文語では、このやうな場合に、推量の助動詞を用ゐることが普通である。既に擧げた例において、
かたはら痛しと思されむ〔二重傍線〕(こと)こそゆかしけれ
待ち顔ならむ〔二重傍線〕夕暮
は、それであつて、口語では、このやうな場合に、特に推量の助動詞を用ゐることはない。このやうなことは、「らむ」「べし」等にも云はれることである。
「む」の已然形に「や」或は「やも」が附いて、「めや」或は「めやも」といふ云ひ方がある。
さ百合花、ゆりも逢はむと下ばふる心しなくば今日も經め〔二重傍線〕やも〔二字二重傍線〕(萬葉集、四一一五)
右のやうに、已然形に「や」が附くことは、「む」の場合に限らず、他の動詞、形容詞、助動詞の已然形にもあることである。例へば、
かくしても相見るものを少くも年月經れば戀しけれやも〔二字二重傍線〕(萬葉集、四一一八)
は、形容詞の已然形に附いた場合である。ところが、この接續法は、平安時代以後には、動詞「あり」、助動詞「なり」の已然形にのみ限定されるやうになつた(それも和歌に限ら(173)れてるた)一般には、「や」は、終止形に附くことになつた(本居宣長『詞の玉緒』卷四、七)。
「む」の終止形に、「とす」が附いて、「むとす」「むず」といふ云ひ方は、一般に、終止形に「とす」が附く接續と、別のものではない。この場合の「す」は、サ變動詞の助動詞的に用ゐられたもので、「とす」は、「とあり」「にあり」に近いものと見ることが出來る。從つて、「むとす」「むず」は、推量の意味を強めたものと云つてよい。
「今秋風吹かむ折にぞ來む〔二重傍線〕ずる〔二字右○〕。待てよ」(枕草子、蟲は)
狹井川よ雲立ちわたり畝火山木の葉さやぎぬ風吹かむ〔二重傍線〕とす〔二字二重傍線〕(古事記、中)
まし
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
まし (ませ) ○ まし まし ましか ○
「ませ」は、「ば」と結合した「ませば」といふ形だけが、奈良時代に見られる。平安時代には、「ましかば」が、その代りに用ゐられた。
かくばかり戀ひむとかねて知らませ〔二字二重傍線〕ば、妹をぞ見ずぞあるべくありける(萬葉集、(174)三七三九)
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の未然形に附く。
○形容詞及び打消の「ず」に附く場合には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
のどげからまし〔二字二重傍線〕(のどけく−あら−まし)
思はざらまし〔二字二重傍線〕(思はず−あら−まし)
(二) 下への接續
○連體形に「を」或は「ものを」が附く。
悔しかも、かく知らませば、あをによしくぬちことごと見せまし〔二字二重傍線〕ものを〔三字右○〕(萬葉集、七九七)
妹(一)が家もつぎて見まし〔二字二重傍線〕を〔右○〕、大和なる大島の嶺に家もあらまし〔二字二重傍線〕を〔右○〕(同、九一)
三 用法
「まし」は、話手によつて假想された事實の中で、現實には起こり得ない、また考へ得られないやうな事柄の判斷として用ゐられる。
高光る我が日の皇子の萬代に國知らさまし〔二字二重傍線〕島の宮はも(萬葉集、一七一)
(175) 日並皇子殯宮の時の歌で、「日の皇子の萬代に國知らす」といふことは、皇子の薨去せられた後においては、もはや實現し得ない事實であるために、その陳述に「まし」が用ゐられ、更にそれが「島の宮」の連體修飾語となつてゐる。
高光るわが目の皇子のいましせば、島の御門は荒れざらまし〔二字二重傍線〕を(萬菓集、一七三)
「島の御門が荒れない」といふことは、あり得ない事實であるために「まし」が用ゐられた。「いましせば」は、「あり」の敬語「います」に、過去の助動詞「き」の未然形が附いたものでここでいふ「まし」とは無關係である。
「まし」が、それが附く語の人稱によつて、第一人稱の場合は、意志、第二人稱の場合は勸誘命令の意を帶びることがあることは、「む」の場合と同じである。
やすみしゝ我が大君の夕されば召し給ふらし、明けくれば、問ひ給ふらし、神岳の山のもみちを、今日もかも問ひ給はまし〔二字二重傍線〕、明日もかもめし給はまし〔二字二重傍線〕、その山をふりさけ見つつ、夕されば、あやにかなしみ、あけ來れば、うらさびくらし、あらたへの衣の袖は、ひる時もなし(萬葉集、一五九)
天武天皇崩御の時、大后の作られた歌として出てゐるもので、「問ひ給ふ」「召し給ふ」といふことは、全く實現不可能なことを想定してゐるがために「まし」が用ゐられたのであるが、それは、天皇即ち第三人稱に附いて用ゐられてゐるので、これは單純な作者の推量(176)表現と見ることが出來る。
……など聞ゆれば、(源氏)「たしかにその車を見まし〔二字二重傍線〕」と宣ひて(源氏、夕顔)
惟光が夕顔の花の咲く家に車の出入りすることを報告する言葉を受けて、源氏が宣ふ言葉である。「たしかにその車を見む〔二重傍線〕」といふやうに「む」を用ゐれば、「車を見る」ことが、實現可能の場合であるが、今ここに「まし」が用ゐられたのは、その事の實現を固く期待してゐるのではなく、出來たら、さうしたいのであるが、そのやうなことは恐らく不可能であらうと考へられるやうな事實であるために「まし」が用ゐられ、かつ、第一人稱の行爲に關する語についてゐるので、意志を含んでゐる。
見る人もなき山里の櫻花、外の散りなむ後ぞ咲かまし〔二字二重傍線〕(古今集、春上)
「山里の櫻花」に呼びかけた表現である。從つて、「咲かまし」は、第二人稱に關する動詞に附いてゐるので、勸誘命令の意味を含む。「外の散りなむ後に咲く」といふことは、たとへ、願つても實現不可能なこと故、「まし」が用ゐられたのである。
「まし」が、條件になる場合に、奈良時代には、「ませば」といふ云ひ方が行はれたことは既に述べたが、平安時代には、已然形の「ましか」が用ゐられるやうになつた。
あはれと思ひしほどに、煩はしげに思ひまつはす氣色見えましか〔三字二重傍線〕ば、かくもあこがらさざらまし(源氏、帚木)
(177)右の「ましか」を、未然形と見ないで、已然形とするのは、それが、「こそ」の結びくに用ゐられるからである。
をしむにし花の散らずば今日もただ春ゆくとこそ〔二字右○〕よそに見ましか〔三字二重傍線〕(赤染衛門集)
(一) この歌に出てゐる二つの「を」については、助詞「を」の項參照。感動助詞と見るべきであらうか。上の「まし」は、第一人稱の行爲に附いてゐる故、意志を含んでゐる。次の「まし」は、家に呼びかけた云ひ方と見れば、「家よ。あれかし」の意味となり勸誘の表現となる。左註の「一云家居麻之乎」をとれば、第一人稱に附いたものとして意志に解せられる。
らむ(らん)
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
らむ ○ ○ らむ らむ らめ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の終止形に附く。
(178) ○ラ變動詞「あり」及びそれと同じやうに活用する助動詞には、連體形に附く。
○上一段動詞「見る」「似る」等には、語尾が脱落して、次のやうに云ふことがある。
見らむ〔二字二重傍線〕(見る−らむ)
○形容詞、及び打消の「ず」には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
戀しかるらむ〔二字二重傍線〕(戀しく−ある−らむ)
聞えざるらむ〔二字二重傍線〕(聞えず−ある−らむ)
(二) 下への接續
○連體形に體言が附いて、次のやうに云ふ。口語には、これに相當する云ひ方がない。
今は鳴くらむ〔二字二重傍線〕鶯の聲(萬葉集、三九一五)
○「む」と同樣に、「らむ」には、他の助動詞が附かない。
(三) 用法
「らむ」は、話手によつて推量された事實の中で、
(一) 話手が實際經驗してゐないが、現在それが實現してゐると推量される事柄
(二) 話手の主觀的判斷を交へた事柄
(三) 話手が他から傳へ聞いた事柄
(179)等の判斷に用ゐられる。
高圓の宮の裾みの野つかさに、今咲けるらむ〔二字二重傍線〕をみなへしはも(萬葉集、四三一六)
右の歌は、萬葉集の左註に、「大伴宿禰家持、獨憶(ヒテ)2秋野1聊述(ベテ)2拙懷1作(ル)v之」とある六首の中の一つで、作者は、高圓の宮の光景を實際に見てゐるのではなく、それを想像して詠んだために、「らむ」が用ゐられたのである。(一)
たまきはる内の大野に馬並めて朝踏ますらむ〔二字二重傍線〕その草深野(萬葉集、四)
も」同じ事情の下における制作である。
久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ〔二字二重傍線〕(古今集、春下)
右の歌において、「花が散る」といふ事實は、作者の經驗した事實である。しかし、「しづ心なく」といふことは、花の氣持ちを想像した作者の主觀的判斷である。このやうな主觀的判斷を交へた場合、全體の陳述には、「らむ」が用ゐられるのである。(二)
春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人の行くらむ〔二字二重傍線〕(古今集、春上)
「春日野の若菜つみにや」といふことは、作者の主觀的判斷であるために、「白妙の袖ふりはへて人の行く」といふことが現實の經驗であるにも拘はらず、「らむ」が用ゐられる。
打ちなびく春を近みか、ぬばたまのこよひの月夜霞みたるらむ〔二字二重傍線〕(萬葉集、四四八九)
同樣に、「月夜の霞んでゐる」ことは、現實の經驗であるが、「打ちなびく春を近みか」と(180)いふのが、主觀的判斷であるために、全體の陳述が「らむ」になるのである。このやうな語法は、現代語にも見られることで、
怪しいものが來たので、犬が鳴いてゐるのでせう〔三字二重傍線〕。
「犬が鳴いてゐる」ことは、確實な經驗でありながら、「怪しいものが來たので」といふ主觀的判斷のために、全體が推量判斷となるのである。
次に、
古に戀ふらむ〔二字二重傍線〕鳥は、ほととぎす、けだしや鳴きしわが戀ふるごと(萬葉集、一一二)
における「らむ」の用法であるが、この歌は、「幸(セル)2于吉野宮1時、弓削皇子贈2與額田王1歌」として、弓削皇子の贈られた次の歌の返歌である。
古に戀ふる鳥かも弓絃葉の三井の上より鳴きわたりゆく(萬葉集、一一一)
右の贈歌は、弓削皇子の經驗として、ほととぎすを、父君天武天皇を戀ひしたふものと斷定して詠んだ。額田王の返歌は、皇子の云つた言葉を受けてゐるので、「古に戀ふらむ鳥」と云つたのである。このやうに、自己の直接の經驗でなく、他人の經驗に基づく事實を述べる場合の判斷にも、前例同樣「らむ」を用ゐるのである。
卯の花は、品劣りて何となけれど、咲く頃のをかしう、ほととぎすの、陰に隱るらむ〔二字二重傍線〕と思ふにいとをかし(枕草子、木の花は)
(181) 「ほととぎすが、卯の花の陰に隱れる」といふことは、古歌に詠まれた事實であるために、「らむ」が用ゐられた(春曙抄には、人丸の歌として、「なく聲をえやは忍ばぬほととぎす初卯花のかげにかくれて」を擧げている)。
桐の花、紫に咲きたるは、なほをかしきを、葉のひろごりさまうたてあれども、またこと木どもと、ひとしう云ふべきにあらず。もろこしに、ことごとしき名附きたる鳥の、これにしも栖むらむ〔二字二重傍線〕、心ことなり(枕草子、木の花は)
鳳凰は、梧桐にあらざれば栖まずといふことが、支那の本文にあることを承けてゐるのである。
(一) 同じ時の六首の中の一に、
ますらをの呼び立てしかば、さを鹿の胸《むな》わけ行かむ〔二重傍線〕秋野萩原(萬葉集、四三二〇)
のやうに、「らむ」を用ゐるべきところに、「む」が用ゐられてゐるのは、音數律の制約によるものとも考へられるが、また、「む」は、廣く假想の事實に用ゐられるから、通用したものであらう。また同じ時に詠んだ
宮人の袖つけ衣秋萩ににほひよろしき高圓の宮(萬葉集、四三一五)
も當然、想像的事實であるが、「らむ」も「む」も用ゐず、「にほひよろしき」といふやうな實感的衷現の語法を用ゐてゐる。これは、想像された事實を、想像された事實としてゞなく、現實に經驗したものとして表現するからである。右のこととは、反對に、現實に經驗してゐる事(182)實でも「らむ」によつて表現することがある。いはゆる婉曲表現と云はれるものがそれである。
(二) 「久方」の歌の「らむ」を、本居宣長は、「かな〔二字二重傍線〕の意に通ふらむ〔二字二重傍線〕」として説いてゐる(『詞の玉緒』卷六)。「らむ」の用例を列擧した後に、「件の歌どもらん〔二字二重傍線〕とは結びたれども、皆其事を凝ふにはあらず、然るゆゑを疑へるてにをは〔四字傍点〕なり。さる故に皆かな〔二字二重傍線〕といふに通へり。(中略)ひさかたの光のどけき云々の歌は『しづ心なく花のちるかな〔二字二重傍線〕、何としてしづ心なく花のちるらん』といふ意なり。」と述べてゐる。この宣長説の根據は、中世のてにをは研究の説を受けたものであつて、例へば、『春樹顯秘抄』第一、「はねてにをはの事」の條に、「らん〔二字二重傍線〕とうたがはんこと是らの詞いらずしてはねられ侍らぬにぞ」として、「か」「かは」「かも」「なに」「など」「なぞ」「いづち」等の疑間の語を擧げてゐる。即ち、「らむ」を疑ひのてにをは〔四字傍点〕と考へ、それを用ゐるには、上に疑ひの語を必要とするといふのである。時に、疑ひの語を略して、「らむ」を用ゐることがあるとして、この「ひさかたの」の歌を擧げてゐる。宣長が、「何故に」といふ語を補つて解釋すると云つたのはそれである。しかしながら、この説は、中世以降の「らむ」の用法から結論された解釋説であつて(平安時代はその過渡期をなすと考へられる)、これを以て、「らむ」の用法の全般を推すことには問題があると思ふのである。「らむ」を用ゐるには、その上に、疑ひの語を必要とすると云つたのは、主觀的判斷を伴ふ場合に、「らむ」が用ゐられることが多いためで、本文中に擧例した「春日野の若菜つみにや〔二重傍線〕」の「や」がそれに當るのである。「ひさかたの」の歌について云へば、主觀的判斷を表はす語は、「しづ心なく」であるから、「春日野の」の歌に合せるならば、「しづ心なくか〔二重傍線〕花の散るらむ」といふべきところであつて、宣長説のやうに、「何故に」といふ語を補つて解釋すべきではないのである。しかし、中世
(183) さびしさをなぐさむ宿の花盛り、ひごろ音せぬ人のとふらむ〔二字二重傍線〕(續草庵集玉箒一)
のやうに、「何とて淋しくもなき、この盛りに訪れるのであらう」といふやうに、「らむ」を、專ら疑問の意に呼應するものと考へてゐた。
君を置きてあかずも誰を思ふらん〔二字二重傍線〕(水無瀬三吟)
も同樣で、「誰をか思はむ」の意味に用ゐたので、現在推量といふことは、ここでは當てはまらない。
次に、宣長が「かな」に通ふと云つたことについてゞある。「らむ」が「かな」に通ずるやうに見えるのは、「らむ」そのものに、詠嘆の意味があるためではなく、この歌の下の句「花の〔右○〕散るらむ〔二字二重傍線〕」の構造に基づいてそのやうな意味が出て來るものと考へなければならない。「花の散るらむ」は、「花の散るらむこと」の「こと」を省略したもので、全體が、獨立格の構造を持つのである。從つてその文末には、感動を表はす助詞が省略されたものと考へなければならない。ここに、この文が、詠嘆と解せられる根據があるのである。一首は、
花の散るらむ(ことよ)
の意味となる。
心ざし深くそめてしをりければ、消えあへぬ雪の〔右○〕花と見ゆらむ〔二字二重傍線〕(古今集、春上)
わがやどに咲けるふぢなみ立ちかへり過ぎがてにのみひとの〔右○〕見るらむ〔二字二重傍線〕(同、春下)
は、皆同一構造で、省略によつて詠嘆と解せられるのであるが、
あごの浦に船乘りすらむ〔二字二重傍線〕をとめらが、玉裳のすそに潮滿つらむ〔二字二重傍線〕か(萬葉集、四〇)
(184) 袖ひぢて帯びし水の凍れるを、春立つ今日の風やとくらむ〔二字二重傍線〕(古今集、春上)
においては、詠嘆とは解せられない。「らむ」そのものは推量であって、詠嘆とは云ふことの出來ない證據である。
けむ(けん)
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
けむ ○ ○ けむ けむ けめ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の連用形に附く。
○形容詞、それと同じやうに活用する助動詞及び「ず」には、助動詞「あり」を介して附く。
心もとなかりけむ〔二字二重傍線〕(心もとなく−あり−けむ)
頼むべかりけむ〔二字二重傍線〕(頼むべく−あり−けむ)
(185) 行かざりけむ(行かず−あり−けむ)
また、「けむ」が、直に「ず」に附く場合もある。
咲きで來ずけむ〔二字二重傍線〕(萬葉集、四三二三)
求めあはずけむ〔二字二重傍線〕(同、四〇一四)
○「またげむ」「やすけむ」の「けむ」は、形容詞の古い語尾「またけ」「やすけ」に、推量の助動詞「む」が附いたもので、この「けむ」とは別である。
(二) 下への接續
○已然形「けめ」に助詞「や」「やも」が附いて、「けめや」「けめやも」となる。
しな照る片岡山に飯に飢《ゑ》て臥《こや》せる其の旅人あはれ、親なしに汝なりけめや〔三字二重傍線〕、さす竹の君はや無き飯に飢て臥せるその旅人あはれ(推古紀、卷二二)
まき柱作るそま人いささめにかりほの爲と作りけめやも〔四字二重傍線〕(萬葉集、一三五五)
三 用法
「らむ」が、推量された現在の事實に用ゐられるのに對して、「けむ」は、推量された過去の事實の判断に用ゐられる。「らむ」について區別した三つの場合を、「けむ」に適用するならば(この三つの場合は、本質的には同じものである)、
(一) 話手が實際經験してゐないが、過去において、それが實規したと推量される事(186)柄
(二) 話手の主觀的判斷を交へた過去の事柄
(三) 話手が他から傳へ聞いた過去の事柄
等の判斷に用ゐられる。
ますらをの靱《ゆぎ》取り負ひて出でゝいけば、別を惜しみ嘆きけむ〔二字二重傍線〕妻(萬葉集、四三三二)
右は、「2司痛防人悲v別之心1作歌」の反歌で、作者家持の想像した過去の事實であるが故に 「けむ」が用ゐられた。
つとめて、御前に參りて啓すれば、「さる事も聞えざりつるを、よべのことにめでて、入りにたりけるなめり。あはれ、あれをはしたなくいひけむ〔二字二重傍線〕こそ、いとほしけれ」と笑はせ給ふ(枕草子、大進生昌が家に)
清少納言が、生昌をはしたなく云つたといふことは、中宮の現實には、經驗せられなかつた事實であり、また、中宮の主觀的判斷に基づく事實であり、また、清少の報告に基づく傳聞の事實でもあるのである。
古にありけむ〔二字二重傍線〕人の倭文はたの帶ときかへてふせ屋立て妻問ひしけむ〔二字二重傍線〕葛飾の眞間の手兒名がおくつきを、こことは聞けど、眞木の葉や茂りたるらむ松が根や遠く久しき、言のみも名のみも我は忘らえなくに(萬葉集、四三一)
(187)右は、眞間の手兒名の傳説を詠んだもので、後半は現實の見聞を敍したものであ 前半は、傳聞に基づく事實であるために「けむ」が用ゐられてゐる。
べし
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
べし べく べく べし べき べけれ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の終止形に附く。
○形容詞及び打消の「ず」には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
高かるべし〔二字二重傍線〕(高く−ある−べし)
行かざるべし〔二字二重傍線〕(行かず−ある−べし)
○ラ變動詞、及びそれと同じ活用をする助動詞には、連體形に附く。
あるべし〔二字二重傍線〕
(188) あはれなるべし〔二字二重傍線〕
○上一段動詞に接續する場合には、終止形の語尾を省略して、次のやうに云ふことがある。
見るべし〔二字二重傍線〕……見べし〔二字二重傍線〕
(二) 下への接續
○「べし」に接尾語「み」が附いて、「べみ」と云ふ。「山高み」「露をおもみ」などの形容詞の語幹に、「み」が附いたものと同じである。
なげきせば人知りぬべみ〔二字二重傍線〕山川のたぎつ心をせかへたるかも(萬葉集、一三八三)
○「べし」に、助動詞「む」が附く場合に、「べからむ」と云ふところを、「べけむ」と云ふ古い形がある。「安からむ」を、「安けむ」と云ふのと同じである。(一)
三 用法
「べし」は、話手によつて、「さうあるのが當然であり、また必然である」と考へられた事柄や、實現が可能であると推定された事柄の判斷に用ゐられる。
雨降るべし〔二字二重傍線〕
における「雨降る」は、話手によつて、現實に經驗された事實ではなく、そのやうなことが、必然的に起こると考へられてゐる事實であるために、判斷の辭として、「べし」が用(189)ゐられたのである。
しばしばも見放けむ山を心なく雲の隱さふ(二)べし〔二字二重傍線〕や(萬葉集、一七)
某の阿闍梨そこにものする程ならば、此所に來べき〔二字二重傍線〕よし忍びて云へ(源氏、夕顔)
右の、「此所に來べき」は、第二人稱に向つて傳達すべき言葉の内容である。第二人稱の行爲を、當然であり、必然であるとする云ひ方は、結果的に見れば、相手の行爲を促すことであり、命令することになるが、この語自身は、推量判斷を云つたものである。從つて、
枝を折るべからず
は、本來は、「枝を折る」といふことが、當然あつてはならぬことと考へられてゐることを表明したものに過ぎないのであるが、今日の語感では、強い命令として受取られるやうになつた。
されどこの扇の尋ぬべき〔二字二重傍線〕故ありて見ゆるを、なほこのあたりの心知れらむ者を召して問へ(源氏、夕顔)
右の文において、「尋ぬべき」の主語は、「源氏」であり、この文の話手であるから第一人稱である。第一人稱に關する行爲について、これを必然であるとするのは、結果的に見れば、話手の意志を表現したことになるのである。
「べし」の系統に屬する語に「べらなり」があつて、延喜前後に流行した。
(190) 峰高き春日の山にいづる日はくだるときなくてらすべらなり〔四字二重傍線〕(古今集、賀)
ふる里をわかれてさける菊の花たひらかにこそにほふべらなれ〔四字二重傍線〕(古今六帖、六)
(一) 山田孝雄博士『漢文訓讀により傳へられたる語法』(一一六頁)には、平安時代の用例として、次のやうなものを擧げられた。
まことやきこえむとしつることはあす御くるまたまふべけむ〔三字二重傍線〕(うつぼ、國讓下)
山田博士は、「べけむ」を、「べからむ」とあるべきを約めていつたものとされてゐる。これに對して、「べけ」を一の活用語尾とし、それに「む」が附いたものとする説がある(安藤正次『古代國語の研究』國語語詞の構成)。
春日政治博士『金光明最勝王經古點の國語學的研究』(乾、一二頁)に次のやうな例が擧げられてゐる。
多羅の菓《み》生しヌ可クなり〔ィ可《べ》ケム〕
(二) 「べしや」の「や」は、反語である。「無情にも雲が隱してしまふ」といふことは、あつてはならないことと作者によつて考へられてゐる事實であるために、それに對應して、「べしや」が用ゐられた。
めり
一 活用形
(191)語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
めり ○ めり めり める めれ ○
二 接續
○動詞、助動詞の終止形に附く。
○形容詞及び打消助動詞の「ず」には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
○ラ變動詞及びそれと同じやうに活用する助動詞に附く場合には、次のやうに云ふ。
美しかめり〔二字二重傍線〕(美しく−あり−めり……美しかンめり)
はべらざめり〔二字二重傍線〕(はべらず−あり−めり……はべらざンめり)
三 用法
推量された事柄の判斷に用ゐられることは他の推量助動詞と同じで、過去、現在に通じて用ゐられる。
あやしう短かゝりける人の御契にひかされて、我も世にえあるまじきなめり〔二字二重傍線〕(源氏、夕顔)
「あるまじき」は、連體形では下に「こと」が省略されたと見ることが出來る。「なめり」は、指定の助動詞「なり」に「めり」が接續したもので、全體が推量的陳述になる。
(192) たつた川紅葉みだれて流るめり〔二字二重傍線〕わたらば錦中や絶えなむ(古今集、秋下)
右は、想像された事實の陳述に用ゐられたものでなく、現に經驗した事實に用ゐられてゐる。これは、「流る」といふ斷定的な云ひ方を、柔げて婉曲に云つたものとみることが出來る。
かれ見給へ。かゝる見えぬものあめる〔二字二重傍線〕を(枕草子、大進生昌が家に)
大進生昌が清少納言たちの局に現れたことは、現に經驗された事實であるが、これを、「見えぬものあるを」と云へば、斷定的に云ふことになるので、それを婉曲に云ふために、「める」が用ゐられたものであらう。
らし
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
らし ○ ○ らし らし らし ○
らしき
二 接續
(一) 上への接續
(193) ○動詞、助動詞の終止形に附く。
○形容詞及び打消の「ず」には、指定の助動詞「あり」を介して附く。
○助動詞「あり」「なり」「けり」の連體形に附く。その際、語尾が省略されて、「あらし」「ならし」「けらし」などと云ふ。
(二) 下への接續
○連體形「らしき」は、「こそ」或は「か」の結びとして用ゐられて、體言に接續することはない。
うべしこそ見る人ごとに語り繼ぎしのびけらしき〔三字二重傍線〕百世經て偲ばえゆかむ清き白濱(萬葉集、一〇六五)
うべしかも蘇我の子らを大君のつかはすらしき〔三字二重傍線〕(推古紀)
○「らし」は、體言に接續すると同時に、「こそ」の結びとしても用ゐられる。
みかの原ふたぎの野邊を清みこそ大宮處定めけらし〔二字二重傍線〕も(萬葉集、一〇五一)
三 用法
同じく推量の助動詞である「らむ」と比較して見るのに、「らむ」は、純粹に話手の主觀的、想像的な事實の判斷に用ゐられるのであるが、「らし」の方は、ある客觀的な根據によつて、そのやうに想像することに理由があるやうな事實の判斷に用ゐられる。從つて、(194)「らし」は、現代口語の「らしい」よりも、「……にちがひない」といふ云ひ方に近接してゐると見ることが出來る。
春過ぎて夏來るらし〔二字二重傍線〕白妙の衣ほしたり天の香具山(萬葉集、二八)
野邊見れば、なでしこの花咲きにけりわが待つ秋は近づくらし〔二字二重傍線〕も(同、一九七二)
右においては、「白妙の衣ほしたり」「なでしこの花咲きにけり」といふ客觀的な事實が、それぞれ、「夏來たるらし」「秋は近づくらし」、といふ判斷の根據となつて、單なる主觀的な想像以上の判斷となつてゐる。
「らし」は、「らむ」と同樣に、推量判斷の表現であるから、判斷される事實の中に、主觀的判斷が含まれることは共通してゐる。
わがせこが、かざしの萩に置く露をさやかに見よと月は照るラシ〔二字二重傍線〕(萬葉集、二二二五)
「月は照る」といふ事實は、想像的事實でなく現實的經驗である。しかし、「わがせこのかざしの露を見よ」といふことは、作者の主觀的判斷である爲に、全體を、「らし」で結んだのである。この場合、「らむ」を用ゐずに「らし」が用ゐられた理由は、そのやうに判斷すべき根據が明示されなくても、心の内に、そのやうに推量される確信を持つてゐる爲であらう。
よろづ代に語り繼げとし、この岳にひれ振りけらし〔二字二重傍線〕松浦佐用姫(萬葉集、八七三)
(195)「よろづ代に語り繼げ」といふことは、作者の解釋であるが、それが確信的であるために、「らし」が用ゐられた。もし、單なる想像の場合は、「ひれ振りけむ」と云ふところである。
なり(推定、傳聞)
一 活用形
語/活用形 未然形 連用形 終止形 連體形 已然形 命令形
なり ○ なり なり なる なれ ○
二 接續
(一) 上への接續
○動詞、助動詞の終止形に附く(指定の助動詞の「なり」は、連體形に附く)。四段活用に接續する場合には、終止形連體形が同じであるために、指定の助動詞と區別することが、外形上は出來ないが、指定の「なり」が附く場合は、上の連體形は、體言相當格になる。
○ラ變動詞及び指定の助動詞「あり」に附く場合には、その語尾が撥ねる音になる(196)が、表記の上には表はされない。
あなり〔二字二重傍線〕(あり−なり……あンなり)
ざなり〔二字二重傍線〕(ず−あり−なり……ざンなり)
(二) 下への接續
○連用形から他の助動詞(「き」「つ」等)に接續する場合もあり得る。(一)
三 用法
江戸時代以來、詠嘆の「なり」と云はれ、口語の「ヨ」「ワイ」に相當するものと云はれて來たものである(二)が、松尾捨治郎博士によつて、推定、傳聞の意を表はすものと説かれた。(三〉
男もすなる〔二字二重傍線〕日記といふものを、女もしてみんとてするなり(土佐日記)
「男もす」といふことは、作者の直接經驗したことではなく、傳聞したことであるために、その陳述に「なる」が用ゐられたのである。この「なる」は、用言の零記號の陳述が置き換へられたものである。文末に置かれた「なり」は、指定の助動詞で、常に體言に附くのである。この場合は、連體形「する」に附いてゐるが、「する」の下に被修飾語「こと」が省略されてゐると見るべきである。
このかう申すものは瀧口なりければ、弓弦いとつき/”\しく打鳴して、「火危し」と(197)いふ/\、預が曹司の方へいぬなり〔二字二重傍線〕(源氏、夕顔)
「預が曹司の方へ往ぬ」といふことは、源氏の心中の言葉で、源氏の推定した事實であるために、陳述が「なり」となつたのである。
(一) 『廣日本文典』には、推定、傳聞の「なり」には、連用形の用法がないやうに説かれてゐるが、松尾捨治郎博士は、次のやうな例を擧げて、これをこの助動詞の連用形の用法とされた(『國文法論纂』三四四頁)。
曉「盗人あり」といふなり〔二字二重傍線〕つるはなほ枝などを少し折るにやとこそ聞きつれ(枕草子釋泉寺供養)
故宮うせ給ひて、この大臣の通ひ給ひし事を、いと淡つけい樣に、世の人もどくなり〔二字二重傍線〕しかど(源氏、竹河)
(二) 秋の野に人まつ虫の聲すなり〔二字二重傍線〕我かと行きていざとぶらはむ(古今集、秋上)
の「なり」について、本居宣長は、『古今集遠鏡』總論で、「春くれば雁かへるなり、人まつ虫の聲すなり、などの類のなりは、あなたなる事を、こなたより見聞ていふ詞なれば、これは、アレ雁ガカヘルワ、アレ松虫ノ聲ガスルワなど譯すべし」と述べて説明としては、推定の意としながら、口譯においては、詠嘆の意に解した。
富士谷成章は、「末なり」(終止形接續の意)と稱して、口譯「ハイ」を當て、「聲すなり」を、「聲すルハイ」とした。
このやうに江戸時代の學者が、終止形接續の「なり」を、詠嘆と解したのは、當時の和歌の制作におい、てこれが詠嘆の辭としで用ゐられてゐたといふ實際を反映したものと思はれるの(198)である。
月清み酒はと問へど少女どもゑみて答へもなげに見ゆなり〔二字二重傍線〕(大隈言道、草徑集、上)
ただよひて今までありし中空の雲くづれても時雨降るなり〔二字二重傍線〕(同)
もえわたる小草の緑はる/”\と霞める野邊に駒あさるなり〔二字二重傍線〕(中島廣足、橿園歌集、春)
かきくらすしぐれの空に飛ぶさぎの羽色さやかに入日さすなり〔二字二重傍線〕(同)
右は、いづれも、「時雨降るかな〔二字二重傍線〕」「駒あさるかな〔二字二重傍線〕」の意味で用ゐられたものと解せられるのである。
(三) 松尾捨治郎『國語法論攷』第六章第六節、終止形所屬のなり〔二字傍線〕非詠歎論。
(二) 助詞
イ 格を表はす助詞
格を表はす助詞とは、事物事柄に對する話手の認定の中、事物事柄相互の論理的關係を表はす語を云ふ。
が
(一) 體言或は體言相當格に附いて、それが、下の語の所有格になってゐることを表は(199)す。
我が〔二重傍線〕家 君が〔二重傍線〕代
齋玉作等我〔二重傍線〕持淨麻波利造仕禮留瑞八尺瓊能御吹夜乃五百都御統乃玉(大殿祭)
右の「我《が》」は 體言「齋玉作等《いみたまつくりら》」に附いて、それが、下にある體言「玉」の所有格であることを示す。
奈良麿我〔二重傍線〕兵起爾被雇多利志秦等(宣命、第二一)
右の「我《が》」も同様に、體言「奈良麿」が、下の「兵起《いくさおこす》」の所有格になつてゐることを表はす。この場合、「兵起」は、連體形であって、體言と同格と認めることが出來る。即ち、「奈良麿の兵起こすことに」の意である。從つて、
佐野山に打つや斧|音《と》の遠かども、寢もとか子ろ賀〔二重傍線〕、面に美要都留(萬葉集、三四七三)
における「美要都留」(見えつる)が連體形になつてゐることも、「見えつること」の意味である。
致仕の大臣も、またなくかしづく一人女(葵上)を、このかみの坊にておはする(朱雀院)には奉らで、弟の源氏にていときなきが〔二重傍線〕元服の添臥に取りわき(源氏、賢木)
「弟の源氏にていときなき」は、形容詞連體形で、「が」に接續するのであるが、全體で、體言相當格と認められる。それが、「元服の添臥」に對して、所有格に立つてゐることが(200)「が」によつて示されてゐるのである。
(二) 「いとよく隱したりと思ひて、ちひさき兒どもなどのはべる〔ち〜傍線〕が〔二重傍線〕、ことあやまちしつべきもいひ紛はして、また人なきさまをなむ強ひてつくり侍る」など語りて笑ふ(源氏、夕顔)
いとやむごとなき際にはあらぬ〔い〜傍線〕が〔二重傍線〕すぐれてときめき給ふありけり(同、桐壺)
右の「が」は、傍線の體言相當格に附いて、それが主語であることを表はすやうにも見えるが、なほ、下にある連體形の體言相當格に對する所有格を表はすものと見られる。
(三) 從屬句の體言或は體言相當格に附いて、それが主語或は對象語であることを表はす。
青山に日賀〔二重傍線〕かくら〔三字右○〕ば(古事記上、沼河日賣の歌)
むなしき御骸を見る/\、なほおはするものと思ふが〔二重傍線〕、いとかひなければ〔六字右○〕、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ(源氏、桐壺)
女御とだにいはせずなりぬるが〔二重傍線〕、飽かず口惜しう〔四字右○〕おぼさるれば(同、桐壺)
(中君)「一日嬉しく聞き侍りし心の中を、例のただ結ぼほれながら過ぐし侍りなば、思ひ知る片端をだにいかでかはと口惜しさに」と、いとつゝましげにのみ宣ふが〔二重傍線〕、いたくしぞきて、絶え/\ほのかに聞ゆれば、心もとなく〔五字右○〕て(同、宿木)
においては、「が」は、圏點で示した述語に對する主語或は對象語に附いてゐる。
(201)の
(一) 體言に附いて、所有格を表はす。連體修飾格を表はす「の」は、指定の助動詞とみなす。
天皇命能〔二字傍線〕手長長大御世(出雲國造神賀詞)
宮の〔二重傍線〕御たうばり(源氏、賢木)
世の〔二重傍線〕人(同、夕顔)
(二)附屬句の主語格を表はす。
汝《いまし》藤原朝臣乃〔二重傍線〕仕状此者《つかへまつれるさまは》(宣命、第二)
春の〔二重傍線〕着る霞の衣(古今集、春上)
年のはに春の〔二重傍線〕來たらばかくしこそ梅をかざして樂しく飲まめ(萬葉集、八三三)
(三) 獨立格の文の主語格を表はす(第三章文論三(四)獨立格參照)。
み吉野の山の白雪ふみわけて入りにし人の〔二重傍線〕音づれもせぬ(古今集、冬)
春立てば花とや見らむ白雪のかゝれる枝に鶯の〔二重傍線〕鳴く(同、春上)
秋萩のしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音の〔二重傍線〕さやけさ(同、秋上)
(202)い
(一) 主語になつてゐる體言及び體言相當格に附く。
枚方《ひらがた》ゆ笛吹き上る近江のや毛野《けな》の若子い〔二重傍線〕笛吹き上る(繼體紀)
仲麻呂伊〔二重傍線〕忠《ただしき》臣止之天侍都(宣命、第三四)
子波祖乃心|成《なす》伊〔二重傍線〕自《し》子爾波可在(同、第一三)
汝等の見るい〔二重傍線〕は〔者〕即是レ彼の佛なり(金光明最勝王經、五五)
(二) 連體修飾語に附く(強意を表はす限定助詞か)。
花待つい〔二重傍線〕間に嘆きつるかも(萬葉集、一三五九)
青柳の絲の細《くは》しさ春風に亂れぬい〔二重傍線〕間に見せむ子もがも(同、一八五一)
王緒の絶えじい〔二重傍線〕妹と結びてし言は果さず(同、四八一)
つ
體言に附いて所有格を表はす。
天つ〔二重傍線〕霧
ひるつ〔二重傍線〕方
な
體言に附いて所有格を表はす。
水《み》な〔二重傍線〕底
手な〔二重傍線〕末
手《た》な〔二重傍線〕心
を
(一) 客語になつてゐる體言及び體言相當格に附く。
此天下乎〔二重傍線〕治賜比諧賜岐(宣命、第三)
山の名と言ひ繼げとかも佐用姫が、この山のへに領巾遠〔二重傍線〕振りけむ(萬葉集、八七二)
あ乎〔二重傍線〕待つと君がぬれけむあしひきの山の雫にならましものを(同、一〇八)
秋つ羽の袖振る妹乎〔二重傍線〕たまくしげおくに思ふを見給へわ君(同、三七八)
(二) 對象語になつてゐる體言及び體言相當格に附く。
紫の匂へる妹〔傍線〕乎〔二重傍線〕にくくあらば、人妻故に我れ戀ひめやも(萬葉集、二一)
(204) さあらむや。誰かその使ひならし給はむをば、むつからむ。うるさきたはぶれ言いひかゝり給ふ〔五字傍線〕を〔二重傍線〕煩はしきに(源氏、玉鬘)
人(源氏)は心づきなしと思ひ置き袷ふこともあらむに、我(六條御息所)は今少し思ひ亂るゝ事の増るべき〔四字傍線〕を〔二重傍線〕、あいなしと心強く思すなるべし(同、賢木)
右の「を」は、動作の目的を示すとか(『廣日本文典』一七〇頁)、動作の影響を直接に受くる對者を示すものとする(山田孝雄『日本文法學概論』四一二頁)客語表示の概念では説明出來ないものである。思ふに、「を」は、感動の對象となる事物、事柄に附けるところの感動助詞を基本的のものとすれば、最初は、專ら、話手に對立した事物に附けて、用ゐたものであらう。即ち、話手が、ある事を自己の前に取出して、詠嘆することの表現である。次に、この關係を、第三者の場合に、適用すれば、第三者の動作、情緒に對立する事物を表示して、ここに格助詞としての用法が成立する。他動詞的な意味を持つ動作に對立する事物は、即ち客語である。ある情緒に對立する事物は、即ち對象語であつて、「を」は、對象語の格をも表示することが出來るといふことが分る。現代語では、このやうな場合、「が」を用ゐて、「妹がにくい」「いひかゝり給ふことが煩はしい」「増るべきことがあいなし」といふやうに云ふ。
(三) 環境を表はす語に附く。
(205) 寒き夜乎〔二重傍線〕いこふことなく、通ひつゝ作れる家に千代までに來まさむ君と我も通はむ(萬葉集、七九)
秋風の寒き朝け乎〔二重傍線〕佐野の岡越ゆらむ君に衣借さましを(同、三六一)
長き夜乎〔二重傍線〕獨りか寢むと君が云へば、過ぎにし人のおもほゆらくに(同、四六三)
霞立つ長き春日乎〔二重傍線〕、かざせれど、いやなつかしき梅の花かも(同、八四六)
衣手の名木の河邊乎〔二重傍線〕、春雨に我れ立ちぬると家思ふらむか(同、一六九六)
右は、動作や情緒に對立したものの概念を、更に擴張したものと考へられるもので、動作や情緒に對立する環境(時間、場所を含めて)を表示したものである。「の」にも、右のやうに環境を表示するものがあつて、
雨降らずとのぐもる夜之〔二重傍線〕、ぬれひでど戀ひつゝ居りき君持ちがてり(萬葉集、三七〇)
夏の夜の〔二重傍線〕、ふすかとすれば郭公鳴くひと聲にあくるしののめ(古今集、夏)
「を」の用法と、極めて近似してゐるのでであるが、「を」によつて表示された環境は、「の」の場合よりも、述語に對する關係が、より對立的であるためであるかとも考へられる。
(四) 接續助詞としての用法。
少將の命婦などにも聞かすな。尼君ましてかやうの事など諫めらるゝを〔二重傍線〕、恥かしくなむ覺ゆべき(源氏、夕顔)
(206) 若宮のいと覺束なく、露けき中に過し給ふも心苦しう思さるゝを〔二重傍線〕、疾く參り給へ(同、桐壺)
わざとあめるを〔二重傍線〕、早う物せよかし(同、花宴)
右のやうな用例は、一般に接續助詞の「を」として説明され、また、そのやうに解して意味が通ずるのであるが、右の場合を見るに、「を」は連體形に附いてゐるのであるから、體言相當格に附いたものと考へれば、上に述べて來た「を」の場合と全く別のものと考へる必要が無いことが分る。第一の例、
尼君ましてかやうの事など諫めらるゝを〔二重傍線〕、恥かしくなむ覺ゆべき
を、既に擧げた例、
紫の匂へる妹を〔二重傍線〕、にくくあらば
と比較する時、「を」が附いた事柄は、ともに、次に現れて來る思想、即ち、「はづかし」「にくし」の原因或は機縁となつた事柄を表示することにおいて共通してゐると見ることが出來るのである。第二の例も同樣で、「心苦しう思さるゝこと」が、「疾く參り給へ」といふ思想の原因、機縁となつてゐることを表はし、第三の例も同樣である。このやうに、ある事柄が、他の別の動作感情を制約することを表はすところから、「……なるによつて」或は「……なれど」といふ口譯があてられ、そこから、「を」を接續助詞とする見解も出て(207)來ると思ふのであるが、以上のやうに、「を」は、やはり、事物事柄相互の關係を表はす格助詞と見るべきではないかと考へられる。
君により言の繁きを〔二重傍線〕、古さとの明日香の河にみそぎしに行く(萬葉集、六二六)
戀しけば、袖も振らむを〔二重傍線〕、むさしののうけらが花の色にづなゆめ(同、三三七六)
闇の夜は苦しきものを〔二重傍線〕、いつしかとわが待つ月も早も照らぬか(同、一三七四)
とこしへに君も逢へやも、いさなとり海の濱藻の寄る時々(一)を〔二重傍線〕(允恭紀、衣通姫の歌)
いと若びたる聲の、ことに重りかならぬを〔二重傍線〕、人づてにはあらぬやうに聞えなせば、ほどよりはあまえてと聞き給へど(源氏、末摘花)
右の諸例は、皆同樣に解せられる。
感動助詞の「を」は、それに後續する思想を省略した場合の用法について云はれるものと考へることが出來る。即ち、事の原因、機縁のみが表現される云ひ方である。例へば、右に擧げた例歌の中で、初めの三首について、それぞれを、二句だけで止めたとしたならば、その時の「を」は感動助詞と見ることが出來るのである。
(五) 主語になつてゐる語に附く。
御賀のことを〔二重傍線〕、おほやけよりはじめ奉りて、おほきなる世のいそぎなり(源氏、藤裏葉)
右の文において、「おほきなる世のいそぎ」は、述語であつて、その主語は、「御賀のこと」(208)であるのに、それに「を」が用ゐられてゐる。これを圖式にあらはせば、
〔主語〕を〔二重傍線〕〔述語〕なり〔二字右○〕(「なり」の代りに「に」「と」を用ゐても同じ)
のやうになる。この場合、述語は必ずしも他動詞的意味のものではない。
見し人の煙を〔二重傍線〕雲と〔右○〕ながむれば、夕の空もむつまじきかな(源氏、夕顔)
なほその世に頼みそめ奉り給へる人々は、今もなつかしくめでたき御有樣を〔二重傍線〕、心やりどころに〔右○〕、參り仕うまつり給ふかぎりは、心を盡して惜み聞え給ふ(同、若葉上)
「げに今日を〔二重傍線〕かぎりに〔右○〕、この渚を別るゝこと」などあはれがりて(同、明石)
何事もらう/\しう物し給ふを〔二重傍線〕、思ふさまに〔右○〕て(同、須磨)
「いみじきこと(葵の上の死)を〔二重傍線〕ば、さるものに〔右○〕て、ただうち思ひめぐらすにこそ堪へがたきこと多かりけれ」(同、葵)
右の諸例は、述語が體言で、それに、陳述を表はす「なり」「に」「と」の附いた場合であるが、述語が、用言の場合も同じで、その時は、陳述の「なり」等に相當するものは零記號となる。
けぢかくあはれなる御住ひなれば、かやうの人も、おのづから物遠からでほの見奉る御樣、かたちを〔二重傍線〕、いみじうめでたし■〔右○〕》と涙落しをりけり(源氏、須磨)
また、零記號の陳述が、他の助動詞に置き代へられても同じである。
(209) かなし妹を〔二重傍線〕いづち行かめとやますげのそがひに寢しく今し悔しも〈萬葉集、三五七七)
以上述べて來たところを通觀するのに、「を」を論理的な格の概念で律することは、最少限度に云はれることで、恐らく、「を」は、主語、客語、對象語を通じて、それが述語に對して、強く對立したものとして取出された時に用ゐられるもので、もし云ふならば、論理的格に對して、感情的格を表現するものとでも云ふべきである。
(一) この歌については、橋本博士に解がある(「允恭紀の歌の一つについて」『橋本博士著作集』第五册)。右に從へば、「とこしへに君もあへやも」の「あへ」は、「逢ふ」の已然形で、それに「やも」が附いて、「逢ふのか、否逢ふのではない」の意となる。右の論文では、「を」の用法を説くことが主眼ではないから、省略されてゐるが、右の上句に照應する下句の意味は、「時々しかお逢ひにならない」の意味であり、それは、「とこしへに君に逢ふのではない」といふ上句の思想の原因となる事柄であるために、それを表示して「を」が用ゐられてゐると見ることが出來る。
に
體言に附いて、動作作用の目標、場所、時間、比較の基準等を表はす。
青丹よし奈良の都に〔二重傍線〕行きて來むため(萬葉集、八〇六)
日の暮に〔二重傍線〕碓氷の山を越ゆる日は(同、三四〇二)
(210) 汝が父に似ては鳴かず、汝が母に〔二重傍線〕似ては鳴かず(同、一七五五)
散る花の鳴くにしとまるものならば、我鶯に〔二重傍線〕おとらましやは(古今集、春下)
内に〔二重傍線〕もおぼしなげきて行幸あり(源氏、賢木)
へ
體言に附いて、それが動作の目標であることを表はす。
佐保の内へ〔二重傍線〕鳴き行くなるは誰喚子鳥(萬葉集、一八二七)
今日なむ天竺へ〔二重傍線〕石の鉢とりに罷る(竹取物語)
おくさまへ〔二重傍線〕ゐざり入り給ふさま(源氏、末摘花)
と
體言に附いて、共同作用の目標、それとの並列等を表はす。
かぐ山は、うねびををしと耳梨と〔二重傍線〕相あらそひき(萬葉集、一三)
わらはべと〔二重傍線〕はらだち給へるか(源氏、若紫)
もろこしとこの國と〔二重傍線〕は異なるものなれど(土佐日記)
(211)よ(萬葉時代) ゆ(同) ゆり(同) より
體言及び體言相當格に附いて、(一)動作の出自、(二)比較の基準、(三)動作の行はれる地點(四)動作の手段方法等を表はす。
(一) 天地の遠き始よ〔二重傍線〕よのなかは常なきものと語り繼ぎ(萬葉集、四一六〇)
神島のいすみの浦ゆ〔二重傍線〕船出すわれは(同、三五九九)
畏きや命かゞふり明日ゆり〔二字二重傍線〕や草《かえ》がむた寢む妹なしにして(同、四三二一)
明日より〔二字二重傍線〕はつぎて聞えむ(同、四〇六九)
いわけなくより〔二字二重傍線〕宮の内よりおひ出で(源氏、梅が枝)
(二) 雲に飛ぶ藥はむよ〔二重傍線〕は都見ばいやしきわが身またをちぬべし(萬葉集、八四八)
人言は暫しぞ吾妹|繩《つな》手引く海ゆ〔二重傍線〕益りて深くし念ふを(同、二四三八)
我より〔二字二重傍線〕も貪しき人の父母は(岡、八九二)
その人かたちより〔二字二重傍線〕は心なんまさりたりける(伊勢物語)
なまなまの上達部より〔二字二重傍線〕も非參議の四位どもの世のおぼえ口をしからずもとのねいやしからぬが(源氏、帚木)
(三) ほとゝぎす此よ〔二重傍線〕鳴き渡れ(萬葉集、四〇五四)
雲の上ゆ〔二重傍線〕鳴き行く鶴の(同、三五二二)
(212) 木の間より〔二字二重傍線〕うつろふ月の影ををしみ(同、二八二一)
おいらかにあたりより〔二字二重傍線〕だになありきそとやはのたまはぬ(竹取物語)
沖より〔二字二重傍線〕舟どもの謠ひのゝしりて漕ぎ行くなどもほのかに聞えて(源氏、須磨)
(四)鈴が音の早馬驛《はゆまうまや》の堤井の水を賜へな妹が直手《たゞて》よ〔二重傍線〕(萬葉集、三四三九)
目ゆ〔二重傍線〕か汝を見む(同、三三九六)
まそ鏡持たれど我はしるしなし君が歩行《かち》より〔二字二重傍線〕なづみ行く見れば(同、三三一六)
われは、かちより〔二字二重傍線〕くゝり引き上げなどして出で立つ(源氏、夕顔)
まで
動作作用の歸着點を表はす。
あまとぶや鳥にもがもや都まで〔二字二重傍線〕送りまをしてとびかへるもの(萬葉集、八七六)
和泉の國まで〔二字二重傍線〕とたひらかに願ひ立つ(土佐日記)
今日まで〔二字二重傍線〕ながらへ侍りにけるよと(源氏、葵)
から
「から」は、起源的には、「まで」と同樣に、形式體言で、指定の助動詞が附いて、「か(213)らに」と用ゐられた。「故」「原因」の意味である。
一夜のみ寢たりしから〔二字傍線〕に、をのうへの櫻の花は瀧の瀬ゆ落ちて流る(萬葉集、七五一)
あひ見ては面かくさるゝものから〔二字傍線〕に、つぎて見まくの欲しき君かも(同、二五五四)
いは走る垂水の水のはしきやし君に戀ふらくわが心から〔二字傍線〕(同、三〇二五)
以上のやうな體言的用法から、次のやうな助詞としての用法が派生した。それは、體言及び體言相當格に附いて、それが、動作の起點、出自原因になつてゐることを表はす。
ほとゝぎす卯の花邊から〔二字二重傍線〕鳴きて越え來ぬ(萬葉集、一九四五)
こぞから〔二字二重傍線〕山ごもりして侍るなり(蜻蛉日記、下)
浪の音のけさから〔二字二重傍線〕ことに聞ゆるは春のしらべやあらたまるらむ(古今六帖、五下)
若君のいとゆゝしきまで見え給ふ御ありさまを、今から〔二字二重傍線〕いとさまことにもてかしづき聞え給ふさまおろかならず(源氏、葵)
ロ 限定を表はす助詞
ある事柄が、他の事柄より限定され、區別され、特殊の價値のものとして認定されてゐることを衷はす。
限定を表はす助詞の中で、「は」「も」「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」が附いた場合は、(214)それに應ずる陳述の終止の形に影響を及ぼす。係り結びといはれてゐるのが、それである。
は
(一) 主語となつてゐる體言及び體言相當格に附く。
父母は〔二重傍線〕飢ゑ寒からむ妻子どもは〔二重傍線〕乞ひて泣くらむ(萬葉集、八九二)
自らなど聞え給ふことは〔二重傍線〕更になし(源氏、夕霧)
この池といふ(一)は〔二重傍線〕所の名なり(土佐日記)
かぎりとて別るゝ道のかなしきに、いかまほしきは〔二重傍線〕命なりけり(源氏、桐壺)
(二) 客語となつてゐる體言に附く。
海原を八十島がくり來ぬれども、奈良の都は〔二重傍線〕忘れかねつも(萬葉集、三六一三)
ものは〔二重傍線〕絶えず得させたり(土佐日紀)
(三) 連用修飾語となつてゐる體言用言に附く。
もみち葉は、今は〔二重傍線〕うつろふわぎもこが待たむといひし時の經行けば(萬葉集、三七一三)
追風の吹きぬる時は〔二重傍線〕行く舟も帆手うちてこそ嬉しかりけれ(土佐日記)
鶯の鳴くくら谷にうちはめて、燒けは〔二重傍線〕(二)死ぬとも君をし待たむ(萬葉集、三九四一)
さりともうちすてては〔二重傍線〕え行きやらじ(源氏、桐壺)
(215) さしもあらじと(三)は〔二重傍線〕思ひながら(同、夕霧) かくは〔二重傍線〕いふものか(土佐日記)
(四) 述語となつてゐる體言用言に附く。
わくらばに人と(四)は〔二重傍線〕あるを、人なみに我も作るを(萬葉集、八九二)
いとおどろ/\しう(五)は〔二重傍線〕あらねど(源氏、御法)
(五) 文末に附いた場合は、感動を表はす。これは、限定を表はす助詞の多くについて見られることである。文末に用ゐられるといふことは、文全體を限定してゐることとなる結果、右のやうなことがいはれるのであらう。
(一) 「いふ」は、連體形で、下に體言「所」が省略されてゐると見られるので、「この池といふ」全體が、體言相當格となる(第二章語論第二項(一)參照)。
(二) 「燒けは死ぬ」は、「燒け死ぬ」といふ複合動詞の中間に、「は」が插入された形になつてゐるが、上の「燒け」は、下の動詞「死ぬ」の連用修飾語であり、「は」は、その連用修飾語に附いたものである。このやうな場合は、必ず下に打消助動詞か、逆態接綾を表はす助詞が來る。
(三) 「さしもあらじと」の「と」は、指定の助動詞の連用形で、「さしもあらじ」全體が、下の述語「思ふ」の連用修飾語となる。
(四) 「人とはあるを」は、「人とあるを」の間に、「は」が插入された形であるが、「と」は、指定の助動詞の連用形で、「あり」と結合して、助動詞「たり」が出來る。從つて、ここも、「人(216)たるを」の意味で、「人」は述語で、「は」は、その述語に指定の助動詞を介して附いたものと見ることが出來るのである。
(五) 原理は、前例と同じである。ただ、この場合、述語が形容詞であるために、前例の指定の助動詞「と」に相當するものが、零記號になつてゐるために、「は」は、形容詞の語尾に直結したのである。この場合も、「は」は、零記號の陳述を介して述語に附いてゐると見ることが出來る。對比して圖解すれば、次のやうになる。
人と〔右○〕は〔二重傍線〕あるを
おどろおどろしう■〔右○〕は〔二重傍線〕あらねど
指定の助動詞「に」の場合も同樣で、次のやうになる。
人に〔右○〕は〔二重傍線〕あれど
述語が動詞の場合は、形容詞と同樣で、
本を續み■〔右○〕は〔二重傍線〕すれど
となるが、形容詞と異なるところは、形容詞の場合は、下に來る陳述に、指定の助動詞「あり」を用ゐて、「あら〔二字二重傍線〕ねど」のやうにいふのであるが、動詞の場合は、サ變動詞「す」を助動詞のやうに用ゐて、「すれど」といふのである。
も
(一) 主語となる體言に附く。
(217) 銀も〔二重傍線〕金も〔二重傍線〕玉も〔二重傍線〕何せむに、まされる寶子にしかめやも(萬葉集、八〇三)
御供人も〔二重傍線〕皆狩衣姿にて事々しからぬ姿どもなれど(源氏、宿木)
(二) 客語となる體言に附く。
信濃なる筑摩の河の細石《さゞれし》も〔二重傍線〕君し踏みてば玉と拾はむ(萬葉集、三四〇〇)
人目も〔二重傍線〕今はつゝみ給はず泣き給ふ(竹取物語)
日をだに(一)も〔二重傍線〕あま雲近く見るものを都へと思ふ道のはるけさ(土佐日記)
(三) 連用修飾語となる體言用言に附く。
須磨の海人の鹽燒衣の馴れなばか一日も〔二重傍線〕君を忘れて念はむ(萬葉集、九四七)
百日《もゝか》しも〔二重傍線〕行かぬ松浦路今日行きて明日は來なむを何かさやれる(同、八七〇)
痺す/\(二)も〔二重傍線〕生けらば有らむをはたやはた鰻《むなぎ》をとると河に流るな(同、三八五四)
かぎりぞと思ひなりしに世の中をかへす/”\も〔二重傍線〕そむきぬるかな(源氏、手習)
袖振らば、見(三)も〔二重傍線〕かはしつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば(萬葉集、一五二五)
鈴蟲の聲のかぎりをつくして(四)も〔二重傍線〕長き夜あかずふる涙かな(源氏、桐壺)
御枕上近くても〔二重傍線〕不斷の御讀經聲尊き限して讀ませ給ふ(同、若菜下)
(四) 述語となる體言用言に附く。
(218) その物と(五)も〔二重傍線〕なけれど、寄生木といふ名、いとあはれなり(枕草子、木は)
罷らむ道の安く(六)も〔二重傍線〕あるまじきに(竹取物語)
見ず(七)も〔二重傍線〕あらず見も〔二重傍線〕せぬ人の戀しくば、あやなく今日やながめ暮さむ(古今集、戀一)
(五) 文末に附いた場合に感動助詞となることも「は」と同じである。
(一) 「日をだにも」の「も」は、直接には、助詞「だに」に附いてゐるが、この場合は、「をだにも」といふ複合助詞が、客語である體言「日」に附いたものと考へるべきである。前例の「人目も」も、「人目をも」と云ひ得るのであるが、その瘍合も、「も」は、「人目」に附いてゐると云つてよいのである。
(二) 動詞の終止形が、連用修飾語に用ゐられることについては、第三章文論第三項(二)連用修飾格を參照。
(三) 「見もかはし」は、「見かはし」といふ複合動詞の中間に「も」が插入された形であるが、「見」は、「見る」の連用形で、下の動詞「かはし」の連用修飾語であり、「も」は、その連用修飾譜に附いたものである。
(四) 前例と同樣に、「聲のかぎりをつくし振る(降る)」といふ複合動詞の中間に、助詞「て」とともに、「も」が插入された形であるが、「つくし」は、「ふる」の連用修飾語で、「も」は、「て」とともに、その連用修飾語を限定したものである。
(五) 「その物」は、省略された主語「寄生木」の述語で、もし、「も」を除けば、「その物となけれど」となるところである。「と」は、指定の助動詞の連用形で、「なけれ」は、打消の助動詞(219)である。體言の述語に「も」が附く時は、指定の助動詞とともに、「と〔右○〕もなし」「と〔右○〕もあり」のやうに云ふことは、「は」の附く場合と同じである。
山のかひ、そこと〔右○〕も〔二重傍線〕見えずをとつ日も昨日も今日も雪の降れれば(萬葉集、三九二四)
右の、「そこ」は」主語「山のかひ」の述語で、「も」は指定の助動詞「と」とともに用ゐられてゐる。
(六) 本例では、述語が形容詞になつてゐるために、「も」は形容詞に直結したのである。これも「は」の場合と同じである。
(七) 本例の二つの「見」は、ともに省略された主語「我」の述語である。上の「も」は、打消助動詞の「ず」と結合して、「見」に附き、下の「も」は、直に「見る」の連用形に附いたものである。これは、前例の形容詞の場合と同じ原理で説明が出來る。
ぞ
(一) 主語となる體言に附く。
難波|門《ど》を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞ〔二重傍線〕たなびく(萬葉集、四三八〇)
あるものと忘れつゝなほ亡き人をいづらと問ふ(一)ぞ〔二重傍線〕悲しかりける(土佐日記)
「ぞ」の結びは、すべて連體形になる。
(二) 客語となる體言に附く。
草枕旅の翁と思ほして針ぞ〔二重傍線〕賜へる縫はむ物もが(萬集集、四一二八)
(220) 櫻花とく散りぬとも思ほえず人の心ぞ〔二重傍線〕風も吹きあへぬ(古今集、春下)
わが身はかよわく物はかなき有樣にて、なか/\なる物思ひを(二)ぞ〔二重傍線〕し給ふ(源氏、桐壺)
(三) 連用修飾語となる體言用言に附く。
ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ〔二重傍線〕悔しき(萬葉集、三七六九)
「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御覺えかな」と(三)ぞ〔二重傍線〕弘徽殿などには、なほゆるしなう宣ひける(源氏、桐壺)
しでの山ふもとを見てぞ〔二重傍線〕歸りにし、つらき人よりまづ越えじとて(古今集、戀五)
ある時はありのすさびに憎かりき、なくて(四)ぞ〔二重傍線〕人の戀しかりける(源氏物語奥入)
堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ〔二重傍線〕奈良は戀しかける(萬葉集、四四六一)
かうぞ〔二重傍線〕いはむかし(源氏、蜻蛉)
(四) 述語となる體言用言に附く。
身のほどしられて、いとはるかに(五)ぞ〔二重傍線〕思ひきこえける(源氏、明石)
年九つばかりなる男《を》の童、年よりは幼く(六)ぞ〔二重傍線〕ある(土佐日記、二十二日)
(五) 文末に附いた場合に、感動助詞となることも、「は」「も」と同じである。
(一) 「問ふ」は、動詞の連體形で、體言相當格である。
(221)(二) 本例の「ぞ」は、直接には、格助詞「を」に附いてゐるが、「をぞ」が一體となつて、客語「物思ひ」に附いたものである。
(三) 「ぞ」は、指定の助動詞の「と」に附いてゐるが、「と」は、上接の引用句全部を、連用修飾格として、下の述語「宣ふ」に續けるので、ここも「ぞ」は、連用修飾格に附いたものと考へることが出來る。同樣の例は、「は」「も」の項においても説明を加へて置いた。
(四) 外彪的には、前例と同樣に見られるが、本例は、「なくて」といふ連用形中止法に「ぞ」が附いたもので、前例とは別である。「なくて」の主語と、「戀しかりける」の主語は別で、從つて、「なくて」は、「戀しかりける」の連用修飾語ではなく、省略された主語「人」の述語と解さなければならないのである。
(五) 「はるか」は體言。「に」は、指定の助動詞の連用形である。「はるか」は、こゝには省略されてゐる主語となるべき事實、即ち、「明石の上が、源氏の妻となること」に對する述語で、それに「ぞ」が附いたものである。その場合、指定の助動詞「に」或は「と」を伴ふことは、「は」「も」の場合と同じである。
(六) 本例の「ぞ」を除けば、「男の童、年よりは幼し」と云ふところである。「ぞ」が述語に附いた爲に、指定の助動詞「あり」を用ゐて文を留めることは、「は」「も」の場合と同樣である。また、「ぞ」が、述語に直結するのは、それが形容詞であるためである。
なむ(なも)
(222) 奈良時代は「なも」といふ形が用ゐられた。文中の種々の成分を表はす語に附いて、それが強調されてゐることを表はす。「なむ」の結びは連體形となる。
(一) 主語となつておる體言に附く。
その人かたちよりは心なむ〔二字二重傍線〕まさりたりける(伊勢物語)
いと深く恥しきかなと覺ゆる際の人南無〔二字二重傍線〕なかりし(源氏、若菜下)
(二) 客語となつてゐる體言に附く。
參り給はむついでにかの御琴の音なむ〔二字二重傍線〕聞かまほしき(源氏、若菜下)
かく淺ましく持て來る事をなむ〔二字二重傍線〕ねたく思ひ侍る(竹取物語)
(三) 連用修飾語に附く。
晝はいと人繁く……心あわたゞしければ、夜々なむ〔二字二重傍線〕靜かに事の心もしめ奉るべき(源氏、若菜下)
「かくなむ〔二字二重傍線〕申す」といふ(竹取物語)
さる時よりなむ〔二字二重傍線〕よばひとはいひける(同)
食《をす》國天下之業止奈母〔二字二重傍線〕隨神所念行久止(宣命、第四)
いとなむ〔二字二重傍線〕心苦しき(源氏、若菜下)
(四) 連語になつてゐる語に附く。
(223) いよ/\たのもしくなむ〔二字二重傍線〕(源氏、若菜下)
人に宣ひ合せぬ事なれば、いぶせくなむ〔二字二重傍線〕(同、若菜下)
や
(一) 文中の種々の成分になつてゐる體言及體言相當格に附いて、その事が不確定であり、また感動の對象になつてゐることを表はす。 「や」を伴つた場合の文の結びは連體形となる。
相見ては千年や〔二重傍線〕去ぬる否をかもあれや〔二重傍線〕しか思ふ君持ちがてに(萬葉集、三四七〇)
夢にだにあふこと難くなりゆくは、われや〔二重傍線〕いを寢ぬ人や〔二重傍線〕忘るゝ(古今集、戀五)
あらたへの布きぬをだに着せがてに、かくや〔二重傍線〕嘆かむせむすべをなみ(萬葉集、九〇一)
右は、上の體言が、それと明かに決定されてゐないで、不確定な場合に用ゐられる。右のやうな場合、「や」を文末に廻して、「千年去ぬや〔二重傍線〕」「われいを寢ぬや〔二重傍線〕」の意に解されるのであるが、不確定なものは、むしろ「や」の直上の體言である。
(二) 連用修飾語になつてゐる用言の連用形に附く。
あめつちは廣しといへど、あがためは、狹《さ》くや〔二重傍線〕なりぬる、日月はあかしといへど、あがためは照りや〔二重傍線〕給はぬ(萬葉集、八九二)
(224) 春霞立つを見すてゝ行く雁は、花なき里に住みや〔二重傍線〕ならへる(古今集、春上)
(三) 述語になつてゐる用言、助動詞の終止形に附く。
わが泣く涙、有馬山、雲井たなびき雨に降りきや〔二重傍線〕(萬葉集、四六〇)
大和戀ひいの寢らえぬに心なくこの洲の崎にたづ鳴くべしや〔二重傍線〕(同、七一)
その片かどもなき人はあらむや〔二重傍線〕(源氏、帚木)
用言、助動詞に附くといふことは、陳述に附くといふことで、「降りきや」は、過去の助動詞即ち囘想判斷に、疑問が加つたものである。「や」が附いた場合は、ある事柄についての疑問的な判斷をしてゐるのであるから、對人的には、相手に問ひかけるやうな意味に轉ずるとともに、屡々詠嘆的な氣持ちを表現する。
因みに、疑ひを表はす「や」は、終止形に附くのが古い時代の用法であるが、錬倉中期以後になると、連體形に附けて、「來たりし〔右○〕や〔二重傍線〕」「ただしき〔右○〕や〔二重傍線〕」などいふ云ひ方が現れて來た。(一)
(四) 動詞、助動詞の已然形に附く(第三章四「活用形の用法」參照)。
朝ゐでに來鳴くかほどり汝《なれ》だにも君に戀八《こふれや〔二重傍線〕》時終へず鳴く(萬葉集、一八二三)
里は荒れて人はふりにし宿なれや〔二重傍線〕庭もまがきも秋の野らなる(古今集、秋上)
右の「戀ふれや」「宿なれや」は、「戀ふればや」「宿なればや」の意味で、結びが連體形(225)になることは前諸例と同じである。
妹が袖別れて久になりぬれど、一日も妹を忘れておもへや〔二重傍線〕(萬葉集、三六〇四)
散りそむる花を見捨ててかへらめや〔二重傍線〕おぼつかなしと妹は待つとも(拾遺集、一)
右は、動詞「おもふ」或は、助動詞「む」の已然形に附いたものであることにおいて、前例と形式的には同じであるが、後世ならば、「おもふや」「かへらむや」といふところで、「や」で、文が終止する。意味は、反語になつて、「おもはず」「かへらざらむ」と同じになる。
秋の野におく白露は玉なれや〔二重傍線〕、つらぬきかくるくもの絲すぢ(古今集、秋上)
もゝしきの大宮人はいとまあれ(二)や〔二重傍線〕、櫻かざして今日も暮しつ(新古今集、春下)
右も同樣に、已然形接續の場合であるが、これは、疑問或は反語の意味はなく、專ら感動を表はすものとして用ゐられてゐる。從つて、「あれや」「なれや」で終止して、下の述語に對して係結の關係を構成することはない(「感動を表はす助詞」參照)。
因みに、「花や〔二重傍線〕紅葉」「梅や〔二重傍線〕柳」といふやうに、物を重ねる時に用ゐる「や」は、後の時代の用法で、元來は、「花や紅葉や」と用ゐて、「花よ紅葉よ」の意味であるから、下の「や」を省くことはなかつた(本居宣長『玉あられ』)。
また、「いかなることにや〔二重傍線〕あらむ」「誰にや〔二重傍線〕あらむ」「幾年月をや〔二重傍線〕經ぬる」のやうに、「な(226)に」「いかに」「いづれ」「いく」「たれ」「たが」の如き不定の意味を表はす語とともに「や」を用ゐることも、後の用法であつて、古くは、「か」が用ゐられた。從つて、
いかなることにか〔二重傍線〕あらむ
誰にか〔二重傍線〕あらむ
幾年月をか〔二重傍線〕經ぬる
のやうにいふのが、古格である(同、『玉あられ』)。
(一) 「文法上許容ニ關スル事項」第十に「疑ノてにをはノ『ヤ』ハ動詞、形容詞、助動詞ノ連體言ニ連續スルモ妨ナシ」として許容した。
(二) この歌の原歌は、次のやうになつてゐる。
もゝしきの大宮人はいとまあれや〔二重傍線〕、梅をかざして、こゝにつどへる(萬葉集、一八八三)
右の歌では、下の句の留りが、「つどへる」と連體形で終止してゐる。それは、上の「や」が、係助詞、即ち疑問の助詞として用ゐられてゐるからである。萬葉時代には、「已然形−や」が感動の表現に用ゐられたことはなく、すべて、「……なればか」或は「……なるに」と、疑問か、反語の意味に用ゐられてゐる。
か
(一) 主語、客語、修飾語、述語になつてゐる體言に附く。
(227) 一つ松幾代可〔二重傍線〕經ぬる吹く風の聲の清きは年深みかも(萬葉集、一〇四二)
我がせこはいづく行くらむおきつものなばりの山を今日か〔二重傍線〕越ゆらむ(同、四三)
いかなる人か〔二重傍線〕かくてはものし給へる(源氏、手習)
右は、體言に附いた場合で、上の體言が不確定なことを表はすことも、また、係の助詞として、結びが連體形になることも、「や」に通じてゐる。ただし、「いつ」「いかに」「誰」といふやうな不定を表はす語がある場合には、その下には、「か」が用ゐられて、「や」は用ゐられない(『玉あられ』何〔二重傍線〕の類の下にや〔二重傍線〕もじをおく事)。
うけぐつを脱ぎつる如く踏み脱ぎて行くちふ人は、岩木より成り出し人か〔二重傍線〕(萬葉集、八〇〇)
人はなれたるところに心とけて寢ぬるものか〔二重傍線〕(源氏、夕顔)
右は、述語になつてゐる體言に附いたものではあるが、「成り出し人か〔二重傍線〕」は、「成り出し人なるか〔二重傍線〕」「寢ぬるものか〔二重傍線〕」は、「寢ぬるものなるか〔二重傍線〕」の省略で、連體形に附いた場合と同等に扱ふべきものである。
(二) 連用修飾語として用ゐられてゐる用言に附く。
しきたへの衣手|離《か》れて玉藻なすなびきか〔二重傍線〕寢らむわを待ちがでに(萬葉集、二四八三)
龍田山見つゝ越え來し櫻花散りか〔二重傍線〕過ぎなむわがかへるとに(同、四三九五)
(228) よそへてぞ見るべかりける白露のちぎりか〔二重傍線〕おきし朝がほの花(源氏、宿木)
右は、形式的には、「なびき寢《ぬ》」「散り過ぐ」「ちぎりおく」等の複合動詞の中間に插入された形になつてゐるが、實際は、連用修飾語になつてゐる、それぞれの上の動詞の連用形に附いたものである。
(三) 述語になつてゐる用言、助動詞の連體形に附く。
衣手の名木の河邊を春雨にわれ立ちぬると家|思《も》ふらむ可〔二重傍線〕(萬葉集、一六九六)
よからぬ狐などいふもののたはぶれたるか(源氏、若菜下)
あかなくにまだきも月のかくるゝか〔二重傍線〕、山の端逃げていれずもあらなむ(古今集、雜。伊勢物語)
右は、疑ひ或は詠嘆を表はすこと、終止形接嶺の「や」に同じである。
(四) 動詞、助動詞の已然形に附く。
里家は、さはにあれども、いかさまにおもひけめか〔二重傍線〕も、つれもなき佐保の山邊に泣く兒なす慕ひ來まして(萬葉集、四六〇)
いかさまに御念食可《オモホシメセカ〔二重傍線〕》(或云|所念計米可《オモホシケメカ〔二重傍線〕》)あまさかるひなにはあれど、いは走る淡海國のささなみの大津の宮に天の下しらしめしけむ(同、二九)
右は、「おもひけめばか」「おもほしけめばか」の意味で、條件を表はす(已然形接續の「や」(229)を參照)。
橘の下吹く風の香ぐはしき筑波の山を戀ひずあらめか〔二重傍線〕も(萬葉集、四三七一)
山科のおとはの山の音にだに人の知るべくわが戀ひめか〔二重傍線〕も(古今集、墨滅滅)
右は、前例と同時に、助動詞「む」の已然形に「か」の附いた例であるが、これらは、後世、「あらむか」「戀ひむか」といふべきところで、そこで終止する意味である。この場合、「か」は、反語を表はし、從つて全體が詠嘆的になる。
こそ
「なむ」と同樣に、事柄の強調を表はす。「こそ」の結びは已然形となる。
(一) 主語となつてゐる體言に附く。
山高み河遠白し野をひろみ草こそ〔二字二重傍線〕茂き(一)(萬葉集、四〇一一)
我が身さばかりと思ひあがり給ふきはの人こそ〔二字二重傍線〕、便につけつゝ氣色ばみ、言めいで聞え給ふもありけれ(源氏、胡蝶)
(二) 客語となつてゐる體言に附く。
草こそ〔二字二重傍線〕は取りて飼ふがに、水こそ〔二字二重傍線〕はくみて飼ふがに、何しかも葦毛の馬のいばえ立ちつる(萬葉集、三三二七)
(230) よるべなみ身を(二)こそ〔二字二重傍線〕遠くへだてつれ心は君が影となりにき(古今集、戀三)
(三) 連用修飾語に附く。
昨日こそ〔二字二重傍線〕船出はせしか鯨魚《いさな》取りびぢきの灘を今日見つるかも(萬葉集、三八九三)
我は又なくこそ〔二字二重傍線〕悲しと思ひ歎きしか(源氏、澪標)
命を捨てゝも己が君の仰言をば叶へむとこそ〔二字二重傍線〕思ふべけれ(竹取物語)
女にてさへあなれば、いとこそ〔二字二重傍線〕ものしけれ(源氏、澪標)
(四) 條件格になつてゐる已然形に附く(條件格については、第三章三(五)參照)。
ありさりて後も逢はむと思へこそ〔二字二重傍線〕露の命もつぎつぎ渡れ(萬葉集、三九三三)
さ百合花ゆりも會はむと思へこそ〔二字二重傍線〕今のまさかもうるはしみすれ(同、四〇八八)
(五) 述語になつてゐる語に附く。
蓮葉はかくこそ〔二字二重傍線〕あるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし(萬葉集、三八二六)
さこそ〔二字二重傍線〕あなれ(源氏、澪標)
(六) 連語になつてゐる動詞の連用形について、その動作が希望されてゐることを表はす(奈良時代のみ)。
うつゝには逢ふよしもなし、ぬばたまの夜の夢にをつぎて見えこそ〔二字二重傍線〕(萬葉集、八〇七)
鶯の待ちがてにせし梅が花散らずありこそ〔二字二重傍線〕思ふ子がため(同、八四五)
(231) 人の見て言とがめせぬ夢にだに止まず見えこそ〔二字二重傍線〕わが戀やまむ(同、二九五八)
梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮べこそ〔二字二重傍線〕(同、八五二)
思ふ子が衣摺らむに匂ひこそ〔二字二重傍線〕島の榛原秋立たずとも(同、一九六五)
(一) 萬葉時代には、「こそ」の結びとなる形容詞及び助動詞「べし」「らし」は連體形である。
難波人葦火たくやのすしてあれど、己が妻こそ常めづらしき(萬葉集、二六五一)
玉くしろまきぬる妹もあらばこそ〔二字二重傍線〕夜の長きもうれしかるべき(同、二八六五)
いにしへもしかにあれこそ〔二字二重傍線〕うつせみも妻をあらそふらしき(同、一三)
(二) 「こそ」は強い限定を表はす助詞であるが故に、それの續く文が屡々逆接的になることがある。こゝも、「身を遠く隔てたれども、心はそれに反して君の影となりにき」といふ意の文脈を構成する。
し しも
(一) 主語となつてゐる體言及び體言相當格に附く。
眞楫貫き船し〔二重傍線〕行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦にやどりせましを(萬葉集、三六三〇)
人目し〔二重傍線〕なき所なれば(源氏、末摘花)
ながらへて、またあふまでの玉の緒よたえぬし〔二重傍線〕もこそくるしかりけれ(續拾遺集、一五)
(232) (二) 客語となつてゐる體言に附く。
秋萩ににほへるわが裳ぬれぬとも君が御船の綱し〔二重傍線〕取りてば(萬葉集、三六五六)
おもへども身をし〔二重傍線〕分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる(古今集、離別)
(三) 連用修飾語となつてゐる語に附く。
愛《めぐ》し妹をいづち行かめと山菅の背向《そがひ》に寐しく今し〔二重傍線〕悔しも(萬葉集、三五七七)
青柳の絲よりかくる春し〔二重傍線〕もぞみだれて花の綻びにける(古今集、春上)
世の中は戀繁しゑやかくし〔二重傍線〕あらば梅の花にもならましものを(萬葉集、八一九)
あしひきの野にも山にもほとゝぎす鳴きし〔二重傍線〕とよめば(同、三九九三)
心ざし深くそめてし〔二重傍線〕をりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(古今集、春上)
(四) 連語の陳述に附く。
わが父母ありとし〔二重傍線〕思へばかへらや(土佐日記)
女のまねぶ事にし〔二重傍線〕あらねば(源氏、賢木)
だに
(一) 主語となつてゐる體言に附く。
事繁み君は來まさずほとゝぎす汝だに〔二字二重傍線〕來鳴け朝戸開かむ(萬葉集、一四〇九)
(233) 妹があたり今ぞ我が行く目のみだに〔二字二重傍線〕われに見えこそ言問はずとも(同、一二一一)
いさゝかのつたへだに〔二字二重傍線〕なくて年月かさなりにけり(源氏、關屋)
(二) 客語となつてゐる體言に附く。
春の野の繁みとびくく鶯の音だに〔二字二重傍線〕聞かず(萬葉集、三九六九)
玉桙の道だに〔二字二重傍線〕知らず(同、二二〇)
(三) 連用修飾語に附く。
あしひきの山櫻花一目だに〔二字二重傍線〕君とし見てばあれ戀ひめやも(萬葉集、三九七〇)
御覽じだに〔二字二重傍線〕送らぬ覺束なさをいふかひなくおぼさる(源氏、桐壺)
今は誰も/\え憎み給はじ、母君なくてだに〔二字二重傍線〕らうたうし給へ(同、桐壺)
すら(平安時代には主として歌にのみ用ゐられた)
(一) 主語になつてゐる體言に附く。
大空ゆ通ふわれすら〔二字二重傍線〕汝が故に天漢路をなづみてぞ來し(萬葉集、二〇〇一)
丈夫《ますら》我すら〔二字二重傍線〕世の中の常しなければうち靡き床にこい臥し(同、三九六九)
(二) 客語になつてゐる體言に附く。
※[火三つ]り干す人もあれやも家人の春雨すら〔二字二重傍線〕を間使にする(萬葉集、一六九八)
(234) 一重のみ妹が結ばむ帯をすら〔二字二重傍線〕三重結ぶべくわが身はなりぬ(同、七四二)
いろ/\の病をしてゆくへすら〔二字二重傍線〕も覺えず(竹取物語)
さへ
(一) 主語になつてゐる體言及び體言相當格に附く。
たこの浦の底さへ〔二字二重傍線〕匂ほふ藤浪をかざして行かむ見ぬ人のため(萬葉集、四二〇〇)
おろかなる志はしもなずらはざらむと思ふ(一)さへ」〔二字二重傍線〕こそ心苦しけれ(源氏、澪標)
空の氣色などさへ〔二字二重傍線〕あやしうそこはかとなくをかしきを(同、胡蝶)
(二) 客語になつてゐる體言に附く。
水底の玉さへ〔二字二重傍線〕清く見つべくも照る月夜かも夜の深けゆけば(萬葉集、一〇八二)
斧の柄さへ〔二字二重傍線〕あらため給はむほどや待ちどほに(源氏、松風)
齒がための祝して、餅鏡《もちひかゞみ》をさへ〔二字二重傍線〕取りよせて(同、初音)
(三) 連用修飾語に附く。
玉勝間逢はむといふは誰なるか逢へる時さへ〔二字二重傍線〕面隱しする(萬葉集、二九一六)
今日さへ〔二字二重傍線〕や引く人もなき水隱りに生ふるあやめのねのみながれむ(源氏、螢)
(四)連語になつてゐる語に附く。
(235) かへりてはまばゆくさへ〔二字二重傍線〕なむ(源氏、若菜上)
わづかに見つけたる心地怖しくさへ〔二字二重傍線〕覺ゆれど(同、蓬生)
(一) 「おろかなる志はしもなずらはざらむと思ふ」までが、一體言に相當し、述語「心苦しけれ」の對象語となるのであるが、便宜ここに排列した。
まで
「まで」は、起源的には、形式體言であつたと考へられる。
とゝのふる鼓の音は雷の聲と聞くまで〔二字傍線〕……あた見たる虎かほゆると諸人のおびゆるまで〔二字傍線〕に(萬葉集、一九九)
あさぼらけありあけの月と見るまで〔二字傍線〕に、吉野の里に降れる白雪(古今集、冬)
うたてこの世の外の匂ひにやとあやしきまで〔二字傍線〕かをりみちけり(源氏、橋姫)
右は、「程度」の意味を表はす體言で、上接の用言は、連體形である。體言はそれだけで、或は指定の助動詞「に」を伴つて連用修飾語になるが、右の「まで」も同樣である。
「まで」の限定を表はす助詞としての用法は次のやうである。
(一) 主語となつてゐる體言に附く。
あやしの法師ばらまで〔二字二重傍線〕よろこぴあへり(源氏、賢木)
(236) (二) 客語となつてゐる體言に附く。
こまかなるうち/\の事まで〔二字二重傍線〕はいかゞは思し寄らむ(源氏、宿木)
隨身、車添ひ、舍人などまで〔二字二重傍線〕禄賜はす(同、宿木)
(三) 連用修飾語となつてゐる體言用言に附く。
いとさまで〔二字二重傍線〕は思ふべきにはあらざなれど(源氏、宿木)
かうまで〔二字二重傍線〕も漏らし聞ゆるも、かつはいと口がるけれど(同、宿木)
のみ
他の事柄を排除して、ある事柄だけに限る意味を表はすと同時に、ある事柄を取出して、それを強調する意味に用ゐられる。
(一) 主語となつてゐる體言に附く。
玉かづら花のみ〔二字二重傍線〕咲きて成らざるは誰が戀ならめあは戀ひ念ふを(萬葉集、一〇二)
御胸のみ〔二字二重傍線〕つとふたがりて、つゆまどろまれず、明しかねさせ給ふ(源氏、桐壺)
(二) 客譜となつてゐる體言に附く。
海松のごと、わゝけさがれる襤褸《かゞふ》のみ〔二字二重傍線》肩に打ちかけ(萬葉集、八九二)
ひろ橋を馬越しかねて心のみ〔二字二重傍線〕妹がりやりてあは此處にして(同、三五三八)
(237) 呉竹のよゝの竹取る野山にもさやはわびしき節をのみ〔二字二重傍線〕見し(竹取物語)
(三) 連用修飾語に附く。
百傳ふ磐余《いはれ》の池に鳴く鴨を今日のみ〔二字二重傍線〕見てや雲隱りなむ(萬葉集、四一六)
御しほたれ勝ちにのみ〔二字二重傍線〕おはします(源氏、桐壺)
外にのみ〔二字二重傍線〕見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに(萬葉集、四三五五)
さのみ〔二字二重傍線〕やはとて打出で侍りぬるぞ(竹取物語)
(四) 連語に附く。
世の中はかくのみ〔二字二重傍線〕ならし(萬葉集、八八六)
いみじからむ心地もせず悲しくのみ〔二字二重傍線〕なむある(竹取物語)
ばかり
「ばかり」は、本來、動詞「はかる」の連用形で、形式體言として用ゐられたものである。「はかる」は、推量する意で、「はかり」は、めあて、あてど或は、漠然とした「頃あひ」「程あひ」の意である。
君もかくうらなくたゆめて、はひ隱れなば、いづくをはかりとか我もたづねむ(源氏、夕顔)
(238) 今しも心苦しき御心添ひて、はかり〔三字傍点〕もなくかしづき聞え給ふ(同、鈴蟲)
今來むと云ひしばかり〔三字傍点〕に長月のありあけの月を待ちいでつるかな(古今集、戀四)
行く舟を振り留みかね如何ばかり〔三字傍点〕戀しくありけむ松浦佐用比賣(萬葉集、八七五)
よし今はこの罪輕むばかり〔三字傍点〕の業をせさせ給へ(源氏、若菜下)
右のやうな用法から、體言に附いて、それが漠然と指されてゐることを表はす助詞としての用法が派生した。このやうな云ひ方は、事柄を、それと限定して云ふ表現に對する婉曲敍法とも見られる。
(一) 主語になつてゐる體言に附く。
草も高くなり野分にいとゞ荒れたる心地して、月かげばかり〔三字二重傍線〕ぞ八重|葎《むぐら》にもさはらずさし入りたる(源氏、桐壺)
人の御ためいとほしうよろづに思して御文ばかり〔三字二重傍線〕ぞありける(同、葵)
(二) 客語になつてゐる體言に附く。
みちの國紙のあつごえたるに匂ひばかり〔三字二重傍線〕はふかうしめ給へり(源氏、末摘花)
(三) 連用修飾語に附く。
比叡の山を、はたちばかり〔三字二重傍線〕かさねあげたらむほどして(伊勢物語)
泣きぬばかり〔三字二重傍線〕云へば(源氏、帚木)
(239) まして、さばかり〔三字二重傍線〕心を占めたる衛門の督は(同、若菜上)
(四) 連體修飾語に附く。
八月十五日ばかり〔三字二重傍線〕の月に(竹取物語)
三日ばかり〔三字二重傍線〕の空うららかなる日(源氏、若菜上)
など
起源的には、「なに」と「と」の結合した連用修飾句で、「ナニトテ」「ナニシテ」の意である。
など〔二字傍線〕宮より召しあるには參り給はぬ(源氏、須磨)
やどりせしはなたちばなも枯れなくに、など〔二字傍線〕」ほとゝぎす聲絶えぬらむ(古今集、夏)
右のやうな用法から、體言に附いて、他をも含めて、それが漠然と取上げられたことを表はす助詞としての用法が派生する。
さまかたちなど〔二字二重傍線〕のめでたかりしこと(源氏、桐壺)
うへの女房など〔二字二重傍線〕も戀ひしのびあへり(同、桐壺)
修法など〔二字二重傍線〕また/\始むべきことなど〔二字二重傍線〕おきて宣はせて出で給ふとて(同、夕顔)
右の諸例は、主語或は客語となつてゐる體言に附いた場合である。
(240) 尼君を戀ひ聞え給ひてうち泣きなど〔二字二重傍線〕し給へど(源氏、若紫)
若き者どものぞきなど〔二字二重傍線〕すべかめるに(同、夕顔)
右の「など」は、「うち泣きはし〔二重傍線〕給へど」・「のぞきもす〔二重傍線〕べかめるに」のやうに、「は」「も」が附いた場合と同じ用法である。
何事ぞなど〔二字二重傍線〕あはつかにさしあふきゐたらんはいかゞはくちをしからぬ(源氏、帚木)
今は昔の形見になずらへて物し給へなど〔二字二重傍線〕こまやかに書かせ給へり(同、桐壺)
若宮のいと覺束なく露けきなかに過し給ふも心苦しうおぼさるゝを、とく參り給へなど〔二字二重傍線〕はか/”\しうも宣はせやらず(同、桐壺)
右の諸例は、すべて、連用修飾格に立つ引用文に附いて、それぞれ、「何事ぞなどと」「物し給へなどと」「參り給へなどと」の意味であるが、この場合、「と」が省略されるのは、「など」といふ助詞そのものの中に、「と」が含まれてゐるためである。
づつ つつ(一)
「づつ」は、ある事柄が分割され、反覆されることを表はす。
片端づつ〔二字二重傍線〕見るに(源氏、帚木)
「式部がところにぞ氣色ある事はあらむ。すこしづつ〔二字二重傍線〕語り申せ」(同、帚木)
(241) 「つつ」は、動詞の連用形について、その動作作用が、反覆、繼續されるものであることを表はす。
山吹は撫でつゝ〔二字二重傍線〕おほさむ、在りつゝ〔二字二重傍線〕も君來ましつゝ〔二字二重傍線〕かざしたりけり(萬葉集、四三〇二)
衆人《もろびと》は成らじかと疑ひ、朕は金少けむと思ほし憂へつゝ〔二字二重傍線〕あるに(宣命、第一三)
たらし姫御船はてけむ松浦の海妹が待つべき月は經につゝ〔二字二重傍線〕(萬葉集、三六八五)
君がため春の野に出でゝ若菜つむわが衣手に雪は降りつゝ〔二字二重傍線〕(古隼集、春上)
(一) 「づつ」「つつ」を、同類として掲げることには問題があるであらうが、こゝには、限定を表はす助詞として一括してみた。
「づつ」を接尾語とする説もあるが、限定を表はす「も」「まで」「や」などと機能的に見て、別のものと見ることは出來ない。「つつ」は、山田博士に從へば、完了の助詞詞「つ」の重ねられたものと説かれてある(『奈良朝文法史』第二章第二節)が、ある動作の反覆、繼續を表はす點で、體言に附く「づつ」と極めて近似してゐる。これを接續助詞と見るのは、動詞に附いて、未完結であるところから云はれたことである。
「つゝ」を、中世のてにをは研究において、「ながらつゝ」と稱して、「ながら」と同じに見て、二つの動作の同時的に行はれることを表はしたものとするのは、後世の用法からの歸納であつて、上代においては、動作の反覆と繼續を云ひ表はしたものと解せられるのである。
(242) ハ 接續を表はす助詞
述語に附いて、これを未完結にする助詞がこれに所屬する。述語を未完結にする方法に、未然、連用、已然の諸活用形があり、接續助詞は、これらの用法と密接な關連がある。
ば
(一) 述語となつてゐる用言、助動詞の未然形及び已然形に附いて、それらの動作作用が將然的或は已然的な條件の事實であることを表はす。
親王《みこ》となり給ひなば〔二重傍線〕、世の疑ひ負ひぬべくものし給へば(源氏、桐壺)
右は、「親王となり給ふこと」が、「世の疑ひを負ふであらうこと」の條件的な事實であることを表はす。もし、これが既定の事實ならば、「親王となり給ひぬれば」と已然形を用ゐる。
さてもかばかりなる家に車入らぬ門やはあらむ。見えば〔二重傍線〕笑はむ(枕草子、大進生昌が家に)
右の「ば」は、動詞の零記號の陳述に伴つた場合で、「見えること」(生昌が現れること)が、「清少納言がからかつてやること」の條件になつてゐることを表はす。この場合、未然形(243)に伴つてゐるので、「見えること」が、未然の事實に屬じてゐるのである。このやうに、「ば」は、常に陳述(零記號及び助動詞を含めて)に伴つて用ゐられる助詞で、あることの、他のことに對する關係を表はす。從つて、それは、本質的には、一種の格助詞であるといふことが出來るのである(第三章三(五)條件格の項參照)。格助詞が、事柄相互の對立的關係を表はすのに對して、條件格は、述語格に包攝される關係にあり、從つて、それを表はす助詞を、接續助詞として、區別することは適當である。
(二) 「ば」は、多くの場合に、條件、特に順態條件を表はす助詞として用ゐられるのであるが、時に、逆態條件を表はす場合に、また、時には、ただ事の繼起的な先後關係を表はすのに用ゐられる。
ひとりして物を思へば〔二重傍線〕、秋の田の稻葉のそよといふ人のなき(古今集、戀二)
稻日野も行き過ぎがてに思へれば〔二重傍線〕、心こほしきかこの島見ゆ(萬葉集、二五三)
右は、「ひとりで物を思ふのに」「過ぎ難く思つてゐるのに」と逆態條件を表はしてゐる。また、
から衣きつゝなれにし妻しあれば〔二重傍線〕、はる/”\來ぬる旅をしぞ思ふ(古今集、※[覊の馬が奇]旅)
において、「妻しあれば」を、逆態の意味にとれば、それは、「はるばる來ぬる」の條件になり、順態に解すれば、「旅をしぞ思ふ」の條件になる。一般には、後者の意味に解する(244)のであるが、前者の解も、必ずしも拒否出來ない。
鶯は今は鳴かむとかた待てば〔二重傍線〕、霞たなびき月は經につゝ(萬葉集、四〇三〇)
右も同樣に、鶯を待つのに、月日のみ經つて、鶯の鳴かないことを云つたので、當然逆態條件と解さなければならない。
天の川淺瀬白波たどりつゝ渡りはてねば〔二重傍線〕、明けぞしにける(古今集、秋上)
霜雪もいまだ未過者《すぎねば〔二重傍線〕》、思はぬに春日の里に梅の花見つ(萬葉集、一四三四)
右の「ば」は、打消助動詞「ず」の已然形「ね」に附いた場合で、「渡りはてないのに」、「過ぎないのに」の意である。
次に、
大刀が緒もいまだ解かずて、襲《おすひ》をもいまだ解かねば〔二重傍線〕(眞福寺本に、「ば」なし)、をとめの寢《な》すや板戸を押そぶらひ我が立たせれば(古事記、上)
右の「解かねば」は、「解かずして」の意味で、「ば」は必ずしも條件とは考へられず、ただ事の繼起を云つたものである。「ねば」と、已然形の「ね」に「ば」を附けたのは、この事實が、既定の事實だからである。
かくばかり戀ひつゝ不有者《あらずは〔二重傍線〕》、高山の岩根しまきて死なましものを(萬葉集、八六)
右の「は」は、清音であるが、恐らく、「ねば」の「ば」と同じものであらう。「戀ひつゝ(245)あらずは」は、「戀ひつゝあらずして」の意味である。「ねば」が「ずは」と異なるところは、前者が、既定の事實をいふのに對して、後者は未然或は假定の事實をいふために、未然形が用ゐられたのである。
ものにおそはるゝ心地しておどろき給へれば〔二重傍線〕、火も消えにけり(源氏、夕顔)
右の「おどろき給ふ」といふことと、「火も消えにけり」といふこととの間には、何の因果關係も、條件關係もなく、ただ、事の先後關係があるだけであるが、このやうな場合にも「ば」が用ゐられる。
五月雨にもの思ひをれば〔二重傍線〕、ほとゝぎす、夜深く鳴きていづち行くらむ(古今集、夏)
の「ば」も同じである。
とも
(一) 述語になつてゐる動詞、助動詞の終止形に附いて、上接の事柄が、逆態的假定的條件の事實であることを表はす。
わがさかり痛くくだちぬ雲に飛ぶ藥はむとも〔二字二重傍線〕またをちめやも(萬葉集、八四七)
わが袖は袂とほりてぬれぬとも〔二字二重傍線〕、戀忘貝取らずは行かじ(同、三七一一)
いみじきもののふに、あたかたきなりとも〔二字二重傍線〕、見てはうち笑まれぬべきさまのし給へれば(246)(源氏、桐壺)
(二) 述語になつてゐる形容詞には、その連用形に附いて、上接の事柄が、逆態的條件の事實であることを表はす。指定の助動詞「あり」を介して附くこともある。
大野路は繁ぢ森道しげくとも〔二字二重傍線〕君し通はゞ道は廣けむ(萬葉集、三八八一)
わがせこしとげむと云はゞ人言は、し繁有《しげくあり》とも〔二字二重傍線〕出でゝあはましを(同、五三九)
そのはじめのこと、すき/”\しくとも〔二字二重傍線〕申し侍らむ(源氏、帚木)
ど ども
(一) 用言、助動詞の已然形に附いて、逆態條件になつてゐる事實を表はす。
白縫筑紫の綿は身につけて未だは着ねど〔二重傍線〕、暖けく見ゆ(萬葉集、三三六)
青丹よし奈良の都はたなびけるあまの白雲見れど〔二重傍線〕飽かなくに(同、三六〇二)
何事の儀式をも、もてなし給ひけれど〔二重傍線〕、取立てゝはか/”\しき御うしろみしなければ、事とある時は、なほよりどころなく心細げなり(源氏、桐壺)
梅の花たをりかざして遊べども〔二字二重傍線〕、飽きたらぬ日は今日にしありけり(萬葉集、八三六)
なりのぼれども〔二字二重傍線〕、もとよりさるべき筋ならぬは、世の人の思へることもさはいへどなほ異なり(源氏、帚木)
(247) なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖に觸れけむ。色濃き花と見しかども〔二字二重傍線〕(同、末摘花)
’(二) 奈良時代には、形容詞に附く場合には、次のやうな語尾に附くことがある。
青丹よし奈良の大路は行きよけ〔右○〕ど〔二重傍線〕、この山路は行きあしかりけり(萬葉集、三七二八)
あしひきの山きへなりてとほけ〔右○〕ども〔二字二重傍線〕心し行けば夢に見えけり(同、三九八一)
て して (一)
(一) 述語となつてゐる用言、助動詞の連用形に附いて、表現の中絶を表はす。
花咲きて〔二重傍線〕、鳥歌ふ
山高くして〔二字二重傍線〕、谷深し
風暖かにて〔二重傍線〕(して〔二字二重傍線〕)、水ぬるむ
(二) 連用修飾語に附く。
この世の人にはたがひて〔二重傍線〕思すに(源氏、夕顔)
このわたり近きところに、心安くて〔二重傍線〕あかさむ(同、夕顔)
女宮にも遂に對面し聞え給はで、泡の消え入るやうにて〔二重傍線〕失せ給ひぬ(同、柏木)
烏のねどころへ行くとて〔二重傍線〕三つ四つ二つなど飛びゆくさへあはれなり(枕草子、春は曙)
(248) 辛うじて〔二字二重傍線〕今日は日の氣色も直れり(源氏、帚木)
(三) 「さ」「かく」のやうに、常に連用修飾語として用ゐられる體言に附いて、「さて」「かくて」と用ゐられる。その場合、連用形中止法として用ゐられるものは、接續詞としての機能を持ち、連用修飾語として用ゐられるものは、副詞としての機能を持つ。
「さて〔二字傍線〕、そのむすめは」と間ひ姶ふ(源氏、若紫)
は、接續詞であり、
宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さて〔〔二字傍線〕だにやみなむと深う思したるに(同、若紫)
は、連用修飾語即ち副詞である。
「かくて〔三字傍線〕も、おのづから若宮など生ひいで給はゞ、さるべきついでもありなむ。命ながくとこそ思ひ念ぜめ」など宣はす(源氏、桐壺)
は、前文を受ける接續詞であり、
みこはかくて〔三字傍線〕もいと御覽ぜまほしけれど、かゝる程にさぶらひ給ふ例なきことなれば(源氏、桐壺)
「かくても」は「御覧ぜまほしけれ」の連用修飾語で、「禁中に止めて御覽になりたい」意である。
(249) (四) 「て」は、表現を中絶させる機能を持つものであるが、事實に即して云へば、「て」が、並列格を構成する場合と、條件格を構成する場合とがある。並列格の場合とは、
花咲きて〔二重傍線〕、鳥歌ふ
夜は暗くして〔二字二重傍線〕、道は遠し
のやうに、二つの句の間に、因果關係が無く、事實の單なる並列繼起を表はす場合である。
條件格の場合には二つある。一つは、前句が順態的條件の場合で、二つは逆態的條件の場合である。
雨降りて〔二重傍線〕、地固まる
御厨子所のおもの棚といふものに、沓おきて〔二重傍線〕、祓へいひのゝしるを(枕草子、殿上の名對面こそ猶をかしげれ)
かく心細くておはしまさむよりは、内住せさせ給ひて〔二重傍線〕、御心もなぐさむべくなどおぼしなりて參らせ奉り給へり(源氏、桐壺)
右は、「て」にて中絶された前句が、下の句に對して、順態條件になつてゐるやうな事實の場合である。
我ひとりさかしき人にて〔二重傍線〕、思しやるかたぞなき(源氏、夕顔)
さりとも、徒になりはて給はじ、夜の聲はおどろおどろし。「あなかま」といさめ給ひ(250)て〔傍線〕、いとあわたゞしきに、あきれたる心地し給ふ(同、夕顔)
右は、「て」の上接の句が、逆態條件になつてゐるやうな事實の場合である。
右の二つの何れの場合でも、「て」それ自體にそのやうな意味があるのではなく、「て」は單に、前の句と、後の句とを羅列的に表現するに過ぎないので、そこに條件を認めるのは、解釋の結果である。
(一) 「して」は、サ變動詞の連用形「し」に、「て」の附いたものである。この場合の「し」は、サ變の助動詞的用法で、「花咲きて」における零記號の陳述に相當する(第二章二(一)イ指定の助動詞「す」を參照)。
に
「に」も、「と」と同樣に、本書では、指定の助動詞の連用形として説いた。
がに
百枝さしおふる橘玉に貫く五月を近み、あえぬがに〔二字二重傍線〕花咲きにけり(萬葉集、一五〇七)
「がに」は、「ほどに」「くらゐに」の意を表はす助詞と云はれてゐるが、(一)恐らく、「が」は體言で、「に」は指定の助動詞、「あえぬ」は、體言に附く連體修飾語であらう。
(251)次の例、
面白き野をばな燒きそ、古草に新草まじり生ひはおふる〔三字傍線〕がに(萬葉集、三四五二)
における「おふる」は、連體形である。また、
むろがやのつるのつゝみの成りぬ〔二重傍線〕がに、兒ろは云へども未だ寢なくに(同、三五四三)
における「ぬ」は、動詞「成る」の連用形に附いてゐるので、完了の「ぬ」と考へられる。「ぬ」は、「淡路島通ふ千鳥の鳴く聲に、幾夜寢覺めぬ須磨の關守」のやうに、終止形から體言に續く用法があるが、奈良時代にそのやうな用法があつたかは知らない。結局この「がに」、は、「までに」「ほどに」「ばかりに」と同樣に、形式體言に指定の助動詞が附いたものであるといふ程度のことは云へさうである。
(一) 佐佐木信綱『萬葉辭典』。武田祐吉『萬葉集全註釋』第七册、一五三頁。山田孝堆『奈良朝文法史』第二章第五節には、「格助詞の『が』に『に』の添はりてなれるものなり」とされた。
と
「と」は、本書においては、指定の助動詞の連用形として説いた。「と」を接續助詞とするのは、それが、連用形としての用法から、そのやうに考へられるに過ぎないので、連用形には、すべて接續の機能がある。
(252) ニ 感動を表はす助詞
多く文末に用ゐられる疑問、詠嘆、禁止、入念、願望等の助詞を含む。本質的に限定を表はす助詞と區別があるわけではなく、限定を表はす助詞のあるものは、文末助詞として感動を表はすのに用ゐられる。
か
疑問、反語、詠嘆に區別されてゐるが、この三者は、根本的に區別があるわけではなく、多くの場合に、この三者が混在する。
とゞむべき物とはなしに、はかなくも散る花ごとにたぐふ心か〔二重傍線〕(古今集、春下)
心ざし深くそめてしをりければ、消えあへぬ雪の花と見ゆるか〔二重傍線〕(同、春上)
あかなくにまだきも月のかくるゝか〔二重傍線〕、山の端にげて入れずもあらなむ(同、雜)
右に擧げた例は、疑問とも考へられるが、また一方詠嘆とも考へられるものである。特に、叙情的表現の和歌においては、純粹に相手に對して疑問を提出することは、稀であつて、多くの場合に、詠嘆か自問自答の反語的表現となる。
「繋がぬ舟の浮きたる例もげにあやなし。さは侍らぬか〔二重傍線〕」といへば、中將うなづく(253)(源氏、帚木)
心あてに、それか〔二重傍線〕彼か〔二重傍線〕など問ふうちに、いひあつるもあり(同、帚木)
右は、純粹の疑問的表現に用みられた「か」である。
かも
獨立格になつてゐる體言及び體言相當格に附いて、それが感動の對象となつてゐることを表はす。
人毎に折りかざしつゝ遊べども、いや珍らしき梅の花かも〔二字二重傍線〕(萬葉集、八二九)
躬恒が所がらかも〔二字二重傍線〕とおぼめきけむ事など(源氏、松風)
後の例の、「所がらかも」は、獨立格が引用句となつた場合で、前の例と同じである。
倭文手纏《しづたまき》數にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも〔二字二重傍線〕(萬葉集、九〇三)
明日よりはつぎて聞えむほとゝぎす一夜のからに戀ひ渡るかも〔二字二重傍線〕(同、四〇六九)
右の例の「思ほゆる」「渡る」は、ともに連體形で、下に體言が省略されたものと見れば、前例と同じになる。
かな
(254) 獨立格になつてゐる體言及び體言相當格に附く。平安時代以後に用ゐられた。
嬉しくも宣ふものかな〔二字二重傍線〕(竹取物語)
我になりて心動くべきふしかな〔二字二重傍線〕とおぼしつゞけ給ふに(源氏、繪合)
後の例は、引用句中の獨立格に附いた例である。
浪とのみひとつに聞けど色みれば雪と花とに紛ひけるかな〔二字二重傍線〕(土佐日記)
哀れにもありがたき心ばへにもあるかな〔二字二重傍線〕(源氏、夕霧)
右は、連體形に附いた場合で、體言が省略されたものと考へれば、前例と同じになる。
かし
文末に附けて、念を押す氣持ちを表はす。
翁のあらむかぎりは、かうてもいますかりなむかし〔二字二重傍線〕(竹取物語)
ひとへにめで聞ゆるぞおくれたるなめるかし〔二字二重傍線〕(源氏、東屋)
かく契り深くてなむあり來あひたると傳へ給へかし〔二字二重傍線〕(同、宿木)
我も今は山伏ぞかし〔二字二重傍線〕(同、手習)
が がも がな
(255) 助詞「し」「も」と結合して體言に附き、それが希望の對象であることを表はす。
我が宿に盛に咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも〔二字二重傍線〕(萬葉集、八五一)
げにうしろやすく思ひ給へおくわざもがな〔二字二重傍線〕(源氏、澪標)
連用修飾語に附いた場合。
なでしこのその花にもが〔二字二重傍線〕、あさなさな手に取り持ちて戀ひぬ日なけむ(萬葉集、四〇八)
長門なる沖つかり島奧まへてわがもふ君は千歳にもがも〔二字二重傍線〕(同、一〇二四)
述語となつてゐる用言に附いた場合。
いかでこの赫映姫を得てしがな〔二字二重傍線〕、見てしがな〔二字二重傍線〕と音に聞きめでて惑ふ(竹取物語)
惜しからぬ命にかへて目の前の別をしばしとゞめてしがな〔二字二重傍線〕(源氏、須磨)
ぞ
逢はむ日の形見にせよと手弱女の思ひ亂れて縫へる衣ぞ〔二重傍線〕(萬葉集、三七五三)
おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬ我身ぞ〔二重傍線〕(源氏、匂宮)
老いたる御たちの聲にて「あれは誰ぞ〔二重傍線〕」と、おどろ/\しく問ふ。煩はしくて「まろぞ〔二重傍線〕」といらふ。「夜中に、こはなぞありかせ給ふ」と、さかしがりて外ざまへ來。憎くて「あらず、こゝもとに出づるぞ〔二重傍線〕」とて、君をおし出し奉るに(同、空蝉)
(256)な (詠嘆)
(一) 述語になつてゐる用言の切れるところに附いて感動を表はす。
ほとゝぎすあふちの枝に行きて居ば花は散らむな〔二重傍線〕珠と見るまで(萬葉集、三九一三)
思ひのほかに心憂くこそおはしけれな〔二重傍線〕(源氏、葵)
(二) 述語になつてゐる體言に附く。
かれぞ此のひたちのかみのむこの少將な〔二重傍線〕(源氏、東屋)
右は、陳述を表はす指定の助動詞が省略されてゐる。
(三) 連用修飾語に附く。
安倍大臣は火鼠の裘を持ていまして赫映姫に住み給ふとな〔二重傍線〕(竹取物語)
おはきおとゞのわたりに今は住みつかれにたりとな〔二重傍線〕(源氏、若菜上)
な (希望)
「ね」「に」と同樣、希望を表はす助詞であるが、第一人稱に屬する動詞に附いては、我自らの希望を表はすと同時に、他者に對しては、あることを誂へ望む意を表はす。
馬並めていざうち行かな〔二重傍線〕澁谷の青き磯みに寄する波見に(萬葉集、三九五四)
(257) すべもなく苦しくあれば出ではしり去なな〔二重傍線〕と思へど兒らにさやりぬ(同、八九九)
道の中國つみ神は旅行きもし知らぬ君を惠みたまはな〔二重傍線〕(同、三九三〇)
に (希望)
「ね」と同樣に、未然形について、他の動作の實現を希望することを表はす。
久方の天路は遠しなほなほに家に歸りてなりをしまさに〔二重傍線〕(萬葉集、八〇一)
たくひれの鶯坂山の白つゝじわれに匂はね〔二重傍線〕妹に示さむ(同、一六九四)
ね (希望)
第二人稱の動詞の未然形に附いて、その動作の實現が希望されてゐることを表はす。
あしひきの山飛び越ゆるかりがねは都に行かば妹に逢ひて來ね〔二重傍線〕(萬葉集、三六八七)
家人のいはへにかあらむ平らけく船出はしぬと親にまうさね〔二重傍線〕(同、四四〇九)
な (禁止)
(一) 動詞の連用形を、「な……そ」で圍む。
住吉の濱松が根の下延へて我が見る小野の草な〔二重傍線〕刈り〔二字傍線〕そ〔二字傍線〕ね(萬葉集、四四五七)
(258) もてはなれてな〔二重傍線〕聞え給ひ〔四字傍線〕そ〔二重傍線〕(源氏、螢)
(二) 複合動詞の場合は、下の動詞を、「な……そ」で圍む。
散りな亂れ〔二字傍線〕そ〔二重傍線〕(萬葉集、一三七)
背く世の後めたくば、さりがたきほだしを強ひてかけな〔二重傍線〕離れ〔二字傍線〕そ〔二重傍線〕(源氏、若菜上)
(三) 動詞の終止形に附く。
しろたへの衣の袖をまくらがよ海人こぎ來見ゆ波立つな〔二重傍線〕ゆめ(萬葉集、三四四九)
おぼし疎むな〔二重傍線〕よとて御手をとらへ給へれば(源氏、胡蝶)
なむ (なも)
他者の動作作用を表はす動詞の未然形に附いて、その實現が希望されてゐることを表はす。
うちなびく春ともしるく鶯は植ゑ木の木間を鳴きわたらなむ〔二字二重傍線〕(萬葉集、四四九五)
三輪山をしかもかくすか雲だにも心有《あら》なも〔二字二重傍線〕かくさふべしや(同、一八)
物の足音ひし/\と踏みならしつゝ、後より寄り來る心地す。惟光疾く參らなむ〔二字二重傍線〕とおぼす(源氏、夕顔)
(259)ばや
第一人稱の動詞、助動詞の未然形に附いて、その動作の實現が希望されてゐる意を表はす。
さばれこのついでに死なばや〔二字二重傍線〕と思す(源氏、柏木)
尼になりなばや〔二字二重傍線〕の御心つきぬ(同、柏木)
神々しきけを添へばや〔二字二重傍線〕とたはぶれに言ひなし給へば(同、夕霧)
や
わぎもこや〔二重傍線〕あを忘らすな、いそのかみ袖ふる川の絶えむともへや(萬葉集、三〇一三)
檀越《だぬをち》や〔二重傍線〕しかもな云ひそ里|長《をさ》らが課役《えつき》徴《はた》らばいましも泣かむ(同、三八四七)
右は、呼びかけの對象になつてゐる語に附いた場合で、今日の「もし/\龜よ〔二重傍線〕」「太郎や〔二重傍線〕」の「よ」「や」に通ずるものである。
谷風にとくる氷のひまごとに、うち出づる波や〔二重傍線〕春の初花(古今集、春上)
春霞立てるや〔二重傍線〕いづこ、み吉野の吉野の山に雪は降りつゝ(同、春上)
手を折りてあひ見しことを數ふれば、これひとつや〔二重傍線〕は君がうきふし(源氏、帚木)
(260) うきふしを心ひとつに數へきてこや〔二重傍線〕君が手をわかるべきをり(同、帚木)
右は、古くは、「は」に通ふ「や」として出されたものであるが.(『手爾葉大概抄』等)、同じく感動の表現と見られる。
「こちや〔二重傍線〕」といへば、ついゐたり(源氏、若紫)
その方を取り出でむえらびに、かならず漏るまじきはいと難しや〔二重傍線〕(同、帚木)
「梳ることをもうるさがり給へど、をかしのみぐしや〔二重傍線〕」(同、若紫)
聲絶えず鳴けや〔二重傍線〕鶯ひととせにふたたびとだに來べき春かは(古今集、春下)
津の國の難波の春は夢なれや〔二重傍線〕、蘆の枯葉に風わたるなり(新古今集、冬)
右は、輕い詠嘆の氣持ちを表はし、そこで終止する。
大原や〔二重傍線〕をしほの山もけふこそは神代のことも思ひいづらめ(古今集、雜)
みしま江や〔二重傍線〕霜もまだひぬ葦の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く(新古今集、春下)
右も、前例と同じ用法であるが、後の連歌俳諧における切字としての「や」は、この系譜に屬するものと云つてよいであらう。
春の野に鳴くや〔二重傍線〕鶯なづけむとわが家《へ》の園に梅が花咲く(萬葉集、八三七)
いはみのや〔二重傍線〕高つの山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか(同、一三二)
難波津に咲くや〔二重傍線〕この花冬籠り今は春べと咲くやこの花(古今六帖、第六)
(261) 來ぬ人をまつほの浦の夕なぎに燒くや〔二重傍線〕藻鹽の身もこがれつゝ(新勅撰集、卷三)
右は、連體修飾語として用ゐられてゐる語に附いた「や」で、文脈の流れの中に插入された感動の表現である。
を
感動を表はす助詞「を」の中に、事物に即して、それが感動の對象であることを表はす「を」と、陳述或は助詞に伴つて、陳述或は助詞を強める意を表はす「を」とを、區別することが出來るやうである。
あを待つと君がぬれけむあしひきの山の雫にならましもの乎〔二重傍線〕(萬葉集、一〇八)
その雪の時無きがごと、その雨の間無きがごと、隈も落ちず、思ひつゝぞ來るその山道乎〔二重傍線〕(同、一五)
難波潟潮干の名殘り飽くまでに人の見る兒乎〔二重傍線〕われしともしも(同、五三三)
しばしばも相見ぬ君矣〔二重傍線〕、天の川舟出早せよ夜の深けぬまに(聞、二〇四二)
なさけなき人になりてゆかば、さて心やすくてしもえ置きたらじを〔二重傍線〕や(源氏、若紫)
右は、「を」が附いた事物が、作者の感動の對象であることを表はしたものである。
いざ寢よと手をたづさはり父母も、上はな放り、さきくさの中に乎〔二重傍線〕寢むとうつくしく、(262)しが語らへば(萬葉集、九〇四)
御前にて物語などするついでにも、「すべて人には、一に思はれずは、更に何にかせん。ただいみじう憎まれあしうせられてあらん。二三にては死ぬともあらじ。一にてを〔二重傍線〕あらん」など、いへば(枕草子、御かた/”\、君達、うへ人など)
さりとも、あこはわが子にてを〔二重傍線〕あれ(源氏、帚木)
右は、助詞或は陳述を強めて云ふ強意の助詞として用ゐられたものである。
感動助詞としての「を」と、格助詞としての「を」との關係は、格助詞の項で觸れて置いた。
よ
(一) 體言に附いて、それが感動或は呼びかけの對象であることを表はす。
心もとなしや春の朧月夜よ〔二重傍線〕(源氏、若菜下)
戀わぶる人の形見と手馴らせば汝よ〔二重傍線〕何とて鳴くねなるらむ(同、若菜下)
少納言よ〔二重傍線〕、香廬峯の雪はいかならむ(枕草子、雪いと高く降りたるを)
(二) 命令禁止の表現と結合して、その意を強める。
玉ほこの道の神たち幣《まひ》はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ〔二重傍線〕(萬葉集、四〇〇九)
(263) はしたなくつききりなる事な宣ひそよ〔二重傍線〕(源氏、若菜下)
(三) 陳述と結合して、その意を強める。
下毛野安蘇の河原よ石踏まず空ゆと來ぬよ〔二重傍線〕汝が心告れ(萬葉集、三四二五)
げにさはたありけむよ〔二重傍線〕と口惜しく(源氏、若菜下)
ろ(奈良時代のみ)
松が浦に驟《さわ》ゑうちだち眞他言《まひとごと》思ほすなもろ〔二重傍線〕我が思《も》ほ如《の》すも(萬葉集、三五五二)
荒雄らは妻子のなりをば思はずろ〔二重傍線〕年の八歳を待てど來まさず(同、三八六五)
ゑ(奈良時代のみ)
上毛野佐野のくくたち折りはやし吾は待たむゑ〔二重傍線〕今年來ずとも(萬葉集、三四〇六)
山の端にあぢむら騷ぎ行くなれど吾はさぶしゑ〔二重傍線〕君にしあらねば(同、四八六)
ら(奈良時代のみ)
老いにてある我が身の上に病をら〔二重傍線〕加へてあれば(萬葉集、八九七)
月待ちて家には行かむ我がさせる明《あか》ら〔二重傍線〕橘影に見えつゝ(同、四〇六〇)
(264)は
闇の夜のゆくさき知らず行く我を何時來まさむと問ひし兒らは〔二重傍線〕も(萬葉集、四四三六)
いとをかしき事かな、詠みてむやは〔二重傍線〕(土佐日記)
いかなりける事にかは〔二重傍線〕(源氏、匂宮)
右のやうに、他の感動を表はす助詞と併用されてゐる(なほ、限定を表はす助詞「は」を參照)
も
富人の家の子どもの著る身なみ、くたし捨つらむ絹綿らはも〔二重傍線〕(萬葉集、九〇〇)
ほととぎす今鳴かずして明日越えむ山に鳴くともしるしあらめやも〔二重傍線〕(同、四〇五二)
夕されば小倉の山に鳴く鹿は、こよひは鳴かず寢ねにけらしも〔二重傍線〕(同、一五一一)
がね(奈良時代のみ)
動詞の終止形(ラ變の場合は連體形)に附いて、その動作が希望の對象となつてゐることを表はす。
世の人に示し給ひて萬代に云ひつぐがね〔二字二重傍線〕と(萬葉集、八一三)
(265)こそ
(一) 文末に附いて、陳述を強める。
現とも覺えずこそ〔二字二重傍線〕(源氏、帚木)
伊豫の介に劣りける身こそ〔二字二重傍線〕(同、空蝉)
(二) 體言について、それが呼びかけの對象となつてゐることを表はす。奈良時代には無い。
右近の君こそ〔二字二重傍線〕。まづ物見給へ(源氏、夕顔)
えい、北殿こそ〔二字二重傍線〕。聞き給ふや(同、夕顔)
(267) 第三章 文論
一 國語における用言の無主格性
國語の用言即ち動詞形容詞が述語として用ゐられる場合、これを、英佛獨等の言語に比較してみる時、彼にあつては、特別の場合を除いて、主語をとることが、原則であり、また、主語と、それの述語とは、緊密に結合して、述語の他の修飾語とは、形式上から見ても紛れることがない。これに反して、國語においては、述語となる用言の主語が、屡々省略されて、それが、また、國語の特性の一つとも考へられてゐる。更にまた、國語においては、主語が、述語の意味内容を限定するものとして、述語に對する他の限定修飾語と比較して、これを區別する著しい特色を見出すことは、困難である。國語においでは、主語も、また、修飾語の一つであると云はれる所以である。(一)
以上のやうな主語の省略といふことは、それだけについて見れば、ヨーロッパの言語において、常に述語に呼應させて、主語を表はすのに對して、國語においては、これを嚴密に表はさないといふ表現技術上の問題であるかのやうに考へられるのであるが、仔細に見(268)ると、それは、もつと言語の根本的性格に、基づいてゐるやうである。國語のこのやうな性格を、用言の無主格性と名づけて置かうと思ふ。
ヨーロッパ言語の動詞は、ある事實から、その作用や状態の主體を抽象し、その作用や状態の概念だけを表現するのに對して、國語の用言は、主格となるべき事實をも含めて、これを、總合的に表現するものであるといふことが出來る。從つて、彼においては、主語と動詞とが、合體したものによつて、始めて具體的な思想が表現されるのに對して、國語においては、用言それ自體に主語が含まれてゐるのであるから、それだけで、表現は、すでに具體的であると云ひ得るのである。以上のやうに見て來れば、國語において、主語の省略といふことをいふのは、主語と動詞との合體したものを原則とするヨーロッパ文法を基準にした云ひ方であつて、國語に即すれば、主語が省略されてゐるとは云へないのであつて、むしろ、主語が、述語である用言に含まれてゐると見るべきであり、また、主語が表現される場合は、用言中に含まれてゐる主語が、表現を、より正確にするために、用言から摘出きれたのであると見るのが適切である。その意味において、主語は、他の修飾語と、本質的に異なつたものではないと云ひ得るのである。これを、次の圖形によつて表はすことが出來る。
(269) 降る。 雨 降る 「降る」といふ述語の中に、主語「雨」が含まれてみることを示す。
雨降る。 雨 降る 主語「雨」が、表現された場合を示す。
〔上図にある括弧の要点、上は雨を破線で囲み、下は雨を実線で囲む〕
動作、状態の主體を、動作状態に對立させて、主格として表現するヨーロッパの言語においては、その主語となるものは、動作なれば、動作をなすもの、状態なれば、状態を荷ふものといふやうに、ほゞ決定されてゐる。これに對して、國語のやうな無主格性の用言においては、主語となるべき事物の動作状態としてではなく、動作そのもの、状態そのものを表現するものとして、用言が用ゐられることが多い。例へば、
惡い病氣がはやつて來ましたが、豫防注射をしましたか。
といふ問ひに對して、
私は、咋日、注射し〔三字傍線〕ました。
と答へたとする。この場合の「注射す」といふ動詞は、私が、身に受ける作用そのものを表現してゐるが故に、「私」を主語として、その述語になつてゐると見ることが出來るのである。「注射す」の主語が、必ず醫師でなければならないといふことは、國語においては、(270)決定されてはゐないのである。「醫師」を、「注射す」の主語として表現した場合、「私」は、次のやうな關係において、やはり、これを主語といふことが出來る。
私〔傍線・主語〕は 醫師〔左二字傍線・主語〕が 注射し〔左三字傍線・述語〕ました〔九字傍線・述語〕。
一般に、右の、「私」のやうなものを、總主或は總主語(二)と稱してゐる。
また、例へば、英語において、to shine といふ動詞は、何等かの光を放つ發光體を主語として、用ゐられる(the sunshines のやうに)。ところが、國語の「かがやく」は、光を發する作用と同時に、この光を知覺する作用をも含めたところの事實全體を表現する語である。從つて、この用言については、發光體を主語とすることも出來れば、また、この現象の知覺者を主語とすることも出來るわけである。(三)もつと適切に云へば、この語は、兩者を主語とする語であるとも云へるのである。
またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなる事とも聞き知りたるさまならねば、なか/\恥ぢかがやか〔四字傍線〕むよりは罪ゆるされてぞ見えける(源氏、夕顔)
(女は)背きもせず、たづね惑はさむとも隱れ忍びず、かがやかしか〔六字傍線〕らずいらへつゝ(同、帚木)
ひとり身をえ心にまかせぬほどこそ、さやうにかがやかしき〔六字傍線〕もことわりなれ(同、未摘花)
(271) 目もかがやき〔四字傍線〕まどひ給ふ(源氏、鈴蟲)
右の例は、「かがやく」状態を受取る側の心的状態を表現した場合であるが、もし強ひて、主語が何であるかを求めるならば、そのやうな作用或は状態の主體である「心」であり、最後の例は、それを「目」に限定してゐる。「目がかがやく」とは、目が眩惑することである。既に別のところで述べて來た主觀客觀の總合的表現に屬する語は、客觀的状態の主體を主語とすることも出來ると同時に、主觀的情意の主體を主語とすることも出來るといふ意味で、無主格性表現の例とすることが出來るであらう(『國語學原論』第三章第四項、述語格と主語格、『日本文法口語篇』第三章六、對象語格、『古典解釋のための日本文法』単元一二、一三)。
用言の主語が、決定されてゐないといふことは、敬語並に敬語的接尾語の場合にも云へることである。例へば、「たまふ」は、上位のものが主語となつた場合は、「上より下へ與へる」意味となり、下位のものが主語となつた場合は、「下のものが上より思惠を受ける」意味となる。このやうな例は、なほ、(「たてまつる」「まゐる」についても云はれることは既に述べた(第二章語論一(四))。
用言の無主格性といふことは、尊貴な人々が、主格である場合、これを主語として表はさない國語の敬語的な云ひ廻しとも相呼應するもののやうである。改行
(272)乙※[横長棒線]
○甲〔ここの○から乙の棒線に破線の矢印〕
また、「さはる」(四段活)といふ語は、一般に圖のやうな構造の事柄を表現する。甲が點線のやうな行動をするのに對して、乙が、それを遮るのである。この場合、甲を主語とするか、乙を主語とするかは、この語については、決定的ではない。その場合場合によつて、そのいづれかを主語とすることが許されるのである。「壁にさはる」「手がさはる」等の云ひ方は、甲を主語とした場合で、漢字の「觸」に當る。「水がさはる」「過度の勉強がさはる」「さしさはり」等の云ひ方は、乙を主語とした顔合で、漢字の「障」にあたる。
礙《サハテ》v石(ニ)遲(ク)來(レバ)心竊(ニ)待(ツ)、索(レテ)v流(ニ)〓《トク》過(レバ)手先|遮《サイギル》(倭漢朗詠集、三月三日)
における「サハテ」は、「さはつて」と訓むべきところで、水が石に觸る意味で、同時に、石が、水を障《さへぎ》る意味である。
月かげばかりぞ八重葎にもさはら〔三字傍線〕ずさし入りたる(源氏、桐壺)
顔に衣《きぬ》のさはり〔三字傍線〕て音にも立てず(同、帚木)
前の例は、「月かげ」が主語で、甲の場合であり、後の例は、「衣」が主語で、乙の場合である。前例は、八重葎が障害となり、後例は、衣が障害となつてゐるのである(この場合の意味は、現代語では、「觸る」に近い)。
(273) ○乙
※[棒線]
丙
※[棒線]
○甲〔上の○から棒線へ破線の双方向矢印、下の○から棒線へ破線の双方向矢印〕
また、「へだつ」(下二段活)も同樣に、圖に示すやうに、甲或は、乙を主語とすれば、甲、乙は、丙を「へだつる」ことになり、丙を主語とすれば、丙は、甲乙を「へだつる」こととなる。
ここに物思しき人の月日を、へだて〔三字傍線〕給へらむほどを思しやるに(源氏、賢木)
九重に霧やへだつる〔四字傍線〕、雲の上の月をはるかに思ひやるかな(同、賢木)
前の例は、「物思しき人」即ち六條御息所が主語で、甲或は乙を主語とした場合であり、後の例は、「霧」が主語で、丙を主語とした場合である。
勿論、慣用によつて、主語となるべきものが一定し、或は、主語となるべきものの異同によつて、意味や活用の種類が分化して、「さはる」が、「觸る」と「障る」とに分化し、「立つ」(四段活)と、「立つる」(下二段活)とに分化することは、文の論理性を確實にする上から云つて當然なことである。
以上述べて來たやうに、國語においては、主語は、文法上の事項であるよりも、修辭上の事項に屬し、一文の成分としても、修飾語と區別することが困難であるのに、何故に、文法上、主語といふことを、特に論ずる必要があるかと云へば、それは、格變化とか、語序とかの文法的特質に基いて云はれるのではなく、文の成分相互の論理的關係から、便宜、そのやうに區別するに過ぎないと見るべきである。
(274)(一) 橋本博士は、次のやうに述べられた。「修飾といふ意味を右のやうに解すれば(筆者註「かやうに、他の語に附いて、その意味をくはしく定める事を修飾するといふ」といふことが、前に書かれてゐる)、「鐘が鳴る」の「鐘が」も、「鳴る」では何が鳴るか漠然としてゐるのを委しく定めるもので、やはり修飾語ではないかといふ論が出るかも知れません。それは誠に道理であります。實をいへば、私も、主語と客語・補語や修飾語との間に下の語に係る關係に於て根本的の相違があるとは考へないのであります」(『新文典別記』上級用、一三〇頁)
(二) 草野清氏『日本文法』附録に、「國語ノ特有セル語法−總主」の論がある。
(三) 英語において、これに相當する例は、to smell であらうか。それは、發香體を主語とすることも出來れば、知覺者を主語とすることも出來るやうである。to hear になれば、主語は、必ず知覺者であつて、發音體が主語になる時は、この語は用ゐられないし國語の「聞える」の場合とは異なる。
フランス語の triste は、悲哀の情緒を表現する形容詞で、その主語には、常に意識の主體がなるのであるが(il est triste.)、時に、その情緒の機縁となるものを、主語とすることがある(LFa chair est triste. 生身は、はかなきものなり)。
(275) 二 文の構造
(一)總説
文は、それを構成する内容から云へば、次の圖のやうに、すべて、詞と辭の結合に歸着させて考へることが出來る。
詞 辭※[コで囲む]
この圖形の意味するものは、詞と辭は、單に連鎖的に結合してゐるのではなく、辭は、詞を包み、かつ統一するものとして結合してゐることを意味する(『口語篇』第三章第二項參照)。ここに、詞といふのは、用言及び用言相當格と體言及び體言相當格とを總稱したものである。
(二) 文の統一、完結の諸形式
文を理解するには、文がどのやうにして統一され、完結されてゐるかを明かにすること(276)が先決問題である。先づ、文の統一に關して提出されてゐる學説を見ることにする。山田孝雄博士に從へば、思想が成立するためには、(一)實在、(二)屬性、(三)精神の統一作用の三者がなければならない(『日本文法學概論』九四−九五頁)。そして、精神の統一作用の寓せられてゐる語が、即ち用言であるとする。用言は、一般に、屬性と統一作用である copula としての力とを混一して持つもので、統一作用のみを持つものは、博士のいはゆる存在詞「なり」「たり」「である」「だ」「です」等のみであるとする。統一作用と、他の實在、屬性を表はす語との關係は、次のやうな圖式によつて示されてゐる(『同上書』六七八頁)。
(主位)
↑↓ ←→繋辭
(賓位)
なほ、精神の統一作用に關與するものとして、博士のいはゆる複語尾中の、陳述のし方に關するものを加へるならば、文の統一に關與する語は、通説の文法書に云ふところの
一、指定の助動詞(「なり」「たり」「である」「だ」「です」等)
二、助動詞の中、「る」「らる」「す」「さす」「しむ」を除いた殘部
三、用言の屬性概念を除いた部分
の三者に歸することになるのである。ここで、山田博士の學説と、本書の文法體系の異同(277)を明瞭に指摘することが出來ることとなるのである。第一に、統一作用の表現に關する語と、實在並に屬性に關する語とは、全く次元を異にするものとすることにおいて、兩者全く同じである。第二に、統一作用の表現である陳述の語を、山田博士においては、存在詞、用言、複語尾のそれぞれに、解體分屬させたのに對して、本書では、これを辭、特に助動詞に歸一させることとした。助動詞を伴はず、用言だけで終止する文については、零記號の助動詞を想定して、文における統一作用の表現を、一元的に説明しようとした。第三に、山田博士においては、陳述といふことを、用言と不可分離のものと考へたために、國語における文の統一形式といふものを、觀念的にしか取扱ふことが出來なかつた。即ち、
陳述の力といふことは實に主位觀念と賓位觀念との對比といふこと、それ全體に對して存立するものにして、單に主位觀念に對しての存在にあらざるは明かなり(『同上書』六七八頁)。
として、前掲の圖式を出された。本書は、陳述の表現を、一元化することによつて、後に述べるやうな、詞と辭の結合を以て、文の基本形式とし、その統一の有樣を、國語に即して具體化することが出來たのである。
橋本進吉博士は、文を專らその形式の面かち考察した。博士に從へば、文は、音の連續であり、その前後に音の切目があり、文の終の部分には特殊な音調が伴ふものである(「國(278)語法要論」『橋本博士著作集』第二册、三−四頁)。そこから進んで、獨立する語(詞)と獨立せぬ語(辭)との結合から成る文節の概念を導き出された。文は即ち文節の連續として把握されたのである。橋本博士の文研究の基本的態度は、文の形式方面の觀察であつて、思想表現としての文自體ではなかつた。そこに、文法學としての博士の學説の限界があるべき筈であつたのである。事實、博士の文論において、文の統一性といふことは、問題にされることはなかつた。言語の音聲方面の觀察を以て、文法的事實の解明の基礎的原理としようとしたところに、文法學的認識の少からぬ混亂が生じた。その一つは、文節の名稱の示すやうに、文は、文節が竹の節のやうに、相隣して連續したものであると考へたことである。このやうな文の觀念からは、文の統一的構造に對する認識は生まれて來ない。本書は、言語を思想の表現と考へる立場をとることにおいて、橋本博士の見解と根本において、對立するのであるが、そのやうな立場と、博士によつて確認された文節の概念とを、如何に融合させるかといふことは、一つの大きな問題であつた。橋本博士も認めて居られるやうに、從來、文法學者に云はれて來た主語、述語その他の文の成分は、必ずしも文節とは一致しない(「國語法要説」『橋本博士著作集』第二册、九頁)。しかしながら、文論において重要な事項は、文における主語述語等の論理的關係を明かにすることである。ところが、文節は、その個々のものが、同じ資格において連續してゐるのであるから、そこからは、「句(279)がどうする」といふ文意の、脈絡を捉へる根據を得ることは困難である。ここに、文論に對する文節論の最大の弱點が認められるのである。
その解決の道は、文節(本書では、「句」の名稱を用ゐる)と文節との關係を入子《いれこ》型形式のものとして理解したことである。文節の排列に、入子型形式を認めることによつて、文における統一といふことが、どのやうなものであるかを明かにしようとしたのが、本書並に『口語篇』の文論の重要な點である。
以上は、本書の文論の意圖するところのものを、從來の文法學説と對比しながら述べて來たのであるが、以下、それらの點について具體的に述べようと思ふ。
文の統一、完結は、次の四つの場合に別けることが出來る。
(一) 助詞によつて統一、完結された文
(二) 零記號の助詞によつて統一、完結された文
(三) 助動詞によつて統一、完結された文
(四) 零記號の助動詞によつて統一、完結された文
(一) 助詞によつて統一、完結された文
助詞が、その性質上、種々な主體的立場を表現すると同時に、客體的表現である詞をまとめて、ある統一を形作るものであることは、例へば、
(280) 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の〔二重傍線〕聲聞く時ぞ秋は悲しき(古今集、秋上)
において、助詞「の」は、「奧山に紅葉ふみわけ鳴く鹿」全體をまとめて、思想の統一を形作つてゐる。同樣に、「ぞ」も、「奧山に……鹿の聲聞く時」全體を統一してゐる。このやうに、助詞の統一する限界を明かにすることによつて、この歌の構造をはつきりと捉へることが出來るのである。しかしながら、右の助詞は、文中における、ある種の統一を形作るけれども、文としての統一を形作るものとは云へないのである。文としての統一を形作る助詞とは、それによつて、思想の完結することを示すやうなものでなければならないのである。例へば、
花の色はうつりにけりな〔二重傍線〕いたづらにわが身世にふるながめせしままに〔二重傍線〕(古今良、春下)
右の歌における助詞「な」は、詠嘆の意を表現して、「花の色はうつりにけり」を統一すると同時に、そこで完結する性質を待つ助詞である。それに對して、「に」は、「いたづらにわが身世にふるながめせしま」を統一してゐるが、常にそれに續く思想のあることを豫想させるやうな助詞である。從つて、この歌は、第五句の留りでは、歌が完結しないで、第二句で切れて完結するものとして理解されなければならない。即ち、倒置の形式を持つた表現であるといふことになる。このやうな「な」は、「花の色はうつりにけり」全體をまとめると同時に、そこで完結するが故に、全體が獨立した文であると云へるのである。(281)一般に、助詞が、完結するか、しないかといふことは、統一した文を構成するといふ表現の問題としては重要なことであつて、古來、切字《きれじ》論として、連歌、俳諧において、やかましく論ぜられたことである。即ち、發句は、その思想と形式が完全に獨立し、完結して、一個の文であることが要求せられるところから、例へば、
雪ながら山本かすむ夕かな〔二字二重傍線〕(水無瀬三吟、宗祇發句)
における「かな」のやうな切字によつて留めることが必要であるとされたのである。これは、表現論上の問題として重要なことであるばかりでなく、文法學上、特に文論の問題としても、詞辭の類別に次ぐ最も基本的な間題である。山田孝雄博士は、以上のやうな文の統一と完結とを表現する助詞を、終助詞と命名された。即ち、切《きれ》助詞の意味である。それは次のやうなものである。
「が」「がな」「か」「かな」「かし」「な」(感動)等(『日本文法學概論』五〇八頁)
山田博士は、終助詞の他に、間投助詞を立てられたが、それらは、切字としての性質から云へば、終助詞と別のものとは考へられない。間投助詞として、博士の擧げられたものは、次のやうなものである。
「よ」「や」「し」等(『同上書』五一八頁)
博士が、特にこの兩者を區別されたのは、博士が間投助詞とされたものには、文の終止に(282)のみ用ゐられるとは限らないものがあると考へられたためである。例へば、
古池や〔二重傍線〕蛙とぴこむ水の音
島がくれゆく船をし〔二重傍線〕ぞ思ふ
において、「や」や「し」は文の中間に用ゐられてゐる。それが、間投助詞の命名が生まれた根據なのであるが、第一の例の「古池や」は、實はそれだけで、獨立し、完結して一つの文と見なければならないものなのである。第二の例の「船をしぞ」の「し」は、強い感情を表現する助詞ではあるが、完結機能を持つ助詞とは云へないものである。これは、本書の體系に從へば、限定を表はす助詞と認むべきものである。なほ、この他に、「な」(禁止)「な……そ」(禁止)「ばや」(話手の希望)「なむ」(願望)が擧げられてゐるが、これは終助詞、即ち完結する助詞と認めてよいものである。
以上述べたところを要約するのに、文の統一と完結とに關與する助詞は左の通りである。
「が」「もが」「がな」「もがな」「か」「かな」「よ」「や」「かし」「な」(感動)「な」「な……そ」(禁止)「ばや」(話手の希望)「なむ」(願望)
(二) 零記號の助詞によつて統一、完結された文
なごの海の霞の間よりながむれば、入る日をあらふおきつしら浪(薪古今集、春上)
の「入る日をあらふ」は、「おきつしら浪」の修飾語で、それを含めた全體が一つの體言(283)と見ることが出來るといふことは、第二章語論第一項(一)體言及び體言相當格の項で述べたことである。しかしながら、この歌が、獨立した一首であり、文法上、文であるためには、この體言が、辭によつて、統一され、完結されてゐるといふことが必要である。事實、この體言は、單純な體言として用ゐられてゐるのではなく、それは、作者の強い情緒の對象を表現したものであるから、次のやうな表現と同價値と見られるのである。
入る日をあらふおきつしら浪〔入〜傍線〕かな〔二字二重傍線〕
以上のやうに見て來れば、先の體言止めの歌は、「かな」に相當する辭が、省略されたものと見なければならないのである。これを、辭が零記號によつて表現されたものといふ。いはゆる體言止めの歌は、多くの場合、右のやうに、文構成に必要な辭が省略されたものとして、解することが出來るのである。本居宣長が、『古今集遠鏡』に、
白雲にはねうちかはしとぶ雁の數さへ見ゆる秋のよの月(古今集、秋上)
における體言止めを口譯して、「サテモサヤカナ月カナ」としたのは、上の説明と相通ずるものである。なほ、體言止めの構成については、後の獨立格の項で再び觸れるつもりである。
(三) 助動詞によつて統一、完結された文
助動詞は、辭の中で、專ら思考の判斷を表現するもので、文法的には、一般に陳述と云(284)はれてゐる。陳述の内容の相違によつて、助動詞に、指定、打消、過去及び完了、推量、敬譲等の別があることは、既に語論で述べて來た。ここでは、文の統一機能の表現として、統一される詞との關係を考察し、助動詞が文を統一することの意味を、一層明かにしたいと思ふのである。
秋萩の枕咲きに〔二重傍線〕けり〔二字二重傍線〕高砂のをのへの鹿はいまや鳴くらむ〔二字二重傍線〕(古今集、秋上)
右の歌において、助動詞「にけり」は、「秋萩の花咲く」といふ事實全體に對する確認を表現し、かつ、終止形によつて完結して、これで、一つの文を構成してゐる。また、「らむ」は、「高砂のをのへの鹿はいまや鳴く」といふ事實が想像的事實であることを表現し、かつ、終止形によつて完結して、これで、また一つの文を構成してゐる。この一首は、二つの異なつた判斷によつて統一完結された二つの文から成立してゐるといふことになるのである。この二つの助動詞が、何を統一完結してゐるかを明かにすることによつて、統一された事實が、一方は、眼前の實景に關することであり、他方が、實際經驗してゐない想像上の事實に屬するといふ二つの全く獨立したことを、表現したものであることを知るのである。今、ここで、原作の歌を、改作して、
秋萩の花咲きけれ〔二字二重傍線〕ば、高砂のをのへの鹿はいまや鳴くらむ〔二字二重傍線〕
とした時、「けり」の統一するところは、前と變らないのであるが、それは、未完結形式(285)であるために、次の思想と何等かの交渉があるといふことが明かにされるのである。次に、「らむ」の統一する範圍であるが、「高砂のをのへの鹿は今や鳴く」といふ假想の事實に對する判斷は、「秋萩の花咲く」といふ眼前の經驗を基礎或は前提としてゐるので、「らむ」は、この前提を含めた一首全體を覆ふものと考へなければならないのである。換言すれば、原作では、一つの事實の表現と、その事實から、連想された別の事實を、ただ羅列するだけであつて、それらの事實の關係に對する解釋は、讀者の想像にゆだねたのであるが、改作の場合は、二つの事實の因果關係を、形の上に表現したのである。
(四) 零記號の助動詞によつて統一、完結された文
水流る
春近し
右の例は、述語である動詞「流る」、形容詞「近し」、即ち、用言の終止形によつて、統一され、完結されてゐる文である。しかしながら、右の説明は、單に、これらの文の外形のみによるものであつて、これらの文について、文を統一する陳述の所在といふことを問題にすれば、以上の説明では、甚だ不充分であることを知るのである。そこで、山田孝雄博士は、このやうな場合には、陳述は用言に寓せられてあり、用言の特質は、屬性概念と同時に陳述の機能を持つことにあるとされた。
(286) 實質用言たる形容詞、動詞にありては、その一語中に用言の實質的方面たる屬性と用言の形式方面たるcopulaとしての力とを混一して存するものなり(『日本文法學概論』六七七−六七八頁)。
用言の用言たるべき特徴は統覺の作用即ち語をかへていはゞ、陳述の力の寓せられてある點にあり(『同上書』,九五頁)。
本書の文法體系においては、主體的なものの表現と、概念的なものの表現とを峻別し、それに基いて、辭と詞の二大部門を立てた。山田博士の文法體系においては、理論的には、主體的なものと、客體的なものとの別を立てながら、それを以て、語を分つ根據とはされなかつた。從つて、一語の中に、この二つの面が許容されてゐるのである。然るに、本書においては、一語の中に、辭的なものと詞的なものとが混在するといふことは許されないこととするのである。このやうな理論體系は、單に觀念的に設計されたものではなくして、國語の實際から、そのやうに歸納されるのである。前項に述べたところで明かなやうに、國語においては、表現を統一する陳述は、すべて用言に附加されて、しかも、それが全體を統一するといふ構造をとる。
明朝は出發す〔六字傍線〕べし〔二字二重傍線〕。
八重葎しげれる宿の淋しきに人こそ見えね秋は來〔八〜傍線〕に〔二重傍線〕けり〔二字二重傍線〕(拾遺集、秋)
(287) さやうのものには、おどされ〔さ〜傍線〕じ〔二重傍線〕(源氏、夕顔)
右の通則に準じて考へるならば、單純な肯定判斷の場合だけが、用言そのものの中に寓せられてあると考へるのは、むしろ不自然であつて、判斷は、用言に附加されてゐるとみるのが至當である。これを他の助動詞と對照して圖示すれば、次のやうになる。
明朝は出發す〔六字傍線〕べし〔二字二重傍線〕。
明朝は出發す〔六字傍線〕■〔二重傍線〕
單純な肯定判斷の場合は、その判斷は、零記號の形式を以て用言「出發す」に附加され、しかもそれが全體を統一してゐることを示すのである。このやうに解すれば、詞と辭の結合が文であるとする文の根本原則もここに適用出來るわけであり、陳述の統一形式も、他の助動詞に準じて、それと同樣に理解出來るのである。なほ、本項の説朋は、第二項の體言止めの説明と、全く同じ趣旨によるもので、比較對照することによつて、一層理解を深めることが出來るであらう。
動詞の命令形による命令の表現も、零記號の陳述の一種に加へることが出來る。
雨降れ〔二字傍線〕■〔二重傍線〕
右の文における零記號は、陳述に命令の結合したもので、それが、用言の活用形を借りて表現されたものであるが、これも、禁止の場合に準じて、命令が用言に附加されたと考へ(288)ることが出來るのである。
雨降る〔二字傍線〕な〔二重傍線〕(禁止)
雨降れ〔二字傍線〕■〔二重傍線〕(命令)
なほ、命令は、動詞の終止形を以ても表現することが出來る。
立つ〔二字傍線〕。
氣をつける〔三字傍線〕。
これらの場合は、命令といふ主體的なものが、全體の語氣によつて表現され、用言に累加される形式によつて表現されるのであるが、これを記號化する場合には、一般の詞と辭の結合形式に倣つて、
立つ!
氣をつける!
のやうに記載される。零記號の考へ方は、右のやうな、主體的なものを記號化する操作を思ひ浮べることによつて、一屬容易にされるであらう。
(289) (三) 文の二つの類型
――述語格の丈と獨立格の文――
文は、これを統一する辭の性質によつて、述語格の文と、獨立格の文とに分れることは既に述べた。
述語格の文は、陳述を表はす辭即ち助動詞、及びそれに相當する零記號の辭によつて統一されたものであるが、これらの辭が、直接に結合する詞は、文の成分として云へば、常に述語格であり、語論的にいへば、體言であるか、用言であるかである。
人〔傍線〕なり〔二字二重傍線〕。
右の文は、詞「人」と、指定の助動詞「なり」との結合からなるのであるが、この「人」は、體言であると同時に、ここに表現されてゐない主語「彼」の如き語に對して述語である。
山高し。
右の文は、詞「高し」と、指定の助動詞に相當する零記號の辭との結合からなるのであるが、この「高し」は、用言(形容詞)であると同時に、主語「山」に對して、述語である。(290) 花咲きに〔二重傍線〕けり〔二字二重傍線〕。
右の文も同樣にして、辭は、「にけり」といふ助動詞の複合體であり、「花咲き」は、主語を含んで全體が述語格である。
以上のやうにして、どのやうに複雜な文も、これを、詞と辭の結合に歸着させて考へる時、文意の脈絡の根幹を把握することが出來ることとなるのである。例へば、源氏物語卷頭の文をとつて見るならば、
いづれのおほん時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふあり〔二字傍線〕けり〔二字二重傍線〕
右の文は、結局において、詞「あり」と辭「けり」との結合に歸着する。更に、「あり」は述語であつて、その主語は、「すぐれて時めき給ふ」であり、他の一切のものは、それらの主語か述語に從屬したものであるといふことになるのである。
獨立格の文は、陳述以外の主體的なものを表はす辭、換言すれば、助詞及びそれに相當する零記號の辭によつて統一されたものであるが、これらの辭が、直接に結合する詞は、文の成分として云へば、獨立格である。獨立格といふのは、述語格が、常に主語を豫想し、それと論理的關係を持つ格であるのに對して、獨立格は、全く單獨の格であるところから、これを獨立格といふのである(『國語學原論』第三章、四、(四))。獨立格に立つ詞は、語論的に(291)いへば、體言か、用言の連體形かであるが、この場合の連體形は、體言相當格である。
雪ながら山本かすむ夕〔傍線〕かな〔二字二重傍線〕
右の發句は、詞「夕」と、助詞「かな」との結合からなり、この體言「夕」は、修飾語「雪ながら山本かすむ」を伴つて、全體で、一體言に相當する。即ち、この發句は、一體言と辭との結合であり、しかも、「かな」によつて、統一され、切れてゐるので、詞と辭との結合して完結した文といふことが出來るのである。上に述べた述語格の文と相違するところは、「かな」が陳述を表現せず、詠嘆を表はす助詞であるために、「雪ながら山本かすむ夕」は、獨立格であるといふことになる。
山深み春とも知らぬ松の戸に絶え/”\かゝる雪の玉水〔四字傍線〕(新古今集、春上)
においては、「雪の玉水」は、「山深み」以下の修飾語を伴つて、この一首全體が、一體言に相當する。しかしながら、この一首は、單なる一語的表出ではなく、そこには、記號化されない詠嘆を認めなければならない。即ち前例における「かな」に相當するものが、零記號の形式で表現されてゐると見なければならない。これを圖解すれば、
山深み春とも知らぬ松の戸に絶え/”\かゝる雪の玉水〔山〜傍線〕■〔二重傍線〕
となり、前例同樣に、詞と辭の結合からなる文であるといふことになり、かつ、助詞「かな」は、陳述に關するものではないから、全體を、獨立格の文といふことが出來るのであ(292)る。
次に、
心ざし深くそめてし居りければ、消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(古今集、春上)
右の歌の下句「雪の花と見ゆらむ」は、助詞「の」が、主語「雪」に附いてゐるところから、それは、「雪は花と見ゆらむ」といふ終止形で完結する留りとは異なり、「らむ」は、連體形で、その下に體言が省略されてゐると見るか、「雪の花と見ゆらむ」全體が、體言相當格と見なければならない。もし、そのやうに見るならば、この一首全體は、前例の「雪の玉水」と同樣に、詠嘆の辭の省略と見ることが出來るのである。
(四) 詞と辭の對應關係
文は、すべて、詞と辭の結合關係に歸着させて考へることが出來ることは、既に述べて來たところであるが、文の内部構成をとつて見ても、詞は常に辭と結合し、それが入子型構造の排列形式によつて、大きな統一に纏められて行くものであることも、既に述べたことである(『日本文法口語篇』第三章三・四)。
文における、右のやうな詞と辭の結合を、意味の上から見るならば、どのやうな關係に(293)なつてゐるであらうか。これを明かにするには、詞と詞との結合とどのやうに相違するかを見るのが手近かな方法である。詞と詞との結合とは、例へば、
咲き亂る
といふ語をとつて見れば、これは、詞「咲く」と詞「亂る」との結合で、この二語の結合によつて、客體界のある状態を表現するものであることは明かである。また、
花見る。
といふ詞の結合において、詞「花」、詞「見る」との關係は、「見る」作用と、「見られる物」との論理的關係を表現してゐる。右のやうな詞の結合に對して、
咲くらむ。
といふやうな、詞「咲く」と、辭「らむ」との結合を、同樣に考へてよいのであらうか。「らむ」は、品詞分類上、推量の助動詞と云はれてゐるのであるが、この場合、「らむ」は、「咲く」といふ事實を推量するものと解してよいのであらうか。もし、そのやうに解するならば、「咲く」と「らむ」との間には、疑ふ作用と、疑はれる事柄との關係が存在し、それは詞相互の結合である「花見る」と同樣なこととなるのである。詞と辭との結合は、詞相互の間に存する右の如き論理的關係とは、別の關係において結ばれてゐるものであつて、このことは、古文の解釋にも關係する重要な問題である。改行
(294) 秋萩の花咲きにけり高砂の尾上の鹿は今や鳴くらむ(古今集、秋上)
において、「らむ」は、現在推量を表はす助動詞であると云はれてゐる。從つて、一首の意味は、「秋萩の花が咲いた。高砂の峰の鹿は、今や鳴いてゐることであらう」といふことになるのであるが、この場合、「らむ」が、鹿の鳴いてゐることに對する想像の表現であるといふやうに解するならば、「らむ」と、「鹿が鳴く」といふ事實との間に、述語と客語との關係と同樣な論理的關係が存在するやうに考へられ易い。これは、實は、詞と辭との意味的關係に對する正しい考へ方とは、いふことが出來ないのである。詞と辭との關係を、私は對應關係と名づけた(『國語學原論』二八八頁)。例へば、打消の助動詞「ず」について、
「ず」によつて表される否定が成立する爲には、これに對應して事實の非存在といふことが無げればならない。「花咲かず」といふ表現が成立する爲には、客體的には、「花が咲く」といふ事實の非存在が考へられなければならない(『國語學原論』二八八頁)。
と述べたのであるが、これは、他の助動詞、助詞にも適用される原則的なことである。一般に、「ず」「ない」といふ助動詞を、否定或は打消の助動詞と呼んでゐるが、それは、「我は行かず」「私は見ない」といふやうな場合には、話手の否定を表はすものとして、妥當するやうであるが、「花咲かず」「雨が降らない」といふ場合には、もはや、話手の否(295)定として解することは困難で漆る。「花咲く」「雨が降る」といふ事實を、話手が否定するといふやうに解することは、この表現の事實に合致しないのである。この場合、「ず」「ない」は、「花咲く」「雨が降る」といふ事實の非存在に對應する陳述として用ゐられたものと考へなければならないのである。我々は、言語表現において、眼前に經驗してゐる事實を表現することもあり、假想の事實を表現することもあり、當然必至の事實を表現する場合もある。それらの素材的事實に對應して、それに用ゐられる辭が種々に變化するのである。再び、「らむ」に戻るならば、「尾上の鹿が鳴く」といふ事實は、作者の直接經驗しない、推量された事實である。そのやうな事實の陳述に用ゐられるものが、即ち「らむ」であるといふことになるのである。
天の原ふりさけ見れば、春日なる三笠の山に出でし月かも(古今集、?旅)
における「かも」も同樣で、それは、「月」を詠嘆することを表現したものではなく、詠嘆に價する屬性を持つた「月」に對應する主體的な感動として、それが、「かも」といふ語として表現されたものと考へなければならないのである。
詞と辭との對應關係の原則は、次のやうな文において、一層有效に適用されるのである。
思はむ〔二重傍線〕子を法師になしたらむ〔二重傍線〕こそ心苦しけれ(枕草子、思はむ子を)
「愛する子を法師にする」といふことは、この場合、作者清少納言にとつては、一つの(296)假想の事實として表現されてゐる。從つて、その陳述に、助動詞「む」を用ゐたのである。このやうに、表現される素材的事實に對して、その陳述を嚴密に對應させるといふことは、古文の一つの特色で、現代文では、このことは必ずしも嚴密に守られるとは限らない。助詞が、詞に對應する例は、例へば、現代語で、
甲か〔二重傍線〕乙か〔二重傍線〕に話をしませう。
における「か」は、「甲」或は「乙」を疑ふことを意味してゐるのではなく、「甲」或は「乙」が、話をする相手として不確定である場合、その不確定である「甲」或は「乙」に對應して、「か」が用ゐられるのである。この原則は、當然古文にも適用されるので、
いつのまに紅葉しぬらむ山櫻きのふか〔二重傍線〕花の散るを惜しみし(新古今集、秋下)
右の「か」は、「きのふ」といふ日が、確實なものとして思ひ出せず、漠然としてゐるために、それに對應して「か」が用ゐられたのである。
わがせこは、いづく行くらむおきつものなばりの山を今日か〔二重傍線〕(一)越ゆらむ(萬葉集、四三)
における「今日か」も同樣に、なばりの山を越える日が、今日と確實に決定されてゐない場合の表現である。
(一}) 「今日か越ゆらむ」のやうな場合に、「か」を文末に廻して、「今日越ゆらむか」の意味と同(297)じであるとする説明が、一般に行はれてゐるが、これは、常に同じ意味になるとは限らない。
花散らす風のやどりは誰か〔二重傍線〕知るわれに教へよ行きて怨みむ(古今集、春下)
は、「誰知るか」と同じ意味と考へてもよいであらうが、
なに人か〔二重傍線〕來てぬぎかけし藤袴來る秋ごとに野べをにほはす(古今集、秋上)
は、「この藤袴は、以前どんな人が着馴して、此處に脱ぎ掛けて置いた一か〔二重傍線〕」(金子元臣『古今和歌集評釋』三一一頁)と、「か」を文末に廻す解釋もあるが、やはり、「なに人」に附いたものとして、「誰かが來てぬぎかけて置いた藤袴」と解する方が自給である。
文中の「か」或は、「ヤ」を、文末に廻して、全體を疑問として解釋する場合でも、「か」或は「や」によつて統一される事柄が、全部不確定であることを意床するのではない。これは現代語でも同じであつて、
もう三里位走つただらうか〔二重傍線〕。
といふ時、不確定なことゝされてゐるのは、「三里位」といふことであつて、「走つた」ことではないのである。
(五〕 懸詞を含む文の構造
一般に文は、入子型の構造によつて、統一されることは、既に述べたところであるが、それに對して、懸詞を含んだ文は、どのやうな構造上の特質を持ち、それが文學の表現技(298)巧として、どのやうな意味を持つかを明かにしようと思ふ(原理的なことは、『國語學原論』第二篇第六章、懸詞による美的表現の項參照)。
わがせこが衣はる〔二字傍線〕さめ降るごとに、野べの緑ぞ色まさりける(古今集、春上)
右の歌はおいて、「はる」といふ音聲は、上の「衣」に對しては、「張る」の意味で續き、下に對しては、「春」の意味で續いてゆく機能を持つてゐる。これを圖解すれば、次のやうになる。
わがせこが衣張る〔二字左傍線〕
ハル
春〔傍線〕雨降るごとに、野邊の緑ぞ色まさりける
右のやうに、「ハル」といふ音聲が、上下に對して、別の意味を喚起するところから、これを縣詞(或は掛詞とも)といふのである。一般に、一の語が、上の句を受け、下の語に續いて行く時は、そこに論理的關係が成立する。もし右の歌を、一般の文の法則に從つて理解するならば、
客語 述語
わがせこが衣〔六字傍線〕 張る〔二字傍線〕
で、一つの統一が成立し(主語「妻」はここでは省略きれてゐる)、更にそれが、下の雨に對して、連體修飾語としてかゝつて行くものと考へなければならない。
(299) 連體修飾語 主語述語
わがせこが衣張る〔左右八字傍線〕雨降る〔三字傍線〕
客語 述語
ところが、右の歌においては、このやうな脈絡においては、理解することが出來ない。即ち右の歌には、文意の論理的脈絡といふものが存在しないからである。それは、「ハル」といふ音聲が上と下とに對して、全く論理的關係を持たない語を喚起する機能を持つからである。これを入子型の構造にあてはめれば、次のやうになる。
わがせこが衣はる〔八字□で囲む〕雨降る〔五字□で囲む〕
右のやうに、懸詞を含む文の統一は、上の句と下の句とが、單に音聲的に連結されてゐるだけで、論理的には統一されてゐないのである。
さて以上のやうな構造を構成する懸詞が、和歌の表現技巧として、どのやうな意味を持つてゐるかといふのに、第一に、縣詞が、論理的に無關係な語を、上下に對して展開する機能を持つことによつて、論理以外の思考を表現することが出來ることである。第二に、論理的にぼ無關係な思考を、一つの統一したものとして、表現することが出來ることである。既に擧げた例に從つて、これを具體的に説明するならば、「わがせこが衣張る」とい(300)ふ思想と、「春雨降るごとに野邊の緑ぞ色まさりける」といふ思想の間には、何等の因果關係も條件關係もない。ただそこには、春の風物として、冬から解放された或る氣分の照應が見られる。この照應こそは、懸詞のねらつた最も重要な點でたるといふべきである。
夕づく夜をぐら〔三字傍線〕の山に鳴く鹿の聲のうちにや秋は暮るらむ(古今集、秋下)
「をぐら」は、上の「夕づく夜」に對しては、「を闇し」の觀念を、下の「山」に對しては、地名「小倉山」を喚起し、晩秋の鹿の音に對して、を闇き夕づく夜を配して、一の統一した情緒を構成したものである。これを、例へば、次の歌に對比して見れば、
夕されば、をぐらの山に臥す鹿の今宵は鳴かず寐ねにけらしも(萬葉集、一六六四)
右の「をぐら」は、ただ下の「山」といふ語に對して、修飾語としての關係を持ち、從つて、「夕されば」は、この一首全體に對する連用修飾語としての論理的關係を持つてゐるのである。
以上は、懸詞を契機として、ある觀念よりある觀念へ思考が流れて、時間的流動の上に觀念の照應が構成されて、音樂にいふところの旋律的美を構成する場合であるが、懸詞には、なほ次のやうな性質の異なつたものがある。
花の色は、うつりにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに(古今集、春下)
右の歌における「花の色」は、文字通りの花の色の意味を基にして、「ふる」は、「降る」(301)の意味に、「ながめ」は、「長雨」の意味で、一首全體が、自然の推移を詠じたものと見られると同時に、「花の色」は、「容色」の意味に、「ふる」は、「經る」の意味に、「ながめ」は、「眺め」の意味に解せられて、容色の衰へて行く嘆きを詠んだものとしても受けとられる。このやうに二樣の理解が成立するのは、既に擧げたそれぞれの語が、同時に二つの觀念を喚起するからであつて、これも、懸詞の機能と見ることが出來るのである。
獨りぬる床は草葉にあらねども、秋來るよひはつゆけかりけり(古今集、秋上)
右の「つゆけかりけり」は、涙に濡れる淋しさをいふ語であると同時に、文字通り草葉に露の置く樣をいふ語で、この一首では、この二つの意味が、同時に喚起されてゐると見ることが出來るのである。このやうな懸詞の機能は、第一の場合と同樣に、やはり觀念の照應を構成することであつて、そこに論理的脈絡では表現し得ない複雜な情緒を釀し出さうとするのである。前の場合が、旋律の流れに相當するとすれば、この場合は、主奏と伴奏とによつて成立する音の協和的美に相當するものと云つてもよいであらう。改行
(302) 三 文における格
(一) 述語格
文における述語には、次のやうなものがある。
(一) 用言
イ 花咲く〔二字傍線〕。
「咲く」は、主語「花」に對する述語で、一つの動詞からなる。陳述は零記號である。
ロ 花咲き〔二字傍線〕、鳥歌ふ。
「咲き」は、句の中における述語で、陳述は未完結である。この場合、陳述は零記紀である。
ハ 秋風吹か〔二字傍線〕む折にぞ來むずる。待てよ(枕草子、蟲は)
「吹か」は、主語「秋風」に對する述語で、陳述は、推量の助動詞「む」によつて表はされてゐる。この「む」は、「秋風吹く」を統一して、體言「折」の連體修飾語となる。
ニ け近き草木などは、ことに見所なく〔二字傍線〕(源氏、夕顔)
(303)「なく」は、主語「見所」に對する述語で、一つの形容詞からなることは、前の動詞の場合と同じである。ただここでは、主語「見所」と、述語「なく」とが合體したものが、一つの述語となつて、主語「草木」に對してゐる。「見所なく」は、用言相當格といふことが出來る。
「草木」は、下の主語「見所」と區別して總主語と云はれる。
ホ 品高く〔二字傍線〕生まれながら、身はしづみ、位みじかく人げなき(源氏、帚木)
「ハ」と同樣に、「高く」は、主語「品」の述語になつてゐるが、異なるところは、「高く」の下に想定される零記號の辭に統一されて、下の動詞「生まれ」の連用修飾語になつてゐることである。
(二) 體言
イ み局は桐壺〔二字傍線〕なり(源氏、桐壺)
「桐壺」は、主語「み局」に對する述語で、一つの體言からなる。陳述は、指定の助動詞「なり」によつて表はされてゐる。述語が、體言である場合と、用言である場合とは、次のやうな關係になる。
かごと負ひぬべきが、いと辛き〔二字傍線〕なり〔二字二重傍線〕(「辛き」は、連體形で體言相當絡、陳述は「なり」)
かごと負ひぬべきが、いと辛し〔二字傍線〕■〔二字二重傍線〕(陳述「なり」に相當するものは零記號)
(304) ロ いとあつしくなりゆき、もの心細げ〔五字傍線〕に、里がち〔三字傍線〕なるを(源氏、桐壺)
「もの心細げ」「里がち」は、ともに體言で、ここ隼は表現されてゐない主語即ち「桐壷の更衣」た連署である。陳述は、助動詞「に」「なる」によつて表はされてゐる。二〉
ハ、主上笠置を御没落〔二字傍線〕の事(太平記、卷三)
「御没落」は、主語「主上」の述語で、「の」は、指定の助動詞の連體形。この例において、體言「御没落」が、客語「笠置」をとつてゐることが注意される。同樣に、
大宮をのぼり〔三字傍線〕に、船岡山へぞ行きたりける(保元物語)
「のぼり」は、「のぼる」の連用形で、體言相當格である。「に」は、指定の助動詞で體言に附くのが原則である。前例と同樣に、客語「大宮」をとつてゐる。このやうに、體言的述語が、客語をとることが出來るのは、その述語が、動作性の意味を持つ場合で、客語に對しては、動詞として、これを承け、下の語に對しては、體言としての接續法をとるので、いはば、一語に二つの語性を懸けた云ひ方である(『國語學原論』第三章第四(六)格の轉換の項參照)。なほ、次のやうな例がある。
研究に熱中〔二字傍線〕のあまり
東京へ出張〔二字傍線〕を命ず
これより先、立入り〔三字傍線〕禁止
(305) 子供を相手〔二字傍線〕のつもりで試みに國語を大事にすべきことを語る(五十嵐力『國語の愛護』改訂版の扉)
知識大衆には、凡ゆる新語を理解〔二字傍線〕の鍵(『現代用語の基礎知識』續篇のための廣告文)
(三) 用言相當格
中ごろ造營の後(比叡山大講堂についていふ)、未だ供養を遂げずして、星霜已に積りければ、甍破れては霧不斷の香を燒《た》き、扉《とぼそ》落ちては月常住の燈を挑ぐ〔甍〜傍線〕(太平記、卷二)
右の傍線の部分は、全體で、ここに想定される主語「比叡山大講堂」を敍述する述語で、一語の動詞形容詞に相當するものである。この語句は、平家物語では、別の形式で用ゐられてゐる。
西の山の麓に一宇の御堂あり。すなはち寂光院なり。ふるう造りなせる泉水木立よしある樣のところなり。甍破れては霧不斷の香をたき、扉落ちては月常住の燈をかゝぐ〔甍〜傍線〕とも、かやうの所をや申すべき(大原御幸)
右の文章では、傍線の部分が、單に詩句の引用として、紹介されたに過ぎない。この引用を、そのまま述語としたのが、太平記の文構成である。これに類することは、現代語でも決して珍しいことではなく、
さうなれば、鬼に金棒〔四字傍線〕だ。
(306) かうやつて行けば、塵も積れば山となる〔九字傍線〕さ。
のやうに、これらは、分割出來ないもので、全體として、はじめて意義があるのである。左の例も同じである。
そともの小川には、川ぞひ柳に風たちて、鷺のみの毛うちなびき〔鷺〜傍線〕(二)(海道記)
峯には、松風かた/”\に調べて、※[(禾+尤)/山)]康が姿しきりに舞ひ〔※[(禾+尤)/山)]〜傍線〕、(二)林には、葉花稀に殘つて、蜀人の錦はわづかにちりぼう〔蜀〜傍線〕(同)
思ひの外なる女の……髪は霜をけづつ〔五字傍線〕て、眼は入かたの月かげかすか〔入〜傍線〕に(好色一代女、卷一の一)
(一) 一般には、「もの心細げに」「里がちなる」を一單語として、形容動詞の述語として用ゐられたものとしてゐる。從つて、「に」「なる」は、形容動詞の語尾として取扱つてゐる。これを、形容動詞とせず、本文のやうに取扱ふことについては、『口語篇』第二章第三リの項を參照。
(二) 「鷺のみの毛うちなびき」は、柳が風に吹かれた樣の形容で、柳とは別に、現實の鷺がそこに、ゐるのではない。「※[(禾+尤)/山)]康が姿しきりに舞ひ」も同樣に、松の威容を形容する語である。
(二) 連用修飾格
連用修飾格即ち、副詞的用法については、『口語篇』でも概要を述べたのであるが、な(307)ほ、文語特有のものがあることに注意する必要がある。
連用修飾語を、主として語論との關係において見れば、次のやうなものが擧げられる。
(一) 動詞、形容詞の漣用形は、そのまゝ述語の連用修飾語となる。この場合、連用修飾格を表はす陳述は、零記號である。
うちかへし〔五字傍線〕つらう覺ゆる
早う〔二字傍線〕亡せ給ひにき
いたく〔三字傍線〕屈じ給ふ
(二) 體言が連用修飾語となる場合は、それに指定の助動詞の連用形「に」「と」「の」が附く。
人はよし思ひ止むとも、王かづら、影〔傍線〕に〔二重傍線〕見えつつ忘らえぬかも(萬葉集、一四九)
壁の中のきりぎりすだに間遠〔二字傍線〕に〔二重傍線〕聞きならひ給へる御耳に(源氏、夕顔)
あしひきの山邊をさして、くらやみ〔四字傍線〕と〔二重傍線〕かくりましぬれ(萬葉集、四六〇)
わざ〔二字傍線〕と〔二重傍線〕かう御文あるを(源氏、若紫)
あまをとめ漁りたく火〔傍線〕の〔二重傍線〕おぼほしく、つのの松原おもほゆるかも(萬葉集、三八九九)
白玉〔傍線〕の〔二重傍線〕大御白髪まし、赤玉〔二字傍線〕の〔二重傍線〕御あからびまし(出雲國造神賀詞)
(三) 體言のあるものは、そのまゝ連用修飾語として用ゐられる。この場合、陳述は零記(308)號と見ることが出來る。(一)
まつち山|暮《ゆふ〔二字傍線〕》越え行きていほさきのすみだ川原にひとりかも寢む(萬葉集、二九八)
たまきはる内の大野に馬並めて、朝〔傍線〕踏ますらむその草深野(同、四)
夢のごと〔二字傍線〕道の空路にわかれする君(同、三六九四)
「ごと」は、形容詞的接尾語「し」を附けて、その連用形「ごとく」で、連用修飾語とすることが多い。
常〔傍線〕止まず通ひし君が使ひ來ず、今〔傍線〕はあはじとたゆたひぬらし(萬葉集、五四二)
わが泣く涙、有馬山〔三字傍線〕雲井たなびき雨に降りきや(同、四六〇)
秋の田の穗むき見がてりわがせこが、ふさ〔二字傍線〕たをりける女郎花かも(同、三九四三)
鷄人|曉《アカツキ〔四字傍線〕》唱(フ)、聲驚2明王之眠1、鳧鐘|夜《ヨル〔二字傍線〕》鳴(ル)、響徹2晴天之聽1(倭漢朗詠集、禁中)
いはけなかりける程に、思ふべき人々のうち捨てゝものし給ひにけるなご〔二字傍線〕り、はぐくむ人あまたあるやうなりしかど(源氏、夕顔)
筑波嶺の峯より落つるみなの川〔筑〜傍線〕、戀ぞつもりて淵となりぬる(後撰集、戀三)
右の傍線の體言相當格は、指定の助動詞「の」を伴つた次の句に相當する。
吉野川いはなみ高く行く〔吉〜傍線〕水の〔二重傍線〕、はやくぞ人を思ひそめてし(古今集、戀一)
淺〔傍線〕緑、糸よりかけて白露を玉にもぬける春のやなぎか(同、春上)
(309)右の「淺緑」は、指定の助動詞「に」を伴つた次の句に相當する。 はつせ川、白木綿花〔四字傍線〕に〔二重傍線〕おちたぎつ瀬をさやけしと見に來し我を(萬葉集、一一〇七)
(四) 動詞の終止形が、そのまゝ連用修飾語として用ゐられることがある。
くらげなす〔二字傍線〕(二)たゞよへる(古事記、上)
さ蠅なす〔二字傍線〕皆わき(同、上)
鶯の音聞くなべに梅の花、わぎへの園に咲きて散る〔二字傍線〕見ゆ(萬葉集、八四一)
潮瀬の波折《なをり》を見れば、遊び來る鮪《しび》が鰭《はた》手に妻立てり〔三字傍線〕見ゆ(古事記、下)
右の如く、終止形が連用修飾語になるのは、古語の例で、「終止形−見ゆ」の形は、平安時代以後は和歌にだけ用ゐられた。終止形を重ねて、連用修飾語とすることは、慣用句として固定きれたものが用ゐられた。
世の中はむなしきものと知るときし、いよよ、ますます〔四字傍線〕悲しかりけり(萬葉集、七九三)
ぬば玉の黒髪山の山すげに小雨降りしき、益益《しくしく〔四字傍線〕》おもほゆ(同、二四五六)
「益益」を、「しくしく」と訓めば、それは、「頻く」意味の動詞の終止形を重ねたものである。
かやうに夜ふかし給ふもなま憎くて、入り給ふをも聞く聞く〔四字傍線〕、寢たるやうにて物し給ふべし(源氏、横笛)
(310)今日の「見る見る」「恐る恐る」に當るものである。
(五) 形容詞の語幹は、そのまま、連用修飾語として用ゐられることがある。形容詞の語幹は、それだけで、一體言とみなすことが出來るから、結局第三の場合と同じになる。
高〔傍線〕光る日の御子(古事記、中、美夜受比賣の歌)
天飛《あまだ》む輕のをとめ、いた〔二字傍線〕泣かば、人知りぬべし(同、下、木梨之輕太子の歌)
下つ岩根に宮柱、太しり立て、高天原に千木、高〔傍線〕しります(出雲國造神賀詞)
體言の場合と同樣に、助動詞「に」が附いて「高《たか》に」「遠《とほ》に」などとも用ゐられる。
(六) 形容詞或は動詞の終止形に、指定の助動詞の「に」を附けて、連用修飾語に用ゐられることがある。(三)
しな照る片岡山に、飯に飢《ゑ》て臥《こや》せる其の旅人《たびと》あはれ、親なし〔二字傍線〕に〔二重傍線〕、なれなりけめや(推古紀)
大船の津守の占に告《の》らむとは、益爲〔二字傍線〕爾〔二重傍線〕知りて我が二人寢し(萬葉集、一〇九)
右の「益爲爾」は、訓法に諸説があるが、和歌童蒙抄に「マサシニ」とあるのが、肯定されるならば、それは、「正《まさ》し」といふ終止形に「に」が附いたものと云へるのである。
この夜すがらに、寢《い》もねず〔二字傍線〕に〔二重傍線〕今日もしめらに戀ひつゝぞ居る(萬葉集、三九六九)
「いもねずに」は、打消の助動詞の終止形に「に」が附いた場合である。
(311) 朝なぎに滿ち來る潮の、夕なぎに寄り來る波の、その潮のいや益升二《ますます〔四字傍線〕に〔二重傍線〕》、その浪のいや敷布二《しくしく〔四字傍線〕に〔二重傍線〕》わぎもこに戀ひつゝ來れば(萬葉集、三二四三)
「益升二」「敷布二」を、それぞれ「ますますに」「しくしくに」と訓むことが許されるならば、それは、動詞の終止形に、指定の助動詞「に」が附いたものである。
(一) 古くは、體言だけで連用修飾格に立つたものが、今日では、指定の助動詞「に」を附けていふもの、その反對に、今日體言だけで云ふものが、古くは「に」を附けたりして、そこには一定の法則が認められないやうである。
外道忽〔傍線〕ニ〔二重傍線〕此ヲ見テ、悲ノ心ヲ發シテ愚ニ謀ツル事共ヲ、一々〔二字傍線〕ニ〔二重傍線〕佛ニ申ス(今昔物語)
法ヲ聞キ專〔傍線〕ニ〔二重傍線〕布施ヲ可v行(同)
毎夜ニ聊〔傍線〕ニ〔二重傍線〕勤ル事有也(同)
(二) 體言に附く「なす」については、義門が『山口栞』(中卷)に、「似」字を、「のり」「のす」「なす」「にす」と訓むことがあることを指摘し、安藤正次氏も、また、この説を承けて、「なす」は「似す」の意味であると云はれた(『古代國語の研究』二四四頁)。山田孝雄博士は、「なす」の「な」は、格助詞で、「す」は、形式動詞であるとされた(『奈良朝文法史』第二章第五節)。そのいづれにしても、それが終止形であると見ることは一致してゐる。
(三) 指定の助動詞「に」は、體言、動詞連用形(體言相當格)、動詞形容詞の連體形(體言相當格)に附くのを原則とするのであるが、ここに、終止形接續の場合もあることとしたのである。
(312) (三) 對象格
對象語格或は對象格の名稱を設定する根據は、國語の述語となる語に、兩樣の主語を想定することが可能であることから來ることである。倒へば、「高し」といふ語が述語となつた場合、その主語として想定される語は、「高し」といふ屬性の所有者、例へば、「山」とか、「木」とかに限られる。これに對して、例へば、「あやし」といふやうな語が、述語になつた場合は、「あやし」といふ屬性の所有者である「人」或は「有樣」等を主語と想定出來ると同時に、「あやし」と感ずる感情の主體、「我」或は「彼」をも主語と想定出來る。この、場合、感情の主體である「我」或は「彼」を主語と呼ぶならば、そのやうな感情を觸發する機縁となり、或は感情の志向對象となるものを、ここに對象語或は對象格と呼ぶのである。ある語が、客觀的な屬性概念と同時に、それに對應する主觀的な情意概念を同時に表現することは、現代語においても見られることで、「恐ろしい」といふ語は、物に即して、その物の容貌、性情等をいふことも出來ると同時に、そのやうな物に對する主觀的な情意をも表はし、屡々この兩者の意味を同時に表現するものである。そこで、情意の主體に對する述語として、
(313) 私は恐ろしい。
と云つた場合、「私」を主語とするならば、その場合の感情の機縁となつた「物」に對する述語として、
虎は恐ろしい。
と云つた場合、主語「私」に對して、「虎」を對象語といふのである。これは全く相對的關係から生ずる概念であるから、もし、「虎は恐ろしい」の「恐ろしい」を、專ら、虎の屬性のみを云つたものとするならば、その主語は、「虎」であるといふことが出來るのである。
命婦もたばかり聞えむ方なく、宮(藤壺の宮)の御氣色も、ありしよりはいとゞ憂き節に思しおきて、心解けぬ御氣色〔七字傍線〕もはづかしう〔五字右○〕、いとほしけれ〔六字右○〕ば、何のしるしもなくて過ぎゆく(源氏、紅葉賀)
右の文中の「はづかし」「いとほし」は、命婦の感情をいつた語で、「心解けぬ御氣色」は、そのやうな感情の對象となつた事物を表はす語であるが故に、これを對象語とするのである。
紫の匂へる妹〔六字傍線〕をにくく〔三字右○〕あらば、人妻故に我れ戀ひめやも(萬葉集、二一)
右の「にくし」は、この作者の感情を云ひ表はした語で、「紫の匂へる妹」は、その對象語(314)である。
いと氣高う心はづかしき御有樣に、さこそはいひしかどつゝましうなりて、わが思ふ事は、心のまゝにもえ打ち出で聞えぬ〔八字傍線〕を、心もとなう〔五字右○〕口惜しと、母君といひ合はせて歎く(源氏、明石)
右の「心もとなし」は、ある事に對して不安不滿に感ずる氣持ちで、こゝでは、「心のまゝにもえ打ち出で聞えぬ(こと)」が、不安不滿の氣持ちを起こさせる機縁になつてゐることを表はしてゐる。
つらつきいとらうたげにて、眉のわたり打けぶり、いはけなくかいやりたるひたひつき、髪ざし、いみじう美し。ねびゆかむ樣〔六字傍線〕ゆかしき〔四字右○〕人かなと目とまり給ふ(源氏、若紫)
右の「ゆかし」は、ある事の實現を待望する氣持ちで、ここは、紫上の成人してゆく婆が、早く見たいといふ源氏の氣持ちを表はす。「ゆかし」は、今日の語感で云へば、屬性を表現してゐるやうに理解されるのであるが、平安時代には、情意的意味として多く使はれてゐる。從つて、「ねびゆかむ樣」は、「ゆかし」の主語としてよりも、對象語と見るのが適切である。
なほ、對象語については、『古典解釋のための日本文法』(單元一二、一三)、『古典の解釋文法』(第一七課)に詳説したので、ここでは簡略に止めた。
(315) (四) 獨立格
獨立格とは、獨立格の文における格の意味で、獨立格の文とは、詞と辭との結合によつて文が構成される場合、陳述以外の辭によつて統一される文である。これを詞について云へば、詞が述語格でない文を獨立格の文といふのである。いはゆる一語文といはれるものは、これに入る。
犬!
は、詞だけで成立する文であるが、これは單なる語の表出ではなく、「!」に相當する詠嘆或は呼びかけの辭が、言語記號によつては、表出されてゐない、換言すれば、零記號の辭によつて統一された文である。この場合、「犬」は、述語格でなく、獨立格である。述語格と獨立格の相違は、
「あれは何か」
といふ問に對して、
「犬」
と答へた場合、この「犬」は、外形上前者の一語文と同じであるが、この場合は、
(316) 「犬なり」
の指定の助動詞「なり」の省略と考へられる。「なり」が省略されたとすれば、「犬」は述語格で、前者の例とは異なるのである。
獨立格の文については、第三章文論二文の構造(三)文の二つの類型の中で詳述した。
(五) 條件格附並列格
從來、接續助詞といはれてゐる「ば」「ど」「ども」「と」「とも」「を」「が」等によつて總括された事柄を、條件格と名づけることとする。條件格を表はす助詞、即ち接續助詞は、格助詞の一種と見ることが出來ることは既に述べた(第二章二(二)ハ)。
格助詞とは、例へば、
猫が〔二重傍線〕鼠を〔二重傍線〕食ふ。
における「が」「を」のやうに、事柄と事柄との關係を表はすために、事柄に加へられた論理的意味の表示である。「猫」と「鼠」との論理的關係は、「が」「を」によつて表示され、「猫」を主語、「鼠」を客語の格といふのである。
次に、例へば、
(317) 天氣だから〔二字二重傍線〕、出かける。
において、「から」は、「天氣であること」が、「出かけること」の前提條件になつてゐることを表はしてゐるのであるから、これも、事柄と事柄との關係を表はす語であるといはなければならないのである。一方、格助詞といはれてゐる「から」について、例へば、
不養生から〔二字二重傍線〕、病氣になる。
における「から」と比較して見れば、これも、「不養生」と「病氣になる」といふ二つの事柄の論理的關係から「不養生」が、その條件になつてゐることを表はして、前例と本質的に差別の無いことを知るのである。また、例へば、
僅かの資本で〔二重傍線〕店を開いた。
の「で」は、格助詞であるが、
體が健康なので〔二重傍線〕、どうにか頑張り通した。
の「で」は、指定の助動詞「だ」の連用形(『口語篇』一八三頁)、或は「ので」を接續助詞と見てゐる(『中等文法』口語、七六頁)。兩者異なつた取扱ひがされてゐるが、ともに、ある條件的事實を表はしてゐることにおいて共通してゐる。このやうに見て來ると、いはゆる接續助詞が、接續機能を持つといふことは、それらが、條件的事實を表はすことから來る結果的な事實と見てよいのである(『口語篇』二二五頁)。
(318) 條件格は、種々な方法によつて表はされるが、その一つは、用言及び助動詞の活用形によつて表はされる。
なぞかう暑きに〔二重傍線〕、この格子は下されたる(源氏、空蝉)
右は、指定の助動詞の連用形によつて、「暑いこと」が、「格子を下したこと」の逆態條件になつてゐることを表はしてゐる。「かう暑き」は條件格といふことが出來る(これらのことについては、「活用形の用法」中に説いた)。
その二は、いはゆる接續助詞によつて表はされる。接續助詞は、常に陳述を表はす助動詞(零記號の場合をも含めて)とともに用ゐられる。
見ずもあらず見もせぬ人の戀しくば〔二重傍線〕、あやなく今日やながめ暮さむ(古今集、戀一、伊勢物語)
右は、「見ずもあらず……戀しく」といふことが、未然の條件的事實である。助詞「ば」は、そのやうな格を表はしてゐる。
次に、
月明かに〔二重傍線〕、星稀れに〔二重傍線〕、鴉鵠南に飛ぶ。
花咲き■〔二重傍線〕、鳥歌ふ。
において、「月明かに」「星稀れに」「花咲き」は、それぞれ、助動詞及び動詞の連用形で、(319)文意が中止してゐる。しかし、これらの句は、下の句に對して、因果關係或は條件關係に立つてゐるわけではない。そこで今、これらの「月明か」「星稀れ」「花咲き」を、下の句に對して並列格と呼ぶこととする。
並列格は、右のやうに、用言、助動詞の連用形で表はされると同時に、接續助詞「て」「ば」「して」(「し」は、サ變動詞が陳述の表現に用ゐられたもの)等によつて表はされる。前例の文は、
月明かにして〔二字二重傍線〕、星稀にして〔二字二重傍線〕、烏鵠南に飛ぶ。
花咲きて〔二重傍線〕、鳥歌ふ。
のやうにも云へるのである。「ば」が並列格に附くことは、接續助詞「ば」の項に述べた。
(320) 四 活用形の用法
(一) 總説
活用形とは、語論的見地からいへば、用言及び助動詞が、他の語に接續する場合の語形變化で、通常、未然、連用、終止、連體、已然、命令の六活用形を備へてゐることは、既に述べたことである(語によつては、六活用形を具備しない場合もある)。
今、これを文論的見地において見るならば、一活用形必ずしも、一文論的機能を表はしてゐるのでなく、種々な機能を持つものであることは、文の意味的脈絡を考へる上に、極めて重要なことである。例へば、
花咲き〔二字傍線〕、鳥歌ふ。
花、咲き〔二字傍線〕亂る。
における「咲き」は、ともに、動詞の連用形であるが、前者の「咲き」は、述語の中止法としての機能を持ち、後者の「咲き」は、述語「亂る」の連用修飾法としての機能を持つつ。また、例へば、
(321) 花咲く〔二字傍線〕時、
赤き〔二字傍線〕花咲く。
心の貧しき〔三字傍線〕は幸なり。
における「咲く」「赤き」「貧しき」は、それぞれ動詞、形容詞(ク活用)、形容詞(シク活用)の連體形であるが、「咲く」は、主語「花」の述語であり、「赤き」は、「花」の連體修飾語であり、「貧しき」は、主語「心」の述語であつて、「心の貧しき」で、一體言相當格で、主語となつてゐる。このやうに、各活用形と、その文論的機能とは、一應別個のものとして、各別に考察する必要がある。しかしながら、各活用形の文論的機能には、大體の範圍を限定することが出來るのであつて、決して無統制に用ゐられてゐるものではないのである。各活用形の用法を知ることは、古文の解釋の重要な基礎となるものであるから、私は、古文解釋の手がかりを、先づこの活用形の用法に置くことを試みた(『古典解釋のための日本文法』、『古典の解釋文法』)。
從來の文法研究においては、活用形は、專ら語論的見地からのみ取扱はれて、例へば、未然形には、どのやうな助詞、助動詞が接續するかといふことが研究されて來た。勿論、この研究は、必要な研究であつて、その價値は、充分高く認めなければならないのであるが、一方、文論的立場に立つ時、ただそれだけでは不充分であるといはなければならない(322)のである。
(二) 未然形の用法
「ば」が附いて、未然の條件格を表はす。
誠にうしなど思ひて、絶えぬべき氣色〔七字傍線〕なら〔二字右○〕ば、かばかり我に從ふ心〔九字傍線〕なら〔二字右○〕ば、思ひこりなむと思ひ給へて(源氏、帚木)
右の「なら」は、助動詞「なり」の未然形で、助詞「ば」を伴つて、「絶えぬべき氣色」「かばかり我に從ふ心」が、下の「思ひこる」の未然的條件であることを表はす。
若點つる松浦の川の川なみのなみにしもは〔二字右○〕ば、われ戀ひめやも(萬葉集、八五八)
右の「なみにしもはば」は、「並にし思《も》はば」の意味で、「思は」が、「われ戀ひめやも」の未然的條件になつてゐることを表はすのであるが、この場合、前例の指定の助動詞「なら」に相當する陳述が、動詞の未然形によつて代行されてゐる。前例に倣つて、これを圖解するならば、
なみにしもは〔二字傍線〕■〔右○〕ば(現代語では、「思ふなら〔二字右○〕ば」と、助動詞「なら」を用ゐて、條件的陳述を表はす。)
(323)のやうになる。
立ちしなふ君が姿を忘れず〔三字右○〕は、世の限りにや戀ひ渡りなむ(萬葉集、四四四一)
右の「ず」は、打消助動詞「ず」の未然形で、助詞「は」を伴つて、「君が姿を忘る」といふことの非存在の事實、換言すれば、「君が姿を常に胸に抱く」といふことが、「世の限りに戀ひ渡る」ことの將然的條件になつてゐることを表はす。(一)
(一) 橋本進吉博士の「奈良朝語法研究の中から」及び「上代の國語に於ける一種の『ずは』について」(『橋本博士著作集』第五册)においては、この「ずは」の「ず」を、連用形とし、「ずは」を、「ずして」の意味に解された。今、本書では、この「ず」を未然形として、「ずは」を、未然形に「ば」の附いた一般の條件法と同じに見た。それは、「ずは」の表はす内容は、必ずしも常に嚴密な意味における條件的事實ばかりでなく、橋本博士の云はれる「ずして」の意味の、事柄の平行關係或は單純な先後關係をも表はし得ると認めたからである。
「ば」は、ある事柄が、他の事柄の條件になつてゐることを表はす格助詞とも認めることが出來る。
(三) 連用形の用法
一 述語格の中止法を表はす。
(321) もの心細げ〔五字傍線〕に〔右○〕、里がちなるを(源氏、桐壺)
右の「に」は、指定の助動詞の連用形で、「もの心細げ」が、この文では表現されてゐない主語「更衣」の述語格であることを示し、かつその、敍述が、中止されてゐることを表はす。この場合、助詞「て」を附けでも同じである。
花咲き〔二字傍線〕、鳥歌ふ。
水清く〔二字傍線〕、風涼し。
右は、前例の「に」に相當する陳述が零記號になつて、用言の連用形が、それを代行し、「花咲く」ことが、「鳥歌ふ」ことに、平行し或は先後することを表はす。もし、
涙を流し〔二字傍線〕、忠告す。
の如き文において、「涙を流し」を、連用形による連用修飾格とするならば、「花咲き」は、「鳥歌ふ」に對して並列格とでも、いふことが出來るであらう(第三章三(五)參照)。
二 連用修飾格を表はす。
風、靜か〔二字傍線〕に〔右○〕吹く。
花、美しく〔三字傍線〕■〔右○〕咲く。
花、咲き〔二字傍線〕■〔右○〕亂る。
右は、指定の助動詞連用形「に」、及び零記號の陳述によつて、「靜か」「美しく」「咲き」(325)が、それぞれ、下の述語の連用修飾語となつてゐることを表はす。この場合、連用形に助詞「て」が附くことがある。
いざ、たゞこのわたり近きところに、心安く〔三字傍線〕て〔右○〕明さむ(源氏、夕顔)
鳥蟲のひたひつき、いとうつくしう〔五字傍線〕て〔右○〕飛びありく、いとをかし(枕草子、三月三日)
三 條件格を表はす。
庭の面はまだかはかぬ〔四字傍線〕に〔右○〕、夕立の空さりげなくすめる月かな(新古今集、夏)
「惱ましき〔四字傍線〕に〔右○〕、牛ながら引き入れつべからむ所を」とのたまふ(源氏、帚木)
右の「に」は、ともに指定助動詞の連用形で、「庭の面がまだぬれてゐること」「惱ましいこと」が、下の文の條件になつてゐることを表はす。前者は逆態で、後者は順態條件を表はす。「かはかぬ」「惱ましき」は、それぞれ打消助動詞及び形容詞の連體形で、下に被修飾語になる體言が省略されてゐると見ることが出來る。從つて、意味は、「庭の面はまだ濡れてゐる状態だのに」「私は惱ましい状態だから」のやうになる。
三島野に霞たなびき〔四字傍線〕しかすがに昨日も今日も雪は降りつつ(萬葉集、四〇七九)
うちひそみつつ見給ふ御樣、例は心強う鮮かに誇りかなるみ氣色、名殘なく〔四字傍線〕、人惡し(源氏、柏木)
前者は、「霞たなびけど」と逆態條件を表はし、後者は、「み氣色、名殘なければ」と順態(326)條件を表はす。
右のやうな連用形に、助詞「て」を加へて用ゐることが多い。
かく心細くておはしまさむより、内住せさせ給ひ〔七字傍線〕て〔右○〕、御心なぐさむべくなど思しなりて參らせ奉り給へり(源氏、桐壺)
我ひとりさかしき人〔五字傍線〕にて〔二字右○〕、思しやるかたぞなき(同、夕顔)
前者は「内住せさせ給へば」、後者は、「さかしき人なれど」の意味である。現代の口語でも、「雨が降つて寒い」は、「雨が降るから寒い」の意味を表はす。この場合も、「雨が降り」が、「寒い」の條件、原因を表はすために用ゐられてゐる。連用形或はそれに「て」の加つたものが、逆態條件を表はすことは、現代語に無い云ひ方である。
形容詞の連用形に、「とも」が附いて、逆態條件を表はす(動詞の場合は終止形に附く)。
(四) 終止形の用法
一 連語格を表はす。
けはひあはれ〔三字傍線〕なり〔二字右○〕、(源氏、桐壺)
右の「なり」は、指定の助動詞の終止形で、體言「あはれ」が、主語「けはひ」の述語格(327)であることを表はす。
宮は大殿ごもり〔三字傍線〕にけり〔三字右○〕(源氏、桐壺)
右の「にけり」は、完了の助動詞「ぬ」「けり」の複合した助動詞の終止形で、動詞「大殿ごもる」が、主語「宮」の述語格であることを表はす。
風涼しかりき(風涼しく〔三字傍線〕ありき〔三字右○〕)
右の「ありき」は、指定の助動詞「あり」と過去の助動詞「き」との複合助動詞の終止形で、「涼しく」が、主語「風」の述語であることを衷はす。
風涼し(風涼し〔二字傍線〕■〔右○〕)
右は、前諸例の陳述の表現である助動詞に相當するものが、零記號で表現され、形容詞の終止形で代用されてゐる。從つて、「涼し」が、主語「風」の述語である。
二 動詞、助動詞の終止形に、助詞「とも」を伴つて、逆態的條件格を表はす。(一)
世になくかたはならむこと〔八字傍線〕なりとも〔四字右○〕、ひたぶるに隨ふ心は、いとあはれげなる人と見給ふに(源氏、夕顔)
右は措定の助動詞「なり」の終止形に「とも」が附いて、「世になくかたはならむことが、「ひたぶるに隨ふ」ことの逆態條件になつてゐることを表はす。
三 連用修飾格を表はす(文における格、連用修飾格(四)を參照)。
(328) くらげなす〔五字傍線〕たゞよへる(古事記、上)
「くらげなす」は、動詞の終止形で、そのまゝ、「たゞよへる」の副詞的修飾語として用ゐられる。
(一) 「とも」は、一般に、接續助詞として説かれてゐる。本書では、「とも」が、格助詞の一つとしても考へられることを提案した(接續助詞「とも」の項參照)。
(五) 連體形の用法
一 連體修飾格を表はす。
かりそめ〔四字傍線〕なる〔二字右○〕こと
をかしげ〔四字傍線〕なる〔二字右○〕人
右の「なる」は、指定の助動詞「なり」の連體形で、體言「かりそめ」「をかしげ」が、それぞれ、「こと」「人」の連體修飾語であることを表はす。
流るる〔二字傍線〕水
美しき〔二字傍線〕花
右は、「流るる」「美しき」が、それぞれ、「水」「花」の連體修飾語になつてゐるのである(329)が、連體修飾語であることを表はす指定の助動詞「なる」に相當するものが省略されて、用言の連體形がその代用となつてゐる。從つて、これを前例に倣つて圖解すれば、
流るる〔三字傍線〕■〔右○〕水
美しき〔三字傍線〕■〔右○〕花
のやうになる。
二 主語客語を含んで連體修飾語となつてゐることを表はす。
人ずくな〔三字傍線〕なる〔二字右○〕所
火ともし〔三字傍線〕たる〔二字右○〕すきかげ
「すくな」「ともし」は、それぞれ、主語「人」客語「火」に對して述語であり、それらの主語及び客語を含んで、「人ずくな」「火ともし」が、それぞれ、「所」「すきかけ」の連體修飾語になつてゐることを表はす。
蟲の音しげき〔三字傍線〕野邊
花散る〔二字傍線〕里
は、形容詞、動詞の連體形によつて、主語「蟲の音」「花」を含んで、下の「野邊」「里」の連體修飾語となつてゐることを表はす。「なる」に相當するものが省略されてゐることは、第一の後の場合と同じである。
(330) 因みに、國語においては、屡々主語が省略されることがあるので、形式上では、下の語の修飾語のやうに見えて、實は、省略された主語の述語である場合が多い。
思は〔二字傍線〕む〔右○〕子を法師になしたらむこそ心苦しけれ(枕草子、思はむ子)
右は、「む」が連體形で、「思は」、が、「子」の連體修飾語となつてゐるやうに解せられるところであるが、實は省略された主語「我」の述語であり、「我が思ふ」が、「子」の連體修飾語となるのである。
我〔傍線〕《主》が 思は〔二字傍線〕《述》〔四字左傍線〕《連體修飾語》 む〔左○〕子
三 被修飾語の省略された連體形。
かの中の品に取り出でていひし〔右○〕、このなみならむかしと思し出づ(源氏、帚木)
右の「し」は、過去の助動詞「き」の連體形であるから、上接の語が、連體修飾語であることが明かである。しかし、この場合、この連體修飾語によつて修飾される體言「女」が省略されてゐる。この省略された體言「女」は、下に續く文中の述語「なみ」の主語である。
いとやむごとなき際に〔右○〕はあらぬ〔三字右○〕が、すぐれてときめき給ふありけり(源氏、桐壺)
右の「にあらぬ」は、打消助動詞の連體形であるから、「いとやむごとなき際」が、その反對の意味で、連體形の下に省略された體言「御方」の連體修飾語となる。この省略され(331)た體言は、下に續く「すぐれてときめき給ふ」の主語となる。
宿直《とのゐ》人めく男《をのこ》、なま頑しき〔三字傍線〕出で來たり(源氏、橋姫)
右の「頑しき」は、連體形で、下に省略された體言の連體修飾語であるが、この場合は、省略された體言が、この形容詞連體形の主語として、「宿直人めく男」と上に提示されてゐる。從つて、この主語を、被修飾語として連體形の下に補つて見れば、次のやうになる。
宿直人めく男の、なま頑しいのが出て來た
右の「の」は、口語に用ゐられる形式體言で、「もの」「こと」の意味を持つてゐる。
右のやうな連體形は、古文に頻出する特異な用法である(『古典解釋のための日本文法』單元五參照)
白き鳥の、嘴《はし》と脚と赤き〔二字傍線〕、鴫の大きさ〔三字傍線〕なる〔二字右○〕、水の上に遊びつゝ魚《いを》を食ふ(伊勢物語)
み山いでで夜はにや來つる時鳥あかつきかけて聲の聞ゆる〔三字右○〕(拾遺集、夏)
右の下句の留り「聞ゆる」は、連體形で、「あかつきかけて聲の聞ゆる」が、連體修飾語であると同時に、その下に來る被修飾語が省略された場合である。このやうに、連體形を以て、下句を留めるのは、そこに餘情を殘す技法であつて、一首の意味は、
あかつきかけて聲の聞ゆるコトカナ〔四字右○〕
と同じになる。從つて、原歌の留りは、純然たる終止(切れ)とはいふことが出來ないも(332)のである。
四、「ぞ」「なむ」「や」「か」等の係の助詞が上にある場合に、陳述の完結形式として用ゐられる。
霞たつ春の山邊はとほけれど吹き來る風は花の香ぞ〔二重傍線〕する〔二字右○〕(一)(古今集、春下),
中の品になむ〔二字二重傍線〕、人の心々おのがじゝの立てたる趣も見えて、わかるべき事かた/\多かるべき〔二字右○〕(二)(源氏、帚木)
五 係助詞が無い場合でも、「いつ」「いかで」「いづれ」「たれ」「なに」等の問ひかける疑問代名詞がある場合は、同じく陳述を連體形とする。
君をのみ思ひこしぢのしら山は、いつ〔二字傍点〕かは雪の消ゆる暗ある〔二字右○〕(古今集、雜下)
夏草はしげりにけれど、郭公など〔二字傍点〕わが宿に一聲もせぬ〔右○〕(新古今集、夏)
(一) 用言が述語になる場合には、陳述は零記號になる。從つて、係の助詞に應ずる完結形式は、用言自身の活用形による。ここは、「花の香す」に、係の助詞が加つたがために、用言の連體形を以て完結した。
(二) 述語に助動詞が附いた場合は、係の助詞に應ずる完結形式は、陳述を表はす助動詞の活用形による。ここでは、述語は、「多し」であるが、それに推重判斷を表はす助動詞「べし」が附き、それが、「なむ」の影響によつて連體形で完結したのである。
(333) (六) 已然形の用法
一 「ば」「ど」「ども」が附いて、已然の條件格を表はす。
怪しく夢のやうなりしことの心に離るゝ折なき頃にて、心解けたるいだに寢られずなむ、晝はながめ、夜は寢ざめがち〔五字傍線〕なれば〔三字右○〕、春ならぬこのめ、いとなく嘆かしきに(源氏、空蝉)
右の「なれば」は、指定の助動詞「なり」の已然形に、接續助詞「ば」(條件格を表はす格助詞とも考へられる)が附いて、「晝はながめがちに、夜は寢ざめがちなること」が、下の文の「嘆かし」の已然の條件格になつてゐることを表はす。
稻つけ〔二字傍線〕ば〔右○〕、かゞるあが手をこよひもか、とののわくごが取りて嘆かむ(萬葉集、三四五九)
右は、陳述の省略によつて、「稻つく」ことが、「かがる」の條件になつてゐることを表はす。
もみち葉に置く白露のにほひにも出でじと念者《おもへ〔三字傍線〕ば〔右○〕》、ことの繋けく(萬葉集、二三〇七)
右は、已然形に「ば」が附いたものであるが、前諸例が、順態條件を表はすのに對して、(334)逆態條件を表はす場合である。
天の川淺瀬白波たどりつゝ渡りはて〔四字傍線〕ねば〔二字右○〕、明けぞしにける(古今集、秋)
右は、打消助動詞「ず」の已然形に「ば」が附いたもので、「渡りはつ」の反對の事實、即ち「川の途中にあること」が、條件になつてゐる。この場合は、逆態になる。
世のおぼえ花やかなる御方々にも劣らず、何事の儀式をももてなし給ひけれど〔三字右○〕》、取立てゝはか/”\しき御後見しなければ、事とある時は、なほよりどころなく心細げなり(源氏、桐壺)
右は、過去の助動詞「けり」の已然形に「ど」が附いたもので、「儀式をもてなし給ふ」ことが、後の述語「心細げ」の逆態條件になつてゐる。この場合、「ども」が附いても同じである。
二 已然形は、それだけで條件格を表はす。
家さかりいますわぎもを止めかね山がくり〔四字傍線〕つれ〔二字右○〕、心どもなし(萬葉集、四七一)
右の「つれ」は、完了の助動詞「つ」の已然形で、この活用形だけで、「山がくる」といふことが、「心どもなし」の條件になつてゐることを表はす。「山がくりつれば」の意である。
雪こそは春日消ゆらめ〔二字右○〕、心さへ消え失せたれや言も通はぬ(萬葉集、一七八二)
(335)右は、「らむ」の已然形。「雪が春の日に消えること」が、逆態條件になつて、「雪は消えることがあらうが」の意味で、次の「心は消えることがない」に懸るのである。逆態になる場合には、上に係助詞「こそ」を件ふことが多い、。
ももしきの大宮人はいとまあれ〔二字傍線〕や〔右○〕、梅をかざしてここにつどへる(萬葉集、一八八三)
右も前例と同じく、「大宮人はいとまあり」といふことが、下句の「ここにつどへる」の條件格になつてゐる。「や」は疑問の係助詞で、「いとまあればか」の意味となり、下句の結びが連體形になる。この已然形に「や」の附いた形は、次に掲げる反語或は詠嘆の表現と誤られ易い。
三 「已然形−や」が、反語或は詠嘆となる場合。
さざなみの滋賀の大わだ淀むとも、昔の人にまたもあは〔二字傍線〕めや〔二字右○〕も一云あはむともへ〔二字傍線〕や〔右○〕(萬集集、三一)
右の「めや」は、推量の助動詞「む」の已然形に「や」が附いたもので、形の上では、前例と同じであるが、これは、後の「むや」といふべきところである。「昔の人にまたも會はむや」、「一云」に從へば、「あはむともふや」の意味で、疑問或は反語になる。多く文末に置かれる語法である。
津の國の難波の春は夢なれや〔三字右○〕、蘆の枯葉に風わたるなり(新古今集、冬)
(336)右の「なれや」も、散文における「なりや」に相當し、「や」は疑問の助詞で、疑問は、屡々詠嘆に通ずる。ここは、詠嘆で、「夢なるかな」の意味となる。從つて、この「や」は下句の結びに影響を及ぼすことなく、ここで切れるのである。
ももしきの大宮人はいとまあれ〔二字傍線〕や〔右○〕、櫻かざして今日も暮しつ(新古今集、春下)
これも、「いとまありや」「いとまあるかな」と詠嘆する云ひ方である。從つて、「や」は、下句の結びに影響を及ぼさない(もし、「や」が係の助詞ならば、下句は、「暮しつる」とならなければならない)。右は、既に擧げた萬葉集の本歌と比較すれば、その相違を明かにすることが出來る。
もゝしきの大宮人はいとまあれ〔二字傍線〕や〔右○〕、梅をかざしてここにつどへる〔四字右○〕
四 係助詞「こそ」の終止となる。
春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ〔二字右○〕見えね〔右○〕》香やはかくるゝ(古今集、春上)
右の「ね」は、打消助動詞「ず」の已然形で、ここで終止する。しかしながら、已然形は、それだけで條件を表はすので、ここでも、「ね」で、完全に文意が完結したとはいへないので、「色こそ見えねど」の意味が寓せられてゐることが多いのである。從つて、この歌のやうに、逆態條件に對する結論とも見るべき「香やはかくるる」の如きものが表現されてゐない場合でも、多くの場合に、餘韻を殘してゐることが多いのである。
(337) おほかたの秋來るからにわが身こそ〔二字右○〕悲しきものと思ひしりぬれ〔二字右○〕(古今集、秋上)
(七) 命令形の用法
一 四段、ラ變、ナ變活用では、そのまゝで、他の活用では、助詞(「」「ろ」(東國方言)が附いて、命令、許容、勸誘等の、意を表はす。(一)
二 四段、サ變活用では、完了の助動詞「り」が附く。(二)
(一) 四段、ラ變、ナ變以外の動詞でも、下二段、カ變の動詞は、「よ」を附けずに、命令の意味に用ゐられることがある。
うるはしとさ寢しさ寢てば刈薦の美陀禮婆美陀禮〔三字傍線〕さ寢しさ寢てば(古事記、下)
人の身は得難くあれば法のたのよすがとなれり都止米〔三字傍線〕もろもろすゝめもろもろ(佛足跡歌)
大伴の遠つかむおやのおくつきは、しるく之米多底〔二字傍線〕、人の知るべく(萬葉集、四〇九六)
旅にても喪無くはや許〔傍線〕(來)とわぎもこが結びし紐はなれにけるかも(同、三七一七)
また、四段動詞にも「よ」を附けて用ゐることがある。以上のやうな用例から推して、「よ」は、人を促す意を表はす助詞で、動詞の語尾でないことが明かである。後に、四段、ラ變、ナ變以外には、必ず「よ」を附けて命令を表はすことになつたが、その場合でも、「よ」の附いたものを活用語尾とすることは出來ない。それは、既定條件を表はすには、古くは、已然形だけで、これを表はす場合が、あつたが、後に、「思へば」「咲けば」と、必ず、「ば」を伴つて用ゐる(338)ことになつても、「ば」の附いたものを、活用語尾と見ないのと同じである。
「ろ」を用ゐたものは、
高麗錦紐ときさけて寢るがへにあど世〔傍線〕呂〔右○〕とかもあやに悲しき(萬葉集、三四六五)
草枕旅のまる寢の紐絶えば、あが手と都氣〔二字傍線〕呂〔右○〕これのはるもし(同、四四二〇)
(二) 橋本進吉博士の上代特殊假名遣の研究によつて、四段活用の已然形の語尾は、乙類の假名に屬し、命令形の語尾は、甲類の假名に屬することが明かにされた。完了の助動詞「り」は、常に甲類の假名に接續してゐるので、これは、命令形に接續すると云はなければならない(「上代文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」『橋本博士著作集』弟三册、一八七頁)。從つて、本書では、「り」の接續を、命令形の用法中に加へた。
また、サ變動詞の場合も、從來「り」は、未然形に接續すると云はれて來たが、四段動詞と同樣に、命令形に接續するとした(第二章語論二辭「り」の註(二)を參照)。
(339) 第四章 文章論
一 文章論の課題
文法研究上、文章論がどのやうな意味を持ち、またどのやうな研究課題があるかは、『口語篇』第四章に概説したことであるが、その後、この研究課題を、具體化するに當つて、二三の試論的なものに手をつけた以外に、私としては、未だ全面的にこれを體系づけるところにまでは到達してゐない。
以下、列擧するところの文章論の課題は、その全部が、決して、文法論における文章の問題とはいふことが出來ないものであらうが、これらの中から、文法論に所屬するものを、選擇して行くといふことは、文章論の位置を決定する上から云つて、必要な手續きであり、また方法であると云つてよいであらう。
その一は、連歌俳諧における附句による文章の展開の考察である(『古典解釋のための日本文法』単元三一)。
その二は、散文中に占める韻文の位置と機能とに關する考察である(『同上書』単元三二)。
(340) その三は、文章展開における冒頭文の意義についての考察である(昭和二十六年五月五日松山市における全國大學國語教育學會講演、愛媛縣國語研究會編『國語研究』第八號掲載)。
その四は、言語における主體的なものは、文においては、辭である助詞、助動詞によつて表現されるが、文章特に文學においては、それがどのやうに表現されるかを追求しようとしたものである(「言語における主體的なもの」金田一京助博士古稀記念『言語民俗論叢』所収)。
その五は、接續詞と感動詞との文章論的意義についてである。接續詞については、『口語篇』にも述べたことであるが、本書では、新たに、感動詞をこれに加へることとした。
(341) 二 連歌俳諧における附句による文章の展開
文が文章として展開する場合、一般に、前文と後文との間には、論理的關係があり、論理的脈絡を以て展開する。その關係を明かにするために、説續詞が用ゐられることがあるが、説續詞がない場合でも、我々は、そこに論理的脈絡を把握することが出來る。
櫻がり雨は降り來ぬ同じくは濡るとも花の下に隱れむ(古今六帖、一)
右の歌は、文法的にいへば、「櫻がり雨は降り來ぬ」「同じくは濡るとも花の下に隱れむ」の二つの文よりなり、前文は、後文の思想の出て來る原因となつた事實を表現したものであることは明かである。
連俳は、前句を承け、後句が續いて、そこに文章が展開するのであるが、前句と後句とは、論理的に關連するよりも、情景、情趣が承應しつゝ展開するといふ、一般文章の展開とは異なつた技法の上に立つものである。かつ、附句は、前句に承應しつゝも、全體の文脈に對しては、新しい境地を開拓して行かなければならないといふ制約の下に、文脈における語の用法も、一般の表現における語の受渡しとは別の約束に從つてゐる。次に、水無瀬三吟百韻を例にとつて見れば、
(342) 雪ながら山もとかすむ夕べかな
行く水遠く梅にほふ里
川風に一むら柳春見えて
舟さす音もしるき明け方
月やなほ霧渡る夜に殘るらむ
霜置く野原秋は暮れけり
(以下略)
において、發句より第三句までは、春季の連續で、情景境地は緊密に展開するのであるが、第四に至つて、用語の上では、春季を離れた。しかしながら、一般の文章表現の場合ならば、「舟さす音もしるき明け方」は、當然前句との關係において春の明け方を指したものと理解されなければならない筈であるが、これに對する附句は、むしろこの文脈における理解を遮斷して、これを秋の明け方と理解して、第五を出したのである。第五の「月やなほ霧渡る夜に殘るらむ」においても同樣で、前句の關係から云へば、それは當然水邊の景と見なければならないのであるが、附句は、これを暮秋の野原の景と見て第六を出したのである。
以上のやうな附句の發展は、語の意味の文脈における制約を脱却するところに可能とさ(343)れるのであつて、この技法は、すでに平安時代の和歌に盛に用ゐられた懸詞の方法の中に見られるものなのである。例へば、
梓弓はる〔〔二字傍線〕の山邊を越え來れば、道もさりあへず花ぞ散りける(古今集、春下)
において、「はる」は、それに先行する語との關係からいへば、專ら一義的に「張る」の意味に決定されてゐなければならない筈であるが、ここでは、「はる」の音が喚起することの出來る別の意味を利用して、「春の山邊を」と續けたのである。懸詞による思想の展開と、附句によるそれとは、形式的に見れば、甚だ、異なつたものではあるけれども、文脈を離れれば、語の喚起するところの意味内容は、極めて非限定的で、「明け方」と云つても、それは「春の明け方」でも、「秋の明け方」でも表現し得るといふ言語の非限定的な表現性を利用した點においては同じものといふことが出來るのである。
連歌俳諧における文章の展開は、中古末期を、下限とする本書の限界を越えるものではあるが、これを、懸詞の發展と見る立場から、假に本書に附説することとした。
(344) 三 散文中における韻文の意義と機能
日本文學においては、散文中に、屡々韻文(和歌及び俳句)が插入されて、文章表現の一つの形式をなしてゐる。このやうな、文章の中に占める韻文の位置と機能とについて考察するといふことも、文章論上の一つの重要な課題と考へられるのである。
韻文が散文の中に插入される場合、二つの全く異なつた事情が考へられる。第一の場合、韻文が、散文の敍逃して來たものを、集約し、點睛する意味で插入される場合である。
その春世の中いみじうさわがしうて、まつさとのわたりの月かげあはれに見しめのとも三月ついたちになくなりぬ。せんかたなく思ひ歎くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣きくらして見いだしたれば、夕日のいと花やかにさしたるに、さくらの花のこりなく散りみだる。
ちる花もまた來む春は見もやせむやがて別れし人ぞこひしき(更級日記)
右の文章の散文も韻文も、これを、内容的に見れば、大差が無いのであつて、和歌が、散文の内容を、再び繰返して、これを凝縮させたところに意義を見出すことが出來るのである。これは、萬葉集における長歌と反歌の關係と同じである。
(345) 曙の空になりて、瀬田の長橋うち渡すほどに、湖はるかにあらはれてかの滿誓沙彌が、比叡山にて此のうみを望みつゝよめりけん歌おもひ出でられて、漕ぎゆく舟のあとの白波、まことにはかなく心ぼそし。
世の中を漕ぎゆく舟によそへつゝながめし跡を又ぞながむる(東關紀行)
右の文章も同じであつて、この形式は、「奥の細道」以下の芭蕉の紀行文にも採用されてゐるところのものである。そこでは、俳句が、和歌の位置を占めるのである。
第二の場合は、韻文が、散文中に描かれる人物の言葉として插入される場合である。その代表的なものは、源氏物語において見ることが出來る。
藤壷の宮惱みたまふ事ありで、まかで給へり。(中略)宮も淺ましかりしを思し出づるだに、世とともの御ものおもひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと心うくて、いみじき御氣色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうち解けず、心深う恥かしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させ給はぬを、などかなのめなる事だにうちまじり給はざりけむと、つらうさへぞ思さるゝ。何事をかは聞えつくし給はむ、くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうなかなかなり。
(源氏)「見てもまた逢ふ夜まれなる夢の中にやがてまぎるゝわが身ともがな」
(346)とむせ返らせ給ふさまも、さすがにいみじければ、
(藤壺)「世がたりに人やつたへむたぐひなくうき身をさめぬ夢になしても」
思ほし亂れたるさまも、いとことわりにかたじけなし(源氏、若紫)
右は、源氏と藤壺の宮との會合の場面であるが、ここに插入された和歌は、源氏と宮との言葉として插入されたもので、作者の思想とは直接の關係がなく、今日の小説における會話の文に相當するものである。このやうな和歌の機能は、登場人物相互の思想の傳達を第一の目的とし、それが鑑賞されるといふことは、附隨的にしか考へられてゐない場合が多い。從つて、それは、勅撰集的和歌(一)とは著しく性格の異なつたものといはなければならないのである。
前栽の花いろ/\咲き亂れ、おもしろき夕暮に、海見やらるゝ廊に出で給ひて、たゝずみ給ふ御樣のゆゝしう清らなること、ところがらは、まして、この世のものとも見え給はず。(中略)さま/”\心細げなるに、雁の連ねて鳴く聲楫の音に紛へり。うちながめ給ひて、御涙のこぼるゝを、かき拂ひ給へる御手つきの、黒木の御數珠にはえ給へるは、故郷の女戀しき人々の心地、みな慰みにけり。
(源氏)「はつかりは戀しき人のつらなれや旅の空飛ぶ聲のかなしき」(二)
と宣へば、
(347) (良清)「かきつらね昔のことぞおもほゆる雁はそのよの友ならねども」
(民部大輔)「心からとこ世を捨てゝなく雁を雲のよそにも思ひけるかな」
(前右近丞)「常世いでて旅の空なるかりがねも、つらにおくれぬほどぞなぐさむ」(源氏、須磨)
右は、八月十五夜、須磨において、雁の鳴き連ねて行くを聞いて、源氏及び側近の人たちの詠んだ歌であるが、これは、歌會でもなく、また、鑑賞會でもない。漂泊の悲しさをかこつ人々が、雁に托して、銘々の心境を述べ合ふ言葉として、散文中に位置づけられてゐるのである。從つて、いふならば、座談會における感想の言葉に相當するものである。平安時代の物語は、すべてこのやうな意味において、和歌を散文中に用ゐた。
以上述べて來た二つの形式は、その性質において甚だしく異なつたものではあるが、韻文を散文中に混在させるといふ點では共通したものである。韻文が、このやうに散文中に織交ぜられるといふことは、詩と散文とを全く別のジャンルとして扱ふヨーロッパ文學と比較する時、日本文學の特異な現象と認めることが出來るのであるが、これは、日本文學における韻文といふものが、ヨーロッパ文學における韻文とは、その性格を異にしたものであることを想像させるのである。日本文學においては、韻文は、散文の延長線上に成立するものであつて、散文と全く異なつた表現形式とは考へられてゐないもののやうである。(348)換言すれば、韻文と散文との間に一線を劃すことが出來ないことを意味するのである。
(一) 勅釈集的和歌の性格とは、ここでは、題詠或は歌合せを契機として生まれて來た和歌を云ふ。それは、古今集假名序に示された規範、即ち、「花をめで、鳥を羨み、霞を憐び、露を悲しぶ」心の表現としての歌であつて、「色好み」の家に翫ばれるやうな歌に對立し、專ら鑑賞批判の對象として制作されたものである。これに反して、物語中の和歌は、人間の愛憎の表現の媒介としての機能を持つのである。
(二) この歌の解釋として一般に採られてゐるものは、初雁を、都に殘して來た女たちに喩へて、女たちが泣いてゐるであらうことを思ひやつたものとするのである。しかしながら、ここに登場する他の人物、良清、民部大輔、前右近丞は、ともに、自分たちが、故郷を離れて漂泊の旅をしてゐる雁と同じ運命であることを述べてゐるのであるから、源氏の歌も、初雁は、都の人たちを戀ひしたつて泣く我々と同じ運命のものであることを、詠んだものと考へなくては、三人の歌は承應しない。「戀しき人」は、「都を戀うてゐる我々」の意味に解さなければならない。諸註、「戀しき人」を、「我が戀しく思ふ都の人たち」の意に解するところから、自他が轉倒してしまつたのである。
(349) 四 文章における冒頭文の意義とその展開
文章は、音樂と同樣に、時間的に展開するものであるから、全體を、同時的に大觀し、把握することは不可能である。その點、造型美術の場合と異なる。從つて、文章の全體的把握は、冒頭よりこれを讀み下してゆく、時間的、繼起的な體驗としてのみ成立する。その際、文章の冒頭文は、多くの場合において、文章全體の主題、輪廓、發端等を示す重要な意義を持つてゐる。嘗て、垣内松三教授が、文章の理解は、先づ文章自體から出發しなければならないというセンテンス、メソッドを唱道された時、ヴントの説を引いて、次のやうに述べられた。
ヴントが文を讀む時の心を説明して、恰もこみ入つた畫の上に、突然光がさしこんで來た時に、初はただ全體の印象のみであるが、それから全體との關係に於て部分部分が引續いて見えて來るやうに、文も初は輪廓が見え、それから初めには暗かつた部分々々が分つて來ると述べたやうに、大意〔二字傍点〕はこれを示す「言語の縁暈」であり「輪廓」である。(『國語の力』一、解釋の力二五)
しかしながら、文章の全體的把握が、文章の通讀によつてなされるとする考へは、文章(350)の構造を、造型美術と同一視するところから來たことで、文章の構造の正しい認識から來たものとは考へることは出來ないのである。確かに、造型美術の鑑賞は、その朧氣な全體的印象に出發して、更にその細部の技巧の鑑賞に目を轉ずるといふ方法が可能とされる。それは、ものそのものが、そのやうな構造形式を持つからである。文章は、たとへ、それが俳句のやうな短詩形の場合においても、その全體を同時的に把握するといふことは不可能なことである。いつ如何なる場合においても、冒頭より讀下すといふ體驗においてしか、これを把捉することが出來ない。時間的體驗を、同時的體驗に引移すとしたならば、それは既に文章的體驗から遠ざかつたものと考へなければならないのである。それならば、文章の理解においては、もはや全體約把握といふことはあり得ないのであらうかといふのに、文章において、それに相當するものは、冒頭の文である。冒頭の文が、繪畫の構圖と同樣な意味で、文章全體の輪廓を示すものであることは、表現の場合を考へて見れば明かなことで、冒頭の文を正しく据ゑ得たといふことは文章制作のなかばを成就し得たことを意味するのである。
冒頭の文が、文章の全體を提示するものであるといふことは、種々な意味で云はれることで、決して一樣ではあり得ない。ある場合には、作者の全編に對する主題を示す場合もあり、單に内容の輪廓を示す場合もあり、また執筆の動機意圖を明かにするやうな場合も(351)ある。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり(土佐日記)
右は、作者の執筆の動機を明かにしたものであつて、以下展開する日記の記事とは、性質の異なつたものであつて、いはゞ全編の支柱となるべき性質のものである。從つて、この一文は、直にそれに續くところの「それの年、師走の二十日あまり一日の日の戊《いぬ》の時に門出す」の文と關係するものと考へることは出來ないので、むしろ、土佐日記全體との關係においてその意義を見なければならないのである。
東路の道のはてよりも、なほ奧つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを――下略――(更級日記)
同じく旅行記の發端に据ゑられた冒頭文であるが、ここでは、執筆の意圖が述べられてゐるのでなく、京へ上ることが、作者にとつてどのやうな意義があるかが、先づ述べられたのである。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人とすみかとまたかくの如し(方丈記)
右は、方丈記全編の主題ともいふべきもので、以下展開する天變地異と、人事の有爲轉變(352)とに對する作者の總論となつてゐる。
文章は、冒頭文の分裂、細敍、説明等の形において展開するので、冒頭文の展開の必然性を辿ることは、正しい文章體驗の基礎である。右に掲げた方丈記の冒頭文は、「玉敷の都の中に、棟を並べ甍を爭へる尊き卑しき人のすまひは」以下の文に展開し、それらが集つて、全體で、更に大きな冒頭文を構成するのであるが、次の
およそ物の心を知りしよりこのかた、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ること、やゝ度々になりぬ
以下は、萬物流轉の主題を、具體的に説明する各論的展開である。
海道記の文章構成には、次のやうな珍らしい方法が採られてゐる。先づ、最初に、
白川の渡《ワタリ》、中山ノ麓ニ、閑素幽栖ノ佗士《ワビビト》アリ(岩波文庫本による)
以下、
今|便《スナハチ》芳縁ニ乘テ俄ニ獨身ノ遠行ヲ企ツ(同、四九頁)
までは、東國下向の趣旨を敍したところの冒頭文であるが、
貞應二年卯月ノ上旬、五更ニ都ヲ出《イデ》テ一朝ニ旅ニ立ツ(同、四九頁)
より、
此《コレ》ハコレ文ヲ用《モツ》テサキトセス、歌ヲ以テ本《モト》トセス、只境ニ牽《ヒカ》レテ物ノ哀ヲ記スルノミ(353)也。外見ノ處ニ其《ソノ》嘲《アザケリ》ヲユルセ(同、五三頁)
に至るまでは、京より鎌倉に至るまでの旅行の概略を敍して、更に、再び立戻つて、
四月四日、曉、都ヲ出《イヅ》(同、五三頁)
と都を出發することを述べてゐる。同樣の文章構成法が、源氏物語の光源氏須磨下向の條にも用ゐられてゐる。
彌生廿日あまりのほどになむ、都離れ給ひける。人には、今としも知らせ給はず、ただいと近う仕うまつりなれたるかぎり、七八人ばかり御供にて、いとかすかにて出で立ち給ふ(源氏、須磨)
と、出發のことを述べて、更に立返つて、出發に際しての方々への御いとまごひの有樣を詳細に述べて、最後に、紫上との別れを敍して、
明けはてなばはしたながるべきにより、急ぎ出で給ひぬ。道すがら、面かげにつと添ひて、胸もふたがりながら、御船に乘り給ひぬ。日長き頃なれば、追風さてそひて、まだ申の時ばかりに、かの浦に着き給ひぬ
と、須磨到着のことを述べてゐる。しかしながら、こゝでも、敍述は、再び途中のことに立返つて、
大江殿(難波國渡邊の館)といひける所は、いたく荒れて、松ばかりぞしるしなりける
(354)として、都を想ひ、前途を憂ふる感慨の歌を詠ませてゐる。このやうな敍述形式は、文章の錯亂といふよりも、冒頭において、大意を概説し、更にそれが各論に展開する方法の發展と認めるべきではないかと考へられる。(一)
もとより、冒頭に、全編の大意や輪廓や主題が述べられるといふことは、その方が、全編の理解を導くに效果的であると考へられたところから、生まれた技法であるから、場合によつては、冒頭に相當するものを設けずに、直に中心問題に入つて行く方法もあり得るわけである。特に近代小説の形式は、讀者を直に事件の核心に導くためにこの方法がとられることが多い。しかしながら、これは近代の、特に小説における方法であつて、わが古典文學や、近代においても、論文等には冒頭が置かれることは、極めて一般的な事實である。
(一) 金子元臣は、こゝのところを、「出發したと一往總括的に略敍して置き、以下更に立返つて出發の際の事件を細敍する一種の文法」と解説してゐる(『寫本源氏物語新解』上、四〇七頁頭註)。
(355) 五 文章の展開と接續詞
積續詞の性質を考へる前に、文章表現における文の接續の事實を考へてみよう。
雨が降る。風が吹く。とても外へは出られない。
といふ文の連續においては、個々の文は、それぞれに完結し、獨立はしてゐるが、意味の脈絡の上からいへば、個々に孤立してゐるのではなく、連續したものとして表現され、かつ理解される。しかも、これらの個々の文は、相互に對等の關係で、次の文に關係してゐるのでもない。先づ、「雨が降る。風が吹く。」は、それだけで一團となつて、次の「とても外へは出られない。」に關係するものとして表現され、かつ理解されるのである。その關係は、いはば、前者が原因であり、後者が結果となつてゐる。以上のやうな文の連續における文の群團化とその相互關係は、我々はただ文脈において、或は言外の餘白において感じとるだけで、右のやうな話手の思考の屈折は、言語の形には表現されてゐない。これが、文の接續を表はす一つの方法である。
次に、右と同じ思想を次のやうに表現することも出來る。
雨が降る。風が吹く。それだから、とても外へは出られない。
(356)右の表現においては、「雨が降る。風が吹く。」といふ文の群團が、「とても外へは出られない。」といふ表現の原因になつてゐると、いふ思考過程が「それだから」といふ語によつて表現されてゐる。前例において、言外に餘白として表現されてゐたものが、ここでは、明かに言語の形をとつて表現されたことになるのである。「それだから」は、右のやうな機能を持つところから、これを文法上接續詞といふのである。接續詞を用ゐることも、文の接續を表はす一つの方法である。
次に、右と同じ思想を次のやうにも表現することが出來る。
雨が降り、風が吹くから、とても外へは出られない。
右の表現においては、「雨が降り、風が吹く」といふ思想が、「から」といふ助詞を加へることによつて、その思想が、後續文に對して原因になつてゐるものであることを表現して、前例の場合と同じ結果になつたのである。「から」は、「だから」と同樣な語の性質を持ち辭に屬するのであるが、「から」は常に詞と結合して用ゐられるところから、これを助詞といふのである。右のやうに、助詞を用ゐた場合は、「雨が降り、風が吹く」は、もはや完結を失つて、全體として、一文の中に包攝されたものと考へられるから、文の接續とは云へないやうであるが、それは結果から見た見解であつて、思想の表現過程に即していふならば、完結させるべき文を、助詞を用ゐることによつて、未完結にして、次の文に接續(357)させたと見るべきである。右の文中、「雨が降り、」は、「雨が降る」といふ完結形式を用ゐずに、次の「風が吹く」に接續させるためにとつた方法で、この場合は、活用形の中の連用形がその役目を果してゐるのであるが、表現過程から云へば、文を接續させたと見るのが至當である。文を、その出來上つた形において見ずに、表現過程において見るといふことは、言語が時間的に、線條的に展開するものであるといふ性質から云つても極めて當然なことである。
以上述べて來たところで明かなやうに、接續詞を用ゐるといふことは、文を接續させる技法の一つに過ぎないのであつて、從つて、接續詞を考へるに當つては、既に述べた言外の表現、即ち文脈、接續助詞、活用形(連用形中止法及び已然形)などと併行して考へて行かなければならないのである。と同時に、接續の表現といふことは、言語における主體的表現として、辭の一般的性質とも關連させて考へる必要があるのである。
接續詞は、文と文とを接續させるものであり、これを話手の立場からいふならば、文脈の繼承、轉換を表明するものであるといふことになるのである。そのためには、先づ、接續詞は、それに先行する思想を總括する機能を必要とする。多くの接續詞は、これを起源的に見れば、代名詞と陳述と接續助詞とから構成されてゐる。前例の「それだから」は次のやうに分析される。
(358) それ………代名詞
だ………指定の助動詞(陳述)
から………接續助詞
勿論、すべての接續詞が、右の構成をとるとは限らないが、その場合でも、接續詞が先行の文を豫想することは必至であつて、それなくしては、接續詞とはいへないのである。
以下、實例について解説することとする。
(僧都)「ただこの尼君一人にてあつかひ侍りしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿の宮なむ忍びて語ひつき給ひけるを、もとの北の方やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、あけくれ物を思ひてなむ亡くなり侍りにし。物思ひに病づくものと目に近く見給へし」など申し給ふ。(源氏)「さらば〔三字二重傍線〕、その子なりけり」と思し合はせつ(源氏、若紫)
右の文は、次のやうに、僧都と源氏との會話として、整理することが出來る。
(僧都)「ただこの尼君一人にて……物思ひに病づくものと目に近く見給へし」
(源氏)「さらば、その子なりけり」
接續詞「さらば」は、源氏物語の草子地の文とは何の關係もないものであつて、右の僧都と源氏との會話を接續させる機能を持つのである。即ち、「さらば」の先行文は、僧都の(359)言葉であり、「さらば」は、それを總括して、次の文「その子なりけり。」をおこすことを表明したものである。「さらば」は、甲乙二人の會話の文脈において機能するものであつて、文脈といふことが、一人の話手の思考過程においていはれるばかりでなく、會話の場合にも適用されることは、感動詞についても云へることである。言語が、會話の相手の文脈をも取入れることは、代名詞の機能にもあることであつて、そこにも、文法學が文論を越えて、文章論にまで至らなければならない理由を見出すのである。
(大徳)「御もののけなど加はれるさまにおはしましけるを、今宵はなほ靜に加持など參りて、出でさせ給へ」と申せば、「さもある事」と皆人申す。君(源氏)もかゝる旅寢もならひ給はねば、さすがにをかしくて、「さらば〔三字二重傍線〕、曉に」と宣ふ(源氏、若紫)
右の源氏の言葉の「さらば」も、大徳や周圍の人々の言葉を承けて、そのやうな條件を假定して、曉に參らむといふ判斷が出て來たことを表はしたものである。文脈は、前例同樣に、會話の文脈であつて、源氏物語の地の文の文脈とは無關係である。
げにいふかひなの御けはひや、さりとも〔四字二重傍線〕いとよう教へてむと思す(源氏、若紫)
右の「さりとも」は、前文を承けて、それに對する逆説的な結論を述べることを表はすのである。この場合は、文脈は同一話者のものである。
接續詞は、常に必ずしも、獨立した文と文とを接續するとは限らない。前文の文末を、(360)未完結の接續形式とし、接續詞と併せて、文の接續をする場合がある。
女(空蝉)もさる御消息ありけるに、思したばかりつらむほどは、深くしも思ひなされねど、さりとて〔四字二重傍線〕、うち解け人げなき有樣を見え奉りても、あぢきなく夢のやうにて過ぎにしなげきを、またや加へむと思ひ亂れて(源氏、帚木)
右の「さりとて」の先行文は、已然形に「ど」の加つた未完結の接續形式である。接續助詞「ど」と「さりとて」と合して接續を構成した場合である。もし、先行文を完結させれば、「淺くしも思ひなされず。」となつて前諸例と同じになる。
次の例は、接續詞によつて總括されるべき先行文に相當するものが、文脈の中に表はされてゐない場合である。
限あらむ道にも、後れ先だたじと契らせ給ひけるを、さりとも〔四字二重傍線〕、うち捨てゝはえ行きやらじ(源氏、桐壺)
會話者相互によつて事情が理解されてゐるので、特にこれを文脈の中に表はす必要がなかつたのである。金子元臣は、右の接續詞を、「重態ではあつても」と現代語譯した(『定本源氏物語新解』上、六頁)。
、なほ、接續詞に次のやうなものがある。「かかれば」「かれ」(一)「ここに」(二)「さて」(三)「さば」「さりや」「さるは」(四)「されど」「されば」「そもそも」等。
(361)(一) 古事記にある「爾」「故」の訓法(増補『本居宣長全集』卷一ノ四二、四三頁)。宣長は、「かれ」は、「かゝれば」の約であり、「上を承けて、次の語を發す言なり」と説明してゐる。春日政治博士は、「カ」といふ副詞と「アレ」との結合で、「アレ」を「アレバ」と同じ意味に用ゐることは、古言であると説明された(『金光明最勝王經古點の國語學的研究』研究篇、二六六頁)。
(二) 増補『本居宣長全集』卷二ノ四二頁參照。
(三) この語、「さては」「さても」などとも用ゐられ、なほ、副詞としての用法もあり、その意味が的確には知り難いが、文脈を轉換して、別個のことを云ひ添へる意味に用ゐられるもののやうである。例へば、源氏物語若紫の條に、良清が前の播磨守の入道の物語をした言葉を承けて、源氏が、「さて〔二字二重傍線〕、その女は」、と質問をしてゐる。また次のやうにも用ゐられてゐる。
「あはれなる人を見つるかな。かかれば、このすき者どもは、かゝるありきをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思の外なることを見るよ」とをかしう思す。うさても〔三字二重傍線〕、いと美しかりつるちごかな。何人ならむ。かれを得て、かの人の御かはりに、あけくれのなぐさめにも見ばや」と思ふ心深うつきぬ)源氏、若紫)
「これはまだ難波津をだに、はか/”\しう續け侍らざめれば、かひなくなむ。さても〔三字二重傍線〕、あらしふくをのへの櫻散らぬまを心とめけるほどのはかなさいとゞうしろめたう」とあり(同、若紫)
(四) 逆説を結ぶ接續詞(『國語國文』三ノ三、同、三ノ九參照)。
(362) 六 感動詞の文章における意義
從來の文法論は、品詞を、主として文の成分論の立場から考察して來た。橋本博士は、感動詞が、文における他の成分と文法的關係を持たないところから、これを獨立語と呼んでゐる(橋本進吉『新文典』、文部省『中等文法』)。また、山田孝雄博士は、感動詞の名目を特立させず、これを副詞の中に包攝された(『日本文法擧概論』六九頁)。感動詞は、その下に來る句を限定するものであるといふ見解に出てゐるのである。もし、そのやうな見解に立つならば、感動詞は、當然、文論の問題とならなければならないのである。
しかしながら、既に『口語篇』(一七九頁)にも述べたやうに、感動詞は、辭の性質を持つと同時に、それだけで、「文」として取扱ふことが出來る性質を持つてゐる。
契りおきしさせもが露を命にて、あはれ〔三字二重傍線〕、今年の秋もいぬめり(千載集、雜上)
右は、韻律上、感動詞「あはれ」が、一首の中間に插入された形になつてゐるが、散文の形に改めるならば、「あはれ、契りおきしさせもが露を命にて、今年の秋もいぬめり」となるべきものである。そして、「契りおきし云々」以下は、感動詞「あはれ」を分析敍述したものである。してみれば、「あはれ」は、それだけで、獨立した文と同等に見ること(363)が出來るのである。感動詞をこのやうに見て來るならば、それは、もはや文論において取扱はれる事柄ではなく、文と文との關係、即ち文章論において取扱はれなければならない問題であることを知るのである。
あゝ〔二字二重傍線〕、悲しいかな。
あら〔二字二重傍線〕、面白の歌や。
あゝ〔二字二重傍線〕、多年の苦心は遂に報いられたり。
等における傍線の感動詞は、皆、後續の文と同格であり、後續の文は、感動詞の内容を、分析して敍述したものである。
感動詞の中には、右のやうな感動の直接的表現に屬するものの外に、呼びかけ、應答に屬するものがある。これらの語になると、それは、一層文脈の中に重要な位置を占め、文章論の課題としての性質を濃厚に示して來る。
昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶ/\と鳴る心地す。御粥など參る方に目も見やらず。「いで〔二字二重傍線〕、さりともそれにはあらじ。いといみじくさることはありなむや」と思ひなす(源氏、若菜下)
右は、源氏が女三宮のもとで、柏木の手紙を發見した時の、宮の女房小侍從の氣持ちを敍したものであるが、「いで」は、それに先行するところの小侍從の氣持ち、即ち、「あの手(364)紙は正しく柏木のものに違ひない」といふ驚きの氣持を打消すところの感動詞である。換言すれば、小侍從自身の思考過程を反轉させる役目を持つてゐるのである。このやうな「いで」の分析敍述されたものが、「さりともそれにはあらじ云々」といふ後續の文となるのである。
右の「いで」は、同一人である話手の文脈において、文の展開に關係する場合であるが、これが甲乙の二人の會話の間に用ゐられた場合は、いはゆる應答の感動詞といふべきもので、それは、會話といふ文章の展開形式に重要な役目を持つて來るのである。
(大進生昌)「これあらせ給へ」とて御硯などさし入る。(清少納言)「いで〔二字二重傍線〕、いとわろくこそおはしけれ(枕草子、大進生昌が家に)
右の枕草子の既述を、その會話の部分だけを取出してみると次のやうになる。
「これあらせ給へ」
「いで、いとわろくこそおはしけれ」
右の清少納言の「いで」は、前例のやうに、彼女自身の思考過程を反轉させたものでなく、會話の相手である生昌の發言を反轉させる役目を持つてゐる。『雅言集覽』の「いで」の(補)の部に、「少しもどく意なり」と註された用例に當るものである。即ち、會話といふ文章の發展形式において、文と文とを繋ぐ役目を持つのである。(一)
(365) いで〔二字二重傍線〕、われを人なとがめそ、大船のゆたのたゆたに物思ふころぞ(古今集、戀一)
右の「いで」は、その後續の文によつて分析敍述されてゐることは、前例の場合と同じであるが、更にこの語は、この歌に先行するものとして、作者に對するその周圍の人々の批難の言葉を前提とするものであつて、それらに對する作者の反撥の感情が「いで」として表現されたものと解さなければならないのである。
この例では、「いで」を具體的な文脈の中に位置づけることは困難であるが、この歌が、純粹にそれだけ獨立した、例へば、「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」(古今集、春上)などと同列には考へられないことは明かである。
「いで」には、以上の例のやうに、文脈を反轉させることとは反對に、相手を勸誘し、自分の氣持ちを進展させる場合があることは、一般に知られてゐることである。
この世にのゝしり給ふ光源氏、かゝるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世のうれへわすれ、齡のぶる人の御有樣なり。いで〔二字二重傍線〕、御消息聞えむ(源氏、若紫)
右の「いで」は、源氏を禮賛する北山の僧都が、自分自身の言葉を肯定し、御消息を聞えるといふ行動にまで我が身を促す氣持ちの表現である。
「いで」或は「いでや」も同樣な機能を持つ感動詞として、「いさ」「いざ」「さりや」(368)「よし」等がある。
感動詞の中で、應答、許諾、拒否を表現するものは、文脈の轉換に關與するといふ點で、接續詞とその機能が似て來る。兩者ともに、辭に屬するといふ點で、その本質をひとしくするのであるが、感動詞はどこまでも、感情的な應接を表現する。從つて、その後續の文は、感動の分析と敍述になるのであるが、接續詞は、文脈の論理的轉換の意圖の表現で、先後の文を媒介するところに相違が認められるあである。
(一) 文章においては、その中に含まれる個々の文の話手は、常に同一個人であるとは限らない。多人數の登場する劇の會話も、これを全體としで見れば、一の統一體としての文章である。話手甲と、話手乙との間には文脈が考へられるのである。數人の合作になる一座の連歌、俳諧も、異なつた話手からなる一文章である。
(367) この表は、本居春庭の『詞八衢』、釋義門の『山口栞』、鹿持雅澄の『用言變格例』等を基にして、比較的によく用ゐられる動詞について、その活用の種類の所屬について問題のあるもの、紛らはしいものを摘出して、解説を加へたものである。
動詞 活用 備考
あくがらす サ四 「あくがらさ〔五字傍線〕ざらまし」(源氏、帚木)、「あくがらし〔五字傍線〕はつる」(蜻蛉)等の例により、四段活と推定される。次の語は、すべて四段活である。「あそばす」「あはす」(一)「いそがす」「うながす」「おくらす」「おびやかす」「おほす」(生)「かくす」「かざす」「かへす」「かよはす」(二)「くだす」「くゆらす」「しらす」「こやす」「すぐす」「つかはす」「ならはす」(三)「にほはす」(四)「根ざす」「はるかす」「ひやす」「ほのめかす」「まぎらはす」「ます」「まを(う)す」「めぐらす」「もやす」「もらす」「わすらす」「わたす」等。右の動詞が、過去の助動詞「き」の連體形「し」に接續する時は、「あそばしし」と云ふのが正しく、「あそばせし」といふのは、後の轉である。
(368)註一 下二段にも活用する。
註二 「かよはせ〔四字傍線〕給ふ」は、「かよふ」に、下二段活の敬語の接尾語「す」が附いたもので、「せ給ふ」とのみ用ゐられる。「かよはせん」「かよはせし」とは用ゐない。
註三 『詞八衢』には、四段活と同時に、下二段活にも入れてゐるが、證據とした「手本をかきてならはせ〔四字傍線〕給ふ」(源氏、紅葉賀)は、『校異源氏物語』によれば、一本に「ならはし〔四字傍線〕給ふ」とあり、また『對校源氏物語』の索引によれば、すべて四段活である。
註四 「にほはす」も、『詞八衢』に、四段下二段兩樣として出してあるが、「赤ばなをかきつけ、匂はし〔三字傍線〕て見給ふに」(源氏、末摘花)とあるやうに、四段活である。「後拾遺集」春に、「梅が香を楔の花ににほはせ〔四字傍線〕て柳が枝に咲かせてしがな」とあるのは、後の轉に屬するものであらう。
あはす サ下二 「荒き風浪にあはせ〔三字傍線〕ず」(萬葉、四二四五)、「小鈴もゆらに、あはせ〔三字傍線〕やり」(萬葉、四一五四)、「おやのあはすれ〔四字傍線〕どもきかで」(伊勢)等の例により、下二段活と推定される。次の語は、すべて下二段治である。「おこす」「きかす」「くはす」「にす」「のたまはす」「はしらす」「ふす」「まかす」「まず」「まゐらす」「みす」「むす」「よす」等。
あたふ ハ四 「さ寢床もあたは〔三字傍線〕ぬかもよ」(神代紀)、「聲聞獨覺も知ルこと能(は)〔二字傍線〕ヌ(369)〔不〕所なり」(金光明最勝王輕、春日政治博士の解讀による)。ただし、未然形しか用ゐられない。
あらびる ハ上一 「陸奥國に荒びる〔三字傍線〕蝦夷らを」(宣命、第六二)。古くは上二段活であつた。「ひる」の項參照。
いく(生)カ四 カ上二 カ下二 『詞八衢』に、四段、中二段(上二段)の兩方に所屬せしめてゐるが、『山口栞』上、三一丁表に、四段、中二段は、自然の意味で、この他に、下二段に活用して、使然を意味するものがあることを指摘す。「いか〔二字傍線〕まほしきは命なりけり」(源氏、桐壺)は四段活、「いくる〔三字傍線〕人ぞいとつらきや」(蜻蛉)は、上二段活で、ともに自動詞の意味である。「いけ〔二字傍線〕み、ころしみいましめおはする」(源氏、螢)、「猪をいけ〔二字傍線〕ながらおろしけるをみて」(宇治拾遺)、また、「いけ〔二字傍線〕どり」「いけ〔二字傍線〕にへ」等の「いけ」は、下二段活で、他動詞の意味である。
います サ四 サ下ニ 自動。「降りしく雪に君いまさ〔三字傍線〕めやも」(萬葉、四二三三)、「磯松の常にいまさ〔三字傍線〕ね今も見るごと」(同、四四九八)は、四段活である。なほ、「いかでかいまする〔四字傍線〕」(伊勢)、「右大將の宇治へいまする〔四字傍線〕こと」(源氏、浮舟)、「まことぞをこなりとてかくわらひいまする〔四字傍線〕がはづかしなど」(枕草子)の例は、下二段活である。
うれふ ハ下ニ 『詞八衢』に、「三代實録」に「憂禮比」とあるによつて、四段活と推定した(「うれひ」の語尾「比」は、甲類であるから、正に四段と推定される(370)のである)が、他に用例もなく、四段に活くとも考へられないとして、上二段として出してゐる。しかしながら、上二段であるならば、語尾「ひ」は、乙類の假名でなければならない。從つて、「たくはふ」の項にも述べてゐるやうに、下二段連用形の「うれへ」を「うれひ」と轉じたものであらう。
かくる ラ四 ラ下ニ 「古事記」上に、「青山に日がかくら〔三字傍線〕ば」、「同」下に、「明日よりはみやまがくり〔三字傍線〕て」等の例により、四段活と推定され、また「萬葉」三四七五に、「ゆふま山かくれ〔三字傍線〕し君を」、「同」三六九二に、「高々に待つらむ君しやまがくれ〔三字傍線〕ぬる」等の例により、下二段活と推定される。平安時代以後は、專ら下二段にのみ活用させた。「恐る」「後る」「垂る」「觸る」「離る」「亂る」等も同様に、四段より下二段へ移つた。
きる(着) カ上一 ただし、「我がける〔二字傍線〕妹が衣の垢つく見れば」(萬葉三六六七)、「わがける〔二字傍線〕おすひのうへに」(熱田縁起)は、「着−あり」であるとの説がある(山田孝雄『奈良朝文法史』語論第二節「あり」の項)。
く(來) カ變 「うらまより漕ぎこ〔傍線〕し舟を」(萬葉、三六四六)、「かたらひてこ〔傍線〕しひのきはみ」(同、三九五七)と未然形より、「し」(過去の助動詞「き」の連體形)に続く。また、「まかずけ〔傍線〕ばこそ」(古事記、下)、「たまづさの使のけれ〔二字傍線〕ば」(萬葉、三九五七)とあり。「け」「けれ」を「く」の活用形とする。
ける(蹴る) カ下一 『詞八衢』には、「ける」を下一段活として特立させず、連體形を「くう(371)る」と推定して、ワ行下二段に出し、「ける」を「くうる」の俗言「くゑる」の轉のやうに見た。即ち、「日本書紀」に「蹴散此云2倶穢〔二字傍線〕簸邏々箇須1」とあるを證としてゐる。『山口栞』中、二八丁表には、「ける」の「け」は、「こゆ」(越)の連用形「こえ」のつゞまつたものとした。大槻文彦は『廣日本文典別記』第八七節に、「ける」には、ワ行下二段活「くゑ」と、ヤ行下二段活「こえ」の兩樣の活用が存在し、それがつゞまつたものが「ける」であるとした。「ける」の用例が見えるのも相當に古く、「落窪」、「榮華」にその例が見られるとした。「ける」を下一段活として特立させたのは、林圀雄の『詞の緒環』である。
こころみる マ上一 『詞八衢』に、マ行中二段活に所屬するとしてある。これは、「うしろむる」などの類推に基づくものであらうが、義門は、『山口栞』中、二七丁裏に、中古の文獻には、「こころむる」の用例は、見あたらず、すべて「こころみる」となつてゐるところから、上一段活と推定した。
――さす サ下ニ 敬意(「させ給ふ」と用ゐる)及び他動の意を表はす接尾語。「きこえ封さす〔二字傍線〕」「興ぜさす〔二字傍線〕」「御覺ぜさす〔二字傍線〕」「せさす〔二字傍線〕」等。
しのぶ ハ四 ハ上ニ 「君が形見に見つゝしのば〔三字傍線〕む」(萬葉、二三三)、「わが形見、見つゝしのば〔三字傍線〕せ」(同、五八七)、「秋風寒みしのび〔三字傍線〕つるかも」(同、四六五)等によつて、四段活であることか推定される。以上は、奈良時代の用例であるが、「たづねまどはさむともかくれしのび〔三字傍線〕ず」(源氏、箒木)、「しのび〔三字傍線〕させ給へる(372)に」(同、若紫)、「しのぶれ〔四字傍線〕ど色に出にけり」(拾遺集、戀)等によれば、上二段活である。
――す サ四 敬意及び他動の意を表はす接尾語。次の語は、すべて四段活である。「あくがらす」「おこす」「おはす」「おぼす」「おもほす」「かくす」「きこす」「くたす」「くらす」「けす」「さすらはす」「ながす」「鳴《な》す」「寢《な》す」「はなす」「はふらかす」「ほす」「まぎらはす」「まどはす」「まをす」「めす」「もやす」「もよほす」等。
――す サ下ニ 敬意(「せ給ふ」と用ゐる)及び他動の意を表はす接尾語。「かよはし給ふ」の「かよはし」は、サ四段活連用形で、他動の意を表はすが、「かよはせ給ふ」の「かよはせ」は、ここに云ふ接尾語の附いたもので、敬語である。次の語は、すべて下二段活である。「あはす」(一)「います」(二)「おこす」「きかす」「くはす」「しらす」「せさす」「とらす」「はしらす」「まかす」「まず」「まゐらす」「みす」等。
註一 四段にも活用する。
註二 「君いまさ〔三字傍線〕ずして」(萬葉、八七八)、「萬代にいまし〔三字傍線〕たまひて」(同、八七九)等によれば、四段活であるが、「かゝる道はいかでかいまする〔四字傍線〕」(伊勢)、「わが子のいませ〔三字傍線〕んかたには」(うつぼ、俊蔭)等によれば、下二段活である。
――す サ變 「怨ず」「具す」「啓す」「念ず」「論ず」「御覽ず」「絶えす」「盡きず」「死(373)にす」「生えすJ「ほりす」「ものす」等。
たくはふ ハ下二 『詞八衢』は、「萬葉」四二二〇に、「みくしげに、たくはひ〔四字傍線〕おきて」とあるによつて、上二段活として出した。本來、「たくはへ」とあるべきを、「たくはひ」と轉じたものとした。「うれへ」を「うれひ」、「たとへ」を「たとひ」とするのと同じであるといふのである。
たつ タ四 タ下ニ 「たつ白波の」(萬葉、三三六〇)、波立て〔二字傍線〕ば」(同、四〇三三)、「あだの名をや立ち〔二字傍線〕なむ」(古今集)、「名を立た〔二字傍線〕めやは」(源氏、夕霧)は四段活である。
「きべの林に名を立て〔二字傍線〕て」(萬葉、三三五四)、「大船にかしふり立て〔二字傍線〕て」(同、三六三二)、「そのかなしきをとに立て〔二字傍線〕めやも」(同、三三八六)、「錦木は立て〔二字傍線〕ながらこそ」(後拾遺、一一)は下二段活である。
たてまつる ラ四 ただし、「給ふ」に續けて「たてまつれ〔五字傍線〕給ふ」と云ふことがある(『雅言集覽』の補に、廣足按として、「たてまつれは、たてまつらせの約にて」とあり)。
とゞむ マ下ニ ただし、「ときのさかりを、とゞみ〔三字傍線〕かね」(萬葉、八〇四)の例あり。「み」には、乙類の假名が用ゐられてゐるので、上二段活の推定も可能である。
なく(泣) カ四 カ下ニ 「萬葉」三三六二に、或本歌曰として「あをねしなくる〔三字傍線〕」の例がある。自然可能の意である。
はく(佩) 力四 カ下ニ 「萬葉」四四五六に、「たちは吉《き》〔二字傍線〕て」の例がある。「吉」は、甲類の假名であ(374)るから、四段活と推定される。「同」九九に、「つらをとりは氣《け》〔二字傍線〕」の例がある。「氣」は、乙類の假字であるから、下二段連用形と推定される。「同」四三四七に、「ながは氣《け》る〔三字傍線〕たち」の例がある。前例同樣の理由によつて、下二段活と推定される。「同」三八八六に、「牛にこそ鼻繩はくれ〔三字傍線〕」の例がある。
はなる ラ下ニ ただし(萬葉」四四一四に、「眞子が手はなり〔三字傍線〕」の例がある。
はらふ ハ四 ハ下二 『山口栞』中、一六丁裏に、四段活の「はらふ」は寛く、露など拂ふにも、みそぎ祓ふにも用ゐ、下二段活の「はらふ」は狭く、祓禳に限つて用ゐるとした。『詞八衢』には、「ふるくは、『祓』もただ四段の活にのみ用ひたるを中昔より『祓』にかぎりて四段の活にいはずみなここの活(下二段)にのみいひていにしへ今のたがひあればなり」とした。
はるく カ四 カ下ニ 「蜻蛉日記」三に、「もの思ひはるけ〔三字傍線〕るやうにぞおぼゆる」の例がある。「はるく」の命令形に、完了助動詞「り」の附いたものである。「うつぼ」俊蔭、下に、「きこえはるけ〔三字傍線〕ん」の例あり。また、「源氏」に「はるけ〔三字傍線〕どころ」とある。
ひきゐる ワ上一 ただし『詞八衢』に、「急居」を「菟岐于」(崇神紀)と訓んでゐるところから、「ひきゐる」も、「ひきう」と活用するものとして、上二段活と推定してゐる。『山口栞』中卷には、「古事記傳にはつねに『ひきゐる』とのみつかへるやなほよからん」としてゐる。
(375)ひづ タ四 タ上二 「古今集」夏に、「わが衣手のひつ〔二字傍線〕をからなん」、「古今六帖」に、「袖ひつ〔二字傍線〕までに」とあり。
「拾遺集」戀に、「さをしかのつめたにひち〔二字傍線〕ぬ」、「蜻蛉日記」に、「袖ひつる〔三字傍線〕時をだにこそ」、「源氏」總角に、「かく袖ひつる〔三字傍線〕」とあり。
ひる(干、嚔) ハ上一 ハ上ニ 『詞八衢』は、「和名鈔」に、「嚔和名波比流〔二字右○〕噴v鼻也」、「古今集」に、「はなもひ〔傍線〕ぬか」などある例を以て、これを上一段活用と推定した。橋本進吉は「ひる」の連用形の語尾「ひ」の假名が、乙類に屬するものであるところから、上代においては、上二段活用であったらうと推定された(上一段活用の連用形には、甲類が用ゐられてゐる)。「上代に於ける波行上一段活用に就いて」『橋本博士著作集』(五))。
上代において上二段に活用したものが、後に上一段活に轉じたものに、「荒ぶ」「ゐる(居)」がある。
――ふ ハ四 ハ下ニ 繼續の意を表はす接尾語。
住まふ〔傍線〕 語らふ〔傍線〕 まもらふ〔傍線〕 霧らふ〔傍線〕 うつろふ〔傍線〕 たたかふ〔傍線〕 ねがふ〔傍線〕 のろふ〔傍線〕 はからふ〔傍線〕(以上四段活)、おさふ〔傍線〕 ながらふ〔傍線〕 せかふ〔傍線〕 とらふ〔傍線〕 ふまふ〔傍線〕 まじふ〔傍線〕(以上下二段活)。
ふる(觸) ラ四 ラ下二 「萬葉」四三二八、「磯にふり〔二字傍線〕、うのはらわたる」、「同」三九六八に「君が手ふれ〔二字傍線〕ず」等の用例より四段活と推寒定される。中古以後、下二段活に用ゐられた。
(376)みつ(滿) タ四 「後撰集」に、「汐みた〔二字傍線〕ぬ海」、「うつぼ物語」藤原君の卷に、「ねがひみた〔二字傍線〕じやは」、「古今集」に、「汐みて〔二字傍線〕ば」、「後拾遺集」冬に、「朝みつ〔二字傍線〕しほに」等の例により、四段活と推定される。「寛喜女御入内屏風」に家隆卿の「うゑみつる〔三字傍線〕たのものさなへ水みちてにごりなきよの影ぞ見えける」とある「みつる」は、「みたする」意味で使然の詞、「みち」は、自然の詞である。『八衢補遺』には、「玉葉ころまでも此詞つかひはみだれざりしなり」とある上二段に活く例は、中古には無い。
もちゐる ワ上一 本居宣長は『古事記傳』卷十七に、源仲正家集、元日戀「千代までも影をならべて逢ひ見むと祝ふ鏡のもちひ〔三字傍線〕ざらめや」とあるを引いて、「戀ふ」「強ふ」と同格のもの、即ち、ハ行上二段活と推定し、同春庭も『詞八衢』に、ハ行中二段即ち上二段に所屬せしめた。義門は、『山口栞』中卷、四一丁に、「蜻蛉日記」の「夢をも佛をももちゐる〔四字傍線〕べしや、もちゐる〔四字傍線〕まじや」、「源氏物語」夕霧の「そこに心清うおぼすともしかもちゐる〔四字傍線〕人はすくなくこそあらめ」などとあるによつてワ行上一段活とした。榊原芳野は、上一段より上二段に轉じたのは、元享建武の頃、關東方言の影響によるものであらうとした。「もちゐる」については、なほ、ハ行上一段説、ワ行上二段説等があるが、古訓點本の傍訓によつても、ワ行上一段であることは明かである(『疑問假名遣』學説の部)。「荒びる」「いさちる」「ひきゐる」「ひる(干)」「ゐる」も、上一段活である。「荒びる」は、奈良時代には、上二段(377)活であり、「ひる」は、橋本進吉によつて、古くは、上二段活であつたことが推定され、「ひきゐる」「ゐる」については、『詞八衢』は、「急居此云菟岐于〔右○〕」(崇神紀)を根據として、「ひきうる」「うる」の活用形を推定してゐる。思ふに、これらの語は、上二段より上一段に移つて行つたものであらう。
もみつ(紅葉、黄葉) タ四 「つ」は、古くは清音。『詞八衢』は、タ行中二段即ち上二段に所屬せしめたが、義門は『山口栞』中卷、三丁裏に、「萬葉」三四九四に「こもち山若かへるでのもみつ〔三字傍線〕まで」、「同」一六二八に、「秋風も未だ吹かねばかくぞもみて〔三字傍線〕る」、「後撰集」秋に、「雁鳴きて寒き朝の露ならし立田の山をもみた〔三字傍線〕すものは」等の例によつて、タ行四段活と推定した。
もる(漏) ラ四 口語では、下一段活であるが、文語は、四段活である。
よく(避) カ四 カ上二 「後撰集」秋に、「宿をよか〔二字傍線〕なん」、「貫之集」に、「よく〔二字傍線〕處なき秋の夜の月」、「狹衣」四に、「ひきよか〔二字傍線〕ぬわざもがな」等の例によつて、四段活と推定される。また「萬葉」一六九七に、「春雨のよくれ〔三字傍線〕どわれをぬらす思へば」、「古今集」春に、「この一もとはよき〔二字傍線〕よといはまし」、「好忠集」に、「草葉をよき〔二字傍線〕ず」等の例によつて上二段活と推定される。この動詞は、同じ意味で兩樣に活用したものである。
よろこぶ ハ上ニ 『詞八衢』に、四段活に所屬せしめてゐるが、古くは、「喜備〔傍線〕牟」(承和八年十一月詔)の如き例あり、また、連用形の語尾に、「備」即ちビの乙類の(378)假名を用ゐてゐるところから、上二段活と推定される(有坂秀世「祝詞宜命の訓疑に關する考證」『國語と國文學』昭和一二、五)。
ゐる ワ上一 『詞八衢』に、「和名鈔」に、「〓、俗云2爲流〔二字右○〕1」とある例を擧げて、一段活と推定してゐるが、また、ラ行四段活かと疑つてゐる。また、「日本書紀」の「急居此云2菟岐于〔右○〕1」(崇神紀)とあるによつて、「ゐる」を、中二段活かとも見てゐる。しかし、「萬葉」三三五七に、「かすみゐる〔二字傍線〕富士の山びに」、また、「同」三五二三に、「あべの田のもに、ゐる〔二字傍線〕たづの」とあるによつて、上一段活と推定される。橋本進吉は、「菟岐于〔右○〕」の例によつて、「ゐる」は、古く、ヰ、ウ、ウル、ウレと上二段に活用した時代があつたのかも知れないとした(「上代に於ける波行上一段活用に就いて」『橋本博士著作集』(五))。
2018年11月8日(木)午前10時40分、入力終了