(203)萬葉集卷第七
 
雜謌
 詠天一首     詠月十八首
 詠雲三首     詠雨二首
 詠山七首     詠岳一首
 詠河十六首    詠露一首
 詠花一首     詠葉二首
 詠蘿一首     詠草一首
 詠鳥三首     思故郷二首
 詠井二首     詠倭琴一首
 芳野作歌五首   山背作歌五首
 攝津作歌二十一首 覊旅作歌九十首
 問答歌四首    臨時作歌十二首
 就所發思三首   寄物發思一首
(204) 行路歌一首  旋頭歌二十四首
譬喩歌
 寄衣八首     寄絲一首
 寄和琴一首    寄月二首
 寄玉十六首    寄山五首
 寄木八首     寄草十七首
 寄花七首     寄稻一首
 寄鳥一首     寄獣一首
 寄雲一首     寄雷一首
 寄雨二首     寄月四首
 寄赤土一首    寄神二首
 寄河七首     寄埋木一首
 寄海九首     寄浦沙二首
 寄藻四首     寄船五首
 旋頭歌一首   
(205)挽歌
 雜挽十二首    或本歌一首
 ※[羈の馬が奇]旅歌一首
 
(206)萬葉童蒙抄 卷第十六
 
雜歌
 
1068 天海丹雲之波立月船星之林丹榜隱所見
そらのうみに、くものなみたち、つきのふね、ほしのはやしに、こぎかくるみゆ
 
印本諸抄共にあめのうみにと假名あれど、語呂のつゞき、空の方聞きよければ、義は同じき故、空とは讀む也
月船星之林 星のあまた空にかゝれる景色をいへる也。全體の句作り、天象のものを以て、能いひおほせたる歌也。懷風に、文武天皇月詩御製に、月舟〔移2霧渚1、楓※[楫+戈]泛2雲濱1。〕拾遺には、此歌の下をこぎかへる見ゆと有。隱の字かへるとは讀み難し。若しくはかくるのくの字、へと紛れ易きを讀み誤りしか
 
右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
如v此あるより、集に皆人麻呂の歌にして被v載し也。然れども慥に人麻呂の歌と作者を不v記ば、决し難きこと也。されど先此左注をより處にして人麿と云ひ傳る也
 
詠月
 
1069 常者曾不念物乎此月之過匿卷惜夕香裳
つねはさも、おもはぬものを、この月の、すぎかくれまく、をしき宵かも
 
曾 そをのべてさも也。常にはさほどにも思はぬに、この月のとよめるは、その時の夜のおもしろくさやかなる景色をよめると聞えたり。よく聞えたる歌なり
 
1070 大夫之弓上振起借高之野邊副清照月夜可聞
(207)ますらをの、ゆずゑふりおこし、かるたかの、のべさへきよく、てる月夜かも
 
大夫 當集には皆この二字をかきて、ますらをとよませたり。遊仙窟にもこの二字をよめり。第一第二の句は第三の句を起す迄の縁也。借高の野邊のさやかなる月の景色をよめる歌にて、その借高の野をいひ出ん爲に、上に段々と序詞を据ゑたる也。
弓上振起 日本紀神代上卷にこの詞出たり。第三巻にも笠金村歌に見えたり。
借高の野邊 大和に有。弓※[弓+肅]をふりたてゝ獵をすると云義を云かけたる迄也。此の句意はなき也。然れ共古詠の格皆かくの如し。上古の歌はたゞ淺く輕き趣向也
 
1071 山末爾不知夜歴月乎將出香登待乍居爾與曾降家類
やまのはに、いさよふ月を、いでんかと、まちつゝをるに、夜ぞふけにける
 
第六卷に黒麿の歌にも此上句有。いさまふとは欲2月出1の意にて、やがて出べき月のおそき義也。十六夜の月をいさよひの月と云も此の意也
 
1072 明日之夕將照月夜者片因爾今夜爾因而夜長有
あすのよひ、てらん月夜は、かたよりに、こよひによりて、よひのながかれ
 
夕 印本點本に、よもと點をなせり。意は同じからんか。然れ共夕と云字は大方よひとよみたり。宵も夜のことなれど、今曉と宵との差別を云時は、宵と夜とは少し差別あれば先づ宵とはよめり。その上下の詞ともによひと讀みたれば、こゝも宵とよまん爲に夕の字をかきたるか。歌の意は今夜の隈なくさやかなる面白さに、明なん事の惜まれて、あすの夜ものべ續けて今夜の永かれと月の夜を賞したる也。前の歌に五百夜つげこせとよめる意に同じ
夜長有 これも夜半の長かれ共よむべきか。夜も宵も同じ事なれば、何れにても意にたがふことなし
 
1073 玉垂之小簾之間通獨居而見驗無暮月夜鴨
(208)たまだれの、をすのまとほし、ひとりゐて、みるしるしなみ、ゆふづくよかも
 
小簾之間通 印本點本皆こすとあれど大成誤也。玉だれの緒とうけたる義也。前に委敷注せり。間通は月影のをすの隙間を光の通り照らせるを、われ獨り見ることの面白からぬと也。見るしるしなきとは心も慰まぬとの義也。小簾ごしに見る故見る甲斐もなきと云ふ意も有か
 
1074 春日山押而照有此月者妹之庭母清有家里
かすが山、なべてゝらせる、この月は、いもが庭にも、さやけかりけり
 
押而 集中におしてとよみ、臨の字をもおしてる月と云てよませたり。然れ共此の歌におしてと云ては義六ケ敷也。おしなべての意なれ共やはりなべてとよむべし。義は言葉の通にて何方もなべて照せる月なればと云意也。拾穂抄には、春日山を越來て妹が庭にみれば、同じく月のさやかに照るを見たるにてあらんとの推量の説也。さなく共何方迄もなべて照せる月なれば、春日に見る月影も、妹が庭にて見るも共に明かなるとの義なるべし
家里 此の里の字、武の字などの誤にはあるまじきか。けりと云ては、妹が方にて見たると決したる歌に見る也。武の字ならば思ひやりたる歌とも見る也
 
1075 海原之道遠鴨月讀明少夜者更下乍
うなばらの、みちとほみかも、つきよみの、ひかりすくなき、夜はふけにつゝ
 
海原之 國のはては海なり。日月は海より出させ給ふ樣なれば、月の出來る道の遠きかもと也。團々離2海境1と云意にて、月の出來る東のはては海原なれば道遠みかもと也。月を詠る程なきを光すくなくと也
 
1076 百師木之大宮人之退出而遊今夜之月清左
もゝしきの、大みやびとの、たちいでゝ、あそぶこよひの、月のさやけさ
 
よくきこえたる歌也。退出は立出てとよむべし
 
(209)1077 夜干玉之夜渡月乎將留爾西山邊爾塞毛有糠毛
ぬばたまの、よわたるつきを、とゞめんに、にしのやまべに、せきもあらぬかも
 
月の更行くを惜みて、入なん山に關もなきと也
 
1078 此月之此間來者且今跡香毛妹之出立待乍將有
この月の、かくゝもりなぼ、こんとかも、いもがいでたち、まちつゝあらん
 
かく 如v此の意歟
此間來者 此よみ樣印本點本には色々によみたり。先通例はこのまにくればと木の間をよせてよみたり。又一説にはこゝに來ぬればとよませたり。諸抄の説木間に月すぎくれば、此の光につれ、わが來んかと妹が待らんとの義也
且今跡香毛 これを點本諸抄物皆伊麻とかもとよみて、今やと妹が待らんとの釋也。第二卷に人麿の妻の歌に、且今日且今日と書きて、けふけふとわが待君云々とよませて、決定して不v來や來や難v知ことに且の字を加へたるとの説也。此歌も今とかもといひて治定せぬこと故、且今と書きたると也。然れども妹とかもと云詞つまりたる詞也。よりて宗師よみとき樣は間來は隔て來ると書たればくもりと讀べし。此といふ字もかくとよみて、且今の字もこんとかもとよむ也。はねる詞は上に書事和書の格例此集中の例格也。且の字たん音なれば上へかへりてはねる也。よりてこんとかもとよむ也。此間來を義訓によむ也
歌の意は此の月のかく曇りたる夜は、忍びてわがこんかと妹の待にてあらんとよめる事也。點本の通にてもあるべけれど、歌の詞安らかならず。義も通じ難し。よりてかくはよめる也。此間來、且今の字外に別訓あらんか。此間、下の歌にも木間とよみたればこのまとよまんか
 
1079 眞寸鏡可照月乎白妙乃雲香隱流天津霧鴨
ますかゞみ、てるべきつきを、しろたへの、くもかゝくせる、あまつきりかも
 
(210)1080 久方乃天照月者神代爾加出反等六年者經去乍
ひさかたの、あまてるつきは、かみよにか、いでかへるらん、としはへにつゝ
 
久方 文字の通久しき方也。此の歌の意にもよく叶へり。萬古不易に幾萬歳ふりし月かもしらね共、不v變とこしなへに空天にかゝらせ給ふは、神代の昔に立歸り/\まして出給ふか、幾年ふれ共光り不v變と賞讃し奉りし歌也。神代の昔日神月神の神多ましますから、今日迄もかく照させ給ふかとなり。神代上卷、次生2月神1、〔一書云云々其光彩亞v日、可2以配v日而治1、故亦送2之于天1〕
 
1081 烏玉之夜渡月乎※[立心偏+可]怜吾居袖爾露曾置爾鷄類
ぬばたまの、よわたる月を、あはれみて、わがをるそでに、つゆぞおきにける
 
※[立心偏+可]怜 あはれみては面白くもてあそぶ意也。歎くと云もあはれむと云も二義ありて、こゝは面白き事をあはれみてとよめる也。月を面白く見て居る内に、いつともなくおもほえず袖に露の置しと也
 
1082 水底之玉障清可見裳照月夜鴨夜之深去者
みなそこの、たまさへきよく、見るべくも、てる月よかも、よのふけゆけば
 
玉さへは玉も也。王も清らにあらはれ見えぬべき程に、夜のふけ行に隨ひ月のさやかなる景色をよめり。風冷かに雲霧も晴れて、水邊など月深更さやかなる夜のすみ行景色をよみあらはせり
 
1083 霜雲入爲登爾可將有久竪之夜度月乃不見念者
しもぐもり、すとにかあらん、ひさかたの、よわたるつきの、みえぬおもへば
 
霜雲入 霜のいたく降りてその日必ず曇る事有。俗に霜をるゝ、霜をれたると云こと有。これも夕霜など強くおりて空の曇りたるを云なるべし。又霜のいたく降らんとて、嵐などはげしく吹立て曇ることもあれば、その折を云けるにや。兎角霜に(211)よりて曇れるをいへる義と見えたり不見念者 空曇りて月影の見えぬを思へば、霜曇りをするとやあらんと也。上下の句に少つまりたる詞ある也。古詠善惡を不v撰して被v集たる此集なればか
 
1084 山末爾不知夜經月乎何時母吾待將座夜者深去乍
やまのはに、いさよふつきを、いつとかも、わがまちをらむ、よはふけにつゝ
 
何時母 出る月をいつとかも待と也
 
1085 妹之當吾袖將振木間從出來月爾雲莫棚引
いもがあたり、わがそでふらん、このまより、いでくるつきに、くもなたなびきそ
 
いもがあたりわがそでふらん、妹があたりに行て袖振はへんと也。行振舞んと云意主聞えたり。月明ければ月に興じて妹があたりへ行かんとの義也。この歌にも木間と詠たれば、上の此間も同事の意ならんか
 
1086 靱懸流伴雄廣伎大伴爾國將榮常月者照良思
ゆきかくる、とものをひろき、おほともに、くにさかえんと、つきはてるらし
 
靱 武士背に負かけるものにて矢盛器也。前にも注せる如く、神代紀下卷、〔于時大伴連遠祖天忍日命帥2來目部遠祖天※[木+患]津大來目1、背負2天磐靱1云々。〕延書式〔第八、六月晦大〕祓祝詞にも、〔天皇朝廷仕奉比禮挂伴男、手襁挂伴男、靱負件男、劍佩伴男、伴男八十件男※[氏/一]云々〕
伴雄 伴氏のをのこらと云義、又緒部の靱をかける緒と云意をもうけたり。伴のをとは諸々の氏人を云也。必竟下の大伴と云詞の縁に詠出たる也。八十伴のをと、諸氏の廣きと云意にて大伴とは請たり
大伴爾 大伴氏をさしてさて地名をいへる也。攝津國に大伴のみつと云地名有。其地名を云たるもの也。さなくては大伴に月の照るらしとはいはれぬ事也。國榮んとは其所の榮えんと云義に、大伴氏の榮えん事をかねて祝したる也。大伴氏の廣く(212)繁榮せんとてかく月の照るらしと也。大伴に國榮えんとあれば、兎角大伴は地名を云たるもの也
 
詠雲
 
1087 痛足河河浪立奴卷目之由槻我高仁雲居立有良志
あなしがは、かはなみたちぬ、まきもくの、ゆつきがたけに、くもたてるらし
 
あなしがは 大和の地名風の吹をもあなしと云事有か。あなし河をよみ出たるは何とぞ縁を求めたる事あらんか。但し由槻がたけより流るゝ河故よみ出たるか。又は河波立ぬと云かち、あなしは風の強く吹事をも云故詠出たる歟
河波立奴 夕立時雨抔にて水まして浪の立と云意か。下の雲居たるらしとは、由槻がたけに雲のあれば、雨など降ためし有をもてかくよめるならん。今もそこの峯に雲かゝれば、必ず雨降風立事抔有に同じ理りならん
雲居立有良 これを雲たてるらんとよませたれど心得難し。立の字は出の字而の字などの誤りたるか。又有の字都の字を誤れるか。下になみくら山に雲居者ともよめり。然れば出而の誤りならば雲ゐたるらし也
 
1088 足引之山河之瀬之響苗爾弓月高雲立渡
あしひきの、やまかはのせの、なるなへに、ゆづきがたけに、くもたちわたる
 
此歌も、水上雨ふりて山河の瀬音のするは理りかな。うべも弓月がたけに雲こそ立渡ると也。たけに雲の立渡るは水上雨ふりたると云の意也
 
右二首柿本朝臣人麿之歌集出
 
1089 大海爾島毛不在爾海原絶塔浪爾立有白雲
おほうみに、しまもあらなくに、うなばらの、たゆたふなみに、たてるしらくも
 
島もあらなくに 嶋なければ雲の立べきにあらず。雲は山よりか嶋よりか地より立もの也。よりて島もなきにと也。たゆた(213)ふはいづ方へも片寄らず。漂ひたる事を云也
立有白雲 これは波を雲と見立たる歌也。島もなきに雲の立べき樣なきに、立つはたゆたふ波也と云義也。童蒙抄には島もなけれど天の原とよみ、波に雲立つとよめり。萬葉をとくと見ざるか
 
右一首伊勢從駕作 いつのみゆきとも不v知。漠としたる左注也
 
詠雨
 
1090 吾妹子之赤裳裙之將染※[泥/土]今日之※[雨/脉]※[雨/沐]爾吾共所沾者
わきもこが、あかものすその、そめひぢん、けふのこさめに、われもぬるれば
 
者 一本名に作れり。いづれか是ならん。此歌は奧の歌と相通じて聞ゆる歌也。色々の點有て一決し難き歌也。通例には者の字ながら點にはわれとぬれぬなど有。又一點われとぬらすなと有。又われもぬれぬなどよめり。然れば名の字正本ならんか。此の一字にて歌の意決し難し。宗師案は次の歌と相通じて聞えたる歌と見る也。次の歌に、わきも子がかたみの衣われ下にきたりとよみたれば、この歌も形見の衣をきてこさめにぬるれば、わきも子の赤もの裾の色にわれ染ぬれんと詠たる歌ときく也
者の字、名の誤りならば此意不v合也。名の字ならば、たゞ何となく妹の赤もの裾もぬれむ小雨に、われもぬれめなど淺く輕き意の歌と見るべし。然者染ひぢんはしみひぢん共讀べし。泥などのしみぬれむの意なるべし
※[雨/脉]※[雨/沐]《マクモク》 小雨也。和名鈔云、〔兼名苑云、細雨一名※[雨/脉]※[雨/沐]、小雨也。麥木二音和名古左米
 
1091 可融雨者莫零吾妹子之形見之服吾下爾著有
とほるべき、あめはなふりそ、わきもこが、かたみのころも、われしたにきたり
 
妹が衣のぬれなんことを厭ひて詠る意、妹を思慕ふ心の不v淺義をよそへたり。前の歌の餘意と聞ゆる也。集中兩首相通はして聞ゆる歌何程も有
 
(214)詠山
 
1092 動神之音耳聞卷向之檜原山乎今日見鶴鴨
なるかみの、おとにのみきく、まきもくの、ひはらのやまを、けふみつるかも
 
動神 雷鳴すれば響き動くものなれば、義をもて書けり。音といはん迄の序也。能聞えたる歌也
 
1093 三毛侶之其山奈美爾兒等手乎卷向山者繼之宜霜
みもろの、そのやまなみに、こらがてを、まきもくやまは、つぎてしげしも
 
三毛侶之 これをみもろなると五言にも又四言にもよむ也。之の字なるとよめること集中多し
その山なみ そのとはみもろ山をさして也。山なみは山つゞき也。こらが手をは、わきも子の手を也。まきといはん爲の序也。手を卷とは枕としてぬる事をいへり。卷向山をほめて三諸山に續きて繁茂し宜しき山と也。つぎしよろしもと點をなせれど、宗師はしげしとよみて、よろしき事は不v顯して詞にこめたり。妹が手をまく事のよろしきと云意をもこめて、よろしもともよまんか。好所に從ふべし
 
1094 我衣色服染味酒三室山葉黄葉爲在
わがきぬも、いろづきそめね、うまさけの、みむろのやまの、もみぢしたるに
 
紅葉に飽かずなれそむるから、わが衣も色付と也。紅葉を愛する心の深き義をいへり
 
右三首柿本朝臣人麿之歌集出
 
1095 三諸就三輪山見者隱口乃始瀬之檜原所念鴨
みもろなる、みわやまみれば、こもりくの、はつせのひはら、おもほゆるかも
 
三諸に有るみわ山也。六巻目の歌にみもろつくかせ山とよめる歌有から、或抄には是もつくとよみて社を築く義に釋せり。
(215)心得難し。前の歌はみもろ付かせ山とよみて神と請たる事也。こゝは毎度三室のみわとよみ、みもろなるみわとよめる歌共もあれば、なるとよむべし。みわ山から初瀬の檜原近ければ、みわの檜原を見て初瀬の檜原を思ひやるなるべし。兩方の檜原を賞したる歌也
 
1096 昔者之事波不知乎我見而毛久成奴天之香具山
いにしへの、ことはしらぬを、われみても、ひさしくなりぬ、あまのかぐやま
 
そのかみ神代の遠き昔の事は知らねども、現在にわれ見ても久敷と也。古今集の、われみても久しくの歌も、此歌より住の江の松に詠合せたると見えたり
 
1097 吾勢子乎乞許世山登人者雖云君毛不來益山之名爾有之
わがせこを、こちこせ山と、ひとはいへど、せこもきまさぬ、山のなゝらし
 
乞 こちへ來せと云かけたる也。こちこせ山といへどせこが來らねば名のみの山と也。許世山と云は大和也。乞は云かけたる詞也。類字名所抄には近州比叡の山の内に有と記せり。大和の許世山をよめるとて乞と云詞をそへたる也。此前後の歌皆大和なれば大和に有べし
君 せことよむ事前に注しぬ。許世山をよめる詞の縁にせことはよむ也。女の歌と見る也
 
1098 木道爾社妹山在云三櫛上二上山母妹許曾有來
きぢにこそ、いもやまありといへ、みくしげの、ふたかみやまも、いもこそありけれ
 
木道 紀のぢの事也。妹背山有といへど也
串上 一本三櫛上と有を正本とす。みくしげとよむはあげのけをとれり。くし筥の蓋と請たる也。葛城のとよめること、くしあげると書たるを、葛城とは義訓心得難し。みくしげは下の二上山をいはん爲の序詞のうけ也。くしげとよめるにて二上山とはうけたり。又みくしげとよめるから、下に妹こそありけれとはよみて、此の二上山も峯二つに別れて相對して有山故か(216)くよめるならん
 
詠岳
 
1099 片崗之此向峯椎蒔者今年夏之陰爾將比疑l
かたをかの、このむかつをに、しひまかば、ことしのなつの、かげにならんか
 
將比疑 成んか也。比はならぶとよむ故訓の二語をかりて也。疑はうたがふと讀字故可とよむ也。可は未決詞也。比を並といふ意と釋せるは不v可v然。唯椎は茂りやすき物故、椎を蒔かば生出て夏をも凌ぐ陰になるべきかと也。別に意ある歌とも不v聞也
 
詠河
 
1100 卷向之病足之川由往水之絶事無又反將見
まきもくの、あなしのかはゆ、ゆくみづの、たゆることなく、またかへりみむ
 
卷向 むくと云字をもくとよませたり。まみむめも通音古語は皆かく通じ用たり。卷目ともかけり。然ればもくと云が本名と聞えたり
河由 河よりと云意にも聞ゆれど、こゝは、に、をと云べきてにはなるに、此由の字心得難し。由とよみて爾と云ふ詞に通ふ例可v考
 
1101 黒玉之夜去來者卷向之川音高之母荒足鴨疾
ぬばたまの、よるさりくれば、まきもくの、かはとたかしも、あらしかもとき
 
去來者 夜になりくれば也。川音、かはとゝよむべし
疾 はげしき意也。川音の高きは嵐かも疾く吹てはげしきかと也
 
(217)右二首柿本朝臣人麿之歌集出
 
1102 大王之御笠山之帶爾爲流細谷川之音乃清也
おほきみの、みかさのやまの、おびにせる、ほそだにがはの、おとのさやけさ
 
大王之 みかさの山をよまんとての序也
おびにせる 山の腰をめぐれる谷川抔いへる也。帶の腰を纏へる如くなるに喩へていへる也。此集中に毎度帶にせるとよめる歌有。史記の賛約の文にも、河は帶の如く抔いへることあり
清也 さやけさ也。さやけしやと云詞を約して也。しかる也は者也と續きて語決の字語終の字故、さやけさとは決定したる詞故、也の芋を書きてさとよませりとの説有。約言に心付かざるか
 
1103 今數者見目屋跡念之三芳野之大川余杼乎今日見鶴鴨
いましかば、みめやとおもひし、みよしのゝ、おほかはよどを、けふみつるかも
 
今敷者 存在してありたらばの意、座しゝかばの意也。印點に、いましくはとよませたるも其意なるべけれど少叶ひ難し
 
1104 馬並而三芳野河乎欲見打越來而曾瀧爾遊鶴
うまなべて、みよしのがはを、みまほしく、うちこえきてぞ、たきにあそびつ
 
瀧にあそびつ 吉野の瀧名瀧なれば也。遊鶴を字餘りによみても、又一語をとりてもよむべき也
 
1105 音聞目者未見吉野河六田之與杼乎今日見鶴鴨
おとにきゝ、めにはまだみぬ、よしのがは、むつだのよどを、けふみつるかも
 
六田之與杼 地名也。景色よき處か
 
1106 河豆鳴清川原乎今日見而者何時可越來而見乍偲食
(218)かはづなる、きよきかはらを、けふみては、いつかこえきて、みつゝしのばん
 
河豆鳴 印本諸抄には蛙なくと云意にて鳴をなくとよめり。蛙なくきよき河原と云つゞき心得難し。これは川津河門のさやかになる音の清きとよめる歌也。處によりて蛙のことにもよめる意有べけれど、清きとよめるは河の音の清きと云義也
偲食 今日の事を慕はんとの意、又面白き景色を慕はんと也。又いつ來て見つゝ慕はんの意も含めり
 
1107 泊瀬川白木綿花爾墮多藝都瀬清跡見爾來之吾乎
はつせがは、しらゆふはなに、おちたぎつ、せをさやけしと、見にこしわれか
 
白木綿花爾、おちたぎつ 水のたぎりて流るゝ景色、白波の立ちて花の如くに見ゆるを云たる也
 
1108 泊瀬川流水尾之湍乎早井提越浪之音之清久
はつせがは、ながるゝみをの、せをはやみ、ゐでこすなみの、おとのさやけく
 
水尾は水の深所也。井提、せきとめて外へ水を通ぜざる處を云也。何れも能聞えたる歌也
 
1109 佐檜乃熊檜隈川之瀬乎早君之手取者將縁言毳
さひのくま、ひのくまかはの、はやき《本マヽ》せを、せながてとらば、よらんちふかも
 
さひのくま 和名抄云〔大和國高市郡、檜前、比乃久末〕ひのくまを、さひのくまとも云か。又さひのくまと云處にひのくまと云地名有か。み吉野の吉野の例か。此集中にかくよめる歌共有。古今にさのくまとよみ、神樂の譜にも同じ。ケ樣の誤來りしこと多し。古今の歌も後人の書加へたるなるべし。歌の意はかく早き瀬にても、せなが手をとらば渡りえんと云意なるべし。下の句聞得難し。諸抄先如v此の説也
 
1110 湯種蒔荒木之小田矣求跡足結出所沾此水之湍爾
ゆたねまく、あらきのをだを、もとめんと、あゆひいでぬれぬ、このかはのせに
 
(219)ゆたねまきは 種をまきと云義に、ゆは賞してよき種といふ氣味也。ゆついはむら、ゆつかづらの類と見るべし。初語賞詞と見るべし。はやく※[草がんむり/夷]さんとて、物の種を湯に漬けて蒔けば速に生ずる、それを云との義あれど、ほめて云たる詞と見る方易かるべし
荒木の小田 大和の地名也。神名帳、宇智郡荒木神社、大あらきと云もこれ也。荒城とも書大荒城ともいへる也。此歌田を初而開き作るをあらきはりの田といふ也。其意をかねて荒木の小田はよめるならん。然ればゆ種蒔ともよまんか。下にもとめんと詠めるは、初而苗代などとせん、あらきはりの田を求めんといへる意也
足結出 あゆひいで也。あゆひは足の裝束なり。古事記日本紀等に見えたり。日本紀には脚帶と書き給へり。今云|行滕《キヤハン》の類なるべし。河を越て田を求むるの意をあらはせり
此水之湍爾 水をかはとよめる事當集にも見えたり。日本紀にもよませたり
 
1111 古毛如此聞乍哉偲兼此古川之清瀬之音矣
いにしへも、かくきゝつゝや、しのびけん、このふるかはの、きよきせのおとを
 
しのびけんは 慕ひけん也。面白くさやかなる音を賞したる意也
古川 大和の地名、古河のへ抔云處と同じ
 
1112 波禰※[草冠/縵]今爲妹乎浦若三去來率去河之音之清左
はねかづら、いまするいもを、うらわかみ、いさ/\かはの、おとのさやけさ
 
はねかづら 花かづら也。いまする妹と云からうら若みと也。女の簪に花かづらをかざるを云也。今するとは未だ何方へも不v嫁、年若き女子と云義也。それをいさこなたへなびけと誘ふ意に、いさ/\川とよめり
去來率去河 大和添上郡に有。延喜式〔第九神名帳上云、大和國添上郡、率川坐大神御子神社三座、率川阿波神社〕いさ河と詠んとて上の句を作り出たる歌也
 
(220)1113 此小川白氣結瀧至八信井上爾事上不爲友
 
右一首はいかに共よみ解難し。諸抄の説一つもとり難し。追而可2考案1也。瀧、一本作v流
 
1114 吾紐乎妹手以而結八川又還見萬代左右荷
わがひもを、いもが手もちて、ゆふはがは、またかへりみむ、よろづよまでに
 
結八川 何國の地名か不v考。又ゆふや川か。ゆふは川か不2分明1也。仙覺抄には、ゆふは川肥後國と注したれど、此歌共のつゞき大和なれば心得難し。大和にいふや川と云川有と覺えたり。日本紀を可v考。此歌の意は、いもが手もちてゆふと云義を趣向計りの歌也
 
1115 妹之紐結八川内乎古之並人見等此乎誰知
 
此歌も、古之并人見等此乎誰知と云下の句、いかにともよみ解難し。諸抄の通にては歌詞にも不v穩。意も聞えねばいかにとも釋し難し。追而可v讀也
 
詠露
 
1116 烏玉之吾黒髪爾落名積天之露霜取者消乍
ぬばたまの、わがくろかみに、ふりなづむ、あめのつゆしも、とればきえつゝ
 
落名積 ふりつむ義也。なづむと云義はすべて止まりたる事を云也。ものゝ滯りはたらかぬ事を云詞也
天之露霜 露霜は天象の物なれば天のといへり。さて露霜と云て二つのことに聞ゆれど、露凝て霜となるとも云事有故、露の義を露霜ともいへる也。此義説有事也。追而可v決。此歌我黒髪とよみ出たる所何とぞ趣向あらんか
 
詠花
 
1117 島廻爲等磯爾見之花風吹而波者雖縁不取不止
(221)あさりすと、いそにみしはな、かぜふきて、なみはよるとも、とらずばやまじ
 
島廻 いさりと云も同じく、磯部に出てすなどりをする義、いさりは嶋をめぐり、かり、すなどりをする義故義訓によめり。六卷目の歌にかゞやふ玉をとらずばやまじとよめる歌に同じ
 
詠葉
 
1118 古爾有險人母如吾等架彌和乃檜原爾挿頭※[手偏+力]來
いにしへに、ありけんひとも、わがごとか、みわのひはらに、かざしをりけむ
 
みわの檜原の檜の枝を手折てかざせる時をよめる也。かく今わがする如く昔の人も折つらんと、當前の有樣に遠き古の事を思ひやりて也。何の意もなき詞の通の歌也
 
1119 往川之過去人之手不折者裏觸立三和之檜原者
ゆくかはの、すぎゆくひとの、たをらねば、うらぶれたてり、みわのひはらは
 
往川之 これは孔子の逝者如v此と宣ひし如く、古説は死行人を河水の流往ことに喩へいへる也。死去するものは畫夜すてず過行なれば、徃川の過行とうけたる也。みわの檜原の檜のしなひ垂たるを見て哀傷をいひたる歌也。過去人とは全死行し人をさしていひ、一度死しては歸らざるから、その人は手折ざれば檜枝もうらぶれしなひて有と、悲みの意を表したる也。うらぶれとはしほたれ萎ひたる體をいひて、物思ひ有景色を云也
 
右二首柿本朝臣人麿之歌集出
 
詠蘿
 
1120 三芳野之青根我峯之蘿席誰將織經緯無二
(222)みよしのし、あをねがみねの、こけむしろ、たれかをりけむ、たてぬきなしに
 
苔は青苔と云て青色なるものなれば、育根我みねをとり出たる處歌也。莚と云より織けんたてぬきなしにとよめり
 
詠草
 
1121 妹所等我通路細竹爲酢寸我通靡細竹原
いもがりと、わがかよひぢの、しのすゝき、われしかよはゞ、なびけしのはら
 
妹所等 妹がもとへと云義也。別業と云もことなりと云義にて處と云義也。かりもなりも同音也。處と云事を古語にはなりとか、がりといへり。わがかりなどともよめる歌有。わがもとゝ云義也
細竹爲酢寸 すゝきと云は俗に云かやの事也。茅のもとは篠竹の如く節有也。篠竹の細く少きもの也。必竟草ながら篠竹同類のもの也。下の篠原と云も同じすゝき原也。點本諸抄には、われし通はゞなびけとよめり。此方歌の意やすからんか。好所に從ふべし
歌の意は妹がもとへと通ふ道のすゝきも.わが通へばしなへなびくとたゞ何の事もなき歌也。點本の意は、われし通はゞ妨げずとも、す直に篠すゝをも靡けと云意也
 
詠鳥
 
1122 山際爾渡秋沙乃往將居其河瀬爾浪立勿湯目
やまのはに、わたるあきさの、ゆきてゐむ、そのかはのせに、なみたつなゆめ
 
山際爾 山ぎはともよむべし。源氏物語などにも、山ぎはよりさし出る日のはなやかなどいへり
秋沙 鴨の類にて小鳥也。群をなしむれとぶもの也。これによりてしなが鳥あはとよめる歌も、此あきさのあにうけたる一語かとも聞ゆる也。すべてはしなが鳥ゐとつゞくゐは、引ゐのゐにて、むれたつものをいふたる義なれば、あともうけたるか(223)此歌にも往てゐんとよめるも、その意をこめて引ゐむれ居るもの故かくよめるか
湯目 物を制したる義にて愼む事にゆめと云也。必ず波たつなと云の意也
 
1123 佐保河之清河原爾鳴知鳥河津跡二忘金都毛
さほがはの、きよきかはらに、なくちどり、かはづとゝもに、わすれかねつも
 
河津跡二 これを諸抄には蛙と二つ忘られぬと云意と釋せり。千鳥と蛙と二つかけ合難し。かはづは春夏のもの、千鳥は冬を專とするもの也。その二つを忘れぬとはいかに共心得難し。前に注せる如く、これは河津の音と共に忘れられぬと云義也。跡は音のと也。二はとも也。一説に蛙のあとに忘られぬと古點あり。あまりなる説也。津のとは音書にしたるに、のゝ字はそへられぬ事を不v辨點也
 
1124 佐保河爾小驟千鳥夜三更而爾音聞者宿不難爾
さほがはに、さわたるちどり、さよふけて、なるこゑきけば、いねられがてに
 
宿不難爾 一本難を勝に作れり。正本たるべし。しかればいねられがてにとよまるゝ也。此通にては今の點得難し。兎角誤字あるべし
 
思故郷
 
1125 清湍爾千鳥妻喚山際爾霞立良武甘南備乃里
きよきせに、ちどりつまよび、やまのはに、かすみたつらん、かみなみのさと
 
右山川の景色をおもひ出て古里を慕ふ歌也。久邇の都にてよめる歌か
 
1126 年月毛未經爾明日香河湍瀬由渡之石走無
(224)としつきも、いまだへなくに、あすかゞは、せゞにわたりの、いしばしもなし
 
都うつりありて未だいくぱくも經ぬに行かふ通ひもなきか。跳超えに渡しおきし石橋も早やなくなりしと也。石走とは、今云淺き河などに石をよき程に列べ置くとびこえと云もの也。如v今石をもて作りたる橋の事にはあらず。石走あふみといへる意も、間と云あの詞にうけたるならん。古説は宇治川へ落來る處、岩をはしりて瀧の如くなる處有との事也
 
詠井
 
1127 隕田寸津走井水之清有者度者吾者去不勝可聞
おちたぎつ、はしりゐみづの、きよければ、たびにはわれは、ゆきがてぬかも
                                
度者 印本諸抄共わたらばとよみて、わたらば濁らん事をいとひて行がてぬとの□《不明》詞を入ていへばいか樣にもいはるゝ也。さにてはあるまじく宗師案は旅にはとよむべしと也。奧にもたびゆく人のたちがてにすると、宇治川の歌によめり。よりてこゝもたびには行難きと云意と見る也
 
1128 安志妣成榮之君之穿之井之石井之水者雖飲不飽鴨
あしびなす、はしけしきみが、ほりしゐの、いはゐのみづは、のめどあかぬかも
 
あしびはあせぼの木のことにて葉茂る木也。よりてはしけしと讀みてはしけしはほめたる詞、はしけやしの略語、はしけやし君とうけたる詞也。印本諸抄さかえしとよめる意心得難し。さかえし君と云義いかにとも不v濟詞也。あしびの花と云ふ歌奧二十卷に三首あり。あせみといふも語同じ。同木ならん。尚可v考。花の歌に少不審有。あせぼの花は白き也。二十卷にて可v注
石井 地名ならんか。いづこと定め難し。祝によせて井を祝したる也
 
詠和琴
 
(225)1129 琴取者嘆先立盖毛琴之下樋爾嬬哉匿有
ことゝれば、なげきさきだつ、あかなくも、ことのしたひに、つまやこもれる
 
嘆 悲みうれへの事にはあらず。感歎おもしろき方の嘆き也。感情の先だつと云義也。唱謌は吟じて彈ずるもの故、唱歌は彈ずる聲也。よりて嘆き先だつとはいへり。すべて琴に歎きと云事よむはこの理り也。歌ふ聲はなげきの聲也。物を感歎さす聲故、歎き先だつとはよめり。第十八にも、琴の歌になげきとよみ、古今集になげきくはゝるとよめるもこれ此故也
蓋毛 印本諸抄等皆けだしと疑ふ意によめり。歌の意を面白くとりなして見る時は色々に云まはさるゝ也。けだしくとよみて疑ふ意に見れば、この歌も六ケ敷詞を入て不v聞不v被v得v聞也。宗師案は覆と云字、ふたともよむなればあかなくもとよむ也。かく琴の音の面白くて飽かぬは、下樋に妻や隱れ居るかと云義に聞える也。あかぬは妻や籠れると云意也。妻の籠り居る故あかぬと、物のふたの開かぬと云義によせていへる也。歎き先だつは、けだし下樋に妻やこもれるとは、つまのこもり居れば歎きの先だつと云義六ケ敷聞ゆる也。兩義いづれか義安からん。沈吟の人可v辨也。尤文選夜琴賦等皆悲み※[立心偏+秋]愴の意を作れり。然共悲み歎きと云ことに二義有也
下樋 琴の腹を云也。その中は樋の如くうつろげなるもの故下樋とは云也
 
芳野作
 
1130 神左振磐根己凝敷三芳野之水分山乎見者悲毛
 
かみさぶる、いはねこゞしき、みよしのゝ、みづわけやまを、みればかなしも
 
水分山 大和也。みくもりとも、みくまりともよむ。延喜式神名帳祝詞卷〔祈年祭祝詞云、水分坐皇神等 能 前 爾 白久、吉野宇陀都祁葛木 登 御名者白 ※[氏/一] 云々〕分はくばるとよめばくまりくもり同音也。こもくも同音故、式の點にはこまりと有か
悲毛 これも歎きの悲しもにあらず。愛したる歎息の悲しも也
 
1131 皆人之戀三吉野今日見者諾母戀來山川清見
(226)みなひとの、こふるみよしの、けふみれば、うべもこひけり、やまかはきよみ
 
歌の意、諸人の戀慕ふ三吉野をわれもけふ見れば、まことに人毎に好ましかるも尤もの理りかなと、山川の風景を賞讃したる也
 
1132 夢乃和太事西在來寤毛見而來物乎念四念者
ゆめのわた、ことにしありけり、うつゝにも、みてこしものを、おもひしおもへば
 
夢の和太 吉野川の内に有地名也。今は夢の太回といふ由にて、入込みたる淵の樣なる處といへり。第三卷にも大伴卿のよまれたり。此わたは夢の渡りと云にやあらん。地名と見れば義は不v知。或抄にはわだかまりたる處、水入込たる處といへり
歌の意は、夢のわたといふ地名によせて夢と云は詞のみ也。現在うつゝに見たると也。見ましと思ひ/\たれば、今うつゝに見て來しと也。前の歌と相かねて見るべし。五首共芳野の風景を見たる當然をよめる歌也
 
1133 皇祖神之神宮人冬薯蕷葛彌常敷爾吾反將見
すめろぎの、かみのみやびと、さねかづら、いやとこしきに、われかへりみん
 
神宮人 よし野の宮の人をさして也。宮人を幾度もかへり見んと也
冬薯蕷葛 これをさねかづらとの點は如何したる義か。此四字をさねかづらとよむ伎未v考。さねかづらは、和名抄五味子をさねかづらと訓せり。五味の味あるから五味子とは書くと也。冬薯蕷葛の出所未v知。山のいもの葉に似たるか。冬も葉かへぬ物故かく書との説也。ゆふかづら共點せり。これは神の宮人とあるからゆふとも訓したるか。出所不v考れば決し難し。下にいや常敷と云詞の縁に、さねかづらとよめるとも見ゆる也。右點いづれとも決し難し
 
1134 能野川石迹柏等時齒成吾者通萬世左右二
よしのがは、いはとかしはと、ときはなす、われはかよはむ、よろづよまでに
 
石迹柏等 岩を云也。日本紀第七景行紀云〔天皇初將v討v賊次2于柏峽大野1。其野有v石。長六尺。廣三尺。厚一尺五寸。天(227)皇祈v之曰。朕得v滅2土蜘蛛1者將v蹶2茲石1如2柏葉1而擧焉。因蹶v之則如v柏上2於大虚1。故號2其石1曰2蹈石1也。〕いはとかしはと共に、常磐堅磐に萬代迄も通はんと也
 
山背作
 
1135 氏河齒與杼湍無之阿自呂人舟召音越乞所聞
うぢがはゝ、よどせなからし、あじろびと、ふねよぶこゑは、をちこちきこゆ
 
よどせなからし よどむ瀬なき故舟よぶ聲のよく聞ゆると云義也。よどまる瀬なき故、船もこなたかなたに能通ふ故、よぷ聲のをちこちに聞ゆるとの意にも見ゆる也
阿自呂人 氷魚を取もの也。第三、人丸の歌、あじろ木の所に注せり。網代を守る人を網代人と云也
 
1136 氏河爾生菅藻乎河早不取來爾家里※[果/衣]爲益緒
うぢがはに、おふるすがもを、かはゝやみ、とらできにけり、つとにしましを
 
菅藻といふ藻草一種有。菅に似たる藻故さいふか。つとにせましは家づとにせましをと也
 
1137 氏人之譬乃足白吾在者今齒王良増木積不來友
 
此歌誤字あらんか。如何にとも讀解難し
譬之足白 たとへのあじろ、此詞いかに共不v濟詞也。たとへの網代と云事何としたる事や、色々のことをとりよせて釋したる説あれど正義とも不v覺。宗師案は辟言の二字一つになりたるか。然らば網代と云ものは竹にて網の如くするものならんそれ故ひけの網代と續けたるか。今竹の筥を皆ひけごと云此ひけならんか。たけを細く人の鬚の如く※[列/刀]き削りたるものからひげとは云習へるか。又案、辟魚の字の誤か。然ればひなの網代とも、直にひうをの網代ともよみたるか。下の王の字の下に田の字を落せるか。一本に王の字田に作るもあり。又生に作るもありて一決し難し。諸抄の説はたとへの網代とは日を待と云義にて、氷魚を待われなれば、とひ來る人も少く、しづかに世を經んと云事に喩へたる歌也。今は來る人はよし、後に來る人(228)もなくならんと云義とも釋せり。一向聞得難き釋共也。宗師誤字にしてのよみ樣は二義あり
 うちひとの|ひけ《辟言》のあしろとわれなれは|せ《令》のは|た《田》らましこつみなくとも
 うちの人の|ひこ《辟言》とのあしろ|あれまさは《吾在者》いまは|わた《王田》らまし【こつみ《木積=船名として》・いかた】なくとも
如v此はよみたれど正義いかにとも決し難し。別本正字誤字を考合て後案をなすべき也。諸抄の説はいかにとも歌の意不v通也
譬 古一本に辟に作る。王、一本田に作る。古一本に王郎の二字を生即と作る。まち/\の誤字いかにとも難v考
 
1138 氏河乎船令渡呼跡雖喚不所聞有之※[楫+戈]音毛不爲
うぢがはに、ふねわたせをと、よばへども、きこえざるらし、かぢのおともせず
 
よべど/\共よむべけれど、濱成式によればをとよませたり。印本などには雖喚をよばへどもとよめり。然れ共重ね詞の方聞はよけれ共、濱成式にも古く不禰和他是呼等と書たれば、雖喚は印本の假名に可v從か
 
1139 千早人氏川浪乎清可毛旅去人之立難爲
ちはやびと、うぢがはなみを、きよみかも、たびゆくひとの、たちがてにする
 
うぢ川の清き流れの景色になづみて、道を急ぐ旅人も立去がてにするとの歌也
 
攝津作
 
1140 志長鳥居名野乎來者有間山夕霧立宿者無爲
しながとり、ゐなのをくれば、ありま山、ゆふぎりたちぬ、やどはなくして
 
志長鳥居名 此しなが鳥ゐとつゞく事色々説有。しなが鳥あはとつゞきたる歌あり。日本紀のかくか鳥の説あれど心得難し。兎角しなが鳥と云鳥は群類を率て立居する鳥と見えたり。みさご鳥と云説も有。决し難し。先づはゐとつゞく詞によりて考ふるに、群類を率ゐる鳥と見る也。もしあとりなどか。あとりと云もあきさの事か。此歌は居名野といふ詞にうけん爲にし(229)なが鳥とはよめり。此歌のしなが鳥に意はなきなり。惟いなの有間山をよみ出ん爲也。みな津の國の地名也。野を經てくるに、夕霧にたちこめて宿もなく、旅行の物うき景色をいへり
 
一本云猪名乃浦廻乎榜來者 是一説は海邊にてよみたる也
 
1141 武庫河水尾急嘉赤駒足何久激沾祁流鴨
むこがはの、みづをはやみか、あかごまの、あがくそゝぎに、ぬれにけるかも
 
赤駒 我こまによせたり。川わたる時あがく蹴あげの水のそゝぎ也。そゝぎは水のはね上るなど云義也。パツ/\とうちかくる如きを云也
 
1142 命幸久吉石流垂水水乎結飲都
ながらへて、ひさしきよしも、いはそゝぐ、たるみのみづを、むすびてのみつ
 
命幸 此二字にてながらへとよむべし。いのちのさいはひなれば也。ながらふる義也。よりて義訓に二字合てながらへてとよむ也
久吉 ひさしきよしも、清しもと云詞こもれり
石流 いはを流るゝなればそゝぐ也。いはたゝくともよめり。下のたるみとうけん爲也。岩をたゝきたるゝと云意也。垂水は攝津國の地名、延喜式〔神名帳上、攝津國豐嶋郡垂水神社【名神大、月次、新甞】當集第八の卷頭の歌にも、いはそゝぐたるみと有。此水瑞靈水と聞えたり。祝賀の歌によめる意也 命ながらへたれば、かく清らなる名にあらはれたる垂水の水を結びて飲みしと也
 
1143 作夜深而穿江水手鳴松浦船梶音高之水尾早見鴨
さよふけて、ほりえこぐなる、まつらぶね、かぢおとたかし、みをはやかみも
 
松浦船堀江 地名也。今も大坂に穿江と云處有。そこならんか。仁徳紀云。〔十一年夏四月戊寅朔甲午詔2群臣1曰。今朕視2(230)是國1者郊澤曠遠而田圃少乏。且河水横逝以流木不v※[馬+史]。聊逢2霖雨1海潮逆上而巷里乘v船。道路亦※[泥/土]。故群臣共視v之决2横源1而通v海。塞2逆流1以全2田宅1。冬十月堀2宮北之郊原1引2南水1以入2西海1、因以號2其水1曰2堀江1〕
松浦船 肥前國松浦にて作る船の名也。あしがら小舟など云に同じく、その處々の船のなりは替れり。水早き故かぢ音しげく高しと也
 
1144 悔毛滿奴流鹽鹿墨江之岸乃浦回從行益物乎
くやしくも、みちぬるしほか、すみのえの、きしのうらわに、ゆかましものを
 
潮の滿たざるさきに行かましものをと悔む也
 
1145 爲妹貝乎拾等陳奴乃海爾所沾之袖者雖凉常不干
いもがため、かひをひろふと、ちぬのうみに、ぬれにしそでは、ほせどかはかず
 
陳奴乃海 允恭紀云、天皇則更〔興2造宮室於河内茅渟1、而衣通姫令v居。因v此以屡遊2※[獣偏+葛]于日根野1。〕此海攝津和泉にかゝりてあるべし。よりて攝津作と書かれたり
雖凉常 令義解第四最條云、〔愼2於曝《凉1【謂曝者陽乾也凉者風凉也】明2於出納1爲2兵庫之最1〕延喜式には凉の字さらすとよめる點有。ほすもさらすも同事也。常の字衍の樣なれど當集いか程も此格あり。ほすといへどもと云てには字書事例格有
 
1146 目頬敷人乎吾家爾住吉之岸乃黄土將見因毛欲得
めづらしき、ひとをわぎへに、すみのえの、きしのはにふを、みむよしもがな
 
めづらしきひと、わがいへに住とうけたる也。萩の名所はにふとよめり。はにふも萩生も同じ。此はにふは所を云たる義也。戀思ふ女子抔を家に迎へて住て見たきとの意ならんか。日本紀神代下卷海宮の處に、希客者をめづらしきひとゝ點をなせり
 
(231)1147 暇有者拾爾將徃住吉之岸因云戀忘貝
いとまあらば、ひろひにゆかむ、すみのえの、きしによるてふ、こひわすれがひ
 
戀忘れ貝はうつくしき貝にて、それに心うつりて思ふことを忘ゝと云傳へり
 
1148 馬雙而今日吾見鶴住吉之岸之黄土於萬世見
うまなめて、けふわがみつるl、すみのえの、きしのはにふを、よろづよにみむ
 
馬雙而 馬をならべて也。はにふは萩部也
 
1149 住吉爾往云道爾昨日見之戀忘貝事二四有家里
すみのえに、ゆくちふみちに、きのふみし、こひわすれがひ、ことにしありけり
 
住の江へ往道にてきのふ忘貝を見しが、そのかひもなくきのふみし景色の忘られぬは名のみにて、まことに戀しきことを忘るゝにてはなく、云たる言計也と也
 
1150 墨吉之岸爾家欲得奧爾邊爾縁白浪見乍將思
すみのえの、きしにいへもがな、おきにへに、よするしらなみ、みつゝしのばむ
 
將思 その景色を慕はんと也。しのぶは慕ふと云義と同じ
 
1151 大伴之三津之濱邊乎打曝因來浪之逝方不知毛
おほともの、みつのはまべを、うつたへに、よせくるなみの、ゆくへしらずも
 
打曝 印本諸抄等にもうちさらしと有。心得難し。宗師案はうつたへにとよむ也。うつたへは現在まのあたりと云義也。集中此字をたへとよませたる例數多し。追而可v考。波のよりて引たるあとは行方知れぬものなればその當前をよめり。曝の字義可v考事也
 
(232)1152 梶之音曾髣髴爲鳴海未通女奧藻苅爾舟出爲等思母
かぢのおとぞ、ほのかにすなる、あまをとめ、おきつもかりに、ふなですらしも
 
よくきこえたる歌也
 
一云暮去者梶之音爲奈利
 
1153 住吉之名兒之濱邊爾馬立而玉拾之久常不所忘
すみのえの、なこのはまべに、うまなべて、たまひろひしく、ときわすられず
 
玉拾之久 玉拾ひしく、此詞少不v穩。久は初語か。此奥の歌、そがひに禰之久ともよめり。來の宇の意か。又敷と云意に見る説あれど心得難し。常をとことよみて玉しく床とうけたる義と云説有。上に名兒とよめるも女子の事に云なして、下を玉拾ひしく床とうけたるとの義あれど其説難2信用1
常不所忘 印本の點常忘れずと有。不v足v論點也。諸抄には前に注せる如く敷床とうけたると云説也。この義は少しより所もあらんか。然れ共此所に床などの縁出べき事ならねば、宗師は常はときとよむべしとなり。玉を拾ひ時を不v被v忘と云歌と淺く見る也
馬立而 立は並の字の誤ならん。よりて馬なべてとよむべし
 
1154 雨者零借廬者作何暇爾吾兒之鹽干爾玉者將拾
あめはふる、かりほはつくる、いつのまに、なこのしほひに、たまはひろはむ
 
吾兒之 あこなこ兩點有。此歌の列皆なこ也。奧三首目の歌阿胡とあり。何か共不v决。吾の字あとよめばあれとよめど、なとよむ義未v考。然れ共歌の次皆なこにて印本諸抄皆なとよみ來れり。追而可v考。續日本紀、いづ方にやらん五人と云人の名を又名人ともかけり。これは、吾、名、紛れ易き字なれば難v爲v證也
(233)歌の意、雨はふり刈庵は作りいとまなきよしをよみて、鹽干にも玉をひろふ事なき由也
 
1155 奈呉乃海之朝開之奈凝今日毛鴨礒之浦回爾亂而將有
なこのうみの、しほひのなごり、けふもかも、いそのうらわに、みだれてあらむ
 
此歌、あさけのなごり亂れてあらん、いかにとも心得難し。朝開しほひのなごりならん。潮朝音相同じき故通じて書るか。開はひらくとよむ故、ひの一語をとりてよめるか。あさけのなごりと云事はなき事也
亂而 何の亂れたる事ならんや。別訓あらんか。追而可v考
 
1156 住吉之遠里小野之眞榛以須禮流衣乃盛過去
すみのえの、とほざとをのゝ、まはにもて、すれるころもの、さかりすぎゆく
 
奥のうた遠津の濱とよめるも此遠ざとの濱ならんか
すれるころもの 比の過ぎ行によせたり。たゞ萩の花の盛の比も過行と云迄の歌也。昔は蓁にて衣を摺し也。萩ずりの衣と云天子も被v召しにや。天武紀に見えたり
 
1157 時風吹麻久不知阿胡乃海之朝明之鹽爾玉藻苅奈
ときかぜの、ふかまくしらず、あこのうみの、あさけのしほに、たまもかりてな
 
時風 點本諸抄時つ風とよめり。前にも此句あれど不v注りき。これは疾風のと云意にて、つの字を入てはやき風の事に今とてもよめるなれば、とき風のとよむべし。疾風の吹かんも不v知故吹かぬ間に玉藻刈らんとの歌也
 
1158 住吉之奥津白浪風吹者來依留濱乎見者淨霜
すみのえの、おきつしらなみ、かぜふけば、きよするはまを、みればきよしも
 
よくきこえたり
 
(234)1159 住吉之岸之松根打曝縁來浪之音之清羅
すみのえの、きしのまつがね、うちさらし、よりくるなみの、おとのさやけさ
 
打曝 布をさらし共いへばうつたへとよまんこと難有まじきか。曝水と書て瀧とよめる事抔あればたぎりともよむべし。さらしとよむ義は心得難し
清羅 きよしもと前によめるは清霜の字也。舊一本は羅霜に作れり。然ればこゝもきよしもか。但し、らとさとは通ひ羅は紗と同物故うすと讀む故さと約したるか。羅の字にてもさとよむ義有べし
 
1160 難波方鹽干丹立而見渡者淡路島爾多豆渡所見
なにはがた、しほひにたちて、みわたせば、あはぢのしまに、たづわたるみゆ
 
別の意なき歌也。しかしながら〔以下注ナシ〕
立而 といふ詞いかゞに聞ゆる也。たづ鳴渡ると有から、たづのたち行と云縁にかくよめるか
 
※[羈の馬が奇]旅作
 
1161 離家旅西在者秋風寒暮丹雁喧渡
いへさかり、たびにしあれば、あきかぜの、さむきゆふべに、かりなきわたる
 
家を離れ旅なれば、秋風もいと身にしみて物悲しき夕部に、雁のわたる聲に、愈旅愁の情を添ふる景色をよめり
 
1162 圓方之湊之渚鳥浪立巴妻唱立而邊近著毛
まどかたの、みなとのすどり、なみたてば、つまよびたてゝ、へにちかづくも
 
圓方 伊勢也。的潟とも書か
湊之渚鳥 渚に居る水鳥をさしていへる也。なみたちよする故、妻よび立て磯へ近より付と也
 
(235)1163 年魚市方鹽干家良思知多乃浦爾朝※[手偏+旁]舟毛奧爾依所見
あゆちがた、しほひにけらし、ちたのうらに、あさこぐふねも、おきによるみゆ
 
年魚方、知多乃浦 尾張國郡にあり
 
1164 鹽干者共滷爾出鳴鶴之音遠放礒回爲等霜
しほひれば、ともかたにいでて、なくたづの、おとゝほざかる、あさりすらしも
 
共滷 諸抄の説地名にあらず、しほひと共に干潟に出てと云義に釋せり。大成違也。歌詞に共潟にと詞に詠附く例なく、地名故しほひれば共にと云意をうけて、共潟をば詠出たり。尤共の字、ともとよめるも又別訓あらんや。決し難し。いづれにもあれ地名ならでは詠出難き也。鞆浦といふは備後にあれど、こゝの歌の次皆東國なれば、備後の鞆の潟とも決し難し。伊勢尾張三河の内に有地名なるべし
あさりは磯回爲とかきて義訓によませり。いそをめぐりて食を求める故也。一所に不v居あさりめぐる故聲遠ざかると也
 
1165 暮名寸爾求食爲鶴鹽滿者奧浪高三己妻喚
ゆふなぎに、あさりするたづ、しほみてば、おきなみたかみ、おのがつまよぶ
 
きこえたる歌也
 
1166 古爾有監人之覓乍衣丹摺牟眞野之榛原
いにしへに、ありけんひとの、まきしから、きぬにすりけん、まのゝはぎはら
 
まきしから 印本にはもとめつゝと讀めり。詞拙し。歌の意、後人のまきおきし故、衣にもすりけんとよめる也
 
1167 朝入爲等礒爾吾見之莫告藻乎誰島之泉郎可將苅
あさりすと、いそにわがみし、なのりそを、いづれのしまの、あまかゝるらむ
 
(236)あさりするとて磯邊に見し花の、色よき美しき花を思ひ出てのこり多がれる歌也。前に磯にみし花かと有て、波はよるともとらずばやまじとよめる歌の意に似通ひて、花を忘れず慕ふ意也
 
1168 今日毛可母奧津玉藻者白浪之八重折之於丹亂而將有
けふもかも、おきつたまもは、しらなみの、やへ崎のへに、みだれたるらむ
 
八重折 印本譜抄八重をりと訓せり。波の八重に立重りたるを云との説心得難し。歌の全體の聞えぬ理りを不v辨説也。歌の意を能不v考釋には無理おしの注有。これ迄の歌皆地名所を居てよめり。此歌いづ方とも所を不v居、何方の奧津白浪にや八重崎といふ所を不v居しては此歌聞えぬことを不v辨也。八重埼いづれの名とは知らね共、東國の内の地名又は近江の地名にあらんか。八重といはんとて白波のとよめり
 
1169 近江之海湖者八十何爾加君之舟泊草結兼
あふみのうみ、みなとはやそを、いづくにか、きみがふねはて、くさむすびけむ
 
八十 誤て八千と作れり。誤字のまゝにやそと點をなせり。前の歌にはみなとやそと有。やそくまのと讀めるにて知るべし。八十のみなとゝもよめり。廣き海邊故湖のあまたあるなれば、みなとは八十をと也。いづれの湊にか舟よせて草枕たびねをしつらんと也。此歌は旅行の人の妻など家に殘り居て、思ひやりてよめるか。次の歌も同意也
 
1170 佐左浪乃連庫山爾雲居者雨曾零智否反來吾背
さゞなみの、なみくらやまに、くもゐれば、あめぞふるてふ、かへりこわがせ
 
さゞなみのなみくらやま かくよみ出たる處歌也。外の山をよみては風情なきなり。尤時俗の諺になみくら山に雲のかゝれば、やがて雨ふると云ならひたるなるべし。くらと云も闇きと云をかねて、雨ふらんとすれば必ず天闇くなるものなれば縁を引てよめり。この歌も家に殘居妻などのよめるか。但し相伴ふ妻の歌か。わがせこ、君夫をさしていへり
 
1171 大御舟竟而佐守布高島之三尾勝野之奈伎左思所念
(237)おほみふね、はてゝさもらふ、たかしまの、みをのかちのゝ、なぎさしぞおもふ
 
佐守布 は侍ふと同じの事也。此歌の意きゝ得難し。案ずるに天智天皇の殯の御船の著きし事をよめるか。そのかみのことを思ひ出てか。大御舟とよめる事いかにとも心得ず。若しくは行幸などの供奉にての歌か。第二卷目の天智天皇崩御の時の歌に、大御舟ととめる歌共を考へ見るべし
 
1172 何處可舟乘爲家牟高島之香取乃浦從己藝出來船
いづこにか、ふなのりしけむ、たかしまの、かとりのうらに、こぎいでくるふね
 
此高嶋、下總といふ説有。八雲御抄にも記させ給へり。尤下總にも同名有べけれど、この歌の次皆近江大和なれば近江と見ゆる也。香取の浦に漕出くる船は、いづこにか船出をしたると也。尤香取は下總の郡の名、高嶋は常陸の新治郡の内の郷の名に竹島有。上古の事は難v計ければ、後世國つゞきなれば入交たるか。此次の歌、ひだびとのまきながすちふにふの川と有により、大和とみれど、上野にも甘樂郡の内郷の名に丹生と云地名あれば、一概にはいひ難し
 
1173 斐太人之眞木流云爾布之河事者雖通船曾不通
ひたびとの、まきながすちふ、にふのかは、ことはかよへど、ふねぞかよはぬ
 
斐太人 大工の事也。上古は飛彈國より大工人を麻庭へ貢献したり。大工の出る國故眞木をも流すとよめり。此にふは大和のにふか。又ひだの國の地名か。若しくは上野の國のことか不v決。此歌の次東國故上野の事にや。丹生はまづ近くとれば大和也。ふね不v通故木をも流すと也。すべて木をつくるものは大工の類なれば、杣をもひだ人とおつすゑに云たるならん
 
1174 霰零鹿島之崎乎浪高過而夜將行戀敷物乎
あられふり、かしまのさきを、なみたかみ、すぎてやゆかん、こひしきものを
 
あられふりかしま 音のかしましきと云にかけたり。鹿嶋常陸の國也
(238)すぎてやゆかん 波高き故あかでも過ぎんことの戀しきと也。景色能所故戀しけれども、波高ければ過ゆかんかと也
 
1175 足柄乃筥根飛超行鶴乃乏見者日本之所念
あしがらの、はこねとびこえ、ゆくたづの、ともしきみれば、やまとしおもほゆ
 
足柄箱根 相模の國也
乏はうらやましき意也。乏といふ事三義ありて、歌によりて珍しきと寂しきと羨ましきと歌によりて替り有。いひまはせば一つ道理より別る也。乏しきは少きこと也。少きから珍しき也。珍しきから羨ましき意に通ふ也。乏しきから寂しき意に通ふ。元は一義なれど流轉して通ふ故歌により替れり
此歌も大和を慕ひ思ふから羨ましく見る意也。鳥ならば飛びかけり、心まゝに古郷へも立歸らましをと、たづのとび行を羨みて、古郷を慕ふ意の愈起れるとの歌也。足柄のは此高山險難の山をも心易く飛超ゆるを羨みたる歌也
 
1176 夏麻引海上滷乃奧津洲爾鳥者簀竹跡君者音文不爲
なつぞひく、うなかみがたの、おきつすに、とりはすだけど、きみはおともせず
 
海上滷 上總也
なつぞひき うみとうけたり。苧をうみうむと云意にうけたり。麻は上總の名物古事有こと故自ら詠合せたり。尤上總に限りてなつぞひきと云にはあらねど、うな上潟をよまんと、なつぞひきとはよめる也。たゞうみとうけたる義と可v見也
鳥者簀竹跡 鳥の集り鳴ことをすだくと云也。だくはなく也。諸抄の説に數集ことをすだくと云との説はあしゝ。すだくとはとかく聲を出すことを云也。尤も多きことをこゝたくと云ことあれど、それは清音のたく也。すだくのたくは濁のだ故義こと也。殊にこの歌君は音もせずと云にて、鳥の聲はすれどもと云義明也
 
1177 若狹在三方之海之濱清美伊往變良比見跡不飽可聞
わかさなる、みかたのうみの、はまきよみ、いゆきかへらひ、みれどあかぬかも
 
(239)かへらひは かへり見を延たる詞也。別の意なき歌也
 
1178 印南野者往過奴良之天傳日笠浦波立見
いなみのは、ゆきすぎぬらし、あまづたふ、ひかさのうらに、なみたてるみゆ
 
印南、日笠 浦播磨也。海路にて印南野を思ひやりてよめる也
日笠 暈の字也。和名抄云〔郭、知玄切韻云、暈、氣繞2日月1也。音運、此間(ニ)云、日月 加左 辨色立成云、月院也。此日笠浦は明石也。日本紀卷第二十二推古紀云、十一年夏四月〔王申朔、更以2來目皇子之兄當麻皇子1爲d征2新羅1將軍u。秋七月辛丑朔癸卯當麻皇子自2難波1發船。丙午、當麻皇子到2播磨1時、從妻舍人姫王薨2於赤石1。仍葬2于赤石檜笠岡上1。乃當麻皇子返之遂不2征計1〕
 
一云思賀麻江者許藝須疑奴良思
 
同じく播磨也。しかまのかち路などよめる也
 
1179 家爾之※[氏/一]吾者將戀名印南野乃淺茅之上爾照之月夜乎
いへにして、われはこひむな、いなみのゝ、あさぢがうへに、てりしつきよを
 
旅行よりかへりて印南野の月の景色を思ひ出て慕はんと也
 
1180 荒磯超浪乎恐見淡路島不見哉將過幾許近乎
あらいそこす、なみをかしこみ、あはぢしま、みずてやすぎむ、こゝらちかきを
 
波の荒き故、恐れて淡路嶋の景色を見ずてや行過んと也。そのあたり近所を旅行の時の人よめるなるべし。こゝら近きとは物の多きことをこゝらといふ。至りて近きと云意、いかばかり近きとの事也
 
1181 朝霞不止輕引龍田山船出將爲日者吾將戀香聞
(240)あさがすみ、やまずたなびく、たつたやま、ふなでせむひは、われこひむかも
 
これは難波より海路の旅行する人、船だちせん日は、立田山の霞棚引たる春の長閑なる景色を不v斷見てあれば、船出の目などは故郷を思ひ出るものなれば、さてやこひんかもと也。かもは例の嘆息の詞也
 
1182 海人小船帆毳張流登見左右荷鞆之浦回二浪立有所見
あまをぶね、ほかもはれると、みるまでに、とものうらわに、なみたてるみゆ
 
波の高くたてるを、帆かけたる船にて見たてたる他。鞆之浦備後也
 
1183 好去面亦還見六丈夫乃手二卷持在鞆之浦回乎
すぎぬとも、またかへりみん、ますらをの、てにまきもたる、とものうらわを
 
好去面 面の字而に作る本多し。よりて此點を誤るか。よしゆきてと讀みては歌の意六ケ敷也。これより色々言葉を添て釋せる説有。又かへりみむとあれば、すぎぬともとよめること言葉不v入聞ゆる也。好はすきすくとも讀也。面はおもてのおもをとる也。面の字正本也。面の字をてとは不v被v讀也
大夫乃手二卷持在 鞆といはん爲の序也。弓射とき絃をはぢく爲に、上古は左の手に指たる也。第二卷、ともの音すなりと有御製の處に注せり
 
1184 鳥自物海二浮居而奧津浪※[馬+參]乎聞者敷悲哭
とりじもの、うみにうきゐて、おきつなみ、さわぐをきけば、こゝらかなしも
 
とりじもの 鵜とうけたる也。意は鳥の如く海に浮居波の立騷ぐを聞けばこゝら悲しきと也。海路の旅行の物うく、心細き有樣をいへり。數の字はこゝらと讀むべし。あまたよりもこゝらの方しかるべし
 
1185 朝菜寸二眞梶※[手偏+旁]出而見乍來之三津乃松原浪越似所見
(241)あさなぎに、まかぢこぎいでて、みつゝこし、みつのまつはら、なみごしにみゆ
 
下のみつの松原とつゞけん爲みつゝ來しとはよめり。ケ樣の處歌也
三津乃松原 攝津也
 
1186 朝入爲流海未通女等之袖通沾西衣雖干跡不乾
あさりする、あまをとめらが、そでとほり、ぬれにしころも、ほせどかはかず
 
別の意なきなき歌也
 
1187 網引爲海子哉見飽浦清荒磯見來吾
あびきする、あごとやみらん、あこのうらの、きよきあらいそを、みにこしわれを
 
海子 印本諸抄皆あまとよめり。然れ共下のあきのうらとよませたるも、是あことよむ處に飽の字を書たる也。是はあこにてあるべし。こゝの歌皆津の國の歌、前後皆攝津國の歌なれば、あことよみて津の國なるべし。あき、あく、あこ皆同音なれば也。然らば此海子もあごにてあるべきか。下のうけによみたるあごと聞ゆる也。あみ引するあごとゝのふるなど、前にも詠みたれば、その例をもてあごとはよむべきか。ケ樣の處歌の風情也。知る人は知るべし
 
右一首柿本朝臣人麿之歌集出
 
1188 山越而遠津之濱之石管自迄吾來含而有待
やまこえて、とほつのはまの、いはつゝじ、わがきたるまで、ふゞみてありまて
 
遠津之濱 攝津國なるべし。遠里小野ともよめる歌攝津也。此歌の次前後みな攝津也。尤近江にもあるか。然れ共歌の次をもて辨ふ事也
含而 ふゞみて也。つぼみての意也
 
(242)1189 大海爾荒莫吹四長鳥居名之湖爾舟泊左右手
おほうみに、あらしなふきそ、しながどり、ゐなのみなとに、ふねはつるまで
 
居名之湖 攝津國也。別の意なき歌也
湖 集中にみなとゝよめり。此歌をよみ違て湖上月と云説にいなの水海とよめる事有。袖中抄にいへり。大風を嵐と云字は有。和名抄には山下風と注せり。然れ共此歌にも嵐な吹きそとよめれば、山下風の注には不v合也。俊成卿も此歌など考へ給はざるか。又文屋康秀がむべ山風をの歌に執し給ふか。海に嵐はよまざるの事のよし宣へり。古詠海に嵐を詠みたる歌あるを、可v考。集中にも見えたり
 
1190 舟盡可志振立而廬利爲名子江乃濱邊過不勝鳧
ふねはてゝ、かしふりたてゝ、いほりする、なごえのはまべ、すぎがてぬかも
 
盡 はてる也。船の磯邊などにつきたるを云。直につきてとよみても同じ。然れ共船は、はつる、はてると云へば、義をもてはてゝとよむべし。幾しなも讀樣あれど、いづれにもあれ船のつきたることを云たる也
可志 船をつなぐ木也。※[牀の木が戈]※[牀の木が可]の字也。和名抄云〔唐韻云、※[牀の木が戈]※[牀の木が可]【柯※[月+〓]二音、漢語抄云、加之】所2以繋1v舟〕
名子江乃濱 攝津なるべし。備中にもあれどこゝは津の國也。前後の歌の次にて辨べし
過不勝 すぎかぬる也。いほりするは船つきてその濱邊に宿りする義也。又舟に苫などふきてかりの宿りをする體をいへるか
 
1191 妹門出入乃河之瀬速見吾馬爪衝家思良下
いもがかど、いでいりのかはの、せをはやみ、わがうまつまづく、いへこふらしも
 
妹門 いでいりといはん迄の五文字也。いりいづみかはとよめる意に同じ。出入の川、國不v知。歌のつゞきを見ていはゞ紀州か、津の國又大和の内なるべし
(243)爪衝 今俗にけ|しとむ《本マヽ》と云義也。これは旅行にて何とぞ怪我などあれば、その前表の故郷へひゞくなど云事有。何とぞ其故あるか
家思良下 吾故郷を思ふことを馬にいひなせり。かく馬のつまづくは、馬も故郷の家を慕ふ故、心空にてつまづくかと也。或説に旅行にて馬のつまづくは、家にある人の慕ひ思ふから、必ずつまづくと云事は心得難し。尤つまづくとよめる歌いくらもあり
 
1192 白栲爾丹保有信士之山川爾吾馬難家戀良下
しろたへに、にほふまつちの、やまがはに、わがうまなづむ、いへこふらしも
 
しろたへにゝほふ 白く美しき色の色々ににほふと也。此匂ふまつちといへること未だとくと不2打者1也。信土山ははげ山にて草木不v生、たゞ土計の山故まつち山と云て、しかも山の色白く赤きものなれば、はげたる山故かくよめるか。はげ山は白くうす赤なる也。草木は無くはげたるさかしき山故馬も行なづむか
吾馬難家戀良下 なづむは不v進事也。行なづむなどといふて不v進事也。山川をわたりかねるの意也。山川には故ありてなづむにはあらず。山川に望みて馬のなづむは故郷を思ふならしと、わが故郷を慕ふ意を馬に負せていへるか。今は君をこひこふ、妹をこひこふと詠めど、古は君に、妹にと詠みて、集中にをとよめる歌一首もなし。然れば家こふらしもとありては、をと云はねばならず。此句何とぞよみ樣あらんか。家にこふらしとよむべきか
 
1193 勢能山爾直向妹之山事聽屋毛打橋渡
せのやまに、たゞにむかへる、いものやま、ことかはすやも、うちはしわたす
 
直向 まむきなど云意也。義は背に向ひたる山と也。紀州に妹の山せの山とて、紀川と云川の芳野川の末に隔りて有よし也
事聽屋毛 これをことかはすやもとよむべし。下のうち橋わたすやもとよみたるに、川の縁なくてはなり難し。作者も決してことかはすやもとよめるならん。言をいひかはすやと云義也。事ゆるすにては義六ケ敷也。打橋はかりそめにわたす橋、(244)とりおきの橋を云との古説也
 
1194 木國之狹日鹿乃浦爾出見者海人之燈火浪間從所見
きのくにの、さひかのうらに、いでみれば、あまのともすひ、なみまよりみゆ
 
別の意もなき歌也。その時の當然をよめる歌なるべし
 
1195 麻衣著者夏樫木國之妹脊之山二麻蒔吾妹
あさぎぬを、きたればなつかし、きのくにの、いもせのやまに、あさまけわぎも
 
印點には衣をころもとよめり。下のきたればとつゞく縁には、きぬをと詠める方しかるべし
著者 これもきればとよみては意違へり。きたればとよめば來ればの意をこめて也。其所へ來りたればなつかしき程に、妹背の山へ妹にきて麻を蒔けといへる歌也。妹背山に我來りたればなつかしき程に、妹にもきて麻まけと也。麻は紀の國の名産故よみ出たるなるべし
 
右七首者藤原卿作未審年月
 
卿は房前也。もしくは卿の字の上に北の字など脱せるか。房前公は北家なれば也
 
1196 欲得※[果/衣]登乞者令取貝拾吾乎沾莫奧津白浪
いでつとゝ、こはゞとらせめど、かひひらふ、われをぬらすな、おきつしらなみ
 
欲得 いでとよむ義訓の意出る手と云義也。乞の字を日本紀にいでとよむ。手を出して招く義也。今も物を乞には手出して受くる樣にする、これより乞と云字をいでとはよむ也。然ればいでと云はものをこふ事と知るべし。旅行よりかへりて、いへづとをと乞人に遣し與へめと貝を拾ふと也
 
1197 手取之柄二忘跡礒人之曰師戀忘貝言二師有來
(245)てにとりし、からにわすると、あまのいひし、こひわすれがひ、ことにしありけり
 
手取之 手にとればそのまゝ、戀しき事を忘るゝ貝なりとあま人のいひしは、空言のいひしばかりなるとの義也
 
1198 求食爲跡礒二住鶴曉去者濱風寒彌自妻喚毛
あさりすと、いそにすむたづ、あけゆけば、はまかぜさむみ、おのがつまよぶも
 
たづの妻呼ふ聲も、朝風のはげしきにつれて寒きと也
 
 
萬葉童蒙抄 卷第十六終
 
 
(246)萬葉童蒙抄 卷第十七
 
1199 藻苅舟奧※[手偏+旁]來良之妹之島形見之浦爾鶴翔所見
もかりぶね、おきこぎくらし、いもがしま、かたみのうらに、たづかけるみゆ
 
いもがしま、かたみの浦 紀州、八雲に出たり。妹が島をよまんとてもかり舟と初句に居たり。女の裳によせて也。又藻をかりて入るといふ縁に形見の浦を詠入たり。かたみとは濱菜藻を入るゝ籠の名を云り。形見とありても濁音相兼通じてよめるならん。歌の意は、たゞもかり舟の奧のかたより漕くるならん。妹が島形見の浦さしてたづの飛渡る也と云義也
 
1200 吾舟者從奧莫離向舟片待香光從浦榜將會
わがふねは、おきになさけそ、むかひぶね、かたまちがてら、うらにこぎあはん
 
向舟 迎舟の義と釋し來れり。別訓あらんか
片待 潟によせてと云説有。片は半の意といへり。磯邊へかたよりて漕行け。迎船を相待がてら、浦に漕よらんとよめる歌と聞ゆる也。向舟片待の句心ゆかず。別義あらん
 
1201 大海之水底豐三立浪之將依思有磯之清左
おほうみの、みなぞこどよみ、たつなみの、よらんとおもへる、いそのさやけさ
 
豐三 響きの義、動の字もどよみとよませたり
將依思有 わがよらんと思へるを波のよるにかけていへり
 
1202 自荒礒毛益而思哉玉之裏離小島夢所見
(247)あらそよりも、ましておもふや、たまのうらの、はなれこじまの、ゆめにしみゆる
 
自荒礒毛 海路のならひ、荒き磯は心に危く恐れて、心にしみて思ふものなれど、それよりもまして玉の浦の景色は心にしみて思へるにや。離れ小島の夢に見ゆると也。或説に荒磯は危く恐ろしきもの故、海路にては別而心にかゝり思ふものなれど、離れ小島と云名の忌はしければ、故郷を慕ふ心深く、妻子を思ふ旅行の意深くて夢にも見ゆると也。子に離れると云名の忌はしく、別來し故郷を慕ふ感情増長の事もあるまじきにあらねば、荒磯よりもと詠出たる意さもあらんか。玉の裏離小島、紀州也
 
1203 礒上爾爪木折燒爲汝等吾潜來之奧津白玉
いそのへに、つまきをりたき、ながためと、わがかづきこし、おきつしらたま
 
いそのへは いその邊也。此集中上文字をかける所すべて邊の意也。上頭の字すべてほとりの意也。川上と書る處も、或ひはほとり面の字の意多し。尤磯とはいしの事を云。然ればいしのうへと云意にてもありつれ共、それも共にほとりの義と見るべし
爪木 小木の燒木也。詩注云、粗曰v薪、細曰v蒸。これは唐の字の義也。本邦は由來ありて木をつとは云也。爪木とかけるも、木の枝葉の意にてかけると心得るは大成誤也。木の神の名を爪津姫と云故木の惣名となれり。まきのつまでを抔よめるも其意也
爲汝 妹が爲と云義なるべし。旅行海邊にて妹に見せんと玉を取來し意なるべし
 
1204 濱清美磯爾吾居者見者白水郎可將見釣不爲爾
はまきよみ、いそにわがをれば、よそびとは、あまとかみらむ、つりもせなくに
 
見者 見ん人はと也。磯に居る我を見ん人はと云義也
 
1205 奧津梶漸々志夫乎欲見吾爲里乃隱久惜毛
(348)おきつかぢ□みまくほり、わがするさとの、かくらくをしも
 
漸々志夫乎 此五字點本諸抄の通にては義不v通。いかにともよみ難し。追而可v考。全體の歌の意は、別れ來し我故郷の見ゆる限り見まほしきと、その郷の立隔たりて隱行く事の惜しきと也
 
1206 奧津波部都藻纏持依來十方君爾益有玉將縁八方
おきつなみ、へつもまきもて、よりくとも、きみにまされる、たまよらんやも
 
此歌のてには、沖つ波邊つ波の、沖つ藻邊つ藻をまきもて寄來れど、君にまされる玉も藻もあらんやと云義也。一云の説にて見るべし。一説の句勝れるか
 
一云奧津浪邊波布敷緑來登母
 
1207 粟島爾許枳將渡等思鞆赤石門浪未佐和來
あはしまに、こぎわたらんと、おもへども、あかしのとなみ、いまださわげり
 
あはしま 阿波の國の内か。また紀州にも有。是は阿波の國か。淡路の内の粟嶋と可v見か。明石のとより渡る所なれば、紀州にては有まじき也
 
1208 妹爾戀余越去者勢能山之妹爾不戀而有之乏左
いもにこひ、われこえゆけば、せのやまの、いもにこひずて、あるがともしさ
 
旅行なれば故郷の妹に戀わび、紀の國のせの山を越行に、妹背山相並び依然として有を見て羨みたる歌也
乏左 此乏さは羨ましきの意也。珍しく少き意から羨ましき意に通ふ故、かく乏しさとよめる也。羨ましきと云意也。此乏
しきと云詞、歌によりて三品の違有。然れ共本は一義の意より流轉して夫々に用ひたりと聞えたり
 
1209 人在者母之最愛子曾麻毛吉木川邊之妹與背之山
(249)ひとならば、おやのまなこぞ、あさもよい、きのかはづらの、いもとせのやま
 
人にてあらば親のうつくしみ愛する子と同じきと也。兄弟ありて兄と妹との如く有山と、これも羨みてよめる意、麻もよいは木と云序詞、前に注せり
 
1210 吾妹子爾吾戀行者乏雲並居鴨妹與勢能山
わぎもこに、わがこひゆけば、ともしくも、ならびをるかも、いもとせのやま
 
此歌、前の余越去の歌の意を重複したる意也。作者異なるか
 
1211 妹當今曾吾行目耳谷吾耳見乞事不問侶
いもがあたり、いまぞわがゆく、めにだにも、われにみえこそ、ことゝはずとも
 
妹山を過るから其名によせて也。わが戀慕ふ妹が姿を、せめて目になり共面影の見よかし。もの云かはさず共と云意也。妹山に向ひて歎きたる也
 
1212 足代過而絲鹿乃山之櫻花不散在南還來萬代
あじろすぎて、いとかの山の、さくらばな、ちらずもあらなむ、かへりくるまで
 
足代絲鹿 紀州の地名也。足代は伊勢河内にもあれど、こゝの足代は決めて紀州の地名なるべし。絲鹿の山と詠めるは五日の意にてか。五日の行程をふる間と云意をこめてよめるならんか。一説、此足代伊勢の事なるべし。行程も五日路なれば、勢州より紀州へ往來の間不v散もと云意ならんと也。此説も一義なきにあらざるか
 
1213 名草山事西在來吾戀千重一重名草目名國
なぐさやまの、ことにしありけり、わがこひの、ちへのひとへも、なぐさめなくに
 
これも旅行にて名草山を越る時よめるなるべし。故郷を戀わぶる心は、千の中一つも慰まぬと也。名のみにてと云義を事に(250)しと也
 
1214 安太部去小爲手乃山之眞木葉毛久不見者蘿生爾家里
あたへゆく、をすてのやまの、まきのはも、ひさしくみねば、こけおひにけり
 
安太部 地名と見ゆる也。然るに諸抄の意は作v梁取v魚者の部類を云と釋して、安太氏の者の通る小爲手の山と云義と注せり。いかに共難2信用1。前の足代過絲鹿の山とよめる歌と同じ意と見ゆる也。あたへといふ處をへて、小爲手の山を越る時久しく見ざる間に、諸木の年經りたる義をよめると聞ゆる也。猶此歌あたへゆきとよまんか、ゆくとよまんか。追而可2沈吟1。また初句二句讀出したる處の意可v考也
 
1215 玉津島能見而伊座青丹吉平城有人之待間者如何
たまつしま、よくみていませ、あをによし、ならなるひとの、まちとはゞいかに
 
伊座 伊は初語也。此歌は相伴ふ人へよみかけたるか。また玉津島の人旅人へ詠かけたるかの差別あるべし
 
1216 鹽滿者如何將爲跡香方便海之神我手渡海部未通女等
しほみたば、いかにせんとか、わたつみの、かみがてわたる、あまのをとめら
 
方便海 わたつみとは義訓也。作り拵へたるたてもの也。龍宮界と云もの別に有にはあらねど、こしらへたてたる物と云義をもて書たる世。佛説によりてかける也。本朝にても此道理一致の事也。實にわたつみの宮、龍宮城など云處有にあらず。道理をもて立たるもの、畢竟高天原同事の處也
神我手渡 師案、神わた渡るにて地名なるべし。神小濱など紀の國によみたれば、神海といふて所の名と見るべし。尤もわたつみの神とうけて地名を云たるなるべし。我はわれと讀むわの一語を取り、手はた也。又は神潟にもや。潮みちばとよみたれば潟にてもあるべきか
 
(251)1217 玉津島見之善雲吾無京往而戀幕思者
たまつしま、みてしよけくも、われはなし、みやこにゆきて、こひまくおもへば
 
あまりよき風景故、京へ歸りても忘られずこひ慕はれんと也
 
1218 黒牛乃海紅丹穗經百礒城乃大宮人四朝入爲良霜
くるしのうみ、くれなゐにほふ、もゝしきの、おほみやびとし、あさりすらしも
 
黒牛 くろうしと點有。約言を不v知故也。これは黒石の海と云こと也。くろいしはくるし也。紀の國伊勢に白黒の濱と云處ある也。日本紀の歌の由良のとのいぐりと有も此處ならん。いぐりのいは初語くり也。くりはくろ石也。ろいの約り也。よりて今俗にも栗石といひ、歌に奧津いぐりなど云も黒石の事也
此歌黒石の海と云をもて、紅匂ふ共詠出、それより大宮人のあさり共よみ出たる處歌の首尾也。いづこの海も有るに、くるしの海を詠出で紅匂ふとよみたる處古歌上手の意、歌の雅情ケ樣の處に有。一首々々に此意を付て集中の歌を見るべきこと也。案不v足故古人の詠出たる趣向の雅情、歌と云本體を見つけぬ也。尤只一通迄にて何の意もなき歌も數多あり。その歌は字面にてよく聞えて明らか也。此次の歌抔何の意もなくよく聞えたる歌也。其中にも少づつ意味の有歌に心を付べき事也
 
1219 若浦爾白浪立而奧風寒暮者山跡之所念
わかのうらに、しらなみたちて、おきつかぜ、さむきゆふべは、やまとしぞおもふ
 
これらは何の意もなくよく聞えたる歌也。然れ共わかの浦とよみて、山と止めたる掛合の意を可v味也。故郷を慕ふ共なく、都をともなく、大和と詠止たる處すこしの趣向也
 
1220 爲妹玉乎拾跡木國之湯等乃三埼二此日鞍四通
いもがため、たまをひろふと、きのくにの、ゆらのみさきに、このひくらしつ
 
(252)此歌も何の意もなけれど、玉を拾ふと、きの國とうけたる處僅かの意有。妹が爲に珠を拾ひに來と云意也。ゆらの岬と云も一日を緩やかに旅行し、心急ぎもせず玉を拾ふ計りに暮しつと云意を合みて、ゆらの三埼をも詠出たると聞えたり
 
1221 吾舟乃梶者莫引自山跡戀來之心未飽九二
わがふねの、かぢはなひきそ、やまとより、こひこしこゝろ、いまだあかなくに
 
此歌地名いづことも不v被v顯。湯等玉津島の間を指して、大和より思ひ/\て來りし此風景未だ見あかぬとの意也。別の意なき歌也。次の歌を見るに、玉津島の景色にあかなくにと云歌なるべし
 
1222 玉津島雖見不飽何爲而※[果/衣]持將去不見入之爲
たまつしま、みれどもあかず、いかにして、つゝみもてゆかむ、みぬひとのため
 
此歌玉津島の景色をほめて、包まるべくは故郷へもて歸りたき程に賞したる也。これも包みて行かんと詠めるから、玉津島を上によみ出たる也
 
1223 綿之底奧己具舟乎於邊將因風毛吹額波不立而
わたのそこ、おきこぐふねを、へによせむ、かぜもふかぬか、なみたゝずして
 
わたのそこおき 深きと云ことにわたの底おきといへり。海の深き處と云義也。波たゝずして追風の吹けかしと願ふたる也。ぬかはふかぬ哉の意也
 
1224 大葉山霞蒙狹夜深而吾船將泊停不知文
おほばやま、かすみかゝれり、さよふけて、わがふねはてむ、とまりしらずも
 
霞 かくせりともよむべし。夜中なればいづこをそことも知れねば、大葉山をめあてにいづことも心ざすべきを、霞に隱したれば方所方角知れぬ故、いづこに舟をはつべき泊り知らざると也。大葉は紀の國也
 
(253)1225 狹夜深而夜中乃方爾欝之苦呼之舟人泊兼鴨
さよふけて、よなかのかたに、おほゝしく、よびしふなびと、はてにけんかも
 
夜中方 地名なり。近江と云傳たれど同名異所多ければ歌のつゞき紀州故不審也。第九卷に高島山によみ合せたり。それは近江と聞えたり。おほゝしくは覺束無きの意、いぶかしきと云意也。夜中方は潟によそへたるか。ふけて舟人のよばふ聲せしか。いづかたにか船のはてけんと心細く覺束無き體をよめる也
 
1226 神前荒石毛不所見浪立奴從何處將行與寄道者無荷
みわのさき、あらそもみえず、なみたちぬ、いづこよりゆかん、よきちはなしに
 
此神前、みわの崎か、かみの崎か難v定。尤紀州近江兩所にあればこれも定め難し。歌の意別の意なし。よきちはよき道也。荒き波風をよくる道無き故、いづこより行かんやと也。六帖の歌に、忘れ川よく道〔なしと聞てしはいとふの海の立はなりけり〕
 
1227 礒立奧邊乎見者海藻苅舟海人※[手偏+旁]出良之鴨翔所見
いそにたち、おきべをみれば、めかりぷね、あまこぎいづらし、かもかけるみゆ
 
海藻 和名抄云、本草云、海藻〔味苦鹹、寒無v毒、和名爾木米俗用2和布1。もかり船と點あれど、めかりとよまんか。尤もいづれにても義は同じけれど、海の字を添へたれば也。海人のめかり船を漕出るやらん、奧の方より鴨の跳立騷ぐと也。別の意なき也。尤かもとは舟のことをいへば、舟の海上を走る體を見て云へるか
 
1228 風早之三穂乃浦廻乎※[手偏+旁]舟之船人動浪立良下
かざはやの、みほのうらわを、こぐふねの、ふなびとさわぐ、なみたつらしも
 
此歌もかざはやのとよめる處より下の句を合せたる也。如v此少計の意有こと也。風早のみほの浦曲故舟人さわぐと也
 
1229 吾舟者明旦石之潮爾※[手偏+旁]泊牟奧方莫放狹夜深去來
(254)わがふねは、あかしのみなとに、こぎはてん、おきへさかるな、さよふけにけり
 
湖 此集中にみなとゝよませたり。潮の字は誤れるか。みなと濱とよむ事字義未v考。たゞし義をもてよませたるか。歌の意別義なし
 
1230 千磐破金之三崎乎過鞆吾者不忘牡鹿之須賣神
ちはやぶる、かねのみさきを、すぎぬとも、われはわすれじ、しかのすめがみ
 
千磐破金 此讀三義あり。神とかける一語にかとばかりうけたるか。又かねもかみに音通故か。又下のすめ神とある故か。また金はいはを破りて出るとの故といふ説も有。いづれとも決し難し。先は神とうけ、かの一語に請たる義と見るべし。金之三崎は筑前也。續日本紀二十八稱徳紀、神護景雲元年八月〔辛巳、筑前國宗形郡大領外從六位下宗形朝臣深津、授2外從五位下1。其妻無位竹生王從五位下、並以d被2僧壽應誘1造c金埼船瀬u也〕
過鞆 すぎぬともすぐれとも兩樣有
不忘 是も上の讀樣に應じて兩樣有。上の讀樣にて下の意も違べし。畢竟の意は海上の無難を祈るしかの神なれば、金之三崎は難所なれば專逸に願ふなるべし。然れどもそこをも過たりとも、すめ神の御惠みは忘れまじく、心に祈り申さんとの意也
牡鹿 筑前槽屋郡に有。延喜式〔第十神名帳下云、筑前國糟屋郡志加海神社三座【並名神大】表、中、底筒男三神を祭りし神社也
 
1231 天霧相日方吹羅之水莖之崗水門爾波立渡
あまぐもり、ひかたふくらし、みづぐきの、をかのみなとに、なみたちわたる
 
此集中天霧合、天霧相と書きて、霧あひとよませたれど、天きりあひと云こと心得難し。よりて當流には、くもり、くもるとよめり
日方 東風の事也。こち風と云。日出る方と云義をもて書たる也。範兼、清輔などは巽風坤風など説々有。然れ共今も空曇りて雨雪ふらんとするには、決めてこち風とて東風吹く也。ことに日方と書きたれば、東の方なり。東風とみる也
(255)水莖之崗 筑前也。別の意なし。第三に大伴卿の歌にも、水莖の水城の上にもと詠めり。くきとは岫の字をよむ。前に注せり。ちかきの岫よりなどよめる所に有
 
1232 大海之波者畏然有十方神乎齋禮而船出爲者如何
おほうみの、なみはかしこし、しかれども、かみをまつりて、ふなでせばいかに
 
よくをこえたる戰地
 
1233 未通女等之織機上乎眞櫛用掻上拷島波間從所見
をとめらが、をるはたのへを、まぐしとて、かゝげたくしま、なみまよりみゆ
 
拷嶋 出雲といへり。和名抄云、出雲嶋根郡、多久。たぐるの意也。たく島といはん迄に、上よりの序詞をのべたり。機の糸筋の亂たるを直すに、櫛をもてかき直す也。その時絲を掻上たぐる也。そのことを云かけたるもの也。※[木+陶の旁]の字也。玉篇に※[糸+※[楫+戈]の旁]者梳v糸具云々
 
1234 鹽早三礒回荷居者入潮爲海人鳥屋見濫多比由久和禮乎
しほはやみ、いそわにをれば、あさりする、あまとやみらん、たびゆくわれを
 
しほはやみ 滿潮などにて潮早き故礒のめぐりにゐると也
入潮爲 かづきとも、あさりとも讀むべし。此下の句集中に類歌多し。別の意なし
 
1235 浪高之奈何梶取水鳥之浮宿也應爲猶哉可※[手偏+旁]
なみたかし、いかにかぢとり、みづとりの、うきねやすべき、なをやこぐへき
 
此歌は※[手偏+(揖の旁+戈)]取を相手にして尋ねたる歌也。前の溯早みと有つゞきにて、滿潮の時船出して海上にうき宿りをせましや、又かゝらずに漕過んかと也
 
(256)1236 夢耳繼而所見小竹島之越礒波之敷布所念
ゆめにのみ、つきて見ゆれば、さゝじまの、いそこすなみの、しく/\しのばる
 
さゝ嶋の磯こす波の面白き景色の、目にも忘れず見ゆれば、さゝ島の事のしげく慕はるゝと也。一説に故郷の夢に不v絶見ゆればとの説有。さゝ島の磯こす波は、下のしく/\といはん爲と見る説有。いかゞ。故里の見ゆると詞を入て不v見ばならぬ也。字面の通なれば、さゝ島の夢につきて見ゆれば、礒こす波景色などしく/\とは深切の意、あとから/\慕はるゝとの意也
 
1237 靜母岸者波者縁家留家此屋通聞乍居者
しづかにも、きしにはなみは、よりけるか、このやすがらに、きゝつゝをれば
 
此屋通 このやすがらにとよむべし。やもよも同音夜すがらの意也。別の意なき歌なり
 
1238 竹島乃阿戸白波者動友吾家思五百入※[金+施の旁]染
たかしまの、あとしらなみは、さわげども、われはいへおもふ、いほりかなしみ
 
竹島 近江なるべし。八雲には備前と注せさせ給へ共、第九にも高嶋とありてあとかは波と有。又周防と云説有。難v決し。
阿戸白波 第九には高嶋之阿渡河波者と有。然ればあへとも紛るまじ。白波はいづれにても同じければ、こゝはしら波とよむべし。さなくては全く同歌也。第九の歌も宿加奈之彌と有
歌の意は川波は立さわげ共、その音ひゞきにも紛れず、旅の宿りに故郷を慕ひ悲むと也。竹の訓古はたか也。こゝも川波のたかきと云義によせて詠出たる也
 
1239 大海之礒本由須理立波之將依念有濱之淨奚久
おほうみの、いそもとゆすり、たつなみの、よらむとおもへる、はまのさやけく
 
(257)由須理 動の義也。鳴どよもすなど云意に同じ。將依、わがよらんと思ふ義を云て、波のよるとうけて兩方を兼たる也
 
1240 珠※[しんにょう+更]見諸戸山矣行之鹿齒面白四手古昔所念
たまくしげ、みもろどやまを、ゆきしかば、おもしろくして、むかしおもほゆ
 
たまくしげ 身とうけてふたみの身也。見諸戸山、山城宇治の北に有也
面白四手 此四字別訓有べし。みもろど山をよみ出たる趣向此四字に有。未v案也。字の如くにては歌の詮いかに共心得雖し
 
1241 黒玉之玄髪山乎朝越而山下露爾沾來鴨
ぬばたまの、くろかみやまを、あさこえて、やましたづゆに、ぬれにけるかも
 
何の意もなくよく聞えたる歌也。黒髪山は下野也。第十一にも同じ上の二句有
 
1242 足引山行暮宿借者妹立待而宿將借鴨
あしひきの、やまゆきくらし、やどからば、いもたちまちて、やどかさむかも
 
別の意なし。尤旅行の歌也。宿からばと有をもて知るべし
 
1243 視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來禮巾振之野爾
みわたせば、ちかきさとわを、たもとほり、いまぞわれくれ、ひれふりしのに
 
たもとほり は立もとほり、こなたかなたと止まり不v進義也。又は初語とも見る也。ひれふりしとよむ縁に、袂といふことを詠入たる也。打見わたせる處は近き里めぐりなるに、こなたかなたともとほりめぐりて漸今こそ來れと也
ひれふりし野 肥前のひれふる山の麓などに有野を云にや。地名不v知。ひれふりの野とよむべきか。ひれふりの野とよめるには意有べし。ひれふれ招かれて漸今來れりと云意にや。此歌意少し聞え難き處有。尚可v案也。今ぞわれくれは、てに(258)は不v合。今こそのこの字を脱せるか。禮の字流の字の誤りたるか
 
1244 未通女等之放髪乎木綿山雲莫蒙家當將見
をとめらが、ふりわけがみを、ゆふのやま、くもなかくしそ、いへのあたりみむ
 
木綿山 豐前に有。八雲の御説也。類字抄には豐後と注せり。ゆふの山を詠まんとて、をとめらがふりわけ髪とはよみ出たり。歌の意別義なし
 
1245 四可能白水郎乃釣船之綱不堪情念而出而來家里
しかのあまの、つりぶねのつな、たへずして、こゝろにおもひて、いでてきにけり
 
しかのあま 筑前のしか也。次の歌の續き前後をもて可v知也
不堪 しのぶに堪へずして也。釣船の鋼は絶ゆることなき強きもの也。よりて思ひの絶えぬことによせてよめり。此たへはしのびかねてと云意也
情念而 すべて紐緒網をつくる環を、古語にはこゝろといひし也。よりて紐緒綱などの歌に心とよめるはその縁をもて也
 
1246 之加乃白水郎之燒鹽煙風乎疾立者不上山爾輕引
しかのあまの、しほやくけぶり、かぜをいたみ、たちはのぼらで、やまにたなびく
 
燒鹽煙 やく鹽けぶりと、字のまゝの點も有。然れ共鹽やく煙のかた然るべし
風乎疾 風のとく吹たつるから、空へは立登らで山にたな引と也。景色までの歌也。この歌第三卷日置の少老が歌に同じ
 
右件歌者古集中出
 
誰の家集ともなく、古來の古詠集の中に有と也。古注者の釋也
 
1247 大穴道少御神作妹勢能山見吉
(259)おほなむち、すくなみかみの、つくりたる、いもせのやまを、みればまぐはし
 
大穴道 前に注せり
見吉 これを點本諸抄とも見らくしよしもとよめり。尤さ詠める歌もあれど、此歌につきては宗師別義傳有。吉の字は細の字と通じて古記和書によませたり。細馬、よき馬と讀む類の如し。然れば吉の字も細の字のよみと通じてよむこと也。細の字を此集にまぐはしとよめり。花ぐはしなど共讀ませたり。よりて此の吉、若しくはまぐはしとよめる也。まぐはしとはよきと云義にて、さてまぐはしとは夫婦の語ひをなす事をいへり。みとのまぐはひと云古語をもて知るべし。よりて妹背の山を見ればとよめるから、此のまぐはしの詞は縁ある詞也。歌は如v此そのことに緑ある詞を求めてよむ處が歌也。見らくしよしもなど云ては一體聞えたる計にて、歌の風雅を知らざる也。古人はそこを詠おほせて後人にも傳へたれど、見る人知る人なければ古詠を下手にして、萬葉體などといひなせるは歎くべきの甚也。見る人の見解にてよくもあしくもなる、然らば能樣に見なし、よみ解べき事作者の本意にも叶ふべからんか。次の歌も此意をもてよめる歌也。よつて並べあげたるか
 
1248 吾妹子見偲奧藻花開在我告與
 
此歌よみ樣、てにはいか樣にもありて一決し難し。義の安からん方を取るべし。點本の通にても意は通ふべけれど、終の句四言に別訓有。點の通には讀難し
  わぎもこが見つゝしのべるおきつものはなさきたりとわれにのらまく
  わぎもこにみつゝしのべと 中略 われはのらまく
  わぎもことみつゝしのばん 中略 はなさきたらばわれにのらまく
右てにはによりて歌の意かはれば一決し難し。好所にしたがはんのみ
告與 これをのらまくとよむも一傳也。歌詞とたゞ言の差別を知れる人は知るべし。與の字まくとよむも云つげよと云願ふたること也。見まくの、聞かまくのと云此集中の例語也。與の字まくとよむ義は、日本紀神代紀に相與と有を、みとのまぐは(260)ひとよませり。その外古記にも、みとあたへなど讀みてまぐはひと讀ます。此集中にまくと不v讀ば叶はぬ歌有。よりてこゝもまくとは讀ませたり
右兩首共諸抄と異也。宗師の一傳也。尤も二首とも旅行にての歌也
 
1249 君爲浮沼池菱採我染袖沾在哉
きみがため、うきぬのいけの、ひしとると、わがそめしそで、ねれにけるかな
 
浮沼池 八雲に石見と有。憂によせて也。採、つむ共よむべし。沾在哉、ぬれにけるかなとの點は心得難し。ぬれにたるかなとか、ぬらしたるかなとか讀むべし。別の意なき歌也
 
1250 妹爲菅實採行吾山路惑此日暮
いもがため、すがのみとりに、ゆくわれは、やまぢまどひて、このひくらしつ
 
此歌によれば山菅にも實はなるものと見えたり。たゞし今山菅といふは異にて、これ和名抄にいへる麥門冬の實の事也。今云山菅は實はならざるとおぼえたり。表の歌意は菅の實をとりに行ことによみなして、すがの實とるとは、夫婦にならんとこひ行との下心を含みてよめる也
 
右四首柿本朝臣人麿之歌集出
 
問答 此標題後人の筆ならんか。尤問と答を相置たる歌ども也
 
1251 佐保河爾鳴成智鳥何師鴨川原乎思努比益河上
さほがはに、なくなるちどり、なにしかも、かはらをしのび、いやかはのぼる
 
さほ河と詠出たるより、下にいや河上りと止たる也。佐保川はさ火也。あおの意を含みて下にのぼるとは詠めり。火はその性のぼるもの故也。うちのぼるさほなど詠めるにて知るべし。此歌の意、何とてさほ河を慕ひ上るぞと問かけたる也
 
(261)1252 人社者意保爾毛言目我幾許師努布川原乎標緒勿謹
ひとこそは、おほにもいはめ、わがこゝろ、しのぶかはらを、しめゆふなゆめ
 
ひとこそは 人にてあらばおほよそにも言葉に出て云表はさめど、鳥なれば云べくもなし。われいかばかり偲ぶ河原なる程に、領してせくなと下知したる返歌也。千鳥のしのびのぼる河原なる程に、そこにしめゆふて領してのぼさぬ樣にしふ給な、ゆめつゝしみ給へと也
我の字、師案は、かりとよむべし。雁の歌に見る也。然れ共千鳥へ問かけたる返歌なれば、われとよみて千鳥をさすべきか
 
右二首詠鳥
 
1253 神樂浪之思我津乃白水郎者吾無二潜者莫爲浪雖不立
 
吾無二 此三字別訓あらんか。點の通によみて一通は聞ゆれど、何とぞよみ樣有べし。追而可v考也。一通の歌の意は聞えたり
 
1254 大船爾梶之母有奈牟君無爾潜爲八方波雖不起
 
此歌も君無爾の三字何とぞ別訓あらんか。點本の通にて一通は聞えて、君なしにはいさりはせまじきとの答也。然れ共何とぞよせあるべき歌也。上の句聞き得難し。追而可2沈吟1也
 
右二首詠白水郎
 
臨時
 
時に臨みて何事の差別もなくよめる歌をあげたる也
 
1255 月草爾衣曾染流君之爲綵色衣將摺跡念而
つきぐさに、ころもぞそむる、きみがため、いろどりごろも、すらんとおもひて
 
(262)月草 つゆ草と云草、青花とも云也。うつりやすき色也。下の句は上の句を二度ことわりたる歌也
 
1256 春霞井上從直爾道者雖有君爾將相登他回來毛
はるがすみ、ゐのへにたゞに、みちはあれど、きみにあはむと、あだめぐりくも
 
春霞 ゐとうけたる也。雲ゐ、霞ゐとつゞく詞也
井上 ゐがみと讀まんか。ゐのへと讀まんか。未v考2證例1。大和の地名也。皇子皇女等の御名に奉v號られしも、皆地名をもて被v爲v稱たる事也
直爾 一筋にまぢかき道はあれどと云義也
他回 これを點本、諸抄共にたもとほりとよめり。たは初語にてもとほりと云義にて、すぐに一筋に行かで、かなたこなたと立どまり、何とぞきみにあはんと尋ねめぐり來ると云の説也。井上と云處へ一筋には來らで、思ふ人にあはんと、かなたこなたと尋ねめぐり來ぬとの意也。然共宗師案は他回はあだめぐり來もとよむべし。阿陀といふ大和の地名あれば、上によみ出たるも地名なれば、このめぐれる處も地名をよみ入て、心はあだにめぐり來しと云義也。此以下三首の歌みな、此阿だの地名を詞に詠入たる歌共と見ゆれば、此他回はあだめぐりにてあるべき也。さなくては歌の意面白からず。地名をふまへてよめる處歌也。上古の歌は皆如v此の格あることにて、萬葉集には此傳第一の義也
 
1257 道邊之草深由利乃花※[口+咲]爾笑之柄二妻常可云也
みちのへの、くさふかゆりの、あだゑみに、ゑみにしからに、つまといふべしや
 
道邊之草深由利乃花 ※[口+咲]といはん迄の序詞也
花※[口+咲]爾 これをあだゑみと讀むべし。花の字にあだと讀までは不v叶歌いくらも有。古今集にも花櫻とよめる歌有。櫻花と讀まではな櫻とよめる意すまぬ事也。これ上古は花と云字あだとよめると見えて、その外あだなる事に花と詠める歌あまた也。花櫻は花計咲きて實のならぬことを云との説なれど、それ共にあだと云義に叶ふ也。こゝの歌も、阿陀の地名をこめてあ(263)だゑみとはよめるならん。殊に歌の意も、あだにゑみしからつまといふべきや。あだごとなればつまとは云はれぬとの歌也。あだごとにてはつまとは云はじ。心實をもて語らひよらんとの意をもこめて、この歌もゑみにしからとよめるを本として、上の句をつゞけたる也
 
1258 黙然不有跡事之名種爾云言乎聞知良久波少可者有來
 
此歌初五文字ことたらじとよめり。源氏物語花宴の、なをあらじといふ詞に、諸抄此歌を引てなをあらじと書り。直あらしといふ意をとりて、黙然の二字をなをと引直してよめること心得難し。もだあらじとよめる、文字の意のまゝによめるなれど、これも別訓あるべし。前の歌の格を以てあだならじとよまんか。これ前の歌の例をもて地名をよみ入て也。然れ共此歌の全體聞得がたし。諸抄の説の如くは歌の意通じ難し
少可者有來 これをすくなかりけりとはよみ難し。此訓點未v決ばいかにとも讀解難き故、釋なし難し。若は誤あらん。すくべかりけりとは讀まんか。これも少六ケ敷也。追而可v考
 
1259 佐伯山于花以之哀我子鴛取而者花散鞆
さへきやま、たちばなもちし、かなしきか、みをしとりでは、はなちりぬとも
 
佐伯山 國不v知。八雲御抄に攝津國と註させ給ひ、しかも萬七と被v遊し也。攝津國にあるか未v考。八雲の御説も五月山と被v遊、共にうの花とありて乍v恐信用し難きことあれば、何れの國とも決し難く、殊に此于花の字をうの花と讀めることいかに共心得難し。于は音也。然ればのゝ字脱したりと云べきか。佐伯山のうの花とは何の縁ありて、はる/”\佐伯山を詠出給ふらん。佐伯山と詠出たるには、其縁なくては古詠めつたには詠出ざる事也。然れば卯花にあらざることを知るへし。全體の歌の意以ても考ふべき也
于花 これは橘也。いかにとなれば、干の字は干戈とつゞきてたてとよむ字楯の字と通也。然れば伊佐伯氏は、大甞會の時も四門に干戈を守つて固衛する官也。延喜式等可v考。たてはたちと同音にて、てもちも同じ詞故、橘花といふ義に干花とは書(264)きて佐伯山とは上に据ゑたる也。たゞ何となく縁はしもなき事に、さつき山を詠まん樣なきを、于花と讀まんとて也。此詠格當集第一の心得也
哀我 語例句例ありて、當集に哀の事大かたかなしとよみて此歌も悲しき也。悲しきとはうつくしむ妹をさして云たる也。十四卷の歌に此詞多くして、妻妾を悲しきと讀める例格ありて、こゝも妻女などをさして云たる義と見るべし
子鴛取而者 こをしとりてはといひては歌にあらず。何の事とも聞えず。實をしとりてはと云義みと讀むべし。立花は花より身をも賞翫のもの也。よりてその女の身をこなたへ領しとりては、花は散りぬともよしと云歌也。女の身を立花の實にとりなして詠める也。如v此よみては歌也。たゞ何とも縁もなく、于花をうの花と無理讀に點をつけ、歌の意も不v考、子をことよみては歌の意雅言俗語の差別もなき也。是等を宗師流派の傳歌とはする也
 
1260 不時班衣服欲香衣服針原時二不有鞆
ときならぬ、はなずりごろも、きほしきか、ころもはりはら、ときならねども
 
班衣服 まだらごろもと讀ませては、奧にまだらふすまなど云こともありて、まだら衣歌詞にあらず、はたれとはよむべけれど、おなじ義訓ならば雅言をもて訓じ、歌の意に相應の詞を用べし。よりて花ずり衣とはよめり。榛原を通りしかば、秋ならねども花ずり衣の著まほしきと詠める歌也。はりもはぎも同じ。を萩め萩の差別あり。木と草と違へ共意は萩原の意也
 
1261 山守之里邊通山道曾茂成來忘來下
やまもりの、さとべにかよふ、やまみちぞ、しげくなりける、わすれけらしも
 
里邊 さとめに通ふと云意也。へはめと同じ。里へ通ふと云計の意にてはなく、山守故山に住也。その里の女に通ふ路の草木の茂りたれば、行通ふ事絶えて女を忘れけるかと也
 
1262 足病之山海石榴開八岑越鹿待君之伊波比嬬可聞
 
此歌も六ケ敷歌也。點本諸抄の説にては歌といふ義不v通也
(265)足病之山 點本諸抄共にあしひきの山云々と讀めり。心得難し。山つばきの咲く八をこすとよめる意何といへる義にや。山つゝじさくとも、山櫻さく共讀みてすむべき事也。歌の全體の意、何をもて山つばき咲くやつの岑をこすとはよめるや。其意得難し。よりてこの足病之山、あなしの山ならんか。又あなの山か。二名の中と見る也。本自あなし山と云地名ある處を知らね共、あなし川と云處あればあなし山あるまじ共不v被v思。且あなしと風のことによめる歌有。風の名をあなし吹と云ことありて、あなしといふ處より吹風を云との古説なれ共、これもあな風と云事にもやあらん。あなしの事は風と云こと也。すべて風のことをしと云。あらし、つむじ抔云にて知るべし。然ればあな山と云處のあるまじきにもあらず。こゝもあなの山かあなしの山か。二つの内と見る也。あしひきの山つばきにてはあるまじ。山は上の地名に云たる山ならん。然れば海石榴は日本紀につばきと讀ませたり。つばきは爪木也。ばとまとは同音也。然るにあなし山とかあなの山とよみ出たるは、全體、しのぶ人かくれたるつまと云事を詠める歌故と聞ゆる也
開の字 誤字の疑ひも有。先開の字ならばわけてとよまんか。つま木をわけて也
八岑は 谷瓦也。谷岑をこす鹿とうけたる義也。八つのみねといふ事いかに共心得難し。谷をやつとは云也。なればあなの山の爪木をわけて谷岑をこす鹿を、勢子がはひ隱れて待つ如くに隱れゐるつま哉と、深く忍ぶつまかなと詠める意也。又開の字若しくは閉の字ならんか。然れば歌の意違也。君にかゝる詞に見るべし。開の字なればしかにかゝる詞也。君にかゝる詞といふは閉の字ならば爪木にこもりと讀むべし。せこが木の茂みにこもり、はひかくれて鹿を待と云意に見る也。全體の歌の意、かくの如き故あしひきの山にてはあるまじきと見る也。尤山爪木とよみても苦しからずば、あしひきともよまんづれ共山のつま木と云こといかにとも心得難き也。よりてこの歌の讀方二通有
  あなしやまつまきをわけてやつをこえしかまつせこがいはひづまかも
  あなのやまつまきにこもりやつをこす云々
右誤字と見る説と字の通りよむとの違也
 
1263 曉跡夜烏雖鳴此山上之木末之於者末靜之
(266)あけぬとや、からすはなけど、このみねの、こねれがうへは、いまだしづけし
 
あかつきとよからすなけど 歌詞にあらず。又あかつきとよみて夜烏と云事心得難し
山上 若しくは※[山/止]の字か。夫ならばをかなるべし
木末 こぬれと云も木の末のことを云也。こぬれはぬるといふ詞の縁あれば、夜のあくることを、よめる歌なれば、木ずゑよりぬれとはよむ也。歌の意は同じ。たゞ景色をよめる迄の歌也
 
1264 西市爾但獨出而眼不並買師絹之商自許里鴨
にしのいちに、たゞひとりでで、めもあはず、かへしきぬれば、あきじこりかも
 
此歌も表は絹を買ひし事によみて、裏には妻に不v逢と云事をよめる歌也西市 東西市とて帝都の左右に有。萬物を交易する處也。西の市をよみ出たるは、下にあきじと詠める秋の縁を含みてより秋を方角にとれば西方也
眼不並 これを諸抄の説は、ひとり出て目なれぬ絹を買ひし故、調ちがひて商ひにこりたるとの意と注せり。そればかりにて歌の意おも古くもなく、歌情と云ものなくてたゞごと也。表は諸抄の説にして、あしきゝぬと云こと不v見也。よりて不並は不v合とよむ也。目のあはぬあらき絹と云意にて、扨下の意は妻のあはぬといふ意也
買師 返しの意歸りしの意也。妻のあはでかへし來ればと云義也。表は買ひし絹なればと云義也。目もあはぬあしき絹なればと云意也
商自 あきじと濁りてよむべし。則濁音に用る字也。然ればにと云こと也。飽にこりたるかもと云義也。妻もあはずかへしきぬれば、もはや飽きこりたるかと云下心を含めよそへたる歌也
 
1265 今年去新島守之麻衣肩乃間亂者誰取見
ことしゆく、にひじまもりの、あさごろも、かたのまよひは、たれかとりみむ
 
(267)今年去新島守 東國よりつくしの島を守りに行防人の事をいへり。島守をさき守とよむも、邊鄙の島々を固め守る防人の事故、さき守とは義訓せり。にひさき守は初めて防人になされたるものをいへり。天智紀云。三年〔是年〕於2對馬〔島壹岐島筑紫國等1置v烽、又於2筑紫1築2大堤1貯v水曰2水城1〕と有
間亂 此點心得難けれど、和名抄※[糸+此]の字まよふと讀みて、やれよりたる事をいへる説あれば、先これに隨ふ也。日本紀紛亂と書きてまがひと讀ませたると覺えたり。追而可v考
許誰 許は衍字か。二字合せてたれかとはよみ難し。こゝたと讀みては歌の意通じ難し。追而可v考也
取見 第五卷にも、國にあらばちゝかとり見まし家ならば云々と詠める如く、旅の事なれば布衣の破れたるも、詳解洗ひても着せんやと也
 
1266 大舟乎荒海爾※[手偏+旁]出八船多氣吾見之兒等之目見者知之母
 
此歌點本諸抄の説の通にてはいかにとも通し難し。色々言葉をそへて云まはさねば不v聞也。第一多氣の字たけとよみては何事と云義不v知。土佐日記のたけど/\と云言葉にても此歌には不v合。全體の歌の意に不v合也。よりて宗師案は別傳ありて、八の字は入の字の誤りなるべし。其意左に注せり
  大ふねをあらうみにこぐみなとかぜあれみしこらがまみはしるしも
如v此よむ意は上代の歌前にも注せる如く、第三の句より第四句へうける處を專とよみて、上によみ出る義はかつて意なく、此歌もたゞあれといはん詞のつゞきに、上を段々と詠出たる歌と見る也。歌の意は、たゞあれみし女子のまみのうるはしきは忘られず、いちじるきと也。若し防人の船津などにて相見そめし女の事に付て詠めるならんか。全體の歌、たゞ女を見たるその面かげの、目にとまりていちじろきと慕ふ意を詠みたる也
八 此字は入の字の誤にて、出入とつゞきたる字と見ゆる也。出入船多と書て、みなとゝ義訓によませたる事と見ゆる也。出入船の多處はみなと也
氣 此氣の字かぜとよませたる義と見る也。風は天地の氣人の氣息も風也。日本紀神代卷諾尊のふき給ふみいき、則級長の(268)二神となり給ふ義を考へ合せ知るべし。然れば出入船多氣はみなとかぜと義訓に書きたると見る也。其みなと風の荒くあれると云をうけて、あれみしとは詠出たる歌と見る也。大船をあら海にこぐはみなと風の荒き力なくてはなり難し。湊風のあれるから、大船を荒海に漕とも上に詠出たる也。上の句はたゞあれみしと云迄のうけに、縁語のつゞきを不v離詠たる也。歌の意にかゝはる事にはあらず。ケ樣に詠みては歌の意あさくて歌詞になり、しかも其意よく叶ふべし。點本諸抄物の如く、やぶねたきわがみし云々といひては、いかにとも歌の意不v通。又八船たきと云古語の例を不v聞ば、いかに共心得難し。此外に證例の古語出て、その義よくあひ叶はん讀解あらばこれを待つものなり
 
就所發思旋頭歌 ところにつきておもひをあらはす
 
これは地名につきて感情を表はす歌と云義也
旋頭歌 後人の作也。この旋頭歌といふは歌の體を云也。濱成和歌式には双本といへり。古くは旋頭歌といふ名目は無かりしか。双本と云は本を並ぶると云ふ義にて、第三句をも七文字によみ、第四句を五文字によみて以上六句によむ也。歌は上の句を本といひ、下の七々の二向を未といふ。神樂催馬樂等に本すゑと云も、上の句を歌ふものと下の句を歌ふものと有を云也。然れば初五文字を二度詠出る如きものを旋頭歌とはいひて、これ本を並ぶるの意也。然れば五七七とよみて又五七七とよむ事傳なり。双本とは上の句二通並ぶるの義を云。五七七五七七とよむ義也。今世間には五七五五七七とよむ也。これにては古今の歌の意に不v濟事を可v辨
 
1267 百師木乃大宮人之蹈跡所奧浪來不依有勢婆不失有麻思乎
もゝしきの、おほみやびとの、うちでのはまも、おきつなみ、よらざりせば、うせざらましを
 
此歌點本諸抄の如く蹈跡所を、字のまゝによみては、歌にては無く物語り咄などの如くなり、義訓をもて書たるもの也。此三字をかくよむ義は、上の大宮人と云詞に續く義ならではよみ難し。大宮人のとよみ出たるもの故、上古しかの都の時打出し處抔と云意を以、蹈跡所なれば打出はまとはよむ也。地名をいはでは就所發思とある題目に不v合也。若しくは難波抔の地名に(269)何とぞより所あらば、其地名をとり出てよまんか。且通路はとよまん義もあるべきか。なれどそこと名を指さゞればいかゞ也。よつて先打出の濱もとはよむ也。何にもあれ、ふむあとどころとよまん事決してあるべからず。大宮人の打出遊びし所など今はなくなりて、跡かたもなきことを歎きて、おきつ波の打よせてそこなはずば、今ものこりてあらましをとよめる歌也。大宮人をよみ出したれば、難波か近江ならではより所あるまじ、
 
右十七首古歌集出 普通の點本には首の字を脱せり。此十七首は問答の歌よりこなた十七首也。古注者の後注也
 
1268 兒等手乎卷向山者常在常過往人爾往卷目八方
こらがてを、まきもく山は、つねなれど、すぎにしひとに、いねまかめやも
 
過往人爾 これは死ゆきし人の事を云たる也。よりていにしとはよむ也。いにしも死にしも同事也
往卷目 これもいにまかめの意にて、いにもいねも同音也。上のこらがてをまきとうけたるもの故、手を卷とはいねて語らふこと也。玉手さしかへ抔よみて、ねることを云なれば、その縁にいねまかめとはよむ也。歌の意は、まきもく、今はとこしなへに卷と云名を負てあれども、死いにし人には卷かれぬと、死去し人を慕ひ、世は常なきと云事をいひたる歌也
 
1269 卷向之山邊響而往水之三名沫如世人吾等者
まきもくの、やまべどよみて、ゆくみづの、みなわのごとし、よひとわれとは
 
此歌も無常をいひて、前の卷向の山の次にあげたり。たゞし作者も同人の作故卷向とよみ出たるならん。此歌卷向に意なき歌也。然れば自作か。左注に人麿歌集出とあれど、此左注を證據に人麿の歌とも決し難き也。いづれも同時同作と見ゆる也。往水とよみて、世の中の常なきことを喩へたる歌、世と人と吾身と三つを、よ人われとはとよみたり。みなわは水の泡の如くと云義也
 
右二首柿本朝臣人麿歌集出 歌集に出とあれば、決して人麿の歌とも定め難き也
 
(270)寄物發思
 
1270 隱口乃泊瀬之山丹照月者盈※[呉の口が日]爲烏人之常無
こもりくの、はつせのやまに、てるつきは、みちかけするぞ、ひとのつねなき
 
月のみちかけするも、人の常なき理に同じきとの意也。人の常なきは、月もみちかけの理をもて知るべしと也
月者 この者の字、もと讀むべきか。此集中に者の字、もと讀までは不v叶歌多し
 
右一首古歌集出
 
行路
 
1271 遠有而雲居爾所見妹家爾早將至歩黒駒
へだたりて、くもゐにみゆる、いもがいへに、はやくいたらん、あゆめくろこま
 
遠有而 字のまゝによみては俗言に近し。義をもて別訓あるべきこと也。先づ隔たりてとよむ也。未だよみ樣あらんか
 
右一首柿本朝臣人麿之歌集出 人麿の歌には黒駒とよめる歌多し。歩め黒駒と云詞も雅言には不v聞共、外に訓義も不v考ばまづ普通の點にまかす也。何とぞ別訓あらんか。人麿は黒馬を好まれたるか。多く黒こまといふ歌有
 
旋頭歌
 
1272 劔後鞘納野邇葛引吾妹眞袖以著點等鴨夏草苅母
たちじりの、さやにいるのに、くずひくわぎも、まそでもて、くりてんとかも、なつくずかるも
 
劔後 下のいり野とよまん冠辭也。いり野とよめるも、野に入てくずをひくと云はん爲也
眞袖以 これもくりと云義の序也。手をもて繰ると云はん爲也。葛はいとに繰りて衣にする也。よりて引わぎもと詠めり。女のわざ也。此卷の奧にも、をみなへし〔おふるさはべのまくず原〕いつかもくりてわがきぬにせんと詠める歌有。衣にせん(271)爲に葛を引也
著 をくりと讀むはきといふ詞をのべるとくり也。集中に此格あげて數へ難し。古代は如v此語の通用をよく別ちたる也。くるといふ詞に著の字を置たるは、きと云詞をのべてよむ故也。さればこそ奧の歌に絡の字を書きてくりと讀ませたるを引合せて知るべし。點本の如くきてんとてかもとよみては、何をきてんと云ことにや。葛を引と計ありて、きてんとてかもとは衣にしてきてきてんとてかもと云はでは不v聞也。歌の全體を不v勘に、無理よみに點をなせること心得難し
夏草苅母 上に葛引と詠みて、又下に夏草といへること心得難し。これは葛と草との誤りなるべし。されば點にはなつくずと有。心をえて點をなせるにてはあるまじ。正本葛にてくずと點をなせると見えたり。これは二度上の葛引といへるを理りたる也。夏くずと云は、くずは專ら夏引ものと聞えたり。苅の字も引の字の誤にやあらん。かるにても意は同じ
 
(272)萬葉童蒙抄 卷第十八
 
1273 住吉波豆麻君之馬乘衣雜豆臘漢女座而縫衣叙
すみのえの、はづまのきみが、まそごろも、さにつらふ、をとめをすゑて、ぬへるころもぞ
 
波豆麻 地名なるべし。或抄には波雲のうつくしづまと云歌あれば、なみづま君にてあるべきなどいへり。心得難し。住の江にある、はづまと云地名故、住の江とはよみ出たるなるべし。さなくては、なには江の波づま君と讀まんこと然り。波は住江に限るべからず。然るに又はづまとは何故詠出たるぞなれば、馬乘とうけん詞の縁に、つまのまを上に据たるなり。尤その時にのぞみて、はづまの君といふ人の事をよめるにもあるべけれど、先よみ出たる詞の縁は、そのひかへをもてよめるなるべし。下次の歌にも、住吉出見の濱と詠みたれば地名と見るなり
馬乘衣 この乘の字そとよむこと心得難し。まのり衣にては有まじきか。尤剰と云字と相通ふ故か。音同聲なれば、みな通じて用ふれば、同音によむ事漢家の習なり
雜豆臘 雜の字さにとよむ事、當集中に例あり。よりてこれはさにつらふとよみて、をとめ、妹、つまなど云冠辭也。なにとて冠辭なればは、さねつれるといふ義也。さにつらふはさねつるゝと云詞なれば、これ妻妹をとめなど云冠辭の理り明らかなり
漢女 をとめと訓する事の義未v詳。女功女工のものをあやはとりなどいへるなれば、こゝも女工の事を專と云たることなれば、あやめなどよむべき歟。追而可v考。此歌も何とぞよせありてよめるか。其意未だ不v案也
 
1274 住吉出見濱柴莫苅曾尼未通女等赤裳下閏將徃見
すみのえの、いでみのはまの、しばなかりそね、をとめらが、あかものすその、ぬれてゆかむみむ
 
出見濱 をとめらの行を出見ると云義に、出見の濱を詠出たり
(273)柴莫苅曾尼 柴の陰に隱れて、をと女等が海邊に通はんを見むと也。それ故刈るなと下知したる也。前の歌に、岸のつかさの若くぬぎ、春し來たらば立隱るかに、と詠める歌を證例として、立隱れん爲にな刈りそとは下知せし也。そねと云詞、古詠の一格也。刈りそよと云も同じ意にて、たゞ刈るなと云下知の詞也
 
1275 住吉小田苅爲子賤鴨無奴雖在妹御爲私田苅
すみのえの、をだをかるすこの、やつこかも、なきやつこあれど、いもがみためと、われぞたをかる
すみのえの、をだからするこ、いやしかも、なきやつこあれど、いものみ民と、わたくしたかる
 
右二義のよみ樣あり。はじめの意は小田をかるすことは、わが身をさしてやつこかもなき、奴の無きにはあらねど、妹を思ふ心の切なることを見せんとて、いやしきわざをもして、われこそ田をも刈るとの意也。後の意も同じ樣なれど、のちの説公田私田の義に見なして、私田と書きたるは、田令の口分田の義に心づきて、妹が民となりて、口分田を自身に刈るも、妹に心をまかすると云意によめると見る也。御爲とかきたる義、御民の心にてもあらんかとおぼゆ。み爲はいもが爲といふ義にて、御は初語とみる也。御の字を用たるは、おほんたからと云の意を借りて書けるにもやあらん。おしはかりながらみたみとは讀む也。二義好む處にしたがふ也
宗師案、小田私田同訓によませたる訓あらんか。さゝ田とか、しのだの上、小田、小竹の竹をおとしたるか。私の字さゝともしのとも讀む義あり。すでに點本にも、しのび田と讀ませたれば、しのといふ地名をよみ入たる歌ならんかと也
 
1276 池邊小槻下細竹苅嫌其谷君形見爾監乍將偲
いけのへの、をづきがもとの、しのなかりそね、それをだに、きみがかたみに、みつゝしのばむ
 
池邊 地名なるべし。しのなかりそねとよみたれば、下にしのばんとはよみとめたり
 
1277 天在日賣菅原草莫苅嫌彌那綿香烏髪飽田志付勿
あめにある、ひめすがはらの、くさなかりそね、みなのわたか、くろかみに、あくたしつくな
 
(274)天在 下の日とうけん爲に、あめにあるとはよめり。天上にすがの原のあると云義にてはなし。冠辭の一語にうくるの語これなり。日は天上にあるもの故、あめにある日とつゞけたる也
日賣菅原 國所未v考
彌那綿 みなのわたとよむ。このゝの字の事少不審也。和語なればてには字を付る事極まりたれど、音書にそへ言葉を入る例未v考。みなわたは前に注せり。貝のわたと云説※[魚+生]の背腸と云との兩説也。※[魚+生]のせわたの事なるべし。くろきと云冠辭也
飽田志付勿 芥の髪につく程に、草な刈りそと云意と聞ゆる也。此勿の字兩樣に聞ゆれば也。意は同じ樣なれど、あくたしつくなと下知の詞にも聞え、又草を刈らばあくたのつく程にと云意とも聞ゆる也。よりてつくもと云點もあるべし。此歌の全體の意何を趣向によめりとも未2聞得1也。何とぞよせの意あるべき也。字面一通はたゞ黒き髪にちりあくたのつかん程に、すがはらに入りて草な刈りそと云意の歌也
 
1278 夏影房之下庭衣裁吾妹裏儲吾爲裁者差大裁
なつかげの、ねやのもとには、ころもたつわぎも、うらまけて、わがためたゝば、やゝひろくたて
 
夏影房之 此訓心得難し。女房は北にすむものなれば、俗の詞にも妻を北の方と稱す。よりて北窓の涼しきは夏によろしき故、夏かげのねやとはよめるか。何とぞ別訓あるべき也
下庭 したにはと云意心得難し。もとゝよむべきか。庭の字、にはとよむ義も不v通也。にはと讀みては、決して衣たつはずの處をいへるに聞ゆ。にてと讀まんか。にてと讀みては意かろし
うらまけて この言葉も難v濟。まづはうらをまうけてと云意と諸抄に注せり。うらかけてと云意か。然ればうらともにと云義なるべし。宗師點にはうらかけてとよめり。まうけるは兩方かけての意なるから、かけてともよむべき也
差大裁 やゝひろくたてとよむべし。點本諸抄にはやゝおほにたてと讀み、或ひはおほしさにと讀めり。詞雅言歌詞に不v聞也。第四卷の歌に此の言葉あり。その讀樣と同じことに心得て釋せるは心得難し。四卷の處に注せり。先通例に讀まば(275)なつかげの、ねやのもとにて、きぬたつわぎも、うらまけて、わがためたゝば、やゝひろくたて
 
1279 梓弓引津邊在莫謂花及採不相有目八方勿謂花
あづさゆみ、ひきつのべなる、なのりその、はなかるまでは、あはざらめやも、なのりそのはな
 
ひきつのべ 筑前也。なのりそのはな、濱藻也。ほだはらといふ藻草也。前に注せり
及採 かるまでとよむべし。もかりめかりといふ。すべて取ことを刈るといふ也。前に毎度注せり。此集中とると云事をかりかると讀までは不v通歌何程もありて、皆よみ違ひたる事多し。此歌もつむと點をなしたれど、わかな又は花にては紅の花抔にはきはめてさ讀めど、藻草の類をつむとは心得推し。よりてかるとはよめり。引つのべと云べはめ也
歌の全體の意は、引なびけたる女とわかつまとかりとる迄はあはまじ、必ずわがかたへ引ら《(マヽ)》れしと、人になのりそとしめしたる意を、なのりその花の上にいひなしたる歌也。よりてめといふことをいれて、ひきつのべなるとは詠めり。べはめ也。古語は、めと云ひてもべと云ひても通じたる也
 
1280 撃日刺宮路行丹吾裳破玉緒念委家在矣
うつひさす、みやぢのたびに、わがもやぶれぬ、玉のをの、おもひもゆたに、いへにあらましを
 
うつひさすみやぢ うつひさすは宮をほめ祝したる冠、うつは現在の義をいひて、ひさすはひさにふると云詞也。箕とうけたる冠辭とも釋せり。兩義好所にしたがふべし。前にくはしく注せり。宮路はみやこぢの義也。みやへのぼるなどよめるも同じ
行丹 これをゆくにと讀ませたれど、下のあが裳やぶれぬと云にかけ合す旅行なれば、裳のやぶるゝともいはるべし。たゞみやぢをゆくにやぶるゝとは云はれまじ。よりてたびとはよむ。集中に行の字をたびとよめる例多し
念委 これをおもひもゆたにとよむべし。義は玉のをのとよみかけたる義につゞかねばならぬ詞也。ゆたと云ふ詞はゆたゆたとゆるぐ義、うごくことを云也。それ故玉の緒にかけてゆたとはよみて、たびに出でず家にあらば、もの思ひもなくゆたか(276)にあらむをと云の意によむ也。點本の如く玉の緒のおもひすてゝと云ふ義、如何といふ義とも義不v通也。玉の緒のおとつゞけたる義など云説は假名遣を不v辨説也。おもひのおと玉の緒のをは、はしおくの違ひありて、さはうけられぬこと也。古詠の格例はかくの如く、思ひもゆたにといはん爲計に、上に色々とよみつゞけて、一句のうけを、あたらしくめづらしき詞の縁をつゞけたるを専逸とはよめる也
 
1281 君爲手力勞織在衣服斜春去何何摺者吉
せこがため、てづからおれる、きぬなめに、はるさらば、いづちのはなに、よりなばよけむ
 
衣服斜 これを通例の點諸抄皆きぬきなめとよみたれど、きぬきなめといふ詞外に句例なし。尤きなめは着給へといふ義と釋すべけれど、此詞例無ければ心得難し。次の歌に苗とよめるから斜はなめにとよむ也。なめはうべと云詞なり。なべと云詞の事前にくはしく注せり。苗はなめにてなめはうべと云義、尤もと云字、諸の字の意也。おりたるきぬなればうべと云意也。なべはうらとにといふ通用の釋なれど、それにては不v合處あれば、兎角なべはなめ、なめはうべといふ詞と見る也
春去何何 この春さらばといひて、下の何々の二字上につゞく縁の詞ならでは不v叶也。いかにやいかにとよみては歌詞にあらず。春になりたらばといふていかにやいかにとは縁なき詞也。よりて宗師案には花と云詞を入て義にかなふ様によむ也。しかれば何何とは、いづちの花にすりなばよけんとよめり。何の字をいづことも、いづくともよむ事常のことなり。何とていづちとはよむなれば茅の花といふ詞なり。春にはつばなといふものあり。つばなはちばな也。なれば何の花にきぬをそめたらばよけんとの意也。歌はかくの如く縁を離れずによみたるものを、後人歌の意を不v知故無理よみの點をなせり。一説いづれの花にすりなば、いづれはなにゝ、如v此ともよむべきか。しかれ共花の名の躰を居てよむべき事なれば、いづちの花にとよめるかた然るべし。なれ共いづちの花にと云義にてなければしかと詞不2打付1也。此所すこし不v居か
 
1282 橋立倉椅山立白雲見欲我爲苗立白雲
はしだての、くらはしやまに、たてるしらくも、みまくほり、わがするなべに、たてるしらくも
 
(277)此はし立のくらはし山前に注せり。大和の地名也。此歌の意は隔句体と聞ゆ。白雲のたてるくらはし山を見まくほりと云歌也。普通の點は山にとあれど、宗師案は山を見まくほりと見る也。雲を妻などに見る例もあれば、くもを見ほりといふ義のなきにもあるべからず
 
1283 橋立倉椅川石走者裳壯子時我度爲石走者裳
はしだての、くらはしがはの、石ばしはも、わかきとき、わがわたしたる、いしのはしはも
者裳 この詞集中に多くして、石ばしは何となり行しぞと問ひ歎きたる詞也。すべてはもと云はとひ歎く詞と知るべし
壯子時 みさかりにと云點いかにとも義不v通。身のさかりなる時と云義ならんか。然れ共さはいはれず。語例もなき詞也。まづ若き時とよめる也。未だ別訓を可v考也。若き時にては不2打着1也
我度爲 わがわたしたる、わがわたりたる、両點好むにしたがふべし
全體の歌の意、唯昔を思ひ出て、そのかみありしことのあれはてゝなきは、何とかなり行しやと問ひかへしたる歌也。下の句別訓のよみ樣あらんか
 
1284 橋立倉橋河靜菅余苅笠裳不編川靜管
はしだての、くらはしがはの、すがすげを、われかりて、かさにもあまず、かはのすがすげ
 
靜菅 しづすげといふこと心得難し。後世の歌には、この歌の誤字を不v辨よめる事もあるべけれど難v用。しづすげといふ語例句例、集中にも古書にも不v見也。これは淨の字の誤なるべし。靜の字の處に淨の字を書きたる事も多し。なればこゝは又淨を誤りて靜に書きたるならん。淨なればすがとよむ清きの意、菅への縁語也。川の清きすげといふ義にして、すげと云ふ詞のうつりにすがとはよめるならん
不編川淨菅 われ刈りつれ共清きすげ故、かさにもあまぬと二度理りたる也。物によそへてわがものと刈りとりたれど、打まかせて未だ心のまゝにはならぬと云義など釋せる説あれど、つけそへいへばいか様にもいはるれ共、六ケ敷説は古詠には不v(278)合事也
 
1285 春日尚田立羸公哀若草※[女+麗]無公田立羸
はるひふる、田にたちつかる、せこかなし、わかぐさの、つまなききみが、たにたちつかる
 
春日尚 點本諸抄皆はるひすらとよめり。意は春の花鳥に慰むべき時も、田にたち疲るとの意にかくよめるならんづれど、田にたちつかるといふ義、春日すらと計にては聞えず。立疲る難儀の理り上に無くては不v濟也。尤地名をよみたる歌のつゞき故、かすがべのと詠めるとの説もあれど、これも疲る處わけ不v濟なり。よりて宗師案には、春ひふるとはよめり。はるひは地名にして日本紀の歌にもある如く、春ひのかすがをすぎてとよめる歌もあれば、はるひと云は地名也。さてひふるとは大雨の事を云也。日本紀等に所見の事ひさめふると讀ませたり。尚の字ふると讀めることは久しとよむ字也。ひさしきもふるも意同じく、ふるとはよむ也。大雨ふる故田に立疲れるといふ義にて、はるひふるとは詠めるなるべし。氷降の意也。春は苗代水をまかすとて、大雨にも田にたち疲るとは詠めるならん
歌の意は、妻無きせこ故ひとり大雨にぬれ疲るとの事也。水にひたすをつかると云。勞の意をかねてつかるとは讀める也。疲れたるといふ義をかねて也
 
1286 開木伐來背社草勿手折己時立雖榮草勿手折
 
此歌五文字今世上通用の點本は開木代と記せり。古書本無點本は如v此伐の字也。然るに此三字をやましろのと點をなせり。此義いかにとも不v通。何とぞ別訓あるべし。未2成案1。何とぞくせと云詞につゞくよみ樣なるべし
來背社 これもくせと讀來りたれど、社といふ字古代はもりとならでは不v讀事也。自然にやしろとはよみたり。當集にもかな書にてやしろと記せる歌無v之。第三卷春日社の歌二首あり。これも點にはやしろとあれど、もりとよめるも知れず。然ればこゝもくるせのもりといふ處ありて、そこをよめるも難v計。尤神名帳に久世郡に久世社あり。水主神社といふにやあらん。決し難し。まづ久世の社の事と見る也。神のまします森の草故手折なとは詠める也。しかし何とぞよそへたる歌ならん(279)か。追而可v案也
己時 この詞心得難けれど、諸抄草の榮ん時ありとも手折なとしめせる義と見る也。暫く其説にしたがふべし
開木伐の三字は第十一卷にもありて、同じくやましろと點をなせり。其歌なほ不v濟歌也。伐代の説いづれか正本ならん。決し難し。開木を山とよむ義何といふ義ならん。其理不v通也
 
1287 青角髪依網原人相鴨石走淡海縣物語爲
 
此歌も全体の意不2相通1。注解未v定
青角髪 青海面といふ義にて參河の地名也。碧海郡の依網の地名をよみたる也。然るに角髪をみづらとよませたるは人のびんづらといふ意也。神代紀に天照大神岩戸の段に、結v髭爲v髻とあるみづらに同じ。今俗にいふちごわげと云總角の義也。ひたひの兩方へ髪をわけて角の如くわけたる躰也。よりて角髪と書きてみづらとは讀める也。義は海面の義なれど、訓借にて書たる也。海づらよするあみとうけたる義也。則同國同所の地名よく叶ひたる五文字也。これのつゞけ至極の歌也。義も叶ひ地名も離れぬ處をよみ出し上手なるつゞけがら也。うみづらよするあみとうけたる義也。和名抄に碧海依網ともにみえたり。委不v注也。河内にもあれど依羅とかけり。八雲に依網美と記させ給ふは、美濃か美作か心得がたく、尤も此處によめる依網は決て參河也。下に淡海とあるも遠江の事也。隣國なればよみ入たりと見えたり。近江と心得たるはあしゝ。或抄にあを海もあふみも同事といへるは大成誤り也。乎と波との音可v通也。遠江もあはうみなれど、都より遠近の字にてわかちたる事にて、實は同名のあは海なれば、參河にてもよめらんには、直に淡海とよむべき事尤也
人相鴨、縣物語爲 此字點本の通にては不v濟也。別訓あるべし。追而可v考。歌の全躰不v濟故注をなしがたし
 
1288 水門葦末葉誰手折吾背子振手見我手折
みなとあしの、うらはをたれか、たをりつる、わがせこが、ふるてを見むと、われぞたをれる
 
歌の意書面の通也。背子がなりふりを見ん爲に、通ふ海邊のあしの葉を手折ると也
(280)末葉 うらはとよむべし。少の縁をうけて也。下の句にみんと云詞を本として、初五文字にみなといふ詞をよみ出たり。わづかの處に離れぬ詞を据ゑたること古詠皆如v此也
 
1289 垣越犬召越鳥獵爲公青山葉茂山邊馬安君
かきごしに、いぬよびこして、とがりする、せこあをやまの、はしきやまべに、うまいこへせこ
 
垣越 此文字いかゞ、別訓あらんか
葉茂 はしげき山といふ義にて、はしきとよむ意は、下の山邊はやまめといふ事にして、はしきつまなどよみて、女を愛する詞ある故其縁をこめて也
 
1290 海底奧玉藻之名乘曾花妹與吾此何有跡莫語之花
わたつみの、おきつ玉もの、なのりそのはな、いもとあれと、こゝにありとな、なのりそのはな
 
此何 ある抄に何は荷の誤と注せるは心得違也。何はなにとよむ故、その一語をとりてにとはよむ也。またなの字をすてゝ六語によむべしと云へり。これも心得がたし。五言七言ともに餘りては讀むこと難なし。たらずによまんこと初五文字の外無きこと也。長歌などには一格ありて六言の例もあらんか。短歌に七言を六言とよめる例未v考也
 
1291 此崗草苅小子然苅有乍君來座御馬草爲
このをかに、くさかるわらは、しかなかりそ、ありつゝも、きみがきまさん、みまくさにせん
 
小子 をのこと云點もあれど不v可v然。小于と書てはとかく義訓に、わらはと讀ませたる義と見ゆる也
然苅 さなかりそといふ意と同じ。俗にさ樣には刈りそといふの義也。此歌婦人の歌と聞えたり
 
1292 江林次完也物求吉白栲袖纒上完待我背
えばやしに、やどれるしゝや、ねらひよき、しろたへの、そでまきあげて、しゝまつわがせ
 
(281)江林 地名なるべし。何國か未v考
次完也物求吉 點本諸抄物しゝやも求めよきとよめり。いかに共心得がたし。やもと讀みては下の義不v通。宗師案はしゝやと切りて、物求吉の三字は義訓に書きたる義と見る也。その意林中に宿り寢て居るしゝはと云意にて、しゝやときりて、下三字をものもとめよきと云意は、ねらひょきとよむべし。やどると云詞上にあれば、ねと云寢の意をこめて林の中に宿り伏したる師ゝは、ねらひやすく求めよからんもの、もとむるはねらふといふ義に叶へり。しかれば林中に宿りたるしゝはねらひやすき故、これを求めんと袖をもまくりあげて待との意にて、下の心は白妙の袖をまきあげて、妹を待わがせことよめる歌なるべし。上のねらひよきは、ねよりよきと云義にかけてよめる也。もとめよきといふ詞は歌詞にあらず。たゞ歌なれば決して如v此は詠まれざること也。此外に何とぞ義に叶ふよき訓もあらば可v依2後案1也
 
1293 丸雪降遠江吾跡川楊雖苅亦生云余跡川楊
あられふる、とほつあふみの、あとかはやなぎ、かりつとも、またもおふてふ、あとかはやなぎ
 
あられふる とゝうけたる音を、とゝ計よむこと集中に例あまたありて音とうけたる也
遠江 遠州の義なるべし。吾跡川も遠州の地名なるべし。近江にあるより遠州も同じあは海の國なる故、同名異處と見ゆる也。此歌遠つあふみとならではよまれず。吾跡川といふ處高嶋郡なれば、都よりは餘程隔たりてある故との説あれど心得がたし
此歌の意は、柳は苅とりても、跡よりひたかはりにかはりて生出ると云義をよめるに、あと川といふ地名をもて趣向によみ出たる歌也。跡よりかはり生出るもの故、それよりあと川の地名を專と趣向によみ出たる也。近江の地名にもあと川ありて、あと川なみとよめる歌二首あれど、此歌のあとかは、近江とは難v決。遠江とあるを證とするなり
 
1294 朝月日向山月立所見遠妻持在人看乍偲
あさづくひ、むかひのやまに、つきたちて、みゆとほづまを、もちたるひとや、みつゝしのばむ
 
(282)朝月日 むかふと云冠辭也。たゞあさひと云説は心得がたし。此歌にあさひといふこと何の爲によめるや。たゞむかひといはん迄のあさづくひ也
向山 地名なるべし。何國未v考
速妻持在人看乍偲 向山に月の出て見ゆれば、遠所に妻もちたる人は妻の出くるやと、此月に妻のこんかと待慕ふと也
 
右二十三首柿本朝臣人麿之歌集出
 
1295 春日在三笠乃山二月船出遊士之飲酒杯爾陰爾所見管
かすがなる、みかさの山に、月のふねいで、みやびとの、のむさかづきに、かげにみえつゝ
 
月船出 みか月は如2船舶1なる故、つきの船とは毎度よめり
遊士 前にも注せり。みや人也。月の船出見とうけてみや人とよめる也。酒宴の時の歌也。別の意なくよく聞えたる歌也
 
譬喩歌 ものによそへて心をのべたる歌を云也。表一通はあらはれたる事をいひて、下の心に意を含めてよせ詠ある歌をたとへ歌とは云也
 
寄衣
 
1296 今造斑衣服面就吾爾所念未服友
あたらしき、はだれごろもの、めにつきで、あがにおもほゆ、いまだきねども
 
今造 あたらしきとは義をもて詠めり。下にあがにとかけ合してよめると聞えたり
斑 前には花ずりごろもとよみたれど、はだれと云もはなごろもと云意也。れは助字に見て也。はだれ衣とは色々に染めたる衣といふ意也。まだらと云點は心得がたし。縁詞也
めにつきて 面はめに也。錢をぜに、丹をたになど云類にて知るべし。めにつくは目に付也。下の心はめに附也
吾爾 あがには、わがに、わがもにに思ふと云義にして、垢によせ不v飽によせたり。あかじと云義にも通ふ。表の意あたらし(283)き花ぞめころもの目につきて、わがものとおもほへて、未だきざれども、あかずめづると云意也。下の意は新婦などを未だ不v迎といへども、見そめしより目につきてあかずなれし樣に思ほゆるとの意也。あがにと云は赤にといふ色の縁もある詞也。すべて縁語をうけて不v讀ば歌にてなき也
 
1297 紅衣染雖欲著丹穗哉人可知
くれなゐに、きぬはそめまく、ほしけれど、きばかほにや、人のしるべき
 
表の意は聞えたる通也。下の意思ふ人になれそめたけれど、色にあらはれて人や知るべきと思ひ煩ふたる意也
衣染 ころもそめまくとも讀まんか。下にきはとある故也。いづれにても意は同じ
 
1298 千名人雖云織次我二十物白麻衣
ちゞになに、ひとはいふとも、おりつらん、わがはたものゝ、しろきあさぎぬ
 
千名 一本千各とあり。然らば兎も角とも讀まんか。十を百は千也。よりてともとよむ。各はかくの音借也。しかしながら此歌おりつかむといふ句、いかに共上下につゞくことはなし。何故おりつかんとはよめる意不v通地。雖云、此云の字立といふ字の誤りと見えたり。よりてちゞに名にとよみて、人はたつともと云義と見る也。名とよみて云とはよまれず。たつとならではよまれぬ義也。古人その格をたがふ事なし。さてちゞになにとよむは、千萬にいひたてらるゝ共なんぞと云意にて、なにとはよむ也。ちゞのなにともよむべきなれど、この意をこめてよむ故、のとはよませる也。 古詠をよみとくに、ケ樣のてには何程もあること也
雖立 如v此なれば立は裁の義をかねて、人はたつともわれはおりつかんとはいはるゝ也。さなくてたゞおりつかんとはいかにとも不v通也。若しこれを讀まんには、おりやすきとか、おりなめやと讀むべきか。つかんとよみては、上下にかけ合詞なき故六ケ敷也。おりやすきおりなめやと云は、たゞ人はちゞになにといふともおらめや、おりやすききぬなるをと云意なる故さよみては難なき也。扨古詠の格上に數の詞百千萬の詞、十二十の詞あれば、下にきはめて又數の詞を含みて詠める事きはまり(284)たる義也。それをキツとあらはれざる樣に詞の内に入て詠むこと、上手の句作り也。すでにこの歌も千名とよみ出たれば、下にはたものとよめるたぐひをもて知るべし。はた、機の義にて二十の詞也。則撰者も心を得て二十の字を書たる也。唐の古詩の格も上代の詩皆此格あり。飛花と作りたれば句中に風と云字を用來れること、古詩例格ケ樣の格をもて巧拙を別る事也。歌も上代古詠程そのキツとそなはれり。此歌表の意は我織はたの事にして、下の意思ふ人ありて、それよりあふことを人はたゞ/\名に立つるとも、思ひかけし人に志をとげずばはてまじ、中々思ひ絶まじきとの意也
右三首の歌寄衣とありて奧にまた寄衣とあり。その外二重にあげられたる歌共あり。これは古歌集に入りたるをわけたるものか。同卷の内にてケ樣に混雜の義は不審也。尤もきぬと云と、ころもと云とは少違あれ共、外の歌ども何の差別もなし。花の歌は花草と木花違も見えたり。奧のうたは皆草花也。木も奧の全躰木の歌、此次歌のは木の葉をよみ入たり。玉も石玉と貝玉との差別あれどもかく混じて見えたり。とかく分明にその差別し難し。しかれば古歌集家々の集をわけたるか。尤古注者も何者は誰歌集中出た注せり。先この三首目録の寄衣、未だ衣服にしたてぬ絹麻のことを詠めると見ゆる也。然ればころもと讀まずきぬと讀むべきか。詞はいか樣にもあはさるべし。第一の歌もあたらしきはだれのきぬ、第二の歌紅にきぬはそめまく、第三此歌白きあさぎぬ如v此よむべきか
寄玉
 
1299 安治村十依海船浮白玉採人所知勿
あぢむらの、とをよる海に、ふねうけて、しらたまとらん、ひとにしらすな
 
安治村 鳥の名也。とひよるとつゞけたる迄也。あぢむらに意はなし
十依海 此義諸抄の説は遠寄といふ事也と注せり。近寄と云ことある故とほよるとも云ひて、おきのかた遠き海上へよる鳥故十依海とつゞけたると也。たゞとひよるの意にて、とゝ云一語にうけたる義と見るべし。十の假名と遠の假名とは少疑ひあり。日本紀の數字の十の假名はとを也。和名抄第九國郡之部筑前國鞍手郡の郷の内に十市【止布知】と記せり。いづれを證とす(285)べきか決し難き也。よりて遠よるの義不v被v用。よりて地名にやあらんと見る也。あぢむらとよみ出たるは、とゝうけん爲の冠辭、とはとふの意と見るべし。遠の意にては假名不v定故決し難し此歌表の意は、海上に船をうけて玉をとらんとの意にて、下の意しのびて通ひなどする事のあるを、人に知らすなあらはすなとのしめしによめる歌也
 
1300 遠近礒中在白玉人不知見依鴨
をちこちの、いそのうらなる、しらたまを、ひとにしられで、見るよしも哉
 
此遠近はいそのをちこち也。すべての礒のうらなるとさしたる義也。中は浦と讀むべし。次の歌にも石のうらわと詠めり。
歌の意、おもては海邊の礒のうらなるたまを、われひとりしのびて見たきとよみて、裏の意は白玉を女に比したる也
 
1301 海神手纏持在玉故石浦廻潜爲鴨
わたつみの、てにまきもたる、たまゆゑに、いそのうらわに、あさりするかも
 
わたつみの神の手にまきもたしめる玉なれば、中々たやすくとり得べき樣なければ、幾度か磯の浦わにかづきをすると也。下の意は、思ふ人をたやすく手に入るゝことのなり難きと云ことに喩へたり
 
1302 海神持在白玉見欲千遍告潜爲海子
わたつみの、もたるしらたま、見まほしく、ちたびのりつゝ、かづきするあま
 
此歌前の歌をうけてよめる也。わたつみの持たる玉なれば、見ることたやすからざれば、いのりて千たびもかづきすれど、見ることなり難しと也。下の意前の意に同じ
告 いのりするの義也。點本諸抄等につげてとよめれど、海苔と云ものゝ名によそへて詞をまうけたる也。つげてといひては義いかに共不v濟也。海子はわれをあまに比して詠める歌也
 
(286)1303 潜爲海子雖告海神心不得所見不去
かづきする、あまはのれども、わたつみの、たまをしえねば、みるといはなくに
 
かづきをしてわたつみの神に祈れ共、玉をとり得ざれば見しとも云はれぬと也。下の意は思ふ人をえしたがへねば見しともいはれず、あふことなくて見しばかりにては、實に見しともいはれぬとの義也。心を玉とは玉しひとよむ故也。此句中に玉の事なければたまとは讀む也。尤前の歌の餘意をのべたる歌ともいふべけれど、心を字のまゝによみては義不v濟也。その上わたつみの心を得ずてといひては義六ケ敷也
 
寄木
 
1304 天雲棚引山隱在吾忘木葉知
あまぐもの、たなびくやまに、かくらくも、吾忘、こなばしるらん
 
あまぐものたなびく山 かくらくもといはん序にて、高山にかくゝるもと云の意也。かくれたるとあれどかくれたるとよみては義不v通。隱はかくるゝとよむ字故まくとよみ、在はあるとよむ。らりるれろ通じて、あるとも、あらとも讀む故らくとはよむ也。意はかく來るもと云義也。文字に隱在とあればとて、かくれたるとよみては義不v通樣なれば、宗師案は如v此來るもと讀ませたる義と見る也。尤かくれたるもと讀みても義は通ずべきなれど、首尾相調がたければかくらくもとよむ方しかるべし
吾忘 此二字心得難し。われ忘れめやと讀みては下の意不v通。或抄には志の字の誤りと見る説あれど、次の歌己心と二字に書きたるをもて見れば、この忘の字も己心の一字になりたると見ゆるなり。然れば吾己の字、皆かりともかるとも讀むなれば、かりかるとは、もとめえることを云。こゝも妹をもとめえるの心なれば、あがかる心とか、かりかる心とかよむべし。
知良武 良武二字舊一本にあり。普通には脱せり。然れ共點本にも知るらんと假名を付けたるは、良武の二字ありし證ならん
(287)木葉 第二巻に松は知るらん、第三にこの葉知けんとよめる歌もありて、この義不v濟事なり。とかくこの葉と讀みては不v通こなばとよむべし。是秘傳也。乃はなゝり。よりてこなとは女の通稱也。手こなと云にて知るへし。よりて木葉と書きてこなばとよむ也。のはなゝり。文字にはあらはれねど詞にのを入れねば木の葉とは不v讀也。しかればこなばとよみて表一通は木葉の事にして、下の意女の事と知らせたり。表の意は雲の棚引く高山にかく來て、木を苅とる心も木の葉は知るらんとの事也。下の意は高山にかく來りて妹をもとめかる心を、女は知るらんとよよせたる也。忘の字と見る説にしたがはゞ、歌情雅言は曾而なき也
 
1305 雖見不飽人國山木葉己心名著念
みれどあかぬ、ひとくにやまの、こなばをぞ、かるこゝろから、なつかしみおもふ
 
みれどあかぬ 人を見れどあかぬとうけて、心も表裏共にその意をよせたり
人國山 大和。八雲には紀伊と注せさせ給へり。考へさせ給はざるか。同名あらんか
己心 前に注せる如く、己と云字は、やつがり、おのれとも讀む。こゝにておのがと讀みては意叶ひがたし。木の葉は刈り刈るとも云ことありて、刈るは求むるの義をいふなれば、もとめ慕ふ心から、なつかしく思ふとの義也。表は木の葉のことにして、裏は女の事をよめる故こなばとは詠みし也
 
寄花
 
1306 是山黄葉下花矣我小端見反戀
このやまの、このはがくれの、はなをあが、ほのかに見つゝ、さらにこひしき
 
是山 地名なるべし。すべて是川是山とよめる歌とかく地名と見るべし。さなくてたゞこの山と詠出ることあるべからす。然るにこの歌にもこの山とよめるは、これもこな山と云意に詠めるならんか。すべて上古は、のとなと同事に通じて、大方はのと云詞をなといへり。のながは同詞也。この歌も女をほのかに見てこひわぶると云義を下によめる歌なれば、その縁にこ(288)な山ともよみ出らんか
黄葉下 これをもみぢの下と讀みては歌の全體その詮不v聞。黄は黄金《コガネ》などよめればこともよむ事明也。尤木のはがくれとよみても同じ。下をかくれと讀むは義訓也。古來は黄葉と書きて、この如きの歌には、もみぢとは讀まれぬ事をさとりたれば如v此書きし也。このはがくれと讀まねば外によみ樣なく、全躰の歌不v通故、きはめて人もこのはがくれと讀まんこと、その時代なれば平生の事になりしを、時うつり世へだたりては、讀解難き樣にはなりし也。もみぢ 下の葉など讀みては歌の意いかにとも不v通也
小端 はつ/\と讀ませたれど、端々の二字をはつ/\とも集中に讀みたり。尤假名書にもはつ/\といふ詞あれば、さも讀むべけれど、此小端と書きたるはほのかにと讀むべき義訓也。歌の意ほのかにと讀まではかけ合がたし
反戀 點本にはかへるこひしもと讀みて、山べなどにて花を見てわづかに見し故、見とげもせでかへるこひしきとの意ならんか。かへるこひしきといふてはいかゞしたる義歟、不v濟詞也。能々可v吟。かへりてこひしとか、かへりてしたふとなりとも讀むべきを、かへるこひしもとは餘りなる點也。更にこひしきと讀む義は、反の字を書きたれば反復の意にて、はじめよりこひせしが、ほのかに見しより二度戀しさの添ひたる意と見る也
 
寄川
 
1307 從此川船可行雖在渡瀬別守人有
このかはに、ふねのわたしは、ありといへど、わたるせごとに、もるひとぞある
 
此川 これもとかくうぢ川の事を云ひて地名と聞ゆ也。是川とはうぢ川の義を云也。注前にあり
  古本の點にては義不v通。ゆくべくとありといへどと讀みて句不v續、てにはも不v辯點也。可行と書きたればわたしと讀むべし。下の詞につゞく縁もありて、ありといへどとうけ、詞の上のてにはは、はとなくてはつゞかぬ事也。外の義訓もあらんかなれど、わたり瀬毎にと讀みたれば、詞のうけ縁を不v離爲にわたしとはよむ也。能義訓あらば待2後學1のみ。表の(289)意は聞えたる通船わたしはありといへど、その瀬毎に吟味をするその所を守る人のありて、心のまゝには渡られぬ趣をいひて、下の意は人目の多くて、思ふ人にあひあふ事のまゝならぬ義をよそへたり、
 
寄海
 
1308 大海候水門事有從何方君吾率陵
あらうみの、かみのみなとは、ことあるに、いかさまにせば、あれゐしのがん
 
大海 あらうみとよむ、大海はあらきもの也。歌の意あるゝ義をよみたれば、あら海と讀ません爲に如v此書けると見えたり。物の大まかなる事をあらかたとも云事あり
候 かみとよむ字也。あらうみとよむからは、神のますといふ義をよまではなり難き歌の意也
事有從 事は死を云也。古代は死る事をことありと云へり。此歌もあらき海は神のますみなと故、死に及ぶ程の事の有をいか樣にしたらんには、このあれの靜まり難を免れんとの歌也
何方君 いか樣にせばと讀む意は、何方の二字をいかさまとよむ事此集中例數多也。君の字もせこせなとよむ事此集の習也。よりてかくはよむ也。あら海の恐ろしくあるゝ湊なれば、死に及ぶ程の此あれを、いか樣にしたらば靜まりて、こゝを凌がんとの義也。表の意は、いか樣にせばと、なすことに君の字の訓をかりてよみて、下の意は、君はわれを率ゐて今この事あらはれて、云騷がらるゝを忍びのがれんやと云の意をよせたると聞えたり
吾率陵 陵は凌の誤りと見えたり。吾をあれとよむ意は、海のあれによせて海上の荒をいかにしてか沈め凌がんとの意也。率はしづまることを云、居の字の意也。ゐすわるなど云てをさまることを云也
此歌全體の意は、海上のあれて危き湊をこすことの有樣に云なして、裏の意は、しのびてあひ語ふことのあらはれ、人にも云さわがれてこと有折の義に喩へ詠めるなり。いか樣にしてか君はわれを率ゐて今の難をのがれんぞとの、婦人の歌に見ゆる也
 
1309 風吹海荒明日言應久君隨
 
(290)かぜふきて、うみはあるとも、あすといはゞ、ひさしかるべき、いもがまに/\
 
君を いもとよむ意はいとは寢ること也。あすといはじと上によみたれは、今夜あはんと云意をいはでは不v叶。よりて詞にいといひてぬることをこめて、もと云ふも藻の義によせて上にかるべきといふ詞を設たり
表の意は前の歌をうけたる意もこめて、風吹きて海あらくとも、あすまで待ちてはいかゞなれば、けふ船出などせんと云義にて、下の意は、あすまでは待ちては久しき程に、こよひあはんとの意也。いもをかるべきと云詞を設て、女にあはんとの義にたとへたり
 
1310 雲隱小嶋神之恐者目間心間哉
くもがくる、をじまの神の、かしこければ、めはへだつれど、こゝろへだつや
 
雲隱 雲がくるの意也。海原遠き海中の嶋は、雲かゝりて見えわかぬ小嶋と也
小嶋神 古事記には本邦の嶋々皆神明の名として傳へたり。海中の嶋直に神と云し也。下のかしこければといはん爲の序に、をじまの神とは詠出たり
恐者 神なれば恐れかしこむべき理り、それ故目にて見あはすことはならねど、心には千萬里を隔てゝも隔てぬと也。表の意は雲かゝりて遠く遙かなる嶋の神にてあれば、おそれもありて目には見えねど、心には尊み思ふて隔てぬといひて、思ふ人にしのび相語らふことは、人目多き中などにて、はゞかりつゝしみてあふ事はあらね共、心は相通ひてへだてぬとよせてよめる也
目間といふ表の意海布によせ、下の意は女によせて也。心はこゝろふとゝ云海苔あり。その詞の縁をもて海によするの意をのべたり
 
右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出 如v此ある故寄玉寄木など二度あげたり
 
寄衣
 
(291)1311 橡衣人者事無跡曰師時從欲服所念
つるばみの、きぬきる人は、つみなみと、いひにしよゝり、きなまくほしぞおもふ
 
橡 櫟實也。衣服令云、〔凡服色、白、黄丹、紫、蘇方、緋、紅、黄橡、※[糸+馨]、※[草がんむり/補]※[草がんむり/陶]【注略】緑、紺、縹、桑、黄、楷衣、蓁、柴、橡、墨、如v此之屬、當色以下、各兼得v服v之、云々〕延喜式弾正臺〔云、凡赤白橡袍〕聽2參議已上着用1。和名抄染色〔具云、唐韻云、橡【徐兩反、上聲之重和名、都流波美】〕俗にどう栗と云これなり。楢の木の實也。橡衣と書きてつるばみのきぬきると讀まるゝ也。衣の字なくては不v被v讀をこれらのよみ樣此集の例格にて、着服の字を略して書ける此類多し
事無跡 諸抄の説わざはひにあふ事なしとの義、また童蒙抄仙覺抄など、四位の人これを着ば罪に被v行事ある趣を注したり。いかにも律令の法に此義ある事也。清少納言枕草紙に、白がしのきぬ二位三位の袍とかける事も有。此つるばみにも白つるばみ赤黒もあり。おしなめてつるばみを着る人免2刑罰1事にはあらず。律法三位已上の人は死刑無き事の法有とおぼえたり。然れば白橡など上古三位已上の人着用したる事あるか。とかく上代橡の衣を着用に官位の品ありて、その時着用の人は罪に不v被v行法ありしと聞えたり。事なみと云義心得難し。尤わざはひある義或死する義をことあるといへば、義はかなふべけれど、つるばみとよみ出たれば、罪といはん詞の縁に詠めるとも聞えたり。尤此法ありしをもて詠出たるにもあるべけれど、先は詞のうけよきを專とすれば、事の字古筆の字誤りにもやあらん。又事の字にてつみともよむまじきにあらねば、つみなみとはよむ也。罪せずとも讀みたき也
曰師 いひにしとよむ。未だ別訓あらんか
時從 からにと讀たき處なれど字例を不v覺。時よりとよみては歌の意聞得がたし。然れども橡を著る人は遁2刑罸1の法をたてられし代より、このきぬを人毎に著なまくほしく思ふとの意に讀おく也。時の字代とよむ義あるべし。久時と書きてふりにし代よりと義訓すべき歌あれば、こゝも夜のことを含めて代よりとはよむ也
欲服 きなまくほしとよむは着寢まくと云意含みて也。上に代よりと詠めるは、この意を含みて也。ころも故まくと云詞な(292)くて叶ふまじき也。表の意は橡のきぬをゆりぬれば、罪をも免れるとなれば、その代より于v今も着まほしきといひて、思ふ人を久しく戀慕ひて、あひねまくほしきと云意によせたり。此歌全體の表裏の意篤とは徹し難し。後案を待のみ
後案、此歌の意は衣を思ふ人に比して、橡の衣を看寢まく戀慕ふと云意なるべし。衣の中にも橡は高位の服故、罪科をさへ被v免といへば、ぞの昔より人毎にこひ慕ふとの意迄の事なるべし
 
1312 凡爾吾之念者下服而穢爾師衣乎取而將著八方
おほよそに、われしおもはゞ、したにきて、なれにしきぬを、とりてきんやも
 
凡爾 つねなみに思はゞとの意なり。深切に思へばこそとの義也
穢爾師 あかづきよごれしと云義也
取而將著八方 下に著たる衣を取りて上に著んやと也。深く思ふから、けがれよごれし衣を上には着ると也
表の意は右の通にて聞えたり。下の意ははじめはげすなりし女房なりしか共、官位など昇進しても、やはり本妻にせし如きの意也。若し内の女房などいへるを、本妻にせし時よめる歌ならんかし。此歌も多少不v決。待2後案1也
 
1313 紅之深染之衣下著而上取著者事將成鴨
くれなゐの、こぞめのころも、したにきて、上にとりきば、ことならんかも
 
深染 こははつことも見、またこく染たると云義にこそめとは詠めるならんか
下着而 古の下著は皆赤を用たり。女は衵といひて身近きゝぬとて赤染のきぬを著たり。その赤色の衣を下に着て、又上に取きばと云義也。あこめはあかぞめと云約語也
事將成鴨 異ならん鴨也。赤色の下着を上にとりきば、こと樣にあらんかもと也。下の意は、前の歌の意に同じく、問答の意をかねて詠めると聞えたり。上にとりきばは、はじめ美女なりし女房を、官位などして身高くなりて本妻にせば夫婦の道の事成就せんかもと也。事成とは婚姻の事調たる事をいへる義也。古來の通語也
 
(293)1314 橡解濯衣之恠殊欲服此暮可聞
つるばみの、ときあらひぎぬの、あやしくも、げにきまほしき、このゆふべかも
 
此歌上の句は何の意もなく、上代の一格を上手につゞけたる歌也。その譯は怪もとよめる義を專逸の趣意によみて、その怪しきと云詞に首尾を調へてよくつゞけたる歌也。思ひわびて頻に怪しき迄に、こひしくあはまほしく思ふ下の意を、たゞ衣の著まくほしきと云ことに詠なしたる也
怪くもといふはものゝ別れぬことを云也。そのもゝあやわかぬと云義に、ときあらひぎぬと詠出したる意の連續首尾を考ふべし。つるばみはそめ色のことにて、そのあらひたるきぬなれば、あや目もなく一つになりたるあやと云義をもて、あやしきと云かけたり。綾と云もきぬの縁を離れぬ詞とき洗ひぎぬなれば、これあやわかぬ怪しきものなるを、怪しきといはんとて、何となくつるばみのとき洗ひぎぬとよみ出たる所、古詠の上手の一格と傳ふる也。きまくと云も衣はまきまくといひ、また女をもとめ夫をもとむるをまぐとも云なれば、その詞の縁をもてよめる也。すべて當集の歌、その一首のうち歌の詞の縁ある詞離さず詠める也。古詠を見るにこれ第一の習也。下の意は前にいへる如く、怪しき迄にこひしく思ふと云意也
殊 ことに勝ての義也。とりわきて此夕部思ふ人にあひねまくほしと思ふ下の意を、衣を著まくほしきと云義に喩へたる也
 
1315 橘之島爾之居者河遠不曝縫之吾下衣
たちばなの、しまにしをれば、かはとほみ、さらさでぬひし、あがしたごろも
 
橘之嶋 仙覺抄には伊豫國宇摩郡にありといへり。風土記に此歌ある趣を記せり。風土記を不v見ば此歌一向釋し難し。橘の嶋にあれば河遠きと云義心得難し。抄物等の説の如くにてはいかにとも聞得難し。追而可v考也。後世賢案あらばこれを待のみ。地所も大知河内の内と見ゆれど、風土記を見ざれば決し難し。尤同名異所あるべし
 
寄糸
 
1316 河内女之手染之絲乎絡反片絲爾雖有將絶跡念也
(294)かはちめの、てぞめのいとを、くりかへし、かたいとなれど、たえんとおもへや
 
此歌の意は、かた糸と云迄は何の意もなく、たゞかた糸とつゞけん爲迄に、その縁を離れぬ樣によみたる也。例の當集の一格也。河内女とよめるは、河内にて糸綿などをつむぎ、女工を專として手染をする處故詠出たり。大和の都の時分なれば、まづ近き國なるから、そのわざをする處の地名を詠たる也
河内女 難波女、泊瀬女などいへる類也。これは古は遊女をいひしとも聞えたり。前の橘の嶋河内ならんかと思ふは、此歌を次であげられたるは、すべて撰集の習その國つゞき、同國の歌を多くは並べる事なれば也
片糸爾雖有將絶跡念也 かた糸はあはせぬ糸にてよわき糸と云義也。よわき絲なれ共絶んと思はめやたえられぬと也
おもへや はおもはめや也。例の約言、はめはへ也。我絶んと思はぬとの義也。表はたゞ河内女の手染の糸の事にして、下の意はわれのみ片思ひにしのび/”\に戀慕ふ事の、先にはつらけれど思ひ堪へられぬ忘られぬとの意也。畢竟忘られぬとの意也
 
寄玉
 
1317 海底沈白玉風吹而海者雖荒不取者不止
わたのそこ、しづぐしらたま、かぜふきて、うみはあるとも、とらずばやまじ
 
沈白玉 しづぐとよむこと古語也。此奧の水底爾沈白玉云々とある歌を、濱成和歌式に書のせたるに志津倶と書かれたり。しづぐと云はしづむと云詞也。倶を濁音によむ事習也。濁故む也。これを濁音に讀む語釋の傳を不v知しより、古來も色々の説をそへて云ならはせり。しづぐと云事はしづむと云詞也。上古はかく云てよく通じたり。今の世はその清濁の差別だに知人稀なるから、しづぐとはいか樣なるをいひ、しづむとはケ樣なるをいふなど説をなす事也。しづめる白玉といふ事をしづぐとはいひし也。ぐと云ふ濁音はむ也。むといふはめるといふ言を約したる義故、しづぐもしづむも同事にて、底に沈めるといふ事也。歌の意は表の通よく聞えたり。下の意もたとへいか程の苦勞難儀をする共、思ふ人をなびけしたがへずば止むまじ(295)きとの意也
不取 この二字は貝の珠をとる事につきては、海人の何とぞ用る詞あらんか。然らばその詞を用ゆべし。義訓あるべし。石にとりつきゐるものなれば、それをおこし放ちてとるよし也。然れば何とぞいふ詞あらんか
 
1318 底清沈有玉乎欲見千遍曾告之潜爲白水郎
そこきよし、しづめる玉を、見まくほり、ちたびぞつげし、かづきするあま
 
此歌は前に海神のもたるしら玉見まくほりといふ歌に同じ。別の意なき歌也。のりしは祈りをして海底へかづき入との義、下の意は心をつくして戀慕ふの意をいへり
 
1319 大海之水底照之石著玉齊而將採風莫吹行年
あらうみの、みなそこてらす、あはびだま、いはひてとらん、かぜなふきこそ
 
照之 てらすと讀ませたり。さしすせそ通音故也。下にあはび玉とよめる故、すならでは讀難し。尤通昔ながら之の字すと用たる事集中に多くもなければ、石著玉はしづくにてもあらんか。然らばしと讀むべき事也
石著玉 和名抄云、〔本草云、鮑、一名鰒【和名阿波比】崔禹錫食經云、石決明、食v之目※[目+總の旁]了、亦附v石生、故以名v之。四聲苑云、鰒魚名似v蛤、偏著v石、肉乾可v食〕此食輕の説の如く石に附てあるよし也。底深き海中の石にひつきたるあはびなれば、たやすくはとり難きから、祈りをしいはひなどしてとると也。よりて風吹き海あれなと願ふと也
行年 借訓をもて書きたり。去年今年などいふのこぞにて、義は違たれど訓をかりて也。風な吹きそといふ意也。こねと云點は六ケ敷也
 
1320 水底爾沈白玉誰故心盡而吾不念爾
みなぞこに、しづくしらたま、たがゆゑに、心つくして、わがおもはなくに
 
(296)此歌前にも注せる如く、濱成式に假名書にして載たり。誰故もたがゆゑと書きたれば、その通りのよみ也。今時はたれとよむ。たが故とよみては耳なれぬ樣なれど、古はかくの如く讀みたり。わが故たが故とよめり。歌の意は、たれ故にかく心をつくして水底の白玉をとり得んと、心を盡すべきや。われから心をつくして思ふとの義也。下の意もわが心からかく苦しき思ひをもして人に戀慕ふと也
 
1321 世間常如是耳加結大王白玉之緒絶樂思者
よのなかは、つねかくのみか、すまるべき、白玉のをの、たゆらくおもへば
 
結大王 是をすまるべきとよむ事は、玉をすまるといふ。神代記上卷云〔天照大神天石窟に入り給ひし條に、亦以2手力雄神1立2磐戸之側1而中臣連遠祖天兒屋根命忌部遠祖太玉命堀2天香山之五百箇眞坂樹1而上枝懸2八坂瓊之五百箇|御統《ミスマル》1云々〕此古語ありて此集奧〔中、注欠〕すまるべきとは讀む也。さ讀までは歌の意も不v通。假名付の通のよみにていかにとして歌の意可v通や。且むすぶ君と云歌詞は何程古風體にも句例なき事也。尚奧の歌をもて追而すまるべきと讀める義を注すべし。すまるべきといふ意は、かく戀わびてのみかあらん。かくては世に何とてすまはるべきと云意也。下に、白玉のをのたゆらくおもへばと、命もすでに絶ゆる計に思ふと也。下の意も常にかく計思ひ沈みては、もはや世に住まはるべくもなく、命も絶ゆべく人を戀わぶるとの義を喩へたり。此歌表裏の意しかと聞得難し。結大王の字別訓はあるまじきか
 
萬葉童蒙抄 卷第十八終
 
(297)萬葉童蒙抄 卷第十九
 
1322 伊勢海之白水郎之島津我鰒玉取而後毛可戀之將繁
いせのうみの、あまのしまつが、あはびだま、とりてのちもか、もひのしげらん
 
白水郎之島津 諸抄の説は、伊勢の海人の名をしまつと云へるものありしを詠めると也。鵜を嶋津鳥とも云から、よくかづきする海人故その名を得たるか。日本紀等にも、西國の海人のあはび玉をとりし事など被v載たれば、このしまつと云も海人の名ならんとの事也。右の説心得難し。ああはび玉をとること伊勢のあまに限るべからず。あまの嶋と云地名を詠みたるなるべし。嶋津は嶋人といふに同じくて、あま嶋の人の鰒玉をとりて後と云義なるべし。あまの嶋と云名によりて、海人はかづきして玉をとるもの故、伊勢のあま嶋を詠出たると聞えたり。さなくてはいづれの海の海人も珠はとるべき事なるを、此地名を詠めるは海人といふ名によりて也。是等の格當集の例格ある事也
戀之將繁 普通の假名はこひとあり。諸抄も同前なれど表の意一通の筋不v通。下の意はこひの事なるべし。表の意はあはび玉のこと計に見るべし。こひといふは※[泥/土]の事れば、繁といふ字をしみと讀まば苦しかるまじきか。なれどあはびをとりたるあとの岩には、藻などのしげらんずれば、その意もて詠める表の歌の意と見るから、もひのしげらんとはよめる也。先よせ歌は表の意一通をよみおほせて、下の意を考ふべき也
取而 前にも注せる如く、海人のしわざにつき珠をとる詞あらばそれを用べし。然らば歌の縁語になる義もあらんか。とるとか、かるとか、まくとか云詞あらばそれを用べき義也。まづ字のまゝによみ置也
表の意は、あま嶋のしま人のあはび玉をとりて、その跡にはあはびの付たる岩に藻などのしげらんと詠みて、下の意は一度相見て後愈々戀のしげくやならんと也
 
1323 海之底奧津白玉縁乎無三常如此耳也戀度味試
(298)わたのそこ、おきつしら玉、すべをなみ、つねかくのみや、こひわたりなむ
 
縁乎無三 よしをなみと讀みたれど、此縁の字處によりてよしとも讀みたれ共此義心得難し。とるべき縁つてもなきと云義なれば、すべき樣なきとの義をとりて、玉の縁ある詞をもてすべとは讀む也。玉をすまると云古語あればすべもすまも同音通也。すめすま同じ詞也。よしをなみとよむべき縁の詞無き也。はしをなみとはよまんか。疊などのはしと云詞に此字を用る事古記に證あれば、橋の意にはしとはよみて、下にわたりと云詞もあれば首尾をあらはすべきか。これらは好所にしたがふへし
常如此耳也 この詞集中に多き詞なれど心得難し。處によりて別訓などあるべき事也。こゝもとにかくのみやとも讀まるゝ也。歌の意は海底の白玉をとらまほしけれど、底深き海中の玉なればとるべき便りも無ければ、たゞとこしなへに戀わたるとの意なり。下の意は及びなき人などに思ひをかけつれど、云よるべきよすがのなければ戀わびたるとの義ならん
味試 これはあぢはひこゝろみると云義を、なめ、なむと云義訓によませたり。萬葉書といふはケ樣のこと也。古事記日本紀の例をもてかくの如く義訓に書ける也
 
1324 葦根之懃念而結義之玉緒云者人將解八方
あしのねの、ねもごろおもひて、むすびにし、たまのをといはゞ、ひとゝかむやも
 
あしのねの 下のねもごろと云はん迄の五文字也。この歌の趣向のはじめは、此ねもごろむすぴにしと云へる處を專と詠みたる也。あしの根はこると云て、よくからみあひてこゞしく組あひたるもの故、きはめて葦の根とよみては、ころとよめる例格也。ねもごろ思ひてとは、葦根の如くよくからみあふ如く、深切にとけざる樣に結びしとの意也
結義之 これをむすびてしといふ假名は心得難けれど、これは本は弖の字なりしを誤りて義に書ると見えたり。さればこそ仙覺抄には弖の字に書けり。然ればもと弖の字なりしゆゑ、てといふ假名をかへず付たりと見えたり。然れ共にしとよみても意不v替、詞もやすらかなれば、義の字のまゝによむ也。義の字なればにとよむ也
(299)玉緒云者 ねんごろにむすべる玉の緒といはゞ、誰れ解きはなたんやと也。下の意は深く契りむすべる中といはゞ、中をさく人もあらじとの義にたとへたり
 
1325 白玉乎手者不纒爾匣耳置有之人曾玉令詠流
しらたまを、てにはまかずに、はこにのみ、おけりしひとぞ、たまよばひする
 
手者不纒爾匣耳置 玉は手にまきかざるものなれど、それを手にはまかずにはこにおくとは、此歌次の歌ともに玉賣のことを詠める也。二首の意相合てよく聞ゆる也。たとふる意は、女子などを秘藏しかくしおきたる事に寄せたる也。隱し置き外人に慕はるゝ樣にするは、玉よばひして玉ありと知らしむるの意にたとふる也
玉令詠流 これをたまおぼれすると讀ませたれど、たまおぼれと云詞の例なし。かな付の本には泳の字を書たれど、かな付なき本は詠の字也。詠の字はよばふと讀む字なれば此の意によく叶へり。玉よばひとは死にる人を呼かへす時、聲をたてゝその名を呼ぶ也。その如く玉を賣る人は玉をよばふるゝ故、玉よばひするとはよめり。手にまかず箱に入置てよばふは、人の死て魂のなきによせて、たまよばひともよめる也
 
1326 照左豆我手爾纏古須玉毛欲得其緒者替而吾玉爾將爲
てるさつが、でにまきふるす、たまもがな、そのをばかへで、わがたまにせん
 
照左豆我 これを諸抄にはよきさつをと云ことゝいへり。照はほめたる詞といへり。不v考の説也。さつをといふ事はなべての男子をいふにもあらず。男子の美稱ならばさつをといはず共あるべし。てるとはてらふといふ義にて物を賣ることを云。此集中にもてらさひ行など詠めるにて考へ合すべし。これは玉賣人の事也。すべてものを賣る者の名をてるさつとは云也。さつとはかへつて賤者をいふ詞なるべし。此歌玉賣のことにあらざれば聞えざる也。前の歌とならべあげたるにても、玉賣りのことゝはしるき也。然るをよき男の持ふるしたる女も哉、われに得て改めて持なれんとの歌と、不義非道の意に釋せるは心得難し。まきふるすといふより人の持ふるしたる女をと云あしき意をつけたる説は、歌道の本意をも失ふ説なり。玉賣の(300)持たる玉は隨分よき玉を見せ、玉にもちふるすべければ、そのよき玉をこひのぞむ意を、女などを戀慕ふ意にたとへたる計に見るべし。持ふるすとは緒のことを云たる也。よりてその緒はかへてあが玉にせんとは明るき玉赤玉にの意也。下の意は前の歌の通、親のもとに秘藏しおける娘子の、好女などをこひ願ふの意によそへたる也
 
1327 秋風者繼而莫吹海底奧在玉乎手纏左右二
あきかぜは、つぎてなふきそ、わたのそこ、おきなるたまを、てにまくまでに
 
秋風と詠出でたるは、思ふ中のあきあかるゝ事の心のつくなと云意をこめて也。秋風はわきてあらきもの故、海の底なる玉をとらんには風ふけば海上あるゝ故、取得ること難ければ風吹くなと也
手にまくまでに 下の意は思ふ人を我手に入るゝ迄は、歎き悲みのさはりなく、波風もたゝすことなかれと願ふ意也。表は海底の玉をとる義によせたり
 
寄日本琴
 
1328 伏膝玉之小琴之事無者甚幾許吾將戀也毛
ひざにふす、たまのをごとの、ことなくば、いとかくばかり、わがこひんやも
 
事無者 琴なくば糸掛ばかり戀ひんやもとの意也。琴ある故絲をもかけたく思ふとの意、下の意は世の中妹脊の間に膝にふすと云こともあるから、人を戀慕ひ膝にもふすばかり、なれ親みたき思ひの有と云意によせたり。膝にふすと云事などなくば何とてケ樣にいたく戀ひんやと也。よく聞えたり。逢事などの無くばと云の説あれど、膝にふすことなくばと詠出たる通也琴は膝の上にて引くものから、その縁をもて詠出たり。膝にふすの事第五卷目にても注せり
 
寄弓
 
1329 陸奧之吾田多良眞弓著絲而引者香人之吾乎事將成
(301)みちのくの、あたゝらまゆみ、つるすけて、ひかばかひとの、われをことなさむ
 
陸奧之 かくよみたるは、思ひの深き事にと云仙覺説は入ほかなり。これはたゞ弓の出る所の地名を詠めり
吾田多良 地名也。上古能弓の出る所にして、たらと云はたらの木にても弓を作りたる事と古くいひ傳へたり。梓にて作りたるを梓弓といひ、槻の木にて作れるを槻弓といふ。まゆみの木にてのま弓といふとの説有事也。尤さも有るべし。つき弓とは上弦下弦のなりに似たる故、弓張り月などいふ事有。また弓を七尺五寸に作るも、上十五日の半、下十五日の半を取て、弓長定法七尺五寸とすると云こと也。三日より七日夜迄は半月の形弓に比したり。十六日後は段々缺て、廿日後の七日の間には弓の如くの月のなりをかたどりて、七尺五寸の法を立ると云傳へたり。是も後世の事也。上古弓のたけ極りたる制を不v聞。古は人の力相應に打たる也。又天竺の多羅柴の長七尺五寸なる故、それに形取りて弓のたけも七尺五寸としたりしと云など佛家の附會の説もあり。いづれも取用ひ難し。然れ共たらの木にて作れることは上古の法あるか。此歌もその縁ある故、多良眞弓とはよみて地名ながらそのわけある故、此地名を詠出たると見ゆる也。尤此所より貢献もし、弓を打出すからかく詠めると見る也
引者香 ひかばかと云よみ然るべし
ことなさんは琴になさんとの表の意も聞ゆる也。つるをはけて引かば事にならんと也。下の意は女を引得ば人々のわれを云さわがさんと也
 
1330 南淵之細川山立檀弓束級人二不所知
みなふちの、ほそかは山に、たつまゆみ、つかまくまで、ひとにしらるな
 
此みなふちの細川山を詠出たるは、先此所に弓になるよき檀の木ある處から、此時分弓を打出せる所故詠出たるならん。しかし下に人に知らるなと、深くしのべる意をのべたるは、みな淵にて細川邊の通ひ難き處と云意をこめてか
弓束級 此級の字をまくまでと讀ませたる義しかと辯じ難し。束及糸と云字をもてまくまでと讀めるその義、とくと徹し難(302)けれど、古く讀ませ來リて義も不v可v違故にかく讀置也。まくともと讀むべき意もあり。ともとよみては少意違也。先まくまでと云表の意は、木の成長して弓束をまかるゝ程になる迄、人に知られね、知られなば人のきりとらんずれば、われとりて弓にせんにと云の意にて、まく迄云々とは詠みたり。下の意は、わか手に握り得る迄は、相語らふ事を人にさとられなと示したる意也。男にもし、女にもあれ、弓にたとへたり
南淵細川 大和十市郡にあり。日本紀天武紀〔云、五年夏四月云々、是月勅禁2南淵山細川山1並寞2蒭薪1〕
弓束 和名抄云、〔釋名、弓末曰v※[弓+肅]、中央曰v※[弓+付]、【音撫和名由美都加】〕延喜式云、〔造弓一張料、弭絲二銖、※[弓+付]鹿革一條【圓四寸】文選四子講徳論云、扞弦掌拊、李善注云、鄭玄禮記註曰、拊、弓把也、李周翰曰扞〕
 
寄山
 
1331 磐疊恐山常知管毛吾者戀香同等不有爾
いはだたみ、かしこきやまと、しりつゝも、われはこふるか、ひとならなくに
 
いはだたみかしこき山 高く險難の山を云意にいはだたみと也。かしこきと云冠辭にいはだたみと置たり。いはゝかたきものなれば、かしこきはかたきと云義恐るゝと云意也。然れば岩巖石の重り高き山との事也。その山と知りながら人にてもなきに、その山に入來ると詠みて、下の意は、われに等しからぬ高貴の人に、思ひをかけたる事をたとへたる歌也。ひとにあらなくにと云は、等しからぬ高貴の人と云の意を含みて也。次の歌も同じ意にて兩首引合て意を知るべき也
 
1332 石金之凝木敷山爾入始而山名付染出不勝鴨
いはがねの、こゞしきやまに、いりそめて、やまなつかしみ、いでがてぬかも
 
石金之 岩根のこり敷たるさかしく險難の山と也。石金のこりしけるなど云説有。しひて云べきにあらす。たゞ險難さかしきことを云はんとて、石金之凝木敷山とは詠みたり。そのさかしく恐ろしき山に入て、たやすく出難く山路の險しくさかしきになづみて、出かぬるとの表の意也。裏の意は高貴の畏き人を思ひそめて、かつは恐ろしくかしこけれど、え思ひ止まらずな(303)づみ苦むと云意をたとへたると聞えたり
 
1333 佐保山乎於凡爾見之鹿跡今見者山夏香思母風吹莫勤
さほやまを、おほにみしかど、いま見れば、山なつかしも、かぜ吹なゆめ
 
佐保山 さほ山と詠出たるはすこしの火と云意にて也。下に風をよめるにて知るべし。風にて消ゆると云意をもて詠める歌也。さなくては佐保山と詠み出たる趣意不v立也。諸抄物にはかつて此意を不v辨故、花紅葉の色になづみしなど、句中にあらはれもせぬ事を付添て説をなせり。古詠は左様のことにあらず。一首の句中にて聞ゆる様によめる也
於凡爾 おほよそに也。はじめはさのみ心にそみても見ざれ共、今見れば山景のなつかしければ、風な吹きそ、風にて火の山を消すなつゝしめと示したる表の歌の意也。下の意は、はじめはおろそかなりしか共、なれそみてはなつかしみもいやませば、深切に思ひ入て中を隔つる人もなかれと、さはりなす人などを風に比してたとへ詠める也
 
1334 奧山之於石蘿生恐常思情乎何如裳勢武
おくやまの、いはにこけむし、かしこみと、おもふこゝろを、いかにかもせん
 
上の句は、第六卷驛使葛井連廣成吟詠の歌と全同じく、たゞかしこみと云詞を設ん爲迄の義也。前の歌共の餘意をつゞめたる歌也。當集如v此かれとこれとの意をあはせて聞えさする様に、同類の歌を並べ擧げたる事前々も委しく注せり。畢竟われにひとしからぬ高貴の人を思ひかけて、そのかしこみ思ふ心も又思ひ止難き心も、いかにしてをさめんと、心一つを定めかねて思ひわたる歌也。表の意は、たゞ深山幽玄の山中に岩石立そびえたるに、數年を經たる苔などの生繁りて、物すごきはいとも恐ろしかるべきその心を、いかにしてしづめむとの歌也
 
1335 思勝痛文爲便無玉手次雲飛山仁吾印結
しのびかね、いともすべなみ、たまだすき、うねびのやまに、われぞしめゆふ
 
思勝 印本諸抄には思ひあまりとよめり。且※[月+券の刀が貝]の字を書けり。然れ共※[月+券の刀が貝]の字をあまりとよむ義心得難く、また一本に勝の字(304)を書たれば此本證とすべし。勝の字正本にてもあまりとよまんこと義不v通。かね、がてなど讀める事は集中に數知れず。よりてしのびかねとは讀む也。表の意うねび山の大成をも景色のおゝしくよき山故、わがものとなしたく思ひてその望にたへかねてしめゆふと也。下の意も及びなき高貴の人を、いかにして得んと思ふ心のしのびかね、又高貴の人にていひよりとひよるべき樣なけれど、たゞわがものに領せまほしく、大山に※[片+旁]璽をしめる如く思ひをかけし意にたとへたり
吾印結 われしめむすぶと讀みたれど、しめ結ぶと云詞めづらし。よりてわれぞしめゆふと讀む也
 
寄草
 
1336 冬隱春乃大野乎燒人者燒不足香文吾情熾
ふゆごもり、はるのおほのを、やく人は、やきたらぬかも、わがこゝろやく
 
大野 すべての野をさして詠めるにもあらんか。先は諸抄物には筑前國と注せり。心得難し。大和の内に如何程も大野といふ地名あるべし。地名をさゝば大和の大野と見る也。すでに前後の地名皆大和也。その中へはる/”\の筑前を何とて詠出たらんや
燒人者云々 表の意は春は野を燒くこと今とてもあり。その野をやく事の燒きあかで、わか木までをやくと云義也。吾情と詠めるは、心は木々らと云義によせて、草を燒き飽かで木までを燒くとよみて、下の意はわが思ひにこひこがるゝ人を恨める歌也。此歌、草の義は表に見えね共、大野を燒くと云ものは、春草の爲に燒ものから寄草の部に入れられたり
不足香文 たらぬかもとよめり。俗言に近し。不足と書てあかぬと義訓に讀ませたる歌集中に毎歌也。よりてあかぬと讀むべきか
吾情熾 わが心はわが木々らと云意也。心もこゝらと同じ。燒人とはわが思ひをかけし人にたとへ、その人故にわが思ひの火にこひこがるゝと也
 
1337 葛城乃高間草野早知而標指益乎今悔拭
(305)かつらぎの、たかまのかやの、さゝとりて、しめさゝましを、いまぞくやしき
 
葛城乃高間 大和也。草野、かやとも草とも讀まんか。地名と見ゆる也。かつらぎの高間と云處のかや野なるべし。
早知而 印本諸抄物に皆はやしりてと讀みて、早く領しての義と釋せり。いかに共心得難し。早しりてと云詞も不v宜。又義も聞えがたし。何をはやく知りてと云、表の意不v濟也。これをさゝとりてと讀む義は、かやにもあれ、草にもあれ、ちいさく結びやすき時にしめをもゆはましものを、生しげりて高たけては、中々しめ結ぶことも、しのさゝなどもなり難き故くやしきと云意にて、さゝとりてとは讀む、早はさ也。知而はさとりさとると讀むなれば、篠とりてと云義にて也。下にしめさゝましと詠めるは、上のさゝの縁をもて也。しめゆふと云べきをさゝましと詠めるにて、上をさゝとりてと讀ませたる義と見る世。表の意如v此にて一通の義聞ゆる也。はやしりてと云事にてはいかにも義は不v通也。下の意は人の娘子にもせよ、小子いたいげなる時結びかはして契りおくべきものを、思ひかけし人を人に先だたれてくやしきと云意をよせたるなり。此歌はやしりてとよみては全躰の意不v通也
 
1338 吾屋前爾生土針從心毛不想人之衣爾須良由奈
わかやどに、おふるぬばりの、こゝろにも、おもはぬ人の、きぬにすらゆな
 
吾屋前 此前の字心得難し。集中數十ケの歌に有。所といふ字、※[所の草書]と喜たるを前と誤りたると見ゆる也。歌によりて屋前とありて庭とも讀むべき歌あり。それよりして所前誤りたると見ゆる也。屋前をやどとは讀難し。屋前と書ける歌もあまたあれば、きはめてこれ所の誤字と見る也
土針 和名抄云、〔王孫一名黄孫和名〕沼波利久佐〔此間云2豆知波利1一名〕【定知波利】然ればぬばりと云が本名也。ぬばりは野萩と云義也。上古はのと云詞みな皆ぬと云へり。集中にぬはぎと讀まねばならぬことありて、その野萩と云は今の萩の草の事也。榛の字は木のはぎの事也。然るに木のは實にて染v衣、草萩は直に衣に摺付る也。此差別ある事なれ共、集中には草木通じて野萩の歌にも榛の字用たり。これ訓借にて書たるもの也。土針と書てぬばりと讀むは、土はにと讀む、にはぬなり。よりて義(306)をもて訓借に土針とは書たるもの也。此土針と書てぬばりと讀ませたる事、集中の能き萩榛の差別の證也。玉萩と云もぬばりと云より云ならはしたる歟。これに木の榛の實玉の如くなるものなれば、木萩より云たるものか。尤ほめたるよみかける例もあれば、露の玉はぎなど詠みし也。且木萩にても衣にするとよめる歌有。これも花の時花にてすると見えたり
心毛不想人之衣爾須良由奈 さのみめであえぬ人の衣にはうつりすらるゝなと、表一通は、我宿に咲ける野萩を愛せぬ人の衣などにはうつり染るなと下知したる歌にて、裏の心は我娘子などのありて、なほざりに思ふあだ人などに靡き引かるゝなとしめしたる意也。すらゆなはすらるゝな也。深くもめで思はぬ、うはべなほざりの人などにうつり染むなとの下知の意也
 
1339 鴨頭草丹服色取摺目伴移變色登稱之苦沙
つきぐさに、ころもいろどり、すらめども、うつろふいろと、いふがくるしさ
 
つきぐさとは青花草つゆぐさの事也。鴨頭草と書くこと、あをぐひと云鴨のかしらの色に似たるをもて義訓に讀ませたると見えたり。此歌は女の歌と見えたり。表の意はつき草に衣は染めたけれど、うつろひやすきもの故外へうつらん事の疎ましきとの意にして、下の意は引かたありて靡きよりたきなれど、うつりやすき淺はかなる人と云ひはやされん事の苦しきと也
 
1340 紫絲乎曾吾※[手偏+義]足檜之山橘乎將貫跡念而
むらさきの、いとをぞわれよる、あしひきの、やまたちばなを、ぬかむとおもひて
 
表の意聞えたる通山たち花の實は赤き玉也。それをぬかんとて紫の糸をよると也。下の意、糸をよるは思ひをするの義、山橘を女にして詠める歌也。山橘は草の類也
 
1341 眞殊付越能管原吾不苅人之苅卷惜菅原
まだまつく、をちのすがはら、われからで、ひとのからまく、をしきすがはら
 
眞殊付越能 第二卷に注せり。玉だれのをち野とありしと同所也。大和高市郡にあり。玉を付る緒とつゞきたる義也。をちこちなど云義にはあらず。地名を云たる也。次の歌共皆地名をいへり。表の意聞えたる通也。裏の意は、菅原のいさぎよき(307)清らなるを女にたとへたる歌也
 
1342 山高夕日隱奴淺茅原後見多米爾標結申尾
やまたかみ、ゆふ日かくれぬ、あさぢはら、のちみんために、しめゆはましを
 
山高夕日かくれぬ まだ暮れまじきと思ひし原の、山陰になりて夕日のかくれぬれば、あさぢ原の見えわかぬことをのこり多く思ひて也。夕日かくれぬと詠めるから、あさぢ原と朝夕を對して、あさ日の時にしめをもゆひ置べきにと云意也。夕日隱れて淺茅原のうせたる樣になりたるを歎きて詠める表の意也
後見 これらが古詠の例格、のちは野路と云義也。日暮れてしるべなき野原なる故、暮ざる前に、しるべのしめをゆひ置かましものをと云へる意也。若しこの歌は、妻などの死たる時詠める歌ならんか。淺茅原を詠めるは、なき人のことに詠みあはすこともあれば、夕日かくれなどよめるも心にくき處あり。下の意もしからばその意をもて見るべし。先一通の裏の意は、思ひかけし人のいひもあはさず、いづ方へも行しことを惜みて、とく契りをも結び置ましをと悔めるか
 
1343 事痛者左右將爲乎石代之野邊之下草吾之刈而者
こちたくば、かにかくせんを、いはしろの、のべのしたくさ、かりしかりては
 
事痛者 事いたくば也。ことの甚しくなりたらばと云義にて、草の茂りはびこりたらば、とにもかくにもいか樣にもせんをと云義也
石代 此二字本に替りあり。一本伐の字に作れり。これによりて宗師案は石戍にてあるべしと也。戍はもりとよむ字也。もりにてなくては此歌下の句不v濟義あれ共、古今不番をなさず來れり
下草 この下草と云こと、上に木とか何とぞ無くて、野邊の下草と計にては首尾不v濟。古詠に友樣の不首尾の義は無き事なり。是は石もりと上に詠みたるから、下草ともよめる事を知るべし。その上にかりしかりてはと詠める意も、刈る事のならぬをいへる歌也。刈ることなりて、われ刈らばいか樣とも、何程事いたく繁りはびこりたり共刈りはらはんつれど、神のます森(308)の草なれば、おそれありてすべて刈らざるもの故、刈られぬとの義下の終の句にて知られたり。森とよまでは叶はざると云義は、これらの義によりて也。下の意は思ふ人を我手にだに入たらば、その後はいか樣に云さわがれ、いか樣のさゝはり事あり共、ともかくもせんをと云意也
吾之 集中この詞多し。上代は兎角身の事をかりといひたると見ゆれば、こゝも下のかりてはと詠める縁に、かりしと詠みたるにやあらん。よりてかりしかりてはとよむ也。やつがりと云義にて、兎角かりと讀までは歌の意不v通處多き也
 
一云紅之寫心哉於妹不相將有  或説を古註者記したる迄也。此三句は本文の句よりは劣れるならんか。先は男の歌と見る證には此一説を可v用也
 
1344 眞鳥住卯名手之神社之菅根乎衣爾書付令服兒欲得
まとりすむ、うなでのもりの、すがの根を、きぬにそめ付、きせんこもかな
 
眞鳥住 此眞の字心得難し。魚鳥ならんか。眞鳥と云鳥を何いへるとも無2證明1也。諸抄の説は鵜の一名といひ傳へたり。又鷲のことゝもいへり。説まち/\にして一決し難し。尤上古人名に大伴眞鳥といへるものありしは、鳥の一名とも聞えたり。然れ共何鳥と云考ふべきより處なし。いさなとり、うと云詞あり。又古事記の歌にも、なとりといふ事あれば、鵜の一名をなとりといへるならん。小魚をとりくらふ鳥なればなとりとも名を負たるらんか。此眞の字も魚の誤りと見ば、日本紀、古事記、當集にいさなとり又なとりと詠める、ともに相すむ也。こゝも鵜の一名と見て、うなでの森と詠出たる冠字に置ける五文字と見て濟也。すむとよめるは杜とあるより也。畢竟なとりのうとうけたる詞にて、住は森にかゝれり。うなでの森を詠める意未v遂v案也
卯名手之神社 八雲には美作と注せさせ給へ共、此の歌の次で皆大和なれば心得難し。延喜式和名抄にも美作の國中には不v見。和名抄に高市郡に雲梯と云をあげたり。兎角大和なるべし。日本紀には溝をうなでとよめり。石上溝などと云事あれば若しそのあたりにある森か。菅の根を詠めるも杜に菅根心得難し。尤山にもあれど、兎角すがも水濕の地に生ずるもの也。
(309)此歌の意、表の意すがの根を衣にそめつけとあるは一通聞えたれど、下意はとくと聞えず。宗師案は、貞潔をあやからしめたきとの意ならんと也。表の意は、神社とあるより清らなるものから、その根をとりて根すりの衣と云事もあれば、たゞ何の意もなく、きぬに染つけて著せん女子もかなと詠める也
菅根乎衣爾書付 此すがの根をもて染付んとの義心得難し。しかし古は菅根をもて摺衣にせしと見る也
書付 誤ならん。盡の字じむと云音なれば、じんもしみも同じければそめも同音也。且書の字も筆を染めると云故、その義によりて染と讀ませたるか。此歌全體表の意未v被v得v聞也
 
1345 常不人國山乃秋津野乃垣津幡鴛夢見鴨
つねならぬ、ひとくにやまの、あきつのゝ、かきつばたをし、ゆめに見るかも
 
常不人國山 諸抄の説、人は無常のものなるから常ならぬ人とうけたるとの説也。さもあるべきか。然れ共全體の歌常なき事を詠める歌なれば、その意をはじめに云かけたるもの、先人國山と云はもろこし山といふ意にて、人の國の山、他の國の山と云意にて名づけたる山の名と聞えて、此人國山古はもろこし山と稱せしも知れがたし。古今の歌に、もろこしの芳野の山と詠める歌に付、色々論あることにて説々まち/\なること有。唐に吉野山と云地ありと云説もあれど、宗師案は此人國といふがもろこしのと云義と見ゆる也。我國に對して人の國と書たるは、唐の事を云ひしと見ゆる也。然れば大和の吉野都の内に有地名にて、もろこしの吉野と詠めるも、是人國山のことなるべし。こゝの人國山のあきつのと詠めるは、もろこしと我國の惣名秋津と云を對して詠める、是常ならぬと云五文字にかけて詠めると聞えたり。唐と大和との野に、しかも時ならぬかきつばたを見るとは、常ならぬ事を專とよめる也。かきつばたは春の末夏の初に咲ものなるを、秋津野と詠みて時ならぬと云意をあらはせり。然れば思ひつかず似付ぬ事を詠める全體の歌故、初文字に常ならぬとは詠めるならん。尤常ならぬ人とうけたる所は人は變化ありて常なき世の習ひなるをもて、云かけたるにもあるべけれど、まづは歌の全體にわたりて置たる五文字と聞ゆる也。表の意如v此全體思ひよらず似つかぬ事をよめる歌也。下の意も思ひかけぬ人を見そめて、よしなく戀わぶる歌なるべし。かきつばたを女に比して云へるならん
 
(310)1346 姫押生澤邊之眞田葛原何時鴨絡而我衣將服
をみなへし、おふるさわべの、まくずはら、いつかもくりて、わかきぬにきん
 
をみなへし生る澤邊の 眞葛原の地名を云迄の事にて、女郎花も生ひまじりたる葛原に來て、その葛を刈取りていつか衣には著んと詠みて、下の意は女に思ひかけていつか我妻にせんと云義也。然るに女郎花と詠出たるは、女に思ひかけし事の縁をあらはして也
 
1347 於君似草登見從我※[手偏+票]之野山之淺茅人莫苅根
きみにゝる、くさと見るより、我※[手偏+票]之、野山のあさぢ、ひとなかりそね
 
於君似 女を草にたとへしこと古詠毎歌に有。詩經にも手如2柔※[草がんむり/夷]1など作れり。淺茅の白き穗の出てなよなかなる美しきを女子に似たると云ひたる也
我※[手偏+票]之 第十九卷にも、妹爾似草と見るより吾※[手偏+票]之野邊之山ぶきたれか手をりしと有。宗師案にはわがしめしにてはあるまじく、これはしめ野と云地名を詠みたるなるべし。しめ野と云は大和にあり。しめし野と古今に詠めるもしめ野の誤りならん。しめし野と云所なくしめ野と云はあれば、しめ野をわがしめのゝ野山と詠みたるならんと也。しめ野と云にわがしめたる野と云かけたる也。さなくては野山と廣く詠める處心得難く、又前後の歌皆地名をよめり。わがしめたるしめ野山の淺茅なるまゝ人な刈りそと讀みて、下の意は、われと契りそめし女の外に靡き引れなとの意なり。わがつまとしめ置きし女子なる程に、他人に隨ひそと示したる意をたとへたり
 
1348 三嶋江之玉江之薦乎從標之己我跡曾念雖未苅
みしまえの、玉江のこもを、しめしより、かり我とぞおもふ、いまだからねど
 
三嶋江之玉江 名所二所ながら攝津國也。これを詠出たるは別に意なし。たゞこもの名所なるをみしま江と云に見るの意(311)をこめ、玉江と云に女子の美しきをこめて、薦を女に比してよみ出たる也。表の意は薦の美しきを見て、われ刈とらむと、目じるしをしゝめ置きしから刈りはとらねど、わがものと思ふとの意也。下の意は、思ひかけし女子などに云かはして、未だむかへとらねど我妻と思ふとの意にたとへたり
 
1349 如是爲而也尚哉將老三雪零大荒木野之小竹爾不有九二
かくしてや、なほやおいなん、みゆきふる、おほあらきのゝ、しのにあらなくに
 
如是爲而也 隱してやの意によせて如v此してや也
尚哉將老 年ふりなんと也。下の小竹の埋れはてたけすぎんと也
三雪零 身の年ゆき經るの意によせて也
大荒木野 大和にも山城にも有。然るに此大荒木野と云は、大にあれたる廟社墳墓などのある森野を云と見えて、古來より大あらきの森野の草木は生茂るまゝにして、刈る事など嘗てせぬことに詠なせり。日本紀に墓をあらきと讀ませたり。然ればいづ方にてもあれたる古廟を云たるか。それ故一所に地名定まらざるかと見ゆる也
歌の意は、わが身かく思ひ出もなくいつまでもうもれて年老いはてんや、大あら木野の雪に降しかれて、埋れはつる小竹にては無きにと恨みて、大荒木の野に有る小竹草は刈る人も無く、すさむものもなく、雪霜に降しかれて埋もれはつるその如くにわれも老はてんやと也。下の意は、人を戀慕ふ思ひを忍びつゝみて、いつあらはし知らすることも無く、思ふ人によりあふこともなくて、年老はてんやと歎きたるたとへ也
 
1350 淡海之哉八橋乃小竹乎不造矢而信有得哉戀敷鬼乎
あふみのや、やばせのしのを、やにはかで、しのびはてんや、こひしきものを
 
あふみのや このやの字助語によむ事、日本紀の歌にも見えて古詠の格也。人にあふと云意をこめてあふみを詠出たり
八橋乃 下の矢と云事を詠出る縁、八はしをよめる橋と云もはせも同音也
(312)小竹 しのたけ矢になる竹也。下にしのびたへんとか、はてんとか讀む縁也
不造失 矢につくるをはくと云故義訓によむ也。矢になさでと讀みても同じ意也
信有得哉 これを印本諸抄物等にも、まことありとやと讀ませたり。それより色々の説を付添へて釋せり。まことありとやと云ては、歌詞にては無くたゞ言、物語詞、俗言也。歌と云ものは古詠新詠とても、風体時代は違ふ共左樣にたゞ言をよめるものにては無し。萬葉集を讀誤れるより、萬葉時代は歌詞如v此のものと心得られたるは、歌を不v辯より也。信の字しのとよむ奧州信夫郷の名にても知るべし。これは音を訓にかりて讀む也。信濃も同じ。しんと云音をもて借りて訓の詞に用たる也。こゝもまことありとやと云て、歌の意いかに共不v濟。すでに上に、しのを矢にはかずと詠出たれば、しのにとか、しのびとか讀までは歌の首尾不v叶、意も不v通也。しのにと云、にはび也。濁音のひはに也。にと云ても又びと通ずればしのび共讀む事苦しからず。しのにとよみて同じ。には付詞、てには詞なれ共てには詞を躰字に用ゆること當集あげて數へ難し。しのにはせんやと云て、矢にはかれずしのにて有りはてんやとの意也。戀しきものとは矢になしたきと云意也。有得哉の三字も義訓に讀めり。ありうるなれば、はてんとも云べき義也。またたえんとも讀む。有得の二字なればありえたると云は、ものにたへたるの意堪の字の意也。尤字の如くしのにあれとやとか、しのびてあれとや共讀むべし
歌の意同事也。矢にはかずその儘にてあれとや戀しきにとの意也。表の意は、矢一通の義にして、下の意はあふ事の願ひもとげず、事ならずしてこの儘にわが思ひの忍びはてんやとよせたる歌也
 
1351 月草爾衣者將摺朝露爾所沾而後者徙去反
つきぐさに、ころもはすらん、あさづゆに、ぬれてのゝちは、うつろひぬとも
 
表の意は、ころもに詠なして、裏の意は思ふ人に相なれん、なれ染ての後はたとひいか樣になりなん共と云よせ也。此歌古今集には秋の上にのせられたり。此集を貫之等不v被v考故か。又古今集後人の加入歟。心得難し
 
1352 吾情湯谷絶谷浮蓴邊毛奧毛依勝益士
(313)わがこゝろ、ゆたにたゆたに、うきぬなは、へにもおきにも、よりがたましお
 
ゆたに 一所に處をさし定めずゆらめきたゞよふ義也。たゆたは重詞たは初語也。たゞゆら/\とうかれたゞよふてゐる躰をいひたり
浮蓴 沼、江、水海などにある水草也。一定に不v定うきてあるもの也
奧にも 水の深き處をおきと云。池川共におきと云ものは有。大海に限らざる也
勝ましを たへましを共がてましをとも讀むべし。一方に何かたへなり共よりはたさましを、たゞ蓴のうかれたゞよふてある如くに、我心の定まらぬと也。表は蓴の事に詠みて、下の意はわが物を思ふことの一方ならず、かなたこなたに思ひ亂れていづかたへより付べき方も無く、思ひわきたる方無く、たゞうきたゞよふて居ると云義をたとへたり
 
寄稻
 
1353 石上振之早田者雖不秀繩谷延與守乍將居
いそのかみ、ふるのわさだは、ほでずとも、【なは・しめ】《兩樣好む方にしたがふ》だにはへよ、もりつゝをらん
 
石上振 地名也。きはまりたるふるの冠辭にいそのかみと詠める事也。石上ふるのわさ田と詠めるは、神のみとしろ田と云義也。よりて神田と云しるしにしめをも引はへて、人に刈らさして守らせよ、われ守りをらんと也。下の意は、未だ年若き娘子など遂にはむかへとりて、妻ともせんしるしを定めおけよ。然らば貞節を守りて神田を人に刈らさぬ如く守りゐんとのよせ也。女の歌と見ゆる也。若し男の歌にて穗出ずとも詠めるは、未だこと熟せず共互ひにそれと云かはしてしるしを定め置よ、我もたがへぬ心を守りてゐんとの歌歟
 
寄木
 
1354 白菅之眞野乃榛原心從毛不念君之衣爾摺
(314)しらすげの、まのゝはぎはら、こゝろにも、おもはぬ君が、ころもにすらん
 
白菅眞野 前にも注せる如く所々地名同名あり。こゝは歌のなみ大和津の國の内と見えたり。歌の意は、まのゝ萩原を通りし折から、木草の萩何れにもあれ、多く盛りなるを見て、われはかくめでぬるが、さまでも思はぬ人も此野を行は同じく衣にすりつゝならん、あたら萩原やと思ふ意を表の意に詠なして、下の意は、われはかく深き心に染て思へ共、かく迄も思はぬ人に靡きそみぬらんと、女の歌にて先の心を疑ふたる意をよせたる歌と見る也
 
1355 眞木柱作蘇麻人伊左佐目丹借庵之爲跡造計米八方
まきばしら、つくるそまびと、いさゝめに、かりほのためと、つくりけめやも
 
そま人は 木をつくるもの也
伊左佐目 いさゝかと云意に同じく、かりそめにと云事也。古今集物の名の歌にも詠める詞也。此歌の意、表は仙人の作る木はいさゝか假初の爲につくる柱ならんや。さにては無く宮殿を造立の木に作るとの事也。つくりけめやもは、刈庵の假初あだごとに作にはあらずと云義也。下のよせは、人に語らひよる事、假初の戯れごとにはあらず、彌とけていつまでもかはらじと云かはする義との事をよせたり
 
1356 向峯爾立有桃樹成哉等人曾耳言爲汝情勤
むかつをに、たてるもゝのき、なりぬやと、人ぞ耳言爲、ながこゝろゆめ
 
向峰 むかつをと讀む事日本紀第二十四卷に本づきて也。向へる峰也。峰は尾上とも云也。よりて古語にはをと云へり
桃樹成哉等 實のなりたるやとうかゞふ義をいへり
人曾耳言爲 印本諸抄物共に耳言爲の三字をさゞめくと讀ませたり。或はさゝやくとも讀ませたり。耳にいふと書たれば、私言私語の理に准じてさ讀むまじきにもあらねど、此義訓當れりとも不v聞。桃の樹をもて詠出たる歌の全躰なれば、その木か花かによる縁の詞無くては歌の意不v通也。よりて宗師案は、木か花に縁ある義訓あるべしとの案にて、ねためると讀む也。(315)桃の實のなりたるやと、人々木の根をたわめて見るの意をこめて、かつ下の意は嫉妬の意をこめて也。さゞめくさゝやくと云ひては、表の意も裏の意も不v通也。とても義訓すべくば、歌の全躰の義に叶ふ樣に案をつくべき事也。嫉むことは耳に云理也。うちあらはしては云はぬ事なれば、耳言の義にも可v叶。又人ぞと上によみたれば、ると止めざればてにをはも不v合也。尚別訓あらば可v隨2後案1也
汝情勤 桃をさしていへる也。實なりたるやと人々木をためて試みる程に、傾かざる樣に根を堅固に保ちつゝしめよと云表の意にて、裏の意は、われとかく相語ふことを人知りて妬みあへる程に、深くつゝしみて表にあらはれぬ樣にせよとの意、又は妬みて外よりも引たわむべき方あらん程に、その方に傾くなと云の意とも聞ゆる也
 
1357 足乳根乃母之其業桑尚願者衣爾著常云物乎
たらちねの、はゝのそのなる、桑尚、ねがへばきぬに、なるてふものを
 
其業 園にある也。たらちねの母とは前にも注せる如く極れる冠句也
桑尚 此二宇誤字と見ゆる也。尚の字子と云字なるべし。さなくては歌の意不v通。或抄には子の字脱したりと見る。さもあるべけれど直に誤字と見て、くわこをもとか、桑こしもとか讀みて歌の意通ず可き也
願者 土かひそだつればと云意也。乞願へばと云義をかねて也。くわことは蠶の事にして、母の園に生じたる桑の木も、根に土かひそだつれば、蠶となりてきぬになるものをとの意也。下の歌その意ある故かく詠なせるもの也
著 きるてふと讀ませたれど、定也といふ字義あれば、なるとも讀むべきなれば、桑をきぬきると云義は餘り六ケ敷聞ゆる也。蠶の絲をもて衣に織なして、さて衣にして着ると云義他。それよりはきぬになると云方義安し。つくと讀めばつくる共云ぺければ、なるとよみて義通也
表の意は、母の園にある桑の木も、根に土かひ養ひをしてそだつれば、蠶の食ものとなりて、遂にはきぬとなると云義にして、下の意は、親許に隱しそだてる娘子などを思ひかけて、われにえてしかなと願ふ意にたとへたる也。それ故母の園なると詠み(316)て下の意を含めたる也。畢竟親の元にあり共、思ひかけてこひとらば妻にならんものをと、娘子などに心をかけて詠めるならん
 
1358 波之吉也思吾家乃毛桃本繁花耳開而不成在目八方
はしきやし、わがへのけもゝ、もとしげみ、はなのみさきて、ならざらめやも
 
波之吉也思 は桃をほめたる詞、畢竟下の意女にたとへたれば也。表の意、桃の木の葉しげく茂りて花咲しが、花ばかりにてあるべきや實もなるべきと、木榮え茂りたるを賞美して詠たり。下の意は、思ひかけし女などの、美はしくよき姿にめでゝ、かくよき女の目を慰むる計にてあるべきや、事調てわが家の家童子ともなさんと、女をほめて花のみにて止むべきや、夫婦となりてまことの實をもなさんとたとへたり
 
1359 向岳之若楓木下枝取花待伊間爾嘆鶴鴨
むかつをの、わかゝづらのき、しづえとり、はなまついまに、なげきしつるかも
 
若槻木 葛の木也。和名抄云、〔兼名苑云、楓一名※[木+聶]、爾雅云、有v脂而香、謂2之楓、和名、乎加豆良1、又兼名苑云、桂一名※[木+侵の旁]、和名、女加豆良、又爾雅郭璞注云、樹似2白楊1葉圓、岐有v脂而香、今之楓是也〕此かづら本は正木のかづらの木の事也。同名種類多して、此木の事はいかにとも分ち難し。正木のかづらと云は、蔓のごとくしだりはびこるものにて常磐木也。然るに古今集の歌神樂の歌にある、外山なる正木のかづら色つきにけりと詠める義不審也。和名に女かづらと注せり。桂を男かづらと云へり。この桂は今云、もくせいの木のことか。いづれにもあれ、かづらの木は常磐なるものにて紅葉などはせぬもの也。然るを大かた紅葉の歌にも專と詠來れるは、正木の葉に似たる蔓の木の、しかも紅葉するかづらの木、垣あるひは山中の木などにはひかゝりてあるをいへるか。神代紀にある湯津かづらと云も、杜仲の事にして今世に云ふ所の正木也。此若楓の木もいづれの事とも決し難し。楓と云は葛といふ義、女のかざりにするものから、下の意女に比したる歌なれば、若かづらの木とも詠出たると見えたり。此木の事追而可2考辨1也
(317)下枝 しづえかりとも、した枝かりとも讀むべし。意はたゞ若かづらの枝をかりとりてと云義也
伊間 この伊は助語也。花待つ間也。
嘆鶴鴨 嘆きしつるかもとは、表の意は燒木にしつるかもと云義也。花の咲榮えん若木の枝をあえなくも刈りとりて、薪となしつるかもと云義にて、歎きは悲しみの義也。下の意は若女などの若死などをせしを、歎き悲しみて詠める歌と聞ゆる也。印本諸抄には歎きつるかもと讀たれど、歎きしつると云意なれば、しの文字を入れてよむ也。燒木にしつるかもの義也。すべてなげ木と云は燒木の事を云て、悲しみの歎きの事をよせて讀む也。小女などの生行先花やかに美しからん、その盛の折にはわれ戀よりて妻共頼まむと思ひて、盛の程を待ちし間に、空しくなりたりし事などによせたる歌ならんか。諸抄の説はまだかたなりなる女に契りおきて、盛の程を待ち歎くにたとへたるとの釋也。いづれにかあらん、いまに歎きつると云事抄物の説にては不v濟也
 
寄花
 
1360 氣緒爾念有吾乎山治左能花爾香君之移奴良武
いきのをに、おもへるわれを、やまちさの、はなにかきみが、うつろひぬらむ
 
氣緒爾念有 命にかけて思ふと云義也
山治左 ちさと云詞は、これも前の歌の如く小女の義抔にして詠める歟。山ちさの木と云は、うつろひやすき花の咲木と見えたり。今もあるべけれど不2見覺1也。白き花の咲くものといへり。和名抄云、本草云、賣子木【和名、賀波知佐乃木】此木の事なるべし。此歌は表裏分ち難く、表の意に直ぐに下のたとへの意をのべたる歌也。表の意はまづ山ちさの木の花のうつろひやすきことを詠みて、下の意は人の心のかはりてうつろふと云事を恨みて詠める也。命にかけてわれは思ふに、君は山ちさの花にか《(マヽ)》なか|ひ《ちカ》て、外にうつろひ給ふらんと也。此歌若し小女などの未だ盛りならぬを、盛にもなりなばと命にかけて思ひしに、山ちさの花の如く散やすくて外へうつり行しか、又早死などしたるを歎きて詠めるか。下の意しかとは見え難し
 
(318)1361 墨吉之淺澤小野之垣津幡衣爾摺著將衣日不知毛
すみのえの、あさゞわをのゝ、かきつばた、きぬにすりつけ、きんひしらずも
 
淺澤小野 杜若の名所故詠出たるなるべし。表の意は、かきつばたの花のこきうすき紫の色美しきを、衣にすりつけていつか著んと詠みて、下の意は、思ふ女などをいつかわが手に入て、衣に著卷ぬる如くせんと戀わびたる歌也。かきつばたを女にして詠める也
 
1362 秋去者影毛將爲跡吾蒔之韓藍之花乎誰採家牟
あきさらば、なりにもせんと、わがまきし、からあゐのはなを、たれかつみけん
 
影毛 古本印本諸抄物にも、かげにもと字のまゝに讀たり。かげにもと讀みて歌の義いかにとも不v濟。木などにて夏になりたらば陰にもと讀む義もあるべき歟。草花の影にもと云事いかゞしたる事ならんや。景色にもせんと思ひてと云義に釋せる説あれど無理なる説也。集中に此影と云字をよめる歌に難2心得1歌あり。朝影に我身はなりぬと詠める歌あり。此義もいかにとも不v濟也。諸抄に無理釋をなせれ共うけがひ難き説也。かれこれを考へ合するに、朝影とよめる歌の意も物思ひに痩たる事を詠めり。然ればこの影と云字は物をうつし形取りたる義に通ふなれば、麻影なるべし。麻のなりに痩たると云義にて、影はなりと讀ませたる義なるべし。然らばこゝも業の字の意にて、秋になりたらばなりはひの爲にもせんと蒔きしと云義なるべし。なりはひとはその花をもて、何とぞ家業の助けにもせんと蒔きしと云義也。秋はすべての田畑のものを取收むる時なれば、五穀の類に比して秋さらばとは讀みて、蒔きしとは云たれば、きはめてなりにと讀むべき義訓と見る也。當集の格皆かくの如きの例あまた也。宇義にかゝはる事はかつて無き也
韓藍 第三、第一にもから藍の花と詠みて鷄冠草花と書けり。今けいとう花と云花の事なるべし。尤色々ありて赤白黄の花也。韓國より出たるもの故からの藍と名付たるか。紅色も呉の藍と云義にて、呉國より渡海初めしより名付たるなるべし。きぬなどを染る事もあらんか。藍と云名あれば染物に入るべきものならん。それ故なりにもせんとは詠めるなるべし。下の意(319)は、うない子などの未だわらわべの時、人となりたらば、われに隨ひ妻ともなりねなど云置きし女子の、いつしか外人へとられしを恨みてたとへ詠めると見えたり。影の字の義訓此外に後案もあらばこれを待つのみ
 
1363 春日野爾咲有芽子者片枝者未含有言勿絶行年
かすがのに、ゑみたるはぎは、かたつえは、いまだふゞめり、ことなたえこそ
 
此歌の意は、女子の未だうら若きをつぼめる萩によせて、その女子の母などのよしある人に詠みて遺したる歌と聞ゆる也。表の意は、野萩の咲かゝりたれど、かた枝は未だ紐だにとかぬまゝ、やがて咲出んまで絶えず通ひきてめでよといへる意也。春日野より示したる歌也。裏の意はまだ中々いときなき女子にて、花の紐とく程にもあらず、つぼめる程なれば、盛立て咲なん比までもこと云かはす事を堪へなと頼める意也
 
1364 欲見戀管待之秋芽子者花耳開而不成可毛將有
みまほしく、こひつゝまちし、あきはぎは、はなのみさきて、ならずかもあらん
 
不成可毛將有 實のならずかもあらんと云義也。此歌の意前の歌をうけて贈答に詠める歌故、如v此次第して被v載たりと見ゆる也。つぼめる萩の咲出るを戀待ちしが、まち/\て花は咲たれど、それをだに見ることも心に任せねば、花は咲たれど空しごとにT、實のなることも無からんやと也。裏の意、折角思ひかけし女子の盛は來れど、思ふ事の遂げずやあらんと歎きて、萩の實のならぬことによせたり。此歌たゞ不v成かもといふ處ばかりをせんに詠める也。前の歌の餘意をのべて贈答の意の歌に聞ゆる也
 
1365 吾妹子之屋前之秋芽子自花者實成而許曾戀益家禮
わきもこが、やどのあきはぎ、はなよりも、みになりてこそ、こひまさりけれ
 
花よりも實になりてこそ 表の意花の咲きし時あかずめでしが、それよりも散り過ぎて花を戀めでしよりも慕はるゝとの意にて、裏の意は、事なりて、色々と心づかひ有て、昔は物を思はざりけると云歌の意と同じき意と見るべし。此歌の下の意は諸(320)抄の説色々の見樣有て一決し難し。こひまさると云は、思ひわびることあるを云たる義也。諸抄の説は、心ざしの深くなると云意に釋せる説もあれど心得難し
 
寄鳥
 
1366 明日香川七瀬之不行爾住鳥毛意有社波不立目
あすかゞは、なゝせのよどに、すむとりも、こゝらあるこそ、波たゝざらめ
 
不行爾 義訓によどと讀ませたり。七瀬は川の淀みて瀬の幾瀬も有と云意也。すゞか川八十瀬とさへ詠める意也。よどとは水の淀みたまれる處也。水鳥はそのたまり淀みたる處に居るものなればすむ鳥もと也。此歌の意、諸抄の説いと六ケ敷入ほかに注せり。然れ共古詠さのみ入ほかに詠める事なし。全躰の意は、七瀬の淀に鳥の住めるは、波の立たざる故に住むらめと詠める也
意有社 これを心ありこそと讀ませたれど、さよみては此歌六ケ敷色々と云まわさねば聞え難き也。意はこゝらと讀むべし。こゝろもこゝらも同じ意也。有の字もあると讀むべし。然れば鳥の多くあるは波のたゝざらめと云義也。波のたゝばこゝらの鳥は住むまじきと云意也。これ表の意也。諸抄の説の如くにては、鳥の心ありてこそ波のたゝざらめと云義いかにとも不v通義也。それ故鳥のたちさわぎて波を立たすを、心ありて立騷がぬから、波もたゝざらめと無理押の注解など有。歌は字面にて濟む樣に詠めるものなれば、言葉をそへ加て解せんにはいか樣にも解せらるべけれど、さはなり難き事也。裏の意は、幾瀬もの淀に住む鳥すら、夫婦つがひの心ありてこそ、ならびて立離れず淀みにも住みぬれとよせて詠める也。波たゝざらめといふ裏の意、ならぴたる番ひの鳥の離れ立たぬと云意を詠める也。波と並とを表裏によめる也。表は波、裏は並の意也。譬喩の歌は兎角表の意一通先濟して、さて裏の意とくと聞き得る事也。諸抄の説ども皆差別なき也。此鳥は鴛鳥など云色々の添こと無くては聞えざる註解は正義にあらざる也
 
寄獸
 
(321)1367 三國山木末爾住歴武佐左妣乃此待鳥如吾俟將痩
みくにやま、こずゑにすめる、むさゝびの、小とりまつごと、われまちやせん
 
三國山 攝の國なるべし。〔續〕日本紀云〔延暦四年正月丁酉朔庚戌、遣v使堀2攝津國下梓江鰺生野1通2于三國川1〕此川の水上なるべし。或抄其山知れがたきと細かに注したれど、千餘年以來の今何ぞ可v知や。三國山越前と云説心得がたし。此歌のなみ前後大和也。中に越前をはさむべきにあらず
木末 こずゑ、不來と云義を含めて也
住歴 これをすまふと讀みたれどさは讀まれず。すみへると書きてみへを約してめ也。よりて住めるとは讀む也
むさゝび 前に注せり。詩にも飢※[鼠+吾]と稱して鳥を取食ふことを作れる詩あり。とりを取食ふもの也
此待鳥如 此字ならび心得難し。或抄には、此字あまりたりと注せり。然れ共此まゝにして轉倒と見るべし。待と云字鳥の下に有りしをまがへたるなるべし。むさゝび、なべての鳥をとるには有べからず。小鳥をこそとるなるべし
俟將痩 これを諸抄の説は、むさゝびの小鳥を取得て飢やする如くに、われも痩せんと釋せり。然れ共痩すると云事詠出べき縁上に無ければ、古詠左樣にはしなき事を詠出る事にあらず。これはてにはに讀めるやせん也。痩の字をかきたればとて、人の身の痩する事にはあらず。裏の意は思ふ人の來ることを、われ待やせんと云迄の歌也。木ずゑと詠めるは不來と云義を含みて、こぬ人を待ちやせんと詠める歌也。此歌三國山を詠出たるは何とぞ意あらんか。其意未v考也。何とぞより處あるべき也
 
寄雲
 
1368 石倉之小野從秋津爾發渡雲西裳在哉時乎思將待
いはくらの、をのゆあきつに、たちわたる、くもにしもあれや、ときをしまたむ
 
(322)石倉之小野從云々 此石倉大和なるべし。類字に石倉の小野、山城とあり。同名異所と見るべし。此歌の石倉小野は大和也。暗といふ意をこめて石倉とは詠出たり。下のあきつと云は夜の明けるの意を云たり。此歌横雲の義をよめり。しのゝめの空の雲の立渡ることを詠たり。それ故くらと云詞は夜を云詞、秋津とよめるは、ほの/”\と明行空の雲の立渡ることに云なしたり。小野より秋つ野へ雲の立渡ると云義にして、含みをすゑてかく詞に縁をとりて詠めり。小野より秋津野へ雲の立渡る如く、時の來るを待んとの意也。暗きよりあかくなる時を待たんと詠める也。たゞふまへも無く、時をし待たんと云義は無き事也。夜の暗きも明けなん時を待たんとの表の意也。裏の意も思ひのむすぼほれて、暗くてわく方の無き事も、横雲の空の明行如き時節到來の折あらんと、雲にもあれかしと願ふたる意也。瑞雲などに云説は信用すべからず
 
寄雷
 
1369 天雲近光而響神之見者恐不見者悲毛
あまぐもに、ちかくひかりで、なるかみの、みればかしこく、見ねばかなしも
 
天雲に 雨ふらんとて、夏秋の空には必ずいな光りして、雷の鳴轟くを見る景色恐しきよしに云なせり。見ればは光るを見れば也。恐しきものは必らず又見たきものなれば、見ねば悲しきと表の意も裏の意もかねて詠めり。高貴の人などに思ひかけて、その人を見ればかしこく、見ざれば慕はしく悲しきと也
 
寄雨
 
1370 甚多毛不零雨故庭立水大莫逝人之應知
いたくしも、ふらぬあめから、にはたづみ、あまになゆきそ、ひとのしるべく
 
甚多毛 はなはだもと讀ませたれど、歌詞はよき上にも雅言を求むべきなれば、甚多の二字は、はなはだと讀まじきにもあらねど、いたくとも讀む字なれば、二字合てしの字の助語を入て讀む也
雨故、雨からとは雨なるからと云意也。いたく降らぬ雨なれば、あまりに庭たづみの流るなと、庭たづみに片付けていへる也。(323)わが身を外にとりなして心に示したる歌也
庭立水 和名抄〔唐韻云、潦、音老【和名爾八太豆美】雨水也〕
大莫逝 これを印本諸抄共にいたくなと讀ませたれど、庭たづみいたくとつゞく詞にあらず。大の字いたくと讀む義はありもすべけれど、歌はすべて縁なき詞をはしなく詠む事なし。にはたづみいたくとはつゞかぬ事なれば、縁ありてつゞく詞を詠たらんを、、後人の不都合の假名を付たる事は歎かしき也。水と云詞に縁をうけてあまになとは讀む也。心はあまりになの義也。雨に縁、海士の縁語をもてあまになと義訓に讀む也。大の字なればあまねしともあまりとも讀べし。若し又天の字の上の一點を脱したるも知らず。又はさわになと讀まんか。澤の意也。此歌も下の人の知るべくと云は、表裏を一つに詠たる歌也。表の意すこし聞えがたき歌也。裏の意は人の知るべくと云義はよく聞えたれど、庭たづみのいたくゆくを人知りぬべくと云事不2打着1。何を知りぬべきや。庭たづみのゆくを知りぬべくと云計にては、知りたれば何の難ありて庭たづみの行を戒むるや。その意不v聞也。裏の意は忍びて通ふ妻などのかたへ、させる表立てる用も無きに、あまりに繁くな行きそ、あらはれて人知りぬべしと、心にしめしたる歌也。後案、大の字いたくと讀む事庭たづみの縁無けれど、にはたと云たの詞のうつり有て、上にもいたくしもと詠たれば、詞のうつりに詠める事あまたあれば難あるまじきか
 
1371 久竪之雨爾波不著乎恠毛吾袖者干時無香
ひさかたの、あめにはきぬを、あやしくも、わがころもでは、ひるときなきか
 
歌の意、表はあやしくも袖の濡るゝはいぶかしきと云て、あやしくもと詠めるにてつゞめたる歌也。裏の意は思ひに沈みて涙に濡るゝ袖のいぶせきを云たる也。綾の詞をもてわが衣手とよめるつゞき、歌の上手と云もの也 此歌あやしくといふ處を句中の眼目とよめる古詠例格也
 
寄月
 
1372 三空往月讀壯士夕不去目庭雖見因縁毛無
(324)みそらゆく、つきよみをとこ、よひ/\に、めにはみれども、よるよしもなし
 
月よみをとことよめる事、前にもかつら男などとも、月人男とも云て皆月の異名也。此歌月を思ふ人に比して詠める也。夜々に月の光は見れど、空中にあればより近づくことの無きと詠みて、眞近く相見る人をこひ思へど、さはり憚る事ありて相逢事のなり難きによせたる也
 
1373 春日山山高有良之石上菅根將見爾月待難
かすがやま、やまたかゝらし、いはのへの、菅根將見爾、つきまちがたみ
 
石上 いはのへとはいはが根のほとり也。すが根と詠める表の意は、月のさやかに照らす清らなる管の根までもあらはれ見んをと、月を待てども春日山の高くあるから、月の出來る事の遲くて待かねるは山の高からしと也。山の高故とは詠まで、高くあるらしと思ひやりて詠める意、上代の風躰歌の情也。ケ樣の處を決せずに詠める處作者の心々也。畢竟菅の根見むと云處を專と詠める歌にて、下の意も菅の根見むといふ所に意味をこめたる也。寢見むと云意也。山路を越來る人の遲くて待かねる意を、月によせて月を人にして詠める也
 
1374 闇夜者辛苦物乎何時跡吾待月毛早毛照奴賀
やみのよは、くるしきものを、いつしかと、あがまつゝきも、はやもてらぬか
 
何時跡 暗なれば苦しきもの故、早くも月の出よかしと待て、いつか月の出ぬらんと戀わびたる意也
吾待月毛 あが待つ也。明をまつと云意をこめて也。月もと云にて人を待の意自づからあらはれたり。下の意、前の歌の意と同じく、來る人を月にして待わびるの意をよせたり
 
1375 朝霜之消安命爲誰千歳毛欲得跡吾念莫國
あさじもの、けやすきいのち、たがために、ちとせもがなと、わがおもはなくに
 
爲誰 誰が爲に命長かれと願ふべきや。そなたの爲にこそ消えやすき命をも、消えざるやうに長くあれかしと祈り願ふとの(325)義也。此歌古注者は譬へ歌にあらざる樣に注したり。いかにも月によせたる意は聞えねど、朝霜に譬へたる歌と聞ゆる也。わが思はなくにと云を、たが爲にと云ふにかけて見るべし。外人の爲に願ふべきや。そなたの爲にこそと詠める也
 
右一首者不有譬喩歌類也但闇夜歌人所心之故並作此歌因以此歌載於此次
 
これ古注者の注解也。闇の夜の歌の作者の思ふ處をあらはしたるとの義也。譬へ歌の類にはあらねど、同作者故次にのするとの義也。所心とは、思ふとも、思ひとも讀む也。此注の趣は撰者の注の樣に見ゆれ共、兎角左注は悉く後人の注なり。此朝霜の歌も本集にありしや、後人の添へ加たるや難v計。寄月と云歌にて無く、寄霜と云標題落脱したらんか。それよりして古注者此注を加へたるかと見ゆる也
 
寄赤土
 
1376 山跡之宇陀乃眞赤土左丹著者曾許裳香人之我乎言將成
やまとの、うだのまはにの、さにつかば、そこもかひとの、あれをことなさん
 
宇陀乃 赤き士の繪具抔になる名物の所故、歌を詠出たるなるべし
左丹著 さにつかばとしいふは、さは初語ながらすこしと云意をこめて也。下の意はさねつく也。つくと云詞を設て也。先表の意は赤き土の少にてもわが身につきたらば、それをも人の何とか云なさんと也。下の意はまはにの色によせて、少にてもねつきたる事の色に出ば人の云騷がさんと也
 
寄神
 
1377 木綿懸而祭三諸乃神佐備而齋爾波不在人目多見許曾
ゆふかけて、まつるみもりの、かみさびて、いむにはあらず、ひとめおほみこそ
 
木綿かけて 夕かけての意をよせて、神を祭るは白晝には恐れありて、火をも治して安鎭し奉るの意、夜ならでは人目多く見(326)奉る事を憚りて、|あらはあさまになき爲《本ノマヽ》、夜かけて祭ると云義をこめて、ゆふかけて祭るとは詠出たり
神佐備而 物ふりて神のます如くなると云義を神さびと也。すべてものふりたることを神さびとは云て、下の意思ひふるして忌嫌ふにはあらぬとの義也。此れはいむにはと云はん迄の事也
齋爾波 この詞を專と詠める也。忌みきらふにはあらねど、人目のしげくて心に任せざれば、睦まじからぬことがちにて、寄あふ事など無きことに寄せ譬へたり
許曾 こそと止たるも祭る御室と云縁によりて也。社といふ字をこそとよむ義と同じく、神を祭鎭たる所は杜也
 
1378 木綿懸而齋此神社可超所念可毛戀之繁爾
ゆふかけて【いめるいはふ】このもり、可超、おもほゆるかも、こひのしげきに
 
齋此神社 いみしやしろと讀ませたれど、此字助語のしに用たること集中不v覺。且神社の二字やしろと讀む義心得難し。神を祭りし所上代は皆森とならではいはず。よりて神社の二字を義訓にもりと讀みて、集中に其例あまた也。前の歌の三諸もみもり也
可超 此二字こえぬべくと讀ませたり。森をこゆると云義不v濟。下にしげきにと云詞もあればこれも別訓あるべし。いがき抔ならばこゆるとも云べし。森にもやしろにもあれ、こえぬべしとは讀難きなり。よりて先わけつべくとは讀む也。おもほゆるとよみて火と云詞もあれば、わけつと讀むべき事一理なきにもあらず。然れ共決したる訓とも不v被v定。又別訓あらんか
戀之 此詞表の意未v濟。表裏をこめて詠める歌と見る也
繁爾 もりと讀たれば木のしげりたる意也。神のます森なれば草木茂るべき事明也。表の意少不v聞也。裏の意は、思ひあまり、戀わびて、通ひ難き神のます森をも厭はず、境をも破りて戀路を通さんとの意也。神のい垣も超えぬべしと詠めると同じ意の歌也
 
(327)寄河
 
1379 不絶逝明日香川之不逝有者故霜有如人之見國
たえずゆく、あすかのかはの、よどめるは、ゆゑしもあるごと、ひとのみらくに
 
不逝有者 よどめらばと讀ませたり。未來の意也。よどめるはと讀むは當然現在の意也。らとるにて意違也。好む處に隨ふべし。歌の意、表裏相かねたる歌也。逢事のと絶えたるは、わが心に替ることもありてかと思ふらんと也。この人と詠めるはすべての人をさしていへるならん。相手の人のことには限るべからず
 
1380 明日香川湍湍爾玉藻者雖生有四賀良美有者靡不相
あすかゞは、せゞにたまもは、おひたれど、しがらみあれば、なびきもあはず
 
表の意 聞えたる通玉藻をもて詠みたり。裏の意も玉藻を女にして詠める歌也。思ひかけし女子はあれど、さはりありて靡きよることのなり難きを歎きて、男子の詠める歌と聞ゆる也
 
1381 廣瀬川袖衝許淺乎也心深目手吾念有良武
ひろせがは、そでつくばかり、あさきをや、こゝろふかめで、わがもへるらん
 
表の意聞えたる如く、川の淺きをわれは深きと思へると也。裏の意は先にはさのみ思ひもせまじきに、われは深くも思ひ入にてあらんと也。思へるらんとは先には淺く思ふらんと云意也
 
1382 泊瀬川流水沫之絶者許曾吾念心不逐登思齒目
はつせがは、ながるみなわの、たえばこそ、わがもふこゝろ、とげずとおもはめ
 
此歌も表裏相まじへて詠める也。表の意わけては聞難し。裏の意は泊瀬川の水の泡の流れ絶えずば、わが思ふことの遂げず(328)ばあるまじきとの意也。流れの絶えたらば思ひの叶はぬ事もあるべし。流の絶えぬからは遂には思ふ事を爲し遂げずばおくまじきと也。泊瀬川を詠出たるも、ことを果さずばあるまじきと云意をこめて也
 
1383 名毛伎世婆人可知見山川之瀧情乎塞敢而有鴨
なげきせば、ひとしりぬべみ、やまかはの、たぎちごころを、せかへたるかも
 
名毛伎世婆云々 下に山川を詠みしは、山川は深山より木をきりて流す也。此なげきと詠めるも川にきり流し出すの意にいひたり。下の意は歎の意也。忍ぶ思ひをあらはさじとつゝむ義を詠たる歌也。色にあらはす有樣に、物思ひわびる躰をせば人知らんと也。山川も木をきりて流したらんには、流れ出て人知るべき也。下のたぎち心と詠めるは木々ら也。木の多く流れ出たらばたぎり流るゝ山川も、木にせかれあえんと也。表の意如v此也。裏の意は戀わびて歎きたらば、表はれて人知るべければ、競ひつのりてたぎるばかりに思ふことをも、山川の木にせきあへられたる如くせきとめて、忍びつゝしめると云義にたとへたる也
塞敢而有鴨 せきあへてあるかもと云義也。きあの約か也。又てあの約た也。よりてせかへたるかもと讀めり。此約言は知りたる歟、如v此假名をつけし也
 
1384 水隱爾氣衝餘早川之瀬者立友人二將言八方
みごもりに、いきつきあまり、はやかはの、せにはたつとも、ひとにつげめやも
 
水隱爾 水中に入る義也。水中に入てためたる息をつくは苦しきもの也。其あまりに又早く流るゝたぎりたる瀬にたつは、苦しき事の至極也。その苦しきを凌ぐ共人に付めやも、身は流れ沈む共、外人には付從はじと也。此歌は貞節を守りたる歌也。言の字若し告の字の誤ならんか。云はめやもと云よみは表裏の意通じ難し。つげつぐると云義にてあらざれば下の意も濟難し。言の字にてもつげめと義訓によむべき也。表の意は流るゝ共人に取付めやもと云義にして、下の意は、人に從はめや、外へは從はじと云意也。貞節を守る歌と見て人の教ともなすべし。尤も忍ぶ中の事を告んや、姙身などして苦しむ共、あらはして(329)は人に云まじきなど云意をよせたるとも見るべけれど、歌は此方の見解によるなれば、人の教えとなる躰に見たきもの也。あしく見なさんより能き筋にみる事作者の本意ならんかし
 
寄埋木
 
1385 眞※[金+施の旁]持弓削河原之埋木之不可顯事爾不有君
まかなもち、ゆげのかはらの、うもれぎの、うもれはつべき、ことにあらなくに
 
眞※[金+施の旁] まは初語也。かなはかんなの事也。かんなをもて削る弓と云義にうけたる也。弓けづる河原とうけて、埋れ木の題にこの弓削の河原を詠出たること至極の歌也。まかなもちと詠出て、その削る縁に弓げとよめる處能々案じ出たるもの也。他の河原にては埋木の詮不v立。弓になるべき木の埋れて有と云を趣向によみて、埋れ果つべきことには無きとよせて詠める也。表の意、弓にもなるべき木の埋れ果つべき事はなき、終にはあらはれ出て弓にも削り可v被v用物をとの意にて、裏の意は思ひの埋れ果つべきや。かくては果てまじきことなるにと、埋れあるを下に歎ける歌也
※[金+施の旁] 此字和名抄に出所不詳と記せり。新撰萬葉にも此字かなと書れたり。和名の趣は短刀と注せり。和名抄云、〔唐韻云、〓【音斯、和名賀奈。辨色立成用曲刀二字。新撰萬葉集用※[金+施の旁]字。今案※[金+施の旁]字所出未詳、但唐韻有※[金+施の旁]、視遮反、一音夷、短矛名也。可爲工具之義未詳】平木器也〕當集新撰萬葉にもかなと讀せたること不審也。もしくは〓※[金+施の旁]音近き故通じてかんなと云に用たるか。飽の字歟。平木器なれば誤りて※[金+施の旁]の字を用たるか。短刀を注せるに平木器と云注不v合也。然れば鉋の字の誤りとも見ゆる也。能似たる字にて誤りやすき字也
不可顯 あらはるまじきと讀ませたれど、詞のうつりをもて義訓にはよむ。當集の字格如v此多し
 
寄海
 
1386 大船爾眞梶繁貫水手出去之奧將深潮者干去友
おほふねに、まかぢしゝぬき、こぎでにし、おきはふかけむ、しほはひぬとも
 
ふかけん は深からんとの意也。表の意聞えたる通にて、たゞ大船をこぎ出たる海なれば、奧は何程干潮の折にても深からん(330)と也。裏の意はかく思ひに入そめしからは、先には潮の于たる磯などの樣にあり共、われは思ふ事のいやましに深くあらんとよせたる也。潮はひぬともは、先の心は淺く共われは深からんとの意なるべし
 
1387 伏超從去益物乎間守爾所打沾浪不敷爲而
ふしごえに、ゆかましものを、あまもりに、うちぬらされぬ、なみならずして
 
伏超從 仙覺抄をはじめとして富士越の説を立て、昔は富士山と葦高山の中を通り、海邊を通る道は波荒くてその隙を考へて通ひし故、その道を行きしから、ひまもりと云波にぬれたると云の説也。いかにとも信用し難し。その條々、此歌のなみ東國の歌一首もなし。前後大和津の國紀伊近江迄也。然るにはる/”\駿河の富士越をよめる歌を載たること、心得難き也。寄海之歌なるに海の名、詞の内にも不v見事一ツ、第一の不審也。紀伊津國和泉の内に、ふしぶせの海と云地名抔を詠めるにやあらんと思ふ事一ツ。浪不數を、なみかぞへずしてと讀める義、詞の雅俗を不v辯義全く歌詞に無き詞也。此不審の事一ツ。歌の意いかに共聞得難き一ツ。右の條々によりて此歌諸抄の説いかにとも信用し難し。然れば此五文字何とぞ別訓あるべし。表の意いかにとも聞おほせ難し。富士ごしとか、ふせごしとか詠まん事も決し難し。裏の意は、富士ごしにといへる意、思ふ人のもとへふしに行かましものを、雨もりて並ならず我身の濡れけると悔める歌にて、行くべき方へ不v往して、思ひの涙になみならずぬれひたりたると寄せたる歌也。表の意は、内に居たる故守りて浪にあらでぬれたるとの義也。然ればふしごえは海路と見て、船にて行かばとく先へ行着て雨に濡れまじきをと云意ならんか。富士ごしを海路にて、船にてゆく道の所と見ざれば全體の歌の意不v濟也。此歌尚後案あるべし。愚意未v決
 
1388 石灑岸之浦廻爾縁浪邊爾來依者香言之將繁
いはそゝぐ、きしのうらわに、よするなみ、へにきよればか、ことのしげけむ
 
岸之うらわ いづみの地名なるべし。岸のわたと云あり。岸和田はきしの海也。うみはわた也
此歌は木の海邊によれると云事を表に詠みて、裏の意は女により合たらば、事繁く云さわがされんとよせたる歌也。來よれば(331)かの、きは木のことにいひ、言のしげけんもよりたる木のしるきと云意也。邊爾は女に也。いはそゝぐ岸のうらわ、よき詞つゞき也。浪にて岩をそゝぐ岸と云意也
 
1389 磯之浦爾來依白浪反乍過不勝者雉爾絶多倍
いそのうらに、來よるしらなみ、かへしつゝ、すぎがてぬれば、きしにたゆたへ
 
磯の浦 紀州なるべし。地名にて有まじきとの説は非也。決て地名なるべし。いその浦を詠出たるは、思ふ人の心強くかたきによせて、靡き難くつれなきことを含めるならん
此歌も例の古詠の一格、たゞかへしつゝと云より下を詠める歌也。そのかへしつゝと云迄につゞけん爲の上也。表の意は磯の海による波の、立かへし/\よせくる故、そこを通りかねてたゆみてためらひ居ると云義也。たゆたへと云もたゆたふと云義也。下知したる詞にあらず。はふは通音にてたゆたへと云て、たゞよひ、さまよふて居る意也。裏の意は、忍ぶ人の方へ通ひ行ども、あはでつれなく返しつればかへり過もえせで、ためらひて居ると云義によせたり。過がてぬれば、歸りかねぬればといふ意也
 
1390 淡海之海浪恐登風守年者也將經去※[手偏+旁]者無二
あふみのうみ、なみかしこしと、かぜまもり、としはやへなむ、こぐとはなしに
 
風守 は風立海の荒るゝをやめてためらふの事也。年者也、はやは歎息の詞前にも注せり。此卷の奧に有
將經去 へいぬらん也。表の意、風を待船待の事に年のふるとは、夥敷こと/”\敷樣なれど、かやうの處よせ歌の風體也。裏の意、思ひかけし人にあふ事の恐れる事ありてなり難き醉故、事とけやらで年月をふることの歎きたるによせたる也
 
1391 朝奈藝爾來依白浪欲見吾雖爲風許曾不令依
あさなぎに、きよるしらなみ、みまくほり、われはすれども、かぜこそよせね
 
表の意 聞えたる通也。裏の意、白波を女にしたる歌也。親みよりあひたけれど、さはり有て相見る事だになり難く、心に任(332)せぬ義をよせたり
 
寄浦沙
 
1392 紫之名高浦之愛子地袖耳觸而不寐香將成
むらさきの、なだかのうらの、まなこちに、そでのみふれて、いねずかならん
 
紫之名高浦 紀州か遠江か不v決。同名異所幾許もあれば一概に云がたし。此の歌の次第ども大方近國なれば、この歌は紀州ならんか。名高とつゞけたる意は、紀州ならば紫の色は名高き高位高宮ならでは允されず、着事不v成衣服の色故、名高とはつゞけたるならん。遠江なれば紫の名物今にしも實に名高き所也。これは紫の名物から名高の浦ともよめるならん。まづは名高の浦は二所にあると見るべし。尤むらさきは色の上にして女に比するものなれば、その緑をもて詠出たるとも聞えたり。紫の服色の制の事は、日本紀天武紀云、〔十四年秋七月乙巳朔庚午、初定2明位已下進位已上之朝服色1【中略】正位者深紫、直位淺紫云々
愛子地 和名抄云、〔繊沙。日本紀私記云〕萬奈古。沙をまなこと云也。これも賞美したる詞也。美しく清らなると云意にまなことは云へるならん。人の子のこともまなこといへり。これもうつくしみ思ふ意から云たる也。こゝもその意にて女に比していへる也。子は女の通稱砂子の子を通じて也。表の意は美しき紫色の清らなる砂子の處に行きしが、あかず美しけれどそこには寢ん事はなり難からんなれば、宿りもせまほしと思ふとの意にて、下の意は、美しき女子によりそひて袖などはふれても、實に相あふことはならず果てんやと歎きてよめる意によせたり
 
1393 豐國之間之濱邊之愛子地眞直之有者何如將嘆
とよくにの、きくのはまべの、まなこぢの、まなをにしあらば、なにかなげかむ
 
豐國 豐前なるべし
間之 聞の字の誤り也。此集中十二卷十六卷にもきくの濱をよめる皆豐國と有。令義解、規矩郷と書り。和名抄〔國郡部に豐(333)前國企救郡とあり〕
言葉を聞くと云意によせたるなるべし。きくの濱の無2曲隈1すぐ道ならば勞あるまじきを、何とぞ曲りめぐれる濱邊なるか。表の意はその意に聞えて、裏の意は、先の言の葉の聞きし如くたがはず直からば、疑ひ恨むこともあるまじく、歎き無からんとの意也。まなこを女子にたとへたる也。その女子のいへる言葉の、聞きし如く素直にしあらば歎かじと也
 
寄藻
 
1394 鹽滿者入流磯之草有哉見良久少戀良久乃太寸
しほみてば、かくるゝいその、くさなれや、みらくすくなく、こふらくのおほき
 
入流 いりぬるとよませたり。海に入ぬるの義なればむつかしくもやあらん。かくるゝと義訓せば潮みちては磯はかくるゝなれば也。好所にまかす也
草なれや 潮にかくるゝ磯の草なれば藻と云義也。磯のかくれて海となりたれば、見ること少く戀の多くますと也。戀はどろを云たる表の意也。下の意は戀慕ひし人の故ありて遠ざかり隔たりて、見る事だにならずて、いと戀しさの増りたると云義をよせたり。たゞ安く聞えたる歌を、袖中抄等にも色々と説をなして六ケ敷注せり。古詠左樣にいりほかの意はなき事也。
良久の二字は助語てには詞也。このらくの詞をとりて、定家爲家詠まれたる歌三首あり。追而可v考也
 
1395 奧浪依流荒磯之名告藻者心中爾疾跡成有
おきつなみ、よするあらその、なのりそは、こゝらのうらに、やまとなりたり
 
心中爾疾跡成有 印本諸抄共に、心の中にとくとなりぬると讀ませたり。さ讀みて歌の意いかに通ずべきや。とくとなると云詞歌詞にあらず。たゞごとにして然も歌の意まはり遠く、早くなのれと急ぐ心など云ふ説、いかにとも聞えぬ注也。此歌表の意は沖つ浪のよする荒磯故、よせくる毎に名のりその寄來て、そのあたりの浦の磯はひたもの/\重りて、山ともなる如くになのりそとよりたると云義也。心と云字こゝらとよむは、ろとらと同音にて多きと云義也。そのあたり多き浦の山共なる(334)程に、なのりそのよりたると也。中と云も浦と云も同じき裏の字、うらとも、うちともよむ故通じて此集には書けり。然れば浦と云意によむ也。疾はやみとも、やまひともよむ字、よりて山と云義にかりて書たる也。如v此よみて表の意一通よく聞えたれば當家の流にかく讀む也。外によろしき讀解樣別訓もあらば待2後案1也。裏の意は、わがこひしのぶ人は誰れとなのらじとつゝみ忍ぶことの、心の中にはさま/”\の思ひとなりて、やまひとなりたるとの意也。心にはやまひとなりたると云よせに、表は山となりたると詠みし也。又はそなたに思ひかけしとなのり出んことを、しのぶ思ひのつもりて、下にのみこがれて病となりたるとの意歟。早く名のれと急ぐとの意は表裏とも聞え難し
 
1396 紫之名高浦乃名告藻之於礒將靡時待吾乎
むらさきの、なだかのうらの、なのりその、いそになびかむ、ときまつわれを
 
紫之名高涌 前に注せり。いづれとも決し難き地名也。名高の浦の名物故なのりそを詠めるならん。尤名高と云より名のりそと詠めるならん。前の歌の餘意をうけて詠める同人の作なるべし。表の意は名物の名のりそのよるを待つと云迄の義也。裏の意も名のりそに女を比して、なびきよる時を待つわれと云義也
吾乎 これをわれをと讀むは古詠の格也。語あまりと云はケ樣の所也。がりをと讀んでも義通ずる藻を刈る男と云義にも見ゆれど、古點にも吾をと讀みたれば、古詠の風體に詞のあまりと見るべし。今時の風體にてはわれかと讀むべき樣なれど、時代の風體不v合也。前の歌の餘意とは、前の歌なのらぬことの思ひの山となると詠めれば、これはなのる事の時を待つわれとよめる歌なれば也
 
1397 荒磯超浪者恐然爲蟹海之玉藻之憎者不有手
ありそこす、なみぞかしこし、しかすがに、うみのたまもの、にくゝはあらずで
 
浪者 なみはと讀ませたれど、はとよみては外に又かしこきものある樣聞ゆれば、こゝは浪に決したる歌なればなみぞと讀むべき也。ぞと云は決したる詞、者也の二字は決定の言葉に用る字也。それ故集中にぞと讀まねばならぬ歌多し。古人はぞと(335)用たるを後人は不v覺故、其義を不v辨、はとならてば不v續樣に心得て、假名を一倫に、はと計り付たり。はとも、もとも、をとも讀む義あることをわかざる故也。ぞとよむ時はかしこしと讀むべし。なみはと讀まばかしこみと讀むてには也。
しかすがに さすがに也。波はかしこけれどさすがに玉藻のよるは慕はしきと也。玉もをほめたる意にさすがとも詠めり
憎者不有手 にくゝくはあらずてとは、きらはしくは無けれど、あらき波のよする事のかしこき故、より來る玉藻をもえ刈りとらぬとの表の意也。裏の意は、貴人などに思ひかけしかど、流石にかしこければ、思ふことをえ果さぬ意なるべし。若し又親など制して守る人などありて、恐れてえあふ事もせぬことによせたるか。一本不有手の手を乎に作りたり。この方然るべからんか
 
寄船
 
1398 神樂聲浪之四賀津之浦能船乘爾乘西意常不所忘
さゞ浪の、しかつの浦の、ふなのりに、のりにしこゝろ、つねわすられず
 
此歌も下のゝりにLと云はん爲迄の序也。表の意、たゞ船のりして面白くも危きこともありし時のことの忘られぬと詠みて裏の意、戀わびしことのなり調ひし心を忘れず喜ぶの意也。戀々し中のなり調ひしことの嬉しさは忘られぬとの意なるべし。すべて此のりしと云こと集中あたま有。皆ことの調ひ成就したる事を云へる言葉也。これはのりはなりと云言と聞ゆるに、妹が心にのりにけるかもなど詠める歌いくらもありて、すみ難き詞なれど、なり調ふたることをのりとはいへるならん
 
1399 百傳八十之島廻乎※[手偏+旁]船爾乘西情忘不得裳
もゝづたふ、八そのしまわを、こぐふねに、のりにしこゝろ、わすれかねつも
 
前の意、意詞少違たる迄にて同意也
 
1400 嶋傳足速乃小舟風守年者也經南相常齒無二
しまづたふ、あしはやのをぶね、かぜまもり、としはやへなむ、みるとはなしに
 
(336)あしはやのをぶね 集中にある詞也。船の疾く輕く走る船を云也
相常齒無二 みるとはなしと詠むべし。見るは海に縁ある詞、その上表の意も、あふと讀みて少叶ひ難し。裏の意はあふ事にも見るべし。前、の、淡海の海波をかしこみの歌と同意也。こぐとはなしにを、相とはなしにと替たる迄の義にて、意は同事也
 
1401 水霧相興津小島爾風乎疾見船縁金都心者念杼
みなぎらふ、おきつをじまに、かぜをいたみ、ふねよせかねつ、こゝろほおもへど
 
水霧相 日本紀齊明紀にある御製の詞也。みなぎると云て、風にて浪立さわぎて海のあるゝ義を云へる也。よりて風をいたみとありて、風のはげしく浪の立あるゝ義を云たる義也。それ故小嶋に舟をよせかねつと也。心には何程よせんと思へども、風はげしく浪けぶりなど云もの立ち、よせられぬと云ひて、裏の意も、さはりありて思ふ人によりあふ事の叶はぬに譬へたり
 
1402 殊故者奧從酒甞湊自邊著經時爾可放鬼香
ことさけば、おきにさけなめ、みなとより、へつかふときに、さくべきものか
 
殊放者 言放は也。船中にて忌む事をさけば、奧中にてこそ忌避くべきに、もはや邊につき湊に入たる時に避べきことにもあらずと云義也。然るを古人色々の六ケ敷説共を注せられたり。悉難2信用1。中言など云事にも注したる説あり。詞をそへて注せばいか樣の事も云はるべし。たゞ歌は字面にてよく聞えたるものなれば、いりほかに云べからす。裏の意も、忌避けて別るべき事などあらば、始めにこそあるべけれ、も早やかく女にむろつかふ時に及びて、互ひに恨みかこつべき事のあるべきか、聊かあらじと云意なるべし。邊つかふとは夫婦などになりたる時の事によせたりと聞ゆる也
 
旋顔歌 これはたゞ寄歌にもあらずよめる歌か。たゞしよせ歌の旋頭歌ならんか。歌の意はいか樣にもたゝへらるべき也
 
1403 三幣帛取神之祝我鎭齊杉原燎木伐殆之國手斧所取奴
みぬさとり、みわのほ|ゝ《(マヽ)》りが、いはふすぎはら、たきゞこり、ほと/\すごく、たをのとられぬ
 
神之祝 みわのほゝりと讀ませたり。かみのとよみても同じからんづれど、下に杉原と詠めるにて三輪とよむ也。その上み(337)わの祠官の本來祝也。日本紀に見えたり。太田々根子命祝となりたるを始とすれば也。ぬさを奉りていはひまつる神の森をさして杉原とはよめり
燎木伐 これは樵夫をしてたきゞこりと云たる也。人を名として見るべし。わざの事にあらず。畢竟きこりと云義也
殆之國 これをほと/\しくてと讀ませたれど、ほと/\すごくと讀むべし。意は神のます森の杉原なれば、恐しく凄くて中々斧などのとらるゝ事にはあらぬとの意也。ほと/\と云はほとろ/\など云と同じくて、恐しきと云義をほと/\と云たる也。音などのありて凄じきことをほと/\と云、ほどろ/\など云也。おどろ/\と云も同事也。古來より恐しき事にいひ來れり
之國 しくとよみては訓首相交る也。しは音、くは訓也。この例もあれど、義も聞えやすげれば、しはすなれば音借、國をこくと讀みて下の手の字は初語とみる也。たとか、てとか讀みて斧の不v被v取と云義にみる也
手斧所取奴 たをの取られずと云義也。奴はず也。心得違にてきこりの斧を人に取られし樣に見る説などあるは非也。斧を入れて木をきる事のならぬと云義也
 
挽歌 前に注せり。死人の棺を引く時うたふ歌也
 
雜挽 くさ/”\の挽歌と云義也。雜四季など云の雜の字にあらず
 
1404 鏡成吾見之君乎阿婆乃野之花橘之珠爾拾都
かゞみなす、わがみしきみを、あまのゝの、花たちばなの、たまにをさめつ
 
阿婆野 日本紀皇極記入鹿が前表の歌に出たり。大和なるべし。あまの也。婆の濁音はま也。此集中にあま野と云墓所をよめる歌あり。追而可v考。此歌も歸天の意をもてあま野を詠出たると聞えたり。橘の珠にをさめつと云も、歸天して常しなへの靈魂にをさめたるとの意也。野なる故橘をとり出たり。畢竟野の玉としづめをさめたると云義なれど、橘は常磐のものにてあま野とよめる縁に、甘の字意をうけて殊に野とある故、木の玉にしてをさめたると也。かゞみの如くに朝夕なれしたしみ(338)し君を、果敢なくもあま野の橘の實の如くにしてをさめたると也
拾都 これをひろひつと讀ませたれど、ひろひつとよみて義何と云義ならんや。いひまはさばいか樣にもなるべけれど無理義理をつくる也。拾は收也、斂也と云字義あれば、きはめてをさめつと讀みたる義故如v此書たると見ゆる也。ひろひつにては何とも義不v通也。一説、からしつとも讀むべきか。※[手偏+丙]と云字と通じて也。收拾と云て※[手偏+丙]の字の義に通ずればからとも讀む也。然れば墓所の橘はとる人なく空しく枯らして果つると云意、あま野に葬りおくと云意によめるか。斂收の字義あればをさむるとよむこと義も安かるべし
 
1405 蜻野※[口+立刀]人之懸者朝蒔君之所思而嗟齒不病
あきつ野を、かりとしかくれば、朝まぎし、せこしゝのばれて、なげきはやまず
 
※[口+立刀] 此字を集中にをと讀ませたり。其義いかに共心得難し。叫の字の誤にて呼と云字義ある故、呼ぶはをらふと云義にも通ふ故をと用たるか。不審也。歌にも、帛※[口+立刀]ならより出てと詠める歌あり。帛の字をみてぐらとよむ事なり難し。幣帛と書きたらばみてぐらとも讀まんか。又みてぐらをならとつゞく義も心得ず。然ればこゝもあきつのをとをの訓に讀めるも、何の義をもて讀めるか難v考。よりて宗師案は刈の字誤りか、刻の字の誤りか、然らば刈はかりと讀む字なれば、かり人と云義にて狩人のことゝ見る也。又かりは約言き也。古代は狩人をすべてき人と云たるか。第一卷の歌にても不審あり。き人ともしもとよめる歌にわけ有べき事也。帛※[口+立刀]の歌も刈刻の字ならば、うつきぬをきならと詠みたる義なるべし。きならるゝといふ事にて第六卷にも詠める歌有。これらの義によりて※[口+立刀]の字誤字と見て、をの事はつけ讀みにして、かりとか、き人とか讀むべきと也。さ讀めばこの歌よく聞ゆる也。その上秋津野はかり野のもと也。雄略紀にて知るべし。懸くれば、諸抄には人の詞にかけていへば、廟などありて人の云につきて參りたく思ひてなど云無理押の注あり。心得難し。かり人のかりしかけるを見て歎きをいへる歌と聞ゆる也。よりて君の字をもせことは讀む也。昔かりせし夫君などのしのばれて、悲しみ歎きの止まぬとの歌也
 
(339)1406 秋津野爾朝居雲之失去者前裳今裳無人所念
あきつのに、あさゐしくもの、きえゆけば、きのふもけふも、なき人しのばる
 
歌の意雲のきえちりたるを見て歎き催したると也。能聞えたる歌也。秋津野は大和也。前今をむかし今とよめる意不v通。よりてきのふもけふもと讀む也。昔もなき人をしのぶとの意不v聞也
 
1407 隱口乃泊瀬山爾霞立棚引雲者妹爾鴨在武
こもりくの、はつせのやまに、かすみたち、たなびくゝもは、いもにかもあらむ
 
歌の意かくれたる處なく聞えたり。初瀬の山をよめるは、身のはてしと云義を含みて也。此已下の歌皆この意をもて見るべし。尤はつせ山に墓所のありし故と聞ゆる也
 
1408 枉語香逆言哉隱國乃泊瀬山爾廬爲云
まがごとか、さかごとなるか、こもりくの、はつせのやまに、いほりすといふ
 
枉語香逆言哉 第二卷にも出たる詞にて、すぐならぬ曲りたるそら事僞りごとかとの意也。實なきことかと疑ふ義也。上古は皆死はてたることなど忌み嫌ひて、まがごとさかごとなどいへり
いほりすといふ 死たる人のはてたる處、また住みゐるといふはまことしからぬ義と云意也。又思ひがけもなく死たる人の事などを聞てかく詠めるか。二義の見樣あり。前の歌後の歌皆意を引合て見る歌共也。同人の作故かく列ね擧げたるか
 
1409 秋山黄葉※[立心偏+可]怜浦觸而入西妹者待不來
あき山の、もみぢあはれと、うらぶれて、いりにしいもは、までどきまさぬ
 
秋山 大和の地名也。頃しも秋に妻などの死たるを、この秋山に葬たるを、かく紅葉見に入て歸らぬ樣に詠なせり
※[立心偏+可]怜 紅葉を愛しめでてのあはれみ也。歎きの歌故あはれと云詞相叶へばかくよめり
(340)浦觸而 紅葉になれふれゐての意、惱み疲れたる體のことをうらぶれとは云也。物思ひの體を云詞也。こゝも紅葉になづみ物思ひの體にてと云意也。山に入りにし妹のかへり來らぬと也
 
1410 世間者信二代者不往有之過妹爾不相念者
よのなかは、まことふたよは、ゆかざらし、すぎにしいもに、あはぬおもへば
 
死別れたる妻の二度歸りあふことなきは、まことに二度往來する事のなき世の中かなと歎きたる也。信二代、此詞何とぞ別訓あるべきことなれど未2成案1。假名の通によみ置也
 
1411 福何有人香黒髪之白成左右妹之音乎聞
さいはひの、いかなる人か、くろかみの、しろくなるまで、いもがおとをきく
 
我不幸にて夫婦の間早く死別にあへることを歎きて、年老まで夫婦語らひ居るは、いかゞしたる幸の人ぞと羨みてよめる也
 
1412 吾背子乎何處行目跡辟竹之背向爾宿之久今思悔裳
わがせこを、いづちやらめと、さき竹の、そがひにねしく、いましくやしも
 
何處行目跡 いづちやらめとは、何方へも行ことはあるまじと思ひしと也。いづち行かめともよめり。何れにても同じ。いつまでも別れ離るゝ事はなき事と思ひしとの義也
さきたけの 下のそがひと云冠句也。集中に多き詞也。竹をさけばはだへに成て背くものなればかく云へり。歌の意、いつまでも離れず、なれそひていづくへも行べきものとは思はざりし故、背きにいねし事なども有りしを今更くやしと歎ける也
宿之久口旺 久は助語也。そがひにねし也
 
1413 庭津鳥可鷄乃垂尾乃亂尾乃長心毛不所念鴨
にはつどり、かけのたれをの、しだれをの、ながきこゝろも、おもほえぬかも
 
(341)にはつどり 庭家になれ住む鳥故、庭つ鳥とも家つ鳥とも云。庭鳥のこと也
可鷄 鳴聲かけと云によりて名づけたり。文字の音などにて家鷄などと云説はなき事也
長心毛 妻に別れしからは、命も夜も長かれと思ふ心もなきと也。前の歌をうけて餘意をのべたる也。集中如v此事あまた也
 
1414 薦枕相卷之兒毛在者社夜乃深良久毛吾惜責
こもまくら、あひまきしこも、あらばこそ、よのふくらくも、われをしみせめ
 
こもまくら 上古は菰菅なども枕にしたる也。菰は藥なるものから枕に用たると云へり。遠國田舍には今も用也
相卷 互ひに枕をかはし卷きしの義也。兒は女の通稱也。歌の意、二人ぬることもなき夜は、ふけゆく事を惜しむ事なきと也。妻にてもあらばこそ惜みもせめ、なきからは惜まぬとの歌也
 
1415 玉梓能妹者珠氈足氷木乃清山邊蒔散染
たまづさの、いもはたまかも、あしひきの、きよきやまべに、まけばちりぬる
 
たまづさのいも 此つゞきの事妹をほめたる詞にいへりと云説、又文章を通じたる妹と云義との説々不v決也。然れ共正義いづれと定難し。或説に梓と云は弓になる木にて、直に弓をあづさともいへることあれば、弓の射とつゞけたる義といへり。玉は弓をほめて玉づさといへり。この説尤然るべきか。十三卷目の長歌に、三雪零冬のあしたは刺楊根張梓を御手二所取賜而云々、如v此根張梓とあるは、弓の事を直にあづさとよめると見えたり。然るにこゝの歌玉梓のいもとあるを引合て見れば、いとつゞくこと弓の縁無くては云難し。此説しかるべきか。繼體紀に桑梓をふるさとゝ讀ませたる事あり。若しこの義に付て、何とぞ故事などありてよめるにもやと思ひたれど、右の説先安き説なれば此義にしたがふ也
珠かも 玉梓と詠みて玉かもとはよき縁語也。然れ共下の蒔ぱちりぬると云義、玉を蒔けば散るとの事不2相應1也。若しこれは求ればうせぬると詠たる義か。玉のを解けて、玉の朽ち散りたる如くなる人の命なると云義を譬へたる歟。歌の意は、妻の死たるを山邊に葬りたるを云たる義なれ共、詞の表濟み難き也。山邊に葬りたるをあるやと求めぬれば、散失せて無きと(342)云義をかくよめるか。又山にをさめたるを物種などを、土に埋み蒔きたる義に譬へて云たるか。聞わけ難し
散染 此染の字不審也。塗の字の誤ならん。ある説に漆の字と見たり。漆部と書きてぬり部とよめる故、漆字なるを染に誤れりと云説も有。兩字の内なるべし。蒔散らしむと讀むべけれど、或本の歌にまけばと假名書あれば、まけばと讀むべき事也
全體の歌の意は、死たる妹を山邊に埋み葬りたれば、あとかたも無く散失せたると歎き慕ひてよめる也。或本歌をもて見れば清の字は約言を用て書たるか。然らばこの山の邊にとよむ也
 
或本歌曰 一本の萬葉集の歌所見ありて、古注者如v此あげたり。或本とは萬葉の一本也
 
1416 玉梓之妹者花可毛足日木乃此山影爾麻氣者失留
たまづさの、いもははなかも、あしひきの、このやまかげに、まけばちりぬる
 
歌の意本集の意と同じく、玉を花に替て詠める本ありしを、古注者あげたり。此歌もまけば散りぬると云處不審也。求のまくにてあらんか。但し山邊にをさめたる事を蒔と云たるか。散たるは、埋みをさめたればうせ絶えたるとの義を云たる義也
 
覊旅歌
 
1417 名兒乃海乎朝※[手偏+旁]來者海中爾鹿子曾鳴成※[立心偏+可]怜其水手
なこのうみを、あさこぎくれば、うみなかに、かこぞなくなる、あはれそのかこ
 
名兒乃海 越中丹後攝澤等有v之海也。なこと詠出たるも女の通稱なれば、下のかこのなくと云縁に、母に離れて子のなく體に聞なしたる意を含みて也
鹿子曾 水手の事也。船をこぐ者を云。これをかこと云おこりは、日本紀第十應神天皇紀云〔一云。日向諾縣君牛仕2朝庭1年既老耆之不v能v仕。仍致v仕退2於本土1。則貢2上己女髪長媛1。始至2播磨1。時天皇幸2淡路島1而遊獵之。於v是天皇西望之數十麋鹿浮v海來之。便入2于播磨鹿子水門1。天皇謂2左右1曰。其何麋鹿也。泛2巨海1多來。爰左右共視而奇則遣v使令v察。使者至見皆人也。著角鹿皮爲2衣服1耳。問曰。誰人也。對曰。諸縣君牛是年耆之雖v致v仕不v得v忘v朝1。故以2己女髪長媛1而貢上矣。(343)天皇悦之即喚令v從2御船1。是以時人號2其着岸之處1曰2鹿子水門1也。凡水手曰2鹿子1蓋始起2于是時1也。〕是始也。播磨國にかこ郡あるも此事より也
鳴成 かこと云から、なくなるとよみて船歌など歌ふを云なるべし。又は呼かはす言葉をなくと云たるか
※[立心偏+可]怜 あはれとは兩方へかゝれり。悲しみの意又た面白き意をも云なれば、此歌の意は、旅の心細き折ふし、水手のよぶ聲を聞て悲しみを催したる歌にて、歎きのあはれと聞ゆる也。初五文字になこの海とも詠出たれは、海中にて子のなく聲を聞きては、もの悲しく哀れなるべき事なれば、その躰をよめると見る也。あはれそのかこと詠める格は、古詠の風體感情を深くのべたる也。第九、ほとゝぎすの歌に、なきてゆく也あはれその鳥といへる口風也
 
萬葉童蒙抄 卷第十九終
 
(344)萬葉集卷七難解之歌
 
1073 玉垂之小簾之間通〔傍点〕獨居而見驗無暮月夜鴨
1078 此月之此間〔二字傍点〕來者旦今〔二字傍点〕跡香毛妹之出立待乍將有
1090 吾妹子之赤裳裾之將染※[泥/土]今日之※[雨/脉]※[雨/沐]爾吾共所沾|者〔五字傍点〕《一本名》
1113 此小川白氣緒瀧至〔五字傍点〕八信井上爾事上不爲友
1115 妹之紐結八川内乎古之并人見等此〔五字傍点〕乎誰知
1124 佐保河爾小驟〔二字傍点〕千鳥夜三更而爾音聞者○《一本諸ノ字アリ》宿不難爾
1137 氏人之譬〔傍点〕乃足白吾在者今齒王良〔四字傍点〕増木積不來友
1151 大伴之三津之濱邊乎打曝〔傍点〕因來浪之逝方不知毛
1155 奈呉乃海之朝開〔二字傍点〕之奈凝今日毛鴨礒之浦囘爾亂而將有
1159 住吉之岸之松根打曝〔傍点〕緑來浪之音之清|羅《一本霜》
1236 夢耳繼而所見小竹島之越礒波之敷布〔二字傍点〕所念
 十七卷の歌、思久思久於毛保由、かゝれば敷布の二字印本の假名にしたがふべきか
1240 珠※[しんにょう+更]見諸戸山矣行之鹿齒面白四手〔四字傍点〕古昔所念
(345)1243 視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來禮〔傍点〕巾振之野爾
1253 神樂浪之思我津乃白水郎者吾無二〔三字傍点〕潜者莫爲浪雖不立
1254 大船爾梶之母有奈牟君無爾潜爲八方波雖不起
1258 黙然〔二字傍点〕不有跡事之名種爾云言乎聞知良久波少可者有來〔五字傍点〕
1262 足病之山海石榴開〔八字傍点〕八岑越鹿待君之伊波比嬬可聞
1264 西市爾但獨出而眼不並買師〔五字傍点〕絹之商目許里鴨
1266 大舟乎荒海爾※[手偏+旁]出八船多氣〔六字傍点〕吾見之兒等之目見者知之母
1267 百師木乃大宮人之蹈跡所〔三字傍点〕奧浪來不依有勢婆不失有麻思乎
1273 住吉波豆麻君〔四字傍点〕之馬乘衣雜豆臘漢女乎座而縫衣叙
1275 住吉小田苅爲子賤〔四字傍点〕鴨無奴雖在妹御爲私田〔二字傍点〕苅
1280 撃日刺宮路行丹吾裳破玉緒念委〔傍点〕家在矣
1281 君爲手力勞織在衣服斜〔三字傍点〕春云何何〔二字傍点〕摺者吉
1283 橋立倉椅川石走者裳壯子時〔三字傍点〕我度爲石走者裳
1284 橋立倉椅川河靜〔傍点〕菅余苅笠裳不編川靜〔傍点〕菅
1286 開木代〔三字傍点〕來背社草勿手折己時立雖榮草勿手折
1292 江林次宍也物求吉〔五字傍点〕白栲袖纏上宍待我背
(346)1298 千名〔二字傍点〕人雖云織次〔四字傍点〕我二十物白麻衣
1299 安治村十依〔二字傍点〕海船浮白玉採人所知勿
 十依は遠依の説假名不v合也。地名か
1304 天雲棚引山隱在吾忘木葉知〔四字傍点〕
1308 大海候〔傍点〕水門事有從何方君吾率陵〔四字傍点〕
1315 橘之島爾之居者河遠不曝縫之吾下衣
1321 世間常如是耳加結大王〔四字傍点〕白玉之結絶樂思者
1344 眞鳥住卯名手之神社之菅根乎衣爾書〔傍点〕付令服兒欲得
1350 淡海之哉八橋乃小竹乎不造矢而信有得哉〔四字傍点〕戀敷鬼乎
1356 向峯爾立有挑樹成哉等人曾耳言爲〔三字傍点〕汝情動
1362 秋去者影〔傍点〕毛將爲跡吾蒔之韓藍之花乎誰採家牟
1387 伏〔傍点〕超從去益物乎間守爾〔三字傍点〕所打沾浪不敷〔傍点〕爲而
1395 奧浪依荒礒之名告藻者心中爾疾跡〔五字傍点〕成有
 
萬葉集童蒙抄 本集卷第七終
 
萬葉集卷第八
〔目次省略〕
 
(360)萬葉集童蒙抄 卷第二十
 
春雜謌 はるのくさ/”\のうた
 
春のものに付てくさ/”\の歌を撰ばれたる也。春夏秋冬につきて此標題をあげられたり
 
志貴皇子懽御歌一首 しきのみこよろこびのみうた一首
 
志貴皇子 天智天皇第七の皇子也。元正天皇靈龜二年八月甲寅薨去。光仁天皇寶龜元年追尊稱2御春日宮天皇1。白壁皇子の御父也
懽 玉篇云、懽、呼官切、悦也
 
1418 石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春爾成來鴨
いはそゝぐ、たるみのうへの、さわらびの、もえいづるはるに、なりにけるかも
 
石激垂見 いはをそゝぎたるゝ水とうけたる詞也。垂見は攝津國の地名也。第七卷いのちさしと云歌の處に注せり。則垂水神社といふ社、續日本紀延喜式等にも見えたり。たるみとうけん迄に、いはそゝぐとは詠たり。此石激の字第七卷には石流と書けり。第十二には石走と書けり。いづれもたる水と有。若しくはいしばしる瀧と云、たの一語にうけたる義か。激流の二字はそゝぐとも讀むべし。走の字そゝぐといふよみいかゞ也。よりてはしるとは讀ませたれど、同じたる水をわけて讀む事心得難し。激流の二字は、はしるとも讀まるべし。先づ古く讀來ればいはそゝぐと讀也。畢竟石よりたるゝ水といふうけ迄の詞也。たるひといふ説ありて、世に人多くたるひと心得たり。當集を不v考の説也。三所ともにたるみとありて、ひに粉るべきにあらず。水といふ字ならは、氷の字の一點を脱したり共疑ふべけれど、此歌正敷借訓に見の字を書きたれば、まがふべきにあらず。顯宗昭法師は行成卿の書かれたる自筆の和漢朗詠集に、たるみとある由をもて、證としてたるみと書かれし也。當集の證明をあげられぬは、顯宗も此歌を不v被v考か。此歌の意悦の御歌と云處、いづこをさして云べき處なく、たゞ全體によ(361)ろこびの意をよませ給へる御歌也。山水の岩が根などよりしたゝり、山邊の雪霜にとぢはてたる處も、春のめぐみにあひていとくきやかなる蕨などの、もえ出る比の世のゝどけさ、人の心もうちとけて、いはん方なき景色を悦びの歌によみなし給ふ古詠の風體、今の時の上手の歌にも及ぶべき事とも聞えず。これらを歌の手本ともいひつべし。よろこばしき有樣をかくのどやかに、ゆる/\とよませ給ふ事、凡俗の及ばぬ雅情也。能々感吟し奉るべき御詠也。これらの基にて、御子孫不v絶高き御位にものぼらせ給ひたるなるべし
 
鏡王女歌 前に記せり
 
1419 神奈備乃伊波瀬乃杜之喚子鳥痛莫鳴吾戀益
かみなびの、いはせのもりの、よぶこどり、いたくなゝきそ、わがこひまさる
 
神なびのいはせのもり 大和也
喚子鳥 此集中あまた有。古今集にはたゞ一首ならでは不v被v載。これによりて色々の傳受事となりて、三鳥の傳など云ならはせり。昔はよく人も知りたる鳥なればこそ、此集にはあまた詠める歌あり。今の世にては何鳥と云事知る人なし。和名抄にも此集を引て委しくは不v注也。かほ鳥といふと同事にてあらんか。尤後々の集に春の歌に入たるも、此卷に春の雜に被v載たるよりなるべし。此奧に聲なつかしき時にはなりぬと詠めるより、春のものとは賞し來りぬらん。然れ共春に限らず鳴くとも聞えて、よの常に聞けばとよめり。先は春より夏にかけて專らと鳴鳥か。よぶこ鳥とは子を呼ぶ樣に鳴くといふ説もあれど、いづれと決したる確かに證なければ云難し。よび鳥といふをよぶこ鳥とも云か。ぬえ鳥を此集には、ぬえこ鳥ともよめり。かつぽといふ鳥の聲、人をよぷ樣にて、しかもくわつこうとなく聲也。俗にかんこ鳥とも云、もの寂しきことに云なして、この鳥の音、ものさびしき音に聞ゆるものなれば、云ならへりと聞えたりだ 然れば子を呼ぶ樣なれば此鳥ならんか。又山鳩と云鳥の鳴くも、こふ/\となく音に聞ゆる也。これは春から秋の頃迄も鳴きて冬は鳴かず。としよりこいと嶋と、俗にも云ならはせり。これも人をこいとよぶ聲あれば、此鳥とも云べきや。きはまれる證なければ、知れぬことになしおく也
(362)痛莫鳴吾戀益 鳴く音のもの寂しきにつけてか、又こひこふとなく聲によりて、わが戀のますとよめるか。これも決し難し。その聲につきて、戀のまさるとよめるは、鳴音に感情の催さるゝ音と聞えたり。一通よく聞えたる歌也。いはせの森を詠出たるは、下にしのびて戀わびぬる意を含みて、いはぬ戀といふ意ならんか。詞にいはれず、心にしのびて戀したふに、こふ/\とか、こひ/\とか鳴く故、其聲詞に叶ふ故、わが戀まさるとはよめるならんかし。山中などばかりに鳴くにもあらず。春道列樹歌に、我宿の花にな鳴きそよぶこ鳥呼かひ有て君もこなくに、とよめり。素性法師か、戀せらるはたの歌も、これらの歌、此集の此歌などに基づきてよめるか。時鳥の聲を聞て、ぬしも定まらぬ戀せらるゝとは、少とりひろげたる歌なれど、此集の此歌などに基きけるかとおもほゆる也。顯昭注にもこゝの歌を引て注せり
 
駿河釆女歌一首
 
1420 沫雪香薄太禮爾零登見左右二流倍散波何物花其毛
あわゆきか、はだれにふると、見るまでに、ながらへちるは、なにのはなそも
 
はだれに 諸抄の説まだらにといふ事に釋せり。濁音を不v知から也。且れといふ詞は、あめといふ古語をも不v辨説也。はなあめにふると見るまでにといふ義也。第三卷にて注し置り。はだれの殘りたるかもとよめる歌もあるにて、雪の事と知るべし。雪ははなあめ也。然れば此歌の意は、泡雪の花雨の樣に降りたるは何の花にや。たゞしあわ雪かと疑ひたる歌也。實は梅の花などの散亂れるを見てよめる歌と聞ゆる也
流倍 ながれ也。れをのべたる詞也。奧に至りても此詞あり。天より雪のながれくるかもともよめり。空より降くるは、流るゝ如くなるもの故かくはよめり
何物花其毛 何物とかきてなにとよめる、此集の例格也。ものをにとよむにはあらず。二字引合て何とはよむ也。古今集の旋頭歌の、打わたすをち方人にものまふすわれ〔そのそこに白く咲けるは〕何の花ぞも。これに同じ。しかし此歌はあわ雪を花と見たる歌にも聞ゆる也。諸抄の説は、梅の花のちりたるをよめると釋せり。決し難し。一首の表にては、落下を見たる(363)ともきはめ難き也
 
尾張連歌二首 名闕 傳不v知
 
1421 春山之開乃乎爲黒爾春菜採妹之白紐見九四與四門
はるやまの、さきのをすぐろに【わかなつむ・あをなつむ・はるなつむ】いもがしらひも、見らくしよしも、
 
春山のさきの 大和の地名也。佐紀ともかき左貴ともかけり
乎爲黒 をは助語か、初語と見るべし。すも添たる詞にて畔のことなり。過る意に見し説は非也。くろ也。下のしら玉もとよめるにて知るべし。此をすぐろの義に付色々の説あり。古詠にもさきを關と見たる説あり。風雅集に藤原基俊歌、さき野のすゝきと詠まれたるは、地名と知れるより也。然るを顯昭は、春草の生出るは、末の黒く見ゆるをすぐろのすゝきと詠みたるといへり。又或説に春野をやくに、その灰殘りて萩すゝきなどの間に入てあれば、すぐろのすゝきとよめると云説有。まち/\にして難2信用1也。たゞ地名にて須畔なるべし。すといふ詞は物にそへて云こと有。須田、す芋、す走りなど云のすにて、とく畔のことなるべし。畔は和名抄云、〔陸詞曰、畔【音半和名、久路、一云阿】田界也。唐韵云、〓【食陵反又作v〓、稻田畔也、畦、音携、菜畔也、和名上同】〕如v此なれば若菜をつむ所も明也。後拾遺集權僧正靜圓歌にも、あはづ野のすぐろの薄つのぐめば冬立なづむ駒ぞいばゆる。如v此もよめり。これも地名と見て詠みたり。或抄に、此歌すぐろはこくりすと云所の義といへり。心得難し。兎角此歌すくろも畔の事と聞ゆる也
歌の意はよく聞えたる歌にて、何事もなき歌也。上にくろと詠たるから、下にしら紐とよめる所一體と見えたり
 
1422 打靡春來良之山際遠木末乃開往見者
うちなびき、はるはきぬらし、やまのはの、とほきこずゑの、さきゆくみれば
 
遠木末 十卷の歌にも、山際最木末之咲往見者とありて、木末のさきゆくとは、今時の風には聞めづらしけれど、古詠かくの如し。花のさきゆくと云義をかくは詠めり。かくれたる處もなき歌也
 
(364)中納言阿倍廣庭卿歌一首 前に注せり
 
1423 去年春伊許自而植之吾屋外之若樹梅者花咲爾家里
こぞのはる、いこじてうゑし、わがやどの、わかきのうめは、はなさきにけり
 
いこじ いは初語也。許自而は根こじにして植たるとの義也。神代上卷云、〔忌部遠祖太玉命掘2天香山之五百箇眞坂樹1云々よく聞えたる歌也。不v及v注也
 
山部宿禰赤人歌四首
 
1424 春野爾須美禮採爾等來師吾曾野乎奈都可之美一夜宿二來
はるの野に、すみれつみにと、こしわれぞ、のをなつかしみ、ひとよねにける
 
此歌古今の序に引歌に入たる不審也。貫之の書かれたるにはあらず。後人の書入たるならん。續古今集にのせられたり
須美禮 和名抄云、〔本草云、菫菜、俗謂2之菫葵1【菫音謹、和名須美禮】〕或抄に野菜故、春菜などつめるを兼ねていへる樣に釋すれど、皆花の歌なれば、つぼ菫などとよみて、花の美しきを愛してつめる也。紫の花咲ものなれば、野をなつかしみともよみて、此後野にねることをよめり。菫を女に比して、紫の色なつかしきなどよめる也
 
1425 足比奇乃山櫻花日並而如是開有者甚戀目夜裳
あしひきの、やまざくらばな、ひならべて、かくさきたらば、いとこひめやも
 
日並而 前に注せり。雅言ならねど、假名書あれば古語と見えたり。日をなべてと讀まんか。毎日々々の意也
如是開有 かく咲たらば、毎日々々かく咲くものならば、などか戀ふべきと也。これらも趣向一段上なる歌也。至て花を愛する心をよめり。あかぬの、えならぬなどいふこともなく、かく毎日々々咲くものならば、いたくも花を戀したはじと也。飽かぬ心を戀めやもと云にて深き意を知らせたり
 
(365)1426 吾勢子爾令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者
わがせこに、みせんとおもひし、うめのはな、それともみえず、ゆきのふれゝば
 
此歌雪のふれゝばとゝめては、詞足らぬ歌也。古詠はかくよみて其意を通じたる歌多し。家持の歌の風體も格あまた有。雪のふれゝばえ見せぬといふ意也。古今の序に、人丸の歌を引出して後人書加へたるも、此歌をつゞめて也
 
1427 從明日者春菜將採跡※[手偏+票]之野爾昨日毛今日毛雪波布利管
あすよりは、わかなつまんと、しめのゝに、きのふもけふも、ゆきはふりつゝ
 
標之野爾 しめ野也。大和に有。これをしめしと誤りて、古今の序にも後人書入たりしより、後世皆しめし野とはいひならへり。此歌わがつむべき處を、しめし置たると云にはあらず。しめの野に出て若菜をつまんと云地名をよみて、しめたる野と云意をよせて詠める歌也。しめし野と云地名は無き也。きのふもけふも雪ふる故、しめ野に出て若菜をえつまぬと也
 
草香山歌一首 作者左注に注せる如く不v知也。草香山は前に注せり。八雲には攝津とあれど河内なるべし
 
1428 忍照難波乎過而打靡草香乃山乎暮晩爾吾越來者山毛世爾咲有馬醉木乃不惡君乎何時往而早將見
おしてる、なにはをすぎて、うちなびく、くさかのやまを、ゆふぐれに、わがこえくれば、やまもせに、さけるあせみの、あしからぬ、きみをいつしか、ゆきではやみむ
 
打なびく 草といはん爲の序也。これら冠句を歌と云ものとたゞごとゝ云の違なることを知るべし。たゞ草香の山と詠出でては歌にあらざる也。うちなびく草香のとよみつゞけたる處を味ふべし
山毛世爾 おもゝ背もと云義にて、山中一ぱいなど云義也。野もせ庭もせも、前もうしろもと云義にて、もせと云也。こゝも山一ぱいに咲けるあせみと云義也
馬醉木 つゝじと讀ませたるは考違也。あせみ也。つゝじまじりにあせみ花さくと云歌もありて、馬に毒ある木也。あしび(366)きの山と續くも病と云義にて、馬この木の葉花にても喰へば、必ず醉ふ故馬醉木とは書けり。第十卷にあせみの花のあしからぬと有。同じく不v惡と書り。下に不惡と有もあしからぬと讀べし。あせみのあしからぬとうけたる詞つゞき也。つゝじは赤きもの故、丹とうけたる詞と云説あれど、馬醉木はあせみ也。然ればあしからぬと云詞の縁と見るべし
歌の意は草香山によせて、思ふ人の方へ行きて相まみえんと云意をよめる也
 
右一首依作者微不顯名字  左注者の筆也。左注者は作者を考ふる所ありて、如v此注せるか。此注の表は撰者の注の樣なれど、左注の分は、皆左注者且其後の人の傍注等を混雜したる也。古萬葉と新撰萬葉との義ケ樣の所に論有。世間の説新撰は菅家萬葉と云來れり。此義當家の流には信用せざる也。古新の論は難v決と可v知事也
 
櫻花歌一首并短歌
 
1429 ※[女+感]嬬等之頭挿乃多米爾遊士之※[草冠/縵]之多米等敷座流國乃波多弖爾開爾鷄類櫻花能丹穗日波母安奈何
をとめらが、かざしのために、みやびとの、かづらのためと、しきませる、くにのはたてに、さきにける、さくらのはなの、にほひはもいかに
 
遊士 前にも注せる如くみやびと也
敷座流 天子の敷ませる國と云義也。をさめしろしめしゝ國と云義、何國にもかけて也
波多弖爾 はつはてといふ義にて、これも國のこゝかしこに咲けると云義也。是も國一ぱいに咲みちたると云意也。大王のしろしめす國毎にと云意にはたてと也。雲のはたては蜘の機手と云事にて、かなたこなたに思ひかゝはる意也。此意は別也
丹穗日波母安奈何 此句は反歌をもて考ふれば、去年のことを思ひ出て、少女等みや人のかざしかづらにせし花の、今年も咲たらん。其匂ひはいかにかあらんと尋ねたる意と聞ゆる也。はもと云ことは、前にも注せる通、嘆息の詞にてあゝと云意と同じく、當前咲たるを見て感嘆する意にも通ふ也
安奈何 此三字皆なんぞいかにと咎めたる字也。然るを三語のいかにと云詞に用たる歟。若くは安の字は衍字歟。あなにと(367)讀む説もあれど、あなにといふて何と云義にか、詞の義理不v濟也。全體の歌の意、國のはてはし/”\迄も咲ける花の匂ひはいかにやあらんと、尋ねたる歌にて、花を賞愛の意を、はもと云詞にこめてよめり
 
反歌
 
1430 去年之春相有之君爾戀爾手師櫻花者迎來良之母
こぞのはる、あへりしきみに、こひにてし、さくらのはなは、むかへ來らしも
 
此歌諸抄の説不2一決1也。しかも全體の意をそれと確かに釋せず。大かたに注せり
一説、あへりしとは、櫻花を愛する人に花の相あふを云て、こひてしと云も、櫻が心ある人に賞翫せられしを、思ふ人に相逢ふ樣にいへり。むかへくらしもは、櫻の咲匂ふあたりの人を、見に來よかしと、迎ふるの意と注せり。かくいひて此歌とくと聞えたりとも覺えず
一説は、第一第二の句は戀にてしといはん序詞と也。その序詞の義不v濟也。あへりし君にと云序詞は、何と云ふ爲の詞にや、不v被2聞得1。待こひてし花は時を迎へ來りしと云歌と也。如v此いひて此歌聞えたりとは不v覺也
愚案は、去年の春花にことよせてあへりし君に、今年も見せなんとこひにし櫻の花は迎へ得て咲きしが、慕ふ君は來まさんやいかにと、花によせて思ふ人を慕ふ歌と聞く也。君をもこひ、花をもこひにしが、櫻の花は迎へ得たりと云歌と聞く也
來良之母 くらしもとよめり。愚案の意なればけらしもにてあるべし。くらしもならば花の君を迎へ待の意と見る也。然れば去年の春めで愛せし君を、櫻の花咲て呼迎ふるならんとの意也
いづれにもあれ、聞え難き歌也。後賢の沈吟を待のみ
 
右二首若宮年魚麿誦之  此注不審、左注者の時分に年魚麿誦したる歟。又何ぞの記にありしを見て、如v此注せる歟。古歌なるを覺えて、後に誦したると云義也。年魚麿が述作の歌にては無き也。左注者は考ふる所ありて注せる歟
 
山部宿禰赤人歌一首
 
(368)1431 百濟野乃芽古枝爾待春跡居之※[(貝+貝)/鳥]鳴爾鷄鵡鴨
くだらのゝ、はぎのふるえに、はるまつと、すみしうぐひす、なきにけんかも
 
百濟野 大和に有。第二卷に人丸のくだらの原と有歌に注せる如し。舒明紀云十一年〔秋七月詔曰。今年造2作大宮及大等1則以2百濟川側1爲2宮處1。中略十二月中略是月於2百濟川側1建2九重塔1。十三年冬十月己丑朔丁酉、天皇崩2百濟宮1。丙午殯2於宮北1。是謂2百濟大塔1〕物の腐り朽つるをくたすと云。其意をこめて、霜がれくたらす野の、しかも萩の冬がれし古枝と云意をこめて、冬枯たる萩の古枝に巣をくみて、春を待とて埋もれ居たるが、時節來りて今や鳴ぬらんかと也。くだら野の萩の古枝を詠出たる處、時節を待と云意味を深くこめたる歌也。一説有徳の賢人、明君の代にあひし意を含めて詠めるかといへるも、理りおもしろき意也
 
大伴坂上郎女柳歌二首
 
1432 吾背兒我見良牟佐保道乃青柳乎手折而谷裳見綵欲得
わがせこが、みらんさほぢの、あをやぎを、たをりでだにも、みるよしもがな
 
見らんは見るらん也。歌の意は、相共に見る事の叶はずば、せこが愛し見る柳なれば、折てなり共見たきと也
綵 縁の字の誤也。見る由もがなと讀べし。誤字のまゝに假名をつけたり。色にもかといひて、何と歌の意聞ゆべきや。然るを其まゝ理をつけて注せる説有
 
1433 打上佐保能河原之青柳者今者春部登成爾鷄類鴨
うちのぼる、さほのかはらの、あをやぎは、今ははるべと、なりにけるかも
 
打上佐保 前に注せり。此義一説舟のかぢ棹と云義、又機の具に梭と云ものある、それをなぐるさと云義との説も有。皆附會の説也。又船のさをと云は假名違の説也。さほは狹火と云義を不v辨也。此歌別而のぼる火とうけたり。下に春部と云は、部もひも同音にて春火と云言をこめて也。それ故打のぼるさほとは詠出たり。古詠は皆わけ有。少づつのより處ありてこそ地(369)名もよめり。梭の説は音をとれり。不v足v論也。
 
大伴宿禰家持三林梅歌一首
 
1434 霜雪毛未過者不思爾春日里爾梅花見都
しもゆきも、きえ【やら・ゆか】ざれば、おもはぬに、かすがのさとに、うめのはなみつ
 
思ひもかけぬに、梅の花の咲きしを見て悦べる歌也。未過を未だすぎねばと讀ませたれど、霜雪の過ぎぬと云こと極てなき事也。さは讀まれざる故未過の二字を書たり。古はその例格を明らかに辨たる故、如v此書なせしを後世に至りて不v考不v辨から、無理讀の假名を付たる也。消ゆると云詞なくては不v叶義をもて書たる也。不思の二字も別訓あらんか
 
厚見王歌一首
 
1435 河津鳴甘南備河爾陰所見今哉開良武山振乃花
かはづなく、かみなみがはに、かげ見えて、いまやさくらん、やまぶきのはな
 
よく聞えたる歌也。貫之の歌に、相坂のせきのしみづにかげみえて云々の歌も、此歌を駒迎の歌にとりなしたりと世擧て珍賞せり。まこと姿よくも似たる也。此歌は新古今朗詠などにのれり
 
大伴宿禰村上梅歌二首
 
續日本紀稱徳紀神護景雲二年七月〔壬申朔庚辰、日向國獻2白龜1。九月辛巳勅。今年七月十一日得2日向國宮崎郡人大伴人益所v獻白龜赤眼1。中略大伴人益授2從八位下1。賜2※[糸+施の旁]十匹、綿廿屯、布卅端、正税一千束1。中略又父子之際同心天性。恩賞所v被事須2同沐1。人盆父村上者恕以2縁黨1。宜v放2入京1。〕光仁紀寶龜二年〔四月壬午、正六位上大伴宿禰村上授2從五位下1。十一月癸來朔辛丑肥後介。三年四月從五位上大伴宿禰〕村上爲2阿波守1
 
(370)1436 含有常言之梅我枝今旦零四沫雪二相而將開可聞
ふゞめりと、いひしうめが枝、けさふりし、あわゆきにあひて、さきにけんかも
 
歌の意、何の趣向もなきよく聞えたる歌也。蕾ふくみてありし梅の枝に、雪ふりて花ともまがひ見えんかと云意也。若しくは泡雪にあひて、霑ひを得て咲ぬらんかとよめる意歟
 
1437 霞立春日之里梅花山下風爾落許須莫湯目
かすみたつ、かすがのさとの、うめのはな、やまのあらしに、ちりこすなゆめ
 
霞たつかすがとうけたる處歌也。同じ霞たつと、奧にもよめる歌あれど、かすがとうけたる處は、詞のつゞきを吟じたる歌也。霞のたつ景色のゝどやかなる、その里の梅の花なれば、別而賞愛すべき筈也。それ故風に散るをもいとひ惜める意、下の句に見えたり
山下風 山下風と讀ませたれど、嵐は山下風と云なれば、山の嵐と讀むべし。詞もきゝよく、義も山下風にとは不v穩也。嵐は山より吹來るものなれば、山の嵐とよめるならん。ゆめとは皆制しとゞめたる義也。つゝしめと云事をゆめと古語にはいへり。ゆめといへばつゝしめと云義也
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
1438 霞立春日里之梅花波奈爾將問常吾念奈久爾
 
此五文字も前と同じ。此歌は春の里に來りて、思ひかけずも櫻の咲たるを見て悦びて、花を見んとて此里を訪ひしには無きと也。霜雪毛未過の歌の意に近き歌也
 
中臣朝臣武良自歌一首  傳不v考
 
1439 時者今者春爾成跡三雪零遠山邊爾霞多奈婢久
(371)ときはいまは、はるになりぬと、みゆきふる、とほきやまべに、かすみたなびく
高く遠き山は、春ながらも雪ふるものなれど、時節春とて霞の棚引くと景色をよめり。新古今にも載せられたり
 
河邊朝臣東人歌一首
 
1440 春雨乃敷布零爾高圓山能櫻者何如有良武
はるさめの、しき/\ふるに、たかまどの、やまのさくらは、いかにあるらむ
 
敷布は しき波などの意にて、晴間もなくしきりて降の義也。うつしくふるとも讀まんか。うちしきりの意也。高まどの櫻は、ちりうつろふたらんか。まだ咲かぬか咲ぬらんかと花を慕ふ心から、しづ心なき意なるべし
 
大伴宿禰家持※[(貝+貝)/鳥]歌一首
 
1441 打霧之雪者零乍然爲我二吾宅乃苑爾※[(貝+貝)/鳥]鳴裳
うちきらし、ゆきはふりつゝ、しかすがに、わがへのそのに、うぐひすなくも
 
打霧之 雪のふる時は、打曇りて霧のふる如く、ふゝり立如くなるを云ひたる義也。かきくらしと云詞あれば、うちくらしとも讀まんか。しかしみなぎらしと云古語あるから、古くよみ來れる假名にしたがひ、うちきらしとよむ也。きらしといふ詞六ケ敷也。空をきり隔つる如く、霧の樣にふるを云との説などあれど、きらしと云語六ケ敷也。雪はふれども、さすがに春のしるしに時をたがへず、鶯の鳴と也。もと云詞は語のあまり、嘆息の辭也。今時のてにはならば、かへる意を含みたるとも云べけれど、古詠の格は、たゞ鶯なくといふ迄にて、うたふ詞のあまりに裳とそへたる也
 
大藏少輔丹比屋主眞人歌一首
 
1442 難波邊爾人之行禮波後居而春菜採兒乎見之悲也
なにはべに、ひとの行れば、後居而、わかなつむこを、見るがかなしさ
 
(372)此歌いかにとも聞得難し。諸抄の説にても全體聞得られぬ歌也。詞を添て釋せば、いかにともいはるべけれど、字面にていかにとも聞えぬ歌也。追而可v考
 
丹比眞人乙麿歌一首 稱徳紀天平神護元年〔正六位下多治比眞人乙麻呂授2從五位下1〕
 
1443 霞立野上乃方爾行之可波※[(貝+貝)/鳥]鳴都春爾成良思
かすみたつ、のがみのかたに、ゆきしかば、うぐひすなきつ、はるになるらし
 
此歌も聞得難き歌也。旅行にて月日をもわかぬ折に、鷺のなくを聞てよめる歌と見るべきか。右二首はいかにとも聞え難し
野上 美濃の國の野上里にある野か。此歌風雅集に入讀人不v知と有。後案、冬の頃旅行して、野上のかたに行きたらば、鶯鳴きて春になるらしと思ひはかりてよめる歟。野上と云所へ行くにつきてよめる歌故、霞たつ野かみとよみ出たるは面白き歌也
 
高田女王歌一首 高安之女也
 
1444 山振之咲有野邊乃都保須美禮此春之雨爾盛奈里鷄利
やまぶきの、さきたるのべの、つぼすみれ、このはるさめに、さかりなりけり
 
山ぶきの咲たる野邊のつぼ菫 一方ならぬ春の景色を云はんとて、かく詠出たるならん。奧の歌にも、ち花ぬく淺茅が原のつぼ菫と、二色をよめり
つぼすみれ 花の形、つぼの如くなるもの有て、童べのすまひ取草とて、手ずさみにする也。其つぼの如くなる花故、つぼ菫とも云由也。尤もつぼみたる菫の雨にあひて、盛になりたると云の義につぼ菫ともよめる也。なべてつぼ菫と云は、花の形によりていへるなるべし
歌の意外に趣意ありとも聞えぬ歌也
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(373)1445 風交雪者雖零實爾不成吾宅之梅乎花爾令落莫
かぜまぜに、ゆきはふるとも、みにならぬ、わかへの梅を、はなにちらすな
 
實爾不成 雪は花の如くに風にまじりて散來る共、まことの梅を花にして風に散らすなと、梅を惜みたる也。花に散らすなはあだに散らすなとよめる意とも聞ゆ。又未だ實にならざるさきの花を、あだに散らすなと云意にも聞ゆる歟。又風まぜに雪はふりて花の如くなれど、實にならぬ梅の花にして見むまゝ、風に散らすなと云意にも聞ゆる也。實にならぬと云は、雪の降かゝりたるは、まことの花にはあらねど、花と見るの意に、みにならぬとよめるか。此歌聞にくき歌也。尚後案あるべし。風まぜにふる雪を、實にならぬ梅の花にしてめづる心から、まことの花になして風に散らすなとよめる意歟。然らば實にならぬとは、雪の梅の花とふりかゝれるを愛する意也。實にならぬ花から、散ることをまことの花にして散らすなとの意歟
 
大伴宿禰家持養※[矢+鳥]歌一首 養一本作v春、何歟應v是
 
1446 春野爾安佐留雉乃妻戀爾己我當乎人爾令知管
はるのゝに、あさるきゞすの、つまごひに、おのがあたりを、ひとにしれつゝ
 
安佐留 求食と書きてあさると讀ませたり。字の如くにて、春の頃は若草をわけて己が餌を求める也。妻戀とは鳴ことをいへると聞えて、自づから鳴音におのがあたりも知らるゝ也。此歌拾遺には、己がありかと直して被v入たり。當の字ありかとよむ義心得難し
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1447 尋常聞者苦寸喚子鳥音奈都炊時庭成奴
よのつねに、きけばくるしき、よぶこどり、こゑなつかしき、ときにはなりぬ
 
よのつねにきけば 此五文字心得難き也。呼子鳥は常もなくものにや。何鳥と確かに證明も不v定ば、常に鳴とも鳴かざる共(374)きはめ難し。先此歌によりては、常にも鳴と聞ゆる也。此歌の意は、花鳥の色音にいざなはれて、そこともしらぬ野山にもうかれ遊ぶ、春のうらゝかなる頃になりぬれば、人をしも呼ぶと云名の鳥音の、なつかしかるまじ樣なき折と賞して、春になりぬると云義を、呼子鳥の聲なつかしき時にはなりぬとよめる也。古今集已後の集共にも、呼子鳥を春の部に入られしはこの歌よりなるべし
 
右一首天平四年三月一日佐保宅作
 
左注者考所ありて如v此注せり
 
春相聞 はるのあひきゝ。春の節物をもて、聞えかはせる歌をあげられたるとの標題也
 
大伴宿禰家持贈坂上家之大嬢歌一首
 
1448 吾屋外爾蒔之瞿麥何時毛花爾咲奈武名蘇經乍見武
わかやどに、まきしなでしこ、いつしかも、はなにさかなむ、なぞへつゝみむ
 
撫子は夏のものなれど、春より蒔ものなればよめるか。尤床夏といひて、四季の内春夏秋三季は咲ものなれば、春相聞の内にも入たるならん
なぞへつゝみんは、大嬢になぞらへて愛しめでんとの意也
 
大伴田村家宅大嬢與妹坂上大嬢歌一首
 
1449 茅花拔淺茅之原乃都保須美禮今盛有吾戀苦波
ちばなぬく、あさぢがはらの、つぼすみれ、いまさかりなり、わがこふらくは
 
ち花も菫も、盛の春の長閑なる折からなれば、野遊などせんと、妹を戀慕ふ心もさかりなるとの意也
 
大伴宿禰坂上郎女歌一首
 
(375)1450 情具伎物爾曾有鷄類春霞多奈引時爾戀乃繁者
こゝろくき、ものにぞありける、はるがすみ、たなびくときに、こひのしげれは
 
情具伎 前にも註せり。心の晴れぬと云方也。心くらきと云義、心にくきと云義、いづれも思ひの晴れぬと云意にて、霞の立おほふて欝蒙としたる意を具伎とはいへり。然れば心くらき心にくきといふ方なり。苦しきといふ説も有。云まわせば同じ意ならんか。春霞の立おほふ折柄、思ひのしげれば晴にくきとの意也
 
笠女郎贈大伴家持歌一首
 
1451 水鳥之鴨乃羽色乃春山乃於保束無毛所念可聞
みづどりの、かものはいろの、はるやまの、おぼつかなくも、おもほゆるかも
 
かもの羽色は青く、緑の色深く霞こめて奧ある山の景色によそへて、あはでいかなるさはりもあらんやと、心もとなき意をかくよめり。家持の身の上にかはり變じたる事もなきやと、おぼ束なき心也。おぼ束なきとは、ものゝさだかに見聞定めぬ事を云。霞にこめて、緑も深き山のさだかにも見定められぬと云義にたとへて、春山のとは冠旬によめり。古事記に春山の霞男といふ古語有。それらの事など思ひよりてよめるならんか。此卷の奧に、水鳥の青きともよめり。かもの毛色は青きものなれば、それにたとへたり
 
紀女郎歌一首
 
1452 闇夜有者宇倍毛不來座梅花開月夜爾伊而麻左自常屋
やみなれば、うべもきまさず、うめのはな、さけるつきよに、いでまさめとや
 
麻左自常屋 自の字は目の誤りならん。然るを誤字と見わけざるから、まさじと濁音によみては、歌の意聞え難き故、拾穂抄等にも言外の意を添へて注せり。言葉をそへて無理押の注をなさんは、いかにともなるべけれど、目の字の誤りと見て、義安(367)き歌は決して誤字と見るべし。此歌も暗なれば、尤來まさぬ理り、梅かほり月あかき夜を待えて來まさめとや、暗には來まさぬと何の六ケ敷もなき意也。然るを月夜に來まじとはいかなる心にてやと、恨み疑ふ意など、言葉にもあらはれぬ意を添へて言へる事附會の説也
 
天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈入唐使歌一首并短歌
 
入唐使 此入唐使は多治比眞人廣成也。第五卷にも注せり。第九第十九にも此時の歌あり
 
1453 玉手次不懸時無氣緒爾吾念公者虚蝉之命恐夕去者鶴之妻喚難波方三津埼從大舶爾二梶繁貫白波乃高荒海乎島傳伊別往者留有吾者幣引齊乍公乎者將往早還萬世
玉だすき、かけぬときなく、いきのをに、わがおもふきみは、うつせみの、みことかしこみ、ゆふされば、たづのつまよぶ、なにはがた、みつのさきより、おほぶねに、まかぢしゝぬき、しらなみの、たかきあるみを、しまづたひ、いわかれゆけば、とゞまれる、われはゝらへに、いはひつゝ、きみをばやらむ、はやかへりませ
 
不懸時無 心にかけぬ時なく也。玉だすきと序をそへたる也
氣緒 命にかけておもふとの義也
うつせみの云々 此句心得難し。第九卷の歌二首とも此句ありて、世の人なれば大君のといふ句有。然ればこゝも同じことなるべき歟。尤うつせみの身とうけたる詞とも聞ゆれど、奧の歌の例によれば二句脱したると見ゆる也
二梶 おも梶、とり梶と云をとる義也。まは初語の詞にも見る也。左右の事をも云也。とかく船の左右の、梶をしげくつらぬきたるをいへり
繁貫 しゝといふ事はしき/\と云語に通也。しかくすき間なきと云意也。此集には櫓をもかぢとのみよめり
高荒海乎 高きあるみとよむべし。白波の高くあるゝ海を也。いわかれのいは發語也
(377)幣引 ぬさひきと讀ませたれど、義訓にはらへとよむべきか。上古祓の時ぬさを引といふ事ありし故、古詠に大ぬさの引手あまたとよめり。此大ぬさとは、ぬさをほめ賞讃して云詞に、おほと云たる義と云傳たれど、實に上古祓の時大成賢木に麻ゆふをつけて、それを諸官人ひきいたゞきたる義と聞ゆる也。一説はらへ串を諸官人へくばることを、引と云たるものとの説有。大とはそのぬさをほめたる詞との義也。然れ共今神前などに、鈴の緒といふものを付て、参詣の人ぬかづく前に俗人共引ならしいたゞく事、又佛家に開帳萬日などいふ時、柱をたてそれに布を引わたす、善の綱と云ものなどある、これも上代祓の時の大ぬさの遺風の混雜と見ゆる也。然ればぬさ引とかきて、はらへにと義訓に讀べき歟。船出旅立の所にみな祓を執行せし事也。はらへとは祈?の事也
齊乍 神をいはひまつると也
將往 往の字若しくは待の字の誤ならんか。やらんとありても義は同じ。船中無難に御使無難につとめて早くかへり給へと、神々に祈り願ふと也。よく聞えたる歌也。是等の歌朋友の義を守り、實意をのべたる人の教へともなる歌也
 
反歌
 
1454 波上從所見兒嶋之雲隱穴氣衝之相別去者
なみのうへゆ、みゆるこじまの、くもがくれ、あないきづかし、あひわかるれば
 
氣衝之 思ひにせまりて、といきをつくなど云義也。胸せまりてひたもの/\息をつくこと也。物思ひの胸にせまれば幾度も/\息をつきたくなるもの也。よりていきづかしとはいへり。あなとは切なることを云歎息の詞也。あひ別れなばとよめば、いきづかしと云てには不v合也。然らば衝之の之は六の字の誤りならんか。しからばあひ別れなば共よむべし。しかしあないきづかしと云詞は珍しき詞なれば、いきづかしあひ別るればとよめるならんかし
 
1455 玉切命向戀從者公之三船乃梶柄母我
たまきはる、いのちにむかへ、こふからは、きみがみふねの、かぢからもあれ
 
(378)此歌諸抄の説印本共に、命に向ふ戀よりは、君がみふねの梶からもわがと讀ませたり。如v此よみて歌の意いかに共通じ難し。朋友の間にさ程に戀したひて、さ程に戀したはんよりは、せめて船の梶の柄にもなりなんなどいふべきことにあるべからす。尤歌は深切をつくして、言葉にあらはすものなれど、相應小相應有。夫婦父母の別れなどならばさもあるべし。此歌の意如v此よめるにはあるべからす。本歌にも神にいのりごとあれば、命にもかへてこふとは請祈ること也。無難をこひ祈るその力もあれと云歌と見る也。いのりの力もありて、船中無難にあれと願ふ歌と見る也。梶からのかは初語にして、船のかぢをよせてよめる古歌の通格也
 
藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首
 
1456 此花乃一與能内爾百種乃言曾隱有於保呂可爾爲莫
このはなの、ひとよのうちに、もゝだねの、ことぞこもれる、おほろかにすな
 
一與乃内 やゐゆゑよ通音にて、一枝といふ意をかねて也。花びらの一重一よといふ意にて、枝をかねたる義と見るべし。又一葉といふ義也。葉は世といふ字注ありて、人の世と云にも通じて用也。詞の縁には夜をもふくめて、下にたねとも詠ませたるなるべし
百種 一枝の花のうちには、いくぱくの種をもゝつて咲もの故かくよめり。諸抄印本共百草とよませたり。くさ/”\の言をこめたるといふ義に注せり。なる程下の言はさま/”\のことをこめたるとの義なれ共、百たねとよみても其義也。たねと讀まざれば、おもての意不v濟也
おほろかにすな おろそかにすなとの義也 云出づる事樣々數多けれど、此花の一枝の内にこめて手折遣す程に、おろそかにすなとの意也
 
娘子和歌一首
 
1457 此花乃一與能裏波百種乃言持不勝而所折家良受也
(379)このはなの、ひとよのうちは、もゝだねの、こともちかねて、をられけらずや
 
和歌の上手の作也。此手折ておくり給ふ一枝の花の内に、百種のこもりて有とのことなれど、その百種のことをえ保ちかねて折られたる花ならずや。然れば此花は頼みにはなり難きとの答也。普通の返歌とは一段打上りたる返答也
 
厚見王贈久米女郎歌一首
 
1458 屋戸在櫻花者今毛香聞松風疾地爾落良武
やどにある、さくらのはなは、いまもかも、まつかぜいたみ、よそにちるらん
 
今もかも 今やといふ意也
地爾 この詞心得難し。集中につちにと詠める歌、これより已下いくらも有。然れ共地の字にて有るべからず。他の字の誤ならん。然らばあだにとか、よそにとよむべし。わがやど、或ひは宿になどよめる、上の句にかけ合して、よそとかあだとか讀める故、他の字を書たるならん。それを地に誤れるなるべし。宗祇などの説は身をあしく、おとしもつべきかとの意に見たるは雅情無き説也
松風疾 松風はやみと讀ませたれど、これも松風はやみと云事心得難し。とく早きとよめる字故、かく假名をつけたらんずれど、いかにとも義通じ難し。風をいたみとはいふ詞あり。尤も風はやみ共よめる歌あれ共、松風はやみと云詞穩かならず。此歌は思ふ心のおはしまして、よそへて詠給て贈られたるならん。娘子の心の外に移り行らんと、疑ひの下の意と聞えたり。松風とよめるは、わが見にゆかんをも待かねて、よそにちるらんかとの意を詠出たるか
 
久米女郎報贈歌一首
 
1459 世間毛常爾師不有者屋戸爾有櫻花乃不所比日可聞
よのなかも、つねにしあらねば、やどにある、さくらのはなの、ちれるころかも
 
此返歌も、打かへして世を恨み、先を恨める意をふくみたる歌に聞ゆる也。人も頼み難き世の中にて常ならねば、宿にある櫻(380)もちるなりとの意也。ちれる頃かもとは、櫻の花もちる頃かなと云意、かもは疑ひの意にては無く歎の意也。一説には先の宿の花もちる頃かもと見る也。此説は心得難し。世上の花も常ならねば、我宿にある花も、ちる時節になりてちると答たりとも聞ゆる也
 
紀女郎贈大伴宿禰家持歌二首
 
1460 戯奴【變云和氣】之爲吾手母須麻爾春野爾拔流茅花曾御食而肥座
けぬがため、わがてもすまに、はるのゝに、ぬけるちばなぞ、めしてこえませ
 
戯奴 先をさしたること也。君といふと同じ詞也
變云和氣 この字、注か或説か難v辨、變の字一本に反の宇に作れり。前にも比例或云の誤りたる處有。此もさならんか。又云といふ意にて反云2和氣1と書たる歟。一決し難し。兎角けぬと君といふ詞と同事に見る也。然るに次の歌も、此和氣とある詞にていかにとも不v濟也。見そこなひよりかな付の誤りも出來る也。次の歌君耳の君は、決して吾の字なるべし。その所にて注すべし。諸説は此字注と次の歌にて、わけとはわが事をいふとの説也。さにて家持の返歌不v濟。此歌のけぬと云もすまぬ也。尤返歌我君の二字は、別訓を知らずして假名をつけたる故、愈歌の意不v濟。惣ての歌紛らはしくなりて、こゝの贈答の三首殊の外入雜六ケ敷也。次の歌の君耳の君の字、一字の誤を正すれば皆すむ歌也。能々可v考
手もすまに 手もひまなくと云意也。奧にも此詞あり
茅花 本草綱目に白茅根補2中益氣1とあり。よりて古くは茅花をも食すれば、肥ると云ならはせるか。此歌もめして肥えよと贈りたる也。古くは食物をめしめすと云たり。今飯をめしと俗言にのこれるも、これらの遺言歟
歌の意は、君が爲に春の野に出て、手も隙なくつめる茅花を奉る程に、これをきこし召して肥滿をもなさしめよと也
 
1461 晝者咲夜者戀宿合歡木花君耳將見哉和氣佐倍爾見代
ひるはさき、よるはこひぬる、ねむのはな、われのみ見むや、わけさへにみよ
 
(381)合歡木花和名抄云、〔唐韻云、※[木+昏]、【音昏、和名禰布里乃木辨色立成云、睡樹】合歡木、其葉朝舒暮斂者也〕文選※[禾+(尤/山)]叔夜養生論云、〔合歡※[益+蜀]v念萱草忘v憂、注引2神農本草1云〕又引2崔豹古今注1云、合歡樹〔似2梧桐1枝葉繁互相交結、毎2一風來1輙自相離了不2相牽綴1樹2之楷庭1〕使2人不1v念。古今六帖には、かうかの木と云題に書けり。心得難し。音をとりて用たるか。和名抄にはねぶりの木と注り。此木歌の通晝は葉ひらけ、暮るればしほれ卷くもの也。その如く人をこふ人の、ひとりぬる樣なるにたとへて、夜は戀ひぬると詠めり。わが身の上に似たるこの花をわれのみ見んや。君も見てわが身の上を思へよと手折て贈れる也。此意を色々六ケ敷注せる説あれど、君の字吾の字ならでは、色々詞を付そへて注せねば聞えぬから、誤字とえ見ずして入ほかなる釋をなせり。手折て贈るとあるからは、われのみ見んやとならでは讀難きなり
 
右折攀合歡花井茅花贈也 是左注者文也。撰者かくの如きの袖書何の爲にせんや。二首の歌にて茅花ねむの花を贈れることは明らかなるを、重て如v此注すべき樣なし
 
大伴家持贈和歌二首
 
1462 吾君爾戯奴者戀良思給有茅花乎雖喫彌痩爾夜須
われやせに、けぬはこふらし、たまひたる、ちばななくへど、いやゝせにやす
 
吾君 これを、われきみにと讀ませたり。下を又けぬはと讀みて、けぬはわがことゝ注せる抄共あれど、この歌さ讀みて一向きゝ得られず。前二首共にいかに共まぎらはし。この吾君の二字は傍訓に書てさは讀まれぬ故、わざと此二字を書ける當集の格を、全篇にわたらずして假名をつけたる也。われやせにとは、われをや夫にして、そなたに戀らしと云意をこめて、且痩せよとこふらし。さればこそ給はれる茅花をくへど、いややせに痩するは痩せよとそこにこふらしと云意也。此をわれやせにと讀までは、下のいやゝせに痩すと云こと、何のはしなく出たり。尤肥ませと詠かけたる返歌なれば、いや痩せにと云べけれど、いやゝせと云は、句中に痩せると云義を詠まではいひ難き詞也。よりて上に夫にこふらしと云意によせて、われ痩せにと云詞をまふけたると見えたり。此けぬをわが事にしては、前二首の歌不v通。又此歌のわが君にと云わがも不v濟也。然れば(382)前の歌の君は、吾の字の誤りと見てとくと濟也。且此けぬをわれと見ては、こふらしと疑ふたる詞も不v濟。こふらしは先へかけたる詞也。肥へよとてたびたれど、さにて無くわれ痩せよとこふならし。いやゝせに痩せるはと裏を和へたる、是贈答のおもしろき歌也
 
1463 吾妹子之形見乃合歡木者花耳爾咲而蓋實爾不成鴨
わきもこが、かたみのねむは、はなにのみ、さきてやけだし、みにならぬかも
 
形見 此句心得難し。何とぞ別訓あらん。奧の赤人の藤の歌にも此二字あり。此歌よりも尚別訓無くてはすみ難し。然れば此歌も何とぞ別訓を可v考。尤此歌は紀女郎が思ひに惱める姿に比して、ねむの木を贈りたれば、女郎が姿を見て、ねむの木ともいはるべきか。しかしそれ共にかたみとよむ事心得難し。花のみ咲て實にならぬかも、かく詞のはなのみにて、まことの心はあるまじきと詰りて和へたる也。晝はさき、夜こひわびねむると云たれど、眞實の心はさも有まじきと云意を、花の實のなりならぬ事によそへて和へたり
 
大伴家持贈坂上大孃歌一首
 
1464 春霞輕引山乃隔者妹爾不相而月曾經爾來
はるがすみ、たな引山の、へだたれば、いもにあはずて、つきぞへにける
 
よく聞えたる歌也。殊に袖書をさへ左注者加へたれば、歌の意明らか也
 
右從久邇京贈寧樂宅
 
夏雜歌  古本傍注云、明日香清御原御宇天皇之夫人也。字曰大原大刀自即新田部皇子之母也
 
藤原夫人歌 此夫人は第二卷に出たり。其所に注せり
 
1465 霍公鳥痛莫鳴汝音乎五月玉爾相貫左右二
(383)ほとゝぎす、いたくなゝきそ、ながこゑを、さつきのたまに、あひぬくまでに
 
鳴ふるしては、五月の玉に相拔かん時に枯れなんことを惜みて也。五月の玉にといへるは、五月五日の藥玉のこと也。風俗通に藥玉の事見えたり。一名長命縷、一名續命縷ともいへり。この玉に相ぬく迄に鳴ふるすなと、はかなき下知をも詠なせる事歌の情也。時鳥を賞翫のあまりにかくよめり
 
志貴皇子御歌一首
 
1466 神名火乃磐瀬乃社之霍公鳥毛無之岳爾何時來將鳴
かみなひの、いはせのもりの、ほとゝぎす、ならしのをかに、いつかきなかん
 
毛無乃岳 これをならしの岡と讀む義は、毛は草とよむ事あり。左傳曰、食2土之毛1〔誰非2君臣1〕【毛草也】又史記鄭世家云。錫2不毛之地1【何休曰、撓※[土+舟]不v生2五穀1曰2不毛1】如v此唐士にても毛といふ字を用、また五穀の實を流毛などいふ故、毛なしといふは、人の踏ならして草木も不v生所と云意にて、ならしと讀ませたるならん。奈良といふ古事も、本ふみならしと云義なれば、それらに基き書けるならんか。奧の歌には、假名書のならしの岳とよめる歌あり。同所なるべし。若しけなしの岡と云地名あるか。未v考。此歌の意は、ならしの岡とよめる意おもしろし。神なひから岩瀬の森とよみ出たるは、皆險難の所をいひて、森の所にて今鳴時鳥の、平均のならしの處にも、いつか來鳴かんと、險難と平らなる處をかけ合てよみ給へるは、此卷の卷頭にのせられ給へる、たるみの御詠の御作者なれば、理りに聞え奉らるゝ也。八雲には、をかの部にけなしと載せさせ給ひ、ならしを此歌をもて毛なしと入させ給ひて、或説に注せさせ給へり。然ればけなしともならしとも兩名あるか。不審也。御歌の意は、ならしの岡にて時鳥を待給ふ義也。それを神なひより岩瀬を詠出給ふは、さかしく岩木の茂りて、險しき所に鳴鳥の、此なるき平らかなる岡にはいつ來鳴かんと、何の事もなく、險難と平かなる所をかけ合て、よませ給ふ上手の御作意也
 
弓削皇子御歌一首
 
1467 霍公鳥無流國爾毛去而師香其鳴音乎聞者辛苦母
(384)ほとゝぎす、無流くにゝも、ゆきてしか、そのなくこゑを、きけばかなしも
 
無流 この二字をなかると讀ませたり。いかに共心得難し。なきと云ことをなかると云ことは、つまりて聞よからず。又集中にも此一卷の外なき詞也。然れば別訓あらんか
辛苦母 くるしもと讀ませたれど、一字にて苦しと讀むべきを、二字書たればかなしもと讀まんか。尤意はいづれにても同じきなれど、時鳥の音を聞くを、苦しきと云べき程の事にもあらねば、かなしもの方なるべし。歌の意は時鳥無き國にも行きてしかな。鳴聲を聞けば物思ひをまして感情をます故、悲しく物うしとの義也。時鳥は昔もなき人をこひ、あるは戀の思ひをそふるものなれば也
 
小治田廣瀬王霍公鳥歌一首 小治田廣瀬王。天武紀云、十年三月庚午朔丙戊〔天皇御2于大極殿1以詔2川島皇子忍壁皇子廣瀬王 中略 大山平群臣子首1令3記2定帝紀及上古諸事1〕持統紀云、六年二月丁酉〔朔丁未詔2諸官1曰。當以2三月三日1將v幸2伊勢1宜d知2此意1備c諸衣物1。三月丙寅戊辰、以2淨廣肆廣瀬王、直廣參當麻眞人智徳、直廣肆紀朝臣弓張等爲2留守官1。〕續日本紀文武紀云、大寶二年〔十二月乙丑〕從四位下廣瀬王云々。元明紀云、和銅元年三月〔丙午、從四位上廣瀬王爲2大藏卿1。〕元正紀云、養老二年正月〔正四位下。〕同六年正月〔癸卯朔庚午、散位〕正四位下廣瀬王卒
 
1468 霍公鳥音聞小野乃秋風芽開禮也聲之乏寸
ほとゝぎす、こゑきくをのゝ、あきかぜに、はぎさきぬれや、こゑのともしき
 
秋風にはぎ開ぬれや 秋風立ぬれば、萩の花咲ものなれば、未だ秋にはならねど、時鳥の聲すがりになりて、六月の末頃にもなれば、聲稀に成行、その折の歌なるべし。聲のともしきは、聲すくなくなりたると云意也。畢竟聲のまれになり、すくなくなりし事を云はん計の序歌にて、上の句つゞきに何の意はなき歌也
 
沙彌霍公鳥歌一首 此沙彌三方さみなり。氏を脱せるなるべし。三方沙彌は紀には見えず。此集第二卷に出たり。紀には三方宿禰廣名と云者見えたり。此末か
 
(385)1469 足引之山霍公鳥汝鳴者家有妹常所思
あしひきの、やまほとゝぎす、ながなけば、いへなるいもを、つねにしのばる
 
この常にしのばると云句心得難し。常の字別訓あらんか。全體此歌は旅行などにてよめる歌なるべし。家なる妹をと云句も平生一所にある妻をしのぶべき樣なし。旅行の山路などにて聞ける折によめるか。よりてあしひきの山とも、その當然をとりてよめるか
 
刀理宣令歌一首
 
1470 物部乃石瀬之杜乃霍公鳥今毛鳴奴山之常影爾
ものゝふの、いはせのもりの、ほとゝぎす、せめてもなきぬ、やまのとかげに
 
ものゝふのいと續く事は、ものゝふの矢とつゞく意と同じ。武士は弓箭を專として、弓射ることを業とするもの故、弓射るの射とうけたるもの也。此ものゝふと詠出たるは、下の句にせめといふ詞を設けん爲也。せめてといふ詞のひかへに、武士とは詠み出たると聞えたり。此歌の一句、金玉は此せめてもとよめる所なるべし。前に神なひのいはせの森あり。險難さかしき意をこめて、平の地にいつか來なかんとよめる歌あり。こゝは又武士のいはせとよみて、險難のさかしき地をも武士のせめはたわば、山のとかげに鳴くと云意也。時鳥をせめかけて聞かなんとせし甲斐ありて、せめても鳴きしと云意を含みて、かくはよめると聞ゆる也。たゞ何となく詞の通に聞ては、意味も趣向もなき歌なれど、古詠はケ樣の意を下に含みてよめる也。惣而の歌の意一句一言にてもふまへありて詠出たる也。尤も何の意なきすらりと聞えたる歌もあれど、下のよせ含みある歌は、又別に如v此其筋あることなり
今毛 これを印本諸抄共に今もとよませたり。今も鳴かぬかとよみて、此歌何と聞得べき樣なし。よりて宗師案には、今は令の字の誤りたると見て、初五文字の意をも引合て案を加ふる也
 
山部宿禰赤人歌一首
 
(386)1471 戀之久婆形見爾將爲跡吾屋戸爾殖之藤波今開爾家里
こひしくば、かたみにせんと、わがやどに、うゑしふぢなみ、いまさきにけり
 
戀之久婆 普通の印本には久を家に作れる也。無點本並に古一本には久の字也。家の字は誤りならんか。しかし十八卷目の歌戀之家婆と書る歌あり。若しこひしくばと云を方言にてこひしかばと讀たるか。心得難し
形見 前にも注せる如く、此形見の字別訓あるべし。此歌にてかたみにと讀みては、いかにとも聞え難し。諸抄の説は時鳥の時節なれば、時鳥の鳴すぎし聲のこひし時は、形見にせんと云義と押て釋せり。古今の歌に、池の藤波咲きにけり山時鳥いつか來鳴かんと云歌など引て、時鳥のかたみにせんとの説あれど、いかに共心得難し。何をこひしくば何のかたみにせんと云事にや。形見にせらるゝわけのことならば、はし作りなどありて聞えさせたるか。名達の赤人の詠なれど、此二字かたみと讀みては何の意とも聞得難し。藤波といふと、池水などの縁なくてはいかゞと難せる歌合など後世にありしかど、古詠かく證あれば憚るべきにもあらざるを、其時の判者此集をもよく見覺えざるか。藤は淵と云詞によりて、波とはよめる也。藤なみといひて、すぐに花の事になるの證も此例などをや取るべき
師後案、印本の戀之家婆正本ならん。こひしければの略也。こひしければ藤を植て、後々迄わがなくなりても形見にせんと思ひ、植ゑし藤の今咲きにけると云歌と見る也。形見はわが後の形見の意也。予末2甘心1也
 
式部大輔石上竪魚朝臣歌一首 此時未2四品1ども、後の官位を以記せり。續日本紀云、元正紀養老三年正月〔授2正六位下石上朝臣堅魚從五位下1〕聖武紀神龜三年正月〔從五位上〕天平三年正月〔正五位下〕同八年正月〔正五位上〕
 
1472 霍公鳥來鳴令響宇乃花能共也來之登問麻思物乎
ほとゝぎす、きなきどよます、うのはなの、共也こしと、とはましものを
 
共也 此詞心得難し。別訓あるべし。うの花のともにやと云つゞき何とも續かぬ詞也。諸抄の説も不v濟義ども也。一説は時鳥を、蜀魂と云古事などもありて、冥途の鳥と云習はせり。歌にも、しでの山、しでのたおさ、世の中に住わびぬなどよめる(387)歌もあれば、黄泉より來る鳥の樣に云ならへば、なき人と共にやこしと云意と注せり。一説には弔にや來しと云義、又竪魚の供奉にやこしと云の説々一義も信用し難し。うの花の共にやとよみたれ、なき人とゝもにやと云はるべき事にあらず。うの花の咲たる時節の、天氣と共にやと云意ならば、うの花のといはれまじ。兎角うの花の共にやといふて、此句いかに共聞えず、不v續詞なれば、別訓を可v案也。別訓か誤字かの待2後案1耳。此歌は袖書にある通、大伴卿の妻大伴郎女身まかり給ふ時、從2朝廷1御弔使として堅魚朝臣被v遣し時の歌也
 
右神龜五年戊辰太宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉于時 勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣太宰府弔喪并贈物色其事既畢驛使乃府諸卿大夫等共登記夷城而望遊之日乃作此歌
 
其事既畢 勅使之義相濟て也。登記夷城、水城の義なるべし。筑前國下座郡にあり。城邊と云も同所也。天智紀、於2筑紫1築2大堤1貯v水〔名曰2水城1。〕和名抄云、下座郡【美津木】記夷城といふは、紀伊國の例歟。古注者考ふる所ありて注せるなるべし。弔喪使の事は續日本紀に見えたり
 
太宰帥大伴卿和歌一首
 
1473 橘之花散里乃霍公鳥片戀爲乍鳴日四曾多寸
たちばなの、はなちるさとの、ほとゝぎす、かたこひしつゝ、なくひしぞおほき
 
橘之云云 五月頃さく花の、時鳥にそひたるものなれば、詠出て身まかり行きし妻に比したる也。時鳥をわれに比して、大伴卿の妻に離れて、ひとりのみ慕ひ鳴といふ歌也。片戀はひとりのみ慕ひ鳴くと也
 
大伴坂上郎女思筑紫大城山歌一首 坂上郎女は旅人の娘也。太宰府へ旅人を見舞に下されし事あり。則第六に天平二年を表してありし處に見えたり。歸京して詠給へる歌なれば、天平三年の歌ならんか
 
1474 今毛可聞大城乃山爾霍公鳥鳴令響良武吾無禮杼毛
(388)いまもかも、おほきのやまに、ほとゝぎす、なきどよむらん、われなけれども
 
大城山 第四卷に城山の道、第五に、此城の山と詠めるも此大城の山也。われはなくても時鳥は鳴きどよむらんと也。去年を思ひ出でて思ひやれる歌也
 
大伴坂上郎女霍公鳥歌一首
 
1475 何哥毛幾許戀流霍公鳥鳴音聞者戀許曾益禮
なにしかも、こゝたくこふる、ほとゝぎす、なくこゑきけば、こひこそまされ
 
何にしいたくこふる聲を聞けば、愈戀しくしたはるゝにと也
 
小治田朝臣廣耳歌一首 廣耳は廣千歟。聖武紀天平五年三月辛亥〔正六位上小治田廣千授2外從五位下1〕同十三年八月〔從五位下小治田朝臣廣千爲2尾破守1〕十五年六月〔從五位下小治田朝臣廣千爲2讃岐守1〕
 
1476 獨居而物念夕爾霍公鳥從此間鳴度心四有良思
ひとりゐて、ものおもふよひに、ほとゝぎす、こゝになきわたる、こゝろしあるらし
 
此歌の見樣兩義あり。物思ふ折から鳴わたるは、われも妻戀する音を聞けど、ひとりわびゐるを語らふの心あるらしと見る義有。又古詠の格さのみな鳴きそと詠める意の一義ありて、かくまでひとり物思ひ居夕なるにさのみに鳴きそ、心あるべきものをと云意にも見る也
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1477 宇能花毛未開者霍公鳥佐保乃山邊來鳴令響
うのはなも、いまださかねば、ほとゝぎす、さほのやまべを、きなきどよます
 
未開者 此てには心得難し。咲かぬにとあるべきを、ばと讀ませたるは前にも注せる如く、者の字は、にとも、そとも、さとも、(389)もとも讀む也。集中にさ讀まで不v濟歌共いくらも有り。既に此歌のてにはも、にとならでは讀まれぬ歌也。然るにばとより外は讀まれぬと心得たる假名づけあるから、其假名付にお縛られ、注釋色々の僻説出來る也。しかし此歌はうの花未だ咲かねば、山にのみ鳴きて又里邊には出ぬと云義をよめるとも聞ゆる也
 
大伴家持橘歌一首
 
1478 吾屋前之花橘乃何時毛珠貫倍久其實成奈武
わかやどの、はなたちばなの、いつしかも、たまにぬくべく、そのみなりなむ
 
よく聞えたる歌にて何の意もなき歌也
 
大伴家持晩蝉歌一首 晩蝉、和名抄云〔爾雅注云、茅蜩一名、〓【子列反、和名、比久良之】小青蝉也、禮記月令云、仲夏之月蝉始鳴、季夏之月寒蝉鳴〕
 
1479 隱耳居者欝悒奈具左武登出立聞者來鳴日晩
こもりのみ、をればいぶせく、なぐさむと、いでたちきけば、きなくひぐらし
 
打こもりのみ居れば、鬱蒙としていぶせさに、出でて聞けばひぐらしと云蝉の鳴くと也。秋近く鳴く蝉なれば、慰心は無くて感情をもそふるの意なるべし
 
大伴書持歌二首
 
1480 我屋戸爾月押照有霍公鳥心有今夜來鳴令響
わかやどに、つきおしてれり、ほとゝぎす、こゝろあるこよひ、きなきどよませ
 
押照 おしは、臨みてらすと云意、おしなべてと云義也。又助語とも見るべし。わが宿に月のさやかに照る今宵し戀心ありてこそ、時鳥なきどよむと云歌也。心あれと今宵也。あれはあらめの約言也
 
(390)1481 我屋前乃花橘爾霍公鳥今社鳴米友爾相流時
わかやどの、はなたちばなにゝ、ほとトぎす、いまこそなかめ、ともにあへるとき
 
友爾相流時 たち花と時鳥相共に折あひたる時、今こそ鳴かめと也
 
大伴清繩歌一首
 
1482 皆人之待師宇能花雖落奈久霍公鳥吾將忘哉
みな人の、まちしうのはな、ちるといへど、なくほとゝぎす、われわすれめや
 
皆人はうの花ちるといへども、われは鳴く時鳥を忘れめやと也。うの花も時鳥も賞愛の心からは、ちりゆき枯行とも忘れまじと也
 
庵君諸立歌一首 男子か婦人か難v辨。歌は婦人の歌の樣也
 
1483 吾背子之屋戸乃橘花乎吉美鳴霍公鳥見曾吾來之
わがせこが、やどのたちばな、はなをよみ、なくほとゝぎす、みにぞわがこし
 
わがせこ これは男夫をさしていへる詞也。しかる故作者不審也。此奧にも宇合卿の歌にあり。然れ共宗師は不v用。女の詞なりと決して、此歌も婦人の歌ならんと也。此歌は婦人とも決し難き也
見曾吾來之 橘も咲、時鳥もなれ來て鳴けば、あかずして見にこしと也。庵君か見に來れるとの義也
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1484 霍公鳥痛莫鳴獨居而寐乃不所宿聞者苦毛
ほとゝぎす、いたくなゝきそ、ひとりゐて、いのねられぬに、きけばくるしも
 
時鳥は聲を待かね鳴すぐるをも慕ふものなるに、いたくな鳴きそと詠めるは、物思ひをます鳥と云故也。ぬし定まらぬ戀せら(391)るはたなど詠めるにても知るべし。時鳥の声は、悲しき物思ひを添ふることにもよみなす故、ひとりねがちの物苦しきを添ふるなといふ意也。ひとりゐてと云處に物思ふ義を知らせたる也
 
大伴家持唐棣花歌一首 唐棣花説々決し難し。別に注せり。歌に、はねずと詠みたり
 
1485 夏儲而開有波禰受久方乃雨打零者將移香
なつまけて、さきたるはねず、ひさかたの、あめうちふらば、うつらふらんか
 
夏儲而 此まけてといふ事、儲設の字を書たる故、まふけてといふ義諸抄の説也。夏まうけてと云わけ心得難し。本の意不v濟義也。前にも注せる如く、これはむかへてと云義と見る也。かへの略言け也。むかの約ま也。又む、まは同音也。むかへを約し、かへと約すること、一語を兩用に用ゐる法例あらんか。可v考。あるべきことゝ思はれ侍る也。若し兩方へかね難くは、まはむにて通音と見るべし。此集中にいくらも此まけと云詞あり。むかへてと云義なれば悉濟也。まふけてといふては不v合歌あり
波瀾受 端作に唐棣花と書けり。日本紀には朱華と書て波泥孺と訓せり。赤花と見えたり。和名抄には此はねずを不v載。此唐棣花の事字書等まち/\にして一決し難し。棣の字和名抄には郁子の一名とせり。今の世いづれの花と云事をしかとは不v極也。まづ四五月のころ赤黒き花咲て、むくげの形に似たるもの也。唐棣をきはちすと讀めるは誤也。兎角赤き花にて、うつろひやすき色の花と聞えたり。尚追而可v考。當集に四首まで有。皆うつろひやすき意をよめり。此歌の意も雨ふらばうつろはんかと也
 
大伴家持恨霍公鳥晩喧歌二首
 
1486 吾屋前之花橘乎霍公鳥來不喧地爾令落常香
わかやどの、はなたちばなを、ほとゝぎす、きなかで地に、ちらしめんとか
 
地爾 前にも注せる如く、つちにと讀みては歌詞とも覺えず。集中此詞數歌あり。悉他の字の誤りと見る也。つちに散らし(392)めんと讀みては義の不v通歌多し。よし義の叶へりとても、きはめて他なるべし。他の字なればよそにとか、あだにとか讀むべし。それにてはよく叶ふて歌の意もおも白き也。歌の意は、これにてよく聞えたり。時鳥の晩く來るを恨むる意也
 
1487 霍公鳥不念有寸木晩乃如此成左右爾奈何不來喧
ほとゝぎす、不念有寸、このくれの、かくなるまでに、いかできなかぬ
 
不念有寸 これをおもはずありきと讀ませて、諸抄の説はかく木の茂るまで、來鳴くまじきとは思はずありきと云義に釋せり。然れ共いかで來鳴かぬと讀みたれば、このてには不2打着1也。よりて宗師案は、思はずやありきとか、こひやせざりきとか、こひずやありきとか讀むべしと也。然れば時鳥は常に妻こひするものなるに、妻こひはせず、おのが來ぬべき時とも思はざりきやと云意に見る也。思はずありきといふて、いかでと又讀みては、てには聞得難き也。かくなる迄に鳴かざらんとは云へば、今時のてにはにてはよく聞えぬれど、古代の風体其時の風格あれば、その意にてかくよめる事ならんか
木晩 こがくれと云も同じ語也。がと云濁音は、の也。夏の木々は緑に茂りて、木かげも暗くなるもの也。集中に此詞あまたあり。皆同じ意にて、木の枝葉茂りて下陰暗くなる事を云。木の下暗など詠めるも、このくれのと云と同じ。木の下暗の如くなる迄、いかで來鳴かぬぞとゝがめし歌也。おそきを恨むるの意明也
 
大伴家持懽霍公鳥歌一首
 
1488 何處者鳴毛思仁家武霍公鳥吾家乃里爾今日耳曾鳴
いづこには、なきもしにけん、ほとゝぎす、わがへのさとに、けふのみぞなく
 
いづかたには鳴きつらん。こゝにはけふこそ初めて鳴と、聲珍らしく聞得たるを悦べる也
 
大伴家持惜橘花歌一首
 
1489 吾屋前之花橘者落過而珠爾可貫實爾成二家利
わかやどの、はなたちばなは、ちりすぎて、たまにぬくべく、みになりにけり
 
(393)よく聞えたる歌也。花の散過たる事を惜みたる也
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1490 霍公鳥雖待不來喧蒲草玉爾貫日乎未遠美香
ほとゝぎす、まてどきなかず、あやめぐさ、たなまにぬくひを、いまだとほみか
 
蒲草 菖の字を脱したるたらん
未遠美香 郭公は五月を專と鳴ものにて、わきて菖蒲、橘のかをりを慕ふ由詠みなせば、五月五日あやめのかづらの藥玉かくる日を專とあらはして、未だ五月に間もありとてや、待てども鳴かぬと也
 
大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首 雨日、あめふる日也
 
1491 宇乃花能過者惜香霍公鳥雨間毛不置從此間喧渡
うのはなの、ちらばをしみか、ほとゝぎす、あまゝもおかず、こゝになきわたる
 
過者 此字多く皆すぎすぐと讀ませたれど、義訓にちりと讀むべき所多し。此歌もちりと讀むべし。花紅葉の歌に書たるは、皆義をもて散り散ると云義に書たるを、字のまゝに讀めるは、歌の意を不v辨故歟。あまゝも不置は、前にも毎度注せる如く、あめ降る日にもやまずと云義也。雨のあひだもおかぬとの事也
 
橘歌一首 遊行女婦 和名抄云、〔楊氏漢語抄云、遊行女兒、【和名、宇加禮女又云、阿曾比】〕
 
1492 君家乃花橘者成爾家利花乃有時爾相益物乎
きみがへの、はなたちばなは、なりにけり、はなのさかりに、あはましものを
 
成爾家利 花散て實になりたると也。花の盛にあはで、時過て見る事の殘多きと也。遊び女の誰人の家にてよめるか。難v考
 
大伴村上橘歌一首
 
(394)1493 吾屋前乃花橘乎霍公鳥來鳴令動而本爾令散都
わかやどの、はなたちばなを、ほとゝぎす、きなきならしで、もとにちらしつ
 
令動而 どよめてと讀ませたれど、どよもしめて、どよましめてと云義なれば同じ意なれど、どよむと云詞、もとはよぷと云語也。どは呼と云字の意なれば、どよめてと云事は少いひ難し。ことに來鳴きと上にある詞のつゞきも、ならしてと云うつりよければ、どよむと云もならすことなれば、失張ならしてと讀むべき也。どよむと濁音に云來れるは心得難けれど、前にも橘のもとに道ふみと詠める事もあれば、その通によむ也。外の字の誤りにはあらざらんか。然らばよそにとよむべし。歌の意もわが宿のと詠出たれば、よそにとよめる事かけ合たる樣に聞ゆる也
 
大伴家持霍公鳥歌二首
 
1494 夏山之木末乃繁爾霍公鳥鳴響奈流聲之遙佐
なつやまの、こずゑのしゞに、ほとゝぎす、なきどよむなる、聲のはるけさ
 
繁爾 しげにと讀ませて、諸抄にも假名付の通に釋したれど、しゞにと云詞は假名書にも見えたり。しげにと云詞茂みにと云義にや。語例もなければ心得難し。しゞにと云は、しき/\と云語の略語か。しきは隙間なきと云詞なれば、茂りたる木末の隙間なき如く、夏山になく聲、茂みに隔たりて聲遙かに聞ゆるとの義也。夏山と詠出たるは、未だ里に出鳴かぬを待心にや。遠く遙かなると詠めるならんか。又茂みと云意なれば、茂りたる木立に隔たりて、聲の遙かに遠く聞ゆるの意也
 
1495 足引之許乃間立八十一霍公鳥如此聞始而後將戀可聞
あしひきの、このまたちくゝ、ほとゝぎす、かくきゝそめて、のちこひむかも
 
あしひきの この間と續きたること珍し。山は木茂きものなれば、山と云を略して木《コ》と請たるもの也。尤きのこと請けたるものとも見ゆれど、山を略してこと受たるなるべし。それは例外の冠辭にもありて、ぬば玉のよと云べきを或ひは、ゆめ、いも(395)等請けたる類ひ、これ夜に付たる事、又いさなとり海とつゞきたる本語を略して
はま磯などよめる類に同じ
たちくゝは たちくゞる也。もるゝと云も同じ。日本紀神代卷に漏の字をくきと讀ませたり。もれくゞると云義也。ほとゝぎすの立くゞりと云と、聲もれ|くるゝ《本マヽ、くゝるか》と云と兼ねて立くゞとは詠めり。八十一と書きたるは義訓也。九々と云義をとりて此集におも白き書樣をなせり。これを萬葉書とは云也。しゝを十六と書けるに同じ。一説、たにくゝは木の間立にくゝ聲を愛して鳴く、木の間立さり難くと云意と云説あれど、入ほかなる説ならんかし
 
大伴家持石竹花歌一首 石竹、なでし子とよむ也。歌には瞿麥と有。此集には假名書に皆なでしこと書り。とこなつとは書かざれば、古くとこ夏とは讀まざりけるか。今も、床夏、瞿麥、同類にて少違有。なでし子は夏秋へかけて野山に咲もの也。床夏は前栽などに蒔て作る也。花形は同じきものながら少は違あり。此集床夏とは詠まずして、なでし子と假名書にしたるは若しくは別種ならんか
 
1496 吾屋前之瞿麥乃花盛有手折而一目令見兒毛我母
わかやどの、なでしこのはな、さかりなり、たをりてひとめ、みせむこもかも
 
能聞えたる歌也。不v及v注也
 
惜不登筑波山歌一首 筑波山に登らざることを惜む歌一くさ。筑波山、常陸、和名抄云、〔常陸國筑波郡〕袖書に右一首云々と有。高橋蟲麿の筑波山に登らざるを惜みて詠めるか。外人の詠めるを歌集に出せるか不v詳也。左注者は考ふる所ありて此歌虫麻呂歌中に所見也。歌中に出とあれば蟲麿の歌ならんかし
 
1497 筑波根爾吾行利世波霍公鳥山妣兒令響鳴麻志也其
つくばねに、わがのぼりせば、ほとゝぎす、やまびこどよまし、なきなましもの
 
行利世波 登りせばと讀むべし。印本諸抄共にゆけりせばと讀みたれど、端作りに登とあれば、ゆけりと云詞も不v好詞なれば、義をもて書きたるならん
(396)鳴麻志也其 これを、鳴かましやそれと讀ませたり。其の字いかに共心得難し。鳴かましやそれと云歌の意聞得られず。筑波山をさしてそこと云たる義、そのなく聲を打返して、そのとさしたるとの諸抄の説也。外にもかく詠める句例あらばさもあらんか。それとてもうけがひ難し。歌の意聞え難し。兎角母の字の誤なるべし。鳴きなましやもと云て、此也とは嘆の詞、鳴きなましものを聞かで殘多きと惜める意と聞也。然れば何の事もなく能聞ゆる歌也。それとか、そことかいひて六ケ敷詞をそへて云はねば聞きにくき也。古詠は左樣六ケ敷入ほかなる事は無き也
 
右一首高橋連蟲麻呂之歌中出 前に注せり
 
夏相聞
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1498 無暇不來之君爾霍公鳥吾如此戀常往而告社
いとまなみ、こざりしきみに、ほとゝぎす、われかくこふと、ゆきてつげこそ
 
暇無くてや來まさぬ人の方へ鳴過る鳥に、こなたには、かくまでこひわびる思ひの程をつげよとあとなく詠める也。歌の意は皆かくの如きこそ雅情と云もの也。よく聞えたる歌也
 
大伴四繩宴吟歌一首
 
1499 事繁君者不來益霍公鳥汝太爾來鳴朝戸將開
ことしげみ、きみはきまさず、ほとゝぎす、なれだにきなけ、あさとひらかん
 
待戀ふ人は來まさず、誰を待つとて朝戸を開かんや。せめて時鳥なり共來鳴かば、朝戸開きて聞かんと也。開かんと云詞例あれば、假名の通に讀むべし
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(397)1500 夏野之繁見丹開有姫由理乃不所知戀者苦物曾
なつのゝの、しげみにさける、ひめゆりの、しられぬこひは、くるしきものを
 
夏の野の草繁き中に咲ける姫百合は、百草にまじりて知れ難きもの也。我心の内に思ひわぶる戀をよそへて苦しきと也。姫百合とは小き百合也。すべていたいげなる小ものを姫小松、姫菅などいへり。道のへの草ふか百合と云歌の百合も同じ意也。草中にまじりてあらはれ難きもの也。姫百合は紅百合共山丹花共書けり
 
小治田朝臣廣耳歌一首
 
1501 霍公鳥鳴峯乃上能宇乃花之厭事有哉君之不來益
ほとゝぎす、なくみねのへの、うのはなの、うきことあるや、きみがきまさぬ
 
峯乃上能 峰のほとりの義也。此歌の意、たゞ憂き事ありやといはん迄に、時鳥の節物なれば、卯の花をとり合て、憂きことゝうけん詞の縁に詠合せたるもの也。上の句何の意もなし。古詠の格前々より注せる如く皆かくの如し。憂き事あるやの一句につゞめる迄の事に、上の句にその節物の離れぬ義を詠そへたり。今時の風體は上の句にも、意味をこめ理をつくしてよめる歌多き也。時代々々の風體也。第十の歌にも全此下の句あり
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1502 五月之花橘乎爲君珠爾社貫零卷惜美
さつきの、はなたちばなを、きみがため、たまにこそぬけ、ちらまくをしみ
 
さつきの 四言の初句あまたあることなれば、四言にもまた、之の字は、なると讀ませたる事集中多し。兩樣に可v讀也
社 此の字普通の本には脱したり。一本に有をもて正本とす。なくても諸本皆こそとつけ讀僻名を付置たり。歌の意は、花橘の實を賞美して睦まじく思ふ人に見せん爲、珠に貫きて木にならし置と也。散落ちては惜しき故、君に見せん爲珠に貫き置(398)木になりたるを貫とよめる也。珠にこそと云にて、木になりたるをよめる意よく聞えたり。橘の實は赤き玉の如くなれば、皆玉とよみなせり
 
紀朝臣豐河歌一首
 
1503 吾妹兒之家之垣内之佐由理花由利登云者不謌云二似
わぎもこが、いへのかきちの、さゆりばな、ゆりといひて者、ふしなきにゝる
 
此謌きゝ得難き歌也。諸抄の説も不2打着1也。宗師案は、者の字皆はと計假名ある故、はとならでは不v續事と心得たれど、集中色々字義によりてよめる歌有。さなくては聞えぬ歌共數々の事なれば、字義に應じ、其歌によりてよむ事也。此歌もいひてもと讀たる歌と聞ゆる也。もと讀む譯は、ものと云字なれば上の一言をとれる也。扨又、不謌云二似の五字は節なきに似る也。ゆりといひてもと云ゆりは、曲節の事にて、歌を歌ふには節を附けてゆるものなれば、ゆりと云ても節無きに似るとは、ゆりとはよりよると云義にて、上の句はたゞ此ゆりと云てもと云一句にうけん爲に、さゆり花と詠たる也。第十八卷に百合の歌三首ありて皆よりよる事をいはん序によめり。此歌もその通也。さゆりを妹にたとへて、よりと云てもよりあはねば、歌いはずと書きて義訓節無きに似るとよみて、ゆりといひてゆらぬに似たるとは、よりあはぬと云の義ならんと也。印本等の假名の通に歌はぬに似ると讀みては、たゞごとにて歌にあらず。義訓に節なきに似ると詠める所歌也。無伏に似たると云意を詞に含みて也。よりあひてふしあはぬと云義を云はん爲に、ふし無きにとはよめるならん。兎角歌は如v此なぞらへのひかへなくては不v詠古詠の例格、集中の歌共いくらも此例ある事也。此歌もふし無きとよめるにて、無伏と云意をこめたる處歌也
 
高安歌一首
 
1504 暇無五月乎尚爾吾妹兒我花橘乎不見可將過
いとまなみ、さつきをひさに、わぎもこが、はなたちばなを、みずかすぐさむ
 
此歌兩樣に聞ゆる歌也。わぎもこが方の花橘を、高安が行きて見ずやすぎんとよめると聞ゆる也。然れ共又わぎもこが暇無(399)くて、高安の方の橘を、五月の頃だに見ずに過ぎんとよめる共聞ゆる也。よく聞えたる歌也。
 
大神女郎贈大伴家持歌一首 みわのいらつめ、大伴の家持におくる歌ひとくさ
 
1505 霍公鳥鳴之登時君之家爾往跡追者將至鴨
ほとゝぎす、なきしそのとき、きみがへに、ゆけとおひなば、いたりなんかも
 
時鳥に、わが思ふ人の方へ行けよと追やらばいたらんかと也。行けと追やる心には、數々の心こもりてあるべけれど、言外にあらはれざれば注し難し
 
大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首
 
1506 古郷之奈良思之岳能霍公鳥言告遣之何如告寸矢
ふるさとの、ならしのをかの、ほとゝぎす、ことづけやりし、いかにつげきや
 
奈良思之岳 大和、今ならといふ所あるその處の岳なるべし。ならしの岳とよみたるは、なれしと云意にて、古里のならしとよめり。田村大孃の古里なるべし。歌の意聞えたる通也
 
大伴家持攀橘花贈坂上大孃歌一首并短歌
 
1507 伊加登伊加等有吾屋前爾百枝刺於布流橘玉爾貫五月乎近美安要奴我爾花咲爾家里朝爾食爾出見毎氣緒爾吾念妹爾銅鏡清月夜爾直一眼令覩麻而爾波落許須奈由米登云管幾許吾守物乎宇禮多伎也志許霍公鳥曉之裏悲爾雖追雖追尚來鳴而徒地爾令散者爲便乎奈美攀而手折都見末世吾妹兒
いかといかと、あるわがやどに、もゝえさし、おふるたちばな、たまにぬき、さつきをちかみ、あえぬかに、はなさきにけり、あさにけに、いでみるごとに、いきのをに、わがおもふいもに、まそかゞ(400)み、きまきつきよに、たゞひとめ、みせむまでには、ちりこすな、ゆめといひつゝ、こゝたくも、わがもるものを、うれたきや、しこほとゝぎす、あかつきの、うらかなしきに、をへどをへど、なほしきなきて、いたづらに、あだにちらせば、すべをなみ、よぢてたをりつ、みませわぎもこ
 
伊加登伊加等 此詞諸抄の説いは發語にて門々と云義と也。門のとは濁音也。然るに二字とも清音の字を記せり。尤知れたる事故濁音によむ理にて書けるか。然らば門々とあると云は無2辭讓1詞也。我家の事をいふに謙退をこそ云べきに、いかと/\といかめしく讀める事不審也。よりて門々と云義にては、難儀あれば心得難き説也。宗師案はいは初語にして垣戸々々荒と云義なるべし。かきと/\と云は、下のあると有詞は、謙退の意にも叶ふ也。かき戸とは凡て門戸と云て家の義をさして也。それ荒《本マヽ》たる宿なれど、橘は百枝さし榮ふると云なるべし。百枝さしは橘の枝の繁茂の事をいへり。玉にぬく五月を近み玉にぬくは、くす玉にぬくの義也。未だ四月と云事也。あえぬかに、此詞も兩義の見樣有。一義は未だ熟せぬにと云義也。第十八卷の歌にて考へ合べし。家持の長歌に、袖にもこきれ〔かくはしみ〕おきてからしみあゆる實は玉にぬきつゝと有。これはおきてからしてよく熟したる玉と云義也。然ればこゝも五月を近みといひて、未だ時熟せぬに花咲にけりとの説有。又一説はあえぬかには賞美の詞にて、あえぬは外に似る香の無きと云義也。又がはなゝれば、はなにと云はを略したるかとも云説有。あえと云詞はにるといふ事にも用る也。あやかると云義にも用る也。又あえると云事源氏物語等にあまた有。弱くたをやかなる事を云。あは初語にてよわけやかと云義と釋し來れり。然れば熟せぬの方、又似ぬと云方、兩樣に右のあえぬかにと云詞聞ゆる也
朝々食々 朝け/\と云義也。氣緒爾、命にかけて慕ひおもふ妹にと也
銅鏡 眞白き鏡と云義鏡の明らかなるをほめて云たる也。たゞ鏡と計り云はず、如v此冠辭を居て云たる他。下のただ一目見せんといはん迄の序也。散すぎなゆめ、橘を散らすなと戒めて制して守り居りたるをと也
うれたきや 悲しみ嘆く意也。歎慨の詞也。日本紀神武卷に出たる詞也。引合見るべし
(401)志許霍公鳥 しこは、あしきと云義也。神代卷上下共に出たる詞にて、時鳥不善不好の詞也。心もなく情もなき時鳥と云が如し
地爾 これも他の字に見るべし。誤字なるべし。あだと讀むべし。此歌の意、我宿に咲にほふ世に類ひなき橘の花を、深切に思ふ妹に見せんと思ひて、花をかこひ守らしむれど時鳥の心なく花にむつれ來て、あだに散らしむる故、せめて手折てだに見せむと、折て遣すと云意をのべたる也
 
反歌
 
1508 望降清月夜爾吾妹兒爾令覩常念之屋前之橘
望降、きよきつきよに、わぎもこに、見せむとおもひし、やどのたちばな
 
望降 これをもちくだちと讀ませたり。然れば本歌に五月をちかみと讀みたる故、卯月の十五日過ての夜の月と云理りに、もちくだちとも置けるか。然れ共取しめざる句なれば、いつの夜とさしたる讀樣あらんか。十五夜已後の夜の名の、五文字に合ふ詞に詠たる歌ならんか。然らばいさよひとか、たちまちのとか讀みたきもの也。本歌に、ますかゞみ清き月夜にと詠みたるから、反歌にもかくよめる也。歌の意はよく聞えたる也
 
1509 妹之見而後毛將鳴霍公鳥花橘乎地爾落津
いもがみて、のちもなかなむ、ほとゝぎす、はなたちばなを、あだにちらしつ
 
妹が見てのちに時鳥の來鳴けかし。まだ見ぬさきに花を散らせし事の惜しきと也
 
大伴家持贈紀郎女歌一首
 
1510 瞿麥者咲而落去常人者雖言吾標之野乃花爾有目八方
なでしこは、さきてちりぬと、ひとはいへど、わがしめしのゝ、はなにあらめやも
 
(402)我領し置たる野のなでし子にてはあるまじ。外の花なるべしと也。約諾せし女子などの外へうつり行しと人のいへど、いかでそなたの上にてはあるまじ。外人の事ならんと云意によせてよめると聞ゆる也
 
秋雜歌
 
崗本天皇御製歌一首 舒明天皇也
 
1511 暮去者小倉乃山爾鳴鹿之今夜波不鳴寐宿家良思母
ゆふされば、をぐらのやまに、なくしかの、こよひはなかず、いねにけらしも
 
此御製第九卷にも少歌詞替りて載せられたり。第九には雄略天皇の御歌とあげたり。少の詞の違のみにて同類の御製なるか
小倉乃山 大和なるべし。異所多けれど此御製作のをぐらの山は決て大和也。いかにとなればこよひは不v鳴とあるは、夜毎に鳴を聞しめして、不v鳴夜によませ給へる御歌なれば、常の御所の御歌也。こよひ鳴かぬは、いねぬらしとの御製也
 
大津皇子御歌一首
 
1512 經毛無緯毛不定未通女等之織黄葉爾霜莫零
たてもなく、ぬきもさだめず、をとめらが、をれるもみぢに、しもなふりそね
 
たてもなくぬきも定めぬ、此等の詞古詠にあげて數へ難し。紅葉を錦に見たて、紅に見たてゝ詠めること、往古よりの見たて也。木々木末の染なせる如き黄葉は、たてぬきも無き織物の如きと見立て、その美しき織物に霜な降りそ。霜ふりて色あせ散過んことをいとひて也
黄葉 錦とよめる説もあれど、霜な降りそとよめるなれば、詞花言葉なれ共、やはりもみぢと讀むべき事也。たてぬき織の詞あれば、紅葉を錦と見立てよめる歌も、此後數々あれば不v苦らんか。然れ共古くもみぢと假名付來れば、先づ古點の儘に讀むべき也。紅葉の錦ともよみ、錦と直によめる歌共追而考出べし。大津皇子御作の天紙風筆畫2〔雲鶴1、山機霜杼〕織2葉錦1。此詩と同じ意也。同時の御作ならんか
 
(403)穗積皇子御歌二首
 
1513 今朝之旦開鴈之鳴聞都春日山黄葉家良思吾情痛之
けさのあさけ、かりがねきゝつ、かすがやま、もみぢにけらし、わがこゝろいたし
 
我心いたしとは光陰のとくうつり行て、物うき秋の草木※[木+高]落するを痛みおぼしめすとの意也。我情痛之、皇極紀云、古人大兄〔見2入私宮1謂2於人1曰、韓人殺2鞍作臣1吾心痛矣云々〕當集の歌はすべて如v此古事記日本紀の古語をとりて詠出せる詞多也
 
1514 秋芽者可咲有良之吾屋戸之淺茅之花乃散去見者
あきはぎは、さきぬべからし、わがやどの、あさぢのはなの、ちりゆくみれば
 
此御歌も時のうつり行を嘆じ給ひての御歌也。二首同意の御歌也。つばなの散ころ、大かた荻萩等の花咲頃をよく/\見給へる御歌也
 
但馬皇女御歌一首 一書云子部王作
 
1515 事繁里爾不住者今朝鳴之鴈爾副而去益物乎 一云國爾不有者
ことしげき、さとにすまずば、けさなきし、かりにたぐひて、ゆかましものを
 
世のことわざのしげけれは、心に任されずいづ國へものがれ難きと嘆じたる也
 
一云國爾不有者 里爾不住の或説也。此或説は雁の行く國安樂の處ならば、行かましものといふ樣に聞ゆれど、さにはあるべからず。現在今在所の事繁國と云義也
 
山部王惜秋葉歌一首
 
山部王 天武紀上卷にも見えたり。又桓武天皇の初の御名也、此御歌も桓武の未だ山部王と奉v稱し時よませ給へる御歌故、如v此あげたるなるべし。歌のつゞき共天武の時の御歌とは不v見也
 
(404)1516 秋山爾黄反木葉乃移去者更哉秋乎欲見世武
あきやまに、きばむこのはの、うつりなば、さらにや秋を、見まくほりせん
 
きばむは紅葉のはじめ也。かく木の葉も染かゝれど、やがて散りなば又二度秋を慕ひて見まほしからんと、未だ愛憐の深心から、行先の事迄思ひはかれる意也。うつろへばと讀ませたるは誤也。これは未來の義を云たる也。當然の事ならば見まくほりすると詠べきを、せんとよみ給へるは、うつりいなばその時は又更にしたひ給はんとの御歌也
 
長屋王歌一首
 
1517 味酒三輪乃祝之山照秋乃黄葉散莫惜毛
うまざけ、みわのはふりが、やまてらす、あきのもみぢの、ちらまくをしも
 
祝之山照 此句心得難し。諸抄の説もうけがひ難き説也。祝が領したる山と云の説也。社の字の誤りならんか。歌の意何の事もなくよく聞えたり
 
山上臣憶良七夕歌十二首
 
1518 天漢相向立而吾戀之君來益奈利紐解設禁 一云向河
あまのかは、みむかひたちで、わがこひし、きみきますなり、ひもときまけな
 
相向立而 あひむきたちてと讀めるは、詞つまれり。相むきと云詞あるべき共不v覺。見ると讀む字なれば初語に見と讀まんか。又あ向ひと讀まんか。こむかひと云假名も有。これは※[ミの草書]の假名字のコと誤りたるならん。よりてみむかひとは讀む也。まけなばは、むかへなば也。むかの約ま也。かへの約もけ也。此詞集中多き詞にて、むかへと云にて何方も叶ふ也。片まけなど云かたは初語と見る也。尤かた/\にむかへる意の處も有。一方へ片付る意に讀める片もあり。此歌はわが待戀し君が來ます今夜なれば、紐をも解きて迎へ待たんとの意也。すべて七夕の歌は七夕になり、又外より思ひやりてもよめる也
 
(405)右養老八年七月七日應令 應令、皇太子の仰によりて右の歌をよめると也。古注者考ふる所存ありてか。しかし此注は誤也。養老は七年にて終、神龜元年と注すべき事也。神龜元年二月に聖武帝御受禅九月に御即位也。年號は二月に被v改たり
 
1519 久方之漢爾船泛而今夜可君之我許來益武
ひさかたの、漢に、ふねうけて、こよひかきみが、わがりきまさむ
 
漢爾 これは天漢と書きて唐の字義によりて天の河と讀ませたり。それを略して漢の字計りにても天の河と讀む也。しかるにこゝは天の河と讀みても一音不v足也。よりて天の河瀬と讀ませたり。河瀬となりともかはどとなり共讀むべき也
我許 わがりとはわがなりへ來まさんと云義也。わが處と云義を古語にはわがりといへり。下屋敷と云を別業といふも、ことなりと云義也。わが事業をする處と云義にて、事業はなりはひと云義也。よりてその住所の事をかりなりと云たる也。かりもなりも同音也。十四卷目の歌にも、和賀利通はんなどよめる歌二三首もありて、わがりはわがところ、わがもとゝ云義也。い《本マヽ、い衍字カ》またかりと云て清音の時は人をこひもとめ行事を云也。いもがりゆくなど云はこひもとめる義也。この紛れあり。此わがりはわがもとわが所へこよひこそ來まさんと待よろこべる歌也。憶良七夕になりてよめる也
 
右神龜元年七月七日夜左大臣宅 此注前の注と相違也。此注可v然。養老八年の七月と云事はなき事也。左大臣宅は長屋王宅也
 
1520 牽牛者織女等天地之別時由伊奈宇之呂河向立意空不安久爾嘆空不安久爾青波爾望者多要奴白雲爾※[さんずい+帝]者盡奴如是耳也伊伎都枳乎良武如是耳也戀都追安良牟佐丹塗之小船毛賀茂玉纏之眞可伊毛我母【一云小棹毛何毛】朝奈藝爾伊可伎渡夕鹽爾【一云夕倍爾毛】伊許藝渡久方之天河原爾天飛也領布可多思吉眞玉手乃玉手指更餘宿毛寐而師可門【一云伊毛左禰而師加】秋爾安良受登母 一云秋不待登母
(406)ひこぼしは、たなばたつめと、あめつちの、わかれしときゆ、いなうしろ、かむかひたちて、おもふそら、やすからなくに、なげくそら、やすからなくに、あをなみに、のぞみはたえぬ、しらくもに、なみだはつきぬ、かくのみや、いきつきをらむ、かくのみや、こひつゝあらむ、さにぬりの、をぶねもかも、たまゝきの、まかいもかも【をさほもかも】あさなぎに、いかきわたり、ゆふしほに【ゆふべにも】いこぎわたり、ひさかたの、あまのかはらに、あまとぶや、ひれかたしき、まだまての、たまでさしかへ、よいもねてしかも【いもさねてしか】あきにあらずとも
 
牽牛織女 此二星の事は具しく注するに及ばず、世にあらはれたる事也。秋一夜の契はあめつちの別れはじまりし時よりの事と云義也
伊奈宇之呂 此義古來説々わりて、延喜式の神賀の詞に彼方古川席〔此方古川席 爾 生立若水沼間彌苦叡御若叡坐云々〕と云詞もありて、水苔の水底におひ茂りたるが、稻の皮にて織りたる莚を敷たる樣なれば、いなむしろ川と云との説もあり。むしろに似たる河藻を云との説もありて一決し難く、其上うしろといふもむしろと云義との説也。横通音にてもあるべきか。或説には人の否ぶるは前に不v向、後にむかふ故いなうしろといふて、河と云枕詞など説も有。此詞は日本紀顯宗紀、天皇の御歌に、伊儺武斯盧〔※[加/可]簸泝比野儺擬《イナムシロカハソヒヤナギ》、寐逗愈凱麼《ミツユケバ》、儺弭企於巳佗智《ナビキオシタチ》、曾能泥播宇世儒《ソノネハウセス》〕とある古語より、當集をはじめ後々に到りても、いなむしろの河とうけたる詞によめり。然ればうしろと云義はなき事也。宇の字は牟の字の誤りと見えたり。延喜式祝詞の卷にも、此宇牟の誤りあまた有。當集にも此違ある事也。誤字と見ておくべし。横通にて、むしろも、うしろも同事と云ても、日本紀にむしろと有からは、むしろと讀べき事を横通を以てうしろと讀むべき樣なし。扨この詞不v濟事也。宗帥案、日本紀の歌に注せる如く、いねもいなも同じことなれば、ねむしろと云義なるべし。昔は寢莚に獣の革をしたると見えたり。濕氣邪氣を防ぐ爲に革をもてしたるを云て、河とうける冠辭となりたると見る也
愚案、席といふものは色々有り。然れ共上古の始は稻の藁莚なるべし。質素の時筵の本なるべし。その筵は稻の皮にて作り(407)たれば、稻席、かはと請けたるにやあらん。又出雲の神賀の詞の古川莚といふも、出雲莚と云ものありて、出雲より仕出したる歟。右祝詞の詞はわかえと云はん爲に、古川席とは云出でたると見ゆる也。水苔の生たるが、稻をしける樣なるから、いなむしろ河とつゞくとの説は心得難し
かむかひたち かはにむきたちと讀ませたれど、むきたちといふ詞心得難し。河にむかひ立といふ意にて、かむかひと讀むべき也。又かはむかひたちにても同じ義也。天川を隔てゝ互にむかひ立てこひしたふとの事を、以下の詞に段々句つゞき、くさりよく詠つらねる也
青浪爾望者多要奴 波のたつは還く見れば青くも見えて、水の色は青き物なる故かくよめり。下の白雲の對句也。のぞみはたえぬといふ意は、遠く隔たりてわたりあふ事のなり難きと云事也。天地開闢の時より、天則備りて年に二度わたりあふ事のならぬ事を歎ける意也
白雲爾※[さんずい+帝]者盡奴 これも遠く空を仰ぎこひて、歎きしたふ涙もつきはてたると也。いきつきをらんは、今も物思ふ時は胸迫りて、ひたもの息をつくの義をもて知るべし。その通に慕ひ思ふとの義をあらはしよめり
佐丹塗之小船毛賀茂云云 皆詞の餘勢也。船を賞めてその如くの船もあれかし。わたりえてあはんにと也
夕鹽爾 此鹽と云字心得難し。河にしほとは不相應なれ共、天海とも讀めれば、詞のはな如v此もよめるか。若しくは浪の字の誤り歟。いかきわたり、いこぎわたり、皆いは初語也。波路かきわけなどよめる意に同じ
天飛也 日とうけん爲の冠句也。天女のひらと云義に天飛やひれとつゞけたるとの説有。不v可v用。天つたふ干潟の浦抔詠める意にて、たゞひらのひとうける迄の冠辭也。ひれは女の頭頸などに卷くもの也
餘宿毛寐而師可聞 夜寢て也。かもはかなと云意、願ふ意也。秋にあらずともは、七月の一夜に不v限、常にも天河を小船に乘りて渡り來て、織女といねたきとの義也。彦星の歌にして憶良のよめる也
一云伊毛左禰而師加 少づつの詞の異あるを記せり。意は同じ義なれば具しく不v及v注也
 
反歌
 
(408)1521 風雲者二岸爾可欲倍杼母吾遠嬬之【一云波之嬬乃】事曾不通
かぜくもは、ふたつのきしに、かよへども、わがとほづまの、ことぞかよはぬ
 
風雲 風は天地の使と云故、天漢のことなれば、雲をもそへて彼方と此方の岸に通へ共と也。風は使に比してよめる歌此集にもあまた有。家風は日に/\吹くなどよめり。雲も使とよめる事有。よりて二つの岸に通へ共とはよめる也。畢竟通路はあれど、あひあふ事は年に一度ならではなり難きと歎ける歌也。遠妻とは隔たり居る妻の事を云也。此集にあまた詠めり。せまりたる詞なれど、古語なれば詠来れり。一云、はしづまのと云も、珍しき詞也。古語には隔たり遠ざかり居る妻を、はし妻ともいへる也。はしとは親しからぬ隔たりたる處と云意に、はしと云たるものならん
 
1522 多夫手二毛投越都倍伎天漢敞太而禮婆可母安麻多須辨奈吉
たぶてにも、なげこしつべき、あまのかは、へだてればかも、あまたすべなき
 
たぶては礫にも也。人の手に握られて、つぶてに投やられる程のまのあたりの川なれ共、天則ありてかく隔たりをれば、詮方も無きと歎きたる也。たぶてとつぶてとは音通ふ。古語には皆通音を用たる言多し。文選東京賦云、飛礫如v雨と云たるつぶての事也。文字には飛礫と書也
 
右天平元年七月七日夜憶良仰觀天河【一云帥家作】
 
此河の字下に作の字を脱せるならん。これも左注者の加筆也
 
1523 秋風之吹爾之日從何時可登吾待戀之君曾來座流
あきかぜの、ふきにしひより、いつしかと、わがまちこひし、きみぞきませる
 
立秋の日より今日々々と待得て、七日の夜をよろこびたる歌也
 
1524 天漢伊刀河浪者多多禰杼母伺候難之近此瀬乎
(409)あまのかは いとかはなみは、たゝねども、うかゞひがたし、ちかきこのせを
 
いとゝは甚といふ意也。最をも讀ませり。いたくと云意にも通ふ也
伺候難之 うかゞひ難しと讀みたれど、歌詞とも聞えず。何とぞ別訓あるべし。歌の意は、波もたゝず、瀬も近く見ゆれど、一度の外はわたりあふ事のなり難きと云義也。近き世なれ共、わたり見る事は年に一度ならではならざるを歎きて也
 
1525 袖振者見毛可波之都倍久雖近度爲便無秋西安良禰波
そでふらば、見もかはしつべく、ちかけれど、わたるすべなみ、あきにしあらねば
 
此歌も天河のま近く見え渡れ共、秋ならで一度の渡りも叶はぬと歎きたる也。袖をふらば、あなたもこなたも見かはす程の近き渡なれどと云義也。詞の中に川波と云ことを詠みて意を助けたり
 
1526 玉蜻※[虫+廷]髣髴所見而別去者毛等奈也戀牟相時麻而波
かげろふの、ほのかに見えて、わかれなば、もとなやこひん、あふときまでは
 
かげろふ ほとつゞく詞をもうけん爲に、かげろふと詠出たり。かける火也。春の陽炎の、夏にかけてきら/\ときらめくは火のかける如く也。その如く飛かふ蟲の名也。たゞほのかに相見て別れなば、来る秋まで覺束なくも待わびんと也。玉蜻※[虫+廷]和名抄云〔本草云、蜻蛉【精靈二音】一名胡※[勅/虫]【音※[勅/虫]、加介呂布】釋藥性云、一名※[虫+即]蛉※[上音即]兼名苑云、※[虫+丁]※[虫+經の旁]【丁馨二音】一名胡蝶、蜻蛉也〕あきつの類也。赤黄青の色あり。春の末より秋迄飛かふ也。かける火の如くなるもの故、かけるひと云意にて名付たる歟。ほとか、夕べとかつゞく也。夕部に飛かけりて蚊はむ虫也
 
右天平二年七月八日夜帥家集會
 
1527 牽牛之迎嬬船己藝出良之漢原爾霧之立波
ひこぼしの、つまむかひぶね、こぎいづらし、あまのかはらに、きりのたつれば
 
(410)天の河に霧たちぬれば、心もと無くて迎船の出らんと也。歌には互にゆきあふ樣によむ也。前の歌は、彦星の方より行く樣によみたれど、此歌はこなたへ迎へる樣によめり。これは歌の習にていづ方へも通ひてよめる也
 
1528 霞立天河原爾待君登伊往還程爾裳襴所沾
かすみたつ、あまのかはらに、きみまつと、いかよふほどに、ものすそぬれぬ
 
この歌は彦星を織女の待かくる意によめり。いかよふのいは初語也
 
1529 天河浮津之浪音佐和久奈里吾待君思舟出爲良之母
あまのかは、うきつのなみと、さわぐなり、わがまつきみし、ふなですらしも
 
天河浮津 天上の事ながら、國土にも地名ある故、歌にも詠出たり。畢竟船をうくると云の義に、うきつの波とはよめり。なみとは波の音也。おを略してよめる歌多し。歌の意はよく聞えたり
 
太宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首
 
1530 娘部思秋芽子交蘆城野今日乎始而萬代爾將見
をみなへし、あきはぎまじり、あしきのゝ、けふをはじめて、よろづよにみむ
 
をみなへし、あきはぎ、芦、三色を詠み出て、下によろづ代とかけ合たる也。別の意なき歌也
 
1531 珠匣葦木乃河乎今日見者迄萬代將忘八方
たまくしげ、あしきのかはを、けふみれば、よろづよまでに、わすられめやも
 
玉くしげ開と云意にて、あと受けたるもの也。すでに冠辭は一語にうける事有と云證、此歌など證明也。玉くしげあしとはつゞく詞にあらず。あくと云詞ある故也
 
右二首作者未詳
 
(411)笠朝臣金村伊香山作歌二首 伊香山、近江伊香郡也
 
1532 草枕客行人毛徃觸者爾保比奴倍久毛開流芽子香聞
くさまくら、たびゆくひとも、ゆきふれば、にほひぬべくも、さけるはぎかも
 
往觸者 往來に衣袖をふれなば也。能聞えて別の意なき歌也
 
1533 伊香山野邊爾開有芽子見者公之家有尾花之所念
いかこやま、のべにさきたる、はぎみれば、きみが家なる、をばなしぞおもふ
 
所念 所の字を、そとも讀み又下へつけてしのばるとも、おもはるとも讀むべし。義は同じければ、好所にまかす也。旅行の野邊にて萩の咲亂れたるを見て、故郷の尾花のことなど思ひ出て、故郷を慕ふ意也。別の意なき歌也
 
石川朝臣老夫歌一首
 
1534 娘部志秋芽子折禮玉桙乃道去※[果/衣]跡爲乞兒
をみなへし、あきはぎをゝれ、たまぼこの、みちゆきつとゝ、こはんこのため
 
折禮 をらめといふ詞ををれとつゞめたる也。下知したるにはあらず。らめをれと云詞に約めたると知らぬ人は、下知の詞に心得るは誤也。手をれと讀ませたれど、同じ添詞なれば、手爾波詞を上に付る方然るべし。よりて秋はぎをゝれとは讀む也
 
藤原宇合卿歌一首
 
1535 我背兒乎何時曾旦今登待苗爾於母也者將見秋風吹
【かりせこ・わgせこ】を、いつかぞこんと、まつなへに【おもやせしけん・おもやはみえん】あきのかぜふく
 
我背兒乎 此歌は妹を思ひやりて宇合の詠める歌と聞ゆる也。妹がせこをいつか來んと待が、うべも程ふる故おも痩せすらん、時しも草木枯れ落てしぼめる秋の風寒く吹頃迄も、夫の行かざればと云意と見る也。さなくては女を背子とよむ事心得難(412)し。古今の、わがせこが衣はるさめの歌も、※[女+夫]の字と妹の字を誤りたると見えたり。若し此外に女をせことよめる古詠の證もあらば、此歌又古今の歌も、妹子をさしてもせことよめる義と知るべし。先づ女をせこと讀める義無きと傳へたれば、此歌も女子の上を思ひ察してよめる歌とは見る也
於毛也者 これを古本印本共におもやは見えんと讀ませたり。諸抄の説夫の來らで月日をふる程久しくて、痩せ衰へたるおもてに待わびる體のあらはれ見えんか。すでに草木|黄落《本マヽ》する秋風さへ吹けばと云意にて、秋の風吹くと云は、ものゝ衰へたる事を比してよめると注せり。此一義も不v聞にはあらず。然れ共少まはり遠き説なり。者をせとよむ事少六ケ敷樣なれど、しやとも、さとも、云音故せとも通ふ也。將の字も、さ|すすせ《本マヽ》の詞に用る字、しけんとは讀めり。兩義の説いづれとも未だ決し難し。おもやせ見えん共讀むべきか。此方義やすかるべし。人の來ぬをいつか/\と待わびぬるから、面痩せて人目にも見えんか。既に秋風の吹折なれば、草木迄も枯れ衰ふるにつけて、わが身も痩せ衰ふる事のあらはればと、よめる意とも聞ゆる也
 
縁達師謌一首
 
1536 暮相而朝面羞隱野乃芽子者散去寸黄葉早續也
くれにあひて、あしたおもはじ、かくれのゝ、はぎはちりにき、もみぢ早續也
 
くれにあひて 此歌の詞第一卷にも出てその所に注せり。かくれと云はん爲の序也。萩は散いにし程に、紅葉はつゞきて色を染やと云歌と見る也。然れ共早繼也、これをはやつげと讀ませたれば、此よみ樣心得難し。續也の二字をつけと計は讀難し。此三字何とぞ別訓あるべし。まづは紅葉はつぐやと讀みて、其意を注せるなり。萩は初秋の比咲、紅葉は中過ならでは不v梁物故、も早萩は散りしが、紅葉はつゞきて色を染なすやと詠める義と見る也。早の字は、はとよませたる事集中に見えたれば、如v此見おく也。尚別訓あらんか
 
山上臣憶良詠秋野花二首
 
1537 秋野爾咲有花乎指折可伎數者七種花 其一
(413)あきのゝに、さきたるはなを、ゆびをりて、かきかぞふれば、なゝぐさのはな
 
指折 これを古來より手を折と讀ませたり。指は手を附たるものから、さも讀むべきかなれど心得難し。尤手を折といふと指をりと讀むは、指の方は卑しく詞耳たつ也。手をゝりてといへば、安らかに雅言に聞ゆる故、義をもて讀ませたる也。しかし指を折てと讀むべき義也。伊勢物語にも、手をゝりてあひ見しの歌も手を折て也。畢竟此歌などよみ誤れるならんか。七種の歌に左に歌あり
其一とあるは後人傍注也
 
1538 芽之花乎花葛花瞿麥之花姫部志又藤袴朝顔之花 其二
はぎのはな、をばなくずはな、なでしこのはな、をみなへし、またふぢばかま、あさがほの花
 
其二は後人の注也。此歌は旋頭歌也。秋草の花の名を七つ詠出たる也。何の意もなき也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十終
 
(414)萬葉童蒙抄 卷第二十一
 
天皇御製歌二首
 
聖武天皇なるべし。いづれとも極めてはさし奉り難けれど、此歌の並時代の人々を相考合見れば、御歌の御風躰も女帝の御製には聞えず。天平年中の歌ども前に擧たれば、聖武天皇ならんかと奉v窺也。或抄に此集此帝の時家特撰と決着せし意をもてたゞ天皇御製と計りあるは、前第四卷にも如v此の標題ありて、その撰集の時の天皇をさし奉る義と注したれど、此集家持撰と決する證明無く、且古今の序に平城帝と書たれば、證明なき事は決し難し。源氏物語梅が枝に、嵯峨天皇のえらぴかゝせ給へる萬葉集四卷と書たるも心得難き事也。平城帝大同四年の内には、撰集も終り難かるべし。勅の出でしは大同の帝にて、撰集の終りしは嵯峨帝にもやあらん。物語の文なれば證明には致し難けれど、より所なき事は書出すまじければ、聖武帝の御撰とは決し難ければ、天皇もその證にては、聖武とは奉v定がたけれど、此の歌の次第、人の時代を考へ合せて見れば、此天皇は聖武天皇ならんかと奉v窺らるゝ也
 
1539 秋田乃穗田乎鴈之鳴闇爾夜之穗杼呂爾毛鳴渡可聞
あきのたの、ほだをかりがね、あかなくに、よのほどろにも、なきわたるかも
 
秋の田の 秋は稻の穗なりとゝのへば即ち穗とうけたる也。穗田をといふは、刈といふ詞によせて雁が音をよませ給ふ也
闇爾 古本印本共に、くらやみにとは讀みたれど、歌詞とも聞えず。せめて闇なるにとなりと讀むべきを、くらやみとはあまり拙き假名也。定めて御製の御心は、あかなくにと云義ならんか。闇と云字なればあかく無きと云意にて、飽なくとゝいふ意を含ませ給ふならん。闇なるにと讀みても、夜のほどろとうけさせ給ふなれば、意は同じからんか。いづれにまれくらやみとは讀べからず。御歌の御意は夜もあけぬ、暗の夜の程にも鳴渡るかりのいづち行らんと、おぼしやらせ給ふ御感情より被v遊し御詠ならん。ほどろは前にもある詞、夜のほど也
 
(415)1540 今朝乃且開鴈鳴寒聞之奈倍野邊能淺茅曾色付丹來
けさのあさけ、かりがねさむく、きゝしなべ、のべのあさぢぞ、いろづきにける
 
けさ鳴渡りし鴈がねの、ことさらに寒かりしがうべも理りよ。野邊の淺茅の色附もみぢするとの御歌、よく聞えたる御製作也
 
大宰帥大伴卿歌二首
 
1541 吾岳爾掉牡鹿來鳴先芽之花嬬問爾來鳴棹牡鹿
あがをかに、さをしかきなく、はつはぎの、はなづまとひに、きなくさをしか
 
吾岳 地名ならんか。わが領地のをかの意とは聞ゆれど、地名あらん故かく詠出たるか
花嬬 萩は鹿の愛しなるゝもの故、古より鹿の妻になぞらへて詠來れり。よりて花づまとひにとはよめり。赤岳吾岳などいふ地名追而可v考
 
1542 吾岳之秋芽花風乎痛可落成將見人裳欲得
あがをかの、あきはぎのはな、かぜをいたみ、ちるべくなりぬ、みんひともかも
 
秋風はげしくなりて、萩の花はいたみて稍散りがたになるを惜みて也。よく聞え別の意無き歌也
 
三原王歌一首 三原王は舍人親王の御子也。續日本紀云、元正天皇養老元年正月〔乙巳授2無位三原王從四位下1。〕聖武紀天平元年〔三月從四位上。九年十二月壬戌從四位上御原王爲2彈正尹1。十二年紀云。治部卿從四位上三原王。十八年三月以2從四位上三原王1爲2大藏卿1。四月正四位下。十九年正月正四位上。二十年二月從三位。孝謙紀云、天平勝寶元年八月從三位三原王爲2中務卿1。同十一月正三位。四年七月甲寅中務卿正三位三原王薨、一品贈太政大臣舍人親王之子也〕或記云、天武天皇――舍人親王――三原王――小倉王――夏野 賜清原姓
 
1543 秋露者移爾有家里水鳥乃青羽乃山能色付見者
(416)あきのつゆは、うつしなりけり、みづどりの、青葉の山の、いろづくみれば
 
うつしとは青花の事を云也。うつし色とは紅の事を云。此うつしなりけりとは、青花のうつろひやすきと云意をもていへり。さればこそ下に青羽の山と有。水鳥の青羽のとは鴨の毛色は青きものなれば、青羽といはんとて水鳥とはよめり。此卷の上に水鳥のかもの羽色ともよめる也。第二十卷には、かもの羽色の青きともあり。みな青といはんとて水鳥とよめり。尤も此は夏山の青葉にしげれるも、今秋の露に和て、やがて紅葉すると云義也。源氏若菜に、紫上の歌にも、秋や來ぬらん見るまゝに青葉の山もうつろひにけりと書たり
 
湯原王七夕歌二首
 
1544 牽牛之念座良武從情見吾辛吉夜之更降去者
ひこぼしの、おもひますらん、こゝろゆも、みるわれくるし、よのふけゆけば
 
彦星のさぞ夜のふけ行を惜み思ひまさん心より、わが思ふ心の悲しきと也。辛苦の二字を苦しと讀みたれど、一字ならばさも讀まんか。二字書きたれば悲しきと云意なるべし。天河をながめて、身に引取りて七夕の飽かぬ別れのやゝ近くなるを歎きたる歌也
 
1545 織女之袖續三更之五更者河瀬之鶴者不鳴友吉
おりひめの、そでつぐよるの、あかつきは、かはせのたづは、なかずともよし
 
織女 古本印木共たなばたと讀ませたり。義は同じ事なれど、袖つぐとある詞を設たれば、おり姫と讀む方しかるべし。袖つぐとは男女の袖をつぎて、契りをかさぬる義を云也。互の袖をつゞけて離れぬ理りを云たる義也。畢竟よりそひふして、袖をつらねて離れぬと云義也。三更五更みな義をもて訓せり。よく聞えたる歌也
 
市原王七夕歌一首
 
(417)1546 妹許登吾去道乃河有者附目緘結跡夜更降家類
いもがりと、わがゆくみちの、かはなれば、ひとめつゝむと、よぞふけにける
 
いもがりは、妻を求めると云意、又妻のもとへと云意と有。畢竟は同じ意也。先は妻の所へといふ意と見るべし。しかれば濁音也
附目 此二字本々相違あり。一本目を固の字に作れるを證とすべし。上に川をよみたれば、人目といふに樋止堤と云義をよせてよめると聞えて、附固なればものをつけてつゝみを固めるの意、つきかためて樋をとめると云義の意を含みて、人目を忍びつゝしむ故に、おのづからとく來られて夜の更けぬると理りたる也。附固と書たる故、緘結の二字をもつゝむと義訓したる也。文などを封じこめたる意をもて、義訓につゝむと讀めり。是も堤によせて包の義をいへり。古詠はかくの如く、川と詠たれば其縁ある詞をひかへてよめる也。附目とありては附といふ字人とは讀難し。附は依也と云字義にて、物をよせ固めるの意を以て、樋留といふ義にとりて、固の字なれば義訓にひとめと讀ませたりと見る也
 
藤原朝臣八束一首、
 
1547 棹四香能芽二貫置有露之白珠相佐和仁誰人可毛手爾將卷知布
さをしかの、はぎにぬきおける、つゆのしらたま、相佐和仁、たれのひとかも、手にまかんちふ
 
此歌の意は、鹿のいね置きし萩の露もえならぬ花を、いづれの人か此草屋に來り、いねて妻にせんことの惜しきと云意也。人になぞらへていはゞ、わがしめおきし花づまをあえなくとりて、妻にもして卷きぬらんと惜みたる意地。然るに此歌の相佐和と云詞につきて色々引歌語類の事共あり。諸抄の説は相佐和とはあふ事の多き心といふ説も有。又大なわといふ意にて第十一卷にも同じ旋頭歌に、開木代のくせのわがこがほしといふわれ相狹丸に吾欲といふ開木代來世といふ歌有。又第四に、われもおもふ人もわするな多奈和丹浦吹風のやむ時なかれと云歌をも引て、大繩といふ意と釋せる説も有、いづれもあたらぬ義、先引歌の取樣から違たる義共なれば難2信用1也。多奈和丹といふ事は四卷目にて注せり。十一卷の歌も心得難き釋也。開木代(418)とあるを山しろと讀む義訓心得ず。古訓の證例も無し。當集に三ケ條如v此書きて山しろと讀ませたり。然れ共一本に代を伐に書る本もあれば愈疑はし。尤歌の意おほよそに思ひてたゞ何心も無く、誰れ人の手に卷きとらんと云意にて、大繩にと云義とも見るべけれど、詞の義いかにとも濟まざる也。拾穗抄には、あふな/\思ひはすべしと、伊勞物語にある詞と同じ義にて、戀るといふことゝ注せり。表裏の違まち/\也。宗師案はあふさわにてはあるまじと見る也。先相の字は十一卷のもこゝも同じ字也。佐和狹丸の違あり。然れば相は十一卷目もこゝもまくと讀むべし。相の字まくと讀までは此集中に不v濟歌多くして、まくと讀ませたる事證明あり。その所にて表すべし。尤あふと讀む字なれば、みとのまぐはひなど讀みて義相通ふ也。然ればまくとよむ事此義にてもあきらけし。さて又和の字はやと讀むべし。やと讀む義はやまとのやの一語をとりても讀まるゝ也。それよりも延喜式大殿祭の祝詞に、和の字をやわしと讀ませて、しかも古語やわしと注をあげたり。然ればやと讀む義苦しからず。又横通音にてやとわとは通ふなれば、わの訓にても、音にてもやと通ふ也。なれば十一卷目の相狹丸と云丸の字もぐわの音はわ也。濁音のぐわもわ、清音にも同じく通ふ也。神武紀のいさわ/\といふわに過の字を被v書たり。これらにて知るべし。氏にも和邇部など云に丸部と書、これぐわんと云音わ也。はぬる故にといふ也。しかれば此相佐和は馬草屋に刈こまんの意もあり。まぐさ屋にと讀むべし。眞草やと云意にて、鹿のぬきはねき也。鹿などの來りて寐たる草原の屋に、又たれ人のねて萩を妻ともして、手にまきぬらんと云意なるべしと也。十一卷目の歌も開木《アキキ》買木《アキキ》こるなるべし。くせのわかき子がほしといふわれ相狹丸にわれをほしといふ。この歌も買木こるくせと讀みて、あきなひのたきゞをこりくる、背子の若き子と云義なるべし。われほしといふは、かりほしと云義なるべし。欲と干との兩義をかねて、例の古詠の格にて、躰あることをひかへて、ほしきと云に木をかりほすと云意をよせたる也。まぐさや也。木を商ふ人の家なれば、馬草屋といふなるべし。あきなふ木をこりて、草屋にほして來るせこといふ義なるべしと也。これより古今の俳諧歌の、足曳の山田のそほつおのれさへわれをほしと云と云歌も、同じく干の字の意をこめてよめるなるべし。古來より此山田そほつの歌不v濟也。此萬葉のわれをほしと云とある詞より、よみたる歌と見えたりと也。暗麿未2甘心1也。源氏物語にもおほな/\と云詞あり。諸抄の説まち/\にして戀の意に注せり。然れ共假名いづれの字を書たる義か不v知ば、何といふ事とも解し難き詞也。此相狹丸(419)の詞も未だ不2打着1也
 
大伴坂上郎女晩芽子歌一首
 
1548 咲花毛宇都呂波厭奧手有長意爾尚不如家里
さくはなも、うつるはうきを、おくてなる、ながきこゝろに、なほしかずけり
 
うつるほうきをと云は、人も淺々しく早くなびきては、又うつろひやすきものと云意を合みて、おそく咲く萩によせて、遲れたる萩をほめたる也。稻に早稻晩稻といふことありて、早く出來るをわせと云ひ、晩く出來るをおくてと云から、草木にも同じくいへると聞えたり。奧手なるながきと云へるは、人の手の手頸より袖の奧に入る處までの長さと云意に、長きとはうけたるならん。心奧まりて長く替らぬことこそよけれと、萩の晩く咲く共うつろはず、久しく盛をたもてかしと云意より、しかずけりとはよめるならん
 
典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄作歌一首 いもしのかみと讀む。令義解云、寶龜五年〔併2内匠寮1〕職員令云、典鑄司、正一人〔掌d造2鑄金銀銅銅1塗2餝瑠璃1【謂火齊珠也、】玉作及工戸戸口名籍車u云々〕衛門大尉 令義解〔卷第二、職良令云、衝門府、管2司11。督一人、擧掌2諸門禁衛、出入禮儀、以v時巡檢、及隼人、門籍門※[片+旁]事1。佐一人、大尉二人云々
跡見庄 神武紀云、〔戊午年十有二月癸巳朔丙申、皇師遂撃2長髓彦1、連戰不v能2取勝1、時忽然天陰而雨氷乃有2金色靈鵄1、飛來止2于皇弓弭1。其鵄光※[日+華]〓状如2流電1。由v是長髓彦軍卒皆迷眩不2復力戰1。長髓是邑之本號焉。因以亦爲2人名1。及3皇軍之得2鵄瑞1也。時人仍號2鵄邑1。今云2鳥見1是訛也〕上古は長すね邑を、後に流轉し横訛りて、とみ邑と云へるか。延喜式神名帳上云、〔大和國添上郡〕登彌神社
 
1549 射目立而跡見乃岳邊之瞿麥花總手折吾者將去寧樂人之爲
(420)いめたてゝ、とみのをかべの、なでしこの、はなふさたをり、われはもてゆかん、ならびとのため
 
射目立而 狩のとき、鳥けものなどの、ゆく方ゆき通ふ道筋などに、隱れて見る人をさして云也。弓など射る人をも云也。いめ人とも云也。小柴などさしかこうて隱れあるもの故、その事などをもよめる歌もありて、とかく鳥けものゝゆきかふを見とゞく狩人の事と知るべし。第六に赤人の歌にも、とみすゑ置きてとよめり。又第九卷に、いめ人のふしみの田井とよめるいめ人は、夢人の事をいへる也。夢は伏して見るものから云へり。尤鳥見も隱れふして見るものなれば、これをもていめ人といへるか。畢竟跡見の岳のへと云冠句に、いめたてゝと詠出たり
總手折吾者云々 これを諸抄に、うつぼ物語のふさにたてまつりと云ことに引合ていへり。その外此集又枕草紙大和物語等にもふさにと讀みて、多きことにいへるになぞらへて、多分に手折と云義と釋せり。うまにふつま《本マヽ》になど云當集の歌第十七に家持の歌に、秋の田のほむきみかてりわがせこがふさたをりけるをみなへしかもとも詠みたり。その歌の意と同じ意にてふしたをり也。多分にといふ心ならば、にと云てには無くては云難し。ふさにとか、ふさやかにとかいはゞ、多分の事にも有べけれど、をみなへしの歌も此歌も、ふさ手折とあれば、ふしより手折の意也。なでし子も女郎花も節あるもの故かくはよめる也。ふさ手折と、てには無しに多分の事に云べき詞無き事也。ふさに手折とか、ふさに献るなどは多分にと云意なるべし。此歌と十七卷目の女郎花との歌は、ふし手折と見るべし。歌の意は聞えたる也。なら人に見せん爲に、とみの岳の撫子を手折ゆかんと也
 
湯原王鳴鹿歌一首
 
1550 秋芽之落之亂爾呼立而鳴奈流鹿之音遙者
あきはぎの、ちりのまがひに、よびたてゝ、なくなるしかの、こゑのはるけさ
 
落之亂 この詞心得難き詞也。萩の散まがひと云義なれ共、落花の事にはいひ難き詞也。塵の事なればまがひといはるれ共散の字の意にてはつゞかぬ事證例無き事也。古今にも、ちりのまがひに家路忘れてとありて、詞つゞき難き事也秋萩の散れ(421)るまがひにといへばいはるゝ詞也。然るに落のまがひといへる義、塵の事にして云たるものか。然れば上の秋萩とよめる義不v濟。此詞とかくいかにとも解し難き詞也。若しくは乃の字の誤字ならんか。之の字なればちりしと讀む也
音遙者 このはるけさは遠きと云意にてはなく、清かなると云晴と云意也。月のさやけさと云は清きこと、雲霧晴れて曇りなく晴れたるを云。その意にてさやけさと云と聞ゆる也。鳴鹿をよめる歌なれば、音を賞美の意也。者といふ字此歌にてもさと讀まねばならぬ、これらを證明とすべし。シヤの音はサなり。鹿のまがひと云事不v濟故、歌の全躰釋しがたし。まづは萩の散亂れたる中にまぎれて、つまをよびたてゝ鳴聲のさやかなるとよめる歌也。此はるけさは亮々と書きたる歌の意と同じ。はれやかなると云意に見るべし
 
市原王歌一首
 
1551 待時而落鐘禮能雨令零收開朝香山之將黄變
ときまちて、ふれるしぐれの、くもはれて、あさかの山の、うつろひぬらん
 
待時而 時雨の晴るゝ時待ちてと、時節到來してと、秋の紅葉の時節を待ちてとを兼て時待ちてと也
雨令零收開 此五字難2心得1。開の字無き本有。しかれば誤字脱字ありと見えたれば、此五字一字二字に別れ、又衍誤あると見ゆる世。雨令の二字は零の字の別れたると見えて、零の字亦衍字上の別れたるより、衍字も出來それを直ぐに假名をつけて雨やみてと讀ませたると見ゆる也。如v此くだ/\敷可v書樣心得がたし。正本は雲收開と書てふれるしぐれの雲晴れてと讀むべし。雲をさまり開くなれば晴れるの義也。よりてあかきと云意か。又夜の雨にしてあしたの山の景色を讀みて、朝香山之とうけたるならん。雨ふりをさめしめてと、くだ/\敷書やう心得がたく、また開朝を合てあさと讀める心得がたし。讀まれざるにはあらねど、外に例無ければ極めて誤字衍字とは見る也。歌の意は聞えたる通、時を待ちし時雨の晴れて、のち山の木の葉も色付らんと、日にまし紅葉せんことをいへる也。色の淺きもこくなりゆかんと云意に、あさか山をも取出たらんか
 
湯原王蟋蟀歌一首 蟋蟀、和名抄第十九蟲豸類云、蟋蟀、兼名云【蟋蟀二音】一名蛬【渠容反一音拱、和名木里木里須】如v此あれども上代はこふろ(422)ぎと訓したりと見えたり。今云きり/”\すとは不v合也。字書には蜻※[虫+列]《コフロキ》の一名を蟋蟀と注せり。しかれば紛れたる事あるか。當集の歌に、此蟋蟀をきり/”\すと讀みては歌の意合はず。こふろぎと讀までは聞えぬ歌共あり。後京極攝政の、きり/”\す鳴や霜夜の御歌も、こふろぎのなく霜夜にてあるべし。きり/”\すは霜など降る節鳴くものにあらず。これらも不審の義也。此歌の次第も、時雨のふる時節は、も早きり/”\すは聲を出すものにあらず。古と今とは時令も替りし故、その時代はきり/”\すの鳴きけるか。此義不審也。蜻※[虫+列]の一名を蟋蟀ともいひし故、こふろぎの字に用たるにもやあらん。此歌の詞は、きり/”\すと讀みても足り餘りも無く、一字餘り迄の歌によまるれ共、此集の歌によりて、きり/”\すとは讀難き歌あり
 
1552 暮月夜心毛思怒爾白露乃置此庭爾蟋蟀鳴毛
ゆふづくよ、こゝろもしぬに、しらつゆの、おくこの庭に、蟋蟀なくも
 
夕月夜心もしのにと詠出たる意は、夕月のかげも朧にもの悲しき折から、心も一方ならずしほれ亂れて、草葉の露も同じく亂れあひたるに、もの悲しき蟲の音のしどろもどろに亂れ聞ゆる景色をよめる也。しぬにと云詞前にもしるし集中あまたありて六ケ敷詞也。兎角しほれ亂れたる事を云たる詞也。一方に不v定、しどろと云詞に同じき也。しぬと云ものもしなひ亂れたるもの也。小竹に露のおきてしなへ亂れたると云意を兼て、心もしぬにと詠めるか。心の一かたに不v定、しどろに亂れたると云義也。きり/”\すの音にもあれ、こふろぎにもあれ、その鳴聲も亂れて物悲しきと云意、鳴くもと嗟嘆してよめる也。しぬと云詞は、すべてものゝ亂れたる事と聞ゆる也。古今の歌、奧山のすがの根しのぎふる雪の〔けぬとかいはん戀のしげきに〕と云歌の、しのぎもしのに也。そのしのは亂れてと云意也。菅の葉に雪ふりかゝりてはしなひ亂る也。しのに物思ふなどと云も同じく、亂れてものを思ふ意也
 
衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首
 
1553 鐘禮能雨無間零者三笠山木末歴色附爾家里
しぐれのあめ、まなくしふれば、みかさ山、こずゑあまねく、いろづきにけり
 
(423)三笠山とよめる所此歌趣向也。雨にかさと云縁をうけて也。歌の意よく聞えたり。
 
大伴家持和歌一首
 
1554 皇之御笠乃山能黄葉今日之鐘禮爾散香過奈牟
おほきみの、みかさのやまの、もみぢばは、けふのしぐれに、ちりかすぎなん
 
三笠山といはんとて大君とはおけり。御の字をみとよむも、天子に限り用る字尊んで云詞也。尤もみとは發語の詞なれど、多くは天子の御物を云にはみと云詞を添也。此等の格古歌の風躰、たゞ三笠山と詠出でず皇の三笠の山と詠出たる處歌情也。天子の御笠をめしたる事、日本紀神功皇后紀云、〔戊子皇后欲v撃2熊襲1、而自2橿日宮1遷2于松峽宮1。時飄風忽起御笠隨v風、故時人號2其處1曰2御笠1也〕
黄葉 舊一本に秋黄葉と有。秋の字衍字なるべし。歌の意別義なし
 
安貴王歌一首
 
1555 秋立而幾日毛不有者此宿流朝開之風者手本寒毛
あきたちて、いくかも不有者、此宿ぬる、あさけのかぜは、たもとさむしも
 
此歌朗詠拾遺等には、幾日もあらねど袂すゞしもと有。此集を引直されたり
不有者 此者の字前にも注せる如く、煮の字の火を脱したるなるべし。集中に、をとか、にとか讀までは不v通歌いくらも有。こゝもその通なれば、一字板行の時脱してより、數歌も脱し來れりと見えたり。あらねばと讀みては、てには不v合。それを無理義を付ると詠歌不v聞也。誤と見るべし。尤をと讀む義はありて、第四卷の明軍の家持に贈りし歌の處に注せり。そこにも未だ時だにかはらねばとよめり。ばと云手爾波にてはいかにとも聞えざる也
此宿流 此詞不v濟義也。このねぬると云は、何としたる義と云釋諸抄にも不v見。只古來よりこのねぬると此歌にて讀來れり。假名付の本出來たるより、其譯をも不v考、先達の人々の歌にも毎度よみ來れり。今以而いかにとも解し難し。まづは今(424)宵ぬると云義と見る也
歌の意は、秋の來ていくかも無きに、今宵ねて明るあしたの風の寒きと驚きたる歌也。寒の字すゞしとも讀べきか。寒きと云までには時節不v被v到ば少不2相應1也
 
忌部首黒麻呂歌一首
 
1556 秋田苅借廬毛未壞者鴈鳴寒霜毛置奴我二
あきたかる、かりほもいまだ、こぼたねば、かりがねさむし、しもゝ置奴我二
 
此歌も者の宇、ばと讀みては不v合。煮の字の誤也
霜毛置奴我二 この句を霜おきぬらんと云義に諸抄注をなせり。我二といふ詞何とてぬらんと云義との釋無ければ、憶説推量の説也。濁音の字を用たれば、霜もおきぬと云義にもなり難し。我とまと通ずれば、霜もおかぬまにと云意なるべし。刈庵もこぼたず霜も未だおかぬ間に、越路をくる雁の音はいとも寒きは、かの國はいかばかりも早秋深くやあらん、それ故雁も越したるにやと云、感情をこめたる歌也。一説我は音便濁にて、霜もおきぬかにと云義、おきたるかと疑ひて詠める意と見る義も有。かにといふ詞は、此外にもありて、未だ事の不v決して、嘆の意をこめたる義もあれば、おきたるかと云意にも聞ゆる也
 
故郷豐浦寺之尼私房宴歌三首
 
日本紀持統卷云、天武十五年十二月丁卯〔朔乙酉、奉2爲天渟中原瀛眞人天皇1設2無v遮大會於五寺1、大官、飛鳥、川原、小墾田、豐浦、坂田〕光仁紀云、又嘗〔能潜之時〕童謡曰、葛城寺乃前在也豐浦寺乃西在也云々。推古天皇の時帝都〔豐浦宮と申ける〕所也。此故郷と云は藤原宮の方也。此時は奈良の都の時代なれば也。尼私房、誰人とも不v知
 
1557 明日香河逝回岳之秋芽子者今日零雨爾落香過奈牟
あすかゞは、ゆきわのをかの、あきはぎは、けふふるあめに、ちりかすぎなん
 
あすか河ゆくとうけたり。歌の意別義なし
 
(425)右一首丹比眞人國人
 
1558 鶉鳴古郷之秋芽子乎思人共相見都流可聞
うづらなく、ふりにしさとの、あきはぎを、おもふひとゝも、あひみつるかも
 
鶉はすべてあれ果てたる古郷に鳴ものによめり。野に住鳥、草深き野山に住んで秋の頃鳴く鳥故、ものふりて寂しき景色をいはんとて、鶉なくふりにしとはよみて、故里の意をあらはせり
秋はぎを思人とも 住人もなき古里なれば、萩を人とも見てしのぶと也。和漢朗詠に此歌をとりて、鶉鳴いはれの野邊の秋萩を云々とよめり
 
1559 秋芽子者盛過乎徒爾頭刺不挿還去牟跡哉
あきはぎは、さかりすぐるを、いたづらに、かざしにさゝず、かへりなんとや
 
徒の字 從に作れる本は誤也。挿の字搖に作れるも誤也。歌の意は宴果てゝ早く退散する名殘を惜みてよめる也
 
右二首沙彌尼等 端作に尼私房宴と有。宴主の尼などにや。歌の意宴主と聞ゆる也
 
大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首 跡見田庄、大和の跡見の内の小名也
 
1560 妹目乎始見之埼乃秋芽子者此月其呂波落許須奈湯目
いもがめを、始見のさきの、あきはぎは、このつきごろは、ちりこすなゆめ
 
妹目乎 此句心得難し。坂上郎女の歌なるに、いもが目をとは讀難き詞なるが、如v此もよむ例や。若し妹の字の誤にて、せこが目をと云にはあるまじきか。男子の歌ならばさもよみ侍らんを、女の歌に妹が目をともよむ例あるや。未v考
始見之埼も心得難し。見始と書たらば、さも讀まんか。始見と書て見そめとは難2信用1。然れ共はつみとか、そめみとか讀むべきを、古くかくよみ來れるは、確かに其の地名ありし故か。是も未だ地名を考不v得ば、いづれ共決し難し。いづれにもあれ(426)上に目をと詠かけたれば、見と云詞無くては不v叶ば、はつみとか、そめみとか、又みそめとか讀べき事也
此つきごろ 此月中はなど云に同じ。早く散らすなと云意也。ゆめと云ことは、よくつゝしめと云語を約したる也。よくつゝと云ことをゆにつゞめたる也。しめといふ詞はめと云につゞまる故、つゞめて短くゆめと云也。散らすなよくつゝしめと下知したる歌也
 
1561 古名張乃猪養山爾伏鹿之嬬呼音乎聞之登毛思佐
ふなばりの、ゐがひのやまに、ふすしかの、つまよぶこゑを、きくがともしさ
 
猪養山なるに、鹿の妻こふと云か。珍しく寂しき意をかねたる也。此乏しさは寂しく珍しきと云意もこめたり。猪養の山なる故、鹿の鳴は珍しきと云意をこめたる歌と聞ゆる也。先はさみしき方と可v見也。飽かぬ心に、不足すくなきと云意也
 
巫部麻蘇娘子鴈歌二首
 
1562 誰聞都從此間鳴渡鴈鳴乃嬬呼音乃之知左守
たれきゝつ、こゝになきわたる、かりがねの、つまよぶこゑの、之知左守
 
此歌は印本假名付の通に讀みては義難2聞得1。之知左守、此四字を字の儘に讀みて、歌の義とも聞得られず。諸抄の説は、字の儘に讀たる假名付の本に從ひたる説にして、ゆくをしらさずは、鴈の妻よぶに家持を待心によせて、此鴈の音を家持聞給はゞ來給はんと誰か聞つらん、家持は聞給はぬにやと云の義に注せり。或説には之の字行へと讀むべきかとばかり注して、全体の意何と聞得たるか、其釋を知らず。右の注にて此歌の意聞えたり共おぼえず。宗師案には之の字は前の歌のなみもあれば、乏と云字の上の一點落たるなるべし。然らばともしと知らさんと讀むべし。守の字をむとよむ義は、まもるの約はむ也。よりて守の字を書きてむと讀ませたるなるべし。聲の之をと云續は無きこと也。つゞき難き句讀なれば、ともしと云字と見るべしと也。扨歌の意は乏とは聲のかすかに遠く遙かなるとと云心にて、乏と讀めるなれば、誰れか聞きつらん、鴈の妻よぶ聲のこゝにはかすかにともしく聞ゆるが、そこにはいかにやと云義也。予未2甘心1。全體此歌聞得難し。後賢の明辨を待のみ。之知(427)左守の四字いかにとも讀わけ難く、又正字とも不v見、誤字あるべし。追而可v考。一本守を寸にも作れり。これらをもて相考ふれば、きはめて誤字あるべき也。愚案は守の字乎の字の誤ならんか。然らば、誰れきゝつ、こゝゆなきわたる雁がねの妻ぶ聲のこのしるけさをと讀みて、われも妻を慕ふ心を思ひやり給へと、家持へしめしやりたる歌かと見る也。誰れ聞きつは誰れか聞きつらんと云意なるべし。それ故和へ歌にも聞きつやと詠みたると見えたり。まことも遠く雲かくるなりとは、さねも遙かにと讀むべきか。音も遙かに隱れし故、こなたには妻こふ聲とはさやかにも聞かぬと和へたると聞ゆる也。然れ共此案當れりとも思はれず。尚後案を待のみ
 
大伴家持和歌一首
 
1563 聞津哉登妹之問勢流鴈鳴者眞毛遠雲隱奈利
きゝつやと、いもがとはせる、かりがねは、まこともとほく、くもがくる也
 
郎女の詠みて贈るに、誰れ聞きつとある和へ故きゝつやと妹がとよめり。その雁がねは、遙かに雲に隱れて過行し故、しか共聞かぬとの返歌と聞ゆる也。宗師案の通の和へなれば、乏と知らされたるが、成程まことに遙かに雲に隱れて、こなたも乏しく聞えるとの返歌也
眞毛 さねと讀べし。遠の字も遙かにと讀みて、さねは音《ネ》と云を兼ねて即ちまことにと云義也。さねとはまことゝ云義なれば、兩義かねて云へる也との案也。和への意をもて前の歌を考ふべき也。和の歌はよく聞えたれど、前の歌とくと不v濟故、兩首とも決し難し
 
日置長枝娘子歌一首
 
1564 秋付者尾花我上爾置露乃應消毛吾者所念香聞
あきづけば、をばながうへに、おくつゆの、けぬべくもわれは、おもほゆるかも
 
秋付者 秋つくれば也。つは助け詞、くれを約してけ也。よりて秋つけばは秋くれば也。を花が上とは、家持を思ひわぶる意(428)に比したるなり。を花とはすべて男花と云事也。家持を戀慕ふから、涙の露のおきそふと云意をあらはしよそへて、けぬべく思ふとは、思ひの切なると云意を云たるもの也。秋くればなべて物思ふことの増して、露しげきものなれば、秋くればと詠出たる也
 
大伴家持和歌一首 すべて和歌の體に三體あり。先の詞をとりて和へる返し、又心をとりて答る體、又業平の一體はかけ離れて意を專としたる歌多し。此和歌もその體の和歌也
 
1565 吾屋戸乃一村芽子乎念兒爾不令見殆令散都類香聞
わがやどの、ひとむらはぎを、おもふこに、見せでほと/\ちらしつるかも
 
ほと/\とは いくぱく散らさじと云義也。ほと/\と云詞濟にくき詞也。近也幾也と云字注あれば、多き事に云詞、いくばくと云と同事に聞ゆる也。此歌のほと/\も餘程と云義と同事にて、多く散らせしと云意也。今俗語に殆んどと云詞これ也。此返歌の意も少聞き得がたし。歌の一體は聞えたれど、和たる意何共聞え難し。何と云處を和へたるにやあらん。可v加2後案1也。此和は尾花と萩とを對して、を花男花故然らば家持に比し、萩は女郎に比して、意をもて詞に不v預和たる歌也。女郎の歌は思ひの切なるが餘りて、露の身も消ゆべく思ふと詠かけたるを、思ひをとげずして散過さす事の、悲しく殘多きと云和へに、ほと/\散らしつるかもと答たる也。これらも業平の風體と同じき返歌也。あだなりと名にこそ立れの返答、今日こそはの返歌などに同じき風體也
 
大伴家持秋歌四首
 
1566 久竪之雨間毛不置雲隱鳴曾去奈流早田鴈之哭
ひさかたの、あまゝもおかず、くもがくれ、なきぞゆくなる、わさだがりがね
 
雨間もおかずは前にも注せり。雨のふるにも不v止鳴くと云義也。歌の意別義なき歌也
 
1567 雲隱鳴奈流鴈乃去而將居秋田之穗立繁之所念
(429)くもがくれ、なくなるかりの、ゆきてゐん、あきたのほだち、しげくしおもはる
 
此歌秋田の穗立までみな序也。下の只一句しげくし思はると云計の歌にて、しげくし思はるとは、物思ひの何となく増すもの故、秋の田の穗のしげりたる如く、わが物思ひのしげれると云義によそへたる也。此繁と云義別に宗師の案ある也。後の歌ども、前のしげきといふことの歌ども悉相揃へて可v考と也
 
1568 雨隱情欝悒出見者春日山者色付二家利
あまごもり、こゝろいぶせく、いでてみれば、かすがのやまは、いろづきにけり
 
雨ふる頃打こもりゐて、鬱陶敷いぶせさに出て見ればと也。秋の頃時雨の跡、日にまし紅葉する景色をいへる也
 
1569 雨晴而清照有此月夜又更而雲勿田菜引
あめはれて、きよくてりたる、この月よ、又更而、くもなたなびき
 
又更而 またさらにしてと讀ませたれど、如v此いふ事歌詞にあらず。又更にしてと云詞いかにとも無き詞也。更にといふて上に又といふ義無き事也。夜又と書たれば、夜と云字をゆりたる意にて、又といふ字も上の夜と云字と見る義と見ゆる也。よりて又更而の三字を夜はふくるともよむ也。而といふ字然れどもと讀む故、ともと讀む事例ある事也。かく讀みてよく歌の意は聞ゆる也。如v此照りたるさやけき月の夜更くる共、曇るなと惜みたる意也
 
右四首天平八年丙子秋九月作
 
藤原朝臣八束歌二首
 
1570 此間在而春日也何處雨障出而不行者戀乍曾乎流
こゝにありで、かすがやいづこ、あまさはり、いでてゆかねば、こひつゝぞをる
 
こゝにありて こゝからは春日はいづ方にあたりあるやと、方角を尋ね思ひやりたる義也。雨に降こめられ、雨にさへられて(430)籠りゐる故、春日の方の戀しきと也。出ても不v行故戀したひてあると也
 
1571 春日野爾鐘禮零所見明日從者黄葉頭刺牟高圓乃山
かすがのに、しぐれふるみゆ、あすよりは、もみぢかざさん、たかまどの山
 
春日野に時雨の降からは、高き山はもはや紅葉すらんと察して、高圓山の木々の紅葉するを見んと也。かざすは高圓山の木々の染るを、紅葉をかざすとよめる也
 
大伴家持白露歌一首
 
1572 吾屋戸乃草花上之白露乎不令消而玉爾貫物爾毛我
わがやどの、をばながうへの、しらつゆを、けたずてたまに、ぬくものにもか
 
聞えたる通の歌、別の意なき也
 
大伴利上歌一首 利の字或抄に村の字の誤りと注せり。追而可v考。尤目録にも利の字なれ共、目録は後人の加筆なれば信じ難し
 
1573 秋之雨爾所沾乍居者雖賤吾妹之屋戸志所念香聞
あきのあめに、ぬれつゝをれば、やつるれど、わぎもがやどし、しのばるゝかも
 
雖賤 いやしけれどと讀ませたれど、雨にぬれて賤しきと云義不v續詞也。これはぬれしほれてやつれよわりて、恥かしけれど、妹が宿の偲ばるゝと云意也。日本紀神代の上卷海神の段に、火酢芹命襤褸とある義に同じく、襤褸は蔽衣也と云字注ありて、衣の破れやれたる體の義を義訓にとりて、やつれと日本紀にても讀ませたり。此賤けれどとあるもその意と見るべし。諸抄の説まち/\にして難2信用1。やさしけれど共讀むべきか。はづかしけれどの意にて、賤の字の義を借りて也。いやしきは恥づるの道理なれば也
 
(431)右大臣橘家宴歌七首 諸兄公の家也
 
1574 雲上爾鳴奈流鴈之雖遠君將相跡手廻來津
くものうへに、なくなるかりの、とほけれど、きみにあはんと、たもとをりきつ
 
雲の上に鳴くなる雁とは遠きと云詞をもうけん迄の冠句也。程へだたり遠けれど、諸兄公にあひ奉らんと、かなたこなた廻りめぐり來ると也。手回廻りはすぐに來ぬ、めぐり/\て來りしと云義也。もとをりは、たゝずみとゞこふる意をこめて云也。すぐさまに往來せぬことに云詞也
 
1575 雲上爾鳴都流鴈乃寒苗芽子乃下葉者黄變可毛
くものうへに、なきつるかりの、さむきなへ、はぎのしたばは、もみぢせむかも
 
此已下の歌共宴の挨拶の詞も無く、その當前のことを思ひ/\に詠める歌共にて、皆秋の事をよめる也。此歌もたゞ當然の鴈の聲も寒きが上、萩の下葉も色付そむらんと也
 
右二首、作者の名を脱せる也
 
1576 此岳爾小牡鹿履起宇加※[泥/土]良比可間可聞爲良久君故爾許曾
このをかに、をじかふみたて、うかねらひ、かもかくすらく、きみゆゑにこそ
 
うかねらひ うかゞひねらふと云義也。日本紀推古卷九年秋九月〔辛巳朔戊子、新羅之間諜者、迦摩多到2對馬1、則捕以貢v之流2于上野1〕天武紀云、〔或有v人奏曰、自2近江京1至2于倭京1處々置v候《ウカミ》〕古くはうかみと云たる也。後々は物見といへる此義也。うかゞひみるの義にて、鹿をふみおこしうかゞひねらふ如く、諸兄公の爲にけふの宴會に諸人のもてなしを、とや角心を盡して相交と云義なるべし。宴會の人の心をもうかゞひ、とや角するも、主人諸兄の爲とにとの意なるべし。かもかくはとも角も也。すらくとはすると云義地。るといふ詞を延べてらくとは云也
 
右一首長門守臣曾倍朝臣津島 臣曾の臣は巨の字の誤也。此津島は第六卷にも同年同月宴席の歌とて詠まれたる(432)を載せたり。長門なるおきつかり島の歌同人作也。諸兄公を殊に頼める人と聞えたり。第六にては對馬と記せり
 
1577 秋野之草花我末乎押靡而來之久毛知久相流君可聞
あきのゝの、をばながすゑを、おしなべて、こしくもしるく、あへるきみかも》
 
尾花が末をおしなみては、諾官人のおしなみて來り、宴することのしるきと也。客人をよくみあへると、亭主への挨拶の歌也。遠所より野山を經て來り會するも尤理かな。かくあひ慕はるゝはと云意と聞ゆる也
 
1578 今朝鳴而行之鴈鳴寒可聞此野乃淺茅色付爾家類
けさなきて、ゆきしかりがね、さむみかも、このゝのあさぢ、いろづきにける
 
寒みかもは、嘆息の詞と伺ひの意を兼ねて也。けさ鳴きてゆきし雁がねの寒かりし方もおぼえねど、野邊の淺茅の色付ける事は、はや時令寒くなりし故かと云意也
 
右二首阿部朝臣蟲麿
 
1579 朝扉開而物念時爾白露乃置有秋芽子所見喚鷄本名
あさとあけて、ものおもふときに、しらつゆの、おけるあきはぎ、みえつゝもとな
 
此歌隔句體と云もの也。もの思ふ時朝戸をあけて見たれば、萩の葉に白露のおけるは、わが物思ふ涙やおちて萩におけるか、心元無く覺束なしと云意也。もとなと云は疑はしきことを云詞、今心元無きと云意と同じ由など云義と注し來れど、不v合義也。疑はしくいぶかしき事を、もとなといへる也。萩の露も何としておきつると云意也
喚鷄 つゝとは詞の義をとりて也。今も、とゝ、つゝと呼ぶ其の聲の義をとりて如v此書けり
 
1580 棹壯鹿之來立鳴野之秋芽子者露霜負而落去之物乎
さをしかの、きたちなくのゝ、あきはぎは、つゆしもおひて、ちりにしものを
 
(433)負ひては帶ての意也。此歌の意は鹿の萩を慕ひ來て鳴くは、露霜を帶て散いにしも知らず、來たち鳴ことの哀れ也と云意をよめると聞えたり。此乎の字古詠の格ありて、詞の餘りと嘆息歎きの意を述べたる乎也
 
右二首文忌寸馬養 ふみのいみきうがふ。文忌寸馬養、元正紀云、靈龜元年四月癸丑〔詔2申年功臣贈正四位上文忌寸禰麻呂息正七位下馬養等一十人1賜v田各有v差。〕聖武紀云。天平九年九月〔己亥從七上文忌寸馬養等授2外從五位下1〕十年閏七月〔主税頭〕十七年九月筑後守。孝謙紀云、寶字元年六月〔外從五位上文忌寸馬養爲2鑄錢長官1〕同十二月〔壬子太政官奏曰贈正四位上文忌寸禰麻呂壬申年功田八丁〕延暦十年四月〔戊戌左大史正六位上文意寸最弟、播磨少目正八位上武生連眞象等言。文忌寸等元有2二家1。東文稱v直西文號v首。相比行v事其來遠焉。今東文擧v家既登2宿禰1。西文漏v恩猶沈2忌寸1。最弟等幸逢2明時1不v蒙2曲察1、歴代之後申v理無v由。伏望同賜2榮號1。永貽2孫謀1。有v勅責2其本系1。最弟等言。漢高帝之後曰v鸞、鸞之後王狗轉至2百濟1。久素王時聖朝遣v使徴2召文人1。久素王即以2狗孫王仁1貢焉。是又武生等之祖也。於v是最弟及眞象等八人賜2姓宿禰1〕日本紀には書首根麻呂此根麿の子也
 
天平十年戊寅秋八月二十日
 
橘朝臣奈良麿結集宴歌十一首 たちばなのあそんならまろ、ちぎりてつどふうたげの歌
 
1581 不手折而落者惜常我念之秋黄葉乎挿頭鶴鴨
たをらずて、ちりなばをLと、わがおもひし、あきのもみぢを、かざしつるかも
 
何の意も無く能聞えたる歌也。けふの宴會を喜べる歌迄也
 
1582 布將見人爾令見跡黄葉乎手折曾我來師雨零久仁
しきてみん、ひとにみせむと、もみぢばを、たをりぞわがこし、あめのふらくに
 
しきては重て見ん人にてと云意也。重波のしきと同じく、飽かず愛して見ん人にと云意也。次の奧の歌にも、しきてみんとわが思ふとよめる意も不v飽の意也。此しきても同じ。歌の意よく聞えたり。雨のふらくには、雨のふるにもいとはずと云義也
 
(434)右二首橘朝臣奈良麻呂
 
1583 黄葉乎令落鐘禮爾所沾而來而君之黄葉乎挿頭鶴鴨
もみちばを、ちらすしぐれに、ねれてきて、きみがもみぢを、かざしつるかも
 
歌の意は雨に濡れてもけふの宴にあふ事をよろこぶの意也。紅葉を散らす時雨にぬれて、又こゝにては紅葉をかざすと云義を手によめる也
鐘の字をしくと讀めるは、音をかりて、シヤウ、シユの音なれば、ぐと濁音の時ゆに通ふ也。よりてしぐとは讀ませたり。シユのユはヤウの約ユ也。シグのグはユと通ふ也。ガギグゲゴはヤヰユエヨに通ふ故他。樂の調子黄鐘と書わうじきと唱ふ也。然れば、シキ、シクの音もあるか
 
右一首久米女王 聖武紀天平十七年正月無位〔久米女王授2從五位下1〕
 
1584 布將見跡吾念君者秋山始黄葉爾似許曾有家禮
しきてみむと、わがおもふきみは、あきやまの、はつもみぢばに、にてこそありけれ
 
布而みむは前の意也。不v絶飽かず見んと思ふ人と云意也。珍しく飽かぬ紅葉に比して、主人を賞美しての歌也
 
右一首長忌寸娘
 
1585 平山乃峯之黄葉取者落鐘禮能雨師無間零良志
ならやまの、みねのもみぢば、とればちる、しぐれのあめし、まなくふるらし
 
平山 これをひら山と讀ませたり。大和の内に平山と云地名ありや。未v考。奈良山にてあらんをかく假名をつけたるか。難2心得1。取者落もかれば散ると讀まんか。すべて取と云字此集中にて、かりかると讀ませたる歌多けれど、皆誤りて歌の心を得ずして、とると假名をなせり。こゝも紅葉狩の意にてかれば散ると詠めるか。とればと云詞平懷に近し。尤折取の意に(435)てもあるべし。紅葉々を手折取ばあへなく散るは、時雨のまなく降りて雨にいためるならんとの歌也
 
右一首内舍人縣犬養宿禰吉男 聖武紀云。神龜四年十二月丁丑、正三位〔縣犬養宿禰三千代言。縣犬養連五百依安麻呂、小山守、大麻呂等是一祖子孫骨肉孔親。請共沐2天恩1同給2宿禰姓1詔許v之。〕孝謙紀云。寶字二年八月〔庚子朔、正六位上縣犬養宿禰吉男授2從五位下1〕廢帝紀云。寶字八年十月〔從五位下縣犬養宿禰〕吉男爲2伊豫介1
 
1586 黄葉乎落卷惜見手折來而今夜挿頭津何物可將念
もみぢばを、ちらまくをしみ、たをりきて、こよひかざしつ、なにかおもはん
 
もみぢ葉のと云べき手爾波に聞えたれ共、下の手折來てかざしつといふへかゝる詞故、をといふてにはに讀みたる也。歌の意紅葉のあだに散りなんは惜しきに、今宵手折來て此宴會にかざしぬれば、惜しき思ひ無きとの義也
 
右一首縣犬養宿禰持男 此持男傳未v考。吉男の兄弟か
 
1587 足引乃山之黄葉今夜毛加浮去良去山河之瀬爾
足引の、山のもみぢは、こよひもか、うきていぬらん、やまかはのせに
 
此歌の意は、今宵かくこゝには紅葉を賞愛するが、見る人もなき山の紅葉は散浮きて、瀬々に流れ行らんと紅葉をいたく愛する心から、思ひやりて詠める歌と聞ゆる也
 
右一首大伴宿禰書持
 
1588 平山乎令丹黄葉手折來而今夜挿頭都落者雖落
なら山を、にほはすもみぢ、手をりきて、こよひかざしつ、ちらばちるとも
 
令丹 にほすと讀ませたり。語類ありといへ共つまりたる詞也。失張匂はすと讀みて義訓に書きたると見るべし。山の木々紅葉したるを云也。句ひとは色赤くなる事を云也。散らばちる共は散るともよしと云意也。此宴會の今宵かくかざしつれ(436)ば、よし散るとも今は惜まじと也
 
右一首之手代人名 之一本三に作。下の人名の二字も心得難き加筆也。三手代と云は人の名と云傍注か
 
1589 露霜爾逢有黄葉乎手折來而妹挿頭都後者落十方
つゆしもに、あへるもみぢを、たをり來て、いもにかざしつ、のちはちるとも
 
此歌も妹にかざしたる後は、散るともよしいとはじとの意也。前の歌の意に同じ
 
右一首秦許遍麿 古一本遍を部に作。傳不v知
 
1590 十月鐘禮爾相有黄葉乃吹者將落風之隨
かみなづき、しぐれにあへる、もみちばの、ふかぱちりなん、かぜのまに/\
 
十月をかみな月と云は、昔は雷を神とのみいへり。禮記月令、仲秋月雷始收v聲とありて、十月に至りて極て雷聲無きもの故、神無月と云意にて云來れりと見えたり。上陽の氣無き月など云ひ、或は天神地祇出雲國に集り給ふて、諸神ましまさぬ月など證明なき説は難2信用1也。且北國にては雪おこしとて、冬も雷聲のする由申傳たれど、邊鄙故奇異の事もあらんか。王都近國にては冬雷聲することは稀なる事也
吹者云々 下の意は君にまかするの意を含てならん。寶字元年奈良麿謀反の事の樣なる節も、此池主も方人と見えたれば、日頃も歸服の中と聞ゆる也
 
右一首大伴宿禰池主
 
1591 黄葉乃過麻久惜美思共遊今夜者不開毛有奴香
もみぢばの、すぎまくをしみ、おもふどち、あそぶこよひは、あけずもあらぬか
 
あけずもあらぬかは、あけずもあれかし也
 
(437)右一首内舍人大伴宿禰家持
 
以前冬十月十七日集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也
 
諸兄公の舊宅にて、奈良麿約束ありて、右宴飲せられしと也。後注者所見ありて注したる也
 
大伴坂上郎女竹田庄作歌二首
 
1592 然不有五百代小田乎苅亂田廬爾居者京師所念
しかならで、いほしろをだを、かりみだる、かりほにをれば、みやこしゝのばる
 
歌の意鹿にはあらねど、數々の田を刈亂す物うき刈庵に居れば、花の都のいとゞ偲ばるゝと云意也。竹田庄に居て奈良の都を慕ふ歌也。竹田圧と云から田廬に居ればと詠たる也
然不有 たゞならずと讀ませて、いたづらには不v居、多くの田を刈亂し居るとの説、或はしかとあらぬと云説もあれど、義叶へりとも不v思也。よりて今案には、鹿にはあらで狩亂ると、田をかり亂したると云義に讀む也。五百代は十代田とも、五十代田とも讀む事也。代とは頃の字の意、地面の事を云義也。七十二歩を云v代車などありて、田の地面の總體を云也。五百代と云時は、幾らもの田、數多き田と云意と知るべし。此の事追而委可v注。今も斗代など百姓の云事あるも此しろと云義也。田廬は田を守る伏屋也。刈庵と云もの也。しかならでとよむ故、これをもかりほと讀みて獵の詞を用る也。十六卷目に、多夫世と自注をあげたり。こゝにも擧ぐべきを、十二卷にあげたれば、こゝに田ぶせとは不v續事明也。田はかりとも讀む、また田の廬なればかりほ也。いづれにてもかりほと讀みて、かり廬の意也。畢竟此かりほに居ればといはん序に、上の句を設たる歌也。たゞ都ししのばるゝ處の趣向をよめる迄の事也
 
1593 隱口乃始瀬山者色附奴鐘禮乃雨者零爾家良思母
こもりくの、はつせのやまは、いろづきぬ、しぐれのあめは、ふりにけらしも
 
よく聞えたる歌也。別の意なし
 
(438)右天平十一年己卯秋九月作
 
佛前唱歌一首 左注を見るに、維摩會の時音樂に合奏の歌也
 
1594 思具禮能雨無間莫零紅爾丹保敞流山之落卷惜毛
しぐれのあめ、まなくなふりそ、くれなゐに、にほへるやまの、ちらまくをしも
 
紅葉の散らん事の惜しきと也。よく聞えたる歌也
 
右冬十月皇后宮之維摩講終日供養大唐高麗等種種音樂爾乃唱此謌詞彈琴者市原王忍坂王【後賜姓大原眞人赤麻呂】歌子者田口朝臣家守河邊朝臣東人置始連長谷等十數人也 皇后宮、光明皇后也。淡海公第二之女也。維摩講の事、續日本紀にくわし。重而町2注出1。大唐高麗、大唐樂、高麗の樂の事也。市原王、忍坂王、續日本紀に見えたり。此維摩會は大織冠のはじめ給ふ大會也。式の文にも内藏省玄蕃式に見えたり。追而細注すべし。市原王の事、忍坂王の事〔注記ナシ〕歌子者、右の歌を唱へ歌ふ人のこと也。田口朝臣家守〔注記ナシ}
 
大伴宿禰像見歌一首 かたみと讀むか。傳不v知
 
1595 秋芽子乃枝毛十尾二降露乃消者雖消色出目八方
あきはぎの、えだもとをゝに、おくつゆの、消ばけぬとも、いろにいでめやも
 
十尾は枝のたわむ程におく共と也。たわゝとも讀む。同じ意也。たわみしなへる義也。其露の如く、命は消えうする共、我思ひを色に出してあらはさじと也
 
大伴宿禰家持到娘子門作歌一首
 
1596 妹家之門田乎見跡打出來之情毛知久照月夜鴨
いもがへの、かどたをみんと、うちいでこし、こゝろもしるく、てるつきよかも
 
(439)情毛云々 門田を見んと心ざしたる甲斐ありてと云義に心もしるくと也。その心ざしもしるくあらはれて、月もさやかに照ると也
 
大伴宿禰家持秋歌三首
 
1597 秋野爾開流秋芽子秋風爾靡流上爾秋露置有
あきのゝに、さけるあきはぎ、あきかぜに、なびけるうへに、あきのつゆおけり
 
秋の歌と云題故、秋の景色を詠みて皆秋と云詞、四句によみ入たるを手としたる歌也。別の意なく聞ゆる也
 
1598 棹《新古今に入》牡鹿之朝立野邊乃秋芽子爾玉跡見左右置有白露
さをしかの、あきたつのべの、あきはぎに、玉とみるまで、おけるしらつゆ
 
さを鹿は萩を妻とも愛して立なるゝもの故、露を專によまんとて、朝たつとはよめるならん。朝夕はわきて露深きもの故、朝たつ野邊とはよめる也。別の意無き歌也。鹿は夜野山に妻戀して、朝寢所に歸るもの故朝たつとか
 
1599 狹尾牡鹿乃※[匈/月]別爾可毛秋芽子乃散過鷄類盛可毛行流
さをしかの、むなわけにかも、あきはぎの、ちり過にける、さかりかもゆける
 
※[匈/月]別爾可毛 鹿は胸の出たるもの故、萩をも胸にておしわくる也。それ故古詠皆鹿の胸わけと云事をよめる也。歌の意鹿の胸別にすれて散たるか、又盛過たる故、かくは散ぬるかと兩方を疑ふたる意也
 
右天平十五年癸未秋八月見物色作 歌の意を見て後に左注者加v之たる注也。物色とは秋物の景色を見ての意也
 
内舍人石川朝臣廣成歌二首
 
1600 妻戀爾鹿鳴山邊之秋芽子者露霜寒盛須疑由君
つまこひに、しかなく山べの、あきはぎは、つゆしもさむみ、さかりすぎゆく
 
(440)露霜にあひて萩の花のうつろひ過るを、盛過行とよめる迄の歌也。露霜寒みと云迄は序也。山邊なれば、露霜も殊に深くて、時節も寒くなる折から、萩のうつろへる景色をよめる也
 
1601 目頻布君之家有波奈須爲寸穗出秋乃過良久惜母
めづらしき、きみがいへなる、はなすゝき、ほにいづるあきの、すぐらくをしも
 
人の家の尾花を賞美して、めづらしきとはよめり。別の意なし。花すゝきとよめる歌此集是計也。多くはたすゝきとよめり。穗出たる處を花すゝきとは云也。はたすゝき、花すゝき同物也。しのすゝきと云も、しの竹にあたるにより云也。同物也
 
大伴宿禰家持鹿鳴歌二首
 
1602 山妣姑乃相響左右妻戀爾鹿鳴山邊爾獨耳爲手
やまびこの、あひどよむまで、つまごひに、しかなくやまべに、ひとりのみして
 
此歌は、わが妻戀にひとり音をも鳴くと云意を、鹿によそへてよめり。我ひとり妻こひをしてと云意に、獨りのみしてとは詠めり。鹿鳴くは然なくのよせにて、われしか鳴くと云意也。しかの鳴く如くに、しかなくとよませたると聞ゆる也。妻戀になくは男鹿也。よりて家持の女のなくとの意なるべし
 
1603 頃者之朝開爾聞者足日木箆山乎會響狹尾牡鹿鳴哭
このごろの、あさけにきけば、あしびきの、やまをどよまし、さをしかなくも
 
此なくもとよめる詞今時なき事也。古詠の風體にてみな嘆息のこと也。なくもは、扨も物哀れなるかなと云意也
 
右二首天平十五年癸未八月十六日作
 
大原眞人今城傷惜寧樂故郷歌一首 孝謙紀云。寶字元年五月〔正六位上大原眞人今木授2從五位下1〕同六月治部少輔。廢帝紀七年正月〔左少辨〕三年九月駿河守
 
(411)1604 秋去者春日山之黄葉見流寧樂乃京師乃荒良久惜毛
あきされば、かすがの山の、もみぢみる、ならのみやこの、あるらくをしも
 
ならの都より春日は程近ければ、紅葉みると也。別の意なし
 
大伴宿禰家持歌一首
 
1605 高圓之野邊乃秋芽子比日之曉露爾開兼可聞
たかまどの、のべのあきはぎ、このごろの、あかつきづゆに、さきにけんかも
 
何の意もなく聞えたる通の歌也。曉と限りたる處少不審なれど、加樣の事は時に臨みて作者心に浮めるに任せ、何の趣向無くてもよめる事多し
 
秋相聞
 
額田王思近江天皇作歌一首 此歌は第四卷に出たり。然るに又此卷に出せるは亂雜なるべし
 
1606 君待跡吾戀居者我屋戸乃簾令動秋之風吹
 
第四卷にて釋したり。第四には我屋戸之簾動之秋風吹と書る違迄也
 
鏡王女作歌一首 第四卷にあり
 
 第四、太爾 流者 之 小 登時
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1607 風乎谷戀者乏。風乎谷將來常思待者何如將嘆
 
第四卷之通也。しかし書樣少違ある迄也。第四にては只相聞の部に有。こゝは秋の相聞故二度被v載たるか
 
弓削皇子御歌一首
 
1608 秋芽子之上爾置有白露乃消可毛思奈萬思戀管不有者
(442)あきはぎの、うへにおきたる、白つゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
 
此戀つゝあらずばの詞も前々注せると同じ意なれ共、上にけかもと云詞ある故、少聞にくき也。かく戀つゝ死なば、白露の消ゆる如く消えやせんと云意に聞ゆる也。又かく戀ひわびてゐるは、又思ひの叶ひもせんやとながらへぬるが、戀する事も無きと云ならば、露の如く消えんかと云意とも聞也。今少きゝおふせ難し
 
丹比眞人歌一首 名闕
 
1609 宇陀之野之秋芽子師弩藝鳴鹿毛妻爾戀樂苦我者不益
うだののゝ、あきはぎしぬぎ、なくしかも、つまにこふらく、われにはまさじ
 
宇陀之野と詠出たるは、妻戀するをういと云意をもてなるべし。但しあだと通ふ詞故、あだなる戀をすると云意にもやあらん。いづれにもあれ、妻こふと云義にういとか、あだとかよせて也。しのぎはしのになり。しどろにの意、聲も亂れて鳴の意なり。畢竟の意は、妻戀する鹿もわれには憂き思ひもまさらじとの歌也
 
丹生女王贈太宰帥大伴卿歌一首 第四卷にも同卿に被v贈たる此王の歌有。聖武紀天平十一年正月、〔從四位下丹生女王授2從四位上1〕
 
1610 高圓之秋野上乃瞿麥之花卜壯香見人之挿頭師瞿麥之花
たかまどの、あきのゝがみの、なでしこの、はなうらわかみ、ひとのかざしゝ、なでしこのはな
 
卜壯香見 此卜の字諸本には皆于又は下又丁に作れる也。于丁下の三字にてはいかにうらと讀むべき義不v被v考。よつて宗師案は下に作る。誤字によつて見れば卜の字正字なるべし。然ればうらと讀まるゝ也。古くは卜の字故うらわかみと四字を讀ませたりと見る也。うらわかみとは我身の事也。人のかざしゝとは、そのかみはわれめでられしにと恨みたる意を含める歌也。人とは大伴卿をさして也。さしもめでられし事もありしにと云意也
 
笠縫女王歌一首 《古一本》六人部親王之女、母曰2田形皇女1也。第一卷に身人部王と有。此六人部と御同人なるべし。田形皇女(443)は天武天皇の皇女也。天武紀云。次夫人〔蘇我赤兄大臣女大〓娘生2一男二女1。其一曰2穗積皇子1。其二曰2紀皇女1。其三曰2田形皇女1〕續日本紀云、慶雲三年八月庚子、〔遣2三品田形内親王1侍2伊勢太神宮1〕神龜元年二月〔授2三品田形内親王二品1〕同五年三月丁酉朔辛丑、二品田形〔内親王薨。遣2正四位下石川朝臣石足等1監2護裳事1。天渟中原瀛眞人天皇之皇女也〕
 
1611 足日木乃山下響鳴鹿之事乏可母吾情都末
あしびきの、やましたどよみ、なくしかの、ことゝもしかも、わがおもひづま
 
なく鹿のことゝは、鳴鹿の如く、わが思ひ妻にあふことは稀なると云意也。わが身を鹿に比して詠ませ給へる也。此ともしかもは、少く稀なると云方にて、妻にあふことの稀なるから泣戀ふとの意也。こゝろ妻とも讀ませたれど、情の字思ふとも可v訓字也。若しくは懷の字誤りか。心づまと云ては云はるべき事なれど六ケ敷也。思ひ妻なれば何の義も無くたゞわが戀思ふ妻と云義也
 
石川賀係女郎歌一首 よしつきか、傳詳ならず
 
1612 神佐夫等不許者不有秋草乃結之紐乎解者悲哭
かみさぶと、いなにはあらず、あきぐさの、むすびしひもを、とけばかなしも
 
此歌色々の聞き樣ありて一決し難し。先一説は我身媼になりて神さびたれど、君があはんと云を否と思ふにはあらず。されど霜置比の秋草の如く、むすぼほれたる紐を、今更解かんも恥しく悲しきと也。秋は草も老ゆくものなれば、わが身を譬ふる也と云説有。又一説忍びて語ふ人ある上に、又わり無く云人によみて遣したるか。我思ふ人の中は、神さぶ迄久敷を、聞かずばあらじを、さればその人と結びし紐を、我今解かんは悲しきとの歌と見る説有。前の説は然るべきか。宗師案は神さぶとは年たけたる事を云。年たけたれど君があふ事はいなにはあらず、年たけてむすぼほれたる紐を解けば嬉しきと云意と也。悲しきは嘆悦の悲しきにて、憂ふるの悲しきにはあらじと也。紐を解けば愈々愛情の増すとの意也
解者 とけば、とくは、とかば三品の讀樣にて意少しづつ違也。此歌六帖には秋草の部に入たり
 
(444)賀茂女王【長屋王之女母曰阿倍朝臣】
 
1613 秋野乎且往鹿乃跡毛奈久念之君爾相有今夜香
あきのゝを、且往しかの、あともなく、おもひしせこに、あへるこよひか
 
朝ゆくと云事、朝に限る意心得難し。しばらくと云字なるべし。然らばしばらくと讀べし。しば/\行くと也。後案、前にも朝立とありて、鹿は夜妻戀あるきて、朝住所に歸るもの故如v此よめるか、あとも無くとは、思ひもかけず思ふ人にあひしと云意也。あふ事は跡方も無く思ひ絶えしにと云意也。それに鹿の跡のあらば、それをとめてせこが尋ねも來るべきに、その跡も無ければ、たれ來る人もかりするせこも來べき樣は無きに、思ひかけぬに思ふ人にあふ事の嬉しきと云意なるべし
 
右歌或椋橋部女王或云笠縫女王作 異説をあげたる迄也
 
遠江守櫻井王奉 天皇歌一首 元明紀、和銅七年正月授2無位櫻井王從五位下1。元正紀養老五年〔正月從五位上〕聖武紀神龜元年二月〔正五位下〕天平元年三月〔正五位上〕同三年正月〔從四位下〕當集第廿卷大原櫻井眞人〔行2佐保川邊1之時作歌一首〕此櫻井王と同人か。續日本紀第十五天平十六年二月〔丙申〕大藏卿從四位下大原眞人櫻井。如v此あれば後に姓を賜へるにや
 
玉葉に載たり
1614 九月之其始鴈乃使爾毛念心者可聞來奴鴨
ながづきの、そのはつかりの、つかひにも、おもふこゝろは、きこえこぬかも
 
是は遠江守にて、彼國に在て政の義に付て、何とぞ奏せられたる事の御返り事無きにつきて奉れるか。鴈の使とは漢蘇武が古事によりてよめる也
 
天皇賜報知御歌一首 古一本に御製の下に大浦者遠江國之海濱名也。如v此傍注せり
 
1615 大乃浦之其長濱爾縁流浪寛公乎念比日
(445)おほのうらの、そのながはまに、よするなみ、ゆたけくきみを、おもふこのごろ
 
此御返しの趣も、何とぞ政務の事につきての御事ありてか。その事を急務におぼし召させられぬとの御返歌也。大浦、遠江歟。證記未v考。下のゆたにと被v遊ん爲の序也。大浦長濱皆豐かに穩かなる詞をもて、せは/\しくは思召さずとの義也。遠江の守の事を思召させらるゝにしても、一旦には無く長く緩やかに御惠なさせらるゝとの御歌と聞ゆる也。新拾遺集に載たり
 
笠女郎|賜《贈カ》大伴宿禰家持歌一首
 
1616 毎朝吾見屋戸乃瞿麥之花爾毛君波有許世奴香裳
あさごとに、わがみるやどの、なでしこの、はなにもきみは、ありこせぬかも
朝毎に見る此撫子の如くあらせたきに、その如くにはあらぬとの意也。こせぬ、見え來らぬと云意をこめて也
 
山口女王贈大伴宿禰家持歌一首
 
1617 秋芽子爾置有露乃風吹而落涙者留不勝都毛
あきはぎに、おきたるつゆの、かぜふきて、おつるなみだは、とゞめかねつも
 
涙のとゞめ難きと云事を專とよめる也。家持の外に心うつりて疎くなりたるを比して、風に露の落つるに譬へたるか。風吹ては何とぞさはることありて隔たれるをいへるか。物思ひに涙のとゞめ難きと云事を專とよめる也
 
湯原王贈娘子歌一首
 
1618 玉爾貫不令消賜良牟秋芽子乃宇禮和和良葉爾置有白露
たまにぬき、けさでたばらん、秋はぎの、うれわゝらはに、おけるしらつゆ
 
うれわゝら葉は萩の若葉の事他。うれは末のこと也。葉末の柔かなると云説も有。いづれも同じ意也。その若葉に置たる露(446)を消さずして、萩を賜はれとの意にて、幼き女郎をその儘にほしきとの心を譬へたる也
 
大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首
 
姑はをばとも讀む。しうとめ共讀めり。此坂上郎女はをばながらしうとめなれば、何れにても同じ。和名抄云、叔母、九族圖云、叔母ハ乎波、父之姉妹爲v姑、一云阿叔母和名同上。同抄云、姑、爾雅云、夫之母曰v姑、和名、之宇止女、没則曰2先姑1、外姑、爾雅云、妻之母曰2外姑1與婦稱夫之母同、一云婦母也、一云、夫之敬2妻之父母1如3妻之尊2敬舅姑1、舅姑同2真名1加2外字1也
 
1619 玉鉾乃道者雖遠愛哉師妹乎相見爾出而曾吾來之
たまぼこの、みちはとほけれど、はしきやし、いもをあひみに、でてぞわがこし
 
妹とは女の通稱故、姑をもかく讀めるか。たゞし家持の妻姑と一所に竹田庄に在けるにや
 
大伴坂上部女和歌一首
 
1620 荒玉之月立左右二來不益者夢西見乍思曾吾勢思
あらたまの、つきたつまでに、きまさねば、ゆめにしみつゝ、おもひぞわがせし
 
久しく來らざりし事を云はんとて、月たつ迄にと也。いかゞしたるやと案ぜしと云意也
 
右二首天平十一年己卯秋八月作 二首共に秋の事歌の句中に不v見故、秋八月作ると理りたる注也。左注者所見ありてなるべし
 
巫都麻蘇娘子歌一首
 
1621 吾房前乃芳子花咲有見來益今二日許有者將落
わがやどの、はぎのはなさけり、みにきませ、いまふつかばかり、あらばちりなん
 
今二日ばかりとは、けふをさかりと云やれる意也。別の意なき歌也
 
(447)大伴田村大孃與<妹>坂上大孃歌二首
 
1622 吾屋戸乃秋之芽子開夕影爾今毛見師香妹之光儀乎
わがやどの、あきのはぎさく、ゆふかげに、いまも見てしか、いもがすがたを
 
庭の秋萩美しく咲亂れたる夕部、景色も面白きにつけて妹を思ひ出て、此折柄に相見てしかなと、萩の花に妹の姿をなぞらへて思ひ出て、見たきかなと願へる也
 
1623 吾屋戸爾黄變蝦手毎見妹乎懸管不戀日者無
わがやどに、もみづるかへで、みるごとに、いもをかけつゝ、こひぬひはなし
 
紅はすべてきぬを揉みて振立てゝ染る也。それ故紅と云ことを詠めば、もむとか、ふるとかよめる事多し。こゝも木の葉の紅に染るを云故、もみづるとはよめり。もみぢしつると云略語にも通ふ也。紅の色を直ちにもみとも云は、揉みて染める故也。又黄ばむと音借にも讀むべきか。黄ばむと云も赤き色の事也。皆火の色他
蝦手 鷄冠木の事也。俗に是をもみぢの木と云は諸木に勝れて紅葉の色能木故也。和名抄云、楊氏漢語抄云、鷄冠木加倍天乃木蝦手と書は蝦の芋に葉の形似たる故也。又鷄冠木と書故もとさかに似たる葉故也。かへる手の木共云か。十四卷東歌に、こもち山はふかへるてのもみづまでと詠めり。楓の木と同木か、未v考。いもをかけつゝ、こゝよりかしこへかけて也。又かへでの木の紅葉して美しきに付て、思ひ出て戀ひぬ日無きと也。かけては、こゝよりかしこを思ひやりての事にかけてとは詠める也。紅顔を思ひ出て、此美しき紅葉を見せもし相見たきと兩方をかけてこふる意也。姉妹の間かく陸じきことめでたくも聞ゆる也
 
坂上大娘秋稻※[草冠/縵]贈大伴宿禰家持歌一首 稻※[草冠/縵]、稻の穗にてかづらをつくる由也。今の世には無きものなれば、いかにしたるものか不v詳也。先此表にて見れは、穗にて作りたるかづらの類と見ゆる也。諸抄の説もかくいへり
 
1624 吾蒔有早田之穗立造有※[草冠/縵]曾見乍師弩波世吾背
(448)わがまける、わさだのほだて、つくりたる、かづらぞ見つゝ、しのばせわがせ
 
わがつくりし早田の稻穗を立てつくれるかづら也。これを見てわれを忍び給へと也。しのべとはわれを見たく思ふ心を、このかづらを見てこらへよと云意也。戀しき折は此かづらを見てしのびたへよと也。※[草冠/縵]は古點にほくみ共よめり。蒔一本に業の字に作る也。然らばなせると讀まんか。わがわざなると云假名あれど心得難し。次の和へに業跡と書たれば、それによりてこゝもわざなると假名を付たるか
 
大伴宿禰家?報贈歌一首
 
1625 吾妹兒之業跡造有秋田早穗乃※[草冠/縵]雖見不飽可聞
わきもこが、わざとつくれる、あきの田の、わさほのかづら、みれどあかぬかも
 
わざとは事業として作れる田の稻穗と云意也。見つゝしのべとある故、見れどあかぬと答へたり。よく聞えたる也
 
又報脱著身衣贈家持歌一首 一本衣を夜に作るは誤也
 
1626 秋風之寒比日下爾將服妹之形見跡可都毛思弩播武
あきかぜの、さむきこのごろ、したにきむ、いもがかたみと、かつもしのばむ
 
下にきてと讀たき所也。將の字を書たればきんとならでは讀難し。古詠にはケ樣のてには毎度ある事也。かつもしのばんは寒きをも凌ぎ、又妹を慕ふ心をも忍び堪ふと也。しのばんは戀しきをも此衣を妹と思ひてこらへんとの意也
 
右三首天平十一年己卯秋九月往來 皆晩秋の歌也。よりて稻穂寒きなど云詞あるを以、左注者秋九月と晩秋の義を理れり
 
大伴宿禰家持攀非時藤花并芽子黄葉二物贈坂上大孃歌二首 非時は左注に六月往來と書にて、時過時ならぬ二物也
 
(449)1627 吾屋前之非時藤之目頬布今毛見牡鹿妹之咲容乎
わかやどの、ときならぬふぢの、めづらしく、いまもみてしか、いもがゑがほを
 
四月五月迄も小藤岩藤など云ものも咲きぬれど、六月に咲は時過し花也。時ならぬからめづらしきにつけて、妹が珍しきエガををも見たきと也。見てしかな也。めづらしく妹が笑顔を見たきといはんとて、時ならぬ藤を詠出たり。折かなひて贈物に應ぜる詞也
咲容乎 ゑまひとも讀む。いづれにても仝じ義也
 
1628 吾屋戸之芽子乃下葉者秋風毛未吹者如此曾毛美照
わかやどの、はぎのしたばは、あきかぜも、いまだふかぬに、かくぞもみてる
 
歌の意はそなたを慕ふ心の、早くも色にあらはるゝと云意をこめて也。未吹者の者は、前にも注せる如く煮の字の誤也。然るを古詠の手爾波はケ樣の事あるなど無理説をいへるは、誤字の心づかぬ人の見也。にとか、をとかならでは云はれぬ處也。きはめて誤字也。もみてるは紅の色に照らすの意、赤く照ると云義也
 
右二首天平十二年庚辰夏六月往來
 
大伴宿禰家持贈坂上大孃歌一首并短歌
 
1629 叩々物乎念者將言爲便將爲爲便毛奈之妹與吾手携拂而旦者庭爾出立夕者床打拂白細乃袖指代而佐寐之夜也常爾有家類足日木能山鳥許曾婆峯向爾嬬問爲云打蝉乃人有我哉如何爲跡可一日一夜毛離居而嘆戀良武許己念者胸許曾痛其故爾情奈具夜登高圓乃山爾毛野爾毎打行而遊徃杼花耳丹穂日手有者毎見益而所思奈何爲而忘物曾戀云物乎
【つくづくと・いたく/\】ものをおもへば、いはむすべ、せんすべもなし、いもとわれ、てたつさはりて、あしたには、(450)にはにいでたち、ゆふべには、とこうちはらひ、しろたへの、そでさしかへて、さねしよや、つねにありける、あしびきの、山どりこそは、をむかひに、つまとひすといへ、うつせみの、ひとなるわれや、なにすとか、ひとひゝとよも、はなれゐて、なげきこふらむ、こゝをおもへば、むねこそいため、そのゆゑに、こゝろもなくやと、たかまどの、やまにものにも、うちゆきで、あそびてゆけど、はなにのみ、にほひてあれば、みるごとに、ましておもほゆ、いかにして、わするゝものぞ、こひちふものを
 
此叩々の二字一本には町々とありて、古本印本共にいたみ/\と假名有。此字いたむと讀む義難2心得1。たゝくと讀む也。日本紀には叩頭と書てのみと讀ませたり。これは頭を地につけて從ひ應ずるの意にて、地にて頭を叩くと云義にて、得心したる事をのみと云たる義也。或抄にたゝけばいたく痛む理にて、いたみと讀ませたるかといへり。たとひ痛むと云字義ありても、こゝに痛み/\と云義不v合詞也。いたくと云意ならば、甚の字の意にて讀べき歟。たゝくは突と云義にも通ふて、若しくはつくと讀ませたるか。然らばつく/”\と讀みて義能叶へり。一本のまち/\と云義も義理不v通詞也。いはむすべせむすべも無きとは、切に物を思ふ意也。常にありけるは夫婦相離れず常にありしと也
山鳥許曾婆云云 山鳥は夜一所に不v寢、峰を隔てゝねるもの也。これによりて色々此事に比したる古詠ありて、古事なども有事也。六帖にも、ひるは來て夜は別るゝなどよせて詠たり。枕草紙にも山鳥は〔友をこひて鳴に、鏡をみせたらば慰むらんいとわかうあはれ也〕――谷隔てたる程など書り。和名抄卷十八鳥部云、七卷食經云、山鷄一名〓〓〔〓儀二音、和名〕夜萬止利云云。やまどりこそはといひて、山鳥は峰を隔て妻どひをするべけれ、人なる身のかく隔たりあるはと嘆きたる也
許己念者 これを思へば胸の痛きと也。それ故心の慰みもやせんと野山に遊び出ゆけど、妹無ければ慰まで花ばかり匂ふのみなれば、いとゞ思ひの増すと也。何としたらば戀と云ものゝ忘られんやと也
 
反歌
 
(451)1630 高圓之野邊乃容花面影爾所見乍妹者忘不勝裳
たかまどの、のべのかほはな、おもかげに、みえつゝいもは、わすれかねつも
 
この容花の事諸抄の説は、かきつばたともいひ、又こゝのかほ花は樣々の草花といへる也。長歌の心を略していへる故、何花とは指さぬ花といへり。かほ花と詠出でたれば、一名無くては叶ふまじけれど、それと決したる古來よりの證明も無し。容の字を書なれば、たゞ美くしき花とのみいへる説也。信用し難し。宗師案は、夕顔晝顔朝顔と云花の内なるべし。女に比したる花なれば、此三名をつゞめていへるなるべし。面かげなどよめる意もそれ故の詞ならんか
 
大伴宿禰家持贈安倍女郎歌一首
 
1631 今造久邇能京爾秋夜乃長爾獨宿之苦左
 
大伴宿禰家持從久邇京贈留寧樂宅坂上大娘歌一首
 
1632 足日木乃山邊爾居而秋風之日異吹者妹乎之曾念
あしびきの、やまべにをりて、あきかぜの、日異ふけば、いもをしぞおもふ
 
日異 前にも注せる如く日にけにと云事すまぬ詞也。よりて當流には日毎と云意と見る也。秋風の日毎に吹くにつけて、秋の物悲しく寂しきから、故郷の妹を慕ひわぶるの意也
 
或者贈尼歌二首
 
1633 手母須磨爾殖之芽子爾也還者雖見不飽情將盡
てもすまに、うゑしはぎなれや、かへりなば、みるともあかず、こゝろつくさん
 
手母須磨爾 手のひまも無くと云義也。前にも注せり
芽子爾也 これを萩にやと詠ませたり。にやと讀みては手爾波あはず。これは萩なれやと讀むべし。爾の字は汝と讀なれば(452)なれと讀む事苦しからず。此歌は始め戀もとめし妻など、故ありて尼になりしを還俗せよかし、さあれば飽かず睦じくせんと云の意也。手もすまにうゑしとは、はじめ樣々心を盡し求め得たると云義をなぞへたる他
還者 かへりてはと讀みては義通じ難し。かへりなばと讀むべし。萩を女にして詠める也。情つくさんは志の誠を盡さんと也。次の歌と引合て意を知るべし
 
1634 衣手爾水澁付左右殖之田乎引板吾波倍眞守有栗子
ころも手に、みしぶつくまで、うゑしたを、ひきたわれはへ、まもれるくるし
 
水澁 はみづさびの事也。水にあかく錆出來ること有。久敷田につかり居て植しと云意に、みしぶつく迄とは云也。夫婦あらば二人して植ゑし田をと云意也。辛勞をして植ゑし田に實のりて、又鹿鳥などを脅す鳴子と云ものを引はへて、守る事の苦しきと也。今獨り守ることに、ひきたわれはへとは詠めり。引板とは板に繩をつけて引、今の鳴子の事也。畢竟の意は、二人して水しぶつく迄辛勞して植たる田を、今實のる時となりて、我獨りその田を守る事の苦しきと也。始はいか計辛勞して相迎へし妻なれど別れて尼となり、我身は獨り世をふる事の苦しきと也
 
尼作頭句并大伴宿禰家持所誂尼續末句等和歌一首 あまはじめの句をつくりならびに大伴のすくね家持あまにたのまれ末の句をつぐこたへ歌
 
1635 佐保河之水乎塞上而殖之田乎 尼作 苅流早飯者獨奈流倍思 家待續
さほがはの、みづをせきあげて、うゑしたを、かるわさいひは、ひとりなるべし
 
うゑし田を これまでは序也。二人して植し田をと云義也。これ迄尼のよみ出たり。末の句を家持よみつぎたる也。苅早飯とは稻の初穗の事也
獨奈流倍思 苅藏むる事は一度うゑし田なれば、熟する事はおのづからひとり可v調也。われ還俗せず共ひとりして世をもふ(453)べし。それにて事なるべしとの返也。獨なるべしとは稻の熟せるにてあらんと云義と、我獨居するなるべしと云事にかけてよめる也。え還俗はせまじきとの意也。通用の印本に、佐保川を保佐川と書けるは誤也
 
冬雜歌
 
舍人娘子雪歌一首
 
1636 大口能眞神之原爾零雪者甚莫零家母不有國
おほぐちの、まがみがはらに、ふるゆきは、いたくなふりそ、いへもあらなくに
 
大口の眞神 昔明日香の地に老狼ありて、多くの人を取食ふ。土民恐れて大口の神と云、名2其住所1大口眞神原となづけし由風土記の説と云傳たり。狼は口廣き故大口とはいへるなるべし。神と云は狼は大かめ大かみとも言通じていへるか。又上代は龍虎の類も神といへり。日本紀に所々見えたり。此集にも十卷目の乞食の歌に、からくにの虎と云神をとよめり。狼を神と云事、日本紀欽明紀云。〔天皇幼時夢。有v人云。天皇窮2愛秦大津父者1及2壯大1必有2天下1。寢驚遣v使普求得v自2山背國紀伊郡深草里1。姓字果如v所v夢。於v是所v喜遍v身歎2未曾夢1。乃告之曰。汝有2何事1。答云。無也。但臣向2伊勢1商價來遠山逢2二狼相闘汗1v血。乃下v馬洗2漱口手1祈請曰。汝是貴方4貴神而樂2麁行1。儻逢2獵士1見v禽尤速。乃抑2止相闘1拭2流血毛1遂遣放之倶令v全v命。天皇曰。必此報也。乃令2近侍1優寵日新。大致2饒富1。及v至2踐祚1拜2大藏省1〕
歌の意は眞神の原を通りし時の歌と聞ゆる也。第三、奧麿の歌、さのゝわたりの意に同じ
 
太上天皇御製歌一首
 
元正天皇也。始は氷高皇女と申し也。草壁皇女文武天皇同母姉也。母阿閉皇女と申す。則元明天皇の御事也。元正天皇御在位十年二月位を聖武天皇に讓らせ給へり
 
1637 波太須珠寸尾花逆葺黒木用造有室者迄萬代
はたすゝき、をばなさかぶき、くろきもて、つくれるやどは、よろづよまでに
 
(454)波太須珠寸 尾花と云冠句によませ給へり。二名同物故かく重ねていへる事古詠の格也。此御製にて尾花はすゝきと云の證明となる也。はたすゝきとは前に注せる如く、皮の被りて未だ穗に不v出を云と云へり。こゝの御歌をもて見れば又一説の※[竹/旗]手の樣なると云説とも云はるゝ也。穗の出たる處幡の樣なるをもていへる共聞ゆれど、これは同物二名を重ねて被v仰しと見ゆる也。よりて尾花の冠句とは見る也
逆葺は穗の方を下にして葺もの故、如v此よませ給ふなるべし。又祝賞の御言葉にさかえのさかを取らせ給てか。榮の假名はえ也、逆の字の假名はへなれば、さかえとは云難けれど、さかんなると云意に訓を書かせ給ふてよませ給へるは、此次の御歌も共に、長屋王を祝なさせられての御詠也
 
天皇御製歌一首 前にも注せる如く聖武天皇の御製作なるべし
 
1638 青丹吉奈良乃山有黒木用造有室戸者雖居座不飽可聞
あをによし、ならのやまなる、くろきもて、つくれるやどは、をれどあかぬかも
 
黒木 皮つきの木也。上古の家宅は質朴を本として禁2彩色1。上代の風御製の御詞にても明也
居座 一字にてをれと讀むを二字書たるは衍字ならんか。若しくは御製歌故撰者心を得て座の字をわざと添られたるか。座はましますと讀む也。然れ共此歌にては二字引合てをれどと讀むべき也。御歌の意は前の歌に注せる如く、長屋の王の家に御座なさせられて、王の家を賞讃させ給ふ御歌也
 
右聞之御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製
 
右聞之 この聞之の二字心得難し。豐の明り聞し召す時と讀ませて注者書たるか。たゞこれを聞くにと云義か。拾穗抄には聞之の二字除たり。是は前に注せる如く妙壽院新作の差略の本故正本ともし難し
 
太宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首
 
1639 沫雪保杼呂保杼呂爾零敷者平城京師所念可聞
(455)あわゆきの、ほどろ/\に、ふりしけば、ならのみやこし、おもほゆるかも
 
保杼呂々々々 或説にほとり/\と云ふ義と注せり。心得難し。はだれと云も同じ詞なれば、已にはだれと詠める歌もありて、同詞なればはだれ/\と云義と見るべし。此詞は筑紫にての歌なるべし。歌の意聞えたる通也
 
太宰帥大伴卿梅歌一首
 
1640 吾岳爾盛爾開有梅花遺有雪乎亂鶴鴨
あがをかに、さかりにさける、うめのはな、のこれるゆきを、まがへつるかも
 
吾岳 前に注せる如く一名の地名か。又我領知の所にある岳を見ての當前の事歟。心得難き詞也。地名の方なれば難なき事也。歌の意は梅の咲みちたる故、降しける雪の白妙の如くなるに見まがふと賞美したる也。殘れる雪とありて春の歌に聞ゆる也。冬ながら消殘りたるとよめるか
 
角朝臣廣辨雪梅歌一首 角朝臣、牡略紀可v考。廣辨は傳不v知。ひろさわと讀まんか
 
1641 沫雪爾所落聞有梅花君之許遣者與曾倍弖牟可聞
あわゆきに、所落開有、うめのはな、きみががりやらば、よそへてんかも
 
此所落開有の四字いかに共讀難し。古本印本共にふられて咲けると讀ませたれど、降られて咲けると云詞は無き歌詞也。四字引合て何とぞ義訓あるべし。まがへられたるとか、よそへられたると云義訓ならんか。下にもよそへてんかもとあれば、右兩義の内と見ゆる也
君之許 きみががりやらばとは、きみがもとにやらばと也
よそへてんかも 雪にまがへられたる梅なれば、君の元へ遣したらば、雪になぞらへて見給はんかと也
沫雪爾 とあるは、野を爾に誤りたるならんか。集中此誤りあまたあれば、若し野を爾に誤りたらば、泡雪の降に咲きたると詠める歌と聞ゆる也。然れば歌の意も彌々雪によそへてんかもとよめる意能聞ゆる也
 
(456)安倍朝臣奧道雪歌一首 稱徳紀云。神護景雲元年〔正五位上安倍朝臣奧道授2勲六等1〕二年十一月〔癸未、從四位下阿部朝臣奧道爲2左兵衛督1。〕光仁紀云。寶龜二年閏三月〔戊子朔乙卯。無位安倍朝臣奧道復2本位從四位下1。〕同九月〔甲申朔己亥内藏顔。〕同三年四月〔但馬守〕五年三月〔癸卯、從四位下安倍朝臣息道〕卒
 
1642 棚霧合雪毛零奴可梅花不開之代爾曾倍而谷將見
たなぐもり、雪もふらぬか、うめのはな、不開之代爾、そへてだに見ん
 
棚霧合 これは古本印本諸抄物皆たなきりあひと讀めり。いかゞしたるを棚霧合とは云ことにや。この詞語釋にも濟難き詞也。すべてきりあひと云事集中にもあまた有。この假名附より後世の歌、又は物語の詞にも霧合と云事いへり。その義も不v濟していへる事心得難し。これはたな曇りと云義なるべし。既にとの曇りと云事ありて、空一枚に雲のとぢて、あかるき方無き事を云たる義なるべし。との、たなは同音にて初語の詞、打曇り、かき曇りと云と同事なるべし。然れば語もすむ也。よりて先づたな曇りとは讀む也。若したな霧あひと云假名書の古記ありて、證明もあらば其義に隨ふべき事也
雪毛零奴可 ふれかしと願ふ意、雪降たらば咲かぬ枝にも花とよそへ見むとの義也
不開之代爾 これを咲かぬかはりにと讀めるは、いかに心得たる讀樣にや。先づ咲かぬかはりにと云詞歌詞にもあらず。たゞ詞にして不開之と三字に書たるを、咲かぬとは讀難し。然らば咲かざりしかはりと讀むべきかなれど、とかく歌詞にて無き事を辨ふべし。殊にさ讀みては下の句いかにとも不v通也。よつて宗師案には之の字は延の字の誤なるべし。之の字とはよく似て誤り易き字なれば、決て誤字と見る也。然らば咲かざる枝にそへて見んと云意にて、歌もよく聞ゆる也。咲きしには花有。雪降らば花無き枝にも花咲如く、咲し枝にそへて見むとよめる歌と聞ゆる也。さなくてはそへて見むと云意聞得難し。尤よそへてと云意とも聞くべけれど、それにては上の代りにと云義不v濟也。
 
若櫻部朝臣君足雪歌一首 履中天皇の御代に賜はれる氏ならんか。傳不v詳
 
1643 天霧之雪毛零奴可灼然此五柴爾零卷乎將見
(457)天霧之、ゆきもふらぬか、いちじるく、此いつしばに、ふらまくをみむ
 
天霧之 前にも注せる如く、此きらしと云事いかにも解難き詞也。これは天の字欠の字の誤字にて、かきくらしにて有べきを天と誤りしより假名付を誤りてより已來、如v此誤り來れるなるべし。天ぎりあひと詠める歌も有。これも欠曇ると讀むべき事也。尤天曇ると云讀みにてもあらんか。然れ共此天霧之とある之の字、ると讀む事はなると讀ます字故、此三字にても苦しかるまじきか。とかく欠の字の誤りか、又天曇ると讀まんか。兩樣の内なるべし。あまぎらしと云事は外の古詠古語の語例無き事也。語例語證無くても義の知れて聞ゆる詞は、集中にある詞をもて二首共あれば、それを准v例證明にも可v取なれど、詞の義いかにとも難v濟故、語例ある詞に見る事是ならんかと見る也灼然 明らかに隱れぬ事を云詞世。日本紀にはいやちこ也と神武紀にて讀めり。しかも自注有。いやちこと云意もいちじるくと云義に云まはせば通ずること也。尤也と云意に通ふ也。此歌のいちじるくは下の五柴とうけん爲の縁語にて、尤明らかに隱れ無く見むといへる意也。五柴は第四にもありて、そこに注せり。櫟の木のことにも云へる説有。いづれにもあれ白妙に降りしける雪ならば、明らかにまがはず見んと云意也。それをいちじるく五柴にと詠める所歌と云もの也
 
三野連石守梅歌一首 續日本紀第三十九、延暦五年十二月〔乙卯、陰陽助正六位上路三野眞人石守言。己父馬養姓無2路字1。而今石守獨著2路字1。請除v之許焉。〕當集第十七卷大伴卿太宰より上京の時、海路入京の輩十首の歌の初にも此石守歌あり
 
1644 引攀而折者可落梅花袖爾古寸入津染者雖染
ひきよぢて、をらばちりぬべし、うめのはな、そでにこきれつ、そまばそむとも
 
あだに散果てゝ水の泡ともならん事を惜みて、袖に匂ひをうつしてだに飽かぬ心を慰めんとや、かく詠めるならん。よく聞えたる歌也。ひきよぢてと云事毎度ある詞也。よぢるはたわめる意也
 
巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首
 
1645 吾屋前之冬木乃上爾零雪乎梅花香常打見都流香裳
(458)わがやどの、ふゆぎのうへに、ふるゆきを、うめのはなかと、うちみつるかも
 
よく聞えたる歌也。不v能v注也
 
小治田朝臣東麻呂雪歌一首
 
1646 夜干玉乃今夜之雪爾率所沾名將開朝爾消者惜家牟
ぬばたまの、こよひのゆきに、いさぬれな、あけむあしたに、けなばをしけむ
 
ぬれなはぬれなん也。面白く詠める歌也。意は明らかなれば注するに及ばず
 
忌部首黒麻呂雪歌一首
 
1647 梅花枝爾可散登見左右二風爾亂而雪曾落久類
うめのはな、えだにかちると、見るまでに、かぜにみだれて、ゆきぞちりくる
 
よく聞えたる歌也
 
紀少鹿女郎梅歌一首 きのをじかのいらつめうめの歌
 
1648 十二月爾者沫雪零跡不知可毛梅花開含不有而
しはすには、あわゆきふれど、しらぬかも、うめのはなさき、ふゝめらずして
 
しはす 此義諸抄物等にも色々説ありて、童蒙抄奧義抄抔にも様々の釋ありて一決し難し。十二月をしはすと云義理はしかとしたる説無き事也。これはしはつと云義本義ならんか。歳暮且家祈?師の走と云義にて、師走と云などいへり。いかに共心得難し。宗師案は年はつと云略語なるべしと也。然ればしはすは横音の音にて通じたるか。正義はしはつにてあるべき也。十二月の頃は、梅必咲くものなれば、泡雪の降りてもそれ共不v知、たゞ咲みちたる梅とのみ見て、つぼめる枝も無き迄に見ると云意也
 
(459)大伴宿禰家持雪梅歌一首
 
1649 今日零之雪爾競而我屋前之冬木梅者花開二家里
けふふりし、ゆきにきそひて。わがやどの、ふゆきのうめは、はなさきにけり
 
雪の降るに霑ひきほふて梅も咲き出たれば、雪と相交て色を爭ふ景色をよめり。競ひてとは両物白色の妙なるを爭ふの意也
 
御在西池邊肆宴歌一首 御在は天子の御座所をさして也。その西の池のほとりの、豐の明りの節詠める歌と也。肆の字は恣に飲樂するの意にて所る也。續日本紀卷第十三云。天平十年七月晩頭御2西池宮1とある、此所歟
 
1650 池邊乃松之末葉爾零雪者五百重零敷明日左倍母將見
いけのへの、まつのすゑ葉に、ふるゆきは、いほへふりしけ、あすさへもみむ
 
何の意も無くよく聞えたる歌也。宴會に飽かぬ意をこめて、あすをも宴を願ふ意にてあすさへも見むと也
 
右一首作者未詳但竪子阿倍朝臣蟲麻呂傳誦之
 
豎子 小さきわらはと讀む、官名也。内竪子と云官也。三(ツ)子に生れたるもの必此官に被v任也
傳誦之 蟲麻呂聞傳て宴會の時詠吟せしと也。誦しとは歌ひ吟じたる也
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1651 沫雪乃比日續而如此落者梅始花散香過南
あわゆきの、このごろつぎて、かくふれば、うめのはつはな、ちりかすぎなむ
 
比日をひなべてと讀ませたり。是迄皆このごろと讀來れるに、此歌に限りてひなべてと讀める意心得難し。此頃續きて降雪に、早く咲きし梅の初花は、雪にしほれて散すぎんかと也
 
池田廣津娘子梅歌一首
 
(460)1652 梅花折毛不折毛見都禮杼母今夜能花爾尚不如家利
うめのはな、祈りもをらずも、見つれども、こよひのはなに、なほしかずけり
 
よく聞えたり。別の意無き也。折ても見其まゝも見しの意也。今宵と詠めるはこれも宴會の時よめる歟
 
縣犬養娘子依梅發思歌一首
 
依梅發思 これは人の心持の義をよめる歌也。すべて思ひおこすと云は、何にても心に思ふ事を、そのものによせて云出る義也。こゝも梅花を見て人情の上を引合てよめる也
 
1653 如今心乎常爾念有者先咲花乃地爾將落八方
いまのごと、心をつねに、おもへらば、まづさくはなの、地にちらんやも
 
如今 梅の花の盛を見たる當然也。花の咲たるを見る當前は、早く咲け共散るを惜しきとも思はぬ處也。なれば心に遲速の恨み散行嘆きも無く常の心と也。此心の如くならば、花も先に咲けるは、とく散る事も又遲く咲く事もあらまし。たゞ常にして常住不變ならんものと也。進む事疾きものは、必退事早き理は、これ常の心にあらざる故、梅も先に咲たるは、やがて土に散る也と、梅の上をもて人の上の事を思ひ合せたる歌也
地爾 前に注せる如く他の字にて、あだと讀べきか。然れ共假名書に土にと書たる歌あれば、一概にも決し難し。此歌も少は聞きえ難き處ある也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十一終
 
(461)萬葉童蒙抄 卷第二十二
 
大伴坂上郎女雪歌一首
 
1654 松影乃淺茅之上乃白雪乎不令消將置言者可聞奈吉
まつかげの、あさぢがうへの、しらゆきを、けさずておかむ、ことはかもなき
 
此の言者可聞奈吉と云義、諸抄の説も不2一決1。仙覺假名付もいへばかもなきと讀み、又或抄の説は、いふはかもなきと讀べしといへり。淺茅の上に面白く降れる雪を、そのまゝけさでおかんと云は果敢無きと云の義と釋せり。はかなきこと云は甲斐無きと云義と同じくて、甲斐無き事を云との説也。又一説は言葉の無きかもと云義、かもは中へ入て助語にしたる義との説有。何れを是とも定難し。然れ共いふはかもなき、いへばかもなきと云讀みは心得難し。語例句例の無き事也。ことはかもなきと讀みて、かもは助語にて中へ入たると見る説は近からんか。事は無きかもと見る説も有。白雪をけさで其まゝおかん事はなきかも、おきたきものと云意と見る説有。此兩義は理安らか也。白雪の面白く降たるを、そのまゝに消さずして置ことはならねば、せめて詩歌に云殘したきが、其言葉も無きかと云意に見るべき歟。詩歌に云列ねたらば、せめて雪は殘らず共のこる理なれば、その詞もかなと願ひたる歌共聞ゆる也。此歌も何れを中りたる説とも決し難し
 
冬相聞
 
三國眞人人足歌一首 三國眞人、繼體天皇の皇子の椀子皇子より出たる氏也。繼體紀云、〔次三尾君堅※[木+威]女曰2倭媛1。生2二男二女1。其二曰2椀子皇子1。是三國公之先也。〕天武天皇白鳳十三年眞人の姓を賜はれり
 
1655 高山之菅葉之努藝零雪之消跡可曰毛戀乃繁鷄鳩
かぐやまの、すがのはしのぎ、ふる雪の、けぬと可曰毛、こひのしげけく
 
(462)高山 古本印本諸抄にもたか山と讀みて、古今の歌にては奧山とあれば、高山は奧山のことゝ注せり。高は奧の字の誤りと見る然らんか。高山を奧山と云義は心得難し。此集第一卷の歌にも、高山と書きてかぐ山と讀ませたれば、其例に准じてかぐ山とは讀むべからんか
之努藝 しのに也。藝と云濁音は爾也。こゝもしのぎはしのにと云義にて、しのには亂れてしなへたる義を云也。しどろもどろにと云と同じ義にて、亂れしなひたる事を云義也。然れば菅の葉に雪降つもりて、しどろもどろに葉のしなへ亂れたると云事也。古今集には奧山の菅の根とよめり。これは誤り也。元來この歌を古今集に入たるも、後人の加筆書入と見ゆる也。然れば古今集の歌は、此一首は取べからず。根も葉の誤りにて、初五文字も後人の此歌を直して入たると見えたり。根をしのぎと云事いかにとも不v濟事也
消跡可曰毛 けぬとか云もと讀ませたり。これは古今集にて讀ませたるは聞やすくて、如v此にては聞まがふ樣なれ共同じ意也。畢竟此けぬと云はんもと云ことを詠まんとて、上を詠出たる古詠の格にて思ひに堪かね命も堪へんとやいはん、戀のしげく切なればと云の意也。消ゆるとか云も戀のしげきからと云の義也
可曰毛はいはんも共讀み、いふべくもと讀みても同じ義也。又古點の假名付の通にても同じ意なれ共、古き詞は近世耳なれぬ故聞わけ難き樣なれ共つては皆同じ義也。さてすべて集中に戀のしげきとよめる事心得難き樣なれど、これは木檜《コヒ》の茂り茂ると云ふ義を體として、云ならはせる詞と知るべし。檜の木は枝葉茂るもの也。よりて其よせをもて、戀ぞ茂れる、しげき、しげし抔よめるは、檜の木のより所ある故と可v知也。戀のしげると云義とくと道理の濟難き事にて、草木抔の事には相應すれど、思ひ戀のことには不v合事の樣なれど、右のより處をふまへて、古詠には詠出たると見えたり。歌は何にても、體の備はらぬ事を口に任せて云ことはならぬ事也。尤上の句の菅の葉と云に意無く、まきの葉と詠みても同じ事也。降雪のけぬと云はん迄の序也。古今にては、けぬとかいはん、しげきにと讀ませて、戀の繁き故に、今は命も絶えんとかいはんと聞えさせたり。當集にてはその時代風體をもて、右の意にて詞閑古に情をこめて詠める也。古今集に加入せしは後人の所爲故、其時代の聞よき詞に引直して書加へたると見ゆる也。意は此集の歌が本也。然共時代の風體にて、末の詞をもて今の代の人の聞にはき(463)ゝ得やすき也。或説、曰毛の毛は牟の誤りなりとて、見せも聞かせもと云詞の例など引たる説有。これは知れたることにて、毛の字にてよく聞ゆる歌なれど、穿つて説を立たる義也。歌合などの時、其評難の無きなどいへるも心得難き説也。此歌は此文字の通にても聞えたる歌也
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1656 酒杯梅花浮念共飲而後者落去登母與之
さかづきに、うめのはなうけて、おもふどち、のみてのゝちは、ちりぬともよし
 
此歌も宴會の時の歌と聞ゆる也。かく宴會する中は、散るなと云意をこめたる也。うけては梅の花をむしりひたしての義也
 
和歌一首 誰人の和歌とも知れず
 
1657 官爾毛縱賜有今夜耳將飲酒可毛散許須奈由米
つかさにも、ゆるしたまへり、こよひのみ、のまんさけかも、ちりこすなゆめ
 
官にも 朝廷よりも許されて、今夜親族一二人宴會するに限るべき事にもあらじとの義也。前の歌に、飲みての後は散りぬ共よしと許したる處を押へて、親族一二人飲む事は、公よりも許され給へば今宵に限るべきや、ゆめ/\散りこすなと制したる和へ歌と聞ゆる也。一説には公けよりも許されたる今宵の宴飲なれば、梅も散りこすなと詠める歌に見る也。然れ共和へ歌なれば、前の説叶へりと聞ゆる也。後の説に從はゞ、かもは助語にして、上の給へりと云も給へると讀むべき也。然らばこよひのみと云も、其夜一夜に限りたる夜なれば、梅も心して散るなとは詠めると見るべきか
 
右酒者官禁制※[人偏+稱の旁]京中閭里不得集宴但親親一二飲樂聽許者縁此和人作此發句焉
 
此時分如v此の御制法ありしと聞ゆる也。何の時分歟。國史には不v見也。追而可v考
 
藤原后奉 天皇御歌一首 目録には前皇后と記せり。こゝには皇の字を脱せり。前にも注せる如く、藤原の皇后とは(464)光明皇后の御事也。淡海公の御女也。廃帝紀云。寶字四年六月乙丑、〔天平應眞仁正皇太后崩。姓藤原氏、近江朝大織冠内大臣鎌足之孫、平城朝贈正一位太政大臣不比等之女也。母曰2贈正一位縣犬養橘宿禰三千代1。皇太后幼而聰慧、早播2聲譽1。勝寶感神聖武皇帝儲貳之日、納以爲v妃、時年十六。攝2引衆御1、皆尋2其歡1。雅閑禮訓。敦崇2佛道1、神龜元年聖武皇帝即v位、授2正一位1爲2大夫人1、生2高野天皇及皇太子1。其皇太子者誕而三月、立爲2皇太子1。神龜五年夭而薨焉。時年二。天平元年尊2大夫人1爲2皇后1、湯沐之外更加2別封一千戸1。及2高野天皇東宮1、封一千戸。太后仁慈、志在v救v物、創2建東大寺及天下國分寺1者、本太后之所v勸也。設2悲田施藥兩院1、以療2養天下飢病之徒1也。勝寶元年、高野天皇受v禅改2皇后職1曰2紫微中臺1。妙選勲賢、並列2臺司1。寶字二年、上2尊號1曰2天平應眞仁正皇太后1。改2中臺1曰2坤宮官1。崩時春秋六十。〕
 
1658 吾背兒與二有見麻世波幾許香此零雪之懽有麻思
わがせこと、ふたりみませぼ、いくばくか、このふるゆきの、うれしからまし
 
天皇と共に見そなはせたらば、いかばかりよろこばせられんを、御別居にまして慕ひおぼしめすとの御歌、よく聞えさせ給ふ御歌也
 
池田廣津娘子歌一昔 前にも梅の歌の作者也
 
1659 眞木乃於上零置有雪乃敷布毛所念可聞佐夜問吾背
まきのへに、ふりおけるゆきの、うつしくも、おもほゆるかも、さよとふわがせ
 
敷布 この詞不v濟也。頻りに不v絶ことをしく/\と云と聞ゆれ共、語の釋不v濟也。此卷の初にも春雨の敷布降るにと有。上は此敷布のことを設けん爲の序也。宗帥案はうつしくと云義なるべし。集中に毎度ある詞也。假名書無ければいかに讀ませたるにや心得がたし。うつしくと讀みては愛敷の意、又現然と表れてうつ/\敷も思ふと云意、又まきの上に降れる雪の美しく清らかに見ゆる背子と云義にて、背をほめたる詞に聞ゆる也。毎度問來るわがせこ故、一方ならず美しみ思ふと云意に見る也。或抄に、さよ問へと讀まんかといへるは心得難し
 
(465)大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
1660 梅花令落冬風音耳聞之吾妹乎見良久志吉裳
うめのはな、ちらすあらしの、おとにのみ、きゝしわぎもを、みらくしよしも
 
冬風 あらしと讀ませたるは義訓也。嵐は秋の物と云來れど、すべてはげしき風を云也。尤も冬の風に限るにはあらねど、すこしき風も冬ははげしければ、義をもて書ける也。冬の相聞の歌なるに、冬の歌慥に聞えねば、冬の字を用てその意を助けたる共見えたり。音にのみ聞きしといはん爲の序也。第二卷にて坂上の二女を、山守のありけるしらにと詠める折の歌ならんか。見らくしよしもは、見しがよきと悦べる歌也
 
紀少鹿女郎歌一首
 
1661 久方乃月夜乎清美梅花心開而吾念有公
ひさかたの、つきよをきよみ、うめのはな、こゝろ開て、吾もへるきみ
 
此歌の意は月のさえたる冬の夜に、折しも梅も咲あへて待えし人の來りしを、喜びてよめると聞ゆる也。然れ共心開而、これを心ひらけて讀める事いかに共心得難し。梅の花と詠かけたれば心はこゝらと云義にてひらけてとよめるか。心開けてと云語例の無き詞也。何とぞ別訓あらん也。心も晴れてと讀まんか。後案を待のみ
 
大伴田村大娘與妹坂上大娘歌一首
 
1662 沫雪之可消物乎至今流經者妹爾相曾
あわゆきの、けぬべきものか、いまゝでに、ながらへぬれば、いもにあへるぞ
 
人の上は果敢なきものにて、沫雪の如く消やすきものなるに、幸に消殘りてかく永らへぬればこそ、相逢事の嬉しきと、姉妹のさも睦じき實情をあらはせり。これらの歌をぞ教への詞ともすべきこと也。可v消ものをといへるは、消やすきものを幸に永(466)らへぬれば、かくあふ事の喜ばしきとの意也
 
大伴宿禰家持歌一首
 
1663 沫雪乃庭爾零敷寒夜乎手枕不纏一香聞將宿
あわゆきの、にはにふりしく、さむきよを、たまくらまかず、ひとりかもねん
 
手枕不纏は 思ふ妹とあはでと云意也。手枕のたは初語の詞也。思ふ人とも枕を卷かで、ひとりねんことの佗しきと也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十二終
 
(467)萬葉集卷第八難解之歌
 
1430 ○去年之春相有之君爾戀爾手師櫻花卷迎〔右○〕來良之母
こぞのはる、あへりしきみに、こひにてし、さくらのはなは、むかへくらしも
 
1440 春雨乃敷布〔二字傍点〕零爾高圓山能櫻者何如有良武
はるさめの、しくくふるに、たかまどの、やまのさくらは、いかにあるらん
 
第十七の歌云、思久思久於母保由、此語例有。しく/\は、隙間無くしきりの意なるべし
 
1442 ○難波邊爾人之行禮波後居而春莱採兒乎見之悲也
なにはべに、ひとのゆければ、おくれゐて、わかなつむこを、みるがかなしさ
 
1443 ○霞立野上乃方爾行之可波※[(貝+貝)/鳥]鳴都春爾成良思
かすみたつ、のがみのかたに、ゆきしかば、うぐひすなきつ、はるになるらし
 
1445 ○風交雪者雖零實爾不成吾宅之梅乎花爾令落莫
かぜまぜに、ゆきはふるとも、みにならぬ、わがへのうめを、はなにちらすな
 
(468)1461 晝者咲夜者戀宿合歡木花君〔右○〕耳將見哉和氣佐倍爾見代
ひるはさき、よるはこひぬる、ねぶのはな、君耳みむや、わけさへにみよ
 
君は吾の誤歟
 
1462 吾君爾戯奴〔五字傍点〕者戀良思給有茅花乎雖喫彌痩爾夜須
吾君に、けぬはこふらし、たまひたる、ちばなをくへど、いやゝせにやす
 
1463 吾妹子之形見〔二字傍点〕乃合歡木者花耳爾咲而盖實爾不成鴨
わぎもこが、かたみのねぶは、はなのみに、さきてやけだし、みにならぬかも
 
1467 霍公鳥無流〔二字傍点〕國爾毛去而師香其鳴音乎聞者辛苦母
ほとゝぎす、無流くにゝも、ゆきてしか、そのなくこゑを、きけばかなしも
 
1471 ○戀之家婆形見〔二字傍点〕爾將爲跡吾屋戸爾殖之藤浪今開爾家理
こひし家は、形見にせんと、わがやどに、うゑしふぢなみ、いまさきにけり
 
1472 ○霍公鳥來鳴令響宇乃花能共〔右○〕也來之登問麻思物乎
ほとゝぎす、きなきどよます、うのはなの、共也來之と、とはましものを
 
(469)1487 霍公鳥不念有寸〔四字傍点〕木晩乃如此成左右爾〔五字右○〕奈何不來喧
ほとゝぎす、不念有寸、このくれの、かくなるまでに、などかきなかぬ
 
第十卷、春野爾霞棚引く咲花之如是成二手爾不逢君可母。如此成左右は、庭の諸木の陰深く繁茂りたる當然を見てよめる歟。十卷目の歌も、花の盛も過行し頃の當然をいへると見えたり。かくなる處のあや無ければ、少聞得難き義也
 
1497 筑波根爾吾行利世波霍公鳥山妣兒令響鳴麻志也其〔傍点〕
つくばねに、わがゆけりせば、ほとゝぎす、やまびこどよませ、鳴ましや其〔右○〕
 
某は母の誤歟。然らばなきなましやもと讀むべし
 
1503 ○吾妹兒之家之垣内乃佐由理花由利登云者不謌云二似〔七字右○〕
わぎもこが、家のかきちの、さゆりばな、ゆり登云者――――
 
1507 伊加登伊可等〔六字傍点〕有吾屋前爾百枝刺於布流橘玉爾貫五月乎近美安要奴我爾花咲爾家理朝爾食爾云云
 
1508 望清〔二字右○〕月夜爾吾妹兒爾令覩常念之屋所之橘
□きよきつきよに、わぎもこに、見せめとおもひし、やどのたちばな
 
1517 味酒三輪乃祝之〔二字右○〕山照秋乃黄葉散莫惜毛
うまさけの、みわの祝之、やまてらす、あきのもみぢの、ちらまくをしも
 
(470)1524 天漢伊刀河浪者多多禰杼母伺候〔二字右○〕難之近此瀬乎
 
藤原宇合卿歌一首
 
1535 ○我背兒〔三字傍点〕乎何時曾且今登待苗爾於毛也者將見〔六字右○〕秋風吹
 
我背兒の事男女を通じていふ也。すでに此卿の歌にも如v此。且此卷の初山部赤人歌四首の内、吾勢子爾令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者。又第十卷の歌に、戀しくばかたみにせよと吾背子我うゑし秋萩花咲きにけりとよめり。男夫のかたみに萩を植ゑしも不審有。後世の誤字もはかり難し。尚後案あるべし
 
1536 暮相而朝面羞隱野乃芽子者散去寸黄葉早續也〔三字右○〕
 
第十卷詠黄葉歌。かりかねは今は來鳴ぬ吾待之黄葉早繼待者辛苦母
 
1547 ○棹四香能芽二貫置有露之白珠相佐和仁〔四字右○〕誰人可毛手爾將卷知布
 
1549 射目立而跡見乃岳邊之瞿麥花總〔右○〕手折吾者|持《一本》將去寧樂人之爲
 
1555 秋立而幾日毛不有者此宿流〔三字右○〕朝開之風者手本寒母
 
1562 誰聞都從此間鳴渡鴈鳴〔四字右○〕乃嬬呼音乃之知左|守《一本寸》〔四字右○〕
 
(471)1569 雨晴而清照有此月夜又更而〔三字右○〕雲勿田菜引
 
1612 ○神佐夫等不許者不有秋草乃結之紐乎解者悲哭
 
1629 叩々〔二字右○〕物乎念者將言爲便――――
 
うちみだれか
 
1637 波太須珠寸尾花逆〔右○〕葺黒木用造有室者迄萬代
 
1641 沫雪爾所落開有〔四字右○〕梅花君之許遣者與曾倍弖牟可聞
 
1661 久方乃月夜乎清美梅花心開〔二字右○〕而吾念有公
 
萬葉集童蒙抄 本集卷第八終
 
〔472頁〜477頁、目次省略〕
 
 
(478)萬葉童蒙抄卷第二十三
 
雜歌 くさ/”\のうたをのせられたると也。四季戀その外一品に限らざる歌共也
 
泊瀬朝倉宮御宇【大泊瀬幼武天皇】此割書の七字は後人の傍注也。雄略天皇の御事にて前に幾度も注せり
 
天皇御製歌一首 すべらきみの大みうたといふ義也
 
卷界八の歌――倉乃 鳴    波   宿  思母
1664 暮去者小椋山爾臥鹿之今夜者不鳴寐○家良霜
ゆふされば、をぐらの山に、ふすしかの、こよひはなかず、いねにけらしも
 
此御歌第八卷には舒明天皇の御製とて擧げられたり。そこは秋雜と端作をなせり。御製の文字も右の通少し違あり。御代も十四代經させ給ひ、年月も百餘年も經給ふなれば、紀に洩れたる歌共にて知ろしめされぬ故、舒明帝も詠ませ給へるか。撰者若し取違へて標題を誤れるか。先御同製と奉v見べき也。宗師案には舒明天皇の御製なるべし。そのより所は、當集中に雄略天皇の御製短歌此外に不v見皆長歌也。乍v恐御製の風體も時代新しく、雄略帝の御風體より、感情深く新敷御言葉も聞ゆるなれば、岡本の天皇の御製なるべし。然れ共此集にかく別々に擧げたれば、先御同歌と見奉る也。御製の意は第八卷に記せる如くよく聞えたる也。小椋といはんとて、夕さればと詠出させ拾ひて、毎夜聞しめさせられし鹿の今宵鳴かぬは、妻戀得て、もろ寢をやすらんと思しやらさせ給ふ、御感情深き御製也。をぐらといふ處も大和小倉山の義なるべし。毎度御在所近く聞し召させられたると聞え奉るなれば也
臥鹿 この臥の字鳴の字の誤ならんか。ふすとありては此御製聞得難し。第八卷になくとあれば、よく聞えたる御製也。臥したるやら、臥さゞるや知れ難きを、何とてふす鹿とは詠ませ給はんや。これらは板梓の時誤りたると見ゆる也
 
右或本云崗本天皇御製不審正指因以累戴
(479)此注は一本には崗本天皇の御製とあるを所見して、後注者如v此袖書を加たり。然れば古く紛らはしき處ありしと見えたり兎角古萬葉の本絶えたる故、ケ樣の正僞も決し難し。此歌を載たるから、古萬葉新撰の疑ひあること也。古萬葉には無くて、此注者の所爲にて、此御製をも紛らは敷こゝに載せたるか測り難し。扨前にも岡本、後岡本二代二帝の事を注せり。これは心得難を注者の了簡也。崗本は決めて舒明、後岡本は決て齊明帝に知れたること也。崗本とあるからは、疑ふべくも無く舒明天皇の御事明らか也
 
崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首
 
此み幸のこと紀に洩れたり。しかし舒明紀を見るに三年秋九月丁巳朔乙亥、幸2攝津國有間温湯1。冬十二月〔丙戌朔戊戌、天皇至v自2温湯1。〕十年冬十月幸2有間温湯宮1。如v此あれば此時の幸をかく記せるにや。齊明天皇のみ幸は紀に見えて、則第二卷にて注せり。若しそれを岡本の宮の御宇と記せるにや。この紛れは計り難し。又後の字を脱せるか
 
1665 爲妹吾玉拾奧邊有玉縁持來奧津白浪
いもがため、あれたまひろふ、おきべなる、玉よせもてこ、おきつしらなみ
 
これはみ幸の供奉の人の詠たる歌にて、家なる妹につとにせん爲に、海邊に玉を拾ふ程に、寄來る沖つ波に玉をよせよと也。よく聞えたる歌也
 
1666 朝霧爾沾爾之衣不干而一哉君之山道將越
あさぎりに、ぬれにしきぬも、ほさずして、ひとりやきみが、やまぢこゆらむ
 
此歌は供奉の人の、留主の妻のよめる歌也
衣不干而 ころもほさずしてと讀めり。然れ共さ讀みては詞穩かならず。意は同じき樣なれど、きぬもと讀みては、旅行供奉の疲を思ひやりてよめる意深かるべし。きぬもと云にて、外の疲れをも供奉なれば厭はず、險しき山路をも獨り越給ふらんと氣遣敷思ひやれる實情の意深き歌也。立田山夜半にやの歌もこれらに基きてよめるならん。此歌新古今にも載られたり
 
(480)右二首作者未詳
 
大寶元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首
 
このみ幸の事は第一卷にも記せり。第一卷にては辛丑秋九月と記せり。これはみ幸の道すがらの歌をあげたる歌なるべし。こゝは紀伊國にみ幸なりての歌なれば、月の違あるべし。尤續日本紀卷第二云、大寶元年九月丁亥【中略】天皇幸2紀伊國1、冬十月丁未車駕至2武漏温泉1云々。如v此あればみ幸の内の前後の歌どもをあげたる故、如v此冬十月と記せるならん
太上天皇 紀には天皇と計あり。此集には、第一卷にもこゝにも天皇とは無くて、太上と記せるはいづれか是ならんや。尤も史の失錯もある事なれば、紀に洩れしこともあらんか。此集に二所迄に記したれば、天皇太上皇共にみ幸なりしと見るべし
大行天皇 これ又不審也。素本には無v之也。第一卷にも無し。然れば此卷の衍文か。勿論紀には太上皇さへ不v記ば、太上天皇は無き筈也。大寶元年に文武天皇を大行と奉v稱べき理なし。第一卷に注せる如く、大行とは天子崩御の後未だ謚號を不v奉とき、暫く稱し奉る號也。然れば此大行の二字何とて誤たるか。たゞ天皇の二字計りなるべきか。然れば太上天皇天皇と記したる義もあるべし
 
1667 爲妹我玉求於伎邊有白玉依來於岐都白浪
 
此歌袖書に記せる如く、上に見えて同歌、詞少違たる迄也。然れ共端作の年歴遙かに隔たれば、作者同人とは不v見。然れ共皆紀の國にみ幸の時の歌とあれば、撰集の時紛れたるを、後人さし加たるか、疑はしき歌也。歌の意は前に同じ
 
右一首上見既畢但歌辭小換年代相違因以累載
 
上見既の字次心得難し。見既は既見の顛倒ならんか
 
1668 白崎者幸在待大船爾眞梶繁貫又將顧
しらさきは、さきくありまて、おほぶねに、まかぢしゝぬき、またかへりみむ
 
此しらさき慥成地名國不v考。八雲に紀伊と記させ給へれば、それに從ふ也。紀伊にみ幸の時の歌にて、此續皆紀州なれ(481)ば、定めてかの國なるべし。八雲も此歌より紀伊とは記させ給ふならんか。歌の意はいつ迄も變事なくありて、又幾度ものみ幸をあり待てと也
 
1669 三名部乃浦塩莫滿鹿嶋在釣爲海人乎見變來六
みなべのうら、しほはなみちそ、かしまなる、つりするあまを、みてかへりこむ
 
みなべの浦かしま皆紀州也。歌もよく聞えたり
 
1670 朝開※[手偏+旁]出而我者湯羅前釣爲海人乎見變將來
あさびらき、こぎ出てわれは、ゆらのさき、つりするあまを、見てかへりこむ
 
朝開 前にも注せる如く、帆のこと也。前の假名には朝ぼらけと假名をつけたり。こゝには何とてかひらきと付けたり。帆を朝開くと云ことを知りてか。歌の意注するに及ばず
 
1671 湯羅乃前鹽乾爾祁良志白神之礒浦箕乎敢而※[手偏+旁]動
ゆらのさき、しほひにけらし、しらがみの、いそのうらみを、あへてこぎどよむ
 
湯羅乃前、白神之礒浦 紀州也。箕とは邊といふと同じ。うらび、うらべ、うらみ皆同音にて、うらみもうらびも同事と可v見。うらうみ、うらわなど云説もありて、箕はまわりたるものゝ曲りたる縁有もの故、廻と云と同じ義と云説もあれど、うがちたる説也。みもべもびも同音なる故、邊の字の意にて義安也。敢てとはそのまゝすゝみてと云義也。ものゝ極まり定めたる事をあへてと云也。此歌の意、ゆらの崎鹽干たる故、礒浦と云處を船共のこぎ行と云義を、こぎどよむとは詠めると聞えたり
 
1672 黒牛方鹽干乃浦乎紅玉裾須蘇延往者誰妻
くろしがた、しほひのうらを、くれなゐの、たまもすそひき、ゆくはたがつま
 
黒牛方 前に注せり。黒石潟なるべし
(482)鹽干乃浦 地名にあるべからす。たゞしほの干たる浦と云義なるべし。御幸の供奉の官女の海づらを行通ふを見てよめる也。紅の裳と云から、黒し潟をも詠出たる也。鄙ひたる黒き石の礒邊を、紅の赤裳を引て、目なれぬ官女の往かふは珍しき樣をよめる也。此赤裳の事すべて女の下のきもの也。今の緋の袴抔云と同じものにて、官女のきるは袴の如くなるもの也。又常の女の著たるは、今踐女のきる前垂と云もの也。下々の女の前垂と云もの、古代の赤裳と云もの也。昔は尊卑の差別なく、女はすべて赤き裳と云ものを着たる也。何とて赤きを用るぞなれば、毒虫蛇の類すべて紅を忌む。よりてこれを防がん爲に、到て踐女と云ても、赤裳と云ものは着したる也。其遺風今の前垂也。ころと裳と別にて、衣は上、裳は下と云説あれど、裳と云ものはすべて裏下に着、きぬは上表に着するをいへる也。兩品を合せて衣と云來れり。赤裳のこと奧にも注せり。至て卑しき女にても着用のもの也。尤緋紅赤と云色に差別有と見えたり。又地にも、布きぬ織物の差別は尊卑によりて有べし。下賤の女の着用は茜にて染るか、本紅の色にてはあるべからず
 
1673 風莫乃濱之白浪徒於斯依久流見入無
かざなぎの、はまのしらなみ、いたづらに、こゝによりくる、みるひとなしに
 
風莫乃濱 紀州也。風も無く靜かなる濱邊に、沖つ白波ゆら/\と寄來る景色、都に珍しき風景なれど、御幸の無き時は誰れ見る人も無く、いたづらに白波のよするにてあらんと、當然の景色を賞美してよめる也。見る人なしにとは、今見る人の無きとにはあらず。既に供奉の人の見てよめるなれば、行幸なき常に見る人の無き事を惜みて景色をよめる也
 
一云於斯依來藻 別本には如v此ありしを、古注者所見して書加へし也。凡て海邊の詞には、かくの如く見るめの、藻のと云詞を詠めること縁語也。よりくもは寄來るも也。浪の寄來るをも見る人無しにと云ふ義也。もと云は助語にも詠みたると聞ゆる也
 
右一首山上臣憶良類聚歌林曰長忌寸意吉麻呂應詔作此歌
 
これも古注者類聚歌林を所見にて如v此注せり。此注に隨はゞ、長忌寸意吉麿の歌とすべし。
 
(483)1674 我背兒我使將來歟跡出立之此松原乎今日香過南
わがせこが、つかひこんかと、出立之。このまつはらを、けふかすぎなん
 
これは供奉の人の留守に殘れる妻のよめる歌なるべし。歌の全體聞得難し。諸説共にとくと不v濟也
出立之 これをいでたちしと讀ませたり。或記にはいでたゝしと讀べしといへり。又いでたちのとも讀べきか。三品の讀樣いづれ共決し難し。歌の全體いかに讀みても聞わき難き故、いづれ共決し難し。つかひ來んかと詠出たれば、いでたちしとよめる方是ならんか。使の來らんかと出立ちて待ちしと云意なるべし。宗師案にはこの松原は地名なるべし。この松原と云地名を使を待と云意に云かけて、夫の今日か彼のこの松原と云所を過らんと、思ひやりてよめるか。この松原とよめる處いかに共聞得難し。一説には此は紀の松原と云事にて、音を通じよめるならんと也。一説には風無しの濱松故、前の歌をうけてこの松原とはよめるならん共いへり。説々まち/\にして歌の全體聞得たる説無き也
 
1675 藤白之三坂乎越跡白栲之我衣手者所沾香裳
ふぢしろの、みさかをこゆと、しろたへの、わがころもでは、ぬれにけるかも
 
三坂 三つの坂を超ゆる事にはあらず。みは初語也。紀のいで湯へ幸なれば、此藤白の坂は行幸路とならん山路なれば、露霜に袖のぬるゝ事、旅行の習ひなれば也。或抄には有間の皇子御謀反の昔、此所にて自らくびれてみまからせ給ひし事抔思ひ出てかとの説もあれど、詞に表れぬことなれば、無用の鑿意ならん。たゞ旅行の習ひ、露霜あるは時雨にもぬれつゝも供奉するなれば、其義をよめるなるべし
一説に此歌は前の歌の答歌にて、留守の妻の歌に供奉の夫の答たる贈答の歌故、二首並べたると見る義也。前の、爲妹貝をの歌と、朝霧にの歌と並べあげたるに等しきと見る説有。さも見らるべきか。此歌續古今にも載られたり
 
1676 勢能山爾黄葉常敷神岳之山黄葉者今日散濫
せな山に、もみぢ常敷、かみをかの、山のもみぢは、けふかちるらん
 
(484)せなとは夫をさして云。せの山と云もせな山と讀むも同音通也。紀州の妹山せ山のせの山也
常敷 此とこ敷と云事心得難し。集中に常の字をとこと讀ませたる歌共に濟難き事多し。第一卷の歌の、常滑のとこも永なへに滑かなると云の義なれ共、波の床波と云義すまぬ詞也。重波と云詞はありて、しき波よするなど云古語も有。然ればこゝの床敷も床によせてと云説あれ共、しきしくと讀まんか。常の字をしきと讀義少六ケ敷也。常はつねと云義なれば、四季と云義にて、音をかりて常なれば四季共と云義に通はして、しきと讀ませたらんか。此説は入ほかにて少六ケ敷けれど、ケ樣の例萬葉集の習なれば、自然其意にて四季と義をとりて、常の字をしきと讀めるか。さ讀までは通じ難き歌もありて、しきしくは隙間無きと云意なれば、せな山に際間も無く、紅葉の照れるを見てかくよめるか。故郷の神岳山を思ひ出て、今日か散るらんとよめるならん
歌の全體の意右の意也。常敷も、しきしくにもせよ、うつしくにもせよ、歌の一連は紅葉の散りしくを見て、故郷のみもろの岳の事を思ひし歌也
神岳 前にもみわ山と讀たれど、これはみもろの岳の事也。みもろ山の事雄略紀に委しくありて、第二卷にて雷岳ともよめり。雄略天皇より雷の岳と云由來ありて、雷をば故實神と云たる事也。既に第三卷に登神岳と云題にて、赤人の歌にみもろの神なひ山にと詠たり。これらをもて見る時は、雷岳と云よりかみ岡とも云なれば、字の如く讀べき也。みわ山ならば三輪山と書べき也。尤神の字みわとも讀み、みわ山をみもろ山とも云故、神岳をもみわ山と假名を付來れるか
 
1677 山跡庭聞往歟大我野之竹葉苅敷廬爲有跡者
やまとには、きこえもゆくか、おほがのゝ、竹葉かりしき、いほりせりとは
 
旅のいぶせき樣子、故郷へも聞えぬらんかとの意也
竹葉 さゝかりしきてと讀べきか。竹は刈りしきてと云假名あれど詞穩かならず。いづれにても義は同じければ、好む處に從ふべし
 
(485)1678 木國之昔弓雄之響矢用鹿取靡坂上爾曾安留
きのくにの、いにしさつをの、かぶらもて、しかゝりふせし、さかのへにぞある
 
或抄に昔弓雄とは風土記の説などとり交て、雄山に關ありし時、其關守に精兵の弓射るものありし故、如v此よめるなるべしといへり。又古歌に、きの關守がたつか弓ゆるす時なくなどよめるも、たつか弓とは弓のとつかを大にする紀伊關守が射る弓は各別のものゝ樣に云るも、手づか弓と云譯を不v辨から、風土記の説と信じていへるなるべし。たつか弓のことは此集中にもありて、弓に限らずたつか杖ともよみて、手に握るもの束ね持つものを云事にて、紀州の關守の弓に限るべき事にて無きこと此集中にても明也。弓雄は關守の中に上手の射手ありしなるべし。それをかくよめるとの説も心得難し。弓雄と云詞語例無き事也。古語にも不v聞詞、此歌にてかく讀ませたる計り也。然ればこれを弓をとよまん專心得難し。これは鹿かりふせしとあるなれば、獵師のことをいひたる義なれば、神代の古語の通に弓雄と書て、義訓にさちをと讀べきか。狩うどの義なれば義叶へり。且昔と云ふ字もいにしと讀べし。下のかぶらと有詞に讀く縁弓射しと云義にかけて、古の事をいへると聞えたり。古はいにしへにて、弓を射にしと云にかゝる詞也。響矢これも義をもて書たり。鏑矢はなり響くものなれば、此二字をもてかぶらとは讀ませたり。和名抄〔調度部、征戰具、鳴箭、漢書音義云、鳴鏑如2今之鳴箭1也。〕日本紀私記云、八目鏑【夜豆女加布良】漢には鳴鏑と書て鳴る意を表し、此歌には響矢と義を表せり。矢の根の處に、かぶらの形なるものに蟇の目の如くに穴ある故、ひきめのかぶらとも云へり。私記には八目のかぶらと云も、穴八つ有ると聞えたり。邪氣惡氣を追避くるもの也。神體などにも用ゐられし事古事記に見えたり
鹿取靡 假名付本には鹿とりなびくと有。これにては止らぬてには也。さつをは狩人の事なれば、取の字かりと讀む事前々にも注せる通也。靡くと讀みていかに共義不v通。これも義をもてふせと讀べし。歌の意は昔狩人の鹿を狩伏せしと云坂の上に、今宿りして居るとの歌也。たゞ坂の上に旅の宿りをして居ると云事をよめるに、かく上より序詞をのべ、旅行なれば、かくの如き山中のもの凄じき所にもあると云意をこめてよめる歌と聞ゆる也
 
1679 城國爾不止將往來妻社妻依來西尼妻常言長柄
(486)きのくにゝ【とはにやまず】かよはん、つまのもり、つまよりこさね、つまといふなから 一義つまてふなからは
 
此歌印本文諸抄の如くつまこそはと讀みて、挽歌の釋かつて聞えず。面白き所なれど妻の無き所故、常にも不v來程に妻もかな。われにより來らばその許へかねてとことはに通はんとの歌と注せり。全體の歌の意これにて聞得らるべきや。妻と云なからと云ふ終の句も右の釋にて不v通也。これは木の國故、木の神爪津姫と神社を被v祭たると云事を不v辨、その氣の付かざるより無理注をなせり。本紀伊國は木の國にて、則木の神を被v祭て其木の神は妻津姫と奉v稱也。延喜式神名帳云、紀伊國名草郡伊太祁曾大屋都都麻都比賣神社。木の神を都麻都比賣と奉v稱事は、神代紀に見えて前に注せり。妻木と云も此所以也。然れば此歌紀伊國は妻と云名の神ますなれば、とことはに通ひて祈らん程に、妻を依こさしめ給へ、妻津姫社へ詣來ん程に妻と云名を負給ふ社からは、妻をよせこさせ給へと云歌也。長柄は名|故《カラ》は也。名なるからはの意也。既に一説に嬬賜爾毛とあるにても考合すべし。行幸の供奉にて妻津姫神社に詣で、思ひよりて詠めるなるべし。名からはと云に長柄と書るは、當集風格何程も此例の文字遣多き事也。畢竟つゞめていふ時は此後も紀伊國には不v絶來ん、妻社と云神社のあるからは、能妻をもよりこさせよ。妻の社と云名あるからはとよめる歌也
 
一云嬬賜爾毛嬬云長柄 これも妻賜ふにも妻てふ名からはと云意也。終の句如v此替れる一本もありしを、古注者は所見故書加へたり。此加筆にて妻社の二字は妻森とか妻の森とか、又は妻やしろとか讀べき證明也。妻賜ふにもと云義諸抄の説にてはいかに共不v通。此賜ふにもと、或説にあるをもて、爪津姫神に寄來さねと乞祈る事を知らせたり。人の妻を賜ふも此の神の妻社と云名から、誰れ人も妻と云ものを得るならんとの義也
 
右一首或云坂上忌寸人長作
 
後人歌二首 後れたる人の歌と讀べし。行幸の供奉にはあらで、留主に殘れる人のよめる歌也。後人追加など云とは異なり
 
1680 朝裳吉木方徃君我信土山越濫今日曾雨莫零根
(487)朝も吉、きへゆくきみが、まつちやま、こゆらんけふぞ、あめなふりそね
 
朝裳吉 前にも注せり。此三字の訓讀朝もよきとも、朝もよいとも、朝もよしとも、朝もえとも讀まるれば、何れとも決し難く古來説々まち/\ありて、いづれを正義とも人々諸々の見識を立て証明を不v決也。所詮紀と云冠辭とは知れど、其云出し詞は、體を何をもて定たるとも極難ければ、暫く其注は除けり
木方 は紀邊也。紀伊國邊へ行君かと云義にて、大和より紀の國へ行には、まつち山を越る也。よりて如v此よめり。信土山は紀伊と大和の間にある山也。前にも毎度出たる地名也。そこを今日ぞ越らんに雨は降りそと、旅行の難儀を思ひやりいたはりて詠める也
 
1681 後《拾遺金葉兩集に入》居而吾戀居者白雲棚引山乎今日香越濫
おくれゐて、われこひをれば、しらくもの、たなびく山を、けふかこゆらん
 
われは後れゐて旅行に別れし人をのみ戀をれば、眺めやる空の白雲の棚引く方の山をもけふや越ぬらん、こなたには後れて戀をれば知らぬと云意に詠かけて、白雲のたな引とよめり。けふ超給ふや超給はぬや知らざると詠かけて、今日か超ゆらんと察したる也
 
献忍壁皇子歌一首 詠仙人形
 
忍壁皇子前に注せり。作者は誰とも雖v考
詠仙人形 此端書心得難し。若しくは後人の加筆ならんか。歌の趣もて跡にて注したる趣にも見ゆる也。歌の意は忍壁皇子を祝し奉りてよめる也。仙、釋名曰、老而不v死曰v仙。仙遷也。遷入v山也。故制v字人傍山也
 
1682 常之陪爾夏冬往哉裘扇不放山住人
とこしへに、なつふゆゝくや、かはごろも、あふぎはなたず、やまにすむひと
 
常之陪はとこしなへに也。日本紀に衣通姫の歌にも此詞あり。とこしなへと云古語也
(488)夏冬ゆくやとは革衣と扇を放たず持てれば、夏冬の差別無く、仙境は暑寒苦難も無く常住不變なるやと也。これは屏風抔の繪に仙人の形を書けるを見て、皇子を祝し如v此よみて奉れるならん
 
獻舍人皇子歌二首 誰人の奉れるか。作者は不v知也
 
1683 妹手取而引與治※[手偏+求]手折吾刺可花開鴨
いもがてを、とりてひきよぢ、うちたをり、わがかざすべき、はなさけるかも
 
とりてと云はんとて、妹が手をとは詠出たり。この歌は花の盛なるを告げ奉りて、皇子を請し奉らんの意と聞ゆる也
 
1684 春山者散過去鞆三和山者未含君待勝爾
はるやまは、ちりすぎぬれど、みわやまは、いまだふゞめり、きみまちがてに
 
春山 惣名にあらず。一山の地名と云証明此歌にても明也。君待がてには、君を待つが爲に未だ咲だにもせずつぼめると也。この歌も皇子を請し奉り度と願ふ意をよめる歌と聞ゆる也。春山は皇子御座所近所なるか。そなたの春山は花散り過ぬ共、こなたのみわ山は君を待ちがてに未だ咲だにもせぬとの義也。此歌の意或抄の意は皇子の恩光の〔以下注ナシ〕
 
泉河邊間人宿禰作歌二首 泉河は山城の國の河也。はしうどのすくねと計ありて名は難v考
 
1685 河瀬激乎見者玉藻鴨散亂而在此河常鴨
かはのせの、たぎるをみれば、たまもかも、ちりみだれたる、このかはとかも
 
此河常鴨 素本には此の字を脱せり。印本にはあり。あるべき事也。此河常は水間瀬間の事也。歌の意は河の瀬のたぎり流るゝ、水の白玉などの散亂れたるを、すぐに玉藻の如くなると見たてたる也
 
1686 彦星頭刺玉之嬬戀亂祁良志此河瀬爾
ひこぼしの、かざしのたまの、つまごひに、みだれにけらし、このかはのせに
 
(489)此歌彦星と詠出たる事珍しき義也。天河などの歌ならばさもあらんに、泉河の邊にとあるにはより所無き樣なれど、河と云を天河の縁にとりてよめるか。又天河も此邊にて近あたり故、かく詠出せるか。第十に、此夕部降來る雨は彦星の早やこぐ舟のかいちるがごとゝ詠める、櫂の雫の散るかと云意に、これは空より降くる雨なれば、七夕の夜ならず共詠まるべし。此歌は少珍しき五文字、より所少けれど、天の河の近所にて、しかも河と云を天河にとりなして詠めるなるべし。河瀬の波の玉の如くに見ゆる景色をかく詠なせるは、尤面白く珍しき也。清輔朝臣の、立田姫かざしの玉の緒をよわみ亂れにけりと見ゆる白露、と詠める、これらの歌によりて、思ひ付たるならん
 
鷺坂作歌一首 山城國久世郡に有。人の稱號に向坂と書てさき坂とよむ。此所の出所か
 
1687 白鳥鷺坂山松影宿而徃奈夜毛深往乎
しらとりの、さぎさかやまの、まつかげに、やどりてゆかな、よもふけゆくを
 
何の意も無くす直によく聞えたる歌也。印本の假名付に、宿りてゆくなとあるは、カの字クとなりたる也。夜もふけ行けば松の陰に宿りてあけてゆかんとの歌也
 
名木河作歌二首 和名抄云、山城國久世郡那紀。なき河の歌とあれど、歌の表はたゞぬれたる事計をあらはせり。名木は鳴と云意によせたる歌も有
 
1688 ※[火三つ]干人母在八方沾衣乎家者夜良奈羈印
あぶりほす、ひともあれやも、ぬれぎぬを、いへにはやらな、たびのしるしに
 
旅行の身なれば、誰あぶり干す人のあらんやも、名木河にてぬれたる衣を其まゝに家にはやらんと也。この歌の表にては、名木河の作といふ處は聞えねど、ぬれ衣と云にて知らせたる也。なき河を渡りてぬれたると云意、又なぎ河と云名によせて、ぬれ衣とは泣きてぬれたると云意にも聞えたり。あぶりほすと云ことは、珍しき樣なれど、古詠いか程もよめり。紀貫之歌には衣をあぶり干す事をよめる歌も有
(490)  なには女が衣ほすとてかりてたくあしびの煙たゝぬ夜ぞ無き
 拾遺集物名松茸をよめる歌、すけみ
  足引の山した水にぬれにけりそのひまつたけころもあぶらむ
この末にもあぶりほすと云歌あり
 
1689 在衣邊著而※[手偏+旁]尼杏人濱過者戀布在奈利
ありそへに、つきてこぐあま、からびとの、はまをすぐれば、こひしくある也
 
ありそへ 地名と見る説有。又荒礒と見る義まち/\也。越中の國にあり。その濱と云所あれば、杏人の濱も、つのかあらしらの來りし所を云かとの説あり。杏人濱何の國にありとも不v知。此歌名木河とありて、荒礒邊杏人濱とよめる義心得難し。山城の地名ならば、杏人の濱云傳へざる事もあるまじ。數百歳を經ぬれば、云誤れる事もあらんか。おして云はゞ、名木河へ行道筋のあら礒邊、杏人の濱ともいふべきや。山城國中にはあらき礒と云べき程の大河も無く、宇治川を東國人は西國一の大河など、平家物語にも梶原が云へる計り也。此歌名木河の歌と云事、二首共に慥には聞き定難し。名木河に泉郎の住程の大河今の代に地名の不v殘濱いかに共心得難し。海湖には泉郎をも詠べきに、河にあまをよめる事も珍しき也。尤も極めて有まじとも云はれまじけれど、通例には覺えぬ義也。歌の意は、荒磯邊につきて漕まふあま船の、から人の濱を過來れば、そのあま船の戀しきと云意なるべし。あまの釣するを見つゝ過來るに、杏人の濱を過來れば、隔たりて不v見故、そのあま船の戀しきとの歌と見るべし。全體の意しかとは聞え難し。先一通はから人の濱を過て、名木河へ渡る時の歌と見置也
 
高嶋作歌二首
 
1690 高嶋之阿渡河波者驟鞆吾者家思宿加奈之彌
たかしまの、あとかはなみは、さわげども、われはいへおもふ、やどりかなしみ
 
此歌第七卷※[覊の馬が奇]旅の部に載られて、河波を白波とある迄のかはりにて尤書樣は違へり。別人の歌か。こゝは高嶋の作とある故、(491)二度あげたるものか。歌の意は別に注せる如く、河波は騷ぎてものさわがしけれど、旅宿の夜すがらそれにも紛れず、古郷を慕ふとの歌也。高嶋、あと河、皆近江の地名也
 
1691 客在者三更刺而照月高島山隱惜毛
たびなれば、よなかをさして、てる月の、たかしま山に、かくらくをしも
 
三更は夜半を義訓に讀ませたり。五更を曉とするから三更は夜半也。夜中をさしてとは兩義をかけて云へる義也。夜中と云所をさして云義と、又よるの夜半をさして、旅行するとの義をいへり。さしてと云事はすべて行事を云。神社などへ詣づることをもさしさすと云也。こゝはその兩樣をかねて、月のさし照らすと、人の夜中へ向ひて出て行との意也。よりて旅なればと云て、其旅行を照らす月の、高嶋山に隱れて暗からん事の惜しきと也。山高ければ月の隱れて見えざる也。それを高島山を取出て、同所地名夜中とかけ合てよめる處おも白き也
 
紀伊國作歌二首
 
1692 吾戀妹相佐受玉浦丹衣片敷一鴨將寐
わがこふる、いもにあはさず、たまのうらに、ころもかたしき、ひとりかもねん
 
玉の浦前にも出たり。第七にあり。第十五にもよめり。これは同名異所也。奧州にもあり。日本紀景行卷云、爰日本武尊則從2上總1〔轉入2陸奧國1、時大鏡懸2於王船1、從2海路1廻2於葦浦1横渡2玉浦1、至2蝦夷境1云云〕後京梅攝政の、きり/”\す鳴くや霜夜の下の句も、この歌の下の句一言不v違也。あはさずはあはず也
 
1693 玉匣開卷惜※[立心偏+(メ/広)]夜矣袖可禮而一鴨將寐
たまくしげ、あけまくをしき、あたら夜を、ころも手かれて、ひとりかもねん
 
此歌は前の歌の餘意を詠める也。玉の浦の景色の面白きを思ふ妹とも見ずして、妹の袖とも別て、たゞ獨りねん事の惜しきと也。あたら夜とはあたらしき夜と云心にて、夜をほめたる義也。夜をほむるとは、その所の景色の面白きを、見あかさんもの(492)をと云意也
 
鷺坂作歌一首
 
1694 細比禮乃鷺坂山白管自吾爾尼保波※[氏/一]妹爾示
【ほそ・たく】ひれの、さぎさか山の、しらつゝじ、われにゝほはて、いもに見せなん
 
細比禮 白細と書きて白妙と讀ませたり。よりて、たへもたくも同じければ、たくひれとは讀めるか。鷺の頭に細きひれの樣なるもの有。それを云義なれば、細ひれと讀まんことも事實に叶へり。細ひれと云ては、詞拙故印本に古くたくひれとは讀ませたるか。これらは何れにても苦しからぬ義也。好所に從ふべし。俗にこれを簑毛とも云なり。慈鎭の歌に、恐しやかもの河原の夕凪に蓑毛吹かせて鷺たてるめり。此歌の蓑毛は身の毛を兼ねて詠めるならん。今俗に恐しき事を、身の毛もよだつなど云也
白管自 第三卷にも、風はやのみほの浦回の白つゝじと詠めり。こゝは鷺坂山なる故、白き縁を求めて詠出たり
吾爾尼保波※[氏/一] この詞珍しき詞故、諸抄の説も色々也。大方※[氏/一]の字を濁音に讀みて、願ふ意美しき色の、我にうつれかしと願ふ詞と釋せる説あり。又匂はぬと云意、匂はぬ故殘多し、匂はゞ妹にしめし見せんをと釋せる説有。何れも心得難し。是は匂へと云詞をのべて云たると聞えたり。また※[氏/一]は助語にも聞ゆる也。匂へと云ふへを延ぶればはて也。然れば此義を取べし。われに匂へ、妹に見せんとよめる也。此集中には言葉を約めていひ、また延べていへる古語あげて數へ難し。然れば既に此匂はても、にほへの延言なるべし
 
泉河作歌一首 山城國泉河也。和名抄云、〔山城國相樂郡、水泉、以豆美〕
 
1695 妹門入出見河乃床奈馬爾三雪遺未冬鴨
いもがかど、いりいづみがはの、とこなめに、みゆきのこれり、いまだふゆかも
 
いもがかど入出 出入を顛倒に泉川と詠出んとてかく詠出たり
(493)床奈馬爾 此詞第一卷にも有て、濟難く續き難きことなれど、此にかく假名書の如くにあれば、とこなめと讀まではなり難し。河の床と書ける詞心得難けれど、今俗にも河床と云事あれば、古くより云來るか。諸抄物の説、川中にある石の、水の垢付きて常に滑かなると云義と釋せり。かく云ては、み雪の殘れると云義には少あひ難き也。一説には、とこしなへにと云義といへり。此義は此歌には叶へるか。床は敷ものなれば、こゝも義をもてしきなみと云に、床の字を用たるとも見ゆる也。重波と云ことは語例古語ありて、河のと云にも續く詞也。尤此歌、波の樣に雪の殘りたると見たてたる歌也。これは泉川の邊に春の頃雪の殘れるを見て、泉川の床波の樣に雪の殘れるは、こゝはまだ冬にもやと疑ひたる也。とこなめをとこしへにと云義には見らるれど、常に滑かなる義と云説は不v合義也。雪をなみと見る義、又常しなへと云方には叶ふべき也
 
名木河作歌三首 又此處に名木河の歌を擧られたるも不審也。前にあぶりほすの歌有。こゝにも有。前のあぶりほすの歌此所にありて、ありそへの歌は、杏人の濱の歌と云端作りを、名木河と誤りたるか。同卷の内、間も無く同所の歌をわけて擧たる事不審也。尤此卷には如v此の類あまたあれば、わけも意味も無く、たゞ作者別なる故、幾所にも別々にあげたるか。鷺坂の歌も幾所も有
 
1696 衣手乃名木之河邊乎春雨吾立沾等家念良武可
ころもでの、なぎのかはべを、はるさめに、われたちぬると、いへおもふらむか
 
衣手のなぎと續けたるは、泣きて衣をぬらすと云續きと、諸抄に釋したれど、さは續かぬ義也。衣手のなるゝと云、なの一語にうけたる續き也。衣手をと云手爾波なれば、泣きてぬらすと云續けと云はるべし。乃と云續きはなるゝと云義か。又袖をなぐと云事もあれば、袖のなぎたると云意にうけたるなるべし。然れ共衣の袖は皆着なれと云意によめる歌、又冠字にも詠めばなるゝの方なるべし。歌の意は旅行の物うきに故郷を慕ひ泣き、涙に衣手のぬれたるをも、春雨にぬれたるらんと、家人は思ふらんかとの意也
 
1697 家人使在之春雨乃與久列杼吾乎沾念者
(494)いへ人の、つかひなるらし、はるさめの、よぐれどわれを、ぬらすとおもへば
 
此歌の意、よくれ共かく濡るゝ春雨は、家人の使なるらん、よきてもかく迄慕ひぬるゝはと云意也。なき河の詮は聞えねど、ぬるゝと云を縁にして、前の春雨にわれ立ぬると詠めるをうけて、名木の作を知らせたる也。或抄によくれのくの字清濁の論を云へり。きはめて濁音也。物によそへる時は、濁音清音に拘らぬ事も有。一概とすべからず
 
1698 ※[火三つ]干人母在八方家人春雨須良乎間使爾爲
あぶりほす、人もあるやも、いへびとの、はるさめすらを、まづかひにする
 
前の歌の餘意をよめり。かく春雨の降りてぬらすは家人の使なるべし。旅なれはあぶりほす人も無きに、何とてかくは使にはするぞと恨みたる意也。春雨すらは春雨らをと云心他。間使のまは初語也。あなたとこなたとの間を通ずるもの故、間の使と云との説も有。さも云はるべけれど、初語の方然るべし。この歌も名木河の作とは、いづこをさして見る處無けれど、春雨すらをと云處、名木河にては衣のぬるゝものにして、その上に春雨すらをと云の意にて、名木河のことを、すらと云ふ詞に含みたる歌と聞ゆる也
 
宇治河作歌二首 山城のうぢ河也
 
1699 巨椋乃入江響奈理射目人乃伏見何田井爾雁渡良之
おほくらの、いりえひゞく也、いめびとの、ふしみがたゐに、かりわたるらし
 
巨椋入江 延喜式神名上云、山城國久世郡巨椋神社。また紀伊郡に大椋神社有。此巨椋の入江は久世郡也。伏見の内にも大椋の社の鎭跡ある由云傳へたり。これは紀伊郡大椋神社の鎭跡なるべけれど、實記無ければ決し難し。先此處の巨椋の入江は、向嶋など云所と聞ゆる也。いめ人の伏見、いめ人は、いめ立てゝとみの岡邊などよめると、同じきと云説もあれど、これは夢の義なるべし。夢は伏して見るものから、伏見が田井を云はんとて、いめ人とは詠出たる也。これらが歌の續きがらの至極の義也。いめ人は狩うどのことゝ云説ありて、いめと云ものを立て腹這伏して、鳥しゝなどの通ふ道あとなどを見るもの故、(495)ふし見と受けたるとの釋あれど、夢人の方然るべからんか。尤いめと計りよみても、ふし見とうけらるゝを、人と云たるは、いめを立てゝ伏はらばひて見るもの故、人のふし見とうけたるとの意に見るも一義無きにあらねば、これらはいづれとも決し難し。宗師説は夢を人の伏し見ると云うけに見る也。歌の意倉と云ものは、物をいるゝ物なる故、同じ冠辭にても其縁をうけて、大椋の入江と詠出て、即ち入江の事實をよみて、其入江の響き鳴るは、相向ふ處の伏見の田井に、雁の渡り來る響きならんとよめる也。然れば大椋の入江と伏見とは間隔たらぬ所と聞ゆる也。うぢ河は伏見の南を流て伏見の内を流行なれば、此歌の事跡も相叶へり。宇治川の流の末をよめる也
 
1700 金風山吹瀬乃響苗天雲翔雁相鴨
あきかぜの、やまぶきのせの、なるなへに、あまぐもかける、かりにあふかも
 
金風 四方四季を五行に配當して、義をもて秋風と讀ませたり。尤唐にても金風を秋風と用る例ありて、古く書來れると見えたり。秋風起白雲飛雁南に赴くの意をよめる歌也。さて秋風は、山より吹出るの意に山吹とうけたる也。秋の草木のしほるれば共云意をもて、山に吹と云續け也。則宇治川に山吹の瀬あれば、地名にあはせて也。天雲かけるは、風はげしければ自づから雲もかける如く、又雁もかけり渡ると云、兩方をかねてよめる也。あふかもは時節の來りたることを嘆息して、春過夏も去りて、今はた秋風起つて天をかけりて己が來る時ぞとて、はる/”\越路の雁にあふ事かなと、時節の過行來れるを感嘆して宇治川の地名によせてよめる也。雁を見るかも共讀むべし。いづれにても意同じき也。宇治川の河上をよめる歌也。前の歌河の末の地名をよめり
 
獻弓削皇子歌三首 誰人の奉れるか難v知。奧の袖書を証として注せば、此歌共も皆人丸の奉れるか
 
1701 佐宵中等夜者深去良斯雁音所聞空月渡見
さよなかと、よはふけぬらし、かりがねの、きこゆるそらに、つきわたるみゆ
 
此歌は古今集秋の部に入てあり。これ後人の書入たると見えたり。歌の意は聞えたる通也。皇子を待戀て、夜の更行を惜み(496)てよめるか。何とぞよせる處あるべけれ共、其意は知れ難し
 
1702 妹當茂苅音夕霧來鳴而過去及乏
いもがあたり、茂かりがね、ゆふぎりに、きなきてすぎぬ、ともしきまでに
 
此茂苅音と云茂の字いかに共讀難し。印本譜抄等にもしげきと讀ませたれど、しげき雁がねと云義は無きこと也。義訓の讀樣あるべし。とかくしげきにては決て無き事とは知れたれど、何と讀みたるか、別訓決着せぬ也。茂の字の字注共を考ふるに草木繁榮の字義、盛の義也。尤草木繁茂して夏鳥の爲v庇と云字義あり。然れば別訓是等の字義をとりて讀樣あらん。宗師案は盛と云字に通ずればさかると讀まんか。但し茂きと云詞集中にあまたありて、すまぬ處共多ければ、すごきすぐるなど音を通じて讀ませたるか。いづれにてもしげきとは續かぬ詞也。愚案には庇と通じて、義をとりて深きとか、宿るとか隱るとか讀まんか。庇の字の意に通ずる意字書に見えたれば、やどりとか、やどるとか、又陰の字に通じて隱ると讀みて、かけるの意を兼ねて讀まんか。然らば歌の意も濟むべきか。しげきと云ては菟角義通じ難し。尤雁の多く妹があたりはわたるべけれど、こゝは微かに乏しきと云意にて、しげきと讀める共云べけれ共、しげき雁がねとは何分にも不v續詞、語例句例無き詞は義通じても難v用也。夕霧の中に鳴過ぐる故、幽に遠ざかりて乏しきは遙なる意、友ほしきと云ことにも聞えて、こゝは寂しき方に見るべきか。前にも注せる如く、乏と云詞は歌によりて一樣ならず。色々に用たる詞也。この歌にては、微かなる意寂しき意によめる也。茂の字の訓は宿るか隱るかの内ならんか。奧の多武の山霧茂鴨の茂の字も、霧のしげきと云事は無き事也。これも深き鴨と讀まんか。隱るゝと讀む意を通じて深きと讀まるべし。しげきと讀みては歌の意いかに共不v通。又續かぬ詞語例無きことなれば、兎角的中の別訓を可v考。此歌の全體意味不2打着1也。尤なぞへ奉るの意有べし
 
1703 雲隱雁鳴時秋山黄葉片待時者雖過
くもがくれ、かりなくときに、あきやまの、もみぢかたまつ、ときはすぐれど
 
この雲隱れと讀ませたるも心得難し。雲に隱れて鳴と云心にてさ讀ませたらんか。然れ共これも雲翔の意に、隱ると兩方を(497)兼ねて雲かくる雁鳴くと讀まんか。雲は空と云に同じくて、雲をかける雁なれば、かくれよりかくるの方よからんか。これらは好所に隨ふべし。片待の片は助語初語也。たゞ雁の鳴につけて、も早時は過ぎたれ待との意也。これは皇子を待と云意を含めて、片待とはよめるならん。時は過ぐれどと云義少聞分難し。も早黄葉の時は過ぎたれどと云意と見置也。片待は片戀の意もありて、こなたにのみ待と云意を含めて詠めるか。右三首共よそへたる意はいかに共聞知り難し。何とぞ作者の意あるべき也
 
獻舍人皇子歌二首
 
1704 ※[手偏+求]手折多武山霧茂鴨細川瀬波驟祁留
うちたをる、たむの山ぎり、茂かも、ほそかはのせに、なみさわぎける
 
多武山 吉野也。多武の峰と云これ也。大和國十市郡に有。齊明紀云、於2田身嶺1冠以2周垣1【田身山名、此云2太霧1】此山也。たむと云はんとて、うちたをりと冠向に詠出たり。枝を折るには何にてもたわめて折るなれば、如v此續けたり。これらの續けがら上手の續けなり。たをる、たとうけたる詞の續きを、甘心すべし
茂鴨 この詞不v濟也。印本諸抄物にはしげきと讀ませたれど、霧のしげきと云事有べきや。何とぞ別訓あるべし。作者は何とぞよき讀樣ありて續けたらんを、今の世となりては、撰者書遺したる文字の讀解も正意を知らざる也。しげきと讀みては歌の意も不v通、詞も例無き也。然ればさは讀まれぬ故、撰者此字を書きて、此時代は紛るべくも無く作者の詠みし通に讀みなしたらんを、かく讀迷ふ事は拙き事なり。宗師案はしげきとすごきと音通ふなれば、山霧立ちて谷川などの水かさ増りて、波立騷がば凄からんなれば、すごきと讀べしと也。愚案は兎角茂の字は讀なすものによりて、其もの/\にて訓義替れると見る也。決してしげきにては無く、茂の字義を通じて盛の意、繁茂の意、又庇の字義を通じて、前の歌はやどる共讀べきかと注せり。此歌にては深きと讀まんか。繁茂盛庇の字の意をとりて、深きと云意無きにもあらず。霧の盛なるは深きといはるべし。
 又庇の字の意も、深きと云はれまじきにあらざれは、深きと讀ませたるには有べからんか。霧深き故、草木の露したゝりて、細(498)川の谷川も自づからまさりて、波も靜ならざると云義察し難し。細川も大和の地名也。波さわぎける共、浪のさわげる共讀むべし。天武紀云、五年五月、勅禁〔南淵山〕細川山並莫2蒭薪1〔又畿内山野元所v禁之限莫2妄燒折1〕
 
1705 冬木成春部戀而殖木實成時片時吾等叙
ふゆごもり、はるべにこひて、うゑしきの、みになるときを、かたまつわれぞ
 
春べに戀ひてうゑし木の 上の冬ごもりは春邊といはん序也。成の字の事は、前に注せる如く、戍の字の誤りたる也。春べに戀てとは、冬の内はかぢけたる木を、春になりて植ゑんと願ひてうゑし、其木の花咲き榮えて、實なる事を待願ふとの義也。これは舍人親王の御出世の義を願ふ下心を、かくよそへたると聞ゆる歌也。愚案若し前の歌此二首共に、女などの皇子に思ひをかけて奉れる歌か。又皇子の兼て憐み拾ふ女子などありて、さはりつかへの事など有故、思召まゝにも成難き人故、女子の方よりかく詠て奉れるか。浪騷ぎけるなどよめるは、人の云騷ぐ事などによそへたるとも聞ゆる也
 
舍人皇子御歌一首、皇子の事は第三卷に注せり。此御歌は御返歌などにやあらん。但し奉れる歌を擧たる故、御和歌ならねど擧られたるか
 
1706 黒玉之夜霧立衣手高屋於霏※[雨/微]麻天爾
ぬばたまの、よぎりはたちぬ、ころもでの、たかやの上に、たなびくまでに
 
黒玉 ぬば玉は黒き玉なる故、義をもて直に書たる也。鳥玉と書も此埋也。夜は暗きもの故冠辭に据えたる也
ころもでの高屋とは、手のたと受たる迄也。一語にうけると云例是等也。高屋は大和添上郡に有。第一卷の終にも出たる地名也。この御歌の意も物に覆はれ、籠らせられて被v成2御座1樣子の歌に聞え奉る也。表一通は何の意も無く、たゞ夜霧の立て、高屋と云高き山迄も棚引くと、詠ませ給へる也。高屋と詠ませ給ふ所が、御趣向の所と聞ゆる也。先づは霧の高く立登ると云意に、表一通にても高屋とは詠ませ給ふ也。よそへ思召す御心は、何とぞわけ有ぬべし
 
(499)鷺坂作歌一首
 
1707 山代久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散來
やましろの、くぜのさぎさか、かみよゝり、はるははりつゝ、あきはちりけり
 
此歌には草木のこと無しに、春は張つゝ秋はちりと詠めり。何の事とも聞えず。第二卷にも有、高槻村の散りにける鴨と詠める例也。高槻と云槻の木の義を兼ねて、こゝもさぎ坂のきを、木と兼ねてよめると聞ゆる也。たゞ鷺坂の惣體を指して、草木の芽はり落葉する事にかくよめるか。歌の意は何の意も無く聞ゆる也。此歌新古今に入られたり。畢竟神代よりとよめるは、久しく變ぜず春秋を經來る處と云意にて、鷺坂をほめたる歌也。第十卷にもケ樣によめる歌有。其外長歌の詞の中にも集中に多き事也。拾遺集に元輔筑紫へ下りし時、かまど山の麓の木に古く書付たると有て、春はもえ秋はこがるゝ竈山と有。草木を表さずしてもかく詠來れり
 
泉河邊作歌一首
 
1708 春草馬咋山自越來奈流雁使者宿過奈利
はるぐさを、まくひやまより、こえくなる、かりのつかひは、やどりすぐ也
 
馬昨山 春草は馬の好み食ふ物なれば、かく續けたり。古詠の格皆かくの如し。馬昨山を雁の歸るさに飛超え來るを詠めるとて、さしつけて馬昨山とは續けず、先冠句を居て如v此よめること歌の第一の習也。これらを新しき冠辭と云もの也。しかも歸雁と知らせん爲の春草なるべし。馬昨とうけ續けん爲とて、春草をと詠めるは至極上手也。馬昨山は山城の内泉川の近所なるべし
雁使 これは歸雁の事を詠めると聞えたり。旅行にて泉河の邊にありて、雁の馬昨山を越鳴來るを聞て、故郷の便りをも聞べきやと、愚かに待つけしに、雁は越路へ歸るさを急ぎて、旅の宿りを名殘も無く過るを、かくよめると聞ゆる也
 
獻弓削皇子歌一首
 
(500)1709 御食向南淵山之巖者落波太列可削遺有
みけ向、みなふち山の、いはほには、ちるなみたれか、けづりのこせる
 
御食向 前に注せり。向は物の字の誤ならでは難v濟也。みなは御魚と受たる義なるべし。諸抄の説は眞向ふことに注せり。食物の膳に向ふ如く、相對し向ふ義に釋せり。當流には不2信用1也。扨此南淵とは、皆淵と云意と、藤と云意をかねてよめると聞ゆる也。ちる波とよめるも、淵藤の縁をもて岩ほの姿を、波の散かゝれる樣に見立たる歌なり
削遺 この削り遺せるとは、巖の姿の波の散かゝりたる如くに、誰人か削りなして、かくは世に遺せるぞと、巖の景色を賞したる義也。削と云義、唐の詩文等にも、山形岩象などのこと景色の事に云來れり。山海經に、太華之山削成而四方其高五十仞。左太仲魏都賦云、擬2華山之削成1。如v此云來れば、此歌もケ樣の文をふまへて削とは讀たるならん。尤皇子の御名の弓削をよせて、何とぞ奉2賞讃1意にかくよめるか
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集所出 此袖書は此一首の歌の注か。但しこれ迄の歌共の事か、不2分明1。然しながら先指す所は此一首と見る也
 
1710 吾妹兒之赤裳泥塗而殖之田乎苅將藏倉無之濱
わぎもこが、あかもひづちて、うゑしたを、かりてをさめん、くらなしのはま
 
此歌刈て收めん倉無の濱をいはん爲、序に上は詠出たる也。泥塗の二宇前にも、ひたしひづちと讀みて、泥にぬれたるを云義をもてひづちと讀ませたり。ひぢぬれてと云意也。衣のぬれひぢて、田を植る程の賤女に、赤裳裾引とよめるは、不2似合1樣に不審をなす人有。古實を知らざる故也。上古は皆尊卑の差別無く、女は赤き裳と云ものを着用したる也。裳は腰より下の服也。衣裳と云時は、衣は上表、裳は下内の服也。官女は紅緋の絹織物の裳を着し、下女賤女は布麻の赤色の裳也。今下々の女前垂と俗語に云來れるは、こゝに云裳の事也。昔はおしなべて、今の前垂の如きものを着たる也。赤色を用たるは、毒虫の嫌ふもの故也。紅は蛇の類嫌ふもの故、此色を上古より用來れり。今田舍の女、惣て前垂を赤色に染て着する、是上古の遺(501)風猶存せり。倉無をくらなしと讀ませたり。濱と云地名をよめる歌なれば、波のよせにくら波と讀まんか。藏無の濱は豐前と傳來れり。今もあるか、未v考。
 
1711 百傳八十之島廻乎※[手偏+旁]雖來粟小島者雖見不足可聞
もゝづての、八十のしまわを、こぎくれど、あはのこじまは、見れどあかぬかも
 
此歌もたゞあはの小島の地名をよめる迄の歌也。八十の島廻は、幾嶋も廻り/\て漕來れ共、あはの小島の景色は、見ても見てもあきたらぬと、小嶋を賞美したる迄也。八十といはんとて、百づてと讀かけて、百傳の事は前にいくらも注せり。この二首共地名をよめる歌なるに、標題を擧げざるは脱落したるか。前の歌に准じていはゞ、弓削皇子に奉る歌と云べけれど、歌の意かつてさは聞えねば、端書を落せるならん。日本紀當集第三の歌にも、もゝつたふと讀ませたれど、百傳之とこゝには書たり。然ればつたふとは讀難し。此歌はつてのと讀べし。意つたふの義也
 
右二首或云柿本朝臣人麻呂作
 
登筑波山詠月一首 月の下に歌の字を脱せるならん
 
1712 天原雲無夕爾烏玉乃宵度月乃入卷惜毛
あまのはら、くもなきよひに、ぬばたまの、よわたるつきの、いらまくをしも
 
よく聞えたる歌也。不v及2細注1他
 
幸芳野離宮時歌二首
 
1713 瀧上乃三船山從秋津邊來鳴度者誰喚兒鳥
たきのへの、みふねやまより、あきつべに、きなきわたるは、たれよぶこどり
 
瀧のへ、三船山、秋つべ、何れも地名也。歌の意別義無し。呼子鳥の鳴過ぐるを、幸の供奉にて聞し折よめるならん
 
(502)1714 落多藝知流水之磐觸與杼賣類與杼爾月影所見
おちたぎち、ながるゝ水の、いはにふれ、よどめるよどに、つきかげみゆる
 
吉野の瀧の宮の景色をよめる也。別の意なし
 
右三首作者未詳 一本三首を二首に作る。是とすべし
 
槐本歌一首 えにすもとゝ云氏なるべし。すべて此已下の歌、氏計をあげ、又名計をあげて委敷不v記也
 
1715 樂波之平山風之海吹者釣爲海人之袂變所見
さゞなみの、ひらやまかぜの、うみふけば、つりするあまの、そでかへる見ゆ
 
さゞ波の比良近江の地名をよめる也。ひらの山おろしの海をふきわたれば、つりするあまの袖ひるがへす景色をよめる也。よくきこえたる歌也
 
山上歌一首 山上憶良をいへるか
 
1716 白那彌之濱松之木乃手酬草幾世左右二箇年薄經藍
しらなみの、はまゝつのきの、たむけぐさ、いくよまでにか、としはへぬらむ
 
此歌第一卷に被v擧て、又こゝに被v載。尤第一卷にて少詞違たり。左の注も作者はこゝとは裏表に注せり。何れ共決し難し。歌の意は第一卷に注せられたり
 
右一首或云河島皇子御作歌 右に注せる如く第一卷にては幸于紀伊國時川島皇子御歌。或云山上臣憶良作と端作に有。こゝの袖書端作とは裏腹也。又濱成式には角沙彌紀濱歌云々。かゝれば兎角いづれ共決し難き作者也。第一卷にては、白浪乃濱松之枝乃手向草幾代左右二加年乃經去良武。一云年者經爾計武
 
春日歌一首 これは藏首老が歌か。氏計を記したる也
 
(503)1717 三川之淵瀬物不落左提刺爾衣手湖干兒波無爾
みつかはの、ふちせもおちず、さでさしに、ころもでぬれぬ、ほすこはなしに
 
三河 參州の地名と云來れり。不v考。みつかはと讀までは地名になり難し。みかはと計りは讀難し
ふちせもおちず 淵も瀬も殘さずと云義也。一夜もおちずなどの義と同じ
左提 小網也。和名抄云、〔文選注云、※[糸+麗]【所買反師説左天】網如2箕形1、狹v後廣v前名也〕
湖 ぬれぬと讀べき義なし。沾の字の誤りたる也。此歌もみつ河と云地をよめる迄の歌也
 
高市歌一首 これは高市黒丸か
 
1718 足利思代※[手偏+旁]行舟薄高島之足速之水門爾極爾濫鴨
 
此歌の初五文字いかに共定め難し。印本諸抄の説はあしりをばと讀ませたり。一本代を伐に作れる有。假名にをばと讀來れるは、伐の字正本か。然れ共思の字、をと讀まんこと、無下に假名違也。思ふの假名は手爾波のをには用難し。又足利の二字をあしりと讀む義證明未v考。あとしともあとゝも讀べければ、これもいづれと定め難し。此卷の奧に今一首足利と書る歌あれど、これも共にあとしか、あしりか、あとか、決し難し。尚其所にて注すべし。宗師案、あとかは波などよめる地名のあとにて有べし。下の句にも足速と有。なれば思伐は四極と云地名近江にあらば、あと、しはつの二ケ所を云たる五文字ならんと也。第三、高市黒人羈旅歌八首の内に、近江の地名の列によめる、四極山打越見ば笠縫の島漕かくる棚なし小船。然れ共此四極豐前豐後近江論ある事也。八雲には豐前と有。顯昭は笠縫、豐前と注せり。此集の歌の次、尾張近江の歌を列ねたれば、此一首豐後尾張なるべき樣なし。近江なるべし。愚案は、あとしはつ漕行と云て、又あとの湊にはてんとよめる意心得難し。はてにのはてに極の字を書たるは、思伐はしはつと云地名をよめると云意を、下の極の字にて知らせたるか。しはつとは極月と書來れば也。豐後と近江にしはつ山と云地名ありと云來れり。然れど其所を不v知ば決し難けれど、通例云傳たれば、この思伐もしはつにてあらんかと覺ゆる也。若しは數の字の意ならんか。屡漕行と云義にて、思伐と書たるか。尚地名を考へて(504)後決すべし。あしり、あとし、あと何れも慥成地名に隨ふべし
 
春日藏歌一首
 
1719 照月遠雲莫隱島陰爾吾舟將極留不知毛
てるつきを、くもなかくしそ、しまかげに、わがふねはてん、とまりしらずも
 
いづこに船はてんも知れねば、とまる迄照月の曇るなと願ふたる也。島かげにとまれば、月曇りては海路暗くて漕迷ふらんやと、照月を惜みて、舟路の暗からんを厭ふて也
 
一首或本云小辨作也或記姓氏無記名字或稱名號不稱姓氏然依古記便以次載凡如此類下皆效
 
焉 聞えたる注也。後人の加筆也。作者の名字難v考也
 
元仁歌三首 作者考へ難し。元仁は名と聞ゆる也
 
1720 馬屯而打集越來今日見鶴芳野之川乎何時將顧
うまなべて、うちむれこえき、けふみつる、よしのゝかはを、いつかへりみむ
 
馬屯 こまなべて共讀べし。馬をならべて也。蒐むると云字なれば、義を通じてなべてと讀ませたると見えたり。み幸の供奉などの時の歌ならん
 
1721 辛苦晩去日鴨吉野川清河原乎雖見不飽君
辛苦、くれゆく日かも、よしの川、きよきかはらを、みれどあかなくに
 
辛苦 第三卷にても此五文字を注せり。辛苦の二字を書たれば、苦しくもと讀まん事少心得難し。一字にてよむ字也。然れ共くもと添へたる詞有故かく讀めり。苦しと計りなれば二字は書まじき也。前にも歌に依て悲しと讀める處有。第三卷に注せる如くあまなくもと讀まんか。辛くにがきと書たれば甘からぬ也。あは嘆の詞間なく也。日の間無きを惜むの歌なれば也(505)歌の意聞えたる通也
 
1722 吉野川河浪高見多寸能浦乎不視歟成甞戀布眞國
よしのがは、かはなみたかみ、たきのうらを、みずかなりなん、こひしきまくに
 
瀧の浦 瀧のうしろの義なるべし。海邊ならで浦とは心得難し。然れ共芳野の川のおきと讀める歌もあれは、かはづらなどを浦とも云たるか。八雲には名所に載せさせ給へり。此歌の外にたきの浦と云地名見えざれば、地名とせん事も管見には決し難し。八雲の御抄に任せて先づは名所とせんか
戀布眞國 この眞國の字、見まく聞まくのまくか。又は吉野を賞して、よき國と云意にまくにと讀めるか決し難し。欲の字の意ならば、布の字しかと讀べし。然れ共こひしかまくにと云語例珍しければ、たゞ戀しき國と云意ならんか。まは助語に用たるならん。河浪高くて心ざせし名所の風景も見ずや果さん。さあらば戀しからまくにと云意也。又ほめたる眞國なれば、たゞ見ずなりなば愈戀しき國也と云意也
 
絹歌一首
 
1723 河蝦鳴六田乃河之川楊乃根毛居侶雖見不飽君鴨
かはづなく、むつだのかはの、かはやなぎの、ねもごろみれど、あかぬきみかも
 
歌の意、たゞ飽かぬ君かもとよめる義を、かく段々と詞の續きよく詠出たり。六田も吉野の内に有。今はひとひ田と云と也
川場和名抄云、本草曰、水楊【和名加波夜奈木】川邊に生る柳也。芽發出の初め赤く生る也。柳は青く芽を出す也。楊柳少の違あり
 
島足歌一首
 
1724 欲見來之久毛知久吉野川音清左見二友敷
見まくほり、こしくもしるく、よしのがは、おとのさやけさ、見るにともしく
 
(506)見まくほりは見まほしく也、いか計見まほしくて來りしも理りかな。清水の流れ行音もいさぎよく、面白き景色の珍しく頼母敷佳景とほめたる也。此友しくは珍しきの意、たのもしきと云意を兼たる乏しく也
 
麻呂歌一首
 
1725 古之賢人之遊兼吉野川原雖見不飽鴨
いにしへの【さかしき・かしこき】人の、あそびけん、よしのゝかはら、みれどあかぬかも
 
吉野は上代より明君賢臣の住みもし給ひ、遊びもし給ふ萬國に勝て佳景勝地と云傳へたる如く、既に此時分の歌にもかく詠置たり。歌の意は能聞えたり
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
丹比眞人歌一首 屋主か、又は乙麻呂か
 
1726 難波方鹽干爾出而玉藻苅海未通女等汝名告左禰
なにはがた、しほひに出て、たまもかる、あまのをとめら、ながなのりさね
 
玉藻を刈るあま共の名を名のれと也。さねと云ことは前にも毎度注せり。名のれよと云意也
 
和歌一首 海未通女の和へたる歌也
 
1727 朝入爲流人跡乎見座草枕客去人爾妻者不敷
あさりする、ひとゝを見ませ、くさまくら、たびゆくひとに、つまとはならじ
 
ひとゝをのをは助語也。たゞ人と見ませ也
不敷 これは效の字の誤り、ならふと云字にて、ならしと讀みて、不v成の意ならん。海女郎の名をのれと親み戯れて詠かけたる故、あさりする卑しきあまとのみ見てましませ、旅行く人に名をのりても、妻とはえなるまじきと、すげなく和へたる也。敷(507)の字數の字の誤か。それにてもならふと讀む故、ならじと讀ませたる字ならん。しかじと云意は、不及と云義と釋せる説あれど、六ケ敷也。兩字の内の誤と見ゆる也
 
石河卿歌一首
 
1728 名草目而今夜者寐南從明日波戀鴨行武從此間別者
なぐさめて、こよひはねなん、あすよりは、こひかもゆかん、こゝにわかれなば
 
何の意も無き聞えたる通の歌也。旅行抔にて遊女などによみて遣したる歌ならんか
 
宇合卿歌三首 世に大方のきあひと假名をつける也。馬養の事なるに假名書を不v知故也
 
1729 曉之夢所見乍梶嶋乃石越浪乃敷弖志所念
あかつきの、ゆめに見えつゝ、かぢしまの、いそこすなみの、しきてしおもはる
 
歌の意は思ふ人の夢にも見え、うつゝにも忘れず慕はるゝと云義を、梶島の地名によせてよめる歌也。思ふ人の敷てし所念と讀まんとて、かぢ嶋の磯こす波のと序に云かけたり。古詠の格皆これ也。上に心有にあらず
敷弖志 此詞印本の假名付の如くにてはいかゞ。上に夢に見えつゝと讀たれば、下にうつゝの事を掛合てよめるにはあらんか。波のしきてと云續き心得難し。たつとか、うつとか、よるとか、ならでは續かぬ事也。古詠は此格を違ふ事無き也。尤しき波とよむ故、しきとも續けたるか。集中此しきしくと詠める歌數しらず。悉くうつと讀まんか。敷の字はうつと読む事令義解神祇令の注に見えたり。然れば現の字の意に用たる處もあるべし。此歌も上に夢にと讀たれば、浪のうつとうけて、うつゝ現在の處の義にかねて云たるか。しきてし思はると云、しきてしの詞不v濟也。尤もしきは隙間無きと云詞なれば、隙間無く思ひ忍ぶ意と見るべけれ共、浪のと詠かけたれば、うつとうけたりと見ゆる也
追考、集中に志久志久所思ご書ける假名書あれば、敷の字しきてと讀まんか。しきては隙間無きの意ならん
てしのては初語に用ること多し。うつし忍ばると云意也。しきてしを強て釋せば、隙間もなく不v被v忘思ふと云意と見る時(508)は、しきて忍ばると讀まん方然るべしや。梶嶋丹後と云來れり。旅泊にて人を戀慕ふ歌なるべし。宇合卿行役に勞せられたる事、詩歌に表れたれど、丹後の國へ赴かれたる事は不v見。節度使などにて西國へは行かれたれば、西國の内に有地名か。八雲にも梶嶋丹後と有。考へさせ給ふ處ありてか
 
1730 山品之石田乃小野之母蘇原見乍哉公之山道越良武
やましなの、いはたのをのゝ、はゝそはら、見つゝやきみが、やまぢこゆらん
 
山品、のちの抄物集物等には山しろと記せり。當集を篤と考へざる故ならん。次の歌に山科と迄書たれば、まかふべくも無し。尤山城の地名也
石田 今はいし田とのみ云て、いはたとは不v稱。當集延喜式等にもいはたと假名をつけたり。今も石田の杜に社ありて田中の社 云。田中の杜故俗語に社號と云來れるか。延喜式神名帳去、宇治郡山科神社二座。和名抄云、宇治郡山科【也末之奈】小野【乎乃】石田。延喜式神名帳云、久世郡石田神社。かくの如くなるに、石田と山科とは南北の行程一里餘隔れり。山科は惣名にして石田は小名なるか。久世郡と宇治郡と別ちて延喜式にも載せられたるに、此集にかく山しなの石田と二首共によめり。十三卷にも山科の石田とよめり。これらは、惣名とその内の地名の小名との差別ならん。喩へば大和のふなばりを、日本紀にては菟田郡に被v記、延喜式には城上郡に載せられたる類にもや
母蘇原 今俗にはふその木と云。くの木の種類也。和名抄云、柞、四聲字苑云、音祚一音昨、和名、由之、漢語抄云、波々曾〔木名、堪v作v梳也〕此はゝそ原は地名にはあらず。林のある原と云義也。旅行にてはゝと云名を慕ひて、柞原を眺め過行らんと思ひやりてよめる歌と聞ゆる也。宇合の自身の旅行をよめるにはあらず。外人の旅行を思ひやれる歌也
 
1731 山科乃石田社爾布靡越者蓋吾妹爾直相鴨
やましなの、いはたのもりに、布靡越者、けだしわぎもに、たゞにあはんかも
 
此歌にも山科とよめり。石田社、前に注せり。今に社あり。社號を田中社と稱す。此社當集に兎角戀を願ふ事によめる事、(509)いかゞしたる意にてか知れ難し。何とぞ上古由來ありけるか。祭る所の神により處ありてか。此義未v考
布靡越者 これをふみこえばと讀ませたり。杜にふみこえばと云つゞきいかに共心得難し。又假名書にするにも、如v此の文字は遣ひつけざる事也。これは若し義訓に讀ませたるか。宗師案は布なびくと書たれば、布は木綿の類ひ、布靡くと云義にて、ゆふと讀まんか。木に麻布をつけて神に奉るは、布の靡くなれば二字の義をとりてゆふこさばと讀まんか。夕越の意也。ゆふ越くればなど古語有。然れば夕越と云をよせて、木綿をさゝげばと云義にこさばとよめる也。ふみこえばと云詞心得難し。此外に義訓あらば後案を待のみ
蓋 これもけだしと云は疑の詞、石田社に木綿を捧げたむけしたらば、若し妹にあふべきかと云意也。然れ共けだしと云字ふたと讀む字なれば、たゞ妹にかけて云詞にて、あかぬわきもと讀まんか。蓋と云字おほふと云心にて、不v明と云意に通じて不v飽と云訓に借用たる歌もあるべき事也。けだし/\と皆讀來れり。尤假名書にもあれど、此詞篤とは打つかぬ歌有
直相鴨 たゞには直ちにの意、障りとゞこほり無くあはんかもと也。此歌も石田社には戀を祈る意をよめり。此譯何と云由來ならんか。未v考
 
碁師歌二皆
 
1732 母山霞棚引左夜深而吾舟將泊等萬里不知母
おもやまに、かすみたなびき、さよふけて、あがふねはてん、とまりしらずも
 
此歌は、第七卷に、大葉山霞蒙狹夜深而吾船將泊停不知文。此歌全同歌と見えたり。大葉|母《オモ》も同音也。然るに此おも山を八雲には美濃と有。美濃は海無き國なれば、此歌にては合難し。或抄に美濃國の喪山を忌みて、後に二字嘉名を被v付たる時に、おも山と被v改、母の一字にて讀ませたるかと釋せる説有。然れ共第七卷の歌もこゝも、歌の次で皆山城近江の地名なれば、近江の國の内に有山ならんか。船はてんとよめる義、美濃にてはいかに共叶ひ難し。たゞ近江美濃と續きたる國なれば、湖水を渡る潮路に、此母山を目あてにして渡海する所あらんか。又信濃の諏訪の湖にも近き國なれば、ケ樣の所あらんか。既にきそ山(510)も、上古は美濃の内に入られたり。喪山の事にもあらんやと思ふは、第七卷の大葉山と書たるも、喪山の縁無きにあらず。神代紀下云〔時味耜高彦根神則拔2其帶劔〕大葉苅1〔以斫2仆喪山1。此即落而爲v山。今在2美濃國藍見川之上1〕喪山是也。とある此大葉の字縁所無きにあらねば不審ある也。又母の字おもと讀むことは、神武紀云。初孔舍衙之戰有v人〔隱2於大樹1而得v免v難。仍指2其樹1曰〕恩如v母〔時人因號2其地1曰2母木邑1。今云2飫悶廼奇1訛也〕古くおも共讀來れり。或抄に日吉明神の神詠とて、波母山やをみねの杉のみ山居は嵐も寒しとふ人も無しと云歌有。然れば又近江の内の山か。波母山ははゝ山か。尚後考を待つべき也。此歌の意は第七卷に注せし如く、海上にては夜方角知れ難ければ、皆高山を見あてに漕寄る也。其意にて見あての山霞に隱れて見えざれば、夜中にいづ方にとまりを定めんも知れ難き由をよめる也
 
1733 思乍雖來來不勝而水尾崎眞長乃浦乎又顧津
おもひつゝ、くれどきかねて、みほがさき、まなかのうらを、またかへりみつ
 
眞長の浦は故郷の方なるべし。それ故慕ひつゝ過行と、行かねてまなかの浦をかへり見ると也。まながは目長く見ると云意によせて、顧るとよめるならん。近江の地名と云來れり。次の歌も近江の地名を詠たればさも有べし
 
小辨歌一首
 
1734 高嶋之足利湖乎※[手偏+旁]過而鹽津菅浦今者將※[手偏+旁]
たかしまの、足利湖を、こぎ過て、しほつすがはら、今はこぐらん
 
此足利湖も前に注せる如く決し難し。いかにとなれば印本諸抄等には、あとのみなとゝ讀ませたり。前の足利にはあしりと假名をつけたり。又湖の字も一本浦に書る本有。又湖の字うみとも湊とも讀ませたれば、あしりの海と讀ても言葉合、あとの湊と讀みても七言になる、浦の字にては一言足らず。あしりの浦をと讀まねばならず。かれこれ決し難ければ、疑はしきは闕  然れ共高嶋のあと川波と云歌あれば、あとゝ讀まん方是を證とせんか。鹽津菅浦皆近江の地名也。歌の意は聞えたる通也
 
(511)伊保麻呂歌一首
 
1735  吾疊三重乃河原之礒裏爾如是鴨跡鳴河蝦可物
わがたゝみ、みへのかはらの、いそのうらに、かばかりかもと、なくかはづかも
 
吾畳 上古は唐も本朝も人の尊卑に從ひて、敷物に差別ありし也。至尊は八重畳、其次は五重、諸侯は三重と云制ありしこと、唐の書にも見えたり。神代紀にも、海神皇孫火火出見尊を尊敬して、鋪2設八重席薦1〔以延内之〕と有。然れば此わが畳と云は三重の河原と續けん爲迄に、三畳を敷位の人故、わが敷畳三重と云迄の義也。三重の河原は八雲には石見と有。伊勢に三重郡と云あれば、其所の河原ならんか。石見の國の三重河原外に所見なし
礒裏 これも地名か。たゞし礒のうちと云義ならんか。河にも磯は有。浦と云事心得難し
如是かもと、此詞いかにと云義共釋し難し。何をかくばかりと云事にや。蝦はかはらがりがりと鳴聲なれば、其聲のことを云たるものか。又三重の河原の景色かくばかりかもと云意か。作者の意察し難し。此集の歌にはかはづの聲を賞してよめる歌のみを擧たり。吉野河、歌に多く聲のさやかなることに詠めれば、述懷の意を含みていへるにはあらざるべし
 
式部大倭芳野作歌一首 此式部大倭の字いかに讀まんか。心得難く傳も難v考。式部は官にて大倭は名なるか。式部と計りあれば、何の官とも知り難し。たゞ大輔の誤りたるか。次にも兵部と計りあれば、こゝも同類か。式部の何と云官を略して、大倭と云名計をあげたるか
 
1736 山高見白木綿花爾落多藝津夏身之河門雖見不飽香聞
やまたかみ、しらゆふはなに、おちたぎつ、なつみのかはと、見れどあかぬかも
 
白木綿花爾 花の樣にと云意也。夏みの河山より流落て、水の白波花の樣に見ゆる景色の面白きを見ても/\飽かぬと世
 
兵部川原歌一首 一本に原の字無き本有。此端作も官名共名とも難v決
 
(512)1737 大瀧乎過而夏箕爾傍爲而淨河瀬見河明沙
おほたきを、すぎてなつみに、傍爲而、きよきかはせを、みるがさやけさ
 
大瀧、夏箕 吉野なるべし
傍爲而 印本諸抄共そひてゐてと讀めり。心得難し。傍の字は※[手偏+旁]の字なるべし。宗師案は義訓に讀べしと也。船さしてとか船出してとか讀むべしと也
歌の意は聞えたる通、夏箕河の清く河音のさやかなるを賞したる歌也
 
詠上總末珠名娘子一首并短歌 上總の末たま名のいらつこをよめる歌。これは上古上總の國に末たま名のいらつこといふ美女ありしことをよめる也。上總の事追而吋v記
 
1738 水長鳥安房爾繼有梓弓末之珠名者胸別之廣吾妹腰細之須輕娘子之其姿之端正爾如花咲而立者玉桙乃道行人者己行道者不去而不召爾門至奴指並隣之君者預己妻離而不乞爾鎰左倍奉人乃皆如是迷有者容艶緑而曾妹者多波禮弖有家留
しながどり、あはにつぎたる、あづさゆみ、すゑのたまなは、むなわけの、ひろけきわぎも、こしぼその、すがるをとめが、そのかほの、きら/\しさに、花のごと、ゑみてたてれば、たまぼこの、みちゆきびとは、おのがゆく、みちはゆかずて、よばなくに、かどにいたりぬ、さしならぶ、となりのきみは、かねてより、わがつまかれて、こはなくに、かぎさへまたし、ひとのみな、かくまどへるは、かほよきに、よりてぞいも者、たはれてありける
 
水長鳥 前に注せる如く何鳥と云事を決し難し。古來より/\説あれど、確かに當れる證極らず。水の字しと讀ます事は、しは、すいの約し也。よつて音を借りて讀めり。これもみなが鳥にてもあらんか。この下に續く詞につきても色々と説有。又(513)鹿のことなどと云、無下に心得難く無理なる説有。鳥とあるものを鹿と云は、差當りたる無理の説也。しなが鳥、ゐと續く前にも注しぬ。こゝにはあとうけたり。然れば此水長鳥と云は、前にも注せる如く、群類をなす鳥をさしたる義なるべし。みさごと云説有。詩經を引て雌雄不v離將をなす鳥と云義をとりて、ゐとうけたりとの義有。安房と續く縁もみさごの事より、日本紀のかくかの鳥の事を引ていへる説有。心得難し。宗師の説は兎角群をなす水鳥にて、此歌にあとうけたるは、あの一語にうけたる語にて、あとりの事を云たるかと也。あぎだ、あぢ村、皆群類をなして一鳥飛居ぬ鳥の名なるべし。いづれ共定め難けれど、あぎさ、あ鳥の類にて、あと續けたるは群をなす鳥と云義にて、率將の字の意、あ鳥あぎさの内にても皆群集する鳥と云ことにて、ゐともうけ、又本名にもうけてあとはうけたるか。日本紀のかくかの鳥、あはの水門の説は、入ほかにして六ケ敷説也。こゝの續けたる次第は、あとうけん爲にしなが鳥と詠出、そのあは安房と云義をよまんとて也。さて安房に繼有とは、上總は安房に續きたる國なれば、上總といはず、つぎたると云て、上總の國を表したる也。尤あづさと云もかづさと云も同じ音なれば、すぐに梓弓とはうけたり。然ればあづさはかづさとうけたる詞とも見るべし。何とて梓弓とはうけたるぞなればこれはたゞ末といはん爲計也。然るを上古安房上總梓弓の名物故、貢獻せしをもて梓弓とよめるとの説あれど入ほか也。たゞ末といはん爲迄の梓弓と見るべし。古詠の格は今の時代とは甚相違あれば、たゞ輕き續きを淺くうけたる也。此味を知らずば當集の意は不v濟也。深く巧みなる義はかつて無き也。その輕き處に、えも云はれぬ意味の自づから備りたる事也。女の名の末とうけん計の梓弓也。しかしかづさと云音自然と備りたる故、輕きうけにして其意を含みて詠出たる也
胸別之 郎女の容貌の事を云たるもの、胸の開きたる形容は、品能きものなれば、形のよき事をいはんとて、先づむなわけのと詠たり
腰細之須輕 これはすがると云蜂のこと也。此蜂の形身のなり、至つて腰の細きこと、糸筋程かゝりたる蜂也。郎女の腰の細と云はんとて、喩へて腰細のすがる乙女と也。雄略紀云、爰命2〓〓1【人名也、此云2須我屡1】聚2國内蚕1和名抄云、〓〔〓【悦翁二音、和名佐曾里】〕似v蜂而細腰者也、一名〓〓〔【果裸二音】〕和名にてはさそりと有。然れ共日本紀にすがると義訓有。和名と引合せ蜂のことゝ知るべし。古今集の離別の歌に、すがる鳴秋の萩原の歌につき、古來をかしき譯をなして、鹿の事と云へるも餘りなる事也。大江匡房も何と(514)心得給ふか。鹿と心得てや、堀川院に奉られたる百首に
   すがるふす野中の草や深からんゆきかふ人のかさの見えぬは
ケ樣に心得違へられたり。此すがる鳴と云歌にも論有こと也。花には蜂蝶香を追て集まるもの故、秋萩の花ざかり、すがるむれ立鳴集まる秋の萩原と詠めると、釋したる説あれど、此通にても古今の歌濟難し。別に當流の秘有事也。古今にて傳ふればこゝには不v注也。此集十卷の歌にも、春之在者酢輕成野之時鳥ほと/\妹にあはず來にけりと有て、此なす野と詠めるも、古今の歌も同じ意と云事を知る人は知るべし。楊子が説、毛詩爾推捜神記和名抄等不2一決1ども、さそり、すがるは略同物、中にもすがるは別而細腰なるもの故かくよめり。女の姿のたをやかに品能ことをいへる也。唐の書にも美女の事細腰とのみも書ける事あまた也。當集第十六卷の歌にも、竹取翁が歌の詞に、わたつみの殿のみかさに飛かける、爲輕如來腰細丹取餝氷〔眞十鏡取雙懸而云々〕ともよめり。みな容體のよき事に喩へいへり
端正爾 これをうつくしけさに讀ませたれど、此二字は日本紀にてきら/\しと讀ませたり。よりてきら/\しさにと讀也。遊仙窟〔云、眉間月出疑v爭v夜、頬上華開似v闘v春〕
鎰佐倍奉 かぎさへまたしとは、これ迄守なれたる家財をも擲ちて、庫匣の鍵迄も郎女に與へてと云義也
如是迷有者 かくまどへるは、上にいへる如くなれそひたる妻をも去り、家財をも擲ちて、郎女に皆人のまどひたるは、郎女の容顔美麗形容端正なる故によりてと也
妹者多波禮弖 此句すこし紛らはし。常人のまどへるによりて、妹も自づからたはれて、彼方此方の人になれたはれたりと云義也。たはれと云は、濫りに遊び戯れることを云也。上の句續き、妹にたはむれたりけりと讀べき樣也。印本の通にて、よりてぞと云句を上へかへし見ねば聞え難し。この妹者の者もにと讀むべきや
 
反歌
 
1739 金門爾之人乃來立者夜中母身者田菜不知出曾相來
かなとにし、ひとのきたてば、よなかにも、みもたなしらず、でてぞあひける
 
(515)金門 門戸はかねをもて固め閉すもの故、かなどとは云へり。今も金にて包み固める通也。かどはかなどの略など云説は非也。かどせとゝ云語は別の事也。金どのとは門又戸の兩義をかねて云へる也。此歌抔に金門とよめるには少意有。かねにて包み※[金+巣]くろゝ抔云もてのをしてさし固めたる門戸を、隙を窺ひ入いらんと、志して來りたてばと云意に、嚴しき處をも厭はでと云意を含めて、かなどにしとは詠たるならん
身者 身もと讀べし。者はものと讀故也。第一卷にもこの詞あり。それに同也。たなは初語也。たゞ不知と云義也。身のいかになりなんも知らず出てあふと也
 
詠水江浦嶋子一首并短歌 これは雄略紀に有。水江浦島子の事也。雄略紀云〔二十二年秋七月、丹波國餘社郡管川人水江浦島子乘v舟而釣、遂得2大龜1、便化2爲女1、於v是浦島子感以爲v婦、相逐入v海到2蓬莱山1、歴2覩仙衆1、語在2別卷1〕雄略紀にも如v此語は別卷にある由を記されて、その別記不v傳ば、此歌をもて證とすべきか。元亨釋書第十八、如意尼傳之説は心得難し。釋日本紀云、〔浦島子傳云、妾在世結夫婦之儀、而我成天仙生蓬莱宮中、子作地仙遊澄江波上、乃至得玉匣了、約成分手辭去、鳥子乘v舟眠目歸去、忽至故郷澄江浦〕さて此浦島子の事、水江の浦の嶋子と云ものにて、島子と云が名也と見る説、宗師も浦は水江につきたる浦と也。愚案、日本紀の文又仙覺抄に引たる丹後風土記の歌の詞とを考ふるに、浦島子と云名とも聞ゆる也。日本紀の文、於是浦島子感以云々と有。嶋子と云名ならば、こゝに島子とあるべきに、於是浦島子と有。又仙覺が引ける詞にも浦島子傳云中略〔島子乘v舟眠v目歸去云々〕と有。これも浦の字無くて濟べきに如v此有。同じく引たる丹後風土記の歌、水の江の宇良志麻能古我多麻久志義。如v此有。これは江につきたる浦ならば、宇良能島子と有べき事也。これらを引合て見れば、浦島子と云が名と聞ゆる也
水江 日本紀には丹波國とあれど、後に割わけられて丹後の國へ入られたり。續日本紀元明天皇六年四月〔乙未割2丹波國五郡1始置2丹後國1云々〕
 
1740 春日之霞時爾墨吉之岸爾出居而釣船之得乎良布見者古之事曾所念水江之浦嶋兒之竪魚釣鯛釣矜(516)及七日家爾毛不來而海界乎過而※[手偏+旁]行爾海若神之女爾邂爾伊許藝※[走+多]相誂良比言成之賀婆加吉結常代爾至海若神之宮乃内隔之細有殿爾携二人入居而老目不爲死不爲而永世爾有家留物乎世間之愚人之吾妹兒爾告而語久須臾者家歸而父母爾事毛告良比如明日吾者來南登言家禮婆妹之答久常世邊爾復變來而如今將相跡奈良婆此篋開勿勤常曾己良久爾堅目師事乎墨吉爾還來而家見跡宅毛見金手里見跡里毛見金手恠常所許爾念久從家出而三歳之間爾墻毛無家毛滅目八跡此筥乎開而見手齒如來本家者將有登玉篋小披爾白雲之自箱出而常世邊棚引去者立走※[口+斗]袖振反側足受利四管頓情清失奴若有之皮毛皺奴黒有之髪毛白班奴由奈由奈波氣左倍絶而後遂壽死祁流水江之浦島子之家地見
はるのひの、かすめるときに、すみのえの、きしにいでゐて、つりぶねの、とをらふみれば、いにしへの、ことぞおもはる、みづのえの、うらしまのこが、かつをつり、たひつりほこり、なぬかまで、いへにもこずて、うなばらを、すぎてこぎゆくに、わたつみの、かみのをとめに、たまさかに、いこぎわしらひ、かたらひ、ことなりしかば、かきちぎりて、とこよにいたり、わたつたの、かみなるみやの、なかのへの、たへなるとのに、たづさはり、ふたりいりゐて、おいもせず、しにもせずして、ながきよに、ありけるものを、よのなかの、しれたるひとの、わぎもこに、つげてかたらく、しばらくは、いへにかへりて、ちゝはゝに、こともつげらひ、あすのごと、われはきなむと、いひければ、いもがいへらく、とこよべに、またかへりきて、いまのごと、あはむとならば、このはこを、ひらくなゆめと、そこらくに、かためしことを、すみのえに、かへりきたりて、いへみれど、いへもみかね(517)て、さとみれど、さともみかねて、あやしと、そこにおもはく、いへいでて、みとせのほどに、かきもなく、いへもうせめやと、このはこを、ひらきてみては、もとのごと、いへはあらむと、たまくしげ、すこしひらくに、しらくもの、はこよりいでて、とこよべに、たなびきぬれば、たちはしり、さけびそでふり、こひまろび、あしずりしつゝ、たちまちに、こゝろきえうせぬ、わかゝりし、かはもしばみぬ、くろかりし、かみもしらけぬ、よな/\は、いきさへたえて、のちつゐに、いのちしにける、みづのえの、うらしまの子が、いへどころみむ
 
出居而 此歌の作者住の江に出て也。この差別を篤と不v辨から、住の江水江の論有こと也。春の日の長閑に霞む海づらの景色を見て、折しも釣船の浮たゞよふて、海上を漕まふを見て、嶋子が昔蓬莱へ行たりと云傳たる事を、思ひ出して詠める歌也。嶋子が此住吉の浦にて釣せしにはあらず。それは丹後の國よさの郡の海にての事也。此住江は當然の今釣船の海上に居るを見て、古の事を思ひ出してと云事也
得乎良布見者 この詞心得難し。諸抄の説は通を見ればと釋せり。假名違たり。通はとほる也。をとは不v通地、。これはたゞ居を見ればと云義なるべし。得は初語也。流をのべて良布とは云也
矜 ほこりと讀む義、かねてと讀む義有。かねてと云意は憐む方也。憐矜と續きたる字故、魚をえ釣らぬを燐む意にて、かねてとは讀まんか。然れ共こゝは鰹つり鯛釣りとあれば、釣に長じてほこり荒びたる義也。すさびとも讀べしと也。後々の歌にもほこると讀める歌も有。源氏物語の詞に、明石の卷にも、あま共のほこると云詞を使へり。この歌より云ならひたるか。惠慶法師歌に
   わかめかるよさのあま人ほこるらし浦風ゆるく霞わたれり
釣のおも白さに、七日迄家にも歸らず忘れて居たるとの義也
海界乎 海ぎはをと讀ませたれど、海原と讀みてもよからんか。こゝの意は海上遠く海のはて迄漕行たる意也
(518)伊許藝 伊は初語漕はしりあひ也。漕つれての意とも見るべし。或抄に親の許さぬ婚姻をわしると云。禮記、奔謁之妾。父母知らずして私にあふを云との説有。信用し難し。漕つれての意とも見るべし。かたらひは舟を漕つれわしり相て、相互ひに親しくかたりあふて也
言成之賀婆 夫婦のこと調しかば也。日本紀に、こゝに浦嶋子感以爲v婦とある文と同じ
加吉結 かきは初語、かき曇り、かきくらしなど云かき也。たゞちぎりて也。印本等には結びと讀ませたれど心得難し。夫婦の契りをなして、又わたつみに至らんと契りて也
神之宮乃 かみの宮と讀みては一言不v足。よりて宮なるとか、かみやゐとか讀むべし
わたつみの神宮 神代下卷云、〔忽至2海神之宮1、其宮也雉※[土+蝶の旁]整頓、臺宇玲瓏、海神於是鋪2設八重席薦1、以延円之、因娶2海神女豐玉姫1、仍留2住海宮1、已經2三年1、彼處雖2復安樂1、猶有2憶v郷之情1、故時復大息、豐玉姫聞v之謂2其父1曰、天孫悽然數歎、蓋懷土之憂乎、海神乃延2彦火火出見尊1、從容語曰、天孫若欲v還v郷者、吾當v奉v送云々
内隔之 一重二重の隔てのこと也。今一間二間と云に同じ。延喜式曰、凡中重庭者須v令d諸司〔毎v晦掃除u〕
細有殿 たぐひまれなる殿に也。携二人入居而、相離れずなれそひてと云意也
愚人 おろかなるひとゝ云古語也。愚痴なる人と云が如し。世に隱れ無き愚かなる人と云義也。歌の作者の嶋子をさしていへる義也。物語ものなどに、しれ人などと書けるも、愚か人と云事に用たる詞也
如明日 今日行きてあすは歸る如く容易くいへる也
如今 けふのごとゝ讀ませたり。上の明日のごとゝ云に對したる詞なれど、今のごとゝ讀べき也
そこらく そこばくと云意也。いか程も/\固めし義をいへり
墨吉爾 この義不審也。日本紀には既に、丹後國餘社郡管川人水江浦島子と有。丹波より攝津住吉迄來りて釣すべきや。丹後の國の海にて釣せるならん。然ればこゝは水江の書誤りなるべし。此歌の主住吉にて釣船をみて、昔のことを思ひ付て詠  水江墨江の説まち/\色々也。風土記の歌に假名書に、美頭能眷能〔宇良志麻能古我〕とあれば、水江と日(519)本紀にも被v記て紛ふべく無き事也。此歌の墨江に替れるは誤字なるべし。宗師一説には、嶋子心迷たる人にて、魑魅魍魎の類にかどはかされて、精神暗昧して攝津國の住吉を我故郷と思ひて、家所をも尋ねさまよひしをかく云傳ふるか。天長の頃三百四十四才をへて、嶋子常世より歸郷せしと云説有。論ずるにも不v足事也。此集は嵯峨天皇より前なる事明けし。然るにかくの如く歌を當集に載られたれば、淳和帝の頃歸郷と云事大なる虚説也。尤如v此の事は、嶋子仙境より歸りて右の次第を語り殘さずば、世にも傳はるべき樣なし。それとも日本紀の文に便りて、上古の人好事の餘りに、かくの如きの有樣に作り置きしか。先で日本紀と此歌とを證とすべき事なれば、ありしことゝはすべけれど、學者の迷ふべきことには有べからず。此の歌も歌に作れる故、詞の花も有べき事を心得わかつべき事也
見金手 尋えぬ也。恠常、あやしきことに思ひて也。立走※[口+斗]袖振反側足受利四管 皆驚き歎くの義也
情清失 こゝろ消えうせは、仙術の通力の消えうせ也。歎き悲みて、たましひも無くなりし如きと也
由奈由奈波 よる/\と同じく、よな/\と云義也。次第々々にと云が如し
家地見 いへどころ見んとよめる、此見んと云義、何と云意にてよめるか。聞え難し。丹後國の家所を見んとの義か。但し嶋子住吉に來りて住める處有けるか。これらの詞から紛らは敷なりて、水江住のえの論説出で來る也。水は澄む物故、すみのえと讀ませるなど云説有。心得難し
 
反歌
 
1741 常世邊可住物乎劔刀己之心柄於曾也是君
とこよべに、すむべきものを、つるぎたち、なが心から、おぞやこの君
 
劔刀 ながとうけて名と云詞にうけたる義也。劔太刀、名の惜しけくもとよめる歌有。劔刀にはきはめてその銘を彫りつけて、名を遺すものなれば、名とは請けたる義他。或説劔たちには中心と云て、今も俗言に、なかごと云。其義にうけたるとの事也。此歌にてはさも聞ゆれど、たゞ名と計りうけたる歌あれば、此説も決し難し。中心とうけるから、なと云一語にもうけた(520)る歌も有べし共云はんか。然らば兎角名と云言葉にうけたる義と知るべし
於曾也 これは遲と云の義といへる有。心鈍と云義にて、筥をあけずば矢張常世に住べきものを、心鈍き故、如v此なりたると云義と釋せり。此義も信用し難し。宗師説は、おそろしやと卑めたることゝいへり。然れ共歌の全體聞得難し。上になが心からと詠みて、又おぞやとは恐しき事と見てはかけ不v合樣也。愚案は、物乎と云乎の字は、かと讀ませたるか。然らば常世べに住まるべきものか、恐しくも暫く住來りたるは、なが心からの義、おぞき事やと云意ならんか。筥を不v開ば常世人にすむべきを、おぞやとは續き難き也。又おぞきと云は、鈍きと云義との説も、筥をあけたる事の、愚かなると云義を、云まはさねば解難き釋也。又案、東國俗言に虚言僞を云ものを、おぞきと云。筥をあけなと約せしを不v用して開きたる、約を變ぜし處をさして、僞りて約せしに似たれば、其義を取ておぞといへるか。前の歌におそろとわれを思ほさんかもとよめる歌も、僞り空事を云ものとおぼさんかと云歌也
是君 師云、このせなと讀みて、これは仙女になりてよめる歌と見るべしと也。島子をさして君とは詠まれまじ。常世の仙女になりてよむには、せなと詠まんこと理り也。然れば彌おぞやの詞も仙女の歌にして見れば、箱を開たるを恐しきとよめる方叶ふべきと也
 
見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌
 
1742 級照片足羽河之左丹塗大橋之上從紅赤裳數十引山藍用摺衣服而直獨伊渡爲兒者若草乃夫香有良武橿實之獨歟將宿問卷乃欲我妹之家乃不知
しなてるや、かたあすはがはの、さにぬりの、おほはしのうへゆ、くれなゐの、あかもすそひき、やまあゐもて、すれるきぬきて、たゞひとり、いわたるすこは、わかぐさの、つまかあるらむ、かしのみの、ひとりかぬらむ、とはまくの、ほしきわぎもが、いへのしらなく
 
級照片足羽河之 此しなてると云詞片と云詞の冠辭と云ことは、既に日本紀推古紀にて聖徳太子の御歌によませ給へり。何(521)と云義にて、片と云冠辭と云釋古今決せず。いづれも憶説まち/\也。級はきざはしの事を云て、階は片たがひなる物故との通説也。難2信用1。證明無ければ決し難き也。ほめたる詞に照と云との義も心得難し。然れ共何と云義と今案も無ければ、其説を除く也。源氏物語早厥に、級照や鳰の水海こぐ船のまほならね共あひ見しものを。かくよめるも心得難き歌也。然るを河海抄に萬葉の歌とて、級照や鳰の水海こぐ船のまほにも妹に相見てしかなと云歌を引けり。今の本には集中に不v見。如v此きの歌有し本、古くは流布せるか。不審多きことのみ也。しなてる、おしてるの義はいかに共繹し難し。大和の片岡山の内の地名ともいはゞ義安かるべけれど、河内の國にてもよめれば、地名共云難く、兎角片と云冠辭にして、何とて片と云はんとて級照とは云へるぞとの義は不v濟事とすべし。級照はおし照宮と詠める歌もあれば、地名とも云つべけれど、これも難波を略していへる歌とも云はるれば、これを以ても濟難き詞也
片足羽河 何郡何方にあり共今は知れ難し。左丹塗、さは初語也。それ故音借に書き、下は訓にて書也。上古は橋をも塗たると見えたり
上從紅赤裳數十引 大橋の上よりくるとうけたり
山藍 此山藍の事多分神事の服を染る草也。こゝには女の常服によめり。延喜式民部下云、凡神祇官卜竹〔及諸節等所v須箸竹、柏、生蒋、〕山藍等類〔亦仰2畿内1》令v進〕如v此ありて先は神事の服をする草也。時にいかなるを山藍と云ぞなれば、これは自然と生じたる藍を云なるべし。芋を自然薯、蕷を山の芋といひ、常のをたゞ芋と云。里芋、つくね芋、長芋抔云也。本草等、藥種にも自然と生ずる種類に、山の字を副る類ある由也。山藍も田畑に作る藍は、不淨物をもて養ひをする故、神服に用る事を忌て、自然と生ずるこやしおろしを不v用藍をもて染摺と云義より、山藍とは云ふなるべし。これ同氏在滿發明也。三代實録等にも、山藍無き時は麥のめはしきをもて代v之由あれば、めはしきも作る藍の如く、葉に直にこやしはかけぬ物故なるべし
伊波爲兒者 いわたるすこはと讀む也。すこは女の通稱第一卷にも菜摘むすこと有に同じ。伊は例の發語也
橿實之獨歟將宿 獨りと云はん計りの初語に、樫の實のと置けり。古代の冠辭、かくの如く當然の實事をもて輕きことを云へり。樫の實はたゞ一ツづつ出來るもの也。その義をとりてかくよめる也。入組たる義は無きことなるを、後世色々理屈を添(522)て釋するは、皆後人の鑿説也。これらの義にて、他のことをも考ふべき事也。たゞ易く輕き事也
歌の意よく聞えたる歌也
 
反歌
 
1743 大橋之頭爾家有者心悲久獨去兒爾屋戸借申尾
おほはしの、へにいへあらば、こゝろうく、ひとりゆくこに、やどかさましを
 
頭爾をほとりにと讀ませたれど、義をもてへとは讀む也。ほとりは邊の事なれば、字餘りに讀までも直にへと讀べき也
 
見武藏小埼沼鴨作歌一首 小埼は埼玉郡の内に有地名と見えたり、沼はぬまとも讀めど、小池を云。沼とあれば池なるべし。此歌は旋頭歌也
 
1744 前玉之小埼乃沼爾鴨曾翼霧己尾爾零置流霜乎掃等爾有斯
さきたまの、をざきのいけに、かもぞはねきる、おのがみに、ふりおけるしもを、はらふとにあらし
 
前玉 延喜式神名帳云、武藏國埼玉郡四座、前玉神社二座
尾 を、みと讀ませたり。音通ずれば也。をと讀みても同じけれど、古くみと假名を付たれば、※[田+比]の音は美なれば、身のことゝも見るべし
翼霧 珍しき詞也。羽たゝきする義をいへる也。枕草紙に鴨は羽の霜打拂ふらんと書も、此歌等をや思ひよりけん
 
那賀郡曝井歌一首 此那賀、八雲には紀伊と有。凡那賀郡と云名は、紀伊石見阿波伊豆にありて、紀伊の國の郡には音付あり。和名抄第五國郡部云、紀伊國那賀【可尾と如鵝】如v此也。然るに此歌中に向へると詠めれば、少叶ひ難からんや。又那珂郡は武藏常陸讃岐筑前日向等にあれど、此那賀にては有まじ。賀と珂との違あれば、賀の字の方を寄所として、武藏の小埼の歌の次なれば、伊豆の那賀には有まじきか。曝井と云井ある所しかと不v考ざれば、先づ八雲の御説に隨ふべきか。しかし地名に(523)は歌をもて後世に拵へたる地跡多ければ、慥成證明無くては決し難し
 
1745 三栗乃中爾向有曝井之不絶將通彼所爾妻毛我
みつくりの、なかにむかへる、さらしゐの、たえず通はん、そこにつまもか
 
三栗 日本紀の十卷、應神天皇の御製に三栗の中枝と出たり。然るに八雲には、み栗すの中にとよませ給へるは、日本紀を考へさせ給はざるか。栗は栗毬の中に、極て實三つ出來る也。偶一つあるも、兩脇にへたの樣なるもの有也。よりて三栗の中とよみて中と云冠辭に、三栗とはよめり。これらもたゞ輕く安き義を取て云へる義也
中爾向有 那賀郡にあると云義をとりて向へると也
曝井 布など晒すに、水清く不v渇井故名づけたるか。既に不v絶とよめり。妻もあらは、不v絶此曝井に通はんと云て、曝し井を賞美したる也
 
手綱濱歌一首 八雲御抄に紀伊と有。證明未v考
 
1746 遠妻四高爾有世婆不知十方手綱乃濱能尋來名益
とほづまし、たかにありせば、しらずとも、たづなのはまの、たづねきなまし
 
遠妻 これは忍び妻の事にて、隔たり居る隱し妻抔をさして、古くは遠妻といへると聞えたり。又旅行抔にて故郷の妻の事を云との説有。旅行ならでも遠妻と詠る歌可v考
高爾有世婆 此たかにと云事難v濟き事也。諸抄の説は、天を高く仰て待あるをたか/\に待など詠める歌ありて、月等を仰ぎて待如くに夫を待ゐることを云。こゝも其如くに待てあらば、そことは解かに處を知らず共、尋來んとの歌と釋せり。如v此云て義通ぜりとも不v覺。此集中高々にとよめる歌、高にとよめる別に句類分類せり。兎角不v濟詞也。愚案は、たとちと同音なれば、ちかにありせばと云ふ義なるべしと思ふ也。遠妻と詠み、ちかにと對してよめるならんか。但しさだかにと云略か。歌の意は聞えたる通にて、何としてありせば、知らぬ處なり共尋ね來んと云ことに、手綱の濱を詠入て、尋ぬと云詞のうつりに(524)手綱の濱を詠出たり。古詠の格皆かくの如く、歌の縁うつりに手綱の濱の尋ねとうけたる、僅かに輕きことを趣向とせし也
 
春三月諸卿大夫等下難波時歌二首 何年の春の事か、考へ難し
 
1747 白雲之龍田山之瀧上之小鞍嶺爾開乎烏流櫻花者山高風之不息者春雨之繼而零者最末枝者落過去祁利下枝爾遺有花者須臾者落莫亂草枕客去君之及還來
しらくもの、たつたのやまの、たきのへの、をぐらのみねに、さきをゝる、さくらのはなは、やまたかみ、かぜしやまねば、はるさめの、つぎてしふれば、ほづゑえは、ちりすぎにけり、したつえに、のこれるはなは、しばらくは、ちりなみだれそ、くさまくら、たびゆくきみが、かへりくるまで
 
開乎烏流 烏を爲と誤りて書る本有より、をせると假名をつけ、その假名付に迷ひて、をせると云詞有と心得て、咲事をすると云義に釋せる抄も有。餘り無下なる僻事也。をゝりと云詞、鶯の歌にも此集中前にも何程か有て、花の重り咲て、下枝より上へ咲上り重りて、彌が上に咲る事を云詞也。今も俗にもゝくり上るなど云と同じく、下より上へ咲重り上る事を、をゝりに/\とは云古語也。山の麓より嶺尾に咲上ることなどをも云也。これ迄の地名、告吉野龍田のあたりに續きて有瀧峰ども也
最未枝 ほづえと讀ませたり。木の|いち《(俗語一番ノ略カ)》末の事を云。ほづゑえと云たるもの也。今俗にも《マヽ》末と云と同じくて、こゝはほずゑえはと讀べき也。印本の假名の通にては末の字無用にして、假名も違也。木の上の末の枝は早く咲し故、も早散過ぎしか共、下枝に殘りたる枝は、暫く散亂るなと詠める也。最末技は上枝と云に同じ
 
反歌 此反歌の事、前々より色々の憶説のみにて證明の説無き也。一説は長歌の意を繰返して短歌によむ故、反復の意にて此字を書と云説、又長歌は詞長くて、吟詠の時幾反も返す事ならず。短歌は短き故何反も返し歌ふもの故に、反の字を書かとの説、宗師案は長に變じたると云意にて、短歌に反の字を書かと也。如v此色々不2一決1。田一段と云に、反の字用。絹布一疋の半を反と云義不v濟事也。反にタンの音は決て無き也。然るに田、布等の反に、反の字を用る事いかに共心得難し。山名武内士案云、段の字の草字を誤りて反の眞字になせしと見ゆると也。※[草書]かくの如く段の草字を書たるから、反と書誤れるなるべ(525)し。如何となれば今假名書など云事を書時、決めて草字に書くに、仮の字を書てかと讀ませり。仮の字に加の音は無きを、世擧て仮の字をかの音に用來たれり。これ決めて假の字の草字を誤りたるなれば、反歌の反も段の字か又※[草書]と短の字を草に崩して書たるが誤り來れると見えたり。段の字は田の一反のたんの誤り、歌の反は短の字を※[草書]と書しを、反の字と心得て、眞字に直す時誤れると見る案、やすく輕き説也。前々の説共は皆憶説にして、類聚國史に短歌計り擧られたる處に、反歌とある義不v濟也。反短音通ずれば、反歌も通音を用てと云はるべけれど、反の字にタンの音は無き上は、草字の誤と見る説尤可ならんか。第一卷の反歌の處に注すべき也
 
1748 吾去者七日不過龍田彦勤此花乎風爾莫落
わがゆきは、なぬかはすぎじ、たつたひこ、ゆめこのはなを、かぜにちらすな
 
前の歌草枕旅行君がと詠たるは、諸卿の内の從者のよめると聞ゆ。われも共に難波へ下る身なるべし。此反歌もわがゆきはと詠めるをもて知るべし
七日不過 大和より難波へ行て滯留の間七日迄にはあらじと也。第十七卷にも家持歌に、近くあらば今ふつかだに遠くあらばなぬかの内は過ぎめやも來なんと詠めり。十三卷目の歌にも、夕占のわれにつぐらくひさにあらば今七日ばかり早からば今ふつか計り〔あらんとぞ君はきこしゝなこひそわぎも〕共詠めり。日を經ることの程有事に七日と詠める例也
龍田彦 風神を云也。延喜式神名帳云、大和國平群郡〔龍田比古龍田比女神社二社〕則級長津彦の神をさして奉v稱也。風神故風にちらすなと願ひたる也
 
1749 白雲乃立田山乎夕晩爾打越去者瀧上之櫻花者開有者落過祁里含有者可開繼許智期智乃花之盛爾雖不見左右君之三行者今西應有
しらくもの、たつたのやまを、夕ぐれに、うちこえゆけば、たきのへの、さくらのはなは、さきたるは、ちりすぎにけり、つぼめるは、さきつぎぬべし、こち/\の、はなのさかりに、雖不見左右、き(526)みがみゆきは、いまにしあるべし
 
夕晩爾打越去者 此夕ぐれに意は無し。其時の當然を詠めるなるべし
許知期智乃 をちこちと云義、此方彼方と云意也。一説悉と云意と釋せり。好む處に隨ふべし
雖不見左右 此句いかに共解し難し。若し脱句落字などあらんか。諸抄の説は君の幸はやがて有べきを、それを未だは見えね共、花は散らずして待てと云義と釋せり。如v此云て此歌聞えたり共思はれず。愚案、先讀解べくは、此五字をかく見ねどと讀まんか。前の句共を引うけて見るに、早く咲たる花は散過ぎ、ふゞめるはやがて咲つぎぬべく、此方彼方の花の盛は、今難波へ行けばかく見捨てゝわれらは行けど、君かみ幸はやがてにてあるべしと詠めるか。左右の字はかくと讀みて、當然過る處の事にあてゝ云へるならんか。然れ共かくみねどと讀む事、かへりすぎて當れり共不v被v覺也。落字脱句など有べき歌也。尚後案後考を待のみ
 
反歌
 
1750 暇有者魚津柴比渡向峯之櫻花毛折末思物緒
いとまあらば、なづさひわたり、むかつをの、さくらの花も、をらましものを
 
なづさひはなづみそひと云意にて、ゆる/\とふれそふ義也。速かに立去らず、彼方此方と漂ひ止まることを云也。前、人丸の歌に、よし野の河の奧になづそふと、よめる處にても注せる通也。こゝも難波へ公用にて行かず、暇あらばたゞかしこの峰谷をも巡り渡りて、花の枝をも折らましと也
 
難波經宿明日還來之時歌一首并短歌 前の諸卿の公用に下りて、暫く宿を經て大和へ歸る時也。此標題にては一日止まりて明くる日歸りし歌と見ゆる也。然るに經の字の意少不v叶か。左傳に、莊公三年曰、凡師一宿爲v舍、〔再宿爲v信、過v信爲v次〕然れば經の字は幾日も經たる意に聞ゆれど、明日と有。歌にも一夜のみと有。端書とは不v合也。經宿の二字をとまりてと訓ずべきか
 
(527)1751 島山乎射往廻流河副乃丘邊道從昨日己曾吾越來牡鹿一夜耳宿有之柄二岑上之櫻花者瀧之瀬從落墜而流君之將見其日左右庭山下之風莫吹登打越而名二負有社爾風祭爲奈しま山を、いゆきもとほり、かはぞひの、をかべのみちに、きのふこそ、わがこえこしか、ひとよのみ、ねたりしからに、みねのうへの、さくらのはなは、たきつせに、ちりてながれぬ、きみがみむ、そのひまでには、やまおろしの、かぜなふきそと、うちこえて、なにおへるもりに、かざまつりせな
 
島山 八雲には攝津國とあれど大和なるべし。當集第五、嶋の木たちと讀み、第十九に、嶋山にあかる橘と詠める處ならん。大和より難波へ行通ふ道筋なるべし
射往廻流 のいは例の初語、行巡りまわり也。もとほりはめぐりまわるの義也
河副乃丘邊道從 難波へ通ふ路次の事を如v此よめる也
吾こえこしが きのふこそと當り、たゞ一夜とまりし間にと云意也。此句共にては經宿と云ふにはあはね共、歌はかく詠なすも習ひなれば、委敷理をつめざる事もあるべし
柄二 あひだにと云義也。神代卷下云、〔時彼國有2美人1、名曰2鹿葦津姫1、皇孫問2此美人1曰、汝誰之女子耶、對曰、妾是天神娶2大山祇神1所v生兒也、皇孫因幸v之、却一夜而有v娠、皇孫未2之信1曰、雖2復天神1何能一夜之|間《カラ》令v人有v娠乎、汝所v懷者必非2我子1歟〕此集十八卷にも、あすよりはつきて聞えん郭公一夜のからに戀わたる鴨、とよめるも間の義也
岑上之 みねのへのと讀むべし。前に小くらの峯と詠めるに對すべし
落墜而流 ちりて流れぬは、瀧川に花の散うきて流るゝ當然を見て也
君之將見 これは天子の事を指して諸卿の詠めるか。前の歌の君とさせるとは異なるべし。行幸あらん迄は、風に散らすなと願ふたる也
名二負有杜爾風祭爲奈 名におへる森とは龍田の社の事也。延喜式卷第九神名上云、大和國平群郡龍田坐天御柱國御柱神社(528)二座、龍田比古龍田比賣神社二社。同卷第八祝詞部云、龍田風神祭。龍田稱辭竟奉〔皇神、志貴嶋大八嶋國知皇御孫命還御膳長御膳、赤丹食須、五穀吻※[氏/一]天下公民作物、草片葉至【萬※[氏/一]】不成、一年二年不在、歳眞尼傷故、百物知人等卜事御心、此神負賜、此物知人等卜事※[氏/一]【止母】、出御心聞看※[氏/一]、皇御孫命詔、神等【乎波】天社國忘事無遺事無、稱辭竟奉行【波須乎】、誰神、天下公民作作物不v成傷神等、我御心【曾止】悟奉【禮止】宇氣比賜、是以皇御孫命大御夢悟奉、天下公民作作物、悪風荒水相【都々】不成傷、〕我御名者、天御柱命國御柱御名悟奉※[氏/一]、〔吾前幣帛、御服者明妙照妙和妙荒妙五色物、楯戈御馬御鞍具※[氏/一]、品々幣帛備※[氏/一]、〕吾宮者朝日日向處、夕日日隱處、龍田立野、小野、吾宮定奉※[氏/一]、〔吾前稱辭竟奉、天下公民作作物、五穀※[氏/一]片葉至【萬※[氏/一]】成幸奉【牟止】悟奉、是以皇神辭教悟奉處宮柱定奉※[氏/一]、此皇神、稱辭竟奉、皇御孫命宇豆幣帛令2捧持1※[氏/一]、王臣等爲v使※[氏/一]、稱辭竟奉【久止】皇神白賜事、神主祝部諸聞食宣〕〔原本此處〕奉宇豆幣帛者比古神――比賣神――〔と有〕日本紀卷第二十九云、天武天皇四年〔夏四月甲戌朔、癸未遣2小紫美濃王小錦下佐伯連廣足1、〕祠2風神于新田立野1云々。如v此あれば祝詞にある天皇の御夢に顯しますみなの神徳を被v祭たるは、天武紀に被v載たる時の事なるべし。天武より先に被v祭たる事、紀にも古事記にも不v見ば此時なるべし。然れ共紀には事の由來を委敷不v被v記と見えたり。此風神は神代巻に被v載たる伊弉諾尊の息より生出給ふ神徳、級長戸邊命級長津彦命也。先達而顯れ給ふ處は、天柱と奉v稱りて日神を天に送り上げさせ給ふ時、被v副て天に上り給ふ也。國の朝霧を吹拂ふ息神と成給ふ處は、女神の徳にて、戸邊命と御名を名づけ奉りて、元來陰陽女男の二神也。依て被v祭處も天御柱國御柱又龍田比古龍田比賣とありて、如v此四神ある樣なるは、和魂荒魂幸魂奇魂と云理り也。神明はすべて御名の徳を以て祭たるもの也。天御〔柱國御柱〕と云て被v祭て、風神ならば龍田比古〔龍田比賣〕と云て祀られましきものなるに、式にも如v此別に被v祭たるは、元來立田の立野にましませし神徳を、龍田比古〔龍田比賣〕と奉v稱りて祭り奉り、天武の時告ありて被v祭たる神徳、是を和魂と云て、天御柱〔國御柱〕と奉2尊信1事也。是本朝の秘事神家の奧秘也。扨神代紀にて風神一神の樣に被v擧たるに付て不審有事也。彼義は文の脱落と見ゆる也。亦曰級長津彦級長戸邊命とあるべきを、彦命計亦説にあげられたるは、極て邊命を脱したると見るべし。其奧の磐筒(529)男命のある説をもて證とすべし。本文に邊命計を被v擧たるは、天御柱と稱して彦命既に前に顯れ給ひ、こゝは國の霧を拂ひ給ふ神化にてなり給ふて、女神の司どり給處故、邊命計を顯し給ふ義と傳へる也。國柱と云神號式の詞に出たる始は不v見也。前には國御柱の神號を不v被v顯、後には彦命の神號亦説にあげられたるをもて、式の詞と合て彼是通じて、風神は級長津彦級長戸邊命と奉v窺義也。一神二名と云不審あれ共、此傳を不v知ば不v濟義也。二神二名と奉v窺べき也。出入の息は一つなれ共、出と入との二つに陰陽を兼たる道理に比して、一神二名と云説あり。不v可2信用1
名におへる森にとは、龍田神風神の祭り預り給ふ事は令延喜式の通、上古は毎度五穀成就の祈を被v成官幣を被v奉し也。鎭華《本マヽ》祭も風神の祭也。よりて名に負へるとは詠めり。尚追而細密に可v注。風祭せなは、せん抔云義也。龍田の神に祈り申て花を散らさしめなと願はんと也。此歌共を考ふるに、この難波へ諸卿の下りしは、此節幸あらんとの事によりて下れるなるべし
 
反歌
 
1752 射行相乃坂上之蹈本爾開乎烏流櫻花乎令見兒毛欲得
いゆきあひの、やまのふもとに、さきをゝる、さくらのはなを、みせむこもがな
 
射行相乃 これを神武紀など引て、迫く險しき坂故往來の人行あふ坂なるべしなど云説あれど、射は初語の詞と聞ゆる也。坂上と書たるを、坂と心得たるも不v考の説也。坂上と書きては前にも山と讀ます義訓書也。坂上の麓といふ義有べきや。たゞ坂の麓ならば聞えたれど、坂上と有なれば義訓に山と讀ませたる也。坂上を山とよむ證明共なるべきは此歌也。上の麓と云事は無き事也。行相の山と云處、大和より難波へ越る路次に有けるか。然らばいの初語には及ばず、行相と讀べきを、いの初語を添へたるは.難波より和州へ越る山路は細く狹き故、往来の人行相故かくよめるか。下に見せん兒もかなと詠める故、行相と云義を詠出せるならん。行相て見せん兒もかなと願ふ意也。兒は女の通稱也。嶋山射行相を、八雲には皆紀州と被v遊しか共、難波より還來と端作にありて、君が見んその日迄などよめる歌なるに、いかで紀の路を經て難波へ回るべからんや。大和より難波へは一日路に越さるべし。さればこそ一夜耳ねたりしからに共詠めり。然れば紀伊國の地名にては有べからず
 
(530)?税使大伴卿登筑波山時歌一首并短歌 たぢからをかんがふるつかひ云々
 
?税使とは、税はたぢからと讀みて年貢の事也。民部省の被官の内主税頭と云官は、此事を司る故名付けたり。上古は年貢の損益を?校する爲、諸國へ此使を被v遣し也。大伴卿は安麿の事なるべし。然れ共旅人安麻呂共に?税使の事は國史に不v見也。東海東山の節度使按察使等の時か。追而可v考。此卷の奥、鹿嶋苅野橋にして別2大件卿1時歌一首並短歌とありて、高橋蟲麻且之歌集中出とあれば、大伴卿東國へ下り給ふ事ありて、此時と同時なるべし
 
1753 衣手常陸國二並筑波乃山乎欲見君來座登熱爾汗可伎奈氣木根取嘯鳴登岑上乎君爾令見者男神毛許賜女神毛千羽日給而時登無雲居雨零筑波嶺乎清照言借右國之眞保良乎委曲爾示賜者歡登紐之緒解而家如解而曾遊打靡春見麻之從者夏草之茂者雖在今日之樂者
ころもでの、ひたちのくにゝ、ふたなみの、つくばのやまを、みまくほり、きみがきますと、あつかひに、あせかきながし、きのねとり、嘯鳴登登、をのうへを、きみにみすれば、をのかみも、ゆるしたまへり、めのかみも、千羽日たまひて、ときとなく、くもゐあめふり、つくばねを、さやにてらしで、いぶかしき、くにのまほらを、まぐはしに、しめしたまへば、うれしみと、ひものをときて、いへのごと、とけてぞあそぶ、うちなびき、はるみましよりは、なつぐさの、しげくはあれど、けふのたのしさ
 
衣手常陸國 此衣手の常陸と續く事は、常陸風土記云〔倭武尊巡2狩東夷之國1幸2過新治之縣1、所v遣國造昆那良珠命新令v堀v井、流泉降澄尤有2好愛1、時停乘v輿翫v水洗v手、御衣之袖垂v泉而沾、依2漬v袖之義1以爲2此國之名1〕然れば倭武尊の御衣の袖、 泉に垂れて浸りしをもて、國の名とはなりける故、衣手のひたしとは云けると也。又ひたちと云來るは、し、ちは音も通ひ易く且古歌にも東路の道の果なる常陸と續けて、東海十五ケ國の果てなれば、旅行の日立と云義にて、古く常陸共云しと聞えたり。(531)陸の字をひだちと讀む義も不v知共、先風土記の説をより處とすべし
二並筑波乃山 男筑波、女筑波と云て、二峰相並たる山也。則歌にも、男神も〔許し給へり〕女神もと詠めり。第三卷にては、友達の見がほし山共よめる也
欲見君來座登 見まくほり君が來ますとは、筑波山を見たきとて大伴卿の來ませると也
熱爾 あつかひと讀む。神代卷上云、〔一書曰、伊弉册尊且v生2火神軻遇突智1之時、悶熱懊惱因爲v吐此化2爲神1曰2金山彦1云々〕とあれば、此古語によるべし。此登山の節夏の比故、暑さに苦みて汗かき流すとの義也。あつかひは、暑き日と云義をこめて奈氣はながし也。印本諸抄の假名に、汗かきなげきと讀ませたるは心得難き假名也。木は下へ續く詞也
木根取 山に登るに、木の根草の根に取付攀登るとの義也。諸抄に笛の音の事に釋せるも、嘯鳴の字に心をよせて也。ねとりうそぶきなど云詞有べきことにも無し。嘯鳴二字にてうそぶきと讀まん事心得難し。さかしき山路を登れば、息絶々敷すだくべければ、自づからうめく樣なるを云たる義なれば、義訓に吟の字の意にて、にほひとか、さまよひとか讀べし。うそむきなどと云假名もあれど、登の字のぼりとならでは讀難き處也
君爾令見者 君に見すればと詠める、國守又は下司など、大伴卿と同道して登りて詠めるなるべし
男神毛 山を直に神と稱せし也。尤延喜式〔卷第九常陸國筑波郡筑波山神社二座【一名神大、一小】男神は大社にして、女神は小社とありて、二つの峰の内男神と稱する峰は高く、女神の方はひきゝと也。此卷の奥の歌にも、男神爾雲立登りと詠めり
許賜 ゆるし給へりとは、登り得て順見する事を許し給ふ故、天氣もよく面白き景色を見せしと悦の意也。下に段々と其意を述べたり
女神毛千羽日給而 諸抄の説、いはひと云意いつくと云義と釋せり。然れ共こゝには意不v合義也。いはひいつくと云事は神に縁ある詞なれど、此歌のこゝには義合はず。何とぞ別義あるべし。上の許し給へりとあると同じ意の詞と見ゆる也。師案は、いはみ給ひてと云義にて、男神女神寄集まり給ふと云義なるべしと也。愚案ちなみ給ひてか。陸じくし給ふの意にて、上の許しの詞に相對する詞ならんか
(532)時登無 これより下の事をいへる句也。千羽日給ひて迄にて句を切るべし
雨零 雨ふる也。筑波根は時をもわかず雨ふれ共、男女神許し給ふ故、けふは晴天にて、雲霧もかゝらずさやかに見せさせ給ふと云事をよめり
清照 さやかにてらし也。言借石、これをことゝひしと讀ませたれど、ことゝひしと云義此所にて聞えず。其上借の字、とふと讀む義心得難し。いぶかしきと讀べし。いぶかしきは心憎きなど云意、無2心元1と同事也。雲霧かゝり雨など降りて、常はいぶかしかりし處も、今日は晴天故殘所無く、高山の峰より國の内を委しく見せしむる事と也。抄物の説は、文選東都賦の、山靈護v野〔屬御方神、〕雨師汎灑、風伯清v塵と云義をとりて、男女神の雨を俄に降らしめて、山を清める樣に釋せる事は難2信用1説也。且借の字をとふと讀む義も、借問と書ける文選謝玄暉、郭景純遊仙詩等の例を引て注したれど、此例は用ゐ難かるべし。如v此の書例はいか程もあれど、問の字を離れてとふと讀む義は成難かるべし。副字助字の例を訓義には用難き也。ことゝひしと云句、此所に續かぬ句也
國之眞保良乎 まは初語國原也。ほらもはらも同音同事也。日本紀景行天皇の國しのびのみ歌に、大和は國のまほらまと、賞めさせ給ふみことに詠ませ給へる詞也。國の眞中と云み歌とも聞ゆる也。こゝはたゞ國中を見せしめたると云義也
解而曾遊 とけてぞと云は、打解けて遊ぶとの義也
打靡 春といはん爲の冠句也。けふ打靡きて遊ぶと云義にもかけて也。打靡春と云は、押なべての春にと云意也
夏草之云々 登れるは夏のころ故、前にも汗かき流して登れる體を詠めり。萬草生茂りたる時節なれど、高山に登りて四方八隅を見晴かしたらんは、さぞ樂しかるべき也
 
反歌
 
1754 今日爾何如將及筑波嶺昔人之將來其日毛
けふの日に、いかでおよばん、つくばねに、むかしのひとの、きけむそのひも
 
(533)昔も登りし人有つらんづれど、今日大伴卿と登りて、かく晴天の心よき國原をも見る景色は、いかで及ぶ事あらんやと、當日を悦べる也。これ歌を六帖に紐の部に入たるは、長歌の意をとりて心得難き事也
 
詠霍公鳥一首并短歌 鳥の下に歌の字脱せる也。尤目録共に脱せり。外の例格を見て知べし
 
1755 ※[(貝+貝)/鳥]之生卵乃中爾霍公鳥獨所生而己父爾似而者不鳴己母爾似而者不鳴宇能花乃開有野邊從飛翻來鳴令響橘之花乎居令散終日雖喧聞吉幣者將爲遐莫去吾屋戸之花橘爾住度鳥
うぐひすの、かひこのなかに、ほとゝぎす、ひとりうまれて、ながちゝに、にてはなかず、ながはゝに、にてはなかず、うのはなの、さけるのべより、とびかへり、きなきどよまし、たちばなの、はなをゐちらし、ひねもすに、なけどきゝよし、まひはせむ、とほくなゆきそ、わがやどの、はなたちばなに、住度鳥
 
鶯之生卵 玉子をかひことも云也。霍公鳥の子の自然と鶯の巣に生ずること有由、昔より云傳へたり。當集第十三卷の歌にも、よごもりに鳴郭公昔より語りつぎつる鶯のうつしまこかも、とよめり。唐の詩にも鶯又百鳥の巣に生ぜる事を作れる事有
己父爾 この集に己の字をさがと假名を付たり。前に末の卷にも皆さと假名を付たるは、いかなる詞を取りてか心得難し。座と濁音に讀てなかと云意か。己れ汝と讀字なれば、なとは讀む也。さと讀む義未v考也。鶯の巣に生じたれど、父母には似て鳴かぬと也
幣者將爲 まひなひはせんと也。外へ不v行樣に、なづけん爲に、まひなひを強て何時迄も此宿りの橘に鳴わたれと、時鳥を愛せし歌也
住度鳥、此句は宜しくも聞えぬ句也。ケ樣の句作り後世とても好むべからぬ事也。第十卷の、住渡るかにと詠めるには劣れり
 
反歌
 
(534)1756 掻霧之雨零夜乎霍公鳥鳴而去成※[立心偏+可]怜其鳥
かきくらし、あめのふるよを、ほとゝぎす、なきてゆくなり、あはれそのとり
 
※[立心偏+可]怜 此哀れは悲しむ意計りにあらず。時鳥を賞愛の哀れを兼たるなるべし。尤表の意は雨にぬれて夜を鳴過るは、悼ましきと云意に聞ゆれど、愛の意をも兼て詠めるなるべし。長歌の意全體時鳥を愛憐する歌也。第七卷に哀れそのかこと詠めるに等し
 
登筑波山歌一首並短歌
 
1757 草枕客之憂乎名草漏事毛有武跡筑波嶺爾登而見者尾花落師付之田井爾雁泣毛寒來喧奴新治乃鳥羽能淡海毛秋風爾白浪立奴筑波嶺乃吉久乎見者長氣爾念積來之憂者息沼
くさまくら、たびのうれへを、なぐさむる、こともあらむと、つくばねに、のぼりてみれば、をばなちる、しづくのたゐに、かりがねも、さむくきなきね、にひばりの、とばのあふみも、あきかぜに、しらなみたちぬ、つくばねの、よけくをみれば、ながきけに、おもひつみこし、うれへはやみぬ
 
新治乃 常陸の郡の名。日本紀景行卷云、〔蝦夷既平、白2日高見國1還之西南歴2常陸1至2甲斐國1、居2宇酒折宮1、時擧v燭而進食是夜以v歌之問2侍者1曰、珥比麼利菟玖波塢須擬※[氏/一]異玖用加禰菟流、諸侍者不v能v答云々〕
淡海 湖水有と見えたり。全體の歌能聞えたり
 
反歌
 
1758 筑波嶺乃頑蘇廻乃田井爾秋田苅妹許將遣黄葉手折奈
つくばねの、すそわのたゐに、あきたかる、いもがりやらむ、もみぢたをらな
 
すそわの田井 長歌には所を表して師付の田井とよめり。こゝは筑波根のすそに有師付と云處の田井と云義に、すそわと計(535)り詠めり。田井とはふけ田など云て、不v斷水の溜りたる田を云たる義なるべし
妹許はいもがもとへ也。歌の意能聞えたり
 
登筑波嶺|爲《ナス》2※[女+曜の旁]歌曾《カヾヒノヱヲ》1日作歌一首并短歌 ※[女+曜の旁]歌は袖書に注せり。かゞひと云也。仙覺抄に、〔自坂以東・諸國男女、春花開時、秋葉黄節、相携飲食祭奠、騎歩登臨、遊樂※[手偏+丙]※[しんにょう+并]。又俗諺云、筑波峰之會、不得娉有財者兒女取意〕男女打混じて此日歌を歌ひ舞て、酒宴し遊ぶ書有しと見えたり。玉篇云、※[女+曜の旁]、徒了、徒聊二切、往來貌
 
1759 鷲住筑波乃山之裳羽服津乃其津乃上爾率而未通女壯士之往集加賀布※[女+曜の旁]歌爾他妻爾吾毛交牟吾妻爾他毛言問此山乎牛掃神之從來不禁行事叙今日耳者目串毛勿見事毛咎莫 ※[女+曜の旁]歌者東俗語曰賀我比
わしのすむ、つくばの山の、もはきつの、そのつのうへに、いざなひて、をとめをとこの、ゆきつどひ、かゞふかゞひに、ひとづまに、われもまじらん、わがつまに、ひともことゝへ、このやまを、うしはくかみの、むかしより、いさめぬわざぞ、けふのみは、めぐしもみるな、こともとがむな
 
鷲住 和名抄云〔唐韻云、※[咢+鳥]【音萼】大※[周+鳥]也、※[周+鳥]【音凋、和名於保和之、鷲、古和之】※[咢+鳥]鳥別名也。山海經注云、鷲【音就】小※[周+鳥]也〕。第十四卷の常陸歌にも、筑波根にかゞなく鷲と詠めり。高山故常の山に異なれば、鷲の住なるべし
裳羽服津乃 地名也。山の頂上に如v此の地あると聞えたり。此地名も※[女+曜の旁]歌の時男女集る處故、津と名づけたるか。水邊ならで津と云意心得難し。つどひ處と云意ならん
加賀布 此詞不v詳。かこふの義圍の字の意にて、歌垣等の如く、男女圍みて歌ひ舞義をかゞふと云へるか
吾毛交牟 われもまじらん也。男女打雜る事は非禮義の振舞なれど、今日は古よりの例ありて、かく交り遊ぶ也。通はんとの假名は不v可v然
牛掃神 前に注せる如く正説古來より不v詳也。先は惡牛星と云惡き災をなす神を、拂ひ除きてよき神の吾所と、その山を領(536)し給ふ神と云義と見るべし
目串毛 み目に委しくも不v見、大樣に見許し、男女物云交すをも咎むなと也。前に、他妻爾吾毛交牟云々と云にかけて也
※[女+曜の旁]歌者東俗語曰賀我比 古注者の袖書也。※[女+曜の旁]は玉篇に往來の貌と注すれば、今の踊などの如く、歌を歌ひ廻り舞ふ義と見えたり。田舍の社には今も花踊と云て、男女打混じ作花を笠に差かざして、扇をもて歌を歌ひ舞也。此かゞひも此等の類にて、今遺風有ならん。然るに東俗かゞひと云は、何と云義にて賀我比とはいへるか。此語不v濟事也。加賀布かゞひと有。注には二字共に濁音を書たり。賀の字多分は濁音也。清音に用たること希也。加我比なれ共東俗は訛りて濁音に賀我比と云來れるか。※[女+曜の旁]歌を東俗賀我比といへる義は不v詳也。十四卷の歌にも筑波ねに可加奈久和之のと詠みて、筑波根に可加とよめる處心得難し。此※[女+曜の旁]歌會前に注せる如く、仙覺抄には春秋の二季に有由也。神を祭る會と見えたり。此歌にては秋の祭と見ゆる也。此※[女+曜の旁]歌の遺風、今にも田舍には遺れり。神代紀に親王の注なされし、紀伊國有馬村の祭に、花の時は花をもて歌ひ舞て祭るとあるも、此義と同じ事と見えたり
 
反歌
 
1760 男神爾雲立登斯具禮零沾通友吾將反哉
をのかみに、くもたちのぼり、しぐれふり、ぬれとほるとも、われかへらめや
 
男神爾 山を直に神とよめる也。神を祭りたる山なれば也。此短歌の詞にては秋の祭と見ゆる也。歌の意は別義※[女+曜の旁]歌の面白き故、雨にぬれても飽かず遊び暮さんとの義也
 
右件歌者高橋連蟲麿歌集中出
 
詠鳴鹿歌一種並短歌
 
1761 三諸之神邊山爾立向三垣乃山爾秋芽子之妻卷六跡朝月夜明卷鴦視足日木乃山響令動喚立鳴毛
みもろの、かみなみやまに、たちむかふ、みかきの山に、あきはぎの、つまをまかむと、あさづくよ(537)、あけまくをしみ、あしびきの、やまびこどよみ、よびたちなくも
 
神邊山爾 かみのべも、なみも同音故、神邊と書て、のはつけて詞を添ふ例極れる事なる故、のはな、べはみ同音故、かくは讀ませたりと見ゆ。若し神のべ山と云地名、みもろ山の内にあらんか。然らば神のべ山とも讀べし。海邊と書てうなび共讀めば神なびなるべし
秩芽子之妻卷六跡 萩は鹿の妻とすると云來りて、萩の花を女に比して、妻を卷かんと詠めり。妻を卷くとは、衣の褄の身になれそふ如く、われに附從へんと云の義に、妻卷とは讀む也。古事記日本紀等の歌にもある古語也
朝月夜 月の曉迄ある夜をさして、朝月夜あけとうけたる也。夜の明けん事の惜しきと云を朝月夜と、月の夜は赤ければ冠辭によめる也。句中に鹿の事無けれ共、題に表したる故知v此よめる格も有し也
 
反歌
 
1762 明日之夕不相有八方足日木之山彦令動呼立哭毛
あすのよに、あはざらめやも、あしひきの、やまびこどよまし、よびたてなくも
 
山彦 今云木魂のこと也。鹿の鳴音のこ玉に響きどよみて妻戀ふと也。かく鳴どよませば、あすの夜は妻にあふらんやと思ひやり歎じたる詞に、呼たて鳴くもとよめり。この毛と云詞、皆歎きの意、感情をこめたる詞也
 
右件歌或云柿本朝臣人麻呂作
 
沙彌女王歌一首
 
第三卷間人宿禰大浦初月歌の内一首
 
   掠 乃   可  隱         光乏寸
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1763 倉橋之山乎高歟夜※[穴/牛]爾出來月之片待難
くらはしの、やまをたかみか、よごもりに、いでくる月の、かたまちがたみ
 
(538)夜※[穴/牛]爾 月のこもりて出來る事の晩きと云意也。夜隱と云地名もあれば、そこをかねて詠めるならん
片待難 月の出くるを待かねると云意、かたみは待難き也。かたみは初語助語也。集中いくらも有詞にて意無き詞也。扨此歌第三卷に、間人宿禰大浦初月歌二首と有内の一首に、末の一句違たる迄也。袖書にも同歌作主兩人の違、作者も別に擧たれば別歌と見るべし。今の世にも大概似たる歌もまゝ有こと也
 
右一首間人宿禰大浦歌中既見但末一句相換亦作歌兩主不敢正指因以累載
 
如v此疑敷樣に注したれど、極めて別歌なるべし。末の一句にて歌の差別は有事也。大浦の歌は三ケ月の歌、光乏しきと讀みて光の少き意也。此歌はかた待難きと詠めり。三ケ月を待つと云べき理無し。これにて差別有ことを知るべし
 
七夕歌一首並短歌
 
1764 久竪乃天漢爾上瀬爾珠橋渡之下湍爾船浮居雨零而風不吹登毛風吹而雨不落等物裳不令濕不息來益常玉橋渡須
ひさかたの、あまのかはらに、かんつせに、たまはしわたし、しもつせに、ふねうけすゑて、あめふりて、かぜふかずとも、かぜふきで、あめふらずとも、もぬらさず、やまできませと、たまはしわたす
 
風吹而雨不落等物 雨降りて風吹てもと云義にて、文を互に云つくしたる詞也。假令雨降り風吹ても止まず來ませと云意也
雨降り風吹ても來れとなれば、雨降らず風不v吹ば勿論の事也
玉はしわたし 船をうけすゑてと有からは、いか樣にしても來れと願ふ意を詠める也。橋に玉を飾るべきことにはあらねど、此等を歌の雅情とは知るべし。玉橋とよめる義、又歌によりて船にも玉卷き小梶しゝぬきなどよめるも皆、雅言をよめる事と知るべし。尤上代は船には玉等餝り朱にて塗たる也。今も高貴の人の乘船には、善を盡し美を盡せるをもて思合すべし。もぬらさずとあれば、織女を彦星の待つ歌と聞えたり
 
(539)反歌
 
1765 天漢霧立渡且今日且今日吾待君之船出爲等霜
あまのかは、きりたちわたり、けふ/\と、わがまつきみが、ふなですらしも
 
霧立 天の河を渡り、今日か來る今日か來ると待意にて、霧は添言葉也。天川を渡りと云義に、霧は立たつもの故、立渡りと云はん序に、霧とは置けり。霧に深意は無き也。けふを/\と待し君が、今日こそ船出すらんと也
 
右件歌或云中衛大將藤原北卿宅作也 中衛、前に注せり。北卿とは房前の事也
 
相聞
 
振田向宿禰退筑紫國時歌一首 此振田向は何と訓ぜんも知らず。拾穗抄等にはふるたむかふと讀ませたり。傳可v考所無ければ、いかに讀まんこと定難し。筑紫にまかると有は、交代して本國に歸る時か、又太宰府抔の下司にて下る時の人の歌か。又筑紫より登る時か。難v考
 
1766 吾妹兒者久志呂爾有奈武左手乃吾奥手爾纏而去麻師乎
わぎもこは、くしろにあらなん、ひだりての、わがおくのてに、まきていなましを
 
久志呂 ひぢまきの事也。釧《セン》の字をくしろと讀む也。玉篇云、釧、充絹功、釵釧也云云。此字義は女の笄又兵器の樣に見ゆる也。袖中抄にもひぢ卷と云へり。釧、和名抄云、内典云、在2指上1者、名v之〔曰v鐶、在2臂上1者、名v之爲v釧〕比知萬岐。同農耕具云、※[金+爪]〔麻果切、韻云、※[金+爪]【普麥反、又普狄反、漢語抄云、加奈加岐一云久之路】〔鉤※[金+爪]也〕字書云、釧、枢絹切、音串、臂鐶。如v此なれば釧は肱卷に決せり。然るを和名には何とて肱卷と經文の語をとりて記して、釧の和名を脱せるならん。又農具の假名書の一名をくしろとは云へるならん。是一名二物と見るべし。くるしろと云名は古く備はりて、既に日本紀繼體紀にも、安閑天皇未だ太子にての時の御歌に、しゝくしろうまいねし時と云詞もあれば、既に此歌にも左手の奧の手に卷かんとありて、紛ふ處も無く、字書内典等の注にも出て、釧は肱卷の義訓の字に當れり。和名抄國郡部云、備中國下道郡郷の名に釧代【久之呂】と記せり。二字にてくしろと讀ませた(540)るは心得難し。※[金+瓜]の字にて久と讀べき義無し。或抄にくはしろと云義かと云へり。※[金+瓜]の字くはと讀まん義無し。※[金+瓜]は今土堀・草堀り抔云て、※[金+截の左]を曲て柄を着たるもの有。此類ならん。若しそれを誤りて鍬と心得て、※[金+瓜]の字に鍬の讀み有と云べきか。備中の國語誤りて用來りたる郷名の字故、和名にも記たるか。くしろにあらなんは、あれかしと願ふたる也
左手乃 此左手のと詠める義は、男子は左女子は右の手に嵌めたるか。追而可v考事也。左右共には嵌めざる樣に聞ゆる也。尤詞の續きにて、歌にはケ樣にも詠む事あれば、一定には決め難し
奧手 臂は袖の内奧に隱れたれば、奧の手と也。歌の意、肱卷のくしろにてもあれかし。然らば肱に卷きて人にも表はさず、なれて諸共にいなましをと也
 
拔氣大首任筑紫時娶豐前國娘子紐兒作歌三首 此拔氣の二字も何と讀まんか。所見無ければ訓し難し。大首も名か、かばねか難v決也。後考すべし
 
1767 豐國乃加波流波吾宅紐兒爾伊都我里座者革流波吾家
とよくにの、かはるはわぎへ、ひものこに、いつがりをれば、かはるはわぎへ
 
加波流波 かはると云所の名と聞えたり。紐の兒の居所を云か。歌の意、紐の兒を娶りて、それにいつき嫁づかれ居れば、かはると云。紐の子が居所は、拔氣大首が宅と思ふとの歌と聞ゆる也。かはると云地名追而可v考也
後考、和名秒國郡部云。田河郡の郷の名に香春、假名付にはカヽハルとあれど、かはるなるべし
紐兒爾伊都我里座者 此いつがりは、いつきかしづかれの意計にもあらず。女の名を紐の兒と云につきて、縁有詞を詠出たると見えたり。いつがりとは伊は初語にてかりは、き也。つきゐると云義也。袋などの口を鎖りの樣にゆふことをつがりと云也。然れば紐の子を思慕ふ心は、袋等の紐のつがりたる樣に、離れ難く思ひ居れば、紐の子に離れ居ても、心は一つ處に有て替るも、我家と一つ事に思ふとの意とも聞ゆる也。追而案ずるに此歌後説に從ひて見れば、未だ不v娶前の歌なるべし
三首共其意也
 
(541)1768 石上振乃早田乃穗爾波不出心中爾戀流此日
いそのかみ、ふるのわさだの、ほにはです、心のうちに、こふるこのごろ
 
石上振乃早田 これは葛飾早稻など云名物のわさ田なるにや。穗に出ぬ稻にはあらず。可v出筈の物の穂に出ぬと云意也。此歌などを能々玩味すべき事也。上代の歌の上手巧拙を見るは、ケ樣の歌をもて考ふる也。たゞ何共無く石の上振のわさ田と詠出たる處、後世の人の及ばぬ上手の作也。何の意味も詞のすがりも無くて、下に意をふまへたる也。先づ石の上振と詠めるは地名にして、早田と云も確かに振と云地名を据て、田を詠出で扨振とは、思ひの日を經る意を含みて也。扨穗に出でぬと詠めるも早田なれば、疾く出る筈の物なるに、其穗に出ぬは、わが思ひはいか計り日を經れ共穗に出さず、心の内に忍ぶ處の苦しく切なることを、自づから含ませて、表は何と無く安らかに詠出たる也。滯る處無く、する/\と聞えて、しかも意を確かにふまへたる詠樣也。聞き誤りて、振のわさ田は穗に出ぬかと思ふは、大成違ひ也。とく出る物なるに出でぬ處を、苦みたることの、切なるに喩へてよめる也
 
1769 如是耳志戀思渡者靈刻命毛吾波惜雲奈師
かくのみし、こひしわたれば、たまきはる、いのちもわれは、をしけくもなし
 
能聞えたる歌也。右三首共未だ紐の子を娶らざる前の歌と聞ゆる也。かく戀慕ひて後、終に娶り迎へたるなるべし。よりて標題には娶時と記せしならん
 
大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首 みわの大夫なかとの守によさゝれしとき云云
 
大神《オホミワノ》大夫 傳末v考。大神の二字おはみわと讀むか。たゞみわと讀べきか。追而語例を可v考也。いづれにても此氏は大物主の大神のみ子大田々根子の苗裔也。事は崇神紀に委しき也。こゝに大夫と記せるは名か官名か。何ぞの大夫に任じて其後の官名をもて、前の任國の時の事を記せしか。追而可v考也
後考、延喜式卷第八祝詞部、出雲國造神賀詞云、倭大物主〔櫛〓玉〕命大御和坐云云
 
(542)1770 三諸乃神能於婆勢流泊瀬河水尾之不斷者吾忘禮米也
みもろの、かみのおはせる、はつせがは、みをのたえずば、われわすれめや
 
於婆勢流 帶せる也。みもろ山を回りて流るゝ川と云義也。三輪山は山を神體とする也。古來より宮殿無く山を神として被v祭、今も人の拜禮するも山に向ひて拜み奉る也。惣而神を祭る事、山に木を植て奉v祭事、本朝の古實也。奧秘傳共ある事也。帶にせるとよめる、歌集中にも數多有。古今集にも見えて前に注せり。歌の意は流行みわ川の、しかも水深き處の水尾の絶えぬ限りは、みわの神恩を忘れま敷との意、又けふの宴の事をも、はる/”\の長門へ下りぬとも、故郷の事と共にいかで忘れめやとの歌也。大神の氏人なれば、かく誓ひの心をもて詠めるなるべし
 
1771 於久禮居而吾波也將戀春霞多奈妣久山乎君之越去者
おくれゐて、われはやこひん、はるがすみ、たなびく山を、せこがこえゆかば
 
此歌は大夫の妻などの詠めるなるべし。遲れゐてといひ、君之越行かばと有にて知るべし。其の宴にある人の餞の歌か
 
右二首古集中出 古の下に歌の字を脱せり
 
大神太夫任筑紫國時阿部太夫作歌一首 任2筑紫國1とは長門守にて下る時の事なるべし。阿部太夫未v考
 
1772 於久禮居而吾者哉將戀稻見野乃秋芽子見都津去奈武子故爾
おくれゐて、われはやこひん、いなみのゝ、あきはぎみつゝ、いなむこゆゑに
 
吾者哉 われは戀ひん也。はやと云は歎の詞に詠める也。凡てはやと云詞は歎の詞也。前に日本紀の詞等を引て注せり
稻見野乃 地名前に注せり。筑紫へ下る路次なれば詠出て、下のいなんと云縁なるべし。歌の意よく聞えたる也。子故にとは大神大夫をさして也。子の字は前にも注せる如く、賞美してよめる事も有。君子夫子などの如し
 
獻弓削皇子歌一首
 
(543)1773 神南備神依板爾爲杉乃念母不過戀之茂爾
かみなみの、かみよりいたに、なるすぎの、おもひもすぎじ、こひのしげきに
 
神南備神 三輪の神の事也。みもろの内皆神なびと云か。延喜式祝詞卷、出雲國造神賀詞云、乃大穴待命申給〔皇御孫命靜坐〕大倭國申、己命和魂、八咫鏡取託、倭大物主櫛〓玉命大御和神奈備坐〔己命御子阿遲須伎高孫根御魂〕高木神奈備〔事代主命御魂宇奈提坐〕、賀夜奈流美命御魂飛鳥神奈備、〔皇孫命近守神貢置※[氏/一]云云〕如v此あれば、此邊の地名の惣號を神なびと凡て稱せしと見えたり
神依板 これは神を移し奉る板を神より板といふ也。依とは神を天降しまつる義也。今も祈?者など佛家の法によりを立ると云事有。尤陰陽家立言家などに此事有。上古は本朝の法にも有て、神功皇后の卷に出たる儀、佛家に云、より人と同じく、神のかゝり給と云義有も同じ事也。今湯神子などの神託を述べる義も此事也。然るに此神依板と云はいか樣のものぞと云時、その制は不v被v傳共、只板を立置てか、持てか叩たることゝ見ゆる也。發動させて神を降すの道理にて、物の音を響かして騷々敷する事と見えたり。今も其遺風は神事に大太鼓を叩き立る事、又田舍にて神殿を叩く事有。是古實の遺れる世。こゝの神依板も其板にて、即ちなる板と讀みて、鳴の字を兼たると聞ゆ。神依板は叩く板なるべし。社壇神殿をも叩きて、神を天降し祭りたる事は、上古の習はしと見えて、歌にも神垣うち叩きと詠める、此たゝくの義不v濟事也。こゝに有神依板と云も、此歌などにて考へ知るべし。神代上卷、岩戸の段神事にも有し也。うけふせ踏とゞろかしは、後世神殿社壇瑞垣等を叩きたつる事となりし始め也。岩戸の神事の遺風と知るべし
爲杉 する杉と讀ませたれど、前に注せる如く、これは鳴の意を兼ねてなると讀べき也。杉は三輪の神木なれば也。畢竟下の思ひも不v過といはん爲迄に、杉のとは詠出たる也。前々よりの例格の通、古詠の格皆かくの如し
念母不過 思ひを過しやらぬと云義也。思ひを消しやる事無く、戀慕ひ佗ぶるとの歌也。思ひもはるけず、すごしやらぬ事也。思ひをはるけず、心の晴れぬ事を思ひ過ぬと云義、集中に何度も有。引合考ふべし。此歌は弓削の皇子を戀慕ひ奉る意を表し(544)て奉りたる歌也。男子か、女子か、不v知。袖書に人丸の歌集中出とあれば、先は人丸の歌とすべきや。然れ共歌集中出と云注不v合事多ければ、左注は証明に成難し
 
獻舍人皇子歌二首
 
1774 垂乳根乃母之命乃言爾有者年緒長憑過武也
たらちねの、はゝのみことの、ことなれば、としのをながく、たのみすぎむや
 
此歌諸抄の説は、皇子を恨み奉りて母のみことの云ける詞の樣ならば、わが願ことをも叶へさせ給へ。かく年月經る迄は、打捨置かれまじきにと云意と釋せり。當家の流とは裏表との違也。宗師見樣は皇子を奉v頼歌也。次の歌も同意にて、みこを頼母敷思ふ歌と見る也。母の如くならばいかで年月長く過んや。皇子の仁徳ませば、我母親の如く人を憐み惠み給へば、年月長くは過ぎまじ。やがてのうちに頼み奉れる事も叶ふべきとの意と見る也。次の歌の意と同意に不v見ては不v濟也
 
1775 泊瀬河夕渡來而我妹兒何家門近舂二家里
はつせがは、ゆふわたりきて、わぎもこが、いへのかどにも、ちかづきにけり
 
夕渡 妹が方へ通ふ夕部の義に詠なせり。忍妻の方へ通ふは夜なる故、夕わたりと詠みて艱難苦勞の義をこめて也。川を渡りて來るは勞ある事也
我妹兒何家門近舂二家里 忍び通ふ妹が家の門にも來り着たるは、嬉しかるべし。其意をもて、よそへたる歌也。願ふ事も皇子の惠みによりて、近付よりて既にことなるべきと、頼母敷喜べる意を如v此よそへたる也。これも前の歌と同じ意ならでは、二首奉る處の歌に別意は有べからず。近づきにけりと詠めるにて、年緒長く頼み過ぎんやと詠める意と同意の意也。何とぞ皇子を奉v願る事ありし人の、よみて捧げたるなるべし。先は人丸と見るべき也
 
右三首柿本朝臣人麿之歌集出
 
石川大夫還任上京時播磨娘子贈歌二首 石川大夫誰人か。此卷には大夫と計り記せるはいかゞしたる事か、心(545)得難し。官名か。たゞ五位の人と云しるしにか。太夫は四位五位の唐名なれば也
選任 國守にて有りしが、外の官に遷りたる故、京へ上る也。播磨守などにてありしが他官に遷りたるか
 
1776 絶等寸笶山之岑上乃櫻花將開春部者君乎將思
たゆらぎの、山のをのへの、さくらばな、さかむはるべは、きみをおもはむ
絶等寸笶山 八雲に播磨と注せさせ給へり。未v見2証明1ば先御抄に隨ふべし。たゆらぎをわざ/\詠出たるは思ひ絶えぬと云意をこめて也。たゆらぎの山と云へど、われは不v絶忍ぶと云意をよそへて也。歌の意聞えたる通也
 
1777 君無者奈何身將裝※[金+芳]匣有黄楊小梳毛將取跡毛不念
きみなくば、なにみよそはん、くしげなる、つげのをぐしも、とらんともはず
 
奈何身將裝※[金+芳] なぞ身飾らんと讀ませたれど、さにては有べからず、詞拙し。將裝餝の三字よそはんと義訓に讀みて然るべし。歌の意よく聞えたり。情深き貞節の婦人の歌也。是らをもて詩經の教えを立つる如く、いか樣にも婦人の教ともなる歌也。此類の歌又奧に有。追而引出すべし
小梳毛將取毛不念 梳、唐韻云、細櫛也。取らんともはずは、取らん共思はず也。毛の字一字衍字なるべし
 
藤井連遷任上京時娘子贈歌一首 葛井連廣成か。葛井もふぢゐと讀べき也。和名抄〔云、播磨國明石葛江【布知衣】〕藤の字は字書に蔓の惣名とも注せり。元正天皇養老四年五〔月壬戌、改2白猪史氏1賜2葛井連姓1。〕此廣成ならんか
 
1778 從明日者吾波孤悲牟奈名欲山石踏平之君我越去者
あすよりは、われはこひんな、なほりやま、いはふみならし、きみがこえいなば
 
名欲山 尚戀ひんと云意に、名欲山を詠出たると聞ゆる也。別の意無く聞えたる也
 
藤井連和歌一首
 
(546)1779 命乎志麻勢久可願名欲山石踐平之復亦毛來武
いのちをし、させくねがはね、なほり山、いはふみならし、また/\もこむ
 
命乎志 しは助語也。命を也
麻勢久 是をませ久しかれと詠ませたれど、命をしませ久しかれと云意、句義不v濟也。麻勢久、勢もさも同音也。依りて幸の字の意にて、眞佐貴久也。きの一語を略しいへる詞也。命をまききくと願はねと云義也
可願云云 かれと讀ましたり。かれは願ふ詞故、義訓との説あれど、可の字は下知の詞に用る字なれば、額はねと讀む也。互の命を幸と願はんとの義也。下句は先の歌に對して和へたる歌也。また/\もこんとは、又再び來てあはんとの義也
 
鹿島郡苅野橋別大伴卿歌一首并短歌 和名抄云、常陸國〔鹿島郡輕野〕前に筑波山に登るの歌有。當國の順寮の事終て、下總へ被v越時の歌と聞えたり
 
1780 牝牛乃三宅之酒爾指向鹿島之崎爾挾丹塗之小船儲玉纏之小梶繁貫夕鹽之滿之登等美爾三船子呼阿騰母比立而喚立而三船出者濱毛勢爾後奈居而反側戀香裳將居足垂之泣耳八將哭海上之其津於指而君之己藝歸者
ことひうしの、みやけのさけに、さしむかふ、かしまのさきに、さにぬりの、をぶねまうけて、たまゝきの、をかぢしゝぬき、ゆふじほの、みちの登等美に、みふなこを、あともひたてゝ、よびたてゝ、みふねいでなば、はまもせに、おくれなをりて、ふしまろび、こひかもをらむ、あしずりし、ねのみやなかむ、うなかみの、そのつをさして、きみがこぎいなば
 
牡牛 倭名抄云、〔辨色立成云、特牛【俗語云古度比】頭大牛也〕玉篇云、特、徒得切、牡牛、又獨也。こゝに牝の字は誤れり。然れ共字書等  の字義説々有て不2一決1ば、古くは牝をも男の字に用たるか。扨三宅と續けたる事諸抄の説まち/\也。先仙覺説(547)は、、牛は酒を好みて糟を食へば、醉て猛り誇りてかしましきもの故、三宅の酒にかしまとよそへたりと云へり
一説牛は熱を苦むものにて、酒を飲めば身の焚くが如くに悶えるもの故、身燒の酒と續くると也
一説さし向ふは、鹿島の崎に差向ふ下總國海上郡の内に、三宅と云處ありて、盃を差向ふ如く、對せし處より船出すると云義に、かく續けたるとの説
一説三宅は宮家と書きて、國々の政屋を云へば、此酒は公義よりのもてなしの酒にて、唯今別るゝ鹿島の崎に差向へば、かく續けたるかとの説、右の説々いづれもより所無きにはあらねど、しかと打付かぬ説々也。愚案は、ことひ牛のみやけの酒と續けるは、古の諺にことひ牛酒を飲めば、身の焚如くあへぐものと云習たれば、それを取りてみやけの酒とは續けて、扨そのみやけは則下總の國海上郡に有地名なれば、鹿島の崎と差向ひたる崎あると聞えたり。さなくては諺に云觸れたる言にても、地名のより所無くては詠まじき也。然れば牡牛はみやけと云はん爲の冠句、みやけは鹿島の崎に向ひたる崎、さる故酒も崎も同音なれば、牛のみやけと詠むから、崎を酒と讀なせるなるべし。殊に酒は、飲宴にも、さしつ酬ひつするものなれば、相對する意を兼ねて、さし向ふとは讀める也。和名抄國郡部云、下總國海上郡、三前、三宅、船木。同抄云、常陸國鹿嶋郡鹿嶋、高家、三宅、宮崎。如v此あれば、常陸の内の三宅にて、鹿島の崎と相對したる所にても有べきや
鹿嶋之崎爾 前に地名を注せる如く、此處より般乘して、下總の海上へ越せるなるべし。さにぬりの、さは例の初語、小船のをも同じ。玉まきは船のかざりを云へり。此等皆歌の雅言也。詞花言葉と云義ケ樣の事也
小梶繁貫 小は初語也。諾抄梶を多く貫つらねてと云説也。師説は、しゝはすゝと云ことにて、船に鈴をつけて餝として、海獣を脅しの爲に、上古はかくの如く怖れると也。鈴船と云古説ある由也。予未だ所見せざれば此義未2甘心1也
しゝぬきと有は、今も梶を船のはたに緒をつけ、つゝ《本マヽ(すゝカ)》の樣なるものに貫置、それにて漕也。大船程いくらも其かぢを列ねて、何丁だち等云て漕なれば、しゝぬきは繁くぬくと云義に叶ふべきか。祈?の時たか玉をしゝぬきと云こと有。これはしのにぬき也。此奥の歌にも、竹珠乎密貫垂と有、密の字忍ぶと讀む字なれば、小竹にぬきたれと云証ともすべし。尚其處にて注すべし。こゝはしげきの方ならんか。尚追而可v考
(548)夕鹽之滿乃登等美爾 これは諸抄の説は、鹽の滿ちて船出の滯る故、數多の舟子を集も誘ひと云義と釋せり。然れ共潮のみちのとゞみと云詞心得難し。道のとまりと云義を、潮のみちと云かけたるならん。玉鉾のみち來、しほみちくるかをりなど詠める事もあれば、道のとまりに舟子を集め催してと云ふ義と見る也。夕部は即ちとまりの縁に、夕鹽のと詠めるなるべし。旅路のとまりにてと云義也。三船子。和名抄第二、人部、微賤、舟子【附水手】文選江賦云、舟子【和名布奈古】於v是搦v棹
阿騰母比立而 このことは第二にて人丸の長歌にみ軍をあともひ給ひと有。第十七にも大伴池主の布勢海の長歌にも、白妙の袖ふりかへしあともひてわが漕行けば、と有。第十、第十四、第十五卷に跡もふと詠める詞もありて、其處々にて歌により差別有詞也。然れ共第二の詞、此歌、卷第十七、地主の歌詞とは同じ事と聞ゆる也。此歌の義も諸抄説々にて、一説は今はと思ひてと云説有。又日本紀に誘と云字をあとふと讀ませたれば、誘ふと云心也と云説有。六帖の歌に、時鳥春を鳴けとはあとふ共人の心をいかゞ頼まん、と詠めるも同じき義と注せる抄も有。まち/\にして叶へり共不v聞也。第二卷に注せる如く、これはあつめとゝのひてと云詞也。つととは同音通、めととを約すればも也。よりて集めとのひと云略語と見る也。義も又能叶へり
立而 下の呼たてゝと云へ績く縁に詠める也。濱毛勢には野もせ庭もの詞と同じく、濱も狹き程に皆打並居てと云意也。反側は、ふしまろび也。毎度有る文字詞也
足垂之 垂の字をずりと讀まするは、ものゝ垂下ることをずりさがるなど云義より、借訓に讀ませたる也。これも足摺にては有まじ。あしたつのと云義ならんと云説有。垂の字たつと讀む意心得難し。ねのみとうける處はさも讀みたき處也。殊に足摺しと云に、之の字を書きて、爲のしに讀ませたるも、少珍しき也。印本には足摺のと讀ませたれど、足摺のねとも續かぬ詞也。此句少不審有續き也
海上 上總下總兩國共に有。倭名抄可v孝。其津於指而、此於の字心得難し。弘の字の誤りか。遠の字か兎角誤字也。歌の意は句釋の通にて、別を惜める歌と聞えたり
 
反歌
 
1781 海津路乃名木名六時毛渡七六加九多都波二船出可爲八
(549)うなつぢの、なぎなんときも、わたらなむ、かくたつなみに、ふなですべしや
 
海津路 うな上へ渡る海路の事なれば、うなつぢと讀べき也。惣體の海路の風波のなぎたる時もと云義なれ共、海上の津に越るなれば、其地名を兼ねて讀むべし。海つ道のと云義也
時毛 時にと有べき樣なれど、時にもの意也
多都波二船出可爲八 別を惜みて少なり共止めん爲に、かくは詠めるなるべし
 
右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出 蟲麻呂此時國守抔にてもありける故詠めるか
 
與妻歌一首
 
1782 雪己曾波春日消良米心佐閉消失多列夜言母不往來
ゆきこそは、はるひきゆらめ、こゝろさへ、きえうせたれや、こともかよはぬ
 
此歌は、妻の方より音信の遠ざかりしを恨て與へたる也。歌の意は聞えたる通、雪ならば春の日に消失せるも理りなるに、そなたの心の變じてわれを慕ひ思ふ心さへ消失せしや、音信だに無きと也
 
妻和歌一首
 
1783 松反四臂而有八羽三栗中上不來麻呂等言八子
 
此歌いかに共聞得難し。諸抄の説も色々説々有て、篤と理り明らめ難し。先印本諸抄の通にて讀まば
    まつかへりしひにてあれやはみつぐりの中上こずてまろといはゞこ
かく讀みて其意、まつかへりしひにてあれやはとは、待に晩く來るをしひにてあれやはとよめり。急ぎ來んともせで、心緩かに有を、しひにてと云と也。三栗などの樣に來ず共、麿がいはゞ來よと云義と也。いはゞこと云は、云はゞ來よと云義也。如v此注して此歌何と聞えたるや心得難し。又一説に松は色の變ぜぬ物なるを、變ずと云樣にをしふると云て、誣の字の意也。松を變ずと云は誣る事故、しひてと云はむ爲に、松反とは云へると也。そのしひにてあれやはとは、思はぬを思ふと強ひて云へる(550)にてあらんやはと云心也。上の歌に消失せたれやと云へるに、さは無きと答ふると也。三栗の中上とは、第五卷に憶良の歌の、さき草の中にをねんと云歌の意と同じくて、此下句は、中うへ來ぬを麿といへやこ、と讀べきかと也。中上とは、一月を三つに割りて、中の十日を中とすれば、上旬下旬皆上也。然れば我れは思はぬを思ふと、しひて云へるにあらず。君こそ來んと頼み置ても、初め、中、終り、待ちに待たれても來ずして、猶待と云へとや君と云心也。子は男子の通稱にて、君子共いへば君と云に同じ。云へやは云はんや也。丸とは、ろは助語にて、眞人と云義と也。始終來ぬを誠あるつまと云はんや。君こそ人を誣ては有れと返せると也。如v此の釋にて此歌聞得たりとも不v覺也。先四臂而を誣の字の意と見ること、いかに共心得難し。第十七卷の歌にも此詞あり
    麻追我弊里之比爾底安禮可母さやまたのをちかそのひにもとめあはずけん
如v此有て同じ詞也。よりて師案は、此歌の見樣一字誤字有と見て釋せる也。其誤字は上は出の字の誤りと見る也。よつて讀み樣は
    まつかへりしひにてあれやはみつくりの中にも出きでまつといふやせ
如v此讀みて、まつかへりしひにてあれやはとは、さもあらぬことを、却りて裏腹なる、筋無き事を云へると云義に喩へたる義也。松變じて椎にあらめやは、しひにはあらぬと也。われ心も變じて音信もせぬと云おこし給ふは、かへりてそなたにこそ、心も變じて待てど來まさぬを、われを心さへ消失せたれやと宣ふは、あちらこちらなる義と云の和へ也。あれやは、あらめやはの約言也。らめをつゞめてれ也。奧の歌にも、あれ可母と書たれば、こゝもあれと讀べし。あるやも、ありやもと讀誤るまじき也
三栗 これは上に松椎を詠出たれば、中と云冠辭に、幸と三栗とを詠出たりと聞ゆ。三栗は決めて中圓きもの也。いがの中に大方三つ生るもの故、三栗とは詠みて、中の冠辭とはせり。三つ出來ずても、兩樣にへたの如く有もの也。杓子の如くなるもの故、直に杓子共云也。然れば其三栗の中にも、不2出來1ものをも麿と云べきや。中にも不2出來1て、そなたには麿と云如く、わが忘れもせぬ心を消えたれやと、筋無き無理なることを宣ふ背子かなと、返して恨みたる和へ歌と聞ゆる也。子と云字は先(551)をさして、さしすせそ通音にてもせと讀む。せとは夫の事也。又男子の通稱なれば、義訓にせと讀んでも苦しかるまじき也。
しひにてのてはつけ讀み也。而の字はにと讀む也。にを付る事は、上を音に四臂と書たればなり難し。奥の假名書の歌に、爾底とあればこゝも准じてにてとは讀む也。若し又上文字を其儘にて、何とぞ讀解樣あらば後案を待のみ。先師説かくの如し
 
右二首柿本朝臣人麿之歌集中出 此注にて袖書の注に、何の歌集中出と有ても、其人の歌と決し難き證明明か也。既に妻和歌と有からは、人麿にて無き歌も歌集中に入たると見えたり。然れば人麿妻との問答の歌と見て、前の雪こそはの歌人麿の歌とすべきと云べけれど、口風違たる事を知るべし。凡て左注の義は後人の筆相混じたれば、難2信用1事有。又可v取事もありて取捨ある事也
 
贈入唐使歌
 
1784 海若之何神乎齊祈者歟往方毛來方毛舶之早兼
わたつみの、いかなるかみを、まつらばか、ゆくさもくさも、ふねのはやけん
 
海若 海の惣名也。海の一字にてもわたつみとは讀む。古代より如v此二字にも書來れり
何神 住吉明神知夫利の神等皆海路を祈る神也。其外にもいか樣の神を齊ひ祭りて祈らば、風波の難無く往來滯り無く早からんやと也。上古遣唐使出船の時は、難波住吉等に官幣を被v奉被v祈し事、國史等に詳也。延喜式祝詞の卷にも見えたり
往方毛來方毛 方の字さまと訓ずる故、行き樣歸る樣もと云義にて如v此讀む也
 
右一首渡海年紀未詳
 
神龜五年戊辰秋八月歌一首井短歌 これは三越の國の内へ、國守に被v任て下る人を、京に留り殘る人の詠みて贈れる歌也
 
1785 人跡成事者難乎和久良婆爾成吾身者死毛生毛君之隨意常念乍有之間爾虚蝉乃代人有者大王之御命恐美天離夷治爾登朝鳥之朝立爲管群鳥之群立行者留居而吾者將戀奈不見久有者
(552)ひとゝなる、ことはがたきを、わくらはに、なりしわがみは、しにもいくも、きみがまゝにと、おもひつゝ、ありしあひだに、うつせみの、よの人なれば、大きみの、みことかしこみ、あまさかる、ひなをさめにと、あさどりの、あさたてしつゝ、むらどりの、むらだちゆけば、とまりゐて、われはこひんな、みずひさにあらば
 
人跡成事者 人と生るゝことは容易くは成難きを、われ偶々人となりしと也
和久良婆 前に注せり。病葉の事也。たまさかに有もの故、稀なる事に喩へ云也。わづらひ葉と云義を、わくら葉とは云也。その病葉を稀なる事に云義は、しかと濟難き事也。病葉はたまさかに有物故、云との事計りにてはしかと打着難し。何とぞ義有べき事也。わくら婆と濁音にて無ければならぬ詞故、集中皆濁音の字を用たり。然るを今はわと聞ゆる樣に云習へり
死毛生毛 死にも生も君がまに/\と思ひつゝ、朋友にもし夫婦の間にもあれ、到りて睦じく思ふ間と聞えたり。第十六卷竹取の翁に仙女が答へし歌にも、しにもいきも同じ心と〔結びてし友やたがはんわれもよりなん、と〕詠めり
うつせみのよのひとなれば云云 今現在の世の中に住人なれば、一天の君の命令を背き難くてと也。みこと畏みとは、みことのりの恐しければ、何事も君命に任すとの意也。已下の詞聞えたる歌也。これは京に止まれる人の詠める也
 
反歌
 
1786 三越道之雪零山乎將越日者留有吾乎懸而小竹葉背
みこしぢの、ゆきふる山を、こえむ日は、とまれるわれを、かけてしのばせ
 
此三越と云は、越前越中越後の三越の國の道と云義也
雪零山乎 今雪の降にはあらず。越の國は雪深き國なれば、行經ると云意によせて詠める也
懸而しのばせ 越の國よりこなたに心をかけ渡してと云意也
 
(553)天平元年己巳冬十二月歌一首并短歌
 
1787 虚蝉乃世人有者大王之御命恐彌礒城島能日本國乃石上振里爾紐不解丸寐乎爲者吾衣有服者奈禮奴毎見戀者雖益色二山上復有山者一可知美冬夜之明毛不得呼五十母不宿二吾齒曾戀流妹之直香仁
うつせみの、よのひとなれば、おほきみの、みことかしこみ、しきしまの、やまとのくにの、いそのかみ、ふりにしさとに、ひもとかず、まろねをすれば、わがきたる、ころもはなれぬ、みるごとに、こひはまされど、いろにでば、ひとしりぬべみ、ふゆのよの、あけもえざるを、いもねずに、われはぞこふる、いもがたゞかに
 
磯城島能日本國乃 敷島は大和の國の地名にして、日本の惣號共なれり。依て大和の冠ともなれり。すべて地名は二つ重ねて云也。これを雅言雅語とする也。然るに餘の別名もあれど、大和と續けることは、此敷島計にて、本邦の惣國號にも呼ぶは秋津島大和と續く義と同じ理りにて、島と云名によりてか。秋津島も惣號也
振里 ふりにし里にとよみて、詞を合せたれど、反歌を見れば、振山とあれば、石上の布留の里に居て、奈良の都の妻を戀て詠める歌也。冠辭に詠べきふるにあらず。地名を直に詠べき事也。ふりにし里と云ては、故郷の事を云義に間ゆれば、此讀みはいかゞなれど、帝都を離れたると云意、又布留の都は上古の事にて、今はふりあれたる處となりたれば、上古の都の事に對して、ふりにしと詠めるか。不審有。此歌の作者、何とぞ公け事に從ひて、都を離れ石上の布留の里に居て詠めると聞えたり。天平五年の比は奈良の郡の時なれば、反歌にもよめる如く、ま近き處なるに、かく詠める意不審ある歌也
服者奈禮奴 着古して垢付たると云義也。衣服は妻のしわざにて、裁縫たる物にて、垢づけば解洗ふなるに、ひとりのみあれば誰取認むる者も無きから、見る毎に妻を戀慕ふ思ひの増と也
色二山上復有山者 これは色々に山の上又ある山はと、文字の通に讀めり。諸抄にも出の字の義訓の意には心得で、失張文字の如く讀める也。(554)歌詞を不v辨より、出の字を形にして詞に延たると云義を不v辨故也。山の上に又有山はと讀みて、歌の詞に何と通ずべき。當集の書體書法を不v考釋也。此は色二山上復有山者の八字を、五言に讀める詞也。出と云字を山の上に山有と、字の形を云て色に出ばと義訓に讀ませたる義也。是萬葉書とて世にも一格立たるはケ樣の書法によりて也。馬聲蜂音をいぶと讀ませ、喚鷄を、つゝと讀ませ、其外あげて數へ難き書ざま有を、此集の筆力古語の傳來の証明共する事也。毛詩文選古樂府唐詩等の文を引、出の字の義も色々注せし抄共あれど、口惜しき義たゞ心安く色に出ばと讀みて、歌の詞安らかによく通ずる事を不v辨事、流石の博覽の先達も、歌の筋を不v辨から、句例語例を知らざる也。出の字は字書等にも、山を重ねたる點畫にはあらず。中の一點は後筆に貫きて、字畫も近代の字書には※[口の上の横線なし]《カン》の字畫部に入たれ共、是は代によりて違あれば、今の字書等は証明とはなし難し。古樂府にも、藁砧今何在、山上更有v山と記し、唐詩の内にも、山上有v山不v得v歸と書て、出と云字の意を述べたる義あれば、古字は山に從ひたり共見えたり。此歌の意、見る毎につれて戀慕ふ思ひは増せ共、色に出でば人の悟り知らん事を、包むも尚物うきと云義也
一可知美 外人の知るべきと也。是等も萬葉書の一格也。一の字、ひとゝ云字義は無けれど、一つと讀む字なれば、人の字に訓を借用る也
明毛不碍呼 あけもえざるをとか、あけもかぬるをと讀みて、長き夜をいも寐ずして戀ふると也
妹之直香仁 此直香の事前にも注し、此後あまた有詞にて、慥には解釋し難く、先づ推量にねやの事をたゞかと云と釋し來れり。何とてありかと云も同じくて、こゝも妹がありかに心迷ひて歎くと云義と見る也。今時の手爾波にては、たゞ香をと有べき樣也。然れ共前にも注せる如く、古詠には戀と云義を、何に戀とのみ云來りて、何を戀とは一首も無き、是後世の歌と大成違ひ也。こゝも上にわれはぞ戀ると詠たれば、たゞかにと詠める也
此歌の全體は、公事につきて大和の石上の布留山里に獨り居て、都に有る妹を冬の夜の長をもいねがてに、人目を包み心にのみ慕ひ戀ふとの歌也
 
反歌
 
(555)1788 振山從直見渡京二曾寐不宿戀流遠不有爾
ふるやまに、たゞに見わたす、みやこにぞ、いもねずこふる、とほからなくに
 
振山從 石上の布留山より、一筋に直ちに見渡せば、奈良の都はいと近き處と聞えたり。古今には奈良の石の上とさへ書たれば、程近かりしと聞ゆる也
京二曾 此ことに付ては不審有。京をぞと云手爾波ならでは此歌聞え難し。若しは乎の字の誤りたるか。にぞと有てをぞと云心に見よとの説あれど、さは成難し。さ無くて妹が戀ふらんと見る意も有。若し其意にて詠めるか。但しは誤りか二義の内なるべし。妹がこふらんと見る意は、長歌にはわが戀慕ひて、夜をいねず思ひ佗ぶる事を詠たれば、短歌にて妹もかく戀らんやと、思ひやりてよめる義も有べし。戀流と云詞は、こふらんと云、らんの二語を約していへば流也。よりて京にぞ妹不寢戀らんと云意に詠たるか。戀流とよめるは詞を約したるかと見る也
遠不有爾 石上と奈良とはさのみ遠からね共、わけありてこそ隔たりかく戀慕ふと聞えたり
 
1789 吾妹兒之結手師紐乎將解八方絶者絶十方直二相左右二
わきもこが、ゆひてしひもを、とかむやも、たえばたゆとも、たゞにあふまでに
 
歌の意はよく聞えたり。不v及2細注1者也
 
右件五首笠朝臣金村之歌中出 如v此左注に注せるは、古注者見る所ありて注せるなるべし。師案、天平元年十一月に、京及畿内に班田司を被v置たる事紀に見えたれば、若し金村此時其司に任じて、幾内を巡行せし時詠めるか
 
萬葉童蒙抄 卷第二十三終
 
(556)萬葉童蒙抄 卷第二十四
 
天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首并短歌 續日本紀卷第十三、天平五年夏四月己亥、〔遭唐四船自2難波津1進發〕前にも委敷注せり。此時の歌、第五、八、十九卷等に混じて被v載たり。大使は多治比眞人廣成也
 
1790 秋芽子乎妻問鹿許曾一子二子持有跡五十戸鹿兒自物吾獨子之草枕客二師往者竹珠乎密貫垂齊戸爾木綿取四手而忌日管吾思吾子眞好去有欲得 奴者多本奴去古本
あきはぎを、つまとふかこぞ、ひとりごふたりご、もたりといへ、かごじもの、わがひとりごの、くさまくら、たびにしゆけば、たかたまを、しゝにぬきたれ、いはひべに、ゆふとりしでて、いはひつゝ、わがおもふわご、まさゝきてあれかな
 
秋芽子を云云 鹿は萩を妻とし、なれ添ふもの故、妻とふと詠みて、其鹿こそ子を一つ二つも持ちてつるれ。其鹿の子の如きわれも、たゞ獨りの子を唐へ遣はす事の覺束無さに、神々に祈をするとの歌也。我一人子のと云迄は、一人の子を旅にやると云ことの序也。古詠はかくの如く何になり共喩へて詠める也。鹿と云ものは、わきて子を愛して、つれて離れぬもの故、よそへて詠めるなるべし
鹿兒自物 牝鹿の子を※[鹿/兒]と云。和名抄云、〔牝鹿曰v※[鹿/ヒ]、其子曰v※[鹿/兒]〕その如くと云意也。自物の事前に注せり。如と云義也
竹珠乎 注前に有。珠をほめたる詞か。又陰陽家に竹の輪玉に形取りて、祭具に用たる由も云へり。神社には此古實は不v知。追て可v考こと也
密貫 これは、前々より繁く貫きてと云義に云來れり。繁の字を書て皆しゝぬきと讀ませたれど、繁と云字をしゝと讀む義不v濟。しげきとは古く讀來れり。繁きはしぬと云詞に通ずれば、これは小竹にぬきと云義ならんか。こゝに密の字を書たる(557)にて、愈繁は、しの、しぬと云義に用たる共見ゆる也。密の字は、しのぶと讀む字なれば、しぬと用たると見えたり。珠を小竹に貫たれて、神を祈り祭り奉るものとしたる義也
後案、密の字は細常と續きて繁きことにも通ずるなれば、繁き意なるべし。第十三卷の歌に、什珠乎無間貫垂天地之神祇乎〔曾吾祈甚毛爲便無見〕と詠めり。同卷或本歌、竹珠呼之自二貰垂〔天地之神呼曾吾乞痛毛須部奈見〕、如v此あれば、しのにと云義には決し難し。歌に依て小竹とも見るべきか
齊戸 神を鎭めまつる家也
吾子眞好去有欲得 これを古本印本諸抄共に、わが子まよしゆきてかなと讀めり。心得難き讀み也。又眞好去有欲得を、まよしゆけれかなと讀べLと云説も有。皆歌詞を不v辨讀み樣也。當集の格を熟讀無き人の、義訓書法を不v辨して文字になづみて無理讀に訓じ、語例句例歌詞にあらぬ事を讀めり。尤此好去の字古來より誤字相混じて本々不2一決1か。古注者も下に傍注をせり。其後注共に誤字正字難v決好の字奴と記せり。此好去の字は第五卷にも、好去好來の歌とて、則此遣唐使の時なるべし。山上憶良此遣唐使の大使廣成へ被v贈歌の標題にも、被v擧たる字也。そこにも注せる如く、よしゆきよしきたれと讀べき共不v覺。別訓あらんと注せり。その別訓今に不2成案1也。然れ共此歌にては、わがおもふわごまさゝきてあれかなと、義訓に讀べき也。好去の字を正字と見る也
奴者多本奴去古本 是古注者迄も無く、後人の加筆なるべし。本文の字は好の字なるに、注には奴の字に書たり。如v此傳寫の誤り有ものなれば、書の儘に書を用ひば、實に書無きには若かじ
 
反歌
 
1791 客人之宿將爲野爾霜降者吾子羽※[果/衣]天乃鶴群
たびびとの、やどりせんのに、霜ふらば、わがこはぐくめ、天のつるむら
 
羽※[果/衣] 鳥の羽を覆て包める如く、かひこ雛を育てる意をもて義訓に讀ませたり。今人をはぐくむと云詞も、これより出たると(558)見えたり。羽含と云意なるべし
天鶴群 珍しき詞なれど、鶴はわきて子を思ふもの故也。尤唐國にても、后稷を諸鳥の育てしなど云古事もあれば、かく詠めるなるべし。天とよめるは霜は天象の物なれば、詞の餘情によめる也
 
思娘子作歌一首并短歌
 
1792 白玉之人乃其名矣中々二辭緒不延不遇日之數多過者戀日之累行者思遣田時乎白土肝向心摧而珠手次不懸時無口不息吾戀兒矣玉※[金+爪]手爾取持而眞十鏡直目爾不視者下檜山下逝水乃上丹不出吾念情安虚歟毛
しら玉の、人のその名を、なか/\に、ことのをのべず、あはぬひの、あまたすぐれば、こふるひの、かさなりゆけば、おもひやる、たどきをしらに、むらきもの、こゝろくだきて、たまだすき、かけぬときなく、くちやまず、わがこふるこを、たまゝきて、てにとりもちて、まそかゞみ、たゞめにみずば、したひやま、したゆくみづの、うへにいでず、わがおもふこゝろ、なぞむなしかも
 
白玉之 娘子をほめて也
人の其名を中々にことのをのべず ことの緒のべずは、詞に云表はさずと云義也。のべと云んとて、言の緒とは詠める也。思ふ人の名を詞に云出でぬとの義也
思遣 おもひをけしやる便りも知らずと也
肝向田付乎白土 前にも注せる如く、村肝物と云義なるべし。きも向ふ心と云義不v濟詞也。先諸抄の通心と云冠句と見て置とも、きも向ふ心とうける義不v通也。村肝の心とうけたる義は濟也。群木物|多《コヽラ》と云義也。肝向と云義は、五臓の神は悉く一神に約まり何ふと云義に、肝向ふ心と續くるとの諸説は、いかに共義不v通釋也
(559)心摧而 思ひの切なる義をいへり。詩文等にも、心肝をくだくと云事數多遣ひたる詞也。遊仙窟にも、心肝恰欲v摧、又心膽倶碎と有
珠手次不懸時無 思ひ忘るゝこと無くと云意也。こゝよりそなたへかけて思慕ふとの意也
口不息 此句難2心得1けれど、第十四卷に、春野に草はむ駒の久知夜麻受安乎しぬぶらん家のこら共、と詠める歌もあれば、先づ字の如くよめる也。獨りごちとか、もださずもとか讀む義訓あらんか。口やまずと云意は、思ひの餘りにくど/\と、ひとりごちなど云義をいへるなるべし
玉※[金+爪] 肱卷の鐶の事也。釧の字の誤りなるべし。和名抄の農具の※[金+脈の旁]《カナカキ》の別名をも、くしろとあれば、その訓を借りて書たるか。手と云はん爲の序也。取持は下の鏡にかゝる詞也。娘子を取持ちと云説あれど心得難し
直目爾 今俗に、ぢきにと云の意也。直ちに目に見ねばと也
下檜山 攝津國に有。攝津風土記云、〔昔有2大神1云2天津鰐1。化2爲鷲1而下2此此山1。十人往者五人去五人留。有2久波乎者1來2此山1伏2下樋1而屆2於神許1。從2此樋内1通而?祭。由v是曰2下樋山1。〕下ゆくと云はんとて、下檜山とは詠みて古事をふまへたる也。下樋は土の中に伏せて下を行物なれば、表に表さぬ、忍ぶ事を下樋によそへて詠める歌多し。日本紀允恭紀にも、木梨輕〔太子容姿佳麗見者自感。同母妹輕大娘皇女艶妙也。太子恒念v合2大娘皇女1。畏v有v罪而黙之然、感情既盛殆將v至v死。爰以爲徒非2死者1雖v有v罪何得v忍乎。遂竊通乃悒懷少息。因以歌v之曰〕足びきの山田を作り山高み下樋をわしせ、とも詠ませ給ふ也。或抄に陰溝をいふ共云へり
安虚歟毛 安き空かもと讀たれど、此義心得難し。歌の意は心の安からぬと云義也。空かもと云へる義いかに共不v通。心も空になど云事あるから、かくも詠める事あるや。語例を不v考。師案、まみむめも同音通なれば、やすみなしかもと讀べしと也。此詞も珍しければ、何とぞ別訓あらんか。やすみなしと讀める義共不v覺也。なぞ空しかもと讀まんか。われかく思慕ふ事の、上にも顯さで、などかくも下にのみ空しく戀渡るかもと云義に詠めるか
 
反歌
 
(560)1793 垣保成人之横辭繁香裳不遭日數多月乃經良武
かきほなす、ひとのまがごと、しげきかも、あはぬ日あまた、月のへぬらむ
 
聞えたる歌也。垣ほなすの事は知れたる詞也。垣の物を隔つる如く、人の中言の横しま言を云けるか、かく隔たればと云迄也
 
1794 立易月重而雖不遇核不所忘面影思天
たちかはり、つきかさなりて、あはざれど、さねわすられず、おもかげにして
 
核 眞の字をもさねと讀む意と同じ。まことに忘られぬと云義に、寢を兼ねて云へる也。いねても忘られぬと云意をこめて也。面影の忘られぬと云義、忘られぬ面影と云義也
 
右三首田邊福麻呂之歌集出
 
挽歌
 
宇治若郎子宮所歌一首 宇治若郎子 應神天皇の太子也。應神紀に詳なり
 
宮所 挽歌と擧たれば、此宮所と云は皇子薨去まして奉v葬たる喪所をさして云義と見えたり。もがりの宮など云義と同前也。常居の宮殿の事を詠める歌の意にも見えず。奉v葬たる所の義と見ゆる也。然るを諸抄には、大和の今木に御座所の有し樣に注せるは、今木と云詞になづみて、此詞の意を不v辨よりなるべし。宇治若郎子は山背の宇治にまし/\て薨去なりし也。
大和にましませる事は、紀にも不v見事也。但し上古の大和今來郡の内の山に隱し奉れるか。それにても兎角葬し處につきて詠める歌也。いま木と詠めるに譯あれば也。仁徳紀に葬2於蒐路山上1。又延喜式第二十一の諸陵式云、宇治墓、兎道稚郎皇子在2山城國宇治郡1云々
 
1795 妹等許今木乃嶺茂立嬬待木者古人見祁牟
いもらがり、いまきのみねに、なみたてる、つまゝつのきは、ふるひとみけむ
 
(561)妹が許に今來とうけたる迄にて、妹に意は無き也。今來の峰、此地名を紀州と云説有て、八雲にもさ記させ給へれど、今來は大和也。日本紀に毎度見えたり。上古は郡の名にも見えたれど、今は不v見。名目の替りたるか。日本紀雄略紀黒彦皇子眉輪圓大臣と新漢《イマキノアヤ》〔擬本南丘に合葬〕と有。欽明紀七年秋七月、倭國今來郡言云云と有。此已下歌の詞にも見えたり。然れば今來と云所は大和也。こゝに云へる今木と云義は、右の地名も有故に寄せてかく詠めるか。又上古毎度人を葬し山なる故、名付もし此歌にも詠出たるか。今木と云は、今柩を藏る處の峯をさして今木とは云へる也。きとは墓の事を云事神代よりの古語也。おきつきと云事、此集中にも手兒奈が歌にも見えて、上古は墓をつきとも、きとも云へり。大あらきの森など詠める歌の處にても注せり。さ無くては此歌何をもて挽歌と云べきや。今木の峯とよめる處にて、挽歌のしるし有。※[木+皮]と云も柩に造る、きの木と云ことにて、まは初語にして、きの木と云名と聞えたり。※[木+皮]を棺槨に作る由來は、神代上卷に見えて、土に入て不v朽木故、上古より用來れる也。棺槨をきと云事は前にも注せり。そのきを葬藏む處の山を指して、きの峯とは詠める他。墓の事を指して、其墓の上に標として木を植たてる、その木を古人と成給ふ皇子の見給ふらんと也。嬬待の木とは、上にいもらがりとよめる縁を離れず、妻を待とうけて、木の惣名なればかれこれ合せて待の木とよめり
古人見祁牟 見るらんの意也。古詠には此詞多し。いかにと云手爾波ならんか。未v考共兎角見るらんと云義にも、見けんと用來れり。古人とは身まかり過さり給へば、も早や古き人にならせ給ふと云義に、ふる人見けんと詠めるならん。死人を物故と書くも此意也
 
紀伊國作歌四首 此題にて前の歌の今木をも、諸抄に紀州に誤りいへるか
 
1796 黄葉之過去子等携遊礒麻見者悲裳
もみぢばの、すぎいにしこらを、たづさへで、あそびしいそを、みればかなしも
 
能聞えたる歌也。過ぎにし子等をと云にて挽歌の意有。紅葉々の過去と云詞いかゞなれど、古くはすぎと詠めるか。義をもて書たるか。然らばちりゆく也。第一卷に葉過去と書ける處にて、黄の字脱したらんと云へるも、此歌等に基きて也
 
(562)1797 鹽氣立荒礒丹者雖在往水之過去妹之方見等曾來
しほけたつ、あらそにはあれど、ゆく水の、すぎゆくいもが、かたみとぞくる
 
荒き波のたつは、煙の立如くなるもの也。其事を鹽けたつとは云へり
方見等曾來 過去し妹を葬し荒磯邊故、影見ぞと思ひて來ると也
 
1798 古家丹妹等吾見黒玉之久漏牛方乎見佐府下
いにしへに、いもとわがみし、ぬばたまの、くろうしがたを、みればさぶしも
 
古の字計にてもいにしへと讀むに、家の字を添たり。當集にはケ樣に色々に書なせり。此類何程もあれば、その例に隨ふべし。何の意も無き歌也
 
1799 玉津嶋礒之裏未之眞名仁毛爾保比去名妹觸險
たまつしま、いそのうらまの、まなごにも、にほひてゆかな、いもゝふれけむ
 
裏未 浦まわりと云と同じ。うら邊と云ても同じ。邊と云ならば、未はいまだと云字にて、ひと讀む濁音の字なるべし。うらみ共云。ひ、み、邊、同音也
眞名仁毛 名仁の間に、ごと云假名一字落たり。まなごも也。眞砂の事也。妹と共に遊びなれて、妹も來、ふれたる眞砂の浦まなれば、挽歌を詠吟して行かんと也。にほひては吟の字の義にて、うめく事をも云は、歌を吟詠するはうめく樣なるものなれば也。妹もふれけんは、其まなご路に來ふれし處と云意也
 
右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
此左注にても、歌集出とありても、その人の歌とは不v被v決証明共なるべし。いかにとなれば、右の歌の内に、妹と携はりて遊びし磯の事など詠める也。然れば人丸前妻後妻共に、夫婦伴ひ紀州の海邊に遊びつる事、前に歌にも詠まれ、集中にも可v被v出事なるに、その趣嘗て無ければ、集中出とありても、極て其の人の歌と云義には成難し。外人のよみし歌共をも、集置かれ(563)たると見えたり
 
過足柄坂見死人作歌一首 あしがらのさかをすぐるに、まかれるひとを見てつくれるうた
 
足柄 相摸國也。今は箱根山をのみ越る也。昔は足柄箱根と云て、續きてありし故、足柄山をも東海道往來筋として、通ひけるなるべし
 
1800 小垣内之麻矣引干妹名根之作服異六白細乃紐緒毛不解一重結帶矣三重結苦侍伎爾仕奉而今谷裳國爾退而父妣毛妻矣毛將見跡思乍往祁牟君者鳥鳴東國能恐耶神之三坂爾和靈乃服寒等丹烏玉乃髪者亂而郡問跡國矣毛不告家問跡家矣毛不云益荒夫乃去能進爾此間偃有
をがぎちの、あさをひきほし、いもなねの、つむぎおりけむ、しろたへの、ひもをもとかず、ひとへゆふ、おびをみへゆひ、くるしきに、つかへまつりて、いまだにも、くにゝかへりて、ちゝはゝも、つまをもみむと、おもひつゝ、ゆきけむきみは、とりがなく、あづまのくにの、かしこきや、かみのみさかに、にぎたまの、はださむしらに、ぬばたまの、かみはみだれて、くにとへど、くにをもつげず、いへとへど、いへをもいはず、ますらをの、ゆきのすゝみに、こゝにふしたり
 
小垣内之 古語にかきち、かいちと云たる詞と聞えたり。今も田舍にては家邊屋敷の巡りを、かいちと云也、田畑の外に家廻りの地を云也。なればかきち、かいちと云古語と聞えたり。歌にも庭にたつ麻手など詠めるも、此かきちの麻をとよめるも、同事の意也。上古は屋邊に皆作れると聞えたり。古風質素自然と備はれり
麻乎引干 麻は刈て水につけてさて苧に引て干すもの也。よりて引ほしと云へり。妹名根はいもうとあね也。兄弟をさして云へり
作服 これをつくりきせけんと讀ませたれど、細をきせけんと云義心得難し。二字合て義訓に讀む也。服に造るなれば、つむ(564)ぎ織と云義なるべし
三重結 苦勞に疲れやせて二重の帶も三重廻る如くになりたると云意也
今谷裳、今死せる時も、國へ退出してと云義也。恐耶は神と云はんとての序也
神之三坂爾 足柄坂に祭る神もありて、險しき處は皆神龜のましますなれば、神のみ坂とは詠あり。みは初語也
和靈之 死たる人をさして云へり。眼前に見ゆる身をにぎたまと也。和みたま、荒みたまの理をもつて也。當然に見え顯れたる、身にそひたる神靈をさして和靈とは云也。荒みたまとは見にあらはれず、元より隱れにそなはります神靈をさして云事也。こゝに和靈とよめることなど、古實の存じたる義也。畢竟死人の身をさして云たる也。此詞などを出さんとて、上に神のみ坂など縁を求め出したり。龍田彦立田姫の事に付て前に注せし如く、神明の上にても當然奉2鎭齋1處の神靈を、和靈と稱し奉り、未2發顯1前元來まします神靈をさして荒靈とは奉v稱事也
服寒等丹 はださむしらにと讀べし。死人は肌冷え氷りて陽氣無きもの也。下の詞に髪は亂れと、身の上の事をもてよめり
去能進爾 ゆきのすゝみには、丈夫のと詠出て、靱とうけ寄せたる也。進は故郷へ歸らんと思ひ立、進みてかく路頭にて空しくなり伏たると也。歌の全體句釋の通にて聞えたる歌也
 
過葦屋處女墓時作歌一首并短歌 これは攝津國兎原郡葦屋のうなひをとめを藏めし塚の事也。此卷末に至りてもうなひをとめと讀み、第十九卷にも家持の歌有。此處女の事に付て、大和物語に書けり。いつ頃のこと共知れぬ古事也。古事有こと故、かの處女の墓を過るとてかく歌を詠める也。あらましの由來は歌の中に詠あらはせり
 
1801 古之益荒丁子各競妻問爲祁牟葦屋乃菟名日處女乃奧城矣吾立見者永世乃語爾爲乍後人偲爾世武等玉桙乃道邊近磐構作冢矣天雲乃退部乃限此道矣去人毎行因射立嘆日惑人者啼爾毛哭乍語嗣偲繼來處女等賀奥城所吾并見者悲裳古思者
いにしへの、ますらをのこの、あひきほひ、つまとひしけむ、あしのやの、うなひをとめの、おきつ(565)きを、わがたちみれば、ながきよの、かたりにしつゝ、のちのひと、しのびにせむと、たまぼこの、みちのへちかく、いはかまへ、つくれるつかを、あまぐもの、そぐへのかぎり、このみちを、ゆくひとごとに、ゆきよりて、いたちなげかひ、わびひとは、ねにもなきつゝ、かたりつぎ、しのびつぎくる、をとめらが、おきつきどころ、吾并、みればかなしも、むかしおもへば
 
ますらをのこ 男子の通稱也。丁子と書けるは、丁は強也、壯也と字注ありて、本朝にては昔廿一歳以上を上丁とせられたる也。朝廷へ被2召仕1にも、上中下の差引ありて、それより段々進士を經て官位にも進む也
菟名日處女 うなひと云は海邊故名とせるか。うなひはなりとも云て、少女の事をも云へば、未だ嫁せずして居たる女故云へるか。奧城矣、既に前にも注せり。墓を云也
偲爾世武等 うなひをとめがことを、後の世の人にも慕はせんと、造り置きし墓と云事也
磐構 別訓あらんか。いはかまへと云詞穩かならず
退部 そぐへ世。前に注せり。天雲のはてと云意也。なげかひは歎きと云義也。かひは、き也
惑人者 思ひの人を云也。身に引合て、感情も深き故、ねにのみなくと也
吾并 われしまたと讀ませたれど、并の字大方さへと讀ませたる處あれば、われさへにとか、又われも亦と讀まんか。ならびと云字なれば、われ共にと讀まんか。尚追而可v考。畢竟歌の意はうなひ處女が墓を、今見て過れば哀れに悲しきと也
 
反歌
 
1802 古乃小竹田丁子乃妻問石菟會處女乃奥城叙此
いにしへの、しのだをのこの、つまとひし、うなひをとめの、おきつきぞこれ
 
妻問石はつまにせんと慕ひこふ事を、妻とひしと云也。歌の意よく聞えたり
 
(566)1803 語繼可良仁毛幾許戀布矣直目爾見兼古丁子
かたりつぐ、からにもこゝた、こひしきを、たゞめに見けん、むかしのをのこ
 
今語りつぎて聞だに、をとめと云へば心苦しく哀れに戀しきを、直ちにまのあたり見し男子の心の、痛ましき哉と詠める意他
 
哀弟死去作歌一首并短歌 師云、弟と書たれど訓を借りて妻などの死たるを詠めるかと也。歌の意、弟のことゝは不v聞也
 
1804 父母賀成之任爾箸向弟乃命者朝露乃銷易杵壽神之共荒競不勝而葦原乃水穗之國爾家無哉又還不來遠津國黄泉乃界丹蔓都多乃各各向向天雲乃別石往者闇夜成思迷匍匐所射十六乃意矣痛葦垣之思亂而春烏能啼耳鳴乍味澤相宵畫不云蜻※[虫+廷]火之心所燒管悲悽別焉
ちゝはゝが、なりのまに/\、はしむかふ、おとのみことは、あさづゆの、けやすきいのち、かみながら、あらそひかねて、あしはらの、みづほのくにゝ、いへなしや、またかへりこぬ、とほつくに、よもとのくにゝ、はふつたの、おのがむき/\、あまぐもの、わかれしゆけば、やみよなす、したひはらばひ、いるしゝの、こゝろをいたみ、あしがきの、おもひみだれて、うぐひすの、なきになきつゝ、あぢさあふ、よるひるいはず、かげろふの、こゝろもえつゝ、いたむわかれを
 
成之任爾 家業のまに/\と云義なるべし。諸抄印本等はなしのと讀めり。然れ共なりはひのまゝにと云意から、はし向ふとも、食物の事にかけて詠めると聞えたり。箸向と云こと珍しき詞也。これは箸は二本を一膳とするもの故、兄弟二つのことを云、冠辭に云かけたるか。今俗にもはしをりかゞみと云事有。たゞ二人ある兄弟を云ならへり。是等古語の遺れるならんか。弟をなせとは心得違也。よりておとゝ讀む也。畢竟食物もなりはひのまに/\出來侍るものなれば、はし向ふとよめるならん。なしのまに/\と云詞は語例句例珍しき事也。命とは賞美して弟の事にても歌にはかく詠める也
(567)神之共は神ながらと讀べし。人は神靈の宿れる也。上古は龍虎をも神とはいへり。爭ひかねては、命の終へんとするを、爭ひかねて消ゆる命をえとゞめずと也
よもとの國にと讀べし 神代卷に、よもとに、ふさがりますと云古語あれば也
各各向向 此訓何とぞあるべし。おのがむき/\とは餘りに平懷ならんか
思迷 二字合せて慕ひと讀べし。腹ばひゐるしゝのは、しゝを射るには腹這ひて射るもの故、かくは續けたり。畢竟心を痛と云はん迄の詞の縁語也。暗の夜の如く慕ひ悲み、腹這歎くの義也。一説には思迷匍匐の四字をまどはひと讀むと釋せり。いかに共聞得難き注也。暗夜なすと讀たれば、思迷の二字を合せてまどひと心を得て讀まんか。匍匐の句は下へ附べき詞也。只射るしゝの心を痛みとは、心を痛むものは、此外にいか程も痛ましき事あるべし。まどふから腹這とうけ、腹這て射るもの故、しゝとうけたる縁語ならん。いめ立てふし見など云事もあれば、鹿は伏してねらひ射るものと聞ゆる也。身をかゞめ腹這ふ如くにして、狙ひよりて射るもの故、かくは續けるなるべし
味澤相 この詞不v濟詞也。諸抄の説はよき事の多く寄集まると云ことに、云たる詞と繹せり。さ計りにては濟まぬ詞也。追而可v考。あぢさあふ、いとも續き、こゝにては、よと續けたり。いかに共不v知詞也
悲悽別焉 いたむ共歎く共讀むべし。焉の字を烏とも書る本有。いづれにても語の餘り也。別れをと、かへる手爾波の言葉と云計りにても無き也
 
反歌
 
1805 別而裳復毛可遭所念者心亂吾戀目八方
わかれても、またもあふべく、おもほへば、こゝろみだれて、われこひめやも
 
又あふ事のありだにせば、かく迄は歎き悲まじと也
 
一云意盡而 本集心亂の一説也
 
(568)1806 蘆檜木笶荒山中爾送置而還良布見者情苦裳
あしひきの、あらやまなかに、おくりおきて、かへらふみれば、こゝろくるしも
 
かへらふはかへる也。延べたる詞也
 
右七首田邊福麿之歌集出
 
詠勝鹿眞間娘子歌一首并短歌 勝鹿は下總國葛飾郡也。第三卷にも此娘子の事赤人の歌有。第十四卷にも東歌の内二首有
 
1807 ?鳴吾妻乃國爾古昔爾有家留事登至今不絶言來勝牡鹿乃眞間乃手兒奈我麻衣爾青衿著直佐麻乎裳者織服而髪谷母掻者不梳履乎谷不著雖行錦綾之中丹※[果/衣]有齊兒毛妹爾將及哉望月之滿有面輪二如花咲而立有者夏蟲乃入火之如水門入爾船己具如久歸香具禮人乃言時幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而浪音乃驟湊之奥津城爾妹之臥勢流遠代爾有家類事乎昨日霜將見我其登毛所念可聞
とりがなく、あづまのくにゝ、いにしへに、ありけることゝ、いまゝでに、たえずいひくる、かつしかの、まゝのてこなが、あさぎねに、あをゑりつけて、ひたさをゝ、もにはおりきて、かみだにも、かきはけづらず、くつをだに、はかでゆけども、にしきあやの、なかにつゝめる、いはひこも、いもにしかめや、もちづきの、みてるおもわに、はなのごと、ゑみてたてれば、なつむしの、ひにいるがごと、みなといりに、ふねこぐごとく、ゆきがくれ、ひとのいふとき、いくときも、いけらぬものを、なにすとか、みをたなしりて、なみのおとの、さわぐみなとの、おきつきに、いもがふさせる、とほきよに、ありけることを、きのふしも、みけむがごとも、おもほゆるかも
 
(569)青衿著 あをゑりつけて也。青き襟つけ共讀むべし。衿をふすまと讀めるはあまり也
直佐麻乎 たゞ麻計をと云意也。ひたすらと云も一筋と云意也。まじり物無しに麻計をと云義をひたさをと詠めり。ひたと云詞はひとゝ云詞也。さは助語初語にも遣也。如v此云意は、粗き布麻を裳に織りて著ると也。身をも飾らず、衣裳も粗き物を着たれどと、よき女と云ことの序詞也。畢竟衣裳の良からぬを著たると云義也
齊兒毛 いつきかしづきおく兒といへ共、此娘子には及ばじと也。歸香具禮、娘子の許へ諸人の慕ひ行くと也
人乃言時 此意不v濟。閑古なる句也。上に何とぞ句有たるが脱したるか。先づは人の迎へんと云時にと云の義と釋し來れ共、閑古の句なれば聞え難し
幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而 此句意不v詳也。先づはいくばくも不v生人の身なるに、何せんとか身を知りて入水はせしと云義に見る也。然れ共句意篤と解し難き也。身をたなの、たなは初語也。前にも注せり。或抄にたなしりは、身を輕くしてと云かと釋せり。穿ちたる説也
浪音乃驟湊之奥津城爾 人の妻とせんと、彼方此方より爭ひ競ふをうんじて、身を投げて死たる事を云へり。おきつきは墓也
臥勢流 ふさせる也。ふせる也。遠代爾は昔の事を、昨日今日見たる樣に哀れに思ふと也
 
反歌
 
1808 勝牡鹿之眞間之井見者立平之水※[手偏+邑]家牟手兒名之所念
かつしかの、まゝの井みれば、たちならし、みづをくみけむ、てこなしぞおもふ
 
きこえたる歌也
 
見菟原處女墓歌一首并短歌 前にありし、うなひ處女の事と同じ。此歌にはをとめの死にし其樣子を詠める也。原はふと讀む故、菟のふと云によりて、のはな也。ふはひなり。うなひと讀む也
 
1809 葦屋之菟名負處女之八年兒之片生乃時從小放爾髪多久麻庭爾並居家爾毛不所見虚木綿乃※[穴/牛]而座(570)在者見而師香跡悒憤時之垣廬成人之誂時智奴壯士宇奈比壯士乃廬八燎須酒師競相結婚爲家類時者燒太刀乃手預押禰利白檀弓靱取負而入水火爾毛將入跡立向競時爾吾妹子之母爾語久倭父手纏賤吾之故大夫之荒爭見者雖生應合有哉完串呂黄泉爾將待跡隱沼乃下延置而打嘆妹之去者血沼壯士其夜夢見取次寸追去祁禮婆後有菟原壯士伊仰天※[口+斗]於良妣※[足+昆]他牙喫建怒而如己男爾負而者不有跡懸佩之小釼取佩冬※[草がんむり/叙]蕷都良尋去祁禮婆親族共射歸集永代爾※[手偏+栗]將爲跡遐代爾語將繼常處女墓中爾造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而雖不知新裳之如毛哭泣鶴鴨
あしのやの、うなひをとめの、やとせごの、かたなりのときゆ、をはなちに、かみたくまでに、ならびゐて、いへにもみえず、うつゆふの、かくれてませば、みてしかと、いぶかるときし、かきほなす、ひとのいふとき、ちぬをとこ、うなひをとこの、ふせやもえ、すゝしきほひて、あひよばひ、しけるときには、やきだちの、たがひおしねり、しらまゆみ、ゆぎとりおひて、みづにいり、ひにもいらむと、たちむかひ、いそひしときに、わきもこが、はゝにかたらく、しづたまき、いやしきわがゆゑ、ますらをの、あらそふみれば、いけりとも、あふべからんや、しゝくしろ、よみにまたむと、かくれぬの、したはへおきて、うちなげき、いもがいぬれば、ちぬをとこ、そのよゆめみて、とりつゞき、おひゆきければ、おくれたる、うなひをとこも、いあふぎて、さけびおらひて、つちにふし、きばかみたけびて、もころをに、まけてはあらじと、懸佩之、をだちとりはき、さねかづら、つぎてゆければ、やからどち、いゆきあつまり、ながきよに、しるしにせんと、とほきよに、かたりつがむと、をとめづか、なかにつきおき、をとこづか、こなたかなたに、つくりおけり、故縁きゝて、しらねど(571)も、にひものごとくも、ねなきつるかも
 
葦屋之 地名をよめる也
片生 は未だとくと成就せぬと云意也。源氏物語等にまだ片なりなど書ける也
小放爾 ふりわけ髪と云に同じ。たく迄はたくる迄也。漸十二三歳の時を云へるか。其頃も並び居る隣家へも見せずと也
虚木綿 これをそらゆふのと讀みて、陽炎の事に云て、糸ゆふの事を云説とあれど心得難し。無き詞也。うつ木綿とは日本紀にも見えて古語也。うつは賞めたる詞、下の掛と云に※[穴/牛]を寄せたる也。ゆふを掛と云義を、隱れたると云義に云かけたり
見てしかと 見てしかなと願ふ也。いぶかる時は、意を發して見んと願ふ時也。見たきと憤る時と也
誂時 此字心得難し。前の歌に人の言時とあれば、語の字の誤にて、云ふ時にてあるべし。此句意は誰も見んと慕ひ思ふ時、中言を云て彼は見し、彼には靡くなど、中を裂く樣に云時にと云の意也。ちぬ男とうなひ處女と中を隔てられて、互ひに競ひ爭ふと也
ふせやもえ これは、廬の字は蘆の字の誤りにて、葦の屋燃ゆると云ならんか。然らば葦屋もえと云義か。伏屋と云も卑しき屋の事にて、すゝしと詠めろ縁にかく詠み出たるか
須酒師 煤の如く也。伏屋の燃えて煤び黒みたる如く、腹を立てゝ爭ふと云義也。怒り憤る時は、色も黒く顔赤む也。その如くに憤りと云義也。下の意は伏して思ひに燃ゆるの義をよせて也
相結婚 印本諸抄等皆あひたはけと讀めり。然れ共よばひと讀む方然るべし。兩方より娶らんと爭ひよばふ義也。その爭ふ時には、互ひに火に入、水に入とも厭はじと、いどみあふ由を云述べたり
燒太刀乃 太刀と其儘に云出でず、燒太刀と詠出る事古詠の習ひ也。太刀はくろ金を燒きて作る物故、燒太刀のとは詠出る也
手預 たがひとは太刀の柄と云義也。物の柄をかひとか、からなど云は古語也。古本には穎と云字を書けり。訓を借りて書くと見えたり。通例には手預と有。何れか是ならん。日本紀等に、劔のたがひ取しはりと云假名あり。神武紀には撫劔と書て右の如く讀ませたれば、かひと云は古語と聞えたり。又つかとも云。手にて振り束ぬる物故束とは云也。然ればこゝも手は(572)初語にて、柄を握りてすぐに打果すべきなど、競ふ體を云たるか。然れ共古一本に頴の字を書たり。祝詞の文抔に、汁にもかひにもと云詞に此字を用て、此かひは稲穗ながら用る義を云也。其訓を借りて書しと見ゆれば、かひと讀まんこと然るべし。たかひと云は、たかみと云詞なるべし。和名抄調度部云、※[木+覇]、唐韻、※[木+覇]〔【音覇、太知乃都加】劔柄也〕頭の字をたかみと讀ませたると覺えたり。追而引書すべし。然れば※[田+比]と云濁音はみと同音也。本語はたかみか。其たかみは手づかみか。手にて束ねる物故、手つかみと云を略し、手かみとは云へるなるべし。預と云字は頻の誤字共見え、又是も訓借をもて書たるか。あづかりと讀む字故、つを略してかりと云も、かひ共横通音にて、ひとりとは通ずる同音にて書たる共見ゆる也。然ればかひも、かりも詞は同じく、束ねるも手かねるも同音也。たもつも同音也。只つかおしねりと云義とも見ゆる也。然らば手は發語也。おしねりはひねり也
白檀弓靱取負而 武具を身に具束してと云義也。時の事實なるから如v此事々しく詠なせり。ケ樣にもあるまじき事ならんを、言葉の餘情にも云續けたる事ながら、古代は男子は、假初にも如v此武器を身放たず帶したる事故、如v比はよめり。此等にて上古の風俗を知るべき事也
倭父手纏 賤しきと云冠辭也。しづとはあらき布類の事也。賤卑の者の着する也。よりて上古は尊卑の差別を着物につきて別ち、其名をも直に云しと聞えたり。源氏物語にも、よき人をも裝束につきて云事なれば、唐土にも賤を布衣と云へり。されば本邦にも賤卑のものをしづのを、賤のめなどと云へるなるべし。たまきとは身の飾りにする物をたまきと云。賤しきものは其環をしづにてする故、しづ環とは云へり。又しづのをだまきと云も同じ事にて、卷子と書きて、絲をくる/\と幾巡りも卷たるもの也。俗には、へそと云也
賤吾之故 これを八雲にはわろきわが故とあれど、しづたまきあしきとは續かぬ詞なるべし。賤はこゝにては矢張卑しきと讀むべし。身を卑下して、卑しきわが故とは云へる也
應合有哉 あふべからんや、此詞しかと聞わけ難し。二夫の内一方にあふべからんやと云義との事と釋し來れ共、こゝの次第さは聞えぬ詞續き也。かく二男の爭ふては、生きて居たり共母に會ふべくもあらず、いかに成果てんも知れぬと云事にも聞ゆ(573)る也。この已下、下延置てと云義詞も不v濟事有。意もしかと不2打着1、聞得難き也。諸抄物の通に無理押に注し置かば濟むべけれど、いかに共語例句例言葉の續き、分明に聞き定め難し。尚後案すべし。下延置と云迄は、母へ密かに語り置きしと云義なれ共、其詞の内に濟難き古語共ある也。先づ此完串呂黄泉爾將待と云、しゝくしろの事いかに共不v通。完の字は宍の字の誤り也。されば假名にもしゝと訓し來れり。此宍くしろの事日本紀安閑天皇の、未だ勾大兄と奉v稱し時詠ませ給ふ御歌の詞にも、しゝくしろうまいねし時とありて、此しゝくしろは何の事にてとの義不v決也。日本紀にてはうまいねしと續き、こゝにては、よみにと續きたり。然れば夜と續くことか。又能と云よの一語に續く事か。此義も不v決ことには、しゝくしろと云ものは何を云たる義とも不v知也。皆推量の説也。一説には肉奇よきと云事と云ひて、何共難2聞得1義を云へり。一説には繁齒の櫛と云義にて、よき櫛と云ことゝ釋して、神代紀或は大隅風土記を引て、くしらの郷の證抔引たる説あれど、皆證明無きことにて牽合附會の説と云もの也。師説は、前にも眞帆しゝぬきと云事に付て注せる如く、しゝは鈴と云義にて、鈴付たるひぢ卷の事と云へり。勾大兄皇子の、うまいねと詠ませ給ふも、くしろの肱卷にすゞのより當りて、其音のよきと詠ませ給ふ事ならん。それを此歌にては、たゞ鈴のくしろに當りよると云ことに、すゝくしろ、よとうけたる義と聞ゆる由也。予は不2甘心1也。然れ共すゝくしろ叩くと云古語、國史の内に所見あるとの事也。予不v覺ば引書未v記。追而可v考。右の古語あれば鈴と釧とよりあふと云意にも叶ふべきや。上にあふべからんやと詠みて、しゝくしろと續けたるは、そのより所無き意とも不v聞也。然ればよみといはん迄の冠辭と見ゆる也
黄泉爾特待跡 よみは前に注せり。死て去行處の國をさして云處也。此の意は此世の現在にては心の儘ならねば、所詮身を果てゝよみの國にて待たんとの義也
下延置而 此義もいかにと云事共聞得難し。かくれぬのは下といふ序詞也。はへおきてと云ふ義何と云事とも知れ難し。身を捨てんと云事を、密かに云置きしと云事にやあらん。諸抄には、生田川に身を投げたる事を、下はへ置てと云義に注したれど、其義とは合ぬ詞也。俗に下地を云置など云意に聞ゆる也
妹之去者 これは妹が死にいぬればと云義なるべし。身を捨てたる事を約めて、いぬればとよめる也
(574)血沼壯士 ちぬは處の名也
追去祁禮婆 これも娘子の出で去し跡を追慕ひ行て、身まかりたる事を云へる義也
伊仰天 いあふぎては、空に仰ぎて歎く體を云へり。いは例の初語也
叫於良妣 重ね詞也。なくこと音を高く切に啼く事をおらふと云也。前に何程も注せり。印本等には、下の妣に助語を付て妣てと讀ませたり。諸抄にも假名書の處に、助語を添る事のならぬと云義を不v辨皆添たれど、假名書に書下したるに助語を添る事はならぬ事也。こゝも上にて叫におらひと讀めるは不v合也。※[口+立刀]の字なるべし。尤俗に叫に書來れり
※[足+昆]地 つちにふしと讀ませたり。然れば他の一本に地に苦る本有を正本とすべし。※[足+昆]の字の義末v考。〓と云字の誤ならんか。今俗に地團太を踏みて泣き悔むなど云事有。上に仰とあれば、對合して土に伏しと云義相叶へり。然れ共※[足+昆]の字をふすと讀む字義未v考也。此歌の意は聞えたり
牙喫 一本に牙を弟に書は大成誤也。はがみとは、今も俗に齒がみをなし怒るなど云義也。切齒咬v齒磨v牙など唐の文にも書ける也。至つて怒り憤る事也
建怒而 此をたけびてと讀ませたり。意は同じき事ながら、建怒の二字をたけびと讀む義心得難けれど、これは意を得て怒れる時の義に、たけぴと云事有を以て、如v此書たるか。牙喫をきばかみと讀み、此二字をたけび怒りて共讀むべきか。意は同じ義なれば好所に隨ふべし。たけびと云は怒れる聲を發する義也。はげしき勢をも云也。日本紀に、いづのをたけぴをなすと有下に、雄誥、此云2烏多稽眉1と有と同じく、古語はたけると云へる也。神武紀にも五瀬命の怒り給ひての御言葉に、雄誥之曰と有も同じ意也
如己男爾 此もころと云詞は如くと云古語也。神代紀に、夜者若2※[火+票]火1l〔而喧響之云々〕と云にて、如くと云古語と云傳たり。又當集第十四卷にも、かなしいもをゆつかなへまきもころをのことゝしいはゞいやかたましに、またを鴨のもころとも詠みて、皆如くと云義に叶ふ處に云へる詞也。然る如くと云義に、叶ふ處に云へる詞也。然る如くと云事を何とてもころと云たるや。其意不v濟事也。白氏文集に、匹如v身、譬如v身、比如v身と書て、するすみと假名を付て訓じ置けり。これも濟まざる事也。(575)然るに如くと云義は、彼と此と一つにして、物の不v替義を如くと云て、相同じきと云意を、如し、如くと云なれば、物の別ち無くあや無きと云意をもつて、黒色の義に譬へ云たる義故、するすみと訓じて人の心を不v變ことを云たる義か。一本に如己呂男と書たる本有。然ればこれを正本とすべきか。然れ共如の字を訓の一語を取りて、ころの二語を假名書にしたるも珍しき書樣なれば、未だ書例を不v考故決し難し。知己男此三字にても心得難し。如の字一字にても、もころと云詞に合せ云來れるに、己の字を添へたる意濟難し。字の儘にて意を云はゞ、己れ如きの男の子に我まけんやと、怒り面ほてりして出たる義と聞えたる事也。匹如v身を、するすみと古く讀みたる義をもて見れば、もころをばまくろをと云義にもあらんか。黒き色は變ぜぬ色なれば、する墨と義を取りて訓じたらば、其如く此歌のま黒をも、志を飜さずと云義と、又怒り憤る時は、人の面色赤み黒むなれば、怒れる顔面をさして、ま黒をと云へるか。今も俗の言葉に黒くすぼりになりて、或ひはま黒になりて、腹立つ、むくろ腹を立つなど云へること有。此詞の横訛れるか。もころのもは、おものも、面の義共通ふて、面黒き男と云意か。怒れる時は面黒めるから云たるか。かくの如く色々と通ふ義ありて、何れ共極め難し。然れ共もころをにまけてはあらじと云意は、勇み猛りて一筋に思ひ極めたる、志を不v變男女を、ちぬをとこにまけてあらじと云義と見るべき也。如v字に、なんぢ如きの男にはまけてはあらじとの意に見ても、義は同じかるべけれど、それにてはなんぢ如きと云義を、もころと云詞釋六ケ敷也。もころと云詞は如くと云古語故、こゝにもころと云へる意、汝如きと云の事故、己の字心を得て相添たると解釋せざればならぬ也。此釋六ケ敷也。然れ共後學の人何なり共賢案あらば相決すべし
懸佩之 これをかけはきのと讀ませたり。然れ共かけはきのと云のゝ字の續き心得難し。太刀は懸置きて用の時佩く物故、かけはきのと云義と釋し來りたれど、のと云詞は續く處と續かぬ處有。かれとこれとを放たず續ける詞なれば、體を備へて云事にあらざれば、十言九言はのと云はぬ詞也。サシスセソ同音なれば、しの音なる故かけはきすと讀ませたる之の字ならん。然れば懸けつ、佩きつする太刀と續けたるか。但し小劔の小は緒太刀と云意に、懸けるも佩くも緒を以てするなれば、かけはきの緒太刀と續けたるか。此義も一決し難き也。然れ共此義も語例無きことなれば決し難し。小は初語と見れば義安けれど、かけはきのとうけたる處心得難き故、今案を加ふる也。かけはきの緒とうけたるは能言葉の續き也。かく續ける例もあ(576)らば、此義然るべき也。さ無くてはかけはけるとか、かけはかすとか讀までは聞えざる也。はかすは放すと云義也
冬※[草がんむり/叙]蕷 七卷目の歌にも、此三字をさねかづらと讀ませて、ゆふかづら共一説の讀みありし也。此三字をさねかづらと讀む義未v考。下のつきてと云冠辭也。さねかづらと云ものは長く續くもの故、唯續くと云詞の縁によめる也。たづねてと云説も有て、後撰集に、足ひきの山下しげくはふ葛のたづねて戀ふるわれと知らずや、とよめる歌もあれば、葛の此方彼方と別れ這行くは、物を尋ねる如くなるもの故、此歌も娘子尋ね行と云序詞に置たると云釋あれど、尋の字はつぎ、續くと義訓する字なれば、つぎてと讀む方、然るべし。尋ね行と云義も、こゝの事にはよく叶ひたる義なれど、さねかづら尋ねると云續きの事六ケ敷也。冬※[草がんむり/叙]蕷と書けるは、かづらの葉、山の薯の如くにて、冬も枯れぬ物故如v此書けるか。第七卷には葛の字を書てかづらと讀めり。此處には假名書に都良と計りあるは、可の字を脱せるか。古本印本に可の字無し
去祁禮婆 ちぬ男、處女のあとに續きて、ゆき死たる義を約めて如v此云へり。歌林良材には、自害して三人共死たりと有。大和物語には、生田川に身を投げて死せるとありて、古き事なればこれらも定まれる説無き也
やからどちは 親兄弟類族寄集まりて也。處女壯士子の親族の來集てと云義也
※[手偏+栗]將爲 しるしにせんと也。しめさんと云假名も一義無きにはあらず。かくの如きの由無き事を後人に示して、謹ません爲にと、一女二男の塚を一所に並べ築たると云義にも聞ゆる也。※[手偏+栗]の字はしめとも、しるし共讀めば、後人に教示の意に書けるか
造置 つきおき也。築き置と云義也
故縁聞而 これをふるよしきゝてと讀ませたれど、かく云歌詞は、いかに古風詞にても決して無き詞也。何とぞ別訓あるべし。此處一句か二句脱したると見ゆる也。いかにとなれば、下の知らね共とよめる句いかに共心得難し。此句の上に一句か二句無くては、此知らね共と云句、聞きて知らね共とは續かぬ句也。故縁の二字も、下の何とぞ云へる句によりて讀樣もあるべけれど、此通にては何共讀難し。先づは此儘にて讀まば、ふりにしことの由聞きてと讀まんか。然れば何とぞ七言の句を一句入て讀まざれば聞えぬ也。此通に句を合せては、故縁の二字を四言に讀まねばならぬ也。昔を聞きてとか、ふるごと聞きて(577)とか讀まんなれど、聞きて知らね共とは續かぬ詞也。其死たる時の當然の事は知らね共、今あらたに其時にあへる如く、歎かしきとよめる意と見る也。さは聞えぬ詞の續きなれば、兎角愚案は一句か二句落たりと見る也
新裳の如くとは、喪の字の意也。故過ぎたる事なれ共、今更あたらしき悲しみの樣におぼえて泣きつると也
此一首全體の義は聞えたる事なれど、句意とくと解し難き詞共ありて、其上歌も云足らぬ句共ある樣に聞ゆる歌也。尚追々可v加2後案1もの也
 
反歌
 
1810 葦屋之宇奈比處女之奥槨乎往來跡見者哭耳之所泣
あしのやの、うなひをとめが、おきつきを、ゆきくと見れば、ねのみしなかる
 
葦屋之 地名也。あしやの里など云所なるべし。おきつきは墓の事前に毎度注せり
往來跡 ゆくとては見、かへるとては見ると云意也。今の歌ならばゆきゝにと讀むべし。古體はかくの如き也。是時代の風體と云もの也
 
1811 墓上之木枝靡有如聞陳努壯士爾之依倍家良信母
つかのへの、このえなびけり、きゝしごと、ちぬをとこにし、よるべけらしも
 
三つの塚の上の女塚の木の枝、ちぬ男の塚の方へ靡きたれば、かくよめるならん。大和物語など、ちぬをとこになきたる由あるか。又此歌の時分迄は、左樣に云傳たるなるべし。塚の上の木の枝、今もかくちぬ男の方へ靡きたれば、昔をとめの心も、ちぬ男には寄りもこそしたらめと云義也。或抄に宋太夫韓憑か古事など引る物あれど、こゝに用なき事なれば無盆の義也
 
右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出
 
萬葉童蒙抄 卷第二十四終
 
(578)萬葉集卷第九難解之歌
○1674 我背兒我使將來歟跡出立之此〔四字右○〕松原乎今日香過南
 1676 勢能山爾黄葉常敷〔二字右○〕神岳之山黄葉者今日散濫
 1694 細比禮乃鷺坂山白管自吾爾尼保波※[氏/一]〔四字右○〕妹爾示
  波※[氏/一]ハ約言歟。※[氏/一]之字濁音之字歟
 1702 妹當茂〔右○〕苅音夕霧來鳴而過去及乏
  茂之字不審。越之字歟
 1704 ※[手偏+求]手折多武山霧茂〔右○〕鴨細川瀬波驟祁留
 1718 足利思代《一本伐》〔四字右○〕※[手偏+旁]行舟薄高島之足速〔二字右○〕之水門爾極爾濫鴨
 1731 山科乃石田社爾布靡〔二字右○〕越者盖吾妹爾直相鴨
(579) 1734 高島之足利湖〔三字右○〕乎※[手偏+旁]過而鹽津菅浦今者將※[手偏+旁]
 1737 大瀧乎過而夏箕爾傍爲〔二字右○〕而淨河瀬見河明沙
 1740 春日之霞時爾墨吉之岸爾出居而釣船之得乎良布〔四字右○〕見者右之事曾所思云云
○1741 常世邊可住物乎劔刀己之心柄於曾也〔三字右○〕是君
 1742 級照〔二字右○〕片羽河之――
 1746 遠妻四高爾〔二字右○〕有世婆不知十方手綱乃濱能尋來名益
 1747 白雲乃立田山乎夕晩爾打越去者瀧上之櫻花者中略花之盛爾雖不見左右〔五字右○〕君之三行者今西應有
 1753 衣手常陸國中略女神毛千羽日〔三字右○〕給而――
 1779 命乎志麻勢久可願〔八字右○〕名欲山石踐平之復亦毛來武
○1783 松反四臂而有八羽三栗中上不來麻呂等言八子〔中上〜右○〕
 1787 虚蝉乃世人有者中略冬夜之明毛不得呼五十母不宿二吾齒曾戀流妹之直香仁〔三字右○〕
(580)  第十三卷ニモ吾者曾戀妹之正香爾、同例ノ詞也。戀トイフ語ハ、コヽロ、コヨヒト云義ナレバ、タヾカヲト云テハ續カヌ故、如v此仁ト云手爾波ナルベシ
 1790 秋芽子乎妻問鹿許曾一子二子〔四字右○〕持有跡五十戸鹿兒自物吾獨子之草枕中略忌日管吾思吾子眞好去有〔六字右○〕欲得
 1792 白玉之人乃其名矣中略思遣田時乎白土肝向〔二字右○〕心摧而珠手次不懸時無口不息〔三字右○〕吾戀中略吾念情安虚〔二字右○〕歟毛
 1804 父母賀成乃任爾箸向〔二字右○〕弟乃命者中略銷易杵壽神之共〔三字右○〕荒競不勝而中略黄泉乃界丹蔓都多乃各各向向〔四字右○〕天雲乃別石往者闇夜成思迷匍匐〔四字右○〕所射十六乃意矣痛――
○1807 鷄鳴吾妻乃國爾中略水門入爾船己具如久歸香具禮人乃言時〔四字右○〕幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而〔幾時〜傍点〕浪音乃驟湊之奥津城爾――
 見菟原處女墓歌之詞之内
 1809 吾妹子之母爾語久倭父手纏賤吾之故大夫之荒爭見者雄生應合有哉宍串呂〔七字右○〕黄泉爾將待跡隱沼乃(581)下延置〔三字右○〕而打嘆妹之去者中略牙喫建怒而如己〔七字右○〕○《呂一本》男爾負〔三字右○〕而者不有跡懸佩之〔三字右○〕小劔取佩中略處女墓中爾造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而〔四字右○〕雖不知――
 
萬葉童蒙抄 本集卷第九終
 
昭和四年六月二十日印刷
昭和四年六月廿五日發行
         荷田全集第三卷
  官幣大社稱荷神社蔵版
 
       京都府紀伊郡深草町福稻
 編輯兼發行者 官幣大社稱荷神社
       東京市神田區小川町一番地
 印刷者    筒井久太郎
發行所 東京市京橋區鈴木町十一番地 吉川弘文館
振替貯金東京二四四番
電話京橋一四一番
 
〔荷田全集第四卷、凡例及び、目次、目録の一部省略〕
(4)寄衣一首    問答四首
 譬喩歌一首   旋頭歌二首
冬雜歌
 雜歌四首    詠雪九首
 詠花五首    詠露一首
 詠黄葉一首   詠月一首
冬相聞
 相聞二首    寄露一首
 寄霜一首    寄雪十二首
 寄花一首    寄夜一首
 
(5)萬葉童蒙抄 卷第二十五
 
春雜歌 これは春の歌の惣標也。此卷の歌、自餘の卷とたがひて、標題を顯して、作者を不v顯。袖書に古注者誰の歌集中出と注せり。目録に雜歌七首詠鳥何首と書たるは、後人の所爲也。よりて本集と違あり。既に此雜歌と標せるも、譬喩と云までにかゝる標題なるを、雜歌七首と注せり。詠鳥二十四首と目録には注すれど、是も十三首にて、打なびき春去來者と云よりは雪の歌にて詠雪といふ標題を脱したるをも不v考して、廿四首とは記せり。是等にて後人の作意と知るべし
 
1812 久方之天芳山此夕霞霏※[雨/微]春立下
ひさかたの、あまのかぐやま、このゆふべ、かすみたな引、はるたつらしも
 
此歌後々の集にて題をあらはさば立春の歌也。立春の歌に天のかぐ山を取出でゝ、霞を棚引かせて、春を立たしめる處おも白き風體也。天芳山は、香の字芳に通じて書たる也。香山は在2十市郡1。霏※[雨/微]の字をたなびくと讀ませたるは、霞の立たる景色をとりて義訓せると見えたり。二字とも雨雪の少降義也。然れば霞立たる體を見立て書たる義訓也
 
1813 卷向之檜原丹立流春霞欝之思者名積米八毛
まきもくの、ひはらにたてる、はるがすみ、おほにしおもはゞ、なづみこめやも
 
此歌諸抄の意は欝の字をくれしと讀みて、霞の立て晴やらぬを、我思ひの晴れぬに寄せてよめると注せり。くれし思ひはなづみけめやもと讀みて、其の意に通じたり共聞えず。又欝の宇くれしと讀めること、いかなる義をとりてさは讀まん歟。心得難し。さ讀みても歌の全體の意不v通也。これは思ふ人の許に到りたる事を、槍原に立おほふたる霞によそへて、詠める歌と聞ゆる也。欝の字は前にも毎度讀みて、いぶかしくとか、おほふとか、覺束無くとか讀みて、檜原を霞みて覆ひたると云義にて、そのおほの詞を凡の字のことに借りて、大凡に思はゞはる/”\の處をも、なづみつゝ來めやも、不v疎思へばこそ、霞に立かくしたる處をも、なづみて來たりと云意と聞ゆる也。米の字はこめと讀みて來めの義也。欝之をおほにしと讀みて、凡に思はゞ(6)也。凡は大方おろそかにの意也。かく讀めば米の字も其儘にて、義も安く聞え侍らんか。諸抄の説にては、六ケ敷して訓例無き讀樣なれば義も難v通也
 
1814 古人之殖兼杉枝霞霏※[雨/微]春者來良之
いにしへの、ひとのうゑけん、すぎがえに、かすみたなびき、はるはきぬらし
 
此歌の意は、そのかみ植し人は過行し杉の枝にも幾春變らず霞は棚引て、同じ春は來らめ共、人ふり行て過し代となれると、歎の意を含めて、過にしことを云はんとて杉を詠める也。師云、人の字神と讀まんか。神の植ゑし杉枝故、幾年か過ぎこしか共春は變らず立かへり來て、霞たな引と云なるべし
 
1815 子等我手乎卷向山丹春去者木葉凌而霞霏※[雨/微]
こらが手を、まきもく山に、はるされば、このはしのぎて、かすみたなびく
 
子等 女の通稱を、こと云。手を卷くとは、妹背の中には女の手を卷きぬるものなれば、卷向の地名を詠まんとての冠辭也。下に木の葉と詠めるから、こらが手とも詠みて、こらと云も女の通稱也。木の葉のことゝして、下によせる處ある詞故、かく詠たるもの也
凌而 をかし、しのぐなど云て、其儘で置かずにと云義也。しのぎはしぬにと云も同じ詞にて、其儘にて無く、しなひ靡きてと云意、又霞に隱してと云意也
 
1816 玉蜻夕去來者佐豆人之弓月我高荷霞霏※[雨/微]
かげろふの、ゆふさりくれば、さつひとの、ゆづきがたけに、かすみたなびく
 
玉蜻 前に注せり。蜻蛉の事也。玉の字を用ゆる義未v考。かげろふは夕部に出で飛かふ虫也。よりて夕とうけん迄の冠辭也。さりくればは、なりくれば也
佐豆人 獵人の事也。弓と云はん爲也。弓月の地名を詠めるから、夕さりと上に詠出て、縁を求めたる也。歌の意、たゞ弓月(7)がたけに霞棚引景色を詠たる迄の義也
 
1817 今朝去而明日者來牟等云子鹿丹旦妻山丹霞霏※[雨/微]
けさ【いに・ゆき】て、あすはきなんと、しかすがに、あさづま山に、かすみたな引
 
旦妻山 大和也。新撰姓氏録卷第二十五云、太秦公宿禰同祖、秦始皇帝之後也。物智王、弓月王〔譽田天皇謚應神十四年來朝上v表。更歸v國率2百二十七縣狛姓1歸化並獻2金録玉帛種々寶物等1〕天島嘉v之賜2大和朝津間腋上地1居v之焉。日本紀天武天皇九年九月に幸2于朝嬬1とあるは近江と見ゆる也。同名二所ありて此歌の朝妻は大和なるべし。地名の續き皆大和也。歌の意は、朝妻と云より朝立てと詠出て、あす來んと契りしにたがはぬ如く、さすがに朝妻山に朝毎に霞の棚引と詠める意也。印本には、いひしかにと讀めるは心得難し。いひしかにと云語例無し。きなんと云所に契りたると云義はこもりて聞ゆる也。云の字は日本紀にて、しか/”\と讀ませたり。よりてしかすがにと讀む也。あすはきなんと契りしに、さすがにたかはず來る如く、朝な/\朝妻山に霞棚引と云義也
 
1818 子等名丹開之宜朝妻之片山木之爾霞多奈引
こらが名に、かけしよろしく、あさづまの、かた山ぎしに、かすみたなびく
 
開之 此あけしと云義語例無き詞也。尤下の朝とうけたる處の縁には、あけしとも讀みたき處なれど、集中に皆かけてかけしなど讀みて、あけしと讀める例無ければ、これは闕の字の誤と見ゆる也。闕は訓を借りて掛の字の意、女の名にかけてよき朝妻と云はん迄の冠句也。只妻と云名のよき山と云義也。朝妻山のきしに霞の棚引くと云事迄の義を詠める也
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出 これは子等名丹の歌人丸の集に出たると云注也。前の六首共にはあらず。然らば右何首と有べき例也
 
詠鳥
 
1819 打霏春立奴良志吾門之柳乃字禮爾鶯鳴都
(8)うちなびき、はるたちぬらし、わがかどの、やなぎのうれに、うぐひすなきつ
 
打靡 おしなべてと云も同じ。靡の字なびくと讀む義未v考。霏※[雨/微]を棚引と讀ませたるから義を通じて書たるか。又靡の字の誤りたるか
 
1820 梅花開有崗邊爾家居者乏毛不有鶯之音
うめのはな、さけるをかべに、すみをれば、ともしくもあらぬ、うぐひすのこゑ
 
鶯の聲のともしからぬ也。珍しからず、すくなからぬの意也
 
1821 春霞流共爾青柳之枝啄持而鶯鳴毛
はるがすみ、たなびくからに、あをやぎの、えだくひもちて、うぐひすなくも
 
流共 諸抄印本共に、ながるゝむたにと讀ませたれど、霞の流るゝと云事句例語例無き事也。これも棚引たる躰をとりて義訓に讀ませたる義也。即ち柳の靡くと云詞を縁に、靡くからに、青柳とうけたる義にて、棚引と讀むべし。共の字は前にも注せる如く、色々讀樣ある字也。歌によりて義訓ある字也。ともがらと讀む字故、此歌にても、からと読む也。歌の意は、霞の棚引長閑なる頃は、柳も共に靡きあひたるに、鶯の戯れなれ來て遊び鳴くと云意を、枝くひもちてとは詠めるならん。鳴毛といふ此の毛は、前にも注せる如く感嘆の詞也
 
1822 吾瀬子乎莫越山能喚子鳥君喚變瀬夜之不深刀爾
わがせこを、なごしのやまの、よぶこどり、せこよびかへせ、よの不深刀爾
 
此歌二義の聞き樣あり。一義書面の通にては、來しせこの夜も更けしとて急ぎて歸るを、まだ夜はふけぬ程に立かへれと呼返せよと云義、又一義は、も早夜の更けたる程に、山路をな越しそと呼かへせとの義に見る也。然るに更けたる程にと云義に、不深と書ける事心得難き義也。是は刀の字万の字の誤れると見ゆる也。後の説に從ふべくは、万の字にて更けぬまに呼かへ(9)せと云意と見る也。名越の山と云を、夜の更けしに、な越しそと云意、又ふけぬに、な歸りこしそ、まだ早きと云意と、二義ながら、なこすなと云義を云かけて詠める意也。夜の更たるに歸れと云義に不深と書きても、詞の義通ずる故、かくも書ける例あらんか。なごしの山は大和也。こそ山、こさ山など云て、何れか決し難し。追而可v考。なこその關と云もあれば、なこそ山と云か。一説夜のふけぬとには、夜のふけぬ時にと云義と云へり。心得難し
 
1823 朝井代爾來鳴杲鳥汝谷文君丹戀八時不終鳴
あさゐでに、きなくかほどり、なれだにも、きみにこふるや、ときをへずなく
 
朝井代 田に水をまかし入るゝ爲に、堰あげる堤をいふ也。行水をせきとめて淀ます處也。然るに此歌、此朝井出を詠出たる意、何といふ義にや心得難し。諸抄の説は只朝日の指向ふ井でに來りなくと云へれ共、夕ゐでとも讀べし。朝ゐでと讀める處に趣意ありて詠める歌ならん。然れ共杲鳥の事何鳥の事にや。集中此鳥の事不v知。只うつくしの鳥共の鳴くを云へる義と釋したる説あれ共、容の字を書ける所も有から云へる説なるべし。井代に來嶋とあれば水邊に居る鳥か。しばなく共讀みたれば、せはしく鳴く鳥とも聞えたり。兎角何鳥と云義慥に證明無ければ定め難く、又歌の意も聞得難し。先朝井でと讀出たるは、朝疾くより來り鳴くと云意にて、下に時不v終鳴と詠みとめたれば、一日も鳴くらすと云意にて、我れ人をこふ計にもあらず。なれもかく君をこふやとなぞらへて詠める意にて、此君は鳥の妻をこふ事を、君に比して云へる也。只朝疾くより何鳥にもあれ、井での邊に來て鳥の鳴くは、なれも妻をや戀ふる、かく時をもわかず鳴くはと詠める歌迄に見ても濟べけれど、朝井代と詠み、かほ鳥とよめるは、譯ありて詠めるにやと見るからは、此歌の意濟難き也。又杲鳥もかほ鳥と讀むや、別訓あらんや。かほと假名書の歌を見ざれは決し難く、文字も杲の字をも書たれば、果杲何れ共決し難けれど、容鳥とも書き、朝杲、美杲志《ミカホシ》など書たれば、かほ鳥ならば杲の字なるべし。音を以て借たる也。杲は、古老切、高上聲と字書にもあれば、此音借訓に書たり。此杲鳥の事追而可v考也
 
1824 冬隱春去來之足比木乃山二文野二文※[(貝+貝)/鳥]鳴裳
(10)ふゆごもり、はるさりくらし、あしびきの、やまにも野にも、うぐひすなくも
 
能聞えたる歌也。鳴くもの裳は、古詠の一格歎息の餘音也
 
1825 紫之根延横野之春野庭君乎懸管※[(貝+貝)/鳥]名雲
むらさきの、ねはふよこのゝ、はるのには、きみをかけつゝ、うぐひすなくも
 
紫のと詠めるは、女に比して也。根はふは、諸抄の説は、紫の根は、横に這ふものから、横のとうけたると也。僻事の説也。寢はふ夜とうけて柴草には根もある物故、體あるものを添て云かけて、下は夜と云にうけたる義也。古詠の格皆下に餘勢をふまへて詠める也。君をかけつゝと詠める歌故、上に紫のと詠みて女のね這ふ夜と續けたり。歌の義に意有にはあらね共、詞の縁の下に含める詞をまうけたる也
横野 大和也。後々の歌に、攝津河内によめり。又上野ともいへり。然れ共春野とよめる地名あれば大和也。此歌の並共他國には不v移。皆和州なれば、此横野も極めて大和也。尚追而類歌を可v考。尤日本紀仁徳紀十三年冬十月、築2横野堤1。延喜式神名上、河内國澁川郡横野神社
君乎 妹をと讀まんか。紫のねはふ夜とうけたる歌故、寢はふと云詞につきて妹の事をかけて鶯も鳴と云意也。かけては、思ひをこゝよりかしこへかけて也。然れば此歌横野の春野に鳴鶯故、妹が事をもかけて、戀慕ひて鳴くかなと詠める意也
 
1826 春之去者妻乎求等※[(貝+貝)/鳥]之木末乎傳鳴乍本名
はるされば、つまをもとむと、うぐひすの、こずゑをつたひ、なきつゝもとな
 
春之去者 一本去を在と書る同意也。しあ、しさの約はな也。よりて春なればと云意也。此歌本名と留めたる意解し難し。諸抄の意は、本名はよしなと云事と注し來れ共、よしの無きと云義にあはぬ歌多し。其上何とて由無きと云事を、もとなと云へるや、語釋濟難し。此歌も鶯の木末傳ひ妻をもとめ鳴に催されて、由無くもわれも妻戀の心の發すると云義と釋したれど、色々詞を入添て云はねば濟まぬ意なれば、聞得難き釋也。然りとて此歌何と解すべくも不v決故暫く釋を除く也
 
(11)1827 春日有羽買之山從猿帆之内敝鳴往成者孰喚子鳥
かすがなる、はがひのやまゆ、さほの内へ、なきゆくなるは、たれよぶこどり
 
春日にある羽買の山也。春日は惣名にして、其内に有山也。第二卷に大鳥の羽かへの山と詠めるも同じ處也。猿帆は訓借書と云もの、猿はさると云字の上の一語、帆は船のほ也。和名抄に、下總國猿嶋【佐之萬】郡と書ける例也。さほは色々に書ける也。佐保、狹穗、藏寶山續日本紀訓書音借入交て書來れり。歌の意は何の義も無き也
 
1828 不答爾勿喚動曾喚子鳥佐保乃山邊乎上下二
こたへぬに、なよびどよみそ、よぶこどり、さほの山べを、のぼりくだりに
 
此歌は前の歌の餘意を詠めると聞えたり。前に佐保のうちへと詠みて、此歌にて佐保の山べを上り下りに鳴と詠めり
動の字 どよめ、どよみと讀む。なりどよむ抔云て、物を響かし動かす意をもて、動の字を書けり。發動と續き音を發すれば、必動搖する理をもて也。どよめどよみと、讀む義は、第十八卷の歌に、うの花のさく月たちぬ時鳥伎奈吉等與米余ふゝみたりとも、とよめれば、どよめ、どよみと云古語也
上下 別訓あらんか。上り下りとは平懷に近し。峰に麓に共讀たき也
 
1829 梓弓春山近家居之續而聞良牟鶯之音
あづさゆみ、はる山ちかく、いへゐせば、つぎて聞良牟、鷺のこゑ
 
家居之 これは之の字の下に※[氏/一]の字落たると云説有。さもあらんか。然れ共之の字は日本紀等に、ばと講ませたり。當集は日本紀の書法文字を本として書たる集なれば、之の字をせばと讀ませたり共見ゆる也。之の字を手爾波字に被v書たる事、日本紀熟覽にて明也。此歌の意もせばと讀までは下のきくらんと云意に不v叶也。古今集の野邊近く家居しの歌も、此歌等を借たるにや
續而 つぎてとは不v絶續きて聞かんとの意也
                                        (12)1830 打靡春去來者小竹之末丹尾羽打觸而鶯鳴毛
うちなびき、はるさりくれば、小竹の未に、をはうちふれて、うぐひすなくも
 
打なびきは おしなべての意也。春になり來れば也
小竹之末丹 一本に末を米に書ける也。よりて師説は曉の事に見るべきかとあれど、予不2甘心1。上に打靡きと詠めるは、しのゝ葉とか、うれとか詠める故と見ゆる也。小竹はしなへ靡く枝葉のもの故、打ふれてと讀みて、しの竹の事と見ゆる也。横雲のしのゝめにと云意は、歌の意面白き處も有べけれど工に聞ゆる也。しのゝ葉しなひふれて春になりたるから、鶯の鳴く當然を見て詠める歌ならんか。しのゝめと見ては、尾羽打ふれてとよめる處の意本v据樣也。さゝの葉とか、しのゝ葉とかに打ふれるにてあらずば、据わらぬ也
 
1831 朝霧爾之怒怒爾所沾而喚子鳥三船山從喧渡所見
あさぎりに、しぬゝにぬれて、よぶこどり、みふねのやまゆ、なきわたるみゆ
 
之怒々爾 しどろ、もどろにの意、亂れしほれたる義を、しのゝ、しぬゝ、しどゞと云也。鳴渡ると云から、三船の山と詠める也。何の意無きよく聞えたる歌也
此間に詠v雪と云標題落たる也。此已下雪の歌なるを、目録に鳥の歌廿四首と書けるは、後人の不v考也
 
1832 打靡春去來者然爲蟹天雲霧相雪者零管
うちなびき、はるさりくれば、しかすがに、天雲霧相、ゆきはふりつゝ
 
天雲霧相 此四字古本印本は勿論諸抄物皆字の通に、あまぐもきりあひと讀めり。さ讀みて此歌聞え侍らんや。春になり來れば、さすがに天雲霧あひ、雪は降ると云義、いかに共不v聞。冬ならばさすがに、空も曇りあひて、雪の降と云義も云はるべし。春の來ればさすがに、雪のふると云事不v濟也。依て此四字は、義訓に讀ませたると見えたり。空は霞みてと讀まんか。雪霧あふなれば、空打曇りたる體にて、霞たる景色を、義をもて霞と讀ませたるなるべし。春になりくれば、流石に霞みて雪もふる(13)と云へば、歌の義聞えたり。天雲きりあひと云事は、春に限りたる事の古語ありてかく讀める歟。さなくては如何に共心得難し。或抄、者の字を春さりくれどと讀えきを、此集の第四卷にも、此手爾波のたがひありて、今時の手爾波とは違たりなど云へる説有。どと讀みても、にと讀みても、をと讀みても、さすがにと云句にては不v濟。天雲霧相の四字に心を付る事の説口惜し
 
1833 梅花零覆雪乎※[果/衣]持君爾令見跡取者消管
うめのはな、ふり覆雪を、つゝみもて、きみにみせんと、とればけにつゝ
 
零覆雪乎 印本諸抄皆おほふと讀みたり。義もて書たらば、下のつゝみもてと續く縁に降りつむと讀べき也。歌は兎角雅言を專に讀むを本とする也
 
1834 梅花咲落過奴然爲蟹白雪庭爾零重管
うめのはな、さかりはすぎぬ、しかすがに、白雪庭爾、ふりつもりつゝ
 
咲落過奴 さきちりすぎぬと讀ませたれど、これも義訓をもて書けるなるべし。咲き散り過奴と云義餘り拙き詞也。咲落の二字にて盛と讀むべき歟。さ無くば咲きて散すぎぬと、ての字を入て讀まんか。さきちり過ぬとは餘り穩かならぬ詞也
白雪庭爾 是もはだれの庭にとか、み雪は庭にとか讀むべし
零重管 これも重の字つもりと讀まんか。尤梅の散たる上に、春の雪の降重ねたると詠める歌なれば、かさねにてもあらんか
 
1835 今更雪零目八方蜻火之燎留春部常成西物乎
いまさらに、ゆきふらめやも、かげろふの、もゆる春ひと、なりにしものを
 
かげろふは、かける火と云意、直に火と云字を用ひて蜻蛉の夕部に飛かふは、かける火の樣なるをもて云かけたり。下の詞も又もゆる春火と詠みて、春ひは春べ也。歌の意は、冬こそ雪降りしに又かく長閑なる春に再び降らんやと也
 
1836 風交雪者零乍然爲蟹霞田菜引春去爾來
(14)かぜまぜに、ゆきはふりつゝ、しかすがに、かすみたなびき、はるさりにけり
 
風まじりに又雪は降れ共、流石に春とて霞たな引、春の景色になりにけりと也。春さりにけりは、春になりにけり也。凡てさりは、になると云詞、是にて知るべし
 
1837 山際爾鶯喧而打靡春跡雖念雪落布沼
やまのはに、うぐひすなきて、うちなびき、はるとおもへど、ゆきふりしきぬ
 
よく聞えたる歌也
 
1838 峯上爾零置雪師風之共此間散良思春者雖有
みねのべに、ふりおけるゆきし、かぜのつれ、こゝらちるらし、はるにはあれども
 
峯上爾 峯のほとりの意也。峯のべと讀むべし。うへと云てもほとりの意也
雪師 此師の字當集の古格也。惣而古詠の定格後世此格を知る人稀也。三の句へ不v續爲也。三の句へ續く手爾波字を入て歌の不v聞事ある時上二句にて切て、三句より意をのべる時、此助語をよみたる古格、いか程も有v之事也。氣をつけざる故、其歌共を不v辨也。此歌も雪のと云べきを、雪しとよめる事古詠の習也。のと云ふては、其のゝ詞に意をつけねばならぬ也。たゞ降おける雪と云意を詠む歌故、師の助語を入也。尤此助語を入るにて、歌とたゞ言の差別を知るべき也
風之共 前にも波のつれ抔よめる通也。共はつれると云義をもて詠む也。風につれてこゝら散るらしと也。こゝにと讀ませたれど、あまた散るの意に見るべし
 
右一首筑波山作 注者所見ありて歟
 
1839 爲君山田之澤惠具採跡雪消之水爾裳裾所沾
きみがため、やまだのさはに、ゑぐつむと、ゆきげのみづに、ものすそぬれね
 
(15)惠具 芹と云説又一種惠具と云菜類有と云。未v考。和名抄には茄子と書けり。茄子今なすびと云來れり。芹は水邊に生ず。然れ共ゑぐき物ならず。茄子は夏の瓜類也。然れ共ゑぐき物也。いかゞまぎらはしき也。和名抄云〔※[酉+僉]【唐韻、力減反、鹹味也、鹹音初減反、酢味也、俗語云、惠久之】第十一卷に、山澤惠具をと讀めり。芹は冬賞翫し、春はさのみ賞翫もせざれば、此ゑぐは芹の事ならんか。追而可v考
 
1840 梅枝爾鳴而移徙※[(貝+貝)/鳥]之翼白妙爾沫雪曾落
うめがえに、なきてうつろふ、うぐひすの、はねしろたへに、あわゆきぞふる
 
よくきこえたり
 
1841 山高三零來雪乎梅花落鴨來跡念鶴鴨
やまたかみ、ふりくる雪を、うめのはな、ちりかもくると、おもひつるかも
 
同斷
 
一云梅花開香裳落跡 此或説古一本には小字二行に書けり
 
1842 除雪而梅莫戀足曳之山片就而家居爲流君
ゆきをおきて、うめをなこひそ、あしびきの、やまかたづきて、いへゐせるきみ
 
山片就 やまべに共讀むべき歟。尤片つきてと讀ませたる歌共多けれど、皆べにと讀みても義通る歌多し。片づきてといふ義少六ケ敷也。片よりそふて家居などするとの意なれ共、山邊に續きてと云方義安し。歌の意は、山里は雪深ければ、雪ふりつもる景色を外より賞して、梅にまさりたる此景色なるに、梅をば、な戀ひ給ひそと、山里に住める人に、よみて遣せる歌と聞ゆる也。前の歌に和へたる意也。左注にも問答と見て注を加へたり
 
右二首問答
 
詠霞
 
(16)1843 昨日社年者極之賀春霞春日山爾速立爾來
きのふこそ、としははてしか、はるがすみ、かすがのやまに、はやたちにけり
 
古今集にきのふこそ早苗とりしかと詠める、此歌に基き半年の暮れしを驚きぬ、これはいと早やも春を迎へて、霞の立をよめる也。極の字、くれしと義をもて讀ませたる歟。當集に四極山舟極など書て、しはつ山、船はつ、などよめる歌あれば、こゝもはてしとは詠める也。尤くれしと讀まん事も義訓なれば然るべき歟。春霞かすがと續きたる所よきうけ也
 
1844 寒過暖來良志朝烏指滓鹿能山爾霞輕引
ふゆすぎて、はるはきぬらし、あさひさす、かすがの山に、かすみたなびく
 
來過暖來 義をもて書けり。文選、左太仲呉都賦に、露柱霜來と書きて、秋過多來れる意を述たるも同じ義也。あなたにても如v此意を通じて書けり。此卷末にも寒過暖來者と書けり
朝烏 漢家の字義によりて書けり。金烏の事也。出所追而可v記。歌の意聞えたる通也。春來るらしと愚かによめる所歌の雅情也。春の來りたるは知れたるを、來るらしとよめる處歌の風情也。持統天皇の春すぎて夏來るらしと詠ませ給へるに同じ
 
1845 ※[(貝+貝)/鳥]之春成良思春日山霞棚引夜目見侶
うぐひすの、はるにきぬらし、かすが山、かすみたなびき、よめにみれども
 
鶯の春にきぬらしとは、鶯の春になりぬと思ひて來るらしと云意也。諸抄には、成の字を正本として、春鳥の内鶯は別而春にもてはやす烏故、時鳥のおのが五月とよめる意と同じく、おのが春になるらしと釋せり。然れ共、舊本には來の字を書たれば春とおもひて來るらしといふ義なるべし。さなくては下の句の意不v適也
夜目見侶 夜目に見れ共と云は平懷なる詞也。尤義は夜目に見ても霞める空は春の來れるしるし明なれば、鶯も谷の戸を出くるならしと詠める意と聞ゆれ共、夜目に見れ共とは、つまりたる歌詞也。宗師案は、四方に見るからと讀まんか。然らば霞棚引き四方に見るから也。まみむめも通音なれば、めも、もゝ同じ。もくの音にては讀まれず、春日山霞棚引けるは四方に見(17)ゆるから、鶯も山を出くるならんとの意也
 
詠柳
 
1846 霜干冬柳者見人之※[草冠/縵]可爲目生來鴨
しもがれし、ふゆのやなぎは、見人の、かづらにすべく、もえにけるかも
 
見人之 此句心得難し。みは本美の字の畧字なれば、美の字の草字を書誤りたる歟。然らば美人と書て義訓に讀ませたるならん。たをや女とか、みや人とか讀べし。美の字はみやびやかと讀む故也。見る人のと讀む義心得難し。歌の意は、聞えたる通也。目生と書きて、もえとは義訓也。色々六ケ敷相通の説を云人あれど、義訓の方安也
 
1847 淺緑染懸有跡見左右二春楊者目生來鴨
あさみどり、そめかけたりと、みるまでに、はるのやなぎは、もえにけるかも
 
此歌もかくれたる處無き也
 
1848 山際爾雪者零管然爲我二此河楊波毛延爾家留可聞
やまのはに、ゆきはふりつゝ、しかすがに、このかはやぎは、もえにけるかも
 
河柳 かはやぎと讀むべし。青柳の讀みと向じ。聞えたる歌也
 
1849 山際之雪不消有乎水飯會川之副者目生來鴨
やまのはの、ゆきはきえぬを、□かはの□は、もえにけるかも
 
此歌水飯合川之事未v考。源氏物語胡蝶に〔以下注ナシ〕〔校訂者補胡蝶は常夏の卷を思ひ誤られしものならん。常夏の卷の初に、氷水めして水飯などとり/”\にさうどきつゝくふ、と有。〕或抄に水飯とは今ひめと云て食ふものと注せり。今の俗六月の頃、水に冷して用ゆる道明寺と云もの也。道明寺と云寺にて(18)ほし飯にする名物と聞えたり。それを古くはひめと云たる由也。然れば、こゝもひめ合川と云地名か。此義いかに共決し難し。印本諸抄には、水飯合を、ながれあふと讀ませたれど、水飯合の三字を流れあふと云義、何としたる事にて讀ませたるや其釋なし。水をもて飯をのんきに入るゝは、流れる如くなる義と注せるも、あまりなる作意也。水飯の二字何とぞ古訓あるべし。此訓にて上の句の意も濟むべし。先は地名と見ゆる也。或抄物に、いひや川と云大和の地名と書けるものあれど、證據實書無ければ不v被v信。水飯合三字なれば、水は氷の誤りにて、ひいや川とは讀むべけれど、いひと讀まん事も不2心得1。暫く後考を待のみ
不消有乎 是も消えぬをと讀める事少心得難けれど、不v消あるをと書て、義を取て讀ませたる歟。歌の意は大方聞えたれど水飯合の三字不分明にて釋し難し。且副の字も、柳の字の誤りならん。脱字ある本も有。彼是極め難き歌なれば、知らざるを知らずとして待2後考1耳
 
1850 朝旦吾見柳鶯之來居而應鳴森爾早奈禮
あさな/\、わが見るやなぎ、うぐひすの、きゐてなくべき、もりにはやなれ
 
森 説文曰、木多貌。柳と鶯を共に愛して、柳の緑そひ行かん事を願ふ意也
 
1851 青柳之絲乃細紗春風爾不亂伊間爾令視子裳欲得
あをやぎの、いとの□春風に、みだれぬいまに、みせんこもがな
 
細紗 ほそさをと讀めるはあまり拙なからん。何とぞ別訓あるべし。宗師案は、細の字は賞美の詞に用ゆる字、まぐはしなどとも讀み、又能とも讀む。細馬と書きてよき馬と日本紀等にも讀ませたれば、糸絹の縁に幸と用て、賞美の詞に讀樣あるべく、紗は同v羅字義にて薄絹布の惣名也。然れば、うす物と讀む字なれば、女の裳と云義にとりて、玉もなど讀まんか。玉柳とも云なれば也。猶別訓あらば雅言に隨ふべし。作者現在せば問はまはしき別訓也。何人の歌にもあれ、細さとは讀給ふまじき也
伊間 此伊は例の發辭也。子も女子の通稱也
 
(19)1852 百礒城大宮人之蘰有垂柳者雖見不飽鴨
もゝしきの、おほみやびとの、かづらなる、しだれやなぎは、見れどあかぬかも
 
かづらなるは※[草冠/縵]になる也。にを約せるな也。例の約言に書たる也
 
1853 梅花取持見者吾屋前之柳乃眉師所念可聞
うめの花、とりもちみれば、わがやどの、やなぎのまゆし、おもほゆるかも
 
吾宿と詠めるは、妻女のたをやかなる美眉を、梅花の薫香にひかれて思ひ出たるなるべし。梅とかねて柳をほめたる意也。柳の眉と讀む事今更釋するにも及ばす
 
詠花
 
1854 ※[(貝+貝)/鳥]之木傳梅乃移者櫻花之時片設奴
うぐひすの、こづたふうめの、うつろへば、さくらのはなの、ときかたまけぬ
 
片設 注に不v及。毎度ある詞也。櫻の花の未だ盛りには不v成折を云へば、かた/”\の意をかねて、初語ともせる歟。まけては迎へての義也。時は折とも讀むべし
 
1855 櫻花時者雖不過見人之戀盛常今之將落
さくらばな、ときはすぎねど、見る人の、したふさかりと、いましちるらん
 
飽かれぬさきにと今し散るらんとの意也
 
1856 我刺柳絲乎吹亂風爾加妹之梅乃散覽
わがかざす、やなぎのいとを、ふきみだす、かぜにか妹之、うめのちるらん
 
此妹之梅の散るらんと云事心得難き歌也。當集の例文字には拘らず、音通をもて借書ければ、いもゝいまも同音歟。今之と云(20)事に書ける歟。歌の意は、我方の柳の絲を吹亂すにつけ、戀慕ふ妹の家の梅も散らんと、思ひやりて詠める意と聞ゆれ共、この所へ妹を端なく詠み出たる所、古詠の風格には心得難き也
 
1857 毎年梅者開友空蝉之世人君羊蹄春無有來
としのはに、うめはさけども、うつせみの、よのひときみし、はるなかりけり
 
羊蹄 は草の名、借訓にて助語に書けり。此歌も世人きみしと云事一通は聞えたれど、いかに共歌詞にあらず。別訓ありて書たるなるべし。追而可v考
歌の意は、年毎に梅はかはらず咲け共、世は變化盛衰ありて、人も去年ありしはなくなり、盛りしも零落して、過ぎし春は此春に同じからぬ事のある、世の中の樣を詠める意也。然れ共、世人君羊蹄の句は、決て別訓ありてかくは讀まじき也
 
1858 打細爾鳥者雖不喫繩延守卷欲寸梅花鴨
うつたへに、とりははまねど、しめはへて、もらまくほしき、うめのはなかも
 
うつたへは不斷の意、常住など云俗言の意也。うつとは、凡て表れたる現在の事を云詞也。たへとは、とこしなへと云約語也。となの約た也。依りてたへと畧する也。なれば不斷に鳥は食まね共、若し花になれ來る鳥ありて、散さん事の惜ければ、しめはへて守りたきと云ひて、梅を深く秘藏し愛する歌也
 
1859 馬並而高山部乎白妙丹令艶色有者梅花鴨
□たかきやまべを、しろたへに、にほはせたるは、うめのはなかも
 
馬並而 此五文字心得難き也。諸抄の説は、乘馬の人を常に見るは聳えて高きもの故、高きと云はん爲の冠辭といへり。此歌の外に一首も無き五文字。用右の説不v被v信也。宗師案、當集の字法書法すべて音通を以て借訓に書ける事、擧て數へ難し。然れば、これも、ま、め同音なれば、うめなべてと云義ならんと也。愚案未v決。若しくは馬は烏の誤りにて、日をなべてと云義歟 日ををべにほはすとかゝる詞也
 
(21)1860 花咲而實者不成登裳長氣所念鴨山振之花
はなさきて、みはならねども、ながきけに【したはるゝ・おもほゆる】かも、山ぶきの花
 
山振は花のみ咲きて實はならぬもの也。依て戀の意をよせてよめり。實なる實ならぬとは、戀の叶ひ叶はず、妹脊の間の事調ふ不v調ことに詠める義也。此歌も下に其意を含みて詠める也。それ故慕はるゝかも共、思はるゝかも共讀べし。畢竟愛する意を云たる也。長氣は前々にもある如く、長くと云義、氣は發語助語也。長き息をつく事など云説は非也
山振 詩に※[疑の旁が欠]冬花と書たり。今云山吹とは異也。前に具しく注せり。黄金色なる物故、金の山より吹出でたる色に似たるとて山吹の字も書と云説あれど、皆借訓に書たるもの也。※[疑の旁が欠]冬花は今つわと云草也。或抄に、此事色々説を書けり。依て畧v之
 
1861 能登河之水底并爾光及爾三笠之山者咲來鴨
のとがはの、みなぞこさへに、てるまでに、みかさのやまは、ゑみにけるかも
 
能登川は大和高圓山と三笠山との兩山の間より西へ流るゝ川と云へり。藻鹽草に新登河と記せるは誤れり。此歌に三笠の山は咲きにけるかもと詠たれば、兩山の間の川此能登川なるべし。山は咲にける鴨とは、例の通前の歌と同人の作にて、二首引合て見るべし
三笠山者咲來鴨 ゑみにけるかもと讀まんか。春山の咲と云事古き詩にもあれば、春山草木の美しきを賞して、ゑみと讀たるか
 
1862 見雪者未冬有然爲蟹春霞立梅者散乍
ゆきみれば、いまだふゆなり、しかすがに、はるがすみたち、うめはちりつゝ
 
雪の消え殘れるを見れば、春共わかねど、さすがに霞の立ちて、梅も散る頃の景色を詠める也。よく聞えたる歌也
 
1863 去年咲之久木今開徒土哉將墮見人名四二
こぞさきし、久木いまさく、いたづらに、つちにやおちん、見る人なしに
 
(22)久木の事前にも注せる如く、宗師は一種ある名とは不v決。先達は皆木の一名として、濱ひさ木と云説を立て來れり。宗師案は、久木は義訓にて書て、椿の事ならんか。つばきなればつま木にて、木の惣名にもなれば、椿木を義をもて久木とは書けるかと也。八千歳をふる木と云て、唐土にても祝木とし、我朝にて玉椿など云て、祝言に用ひ來れり。依てひさしき木と云義をもて椿を久木とは書けるか。或説には凡ての木の年久しく不v枯ある木をさして、何木にもあれ、祝ひて濱久木といふも濱邊に生立て年久しき木を云たる義と也。何れとも決し難き也。第八卷にも遠木末の開ともよめる、此遠木も久木と意を通じてか末はうれとも讀みてつまき歟。久木遠木と書て椿の事にして椿はつまきと云義、二段に義をとる事も六ケ敷ければ、此義も不2落着1也。椿を久木遠木と義訓に書たるは、一通の義聞えたれ共、久木遠木を又妻木とする意は少心得難し。此歌の意は、去年咲きて今咲くとよめるは程經て久しきと云意にて、今咲く共よみたるか。なればひさ木と讀むべき義共見ゆる也。歌の意は何の事も無く聞えたり
 
1864 足日木之山間照櫻花是春雨爾散去鴨
あしひきの、やまのはてらす、さくら花、このはるさめに、ちりゆかんかも
 
能聞えて別意無き歌也。間を山あひと讀ませたれど、はしうどなど讀める字也。なれば、はと讀みて然るべし
 
1865 打靡春避來之山際最木末之咲往見者
うちなびき、はるさりくらし、山のはの、最木末の、さきゆくみれば
 
最木末之 此訓何れ共決し難し。印本諸抄等には、ひさきの末のと讀ませたり。最の字をひさと讀む意も如何したる義ある歟。最の字はいとも共、うべも共讀みて木末の咲きゆくと讀む義もあるべければ、此最木ひさ木と讀む事も決し難し。ひさ木と讀べき證ある迄は、いかに讀まん共決し難し
 
1866 春※[矢+鳥]鳴高圓邊丹櫻花散流歴見人毛我裳
きゞすなく、たかまどのへに、さくらばな、うつろひゆくを、みむひともがも
 
(23)春の歌故、春の字を添て書けり。雉の字計にて濟むべきを、二字書たるは當集の書格也。これをもて用無き字をも添へたる處あるを可2辨知1也。然れ共、義に當らぬ處に添字を書ける事は無き也。きゞす鳴と云に意は無き也。春日の長閑なる景色を云はんとて、かく詠出たる也。若草がくれにきゞすの聲聞く頃、櫻の花も散かふ野邊の景色は、云べくもあらぬ長閑さならんを、見る人もかなと願ひて、待設くる人やありて詠めるなるべし
散流歴 これを印本諸抄にも、ちりながらふをと讀たるはいかにぞや。、梅櫻の流らふと云事、句例語例も無きこと也。殊に歌詞共聞えられねば、かく讀たるには有べからず。三字合て義訓に讀ませたる義と見る也。依てうつろひ行をと讀む也。流歴は行の意、散はうつろふと読む字なり。三字合せて句意を助けて書たると見えたり
 
1867 阿保山之佐宿木花者今日毛鴨散亂見人無二
あほやまの、さねきのはなは、けふもかも、ちりまがふらん、みるひとなしに
 
阿保山 在所不v決。和名抄に、播磨飾磨郡英保安母。又云、伊賀國阿保郡あり。八雲にはあを山播磨と有。拾穗抄には大和と注せり。何所か未v知。實所追而可v考
佐宿木 木一種ありと云來れり。或抄に眞木と云義に同じく惣名かと云へり。これもさね木といふ木未v考。ねぶりの木榊等云説々有
散亂 散まがふらんとか、らしとか讀むべし。まがふと云義少心得難し。矢張みだるらしと讀まんか。らんの字まがふ共讀たり。されどこゝにまがふと云ふ詮何の爲とも聞えねば、みだると讀まんか
 
1868 川津鳴吉野河之瀧上乃馬醉之花曾置末勿動
かはづ鳴、よしのゝかはの、たきのへの、あせみのはなぞ、てなふれぞゆめ
 
かはづ鳴 此川津鳴も、川の門のなると云意なるべし
置末勿勤 馬醉木はつゝじにては無き他。あせみ也。惡木にて人馬共に害ある毒木也。其意を詠める歌多し。此歌も其意に(24)て手な觸れなと讀みたる也。おく末も無きと讀ませたれど、歌詞共不v覺、歌の意も聞えぬ也。毒木故、手なふれそと讀める義然るべく、末におくと書たる義も、手をふれぬ道理をもて義訓に書たると見えたり。近くおかぬなれば、手に觸れぬ筈也。ゆめとは制したる詞、つゝしめと云義也。六帖には、當集の歌を讀誤りたる事多けれど、此義訓は然るべき也
 
1869 春雨爾相爭不勝而吾屋前之櫻花者開始爾家里
はるさめに、あらそひかねで、わがやどの、さくらのはなは、さきそめにけり
 
相爭と書きてあらそふと讀ませたるは、春雉の例と見るべし。爭ひかねては、雨に降催されて、含まんとすれどふゞまれず、自づから花の紐解くをいへり。能聞えたる歌也
 
1870 春雨者甚勿零櫻花未見爾散卷惜裳
はるさめは、いたくなふりそ、さくらばな、いまだみなくに、ちらまくをしも
 
同じく能聞えたる歌也
 
1871 春去者散卷惜櫻花片時者不咲含而毛欲得
はるされば、ちらまくをしき、さくらばな、しばしはさかず、ふゞみてもかな
 
片時 は、しばしは也。少の間はと云義也。春なればも早や悉く梅は咲滿ちて稍散りがてなる故、待しもかへりて暫く開花をのべて、めで飽かじとの意也
 
1872 見渡者春日之野邊爾霞立開艶者櫻花鴨
みわたせば、かすがのゝべに、かすみたち、さきにほへるは、さくらばなかも
 
何の意も無くよく聞えたる歌也。開艶者は咲匂へるは也
 
1873 何時鴨此夜之將明※[(貝+貝)/鳥]之木傳落梅花將見
(25)いつしかも、このよのあけん、うぐひすの、こづたひちらす、うめのはなみん
 
梅を愛する情の切なるから、夜の明くるをも待との意也。鶯の木傳ひ散らすと詠めるも、面白き風情をあらはせり。たゞ風に散なんなど詠める意とは、甚違へる情也。ケ樣の歌に心をつけて、雅情の差別を可v辨事也。鶯の木傳ひ散らすと云所には、言外の雅情ある、此味をあまなふ人は少し
 
詠月 春の月を詠める歌共を被v擧たる也。月と計りありては秋に限りたれど、此所は皆春の部の歌也。よりて惣標に、春夏秋冬の差別を被v載たる也
 
1874 春霞田菜引今日之暮三伏一向夜不穢照良武高松之野爾
はるがすみ、たな引けふの、ゆふづくよ、きよくてるらん、高まどのゝに
 
春がすみたなびく 此句に意は無く、たゞけふのと云はん迄の序也
三伏一向 これを、つくと讀むことは、十訓抄第二に一伏三仰と書て、月よと讀めり。つくね人形と云物ありて、一度ころばせば三度ころびかへりて、元の如く向ふ樣に仕掛たる物有。古く玩び來りたる物と見えて、其名より云たる義也。奧の歌には、一伏三向と書て、ころと讀ませたるも、此人形より義をとりて讀ませたる事と傳來れり。一度ふして三度起かへる樣に仕掛たる物也。古制の物にて、昔より弄び物にもてはやし來れるから、此義をとりて書たる也。此三伏一向の事、十訓抄に嵯峨帝の御時、小野篁によみとらしめ給ふ歌に、一伏三仰不來待書暗降雨戀筒寢と書て給はせたまひしを、月夜にはこぬ人またるかきくらし、雨もふらなん佗つゝもねんと讀めりければ、かの無惡善をよみし御疑ひも晴れさせ拾ひて、御景色直りけりとなんと書たり。童べのうつむきさいと云物に、一つふして三つあふぬけるを月よと云也。如v此有。然るに此集には三伏一向を、つきと讀ませ、一伏三向をころと讀ませたるは、彼の人形の體をもて書たるか。一度伏して三度かへる樣に仕掛たるものか。つきころと讀む出所の義は、しかとは知れ難し。うつむきさいを、何とてつきよとは云ぞとの義はしかと知れ難し。うつむきさいを何とてつきよとはいふぞとの義は知れざる也。つくね人形とも云俗語有。此ねも伏すの義を云たるものか。奥の歌には一(26)伏三向と書て、ころと讀ませたり。然れば十訓抄に云へる如く、人形の事によりて詠ませたる義有べし
不穢 と書きて清くとは義訓なり
歌の意は、春霞の棚引く空は、雲も無く風も凪ぎて長閑なれば、けふの夕月夜いか計り清く、うらゝかに照らんと高まどの風景を思ひやりて詠める也
 
1875 春去者紀之許能暮之夕月夜欝束無裳山陰爾指天
はるされば、紀之このくれの、夕つくよ、おぼつかなくも、山かげにして
 
紀之 此言葉不v詳。この暮と云はん序に木のこと詠たると見て濟むべきか。きしこの暮にて、來りしと云義を云たる義歟。又地名抔にや。何れ共決し難し。この暮は前にも出て、木の繁りたる陰と云義也。こぬれ共云也。のくの約ぬ也。さらぬだに夕月はほのかなる光を、春なれば木陰茂りて暗きに、山陰のいとゞ覺束無きと也。山陰にしてとは、歌の始終留り難き樣なれど、古詠には此格いくらもありて、面影にして、河よどにして、中よどにしてと當集に詠める歌有。覺束なき山陰と云意也。上の句の紀之は來りしと云義と見れば、山陰にしても止り、確かに聞ゆる也
 
一云春去者木陰多暮月夜 このくれおほみとか、こかげをおほみとか、此或説によれば、紀之は、只ことうけん爲迄にきのこのくれと詠たると見ゆる也
 
1876 朝霞春日之晩者從木間移歴月乎何時可將待
あさがすみ、はるひのくれば、このまより、うつろふつきを、いつとかまたん
 
朝霞春日之晩者 此朝霞春日と詠み出たる意、少聞得難し。一説に、朝霞張とうけたるかと云説有。宗帥案は、朝霞と詠出たるは、春の永日は朝より霞にて日の暮たる樣なれば、月の出來るわきも知られず、いつとか待たんと云意に、朝霞とは詠めると也。くるればの意也。霞にて日の暮れたる樣なればと云意に見るべしと也
 
詠雨
 
(27)1877 春之雨爾有來物乎立隱妹之家道爾此日晩都
はるのあめに、ありけるものを、たちがくれ、いもが家ぢに、このひくらしつ
 
ありけるものをとは 春雨ははか/”\敷も降らず、とくは晴れぬものなる故、間なく晴れんかと思ひて、雨宿りせし間に、妹が許へも行かで、道にて日をくらせしと也
 
詠河
 
1878 今往而※[米/耳]物爾毛我明日香川春雨零而瀧津湍音乎
けふゆきて、きくものにもか、あすかゞは、はるさめふりて、たぎつせおとを
 
今往而 今ゆきてと讀ませたれど、あすか川と讀みたれば、かけ合の詞に、けふゆきてと讀む方然るべし
※[米/耳]物 ※[米/耳]は聞の字の異字也。ものにもかと云へるは聞べきものかなと云意也。たぎつ瀬音は春雨にて河水増してたぎり流るゝ音をと云義也。河のたぎり流るゝ瀬の音を、今日行きて聞ましかと云義也
 
詠煙
 
1879 春日野爾煙立所見※[女+感]嬬等四春野之菟芽子採而煮良思文
かすがのに、けぶりたつみゆ、をとめらし、はるのゝうはぎ、採てにらしも
 
菟芽子 一本免にも作れり。うはぎとは今よめ菜と云菜也。和名抄云、〔莪蒿〕【於八木】。第二卷にも注せり
採而煮良思文 野遊に出て乙女らが野菜の羮を※[者/火]るならしと也。春の煙を詠めるには珍しき趣向を詠みたる也。第十六卷竹取翁の事を記せる序に、季春之月登v丘忽値2※[者/火]v羮之九箇女子1也と書けり。本朝文粹菅家の句にも野中※[草がんむり/毛]v菜〔世事推2之※[草がんむり/惠]心1〕爐下和v羮、〔俗人屬2之※[草がんむり/夷]指1云々〕空穗、源氏物語等にも若菜のあつものと書けり。昔より若菜を羮にはしたると見えたり
 
野遊
 
(28)1880 春日野之淺茅之上爾念共遊今日忘目八方
かすがのゝ、あさぢが上に、おもふどち、あそべるけふの、わすられめやも
 
よく聞えたる歌也。淺茅が上とよめるにつきて、佛の座に敷れるもの故、清らかなるもの抔云説をなせる抄あれど、別の意あるにあらず。只春日野の若草の、美しき野邊に、遊びたる義を云たる義也。無益の事にとりそへて云べきも云はれざる事也
 
1881 春霞立春日野乎往還吾者相見彌年之黄土
はるがすみ、たつかすがのを、ゆきかへり、われはあひみん、いやとしのはに
 
これもよく聞えて千歳の春も心をのばへたる祝歌也
 
1882 春野爾意將述跡念共來之今日者不晩毛荒粳
はるのゝに、こゝろのべんと、おもふどち、きたりしけふは、くれずもあらぬか
 
くれずもあらぬか、くれなかしと願ふたる意也。粳は俗糠の字也。※[米+亢]と同じ字也
 
1883 百磯城之大宮人者暇有也梅乎挿頭而此間集有
もゝしきの、大みや人は、いとまあれや、梅をかざして、こゝにつどへり
 
暇あれやを、あるやと讀べきと云へる説もあれど、これはあれやと讀む方風情よき也。あるやと云詞は俗に近地。ありやはあらめやと云詞にて、あるやと云意と同じ。ケ樣の處に雅俗の違ある也。歌の意は、朝勤の人々も、春なれば暇あるらめ。花をかざして野遊をせると也。道ある御代の豐かなる春にあへる心の緩かなる由を、自づからに詠み出たる也。世によく人の覺えて、赤人の歌とていひはやす歌、上の句は同じくて、下を櫻かざしてけふもくらしつと云ならはせり。此歌を引直して、赤人の歌と云ならはせるか
歎舊 賞嘆愁嘆感歎の差別有。悲み憂へる計りの歎きにはあらず。即ち歌も物を感歎したる歌也
 
(29)1884 寒過暖來者年月者雖新有人者舊去
ふゆすぎて、はるのきぬれば、としつきは、あらたなれども、人はふりゆく
 
寒過暖來 前にも注せり。義をもて書けり。歌の意、能聞えたり
 
1885 物皆者新吉唯人者舊之應宜
ものみなは、あたらしきよし、たゞひとは、としふりたるし、よろしかるべし
 
ふりたるのみしとも讀まんか。上にたゞと讀たる故、下にのみと讀まん事然るべしと也。然れ共のみしと云事聞よろしくも無ければ、年ふりたるしとは讀む也。好む處に隨ふ也。同じ作者前の歌の餘意を詠めるなるべし。春と云事無けれ共、通じて春の歌と見る也。尚書盤庚上云、遲任有v言、人惟求v舊、器非v求v舊惟新。此文の意をとりて詠める歟
 
懽逢
 
1886 住吉之里得之鹿齒春花乃益希見君相有香聞
すみのえの、里をえしかば、はる花の、いやめづらしみ、きみにあへるかも
 
住吉之 これを地名とさゝず、只住よき里と云義にて、廣く云たる義より、住よしと讀べしと云説あれど、吉の字古來よしと讀める事稀也。其上よしの里と續く事無き事にて、地名ならでは下への續きならぬ也。えと云もよきと云詞なれば、古訓の通に住のえと讀むべき也。地名として住よきと云意を含めて讀めるとは見るべし。歌の意は、時にあひ、所を得たる故、慕へる君にもあへると悦びて、時と所を悦びたる歌也
益希見 ましめづらしみと讀ませたれど、まし珍しと云詞、此歌の珍しきより尚珍しき事也。假名書にてもあらばさも讀むべきか。とまし常磐木抔よめる誤を不v辨して如v此讀來れり。益の字はいやと讀べき也。珍しみは珍しき也。春花の二字若しくは春草の誤り歟。第三卷人麿の歌にも、春草のいや珍しとあれば、こゝも若草のいや珍しみにてもあらんか。歌の意は、春の花の見ても飽かぬ色香の如き、珍しき人にあふ事の嬉しきと也。かもと云ことは、皆感歎の詞、かなと云と同じき也
 
(30)旋頭歌
 
1887 春日在三笠乃山爾月母出奴可母佐紀山爾開有櫻之花乃可見
かすがなる、みかさのやまに、つきもいでぬかも、さき山に、さけるさくらの、はなの見ゆべく
 
隱わたる處も無く、月をも待たず、心明けき歌也。外の山も有べきを、さき山を詠めるは、開るとうける縁語也。ケ樣の處に歌の巧拙ある也。春日は添上、佐紀山は下の郡なれば、一所にして、尤も近所なれ共、言葉の縁に詠出たる意を賞すべき也
 
1888 白雪之常敷冬者過去家良霜春霞田菜引野邊之鶯鳴烏
しらゆきの、常敷ふゆは、すぎにけらしも、春霞、たなびくのべの、うぐひすなくを
 
常敷 前にも注せる如く、とこしくと云詞いかに共不v濟。時じくか、しきじくかにて有べし。時は常なれば、義訓に讀ませたるか。又四季の意にて、常をしきと讀ませて、しきじくは、ひたもの隙間無くと云意か。時じくのかぐの實と云時じくも、常住不斷の意也。こゝも冬は不斷に雪降ものなれば、白雪のときじく冬とは詠める歟
鳴烏 烏の字一本には焉と有。焉の字は、言葉上にかへると云字義あれば、かへる手爾乎波抔の時、そとか、をとか、つけたる義も有べけれど、こゝは餘音の字と見るべし。詞の餘り也。烏焉の字何れにても苦しかるまじ。只意無き添字語の餘り也。唐土の詩文の助字置字に同じ。尤も鳥と云字にても、てと一音をとりて、歌の意には合べけれど、語の餘と見る方能き也。いくらも此字を書たる歌ある也。何方も皆一所に見るべし
 
譬喩歌
 
1889 吾屋前之毛桃之下爾月夜指下心吉菟楯頃者
わがやどの、けもゝのしたに、つきよさし、したごころよき、うたゝこのごろ
 
毛桃 仙覺云、實なれるを、毛桃と云て表したる意也と。尤桃の實にはうぶ毛の如くなる毛ある物也。毛無き桃有、不2一概1。(31)然れば、これは初語のけなるべし。さもゝ、をもゝなど云意と同じきか。但し實に成たるを云はんとて添たる詞か。初語と見れば義安き也。喩へたる意はいかに云義ありてか察し難し。先歌の趣にては、茂りたる桃の木の下に月のさしたるは、下心底意清きと云意に喩へて、何とぞ心よき事あるを、かく底意の心よきと詠めるなるべし。うたゝと云詞は、ひたもの/\と云義也
 
春相聞
 
1890 春日野犬※[(貝+貝)/鳥]鳴別眷益間思御吾
かすが野に、いぬうぐひすの、なきわかれ、かへりますまに、おもひますわれ、
 
犬 去の字の意也。若むくは去の字の誤りたる歟。一説に下に留の字何れにても落たるといへり。無くてもいぬと云にて義通ずれば、脱せると見ずても濟むべき也。思ふ人にあひて、飽かで別るゝ時、泣別れをして其歸る間に、愈慕ふ思ひの増と云義を、鶯に寄せて詠める相聞也
 
1891 冬隱春開花手折以千遍限戀渡鴨
ふゆごもり、はるさくはなを、たをりもて、ちたびのかぎり、こひわたるかも
 
よく聞えたる歌也。渡鴨の二字普通の素本には無し。脱たるなるべし。古一本にあるを正しとす。戀渡るは、人を戀わたる義なれ共、よびかけし人は聞得ても、外の人の聞ては言葉足らざる也。惣標に相聞とあるをもて、呼びかけし人を戀ふ義とは聞ゆる也
 
1892 春山霧惑在鶯我益物念哉
はるやまの、かすみをわくる、うぐひすも、われにまさりで、ものおもはめや
 
霧惑在 霧にまどへると讀みたり。義はよく聞ゆれ共、春の霧と云は、霞の棚引こめたる空は、霧の降たつによく似たるものから、義をもて書たる共見ゆる也。霞と云ものゝあるに、霧をわざと詠むべき事にもあらねば、此義疑はしき也。霧にまどへ(32)ると云詞より、霞をわくると云方聞よからんか。音借に詠める事あまたあれば也。わが思にまどひて行先わかぬいぶせさを、山路を出る鶯の、霞める雲路をわけくるは、物うくもあるべくや。されどいかでわれにまさりて、物うかるべきと寄せて詠める也。朗詠に、咽v霧山鶯(ハ)啼(コト)尚少とも作り、霧霞深き山路をわけくる鶯も、戀路にまどふわれには及ばじと云意也
 
1893 出見向崗本繁開在花不成不止
いでてみる、むかひのをかの、もとしげく、さきたる花の、ならずばやまじ
 
思ひそめし人を花として、實ならずば止まじと也。實ならぬは妹背のこと、調はずば、戀やまじと云義也。凡て夫婦のことの調たるを成といひ、戀の叶はぬを不v成と云也。古語の定法也
 
1894 霞立春永日戀暮夜深去妹相鴨
かすみたつ、はるのながきひ、こひくらし、よのふけゆかば、いもにあはんかも
 
別の意無き歌也。こひくらしは、戀くれぬとも讀むべきか
 
1895 春去先三枝幸命在後相莫戀吾妹
はるされば、まづさいぐさの、さきからば、のちにぞあはむ、なこひそわぎも
 
先三枝 前に注せり。三枝は山百合の事にて左右と中に枝さす物故云來れり。古事記に由來あり。此歌は只さきくあらばとよまん爲の序に詠みたる迄也。歌の意は、何とぞ障りありて、今あふ事の成難きにより、命だに全からば、末にてこそあはめ、さのみな戀ひそと示したる也
 
1896 春去爲垂柳十緒妹心乘在鴨
はるされば、しだれやなぎの、とをゝにも、いもがこゝろに、のりにたるかも、
 
春の柳のしだれ靡きしなへたるは、妹が心のしなひ靡きたるに似たりと云意也。凡てこの妹が心に乘にけると詠める歌あま(33)た有。第二卷に先づ出たり。此歌を証例として在鴨とあれど、のりにける鴨と讀べきか。此のりにと云義は、似たると云義と見る也。先には心に任せ叶ひたると云意と見たれ共、此歌等を考合するに似たる鴨と云義と聞ゆる也。爲垂柳、和名抄云〔兼名苑云、柳、一名小楊【和名之太里夜奈木】云々〕
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出
 
此一首計りの左注なるべし
 
寄鳥
 
1897 春之在者伯勞鳥之草具吉雖不所見吾者見將遣君之當婆
はるされば、もずのくさぐき、見えずとも、われは見やらん、きみがあたりは
 
伯勞鳥 前に注せり。鵙《ケキ》也。和名抄卷第十八云〔兼名苑云、鵙一名鷭【漢語抄云、伯勞、毛受】〕周書月令云、反舌有v聲、讒人在v側此反舌鵙。と云説あれど、禮記月令云、仲夏之月鵙始鳴、反舌《ウクヒス》無v聲。周書月令と、禮記月令とは相違せり。反舌は鶯と云説有。これも此方にては鶯六月迄も鳴くなれば、月令の表には國により所によりて合難き事も有也。又鵙も七八月の頃より渡りて、春の頃も偶々鳴也。本朝と異國唐土とは、一概に極め難き事有。此もずの草ぐきの事、古來より色々説有。八雲御抄仙覺抄共、清輔奧義抄の趣を記されたり。其後兼良公も歌林良材に其趣を載せられたり。猶顯昭法師自見をあげて、當集の歌を引き、草ぐきは草くゞるとの事、たゞ見えず共と云はん爲の義迄に釋したり。其理り無きにあらね共、今も田舍に云傳へて、鵙の雲をしるべに、己が餌を尋ぬることを、あてど無きことの譬へに云ならへる所もあれば、奥義抄の説、古説といひ、實事にもや侍らん。歌の上にても、百舌鳥に限りて草をくゞるとよめる意も心得難し。雉子の雛も、春は草をくゞり、又其外にも、小鳥の内何程も草をくゞる鳥けものあらんに、鵙に限りたるは如何にかあらん。詞の縁うつりなどの便にて、あまた有中にも其鳥をとよむ事もあれど、此歌もこゝにさしたる縁語も無ければ、古事あるをもて詠めるやと聞ゆれば、當流も奧儀抄の説に隨ふ也。尤歌の意は、たゞ見えずともと云はん爲め計の草ぐき也。上の句に意味有にはあらず。古詠の格皆かくの如し。霞がくれに隔たりて、君が(34)あたりの見えず共、あくがれ慕ふ心から、其處共わかず只徒に見やらんとの義也。諸抄に引けるは、君があたりをと書たり。此集にはあたりはとありて、然も濁音の婆の字を記せるは、焉雖等の字を誤りたるならんか。此婆の字不審無きにあらざる也
 
1898 容鳥之間無數鳴春野之草根之繁戀毛爲鴨
かほどりの、まなくしばなく、はるのゝの、くさねのしげき、こひもするかも
 
かほ鳥も忙しく鳴鳥と聞えたり。即ち此歌第三卷赤人の歌等を證とすべし。わきて春の野に鳴くと聞えたり。尤此歌の意、容鳥の屡鳴く如く、又草の根の繁きと兩義にかけて我戀の切なる事を詠める歌也。戀のしげきとは、前にも釋せる如く、檜の木の義をよせて也。此歌にも直にしげきことうけて、山は木と云義、檜と云木によそへて詠める也。扨其しげきと云意は、戀の後より/\いや増しそふ義を云也。此等の歌によりて、かほ鳥は春の頃美しき小鳥の鳴ことを云て、一つの鳥にはあらず。惣ての鳥と云説もあるか。兎角かほ鳥は、何れの鳥共決し難く、和名抄も不v見ば、いかに共定め難き也
 
寄花
 
1899 春去者宇乃花具多思吾越之妹我垣間者荒來鴨
はるされば、宇の花くたし、わがこえし、いもがかきまは、あれにけるかも
 
宇の花 春卯の花の咲ことあるまじ。是は決して梅の花にて、毎の字落たると見ゆる也。諸抄には卯の花にして釋せるも有。又不審をなせるも有。當集を始め後々の歌集にも、卯の花は夏に詠みて、既に四月を專とし、月をも卯月とさへ名付くるなれば、春さればとよみ、春の部の歌に入べき樣なし。尤此卷末に至りて、鶯の往來かきねの卯の花のうき事あるや君が來まさぬ、と詠めり。これも夏の歌也。夏鶯を詠めるもいかゞなれど、是は夏までは居る鳥なれば、云はるべし。此歌の卯の花と詠める事心得難し。當流には、めの字脱したりと見る也
くたし そこねたる事を云。尤くさりたる事をもくたすと云へり。第十九卷に、卯花を令腐《クタス》ながめのと詠みて、なが雨にてくたらすと云へる義也。こゝにくたしと詠める意は、何をもてくたしたる事共不v聞。抄物等には、雨ふりし上に、度々我垣を越(35)通ひし袖にすれて、つぼめる花をも、くさらしめたる義と釋したるも、あまり云まはし過たり。こゝは花をそこなふたる義と見るべし。梅花の咲きし頃は、花にことよせ度々通ひし時、垣根の花をもおし手折、妹に會ふべき事のみ心を進めば、咲たる花には心も無く、損なひ來しが、其垣根の荒たりとは、遠ざかりてあはざりし間も、かれ/”\になりしと云義によせて詠める也
 
1900 梅花咲散苑爾吾將去君之使乎片待香花光
うめのはな、咲散そのに、われゆかん、きみがつかひを、かたまちがてら
 
此歌第十八卷に假名書にて載られたり。袖書に田邊史福麿と注せり
片待香花光 片は、かつと云意、又の意也。なれば一方は花を見ん爲、且吾が使をも待ちがてらと云意に、かたとは讀みて意を得て片の字をも書たるか。花の咲ちる園に出て、使を待たんとの義不v詳也。花の盛なれば、花見にこせよと、先より使の來らんと待居しに、未だ不v來は、出行く道にて使にもやあふらんとの意にて、片待ちがてらとよめるか。或抄には、宿に居て待ち堪へ難きから、花にことよせて、立出て待たんとの意と釋せり。さも有べきか。作者の意、句中に表れざれば不v詳也。花光の二字にて、てらと讀義も、花の字衍字にやと云説あれど、義をもて意を通じて書たるならん。花にも光と讀む事ありて、下てる計りなどとも詠めるは、其意にて書たるならん
 
1901 藤浪咲春野爾蔓葛下夜之戀者久雲在
ふぢなみの、さけるはるのに、はふくずの、下夜之こひは、久雲在
 
此歌も聞得難き歌也。下夜之こひと云義いかに共解し難し。諸抄には、藤浪は常に陰の暗き事に詠なし、たそがれ時に寄せてよみて、葛は物のこかげ下陰に這ふ物から、下よとうけて暗きと云意に夜とよみて、色にも不v出下に待夜の戀の久敷程ふる意に寄せて詠めると注せり。かく言葉を入れて釋せば、如何樣にも云まはさるべけれど、下夜の戀と云例、語例珍しければ、解し難き詞也。宗師案は、下夜は賤屋が戀は古くもぞあると讀まんかと也。葛抔這ふ宿は賤屋にて、古く荒れたる義を云て、我思の晴やらぬ事の程經る義によせたるか。藤波の咲けると云は、藤の花と云はずして上古の歌には浪と計りも詠みて、既に第九(36)卷の歌にも、みなふち山の巖には散る浪とよめる、散る花の意也。みなふちは藤によせて也。其故下に散る共よめる也。又此卷の末にも咲ける藤浪とも詠めり。久しきは古き義なれば、久の字、ふるとよめる義訓は毎度有べき事なれど、古人の義訓を考辨無き故、讀違へたる歌共多し。此歌の、下夜之の句も、いかに共心得難し。此歌次のかくなる迄にの歌と同作の歌ならんか
愚案、下夜之の夜は延の字の誤りか。下はへしか。うなゐをとめが歌に語例あれば也。下に忍びて戀ふ事を、下はへしとか云べし
 
1902 春野爾霞棚引咲花之如是成二手爾不逢君可母
はるのゝに、かすみたなびき、さくはなの、かくなるまでに、あはぬきみかも
 
此かくなる迄と云句心得難し。かくなる迄とは讀ませたれど、別訓もあらんか。霞に隱して見せぬ如くにと云意、成はなすと讀まんや。尤第八卷の歌にも、郭公不念有寸木晩乃如此成左右爾奈何不來喧とよめる歌もありて、此木晩のかくなる迄とよめる意も、今此歌の如v此なる迄も同意也。然れば、其の當然見たる處の義を述べたる事にて、ふる年より音信絶えて逢はざりしが、春にも移り花も咲散る頃になりぬれど、あはぬと云意に、如v此なる迄とよめる歟。少し云足らぬ歌也
 
1903 吾瀬子爾吾戀良久者奥山之馬醉花之今盛有
あがせこに、あがこふらくは、おくやまの、あせみの花の、いまさかりなり
 
奥山のあせみは見る事安からず。稀にならでは見ぬ意をこめて、あせみも吾背を見まくほしきと慕ひ戀ふ心の、今あせみの花の咲ける盛の如く、吾戀ふ心も切なると云意をよそへたる也。あがせ子を見たきと云義を、あせみの花と云名に合せてよそへたるを主意と詠める歌也。少の意なれ共、只奥山のあせみの花と詠める處、古詠の上手の風格也。奥山は、見る事まゝならぬ理りをこめて也。諾抄等にはつゝじと讀ませたれど、あせみと讀までは歌の趣意不v聞。馬醉木はあせみの事也
 
1904 梅花四垂柳爾折雜花爾供養者君爾相可毛
うめのはな、しだりやなぎに、をりまじへ、はなにそなへば、きみにあはむかも  あふかもびても同じ(37)意也
 
供養 そなへばとは、祈る處の神に奉り供へるの意也。春の節物梅柳を神に奉りて祈らば、戀思ふ人にあふべきかと也。供養の二字は佛教の字なるべし。手向ばと義訓すべき歟
 
1905 姫部思咲野爾生白管自不知事以所言之吾背
をみなへし、咲野におふる、しらつゝじ、しらぬこともて、いはれしあがせ
 
姫部思咲野 此續きいかに讀べきや、不v決。さき野と讀みて、大和の佐紀野の地名を詠めるや、又ゑみ野と云地名もありてそこを詠たるや、又只廣く凡て女郎花の咲野と詠める意か。此廣くさして詠めるとの意は、諸抄にも云へる説なれど心得難し。尤女郎花を詠めるは、女の義をこめて詠める歌ならん。され共廣くさしては秋の歌になる樣なれば、さきの、ゑみのにてもあらんか。女の笑みしから心に思はぬ名を云騷がされたると云意ならんか。一説には女の異心も無きを知らぬ事をもて、恨みかこちを云へりしあがせこと云意共見ると也。兩義に見ゆる歌也。あがせとよみたれば、此かこちたる説叶ふべからんか
 
1906 梅花吾者不令落青丹吉平城之人來管見之根
うめのはな、われはちらさじ、あをによし、ならなる人の、きつゝみるがね
 
平城之 此之の字を當集にては、なると讀まねばならず。日本紀等にても、なると讀ませたる故、此集にてもさ讀ませたる證明等は、此歌にても知るべし。なるともならでは讀まれざる之の字也。見るがねは見るかに也。見るかには見るにてあらんにと云義也。古語にはかくの如き廻り遠なる樣に聞ゆる詞多し
 
1907 如是有者何如殖兼山振乃止時喪哭戀良苦念者
かくあらば、いかにうゑけん、山振の、やむときもなく、こふらくおもへば
 
山振と詠めるは、やむ時も無くと云はん縁也。ケ樣の續きを能く味ふべし。山吹の花を戀ふると云義によせて、何とて思ひ初め馴れそめけん、かく笑む時も無く、戀慕ふ事を思へば、思ひそめ馴れそめましをと、山吹を植たるに寄せて詠める也
 
(38)寄霜
 
1908 春去者水草之上爾置霜之消乍毛我者戀度鴨
はるされば、みくさのうへに、おく霜の、きえつゝもわれは、こひわたるかも
 
霜は秋冬を專と詠むべきに、春に詠合せたるは、春の霜と云趣の意歟。其上消えやすきと云意を、專と詠みし故也。心も消ゆる計りに戀佗る思ひの切なる義を、消えつゝもと詠める也。水草と詠めるは、水邊に生ふる草と云義に意あるにあらず。戀渡ると云下の句の縁を、上に結びて、水と云義を詠める也。畢竟みと云詞は、初語共見ゆる也。然れ共、戀とは泥の事を云から、水の縁を詠めるなるべし
 
寄霞
 
1909 春霞山棚引欝妹乎相見後戀毳
はるがすみ、山にたなびき、おほゝしく、いもをあひ見て、のちこふるかも
 
春霞の山に棚引隱し、おぼろげなる如く、確かに相見ずして、後愈戀のいや増すの意也。鬱の字は覺束無き共、ほのかに共讀ませて、霞に隱せる山を見る如く、さだかに見ぬと云義、たゞ假初に見し心也
 
1910 春霞立爾之日從至今日吾戀不止本之繁家波
はるがすみ、たちにし日より、けふまでに、わがこひやまず、もとのしげけば
 
今日までと詠めるは、その當然の日を詠める也。暮春の比とも云べき也。程ふる意也
本之繁家波 こひと云に木《コ》の詞ある故、もとの繁ければと也。本の繁きとは、思ひかけし心の深くてなほざりならざるから、日を經ても、思ひ捨て難くやまれぬと也。しげけば、しげければと云略語也
 
一云片念爾指天 或説の終の句、本集よりも聞安かるべし。われのみ戀慕ふ、片思ひにしてといふ義也
 
(39)1911 左丹頬經妹乎念登霞立春日毛晩爾戀度可母
さにつらふ、いもをおもふと、かすみたつ、はる日もくれに、こひわたるかも
 
さにつらふは、さねつるゝ妹と續く詞、前々にも注せり。さにほへる共讀む説有。紅顔の妹と云意にて、妹を賞美の詞共見る也。何れにもあれ、妹を愛賞の詞にて、妹の冠句也。歌の意は、美しき妹を戀慕ひ思ふ故、永き春の日も霞みて暮たる如く、心の闇の晴れず戀渡るとの義也。霞に曇りて、日の暮たる事と、思ひの晴れぬ義を比して、くれにとよめる也
 
1912 靈寸春吾山之於爾立霞雖立雖座君之隨意
たまきはる、いくやまのうへに、たつかすみ、たつとも居とも、きみがまに/\
 
吾山之 これを古本印本諸抄物等皆わが山と讀ませたり。たまきはる吾がと續くべき事は無し。いとより外續ける事、決して無き事也。其上吾山の上とよみて、其わがと詠出たる義も不v濟。これは五口の二字、一字になりたる也。若し又二字にて無く共、吾と云字形をもて、直にいくと讀ませたる義共見るべし。山の上に又山ありと書きて、出と讀ませたる義と同じき意にて、幾山の義也。いくらもの山の上に、立ゐる霞の如くと讀みて、畢竟たつ共居とも君のまに/\とよめる爲の上の句也。古詠の格皆かくの如く、只立とも居ともと云はんとして、幾山の上に立霞とは詠かけたる也。然るを、わが山とわざと讀むべき義無き事也。いくらもの山と云計りの義也
 
1913 見渡者春日之野邊爾立霞見卷之欲君之容儀香
見わたせば、かすがのゝべに、たつかすみ、みまくのほしき、きみがすがたか
 
此の歌もたゞ見まくのほしきと云はんとて、立霞とうけたる迄の義也。立隱れたるを見まほしきと云意を含めたる意也
 
1914 戀乍毛今日者暮都霞立明日之春日乎如何將晩
こひつゝも、けふはくらしつ、かすみたつ、あすのはるひを、いかにくらさん
 
よく聞えたる歌也。春日をと詠めるは、長き日をいかにしてかと云の意迄也
 
(40)寄雨
 
1915 吾背子爾戀而爲便寞春雨之零別不知出而來可聞
わがせこに、こひてすべなみ、はるさめの、ふるわきしらず、いでて來るかも
 
吾せこを宿にこひ居て、詮方無くて春雨をも厭はず、雨の降る共降らぬ共わかず、只思ひにのみ迷ふから、其別ちも知らす背子の方へ出來ると也。春雨と云めは、わがことに云たる也。凡て此さめと云は、女の事に比して云たる義と見ゆる古詠多し。後撰の、さくさめのとじと云歌も、其意にて、しうとめの事か。先の女の刀自ならん
 
1916 今更君者伊不往春雨之情乎人之不知有名國
 
此歌きゝ得難し。諸抄の説は左の通りに讀ませたり
    いま更にきみはいゆくな春さめのこゝろを人のしらざらなくに
かく讀ませて説々不v決。先一説は春雨の降るべきや、降るまじきやの心を人の知らぬにはあらず。降べき空なるに、ないにそと云の意と也。二説は春雨に降こめられてとまりぬると、世の人の知らぬにはあらず。なればとまる共人咎めじ、ないにそと止めたる歌と也。かく云ひて此句釋聞えたり共不v覺。上に今更にとよみ出たる釋聞えず
宗師案は、前の歌の返歌の意なるべし。前に春雨のふるわき知らで、出來りし妹に今更歸るなと云意か。然らば情は晴の誤字歟。春雨の晴るゝや晴れぬやは、人の上にては知れ難ければ、出行きて晴れずば、苦しからん程に、いでいぬな、晴れて出でよと云意、知らざらなくにと云此、には、今時の手爾波とは古詠の格甚だ違ありて、語の餘りに用たる歌多し。古詠の格は大方其意也。然れば只知らぬと云義に、知らざらなくとよめると見る也。にといふを返る手爾波に聞時は、此歌も、知りてあるにと云意に聞ゆる也。さ讀みては歌の意聞得難し
又一案には、前の歌の答にあらず。やはり女の歌にして、夫の來りしを今更に歸るな、春雨の降る共降らず共わかち難きものなるに、雨の降るとて、今更歸るな。降りても降らでも、わが心は變らぬをと云意にて、人の知らざらなくとは、せこを指して(41)云たる義、春雨とは、妹のわが身をさしていへる義、わが情を君が知らざるから
いなんともし給ふとの意と也
右何れも予未だ得心せず。後案を願ふのみ
 
1917 春雨爾衣甚將通哉七日四零者七夜不來哉
はるさめに、ころもはいたく、とほらんや、なぬかしふらば、なゝよこじとや
 
春の雨はさのみ強からぬものなるに、いたくぬれ通らんや、かごとにてこそあらめ。七日降らば七夜來るまじきとの事にやと、春雨をかごとにして、行かんと契りし約を變ぜし人を、恨みて遣したる歌と聞ゆる也。七日七夜と詠めるは、日を經る事の長き事を云はんとての詞にて、數を限りて意味ある事には無し
 
1918 梅花令散春雨多零客爾也君之廬入西留良武
うめのはな、ちらすはるさめ、いたくふる、たびにやきみが、やどりせるらん
 
多 これをさはに降と讀ませたれど、雨のさはに降ると云事心得難し。物に應ずる言葉と不v應言葉と有。雨雪霜抔に、さはに降る、多く降る抔云義は無きこと也。深くとか、いたくとか、ならでは云はれぬ事也
此歌は旅行の人など春雨の物靜けき折節、思ひやりて詠めると聞えたり
 
寄草
 
1919 國栖等之春菜將採司馬乃野之敷君麻思比日
くすびとの、わかなつむらん、しばのゝの、しば/\きみを、おもふこのごろ
 
國栖等之 これをくにすらと讀ませたるは、あまりに拙し。或抄には、くす共がと讀ませたれど、これも聞にくき詞也。歌は雅言又耳立たぬを專とする也。然れば等の字ひとしく共、直に人と云意にも讀める事多し。よりてひとゝは可v讀也。尤くす人は蝦夷の内にて卑しきものなれば、卑しめてくす共 が共云べけれど、歌には兎角聞えのよき言葉をよむを歌とすれば、(42)と讀むべき事也
國栖 神武紀云、更少進〔亦有v尾而披2磐石1而出者。天皇問之曰、汝何人、對曰、臣是磐排別之子、此則吉野國※[木+巣]部始祖也〕應神紀云、十九年冬十月戊戌朔、幸2吉野宮1、〔國※[木+巣]人來朝之。因以2醴酒1獻2于天皇1而歌之曰【云々中略】歌之既訖、則封v口以仰咲。今國※[木+巣]獻2土毛1之日、歌訖即撃v口仰咲者、葢上古之遺則也。夫國※[木+巣]者、其爲v人甚淳朴也。毎取2山菓1食、亦※[者/火]2蝦蟇1爲2上味1、名曰2毛瀰1。其土自v京東南之隔v山而居2于吉野河上1、峯嶮谷深、道路狹※[山+獻]。政雖v不v遠2於京1、本希2朝來1。然自v此之後、屡參赴以獻2主毛1。其土毛者栗菌及年魚之類焉〕延喜式第二十二民部式云、凡吉野〔國栖、永勿2課役1云々〕
司馬野 八雲御抄にはしめ野とあれど、此歌は下のしば/\と讀むべき爲計り也。上を詠出でたる歌の第一の詞の縁なれば、漢音に讀べきこと決定なり。しまとは讀べきか。呉音にても、しまと讀みては、下の數々も、しま/\と讀べし。兎角此歌は數と云詞にうける迄の序歌也。ケ樣の歌、集中の歌を見る手本也。上の句に少も意あるにあらず。只數君をと云事に續く爲迄の事に詠出たると云義を、よく辨ふべき事也。しば/\は、ひたもの/\難v忘戀慕ひ思ふ事の切なる事を云へる也。春菜は皆わか菜と義訓に讀ませたると見ゆる也
 
1920 春草之繁吾戀大海方往浪之千重積
わかぐさの、しげきわがこひ、おほうみの、へにゆくなみの、ちへにつもれる
 
春萠出る若草の茂れる如く、いや増しに積る思のやる方無き事を喩へたる也。方往は、邊によるとも讀まんか
 
1921 不明公乎相見而菅根乃長春日乎孤悲渡鴨
ほのかにも、きみをあひみて、すがの根の、ながきはるひを、こひわたるかも
 
能聞えたる歌也。孤悲の悲戀の字に誤れる本多し。一本悲の字に書けるを爲2正本1也
 
寄松
 
1922 梅花咲而落去者吾妹乎將來香不來香跡吾待乃木曾
(43)うめのはな、さきてちりなば、わぎもこを、こんかこじかと、わがまつのきぞ
 
梅の花の盛の頃は、花によそへて來もしなまし、散りての後はいか計り來なんや來るまじやと云意に、松をよせたり
 
寄雲
 
1923 白檀弓今春山爾去雲之逝哉將別戀敷物乎
しらまゆみ、いまはるやまに、ゆくゝもの、ゆきやわかれん、こひしき物を
 
しらまゆみ射とも張ともうけたる也。ゆく雲のゆきや、と云はん爲迄の上の句にて、別の意なく、別れん事を惜めるとの歌也
 
贈※[草冠/縵]
 
1924 丈夫之伏居嘆而造有四垂柳之※[草冠/縵]爲吾妹
ますらをの、ふし居なげきて、つくりたる、しだれやなぎの、かづらせわぎも
 
妹を戀慕ひてふし居嘆の意也。深く慕ひ思ふから、かく作りたる※[草冠/縵]なる程に、せめて手にふれて※[草冠/縵]にせよとの歌也
 
悲別
 
1925 朝戸出之君之儀乎曲不見而長春日乎戀八九良三
あさとでの、きみがすがたを、よくみずて、ながきはるひを、こひやくらさん
 
儀 はよそひ共姿共讀むべし。朝とく歸る人の姿を見ずて、長き春日を慕ひや暮さんと也。朝とでは逢後の朝の歸るさ也
 
問答
 
1926 春山之馬醉花之不惡公爾波思惠也所因友好
はるやまの、あせみのはなの、あしからぬ、【きみ・あせ】にはしゑや、よりぬともよし
 
(44)あせみの花は毒木にて、あしきとて前にも手にふれそと詠みし也。よりて惡からぬと云はんとて、あせみの花とは詠みし也。下の意も、あせみの花は忌嫌ふ物にて、より添はぬ物なれど、君はあしからでよき身なれば、寄りあふ共よしや厭はじと也。しゑやは、よしやと云て、打捨てたる詞也。かさて《(マヽ)》下によしと云ひて、假令如何になりぬ共、よし厭はじと云意をこめて也。此外にもあしからぬと續けたる歌有。追而可v記
 
1927 石上振乃神杉神備而吾八更更戀爾相爾家留
 
此歌讀解難し。神備而は一本神佐備と有。正本なるべし。印本諸抄には
     いそのかみふるのかみすぎかみさびてわれはさら/\こひにあひける
如v此讀ませて、前の歌の返歌なれば、上の句は皆年ふりたる事を云へる義にて、われかく年經る迄も、かゝる戀にはあはざりしが、今かくよりぬ共よしとあるは、まことにもあるまじきに、更に今戀にあひけるかなと云意と釋せり。かく云て此歌さら/\と云詞の意全體の意聞えたり共不v覺也。しかし年經て思ひかけぬ戀にあひけると云意とは見ゆる歌なれど、更々と云句意とくと聞得られず
宗師案は、更更の二字は夜々と讀べし。相の宇まきまくとも讀までは濟難き歌共あれば、これもまけと讀みて、負の字の意にて、われはよる/\戀にまけにけると讀むべしと也。戀にまけるとは、あはで年經たると云義也と也。予未だ心を得ず。後案を待のみ。更更の二字、何とか別訓に讀ませたらんか。宗師の意にても、諸抄の意にても、和へ歌の意打付かざる也。第十一卷にも、石上振神杉神成戀我更爲鴨と書て、假名には、いそのかみふるのかみ杉かみとなる戀をもわれはさらにするかもと讀ませたり。此歌も別に讀解樣あらんか。更と云字は、よとも、ふくる共讀べければ、讀解く處の意によりて別訓あらんか
石上振神 日本紀崇神紀云、先v是天照大神〔祭2於天皇大殿之内1。然畏2其神勢1共住不v安。故以2天照大神1託2豐鍬入姫命1祭2於笠縫邑1、仍立2磯堅城神籬1。【神籬此云2比莽呂岐1】顯宗紀云、石上振之神※[木+温の旁]云々。延喜式神名帳〔大和國山邊郡石上座布留御魂神社。〕布留と云地名によりて、年ふりたる事に詠來りて、此歌も我身の老ふりたると云事の序に詠出たる也。然れ共下の句の意とくと聞得難き也。後案すべし
 
(45)右一首不有春歌而猶以和故載於茲次歟 右ひとくさは春のうたにあらず。しかれどもなほこたへにもちゆ。かるがゆゑに載於茲歟。句中に春の事無ければ、前の歌の返歌とも不v見共、和へ歌に用たれば、此並に載たるならんと後人の注也。撰者の注にはあらざる事を、猶以和と云にて知るべし
 
1928 狹野方波實爾雖不成花耳開而所見社戀之名草爾
さぬはりは、みにならずとも、はなにのみ、さきてみえこそ、こひのなぐさに
 
狹野方 これを印本諸抄物等にも、さのかたと讀みて、藤の別名と云説有。又春花の咲く木也と云説有。藤の別名と云と云事證明不v正説なれば信用し難し。春花の咲く木と云へるは尤なる義なれど、何の木とさゝざれば何共知れ難し。宗師案は、是ははりの木の事なるべし。野はりの木と云ものか。又たゞ野はりと云草などの義と聞ゆる也
方の字は万の字の誤也。万の字は、國史等に萬万ともにまろ、まり、と讀ませたり。此は音借にて、凡てまんの音をまろとも讀む古實を知る人少し。それは和書の古記を不v見故也。古記には、万の音を借りて、人のまろと云名に用たる事、國史古記等にあまた有こと也。然れば木にも草にも、はぎ、はり、と云物あれば、此も野はぎか野はりと云草木の名なるべし。萩もはりも同物也。これは秋の物なれば、此歌の野はりと云は、春咲くはりなる故、ぬはりとか、のはりと云か。但し秋の野萩か。此卷の末に、汐額田乃野邊云々と詠める歌有。此は額田と云地名にて。大和國平群郡に有。沙は初語か。又第十三卷の歌に、師名立都久麻左野方息長之遠智能小菅云々と詠たるは、近江國の地名を詠める歌と聞えたり。此等の詞あるから、此狹野方も、万を誤りてかたと讀なせると見えたり。此歌にて地名と見ては、いかに共濟まず。極めて万の字の誤りたると見ゆる也
歌の意は、まことの事は遂げ難く共、せめて目にだに見えて心を慰めよと云へる也。實にならず共とは、野はりと云ものは、春咲きて實のならぬものか。但し秋の物なれば、春咲きては實なるまじけれど、花にのみ咲きて慰めだにせよと云義歟。然らば萩の内、野萩と云物有べし。其萩秋ならねば、花咲きても實はなるまじけれど、せめて花咲けとよみたると聞ゆる也。秋野の萩と見る方然るべきか。萩の實ならぬといふを、まことの語らひは不v調共、せめて目にだに見えねと云義を、かくよそへて詠め(46)る也
返歌の意にては愈秋の野、萩のことゝ見ゆる也
 
1929 狹野方波實爾成西乎今更春雨零而花將咲八方
さぬはりは、みになりにしを、いまさらに、はるさめふりて、はなさかんやも
 
實になりにしとは、秋の野萩は既に花咲て、實なりしと云て、われはも早やそなたに隨ひて、誠の心の變らぬを、又今更に女ぶりて色めかんやと云意也。秋花咲て今春に又咲かんやもとは、今更女ぶりて色めかしくせんやと答へたる意也。春雨降りては、さめは狹女の意、さは助語、女ぶりてと云意を含みて、表は春雨零とよめる也
 
1930 梓弓引津邊有莫告藻之花咲及二不會君毳
あづさゆみ、ひきつのべなる、なのりその、はなさくまでに、あはぬきみかも
 
引津邊 第七卷の旋頭歌にも出たり。なのりその名物の所歟。第七卷の歌も此歌の如く、なのりその花を詠めり。此引津邊は攝津の國と云傳へたり。紀州と云説も有。証明追而可v考。第十五卷にも、引津邊は出たり。國所追而可v決。なのりその花は、つぼみて細く咲ものか。又年を經て、ひねゝば花咲かぬものか。此歌の意程へて咲ものと聞ゆる也。追而可v考也
 
1931 川上之伊都藻之花之何時何時來座吾背子時自異目八方
川上の、いつものはなの、いつも/\、きませわがせこ、ときじかめやも
 
此歌問答の標題あれば、其意をもて見るべき歟。然らば、引津邊の歌は男の歌、此歌は女の答歌と見ゆる也。始めの歌は名のりそをもて喩へ、これはいつもをもて和へたり。前歌に不v會君と詠かけし故、こなたには時わかず待佗れど、そこに來まさぬとの意、いつにても來りまさば、あはん時をわくべき事にはあらずとの答也。此歌第四卷吹黄刀自が二首の歌の一首にて、二度茲に出たる也
川上 これを川かみと讀める事心得難し。前に釋せる如く、川かみと讀みては、其所に限る意不v得v心。前に讀める如く、川(47)づらとか、川のべとか讀むべき也
伊都藻之花 これはいつもと云藻一種有と聞ゆる歌也。さにはあらず。前にも第四卷ふき刀自が歌に出たり。いつもの花と云事をよめり。此歌同歌也。然るに、此いつもの花とは、何の藻を云事にや。尤も八雲等にも只藻の事と有。然らばいつと云へるは、いかなる事にや。此伊都とよめる意知れず。下のいつも/\とよめらん爲に、いつもとよめると云ひても、何とぞ云べき譯無くては、云出られぬ事也。此義に付ては宗師深き考案ある事也。先いつもと云義は、五十百と云義と心得て、數々の事を云たる義と知る也。伊勢物語にも、つゝゐつの井筒とよめる歌につきても論有事にて、其義は彼物語にて傳ふべし。いつもと云事を、數の多き事と云義は、五つ十百と重ねて云たる義也。又五十をいとも云。つは初語にて五十もゝと云事也。神代紀を始め、五百津と云事、數限りの無き數々の事に云たる義と、古來より傳へ來れども、數多き事を五百に限りて云へる義不v濟六百も七百も有べき事を、五百に限れる義不審ある事也。こゝをもて考へ見れば、五十をいと古語に云來れるから、いとは五十の義、ほとは百のことにて、一數に限らず、五つより十、十より百と云意にて數々の義を云たる詞也。八百萬抔云は夥しき事なれ共、此義はいやほよろづと云義にて、八の字は書たると見えたり。然れば此歌のいつもの花とは、數々の藻の花と云義と見る也。五百をいほと云ほは濁音と見るべし。濁音なれば、も也。もは百の義也。神代紀岩戸の所の、五百津のすゞの八十玉串と云も、數々のすゝ竹に、いや玉を貫たれて天神に奉ると云の義也。此歌の、いつもの花とよめるは、何時々々とよまん爲迄の序詞也。いつも/\は、不斷に時をもわかず來り給へ、相ま見えんと云義也。不會君かもと云かけられたる故、裏を返して答へたる歌也。此歌は第四卷に出たる吹黄刀自の歌を、二度贈答によりてか此處に出せり
 
1932 春雨之不止零零吾戀人之目尚矣不令相見
はるさめの、やまずふりふる、わがこふる、人の目すらを、あひみせしめず
 
 春雨は毎日々々無2晴間1降りふるから、來るべき人も不v來して、戀慕ふ人の目をもえ見あはさぬと也。春雨にさはりて、戀ふる人に久敷不v逢との歌也
 
(48)1933 吾妹子爾戀乍居者春雨之彼毛知如不止零乍
わぎもこに、こひつゝをれば、はるさめの、ひともしるごと、やまずふりつゝ
 
彼毛 そこもと讀めり。誰れもとも讀むべけれど、ひともと詠めるは、春雨の日と云詞の續き也。畢竟妹も知れる如くと云意也。われかれと云彼なれば、義訓にそこも共誰れもとも讀むべき也。春雨の晴れず降るから、雨にさへられて得出行かぬと答へたる也
 
1934 相不念妹哉本名菅根之長春日乎念晩牟
あひおもはぬ、妹をやもとな、すがのねの、ながきはるひを、おもひくらさん
 
此もとなは、果敢なき事を云たる意也。本の無き浮不v定る事をもとなと云へば、果敢なき事にも通ふなるべし。諸抄の説の通り、由なきと云事にも、此所は叶へ共、よし無きと云義を、もとなと云へる義不v濟ば、その義とも決し難き也。もとなと云事は兎角根本の無き浮たる事不v定事を云たる義と見るべし。こゝもわれのみ獨果敢なくも、春の長き日を戀暮さんやと嘆たる歌也。菅の根とは長きと云はん序也。これは男のよみて贈れると聞えたり
 
1935 春去者先鳴鳥乃鶯之事先立之君乎之將待
はるされば、まづなくとりの、うぐひすの、ことさきだちし、せなをしまたん
 
春になれば、諸鳥の囀聲をもてはやす中に、鶯獨り己が春ぞと、諸鳥に先だちて鳴聲を、人にも被v賞もの故、先づ鳴鳥とはよめり。既に前の歌にも、鶯の春になるらしとさへ詠みて諸鳥の中に、わきてもてはやさるゝ春鳥故、かくも詠めり。春鳥と書きて鶯とも義訓せる也。よりて先鳴鳥とは讀めるならん。その如く、妹に早く言を云通はせし人を待たんと云意也。早く思ひを表せし人を、せなとし待たんと答へたる也。第四卷に、こと出しは、誰がことにあるかと詠める意と、此こと先だちしと云ふ同じ意也
事先立之 神代紀上卷云、〔如何婦人反先v言乎。〕此古語もあるから、かくこと先だちしとは詠めり。相思はぬと讀みたるから(49)にては無く、誰彼とわくべきにはあらねど、先に言通はせし人をこそ相思ふて、せなともして待たんと也。是等はかけ放れたる贈答格也
 
1936 相不念將有兒故玉緒長春日乎念晩久
あひおもはず、あらんこゆゑに、たまのをの、ながきはるひを、おもひくらさく
 
前の歌と同意にて男子の詠みかけたる歌也。此答無をは一首脱せるか。前は菅のねの序詞をよみ、此は玉緒の序詞の違ばかり也。歌の意に違ふ事無ければ、同歌同作故定めて擧たるか
 
夏雜歌 是れも最初の惣標と同じく、夏のくさ/”\の歌共と云惣標也。然れば、前の題のものにて、皆夏の季節ものを詠める也
 
詠鳥
 
1937 丈夫丹出立向故郷之神名備山爾明來者柘之左枝爾暮去者小松之若末爾里人之聞戀麻田山彦乃答響萬田霍公鳥都麻戀爲良思左夜中爾鳴
ますらをに、出たちむかふ、ふるさとの、神なび山に、あけくれば、つみのさえだに、ゆふされば、こまつがうれに、さとびとの、きゝこふるまで、やまびこの、こたふるまでに、ほとゝぎす、つまこひすらし、さよなかになく
 
此ますらをに出立向ふと云事、諸抄の説、ものゝふ勇者の軍に出立向ふ如く、故郷の飛鳥と、神南山と相對してあると云義にて、只立向ふと云はむ爲の序詞と釋し來れり。詳ならぬ義なれ共、未だ考案出でざれば、先古説に隨ふ也。立向ふものは丈夫ならず共、外の事にもあるべき義、且ますらをにと讀めるも不審也。をとあらば、凡てのますらをにかゝるべし。丹とありては、丈夫に外の者の立向ふ事に聞ゆる也。何が立向ふ義歟委しからぬ也
(50)柘之左枝 前にある柘の木の事也
若末爾 うれと讀む。義をもて書けり。松の若芽の末の事也。うれうらとは木の枝の末を云古語也。答響は二字合せて答ふると讀む也
歌の意は、朝夕夜かけて不v絶郭公の鳴くは、妻戀こそすらめ、夜晝をもわかず鳴と云義也。柘の木松のうれ意ある歌にあらず。只當然の節物景色を其儘に詠める也
 
反歌 後撰に入也
 
1938 客爾爲而妻戀爲良思霍公鳥神名備山爾左夜深而鳴
たびにして、つまこひすらし、ほとゝぎす、かみなみやまに、さよふけてなく
 
郭公の旅にて己が故郷の妻を戀ふらし、夜ともわかず鳴くは、獨り音をやうし共思ひて鳴らんとの意なるべし。蜀望帝旅行を好んで途中にて終り、その亡魂故不如歸と鳴鳥となりし故、客にしてとよむとの説有
 
右古歌集中出  此注者の時代迄は、古歌集と云書もありて、世にもてはやしたりと見えたり。今は世に絶えて一紙一葉も無き事也
 
1939 霍公鳥汝始音者於吾欲得五月之珠爾交而將貫
ほとゝぎす、ながはつねをば、あれにかな、さつきのたまに、まじへてぬかん
 
五月之珠爾交而將貫 郭公の聲を賞美して、五月にもてはやす藥玉の事を兼ねて、もてあそびものにせんと也。聲をぬかるべきものならねど、ケ樣に詠める事歌の風雅也。歌は、幼く跡無き樣に、詞を安らかに詠むを專とす。玉に交へて聲をぬかんとはあまり跡無き事の樣なれど、かくはよまれぬもの也。聲を賞愛の意を云はずしてあらはせる也。畢竟珍しきものと賞翫せんの意也
 
1940 朝霞棚引野邊足檜木乃山霍公鳥何時來將鳴
(51)あさがすみ、たなびくのべに、あしびきの、やまほとゝぎす、いつかきなかん
 
これは郭公を待歌にて、春の頃よりも待居し意をこめて、朝霞とは詠めるなるべし。尤霞は夏も立なれど、下の心をこめたるならん。野邊と云て、山時鳥とよめるを、手にしたる歌也
 
1941 旦霞八重山越而喚孤鳥吟八汝來屋戸母不有九二
あさがすみ、やへやまこえて、喚孤鳥、なくやながくる、やどもあらなくに
 
旦霞八重山 八重山は、幾重もの山越てと云意也。よりて朝霞と序詞を据て詠めり。朝霞は八重と云はん縁也
喚孤鳥 此鳥の歌廿六首は皆霍公鳥の歌也。此歌一首呼子鳥を詠める事不審也。或人云、これも霍公鳥の歌なれば、題も霍公鳥と擧べけれど、此歌一首にて廣く詠鳥とはあげたる歟と也。さもあらんか。然るに此喚孤鳥は、前によぶ子鳥と讀みて、聲なつかしき時は來にけりと有を以て、春の部に入て、後々の集にも皆春の物也。尤常に鳴くと理りたれど、節物にする時は春の鳥也。それを又夏の部に入れたるは、心得難き事也。既に第八卷の春雜歌の第二の歌に、神なひのいはせの森の喚子鳥痛莫鳴吾戀まさると詠みて、春の物なるも、此卷に夏の雜歌に被v入たる事不審也。扨此鳥を今かつぽ鳥と云。俗にかんこ烏とも云ひ、郭公の雌鳥と云ならへり。此鳴聲くわつことも聞え、かつぽ共聞ゆる故、かつぽ鳥と俗に云來れり。若し此呼子鳥の事ならんか。郭公の女と云習たれば、此卷此歌の次に入たるには寄所も有なればとは、心にくき俗説也。或人又喚孤の字霍公に音相近し。よりて音を通じて、ほとゝぎすと讀ませて、此字を書たるか共云へり。しかし此説は心得難し。呼子鳥と云から、汝來るやどもあらなくにと讀みて、誰れ呼迎へる宿も無きに、はる/”\の八重山を越て、なれは鳴來ぞと云へる也
 
1942 霍公鳥鳴音聞哉宇能花乃開落岳爾田草引※[女+感]嬬
ほとゝぎす、なくこゑきくや、うのはなの、さきちるをかに、たぐさ引いも
 
霍公鳥は、卯の花によると云來れば、卯の花の咲散る折に、草取る妹はいか計り時鳥を聞くやと羨みても聞え、又田草引とよめるは、卯の花の咲散る頃、岡べに時鳥鳴らん面白き景色を、賤女も聞知るや、心無き賤は知らずやあらんと、心を深く詠める歌(52)共聞ゆる也。唯一通に見ば、何の意も無く聞えたる歌なれど、聞人の情によりては、深くも淺くも聞ゆる歌也。又われは五月ならねば聞かぬを、うの花の咲散る折なれば、田草引女も、此處には聞つるやと詠める共聞ゆる也
 
1943 月夜吉鳴霍公鳥欲見吾草取有見人毛欲得
つきよゝし、なくほとゝぎす、みまくほし、わがくさとるを、見る人もがな
 
吾草取有 わがさを取れると讀ませたれど、第十九卷に、草取らんとよみたり。あれ草取れりとか、草とるをとか讀べし。此歌の意は、月も清く折から郭公鳥も鳴夜頃なれば、戀慕ふ人をも見まくほし、若しや訪來んかと、われはかく庭の草をも刈拂ふて待居るを、訪來て見る人もがなと詠める也。月よき夜、鳴く時鳥の音に催されて、思ふ人をも待居る情さも有べき也
 
1944 藤浪之散卷惜霍公鳥今城岳※[口+立刀]鳴而越奈利
ふぢなみの、ちらまくをしみ、ほとゝぎす、いまきのをかを、なきてこゆなり
 
ふぢなみは 藤の花を直に詠めり。前にも有。時鳥の藤の花になれ來て鳴かんに散なば疎かるべしとて、散なんことを惜める也。今城岳は大和也。第九卷に注せり。こゝは時鳥の今來ると云に詠みかけたり
 
1945 旦霧八重山越而霍公鳥宇能花邊柄鳴越來
あさぎりの、やへやまこえて、ほとゝぎす、うのはなべから、なきてこえきぬ
 
旦霧の八重山越えて 前に朝霞共よめる意に同じ。幾重もの山を越えて也。卯の花になれ來るもの故、越來る山も卯の花の咲たるあたりより鳴來ると也。何の意無き歌也
 
1946 木高者曾木不殖霍公鳥來鳴令響而戀令益
こだかくは、かつきはうゑじ、ほとゝぎす、きなきならして、こひまさらしむ
 
曾木 これをかつて木植ゑしと讀ませたれど、かつて木植ゑしとは不v穩詞也。かつ木はと讀べし。此歌はわれに思ひのある(53)から、霍公鳥の鳴音にいとゞ思ひの増すから、今よりは霍公鳥の宿りとなる木は植ゑじと、郭公をわが思ひあるから疎みたる歌也。疎みながらも、霍公鳥の音を哀れに感嘆せるから、如v此よめる意をこめたる歌也
 
1947 難相君爾逢有夜霍公鳥他時從者今社鳴目
あひがたき、きみにあへるよ、ほとゝぎす、あだしときゆは、いまこそなかめ
 
よく聞えたる歌也
 
1948 木晩之暮闇有爾【一云有者】霍公鳥何處乎家登鳴渡良哉
このくれの、ゆふやみなるに、ほとゝぎす、いづこをやどと、なきわたるらん
 
木晩之 前にも注せり。夏の木立の茂りて陰囁くなりたる義をば、木陰暗き夕暗なるにと云義也。家はやと讀べし。哉は武の誤りなるべし
一云有者 或説には夕暗なればとあると也
 
1949 霍公鳥今朝之旦明爾鳴都流波君將聞可朝宿疑將寐
ほとゝぎす、けさのあさけに、なきつるは、きみきくらんか、あさいかしぬる
 
疑 は、うたがふと云字故義をもて歟と讀む也
將寐 將は、しとも、すとも、めとも所によりて讀む字也。寐は借訓也。いぬると讀字故、ぬると云詞に借り用て讀べし。此朝に誰が方よりの歸さにや、鳴く霍公鳥の哀れも一方ならぬ音を、戀慕ふ人のいかにや聞給へるや、朝いをやして、かく哀れむべき聲をも聞かでや過し給はんと思ひやれる也。朝いかぬらんと讀ませたれど、さは詠める句例無し。又詞の義も六ケ敷也。朝いかしぬると讀めば、何の義も無く義安也
 
萬葉童蒙抄 卷第廿五終
 
(54)萬葉童蒙抄 卷第二十六
 
1950 霍公鳥花橘之枝爾居而鳴響者花波散乍
ほとゝぎす、はなたちばなの、えだにゐて、なきならすれば、花はちりつゝ
 
響者 これは集中あまたある義也。宗師案は、鳴なれたると云意をこめ、又詞の續きも、なきならと續く處よければ、凡てならすと讀むべしと也。然れ共どよめばと云ふ假名書あれば、どよむれば共讀べけれど、先づ此歌などは、橘になれそひなく意と見るべき歌なれば、斯く讀む也。花になれむつれて鳴くから、花も散るとよめる歌也
 
1951 慨哉四去霍公鳥今社者音之干蟹來喧響目
 
此歌は、上二句のよみ樣未v決。諸抄にも兩義に釋せり。何れか是ならん。宗師説の讀樣は
     よしゑよしゆくほとゝぎすいまこそは聲のかるかにきなきならさめ
斯く讀む意は、己がさ月と今こそは聲のかるゝ計りにも、きなきならすらめ。なれば何處へ行ともよしやいとはじと、外へ行くをも今は厭はじとの意と也。拾穂抄には、よし/\今こそ聲のかるゝ迄に鳴かめ、いつ鳴べきにやと云意と注せり。予未だ得心せず。一説、慨哉四去、これは第八卷にも有詞にて、うれたきやしこ郭公と云ひて、郭公を戒め罵りたる詞と見て、歌の意は、聲のかるゝ程にも鳴き盡さで、よくもあらぬしこ時鳥と云ふ意と也
愚案、よしゑやしと讀むならば、よしゑやしいぬ郭公今社者聲の干蟹きなきどよめばと如v此讀む意は、今こそはよしやいぬる共、よしや聲もかるゝにてもあらん、いか計り來鳴きどよめたれば、今は聲もかれたらんに、いぬる共よしやとよめるか。聲のかるかには、聲のかるゝ計りに來鳴きどよめたればと云ふ意と、聲もかれぬるかと云ふ意を兼ねてよめるならんかし
此説は、慨哉の字、日本紀の字、四去霍公鳥と云事も、前に句例あれば、かく讀まれまじきにもあらず。殊に、慨哉四の三字、よしゑやしと讀む義も、少し心得難し。又ゆく郭公は、あてども無くゆくと詠める意も心得難ければ、うれたきやしこ、とよめる(55)義可v然らんか。然れ共歌の注は心得難し。とくと聞えたる共不v覺。愚案は、うれたきやとよめるは、待てどつれなき餘りうれたきやと卑しめ罵しりて、今こそは聲のかるゝ計りにも來鳴どよますらめものをと、時鳥を待ちて叱りたる歌と見る也。右の聞き樣何れか是ならん。宗師の説に違ふ事いかゞなれど、予得心無ければ愚案を云ふ也。第八卷の長歌、いかと/\中畧わがもるものを宇禮多伎や志許霍公鳥〔以下畧〕
 
1952 今夜乃於保束無荷霍公鳥喧奈流聲之音乃遙左
このよはの、おぼつかなきに、ほとゝぎす、なくなる聲の、おとのはるけさ
 
夜なれば、何處に鳴や覺束なきに、夜は覺束なくても、聲は明らかにはるけきと云意也。亮さと書と同じ意也。暗と明と掛合せたる意也。はるけさは、遠の意にては無く、清明の意と見る也
 
1953 五月山宇能花月夜霍公鳥雖聞不飽又鳴鴨
さつきやま、うのはなづきよ、ほとゝぎす、きけどもあかず、またなかんかも
 
五月山 諸抄には、地名とはせず、やよひ山共よめる歌あれば、只五月の頃の山とよめる義と云へり。完師案は、卯花月夜とよめるは卯月の事にて、此歌五月山の地名、卯の花月夜とよめる取合せ上手の作と也。五月は時鳥の、己が五月とさへ詠みて鳴きふるす月也。卯月は珍しき也。五月山にて卯月に聞く處、珍しく飽かすと詠める處面白きと見る也。又鳴かんかもは、尚鳴けと願ふ意也。此歌新古今に入たり
 
1954 霍公鳥來居裳鳴香吾屋前乃花橘乃地二落六見牟
ほとゝぎす、來居も鳴香、わがやどの、花橘の、地二ちらんみん
 
此歌二つの聞き樣有。此本の通りにては、時鳥の來り居て鳴から、橘の地に落ちんを見んとの意に見ゆる也。宗師案は、來りて鳴かぬと見る也。奴香の奴を脱したると見る也。然らば花橘もあだに散らんを見むに、來ても鳴かぬとよめる歌と見る(56)也。地の字もつちにと讀むと、あだと他の字の誤と見る兩義也。つちと云ふ假名書き、土の字を書ける歌もあれば、此もつちと讀べきか。尤歌によりては、他の字の誤りとも見るべき事也
 
1955 霍公鳥厭時無菖蒲※[草冠/縵]將爲日從此鳴渡禮
ほとゝぎす、いとふときなし、あやめぐさ、かづらにせん日、こゝになきわたれ
 
時鳥はいつをとわかず珍しけれど、わきて五月五日の菖蒲の※[草冠/縵]かけし日、相共に鳴渡りたらんは、いか計り面白く珍らしからんと也。いとふ時なしとは、いつにても厭ふ時日は無けれ共と云意也
 
1956 山跡庭啼而香將來霍公鳥汝鳴毎無人所念
やまとには、なきてかくらん、ほとゝぎす、ながなくごとに、なきひとおもほゆ
 
山跡庭 此五文字心得難し。前にも、やまとには鳴きてかくらん喚子鳥きさの中山なき《本マヽ》てこゆ也と云ふ歌有。此意とは、歌の意異なり。是は他國に居て、故郷の大和を慕ひて詠める歌として見れば、何の義も無く聞ゆれど、只いづ方にて詠める共無くては聞え難き歌也。諸抄の説は、なき人を思ひ出て詠めるにや。しでの山より來ると云から、山とゝは、山外に鳴きてやくらんとの説なれど其意不v詳。愚案は、庭と云ふ字、從と云字の誤りたるか。然らば四手の田長とも詠み、蜀公の亡魂とも云來れ共、迷途の鳥など俗諺もあれば、上古も云ふらしたる事にて山跡は、よもと也。當集に同音通を用ふる事、歌毎にあれば、よもとより嶋きてか來つると云歌歟。さなくては下の句の意いかに共不v濟也
 
1957 宇能花乃散卷惜霍公鳥野出山入來鳴令動
うの花の、ちらまくをしみ、ほとゝぎす、野にも山にも、きなきならせる
 
野出山入 義をもて書きたると見れば、野にも山にもと讀む也。尤、野にで、山にり、きなき共讀べけれど、意同じければ、義をもて野にも山にもとは讀む也
 
(57)1958 橘之林乎殖霍公鳥常爾冬及住度金
たちばなの、はやしをうゑて、ほとゝぎす、つねにふゆまで、すみわたるかに
 
住渡れかなと乞たる意也。橘は常磐木なれば、時鳥も四季共に住渡れかしと愛するあまりに、願ひたる歌也
 
1959 雨※[日+齊]之雲爾副而霍公鳥指春日而從此鳴度
あめはれし、くもにたぐひて、ほとゝぎす、はるひをさして、こゝゆなきわたる
 
※[日+齊] 此字、はるゝと讀む義未v孝。霽の字の誤り歟。通じても書歟。歌の意は聞えたる通也。こゝよりと指す處は、作者の居所より、はるひと云所へ向つて鳴き行と也。春日は、かすがにても有るべきか。然れ共雨晴れてと詠出たるから、同じ地名にても晴るゝ日に鳴渡ると云意をこめて、はるひをさしてとは詠む也。古詠ともに、はるひとかすがと相まじりてわき難き歌多し。然れ共歌の意を疎かに見來れるより、押なべてかすがとのみ讀み來れ共、歌の言葉續く言葉の縁につきては、はるひと讀までは不v叶歌共有。尤此歌も悲の意にて、聲高くかすかなると云意にても有らんか。宗師の意は、はるゝ日にと云意也
 
1960 物念登不宿旦開爾霍公鳥鳴而左度爲便無左右二
ものもふと、いねぬあさけに、ほとゝぎす、なきてさわたる、すべなきまでに
 
物思ふとて夜をいねざりし朝にと云ふ義也。すべ無き迄とは、愈物思ひの催されて、いかにせん方も無きと、郭公の聲に益々我思ひの増したる意也
 
1961 吾衣於君令服與登霍公鳥吾乎領袖爾來居管
わがきぬを、きみにきせよと、ほとゝぎす、われをしらせて、そでにきゐつゝ
 
此歌いかに共心得難き歌也。時鳥の袖に來居る事あるべき事にあらず。諸抄にも釋し難き由注して、口釋など云て遁れたり宗師某は左の如し
(58)   かりごろもせこにつけよとほとゝぎすかりをしらせてそでにきゐつゝ
予未2得心1。何とぞ誤字脱字あらんか。せこにつけよと讀みて、かりをしらせてと云義聞え難し。言葉の縁等は無2餘義1聞えたれど、全体の歌の趣意書樣心得難し。宗師の説は、郭公の音を、我思ふ人に告げよとおのが居所を知らせて、既に來居つゝとの義也。此來ゐつゝもと云義も聞え難し。鳴くとか、來鳴くとあらば、知らせてと云意も聞えたれ、只來居つゝと計りは心得難し。君につけよと云ふ義も、下の句と首尾せぬ樣なれば、誤字脱字有べき也。かりと云ふには所と云字を多く書きて、吾と云字を訓借に書ける事も、集中に稀なれば、此も不2打着1。兎角、別訓脱字の後案を待のみ。領袖爾の三字何とか別訓あらんか
 
1962 本人霍公鳥乎八希將見今哉汝來戀乍居者
本人、ほとゝぎすをば、まれにみん、今哉汝くる、こひつゝをれば
 
本人 此二字心得難し。當集に此|本《モト》つと云事、時鳥の歌に何首もありて、いかゞしたる事と云ふ釋先達も注せず。只時鳥の聲を、もとより聞きなれたれば、時鳥をさして本つ人と注せり。鳥獣をも人と云事、古詠に多き事なれば、こゝも時鳥を指して云へるとの説有。又もとの人、古人の事と云説もありて、確に定まれる正説不v決也。古事などありて、時鳥を、もとつ人とよめる事にもあらば、時鳥の事に見る方、義安かるべし。然れ共其譯なければ、本つ人と云義いかに共釋し難し。宗師案は、みやこ人と云義なるべしと也。國の本と云は王都なれば、みやこ人と云義訓と見るべしと也。歌の意、都人は時鳥を稀に見るらめ。山里なれば、戀をれば今やなが來るとの意と也。予未2得心1。歌の意、とくと首尾聞え難し。如v此にては、山里にてよめる歌と理りて見ざれば聞えざらんか。今やなが來ると云ふも少しむづかしからんか愚案は、何とぞ古事ありて、もとつ人とは時鳥の冠辭なるべし。然らば只時鳥をや今偶々も見ん、既に戀ひつゝをりてなれくればと云意ならんか。只作者の、時鳥今や稀に見んと云意ならんか。今哉汝來も、今やなれくると讀みて、馴れ來るの意をこめて詠めるならんか。戀ひつゝをれば今はなれ來て、時鳥を稀にも見んとの歌と聞ゆる也。又本人は昔人と云義か。昔の人も時鳥稀にや見つらん、今やのやは助語の格あれば、只今汝が來れと云ひて、戀つゝをれば、久しく待戀ひし心を云へるか。是(59)にても不2打着1也。本人は時鳥の冠辭と見る方の義は最も安き也
 
1963 如是許雨之零爾霍公鳥宇之花山爾猶香將鳴
かくばかり、あめのふれるに、ほとゝぎす、うのはなやまに、なほかなくらん
 
よく聞えたる歌也。雨の降るにも卯の花山には聲かれず嶋くらんと也。此歌玉葉には、人丸の歌にして入れられたり
 
詠蝉
 
1964 黙然毛將有時母鳴奈武日晩乃物念時爾鳴管本名
たゞもあらん、ときもなかなん、ひぐらしの、ものおもふときに、なきつゝもとな
 
物思はずたゞあらん時にも鳴けかし、物思ふ折にさし合て、日ぐらしの鳴音にいとゞはかなく物うきと云意也。此もとなと云事は、こゝにてはよしなくも鳴くと云意に叶ひたれど、よしなくと云事に通ひ難き詞故、いかに共此詞歌によりて六ケ敷也。此歌にては、よしなきと云義に叶ふ也。よしなくも鳴くかなと、怨みたる意に聞ゆる也。凡て此類句追而可v考也。日ぐらしは茅蜩又※[截/虫]の字也。和名抄〔蟲豸部云、※[截/虫]【比久良之】小青蝉也〕
黙然毛 もだもと讀ませたり。意は同じ義なれ共、同じ義なれば直にたゞもと義をもて讀べし。もだと云もたゞ居る事を云義也。尤假名書に、もだもと書たる歌あれば、もだと讀べき事ならんか。宗師は、たゞと讀むべきの義と也
 
詠榛
 
此ははりの木と云ふもの也。此實をもて衣を染める也。はり、はぎ同音故萩の事にも詠來れる也。然れ共是は木也
 
1965 思子之衣將摺爾爾保比與島之榛原秋不立友
おもふこの、きぬにすらんに、匂ひてよ、しまのはりはら、あきたゝずとも
 
爾保比與 これをにほひてよと讀ませたり。凡て集中に假名書に、手爾乎波の詞を添へて讀ませたる事甚不v考の事也。訓字(60)には添へらるべけれど、一字假名書に添る事はならぬ義也。讀様又誤字の考案なくて、諸抄等にも此誤りあまた也。此てよと讀ませたるも如v此にては讀難し。此は南の字の誤り歟。宗師案は、乞の字なるべし。与の字と見誤りて乞を與に書きたるから、かく誤りたるならんと也。既にてよと假名を付けたれば、乞の字いでと讀みて、集中に願ひ乞ふ事にも用ひたる例數多なればこゝも匂へと願ひ乞ふ義なれば、乞の字を、てよと讀ませたると見ゆると也。榛ははぎと通じて、秋賞翫するもの故、既に秋不v立ともと詠めり。木榛は夏花咲くものなれ共、はぎ、はり同じ言葉故、秋萩になぞらへて、斯く詠めるなるべし。嶋のはぎ原は大知の地名也
 
詠花
 
1966 風散花橘※[口+立刀]袖受而爲君御跡思鶴鴨
かぜにちる、はなたちばなを、そでにうけて、きみがみためと、おもひつるかも
 
聞えたる歌也。爲君御と書たるは、珍らしき書樣なれど、當集いか程も如v此の例あれば、君がみ爲と讀むべき也
 
1967 香細寸花橘乎玉貫將送妹者三禮而毛有香
かぐはしき、はなたちばなを、たまにぬき、おくらんいもは、みつれてもあるか
 
かぐはしき 匂はしきと賞めたる詞也。今俗にかうばしきと云ふに同じ
三禮而毛有香 物思にやつれ疲れてあらんやと慰めの爲に贈らんと也。前にも、みつれに/\と詠めるみつれと同じ
 
1968 霍公鳥來鳴響橘之花散庭乎將見入八孰
ほとゝぎす、きなきならせる、たちばなの、はなちるにはを、みん人やたれ
 
郭公も馴れきて、鳴きならして橘を散らせる此面白き庭を誰が來て見ん、來て見る人もがなと願ふ意也。心あらん人は來ても見よかしとの意をこめて也。又心ありて來て見はやさむ人は誰なるらんとの意にも見る也
 
(61)1969 吾屋前之花橘者落爾家里悔時爾相在君鴨
わがやどの、はなたちばなは、ちりにけり、くやしきときに、あへるきみかも
 
とく來りなば、せめて橘をもゝてなしにせんに、あやしき宿なれば、いぶせき様を見する事の悔しきと也、
 
1970 見渡向野邊乃石竹之落卷惜毛雨莫零行年
見わたせば、むかふのゝべの、なでしこの、ちらまくをしも、あめなふりこそ
 
雨はなふり來そといふ義也。聞えたる歌也
 
1971 雨間開而國見毛將爲乎故郷之花橘者散家牟可聞
あまゝあけて、くに見もせんを、ふるさとの、はなたちばなは、ちりにけんかも
 
あまゝあけては、雨の間を見て也。雨の霽れなば國廻りをもして、故郷へも廻らましをと也。雨降り續きし五月雨の頃、故郷などを思ひ出て詠めるならん
 
1972 野邊見者瞿麥之花咲家里吾待秋者近就良思母
のべみれば、なでしこのはな、さきにけり、わがまつあきは、ちかづくらしも
 
秋は千種の花咲かん野邊なれば、我待つ野邊ともよめるなるべし。よ、く聞えたる歌也。後撰、なでしこの花散かたになりにけり吾待つ秋ぞ近くなるらし。此歌などによりて詠める歟
 
1973 吾妹子爾相市乃花波落不過今咲有如有與奴香聞
わぎもこに、あふちのはなは、ちりすぎず、いまさけるごと、あり與ぬかも
 
相市 わぎも子にあふとうけたり。あふちの花と云はんとて、わぎも子にと詠出たり。珍らしきと云ふ意をも含めたるか。(62)和名抄、草木部木類云、楝、玉篇云、〔音練〕本草云、阿布智、其子如2榴類1、白而黐〔可2以浣1v衣者也〕今樗の字をあふちと讀ます、これはぬでと讀む字也。然るを何としてか、ぬでとあふちを取替たる事不審望。扨又今世に云ふ處のあふちは、俗に栴檀の木とも云也。此誤ども未2考定1也。楝の子如2榴類1、とあれば、今云栴檀とも不v合也。落不v過なれば今を盛と云ふ意也。よりて直に今咲ける如くとよめり
有與 ありたへぬかもと讀ませたるか。此通にてあらぬかもあれかしの意也。興の字の誤りにてこせぬか、おこすと讀む故さしすせ同音也。又た輿の字の誤り歟。これにても、こしぬかも、こしぬも、こせぬも同前也。なれ共字の儘にて、たへぬと讀みて義通ずれば、たへぬと讀ませたる義ならんか。此字は樣々に誤りたる事あまた有。歌によりて辨ふべき事也
 
1974 春日野之藤者散去而何物鴨御狩人之折而將挿頭
かすがのゝ、ふぢはちりゆきて、なにをかも、みかりのひとの、をりてかざさん
 
何物鴨 なにものをかもと云ふ意にて、義訓になにをかもとは讀ませたり。歌の意は聞えたり
 
1975 不時玉乎曾連有宇能花乃五月乎待者可久有
ときならぬ、たまをぞぬける、うのはなの、五月を待ば、ひさしかるべき
 
五月五日には、菖蒲の玉かづら橘を玉に貫くなど云ふ事ある故、卯の花は四月の物にて、既に卯月とさへ云へば、時ならぬとよめり。卯の花の五月とは續かぬ續きなれど、これは上にかづらうの花の玉をぞ貫けると云意也
不時とは、五月ならぬにより玉に貫けるを、卯の花を玉に貫けると也。卯の花をもて囃す意の歌也
 
問答
 
春の歌にも有。之は其時の節物に事寄せてよめる問答の歌故、かく擧たるなるべし
 
1976 宇能花乃咲落岳從霍公鳥鳴而沙渡公者聞津八
うのはなの、さきちるをかゆ、ほとゝぎす、なきてさわたる、公は聞つや
 
(63)何の意も無く、只卯の花の咲きたる岳邊から鳴渡る折にあひたる郭公の、珍らしき音を、相思ふ人も聞きしや、花鳥の色香に付ても、思ふ人の事心に浮み、先だつ情をよめる也
 
1977 聞津八跡君之問世流霍公鳥小竹野爾所沾而從此鳴綿類
聞つやと、きみがとはせる、ほとゝぎす、しのゝにぬれて、こゆなきわたる
 
しのゝとは、なきしほれてと云意也。鳴渡ると云ふから、思ひの涙などにぬれ、又五月雨の頃鳴くものから、雨と云はずしてもよめるならん。和へ歌故、そなたを慕ふ悲みの意をも合みてなるべし。第八卷の雁の問答の歌に相同じき歌贈答の歌也
 
譬喩歌
 
1978 橘花落里爾通名者山霍公鳥將令響鴨
たちばなの、はなちるさとに、かよひなば、山時鳥、將令響かも
 
此歌色々の聞様ありて、諸抄の説も不v決。一説、橘の花ちる里と詠めるは、昔を慕ふ形見もふりゆく宿に喩ふ也。山郭公どよませんと詠めるは、妻戀して夜晝分す鳴き渡るに喩ふるとの義也。一説、花ちる里に通ふをば、戀思ふ人の、時を過さむ事を惜みて、わが行通ふによせ、山時鳥どよませんとは、里もとゞろに云騷がれむかと喩へたりと也。表は郭公の通ふ也。時鳥の鳴どよます如く、われも人の許に通ふから、人の物云ひも有べければ、斯くよめるならんと也。宗帥見樣は、郭公は、人遠く馴れ親み難き鳥なれ共、橘の花散る里に通ひなば、馴れしめんかもと云ふ意にて、われも思ふ人の方へ絶えず通ひなば、終には馴れそまんかもと云ふ意と見る也。愚意何れとも決し難し。後賢可v決也。此歌にては將令響の三字を、ならしめんと讀むは、宗師の案の意には叶ふべけれど、なきならしめんなど續く時は、ならすと云義も苦しかるまじき歟。只ならしめんとは、少し叶ひ難からんか。何れにても、ならす物一つ据ゑてよまざれば、いかゞに聞ゆる也。どよ|ほ《本マヽ》すと云假名書あれば通例は、どよませんと讀むべきか。此差別は歌によりて見樣有べき也。初の一説は如何にとも心得難し。中の説と宗師の案と未だ何れとも愚意に落着せず
 
(64)夏相聞
 
寄鳥
 
1979 春之在者酢輕成野之霍公鳥保等穗跡妹爾不相來爾家里
はるされば、すがるなすのゝ、ほとゝぎす、ほと/\いもに、あはずきにけり
 
此歌は、旅行任國などに赴く時、思ふ妹にも逢はで來しと云意をよめる歌にて、下のほと/\と云はんとて上を詠かけたる歌也。ほと/\とは、今俗に、ほとんどと云義にて、ほとんどとは、はたとなどゝ云意にて、物のせはしき、まの無き事を云詞也。扨此春之在者、春さればと云ふ事は、しめの約言さ也。さを濁る也。濁る故に、なればと云義也。夕されば秋さればと云ふも、夕になれば、秋になればと云義也。さと云ふ濁音は、皆なと云詞也。此歌の春之在者と書たるも、清濁は訓にかまはず、濁音の義なれば濁音に用、清音の義なれば、清て用る也。之阿の約佐也。よりて春なればと云ふ事を、かく書ける也
酢輕成野 是はすがると云ふ蜂の事を云へり。なす野とは、すがるの如くの野と云義也。然ればすがると云は、腰細とも云ひて、蜂の名にて、その蜂の如くと云ふは、如何したる事ぞなれば、時鳥は鶯の巣をかりて生ずるもの也。當集にも前に既に見えたり。又蜂と云ふものも※[虫+逢]の生めるものにあらず。外の虫を集めて、蜂の巣をかりて遂に蜂となるもの也。よりて巣をかると云ふ義によせて、すがるなすとはよめる也。然れば春になれば、すがるの巣を借りて生ずろ如く、鶯の巣をかりて生る野の時鳥と云義と見る也
右宗師の説也。或説には春の頃※[虫+逢]のなく野と云ふ義と釋して、たゞ野と云はんとて、春の頃野に花の香を慕ひて、すがると云蜂の鳴集まるものなれば、成は羽にて聲を出し鳴らすもの故、なるとは云へると也。鳴く事をもなる共云から、此成は鳴事を云ひたる事と注せり。尤もと見るべし。咲澤姫部之、さき野なると讀める野と同じく、たゞ野と云べきとて、すがるとはよめる也。此説心得難し。野の郭公とよめる事、當集數多あれば、擧ぐるに遑あらず。扨此すがるなすと云義に付ては、古今集の歌に、すがる鳴秋のはぎはら朝たちてとよめる歌の注に、色々の説ありて、鹿の名とするを正説など古來より云ひ來れり。諸抄(65)の説樣々ありて、信用し難き事のみ也
右古今集のすがる鳴も、すがるなす也。鳴と云字をなすと讀む事、古事記に証明ある事を知る人なし。古今集のも此歌と同じくすがるの如くと云事也。すがると云蜂は、夏生じて秋の頃巣を立ちて、ちり/”\に立別るゝもの也。花の香により來るから秋萩の原によみ合せて畢竟はすがるの巣立ちて立別るゝ如く、秋の萩原を立出づる旅行の別れの事をよめる也。なほ其義は彼集にて釋せり。此歌の意も、立別るゝ意をもこめて詠めると聞ゆる也。下の、ほと/\妹にあはず來にけりと喩へたる意は、上のすがると詠出たる處、巣を借ると云ふ義計りのたとへにはあらざるべし。此歌又後案の見樣あるべき歌也
 
1980 五月山花橘爾霍公鳥隱合時爾逢有公鴨
さつきやま、はなたちばなに、ほとゝぎす、隱合時に、あへるきみかも
 
此歌隱合の二字如何に共讀難し。印本諸抄物には、かくらふと讀みて、隱れたる時思ふ人に逢ふて、嬉しきと喩へたるなど云ふ説あれど、かくらふと云ひては歌の意聞え難し。五月山はたゞ五月の頃の山と云事と釋したれど、此も地名と見ゆる也。五月山といふ地名あるから、時鳥は五月をせんとするものから詠出たるなるべし。古今集にも、五月山梢を高み云々とよめる也五月の時節にあはせてよめる事也。なれば此歌の意は、五月の花橘の頃折にあひて、時鳥の橘にこもり隱れて鳴時節に、我も思ふ人に逢ひて、嬉しきと云意と見る也。然れ共隱合の二字かくらふと讀める義、詞の釋、濟み難き也。歌の意は右の如くにて大方聞えたれど、詞の意不v濟也
 
1981 霍公鳥來鳴五月之短夜毛獨宿者明不得毛
ほとゝぎす、きなくさつきの、みじかよも、ひとりしぬれば、あかしかぬつも
 
此歌は、たゞ短夜も一人ねぬれば、明しかねると云義迄に、郭公の來鳴く夏の夜もとよそへたる也。よもの意此歌にては少しうすき也。色々巧拙はあるべき事也
 
寄蝉
 
(66)1982 日倉足者時常雖鳴我戀手弱女我者不定哭
ひぐらしは、ときとなけども、われこひに、たをやめわらは、ときならずなく
 
日倉足 和名抄、蟲豸部云、爾雅注云、茅蜩、一名※[截/虫]、和名比久良之、小青蝉也。或抄に、寒蝉と同じ樣に書たれど、和名等に別種に擧げて似v蝉而小青赤と有。禮記云、仲夏之月蝉始鳴孟秋之月寒蝉鳴。凡て蝉の種類數々也。※[虫+乍]蝉、馬蜩、※[虫+召]※[虫+燎の旁]等皆同じ物なれ共、鳴く時に少しづゝの遲速又聲に違ひある也。日ぐらしも蝉の内にて晩景に鳴くものか。よりて日ぐらしとも名付けたるなるべし。此歌にも、ときとなけどもとは、時に應じて己が鳴べき時節を定めて鳴く也。已に禮記月令の如く、仲夏の時始て鳴き、孟秋に寒蝉鳴くなどの如し。※[虫+召]※[虫+燎の旁]は八月に鳴く如き、其時節ありて鳴くもの也。よりて時と鳴け共とは詠めり
我戀手弱女我者 此を諸抄等、わがこふると讀みたり。下を、手をやめわれはと讀みたれば、歌の意如何に共解し難し。それ故、事由女へ呼かけて云たる詞など無理なる釋有。此意は、我は蠍に沈みて、手弱女童の如くいつを限りとも無く、時折をも定めず泣くと云義也。我者は借訓にて、われと讀む字、れとらと同音故、手弱女童の如く泣くとよめる義也
不定 これも義訓にて、時ならず泣くと讀む也。歌の意は、注せる如く、日ぐらしは時を知りてその時に應じて鳴け共、我は戀故に時をも定めず、女童の如く何時をも分かず泣くと也
 
寄草
 
1983 人言者夏野乃草之繁友妹與吾携宿者
ひとごとは、なつのゝくさの、しげくとも、いもとわれとし、たづさはりねば
 
人は如何に云ひ騷ぐ共、妹と我と携はりてねなば厭はじと也
 
1984 廼者之戀乃繁久夏草乃苅掃友生布如
このごろの、こひのしげけく、なつぐさの、かりはらへども、おひしくがごと
 
(67)此頃の戀のいや増しにまさる事は、夏草の苅り掃へ共/\、後より生ひ繁る如しと也。廼者の二字、此頃とよむ義は〔以下注記ナシ〕
 
1985 眞田葛延夏野之繁如是戀者信吾命常有目八方
まくずはふ、なつのゝしげみ、かくこひば、さねわがいのち、つねならめやも
 
眞田葛 此田の字を添へたる義末v考。尤意なき字也。くずかつらは、夏繁る物から、夏野の繁とうけん爲、又はくずかつらの夏野に繁る如く、わが戀のかく繁く思ひわびては、命もあらめやも、命も絶はてんとの義也。信の字さねともまことゝも讀む。まことは俗言、さねは雅語なれば、意は實にと云ふ義なれ共雅語に讀むべき也
 
1986 吾耳哉如是戀爲良武垣津旗丹頬合妹者如何將有
われのみや、かくこひすらん、かきつばた、にほへるいもは、いかにかあらん
 
我のみやかく一人戀するか。わが思ふ紅顔の麗しき妹は、何心も無くやあらんと也。にほへる妹とは、紅顔などによそへて、妹を賞美したる義也。類令と書けるは誤り也。然るを令は善也と云字義ある故、令妹二字引合て訓むべきなど云ふ説有。當集に格例無きこと、令は合と云字の誤りと見て、丹頬合の三字にてにほへるとは讀む也。合はへると讀む例格を不v辨故、色々の説ある事也。合の字にても、へると読むべき事也。せしむると讀む字故、類と云ふ言葉に用也
 
寄花
 
1987 片搓爾絲※[口+立刀]曾吾搓吾背兒之花橘乎將貫跡母日手
かたよりに、いとをぞわれよる、わがせこが、はなたちばなを、ぬかんとおもひて
 
かたよりには、女子の片思の義に寄せたり。花橘をぬかんとは、男子を戀ひて、わが夫とせんと思ふに譬へたり。寄v花歌なれば、橘の花を玉にも貫かんとのよそへ也。下の意は、夫にしてより逢はんと思ふとの意也。母日手の母を、おもとも讀む也。(68)第八卷の歌、母山を、おも山と讀ませたるにて知るべし。もひてと云ふも、思ひてと云ふ義なれば何れにても同じ
 
1988 鶯之往來垣根乃宇能花之厭事有哉君之不來座
うぐひすの、かよふかきねの、うの花の、うきことあれや、きみがきまさぬ
 
鶯之 夏の歌に、鶯のとよめる不審なれど、鶯は夏までも居るものなれば通ふとも讀むべき也。此歌は卯の花を專によめる故詞のうつりよき故、鶯のとよめるなるべし。別に意あるに有べからず。此歌によりて、前の卯の花くたしの歌も、春も咲く花の樣に釋せる説あれど、此歌と前の歌の意は違ひある事也。此歌は、うと云詞の縁を、始め專らとよめる歌なれば、斯くもあるべき也
有哉 あれやと讀むは、手爾波不v叶樣なれど、此等も雅言を用る也。あると云ふは俗に近し。あれやは穩かなる詞にて、あるらめやと云義也。同じ詞の意なれば、俗を遠ざけたる方可v然也。何とぞさはりいとふ事有りてやと云意也。或抄に、こなたを厭ふてやなど云へる説は執るべからず。第八卷の歌にも、下の句全く同意の歌有。古今集雜下に躬恒歌にも、水の面に生ふる五月の浮き草のうき事あれやねをたえてこぬ、此もあれやとよめるを見るべし。鶯の通ふとは、人は來ぬ、鶯は通へ共と云ふ意と釋せるも不v可v然。只上の句には意無き也。うき事あれやと云はん迄の序也
 
1989 宇能花乃開登波無二有人爾戀也將渡獨念爾指天
うのはなの、さくとはなしに、有人に、こひやわたらん、獨念爾指天
 
卯の花の咲くとはなしにとは、わが思ひの開くるを、花の咲くにたとへ、咲かぬを思ひの晴れぬに寄せたる意也。咲くとはなしになれば、思ひの晴るゝ事無しにと云意也
有人 此詞心得難し。或抄には、花の咲くとはなしに、ある人にとは、つれなき人にと云意と云へり。宗師の説現在の人と云ふ意にて、有の字を書きたるなるべし。然れどば現《ウツ》人にと云うて、現とはまのあたりに見はれある人と云意、又先をほめたる意にもなる也。兩義愚意に不v決。
(69)獨念爾指天 此も諸抄印本等には、片思ひにしてと讀ませたり。獨のみ思ひ忍ぶの意なれば、片思ひと云義訓に讀ませたるか。獨り寢にしてとも讀むべければこれも決し難し。然れども一人ねにしてとは、はしなき一人ねの云出で樣なれば、片思ひの方可v然らんか。歌の意は、卯の花の咲く如くに、花も咲き出でず、我思ひの晴れぬをも、つれなく心強き人に我のみ一人戀渡らんやと嘆きたる意也
 
1990 吾社葉僧毛有目吾屋前之花橘乎見爾波不來鳥屋
われこそは、にくゝもあらめ、わがやどの、はなたちばなを、みにはこじとや
 
我にこそつれなくとも、花橘をなど恨み給ふ事あらんや。何とて見には來り給はぬぞと恨みたる也
 
1991 霍公鳥來鳴動崗部有藤浪見者君不來登夜
ほとゝぎす、きなきならせる、をかべなる、ふぢなみ見には、きみはこじとや
 
前の歌に同じき意也。郭公も鳴き藤も盛りの岡邊に、何とて君は來まさぬぞ。哀れかく面白き折の景色をも見に來給へかしと念じたる意也
 
1992 隱耳戀者苦瞿麥之花爾開出與朝旦將見
かくしのみ、こふればくるし、なでしこの、はなにさきでよ、あさな/\みむ
 
かくしのみ は如v此のみと云意を合みて也。しのびのみとも讀べけれど、如v此のみと云意をふまへての意なるべし。花に咲き出よとは、思ひのとゝのひ叶へよと也。先をなでし子によせて、事の調ひなば目かれずも見んと也。朝な/\見んは飽ず馴れそひ見んとの意也
 
1993 外耳見筒戀牟紅乃末採花乃色不出友
よそにのみ、みつゝやこひん、くれなゐの、すゑつむはなの、色に不出友
 
(70)よそにのみとは、それ共打あらはさで、先にも知らせず、我のみ心の中に戀ふ事也。紅の末採花は、紅花の事也。べにの花は末より咲き初め、つむも末より摘取から、末つむとよめり。紅色に出ずして、我のみ心の中に戀ひ居らんかとの意にて、末つむ花は色に出でず共と詠まん爲の序也
友 此字不審也。※[氏/一]の字の誤りにやあるべき。友と云ふ手爾波にては、歌の首尾とまり難き樣也。色にも出ずして見つゝや戀ひんとよめる歌と聞ゆる也。友と云字にては、我と我を制したる意に聞ゆる也。只われと制したる歌ならんか
 
寄露
 
1994 夏草乃露別衣不着爾我衣手乃干時毛名寸
なつぐさの、つゆわけごろも、きもせぬに、わがころもでは、ひるときもなき
 
戀に沈みて、袖のみぬれて乾かぬとの意也。露わけ衣ならば、ぬるゝも理りならんを、それを着もせぬに涙にぬれてひる時もなきと也。山わけ衣など共讀めり。一本、不着爾と有。爾の字あるを爲v是
 
寄日
 
1995 六月之地副割而照日爾毛吾袖將乾哉於君不相四手
みなづきの、つちさへさけて、てる日にも、わがそでひめや、きみにあはずして
 
いたく照る日には、土乾きて割れ裂くる也。禮紀月令、仲冬之月冰益壯也、地始拆。寒天炎天共に到て盛なれば地裂くる也。それ程に照る日にも、思ふ人に逢はでは、袖のひる事あらんやと、戀佗ぶる事の甚切なる事を云へる也。於君と書きて、君にと讀ませたるをもて、於の字を上に据ゑて、にと讀ませたる證と知るべし。或抄に、手爾乎波のをに於を用ふる事當集にありと注せるは不v考の義也。皆にと用ひたる也
 
秋雜歌
 
(72)七夕
 
1996 天漢水左閉而照舟竟舟人妹等所見寸哉
 
此歌、諸抄の説、印本の假名等左の如くにて、其心得難し
  あまのかはみづさへにてるふなよそひふねこぐ人にいもと見えきや
牽牛の舟を飾りて渡れば、水さへに照る船わたりとは云ふ也。舟漕ぐ人は彦星にて、七夕つめの今宵彦星に妹なりとて、相まみえきやと云義と也。又一説、其輝く姿かくれなく、舟漕ぐ人にも妹と見えきやとの説也。如v此説々不2一決1也。舟人と書きて、舟漕ぐ人と讀む事も、義訓にて苦しからざるべきや。未v考。下の妹と見えきやの説も、舟人を彦星として、相まみえきやと云説適ふべくや、決し難し。宗師説は
  あまのかはみづさへながらてらせるにわたる舟人いもとみえきや
と讀みて、上の舟は丹の字なるべし。而と云字は日本紀などに、ながらと讀ませたれば、此歌にてもながらと讀むべし
所見寸哉 前の説の如く妹と相まみえきやと云意と也。愚意未v決。水さへながらと云義心得難し。此句の意未2甘心1。又照らせるにいもと相まみえきやと云意も聞え難し。妹と見えきやと云事は、相まみえたるやと云義との説愚意不2得心1。妹に逢ひきやと云べきを、みえきやと讀める意聞えず。何とぞ見る見えと讀まで叶はぬ縁語言葉つゞきあらば、さもあるべしや。さも無きなれば、逢ひきやとか、妹を見つるやとか、聞き易く讀たきものなるに、見えきやとよめる意不2打着1也。何とぞ今一義見樣あらんか
竟の字一本に競の字に作れるも有。然れば、わたるとも訓じ難く、よそふとも訓み難し。あらそふとか、きそふと讀までは不v可v成也。なれば此歌まち/\の見樣ありて、如何に共決し難し。宗師の説も此歌の解は未2得心1也。羈案は
  天のかはみづさへ【しかもてる舟をこぐ舟人をいもとみえずや・にてる船よそひかぢとる人もいもと見えきや】
此意は 水さへに照る美麗の飾り舟故、人も美女の躰に見ゆると也。是は織女の乘れる船と見る意也。彦星のつま迎船など(72)よめば、彦星より迎へとる船と見る也。水さへ照ると詠出たるからは、此照ると云義の詮立べき歌と見る也。宗師の説にたがひ、先達の意にたがふ拙見其罪幾難v逃けれど、愚意に不v落ば、愚案を述ぶるのみ。然し竟の字よそふと讀み、こぐと讀む字義未v考。古く讀ませたるに從ひて也。見えきやのやも助語とも見る也。此格當集其外古詠に何程もある事也
 
1997 久方之天漢原丹奴延鳥之裏歎座津乏諸手丹
ひさかたの、あまのかはらに、ぬえどりの、うらなきをりつ、ともしきまでに
 
久方の天の河原と云はん序也。戀ひわびをる事の久敷と云意をこめて也。ぬえ鳥のうらなきは、わがうら泣きと云意也。うらなくと云ふ序に、ぬえ鳥のとはよめり。此序詞は前にも毎度ありし也。うらなきとは、うらは發語にも云ひ、又忍びしほれて泣くと云ふ意にもよめる也。乏はともほしきと云意、此歌にては寂しき意也。左右の手と書きても、までと訓む、二手と書きても讀む義をもて、諸手と書きてまでと也。清濁は其義に從ひて讀む也
 
1998 吾戀嬬者知遠徃船乃過而應來哉事毛告火
わがこひを、つまはしれるを、ゆくふねの、すぎてくべきや、こともつげ火
 
此火の字いかに讀まんか。印本等には、つげらひと讀ませたれど、語例無く珍しき言葉也。此歌諸抄の説まち/\也。彦星の歌にて、わが戀わびる心は、織女の知れる事なれば、こざ行船は過ぐるの序詞にて、一度逢事過ぎて、年の内に又逢ふべきや、言の葉をもつげよとの義也
又一説は、我戀心を知りながら、時過ぎて來べき事かは、わが戀ふ事も既に告げたるにと云ふの意と也。後の説は殊に聞え難し。宗師説は、わが戀を妹は知れるをかく過ぎ行て、又來るべきや、來るまじ。されば來べき共ことを告げなくと云意にて、火の字は哭の字の誤りなるべしと也
 
1999 朱羅引色妙子敷見者人妻故吾可戀奴
あかもひく、うつくしき子を、しば見れば、ひとづまからに、われこひぬべし
 
(73)朱羅引 皆あからひくと讀ませたり。無下に不v考の假名也。女服にあからと云ふ物ありや。うすものと讀む字故、あかもとは讀む也。赤裳也。句例あげて數へ難し。
色妙子 しきたへの子と訓ませたり。是も心得難し。しきたへの子とは何と云義にや。色妙の二字は、女子の通稱、美の字なれば賞讃の別訓あるべし。先づ美しき子と讀め共、日本紀等又遊仙窟など追而可v考。美はしき子とか、まぐはしき子とか讀むべきか。うつくしき子と計りには決すべからず
人妻故に 世の中の人の妻なるべき子なるからと云義第一卷にても注したり。第十二卷にも人妻故にわれ戀にけりと云歌有、皆同じ意也。彦星の七夕女を見てよめる歌と見る也。七夕の歌は其身になり思ひやり色々によめる也。此歌七夕の歌と不v聞共、只戀の意をよみて、七夕の意通る歌もある也
 
2000 天漢安渡丹船浮而秋立待等妹告與具
 
與具を誤字と見ず、よくと讀めり。告げよくと云詞あらんや。眞の字の誤りにて、妹にのらまく也。此等は極めたる誤字也。告げまくも、のらまくも同事也。船うけてと上に有から、縁語にのらまくとは讀べきか。安渡は、神代記諸神集會の所、畢竟高天原と云ふて、同所天上の義也。古語拾遺に八湍と書けるを正義と見るべし。いくせもの川にて廣大の河原也。さしすせそ通音の古語にて、やせともやすとも稱し來れり
 
2001 從蒼天徃來吾等須良汝故天漢道名積而叙來
おほぞらに、かよふわれすら、なれゆゑに、あまのかはぢに、なづみてぞくる
 
彦星織女何れの歌にしても、大空に通ふと讀むべき也。天上の人にして云へば也。空天を通ふ通力自在の身なれ共、戀路には惱み嫌ふもの故、天の河路に今夜汝に逢はんとてなづみこしと也。彦星織女の二星の内になりてよめる也
 
2002 八千戈神自御世乏※[女+麗]人知爾來告思者
やちほこの、かみのみよより、ともしづま、ひとしりにけり、告思者
 
(74)やちほこの神 前にも注せり。卷第六に見えたり。大己貴神を奉v稱也。遠く久しき神世よりと云はんとて也。八千戈の神に意あるにあらず
乏※[女+麗] 珍しきつめ戀わびる妻と云ふ義也。乏しきものは少く珍しき意をもて、ともし妻共云へる也。※[女+麗]、一本に孃とあり。然るべし。又一本儷に作る心得難し。孃は少女の通稱也
告思者 此句心得難き句なれ共、古來よりつぐるとおもへば共、つげてしもへば共訓みて、抄物の意、世々人知りて云つぎ來りて、神代の昔より今に人知りて、七夕に逢ふ習とはなれるとの意と釋せり。今少し聞きおほせ難き意也。告げてし思へばと云ひて、さは聞え難し。告思者の三字何とぞ別訓あらんか。告の字苦の字にて、苦しきこひはと讀まんか。苦しきもひはと讀みて、年に一夜逢瀬の乏しき妻を戀慕ふ事は、神代の昔より人々知りたる苦しき思の戀路と云意にも見ゆる也。童蒙抄に八千戈を八千歳と云へるは心得難し。久しき事を云はんとて、八千歳の神とよめるとは難2心得1説也
 
2003 吾等戀丹穗面今夕母可天漢原石枕卷
わらこふる、にのほのおもは、こよひもか、あまのかはらに、いはまくらまく
 
吾等 印本等には、わがこふるとも讀ませたり。同意なれ共、等の字を書たれば、わらと訓みて、ラリル同音なれば、われ戀ふると云義と見るべし。然れば等の字虚字にならぬ也。集中吾等と二字に書きて、われとか、わがとか讀ませたる歌多し
丹穗面 織女をさして賞美して、丹のほのと讀む也。面とは面躰を云には有べからず。妹と云義と同じにて、乳おもなど共云へば、女子をさして云たる義と見る也。今宵もかと詠めるは、年に一度の今宵もか。石枕卷は、まかんの意なるべし。二星を思遣りて、察して詠める歌歟。わらこふると云ふは、廣く云たる意か。さなくては彦星の歌と見る也。然らば面はと讀まんか。
 
2004 己※[女+麗]乏子等者竟津荒磯卷而寢君待難
 
此歌も色々見樣ある歌也。尤印本諸抄の通の假名附けにては、歌にても連歌にても無き讀み樣也。宗師案は竟の字一本に競の字也。正本なるべし。よりて左の如く讀み解也
(75)   おのがつまともしきこらはあらそつのあらそまきてぬせこをまたなん
おのが妻とは、彦星の織女をさして、打つけにわが妻と云義也。ともしきは賞して也。あらそ津は
荒磯の津に、荒き石を枕として寢ん彦星を、今宵も/\と待つらんと云意也
己※[女+麗] 此をながをとめとも讀みて、織女の通稱に云へるか共見ゆる也。ながをとめは、長少女にて、七夕は天女なれば、神代の昔より今に不v絶夫婦の語らひある女子なるから、通稱に云ひて汝が女と云意によせて、ながをとめとか、なが妻とか讀む義もあらんか。次下の歌にも、天地等別れし時より共有。自※[女+麗]、ながをとめと義訓に讀まるべき也。日本紀によの長人と云古語有。武内大臣を賞し給ふ御言葉也。なれば天地開けし時より今に不v絶七夕つめなれば、斯くよめる意も計り難し。次の歌の意別而長女と讀めば、歌の意も聞ゆる也
愚案、此歌は織女の歌にして見るべきか。然らば君待難を、せこまちがたにと讀みて、背子を待ち兼ねての意に見るべしや。まちがてとは、かねてと云義に毎度よむ詞也。然らば上のおのが妻乏しきとは、夫の乏しきからと云ふ意にて、彦星に逢ふ事の珍しく乏しき我等は、あらそつの荒き磯に出て石を枕として、君を待ち兼ねてぬると詠める意にも見ゆる也。荒磯をまきてぬる脊子を待たんと云意少し心得難し。荒磯をも卷きて、背子を待つと云意は、聞安からんか。然ればおのがつめ乏しき子らとよめる意兩義也。夫にともしき我と云ふ、自身を云ふ意、我妻の乏しき女と云意との違ひ、又下の寢の字の見樣、我夫を待ち兼ねてぬると云意と、荒磯にぬる夫を待たんと云意との差別有。後賢の人可v辨也
 
2005 天地等別之時從自※[女+麗]然叙手而在金待吾者
 
此歌も印本諸抄の意にては如何に共通じ難し。先づ、しかぞてにあると云ふ義歌詞にあらず。義も又如何に共通ぜず。宗師案は、手の字は年の字の誤字と見る也。扨此自※[女+麗]も長をとめとか長妻とか讀まんと也。上に天地と詠出たれば、長久の意をよめると聞ゆ。自の字は、ながくと讀めば、ながと借訓に讀まるゝ也。汝とはわれをも自語に云へば、長と己とを兼ねて也。年と云ふは豐年の義也。稻をとしと云故、年なるとは豐年の事を云也。稻の熟し調ひたる秋を待つと云義也。下の意にい寢る(76)事のなる秋を待と云意をこめてか。諸抄の説は天地の別れし時より、我手に入れたる織女なれば、秋毎に逢ふ事を待つとの意と釋せり。然れ共しかぞてにあると云詞歌には無き詞也。宗師の讀樣は左の如し
   あめつちとわかれしよゝりながをとめかくぞとしなる秋まつがりは
がりとは自稱の詞也。年あると讀むから、年は稻の義、稻は刈取ると云事あれば、その縁ある言葉にかりとは讀む也
總ての意は、織女にかく障り無く年毎に逢ふ事は、年なると同前の義、彦星の意には悦の意也。よりて年なる秋を待つとの義迄の歌と見る也。七夕の夜織女に逢ひて喜べる歌と見る也。よりてかくぞとよめる也
 
2006 彦星嘆須※[女+麗]事谷毛告余叙來鶴見者苦彌
 
此歌も如何に共解し難し。諸抄の説も一定せず。一説は、二星の間の使の詠める意と見ると有。一説は、彦星の自身に來りて織女物をだに云はんとて來つるとの義、向ひの岸よりよそ目に嘆くを見れば苦しきから、天川を渡りて來るとの意と釋せり。如何に共聞え難し。宗師案も不v決也。琴の義をよせてよめる歌か。七夕の夜の歌には有べからず。七夕過ぎては逢ふ事ならねば、見れば苦しみと詠たるならんづれと、告余叙來鶴と云ふ詞如何に共解し難く、尤余の宇爾の字の誤又茶の字の誤などにても讀み解樣不v濟也。後案を待つのみ。押而釋せば一説の、抄物の意の如く二星の使になりてよめる意に見れば
   ひこぼしのなげきすいもにことだにものれとぞきつる見ればくるしみ
彦星のなげきすは、彦星のうつくしみ慕ひ思ふ妹にと云義也。歎きすとは愛しうつくしむ妹と云意也。諸抄の意は彦星を歎かし、悲しまする妹が事をと云意は不v合義也。其意から彦星をとよめり。彦星を嘆かすと云詞如何に共あるべきに、愚案の讀み樣にては、愛しうつくしむ妹と云義と、又慕ひ悲しむ意とを兼ねて嘆きすとは讀む也
事谷毛 逢ふ事は七夕夜過ぎぬれば、成難かるべければ、せめて言葉をだにも云ひ交せよと、使に來つる彦星の戀慕ひ歎くを見れば、苦しきにと云意ならんか共見る也
 
2007 久方天印等水無河隔而置之神世之恨
(77)ひさかたの、あめのしるしと、みなしがは、へだてゝおきし、神よしうらめし
 
水無河 一本水無瀬河と有。不v可v然か。然し今國土にも水無瀬河と云ふ地名あるは、天上の地名を移したるか、たゞ天上の川故、水無河と書て義訓にあまの川と讀ませたるか。又神代紀、天のやす河にあるいほつ岩村となると云古語によりて皆石の河と云ふ義の略語にて、みなしとは云へるか。此等の義は何れとも外に證據なければ極め難し。所見の證明に從ふ也。歌の意は、天上の定法とて、七夕の昔より天の川を中に距てゝ、年に一度ならでは逢ふ事ならぬ掟の、その初めし神代の昔今更恨めしきとの意也。恨はつらしとも讀まんか
 
2008 黒玉宵霧隱遠鞆妹傳速告與
ぬばたまの、よぎりこめつゝ、とほくとも、いもが傳、速つげてよ
 
此歌も諸抄の説不v決。妹傳とは使の事共注し、又使の義共釋せり。宗師案、傳の字にて、かしづきと讀むべしと也。夜霧こめて遠く共、かしつきのもの、妹に早く出ませと告げよとの意に見る也。速は疾と讀みて、早く出立よと、とく告げよと願ふ意と也。愚意未v決。妹がたより、つ手はと云方然るべからん。とくと告げよとは、とく出立よと告げよとの義と云ひては、言葉を入れて、とくと告げよと云ふ義と釋せねば成難し。便りつ手と見れば、妹の方よりの傳ふる事、便を早く滯らせず、こなたに告げよと見る也。尚後案を待つのみ
 
2009 汝戀妹命者飽足爾袖振所見都及雲隱
ながこふる、いものみことは、あきたりに、そでふるみえつ、くもがくるまで
 
汝戀は、わが戀ふる也。彦屋の織女へさして、自身に戀ふると云へる也。是にて前の己が妻自※[女+麗]の義もながと讀む例知るべし
飽足爾 あくまでにと讀ませたれど、宗師案、たりにと讀べし。あきたりなしと云義也。なしと云詞を約すればに也。なれば飽足らぬから雲隱るゝ迄見送る意と見るべしと也。諸抄の説も惡しきには不v可v有か。心に飽かぬから飽迄に見るの意也。
 
(78)2010 夕星毛往來天道及何時鹿仰而將待月人壯
ゆふづつも、かよふあまぢを、いつまでか、あふぎてまたん、つきひとをとこ
 
夕星 太白星とも長庚とも云ふ。前に注せり。歌の意兩案ありと見ゆる也。諸抄の意は、織女の彦星を月人杜と稱して詠める歌と注せり。宗師案は、夕星も通ふ天路なれ共、道あかゝらん爲に、年に一度の七夕の夜を待ちわびるとの意にて、いつ迄かとは、待つ事の久しきと云へる意と也。愚意未v徹
愚案は 夕づつさへ通ふ天道を、何とて月人杜は年に一度ならでは來らずして、斯く何時までか仰ぎて待たんと、恨みたる歌とも聞ゆる也。又月人男の、織女を何時までか待たんとよみて、星だに通ふ天道なるに、月人の何とて斯く待つやと星と月とを戰はしてよめる共聞ゆる也。又愚案、星だに通ふ天道を、月の何時までかく仰ぎて待たん出てゆかんにと、七夕の夜にならぬ前をよめる意とも聞ゆる也。後二義の案は、人の牽牛織女を思ひやりて、よめる意也。其身になりてと見ても意は通ふらんか
 
2011 天漢己向立而戀等爾事谷將告※[女+麗]言及者
あまのかは、こむかひたちて、戀等爾、ことだにつげめ、つまとふまでは
 
歌の意は、天の河原に向ひ立ちて待つ程に、言の葉をなりとも通はさめ。年に一度の逢ふ夜まではと云意と見る也。逢ふまではせめて言葉なり共聞え通はさんと云意也。※[女+麗]言は何れの方へなり共、二星の内行きてとふ迄はと云意也。先づは彦星の歌と見んか。つまとは男女通じて云へば、決しては云ひ難けれど、先※[女+麗]の字に付て織女の方へ來りとふ迄はと見る也
己向 己は發語也、。此字は同形宇あり。いと云字又みとも訓ず字ありて、三字ながら初語也。己已巳如v此紛敷字也。然れ共皆發語に被v用、被v訓る字也。字義は字書にて可v考也。此歌にては發語の詞に用ひたり。射向立而とも書けり。相向立とも書く、是もみむかひ也
戀等爾 此は戀ふるからとか、戀ふるとにとか讀べし。印本には戀ふらくにと讀むは無理也。久の落たりと見ての意か。戀(79)ふるとには、戀ふと云意、爾は助語と見る也。ともがらと讀む故、戀からに共讀べしと也。戀ふるとには、我かく河向立てこふと、妹に告げんとの意から、にと讀む意は、妹を戀慕ふ故に、ことだに告げんとの意と見る也。好む所に從ふべし
 
2012 水良玉五百都集乎解毛不見吾者于可太奴相日待爾
しらたまの、いほつゝどひを、ときもみず、われはをかたぬ、あはん日までに
 
水良玉 すいの約し也。よりてしら玉のしに水の字を用ひたり。當集毎度如v此の義有。水長鳥にも用ひたり。此しら玉のいほつとは、いくらもの白玉を聚めつどへて、身の飾りにしたるを云へり。其貫きたる緒をも解見ずと也
于可太奴 かゝたぬと訓ませたれど、緒を結ぶと云義也。緒と云ふ詞無くては解も見ずと云義も不v通也。于の字は、をと訓む事知れたる義則端のを也。かへり字に用るも、をと云時此字を用るにて、をと讀む義知るべし。當集第十八卷にも思良多麻能伊保都都度比乎手爾牟須比云々とよみて、いくらもの玉をよせて貫たると云義也。上古は皆身の飾りに玉をしたり。をかたぬは逢ふ日までは、その飾りの玉の緒を結置と也。かたぬるとは結と云字を讀む也。節會の次第物等に見えたり。諸抄にも引たる義也。或抄にはかゝたぬと讀みて、かゝの初のかは初語と見る説有。又一説、かこたぬと云ふ義とは心得難き説也。待と云ふ字は、たちつてと同音にて、まてとも訓まるべし。印本等の通に、あはん日まつにと讀みてはとまらざる也
宗師云、第十八卷の都度比と云ふ假名書き無ければいほつすまるを共讀べけれど、既に假名書あれば、つどひなるべし。都はすぶると讀み、集あつまると云ふ字、已に日本紀に、みすまると云古語あれば、斯くも讀まるゝ也
 
2013 天漢水陰草金風靡見者時來之
あまのかは、みづかげぐさの、あきかぜに、なびくを見れば、ときはきぬらし
 
水陰草 水に陰をうつして生る水邊の草を云との説有。又稻のことを云ふ共云へり。歌の意は、秋風に靡くをとよめる意、穗たりてしなひなびく躰を云へる義とも聞ゆれ共、正説不v決。何として稻を水かげ草と云ふぞ。其譯不v詳ば先づは水草の義と見るべし
(80)時來之 七夕の天の川に出て逢ふ時は來ぬらしと也
 
2014 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
われまちし、あきはぎさきぬ、いまだにも、にほひにゆかな、をちかたびとに
 
吾等 らりるれろ通音にて、らをれと通じて讀む也。二字引合て、われらと云意にてもあらむか。添て意を助けたる書樣集中あまた有。其格と見れば、わがとも讀べし。等の字に當りて是非用に立て讀むには、わら、われと讀べし
白の字秋と讀むは 五色を五行、五方に配當すれば、西方秋の方にて、金に當る。金は白色西方も白色と立る故、秋とは義をもて讀む也。此歌は七夕の夜の歌にはあらず。七夕の前後の歌也。なれ共七夕の意をよめる也。越方人とは織女をさして云へるなるべし。萩の咲けるにつきて、秋と知りて織女の方へ詠吟し、慰みに行かんとの義也。ゆかなは、ゆかんな也
 
2015 吾世子爾裏戀居者天河夜船※[手偏+旁]動梶音所聞
わがせこに、うらこひをれば、あまのかは、よふねこぎどよみ、かぢおときこゆ
 
裏戀 前に注せる、うらぶれ、うれなきなど同じ。うらは無下に戀ふの意也。此歌は織女の詠める歌也
 
2016 眞氣長戀心自白風妹音所聽紐解往名
まけながく、こふ心から、あき風に、いもがおときこゆ、ひもときゆかな
 
眞氣長 ま、け、共に初語也。只長く戀ふ心から、秋風も妹が音に聞ゆると也。琴の音になどよせたる意とも聞ゆる也。秋風松風は、琴になぞらゆるなれば、此歌の妹が音とよめるも琴の音に比したるか
 
2017 戀敷者氣長物乎今谷乏牟可哉可相夜谷
こひしきは、けながきものを、いまだにも、まづしむべしや、あふべきよだに
 
こひしさは、長く思ひわびしものを、今夜あふ夜だに、待ちしむべしや、今宵は逢べき夜なれば、待ち久しき事はあらましをと(81)云意也
今だにも逢ふべき夜だにもと、重ねて云へるは、待居し事の切なる事を云はん爲也。乏の字は、まづしきと讀む字也。此歌にて待しむと云ふ意にかけてよめると聞ゆる也。ともしきと讀みては義六ケ敷也
戀敷者 戀しければと云義と釋せる心得難し。戀しきは、是迄も長く戀ひわびしものをと云意也。奥にも此意の歌有。戀日者氣長物乎今夜谷令乏應哉可相ものを、同事の意也
 
2018 天漢去歳渡代遷閉者河瀬於蹈夜深去來
あまのかは、こぞのわたりは、うつろへば、かはせをふむに、よぞふけにける
 
代 一本に伐に作る本有。然れ共代遷閉の三字にて、うつろへと讀べき也。代は下へ付字なるべし。はは上へ付讀みて、よく聞ゆる也。伐の字にて、わたりはと讀んで遷閉の二字にてもうつろへばと讀めるなれば、何れにても構ひは無き也。こぞのわたりの瀬の變りたらば辿べき事と也。よく聞えたる歌也。此歌人丸集拾遺集には、こぞの渡りのと有。是は何れにても意は同じき也
 
2019 自古擧而之服不顧天河津爾年序經去來
むかしより、あげてしはたも、かへりみず、あまのかはづに、としぞへにける
 
七夕つめは神代機を司ると云ひ傳へたれば、昔よりと也
服 はたと讀むべし。直に、はたはとなど讀む字也。きぬころもなど讀みては、はたにあげしと云はねばならず。よりてはたと直に讀む也。服の字を書きたるは、衣を磯にあげ置しと云ふ意を助けて書きたると見ゆる也。歌の意は、年久しくあげ置きし服ものをも織果んともせず、男星を待つとて、天河に年を經たると也
 
2020 天漢夜船※[手偏+旁]而雖明將相等念夜袖易受將有〔此歌注解無シ〕
 
2021 遙※[女+莫]等手枕易寢夜鷄音莫動明者雖明
(82)とほづまと、たまくらかへて、いぬる夜は、とりがねなくな、あけはあくとも
 
遙※[女+莫] 隔て居妻の事をさして、遠妻とは云也。旅行などにてもよむ也。歌の意はよく聞えたり。相隔り居て、たまさかに年に一夜逢ふ夜の鷄は、たとひ夜は明けぬ共音を鳴くなと也
莫動 鳴くなと讀むは義訓也。鳴動とも續く字故、なるも鳴くも同じ意也
 
2022 相見久※[厭のがんだれなし]雖不足稻目明去來理舟出爲牟※[女+麗]
あひみらく、あきたらねども、いなのめの、あけゆきにけり、ふなでせんいも
 
相見久 あひ見るはと云義也。るを延たる詞也
稻目 しのゝめと云義、いねさめの時と云事也。いなもいねも同音、稻も、しの、しね同音也。稲をしねと云事常にも知れたる詞也。此しのゝめと云事、色々の説々ありて、夜の明る時細目の如く開る時を云ふて、天照大神の岩戸に籠らせ給ふ時、諸神の祈りによりて、岩戸を細目に開けさせ給へると云ふ時の義と等しく、僅かに蒼天のあかく成りし時を云義なれば、しのすゝき稻の葉などの細き如く、あかるき時と云ふ義と釋せる牽合附會の説共あれど難2信用1義、面白き樣に云なせる事也。宗師説は、いねさめの時と云義と見る也。世の人の寢て既に目覺る時也。此歌に稻目と書けるも其證也。すゝき稻の葉の細きと云はゞ、之より細き物いくらもあるべき也。此説は附會の説也。此歌の意は、あひ見る事はいか計りも飽ざるに早や東雲明行ば、限りある契なれば、悟しき名殘りながら船出して歸らんと織女へ彦星の示したる歌也
 
2023 左尼始而何太毛不在者白拷帶可乞哉戀毛不過者
さねそめて、いくたもあらねば、しろたへの、おびこふべしや、こひもつきねば
 
不在者 此はの字、にとか、をとか讀べき手爾波の樣に聞ゆる也。者の字にと讀むべし。なりの約言か、又にの字の誤りかと見る事前に注せり。然れ共此歌、はと讀みても、さねそめて間も無く夜の明けぬれば、戀もつきずして別るれば、かたの帶を乞ふべしとの意と聞ゆる歌也。戀ふべしやは、乞んと云ふのやには有べからず。助語のや、こはんとの意也。彦星の帶を織女の(83)隱し置けるを、乞まど云説あれど、入ほかの意に聞ゆる也
不過者 一本遏に作るを正本とすべし。すぎねばと云ひては歌の意如何に共不v通也
 
2024 萬世携手居而相見鞆念可過戀爾有莫國
よろづよに、たづさひをりて、まみゆとも、念可過、こひならなくに
 
携手 義をもて書きたれば、たづさひと計讀みても同事也。隔て離れず、何時まで居る共思ひの盡き飽くべき戀に無きと也
念可過 此過の字も遏の字の誤りならんか。思ひの過ぎると云義六ケ敷也。遏は、晴れ、つきの意にて、詞不v入して聞えたる也
 
2025 萬世可照月毛雲隱苦物叙將相登雖念
よろづよに、てらせる月も、くもがくる、くるしきものぞ、あはんともへど
 
可照 てるべきと訓ませたれど、可の字は下知の詞に用ふる字にて、既に、かづらせん、枕せんと云處に可牟と書けり。此歌も、てるべきと云ふては意少六ケ敷、てらせると云へば萬古不易に照る月もと云意也。少の違なれ共、照る月と云ひては、此後照りの止る意にまがふ處あり。照らせるは、暫く曇るの義也。歌の意は、萬古不易に照る月さへ、浮雲に支へられて、雲に隱るゝ事ある理りと同じく、常住不斷にも相まみゆべきものなるに、年に一度ならではあふ事ならぬは苦しきと也。前の歌の意をうけてよめると聞えたり
 
2026 白雲五百遍隱雖遠夜不去將見妹當者
しらくもの、いほへにかくれ、遠くとも、よかれせず見ん、いもがあたりは
 
遙かに隔て遠ざかりたると云義に、白雲の五百へと云へり
(84)夜不去將見 よかれせずみんとは、晝夜をもわかず慕ひみんとの意也。不去をかれせずと讀むは義にて讀ませたる也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十六終
 
(85)萬葉童蒙抄 卷第二十七
 
2027 爲我登織女之其屋戸爾織白布織弖兼鴨
わがためと、たなばたつめの、そのやどに、おるしらぬのは、おりてけんかも
 
彦星になりて詠める歌也。只織女我を慕ひ思ふから、なす業の事も如何にぞやと、思ひやれる處に、自ら戀慕の情こもれる歌也
 
2028 君不相久時織服白栲衣垢附麻弖爾
きみにあはで、久時、おるはたの、しろたへごろも、あかづくまでに
 
久時 此二字別訓あるべし。前にみづ垣の久時とあるを、ふりにし代よりと讀おきたり。世説は、久しき時ゆと讀ませたれど此義につき不v濟事ある也。依而ふりにしとは讀ませたれば、こゝも、ふりにしよゝりと讀まんか。夜を經たるの意也。然れ共此歌にては此句にてよみ切りたき也。上下に云ひ、よゝをぞ經ぬると讀みたき也。久時の二字義訓に讀むなれば、ふりにし共よゝをぞ經ぬるとも讀みて、苦しかるまじきか。前の訓と上下になる故、此義未v決也。歌によりて意同じければ、かく義訓 しても苦しからざらんか。歌の意は、七夕の逢ふ事久敷月日を隔てゝ、著たる衣も垢づく迄になりしと云義也。印本諸抄の通りに、久しき時にと讀みては、歌の意少し濟み難き也。君に逢はで久しければと云ふ意にあらざれば聞え難き也。然れば久時の二字別訓あるべき事也
織服 おりきたると讀みたれど、義六ケ敷也。たゞ織るはたと云ふには義安かるべし。身のはだへの意をもこめて、白き身も黒む計に程經たると云意をこめて、織るはたのと讀む方然るべからんか。惣體の意は、たゞ逢はでふると云ふ事を詠める意也
 
2029 天漢梶音聞孫星與織女今夕相霜
あまのかは、かぢおときこゆ、ひこぼしと、たなばたつめと、こよひあふらしも
 
(86)此歌は七夕の夜を思ひやりて詠める也。別の意なし
孫星 和名抄〔人倫部子孫類云、爾雅云〕子之子爲v孫〔音尊和名無麻古〕一云比古、同云、孫之子爲2曾孫1、和名比々古。今の俗孫の子を比古と云ひて、孫をひことは云はざれど、此歌に孫星と書きて、ひこぼしと讀ませたるをもて、上古は孫の字ひこと訓じたる事をば知るべし
 
2030 秋去者河霧天川河向居而戀夜多
あきされば、かはぎりたちて、あまのかは、かむかひをりて、こふるよぞおほき
 
河霧 霧の下に立の字を脱せるなるべし。諸本かはぎり立ちてと讀ませたり。決て立の字脱せるならん。七夕の前後とも戀ひ慕ひて、天川に向ひ立ちて戀ふると也。河霧たちてとは、天河とよむ時節縁語、河霧に意あるにあらず。川に向き居てと讀ませたれど、かむかひと讀むべし。かは發語にして、こむかひ、いむかひ、みむかひなど讀める類也。河の字を書たるは、天川に向ひあるの義を助けて書ける也
 
2031 吉哉雖不直奴延鳥浦嘆居告子鴨
よしえやし、たゞならずとも、ぬえどりの、うらなきをると、つげんこもかも
 
此よしえやしとは、打捨たる詞にて、かく戀わびても、よしや逢事はならず共、うらなきをりて戀ひ慕ふとだにも告ぐる人もがなと云意、又たゞにあらず共、せめて此うらなき居、戀ふる事を告ぐる子もがなと云意にも聞ゆる也。兩義共好所に從ふべし。かもは例の歎の詞、ぬえ鳥は別に注せる如く、戀の事、思ひの事によみ合する鳥にて、うらなきと云はん爲の序也
 
2032 一年邇七夕耳相人之戀毛不遏者夜深往久毛
ひとゝせに、なぬかの夜のみ、あふひとの、こひも不遏者、よはふけゆくも
 
不遏者 此者の字前にも云へる如く、を、ど、に、とか讀までは、手爾波叶ひ難し。然し此歌も、戀はつきずも夜は更けゆくもと(87)よめる意にて、昔は斯くよめる手爾波もありしか。さ無くては約言のにか、煮の字の誤り歟にて有べし。歌の意は一年にたゞ一夜のみ逢ふ人の戀なれば、中々つきはつる事も無きから、長き秋の夜も早や更けゆきぬと嘆ける意也。此者の字の手爾波は當集に疑はしき歌數多ある也。猶後案不v可v怠也
 
一云不盡者佐宵曾明爾來 ふけゆくもと云終の句、あけにけると云違ひ迄也。此或説にも者の字を書る也。ばと讀みて通ずる義もあるか。心得難し。後案すべき也
 
2033 天漢安川原定而神競者磨待無
 
比歌諸抄の説まち/\にして聞え難し。一説は、心くらべと見る説ありて、互の戀しき心は時も待たなく競べると也。一説は日本紀に、明神の字をあらかゞみと讀ませたれば、鏡くらべと見て、互の心の實をとき比べる事は、何時ともわかずとぐ事を待たぬと云ふ義ならんかと見る説有。印本の假名は
    天のかはやすのかはらの定まりてこゝろくらべばとぎもまたなく
とぎは磨の意也。右の通にても聞え難し。宗師案は
    あまのかはやすのかはらにちぎりつゝたまの荒磯はみがきてまたな
如v此讀み解也。安川原、神代紀上卷、天安川邊所在五百箇磐石也。天川の同名也。前に注せる如く、古語拾遺は湍川にて、幾湍もある川と云義也
定而 是を諸抄皆さだまりてと讀むから、神代の昔安川原と神の定め給ひし時よりかはらずなど、色々の事を付添へて釋せる故六ケ敷也。天河安川原と重ねて云ひて、天河に年に一度あはんと契り置きて、今夜逢ふ夜なれば、玉の荒磯を祓ひ清めて、みがきて待たなんと云ふ意に見る也。萬葉の文字は、色々風流に書なしたれば、文字に惑ひて六ケ敷義を見ては、歌の意入ほかになりて不v被2聞得1也。只義を安く見るを當流の秘事とす。尤皆かく讀む處の義は證明有。讀來りたる古訓義訓をもて、歌詞に合ふ詞に讀みなす也。義あふても歌詞句例語例無き詞は成難し。定而も契りと云義あり。神の字も、玉とも、たましひ(88)共讀む字也。神競の二字、こゝろくらべと讀める義訓當らざるにはあらず。古訓通例の訓なれ共、歌の義釋する詞を入れて六ケ敷解せざれば聞えざる也。愚案、宗師の説の外に若し他説になずらへて讀まば
    あまのかは安のかはらにちぎりおきし心くらべば時もまたなく
此已下七夕の歌に時を待つ待たぬと詠める類歌數多あれば、相思ふ戀しさの心は何時をもわかず、初秋の時をも待たぬ、と云意に詠める歟。宗師の解は、至極の上品の歌と聞ゆれば、疑ふべくもあらぬ歟
 
此歌一首庚辰年作之 此注何の爲に記せる共心得難し。或抄に、此庚辰は天武の白鳳九年に當る。奥の注に、人麿歌集出とあるからは、此歌人丸の歌にて、人麿は持統の御世に都に上られたれば、石見國にての歌かと見ると釋せり。是も推量の説、庚辰の年何の御世の庚辰に當れるや、此等の注は不分明の左注也。左の歌集出とあるも、漠としたる義、人丸の歌とも決し難き事也。既に第十四卷の東歌、人丸歌集に出とあれば、集中にあればとて其人の作とも不v被v決事明他
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出 此注も不分明の注也。是迄の歌共の注か。又此一首歟。紛敷也
 
2034 棚機之五百機立而織布之秋去衣孰取見
たなばたの、いほはたゝてゝ、おるぬのゝ、あきさりごろも、たれかとりみん
 
五百機、數多き機を立て也。秋去衣、畢竟此秋さり衣を云はん迄に、いほはた立ておる布共よみ出たり。秋去衣は秋の衣と云義、秋になりて着る衣と云意と見るべし。袷を云ふとの説あり。後に名付けたるならん
孰取見 彦星ならでは誰か取り見んと云意なるべし。第七卷の歌に、ことし行にひさきもりがあさころもかたのまよひは誰か取見んと詠める意も、我妻に離れて行かば、やれぎぬをも、とき洗ひ著する人もあらじと嘆ける歌なれば、此歌の取見んの意も同じきか
 
2035 年有而今香將卷烏玉之夜霧隱遠妻手乎
としにありて、いまかまくらん、ぬばたまの、よぎりこもれる、遠づまの手を
 
(89)年有而 一年のうちにあり/\て、今夜と云意也。夜霧こもれるとは、年一度の逢瀬の外、遠く隔て戀わびし遠妻と云意にて、程隔てしと云はんとて、夜霧こもれるとは詠めるならん。七夕の夜を思遣りて詠める歌也
 
2036 吾待之秋者來沼妹與吾何事在曾紐不解在牟
わがまちし、あきはきたりぬ、いもとわれ、何事有曾、ひもとかざらん
 
何事有曾、宗師案は、かごとあるにぞと讀むべし。かごとはかこち恨むる事ありてこそ、紐をも解かざらめ、待えし秋の來りぬれば、いかで紐解かずあらんやとの意と見る也。諸抄の説はたとへ如何樣の事あればぞ紐解かざらん、待えし秋の來れば、などか紐解かではあらじとの意に釋せり。兩義さのみの違もなからんか。あれぞと讀ませたるはありてぞの約也。りての約れ也
 
2037 年之戀今夜盡而明日從者如常哉吾戀居牟
としのこひ、こよひにつきて、あすよりは、つねのごとくや、わがこひをらん
 
としの戀とは、去年の秋より此初秋迄一年の戀わびし事、七夕の夜一夜に盡きてと也。又明日からは、今まで戀ひし如く戀をらんと也。よく聞えたる歌也
 
2038 不合者氣長物乎天漢隔又哉吾戀將居
あはざれば、けながきものを、あまのかは、へだてゝまたや、われこひをらん
 
不合者 諸抄の説は、あはざれば思ひわびて、長息嘆悲すると云ひて、長き息をつきて思ひわびる物をと云ふ説也。當流は氣は初語と見るから、只あはざるは秋から秋迄にて、只一夜なれば長きと云ふ意に見る也。氣は、け近き、け遠きと云けと同事也。今夜過ぎて又天河を隔てゝ長く戀をらんと歎ける歌也
 
2039 戀家口氣長物乎可合有夕谷君之不來益有良武
(90)こひしけく、けながきものを、あはるべき、よひだにきみが、きまさゞるらん
 
戀しき事は長きものを、今宵逢ふべき夜だにかく待わぶるは、君が來らんかと、來るを遲きと、待ち恨める歌也。戀家口の家、良の字の誤りにては有まじきか。然らば、戀ふらくはと讀むべし。こふるは長きものを、早く來まさで今宵だに來ずやあらんかと待ちわぶる心から、七夕の夜だにも氣遣はしがりたる意也
 
2040 牽牛與織女今夜相天漢門爾波立勿謹
ひこぼしと、たなばたつめと、こよひあはん、あまのかはとに、なみたつなゆめ
 
何の意もなく能聞えたる歌也。七夕の當然を思遣りて詠める歌也
 
2041 秋風吹漂蕩白雲者織女之天津領巾毳
あきかぜの、ふきたゞよはす、しらくもは、たなばたつめの、あまつひれかも
 
たゞよはすは、一所に定まらず、彼方此方とうかれて所を定めぬ事を云也。白雲を織女のひれかと見立たる景色の歌也。第三卷に、白妙のあまひれこもりとよめるも、白雲に隱れしと云意をよめる義、此歌と引合せ知るべし。ひれは女の頭の服地。注に及ばず前に詳也
 
2042 數裳相不見君矣天漢舟出速爲夜不深間
しば/\も、あひ見ぬ君を、あまのかは、ふなではやせよ、よのふけぬまに
 
此しば/\は、度々緩やかにも相見ず、たゞ一夜の間のみ相見る君をと云意也。それ故とく船を出して行き逢はんと也
 
2043 秋風之清夕天漢舟※[手偏+旁]度月人壯子
あきかぜの、きよきゆふべに、あまのかは、ふねこぎわたる、つきひとをとこ
 
七夕の夜の景色を詠める也。月を彦星にしてよめる歌也
 
(91)2044 天漢霧立度牽牛之※[楫+戈]音所聞夜深往
あまのかは、きりたちわたり、ひこぼしの、かぢおときこゆ、よのふけゆけば
 
是も七夕の夜景、天河を仰て心靜けき折、秋風の凉しき音などを聞て、梶音によみなせる也。人靜而水音高しなど、後々の人詩句にも作なせる意也。夜更けゆけば、水聲流響などいづ方ともなく聞ゆるもの也。天上の※[楫+戈]音聞ゆべきにあらねど、如v此よみなせる所歌の情也
 
2045 君舟今※[手偏+旁]來良之天漢霧立度此川瀬
きみがふね、いまこぎくらし、あまのかは、きりたちわたる、此かはのせに
 
七夕の夜霧たちたるを見て、此霧立渡るは、君が舟漕ぎ來るから、水氣の立ちて霧立ち渡るならんと察したる也。別の意なき也
 
2046 秋風爾河浪起暫八十舟津三舟停
あきかぜに、かはなみたちて、しばらくは、やそのふなつに、みふねとゞまれ
 
此歌は逢ひて別るゝ後朝の歌也。歸る船を惜みて、しばしだにとまれと願たる歌也
 
2047 天漢川聲清之牽牛之秋※[手偏+旁]船之浪※[足+參]香
あまのかは、かはとさやけし、ひこぼしの、あきこぐふねの、なみのさわぐか
 
秋漕ぐ船、おも白き詞也。七夕の夜ならでは、漕渡らぬ船故、秋漕ぐ船とはよみて、川音のさやかに聞ゆるは、漕船に波立ちて、騷ぐ故かと也
 
2048 天漢川門立吾戀之君來奈里紐解待
あまのかは、かはとにたちて、わがこひし、きみきたるなり、ひもときまたん
 
(92)天の河に立ちて戀わびし君が今夜來るなり。下紐をときて今やと待たんと也
 
一云天川河向立 何の意もなき義、川門と云ふも川に向ひ立ちてと云ふ義と見る迄の事也。此河向も初語のかと見るべし。川に向き立ちと云詞聞きよくも無き詞也
 
2049 天漢川門座而年月戀來君今夜會可母
あまのかは、かはとにゐつゝ、とし月を、こひこし君に、こよひあふかも
 
七夕の夜の歌にて、彦星織女の内何れにてもの歌也。能聞えたり。あふかもとは、悦嘆したるかも也
 
2050 明日從者吾玉床乎打拂公常不宿孤可母寐
あすからは、わが玉とこを、うちはらひ、きみとはいねず、孤かもねん
 
君とはいねで共、ねずに共讀むべし。意は同じ事也。七夕過て八月よりは又一人ねをせんと也。かもねんと云へるにて、嘆きたる意こもれり
 
2051 天原往射跡白檀挽而隱在月人壯子
 
此歌諸抄の説まち/\にして聞え難し。印本の假名は
    あまの原ゆきてやいるとしらまゆみひきてかくせるつき人をとこ
一説七日の月はとく入るを、引てかくせるとよめるか。今宵は何事もなく、たゞあひ見る事のみを思ふ餘りに、弓をだに射させじとする心にやと釋せり。如何に共聞え難き釋也
又一説全くは聞え難し。試に釋せば、彦星の妻に逢ふを、狩人の鹿にあひて射るに喩へたるか。ゆきてや射るとも云句を、いるとや見るべし。ひきてかへせるは、七日は夕月夜也。月の入りて後逢ふと云へば、弓張月の人をひきて隱すとは云なるべし
斯くの如きの釋も聞え難し
宗師説云、ゆきているやと讀むから、此歌聞えず。射の字は借訓の字寢の字の意也。ゆきていぬるとしらまゆみ云々と讀みて(93)彦星のゆきてぬると知りて、月のつれひきて、隱したると云意と也。白檀とよめるから、射の字を寢ると云義に借用ゐて書ける當集の例格也と也。愚意未v落。宗師の説に、今少し句意の譯有べし。愚案は、月人をとこを牽牛として、只何の意味も無く七日の夜の月の入りたるを見て、よめる歌と見て、今宵天の原を行きて織女と寢るとや、上絃の弓張月の引入て、最早隱れたりと云意を詠める歌ならんか。上絃の月故、かくるゝと云はんとての縁に、しらまゆみ引きてとよめるならん。何となく淺く見る方意安からんか。尚後案有べき也。又七日の月の入て隱れたるを、弓を隱して見せぬと云意に詠なせるか。今宵織女の方へ行きて、弓を射て引隱して、月の入たるか共見ゆる也。宗師の説、彦星を月の引連れ往きて隱せると云處、少し聞得難し。五文字に彦屋のゆき寢ぬるとあらば、さも聞えたり。月人壯を彦星に比して見ざれば聞にくき歌也
 
2052 此夕零來雨者男星之早※[手偏+旁]船之賀伊乃散鴨
このゆふべ、ふりくるあめは、ひこぼしの、はやこぐふねの、かいのちらすかも
 
散鴨 此句心得難し。印本等には散るかもと讀めるは愈心得難し。しづくと云字の誤と見れば安けれ共、字形似よらぬ字なれば、誤字共決し難し。よりて先づちらすかもと讀みて、此降る雨、は、天上にて彦星の天川よりかいにて散すにやと見る也。かいの散ると云ふ義は如何に共無き事也。此夕とよみ出たる故、早こぐ船と云ひて、未だ夜に不v成に、も早や急ぎて、漕出づる船のと云ふ意をこめて、早や漕ぐと也。新古今には下の句を、と渡る船のかいのしづくかと直して、然も赤人の歌と記されたり。證記ありてか。古今、伊勢物語に、わが上に露ぞおくなるあまの川とわたるふねの櫂のしづくかの歌も、此歌よりよめるか
 
2053 天漢八十瀬霧合男星之時待船今※[手偏+旁]良之
あまのかは、八十瀬霧合、ひこぼしの、時待船は、いまやこぐらし
 
霧合 諸抄には、きりあひ共、きりあへる共讀めり。きりあふと云義何と云義にや。不v濟也。宗師説は兎角くもれりと讀む也。然れ共歌によりて、くもると讀みて少し不v合義も有。尚後考あるべし。此歌などは、天漢の曇りたるを見て、今や彦星の船出する故曇れるかと詠める歌に聞ゆる也。時待船、秋七月七日の時を待船と也
 
(94)2054 風吹而河浪起引船丹度裳來夜不降間爾
かぜふきて、かはなみ起、ひくふねに、わたりきませ、よのふけぬまに
 
此河浪たちとよめる意少し聞え難し。立ちぬと早く渡り來ませと云意にて詠めるか。只河浪立は、引船に乘りて渡り來ませ、かち渡りは、し給ふなと云意にて、わたりもとよめるか。わたりもと云もの字助語と見るべきや。歌の意はたゞ早く夜の更けぬ間に、天の川を渡り來ませと云意也
 
2055 天河遠度者無友公之舟出者年爾社候
あまの川、とほきわたりは、なけれども、きみがふなでは、としにこそまて
 
さのみに河の廣き遠き處は無けれども、七夕の船出は、一年に一度ならではならぬ故、年にこそまてと也。年にこそは、年に一度こそ待てと云意也
 
2056 天河打橋度妹之家道不止通時不待友
あまのかは、うちはしわたし、いもがいへぢ、やまずかよはん、ときまたずとも
 
かけはづしの安きうち橋を渡して、七月七日の夜に限らず共、いつにても止まず心の儘に通はんと也。戀慕ふ餘りの意をかく愚かにも詠なして、牽牛になりて詠める歌也
 
2057 月累吾思妹會夜者今之七夕續巨勢奴鴨
つきかさね、わがおもふいもに、あへるよは、今之七夕、つぎこせぬかも
 
今之七夕、けふの七夜共、此七日の夜とも讀むべし。意は一年のうち、わび慕ひ來し妹に會ふ夜は、七夜も續きて長かれと願ふたる意也。幾度も續きてあけずもあれの意也
 
2058 年丹裝吾舟※[手偏+旁]天河風者吹友浪立勿忌
(95)としによそふ、あがふねこがん、あまのかは、かぜはふくとも、なみたつなゆめ
 
年毎に一度飾りよそふ船と也。下句の意はよく聞えたる歌也
 
2059 天河浪者立友吾舟者率※[手偏+旁]出夜之不深間爾
あまのかは、なみはたつとも、わがふねは、いさこぎいでん、よのふけぬ問に
 
よく聞えたる歌也。不v及2注釋1
 
2060 直今夜相有兒等爾事問母未爲而左夜曾明二來
たゞこよひ、あひぬるこらに、ことゝひも、いまだせざるに、さよぞあけにける
 
只一夜の契りの今夜なれば、物云ひ交す事もつきぬに、夜のあけぬると嘆きたる也。こらとは織女をさして彦星になりての歌也
 
2061 天河白浪高吾戀公之舟出者今爲下
あまのかは、しらなみたかし、わがこふる、きみがふなでは、いまぞすらしも
 
白波高くと讀めるは心得難し。高しと讀切りて見るべし。別の意も無く、天の川の波の高きは今ぞ船出をするからに、浪の騷ぐならんと察したる歌也。七日の夜上天の事を思遣りて詠める歌也
 
2062 機※[足+榻の旁]木持往而天河打橋度公之來爲
はたものゝ、ふみきもてゆきて、あまのかは、うちはしわたせ、きみがこんため
 
※[足+榻の旁]木 何とぞ機の具の名目あらんか。先づ古く説き來れば、ふみ木とは讀む也。別訓あるべきか。織女になりて詠める歌也
 
2063 天漢霧立上棚幡乃雲衣能飄袖鴨
あまのかは、きりたちのぼる、たなばたの、くものころもの、かへるそでかも
 
(96)霧の立上るは、織女の袖の飜へるならんと也。七夕の夜秋霧の立ちたる景色を見て詠める也
 
2064 古織義之八多乎此暮衣縫而君待吾乎
いにしへに、おりにしはたを、このゆふべ、ころもにぬひて、きみまつわれか
 
古に 其かみより、織來りし織女の業のはたものをと云意也。彦星に着せんと織おきし機物を、衣に縫ひて待つわれかなと也われをと云假名は心得難し
 
2065 足玉母手珠毛由良爾織旗乎公之御衣爾縫將堪可聞
あしだまも、てだまもゆらに、おるはたを、きみがみけしに、ぬひたへんかも
 
足玉母手珠毛由良爾 神代下卷云、〔天孫又問云、其於秀起浪穗之上起2八尋殿1而手玉玲瓏織袵之少女者、是誰之子女耶〕仁徳紀云、爰皇后奏言〔雌鳥皇女寔當2重罪1、然其殺之日不v欲2露皇女身1、乃因勅2雄※[魚+郎]等1莫v取2皇女所v賚之足玉手玉1。雄※[魚+郎]等追v之至2菟田1云々〕當集第十一卷の歌〔新室のふむしづけこが手玉ならすも〕玉のゆらめき動く事を、ゆらにとは云也。ゆらぐ玉の緒ともよめり
御衣 みけしと古語に云來れり。伊勢物語にも、君がみけしと奉りけりと有。衣の古語也
縫將堪 今宵こそ縫ひはたすと云義也。今宵君が衣に縫ふと云意也
 
2066 擇月日逢義之有者別乃惜有君者明日副裳欲得
 
此歌心得難き歌也。別の字の下に、路、道の字一字脱せる歟。さなくては別の一字にては、わかれぢとは讀難し。且欲得の得を待に作れる一本有。是をよしとせんか。然らば宗師案は
    つき日ゑりてあふにしからもわかるいましをしめるきみはあすしもまたん
七月七日と、年に一度の日をゑりてしも、別るゝから名殘の惜しき君なれば、明日も待たんと也。又の説
    月日ゑりてあひにし吾《アレ》は別れなんをためるきみはあすしもまたん
(97)月日を選びて逢ふ事ありし吾は、又別るゝ理りもあるべければ、よしや別れなんと思ひ切りたる意、そこには斯く別れを惜めるなれば明日しも吾をや待らんと也。愚案未v落也。別の字の下に、道、路の字脱せりと見る説あらんか。然れば月日ゑりて逢ふにしなればとは、年に一度七月七日に、偶々逢ふ中なれば、わきて別れの惜しき君なれば、明日もがなと、戀慕ふ意と見るべき也
 
2067 天漢渡瀬深彌泛船而掉來君之※[楫+戈]之音所聞
あまのかは、わたるせふかみ、ふねうけて、掉來君が、かぢのおときこゆ
 
渡る瀬の深きから船渡りにて來ると也。掉來を諸抄印本等に皆さしくると讀めり。漕くるにても有べきか。若しくは古本は指の字なるを掉に誤りたるか。歌の意は不v及v注聞えたり
 
2068 天原振放見者天漢霧立渡公者來良志
あまのはら、ふりさけ見れば、あまのかは、きりたちわたる、きみはきぬらし
 
天河に霧の立渡るを見て、此霧のまがひにや渡り來ぬらんとの意也。又河を渡り君が來ると云意迄に、霧立渡るとも讀めるか別の意なき歌也
 
2069 天漢瀬毎幣奉情者君乎幸來座跡
あまのかは、せごとにぬさを、たてまつる、こゝろはきみを、さきくきませと
 
幸來座跡 さきくいませ共讀ませたり。愚意は、瀬毎に手向けをなすは、渡り來る瀬毎に難なく、さきく來れと祈る心からなるべし。常の幸を祈るに、瀬毎に奉れる義心得難し。天漢を渡來る故に、瀬毎に幸あれとの意と見る也。好む所に從ふ也
 
2070 久方之天河津爾舟泛而君待夜等者不明毛有寐鹿
ひさかたの、あまのかはづに、ふねうけて、きみまつよらは、あけずもあらぬか
 
(98)別の意なき歌也。不v明もあれかなの意也
 
2071 天河足沾渡君之手毛未枕者夜之深去良久
あまのかは、あしぬれわたり、きみがても、いまだまかぬに、よのふけぬらく
 
未枕者 例の、に、をの手爾汝ならでは不v聞歌也。者也の約言に用ひたると見ゆる也。若しくは煮の火を脱したるかなるべし。よりて先づにとは讀む也。ぬらくは、ぬる也。るを延べたる詞也。足ぬれわたりは俗に近けれど、古詠は實朴の詞によみ來れる共聞ゆる也。手もまかぬと云とかけ合ひてよめる意共聞えたり
 
2072 渡守船度世乎跡呼音之不至者疑梶之聲不爲
わたしもり、ふねわたせをと、よぶこゑの、いたらざればか、かぢのおとせぬ
 
是は彦星織女何れの渡り來んとて、渡守をよばふ共知られず、二星の内船出を急げ共、渡守の未だ船よせ來ぬとの義也。渡せをとよめるは古詠の格にて、是等を雅言の助語とは云也。前に、宇治川の作にも此詞有。和名抄云〔日本紀、渡子〕【和名和太之毛利一云和大利毛利】
 
2073 眞氣長河向立有之袖今夜卷跡念之吉沙
まけながく、かむかひたちし、なれがそで、こよひまかんと、おもへるがよさ
 
こぞの秋より今日まで天河に向ひ立ちて、戀わびし事の長きと云ふ義を、まけながくと也。眞氣共に初語の詞也。たゞ長くと云迄の事也。思へるがよさは不v可v好詞也。よろしさとよめる歌もあれば、此外の讀み樣も有べからず
有之袖 ありし袖と讀ませたれど、此は、なれが抽なるべし。わが袖と云義也
 
2074 天漢渡瀬毎思乍來之雲知師逢有久念者
あまのかは、わたるせごとに、しのびつゝ、こしくもしるし、あふらくおもへば
 
(99)渡る瀬毎に、あひ見ん事々を慕ひ/\來しも理りかな。年に一度ならでは逢ふ事難き今宵なれば、斯くは逢はん事の嬉しさを思へばとの意なるべし。又しのぶは、物を堪忍するの意なれば、瀬毎の苦しみをも堪へ忍びてこしくるも、今宵一夜の契りに、逢はんと思ふからの意共聞ゆる也。相見ん事の嬉しさを思へば、瀬毎に忍びて來りしも、誠に理りかなと云意か
 
2075 人左倍也見不繼將有牽牛之嬬喚舟之近附往乎 一云見乍有良武
ひとさへや、みつがずあらん、ひこぼしの、つまよぶふねの、ちかづきぬるを
 
人左倍也 此也の字は、下のあらんやと云詞に續くや也。古詠に此一格有。下に云言葉の切れ字を上にて讀切る事例多き事也。此歌も其格也。人も見不v告あらんや告ぐるにてあらんとの意也
見不繼將有 は諸抄の説まち/\也。一説は、七夕の妻迎船を、人も見付やらん、見付たらばとく告げよとの意と見る由注せり。一説、妻迎船の近づく嬉しさを、人さへ見とゞけずあらんやはの意と注せり
宗師案、後の説に近し。妻迎船の近よるを、人も見て不v告やあらん、告げ知らすらんとの意也。往乎は、ぬるをと讀べし。いぬると讀む字也。ゆくと云ひては、如何に共聞え難し
一云見乍有良武 是は見不繼將有の句の異説、此一説の意にては只何の意も無く、妻迎船を人も見つゝあらんとよめる意にて義安く聞ゆる也。本集の詞にては、釋するに言葉入て六ケ敷也
 
2076 天漢瀬乎早鴨烏珠之夜者闌爾乍不合牽牛
あまのかは、せをはやみかも、ぬばたまの、よはふけにつゝ、あはぬひこぼし
 
夜は更けぬれど未だ彦星の來り逢はぬは、河の瀬早くて渡りかねて隙どるならんかとの意也。渡り瀬早ければ渡りなづむものなれば早きかもと也
 
2077 渡守舟早渡世一年爾二遍往來君爾有勿久爾
わたしもり、ふねとくわたせ、ひとゝせに、ふたゝびかよふ、きみならなくに
 
(100)よく聞えたる歌也
 
2078 玉葛不絶物可良佐宿者年之度爾直一夜耳
たまかづら、たえぬものから、さねぬるは、としのわたりに、たゞひとよのみ
 
年に一夜の契りから、幾萬世も不v絶逢瀬なりと思ひ辿れる歌也。年の渡りとは、年にと云意也。天河を隔てゝ渡りあふ七夕故、其縁に渡りとはよめるならん。年にと云意也
 
2079 戀日者氣長物乎今夜谷令乏應哉可相物乎
こふるひは、けながきものを、こよひだに、まづしからんや、あふべきものを
 
戀わぶる事は、此迄いか計り長きものを、今宵逢ふ夜だにかくまづしむべきや。早く逢べきものを、など遲くは來りたるやらんと、來る人を遲きと恨める歌也。乏の字は此歌にても待の意に借訓したる也
 
2080 織女之今夜相奈婆如常明日乎阻而年者將長
たなばたの、こよひあひなば、つねのごと、あすをへだてゝ、としはながけん
 
七夕を思遣りて詠める也。七日過ぎては、又來る秋迄戀わびん事の長からんと也。いか計り待ち久しからんと思ひはかりし也
 
2081 天漢棚橋渡織女之伊渡左牟爾棚橋渡
あまのかは、たなはしわたせ、たなばたの、いわたらさんに、たなはしわたせ
 
棚橋渡せと下知の詞に讀べし。下も同じく、い渡らさんの、いも、さも助語也。只渡らんにと云義也
 
2082 天漢河門八十有何爾可君之三船乎吾待將居
あまのかは、かはとやそあり、いづこにか、きみがみふねを、われまちをらん
 
(101)よく聞えたる歌也。多くの河門なれば、何處にきはめて待ち居らんと也
 
2083 秋風乃吹西日從天漢瀬爾出立待登告許曾
あきかぜの、ふきにしひより、あまのかは、せにいでたちて、まつとつげこそ
 
待つとつげおこせと云義にて、此は先へ告げよと云意を如v此よめる也
 
2084 天漢去年之渡湍有二家里君將來道乃不知久
あまのかは、こぞのわたりせ、あれにけり、きみがきまさん、みちのしらなく
 
聞えたる歌也
 
2085 天漢湍瀬爾白浪雖高直渡來沼待者苦三
あまのかは、せゞにしらなみ、たかけれど、たゞわたりきぬ、まつはくるしみ
 
此歌兩義に聞ゆる也。來沼のぬの字、根の字の誤りならんか。只渡りきぬ迄は、苦しみと云ひては聞き惡き歌也。吾待ち居るは苦しき程に、たとひ波高く共、たゞ一筋にとく渡り來せよとか來ねとか云はでは手爾波叶ひ難し。上の高けれどと云ふも、高く共と讀までは、待てば苦しみと云ふとめにては、渡り來る人の待てば苦しみと云事心得難し。宗師案は、波の靜まるを待てば待ち久しからん故、それを苦しみと云義と見るべしと也。愚案未v落。言葉を不v入、待つは苦しみとか、待てば苦しみと讀みて、渡り來る人を待てば苦しみと見たき歌也。然らば沼の字根の字か。又沼の字に勢の音ある歟。然らば音に讀みて、こせにて上をたかく共と讀みて義安く聞ゆる也。此歌後撰には、せゞの白波として侍つみ苦しみと直して入れられたり。是も逢事を久しく待つに苦みて、波の高きをも厭はず渡り來ぬと云意と見たるならんか
 
2086 牽牛之嬬喚舟之引綱乃將絶跡君乎吾念勿國
ひこぼしの、つまよぶふねの、ひきづなの、たえんときみを、あがおもはなくに
 
(102)引網のと云迄は序也。絶えんと云はん迄の序詞也
 
2087 渡守船出爲將出今夜耳相見而後者不相物可毛
わたしもり、ふなでしつらん、こよひのみ、あひみてのちは、あはぬものかも
 
此歌諸抄の意不2一決1也。一説は、別を惜みて渡守を恨みしが思ひ返してよし/\船を出せ。今宵のみ限りの契りにはあらじ。來ん秋も亦逢べき中なればと云心と注せり。一説は、裏腹の意、七夕過ぎて又船出して出んと云意に釋せり。此説然るべきか。下の句の、のちはあはぬものかもは、あはぬものかも行てあはんと、思ひの切なる義をよめる歌と聞ゆる也
宗師案、船出爲將出と云二の出の字は、手爾波字にて、只出づらんと云字意に見るべし。渡守は多くの人を渡すものなるに、われは只今宵のみ渡すとの意にて、あはぬものかもは、あはぬものかなの意と見る也
愚案未v落。二度船出せんと云説然るべからんか。今夜耳とよめる處、少し二度の義に不v合か。尚後案すべし
 
2088 吾隱有※[楫+戈]掉無而渡守舟將借八方須臾者有待
わがかくせる、かぢさほなくて、わたしもり、船かさんやも、しばしはありまて
 
渡守りの梶棹を隱して、返さじと名殘を惜める意也。梶棹を隱したれば、渡守もいかで船かさんや。しばしは待どまれと、別を惜める事の切なる義を云へる也。古今集に、君わたりなばかぢ隱してよの意もこれらの意をとりてならん
 
2089 乾坤之初時從天漢射向居而一年丹兩遍不遭妻戀爾物念人天漢安乃川原乃有通出出乃渡丹具穗船乃艫丹裳舳丹裳船裝眞梶繁拔旗荒本葉裳具世丹秋風乃吹來夕丹天川白浪凌落沸速湍渉稚草乃妻手枕迹大船乃思憑而※[手偏+旁]來等六其夫乃子我荒珠乃年緒長思來之戀將盡七月七日之夕者吾毛悲烏
あめつちの、はじめのときゆ、あまのかは、いむかひをりて、ひとゝせに、ふたゝびあはぬ、つまごひに、ものおもふひと、あまのかは、やすのかはらの、ありかよひ、でゞのわたりに、そほふねの、(103)ともにもへにも、はぬよそひ、まかぢしゝぬき、はたすゝき、もとはもそよに、あきかぜの、ふきくるよひに、あまのかは、しらなみしのぎ、おきたぎつ、はやせわたりて、わかぐさの、つまたまくらと、おもひたのみて、こぎくらむ、そのつまのこが、あらたまの、としのをながく、おもひこし、こひはつきけむ、はつあきの、なぬかのよひは、われもかなしを
 
物念人 ものおもふ人、彦星をさして云へる也
有通 前にもある詞、昔より今に不v絶存在してある所と云義也
出出 之を諸抄の説は、七夕の互に出でて待戀ふ所故、ででと云との説也。でゞの渡りと云詞此外に聞覺えざる詞、出見濱と云所もあれば、其等の類と釋せる説もあれど、如何に共心得難し。是は世々の誤字なるべし。世々はよく字形も似たるから、誤りたると見えたり。瀬々の渡りと云ふ義は有べし。でゞの渡りとはいかに共心得難し。古記證例ある迄は誤字と見る也
具穂船 之を印本諸抄抔にも、皆くぼ船と讀みて、易の繋辭などを引て窪船と釋せり。之も今一首くぼ船と集中にもあるか、古詠あらば從ふべけれど、此一首のみにては難2信用1。具は、そなふると云字也。然ればあけのそほ船など云語例あれば、そほ船なるべし。そほ船は帆船と云義也。そは、さと同じ發語也。尤前にあけのそほ船の處に注せり。可v考。即ち下の詞にも具の字を、そと讀ませたり
繁拔 前にも注せる如く、しゝぬきは鈴《スヽ》ぬき共、又しげくかぢをぬく義共聞ゆる也。鈴ぬきと云義此歌にては叶ふべからんか。如何にとなれば、はたすゝきと下に讀ませたる縁語あれば也
旗荒 之をはたあらしと讀みて、初嵐と云義にこま/”\と釋せる説あれ共、歌を不v辨釋なり。下に秋風吹來夕爾とあるに、上に初嵐と讀べき樣なく、はつあらし、もとはもと云詞何と解すべき樣なし、是は上に船裝とよみたれば、旗と云事をよみて、はたすゝきとよめる義也。荒の字をすゝきと讀ませたるは、物の荒れ繁りたる所に生ずると云義とも、荒蕪の二字の字義を借りて讀ませたる共見えたり。薄の字をすゝきと讀ます義も同意也。すゝきと云正字不v考。和名抄にも慥成出所を不v書。日本(104)紀には荻の字を被v爲v書たり。正字未v考。當集にも字は無く假名書ばかり也。是れ惣而義訓に讀ませたると見えたり。尚追而可v考。一本の假名にすゝきと讀ませたれば正義とす。すゝきと讀まざれば下の詞如何に共より所なし
本葉裳具世丹 是を古來先達も何と心得てか、もとはもくせにと讀めり。何と云へる義にや。色々六ケ敷釋をなして、語例句例もなき義理を注せり。是は、はたすゝき、もとはもそよに秋風と續きたる詞也。是によりて上を、はたすゝきと讀までは不v叶義と見る也。そよにと云はんとて、はたすゝきもとはと讀み、秋風と云はんとてそよと共續け來れり。そよには、そよぎと云共同じ詞也。はたすゝきの本葉もそよぎ、秋風の吹來る宵とはよみ續けたる也。素本には吹の下に來の字を脱せり。一本に有。正本とすべし
吹來夕丹 ふきくるよひに也
白浪凌、しのぎはしのにと云ふも同じ意なれど、こゝの意は白波を分け凌ぎの意也
落沸 おちたぎつ、河瀬の早くたぎり落つる如きの瀬をも渡りて也
妻手枕跡 わかぐさの妻とは例の冠辭也。妻の手まくと、はや河の瀬を渡り越して、二星會ひて、かたみに手をまき寢んと云意也
其夫乃子我 彦星をさして也
戀將盡 去年の秋より今夜迄戀慕ひ越しぬる戀の、今夜一夜に盡きんと也
七月七日 初秋のなぬかの宵は也
吾毛悲烏 われもかなしを也。二星を思遣りて、此歌を詠める人も七月七日の夜を喜びめで愛するは悲しをと也。憂へ歎くの悲しにはあらず。よそに思遣る我さへめで喜ぶとの意也。烏の字は例の餘音、語の餘り也
薄の字の事、沸の字の事、追而吋v考
 
反歌
 
2090 狛錦紐解易之天人乃妻問夕叙吾裳將偲
(105)こまにしき、ひもときかはし、ひこぼしの、つまとふよひぞ、われもしのばん
 
狛錦 紐と云冠辭也。高麗の錦の紐と云義也。上古より名座ともてはやしたる錦也。から錦とも讀む。からは異國の總名也。只紐と云はんとて、錦の出る所を添へて、錦の紐とは云習はせる也。是等は前に注せる如く皆雅言の習也。和名抄云、本朝式〔有2暈※[糸+閭]錦、高麗錦、軟錦、兩面錦等之名1也〕允恭紀、天皇御製〔さゝらがた錦の紐を解きさけてあまたは寢ずとたゞ一夜のみ〕
天人 義訓に書きたり。次下の歌に、大玉は大白の誤りにて、大白と書けるも同じ義にて、ひこぼしと讀む義をもて書たる也。
われもしのばんは、七夕の夜を思遣りて、此歌の作者の身にも今宵の事を思ひ慕ふと也。吾身の戀路に引うけて思ふ意也
 
2091 彦星之川瀬渡左小船乃得行而將泊河津石所念
ひこぼしの、かはせをわたる、さをぶねの、とゆきてはてん、かはづしぞおもふ
 
得行而 とゆきてと讀ませたり、義は同じけれど義訓にわたりて共讀むべきか、とゆきてのとは初語なるを、とくゆきてと云義と釋せる説も有。不v可v然。たゞゆきてはてんと詠めるなるべし。かはづしぞ思ふとは、いか計嬉しからましと思遣らるゝと也
 
2092 天地跡別之時從久方乃天驗常弖大玉天之河原爾璞月累而妹爾相時侯跡立待爾吾衣手爾秋風之吹反者立坐多士伎乎不知村肝心不欲解衣思亂而何時跡吾待今夜此川行長有得鴨
あめつちと、わかれしときゆ、ひさかたの、あましるしとて、ひこぼしの、あまのかはらに、あらたまの、つきをかさねて、いもにあふ、ときをしまつと、たちまつに、わがころもでに、あきかぜの、ふきまきぬれば、たちてゐて、たづきをしらず、むらきもの、こゝろおもほえず、ときゞぬの、おもひみだれて、いつしかと、わがまつこよひ、このかはの、たゆることなく、ながかれとかも
 
大玉の二字は大白の誤りにて、大白星を彦星と義訓に書きたるならん
(106)吹反志 ふきまきぬればと讀むべし。袖吹卷の意と吹來ぬればの意を合せて也。第一卷にても、みや人の袖吹まけばと義訓に讀みし例に同じ。諸抄には、ふきかへすればなど讀めるから、手爾波の釋など色々注を入て六ケ敷意也
心不欲 別訓あらんか。まづ心おもほえずとは讀む也。天河原に立て居ていかにせん術も知らず、秋風の吹けば、早く七夕になりて逢はんと、心も浮かれて思はずも心の亂るゝと也。とき衣は、おもひ亂れてと云はん序也
此川行長 此句を此川のゆきながくと讀みて、詞足らぬから一句脱せしかなど云ふ説有。行の字は運行と續きて、物の行めぐりて絶えぬ事を云字なれば、義をもて讀ませたるを、義訓には讀まで色々の説を注せり。此行の字は、絶ゆる事なくと一字にて義をもて讀ませたる字也
長有得鴨 長かれとかも也。長くあれとかもと願ふ義也。年に一度の逢瀬の今宵なれば、天の川の絶ゆる事なく、天地開闢より此方絶えぬ流れの長きが如く、今宵一夜の千夜も續けかしと願ふ意也
 
反歌
 
2093 妹爾相時片待跡久方乃天之漢原爾月叙經來
いもにあふ、ときかたまつと、ひさかたの、あまのかはらに、つきぞへにける
 
片は助語也、七月七日の夜を彦星の待つとて月日を經しと也。よく聞えたる歌也
 
詠花
 
2094 竿志鹿之心相念秋芽子之鐘禮零丹落僧惜毛
さをしかの、心相おもふ、あきはぎの、しぐれふれるに、ちらまくをしも
 
志鹿 男鹿、牡鹿と書きてしかと讀む。又如v此書きても、しかと讀む也心相念 こゝら相思ふの義也。多く慕ひ思ふの義也。諸抄の説は、鹿は萩を妻とするものから、相思ふと云ふと也。然れ共心相思ふと云義聞得られぬ詞也。こゝらと云義なれば安き也。一句にうらぶれ慕ふと義訓に讀まんか。しぐれふれるにちらま(107)くをしも。此僧の字心得難し。諸抄印本等には、ちりそふをしもと讀ませたり。ちりそふと云事は無き詞也。兎角誤字なるべし。ちるらむと讀まんか。僧の字日本紀にはうしと讀ませたり。訓にはあらねど、古く讀ませたる假名あれば、其義をもて見れば、僧の字上古は、しと音を通はせたる事もあるか。さなくば信の字にてちかひしと讀みたるかなるべし
 
2095 夕去野邊秋芽子末若露枯金待難
ゆふされば、のべのあきはぎ、うらわかみ、つゆにやかれん、あきまちがてに
 
秋の夕部は露深ければ、又初秋の萩の末葉は若葉なれば、露にぬれ朽ちて枯れて花咲く頃も待ちかねぬるらんかと也
 
右二首柿本朝臣人麻呂之謌集出 如v此二首とあるに、前に只員數無しに注せるは、其歌の歌一首の注と見ゆる事此等の注にて知るべし
 
2096 眞葛原名引秋風吹毎阿太乃大野之芽子花散
まくずはら、なびくあきかぜ、ふくごとに、あだのおほぬの、はぎがはなちる
 
阿太乃大野 大和の地名也。和名抄云〔大和宇智郡阿陀と有〕此歌と古今集の、かたみこそ今はあだなれ〔これなくば忘るゝ時もあらましものを〕定家卿、かたみこそあだの大野の萩の露移らふ色は〔云かひもなし〕此歌の講師のさた、仇の説有。此處に用無ければ不v注。和名抄に濁音と注したれば濁るべし。定家卿の詠も地名を詠入れられたれば、あだの意なるべし。仇の意なれば和名抄を不v考なるべし。此歌の意は不v及v釋。聞えたり
 
2097 鴈鳴之來喧牟日及見乍將有此芽子原爾雨勿零根
かりがねの、きなかんひまで、みつゝあらん、このはぎはらに、あめなふりそね
 
よく聞えたり。萩は六月の末頃より咲き初て、八月の末つ方もあれば、月令に、仲秋之月鴻雁來と云意を心得て見るべき也
 
2098 奥山爾住云男鹿之初夜不去妻問芽子之散久惜裳
(108)おくやまに、すむちふしかの、よひかれず、つまとふはぎの、ちらまくをしも
 
初夜不去 前にも夜不去をよかれせずと讀たり。ぬる夜おちずなど詠める意と同じく、夜毎にと云意也。萩の縁によひかれずとは讀む也。歌の意はたゞ山に住む鹿の夜々集ひすれば、萩の散り果てん事の惜まるゝと云計りの意也
 
2099 白露乃置卷惜秋芽子乎折耳折而置哉枯
しらつゆの、おかまくをしみ、あきはぎを、をりにをりつゝ、おきやからさん
 
露のいたく置きたらば、しほれて遂に枯れん事の惜しければ、とても枯れなん萩が枝なれば、折置きてや枯らさんと愛するあまりの心なるべし
 
2100 秋田苅借廬之宿爾穗經及咲有秋芽子雖見不飽香聞
あきたかる、かりほのやども、にほふまで、さけるあきはぎ、見れどあかぬかも
 
よく聞えたれば別の注なし
 
2101 吾衣摺有者不在高松之野邊行之者芽子之摺類曾
わがきぬを、すれるにはあらず、たかまどの、野べゆきゆけば、はぎのすれるぞ
 
行之者 ゆきしかばと讀めり。惡しきにはあらねど、下に萩のすれるぞとよめる意なれば、ゆきゆくねんごろに、萩にゆき觸れたる意に讀む方然るべからんか。之の字は而の字に通じて用ゆるなれば、しかと讀む事和書の例格也。戯れ共此歌にては重ね詞に讀む方歌の意に叶ふべき也
 
2102 此暮秋風吹奴白露爾荒爭芽子之明日將咲見
このゆふべ、あきかぜふきぬ、しらつゆに、あらそふはぎの、あすさかん見む
 
秋の夕は露深きものなれば、置おもる萩の枝に風吹き渡れば、かつ散り亂れても尚おき添ふる景色をあらそふとは詠めり。あ(109)す咲かん見むとは、少し穩からならぬ末の句ながら、古詠に多く詠習へる詞也
 
2103 秋風冷成奴馬置而去來於野行奈芽子花見爾
あきかぜの、すゞしくなりぬ、こまなべて、いさのにゆかな、はぎのはなみに
 
野分たちて秋もやゝ更け、風に散りあせんも惜しき、萩の花移ろはん間に思ふどち駒打並めて見に行かんと也
 
2104 朝杲朝露負咲雖云暮陰社咲益家禮
あさがほは、あさづゆおひて、さくといへど、ゆふかげにこそ、さきまさりけれ
 
朝杲 此あさがほと讀諌めるは、今云牽牛子の事には不v聞、心得難き歌也。木槿の事ならんか。木槿はむくげの事也。此木槿も唐の説にては、此歌にも合ひ難し。朝に生じて夕落つとあれば、牽牛子と同じ花也。尤むくげは朝夕共に咲きて一日の榮と云ふて、翌日迄は榮えずそのきりの花世。牽牛子は朝かげにのみ咲きて夕には不v咲也。然れば、木槿の義にもあらんか。今秋の題に朝がほと云ふに、諸集皆槿の字を用來れるも、より所あるか。和名抄には、牽牛子を朝がほと訓じて草の部に擧げたり。蕣、木槿等の和名別に擧げられたり。此義に付ては色々紛敷一決し難き事有。追而詳しく注すべし。先此歌の朝がほは、むくげの義と見るべき也。蕣、木槿、牽牛子の差別は追而可v注也。後撰の歌にも。ひとり侍りける比、人のもとよりいかにぞととぶらひて侍りければ、朝がほの花につけてつかはしける。讀人知らず
     夕暮のさびしきものは朝がほの花をたのめる宿にぞ有ける
此等も聞きまがふ處ある歌也
 
2105 春去者霞隱不所見有師秋芽子咲折而將挿頭
はるされば、かすみにこめて、見えざりし、あきはぎさきぬ、をりてかざさん
 
霞も霧も打晴て、今更かくれたる處なき歌也
 
(110)2106 沙額田乃野邊乃秋芽子時有者今盛有折而將挿頭
さぬかたの、のべのあきはぎ、ときなれば、いまさかりなり、をりてかざさん
 
沙額田 大和の地名也。平群郡に有。只ぬか田とも云。さは自然と初語にも付たる歟。此集中にも額田の王の歌とてあげたる皇子の御名も、此地名をもて名付けられたる也。此地名をもて前の万を誤りて、かたと讀みたるなるべし。それは万にて、はり、此は地名のぬかた也。歌の意は能く聞えたり
 
2107 事更爾衣者不摺佳人部爲咲野之芽子爾丹穂日而將居
ことさらに、ころもはすらじ、をみなへし、さくのゝはぎに、にほひてをらん
 
別而衣はするまじ。をみなへし萩の色にうつらんとの意也。女郎花咲く野の萩と云へる義、別に意ある樣に聞ゆれど、たゞ女郎花も咲き、萩も咲く野に詠吟して居らん。然らば色には移るまじ。自づから萩に衣は摺らんとの意と聞ゆる也
 
2108 秋風者急之吹來芽子花落卷惜三競竟
あきかぜは、急之吹來、はぎのはな、ちらまくをしみ、あらそひかねて
 
此歌の意は、秋風の、ひま無くか、いたくか、早くか吹き來りぬれば、咲き亂れたる萩の、風にこたへかねて散らなん事の惜しきと云義也
急之吹來 此讀み樣印本諸抄物等には、はやし又はやくし吹きけりと蹟ませたれど、さにてはあるまじ。はやし、はやくしとよめる詞診らし。別訓あるべし。之の字久の誤りなれば、早く吹きゝぬと讀まんか。さ無くばまなくし吹きけりとか、吹きぬとか讀まんか。何れにもあれ、はやし、はやくしと云ふ義にては、之の字如何にとも不v濟也。誤字別訓あるべし
 
2109 我屋前之芽子之若末長秋風之吹南時爾將開跡思乎
わがやどの、はぎのわかなへ、あきかぜの、ふきなんときに、さかんとおもふを
 
(111)未長 一本末に作るは誤也。末の字にて是をわかたちと讀む義心得ず。詞に不2聞習1也。未だ不v長と書きしなれば、わかなへにて義よく聞えたり。若たちと云ふ詞の例無き也。
 
2110 人皆者芽子乎秋云縱吾等者乎花之末乎秋跡者將言
ひとみなは、はぎをあきと云ふ、縱われは、をばながうれを、あきとは云はん
 
此歌の意は、世の中の人皆秋の賞翫は萩と云へど、よしや我は尾花がうれを秋の賞翫とは云はんとの義也。專ら秋の弄び物と云はんとの義也。縱の字いなと讀む義未v詳。ほしきまゝと讀む字故、ものをわが儘にするは、人に逆ふていなむの義なるから讀ませたるか。よしと讀みては、人は如何に云ふ共よしわれはと云ふ意に聞ゆる也
 
2111 玉梓公之使乃手折來有此秋芽子者雖見不飽鹿裳
たまづさの、きみがつかひの、たをり來る、このあきはぎは、見れどあかぬかも
 
人の許より萩を折りて、玉章に添へて送りける返しと聞ゆる也。玉章の使とつゞくる中に、君と云ふ詞を入れて緩やかに詠める詞也。歌の意は不v及v釋明らか也
 
2112 吾屋前爾開有秋芽子常有者我待人爾令見猿物乎
わがやどに、さけるあきはぎ、つねならば、あがまつひとに、見せましものを
 
秋萩の常しなへにあらば、待える人の來れる折に、美しき花の飽かぬ色をも見せなんをと也
 
2113 手寸十名相殖之名知久出見者屋前之早芽子咲爾家類香聞
 
此手寸十名相の五文字不v濟詞也。印本古本諸抄にも二樣に讀なせり。二義とも當れり共不v聞。たきそなへ手もすまにと讀みて、ひま無く植ゑしと云ふ義と釋したれど、たきそなへと云詞如何に云ふ義共不v考。又手もすまにと云詞はあれ共、手寸十名相の五字をかく讀むべき樣心得難し。宗師案別に有。追て可v考。宗師後案、争寸十名相はときとなみなるべし。無2時節1早く植ゑしもしるく、初萩の早咲きたると云義也。たと、とゝ同音也。皆訓書也
(112)殖之名 此名の字は之の字と同じく我と云詞也。古くは、のとも、がとも、なとも云ひし故、うゑしがしるくと云義也。君が代はと讀むもきみの代と云義也。我と云ふ濁音はなと云詞也。うゑしのと云詞は無き故、うゑしがと云事をうゑしなとも詠める也。此植ゑしなと云詞などをもて、きみが代と云詞は、君な代と云義の證共すべし。ナニヌネノは通音故、うゑしなはうゑしのと云義と知るべし。なれば名目のなにはあらで、手爾乎波のな也。刑部卿範兼の童蒙抄には、てもすまにと讀置かれたり。然れ共、右の五字さは讀離し。然るを範兼などの先達の古人讀置かれたるを、仙覺など改めてたきそなへと讀み、たきは、あぐる祇抔憶説を附會するは、僻事と難ぜし抄もあれど、當集文字に當らぬ讀解樣は一首も無き事にて古語古訓語例句例有。又漢文の熟字の法、和文の義訓等悉古人古實を存して書たる此集なれば、文字文義に音借訓に不v當義は無き事也。後人不v考不v學故、文字の讀解樣、義訓の讀樣、皆無理讀みに假名を付置きしを、假名に任せ誤字脱字の考辨も無く讀置かれたれば、範兼卿童蒙抄の讀樣とても、本集の意とは甚相違の義多ければ、如何に範兼卿古先達にても證明にし難き事は不v被2信用1也。右の五字、手もすまにと讀む義、今以て如何に共心得難し。文字に關はらぬ讀樣あるとの説は、誤りの上に誤りを重ねたる不v考の説也。當集を假名付に任せて讀まば、當集はわらはべの弄び草になるまじきを、堂々たる先達假名に任せ歌の義理をも辨不v明。古點新點など無理讀みの諸説の誤り、改むるに暇なし。今更論ずるに足らざらんのみ
早芽子 之を童蒙抄には、わさはぎと讀置かれたり。通例の印本皆初萩と讀めり。初萩の意然るべし。或抄に早田と書きて、わさ出と讀み、早稻をわ世と讀む。早苗早蕨皆わを略して云へる義と釋せり。さも云て義叶ふべけれど、正義さには有べからず。先わさと云詞は如何にしたる義を云や、其本語の釋濟まず。わさは若と云語にて、かを略して少く小さき事を、さと云。物の初めて生ずるは、少く小さきものなれば、さと云詞は初語に用て、僅かなる事に云語なるから、さなへ、さわらびなど云義也。早田はわせ田也。わさもわせも同音也。わせはわかしね也。わかしねはわか稻也。此歌早はぎ、わさ萩とは、語呂も聞きよからねば、初萩の方然るべし。歌の意、上の五文字不v濟ば分明には注し難し。然し書面の通りにて、萩を愛して手ずさみなどに植ゑおきしが時來りて今咲きにけるかなと、飽かず愛する迄の意也
 
2114 吾屋外爾殖生有秋芽子乎誰標刺吾爾不所知
(113)わがやどに、うゑおほしたる、あきはぎを、たれかしめさす、われにしらせで
 
萩は總て女に比して詠める物なれば、其下心を含みて詠める也。しめさすは、境を限りてしるしを立て人にいらはせじと領する義也
 
2115 手取者袖并丹覆美人部師此白露爾散卷惜
てにとれば、そでさへにほふ、をみなへし、このしらつゆに、ちらまくをしも
 
并をさへと讀む事前にも毎度出たり。副の字そふると云義と通じて、さへと讀むなるべし。歌の意は聞えたる通也
 
2116 白露爾荒爭金手咲芽子散惜兼雨莫零根
しらつゆに、あらそひかねて、さくはぎの、ちらばをしけん、あめなふりそね
 
雨降らば移ろひあせて散りはせん事の惜しきと也
 
2117 ※[女+感]嬬等行相乃速稻乎苅時成來下芽子花咲
をとめら【にが】行相乃わせを、かるときに、なりにけらしも、はぎのはなさく
 
行相 諸抄の説まち/\にて一決せず。一説は、稻を苅るには兩方より苅り行きて、中にて行合ふもの故、ゆきあふと云ふべき爲に、をとめらにと讀むとの説有。又の説は、苗を植うる時苗不足したるに、外の苗を取りて植ゑたる稻の出來たるを、ゆきあひの稻と云ふとの説也。何れも正義正論共不v聞、不v詳釋説也。宗師案は、此行相は、郷飲酒抔云事ある其類の事にて、民間にて秋物の熟し調たるを祝し悦びて、早稻を苅りて女の歌合遊ぶ事のあるなるべし。第十八、十九卷の歌、かつしかわせをにへすとかなど詠める歌もあれば、之は飲宴の爲にわせを苅事有べし。其時節萩の咲出る頃なるべし。下の句に苅時に成に來らしもなど詠めるなりには、物の熟し調ひたる義に寄せて詠めるならん。然れば、行相の二字に何とぞ別訓もあらんか。行の字は、かり共讀めば、かりあへのわせと讀まんか。早稻を苅りてあへをなすと云義とも聞ゆる也。歌の意は、彼飲宴をなす稻を苅る時節となりけり。時令を不v違萩の花も既に咲きたると也
 
(114)2118 朝霧之棚引小野之芽子花今哉散濫未厭爾
あさぎりの、たなびくをのゝ、はぎのはな、いまやちるらん、いまだあかぬに
 
朝霧の棚引は、たゞ小野のと云はん迄の義也。歌の意は、飽かず愛する萩の花霧深く立つ野邊なれば、秋も深くなり行から、めで飽かぬに、花のも早や散りもやすらんと惜める意也
 
2119 戀之久者形見爾爲與登吾背子我殖之秋芽子花咲爾家里
こひしくば、かたみにせよと、わがせこが、うゑしあきはぎ、はなさきにけり
 
亡夫か亡妻の植置し芽子の咲けるを見て詠める歌と聞えたり。然るに芽子は女に比する花なるに、わがせこがと有義心得難し。背の字妹の字の誤りにて、亡妻の植置きしを、後れたる夫の詠めるならん。せこの事、當集に不審の歌前にも有。第八卷藤原宇合卿歌云
   我背兒乎何時曾且今登待苗爾於毛也者將見秋風吹
此歌は、女の事を思遣りて詠める歌と釋し置きたれど、未だ落着せざる也。今の歌も男子のかたみに萩を植置きし事少し叶ひ難し。尾花などならば相應ならんか。然し其辨へも無くたゞ植置きしを、かたみとしたる迄の事ならんか。尚後案あるべし追而考、男女通じて云へる歟。第八卷赤人の歌、吾勢子爾令見〔常念之梅花其十方不所見雪乃零有者〕と有。宇合の歌の處にて忘失、今茲に注せる也。此歌共わがせこの事三首也。然れ共、せことは君長の稱と見る時は、女の事には有べからざる義も有。又誤字の論有。未だ如何共決し難し
 
2120 秋芽子戀不盡跡雖念思惠也安多良思又將相八方
あきはぎに、こひつくさじと、おもへども、しゑやあたらし、またあはんやも
 
此歌の意は、秋萩に思ひは盡さじ、なほざりに賞愛して置かんと思へ共、惜しき萩なれば、散り過ぎては又來る秋ならでは、逢はざる花なれば、よしや散り過ぐる迄慕ひ合せんとの意也。あたらしのしは助語にて、惜しきと云詞をあたらとは云也。今俗(115)に、あの音をつめて、アッタラと云也。しは、あつたらし也。
 
2121 秋風者日異吹奴高圓之野邊之秋芽子散卷惜裳
あきかぜは、日ごとにふきぬ、たかまどの、のべのあきはぎ、ちらまくをしも
 
日異 諸抄の説ひにけにと讀めり。けにと云詞濟み難ければ、當流には毎の字の意と見る也。歌の意は明らか也
 
2122 丈夫之心者無而秋芽子之戀耳八方奈積而有南
ますらをの、こゝろはなくて、あきはぎの、こひにのみやも、なづみてありなん
 
秋萩の戀にのみと云へるは、萩は女に比して女を戀ふ心にのみなづみて、丈夫の心無くてやありなんと、萩を貰愛すろ意を、女を戀ふ義に寄せて詠める也
 
2123 吾待之秋者來奴雖然芽子之花曾毛未開家類
わがまちし、あきはきたりぬ、しかれども、はぎのはなぞも、まださかずける
 
花ぞもは、花しも也。ぞは助語也。萩を愛する心からまだ咲きあへぬを待つ意也
 
2124 欲見吾待戀之秋芽子者枝毛思美三荷花開二家里
みまほしと、わがまちこひし、あきはぎは、えだもしみゝに、はなさきにけり
 
見まほしく思ひて待わびし萩の、時來りて思ひの儘に枝さしてしなひ咲き亂れたると也。しみゝは前々にも多き詞、しげりしなひたると云義也
 
2125 春日野之芽子落者朝東風爾副而此間爾落來根
かすがのゝ、はぎのちりなば、朝東、風爾副而、こゝにちりこね
 
歌の意は聞えたる歌なれど、朝東風爾云々とあるを、あさこちの風にたぐひてと讀ませたる印本諸抄の説なれ共、東の字一字(116)をこちと讀まん事心得難し。東風の二字をこちと訓ぜり。然れば風の字一字脱したると見るか。又朝の字副の字義訓の読樣あらんか。先副の字、吹さそはれてと讀むべき歟。古本印本共に、朝こちの風にと讀たれば、古本正本には、風の字二字有りしを、同事故脱したると見るべき歟。尚異本可v考事也。春日野より西なる所にて詠める歌と見ゆる也
 
2126 秋芽子者於鴈不相常言有者香【一云言有可聞】音乎聞而者花爾散流
あきはぎは、かりにあはじと、いへればか、こゑをきゝては、あだにちりける
 
言有者香 此句珍しき句なれ共、一説、云へるかもとある或説をあげたり。此一説の句決定の詞にはあらず。此句の意に見るべし。雁の物云ものならねど、歌には如v此跡なき事をも詠みなすを歌の情とはせるなり。かりにあはぬとは總て萩は六月中頃より咲き初めて、八月初頃には散也。仲秋之月雁來と云へる時節をもてかくは詠める也。花に散りけると有、此花はあだと讀ませたる義と見る也。此あだと読む義前に注せり。此歌も花に散りけると讀みては歌の意不v通也
 
2127 秋去者妹令視跡殖之芽子露霜負而散來毳
あきさらば、いもに見せめと、うゑしはぎ、つゆしもおひて、ちりにけるかも
 
秋さらばは秋にならば也。萩は咲きたれどいつしか間もなく散り過ぎたると也。かもはかな也
 
詠鴈
 
2128 秋風爾山跡部越鴈鳴者射失遠放雲隱筒
あきかぜに、やまとべこゆる、かりがねは、いやとほざかり、くもがくれつゝ
 
山跡部越 山飛越也。前に倭部共書たり。當集は古語の證明の所となる事如v此の所樣に毎歌語例有。ひとへと通音故、如v此書きて飛と云義に通ずる事、上古の語の證明となる事を知るべし。山を越行雁が音の雲井に隱れて、遠ざかりたる景色を詠める也。下の歌に、秋風に山飛越るかりが音の聲遠ざかる雲かくるらし。同じ樣なる歌也
 
(117)2129 明闇之朝霧隱鳴而去鴈者言戀於妹告社
あけくれの、あさぎりがくれ、なきてゆく、かりはわがこひ、いもにつげこそ
 
あけくれは夜の明けんとする時也。明方には却つて暗くなる時有り。其時をあけくれとは云也。古歌に、あさぼらけ日ぐらしのこゑきこゆ也こやあけくれと人や云ふらん。此等にて辨ふべし。朝霧がくれ鳴きて行くは、秋の霧深き曉方の景色を云ひて、わが思ひの晴れぬ事もよそへたるなるべし。雁の使など云ふ古事有から、戀慕ふ妹に我思ひの晴れぬを告げよとはよめる也。言の字をわれと讀む事詩經文選等にも數多見えたり。一本には吾の字に書けるもあり。然れ共言の宇毎度われわがと讀み來れば、何れにても同事也
 
2130 吾屋戸爾鳴之鴈哭雲上爾今夜喧成國方可聞遊群
わがやどに、なきしかりがね、くものうへに、こよひなくなり、くにへかもゆく
 
此歌の事集中の難義にて、古來先達遊群の二字行を亂して書きたるから、見誤りて遊群と云題目と心得て遊群の歌と云ひて別目を立來れる事大成僻事也。拾穗抄などには新目を立て遊群歌十首など記したる事、誤りに誤りを重ねたる僻事也。遊群と云ふ題何事にや。其義せめて僻説なり共、注釋あらば今案も添へたると見ゆべけれど、決定して遊群歌何首など記せること餘りなる未熟の義也。或抄に何の事とも難2心得1との説は、不v知を不v知とせし義可2感心1也。一首の歌の文字如v此別れたると案をなさゞる古先達の不v考可v謂v無v志乎。古遊群の二字は、讀解きたる通りにて、一首の内の詞辭ならでは、如何に共不v濟也。歌の意は、わが宿近く鳴きし雁の音の、今夜は空の雲居に鳴きゆくは、なれし故郷の國へかも行くやらんと、感情を催して詠める歌にて、然もよく聞えたる歌也。國つかたかもと讀みとちめて、何と云意と見るべきや。歌の意をも不v辨義共也。國へかもゆくとならでは、讀みとめ難き歌也。此今案發起は、數百年來の誤りを見開きたる宗師の案なれば、當集奧秘の傳來の内別而秘藏の義也。疎略に他説に洩らすべからず
 
2131 左小牡鹿之妻問時爾月乎吉三切本四之泣所聞今時來等霜
(118)さをしかの、つまとふときに、つきをよみ、かりがねきこゆ、いましくらしも
 
切木四之泣 此をかりがねと讀める義心得難き義なれ共、此は四之の二字誤字なるべし。匹夫の二字なるべし。切木匹夫にてやつがりと云意にて、かり共讀ませたるなるべし。第六卷の歌にも、折木四哭之云々と書たる歌ありて、其所に注せる如く、之も雁がねなるべし。四の字は匹の字の誤りと見ゆる也。歌の意は、さを鹿の音と雁の音を共に聞きし夜の景色を加へて詠める歌也
 
2132 天雲之外鴈鳴從聞之薄垂霜零寒此夜者
あまぐもの、よそにかりがね、きゝしから、はだれ霜ふり、さむきこのよは
 
從聞之 之を聞しからとは、心得難き讀樣なり。手爾波字を添へて上に返りて讀む事有べきにあらねど、當集には歌書故其例ありしとも覺えたり。尚可v考。宗師云、若し例なくば、きくからしと、しは跡の助語に讀べきと也
薄垂 は霜雪の名也。前の歌に、はだれの殘りたるかもと詠めり。然ればこゝも霜の名と見るべし。まだらと云説も有。然れ共、時雨の雨とよめる類ひにて、はだれ霜ふりと有からは名と見る方可v然也
歌の意は、雁の音を雲居の空に聞くから、秋も漸く更けゆく頃なれば、夜寒の霜の零りぬると云意也。天雲の外とは、只遙に隔たりて、雁の音を雲居の空に聞し折の當然也
 
一云彌益益爾戀許曾増焉 聞きしからいやます/\に戀こそまされ也。別の意無き句也
 
2133 秋田吾刈婆可能過去者鴈之喧所聞冬方設而
 
此歌わがかりばかの退去者と云句如何に共心得難し。第四卷にも、わがかりばかのかよりあはゞと詠み、第十六卷にも、草苅婆可爾うづら立らしもと詠みて.苅場と云ふ義と釋し來れ共、場と云意との義も不v濟也。尤もかりばと云義何とぞ民間の諺にあるべし。此歌にてもわがかりばかの過行くと云ふて、かるばと云義と計りにては、わがかりばかと云義不v詳也。惣體の歌の意は、いかさまにも秋の田を刈る折も過ぎ行けば、雁が音の聞えて、秋も末になり、冬景をも催し設けると云義の樣に聞ゆれ(119)共、全體の詞不v濟ば注し難き也。宗師案は冬の字夕の字の誤りならんか。かりばかは何とぞかりばと云稻を刈る時の諺あるべし。追而考可v出也
 
2134 葦邊在荻之葉左夜藝秋風之吹來苗丹鴈鳴渡
あしべなる、をぎのはさやぎ、あきかぜの、ふき來るなべに、かりがねわたる
 
左夜藝 そよぎと同じ。風の音を云ひたる義也。さわぎと云ふも同じ。神代紀に、さやげり也と云ふ詞有。是もさわぎと云ふと同じ
 
一云秋風爾鴈音所聞今四來霜 聞えたる下の句也
 
2135 押照難波穿江之葦邊者鴈宿有疑霜乃零爾
おしてる、なにはほりえの、あしべには、かりやどるかも、しものふらくに
 
難波穿江を詠出でたるは、葦邊にはと詠まんとての序也。葦は難波の名物故也
疑を、らしとも、かもとも讀むべし。義訓也。不v決の詞なれば、疑ふと云字をもて義訓せる也。秋も夜寒の霜の降るに、葦邊には鴈の宿るかもと思ひ計りて詠める也。ふらくには零るにと云詞を延べたる也
 
2136 秋風爾山飛越鴈鳴之聲遠離雲隠良思
あきかぜに、やまとびこゆる、かりがねの、こゑ遠ざかり、くもかくるらし
 
前の歌の意と同じ。不v及v注也
 
2137 朝爾往鴈之鳴音者如吾物念可毛聲之悲
つとにゆく、かりのなくねは、わがごとく、ものおもふかも、こゑのかなしき
 
物思ふわれから聞聲も物悲しき故、わが如く鴈も物をや思ふかと也。つとに往くとは、別に意有にあらず。鳴行く雁の音を聞(120)きし其當然を表はせし迄なるべし
 
2138 多頭我鳴乃今朝鳴奈倍爾雁鳴者何處指香雲隱良武
たづがねの、けさなくなへに、かりがねは、いづこさしてか、くもがくるらん
 
哉は武の誤り、一本武に作れるを正本とす。此歌は少し聞得難き歌也。鶴の空天に鳴く當然を見て、たづはけさ雲ゐに鳴くかうべも鴈はいづこをさしてか雲隱れて行くらんと、たづの音に引かれて、鴈の行を思ひやりて詠める歌と聞ゆれ共、たづの音の今朝鳴くと云義、何の縁、より所にか詠出たるや不v詳也。たづは今朝鳴くが、うべ雁が音は鳴かぬは、何處をさしてか雲隱るらんと云意とも聞ゆる也
 
2139 野干玉之夜度鴈者欝幾夜乎歴而鹿己名乎告
ぬばたまの、よわたるかりは、おぼつかな、いくよをへてか、おのが名をのる
 
おぼつかなは、夜をへて暗きも厭はず、鳴き渡るからかくよめり。幾夜を經てはおぼつかなとよめるに續く詞、遙かの越路を幾ばくの夜を經てか、此處にかり/\と鳴き渡るぞと也。己が名をのるとは、鳴く聲かり/\と聞ゆる故也。後撰集に
    行かへのこゝもかしこも旅なれやくる秋ごとにかり/\となく
    秋ごとにくれどかへれば頼まぬを聲にたてつゝかりとのみなく
    ひたすらにわがおもはなくにおのれさへかり/\とのみ鳴き渡るらん
是皆かり/\と鳴聲につきて、假の世の事を含みて詠めり。今の歌も幾夜をと書きたれど、此は世を經ての意と聞ゆる也。然れば此歌の意後撰などの歌の意とは異なる歟。表の一通は、數多の夜を經てかこゝには鳴くぞと云意也。かり/\と名をのれど、幾夜を經てか鳴渡るらんとの意とも聞ゆる也。次の歌と問答の樣に聞ゆる歌也。又後撰の歌に、貫之
    秋風に霧とびわけてくる雁の千世にかはらぬ聲きこゆ也
此の歌の意に近き歌ならんか。幾世を經てかとよめるも、千世に變らぬとの聲同じ意に聞えたり。前の歌共の、かりと云ふ意と(121)は異なるべし
 
2140 璞年之經往者阿跡念登夜渡吾乎問人哉誰
あらたまの、としのへゆけば、あともふと、よわたるかりを、とふ人やたれ
 
あら玉の 年と云ふ冠辭也。中世已來あら玉の春と詠める人あれど、萬葉古今集等に、春と詠める歌は一首も無し。年月日ならでは詠まず。玉の縁に詠める詞也。月日星ともに圓にして、玉に形どりたる形象をもて、あら玉のとは冠句に詠める也
阿跡念登 此詞前後にある詞にて、集め催しと云義に用ひ、又此歌にてはさは聞えぬ詞也。大方は何と思ふと云義と釋せり。又日本紀に誘の字をあとふと讀ませたれば、さそふの意に詠めるかとも云説ありて不2一決1也。此歌は前の歌と問答の意をもて篇列せると見ゆる也。幾夜を經てか己が名をのると詠めるを、問ふ人や誰れと答へたる意に聞ゆる也。扨歌の意は、印本諸抄の通に讀みては聞え難き歌也。宗師案は、としの經往者と云義をよみなし樣にて、色々意六ケ敷聞ゆる也。此は只前の歌に、世渡る雁は幾世を經てか己が名をのると問かけしを、答ふる詞に、かりの世とのるに、年の經ゆくは何と思ふぞと間給ふ人は、誰なるらんと答へたる迄の歌なるべし。無常を觀じて人をかり/\と驚かす我を問ふは誰なるぞなど、色々入ほかなる六ケ敷説を云へる注もあれど、古歌は左樣に經説を述べる如くに詠める事曾て無き事にて、只當然の輕き義を詠めるなれば、入ほかに深意を添へて見る事曾て無き事也。然るに此歌、往者の二字ゆけばと讀むから義六ケ敷聞え難し。ぬればとか、ゆかばとか、ゆくをとか、へぬるをとか讀みては義聞え安し。なれば、聞得難き樣に讀べき理り無ければ、右三通の中何れにも安き方に讀なすべし。畢竟鴈の事にして我身の上に比して詠める歌と聞えたり。吾の字をわれと讀みては、此歌詠鴈題に叶ふべくもあらず。此歌に限らず、毎度吾を己の字かりと讀むべき事多し。既に此歌かりと讀までは題に合はず。よれてかりとは讀む也。前の歌の答にしても、愈かりと讀まではよ渡ると云義聞えず。あともふと云詞も、あともへと云義か。假名書ならねば別ち難し。あともへと云事なれば、又意違ふべし。全體聞定め難き歌なれば、猶心をとめて後案すべし。類句を考合すべし。先づ一通の見樣は宗師案の説かくの如し
 
(122)詠鹿鳴
 
2141 此日之秋朝開爾霧隱妻呼雄鹿之音之亮左
このごろの、あきのあさけに、きりこめて、つまよぷしかの、こゑの亮左
 
霧隱妻呼 霧がくれと云假名有。聞にくを詞珍しき詞也。よりて霧こめてと讀む也。尤霞がくれとよめる事もあれば、霧がくれとも詠める例あらんか。覺束なし
亮左 はるけさと讀たり。遙の字の意に見るべき歟。上に霧こめてと讀みたれば、隔てこめたる意なれば、遠く遙に聞ゆる意と見ゆる也。一説に晴の意又寥亮と書きて、仁徳紀には、さやかなりと讀ませたれば、身は霧に隱れこもりたれど聲のさやけさとよめる意ならんか。又義訓に悲しさとも讀むべし。面白きと云意の義にとりて見るべきか。是等も後生好む處に任す也。雄鹿の二字を、しかと讀む格は、前に注せる如く妻呼は皆雄鹿也。よりて字を添へて意を助けたるならん。牡鹿を、しかと讀むに同じ
 
2142 左男牡鹿之妻整登鳴音之將至極靡芽子原
さをしかの、つまとゝのふと、なくこゑの、いたらむかぎり、なびけはぎはら
 
つまとゝのふとは、妻に逢ふ事の成就する事を云也。物の成就したる事を、とゝのふと云也。妻戀の聲の及ぶ限り靡きて、妻に聞かせよとの意也。前の歌に、靡けしのはらと詠める意も同じ。今時の風體には不v好終の句也。此集の時代は幾らも此句有。靡けこの山とさへ詠めり
 
2143 於君戀裏觸居者敷野之秋芽子凌左牡鹿鳴裳
きみにこひ、うらぶれをれば、しきのゝの、あきはぎしのぎ、さをしかなくも
 
人を戀慕ひて居れば也。うらぶれとは前にも注せり。惱み煩ふ體を云也。折しも鹿の萩原をしのぎ、妻戀ひの聲の悲しき景(123)色を詠める也。敷野は大和なるべし。磯城郡上下の内にある野なるべし。敷野を詠出でたるは、しのぎと詠める縁なるべし。しのぎは、しのにと云ふも同じ。萩を亂して、しどろもどろに掻き分け鳴きさ迷ふとの事也。人を戀詫び惱みやつれて居る折ふし、又鹿の同じく妻戀する聲の、物悲しさを添へ加ふる哀れさを詠める也
 
2144 鴈來芽子者散跡左小壯鹿之鳴成音毛裏觸丹來
かりはきぬ、はぎはちりぬと、さをしかの、なくなるこゑも、うらぶれにけり
 
うらぶれは前にある如く惱める體、此歌にては弱りたる體を云へり。秋も漸く末になり、夜寒頃の物憂き妻戀の聲も弱りたるとの意也
 
2145 秋芽子之戀裳不盡者左小鹿之聲伊續伊繼戀許曾益鳥
あきはぎの、もひもつきぬを、さほしかの、ねいつぎいつぎ、こひこそまされ
 
戀裳 もひもと讀む義は、思ひもと云義にて、もと云事は、草などの茂る事を云也。神代下卷に、枝葉扶※[足+疏の旁]と書て、枝葉しきもしと讀ませたり。然れば、はぎは草なれば、もひと續くる義然るべし。水草などの歌には、又戀ともつゞくべけれど、萩に戀と續くるは緑無き詞也。よりて、もひとは續くる也
不盡者 此者の字集中に、をとか、にとか讀までは不v通歌擧げて數へ難し。然れば前にも注せる如く、焉者也の字義をもて、語の餘りに用ひて、をと讀ませたると見えたり。若しくは緒の字の誤りて片を脱したるとも云べきか。をとか、にとか讀までは叶ひ難き事多し。然るを無理に、はと讀まねば叶はぬ事に覺えて、無理成義を付けたる説もある也。此歌とても、にとか、をとか讀までは聞えざる歌也。扨秋萩のもひも盡きぬとは、萩は女に比して、女を戀慕ふ物思ひも盡きざるに、鹿の妻戀する聲のひたもの續き/\て不v絶ば、憂草の茂れる如く、跡より思ひのいやましに茂るとの意也。伊續の伊は二つ共初語也。つき/”\にて不v絶ばと云義也
益鳥 此鳥の事烏鳥焉三字を誤りたる所幾所と云ふ數知らず。歌によりて三字の内替る事有り。此歌は禮と云ふ訓字に焉の(124)字を借りて用ひたり。これと讀む故、れの一音をとりたる也。此下の歌に欲鳥と書たる、とりと云も、りの一音を用たる也。ほしともほるとも、讀むべきを、ほりと讀むべき爲鳥の字を書たるとは見ゆる也。此歌もまさるとか、まさりとか讀むへきを、まされと讀む爲に、焉を用たる也。此差別他家の説に固く知らざる事也
 
2146 山近家哉可居左小牡鹿乃音乎聞乍宿不勝鴨
やまちかく、いへやをるべき、さをしかの、こゑをきゝつゝ、いねがてぬかも
 
家や居るべきは、例の下に付くや也。家居るべきや居るまじとの意也。鹿の聲にていのね難ければ、家居るべき居らじとの義に斯く詠める古詠の一格也。前にも何程も此格有。いねがてぬかもは、いね難きと云義也。かもはかな也
 
2147 山邊爾射去薩雄者雖大有山爾文野爾文沙小牡鹿鳴母
やまのべに、いさるさつをは、おほかれど、やまにも野にも、さをしかなくも
 
射去 あさると云義と同じ。あさり火をいさり火とも云。あさるとは獵漁の事を云。食物を求める事を云也。さつをは獵する人の通稱也。雖大有とは、多くあれど也、大と多とは通じ用る也。山野に獵人も多く入り狩すれど、鹿の鳴く音は野にも山にも不v絶と也
 
2148 足日木笶山從來世波左小鹿之妻呼音聞益物乎
あしびきの、やまよりきせば、さをしかの、つまよぶこゑを、きかましものを
 
來世波 きたりせば也。珍しき詞の樣なれど、住の江のきしせざればなど詠める例あれば、きしせば共きせば共讀べき也。意は來りせば鹿の聲をも聞ましものをと、鹿の音を慕ひたる歌也
 
2149 山邊庭薩雄乃爾良比恐跡小牡鹿鳴成妻之眼乎欲鳥
やまべには、さつをのねらひ、かしこしと、をじかなくなり、つまのめをほり
 
(125)妻に逢はんとて慕へば、獵人のねらひて取られん事の恐ろしきと鹿の鳴くと也。目をほりとは凡て精神は目にあるものから、只あひ見たきと云事を云に、目をほりとは詠める上古よりの通語、既に日本紀に天智天皇の御製にも見えたり。鳥の字は一本焉にも作。然れ共此歌は鳥の字なるべし。ほりのりは、とりのりを借りて也。ほしとも、ほるとも讀まんを、ほりと讀めるしるしに鳥の字を書けると見えたり
 
2150 秋芽子之散去見欝三妻戀爲良思棹牡鹿鳴母
あきはぎの、ちりゆく見れば、いぶかしみ、つまこひすらし、さをしかなくも
 
欝三 一説には、心元なく思遣る義と注せる説有。又鹿の心の欝陶敷結ぼれたると云説有。云まはさば義は叶ふべき歟。然れ共いぶせきと云ふと云意なるべし。いぶせきは物憂き事を云。欝陶の意は近き説なれ共、うつもふの意此所には叶ひ難し。物憂きと云意ならでは有v合也。覺束なくもと云意然るべき歟。萩の散りゆけば、便りなく覺束なくや鹿の妻戀すらんと也
 
2151 山遠京爾之有者狹小牡鹿之妻呼音者乏毛有香
やまとほき、さとにしあれば、さをしかの、つまよぶこゑは、ともしくもあるか
 
京の字、日本紀には、さとゝ讀ませたり。山に遠き里なれば、鹿の音の珍しきと也。乏しきは少き珍らしき意也
 
2152 秋芽子之散過去者左小牡鹿者和備鳴將爲名不見者乏焉
あきはぎの、ちりすぎぬれば、さをしかは、わびなきせんな、みねばともしを
 
萩を見ねば友ほしく寂しきから、鹿のわび鳴きすらめと也。鳥の字は烏焉の誤り一本焉に作る也
 
2153 秋芽子之咲有野邊者左小牡鹿曾露乎別乍嬬問四家類
あきはぎの、さきたるのべは、さをしかぞ、つゆをわけつゝ、つまどひしける
 
よく聞えたる歌也
 
(126)2154 奈何牡鹿之和備鳴爲成盖毛秋野之芽子也繁將落
などしかの、わびなきすなる、けだしくも、あきのゝはぎや、しげく散るらん
 
何とて鹿の物悲しく鳴くならん。さては秋野の萩の繁く散るから、惜みて鳴くかとの意也。斯く鹿の鳴くは、秋野の萩の繁く散るにてこそあらんとの意也
 
2155 秋芽子之開有野邊左牡鹿者落卷惜見鳴去物乎
あきはぎの、さきたるのべを、さをしかは、ちらまくをしみ、なきゆくものを
 
此歌は隔句體と云ふ句作り也。秋萩の咲きたる野を鹿鳴行くは、萩の花の散らまくも惜しきと云意也。それを散らまくをしみ鳴ゆくものをと句を隔てゝ詠める也
 
2156 足日木乃山之跡陰爾鳴鹿之聲聞爲八方山田守酢兒
あしびきの、やまのとかげに、なくしかの、こゑきかすやも、やまだもるすこ
 
聲きかすやもは聲聞くやも也。毎度ある詞也。聞くやもと云事を古詠には聞かすと詠める也。聞くのくを延べたる也。聞けるやも共讀む也。聞けるにても聞く也。爲の字はすると讀むるの一音を取る也
 
詠蝉
 
2157 暮影來鳴日晩之幾許毎日聞跡不足音可聞
ゆふかげに、きなくひぐらし、こゝたくも、ひごとにきけど、あかぬこゑかも
 
日ぐらしは蝉の類にて、初秋中秋の頃夕方に鳴くものから斯く詠めり。歌の意隱れたる處もなし
 
詠蟋蟀
 
蟋蟀の事前に注せる如く、きり/”\すと讀みては此歌とも不v合也。こほろぎの事と見ゆるを古く誤り來れる也
 
(127)2158 秋風之寒吹奈倍吾屋前之淺茅之本蟋蟀鳴毛
あきかぜの、さむくふくなべ、わがやどの、あさぢがもとに、こほろぎなくも
 
歌の意は、秋風の寒く吹くが、うべ蟲の音も如何にも悲しげに、更け行く秋の哀れも添へて聞ゆるとの意也。鳴くもと詠みとめたる詞は前にも毎度注せる如く、嘆息の意をこめて歎意深き詞と見るべし。此歌きり/”\すと讀みては、時節も秋更けたる時節、又詞も餘れり。後京極殿の、霜夜のさむしろにと詠給ふも、こほろぎにて無ければ不v合義此歌に同じ。和名にも、きり/”\すと擧げたれば、順も考へ洩らされたる歟。兎に角きり/”\すは、仲秋の頃は最早稀に鳴く也。夏專と鳴くなれば、時代の變化にて、昔と今とは時令もたがへる事あらんか。なれど歌の詞悉くきり/”\すと讀みては字餘りになる也
 
2159 影草乃生有屋外之暮陰爾鳴蟋蟀者雖聞不足可聞
かげぐさの、おひたるやどの、ゆふかげに、なくこほろぎは、きけどあかぬかも
 
素本には不足の不の字を脱せり
影草 日の當る所に生る草を云ならん。山のかげ木の陰など云説もあれど、影の字を書きたれば日影なるべし。詞林采葉には夜一夜草と云物にて、夕陰に花咲と云へり。如何なる草を云ふか未v考。此歌はこほろぎの聲を愛せる意也。歌の情はさのみ面白からぬ色音をも、飽かぬさまに詠なせるを本意とし侍る也
 
2160 庭草爾村雨落而蟋蟀之鳴音聞者秋付爾家里
にはぐさに、むらさめふりて、こほろぎの、なくこゑきけば、あきづきにけり
 
庭草 庭上に生ひたる總ての草を云へるなるべし。尤和名抄にも邇波久作と云ふ一名を擧げたり。俗に、はゝき木と云ふもの也。それに限るべき要なし。和名抄云、本草云、地膚、一名、地葵【和名邇波久作、一云、末木久作】是箒木と云草也。此歌の庭草一草には限るべからず
蟋蟀之 此之の字助語などと注せる説有。是きり/”\すにて有まじきと見る證也。きり/”\すと讀まば、之の字無くてもき(128)り/”\す鳴く聲聞けばと讀みて濟むべきを、之の字を加へたるはこほろぎのと讀める故也。此題三首の歌皆きり/”\すと讀みては字餘り也。心得難し。こほろぎと讀まではならぬ樣に書たるを、助字或ひは字餘りなど無理なる説をなせり
秋付 諸抄は秋になりたると云意と釋せり。秋も夜寒に霜降る頃の意によめる歌もあれば、秋盡にと云意か。又秋暮にけりと云意共聞ゆる也。付は盡の借訓又秋つくれにけりの詞共聞ゆる也。暮を約すればきにつゞまる也。尤秋になりにけりと云ふ共、さしてかひ無かるぺけれ共、付を成と云の義不v詳也。きり/”\すは夏こそ鳴くなるを、これが聲を聞けば、秋になりけりと云ふ譯如何にも不v濟説也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十七終
 
(129)萬葉童蒙抄 卷第二十八
 
詠蝦
 
2161 三吉野乃石本不避鳴川津諾文鳴來河呼淨
みよしのゝ、いはもとさらず、なくかはづ、うべもなきけり、かはをさやけみ
 
うべも鳴きけりとは、川津と云名に負て、川に鳴は、尤も河のさやかにいさぎよきから也と、兩樣を兼合て也。さやかに清き河故、石本さらず鳴くか。尤もかはづと云名を負からとの義也。今はかはづを春に限りて、題詠にも詠侍れど、昔は秋迄も鳴しから、かく標題をもし、歌にも詠める也
 
2162 神名火之山下動去水丹川津鳴成秋登將云鳥屋
かみなみの、やましたどよみ、ゆく水に、かはづなくなり、あきと將云鳥屋
 
山下どよみは、川の流るゝ音のことをいへり
秋登將云 此詞心得難し。諸抄には何と心得てか、何の沙汰なく、たゞ聞えたると見えたれど、秋と云はんとやと云義、何と云義ならんや。水に住む川津の聲も、皆人の物云に等しく、歌の意と同じきなど云意にて、川津の鳴も今こそ秋よと、云はんとやと云義に見置たるから、不審もせざりしか。秋と云はむとやと云義は、いかに云回しても、歌の意義不v通也。宗師案は、云は去の字なるべし。字形紛敷字なれば、毎度誤りたる事あるべし。よりて秋といなんとやと讀む也。歌の意もよく聞え侍らんか。殊に上にゆくと云詞も添たり。秋と共にいなんとてか、鳴くかはづと云意なるべし
 
2163 草枕客爾物念吾聞者夕片設而鳴川津可聞
くさまくら、たびにものおもふ、われきけば、ゆふかたまけて、なくかはづかも
 
(130)此歌は、川津の聲に客愁の悲みをも呼かとの意也。旅行の夕部に、そこともわかず、川津の鳴くは、物思ふ旅の思を添ふべき風情也。夕片設而は、前に注せる通也。夕部を迎へて、折にあひて物悲しき躰を詠める也
 
2164 瀬呼速見落當知足白浪爾川津鳴奈里朝夕毎
せをはやみ、おちたぎちたる、しらなみに、かはづなくなり、あさゆふごとに
 
此歌川と云ふ事を、直に川津の名に寄せて詠める也。たぎちも、たぎつも、同じ詞也。きりを約すればち也。こゝはおちたぎりたると云意也。おちたぎるとは水の速かに流れ落ちて、瀧の如くなる處を云へる也。歌の意はたぎりて落つる瀧津の如く、滯りたる處も無く、よく聞えたる歌也
 
2165 上瀬爾河津妻呼暮去者衣手寒三妻將枕跡香
かみつせに、かはづつまよび、ゆふされば、ころもでさむみ、つまゝかんとか
 
上瀬と詠出たるに、別に意あるにあらず。只川の瀬に蝦の鳴くは、漸く秋も更け行頃の、寒くなる折なれば、妻を卷きねんとか鳴ならんと、妻と云はんとて衣手寒し共詠出たり
 
詠鳥
 
2166 妹手乎取石池之浪間從鳥音異鳴秋過良之
いもがてを、とりしのいけの、なみまより、とりがねけなく、あきすぎぬらし
 
取石池、八雲には、取古池と書かせ給ひて、近江と記されたり。或抄に、河内にところ沼といふ、往來の道の傍にありしと書るもの有。地名未v詳。仙覺律師は、とりしと讀みて、取石池正本也と説きしも、古、石、誤り易き字なれば、何れ共決し難けれど訓書に三字書たる方然るべし。取古と有ては、三字の中に一字音を交ては書まじき事也。然し地名の語追而可v求2正記1也。何れにもあれ、妹が手をとりと、うけたる迄の冠句にして、とりし、とりこ、何れにまれ、鳥の題故、とりと云言葉の地名を設けて詠める迄にて、別の意は無き歌也。異なくをば一説に、いなくと讀みて發語の詞としたり。けにても同じく、きなく抔讀來れ(131)るも、元來は氣なくにて發語なるべし、此歌勿論發語のけ也。水鳥は冬に到りて、水に寄り來て鳴もし住もの故、秋過ぬらしとは詠める也
 
2167 秋野之草花我末鳴百舌鳥音聞濫香片聞吾妹
あきのゝの、をばながうれに、なくもずの、こゑきくらんか、片聞わぎも
 
草花 曰本紀神代上、草祖草姫、是よりして草の本はかやと云に始まると云の意にて、草の字を後々に至りても、かやと讀ませたらん。を花は萱とも云から、草花の二字を尾花と讀ませたるならん。山草と書き山すげとも讀ませたり。草の本をかやの姫と稱し奉るにより、凡て萱の事に草の字を用て、義をもて訓ぜしと見えたり
舌百鳥 これは、百舌鳥の誤りなるべし。日本紀私記、百舌鳥と書けり。通例百舌鳥とは伯勞と書也。和名抄云〔鵙、一名※[番+鳥]【上音覓、下音煩、楊氏漢語抄云、伯勞、毛受、一云鵙】伯勞也。〕若し比例にて、百舌鳥共書ける事ありしか
片聞吾妹 かたきくわぎもと讀みては、いかに共歌の意聞得難し。前々にも、片設片聞抔ありしか共不2打着1也。且きくわぎもと云義と釋したる説もあれど、それ共歌の意不v通也。片聞の二字にて、何とぞ義訓に讀ませたると見えたり。集中に片設、片聞、夕片など書きたるには、義訓有べけれど、古人皆義訓の案をなさず。かたとのみ讀來れり。さ讀みて通ずる歌も有べけれど、此歌にては、兎角かた聞くにては有まじきと見ゆるなり。先づはひとり聞くわぎ妹と讀みて、われ獨りのみ聞くぞわぎもと、あたりて讀めるか。何とぞ別訓有べし。後案すべき也。若し又誤字歟。誤字の思寄は、嘗て思付無き也。此集中には前にももずの草ぐきと詠みて、戀の歌にかく詠合せ、此歌も戀の意を合みて讀める事如何したる事歟。不v詳也。もずの音は、物悲しきものにもあらず。歎情を催す鳥の音にもあらぬに、かく詠めを事由來あらんか。心得難し
 
詠露
 
2168 冷芽子丹置白露朝々珠斗曾見流置白露
あきはぎに、おけるしらつゆ、あしたあした、たまとぞみゆる、おけるしらつゆ
 
(132)能聞えたる歌なり
 
2169 暮立之雨落毎【一云打零者】春日野之尾花之上乃白露所念
ゆふだちの、あめふるごとに、かすがのゝ、をばなのうへの、しらつゆおもほゆ
 
暮立 秋にも詠む也。普通には夏に限りたる樣に心得ぬれど、古詠如v此。此後の歌にもいくらも秋に詠合せたる事有。歌の意は、尾花が上に白露の玉ぬく計り置重りたるは、いかに面白からんと思ひやりし歌也。別の意無かるべし
 
2170 秋芽子之枝毛十尾丹露霜置寒毛時者成爾家類可聞
あきはぎの、えだもとをゝに、つゆしもおき、さむくもときは、なりにけるかも
 
枝毛十尾 枝もたわゝと同じ。たわみしなへたる躰を云へり。秋も末に成り露霜置て、稍寒さも催しぬると也
 
2171 白露與秋芽子者戀亂別事難吾情可聞
しらつゆと、あきのはぎとは、【こひ・おもひ】みだれ、わくことがたき、わがこゝろかも
 
いづれ勝劣の思わきも無く、悲み愛するの意なり
 
2172 吾屋戸之麻花押靡置露爾手觸吾妹兒落卷毛將見
わがやどの、をばなおしなみ、おくつゆに、てふれわぎもこ、ちらまくもみむ
 
押靡は押並とおし靡けてとの三つを兼ねて云へり。露に靡きしなひたるに、妹が手ふれて露散らば、尚面白かるべきとの意也。尾花は、男花と云意にて、妹に手をも觸れよとの、願ひたる意也
 
2173 白露乎取者可消去來子等露爾爭而芽子之遊將爲
しらつゆを、とらばけねべし、いさやこら、つゆにきそひて、はぎのあそびせん
 
萩の上の、露を折取らば消ぬべし。露ながら競ひ進みて、思ふどち秋の野遊びを萩原にせんとの意也。又萩に往觸れて、置け(133)る露の散りぬ共、いさや打むれ遊ばんとの義にて、爭ては勇み進むの意、いそひてとも讀む説有。意は同じ事也。
 
2174 秋田苅借廬乎作吾居者衣手寒露置爾家留
あきたかる、かりほをつくり、われをれば、ころもでさむし、つゆおきにける
 
歌の意は能聞えたり。世上流布したる後撰集に載せられたる、天智天皇の御製とて、何人のしわざぞや。僞作せる、彼秋の田の刈庵の庵の苫をあらみの歌は元此歌を横ざまに作りなせし歌也。中世已來百人一首と云て、僞作の書にも卷頭の歌として其釋説樣々の事を附會せる也。此歌すら天智天皇の御時代の口風とは、既に風躰甚違へり。况んや千餘年を經て僞作せる、刈庵の庵抔、わけも無き歌をもてはやす事、歎くにも餘り有事也
 
2175 日來之秋風寒芽子之花令散白露置爾來下
このごろの、あきかぜさむみ、はぎのはな、ちらすしらつゆ、おきにけらしも
 
風の散らすにはあらず。秋深くなるまゝに、風も稍身にしむ頃は露深く置添ふから、露に濡しほれて、うつろひ散る故、白露置にけらしもと也
 
2176 秋田苅※[草がんむり/店]手搖奈利白露者置穗田無跡告爾來良思
あきたかる、とまでうごくなり、しらつゆは、おくほだなしと、のりにきねらし
 
※[草がんむり/店]手搖 此※[草がんむり/店]の字心得難し。或抄に苫の字の誤りならんと釋せり。さも有べけれど、苫の動くなりと云義、無理に義を付て、秋田を刈る庵には、風抔防ぐ爲苫をさげ置、其苫の風に動くを云との諸抄の説也。詞を添へて釋せば、此外にもいか樣共云はるべければ、歌は一首の内にて、詞を不v入して聞ゆる樣に詠むが歌なれば、左樣に六ケ敷、解きほどきの詞を入れて、理るべきにあらず。何とぞ※[草がんむり/店]手の二字搖の字共に別訓あらんか。後案すべし。先諸抄の意にて云はゞ、秋田を刈頃、刈庵にかけし苫の風に動くは、穗田を刈盡しぬれば、露の置所無きとて斷り來れるにて有らんと云意と也。然れ共秋田かる苫手動と云句は、いかに共不v聞也
 
(134)一云告爾來良思母 のりにくらしも、露の置べき穗田無しと、苫を動かし露の來りたるにてあるらしとの一説也
 
詠山
 
2177 春者毛要夏者緑丹紅之綵色爾所見秋山可聞
はるはもえ、なつはみどりに、くれなゐの、にしきにみゆる、あきのやまかも
 
綵色 にしき共、色々とも讀べし。綵色の二字、前に色どりごろも等讀めば也。歌の意能聞えたり。詞過ぎて感情は餘り深からぬ歌也
 
詠黄葉
 
2178 妻隱矢野神山露霜爾爾寶比始散卷惜
つまごもる、やぬのかみやま、つゆしもに、にほひそめけり、ちらまくをしも
 
妻がくるとも讀べきか。此續は妻のこもるやとうけ、ぬると云詞にうけたり。又矢を爪にかけて、歪みをためす事有。すゝのいたづき爪ならす也抔詠める歌もありて、つまよると云事もあれば、矢を爪にかくると云ふうけに、矢野と云所を云はんとて詠出でたるにもや。やぬの神山を詠出でたるは、何の意味ありて詠出でたり共不v見也。何とぞ下の句によせありて詠める意有べき事也。妻ごもるやがみの山共讀めり。何れの國の山にや未v考。宗祇が説には、伊豫と書ける物もあれど、實證を不v見ば、決し難し。下の句の意は、露霜に色染かけたれば、いつ迄も散らずもあれかし。えならぬ色に染初めし故、早めで飽かぬ心から、散るべき事を惜めるとの意也。此露霜の事、露と霜と二つにあらず。露霜と云物一種有と云説も有。心得難し。神山と詠出たる意、何のより處共不v聞。若し露の縁に、たま山抔にはあらざらんか
 
2179 朝露爾染始秋山爾鐘禮莫零在渡金
あさづゆに、そめ/\にけり、あきやまに、しぐれなふりそ、あれわたるかに
 
(135)時雨降りては落葉して山の荒れ行かんまゝ、時雨な降りそと也。かねはかにと讀みて、かには只荒渡るに時雨降るなと下知したる義也。かは助語にて、嘆の意をこめて云詞也。秋山の荒れ渡るに、時雨な降りそと云義也
 
右二首柿本人麻呂之謌集出
 
2180 九月乃鐘禮乃雨丹沾通春日之山者色付丹來
ながづきの、しぐれのあめに、ぬれとほり、かすがのやまは、いろづきにけり
 
沾通 此詞心得難き詞なれ共、毎度かく詠來れり。別訓あらんか。衣抔に詠める歌も有。これすら不v可v好詞也。况や山のぬれ通と云義心得難き句也。此歌前の歌に反して詠めり。前の歌は、露に沾れて時雨に散あせんことを惜みたり。此歌は時雨に染めて色付にけりと詠めり。今は時雨を冬の物に詠めり。古詠皆秋にも詠入れたり。尤秋の末に詠めると聞えたり。此にも長月のと詠出たり童蒙抄には時雨の雨に染かへりと有。沾通の二字を染めかへりと義訓せる歟。又染變と書たる本ありてか
 
2181 鴈鳴之寒朝開之露有之春日山乎令黄物者
かりがねの、さむきあさけの、つゆならし、かすがの山を、もみづるものは
 
露ならしは、露にあるらし也
令黄 もみづる共、もみ出ださしむるものはと云意也。紅は染るに揉みて色を出す也。よりて直にもみ共云也。其のわざをもて名共せり。歌の意聞えたる通也。春日山を紅葉さするものは、雁が音の鳴渡る頃、朝毎に置白露にて有るらしと云義也
 
2182 比日之曉露丹吾屋前之芽子乃下葉者色付爾家里
このごろの、あかつきづゆに、わがやどの、はぎのしたばは、いろづきにけり
 
吾屋前 此前の字、前にも注せる如く、所と云字の誤也。さなくばわが庭と讀べし。屋前を、やどと讀べき義無し。前、所、紛れ安ければ、極めて誤りたるなるべし。歌の意は明也
 
(136)2183 鴈鳴者今者來鳴沼吾待之黄葉早繼待者辛苦母
かりがねは、いまはきなきぬ、わがまちし、もみぢはやつげ、まてばくるしも
 
早繼 前にも有。別訓あらんか。鴈の鳴渡れば、紅葉の色付ぬべき時も來りぬ。早く紅葉せよと云義なるべし。早經と云詞いかに共心得難し。雁に續きて早く紅葉せよとの意と聞ゆれ共、はやつげの詞穩かならねば、別訓を後案すべし
 
2184 秋山乎謹人懸勿忘西其黄葉乃所思君
あきやまを、いめひとかくな、わすれにし、そのもみぢばの、しのばれらくに
 
いめ人かくなは、謹みて秋山の事を言葉にかけて云なと也。紅葉を愛し慕ふ心を忘れてあるに、秋山の事を云はゞ思出て慕はるゝにと云義也。紅顔の人抔の事に寄せて詠めると云説もあれど、句表に表れぬ事なれば、只紅葉を愛し慕ふ義と見るべし。秋山は地名と時節の山とを兼ねて詠める也
 
2185 大坂乎吾越來者二上爾黄葉流志具禮零乍
おほさかを、われこえくれば、ふたがみに、もみぢばながる、しぐれふりつゝ
 
二上山と云は、前にも出たれど川と云所未v見。此歌にては川も有と見るべし。二上爾と計りあれど、二上川に紅葉の流るゝを詠める也。大坂二上とも葛城郡也。和名抄云〔大和國葛上郡〕
 
2186 秋去者置白露爾吾門乃淺茅何浦葉色付爾家里
あきされば、おくしらつゆに、わがかどの、あさぢがうらは、いろづきにけり
 
能聞えたる歌也
 
2187 妹之袖卷來乃山之朝露爾仁寶布黄葉之散卷惜裳
いもがそで、まきゝのやまの、あさづゆに、にほふもみぢの、ちらまくをしも
 
(137)卷來乃山 何國とも不v考。大和の内なるべし。妹が袖とは卷まくと云はん序也。まきまくは枕にするの意也。まき木の山か、まき木の山か、外の例證を不v見ば極め難し。卷向山の事を卷來とも書ける歟。朝露に匂ふは、色付初むるの義也
 
2188 黄葉之丹穗日者繁然鞆妻梨木乎手折可佐寒
もみぢばの、にほひはしげし、しかれども、つまなしのきを、たをりかざさん
 
者繁は、はしけやしと云詞と同じく、はしけしと云て紅葉々をほめたる詞也。然るを諸抄の説は、紅葉々の茂りたる事に釋せり。匂ひのしげきと云事有べき事にあらず。語例句例の無き詞と云事を不v辨。當集の歌は歌詞にあらぬ詞もよめる事に釋せるは、悉後人よみ解樣を知らざる不v考不v案のなす所也。匂ひは色の事也。香の事にしては、しげしと云詞は續かぬ義を不v辨から、者の字を手爾波字に見たる也。歌の意は、紅葉々の匂ひは、はしけしと云ひて、何れも美しく飽かぬ色なれ共、ぬし無き木を手折てかざさんと云義也。梨の木をわきて賞せるにはあらず。只妻なしと云かけて、主無き紅葉をかざさんとの趣向にて、主無き紅顔美麗の人を折取らんと比したる下心の歌なるべし。凡て梨の木をも花をも詠めるは、妻の無きと云意を詠かけたる也。當集第十九卷に、家持の詠める紅葉の歌の袖書にも、當時梨の紅葉を見て詠めると注せり。是は只何の意も無く詠める也。尚其所に注すべし。濱成和歌式にも、梨の歌を詠める歌を擧げて、躰の式を述べたり。全文略v之
 
2189 露霜|乃《本マヽ》寒夕之秋風丹黄葉爾來毛妻梨之木者
つゆしもの、さむきゆふべの、あきかぜに、もみぢにけるも、つまなしのきは
 
來毛 けるかもの意也。印本等にはけりもと讀ませて、もは助語にて紅葉にけりと云意と釋せり。さも聞ゆる也。然れ共けりもと云と、けるもと云とは、詞の續に少し譯有。例へば鶯鳴くもと云の、もと同じ意のも也。然れば詞の例、なきもと云詞は無く、無くもとは云べし。此例に准じて、けりもとは續難く、けるもとは云はるゝ也。けるもはけるかもと云義にて、直にけりと云意に嘆の詞を添て、かもとは云義なるべし。此妻梨の木と詠めるに意は無く、只前の歌並びに、妻梨と詠める歌を、並べ擧られたる迄の義也
 
(138)2190 吾門之淺茅色就吉魚張能浪柴乃野之黄葉散良新
わがかどの、あさぢいろづく、吉魚ばりの、なみしばのぬの、もみぢちるらし
 
吉魚張 大和の地名にて、第二卷にては吉隱之猪養の岡とありてふなばりと讀ませたり。日本紀にも、ふなばりと有。吉隱の二字をふなばりと訓ずる義未v詳也。追而可v考。第八卷にも又此卷末に到りても有。彼是引合追而可v考。宗師は、よなばりと可v訓旨也。然共日本紀にふなばりと讀ませたる義不審也。其上奥に到りては古名張とも書たり。彼是心得難し。師云、古名張の古は吉の字の誤りと見ゆると也。歌の意は、吾門の淺茅さへ色付頃なれば、並々の野の紅葉は最早散なるべしと云義也。それに波柴の野と地名をさして、下の心はなべての木草の黄葉は散らしと也。淺茅は茅の至りて少き草芝と云に同じ。それは紅葉するも遲き物と見えたり。芝草さへ色付頃は最早なべての紅葉は散る時節なるべし
 
2191 鴈之鳴乎聞鶴奈倍爾高松之野上之草曾色付爾家留
かりがねを、きゝつるなへに、たかまどの、ぬのへのくさぞ、いろづきにける
 
別の意なき歌也
 
2192 吾背兒我白細衣往觸者應染毛黄變山可聞
わがせこが、しろたへごろも、ゆきふれば、うつりぬべくも、もみづやまかも
 
此吾背兒と詠めるは女の歌か。女は衣服の事を業とする者なれば、只打任せて白妙衣と詠めるは、女をさして云へるか。此義不審也
應染の二字別訓もあらんか。先づさし當る處、うつりぬべくと義訓に讀めり。歌の意は、黄葉の盛なれば山路に行ふれなば、誰が袖もうつり染るべくも見ゆる景色を詠める也
 
2193 秋風之日異吹者水莖能岡之木葉毛色付爾家里
(139)あきかぜの、ひごとにふけば、みづぐきの、をかのこのはも、いろづきにけり
 
日異 前にも注せり。諸抄は日にけにと讀めり
水莖能岡 第六卷にある水莖の所は筑前也。此歌の續皆大和なれば、はる/”\水莖の岡を筑紫まで求め出べきにもあらず。いかに共定め難し。八雲御抄又勅撰名所抄等には豐前豐後とありて不v決。古今集のあふみぶりの歌に續きて水莖ぶりとて、水莖の岡のやかたに妹とあれとねての朝けの露のふりはも。此歌を古來より近江の國の歌と傳へ來れり。然れ共近江ぶりとあげて、又別目に水莖ぶりと擧る事少心得難し。尤今も近江國に僅に少の岡ありて、水莖の岡と傳る由なれど、是は古今の歌を世に彼國と云習せしより、後に名付たるも知らず。勿論同名異所ある事はあげて數へ難ければ、此水莖の岡は何處とも決し難し。尚後考有べき也。歌の意は、紅葉は赤くて火の色也。なれ共秋風の日毎に吹から、水莖の岡に木の葉も火の色に染なすとの意迄の歌也
 
2194 鴈鳴乃來鳴之共韓衣裁田之山者黄始有
かりがねの、きなきしからに、からごろも、たつたのやまは、もみぢそめたり
 
歌の意聞えたる通也。唐衣は立由の山を詠まん爲の序也。黄の字一字にても紅葉と讀ませたるは、前に黄葉黄變と書たれば准じて略したる也
 
2195 鴈之鳴聲聞苗荷明日從者借香能山者黄始南
かりがねの、こゑきくなへに、あすからは、かすがのやまは、もみぢそめなん
 
苗爾 前に幾度も釋せり。聲きくが上と云意也。歌の意は能聞えたる也
 
2196 四具禮能雨無間之零者眞木葉毛爭不勝而色付爾家里
しぐれのあめ、まなくしふれば、まきのはも、あらそひかねて、いろづきにけり
 
(140)ま木の葉、凡ての木を指して云へる也。まは發語也。然るに※[木+皮]のことに、心得たる説もあり。不v可v信。※[木+皮]は常磐木色付べき樣無し。爭ひかねては、前にも後にもいくらも有詞堪へかねて也
 
2197 灼然四具禮乃雨者零勿國大城山者色付爾家里
いちじろく、しぐれのあめは、ふらなくに、おほきのやまは、いろづきにけり
 
いちじるくは、さのみ顯れて知らるゝ程雨も降らなくに、早もみぢせしとの意也。前の歌と表裏を詠める也
大城山 前にも注せり。第五、第八卷等に見えて何れも筑前の國にての歌也。此歌も筑前の大城なるべし。然し皇女の御名に大伯のみ子と云有。大和の國の地名によりて、多く皇子皇女の御名を稱せさせ給ふたれば、筑前の國の地名迄には及ぶまじき樣なれど、和州の地名あり。松原も筑紫の内の名所なれば、此大城筑前か。證明無ければ、強ては云難し。次の一本の注に、大城山者在筑前國御笠郡之大野山頂と書たるは後人の傍注也。古注者の筆記せるにも有べからず
 
2198 風吹者黄葉散乍小雲吾松原清在莫國
かぜふけば、もみぢちりつゝ、しばらくも、あがまつばらは、きよからなくに
 
吾松原は紅葉の色のあかとうけたる意なるべし。紅葉の散かゝるから、松原も赤くなりて、木葉にて清からぬと云意なるべし。散る木葉を掃拂ふを朝清め等いへば、清からなくにと云詞も、掃ひ捨てられざる義を詠める也。此吾松原も筑紫にある地名也。尤前に伊勢に御幸の時の御製にも見えたれど、大城山の續をより處として云はゞ、筑紫と見るべき也
 
2199 物念隱座而今日見者春日山者色就爾家里
ものおもひ、しのびをりつゝ、けふみれば、かすがのやまは、いろづきにけり
 
古今に、待ちし櫻もうつろひにけりと詠める、此歌等によれるか。歌の意句面の通にて能聞えたる也。物念隱座而、此二句は、色々の讀み樣あれ共、意は只物念ふ事ありて、とぢ籠り居たれば、徒らに過行月日のいつと無く過行て、春日の山も、秋の紅葉の時節になりけるかなと、歎じたる意也。春日山凡て集中に、はるひと讀までは歌の意面白からぬ歌あまた有。然れ共先達皆(141)かすがとのみ讀來りたり。此歌も、はるひの山と讀たき歌、はる日の山も秋の紅葉の頃にしもなりけると、時節のおし移り變り行を籠りて知らぬ間に、今日しも見て驚くの意も能籠れる也
 
2200 九月白露負而足日木乃山之將黄變見幕下吉
ながづきの、しらつゆおひて、あしびきの、やまのもみぢん、みまくしもよき
 
見るもよきとの意也。別の意なく能聞えたる歌也
 
2201 妹許跡馬鞍置而射駒山撃越來者紅葉散筒
いもがりと、うまにくらおきて、いこまやま、うちこえくれば、もみぢちりつゝ
 
いもがりとは妹が許へと云義也。がりとは前にも毎度ある如く、所をさして云古語也。伊駒山を越ゆると云はんとて、馬に鞍置てと詠出たる也。歌の始終の意は、只紅葉の散ると云事を詠める迄也
 
2202 黄葉爲時爾成良之月人楓枝乃色付見者
もみぢする、ときになるらし、つきひとの、かづらがえだの、いろづくみれば
 
月人楓枝 これは兼名苑云、月中有v河河水上有2桂樹1云々。是より月のかづらと云事を云習ひ、月をかつらをとこ共云來れり。然れば此歌は古今集に、久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらん、と詠める意の如く、月の桂の光もさやけき秋の頃なれば、なべての木々も紅葉する時にはなりぬらしと詠める意也。古今の歌もこれらを考へて詠みなせる歟
 
2203 里異霜者置良之高松野山司之色付見者
さとごとに、しもはおくらし、たかまどの、やまのつかさの、いろづくみれば
 
山司之 第四卷に岸司と詠み、第十七、第二十卷に野司と詠める、皆野山岸の高き所を指して云へる義と見えたり。歌の意は、里毎に最早なべて霜の置べし、高圓山は紅葉さへし初めたるとの意也
 
(142)2204 秋風之日異吹者露重芽子之下葉者色付來
あきかぜの、ひごとにふけば、露しげみ、はぎのしたばは、いろづきにけり
 
秋風の日毎に吹とは、秋冷の氣の日に増から、露も深く秋も更行故、草木も紅葉するとの意也。諸抄の假名は、日にけにと云説なれど、日にけにと云義不v濟ば、日日毎日の意と義を安く見る也
 
2205 秋芽子乃下葉赤荒玉乃月之歴去者風疾鴨
あきはぎの、したばいろづき、あらたまの、つきのへゆけば、かぜをいたみかも
 
下葉赤 古本印本等したばもみぢぬと讀ませたり。同じ義訓なれ共、下葉色付と讀みても然るべし
風疾鴨 風のはげしくなりたるとの義也。なれば下葉色づきと讀む方連續せるか
 
2206 眞十鏡見名淵山者今日鴨白露置而黄葉將散
まそかゞみ、みなふちやまは、けふもかも、しらつゆおきて、もみぢちるらん
 
まそかゞみは、見なの見と云詞に續けたる也。眞十鏡に意あるにあらず。此歌露にて紅葉の散と詠みたり。露霜にて染とも詠み、かく散とも表裏詠みなせり
 
2207 吾屋戸之淺茅色付吉魚張之夏身之上爾四具禮零疑
わがやどの、淺茅色付、よなばりの、なつみの上に、しぐれふるらし
 
吉魚張 ふなばりと讀ませたれど、吉魚二字合て、ふなと讀ませたる證例未v考。よなばりなるべし。古名張と書しを其儘に見て讀みなせるか。又よなばり、ふなばり、別地なるか、決し難し。吉の字、よと讀事當然知れたる事也。フと讀事心得難し。吉の字と見る方安からんか
夏身 地名、其邊を指て上にと云へる也。なつみ川と云も有。此歌、前の歌共に淺茅色付と詠みて二首共によな張のなみしば(143)なつみと詠める義いかゞ、別意あらんか。作者の意を不v知、よなのなに、なつみのなを承たるか。前の歌もなみしばと承たり
疑 らしと疑の詞故、義訓に讀ませたり。此後幾度もある字也
 
2208 鴈鳴之寒鳴從水莖之岡乃葛葉者色付爾來
かりがねの、さむくなくから、みづぐきの、をかのくずはも、いろづきにけり
 
水莖乃岡 前にも注せる如く、前後皆大和の地名、其中にはる/”\筑前の地名を詠める事も不審也。後々の歌に、水莖の岡に葛葉を詠合せる事は、此歌より也。歌の意は聞えたる通也。葛葉の紅葉を詠める事、染め安きもの故歟。奥に寄黄葉歌にも、第一、第二卷に葛かづらを擧られたり
 
2209 秋芽子之下葉乃黄葉於花繼時過去者後將戀鴨
あきはぎの、したばのもみぢ、はなにつぎ、ときすぎゆかば、のちこひんかも
 
花散りて下葉紅葉したらんか。其も散過行かば、花につぎていとゞ戀慕はんかと也。花につぎは、飽かずめでし花に續きてめでなんに、それも續て散過行かば、後戀ひんと兩義を兼ねての續き也。飽かずめづる心から、未だ散らざるに思ひ煩ふ意也
 
2210 明日香河黄葉流葛木山之木葉者今之散疑
あすかゞは、もみぢばながる、かつらぎの、やまのこのはは、いましちるらし
 
歌の意は聞えたり。古今集に、立田川の歌餘りに近き歌也。古人も當集を委くは見ざる歟。古人は詞の似通ふことをさのみに厭はざる歟。袖書には尚飛鳥川とさへ載せたり。葛木山を思遣りて詠めるなるべし。尤〔以下注ナシ〕
 
2211 妹之紐解登結而立田山今許曾黄葉始而有家禮
いもがひも、とくとむすびて、たつたやま、いまこそもみぢ、はじめたりけれ
 
妹之紐解登結而 此句解し難き句也。諸抄の説もとくとても、むすぶとても、袴の紐は立て解結するもの故、立と云言葉を設(144)けんとての義と釋し、清輔、仙覺の説も不2一決1也。後撰にも、解と結と立田山今も紅葉の錦おりけると詠める歌有。清輔は、此後撰の歌に基て、此歌をも、とくとむすぶと、假名に書置かれたるが、而の字、とゝはいかに共讀難し。通音にても例無ければ結而の二字むすぶとゝは讀まれまじ。故ありてかく讀置きたる歟抔奥義抄を立てゝ注せる抄もあれど、若し而の字、との字の誤りと見る説はあるべし。此儘にては、清輔の假名書は信用し難し。或説に説文の紐の字の字注を引て、結而可v解者也とあれば、此句は隔句に心得べしとの説有。結びしを解とて、立田山と續けたるの句と見るとの事也。いか樣にも解し難き句故、色々の説ある也。愚案は、只紐の解くると結びて立田山とうけたる句と見る也。解くれば結びて立つと只安く見たる也。何れか是ならんや。歌の意は、只立田山の紅葉し初めたると云迄の義也。立田山と云はんとて、妹が紐解と結びてと詠出でたる也。上の句に意は無き事なれ共、句の義理六ケ敷故、後案樣々まち/\也
 
2212 鴈鳴之喧之從春日有三笠山者色付丹家里
かりがねの、なきにしからに、かすがなる、みかさのやまは、いろづきにけり
 
別の意なき歌也
 
2213 比者之五更露爾吾屋戸乃秋之芽子原色付爾家里
このごろの、あかつきづゆに、わがやどの、あきのはぎはら、いろづきにけり
 
別意なき歌也
 
2214 夕去者鴈之越往龍田山四具禮爾競色付爾家里
ゆふされば、かりのこえゆく、たつた山、しぐれにきそひ、いろづきにけり
 
此軟も龍田山の時雨に競ひて、木の葉の染る景色を詠める迄にて、上は龍田山を詠出づる迄に續きて別の意なき也
 
2215 左夜深而四具禮勿零秋芽子之本葉之黄葉落卷惜裳
(145)さよふけて、しぐれなふりそ、あきはぎの、もとはのもみぢ、ちらまくをしも
 
さ夜ふけてと詠めるに意有るにあらず。本葉、毎度歌に詠める詞也。末葉と詠めるに對して本葉共詠める也
 
2216 古郷之始黄葉乎手折以而今日曾吾來不見人之爲
ふるさとの、はつもみぢばを、たをりもて、けふぞわがくる、見ぬひとのため
 
けふぞと詠めるは其當然の義を詠める也。古里と有るから、初紅葉と詠める處の趣意迄の歌也
 
2217 君之家乃黄葉早落之者四具禮乃雨爾所沾良之母
きみがいへの、もみぢのはやく、ちりゆくは、しぐれのあめに、ぬれにけらしも
 
よく聞えたる歌也。雨にぬれ弱りたる故早く散行と世。此歌素本印本等文字顛倒あり。一本如v此有るを正本とす
 
2218 一年二遍不行秋山乎情爾不飽過之鶴鴨
ひとゝせに、ふたゝびゆかぬ、あきやまを、こゝろにあかず、すぐしつるかも
 
秋山の黄葉を賞愛して過しつるとの意也。別意なき歌也。ゆかぬとは往來せぬとの意也。前にも、まことふた世はゆかざりし等、詠める意に同じ
 
詠水田 陸田に對しての水田也。稻を殖る田也。和名抄云〔漢語抄云、水田【古奈太】田填〕
 
2219 足曳之山田佃子不秀友繩谷延與守登知金
あしびきの、やまだつくるこの、ひでずとも、しめだにはへよ、もるとしるかに
 
ひでずともは、苗生立て穗には未だ出でず共と云意也。仙覺は稻の好からず共と云意と注せり。いか樣にても意は同じ。鹿など荒さゞる樣に、繩など引廻して不v入樣にせよと也。さあらば守る人もありと知らんにと也
知金は 知るにてあらんにと云意也。古歌の詞也。ねとにと通ふ詞也。鹿等の知りて恐れて來じと云意と釋せる人もあれど(146)入ほかなる説也。只人の知るかにと云迄の意也
 
2220 左小牡鹿之妻喚山之岳邊在早田者不苅霜者雖零
さをしかの、つまよぶやまの、をかべなる、わさだはからじ、霜はふるとも
 
早田はわせ田也。此歌は感情深き意をこめて詠めると聞えたり。妻戀する鹿の立隱れん山田なれば、鹿に情をかけて、霜は置とも妻戀果つる迄は苅らじと也。新古今には、妻とふ霜はおく共と直して載せられたり。當集の歌を引直して、後々の集に載せられたる事心得難き事也。時代の風體と云事を不v考の仕業也
 
2221 我門爾禁田乎見者沙穗内之秋芽子爲酢寸所念鴨
わがかどに、もるたをみれば、さほのうちの、あきはぎすゝき、おもほゆるかも
 
是は門田の熟したる頃は萩薄の咲亂るゝ折なれば、元居し處抔の事を思遣りて詠めるなるべし
 
詠河
 
2222 暮不去河蝦鳴成三和河之清瀬音乎聞師吉毛
ゆふさらず、かはづなくなり、みわがはの、きよきせおとを、きけばしよしも
 
夕さらずは夕毎に也。又夕部までもと云ふの意にも詠める也
 
詠月
 
2223 天海月船浮桂梶懸而※[手偏+旁]所見月人壯子
そらのうみに、つきのふねうけ、かつらかぢ、かけてこぐみゆ、つきひとをとこ
 
月を舟に見立て、月の桂を梶に取なして、全體月にて仕立たる歌也。第九卷の、空の海に雲の波たち月の船の歌の姿に同じき歌にて、今時は好ましからぬ風體ならんかし
 
(147)2224 此夜等者沙夜深去良之鴈鳴乃所聞空從月立度
このよらは、さよふけぬらし、かりがねの、きこゆるそらゆ、つきたちわたる
 
能く聞えたる歌也
 
2225 吾背子之挿頭之芽子爾置露乎清見世跡月者照良思
あがせこが、かざしのはぎに、おくつゆを、さやかにみよと、つきはてるらし
 
別の意なき歌也
 
2226 無心秋月夜之物念跡寐不所宿照乍本名
こゝろなく、あきのつきよの、ものもふと、いのねられぬに、てりつゝもとな
 
此歌のもとなと云詞聞え難し。歌の意は、由無くも心もなく月は物思ふに、猶悲しき秋の哀れを添へて照りつゝと云意也。此歌にては、由なくと云意に叶へる詞なれど、語釋不v濟ばそれと定め難し
 
2227 不念爾四具禮乃雨者零有跡天雲霽而月夜清烏
おもはぬに、しぐれのあめは、ふりたれど、あまぐもはれで、つきよすめるぞ
 
時雨は時の間に晴れ曇るものなれば、思はぬにと詠めるは理り也
清烏 すみけり共讀べき歟。諸抄の讀樣は、すめるを、きよきを抔讀めり。歌の意いかに聞きなせるにや。けりとか、ぞとか止めては歌の意不v通也。烏の字をぞと讀めるは、からすを、おそ鳥と云そを取りて也。前にも毎度烏焉鳥の三字の違あり。此歌もけりと讀まば鳥の字にて、りの一語を取れる也。ぞなれば烏と云字なるべし
 
2228 芽子之花開乃乎再入緒見代跡可聞月夜之清戀益良國
はぎのはな、あきのをはりを、みよとかも、つきよのすめる、こひますらくに
 
(148)此歌古本印本諸抄讀み樣いかに共心得難く、歌詞にもあらぬ假名を付たり。咲くのを二人を抔讀みて、句中無き詞を添へて色々と憶説を注せる抄共多し。いかに共不v聞也。宗師案、再の字は羽の字の誤りなるべし、さなくて如何に共讀解樣なき歌也。正本の出て歌の義相聞ゆる迄は羽の字と見て歌の意安く通ずる也。秋も稍更行く頃の、月さやけくも照するは、飽かずめで馴染みし萩の花の、既に移ろふ秋の終をも、猶飽かなくも見よとか照すらん、いとゞ名殘の思の益にと聞得たる也。此外に義安く聞ゆる説あらば、それをこそ乞願ふ耳
 
2229 白露乎玉作有九月在明之月夜雖見不飽可聞
しらつゆを、たまともなせる、ながづきの、ありあけのつきよ、みれどあかぬかも
 
月の光の白露に映じて、共に磨ける玉共見ゆるさやけき月夜は、幾夜見るも飽かぬ氣色を詠める也。玉作有は玉にもすれる共玉につくれる共讀べし。意は同じ
 
詠風
 
2230 戀乍裳稻葉掻別家居者乏不有秋之暮風
こひつゝも、いなばかきわけ、いへゐせば、ともしくもあらじ、あきのゆふかぜ
 
此歌現在と未來と讀樣有。今讀みたる假名は未來の讀樣なれど、現在の歌ならんか。然らば家居者を、住みをれば乏しくもあらぬ秋の夕風と讀べし。乏もあらぬは珍しくもあらぬと詠べし。乏もあらぬ意、又寂しくも無きの意なるべし。戀つゝもと云は、田家の秋興を好み慕ひての意なるべし。侘つゝもと云意にもあらんか。然れば元より住佗びて住居るの意也
 
2231 芽子花咲有野邊日晩之乃鳴奈流共秋風吹
はぎのはな、さきたるのべに、ひぐらしの、なくなるからに、あきかぜのふく
 
當然の景色を詠める歌也。萩の花の咲頃は、日晩之も鳴きて、稍秋深くなり行から、秋風寒く吹く折の景色を云へる也
 
(149)2232 秋山之木葉文未赤者今日吹風者霜毛置應久
あきやまの、このはもいまだ、そめざれば、けふふくかぜは、しもゝおきぬべく
 
此歌の手爾波少し聞得難し。此歌の者の字も前にも注せる如く、にとかをとか讀までは成難き歌也。木葉も未だ染ざるに、けふ吹風はと讀べき歌也。未だ木葉も不v染に、今日俄にも風はげしくて、秋も夜寒に霜も置ぬべく、驚かれたる歌と聞ゆる也。然れば者の字は、※[者/火]の字を誤りたるならんか。應の字を鴈の字に誤りたれど、一本應の字に記したるを正本とすべし
 
詠芳
 
薫芳の義を詠める也。芳草芬地などと云時は、その物を賞めたる詞也。之は香芳の義也
 
2233 高松之此峰迫爾笠立而盈盛有秋香乃吉者
たかまどの、このみねもせに、かさたでゝ、みちさかりなる、あきのかのよさ
 
笠立而、借訓に聞説有。又或説に木々の紅葉を、錦の笠を張りて峯を挾みて立たる如く、紅葉の盛りの景色を詠たると有。一筋無きにもあらず。然れ共秋の香のよさと詠たれば、峯もせにとは狹きと云意と同じく、峯一杯にと云義にて、秋風の吹立る芳草薫木の香のよきと詠める意と聞ゆる也。然れば風立の意と見るべし
 
詠雨
 
2234 一日千重敷布我戀妹當爲暮零禮見
ひとひには、ちへしく/\に、わがこふる、いもがあたりに、しぐれふれ見ん
 
しく/\は、際間も無く思慕ふ義也。下の句の時雨降れ見んと云句、不v穩句也。歌の意も斯く讀みては少叶ひ難き樣也。らりるれ通じて、れもると通じて讀まんか。然らば只戀慕ふ妹があたりに、時雨の降るを見ると云迄の歌に聞ゆる也。時雨降れと下知したる意難2心得1也。殊に觸れ見むと云詞餘りにつまりたり。尚後案すべし。或説に、一日には千重しく/\に慕思(150)ふから、たゞも見やられねば、時雨の降れかし。それをかこつけに見やらんとの意と云へり。六ケ敷見樣也。古詠は只淺きを本とすれば此説もいかゞ
 
右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2235 秋田苅客乃廬入爾四具禮零我袖沾干人無二
あきたかる、たびのいほりに、しぐれふり、わがそでぬれぬ、ほすひとなしに
 
家を出て外にあるは、暫くにても旅也。よりて田を苅所をも旅の庵とは詠めるならん。此下にも、田鶴が音の聞ゆる田井に庵してわれ旅なりと詠る歌も有。歌の意は能く聞えたり
 
2236 玉手次不懸時無吾戀此具禮志零者沾乍毛將行
たまだすき、かけぬときなし、わがこひは、しぐれしふらば、ぬれつゝもゆかん
 
玉襷はかけぬの冠辭也。たとひ時雨の降りたり共、沾れて思ひわぶる方へ行かんと也。別意無き歌也
 
2237 黄葉乎令落四具禮能零苗爾夜副衣寒一之宿者
もみぢばを、ちらすしぐれの、ふるなへに、夜副衣さむき、ひとりしぬれば
 
夜副衣寒 此をふすまぞ寒きと義訓せる説も有。又夜さへぞ寒き、よるもぞ寒き共讀めり。何れも意は同じくて、少計の違有。好所に從ふべし。歌の意能く聞えたり
 
詠霜
 
2238 天飛也鴈之翅乃覆羽之何處漏香霜之零異牟
あまとぶや、かりのつばさの、おほひばの、いづこもりてか、しものふりけん
 
何の意も無く、何處より漏りてか霜の降りたるならんとの歌也。何處漏りてかと詠まんとて、天飛やから詠出でたる也。此(151)詞共皆前に出たる詞也。覆羽とは、只廣げたる羽の義をさして云へり。鳥の羽をば開きたるは物を覆ふに等しければ、おほひばとは雁に限らず、諸鳥に云事也
 
秋相聞
 
2239 金山舌日下鳴鳥音聞何嘆
あきやまの、したひのもとに、なくとりの、こゑだにきかば、なにかなげかん
 
舌日 下樋也。日本紀の歌には、下樋をわしせと云古語有。下光なりと云鑿説もあれど、信用すべき事にあらず。金山は義訓にて秋山也。秋の相聞なればかくは詠出でたり。五文字にて秋の相聞には入れたる也。鳥はいつも鳴もの也。歌の意は思ふ人を見る事はさら也。聲をも聞かず隔て慕へば、せめて下樋の下に鳴く鳥の如く、其聲だに聞きなば、か計りは歎き慕はじとの義也。此卷末にも、朝霞かひやがしたの歌の意も是に同じ。鳥を戀慕ふ人にして詠める也。金山を、かな山のと讀める説も有。論ずるに足らざる義也
 
2240 誰彼我莫問九月露沾乍君待吾
たれかれに、われをなとひそ、ながづきの、つゆにぬれつゝ、きみまつわれを
 
此歌初五文字色々の見樣有。何れをか是とせん。後人の好所に可v從。たそがれにと讀む意は、たそがれ時に門などに出て、露霜にぬれ萎れて、人を待居る我なる程に、何をかもして待てるなど問ひ表すなと云意也。又たそがれもと讀説有。又たそがれとゝ讀説有。各意異也。たそがれも、たれかれも我を問ふなとの意、たれかれとは、誰なるぞ、彼なるぞと、咎め問ふ抔の意也。然れば黄昏時は、物のあやめの見え分かぬ時なるから、其名を負へるなれば、時にして見る方問ふと有義には叶ふべからん歟。白日ならば間ふべき理も無からん歟
 
2241 秋夜霧發渡夙夙夢見妹形矣
(152)あきのよの、きりたちわたり、ほのかにも、ゆめにぞみつる、いもがすがたを
 
夙夙の二字を朝な/\と讀ませたり。心得難し。上に秋の夜のと讀みて、朝な/\夢に見るとは續かぬ義、一首の内、上と下と別々に意を見るべきや。一首の全體只仄かにうす/\と云意にて、夢に見たると詠める歌也。よりて上の霧立渡りも、を暗く、鮮かならず、それかあらぬかと云如く、夜の夢に見たるとの歌也。夙夙の字は覺束な共、ほの/”\共讀まんか。音を借て、しく/\にと讀と云説もあれど、しく/\の意に叶ふべくも不v有也
夢見 此を、ゆめのごと見しと讀ませたれど、如の字無くては讀難し。凡て當集の歌、三十一字を十宇、十一、十二字にも書きて讀みなしたる歌共數多あれ共、前に書記したる例に叶ふ歌は、其例をもて略して書ける事多し。然れ共文字少き歌は、添へ詞少く読みなすを、當集を讀解く習とする也。歌の義通ずるなれば、添詞は、一言にても少く讀むを專とすれば、此歌も如くと云字無ければ、無くて歌の意聞ゆる樣に讀べき事也。歌の意は、秋の夜に霧立ちて、仄かに物の定かならぬ如く、夢に見つるとの義也。只夢の如く見たると云義ならば、夢までには及ぶまじ。只はつ/\に見し抔にて、上の霧立渡ると云にて、仄かなる意は聞えたれば、夢の如くと云迄には及ばぬ也。然れ共、夢に見たる處を詠める歌故、如v此は詠める也
 
2242 秋野尾花末生靡心妹依鴨
あきのゝの、をばながうれの、おひなびき、こゝろはいもに、よりにけるかも
 
尾花のしだり靡ける如く、妹に心のよると也。なびくと讀める本もあれど、然る不v可
 
2243 秋山霜零覆木葉落歳雖行我忘八
あきやまに、しもふりおほひ、このはちり、としはゆくとも、われわすれめや
 
年老いて頭に霜は置共、思ふ中の事は忘れずあらんと也。髪も白け、齒も落たり共と云意を寄せて也
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
寄水田
 
(153)2244 住吉之岸乎田爾墾蒔稻乃而及苅不相公鴨
すみのえの、きしをたにほり、まきしいねの、しかもかるまで、あはぬきみかも
 
住のえの岸を田にはるとは、別に意有て詠めるにはあらず。只海邊の岸を田にはるは。水田と有故、水邊を縁に詠みて、辛勞して作りし田を苅る迄も、連ふ事無き苦しき意をよせて詠める也。逢はで程經る義を田によせて也
墾 は田をすき返し、好く調へ收むるを、はると云也。にひばりの今つくる道抔詠みて、作りならす事也。玉篇云、墾、苦根切、耕也、治也、發也、云々。此歌拾遺には、人麿の歌にして、きしをたにほりと直し、苅乾す迄も逢はぬ君かなと直して載せられたり。心得難き事也。ほると、はるとは同じ樣なれど心少違也。而及苅をかりほす迄とは讀み難き也。しかもと讀みたるにて、歌の意深切に聞えたり
 
2245 劔後玉纏田井爾及何時可妹乎不相見家戀將居
たちのしり、たまゝくたゐに、いつまでか、いもをあひみず、家こひをらむ
 
たちのしりたまゝく田井とは、上古は皆、劔の鞘に玉をもて飾れり。史記申春君傳云、刀劍室以2珠玉1飾v之云々。室とは鞘の事也。たまゝきの田井と云地名在りて、其所を云はんとて、たちのしりとは詠たる也。玉まきの田井國不v知。凡て古詠の格何の由來も無き地名を詠むには、其詞の縁を請けて詠める事多し。此歌も、田井と詠まんとて、たと云詞を、上より詠出したると見えたり。歌は此續うけを詮とするものなれば、ケ樣にはうけ續けたるなるべし。家と云字は、我の字の誤りなるべし。家戀をらんと云義心得難し。決て我の字の誤りなるべし
 
2246 秋田之穗上爾置白露之可消吾者所念鴨
あきのたの、ほのへにおける、しらつゆの、けぬべくわれは、おもほゆるかも
 
人を戀佗び、思ひに死ぬべく思ふとの義を、露のけぬべくと寄せたり
 
(154)2247 秋田之穗向之所依片縁吾者物念都禮無物乎
あきのたの、ほむきのよれる、かたよりに、われはものおもふ、つれなきものか
 
穗向は稻の穗のしなひ片寄るは、なべて一方へ片寄る也。よりて我獨の片思に物思ふ事に譬へたり。片思に思ふは、つれ無きものかなとの意也。素本には吾の字、五の字に誤れり。一本吾の字を爲2正本1也
 
2248 秋田※[口+立刀]借廬作五百入爲而有藍君※[口+立刀]將見依毛欲得
あきのたを、かりほにつくり、いほりして、あるらんきみを、みんよしもかな
 
歌の田をかりとうけたる也。かりの庵をしてゐる人を見たきと也。田を詠める歌故、秋田と云義を何ぞに寄せて詠める歌共也。句中に詳しき意を含めて、詠める歌共にはあらず。此歌は、女の歌ならんか。次の歌贈答の樣に聞ゆる歌共也
 
2249 鶴鳴之所聞田井爾五百入爲而吾客有跡於妹告社
たづがねの、きこゆるたゐに、いほりして、われたびなりと、いもにつげこそ
 
此歌もたづと詠めるに、別に意あるにあらず。詞の縁迄也。われ旅なりとは、旅にありと云義也。常居の外、皆旅と云意也。尤旅は、田べの意をも兼ねて、田邊にゐると、妹に告げこせと也。上にたづが音と詠たれば、たづに告げよと云へる義と聞ゆる也。前の歌の見むよしもがなと詠めるは、女の歌に聞え、此歌は返歌の意に聞ゆる也
 
2250 春霞多奈引田居爾廬付而秋田苅左右令思良久
はるがすみ、たなびくたゐに、いほづきて、あきたかるまで、しのばしむらく
 
久しく戀慕ふ意也。春より秋過迄も逢はざる事を詠める意也。いほづきては、庵を作りて也
 
2251 橘乎守部乃五十戸之門田早稻苅時過去不來跡爲等霜
たちばなを、もりべのいへの、かどたわせ、かるときすぎぬ、こぬとなるらしも
 
(155)橘をもりべ、此も守部と云所の名なるべし。橘の實を人に取らせじと、守ると續けたり。守部は地名なるべし。守部王と云有。當集に見えたり。此王子の名も、此地名をおもて名付られたるか。然らば大和の内にあらんか。早稻を苅時だに過ぎたるとは、久敷來ぬとの事、橘をもるとは、春夏より秋過る迄の意也。來ぬとなるらしとは、來ぬにてあるらしと云義也
 
寄露
 
2252 秋芽子之開散野邊之暮露爾沾乍來益夜者深去鞆
あきはぎの、さきちるのべの、ゆふづゆに、ぬれつゝきませ、よはふけぬとも
 
能く聞えたる歌也
 
2253 色付相秋之露霜莫零妹之手本乎不纏今夜者
いろづける、あきのつゆしも、なふりそね、いもがたもとを、まかぬこよひは
 
色付相 色づきあふと讀ませたれど、心得難き讀樣也。只秋と云縁に詠める五文字也。秋の草木紅葉すなれば、只色づくと云へり。あふと云ひて、彼と此と相あふ事の義無くては六ケ敷也。相の字は、りとも、るとも讀む字なれば、安く讀べし。妹が袂を枕として寢ぬ今宵は、露霜も置くな、置かば夜寒ならんにと云の意也。露霜と云て一品霜のあると云説の有も、ケ樣の歌よりならんか。零と計にては、霜にかゝりて露にかゝらぬ詞故也。露もふる共讀べき事也
 
2254 秋芽子之上爾置有白露之消鴨死猿戀爾不有者
あきはぎの、うへにおきたる、しらつゆの、けかもしなまし、こひにあらずば
 
此歌戀にあらずばと云義、通例に聞きては六ケ敷也。當集中に此詞擧げて數へ難し。前にも注して第八卷に、弓削皇子の御歌同歌にて、戀爾は、彼の御歌には、戀管不有者とある計りの代り也。戀爾しなばと云意也。戀に堪へ兼ねて、得不2存有1ばと云意也。次の歌にも有
 
(156)2255 吾屋前秋芽子上置露市白霜吾戀目八面
わがやどの、あきはぎのへに、おく露の、いちじろしくも、わがこひめやも
 
聞えたる歌也
 
2256 秋穗乎之努爾押靡置露消鴨死益戀乍不有者
あきのほを、しぬにおしなみ、おくつゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
 
秋の穗とは、凡て千草の穗に出たる種々の穂をさして也。稻穂には限るまじ。しぬには、しどろに亂れ押靡けて也。戀つゝあらずばとは、前に注せる通也。戀に死ぬるものならば、露の如く消果ましと云意也
 
2257 露霜爾衣袖所沾而今谷毛妹許行名夜者雖深
つゆしもに、ころもでぬれて、いまだにも、いもがりゆかな、よはふけぬとも
 
今夜の更けたり共、妹が許へ行かんとの意也
 
2258 秋芽子之枝毛十尾爾置露之消毳死猿戀乍不有者
あきはぎの、えだもとをゝに、おくつゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
 
十尾爾 たわむ樣にと云義也。五音通にて同じ詞也。歌の意は前の歌共と同じ
 
2259 秋芽子之上爾白露置毎見管曾思努布君之光儀乎
あきはぎの、うへにしらつゆ、おくごとに、みつゝぞしぬぶ、きみがすがたを
 
光儀乎 よそひを共讀べき歟。萩の上に白露の置たるは、えも云はれぬなよやげに、はえあるにつけて、戀慕ふ人の姿を慕ふとの意也
 
寄風
 
(157)2260 吾妹子者衣丹有南秋風之寒比來下著益乎
わぎもこは、ころもにあらなん、あきかぜの、さむきこのごろ、したにきましを
 
衣にあれかし。寒き夜々は、心の儘に着ましと、我ものとして寢たきとの意也
 
2261 泊瀬風如是吹三更者及何時衣片敷吾一將宿
はつせかぜ、かくふくよるは、いつまでか、ころもかたしき、わがひとりねん
 
初瀬風は、はげしき事に詠み來れり。よりて夜寒の風の吹くに何時迄か我獨り衣片敷きて寢んと歎きたる也。夜はと云者の字、少不v合手爾波也。前々の者の字の如く、夜をと讀度き處也。衣はと讀みても、ねんと有から晝いねぬものなれば、よるはと斷りたる意にも聞ゆれ共、をとあらば聞き安かるべき也
 
寄雨
 
2262 秋芽子乎令落長雨之零比者一起居而戀夜曾大寸
あきはぎを、ちらすながめの、ふるころは、ひとりおきゐて、こふるよぞおほき
 
長雨は物寂しきもの故、いとゞ人を戀慕ふ心にて、戀ふる夜ぞ多きと也。別の意無し
 
2263 九月四具禮乃雨之山霧煙寸吾告※[匈/月]誰乎見者將息
ながづきの、しぐれのあめの、やまぎりの、いぶせきわがむね、たれをみばやまむ
 
煙寸 けむきと讀ませたり。けむきと云も、思ひに迫りて、心の晴れず物憂き意、いぶせきも同じ意也。歌の意皆思ひに迫りて心の晴やかならぬ義を、雨霧の降り續きつゝうつ/\たることに寄せて詠める也。誰れを見ばやまんとは、思ふ人を見ぬ迄は、誰を見る共、など此思ひの止まんやと、云へる意也。誰を見ても止まぬとの意也
 
一云十月四具禮乃雨降 此れは上の二句の或説也
 
(158)寄蟋
 
蟀の字を脱したると見えたり。目録には二字を記せり。目録は證明にはならねど、直ぐに歌に二字を用ひたり
 
2264 蟋蟀之待歡秋夜乎寐驗無枕與吾者
こほろぎの、まちよろこべる、あきのよを、ぬるかひもなし、まくらとわれは
 
待歡とは、文選等にも蟋蟀俟v秋※[口+金]と有。蟋蟀は秋待ちて鳴くものなれば也。歌の意は蟋蟀は秋の長き夜を待ちて鳴くも、喜び鳴くなれど、吾は蟋蟀の喜ぶ夜のしるしも無く、只獨りのみ寢るとの義也、。蟋蟀の喜ぶ甲斐も無きとの意也。枕とわれはは、枕と我とのみ寢るとの義也
 
寄蝦
 
2265 朝霞鹿火屋之下爾鳴蝦聲谷聞者吾將戀八方
 
此歌は古來説々區々世。俊成卿の説爲v是。各其説に隨而釋せり。鹿蚊を追ふ火の屋と云義也。尤此外色々説有て一決もせざれど、多分蚊を遣り鹿を追ふ火の事に云來れり。仙覺律師偶朝霞、かと續く事の釋を云へり。尤可ならんか。朝霞、かとうけたる義不v濟義也。是は當集中にいか程も有て、霞は日邊の餘光、目の光の餘りと云義が正義にて、古來の説皆これ也。歌に詠めるも其意也。かとうけたるは其意にて也。あかと云かの一語にうけたるか。又かゞやくと云意にうけたるか。兎角上の一語にうけん迄の朝霞と見る也。朝霞かすか抔詠める歌も數多有て、今の世の霞を詠める意と、古來の字義且歌によみしも意違たり。諸抄の説は、鹿火の煙の立ちて、山腰などに霞の如くなるから、朝霞と詠めるとの義心得難し。仙覺説の如く、只かがやくとか、又あかのかにかうけたる迄の詞は、下の火やと云迄には不v及義也。かひやを人の居る家所の屋と見ては、蝦の住み鳴く義心得難し。宗師發起は山のかひ、谷と云義と見る也。谷を屋と云也。かひは間也。山の間にの、下に鳴かはづと云義也。蝦の火により家屋によるものには非ず。谷川溝にこそは住もの也。これにて可v辨。若しかひやがもと、地名などならば、朝霞は吾背が住也。あさも、あせも同音にて、あが背の住む處と云義なるべけれど、山の間谷と見る方義安かるべし。下の(159)句の意は、前にある舌日下の歌の意に同じ
 
寄鴈
 
2266 出去者天飛鴈之可泣美且今且且今且云二年曾經去家類
 
此歌諸抄の説と宗師案とは表裏せり。諸抄は初五文字を、我出て行事に讀みて、全體の意其意をもて釋せり。宗師の意は、人の出ていにし事に見る。鴈と云詞は、我事によそへて詠めると見る也。先世間の説は
     いでていなばあまとぶかりのなきぬべみけふ/\といふにとしぞへにける
如v此讀みて、我出て行かば殘る人名殘惜みて、泣きぬべき故、今日はいで行かん明日は出んと思ひ、人も今日は/\と留めるに引かれて、年を經るとの意也。然れ共、出去者の三字、如何樣にも讀まるれば、此意全躰の首尾を調へたる共不v聞也。出去者の三字は、いでさらば共、いでてゆけば共、いでぬれば共讀めば、意彼と我との意に違有。扨且今且の字も難2心得1。一本には且今日且今日共有。如v此にては、けふけふ共讀まるべし。然れ共、且の字餘れり。又、且今の二字なれば、前にもこんと讀ませたり。且今且の三字にては、けふ/\共讀難し。又けふ/\と云にと讀みて、此歌の意聞えず。今日出いなん、けふいでいなんと云にと、詞を添へて不v解ば不v聞也。なれば宗師案は、下の且の字は二字共衍字なるべし。如v此書ける處には、毎度誤字衍字あるものなれば、且今の二字を重て書たると見ゆる也。それなれば
     いでていねばあまとぶかりのなきぬべみこん/\といひしにとしぞへにける
君がいでていにたれば、我は名殘を慕ひて泣きぬべみ、こん/\と云ひても來ざりければ、待わぶるに年を經るとの意に見る也。天とぶ雁とは、我事に比して云へると聞えたり。いかにとなれば、かりとは我事を云詞なれば也。愚意未2落付1。雁のと云詞我事に比したらば、雁はと云たきもの歟。亦且今の二字且今日の三字の事、集中此書法の例未v遂2精考1。如v此の類の字法、當集の中あまた有。追而可v考。且こんこんと云しにと、詞を餘す事不審、何とぞ別訓あらん歟。二の事外にも、てと讀までは義不v通歌有り。而の字に通ふ義ありて、古くは而の字に用たる歟。不審追考すべき歌也。且今且の三字にては、いかに共不v(160)通。誤字衍字の内は免るまじき也
 
寄鹿
 
2267 左小牡鹿之朝伏小野之草若美隱不得而於人所知名
さをしかの、あさふすをのゝ、くさわかみ、かくろひかねて、人にしらるな
 
能聞えたり
 
2268 左小牡鹿之小野草伏灼然吾不問爾人乃知良久
さをしかの、をのゝくさふし、いちじるく、われはとはぬに、ひとのしるらく
 
吾は問はぬには、物云かはさぬにと云義也。事問はぬなど云義と同じ。不v問は云はぬと同じ。歌の意聞えたり
 
寄鶴
 
鶴は四季に渡りて歌にも詠侍るを、當集には秋の部に載せたり。今の世には冬を專とする、此等時代の風躰異なる也
 
2269 今夜乃曉降鳴鶴之念不過戀許増益也
このよるの、あかつきくだち、なくたづの、おもひはすぎじ、こひこそまされ
 
鶴は夜子を思ふと云事ありて、多く歌にも夜毎の子を悲む義を詠めり。此歌にも、曉くだちと有りて、曉まで鳴と云意、思ひありて鳴く意に詠める也。よりて念不過とありて、鶴の思ひを我思に喩へて也。此不過と云は過しやらぬと云義にて、不v盡の事と釋し來れり。不過の字集中にあげて數へ難し。若遏の字の誤ならん歟。然らば不v盡の意安き也。不v過とは不v盡と云義と釋して義は濟め共、遏の字にては釋不v入に義安く聞ゆる也
益也 此益の字決語の字故、助語の意にて、れと讀むは、らりるれろは同通にて、なりと讀む字故、れと云詞の助字に用たると見えたり。
 
(161)寄草
 
2270 道邊之乎花我下之思草今更爾何物可將念
みちのべの、をばながもとの、おもひぐさ、いまさらになに、ものかおもはん
 
此歌の思ひ草に付ては、色々論ある事也。諸抄の説は、古今の歌に付て、此思草も龍膽の事と釋せり。仙覺は、なでし子共注せり。一決せず。先古今集の戀の部第一に、秋の野の尾花にまじり咲花の色にや戀ひんあふよしをなみ、と云歌に付て、まじる草花は龍膽と定家卿も書給へり。それは古今の歌の釋也。其後の人、此歌の思草も龍膽と見る由抄物に記せり。其より處は本院左大臣時平公の歌合の歌に、下草の花を見つれば紫にと詠めり。又源氏夕霧に、かれたる草の下より、りんだうのわれ獨り云々と有。又八雲御抄第三、龍膽物名外不v聞。但時平歌合に、下草の花を見つれば紫にと詠めりと有。八雲御抄、思草と云は露草なりと、通具卿の説也と、露草の所に記されたり。是皆此集をふまへて云たる義と見て、定家卿も古今の、尾花にまじり咲花龍膽とは決せられ、其後の人誰れかこれを可2改考1や。それより此思草も龍膽と見るなるべし。然共時平の歌、源氏物語の詞、決して此歌の思草の事を云たる義共難v定。且古今集の尾花にまじり咲花の歌に付ては、數百歳見損じ來れりと見えたり。彼集にて論辨を傳ふる義なれど、序なれば注する也。宗帥傳は、古今のを花にまじり咲花とは、女郎花の事と見也。男花にまじるなれば、これ女郎花ならでは義叶はず。まじるは交合の意也。其上彼の歌の見樣、先達の歴々篇列の例を不v辨して、正意に叶はざる説々也。口なし色には得堪へまじと云意を、得見わかぬから色々の説も出來る也。此歌は、口なし色に戀ひんや云はでは得たへまじきとよめる歌也。前後の歌を引合て見るべし。あふ由の無ければ、色に出でても云表さんと云意の歌也。然るに、諸抄の見樣はあふ由の無ければ、紫のゆかしき色にや戀ひわぴんと見たる説也。大成見樣のたがひ有。此は篇列の辨無きから、古來からの見損じ也。この萬葉の思草も、尾花がもとのとあれば、尾花が初めより思ひ戀ふ草なれば、女郎花と見ゆる也。其上兼良公の曉筆記にも、女郎花とある由也。を花は男花也。を花の思草なれば、女郎花と見る義當理なるべし。一義、を花が下のとあれば忍ぶ草にては有まじき歟。思ふと云ふ字は、忍ぶと讀む。を花の根莖はしのと云なれば、若し忍草(162)にもやあらん。龍膽と云義は心得難し。扨此歌の意は、物もひ草と云名に寄せて、本よりそこをこそ思へ、今更に何の外の物を思はんや、只そなたをこそ思へと詠める義也。然ればを花になりて詠める歌也。を花がもと思ひ初めしは女郎花にてこそあれ、それを今更に何の外に心を變じて思はんやと詠める也。歌の意は安く聞えたる歌也。思草の木躰論判不v決也。宗師傳は如v此也。此上説明の後考あらば幸甚なるべし
 
寄花
 
2271 草深三蟋多鳴屋前芽予見公者何時來益牟
くさふかみ、こふろぎいたく、なくやどの、はぎみにきみは、いつかきまさむ
 
蟋の字計を書たる事心得難し。蟀の字を脱せるなるべし。是も假名本、諸抄物には、きりぎりすと訓じたり。是迄の歌、悉皆字餘りに讀まねばならぬ歌也。こふろぎと讀みては、一首も字餘りの歌は無き也。さればこふろぎと訓ずべき事明也。能聞えたる通、こふろぎも鳴き、萩の花も盛りの頃しも、待つ人の不v來を恨みて、いつか來まさんと也
 
2272 秋就者水草花乃阿要奴蟹思跡不知直爾不相在者
あきづけば、みくさのはなの、あえぬかに、思跡不知、たゞにあはざれば
 
此歌いかに共解し難し。諸抄の通にては歌の意不v通。いかにとなれば、あえぬかにと云義、此歌にてはとくと不v濟也。前の家持の長歌、橘を坂上大孃へ被v贈時の、五月を近みあえぬかに花咲にけりと詠める意と、此歌の意とは不v同也。前の歌にては、未だ不v熟に早や花の咲たると云意也。こゝには合はぬ詞故、此歌の見樣未v決也。追而可v考。前の歌の詞も、時不v至間に咲と見たれ共其意不v叶歟。此歌にて同じ詞なれど、其義に聞えては歌の意不v通故、前の歌共に別意の聞樣あらんか。水草は薄の事と云説共也。これも何れとも不v被v決。水は發語の、みならん歟
 
2273 何爲等加君乎將厭秋芽子乃其始花之歡寸物乎
(163)なぬすとか、きみをいとはむ、あきはぎの、そのはつはなの、うれしきものを
 
君を何の爲にか厭ひ嫌はん、假令名も立ち、人目にあらはるゝ共、逢事の嬉しさは、秋萩の初花を見る如くなるものを、人目も恥をも君には厭はじとの意也
 
2274 展轉戀者死友灼然色庭不出朝容貌之花
こいまろび、こひはしぬとも、いちじるく、いろにはいでじ、あさがほのはな
 
展轉の二字、こいまろぶと文選などにても毎度訓ぜり。こいとは、伏す事を云古語也。こいの借字《カナ》未だ不v考、追而吋v考。義は、伏しまろぶ事也。戀の切なる義を、云たるもの也。たとへ佗び戀こがれて死す共、色に出してそれとは不v被v顯と也。顔色に不v出と云意に、朝顔の花と詠みてよそへたり。色に不v出と云より、朝顔の花と詠たる歌なり
 
2275 言出而云忌染朝貌乃穗庭開不出戀爲鴨
ことにでて、いへばいみじみ、あさがほの、ほにはさきでぬ、こひをするかも
 
穗庭開 朝顔の穗には咲出ぬとは珍き詞也。然れ共凡て物の顯はるゝを、穗に出ると云。日本紀にては、浪秀と書きて、なみほと讀ませたる通、ひいで顯れたる事を、穗に出るとは云也。薄のみに限るべからず。云忌染は、云顯しては忌み憚る如き事も有故、言にあらはして云はず忍び戀わびるとの意也
 
2276 鴈鳴之始音聞而開出有屋前之秋芽子見來吾世古
かりがねの、はつこゑきゝて、さきでたる、やどのあきはぎ、みにこせあせこ
 
始音聞而 鴈の渡り來る聲に、萩の咲頃を思ひ出て、今我庭に盛なる萩を見に來ませと也。初音を萩の聞きて咲出たると云意をも兼ねて云へる歟。無情の物に打つけて、初音聞てとは心得難けれど、ケ樣の處を歌の風情とはする也
 
2277 左小牡鹿之入野乃爲酢寸初尾花何時加妹之將手枕
(164)さをしかの、いるのゝすゝき、はつをばな、いつしかいもが、たまくらにせん
 
入野 前にも釼後の鞘に入野とよめり。丹後國竹野郡の網野ならんか。掉鹿の妻戀するとて、わけ入野の尾花を、いつか妻に逢て枕にはせんと、我戀を鹿によそへて、尾花の事を詠める歌也。或説に、初尾花の如く、柔かなる妹が手を卷きていつかねんと云意と釋せり。さは入組たる聞樣也。手如2柔※[草がんむり/夷]1など云詩の意を取り附會の説有。入ほかにて六ケ敷也。すゝき初尾花は重詞、眞玉手の玉手の類也。手枕の手は初語なるを、右附會の説共あるは心得難し
 
2278 戀日之氣長有者三苑圃能辛藍花之色出爾來
こふるひの、けながくあれば、みそのふの、からあゐのはなの、いろに出にけり
 
三苑圃のみは初語也。からあゐ前にあり。久敷戀佗ぶるから、つゝめ共自づから思の色に出ると也
 
2279 吾郷爾今咲花乃女郎花不堪情尚戀二家里
わがさとに、いまさくはなの、をみなへし、たへぬこゝろに、なほこひにけり
 
此歌の意は、女を慕ひ戀ふ心の、得忍びあへぬ故、得思ひ切らす戀ふと云意也。下の堪へぬ情に戀ふと云はんとて、女郎花と詠める也。上の句に別の意有にあらず
 
2280 芽子花咲有乎見者君不相眞毛久二成來鴨
はぎのはな、さけるをみれば、きみにあはず、眞毛ひさに、なりにけるかも
 
春夏をも經て、秋になる頃迄も不v相なるべし。それ故久になりたりと歎ける歌也
 
2281 朝露爾咲酢左乾垂鴨草之日斜共可消所念
あさづゆに、さきすさびたる、つきぐさの、ひたくるからに、けぬべくおもほゆ
 
咲すさびは進むの意也。盛に咲たる義と見るべし
(165)鴨草 頭の字を脱せる歟。一本には頭の字有。青花の事也。露草とも云。此歌も下にけぬべくと詠みたれば、露草と讀まんか。つき草、つゆ草共に義訓なれば也。朝に花咲き夕にしぼむ花故かく詠める也。歌の意は只わが思の弱りて、露の命もけぬべく思ほゆるとの意を、露草のあした咲て夕にしぼめる、果敢なき事によせて詠める也。夕部は秋のいとゞ物悲しき故、人の物思も消ゆる計に、心細くなるをよそへたるなど云説もあれど、歌は左樣に入ほかに、六ケ敷詠むものにあらず。古詠の格は、たゞ可v消と云意計りを云はんとて、上を詠出たる也。然れ共、上の露を結て、消ゆべきの縁は放たず詠める也。月草とは、日蔭に咲かで夕邊に咲、月の光に咲など云説あれど、此歌にてあしたに咲、夕邊にしぼむ事を知るべし。奥にも、あした咲き夕邊にしなえと詠めり。こゝも奥も露草と讀むべき也。消と云詞の縁に詠めると聞えたり。奧歌尚露草と詠める意也
 
2282 長夜乎於君戀乍不生者開而落西花有益乎
ながきよを、きみにこひつゝ、不生ば、開而ちりにし、はなゝらましを
 
不生は別訓あらんか。いきざらばと云義いかゞ也。あらざらばと讀まんか。歌の意は、前にも毎度ある通、死なませばと云意也。義訓に、死なませばと讀まんか。長夜をと詠めるにて、秋の意は聞えたり。戀に死なば、人にめでられん花になり共ならましをと也
 
2283 吾妹兒爾相坂山之皮爲酢寸穗庭開不出戀渡鴨
わぎもこに、あふさかやまの、はたすゝき、ほにはさきでず、こひわたるかも
 
あふ事を戀慕ふと云意に、相坂山とは詠出たり。皮ははだ也。檜皮など書にて知るべし。しのすゝきと讀ませたれど、はだと讀むべし。はだは、はな也。穗に出ぬ一種のすゝきと云説は僻事也。穗に出るものなれ共、包みて不v出は尚苦しき意也。歌の意、色には顯さず、心にのみ忍びて戀渡ると也。われをすゝきに比して也。此等の歌をもても、尾花は男花と云語と知るべし
 
2284 率爾今毛欲見秋芽之四搓二將有妹之光儀乎
□いまもみまほし、あきはぎの、しなひにあらん、いもがすがたを
 
(166)此初五文字諸抄物皆いさなみにと讀みて、いざなひと云義と注して置けり。率爾、いざなふと讀む事は通例の事、注にも不v可v及也。然れ共いざなみにと讀む義、終に句例語證を不v聞其上いざなみと讀みて歌の意聞えたるや、率爾の二字何とぞ別訓あるべし。四瑳二の三字も心得難し。思ふ人の姿は、秋萩のしなひたる樣にあらんを、あから樣に見たきとの意也。宗師は率爾の二字あから樣にと讀まんかと也。しなひの假名に二義有。此卷此奥の歌に之奈要うらぶれと書けり。又しなひとも書たる歌ありて、二樣に書る事いかゞ、不審也。之奈要と之要非とは假名不v合。然れば義も違ふべし。いかなるをしなひと云ひいかなるをしなえと云義、不2分明1也、追而可v考。其儘にとか、すみやかに共讀まるべき歟
 
2285 秋芽子之花野乃爲酢寸穗庭不出吾戀度隱嬬波母
あきはぎの、はなのゝすゝき、ほにはいでゞ、われこひわたる、しのびつまはも
 
これも色にも出ず、言にも顯さず、忍び渡るの意也。忍び妻はも、かくし妻共讀むなれど、すゝきと讀める縁に、しのびとは讀む。意は何にても同じ。花野と云はんとて秋萩とは詠出たり。これらも萩の花と、うけの言葉續き迄に、詠めると聞ゆる也。波母とは例の嘆のこと、歎きたる義也
 
2286 吾屋戸爾開秋芽子散過而實成及丹於君不相鴨
わがやどに、さけるあきはぎ、ちりすぎて、みになるまでに、きみにあはぬかも
 
あはぬ事の久敷程經たることを、詠める迄の歌也。此實になる迄は、萩の花散て、實のる頃迄も逢はぬは、いか計り日を經るの意を詠める也。夫婦の事とゝのふ迄と、云にはあらず。只萩の實迄の意也。開の字脱したる本有。一本開の字のあるを爲2正本1也
 
2287 吾屋前之芽子開二家里不落間爾早來可見平城里人
わがやどの、はぎさきにけり、ちらぬまに、とくきてみませ、ならのさとびと
 
歌の意別義なし
 
(167)2288 石走間間生有貌花乃花西有來在筒見者
いしばしの、まゝにおひたる、かほはなの、はなにしありけり、ありつゝみれば
 
貌花 注前に有。一種ありと見えたれど、何れの花と不v知也。只美しき花と計りにては不v濟義也。世説は、かきつばたなど云へるは、謠に出づるより俗人云習へる歟。歌の意は、思ふ人とありつゝ眺め見れば、顔よき花の如く美しく、紅顔美麗の人なりとの義也
 
2289 藤原古郷之秋芽子者開而落去寸君待不得而
ふぢはらの、ふりにしさとの、あきはぎは、さきてちりにき、きみまちかねて
 
古郷之 別の意無き也。藤原とは、ふりにしと續けん爲の、語の響きの縁に詠出たり。歌の意不v及v注也
 
2290 秋芽子乎落過沼蛇手折持雖見不怜君西不有者
あきはぎを、ちりすぎぬべみ、たをりもち、みれどもさびし、きみにしあらねば
 
此歌隔句體也。萩をと云たるは、一句隔て手折持に續く詞也。待ちつれ共來らざれば、今は散過んやと、手に折持て心の儘に見れ共、思ふ人の無ければ、心の慰まで寂しきと也。不怜の字はさびしきと讀む、集中毎度例あり
 
2291 朝開夕者消流鴨頭草可消戀毛吾者爲鴨
あしたさき、ゆふべはきゆる、つゆぐさの、けぬべきこひも、われはするかも
 
思ひわびて、露の身も消ゆる計りに、われは戀をすると也。前にも云通り、鴨頭草は露草と讀むべき也。上の句にも下の句にも、消と云詞あれば也
 
2292 ※[虫+廷]野之尾花苅副秋芽子之花乎葺核君之借廬
あきつのゝ、をばなかりそへ、あきはぎの、はなをふかさね、きみがかりいほ
 
(167)思ふ人を萩に喩へ、尾花は吾身に喩へたるならん。畢竟男花女花を取合せて、屋を葺かさねと、男女寄り合ひたきと云義によそへて、かくは詠める也。君の字は、せこと讀まんか。然らば萩を吾身に比して、女の歌と見るべき也
 
2293 咲友不知師有者黙然將有此秋芽子乎令視管本名
さきねとも、しらずしあちば、もだにあらん、このあきはぎを、みせつゝもとな
 
中々に萩を見しより、たゞはあられず戀慕はるゝと也。此本名と云事兎角もだにと云意と、凡てのもとなの詞を聞べき也。此歌にても、もだなと云意によく聞ゆる也。秋萩を人の見せずば、たゞ何とも無く有べきに、見しよりもだなくてと云ふて、もだなは、たゞにあられぬと云意と聞ゆる也。思ふ人を見ずば、何の事も無く啻に有らんを、見しより啻ならず其儘にてはあられぬとの意也
 
寄山
 
2294 秋去者鴈飛越龍田山立而毛居而毛君乎思曾念
あきされば、かりとびこゆる、たつたやま、たちてもゐても、せこをしぞおもふ
 
よく聞えたる歌也。立而も居てもと云はんとて、龍田山とは詠出たり。雁とび越と詠みたる故、下の君をせことは讀む也。女の歌なるべきか。せこの事なほ不審多ければ、女の歌とも不v可v決也。日本紀に、たちておもひなどいふ山背大兄王の御言葉などあるから、かく詠出たる歟。君を思ふ事の至りて切なる意を詠める也
 
寄黄葉
 
2295 我屋戸之田葛葉日殊色付奴不來座君者何情曾毛
わがやどの、くずはひごとに、いろづきぬ、きまさぬきみは、なにごころぞも
 
待人の日を過ても來ぬを、恨むるに寄せたる也。紅葉に葛を先と詠めるは、早く染るもの故なるべし。曾もとは、かもと云と(169)同じ意、いかにしたる心にやと云意也。
 
2296 足引乃山佐奈葛黄變及妹爾不相哉吾戀將居
あしひきの、やまさなかづら、そむるまで、いもにあはでや、われこひをらん
 
黄變の字はもみづとも讀み、又義訓に染るとも讀べき也。此歌も逢はぬ事の久しきを歎きて、詠める意を寄せたる也
 
2297 黄葉之過不勝兒乎人妻跡見乍哉將有戀敷物乎
もみぢばの、過不勝こを、ひとづまと、見つゝやあらん、こひしきものを
 
過不勝 是を諸抄の説、すぎがてぬと讀みて、紅葉の美はしき色の、過ぎぬ如くなる女子をと云義と釋せり。美はしきが過ぎぬとは聞えぬ詞也。當集は義訓をもて長き詞を文字數少く書きなして、しかも其義よく通ずる樣に、さ讀まではならぬ、當然紛れぬ書き樣なれ共、後拾遺の序文の如く、そのかみの事今の世に知る事難くして、其かみは人毎によく心得て、知れたる事なれど、時世移り來りて、色々義をも取違へたり。諸抄の如くにても、言廻せば同意なれど、理り直に當れりとは不v聞也。此過不勝の三字は、此歌に限らず毎度ある字也。其の所々にても、よく案をなすべき事歟。先此歌にては、過不の二字は物の不v過の意、勝はすぐれたるの意也。然れば紅葉の散りもせず、染も殘さず殊にすぐれたると云意をもて、盛なると讀ませたると見ゆる也。過不及に勝たるは盛りの意、勝の字に賞美の意を込めて、盛なると義訓する爲、かくの如くは書たる也。然れば女子色よく頃も盛りなるを、我ものとも不v見人の妻と見做して居らん、戀しきものをと詠める歌也。紅葉々の色よく、散も始めず染も殘さぬ如きの人をと寄せたる也。然れば過がてぬと云ふては義六ケ敷、盛なると讀みては直に詞に義理釋して聞ゆる也。然れど、さ讀まれぬ字なれば讀み難けれど、かく讀むべき爲に、古人は義をよく合せて書かれたりと見ゆる也
 
寄月
 
2298 於君戀之奈要浦觸吾居者秋風吹而月斜烏
(170)きみにこひ、しなえうらぶれ、われをれば、あきかぜふきて、つきかたぶきぬ
 
之奈要 志奈非とも有歟。此假名不審也。しなへると、しなゆるとは別義歟。しなゆるは、しぼむ方の事を云、しなへ、しなひは、たをやか、しなやか抔云義歟。よりて假名も異なる歟、未v詳也。しなえうらぶれは、物思にやつれて、惱居る躰を云也。歌の意は、月を詠むにも戀しき人の事を思出て、慕ひ佗びて居るに、猶物悲しく風さへ吹渡りて、更行く空の月も傾く氣色を詠める也。烏の字は焉の字の誤りなるべし。前に注せる如く、鳥、烏、焉の三字を誤りたる事毎歌に多し
之奈要 當集卷第二人麿の歌、夏草之念之奈要而志怒布良武云々。又云、夏草乃思志萎而將嘆。萎は、しぼむと讀む字也。古事記下雄略記云、於是赤猪子以爲望命之間、已經2多年1姿體|痩萎《ヤセシホム》云々。古今眞字序云、如d萎花雖v少2彩色1而有c薫香u云云
 
2299 秋夜之月疑意君者雲隱須臾不見者幾許戀敷
あきのよの、つきかもきみは、雲がくれ、しばらく見ねば、こゝたこひしき
 
疑意は義をもて讀みたり。此卷の奧雪を詠める歌にも、此二字を書て、かもと讀ませたり。或抄に、意を裳の字の誤りと見る説有。二字にてかもと讀事、何の滯りあらんや。明なる義訓也。歌の意不v及v注、能聞えたり
 
2300 九月之在明能月夜有乍毛君之來座者吾將戀八方
ながづきの、ありあけのつきよ、ありつゝも、きみがきまさば、あれこひんやも
 
ありつゝもと云はんとて、有明の月を詠出たり。ありつゝもとは、在存して變らず通ひ來まさばの意也。若此歌は無き人を戀悲しむ歌ならんか。然し乍ら、戀ひん八方共あれば、末かけていつ迄も不v變來まさばの意なるべし。長月と詠める意も、長く久しく不v變の意を含めての意と聞ゆる也
 
寄夜
 
2301 忍咲八師不戀登爲跡金風之寒吹夜者君乎之曾念
(171)よしゑやし、こはじとすれど、あきかぜの、さむくふくよは、きみをしぞわぶ
 
忍の字、おしと讀む。横通音の字なれば、よしと通ふ故書たると見えたり。歌の意は、よしや最早や戀ひじと思捨ても、秋風のいたく吹きて、夜寒むの頃は忍びかねて戀侘びると也
 
2302 惑者之痛情無跡將念秋之長夜乎寐師耳
 
此歌假名づけ本諸抄の讀様、無き文字を入れて、而かも義の聞えぬ讀樣を注せり、上の句は、佗人のあな心なと思ふらん秋の長夜をと、讀むべけれど、寐師耳の三字を、寐ざめしてのみとは、如何に共讀難し。音に詞を添て讀まば、如何樣にも讀まるべけれど、さ讀む事は成らざる事を、知らぬ人の無理讀みの假名を付置しを、其れに從ひて、又後の人注を加ふる事慨かしき事也。妹の字をねざめと讀む義あらんや。又寐覺と讀みて歌の意如何に聞ゆるぞや。上の句の意、物思ふ人はあな心無しと思ふらんと詠出たる下なれば、佗人とは物思ありて夜をもいねがてにする人を云也。其人の心無きと思ふらんなれば、長夜をも寐覺もせで、よくぬると云意ならでは、歌の意不v通也。然るを寐覺のみしてと讀みて、全體の歌の意何と通ずるや。此三字は義訓に書たると見えたり。宗師案は、ふしあかしけりとか、又は、しとすと同音なれば、ふしあかすのみとか讀まんかと也。愚意未だ不2落着1。只ぬる事計りの義訓に讀みたき也。あかすと云事如何也。しとすと通ずる語なれど、同じくは師の字訓、にとか、しとか讀樣あらんか。後案すべし。先いねあかしけりと讀置也。貧賤の人は、晝の家業によく寐るに、物思ふて長夜をも寐ね覺めて寐ぬるを心なしと思はんとの説あり。餘り心得難き説也
 
2303 秋夜乎長跡雖言積西戀盡者短有家里
あきのよを、ながしといへど、つもりにし、こひをつくせば、みじかゝりけり
 
戀思ふ人に、逢ひし夜の事を寄せて詠める也。たまさかに逢ふ夜なれば、積れることをかたみに語り盡さんとするから、長き夜も、間なく明くる事を惜みて也。古今集小町が歌に、秋の夜も名のみなりけり會ふといへばことぞともなく明けぬるものをと詠めるも、此歌の意に同じき也
 
(172)寄衣
 
2304 秋都葉爾爾寶敝流衣吾者不服於君奉者夜毛著金
あきつはに、にほへるきぬは、われはきじ、きみにまたせば、よるもきるかに
 
あきつはとは、とんぼうの羽色は美はしく光るもの也。其如くなる美しき色のきぬと云意にて、衣を賞めて云へる也。吾は着まじ、思ふ人に奉らば、定めて夜も着て寐給はんに、せめて吾こそ寐ねず共、此衣なり共君に馴添ひ寐させねとの意也。きるかには、着るにてあらんにと云意也。奉は、またす共讀む事、日本紀等に有
 
問答 戀の歌の意を問答したる歌也
 
2305 旅尚襟解物乎事繁三丸宿吾爲長此夜
たびにすら、ひもとくものを、ことしげみ、まろねあがする、ながきこのよを
 
歌の意は聞えたる通也。襟の字はゑりと讀字也。ひもと讀義未v考、義を通じて讀ませたる歟。わがするを、あがすると讀むべし。明すの意を兼て也。ケ樣の事は、歌によりて讀樣の心得ある事也
 
2306 四具禮零曉月夜紐不解戀君跡居益物
しぐれふる、あかつきづきよ、ひもとかず、こひぬるきみと、をらまし物を
 
時雨降るあかつき月夜と云にて、秋の長夜を丸宿あがすると云に答へたる也。紐不v解は、紐解かで丸ねと云に直に和へたり。戀君跡は戀しききみと讀ませたれど、さ讀みては答の意不v通。前の歌に答たる歌なれば、先の心をうけて、吾を戀慕ふ君と居らましとは和へたる歌と見る也。さ無くては、紐不v解と云義不v濟。是は紐解かず、丸ねわがすると云義を請けて、和へたる歌なれば、紐解かずは、先のことを云へると見る也。或抄には、此歌、詠かけの歌にて、此の歌の和へは、第四首目の雨ふればの歌に注したる注有。心得難き見樣也
 
(173)2307 於黄葉置白露之色葉二毛不出跡念者事之繁家口
もみぢばに、おくしらつゆの、いろはにも、いでじとおもふに、ことのしげけく
 
色葉にもは、紅葉は露しぐれにて色の出る也。其色にも出でまじと、忍び包め共、如何にしでか、人の言の葉の繁く云騷がさるゝと也。者の字此歌にても、にと讀までは不v通也
 
2308 雨零者瀧都山川於石觸君之摧情者不持
あめふれば、たぎつやまかは、いはにふれ、きみのくだかん、こゝろはもたじ
 
此歌は、事の繋けくと詠かけたる意をうけて、よし人は何と云騷がされて隔たる共、吾はこと心など有て、そなたに心を摧かし物思はすべき心は持たじと也。上の句は、君のくだかんと云迄の序乍ら、石に觸れなと云へるは、人の云騷ぎて思ふ儘ならず彼方此方に障りあることによそへて云へるならん。此歌を四具禮ふるの歌の和へと見るは、雨の縁計りをうけての意也。問答とあるに、隔て答をなすべき樣無し。心得難き注もある也
 
右一首不類秋謌而以和載之也 句中に秋の季のことは無き故、如v此注せる也。古人の贈答には、ケ樣に意を受て和へる事多し。此注は後人の注にて、撰者の注にてはあるべからず
 
譬喩歌
 
2309 祝部等之齋經社之黄葉毛標繩越而落云物乎
はふりらが、いはふやしろの、もみぢばも、しめなはこえて、ちるてふものを
 
神を祝ひまつれる處の木には、人に手折らさじと境を隔てゝ、しめ繩を引、不淨を避け禁ずる也。神の杜、社頭の神木等、今とても如v此する古風の遺れる也
標繩 注連、或ひは尻目繩等の字を、しめなはと訓ず。日本紀には、左繩端出と書きて、しりくめなはと讀ませたり。境を限る(174)爲に引くもの也
神代紀上云、〔於v是中臣神、忌部神、則界2以端出之繩【繩亦云2左繩端出、此云2斯梨倶梅儺波1〕此標繩は字の通の意、凡て境をきはめて限る事をしめしむると云。其義に同じく、此木は神の木としめて、外より手折り取らざる爲、又は不淨などを爲さゞる爲に、しるし置く意也。然れ共紅葉々の時來れば、しめ置きたる繩をも越えて、外へ散り出る如に、人の引かば靡かんと思ふ意か。又親のいましめなど有り共、心れに引かれ寄ると云意に譬へたる歌也。紅葉の色にも出で、ことにも顯して、よしや人目人言をも厭はず、思ひを晴らさんなど、身を振捨てゝの意共聞ゆる也
 
旋頭歌
 
2310 蟋蟀之吾床隔爾鳴乍本名起居管君爾戀爾宿不勝爾
こふろぎの、わがゆかのへに、なきつゝもとな、おきゐつゝ、きみにこふるに、いねがてざるに
 
君に戀佗て、いのね難きに、蟋蟀の床の邊りに鳴けば、愈もだされず、たゞ居り難くて、戀佗るとの意也。もとなと云詞は、兎角其儘にあられぬものからと云意と聞ゆる也。よしなくもと云意に叶ふ歌有ても、前にも注せる如く、語の釋不v濟也。よし無をと云義を、何とてもとなとは云へると云義、いかに共濟まぬ也
 
2311 皮爲酢寸穗庭開不出戀乎吾爲玉蜻直一目耳視之人故爾
はたすゝき、ほにはさきでぬ、こひをわがする、かげろふの、たゞひとめのみ、みしひとからに
 
はたすゝき穂には咲出ぬは、前に注せる如く、穗に出ざるものにはあらねど、可v出穗の未だ不v出如く、心に包み苦みて、戀佗るの意也。色にも詞にも云出あらはさぬことを、よそへて斯くは云へり。畢竟只一目見しから、其面影も忘られで、思ひ忍ぶとの義也。玉蜻の只一目と云は、かげる日の、ちらり/\とする火の如くなるに譬へたり。定かにも見ず、只有か無かそれかあらぬかと云如く見し人なれ共戀慕ふと也
 
冬雜歌
 
(175)2312 我袖爾雹手走卷隱不消有妹爲見
わがそでに、あられたばしる、まきかくし、きえずもあれな、いもに見せなん
 
手走は、只はしる也。たは助語、とばしる共云、同じ義也。卷隱の二字別訓有らんか。先讀み來れる通に讀也。妹が見ん爲と讀ませたるは心得難し。見爲とか、爲吾見とかあらば、さも讀まんか。爲見と書たれば、兎角見せとならでは讀まれぬ也。よりて見せなんと讀む也。見せんに共讀まんか。歌の意は聞えたる通也
 
2313 足曳之山鴨高卷向之木志乃子松二三雪落來
あしびきの、やまかもたかき、まきむくの、きしのこまつに、みゆきふりけり
 
高山は常に雪降るものなれば、卷向山のきしの小松に雪降りたるを見て、山高きかもとは詠める迄の歌也。只小松に雪の降りしを見たる、當然の歌也
 
2314 卷向之檜原毛未雲居者子松之末由沫雪流
まきもくの、ひはらもいまだ、くもらぬに、こまつのうれゆ、あわゆきのふる
 
未雲居者 此者の字、例のそとか、をとか不v讀ば此歌聞えざる也。※[者/火]の字か緒の字かの一所誤りし故、集中如v此なるべし。くもらぬには義訓讀み也。雲ゐぬに共讀みて義同じ。檜原も曇らぬに、小松がうれは沫雪の降れるは、いぶかしき意に詠みたる也。流の字は、雪の空より降り來るは、ものゝ流るゝ様なれば、是も義をもて讀ませたり。此歌新古今に、家持の歌とて春の部に入れて、くもらねばと直して、不v霞の意にして被v載たるも心得難き事也。是程冬の雜歌に被v載たるを、引直して春の部に入らるゝ事心得難き事共也。歌の意不v通、者の字の案不v足故也
 
2315 足引山道不知白杜※[木+戈]枝母等乎乎爾雪落者
あしびきの、やまぢもしれず、しらゆふの、えだもとをゝに、ゆきのふれゝば
 
(176)白杜※[木+戈]をしらかしと讀ませたり。杜※[木+戈]の字、かしと讀める義、何の書に有てか。是は日本紀等に、杜木杜樹とあるを見て考合すべし。樹と※[木+戈]とは字義相通。然れば白ゆふなる事明か也。是程に知れたる事無きを、不v考の人、しらかしと假名付をせしから、此歌を手本として、後々の人しらかしとは心得て、此歌に依りて詠める歌も有。尤しらかしを歌に詠める事無きにあらず。日本紀景行紀、天皇思邦の御製歌にも、しらかしがえをと詠ませ給へり。然共杜※[木+戈]の二字をかしと讀める義、何の字書にも不v見事也。後拾遺集に、法印清成、落葉道をかくすといふ心を詠める歌
   紅葉散る秋の山邊は白かしの下ばかりこそ道は見えけれ
是等此歌に基きて詠めると聞えたり。それより、けしかるは、清少納言が木はしらかしなど云もの、まして〔深山木の中にも、いと氣遠くて、三位二位の上の、きぬ染むる折計ぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事をかしき事に取出づべくもあらねど、いつとなく雪の降たるに見まがへられて〕素盞嗚尊の出雲國におはしける御事を思ひて、人麻呂が詠たる歌などを見る〔いみじう哀れ也〕此事は、餘りなる不v考の事也。尤も此歌に本づきて書けると見えたれど、とり處も無き不v考の事なるべし。若何卒古き物語もの抔に、ケ樣のみだりなる車抔、古く書たりしもの有けるにや。歌の意は、雪降り積みて、山路もそれと知れわかぬとの義也。しらかしのは、知れぬと云縁をうけて詠める意也
 
或云枝毛多和多和 とをゝにと云を、或本にはたわ/\とありしと也。たわゝとよめる意に同じ
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出也但一首或本云三方沙彌作 冬雜歌四首の内、三首は人丸、一首は沙彌の作と也。左注著考ふる處有ての注なるべし。然共不分明なる注也。一首は何と云差別もせざれば、何れの歌ならんや知れ難し。凡て後注は、撰者は不v注後人の追加故、如v此不v慥事のみ也。然共左注なれば今以は人丸、沙彌の歌とすべきを、新古今集には、何とて家持として、歌の詞も少引直し、春の部には入れられたるならん。此集をもよく不v考、又讀不v解故、色々違もありける歟
 
詠雪
 
2316 奈良山乃峯尚霧合宇倍志社前垣之下乃雪者不消家禮
(177)ならやまの、みねなほくもる、うべしこそ、まがきのもとの、ゆきはけずけれ
 
奈良山の峯の晴ぬは理りよ。まだ雪の降るなるべし。さればよ、まがきのもとの雪の消えざりけれと也。雪のまだ降らんては、先に降りし雪の消えぬもの也
 
2317 殊落者袖副沾而可通將落雪之空爾消二管
けにふらば、そでさへねれて、とほるべく、ふるらんゆきの、そらにけにつゝ
 
殊の字ことふらばと讀ませたれど、如の字の意に讀まんことも心得難し。ことにふらばと云義を、ことふらばとは讀まれぬ言葉也。ことにと云意にて、けにとは讀む也。けには、わきてと云意也
可通の二字毎度あり。何とぞ別訓有べけれど未v考。歌の意、はげしく降らば袖もひぢ通りて沾れぬべけれど、空に消えていたくも降らぬと詠める也。雪の降る空はかき曇りて、あやわかね共降り來る處は、曇れる程も無きものなれば、其氣色を詠める也
 
2318 夜乎寒三朝戸乎開出見者庭毛薄太良爾三雪落有 一云庭裳保杼呂爾雪曾零而有
よをさむみ、あさとをあけて、いで見れば、にはもはだらに、みゆきふりたり
 
庭もはだら 斑らと云詞も同じ。はだれと云は、はな雨と云言葉にもなり、亦まだれと云ことにもなる也。此はだらは、積りたる處、積らぬ處などある庭の躰を云へる詞也。亂れたる有樣を云詞にも通ひて、既に下に一説を擧て、ほどろとも有て、ほどろも、はだらも、同音の詞にて、一まいに敷みちたる義にはあらず。積れる處もあり、又積らぬ方もある、庭の躰を云へる也
一云庭裳保杼呂爾雪曾零而有 前にも有てほど/\にと云詞とも同じく、亂れたることを云へる也。よのほどろと云は別の詞也。此ほどろは、まだらなど云に同じ。次奧の歌にも庭もほどろにと詠みたり
 
2319 暮去者衣袖寒之高松之山木毎雪曾零有
ゆふされば、ころもでさむし、たかまどの、やまのきごとに、ゆきぞふりたる
 
(178)木毎に雪の降りたるは、いと高く聳えて見ゆべければ、高まどのと詠めるも理り也
 
2320 吾袖爾零鶴雪毛流去而妹之手本伊行觸糠
わがそでに、ふりつるゆきも、流去て、妹がたもとに、いゆきふれぬか
 
歌の意は聞えたる通、わが袖にふれる雪の、妹が袂にもゆき觸れよとの意也。面白き雪を、思ふ人にも見せまほしく。又吾につきたる物の、思ふ人に添ひしませたきも、戀慕ふ心の淺からぬからなれば也。然るに流去の二字を、ながれゆきと讀ませたれど、ちりゆきてと讀まんか。又別訓もあらんか。流行きにては有まじき詞也。流の字、歌によりて、色々に義訓せらるゝ字也。此歌にては、ちりゆきてと讀まん事、同じ義訓にも然るべからんか。流れゆきてにても、歌の意は同じき也
 
2321 沫雪者今日者莫零白妙之袖纏將干人毛不有惡
あわゆきは、けふはなふりそ、しろたへの、そでまきほさん、ひともあらなくに
 
聞えたる歌なれど、作者の詠める折の意心得難し。旅行などにての歌か。亦妻などに立別れ居る處にての歌ならんか。今日と限りたるは、その時の當然の義也
 
2322 甚多毛不零雪故言多毛天三空者陰相管
いたくしも、ふらぬゆきから、こちたくも、あまつみそらは、くもりあひつゝ
 
甚多の二字を、はなはだと讀ませたり。第十一卷にても、前にも如v此讀ませたり。多の字衍字になる也。其上はなはだと云は俗言也。古詠の風躰如v此と心得たる人の、ケ樣は詠める歟。然れ共、一字にて讀む言葉を、二字にかけて讀む事もあれど、此二字は、いたくしもと訓ずべき事也。意は甚だの意にても、歌詞とたゞ言との違有。ゆきからとは、俗に云はゞ、ゆきなるにと云べき詞、雪ジヤにと云俗言の意也。こちたくもと云も、いたくしもと云も同じ意、こと/”\しくも抔云意也。さのみも降らぬ雪なるに、空は甚だ曇りたるとの義也
 
2323 吾背子乎且今且今出見者沫雪零有庭毛保杼呂爾
(179)あがせこを、こんか/\と、いで見れば、あわゆきふれり、にはもほどろに
 
且今の二字、此歌にて見れば、こんと讀までは不v通也。いまと讀みても、けふと讀みても、こんかと云詞に副はでは聞得難し。なれば、こんかと讀ませたる義と見るから、こんか/\と讀める也。歌の意は別に不v及v注也。凡て後々の集、先達者も、沫雪は春ならでは降らぬ事と心得たる歌も有り。此集を古人も委敷は不v見しなるべし
 
2324 足引山爾白者我屋戸爾咋日暮零之雪疑意
あしびきの、やまにしろきは、わがやどに、きのふのゆふぐれに、ふりし雪かも
 
昨日暮、きのふゆふべ共、きのふのくれ共、好む處に任すべし。朝に詠める歌ならんか、能聞えたる歌也
 
詠花 冬の花也。よりて悉く梅を詠める歌也。梅計りは冬にも咲くもの故如v此冬の部に被v入たる也
 
2325 誰苑之梅花毛久竪之清月夜爾幾許散來
たがそのゝ、うめのはなかも、ひさかたの、きよきつきよに、こゝたちりくる
 
何の意も無き歌也。久方の清きと、中に詞を入れて、月とうけたる事好き也。凡て冠詞を云に、中に一言二言詞を入れて云事、歌の姿好きものなれど、上手のわざ故成難きもの也
 
2326 梅花先開枝手折而者※[果/衣]常名付而與副手六香聞
うめのはな、まづさくえだを、たをりては、つとゝなづけて、よそへてんかも
 
是は人の梅を手折る歌なるべし。家づとゝ名付て折らんとの意なるべし。よそへてんは、家づとゝ名付け、よそへてをらんと也。諸抄の説は、きみよそへてんとの意と注せれど、君と云詞なくては心得難き説也
 
2327 誰苑之梅爾可有家武幾許毛開有可毛見我欲左右手二
たがそのゝ、うめにかありけん、こきたくも、さきてあるかも、見かほしまでに
 
(180)咲きてあるかもは、咲てあるかな也。かもは凡て歎息の詞也。人の家の梅を見やりての歌なるべし
 
2328 來可視人毛不有爾吾家有梅早花落十方吉
きて見べき、ひともあらぬに、わぎへなる、うめのはつはな、ちりぬともよし
 
人の訪ひ來ざるを怨みたる歌也。意は能聞えたり
 
2329 雪寒三咲者不開梅花縱比來者然而毛有金
ゆきさむみ、ゑみはひらかで、うめのはな、よしこのごろは、かくてもあれかに
 
待ちし梅も、此頃の寒さには、よし不v咲してかくてもあれとの意也。あれかには、かくてもあれ也。かく寒ければ、とても咲きても、もてはやすべき折ならず。雪に交りてあたらしき花も、詮無かるべければ、よし此折は、かくてもあれとの意也。先には、咲かずして、さてもあるかにと詠ませたれど、歌の意不v通重ね詞も何の用なき重詞也。咲の字、ゑみと讀事集中多し。然るを皆さくとのみ讀置きしは、歌によりて差別ある事を、不v辨假名づけ也
 
詠露
 
2330 爲妹未枝梅乎手折登波下枝之露爾沾家類可聞
いもがため、ほづえのうめを、たをる登波、しづえのつゆに、ぬれにけるかも
 
末枝は上枝と同じ。梢と云説は非也。梢の假名はすゑ也。末枝はほづえ也。古事記下雄略卷、三重釆女歌云、麻岐牟久能〔日代乃宮波中略都紀賀延波〕本都延波阿米袁〔淤幣理〕那加都延波阿豆麻袁〔淤幣理〕志豆延波〔比那袁淤幣〕云云
歌の意は、聞えたる通地。然るに手折とはの手爾波如何に共心得難し。波の字底の字の誤りか。登は爾の字の誤り歟。二字の内兎角一字誤りと見えたり。然るを諸抄皆其儘に釋し置かれし事心得難き也。若しくは脱字あるか。登波の間に、れの字など落たる歟。さなくては歌の意如何とも不v通也。ほづえとは、いち末の枝を云也。最枝とも書く也。梢と同じと云説は非也。假名違、上つ枝と同じ意也
 
(181)詠黄葉 もみぢは秋を專と詠じ來れり。此紅葉は、冬に至りても遲く色付もの、草木にも有けるを詠める也
 
2331 八田乃野之淺茅色付有乳山峯之沫雪寒零良之
やたのゝの、淺ぢいろづく、あらちやま、みねのあわゆき、さむくふるらし
 
八田の野、有乳山、共に越前也。北國なれば、異國にすぐれて雪も早く降るから、淺茅の色付を、みね有乳の高ければ雪も降るらしと詠める也。あらち山を詠めるは、時令の、すぐれてはげしくある野の意を含みてなるべし。凡て淺茅は、遲く色付ものと見えたり。前の歌にも秋の末に詠めり。新古今には、人丸の歌として載せられたり
 
詠月 冬の月を詠める也。月は四季に渡りて詠めば也
 
2332 左夜深者出來牟月乎高山之峯白雲將隱鴨
さよふけば、いでこん月を、高山之、峯の白くも、かくすらんかも
 
何の意も無き歌也。高山は香具山の事歟。只何方とも指さず、高き山を云へるは心得難し。惣ての高山にては有まじきか。香具山なるべけれど、香具山を詠出たる意味も歌に不v見ば、古く假名付しけるに任せ讀む也
 
冬相聞
 
2333 零雪虚空可消雖戀相依無月經在
ふるゆきの、そらにけぬべく、おもへども、あふよしをなみ、つきぞへにける
 
ふる雪の降とはすれど、空にて消ゆるが如く思侘ぶれ共、逢ふべきよるべ無く、空しく月日を經にけると歎きたる也。虚空の二字をそらと約めて讀むべし。一字にては外に通ふ由も有。二字を書たるは空と讀むべき爲なるべし。あだ空しき共讀まるべければ也。二字なれば空とならでは讀まれまじき也
 
2334 沫雪千里零敷戀爲來食永我見偲
(182)あわゆきの、千里ふりしく、こひしきに、氣ながくわれや、みつゝしのばん
 
千里は千重の誤りにあらんか。然し沫雪なれば、千重にとは讀まれぬか。沫雪とは、強ち消易きと云意計りにても無く、雪の惣名共見ゆる也。歌の意は、世の常にすら戀しきに、雪さへ降りしきたれば、愈遠ざかり隔たれるから、尚長くや雪をも見つゝ忍ばんとの意也。諸抄の説は、六ケ敷入組たる見樣なれど、安く聞えたる歌なるべし
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
寄露
 
2335 咲出照梅之下枝置露之可消於妹戀頃者
さきでたる、うめのしづえに、おくつゆの、けぬべくいもに、こふるこのごろ
 
置露のは消ぬべくと云はん迄の序也。能聞えたる歌也
 
寄霜
 
2336 甚毛夜深白行道邊之湯小竹之於爾霜降夜烏
いたくしも、よふけてゆくな、みちのべの、ゆざざのうへに、しものふる夜を
 
湯小竹 ゆとは初語也。五百津湯津など云とは異なり。湯津岩村など云と同事と云説あれど、ゆつと云は賞めたる詞、ゆと計は只初語と見るべし。いたく夜更けて、いでかへるな。路邊の小竹が上には、霜の降る夜を凌ぎて行くなと、夫などの忍來て歸らんとするを留めたる歌なるべし。寄するとあるは、皆戀の意によそへたる也
 
寄雪
 
2337 小竹葉爾薄太禮零覆消名羽鴨將忘云者益所念
しのゝはに、はだれふりおゝひ、けなばかも、わすれんといへば、ましてしのばる
 
(183)はだれは花雨にて雪を云。是燈明とする歌也。當集に二首まで、雪をはだれと詠める歌をもて、はな雨の證とすべし。小竹をさゝとも讀め共、下にしのばると讀む縁には、しのと讀まん事然るべし
零覆の二字、ふりしきと讀まんか。おほふと云詞はよろしからぬ詞也。然れ共、意は同じければ、諸抄にもさ讀みたれば通例に從ふ也。歌の意は、降り積りたる雪の、消なば忘れんか、命のうちは忘れぬと人の云から、いやましに我もそなたを、戀慕ふとのよそへ也
 
2338 霰落板敢風吹寒夜也旗野爾今夜吾獨寐牟
みぞれふり、いたくかぜふき、さむき夜や、はたのにこよひ、われひとりねん
 
板の字、枝に書たるは誤り也。敢の字を、くと讀むは、かんと云詞は、く也。約て云へる也。かきくけの通音にて、くと通ふ故抔云説は迂衍の義也。かんと云音は、約めて云へば、くになる也。旗野末v考。第一卷に波多の横山と云所を擧られたり。伊勢にある歟。霰はみぞれ也。和名抄云、〔爾雅注云、霰、冰雨雜下名【和名美曾禮】〕此歌旅行などにて詠める歟。はたと云詞は、嘆息の詞なれば此處もはた也。今夜獨り寢んかと、歎きたる意をこめて、旗野を詠出たるならんかし
 
2339 吉名張乃野木爾零覆白雪乃市白霜將戀吾鴨
よなばりの、ぬきにふりおほふ、しらゆきの、いちじろくしも、こひんわれかも
 
市白と云はんとて、上を詠出たるもの也。打表はして、言にも出して戀ひん哉と云へる意也。野木と云へるは、穩かならぬ詞なれど、よなばりの野の木に、雪の降積みたるを見て、よそへ詠めると聞ゆる也。地名に意あるにはあらじ。よなばりの事、吉魚と書たらば、義訓にてふなばり共讀べからんを、吉名と書て鮒と讀義未v考。前に注せる如く、よなばり、よごもり、ふなばり三ケの地名か。其内よなと、ふなとは文字の誤りもあらんか。此事未v決也。古名張とあるは、ふなばりなるべし。吉名をふなばりとは吉の字の義を釋せずしては讀難し
 
2340 一眼見之人爾戀良久天霧之零來雪之可消所念
(184)ひとめ見し、ひとにこふらく、天霧之、ふりくるゆきの、けぬべくおもほゆ
 
歌の意は、聞えたる通也。只一目見し人に戀佗びて、雪の消ゆる如く身も消ぬべく思ふとの事也。天霧之の三字、前にも注せる如く、かきくらしと義訓に讀まんか。あまぎらしといふ詞、如何共心得難し。假名書の證歌あらば、何疑ひあらん。未見ば此訓心得難し。尤人丸の歌とて、あまぎる雪のなめてふれゝばと、詠める歌もあれば、古語にあまぎらしと讀み來れる歟。然れ共當集其外古詠に、假名書の歌を不v見ば、うけがひ難き也
 
2341 思出時者爲便無豐國之木綿山雪之可消所念
おもひ出る、ときはすべなみ、豐國の、ゆふやま雪の、けぬべくおもほゆ
 
豐國 壹國にてやあらん。前にも、ひとくに山と詠める歌あれば也。人を戀慕ふ意を寄せて、ひとくにの木綿山雪と詠めるにやあらん。思出る時はすべなみとは、思出て戀佗びる時は詮方も無き計りに思佗て、雪の消ぬべき樣に思ふとの意也。木綿山雪とは、穩かならぬ詞なれど、ゆふこえくれば抔詠める詞、又此下に窺良布跡見山雪とも詠めり。古詠例句あれば、此時代の風躰なるべし。木綿山、第七卷に、はなちの髪をゆふの山と詠める所なるべし。然らば西國の内にて、豐前豐後の内歟。此歌を證として見るべし。宗師の案、豐は壹の誤りかとの意も、歌の意にてはさもあらんかなれど、第七卷の木綿山の歌の名は筑前なれば、豐國の方なるべし。歌の意は皆消ぬべく思ほゆると云迄の寄せ也
 
2342 如夢君乎相見而天霧之落來雪之可消所念
いめのごと、きみをあひみて、あまぎらし、ふりくるゆきの、けぬべくおもほゆ
 
前の歌共同じ意也
 
2343 吾背子之言愛美出去者裳引將知雪勿零
あがせこが、ことうつくしみ、いでゝゆかば、もひきしられん、雪なゝふりそ
 
吾夫の言の美はしく睦まじければ、今又出行かんに、雪降りては裳を引跡の顯れんまゝ、雪は降りそと也
 
(185)2344 梅花其跡毛不所見零雪之市白兼名間使遣者
うめのはな、それとも見えず、ふるゆきの、市白けんな、まづかひやらば
 
雪降れば、梅は色同じきものなれば、何れ共わき難けれど、此降る雪に思ふ人に來ませと使を遣らば、その跡は著く顯れ見えんと也。下の一説の歌にて、愈其意明也
 
一云零雪爾間使遣者其將知名 ふるゆきにまづかひやらばそれとしれなん。前に注せる意、此一説にて、彌明かなるべし
 
2345 天霧相零來雪之消友於君合常流經度
あまぐもり、ふりくるゆきの、きゆるとも、きみにあはんと、ながらへわたる
 
能聞えて、別の注に不v及歌也
 
2346 窺良布跡見山雪之灼然戀者妹名人將知可聞
 
此歌の五文字、如何に共心得難し。うからふとゝ云は、うかがふと云事と、先達の歴々も注し給ふを、數百歳の今、愚なる心にうけがはぬは憚多けれど、たぐひも聞馴れぬ歌詞也。其上前にも、木綿山雪と地名を詠みて、珍しき詞ながら例あれば、是もとみ山ゆきなるべきを、見る山ゆきと讀めるも猶更うけがひ難し。大和の跡見山の雪を詠めるなるべく、窺良布と云義は、何とぞ鳥見の縁につきて別訓あるべし。窺良布と詠みたるから、とみ山共續けたるならん。然ればうからふと讀みては、如何に共不v通。何とぞ別訓を後案すべし。歌の意は、句面の通、聞えたる歌也。只いたく戀佗びなば、妹が名のあらはれて、人の知らんかと也。窺良布、此別訓後案すべし
 
2347 海小船泊瀬乃山爾落雪之消長戀師君之音曾爲流
あまをぶね、はつせのやまに、ふるゆきの、けながくこひし、きみがおとぞする
 
(186)此歌は、雪の消ゆると云詞を、初語のけと云にかけたる迄の歌也。船の港に着く時は騷がしくて、人音の定かなるものにて、且嬉しく悦ばしきものなる故、深く意を含めて、あまを船はつ瀬の山をも詠出て、君が來る音のするとは詠みとめたるならんか
 
2348 和射美能嶺往過而零雪乃※[厭の雁だれなし]毛無跡白其兒爾
 
此歌諸抄の如く讀みては、色々の詞を添て釋せざれば聞えず。然りとて、慥に聞とゞけたる證明の類歌も無ければ、如何に共注し難し。先諸抄の説は、初五文宇は四言に讀みて、わさみのは美濃にある山にて、此歌は、美濃に妻ある人に、つかひに云心也。汝わさみの峯行過てと云心によみ切りて、ふる雪の疎ましく厭ふ事無きが如く、吾は何時も飽かず思ふ由を、妻の子に申せよと教てやる心に見るべしとの説有。又わさみのゝと五文字に讀める説有。一字音の假名書に書きて、みのゝとは讀難し。扨歌の意は、嶺行過て猶やまぬ雪は疎ましきと、上の句に詠みて、其女子は疎ましからぬと、云ひ傳へよと見る説有。かく見て、此歌とくと聞えたり共不v覺。使の事句中にも不v見。おして美濃に妻ある人の歌と云べき事も心得難く、嶺過て尚降る雪は、疎ましけれどと云事も句中に不v見。歌は詞を不v入不v添して、其意安く聞ゆる樣に、詠みもし聞もすべき事也。言を漆へ詞を加へて云はゞ、如何樣にも理屈を添へて注せらるべきなれば、さは云ひ難けれど、此歌如何に共解し難き故、先達もかく色々の案を加へて釋し置たり。※[厭の雁だれなし]毛無跡、此四字の讀樣あるべし。此四字にて、下の白の字の意も知れ侍らんか。白の字は申とも讀みたれば、さも讀べきか。雪に寄せたる歌なれば、同意ながらしらせと讀まんか。しろきと云事を詠める共見ゆる也。曰の字の誤とも見ゆる也。愚案、讀むべくは、わさみのねゆきすぐれどもふる雪のいとひもなしとしらせその子に。意は、わさみのねは、美濃國にある山にして、忍逢ふ女子と我中の事につきて、災もあらんかと、互に氣遣ふ中なるが、其わさみの山を、過行とも雪降りて、山路の過ちも無く、厭ひ嫌ふ事も無きと云事に、女子と我中との事のあらはれ、わざにも逢ふ事無きを喜ぶ義に寄せたるかと見る也。雪中に山など越ゆるは、吹雪、雪なだれなど云て、わざのある物なるに、何の災と云事も無く行過ぬと云事を、思ふ中の間に、さはりわざある事も無きと云義に寄せたるか。しらせと云は、廣く誰れとも無しに、只打任せて詠めるか。何にしらせと、さしつくる處の無き義濟難けれど、前の説の如く使にもして見るべき也。全體如何樣に聞きなしても不2打着1歌也。尚後案すべし
 
(187)寄花 冬の歌故梅を詠める也。並べての花とは見難し。冬咲く花ならでは、なり難かるべし
 
2349 吾屋戸爾開有梅乎月夜好美夕夕令見君乎社待也
わがやどに、さきたるうめを、つきよゝみ、よな/\見せん、せをこそまたな
 
月のあかきよ、宿に咲たる梅を見せまほしと、月夜頃の夜々思ふ人を待つと也。歌の意は、不v及v注聞えたり。社の字、祚の字に書たる本も有り。何れか正本ならん。その字なれば、君の字せな共きみ共讀みて句を調ふべし。意は同じ事地。也の字は決語の字に書たる歟。語の餘りに置たる字にして讀まば、假名付の如く、君をこそ待てと讀みて歌の意よく通ずる也。待たなと讀みては歌意少し紛るれ共、決語、語の餘に書きたると決し難きは、待の字一字にて、待て共、待つ共讀まるれば、也の字無用の字を書べき用無し。依りてまたなとは讀也。なりと讀む字故、なと計りは讀まるゝ也。祚の字にして句を調ふれは、せをぞ待つなりと讀みて能聞ゆる也。此歌は如何樣にも聞えたる歌也。尚義の安き方に見るべし
 
寄夜 此題も冬の意を以て見るべし。歌にも其意の歌を擧げられたり
 
2350 足檜木乃山下風波雖不吹君無夕者豫寒毛
あしびきの、やました風は、ふかねども、きみなきよるは、かねてさむしも
 
山下風、やまのあらし共讀まんか。何れにても意は同じ。吹かねどもとあるから、かねてと云ひて、常に獨寐の夜は寒きと也。況や、冬の夜のはげしき嵐の吹く夜は、尚夜寒むならんと嘆きたる意をこめて詠める也
 
萬葉童蒙抄 卷第十終
 
(188)萬葉集卷第十難解之歌
 
1817 今朝去而明月者來牟等云子鹿丹〔四字傍点〕旦妻山丹霞霏※[雨/微]〔三字傍点〕
 旦妻山、日本紀卷第十一、大鷦鷯天皇之御歌、阿佐豆磨能避箇能烏瑳箇烏云々此地名大和か難波か未v決
1832 打霏春去來者然爲解天雲霧相〔四字傍点〕雪者零管
1849 山際之雪不消有乎水飯合〔三字傍点〕川副着目生來鴨
1851 青柳之絲乃細紗〔二字傍点〕春風爾不亂伊間爾令視子裳欲得
1859 馬並而高山〔五字傍点〕部乎白妙丹令艶有者梅花鴨
(189)1866 春※[矢+鳥]鳴高圓邊丹櫻花散流歴〔三字傍点〕見人毛我裳
     譬喩歌
1889 ○ 吾屋所之毛桃之下爾月夜指下心吉〔六字傍点〕菟楯頃者
1893 出見向崗本繁〔二字傍点〕聞在花不成不止
1901 藤浪咲春野爾蔓葛下夜〔二字傍点〕之戀者久雲在
1916 ○今更君者伊不在春雨之情乎人之不知名國
1927 石上振乃神杉神佐備而吾八更更〔二字傍点〕戀爾相爾家留
1951 ○慨哉四去〔四字傍点〕霍公鳥今社者音之干蟹〔二字傍点〕來喧響目
1961 ○吾衣於君令服與登霍公鳥吾乎領袖爾〔三字傍点〕來居管
(190)1979 春之在者酢輕成野〔五字傍点〕之霍公鳥保等穗跡妹爾不相來爾家里
1996 ○天漢水左閉而照舟竟舟人妹等〔八字傍点〕所見寸哉
1998 吾戀嬬者知遠徃船乃過而應來哉事毛告火
2003 吾等戀丹穗面〔三字傍点〕今夕母可天漢原石枕卷
2005 天地等別之時從自※[女+麗]然叙手而在〔五字傍点〕金待吾者
2003 彦星嘆須※[女+麗]事谷毛告余叙來〔四字傍点〕鶴見者苦彌
2066 擇月日逢義之有者別〔傍点〕乃惜有君者明日副裳欲待
 一本、待作v得
2092 天地跡別之時從久方乃天驗常弖大王〔二字傍点〕天之河原爾璞月累而妹爾相時候跡立待爾吾衣手爾……《中略》吾
(191) 詠花
094 竿志鹿之心相念秋芽子之鐘禮零丹落僧〔傍点〕惜毛
2108 秋風者急之〔二字傍点〕吹來芽子花落卷惜三競竟
2113 手寸十名相〔五字傍点〕殖之名知久出見者屋前之早芽子咲爾家類香聞
2133 秋田吾苅婆可能〔四字傍点〕過去者鴈之喧所聞冬方設而
2140 璞年之經往者阿跡念登〔四字傍点〕夜渡吾乎問人哉誰
2167 秋野之草花我末鳴舌百鳥音聞濫香片聞吾妹〔四字傍点〕
2176 秋田苅※[草がんむり/店]手※[手偏+垂]奈〔四字傍点〕利白露者置穗田無跡告爾來良志
 ※[手偏+垂]、一本作v搖
2284 率爾〔二字傍点〕今毛欲見秋芽之四瑳二將有〔五字傍点〕妹之光儀乎
(192)2302 惑者之痛情無跡將念秋之長夜乎寐師耳〔三字傍点〕
2330 爲妹末枝梅乎手折登波〔二字傍点〕下枝之露爾沾家類可聞
2346 窺良布跡見山〔六字傍点〕雪之灼然戀者妹名人將知可聞
2348 ○和射美能嶺往過而零雪乃※[厭のがんだれなし]毛無跡白其子爾
2349 吾屋戸爾開有梅乎月夜好美夕夕令見君乎祚待也〔三字傍点〕
 祚一本作v社
 
萬葉童蒙抄 本集卷第十終
 
(193)萬葉集卷第十一
 
 古今相聞往來歌類之上
 
旋頭歌十七首
正述心緒歌百四十九首
寄物陳思歌三百二首
問答歌二十九首
譬喩歌十三首
 
(194)萬葉童蒙抄 卷第二十九
 
古今相聞往來歌類之上 此目録別而心得難し。是より上の卷に毎度相聞の歌あるに、此卷に限りて此の如く標題せる事有るべき樣無し。惣て目録は後人の加筆なれば、今更評するに不v可v及事なれど、近世の諸抄には、是等の目録をも本文と心得、撰者の筆と見て、注解をもなせる故、此後の學生猶惑ひあらんかと、筆を加へ侍る耳
 
寄物陳思歌三百二首 是も數へ違也。貳百八十貳首也。上の卷共にも、ケ樣の違は數多有りしを、目録の沙汰は無用の事なれば注せざりき
 
旋頭歌十七首 前にも注せる如く、歌はそのかみ何句と云限りも無かりしか共三十一字の歌を短歌と定めて、五七五七七と言を連ねたり。長歌は其五句にかゝはらず、五七五の詞をいくらも續くる也。然るに此旋頭歌は、濱成和歌式にも頭にめぐらすと云意にて、双本とも記せり。然れば此頭にめぐらすと云も、双本と云も、三十一字の五句の歌を、本として云へる義にて、五句の頭とは初五文字を云也。五句の内上三句を上の句とも頭とも云ひ、下二句を下の句とも尾とも云。和歌式に頭尾と云へるは此義也。其頭にめぐらすとは、五句に一句添て、上の句と同じく讀むをもて、頭にめぐらすとは云也。双本と云も、上の句を本と云ひ、下の句を末と云。神樂に本末と云も是也。然れば、本にならぶと云意にて、五七七五七七と詠むを旋頭歌とは云也。五言七言心に任すなど、奥義抄に云へるは誤也。旋頭歌と云字の意、濱成式の双本の義を證とせば、六句にて上下同句の歌をこそ、旋頭歌とは云べき也。古今集の旋頭歌、古人の歴々讀みたがへり。双本と被v書たる意も、古今集の
   うちわたすをち方人にものまふすわれ、そのそこに白くさけるは何の花そも
此歌にて明也。然るに、歴々の先達皆われそのそこにと續けて讀來れり。われそのそこにと續く詞は無き詞也。此われは上(195)に付かねばならぬ詞を、下に續け讀める事大成誤也。奥義抄の説にも、心得難き事共あり。委敷不v及v注。橘貞樹、小野小町等の歌に付ても、心得難きことを注せり。所詮旋頭歌は、濱成式と、古今の、をち方人の歌とを手本として心得べき也。五七七五七七と六句に詠めると見るべし
 
2351 新室壁草苅邇御座給根草如依逢未通女者公隨
にひむろの、かきくさかりに、みましたまひね、くさのごと、よりあふをとめは、きみがまにまに
 
新室 新しく作れる屋を云へり。日本紀清寧紀云、二年冬十一月〔依2大甞供奉之料1、遣2於播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯於赤石郡縮見屯倉首忍海部造〕細目新室1。見2市邊押磐皇子億計弘計1。顯宗紀云〔適會2縮見屯倉首縱賞〕新室以v夜繼1v晝。神代紀下卷云〔故鹿葦津姫忿恨。乃〕作2無戸室1〔入2居其内1。而誓之日〕云々。室の字は、むろ共云へ共、さやとも讀めり。釼室と書く時はさやと讀也。意は人の家の意也。扨此歌は、新しき家を作れる時祝して、其處の人を饗宴する事古實也。既に右に引ける如く、日本紀に見えて、室ほぎの歌と云古事さへ殘りたり。今とても此遺風は有事也。棟上の祝など云事も此遺風也。此歌も、新室の祝宴をなせる事を詠める也。然るを目録に後人の加筆しおける、古今相聞など云事あるに氣をふれしより、此二首も、戀の意を專として見たる抄物説々のみにて、古來より室ほぎの古實を詠めると辨へたる人無し。新室と詠出たるは、何の爲に詠めるや。室ほぎの事を詠める歌ならで、此歌いかに共聞き得難し。然るを色々の寄せ詞を加へて、注釋せられたる抄共、無益の事實に勞して無功の義也。何程言葉を添て云廻されたり共、鮮かに歌の意不v通ば、うけがはぬ人はうけがひ難き也。室ほぎの事を詠めると見つけたらん人は、歌の意もいと安らかに聞え侍るべし
壁草 かきくさと讀也。楚辭屈原が九歌(ノ)點に、※[草がんむり/全]壁《クサノカキ》ニ紫壇如v此古く讀ませたり。何とてかきくさとは詠み出たるや。新室ならば、草など生ずべきならずと云不審有。是は只それまでの沙汰には不v及義、下の刈りと云はん迄の縁に、かき草とは詠みてかりとは假初に見まし給ひねと云ひて、假に來りてましませと云義にて、高貴の人を請待する義をかくは詠める也。祝宴に來り給へと云事を、來る人を尊んで假初に御座被v成よと云たる詞也。よりあふとは祝宴に寄合て、歌舞抔をなす女子と云義也。(196)上にかき草と詠みし故、其草の如くしなやかに寄り集まる乙女らは、歌ひつ舞つせん事も、君が心任せにせんと、請する人を崇敬してかく詠める也。諸抄の意と引合て辨ふべし。諸抄の如くにて此歌濟むべきや。人麿歌集に出と、後人の追加乍らも細書に注したれば、げにも時代は古き歌ならんかし。然れば古實を存したる歌なれば、中世の意をもて推量の注解は叶ひ難かるべし。次の歌は直に日本紀顯宗仁賢の御事を、乍v恐もよそへて詠める歌に聞ゆる也。此歌の意は右の通りにて聞えたらんか
 
2352 新室踏靜子之手玉鳴裳玉如所照公乎内等白世
 
此歌も室祝の事を專と詠みて、然も顯宗仁賢の御事を詠める共聞ゆる也。餘り恐もあれば、あらはには釋し難き也。先づ新室をほむと讀むべし。假名付け抄物等の説の通りにては、新室のふむしづけ子がと讀ませたり。如v此讀みては歌と云ものにあらず。踏の字をほむと讀む事を不v知からの説也。踏の字は神代上卷の神號にも、熊野忍蹈尊と有て蹈の字ほむと讀ませたり。比も新室をほむるしづけ子と云へる義也。ほむは、ほぐと同じくて祝ふ事也。歌舞をなすしづまりたる子と子を賞めて、しづけ子とも詠めるなるべし。又顯宗仁賢の二君の事を、乍v恐も指して詠める意歟
手玉鳴裳玉如 舞兒の飾りの玉の鳴るもと云義、裳は嘆の詞とも聞え、又下へつく初語とも聞ゆる也。上につけては助語にして嘆の詞感じたる詞也。下に付ては眞玉と云と同じ。彼舞兒の飾りの玉の、鳴る其玉の如くと云義也
所照公乎内等白世 此句少聞き得難し。若し是は、日本紀の室祝の事を引て詠める歟。然れば顯宗仁賢の二聖君の事をよそへ奉りたると聞ゆる句也。諸抄の讀樣は、入組たる詞を添て釋して、照せる君をうちにと申せと讀みたれど、讀樣はさもあらんかなれど、釋し樣いかに共句中に見えざる意を添て注せり。よりて聞え難し。二君の事を引て詠奉りたる意に見れば、歌の意甚安き也。玉の如く照り給ふ君は、此新室の内にましますと帝都へまうせと、其時の意をこめて詠める歟。現日としらせと云意歟。然らば直に、うつ日としらせと讀みてよく聞えたり。天下を照し臨ましめ給ふ、日のみ子としらしめよと云意也。然れば、此歌の讀樣下の句色々の讀樣有るべし。先一通り讀まんには、二君の事を詠める意と見れば
   にひむろをほむしづの子の手玉ならすもたまのごとてらせるきみをうちにともうせ。又はうつ日としらせ、うちにとあかせ
(197)此外もまだ讀樣にて、二君の事にあらず、主人を賓客より祝讃して詠める歌と見る義有るべし。後案すべし
 
2353 長谷弓槻下吾隱在妻赤根刺所光月夜邇人見點鴨 一云人見豆良牟可
はつせの、ゆつきがもとに、わがかくせるつま、あかねさす、てれる月よに、ひとみてむかも、
 
長谷 はつせと讀ます義、いかなる故共未v考。日本紀古事記等に、此二字をはつせと讀まし來れり。古事記には、雄略天皇の御名大長谷若建命と記し、坐2長谷朝倉宮1治2天下1也とも書き、坐2長谷之百枝槻下1爲2豐樂1之時云々如v此書て、はつせと假名を付けたり。日本紀當集には初瀬泊瀬など書けり。長谷の二字を、はつせ又ははせと計りも讀む義、何と云へる所以共知り難し。昔は、ながたに共云ひたるか。又こもり口の泊瀬と續く事も、長谷の二字の意縁ある樣に見ゆる也。籠りたる口にて、奥深く長き谷の地を云へる事にや
弓槻下 是も地名と聞ゆる也。第十卷目の歌に、玉蜻夕去來者佐豆人之弓月我高荷霞たなびく。此如く詠めるなれば、弓槻と云所あると見えて、直に槻の木の下にと云意を兼ねて、詠めると見ゆる也
所光 ひかるとも讀べし。然れ共あかねさす日とうける義にはあらず。月にうけたる赤根さす也。よりて照れると讀む也。歌の意は何の意も無く聞えたる通、弓槻下に隱しおける妻を、さやかなる月夜には人の見あらはさんかもと、氣遣ひて詠める迄の歌也。弓槻とは弓にするによき木と云事にて弓槻と云との事は心得難し。弓槻の地名を歌によそへたる義と聞ゆる也
 
2354 健男之念亂而隱在其妻天地通雖光所顯目八方 一云大夫乃思多鷄備※[氏/一]
 
此歌は前の歌に和へたる歌也。いかにとなれば隱在其妻と詠めるは、前の、わが隱せる妻と云處をとりて、和へたると聞え、月夜に人見てんかもと詠めるに、所顯目やもと云ふて和へたると聞えたり。然れ共、天地通雖光の五字いかに共心得難し。諸抄の如くに讀みて、月の天をも照らし、地をも照らすともあらはれめやもと云義にて、天つちに通り照る共と讀むとの注釋なれ共いかに共心得難し。天地に通り照る共と云詞、いかに共續かぬ詞也。宗師別案有、追而可v考也。上の句は勇猛の男子心を摧きて、隱しおきたる妻なれば、たとひいかなる事にもあらはれじと、妻貞節の意をもあらはして、和へたる歌とも聞ゆる也
(198)一云大夫乃思多鷄備※[氏/一] たけぴは進みてと云意と同じ。ますらをは猛く勇むを本とす。其猛き事を進むの意たけぶると云意也。神さぶるなど云と同じく、神ぶる翁ぶる、たけぶる皆同じ意にて其わざふるの意也。今俗にも、たかぶるなど云義と同じ。其事に勇み進む義を云也
 
2355 惠得吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國
 
此歌もいかに共心得難き歌也。諸抄物假名付の通にては、俗言ながら一通聞えたれども、はやもしねやと云事、如何共歌詞に聞えず。何とぞ別訓あらんか。尚追而、可v發2後案1歌也。諸抄假名付の通りにては、わが惠まめと戀慕ふ妹の、兎角吾には心通ぜすして、たとひ生き永らへたり共、送に吾には隨ふべきとも云はぬ由なれば、とても永らへてわれに物思ひをさせんよりは、早く死ねよと思ひ慕ふ事の深き餘りに、却りてつれ無き心の出來ぬる意を詠めると釋し來れり。かく讀みてはさも聞え侍れど、句體歌詞にあらず。連續せぬ詞共あれば、ケ樣にては有まじき也。然れ共未だ今案も無ければ後案に殘す也
 
2356 狗錦紐片叙床落邇祁留明夜志將來得云者取置待
こまにしき、ひもかた/\ぞ、とこにおちにける、あすのよし、こんといひなば、とりおきまたん
 
狗錦紐片叙 こま錦は前にも注せる如く、高麗の錦の紐はよき物故、紐を賞して狗錦とは詠出て、紐と云冠辭に詠みたる也。日本紀の歌に、さゝらがた錦の紐とも詠給ひて、歌には凡て如v此一物を云とても、皆風雅をあらはして詠むを習とはする也。たゞ事と歌との違ひは、此等にて知るべし。此歌狗錦の事の入事にはあらねど、只紐と云ぎを詠むまでの事なれ共、如v此雅辭を詠出るを歌とは云也。紐には雄紐雌紐と云て二筋有由也。さればこそ此歌にも片と讀たれば、つがひたる紐と聞ゆる也。今とても裳袴の紐は左右にわけて著くる物なれば、古制もかくの如くなるべし。歌の意は、紐の落ちたるは、あすの夜もこんと云事にや。さも云給はゞ止め置きて、來るをも待たんを、さも云はねばいかにやせましの意をこめて、取置待たんと詠める也。こんと云なば取置き待たんと計りにて意止らねど、意を含めて來給はんや來給ふまじやと、思ひ佗たる意に詠めると聞ゆる也
 
2357 朝戸出公足結乎閏露原早起出乍吾毛裳下閏奈
(199)あさとでに、きみがあゆひを、ぬらすつゆばら、とくおきて、いでつゝわれも、ものすそぬれな
 
通へる人の朝とく出て歸るを、われも見送らんに、裳の裾をも濡さんと也。夫の足結を濡らすなれば、われも共に裳の裾ぬらさなんとの義也。足結は前に注せり。日本紀等にも見えたり。今の脚絆の類也
 
2358 何爲命本名永欲爲雖生吾念妹安不相
なにせんに、いのちもゝとな、ながくほりする、いけりとも、わがおもふいもに、やすくあはぬに
 
此歌のもとなは、よしなくもと云に能叶へり。又詞の、命をもなど云義にも聞ゆる也。心もとなくたゞならぬと云方には不v通本名也。これらの詞未だ決し難き也。然れ共ただも居ずして、何の爲命を永かれとは願ふぞと云意に見る也。此意は少し六ケ敷也
歌の意は何の爲に命をも長かれと思ふらん、生永らへたりとて、戀佗ぶる妹に安く逢はざるに、よしや今は命を長かれ共願はじとの歌と聞ゆる也
 
2359 息緒吾雖念人目多社吹風有數數應相物
いきのをに、われはおもへど、人めおほみこそ、ふくかぜに、あらばしばしば、あふべきものを
 
命にかけて思へ共、人目多くて逢ひ雖ければ、吹風にもがな、それにもあらば逢はるべきにと也
 
2360 人祖未通女兒居守山邊柄朝朝通公不來哀
ひとのおやの、をとめごすゑて、もるやまべから、あさな/\、かよひしきみが、こねばかなしも
 
此歌は守山といふ地名によりて詠める也。地名の守山を詠まんとて、上の句を詠出たる也。尤も打かへしてあさな/\通ひし人の、をとめ子をすゑかへして守らすから、不v來と歎きたる意をも含て聞ゆる也。をとめ子の詠める歌也
 
2361 天在一棚橋何將行穉草妻所云足莊嚴
(200)あめにある、ひとつたなはし、いかにゆかん、わかぐさの、つまがりといへば、あしをうつくし
 
此歌諸抄の説は、天河に在る一つ橋の危うきをいかで渡り行かん、いつくしき足にて、危き橋を越えん事のいつくしみと、いたはりたる歌との説也。諸本の假名右の如し。かく讀みて歌の意聞えたり共不v覺。宗師説は、惣て當集の假名の書樣一格ありて、字句にて一通り意を含て、上に行と云字を書けば、下に足といふ字を書きて、歌の義は外の意をあらはせり。此格を不v知人は文字に氣をふれて迷ふ事有。此歌も上に行と云事を詠める故、下に足と云字を書きたれど、あしと讀む義は有べからず。これはそこと讀ませたる義と見る也。歌の意、天河に在る如き只一つのわづかなる橋なれ共、妹がもとゝいへばそれをも厭はじ、そこも美はしくよき處と思ふと云ふ意に、そこも美はしと詠めるならんと也。天在とは日とうけたる迄の義と云説もよき説なれど、此歌のなみ悉く地名を詠みたる歌なれば、天河の事にして山城大和に天河と云處あるをもて、空天の天川になぞらへて詠めると見るべし
      あめにあるひとつたなはしいかでゆかん穉《ワカ》草のつまがりといへばそこもうるはし
一棚橋 板一枚をかけ渡して、狹く細き橋を云たる義と聞ゆる也。唐の詩にも、水棚と記せる此事ならん。橋は棚を釣りたる樣なるものなれば、水棚とも云ひ我朝にては棚橋とも云へるならん。此歌愚意未v落。一棚橋いかに行かんと詠めろ意は、天に在る只一つの棚橋何とぞ行通ふべき。中々行かれまじきと云意に、いかにゆかんとは詠めるならん。然らば上の句に對して下の句の見樣何とぞ有べきか。宗師説にてもいかに行かん妻がりと云へば、そこも美はしと云ては、上下首尾せぬ樣に聞ゆる也。一ツ棚橋にて、殊に天に在る橋なれば、中々行かるべき處ならねど、妻の居るもとゝ云へば、それをも渡り行かんと云意に詠める歌ならんか。莊嚴の二字よそほひと讀むべき字也。なれば足よそひせんと詠めるにはあらましや。尚後案すべし。天に在る一ツ橋は、中々いかに共行かるべきにあらねど、妻の居る處と云へば、いで行かんと足のよそほひをもすると云意共聞ゆる也
 
2362 開木代來背若子欲云余相狹丸吾欲云開木代來背
 
(201)此歌諸抄の説と、宗師案と甚だ相違せり。先諸抄の説の讀樣左の如し
やましろのくせのわかこがほしといふわれあふさわにわれをほしといふやましろのくせ
 
如v此讀みて歌の意は、山城の久世と云ふ處の若き男の子が、われを戀慕ひてほしと願ふ。あふさわにとは大方凡に打なづみても願はず。只凡にわれをほしきと云と重ね詞に云ひてよめる歌と釋せり。再應返して云事は、古詠の格何程も有事也との注也。然れ共、開木と書きて山と讀む義、いかに共未v通。其の上開木代の三字、一本には代を伐の字を書きたるあれば、何れ共難v決。且相狹丸の義もいかに共難2心得1。大さわと云語釋、何とも義不v通ば此説難v用也。よりて宗師讀樣は
      あき木こるこせのわかこがほしといふかりまきさをにかりほすといふあきゞこるこせ
開木伐は、商なふ木をこると云義。來背は巨勢山など云前にもある大和の地名。其こせのわか子とさして云へるならん。若子は男子を賞讃して云へる義也。古語拾遺に脇子と云古語の轉也と云へる也
欲云余 われをほしきと云との義にて、木を伐と詠出たれば、かりとは讀む也。切も苅も同事義を云詞なれば、ほしとは商ふ木を切りて、干枯らすと云義に云なしたる義也
相狹丸 相はまきまくと讀む事前にも注せり。みとのまぐはひ等讀める事日本紀に見えたり。こゝは眞木青にと云義によそへたり。丸の字はわにと讀むぐわんの音故わ也。わとをと同音故、さをにと讀みて青にと云意也。商ふ木をま青に伐りて、干こせと重て云たる義にして、下の意はこせと云處の山の木は、諸人の薪に伐りて賣る故、あき木こるこせと地名を呼出したる也。其こせの若男がわれ妻にせんと戀ほしがりて、眞木の青木を伐りて干すと、重ねて繰言に詠める也。當集の歌は、惣て如v此一つものに寄せて、下に意を隱して詠める也。惣じて古詠の格皆かくの如し。今の歌にも、其ふまへある歌は上手の作也。古今集の歌に此歌の意をとりて
   あしひきの山田のそほつおのれさへわれをほしといふうれはしきこと、と詠めるも此歌等に基きてなるべし。此歌の事は彼集に釋しつ。又第七卷にも開木伐來背と詠める歌ありて、そこにも注せり
 
右十二首柿本朝臣人麿之歌集出
 
(202)2363 崗前多未足道乎人莫通在乍毛公之來曲道爲
をかざきの、たみたるみちを、ひとなかよひそ、ありつゝも、きみがきまさん、よきみちにせん
 
崗前 は大和の地名なるべし。山城にもあれど、此時代の歌山城の地名を、ケ樣の歌に詠出づべきにもあるまじ。大和の内にも有るべき也
たみたる は、こきたみなど云ふて、入まがりたる處の道と云義也。廻りめぐる事をたみたむと云也。日本紀神武卷には、丘岬、此云2塢介佐棄1。如v此ありて山などの入曲りたる處を、岡ざきとも云へど、此歌の岡前は地名なるべし
在乍毛 此儘にありて、ひたもの/\公が通路にせんとの義也。人通ひては忍びて來る君が通路になり難き故、人な通ひそと示せる也
曲道はよき道と讀むべし。前にもよき道は無くてと詠める例有。よけ道なり。忍通ふよけ道にせんと也
卷第七、神前あらそも見えず波立ちぬいづこよりゆかん與寄道者なしに。多未足道を、俊頼朝臣は、おほみあしぢと讀まれたると聞えたり。心得難し。散木集に歌有
 
2364 玉垂小簾之寸鷄吉仁入通來根足乳根之母我問者風跡將申
たまだれの、をすのすけきに、入通こね、たらちねの、はゝがとひなば、かぜとまをさむ
 
玉だれのをずと續く事前に委しく注せり。諸抄の説片腹痛き事いかに共云盡し難く、歎かしき事也。假名本にも皆こすと假名をつけたり。數百歳の誤りいかん共し難し。玉だれと計りさへ讀みたり。此等は又上古玉すだれ等云ひて、餝に玉をも垂れたれば、通じてよめるとも云べきか。當集等の玉垂のをすと詠める意、必しもさにはあらず。只をと云ふ初語に、玉を貫き垂れる緒と云うけ迄の冠辭也。玉を垂れたるす故云にはあらず。みすともこすとも云皆初語也。上古は兎角初語を用て雅言とし、其初語も上に縁を詠み出で詠める義と知るべし
(203)寸鷄吉仁 すけきの、けは助語すきに也。すきは隙間のこと、ひまをすきすくと云也
入通をいりかよひと讀ませたれど、通の一字にて通ひこねと讀まれて句も調ひたるに、入と云字を加へていり通ひと讀ませたるは、忍びこねと讀むべき爲、入通の二字を書きたると見えたり。入と云も、通ひと云にて濟むべきを、無用の言葉也。なれば二字を合て義訓に、しのびと讀ませたる義と見ゆる也。歌の意はよく聞えたる也。玉垂れのをすの事は第七卷にも注せり。此下にも有
 
2365 内日左須宮道爾相之人妻※[女+后]玉緒之念亂而宿夜四曾多寸
うちひさす、みやぢにあひし、ひとづまゆゑ、たまのをの、おもひみだれて、ねぬよしぞおほき
 
人づまとは人の妻を戀ふと云にはあらず。只なべて妻となるべき女子と云義也。第一卷にも其後の卷にも、人妻から抔詠める同じ事也
※[女+后] 珍しき字也。奥に至りても一所有。ゆゑと讀義未v考。故の字の誤りにや。※[女+后]、玉篇云、古侯切、遇也、又易卦名也。字書云居後切、音構、遇也、陰陽相遇也、又云好也。管子曰、其《(其ノ次人脱カ)》彜※[女+后]又胡口切、遇也。ゆゑと讀む字義無2所見1。兎角故の字の誤りなるべし。玉の緒は亂れてと云序也。念ひに續く詞にあらず。冠辭は凡て二言三言を隔て詠む事上手の業也。既に此歌も玉の緒の亂れてと云はず。念ひと三言を隔てたり。例へば玉手次思ひかけずも抔詠むを、優美の言葉とはする也
 
2366 眞十鏡見之賀登念妹相可聞玉緒之絶有戀之繁此者
まそかゞみ、見てしかとおもふ、いもにあはむかも、たまのをの、たえたるこひの、しげきこのごろ
 
まそかゞみは、見てしかの序也。見てしかと云はがなと願ふ意也。せめて見てしか抔願ひしか共、それさへ叶はねば由無しと思絶えにしを、又此頃の頻りに戀しくなりたるは、若しもや逢事有らんとの事にやと云意と聞ゆる也。宗師云、絶たると云事心得難し。玉の緒の絶えたると云ては續かぬと也。亂るゝと讀まんかと也。愚意未v落。奥に至りて絶と續ける歌第十二卷(204)にも毎度出たり。玉の緒、玉かづら抔上に詠みて、たえ、たゆると詠める事數多有
 
2367 海原之路爾乘哉吾戀居大舟之由多爾將有人兒由惠爾
うなばらの、みちにのりてや、吾こひをらむ、大ふねの、ゆたにあるらん、人のこゆゑに
 
海原の路にのりてやとは、下に大舟のゆたにあるらんと詠める首尾也。心浮きたる人の子故に、大舟のたゆたふ如く定らずして、何時を泊りよるべ共無く、廣き海路の船に乘りたる如く、何時を限り共無く戀居らんとの意也。ゆたとは漂ひ浮きたる事を云。大舟のと詠めるはよるべ定めず、ゆら/\として定かに極まらぬ義を譬へて云へる也
 
右五首古歌集中出 古歌の集中にも此歌出たるとの古注者の加筆也。凡て歌集に出など云も、其歌集を所見したるとの注也
 
正述心緒 正しくおもひを述ぶと讀む也
 
2368 垂乳根乃母之手放如是計無爲便事者未爲國
たらちねの、はゝが手はなれ、かくばかり、すべなきことは、いまだせなくに
 
漸く人と成りて母の手をも放れて、獨り食みをもせしより此方と云意也。斯く詮方なく物苦しう物思ふ事は此迄は無かりしが、さても戀路と云ものは詮方なく心の儘ならぬ、如何に共すべき樣の無きものと嘆きたる歌也。事と云へるは、戀の事也。手放をてそぎしとも、手さげし共讀むべけれど、第五卷に山上憶良大伴熊凝の爲に詠まれし長歌の詞にも、宇知比佐受みやへのぼるとたらちしやはゝが手波奈例御手しらぬ共詠みたれば、此例に準ずべし
 
2369 人所寐味宿不寐早敷八四公目尚欲嘆
ひとのぬる、うまいはいねで、はしきやし、きみがめをなほ、ほりとなげきぬ
 
夜の目をもえ寐ねず、人ぬる如く二人相共に能思ひの儘ぬる事も得せで、却りて又君を見たきとのみ願ひて嘆き明かすと也。(205)はしきやしとは、公と云べき冠辭にて賞めたる詞也。凡て先を賞めて云詞に、古語に、はしけやし、はしきやしのとは云へり。今時絶えて無き詞也。尤今時の歌にケ樣の事を詠ずる事は甚だせぬ事也。目をほり抔云詞も、天智天皇の御詠より初まりて、古き詞也
 
或本歌云公矣思爾曉來鴨  きみをおもふにあけにけるかも。一本には、きみが目を尚ほりと歎きぬと云を、如v此君を思ふに明にけるかもと有りしと也。或説の下の句然るべく聞ゆる也
 
2370 戀死戀死耶玉桙路行人事告兼
こひしなば、こひもしねとや、たまぼこの、みちゆきびとに、こともつげかぬ
 
こひしなば云々 此下にも有詞也。第十五卷にも同じ上の二句あり。古今集にも
   こひしねとするわざならしぬばたまのよるはすがらに夢に見えつゝ
同じ意の歌也
道行人に事も告げかぬとは、往通ふ人にも斯く共告げこさぬは、迚も戀佗びて戀死ねとの事にやとの意也。古今に、するわざならんと云意も同じ。こともは來とも也。安否の事もと云て、下の意は來《コ》とも云ひ、おこさぬとの義也。かぬはつげぬと云意前にも毎度注せし也。かは助語と可v見。諸抄にはつげけんと讀みて、なほざりに思ふから、假初の道行き人に來んと告げこしたれど、不v來ば死ねとの事にやとの説也。此説も事もは、來ともと見ればさも見ゆる歌也。何れか好む所に從ふべし
 
2371 心千遍雖念人不云吾戀※[女+麗]見依鴨
こゝろには、ちへにおもへど、ひとにいはで、わがこふつまを、見るよしもかも
 
よくきこえたる歌也
 
2372 是量戀物知者遠可見有物
(206)かくばかり、こひしきものと、しらませば、よそにのみゝて、あらましものを
 
可をのみと讀むは、ばかりと讀ませたる字にて、當集にもばかりと讀み、せとも讀ませたれば、又みとも義訓には讀む也。歌の意は能聞えたり
 
2373 何時不戀時雖不有夕方枉戀無乏
いつとても、こひざるときは、あらねども、ゆふかたまけて、こふるすべなさ
 
こふはすべなき共讀むべし。夕部を迎へて戀佗ぶるはいとゞ物悲しく、今宵や來まさん今宵は來ませかし抔、思佗ぶる切なる事をすべなきとは詠める也。如何に共詮方無きとの義也
 
2374 是耳戀度玉切不知命歳經管
かくばかり、こひやわたらん、玉切、いのちもしらず、としはへにつゝ
 
玉切 假名本にはたまきはると讀ませたり。尤いとうけん迄の冠句前に數多有詞なれど、玉切の二字を斯く讀事未v考。玉剋玉割と書ける歌も有。其例にや。又此玉切の二字は、かげらふと讀事にや。未v決。全篇に渉りて可v考也。此下に年切と書きて、年きはると讀ませたるから、心得難き訓也。かげらふなれば果敢なき命も知らず、戀佗びてのみ年を經るとの意、玉きはるなれば、只いとうけたる迄の冠句、命と云はんとて詠める五文字と見る也
歌の意は、何時迄かく戀渡らん、命の絶え果てん事も知らず、只戀わびてのみ年を經る事かなと歎きたる歌也
 
2375 吾以後所生人如我戀爲道相與勿湯目
わがのちに、うまるゝひとは、わがごとく、こひするみちに、あひまくなゆめ
 
與の字をまくと讀事は前に注せり。みとのまぐはひ抔讀ませたる字也。上に道にと有故、來と云詞無くてはなり難し。假名本  るべけれど、與の字をあふとは讀み難からんか。義訓に讀まれまじきにもあ(207)らねど六ケ敷義也。こずなど讀める説も有。此説は然るべからん歟。あたふと讀字故、義訓にさも讀まるべし。此字は眞の字と紛ひたる歌も有。毎度此字につきて訓義の差別ある也。此以下にも數多あり。歌の意は能聞えたり。以後の二字を書たる事、當集に此格あまた有。別に字格を擧たり
 
2376 健男現心吾無夜晝不云戀度
ますらをの、うつし心は、われはなし、よるひると不云、こひわたりつゝ
 
健 建同字歟。未v考。現心は明なる確かなる心も無く、夢の如く心も空にうか/\共、いつを夜、いつを晝ともわからぬ如くに戀渡ると也。現とは、顯の字をも讀む。神代紀、顯《ウツシ》國玉など讀ませたり
 
2377 何爲命繼吾妹不戀前死物
なにせんに、命繼、わぎもこに、こひせぬさきに、しなましものを
 
命繼の二字いのちつきけんと讀ませたれど、穩かならぬ詞也。命絶えざるとか、永らへにけんとか、永らへぬらんとか、義訓あるべき歟。歌の意は、何の爲に命を永らへゐるぞ、かく妹に戀わびぬ先に死にたらば、かゝる思をせじをと也
 
2378 吉惠哉不來座公何爲不厭吾戀乍居
よしゑやし、きまさぬきみを、なにすとか、うとまずわれは、こひつゝをらん
 
此歌は少し手爾乎波六ケ敷歌也。戀ひつゝ居らんと云を打返して二度見るべし。畢竟の意は、何すとか來まさぬ君を戀ひつゝは居るぞ、よしやよし來まさず共疎まずして、何時迄も戀ひつゝをらんと、打返して云へる吉ゑやし也。よしゑやしはよしやよしと打捨たる詞也
 
2379 見度近渡乎回今哉來座戀居
見わたせば、ちかきわたりを、たもとほり、いまやきますと、こひつゝぞをる
 
(208)近きわたりなるに、早くも來ぬを恨みて戀ひつゝぞをるとは詠めるならん。見渡せば近きわたりなる故、今もや來まさんと戀わびつゝをると也。たもとほりは、めぐり/\ての意也。乎の字は手の字にもや。古くたもとほりと讀み來れるは、回の字一字にては少しいかゞ也。渡りをの乎はつけて讀まるゝをなれば、手の字の誤り共見ゆる也
 
2380 早敷哉誰障鴨玉桙路見遺公不來座
はしきやし、たれさはるかも、たまぼこの、みちをわすれて、きみがきまさぬ
 
此はしきやしは公と誰とへかゝりたる義也。誰と云も人と云意なるから、賞めそやしたる詞を設けてさて隔句體にて、はしけやし君來まさぬと續く歌と見るべし
 
2381 公目見欲是二夜千歳如吾戀哉
きみがめを、見まくほりして、このふたよ、ちとせの如く、われはこふるかな
 
逢はで二夜を經るを、千歳も逢はぬ如く戀慕ふとの義也
 
2382 打日刺宮道人雖滿行吾念公正一人
うちひさす、みやぢにひとは、みちゆけど、わが思ふ人は、たゞひとりのみ
 
うちひさすみやぢとは朝廷の往來の道也。都路など云に同じ。道ゆけどと云詞は集中數多有。人さはに滿ちてはあれど抔も詠める詞有。此歌意、第四、第十二、第十三卷等にも有て、幾許の人ありても唯思ふ人は只一人ならでは無き故、外人には目もつかず、何人なり共あり共思ほえず、心淋しき抔詠める意也。此歌にては唯一人の外は思ふ人無きと、貞節の意を現はしたる歌也。是等を女の歌情の手本共すべき歌也
 
2383 世中常如雖念半手不忘猶戀在
よのなかは、つねかくのごと、おもへども、はたわすられず、なほこひにたり
 
(209)常如 常のもころにと讀める説も有。又常かくのみに共讀める説有。然共意は同じき事なれば、いか樣共好む所に從ふべし。もころと云も、ごとくと云古語也。半手を、はてと讀ませて、世の中は常の樣に物思ひせしと思ひわきても、遂には後へ戻りて又戀ひてあると云意に見る也。然れ共はてと云事六ケ敷也。是は當の字の意にて、嘆息しては、はた、わすれぬと詠める義と聞ゆる也。意は人を戀慕ふに、思ふ樣に叶はで、心に任せずあるを、世の中の習ひ心に任せぬものと思ひ諦めても、はた戀佗る事は、あとから忘られずして愈戀居るとの意なるべし。はたと嘆息したる意也。はてと云ひては面白き樣なれど、不意に出たる詞なれば心得難き也。はたと云にて歌情も深くなる也
 
2384 我勢古波幸座遍來我告來人來鴨
わがせこは、さきくゐますと、ゆきかよひ、我につげくる、ひとのこんかも
 
遍來の字、かへりきてと讀みては歌の意不v聞。二字にてゆきかよひと義訓すべき也。我夫の方より音信の使の來るにてあらんと待居る意也。旅行抔にある人の妻の詠める歟
 
2385 麁玉五年雖經吾戀跡無戀不止恠
あら玉の、いつとしふれど、わがこふる、あとなきこひの、やまぬあやしさ
 
五年と詠めるは、此時分は諸官人交代、官位の轉任、五年を限れる令の法制ある故、それに准じて詠める也。跡無とは、戀佗ぶるしるしも無く戀のならざると云意也。しるしも無きに、思辨へず、え思も消えで、不v止戀佗ぶるは、いかゞしたる事ぞやと怪しき迄に我からも思迷ふ意也
 
2386 石尚行應通建男戀云事後梅在
いはほすら、ゆきとほるべき、ますらをも、こひちふことは、のちのくいあり
 
磐石をも踏み裂き通るべき健き男子も、戀路には踏み迷ひて行まじき道に入りて、返り見して、跡より悔む事の有と也。是等(210)を戀歌の實情とは云べからん。建健は相通ずる歟。前には健男と書、此には建男とありて、各ますらをの事に用ひたり
 
2387 日位人可知今日如千歳有與鴨
自位なば、ひとしりぬべみ、けふの日の、ちとせのごとく、あらまくもかも
 
日位、一本位を低に作るあるか。拾穗抄には低の字を書けり。然共、拾穗の本は理を不v顯、明壽院自身の了簡に書面を被v改て、凡而誤りを傳へたる事數多あれば、此低の字もくれと假名を付置きたるを以て、位の字には、くれ、くるゝの意無き字故、低はくだると讀み、たるゝ共讀字義あるから、改められたる歟。歌の意をも不v辨、且古人義訓を以て書たるをも不2考辨1、被v改たると見えたり。數本皆位の字也。位の字然るべからんか。位の字にくれと假名をつけたるは、義訓の案不v及人の、外に讀樣も無き推量に付たるなるべし。日くれなばと讀みては、此歌如何に共不v聞也。凡ての歌、夜の明るを厭ひ忍ぶ事を通情とするに、日くれなは人可v知とは如何に共理り不v通。是は日を繼たらば人知りぬべしと云義にて、日位と書たるは、天子を日嗣の命と奉2尊稱1、日の御位に比し奉れば、其訓義を借りて、日位の二字にて、ひつぎなばとは讀ませたるならんかし。されば、下に今日のと有て、あす又日をつぎては、人の知り咎めむと云へる義也。日の暮れなば、人の知らんと云義は、何共濟まざる義也。よく/\歌の意を考へ見るべし。日位の字を日つぎと讀まする事、當集の義訓の格全相叶ふ也。若し又さなくては、誤字ならば竝の字歟。然れば、日ならべばと讀べし。當集に日ならぴと讀める詞、前に二首迄有。尤も假名書にもあれば、けふあすと日を並べて、思ふ人と寄り合ひ語らはゞ、人知りなんとの意歟。何れにもあれ、日くれと云義にては無き也
有與鴨 宗師は、あらまくかもと讀べしと也。或説に、前にも與の字をこせと讀むと云説有。あたふと云字なれば、こせは、よこせと云義なれば、義當らぬにもあらず。此歌にても、ありこせぬかもと讀みて、能歌の意に叶へり。是等は好む所に從ふ也
 
2388 立座態不知雖念妹不告間使不來
たちゐする、わざをもしらず、おもへども、いもにつげねば、まづかひもこず
 
起居進退の業をも忘れて、何とする共知らず、只夢の如くに耳、思侘ぶれ共と也。それと妹に告げ知らさねば、先よりは何の音(211)信の使も不v來と也。ま使のまは助語也。あひだの使と云説もあれど、初語と見るべし
 
2389 烏玉是夜莫明朱引朝行公待苦
ぬばたまの、このよなあけそ、あけゆけば、あさゆくきみを、まてばくるしも
 
此歌の意は、朝歸りて又來る事を待つは苦しき程に、何時迄も明けなと、夜を惜める意也。然るに朱別の二字をあからひきと讀ませたり。此歌女の歌にて、男の立歸るを惜める歌也。然れば朱引はあかも引とならでは讀難し。男子に裳と云物あらんや。あけを引くと云にて、裾を引き歸ると云義か共見ゆれど、此奧の歌に同じく、朱引の二字を書きて、赤もひくはだもふれずにと讀ませたり。外々には皆赤羅引と書て、羅はうすものと讀む故赤も引也。此二首朱引の二字を書たるは、意異なると見えたり。此歌にては、赤尾引と讀まば、男の引にもなるべけれど、奥の歌、赤も引はだと云事云はれぬ事にて、如何に共不v續義なれば、曉の赤雲棚引の意にて、義訓にあけゆくと讀ませたると見えたり。即古き假名にも、あけゆくと此歌を讀みたる一本有。よりて此古點に從ふ也
 
2390 戀爲死爲物有者我身千遍死反
こひをして、しにするものに、あらませば、わがみは千たび、しにかへらまし
 
第四卷に笠女郎の歌、おもひにししにするものにあらませばちたびぞわれは死にかへらまし。同じ意の歌也
 
2391 玉響昨夕見物今朝可戀物
たまゆらに、きのふのゆふべ、見しものを、けふのあしたに、こふべきものか
 
玉ゆら 此詞心得難し。玉ゆらとは暫しの事に云來れり。然るに玉響の字を玉ゆらと讀みて、暫しと云義にとる事、理り不v通也。定家卿の歌に   たまゆらにつゆもなみだもとゞまらずなき人こふるやどのあきかぜ(212)と、詠み給ふも、しばしの意と聞えたり。神代紀の下に、手玉玲瓏識※[糸+任]少女と有。是は動の意、玉のゆらぎて音ある事也。同云、臺宇玲瓏、是又照りかゞやくと讀みて、玉の光ある義を云也。如v此字義不2一定1ば玉響の字も玉ゆらと讀めるが正義歟。何とぞ別訓有て、此歌の意叶ふべき讀樣あらん歟。玉ゆらと讀みて、しばしの事と計り云ひては、如何に共不v被2聞得1詞也。是は只きそとか、きのふとかへ續く迄の義に讀樣あらんか。偶々の事にも、しばしの事にても、此歌には不v合也。追而後案あるべし
歌の意は、昨日の夕部あひ見て、最早や今朝戀慕ふべき。せめて一日二日も隔てゝは、戀ふべきも理りなるべきに、餘り間もなく戀佗ぶる事かなとの意也。玉響の事は追而可v考也
 
2392 中中不見有從相見戀心益念
なか/\に、見ざりしよりも、あひ見ては、こふるこゝろの、ましておもほゆ
 
昔はものを思はざりけりの歌の意も同じ。此歌の意集中にあまた見えたり。聞えたる通也
 
2393 玉桙道不行爲有者惻隱此有戀不相
たまぼこの、みちゆかずして、あらませば、いたくもかゝる、こひにはあはじ
 
道行きぶりに見初めし人を、戀ふ歌なるべし。惻隱の二字をしのびと讀ませたり。奧に至りても、すがの根の事に、此二字を書ける歌有て、皆忍ぶ意、隱れたる意に詠めり。然れ共此歌にては不v合也。よりていたくもと義訓に讀べきか。いたくとは切なる義、甚と云と同じくて、いたましくもと云意也
 
2394 朝影吾身成玉垣入風所見去子故
朝影に、わが身はなりぬ、玉がきの、すきまに見えて、いにしこゆゑに
 
此朝影の事前にも注せり。如何に共濟まざる詞也。あさかげになりたるとは、いかゞしたる事を云へるにや。思に痩せたる(213)と云事を、如v此云との説なれど、只朝かげと計りにては、いかに共痩せたると云義には通じ難し。愚案、是は如v麻になりたると云義にて、あさかげ共詠みたるか。又かげは其物を映したる事を云義なれば、あさなりにと讀べき歟。俗に痩せ衰へたるものを、麻がらの如くなりと云も、寄り處のある俗言也。かげと云字は實の無き事を云意なれば、俗言の如くあさがらに共讀まんか。兎角あさかげと讀みては其義不v濟也。古今集の歌にも
   戀すれば我身はかげとなりにけりさりとて人にそはぬ物ゆゑ
是は朝影とも夕影とも無く、下にそはぬとさへ詠みたれば、影の如く衰へたると云義慥に聞えたれど、朝影と云ては朝のわけ不v通也。只詞續きに云へるかなど云説も不v濟事也。無用の詞、初語にもあらぬ事を詠むべき樣無し。あさかげと詠める意、一義わけ無くては叶ふまじき義也。尤前にも注せり
玉垣 垣をほめ賞して雅言に云ひたる也。神社の外、玉垣と云へる事珍し。尤も神社に限らぬ事なれば、既にかくは詠める也。入風をすきまとは義訓也。假初に垣の隙より見初めし人を思佗び戀慕ひて、身も痩衰ふる迄に戀佗ぶると也
 
2395 行行不相妹故久方天露霜沾在哉
ゆけ/\ど、あはぬいもゆゑ、ひさかたの、あのつゆしもに、ぬれにたるかな
 
心淺く能聞えたり。天露霜は雨露霜也。別に意無き歌也
 
2396 玉坂吾見人何有依以亦一目見
たまさかに、わがみし人を、いかならん、よすがをもちて、またひとめ見ん
 
聞えたる歌也
 
2397 暫不見戀吾妹日日來事繁
しまらくも、見ねばこひしみ、わぎもこが、ひに/\きなば、ことのしげけむ
 
日日來りたらば人目繁くて、見聞き現はされて、云ひ騷がれん事の繁からんと也
 
(214)2398 年切及世定恃公依事繁
 
此歌年切の字、前の歌に玉切と書きて、たまきはると読みたる例をもちてか、としきはると讀ませたり。前の玉きはるも不審ある事にて不v決。然れ共、玉剋、玉割とも書きたれば、彼歌は玉きはるにてもあらんか、。此歌はとしきはると云ては、語例語證無き故、いかに共難2信用1。宗師案は、ねんもごろによと共に契り頼まゝし君によりては事しげくとも、と讀まんかと也。尚後案すべき歌也。先づ年切をねもごろと讀む意は、懇意なる事を深切と俗に云ふ。深切も義訓に讀めば、ねんごろ共讀むべし。然れば、年切もねもごろと讀む義ある也
 
2399 朱引秦不經雖寐心異我不念
あけゆけど、はだをもふれず、ねたれども、こゝろに異に、わがおもはなく
 
前に注せる如く、朱引はあからひくにてもあるまじく、あかもひくにても無かるべし。はだへは續かぬ義也。前の如く、あけゆくにとか、あけゆけどとか讀べき也。秦人のはだをさして、借訓に書たる也。明けゆく迄も肌をも觸れず、よそにのみして寐たり共、誠の思ひは解けぬとても外心はうつさぬとの義也。けしき心は抔詠める意と同じ。相見し儘にて誠の契りは遂げざれ共、仇し心は持たぬとの實義を云たる歌也
 
2400 伊田何極太甚利心及失念戀故
 
此歌假名本の通りに讀みては、歌にては無く、たゞ事を云へる也。きはみ、はなはだなど云事は歌詞にて無く俗言也。然るを如v此假名付をせし事餘りなる事共也。宗帥案如v左
      いでいかにこゝたにへさにとごゝろもうせぬるまでにこひわぶるから
愚意未v落。いていかにと詠出して、戀佗ぶるからとは今少とまらざる樣也。後案すべし。思案は
      いでいつとかぎらんいたくとごゝろのうせぬるまでとおもふこひから
 
2401 戀死戀死哉我妹吾家門過行
(215)こひしなば、こひもしねとや、わぎもこが、わがへのかどを、すぎてゆくらん
 
待ちゐたる家へも入らで、外に行くを見せて、我門を通る妹は、我を戀死ねとの事かと也
 
2402 妹當遠見者恠吾戀相依無
いもがあたり、とほく見ゆれば、あやしくも、われはこふれど、あふよしをなみ
 
近くあらは相見ることもあるべけれど、遠く見ゆるから怪しき迄に戀慕ひぬれど、程をも隔て遠ければ、逢ふよしの無きと歎ける意也。怪しくとは、何とてかくは戀ふるぞと思ふ程我から戀ふる意也
 
2403 玉久世清河原身祓爲齋命妹爲
 
此歌の初五文字、諸抄には例の通りたまくせのと讀みたれど、久世と假字書に書きて、のと續ける事はならざれ共、それをも不v辨讀みて地名と注せり。山城の久世と云處を賞めて、云ひたる義抔無理押の説をなせり。如何に共心得難し。上の玉に言葉を添へて、玉のくせとか、玉つくせとか讀まば讀むべけれど、何と云義共解し難し。宗師案には、若し是は招魂の意を詠める歌にて、久と云字はふると義訓に讀まんか。玉ふりと云古實古語もあれば、たまふる瀬とか、たまふる世とか讀みて、命をのべつがんと祈るは、玉よばひする祈りなれば、玉よばひの業には、玉を振る事なれば、玉振よと詠めるか。清河原とあれば、世は瀬の意か。何れにまれ、玉くせのと云義とは不v見也。何とぞ別訓あらんか。猶後案すべし
清河原 是もすがの河原なるべし。菅は祓の具に用ゆる物なれば也。みそぎは祓への事也。祓へは、惡しき息、横ざまの息觸れの穢れをはらへて、千歳の命をも延ぶる事を、神に祈る業をなすを云義也。いはふも祈るも同じ意也。幾久々と命のまたかれと祈り齋ふも、妹と諸共に永らへ契らんと願ふ意也。但し妹が命の、またく良かれと祈る意にも聞ゆる也
 
2404 思依見依物有一日間忘念
 
此歌も諸抄の説は、思ふより見るよりものはあるものを一日隔てゝ忘ると思ふなと讀みて、外より思ふより見るより我思ひは深きものを、たとひ一日隔てたり共我忘ると思ふなとの意に釋せり。ケ樣に詞を入れて釋せば、如何樣の義も云はるべし。此(216)釋も心得難し。宗師案は、依はまゝと讀む字、國史令等にも、依請と書て、まふしのまゝと讀むなれば、思ふ儘見んも儘なる人ならば一日の暇も忘れて思はん、と讀みて、意は我思ふ儘に、見る事も逢ふ事も儘ならん人ならば、一日などは忘れてあらんづれど、思ふに儘ならぬから、一日の間も忘られぬと云の意と見る也。物と云字は義訓に人とも讀べき也。人の死したるを物故などと云事も唐土の文章にあれば、ひとゝも讀まるべき也。愚意未v落。後案すべし
 
2405 垣廬鳴人雖云狛錦紐解開公無
かきほなし、ひとはいへども、こまにしき、ひもときあくる、きみはあらぬに又せなはあらぬにか
 
歌の意は、垣ほの如く中を隔つる樣に人は云立つれ共、更に異心有て紐解き開ける人は無きにと云の意也。狛錦の事は前にも注せり。源氏繪合卷にも、うちしきはあをぢの狛の錦など書けり。又の意、人は樣々云ひさわがすれど、我は紐解き開けて、逢ふ人も無きにとの意共見ゆる也
 
2406 狛錦紐解開夕戸不知有命戀有
こまにしき、ひもときあけて、ゆふべだに、しられざるみに、こひつゝぞある
 
諸抄の説は定め無き命を持ちながら、夕べの間も知れざるに、紐解きあけて戀ひゐるとの説也。然共命と云事、はしなく出たる處心得難し。命なるにと云はゞさもあらんか。さも無く知られざる命とは云難し。歌の意は諸抄の意も同じからんか。待人も可v來哉、不v可v來哉、不v知にと云意をこめて、夕部もはかられぬ人の身なるに、果敢なくも紐解きあけて待事哉と詠める意也
 
2407 百積船潜納八占刺母雖問其名不謂
 
此歌諸抄の説は、百尺の船を漕入るゝ浦をさして、我に通ふ人は誰それと占とふ共、忍びて契れる人の名は現さじとの意に釋したり。百積船の義、色々の説を立て云ひなせり。一義も難2信用1。百尺の船と云事は、日本紀に十丈の船をつくらさるゝと云事あれば、若しそれによりて百さか船とも詠める歟。此歌の外遂に聞き習はぬ名詞なれば信じ難し。宗師案は、
(217)      わつみぶねかづきいるればうらさしておもはとふともそのなはのらじ
かく讀む意は縁語を設て讀める也。船のかづき入と云事、諸抄の説は船の泛べるは、水中に水鳥抔のかづき入る如くなれば、かづき共讀めると注したれど、船を漕ぐ事をかづくと云へる例未だ所見無し。よりて藻をかづきて船へ入る義に、かづき入るればと讀也。占刺は浦を差而の義によせて也。さしてと云は、船の浦をさして入來るの由にては無く、どこそこの浦の藻刈船ぞとさして問ふ共との意に見る也。第十六卷の志賀の白水郎の歌に、大ふねに小船引副可豆久登毛志賀のあら雄に潜將相八方。此歌と二首にして外に不v見。第十六卷の歌は海人の歌故、下のかづきあはんやもと詠める縁を以て詠める也。此歌打任せてかづき入ると詠める處心得難し。母雖問を、おもはとふともと讀むは、藻と云詞の緑をとりて也。はゝはと讀みては、はしなく出たるはゝなれば心得難し。よりておもとは讀也。不謂を、のらじとは、海苔の縁をもて詠める也。上の句の釋、師案も、愚意には未v落。猶後案すべし
百積船は米百石を積む船と云ひ、潜は船に米を積む事を云との説、又船の水上に泛ぶは水鳥の水底にかづき入ると同じき故、かづき入ると云説、百尺の船と云説、古人今案區々にして愚意いかに共決し難し。日本紀顯宗紀欽明紀等には、斛の字をさか共讀ませたり。斛と石とは通じて、異國の書には千斛萬斛など記せり。或は尺をさか共讀むは音通ずれば也。一説百積船は帆柱十丈の高さを立つる船共云。文選海賦に候2勁風1掲2百尺1抔云を寄り處として云へる注も有。一義も決したる説無し。愚案は百津船と云ひ只數多き船と云へる意と見る也。納八もは、いれやと讀まんか。數百艘の船をもかづき入るゝ程に苦しみ問はるゝ共、忍びて逢ふ人の名は名乘らじとの意ならんか。然らば、かづきは身にかづきて海にも入、又浦にもつけ入る共の意と見る也。よりて左の如く讀侍らんか
      もゝつふねかづきもいれやうらさしておもはとふともその名はのらじ
此意ならば百積は百石の船、百尺は船の論をも不v構。何れの船にても、又數多き船として、自身にかづき入れんはいと切なき事なるべし。それはよし知り侍らん共、名は現さじとの意にあらんか。後生猶賢案あるべし
 
2408 眉根削鼻鳴紐解待哉何時見念吾君
(218)まゆねかき、はなひゝもとけ、またなんや、いつしかみまく、おもふわがせを
 
まゆねかき、はなひゝもとけ、皆思ふ人に逢はんとての前表の事を云へり。此歌は自らするにあらずして、逢はん爲に我と如v此の事をもして、何時逢ふべき共知れぬ人を待たなんやと詠める意也。讀み様にて先の人の待つらんやと見る意にもなる歌なれど、こゝの歌の並み皆我意を現せる歌共なれば、我待の歌なるべし。然れば是も女の歌と見る也
 
2409 君戀浦經居悔我裏紐結手徒
 
此歌、如何に共心得難く聞え難し。諸抄の説は二義に見る也。一説は下紐を解けば逢はんかと解きても、其しるし無ければ悔の意、自ら解けたるにても、同じ心にて解くれば結び/\すれど、其しるし無きを悔むとの説.又結びたる紐の解けたらば、先にも我を戀るやと思ふ頼みもあらんに、たゞに結べる儘にて、片思に結ぼほれて有事の悔しきとの意に見る也。何れも結びてたゞにと讀める也。然共結びてたゞにと云詞は、いかに共有べき歌詞に不v覺。かく讀みては歌の意もとくとは不v通ば、意は右の通にも有べけれど、何とぞ讀み解き樣有べき也。宗相案は結手徒の三字を義訓に讀べしと也。結ぶ手いたづらなる義を讀む義訓有べし。然れば、結びたる事の徒らなれば、解くると云義をかく書たるかと見る也
      きみにこひうらぶれをるはくやしかも我した紐のむすべばとけぬ
かく讀まんか。我下紐の解けぬるは確かに君が來まさんに、今迄戀佗びをるは悔しきかもとの意と也。愚意未だ不v落。結手徒の三字何とぞ義訓有て書ける歟。宗師案の通にても悔と云意不2打着1也。後案すべし。何れの説も悔と云處の意とくと不v通也。若しくは怪の字の誤字ならんか。然らば宗師案の通にて、怪しくも我が下紐の結べば解けぬと讀みて、此歌聞えんか。いかに共聞得難き歌也。第十二卷に、みやこべにきみは去之乎これ解可わがひものをの結手解毛。此歌も下の七文字義訓有べし。同じ意の七文字と見ゆる也
 
2410  璞之年者竟杼敷白之袖易子少忘而念哉
(219)あらたまの、としはゝつれど、しきたへの、そでかへしこを、わすれておもへや
 
竟はくるれ共をはれ共讀べし。意は月日は經れ共袖を交せし子を忘れて思はめや、不v被v忘との意也。袖かへしは袖を敷かはせし也。一度契り交せし子と云義也
 
2411 白細布袖小端見柄如是有戀吾爲鴨
しろたへの、そでをはづかに、見しからに、かゝるこひをも、われはするかも
 
小端は前にはつ/\と四字にて讀みたり。歌の意は聞えたる通り也
 
2412 我妹戀無乏夢見吾雖念不所寐
わぎもこに、こふはすべなみ、ゆめにみむと、われはねがへど、いねられなくに
 
無乏 すべなしと讀ませたる義は、貧乏困窮の身は何共詮方なきものなれば、せん術も無きと云義を以て讀ませたる歟。字義慥に當れる義訓共覺えざれ共、前に夕方まけて戀無乏と詠みたれば先それに從ふ。此下にも、すべをなみと讀みたり。歌の意は妹に戀佗びても、逢ふ由も無く詮方なければ、せめて夢になり共見まほしく願へ共、物思をれば寝ねもやられねば.それだに叶はぬと也
 
2413 故無吾裏紐令解人莫知及正逢
ゆゑもなく、わがしたひもの、とけぬるを、ひとにしらすな、たゞにあふまで
 
人に知らすなは下紐に下知したる義也。思ふ人あればこそ、下紐の故無く解けたると人に知らすな、無き名も立たん、思ふ人に實に逢ふ迄はと云意也。諸抄印本には、解かしむると試みたれど、解かせて無くては、しむると云事いかゞ也。殊に上に故も無くと詠出たれば、とけぬると讀むべし
 
2414 戀事意追不得出行者山川不知來
(220)こひしさを、なぐさめかねて、いでてゆけば、やまかはをしも、しられざりけり
 
印本等には、こふることと讀みたれど、戀ふる事と云義不v被2聞得1。事意追の三字にてなぐさめと讀むか。戀事の二字にて戀しさをと讀むかなるべし。戀ふる事と云ては歌詞にあらず。義も亦聞えざる也。意追の二字も心得難けれど、遣の字と追の字と意通ずるか。若くは遣の字の誤り歟。意遣はなぐさむと讀む義叶ふべし。不知來は知らず來にけりと讀ませたれど、是も上に出てゆけばと讀みて、きにけりとは讀み難し。思にのみ心の入て、出で來る道の山川のわきも知られぬと云意なれば、知られざりけりと讀也。きにけりならば、上をも出で來ればと有るべきに、出行者とあれば、下に來にけりとは讀まれぬ也
 
寄物陳思 心に思ふ事を何にもあれ、物事によそへて詠める歌を擧られたる也
 
2415 處女等乎袖振山水垣久時由念來吾等者
をとめらを、そでふるやまの、みづがきの、ふりにしよゝり、おもひきわれは
 
此歌拾遺集には
    をとめらがそでふるやまのみづがきのひさしきよゝりおもひそめてき
と載せられたり。當集に如v此書載せられたるを、ケ樣に引直して載せらるゝ事心得難き事共也。此歌より後世の歌、皆水垣の久しきと詠みて、諸抄の説水垣宮に天下を知ろし召されしは、垂仁の御宇なれば、久しき事なるから、久しきと讀むとの説なれ共、餘り附會の説也。宗師傳は此儀を不v用。久しき事を云はゞ、それより久しき事何程も有べし。それより前の帝都の事は何とて久しきとは云はざるや、心得難し。是は前にも注せる如く垣をゆふ事を、古くはふると云たる也。よりて垣のふりにしと續けん爲に、袖振山の水垣とは詠出たるもの也。第六卷の歌にも、あし垣のふりにし里と詠める歌抔を以て辨ふべし。下のふりにしを云はんとて、上の振山とは詠める也。布留山は大和の石上の地名也。次下の歌に、石上振神杉とも詠めり。をとめらをと讀までは、下のふりにしよゝり思ひきと云手爾波不v合也。をとめらがと讀みては歌のとまり所無き也。上へ返る手爾波の歌也。ふりにし時ゆ共讀べし。何れにても、意はふりにし時より、をとめらを思ひき我はと、返る意也。然るををとめ(221)らが袖と續けては、全體の歌のとまり所無き也。歌によりて、一二句の續きを詠める事も多けれど、此歌はさは續かぬ事を辨ふべし。布留山によせて、我戀の意を述べたる也
 
2416 千早振神持在命誰爲長欲爲
ちはやぶる、かみのたもてる、いのちをも、たがためにかは、ながくほりする
 
人の命は限り有て、長きも短きも、神明の保ち給ひて、わが私の儘に、伸べ縮めはならぬ命をすら、長かれと乞願ふも、誰の爲にこそ思ふ人と長くそひもし、又思ひの叶ふ迄との爲との意也。我命を長かれと祈るも、思ふ人によりてとの意也。此類歌毎度有。詳しく注するに不v及
 
2417 石上振神杉神成戀我更爲鴨
 
此歌諸抄の説は、いそのかみふるの神杉神となる戀をも我は更にするかもと讀みて、年ふりて又再びあらぬ思ひをすると云事に釋せり。宗帥案は、いそのかみふるの神杉神のなす、うらもひをわれよるはするかも。如v此讀みて戀の字をうらもひと讀みて、占の事によそへて、神はうらに寄るものなる故、神の如と云義に、神のなすと讀み、上の神杉迄は、神のなすと云迄の序にて歌の本意は、只うらもひを、われ夜すると詠める迄の歌と見る也。愚意いかに共不v落。第十卷目の歌にても、石上ふるの神杉神さびて、われは更更戀爾相爾家留と云歌の處にても、更の字よと讀みたれば、こゝも同事の意に讀べしと也。右兩首とも後案すべし。尤兩首共難解の卷に釋する也。後案すべし
 
2418 何名負神幣嚮奉者吾念妹夢谷見
いかならん、なにおふかみに、たむけせば、わがおもふいもを、ゆめにだに見む
 
此五文字、諸抄印本等には、いかならん神にと讀みて、第二句に、ぬさをも手向なばと詠めり。さも讀べき也。然共何名負の三字をいかならんとは讀難し。負の字何とぞ別字の誤りたる字歟。如何ならん名におふ神と讀事も、少心得難けれど、名負の二字、ならんとは讀み難き故かくは讀む也。此五文字も愚意未v落。後案有べき也。或説には、何となおふと讀べしと云へり。(222)此説も不v穩也。歌の意は聞えたる通也
 
2419 天地言名絶有汝吾相事止
あめつちと、いふなのたえて、あらばこそ、なれにわがあふ、こともやみなめ
 
天地のあらん限りは、汝に逢事はえ止むまじと也。少心得難き歌也。何とぞ別訓もあらんか
 
2420 月見國同山隔愛妹隔有鴨
 
此歌諸抄印本等の假名は
      つきみれば國は同じく山へだてうつくし妹をへだてたるかも
かく讀ませたり。然共かく讀みては歌と云處無き也。いかに上代の風體にても、山隔てうつくし妹を隔てたるかもと云下の句、いかに共有べき共不v覺。宗師案は國同山とあれば、前にも書たる、ひと國山と云地名を、詠めるなるべし。よりて左の通りに讀まんかと也
      つきみればひと國山を雲ゐなすうつくし妹を隔てたるかも
隔と云字を雲ゐなすと讀めるは、第二卷にも有る古語なればかく讀むと也。愚意未v落。同國とあらば、ひとつ國やまと云意にて可v通歟。國同と書て、ひとくにとは義不v通歟。何とぞ別訓の地名追而後案すべし。當集第十八卷の歌に、古人云
    月見ればおなじくになり山こそはきみがあたりをへだてたりけれ
答2古人1云、家持
    足引の山はなくもか月見れば同じき里をこゝろ隔てつ
此の歌の意に似通ひたる歌也。ケ樣にも詠みたれば、國同も失張國は隔てず抔讀む義訓有て、山隔の二字何とぞ別訓あらんか。又國同山と云三字、地名にして別の義訓あらんか。後案すべし。何れにもあれ、山隔てと云詞は有べからず。宗師案、雲ゐなすと云訓義も、愚意には未v落。力不v及故歟。其上歌の全體聞え難し。後賢の案を待つ耳
 
(223)2421 ※[糸+參]路者石踏山無鴨吾待公馬爪盡
くるみちは、いはふむやまの、。なくもかも、わがまつきみが、うまつまづくに
 
歌の意は能聞えたり。然共、くるみちと云事心得難し。※[糸+參]の字をくると讀義未v考。是も地名を詠めるか。くる道と云往來通路に地名有て、それを寄せて詠めるならば、繰と云字の誤り歟。宗師案、※[馬+參]の字にて、そへまぢと讀める故、今東國相馬と云所有。そへうまをそふまと云は、へうの約ふ也。本そへ馬と云地名故、そふま共云來りて、相馬とは音借に書ける歟。此五文字不審也。尚追而可v考也
 
2422 石根踏重成山雖不有不相日數戀度鴨
いはねふみ、かさなる山に、あらねども、あはぬ日あまた、こひわたるかも
 
高く重りたる山を、岩が根木の根を踏分て、越行程の隔りたるには有らねど、たやすく逢ふ事無くて、戀佗び渡る日の數多になると云意にて、能聞えたる歌也。只逢はでのみ過ぐる月日多く戀渡るとの歌也。此歌を拾遺集には、坂上郎女の歌として
   岩根ふみかさなる山にあらねどもあはぬ日多くこひやわたらん
と直して入れられたり。伊勢物語には、男、女をいたう恨みて
   岩ねふみかさなる山にあらねどもあはぬ日多く戀わたる哉
かくの如く引直して入れたり
 
2423 路後深津嶋山暫君目不見苦有
みちのしり、ふかつしまやま、しまらくも、きみがめみねば、くるしかりける
 
此みちのしりと云は、仙覺抄には常陸國と云へり。奥州を道の奥と云なれば、常陸は道のしり共云べき義、風土記の歌に、道のしり、たなめの山共詠みて、たなめ山は常陸多珂郡柝藻山の歌と注せり。然共道のしりと云事、およそ前後の字の付たる國々は、皆道のくち道のしりと讀みて、尤其國々の添ふて、吉備の、豐の、こしの抔云へれば一決し難く、特に深津島山と讀みたれば(224)備後の國と見ゆる也。備後の郡に、深津と云地名有て、和名抄にも見えたり。深津となくば、仙覺説もさもあらんかなれど、深津島山と詠めれば、先は備後とは定むる也。催馬樂の道口歌にも、みちのくちたけふのこふにわれはありと云々。是も、たけふと云所は不2分明1ど、越前の國府は不富《(當ラズカ)》武生なれば、是も越の道の口と云はねど、越前とは知られたり。是等の例を以て、深津島山と詠みたれば、先備後と見る也。宗師は、道のしりと始より詠出たれば、東國にて有べしと也。然共仙覺の説の外、東國を道のしりと云事不v聞。且東路の道の果なる常陸帶抔詠める歌もあれど、道のしりなる常陸とは讀まざれば、先は深津と云郡名あれば、吉備の道のしりを上を云はず、只道のしりとのみ詠みて、備後と知らせたる樣に見ゆる也。然し尚後考有べき事也。歌の意は何の事も無く能聞えたり
 
2424 紐鏡能登香山誰故君來座在紐不開寐
ひもかゞみ、のとかのやまは、たれゆゑに、きみきませるに、ひもとかずぬる
 
のとかの山、地名未v知v國。此紐鏡と云事、仙覺抄には氷の事と云へり。是よりして、後世の歌紐鏡と詠めるは、皆氷の事に詠みたり。いかに共心得難し。古實を不v存の説也。上古の鏡には環有て紐を付たる也。日本紀等の、賢木に八咫鏡をとりかけと有も、紐無くてはとり懸けられまじ。如v此證據有て紐のつきたる鏡は上代の物也。よりて歌にも如v此紐鏡とは詠めり。此紐鏡と云は、のとかと云はん爲の序に詠出たる也。能登香山とは、のとなと同音にて、なとかの山と云義也。紐鏡と云よりな解かぬと云義にうけて、紐解かぬ事によせて詠める也。組をな解かぬ山と云を取り、誰故にか紐を解かぬぞ、君が來ませるに紐をも解かでぬるぞ、其は誰故の事ぞと云へる意也
諸抄の意は少違有。のとかは、なとかと云意にして、なとかの山と云へば、君が來ませるに誰故にとりて寢ざらん、紐解きて寢んと、我身の事にして、のとかの山の名を取りて、只な解かぬと云事によそへて詠める歌と見る也。然共のとかの山と詠出たるは、山に對して、な解かでぬると云方義安からんか。宗師云、能登の國にもかぐ山と云名あるを詠める歟。香の字は古來より音訓を通じて用來れり。菊、氣色、香等音を直に訓に取りて、歌に詠み、文章にも用たれど、詳しく云時は、香の山とのゝ字を(225)添ふる事いかゞ也。尤當集に香の字計りには例もあらんか。かぐ山なればのゝ字は不v入也。尚後考すべし
 
2425 山科強田山馬雖在歩吾來汝念不得
やましなの、こはたの山に、うまはあれど、かちよりわがく、なをしのびかね
 
後々の物には、山背の木幡の里に馬はあれど、かちよりぞ來るきみを思へばと直して、人丸の歌として載せたり。歌の意は、逢事を急ぐの切なる意を、馬にも乘らでかちはだしにて、急ぎ來ると云義也。山科と詠める事心得難し。料の字にてしろと讀ませたるを、科の字に誤れる歟。木幡の山は宇治都に有。其上廣く指すに山科とは有まじきと也。山城にて有るべきを、科料の字能似たれば誤りたる歟
 
2426 遠山霞被益遐妹目不見吾戀
とほやまに、かすみたなびき、いやとほに、いもがめ見ずて、われこふるかも
 
遠山は何の國ぞの地名なるべし。此歌の次第皆地名を詠めり。今も人の稱號に遠山と云稱號あれば、地名有と見えたり。歌の意は聞えたり。いもが目不v見と云處別訓あらんか。なれど前にも君が目みねばと詠み、毎度妹が目不v見と詠める例あれば此通なるべし。いや遠ざかりて、妹に逢ふ事の隔たりたる故、愈戀佗ぶるとの歌也。上の句は序に詠出たる迄也。いや遠と云はんとての義也
 
2427 是川瀬瀬敷浪布布妹心乘在鴨
このかはの、せゞのしきなみ、しく/\に、いもがこゝろに、のりにたるかも
 
是川 うぢ川の事也。直にうぢ川と讀みて苦しからず。和漢共に古來是と氏通じたり。諸家の記にも氏の字を用ゆる處に、皆是の字を記せる事多し。橘氏是定と云事職原抄にも書かれたり。其本古記實録等に、橘氏公藤原氏公を是公と書たる事の毎度有。然れば、確に氏と是と通じたる也。異國の書にもまゝ是有。中古已來不v考より珍しき事になれり。又宇治を木《コ》の國と云事風土記に有由、詞林釆葉に見えたるから、この川とは宇治河の事とは傳へたり。兩義に讀みて苦しからざる也
(226)妹心乘、此詞前にも毎度有て、妹が心に叶ふと云事也。のりは、なりにて、妹と我中の成調ひたると云義を、のりにたるかもとは詠めり。此歌もしく/\と云はんとて、宇治川の瀬々の敷波と詠出て、上の句に意は無く、しく/\とは間無く隙間無きの義、束の間も妹を隔てうつくしみ愛するとの意也
 
2428 千早人宇治度速瀬不相有後我※[女+麗]
ちはやびと、うぢのわたりの、はやきせに、あはずありとも、のちはわがつま
 
千早人宇治 此續きの事古今不v濟義也。第七卷にも有て、慥成正義不v決事也。岩谷に住む人と云事歟。宇治川の上は湖水より流落ちて、其水上は岩谷をさぐり流れて、上古はうぢ人は皆岩谷に住したる故、いはや人共云ひたる歟。此外の案、寄り處は無き也。千早振宇治と續く義も此義に同じ。岩谷を經而流るゝ川、又岩を裂分け破り通る川故、岩破、岩谷經の義にて云へる共云べけれど、千早人と云事いかに共知れ難き也。歌の意は、宇治の渡りの早き瀬とは、其時人に云ひ騷かれて障り有て今は逢ふ事ならず共、遂には我妻ならめと云義を、早き瀬には物の止らず、渡りかねたる事をよせて、逢ひ難き事になぞらへたる也
 
2429 早敷哉不相子故徒是川瀬裳襴潤
はしきやし、あはぬ子ゆゑに、いたづらに、うぢがはのせに、ものすそぬらす
 
はしきやしとは子にかゝりたる詞、子を賞めて云へる詞を中に逢はぬと句を隔てたる也。此卷の例にて前卷に出たる詞は、文字を略して書たる也。集中前に有る詞は、畧して書たる事毎度有る中に、此卷には別而此一格を記せる也。畢竟聞える樣に詞を足して見る事、此卷の習也。歌の意、此川の名うぢと云から、思ふ人に逢はんとて渡れ共渡れ共逢はぬから、徒らに河瀬に裳の裾をも沾らして憂きと云意を、河の名によせて詠める也
 
2430 是川水阿和逆纏行水事不反思始爲
うぢがはの、みなわさかまき、ゆくみづの、ごともかへさじ、おもひそめしは
 
我思染めし事は、宇治川の水泡逆卷き、速やかによく流るゝ水の行きて歸らぬ如く、思ひ返されず戀初めしと云意也。思初め(227)し戀路は、行水の歸らぬ如く何程思止らんとしても、思ひ返されぬとの義也。事は如の字の意也。ごとゝ濁にて讀べき也
 
2431 鴨川後瀬靜後相妹者我雖不今
かも川の、のちせしづけみ、のちもあはん、いもにはわれは、いまならずとも
 
後瀬とは川の末の瀬をさして云ひたる事にて、後も逢はんと云下の句への續きの爲也。河の瀬の末はぬるくて靜なるもの也。今は人目人言の繁くて障る事もあれば、末の靜なる時節に逢はんとの意也。有躰に律義なる歌也
 
2432 言出云忌忌山川之當都心塞耐在
ことに出て、いへばいみじみ、やまかはの、たぎつこゝろは、せきぞかねたる
 
歌の意は、言に出で云はゞ憚り事も有て障れば、言に出てはえ云はず。さりとて止まれねば、心は山川のたぎりて流るゝ如く、急ぎ進む故、それをえ靜めかぬるとの義也。然るに耐の字を、せきかぬると讀ませたる事、字義に不v合心得難し。是は極めて不耐と有る不の字落たると見る也。せき耐へぬなればかねるの意同事也。耐の字計にては、いかに共義不v通也。かねたると古く假名をも付たれば、若しくは兼の字の誤りたるか、不の字を脱したかと見るべし
 
2433 水上如數書吾命妹相受日鶴鴨
みづのうへに、かずかくごとく、わがいのち、いもにあはんと、うけひつるかも
 
水の上に數書くとは、果敢なく祈りても、しるしも見えぬ事をよそへて云へる也。うけひは祈の字の意也。命乞をして妹に逢はんとうけひたると也。日本紀古事記に祈狩と書きて、うけひがりと讀ませたり。是も祈る意ある也。前表を見る狩を云へり。祈る意に通ふ也。神功皇后の卷に見えたり。伊物に、水の上に數書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけりと、果敢なく驗し無き事に詠めり。水上にものを書きては、跡形も無くしるし無きもの也。此歌も命をかけて妹に逢はんと祈りても、驗し無きと云事をよせて詠めると聞ゆる也
 
(228)2434 荒磯越外往波乃外心吾者不思戀而死鞆
あらそこえ、ほかゆくなみの、ほかごころ、われはおもはじ、こひてしぬとも
 
歌の意は聞えたる通也。貞義を述べたる意也
 
2435 淡海海奥白浪雖不知妹所云七日越來
あふみのうみ、おきつしらなみ、しらずとも、いもがりといはゞ、なぬかこえこん
 
あふみの海と詠出たる事は、逢事に寄せて、知らぬ處なり共、妹があり處と聞けば、幾日をも續けて越え來んと也。七日と詠めるは、日本の日數生死共に、七日を限りと用ゐる故、五日になり共讀べき事なれど、物の日數を限るは、先七日を定來れるから、此歌にも七日越え來んと也。生祝の日數も、七夜と云て限り、死日の式日も一七ケ日と定むる、是本邦の例也。歌の意は幾日をも續きて越え來んとの意也
 
2436 大船香取海慍下何有人物不念有
おほふねの、かとりのうみに、いかりおろし、いかなる人か、ものおもはざる
 
大船には※[楫+戈]取と云物あり。よりてかく續く。香取海は淡海に有。第七卷に高嶋の香取の浦と詠み、又こゝ前後近江の海を詠みたれば、極めて淡海の海の内也。下に近江の海沖漕ぐ舟にいかりおろしと有。碇り下しとは、泊を定めて船を動かさぬ義を云へり。此歌の意も、案居して何の物思ひもせぬ人もあらんや、我はかく物思ひに心も定まらず、彼方此方と心を苦むにと云へる意也。物思をせぬ人はあらじと云意也
慍 音借書也。憤怒の義にはあらず。船の碇の義也。和名抄云、碇、〔四聲字苑云、海中〕以v石駐v舟曰v碇。【丁定反、字亦作v※[石+丁]、和名伊加利】
 
2437 奧藻隱障浪百重浪千重敷敷戀度鴨
おきつもを、かくさふなみの、百重なみ、ちへしく/\に、こひわたるかも
 
(229)序歌也。波の繁く立ちて、沖つ藻を隱せる如く、我戀の跡より止まず追來る如く、戀の増すと云事によせたる也。古詠の格、百重浪と詠みて、千重しく/\と、極めて數の詞を詠める事、今とても此風體は殘れる也。古文古詩とても如v此の例格は極まりたる事也
 
2438 人事暫吾妹繩手引從海益深念
ひとごとは、しばらくわぎも、つなでひく、うみよりまして、ふかくぞおもふ
 
人の云騷がずは暫くの事ぞ。必しも心にかけそ。忍びて愼みたらば海より深く思ふからは、終には親み解けて、末長く契らんと思ふとの意也。綱手引海よりは深く思ふと云べきの序也
 
2439 淡海奥島山奥儲吾念妹事繁
あはうみの、おきつしまやま、おきまけて、わがもふいもが、事ぞしげれる
 
おきまけてはおきを迎へて世。迎へてとは深めて抔云と同じく、深く思ふ妹が事の、とやかく人の云ひ騷ぎて思ふ樣にならざるとの意也。しげれるとは障りの多くなりたる義也。事は言也。人に云立てらるゝと云意也。淡海の二字を、あふみの海とは讀難し。是は前に讓りて略書したるか。又約めずにあはうみと讀みたるかなるべけれど、先づ字の如く、あはうみと句を調へて讀也。何れにても苦しからざる事也
 
2440 近江海奧※[手偏+旁]船重下藏公之事待吾序
あふみのうみ、おきこぐふねの、いかりおろし、かくしてきみが、ことまつわれぞ
 
此歌の意、諸抄の説は、碇を下して、碇の海底に隱れし如く、我も隱れ忍びて、君がなす業を待つぞとの意と釋せり。いかに共聞得難き意也。宗師説は、藏の字をかくしてと讀み、事の字は來《コ》と云義に見る也。かくしては如v此してと云意也。船の碇を下したる如く、心を靜めていづ方へも心を散らし移さず、只君をのみ思ひいれて、來まさんと云を待つぞと云意に見る也。隱れて君が事待つと云ひては義不v通也
 
(230)2441 隱沼從裏戀者無乏妹名告忌物矣
かくれぬの、したにこふれば、すべをなみ、妹名告、いみじきものを
 
此歌諸抄の説は、いもがなつげそと讀み、又つげつと讀み、ゆゝしきものをと讀み、いむべきものを共讀みて、區々の讀樣一決せぬ也。かく讀みて歌意も説々不v定也。宗師案は隱沼はかくれぬのと讀べき歟。此已下こもり處隱津など詠める歌も有て、皆こもりつ、こもりぬと讀みたり。然共是はかくれぬと云地名か共見ゆる也。此歌皆地名を詠みたれば、此歌も地名を詠めるならんか。童蒙抄には、草など茂りたる沼をこもりぬと云と釋せり。かくれぬと讀みても意は同じき也。したと云はん冠辭也。裏の字をしたと讀ませたるも義訓也。歌の意、忍びて心の中に戀佗ぶるは、詮方も無く物憂く苦しきから、いみじく憚りあれど、妹が名を今はのり現さんとの意と見る也。いみじきは畢竟惣體へかゝりて、忍びて下に戀ふれば、いみじく嫌はしきものなれば、それと思ふ人の名をも、のり現さんとの意と也。此歌も愚意未v落、詞不v足歌也。いみじけれ共妹が名のらんと讀みたらんは聞え安けれど、妹が名のらんいみじきものをと讀める故聞き惡き也。只古詠の格にて、右の意なれ共かく詠めるもの歟。いみじけれ共妹がなのらんと云意に見れば、聞えたる歌也。尚後案すべし
 
2442 大土採雖盡世中盡不得物戀在
おほつちも、とればつくれど、よのなかの、つきせぬものは、こひにぞありける
 
能聞えたる歌也
 
2443 隱處澤泉在石根通念吾戀者〔注解ナシ〕
 
2444 白檀石邊山常石有命哉戀乍居
しらまゆみ、いしべのやまの、ときはなる、いのちをもがな、こひつゝをらん
 
石邊山 今の江州の石部山なるべし。石はときはなる物なれば、下の常磐なると云べき爲の石邊山也。弓いとうけたる序歌也。常住不變の命もがな、何時迄も戀ひをらんに、かく戀侘びても常磐ならぬ命なれば、命も軈て盡果てなんと思ふから、命を(231)も哉とは願ひたるなるべし。諸抄の意は常磐ならぬ命なれば、いとゞ心のいられて戀しきとの意也。此意にて聞ゆる也。好む所に從ふべし
 
2445 淡海海沈白玉不知從戀者今益
あふみのうみ、しづくしら玉、しらずして、こひせしよりは、いまぞまされる
 
上は不v知してと云はん迄の序也。近江の國を詠みたるは、前に注せる如く逢事を戀佗ぶるの意をこめてなるべし。それ共知らで名のみ聞きて戀ひせし人の、それと知りあひて愈思ひのまさると也。沈の字をしづくと讀事は、濱成式に假名書に見えたり。前に注せり
 
2446 白玉纏持從今吾玉爲知時谷
しらたまを、まきてもたなん、いまよりは、わがたまとしも、しれるときだに
 
今迄は吾手に入らざりし玉なれば、とる手にも卷かざりしか、今は我物となれば、せめて我物としも知りたる時になり共、手に卷きて持たんと、女を玉にして詠める歌也。第六卷の歌の、てるさつが手にまきもたるの歌に同じ意の歌也
 
2447 白玉從手纏不忘念何畢
しらたまを、てにまきしより、わすれじと、おもひしことの、いつかはつべき
 
是も女を玉に比して娶りしより、何時迄もと忘られじと思ふ心の、いつか變るべきとの意、又忍びて逢ふ女にしても逢初めしよりの意也
 
2448 烏玉間開乍貫緒縛依後相物
ぬばたまの、よはあけながら、たまのをの、まつひよりなん、のちもあふとも
 
諸抄の説は、別れを惜みて後逢はれんものかと詠みたる抔云ひて、詞を添へて釋せり。又貫緒を紐の緒と讀めるも心得難し。(232)つらぬく緒なれば玉を貫きたる緒也。歌の習ひも皆白玉を詠めり。然れば玉の緒とならでは読み難し。歌の意は、夜は明けたり共、玉の緒のまとひよりて先づ逢はん、後にも逢ふ共今先づ逢はんと詠める歌と聞ゆる也。又何して後も逢はなんものをと詠みたる歟。後案すべし。兎角聞き易き樣に讀べき也。間の字よと讀事は集中毎度あり
 
2449 香山爾雲位桁曳於保保思久相見子等乎後戀牟鴨
かぐやまに、くもゐたなびき、おほゝしく、あひみし子らを、のちこひんかも
 
おほゝしく おぼろ/\に、確かにあらね共あひ見し女を戀ひんかと也。かもは歎きたる意、さだかにも見ぬ人を後々迄かく戀ひん事かもと云意也。かぐ山にと云は、如v此不v止と云意をも含める也。雲ゐは雲と云義、又雲の居ると云譌義兩樣に見ゆる也。先雲居とは雲の事を云也
 
2450 雲間從狹徑月乃於保保思久相見子等乎見因鴨
くもまより、さわたる月の、おほゝしく、あひみしこらを、見るよしもかも
 
仄かに見し女を、又さだかに見る由もかなと也
 
2451 天雲依相遠雖不相異手枕吾纏哉
あまぐもの、よるはへだてゝ、あはずとも、あだしたまくら、われまかめやも
 
諸抄の説は、依相遠を、よりあひとほみと讀みたり。歌詞とも不v覺。其上下にまくらと云事あり。然れば衣と縁無くてはあるまじ。よつて三字を、夜は隔てゝと義訓に讀めり。天雲と詠めるは、隔てゝと云はん爲と見ゆる也
 
2452 雲谷灼發意追見乍爲及直相
くもだにも、しるくしたゝば、意追、見つゝもしてん、たゞにあふまでに
 
雲だにしるくし立たばとは、思ふ人の方にそれと知れて立たばとの意也。意追の二字前にもなぐさめと讀ませたり。宗師は(233)此歌にては事の字無き故、事意追にてなぐさめと讀むべきから、おもひやりと讀まんと也。思ひやりも思ひをけしやるの意にて慰めの意と同じ。是等は好む所に從ふべき歟
 
2453 春楊葛山發雲立座妹念
はるやなぎ、かつらぎやまに、たつくもの、たちてもゐても、いもをしおもふ
 
春やなぎは青やぎの共讀べきか。春草と書きてわか草とも讀む例也。かつらぎ山と云はんとて春柳とは詠出たり。立ちてもゐてもと云はむとて、たつ雲のと詠めり。古詠は皆如v此、序歌也
 
2454 春日山雲座隱雖遠家不念公念
かすが山、くもゐかくして、とほけれど、いへはおもはで、きみをしおもふ
 
聞えたる通りの歌也
 
2455 我故所云妹高山之岑朝霧過兼鴨
われゆゑに、いはれしいもは、たかやまの、みねのあさぎり、すぎにけんかも
 
高山を第一卷にてかぐ山と假名を付來りて、香山の事と見置きし也。然れ共たか山と云地名も有らんか。廣くさしたる高山には有まじく、名所を詠めるにて有べし。歌の意は我故に無き名をも云ひ立てられし人の有りしが、今は最早その無實も晴れぬらんかと、人を勞りて詠める意と聞ゆる也。過と云事聞え難けれど、是れは義をもて書たると見えて、はれにけんかもと讀べき事也。毎度此過の字を書きたるは如v此の義訓なるべし
 
2456 烏玉黒髪山山草小雨零敷益益所思
ぬばたまの、くろかみやまの、やますげに、こさめふりしき、いやましぞおもふ
 
此歌只思のいや増す事を詠める迄の意なるに、黒髪山の山すげを詠出たる意、何とぞ故有歟。心得難く引合すべき考も無き(234)也。草の字はすげ共かや共讀也。草の精靈の神をかやの姫と奉v稱れば、草の字かや共讀來れる也。かやとすげとは種類同じき物故、是又通じて詠めるならん。尤山くさ山かや共讀べけれど、古く讀來れば古點に任せ置也。山すげに小雨ふればとて思ひの増すとの寄せ少し聞き得難し。如何なる處の義をとりて云へるにやあらん。尚後案すべし
 
2457 大野小雨被敷木本時依來我念人
大野に、こさめふりしく、このもとに、より/\きませ、わがこふる人
 
大野は、ひろき野に共讀まんか。又大野と云地名を詠みたるか。四言に讀む事多ければ何れにても苦しからぬ也
被 は時に從ひて義訓に讀ませたり。雲霞にはたなびくとも讀ませ、こゝはふると讀也
時依 諸抄の説は、ときとよりこよと讀みて、小雨の降るを時として、此もとへより來る如く、我方へ寄り來れよとの意と釋したれど、時と依り來よと云事心得難し。時の字は、より/\共よゝ共義訓に讀みたれば、よゝより來ませとか、よる/\來ませとか讀べき也
 
2458 朝霜消消念乍何此夜明鴨
あさじもの、けなばけなまく、おもひつゝ、いかにこのよを、あかしなんかも
 
命も消えなば消えねと、思佗びつゝあれば、いかにしてか此夜を明さんやと也
 
2459 吾背兒我濱行風彌急急事益不相有
わがせこが、濱行風の、いやはやに、はやことまして、あはずやあらん
 
此歌濱行風と云事珍しき詞也。第一卷に、つとみ濱風と詠める事有しが、それとは異なる義にて、濱ゆく風とは、速かなる事によそへて云へる歟、さはる事のいや増して夫婦となりし間も無きに、逢ふ事の障り出來たるを歎きたる歌と聞ゆる也
 
2460 遠妹振仰見偲是月面雲勿棚引
(235)とほづまの、ふりさけ見つゝ、しのぶらん、このつきのめに、くもなたなびきそ
 
仰の字をさけとは義をもて讀むめり、ふり仰ぎ見て共讀むべし。何れにても意は同じければ、古點に任する也
月面 つきおもてにと讀ませたれど、日の目と云古語有。元日月の神は、御眼を洗給ふて生じ給へる神徳なれば、日の目月の目と云て難有まじく、唐土にても日月は天眼と云事あれば、本邦にても通じて云べき道理も有事也。面の字音借に、めにと讀む也。上に、見て忍ぶらんと詠める縁もあれば、月の目にと云て叶ふべき也。然れ共此方より見る月なれば、月の目にと云て、あの方の目にと云樣に紛らはしければ、おもにと讀みて義は叶ふべければ、是も好む所に從ふべき也
 
2461 山葉追出月端端妹見鶴及戀
やまのはに、さしいづる月の、はつ/\に、いもをぞみつる、こひしきまでに
 
山の端に出かゝる月の出も離れず、半ば空に現れたる時の氣色に譬へたる也。追の字、さしと讀める事如何なる義にてか不v考。月の出かゝるは物を追ひ出す如くなる、しづ/\とさし昇る體を、義にとりて見立て讀ませたる、さだかに見ざるから戀しき迄にはづかに見たると也。端の字前に、はつと讀ませたり。絹布類をたち切るに、餘計無きをばはつ/\抔云ひ、糸のはつるゝ抔云詞も、是等より出たるものと聞ゆる也。はつかに見しから、さだかに見定めたく戀しき迄と云義也
 
2462 我妹吾矣念者眞鏡照出月影所見來
わぎもこが、われをしたはゞ、まそかゞみ、てり出る月の、かげに見えこね
 
聞えたる通也
 
2463 久方天光月隱去何名副妹偲
ひさかたの、あまてる月の、かくれなば、なにゝなぞへて、いもをしのばん
 
物思ふ有樣も月を眺めて紛らかし、來らんを待つも月になぞらへて待ちゐるに、月の入り隱れなば、何によそへて妹を待ち慕ふかこつけにせんと也
 
(236)2464 若月清不見雲隱見欲宇多手比日
みかづきの、さやかに見えで、くもがくれ、みまくのほしき、うたゝこのごろ
 
三日月なれば有るか無きかの光のみ間なく隱れぬれば、愈見まほしき此頃と、思ふ人を三日月に比して云へる也。うたゝとは愈と云意と通ふ也。日本紀には轉の字をいよ/\と讀ませたり。古點なれば其義に從ふて見るに、愈と云意に通ふと見えたり。尚後案すべし
 
2465 我背兒爾吾戀居者吾屋戸之草佐倍思浦乾來
わがせこに、わがこひをれば、わがやどの、くさゝへもひに、うらがれにけり
 
思は、も火にうら枯れるとの意をこめたる也。思ひうら枯れると云事有べきや。草の秋過て稍うら枯れる折の氣色を見て、よそへて詠めるなるべし。尾花が本の思ひ草も、此草の事なるべし抔云説は不v可v足v論。思ひうら枯れと云詞は續かぬ詞也
 
2466 朝茅原小野印空事何在云公待
 
此歌印本諸抄の續樣は、あさぢ原をのにしめゆふそらごとをいかなりといひてきみをばまたんと讀みて、此卷の末にも、あさぢ原かりしめさしてそら事をよせにしきみがことをしまたんと有。又第十二卷目の歌に、あさぢ原をのに標結空言毛あはんときかせ戀のなぐさにと云歌、同意の歌に見る也。當卷の格にて、印の字計りにてもしめゆふと讀は、是迄の歌皆かくの如く、文字を略して他の例の格を以て書たり。歌の意は、をのにしめゆふと、あさぢ生ひたる野を我が野として、人を入れじとしめゆひ廻す義、又此野を我が爲にせんと思ひ置きて有を、空にしめゆふ共云と釋して、さて人を待つ宵の景色を、人には何と僞り事を云ひて、君待つ事を隱さんとの意と注し、又しめゆふとはそら事をゆふと續けて、足引の山より出る月侍つと人には云ひて君をこそ待てと、云歌の意と等しき心と釋せり。然共かく釋しては、あさぢ原小野にしめゆふと詠みたる詮如何に共聞えず。宗師案は
   あさぢ原をのにしめゆふむなごともいつなりといはゞきみをし待たん
(237)と讀みて、空事はむなし事と云事に讀む也。淺茅には實の無きもの也。それを寄せて云へる事にして、淺茅原にしめゆふは、とりしめなき空し事也。其空し事の如くなる徒事なり共、いつとさして云はゞ空し事にて有り共、先づ君を待たんとの意に見る也。此末の歌共も此意に聞ゆる也。空敷事なり共逢はんと聞かせよ、戀の慰めにせんと詠める意也。此歌も其意に見る也。諸抄の意にてとくと不2打著1也
 
2467 路邊草深百合之後云妹命我知
 
此歌も色々の聞き樣有歌也。手爾波にて如何樣にも聞ゆる也。諸抄印本等の讀樣は、道のべの草深ゆりの後にちふ妹のみことをわれは知らめやと讀みて、草深百合とは夏草の茂みに咲て、人に知られぬもの、それに妹が心の知られぬと云事を寄せたる義と見る也。のちにと云は後に逢はんと云の事にて、其事のさだかには我は知られぬと詠める意に注せり。みことは御言葉也。妹が云へる詞と云義と見る也。又道のべの草深ゆりののちと云へば妹のみことは我れは知りなんとも讀みて、草深ゆりは草の中に咲きて、顯れ知られぬ隱れたるものなれど、後に逢はんと云へば我が物と知られたりと云意にて、我は知らなんと讀める意にも聞ゆる也。然れば命は妹をさして弟命など云へる古語の如し。又いのちと讀みて、後に逢はんと云へど、妹が命もわが命も、知られぬものなれば、定難き世の中に、頼みなき事と云意にも聞え、幾筋にも聞く人の心によりて難v決。簡略に書たる歌は如v此聞惑ひある也。よりて此意とは決し難し。然共道のべと詠み後と詠めるは、野路と云意を縁に詠める一格也。草深ゆりと詠めるも、隱れたる事に云ひなせる義と見ゆる也。遲く咲く百合を草深ゆりと云は、のちと云はん爲の序と云説も有、心得難し。前の歌草深ゆりのゆりと讀めば、後といふ序共云ひ難し。後といふ共後にちふ共讀めるは、意同じかるべし。是等の歌は、只意の安く聞ゆる方に從ふべき也
 
2468 潮葦交在草知草人皆知吾裏念
みなとあしに、まじれるくさの、しりぐさの、ひとみなしれり、わがしたもひは
 
潮は湖の字なるべし。湖の事は前にもみなとゝ讀ませたり。知草は藺の事と釋し來れり。さもあらんか。鷺の荒せし草と云(238)故、しり草と計りよめる歟。和名妙云〔玉篇云、藺、音吝、和名爲、辨色立成云、鷺尻刺似v莞而細堅、宜v爲v席〕畢竟わが下思をも人皆知たりと云はん爲のしり草也。古詠の格也。した思ひ共讀みて有也。又したもひも共讀べし。人に知らせぬ心の中の下思ひなれ共、人皆知りぬと云意に、もひもと詠めるか。もひとは、藻に寄せて縁語をとりて云へる也。葦は高く、藺はひきゝ物故、下もひと云など詳し過たる意也。只人皆知りぬと云はん計りに、しり草のとは詠みて、外に六ケ敷心を寄せたるにはあらず。古詠は皆只一句に移る處計りの意を專とは詠めり
 
2469 山萵苣白露重浦經心深吾戀不止
やまちさの、しらつゆをもみ、うらぶれて、こゝろにふかく、わがこひやまぬ
 
山萵苣、第七卷にも有。ちさの木と云て白き花の咲くものなるべし。未v考。此歌山ちさの白露と詠めるは、白き花咲く木と聞ゆる也。歌の意は聞えたる通也。浦經てと云は思侘び惱みたる體を云也。白露おもみうらぶれと有るにて、しなへ垂れたる體を云と知るべし
 
2470 湖核延子菅不竊隱公戀乍有不勝鴨
みなとに、さねはふこすげ、しのばれず、きみにこひつゝ、ありたへぬかも
 
根はふこすげの忍ばれぬと云へる事、少聞きにくき歌也。根はふは土※[泥/土]に這ふなれば、隱れて見えぬ物なるに、忍ばれぬとはたゞ忍ぶと云事計りを借りて云たるものか。山田の穗にはでてなど詠める意、隱れて忍べるものなれど、忍ばれぬと云意歟。そこを苦しきと云意に詠めるもの歟。戀に忍び堪へられぬとの意也
 
2471 山代泉小菅凡浪妹心吾不念
やましろの、いづみのをすげ、おしなみに、いもがこゝろを、わがおもはなくに
 
歌の意は、世のなみ/\には思はぬ、大切に思ふの意也。山代の泉の小菅と詠出たる意未v詳也。若しは小菅の名物故泉と詠めるか。蛙鳴いづみの里と詠める所也。攝津國境に有所也。泉河と云も此所歟。几浪は押並の意也。泉とある故浪と云字を(239)書たり。此集に此字格あること也。浪の字義には不v寄事也。小菅はこすげと讀べし。前の歌の例あり。初語の辭也
 
萬葉童蒙抄 卷第二十九終
 
(240)萬葉童蒙抄 卷第三十
 
2472 見渡三室山石穗菅惻隱吾片念爲
みわたせば、みむろの山の、いほほすげ、しのびてわれは、かたもひぞする
 
此歌も、忍びて我は片もひぞすると云迄の義に、上を詠出でたる也。見渡せば見ゆると續けて、菅の生靡きたるを見渡したる當然の事にも有るべし。菅に忍びてと云事を多く詠めるは、菅も、小竹薄などの類にて、しなひたるもの故、皆忍びてとよめり。忍びも、しなひも同じ詞也。石ほ菅と詠出たる故、下に片もひと詠みて、堅の縁語に我のみ片思ひするとの義を詠める也。忍びては、隱れて現れぬの意と、しなひ弱りての意と也
 
一云三諸山之石小菅 三室三諸同事也。大和のみもろ山の義なるべし
 
2473 菅根惻隱君結爲我紐緒解人不有
すがのねの、しのびてきみが、むすびたる、わがひものをを、とくひとあらめや
 
聞えたる歌也。忍びては密かに隱しての意也
 
2474 山背亂戀耳令爲乍不相妹鴨年經乍
やますげの、みだれこひのみ、せさせつつ、あはぬいもかも、としはへながら
 
山菅は亂れと云はん序也。しの、すげは皆亂るゝ物なれば也。歌の意は我には戀佗び、思ひ亂れさせて、兎角に逢はぬ妹かな。かく年は經ながらつれなきと恨みたる歌也
 
2475 我屋戸甍子太草雖生戀忘草見未生
(241)わがやどの、のきのしたくさ、おひたれど、こひわすれぐさ、見れどもおひず
 
甍 いらか共讀字也。軒とも讀べし。子太草、下草也。しのぶ共云説有。是は我戀の月日を經る理りになぞらへて云へるなるべし。人の家も年經古びぬれば、軒に苔むし忍ぶ草の樣の物生ずる意を寄せて詠める也。戀忘草とは忍ぶ草を云也。古今、伊勢物語の歌にて見れば、兎角二名同物と見えたり。戀忘草見れ共生ひずとは、思ひの叶はぬ事を詠める意也
 
2476 打田稗數多雖有爲擇我夜一人宿
うつたにも、ひえはあまたに、ありぬれど、えられしわれぞ、よをひとりぬる
 
我一人えりのけられて、思ふ人にえ逢はで寐ると寄せて詠める也。打田と云事は前にも注せる如く、日本紀の歌にも、小鍬もちうちしと詠ませ給へり。田を耕へすをうつ共云也
 
2477 足引名負山菅押伏公結不相有哉
あしびきの、なにおふやますげ、おしふせて、きみがむすばゞ、あはずあらめや
 
名に負ふ山菅と詠める意心得難けれど、山菅と云物の一種山に生ずる草なれば、名に負ふと詠める迄の事か。畢竟一筋に君が思ひ入て契らば、我とてもいかで靡かではあらじ。押伏せられて從ひ靡かんとの義也
 
2478 秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝
 
此歌抄物印本等には左の通りに讀めり
   あきがしはぬるやかはべのしのゝめに人にはあはじきみにまさらじ
意は、しのゝめと云はん爲に上は詠出て、川邊には篠の有るもの故川邊のしのゝめと詠み、ぬるや川とは、秋の柏の葉の夜露夜霧に沾れて、手を卷きたる樣なる處をさして、ぬるや川と云はんとて寄せたるとの釋也。偖しのゝめにとは細目にも人には逢ふまじ。君にまされる人の無ければとの意と釋せり。いかに共聞え難し。此卷奥に、朝柏閏八川邊のしのゝめに忍びてぬれば夢に見えけり、と云歌有によりて、此秋柏も朝柏なるべし。和名抄に、飛騨國益田郡秋秀【阿佐比天】如v此讀みたる例もあれば、秋(242)とは書きたれど朝柏にて、奥もこゝも同じ地名なるべしと云へる説有。能考へたれ共、こゝは秋、奥は朝なるべし。秋朝に心有る歌にあらず。只忍びてと云序に地名を詠出たる迄にて、其詞の吟味を云はゞ、秋は商の意、朝は吾背と云意なるべし。當集の書樣皆此格ある事を不v辨から、考案は廣く渡りたる説なれど、歌の義には叶へり共見えず。此歌の讀樣は宗師案は
      あきがしはうるやかはべのしのゝめにしのびてのみぞきみをまく也
秋柏は商柴と云意にて、うるや川と續けん爲に、あきが柴とは詠出たり。當集の格此類毎度あり。只うるや川と云はん迄の冠句に、秋柏とは置ける也。其うるや川は、何の意に詠めるや不v詳共、是は、しのと云物の縁に詠めるか。川邊杯には篠の必ず有ものなれば、上のうると云事に對して、かは邊と續けたるなるべし。買ひ、買ふと云縁を兼ねて他
人不顔面と云四字にて、しのびと讀べき事也。しのゝめと詠出たるは、此忍びつゝと云はん爲の上のしのゝめなるべし。然るを諸抄に、しのゝめに人に逢はずと讀める事心得難く、又歌のつゞけがら古詠の風格を不v考の義也。人に忍びてとは若しも讀みたるか。義訓は四字にて忍びと讀む事能當れり
無勝 二字をまく也と讀むは負の宇の義訓にて、詞は求の意君を待ち設くるの意にも見る也。此義訓少愚意に不v落。忍べる事は君にまけぬると云義訓ならんか。まけるなれば得忍びおほせで堪へかぬるの意也。君を戀忍ぶ事をえ忍び不v通して、おもてにも現し知らるゝとの義歟。未だ後案ある歌也
 
2479 核葛後相夢耳受日度年經乍
さねかづら、のちもあはんと、ゆめにのみ、うけひぞわたる、年はへにつゝ
 
さねかづらは後と云はん冠辭也。野路と云意をうけたるか。集中多き續き也。夢にのみとは、誠現つには相逢ふて契り交す事もあらで、只夢にのみ誓ひもし、或は祈り願ふ也。只逢はでのみ年の經ると云義を詠める也。かづらの類の物は、這ひ纏ひて末は一つに會ふもの故、かく後もと詠めると云説も有。さも有べき歟。蔦葛共にかく詠む也
 
2480 路邊壹師花灼然人皆知我戀※[女+麗]
(243)みちのべの、いちしのはなの、いちじるく、ひとみなしりぬ、わがおもひづま
 
いちしの花は苺の花と云へり、此歌も只いちじるくと云はん爲に、いちしの花はと詠出て、上に別の意無き也。只我が戀忍ぶ妻は、人皆知りたるとの義迄の歌也。苺にも草苺木苺と云物有。いちしと云たれば草苺の花を云ひたる歟
 
或本歌云灼然人知爾家里繼而之念者 此異本の下の句は心得難し。何を人知りたる歟。其體を据ゑざれは、本集の歌勝りて聞ゆる也
 
2481 大野跡状不知印結有不得吾眷
大野に、あとかたしれず、しめゆひて、ありはえずとも、われかへりみむ
 
大野 前にも注せる如く廣き野と讀まんか。跡状の二字もそこともしれずと讀まんか。跡かた知れずと云事は歌詞ならず。何とぞ別訓あらんか。此歌の意いかに共聞得難し。如何樣の事を寄せて詠める歟。知れ難し。諸抄の説は得難き人に思ひかけたり共、廣き野にそことも知られず印ゆひたる如く、中々われ領し知る事は難かるべければ、身の程を反り見て思ひ止まんとの意と見る由を注し、又は得難きとは知りながら、さてもありかぬれば、若しやしめゆひし跡の殘るやと反り見て尋ぬる如く、繰返して人に云ひわたるの意と釋せる説も有。ケ樣の意句面にも見えず。樣々の詞を入れて注せるなれば、信用し難き説々也。押して作者の意を察せば、廣き野にそことも知らずしめゆふは、ことの定まらぬ、うはの空など云事と同じ意にて、我は思ひかけて、つまとも夫ともせまじと心にしめゆひねれど、先に通ぜざれば、廣き野に結びたるしめの如くにて、其のしるしもあらね共、其心を止まず慕思ふと云意によせて、我反り見んとは詠めるか。とりしめたる事も無く、廣き野にそれ共不v覺、しめゆひたる如くなる人を反り見慕思ふ意を、かく寄せたる歟。ケ樣の歌は、如何樣にも云廻せば云はるゝものなれば、何れが當れり共決し難し
 
2482 水底生玉藻打靡心依戀此日
みなそこに、おふるたまもの、うちなびき、こゝろをよせて、こふるこのごろ
 
(244)歌の意は只打靡きと云はん迄に玉藻を詠出で、それ一つの趣向に深く心に思ひ入れて、戀ふと云義を詠める也
 
2483 敷栲之衣手離而玉藻成靡可宿濫和乎得難爾
しきたへの、ころもでかれて、たまもなす、なびきかぬらん、わをまちがてに
 
敷栲の衣手かれてとは、我に別れてと云義を衣に放れてと寄せたる也。玉藻成は、玉藻の如くしなひ靡きて、妹が寐ぬらんと思遣りて詠める也。わを待ちがてには、待かねて待ち堪へ難くてとは云意也。此靡もしなひと讀べき歟。しなひは忍び也。うらぶれ抔云へる意に同じき也
 
2484 君不來者形見爲等我二人植松木君乎待出牟
きみこずば、かたみにせんと、わがふたり、うゑしまつのき、きみをまち出ん
 
君を待ち出んと云はんとて、松の木を詠出でたる也。松の木の出むと云義にはあらず。前の歌に答へたる樣に聞ゆる歌也
 
2485 袖振可見限吾雖有其松枝隱在
そでふるを、見るべきかぎり、われあれど、そのまつがえに、かくれたりけり
 
是れは歸る人を見送るか、外へ行くを見送るかの時詠める歌と聞ゆる也。柚を振るを見ゆる限りは見送りてあれ共、松に隱れて見えぬと也。其松の木と云へるは、そこの松にと云意迄也。其と指したるに意味有にはあらず。撰列の例にて如v此松の類の歌は一列に編める故、此歌も亦前の歌に答へたる樣に聞ゆれど、さには有るべからず
 
2486 珍海濱邊小松根深吾戀度人子※[女+后]
ちぬのうみの、はまべの小まつ、ねをふかみ、われこひわたる、ひとのこゆゑに
 
此歌も根を深みと云迄を趣向に詠みて、深く戀渡ると云計りの歌也。※[女+后]の字は故の字歟。※[女+后]の字前にも注せる通、ゆゑと讀める字義不v考也。既に或本の歌は故の字を書たり
 
(245)或本歌云血沼之海之鹽干能小松根母己呂爾戀屋度人兒故爾  本集の歌の意とは少し違ひたれど、畢竟人の子故に深く思渡ると云義を詠める也
 
2487 平山小松末有廉叙波我思妹不相止者
ならやまの、こまつがうれに、あれこそは、わがおもふいもに、不相止者
 
有廉叙波、此廉の字を、こと讀ませたる義は心得難し。若しくは庫の字の誤歟。文字を助けて見る時は、かどと讀字故、こと約して讀ませたる歟。當集に此一格もまゝ有。見る事多けれど、此傳は古來より知る人少なければ此案をなす人無し。偶々有廉の二字をあれと讀みて、古許等の字を下に脱したるかと云説有。有廉二字音訓合せてあれと讀める事は有べからず。あれこそと云義は、あらばこそと云義と聞ゆる也。不相止者をあはずやみなめと讀める事も、者の字をなめとは難v訓。あはでやまめやもと讀まんか。ものと讀事故、めやの二語を略して讀めるか。小高き松の末ならばこそ、手も屆かで得手折らざらめ。さもなき事の常の人なみの事なれば、いかで思ひかけし妹に逢はで止まんや、逢はではえ止むまじとの意と聞ゆる也
 
2488 磯上立回香瀧心哀何深目念始
いそのうへに、立回香瀧の、こゝろいたく、なにを深めて、おもひそめけん
 
立回香瀧此四字を、たちまふたきと讀ませたれど、いかに共心得難し。惣て是迄の歌皆草木によせて詠める歌なるに、此一首に限り瀧をたきと讀める義心得難し。瀧水の事に寄せたる義不審也。宗師案は、回香の二字は、わがと讀べし。後案、回香の二字まふと讀義も心得難し。尤香の字、にほふと讀故、下の一語を取りて、ふと讀める例もあらんか。珍しき讀方なれば心得難し。瀧は竹と讀べきか。然らば、磯の上に立てるわか竹にて有べし。下にも心痛く何を深めてと詠めるは、石の上に生る竹なれば、根を深く入るべきにあらず。よりて何を深めてとは咎めて詠める也。或抄には※[木+龍]の字にて松にて有べく、まとは高松を高圓の訓に借用るのうらにて、つととゝ同音故、※[木+龍]と云を松に用ひたると見たる説も有。能案ながら誤字に不v見、共儘にて竹と見る義安かるべき歟。歌の意は、思佗びても、我のみ惱みて先には相思はぬ戀を、何とてかくは心痛く、深く思ひ初めけん(246)と自問に歎きたる歌也
 
2489 橘本我立下枝取成哉君問子等
たちばなの、もとにわれたち、しづえとり、なりぬやきみと、とひしこらはも
 
橘は實のなるものなれば、戀の調ふやと云事に寄せて、女子の手などをとりて、我に從ふべしや否やと問ひし子等は、如何にやと思歎く意也。君と問ひしとは、子等が手をとりて君とさして問ひたると云義也。はもは例の歎息して思ひ出たる意也。尚戀慕ふ意をこめて云たるもの也
 
2490 天雲爾翼打附而飛鶴乃多頭多頭思鴨君不座者
あまぐもに、はねうちつけて、とぶたづの、たづ/\しかも、きみいまさねば
 
たづ/\しきと云はんとて、上の句を詠出たる也。上の句は序にて意有にあらず。たづ/\はたど/\しきと云と同じく、便りなく物心細き意也。思ふ人無ければ、心のたしかならず心細きとの歌也
 
2491 妹戀不寐朝明男爲鳥從是此度妹使
いもにこひ、いねぬあさけに、をしどりの、こゝにしわたる、いもがつかひか
 
妹を戀慕ひて夜をも寐ぬ朝に、をしの渡れるは、我が戀慕ふ心を通じ知りて、我を問ふ意にての妹が使にや有らんと也。をし鳥を詠めるは深き意有べし。鴛鴦は雌雄の思ひ深きものにて、常住むとても雌雄相連て不v離ものにて、唐土にても色々古事を云ひふらせる鳥なれば、夫婦の親み深き意を思込めて詠めるなるべし。こゝにわたるは共讀まんか
 
2492 念餘者丹穗鳥足沾來人見鴨
おもふにし、あまりにしかば、にほどりの、あしぬれくるを、ひと見けんかも
 
鳰は、かひつぶりと云鳥の事也。此沾と云字若し誤などにはあらぬか。鳰鳥は常住水中にかづきて足はひぢたるものから、足(247)ぬれ共讀べきか。なれ共足ぬれ來ると云事、河瀬など渡り凌ぎて來ると云義ならば聞ゆれ共、只足沾れ來るとは何にて沾れ來るや。朝露夕露などに沾るゝと云はずして、心を通じて詠めるか。水鳥の陸歩と云事は、痛ましくなづましき事に譬へ云たる事あれば、何とぞ其意にて餘り忍びかねて難苦をも厭はず、水鳥の陸歩の如くに、從ひ來ると云義によせて詠める歌にて、沾の字外の字ならん。不審ある歌也
 
2493 高山岑行宍友衆袖不振來忘念勿
たかやまの、みねゆくしゝの、ともおほみ、そでふりこぬを、わするとおもふな
 
相伴ふ人の多くて人目の繁ければ、つゝみてえ忍びも來ぬを、心變り忘れて來ぬとな思ひそと斷りたる也。高山の峰ゆくしゝとは、連れ伴ふ人の多きを云はん迄の序、しゝは己がどち連れて群れ通ふもの故、それに我が伴ふ人の多き事を寄せて也
 
2494 大船眞※[楫+戈]繁拔※[手偏+旁]間極太戀年在如何
おほふねに、まかぢしゝぬき、こぐほどを、いたくなこひそ、としにあるいかに
 
此歌の意いかに共聞得難し。諸抄の説は、七夕の年に一度逢ふ事の如くならばいかにせん。大船に眞梶繁くぬきて漕ぐ如き捗取らぬ事を甚くな餘り歎き佗びそ。年に一夜の七夕の如くならば、いかにぞと諫めたる歌と釋したれど愚意未v落。何とぞ別意の聞樣見樣によりて讀樣有べし。尚追而可v加v案也
 
2495 足常母養子眉隱隱在妹見依鴨
たらちねの、はゝがかふこの、まゆごもり、こもれるいもを、見るよしもかも
 
たちつてと同音の語、如v此ちねの假名に常の訓借字を書けり。乳をたるゝ母と續けたる也。かふ子の眉ごもりは、蠶の眉に籠ると云事有から、籠れる妻とか妹とか云はんとての序に詠めり。畢竟隱れ籠りたる妹を、憐みる由もがなと願ひたる也
 
2496 肥人額髪結在染木綿染心我忘哉
(248)【こま・うま・から・はだ】びとの、ひたひかみゆへる、そのゆふの、そみしこゝろを、われわすれめや
 
此歌も染めし心を我忘れぬと云意を詠める迄の事に、上は序に云ひたる也。此うま人と云事説々有りて一決し難し。日本紀にてはよき人、高貴の人をうま人と讀ませたり。一本には、肌人とも有。是によらせ給ふてか、八雲御抄には、はだ人と讀ませられたり。諸抄の説は、から人と云義にて、唐人は三韓唐國共に肉食に飽きて、其形象身體太りて肥えたるもの故、古より鳥獣の肥えたるは喰に味能き故、見る處の體を義にとりて、肥人と書けると云説也。假名本には、こま人と讀ませたり。高麗の人は額に髪結る故、ひたひ髪ゆへると讀めるとの説も有りて、いかに共決し難し。古事記景行卷日本武尊の御車にも、當2此之時1其御髪結v額也。如v此あれば、日本紀にては高貴の人をうま人と讀ませたるに引合せて見れば、上古は高貴の人ならでは額髪は結ばざりしか。日本紀に何人の傍注か、十五六才の人額に結v髪と注せり。肥人と書きて、うま人と讀義は、諸抄の説の如く鳥獣の肥えたるはうまきものから借訓に書たる歟。釋日本紀肥人の字と云事あり。是によれば三韓の人は其頃も能肥え太りたる故、高麗人と云事に肥人と記したるか。此説々いかに共決し難し。歌の意は、只下の染めし心を忘れぬと云迄の事に、其義に親しく續く事の義を案じて、ケ樣には詠める也。そめゆふとは初元結の小紫抔詠める意と同じく、昔は紫の糸をもて髪をあげたる也。今は漸く冠下を結ふ小元結と云ものに用て、平生は紙ひねりを用る也
 
一云所忘目八方  思ひ初めたる事は、忘られぬとの意、本集の意と同じ
 
2497 早人名負夜音灼然吾名謂※[女+麗]恃
はやびとの、なにおふ夜こゑの、いちじるく、わが名をのりて、つまとたのまん
 
早人は隼人也。朝廷護衛の武官の者也。夜行の時名謁と云事、令式にも見えたり。其名のりする聲の如く、いちじろく我名をあらはし、名のりておもふ女に知らせ告げて、妻と頼まんとの義也。令式等の文重而可v加v之也
 
2498 釼刀諸刃利足踏死死公依
(249)つるぎたち、もろはのときに、あしふみて、しぬともしなん、きみによりては
 
君によりてならば、たとひ釼刀にて身は切り裂く共、厭はじとの義也。釼刀と云は、兩方に刃の有るを云と聞えたり。今の俗に、けんと云此の義なるべし
 
2499 我妹戀度釼刃名惜念不得
わぎもこに、こひわたりつゝ、つるぎたち、なのをしけくも、おもほえぬ也
 
釼刃は刀の誤りなるべし。名の惜しけくもは前に注せり。釼刀には刀師の銘を記すもの故、名とは續け來れり。思佗び戀渡れば、忍びかねて名の立ち現はるゝ事も思はぬと也
 
2500 朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽
あさ月日、向つげぐし、ふりたれど、いつしかきみは、見れどあかれず
 
此朝月日向を、諸抄諸本共にあさづくひむかふと讀みたり。朝には日と月と向ふもの故、かく續けたると云釋也。其轟は聞えたれど、向ふつげ櫛と云事不v聞。諸抄の説は、あしたには髪くしけづるにも鏡にも打向ふもの故、向ふつげと云との無理なる義釋也。宗師案、是はつげ櫛へかゝる言葉に詠出たるなれば、黄楊櫛と云物は日向の名物なると、前にも風土記の説有て、大隅の國くしらの里の事に此くしの義を注せり。風土記の謂れもあれば、日向は黄楊櫛の名物なるから、上古も日向黄楊櫛と云ひ觸れたる歟。然らば朝月の日向と讀べきか。朝月は日向と云はん爲に、五文字に据ゑたる歟。あしたの月は日に向ふ故、夕月日など云と同じ意也。日向とは黄楊櫛の名物なる故也。又向は、むかと讀みて眞櫛と云事か。初語の意にてまつげ櫛と云べきを、むにては足らぬを調へてむかと云へる歟。むかと云詞はまと云詞也。日本紀正妣と書きて、むかひめと訓じて、むかひめ眞ひめと云義也。然れば、まと云詞をのべて、むかつげ櫛と云へるか。兎角むかふつげ櫛とは讀べき義無き也。或説に朝月日の三字を、朝かゞみと讀まんかとの案有。次の歌の縁も有から面白き義訓なれど、是もむかふと云事つげ櫛に續かぬ故、さも讀まれまじき歟。畢竟馴れ古りたれど見飽かぬとの意を詠める歌也。つげぐしは平生女の手馴るゝ物なれば、馴れ古りた(250)れどと云事に寄せたる也。次下の歌に、見れ共君を飽く事もなしと詠める、同じ意也
 
2501 里遠眷浦經眞鏡床重不去夢所見與
さとゝほみ、したひうらぶれ、ますかゞみ、とこのへさらず、ゆめにしみえよ
 
里遠眷の三字を、さとゝほみと讀みたれど心得難し。里遠みうらぶれとは詠出難き續き也。前にも吾眷と書て、かへりみんと讀ませたれど、是も義訓に讀みたるにはあらざらんか。こゝも慕ひと讀までは、歌の姿も惡しく意も聞え難ければ、反り見ると云意慕ふ意に通ふ義なれば、義をもて慕ひとは讀也。遠ざかり隔たりたれば、あひ見る事もならねば、慕ひうらぶれて、せめてうちぬる夢になり共見えよかしと佗びたる歌也。眞鏡と續くはとくと云ふ意にて也。尤下に夢にし見えよと詠めるから、上に鏡とも詠める也。所見與とある與の字、若し興の字の誤りたるか。然らば見えこせと讀べし。おこせ也。おこすと讀字故也
 
2502 眞鏡手取以朝朝雖見君飽事無
ますかゞみ、てにとりもちて、あさな/\、見れどもきみを、あくこともなし
 
眞鏡と書きてます鏡と前の歌にも讀めるは、此卷の例且當集の格例也。歌の意は黄楊櫛の歌の意と同じ
 
2503 夕去床重不去黄楊枕射然汝主待固
ゆふされば、とこのへさらず、つげまくら、いつしかなれが、ぬしまちがたみ
 
今宵や來まさんと、夕なれば來る人を待ち戀佗びて待ちかねると云意を、枕に云ひかけたる歌也。我が待ちかねるを枕に負ふせて詠みなせり。なれがとは枕をさして也。いつしかと待ちかねたるとの意也。
 
2504 解衣戀亂乍浮沙生吾戀度鴨
ときゞぬの、こひみだれつゝ、うきにのみ、まなごなすわが、こひわたるかも
 
(251)解衣は亂るゝの序、浮きも戀も泥の事に寄せて、又憂にも寄せて也。まなごなすは、心を碎き樣々に思ひ亂るゝと云事を、まなごの如くに戀渡ると也。能く詠みなしたる歌也
 
2505 梓弓引不許有者此有戀不相
あづさゆみ、ひきでゆるさず、あらませば、かゝるこひには、あはざらましを
 
梓弓引きて許さずとは、逢ふ事を許さず心強く引はりこらへば、今かゝる思ひはあらましを、うけひきて逢ひも初めしから、かゝる戀に苦むと也
 
2506 事靈八十衢夕占問占正謂妹相依
ことだまの、やそのちまたに、ゆふらとひ、うらまさにのれ、いもにあひよると
 
事靈は第五卷好去好來の歌にも有て、そこには言靈と書けり。依て今云山彦こだまの義と釋したれど、此歌によりて見れば、人の言語をなすも神靈の業なれば、言の靈神をさして云へる事と聞ゆる也。巷の占と云は、往來する人の言葉を聞きて、吉凶をさとる事を云。今も辻占と云此義也。然れば、言靈と書ける字義の通りにて、言を云はさしむる神靈と云義なるべし。宗師案は、異靈幸靈の事と見るべしと也。第五卷目、さきはふ國と詠める、是もさきよばふの意なるべし。言語をなさしむる神靈と云義と見ゆる也。目に見えぬ神靈なりと云説あれど、漠としたる説也。神靈に見ゆる神靈あらんや。當集には、ことだまと詠める歌此外にもまだ有。完師の説幸靈と云義は、何れにても當るべき歟。前にも注せし如く、大鏡にも村上の帝生れさせ給ふ時、五十日の餅を諸卿に給ふ時、伊衡中將歌つかふまつれるに
   一とせにこよひかぞふる今よりはもゝとせまでの月影を見む
御門の御かへし
   いはひつることだまならば百年の後もつきせぬ月を社みめ
此御歌も、いはひつる言靈と被v遊しは、言靈の事に聞ゆる也。祝言のたまと聞え侍る也。此歌も八十巷にて人の言を聞く歌(252)也。なれば言靈をさして云へる歟。歌の意は、占を聞くに妹に相よると云ふ辻占ありて、其占言の如く、正しく妹に逢事のあれと也。正謂は占にのると云と、物を云事をのると云とにかけて云へる也
 
2507 玉桙路往占占相妹逢我謂
たまぼこの、みちゆくうらに、うらなへば、いもにあはんと、われにのりつる
 
聞えたる歌也
 
問答
 
2508 皇祖乃神御門乎懼見等侍從時爾相流公鴨
すめろぎの、かみのみかどを、かしこみと、さむらふときに、あへるきみかも
 
すめろぎの神とは前に注せり。文字の如く御祖の神を尊むでさし奉る詞也。然るにこゝにすめろぎのと詠めるは、畢竟神と云冠辭に、上古は皆すめろぎとは詠めると聞えたり。こゝの神と云は朝廷をさして稱し奉りたる神の御門也。畏み愼みて朝勤せる身なるに、朝勤の折から逢そめぬることかなと云歌也。能愼みて人に洩るなと示したる意也
 
2509 眞祖鏡雖見言哉玉限石垣淵乃隱而在※[女+麗]
まそかゞみ、みともいはめや、たまきはる、いはがきふちの、かくれたるつま
 
前の朝勤の時に、畏くも憚らずして逢ひたる事を、恐れたる意を詠みかけたる故、逢事はさら也、見たり共云はめや、深く隱れたる妻なれば、見もせぬと云はんとの答也。まそ鏡は見ると云はん爲の序也。玉きはるはいはとうける爲、いはかげ淵は隱れと云はん爲の序也。いはかげの淵なれば、隱れて有から、隱れたる妻と云はんとて、石垣淵と也。玉限をかげろふと讀める説も有。前に玉蜻と書たる歌あれば、其の誤字と見てさも讀める歟。かげろふのいはかげと云續きは、少六ケ敷也。石の火と云事の義をとりて、續けると也。然共玉限と書きて、毎度たまきはると訓借に詠める歌數多あれば、たまきはると讀みたるなるべし
 
右二首 是は下に誰の歌集中出と云字の落たる歟。如v此注したる處數多也、是より奧此注有。何の爲に注せる共難v知け(253)れば、下の注脱したると見る也
 
2510 赤駒之足我枳速者雲居爾毛隱往序袖卷吾妹
あかごまの、あがきはやくば、くもゐにも、かくれゆかんぞ、そでまくわぎも
 
赤駒は我駒によせて也。かくれは驅けりの意也。かけるを、かくり、かくれ共云也。同音の詞也。いづこ迄も我駒の足早くば求め行きて逢はんぞと也。袖まくわぎもとは、我と袖を卷寐ん妹と云意也
 
2511 隱口乃豐泊瀬道者常滑乃恐道曾戀由眼
こもりくの、とよはつせぢは、とこなめの、かしこきみちぞ、こふらくはゆめ
 
前に馬の足だに早くば、いづこ迄も驅りり行かんぞと云へる故、戀慕ひ來らば、初瀬路はさかしき道の恐ろしき道なる程に、ゆめ愼しめとの答也。常滑のこと、前にも注せる如く、とこしなへに滑かなると云事心得難し。常滑とは、石に水垢の溜りて、すべる如く滑かなるを云との説也。此歌川とも無きに、川の石の水にひたり、苔むして滑かなるとは六ケ敷説也。一本濟の字を書けり。滑濟何れか是ならん。濟の字なれば、なみと讀みて、泊瀬と有るを川の縁に取りたるもの歟。然らば、常の字も、しきと讀みて、しきなみと云事か。尚後案すべし
 
2512 味酒之三毛侶乃山爾立月之見我欲君我馬之足音曾爲
うまざけの、みもろのやまに、たつゝきの、みかほしきみが、うまのあしおとぞする
 
此歌も赤駒の歌の答に聞ゆる也。歌の意は何の義も無く、見かほし君が馬の足音ぞすると云はんとて、上より序を云ひ出たる也。味酒は、みもろとうけん爲の冠句、立月は見かほしと云べきの序也
 
右三首
 
2513 雷神小動刺雲雨零耶君將留
(254)なるかみの、しばしどよみて、さすくもの、あめのふりてや、きみがとまらん
 
刺雲のは、雲のたつは上へ昇るを云。さすもたつも同事也。古事記日本紀等の歌にも、八雲さす出雲と續けたり。歌の意は聞えたる通り、夕立などして雷鳴り、雲も湧き出る如く立昇りて、雨の零る氣色を云ひたる也
 
2514 雷神小動雖不零吾將留妹留者
なるかみの、しばしどよみて、ふらずとも、われはとまらん、いもしとゞめば
 
能聞えて隱れたる處無し。直答の歌也
 
右二首
 
2515 布細布枕動夜不寐思人後相物
しきたへの、まくらうごかし、よもいねず、おもふ人には、のちあふものか
 
寐ねがてなれば苦しくて、枕も彼方此方と打返し定めぬものなれば動かしと也。如v此戀思ふ人には後逢ふものか、逢はぬものかといぶかしく歎き恨みたる也
 
2516 敷細布枕人事問哉其枕苔生負爲
しきたへの、まくらせしひと、ことゝへや、そのまくらには、こけむしにけり
 
返歌也。先の詞をうけて心は格別の意を答たる也。此一格有。後逢ふものかとあるを、意を引違へて此方にこそ待ちをれ。一度枕交せしより音絶て來まさねば、其枕には苔さへ生ひたると、此方をかさをかけて返したる歌也。負爲を、にたりと讀ませたり。負は荷と云と義同じき故、荷と云意にて詠みたるか。負の字、にと讀義未v詳也。けりと讀義はまけと讀事故、其けの一語をとり、爲は、たり共せり共讀む其の一語を引きて讀也。畢竟久しく君が來らざりし故、枕に苔さへ生ひたると、不v來不v逢事の程經し事を詠める也
 
(255)右二首
 
以前一百四拾九首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
古注者考ふるところありて如v此注せるなるべし
 
正述心緒 前に毎度有し端作り也。まさしく思ひを述ぶると讀まんか。是は思ふ事を物に寄せ擬らへては云はず。直に心に思ふ事を顯したる歌と云意。用何事に寄らず心の中の思ふ事を言葉に顯し述べたる歌にて、比喩よせ歌とは違ひたる歌共と云義也
 
2517 足千根乃母爾障良婆無用伊麻思毛吾毛事應成
たらちねの、はゝにさはらば、いたづらに、いましもわれも、ことやなるべき
 
母の氣にさかひ障りたらば、いかで思ふ事の成りぬべきと也
 
2518 吾妹子之吾呼送跡白細布乃袂漬左右二哭五所念
わぎもこが、われをおくると、しろたへの、そでひづまでに、なきてしのばる
 
別れ來るに、妹が送り來るとて、我袖のぬるゝ迄別れの悲しくて、慕はるゝと也。おくると詠めるは、我袖の涙に沾れて、慕ひ嘆かるゝは、妹が心の添ひて送るからにやと云意共聞ゆる也。跡の字の手爾波心得難き也
 
2519 奥山之眞木乃板戸乎押開思惠也出來根後者何將爲
おくやまの、まきのいたどを、おしひらき、しゑやいでこね、のちはなにせん
 
奥山はまきと云はん爲迄の五文字也。歌の意只今來りて逢へかし。此所を過ぎての後は何せんにと云意也。しゑやとは何事もあらばあれ、よしやと打捨てたる事を云古語也。諸抄の説に、事の顯れて後は如何に共せんとの釋有。心得難き意也
 
2520 苅薦能一重※[口+立刀]敷而紗眠友君共宿者冷雲梨
(256)かりごもの、ひとへをしきて、さぬれども、きみとしぬれば、さむけくもなし
 
聞えたる通也
 
2521 垣幡丹頬經君※[口+立刀]率爾思出乍嘆鶴鴨
かきつばた、にほへるきみを、率爾、おもひ出つゝ、なげきつるかも
 
にほへる君とは、紅顔の美しき女をさして賞美して云へる也。かきつばたは匂へるを云はん序也。率爾此二字を、にはかにもと讀ませたり。前にも此二字をかく讀ませたれどさは讀まれぬ也。或ひはいさなみ抔讀みたり。語例句例無きこと也。此二字何とぞ別訓あるべし。先は急卒早速の意を加へて讀べき義訓なるべし。然らばそのまゝに共讀べき歟。思出てと有故、紅顔を見しその儘にと云意にて、その儘に共讀まんか。又何とぞ別訓有べし
 
2522 恨登思狹名盤在之者外耳見之心者雖念
 
此歌いかに共解し難き也。諸抄の説印本假名付の通に讀みて、聞えたり共思ほへぬ也。若しは誤字脱字あらんか
   うらみんとおもへるせなはありしかばよそにのみ見しこゝろはもへど
と讀みてはいかに共義不v通也。宗師案は盤の字二字一處になりし誤あらんか、然らば般血の二字にてたひちと讀ませたる歟。旅路の意也。恨登思の三字を五文字に讀む讀み有て、例へば、うしと思ふせなはたびぢにありしかばとか、ましゝかばと讀まんか。然れば下の、よそにのみ見し、とうけたる意も叶ふ也。是迄の讀樣にてはいかに共義理不v聞。詞を入れて云廻さば如何樣にも無理押しの義も付べき也。それは歌の意に不v叶。外より意を付添て云ひ廻す也
 
2523 散頬相色者不出小文心中吾念名君
さにほへる、いろにはいでじ、すくなくも、こゝろのうちに、わがおもはなくに
 
色には出さね共、心の中にはなほざりにこと淺くは思はぬ、深く思ひ入れて有ると也。上の五文字さにつらふと讀める説あれど、歌によりてさも讀べき文字なれど、此歌にては色とうけん迄の初五文字なれば、にほへると讀むべし。にほふとは色の事(257)也
 
2524 吾背子爾直相者社名者立米事之通爾何其故
わがせこに、たゞにあはゞこそ、なはたゝめ、ことのかよひに、なにぞのゆゑぞ
 
逢ひもしたらば名の立つも理りならんに、只言を云ひ通ふのみなるに、かく名の立つは何の故ぞやと歎ける也。なにぞの故とは何の故と云義也。ぞは助語の如し。其故は何事ぞやと云意也
 
2525 懃片念爲歟比者之吾情利乃生戸裳名寸
ねもごろに、かたもひするか、このごろの、わがこゝろとの、いけりともなき
 
ねもごろは深く戀ふの意也。淺はかならず思侘ぶるの意、思佗ぶる餘りに、此頃は生きたる心地も無きとの義也。心とゝいへるは處と云と同じく、初語助語と聞ゆる也
 
2526 將待爾到者妹之懽跡咲儀乎徃而早見
まつらんに、いたらばいもが、うれしみと、ゑめるするがたを、ゆきてはやみむ
 
能聞えたる歌也
 
2527 誰此乃吾屋戸來喚足千根母爾所嘖物思吾呼
たれかこの、わがやどにきよぶ、たらちねの、ほゝにいさはれ、ものもふわれを
 
いさはれは諫め責められると云義也。諫め云はるゝと云詞歟。母に制し諫められて、物憂く思ひ煩ふ折に、猶うるさくも戸など叩きて呼びたらんは、いとも苦しかるべき也。嘖、側格切、音窄、大呼聲、又爭言貌
 
2528 左不宿夜者千夜毛有十方我背子之思可悔心者不持
さぬねよは、ちよもありとも、わがせこが、おもひくゆべき、こゝろはもたじ
 
(258)くゆべきは恨み悔むべき歟也。能聞えたる歌也
 
2529 家人者路毛四美三荷雖來吾待妹之使不來鴨
いへびとは、みちもしみゝに、きたれども、わがまついもが、つかひこぬかも
 
家人は凡て人の使ひ人をさして也。下に使來ぬと云に對して、外の召使人などは、道路もしげく滿ちて有如くに往き通へ共、思ふ人の方よりの使は來ぬと也。かもは例のかなにて歎の詞也
 
2530 璞之寸戸我竹垣編目從毛妹志所見者吾戀目八方
あらたまの、きべがたけがき、あみめゆも、いもしみえなば、われこひめやも
 
あら玉のきべとは、遠江國郡郷の地名也。竹垣と云から、其所を据ゑて詠めり。故有て詠めるにはあらず。古詠の格皆かくの如くにて、其の地名を据たる迄にて、竹垣の編み目よりなり共、思ふ妹をせめて見てだにあり共、思ひのはるけくかくは戀ふまじきにと也。諸抄印本等の假名には、あら玉のすこが竹がきと讀ませたれど、あら玉のすこと續くべき謂れなく、正しく遠江國の地名にて、當集第十四卷の東歌遠江國歌に、阿良多麻能伎倍乃波也之爾〔奈乎多※[氏/一]天由吉可都麻思自移乎佐伎太多尼〕。伎倍比等乃萬太良夫須麻爾〔和多佐波太伊利奈麻之母乃伊毛我乎杼許爾〕、と有て、皆是遠州の地名を詠めり。和名抄云〔遠江國麁玉郡、【阿良多麻今稱2有玉1】〕あら玉郡のきべと云所にある竹垣と云意也。然らば其きべにわけありて詠めるかと見れば、さにあらず。只地名を指せる迄也。第二十卷の歌に、常陸國久慈郡にある人をさして、くじが母と詠める類に同じき也。遠江國麁玉郡木部と云所にて詠める歌なるべし。正述心緒と題目あれば、其詠みし處の當然の事也
 
2531 吾背子我其名不謂跡玉切命者棄忘賜名
わがせこが、その名をのらじと、たまきはる、いのちはすてん、わすれたまふな
 
命は捨つる共そこの名は洩らすまじ。必ずそこにも我を忘れ給ふなと也
 
2532 凡者誰將見鴨黒玉乃我玄髪乎靡而將居
(259)おほよそは、たれか見むかも、ぬばたまの、わがくろかみを、なびきてをらむ
 
凡は大方の意と聞ゆる也。黒髪を取亂してをる共、誰れ見咎めむやと云意に聞ゆる也。思ふ人の見ればこそ形つくりもせめ、見る人も無き身は髪をも引き靡きてをらんと也。靡の字毎度なびきなびけと讀ませたれど、心得難き也。しなひてと讀べき歟。しなひては忍びても同じ詞にて、思ふ人を忍びてうらぶれをる抔云如くに、物思ひ佗びて居らんとの意に見ゆる也。諸抄の説も、君なくばなに身よそはんくしげなるつげのをぐしもとらむとおもはずと詠める第九卷の歌の意、或ひは詩に、自2伯之東1首如2飛蓬1、豈無2膏沐1誰適爲v容《タレヲアルシトシテカタチツクリセン》此意と釋し來れり。同じ樣にて少しは意異る歟
 
2533 面忘何有人之爲物烏言寄爲金津繼手志念者
おもわすれ、いかなる人の、するものぞ、われはしかねつ、つぎてしもへば
 
能聞えたる歌也。只我は深く戀思へば中々面影も身を放れず、忘られぬとの意也
 
2534 不相思人之故可璞之年緒長言戀將居
あひおもはぬ、ひとなるからか、あら玉の、としのをながく、われこひをらん
 
我が如くさきには思ひもよらねば、我のみいつ迄か戀ひ居らんと也
 
2535 凡乃行者不念言故人爾事痛所云物乎
おほよその、わざはおもはじ、われからに、ひとにこちたく、いはれしものを
 
思ふ人によりては、世の常なみなる事は思はぬ、既に我が能思ひ入りしから、世上の人にもこちたく云騷がされし程の事なれば、並々の事に心は觸れぬとの意と聞ゆる也。諸抄の説もまち/\也。わが故と讀みて、わがとは君と云義、君故に世の人にも云ひ騷がされし事を心憂く思ひて、外の大方の事は思はぬとの意と云説有。大方のつらき事は思ひ咎めず、我故にそなたの名も、世の人にこと/”\しくも云ひ騷がさせしを、堪へ忍びて來つるものをと、人のつらさも許して思ふ義と見る説有。此義共は心得難し。左樣入りほかに六ケ敷は聞え難し
 
(260)2536 氣緒爾妹乎思念者年月之往覽別毛不所念鳧
いきのをに、いもをおもへば、としつきの、ゆくらんわきも、おもほへぬかも
 
いきのをは前にも注せる如く、命をもかけてと云義と釋し來れり。語釋の事は不v濟共、先づ古く釋し來れば其義に見る也。思念者は二字にておもへばと讀めるも、衍字の樣なれど、此集にはケ標書たる處幾らもあれば、當集の例格共見るべし。尤妹をしもへば共讀みても能き歌也。歌の意は、聞えたる通也
 
2537 足千根乃母爾不所知吾持留心者吉惠君之隨意
たらちねの、はゝにしらさず、わがもたる、こゝろはよしゑ、きみがまにまに
 
親に許しうけず、人に從へる女子の詠める歌と聞ゆる也。よしゑは打任せて何となる共まゝよ抔云意也。たとひ母の知たり共、よしや君に從ふ心は、君に任すとの義也
 
2538 獨寢等※[草がんむり/交]朽目八方綾席緒爾成及君乎之將待
ひとりねと、※[草がんむり/交]くちめやも、あやむしろ、をになるまでに、きみをしまたむ
 
思ふ人を待ちて來ぬ事の程經れば、遂には寐床も朽ちて、床に敷く綾むしろも緒計りになる迄も、君をこそ待ためと也。貞節をも守るの意をこめて詠めると聞ゆる也
※[草がんむり/交]朽 こもくちめやもと讀める事心得難し。※[草がんむり/交]は乾芻と云。又名、牛※[歡の欠が斤]、似v芹可v食、細葉鋭子アリ。入v藥、又曰2彫※[草がんむり/瓜]1と字書に見えたり。※[草がんむり/交]、居肴切、音交とあればカウの音也。是をこもと讀義心得難し。然れば等※[草がんむり/交]の二字にてとこと讀たる歟。※[草がんむり/瓜]と通ずる故コの音に用たる歟。若し又※[草がんむり/瓜]の字の誤りたる歟。然らば、獨りぬる床くちめやもと讀みたるならん、さなくては※[草がんむり/交]の字こもとは讀み難し。且こもと讀みて歌も聞えず。濁りぬるこもとはいかで續かんや。極めて等※[草がんむり/瓜]の二字合せてとこと音借に書きたると見えたり。古は※[草がんむり/交]、※[草がんむり/瓜]通じて用たる故、コの音にも遣へるか。こもにてはあるまじき也。然共古く讀誤りたるから、鎌倉右大臣の歌に此歌をとりて、あやむしろをになる迄に戀侘ぬしたくちぬらしとふの菅こも。綾むしろは色々文を織(261)付たる席と云へり。直に綾の莚にもあらんか。緒になる迄とあれば、今云繪莚の類なるべし
 
2539 相見者千歳八去流否乎鴨我哉然念待公難爾
あひみしは、ちとせやいぬる、いなをかも、われやさおもふ、きみまちがたに
 
君を待ちかねぬるから、相見し事も千歳も過去りたるかと思ふと也。さ程に程も經ね共、君を待ちかねる故から、我からにさ思ふかと也。歌はかく愚なる心に詠める事雅情とする也
 
2540 振分之髪乎短彌青草髪爾多久濫妹乎師曾於母布
ふりわけし、かみをみじかみ、わかぐさの、かみにたくらん、いもをしぞおもふ
 
此歌の意諸抄の説一決ならず。短き若草の如き髪の妹か、生先しるき妹か、たぐりあげんを忘れず思ふと注せるも有。若草を髪にたぐりそふ心也と計り注せるも有。心得難き見樣也。此歌の意は、振分け髪の時はさも短かりしが、今は若草の生ひのぼれる如く長くなりて、たぐりあぐらん髪の妹をぞ慕ひ思ふとの意に聞ゆる也。又若草の妹と云意共聞ゆる也。隔句に置たる青草と聞ゆ也。人の髪も草の如くなるものなれば、若草の髪共續ける歟。兎角短かりし髪の長くなりて、今はたぐりもしつらん妹を、慕思ふの意と聞ゆる也
 
2541 徘徊往箕之里爾妹乎置而心空在土者蹈鞆
たちもとり、ゆきみのさとに、いもをおきて、こゝろそらなり、つちはふめども
 
ゆき見の里、八雲御抄には山城と有。いづこにか有けん。未v考。たちどまりゆきみの里と續けて讀める假名も有。然共徘徊の二字を、たちもとほると讀來たれば、たちもどりと讀べきか。もとほるも、止まりしゞまふ意なれば意は同じかるべし。徃來するに行きては又返りてたち戻り、妹が方へ心を引かるゝの意にて、ゆきみとは續けたるならんか。下の句の意は、能聞えたり。源氏、伊勢物語等にも、心空なる抔云事は毎度云へり。俗に、うてむになりて抔云意也。妹が方にのみ心の引かされて足の踏みども不v定、心空にのみありくの意也
 
(262)2542 若草乃新手枕乎卷始而夜哉將間二八十一不在國
わかぐさの、にひたまくらを、まきそめて、夜をやへだてむ、にくからなくに
 
若草の妻と云事を、直に新手枕と詠みて其意に見る也。新婦などを迎へてか、又忍びて逢ふ女などの事をさして云へるか。歌の意は能聞えたり
 
2543 吾戀之事毛語名草目六君之使乎待八金手六
わがこひの、こともかたりて、なぐさめむ、きみがつかひを、まちやかねてん
 
此歌の手爾波少心得難し。今時の等爾波には聞得難し。今時の手爾波にては、先の人の我方よりの使を待ちやかねんと云へる樣に聞ゆる也。奥に至りても此手爾波の歌有。尚後案すべし。我方への使と見る時は、君が使ひを待ちぞかねつると云、手爾波ならでは聞き得難し
 
2544 寤者相縁毛無夢谷間無見君戀爾可死
うつゝには、あふよしもなし、ゆめにだに、まなくみむきみ、こひにしぬべし
 
ゆめにだには、夢になりと共間無く見む、かく戀ひては遂には死ぬべく思ふと也。間無見の三字何とぞ讀樣あらんか。ゆめにだにと詠めるは、夢になり共の意とは聞ゆれ共、夢にも不v見と詠める歌の樣にも聞ゆる也
 
2545 誰彼登問者將答爲便乎無君之使乎還鶴鴨
たそかれと、とはゞこたへむ、すべをなみ、きみがつかひを、かへしつるかも
 
人の誰にや彼にやと問はん時、いかに包み隱すべき樣の無き故、思ふ人の方より來りし使をも、留めで返せると也
 
2546 不念丹到者妹之歡三跡咲牟眉曳所思鴨
おもはぬに、いたらばいもが、うれしみと、ゑまんまゆひき、おもはるゝかも
 
(263)妹が思ひ寄らずあらんに、我が到らば如何計り妹が嬉しがりて笑まん。眉ひきの至らぬ先より懷しく思はるゝと也
 
2547 如是許將戀物衣常不念者妹之手本乎不纒夜裳有寸
かくばかり、こひんものぞと、おもはねば、いもがたまとを、まかぬよもありき
 
かく戀しきものぞと始めは思はざりし故、自然には妹が快を卷かざりし夜もありし事の、今更くやしき意を詠める也。か計り戀しきものと思はゞ、など一夜も不v落妹と卷きねんをと云意也。何とぞ隔たりて逢ふ事稀なる妹を、慕ひて詠めるなるべし
 
2548 如是谷裳吾者戀南玉梓之君之使乎待也金手武
かくだにも、われはこひなん、たまづさの、きみがつかひを、まちやかねてん
 
此歌の手爾波も心得難き也。此歌も我はかくてだにも戀佗びあらんが、君が我方よりの使を待ちやかねてんと思遣りて、詠める樣に聞ゆる也。或抄に、こひ南とは書きたれ共、戀のむにて、のむは祈る事と注して、君が我が使ひを待ち兼ねて、あはれ逢ふ事をかへさせしめ給へと、神祇に祈る事を戀南と書たりと注せり。心得難し。此手爾波の事は尚追而後案有べき也
 
2549 妹戀吾哭涕敷妙木枕通而袖副所沾
いもこふと、わがなくなみだ、しきたへの、こまくら通而、袖さへぬれぬ
 
木枕通而 此通の字、前にも注せる如く何とぞよき別訓も有べき歟。此歌にても、とほりてと讀みては句不v調、口にはゞる也。歌の意は能聞えたる歌也
 
或本歌云枕通而卷者寒母  或説によれば本歌の木まくらのこは無用の詞也。尤こは初語の詞也。枕をまくと云也。卷き重ねて枕とするもの故、枕する事をも只まくと計りも云也
 
2550 立念居毛曾念紅之赤裳下引去之儀乎
たちておもひ、ゐてもぞおもふ、くれなゐの、あかもすそひき、いにしすがたを
 
(264)妹が忍び來りて歸りし其姿を、忘れず戀慕ふ意他
 
2551 念之餘者爲便無三出曾行之其門乎見爾
おもふにし、あまりにしかば、すべをなみ、いでゝぞゆきし、そのかどを見に
 
思餘りて只も居かねて詮方なく、思ふ人のあたりを見に迄出て行きしと也。思の切なる事を詠める也
 
2552 情者千遍敷及雖念使乎將遣爲便之不知久
こゝろには、千へしくしくに、おもへども、つかひをやらん、すべのしらなく
 
別の意無く聞えたる字面の通り也
 
2553 夢耳見尚幾許戀吾者寤見者益而如何有
ゆめにのみ、見るすらこゝた、こふわれは、うつゝに見ては、ましていかならん
 
夢に見てさへいか計り戀慕はるゝ人の、實に現にあひ見ての後は、いかにやあらんと也。字面の通り能聞えたり
 
2554 對面者面隱流物柄爾繼而見卷能欲公毳
むかへれば、おもがくれする、物からに、つきてみまくの、ほしきゝみかも
 
是は女の歌と聞ゆる也。思ひ/\ても逢ふ時は、女子は弱き心から、面恥してあからさまに、え見交はさぬから、別れては又只管に、戀しく見まほしく思ふとの意也。女子の實情を詠める有體の歌也
 
2555 旦戸遣乎速莫開味澤相目之乏流君今夜來座有
あさとやりを、はやくなあけそ、味澤相、目のほろきみが、こよひきませる
 
あさとやりとは、あしたの遣戸を早く開けな、見る事の乏しき君が來て寐ねませる程にと云歌と聞ゆる也。然れ共味澤相と云詞、前にも注せる如く、いかゞしたる事にや。濟み難き詞也。諸抄の説の如くにては、いかに共義不v通故、先不v知v義は知れ(265)ぬ事と除く置く也。何とぞ別訓有べき詞也。めのほるとは見る事の稀なる人と云義と聞ゆる也
 
2556 玉垂之小簀之垂簾乎往褐寐者不眠友君者通速爲
たまだれの、をすのたれすを、ゆきがちに、いをばねずとも、きみはかよはせ
 
ゆきがちには聞き樣兩義有て、此歌しかとは聞得られぬ歌也。一説には、簾をあぐる音を人に聞付られて、咎められん事を佗びて、我はえ行かで寐ねもせね共、其簾をあげて來ん人は通はせんと也。又の説、君が來るやと行きて見がちに待ちうかがひて、いも寐ね共君は來ずと也との説也。兩義共聞得難き釋也
愚案は、君が寢所には、簾にて徃通ふ事成り難き故、我はかくいをもねゝ共、君が方より通ひ來ませと云意歟。但し守人など有て、簾を越えては徃きがちにして、守人の寐ねずゐる共、我思ふ君が來ば通はせよと云意か。とくとは聞き應じ難き歌也
 
2557 垂乳根乃母白者公毛余毛相鳥羽梨丹年可經
たらちねの、はゝに白者、きみもわれも、あふとはなしに、としぞへぬべき
 
此歌も、女子の歌と聞ゆる他。白者は、しらせばと讀まんか。まふさばと讀まんか。兩樣の意は同じかるべし。逢ふ事ならずして年の經んと也
 
2558 愛等思篇來師莫忘登結之紐乃解樂念者
うつくしと、おもへりけらし、わするなと、むすびしひもの、とくらくおもへば
 
篇の字はへんの音故へにけらしと讀める歟。ひとへと通音なれば、はひふへ同音通をもて、思ふに共讀べし。には、んと云詞故へに共、ふに共、ひに共、讀まん事苦しかるまじ。我をうつくしみ思ふらし、結びし紐の故も無く解くるを思へばと也。思へりけらし共讀べし。へんはへり也
 
2559 昨日見而今日社間吾妹兒之幾許繼手見卷欲毛
(266)きのふみて、けふこそへだて、わぎもこが、こゝたくつぎて、見まくほりかも
 
只今日一日隔てつるに、妹がこゝたくも見まほしきと也。間の字、あひだと讀ませたれど、あひだと讀みては、歌の意聞えかねる也。へだつると讀む字なれば、へだてと讀べき也
 
2560 人毛無古郷爾有人乎愍久也君之戀爾令死
人もなく、ふりにしさとに、ある人を、めくゝや君が、こひにしなしむ
 
人も無くとは誰訪ふ人も無く、又見咎むる人目も無き古里にと云意なるべし。有人とは我をさして云へる歟。かくものふりたる處にある人を、哀れや君が訪ひ來もせずして、遂には死なしめんとの意と聞ゆる也。めくゝやは、あはれやと我から歎きたる詞と聞ゆる也。諸抄の説色々心得難き注あれ共聞得難し。何とぞ外に聞き樣もあらんか。後案を待つ歌也
 
2561 人事之繁間守而相十方八反吾上爾事之將繁
ひとごとの、しげきまもりて、あへりとも、やへわがうへに、ことのしげけん
 
人の云ひ騷ぐをも忍びて、其ひまをもりて逢ふ共、彌人に云ひ騷がされんと也。八反吾上と云詞は、穩かならねど、諸抄も八重の意、彌の意に釋し來れば、先づ其意に從ふ也
 
2562 里人之言縁妻乎荒垣之外也吾將見惡有名國
さとびとの、いひよるつまを、あらがきの、とにやわが見む、にくからなくに
 
里人の云ひよるは、誰々も心を通じて戀求むるの意也。云ひ寄りて妻と戀求るの義を、いひよるとは云へり。ことよせとは心得難き詞也。其誰々も云ひ寄るから、我も思入りて戀慕ひても、よそにや我見ん憎からぬものと也。又の意は誰々も云ひ寄る人なれば、我とてもよそにや見ん、憎からねば我も云ひ寄るとの意にも聞ゆる也
 
2563 他眼守君之隨爾余共爾夙興乍裳裾所沾
(267)ひとめもる、せこがまにまに、われむたに、つとにおきつゝ、ものすそぬれぬ
 
此歌の表の意は、人目を守るから君がとく起きて、歸るその君に從ひて見送るから、裳の裾の朝露などに沾れたるとの意也。然共下の意は物に寄せてふまへて詠める歌也。さなくては裳の裾沾れぬと詠める意不v通也。是は田夫の事にしなして詠める歌也。先づ人目守とは田に水をはせ入る樋を止めて、其水を守るとて夫のとく起きて行くに、我も田に從ひ行きて、裳の裾の沾れたると云義也。共の字をむたと讀む。此歌にてもむたと讀みて叶へり。むたはもた也。われもたにと云に詠みなしたる也。如v此のふまへ有故、裳の裾の沾れたるとは詠める也。さなくては此裳の裾は、何にて沾れたらんや。言葉を入れて朝露などにて沾れたると、無理に釋せるは詞に見えぬ義也。當集の格如v此の歌多き事也。ケ樣にふまへて詠める歌ならでは、實の歌とは云はれぬ也。古詠は皆かくの如きのふまへをもつて詠める也
 
2564 夜干玉之妹之黒髪今夜毛加吾無床爾靡而宿良武
ぬばたまの、いもがくろかみ、こよひもか、われなきとこに、靡てぬらん
 
能聞えて哀れなる歌也。此歌も、靡てはしなひてと讀みて能叶ふ也
 
2565 花細葦垣越爾直一目相視之兒故千遍嘆津
はなぐはし、あしがきごしに、たゞ一め、あひみしこゆゑ、ちへになげきつ
 
はなぐはしは葦の花をかぐはしと賞めたる意、又女子をも賞めたる意、兩樣にかけて詠めると聞ゆる也。一目と詠める故、下に千遍にと詠める、古詠は此格を離るゝ事無し。歌の意は能く聞えたり
 
2566 色出而戀者人見而應知情中之隱妻波母
いろにいでゝ、こひば人見て、しりぬべし、こゝろのうちの、こもりづまはも
 
色に出なば人知るべければ、只心の中にのみこめて、思佗ぶる妻かなと歎じたる也。はもとは例の歎息の詞也
 
(268)2567 相見而者戀名草六跡人者雖云見後爾曾毛戀益家類
あいみては、こひなぐさむと、人はいへど、みてのちにぞも、こひまさりける
 
人は相見ては慰むと云へど、我はいとゞ戀の増すと也。後の心に比ぶればの歌の意也
 
2568 凡吾之念者如是許難御門乎退出米也母
おほよそに、われしおもはゞ、かくばかり、かたきみかどを、まかりでめやも
 
出で難き門をも忍び出づべきや。なほざりならぬ心から、閉ぢ固めたる門戸をも、忍びて思ふ人の方へ出で來れりとの意也
 
2569 將念其人有哉烏玉之毎夜君之夢西所見
おもひけん、そのひとなれや、ぬばたまの、よごとにきみが、ゆめにしみゆる
 
我を思ひけん人にあるや、夜毎に我夢にも君が見ゆると也。其人有やとは我を思ふ人にあるやと、其人が夢にも見ゆると也。君とさしたるは夢に見ゆる人をさして也。思ひけんとは、我思ひけん人なれやと云事にも聞ゆる也。後案すべし
 
或本歌云夜晝不云吾戀渡  此或本の下の句は上の句にかけあひ難からんか。上に思ひけんと詠みて、夜晝わかずわが戀渡るとは、かけ合はぬ下の句に聞ゆる也。夢に見ゆると云にて、上の句の意通ずる也
 
2570 如是耳戀者可死足乳根之母毛告都不止通爲
かくばかり、こひばしぬべし、たらちねの、はゝにもつげつ、やまずかよはせ
 
母にもつげつは告げての意か。さなくては上の句のかく計り戀ば死ぬべしと詠める意に不v合歟。然れ共かく計り戀佗びては、命もつゞき難かれば、今は包みかねて母にも知らしめたれば、許したる儘止まず通へとの意か。何れにても聞ゆる也
 
2571 大夫波友之驂爾名草溢心毛將有我衣苦寸
ますらをは、ともの驂に、なぐさむる、こゝろもあらん、われぞくるしき
 
(269)此驂の字假名本にはぞめきにと讀ませたれど、此字をさ讀べき字義未v考。又ぞめきと云詞歌詞に有事を聞かず。日本紀にざわめくと云事は見えたれど、ぞめきと云言葉何を云事にや。ざわめくの音通音故云たる事歟。然れ共語例詞此歌の外不v聞詞殊に驂の字をぞめきとはいかなる義有て讀ませる歟。諸抄にも其字義を不v注。尤騷驟と云字の誤りにて、さわぐと讀めるか。此一首の詞より後世の歌學者流萬葉の詞とてよめるは、いと片腹いたき事也。騷驟の誤字にても、さわぎと云詞此所に叶へり共不v聞。何とぞ別訓もあらんか。全體の歌の意は、男の子は己がどちの交らへに、心も慰み紛れてあらんづれど、われは女子の甲斐なき心故、獨りのみ戀わび思ひ慕ひて苦むとの意也。飽かぬ中など故有りて引分けられし女の、詠める歌なるべし
 
2572 僞毛似付曾爲何時從鹿不見人戀爾人之死爲
いつはりも、につきてぞする、いづくにか、みぬひとこふに、ひとのしにせし