風土の万葉
浦の浜木綿は白波か
米田進(こめだすすむ)
一、はじめに
み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど 直に逢はぬかも(496)
この歌の「浜木綿」の「木綿」を白波だとする説(代匠記、土屋文明、なお「目安補正」は波頭説)がある。それで「浜木綿」で「浜白波」となる。しかし、今はほとんど「浜木綿」植物名説に落ち着いている。そんななかで坂本信幸氏は強く波説を主張している。それでもやはり私は通説の方が説得力があると思う。
二、犬養説の検討
先ず犬養氏の波頭説批判を見てみる。
氏の説は『萬葉の風土』(1956年)所収「續・浦の濱木綿-濱木綿歌續考-」にある。氏は四カ条にして批判している。
第一、波を木綿花にたとえた例として、代匠記初の用例、イ、相坂をうち出でて見れば淡海の海白木綿花に波立ち渡る
ロ、初瀬女の造る木綿花み吉野の瀧の水沫に開きにけらずや
ハ、初瀬川白木綿花に落ちたぎつ瀬を清けみと見に來し吾を
と、土屋氏のあげた近似例、
ニ、山高み白木綿花に落ちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも
ホ、山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の河門見れど飽かぬかも
とを紹介して「水の白く泡立ち乱れる姿」であって、「水の幾重かさなる波ではない」とする(その通りだが契沖、土屋はなぜ白木綿花を波のこととしたのか、しかも契沖は「かの熊野はあら海にて、浪のひまなくよせくる」という(土屋も同じ)。例歌の滝の泡とは関係ないし、寄せ来る波とも関係がない、杜撰である)。木綿花は「泡」のたとえで「波」ではないというのは、ロハニホの歌の中に出ている(「水沫」「たぎつ」)から明らかでである(イについては後述)。また、「波」を「浜木綿」と言った用例もないとする。
第二、~(地名)の~(地名)の~(その地のもの)、という表現法の場合、浜木綿即波頭のような完全比喩物を点出する表出法は、集中には見られない。
第三、南紀には浜木綿という植物がある。諸所にある波頭とするより、第二のような、地名のあとに風土的関連を表すものを点出する表出法にならって熊野の植物と見るのが自然である。
第四、心情表現の構造から見て植物と見る必然性が存する。「浦の濱木綿-濱木綿歌考-」を見よとある。まとめにくいが、第二、第三を再説し、「百重なす」の意味と声調からして浜木綿の群落の葉の様子が最適であること、をいうようだ。
氏が、泡は百重にはなりえないとして、植物の浜木綿の「百重なす」の心情表現の構造を分析したのが、そこを坂本氏は批判して契沖等の白波説を掘り下げた。犬養氏は、
「百重」が「はてしなく幾かさね」の意であることは「百重山越えて過ぎ行き」「百重波千重波…」の例を見ても、「心には千重に百重に思へれど」「あしひきの山は百重に隠すとも」「吾が恋は夜晝別かず百重なす情し念へば」の例を見ても明らかである。(中略)…濱木綿の歌の「百重」が正しく「はてしなく幾重ね」の意であると理解できる。
と言う。ここで注意したいのは「百重なす」の心情といいながら、「なす」を除去して「百重」の意味を考えたことである。「山」「波」「恋情」の百重を例証にしたが、それは「百重山」「百重波」であて、多く重なった山、多く重なった波であって、「なす」のような比喩の意味を持たない。「百重に」となれば「隠す」にかかる副詞的な用法となる。いずれにしても人麻呂の歌の「浦の浜木綿百重なす」の十分な理解にはなりにくい。恋情の場合は「山」や「波」のような具体物ではないから「百重なす情し念へば」のように、「なす」であって、多く重ねて思う、というただの副詞的な用法になっている。とにかく「百重」に注目して、花の場合は「はてしなく重なるとは言ひ難い。」とする。しかし、山や波の果てしない重なりを例にして考えていくなら、植物の浜木綿(葉だとしても)より波の方が適しているとも言えるから(だから坂本氏は多くの重なる波の例を挙げた)、前述の四箇条で波説は一応否定されたものの、「百重なす」から考えたとき、まだ充分ではないということになる。契沖の波説はその出した用例を越えて、意外な面を持っていた。契沖は「浜木綿」から白木綿花に目を付け、そこから白波へと連想したわけだが、さらに「百重」まで考慮したとき、波説はなかなか有力なように見えるのである。
犬養氏は、泡説にとって問題になる、契沖の出した「相坂をうち出でて見れば淡海の海白木綿花に波立ち渡る」を引いて、これは白波を「白木綿花」にたとえたので、波そのものではないという(「浦の濱木綿」)。波そのものなら「…淡海の海白木綿花の立ち渡るかも」のようになるだろうということである。しかしそれを言うなら、「白木綿花に落ちたぎつ」にしても、たぎつ泡を白木綿花にたとえたので、泡そのものではない、となる。それに、このような比喩があるなら白波そのものを「木綿花(隠喩)」と詠む歌人がいてもおかしくはないとも言える。結局白木綿花と言う表現だけで、泡であって波ではないと決めるのは無理がある。だいたい白木綿花というのは具体的にどんなものなのか明瞭でない。海の白波よりは、激流の泡立ちの方が束ねたコウゾの白い糸に近いように思うが、よくわからない。
泡が百重でないことは犬養氏も言ったが、海の白波も百重とは言えないように思う。暴風でもない限りせいぜい浜近くで二重か三重になるだけで、そんなに重なって幾重にも立つことはないだろう。そこで、白波は百重なのだということを別の面から論証して、人麻呂の浜木綿は植物ではなく波だと論じたのが坂本氏である。
三、坂本説の検討
氏の論は『万葉歌解』塙書房(2020年)の「柿本人麻呂の紀伊の歌」にある。犬養説については、注(1)(2)のところで言及されているのでそこを見る。
まず氏は犬養氏の第一,第二を取り上げる。
白木綿花の多くの例では吉野の川波の清冽さを強調するための譬喩であるがために、その激ちを興味の中心に据えて詠んだ故に白波の重なりを言わなかったのであり、熊野の浜木綿の場合は太平洋の潮の打ち寄せては返す白波の反復を、間無き恋情に譬えて詠んでいるので百重なすと言っているのである。その違いは「激つ」・「百重」のとらえ方にあるのであって、「波」を「木綿」に譬えていることには変わりはない。巻十三・三二三八の例では、「水の白く泡立ち乱れる姿」を歌ったのではなく、「海の白波のいちめんに立っている状景」を歌っているのであれば「立ち渡る」となっていることとも併せて考えれば、その否定の根拠を失うであろう。
という。長文の引用で申し訳ないが、坂本氏の論考をたどるには仕方がない。
犬養氏も3238に言及したのは前述の通りで、白波を木綿花(白木綿花)に見立てるのも可能性はあるとも言った(ただし坂本氏が激流の泡立ちを波としているのは誤解であろう)。激流だからではなく、激流では泡立ちを詠むしかないのである。興味の中心の選択の問題ではない。だからそこから「熊野の浜木綿の場合は太平洋の潮の打ち寄せては返す白波の反復」とするのは飛躍がある。泡立つ水や白い波を木綿花にたとえるのはいいが、その木綿花を「打ち寄せては返す白波の反復」の比喩と捉えることは無理がある。白いコウゾの繊維は飽くまでも白い糸状のものだから、白波がそう見えたとしても、それは反復運動とは関係がない。反復運動は波が起こすもので、たまたまその波頭が白い泡で木綿花のようだったとしても、それが百重に積み重なるようには見えない(前述のように浜近くでせいぜい二重か三重)、「反復」と「百重」とは正確にはイメージが違うのである。それに、「巻十三・三二三八の例では、「水の白く泡立ち乱れる姿」を歌ったのではなく、「海の白波のいちめんに立っている状景」を歌っているのであれば「立ち渡る」となっていることとも併せて考えれば、」と氏が言うのは「打ち寄せては返す白波の反復」ではなく、逢坂山から遠く琵琶湖の湖面を見て居るのであり、たまたま風が強くて白波が「立ち渡る」のであるから、寄せては返す動きではない。遠くからみれば「立ち渡る」というのも、コウゾのような白い波が絵のように立ち渡ってっているだけで、吉野川の激流の泡立ちを遥かに遠くから見下ろしているのと同じようなものである。この例から、熊野の海岸に寄せては返す白波を持ってくるのは無理がある。
氏が泡説や植物説を否定するのは、「浜木綿」の下に「百重なす」と続くから、波としたいからだろう。波なら寄せては返す動きが百重になると。そして犬養氏の方は木綿は泡のことなのだから百重にならないが、波でもないから植物の浜木綿だとして、ではその花が百重かというと、とてもそうは見えず、また葉鞘説もだめだというので、群落の葉の重なりだとするのだが、坂本氏は、泡ではだめだが、波なら繰り返し寄せるのが百重で、その波頭が木綿のようだから木綿で波にたとえて、浜木綿が百重なすというのは、浜に白い波頭の波が繰り返し寄せては返すことだとしたわけである(白波が寄せては返すことだというのは、すでに土屋文明が論証なしに「万葉紀行」で言っている)。
で、この坂本説のどこが不十分かというと、今言ったように契沖、土屋などが例証にした歌からは、立ち渡ったり、泡立ったりしたことは分かるが、百重ではない(だから犬養氏は植物の浜木綿の百重だとした)。それをかろうじて琵琶湖の立ち渡る白波の例によって、突然熊野灘の繰り返し打ち寄せる波の反復だから百重だと持っていったことにある。
ただし坂本氏はそこはぬかりがなく、百重だけでなく、千重、五百重の多くの引歌によって大洋の寄せ来る波の繰り返しということを証明しようとする。
少し話題がずれるが、犬養氏が「浜木綿即波頭の如き完全譬喩物を点出する表現法は、集中には見られない。」とすることについては、前にそういう隠喩はあり得ると言ったが、坂本氏は、「「風早の浜の白波いたづらにここに寄せ來る(中略)」といった歌の歌われた場で、「風早の浦の浜木綿……」と歌った時、人々はその表現に抵抗を感じるであろうか、(中略)、表現として不可能のものとは思われない。」という。可能性はあるが、氏の例証は適切とは思われない。前者は「寄せ来る」で、波ならそれでいいが、その場合「浦の浜木綿」は確実に波である必要がある(完全比喩)。しかし犬養氏の言うようにその例はない。
注の(2)で、坂本氏は「恋の思いの表現としては、「百重なす」は重層でなく反復継続の表現ととるのが、恋情を波で譬える表現の一般からいって正しかろう。四九九の「百重」が回数多く何度も何度もといった意であるのとも付合する。」(496は「百重なす~心は念へど」で重層でいいが、499は「百重にも来しかぬかも」で、「なす」が「に」になり、「来しかぬ」という動作があることで反復継続になったのであり、同じ意味で対応しているのではない)と言う。犬養氏は、「「百重」が「はてしなく幾かさね」の意であることは(引歌は前述)の例を見ても明らかである。(中略)…濱木綿の歌の「百重」が正しく「はてしなく幾重ね」の意であると理解できる。」と言っている。対して坂本氏は反復継続の表現ととるのが正しかろう、という。これは大きな対立点である。ここにも坂本氏の、熊野灘の白波が、反復し繰り返し寄せては返す、という考えが出ている。しかし「百重」は岩波古語辞典に「数多く重なっていること。幾重にも重なっていること。」とあって犬養氏の言うとおりで、反復とか繰り返しとは違う。犬養氏の挙げた、「百重山」「百重波」にしても、反復し繰り返す「山」「波」ではない。重なった山であり波である。「波」説は、「白波の百重」という表現が本来の幾重ねという形状の意味を離れて、恋情の反復継続(動き)を表す表現になり得るのかを点検しなければならない。
その点検は注ではなく本文の方で行われる。
少し話しは後戻りし一部繰り返しになるがお許し願いたい。氏は植物の浜木綿を「百重」と表現する発想は集中にあり得るのかという点を見るために、百重の用例を調べ、それでは少ないというので千重、五百重の用例も追加して調べた。全部で五四例となる。そして、
恋情の他は、「波」、「雪」、「雲」、「山」等天然現象において用いられる表現であったことが判る。そのイメージとしては、大きく、広がりのあるものの反復であり、重なりであった。尽きることのない、激しい恋の思いを、万葉人はこのように天然の表象でもってあらわしたのである(筆者言う、それの例は非常に少ない、恋情は恋情だけで百重千重と言っており天然の表象と関係するのはほとんどない)。
とする。反復であり重なりであるといっても、表現によって区別されており、またそれを「大きく、広がりのあるもの」とするのは疑問がある。百重を千重五百重にまで広げれば、矢張り大きく広がるのは当然であり(と言っても後述のようにその例はわずか)、百重の例が少ないからと言ってたくさんある近似例から帰納するのは危険である。
具体的に氏の出した54例から見ようと思うが、とうてい全部は出せない。
春草の繁き我が恋大海の辺に行く波の千重に積もりぬ 1920
これは激しい恋の思いを天然の表象であらわした少ない例の一つ。大きく広がるというより千重に積もるという重層の甚だしさを言ったものである(これなど反復のように見えても重層である)。
沖つ藻を隱さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも 2437
これも同上の例。沖の波だが、沖つ藻を隠す程度だから、特に大きく広がりがあるイメージはない。千重しくしくとあるから反復のように見えるが、同じ動作の繰り返しではなく、次々と重なって沈潜していく重さがあり、内向的である。4213は同類なので省略。
以上が天然の表象を借りた恋情の歌だが、わずか三首である。しかも波が幾重にも重なる表象であって、力強さはあるが、大きく広がりがあるイメージとは言えない。
天然の表象の例で大きく広がりがあるのは
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隱りぬ大和島根は 303
ま幸くて妹が齋はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも3583
の2首ぐらいのもの。いずれも瀬戸内海航路の実感である。
…島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり來ぬ… 942
これは大きく広がったイメージはあるが千重の白雲といってもうろこ雲(高積雲)のようなものだろうから、観念的で、具体的な重層感に乏しい。
…白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と…4003
これもどんな雲なのか具体性に乏しく山が高いだけである。
雪の例は、沫雪、庭に降る雪、庭での雪、邸宅の庭、宮中の庭の松、で五例とも、大きく広がりのある表象とはいえない。
山は例が少なく、雲とほぼ同じで、観念的に表象したものだろう。多くの山が隠したり、多くの山を越えたりするのを五百重(山)と言ったのだろう。
以上氏の言う天然表象の「波」「雪」「雲」「山」で明瞭に大きく広がりがあるのは、「波」の二首で、「波」の残りは浜に打ち寄せる波である。暴風や高波ではないから、その次々に寄せて来る動きが興味の中心で大きく広くもないであろう。
よって、百重、あるいはそれに準じる千重、五百重の例は大きく広いから、浜木綿もまたそれに準じて大きく広くあるべきで、植物の浜木綿ではそういうイメージにあわない、だから浜木綿は白波であるべきだという氏の説は疑わしい。だいたい一番用例の多い「波」(19例)の「百重、千重」にしても、上述のように浜辺に絶えることなく寄せて来る波の動きをいうものがほとんどである。結局、「百重なす」の解釈を反復繰り返しとすれば浜辺に寄せる波(波のほとんどの用例)となり、多くの重なりとすれば広く大きな形となるがそれは2例であった。植物の浜木綿とすれば当然繰り返す動きではなく多くの重なった形となるが、それは必ずしも広く大きな形を要しない。百重がてごろな重なりである。
浜木綿(植物)はただの草だが、万葉人などが普段見ている奈良盆地などの草とはことなり、人の腰から下が隠れるほどの(私は孔島で体験した)大きな葉の草が海岸一帯に群生しており、まさに驚くべき光景である。といっても視野に収まる程度で、ほどほどに群生する浜木綿(植物)だからこそ、百重と言えたのである。またそれが亜熱帯性の植物だからこそ「み熊野の浦」だったのであり、どこにでもある浜辺なら、ただ繰り返し寄せて来る波に反応するのが万葉の普通の感覚で、犬養氏の言うように、あるのが当たり前の白波を、特に似てもいない「浜木綿(浜のコウゾの繊維と見立てた)」と詠むほどの酔狂なことはしないだろう。万葉人は、川の滝や激流の泡立ちを白木綿花とは言ったが(後世なら滝の白糸)、海の白波を木綿(花)とは言わなかったと言える。
また氏は「「木綿」に直接「浜」がかぶさるのも、契沖の述べたごとく、「浜波」(4411)という表現があってみれば不自然ではない。」とも言うが、これも疑わしい。「浜波」がただ一例なのはいいとして(浜木綿も一例)、やはり、「浜波」という熟した言葉ではないだろう。浜であろうが沖であろうが波に変わりはない。特殊の属性はない。だから「浜の波」を一語にしただけだろう。しかし浜木綿(植物)はそれで一語である。浜にしか生えていない特有の植物だから浜木綿なのである。「浜波」は「浜風(73)」程度の熟語にもならない(注)。
坂本氏は最後に「人麻呂歌における「直に逢はぬかも」の結句も、「浜木綿」を妹と逢うことを祈る手向けの木綿に連想する時、歌句のはこびもスムーズで一層分り易くなっていることに気づくのである。」という。海岸の白波を「浜木綿(楮の繊維)」と見なし、更に妹に逢うことを祈る手向けの木綿まで連想するのは、くどい。動いて止まぬ木綿の幣帛では神も受けないだろう。それに白波の波頭が木綿の幣帛を連想させるものかどうかも明瞭でない。木綿畳の形状が不明だからである。木綿垂(ゆうしで)のようなものだとしたら縦に垂れ下がるものであり、滝や激流などの白い沫にふさわしいが、途切れ途切れに沫だった(けばだった)白波が横にのびて見える海の波が果たして木綿の幣帛のように見えただろうか。たたんで置いたものだとしても、白波のように見えるとは思われない。
補足。坂本氏は「百重」「千重」の例から大きな広がりの中で繰り返し寄せる波の動きを帰納したが、「百重なす」でも同じことが言えるかについて言及しなかった。しかし坂本氏の出した多くの波の例を点検すると犬養説(多くの積み重なり)の方が適する。本論では書き入れるところがなかったので、補足として論じておきたい。
結論を先に言えば、「浦の浜木綿 百重なす 心は思へど」の人麻呂の歌の「百重なす」は浜木綿自体が多く積み重なるの百重であって、浜木綿の動きとしての寄せて来る動きの反復ではないということである。
百重波千重波にしき言上げす我は(3253)
は「百重波」「千重波」の部分は多く積み重なる波に見えるが、それが「しき」とあることで、五百回も千回も次から次と打ち寄せる動きの意味になっている。同じ型に、
沖つ藻を隱さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも(2437)
一日には千重波しきに思へどもなぞその玉の…(409)
あゆをいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋わたるかも(4213)これは、19例以外の追加例のもの。
…恋大海の辺に行く波の千重に積もりぬ(1920)
波自体が千重でなく、浜に打ち寄せる波の積もり方(度数)が千重だというのである。
…沖つ波千重に隱りぬ大和島根は(303)
これは五百重山と同じで、まさに波の重なりである。
…生ふる玉藻に 朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉の浜(931)
これは浜辺に次々と寄せる波で浜辺だから白波。
白波の千重に來寄する住吉の岸の埴生ににほひて行かな(932)
上と同じ。
…妹が齋はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも(3583)
風が強くて危険な波か。次々重なって立ってはいるが,層をなすのではないだろう。層をなせば「千重なす」だ。
み崎廻の荒磯に寄する五百重波立ちても居ても…(568)上と同じ。
以上、浜の白波が寄せるという表現ばかりで、百重五百重千重の波と言っても、それの寄せる回数の多さを言ってるので(「しき」「寄せ」が頻出)、多くの層をなした形で積み重なるものではない(実際白波などは寄せても直ぐ消えるのだから、回数の多さを比喩的に百重などと言ったのだろう)。ちなみに、岩波古語辞典では「千重波=幾重にもつぎつぎと寄せてくる波。」とある。層を成す波ではなく、つぎつぎと寄せてくる波である。
「百重なす」の場合は、恋の思いが次々と重なるイメージで、それは「浜木綿百重なす」というのが、浜に次々とうち寄せる白波の繰り返しや反復という動きではなく(「百重なす」とあるだけで、「寄せ」「しく」という動詞が来ない)、多く積み重なった晴れやらぬ重苦しい恋の情動のイメージということになろう。それは雄大な熊野灘の波が浜に打ち寄せるのよりも、亜熱帯植物の大きな暗緑色の葉の重なりの方が、「百重なす」の「なす」の意味にふさわしいということでもある。
(注)
それは「浜木綿」のように「浜~」という表現にはなにか特徴がないかということである。
浜松(34、63、141、444、1716、3130、3721、4457)、浜木綿(496)、浜荻(500)、浜久木(2753)、浜菜(3243)、浜つづら(3359)、
浜風(73、251)、波波(4411)
浜裹(360)、
浜木綿も入れて植物が6例、うち浜菜は普通名詞なので、植物名としては5例(浜つづら、を浜の蔓草として普通名詞に見る説もある)。浜松だけで8例もあるのが目を引くが、群生してもしなくても海岸特有の黒松の豪壮さは赤松しか知らなかったであろう大和人には魅力的であったようだ。他の例も海岸特有の植物として、浜~と呼ばれたのであろう。
浜風はいわゆる潮風で、潮の香りがするだろうから、熟語として見られるが、浜波はただ「浜の波」というつもりであろう。浜裹は玉藻(海藻)のことを言っているが、ただ産地を言うだけで、浜特有ではない。なお、後世でも、ハマナス、ハマヒルガオ、ハマエンドウ、ハマボウ、ハマゴウ、など「ハマ」のつく植物名は多い。やはり浜木綿は植物名とするのが適している。本当はハマオモトのほうが「オモト」が植物名だから更にいいのだが、コウゾの繊維のような白い花に注目して浜木綿というのも共感出来る。
浜~のついでに、ただの思いつきを一つ。浜木綿の詠まれた人麻呂歌四首のすぐあとに、
碁檀越徃伊勢國時留妻作歌一首
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に(500)
というのがある。人麻呂歌の方は紀伊行幸関係と言われており、これは伊勢行幸関係と言われる。どちらも持統天皇で、一方は紀伊の熊野(おそらく白浜、つまり田辺湾あたり)、一方は伊勢、そして浜木綿に対して浜荻、一方は旅に出た夫(人麻呂)、一方は留守の妻(人麻呂の妻ではないが)、と実に巧妙に対応していて興味深い。編集者の巧みであろうか。そうだとすれば、浜木綿は、「浜の白波」より植物のハマユウのほうがいいことは言うまでもない。
〔2024年12月23日(月)午後7時43分、成稿〕