(2227)  萬葉集新考 卷十一
                  井上通泰著
  旋頭歌
2351 新室の壁草かりに御座《イマシ》たまはね、草のごと依〔左△〕逢《シナフ》をとめはきみがまにまに
新宝壁草苅邇御座給根草如依逢未通女者公隨
 壁草は代匠記に
  新しく造れる屋はまづ壁をも草を刈てかこふなり
といひ、略解追加に
  陸奥南部の黒川盛隆がいはく延喜式七踐祚大嘗祭式云、所v作新殿一宇……並以2黒木及草1構葺、壁蔀以v草云々とあれば是壁草なるべしといへり。又同國鹽竃の(2228)藤塚知明がいへるは彼あたりにては新室造て壁などいまだ塗らざるほどは草を刈て其屋をかこひおくを壁草とはいふといへりきといへり。案ずるに壁を塗りて其乾くを待つ暇なき場合、勞を省き費を節する場合などには壁を塗る代に草を以て屋をかこふ事もあるべけれど一般には新室なりとて壁を塗る前にまづ草を以てかこふべきにあらず。卷四に
  黒木とり草もかりつつつかへめどいそしきわけとほめむともあらず
とある註にいへる如く今も竹の乏しき地方にては壁下地のこまひに薄をつかふといへばこゝに壁草といへるも薄にて壁下地のこまひの料ならむ○御座を略解にオハシとよめるを古義にイマシに改めたり。オハシは大座《オホマシ》の約にて當時いまだ用ひられざりし語なればさはよむべからず。さればイマシとよむべし。さてイマシタマハネは往キタマへとなり。來タマヘとにあらず。前註皆誤解せり○依逢を從來ヨリアフとよみたれどヨリアフはこゝにかなはず。信逢の誤としてシナフとよむべし。信の音シナ(シヌの轉)そのナにアの韻あれば逢《アフ》をフに充てたるにてユツルを由移と書けるなどと同例なり○さて契沖は一首を釋して
(2229)  新室の壁草刈に事よせておはしませ、其草の靡く如く心の依逢|未通女《ヲトメ》はともかくも君に任せむとなり
といひ、雅澄は
  吾造る新室の壁草を刈に來て給はれかし、其壁草にかる草の繁生てよりあひなびける如く容儀しなやかにしてうるはしき女は公が心のまゝにまゐらせむ、といふなるべし。さて此歌と次なると二首は女持たる人のもとへ心ありて通ふ男のあるを親の許して聟にせむと思ふ心を告てよめるなるべし。さてその折から此人新室つくりたる故にことよせて云るなるべし
といへり。案ずるにこれと次の歌とは新室造を促す歌にて主意は上三句にありて下三句は副物に過ぎず。即前の歌は草といふ語を取り後の歌は玉といふ語を取りて若き男女のめで喜びぬべき事を云へるのみ
 
2352 新室を蹈靜子《フミシヅムコ》が手玉《タダマ》ならすも、玉のごと所照《テリタル》きみを内へとまをせ
新室蹈靜子之手玉鳴裳玉如所照公乎内等白世
 蹈靜子を眞淵はフミシヅノコとよみて
(2230)  其男の名をシヅノ子といひしに蹈靜といひかけたる也。……男の名に妹子、紐子などいにしへはいひつ
といひ、雅澄はフミシヅムコとよみて
  此は新室の柱を築建て動くことなく搖ぐことなからしめむと堅固に蹈靜むるを云
といへり。雅澄の訓は正しけれど何故にフミシヅムル子といはでフミシヅム子といへるかを明にせざるはくちをし。案ずるにこはフミシヅムル子といふべきを連體格の代に終止格を用ふる古格に據りてフミシヅム子といへるなり(一四七八頁參照)。さてフミシヅムとは地固《ヂガタメ》をするなり。子は女子なり。前註に男子とせるは誤なり○所照を舊訓にテリタルとよめるを契沖はテラセルに改めて
  今テラセルと改むるは集中の例テリタルとよむべき時は照而有、照而在などやうにかける故なり
といひ略解は舊訓に從ひ古義は契沖に從へり。案ずるにテリタルとよむべし。次の歌にテレルを所光とかけるに同じからずや。もしこゝをテリタルとよむべからず(2231)ば次の歌の所光もテレルとはよむべからず〇一首を釋して眞淵は
  此男の來て手玉をならして妹にしらせんとするを聞て内へ入給へとさるべきまかだちにいひかけたる歌ならん
といひ、雅澄は
  吾造る新室の柱を蹈靜る壯子どもの手玉をゆらゆらとならすよ、さても面白や、中にその手玉のかがやくごとくうるはしき公ぞわが聟にせむと思ふ人なるをいで内へ入給へと白せと女に云るか又は從者などに云つくる意にもあるべし
といへり。案ずるに上三句と下三句と意に於て相與る所なし。兩段はただ玉といふ語によりて相聯れるのみ。格より云はば上三句は一種の序なり。然も主意は上三句にある事上にいへる如し
 
2353 はつせの、ゆつきがもとにわがかくせる妻、(あかねさし)てれる月夜に人|見點〔左△〕《ミケム》かも
    一云人見つらむか
長谷弓槻下吾隱在妻赤根刺所光月夜邇人見點鴨 一云人見豆良牟可
(2232) ユツキは茂れる槻なり。そのユは卷十(二二一二頁)なるユザサのユにおなじ○アカネサシは准枕辭なり。卷四(六八五頁)にもアカネサシテレル月夜ニタダニアヘリトモとあり○點は監の誤ならむ○古義に
  此歌は所由ありて長谷のあたりの山隱れる家に隱妻を率て行てかくしおけるほどよめるなるべし。ただに荒山中の槻の木陰に放ちおけるを云にはあらず
といへる如し
 
2354 ますらをの念亂而《オモヒミダレテ》かくせる其妻、あめつちにとほりてるともあらはれめやも
    一云ますらをのおもひたけびて
健男之念亂而隱在其妻天地通雖光所顯目八方 一云大夫乃思多鶏備※[氏/一]
 略解に『或人云。亂は武の誤にてオモヒタケビテならんかといへり』といひ、古義に
  念亂而は舊本に一云大夫乃思多※[奚+隹]備※[氏/一]とあるぞ理協へりとおぼゆる。こゝは或(2233)説に亂字は武の誤にてオモヒタケビテなるべしといへり
といへり。オモヒミダレテをイロイロニ思案シテと譯せむにオモヒタケビテよりは却りて穩なるにあらずや○略解に
  日の光の天地を照して隱れなき如く有ともあらはさじと也
といへるはいみじき誤なり。月ガ天地ニ云々、といふべきを前の歌に讓りて月とは云はざるなり○古義に『右の作者おしかへしてふたたびよめるにて云々』といへるは非なり。前の歌は男の歌にて此歌は女の答へたるなり。アラハレメヤモは人ニ見ラレムヤハとなり
 
2355 惠得《メグシト》わがもふ妹ははやも死耶《シネヤ》、いけりとも吾に應依《ヨスベシ》と人のいはなくに
惠得吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國
 惠得を略解にはウツクシトとよみ古義には息緒の誤としてイキノヲニとよめり。案ずるにもとのまゝにてメグシトと四言によむべし。メグシを體言にしてメグミといふはなほカナシを體言にしてカナシミといふが如し。而して悲の字をカナシミともカナシともよむべきが如く惠の字はメグミともメグシともよむべし。メグ(2234)シはカハユシといふことなり(八五三頁參照)○死耶を略解にスギネヤとよみ古義にモを添へてシネヤモとよめり。此句はハヤモシネヤと六言によむべし○應依を從來ヨルベシトとよみたれどヨスベシトとよむべし。ヨスはメアハスといふ意なり。はやく卷九にも
  きの國にやまずかよはむつまの杜妻よしこさね妻といふからは
とあり○人といへるは親などなり。古義に
  人ノイハナクニは妹ガイハヌコトナルヲといはむが如し。人は他人をさすにあらず
といへるは誤なり
 
2356 (こまにしき)紐のかたへぞ床落爾祁〔左△〕留《トコニオチニタル》、あすの夜し來なむといはば取置待《トリオキマタム》
狛錦紐片叙床落邇祁留明夜志將來得云者取置待
 コマニシキは枕辭なり(二〇八一頁參照)○紐ノカタヘは一對あるものの片方なり○床落爾祁留を從來トコニオチニケルとよみたれどトコニオチタルまたはトコ(2235)ニオチニタルとあるべし。祁は誤字ならむ○結句を從來トリオキテマタムとよみたれどテはよみ添ふるに及ばず○男の朝歸りし後に下紐の落ちたるを見附けし趣なり
 
2357 朝戸出のきみがあゆひをぬらす露原、早起《ツトニオキテ》いでつつ吾も裳下閏奈《モスソヌラサナ》
朝戸出公足結乎閏露原早起出乍吾毛裳下閏奈
 早起を從來ハヤクオキテとよめるはなつかしからず。ツトニオキテとよむべし○結句を略解にモスソヌラサナとよみ古義にモノスソヌレナとよめり。主格は吾なればモスソヌラサナとよむべし○男の苦を分たむと願へる趣なり。卷七に
  吾妹子が赤裳の裾のひづちなむけふの小雨に吾さへぬれな
とあるに似たり
 
2358 なにせむに命をもとな永く欲爲《ホリセシ》、雖生《イケレドモ》わがもふ妹にやすくあはなくに
何爲命本名永欲爲雖生吾念妹安不相
 ナニセムニは何ノ爲ニとなり(八五九頁及九九三頁參照)○欲爲を從來ホリセムと(2236)よみたれどホリセムにては上にモトナといへると相副はず。宜しくホリセシとよむべし○雖生はイケレドモとよむべし。略解古義の如くイケリトモとよみてはアハナクニと相副はず
 
2359 息の緒にわれはおもへど人目おほみこそ、ふく風にあらばしましまあふべきものを
息緒吾雖念人目多社吹風有數數應相物
 イキノヲニは懸命ニとなり。人目オホミコソの下に得逢ハネといふことを補ひて聞くべし○數數はシマシマとよむべし(一九七一頁參照)
 
2360 人のおやのをとめごすゑて守《モル》山邊から、あさなさなかよひしきみがこねばかなしも
人祖未通女兒居守山邊柄朝朝通公不來哀
 初二は序なり。スヱテは居サセテなり○卷十三に
  みもろは人のもる山、本邊はあせみ花さき、末邊は椿花さく、うらぐはし山ぞなく(2237)兒守山
とあり。契沖は此歌によりて守山は三諸山の別名なりといへり○モル山ベカラのカラはヲの意なり。卷九なる
  あさぎりの八重山こゆるほととぎす卯花邊からなきてこゆらし
のカラにおなじ。守山邊ヲトホリテとなり。守山邊カラ發シテとにあらず。アサナサナは日毎ニといはむにひとし
 
2361 あめなる一〔左△〕棚橋何將〔三字左△〕行《オトタナバタヲムカヘニヤユク》(わかくさの)妻所云足〔左△〕莊嚴《ツマガリトイヒテフネヨソハクモ》
天在一棚橋何將行穉草妻所云足莊嚴
 眞淵はアメナルを枕辭とし二三をヒトツタナバシイカデカモユカムとよみて
  足纏《アユヒ》は下を飾なれば歩行にまゝならぬ故に一棚橋はえ渡りかねなんといへり
といひ、宣長は
  これは人の上を見てよめる也。道に一つ棚橋の有をいかにしてゆかんとするに人が妻許ゆくといひてあゆひし出立つよと也
といひ、雅澄は行を障の誤としてヒトツタナバシナニカサヤラムとよみて
(2238)  一(ツ)棚橋はたださへあるにたとひ天上にある一棚橋の危きにも何かは障るべき、うつくしき妻が許へとならば脚帶《アユヒ》して出たゝむ、といふなるべし
といへり。まづ一(ツ)棚橋の語意はいかが。唯一つある棚橋といふことにや。又は棚一つ渡せる橋といふことにや。次にアメナルヒトツタナ橋とつづけるをいかが心得べき。眞淵の説はヒトツのヒ(日)にかゝれる枕辭とせるにてともかくも筋は通りたれど雅澄の如く天上ニアルといふ意とせむに棚橋の所在を示すにアメナルといひてはあまりに漠然たらずや。案ずるに一棚橋は乙棚機の誤字なるべく又何將行は迎耶行の誤字なるべし。もし然らば上三句はアメナルオトタナバタヲムカヘニヤユクとよむべし
 五六を眞淵はツマガリトヘバアユヒスラクヲとよみ、宣長は莊嚴を結發の誤としてツマガリトイヒテアユヒシ、タタスとよみ、雅澄は莊嚴を帶發の誤としてツマガリトイハバアユヒシ、タタムとよめリ。案ずるに足を船の誤としてツマガリトイヒテフネヨソハクモとよむべし。莊嚴は佛語にてよそひ飾る事なり〇一首の趣は若き男の妻がり行くといひて船よそひするを見て牽牛の妻迎船の故事を思浮べて(2239)サラバ織女ヲ迎ヘニ行クナラムといへるなるべし
 
2362 やましろの來背《クゼ》のわく子がほしといふわを、あふさわにわをほしといふ開木代來背〔五字左△〕《クゼノワクゴガ》
開木代來背若子欲云余相狹丸吾欲云開木代來背
    右十二首柿本朝臣人麿之歌集出
 來背は久世にて地名なり。ワク子は青年なり(四〇七頁參照)。アフサワニははやく卷八(一五八〇頁)にアフサワニタレノ人カモ手ニマカムチフとありて己ガ分ニ過ギテといふことなり○第六句はもと來背若子とありしを初二に開木代來背若子《ヤマシロノクゼノワクゴガ》とあるよりまぎれて開木代來背となれるならむ。さらばクゼノワクゴガとよむべし○古今集誹諧歌に
  足引の山田のそほづおのれさへわれをほしといふうれはしきこと
 又催馬樂の歌に
  やましろの狛のわたりの瓜つくりわれをほしといふいかにせむ
(2240)とあると相似たり○卷七にも開木代來背社《ヤマシロノクゼノヤシロノ》とあり。ヤマシロを開木代と書ける所以は未考へず。契沖の説あれどうべなひがたし
 
2363 崗前《ヲカザキノ》たみたる道を人莫通〔左△〕《ヒトナセキソネ》、ありつつもきみが來《キタラム》よき道にせむ
崗前多未足道乎人莫通在乍毛公之來曲道爲
 崗前は舊訓に從ひてヲカザキノとよむべし(古義にはヲカノサキとよめり)。岡の鼻なり。タミタルはコギタムルなどのタムルと同語にてメグレルなり。古義に『タはそへことば、ミはモトホリのつづまれるなり』といへるは非なり○第三句を從來字のまゝにて人ナカヨヒソとよめれど通は塞の誤にて人ナセキソネとよむべきならむ。不用トシテ塞《セ》キフサグナとなり○アリツツモは卷四に
  佐保河のきしのつかさのしばなかりそね、ありつつも春しきたらばたちかくるがね
 又卷七に
  此崗に草かるわらはしかなかりそね、ありつつも君が來まさむ御馬草にせむ
とあり。ソノママニシテ置イテとなり。雅澄が來にかけて『わが知れる人のありあり(2241)つつ吾方へ通ひ來ます時』と釋せるは誤れり○來はキタラムとよむべし。從來キマサムとよめり。君といはば必敬語を用ふべきものと思ふべからず。君ガ行クなどいへるを思へ。ヨキミチは人目をよくる道なり。即間〔日が月〕道なり
 
2364 (たまだれの)小簾之寸〔□で囲む〕|鶏〔左△〕吉仁〔左△〕《スキヨリ》いりかよひこね、(たらちねの)母がとはさば風とまをさむ
玉垂小簾之寸鶴吉仁入通來根足乳根之母我問者風跡將申
 女の男にいへる歌なり。第二句を從來ヲスノスケキニとよめり。さて眞淵は『スキを延てスケキといへり』といへれど語は妄に延ぶべきものにあらず。もし言足らずば六言にてもあるべく又ヲスノスキヨリとも云ふべし。又雅澄は『スキをスケキといふはシゲキをシゲケキ、アツキをアツケキ、サムキをサムケキなどいふに同じ』といへれどシゲキ、アツキ、サムキをシゲケキ、アツケキ、サムケキといふこと無きのみならず、たとひ然いふべくともシゲキなどとスキとは語品異なれば證例とはすべからず。おそらくはもと雛吉從などありて一本に據りて吉の傍に寸《キ》と書きたりしがやうやうに誤まられて今の如くなれるならむ
 
(2242)2365 (うち日さす)宮ぢにあひし人妻|※[女+后]《ユヱニ》(たまのをの)おもひみだれてぬる夜しぞ多き
内日左須宮道爾相之人妻※[女+后]玉緒之念亂而宿夜四曾多寸
 ミヤヂは宮城にかよふ道なり○※[女+后]を舊訓にユヱニとよめり。略解追加に濱臣が説を擧げて
  ※[女+后]は妬の訛なり。字書にユヱとよむべきよしはなけれど遊仙窟に故々を、ネタマシゲニと訓じ又字鏡に故々【ネタゲニ】とあるを思へばいにしへは故妬を通じ用ひしものと見ゆ。されば互に相通はしてユヱといふにも妬の字を用ひしなるべし(○撮意)といひ」訓義辨證下卷(四二頁)には
  妬を※[女+后]とかけるは六朝の俗字なるべし。……人妻の我おもふまゝならぬをねたくおぼゆる意をもてかける文字なるべし。さるによりて人子※[女+后]また人妻※[女+后]とある所にかぎりてただにユヱといふべき所に用ゐたるはなき也
といへり。なほ考へよ○此歌は卷七なる
(2243)  うち日さす宮道をゆくに吾裳はやれぬ玉の緒のおもひみだれて家にあらましを
といふ歌と、もと二首一聯なりしにあらざるか(一三六五頁參照)
 
2366 (まそかがみ)みしがと念妹相可聞《オモフイモモアハヌカモ》、(たまのをの)たえたる戀のしげきこのごろ
眞十鏡見之賀登念妹相可聞玉緒之絶有戀之繁此〔左△〕者
 ミシガは見テシガなり。古今集東歌にもカヒガネヲサヤニモ見シガとあり〇二三句を略解にはミシガトモヒシイモニアヘルカモとよみたれどアヘルカモとよみては五六句と相かなはず。古義にはミシガトオモフイモニアハヌカモとよめり。之に基づきてイモモとよむべし。こゝのアハヌカモはアヘカシの意なればなり○此者は比者の誤なり
 
2367 うなばらの路に乘れれやわがこひをりて、(大舟の)ゆたにあるらむ人の兒ゆゑに
(2244)海原乃路爾乘哉吾戀居大舟之由多爾將有人兒由惠爾
     右五首古歌集中出
 海原ノ路二乘リタレバニヤ人ノ娘故ニワガカクユタニアルラムとなり。此歌などはワガコヒヲリテの一句を省きて短歌とすべかりしなり。否旋頭歌とする爲に不用なる一句を挿みしによりて中々にきゝまどはるゝなり。ユタニアルラムはオチツカズアルラムとなり(卷七【一四二〇頁】ユタニタユタニ參照)
 
  正述心緒
   次なる寄物陳思に対して設けたる目なり。タダニ心緒《シンシヨ》ヲ述ベタルとよむべし。述心緒は陳思におなじくタダニは物ニ寄セテのうらなり。即物ニ寄セナドセズシテとなり。所謂六義に當てば正述心緒は賦に當り寄物陳思は比と興とに當るべし
 
2368 (たらちねの)母之手放《ハハガテハナレ》かくばかりすべなき事は未爲〔左△〕國《イマダアハナクニ》
(2245)垂乳根乃母之手放如是許無爲便事者未爲國
 第二句は舊訓に從ひてハハガテハナレとよむべし(略解にはカレテとよめり)。卷五和d爲2熊凝1述2其志1歌u(九五八頁)に波波何手波奈例とあればなり。母ノ手ヲ離レテヨリとなリ○結句を從來字のままにてイマダセナクニとよめり。案ずるに爲は相の誤ならむ。さらばイマダアハナクニとよむべし。アハナクニは逢ハヌ事ヨとなり。卷四に
  黒髪に白髪まじりおゆるまでかかる戀には未相爾《イマダアハナクニ》
とあり
 
2369 人《ヒトノ》所〔□で囲む〕|寐《ヌル》うまいはねずて(はしきやし)きみが目すらをほりてなげくも
     或本歌云きみを思ふにあけにけるかも
人所寐味宿不寐早敷八四公目尚欲嘆
    或本歌云公矣思爾曉來鴨
 初句を舊訓に人ノヌルとよめるを宣長は
  ヌルと訓ては所の字餘れり。ナスとよまん
(2246)といへり。ナスは寢タマフまたは寢シムといふ事なれば(八五八頁參照)こゝはナスとはいふべからず。宜しく古義に從ひて所を衍字とすべし。或は上なる所照《テリタル》、所光《テレル》の如く所をルに充てたりとも見べし○スラは主語を強むる辭なり(一九七九頁參照)。古義に『相宿するはさるものにてその目さへをといふ意なり』といへるは非なり。目ヲホルは逢ヒタガルといふ事なり(二一一七頁參照)
 
2370 ひ死なばこひもしねとや(玉桙の)路ゆく人の事告兼〔左△〕《コトモツゲナク》
戀死戀死耶玉桙路行人事告兼
 結句を略解にはコトモツゲケムとよめり。宣長の説に從ひて兼を無の誤として(一本に無とあり)コトモツゲナクとよむべし。君ノ傳言モキカセヌ事ヨとなり。事は言の借字なり。古義にツゲナキとよめるは非なり。ツゲナキといふ辭は無し
 
2371 心には千たびおもへど人にいはず吾戀※[女+麗]《ワガコフルツマ》みむよしもがな
心千遍雖念人不云吾戀※[女+麗]見依鴨
 略解古義にワガコフツマヲとよみたれどテニヲハの無き方まされり。宜しくワガ(2247)コフルツマとよむべし
 
2372 かくばかり戀物《コヒシキモノト》しらませば遠可〔左△〕見有物《トホクノミミテアラマシモノヲ》
是量戀物知者遠可見有物
 戀物を略解にはコヒムモノトシ、古義にはコヒムモノゾトとよめり。舊訓に從ひてコヒシキモノトとよむべし〇四五を略解にトホクミルベクアリケルモノヲとよみ、古義にトホクミツベクアリケルモノヲとよめり。可を耳の誤としてトホクノミミテアラマシモノヲとよむべし。マセバといひてアリケルモノヲといはむは語法上許されざる事なり
 
2373 何時《イツハシモ》こひぬ時とはあらねども夕かたまけて戀無乏《コヒハスベナシ》
何時不戀時雖不有夕方枉戀無乏
 初句を考にはイツハトハとよみ略解古義には卷十三に何時橋物《イツハシモ》コヒヌ時トハアラネドモとあるに據りてイツハシモとよめり。後者に從ふべし○結句を考には乏を爲の誤としてコヒハスベナシとよみ古義にはもとのまゝにてコフハスベナシ(2248)とよめり。もとのままにてコヒハスベナシとよむべし。下にもモトモ今コソ戀ハスベナキとあり○古今集秋上に
  いつはとは時はわかねど秋の夜ぞもの思ふことのかぎりなりける
とあると相似たり○枉を清音のマケテに借れるはめづらし
 
2374 是耳戀度《カクノミシコヒヤワタラム》(たまきはる)命もしらず歳經管《トシヲヘニツツ》
是耳戀度玉切不知命歳經管
 是耳を略解にカクシノミとよみ古義にカクノミシとよめり。集中に如此耳、如是耳とかけるを從來或はカクシノミ或はカクノミシ、或はカクノミニとよめり。右のうちカクノミニは卷十六に如是耳爾と書ける例あり、又カクノミシは卷九卷十に如是耳志、卷十三に如是耳師と書ける例あれどカクシノミは然よむべき適例なし。さればカクノミシ或はカクノミニとよむべし。但兩者の別は未研究を了せず。卷三(五五六頁及五六八頁)なる如是耳アリケルモノヲをカクノミニと訓めるは卷十六に如是耳爾アリケルモノヲと書けるに據り卷四(七六九頁)なる如此耳コヒヤワタラムをカクノミニと訓めるはカクノミニ、カクシノミ兩訓のうちカクシノミを斥け(2249)てカクノミニに就きたるのみ○弟二句及第五句を略解に
  こひやわたらむタマキハル命モシラズとしをへにつつ
とよみ古義に
  こひしわたればタマキハル命モシラズとしはへにつつ
とよめり。前者に從ふべし。イノチモシラズは逢フマデ命ガアルカ無キカモ知ラズとなり〇一首の語例は卷四に
  かくのみし戀哉將度《コヒヤワタラム》あきつ野にたなびく雲のすぐとはなしに
 又卷九に
  かくのみし戀思渡者《コヒシワタレバ》たまきはる命も吾はをしけくもなし
とあり
 
2375 吾ゆのち生れむ人はわがごとく戀する道にあひこすなゆめ
吾以後所生人如我戀爲道相與勿湯目
 アヒコスナユメは決シテ逢ウテクレルナとなり
 
2376 ますらをのうつし心も吾はなしよるひるといはずこひしわたれば
(2250)健男現心吾無夜晝不云戀度
 ウツシ心はウツツ心にて即正氣なり。古義に『つよくたしかなる心を云』といへるは當らず。コヒシのシは助辭なり
 
2377 何せむに命つぎけむわぎもこにこひざるさきにしなましものを
何爲命繼吾味不戀前死物
 ナニセムニは何ノ爲ニなり。命ツギケムは命ヲツナギケムとなり
 
2378 よしゑやしきまさぬきみを何せむに不厭《アカズモ》我はこひつつをらむ
吉惠哉不來座公何爲不厭吾戀乍居
 ヨシヱヤシはヨシに同じ。不厭を略解古義にイトハズとよめり。宜しくアカズモとよむべし○ナニノ爲ニワガ戀居ラム、ヨシヤコヒジとなり。ヨシヱヤシの下にコヒジを省けるなり
 
2379 見度《ミワタセバ》ちかき渡〔左△〕《サトミ》をたもとほり今や來ますとこひつつぞをる
見度近渡乎囘今哉來座戀居
(2251) 初句を略解にミワタセバとよめるを古義にミワタシノに改めて
  打向ひ見渡さるゝ處をミワタシといふなり。こゝはミワタセバとよむはわろし
といへり。又第二句の渡について略解に『アタリをワタリといふこと古有けん』といへるに對して古義に
  渡は河などのあるによりて云るなるべし。略解にアタリといふことに解なせるはひがごとなるべし。すべてアタリをワタリと云こと古になきことなればなり
といへり。案ずるに卷七に
  視渡者ちかき里廻をたもとほり今ぞわがこしひれふりし野に
といふ歌あり。今の歌の渡ももと里廻とありしが上なる見度の度よりまぎれて渡となれるにあらざるか。渡津のあなたに男のすめるをチカキ渡とはいふべからざる故なり。されば初二はミワタセバチカキサトミヲとよむべし。そのヲはナルニなり○タモトホリを釋して略解に『近きあたりながら人目をよくとて廻り道をして來るを云々』といひ古義に『人目をはばかりてよき道をしてまはり來ますにやと待つゝぞ居るとなり』といへれどタモトホリは道の囘りたればそれに從ひて行廻る(2252)なり
 
2380 早敷〔二字左△〕哉《ウレタキヤ》たがさふれかも(たま桙の)路見遺きみが來まさぬ
早敷哉誰障鴨玉桙路見遺公不來座
 初句を從來ハシキヤシとよめり。さて略解に『下のキミをいふ也』といひ古義にも『第一句は第五句の上にうつして心得べし』といへれど三句十九言を隔ててキミにいひかくべきにあらず。おそらくは慨哉などを誤れるにてウレタキヤとよむべきならむ。タガサフレカモはタガ妨グレバニカとなり○第四句を略解古義にミチミワスレテとよみたれどさては一首の筋通らず。人ありて妨ぐる時は道を見忘れずとも來らざるべく又道を見忘れば人が妨げずとも來らざるべければなり。されば略解には人の妨ぐると道を見忘れたるとを別事としてタガサフレカモ……道ミワスレテ君カ〔右△〕來マサヌとカを清みてよみたれど、もし別事とすべくば人カモサフル……道カワスルル君ガ來マサヌなどいひて人カモサフルと道カ忘ルルとを相向はせ、さて君ガ來マサヌといひて雙方を束ぬべきなり。おそらくは第四句に誤字あるべし。試にいはば見遺は不遠の誤にてミチハチカキヲならむか
 
(2253)2381 公目見欲《キミガメノミマクホシキンニ》この二夜千歳のごともわがこふるかも
公目見欲是二夜千歳如吾戀哉
 初二を略解にはキミガメヲミマクホリシテとよみ古義にはキミガメノミマクホシケミとよめり。ホシケミといふ辭は無し。宜しくキミガ目ノ見マクホシキニとよむべし
 
2382 (うちひさす)宮道を人はみちゆけどわがおもふ公〔左△〕《ヒトハ》ただひとりのみ
打日刺宮道人雖滿行吾念公正一人
 公を從來字のまゝにてキミハとよみたれど人の誤としてヒトハとよむべし○語例は卷四に
  人さはに國にはみちて、あぢむらのかよひはゆけど、わがこふる君にしあらねば云々
とあり
 
2383 世の中は常|如△《カク》のみとおもへども半〔左△〕手不忘《ウタテワスレズ》なほこひにけり
(2254)世中常如雖念半手不忘猶戀在
 第二句を眞淵はツネカクノミトとよめり。如の下に少くとも此をおとせるならむ○半手を眞淵は半多の誤としてハタとよみ、さて
  手は言下に置てタと訓む例なし
といひ、略解には
  按に人麿集にかな書なき例なれば半手など書べきいはれなし。全誤字ならん。一字の二字になれるものならんか
といひ、古義には
  吾者不忘などあるべきところなり
といへり。按ずるに哥手の誤としてウタテフスレズとよむべし。ウタテはイブカシヤなり
2384 わがせこはさきくいますと遍〔左△〕來《カヘリキテ》、我告《ワレニツゲナム》來〔□で囲む〕人來〔左△〕鴨《ヒトノナキカモ》
我勢古波幸座遍來我告來人來鴨
 第三句以下に來の字三つあり。誤字ある事明なり。千蔭は遍來を適喪の誤として
(2255)  たまたまも、われにつげこむ、人のこぬかも
とよみ雅澄は遍來を遍多の誤、告來を告乍の誤として
  たびまねく、あれにつげつつ、人もこぬかも
とよめり。按ずるに遍來を舊訓にカヘリキテとよめるによりて還來の誤とし、我告來の來を衍字とし(第三句よりうつれるならむ)結句の來を無の誤として
  かへりきて、われにつげなむ、人のなきかも
とよむべきか
 
2385 (あらたまの)五〔□で囲む〕年雖經《トシハフレドモ》わがこふる跡無戀不止怪《アトナキコヒノヤマヌアヤシサ》
麁玉五年雖經吾戀跡無戀不止恠
 清水濱臣は第二句の五を衍字としてトシハフレドモとよめり。げに然るべし〇四五を略解にはシルシナキ戀ノヤマズアヤシモとよみ古義にはアトナキ戀ノヤマヌアヤシモとよめり。案ずるに第四句は卷三なる大伴家持悲2傷亡妻1作歌に
  いひもかねなづけもしらに、跡無《アトモナキ》世のなかなればせむすべもなし
とあるに據りてアトナキ戀ノとよむべし。そのアトナキはやがてハカナキなり(五(2256)六七頁)。古義にアトナキコヒノとよみながら『しるしのなきことなり』といへるは未眞淵の雰囲氣を離れずといふべし○結句はヤマヌアヤシサとよむべし
 
2386 いはほすらゆきとほるべきますらをも戀ちふ事は後悔在《ノチノクイアリ》
石尚行應通建男戀云事後悔在
 結句を略解古義にノチクイニケリとよめり。案ずるにノチクイニケリと過去にいふべき處にあらず。されば舊訓の如くノチノクイアリとよむべし。さて一首の主格はノチノクイなればマスラヲモはマスラヲニモの略、コヒチフコトハは戀チフ事ニハの略とすべし。建男の建は健の通用なり。上にも二處(二二三二頁及二二五〇頁)マスラヲを健男と書けり○初二は巖スラ押分行キテ悔イザルベキとなり。こゝに悔イザルといふことを省きたりとせでは一首の筋通らず
 
2387 日位〔左△〕《ヒナラベハ》人しりぬべしけふの日の如千歳《チトセノゴトク》ありこせぬかも
日位人可知今日如千歳有與鴨
 第四句は舊訓に從ひてチトセノゴトクとよむべし(略解にはチトセノゴトモとよめり)○日位を舊訓にヒクレナバとよめり。さてその位の字一本に低とあり。略解古(2257)義には低を正しとせり。然も解釋に困じて『日暮て却て人目多き事のよし有て』などいへり。案ずるに日位は考にいへる如く日並の誤としてヒナラベバとよむべし。日ナラベバは卷六に
  茜さす日ならべなくにわが戀は吉野の河の霧にたちつつ
 卷八に
  あしひきの山ざくら花日ならべてかくさきたらばいとこひめやも
とありて日ヲ重ネバすなはち逢フ度ノ重ナラバとなり○ケフノ日といへるは夜に對する晝にあらず、ただ今日といふ事なればこゝにては今夜ノといはむにひとし
 
2388 立座態不知《タチテヰムタドキモシラニ》おもへども妹につげねば間使も來ず
立座態不知雖念妹不告間使不來
 初二を略解にタチヰスルワザモシラエズとよみ古義にタチテヰテタドキモシラズとよめり。卷十(二〇八二頁)なる七夕長歌の立坐多土伎乎不知と共にタチモヰモタドキヲシラニとよまむかと思へど卷十二に立而居|爲便《スベ》乃田時毛イマハナシと(2258)而の字を挿み書きたる例あればタチテヰムタドキモシラニとよむべし。立テリテサテスワラムスベモ知ラズといふ意ならむ
 
2389 (ぬばたまの)この夜なあけそ(あからひく)朝ゆくきみを待〔左△〕苦《ミムガクルシサ》
烏玉是夜莫明未引朝行公待苦
 待苦を略解古義にマテバクルシモとよみて略解に『朝に別れては又來るを待間のくるしき也』といへり。誤字ありとおぼゆ。待を看の誤としてミムガクルシサとよむべきか。拾遺集に
  うばたまのこよひなあけそあけゆかば朝ゆく君を待つくるしきに(一作まつがくるしき)
とあるは當時はやく結句に誤字ありし證とすべきのみ
 
2390 戀するに死《シニ》するものにあらませば我身は千たびしにかへらまし
戀爲死爲物有者我身千遍死反
 卷四なる笠女郎の歌に
(2259)  おもふにし死《シニ》するものにあらませば千たびぞ吾はしにかへらまし
とあるは今の歌を借りたるなり○シニカヘルはくりかへし死ぬるなり。死を反復するなり
2391 (玉響〔二字左△〕《ヌバタマノ》)きのふのゆふべ見しものをけふのあしたにこふべきものか
玉響昨夕見物今朝可戀物
 初句を略解にタマユラニとよめるを古義に『さる詞のあるべくもあらず』といひて烏玉の誤としてヌバタマノとよみ、さて
  然るを今まで注者等の舊本の誤をうけて解來れるはいかにぞや。あはれ古書に眼をさらす人の絶て久しくなりにけるこそあさましけれ
と且誇り且嘆きたり。雅澄の發見を是認すべく從ひて之を例としてタマユラニとよめる歌を抹殺すべし
 
2392 中々に見ざりし從《ヨリハ》、相見ては戀心《コヒシムココロ》、益《マシテ》おもほゆ
中中不見有從相見戀心益念
(2260) 從を略解にヨリモ、古義にヨリハとよめり。古義に從ふべし○戀心を略解古義にコヒシキ心とよめり。宜しくコヒシム心とよむべし○益を古義にイヨヨとよめり。舊訓に從ひてマシテとよむべし。卷八(一六三八頁)なる長歌に益而〔右△〕所思と書けり
 
2393 (玉桙の)道ゆかずしてあらませば惻隱〔二字□で囲む〕|此有戀不相《カカルコヒニハアハザラマシヲ》
玉桙道不行爲有者惻隱此有戀不相
 四五を略解古義にネモコロカカルコヒニハアハジとよめり。宜しく惻隱を衍字としてカカルコヒニハアハザラマシヲとよむべし○さて惻隱はもと前の歌の戀心に代るべき字にて前の歌の次に一云惻隱などありしが誤りて此歌の行中に入れるならむ。ネモコロゴロニとよむべし
 
2394 朝影に吾身はなりぬ(玉垣入《タマカギル》)ほのかにみえていにし子故に
朝影吾身成玉垣入風所見去子故
 朝影について契沖は
  朝には鏡を取て見れば朝影とは云へり。戀痩て影の如くに成るなり
(2261)といひ千蔭は
  朝影は痩衰へて朝日にうつりて見ゆる影の如くになれるをいふ
といへり。略解の説に從ふべし○清音の垣をタマカギルのカギに借れるはアレツガムのツグを衝と書きシジクシロのシジを完と書きイブカシを言借と書きナベを苗と書けると同例なり
 
2395 行行〔二字左△〕《マテドマテド》あはぬ妹ゆゑ(久方の)天《アメ》の露霜にぬれにけるかも
行行不相妹故久方天露霜沾在哉
 初句を從來ユケドユケドとよみたれど待待の誤としてマテドマテドとよむべし
 
2396 たまさかにわがみし人をいかならむよしをもちてか亦一目みむ
玉坂吾見人何有依以亦一目見
 タマサカニは偶然なり。卷九(一七四〇頁)なる詠浦島子歌にも
  わたつみの神のむすめに、たまさかにいこぎむかひて
とあり
 
(2261)2397 しま【らし】くも見ねばこひしきわぎもこを日日來事繁《ヒニヒニキナバコトノシゲケム》
暫不見戀吾妹日日來事繁
 ワギモコヲは我妹子ナルガとなり。四五を略解古義にヒニヒニクレバコトノシゲケクとよめり。宜しくヒニヒニキナバコトノシグケムとよむべし。キナバは行キナバなり。コトノシグケムは人ノ口ガウルサカラムとなり
 
2398 (年〔左△〕《タマ》きはる)及世定〔左△〕《ヨノハテマデト》、恃《タノミタル》、公依《キミニヨリテバ》、事繁《コトシゲクトモ》
年切及世定恃公依事繁
 第二句を從來ヨマデサダメテとよめり。定を竟などの誤としてヨノハテマデトとよむべし。身ノ終マデトの意なり○恃を略解古義にタノメタルとよみたり。改めてタノミタルとよむべし〇四五を略解古義にキミニヨリテシコトノシゲケクとよめり。宜しくキミニヨリテバコトシゲクトモとよむべし。君ノ爲ナラバヨシヤ人ノ口ガウルサカラウトモとなり。卷四なる
  今しはし名のをしけくも吾はなし妹によりてばちたびたつとも
(2262)の四五と同格なり○此歌は前の歌の答なり。年は略解に從ひて玉の誤とすべし
 
2399 (あからひく)はだもふれずて雖寐《ネヌレドモ》、心異〔二字左△〕《ケシキココロヲ》わがもはなくに
朱引秦不經雖寐心異我不念
 雖寐はネヌレドモとよむべし(從來ネタ〔右△〕レドモとよめり)。心異は古義に異心の顛倒としてケシキココロヲとよめるに從ふべし。心ヲオモフは今心ヲモツといふにひとし(一六六二頁參照)○女の許には行きしかど故ありて獨宿せしなり○經はフル、ヘズとはたらけばフレズを不經とは書くべからざるに似たれど大寶令に經本屬(本屬ニフレテ)經本部(本部ニフレヨ)などあるを見れば經はいにしへフルル、フレテともはたらきしなり。但フルル、フレテの方は今トドケルといふ意なる如し。國史大系本の如きはフル、ヘテとよむべきものと混同せり。たとへば公式令なる事經奏聞を奏聞ニフレテとよみたれどこは奏聞ヲヘテとよむべし。又選叙令なる其經八考者を八考ヲ經ラバとよみたれどフラバといふ活は無し。こはソノ八考ヲヘタル者ハとよむべし
 
2400 いでいかに極太甚〔左△〕《ココダクニワガ》、利心のうするまでもふ戀〔左△〕故
(2264)伊田何極太甚利心及失念戀故
 極太甚について宣長は
  此末に大船ニマカヂシジヌキコグホドモ極太コヒシ年ニアラバイカニといふもネモコロと訓べければこゝもネモコロゴロニと訓べし
といへり。案ずるにネモコロニ戀フとはいふべくネモコロニ戀シとはいふべからず。されば下なる大船の歌の極太はココダクとよむべく今は極太甚を極太吾の誤としてココダクニワガとよむべし○ウスルマデモフのモフはイデイカニの結なり。されば上四句の意はマア、ドウシテカク甚シク利心ノウスル迄ニ我思フ事ゾとなり。こゝのイデはマアと譯すべし。イカニは後世のイカデなり○結句を略解古義にコフラクノユヱとよみたれど上にオモフとあれば結句にその相手を出すべきなり(モノモフとあらばこそ結句はコフラクノユヱともあるべけれ)。されば戀故は不相子故などの誤にあらざるか
 
2401 こひしなばこひもしねとやわぎもこが吾家《ワギヘ》の門をすぎてゆくらむ
戀死戀死哉我妹吾家門過行
 
(2265)2402妹があたり遠見者《トホクミユレバ》あやしくも吾戀△《ワガコヒヤミヌ》相依無《アフヨシナキニ》
妹當遠見者怪吾戀相依無
 二四五を略解古義にトホクシミレバ……ワレハゾコフルアフヨシヲナミとよめり。第二句は舊訓に從ひてトホクミユレバとよむべく結句は考に從ひてアフヨシナキニとよむべし。又第四句は吾戀の下に息又は止を補ひてワガコヒヤミヌとよむべし
 
2403 玉久〔左△〕《タマキヨキ》世清〔二字左△〕河原《キヨキカハラニ》みそぎして齋命《イノルイノチモ》、妹が爲こそ
玉久世清河原身祓爲齋命妹爲
 初二を舊訓にタマクゼノキヨキカハラニとよめり。さて楫取魚彦の續冠辭考に
  四言の例も多ければタマクセとよむべし。……玉クセは玉クシロをつづめいへるならん。シロ(ノ)反ソをセに通はしたらん。……玉を飾れる釧は清くみゆればキヨキ河原とつづけしならん
といひ、宣長は山代〔二字右△〕久世能〔右△〕河原の誤として
(2266)  ヤマシロノクゼノカハラニと訓べし
といひ、千蔭は之に附記して
  されどこゝは能の字を添べき書ざまにあらず。考ふべし
といひ、雅澄は宣長の説に據り千蔭の説に顧みて
  山背(ノ)久世(ノ)河原(ニ)とありけむを山を玉に背を清に誤りたるよりつひにみだれしならむ
といへり。又山田孝雄氏は
  新撰字鏡に灘(加波良久世又和太利世又加太)とあるカハラとクセとは二語にてこゝのクセはその證とすべし。……久世は河原と同義にして水石相交る處をいふものと考へらる。その石の清きをたとへて玉クセといひやがて又キヨキ河原ニと繰返したるものならむ(大正五年五月私信)
といはれき。案ずるに久世清を清久世の顛倒としてタマキヨキクゼノカハラニとよむべし。玉は小石なり○第四句を略解にイハフイノチモとよみ古義にイハフイノチハ〔右△〕とよめり。案ずるにミソギシテを受けたれば齋はイノルとよむべく命は調(2267)を量りてイノチモとよむべし〇四五の語例は卷十二に
  ときつ風ふけひの濱にいでゐつつあがふ命者《イノチハ》妹之爲社《イモガタメコソ》
とあり
 
2404 思依見依物有ひと日へだつをわすると念はむ
思依見依物有一日間忘念
 上三句を略解にオモフヨリミルヨリモノハアルモノヲとよみ古義には有を何爲の誤としてオモヒヨリ見ヨリシモノヲナニストカとよめり。案ずるに思社〔右△〕依宿〔右△〕物何〔右△〕有の誤としてオモヘコソヨリネシモノヲイカナレカとよむべきか。こは試に言ふのみ○ヒト日ヘダツヲは後世ならばヒト日ヘダツルヲとあるべきなり
 
2405 かきほなす人はいへども(こまにしき)紐解開《ヒモトキアケシ》きみならなくに
垣廬鳴人雖云狛錦紐解開公無
 カキホナスはシゲクといふことなリ。卷九(一八六三頁)にもカキホナス人ノトフ時とあり○紐解開を略解古義にヒモトキアケシとよめリ。紐にアクルといはむは穩(2268)ならねど次にも紐解開《ヒモトキアケム》ユフベダニとあり又下に君キマセルニ紐不開寐また卷十二に裏紐開《シタヒモアケテ》コフル日ゾオホキまた卷十七にユヒテシ紐ヲ登伎毛安氣奈久爾また卷二十に比毛等伎安氣奈タダナラズトモとあり
 
2406 (こまにしき)紐解開《ヒモトキアケム》ゆふべ戸〔左△〕《ダニ》しらざる命こひつつかあらむ
狛錦紐解開夕戸不知有命戀有
 第二句を從來ヒモトキアケテとよめり。さて宣長は
  ユフベトモ知ラザル命コマニシキ紐トキアケテコヒツツカアラムと句の次第をかへて心得べし
といひ略解古義共に之に從ひたり。案ずるにヒモトキアケムとよみて句の順序のままに心得べし。即
  妹ガ紐ヲトキアケムソノ夕ヲダニハカリ知ラザル命モテ〔二字傍点〕カク戀ヒツツカアラム
といへるなり○戸は略解に谷の字の誤なるべしと云へり
 
2407 百さかの船潜〔左△〕納《フネコギイルル》やうらざし母はとふとも其名はのらじ
(2269)百積船潜納八占刺母雖問其名不謂
 モモサカは百尺にて船の長さなり。第二句を略解にフネカヅキイルルとよみ古義に潜を漕の誤としてフネコギイルルとよめり。古義に從ふべし。初二はヤウラザシのウラにかゝれる序なり○ヤウラザシは占なひて男の名を指すなり。サを濁りて唱ふべし。ヤは反復の意にてウラザシにかゝれるなり。占のみにかゝれるにあらず
 
2408 眉根かき鼻ひ紐解《ヒモトキ》、待哉《マツラムヤ》いつかもみむと念吾〔二字左△〕《ワガオモフ》君
眉根削鼻鳴紐解待哉何時見念吾君
 マヨネカキははやく卷四に
  いとまなく人の眉根をいたづらにかかしめつつも逢はぬ妹かも
 又卷六に
  月たちてただ三日月の眉根かきけながくこひし君にあへるかも
とあり。人に逢はむ呪なり。ハナヒはクサメシなり。紐解は舊訓の如くヒモトキとよむべし。略解古義にヒモトケとよめるはわろし。鼻ヒルも紐トクもおなじく人に逢はむ呪なり。契沖は毛詩終(?)風に寤メテ言《ワレ》寐ラレズ、言《ワレ》ヲ願《オモ》ヘバ則|嚔《ハナヒ》ルとあるを引き(2270)たれどそは人ガ我ヲ思ヘバ我ハクサメスといへるにて今の俗に一褒メラレ二クササレとかいふ諺の本源にてこゝにハナヒとあるとは相與からず〇三五を略解にマテリヤモ……オモヘルワギミとよみ、古義にマテリヤモ……オモヒシワギミとよめり。案ずるに第三句は舊訓に從ひてマツラムヤとよむべく、結句は吾念君の顛倒としてワガオモフキミとよむべし
 
2409 君にこひうらぶれをれば悔〔左△〕《アヤシクモ》我〔□で囲む〕|裏紐△《シタヒモトケテ》結手徒〔左△〕《ユフテタユシモ》
君戀浦經居悔我裏紐結手徒
 考に悔を怪の誤、徒を倦の誤としてアヤシクモワガシタヒモヲユフテタユシモとよみ略解古義は之に從へり(但古義にはシタヒモノ〔右△〕とよめり)。卷十二に
  みやこべに君はいにしをたれとけかわが紐緒乃ゆふ手たゆしも
 古今集戀一に
  おもふともこふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐
とあると參照すれば略意義はさとらるれどなほ筋のとほらざる所あり。即第四句にまづトクルといふことを言はざるべからず。されば我を衍字とし紐の下に解の(2271)字を補ひてシタヒモトケテとよむべし○さて此歌は前の歌の答ならむ○經をフレに借りたり
 
2410 (あらたまの)年者竟〔左△〕杼《トシハヘヌレド》(しきたへの)袖かへし子を忘れてもへや
璞之年者竟杼敷白之袖易子少(?)忘而念哉
 第二句を略解古義にトシハハツレドとよみさて略解に『春逢て其年は暮れども忘れぬといふ也』といへれどさては辭足らず。宜しく竟を經などの誤としてトシハヘヌレドとよむべし○ソデカヘシ子は袖ヲサシカハシシ女となり。ワスレテモヘヤはただ忘レムヤとなり(六二九頁參照)
 
2411 しろたへの袖をはつはつ見柄《ミシカラニ》かかる戀をも我はするかも
白細布袖小端見柄如是有戀吾爲鴨
 ハツハツは卷七(一三八六頁)にも小端《ハツハツ》ニ見テカヘリテ戀シとあり。意はハツカニに同じ○見柄は舊訓に從ひてミシカラニとよむべし(略解にはミテシカラとよめり
 
2412 わぎもこに戀無之〔左△〕《コヒテスベナミ》いめにみむと吾はおもへどいねらえなくに
(2272)我妹戀無之夢見吾雖念不所寐
 無之を略解に無爲の誤とせり。古義には無乏の誤として
  乏字スベとよむ義は未詳ならねど無乏《スベナカリ》、無乏《スベヲナミ》などあればいにしへスベと云に用ひし字なるべし
といへり(上【二二四七頁】なる何時不戀時の處に)。さて第二句を舊訓にコヒテスベナミとよめるを略解古義に卷十二に
  吾妹兒に戀爲便名鴈、胸をやき朝戸あくればみゆる霧かも
 又卷十七に
  わがせこに古非須弊奈賀利あしがきのほかになげかふあれしかなしも
とあるによりてコヒスベナカリとよみたり。案ずるにたとひコヒテスベナミといふことをコヒスベナカリといひしことありとも現に集中にコヒテスベナミといへる例あれば(たとへば卷十【一九六七頁】にワギモコニ戀而爲便莫とあり)今も耳近きに從ひてコヒテスベナミとよむべし○之はげに諸本に乏とあり
 
2413 故もなくわがした紐ぞ令〔左△〕解《イマトクル》、人莫△知《ヒトニシラユナ》ただにあふまで
(2273)故無吾裏紐令解人莫知及正逢
 第三句を略解にトケシムルとよめるを古義に中山嚴水の説に據りて令を今の誤としてイマトクルとよめり。之に從ふべし○第四句を略解にヒトニシラユナ、古義にヒトニナシラセとよめり。其の下に所の字を補ひてヒトニシラユナとよむべし。そのナは自禁めたるなり○下紐のおのづから解くるは戀人に逢ふ祥にて、もし其を人に知らるゝ時は驗なしなどいふ俗信ありしにこそ
 
2414 こふること意追〔左△〕不得《ナグサメカネテ》いでゆけば山川《ヤマヲモカハヲモ》、知らず來にけり
戀事意追不得出行者山川不知來
 第二句を舊訓にナグサメカネテとよめり。眞淵は舊訓に從ひて追を進の誤とし雅澄は追を遣の誤としてココロヤリカネとよめり。案ずるに追を遣の誤として義訓にてナグサメとよむべし。コフル事ヲ〔右△〕を受けて更に心ヲ〔右△〕ヤリカネとはいふべからざればなり。さて上三句は妹を訪ひて得逢はざりし趣なり。イデユケバは出來レバなり○山川を眞淵がヤマモカハヲモとよみ雅澄がその例に卷九過2足柄坂1見2死人1作歌(一八三八頁)なる父妣毛妻矣毛《チチハハモツマヲモ》ミムトを引ける、共によろし
 
(2274)  寄物陳思
2415 をとめら乎〔左△〕《ガ》袖ふる山のみづ垣の久しき時ゆ念來吾等者《モヒキツワレハ》
處女等乎袖振山水垣久時由念來吾等者
 卷四に柿本朝臣人麻呂歌三首とありて
  をとめら之袖ふる山のゐづ垣の久しき時ゆ憶寸吾者《オモヒキワレハ》
とあると同じき歌の少しかはりて傳はれるなり○略解に乎を之の誤とせるに對して古義に
  乎を之に改めしはいとみだりなり。之《ノ》に通ふ詞なり
といへり。なほ之の誤としてガとよむべし。上三句は序、其中にて又ヲトメラガソデまでの七言は布留の枕辭なり。布留山のみづ垣を久シキの序としたる所以は記傳卷二十三(一三六二頁)に
  石上(ノ)振(ノ)社はいと上代よりの神社にて其水垣は久しき世々を經たる故に久しき枕詞にせしなり。かくて後は振山といはでただ水垣ノ久シとのみもよむは右の(2275)歌にゆだねて省けるなり
といへる如し○結句を舊訓にオモヒキワレハとよめるを略解古義にモヒコシワレハ、オモヒコシアハとよめるは改惡なり。オモヒコシといはばワレヲ、フレゾなどいはざるべからざるをや。但舊訓の如くオモヒキとよみて來をテニヲハのキの借字とせむは穩ならねば宣長の如くモヒキツワレハとよむべし
 
2416 (ちはやぶる)神持在《カミノタモテル》、命《イノチヲバ》、誰爲《タガタメニカモ》、長欲爲《ナガクホリスル》
千早振神持在命誰爲長欲爲
 二三を舊訓にカミノタモテルイノチヲモとよめるを宣長は持を祷の誤としてカミニイノレルとよみ略解は舊訓に、古義は宣長に從へり。案ずるにこゝにてはイノリシとはいふべくイノレルとはいふべからず。さればもとのまゝにて又は持在の上に手の字を補ひてタモテルとよむべく命は古義の如くイノチヲバとよむべし〇四五を略解にタレガタメニカナガクホリセンとよみ古義にタレガタメニカナガクホリスルとよめリ。宜しくタガタメニカモナガクホリスルとよむべし。やがて君ノ爲ナラズヤといふ意なり
 
(2276)2417 いそのかみふるのかむ杉かむさびて戀をも我は更にするかも
石上振神杉神成戀我更爲鴨
 卷十に
  いそのかみふるの神杉かむさびて吾や更更こひにあひにける
とあり○初二は序なり。神杉ノヤウニとなり。カムサビテは年イタク老イテとなり○カムサブは神化する事なればカムサビテを神成と書けるか
 
2418 何名負神《イカナラムナヲオフカミニ》、幣嚮奉者《タムケセバ》わがもふ妹をいめにだに見む
何名負神幣嚮奉者吾念妹夢谷見
 上三句を略解にイカバカリ名ニオフ神ニタムケセバとよみ、宣長は何名負神を何在皇神の誤としてイカナラムスメガミニヌサタムケバカとよみ、古義にイカナラム名オヘル神ニタムケセバとよめり。宜しくイカナラム名ヲオフ神ニタムケセバとよむべし。タムケに幣(ヲ)嚮《ムケ》奉(ル)と書けるは義訓なり○古義に名オヘル神とよみながら釋には何處イカナル名ニ負ヘル神ニ奉幣シテといへり。名ヲ負フと名ニオフと(2277)は混同すべからず
 
2419 天地《アメツチニ》、言名絶《ワガナノタエテ》あらばこそ汝吾《ナレトワレトノ》あふことやまめ
天地言名絶有汝吾相事止
 初二を從來アメツチトイフ名ノタエテとよみたれど天地トイフ名といふこと穩ならず。宜しくアメツチニワガ名ノタエテとよむべし。言をワガとよむべき事は卷十(二一〇五頁)にいへり。又古人が名の絶えむ事を悲しみしは卷二なる妹ガ名ハ千代ニナガレムの處(三二六頁)にいへる如し。タエテアラバコソは絶エタラバコソなり○第四句を略解古義にイマシトワレトとよめり。宜しくナレトワレトノとよむべし
 
2420 月みれば國同《クニオナジキヲ》、山隔《ヤマヘダテ》、愛妹《ウツクシイモガ》へなりたるかも
月見國同山隔愛妹隔有鴨
 第二句を略解にクニハオナジゾ、古義にクニハオヤジゾとよめり。宜しくクニオナジキヲとよむべし。初二の意は月ノ樣子ヲミレバ異國ニハアラヌヲといへるなり(2278)〇第三句を略解古義共にヤマヘナリとよめり。ヤマヘダテとこそよむべけれ。作者と妹とを山が隔てたるなり○愛妹を略解にウルハシイモガとよめり。古義の如くウツクシイモガとよむべし。カハユキ妻ガといふ意なり
 
2421 ※[糸+參]〔左△〕路者《クルミチハ》石《イハ》ふむ山のなくもがもわがまつ君が馬つまづくに
※[糸+參]路者石蹈山無鴨吾待公馬爪盡
 初句を舊訓にクルミチハとよめるを古義に
  ※[糸+參]を來に借たるにて來ル道ハの意とする説は穩ならず。誤字なるべし。故考るに※[糸+參]は絲扁のあやまりて加はれるにて參にて參路者などありしにてもあるべきか。參路とは朝參の路を云べし
といへれど次なる和歌を見るに朝參の趣にあらず。さればマヰリヂハとはいふべからず。なほ舊訓に從ふべし。さてその※[糸+參]を契沖は繰の誤とせり。※[糸+參]は旗の附屬物なり。クルとはよむべからず
 
2422 いはね蹈《フム》重成山《カサナルヤマニ》あらねどもあはぬ日まねみこひわたるかも
(2279)石根蹈重成山雖不有不相日數戀度鴨
 第二句を舊訓にカサナル山ニとよみ古義にヘナレル山ニとよめり。舊訓に從ふべし。山がへだたれるにあらねばなり。さて初句を從來イハネフミとよみたれど石根蹈は山にかゝれるなればイハネフムとよむべし○こは前の歌の答なり。マネミは名多ミなり
 
2423 路のしり深島山しまらくも君が目みねばくるしかりけり
路後深津島山暫君目不見苦有
 こは吉備ノ道ノ後《シリ》にて備後なり。いにしへ入海即穴(ノ)海の中に深津島といふがありしにこそ○シマラクモはシバシダニなり
 
2424 (ひもかがみ)能登香山《ノトカノヤマト》、誰故〔左△〕《タレカイフ》、君來座在《キミキマセルヲ》、紐不開寐〔左△〕《ヒモアケザレヤ》
紐鏡能登香山誰故君來座在紐不開寐
 第二句以下を略解古義にノトカノ山ハタ【ガレ】ユヱゾ君キマセルニ紐アケズネムとよめり。まづ紐鏡は鏡の鈕に紐を通したるをいふ。而して紐を通すは手に持たむが(2280)爲なり。略解に『臺に懸ん料なり』といへるは非なり。さてヒモカガミノトカノ山とつづけたるは契沖の説にノトカは莫解《ナトキ》と通ずるが故なりといへり。げに此歌にてもノトカを莫解ときゝなして趣向を立てたるなり○さて契沖の説に
  紐鏡ナトキソと云山の名は誰故か。思ふ人の來たる夜、などか紐解開て寢ざらむ。と云意なり
といひ略解古義共に之に從ひたれど、もしさる意ならば紐鏡ノトカノ山トイフ名〔四字傍点〕ハといひイカニカ〔四字傍点〕紐トカズ寢ムといはざるべからず。案ずるに誰故を誰言などの誤、寐を耶などの誤としてノトカノ山トタレカイフ君キマセルヲ紐アケザレヤとよむべし。紐アケザレヤは紐ヲトカザラメヤとなり。
 
2425 山科の強田《コハタ》の山を馬はあれど歩吾來《カチユワガキツ》、汝念不得《ナヲモヒカネテ》
山科強田山馬雖在歩吾來汝念不得
 馬ハアレドは挿句なり。コハタノ山ヲ歩ニテ來ツといへるなり。コハタは即木幡なり○歩吾來を略解にカチヨリワガクとよみ古義にカチユアガコシとよめり。汝ヲとあれば妹に向ひて即妹がり到り著きていへるなり。されば過去格にてコシ否キ(2281)ツといふべきなり○結句は略解にナヲモヒカネテとよめるに從ふべし(古義にはナヲオモヒカネとよめり)。モヒカネテは思フニタヘカネテとなり
 
2426 遠山に霞たなびきいやとほに妹目不見《イモガメミズヲ》吾戀《ワガコフラクモ》
遠山霞被益遐妹目不見吾戀
 初二は序なり。イヤトホニは久シクといふことなるべし。四五を略解にはイモガ目ミズテワガコフラクモとよみ古義にはイモガ目ミネバアレコヒニケリとよめり。前者に從ふべし
 
2427 是川《ウヂガハ》の瀬々のしき浪しくしくに妹が心にのりにけるかも
是川瀬瀬敷浪布布妹心乘在鴨
 是川を舊訓にコノカハとよめるを春滿は氏(ノ)上《カミ》を是上とも書く例に據りてウヂガハとよむべしといひ谷川士清(和訓栞)は
  萬葉集に宇治川を是河と書る所あり。前漢地理志にも其事見え後漢書李雲傳の五氏來備(?)の注に是と氏と通ずるよし見えたり。橘氏の祖神梅ノ宮を攝家の人の管(2282)領するを是定といふ。西宮記には氏定とある同じ義也といへり
といひ訓義辨證下卷(四五頁)に
  是と氏とはもとより通用の文字なれば今も通じかけるものとしてウヂガハとよむべき也
といひて通用の例どもを擧げ、更に
  又漢書地理志下の注云古字氏是同、後漢書李雲傳の注云是與v氏古宇通といへり。これらにて是氏通用を曉るべし
といへり。されば是川はウヂガハとよむべし○初二は序なり。シキ浪は次々に寄來る波なり。シクシクニは頻ニなり○妹ガ心ニノリニケルカモは當時慣用の辭句にて妹ガ此方ノ心ニ乘ルとなり。はやく卷二に
  あづま人ののさきのはこの荷のをにも妹がこころにのりにけるかも
 卷四に
  ももしきの大宮人はおほかれど心にのりておもほゆる妹
 卷十に
(2283)  春さればしだる柳のとををにも妹が心にのりにけるかも
とあり。下にも多し。就中卷十三にはオモヒヅマ心ニノリテとよめり
 
2428 (ちはや人)宇治のわたりの速瀬〔二字左△〕《セヲハヤミ》あはずありとも後《ノチハ》わがつま
千早人宇治度速瀬不相有後我※[女+麗]
 初二は序なり。後の字は古義に從ひてノチハとよむべし(略解にはノチモとよめり)○第三句を從來ハヤキセニとよみたれど瀬速の顛倒としてセヲハヤミとよむべし。障る事のあるに譬へたるなり。アハズアリトモは契りのみして未逢はざるなり
 
2429 (はしきやし)あはぬ子故にいたづらに是川《ウヂガハ》の瀬に裳襴潤《モスソヌラシツ》
早敷哉不相子故徒是川瀬裳襴潤
 ハシキヤシは子にかゝれる准枕辭なり。子ユヱニは子ナルニなり。結句を略解古義にモノスソヌレヌとよめり。宜しくモスソヌラシツとよむべし。河を渡りて逢ひに行きしに逢得ざりしなり○下にも
  はしきやしあはぬ君故いたづらに此川の瀬に玉裳|沾津《ヌラシツ》
(2284)とあり
 
2430 是川《ウヂガハ》の水阿和《ミナワ》さかまきゆく水の事不反《コトカヘラズゾ》、思始爲《オモヒソメテシ》
是川水阿和逆纏行水事不反思始爲
 二三は水泡ヲサカマカセユク水ノといはむが如し。水の落つる勢にて生じたる水泡はすこし後へ戻るをミナワサカマキといへるなり〇四五を略解にコトハカヘサジモヒソメタレバとよみ、古義にコトカヘサズゾオモヒソメテシとよめり。宜しくコトカヘラ〔右△〕ズゾオモヒソメテシとよむべし。事は如なり。例は卷八に
  あしひきの山下とよみなく鹿の事〔右△〕ともしかもわがこころづま
 卷十に
  春さればまづなく鳥のうぐひすの事〔右△〕さきだちて君をしまたむ
とあり。ユク水ノ如ク返ラズゾ思始メテシといへるなり。カヘラズはオモヒカヘス事ナクとなり
 
2431 鴨川の後瀕靜《ノチセシヅケク》、後相《ノチモアハム》、妹者我《イモニハワレハ》、今ならずとも
(2285)鴨川後瀬靜後相妹者我雖不今
 二三四を略解にノチセシヅケクノチモアハムイモニハワレヨとよみ、古義にノチセシヅケシノチハアハムイモニハアレハとよめり。二三は略解の如くノチセシヅケクノチモアハムとよむべし。さて諸註に初二全部を序と見たるは誤れり。序はカモ川ノノチ瀬までの八言なり。即シヅケクを隔ててノチモにかゝれるなり○卷十二に
  高湍なる能登瀬の河の後もあはむ妹者吾者今ならずとも
とあり。古義に今の歌の第四句をイモニハワレハとよめるは之に據れるなり。しばらく此訓に從ふべし○卷四に
  この世には人ごとしげしこむ世にはあはむわがせこ今ならずとも
  ひと瀬にはちたびさはらひゆく水の後にもあはむ今ならずとも
とあると相似たり
 
2432 言にいでていはばゆゆしみ(山川の)たぎつ心を塞耐在《セキゾアヘタル》
言出云忌忌山川之當都心塞耐在
(2286) 初二は口ニ出シテ云ハバ憚アルベキニヨリテとなり。タギツ心はワキカヘル心なり○結句を略解にセキアヘテケリ、古義にセカヘタリケリとよめり。宜しくセキゾアヘタルとよむべし。アヘタルはコラヘタルなり
 
2433 水のうへに數かく如き吾命妹にあはむとうけひつるかも
水上如數書吾命妹相受日鶴鴨
 ワガ命は我命モテとなり。上に
  こまにしき紐ときあけむゆふべだに知らざる命こひつつかあらむ
とある命に同じ○ウケヒはこゝにては漢文の祝《シウ》にぞ當らむ
 
2434 ありそこえ外《ホカ》ゆく波のほかごころわれは思はじこひてしぬとも
荒磯越外往波乃外心吾者不思戀而死鞆
 初二は序なり。ホカユクは外ニユクなり。本集には後世の語法にては略すべからざるニをも省きたり。即山ニカタヅキテを山カタヅキテといひ雲ニカクリを雲ガクリといひ心ニ戀ヒをウラゴヒといへる類なり○ホカ心は上(二二六三頁)に見えた(2287)るケシキ心におなじ。心ヲ思ハジは心ヲ持タジとなり
 
2435 あふみの海おきつしら浪|雖不知《シラズトモ》妹所云《イモガリトイハバ》七日〔二字左△〕越來《コエコム》
淡海海奥白浪雖不知妹所云七日越來
 初二は序なり。第三句以下は舊訓にシラズトモ妹ガリトイハバ七日コエコムとよめるに從ふべし。古義にはシラネドモ妹ガリトイヘバ七日コエキヌとよめり。略解に四五は舊訓に從ひながら第三句をシラネドモとよめるは論外なり〇七日を宣長は
  或人説に七日は直の誤にてイモガリトイヘバタダニコエキヌ也といへり
といひ古義は全然之に從へり。案ずるに越ゆべき物を云はずしてタダニコエキヌ(又はナヌカコエコム)とはいふべからず。七日は山母などの誤ならざるか
 
2436 (大船の)香取の海にいかりおろしいかなる人か物もはざらむ
大船香取海チ下何有人物不念有
 上三句は序なり。この香取は下總のにはあらで近江のにて卷七に
(2288)  いづくにかふな乘しけむ高島の香取の浦ゆこぎでくる船
とあると同處なりと契沖いへり
 
2437 おきつ藻をかくさふ浪の五百重浪ちへしくしくにこひわたるかも
奥藻隱障浪五百重浪千重敷敷戀度鴨
 上三句は序なり。チヘシクシクニはイト頻ニなり
 
2438 人事《ヒトゴトヲ》、暫〔左△〕吾妹《シゲミトワギモ》つなでひく從海益《ウミユマサリテ》、深念《フカクシゾモフ》
人事暫吾妹繩手引從海益深念
 略解に
  ひとごとはしましぞわぎもツナデヒク海よりましてふかくおもほゆ
とよめり。宣長は暫を繁の誤として人ゴトノシゲケキワギモ(又はシゲキワギモコ)
とよむべしといひ、雅澄は之に基づきて
  ひとごとのしげけきわぎもツナデヒク海ゆまさりてふかくしぞもふ
とよめれどまづシゲケキといふ語は無し。又シゲキワギモコとはつづけいふべか(2289)らず。案ずるに下に
  人事茂君《ヒトゴトシゲミトキミニ》玉づさの使もやらずわするとおもふな
  人事乎|繁跡《シゲミト》君乎うづらなく人の古家にかたらひてやりつ
 又卷十二に
  人言|繁跡妹《シゲミトイモニ》あはずしてこころのうちにこふるこのごろ
とあれば宣長のいへる如く暫は繁の誤とすべし。但訓はヒトゴトヲシゲミトワギモとあるべし。人言ガシゲサニとなり。シゲミトのトは例の省きて見べきトなり。四五は古義に從ひてウミユマサリテフカクシゾモフとよむべし○更に思ふに結句のオモフは第二句なる吾妹を受けたれば吾妹の下にヲといふテニヲハあらむ方まされり。されば暫吾妹は繁跡妹の誤としてシゲミトイモヲとよむべきか
 
2439 あふみの海おきつ島山おくまけて吾念妹《ワガモフイモヲ》ことのしげけく
淡海奥島山奥儲吾念妹事繁
 初二は序、オキツ島は湖中の島の名なり○下に
  あふみの海おきつ島山奥間〔日が月〕經而、我念妹之ことのしげけく
(2290)とあり。オクマケテはオクマヘテにひとしからむ。そのオクマヘテははやく卷六にも
  長門なるおきつかり島おくまへてわがおもふ君は千歳にもがも
  おくまへて吾を念へる吾背子は千年五百年ありこせぬかも
とありて大切ニといふことなり○第四句を略解古義にワガオモフイモガとよめるは下に重出せるに我念妹之とあるに據れるなれどその之を乎の誤としてこゝをもワガモフイモヲとよむべし。妹ナルモノヲとなり○初句は淡海海とあるべし
 
2440 近江の海おきこぐ船《フネノ》いかりおろし藏〔左△〕公之《マモリテキミガ》ことまつ吾ぞ
近江海奥滂〔左△〕船重下藏公之事待吾序
 從來船の字にニをよみそへたれどノをよみそふべし。イカリオロシの主格は船なればなり○第四句を從來カクレテキミガとよみたれどカクレテにては意通ぜず。候などの誤としてマモリテとよむべし。マモルは船の方にては風ヲ待ツにて人事にては相手ノケシキヲウカガフなり。さてマモリテキミガコトマツワレゾとは此方ヨリハ何トモ云出デズシテ君ノ方ヨリ何トカ云出デムヲ待テルナリとなり○(2291)上三句は序なリ。宣長が『序にはあらじ』といへるは非なり○滂は手扁又は木扁を水扁に誤れるなり。重は重石の石をおとしたるか又は略したるか。下には重石と書けり
 
2441 (こもりぬの)したゆこふればすべをなみ妹が名のりつ忌物矣《ユユシキモノヲ》
隱沼從裏戀者無乏妹名告忌物矣
 シタユはシタニなり。ココロユオモハヌ(一四一一頁)などのユにおなじ。さてシタニは心ニなり○下に
  こもりぬの下にこふればあきたらず人にかたりつ可忌物乎《イムベキモノヲ》
 又卷十二に
  おもふにしあまりにしかばすべをなみ吾はいひてき應忌鬼尾《イムベキモノヲ》
とあるによりて略解古義に今の歌の忌物矣をもイムベキモノヲとよみたれど忌の上に可をおとせりとせずばイムベキモノヲとはよむべからず。このままならば舊訓の如くユユシキモノヲとよむべし。ユユシキはイマハシキなり
 
2442 大土もとればつくれど世の中に盡不得〔左△〕物《ツキセヌモノハ》、戀にしありけり
(2292)大土採雖盡世中盡不得物戀在
 オホヅチは大地の直譯ならむ。此語復活して用ふべし○第四句を略解にツキセヌモノハとよめるを古義にツキエヌモノハと改めたり。ツクシエヌとはいふべくツキエヌとは云ふべからず。されば得を爲の誤として略解即舊訓の如くよむべし
 
2443 隱處《コモリドノ》、澤泉〔左△〕在△《サハタツミナラバ》、石根《イハネヲモ》、△通念《トホスベクゾモフ》、わがこふらくは
隱處澤泉在石根通念吾戀者
 下に
  隱津之、澤立見爾有、石根從毛、遠而念、君にあはまくは
とあり。之に基づきて今の隱處をも從來コモリヅノとよみ、略解には『處はドとよめるを以て通はせてヅに用ひたり』といへれど處はヅには假用すべからず。はやく記傳卷二十五(二一三九頁)に
  隱處の處(ノ)字はもしは泉を誤れるにあらざるか。其故は處はドとこそよむべけれヅとはよみがたし。ヅに此字をかくべきに非ず。又ミヅを省きてはミとこそいへ。ヅといへる例を知らず。されば泉(ノ)字にてヅと訓てイヅミの省きならむか(2293)といへり。案ずるにもとのまゝにてコモリドノとよむべし。コモリドはコモリタル處なり(下なる隱津之は隱沼之の誤としてコモリヌノとよむべし)○第二句を從來サハイヅミナルとよみて略解に『澤泉は地名ならで澤水をいへり』といへれど澤水を澤泉とはいふべからず。又三四を略解にイハネユモトホシテゾオモフとよみ古義にイハネヲモトホシテゾモフとよめり。案ずるに下に澤立見とあるが正しくてこゝに澤泉とあるは澤立水の誤ならむ(卷二にニハタヅミを庭多泉と書ける例あれば澤の下泉の上に田などを落したるにてもあるべし)。而してタツミは渟水《タマリミヅ》の事ならむ。倭訓栞に『南伊勢の俗は淵をタヅミといふ』といへる、傍證とすべし。
  因にいふ。タツミは立水《タツミ》(止水)の義なるべければツは清みて唱ふべし。濁れるは訛なり。ニハタヅミのツも本來清みて唱ふべきなり。俄立水《ニハタツミ》の義なるべければなり
 さて在の下に者の字を補ひ又通の上に可の字を補ひて
  こもりどの澤立水《サハタツミ》ならば石根《イハネ》をも通すべくぞ念《モ》ふわがこふらくは
とよみて
  我モシ澤ニタマレル水ナラバワガ妹ヲ戀フルヤウハ岩根ヲサヘ通スベクゾ思(2294)フ
といふ意とすべし。下に
  わぎもこにわがこふらくは水ならばしがらみこえてゆくべくぞもふ
といふ歌あり。參照すべし
 
2444 (しらまゆみ)いそべの山のときはなる命哉《イノチニモガモ》こひつつをらむ
白檀石邊山常石有命哉戀乍居
 イソベノ山は地名ならむ。初二は序なり○命哉を略解古義にイノチナレヤモとよめり。宜しくイノチニモガモとよむべし。又四五の間にサラバ心ナガクといふことを挿みて聞くべし
 
2445 あふみの海しづくしら玉|不知《シラザリシ》△從戀者《トキヨリコヒハ》、今ぞまされる
淡海海沈白玉不知從戀者令〔左△〕益
 三四を略解古爲にシラズシテコヒツルヨリハとよめり。右の如くよまば今ゾマサレルは何が益るとかせむ。今ゾマサレルといはむにはその益るものを云はざるべ(2295)からざるにあらずや。宜しく從の上に時の字を補ひてシラザリシ時ヨリコヒハとよむべし。さてシラザリシは噂ニ聞キテ未顔ヲ見ザリシといふ事にて此歌は未逢始めぬさきの歌なり○代匠記に
  上のアフミノ海オキツシラ浪と云より此歌まで近江をよめる事多きは第一第三に人丸の近江にての歌、近江より歸り上らるゝ時の歌あれば近江守の屬官などにて彼國に有て見聞に任てしるされたるにや
といへり。よき心づきなれど『此歌まで』といへるは心ゆかず。次の歌と二首一聯なるをや○令は諸本に今とあり
 
2446 しら玉を△纏持《テニマキモチテ》、今よりはわが玉にせむ知時〔左△〕谷《シレルノチダニ》
白玉纏持從令〔左△〕吾玉爲知時谷
 略解古義に第二句をマキテゾモタル、結句をシレルトキダニとよめり。さて略解に
  この知は妹を相知也。妹にはじめて逢事を得て其母などにまだしらせねば末はしらねど今相知時をだに吾物と思ひ定めんと也
といひ古義は此釋に從へり。案ずるに纏の上に手の字を補ひ又時を後の誤として
(2296)  しら玉を手にまきもちて今よりはわが玉にせむしれる後だに
とよむべし。シレル後ダニは顔ヲ知レル後ダニとなり○此歌の令も今を誤れるなり
 
2447 しら玉を手にまきしより忘れじと念△何畢〔左△〕《オモフココロハイツカカハラム》
白玉從手纏不忘念何畢
 宣長は
  念の下心の字を脱し畢は異の誤にてオモフココロハイツカカハラムと有しなるべし
といへり。此説に從ふべし
 
2448 烏〔左△〕玉《シラタマノ》あひだあけつつぬける緒もくくりよすれば後あふものを
烏玉間開乍貫緒縛依後相物
 眞淵は烏玉を白玉の誤としてシラタマヲとよみ雅澄はシラタマノとよめり。ヲとよみてヌケルにつづくべし○下の意は我中モ後ニハイカデ相近ヅカザラムヤと(2297)なり
 
2449 かぐ山に雲ゐたなびきおほほしくあひみし子らを後こひむかも
香山爾雲位桁曳於保保思久相見子等乎後戀牟鴨
 初二は序なり。クモヰはただ雲といはむにひとし。はやく卷三(四六〇頁及五六〇頁)にもクモヰタナビキ、卷七(一二三三頁)にもクモヰタツラシとあり○オホホシクはサダカナラズ、といふことにてアヒ見シにかゝれり○タナを桁と書ける例は新撰姓氏録右京神別上に鳥取部《トトリベ》(ノ)連《ムラジ》ハ天(ノ)湯河桁(ノ)命ノ後ナリとあり。此湯河桁は垂仁天皇紀に鳥取(ノ)造《ミヤツコ》(ノ)祖天(ノ)湯河|板擧《ダナ》とあると同人なれば桁はタナとよむべし
 
2450 雲間よりさわたる月のおほほしくあひみし子らをみむよしもがも
雲間從狹徑月乃於保保思久相見子等乎見因鴨
 初二は序、サワタルのサは添辭なり
 
2451 あま雲のよりあひとほみあはずともあだし手枕|吾纏哉《ワレマカメヤモ》
天雲依相遠雖不相異手枕吾纏哉
(2298) 結句を舊訓にワレハマカメヤとよみ古義にアレマカメヤモとよめり。ワレハのハの無き方調まされり(略解に『アレマカンカモとも訓べし』といへるはいかに心得たるにか)○初二は序なり。ヨリアヒは雲と雲とゆき合ふ事ならむ。古義に
  天の雲と國土とはるかに離れ隔りて依合事の遠きよしのつづけなるべし
といへるは從はれず
 
2452 雲だにもしるくしたたば意追〔左△〕《ナグサメニ》、見乍爲〔左△〕《ミツツヲラムヲ》ただにあふまで
雲谷灼發意追見乍爲及直相
 意追を舊訓にナグサメニとよめるを眞淵は意遣の誤として訓はもとに從ひ雅澄はおなじく意遣の誤としてココロヤリとよめり。眞淵の説に從ふべし(二二七三頁參照)○見乍爲を眞淵は見乍居の誤としてミツツシヲラムとよめり。ミツツヲラムヲとよむべし○さて此歌は辭は齊明天皇の大御歌なる
  今木なる乎武例がうへに雲だにもしるくしたたば何か嘆かむ
に據り、想は彼巫山の女神が雲となり雨となりて楚の襄王に見えきといふ故事(文選高唐賦)に據れるなり
 
(2299)2453 (はるやなぎ)葛△《カヅラキ》山にたつ雲のたちてもゐても妹念《イモヲシゾモフ》
春楊葛山發雲立座妹念
 ハルヤナギははやく卷五(九〇七頁)に見えたり。上三句は序なり○結句を略解にイモヲシオモホユとよめるはいとわろし。語格上妹ノオモホユとはいふべく妹ヲ〔右△〕オモホユとはいふべからず。舊訓に基づきてイモヲシゾモフとよむべし〇葛の下に城又は木の字おちたるか
 
2454 かすが山雲ゐがくりてとほけども家はおもはず公念《キミヲシゾモフ》
春日山雲座隱雖遠家不念公念
 奈良の人の他郷にありてよめるなり。雲ヰガクリテは雲ニ隱レテなり。實は雲に隱れて遠きにあらず。遠きが故に見えぬなり○家は家なる妻なり。キミといへるは他郷にて相知りし女なり。公とかけるは借字なり○結句はキミヲシゾモフとよむべし。略解にキミヲシオモホユとよめるはいみじき誤なり
 
2455 わが故に所云妹《イハルルイモハ》たか山の峯の朝霧、過〔左△〕兼鴨《イブセケムカモ》(2300)我故所云妹高山之今朝霧過兼鴨
 第二句を從來イハレシイモハとよめるは結句のケムを過去のケムと誤解せる爲なり。宜しくイハルルイモハとよむべし。初二は我爲ニ世間ニイヒサワガルル妹ハとなり。語例は卷四に
  山菅の實《ミ》ならぬことを吾によせいはれし君はたれとかぬらむ
とあり○結句を從來字のまゝにてスギニケムカモとよめり。過を悒の誤としてイブセケムカモとよむべし。イブセカラムカとなり。三四はイブセシにかゝれる序なり
 
2456 (ぬばたまの)黒髪山の山草〔左△〕《ヤマスゲニ》に小雨零敷《コサメフリシケバ》、益益所思《マスマスオモホユ》
烏玉黒髪山山草小雨零敷益益所思
 四五を略解古義にコサメフリシキシクシクオモホユとよめり。宜しくコサメフリシケバマスマスオモホユとよむべし。旅路にてよめるにて四五の間に妹ガといふことを省けるなり。フリシケバは降頻レバなり
 
(2301)2457 大野らに小雨|被〔左△〕敷《フリシケバ》、木本《コノモトヲ》時〔左△〕依來《タノミヲヨリコ》わがおもふ人
大野小雨被敷木本時依來我念人
 二三四を略解古義にコサメフリシクコノモトニトキドキヨリコとよめり(第二句の被を誤字と認めて)。案ずるに時を恃の誤として
  大野らにこさめふりしけばこのもとをたのみてよりこわがおもふ人
とよむべし。タノミテまでは序なり。タノミテヨリ來ル如ク寄來ヨといふべきを略せる例の一種の序なり。語例は靈異記中卷第三に如2恃(ム)樹(ニ)漏1v雨とあり
 
2458 (朝霜の)けなばけぬべくおもひつつ何〔左△〕此夜明鴨《マツニコノヨノアケニケルカモ》
朝霜消消念乍何此夜明鴨
 四五を略解にイカデコノヨヲアカシナムカモとよめり。宣長は
  イカデといひてカモととむる事語とゝのはず。何は待の誤にてマツニコノヨヲと有つらん
といひ、雅澄は之に基づきてマツニコノヨヲアカシツルカモとよめり。宜しくマツ(2302)ニコノヨノアケニケルカモとよむべし
 
2459 わがせこが濱|行〔左△〕《フク》風のいやはやに急〔□で囲む〕|事△《コトツグレバカ》益不相有《イヤアハザラム》
吾背兒我濱行風彌急急事益不相有
 古義に第二句の行を吹の誤とせり。之に從ふべし〇四五を略解古義にハヤコトナサバイヤアハザラムとよめり。案ずるに彌急急事とある急の一字を衍とし事の下に告の字を補ひて
  わがせこが濱ふく風のいやはやにことつぐればかいやあはざらむ
とよむべし。ワガセコガはイヤアハザラムにかゝれるなり。ハマフク風ノはイヤハヤニの序なり。アマリセハシク云ッテヤルカラ却ッテ逢ニ來ヌノデアラウといへるなり
 
2460 とほづまのふりさけ見つつしぬぶらむこの月のおもに雲なたなびき
遠妹〔左△〕振仰見偲是月面雲勿棚引
 シヌブラムは我ヲシヌブラムとなり○妹は誤字か
 
(2303)2461 山葉《ヤマノハヲ》追出月《オフミカヅキノ》はつはつに妹をぞみつる及〔左△〕戀《ノチコヒムカモ》
山葉追出月端端妹見鶴及戀
 初二を舊訓にヤマノハニサシイヅルツキノとよめるを宣長は追を照の誤としてテリイヅル月ノとよめり。さて略解は舊訓に從ひ古義は宣長に從へり。案ずるにもとのまゝにてヤマノハヲオフミカヅキノとよむべし。ミカヅキの漢字は※[月+出](音ヒ)なるを二字に割きて出月とかけるなり。オフは土左日記に
  つとめて大湊より那波のとまりをおはむとてこぎ出にけり
などあるオフにてサシユクといふ意なり○及戀はげに宣長のいへる如く後戀の誤にてノチコヒムカモなり。上(二二九七頁)にも
  かぐ山に雲ゐたなびきおほほしくあひみし子らを後戀牟鴨
とあり
 
2462 わぎもこしわれをおもはば(まそかがみ)照出月《テルミカヅキノ》、影にみえこね
我妹吾矣念者眞鏡照出月影所見來
(2304) 第四句を從來テリイヅル月ノとよめり。宜しくテルミカヅキノとよむべし。三四は影の序なり○カゲニを考に
  面影にあらず。右のハツハツニといふ如くホノカニダニモ見ニ來ヨといふ也
といひ略解古義共に之に從へるは非なり。カゲニは面影ニ.なり
 
2463 (久方の)あまてる月の隱去《カクリナバ》なにになぞへて妹をしぬばむ
久方天光月隱去何名副妹偲
 第三句を略解にカクレイヌとよみ古義にカクロヒヌとよめるは共に非なり。カクリナバとよむべし。ナニニナゾヘテは何ニヨソヘテなり。古義の釋はいたく誤れり
 
2464 みか月のさやにもみえず雲がくりみまくぞほしきうたてこのごろ
若月清不見雲隱見欲宇多手此日
 上三句は序なり。三日月ノサヤカニモ見エズシテ雲ニ隱レテ見マクホシキ如ク見マクゾホシキといふべきを略せるなり○ウタテはアヤシクなり。妙ニ此頃逢ヒタク思フとなり
 
(2305)2465 わがせこにわがこひをればわがやどの△草佐倍思《オモヒグササヘ》〔□で囲む〕うらがれにけり
我背兒爾吾戀居者吾屋戸之草佐倍思浦乾來
 第四句を從來字のまゝにてクササヘオモヒとよみたれどオモヒウラガルルといふ語あるべくもあらず。又さる語ありとも半より割きて二句に分屬せしむべきにあらず。おそらくは傳寫の際に思の字をおとし、後にそを補ふとて第三句の下に入るべきを誤りて第四句の次に入れたるにこそ。さればワガヤドノオモヒグササヘウラガレニケリとよむべし。思草ははやく卷十(二一七八頁)に見えたり。我思ノミナラズ思トイフ名ヲ負ヘル草サヘとなり
 
2466 朝茅原《アサヂハラ》、小野印《ヲヌニシメユフ》、空事《ムナゴトヲ》、何在〔左△〕云《イカニイヒテカ》、公待《キミヲバマタム》
朝茅原小野印空事何在云公待
 舊訓に
  あさぢはらをのにしめゆふそらごとをいかなりといひてきみをばまたむ
とよめり。下に
(2306)  淺茅原かりじめ刺而空事も所縁之君がことをし待たむ
 又卷十二に
  淺茅原小野にしめ結、空言もあはむときこせ戀のなぐさに
とあり。參照すべし○さて二三句を古義にヲヌニシメユヒムナコトヲとよみ改め
  本(ノ)二句の意は淺茅生たるあら野原に標繩《シメ》ゆふは何の益《シルシ》なくいたづら事なる心にてムナコトといはむ爲の序とせるなり。かれ序の意は徒事の由にいひかけムナコトとうけたる上にては虚言《ムナコト》なり。……空事は十二に空言とある其字(ノ)意なり。さてこれをばムナコトと訓べし(古來ソラゴトと訓來れどもいみじきひがごとなり)。さるは廿卷に牟奈許等母オヤノ名タツナと假字書の見えたる、これしか訓べき確なる據なり
といへり。此説に從ひて初二を序と認むべし。但訓はヲヌニシメユフ〔右△〕ムナゴトヲとあるべし(略解に初句をアサヂフノとよみ改めたるはわろし)○第四句を從來イカナリトイヒテとよめり。在を如の誤としてイカニイヒテカとよむべし○結句は舊(2307)訓に從ひてキミヲバマタムとよむべし(古義にはキミヲシとよめり)〇一首の意は卷十二に
  あしひきの山よりいづる月まつと人にはいひて妹まつ吾を
とある如く人ニ如何ナル空言ヲイヒテカ君ヲ待タムといへるなり
 
2467 路の邊の草深百合の後云《ユリニチフ》妹がいのちを我知《ワレシラメヤモ》
路邊草深百合之後云妹命我知
 初二は序なり。卷七(一三四六頁)にミチノヘノ草深ユリノ花ヱミニとあり○第三句を舊訓にノチニテフとよめるを宣長はユリニチフとよみ改めたり。此説に從ふべし。ユリは後といはむに同じ。はやく卷八及卷九(一五四三頁及一七四七頁)にいへり○我知を略解にワレハシラメヤとよみ古義にアレシラメヤモとよめり。後者に從ふべし〇一首の意は後日逢ハムト妹ハ云ヘド人ノ壽ハ恃ミガタケレバ妹ガソレ迄生キテアラムヤ我ハ知ラジ、サテサテ心モトナキ事カナといへるなり
 
2468 みなと葦にまじれる草のしり草の人皆知《ヒトミナシリツ》わがしたおもひ
(2308)潮葦交在草知草人皆知吾裏念
 上三句は序、マジレル草ノは交レル草ナルとなり○第四句を從來ヒトミナシリヌとよみたれどシリツとよむべし。ヌは准現在、ツは准過去にて現在にツを代用すべからざる如く過去にヌを代用すべからざればなり○シリ草は契沖の説に
  知草は鷺(ノ)尻刺にて藺の事なり。和名集云、玉篇云、藺和名|爲《ヰ》、辨色立成云、鷺尻刺云々
といひ後人之に從ひたれど鷺(ノ)尻刺を略して尻草とはいふべからず。なほ考ふべし
 
2469 山ぢさのしら露おもみうらぶるる心深〔左△〕、吾戀不止〔二字左△〕
山萵苣白露重浦經心深吾戀不止
 山ヂサは卷七(一四二八頁)に見えたり。考に
  此木の事我友の豐後國に在が植置しとてしるして見せたり。木の皮は梨、木身は桐の如し。葉は大さ形ともに枇杷に似て薄し。春は採て食ふ。冬は葉落めり。花は秋梨の如く聚咲り。花びら梅のことくして大きに色少しうるみ有。しべはふさ楊枝のごとしといへりと云へり。九州中國などに多きチシヤノ木(學名エーレチア、アクミナ一タ)の事にや(2309)〇四五を略解古義にココロヲフカミワガコヒヤマズとよめり。おそらくは誤字あらむ。試にいはば心似吾鯉樂者などありしか。さらばココロニニタリワガコフラクハとよむべし。ココロは樣子なり。卷十二(一九六八頁)にもハルサメノ心ヲ人ノシラザラナクニとあり
2470 みなとに核〔左△〕延子菅不竊〔二字左△〕隱《ネハフコスゲノネモコロニ》きみにこひつつありがてぬかも
潮核延子菅不竊隱公鯉乍有不勝鴨
 二三を舊訓にネハフコスゲノシノビズテとよみ宣長は根〔右△〕延子菅之〔右△〕竊隱の誤としてネハフコスゲノネモコロニとよめり。之に從ふべし(竊隱は惻隱の誤ならむ)○初二は序なり。アリガテヌカモは在ルニ堪ヘヌ哉となり
 
2471 山代の泉の小菅おしなみに妹心《イモガココロヲ》わがもはなくに
山代泉小菅凡浪妹心吾不念
 初二は序にてオシナミニは並々ニといふことなる事契沖のいへる如し○第四句を略解にイモガココロハとよみ古義にイモヲココロニとよめり。宜しくイモガコ(2310)コロヲとよむべし。語例は卷四(六二九頁)に妹之心乎ワスレテオモヘヤとあり○泉は相樂郡出水郷にて泉川の兩岸に跨れる地域なり
 
2472 見渡《ミワタシノ》、三室の山のいはほ菅ねもころ吾は片念《カタモヒ》ぞする
    一云みもろの山のいはこすげ
見渡三室山石穗菅惻隱吾片念爲
    一云三諸山之石小菅
 初句を舊訓にミワタセバとよめるを略解に
  見渡は打ワタスと同じく打向ひ見る意ともおもへど猶|美酒《ウマザケ》の誤にて枕詞なり
といへれど、なほ字のまゝにてミワタシノとよむべし。ミワタシノはヲチカタノといはむにひとし。上三句は序なり
 
2473 (すがの根の)ねもころ君が結爲《ムスバシシ》、我紐緒《ワガヒモノヲハ》、解人不有《トクヒトアラジ》
菅根惻隱君結爲我紐緒解人不有
(2311) 第三句を略解にムスビタルとよみ古義にムスビテシとよめり。宜しくムスバシシとよむべし○四五を略解古義共にワガヒモノヲヲトク人ハアラジとよめり。改めてワガヒモノヲハトク人アラジとよむべし。所詮アダシ女ニ解カセジといへるなり
 
2474 (山背の)亂戀〔二字左△〕耳《コヒミダレノミ》せしめつつあはぬ妹かも年はへにつつ
山菅亂戀耳令爲乍不相妹鴨年經乍
 第二句を從來もとのまゝにてミダレコヒノミとよみたれど亂と戀とをおきかへてコヒミダレノミとよむべし○ツツ二つあり
 
2475 わがやどの甍《ノキ》の子太草《シタクサ》、雖生《オヒタレド》こひわすれ草、見未生《ミルニイマダオヒズ》
我屋戸甍子太草雖生戀忘草見未生
 子太草は契沖のいへる如く下草なり。眞淵以下シダ草とよみて草の名としたるは非なり。本集には清濁通用したる上、太は清音にも用ひたり。太と書きたればとて必しもダとよむべからず。さてそのノキノシタ草を契沖はシノブとせり。或は然らむ(2312)○雖生を略解にオフレドモとよみ古義にオヒタレドとよめり。後者に從ふべし○結句を從來ミレドイマダオヒズとよみたれどオヒタレドといひて更にミレドといはむは快からず。さればミルニイマダオヒズとよむべし
 
2476 打田《ウツタニハ》、稗數多《ヒエハココダク》ありといへど擇爲《エラシシ》我ぞ夜《ヨヲ》ひとりぬる
打田稗數多雖有擇爲我夜一人宿
 卷十二に
  水をおほみ上《アゲ》に種まきひえをおほみ擇擢之業曾吾ひとりぬる
といふ歌あり○初二は從來ウツ田ニモヒエハアマタニとよめり。宜しくウツ田ニハ〔右△〕ヒエハココダクとよむべし(但數多はアマタモともよむべし)。ウツ田のウツはワタル日のワタルなどとおなじくただ輕く添へたるなり。深き心あるにあらず○擇爲は從來エラエシとよみたれど上なる結爲の例に仍りてエラシシとよむべし。田ニハ稗ハアマタアルヲ君ガ特ニ擇リテ棄テ給ヒシ我ゾ云々となり。アリトイヘドはエラシシにかかれるなり○夜はヨヲとよむべし(從來ヨルとよめり)
 
2477 (あしひきの)名負山菅《ナニオフヤマスゲ》、押伏《オシフセテ》、きみしむすばばあはざらめやも
(2313)足引名負山菅押伏公結不相有哉
 二三を舊訓にナニオフヤマスゲオシフセテとよめり。然るに宣長は
  名負はかならず誤字なるべし。押は根の誤にてネモコロニならん
といひ、古義には
  足引ノ名ニオフとは即山といふことなれば義を得てヤマノヤマスゲと訓べくといへり。案ずるにアシヒキノは名ニオフを隔てゝ山菅にかかり又名ニオフは實ナルチフ名ニオフといふべきを略せるなり。卷四に山菅ノ實ナラヌ事ヲ、卷七に妹ガタメ菅ノ實トリニユク吾ヲなどありて山菅は實を結ぶを以て聞えたるものなり(今大なるをヤブランといひ小なるをリヨウノヒゲといふ)○宣長雅澄の如く初二を序とすれば第四句のムスババは何の事とも聞えず。されば初二は序にあらず。從ひて第三句はネモコロニの誤にあらず。宜しくもとのまゝにてオシフセテとよむべし〇一首の意は實ガナルトイフ名ニ負ヘルメデタキ山菅ナレバソレヲ押伏セ結ビテ祝ヒタマハバ再逢ハザラムヤ、必逢フ事アルベシといへるならむ。いに(2314)しへ木草を結びて自祝ふ習ありし事卷六(一一五三頁)にいへる如し
2478 (秋がしは)潤和川邊《ウルワガハベノ》しぬのめの人不顔〔左△〕面《ヒトニシヌベド》、公無勝《キミニタヘナク》
秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝
 考に
  アキガシハうるやがはべのシヌノメノ人にしぬべばきみにたへなく
とよめり。そは下に
  朝柏、閏八河邊之しぬのめのしぬびてぬればいめにみえけり
といふ歌あるによりて潤和とあるをもウルヤとよみ不顔面とあるをば字に拘はらでシヌベバとよめるなり○さて眞淵は上三句を序としシヌノメを小竹之群《シヌノムレ》の義とせり。又雅澄は潤和、閏八を潤比、閏比の誤とせり。此等の説に基づきて更に私案を述べむにカシハは食物を盛る料なる木葉をいふ。さて秋の木葉又朝つみたる木葉は露にうるひたれば秋ガシハウルワ川邊ノまた朝ガシハウルハ河邊ノといへるなり〇四五を眞淵は
  人目をしのぶ故に公に逢がたくして思ひに堪ざる也
(2315)と釋し雅澄は之に從へり。案ずるに不顔面の顔は顯の誤なり。シヌブを戯れて不顯面と書けるなり。なほマヂカクを不遠と書きカレを不數見と書きオホホシクを不清、不明と書きキヨクを不穢と書きヨド、ヨドムを不行、不通と書ける如し。さて四五はヒトニシヌベド〔右△〕キミニタヘナクとよみて餘人ニ對シテハ堪忍ベドモ君ニ向ヘバ堪忍バレヌ事ヨといふ意とすべし○潤和はいづくにか。今播磨國明石郡伊川谷村の大字に潤和と書きてジユンナと唱ふる處あり。或は是か
 
2479 (さねかづら)後《ノチモ》あはむと夢〔左△〕耳《シタノミニ》うけひわたりて年はへにつつ
核葛後相夢耳受日度年經乍
 後の字を略解にノチモとよみ古義にノチハとよめり。卷二(二九二頁)なる長歌にサネカヅラ後毛將相等、卷四(七九四頁)にノチセ山後毛將相常、卷十二にコヒコヒテ後裳將相等などあればノチモとよむべしノチニといはむにひとし○夢耳を略解にイメノミヲ、古義にイメノミニとよめり、夢耳はおそらくは裏耳の誤ならむ。さらばシタノミニとよむべし。ウケヒは祈る事なり
 
2480 みちのへのいちしの花のいちじろく人皆|知《シリツ》、我戀〔左△〕※[女+麗]《ワガコモリヅマ》
(2316)     或本歌云いちじろく人しりにけりつぎてしもへば
路邊壹師花灼然人皆知我戀※[女+麗]
    或本歌云灼然人知爾家里繼而之念者
 初二は序なり。第四句は人ミナシリツとよむべし。上(二三〇七頁)にも人皆知ワガシタオモヒとあり○結句を略解にワガコヒヅマハとよみ古義にアガコフルツマとよめり。戀を隱の誤としてワガコモリヅマとよむべきか○壹師(ノ)花は白井光太郎博士の説(雜誌心の華十九の三)に今チシヤ一名エゴ一名ロクロ木一名ヅサ一名ヂナイといふものなりといへり。此木は其材を傘の轆轤に用ふるが故にロクロ木とも云ふなり。上に見えたるヤマヂサのチシヤノ木とは同名異物なり。學名をステラツクス、ヤポニカといふ
 
2481 大野らに跡状《タヅキ》もしらずしめゆひて有不得△吾眷《アリガテナクモワガコフラクハ》
大野跡状不知印結有不得吾眷
 有不得を千蔭はアリガテマシモとよみ宣長雅澄はアリゾカネツルとよめり。得は(2317)ガテとはよまれざるにあらねどガテを得とのみ書ける例なければ有不得勝の脱字としてアリガテナクモとよむべし○吾眷を千蔭はワガカヘリミバとよみ宣長は眷を戀の誤としてワガコフラクハとよみ雅澄は『眷は戀と通はし用たり』といひて、もとのまゝにてワガコフラクハとよめり。古義の説に從ふべし〇一首の意は吾戀ハ大野ニ便ナク標ヲ結ヒテ滿足スルヤウナ戀デハ無イといへるならむ
 
2482 みな底におふる玉藻のうちなびき心依《ココロユヨリテ》こふるこのごろ
水底生玉藻打靡心依戀此〔左△〕日
 初二は序なり。略解に『水底は下に思ふをよせたり』といへるは非なり○第四句を從來ココロヲヨセテとよめり。ココロユヨリテとよみ改むべし○此は比の誤なり
 
2483 (しきたへの)衣手離而《コロモデカレテ》(たまもなす)なびきかぬらむわをまちがてに
敷栲之衣手離而玉藻成靡可宿濫和乎待難爾
 第二句を從來コロモデカレテとよめり。衣手《ソデ》片敷而の誤かとも思へど卷十二に  しきたへの衣手可禮天、吾《ワ》をまつとあるらむ子らは面影にみゆ
(2318)とあればなほ字のまゝにてコロモデカレテとよむべし○マチガテニは待不敢にて(ガテズをガテニといふはシラズをシラニといふが如し)やがてマチカネテといはむにひとし
 
2484 君こずばかたみに爲等《セムト》、我二人うゑし松の木君をまちで牟〔左△〕《ネ》
君不來者形見爲等我二人植松木君乎待出牟
 爲等は略解に從ひてセムトとよむべし(古義にはセヨトとよめり)○第三句を略解にワガフタリとよみ古義にワトフタリとよめり。フタリシテといふべきなり。卷十二に
  ふたりしてむすびし紐をひとりしてわれはときみじただにあふまでは
とあるフタリシテ、ヒトリシテは二爲而、一爲而と書けり○待出牟の牟は宣長に從ひて年の誤と認むべし。略解に『マチデネは待ツケヨカシの意也』といへる如し○卷三に
  妹としてふたりつくりしわがしまはこだかくしげくなりにけるかも
とあり
 
(2319)2485 袖ふるがみゆべきかぎり吾雖有〔左△〕《ワレハミレド》その松が枝に隱在《カクリタルラシ》
袖振可見限吾雖有其松枝隱在
 第三句を從來ワレハアレドとよめり。宜しく有を看の誤としてワレハミレドとよむべし○結句を略解にカクレタリケリ、古義にカクリタルラムとよめり。改めてカクリタルラシとよむべし。三四の間に袖振ルガ見エヌハといふことを補ひて聞くべし○略解古義に前の歌の和とせるは非なり
 
2486 ちぬの海《ウミノ》はま邊の小松根ふかめてわがこひわたる人の子|※[女+后]《ユヱニ》
    或本歌云ちぬの海の塩干の小〔左△〕松《ミルノ》ねもころにこひやわたらむ人の兒故に
珍海濱邊小松根深吾戀度人子※[女+后]
    或本歌云血沼之海之塩干能小松根母己呂爾戀屋度人兒故爾
 初句は古義の如く海にノをよみそふべし○序は初二なり。第三句はただフカメテといふべきを序に引かれて根フカメテといへるにて下なる
(2320)  まこもかる大野川原のみ〔右△〕ごもりにこひこし妹が紐とく吾は
  奥山のいはもと菅の根〔右△〕ふかくもおもほゆるかもわがおもひ妻は
 古今集戀一なる
  あしひきの山下水のこ〔右△〕がくれてたぎつ心をせきぞかねつる
のミゴモリニ、根フカクモ、コガクレテと同例にて當時行はれし一格なり。さてフカメテの語例は卷二(一八七頁)なる人麿が從2石見國1別v妻上來時歌の第二首にフカミルノフカメテモヘドとあり。心ヲ深メテとなり
 或本歌に塩干能小松とあるはいぶかし。小松は水松の誤にてシホヒノミルノならむか
 
2487 なら山のこまつがうれのうれむぞはわがもふ妹にあはず止みなむ
平山子松未〔左△〕有廉叙波我思妹不相止者〔左△〕
 初二は序なり。ウレムゾハはイカデといふこととおぼゆ。はやく卷三に
  わたつみのおきにもちゆきてはなつとも宇禮牟曾これがよみがへりなむ
とあり〇未は末の誤なり、者を眞淵は嘗の誤とせり
 
(2321)2488 いその上《ヘ》に立囘香瀧〔左△〕《タテルムロノキ》、心哀〔左△〕《ネモコロニ》、何《ナドカ》ふかめておもひそめけむ
礒上立囘香瀧心哀何深目念始
 第二句を眞淵は瀧を樹の誤としてタテルムロノキとよみて
  イソノヘニネバフ室(ノ)木ミシ人ヲ(○卷三)またワギモコガミシ鞆(ノ)浦ノ天木香樹《ムロノキ》ハ常世ニアレド(○同上)これを囘香ともいふべし
といひ、雅澄は
  天木香樹と書るも囘香樹と書るも其所由は詳ならねども、いにしへ所據ありてムロにあてし字にこそあらめ
といへり〇心哀を略解にココロイタクとよめり。こゝに卷十二にトヨ國ノキクノ濱松心喪云々といふ歌あり。その心喪を村田春海は心衷の誤としてネモコロニとよめり。雅澄は之に基づきて今の心哀をも心衷の誤としてネモコロニとよめり。しばらく之に從ふべし○何を略解にナニニとよみ古義にイカデとよめる共にわろし。ナドカとよむべし。フカメテは心ヲ深メテなり
 
2489 橘のもとに我《ワガ》たち下枝《シヅエ》とり成哉《ナラムヤ》君と問ひし子らはも
(2322)橘本我立下枝取成哉君問子等
 成哉を略解古義にナリヌヤとよめり。考に從ひてナラムヤとよむべし○略解に上三句を序としたれど序にあらず。はぢらひつつ言どふ形容なり○從來相思の男女が對立せる趣に心得たるは誤なり。我といへるは男子即作者にて君といへるは媒なり。即對立せるは若き男と老いたる女即媒となり。四五の意は成ラムヤイカニトワガ媒ニ問ウタ其本尊樣ハドウシタラウといへるなり。媒よりいまだ答の無きをおぼつかなみたるなり。卷七に
  むかつをにたてる桃の樹成らむやと人ぞささめきしながこころゆめ
といふ歌あり。一首の意も初二の格も今と異なれどナラムヤの意は相同じ○子等の下に脱字あるか
 
2490 あま雲にはねうちつけてとぶたづのたづたづしかも君不△座者《キミキマサネバ》
天雲爾翼打附而飛鶴乃多頭多頭思鴨君不座者
 上三句は序なり。タヅタヅシカモは連體格にてタヅタヅシキカモといふべきを例の如く終止格にていへるなり。さてタヅタヅシはタヨリナシとなり。卷四(六九一頁)(2323)にもアナタヅタヅシ友ナシニシテとあり○結句を從來キミシマサネバとよめり。さても可なれど或は不の下に來をおとせるにてキミキマサネバならむか
 
2491 妹にこひいねぬあさけにをし鳥の從是此〔左△〕渡《コユトビワタル》妹が使か
妹戀不寐朝明男爲鳥從是此度妹使
 イネヌアサケニはイネヌ夜ノ朝明ニなり。眞淵は此を飛の誤とせり
 
2492 おもふにしあまりにしかば(にほ鳥の)足沾〔左△〕來《アナヤミコシヲ》、人みけむかも
念餘者丹穗鳥足沾來人見鴨
 第四句を略解にアヌラシコシヲとよみ古義にアシヌレコシヲとよめり。又宣長は
  卷十四安奈由牟古麻能とよみたれば沾は惱の字の誤にてアナヤミコシヲならむ
といへり。卷十二にオモフニシアマリニシカバスベヲナミ云々といふ歌の次に
  柿本朝臣人麿歌集云にほ鳥の奈津柴比來乎《ナヅサヒコシヲ》人みけむかも
と書けり。こは今の歌と一つと見ゆるにナヅサヒコシヲとあるを見れば今の歌は(2324)宣長のいへる如くアナヤミコシヲの誤ならむ
 
2493 高山の岑ゆくししの友をおほみ袖ふらず來《キツ》忘るとおもふな
高山岑行完友衆袖不振來忘念勿
 初二は序。シシは鹿にも猪にもいへり。契沖は『後の歌に鹿のむら友ともよみて打つれ行物なれば云々』といへり。こは夫木抄第三十六に
  永久四年百首夏獵 二條太皇太后宮肥後 夏かり〔二字左△〕《クサ》のしげみを分てかりくればかくれもあへぬ鹿のむらとも
とあるを云へるなり。但猪もむれ行くものなりといふ。宣長が完《シシ》とあるは雁の誤ならむといへるは從はれず。めづらしき序なり○こは男の歌にて道にて女を見かけしかど伴へる友が多かりしかば其人たちに憚りてふりたき袖を振らで來つといへるなり○完は宍の俗字、宍は肉の古宇なり
 
2494 大船にまかぢしじぬき榜間《コグホドモ》、極太戀《ココダクコヒシ》、年にあらばいかに
大船眞※[楫+戈]繁拔榜間極太戀年在如何
(2325) 第三句を略解にコグホドモ、古義にコグマダニとよめり。前者に從ふべし。コギクル程ダニとなり○第四句を略解古義にネモコロコヒシとよめるは上(二二六三頁)にイデイカニ極太甚トゴコロノとある極太甚を宣長がネモコロゴロニとよめるに從へるなれど彼處にいへる如く極太はココダクとよむべければ今もココダクコヒシとよむべし○年ニアラバは一年中待タバとなり。語例は卷十(二〇五一頁)にも年ニアリテ今カマクラム云々とあり
 
2495 (足常《タラツネノ》)母がかふこの眉《マヨ》ごもりこもれる妹をみむよしもがも
足常母養子眉隱隱在妹見依鴨
 こゝに足常とかけるについて從來常をチネに借れるなりといへれどおそらくは然らじ。タラチネを訛りてタラツネともいひしかばやがて足常とかけるならむ○上三句は序にて眉は繭の借字なり。眉の古言はマヨなり。そを借用ひたるを見れば繭もいにしへはマヨとぞいひけむ。されば古義に從ひてマヨとよむべし
 
2496 肥人《クマビトノ》、額髪《ヌカガミ》ゆへる染木綿《ソメユフ》の染心《ソメテシココロ》我《ワレ》忘れめや
(2326)    一云わすらえめやも
肥人額髪結在染木綿染心我忘哉
    一云所忘目八方
 初句を舊訓にコマヒトノとよめり。之について契沖は
  肥人をコマヒトと點ぜるは高麗人の意か。肥をコマとよめる意いまだ知らず。朝鮮の人を見るにいたくふつつかなるまで肥たるが多ければさる意にや。古點にコエヒトとよめるは一向義なし。今按ウマヒトノと點ずべき歟。鳥獣の肉も肥たるはうまき理なり
といひ、眞淵は
  今本肥人と書てコマ人と訓しかど類聚國史異國額に肥人薩人をば高麗百済等の外に擧しかば肥人をコマ人と訓べからず。こは狛を肥に誤りしにて本は狛なりけり。然れば訓はよくて字を後誤りし也
といひ、伴信友の假字本末附録(全集第三の四八四頁)に
  釋日本紀に師説、大藏省御書中有2肥人之字六七枚許1、先帝於2L御書所1令v寫2其字1、皆用2(2327)假字1、或其字未v明、或乃川〔二字右△〕等字明見v之と見えたる乃川は吏道(○朝鮮の國字にて今の諺文の古體なり)の草體に乃川(○活字にては模しがたし。しばらく乃川とす)など書るがあるをおもへばもしくは吏道の草書にて書たるものなりしにや。さらば肥人はコマビトにて高麗人ならむか。萬葉集十一卷に肥人額髪結在染木綿染心我忘哉とある肥人を舊訓にコマビトと訓めり。肥をコマとよむべき義は心得がたけれど故なくて然訓べくもあらず。もしくは古は肥たる人をコマ人といひてさも書なれたりしにや。又は高麗人はなべてふとりたるによりてそのかみ肥たる人を高麗人のごとしといへるから戯書の例に肥人とかけるにもやあらむ
といひ、雅澄は契沖のウマビトとよめるに從ひ、さて
  今按中古肥人書と云ものあり。肥人とは肥前肥後の國の人をいへることゝおぼえたればこゝの肥人にはあづからぬ事なるべし。然るを平田篤胤が肥人書のことを論へる因に今の歌を引て『肥人はヒノヒトと訓べし。即肥(ノ)國人のことなり。ウマビトとよむ説はひが言なり』といへるは中々に謾なり。紀人《キビト》、吉備人《キビビト》などやうに多くいひて紀の人、吉備の人とやうに云ることかつて無し。またナニハ人、安太人《アダヒト》(2328)或はカラ人、シラギ人などいふも同じ。いづれもノの言を云る例なし。肥(ノ)國人ならぬ事しるきをや
といへり。古書古文書に肥人といふこと見え(たとへば播磨國風土記に日向國肥人〔二字右△〕朝戸君とあり)大寶令集解に肥人を夷人雜類の一とし、本朝書籍目録に肥人書、薩人書と並べ掲げ、此處にも隼人といふ歌と相次ぎたるを見れば肥人は大和民族に對せる異民族とし薩人《ハヤヒト》の類と見べきなり。然もヒノヒトとよむべからざる事古義にいへる如くなれば他に訓を求めざるべからず。こゝに吉田東伍、喜田貞吉の二博士は肥人をクマビトとよみ、さて吉田氏は大日本地名辭書|襲《ソ》(ノ)國の條(一七七四頁)に
  コマビトは熊人にて求磨の國人の謂のみ。舊説(○見林、白石、眞淵、秋成、信友等)肥人をば高麗人、狛人と解き高麗國より渡來したる蕃別の裔姓なりと曰ふは採り難し。其肥人とも書せるは正しく肥國を本據とせるが故にて熊人と同義異本なるを知る
といはれ、喜田氏は雜誌「歴史地理」第二十三卷第三號に
  肥人は實に隼人の華夏(○大和民族の間)に雜居せるものなるべし。……而して(2329)之を肥人と書するは彼等が多く中央人士の注意に上りたる頃には主として肥(ノ)國地方(重に肥後方面か)に住したりしが爲なるべく中にもその玖磨郡(○古の熊(ノ)縣)の山間は彼等の根據の地として比較的後の時代までもその種族を留めし處にてもあらん
といはれ又熊襲を熊人襲人(玖磨人|噌※[口+於]《ソ》人)の合稱とせられたり。此等の説に從ひて肥人はクマビトとよむべし。而して仙覺が古點にコエビトとありしをコマビトと改めたるはクマビトの轉訛なるコマビトといふ語が其世にはなほ殘れりし爲ならむ○額髪を舊にヒタヒガミとよめるを古義にヌカガミに改めたり。げに和名抄に沼加々美といふ語見えたればヌカガミとよむべし。但ヒタヒといふ語も新しからず。新撰字鏡に比太比乃加々保利といふ語見えたればなり。さてヌカガミは今いふ前髪なり○染を古義にはシメとよめり。染木綿について契沖は
  古今集にコムラサキ我モトユヒノとよみたれば染木綿も其類歟
といひ、雅澄は
  古今集にコムラサキワガモトユヒとよめるごとく染たる木綿もて額髪をゆひ(2330)しならむ。木綿もて髪を結しことは十三卷にミナノワタカグロキ髪丹眞木綿モチアザネユヒタリとあり
といひ、喜田博士は
  木綿にて頭を飾る風は古く九州地方の住民に存ず。魏志に倭人の俗を記したる中に木緜ヲ以テ招頭スといふもの是に當る。今も薩隅地方にこの風あり。かの太鼓踊、棒踊など稱する技を演ずる際に少年青年等が染めたる布帛を以て鉢卷をなす風あるもの參考とすべし
といはれたり。卷四(七七五頁)卷七(一二四八頁)及此卷の下に見えたるハネカヅラとは樣異なるべし○染心を略解にソメシココロハ、古義にシミニシココロとよめり宜しくソメテシココロ(又シメテシココロ)とよむべし。其人ニ染メシ心ヲとなり
 
2497 はや人の名におふ夜ごゑいちじろく吾〔左△〕名謂《キミガナノラバ》、※[女+麗]恃《ツマトタノマム》
早人名負夜音灼然吾名謂※[女+麗]恃
 初二は序なり。日本紀神代下海宮遊行章第二一書に
  是ヲ以テ火酢芹《ホスセリ》(ノ)命ノ苗裔ナル諸(ノ)隼人等今ニ至ルマデ天皇ノ宮墻ノ傍ヲ離レズ(2331)吠狗《ハイク》ニ代リテツカヘマツルナリ
とあり。又隼人司(ノ)式ニ發2吠聲1、爲v吠、發v吠、習v吠などあり。夜ゴヱは此吠聲を云へるなり〇四五を略解に宣長が吾を君の誤とせるに基づきてキミガ名ノラセツマトタノマンとよみ、古義にアガナハノリツツマトタノマセとよめり。吾を君の誤としてキミガ名ノラバツマトタノマムとよむべし。女の歌にて※[女+麗]とかけるは夫の借字なりハツキリト何ノ某卜名ノリタマハバ我夫ト頼ミ奉ラムといへるなり
 
2498 つるぎだち諸刃《モロハ》の利きに足ふみて死死《シナバシヌトモ》きみによりてば
釼刀諸刃利足蹈、死死公依
 モロハ兩刃なり。第四句を略解古義にシニニモシナムとよめり。卷四に
  今しはし名のをしけくも吾はなし妹によりてばちへに立十方《タツトモ》
とあるに據りてシナバシヌトモとよむべし。ヨリテバはヨリテナラバなり。上(二二六二頁)なる公依事繁もキミニヨリテバコトシゲクトモとよみつ
 
(2332)2499 も
我妹戀度剱刃〔左△〕名惜念不得
 刃は刀の誤ならむ
 
2500 (朝づく日)向〔左△〕《サスヤ》つげ櫛ふりぬれどなにしかきみが見不飽《ミルニアカレヌ》
朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽
 結句を略解古義にミルニアカザラムとよみたれどキミガといひてミルニアカザラムとは云はれず。宜しくミルニアカレヌとよむべし○フリヌレドは今ハフル人トナリヌレドとなり○初二は序なり。從來之を字のまゝにてアサヅク日ムカフツゲグシとよめり。その語例は卷七(一三七七頁)にアサヅク日ムカヒノ山ニ月タテリ見ユとあり。之によらばアサヅク日をムカフの枕辭とすべけれどムカフツゲグシといふこと穩ならず。略解には『朝に櫛匣に向ふ意にてかくつづけたり』といひ古義には『すべて櫛の歯はわが頭髪の方へむかへさすものなればいふなるべし』といへり。案ずるに向を射などの誤としてサスヤとよむべきか。卷十六にもユフヅク日指(2333)哉《ヤ》河邊ニツクル屋ノといふ歌あり
 
2501 里遠《サトトホミ》、眷浦經《コヒウラブレヌ》(まそかがみ)床のへさらずいめにみえこそ
里遠眷浦經眞鏡床重不去夢所見與
 舊訓には眷を初句に附けてサトトホミウラブレニケリとよみ略解には眷を吾の誤としてサトトホミワレウラブレヌとよみ雅澄は
  上(○本書二三一六頁)にも大ヌラニ……吾眷とありてワガコフラクハとよむべき處あり
といひて、もとのまゝにてコヒウラブレヌとよみて
  コヒとよむ故由は知らねども此處と合せて戀(ノ)字を書べき所にかよはし用たるを知べし、もしは眷み慕ふ義もて書るにや
といへり。下に
  里遠戀和備爾家里まそかがみおもかげさらず夢にみえこそ
とあれば古義に從ひてサトトホミコヒウラブレヌとよむべし○マソカガミは古義に『鏡は常に床の邊にかけおきて旦暮に取見るものなればつづけたり』といへれ(2334)ど下なるオモカゲサラズといふ歌と對照するに句を隔ててミエにかゝれるなり○フレヌを經と書けり
2502 まそかがみ手にとりもちてあさなさな見れども君はあく事もなし
眞鏡手取以朝朝雖見君飽事無
 上三句は序なり。三四の問にミル如クといふことを加へて聞くべし
 
2503 夕されば床のへさらぬつげ枕|射〔左△〕然《ナニシカ》なれが主まちがたき
夕去床重不去黄楊枕射然汝主待固
 射然は眞淵が何然の誤としてナニシカとよめるに從ふべし○ナレガ主は枕の主にて即夫なり。ナレガ主を二句に割きたるは快からず
 
2504 (とき衣の)こひみだれつつ浮沙〔左△〕《ウキジマノ》、生〔左△〕吾《ウキテモワレハ》こひわたるかも
解衣戀亂乍浮沙生吾戀度鴨
 眞淵は六帖(第六うき草)にウキクサノウキテモ吾ハアリワタルカナとあるに據りて浮沙生を萍浮の誤とし雅澄は浮草浮の誤とせり。案ずるに浮洲浮の誤としてウ(2335)キジマノウキテモワレハとよむべきか
  因にいふ。古事記に
   天ノ石位《イハクラ》ヲ離レ天ノ八重タナ雲ヲ押分テイツノチワキチワキテ天ノ浮橋ニ宇岐士摩理蘇理多多斯弖、竺紫ノ日向《ヒムカ》ノ高千穗ノ久士布流多氣ニ天降《アモリ》マシキ
とある宇岐士摩理蘇理多多斯弖について傳卷十五(八九四頁)に
  此語いと心得難し。まづ此處書紀には……浮渚在平處《ウキジマリタヒラ》ニタタシとあり。……宇岐士摩理は書紀の浮渚在と同じければ浮洲有《ウキシマアリ》と聞えたるに蘇理と云ることかの平處《タヒラ》とさらに似ずしていかなることとも解がたし。又|於《ニ》2天(ノ)浮橋1とある於《ニ》もこゝは聞えがたく……又タタシテの下にも何とかや言足ぬこゝちぞする。此わたりおちも亂れもしたる言やあらむ
といへり。案ずるにこは天ノ浮橋ニ浮洲《ウキジマ》アルソレニ立タシテの急言及訛音なるを心得ずながら耳より筆に移したるならむ(字蚊士摩理の理は類聚國史卷三十一に見えたる大同二年九月神泉苑行幸の時の御製なる袁理比度能《ヲルヒトノ》ココロノマニマフヂバカマウベイロフカクニホヒタリケリの理と照し合せてルとよむべ(2336)きかとも思へど書紀の註に立於浮渚在平地此云2羽企爾磨利陀毘羅而陀々志《ウキジマ△タヒラニタタシ》1とあればなほルといふべきをリと訛れるものと認むべし。或は太古にはかゝる處もアリと云ひしか)?
 
2505 梓弓ひきてゆるさずあらませばかかる戀にはあはざらましを
梓弓引不許有者此有戀不相
 アヅサ弓ヒキテまでが序なり。ユルサズは弓の方にては弛ベズ、戀の方にてはウベナハズなり
 
2506 事靈《コトダマニ》、八十のちまたに夕占問《ユフケトハム》、占正〔二字左△〕謂《マサウラニノレ》、妹相依〔左△〕《イモニアハムトキ》
事靈八十衢夕占問占正謂妹相依
 事靈は言靈の借字なり。コトダマは言語にあやしき作用あるをいふ(九七五頁參照)。さて略解にノをよみそへたるに古義にはコトダマヲと訓て『夕占間の上にうつして心得べし』といへり。ユフケトフはユフケ爾トフともユフケ乎トフともいへる例あれど少くともこゝはユフケヲ問フの略とおぼゆれば更にコトダマヲといひか(2337)くべからず。されば初句はコトダマニとよむべし○ユフケは夕方、衢に立ちて道ゆく人の言によりて吉凶を占ふわざなり。されば卷三なる石田王卒之時丹生王作歌には夕衢占《ユフケ》とかき次なる歌には路往占《ミチユキウラ》といへり。さて夕占問を從來ユフケトフとよみたれどユフケトハムとよむべくや○占正謂を從來ウラマサニイヘ又はウラマサニノレとよみたれどさては義通ぜず。占正を正占の顛倒としてマサウラニノレとよむべし。マサウラの語例は後のものながら堀河百首に龜ノマスラとよめり。マスラは正卜《マサウラ》の約なり○結句は略解古義にイモニアハムヨシとよみたれど依を時の誤としてイモニアハムトキとよむべし
 
2507 (たまぼこの)路ゆき占にうらなへば妹にあはむと我謂《ワレニノリツル》
玉桙路往占々相妹逢我謂
 結句を略解にワレニノリツル、古義にアレニノリテキとよめり。前者に從ふべし
 
  問答
(2338)2508 すめろぎの神の御門〔左△〕《ミコト》をかしこみとさもらふ時にあへるきみかも
皇祖乃神御門乎懼見等侍從時爾相流公鴨
 御門乎の乎はカシコミトにかゝりたれば二三は神ノ御門ガカシコサニと譯すべけれど御門ガカシコサニサモラフといはむは穩ならず。よりて思ふに御門は御言の誤ならむ。スメロギノ神は天皇の御事なり。ミコトはオホセなり○サモラフ時ニはいづくにもあるべし、ただアヤニクニ役目デ詰メテ居ル時ニとなり。さてさもらへるは作者なり。從來男のさもらへるを女が見てよめるなりとせるは無理なり「女が役目にて詰め居る時に男の過ぐるを見かけてよめるなり。御門が御言の誤寫なることを悟れば無理なる解釋を要せざるなり
 
2509 (まそかがみ)見ともいはめや(玉かぎる)いは垣淵の隱而在※[女+麗]《コモリタルツマ》
眞祖鏡雖見言哉玉限石垣淵乃隱而在※[女+麗]
     右二首
 三四は序なり。ミトモイハメヤは見ルトモソレト云ハムヤとなり。結句を略解にカ(2339)クレタルイモとよめるはわろし。さてコモリタルツマはシノビ妻なり○これは男の歌なり
2510 赤駒のあがきはやけば雲居にもかくりゆかむぞ袖|卷〔左△〕《フレ》わぎも
赤駒之足我枳速者雲居爾毛隱往序袖卷吾妹
 ハヤケバは早カレバなり。トホカレドをトホケドといふと同格なり。男の旅立たむとして女にいへるなり。クモヰニモはハルカニモなり○袖卷は宣長が袖擧の誤としてソデフレとよめるに從ふべし○はやく卷二に
  青駒のあがきをはやみ雲居にぞ妹があたりをすぎて來にける
とあり
 
2511 (こもりくの〕とよはつせぢは常済〔左△〕《トコナメ》のかしこき道ぞ戀〔左△〕由眼《オコタルナユメ》
隱口乃豐泊瀬道者常済乃恐道曾戀由眼
 トヨハツセといへるは泊瀬をたゝへて豐を添へたるなり。雅澄の名所考に『豐は豐葦原などいふ豐なり』といへり。ハツセヂは泊瀬へ行ク道なり。二三の間にアマタノ(2340)川アリテといふ事を挿みて聞くべし。たとへば藤原より初瀬に到らむに磐余《イハレ》川、倉|梯《ハシ》川、忍坂《オサカ》川、初瀬川を渡らざるを得ず。トコナメは川瀬の飛石なり(一七〇二頁參照)。カシコキはオソロシキなり○戀由眼を舊訓にコフラクハユメとよみ、眞淵は曉由鶏の誤としてアカシテヲユケとよみ、古義には爾心由眼の誤としてナガココロユメとよめり。案ずるに勿怠由眼の誤としてオコタルナユメとよむべし。油斷スナとなり○前の歌の答なり。略解に
  是は右の答にはあらず。ただ同じ夜の歌ならん
といへるは非なり
 此歌の次に右二首とあるべきなり
 
2512 (味酒之《ウマザケノ》)みもろの山に立《タツ》月のみがほし君が馬の足音《アト》ぞする
味酒之三毛侶乃山爾立月之見我欲君我馬之足音曾爲
     右三首
 上三句は序なり。眞淵は初句の之を乎に改めて『此冠辭に之といへる例なきよしは冠辭考にいへり』といへり。ミモロノ山にいひかけたる、如何なる故とも未確に知ら(2341)れねばしばらくもとのまゝにてウマザケノとよむべし。はやく卷七(一二三七貢)に味酒三室山とあり○立月を略解に光《テル》月の誤とせり。古義に之を無稽として
  七卷にアサヅク日ムカヒノ山ニ月タテリミユ云々とありて立昇る月なり
といへり。ただ月の山上に在るをタツといへるなり(一三七七頁參照)○ミガホシキ君をミガホシ君といへるは例の如く連體格の代に終止格をつかへるなり。卷十九にも見我保之君乎とあり
 此歌の後に右三首とあれど前二首とは没交渉なる歌なり。前又は後に一首ありしがおちたるならむ。但雅澄が上(二二七三頁)なる
  こふる事なぐさめかねていでゆけば山も川をも知らず來にけり
を此歌の答に擬へたるは上三句の意を誤解せるなり
 
2513 なる神の小〔左△〕動《ヒカリトヨミテ》さしぐもり雨もふれやも君をとどめむ
雷神小動刺雲雨零耶君將留
 小動は宣長が光動の誤としてヒカリトヨミテとよめるに從ふべし。フレヤは降レカシなり(一〇五三頁參照)
 
(2342)2514 なる神の小〔左△〕動《ヒカリトヨミテ》ふらずとも吾はとまらむ妹しとどめば
雷神小動雖不零吾將留妹留者
     右二首
 二三の間〔日が月〕に雨ハといふことあるべきを贈歌に讓りて省けるなり
 
2515 (しきたへの)枕動きて夜不寐《ヨルモネズ》おもふ人には後相物《ノチアハムモノヲ》
布細布枕動夜不寐思人後相物
 契沖は
  枕動は展轉反側する故なり。古今集にヨヒヨヒニ枕サダメム方モナシとよめるも同じ
といひ眞淵も
  我物思ひに寐がたく展轉《イネガヘリ》がちなるを枕の動に負せなす也
といへり○第三句を略解にヨヲモネズ、古義にヨイモネズとよめり。ヨルモネズとよむべし。ネズにて切れたるにあらず。ネズはネズシテなり○オモフ人ニハは我思(2343)フ人ニハにあらず我ヲ思フ人ニハとなり○結句を略解に物を疑の誤としてノチモアハムカモとよみ(又後をも復の誤としてマタモアハムカモとよみ)古義にノチアフモノヲとよめり。宜しくノチアハムモノヲとよむべし○通本に此歌を贈とし次なるを答としたれど此歌は下に見えたる
  しきたへの枕動きていねらえず物もふこよひはやもあけぬかも
の答にて彼は男、此は女の歌ならむ
 
2516 (しきたへの)枕人《マクラキシヒト》、事〔左△〕問哉《カレヌレヤ》その枕には苔生負爲《コケムシニタル》
敷細布枕人事問哉其枕苔生負爲
     右二首
 二三を略解古義にマクラニ人ハコトドヘヤとよめり。案ずるに事を不の誤としてマクラキシ人カレヌレヤとよむべきか。不問は義訓にてカレとよみつべし。卷六(一〇五〇頁)にもイモガメカレテのカレを不數見と書けり○結句を略解にコケオヒニタリとよみ、古義にはコケムシニタリとよみ又
  負はニの假字なり。荷とかけるに同じ。字書にも負(ハ)擔也、背荷也とあり
(2344)といへり。コケムシニタル〔右△〕とよむべし。カレヌレヤのヤを結ぶべきが故なり
 此歌の後に右二首とあれど前の歌の答にあらざる事上にいへる如し
   以前一百四十九首柿本朝臣人麿之歌集出
 タラチネノ母ガ手ハナレ(二二四四頁)より此歌まで適に一百四十九首なり
 
  正述心緒
2517 (たらちねの)母にさはらばいたづらにいましも吾も事應成△《コトナスベシモ》
足千根乃母爾障良婆無用伊麻思毛吾毛事應成
 結句を略解にコトナスベシヤ、古義にコトナルベシヤとよめり。成の下に毛を補ひてコトナスベシモとよむべし○男の女をそそのかせる歌なり。サハラバは遠慮セバなり。略解にサハラレナバの約とせるは非なり。事ナスは相|誂《トブ》らふ事なり。されば第三句以下はイタヅラニ相誂ラヒテ望ヲ遂グル事ナカルベシとなり。下に
  たららねの母にまをさばきみもわれもあふとはなしに年ぞへぬべき
(2345)とあり。それは女の歌なり
 
2518 吾妹子が吾を送るとしろたへのそでひづまでになきしおもほゆ
吾妹子之吾呼送跡白細布乃袂漬左右二哭四所念
 オモホユは思出サルとなり
 
2519 (奥山の)眞木の板戸をおしひらきしゑやいでこね後は何將爲《ナニセム》
奥山之眞木乃板戸乎押開思惠也出來根後者何將爲
 オク山ノは眞木にかゝれる枕辭なり。眞木は檜なり。オシヒラキのヒを二註に濁れるはわろし。シヱヤは嘆辭なり。ヨシヤとは異なり。はやく卷十(二〇九九頁)に見えたり○何將爲を略解にナニセム、古義にイカニセムとよめり。前者に從ふべし。卷四(六八二頁)に
  こひしなむ後は何爲牟《ナニセム》いける日の爲こそ妹を見まくほりすれ
 下にも
  こひしなむ後は何爲《ナニセム》わが命いける日にこそ見まくほりすれ
(2346)とあり。後日デハ何ニモナラヌとなり
 
2520 苅ごもの一重をしきてさぬれども君としぬればさむけくもなし
苅薦能一重※[口+リ]敷而紗眠友君共宿者冷雲梨
 上三句はタダ一重ノ薦席ヲ敷キテ寢レドとなり。サムケクモは寒キ事モとなり。サムクを延べてサムケクといへるにはあらず○君共君トシとよめるは共をトに充てたるにてシは訓み添へたるなり。共をトに充てたるは上にも例あれど下にもワレ共《ト》ヱマシテ人ニシラユナ、タレ共《ト》モネメドなどあり
 
2521 (かきつばた)丹頬經《ニヅラフ》君をいささめにおもひいでつつなげきつるかも
垣幡丹頬經君※[口+リ]率爾思出乍嘆鶴鴨
 丹頬經はニヅラフとよむべし。ニホヘルとはよむべからず。はやく契沖の云へる如く經はヘルとはよまれざればなり。さてニヅラフは紅顔ナルとなり○イササメニは不圖《フト》と譯すべし。古義にカモをカハの意として『紅顔の君の事を思出つつただかりそめに嗚呼と歎きつるかは云々』と譯せるはイササメニの意を誤解せるなり
 
(2347)2522 恨〔左△〕登思狹〔左△〕名盤△在〔左△〕之者よそのみぞ見し心はもへど
恨登思狹名盤在之者外耳見之心者雖念
 上三句を略解にウラミムトオモヒテセナハアリシカバとよみ、宣長は『狹名盤は必誤字ならむ』といひ、古義には第二句を思名積而《オモヒナヅミテ》の誤とせり。いづれもうべなひがたし。案ずるに思を初句に附け恨を惜の誤としてヲシトオモフとよむべきか。第二句の狹名盤は我名盤既《ワガナハハヤク》の誤脱ならざるか。在之者は立之者の誤にてタチシカバか。さらば卷十(二〇八七頁)なる野邊行之者の例によリて香などを補ふべきか○ヨソノミはヨソニノミ、心ハは心ニハなり
 
2523 (さにづらふ)色者不出《イロニハイデズ》すくなくも心のうちにわがもはなくに
散頬相色者不出小文心中吾念名君
 下に
  言にいへば耳にたやすしすくなくも心のうちにわがもはなくに
 又卷十二に
(2348)  人目おほみ眼こそしぬぶれすくなくも心のうちにわがもはなくに
とあり。スクナクモワガモハナクニは少カラズ我思フ事ヨとなり○第二句を略解にイロニハイデズとよみ古義にイロニハイデジとよめり。略解に從ひてイデズとよみてその下にサレドといふ辭を補ひて聞くべし○小は少と通用せり
 
2524 吾背子にただにあはばこそ名はたためこと之〔左△〕《ノミ》かよふに何《ナニゾ》そこゆゑ
吾背子爾直相者社名者立米事之通爾何其故
 第四句は文ノヤリ取スルノミナルニとなり。之は耳の誤ならむ○何を二註にナニカとよめり。ナニゾとよむべし。何ゾソレ故ニ名ハ立ツラムとなり
 
2525 ねもころに片|念《モヒ》すれかこのごろのわがこころどの生《イケリ》ともなき
懃片念爲歟比者之吾情利乃生戸裳名寸
 ココロドははやく卷三(五五六頁及五六九頁)に見えたり。精神といふことなり○生を宣長雅澄はイケルとよめり。なほイケリとよみてトをテニヲハとすべし(一〇五六頁參照)
(2349)2526 まつらむにいたらば妹がうれしみとゑまむすがたをゆきてはやみむ
將待爾到者妹之懽跡咲儀乎往而早見
 ウレシミトはウレシサニなり。下にも
  おもはぬにいたらば妹がうれしみとゑまむまよびきおもほゆるかも
とあり
 
2527 たれぞこの吾屋戸來喚《ワガヤドキヨブ》(たらちねの)母にころばえ物もふ吾を
誰此乃吾屋戸來喚足千根母爾所嘖物思吾呼
 第二句を二註にニを添へてワガヤドニキヨブとよめるはさる事なれど此歌の書樣にてはニはよみ添へがたし。さればワガヤドキヨブとよみてニを略せりと認むべし○コロブはまづ神代紀に
  稜成《イツ》ノ雄詰《ヲタケビ》ヲ奮ハシ稜威ノ嘖讓ヲ發《オコ》シテ徑《タダ》ニ詰問《ナジリト》ヒタマヒキ
とありて註に嘖議此云2擧廬毘《コロビ》1とあり。次に神武天皇紀に
  時ニ道(ノ)臣(ノ)命審ニ賊害ノ心アルコトヲ知リテ大ニ怒リテ詰嘖《タケビコロ》ビテ曰ク云々
(2350) 次に應神天皇紀に
  故《カレ》紀(ノ)角《ツヌ》(ノ)宿禰……ヲ遣リテ其禮ナキ状ヲ嘖讓《コロベ》シム
とあり。又本集卷十四にヲサヲサモネナヘ〔右△〕子ユヱニハハニ許呂婆要《コロバエ》とあり。今シカルといふ意なり○ワレヲは我ナルニなり
 
2528 さねぬ夜は千夜もありとも我背子がおもひくゆべき心はもたじ
左不宿夜者千夜毛有十方我背子之思可悔心者不持
 サネヌはただネヌと云へるにあらで共ニ寢ヌといへるなり○心ガハリシテ君ニ悔セサスル事アラジとなり。卷三に
  妹も吾もきよみの河の河岸の妹がくゆべき心はもたじ
 卷十に
  雨ふればたぎつ山川いはにふり君がくゆべきこころはもたじ
とあり
 
2529 家〔左△〕《サト》人は路もしみみに雖△來《カヨヘドモ》わがまつ妹が使こぬかも
(2351)家人者路毛四美三荷雖來吾待妹之使不來鴨
 家人は里人の誤ならむ○來の上に往を脱したり
 
2530 (あらたまの)寸戸《キヘ》が竹垣《タケガキ》あみ目ゆも妹しみえなばわれこひめやも
璞之寸戸我竹垣編目從毛妹志所見者吾戀目八方
 雅澄はキヘを孝徳天皇紀以下に見えたる柵戸《キノヘ》の意即蝦夷の備に置かれし城柵に屬《ツ》きたる民戸の意とし『さてその城外の竹垣をキヘガタカ垣とは云るなるべし』といへり。此説に從ふべし。キヘば城戸《キヘ》にて城下の民戸なり。但古義に『竹垣の編目の透間からなりとも妹が容儀の見えなば云々』と譯せるは非なり。上三句は序にて柵戸ノ竹垣ノ編目ヨリ柵戸ガ見ユル如ク妹ガ見エナバといへるなり。軍防今に
  凡東邊北邊西邊二緑レル諸郡ノ人居ハ皆城堡ノ内ニ安置セヨ。其營田ノ所ニハ唯庄舍ヲ置ケ。農時ニ至ラバ營作ニ堪ヘタラム者ハ出デテ庄田ニ就ケ。収斂シ訖ラバ勒シテ還セ云々
とあり。是柵戸なり。義解に堡ト謂ヘルハ土ヲ高クシ以テ堡※[土+章]ヲ爲《ツク》リテ賊ヲ防グナ(2352)リとあれば土手の上に竹垣をゆひたリしならむ○此等の歌は主として序の方に力を用ひたるなり
 
2531 吾背子が其名のらじと(たまきはる)命は棄《ステツ》わすれたまふな
吾背子我其名不謂跡玉切命者捨忘賜名
 ソノは例の如く言數を足はす爲に挿みたるなり。棄を古義にウテツとよめり。舊訓の如くステツとよみても可なり〇さて契沖は
  たとひ命を失ふ程の事ありとも夫の名をばいはじと思ひ定めたるを命ハステツといへり
といひ後の註者之に從ひたれど、もしさる意ならばタマキハル命スツトモワガ背子ガソノ名ハノラジといふべく又ことさらにワスレタマフナとはいふべからず。案ずるにこは處女が男の名をいへと親に責問はれてせむ方なさに身を棄てし時の歌ならむ
 
2532 凡者〔左△〕《オホロカニ》たがみむとかも(ぬばたまの)わがくろ髪を靡而《ナビケテ》をらむ
(2353)凡者誰將見鴨黒玉乃我玄髪乎靡而將居
 初句を考にはオホナラバ、古義にはオホカタハとよめり。いづれにても意義通ぜず。者を誤字としてオホロカニとよむべし。さてタガの上に君ナラデといふことを加へて聞くべし○靡而を眞淵はナビケテとよみ宣長はヌラシテとよめり。卷二(一七一頁)にタケバ奴禮タカネバ長キ妹ガ髪とあるヌレと同意としてヌレテは垂レテの意なりとも云ひつべけれどなほナビケテとよむべし○黒髪を靡くるは寢る時の樣なるべし。下にも
  ぬばたまの妹が黒髪こよひもか我なき床になびけてぬらむ
とあり。オホロカニとタガ見ムトカモとを顛倒して心得べし。オホロカニは漠然トなり
 
2533 面わすれいかなる人のするものぞ言《ワレ》はしかねつつぎてしもへば
面忘何有人之爲物鳥〔左△〕言者爲金津繼手志念者
 上三句は面忘トイフ事ハ如何ナル薄情者ノスル事ゾとなり。ツギテ念フは間〔日が月〕斷ナク思フなり○鳥は諸本に焉又は烏とあり。烏は焉の偽?字なり
 
(2354)2534 相思はぬ人の故にか(あらたまの)年の緒長く言《ワガ》こひをらむ
不相思人之故可璞之年緒長言戀將居
 卷十にも
  相念はぬ妹をやもとなすがのねの長き春日をおもひくらさむ
といふ歌あり。ユヱニカのカはコヒヲラムの下に引下して心得べし
 
2535 凡乃〔左△〕《オホロカニ》行〔左△〕者不念《イモハオモハズ》、言《ワガ》故に人にこちたくいはれしものを
凡乃行者不念言故人爾事痛所云物乎
 初句を二註にオホカタノとよめり。又第二句を略解にワザトハオモハズ、古義にワザトハモハジとよめり。案ずるに乃を爾の誤、行を妹の誤としてオホロカニイモハオモハズとよむべし。イモハは妹ヲバなり。上(二三〇九頁)にもオシナミニ妹ガ心ヲワガモハナクニとあり
 
2536 いきのをに妹をしもへば年月のゆくらむ別《ワキ》もおもほえぬかも
氣緒爾妹乎思念者年月之往覧別毛不所念鳧
(2355) 卷十(一九六七頁)にハルサメノフル別シラニとあり。又下に月シアレバアクラム別モシラズシテとあり。又卷十二に
  中々にしなばやすけむいづる日のいる別しらに吾しくるしも
とあり。別モオモホエズは辨ヘズとなり
 
2537 (たらちねの)母にしらえずわがもたる心はよしゑ君がまにまに
足千根乃母爾不所知吾持留心者吉惠君之隨意
 母ニスラ隱セル心ハとなり
 
2538 獨ぬとこもくちめやも綾むしろ緒になるまでに君をし待たむ
獨寢等※[草冠/交]朽目八方綾席緒爾成及君乎之將待
 アヤムシロは文ある筵なり。考に
  コモは中重なら。ムシロは上重なり。その上重の綾筵もそこなひて編緒のみに成ぬとも中重のこもまでは朽亂るまじければ夫子と共ねせし畳をばいつまでも取もかへず敷ねつゝ待なんとなり
(2356)といへり。案ずるにコモは菰、蒋と書くを例とすれど又※[草冠/交]とも書きしなり。漢籍に菰を江南の方言に※[草冠/交]草といふ由見え又菰菜即菰の薹《タウ》を※[草冠/交]白ともいふ由見えたり。因にいふ。菰菜は食ふべきものにてその和名をコモヅノ又コモノコといふ。さてこゝはコモムシロの義なれば契沖のいへる如く正字ならば薦と書くべきなり○いにしへは室内も板敷にて床《トコ》即寢處のみ菰、藁などを編みたるを敷き其上によき席を敷きしなり。よき席は今の疊の表に當り菰筵の類は今の畳の床に當れり。今の如き畳の出來しは遙に後なり
  因にいふ。水戸などにては近き世まで疊は敷かざりしなり。光圀の子綱條の代に三百石取の士が『近比聞に所々にて段々疊を敷由なり。疊を敷き起臥せしならばさぞ心よからん』といひしを用達の死を冒して諌めし話、家庭舊聞に見えたり
○ヒトリヌトは獨|寢《ヌ》トテなり。コモクチメヤモは薦サヘ〔二字傍点〕朽チムヤハにて薦ノ朽ツルマデ君ガ來ラザラムヤハといふ意なるか
 
2539 相見ては千歳やいぬるいなをかも我やしかもふきみまちがてに
相見者千歳八去流否乎鴨我哉然念待公難爾
(2357) アヒミテハのハは輕く添へたるなり○イナヲカモは卷十四に
  筑波ねにゆきかもふ|ら《レ》る伊奈乎可母かなしき兒|ろ《ラ》が|にぬ《ヌノ》ほ|さ《セ》るかも
とあり。ヲは助辭にて否カモなり。されば二三は千年過ギシカ否カとなり。古義に『否カ諾《ヲ》カと云むが如し』といへるは從はれず〇四五は君ヲ待兼ネテ我然思フニヤといへるにてイナヲカモを具體的にいへるなり○卷四に
  このごろに千とせやゆきもすぎにしとわれやしかもふ見まくほれかも
とあり
 
2540 振別の髪をみじかみ青《ワカ》草を髪にたくらむ妹をしぞおもふ
振別之髪乎短彌青草髪爾多久濫妹乎師曾於母布
 振別髪は童女が髪を左右に別けて垂れたるをいふ。青草は舊訓に從ひてワカクサとよむべし○髪ニは髪トシテなり。タクは揚げ結ぶ事なり(一七一頁參照)○妹ヲシゾモフは妹ヲカナシク思フとなり○考に
  いときなき女の兒の長き髪をうらやみてカヅラ草と名づけてわかく長き草をおのが髪にゆひそへなどする事今もあり
(2358)といへり。然るに天野政徳隨筆卷三には之を評して
  いにしへなりとも女兒の長髪をうらやみて髪に草をそへてゆひたがねん事有べしともおもはれず。此歌の心は女兒の振分髪のいまだのびずいと短き故我髪のいつかは長くのびてたく計にならんとうらやましく思ひてなす業なり。今の世もヒヒナ草などいふ長くやわ〔右△〕らか〔右△〕き草を取りてこまかに割きて髪の如くなし夫をさまざまにゆひて遊ぶ。こはおのれが髪の早く長くのびて如此ゆひて見たしとおもふ心よりなす遊び事也。いと後のものながら爲忠前百首に思フトハツミシラセテキヒヒナ草ワラハアソビノ手タハブレヨリ此歌などを思へば女兒のヒヒナ草など取りて髪のごとたがねて遊ぶ事古もあり。今も常にありて目なれたる事也。……草を髪にそへてたがねんことは昔も今もさる事はなし
といへり。案ずるに此歌に髪といふ語二つあり。もし眞淵の説の如く草を髪に添へて結ぶ趣ならば三四はワカ草ヲソヘテタクラムといひて意を明にし且髪といふ語の重出を避くべきなり。然るに今はカミニといへるそのカミニは髪トシテの意なれば政徳のいへる如く柔けき草を取りて髪たきたる樣を學ぶなり。されば初二(2359)は振別髪ガ短クシテ自分ノ髪ハユハレヌニヨリテと譯すべし。賀古鶴所氏の明治四十二年二月の書信に
  水地に生ずる麥のやうなる軟き草を摘みて濱松あたりにては春さき娘ら島田の根がけに致候。老人にきくにカヅラ草といふ草にて小兒等は訛りてカンヅラグサといふよし
とあり。こは別事なれど因に載せつ。カヅラ草一名カモジ草(カモジはカヅラの女語なり)學名をアグロビールム、セミコスターツムといふ
 
2541 (たもとほり)ゆきみの里に妹をおきて心空なり土はふめども
徊徘往箕之里爾妹乎置而心空在土者踏鞆
 初句はタモトホリユクとかゝれる枕辭なり。卷七に
  春がすみゐのへゆただに道はあれど君にあはむとたもとほり來も
 又卷八に
  雲の上になくなる雁のとほけども君にあはむとたもとほり來つ
とあり。ユキミノ里は所在知られず○妹ヲオキテは妹ヲ殘シオキテなり。こは女の(2360)許より歸來る道の作なり
 
2542 (若草の)にひ手枕をまきそめて夜をやへだてむにくくあらなくに
若草乃新手枕乎卷始而夜哉將間二八十一不在國
 夜ヲヤ隔テムは夜ヲ隔テムヤハにて畢竟夜ヲ隔テジとなり。略解に
  一たび逢て後障ありて通ひがたき也
といひ古義に
  早故ありて毎夜逢事もかなはねば夜を隔て相見むかとなり
といへるは誤解なり○ニククアラナクニはアナガチニククハアラヌニなどいふ意にあらず。カハユク思フニといふ意なり(卷八【一四九一頁】參照)。二註はまづ此句を誤解し延いて一首を誤解せるなり
 
2543 わがこひし事もかたらひなぐさめむ君が使をまちやかねてむ
吾戀之事毛語名草目六君之使乎待八金手六
 第三句は慰メムヲの意として解すべし○マチヤカネテムほ卷四大伴坂上郎女怨(2361)恨歌(七一八頁)の末に
  たわらはのねのみなきつつ、たもとほり君が使を、まちやかねてむ
とあり。テムはタラムなり。さればマチヤカネテムは待兼ネテアラムカとなり。略解に
  マチゾカネツルといふべきをかくおぼめかしいふも古へ也
といへるは妄なり
 
2544 うつつにはあふよしもなしいめにだに間〔日が月〕なく見君〔左△〕《ミエコソ》戀にしぬべし
寤者相縁毛無夢谷間無見君戀爾可死
 第四句を宣長は
  マナクミエコソとあるべき歌也。君は誤字なるべし
といひ略解にはミムキミとよみ古義にはミエキミとよめり。宣長の説に從ふべし○結句はサラズバ戀ニ死ヌベシとなり
 
2545 誰彼登《タゾカハト》とはば答へむすべをなみ君が使をかへしつるかも
(2362)誰彼登問者將答爲便乎無君之使乎還鶴鴨
 初句を二註にタソカレトとよみたれどタゾカハトとよむべくおぼゆ。男の使の來れるを見て家人の彼は誰ぞと問はむに答へむすべなければ空しく其使を還しつといへるなり。古義に『今しばしとどめてかたらはまほしけれども云々』と譯せるは從はれず
 
2546 おもはぬにいたらば妹がうれしみとゑまむ眉《マヨ》びきおもほゆるかも
不念丹到者妹之歡三跡咲牟眉曳所思鴨
 上(二三四九頁)なるマツラムニイタラバ妹ガといふ歌と、もと一つなりしが二樣に傳へられたるならむ○マヨビキは眉の樣子にて畢竟目ツキなり
 
2547 かくばかりこひむものぞと念はねば妹がたもとをまかぬ夜もありき
如是許將戀物衣常不念者妹之手本乎不纏夜裳有寸
 
2548 かくだにも吾は戀南《コヒナム》(玉づさの)君が使をまちやかねてむ
如是谷裳吾者戀南玉梓之君之使乎待也金手武
(2363) 卷三なる大伴坂上郎女祭神歌の反歌(四六八頁)に
  ゆふだたみ手にとりもちてかくだにも吾は乞嘗《コヒナム》君にあはじかも
 又下に
  かくだにも妹を待南さよふけていでこし月のかたぶくまでに
とあり。此等のナムがテニヲハにあらざる事は契沖等の云へる如し。但契沖雅澄がナムは祈《ノム》なりといひ宣長が『コヒナムは戀ナミスルといはんに同じ』といへるは共にうべなはれず。義門の男信《ナマシナ》下卷ノムの註に南の呉音本ノムなりと云ひて戀南をコヒノムとよみて祈祷《コヒノム》なりと云へり。なほ考ふべし○マチヤカネテムは上(二三六〇頁)にも見えたり。待兼ネテアラムカとなり
 
2549 妹にこひわがなく涙|敷妙木〔左△〕《シキタヘノ》、枕とほりて袖さへぬれぬ
     或本歌云枕とほりてまけばさむしも
妹戀吾哭涕敷妙木枕通而袖副所沾
     或本歌云枕通而卷者寒母
(2364) 考に木を之の誤とせり。或本歌のマケバサムシモは枕スレバツメタシとなり。古はツメタシを皆サムシといひき(ツメタキ水をサムキ水など)。ツメタシは爪痛シの約にて古は無かりし語なり
 
2550 たちて念ひ居てもぞ念ふくれなゐの赤裳すそびきいにしすがたを
立念居毛曾念紅之赤裳下引去之儀乎
 タチテモ〔右△〕念ヒ居テモ〔右△〕念フといふべきを下のモに讓りて上のモを省けるなり。語例は舒明天皇紀の初に立思矣居思矣《タチテオモヘドイテオモヘド》未v得2其理1とあり
 
2551 おもふにしあまりにしかばすべをなみいでてぞゆきし其門を見に
念之餘者爲便無三出曾行之其門乎見爾
 上(二三二三戻)にも
  おもふにしあまりにしかばにほ鳥のあなやみこしを人みけむかも
とあり。其門は妹が門なり
 
2552 こころには千遍敷及《チヘシクシクニ》おもへども使をやらむすべのしらなく
(2365)情者千遍敷及雖念使乎將遣爲便之不知久
 第二句を略解にチタビシクシクとよみ古義にチヘシクシクニとよめり。上(二二八八頁)に千重敷敷とあればチヘシクシクニとよむべし。遍をへにつかひたるは略音なり。卷十(二〇四四頁)にもイホヘカクシテを五百遍隱とかけり○シラナクは知ラレヌなり
 
2553 いめのみにみてすらここだこふる吾《ワレ》者〔□で囲む〕うつつに見てばましていかならむ
夢耳見尚幾許戀吾者寤見者益而如何有
 吾者は從來ワレハとよめり。者を衍字としてワヲとよむべし。我ナルヲとなり。ミテバは見タラバなり
 
2554 對面〔左△〕者《ムカヒテハ》面かくさるるものからにつぎて見まくのほしききみかも
對面者面隱流物柄爾繼而見卷能欲公毳
 初句を略解にアヒミレバ、古義にアヒミテハとよめり。面を而の誤としてムカヒテ(2366)ハとよむべし
 
2555 旦戸《アサト》遣〔□で囲む〕乎《ヲ》はやくなあけそ(味《アヂ・ウマ》澤相《サハフ》)目之乏流〔左△〕君《メヅラシキミガ》こよひ來座有《キマセル》
且戸遣乎速莫開味澤相目之乏流君令〔左△〕夜來座有
 初句を從來アサトヤリヲとよめり。おそらくはもと且戸乎速莫開とありて開の傍に遣と書きたりしが誤りて本行に入れるならむ。さればアサトヲとよむべし。或は卷十九なる悲2世間無常1歌に朝之|咲《エミ》ユフベカハラヒとあるに倣ひてアサノトヲとよむべきか○味澤相は雅澄の説にウマサハフとよむべしといへり(一八五〇頁參照)○第四句は宣長が目之乏視君の誤としてメヅラシキキミとよめるに基づきてメヅラシキミガとよむべく從ひて結句はコヨヒキマセルとよむべし。メヅラシキ君をメヅラシ君といへるは連體格の代に終止格をつかふ格に據れるなり○且は旦の誤、令は今の誤なり
 
2556 (たまだれの)をすの垂簾を往褐〔二字左△〕、寐者不眠友《イハナサズトモ》、君はかよはせ
玉垂之小簀之垂簾乎往褐寐者不眠友君者通速爲
(2367) 第三句を眞淵は持掲の誤としてモチカカゲとよみ雅澄は引掲の誤としてヒキカカゲとよめり。褐は掲の誤なる事しるし。往はなほ考ふべし○第四句を考にイヲバネズトモとよめるを略解にイハナサズトモと改めながら釋は考にイヲバネズ待ヲルトモといへるをさながらに取れるは惜むべし。ナスは寢《ヌ》の敬語なれば(卷五【八五八頁】參照)ナサズトモとよまば自身の事とはすべからざるをや。さて今はイハナサズトモとよみてタトヒ寢ハシタマハズトモと心得べし
 
2557 (たらちねの)母にまをさばきみもわれもあふとはなしに年ぞへぬべき
垂乳根乃母白者公毛余毛相鳥羽梨丹年可經
 女の歌なり。母ニマヲサバは母ニ打明ケナバとなり。ナシニは無クテなり。上(二三四四頁)にも
  たらちねの母にさはらばいたづらにいましも吾も事なすべしも
とあり
 
2558 愛等《ウツクシト》、思篇《オモヘリ》けらし莫忘《ナワスレ》とむすびし紐のとくらくもへば
(2368)愛等思篇來師莫忘登結之紐乃解樂念者
 ウツクシは俗語のイトシなり。略解にウルハシとよめるはわろし○思篇を始めてオモヘリとよみしは契沖なり。篇をヘリとよむは播磨をハリマ、平群をヘグリ、八信井をハシリヰとよむと同例なリ(卷七【一二四九頁】參照)○莫忘はワスルナ(舊訓)ともナワスレ(古義)ともよむべし○前註にいへる如く旅中にてよめるにて我ヲ忘ルナトイヒテ妹ガ結ビシ紐ノオノヅカラ解クルヲ思ヘバ妹ハ今我ヲイトシト思ヘルナルベシといへるなり
 
2559 きのふ見て今日こそ間《ヘダテ》、吾妹兒がここだくつぎて見卷欲毛〔左△〕《ミマクホシカモ》
昨日見而今日社間吾妹兒之幾許繼手見卷欲毛
 間は考、古義に從ひてヘダテとよむべし。間をヘダツとよむ例は上にも一日|間〔日が月〕《ヘダツヲ》ワスルトモハム(二二六七頁)又夜ヲヤ將間〔日が月〕《ヘダテム》ニクカラナクニ(二三六〇頁)とあり○結句を千蔭はミマクホシキモとよみ、雅澄は卷の下に之の字を補ひてミマクシホシモとよめり。案ずるにミマクホシキモは語格とゝのはず。又ミマクシホシモは第二句と調相かなはず。宜しく毛を毳の誤としてミマクホシカモとよむべし。ホシキカモを(2369)ホシカモといふは連體格に代ふるに終止形を以てするにてタヅタヅシキカモをタヅタヅシカモといへるが如し
 
2560 人も無《ナキ》ふりにしさとにある人をめぐくや君が戀に令死《シナスル》
人毛無古郷爾有人乎愍久也君之戀爾令死
 無を舊訓にナク、考にナキとよめり。ナキとよむべし。サトにかかれるなり。人ヲは我ヲなり○メグクは俗語のカハイサウニなり。東北の方言に今もカハユイをメゴイといふ。考以下に俗語のムゴクなりといへるは非なり。此處こそムゴクと譯しても通ずれ、あだし處(たとへば卷五【八五一頁】なる妻子《メコ》ミレバメグシウツクシ)には通ぜざるにあらずや○令死を契沖以下シナセムとよめり。宜しくシナスルとよむべし
 
2561 人ごとのしげき間もりて相十方《アヒヌトモ》八反〔左△〕《ハタ》わが上にことのしげけむ
人事之繁間守而相十方八反吾上爾事之將繁
 モリテはウカガヒテなり。相十方を從來アヘリトモとよめれどアヒヌトモとよむべし〇八反は雅澄が八多の誤としてハタとよめるに從ふべし。さてこゝは所詮な(2370)ど譯すべし
 
2562 里人の言縁《コトヨス》妻を(荒〔左△〕《アシ》垣の)よそにやわが見むにくからなくに
里人之言縁妻乎荒垣之外也吾將見惡有名國
 言緑妻を從來コトヨセヅマとよみて人ノイヒヨスル妻の意としたり。意は然り。訓はコトヨスツマとあるべし。ヨスルはいにしへ四段にはたらきしなり。さてコトヨスは言ニ寄スルなり○荒垣之は枕辭なり。その荒は葦又は蘆の誤ならむ○ニクカラナクニはカハユク思フモノヲとなり。上(二三六〇頁)にも
  わか草のにひたまくらをまきそめて夜をやへだてむにくからなくに
とあり
 
2563 ひとめもる君がまにまにわれさへに夙《ツトニ》おきつつものすそぬれぬ
他眼守君之隨爾余共爾夙興乍裳裾所沾
 夙を舊訓にツトニとよめるを考にハヤクに改めたり。なほツトニとよむべし○男ガ人ヤ見ルト氣ヅカヘバ我モ共ニ人目ヲウカガフトテ云々といへるなり。上(二二(2371)三五頁)なる
  朝戸出のきみがあゆひをぬらす露原、つとにおきていでつつ吾ももすそぬらさな
と辭は相似たれど趣は相異なり
 
2564 (ぬばたまの)妹が黒髪こよひもか吾《ワレ》なき床に靡而《ナビケテ》ぬらむ
夜干玉之妹之黒髪令〔左△〕夜毛加吾無床爾靡而宿良武
 吾は舊訓の如くワレとよむべし(古義にはアガとよめり)○靡而を考にナビケテ、古義にヌラシテとよめり。考に從ふべし○上(二三五二頁)にも
  凡者たが見むとかもぬばたまのわがくろ髪を靡而をらむ
とあり○令は今の誤なり
 
2565 (花ぐはし)あし垣ごしにただ一目あひみし兒ゆゑちたびなげきつ
花細葦垣越爾直一目相視之兒故千遍嘆津
 初句の語例は允恭天皇紀にハナグハシサクラノメデとあり。契沖は『蘆花の白くう(2372)るはしきをほむる意にいへり』といひて葦の枕辭とし雅澄は『第四句の兒といふへかゝりて女のうるはしき貌をハナグハシとほめたるにてもあらむか』といへり。しばらく契沖の説に從ふべし○略解に『人の家の花を垣ごしに見てうるはしむに譬て妹を物ごしに一目見たるをいふ也』といへるはいみじきひが言なり。タダ一目ミシ花ユヱニなどあらばこそさは釋かめ
 
2566 色にでてこひば人見てしりぬべみ情中之〔左△〕《ココロノウチニ》、隱妻波母《シヌブツマハモ》
色出而戀者人見而應知情中之隱妻波母
 四五を略解古義にココロノウチノコモリヅマハモとよめり。案ずるにさては第三句と相副はず。シリヌベミといはば心ノウチニ云々スル妻ハモといはざるべからず。されば之を爾の誤とし隱を借訓としてシヌブとよむべし
 
2567 相見ては戀なぐさむと人はいへど見て後に曾毛《ゾモ》こひまさりける
相見而者戀名草六跡人者雖云見後爾曾毛戀益家類
 略解に
(2373) 見テノチニ毛曾なるべきを誤て曾毛とせるなるべし
といひ古義に之を賛して
  さもあるべし。ミテノチニモゾと訓べし。モゾはカヘリテといふ意を輕く含める詞なり
といへるは非なり。ミテ後ニゾモにてよきなり。さてそのモは契沖のいへる如く無意義の助辭なり。雅澄が『モゾはカヘリテといふ意を含めり』といへるも非なり。カヘリテの意を含めるはシモゾなり○上(二二五九頁)に
  中々に見ざりしよりはあひ見てはこひしむ心ましておもほゆ
とあると相似たり
 
2568 凡《オホロカニ》、吾しおもはばかくばかり難き御門をまかりでめやも
凡吾之念者如是許難御門乎退出米也母
 凡を舊訓にオホヨソニ、略解にオホカタニ、古義にオホロカニとよめり。古義に從ふべし。はやく卷六(一〇八六頁)に凡可爾オモヒテユクナマスラヲノ伴、又卷八(一五一二頁)にモモクサノ言ゾコモレル於保呂可爾スナとあり○相似たるは卷七に
(2374)  凡爾吾しおもはばしたにきてなれにし衣をとりてきめやも
とあり〇一首の趣は略解に
  カタキミカドは禁裏の御門の出入安からぬをいふ。とのゐなどする人の忍びて妹がり行たる也
といへる如し
 
2569 將念其人なれや(ぬばたまの)夜ごとに君がいめにしみゆる
    或本歌云よるひるいはずわがこひわたる
將念其人有哉烏玉之毎夜君之夢四所見
    或本歌云夜晝不云吾戀渡
 此歌は人を思へば其人の夢に見ゆといふ俗信に基づきて女のよめるにて
  毎晩アナタガ私ノ夢ニ御見エナサイマスガ私ハアナタガ御念ニナル其人デハゴザイマスマイニ
といへるにていと巧なる歌なり。なほ云はば其人とあるは第三者なり。相手の男にあらず。又ナレヤはナラメヤなり。前註みな此歌を誤解せり。訓義辨證卷上(八九頁)に
(2375)  初句の將念をアヒオモフとよめるも非なり○或本歌云々はたが書加へたるにか知らねど其人も初二の意を正解せざりしなり。さらずば竹を木に接がむとは試みじ
 
2570 如是耳《カクノミシ》こひばしぬべみ(たらちねの)母にもつげつやまずかよはせ
如是耳戀者可死足乳根之母毛告都不止通爲
 初句を略解にカクシノミとよめるを古義にカクノミニとよみ改めて『カクシノミとよめるはいとわろし』といへり。集中にカクシノミとよむべき的例なし。但こゝはカクノミニとよまむよりはカクノミシとよむべし(二二四八頁參照)
 
2571 ますらをは友のさわぎになぐさ溢《モル》心も將有《アラム》我ぞくるしき
大夫波友之※[馬+參]爾名草溢心毛將有我衣苦寸
 第三句を古義には例によりてナグサムルとよめり。考に從ひてナグサモルとよむべし○將有を略解にアラムヲとよみたれど舊訓の如くアラムとよみてアラムヲと心得べし〇一首の意は代匠記に
(2376)  男は物思へど友どちの交に何くれと紛て慰みても過るを深閨に獨居る我思はやる方なく苦しきと也
といへる如し
 
2572 偽も似つきてぞする何時從〔左△〕鹿《イツノヨカ》みぬ人こふ爾〔左△〕《ト》人の死爲《シニセシ》
偽毛似付曾爲何時從鹿不見人戀爾人之死爲
 はやく卷四にも
  偽も似つきてぞするうつしくもまこと吾妹兒われにこひめや
とあり。初二は偽ヲイフニモ似ツカハシキ事ヲイフモノゾとなり。古義に
  サテサテヨク似合タル偽ヲモ爲賜フモノ哉となり。似合しからぬことをわざと似付たりと云は人の上を嘲るやうにいへるなり。聞にくきを聞よきといふと同類なり
といへるは非なり(八二〇頁參照)○第三句を考以下イツヨリカとよめり。宜しく從を代の誤としてイツノヨカとよむべし○弟四句は正しくはミヌ人ニコフルニと云ふべし。爾は登などの誤か。ヒトニのニは略したりとも見べし○死爲は略解に從(2377)ひてシニセシとよむべし。古義にシニスルとよめるはわろし○契沖が
  是は唯聞渡りてまだ見ぬ人にかくては戀死ぬべしと云へる時に返事によめる意なり
といへる如し
 
2573 こころさへ奉有《マツレル》君に何物乎鴨《ナニヲカモ》、不云〔左△〕言《イフベカラズ》此〔□で囲む〕跡《ト》、吾將竊食《ワガヌスマハム》
情左倍奉君爾何物乎鴨不云言此跡吾將竊食
 奉有を古義にマツレルとよみて
  マダセルと古くよりよみ來れどもすべてマダスと云こと古書にたしかなる假字書あることなければおぼつかなし。ここなどはマツレルとよむ方たしかなり
といへり○第三句を舊訓にナニヲカモとよめるを宣長は乎を之の誤としてナニシカモとよめり。なほもとのまゝにてナニヲカモとよむべし○不云言此跡を舊訓にイハズイヒシトとよみ、二註にイハズテイヒシトとよめり。云を可の誤、此を衍字としてイフベカラズトとよむべきか。ベカラズといふ辭は佛足石歌にも於豆閇可良受夜とあり。卷六(一一六六頁)にもモモヨニモ不可易《カハルベカラヌ》オホミヤドコロとあり○結(2378)句を從來ワガヌスマハムとよめり。下にも年ノ八トセヲ吾竊舞師とあればげに然よむべし。ヌスマハムは隱サムといふ意とおぼゆ。さて食をヌスマハムのハムに借りたりとすれば將の字は不用なれど卷四(七六六頁)にもセキトセクトモを雖塞々友と書けり。似たる例はなほ多し
 
2574 面わすれだにも得〔左△〕爲也登《セズヤト》手《タ》にぎりて雖打不寒《ウテドモコリズ》、戀の奴は
面忘太爾毛得爲也登手握而雖打不寒戀之奴
 得爲也登を略解にエスヤトとよみ古義にエセムヤトとよめり。得を不の誤としてセズヤトとよむべし。タニギリテは拳ヲ作リテとなり○第四句を舊訓にウテドモコリズとよみ契沖は寒を凝の通用、懲の借字とせり。然るに略解には
  寒一本塞に作る。ウテドサハラズとよむべし。一本の方まさるべし
といひ、古義にはサヤラズとよめり。しばらく舊訓に從ふべし○戀ノ奴は戀を人に擬し且そを罵りて云へるなり
 
2575 めづらしき君乎見常衣《キミヲミムトゾ》ひだり手の弓とる方の眉根掻禮〔左△〕《マヨネカキツル》
(2379)希將見君乎見常衣左手之執弓方之眉根掻禮
 メヅラシキはメデタキなり(一九四七頁參照)○舊訓に第二句をキミヲミムトゾ、結句をカキツレとよめり。さては語格とゝのはざるによりて略解には『禮は類の誤か』といひ、久老の信濃漫録(二九丁)には見常衣をミトコソとよみ、古義には乎を衍字とし衣を社の誤としてキミミムトコソとよめり。案ずるにカキツレのツを略して掻禮と書くべきにあらず。されば禮を鶴の誤としてカキツルとよむべく第二句はもとのまゝにて舊訓の如くキミヲミムトゾとよむべし○人に逢ふ呪に眉根を掻きし事は近くは此卷の上(二二六九頁)にも見えたり。此歌によれば左の方を掻きしにこそ。さて左の方を弓トル方といへる、武を尚びし習知られていとゆかし
 
2576 人間もりあし垣ごしに吾妹子をあひ見しからに事曾左太〔二字左△〕多寸《コトゾコチタキ》
人間守蘆垣越爾吾妹子乎相見之柄二事曾左太多寸
 結句を從來コトゾサダオホキとよみて『サダは此頃の意なり、定の意なり』などいへり。宜しく事曾古知多寸の誤として人ノ口ガウルサイといふ意とすべし。或は云はむ。コチタシは言痛の意なればコトゾコチタキといへばコトといふことかさなる(2380)にあらずや。答へて云はむ。コチタシは事痛の意にてもあるべし。そはともあれ集中に人言ヲシゲミコチタミといへる例あまたあるにあらずや
 
2577 今だにも目なともしめそ相見ずてこひむ年月、久家莫〔左△〕國《ヒサシケマクニ》
令〔左△〕谷毛目莫令乏不相見而將戀年月久家莫國
 目ナトモシメソは我ニ見ユル事ヲ少カラシムナにて畢竟逢フ事ヲ惜ムナとなり○結句は眞淵が莫を眞の誤としてヒサシケマクニとよめるに從ふべし。久シカラムニとなり(諸本に眞とあり)〇一首の趣は考に『此歌は旅に行別の時なるべし』といへる如し
 
2578 朝ね髪吾はけづらじうつくしき君が手枕|觸《フリ》てしものを
朝宿髪吾者不梳愛君之手枕觸義之鬼尾
 ウツクシは美シにあらず。俗語のイトシなり。上(二三六八頁)にもいへり。手枕の下にニを省きたり
 
2579 はやゆきていつしか君を相見むとおもひしこころ今ぞなぎぬる
(2381)早去而何時君乎相見等念之情令〔左△〕曾水葱少熱
 今ゾは相見ツル今ゾとなり。考に『君は妹の字か』といへるは君といへるは女より男をいへるが例なればなり。されど男より女を君といへる例もなきにあらず。たとへば上(二二九九頁)に
  かすが山雲ゐがくりてとほけども家はおもはず公をしぞもふ
とあるは他郷にある男子のよめるにて公《キミ》といへるは他郷にて相知りし女なり
 
2580 面形《オモガタ》の忘戸在者《ワスルトナラバ》、小豆鳴《アヅキナク》、男《ヲトコ・ヲノコ》じものやこひつつをらむ
面形之忘戸在者小豆鳴男士物屋戀乍將居
 面形は面影の誤かとおもふに卷十四に
  於毛可多能和須禮牟しだはおほぬろにたなびく雲をみつつしぬばむ
とあればなほ面形なり○第二句を舊訓にワスルトナラバとよめるを宣長は戸を弖の誤としてワスレテアラバとよみ雅澄は之に從へり。案ずるにもとのまゝにて舊訓の如くワスルトナラバとよむべし。そのワスルはワスラルの略なり(卷十四なるワスレムもワスラレムの略なり)○アヂキナクを小豆鳴とかけるを見ればいに(2382)しへアヂキナクをなまりてアヅキナクともいひしか又はアヅキをアヂキともいひしなり。諸註に上(二三二五頁)にタラチネを足常とかけるが如くアヅキをアヂキに借用ひたるなりといへれど外に書樣なくばこそあらめアヅキをアヂキに借用ふべくもあらず。さてアヂキナクを宣長は無益ナと譯し雅澄は遠慮ナクと譯せり。案ずるに俗語のツマラナクに當れり○男ジモノは男ノヤウニといふ意にはあらで男トシテといふ意なり。語例は卷二柿本人麿妻死之後作歌の第二首(三〇〇頁)に
  みどり兒のこひなくごとに、とりあたふものしなければ、をとこじものわきばさみもち
とあり。ヤはコヒツツヲラムの下にうつしてコヒツツヲラムヤハと心得べし
 
2581 言にいへば耳にたやすしすくなくも心のうちにわがもはなくに
言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二
 初二は言葉ニイヘバ何デモナク聞ユとなり○スクナクモオモハズはアマタオモフといはむにひとし。上(二三四七頁)にも
  さにづらふ色にはいでずすくなくも心のうちにわがもはなくに
(2383)とあり
 
2582 小豆《アヅキ》なく何のたは言今更にわらは言するおい人にして
小豆奈九何枉〔左△〕言令〔左△〕更小童言爲流老人二四手
 第二句は何ノタハ言ゾのゾを省けるなり。アヅキナクは今更ニワラハ言スルにかかれるなり。ワラハ言スルはワラハ言スル哉となり○考以下に老人の自顧みて耻ぢたる趣とせるは非なり。契沖の第二説の如く老人のものいひかけしをのり辱めたるなり。もし考以下の説の如くならば少くともワラハ言セシとあらざるべからず○枉は狂を誤れるなり
 
2583 相見而△《アヒミテハ》、幾久毛《イクバクヒサモ》あらなくに年月のごとおもほゆるかも
相見而幾久毛不有爾如年月所思可聞
 卷四(七五四頁)に
  不相見者いくばくひさもあらなくにここばくわれはこひつつもあるか
とあり○初句を舊訓にアヒミテハとよめり。然るにこゝにはハに當る字なければ(2384)契沖は不相見而の不をおとせりとし、眞淵は不をおとせるか又は而の下に者をおとせるなりといひ、雅澄は不を補ひてアヒミズテとよめり。卷四(八〇〇頁)に
  相見而者いくかも經ぬをここばくもくるひにくるひおもほゆるかも
 上(二三五六頁)に
  相見者《アヒミテハ》千歳やいぬるいなをかも我やしかもふきみまちがてに
などあるに據りて而の下に者を補ひてアヒミテハとよみて相見テ後の意とすべし○第二句を宣長(記傳卷三十【一八〇四頁】)は
  イクヒササニモ或はイクバクヒサモなど訓べし
といへり。ヒサモはヒサニモなり〇四五の語例は卷四に
  見まつりていまだ時だにかはらねば年月のごとおもほゆる君
とあり
 
2584 ますらをと念へる吾をかくばかり戀せしむるは小可者〔三字左△〕在來《カラクゾアリケル》
大夫登念有吾乎如是許令戀波小可者在來
 眞淵は小可を苛の誤としてカラクハアリケリとよみ、雅澄は小可を不可の誤とし(2385)者を曾の誤としてカラクゾアリケルとよめり。苛曾在來の誤としてカラクゾアリケルとよむべし。卷七なる
  もだあらじとことのなぐさにいふことを聞知れらくは少可者有來
も苛曾有來の誤なるべき事彼卷(一三四七頁)にいへる如し
 
2585 かくしつつわがまつしるし有鴨《アラヌカモ》、世の人皆の常ならなくに
如是爲乍吾待印有鴨世人皆乃常不在國
 第三句を舊訓にアラムカモとよめるを略解にアラヌカモに改めたるはよろし。但不有とあるべき不の字を略せるなりとせるはわろし。こゝのアラヌカモはアレカシなり。而してアレカシのヌカモに不の字をかける例は有ること無し〇一首の意は
  世ノ人ハ皆無常ナルモノナレバ我モイツマデ生キムト知ラレヌニカクシツツ待ツ詮アリテハヤク妹ト逢ヘヨカシ
といへるなり古義に常を並の意としてワガ戀シク思フ心ハ世ノ常ナラヌ事ナルヲと譯せるは從はれず
 
(2386)2586 人事《ヒトゴトヲ》、茂君《シゲミトキミニ》(玉梓の)使も遣らず忘るともふな
人事茂君玉梓之使不遣忘跡思名
 初二を略解に人ゴトノシゲケキキミニとよみたれどシゲケキといふ語は無し。古義に從ひて人ゴトヲシゲミト君ニとよむべし。シゲミトは茂サニなり(二二八八頁參照)
 
2587 大原のふりにし郷に妹をおきてわれいねかねついめにみえこそ
大原古郷妹置吾稻金津夢所見乞
 卷二(一五三頁)に大原ノフリニシサトニフラマクハ後とありフリニシサトはやがてフル里なり。又第三句の語例は上(二三五九頁)にタモトホリユキミノ里ニ妹ヲオキテとあり。妹ヲ殘シオキテとなり。彼頼政の
  山城のみづのの里に妹をおきていくたび淀にふねよばふらむ
の妹ヲオキテは意異なり
 
2588 夕さればきみ來まさむとまちし夜のなごりぞ今もいねがてにする
(2387)夕去者公來座跡待夜之名凝衣令〔左△〕宿不勝爲
 卷十二にも
  玉梓の君が使をまちし夜のなごりぞ今もいねぬ夜のおほき
とあり。
  今もいねがてにするは夕されば君來まさむと待ちし夜のなごりぞ
と句をおきかへて心得べし。ゾはイネガテニスルの係にあらず。もし係ならばナゴリニゾ又はナゴリトゾとあらざるべからず。ナゴリは殘なり(卷七【一二七五頁】參照)
 
2589 あひ思はずきみはあるらし(ぬばたまの)いめにも見えずうけひてぬれど
不相思公者在良思黒玉夢不見受旱宿跡
 ウケヒテは夢ニ見ムト祝?シテとなり
 
2590 いはね踏《フム》夜道はゆかじとおもへれど妹によりてはしぬびかねつも
石根踏夜道不行念跡妹依者忍金津毛
(2388) 蹈を從來フミとよめり。フムとよみ改むべし。ヨリテハのハは清みて唱ふべし
 
2591 人ごとのしげき間もるとあはずあらばつひにや子らが面忘れなむ
人事茂間守跡不相在終八子等面忘南
 終ニ妹ガ我面ヲ忘レナムカとなり
 
2592 こひ死なむ後は何せむわが命いける日にこそ見まくほりすれ
戀死後何爲吾命生日社見幕欲爲禮
 ワガ命ノとノを加へて心得べし。卷四にも
  こひしなむ後はなにせむいける日の爲こそ妹を見まくほりすれ
といへる歌あり
 
2593 (しきたへの)枕うごきていねらえず物もふこよひ急明鴨《ハヤモアケヌカモ》
敷細枕動而宿不所寢物念此夕急明鴨
 枕ウゴキテは枕ガオチツカズシテとなり(二三四二頁參照)○結句の語例は卷十五にヌバタマノヨワタル月ハ波夜毛伊弖奴香文とあり。略解に『不明と有べきを不を(2389)略けるは例也』といへるは例の如き妄説なり(二三八五頁參照)
 
2594 ゆかぬ吾《ワ》をこむとかよるも門ささずあはれ吾妹子まちつつあらむ
不往吾來跡可夜門不閉※[立心偏+可]怜吾妹子待筒在
 
2595 いめにだに何《ナニ》かも見えぬ見ゆれども吾かもまどふ戀のしげきに
夢谷何鴨不所見雖所見吾鴨迷戀茂爾
 何は舊訓のまゝにナニとよみて可なり(略解にナドに改めたり)○夢ニハ見ユレド戀ニ心ノ惑ヒテ心附カザルニヤとなり
 
2596 なぐさ漏《モル》心はなしに如是耳《カクノミシ》こひやわたらむ月に日にけに
      或本歌云おきつ浪しきてのみやもこひわたりなむ
名草漏心莫二如是耳戀也度月日殊
      或本歌云奥津浪敷而耳八方戀度奈牟
 第三句はカクノミシとよむべし(二三七五頁參照)○月ニ日ニケニは夙く卷四(七〇六頁及七七二頁)に見えたり。月ヲ追ヒ日ヲ迫ヒテとなり。日ニケニ、朝ニケニといへ(2390)ると略同意なり
 或本歌のオキツ浪はシキテの枕辭、シキテは頻ニなり
 
2597 いかにして忘物《ワスルルモノゾ》、吾妹子にこひはまされど忘らえなくに
何爲而忘物吾妹子丹戀益跡所忘莫苦二
 第二句を舊訓にワスルルモノゾとよめるを古義に
  ワスレムモノゾと訓べし。ワスルルモノゾとよめるはわろし
といへり。イカニセバとあらばこそワスレムモノゾといふべけれ。今はイカニシテを受けたればなほワスルルモノゾとよむべし
 
2598 遠有跡《トホカレド》、公衣戀流《キミニゾコフル》(たまぼこの)里人皆爾、吾《ワガ》こひめやも
遠有跡公衣戀流玉桙乃里人皆爾吾戀八方
 初句はトホカレドとよむべし。第二句は古義に從ひてキミニゾコフルとよむべし。キミヲゾとよめるはわろし。キミヲゾコフルといふは古今集以後の語法なり○タマボコノ里人とつづきたる不審なり。考以下に『君ガ住ム方ノ道ノ里人といふべき(2391)をかくいへるなり』といへるは從はれず。道往人爾などの誤にあらざるか○此歌は男より『遠く隔りて住めば疎くやなり給はむ』などいひおこせしに答へたるならむ
 
2599 しるしなき戀をもするかゆふされば人の手まきてねなむ兒故に
驗無戀毛爲鹿暮去者人之手枕而將寐兒故
 シルシナキは無益ナルなり。兒ユヱニは女ナルニなり。人妻に戀ひたるなり
 
2600 百世しも千世しも生きてあらめやもわがもふ妹を置〔左△〕嘆《ミズテナゲガク》
百世下千代下生有目八方吾念妹乎置嘆
 結句を從來オキテナゲカムとよめり。さてはヤ、カなどいふ辭足らで意を成さざるより古義には『吾念といふ上へイカデと云詞を假に加へて心得べし』といへり。案ずるにオキテといふ語おちつかず。されば置嘆を不見嘆の誤としてミズテナゲカクとよむべし。ナゲカクは嘆ク事ヨとなり
 
2601 うつつにもいめにも吾は不思寸《モハザリキ》ふりたるきみにここにあはむとは
現毛夢毛吾者不思寸振有公爾此間將會十羽
(2392) 第三句を古義にオモハズキとよめり。いにしへオモハザリキをオモハズキともいひもしけむ。然もモハザリキとよまむも後世風にあらざれば強ひて耳遠くよむに及はず。又思は安んじてモフとよむべし○フリタル公は考に『はやき時あひし君をいふ』といへり
2602 黒髪の白髪〔左△〕左右跡《シロクナルマデト》むすびてし心一〔左△〕乎《ココロノヒモヲ》、今とかめやも
黒髪白髪左右跡結大王心一乎令〔左△〕解目八方
 第二句を舊訓にシラカミマデトとよめるを雅澄は卷十七に之路髪マデトとあるを證としてシロ〔右△〕カミマデトとよみ改めたり。宜しく白髪を白變の誤としてシロクナルマデトとよむべし。語例は卷七に
  さきはひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹がこゑをきく
とあり○ムスビテシは契リテシといふ事とおぼゆれど心ヲムスブといふこと穩ならず。おそらくは心一乎は心紐乎の誤にてムスビテシ心ノヒモヲ今トカメヤモならむ
 
2603 心をし君爾|奉跡〔左△〕《マツリテ》、念〔左△〕有者《アラザレバ》よしこのごろは戀乍〔二字左△〕乎將有《ワスレテヲアラム》
(2393)心乎之君爾奉跡念有者縱此來者戀乍乎將有
 舊訓に
  ココロヲシきみにまだすとおもへればヨシコノゴロハこひつつをあらむ
とよみ雅澄はマダスをマツルに改めたれど、さては意義通ぜず。案ずるに
  君爾奉而不〔二字右△〕有者……忘手〔二字右△〕乎將有
の誤として
  心をし君にまつりてあらざればよしこのごろは忘れてをあらむ
とよむべきか。ヨシはソレヲ幸ニなり
 
2604 おもひでてねにはなくともいちじろく人のしるべく嘆爲勿《ナゲカスナ》ゆめ
念出而哭者雖泣灼然人之可知嘆爲勿謹
 嘆爲勿を舊訓以下ナゲキスナとよめるを古義にナゲカスナに改めたり。之に從ふべし
 
2605 (玉ぼこの)道ゆきぶりにおもはぬに妹をあひ見てこふるころかも
(2394)玉桙之道去夫利爾不思妹乎相見而戀此鴨
 道ユキブリは道にて出合ふをいふ。略解に『フリといふはフラシを約云也』といへるは何を思へるにか。フリは觸《フレ》の古格のみ○オモハヌニは思ガケナクなり
 
2606 人目おほみ常かくのみしさもらはばいづれの時かわがこひざらむ
人目多常如是耳志侯〔左△〕者何時吾不戀將有
 人目ノヒマヲウカガハバとなり。常カクノミシは常ニカクノミなり。ワガコヒザラムは我戀ハ止マムなり○侯は候の誤なり
 
2607 (しきたへの)ころも手かれて吾《ワ》をまつとあるらむ子ら者面影にみゆ
敷細之衣手可禮天吾乎待登在濫子等者面影爾見
 上(二三一七頁)にも
  しきたへのころも手かれてたまもなすなびきかぬらむわをまちがてに
 下にも
  二上にかくろふ月のをしけども妹がたもとをかるるこのごろ
(2395)とあり。コロモデカレテは我袖ヲ離《カ》レテなり○者は志の誤か
 
2608 妹が袖わかれし日よりしろたへの衣かたしきこひつつぞぬる
妹之袖別之日從白細乃衣片敷戀管曾寐留
 いにしへ二人寢る時は 人の衣を下に敷き今一人の衣を上に著るに獨寢る時は衣の半を下に敷き半を上に著れば(今カシハモチといふやうに)その樣をコロモカタシク又袖カタシクといひしなり○妹ガソデの下にニ又はヲを略せり
 
2609 しろたへの袖は間結奴《マユヒヌ》わぎもこが家のあたりをやまずふりしに
白細之袖者間結奴我妹子我家當乎不止振四二
 從來第二句をソデハマヨ〔右△〕ヒヌとよめり。さて略解に『マヨヒに間結と書るはアヂキナクを小豆ナクと書るたぐひ也』といへり。案ずるにマヨヒをマユヒとなまりても云ひしによりて間結奴とかけるのみ。一音づつこそあれ連りて語となり句となれば古人といふとも必しも正確に發音すべきにあらず。たとへば眉をマヨと發音せしは或時代までにてマユと發音するやうになりしは或時代より後なりと思はむ(2396)はおそし。同一時代にてもマヨとも、マユとも、マヨとマユとの中間にも發音せしなり。而してマヨと發音せし人の多かりし間〔日が月〕はマヨを正とし、マユと發音する人の多くなりし後にはマユを正とせしなり。今のマヨフ、マユフも其類なれどマユフと唱ふる人は少數なりしかばマユフは正語とならで止みしのみ。さてマヨフは布帛の經緯の亂るるをいふ(卷七【一三五三頁】參照)○家ノアタリヲとありてそれを承くる辭なきは物足らねどいにしへ家ノアタリヲサシテといふべきをただ家ノアタリヲといひなれしにこそ。卷七(一二三〇頁)にも
  妹があたりわが袖ふらむ木間〔日が月〕よりいでくる月に雲なたなびき
とあり
 
2610 (ぬばたまの)わが黒髪をひきぬらし亂而反〔左△〕《ミダレテノミモ》こひわたるかも
夜干玉之吾黒髪乎引奴良思亂而反戀度鴨
 ヒキヌラシはスベラカシなり。卷二(一七一頁)にタケバヌレ〔二字右△〕タカネバナガキ妹ガ髪云々とあると參照すべし○第四句を舊訓にミダレテカヘリとよめるを宣長は亂留及の誤としてミダルルマデニとよみ、村田春海は亂而已の誤としてミダレテノ(2397)ミモとよみ、雅澄は亂而吾の誤としてミダレテアレバとよめり。訓は春海に從ふべし。但字は亂而耳の誤ならむ
 
2611 今更に君が手枕まきねめやわが紐の緒のとけつつもとな
今更君之手枕卷宿米也吾紐緒乃解都追本名
 男の絶えし後によめるなり。古人は紐の緒の自然に解くるを戀人に逢ふべき前兆としたりしなり
 
2612 しろたへの袖觸而夜〔左△〕《ソデフリテヨリ》わが背子にわがこふらくはやむ時もなし
白細布乃袖觸而夜吾背子爾吾戀落波止時裳無
 考に夜を從の誤としてソデフレテヨリとよめり。之に從ふべし。袖觸の語例は卷七(一四五六頁)に
  むらさきの名高の浦のまなごにし袖のみ觸《フリ》てねずかなりなむ
とあり
 
2613 ゆふけにも占にものれるこよひだに來まさぬ君をいつとか待たむ
(2398)夕卜爾毛占爾毛告有令〔左△〕夜谷不來君乎何時將待
 第二句の占を考、略解に鹿の骨をやく占なりといへれどこゝの占はさる重き占にはあらず。ノレルは來マサムトノレルとなり
 
2614 眉根《マヨネ》かきしたいぶかしみおもへるにいにしへ人を相見つるかも
眉根掻下言借見思有爾去家人乎相見鶴鴨
    或本歌曰眉根かき誰をか見むとおもひつつけながくこひし妹にあへるかも
    一書歌曰眉根かきしたいぶかしみおもへりし妹がすがたをけふ見つるかも
    或本歌曰眉根掻誰乎香將見跡思乍氣長戀之妹爾相鴨
    一書歌曰眉根掻下伊布可之美念有之妹之容儀乎令〔左△〕日見都流香裳
 シタイブカシミオモフは心《シタ》ニイブカシク思フとなり。當時はかゝるニをも省くを(2399)得しなり○イニシヘ人は故人なり。上(二三九一頁)にフリタル君といへるも同じ或本歌及一書歌は別の歌の相似たるまでなり
 
2615 (しきたへの)△枕《タマクラ》まきて妹與吾《イモトワレト》ぬる夜はなくて年ぞへにける
敷栲乃枕卷而妹與吾寐夜者無而年曾經來
 第二句を舊訓にマクラヲマキテとよめるを古義に手の字を補ひてタマクラマキテとよめり。之に從ふべし
 
2616 (おく山の)眞木の板戸を音速〔二字左△〕見《オシガタミ》、妹があたりの霜の上にねぬ
奥山之眞木之板戸乎音速見妹之當乃霜上爾宿奴
 上(二三四五頁)にもオク山ノ眞木ノ板戸ヲ押ヒラキ云々とあり。オク山ノは眞木にかゝれる枕辭なり○第三句を從來オトハヤミとよめり。おそらくはオシガタミとありしを誤れるならむ。字は人充てゝよ。本集の通本には文字の虫ばみなどして分らずなれるを傍訓の殘に據りて推し填みたりとおぼゆる處少からず。誤字を正さむとするには此事にも留意せざるべからず○妹ガアタリは妹ガ家ノアタリなり
 
(2400)2617 (足ひきの)山櫻戸を開置而《アケオキテ》わがまつ君をたれかとどむる
足日木能山櫻戸乎開置而吾待君乎誰留流
 山ザクラ戸は山櫻の材を以て作れる戸なり。定家が山ザクラ戸ヲアケボノノ空とよめるは辭は此歌より出でたれど櫻ノサケル門といふ意に用ひたるなり○第三句を舊訓にアケオキテとよめるを古義にヒラキオキテに改めたり。もとのまゝにて可なり
 
2618 月夜よみ妹にあはむとただぢから吾は來つれど夜ぞふけにける
月夜好三妹二相跡直道柄吾者雖來夜其深去來
 タダヂカラは近道ヲとなり
 
  寄物陳思
2619 朝影に吾身はなりぬ(から衣すその)合はずて久しくなれば
朝影爾吾身者成辛衣襴之不相而久成者
(2401) アサ影ニワガ身ハナリヌは夙く上(二二六〇頁)に見えたり。朝、物ニウツル影ノ如クとなリ。古今集戀一にはコヒスレバ我身ハ影トナリニケリとあり○カラゴロモスソノは卷九なる
  いそのかみふるのわさ田の穗にはいでず心のうちにこふるこのごろ
と同例にて合フまでにかゝれる枕辭なリ。又スソノの下にアフガ如クといふことを補ひてきくべき一種の枕辭ともいひつべし(一七九四頁參照)
 
2620 (とき衣の)おもひみだれてこふれども何如《ナニシ》汝〔□で囲む〕|之故跡《ノユヱト》とふ人も無《ナシ》
解衣之思襴而雖戀何如汝之故跡問人毛無
 卷十二にも
  とき衣のおもひみだれてこふれどもなにの故ぞととふ人もなし
とあり○第四句を舊訓にナゾナガユヱトとよみ、考には汝を俗の誤としてナニゾノユヱトとよめり(集中に俗をゾに借れる例はあり)。案ずるに汝を衍字とすべし。さて何如之故跡はナニゾノユヱトともよむべけれどナニゾノは後世めきたればナニシノユヱトとよむべし。ナニノ故をナニシノ故といふはナニカ、イツカをナニシカ、(2402)イツシカといひタレノ人をタレシノ人といふが如し○初二の語例は上(二三三四頁)にもトキ衣ノコヒミダレツツとあり
 
2621 すりごろも著有《ケリ》といめみつうつつには孰人之《タレシノヒトノ》言かしげけむ
摺衣著有跡夢見津寐〔左△〕者孰人之言可將繁
 スリゴロモは物の形を摺れる衣なり。著有は略解にケリとよめるに從ふべし。ケリは著タリにおなじ○第四句を舊訓にイヅレノ人ノとよめり。古義にタレシノ人ノとよめるに從ふべし。下に誰之能人とあり。四五は誰ニカイヒサワガレムとなり。いにしへかゝる俗信ありしにこそ○寐は寤の誤なり
 
2622 しかのあまの塩やきごろもなれぬれど戀ちふものは忘れかねつも
志賀乃白水郎之塩燒衣雖穢戀云物者忘金津毛
 志賀は肥前の地名なり。初二は序なり。第三句以下は馴レヌル後モ戀テフモノハ忘レ難シといへるなり
 
2623 くれなゐのやしほのころもあさなさななるとはすれどいやめづらし(2403)も
呉藍之八塩乃衣朝且〔左△〕穢者雖爲益希將見裳
 上三句は序なり。古義に『本の句は序』といひながらアサナサナを主文に加へて釋きたるは矛盾なり○ヤシホノ衣はいく度も染めたる衣なり。メヅラシはメデタシなり○且は旦の誤なり
 
2624 くれなゐのこぞめのころも色ふかく染《ソミ・シミ》にしかばかわすれかねつる
紅之深染衣色深染西鹿齒蚊遺不得鶴
 コゾメは濃染なり。第四句の染を古義には例の如くシミとよめり。舊訓の如くソミとよまむも可なり。もし必シミとよむべくば深染もコジメとよまざるべからざるにあらずや○初二までが序なり。さてただフカクといふべきを序の縁にて色フカクといへるにて上(二三一九頁)なる
  ちぬの海のはまべの小松根ふかめてわがこひわたる人の子ゆゑに
と同格なり。第三句以下の意は我妹子ヲ忘レカヌルハ我心ニ深ク染ミタレバニヤ(2404)アラムといへるなり
 
2625 あはなくに夕卜《ユフケ》をとふと幣におくにわが衣手は又|曾〔左△〕可續〔左△〕《カタツベキ》
不相爾夕卜乎問常幣爾置爾吾衣手者又曾可續
 從來アハナクニを戀人ニ逢ハザルニといふ意とせるは從はれず。夕卜ガ合ハザルニといへるならむ。ヌサニオクニは幣トシテ置クトテとなり○卷八にタナバタノ袖續ヨヒノといへる例あれどその袖續は袖|纏《マク》の誤なるべき事彼卷(一五七七頁)にいへる如し。こゝも可續にては通ぜず。おそらくは可絶の誤ならむ。古今集覊旅部素性の歌にタムケニハツヅリノ袖モキルベキニとあり。又曾〔右△〕はおそらくは香などの誤ならむ
 
2626 (ふるごろも)打〔左△〕棄人《ステラエビト》は秋風のたちくる時に物もふものぞ
古衣打棄人者秋風之立來時爾物念物其
 初句は古衣ノ如クといふ意の枕辭なり○打棄人を舊訓にウチステ人、二註にウテシ人とよめり。宜しく打を所の誤としてステラエ人又はウテラエ人とよむべし
 
(2405)2627 はねかづら今する妹|之〔左△〕《ヲ》うらわかみゑみみいかりみつけし紐とく
波禰※[草冠/縵]令〔左△〕爲妹之浦若見咲見チ見著四紐解
 はやく卷四(七七五頁及七七六頁)にハネカヅラ今スル妹ヲイメニ見テ(贈童女歌)ハネカヅラ今スル妹ハナキモノヲ(童女來報歌)とあり。又卷七(一二四八頁)にハネカヅラ今スル妹ヲウラワカミイザイザ川ノ音ノサヤケサとあり。ハネカヅラは童女の頭の飾なり○妹之を從來イモガとよめり。宜しく之を乎の誤としてイモヲとよむべし。妹ガウラ若サニとなり○ヱミミイカリミは作者がするなり。妹がするにあらず。從前の説は誤れり。さて其意は嚇シタリ賺シタリとなり。ツケシは正しくはツケタルとあるべし。當時はやくシとタルとを通用する事ありしなり
 
2628 いにしへのしづはた帶をむすびたれたれちふ人も君にはまさじ
去家之倭父〔左△〕旗帶乎結垂孰云人毛君者不益
    一書歌△いにしへの狹織の帶をむすびたれ誰しの人も君にはまさじ
(2406)   一書歌古之狹織之帶乎結垂誰之能人毛君爾波不益
 上三句はタレをいひ起すべき序なり。語例は卷三過2勝鹿眞間娘子墓1作歌〔五二五首)にシツハタノ帶解替而とあり。又武烈天皇紀の歌に大君ノ御帶ノシヅハタムスビタレとあり。シヅハタ帶は當時はやくすたれしが故にイニシヘノといへるなり。イニシヘノは古風ナルといふ意なり○父は文の誤なり
 一書歌の下に曰の字を補ふべし。サオリノ帶は契沖が『帶のためにことさらにせばく織れるなるべし』といへる如し
 
2629 あはずとも吾はうらみじ此枕われとおもひてまきてさねませ
不相友吾波不怨此枕吾等念而枕手左宿座
 枕を贈るとて添へたる歌なり。遊仙窟にも枕を女に贈り聊將代2左腕1、長夜枕2渠《キミガ》頭1といふ詩を作り添へし例あり
 
2630 ゆへる紐|解《トキシ》日とほみ(しきたへの)わが木枕《コマクラ》にこけむしにけり
結紐解日遠敷細吾木枕蘿生來
(2407) 解日は二註にトキシ日とよめるに從ふべし。ユヘルは不用なるに似たれどただ輕く添へたりと見べし○上(二三四三頁)にもソノ枕ニハ苔ムシニタルとあり。コケといへるは黴なり
 
2631 (ぬばたまの)黒髪しきて長き夜を手枕の上に妹まつらむか
夜干玉之黒髪色天長夜※[口+リ]手枕之上爾妹待覧蚊
 手枕ノ上ニはマツラムにかゝれるにはあらでクロカミシキテにかゝれるなれば
  長き夜をたまくらの上にぬばたまのくろ髪しきて妹まつらむか
とあらざるべからず
 
2632 (まそ鏡)ただにし妹をあひみずばわが戀やまじ年はへぬとも
眞素鏡直二四妹乎不相見者我戀不止年者雖經
 初句は見にかゝれるなり
 
2633 (まそかがみ)手にとりもちてあさなさな△見《ミム》人〔□で囲む〕時禁屋《トキサヘヤ》、戀のしげけむ
眞十鏡手取持手朝且〔左△〕見人時禁屋戀之將繁
(2408) 初二はアサナサナ見ムにかゝれる序なり○第四句を略解に人を衍字としてミルトキサヘヤとよみ、古義には見人を將見の誤としてミムトキサヘヤとよめり。類聚古集には雅澄のいへる如く將見時禁屋とあり○語例は上(二三三四頁)に
  まそかがみ手にとりもちてあさなさな見れども君はあく事もなし
とあり○且は旦の誤なり
 
2634 里とほみこひわびにけり(まそかがみ)おも影さらずいめにみえこそ
里遠戀和備爾家里眞十鏡面影不去夢所見社
    右一首上見2柿本朝臣人麿之歌中1也。但以2句句相換1故載2於茲1
 マソカガミは面影にかゝれる枕辭なり○上見云々は上(二三三三頁)なる
  里とほみこひうらぶれぬまそかがみ床のへさらずいめにみえこそ
を指せるなり
 
2635 劍だち身にはきそふるますらをや戀ちふものをしぬびかねてむ
劍刀身爾佩副流大夫也戀云物乎忍金手武
(2409) ヤはヤハなり。カネテムはカネタラムなり。されば四五は戀チフモノヲシノビカネテアラムヤハとなり。古義に『自勵ませどもなほ忍びえずとなり』といへる如し
 
2636 つるぎだち諸刃《モロハ》のうへにゆき觸《フリ》て所殺鴨將死《シニカモシナム》こひつつあらずば
劍刀諸刃之於荷去觸而所殺鴨將死戀管不有者
 モロハは兩刃なり。コヒツツアラズバはコヒツツアラムヨリハとなり○第四句を二註にシセカモシナムとよめり。舊訓の如くシニカモシナムとよむべし。殺サルルはやがて死ヌルなればシニに所殺とかけるなり。又|將死《シナム》は略解にいへる如く將爲《シナム》の借字なり○上(二三三一頁)に
  つるぎだちもろ刃のときに足ふみてしなばしぬともきみによりてば
といへるあり
 
2637 ※[口+酉]〔左△〕《ヒシビシニ》鼻をぞひつる(つるぎだち)身にそふ妹がおもひけらしも
※[口+酉]鼻乎曾嚔鶴釼刀身副妹之思來下
 初句を舊訓にウチナゲキとよみ、考に※[口+西]の誤としてウレシクモとよみ、宣長は
(2410) ※[口+煙の旁]の誤也。※[口+煙の旁]は咽と同字にてムセブと訓り。第五に之可〔右△〕夫可比ハナヒシビシニとあればこゝもシカブカヒとよまん
といひ、古義に
  五卷一本に之波〔右△〕夫可比とあるこれよろし。然ればこゝもシハブカヒと訓べし
といへり。然るに訓義辨證下卷(四六頁)には
  ※[口+酉]は舊刻本には※[口+西]とあり。今本に※[口+酉]とあるは覆刻のをりに彫り譌りたるなり。さて※[口+西]の字は古葉略類聚抄劍部に※[口+(而/一)]とあるを正とすべし。※[口+(而/一)]は龍龕手鑑に經音義作v※[口+捷の旁]、丁計反、鼻噴也とあり。こゝはウチハナヒと訓べきなり(○採要)
といへり。之によれば※[口+(而/一)]は嚔の古宇なり。案ずるにこゝにてはヒシビシニとよむべし(卷五【九六六頁】參照)○ハナヒは上(二二六九頁)に
  眉根かき鼻ひ紐ときまつらむやいつかも見むとわがおもふ君
とあり。クサメをする事なり○第四句の語例は卷十四に
  つるぎだち身にそふいもをとりみかねねをぞなきつる手兒にあらなくに
とあり。身ニソフは我身ニ偶《タグ》フといふことならむ。從來の説はうべなはれず。オモヒ(2411)ケラシモは我ヲ思フラシなり○さて此歌は毛詩終風に
  寤メテ言《ワレ》寐ラレズ言《ワレ》ヲ願《オモ》ヘバ則|嚔《ハナヒ》ル
とあるに據れるなり
 
2638 (梓弓)末の腹野に鷹田《トガリ》する君が弓食〔左△〕《ユヅラ》のたえむともへや
梓弓末之腹野爾鷹田爲君之弓食之將絶跡念甕屋
 上四句は序なり。契沖は
  弓の末を腹と云故に梓弓腹野とつづくべきを文字の足らねば末ノ腹野といへる歟。イソノカミ袖振川の類なるべし
といひ、宣長(記傳卷七【三九五頁】)は
  梓弓末之腹野とよめるは末之と云るまでは序にて腹野ぞ地名には有べき。これ弓(ノ)末に腹となづくる處の有し故に末之腹とはつづけたるなり
といへり。おそらくはスエノハラ野といふ地名にてアヅサ弓はスヱノハラまでかかれるならむ。卷十三にもアヅサユミ弓腹《ユハラ》フリオコシとあり○弓食を舊訓にユヅルとよめり。眞淵は舊訓に從ひて食を弦の誤とし宣長は弓葛の誤としてユヅラと(2412)よめり。弦をいにしへツラといひしかば少くとも訓は宣長の説に從ふべし○タエムトモヘヤは絶エムト思ハメヤなり
 
2639 かづらきのそつ彦眞弓|荒木〔二字左△〕爾毛《ヨルベニモ》、憑也《タノメヤ》君がわが名のりけむ
葛木之其津彦眞弓荒木爾毛、憑也君之吾之名告兼
 葛城(ノ)襲津彦は建内宿禰の子にて應神天皇の御代の武將なり。略解に
  勝れたるたけ男なれば弓力も勝れけむ。……されば弓の名に負せし也けり
といひ古義に
  さてその襲津彦の持たりし弓になずらへて後まで大弓を襲津彦眞弓と云しなり
といへるはいかが。おそらくは襲津彦の執りし弓とて當時に傳はりて人の普く知れるものありしならむ。以上二句は序なり○荒木爾毛を契沖は
  荒木はまだ手馴ぬ意なり。マダ我身ノ君ガ手ニ能モ馴ネドモとなり
といひ、眞淵は
  荒木ノ如ニモてふ意なり。さて新木の大弓は引どより難きを吾により難き人の(2413)よるに譬ふ
といひ、雅澄は
  荒木はいまだ手なれぬ意なり。又新木の意に見てもきこゆ
といひ、又
  その荒木の眞弓の如くにもたしかにたのもしきものに我を思ひたのめばにやとなり
といへり。案ずるにアラキノ眞弓は材のいまだかれざる弓をいふとおぼゆ。さればアラキノ眞弓とはいふべく眞弓を(殊にノを略して)荒木の枕辭とはすべからず。又アラ木ノ眞弓ノ如クといふことを荒木ニモとはいふべからず。おそらくはもと搓方爾毛などありてヨルベニモとよむべきを誤れるならむ。ニモはトモなり。弓をヨルの枕辭としたる例は卷十四にアヅサ弓ヨラノ山ベノとあり○憑也を舊訓にタノメヤとよめるを考にヨルトヤに改めたり。舊訓に從ふべし〇一首の意は
  身ヲ托スベキモノト我ヲ頼メバニヤ我名ヲ人ニ告ゲアラハシケム
といへるなり
 
(2414)2640 (梓引)ひきみゆるべみ不來者不來《コズバコザレ》、來者其〔左△〕其乎奈何《コバコソヲナゾ》、不來者來者其乎《コズバコバソヲ》
梓弓引見絶〔左△〕見不來者不來來者其其乎奈何不來者來者其乎
 第三句以下を舊訓に
  こずばこず、こばそそをなぞ、こずばこばそを
とよみ考以下はナゾをナドに改めたる外舊訓に從へり。案ずるにまづ第三句はコズバコザレとよむべし。次に第四句の來者其は來者來の誤としてコバコとよむべし。又其乎奈何はソヲナゾともソヲナドともよむべし。さて上四句は
  來ずは來ざれ、來ば來《コ》そをなぞ、梓弓、ひきみゆるべみ
と句をおきかへて心得べし。否もとかくの如くなりしが亂れて今の如くなれるならむ。もし初より今の如くならば結句は寧ヒキミユルベミを反復すべきなればなり。さてヒキミユルベミは下にスルを省けるにてイヅレトモ定マラヌといふ意なり○結句は
  來ずは來ざれ〔三字右△〕來ば來〔右△〕そをなぞ〔二字右△〕
と反復していふべきを略せるなり○絶は弛の誤なり
 
(2415)2641 時守のうちなす鼓よみみれば辰《トキ》にはなりぬあはなくもあやし
時守之打鳴鼓數見者辰爾波成不相毛怪
 ウチナスは打鳴ラスなり。ヨミミレバは數フレバといはむにひとし。トキは契りたる時なり。結句は來テ逢ハヌモ怪シとなり
 
2642 ともしびの影にかがよふうつせみの妹がゑまひし面影にみゆ
燈之陰爾蚊蛾欲布虚蝉之妹蛾咲状思面影爾所見
 カガヨフはカガヤクなり。さて考以下にカガヨヒシといふべきを現在格にていへるなりとしたるは非なり。現に燈光に輝ける妹の容儀が面影にみゆる趣なり○ウツセミノは考以下に云へる如く現身ノにて正物ノといふ意なり
 
2643 (玉|戈《ホコ》の)道ゆきつかれいなむしろしきても君をみむよしもがも
玉戈之道行疲伊奈武思侶敷而毛君乎將見因母鴨
 上三句はシキテにかゝれる序なり。イナムシロは藁席なり。いにしへの旅行のさまの知らるゝ序なり。古義に宿とる樣としたるはいかが。息ふ樣ならむ○シキテモは(2416)度々となり
 
2644 をはり田の板〔左△〕田《サカタ》の橋の壞者《コボレナバ》桁よりゆかむなこひそ吾味
小墾田之板田乃橋之壞者從桁將去莫戀吾味
 小墾田は大和高市郡の内にてほぼ飛鳥に同じ。略解に
  板は坂の誤にてサカタ也。サカタとせる事は小墾田の金剛寺を坂田尼寺といへり云々
といへり。こは谷川士清の説とおぼゆ(記傳卷四十四【二五六七頁】參照)○第三句を舊訓にコボレナバとよめるを二註にクヅレナバに改めたり。もとのまゝにて可なり○考に
  舒明天皇二年十月に飛鳥岡本宮へ遷ませ〔右△〕しより小墾田は故郷と成てそこの橋の板の朽たるほどなれば孝徳天皇の御代の頃の歌ならん
といひ二註共に之に從ひたれどコボレナバといへればいまだ壞れざるなり。又飛鳥(ノ)岡本宮は續日本紀卷二十三天平寶字五年正月癸巳の下に小治田ノ(ノ)岡本宮とあれば小墾田より飛鳥へ遷り給ふとは云ふべからず。されば考の説は的を外れたり。案(2417)ずるに此歌は女の許より
  君ガ此頃來タマハヌハ途中ナル坂田(ノ)橋ヤコボレケム
と戯れていひおこせしに對して
  モシ坂田橋ガ壞レナバ危キ橋桁ヲ踏ミテモ渡行クベケレバシカ戀ヒ給フナ
と答へたるなり
 
2645 宮木ひく泉のそまにたつ民の息時無《ヤスムトキナク》こひわたるかも
宮材引泉之迫馬喚犬二立民乃息時無戀渡可聞
 泉は南山城の地名なり。前にも見えたり。當時宮室の造營ありて木材を此處より採りしにこそ。上三句は序なり○第四句を舊訓にヤムトキモナクとよみ古義にイコフトキナクとよめり。序よりのかゝりにてはヤムとはいひがたく戀の方にてはイコフとはいひがたし。宜しくヤスムトキナクとよむべし。息をヤスムとよめる例は卷十六にウツバリニムカハギカケテ息《ヤスム》此君とあり
 
2646 すみのえの津守△網《ツモリガアミ》引〔□で囲む〕之《ノ》うけのをのうかれかゆかむこひつつあらずば
(2418)住吉乃津守網引之浮※[竹冠/矢]緒乃得干蚊將去戀管不有者
 上三句は序なり。ウケノヲは泛子の絲なり○第二句を從來ツモリアビキノとよめリ。さて津守を略解に地名とし古義に津守が徒と釋せり。案ずるに津守は津守の役人なり。然も津守ノ役人タチノ網引といふことをノを省きてツモリアビキとはいふべからず。又網ノウケとはいふべく綱引ノウケとはいふべからず。おそらくは津守之網之とありてツモリガアミノとよむべきを誤れるならむ○結句は家ニコモリテコヒツツアラムヨリハとなり
 
2647 よこぐもの空ゆ延越〔左△〕《ハヒワタリ》とほみこそ目言かるらめ絶跡間也《タユトヘダテヤ》
東細布從空延越遠見社目言疎良米絶跡間也
 延越を二註にヒキコシとよめり。延渡の誤としてハヒワタリとよむべきか。神代紀に蔓延をハヒワタレリとよめり。さて初二は序なり○目言は卷二明日香皇女殯宮之時作歌(二五八頁)を始めてしばしば見えたり。眞淵の説の如く見ル事といふ意としても雅澄の説の如く目ト辭トといふ意としても穩ならぬ辭づくりなり。或は漢語の瞻言(たとへば毛詩大雅桑柔の維此聖人、瞻言百里)の直譯にあらざるか○結句(2419)を從來タユトヘダツヤとよめり。タユトヘダテヤとよみて絶エムトテ隔《ヘダ》タルナラムヤハの意とすべきか
 
2648 かにかくに物はおもはず斐太人のうつ墨繩のただ一道に
云云物者不念斐太人乃打墨繩之直一道二
 カニカクニはトザマカウザマなり。三四は序なり。斐太人は木匠なり〇一ミチニは一スヂニなり。結句はタダ一スヂニ君ヲゾ頼マムといへるなり。卷四なる大伴坂上郎女怨恨歌に
  まそ鏡とぎしこころを、ゆるしてし其日のきはみ、浪のむたなびく玉藻の、かにかくにこころはもたず、大船のたのめる時に云々とあると相似たり
 
2649 (足日木の)山田もるをぢがおく蚊火のしたこがれのみわがこひをらく
足日木之山田守翁置蚊火之下粉枯耳余戀居久
 蚊火は蚊遣火なり。シタコガレノミは下ニコガレテノミのニとテとを省けるなり。(2420)下コガレといふ名詞にあらず。コヒヲラクは戀居ル事ヨとなり
 
2650 十寸板持《ソギタモチ》ふける板目〔左△〕《イタマ》の、不令相者《アハセズバ》いかにせむとかわがねそめけむ
十寸板持蓋流板目乃不令相者如何爲跡可吾宿始兼
 初句は舊訓に基づきて古義の如くソギタモチとよむべし。さてソギタはソギタル板にて今いふコケラの類なり○板目は目を間〔日が月〕の誤としてイタマとよむべし。ソギタモチフケル板間〔日が月〕はソギ板モチテ屋根ヲ葺ケルソノ板間〔日が月〕となり。板間〔日が月〕は屋根板の隙なり。初二は序なり○第三句を契沖はアハセズバとよみ考は令を衍字としてアハザラバとよみ二註はもとのまゝにてアハザラバとよめり。契沖の説に從ふべし。さてそのアハセズバの意は契沖が親ノ許サズシテアハシメズバと釋せる如し○初二はアフまでにかかれる序なり。上(二四〇〇頁)にカラ衣スソノアハズテ久シクナレバとあると參照すべし。ネソメケムは逢ヒ始メケムとなり○古今集戀三に
  名取川せぜのうもれ木あらはればいかにせむとかあひみそめけむ
とあり
 
2651 難波人葦火たく屋のすしたれどおのが妻こそ常《トコ》めづらしき
(2421)難波人葦火燎屋之酢四手雖有己妻許増常目頬次吉
 初二は序なり。スシタレドはススケタレドなり。すゝくる事をいにしへススといひきとおぼゆ○古義に常をツネとよみて『こゝはトコと訓べき處にあらず』といへり。トコにて可なり。トコメヅラシはトコトハニメデタシとなり○コソといひてキといへるは古格なり。いにしへはゾをもコソをもキと結びき
 
2652 妹が髪|上《アゲ》小〔□で囲む〕竹葉野之《タカバヌノ》はなち駒あらびにけらし不合思者《アハナクモヘバ》
妹之髪上小竹葉野之放駒蕩去家良思不合思者
 第二句を舊訓にアゲササバノノとよみ久老の信濃漫録(二一丁)に
  京師の門人木戸千楯がいひけるは是はアゲタカ葉野とよむべし。……アゲタカヌといふ意にかゝる詞なるべし
といひ古義には小を衍字としてカミタカバヌノとよめり。案ずるに小を衍字としてアゲタカバヌノとよむべし。地名はタカ葉野にて妹ガ髪ヲアゲタカム〔右△〕とかゝれるなり。アゲタクの語例は卷七(一三三三頁)にカカゲタク島波ノ間ユミユとあり。カ(2422)カゲタクはカキアゲタクなり○アラブルは疎くなる事なり(六八〇頁參照)○結句は古義にアハナクモヘバとよめるに從ふべし(舊訓はアハヌオモヘバ)
 
2653 馬音《ウマノト》のとどともすれば松陰にいでてぞ見つる若《ケダシ》君かと
馬音之跡杼登毛爲者松陰爾出曾見鶴若君香跡
 トドは馬蹄の音なり。二註に松に待をそへたりとせるは非なり。待といふべき處にあらざればなり○若を略解にモシモ、古義にケダシとよめり。後者に從ふべし。モシヤといふ事を古語にケダシといひしなり
 
2654 君にこひいねぬ朝明《アサケ》にたがのれる馬の足音《アノト》ぞ吾にきかする
君戀寢不宿朝明誰乘流馬足音吾聞爲
 上(二三二三頁)にも妹ニコヒイネヌ朝明ニとあり。アサケは曉なり○足音を略解にアオトとよめるを雅澄は卷十四に安能於登セズユカムコマモガとあるに據りてアノトとよめり。之に從ふべし。上(二三四〇頁)には馬ノ足音《アト》とよめり○キカスルはゾの結にあらず。吾ニキカスルハタガノレル馬ノ足音ゾと、もとにかへして心得べ(2423)きなり。上(二三八六頁)なるナゴリゾ今モイネガテニスルと同格なり。さてキコユルとのみはいはでワレニキカスルといへるはモトナといふ意を含めたるなり
 
2655 くれなゐのすそひく道を中におきて妾《ワレ》やかよはむきみや來まさむ
    一云すそつく河を、又曰まちにかまたむ
紅之襴引道乎中置而妾哉將通公哉將來座
    一云須蘇衝河乎又曰待香將待
 クレナヰノスソヒクは道の形容にいへるなり
 スソツク河の語例は卷七(一四四五頁)にヒロセ川袖ツクバカリ淺キヲヤとあり。この袖ツク、襴ツクを從來袖ノツク、裾ノツクといふ意としたれど袖ニツク、裾ニツクのニを略せるなり。いにしへは後世ならば省くまじきニをも省きたり。たとへば秋ヅク、山ガタヅク、クレナヰニホフ、雲ガクリなどは秋ニツク、山ニカタヅク、紅ニニホフ、雲ニカクレのニを省けるにて其中にてクレナヰニホフなどは今の歌人もつかふめり。少くとも今の語法にてはニの足らざるに心づかで??
 
(2424)2656 (あまとぶや)かるの社のいはひつきいく世まであらむこもりづまぞも
天飛也輕乃社之齋槻幾世及將有隱嬬其毛
 輕は大和國高市郡にあり。イハヒツキは人の齋く槻の神木なり。上三句は序なり。考に
  其木に譬て隱妻のわが妻となるべき時世の待遠きをいふ
といへり。イク世マデアラムはイツマデサテアラムの意とすべし
 
2657 神名火にひもろぎたてて雖忌《イハフトモ》、人の心はまもり不敢物〔左△〕《アヘジカモ》
神名火爾紐呂寸立而雖忌人心者間守不敢物
 第三句を考にイハヘドモとよめり。又不敢物を舊訓にもとのままにてアヘヌカモとよめるを眞淵は物を疑に改めてアヘヌカモとよみ、雅澄はもとのまゝにてアヘヌモノとよめり○神名火は神の杜なり。考以下に飛鳥の神奈備山とせるは非なり。ヒモロギは記傳卷十五(八六七頁)に
  ヒモロギと云物は榮樹《サカキ》をたてゝそを神の御室として祭るよりして云名にて柴(2425)室木《フシムロギ》の意なるをフシをつづめてヒと云なり。萬葉三にワガヤドニ御諸ヲタテテこれは榮樹を立るを云。又十一に神名火ニヒモロギタテテ又廿にニハナカノアスハノカミニコシバサシこれらも同じ
といへり。假初の神の御座《オマシ》なり。まづ祠と心得べし○略解に
  ヒモロギは……是は常有社の外に更に其神を崇祭る時に爲る事にて……思ふ人の心のかはり行を愁て神をいのれども神だに守り留めあへずといへり
といひ、古義に
  歌意は神南備山の神の御爲に神籬《ヒモロギ》をたてゝねもころにいはひ祭りて約のたがはぬやうにと祷白せどもうつろひやすき人の心は神だに守り留めたまふに得堪たまはぬものをとなり
といへり。まづ神ヲイハヘドモといはでヒモロギタテテイハヘドモ人ノ心ハといへるを思へば人ノ心ヲイハヘドモソノ人ノ心ハといへるなり。いかでか神ヲイハヘドモときゝなさるべき。次に神社より離れたる處ならば神籬を立てゝ神靈を分つ事もあるべけれど神社の所在地に就いて別に神籬をたてゝ其神を祭るべきな(2426)らむや。案ずるに雖忌はイハフトモとよむべく不敢物は不敢疑の誤としてアヘジカモとよむべし。一首の意は
  神聖ナル杜ニ祠ヲ立テテ男ノ心ヲイハヒ込ムトモソノ男ノ心ハヨソニハブレヌヤウニ守リ敢ヘザラムカ嗚呼
といへるなり
 
2658 あま雲の八重雲がくりなる神の音にのみやもききわたりなむ
天雲之八重雲隱鳴神之音爾耳八方聞度南
 上三句は序なり。ヤモのモは助辭なり。ヤハの意のヤモにあらず○語例は卷八(一六六八頁)にオトノミニキキシ吾妹ヲミラクシヨシモとあり
 
2659 あらそへば神もにくますよしゑやしよそふる君がにくからなくに
爭者神毛惡爲縱咲八師世副流君之惡有莫君爾
 ニクマスは惡ミ給フなり。ヨシヱヤシの下に爭ハジといふことを省きたるなり○ヨソフル君とは世ノ人ガ我ニヨソフル君となり。そのヨソフルは二人の間に心か(2427)よへりといひなすなり○第四句より起りて
  世ノ人ガ我ニイヒヨソフル君ガ内實ニククハアラヌヲ詐リテ否サル事アラズトアラガハバ神モ惡ミ給ハム、ヨシサラバアラガハジと心得べし。初二はもし字數に制限なくばアラソハバ神モニクマサムといふべきを今の如く云へるなり
 
2660 夜ならべて君を來ませと(ちはやぶる)神の社をのまぬ日はなし
夜並而君乎來座跡千石破神社乎不祈日者無
 夜ナラベテは夜ヲ重ネテなり。卷八(一四八九頁)以下に見えたる日ナラベテの類なり○君ヲのヲはヨの意とすべし○古義に『神ノ社ヲは神ノ社ニといはむが如し』といへるはいと妄なり。ノムはただ神ヲノムとも云々ノ事ヲ神ニノムともいふをここは前のいひ樣に據れるのみ
 
2661 (たまちはふ)神も吾をばうつてこそしゑやいのちのをしけくもなし
靈治波布神毛吾者打棄乞四惠也壽之※[立心偏+(メ/広)]無
(2428) ウツテコソは打棄テヨカシとなり。卷五老身重病云々の歌(九八五頁)にもサワグ兒ドモヲ宇都弖弖波シニモシラズとあり〇四五はカク戀人に逢ハズアレバ命ノ惜キ事モナシとなり
 
2662 吾妹兒に又もあはむと(ちはやぶる)神の社をのまぬ日はなし
吾妹兒又毛相等千羽八振神社乎不祷日者無
 第三句以下上なる歌におなじ
 
2663 (ちはやぶる)神のいがきもこえぬべし今は吾名〔左△〕《ワガナ》のをしけくもなし
千葉破神之伊垣毛可越令〔左△〕者吾名之惜無
 二三はモシ戀人ニ逢フベクバカシコキ神ノ忌垣ヲモ越エヌベシと辭を加へて心得べし。吾名は吾身の誤ならむ○卷七に
  ゆふかけていむこのもりもこえぬべくおもほゆるかも戀のしげきに
とあり
 
2664 ゆふづくよあかときやみの朝影に吾身はなりぬ汝乎念金丹〔左△〕《ナヲオモヒカネテ》
(2429)暮月夜曉闇夜乃朝影爾吾身者成奴汝乎念金丹
 初二は朝にかゝれる序、アサカゲニ吾身ハナリヌははやく上(二四〇〇頁)に見えたり○結句を眞淵はナヲモヒカネニとよみ、宣長は丹を衍字としてナヲオモヒカネとよみ、雅澄は丹を手の誤としてナヲモヒカネテとよめり。後者に從ふべし。オモヒカネテは思フニ堪兼ネテとなり
 
2665 月しあればあくらむ別もしらずしてねてわがこしを人みけむかも
月之有者明覧別裳不知而寐吾來乎人見兼鴨
 月ガアルノデ夜ノ明ケシモ辨ヘズ更ニ寢テ我還來シヲとなり。ワキシラズの語例は上(二三五五頁)にあり
 
2666 妹が目の見まくほしけく夕闇の木葉隱有《コノハガクレル》、月|待如《マツゴトシ》
妹目之見卷欲家口夕闇之木葉隱有月待如
 初二は妹ニ逢ヒタキ事ハとなり○第四句を略解にはコノハゴモレルとよめり。木ノ葉ニカクリタルといふべきを略したるなれば古義の如くコノハガクレルとよ(2430)むべし○又結句を略解に月マツガゴトとよみたれど、こゝはゴトクといふべき處にあらねばゴトとはいふべからす。これも古義に從ひて月マツゴトシとよむべし
 
2667 眞袖|持《モチ》、床《トコ》うちはらひ君まつとをりしあひだに月かたぶきぬ
眞袖持床打拂君待跡居之間爾月傾
 眞袖は兩袖なり。玉勝間卷十四(全集第四の三三〇頁)に
  萬葉二に居アカシテ君ヲバ待タム……十一に眞袖モチ……十八に乎里安加之コヨヒハノマム……廿に家オモフトイヲネズ乎禮婆……猶あり。大かた此たぐひのヲリはただ一わたり輕くつねにいふとはかはりて夜寢ずに起て居る意也。輕く見べからず
といへり(一三五頁參照)
 
2668 二上にかくろふ月のをしけども妹がたもとをかるるこのごろ
二上爾隱經月之雖惜妹之田本乎加流類比來
 二上山は大和河内の界にあり。近くは卷十(二一三四頁)に見えたり。初二は序なり○(2431)妹ガタモトヲカルルは妹ガ袖ヨリ離ルルにてやがて妹ヨリ離レ居ルとなり
 
2669 吾背子がふりさけ見つつなげくらむ清き月夜に雲なたなびき
吾背子之振放見乍將嘆清月夜爾雲莫田名引
 卷七に
  妹があたり吾袖ふらむ木間〔日が月〕よりいでくる月に雲なたなびき
 又上(二三〇二頁)に
  遠づまのふりさけ見つつしぬぶらむこの月の面に雲なたなびき
とあり
 
2670 (まそかがみ)清き月夜のゆつりなば念は不止《ヤマズ》、戀こそまさめ
眞素鏡清月夜之湯徙去者念者不止戀社益
 不止を二註にヤマジとよめるはわろし。ヤマズとよみてヤマズテの意とすべし○ユツリナバは傾カバとなり(七二四頁參照)
 
2671 この夜らのありあけづくよありつつもきみをおきてはまつ人もなし
(2432)今夜之在開月夜在乍文公乎置者待人無
 初二は序なり。アリツツモはカクシツツなり○前註はいづれも緊要なる事を脱せり。即アリツツモの下に君ヲバ待タムといふことを略せるなることを明にせざるべからず。上なる
  爭へば神もにくますよしゑやし(爭ハジ)よそふる君がにくからなくに
 又六帖なる
  あしのやのこやのしのやのしのびにも(逢ハムカ)いないなまろは人の妻なり
など古歌には此格少からず
 
2672 此山の嶺にちかしとわが見つる月の空なる戀もするかも
此山之嶺爾近跡吾見鶴月之空有戀毛爲鴨
 月ノまでは序なり。月は嶺を離れぬと見る間もなく空高くなるものなればかくは云へるなり。月ノの下にハヤといふ語を加へて聞くべし。古義は誤解せり○さて主文の方にては空ナルは夢中ナルとなり
 
(2433)2673 (ぬばたまの)夜わたる月のゆつりなば更にや妹にわがこひをらむ
烏玉乃夜渡月之湯移去者更哉妹爾吾戀將居
 略解に『マソカガミ云々の歌とおなじ意也』といへるは非なり。彼は女の歌、此は男の歌なり。故ありて女の許に行くを得ざる夜によめるなり。古義に『月のある限はなぐさむる方もあるをその月の傾きなば云々』といへる如き意とおぼゆれど少くとも單獨にてはさる意とまではきゝなしがたし。おそらくは上なるマソカガミといふ歌の答ならむ
 
2674 朽網《クタミ》山ゆふゐる雲の薄〔左△〕往者《タチユカバ》われはこひむなきみが目をほり
朽網山夕居雲薄往者余者將戀名公之目乎欲
 クタミ山は豐後國|直入《ナホリ》郡なる久住《クヂユウ》山一名九重山の古名なりといふ。クタミがクサミとなり(豐後國風土記に據ればクサミがクタミとなりしなりと云ふ)クサミがクスミとなりクスミがクヂユウとなりしにや。豐前國|企救《キク》郡にも朽網といふ地あり。渡邊重春の豐前志卷三にはこの朽網山を其地とし豐後國風土記に豐後國直入郡(2434)とせるを誤とせり。こは一説として擧げおくのみ○第三句を舊訓にウスラガバとよみ、眞淵は薄を轉の誤としてユツリナバとよみ、雅澄は發の誤としてタチテイナバとよめり。字はいかにもあれヰルのうらなればタツならざるべからず。さればタチユカバとよむべし。さて序よりのかゝりにては雲ノ朝タチユクにて主文にては君ガタチユカバなり
2675 (君が服《キル・ケス》)三笠の山にゐる雲の立者繼流《タテバツガルル》、戀爲鴨《コヒヲスルカモ》
君之服三笠之山爾居雲乃立者繼流戀爲鴨
 服を舊訓以下にキルとよめるを雅澄はケルに改めたり。キタルといふべき處にあらねば舊訓に從ふか又はケスとよむべし(ケルはキタルの古格なり)○第四句を舊訓にタテバツガルルとよめるを略解にタチテハツゲルと改めたるは却りてわろし。タテバまでが序なり。雲ノ立テバ後ヨリ續グガ如クといへるなり。卷三(四六一頁)なる
  たかくらの三笠の山になく鳥のやめばつがるる戀もするかも
と辭は似たれど格は異なり。彼歌にてはヤメバは主文に屬せり○結句はコヒヲス(2435)ルカモとよむべし(二註にはコヒモとよめり)
 
2676 (久堅の)あまとぶ雲に在〔左△〕《ナ》りてしが君にあひみむおつる日なしに
久堅之天飛雲爾在而然君相見落日莫死
 古義に
  飛といへること何とやらむ雲に似つかはしからぬやうなり。若は天飛雁と、もとはありけむをはやくより誤りとなへて此|次《ナミ》にいれたるにはあらざるか
といへり。もとのまゝにて可なり○卷六(一〇五二頁)なる鵜ニシモアレヤ家モハザラムと相似たる所あり○略解古義に在を成の誤とせり
 
2677 佐保の内ゆ下風之吹《アラシシフケ》禮〔□で囲む〕者《バ》還者〔二字左△〕《ヒトリネテ》△△《セムスベ》しらになげく夜ぞおほき
佐保乃内從下風之吹禮波還者胡粉歎夜衣大寸
 内ユは内ニなり。第二句を考に禮を衍字としてアラシノフケバとよみ、古義には之の字を除きてアラシフケレバとよめり。フケレバとは云はれざれば禮を衍字としてアラシシフケバとよむべし○還者を舊訓にカヘルサハとよみ、宣長は『必誤字な(2436)らん』といひ、雅澄は立還の誤とせり。宜しく獨宿の誤としてヒトリネテとよむべし○シラニの上に四言おちたる事明なり。契沖はサムサヲシラニとよみ眞淵は一本に爲便の二字ありといひてセムスベシラニとよめり。眞淵に從ふべし
 
2678 はしきやしふかぬ風ゆゑ(玉くしげ)△開而《トアケテ》さねし吾ぞくやしき
級子〔左△〕八師不吹風故玉匣開而左宿之吾其悔寸
 ハシキヤシは風にかゝれり。風は戀人をたとへたるなり○開而を二註にヒラキテとよみたれど戸といふことなくてはかなはず。おそらくは戸開而とありし戸をおとせるならむ。さらばトアケテとよむべし○子は支を誤れるならむ
 
2679 窓ごしに月おしてりてあしひきのあらしふく夜はきみをしぞ念《モ》ふ
窓超爾月臨照而足檜乃下風吹夜者公乎之其念
 オシを二註にオシナベべテの意としたれどオシナベテのオシは輕く添へるに過ぎざればこゝのオシはなほ壓シの意とすべし○代匠記に
  アシヒキノ山と云はずして下風《アラシ》とつづけたるは足引すなはち山の意なり。集中(2437)例多し
といへり。はやく卷三(五〇二頁)に足日木ノイハ根コゴシミ、卷八(一五三八頁)に足引ノコノ間タチグクホトトギスとあり
 
2680 (河千鳥)住〔左△〕澤《ナキサハ》の上にたつ霧のいちじろけむなあひいひそめてば
河千鳥住澤上爾立霧之市白兼名相言始而者
 上三句は序なり。住澤を契沖はスミサハとよみ其他はスムサハとよめり。案ずるに住といはむは穩ならず。住は泣の誤にてナキサハとよむべきならむ。泣澤は香山附近の地名にてはやく卷二(二八五頁)に見えたり○イチジロケムナは世ニアラハレムとなり。テバ はタラバなり
 
2681 吾背子が使をまつと笠も著ずいでつつぞ見し雨のふらくに
吾背子之使乎待跡笠毛不著出乍其見之雨落久爾
 卷十二に重出せり。フラクニはフルニの延言なり
 
2682 辛〔左△〕衣《ニヒゴロモ》君にうちきせ見まくほりこひぞくらしし雨のふる日を
(2438)辛衣君爾内著欲見戀其晩師之雨零日乎
 初句を從來カラゴロモとよめり。さて考に『文《アヤ》あるきぬを云』といひ二註は之に從へり。一首の意は考に
  よき衣をぬひて著せて見んとて待くらせ〔右△〕しに雨ふりて男の來ぬなるべし。女の情見えて哀なる歌なり
といへり。辛衣はおそらくは新衣の誤ならむ
 
2683 をちかたのはにふの少屋《ヲヤ》にこさめふり床《トコ》さへぬれぬ身にそへ我妹
彼方之赤土少屋爾※[雨/脉]霖〔左△〕零床共所沾於身副我妹
 ヲチカタはアナタなり。但こゝにては里離レタルといふばかりの意なり○ハニフノ少屋を契沖は『はに土にて塗たる小屋なり』といひ眞淵以下は『ただに土の上にわら筵などとり敷て住ふ片山里などのまづしき庵をいふ也』といへり。案ずるにこは埴生ニアル小屋即埴取場ノ小屋にて人の住む家にあらず。さて此次に女ヲ率テ寢タルニといふことを補ひて聞くべし○床は敷物なり。藁又は筵を敷きたるなり。身ニソヘは我ニ寄副へとなり○霖は※[雨/沐]の誤なり
 
(2439)2684 笠無登《カサナミト》、人にはいひてあまづつみとまりし君がすがたしおもほゆ
笠無登人爾者言手雨乍見留之君我容儀志所念
 初句を舊訓以下にカサナシトとよめるを古義にカサナミトとよみ改めたる、いとよろし。俗語にていはば笠ガ無イカラトとなり○アマヅツミはアマゴモリなり。はやく卷四(六四九頁)に出でたり。オモホユはシノバルなり
 
2685 妹が門ゆきすぎかねつ(久方の)雨もふらぬかそをよしにせむ
妹門去過不勝都久方乃雨毛零奴可其乎因將爲
 ヨシニセムは立寄ル口實ニセムとなり
 
2686 夜占《ユフケ》とふ吾袖におくしら露をきみにみせむととればけにつつ
夜占問吾袖爾置白露乎於公令視跡取者消菅〔左△〕
 シラツユヲの下にトリ置キテといふことを加へて心得べし。略解に『夕占とふとて道に立あかし〔三字傍点〕たる袖に』といひ古義に『夜すがら〔四字傍点〕ゆふけを問とて』といへるは非なり。ただ久シクタタズメル袖ニといへるなり○卷十に
(2440)  うめの花ふりおほふ雪をつつみもち君にみせむととればけにつつ
とあり
 
2687 櫻麻《サクラヲ》の苧原《ヲフ》の下草露しあればあかしてい去《ユケ》母は知るとも
櫻麻乃苧原之下草露有者令明而射去母者雖知
 櫻麻を契沖は舊訓に從ひてサクラアサとよみて
  立たるさま葉のさまの櫻にやゝ似たれば云なるべし
といひ眞淵はサクラヲとよみてサクラを地名としサクラヲノを枕辭とせり。又枝直はカニバヲとよまむかといひ、雅澄は舊訓の如くサクラアサとよみて
  櫻のさくころ蒔くものなる故にいふといへり
といへり。おそらくは一種の麻の名ならむ。訓はサクラヲとあるべし。ヲとよめばこそヲフのヲとの重複を嫌はざるなれ。さてサクラヲノヲフは櫻麻《サクラヲ》ノ畠といふことなり。新古今集雜上にサクラアサノヲフノ浦浪タチカヘリとあるは此歌に據りてサクラアサノをヲフノ浦の枕辭につかへるなり。混同すべからず○アカシテイマセは夜ヲ明シテ歸リマセとなり。記傳卷三十九(全集二三〇七頁)に道ヲ明ケテの意(2441)として
  こは露の干むを待ちてゆけと云るなり。衣ぬらす露の無くなるは道の明くなり。結句に母ハ知ルトモと云ればこは殊に夜ヲ明シテと聞ゆめれど然らず。夜は明ても朝のほどは露は干るものにあらず
といへるは從はれず○張平子の南都賦に客ハ醉ヒテ言《ココ》ニ歸ラムト賦スレバ主ハ露未|晞《カワ》カズト稱シ歡宴ヲ日夜ニ接シト樂ノ令儀ヲ終フとあるも主ガ夜ヲ明シテ歸リマセトイフと云へるなり
 
2688 まちかねて内へは入らじしろたへのわがころもでに露はおきぬとも
待不得而内者不入白細布之吾袖爾露者置奴鞆
 古今集戀四に
  君來ずば閨へも入らじこむらさきわがもとゆひに霜はおくとも
とあると相似たり
 
2689 (朝露の)けやすき吾身おいぬとも又|若反《ヲチカヘリ》、君をし待たむ
(2442)朝露之消安吾身雖老又若反君乎思將待
 若反を舊訓以下にワカガヘリとよめるを古義に若の上に變の字を補ひてヲチカヘリとよめり。もとのまゝにてヲチカヘリとよむべし。ヲチ又ヲチカヘリの事は卷三(四三六頁)及卷六(一一五五頁)にいへり。卷五(九一一頁及九一二頁)にもヲチとよめる歌あり
 
2690 しろたへのわがころもでに露は置△《オケド》妹にはあはずたゆたひにして
白細布乃吾袖爾露者置妹者相猶預四手
 置を略解にオキヌとよみ古義に其下に跡を補ひてオケドとよめり。後者に從ふべし○結句はサレドナホ還ラウカ留マラウカトタユタヒテヲルといふ意ならむ。ニシテの下に辭を略せるなり。ニシテより上に返るにあらず
 
2691 かにかくに物はおもはじ朝露の吾身ひとつは君がまにまに
云云物者不念朝露之吾身一者君之隨意
 アサツユノは朝露ノ如クハカナキとなり。上(二四一九頁)にも
(2443)  かにかくに物は念はじ斐太人のうつすみなはのただ一道に
 とあり。初二は二心ハモタジとなり
 
2692 夕ごりの霜おきにけり朝戸出に甚踐而《イタクモフミテ》、人にしらゆな
夕凝霜置來朝戸出爾甚踐而人爾所知名
 ユフゴリノは夕方ニ凍リシとなり。甚踐而を舊訓にアトフミツケテとよめり。之に據りて古義には跡踐附而の誤字とせり宣長は甚を其上の誤としてソノウヘフミテとよみたれど霜のおきわたせるに霜の上を踐までいづくを踐みてか行くベき。案ずるにもとのまゝにてイタクモフミテとよむべし
 
2693 かくばかりこひつつあらずば朝に日に妹がふむらむ地ならましを
如是許戀乍不有者朝爾日爾妹之將履地爾有申尾
 アサニ日ニは毎日なり
 
2694 (あしひきの)山鳥(ノ)尾〔左△〕乃《ヲノ》一〔□で囲む〕|峯越《ミネゴシニ》、一目見し兒にこふべきものか
足日木之山鳥尾乃一峯越一目見之兒爾應戀鬼香
(2444) 二三を從來ヤマドリノヲノヒトヲコエとよめり。さて眞淵は
  是は尾は用なけれど言をひびき重んために常いふ言なればいへるもの也
といひ又
  山の彼方の里などにて一目みしばかりの妹にかくしも戀べきものかはと自いぶかるなり
といへり。二註は眞淵の説に同ぜり。案ずるに山鳥尾乃の尾は雄の誤字なるべく一峯越の一は衍字ならむ。されば第三句はミネゴシニとよむべし。上三句は山鳥ノ雄ガ峯ゴシニ雌ヲ一目見ル如ク一目見シ兒ニとかゝれる序なり。山鳥の妻どひの事は卷八なる家持贈2坂上大孃1歌に足ヒキノ山鳥コソハ、峯《ヲ》ムカヒニツマドヒストイヘとある處(一六三八頁)にいへり
 
2695 吾妹子にあふよしをなみ駿河なるふじの高嶺のもえつつかあらむ
吾妹子爾相縁乎無駿河有不盡乃高嶺之燒管香將有
 三四は序なり。モエツツは心燃エツツなり
 
2696 荒熊のすむちふ山の一師〔□で囲む〕|齒迫《ハセメ》山せめて問ふとも汝が名はのらじ
(2445)荒熊之住云山之師齒迫山責而雖問汝名者不告
 從來師齒迫山をシハセ山とよめり。さて略解に
  シハセ山いづこにかしらず。宣長云。これはシハセといふをしばしば責る意にとりてシバシバ責メテ問フトモの意なるべしとい へり。さも有べし
といへり。案ずるに師は衍字、齒迫山はハセメ山にて長谷部山ならむ。長谷部といふ處は諸國にあり。さらばセメテをよび出さむ爲の序なり○上(二二六八頁)に母ハトフトモソノ名ハノラジとあり
 
2697 妹が名もわが名も立者《タタバ》をしみこそふじのたかねのもえつつわたれ
妹之名毛吾名毛立者惜社布仕能高嶺之燒乍渡
    或△歌曰君が名もわが名も立者《タタバ》をしみこそふじのたかねのもえつつもをれ
    或歌曰君名毛妾名毛立者惜己曾不盡乃高山之燒乍毛居
 フジノタカネノはモエにかゝれる序なり○立者は舊訓に從ひてタタバとよむべ(2446)し。さてタタバといはばヲシカルベミといふべきをヲシミといへるは當時通用の語法なり。古義に
  立者はタテバと訓べし。タタバとよめるはいみじき非なり。もし然よまば尾句をモエツツワタラメといはでは首尾ととのはざるをや
といへるは中々にいみじきひが言なり。立者はヲシミと首尾を成せるなり。モエツツワタレは立者の尾にあらず
 左註の或歌は或本歌の脱字なり
 
2698 ゆきて見てくればこひしき朝香方、山ごしにおきていねがてぬかも
往而見而來戀敷朝香方山越置代宿不勝鴨
 二註に初二を朝にかゝれる序とし、又古義に
  うるはしくおぼゆる人を朝香がたにおきて別來つるに山ごしにさへあればたやすくあふべきことも叶はねば云々
と釋ける共にうべなはれず。第三句はワギモコヲなどあるべき處なり。なほ考ふべし○クレバコヒシキは歸レバヤガテ戀シキとなり○此歌は旅にいでてよめるな(2447)り。第四句の語例は卷四(六二四頁)にテル月ノアカザル君ヲ山ゴシニオキテとあり
 
2699 安太《アダ》人のやなうちわたす瀬速《セノハヤキ》こころはもへどただにあはぬかも
安太人乃八名打度瀬速意者雖念直不相鴨
 古事記神武天皇の段に
  吉野河ノ河尻ニ到リマシキ。時ニ筌《ヤナ》ヲウチテ魚ヲ取ル人アリキ。ココニ天神ノ御子、汝ハ誰ゾト問ハシケレバ僕ハ國(ツ)神、名ハ贄持《ニエモツ》之子トマヲシキ
とありて註に此者阿陀〔二字傍点〕之鵜養《ウガヒ》之祖《オヤ》とあり○第三句を從來セヲハヤミとよめり。宜しくセノハヤキとよみて瀬ノまでを序とすべし。ハヤキココロハモヘドはハヤル心ヲバ持テドとなり。下にもトホキ心ハオモホエヌカモとあり。又卷十六にもアサキ心ハワガモハナクニとあり
 
2700 (玉蜻《タマカギル》)いは垣淵の隱庭《コモリニハ》、伏〔左△〕以死△《コヒテシヌトモ》なが名はのらじ
玉蜻石垣淵之隱庭伏以死汝名羽不謂
 初二は序なり。イハガキは磐のそびえて垣の如くなるなり。古語に垣を主としては(2448)イハガキといひ磐を主としてはカキハといへり(六三頁參照)〇三四を舊訓にカクレニハフシテシヌトモとよめり。さて千蔭は『伏以死の以は義訓にてテの詞にあてて書るか』といひ、雅澄は下に
  隱庭戀而死鞆みそのふのからゐの花の色にいでめやも
とあるに據りて戀雖死の誤としてシヌビニハコヒテシヌトモとよめり。案ずるにおなじく下にオトニハタテジ戀而雖死ともあれば第四句の訓は古義の説に從ふべし。但字は戀死鞆の誤脱とすべし。以はテに當てたるなり○上三句の語例は卷二(二九二頁)に玉カギル磐垣淵ノ隱《コモリ》ノミコヒツツアルニ、上(二三三八頁)に玉カギルイハ垣淵ノ隱而在※[女+麗]《コモリタルツマ》、下にもイハガキヌマノミゴモリニコヒヤワタラム又イハ淵ノ隱而《コモリテ》ノミヤワガコヒヲラムとあり。隱庭はコモリニハとよむべし。意はシヌビニハといはむにひとしくて竊ニとなり。ハには意なし
 
2701 明日香川あすも渡らむ(いはばしの)遠き心はおもほえぬかも
明日香川明日文將渡石走遠心者不思鴨
 初二はわざと音を重ねたるなり。さて其意は明日モ亦明日香川ヲ渡リテ妹ガリ行(2449)カムとなり○イハバシは河中の飛石なり。今は明日香川の岩ばしを枕につかへるなり。さて卷四(七〇六頁)にイハバシノ間〔日が月〕近キ君ニコヒワタルカモとありて間近キの枕につかひたるにこゝには遠キ心ハにつづきたるが異樣なれば契沖以下いとむつかしく釋き成せり。案ずるに岩橋には間〔日が月〕近きも間遠きもあるべければいかで遠キの枕辭とすべからざらむ。卷四なるは間ヂカキの枕につかひ今はトホキの枕につかへるのみ〇四五を直譯すれば悠長ナ心ハ持タレヌカナといへるにてそのトホキ心は卷七(一四七一頁)なるナガキ心モオモホエヌカモのナガキ心とおなじくて上なるハヤキ心とはうらうへなり
2702 あすか川水往増いや日けに戀のまさらば在勝申目〔左△〕《アリガツマシジ》
飛鳥川水往増彌日異戀乃増者在勝申目
 第二句を從來ミヅユキマサリとよめり。水如増の誤としてミヅマサルゴトとよむべきか○イヤ日ケニは日ヲ追ヒテなり。結句を契沖以下皆アリガテマシモとよめり。宜しく橋本進吉氏の説に從ひて目を自の誤としてアリガツマシジとよみて在|堪《ア》フマジの意とすべし(三三六頁參照)
 
(2450)2703 まこもかる大野川原のみごもりにこひこし妹が紐とく吾は
眞薦刈大野川原之水隱戀來之妹之紐解吾者
 初二は序なり。さてただコモリニといひて可なるをミゴモリニといへるは序に引かれたるにて上(二三一九頁)なる
  ちぬの海のはまべの小松根ふかめでわがこひわたる人の子ゆゑに
 又(二四〇二頁)
  くれなゐのこぞめのころも色ふかくそみにしかばか忘れかねつる
と同格なり。コモリニはシノビニなり
 
2704 (あしひきの)山下とよみゆく水の時ともなくもこひわたるかも
惡氷木之山下動逝水之時友無雲戀度鴨
 上三句は序なり。時トモナクは始終なり。ナクモのモは助辭なり。時ゾトモナクとも云へり。下に
  春日野の淺茅が原におくれゐて時ぞともなしわがこふらくは
(2451)とあり
 
2705 はしきやしあはぬ君ゆゑいたづらに此川の瀬に玉裳ぬらしつ
愛八師不相君故徒爾此川瀬爾王裳沾津
 ハシキヤシは君にかゝれる准枕辭なり○上(二二八三頁)にも
  はしきやしあはぬ子故にいたづらに是《ウヂ》川のせにもすそぬらしつ
とあり。彼歌の趣にては男の歌、此歌の趣にては女の歌なり。考にいへる如く男の歌ならむ方ふさはしければ此は彼を傳へ誤れるにこそ
 
2706 はつせ川|速見早湍《ハヤミハヤセ》をむすびあげてあかずや妹ととひしきみはも
泊湍川速見早湍乎結上而不飽八妹登問師公羽裳
 ハヤミハヤセは契沖が『早き早瀬なり』といへる如し。赤キ鳥をアカミトリ、クシキ玉をクシミタマ、ハヤキ濱風をハヤミハマ風といへると同例なり(八八三頁參照)。但速は淨などの誤にてもあらむか○作者と男と共に泊瀬川に遊びし事あるなり。其時男が早瀬の水を掬び上げて飲みもし飲ませもすとて此水ノ如ク我ニ飽カズヤイ(2452)カニと問ひし事ありしが後に其男の通はずなりしかばトヒシ君ハモといへるなり。考に『暑き頃など掬て呑水の飽こと無を譬て云々』といひ古義に上三句を序としたる、共に非なり
 
2707 青山のいは垣ぬまのみごもりにこひやわたらむあふよしをなみ
青山之石垣沼問〔左△〕乃水隱爾戀哉度相縁乎無
 初二は序なり。ただコモリニといふべきをミを添へたるは序に引かれたるなり。上(二四五〇頁)にも大野川原ノミゴモリニとあり○問は聞の誤なり
 
2708 (しながどり)ゐな山とよみゆく水の名耳所縁〔左△〕之《ナニナガサエシ》こもり妻はも
   一云|名耳《ナニ》之〔□で囲む〕所縁〔左△〕而《ナガサエテ》こひつつやあらむ
四長鳥居名山響爾行水乃名耳所縁之内妻波母
    一云名耳之所縁而戀管哉將在
 上三句は序なり。第四句を舊訓にナニノミヨセシとよみ古義にナノミヨセテシとよめり。さては序のかゝるべき由なし。宜しく縁を流の誤として名ニナガサエシと(2453)よむべし。ナガサエシは傳ヘラレシなり。語例は卷二(三二六頁)に妹ガ名ハ千代ニナガレムとあり。これも千代ニ傳ハラムとなり。さて上三句は名ニを隔てゝナガサエシにかゝれるなり○コモリヅマはシノビ妻なり。考以下に『父母の守こめて逢がたき妹をいふ』といへるは第四句を釋き煩ひし結果のみ。集中にコモリ妻といへるは皆シノビ妻なるをこゝのみ釋を異にすべけむや○爾は彌の誤なり
 一本の方は之を衍字として名ニナガサエテとよむべし
 
2709 吾味子にわがこふらくは水ならばしがらみこえてゆくべくぞもふ
    或本歌△句云あひもはぬ人をおもはく
吾妹子吾戀樂者水有者之賀良三超而應逝衣思
    或本歌句云相不思人乎念久
 諸本に左註の句の字の上に發の字あり○コフラクハは戀フルヤウハ、オモハクは思フヤウハとなり○考に
  或本歌云……これは右の歌によしなし。此二句の下は失て別事なりけん
(2454)といひ二註は之に雷同したれど
  あひもはぬ人をおもはく水ならばしがらみこえてゆくべくぞもふ
とつづけてもふさはぬ所なきにあらずや
 
2710 いぬがみのとこの山なるいさや河いさとを寸許須〔左△〕《キコセ》わが名のらすな
狗上之鳥籠山爾有不知也河不知二五寸許須余名告奈
 上三句は序なり。略解に第四句の須を一本によりて瀬に改めてキコセとよめり。之に從ふべし。キコセは聞カセヨにて(キカスをキコスといふは知ラスをシロスといふと同例なり)やがて云ヒタマヘといふにひとし〇四五の意はモシカク相逢フ事ヲ問フ人アリトモ覺ナシト云ヒタマヘ、決シテ我名ヲ人ニ告ゲタマフナといへるなり。略解にイサをイザ知ラズの略とせるは非なり。イサに知ラズといふ意あるなり。そのサは清みて唱ふべし。イサトヲのヲは助辭なり○古今集墨滅歌にイサト答ヘヨ我名モラスナとあるは改めたるなり
 
2711 奥山の木葉がくりてゆく水の音聞從《オトキキシヨリ》、常わすらえず
(2455)奥山之木葉隱而行水乃音聞從常不所忘
 上三句は序、コノハガクリテは木葉ニ隱リテのニを略せるなり○第四句を舊訓にオトキキシヨリとよめるを二註にオトニキキシ【ユヨ】と改めたり。卷二(三一〇頁)なる吉備津釆女死時歌にアヅサユミ音聞吾母《オトキクワレモ》オホニミシコトクヤシキヲとありてオトキクともいへば舊訓のまゝにてもあるべし。オトキク又オトニキクは噂に聞くといふ事なり。結句は常ニ忘ラレズとなり
 
2712 言とくば中はよど益《マセ》(水無《ミナシ》河)たゆちふ事|乎〔左△〕《ノ》ありこすなゆめ
言急者中波余騰益水無河絶跡云事乎有超名湯目
 益は宣長に從ひてマセとよむべし。水無河はミナシガハとよむべし(二〇三二頁參照)○宣長いへらく
  コトトキは人言のはなはだしきをいふ。歌の意は人言はなはだしくば中ごろはよどみて通ひ給ふな、されどつひに絶給ふ事はなかれと也
といへり。中は一時なり○事乎は事之の誤ならむ。上(二二五六頁)にもケフノ日ノ〔右△〕千歳ノゴトクアリコセヌカモとあり
 
(2456)2713 あすか河ゆくせをはやみ將速△登《ハヤミムト》まつらむ妹を此日|晩津〔左△〕《クレヌカ》
明日香河逝湍乎早見將速登待良武妹乎此日晩津
 初二は序なり。眞淵は舊訓に第三句をハヤミムトとよめるに基づきて見の字を補へり○妹ヲは妹ナルニなり。結句を從來字のままにてコノヒクラシツとよめり。さて略解に
  障有てとく行ずして其日をくらせ〔右△〕し也
と釋き古義にも
  來らば速く相見むと女の待らむものを障ることありてとく得行ずしてむなしく此日を暮しつとなり
と釋けり。案ずるに女の許には夜こそ行くべければ日暮れぬとて嘆くべきにあらず。されば晩津は晩糠《クレヌカ》の誤とすべし
 
2714 (もののふのやそ)うぢ河の急瀬〔二字左△〕《セヲハヤミ》たちえぬ戀も吾はするかも
    一云たちても君はわすれかねつも
(2457)物部乃八十氏川之急瀬立不得戀毛吾爲鴨
    一云立而毛君者忘金津藻
 弟三句を從來ハヤキセニとよめり。宜しく瀬急の誤としてセヲハヤミとよむべし(一本の方にてこそハヤキセニといふべけれ)○タチエヌは苦シクテ立ッテハ居ラレヌ程ノとなり。古義に
  タチエヌはアリエヌといふに似てたつにもをるにも得あられぬと云ほどの意なり
といへるは非なり
 
2715 神名火《カムナビヲ》、打廻前〔左△〕乃《ウチタムカハノ》いはぶちのこもりてのみやわがこひをらむ
神名火打回前乃石淵隱而耳八吾戀居
 上三句は序なり。初二を略解にカミナビノウチワノクマノとよみ、宣長は打を折の誤としてヲリタムクマノとよめり。宜しく前を河の誤としてカムナビヲ〔右△〕ウチタムカハノとよむべし。カムナビは飛鳥の神奈備山なり。ウチタムは打廻ルなり。川は飛(2458)鳥川なり。卷八(一五八七頁)にアスカ川ユキタム岳《ヲカ》ノとあるは明日香川ガユキメグル岡ノといへるにて今と主賓の位置の換れるのみ
 
2716 高山ゆいでくる水のいはにふりわれてぞおもふ妹にあはぬ夕《ヨ》は
自高山出來水石觸破衣念妹不相夕者
 上三句は序なり。ワレテを略解に『思ひくだくる也』と釋き古義に心モ千々ニワレクダケテと釋せり。ワレテはアナガチニといふ意なり。破裂シテといふ意にあらず
 
2717 朝東風にゐでこす浪の世蝶〔二字左△〕倣裳《ハツカニモ》あはぬ鬼故瀧|毛〔左△〕《ノ》とどろに
朝東風爾井提越浪之世蝶似裳不相鬼故瀧毛響動二
 初二は序なり。第三句を眞淵は世越《セゴシ》ニモ又は世染《ヨソメ》ニモの誤とし、宣長は且蛾津《カツガツ》モの誤とし、雅澄は左也蚊ニモの誤とせり。齒束《ハツカ》ニモの誤ならむ○鬼故を舊訓にモノユヱとよめるを宣長は兒故の誤としてコユヱニとよめり。もとのまゝにてよく通ずるにあらずや○結句の毛は之の誤なる事明なり。瀧ノ如クトドロニ人ノ云騒グ事ヨとなり
 
(2459)2718 高山のいはもとたぎちゆく水の音にはたてじこひてしぬとも
高山之石本瀧千逝水之音爾者不立戀而雖死
 上三句は序なり。岩本ヲ沸《タギ》チユク水ノ如クとなり○オトニハタテジは人ニ語リテ世ノ噂ニハ立テジとなり。古義ニ音ニタテテ名ニハアラハサジと譯せるはたどたどし○古今集戀一なる
  よし野川岩きりとほしゆく水の音にはたてじこひはしぬとも
は此歌に基づけるならむ
 
2719 (こもりぬの)したに戀者《コフレバ》あきたらず人に語りついむべきものを
隱沼乃下爾戀者飽不足人爾語都可忌物乎
 シタニは心ニなり。戀者を舊訓にコフレバとよめるを二註にコフルハに改めたるはわろし。アキタラズは後世のアキタラデなり○上(二二九一頁)にも
  こもちぬのしたゆこふればすべをなみ妹が名のりつゆゆしきものを
とあり
 
(2460)2720 (みづとりの)鴨のすむ池の下樋なみいぶせき君をけふ見つるかも
水鳥乃鴨之住池之下桶〔左△〕無欝悒君令〔左△〕日見鶴鴨
 上三句は序なり。第四句はイブセカリシ君ヲといふべきを現在格にていへるなり。イブセキは心モトナキとなり○桶は樋の誤、令は今の誤なり
 
2721 玉藻かるゐでのしがらみ△薄《アツミ》かも戀のよどめる吾〔左△〕情《ココロカラ》かも
玉藻刈井提乃四賀良美薄可毛戀乃余杼女留吾情可聞
 初二は序にて玉藻カルはヰデの准枕辭なり○從來結句をワガココロカモとよみ第三句を契沖眞淵はウスキカモとよみ、宣長雅澄はウスミカモとよめり。さて宣長は
  是は三の句にて切て四五とつづけて見べし。忍ぶ中の名のもれたるを歎きてよめりと聞ゆ。シガラミノ薄サニモレタル歟又ワガ忍ブ思ノヨドミミチテオノヅカラアフレタル歟となり
といひ、雅澄は
(2461)  シノビニ隱ス心ノウスサニモレタルカ又吾シノブ心ノヨドミ滿餘リテモレタル故ニ人ノ知タルカ、サテモセム方ナシヤと歎たるなり
といへり。案ずるに第三句は薄の上に不の字を補ひてアツミカモとよむべし。アツミを不薄とかけるはマヂカクを不遠と書きオホホシクを不清、不明と書きキヨクを不穢とかけると同例なり。上三句は障多ケレバニヤといふ意なり。さてそを譬喩にて玉藻カルヰデノシガラミアツミカモといひし縁によりて思の過ぎがたきを戀ノヨドメルといへるなり○結句は吾を自などの誤としてココロカラカモとよむべし〇一首の意は我思ノ過ギ難キハ外部ノ障ノ多ケレバニヤ又ハ我心カラニヤといへるにて卷一なる
  吾妹子をいざみの山をたかみかもやまとの見えぬ國遠みかも
などと同格なり
 
2722 吾妹子が笠のかり手のわざみ野に吾はいりぬと妹につげこそ
吾妹子之笠乃借手乃和射見野爾吾者入跡妹爾告乞
初二は序なり。契沖いへらく
(2462)  笠に小さき輪を著《ツケ》てそれに緒を著る其輪をカリテと云に依てワザミ野のワのひともじにつづく
といへり。カリテの事は堀河百首の抄などに見えたるにや○ワザミ野は卷二(二六六頁)にコマツルギワザミガ原ノとあるに同じ。美濃の地名なり○考に
  旅立し時か歸る時か何れにても有べし
といへり。遠ざかり行く時の歌ならむ
 
2723 あまたあらぬ名をしもをしみ(うもれ木の)したゆぞこふるゆくへ知らずて
數多不有名乎霜惜三埋木之下從其戀去方不知而
 初二は二ツトナキ名ノ音ニ立チナムガヲシサニとなり○宣長は
  結句は卷二にコモリヌノユクヘヲシラニトネリハマドフと有と同意にて埋木へかゝれり。三五四と句を次第して見べし
といへり。即ウモレ木ノをユクヘシラズテの枕辭とせるなり。案ずるにウモレ木ノは上なるコモリ沼《ヌ》ノ下ニコフレバのコモリヌノとおなじく下ニにかゝれる枕辭(2463)なり。さればウモレ木ノシタユゾコフルは句のまゝに心得べし。シタユは心ニなり○ユクヘシラズテを古義に終ニナリハテム程モハカリ知ラレズシテと譯せり。そもそもユクヘには行クベキ先の意なるとユキシ先の意なるとあり。こゝなどのユクヘは行クベキ方の意にてセムスベと云はむに齊し
 
2724 あき風の千江の浦|囘《ミ》のこつみなす心者依《ココロハヨセツ》、後はしらねど
冷風之千江之浦囘乃木積成心者依後者雖不知
 上三句は依にかゝれる序なり。考に
  秋風之のつづけおぼつかなし。もしチは風の古言なればいひ重ねたるか。又タチをはぶきてつづけたるか
といひ古義にも
  大神景井これはチの一言にかゝれる詞なるべし。さてそのチは風の用をいふことなるべし云々。と云り
といへり。案ずるに秋風ノ吹ク千江ノ浦囘といふべきを略したるなり○コツミは木屑なり。杣人が木作して屑を水中に棄てたるが流れ寄るなり。黒き白き緑なる打(2464)交りて目もあやなれば本集の歌人は好みて詩材としたるなり○第四句を從來ココロハヨリヌとよみて我心ハ君ニ依リヌの意としたれどさては後ハ知ラネドとはいふべからず。宜しくココロハヨセツとよみて妹ガ我ニ心ヲバ依セツの意とすべし
 
2725 (白細砂《シラマナゴ》)三津のはにふの色にいでて不云耳衣《イハザルノミゾ・イハナクノミゾ》わがこふらくは
白細砂三津之黄土色出而不云耳衣我戀樂者
 初二は序にて初句は枕辭なり。契沖は
  白キマナゴノ滿ツと云意に三津とはつづけたる歟
といひ雅澄は
  白砂シキハヘタル三津ノ濱といふ意につづきたり。又按に白細砂は白銅鏡《マソカガミ》とありしを誤れるにもあるべき歟
といへり。しばらく契沖の説に從ふべし○第四句を略解にはイハザルノミゾとよみ古義にはイハナクノミゾとよめり。いづれにてもあるべし。卷十四に
  まがねふくにふのまそほの色にでて伊波奈久能未曾あがこふらくは
(2465)とあり。第三句以下今の歌におなじ
 
2726 風ふかぬ浦に浪|立《タツ》なき名|乎△《ヲモ》吾はおへるかあふとはなしに
風不吹浦爾浪立無名乎吾者負香逢者無二
    一云女跡念而
 一本に乎の下に毛の字ありといふ○立を舊訓にタツとよめるを二註にタチに改めたり。浪タチテといへるにあらで浪タツソノ如クといへるなればなほタツとよむべし〇一本の方は女の上に字を補ふか又は女を誤字とすべし
 
2727 すが島の夏身の浦に依浪《ヨルナミノ・ヨスルナミ》あひだもおきてわがもはなくに
酢蛾島之夏身乃浦爾依浪間文置吾不念君
 依浪を舊訓にヨルナミノとよめるを古義にヨスルナミに改めたり。かならずヨスルナミとよまざるべからざる處もあれどこゝなどはいづれにてもあるべし〇四五は間〔日が月〕モオカズ我思フ事ヨとなり
 
2728 あふみの海おきつしま山おくまへてわがもふ妹|之〔左△〕《ヲ》ことのしげけく
(2466)淡海之海奥津島山奥間經而我念妹之言繁
 オクマヘテは大切ニといふ事、シグケクは繁キ事ヨとなり○妹之は妹乎の誤としてイモヲとよむべし○此歌ははやく上(二二八九頁)に出でて第三句のみオクマケテとかはれり
2729 (あられふり)遠津大浦によする浪、縱毛〔左△〕依十方《ヨシヱヨストモ》にくからなくに
霰零遠津大浦爾縁浪縱毛依十方憎不有君
 上三句は序なり。記傳卷二十三(一三六三頁)に
  遠津は紀國の地名なるべし。萬葉七に遠津之濱、十一に遠津大浦あり
といひて
  大浦の大(ノ)字は之の誤には非るか
といへり○第四句は古義に毛を惠の誤としてヨシヱヨストモとよめるに從ふべし。ヨシヱヨストモは世間ノ人ガ我ニイヒヨストモヨシヤとなり。ヱはヤに似たる助辭なり○上(二四二六頁)に
  あらそへば神もにくますよしゑやしよそふる君がにくからなくに
(2467)とあり
 
2730 きの海の名高の浦に依浪《ヨルナミノ・ヨスルナミ》音たかきかもあはぬ子故に
木海之名高之浦爾依浪音高鳧不相子故爾
 上三句は序なり
 
2731 牛窓の浪のしほさゐ島とよみ所依之《ヨサエシ》君にあはずかもあらむ
牛窓之浪乃塩左猪島響所依之君爾不相鴨將有
 牛窓は備前海岸の地名なり。その前面に前島といへるがあり。シホサヰは潮の音なり。はやく卷一(七一頁)及卷三(四八二頁)に見えたり○所依之を契沖以下ヨセテシとよめり。宜しくヨサエシとよむべし。アハズカモは逢ハズヤハなり○上三句は序にて牛窓ノ浪ノ潮騒《シホサヰ》ニ島ガトヨムガ如ク音高クイヒ寄セラレシ君ニ逢ハズニ止ムベシヤハといへるなり
 
2732 おきつ浪邊浪のきよるさだの浦の此さだすぎて後こひむかも
奥波邊浪之來縁左太能浦之此左太過而後將戀可聞
(2468) 上三句は序なり。サダノ浦はいづくにか知られず。契沖いへらく
  此左太過而は年の盛の比の過るなり。源氏物語などに多き詞なり
といへり。もし物語ぶみに多きサダにて壯時の意ならばコノを添へてはいふべからず。されば宣長は此の字をカクとよみ改めたれどなほ穩ならず。雅澄は
  左太は之太と同じく時の古言なり
といへり。此説に從ふべし。壯時をサダといふは語意の廣きより狹きにうつれるにこそ
 
2733 しら浪の來よする島のありそにもあらましものをこひつつあらずば
白浪之來縁島乃荒礒爾毛有申物尾戀乍不有者
 三四を略解にサルオソロシゲナル荒礒ト成テモアラマシモノヲと譯せるは非なり。古義に
  こひしく思ひつゝあらむよりは何の物思もなき大海のあら礒にてもあらましものをとなり
と釋けるが如し。意は卷六(一〇五二頁)なる
(2469)  玉藻かる辛荷の島に島囘する鵜にしもあれや家もはざらむ
に類し、辭は上(二四四三頁)なる
  かくばかりこひつつあらずば朝に日に妹がふむらむ地ならましを
に似たり
 
2734 しほみてば水沫にうかぶまなごにも吾は生鹿《ナリシカ》こひはしなずて
塩滿者水沫爾浮細砂裳吾者生鹿戀者不死而
 生鹿を二註にイケルカとよめり。宜しく舊訓に從ひてナリシカとよむべし。ナリシカはナリテシカにおなじ。ナリテシカをナリシカといへるは上(二二四三頁)なる
  まそかがみ見しかとおもふ妹にあはぬかも、たまのをのたえたる戀のしげきこのごろのミシカと同例なり○おなじく寄海歌の中ながら前後寄浪歌なる中に此歌を挿めるは前の歌と趣相似たる爲ならむ
 
2735 すみのえのきしの浦箕にしく浪の數《シクシク》妹を見《ミム》よしもがも
(2470)住吉之城師乃浦箕爾布浪之數妹乎見因欲得
 上三句は序なり。浦囘とかけるを從前ウラワ又はウラマとよみしを久老雅澄はウラミとよみ改めたり。こゝに浦箕とかけるは二者の説の一根據なり。シクは頻ニ寄ルなり○數は略解に從ひてシクシクとよむべく(古義にはシバシバとよめり)見は古義に從ひてミムとよむべし(略解にはミルとよめり)
 
2736 風をいたみいたぶる浪のあひだなくわがもふ君はあひもふらむか
風緒痛甚振浪能間無吾念君者相念濫香
 イタブルは前註にいへる如くイタク振フなり。卷十四にナミノホノイタブラシモヨキゾヒトリネテとあり。初二は序なり
 
2737 (大伴の)三津のしら浪あひだなくわがこふらくを人のしらなく
大伴之三津乃白浪間無我戀良苦乎人之不知久
 初二は序なり。四五は我戀フル事ヲ人ノ知ラヌ事ヨとなり
 
2738 大船のたゆたふ海に重石《イカリ》おろしいかにせばかもわがこひやまむ
(2471)大船乃絶多經海爾重石下何如爲鴨吾戀將止
 上三句は序なり。上(二二八七頁)に
  大船の香取の海にいかりおろしいかなる人か物もはざらむ
とあり
 
2739 みさごゐる奥麁磯《オキツアリソ》に縁浪《ヨルナミノ・ヨスルナミ》ゆくへもしらずわがこふらくは
水沙兒居奥麁礒爾縁浪往方毛不知吾戀久波
 略解にオキツアリソとよみ古義にオキノアリソとよめり。遙ナル荒礒といふ意とおぼゆればオキツアリソとよむべし○ユクヘモシラズはセムスベモ知ラズとなり。上(二四六二頁)にも下ユゾコフルユクヘ知ラズテとあり
 
2740 大船のへにもともにもよする浪よすとも吾は君がまにまに
大船之舳毛艫毛依浪依友吾者君之任意
 上三句は序なり。略解に人ハイカニイフトモといひ、古義にココヨリモソコヨリモサマザマニイヒ寄セラルレドモといへるはヘニモトモニモを譯せるなれどヘニ(2472)モトモニモは序のうちにて主文の意とは没交渉なり。主文即四五句の意はただ人ガ我ヲ君ニイヒ寄ストモ我ハ爭ハジ、タダ君ガ意ニ任セムといへるのみ
 
2741 大海にたつらむ浪はあひだあらむきみにこふらくやむ時もなし
大海二立良武浪者間將有公二戀等九止時毛梨
 アヒダアラムはアラムヲとヲを添へて心得べし。上(二三六〇頁及二三七五頁)に例あり○キミニコフラクは君ニ戀フル事ハとなり
 
2742 しかのあまの火氣《ケブリ》たきたててやく塩のからき戀をも吾はするかも
牡鹿海部乃火氣燒立而燒塩乃辛戀毛吾爲鴨
    右一首或云石川君子朝臣作v之
 上三句は序、カラキはツラキなり。卷十五に至2筑紫館1遙望2本郷1悽愴作歌四首とありて
  しかのあまの一日もおちずやくしほのからきこひをもあれはするかも
とあるは今の歌を作りかへたるならむ○卷三なる石川大夫和歌の左註(三五七頁)(2473)に
  正五位下石川朝臣吉美侯神龜年中任2少貮1
とあり又同卷(三八五頁)に
  石川少郎歌一首 しかのあまはめかり塩やきいとまなみ髪梳《クシゲ》のをぐしとりもみなくに 右今案石川朝臣君子號曰2少郎子1也
とあれば今の歌を君子の作と云傳へたるは由ある事なり(一八〇三頁參照)。略解に此左註を評して
  此卷すべて作者しられぬを集めしからは此註おぼつかなし
といひ古義が之に左袒したるはかたくなし。作者不明の歌を集めたる卷なりともなにがしの作といふ説をきゝたらむに、そを註して何の不可なる事かあらむ。但余は此左註を家持の筆と斷定するにはあらず。家持の筆としても妨なしと云ふのみ
 
2743 中々に君にこひずばひらの浦のあまならましを玉藻かりつつ
中中二君二不戀者牧〔左△〕浦乃白水郎有申尾玉藻刈管
    或本歌曰中々に君にこひずば留鳥浦のあまならましを珠藻(2474)かるかる
    或本歌曰中中爾君爾不戀波留鳥浦之海部爾有益男珠藻刈刈
カリツツは刈リツツ思フ事ナクテ世ヲ渡ラムといふべきをはぶけるなり。刈リツツ白水郎ナラマシヲとかへるにはあらず。カルカルは今の語にていへばカリカリにてやがてカリツツにおなじ。卷十四にもヒカバヌルヌルをヒカバヌレツツとも云へり○卷十二に
  おくれゐてこひつつあらずば田籠の浦のあまならましを珠藻かるかる
とあるは傳の異なるなり○牧は枚の誤ならむ
 或本歌なる留鳥浦を舊訓にアミノウラとよめるを古義に卷十二の歌に據りて田兒浦の誤とせり。卷一なる綱《アミ》浦(綱と書きてアミと傍訓せり)嗚呼見《アミ》浦こそ綱《ツヌ》(ノ)浦、嗚呼兒《アゴ》(ノ)浦の誤なるべけれ(一三頁及七〇頁參照)又卷三なる長歌(五四二頁)に牛留鳥ナヅサヒコムトとあるを舊訓にヒクアミノとよめるこそ爾富鳥などの誤にてあるべけれ、ヒラノウラノともタゴノウラノとも唱へ傳へて一定せざるを、留鳥を田兒の誤と認めむは妄斷と謂ふべし
 
(2475)2744 すずきとるあまのともし火よそにだに見ぬ人ゆゑにこふるこのごろ
鈴寸取海部之燭火外谷不見人故戀比日
 初二はヨソニ見ルの序なり。ヨソニダニはヨソナガラダニなり。ミヌ人ユヱニは見ヌ人ナルニとなり
 
2745 湊入の葦|別《ワキ》小舟さはりおほみわがもふきみにあはぬころかも
湊入之葦別小舟障多見吾念公爾不相頃者鴨
 初二は序なり。別はワキとよむべし
 
2746 にはきよみおきへこぎづるあま舟のかぢとる間なき戀爲鴨《コヒヲスルカモ》
庭淨奥方※[手偏+旁]出海舟乃執梶間無戀爲鴨
 ニハは海上といふことなり(三六六頁及四八四頁參照)。オキヘのヘはテニヲハなり。略解にベと濁れるはわろし○第四句のカヂトルまでを序とすべし○結句を略解にコヒモスルカモとよめるを古義にコヒヲに改めたり。集中にコヒモとよむべき處には戀毛、戀裳など書きたればこゝはコヒヲとよむべし(二四三四頁參照)
 
(2476)2747 あぢかまの塩津をさしてこぐ船の名はのりてしをあはざらめやも
味鎌之塩津乎射而水子船之名者謂手師乎不相將有八方
 上三句は序、アヂカマノ塩津は所在知られず。いにしへも舟に名をつくる事ありしかばユク船ノを名の序とせるなり○卷頭なる雄略天皇の御製又卷十二なる
  紫に灰さすものぞつば市の八十のちまたにあひし兒やたれ
  たらちねの母がよぶ名をまをさめど路ゆく人を誰と知りてか
といふ問答歌又卷三なる
  みさごゐるいそみにおふるなのりその名はのりしてよおやはしるとも
といふ歌(卷十二にも似たる歌あり)などによりて知らるゝ如くいにしへは未知の女をつまどふとてはまづ其名を問ひしなり。而して女が答へて其名をいふ時は我に意あるものとせしなり。さて今は女ガ我問ニ應ジテ其名ヲノリテシヲツヒニ逢ハザラムヤハ、必逢フベシといへるなり○卷十二にも
  すみの江の敷津の浦のなのりその名はのりてしをあはなくもあやし
  しかのあまのいそにかりほすなのりその名はのりてしをなどあひがたき
(2477)とあり
 
2748 大舟に葦荷〔左△〕《ヲ》かりつみしみみにも妹が心にのりにけるかも
大舟爾葦荷刈積四美見似裳妹心爾乘來鴨
 初二は序なり。從來葦荷をアシニとよみて葦刈ツミタル荷ノ、舟ニ刈積タル葦荷ノなど譯したれど葦荷といふ語あるべしとはおぼえず。又葦荷ヲ刈ルとは云ふべからず。荷は苧などの誤にてテニヲハならむ○シミミニはシゲクなり。イモガ心ニノリニケルカモの例は近くは此卷(二二八一頁)にあり
 
2749 驛路《ウマヤヂ》に引舟わたしただのりに妹がこころにのりにけるかも
驛路爾引舟渡直乘爾妹情爾乘來鴨
 驛路を二註にハユマヂとよめり。宜しく古義に引ける中山嚴水の説に從ひてウマヤヂとよむべし。契沖いへらく
  驛をおかるゝに河ある所には水驛とて舟をおかるゝなり。令(ノ)義解卷八厩牧令云、凡水驛不v配v馬處量2閑繁1驛|別《ゴトニ》置2船四隻以下二隻以上1隨v船配v丁、驛長准2陸路1置
(2478)といへり。案ずるに水驛と渡津とは異なるべく又ウマヤとウマヤ路とは異なるべし。ウマヤ路は驛を置かれたる官道ならむ○引船は卷十〈二〇五九頁)に
  風ふきて河浪たちぬ引船にわたりもきたれ夜くだたぬまに
とあり。こゝは、行程をいそぐが故に引船にて渡るにこそ○序は初二にて結句のノリにかゝれるなり。タダノリニのノリはノリニケルカモとの照應に云へるのみ。結句もしコエニケルカモならばタダゴエニといふべく又ワタリケルカモならばタダワタリといふべし。されば今はノリといふ語を棄てゝヒタスラニとうつすべし
 
2750 吾妹子にあはずひさしも(うましもの)阿倍《アヘ》たちばな乃《ニ》こけむすまでに
吾妹子不相久馬下乃阿倍橘乃蘿生左右
 ウマシモノは阿倍橘の枕辭にてウマシキモノのキをはぶきたるなり(カナシキ妹をカナシ妹といふが如く)。そのウマシキはやがてウマキなり。ウマシ、オホシなど今はウマキ、オホキとはたらけどいにしへはウマシキ、オホシキとはたらきしなり○阿倍タチバナは和名抄に橙(安倍太知波奈)似v柚而小者也とあり。契沖は『俗に衣柚と云物にやとおぼし』といひ、眞淵は『是即今ある橘の事也』といひ、狩谷望之(箋注倭名抄(2479)卷九の六十九丁)は『是今俗九年母ト呼ブ者ニ充ツベシ』といひ、岡部東平(※[口+嬰]々筆語卷一)は眞淵の『アベタチバナは甘タチバナなり』といへる説と記傳に見えたる『いにしへのタチバナは今の蜜柑なり』といへる説とに基づきて
  さやうに柚に似て柚よりちひさく甘味多かる菓今の蜜柑をおきてあるべくも思はれねばこの蜜柑ぞうたがひなくアベタチバナと同菓にて花サヘ實サヘなどたゝへいふをりのすべ名はタチバナ、食料の方にとりては甘《アベ》橘といひわかちしなるべし
といひ、井上文雄(家集なる阿倍橘之賦)は
  阿倍タチバナは饗タチバナの意也。聖武のみかどの詔に橘は菓子(ノ)長上とのたまはせ大臣の大饗にも此ものを菓子とせらるゝなど專ら饗膳の料にいみじきよしなれば也けり
といひて阿倍はアベならでアヘなるべき證文を擧げたり。案ずるに阿倍タチバナのアヘはげに饗の義なるべし。さればアヘのヘは清みて唱ふべし。但橘を打任せてアヘタチバナといひしにはあらで、いにしへ橘には少くとも二種ありて一は味よ(2480)ろしくて主として食料に供し一は味さばかりならで主として観賞用に充てけむ、その味よろしき方を取分きてアヘタチバナといひしならむ。さればアヘタチバナは後の蜜柑に當り常の橘は後の橘に當るべし。眞淵が『いと古き代にタチバナに二種あらめや』といへるはいとかたくなし。當時漢土に柑橘の種類少からず又彼我の交通稀ならざりしをいかでか田道間守以後柑橘の第二種の渡來せし事無しと斷定せむ。否かゝる事實の記載に疎なる國史にすら神龜二年十一月に佐味朝臣蟲麻呂、播磨(ノ)直《アタヒ》弟兄《オトエ》に從五位下を授けられし由見えて
  弟兄初※[十の左右に口/ワ冠/貝]2甘子1從2唐國1來1、蟲麻呂先殖2其種1結v子。故有2此授1焉
と記したるをや○弟四句の乃は耳などの誤とするか又はもとのまゝにてニとよむべし(卷八【一五七八頁】參照)○考に
 コケは日影をいへり。日影は奥山の木に生て橘などの里の木には生ざれど年久しき事の譬には何にもいふ類多し
といへれどたとひ譬喩なりとも橘樹にヒカゲノカヅラを取合すべけむや、案ずるにこゝにアヘタチバナといへるは樹にあらで菓にて橘子の樹上に殘れる事久し(2481)くて青黴のむしたるをコケといへるにこそ。黴をコケといへる例は上(二四〇六頁)にあり。即ワガコマクラニコケムシニケリとあるも黴なり
 
2751 あぢのすむすさの入江のありそ松わをまつ兒等はただひとりのみ
味乃往〔左△〕渚沙乃入江之荒礒松我乎待兒等波但一耳
 上三句は序、アヂはアヂ鴨なり。往は住の誤なり
 
2752 吾妹兒をききつが野邊のしなひねぶ吾者隱不得《ワハシヌビエズ》、間無念者《マナクオモヘバ・マナクシモヘバ》
吾妹兒乎聞都賀野邊能靡合歡木吾者隱不得間無念者
 ワギモコヲキキまでが枕辭なり。キキツグをツガ野にいひかけたるなり。ツガ野は日本紀に見えたる菟餓野ならむ。さらば攝津の地名なり○合歡木は其状靡きたればシナヒネブといへるなり。さてシナフとシヌブと音相似たれば序とせるなり。例は卷三(三九五頁)に
  まきの葉の之奈布《シナフ》せの山之奴波受而《シヌバズテ》わがこえゆけば木葉しりけむ
とあり。但これは序歌にはあらねどシナフとシヌバズと類音を重ねたるは今と同(2482)じ○第四句を略解にワレハシヌバズとよみ古義にアハシヌビエズとよめり。後者に從ふべし。シヌビエズは隱シ得ズなり。語例は上(二四五六頁)にタチエヌ戀モ吾ハスルカモとあり○結句は舊訓の如くマナクオモヘバとも、古義の如くマナクシモヘバともよむべし
 
2753 浪間從《ナミノマユ》みゆる小島の濱久木ひさしくなりぬ君にあはずして
浪間從所見小島之濱久木久成奴君爾不相四手
 上三句は序なり。初二は卷八(一五一〇頁)に波ノ上ユミユル兒島ノ雲ゴモリとあると相似たり○濱久木は久木の一種と思はる。ヒサギははやく卷六(一〇三六頁)に出でたり。此歌を伊勢物語にナミマヨリ見ユルコジマノ濱ビサシ〔右△〕と誤り書けるよりそれに基づきてハマビサシと中古の歌にはよみたれどハマビサシといふ語は無し○契沖が
  旅にある夫(ノ)君をこひて故郷に留れる妻のよめるなるべし
といへるはうらうへなり。旅にて男のよめるなり。男より女をさしてもキミといひつべし(二三八一頁參照)
 
(2483)2754 朝柏《アサガシハ》閏八《ウルヤ》河邊のしぬのめのしぬびてぬればいめにみえけり
朝柏閏八河邊之小竹之眼※[竹/矢]思而宿者夢所見來
 上三句は序なり。上(二三一三頁)に秋柏潤和川邊ノシヌノメノとあり。これに據りて眞淵千蔭雅澄は朝柏をアキガシハとよみ、宣長は閏八を閏丸の誤としてウルワとよめり。案ずるに朝柏ハ朝ツミタル木葉といふことにて秋ガシハの誤にあらず。閏八はウルヤとよまむかウルハとよまむか
 
2755 あさぢ原かりじめ刺而〔左△〕《サシシ》空事《ムナゴト》も所縁之《ヨサエシ》君がことをしまたむ
淺茅原刈標刺而空事文所縁之君之辭鴛鴦將待
 上(二三〇五頁)なる
  あさぢ原小野にしめゆふむなごとをいかにいひてかきみをばまたむ
といふ歌の處にていへる如く初二は序ならざるべからず。さて之を序とすれば刺而とありてはかなはず。刺而はおそらくは刺之の誤ならむ。カリジメは考にいへる如く假標なり○空事は雅澄の説に從ひてムナゴトとよむべし。實なし言の意なり。(2484)さて今はムナ言ニモといふべきニを省けるなり○所縁之を從來ヨセテシとよめり。改めてヨサエシとよむべし。人ニイヒヨソヘラレシといふ意なり○コトヲシマタムは便ヲ待タムとなり
 
2756 (月草の)かりなる命なる人をいかに知りてか後もあはむちふ
月草之借有命在人乎何知而鹿後毛將相云
 カリナルはハカナキなり。人とは自他に亘りていへるなり。二註に『人とは吾をいふ』といへるは非なり。人ノ命ハ自他共ニハカナキモノナルヲとなり○イカニ知リテカはイカデ長ラヘムモノトハ知リテとなり○命ナルを二句に割きたるは快からず
 
2757 おほきみの御笠にぬへるありま菅ありつつみれど事無《コトナキ》吾妹
王之御笠爾縫有在間菅有管雖看事無吾妹
 上三句は序なり。四五を眞淵は常ニ見レドヨロヅニ難ナキといふ意とし雅澄は事無をコトナシとよみ改めて年月ヲ經テ世間〔日が月〕ヲ見合スレド何ノ障ルコトモナシと(2485)いふ意とせり。案ずるにアリツツミレドは待渡レドといふ意、コトナキは便ナキといふ意なり。上なるコトヲシマタムのコトにおなじ
 
2758 (すがの根の)ねもころ妹に戀西《コフルニシ》、益卜思〔左△〕《マスラヲ》而〔左△〕|心《ゴコロ》おもほえぬかも
菅根之懃妹爾戀西益卜思而心不所念鳧
 宣長は思而を男の字の誤としてコフルニシマスラヲゴコロとよめり。之に從ふべし
 
2759 わがやどの穗蓼古幹|採生〔二字左△〕之《サクハナノ》、實になるまでに君をしまたむ
吾屋戸之穗蓼古幹採生之實成左右二君乎志將待
 第三句を舊訓にツミハヤシとよめるを眞淵はツミオフシに改めて
  こは去年の秋の末に枯たる蓼の古茎の子《ミ》を採納めて今年の春蒔生しそれが又|子《ミ》になる秋までも同じ心に君を待なんといふ也
といひ雅澄はオホシまでを序とせり。もし眞淵等の説の如くならばフルカラ穗蓼といふべく穗ダテフル幹とはいふべからず。否穗蓼の實をつむことをホダテツム(2486)とはいふべからず。又實ヲツミ収メテソノ實ヲ蒔生シといふことをつづめてツミオホシとはいふべからず。案ずるに採生之を咲花之の誤とすべし○マデニはただマデといはむにひとし
 
2760 (あしひきの)山澤ゑぐをつみにゆかむ日だにも相將〔左△〕《アハセ》母はせむとも
足檜之山澤囘具乎採將去日谷毛相將母者責十方
 ヱグは芹なる事卷十(一九二〇頁)に云へる如し○相將を相爲に作れる本あり。ツキタマハム、ヨリタマハムなどを將賜と書かで賜將と書ける例あればアハムを相將と書けるは怪むに足らねどゝ?はアハムとあらむよリアハセとありて男より女に對して逢ヒタマヘと云へりとせむ方まさるべし。もし女の作ならば日ニコソアハメと云ふべし
 
2761 奥山のいはもと菅の根ふかくもおもほゆるかも吾念妻者《ワガオモヒヅマハ》
奥山之石本菅乃根深毛所思鴨吾念妻者
 ただフカクモといふべきを序の縁にてネフカクモといへるにて上(二四五二頁)な(2487)る青山ノイハガキヌマノミゴモリニなどと同格なり○結句を舊訓にワガオモヒヅマハとよめるを古義にワガモフツマハに改めたり。舊訓に從ふべし。オモヒヅマはやがてオモフ妻なり。略解に『いまだむかひめとならぬほどの言也』といへるは非なり。又同書に『ツマハは妻ヲバの意なり』といへるはいみじきひが言なり。妻ヲ〔右△〕バオモホユルとは語格上いはれざる事なり
 
2762 あし垣の中《ナカ》のにこ草にこよかに我とゑまして人に知らゆな
蘆垣之中之似兒草爾故余漢我共咲爲而人爾所知名
 初二は序なり。中は間〔日が月〕なり。ニコグサはシノブの類なる箱根草の事ならむといへる説あれど卷十四にニコ草ノ花とよみたればハコネ草にはあらじ○ワレトヱマシテは我ヲ見テヱミ給ヒテとなり。四五の語例は卷四(七六七頁)に
  青山をよこぎる雲のいちじろくわれとゑまして人に知らゆな
とあり
 
2763 (くれなゐの)淺葉の野らにかる草《クサ》のつかのあひだもわをわすらすな
(2488)紅之淺葉乃野良爾苅草乃束之間毛吾忘渚菜
 上三句は序なり。草を從來カヤとよみたれどなほクサとよむべし(八二五頁參照)。ワスラスナは忘レ給フナとなり。ワスルナを延べたるにあらず○第三句以下の語例は卷二(一六〇頁)に
  大名兒ををちかた野べにかる草の束のあひだもわれわすれめや
とあり
 
2764 妹がためいのちのこせり(かりごもの)おもひみだれてしぬべきものを
爲妹壽遺在苅薦之念亂而應死物乎
 一首の意はオモヒ亂レテ死ヌべキヲ妹ニ逢ハム爲ニコソカク命ヲ殘シタレといへるなり。古義の釋は從はれず
 
2765 吾妹子にこひつつあらずば(かりごもの)おもひみだれてしぬべきものを
吾妹子爾戀乍不有者苅薦之思亂而可死鬼乎
 
(2489)2766 三島江の入江のこもをかりにこそ吾をばきみはおもひたりけれ
三島江之入江之薦乎苅爾社吾乎婆公者念有來
 初二は序、カリニコソはカリソメニコソとなり。三島江は攝津の地名
 
2767 (足引の)山たちばなの色にいでて吾《ワハ》こひ南《ナム》を八目〔二字左△〕難爲名《アヒガタミスナ》
足引乃山橘之色出而吾戀南雄八目難爲名
 上三句は序、ヤマタチバナは今のヤブカウジなり。吾は古義に從ひてワハとよむべし(舊訓はワガ)○コヒナムのナムはテニヲハにあらず。語例は卷三なる祭神歌の反歌(四六八頁)にカクダニモワレハ乞嘗《コヒナム》、君ニアハジカモとあり又上(二三六二頁)にカクダニモ吾ハ戀南《コヒナム》とあり又下に
  かくだにも妹を待南《マチナム》さよふけていでくる月のかたぶくまでに
とあり。コヒタムのタがナにうつれるにあらざるか。コヒタムの例は卷二(一七八頁)にユクユクト戀痛《コヒタム》ワガセコチカヨヒコネとあり。なほ考ふべし○結句を眞淵は八目を人目の誤としてヒトメカタミスナとよみ宣長はヒトメイマスナとよめり(難(2490)にハバカルといふ訓あるを思へるなり)。八目は相の誤か。さらばアヒガタミスナとよむべし
 
2768 あしたづのさわぐ入江のしら菅の知爲等《シリヌルタメト》こちたかるかも
葦多頭乃颯入江乃白菅乃知爲等乞痛鴨
 上三句は序なり。第四句を從來シラレムタメトとよみたれど然よむべくば考にいへる如く少くとも知の上に將の字なかるべからず。案ずるに知爲等はシリヌルタメトとよむべし。シリヌルタメトは人ノ知リヌル爲トテなり○古今集戀一に
  あしがものさわぐ入江のしらなみのしらずや人をかくこひむとは
とあり
 
2769 吾背子にわがこふらくは夏草の苅除《カリソクレ》ども生及如《オヒシクゴトシ》
吾背子爾吾戀良久者夏草之苅除十方生及如
 第四句は舊訓にカリソクレドモとよめるに從ふべし(略解にはカリハラヘドモとよめり)。卷十四にアカミヤマ久左禰可利曾氣云々とあり○結句は古義に從ひてオ(2491)ヒシクゴトシとよむべし(舊訓にはオヒシクガゴトとよめり)○卷十(二〇一一頁)に
  このごろの戀のしげけく夏草のかりはらへどもおひしくごとし
とあり
 
2770 道のへの五柴原《イツシバハラ》のいつもいつも人のゆるさむ言をしまたむ
道邊乃五柴原能何時毛何時毛人之將縱言乎思將待
 初二は序なり。イツモイツモはイツニテモの意なりと契沖いへり。語例は卷三(四九〇頁)に
  妹が家にさきたる梅のいつもいつもならなむ時に事は定めむ
 又卷四(六二一頁)及卷十(一九七八頁)に
  河上のいつ藻の花のいつもいつも來ませわがせこ時じけめやも
とあり○卷四(六四三頁)にオホ原ノコノ市柴ノイツシカトとあり。略解にはその市柴に據りてこの五柴をもイチシバとよみ古義にはこの五柴によりてかの市柴をもイツシバとよめり。共に非なり。彼はイチシバとよむべく此はイツシバとよむべし。イツシバをなまりてイチシバともいひしかば其唱のまゝに卷四には市柴と書(2492)けるなり。さてイツシバは雅澄の云へる如く繁き芝なり。眞淵が赤檮柴《イチヒシバ》の略とせるは非なり○人は相手の女なり。ユルスは承諾スルなり。言は便なり
 
2771 吾妹子が袖をたのみて眞野の浦の小菅の笠をきずて來にけり
吾妹子之袖乎憑而眞野浦之小菅乃笠乎不著而來二來有
 眞野浦は攝津の地名なり。今神戸市の中に入れり。はやく卷四(六二〇頁)に眞野ノ浦ノヨドノツギ橋とあり。卷三及卷七にシラスゲノ眞野ノハリ原とよめるも同處なり○初二はモシ雨ガフッタラオマヘノ衣ヲ借リテ頭ニ著テ歸ラウト思ウテといへるなり。雨ノ降ラムトスルニ笠モ著ズシテ來給ヒケルヨなど女のいひしに戯れて答へたるなり
 
2772 眞野(ノ)池の小菅を笠にぬはずして人の遠〔左△〕《キル》名をたつべきものか
眞野池之小菅乎笠爾不縫爲而人之遠名乎可立物可
 池は※[さんずい+内]《ウラ》の誤なるべしと宣長いへり。もとのまゝにて可なり○第四句を從來人ノトホ名ヲとよめり。さて雅橙は眞淵の説を敷衍して
(2493)  吾袖をたのみて笠を著ずに來しとのたまふがそれは何とやらむ實ありがほなれど實に君と契を結びしことのなければ吾名を世に廣く立べきにあらぬをや
といへるなり
といへれどうべなはれず。遠を著の誤として人ノキル名ヲタツベキモノカとよむべし。無論譬喩歌なり。ヌハズシテはイマダ縫ハズシテと心得べし○前の歌とは關係なし。二註に問答とせるは非なり
 
2773 (さす竹の)はごもりてあれわがせこが吾許不來者《ワガリシコズバ》、吾《ワレ》こひめやも
刺竹齒隱有吾背子之吾許不來者吾將戀八方
 サス竹ノは葉ゴモリテにかゝれる枕辭なり。略解に枕辭にあらずといへるは非なり○ただコモリテアレといふべきを葉ゴモリテアレといへるは古義に『上の言の縁にハゴモリといひ連ねたり』といへる如く枕辭の縁によれるにて上(二四五二頁及二四八六頁)なるイハガキ沼ノミゴモリニ、イハモトスゲノ根フカクモと同格なり。さてコモリテアレは家ニ引籠リテ居レとなり○第四句を舊訓にワガリシコズバ、略解にワレガリコズバ、古義にワガリキセズバとよめり。ワガといへどワレガと(2494)いはず。從ひてワガリとはいふべくワレガリとはいふべからず。されば略解の訓は採るべからず。舊訓と古義の訓とはいづれにても可なり。山ヨリコバを山ヨリ來セバ(二一一六頁)といへる如くコズバを來セズバともいふべし○サス竹を古義に黍の事としてもと實を黄實、幹を刺竹といひしを後に刺竹の名はうせて幹をもキミといふやうになりしならむといへり。少くとも一説として聞くべし
 
2774 かむなびの淺じぬはらの美△△△《オミナベシ》妾思公之《ワガモフキミガ》こゑのしるけく
神南備能淺小竹原乃美妾思公之聲之知家口
 舊訓に美妾をつづけてヲミナベシとよめり。然るに宣長は
  美妾をヲミナベシと訓べきよしなし。これは美の上か下に脱字ありて妾思蚤之はワガオモフキミガなるべし
といひ雅澄は美の上下に字を補ひて繁美似裳《シミミニモ》とせり。美の下に人部師の三字を補ひてヲミナベシとよみ妾思公は宣長に從ひてワガモフキミガとよむべし。卷十に手ニトレバ袖サヘニホフ美人部師と書けり○上三句は第四句を隔てゝ結句のシルケクにかゝれる序なり○古義に
(2495)  小竹は竹にたぐへれど又草にもたぐふべければ前後寄草陳思歌の中に収たるならむ
といへれど寄女郎花歌なればもとより寄草の中にあるべきなり
 
2775 山たかみ谷邊にはへる玉かづらたゆる時なく見《ミム》よしもがも
山高谷邊蔓在玉葛絶時無見因毛欲得
 上三句は序なり。見は古義に從ひてミムとよむべし。毛詩葛覃なる葛之|覃《ノビテ》今|施《ウツル》2于中谷1維《コレ》葉※[草冠/妻]々に似たるは偶然に過ぎじ
 
2776 道のへの草を冬野にふみからし吾《ワレ》たちまつと妹につげこそ
道邊草冬野丹履干吾立待跡妹告乞
 フユ野ニは冬野ノ如クなり。シラユフ花ニオチタギツなどのニなり。上三句は待つ事の久しき形容なり。從來待つ事の度重なる形容とせるは非なり
 
2777 たたみごもへだてあむ數かよはさば道のしば草おひざらましを
疊薦隔編數通者道之柴草不生有申尾
(2496) ヘダテアムカズはヘダテアム數ホドとなり。ヘダテアムを契沖は『薦一條づつ編む意なり』といひ眞淵以下之に從へれど、もしさる意ならばただアムとこそいふべけれ、こと更にヘダテアムとは云はじ。案ずるに薦は若干づつの隔をおきてあまたの節《フ》に編分くるものなればヘダテアムといへるなり。考、略解に『こも槌の往反《ユキカフ》如く夫の通ひなばと云也』といへるも非なり〇一首の意は契沖が
  さばかりかよふ數の繁く重なりなば道芝も生まじきを絶絶なる故に生たりとよめるなり
といへる如し○ミチノシバ草の語例は卷六(一一六一頁)に
  たちかはりふるきゐやことなりぬれば道のしば草長くおひにけり
とあり
 
2778 水底におふる玉藻の生〔左△〕不出《ウヘニイデズ》よしこのごろはかくてかよはむ
水底爾生玉藻之生不出縱此者如是而將通
 第三句を從來オヒモイデズ又はオヒイデズとよめり。宜しく生を上の誤としてウヘニイデズとよみて初二を序とすべし。ウヘニイデズは外ニアラハサズなり。語例(2497)は卷九(一八二七頁)なる思2娘子1作歌にシタビ山シタユク水ノ上丹不出《ウヘニイデズ》とあり○カクテは上ニイデザルママニテなり
 
2779 うなばらのおきつなはのりうちなびき心もしぬにおもほゆるかも
海原之奥津繩乘打靡心裳四怒爾所念鴨
 初二は序、ウチナビキは打臥シテ、シヌニはシナフバカリニなり○心モシヌニの語例は卷八(一五八六頁)に
  ゆふづくよ心もしぬにしら露のおくこの庭にこほろぎなくも
とあり
 
2780 むらさきの名高の浦のなびき藻のこころは妹によりにしものを
紫之名高乃浦之靡藻之情者妹爾因西鬼乎
 上三句は序なり。ナビキ藻ノ如クとなり
 
2781 わたの底おきをふかめておふる藻の最《モトモ》今こそ戀はすべなき
海底奥乎深目手生藻之最令〔左△〕社戀者爲便無寸
(2498) 最を略解にモトモ、古義にモハラとよめり。モトモとよむべし。類聚名義抄にも最モトモとあり○上三句はモトモのモにかゝれる序なり。オキヲフカメテは沖深クといふ意なり。卷四(七六一頁)なる
  わたの底おきをふかめてわがもへる君にはあはむ年はへぬとも
はフカメテの枕にワタノ底オキヲの八言を置きたるにて今と異なり○コソといひてキと結べるは古格によれるなり。例は上(二四二〇頁)にオノガ妻コソトコメヅラシキとあり。略解に『コソは言をつよくいひ入るのみ也』といへるはあさまし
 
2782 左寐蟹齒《サネカネバ》たれとも寐常《ネメド》(おきつ藻の)なびきし君が言まつ吾を
左寐蟹齒孰共毛宿常奥藻之名延之君之言待吾乎
 初二を舊訓にサネカニハタレトモヌレドとよめるを眞淵はサネカネバタレトモネメドとよみ改めたり。然も蟹をカネとよむべき所以をいはず。雅澄は眞淵とおなじくサネカネバとよみて
  書紀允恭天皇(ノ)卷衣通王(ノ)歌にササガニを佐々餓泥《ササガネ》とよまれたればもとより上代には蟹をカネとも云しことうつなければカネの借字とせること論なし
(2499)といへり。此説よろし○眞淵雅澄ともに此歌を女の作とせるは非なり。男の作なり。女をさしても君といへる事は上(二四八二頁)に述べたり。さてサネカネバはモシ眠ラレズバとなり○ナビキシは我ニナビキシとなり。言は便なり。ワレヲは我ゾなり
 
2783 吾妹子がいかにとも吾《ワ》をおもはねばふふめる花の穗にさきぬべし
吾妹子之奈何跡裳吾不思者含花之穗應咲
 イカニトモはアハレトモ何トモとなり〇四五はツボメル花ノアラハレテサクガ如ク思ヲ外ニアラハスベシとなり。穗ニはアラハレテといふ意の副詞なり。語例は卷十に
  言にいでていはばゆゆしみ朝がほの穗にはさきでぬ戀をするかも(二一八一頁)
  わぎもこにあふ坂山のはだすすき穗にはさきでずこひわたるかも(二一八五頁)
  はだすすき穗にはさきでぬ戀をわがする……(二一九九頁)
とあり。奥の二首を見れば植物の穗を副へて云へるが如くなれど然らず
 
2784 隱庭《コモリニハ》こひてしぬともみそのふの鶏冠草《カラヰ》のはなの色にいでめやも
(2500)隱庭戀而死鞆三苑原之鶏冠草花乃色二出目八方
    類聚古集云。鴨頭草又作2鶏冠草1云云。依2此義1者可v和2月草1歟
 初句は古義に從ひてコモリニハとよむべし。意はシヌビニハといはむにひとし(略解にはシヌビニハとよめり)。上(二四四七頁)にも
  玉かぎるいは垣淵のこもりにはこひてしぬともなが名はのらじ
とあり〇三四は序なり。語例は卷十(二一八二頁)に
  こふる日のけながくしあればみそのふの辛藍の花の色にいでにけり
とあり。カラヰは即クレナヰにてベニ花なり。ツキ草にあらざる事は卷三なるワガヤドニカラヰマキオホシといふ歌の註(四七三頁)に云へる如し
 
2785 さく花は雖過時有《スグルトキアレド》わがこふる心のうちはやむ時もなし
開花者雖過時有我戀流心中者止時毛梨
 第二句を略解にスグルトキアレドとよめるを古義にスグトキアレドに改めたり。連體格の代に終止格をつかひたりとすればスグ時とも云はれざるにあらず。さて(2501)スグルトキは散ル時なり
 
2786(山ぶきの)にほへる妹がはねず色の赤裳のすがたいめにみえつつ
山振之爾保敝流妹之翼酢色乃赤裳之爲形夢所見管
 ハネズは今いふモクレンなるべし(一五三二頁參照)
 
2787 天地のよりあひのきはみ(玉の緒の)たえじとおもふ妹があたり見つ
天地之依相極玉緒之不絶常念妹之當見津
 はやく卷六(一一五六頁)なる悲2寧樂故郷1作歌にアメツチノヨリアヒノ限と見えたり。イツマデモといふことなり○結句をただ女の家の方を見遣る事とせむに上四句あまりにこちたし。おそらくは久しき旅にてよめるならむ。さればミツは眺メツと心得べし
 
2788 いきのをにおもへばくるし(玉の緒のたえて)みだれなしらば知るとも
生緒爾念者苦玉緒乃絶天亂名知者知友
 イキノヲニオモフの語例は近くは上(二三五四頁)にイキノヲニ妹ヲシモヘバとあ(2502)り。玉ノヲノタエテまでが枕なり。ミダレナは慎ヲ忘レムとなり。結句は世ノ人ノ知ラバ知ルトモとなり○古今集戀三なる友則の
  下にのみこふればくるし玉のをのたえてみだれむ人なとがめそ
は今の歌を學べるなり
 
2789 (たまのをの)たえたる戀の亂〔左△〕者《クルシキハ》しなまくのみぞ又もあはずして
玉緒之絶而有戀之亂者死卷耳其又毛不相爲而
 第三句を從來ミダレニハとよめり。さて古義に
  中絶して後戀しく思ふあまりに心もみだれたるからは又もあはむと思はずただ一向に死むことのみぞおもふとなり
と釋したり。もしミダレニハとよむべくばシナマクノミゾオモフとあらざるべからず。然もそのオモフは古義の釋にあれど歌には無し。又マタモアハズシテといへる、蛇足なり。たとひ又も逢はむと思ふとも絶えたる戀なるからは心に任すまじきが故なり。案ずるに第三句を苦者の誤としてクルシキハとよみ又四五を顛倒して又モ逢ハズシテ死ナム事ノミナリと心得べし
 
(2503)2790 玉(ノ)緒之〔左△〕《ヲ》くくりよせつつ末つひにゆきはわかれず同緒《オナジヲニ》あらむ
玉緒之久栗縁乍末終去者不別同緒將有
 玉緒之の之は乎の誤とすべし。集中に之と乎とかたみに誤れる處少からず。玉をあまた貫きたる緒をさながらにおけば右端の玉と左端の玉とは相離れたれど之をくゝリよせなば二つの玉は相|偶《タグ》ふべし。今その二つの玉を作者と男とに譬へて玉ノ緒ヲククリ寄セツツ後ニハ相別レズシテ一ツ處ニ居ラムといへるなり。但オナジ緒ニといへる、いさゝか窮したり。ただ緒といふ語の重出せるのみならずくゝりよせざる前にても緒は別ならざればなり。又思ふに同緒は一緒といはむにひとしくその一緒はやがて俗語のイッシヨなれば同緒を義訓にてタグヒテとよまむか。こはただ試に云ふのみ○上(二二九六頁)に
  しらたまをあひだあけつつぬける緒もくくりよすれば後あふものを
とあると相似たる所あり
 
2791 片絲もちぬきたる玉の緒をよわみみだれやしなむ人のしるべく
(2504)片絲用貫有玉之緒乎弱亂哉爲南人之可知
 上三句は序なり。ミダレヤシナムは亂レヨウモ知レズとなり。上なるミダレナとは異なり
 
2792 (玉緒の)島〔左△〕意哉《ウツスゴコロヤ》、年月のゆきかはるまで妹にあはざらむ
玉緒之島意哉年月乃行易及妹爾不逢將有
 宣長は島を寫の誤としてウツシゴコロヤとよめり。卷十二にタマノヲノ徙心ヤ、卷七(一四一三頁)にクレナヰノ寫《ウツシ》心ヤ妹ニアハザラム又卷十二にウツセミノ宇都思ゴコロモ吾ハナシとあれば宣長の説に從ふべし。ウツシ心のウツシはウツシ身のウツシにおなじ。さればウツシ心はウツシキ心にて正氣なり。一首の意は夢中ナラバイサ知ラズ正氣ニテ年月ノ立ツマデ妹ニ逢ハズニ居ラレウカとなり。ウツシゴゴロヤは現心ニヤハなり
 
2793 (たまのをの)あひだもおかず見まくほり吾思〔左△〕《ワガスル》妹は家とほくありて
玉緒之間毛不置欲見吾思妹者家遠在而
(2505) 上(二二九六頁)にシラ玉ヲアヒダアケツツヌケル緒モとある如く玉ノ緒ノをアヒダモオカズの枕辭とせるなり○思は爲の誤ならむ。さらばワガスルとよむべし○結句はアヤニクニ家遠クアリテシバシバ逢ヒガタシといへるなり
 
2794 隱津〔左△〕之《コモリヌノ》、澤立見爾有△《サハタツミナラバ》いは根ゆも遠而念、君にあはまくは
隱津之澤立見爾有石根從毛遠而念君爾相卷者
 上(二二九二頁)に出でたる歌のすこしかはれるなり○隱津は隱沼の誤ならむ。第二句は爾有の下に者の字を補ひてサハタツミナラバとよむべし○遠を考に透の誤、古義に達の誤とせり。遠而念は通而等念の誤脱としてトホリテトモフとよむべきか。なほよく考ふべし
 
2795 きの國のあくらの濱の忘貝われは不忘《ワスレズ》としは雖經《フレドモ》
木國之飽等濱之忘貝我者不忘年者雖歴
 二註にワスレジ、ヘヌトモとよめり。後に至りてよめりとせむ方感深からむ。されば舊訓に從ひてワスレズ、フレドモとよむべし〇上三句は序なり。忘貝は一種の貝の(2506)名なり。語例は卷一(一〇九頁)に大伴ノミツノ濱ナル忘貝とあり
 
2796 水くくる玉にまじれる磯貝のかた戀のみに年はへにつつ
水泳玉爾接有磯貝之獨戀耳年者經管
 水ククルは水ククレルにてミナ底ノといふ意とおぼゆ。玉は美しき小石なり○イソガヒはただ礒ナル貝なり。略解に『イソ貝は石貝にて鰒也』といひ古義に『何にまれ石にはひ付てある貝にて其はみな鰒のごとく片貝なれば片戀とはつづけしなるべし』といへる共に非なり。二枚より成れる貝殻も時を經ればはなればなれとなれば片戀の序としつべし
 
2797 すみのえの濱によるちふうつせ貝|實《ミ》なき言もち余《ワレ》こひめやも
住吉之濱爾縁云打背貝實無言以余將戀八方
 上三句は實ナキにかゝれる序なり。ウツセ貝を契沖は『からになりたる貝なり』といひ眞淵雅澄は『石花貝《セガヒ》のからになりたるを云』といへり。げに語のもとは空石花貝《ウツセガヒ》なりしを後にはいづれの貝のからになれるをもいふやうになりしならむ○實ナキ(2507)言モチは口サキバカリデといふ意なり
 
2798 伊勢のあまの朝な夕なにかづくちふあはびの貝のかたもひにして
伊勢乃白水郎之朝魚夕菜爾潜云鰒貝之獨念荷指天
 上四句は序なり。略解に『アサナユフナのナはヨナヨナといふに同じく助辭なり』といへるは非なり。卷六(一〇七〇頁)なる
  いざ兒ども香椎のかたにしろたへの袖さへぬれて朝菜つみてむ
の處にて千蔭自云へる如く朝食夕食の添物なり。朝夕をアサナユフナといへるは撰集にては拾遺集なる好忠のミヤマ木ヲアサナユフナニコリツメテなどや始なるべき。いにしへには例ある事無し○古今集戀四に上三句今と同じき歌(ミルメニ人ヲアク由モガナ)あり
 
2799 人ごとをしげみと君をうづらなく人の古家《フルヘ》にかたらひてやりつ
人事乎繁跡君乎鶉鳴人之古家爾相語而遣都
 シゲミトはシゲサニなり。ウヅラナクは准枕辭なり。古家は考以下にフルヘとよめ(2508)り。妹が家、我家をイモガヘ、ワガヘともいへばげにフルヘともいふべし○人ノ口ガウルササニ人ノ住マヌアバラ屋ニツレコンデ語ラウテ歸シタといへるなり
 
2800 あかときと鶏《トリ・カケ》はなくなりよしゑやし獨ぬる夜はあけば雖明《アクトモ・アケヌトモ》
旭時等鶏鳴成縱惠也思獨宿夜者開者雖明
 二註に鶏をカケとよみたれど舊訓の如くトリとよみてもありぬべし。鶏之鳴アヅマノ國ニなどはトリとよむべければなり○雖明を二註に卷十五にヨシヱヤシヒトリヌルヨハアケバ安氣奴等母とあるに據りてアケヌトモとよめり。舊訓の如くアクトモとよみても可なり○卷七(一三五一頁)にアカトキト夜ガラスナケドとあり
 
2801 大海のありその渚鳥《スドリ》あさなさな見まくほしきを見えぬきみかも
大海之荒礒之渚鳥朝名且〔左△〕名見卷欲乎不所見公可問?
 序は初二にてアサナサナ見ルにかゝれり。從來ミマクホシキにかゝれる序としたるは非なり。スドリは洲ニヰル鳥なり。はやく卷七(一二七八頁)にマトガタノミナト(2509)ノ渚鳥といへり○且は旦の誤なり
 
2802 おもへどもおもひもかねつ(あしひきの)山鳥の尾の永き此夜を
念友念毛金津足檜之山鳥尾之永此夜乎
    或本歌曰あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長永夜《ナガキナガヨヲ》をひとりかもねむ
    或本歌曰足日木乃山鳥之尾乃四垂尾乃長永夜乎一鴨將宿
 三四は序なり○初句を古義に今ハツレナキ人ヲコヒシク思ハジトオモヘドモと譯し第二句を考に思ニタヘカネツ、古義に念ジカネツと譯せり。案ずるに初二のオモフは共に念ズルなり。されば初二は堪フレドモ堪ヘカネツと譯すべし。因にいふオモヒカネのオモフはこのオモフとは異なり。別にいふべし
 或本歌の長永夜を舊訓にナガナガシヨとよめるを宣長(辭(ノ)玉緒卷四の三十丁)はナガキナガヨとよみ改めたり。景樹は此説に左袒して
  さてこそ詞もとゝのひ文字の上も穩やかなりけれ
(2510)といひ又眞淵が
  長永夜乎をナガナガシヨとよむシの言は古事記にウマシアシカビ、日本紀にウマシ少女などある類のシ也
といへるを評して
  こはウマアシカビ、ウマヲトメとやうにシを除きても同意の言にてたまたまシの言の加はりて歎の調をなす古言の常にてアナニヤシ少女、アサモヨシ紀路などのシにひとしき體言なり。今の長永夜乎といへるは活らくテニヲハにして用言なればさる類ひにあらず。よりてナガナガシキ夜乎とキ文字なくてはつらなり侍らぬ也。ただナガナガシとのみ一句いひながす格と一つに思ひあやまつ事なかれ。もとよりさる詞づかひはさらに世になき事に侍れど久しき古訓の訛りを誰も耳なれ侍りてさるべき詞も有べきやうに思ひなりてたまたまある人のナガキナガ夜ヲとよみ解たるにも猶ためらふ人こそ多く侍れ。同じこともナガナガシ道、ナガナガシ旅などいはば誰も聞しりて詞をなさずといふべし。俗にもオモオモシキ身、トホドホシキ人などいはんをオモオモシ身、トホドホシ人とい(2511)ふべけんや。さればナガナガシ夜は雅俗とも通ぜぬ詞也としるべし
などなほ長々しくあげつらへり。此説は支離滅裂にて擧ぐるに堪へねど語格に疎き歌學者の議論の代表とし又廣足永好などの之に對する批評を擧む準備として擧げおくなり。義門の山口の栞(下卷十八丁)には
  ナガナガシはシク、シ、シキとはたらく用言なり。萬葉集に長永夜とかけるはナガナガシヨとよめるにあててかけることもとよりなるべし。然るにこれをばナガナガシキ夜といはではシ文字は體の語へはつづくべからざる故にかの長永夜はナガキナガヨとよむべしといふ人のあるはなかなか精しからぬ事なり。シク、シキとはたらく詞にては悲シクアル妹をカナシイモ、空シクナリニタル煙をムナシケブリ、オナジクアル人をオナジ人とやうにいふ例あリ。古事記にサカシメ、クハシメ、萬葉にクハシイモ、カナシイモなど引出るにたへずいと多きみな同例にて是はすべてシク、シ、シキとはたらく詞のうけばりたる定格なるものをいかでナガナガシ夜といへるのみをば怪しみぬべき(○節略)
といひ同人の活語指南(上卷七丁)には
(2512)  用と體とにてはナガナガシキ夜と云べきなれど此を一の體言にしては即ナガナガシ夜と云が言靈自然の格也。然るにナガナガシ夜ヲ獨カモネンと云るを不成語のやうに思ひナガキナガ夜とよむべき事ぞなど云は元來詞の活と云事を知らぬにて笑ふにたへぬ事ぞかし
といひ、間〔日が月〕宮永好の犬※[奚+隹]隨筆(上卷八六頁)には
  香川景樹が百首異見に『或人ナガキナガヨヲとよめるはいとよし。ナガナガシヨとは續かぬ詞にてさはいはれぬ格なり』といへり。永好按にこれ極めて誤なり。さるはナガナガシのシはシキの意のシにて體語へつづく格にして其例これかれあればなり。然るを右のシはウレシ、カナシ、ウシ、ツラシなどのシの格ぞと思へるはいと狹きことなりや。こは古への一の格にて古事記上卷にトホドホシコシノクニニ云々、同中卷にミヅミヅシ久米ノコガ云々、萬葉集十四卷に可奈之伊毛ガ云々、同十七卷に宇良故悲之ワガセノキミハ云々、同十九卷に見我保之御面云々また見我保之君ヲまたウラガナシコノユフ影ニ云々など見ゆる古の一格なるべし
(2513)といへり。永好がシキの意のシと常のシとに別てるはあやなし。シキの意のシなど云ものは無し。ナガナガシキ夜のキを省きて一語としたるまでなり。又永好は此格と、連體格の代に終止格をつかふ格とを混同せり。トホドホシ越ノ國、ミヅミヅシ久米ノ子、ウラゴヒシワガセノ君、ウラガナシコノユフ影などは明に後者に屬すべきなり。中島廣足(窓の小篠下卷二一丁)は更にワタツミノトヨハタ雲ニ人日サシ〔右△〕、カリクラシ〔右△〕タナバタツメニ宿カラムなどのシとも混同せり。このシは古今集秋上なるワガセコガ衣ノスソヲフキカヘシ〔右△〕、ヲミナベシ秋ノ野風ニウチナビキ〔右△〕などのシ、キと同格にて又一つの格なり(卷一【三一頁】參照)。古義には右の山口の栞の説を擧げ、さて  げにもナガナガシ夜といはむに語の活の格におきてはさらに疑ふべきにあらざる事かたへの證例どもにても諭なき事なり。……余が今ナガナガシ夜といふべきにあらずといへるは活語の法にかかはりていへるにはあらず。古語のやうを考へわたすにすべてたゝまりをどれる詞を歌の七言句の位にすゑむ事は古人の詞つづけのさまにあらず。をどらせたる詞はミヅミヅシ久米ノ子、トホドホシ越ノ國など七言句の位の上に冠らせて姑く歌ひをはりて次をいふ處にお(2514)かざれば語の勢たゆみて古人の詞のさまになきことなればナガナガシ日、ナガナガシ夜などよまむは今の人の耳にはさもと聞ゆることなめれど作者の意にはかなふべくもなし。しかるをナガキナガヨとよむはナガナガシ夜とよむにはおとれりと思ふは(○義門の言なり)なほ後世の意にて古書見むとする癖の清くのぞこらざるが故なり
といへり。所謂をどりたる語を七言の句にもちふるを古人は好まずといへるは遽に左袒せられざれど上代の歌にさる例なきことなれば反證は擧げられず。案ずるにナガナガシヨヲといはむよりナガキナガヨヲといはむ方調ををしく(彼は平安朝歌人の趣味にかなふべく此は寧樂朝作者の好尚に合ふべし)又長々夜または永々夜と書かで長永夜と書きたるを見れば宣長雅澄などに從ひてナガキナガ夜ヲとよむべし○眞淵のいへる如く此歌は底本の歌とは別なるなり
 
2803 里中《サトナカ》になくなる鶏《トリ・カケ》のよびたてていたくはなかぬこもり妻はも
     一云里とよみなくなる鶏の
里中爾鳴奈流鶏之喚立而甚者不鳴隱妻羽毛
(2515)    一云里動鳴成鶏
 里中を古義にサトヌチとよめり。なほ舊訓の如くサトナカとよむべし。ナカとウチとの別はナカは間の意又は周の對なり。ウチは外の對なり○鶏はカケともトリともよむべし○考にイタクハナカヌを作者自身の事としコモリヅマに就いては
  心ノ内ノコモリヅマハモとよみしも同じく心に忍び思ふつまをいふべし。こゝは母が許にこもり或は隱して置たるなどをいふにあらず
といひ二註共に考の説に從へり。案ずるに上三句はイタクナクにかゝれる序、コモリヅマはシノビ妻なり。又イタクハナカヌはこもり妻のさまにて恨むる事などありても人の聞知らむことをおそれていたくは得啼かぬなり○コモリヅマハモはソノコモリ妻ハドウシテ居ルデアラウカといへるなり
 
2804 高山にたかべさわたりたかだかにわがまつきみをまちでなむかも
高山爾高部左渡高高爾余待公乎待將出可聞
 初二は序なり。わざとタカを重ねたるなり。タカベは鴨の類なり。はやく卷三(三七〇頁)にヲシトタカベト船ノ上ニスムとあり○タカダカニは人を待つさまなり。はや(2516)く卷四(八〇四頁)に見えたり。マチデナムカモは待敢ヘムカとなり
 
2805 伊勢の海ゆなきくるたづの音杼侶毛《オトドロモ》、君が所聞者《キコサバ》、吾《ワレ》こひめやも
伊勢能海從鳴來鶴乃音杼侶毛君之所聞者吾將戀八方
 初二は序なり。第三句を舊訓にオトドロモとよめるを考に音柁※[人偏+爾]毛の誤とし、雅澄はもとのまゝにて
  音オドロと云なるべし。音ヅレと云言もこの音ドロよりうつれる詞なるべし
といひて君ガ音信ダニモ聞エ來バと譯せり。又字音辨證(上卷三五頁)にはオトヅレモとよみて
  杼をヅと呼は同轉の遽(ノ)字、居(ノ)字にクの音あるひびきなり。又侶をレと呼は居にケ、於にイの音あるひびき也
といへり。案ずるにオトドロモとよみてオトヅレモといふ意とすべし。オトドロモは卷五なる書院餞酒日倭歌(九五〇頁)にヒト母禰ノウラブレヲルニとあるとおなじく方言ならむ○所聞者を從來キコエバとよめり上にもオモホシ、シロシ、キコシを所念、所知、所聞と書き又卷十三なる挽歌にアソバシ、シヌバシ、トラシを所遊、所偲、(2517)所取と書けるに據りてキコサバとよみ改むべし。キコサバはイヒタマハバにてここにてはイヒオコセタマハバなり○考に
  伊勢の海をしも取出ていふはその隣國に住る女の歌なるべし
といへるは非なり。イセノ海ユはイセノ海ヲなり。されば男の伊勢にて故郷なる妻を憶ひてよめるなり
 
2806 吾妹兒にこふれにかあらむおきにすむ鴨のうきねのやすけくも無《ナキ》
吾妹兒爾戀爾可有牟奥爾住鴨之浮宿之安雲無
 三四は序なり。結句は略解に從ひてヤスケクモナキ〔右△〕とよむべし(他書にはナシとよめり)。さて結句を考に安寢モセラレヌハと譯し二註の之に從へるは非なり。ヤスケクモナキに寢る意はなし。ただ心ノ安カル事モナキハといへるなり
 
2807 可旭《アケヌベミ》ちどりしばなく(白〔左△〕細乃《シキタヘノ》)君がたまくらいまだあかなくに
可旭千鳥數鳴白細乃君之手枕未厭君
 初句を從來アケヌベクとよめり。宜しくアケヌベミとよむべし○千鳥は契沖のい(2518)へる如く諸鳥なり。卷十六に
  吾門に千鳥しばなくおきよおきよわが一夜妻人に知らゆな
とあり○第三句は考に從ひて色細乃の誤としてシキタヘノとよむべし
 
  問答
2808 眉根かき鼻ひ紐|解《トキ》、待八方《マテリヤモ》いつかもみむとこひこしわれを
眉根掻鼻火紐解待八方何時毛將見跡戀來吾乎
    右上見2柿本朝臣人麿之歌中1。但以2問答1故累載2於茲1也
 上(二二六九頁)に
  眉根かき鼻ひ紐ときまつらむやいつかもみむとわがおもふ君
とあるがかはれるなり○解を考以下にトケとよめり。宜しくトキとよむべし。待八方は略解に從ひてマテリヤモとよむべし。イツカモ見ムトは早ク逢ヒタシトテとなり
 
(2519)2809 今日有〔左△〕者《ケフトイヘバ》鼻|之〔左△〕《ヒ》鼻|之火〔二字左△〕《ヒシ》眉かゆみおもひしことは君にしありけり
今日有者鼻之鼻之火眉可由見思之言者君西在來
     右二首
 初句を舊訓にケフナレバ、古義にケフシアレバとよめり。有を云の誤としてケフトイヘバとよむべし○第二句を略解に鼻之鼻火之の誤とし古義に鼻火之鼻火の誤とせり。宜しく鼻火鼻火之の誤とすべし。ハナヒハナヒヲシテとなり。即シバシバハナヒシテとなり○カユミオモフは痒ク思フなり。思之言者とかける言は事の借字なり。さればオモヒシハと云はむにひとし。君ニシアリケリは君ガ來マスナリケリとなり
 
2810 音のみをききてやこひむ(まそかがみ)目〔□で囲む〕|直相△而《タダニアヒミテ》こひまくも太口〔二字左△〕《オホシ》
音耳乎聞而哉戀犬馬鏡目直相而戀卷裳太口
 第四句を訓にメニタダニミテとよめるを考にタダニアヒミテとよみ改め古義に直相見而の誤とせり○大口を舊訓にオホクとよめり。契沖は之によりて太を大(2520)の誤とせり。さて略解に
  ただちに相見ばいかばかり戀の多からむといふかといひ、古義に
  聞たるばかりにこひむものかは、聞たるばかりにだにこふる我なればただちに相見て後こひむことのおほさはかねて知るゝとなりといへり。案ずるに太口を大四などの誤としてオホシとよみて尋常平凡ナリの意とすべし。さればキキテヤのヤはヤハにあらず。噂ノミ聞キテ戀ヒムカとなり
 
2811 此言を聞跡乎〔左△〕《キカムトナラシ》(まそかがみ)てれる月夜も闇耳見《ヤミトノミミシ》
此言乎聞跡乎眞十鏡照月夜裳闇耳見
     右二首
 第二句を契沖はめづらしくも聞跡手鴨の誤としてキカムトテカモとよみ、眞淵は聞跡哉の誤としてキキナムトカモとよみ、雅澄は聞跡有之の誤としてキカムトナラシとよめり。宜しく聞跡平の誤としてキカムトナラシとよむべし。立平之《タチナラシ》、踏平之《フミナラシ》などの平《ナラシ》をテニヲハのナラシに當てたるが異樣なればうつし誤れるなり○結句(2521)を眞淵はヤミニノミミシ、雅澄はヤミノミニミツとよめり。宜しくヤミトノミミシとよむべし。一首の意は昨夜明月ヲモ闇トノミ見シハカカル御言葉ヲ聞カム前兆ナルベクオボユといへるなり。奇拔を以て奇拔に酬いしなり。マソカガミといふ語を襲用せるもいにしへの贈答の體なり。おそらくは前夜月明なりしが曇りしならむ
 
2812 吾妹兒にこひてすべなみしろたへの袖反ししはいめにみえきや
吾妹兒爾戀而爲使無三白細布之袖反之者夢所見也
 袖をかへして寢れば夢に思ふ人に逢ふといふ俗信によりてよめるなり。古今集戀二にも  いとせめでこひしき時はぬばたまのよるの衣をかへしてぞぬる
とあり
 
2813 吾背子が袖かへす夜のいめならしまことも君に如相有《アヘリシゴトシ》
吾背子之袖反夜之夢有之眞毛君爾如相有
(2522)     右二首
 舊訓にアヘリシガゴトとよめるを古義にアヘリシゴトシに改めたり。袖カヘス夜ノは袖ヲ反シテ寢テ我ヲ見シ夜ノといふべきを略し又過去を現在にていへるなり。マコトモはゲニモなり
 
2814 吾戀はなぐさめかねつまけながくいめにみえずて年のへぬれば
吾戀者名草目金津眞氣長夢不所見而年之經去禮者
 マケナガクは久シクなり。ケナガクにマを添へたるなり
 
2815 まけながくいめにもみえず雖絶《タエタレド》わが片戀はやむ時も不有《アラズ》
眞氣永夢毛不所見雖絶吾之片戀者止時毛不有
     右二首
 契沖はタエヌトモ……アラジとよみ眞淵はタエタレド……アラズとよめり。後者に從ふべし
 
2816 うらぶれて物なおもひそ(あま雲の)たゆたふ心わがもはなくに
(2523)浦觸而物魚念天雲之絶多不心吾念魚國
 ウラブレテは悲ミテ、タユタフはウキウキトシタル、心ヲオモハヌは心ヲ持タヌなり
 
2817 うらぶれて物は不念《オモハジ》みなせ川ありても水はゆくちふものを
浦觸而物者不念水無瀬川有而毛水者逝云物乎
     右二首
 不念は古義に從ひてオモハジとよむべし(略解にはオモハズとよめり)○アリテモ水ハは水ハアリテモなり。ミナセ川トイヒテモナホイササカナル水ハアリテ逝クガ如ク我中モ稀ニ逢ハムヲリハアリナムヲとなり。古義の釋は從ひがたし○古今集戀五に
  みなせ川ありてゆく水なくばこそつひに我身をたえぬとおもはめ
とあるは今の歌によれるならむ
 
2818 (かきつばた)さき沼《ヌ》の菅を笠にぬひ著む日をまつに年ぞへにける
(2524)垣津旗開沼之菅乎笠爾縫將著日乎待爾年曾經去來
 逢はむと契りし事を菅を笠に縫ふに譬へ、逢ふ事を著るにたとへたるなり
 
2819 (おしてる)難波すが笠おきふるし後は誰《タガ》著む笠ならなくに
臨照難波菅笠置古之後者誰將著笠有魚國
     右二首
 タガ著ムは外ノ人ノ著ムとなり。されば四五の意は後ニハ君ガ著ベキ笠ナルニとなり○オキフルシは上(二五一三頁)にも引きたるワタツミノトヨハタ雲ニ入日サシなどと同格にていにしへ行はれし一格なり。こゝはオキ古シタルヨなど譯すべし○年タケ色衰ヘヌサキニ早ク來リテ逢ヒタマヘといふ意を含めたり。考以下に吾ハ他心ナシといふことを挿みて釋きたれどさる意はなし
 
2820 かくだにも妹をまち南《ナム》さよふけていでこし月のかたぶくまでに
如是谷裳妹乎待南左夜深而出來月之傾二手荷
 ナムの事は上(二四八九頁)なる色ニイデテ吾《ワハ》コヒナムヲの處にいへり。カクダニモ(2525)のダニは他のダニと異なり。カクバカリと譯すべし
 
2821 木間よりうつろふ月の影ををしみたちもとほるにさよふけにけり
木間從移歴月之影惜徘徊爾左夜深家里
     右二首
 木間〔日が月〕ヨリウツロフ月ノは木間ヨリモリクル月ノとなり。はやく卷十(一九四一頁)にコノマヨリウツロフ月ヲイツトカマタムとあり○途中デ月ヲ賞シテといへるなり。古義にコノ月影ニ見アラハサレナムコトノサスガニ名ノヲシケレバと譯せるは非なり
 
2822 (たくひれの)しら濱浪のよりもあへずあらぶる妹にこひつつぞをる
    一云こふるころかも
栲領巾乃白濱浪乃不肯縁荒振妹爾戀乍曾居
    一云戀流己呂可母
 初二は序なり。シラ濱は白砂の濱なり(一〇四九頁及一一八五頁參照)〇三四はシタ(2526)シミ寄リシ間モナク疎遠ニナリユク女ニとなり
 
2823 かへらまに君こそ吾に(たくひれの)白濱浪のよる時もなき
加敝良未〔左△〕爾君社吾爾栲領巾之白濱浪乃縁時毛無
     右二首
 カヘラマはカヘサマなり。ウラウヘなり〇三四は序なり。君コソはヨル時モナキにかかれり。コソといひてキと結べる例は上(二四九七頁)にあり○未は末の誤なり
 
2824 おもふ人こむとしりせば八重むぐらおほへる庭に珠しかましを
念人將來跡知者八重六倉覆庭爾珠布益乎
 玉は美しき小石なり
 
2825 玉しける家も何せむ八重むぐらおほへる小屋《ヲヤ》も妹と居者《ヲリセバ》
玉敷有家毛何將爲八重六倉覆小屋毛妹與居者
     右二首
 小屋は上(二四三八頁)にもヲチカタノハニフノ少屋ニとあり。居者は考に從ひてヲ(2527)リセバとよむべし。二註にはヲリテバとよめり。ヲリセバの下にウレシカラマシを補ひて聞くべし
 
2826 かくしつつありなぐさめ手〔左△〕《シ》(玉緒のたえて)わかればすべなかるべし
如是爲乍有名草目手玉緒之絶而別者爲便可無
 答歌によれば男の旅行く時女のよめるなり○玉ノヲノタエテはワカレバの枕なり。上(二五〇一頁)にミダレナの枕にタマノヲノタエテといへり○第二句を從來字のまゝにてアリナグサメテとよみたれどさてはとゝのはず。手を之乎《シヲ》の誤とするか又は之《シ》の誤としてヲを省きたりとすべし。さてアリナグサメシヲは自慰メタリシヲとなり
 
2827 くれなゐの花にしあらばころもでにそめつけもちて可行《ユクベク》おもほゆ
紅花西有者衣袖爾染著持而可行所念
     右二首
 可行を略解にイヌベクとよみ古義にユクベクとよめり○契沖は釋して君ガカホバセハタダ紅ト見ユルヲモシ誠ニ紅ノ花ナラバといへり
 
(2528)  譬喩
2828 くれなゐのこぞめの衣を下に著ば人|者〔左△〕《ノ》見久〔左△〕爾《ミルガニ》にほひいでむかも
紅之深染乃衣乎下著者人者見久爾仁寶比將出鴨
 第四句の者は一本に之とあり。さて從來此句をヒトノミラクニ又はヒトノミマクニとよめり。案ずるに久を之の誤として人ノ見ルガニとよむべし○隱妻ヲ設ケナバ人ノ見ルバカリ樣子ガ外ニアラハレムカといへるなり○卷七(一三九二頁)に
  くれなゐのこぞめのころも下に著て上にとりきばことなさむかも
とあり
 
2829 ころもしも多《オホク・サハニ》あらなむとりかへて著者也《キナバヤ》君が面忘れたらむ
衣霜多在南取易而著者也君之面忘而有
     右二首|寄《ヨセテ》v衣喩v思
 多は舊訓にオホクとよめり。契沖の如くサハニともよむべし○第四句を略解にキ(2529)ナバヤ君ガとよみ古義にキセバヤ君ガとよめり。訓は略解に從ふべし。但千蔭が釋して
  我多クノ衣ヲ持タラバ君ニ著カヘサセツツイカデ君ヲ面忘レテアランと思ひのあまりにいふ也
といへるは非なり。キナバヤは希望の意にあらず。著ナバにヤを添へたるにてそのヤはオモワスレタラムの下に引下して心得べし。即衣ヲトリカヘテ著ナバ君ガ我面ヲ忘レテアラムカといへるなり。卷七(一三七九頁)なる著テニホハバヤ人ノ知ルベキのバヤにおなじ
2830 あづさ弓|弓束《ユヅカ》まきかへ中見判〔二字左△〕さらにひくとも君がまにまに
梓弓弓束卷易中見判更雖引君之隨意
     右一首寄v弓喩v思
 第三句を考にナカミテハとよみ古義にはナカミワリとよむべしといふ或人の説を擧げたり。中廻而の誤としてナカタメテとよむべきか。なほよく考ふべし○ユヅカは弓の握革なり。ヒクトモ云々は引カウトモ引クマイトモアナタノ御勝手とな(2530)り〇一たび絶えし男の再逢はむといひしに答へたるならむ
 
2831 みさごゐる渚《ス》に座《ヰル》船の夕しほをまつらむよりは吾こそ益《マサレ》
氷〔左△〕沙兒居渚座船之夕塩乎將待從者吾社益
     右一首寄v船喩v思
 ミサゴヰルは准枕辭なり○座を舊訓にヲルとよめるを契沖はヰルに改めて
  和名集舟車類云、※[舟+鑁の旁](俗云爲流)船著v沙不v行也。今の俗に舟のすわると云なればヲルもヰルも皆居の字の心にて違ふまじけれど和名集に依てヰルと讀べき歟とは云なり
といへり。本朝月令(群書類從卷八十一)に引ける高橋氏文にも
  船遇2潮涸1(天)渚上(爾)居(奴)掘出(止)爲(爾)得2八尺白蛤一貝1
とあればげにヰルとよむべし。初句のヰルと重出せるは疚しからず。さて船にヰルといふは乘上ぐる事なり○益を略解にマサレとよめるを古義にマサメに改めて『略解にワレコソマサレとよめるはいとわろし』といへるは却て非なり。マサレとよむべし。ワガ夫ヲ待ツ心ノ方コソマサレとなり○氷は水を誤れるなり
 
(2531)2832 山河に筌乎伏△而《ウヘヲフセオキテ》、不〔□で囲む〕|肯盛△《モリアヘテ》年のやとせを吾《ワガ》ぬすまひし
山河爾筌乎伏而不肯盛年之八歳乎吾竊舞師
     右一首寄v魚喩v思
 第二句を舊訓にウヘヲフセオキテとよめり。然るにもとのまゝにてはフセオキテとはよまれざるによりて契沖は
  今按フセツツとよむべし。されど六帖にも今の點と同じければ伏の下に置の字の落たるか
といひ(訓義辨證にも而はツツともよむべしといひてウヘヲフセツツとよめり)眞淵はカタミヲフセテとよめり。和名抄に筌(宇倍)捕v魚竹|※[竹/句]《コウ》也とあればなほウヘとよむべく又舊訓に合せて伏の下に置の字を補ふべし。さてウヘのさまは代匠記に
  山川に石をたゝみよせて水の早く落る所にまろく簀を編て簀の尻をひとつにくゝりて魚の出ぬやうにして其水落にあてゝ置て人にも取られじ鳥獣にも取られじとて人は其傍に居て守るなり
といへり○不肯盛を考にモリアヘズとよめり。なほ後にいふべし。年ノヤトセは長(2532)キ間となり○吾を契沖眞淵はワガとよみ雅澄はアヲとよめり。さて一首の意を契沖は釋して
  ヌスマヒシはヌスミシなり。山川に筌を伏て守れども久しくしてたゆむ時に人も鳥獣も來て盗むが如く我思ふ人をも親などの守れども此年の八歳の程ひまひまを窺て我相見しとなり。魚をば女に喩へたるなり
といひ眞淵は之に從ひたれど、さては第三句と結句と自他相かなはざるを如何にせむ。雅澄は上三句をヌスマヒシの序とし吾をアヲとよみヌスマフを欺く意とせり。上(二三七七頁)に
  こころさへまつれる君になにをかもいふべからずとわがぬすまはむ
とあるを思へばヌスマフは包み隱す事なり○第三句はモリアヘテとあらではかなはず。おそらくは肯盛而とありしを誤れるならむ。その盛は守の借字なり。さて初二はモリにかゝれる序にてモリは序よリのかゝりにては番をする事、主文の方にては人目をうかがふ事なり。さればモリアヘテは人目ヲウカガヒオホセテとなり
 
2833 葦鴨のすだく池水|雖溢《ハフルトモ》まけ溝のへにわれこえめやも
(2533)葦鴨之多集池水雖溢儲溝方爾吾將越八方
     右一首寄v水喩v思
 第三句を眞淵がアフルトモとよめるを二註にハフルトモに改めたり。ハフルとアフルとは同源の語なればいづれにてもよけれど卷十四にクニ波夫利ネニタツクモノ云々とあるに依りてハフルトモとよむべし○マケミゾは『池水の多き時水を放て塘をそこなはじと兼て儲け置溝なり』と契沖のいへる如し〇一首の意も思ハ胸ニアマルトモアダシ心ハモタジといへるなる事契沖のいへる如し。但契沖が人言ハ葦鴨ノスダク如クサワギテとうつし添へたるは非なり。アシガモノスダクはカハヅナクカムナビ川、下なる眞クズハフ小野などのカハヅナク。マクズハフとひとしく主語の装飾なるのみ。一首の意には與からず
 
2834 日本《ヤマト》の室原《ムロフ》の毛挑もとしげくいひてしものを成らずば止まじ
日本之室原乃毛桃本繁言大王物乎不成不止
    右一首寄v菓喩v思
(2534) 初二は序、日本は大和の借字、ムロフは大和國字陀郡の地名なり○モトシゲクはただシゲクといひて可なるを序の縁にてモトシゲクといへるにてイハモト菅ノ根フカクモ、サス竹ノハゴモリテアレなどと同格なり。考にモトを初と譯せるは非なり。古義に『毛桃のつづきのよせにいへるにて本〔右△〕の言は歌に用なし』といへるぞよろしき○シゲクイヒテシモノヲは度々妻ドヒシヲとなり。ナラズバは事成ラズバなり。このナルを考以下に毛桃の縁語とせるはわろし。序に毛桃をつかひて下にナルといへるは偶然のみ
 
2835 まくずはふ小野の淺茅を心ゆも人|引〔左△〕目《カラメ》やも吾莫名國《ワレナケナクニ》
眞葛延小野之淺茅乎自心毛人引目八面吾莫名國
 略解に引目とあるを訝りて
  淺茅に引といふ事心ゆかず。もしくは引は刈の字の誤にて人カラメヤモならんか
といへり。げに刈の誤とすべし○結句を舊訓にワレナラナクニとよみ考にワレナケナクニとよめり。後者に從ふべし。吾ナケナクニは吾ナカラナクニにて所詮吾アルニとなり。古義に吾ニテナキニハアラヌモノヲと譯したるはわろし。語例は卷一(一一七頁)に
  わがおほきみものなおもほしすめ神のつぎてたまへる吾莫勿久爾《ワレナケナクニ》
 卷四(六三二頁)に
  わが背子はものなおもひそ事しあらば火にも水にも吾莫七國《ワレナケナクニ》
とあり〇一首の意を考に釋して
  しめゆひし我なくばこそあらめ我在からはあだし人の心よりして引とる事は得めやといへり
といひ古義も人を第三者とせり。もしさる意ならば初句に必要ならざる准枕辭をつかはずしてシメユヒシ又はシメサシシといふべきなり。案ずるにこは女の歌にて淺茅はあだし女、人は相手の男なり。されば一首の意は
  吾トイフモノ無クハアラヌニアダシ女ニ君ガ(自分ノ心カラ)言カヨハスベシヤハ
といへるなり
 
(2536)2836 三島菅いまだ苗なり時またば著ずやなりなむ三島すが笠
三島菅未苗在時待者不著也將成三島菅笠
 二三の間にサリトテ、四五の問に嗚呼イカニセムといふことを補ひて聞くべし。童女を菅のまだ苗なるに譬へたる事契沖以下のいへる如し
 
2837 みよし野のみぐまが菅をあまなくに刈のみかりてみだりなむとや
三吉野之水具麻我菅乎不編爾刈耳苅而將亂跡也
 アマナクニは薦ニ編マヌニなり○考に
  さまざまと心をつくして終にわが物ともならずあらけはてなんやとおぼつかなむなり
といひ古義に
  女のあはむとうけ引たるものからなほ我妻とも得定めずてさまざま思ひみだれなむとにやと云を菅を刈たるのみにてなほ未薦にあまず亂しおきなむとにやといふにたとへたり
(2537)といへるは非なり。こは女の歌にて逢ひそむることをアムにたとへ契りおく事をカルにたとへて
  逢ヒソメモセヌニ約束ノミシテ我心ヲ亂サムトニヤ
といへるなり。カリノミカリテの語例は卷十(二〇八六頁)に秋ハギヲヲリノミヲリテオキヤカラサムとあり○細井貞雅は『三吉野は古本に三島江とあり』といへり(姓氏録考證卷十五荒城朝臣之註所引)。さる本果してありや
 
2838 河上《カハカミ・カハノヘ》にあらふ若菜のながれ來て妹があたりの瀬にこそよらめ
河上爾洗若菜之流來而妹之當乃瀬社因目
     右四首寄v草喩v思
 河上を從來カハカミとよみ殊に古義には
  河上とは河の上つ方なり。河上ノイツモノ花また河上ノネジロタカガヤなどとはいささか意たがへり
といへり。即古義などはナガレ來テとあれば今もいふ河カミの意として河上《カハカミ・カハノヘ》ノイツモノ花などの河ノホトリの意なると別とせるなり。案ずるに妹ガアタリノ瀬ニ(2538)コソヨラメといへるを見れば作者は妹の傍に居るにあらず。從ひてナガレ來テはナガレユキテの意とせざるべからず(本集には往々ユクを來《ク》といへり)。而してナガレ來テをナガレユキテの意とすれば作者は若菜を洗ふ處に居ても妨なきなり。從ひてこゝの河上を他處の河上と別意とせざるべからざる理由なきなり○上三句は我モシ河ノホトリニ洗フ此若菜ナラバソノ若菜ノ如ク流レ行キテといへるなり。若菜ノはナガレキテのみにかゝれるなり。妹ガアタリノ瀬ニコソヨラメまでかかれるにあらず。代匠記に『我も遂には妹をより所にせむと云意なり』といひ二註の之に從へるは誤解なり。又古義に『瀬はこゝはより處といふ處なるを河のちなみにいへるなり』といひて處といふ意の瀬の例をならべたるは誤解にもとづけるいたづら言なり
 
2839 かくしてやなほや成牛鳴《ナリナム》、大荒木の浮田の杜の標《シメ》ならなくに
如是爲哉猶八成牛鳴大荒木之浮田之杜之標爾不有爾
     右一首寄v標喩v思
 宣長は成を朽の誤とせり。なほもとのまゝにて契沖の如くナリナムとよむべし。玉(2539)篇に牟(ハ)牛鳴とあればムに牛鳴を借り、ナムのナはよみ添へさせたるなり。初二の語例は卷四(七七三頁)に
  かくしてやなほやまからむちかからぬ道のあひだをなづみまゐ來て
 又卷七(一四一八頁)に
  かくしてやなほや老いなむみゆきふる大荒木野の小竹《シヌ》ならなくに
とあり。カクシテヤのヤはヤハの意、ナホヤのヤは助辭、ナホはイタヅラニといふことなり。さればカクシテヤナホヤナリナムはカクシツツ徒ニ成リナムヤハとなり。標《シメ》はシメ繩ならで字の如く標木なるべくその標木はいたづらに立てるものなれば標ナラナクニといへるなり。標木をもシメといひし例は孝徳天皇紀白雉四年に立2宮堺(ノ)標1また續紀天平寶字三年冬十月に限2伊勢大神宮之堺1樹v標などあり○大荒木杜は山城の地名なり
 
2840 幾〔左△〕多毛《ハナハダモ》ふらぬ雨ゆゑ吾背子がみ名の幾許《ココダク・ココバク》瀧|毛〔左△〕《ノ》とどろに
幾多毛不零雨故吾背子之三名乃幾許瀧毛動響二
     右一首寄v瀧喩v思
(2540) 初句を從來イクバクモとよめり。甚多毛の誤なるべし。卷七(一四三五頁)にも
  甚多毛ふらぬ雨故にはたつみいたくなゆきそ人のしるべく
とあり○幾許を舊訓にココダク、考にココバクとよめり。いづれにても可なり○瀧毛は上(二四五八頁)なる朝ゴチニヰデコス浪ノといへる歌の處にていひし如く瀧乃の誤ならむ○初二はあまたたびも逢はぬことを譬へたるなり。結句の下に立チタルコトヨといふ言を加へて聞くべし
                          (大正十一年七月講了)
   2005年3月16日(午後)1時40分、入力終了。2005.8.8予備的校正終了。
(流布本目録省略)
 
 
萬葉集新考第五  1928.8.8発行
 
      圖版解説
紙本縱四尺一寸三分、横一尺七寸五分。加藤千蔭が萬葉集卷三(本書四一五頁)なる長歌を書いたものである
譯文
    山部宿禰赤人望2不盡山1作歌
 天地之(アメツチノ)分時從(ワカレシトキユ)神左備手(カムサビテ)高貴寸(タカクタフトキ)駿河有(スルガナル)布土能高嶺乎(フジノタカネヲ)天原(アマノハラ)振放見者(フリサケミレバ)度日之(ワタルヒノ)陰毛隱此(カゲモカクロヒ)照月乃(テルツキノ)光毛不見(ヒカリモミエズ)白雲母(シラクモモ)伊去波伐加利(イユキハバカリ)時自久曾(トキジグゾ)雪者落家留(ユキハフリケル)語告(カタリツギ)言繼將徃(イヒツギユカム)不盡能高嶺者(フジノタカネハ)
     反歌
 田兒之浦從(タゴノウラユ)打出而見者(ウチデテチミレバ)眞白衣(マシロニゾ)不盡能高嶺爾(フジノタカネニ)雪波零家留(ユキハフリケル)
                         千蔭書
(凡例省略)
(目次省略)
 
(2547) 萬葉集新考卷十二
                   井上通泰著
 
  正述2心緒1
2841 我背子があさけのすがたよく見ずてけふの間をこひくらすかも
我背子之朝明形吉不見今日間戀暮鴨
 アサケノスガタは夜ガ明ケテ歸行キシ男ノ姿なり○卷十(一九七四頁)にも
  朝戸出の君がすがたをよく見ずて長き春日をこひやくらさむ
とあり
 
2842 我心等《ワガココロト》、望使念《ノゾミシモヘカ》、新夜《アラタヨノ》ひと夜もおちず夢見《イメニシミユル》
我心等望使念新夜一夜不落夢見
 考に望使念を無便念の誤としてワガココロトスベナクモヘバとよみ、古義に我心等を我等心の誤とし望使念を氣附念の誤としてアガココロイキヅキモヘバとよ(2548)めり。初句はもとのまゝにてワガココロトとよむべし。第二句も亦もとのまゝにてノゾミシモヘカとよむべきか。ノゾミシモヘカは夢ニ見ムト望ミ思ヘバニヤとなり。使は卷九(一八三八頁)にクル侍《シ》キニとあれば侍の誤にてもあるべし○第三句を舊訓にアタラヨノとよめるを考に新玉の誤としてアラタマノとよめり。こは下に
  今更にねめやわがせこ荒田麻之ひと夜もおちず夢にみえこそ
とあるに據れるなれど古義にはその荒田麻之を荒田夜〔右△〕之の誤としこゝをもアラタヨノとよみて
  アラタ夜とは世の事を新世《アラタヨ》といふと同例にて經カハリ經カハリアラタマル夜と云ことなり
といへり。此説に從ひて次々ニ來ル夜といふ意とすべし○結句は舊訓にユメニミエケリとよみ考にイメニシミユルとよめり。考に從ふべし
 
2843 與愛《ウツクシト》わがもふ妹を人皆の如去見耶《ユクゴトミメヤ》、手にまかずして
與愛我念妹人皆如去見耶手不纏爲
 初句を舊訓にウツクシトとよめるを略解にウルハシトに改めたるはわろし。カハ(2549)ユシといふ意なればウツクシトとよむべし(二三八〇頁參照)○第四句は略解の如くユクゴトミメヤとよむべし。但意は古義にいへる如く世間〔日が月〕ノ人ノ行クヲ見ル如クヨソニ見メヤハといへるなり。略解の釋は非なり
 
2844 このごろの寢之不寢《イノネラエヌハ》(しきたへの)手枕まきて寢欲《ネマクホレコソ》
此日寢之不寢敷細布手枕纏寢欲
 第二句は略解に從ひてイノネラエヌハとよむべく結句も同書に從ひてネマクホレコソとよむべし。古義にホリコソに改めたれどホレバコソといふ意なれば必ホレコソとよむべし。妹ノ手枕ヲマキテ寢マクホレバコソ寢《イ》ノ寢ラレヌナレといへるなり
 
2845 忘哉《ワスルヤト》ものがたりして意遣《ナグサメテ》、雖過《スグセド》すぎず猶戀《ナホゾコヒシキ》
忘哉語意遣雖過不過猶戀
 初句は契沖に從ひてワスルヤトとよむべし。第三句を從來ココロヤリとよめり。宜しくナグサメテとよむべし(二二七三頁及二二九八頁參照)○雖過は契沖に從ひて(2550)スグセドとよむべく結句は眞淵に從ひてナホゾコヒシキとよむべし。スグセドスギズは思ヲ過シ遣レド思ガ過ギ行カズとなり
 
2846 夜不寢《ヨヲネズテ》、安不有《ヤスクモアラズ》しろたへの衣不脱《コロモハヌガジ》ただにあふまで
夜不寢安不有白細布衣不脱及直相
 初二を舊訓にヨルモネズヤスクモアラズとよみ略解にヨルモネジヤスクモアラジとよめり。宜しくヨヲネズテヤスクモアラズとよむべし。卷三(五六三頁)にイカニカヒトリ長夜乎將宿《ナガキヨヲネム》とあり。ヤスクモのモは輕く添へたるなり○第四句を從來コロモモヌガジとよめり。宜しくコロモハ〔右△〕ヌガジとよむべし。丸寢セムといへるなり
 
2847 後相《ノチモアハム》、吾莫戀《ワニナコヒソト》、妹はいへどこふる間に年はへにつつ
後相吾莫戀妹雖云戀間年經乍
 初句を舊訓にノチニアハムとよみ契沖はノチモアハムとよめり。後者に從ふべし。さてノチモアハムは獨立せる文なり。吾に續けるにあらず○第二句はワニ〔右△〕ナコヒソトとよむべし
 
(2551)2848 ただにあはず有諾《アルハウベナリ》いめにだに何人《ナニカモヒトノ》ことのしげけむ
     或本歌曰うつつにはうべもあはなくいめにさへ
直不相有諾夢谷何人事繁
    或本歌曰寢〔左△〕者諾毛不相夢左倍
 第二句は契沖に從ひてアルハウベナリとよむべし○第四句を二註共にナニシカ人ノとよめり。宜しくナニカモとよむべし。ナニカモは何カハにおなじくシゲケムは繁カラムにおなじ。イメニダニは後の語法によらば或本の如く夢ニサヘといふべし。一首の趣は夢にだに見えぬを訝り恨みたるなり
 或本歌の寢は寤の誤ならむ
 
2849 (ぬばたまの)彼△夢《ソノヨノイメノ》、見繼哉《ミエツゲヤ》そでほす日なく吾戀矣《ワレハコフルヲ》
烏玉彼夢見繼哉袖乾日無吾戀矣
 第二句を舊訓にソノヨノユメニとよめるを宣長は彼夢を夜夢の誤としてヨルノイメニヲとよめり。彼の下に夜を補ひてソノヨノイメノ〔右△〕とよむべし。ソノ夜といへ(2552)るは夢を見し夜なり○第三句は契沖のミエツゲヤとよめるに從ふべし。ミエツゲヤは見エ繼ゲカシとなり○結句は舊訓にワガコフラクヲ、古義にワレハコフルヲとよめり。後者に從ふべし
 
2850 うつつには直不相《タダニアハナク》いめにだに相見與《アフトミエコソ》わがこふらくに
現直不相夢谷相見與我戀國
 第二句を舊訓にタダニモアハズとよみ古義にタダニアハナクとよめり。古義に從ふべし。第四句は契沖に從ひてアフトミエコソとよむべし
 
  寄v物陳v思
2851 人所見《ヒトノミル》、表結《ウヘハムスビテ》、人不見《ヒトノミヌ》した紐あけてこふる日ぞおほき
人所見表結人不見裏紐開戀日太
 上三句を考以下にヒトミレバウヘヲムスビテ人ミネバとよめり。宜しくヒトノミルウヘハムスビテ人ノミヌとよむべし。ミルを所見と書けるは卷十一(二二四五頁)(2553)にヒトノ所寐《ヌル》と書けると同例とすべきか。又は二處ながら所を衍字とすべきか○ウヘは衣の上に結ぶ帶にてシタヒモは褌《ハカマ》の紐なり。アケテは解キテなり(二二六八頁及二二七九頁參照)○さて考に
  下紐のとくるは人に逢はむ前つさがとする故に強ても解てあはむ事をいはふ也
といへれど下紐のおのづから解くるこそ人に逢はむ祥なるべけれ、強ひて解きたらむは祥となるべからず。されば古義には其矛盾を調和して
  おのづからとくることはなくとも、おのづから解くるになぞらへて設けてもときあけたらばもし逢ふこともあらむかと、せめてのわざにひとへにあはむことを希ひてする由なり
といへれど未人をして首肯せしむるに至らず。案ずるに下紐を解くは人に逢はむ呪のみ。はやく卷十一(二二六九頁)にも
  眉根かき鼻ひ紐とき待つらむやいつかもみむとわがおもふ君
とあり
 
(2554)2852 人言の繁時《シゲカルトキヲ》、吾妹《ワギモコガ》きぬにありせばしたにきましを
人言繁時吾妹衣有裏服矣
 第二句を二註共にシゲケキトキニとよめり。シゲケキといふ辭は無ければシゲカルトキヲとよむべし○第三句を古義にはワギモコシとよめり。舊訓に從ひてワギモコガとよむべし○結句は古義にソト裏《シタ》ニ著コメテ人ニ知ラセズシテアルベキモノヲと譯せる如し
 
2853 (眞珠眼〔左△〕《マタマツク》)遠△兼《ヲチコチカネテ》、念《オモフニゾ》ひとへごろもを一人きて寢《ヌル》
眞珠眼遠兼念一重衣一人服寢
 眞淵は眼を附の誤としてマタマツクヲチヲシカネテオモヘレバとよみ、宣長は卷四(七五八頁)に
  眞玉付|彼此《ヲチコチ》兼手ことはいへどあひて後こそくいはありといへ
 又下に
  眞玉就彼此兼而むすびつるわが下紐のとくる日あらめや
(2555)とあるに據りて遠の下に近の字を補ひてヲチコチカネテとよめり。又雅澄は眼を服の誤として眞淵の如くマタマツクとよめり。マタマツクは眞玉附クル緒とかゝれる枕辭なり。ツクルといはでツクといへるは連體格の代に終止格をつかひたるにてクシロツクタフシノ崎ニなどと同格なり。ヲチコチカネテは今ト後トヲ兼ネテとなり○念……寢を二註にオモヘレバ……ネヌとよめり。宜しくオモフニゾ……ヌルとよむべし〇四五は二人ノ衣ヲ重ネズシテ獨寢ルとなり
 
2854 しろたへのわが紐の緒のたえぬ間に戀むすびせむあはむ日までに
白細布我紐緒不絶間戀結爲及相日
 卷四(六四五頁)に
  獨ねてたえにし紐をゆゆしみとせむすべしらにねのみしぞなく
といふ歌あり。其歌の處にいへる如く獨寢て衣の紐の絶ゆれば夫婦の契に不祥なる事ありなどいふ俗信ありしなり。されば今は紐の緒の絶えざらむうちにしばらく結びおかむといへるにてその結方に戀結といふがありしにこそ。契沖千蔭は『古今集に何ヲカハ戀ノミダレノツガネ緒ニセムとよめるが如し』といへれどアハレ(2556)テフ言ダニ無クバといふ歌とは相與る所なし
  因にいふ。彼歌の初二はセメテ嗚呼氣ノ毒ヂヤトイフ一言ナリトモ承ラズバといへるなり。遠鏡の譯は自他を誤れり
 
2855 新治《ニヒバリニ》、今作路《イマハルミチノ》、清《サヤケクモ》、聞鴨《キキテケルカモ》、妹がうへのことを
新治今作路清開鴨妹於事矣
 初二は序なり。初句を從來ニヒバリノとよみ第二句を舊訓と古義とにイマツクルミチとよみ考、略解にはそれにノをよみ添へたり。宜しくニヒバリニイマハルミチノとよむべし○第三句の清を二註にサヤカニモとよめり。サヤカニといはでサヤケクといふが古語の例なれば(四三九頁アタタケク參照)こゝも舊訓の如くサヤケクモとよむべし。新墾の道路は清潔なればサヤケクモの序としたるなる事古義にいへる如し○第四句は考に從ひてキキテケルカモとよむべし。二註にキキニ〔右△〕ケルカモとよめるはわろし
 
2856 山|代《シロ》の石田《イハタ》の杜に心おそく手向したれや妹にあひがたき
(2557)山代石田杜心鈍手向爲在妹相難
 石田(ノ)神は嫉妬深き神にて此神に手向すれば却りて妹に逢ふ事が妨げらるといふ俗信ありしならむ。卷九(一七二九頁)なる
  山科のいは田のもりをふみこえばけだし吾妹にただにあはむかも
の處にいへる事と參照すべし。古義に
  石田(ノ)神社に心利くたむけしたらましかば神もあはれとうけひきましましてやがて事依しつゝ妹に逢べきに心おそくたむけしたれば神慮に叶はすして納受したまはざりし故にや妹にあひがたかるらむと云るにて奉幣せしことの心鈍かりしを悔るなり
といへるは從はれず
 
2857 (すがの根の)ねもころごろにてる日にもひめやわが袖妹にあはずして
菅根之惻隱惻隱照日乾哉吾袖於妹不相爲
 卷十にも
  みな月の地さへさけててる日にも吾袖ひめや君にあはずして
(2558)とあり
 
2858 妹にこひいねぬ朝《アシタ》に吹風《フクカゼノ》、妹經者《イモニフレナバ》、吾共經《ワレニサヘフレ》
妹戀不寢朝吹風妹經者吾共經
 朝を舊訓にアシタとよめるを古義にはアサケに改めたり。もとのまゝにて可なり○第三句以下を略解にフクカゼシイモニフレナバワガムタニフレネとよみ、古義に四五をイモニシフラバアガムタニフレと改めたり。案ずるに經《フル》は下二段活なればフルといふ時の外は觸の借字にはつかひがたきに似たれど卷十一にキミニコヒ浦經居《ウラブレヲレバ》(二二七〇頁)浦經《ウラブルル》ココロニニタリ(二三〇八頁)里トホミ眷浦經《コヒウラブレヌ》(二三三三頁)などフルル、フレにも借用ひたればこゝもげに觸の借字とすべし。さて第三句以下はフクカゼノイモニフレナバワレニサヘフレとよむべし○古義の釋は行過ぎたり。ただ妹に觸れけむがゆかしさに我ニサへ觸レヨと願へるなり
 
2859 あすかがは高河避紫越來、信今夜《マコトコヨヒハ》、不明〔左△〕行哉《ネズテユカメヤ》
飛鳥河高河避紫越來信今夜不明行哉
(2559) 第二句を舊訓にタカガハトホシとよめるを眞淵はタカガハヨカシに改めたり。又第三句を略解にコエテキツ、古義にコエコシヲとよめり。案ずるに高河避紫はもと南川柴避《ナヅサヒ》とありしを南を高に、川を河に誤り柴避を避柴と顛倒し更にその柴を紫に誤れるにあらざるか。河は諸本に川〔右端の棒はL形〕とあり。又紫は柴に作れる本あり。もし南川柴避の誤ならば越を第二句に附けてナヅサヒコエテキタレルヲとよむべし〇四五を
  略解に  マコトコヨヒハアケズユカメヤ
  古義に  マコトコヨヒヲアケズヤラメヤ
とよめり。明を寐などの誤としてマコトコヨヒハネズテユカメヤとよむべきか
 
2860 やつり河みな底たえずゆく水のつぎてぞこふるこのとしごろを
    或本歌曰みをもたえせず
八鈎〔左△〕河水底不絶行水續戀是此歳
    或本歌曰水尾母不絶
(2560) 上三句は序なり。八釣は大和高市郡の地名○鈎は一本に釣とあり
 
2861 いその上におふる小松の名ををしみ人に知らえずこひわたるかも
    或本歌曰巖の上にたてる小松の名ををしみ人にはいはずこひわたるかも
礒上生小松名借人不知戀渡鴨
    或本歌曰巖上爾立小松名借人爾者不云鯉渡鴨
 イソは大石なり。初二はいかにかゝれる序にか。考には『大なる巖上に一つ生たる松はあらはに目に立ものなるを名に顯はるゝ譬とせり』といひ古義には『小松ノ根といふべきをネとナと音通へば名といへり』といへり。案ずるに巖の上に松の生ひたるはめづらしければ其松に附けたる名ありしによりて名の序とせるならむ。いにしへは今小松といふよりは遙に老大にて樹齢數十年を經、其蔭に人の立寄るばかりなるをも小松といひし事卷二(一九八頁)及卷四(七〇二頁)にいへる如し
 
2862 山河の水陰〔左△〕生《ミゴモリニオフル》やま草〔左△〕《スゲ》のやまずも妹がおもほゆるかも
(2561)山河水陰生山草不止妹所念鴨
 上三句は序、四五は始終妹ガシノバレルとなり○水陰を略解にミヅカゲとよみ考と古義とには隱の誤としてミゴモリとよめり。後者に從ふべし。ミゴモリニは水中ニ没シテなり。草を古義に菅の誤とせり
 
2863 あさば野に立神古《タチカムサブル》すがの根の惻隱誰故吾不戀
    或本歌云たかば野にたちしなひたる
淺葉野立神古菅根惻隱誰故吾不戀
    或本歌云誰葉野爾立志奈比垂
    右二十三首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 古義に第二句の古の上に左を補ひてカムサブルとよめり。もとのまゝにても然よむべし。カムサブルはやがて古くなる事なればなり〇四五を二註にネモコロタレユヱワガコ【ハヒ】ナクニとよめり。おそらくは誤字あるべし○誰《タガ》を清音のタカに借れるは卷十一(二二四七頁)に枉をマケ(ユフカタ枉テ)に借れると同例なり
 
(2562)  正述2心緒1
2864 吾背子をいまかいまかとまちをるに夜のふけぬればなげきつるかも
吾背子乎且今且今跡待居爾夜更深去者嘆鶴鴨
 
2865 (玉くしろ)まきぬる妹もあらばこそ夜之長毛《ヨルノナガキモ》うれしかるべき
珠釼〔左△〕卷宿母有者許増夜之長毛歡有倍吉
 第四句を考にヨヒノナガキモとよみ古義にヨノナガケキモとよめり。ナガケキといふ辭は無し。ヨルノナガキモとよむべし(但考の如くヨヒとよみても可なり)。コソといひてベキと結べるは太古の語法なり○玉クシロはマキにかゝれる枕辭なり。マキヌルは枕キ寢ルなり。クシロは肘後に纏く金環にて玉クシロは之に玉を嵌めたるものなるべき事卷九(一七九一頁)にいへる如し。高力士傳に汝常弄2吾上雙金環1とあり楊太眞外傳に取2紅粟玉(ノ)臂支1賜2阿蠻1また阿蠻因進2金粟装(ノ)臂環1また紅玉支賜2妃子1とあるは即クシロなり○古義に釼を釵の誤として『釵は釧字と同じくてク(2563)シロなり』と云へれど釵《サイ》にクシロの義は無し。杜甫の詩に家々賣2釵釧《サイセン》1とあるは釵と釧と二つならむ
 
2866 人妻にいふはたが事|酢〔左△〕衣乃《サゴロモノ》この紐とけといふはたが言
人妻爾言者誰事酢衣乃此紐解跡言者孰言
 第二句のタガ事もタガ言なり。相手を深く咎めてタガイフ言葉ゾといへるなり○第三句を從來サゴロモノとよめり。げに然よむべけれどサに酢の字を借りたるはいぶかし。否酢にサの音なし。卷七(一二六九頁)に作夜フケテホリ江コグナルマツラ船と書ける例あれば酢は作の誤ならむ
 
2867 かくばかりこひむものぞとしらませば其夜はゆたにあらましものを
如是許將戀物其跡知者其夜者由多爾有益物乎
 四五はソノ夜ハユルリトシヨウモノヲといへるなり○卷十一に
  かくばかりこひむものぞとおもはねば妹がたもとをまかぬ夜もありき
とあり
 
(2564)2868 こひつつも後にあはむとおもへこそおのが命を長くほりすれ
戀乍毛後將相跡思許増己命乎長欲爲禮
 
2869 今は吾《ワ》は死なむよ吾妹あはずしておもひ渡ればやすけくもなし
今者吾者將死與吾妹不相而念渡者安毛無
 卷四に
  今は吾はしなむよわが背いけりとも吾によるべしといふといはなくに
とあり。ヤスケクはヤスキ事なり。ヤスクを延べたるにあらず
 
2870 我背子が將來跡語之《コムトカタリシ》、夜はすぎぬしゑや更〔左△〕更、思許理こめやも
我背子之將來跡語之夜者過去思咲八更更思許理來目八面
 第二句は舊訓の如くコムトカタリシとよむべし(略解にはキナムトイヒシとよめり)○シヱヤは一種の歎辭なり(二一〇〇頁參照)。更更は卷十(一九七五頁)に
  いそのかみふるの神杉かむさびて吾八更更戀にあひにける
といへる例あれどそれもこれも今更の誤ならざるか○シコリを眞淵は然リの轉(2565)ぜるなりといひ雅澄は爲損《シソコナ》ふ事なりといへれど共に穩ならず。又諸書に卷七(一三五一頁)なるカヒテシ絹ノ商自許理鴨を例に引きたれどそは商《アキ》ニ懲リツルの誤なるべき事彼處にいへる如し。なほ考ふべし
 
2871 人言のよこすをききて(玉桙の)道毛不相常《ミチニモアハジト》云△吾妹《イヒコシワギモ》
人言之讒乎聞而玉桙之道毛不相常云吾妹
 ヨコスは讒スルなり。四五を略解にミチニモアハジトイヘルワギモコとよみ宣長は常云を絶去の誤としてミチニモアハズタエニシワギモとよめり。案ずるに常を上に附け云の下に來を補ひてミチニモアハジトイヒコシワギモとよむべし
 
2872 あはなくも懈《ウシ》とおもへばいやましに人言しげくきこえくるかも
不相毛懈常念者彌益二人言繁所聞來可聞
 懈をウシとよまむは穩ならねど下に懈を海に借りてコシノ懈《ウミ》ノコガタノ懈《ウミ》ノと書けるを思へばこゝの懈もなほウシとよむべし○初二は逢ハヌ事ヲダニウシト思フニとなり
 
(2566)2873 里人もかたりつぐがねよしゑやしこひてもしなむたが名ならめや
里人毛謂告我禰縱咲也思戀而毛將死誰名將有哉
 カタリツグガネは我戀ヒテ死ニキトイフ事ヲカタリ繼グベクとなり○タガ名ナラメヤは君ノ名立ナラズヤ、然ラバ死ナヌウチニ逢ヘカシとなり○古今集戀二に
  こひしなばたが名はたたじ世の中の常なきものといひはなすとも
とあると相似たり
 
2874 たしかなる使をなみとこころをぞ使にやりしいめにみえきや
※[立心偏+送]〔左△〕使乎無跡情乎曾使爾遣之夢所見哉
 ※[立心偏+送]は慥の誤ならむ
 
2875 天地にすこし至らぬますらをと思ひし吾やをごころもなき
天地爾小不至大夫跡思之吾耶雄心毛無寸
 初二は天ノ高ク地ノ廣キニコソ少シ及バネ其他ハ物トモ思ハヌといふ意なるべし○考略解に卷三に天雲ノムカフス國ノ、マスラヲトイハレシ人ハとあるを引き(2567)たれど、そは遠國ノ武士といふことにてこゝと相與からず(五四四頁參照)
 
2876 里ちかく家やをるべき此吾目之、人目乎爲乍〔二字左△〕《ヒトメヲモルト》、戀のしげけく
里近家哉應居此吾目之人目乎爲乍戀繁口
 家ヤヲルベキは家居ヤハスベキとなり。イヘヰスルをいにしへイヘヲルといひしなり(一九一〇頁、一一一五頁、一九二二頁參照)○第三句を從來コノワガメノとよめり。此比日之の誤にてコノゴロノとよむべきにあらざるか○第四句を眞淵は人目毛里乍の誤とせり。おそらくは人目乎|候止《モルト》の誤ならむ○女が里近く家居すれば男はそを訪ふに人目を伺はざるを得ざるが故にサトチカク家ヤヲルベキといへるなり。略解に『男女近きわたりに家居する故』といへるは非なり
 
2877 いつは奈〔左△〕毛《シモ》こひずありとはあらねどもうたてこのごろ戀のしげきも
何時奈毛不戀有登者雖不有得田直此來戀之繁母
 初句は古義に奈を志の誤としてイツハシモとよめるに從ふべし。ウタテは怪シクなり○卷十一(二二四七頁)に
(2568)  いつはしもこひぬ時とはあらねども夕かたまけて戀はすべなし
とあり
 
2878 (ぬばたまの)いねてしよひのものもひに割西《ワレニシ》胸はやむ時もなし
黒玉之宿而之晩乃物念爾割西胸者息時裳無
 割西は舊訓にサケニシとよめり。古義に從ひてワレニシとよむべし。イネテシヨヒノは前夜ノといふ事
 
2879 みそらゆく名のをしけくも吾はなしあはぬ日まねく年の經ぬれば
三空去名之惜毛吾者無不相日數多年之經者
 初句を前註に『名の空までも立のぼる意なり』といへるは非なり。空ヲハシリユクといふ意なり○はやく卷四に
  つるぎだち名のをしけくも吾はなし君にあはずて年の經ぬれば
とあり
 
2880 うつつにも今も見てしがいめのみにたもとまき宿《ヌ》と見者《ミルハ》くるしも
(2569)     或本歌登〔左△〕句云わぎもこを
得管二毛今見牡鹿夢耳手本纏宿登見者辛苦毛
    或本歌登句云吾妹兒乎
 今モはタダ今なり。見者を舊訓にミレバとよみ考にミルハとよめり。考に從ふべし○登は發の誤なり
 
2881 立而居《タチテヰム》すべのたどきも今はなし妹にあはずて月のへぬれば
    或本歌云君が目みずて月のへぬれば
立而居爲便乃田時毛今者無妹爾不相而月之經去者
    或本歌云君之目不見而月之經去者
 初句を略解は舊訓に從ひてタチテヰルとよめるを古義にはタチテヰテとよめり。卷十なる長歌(二〇八二頁)にも立座タドキヲシラニとあり。もとのまゝならばタチテヰムとよむべけれどタチテヰムといはばスベノタドキモ今ハ知ラズとこそいふべけれ。されば此歌は下なる
(2570)  おもひやるすべのたどきも吾はなしあはぬ日まねく月のへぬれば
といふ歌を誤り傳へたるならむ
 
2882 あはずしてこひわたるとも忘れめやいや日にけにはおもひますとも
不相而戀度等母忘哉彌日異者思益等母
 三四の間〔日が月〕にムシロといふことを加へて聞かば通ずべし
 
2883 よそ目にも君がすがたを見てばこそ吾戀やまめ命不死者〔左△〕《イノチシナズテ》
     一云いのちにむかふ吾戀やまめ
外目毛君之光儀乎見而者社吾戀山目命不死者
     一云壽向吾戀止目
 ミテバは見タラバなり。結句を從來イノチシナズバとよみたれど者を弖の誤としてイノチシナズテとよまざればとゝのはず〇一云のイノチニムカフは卷四(七六二頁)に
  ただにあひて見てばのみこそたまきはる命にむかふわが戀やまめ
(2571)とありて命ニ匹敵スルといふ意なり
 
2884 こひつつもけふはあらめど(玉くしげ)將開明日《アケナムアスヲ》、如何《イカニ》くらさむ
戀管母今日者在目杼玉匣將開明日如何將暮
 第四句を略解にアケムアシタヲ、古義にアケムアスノヒとよめり。舊訓の如くアケナムアスヲとよむべし○如何を從來イカデとよみたれどイカニとよみ改むべし○卷十(一九六七頁)に
  こひつつも今日はくらしつかすみたつ明日のはる日をいかにくらさむ
とあり
 
2885 さよふけて妹を念出《オモヒデ》(しきたへの)枕もそよになげきつるかも
左夜深而妹乎念出布妙之枕毛衣世二嘆鶴鴨
 念出を略解にモヒデテ、古義にオモヒデとよめり。後者に從ふべし。卷二十なる長歌に
  はろばろに伊弊乎於毛比※[泥/土]、おひそやのそよとなるまで、なげきつるかも
(2572)とあり。ソヨニはソヨグバカリとなり
 
2886 ひとごとはまことこちたくなりぬともそこにさはらむ我ならなくに
他言者眞言痛成友彼所將障吾爾不有國
 ソコニサハラムはソレニ妨ゲラレムとなり
 
2887 立居《タチテヰム》たどきも不知《シラニ》わがこころあまつ空なり土はふめども
立居田時毛不知吾意天津空有土者踐鞆
 立居は上に立而居とあればタチテヰムとよむべし。立チタリシガスワルなり(考にはタチテヰル、古義にはタチテヰテとよめり)○不知は略解の如くシラニとよむべし(古義にはシラズとよめり)○第三句以下卷十一(二三五九頁)に心ソラナリ土ハフメドモとあるに似たり
 
2888 世のなかの人のことばとおもほすな眞曾戀之〔左△〕《サネゾコヒシキ》あはぬ日をおほみ
世間之人辭常所念莫眞曾戀之不相日乎多美
 世ノナカノ人ノコトバは即世辭なり○第四句を從來マコトゾコヒシとよみ、その(2573)コヒシを二註に過去格とせり。宜しく之を支の誤としてサネゾコヒシキとよむべし
 
2889 いでいかにわがここだこふる吾妹子があはじといへる事もあらなくに
乞如何吾幾許戀流吾妹子之不相跡言流事毛有莫國
 イデに二義あり。こゝなるはマアと譯すべく古今集戀一なる
  いで我を人なとがめそ大船のゆたにたゆたに物おもふころぞ
のイデ又允恭天皇紀の壓乞《イデ》などはドウゾと譯すべし○イカニはココダにかゝれるなり。されば上二句の意はマア、ワガドンナニ澤山コフル事ゾとなり。此二句は卷十一(二二六三頁)なる
  いでいかにここだくにわが利心のうするまでもふ戀〔左△〕故
の上四句と同格なり
 
2890 (ぬばたまの)夜をながみかも吾背子がいめに夢にしみえかへるらむ
(2574)夜干玉之夜乎長鴨吾背子之夢爾夢西所見還良武
 夢ニシ夢ニシといふべき上のシを省けるなり。ミエカヘルはたびたび見ゆるなり
 
2891 (あらたまの)年の緒長くかくこひば信《サネ》わが命|全《マタ》からめやも
荒玉之年緒長如此戀者信吾命全有目八目〔左△〕
 年ノ緒ナガクは數年ニ亘リテとなり。第四句は信をサネとよみて七言とすべし(從來マコトとよめり)○下の目は面の誤か
 
2892 おもひやるすべのたどきも吾はなし不相△《アハヌヒ》まねく月の經ぬれば
思遣爲便乃田時毛吾者無不相數多月之經去者
 上(二五六九頁)に
  立而居すべのたどきも今はなし妹にあはずて月のへぬれば
とかはれる歌あり。又第三句以下は
  つるぎ太刀名のをしけくも吾はなし君にあはずて年のへぬれば(卷四)
  みそらゆく名のをしけくも吾はなしあはぬ日まねく年のへぬれば(此卷)
(2575)  うつせみのうつしごころも吾はなし妹をあひ見ずて年のへぬれば(此卷)
など相似たるもの多し○オモヒヤルは思ヲ遣リ放ツなり。スベノタドキはただスベといひタドキといはむにひとし○第四句は宣長の説に從ひて不相の下に日の字を補ひてアハヌ日マネクとよむべし
 
2893 朝去而《アサユキテ》ゆふべは來ます君ゆゑにゆゆしくも吾はなげきつるかも
朝去而暮者來座君故爾忌忌久毛吾者歎鶴鴨
 初句を略解にアシタイニテ、古義にアシタユキテとよめり。舊訓の如くアサユキテとよむべしアサはアシタの約なり○君ユヱニは君ナルニなり。こゝのユユシクはイマハシクなり。二度ハ逢ハレヌモノノヤウニとなり
 
2894 ききしよりものを念へばわが胸はわれてくだけてとごころもなし
從聞物乎念者我胸者破而摧而鋒心無
 初句は妹ガ事ヲ聞キシヨリなり○上(二五六八頁)にワレニシ胸ハヤム時モナシとあり
(2576)2895 人言をしげみこちたみ我妹子にいにし月よりいまだあはぬかも
人言乎繁三言痛三我妹子二去月從未相可母
 
2896 うたがたもいひつつもあるか吾有者《ワレナラバ》つちにはおちじ空消生〔左△〕《ソラニキエツツ》
歌方毛曰管毛有鹿吾有者地庭不落空消生
 ウタガタはウツナク、決シテ、キツトなどいふ意なり。和名抄に沫雨和名宇太加太とあるとは別語なり。後撰集戀一に
  おもひ川たえずながるる水の沫のうたがた人にあはできえめや
とあるは決シテのウタガタと水沫のウタカタと同形異義なれば水ノ沫を決シテの序とせるなり
  因にいふ。此歌のウタガタは人ニアハデを越えてキエメヤにかゝれるにて本集卷十七なる
  あまざかるひなにあるわれを宇多我多毛ひもときさけておもほすらめや
  うぐひすのきなくやまぶき字多賀多母きみが手ふれず花ちらめやも
(2577)と同格なり。このウタガタモも紐トキサケテ、君ガ手フレズを越えてオモホスラメヤ、花チラメヤモにかゝれるなればなり
 さてウタガタモイヒツツモアルカはキット妹ガ云ヒツツアルダラウとなり
 第三句以下を舊訓にワレナラバツチニハオチジソラニケナマシとよみ考に生を共の誤としてワレシアレバ……ソラニケヌトモとよみ古義は考に從へり。さて其意を釋して考に
  吾心かくてあるからは打捨る事はせじ命は失ふとも
といひ古義に
  吾かくてあるからはたとひそこの命は死とも打捨ることはあるまじきなれば云々
といへり。案ずるに打捨ツル事ハセジなどいふ意ならばツチニハオトサジとこそいふべけれ、オチジとはいふべからず。されば第三句は舊訓に從ひてワレナラバとよむべし。結句は考の如く空ニケヌトモとよまむかといふに四五は雪によそへて云へりとおぼゆるに地におちじとするには空に消ゆるより外なければソラニケ(2578)ヌトモとは云ふべからず。必ソラニキエツツとこそ云ふべけれ。されば生を乍の誤としてソラニキエツツ又は空ニケニツツとよむべし○第三句以下は妹の辭なり。されば一首の意は
  妹ハ雪ヲ見テモシ我ナラバ空ニ消エテ地ニハオチジトウツナク云ヒツツアルナラム
といへるなり
 
2897 何《イカナラム》、日の時にかも吾妹子が裳引のすがた朝にけに見む
何日之時可毛吾妹子之裳引之容儀朝爾食爾將見
 何を舊訓にイカナラムとよめるを古義に卷五に伊可爾安良武、日ノトキニカモ云云とあるに據りてイカニアラムとよみ改めたり。いづれにても可なり。アサニケニは毎日なり
 
2898 獨ゐてこふればくるし(玉だすき)かけず忘れむことはかりもが
獨居而戀者辛苦玉手次懸將忘言量欲
(2579) カケズは心ニカケズにてやがて思ハズシテなり。コトハカリモガは工夫ガホシイとなり
 
2899 なかなかにもだもあらましを小豆《アヅキ》なくあひ見そめても吾はこふるか
中中點〔左△〕然毛有申尾小豆無相見始而毛吾者戀香
 モダモアラマシヲは逢見ソメザラマシヲとなり○アヅキナクはアヂキナクの訛なり(二三八一頁參照)○點は黙の誤なり
 
2900 吾妹子が咲《エメル》まよびきおもかげにかかりてもとなおもほゆるかも
吾妹子之咲眉引面影懸而本名所念可毛
 略解は契沖に從ひてヱメルとよみ古義は舊訓に從ひてヱマヒとよみマタ『ヱマムともよむべし』といへり。宜しくヱメルとよむべし。モトナは心外なり
 
2901 (あかねさす)日のくれ去者《ヌレバ》すべをなみ千たびなげきてこひつつぞをる
赤根指日之暮去者爲便乎無三千遍嘆而戀乍曾居
 去者を略解にユケバ、古義にヌレバとよめり。ヌレバとよみてヌルニと心得べし。晝(2580)といへどもすべあるにあらず日暮れていよいよすべなきなればなり
 
2902 わが戀はよるひるわかず百重なすこころしもへば甚《イトモ・イタモ》すべなし
吾戀者夜晝不別百重成情之念者甚爲便無
 卷四に
  三熊野の浦のはまゆふ百重なす心はもへどただにあはぬかも
とあり。古義に
  モモヘナスはモモ重ニといはむが如し。ナスは常に如クといふ意に用ふれどここは輕く見べし
といへり。ココロシは心ニシなり
 
2903 いとのきてうすき眉根《マヨネ》をいたづらに令掻管《カカシメニツツ》あはぬ人かも
五十殿寸太薄寸眉根乎徒令掻管不相人可母
 眉根をかくは人に逢はむ呪なり(二二六九頁參照)。卷四に
  いとまなく人の眉根をいたづらに令掻乍あはぬ妹かも
(2581)とあり○イトノキテを五十殿寸太と書けるその太を眞淵は※[氏/一]、千蔭は天、雅澄は手の誤とせり。案ずるに太はテともよむべし(二〇三六頁參照)。そのイトノキテは極端ニといふ事なり(九七二頁參照)○令掻管の下に毛などあらざればカカシメツツモとはよみがたきによりて眞淵雅澄はカカシメニツツとよめり
 
2904 こひこひて後もあはむとなぐさ漏《モル》心しなくばいきてあらめやも
戀戀而後裳將相常名草漏心四無者五十寸手有目八面
 略解にはモル、古義にはムルとよめり。モルとよむべし
 
2905 いくばくもいけらじ命をこひつつぞ吾はいきづく人に知らえず
幾不生有命乎戀管曾吾者氣衝人爾不所知
 第二句は生キテアルマイ命ナルニとなり
 
2906 ひと國によばひにゆきて太刀が緒もいまだ解かねばさよぞあけにける
他國爾結婚爾行而太刀之緒毛未解者左夜曾明家流
(2582) ヒト國はヨソノ國、ヨバヒは妻ドヒなり(一八六八頁參照)。トカネバはトカヌニなり古事記なる八千矛神の御歌にタチガヲモイマダトカズテ、オスヒヲモイマダトカネバ云々とあるに據れる事前註にいへる如し
 
2907 ますらをのさときこころも今はなし戀の奴に吾はしぬべし
大夫之聡神毛今者無戀之奴爾吾者可死
 第四句を眞淵は戀ノ奴トシテの意とし契沖雅澄は戀ノ奴ノ爲ニの意とせり。後者に從ふべし。戀ニ死ヌとあらば誰も戀ノ爲ニ死ヌと聞くべきを奴といふ語を挿みたるによりてきゝまどはるゝなり○聡は聰の俗字なり
 
2908 常かくし戀者《コフレバ》くるししまらくも心安めむことはかりせよ
常如是戀者辛苦暫毛心安目六事許爲與
 戀者は舊訓の如くコフレバとよむべし(略解にはコフルハとよめり)。コトハカリセヨを略解に『みづから下知するやうにいひなしたる也』といひ古義に『妹に令《オホ》せたるなり』といへり。後者に從ふべし○卷四に
(2583)  よそにゐてこふればくるし吾妹子をつぎてあひみむことはかりせよ
 又上に
  ひとりゐてこふればくるし玉だすきかけずわすれむことはかりもが
とあり
 
2909 凡爾《オホロカニ》、吾しおもはば人妻にありちふ妹にこひつつあらめや
凡爾吾之念者人妻爾有云妹爾戀管有米也
 初句は契沖雅澄に從ひてオホロカニとよむべし。世間並ニとなり(二三七三頁參照)
 
2910 心には千重に百重におもへれど人目をおほみ妹にあはぬかも
心者千重百重思有杼人目乎多見妹爾不相可母
 
2911 人目おほみ目こそしぬぶれすくなくも心のうちにわがもはなくに
人目多見眼社忍禮小毛心中爾吾念莫國
 目コソシヌブレは所見《ミヌ》コソシノベにて逢フ事コソ人目ヲシノビテタマサカナレとなり。このシヌブは隱れしのぶ意にていにしへは二段活なりしが後に四段活と(2584)なりしなり○第三句以下の意は心ノウチニハココダク思フ事ナルヲとなり。卷十一(二三四七頁及二三八二頁)に下三句相同じき歌あり
 
2912 人の見てこととがめせぬいめに吾《ワガ》こよひいたらむ屋戸さすなゆめ
人見而事害目不爲夢爾吾今夜將至屋戸閉勿勤
 吾は略解に從ひてワガとよむべし(舊訓にはワレとよめり)○コトトガメは言ニトガムルなり。言ヲトガムルにあらず。コトホグ、コトドフなどのコトにおなじ○屋戸を眞淵は宿と異なればとてヤノトとよめり。古事記に天(ノ)石屋戸、本集卷四(七九六頁)に屋戸アケマケテといひてノを添へざる例あればこゝもなほヤドとよみて屋の戸と心得べし
  因にいふ。卷三(四一〇頁)なる石屋戸ニタテル松ノ樹、卷五(九六七頁)なる寢屋度マデ來立ヨバヒヌは石室の外、寢屋の外なるべし
 ○卷四(七九六頁)なる家持の歌に
  ゆふさらば屋戸あけまけてわれまたむいめにあひ見にこむといふ人を
とあると相似たり。その歌の處に契沖のいへる如く共に遊仙窟の文に今宵莫v閉v戸、(2585)夢裏向2渠《キミガ》邊1とあるに據れるなり
 
2913 いつまでに生かむ命ぞ凡者《オホカタハ》こひつつあらずば死《シナム》まされり何時左右二將生命曾凡者戀乍不有者死上有
 イツマデニはニを省きて心得べし○死を舊訓にシヌル、古義にシナムとよめり。後者に從ふべし○第三句を舊訓にオホヨソハとよみ二註にオホカタハとよめり。案ずるに卷十一(二三五四頁)なる凡乃行者不念を二註にオホカタノワザトハ云々とよめれどこは凡爾妹者の誤としてオホロカニイモハとよむべき事はやく云へるが如し。又同卷(二三七三頁)なる凡、吾シオモハバを略解にオホカタニとよみたれどこは古義に從ひてオホロカニとよむべし。此外に集中に凡をオホカタとよむべき處又オホカタとよめる處は無きやうなり。さればこゝも外の例に從ひてオホロカとよまむかといふに然はよみがたければ下に大方ハ何カモコヒム云々とあるを例にて(又古今集なるオホカタハイキウシトイヒテイザカヘリナム、オホカタハウツセミノ世ゾユメニハアリケル、大方ハ月ヲモメデジなどの例に據りて)なほオホカタハとよむべし。そのオホカタハは大體といふ事なり
 
(2586)2914 愛等《ウツクシト》、念吾妹乎《オモフワギモヲ》いめに見ておきてさぐるになきがさぶしさ
愛等念吾妹乎夢見而起而探爾無之不怜
 初句を略解には例の如くウルハシトとよめり。舊訓の如くウツクシトとよむべし○第二句を古義に吾念妹乎の誤としてワガモフイモヲとよめり。もとのまゝにて可ならずや○遊仙窟なる少時坐睡則夢見2十娘1驚覺攪v之忽然空v手に據れるにて卷四(七九五頁)なる家持の歌に
  いめのあひはくるしかりけりおどろきてかき探れども手にもふれねば
とあるは此歌に倣へるならむ。サブシは不快といふ事
 
2915 妹と曰者《イフハ》無禮恐《ナメシカシコシ》しかすがにかけまくほしき言にあるかも
妹登曰者無禮恐然爲蟹懸卷欲言爾有鴨
 曰者を舊訓にイヘバとよみ雅澄はイフハとよめり。イハムハといふべき處なれば古義の如くよむべし○第二句を契沖はナメシカシコシとよめるを古義にナメクカシコシに改めたり。前者に從ふべし。カシコシは勿體ナシなり。シカスガニは然シ(2587)なり。カケマクは云ハマクなり
 
2916 (玉勝間)あはむと云者《イヒシハ》誰なるかあへる時さへおもがくし爲《スル》玉勝間相登云者誰有香相有時左倍面隱爲
 玉勝間を古くは心得かねたりしを契沖始めて
  古事記に無v間勝間之小船とあるを日本記には無v目籠に作り又無v目堅間に作りて堅間是今之竹(ノ)籠也と書きたれば勝間は籠にてそを褒めてタマガツマといへるなり。又和名集に※[竹/令]※[竹/青]、賀太美とあるは此語の轉ぜるなり。而してこゝの玉勝間はアハムにかゝれり(○撮要)
といひき。雅澄は之に基づきて
  カタマは組みたる竹の目の堅くしまりたるよりいふ稱にて古代には廣く何にもいひしを後に籠に限ることゝなりしなり。而してカツマは堅津間の約なり(○撮要)
といへり。案ずるに堅く編みたるをカタマとはいふべくツを挿みてカタツマとはいふべからず。さればカタマが原にてそを訛りてカツマともいひしならむ。さてア(2588)ハムにかゝれるは冠辭考にいへる如く籠は蓋と身と合ふが故なり○云者を從來イフハとよみたれどイヒシハとよむべし。結句は考に從ひてオモガクシスルとよむべし。略解にセスとよめるはわろし
 
2917 うつつにか妹が來ませるいめにかも吾香〔左△〕《ワレハ》まどへる戀のしげきに
寤香妹之來座有夢可毛吾香惑流戀之繁爾
 古義にいへる如く結句を第三句の上に引上げて戀ノシゲキニ夢ニカモ吾香マドヘルとして心得べし○イメニカモといひて更にワレカといふべきにあらず。吾香はおそらくは吾者の誤ならむ。香の字無き本あり○卷十一(二三八九頁)に
  いめにだに何かもみえぬ見ゆれども吾かもまどふ戀のしげきに
とあると四五相似たり。又伊勢物語なる
  君やこし我やゆきけむおもほえずゆめかうつつかねてかさめてか
と相似たり
 
2918 大方は何かもこひむ言擧せず妹によりねむ年はちかきを
大方者何鴨將戀言擧不爲妹爾依宿牟年者近侵〔左△〕
(2589) オホカタハについて契沖は
 大方ノ人ナラバ何カモコヒムとよめる歟。又大底のことわりを思ひて業平の大カタハ月ヲモメデジとよまれたる如くよめる歟。後の意なるべし
といひ雅澄は前者に從へり。案ずるに大體といふ事なり。コトアゲセズは何モ云ハズニなり○契沖が『親の約して定め置きたれどまだ童女にて今暫時を待程の歌と見えたり』といへる如し○侵は異本に綬とあるに從ふべし。綬はクミヒモなれば緒と同訓としたるなり
 
2919 ふたりして結びし紐をひとりして吾はときみじただにあふまでは
二爲而結之紐乎一爲而吾者解不見直相及者
 勢語に四五をアヒミルマデハトカジトゾオモフと作りかへたり
 
2920 しなむ命ここはおもはず唯毛《タダシクモ》、妹に不相《アハザル》ことをしぞもふ
終命此者不念唯毛妹爾不相言乎之曾念
 ココハはソレハなり。唯毛を考以下にタダニシモとよみたれどニシはよみ添へが(2590)たし。舊訓に從ひてタダシクモとよみて但シといふ意と見べし。否今但シといふはこのタダシクといふ語の遺れるならむ○不相は舊訓にアハザルとよめるに從ふべし(古義にはアハナクとよめり)。コトヲシゾモフは事ヲ殘念ニ思フとなり○古今集戀四なる
  津の國のなにはおもはず山城のとはにあひみむことをのみこそ
と句格相似たり
 
2921 幼婦者〔左△〕《ヲトメゴト》おなじこころにしま【らし】くもやむ時もなく見なむとぞもふ
幼婦者同情須更〔一なし〕止時毛無久將見等曾念
 初句を舊訓にはヲトメゴハとよめり。宣長は
  或人説、幼帰者は紐緒之の誤なるべし。古今集にイレヒモノオナジココロニイザムスビテムとあるに同じ
といひ雅澄は之に從へり。案ずるに者を與などの誤としてヲトメゴトとよむべし。女の歌にて子共ト同ジ心ニワリナクモ云々思フといへるなり。卷二(一七八頁)に
  ふりにし、おみなにしてやかくばかり戀にしづまむたわらはのごと
(2591)とあると相似たる所あり
 
2922 夕さらば君にあはむとおもへこそ日のくるらくもうれしかりけれ
夕去者於君將相跡念許憎日之晩毛※[立心偏+呉]有家禮
 オモヘコソは思ヘバコソ、クルラクモは暮ルル事モなり
 
2923 ただ今日も君爾波相目跡〔左△〕《キミニハアハメヲ》、人言をしげみあはずてこひわたるかも
直今日毛君爾波相目跡人言乎繁不相而戀度鴨
 古義に『タダの言は相目跡の上にうつして心得べし』といへるは非なり。今日を強めてタダ今日といへるなり。明日ヲモ待タデタダ今日といへるなり。モは助辭なり。今モナカヌカ、今モ見テシガなどのモにおなじ。さてタダ今日の語例は卷十(二〇六二頁)にタダコヨヒとあり○第二句を二註共にキミニハアハメドとよみて、略解にアフベケレドモ也といひ古義に之を敷衍して今日モ君ニハ直ニ相見ムスベノアルベキナレドと譯せり。案ずるに逢ハムトナラバ逢フベケレドの意とすれば人言ヲシゲミ逢ハズテコヒワタルカモと相副はず。又さる意ならばアハバアハメドとい(2592)ふべし。宜しく跡を乎などの誤としてアハメヲとよむべし。アハムヲをアハメヲといへるは卷十三にアヒカタラムヲを相語妻遠《アヒカタラメヲ》といへると同例なり○第四句のシゲミは上に附けて心得べし。此句は範とすべからず
 
2924 世〔左△〕間爾《コノゴロニ》、戀しげけむとおもはねば君がたもとをまかぬ夜もありき
世間爾戀將繁跡不念者君之手本乎不枕夜毛有寸
 初句は舊訓にヨノナカニとよめり。然るに略解に
  古訓ヨノナカニとあれど解がたし。宣長云『ヨノホドニと訓べし。ヨノホドニは生テ在内ニ也。生涯ノホドニカクコヒムモノトハカネテ思ハザリシカバの意也』といへり
といへり。宜しく此間爾の誤としてコノゴロニとよむべし。下にもコノゴロノマノ戀ノシゲキニとあり○卷十一に
  かくばかりこひむものぞと念はねば妹がたもとをまかぬ夜もありき
とあり
 
2925 みどり兒のためこそ乳母《オモ》はもとむといへ乳のめや君が於毛もとむら(2593)む
緑兒之爲杜〔左△〕乳母者求云乳飲哉君之於毛求覧
 いにしへは母をも乳母をもオモといひ取分きては乳母をチオモといひしなり(記傳卷二十四【一四八五頁】參照)○古義に『ねびたる女を男のけさうする時其女の自を乳母によそへてよめるなるべし』といへるは非なり。次なると一聯の歌にて男の乳母と稱して妾を納るゝを聞きて外にある女の妬みてよめるなり。即ほぼ考にいへる如し○杜は社の誤か
 
2926 くやしくもおいにけるかも我背子が求むる乳母《オモ》にゆかましものを
悔毛老爾來鴨我背子之求流乳母爾行益物乎
 二三の間にモシ老イザリセバといふことを補ひて聞くべし
 
2927 うらぶれてかれにし袖を又まかばすぎにし戀|也〔左△〕《ノ》みだれこむかも
浦觸而可例西袖※[口+リ]又卷者過西戀也亂今可聞
 ウラブレテは感傷シテにて又マカバにかゝれるなり。從來此句をカレニシにかけ(2594)て心得たりしが故におちつかざりしなり○戀也は戀之の誤ならむ。ヤといひて更にカモとはいふべからざればなり。四五は契沖のいへる如く戀を人に擬して一タビ行過ギタ戀ガ又亂レテ歸來ヨウといへるなり
 
2928 各寺師〔二字左△〕《カクシツツ》、人死爲良思《ヒトシニスラシ》、妹にこひ日にけにやせぬ人にしらえず
各寺師人死爲良思妹爾戀日異羸沼人丹不所知
 初二を二註共にオノガジシ人シナスラシとよみたれどカクシツツ人シニスラシなどあらでは義通ぜず。おそらくは各寺師は各師乍又は各侍乍の誤ならむ。シニスラシはシヌラシにおなじ。卷四(七〇六頁)に戀ニモゾ人ハシニスルとあるも死ヌルなり○人ニシラエズの人は相手なり
 
2929 夕夕《ユフベユフベ・ヨヒヨヒ》、吾《ワガ》たちまつに若雲《ケダシクモ》、君來まさずばくるしかるべし
夕夕吾立待爾若雲君不來益者應辛苦
 夕夕を舊訓にヨヒヨヒニとよめるを考略解にユフベユフベと改めたり。いづれにてもあるべし○吾はワガとよむべく第三句は古義に從ひてケダシクモとよむべ(2595)し(略解にはワレとよみモシクモとよめり)
 
2930 いける代に戀ちふものをあひみねば戀中《コヒノナカ》にも吾曾《ワガゾ》くるしき
生代爾戀云物乎相不見者戀中爾毛吾曾苦寸
 上三句は始メテノ戀ナレバといふ意、アヒは添辭なり○戀中を舊訓にコヒノウチ、考にコヒノナカ、古義にコフルウチとよめり。考に從ふべし○吾曾を從來ワレゾとよみたれどワガゾとよみてワガ戀ゾの略とすべし○上三句の語例は卷四(七九七頁)に
  いける代に吾《ワ》はいまだ見ずことたえてかくおもしろくぬへるふくろは
とあり
 
2931 おもひつつをればくるしも(ぬばたまの)よるに至者《ナリナバ》、吾こそゆかめ
念管座者苦毛夜于〔左△〕玉之夜爾至者吾社湯龜
 至者を考以下にナリナバとよめり。イタラバともよむべけれど卷二(二七七頁)なる高市皇子尊殯宮之時歌にユフベニナレバを暮爾至者と書ける例あればなほナリ(2596)ナバとよむべし○女の歌なり。于は干の誤なり
 
2932 こころにはもえておもへど(うつせみの)人目をしげみ妹にあはぬかも
情庭燎而念杼虚蝉之人目乎繁妹爾不相鴨
 上(二五八三頁)にも
  心には千重に百重におもへれど人目をおほみ妹にあはぬかも
とあり
 
2933 相おもはずきみは雖座《イマセド》かたこひに吾はぞこふる君が光儀《スガタニ》
不相念公者雖座肩戀丹吾者衣戀君之光儀
 雖座を舊訓にマセドモ、考にイマセドとよめるを略解古義にマサメドと改めてイマスラメド也といへり。マサメドとイマスラメドとは同じからず。さてこゝはイマセドとよむべし○結句を從來スガタヲとよめり。宜しくスガタニとよむべし
 
2934 (味澤相《ウマサハフ》)目にはあけどもたづさはりことどはなくもくるしかりけり
味澤相目者非不飽携不問事毛苦勞有來
(2597) 味澤相は古義にウマサハフとよめる事はやく卷九(一八五一頁)にいへり。顔をば朝夕に見れど親しくかたらふ折のなきを嘆きたるなる事前註にいへる如し○非不飽をアケドモとよませたる、めづらし
 
2935 (あらたまの)年の緒長くいつまでかわがこひをらむいのち知らずて
璞之年緒永何時左右鹿我戀將居壽不知而
 結句はイツマデ生キム命トモ知ラズシテとなり
 
2936 今は吾《ワ》はしなむよわがせ戀すれば一夜一日もやすけくもなし
今者吾者指南與我兄戀爲者一夜一日毛安毛無
 上(二五六四頁)にも
  今は吾はしなむよ吾妹あはずしておもひわたればやすけくもなし
とあり
 
2937 しろたへの袖をりかへしこふればか妹がすがたのいめにしみゆる
白細布之袖折反戀者香味之容儀乃夢二四三湯流
(2598) 卷十一(二五二一頁)にも
  吾妹兒にこひてすべなみしろたへの袖かへししはいめに見えきや
  吾背子が袖かへす夜のいめならしまことも君にあへりしごとし
とあり
 
2938 人言をしげみ毛人髪三《コチタミ》わがせこを目にはみれどもあふよしもなし
人言乎繁三毛人髪三我背子乎目者雖見相因毛無
 契沖のいへる如く毛人は蝦夷にて蝦夷は毛髪多ければコチタシを毛人髪と戯れ書けるなり
 
2939 戀といへば薄事有《アサキコトアリ》しかれども我は忘れじこひはしぬとも
戀云者薄事有雖然我者不忘戀者死十方
 第二句を略解にウスキコトナリとよみて『有をナリとよむは例あり』といへり。げに近くは下にも人妻ナリトキケバカナシモを人妻有跡と書けり。薄は考に從ひてアサキとよむべし。後にも然よむべき所あり。事は言の借字なり。結句はコヒシヌトモ(2599)にハを挿めるなり○考以下に卷十一(二三八二頁)なる言ニイヘバ耳ニタヤスシ、卷十五なる旅トイヘバ言ニゾヤスキなどを例に引きたり
 
2940 中々に死者《シナバ》やすけむいづる日の入る別《ワキ》しらぬ吾しくるしも
中中二死者安六出日之入別不知吾四久流四毛
 死者を舊訓にシナバとよめるを略解にシニハと改めたるは却りてわろし。卷十七にもナカナカニ之奈婆夜須家牟とあり〇三四は朝夕ノ別ヲ知ラヌとなり。語例は卷一(一二頁)にカスミタツナガキ春日ノ、クレニケル和《ワ》豆〔□で囲む|〕肝《キモ》シラズ、卷十一(二三五四頁)に年月ノユクラム別モオモホエヌカモなどあり
 
2941 おもひやるたどきも我は今はなし妹にあはずて年のへゆけば
念八流跡状毛我者今者無妹二不相而年之經行者
 上(二五七四頁)にも
  思やるすべのたどきも吾はなしあはぬ日まねく月のへぬれば
とあり
 
(2600)2942 わがせこにこふとにしあらし小兒《ミドリゴ》の夜なきをしつついねがてなくは
吾兄子爾戀跡二四有四小兒之夜哭乎爲乍宿不勝苦者
 小兒を舊訓にミドリゴとよめるを雅澄は齊明天皇紀の御歌にウツクシキアガワカキコヲオキテカユカムとあるに據りてワカキコとよみ改めたり。もとのまゝにて可なり○イネガテナクハは寐敢ヘヌ事ハとなり。初句の前に我如クといふことを加へて聞くべし
 
2943 我命之《ワガイノチノ》ながくほしけく偽をよくする人を執許乎《トラムバカリヲ》
我命之長欲家口偽乎好爲人乎執許乎
 ホシケクはホシキ事ハとなり。古義に之の字を乎に改めたるはいみじきひが事なり。命ヲホシキといふべけむや○結句を舊訓にトラフバカリヲとよめるを略解に執は報の誤ならむといへるは非なり。人乎ムクユとはいふべからざる故なり。案ずるに結句はトラムバカリヲとよみて捕ヘム爲ノミゾといふ意とすべし
 
2944 人言をしげみと妹にあはずしてこころのうちにこふるこのごろ
(2601)人言繁跡妹不相情裏戀比日
 卷九に
  いそのかみふるのわさ田の穗にはいでずこころのうちにこふるこのごろ
といふ歌あり。四五今と相同じ○此歌
  人言、繁跡妹、不相、情裏、戀比日
と書けるによりて眞淵は人麻呂集の書體なれば彼集の中へ移すべしといへり
 
2945 (玉梓の)君が使をまちし夜のなごりぞ今もいねぬ夜のおほき
玉梓之君之使乎待之夜乃名凝其今毛不宿夜乃大寸
 今モ寢ヌ夜ノ多キハ君ガ使ヲ待チシ夜ノナゴリゾと顛倒して心得べし。但男ならぬ其使を待つとて夜寢ざりし趣によめるは穩ならず。されば此歌は卷十一なる
  夕さればきみ來まさむとまちし夜のなごりぞ今もいねがてにする
を傳へ誤れるならむ
 
2946 (玉鉾の)道にゆきあひてよそ目にむ見者《ミレバ》よき子をいつとか待たむ
(2602)玉桙之道爾行相而外目耳毛見者吉子乎何時鹿將待
 見者を略解にミルハとよめるはわろし。舊訓の如くミレバとよむべし○結句はイツ得テムトカ待タムとなり
 
2947 おもふにしあまりにしかばすべをなみ吾はいひてきいむべきものを
    或本歌曰門にいでてわがこいふすを人見けむかも
    可〔左△〕云すべをなみいでてぞゆきし家のあたり見に
    柿本朝臣人麿歌集云にほ鳥のなづさひこしを人見けむかも
念西餘西鹿齒爲便乎無美吾者五十日手寸應忌鬼尾
    或本歌曰門出而吾反側乎人見監可毛、可云無乏出行家當見
    柿本朝臣人麿歌集云爾保鳥之奈津柴比來乎人見鴨
 結句は云フヲ忌ムベキモノヲとなり。卷十一にも
  こもり沼のしたゆこふればすべをなみ妹が名のりつゆゆしきものを(二二九一頁)
(2603)  こもりぬのしたにこふればあきたらず人に語りついむべきものを(二四五九頁)
とあり
 或本歌のコイフスはねころぶ事なり。此歌は別の歌なり。左註とすべきにあらず
 可云は一云の誤なり。諸本に一云とあり。此歌は卷十一(二三六四頁)に
  おもふにしあまりにしかばすべをなみいでてぞゆきし其門を見に
とあると一つ歌なり
 人磨歌集なるもはやく卷十一(二三二三頁)に
  おもふにしあまりにしかばにほ鳥のあなやみこしを人みけむかも
と第四句のみ少しかはりて出でたり
 
2948 明日者《アスノヒハ》その門ゆかむいでて見よ戀|有〔左△〕《スル》すがたあまたしるけむ
明日者其門將去出而見與戀有容儀數知兼
 初句を舊訓にアケムヒハとよめるを古義にアスノヒハに改めたり。ソノ門はこゝにては汝ガ門といはむにひとし○戀有を從來コヒタルとよみたれどコヒタルスガタと云はむ事穩ならず。恐らくは戀爲の誤ならむ。爲と有とは往々相誤れり。アマ(2604)タシルケムは頗イチジルカラムとなり○住吉物語なる
  君が門今ぞすぎゆくいでて見よ戀する人のなれるすがたを
は此歌を飜案せるなり
 
2949 得田價異《ウタテケニ》こころいぶせしことはかりよくせわがせこあへる時だに
得田價異心欝悒事計吉爲吾兄子相有時谷
 初句を雅澄がウタテケニとよめるはいみじき發見なり。但『ウタテ殊更ニの意なり』といへるは非なり。ウタテもケニも共に怪シクといふ事なり○イブセシはサッバリとせぬなり。コトハカリは先々の分別なり。ヨクセは今ならばヨクセヨといふべし
 
2950 吾妹子が夜戸出のすがた見てしよりこころ空なりつちはふめども
吾妹子之夜戸出乃光儀見之從情空成地者雖踐
 卷十に朝戸出ノキミガスガタヲヨク見ズテとあり○古義に『夜ごめにいでてかへるを夜戸出といふならむ』といへるは非なり。ただ夜、外に出づる事なり。四五の語例(2605)は上(二五七二頁)にワガ心アマツ空ナりツチハフメドモとあり
 
2951 つば市のやそのちまた爾〔左△〕《ヲ》たちならし結《ムスベル》紐をとかまくをしも
海石榴市之八十衢爾立平之結紐乎解卷惜毛
 契沖の考に
  海石榴市といふ處大和國に三處(山邊郡、高市郡、城上郡)豐後に一處あり。今よめるは山邊郡にあるか(○撮要)
といへり。又雅澄は『そのちまたに立平しゝは男女集りて歌場《ウタガキ》にたてる間〔日が月〕をいふなるべし』といへり○第二句の爾は乎の誤ならざるか○第四句の結を從來ムスビシとよめり。さて略解に
  これは男女集りて歌垣する時結びし紐をいふなるべし。はじめ君ならではとかじと結てし紐を其男今は絶たれど又他し男の爲に解かんは心ゆかぬよし也
といひ古義に
  歌意は海石榴市のちまたに立て君と二人して結びし紐をふたゝび他し人に解せじとちぎりかためてしものを今は其男は心がはりしたれど吾はこと男の爲(2606)に解むことは心ゆかず、さてもをしき事ぞとなり
といへり。此は上(二五八九頁)に
  ふたりしてむすびし紐をひとりして吾はとき見じただにあふまでは
とあるを踏みていへるなるべけれど、ただ結紐乎とあるを二人シテ結ビシ紐とは釋くべからず。又ムスビシヒモとよむべきは
  結之紐乎トクハカナシモ(卷八【一六二二頁】)
  フタリシテ結之紐乎(此卷【二五八九頁】)
とありて
  結紐、解日遠(卷十一【二四〇六頁】)
とあるはユヘルヒモとよむべく又二註にもユヘルヒモとよめり。されば今の結細乎もムスベルヒモヲとよみてカネテ結ベル紐ヲ男ニ挑マレテ解カムガ惜シといふ意と見るべし
 
2952 吾齢《ワガヨハヒ》之〔□で囲む〕おとろへぬれば(しろたへの袖の)なれにし君乎《キミヲ》母〔□で囲む〕|准其思《シゾモフ》
吾齢之衰去者白細布之袖乃狎爾思君乎母准其念
(2607) 初句を略解にワガヨハヒシ、古義にアガヨハヒノとよめり。之〔右△〕を衍字とすべし○シロタヘノソデノはナレニシにかゝれり。かのカラゴロモ著ツツナレニシと同類の枕辭なり○結句を舊訓にキミヲシゾオモフとよめり。眞淵は母准を羅の誤としてキミヲラゾオモフとよみ、雅澄は母を衍とし准を進の誤としてキミヲシゾモフとよみ、字音辨證(上卷二二頁)には准にシの音あればシに惜りたるなりといへり。後者に從ふべし。ナレニシ君ヲシゾモフとは久シクシタシミシ君ヲナツカシト思フとなり
 
2953 君にこひわがなく涙しろたへの袖さへ所漬《ヌレテ》せむすべもなし
戀君吾哭涕白妙袖兼所漬爲便母奈之
 所漬を舊訓にヒヂテ、考にヌレテ、古義にヌレヌとよめり。考に從ふべし○第二句はワガナク涙ニのニを省けるなり。そのニは後世ならば省くべからざる事勿論なり
 
2954 今よりはあはじとすれやしろたへのわがころもでのひる時もなき
從今者不相跡爲也白妙之我衣袖之干時毛奈吉
(2608) さる俗信ありしによりてよめるならむ。スレヤはスレバニヤにて云々スル前兆ニヤとなり
 
2955 夢可登《イメニカト》、情班〔左△〕《ココロマドヒヌ》、月數多《ツキマネク》二かれにし君のことの通者《カヨヘバ》
夢可登情班月數多二干西君之事之通者
 初句を舊訓にユメカトモとよみ、眞淵はイメカトと四言によみ、雅澄は夢可毛登の脱字としてイメカモトとよめり。宜しくイメニカトとよむべし。上(二五八八頁)にもイメニカモを夢可毛と書けり○情班を舊訓にオモヒワカメヤとよめるを眞淵は情怪の誤としてココロアヤシモとよみ雅澄は『情遮の誤にてココロマドヒヌならむか』といへり。げにココロマドヒヌとあるべき處なり。但字はなほあるべし。下にもココロマドヒヌとよむべき處あり○略解古義には第三句の二を衍字としてツキマネクとよめり(元暦校本にも二の字なし)。もとのまゝならば考の一訓にツキサハニとよめるに從ふべし○通者を二註にカヨフハとよめり。舊訓に從ひてカヨヘバとよむべし。コトノカヨヘバは便ノアレバとなり
 
2956 (あらたまの)年月かねて(ぬばたまの)いめにぞ所見《ミエシ》君がすがたは
(2609)未玉之年月兼而烏玉乃夢爾所見君之容儀者
 所見を二註にミユルとよめり。宜しくミエシとよむべし。二註に『年月カネテは年月カサネテといふに似たり』といへるは非なり。カネテ久シクといへるなり。始めて逢ひし時の歌なり○アラタマを未玉と書けるを古義に「義を以て書るにて未v理玉の謂なり」と云へり
 
2957 今よりはこふとも妹にあはめやも床の邊さらずいめにみえこそ
從今者雖妹爾將相哉母床邊不離夢所見乞
 旅立つ時の歌なり。卷十一にも
  里とほみこひうらぶれぬまそかがみ床のへさらずいめにみえこそ
とあり
 
2958 人の見て言どかめせぬいめにだにやまず見えこそ我戀やまむ
    或本(ノ)歌頭(ヲ)云2人目おほみただにはあはず1
人見而言害目不處夢谷不止見與我戀將息
(2610)    或本歌頭云人目多直者不相
 四五の間にサラバといふことを加へて聞くべし○上(二五八四頁)にも
  人の見て言とがめせぬいめにわがこよひいたらむ屋戸さすなゆめ
とあり
 
2959 うつつには言絶有《コトタエニケリ》いめにだにつぎてみえ而〔左△〕《コソ》ただにあふまでに
現者言絶有夢谷嗣而所見而直相左右二
 第二句を略解にはコトタエニタリ、古義にはコトタエニケリとよめり、後者に從ふべし。有はケリともよむべし(一四六〇頁參照)○而は諸本に與とあり
 
2960 うつせみのうつしごころも吾はなし妹をあひ見ずて年のへぬれば
虚蝉之宇都思情毛吾者無妹乎不相見而年之經去者
 此歌の初句を略解には枕辭とし古義には枕辭にあらずといへり。案ずるに此歌又
  うつせみの命ををしみ(四三頁)
  うつせみのかれる身なれぼ(五六六頁長歌)
(2611)  うつせみの妹がゑまひし(二四一五頁)
などのウツセミノは現《ウツ》シキ身ノ即生キタル身ノといふ意とおぼゆ○類歌は
  つるぎだち名のをしけくも吾はなし君にあはずて年のへぬれば(卷四)
  ますらをのうつし心も吾はなしよるひるといはずこひしわたれば(者十一)
  おもひやるたどきも我は今はなし妹にあはずて年のへゆけば(此卷)
などあまたあり
 
2961 うつせみの常の辭とおもへどもつぎてしきけば心遮〔左△〕焉《ココロマドヒヌ》
虚蝉之常辭登雖念繼而之聞者心遮焉
 このウツセミノも枕辭にあらでウツシキ身ノ、即世ニアル人ノといふこととおぼゆ。卷十四にもウツセミノヤソコトノヘハシゲクトモとあり○常ノコトバは所謂世辭にて上(二五七二頁)に世ノ中ノ人ノコトバとあるにおなじ○結句を舊訓にココロハナギヌとよめり。それに基づきて眞淵は遮を慰の誤とせり。之に反して久老は遮を迷の誤としてココロマヨヒヌとよみ雅澄は之をマドヒヌと修正せり。雅澄の訓に從ふべし。はやく卷四(七三三頁)に
(2612)  ただ一夜へだてしからにあらたまの月か經ぬると心遮〔左△〕《ココロマドヒヌ》
とあり。又上(二六〇八頁)にもココロマドヒヌとよむべき處あり
 
2962 しろたへの袖|不數〔左△〕而宿《ソデカヘテネヌ》(ぬばたまの)こよひは早もあけばあけなむ
白細之袖不數而宿烏玉之今夜者早毛明者將開
 略解に而を衍字とし又眞淵に從ひて數を卷の誤としてソデマカズヌルとよめり。古義にはもとのまゝにてソデカレテヌルとよめり。共にうべなひがたし。數を更などの誤として袖不2更而宿1《ソデカヘテネヌ》とよむべくや。カヘテはカハシテなり
 
2963 (しろたへのたもと)ゆたけく人のぬるうまいはねずやこひわたりなむ
白細之手本寛久人之宿味宿者不寢哉戀將渡
 古義に『タモトユタケクはこゝろよく寢る形容なり』といへるは非なり。シロタヘノタモトまでが枕辭(序)にて上なるシロタヘノ袖ノナレニシと同格なり。ネズヤは寢ズニヤなり
 
  寄v物陳v思
2964 かくのみにありける君を衣ならば下にも著むとわがもへりける
如是耳在家流君乎衣爾有者下毛將著跡吾念有家留
 初二はカク心淺キ君ナルヲとなり。モヘリケルは思ヒタリケル事ヨとなり○上(二五五四頁)にも
  人言のしげかる時をわぎもこが衣にありせばしたに著ましを
とあり
 
2965 つるばみの袷衣《アハセノキヌノ》、裏爾爲〔左△〕者《ウラナラバ》われしひめやも君が來まさぬ
橡之袷衣裏爾爲者吾將強八方君之不來座
 眞淵以下初二を序とせり。さて眞淵はもとのまゝにて舊訓の如くウラニセバとよみ、宣長は爲を有の誤としアハセノコロモウラニアラバとよみて『ウラとは疑ひ危む事なり』といひ、雅澄は裏志有者《ウラシアラバ》の誤とせり。案ずるに爲を有の誤としてウラナラバとよむべし。初二は序にあらず。抑ツルバミノキヌは卷七に
(2614)  つるばみの衣きる人は事なしといひし時よりきほしくおもほゆ(一三九〇頁)
  つるばみのときあらひ衣のあやしくも殊にきほしきこのゆふべかも(一三九二頁)
とありてドングリノカサにて染めたる賤者の衣なり。其袷の衣は裏はた薄ければ今はモシウスキ御心ナラバといふことをよそへてツルバミノアハセノ衣ノウラナラバといへるなり。略解に『いやしき人の我著る衣もてよめり』といへるは非なり○第四句の語例は卷四(七六三頁)にイナトイハバシヒメヤ吾背とあり
 
2966 くれなゐの薄染《アサゾメ》ごろもあさらかにあひ見し人にこふるころかも
紅薄染衣淺爾相見之人爾戀比日可聞
 薄染を舊訓にウスゾメとよみ眞淵以下はアラゾメとよめり。アサラカニの序なればアサゾメとよむべし。上(二五九八頁)にもアサキコトナリを薄事有と書けり。初二は序なり。アサラカニは深ク心モ留メズシテとなり
 
2967 年|之《シ》へば見つつしぬべと妹がいひしころもの縫目みればかなしも
(2615)年之經者見筒偲登妹之言思衣乃縫目見者哀裳
 之はシとよむべし(從來ノとよめり)。逢ハズシテ年經ナバとなり
 
2968 つるばみの一重ごろものうらもなくあるらむ兒ゆゑこひわたるかも
橡之一重衣裏毛無將有兒故戀渡可聞
 初二は序なり。ウラナシを契沖は何心モナシといふに同じといひ雅澄は『心の表裏なく打解たるをいへり』といへり。案ずるに今無心といふにひとし
 
2969 (ときぎぬの)おもひ亂れてこふれども何の故ぞととふ人もなし
解衣之念亂而雖戀何之故其跡問人毛無
 二註に人を戀の相手としたるは從はれず○卷十一(二四〇一頁)にも
  ときぎぬのおもひ亂れてこふれどもなにしの故ととふ人もなし
とあり
 
2970 桃花褐《モモゾメノ》あさらのころもあさらかにおもひて妹にあはむものかも
桃花褐淺等乃衣淺爾念而妹爾將相物香裳
(2616) 桃花褐は桃色に染めたる布衣なり。舊訓に三字をアラゾメとよみ江家次第にも荒染とあれど紀、令、式などの古書には桃染又は退紅と書きたればいにしへはモモゾメといひしを後にアラゾメといふやうになりしならむ〈又退紅は音にて唱へしならむ)。さればこゝもモモゾメノとよむべし○アサラノコロモは色淺き衣にてやがて淺染衣なり。後世ならばアサラナルコロモといふべし。初二は序なり○略解に逢るを悦てよめる也といへるはカヤウニ逢フ事ノ出來タノハヨホドアリガタイト思ハネバナラヌといふ意に取れるにやいぶかし。古義に『なみなみに思ひたるのみにてあはるゝものかは』と釋せるはアハムモノカモを逢ハレムモノカハと心得たるなり。案ずるにこは第三者たとへば媒が男に云へるにて深ク思入リテコソアフベケレ、然アサハカニ思ヒテ逢ハムモノカハといへるなり
 
2971 おほきみの塩やくあまのふぢごろも穢者雖爲《ナルトハスレド》いやめづらしも
大王之塩燒海部乃藤衣穢者雖爲彌希將見毛
 上三句は序、オホキミノは御料ノといはむにひとし。第四句を略解にナレハスレドモ、古義にナルトハスレドとよめり。古義に從ふべし。イヤは後世のナホなり(九〇二(2617)頁參照)○卷十一(二四〇二頁)に
  くれなゐのやしほのころもあさなさななるとはすれどいやめづらしも
とあり
 
2972 あかぎぬの純裏衣《ヒツラノコロモ》、長欲《ナガクホリ》、わがもふきみがみえぬころかも
赤帛之純真衣長欲我念君之不所見比者鴨
 『クレナヰといはず赤帛とあるは緋色の衣なり』と眞淵いへり○第二句を眞淵はヒトウラゴロモとよみ千蔭はヒクタラゴロモとよみ雅澄は卷十六にユフカタギヌ氷津裡《ヒツラ》ニヌヒテとあるに據りてヒツラノコロモとよめり。ノの辭ほしき處なれば古義の訓に從ふべし。さてそのアカギヌノ純裏衣を眞淵以下『表裏同じ赤色なるをいふ』といへれど少くともヒタウラ(或はそを略してヒツラ)とよみて表裏同色の意とはすべからず。アカギヌノヒツラは赤帛ノトホシ裏ならむ○初二はナガクにかかれる序なり。長欲を舊訓にナガクホリとよめるを略解に長を著の誤としてキマクホリとよめり。宜しくもとのまゝにてナガクホリとよむべし。さてナガクホリワガモフ君はワガ長クホリ思フ君にて長ク通ウテ來イト思フ男なり
 
(2618)2973 (眞玉つく)をちこちかねてむすびつるわが下紐のとくる日あらめや
眞玉就越乞兼而結鶴言下紐之所解日有米也
 眞玉ツクヲチコチカネテははやく上(二五五四頁)に見えたり○トクルを所解と書けるは上(二五五二頁)に人ノミルを所見と書けると同例なり
 
2974 むらさきの帶の結もときも見ずもとなや妹にこひわたりなむ
紫帶之結毛解毛不見本名也妹爾戀度南
 帶は衣の上の帶なり。眞淵以下した紐の事としたるは非なり。帶ノムスビモのモはダニなり。下紐に對してモといへるなり○略解に『トキモ見ズの見にこゝろなし』といへるに對して古義に『トキアケズといはむが如し。見は開といふに當れり』といへり。略解に從ふべし。トキモ見ズはトキモ見ズシテなり〇四五は心外ニ空シク妹ニ戀渡ラムカといへるならむ
 
2975 (こまにしき)紐の結もときさけずいはひてまてどしるしなきかも
高麗錦紐之結毛解不放齊而待杼驗無可聞
(2619) 結べる紐を解かざれば戀ふる人に逢ふなどいふ俗信ありてそれによりてよめるなり。イハヒテは自祝シテなり。シルシはイハヒノ驗なり。二註に『いはひつゝしみて待には神のしるしあるべき事なるに』など釋せるは誤解なり○この紐も衣の紐なり
 
2976 むらさきの我下紐の色にいでず戀可毛將痩あふよしをなみ
紫我下紐乃色爾不出戀可毛將痩相因乎無見
 二註に初二をイロニイヅにかゝれる序とせるは非なり。色のみにかゝれるなり〇三四は色ニハ出デズシテ戀痩セムカといへるにや。少し穩ならず。第四句は戀可將度の誤にあらざるか
 
2977 何故かおもはずあらむ(紐の緒の)心に入りてこひしきものを
何故可不思將有紐緒之心爾入而戀布物乎
 折り曲げたる紐の端を係蹄にとほすを心ニ入ルルといへばヒモノ緒ノを心に入リテの枕辭とせるならむ。さて心ニ入リテはオマヘガ私ノ心ニハヒリテとなり○(2620)考に『男の思ハズヤなどいふに答へしならむ』といへる如し
 
2978 まそかがみ見ませ吾背子わが形見、將持辰〔左△〕爾、將不相哉《アハザラメヤモ》
眞十鏡見座吾背子吾形見將持辰爾將不相哉
 上三句はコノマソ鏡ヲ我形見ト見マセ、ソノ形見ヲ云々といへるならむ○第四句を舊訓にモタラムトキニとよめるを宣長は辰爾を君爾の誤とせり。將持度爾《モチワタラムニ》などの誤にあらざるか○結句は古義に從ひてアハザラメヤモとよむべし(略解にはアハザラムカモとよめり)
 
2979 (まそかがみ)ただ目に君を見てばこそ命にむかふ吾戀やまめ
眞十鏡直目爾君乎見者許増命對吾戀止目
 このマソカガミは見にかゝれる枕辭なり。ミテバコソは見タラバコソなり○上(二五七〇頁)に
  よそ目にも君がすがたを見てばこそいのちにむかふわが戀やまめ
(2621) 又卷四に
  ただにあひて見てばのみこそたまきはる命にむかふわが戀やまめ
とあり
 
2980 (まそかがみ)見あかぬ妹にあはずして月のへぬれば生友名師《イケリトモナシ》
犬馬鏡見不飽妹爾不相而月之經去者生友名師
 結句を舊訓にイケリトモナシとよめるを契沖は『イケルトモナシとよむべし』といへり。こは卷十九に伊家流等毛奈之とあるによれるならむ。宣長も亦『イケルトモナシとよみてイケル利心モナシの意とすべし』といへれどなほ舊訓に從ふべし(一〇五六頁參照)
 
2981 はふりらがいはふみもろのまそかがみかけて偲《シヌバム》あふ人ごとに
祀部等之齊三諸乃犬馬鏡懸而偲相人毎
 上三句は序にてイハフはイツキ祭ルといふ事、ミモロは神殿なり○第四句の偲を從來シヌビツとよめり。さて四五の意を契沖は『似たる人、同じ程にうるはしき人或はしなかたちの及ばぬ人それぞれに付て思ひ出て偲ぶとなり』といひ宣長雅澄等(2622)皆此説に同意せり。案ずるに契沖等はアフ人毎ニカケテ妹ヲシヌビツと解したるならめど集中にカケテシヌビツ、カケテシヌバムなどいへるは皆相手ノ人(又は物)ヲ心ニカケテ〔五字傍点〕シヌブといへるなり。さればこゝのカケテシヌビツのみを別義とすべからず。更に案ずるに偲はこのままにてか又は上に將の字を補ひてシヌバムとよむべし。さて四五を妹ヲバ逢見ル人毎ニ心ニカケテ偲バムと心得べし。語例は卷十七なる二上山賦の末にイニシヘユイマノヲツツニ、カクシコソ見ルヒトゴトニ、カケテシヌバメとあり
 
2982 針はあれど妹|之《シ》なければつけめやと吾をなやまし絶ゆる紐のを
針者有杼妹之無者將著哉跡吾乎令煩絶紐之結〔左△〕
 妹之は舊訓に從ひてイモシとよむべし(古義にはイモガとよめり)○古人が紐の緒の絶ゆるを忌みし事上(二五五五頁)にいへる如し。さて此歌は紐の緒をいぢわろき人に擬したるなり○卷二十に
  くさまくらたびのまるねのひもたえばあが手とつけろこれのはるもし
とあり○結は緒の誤なり
 
(2623)2983 (こまつるぎ)己之景迹故《ワガココロカラ》、外耳《ヨソノミニ・ヨソニノミ》みつつや君|乎〔左△〕《ニ》こひわたりなむ
高麗剱己之景迩故外耳見乍哉君乎戀渡奈牟
 二註共に第二句をワガココロユユとよめり。己之はナガとよむべき事卷九なるツルギダチ己之《ナガ》心柄オソヤコノ君(一七四七頁)并に己《ナガ》父二似テハナカズ己《ナガ》母ニ似テハナカズ(一七七四頁)の處にいへる如くなれどこゝは卷二なるコマツルギワザミガ原ノを例としてワガとよむべくや。故はむしろカラとよむべし。ワガココロカラ云々は云出セバヨイニ云出シモセズニとなり○外耳は卷十五に與曾能未爾ミツツスギユク、卷十九に余曾能未爾ミツツアリシヲ、卷二十に余曾爾能美ミテヤワタラモとあればヨソノミニともヨソニノミともよむべし。君乎の乎は爾の誤ならむ
 
2984 (つるぎ太刀)名のをしけくも吾はなしこのごろの間の戀のしげきに
剱太刀名之惜毛吾者無比來之間戀之繁爾
 卷四に四五のみ君ニアハズテ年ノヘヌレバとかはれる歌あり
 
2985 (梓弓)末はし知らずしかれどもまさかは君により西ものを
(2624)    一本歌云梓弓末のたづきはしらねども心は君によりにしものを
梓弓末者師不知雖然眞坂者君爾縁西物乎
    一本歌云梓弓末乃多頭吉波雖不知心者君爾因之物乎
 末ハシのシは助辭なり○マサカは現在なり。これに對して未來を末ともオクともいふ。卷十四に二三の例あり○ヨリニシの主格は我心なり。そのヨリニシはヨリタルとあるべきなり。西は在などの誤にあらざるか○男の何とか云ひしに答へたるなり○君は二三の本に吾となり。之によらば男の歌とすべくイカデ逢ハズナリニケムといふ事を補ひて聞くべし
 一本の歌は別の歌と認むべし
 
2986 (梓弓)ひきみ縱見《ユルシミ》おもひみて既《ハヤク》心はよりにしものを
梓弓引見縱見思見而既心齒因爾思物乎
 縱見を舊訓にユルベミとよめるを契沖はユルシミとよみ眞淵以下ふたゝびユル(2625)ベミとよめり。卷十一(二四一四頁)なる梓弓引見弛見こそヒキミユルベミとよむべけれ、縱はユルベとはよみがたき上にハリに對してはユルベといひヒキに對してはユルシといはむが辭の常なれば契沖の訓に從ふべし。さてヒキミユルシミは引イタリ放ッタリなり〇二三はサマザマニ考ヘテといふことを弓の縁にていへるなり○既を從來スデニとよみたれど卷十七なる天ノ下スデニオホヒテフル雪ノなど古書にスデニといへるは全クといふことなればこゝの既はハヤクとよむべし。ヨリニシは弓の縁語なり
 
2987 梓弓ひきて不樅《ユルサヌ》ますらをや戀ちふものをしぬびかねてむ
梓弓引而不樅大夫哉戀云物乎忍不得牟
 この梓弓は枕辭にあらず。さてアヅサ弓ヒキテユルサヌは力滿ちたる丈夫の形容なり○卷十一(二四〇八頁)に初二のみツルギダチ身ニハキソフルとかはれる歌あり。自勵して我《ワレ》大丈夫ヤハ戀チフモノニ堪ヘ得ザルベキといへるなり。ヤ……カネテムはカネテアラムヤハなり(二三六〇頁參照)
 
2988 (梓弓)末中一伏三起《スヱノナカゴロ》、不通有之《ヨドメリシ》、君にはあひぬ嘆はやめむ
(2626)梓弓末中一伏三起不通有之君者會奴嘆羽將息
 末中一伏三起を舊訓にスヱナカタメテとよめるを宣長はスエノナカゴロとよみ改めたり。卷十三にネモコロゴロニを根毛一伏三向凝呂爾と書ける一伏三向と齊しければげにスヱノナカゴロとよむべし(一九三八頁參照)。六帖にも
  かくこひむものとしりせば梓弓すゑのなかごろあひみてましを
とあり。さて古義に
  末(ノ)中頃と云る意は末とはなかば通ひ住し盛の末のほどにて其末の間にひたすら絶しにはあらで中よどなりしを云なるべし
といへれど未ノ中ゴロといふ語あるべくもあらず。おそらくは弓に末ノナカといふ處あるによりてそれを中ゴロにいひかけたるならむ(卷十一【二四一一頁】アヅサ弓末ノハラ野參照)○不通有之を舊訓にユカザリシ、考にタエタリシ、古義にヨドメリシとよめり。卷二(一六九頁)に不通《ヨドム》事ナクアリコセヌカモ、卷四(七四一頁)にタエヌ使ノ不通有者《ヨドメレバ》、下にも今コムワレヲ不通《ヨドム》トモフナなどあれば古義の訓に從ふべし
 
2989 今更に何しかおもはむ(梓弓)ひきみ縱見《ユルシミ》よりにしものを
(2627)今更何牡鹿將念梓弓引見縱見縁西鬼乎
 ヒキミユルシミはサマザマニ思見テとなり○卷四(六三二頁)に
  今さらに何をかおもはむうちなびきこころは君によりにしものを
とあり
 
2990 をとめらがうみ麻《ヲ》のたたり打麻《ウチソ・ウツソ》かけうむ時なしにこひわたるかも
※[女+感]嬬等之續麻之多田有打麻懸續時無二戀度鴨
 上三句は倦《ウム》にかゝれる序なり。タタリは方《ケタ》なる臺に三本の柱を立てて絲をまとひかくるものにて今も然いふものなり。タタリの下にニを略したり○打麻は打チタル麻ならむ。然らば舊訓の如くウチソとよむべし。但古義に卷一なる打麻ヲ麻績《ヲミ》ノオホキミの處に
  打麻は麻をうむにはまづ打和らげて用るものなれば即ウチソと訓て字の如く打たる麻をいふにやともおもはるれども神祇令集解に宇都波多と見え又十六に打栲とあるなどは全織《ウツハタ》また全栲《ウツタヘ》と聞えたれば打麻もなほ借字にて全麻《ウツソ》なるべし。其は常は打和らげなど人の功《テ》をつけてうむことなるを、しかせずしてその(2628)まゝうみつむぎせらるゝ好き麻と賞て稱る意なるべし
といひてウツソとよめり。なほ考ふべし○續は績の俗字なり
 
2991 (たらちねの)母がかふ蠶《コ》の眉《マヨ》ごもりいぶせくもあるかいもにあはずて
垂乳根之母我養蚕乃眉隱馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿異母二不相而
 卷十一(二三二五頁)に
  足常の母がかふこのまよごもりこもれる妹をみむよしもがも
とあり。上三句は序、イブセシは心の晴れぬ事
 
2992 (玉だすき)かけねばくるしかけたればつぎて見まくのほしき君かも
玉手次不懸者辛苦懸垂者續手見卷之欲寸君可毛
 考に
  このカクは思懸るにはあらず。はやくあひし事をたすきを身にかけまとふに譬たり
といひ二註共に之に從ひたれど玉ダスキは此歌にてはカケネバの枕辭に過ぎず。(2629)又下に手繦の縁語も無ければタスキにたとへたりとは見るべからず。案ずるにいにしへつまどふ事をカクルともいひしにこそ。さればカクルは今關係スルといふにひとしかるべし○卷十一(二三六五頁)に
  むかひては面かくさるるものからにつぎて見まくのほしききみかも
とあり
 
2993 むらさきの綵色之《マダラノ》かづらはなやか爾けふ見人に後こひむかも
紫綵色之※[草冠/縵]花八香爾今日見人爾後將戀鴨
 綵色之は古義に從ひてマダラノとよむべし(二一三一頁參照)。初二は序なり○見人を從來ミルヒトとよめり。さて古義にハナヤカニケフミル人ニを假ソメニアダアダシク相見シ人ナルヲと釋せり。見人はミシヒトとよむべし。否もしハナヤカ爾をもとのまゝとせばミエシとよむべし
 
2994 (玉かづら)かけぬ時なくこふれども何如《ナニシカ》妹にあふ時もなき
玉※[草冠/縵]不懸時無戀友何如妹爾相時毛名寸
(2630) このカケヌは思ハヌなり○何如を前註にナニゾモ、ナニシカ、イカニゾ、イカデカとよめり。イカデカの外はいづれにても可なれどしばらくナニシカとよむべし
 
2995 あふよしのいでこむまではたたみごもかさねあむ數いめにし見てむ
相因之出來左右者疊薦重編數夢西將見
 三四は度々といふ事を文《アヤ》なしいへるなり。卷十一(二四九五頁)に
  たたみごもへだてあむ數かよはさば道のしば草おひざらましを
とあり
 
2996 しらがつく木綿者花物《ユフハハナモノ》ことこそはいつの眞枝〔左△〕《マサカ》も常不所忘
白香付木綿者花物事社者何時之眞枝毛常不所忘
 卷三なる祭神歌(四六四頁)にオク山ノサカキノ枝ニシラガ付《ツケ》木綿トリツケテとあり。こゝのシラガツクは木綿にかゝれる准枕辭なり。さて白紙《シラガ》附クルといふべきをシラガツクといへるはクシロツクタフシノ崎ニ、眞玉ツクヲチコチカネテなどと同例にて例の如く連體格のかはりに終止格をつかへるなり(一四七五頁以下參照)(2631)○考に花物を花疑の誤としてハナカモとよめり。古義の如くハナモノとよみてアダアダシキ物の意とすべし。集中にアダニをハナニといへる例多し。さてユフハハナモノは神ノ祭ニ用フル木綿ハ一時ノ物といふ意にや○眞枝は眞淵に從ひて眞坂の誤とすべし。上にも眞坂ハ君ニヨリ西モノヲとあり。さてマサカは現在なり○コトコソハのコトを從來言の意としたれどさては一首の意義通ぜず。事と書けるは如の借字にてコトコソハはソノ如クニコソとなるべし○結句を從來ツネワスラエネとよめり。誤字あるにあらざるか。なほ考ふべし
 
2997 いそのかみふるの高橋たかだかに妹がまつらむ夜ぞふけにける
石上振之高橋高高爾妹之將待夜曾深去家留
 初二は序にてフルノタカハシは布留川に渡せる高橋なり。高橋は勾配ある橋をいへるにて特に高きを云へるにはあらじ○タカダカニは待つ状なり。はやく卷十一(二五一五頁)にタカダカニ我待ツ公ヲマチデナムカモとあり○ラムはラムヲとして心得べし
 
2998 湊入の葦|別《ワキ》小船さはりおほみ今こむ吾を不通《ヨドム》ともふな
(2632)    或本謌曰湊入|爾《ニ》蘆|別《ワク》小船さはりおほみ君にあはずて年ぞへにける
湊入之葦別小船障多今來吾乎不通跡念莫
    或本謌曰湊入爾蘆別小船障多君爾不相而年曾經來
 初二は序、今コムはオッツケ行カムとなり。別はワキとよむべし
 或本謌の蘆別をも從來アシワケとよめり。さてアシワケヲブネとよみてはミナトイリニのニの収まる所なきによりて字音辨證(上卷七頁)には爾をノとよめり。蘆別をアシワクとよまば可なるにあらずや○卷十一(二四七五頁)にも
  湊入の葦わき小舟さはりおほみわがもふきみにあはぬころかも
とあり
 
2999 水をおほみ上《アゲ》に種まきひえをおほみ擇《エラシ》擢〔□で囲む〕|之業〔左△〕曾《シワレゾ》、吾〔左△〕獨宿《ヨヲヒトリヌル》
水乎多上爾種蒔比要乎多擇擢之業曾吾獨宿
 卷十一(二三一二頁)に
(2633)  うつ田には稗はここばくありといへど擇爲我《エラシシワレゾ》、夜一人宿《ヨヲヒトリヌル》
とあり○アゲは記傳卷二十九(一七七三頁)に『神代(ノ)卷に高田《アゲタ》、萬葉に上《アゲ》ニ種マキなどあるは水田の高きを云るなり』といへる如し(同書卷十七【九九〇頁】參照)○上三句は序なり。初句と第三句と同格なるが初句は第二句を云はむとていへるのみ○擇擢之を從來エラエシとよみたれどエラシシとよむべし。否擇と擢と一字は衍字ならむ。おそらくは擇の傍に一本によりて擢と書きたりしを誤りて下にもて來たるならむ。さて擢之に從はばヌカシシとよむべし○考に業を吾等の誤、吾を夜の誤とせり。之に基づきて四五はエラシシワレゾヨヲヒトリヌルとよむべし。君ガエラビ棄テ給ヒシ我ゾ云々といへるなり
 
3000 靈合者《タマアハバ》、相寢物乎《アヒネムモノヲ》、小山田のしし田もるごと母しもらすも
     一云母|之《シ》もらしし
靈合者相宿物乎小山田之鹿猪田禁如母之守爲裳
    一云母之守之師
(2634) 初二を古義にはタマシアヘバアヒネシモノヲとよめり。宜しく略解に從ひてタマアハバアヒネムモノヲとよむべし。魂ダニ相逢ハバ遂ニ相寢ムモノヲといへるなり。卷十四にも母ハモレドモタマゾアヒニケルとあり。卷三(五〇五頁)なるオホキミノムツタマアヘヤは別なり○シシ田は猪鹿の荒す田なり
 
3001 春日野にてれるゆふ日の外耳《ヨソノミニ・ヨソニノミ》君をあひ見て今ぞくやしき
春日野爾照有暮日之外耳君乎相見而今曾悔寸
 初二は序なり。ヨソはヨソ目なり。マトモナラズなり。此序めづらし
 
3002 (あしひきの)山よりいづる月まつと人にはいひて妹まつ吾を
足日木乃從山出流月待登人爾波言而妹待吾乎
 吾ヲは吾ゾなり、古義にモノヲの意なりといへるは非なり○此歌卷十三なる長歌の末にさながら入りてそこには君待吾乎とあれば眞淵は此歌の妹待を君待に改めて
  女の通ふ事は先はなし。且歌も女のよめるさま也
(2635)といひ雅澄は
  男の、女の門近く至りて出來むほどを待よしなればさてあるべきにこそ
といへり。案ずるにこは屋外にての出合とおぼゆれば男の女を待つ事もあるべく又女の男を待つ事もあるべし。されば眞淵の如く字を改めむ事は勿論雅澄の如く助け釋かむ事も不用なり○第四句の語例は卷十一(二四三九頁)に
  笠なみと人にはいひてあまづつみとまりし君がすがたしおもほゆ
とあり
 
3003 ゆふづくよあかとき闇のおほほしく見し人故にこひわたるかも
夕月夜五更闇之不明見之人故鯉渡鴨
 初二は序なり。卷十一(二四二八頁)にもユフヅクヨアカトキヤミノアサカゲニ云々とあり。新月の頃は曉は闇ければユフヅクヨアカトキヤミといへるなり
 
3004 (ひさかたの)天水虚《アマツミソラ・アマノミソラ》に照日〔左△〕《テルツキノ》のうせなむ日こそ吾鯉やまめ
久堅之天水虚爾照日之將失日社吾鯉止目
(2636) 天水虚はアマツミソラともアマノミソラともよむべし(二二〇五頁參照)○照日は類聚古集などに照月とあるに從ひてテルツキノとよむべし。前後みな寄月の歌なればなり
 
3005 十五日△《モチノヨニ》いでにし月のたかだかに君を座而《イマセテ》なにをかおもはむ
十五日出之月乃高高爾君乎座而何物乎加將念
 初二は序なり。初句をモチノヒニとよみしを雅澄は日の下に夜の字を補ひてモチノヨニとよめり。之に從ふべし○タカダカニの語例は集中にタカダカニワガマツキミ(卷十一)妹ガマツラム(卷十二)キミマツ夜ラハ(同)コムトマチケム(卷十三)マツラムキミヤ(卷十五)マツラムココロ(卷十八)とありて待といふ語と照應せざるは今の歌と卷四(八〇四頁)なる
  しら雲のたなびく山のたかだかに吾念妹をみむよしもがも
とのみなり。上(二六三一頁)にもいへる如くタカダカニは待つ貌とおぼゆれば今はイマセテを待座セテ、卷四なるワガモノはワガ待念フと(待といふ語を添へて)心得べし。卷四なるは吾待妹、今は待出而の誤字かとも思へど然にはあらじ。さてイマセ(2637)テは御出ヲ願ウテとなり
 
3006 月夜よみ門にいでたち足占《アウラ》してゆく時さへや妹にあはざらむ
月夜好門爾出立足占爲而往時禁八妹二不相有
 足占の事は卷四(七九三頁)なる
  つくよには門にいでたちゆふけとひあうらをぞせしゆかまくをほり
の處にいへる如く足數によりて吉凶を占ふ業なり。第三句は足占シテ吉ト見定メテと辭を加へて心得べし
 
3007 (ぬばたまの)夜わたる月のさやけくばよく見てましを君がすがたを
野于〔左△〕玉夜渡月之清者吉見而申尾君之光儀乎
 
3008 (足引の)山をこだかみゆふ月をいつかと君をまつがくるしさ
足引之山呼木高三暮月乎何時君乎待之苦沙
 上三句は前註にいへる如くユフ月ヲイツカト待ツガ如ク君ヲイツカト待ツガクルシサといふことをつづめたる一種の序なり○こゝのユフ月は新月にはあらで(2638)ただ夕べの月をいへるなり○第二句は古義に山ノ梢ノ木高キ故ニと譯せる如し。コダカミは字の如く木高ミなり
 
3009 つるばみの衣ときあむひまつち山|古人《モトツヒト》にはなほしかずけり
橡之衣解洗又打山古人爾者猶不如家利
 上三句は序なり。其中にて又ツルバミノキヌトキアラヒはマツチ山の序なり。又打をつづむればマツチとなるが故にキヌトキアラヒ又打といひかけたるなり。卷六なる長歌(一一三〇頁)にもフルゴロモマツチノ山ユとあり○さて序のかゝりを契沖は山の麓をモトともいへばマツチ山モトツ人とかゝれるなりといひ、略解古義には
  マツチ山モトツと音の通へばマツチ山はモトツといはむ料なりといへり。奇僻なるやうなれどしばらく二註の説に從ふべし○卷九(一八三三頁)なるツママツノ木ハ古人ミケムは文字はこことおなじかれどフルヒトとよみて昔の人の意とすべき事彼歌の處にいへる如し。又卷十(一九九八頁)にはモトツ人を本人と書けり。上(二六〇六頁)なるシロタヘノ袖ノナレニシ君ヲシゾモフのナレニシ(2639)君も相似たる意なり○シカズケリは若カザリケリを省きなどしたるにあらず。いにしへはかくの如くただ二語を並べしが語法やうやう精しくなりて所謂連用格が生ぜしなり。アリナリがアルナリとなり、タテリ見ユがタテル見ユとなれるも然り。此等の例を集めなば太古の語法も窺ひつべし。漢文にも古はただ語を並べし例あり。たとへば詩經なる齊風の鶏鳴に無庶予子憎とあるは庶《モロビト》ニ予《ワレ》ニヨリテ子《キミ》ヲ憎マシムル無《ナ》カレと心得べきなり
 
3010 佐保河の河浪たたずしづけくも君にたぐひてあすさへもがも
佐保河之河浪不立靜雲君二副而明日兼欲得
 初二は序なり。四五は君ト一緒ニ明日モ居リタシとなり
 
3011 (吾妹兒にころも)かすがのよしき河よしもあらぬか妹が目をみむ
吾妹兒爾衣借香之宜寸河因毛有額妹之目乎將見
 上三句は序、其中にてワギモコニコロモの八言はカスガにかかれる枕辭なり。ワギモコはかく序中の語なれば主文の妹と重複するを嫌はざるなり○ヨシキ川は即(2640)ミヤ川にて春日山より出づる一谿流なり○ヨシモアラヌカはスベモアレカシなり
 
3012 (とのぐもり雨)ふる河のさざれ浪まなくも君はおもほゆるかも
登能雲入雨零河之左射禮浪間無毛君者所念鴨
 上三句は序、トノグモリ雨の七言は布留河にかゝれる枕辭なり○トノグモリははやく卷三(四五八頁)にもトノグモル夜之と見えたり。タナグモリともいひてただ曇る事なり(一六五五頁參照)○考及略解の釋の誤れるは古義に辨じたる如し
 
3013 吾妹兒やあをわすらすないそのかみ袖ふる河のたえむともへや
吾妹兒哉安乎忘爲莫石上袖振河之將絶跡念倍也
 初二は古義にいへる如く吾妹子ヨ、我ヲ忌レタマフナとなり。三四は序なり。タエムトモヘヤは我ハ絶エムト思ハメヤ、思ハジとなり○袖フル河ノの袖は卷九(一八三三頁)なるツママツノ木ハのツマ、卷十(二一三九頁)なるキミマツ原ハのキミとおなじく句中の枕辭なり。二註に『布留山をヲトメ子ガ袖フル山といへる如し』といへる(2641)は例とすべからざるものを例とせるなり
 
3014 神山の山下とよみゆく水の水尾《ミヲノ》たえずば後も吾妻
神山之山下響逝水之水尾不絶者後毛吾妻
 水尾を略解にミヲシとよめるはわろし。古義の如くかならずミヲノとよむべし。ミヲノ以上は序なり。而して序なるが故にミヲシとはよむべからざるなり
 
3015 神のごときこゆる瀧の白浪の面知《アヒミシ》君がみえぬこのごろ
如神所聞瀧之白浪乃面知君之不所見比日
 上三句は序、神は雷なり○面知の語例は下に
  みづぐきの崗のくず葉をふきかへし面知兒等がみえぬころかも
とあり。否その歌は此歌を學びたるものとおぼゆ。卷二(二一四頁)なる
  もゆる火もとりてつつみてふくろにはいるといはずや面智男雲
も面知因男雲の誤字とすべし。さて面知を契沖以下舊訓の如くオモシルとよみて眞淵は
(2642)  上よりはオモシロシといひ、受る句は面ヲ見知タル君てふ意にて面知とは常に見なるゝ人にもあらず、よそながら其面を相見知て目をくはせ心を通はするをいふべし
といひ、宣長は
  面知はただ面を知といふのみにあらず。シルはいちじろき意にて他の人にはまがはずいちじるく見ゆる君といふ事也。故に瀧ノ白浪或は此末に岡ノクズ葉ヲフキカヘシなどいへる、皆いちじろき物を序とせり
といへり。又守部(鐘のひびき八十八丁)はアヒミシとよみて
  面知とは逢見と云義訓の假字也。諸抄皆オモシルと訓たるはわろし。十一に對面者と書たるをムカヘレバと訓たれど是もアヒミレバと云義也
といへり。卷十一なる對面者は對而者の誤としてムカヒテハとよむべき事彼卷(二三六五頁)にいへる如し。さて面知はしばらくアヒミシとよむべし。卷二なる面知因男雲はアフヨシナクモとよむべければなり
 
3016 山河の瀧にまされる戀すとぞ人知りにける無間念者《マナクオモヘバ》
(2643)山河之瀧爾益流戀爲登曾人知爾來無間念者
 瀧ニマサレルとは瀧ニマサリテ心ノタギツとなり。結句を古義にマナクシモヘバとよみたれど此歌はテニヲハに當る字を皆書顯したるにシとよむべき字なければ舊訓の如くマナクオモヘバとよむべし
 
3017 (あしひきの)山河水の音にいでず人の子※[女+后]《ユヱニ》こひわたるかも
足檜木之山河水之音不出人之子※[女+后]戀渡青頭鶏
 初二はオトまでにかゝれり。上(二六一九頁)なるムラサキノワガ下紐ノ色ニイデズと同格なり。オトニイデズはヒソカニなり。人ノ子ユヱニは人ノイツク娘ナルモノヲとなり○カモを青頭※[奚+隹]と書けるに就いて契沖は
  青頭※[奚+隹]は鴨なり。もろこしの文にもあること歟(初稿本)
といひ又
  青頭※[奚+隹]は鴨の義訓なり(精撰本)
といひ雅澄は
  青頭※[奚+隹]は鴨にて哉《カモ》の借字なり。鴨をかく書は霰を丸雪と書る類なり。漢名にあら(2644)ず〔六字傍点〕。戀水《ナミダ》、西渡《カタブク》などかけるに似たることなり。此類集中に甚多し
といへり。案ずるに青頭※[奚+隹]は三國魏時代に漢土に行はれし鴨の俗稱なり。宋(六朝)の裴松之の三國志注に
  姜維寇2隴右1時安東將軍司馬文王鎭2二許昌1。徴還撃v維。至2京師1。帝於2平樂観1以臨2軍過1。中領軍許允與2左右小臣1謀d因2文王辭1殺v之勒2其衆1以退c大將軍u。已書2詔於前1。文王入。帝方食v栗。優人雲午等唱曰。青頭※[奚+隹]青頭※[奚+隹]。青頭※[奚+隹]者鴨也。帝懼不2敢發1
とあり。煩はしけれど右の文を補譯せむに
  三國の時蜀の姜維が魏の隴西を侵した。其時の魏王は廢帝芳であつたが安東將軍司馬昭が許昌に居たのを呼戻して維を討たしめた。其途中京師を過ぎた。是より先、大將軍司馬師、安東將軍司馬昭兄弟は故丞相司馬懿の子として權を專にして居たから中領軍許允等、其終に魏の社稷を奪はんを恐れ昭が京師を過ぎて魏主に暇乞をするを機會として之を殺し其軍を率ゐて昭の兄司馬師をも退けんことを謀り司馬昭を殺すべき旨の詔書を草したが魏主がまだ詔書に華押を署せざる間に、はや昭が入來った。然るに押字を署せざれば詔書の効力が發生せぬ(2645)から、はやく押字をと云ひたいが目の前に昭が居るのであるから押とは云はれぬ。そこで押と同音(共にアフ)なる鴨の俗稱を青頭※[奚+隹]といふから宮廷俳優なる雲午等が氣をきかせて青頭※[奚+隹]々々々と呼んだが魏主は懼れて押字を書かなかった。其内に昭は出て行いてしまうた。さうして魏主芳は後に司馬師に廢せられ其次の後廢帝髦は司馬昭に殺され其次の元帝奐の時に昭の子司馬炎に迫られて位を禅り魏が亡び晋が興った。青頭※[奚+隹]一件の時、兄師が撫軍大將軍兼尚書で弟昭は安東將軍で兄師の下に附いて居たのであるが兄が死んだ後に、元帝の時に進んで晋王となり死して文と謚せられた。其後の稱なる文王を三國志注には前へ廻らして安東將軍司馬文王と書ける爲に事情を知らぬ讀者は所謂大將軍より先輩であるやうに誤解するであらうと思ふから少々補譯の筆を進めたのである
 右の如くなれば青頭※[奚+隹]は漢名にて萬葉集の編者が妄に戯書したるにはあらず。續日本紀神護景雲三年冬十月の下に
  太宰府|言《マヲ》ス。此府ハ人物殷繁ニシテ天下ノ一都會ナリ。子弟ノ徒、學《モノマナビ》スル者稍衆シ。(2646)而ルニ府庫タダ五經ヲ蓄へテ未三史ノ正本アラズ。渉獵ノ人其道廣カラズ。伏シテ乞フ、列代ノ諸史各一本ヲ給ハリ管内ニ傳ヘ習ハシ以テ學業ヲ興サムト。詔シテ史記、漢書、後漢書、三國志〔三字右△〕、晋書各一部ヲ賜フ
とある三國志は陳壽の原撰にや裴松之の補撰にや知られねど今の歌にカモを青頭※[奚+隹]と書けるを見れば補撰(又は魏氏春秋)も亦夙く我邦に渡來したりしなり
 
3018 高湍△《コセヂ》なる能登瀕の河の後將合《ノチモアハム》、妹には吾は今ならずとも
高湍爾有能登瀬乃河之後將合妹者吾者今爾不有十方
 卷十一(二二八四頁)に
  鴨川の後瀬しづけく後もあはむ妹には我は今ならずとも
とあり○初句を考に卷三(四一三頁)に
  さざれなみ礒こせぢなるのとせ川おとのさやけさたぎつ瀬ごとに
とあるに據りてコセナルと四言によめり。高湍の下に道を補ひてコセヂナルとよむべし。コセは大和高市郡なる巨勢にてノトセ川は今の重坂《ヘサカ》川なり○初二は序なり。第三句は考の如くノチモアハムとよむべし(古義にはノチニとよめり)。序のかゝ(2647)りは契沖の説に
  登と知と通ずればノトセを承て後モアハムと云へるなり
といへり。此説の如し
 
3019 (あらひぎぬ)取替《トリカヒ》河の河よどの不通牟《ヨドマム》心おもひかねつも
浣不〔左△〕取替河之河余杼能不通牟心思兼都母
 初句は枕辭、上三句は序なり○取替河を舊訓にトリカヘガハとよめるを契沖は
  和名集を考るに添下郡鳥貝、和語は文字に定なし。取替はトリカヒともよむべければ、もし此鳥貝にある川にや
といひ眞淵以下此説に從ひたり。替はカヘとよむべくカヒには借るべからざるに似たれど卷二にハガヒノ山を羽易乃山と書き卷十三にウマカハバを馬替者と書けるを思へば取替河はげにトリカヒ河とよむべし。但和名抄の鳥貝は鳥見《トミ》の誤とおぼゆれば之に擬すべからず。恐らくは攝津國の鳥飼ならむ○心ヲオモフは今いふ心ヲ持ツなり。古義に四五を釋せるやうわろし。足ヲ遠クシヨウトハ得思ハヌといへるなり○不は諸本に衣とあり
 
(2648)3020 いかるがのよるかの池の宜毛《ヨロシトモ》、君乎〔左△〕《キミガ》いはねばおもひぞわがする
班〔左△〕鳩之因可乃池之宜毛君乎不言者念衣吾爲流
 初二は序なり。ヨルカを以てヨロシをさそひ出でたるはノトセを以てノチを呼起したるに似たり○第三句を從來ヨロシクモとよめり。さて略解にはイハネバをイハヌニの意として
  人は我故に君をよくもいはぬに我はとにかくに君をおもふといふ也
といひ、古義には乎を之の誤として
  わがとかく君をおもひまつはせども君が我をうけひき相かなふけしきの見えずいつも苦々しくのみいへば物思をぞ我はするとなり といへり。案ずるに乎を之の誤とし宜毛をヨロシトモとよむべし。釋はほぼ古義にいへる如し○班は斑の誤なり
 
3021 (こもりぬの)したゆ者〔左△〕《ゾ》こひむいちじろく人のしるべくなげきせめやも
絶〔左△〕沼之下從者將戀市白久人之可知歎爲米也母
(2649) 卷十一(二二九一頁)に
  こもりぬの下ゆこふればすべをなみ妹が名のりつゆゆしきものを
 又(二三九三頁)
  おもひでてねにはなくともいちじろく人のしるべくなげかすなゆめ
とあり○シタユは下ニなり。者は曾の誤字ならむ。シタは水草の下を心《シタ》にかけたるなり。略解に『シタユは下樋より水の通ふに譬へて人にしられじといふ意也』といへるはいみじき誤なり○絶は隱の誤字かと眞淵いへり
 
3022 ゆくへなみこもれる小沼《ヲヌ》のしたもひに吾ぞ物もふ頃日之間《コノゴロノマヲ》
去方無三隱有小沼乃下思爾吾曾物念頃者之間
 初二はシタにかゝれる序にてユクヘナミはハケ口ガナサニとなり。略解に『下樋の水の通ひてたまれる沼也』といへるは妄なり。はけ口無きが故にコモレルといへるなり○シタモヒは心のうちに思ふ事なり。結句を略解にコノゴロノマハ、古義にコノゴロノアヒダとよめり。宜しくコノゴロノマヲとよむべし。上(二六二三頁)にもコノゴロノ間〔日が月〕《マ》ノ戀ノシゲキニとあり
 
(2650)3023 (こもり沼《ヌ》の)したゆこひあまり(しら浪の)いちじろくいでぬ人のしるべく
隱沼乃下從戀餘白浪之灼然出人之可知
 コモリ沼ノはシタにかゝりシラナミノはイチジロクにかゝれる枕辭にて兩者の間〔日が月〕には關係なし。略解に
  堤に隱れたる水の溢れて堤を越出るを以て思にあまりて色にいでなば人にしられんといふを譬ふ
といへるは妄なり
 
3024 (妹が目をみまく)ほり江の小浪《サザレナミ》しきてこひつつありとつげこそ
妹目乎見卷欲江之小浪敷而戀乍有跡告乞
 妹ガ目ヲミマクはホリ江の枕辭、上三句はシキテの序なり。シキテは頻ニなり。コヒツツアリとつづけて心得べし○小浪は上(二六四〇頁)に雨フル河ノ左射禮浪とあり。卷十七なる長歌にも佐射禮奈美タチテモヰテモとあればサザレナミとよむべ(2651)し。但新撰字鏡に佐々良奈彌とあればサザラナミとよまむもあしからず
 
3025 いはばしるたるみの水のはしきやし君にこふらくわがこころから
石走垂水之水能早敷八師君爾戀良久吾情柄
 初二はハシキにかゝれる序、ハシキヤシは君にかゝれる准枕辭なり○こゝのタルミは瀧なり。二註に地名とせるは非なり。又初二のかゝりを水ノハシルとかゝれるなりといへるも非なり。ハシルはハシキにいひかくべからず、又イハバシル〔三字傍点〕タルミノ水ノハシル〔三字傍点〕とはいふべからざるが故なり。契沖がハの一言にかゝれるなりとして『ハの一もじをハヤと云意に云へり』といへるも從はれず。案ずるにいにしへ速なる事をハシ、ハシキともいひしかば水ノ早《ハ》シキをハシキヤシ(可愛)にいひかけたるならむ。今敏捷なる事をハシコイといふはこのハシキの轉ぜるなるべく鷹の一種なるハシダカも殊に敏捷なるが故にさる名を負へるなるべし〇四五は卷四(七七〇頁)にツミテコフラクワガ心カラとあるに似たり
 
3026 君は來ず吾は故無《コトナミ》(たつ浪の)數《シクシク》わびしかくて來じとや
(2652)君者不來吾者故無立浪之數和備思如此而不來跡也
 數は考に從ひてシクシクとよむべし(古義にはシバシバとよめり)。タツ浪ノはシクシクにかゝれる枕辭なり。カクテ來ジトヤは終ニ來ジトヤとなり○故無を從來ユエナミとよみて我ハ女ナレバ我ヨり行クベキ理由無キニヨリテといふ意とせり。案ずるに玉篇に故(ハ)事也とあり。又易經繋辭なる知2幽明之故1、左傳なる謀2鄭(ノ)故1也、問2晋(ノ)故1、以2鄭(ノ)故1などもコトとよみ來れり。孝徳天皇紀にもコトヨサシキを故寄と書けり。されば故無はコトナミとよみて手持不沙汰デアルニヨリテといふ意とすべし○コトナミタツナミノはわざと韻を合せたるにて卷七なる
  浪高しいかにかぢとり〔二字傍点〕みづとり〔二字傍点〕のうきねやすべきなほやこぐべき
と同例なり
 
3027 あふみの海《ミ》へたは人しる(おきつ浪)君をおきてはしる人もなし
淡海之海邊多波人知奥浪君乎置者知人毛無
 女の歌なり。ヘタは岸近き處なり。シル人は我知レル男となり○此歌は極めてめづらしき格なれば從來解得たる人なし。其中にて最深く到れるは宣長の説なり。其説(2653)にいへらく
  此歌上の句は君ヲオキテハを隔てゝシル人モナシといふへかゝる序なり。其序の意はヘタノ浪ハ人皆シレドモ沖ノ浪ハ遠キ故ニシル人モナシといふ也。是は只序のつづけの意のみにてさて歌の意は下句にあり。君ヲ除《オキ》テ外ニシル人ハナシといふのみ也。知人とは逢見る人なり
といへり。打見にはオキツ浪はオキテハにかゝれる枕辭と見ゆれど之を枕辭とすればアフミノ海ヘタハ人シルの二句が無用となるめれば棄てがたき初一念を棄ててヘタハ人シルとオキツ浪シル人モナシとをむかはせたれど、さては又君ヲオキテハの一句浮漂ふが故に上三句を序とし又オキツ浪に對してヘタをヘタノ浪と譯せるなり。案ずるに此歌はまづ初二を除きて見べし。オキツ浪はオキテハにかかれる枕辭なり。さてオキツ浪君ヲオキテハシル人モナシと作りし後其三句に對する文《アヤ》としてアフミノ海ヘタハ人シルの二句を作り添へしなり。何故に然いひしかといふに大湖は岸邊の風景こそ人普く知りたれ沖中の風景は知れる人少きが故なり。卷十一の卷頭なるかの
(2654)  新室の壁草かりにいましたまはね、草のごとしなふをとめは君がまにまに
  新室をふみしづむ子が手玉《タダマ》ならすも、玉のごとてりたる君を内へとまをせ
の各下半は副物に過ぎざる事彼處にいへる如し。今の歌にては初二が副物なり。毛詩なるかの
  鼠ヲ相《ミ》ルニ皮アリ、人ニシテ儀ナシ、人ニシテ儀ナクバ、死セズシテ何ヲカ爲《セ》ム
などとも相似たる所あり。もし詩の六義に擬せば一種の興と謂ふべし
 
3028 (大海の底を)ふかめてむすびてし妹が心はうたがひもなし
大海之底乎深目而結義之妹心者疑毛無
 卷四(六五八頁)に
  赤駒のこさぬうませのしめゆひし妹が心はうたがひもなし
とあり○大ウミノ底ヲの八言は枕辭なり。フカメテは心ヲ深メテすなはち心フカクといふことなり。はやく卷四(七六一頁)に
  わたの底おきをふかめてわがもへる君にはあはむ年はへぬとも
とあり(二四九八頁參照)○ムスビテシは相結ビテシなり。妹が心をむすぶにあらず
 
(2655)3029 さだの浦によするしら浪あひだなくおもふを如何《ナドカ》妹にあひがたき
貞能納〔左△〕爾依流白浪無間思乎如何妹爾難相
 初二は序なり。サダノ浦ははやく卷十一(二四六七頁)にサダノ浦ノコノサダスギテ後コヒムカモとあり○如何を舊訓にナニゾ、略解にナゾモ、古義にイカデとよめり。イカデとはよみがたし。しばらくナドカとよむべし○納は※[さんずい+内]の誤なり
 
3030 おもひいでてすべなき時は(天雲の)おくかもしらずこひつつぞをる
念出而爲便無時者天雲之奥香裳不知鯉乍曾居
 オクカモ知ラズを略解に『ユクヘモシラズにおなじ』といひ古義に『ソコヒモ知ラズニといはむが如し』といへり。卷十三に立良〔左△〕久《タタマク》ノタヅキモシラズ居久《ヰマク》ノオクカモシラニ、又卷十七に大海ノオクカモシラズユク我ヲとあり。宜しくアテモ知ラズと譯すべし
 
3031 (天雲の)たゆたひやすき心あらば吾乎莫憑《ワレヲナタノメ》まてばくるしも
天雲乃絶多此安心有者吾乎莫憑待者苦毛
(2656) 第四句を略解にアヲナタノメソ、古義にアレヲナタノメとよめり。ワレヲナタノメは我ヲシテ憑マシムナにて所詮來ラムト契ルナとなり
 
3032 君があたり見つつもをらむいこま山雲なたなびき雨はふるとも
君之當見乍母將居伊駒山雲莫蒙雨者雖零
 伊駒山は奈良より西に當りて大和河内に跨れり
 
3033 中々に如何《ナドカ》しりけむ吾〔左△〕《ハル》山にもゆるけぶりのよそにみましを
中中二如何知兼吾山爾燒流火氣能外見申尾
 三四は序なり。吾山は記傳卷三十七(二二一二頁)に
  十卷に靈寸春吾山之於爾、十二卷に吾山爾燒流火氣能などあるは共に春山を吾山と誤れるなり。春と吾とは草書いとよく似たればなり
といへり。前者は愛寸吉吾家之於爾の誤なるべき事卷十(一九六五頁)にいへる如し。こゝの吾山はげに春山の誤ならむ○如何を舊訓にナニニとよみ略解古義にイカデとよめり。しばらくナドカとよむべし
 
(2657)3034 吾妹兒に戀爲便名鴈、胸乎熱《ムネヲヤキ》あさ戸あくればみゆる霧かも
吾妹兒爾戀爲便名鴈※[匈/月]乎熱且〔左△〕戸開者所見霧可聞
 卷十一(二二七一頁)に
  わぎもこに戀無乏いめにみむと吾はおもへどいねらえなくに
とある第二句を二註にコヒスベナカリとよみたれどこはコヒテスベナミとよむべし。又卷十七に大伴池主の歌に
  わがせこに古非須弊奈賀利あしがきのほかになげかふあれしかなしも
とあり。これに據りて今も前註の如くコヒスベナカリとよむべきかといふにコヒテといふべきテを略せる、スベナミといふべきをスベナカリといへるいといぶかし。おそらくはここは戀爲便名編などの誤にてコヒテスベナミとよむべく池主の歌は名鴈と誤り書けるを其ままに例としてコヒスベナカリとよめるならむ、なほ卷十七に至りて云ふべし○胸乎熱は舊訓にムネヲヤキとよめるを二註にムネヲアツミとよみ改めたリ。結句の霧は心火の烟と見なしたるなればそれに對してもムネヲヤキとよまざるべからず
 
(2658)3035 あかときの朝霧隱《ガクリ》、反羽〔左△〕二《カヘリシニ》、如何《ナドカモ》戀の色にいでにける
曉之朝霧隱反羽二如何戀乃色丹出爾家留
 隱を考にカクリとよみ古義には卷十五にアカトキノアサギリ其問理とあるに依りてコモリとよめり。なほ考に從ふべし○霧を朝ぎり、夕ぎり、夜ぎりに分たば曉の霧は朝霧に屬すべければかくもいふべし○羽を考に詞の誤とし古義に爲の誤とせり。後者に從ふべし。但古義に『詞の字をシの假字に用たる例なし』といへるは非なり。卷十五なる長歌に宇伎禰乎詞〔右△〕都追とあればなり○如何を從來イカデカとよめり。しばらくナドカモとよむべし○戀を人に擬して我ハ人目ヲシノビテ朝霧ニカクレテ歸リシヲソノ心ヅカヒヲモ思ハデナド戀ノ色ニ出デテ人ニ知ラレシゾといへるなり
 
3036 おもひいづる時はすべなみ佐保山にたつ雨霧のけぬべくおもほゆ
思出時者爲便無佐保山爾立雨霧乃應消所念
 三四は序なり。アマギリめづらし
 
(2659)3037 きりめ山往反《ユキカヘル》道の朝がすみほのかにだにや妹にあはざらむ
殺目山往反道之朝霞髣髴谷八妹爾不相牟
 上三句は序なり。キリメ山は紀伊にあり。往反を從來ユキカフとよめり。さて二註に『此山の邊の妹許行て逢はずしていたづらに歸るとてよめるなるべし』といへり。案ずるにもしさる意ならばユキカフとはよまでユキカヘルとよむべし。語例は卷十九なる餞2入唐使1歌に
  天雲のゆきかへりなむものゆゑにおもひぞわがする別かなしみ
とありてユキは輕く添へたるなり。サキチルのサキにおなじ〇四五はホノカニナリトモ妹ニ逢ハザラムカ、嗚呼逢ハマホシとなり
 
3038 かくこひむものとしりせば夕《ユフベ》おきてあしたは消流《キユル》露ならましを
如此將戀物等知者夕置而且〔左△〕者消流露有申尾
 夕を略解にヨヒニとよめリ。舊訓に從ひてユフベとよむべし。消流を二註にケヌルとよめり。宜しくキユルとよむべし。第三句以下は露ノ如ク命短カラマシヲといへ(2660)るなり
 
3039 暮《ユフベ》おきてあしたは消流《キユル》しら露のけぬべき戀も吾はするかも
暮置而旦者消流白露之可消戀毛吾者爲鴨
 
3040 後つひに妹にあはむとあさ露のいのちは生けり戀はしげけど
後遂爾妹將相跡且〔左△〕露之命者生有戀者雖繁
 アサ露ノ如キ命となり。シゲケドはシゲカレドなり
 
3041 あさなさな草の上しろくおく露のけなば共にといひし君はも
朝且〔左△〕草上白置露乃消者共跡云師君者毛
 上三句は序なり。ケナバ共ニトは死ナバ諸共ニ死ナムとなり。ハモは消息の知られぬにいふテニヲハなり
 
3042 朝日さすかすがの小野におく露のけぬべき吾身をしけくもなし
朝日指春日能小野爾置露乃可消吾身惜雲無
 上三句は序。ヲシケクモはヲシカル事モとなり
 
(2661)3043 (露霜の)けやすき我身おいぬとも又|若反《ヲチカヘリ》、君をし待たむ
露霜乃消安我身雖老又若反君乎思將待
 卷十一(二四四一頁)にも
  朝露のけやすき吾身おいぬとも又をちかへり君をし待たむ
とあり。古義に若反の上に變の字を補ひたれど、もとのまゝにてもヲチカヘリとよみつべし○第二句の次にナレバといふことを補ひて聞くべし。考に『此歌一二句の言と三句より下と言の道たがへり』といへるは誤解なり。初二はオイヌトモにかゝれるなり。ヲチカヘリにかゝれるにあらず
 
3044 君まつと庭|耳〔左△〕《ニシ》をればうちなびくわが黒髪に霜ぞおきにける
    或本歌尾句云しろたへのわが衣手に露ぞおきにける
待君常庭耳居者打靡吾黒髪爾霜曾置爾家類
    或本歌尾句云白細之吾衣手爾露曾置爾家留
 庭耳を舊訓にニハニシとよめるに基づきて古義に耳を西の誤とせり。之に從ふべ(2662)し。略解にニハノミとよみてニハニノミのニを省きたるなりといへるは非なり○卷二(一三五頁)に
  ゐあかして君をばまたむぬばたまのわがくろ髪に霜はふるとも
 又卷十一(二四四一頁)に
  まちかねて内へは入らじしろたへのわがころもでに露はおきぬとも
とあり
 
3045 (朝霜の)けぬべくのみや時なしにおもひわたらむいきのをにして
朝霜乃可消耳也時無二思將度氣之緒爾爲而
 トキナシニは始終なり。イキノヲニシテはただイキノヲニといはむにひとし。はやく卷四(七六三頁)にもカクバカリイキノヲニシテワガコヒメヤモとあり〇二三四は始終死ヌ程ニ思ヒ續ケル事カとなり
 
3046 左佐浪之波越安暫〔三字左△〕仁《ササナミノナミクラガネニ》ふる小雨あひだもおきてわがもはなくに
左佐浪之波越安暫仁落小雨間文置而吾不念國
(2663) 上三句は序なり。卷十一(二四六五頁)にも
  すが島の夏身の浦による浪のあひだもおきてわがもはなくに
とあり○第二句を略解古義共にナミコスアゼニとよみたれど、まづサザ浪ノ波とはいふべからず。次に雨絲の繁きを示さむとには田又は溝にふる小雨をこそいふべけれ、畔にふる雨をしもいふべきにあらず。次に小波は古書にサザレナミ又はサザラナミと見えてサザナミといへる事なし。享和本新撰字鏡に泊※[さんずい+百]、佐々奈彌とあれどこは天治本によれば佐々良奈彌の良を脱せるなり。次に暫にセの音なし。よりて案ずるにこゝのササナミもなほ地名にて第二句はもとナミクラガネニなどありしを誤れるならむ(越は衍字、安は鞍、暫は蟹の誤にや)。卷七(一二八二頁)に佐左浪乃連庫《ナミクラ》山ニ雲ヰレバとあり。右の如くならば此歌并に享和本字鏡を證として小波はいにしへよりサザナミともいひきといへる説は消滅すべし
 
3047 神さびていはほにおふる松が根の君〔左△〕《ナガキ》心は忘〔左△〕《オモヒ》かねつも
神左備而巖爾生松根之君心者忘不得毛
 カムサビテは物フリテなり。上三句は序なり。君心は長心の誤にて忘は念の誤なら(2664)む。ナガキココロハオモヒカネツモとはユルリトシタ心ハ持タレズとなり。卷七に
  にはつ鳥かけのたり尾のみだれ尾の長き心もおもほえぬかも
とあり
 
3048 みかり爲《セス》雁羽の小野のなら柴のなれはまさらずこひこそまされ
御獵爲鴈羽之小野之櫟柴之奈禮波不益戀社益
 上三句は序なり。爲を從來スルとよめり。宜しくセスとよむべし○鴈羽ノ小野は地名とは思はるれどいづれの書にも見えねば鴈路小野の誤ならむと古義にいへり。げに然るべし。カリヂノ小野ははやく卷三(三四八頁)に見えたり〇四五はカク年月ヲ經レドモ飽キハマサラズシテ却リテ戀ヒマサルといへるなり
 
3049 櫻麻《サクラヲ》のをふのした草、早生者、妹が下紐|不解有申尾《トカザラマシヲ》
櫻麻之麻原乃下草早生者妹之下紐不解有申尾
 櫻麻はサクラヲとよむべし(二四四〇頁參照)○第三句には誤字あるべし。結句は略(2665)解の如くトカ〔右△〕ザラマシヲとよむべし。妹ガ下紐ヲ解カザラムといふ意なり
3050 春日野に淺茅しめゆひたえめやとわがもふ人はいや遠長に
春日野爾淺茅標結斷米也登吾念人者彌遠長爾
 初二は淺茅ニ標縄ヲ結ヒテソノ標縄ノ斷エザル如クといふ意にいひかけたる序なり。淺茅ニのニを略せるは古歌の常なり○タエメヤトは絶エムヤハ絶エジトとなり。結句はイヤ遠長ニ幸カレカシといふべきを略せるなり
 
3051 (あしひきの)山すがの根のねもころにわれはぞこふる君がすがた乎〔左△〕《ニ》
     或本歌曰わがもふ人を見むよしもがも
足檜之山菅根乃懃吾波曾戀流君之光儀乎
    或本歌曰吾念人乎將見因毛我母
 初二は序なり。乎は爾の誤ならむ。現に爾とある本あり
 
3052 (かきつばた)さき澤におふるすがの根のたゆとや君がみえぬこのごろ
垣津旗開澤生菅根之絶跡也君之不所見頃者
(2666) 上三句は序、サキ澤は佐紀澤なり。初句は枕辭のみ。はやく卷四(七五九頁)にヲミナベシサキ澤ニオフル花ガツミ又卷十(一九六〇頁)にヲミナベシサキ野ニオフルシラツツジとあり○タユトヤは絶エムトテヤなり
 
3053 (あしひきの)山すがの根のねもころにやまずおもはば妹にあはむかも
足檜木之山菅根之懃不止念者於妹將相可聞
 初二は序
 
3054 あひ念はずあるものをかも(すがの根の)ねもころごろにわが念へるらむ
相不念有物乎鴨菅根乃懃懇吾念有良武
 初句は相手ハ相念ハズなり。アルモノヲカモはアルモノヲ如何ナレバカとなり
 
3055 (山すげの)やまず而〔左△〕《モ》きみをおもへかもわがこころどのこのごろはなき
山菅之不止而公乎念可母吾心神之頃者名寸
 而は母などの誤ならむ。ココロドはタマシヒなり
 
(2667)3056 妹が門ゆきすぎかねて草むすぶ風ふきとくな又かへりみむ
     一云ただにあふまでに
妹門去過不得而草結風吹解勿又將顧
    一云直相麻※[氏/一]爾
 第三句のムスブといふ辭おちつかず。後世ならばムスビツなどいふべきなり。草を結ぶはその解けざる間は結びし人の身に事なしといふ俗信に基づきてものするなり(二三一三頁參照)○又カヘリミムは立歸リテ又見ムとなり○卷十一に
  妹が門ゆきすぎかねつ久方の雨もふらぬかそをよしにせむ
とあり。今は之とは異にて妹ガ門ヲスドホリシカネテといへるにあらず。遠國へ行きなどすとて妹が門を立去りかねたる趣なり
 
3057 淺茅原|茅生《チフ》に足ふみこころぐみわがもふ兒等が家のあたり見つ
    一云妹が家のあたり見つ
淺茅原茅生丹足蹈意具美吾念兒等之家當見津
(2668)    一云妹之家當見津
 茅生はやがてアサヂ原なり。重ね云へるは辭の文のみ。百千ドリ千ドリハクレドなどの類なり○いにしへ足フムといふ語ありて足ニテ何々ヲ蹈ムといふ意を何々ニ足フムといひしなり。卷十一にツルギダチ諸刃《モロハ》ノ利キニ足フミテ又卷十四にカリバネニ足フマシ牟奈《ナム》クツハケワガセとあり。日本紀にも
  なつぐさのあひねのはまのかきがひにあしふますな、あかしてとほれ
とあり○ココログミはジレッタサニなり(一五〇七頁及一七八二頁參照)。初二は直に此句にかゝれり。妹がり行かむとして淺茅原に蹈込みて行惱める趣なり。無論夜の事なり
 
3058 (うち日さす)宮にはあれど(つき草の)移情《ウツロフココロ》わがもはなくに
内日刺宮庭有跡鴨頭草乃移情吾思名國
 移情を從來ウツシゴコロとよめり。宜しくウツロフココロとよむべし。こは女の歌にて人交ハリノ多キ宮中ニハ居レドモ我ハアダナル心ハ持タヌ事ヨといへるなり
 
(2669)3059 百爾千爾人は雖言《イフトモ》(つき草の)移情《ウツロフココロ》吾《ワレ》もためやも
百爾千爾人者雖言月草之移情吾將持八方
 初句はカニカクニとよみてイロイロニと心得べし○雖言は舊訓の如くイフトモとよむべし(古義にはイヘドモとよめり)。初二の意は人ハイロイロニ云寄ルトモとなり。この移情は古義にはやくウツロフココロとよめり○前の歌にはウツロフ心ワガモハナクニといひ此歌にはウツロフ心ワレモタメヤモといへるを見ても余がはやく心ヲオモフは心ヲ持ツなりといへるが正しきを知るべし(卷七【一四七二頁】初出)○以上二首は一聯の歌ならむ
3060 わすれ草わが紐に△著《ツケム》、時となくおもひわたれば生跡《イケリト》もなし
萱草吾紐爾著時常無念度者生跡文奈思
 第二句を從來ワガヒモニツクとよみたり。宜しく著の上に將を補ひてツケムとよむべし。時トナクは斷エズなり。結句は例の如くイケリ〔右△〕トモナシとよむべし○卷三(四三七頁)に
(2670)  わすれぐさわが紐につくかぐ山のふりにし里を忘れぬがため
 卷四(七八八頁)に
  わすれ草わがした紐につけたれどしこのしこ草ことにしありけり
 下にも
  わすれぐさ垣もしみみにうゑたれどしこのしこ草猶戀爾家利
とあり。ワスレグサは即今のクワンザウなり。漢名を※[言+爰]草又萱草一名忘憂といふ。之を衣の紐に附け又は宿に植うれば能く憂を忌るといひ傳へしにてそは毛詩衛風
  焉《イヅクニ》得2※[言+爰]草1、言《ココニ》樹《ウヱム》2之|背《セドニ》1
といひ文選なる阮籍の詠懷詩に
  萱草|樹《ウウ》2蘭房1、膏沐爲v誰施
といひ、おなじく江淹の雜體詩に※[金+肖]v憂非2萱草1といひ、おなじく稽康の養生論に
  合歡|※[益+蜀]《ノゾキ》v忿、菅草忘v憂
といへるなどの傳はりしなり
 
(2671)3061 あかときの目ざまし草とこれをだに見つついまして吾|止〔左△〕《ヲ》しぬばせ
五更之目不醉草跡此乎谷見乍座而吾止偲爲
 シヌバセは偲ビ給ヘなり。止は乎の誤ならむ。物を贈るに添へたる歌なり。其物は何にか今知るべからず。此歌を寄草一類の歌の中に交へたるは妄なり。目ザマシ草の草は料といふことなればなり
 
3062 わすれ草垣もしみみにうゑたれどしこのしこぐさ猶戀爾家利
萱草垣毛繁森雖殖有鬼之志許草猶戀爾家利
 シミミニは茂クなり。シコノシコ草は萱草《ワスレグサ》を罵りていへるなり。なほ※[奚+隹]、霍公鳥を罵りてクタカケといひシコホトトギスといへるが如し。はやく卷四にも
  わすれ草わが下紐につけたれどしこのしこ草ことにしありけり
とあり。さて今も結句はコトニシアリケリとあらざるべからず。コトニシアリケリは名バカリヂヤといふことなリ。或は卷一なる
  ますらをや片戀せむとなげけどもしこのますらをなほこひにけり
(2672)よりまぎれたるにあらざるか
 
3063 淺茅原小野にしめ結《ユフ》空言《ムナゴト》もあはむときこせ戀のなぐさに
    或本歌曰こむと知〔左△〕志君をしまたむ。又見2柿本朝臣人麿歌集1。然落句少異耳
淺茅原小野爾標結空言毛將相跡令聞戀之名種爾
    或本歌曰將來知志君矣志將待又見姉本朝臣人麿歌集然落句少異耳
 結は舊訓に從ひてユフとよむべし(古義にはユヒとよめり)。初二は空言にかゝれる序なり。語例は卷十一に
  淺茅原小野にしめゆふむな言をいかにいひてかきみをば待たむ(二三〇五頁)
  淺茅原かりじめさし而《シ》むな事もよさえし君がことをしまたむ(二四八三頁)
とあり○空言は古義に從ひてムナゴトとよむべし。第三句以下の意はウソニモ逢ハウトノタマヘ、戀ノ和《ナゴ》ムベクとなり。ムナ言モはムナ言ニモなり
(2673) 或本の知志を宣長は言志《いひてし》の誤ならむと云へり。人麿歌集に見えたるは上に引ける
  イカニイヒテカキミヲバマタムといふ歌なり
 
3064 皆人〔二字左△〕《ヒトミナ》の笠にぬふちふ有間〔日が月〕菅ありて後にもあはむとぞもふ
皆人之笠爾縫云有間菅在而後爾毛相等曾念
 上三句は序なり。舊訓にヒトミナとよみたる上に諸本に人皆とあれば皆人は顛倒と認むべし。アリテはナガラヘテなり
 
3065 みよし野のあきつの小野にかる草《カヤ》のおもひ亂れてぬる夜しぞおほき
三吉野之蜻乃小野爾刈草之念亂而宿夜四曾多
 上三句は亂レテにかゝれる序なり
 
3066 妹待跡《イモマツト》、三笠の山の山菅のやまずやこひむ命しなずば
妹待跡三笠乃山之山菅之不止八將戀命不死者
 初句を略解には妹所服の誤としてイモガキルとよみ古義には妹我服の誤としてイモガケルとよめり。二三句のみを序とし初句より第四句につづけるものと認め(2674)てもあるべし
 
3067 谷せばみ峯|邊〔左△〕《マデ》はへる玉かづらはへてしあらば年に來ずとも
     一云いはづなのはへてしあらば
谷迫峯邊延有玉葛令蔓之有者年二不來友
    一云石葛令蔓之有者
 卷十一(二四九五頁)に山タカミ谷邊《タニベニ》ハヘル玉カヅラとあり。谷ベニといふべくば峯ベニともいふべきが如くなれど峯ベニはなほ穩ならず。伊勢物語に
  谷せばみ峯まではへる玉かづらたえむと人にわが思はなくに
とあり。古義にいへる如く今も峯迄の誤ならむか○上三句は序なり。ハヘテシアラバは契リテアラバなり。結句は一年中來ル事無クトモヨシとなり
 
3068 (水莖の)をかのくず葉をふきかへし面知《アヒミシ》兒らが見えぬころかも
水莖之崗乃田葛葉緒吹變面知兒等之不見比鴨
 上三句は序にて風ガといふことを略したりとおぼゆ○而知の事は上(二六四一頁)(2675)にいへり。變は反の通用なり
 
3069 赤駒のいゆきはばかるまくず原何のつて言ただにしえけむ
赤駒之射去羽許〔左△〕眞田葛原何傳言直將吉
 此歌は元來天智天皇紀に見えたる童謡なり。古風なる上に童謡なれば格に合せては釋きがたけれどタトヒ障ル事アリトモ直ニ言ヒテヨカラムヲイカデ人ヲシテ言ハシムルゾといふ意にて弘文天皇と御叔父天武天皇との御不和を憂ひたる者の作ならむ○許は計の誤ならむ。許はバカリには借るべくバカルには借るべからず
 
3070 (ゆふだたみ)たなかみ山のさなかづらありさりてしも今ならずとも
木綿疊田上山之狹名葛在去之毛不令〔左△〕有十方
 上三句は序なり。アリサリテシモは時ヲ經テモにて其下に逢ハムといふことを略せるなり○令は今の誤なり
 
3071 丹波《タニハ》ぢの大江の山の眞《サナ》玉〔□で囲む〕|葛《カヅラ》たえむの心わがもはなくに
(2676)丹波道之大江乃山之眞玉葛絶牟乃心我不思
 上三句は序なり。第三句を舊訓にサナカヅラとよめるを田中道麻呂マタマヅラとよみかへたれどマタマヅラは例なき上に一本に玉の字無ければ玉を衍字としてなほサナカヅラとよむべし○四五は絶エムトスル心ヲ我持タヌ事ヨとなり。卷十四にも
  たにせばみみねにはひたるたまかづらたえむのこころわがもはなくに
とあり
 
3072 大埼のありその渡〔左△〕《ナギサ》はふくずのゆくへもなくやこひわたりなむ
大埼之有礒乃渡延久受乃往方無哉戀渡南
 大崎は紀伊の地名なり。いにしへワタリといひしは皆渡津なり。さればアリソノ渡とある不審なり。宣長は第三句をコグ船ノの誤ならむといへれど誤は第二句にぞあらむ。即渡は瀲の誤ならむ。瀲をはふ葛は途窮まりてはひ行くべき方なければユクヘモナクの序としたるならむ〇こゝのユクヘは行クベキ方にてやがてセムスベなり(二四七一頁參照)
 
(2677)3073 (ゆふだたみ)白月〔二字左△〕《タナカミ》山のさなかづら後もかならずあはむとぞもふ
      或本謌曰たえむと妹をわがもはなくに
木綿※[果/衣]【一云疊】白月山之佐奈葛後毛必將相等曾念
     或本謌曰將絶跡妹乎吾念莫久爾
 眞淵は白月山を田上山の誤とせり。上三句は後モ逢ハムにかゝれる序なり
 
3074 (はねず色の)うつろひやすきこころ有者《ナレバ》年をぞきふることはたえずて
唐※[木+隷の旁]花色之移安情有者年乎曾寸經事者不絶而
 ハネズは今いふモクレンならむ(二五〇一頁參照)。有者はナレバとよむべし。下にも人ヅマナリトを人妻有跡と書けり。キフルはただ經ルといふに同じ。集中に來經とも經往ともいへり。結句は便ノミハ絶エズシテとなり。コトは便なり
 
3075 かくしてぞ人のしぬちふ藤浪乃ただ一目のみ見し人故に
如此爲而曾人之死云藤浪乃直一目耳見之人故爾
 藤浪乃はタダ一目ノミにかゝるべき由なし。古義にいへる如く玉蜻《タマカギル》の誤かと思へ(2678)どさらば寄2草木1歌のうちには交ふべからず
 
3076 すみのえの敷津の浦のなのりその名はのりてしをあはなくもあやし
住吉之敷津之浦乃名告藻之名者告而之乎不相毛恠
 上三句は序なり。女ガ我問ニ答ヘテソノ名ヲノリテシヲとなり
 
3077 みさごゐるありそにおふるなのりそのよし名は不〔左△〕告《ノラセ》おやはしるとも
三佐呉集荒礒爾生流勿謂藻乃吉名者不告父母者知鞆
 はやく卷三に
  みさごゐるいそみにおふるなのりその名はのらしてよ親はしるとも
  或本歌曰みさごゐるありそにおふるなのりそのよし名は告世おやはしるとも
とあり。古義に從ひて不告を令告の誤とすべし。四五は名ヲバノリ給ヘ、ヨシ親ハ知ルトモといふ意なり。略解はいたく誤解せり
 
3078 浪のむたなびく玉藻の片|念《モヒ》にわがもふ人|之〔左△〕《ヲ》言のしげけく
浪之共靡玉藻乃片念爾吾念人之言乃繁家口
(2679) ムタはマニマニなり。初二は序なり。片念は片依の誤にあらざるか。又人之は人乎の誤にて人ナルニといふことならむ。結句は人ノ口ノウルサキ事ヨとなり
 
3079 わたつみのおきつ玉藻のなびきねむはや來ませ君まてばくるしも
海若之奥津玉藻之靡將寢早來座君待者苦毛
 初二は序、ナビキは横タハリなり
 
3080 わたつみのおきにおひたるなはのりの名はかつてのらじこひはしぬとも
海若之奥爾生有繩乘乃名者曾不告戀者雖死
 上三句は序なり。カツテは更ニなり。決シテなり(一二二〇頁參照)。男ノ名ハ決シテ人ニ告ゲジとなり。結句はコヒシヌトモにハを挿めるなり
 
3081 玉の緒を片緒によりて緒をよわみ亂時〔左△〕爾《ミダルバカリニ》こひざらめやも
玉緒乎片緒爾※[手偏+差]而緒乎弱彌亂時爾不戀有目八方
 上三句は序にて三四の間〔日が月〕にソノ緒ガ絶エテ玉ガといふことを略せるなり〇時は(2680)おそらくは許の誤ならむ
 
3082 君にあはず久しくなりぬ(玉の緒の)長き命のをしけくもなし
君爾不相久成宿玉緒之長命之惜雲無
 ヲシケクは惜キ事なり
 
3083 こふること益今者《イマユマサラバ》たまのをのたえてみだれてしぬべくおもほゆ
戀事益今者玉緒之絶而亂而可死所念
 第二句を前註にマサレバ今ハ又はマサレル今ハとよめり。宜しく今ユマサラバとよむべし。又タマノヲノタエテの八言を枕辭とすべし。玉ノ緒ガ絶エテ玉ガ亂ルルヤウニとかゝれるなり
 
3084 あまをとめかづきとるちふ忘貝、代にもわすれじ妹がすがたは
海處女潜取云忘貝代二毛不忘妹之光儀者
 上三句は序なり。ワスレジにかゝれるなり。代ニモを前註に殊ニ、トリ別キテなど譯したれどこゝの代ニモは世ニモウレシなど形容詞につづけるとは異にて生涯と(2681)いふことなり。一代の間といふことをただ代ニといへるは一年中をただ年ニといへると同例なり
3085 朝影に吾身はなりぬ(玉蜻《タマカギル》)ほのかに見えていにし子故に
朝影爾吾身者成奴玉蜻髣髴所見而往之兒故爾
 はやく卷十一(二二六〇頁)に出でたり。アサ影ニは朝見ユル影ノ如ク細クといふことなり。古義に
  玉蜻は虫名にあらざる由余が考あり。撰者は蜻字を書るに依て虫名と心得てここにいれしか
といへり
 
3086 中々に人とあらずば桑子にもならましものを玉の緒ばかり
中中二人跡不在者桑子爾毛成益物乎玉之緒許
 コノ物思モナキ蠶ニモ成ラムモノヲとなり。卷六(一〇五二頁)に鵜ニシモアレヤ家モハザラムとよめるに似たり。蠶を思へるは女の歌なればなり。二註に『蠶は雌雄は(2682)なれぬものなれば云々』といへるはいみじきひが言なり。蠶に雌雄あらむや○玉ノ緒バカリはシバシといふことなり○卷三にも
  中々に人とあらずば酒壺になりてしがも酒にしみなむ
とあり
 
3087 (眞菅《マスガ》よし)宗我《ソガ》の河原になく千鳥間〔日が月〕なしわが背子わがこふらくは
眞菅吉宗我乃河原爾鳴千鳥間無吾背子吾戀者
 眞菅は推古天皇紀の御歌に摩蘇餓豫ソガノコラハとあればマスゲとよまでマスガとよむべし。ヨシはヨ、ヲなどに似たる助辭にて青土《アヲニ》ヨシ、麻裳ヨシなどのヨシなり○上三句は序なり○ソガ川はノトセ、ヒノクマ二川の合流なり
 
3088 戀〔左△〕《カラ》ごろもきならの山になく鳥の間〔日が月〕なく時なしわがこふらくは
戀衣著猶〔左△〕乃山爾鳴島之間無時無吾戀良苦者
 上三句は序、初六言は枕辭なり。奈良山は奈良の北方に靡けり。戀は古義に從ひて辛などの誤とすべし。猶は楢の誤なり
 
(2683)3089 (とほつ人)かりぢの池にすむ鳥の立毛居毛《タチニモヰニモ》、君をしぞもふ
遠津人獵道之池爾住鳥之立毛居毛君乎之曾念
 第四句を從來タチテモヰテモとよめり。宜しくタチニモヰニモとよむべし。ニに當る字を略せるは下にヘニモオキニモを邊毛奥毛と書けるに同じ。上三句は序
 
3090 葦邊ゆく鴨の羽音のおとのみにききつつもとなこひわたるかも
葦邊往鴨之羽音之聲耳聞管本名戀渡鴨
 初二は序なり。オトノミニはウハサニバカリなり
 
3091 鴨すらもおのがつまどちあさりしておくるる間〔日が月〕爾〔左△〕《マダニ》こふちふものを
鴨尚毛己之妻共求食爲而所遺間爾戀云物乎
 二三は夫婦相タグヒテといふことなるを鴨なればアサリシテといへるなり○間爾は間谷の誤ならむ。古義にトビタチ行トキと補譯せるは誤解なり。あさりする間〔日が月〕に片方の後るゝを云へるなり
 
3092 (しらまゆみ)斐太の細江の菅鳥の妹にこふれやいをねかねつる
(2684)白檀斐太乃細江之菅鳥乃妹爾戀哉寢宿金鶴
 菅鳥ノヤウニといへるなり。菅鳥はいかなる鳥にか知らず。山崎美成の海録にはヨシキリなりと云へり。斐太は飛騨なり。細江は宮川の支流なりしが今は埋もれたり
といふ
 
3093 しぬの上に來ゐてなく鳥めをやすみ人妻ゆゑにわれこひにけり
小竹之上爾來居而鳴鳥目乎安見人妻※[女+后]爾吾戀二來
 初二はメ(群)にかゝれる序なりと眞淵いへり。メヲヤスミはウルハシサニなり。人妻ユヱニは人妻ナルモノヲなり
 
3094 物もふといねずおきたるあさけにはわびてなくなりにはつとりさへ
物念常不宿起有且〔左△〕開者和傭※[氏/一]鳴成鶏左倍
 二三は寢ズシテ起キ居タル夜ノ旦ニハとなり。ワビテは勢ヨクのうらなり。庭鳥ノ聲サヘ力ヌケシタルヤウニ聞ユといへるならむ
 
3095 朝がらすはやくななきそわが背子があさけのすがた見者《ミナバ》かなしも
(2685)朝烏早勿鳴吾背子之旦開之容儀見者悲毛
 アサケノスガタは夜明ケテ歸行ク姿なり。上(二五四七頁)にも
  わがせこがあさけのすがたよく見すてけふのあひだをこひくらすかも
とあり○見者はミナバとよむべし。ミナバといはばカナシカラムといふべきを例の如く現在格にて受けたるなり。カサネバウトシなどと同格なり
 
3096 うませごしに麥はむ駒ののらゆれどなほしこふらくしぬび不勝烏〔左△〕《カネツツ》
※[木+巨]※[木+若]越爾麥咋駒乃雖詈猶戀久思不勝烏
 ウマセは馬塞《ウマサヘ》にて馬フセギなり。今も垣の一種をマセといふは此語のうつれるなり。初二は序なり。ノラユレドは罵ラルレドなり○不勝烏を二註に烏を例の如く焉の俗字としてカネツモとよめり。烏を乍の誤字としてカネツツとよむべきか。※[木+巨]は拒の誤か
 
3097 さひのくまひのくま河に駐馬《ウマトドメ》、馬に水かへわれよそに見む
左檜隈檜隈河爾駐馬馬爾水令飲吾外將見
(2686) サヒノクマは准枕辭なり。駐馬は古義に從ひてウマトドメとよむべし(略解にはコマトメテとよめり)。ヨソニは外ナガラなり。古今集なる大歌所の歌に
  ささのくまひのくまがはに駒とめてしばし水かへ影をだに見む
とあるは此歌を唱へかへたるなり。但ササノクマとあるはあやなし。ヒノクマにサといふ辭を添へて准枕辭としたるなればサヒノクマとあらではかなはざるなり
 
3098 おのれ故のらえてをれば※[馬+総の旁]馬《アヲウマ》の面高夫駄《オモダカブタ》にのりて來べしや
於能禮故所詈而居者※[馬+総の旁]馬之面高夫駄爾乘而應來哉
    右一首平群文屋朝臣益人傳云。昔聞紀皇女竊嫁2高安王1被v責之時|御2作《ツクラス》此歌1。但高安王左降任2之伊與國守1也
 紀皇女の御作にてオノレは汝といふにひとし。古今集誹諧歌にも
  あしひきの山田のそほづおのれさへ我をほしといふうれはしき事
とあり。己と汝とはいにしへ相通はしし例あり。たとへば神名の大己貴《オホナムチ》も己をナに當てたり(一七五〇頁參照)。さてオノレとは高安王を指し給へるにて親《シタシミ》のあまりに(2687)侮りのたまへるなり○ノラエテヲレバは叱ラレテ居ルニなり○※[馬+総の旁]馬はアヲウマとよむべし。從來アシゲウマとよめり○フタはフトウマ(肥馬)をつづめてフツマといふを更につづめたるにて佛足石歌にソナハレル、ノコセル、メヅラシをソダレル、ノケル、メダシといへると同例なり。抑語をつづむるにも程こそあれ、かく程を越えてつづめむはうべなひがたき事なれば當時も此等は雅言とは認められざりけむ。右の如くなればオモダカブタは面ヲ高ク擧ゲタル肥馬《フトウマ》なり○さて一首の趣は高安王が忍びても來べきをいとはえばえしくて來るを咎め給へるなり、先哲が此歌を誤解せるは左註に但高安王左降任之伊與國守也とあるに誤られたるなり。此十三字は無用の註文なり
 
3099 紫〔左△〕草《シバクサ》を草とわくわくふす鹿の野はことにして心は同じ
紫草乎草跡別別伏鹿之野者殊異爲而心者同
 紫草は中山嚴水の説に從ひて柴草の誤とすべし。柴草は芝草なり。草は薄なり。ワクワクは分ケツツなり。鹿は芝草の生ふる處を擇びて寢る習ありと見ゆ。以上三句はココロハ同ジにかゝれる序なり。臥ス鹿ノヤウニと心得べし〇四五はもと心ハ同(2688)ジ野ハコトニシテとありしを顛倒せるにや。野ハ殊異ニシテは我ト君ト處ヲバ異ニシテといふことを序なる鹿の縁にて野ハといへるならむ
 
3100 おもはぬをおもふといはば眞鳥すむ卯名手の杜の神ししらさむ
不想乎想常云者眞島住卯名手乃杜之神思將御知
 卷四に
  おもはぬを思ふといはば大野なる三笠の杜の神ししらさむ
  念はぬをおもふといはばあめつちの神もしらさむ邑禮左變
とあり。又卷七(一四一五頁)に眞鳥スムウナデノモリノ菅ノ根ヲとあり。マトリスムは准枕辭にてマトリは鷲なり○シラサムは知《シロ》シメシテ罰シ給ハムとなり。もし古義にいへる如く掌ラムの意ならば必或神をこそ指定すべけれ、卷四の後の歌の如くアノ?ツチノ神モとはいふべからず
 
  問答歌
(2689)3101 紫者〔左△〕灰さすものぞつば市の八十のちまたに相《アヘル》兒やたれ
紫者灰指物曾海石榴市之八十街爾相兒哉誰
 紫者は紫煮の誤なり。紫草の根にて衣を染むる時色のうつろはざらむ爲に海石榴《ツバキ》の灰をさす事なればツバ市の序に紫ニ灰サスモノゾといへるなり○相は舊訓に從ひてアヘルとよむべし(古義にはアヒシに改めたり)。うちつけに其女に問ひたるなり
 
3102 (たらちねの)母がよぶ名をまをさめど路|行《ユク》人をたれと知りてか
足千根乃母之召名乎雖白路行人乎孰跡知而可
     右二首
 行は古義に從ひてユクとよむべし(舊訓にはユキとよめり)。結句の次に申サムといふことを略せるにて所詮マヅ御名ヲキカセ給ヘといへるなり
 
3103 あはなくはしかもありなむ(玉づさの)使をだにもまちやかねてむ
不相然將有玉梓之使乎谷毛待八金手六
(2690) 初二は來リ逢ハヌ事ハ障ル事アリテナルベケレバ是非モナシといへるなり〇マチヤカネテムはマチカネテアラムヤハとなり
 
3104 あはむとは千たびおもへどありがよふ人眼をおほみこひつつぞをる
將相者千遍雖念蟻通人眼乎多戀乍衣居
     右二首
 アリガヨフはカヨフの反復又は持續を示す格なり
 
3105 人目おほみただにあはずてけだしくもわがこひしなば誰名將有裳《タガナナラムモ》
人目多直不相而蓋雲吾戀死者誰名將有裳
 ケダシクモはモシヒョットなり。結句は舊訓に從ひてタガ名ナラムモとよむべし。モは助辭にて卷十七なる
  いへにしてゆひてしひもをときさけずおもふこころを多禮賀思良牟母
と同格なり。宣長(玉緒七卷十四丁)がタガ名ニカアラモとよみ改めたるはわろし。さてタガ名ナラムモはタガ名立《ナダテ》ナラム、ソコノ名立ナラズヤといふ意なり
 
(2691)3106 相見まく欲爲者《ホシキタメニハ》、君よりも吾ぞまさりていぶかしみする
相見欲爲者從君毛吾曾益而伊布可思美爲也
     右二首
 第二句を略解にホシケクスレバとよみ古義に爲を有の誤としてホシケクアレバとよみたれど、まづホシクを延べてホシケクといふ事なし。ホシキタメニハとよむべきか○イブカシミスルは物ヲ思フといふに近し。下に將鬱悒をイブカシミセムとよめり
 
3107 (うつせみの)人目をしげみあはずして年の經ぬれば生跡《イケリト》もなし
空蝉之人目乎繁不相而年之經者生跡毛奈思
 
3108 (うつせみの)人目しげくば(ぬばたまの)よるのいめにをつぎて見えこそ
空蝉之人目繁者夜干玉之夜夢乎次而所見欲
     右二首
 ヲは助辭なり
 
(2692)3109 ねもころに憶吾妹《オモフワギモ》を人言のしげきによりてよどむころかも
慇懃憶吾妹乎人言之繁爾因而不通比日可聞
 妹ヲは妹ナルヲなり。古義にこの憶吾妹をも上(二五八六頁)なるウツクシト念吾妹ヲイメニ見テをも、ワガオモフイモの顛倒としたるはかたくなし。オモフの上の主格は略してもあるべきならずや
 
3110 人言のしげくしあらば君も吾もたえむといひてあひしものかも
人言之繁思有者君毛吾毛將絶常云而相之物鴨
     右二首
 君モ吾モを初句の上におきかへて心得べし。モノカモはモノカハなり
 
3111 すべもなき片戀をすとこのごろにわが死ぬべきはいめに見えきや
爲便毛無片戀乎爲登比日爾吾可死者夢所見哉
 
3112 いめに見て衣をとり服《キ》、よそふ間〔日が月〕に妹が使ぞさきだちにける
夢見而衣乎取服装束間爾妹之使曾先爾來
(2693)     右二首
 初二の間にトク妹ガリ行カムトといふことを補ひて聞くべし
 
3113 在有〔左△〕而《アリサリテ》後もあはむと言のみをかたく要《イヒ》つつあふとはなしに
在有而後毛將相登言耳乎堅要管相者無爾
 古義に上なる
  ゆふだたみたなかみ山のさなかづら在去之毛《アリサリテシモ》今ならずとも
といふ歌を引きて在有而はアリサリテとよむべしといへり。此訓よろし。但有は去の誤字ならむ。卷四(八三一頁)にも有去而今ナラズトモ君ガマニマニ又卷十七にも阿里佐利底ノチモアハムトオモヘコソとあり○要は眞淵のイヒとよめるに從ふべし。三首次にもアハジト要《イヒ》シコトモアラナクニとあり。さてイヒツツの下にスル事ヨなどいふ事を略せるなり
 
3114 極〔左△〕而《アリサリテ》、吾もあはむとおもへども人の言こそしげき君なれ
極而吾毛相登思友人之言社繁君爾有
(2694)     右二首
 極而は在去而の誤ならむ
 
3115 いきのをにわがいきづきし妹すらを人妻なりと聞者《キケバ》かなしも
氣緒爾言氣築之妹尚乎人妻有跡聞者悲毛
 イキノヲニイキヅクは命ニカケテ嘆キ思フといふことなり○スラは主格を強むる辭なり。聞者は舊訓の如くキケバとよむべし(略解にはキクハに改めたり)
 
3116 わが故にいたくなわびそ後つひにあはじといひしこともあらなくに
我故爾痛勿和備曾後遂不相登要之言毛不有爾
     右二首
 
3117 門たてて戸も閉《サシ》たるをいづくゆか妹が入來て夢に見えつる
門立而戸毛閉而有乎何處從鹿妹之入來而夢所見鶴
 門タテテは門ヲ閉ヂテなり。閉は契沖宣長のサシとよめるに從ふべし。サシタルは戸ジマリヲシタルなり
 
(2695)3118 門たてて戸は闔《サシ》たれど盗人の穿穴從《ウガテルアナユ》いりて所見牟〔左△〕《ミエシヲ》
門立而戸者雖闔盗人之穿穴從入而所見牟
     右二首
 穿穴從を略解にヱリタルアナユとよみ古義にヱレルアナヨリとよめり。宜しくウガテルアナユとよむべし○所見牟を古義に牟を乎の誤としてミエシヲとよめり。そのヲはゾにかよふヲなり
 
3119 明日よりはこひつつあらむこよひだにはやくよひよりひもとけ我妹
從明日者戀乍將在今夕弾速初夜從緩〔左△〕解我妹
 略解に
  旅立ん前夜なるべし。上のコヨヒは一夜の事、下のヨヒは字の如く初夜をいへり
といへる如し○緩は諸本に綏とあるに從ふべし「綏はヒモとも訓むべし。論語郷黨第十に升v車必正立執v綏《ヒモ》とあり
 
3120 今更にねめや我背子(荒田麻〔左△〕之《アラタヨノ》)ひと夜もおちずいめに見えこそ
(2696)今更將寢哉我背子荒田麻之全夜毛不落夢所見欲
     右二首
 上(二五四七頁)に新夜ノヒト夜モオチズ夢ニシ見ユルとあり。之によりて雅澄は麻を夜の誤とせり。元暦校本にも夜とあり。アラタ夜は立代り來る夜なり
 
3121 わがせこが使をまつと笠も著ずいでつつぞ見し雨のふらくに
吾勢子之使乎待跡笠不著出乍曾見之雨零爾
 はやく卷十一(二四三七頁)に見えたり。イデツツといへるは度々出づるなり。フラクニはフルニを延べたるなり
 
3122 心なき雨にもあるか人目もりともしき妹にけふだにあはむを
無心雨爾毛有鹿人目守乏妹爾今日谷相牟〔左△〕
     右二首
 人目モリは人目ナキヲ伺ヒテなり。トモシキ妹はユカシキ妹なり○牟は諸本に乎とあり
(2697)3123 ただ獨ぬれどねかねてしろたへの袖を笠に著、ぬれつつぞこし
直獨宿杼宿不得而白細袖乎笠爾著沾乍曾來
 
3124 雨もふり夜も更深△利《フケニケリ》いまさらに君|將行哉《イナメヤモ》、紐ときまけな
雨毛零夜毛更深利今更君將行哉紐解設名
     右二首
 深の下にげに氣などのおちたるならむ。第四句を舊訓にキミハユカメヤとよめるを古義に下に印南を將行と書けるを例としてキミイナメヤモとよめり。ヒモトキマケナは紐解設ケムにて相寢む設をせむとなり○男の來はせしかど故ありて徒に歸らむとするを引留めてよめるにや
 
3125 (ひさかたの)雨のふる日を我門に簑笠きずて來有《ケル》人やたれ
久堅乃雨零日乎我門爾蓑笠不蒙而來有人哉誰
 古義に蓑を字鏡に爾乃と見え方言にもニノといふ處ありといひてニノとよみたるは泥みたり。ニとミとは相通ふ例多かれどニが古くミが新しとは定まらず。又同(2698)書に字音のニとミとを一つに視たる義門の男信《ナマシナ》を見るに及ばずして云へるなれば深く咎むべからず○來有は古義に從ひてケルとよむべし。但ケルは來タルなり。來ケルにあらず
 
3126 まきむくのあなしの山に雲ゐつつ雨はふれどもぬれつつぞこし
纏向之痛足乃山爾雲居乍雨者雖零所沾乍烏來
     右二首
 耳にはさはらねどツツ二つあり
 
  覊旅發思
3127 わたらひの大河のへのわか歴木《ヒサギ》わが久在者《ヒサナラバ》、妹|戀《コヒム》かも
度會大河邊若歴木吾久在者妹戀鴨
 ワタラヒノ大河は宮川ならむ。歴木は眞淵に從ひてヒサギとよむべし。上三句は序なり。四五は古義に從ひてヒサナラバとよみコヒムとよむべし
 
(2699)3128 吾妹子をいめに見えことやまと路のわたり瀬ごとに手向《タムケ》吾爲《ワガスル》
吾妹子夢見來倭路度瀬別手向吾爲
 ワギモコヲのヲはヨなり。結句は略解の如くタムケワガスルとよむべし。古義にはゾを添へてタムケゾワガスルとよめり
 
3129 さくら花さきかもちると見るまでに誰《タレゾモ》ここに見えてちりゆく
櫻花開哉散及見誰此所見散行
 サキは見エテに當りチリはチリユクに當れるなり。古義に『集中にサキチリといふこと多ければサクラ花ノチルカと云意となれり』といへるは非なり○誰を二註にタレカモとよめるはわろし。タレゾモとよむべし○旅中にて故郷人に逢ひて(久米廣繩が越前の國府にて家持に逢ひしごとく)別るゝ時によめるにや
 
3130 豐くにのきくの濱松|心喪〔左△〕《ネモコロニ》なにしか妹に相之〔左△〕始《アヒイヒソメシ》
豐州聞濱松心喪何妹相之始
     右四首柿本朝臣人麿歌集出
(2700) 初二は序なり。キクは豐前の企救《キク》なり○心喪を略解に
  宣長は心喪の字は誤にてネモコロニとあるべき所なりといへり。春海云。喪は衷の誤か。字書に衷は誠也とあれば心衷を義もてネモコロとよむべし。といへり
といひ雅澄はココロイタクとよめり。ココロイタシといふ語は集中に是彼見えたれどこゝはココロイタクとよみては序よりつづかず。されば卷十一(二三二一頁)なる
  いその上にたてるむろのき心哀などかふかめておもひそめけむ
の心哀を心衷の誤としてネモコロニとよみし如く今も心衷の誤としてネモコロニとよむべし○結句は一本に相云〔右△〕始とあり。前註は之に從ひてアヒイヒソメケムとよめり。宜しくアヒイヒソメシとよむべし○妹といへるは豐國にて逢初めし女なり
 
3131 月かへて君をば見むと念鴨〔左△〕《オモヒツル》、日もかへずして戀の重《シゲケク》
月易而君乎婆見登念鴨日毛不易爲而戀之重
 第三句を從來オモヘカモとよめるは非なり。念鶴の誤としてオモヒツルとよみて(2701)思ヒツルヲと心得べし○重を略解にシゲケキとよみ古義にシゲケムとよめり。シゲケキといふ辭は無し。シゲケクとよみて繁カル事ヨの意とすべし○覊旅發思の歌なれば男の作なるべし。女を指しても君といへる例はあまたあり
 
3132 なゆきそとかへりも來やとかへりみにゆけど不歸《カヘラズ》道の長手を
莫去跡變毛來哉常顧爾雖往不歸道之長手矣
 不歸を舊訓にカヘラズとよめるを古義にユカレズに改めたるはわろし。道ノナガ手ヲはユケドにかゝれるにてカヘラズにかゝれるにあらず〇一首の意は我ヲ送リテ一タビ去リシ人ノナユキソト云ヒテ歸リモ來ヤト思ヒテカヘリ見ツツ道ノ長手ヲ行ケド其人ハ終ニ歸來ラズといへるなり
 
3133 たびにして妹をおもひでいちじろく人の知るべくなげきせむかも
去家而妹乎念出灼然人之應知歎將爲鴨
 カモはカハにあらず。毛は助辭のみ
 
3134 里さかり遠からなくに(草まくら)旅としもへばなほこひにけり
(2702)里離遠有莫國草枕旅登之思者尚戀來
 里サカリは故郷ヲ離レテなり。卷九なる
  ふる山ゆただに見わたすみやこにぞいをねずこふる遠からなくに
と相似たる所あり
 
3135 近かれば名のみもききてなぐさめつこよひゆ戀のいやまさりなむ
近有者名耳毛聞而名種目津今夜從戀乃益易南
 二三の間に逢フ事ハアラデモ、三四の間に今日旅立チヌレバといふことを挿みて聞くべし。名ノミモキキテは名ヲダニ聞キテなり
 
3136 たびにありてこふればくるしいつしかもみやこにゆきて君が目をみむ
客在而戀者辛苦何時毛京行而君之目乎將見
 
3137 遠かればすがたはみえず常のごと妹がゑまひはおもかげにして
遠有者光儀者不所見如常妹之咲者面影爲而
(2703) 二三の間に然モといふことを挿みて聞くべし。オモカゲニシテのシテは助辭にて其下に見ユを略せるにて常ノゴトはその見ユにかゝれるなり
 
3138 年もへず反來嘗跡《カヘリコナムト》、朝影〔左△〕爾《アサニケニ》まつらむ妹が面影にみゆ
年毛不歴反來嘗跡朝影爾將待妹之面影所見
 第二句は略解の如くカヘリコナムトとよむべし。歸來ヨカシトとなり。古義にカヘリキナメドとよめるは非なり○第三句は眞淵が影を異の誤としてアサニケニとよめるに從ふべし。アサニケニは毎日なり
 
3139 (玉桙の)道にいでたちわかれこし日より于念《オモヒニ》わする時なし
玉桙之道爾出立別來之日從于念忘時無
 于念を從來オモフニとよめり。宜しくオモヒニとよむべし。オモヒニは心ニなり○ワスル時といへるは例の如く連體格の代に終止格をつかひたるなり
 
3140 はしきやししかる戀にもありしかも君におくれてこひしくもへば
波之寸八師志賀在戀爾毛有之鴨君所遺而戀敷念者
(2704) 君ニオクレテといへるを思へば故郷に留まれる女の歌なり。されば嚴重にいはば覊旅發思歌中には入るべからず○ハシキヤシは二三句を隔てゝ君にかゝれるにや○コヒシクは戀シカル事ヲといふ意なり。卷十(二二一〇頁)にもコヒシクノケナガキ我ハミツツシヌバムとあり〇一首の意たしかにはさとりがたし。君ガ故郷ニアリシ間ハタダニクカラズノミオボエシガカク君ニオクレテ戀シカルヲ思ヘバシカ深キ戀ニモアリシカといふ意にや。アリシカモのモは助辭のみ
 
3141 (草枕)たびのかなしくあるなべに妹をあひ見て後こひむかも
草枕客之悲有苗爾妹乎相見而後將戀可聞
 カナシクアルナベニは妹ヲアヒ見テにかゝれるなり。旅ノ悲シキママニソヲ慰メムトテ女ヲアヒ見シガ其女ニ又後コヒムカといへるなり
 
3142 國とほみただにはあはずいめにだに吾にみえこそあはむ日までに
國遠直不相夢谷吾爾所見社相日左右二
 マデニはマデハと心得べし
 
(2705)3143 かくこひむものとしりせば吾妹兒にことどはましを今しくやしも
如是將戀物跡知者吾妹兒爾言問麻思乎今之悔毛
 第四句はヨク話ヲシテ來ベカリシヲとなり
 
3144 たびの夜の久しくなればさにづらふ紐|開《アケ》さけずこふるこのごろ
容〔左△〕夜之久成者左丹頬合紐開不離戀流比日
 サニヅラフ紐は赤紐にて衣の紐なり。開は古義の如くアケとよむべし。紐にアクルといへる例は卷十一(二二六七頁)に擧げたり。さて紐アケサケズは丸寐する事にて作者即男の上なり。略解にこれを故郷なる女の事とせるは誤解なり。久シクナレバはコフルコノゴロにかゝれるなり○容は客の誤なり
 
3145 吾妹兒しあをしぬぶらし(草まくら)旅の丸寢に下紐|解《トケヌ》
吾妹兒之阿乎偲良志草枕旅之丸寢爾下紐解
 さる俗信によりてよめるなり。解は舊訓の如くトケヌとよむべし(二註にはトケツとよめり)
 
(2706)3146 (草まくら)旅のころもの紐|解《トケヌ》、所念鴨《オモホユルカモ》、此年〔二字左△〕比者《イモニコノゴロ》
草枕旅之衣紐解所念鴨此年比者
 解は略解に從ひてトケヌとよむべし〇四五を二註にオモホセルカモコノトシゴロハとよめるは非なり。此年を妹爾の誤としてオモハユルカモイモニコノゴロとよみて此頃妹ニ偲バルルカといふ意とすべし
 
3147 (草まくら)たびの紐|解《トケヌ》、家の妹し吾之〔左△〕《ワヲ》まちかねてなげかすらしも
草枕客之紐解家之妹志吾之待不得而嘆良霜
 解はトケヌとよむべし(二註にトクとよめり)。之は二註にいへる如く乎の誤なり
 
3148 (玉くしろ)まきねし妹を月も經ずおきてやこえむこの山の岫〔左△〕《サキ》
玉釼〔左△〕卷寢志妹乎月毛不經置而八將越此山岫
 月毛經ズは逢始メテイマダ月モ經ズなり。岫は二註にいへる如く岬の誤なり
 
3149 (梓弓)末はしらねどうつくしみ君にたぐひて山ぢこえきぬ
梓弓末者不知杼愛美君爾副而山道越來奴
(2707) 任國に下る男に從ひ行く女のよめるならむ。末ハシラネドは末ニハ棄テラレムカ知ラネドとなり。ウツクシミはイトホシサニなり
 
3150 かすみたつ春長日《ハルノナガビ》をおくかなくしらぬ山路乎こひつつかこむ
霞立春長日乎奥香無不知山道乎戀乍可將來
 春長日を二註に卷一以下に長春日とありといひて長春日の顛倒とせり。秋ノ長夜と同例にて春ノ長日ともいひつべきにあらずや○オクカナクは上(二六五五頁)に見えたるオクカモ知ラズと同意ならむ。さらばアテモ知ラズとうつすべし○山道乎は山道ユとあらむ方まされり。第二句の乎と重なりていたく耳にさはればなり。或は誤字ならむ○コヒツツカコムは妹ニコヒツツ行カムカにて此歌は獨任國に下る男のよめるなり
 
3151 よそのみに君をあひ見て(ゆふだたみ)手向の山をあすかこえ將去《イナム》
外耳君乎相見而木綿牒手向乃山乎明日香越將去
 ヨソノミニはヨソナガラノミなり。タムケノ山は奈良と山城との界の峠なり。將去は古義に從ひてイナムとよむべし(略解にはナムとよめり)○眞淵は之を父に伴ひ(2708)て縣に下らむとする女の歌とせり。げに女の歌ならむ方おもしろし
 
3152 (玉勝間)安倍島山のゆふ露〔左△〕《ギリ》に旅宿得爲也《タビネエセメヤ》ながき此夜を
玉勝間安倍島山之暮露爾旅宿得爲也長此夜乎
 第四句は古義に從ひてタビネエセメヤとよむべし。二註に卷十一なるオモワスレダニモ得爲也トを例に引きたれど彼は不爲也の誤としてセズヤとよむべき事彼卷(二三七八頁)にいへる如し○露は霧の誤ならむ
 
3153 み雪ふる越の大山ゆきすぎていづれの日にか我里をみむ
三豐零越乃大山行過而何日可我里乎將見
 越より歸り上る人のよめるなり。越ノオホ山は越前(後の加賀)の白山か。ユキスギヌといはでユキスギテ云々といへるを見ればいまだ其山をば過ぎぬなり。ワガ里はワガ故郷にて即京なり
 
3154 いでわが駒はやくゆきこそ(まつち山)まつらむ妹をゆきてはや見む
乞吾駒早去欲亦打山將待妹乎去而速見牟
(2709) このイデはドウゾなり。ユキコソは行ケカシなり。紀伊より歸り上る人の作なり
3155 あしき山こぬれことごとあすよりはなびきたりこそ妹があたり見む
惡木山木末悉明日從者靡有社妹之當將見
 ナビキタリコソは靡キテアレカシなり。妹ガアタリは故郷の方なり。其國に著きし日によめるなり
 
3156 鈴鹿河八十瀬わたりてたが故か夜ごえにこえむ妻もあらなくに
鈴鹿河八十瀬渡而誰故加夜越爾將越妻毛不在君
 略解に
  此川同じ山河をあなたこなたといく度も渡ればかくいへり。旅なる程家の妻の身まかりし後に歸るとてよめるか
といへる如し
 
3157 吾妹兒に又もあふみのやすの河やすいもねずにこひわたるかも
吾妹兒爾又毛相海之安河安寢毛不宿爾戀渡鴨
(2710) 上三句は序なり。初二は吾妹兒ニ又モアフを近江にいひかけたるなり。即ワギモコニ又モの八言は近江にかゝれる序のみ。略解に『妹に別て旅に在て又もあはばやといふをこめたり』といへるは序なることを忘れたるなり
 
3158 たびにありて物をぞおもふ(しら浪の)へにもおきにもよるとはなしに
客爾有而物乎曾念白浪乃邊毛奥毛依者無爾
 四五は邊ニ寄ルトモ無ク沖ニ寄ルトモ無クテといへるにて思案の定まらざるを云へるか
3159 みなと轉《ミ》にみちくるしほのいやましにこひはまされど忘らえぬかも
湖轉爾滿來塩能彌益二戀者雖剰不所忘鴨
 初二は序なり。古義に
  湖轉はミナトミと訓べし。三卷にも石轉《イソミ》とあり。轉は囘とかかむが如し
といへり(四五三頁參照)○コヒハマサレドはコヒマサレドにハを挿めるなり
 
3160 おきつ浪邊浪の來よるさだの浦の此さだすぎて後こひむかも
(2711)奥浪邊浪之來依貞浦乃此左太過而後將戀鴨
 はやく卷十一(二四六七頁)に出でたり。サダは雅澄のいへる如く時といふことなり
 
3161 (ありちがた)ありなぐさめてゆかめども家なる妹いいぶかしみせむ
在千方在名草目而行目友家有妹伊將欝悒
 初句は行手の地名を以て枕とせるなり。上にマツチ山マツラム妹ヲユキテハヤ見ムといへるに似たり○アリナグサメテは慰メツツなり。妹イのイは一種の助辭なり。イブカシミセムは物思セムとなり
 
3162 (みをつくし)心つくしておもへかもここにももとないめにし見ゆる
水咫〔左△〕衝石心盡而念鴨此間毛本名夢西所見
 ミヲツクシは水路標なり。ツはノにかよふ助辭なり。略解に『水の深淺をはかる杭なり』といへるはをさなし。さてこのミヲツクシは契沖のいへる如く難波なるを見てよめるならむ〇二三の主格は妹なり。ココニモといへるは故郷なる妻より夢ニ見ユといふ意の歌をよみておこせたるに對していへるならむ○咫は誤字とおぼゆ
 
(2712)3163 わぎもこにふるとはなしにありそ回《ミ》にわがころもではぬれにけるかも
吾妹兒爾觸者無二荒磯回爾吾衣手者所沾可母
 アリソ回ニの下に觸レテを補ひて心得べし
 
3164 室の浦のせとの崎なる鳴島の礒こす浪にぬれにけるかも
室之浦之湍門之崎有鳴島之礒越浪爾所沾可聞
 鳴島を舊訓にナキシマとよみ二註にナルシマとよめり。其名今は殘らざればいづれとも定めがたし。播磨の古き地誌にナキシマとあれど、そは本書の舊訓によりて書けるなれば證とはしがたし
 
3165 (ほととぎす)とばたの浦にしく浪の屡《シクシク》君を見むよしもがも
霍公鳥飛幡之浦爾敷浪之屡君乎將見因毛鴨
 上三句は序なり。トバタノ浦は筑前にあり。シクは頻ルなり○屡はシクシクとよむべし
(2713)3166 吾妹兒をよそのみや見むこしのうみのこがたのうみの島ならなくに
吾妹兒乎外耳哉將見越懈乃子難懈乃島楢名君
 ヨソノミヤは外ナガラニノミヤなり。この吾妹兒に旅中にて見し女なり
 
3167 浪間從《ナミノマユ》雲ゐにみゆる粟島のあはぬものゆゑ吾《ワ》に所依《ヨレル》子ら
浪問從雲位爾見粟島之不相物故吾爾所依兒等
 初句は古義に從ひてナミノマユとよむべし。クモヰニは遙ニなり。上三句は序なり○所依を二註にヨスルとよめり。宜しくヨレルとよむべし。マダ逢ハヌモノカラ我ニ心ヲ寄セタリとなり
 
3168 (ころもでの)眞若の浦のまなごづちまなく時なしわがこふらくは
衣袖之眞若之浦之愛子地間無時無吾戀钁
 初句はいかにかゝれる枕辭にか知るべからず。兩袖を眞袖といへば眞の一言にかかれるかともいへり。マナゴヅチは砂地なり。はやく卷七(一四五七頁)にトヨ國ノキクノ濱邊ノマナゴヅチとあり。上三句は序なり〇古義の歌釋はいたく誤れり
 
(2714)3169 能登の海につりするあまのいざり火の光に伊往《イユク》、月まちがてり
能登海爾釣爲海部之射去火之光爾伊往月待香光
 伊往を略解にイユクとよめるを古義には舊訓に從ひてイマセとよめり。人に對して云はむとならば月出デテ後ニ行ケとこそいふべけれ。されば略解の訓に從ふべし
 
3170 しかのあまの釣にともせるいざり火のほのかに妹をみむよしもがも
思香乃白水郎乃釣爲〔左△〕燭有射去火之髣髴妹乎將見因毛欲得
 シカは筑前の志珂なり。上三句は序○爲は爾の誤か
 
3171 難波がたこぎ出《ヅル》船のはろばろにわかれ來ぬれど忘れかねつも
難波方水手出船之遙遙別來禮杼忘金津毛
 水手出を二註にコギデシとよめり。宜しくコギヅルとよむべし。その船は己が船にあらず。作者は陸上にありて人の船を漕ぎ出づるを見てやがてそを序につかへるなり
 
(2715)3172 浦|囘《ミ》こぐ能〔左△〕野舟附〔左△〕《クマヌノフネノ》めづらしくかけて思はぬ月も日もなし
浦囘※[手偏+旁]能野舟附目頬志久懸不思月毛日毛無
 能は熊の誤なる事明なり。熊野舟は卷六にトモシカモヤマトヘノボル眞熊野の船(一〇五四頁)また眞熊野ノ小船ニノリテオキベコグミユ(一一四七頁)とありて熊野式の船なり〇二註に一本によりて附を泊の誤として第二句をクマヌフネハテとよめり。附はおそらくは能などの誤ならむ〇三四は心ニカケテメデタク思ハヌとなり
 
3173 まつら舟|亂《マガフ》ほり江のみをはやみかぢとる間なくおもほゆるかも
松浦舟亂穿江之水尾早※[楫+戈]取間無所念鴨
 カヂトルまでが序なり。くはしくいはば梶取ル間ナキ如ク問ナクとかゝれる序なり○マツラ舟も松浦形の船なり。はやく卷七(一二六九頁)に
  さよふけてほり江こぐなるまつら船梶のと高しみをはやみかも
とあり。熊野形松浦形の船を熊野船松浦船と云へると同例なるは續日本後紀なる(2716)新羅船なり。即同書に
  承和六年秋七月丙申令3太宰府造2新羅船1。以3能堪2風波1也
  同七年九月丁亥対馬島司言。……傳聞新羅船能凌v波行。望請新羅船六隻之中分2給一隻1。聴v之
とあり○亂を略解にサワグとよみ古義にミダルとよめりリ。卷三にもミダレイヅ見ユアマノツリ船とあれば古義の訓よろしきに似たれどミダルは後世のミダスなれば船の亂るゝさまならばミダルルといはざるべからず(強ひていはば連體格にてミダルルといふべきを終止格にていへるなりともいふべけれど)。よりて思ふに亂はマガフとよむべきにあらざるか。マガフは混亂することなり。集中にもチリノマガヒなどよめり。ともかくも初二はあまたの松浦船の難波堀江を亂れ泝るさまをうつせるなり
 
3174 いざりするあまの※[楫+戈]音《カヂノト》ゆくらかに妹が心にのりにけるかも
射去爲海部之※[楫+戈]音湯鞍干妹心乘來鴨
 初二は序なり。※[楫+戈]音は古義に從ひてカヂノトとよむべし。ユクラカニはユラユラト(2717)なり。第四句は妹ガ我心ニなり。形ある物の乘るになぞらへてユクラカニといへるなり
 
3175 わかの浦に袖さへぬれて忘貝ひりへど妹は忘らえなくに
     或本歌末句云わすれかねつも
若乃浦爾袖左倍沾而忘貝拾跡妹者不所忘爾
    或本歌末句云忘可禰都母
 
3176 (草まくら)たびにしをれば(かりごもの)みだれて妹にこひぬ日はなし
草枕覊西居者苅薦之擾妹爾不戀日者無
 
3177 しかのあまの礒にかりほすなのりその名はのりてしを如何《ナニゾ》あひがたき
然海部之礒爾苅干名告藻之名者告手師乎如何相難寸
 上三句は序なり。如何を二註にイカデとよめるはわろし。古き書にイカデといへる(2718)例なければなり。宜しくナニゾなどよむべし(卷十四にも奈仁曾コノコノココダカナシキとあり)○上なる
  すみのえのしき津のうらのなのりその名はのりてしをあはなくもあやし
と相似たり
 
3178 國とほみおもひなわびそ風のむた雲のゆくなす言はかよはむ
國遠見念勿和備曾風之共雲之行如言者將通
 この國は故郷にあらず。作者の居る國なり。旅先より故郷の妻にいひやれるなり○ムタはマニマニなり
 
3179 とまりにし人を念爾〔左△〕《ヒトヲオモハク》あきつ野にゐるしら雲のやむ時もなし
留西人乎念爾※[虫+廷]野居白雲止時無
 三四は序なり。念爾は念久の誤か。さらばオモハクとよみてオモフヤウハと心得べし
 
(2719)  悲別歌
3180 うらもなくいにし君ゆゑあさなさなもとなぞこふるあふとは無杼〔左△〕《ナシニ》
浦毛無去之君故朝且〔左△〕本名烏戀相跡者無杼
 ウラモナクは心モナクなり。無心ニテなり。何トモ思ハズなり。上(二六一五頁)にもウラモナクアルラム兒ユヱコヒワタルカモとあり○無杼は宣長の説に從ひて無荷の誤とすべし○此部類の歌の中には別るゝを悲めると別れたるを悲めるとあり。此歌などは後者に屬せり
 
3181 しろたへの君が下紐吾さへに今日むすびてなあはむ日のため
白細之君之下紐吾左倍爾今日結而名將相日之爲
 こは男の歌にて吾サヘニは吾サヘ手ヲ添ヘテといへるなり
 
3182 しろたへの袖のわかれはをしけどもおもひ亂れてゆるしつるかも
白妙之袖之別者雖惜思亂而赦鶴鴨
 ソデノワカレは分袖を自動詞にうつせるなり。ヲシケドモは惜カレドモなり。オモ(2720)ヒ亂レテはイカニセムカト思亂レテ逐ニとなり。ユルスはハナツなり。古義に『こゝはゆるべはなつは本意にはあらねども思ひ亂れし紛れに得留めあへずてゆるしつる謂なり』といへるは少し當らず。もしさる意ならば第三句はヲシカルヲといはざるべからず
 
3183 みやこ邊《ヘニ》、君はいにしをたれとけかわが紐の緒乃ゆふ手|懈毛《タユキモ》
京師邊君者去之乎孰解可言紐緒乃結手懈毛
 邊は古義に從ひてヘニとよむべし(略解にはヘヘとよめり)〇四五を略解にワガヒモノヲノユフ手タユシ〔右△〕モとよめるを古義にワガヒモノヲノユフ手タユキ〔右△〕モとよみ改めて『タユキモとよまざれば第弟三句のカの疑詞に結とゝのはず』といへり。ワガヒモノヲ乃の下にシバシバ解ケテといふことを補ひ聞くべきか。但この乃はおちつかず○卷十一(二二七〇頁)にも
  君にこひうらぶれをればあやしくも我裏紐結手たゆしも
とあり。參照すべし
 
3184 (草まくら)たびゆく君を人目おほみ袖ふらずしてあまたくやしも
(2721)草枕客去君乎人目多袖不振爲而安萬田悔毛
 君ヲは君ナルニなり。アマタはココダに同じくて俗語のタイサウに當れり
 
3185 まそかがみ手にとりもちて見れどあかぬ君におくれて生跡《イケリト》もなし
白銅鏡手二取持而見常不足君爾折贈而生跡文無
 初二は見にかゝれる序なり
 
3186 (くもり夜の)たどきも不知《シラヌ》山こえています君をばいつとか待たむ
陰夜之田時毛不知山越而往座君乎者何時將待
 不知は略解に從ひてシラヌとよむべし(古義にはシラズとよめり)。タドキは案内なり。イマスは行キ給フなり
 
3187 (たたなづく)青垣山の隔者《ヘダタラバ・ヘナリナバ》しましま君乎〔左△〕《ニ》ことどはじかも
田立名付青垣山之隔者數君乎言不問可聞
 青垣山は垣の如く周れる山たり。はやく卷一(六七頁)に見えたり○隔者を略解にヘダタラバとよめるを古義にヘナリナバに改めたり。卷四に山河モ隔莫國《ヘダタラナクニ》(七〇八貢)(2722)とあり又ヒトヘ山|重成物乎《ヘナレルモノヲ》(八一六頁)とあればいづれともよむべし○第四句の乎は爾の誤ならむ。コトドハジカモは物言ハザラムカなり
 
3188 朝がすみたなびく山をこえていなば吾はこひむなあはむ日までに
朝霞蒙山乎越而去者吾波將戀奈至于相日
 卷四(六七五頁)に
  大船のおもひたのみし君がいなばわれはこひむなただにあふまでに
 卷九(一八〇四頁)に
  あすよりは吾はこひむななほり山いはふみならし君がこえいなば
などあり○至于の二字をマデニに充てたるなり
 
3189 (あしひきの)山は百重にかくすとも妹はわすれじただにあふまでに
    一云かくせども君を念苦《シヌバク》やむ時もなし
足檜乃山者百重雖隱妹者不忘直相左右二
     一云雖隱君乎思苦止時毛無
(2723) 妹ハは妹ヲバなり
 
3190 雲居なる海山こえて伊往《イユキ》なば吾はこひむな後はあひぬとも
雲居有海山越而伊往名者吾者將戀名後者相宿友
 伊往を二註にイマシとよめり。宜しくイユクとよむべし。上にもイザリ火ノ光ニ伊往《イユク》月マチガテリとあり
 
3191 よしゑやしこひじと爲〔左△〕杼《モヘド》ゆふま山こえにしきみがおもほゆらくに
不欲惠八跡〔左△〕不戀登爲杼木綿間山越去之公之所念良國
 爲は念の誤か。オモホユラクニはシノバルル事ヨとなリ○古義に
  略解に『キミガはキミヲと云べきをかくいふは例なり』といへるはいみじきひが言なり。オモホユルは思ハルルと云にあたれば君ヲ思ハルルとつづくべからず。必君ガならではつづかず
といへる如し○跡は諸本に師とあり
 
3192 (草陰の)あらゐの崎の笠島を見つつか君が山ぢこゆらむ
(2724)     一云み坂こゆらむ
草陰之荒藺之崎乃笠島乎見乍可君之山道越良無
    一云三坂越良牟
 初句はアラヰのアにかゝれる枕辭なり。卷十四にもクサカゲノ安努努ユカムトハリシミチとあり。アラヰノ崎の所在は知られず○卷九に
  山しなのいは田の小野のははそ原見つつや君が山ぢこゆらむ
とあり
 
3193 (玉がつま)島熊山のゆふぐれにひとりか君が山ぢこゆらむ
     一云ゆふぎりに長戀しつついねがてぬかも
玉勝間島熊山之夕晩獨可君之山道將越
     一云暮霧爾長戀爲乍寢不勝可母
 長戀は卷五(九三五頁)に
  おくれゐて那我古飛せずばみそのふのうめのはなにもならましものを
(2725)とあり。心得がたき語なり
 
3194 いきのをにわがもふ君は(とりがなく)あづまの坂をけふかこゆらむ
氣緒爾吾念君者鶏鳴東方坂乎今日可越覧
 アヅマノ坂は碓日にや
 
3195 磐城山ただごえ來ませいそ崎のこぬみの濱にわれたちまたむ
磐城山直越來益礒崎許奴美乃濱爾吾立將待
 イハキ山は薩※[土+垂]峠の古名なりといふ。タダゴエ來はまはり道をせずに越え來るなり。さてこゝの來マセは歸來マセなり○駿河國風土記(續歌林良材所引)に此歌を其國の女神の作とせり
 
3196 かすが野の淺茅が原におくれゐて時ぞともなしわがこふらくは
春日野之淺茅之原爾後居而時其友無吾戀良苦者
 時ゾトモナシはいつが時とも無きにて畢竟止む時も無きなり。古義に夫(ノ)君ノ旅ニ出ル時ニ春日野ノ淺茅ガ原マデ送リ行シニ云々といへるは非なり。淺茅が原は其(2726)家のあたりの状なり
 
3197 住吉《スミノエ》のきしにむかへる淡路島あはれと君をいはぬ日はなし
住吉乃崖爾向有淡路島阿〔左△〕怜登君乎不言日者無
 上三句は序なり。古義に『此作者攝津の女にてやがて打見たる處をいひ出たるなるべし』といへる如し。アハレはこゝにてはコヒシなり○阿は※[立心偏+可]の誤なり
 
3198 あすよりは將行《イナム》の河のいでいなばとまれる吾はこひつつやあらむ
明日從者將行乃河之出去者留吾者戀乍也將有
 二註に將行をイナミとよみたれどイナムとよむべし。印南《イナミ》をなまりてイナムともいひしかば將行の字を充てたるなり。さてイナミノ河ノはイデイナバのイナバにかゝれる序なり。印南川は今の加古川なり。加古川はいにしへの印南野を流るる大川なり○アスヨリハはコヒツツヤアラムにつづけて心得べし
 
3199 (わたのそこ)おきはかしこしいそ回《ミ》よりこぎたみ往爲《ユカセ》、月はへぬとも
海之底奥者恐礒囘從水手運往爲月者雖經過
(2727) オキハカシコシは沖ハ浪荒ケレバオソロシとなり。イソミヨリは海岸ニ沿ヒテなり。コギタミは漕ぎ廻リなり。往爲を從來イマセとよめり。字のまゝにユカセとよみて可なり
 
3200 けひの浦によするしら浪しくしくに妹がすがたはおもほゆるかも
飼飯乃浦爾依流白浪敷布二妹之容儀者所念香毛
 ケヒノ浦は即敦賀なり。シクシクニはシバシバなり。オモホユルカモはシノバルルカナなり
 
3201 (ときつ風)ふけひの濱にいでゐつつあがふいのちは妹が爲こそ
時風吹飯乃濱爾出居乍贖命者妹之爲社
 海邊に出でて祓する趣なり。四五は神ニ贖物《アガモノ》ヲ奉リテ命ヲ贖《アガ》フハ妹ガ爲ニコソとなり。卷十一(二二六五頁)にも
  玉《タマキヨキ》久世清河原《クセノカハラ》にみそぎしていのる命も妹が爲こそ
とあり
 
(2728)3202 にぎ田津にふなのりせむと聞之苗〔左△〕《キコエシヲ》なにぞも君がみえこざるらむ
柔田津爾舟乘將爲跡聞之苗如何毛君之所見不來將有
 第三句を二註にキキシナベ(又はキキシナヘ)とよめり。さて二註に家人のよめる歌としたれどさらば聞之苗の下にかならずワガ待ツニといふ辭無かるべからず。又第二句も寧フナノリシツトとあるべし。案ずるに聞之苗は聞之乎の誤にてキコエシヲとよむべきか。さてこは旅だつ人のよめるにて柔田津ヨリ乘船セムト告遣リシヲ何故君ガ見送ニ見エ來ザルラムといへるならむ。キコエは結句にミエを所見と書ける例によらば所聞と書くべけれど集中には聞とのみ書ける例もあり。たとへば卷八(一六二四頁)にオモフココロハ聞來奴鴨《キコエコヌカモ》、卷九(一六八九頁)にヤマトニハ聞往歟《キコエモユクカ》などあり
 
3203 みさごゐる渚《ス》に居《ヰル》舟のこぎでなばうらごひしけむ後はあひぬとも
三沙呉居渚爾居舟之※[手偏+旁]出去者裏戀監後者會宿友
 初二は卷十一(二五三〇頁)にも見えたり。スニヰルは洲ニ乘上ゲタルなり。ウラゴヒ(2729)シは心ニコヒシにてケムはカラムなり。上(二七二三頁)にも吾ハコヒムナ後ハアヒヌトモとあり
 
3204 (玉かづら)たえず行核《ユカサネ》(山菅の)おもひみだれてこひつつまたむ
玉葛無怠行核山菅乃思亂而戀乍將待
 ユカサネは上にユカセとあるに同じ(古義にはイマサネとよめり)。さてタエズユカサネは略解に『滞る事なく行てとく歸れといふ意なり』といへる如し
 
3205 おくれゐてこひつつあらずばたごの浦のあまならましをたま藻かるかる
後居而戀乍不有者田籠之浦乃海部有申尾珠藻苅苅
 アラズバはアラムヨリハといふ意なり。はやく卷十一(二四七三頁)に
  中々に君にこひずばひらの浦のあまならましを玉藻かりつつ、或本歌曰中々に君にこひずば留鳥浦のあまならましを珠藻かるかるとあり○カルカルは苅リツツなり。結句は玉藻ヲ苅リツツ君ニ伴ハムといへるに(2730)や。卷十一なるは玉藻ヲ苅リツツ思フ事ナクテ世ヲ渡ラムといへるなり
 
3206 筑紫ぢのありその玉藻かるとかも君は久しく待つに不來《キタラヌ》
筑紫道之荒礒乃玉藻苅鴨君久待不來
 ツクシヂは常には筑紫へ行く道をいへどこゝは筑紫より歸る道をいへるなり。なほ卷十七に家持が越中國にて奈良より來る使をアヲニヨシ奈良ヂキカヨフとよめる如し○不來を略解にキマサヌとよみ古義にキマサズ〔右△〕とよめり。キタラヌ又はキマサヌとよむべし
 
3207 (あらたまの)年の緒ながく(てる月の)不厭君八《アカザルキミヤ》あすわかれなむ
荒玉乃年緒永照月不厭君八明日別南
 第四句を二註にアカヌ君ニヤとよめり。宜しくアカザル君ヤとよむべし〇年ノ緒ナガクはアカザル君ヤにかゝれるなり。古義にアスワカレナムにかゝれりとせるは非なり
 
3208 久ならむ君をおもふに(ひさかたの)きよきつく夜も闇夜耳見《ヤミトノミミユ》
(2731)久將在君念爾久堅乃清月夜毛闇夜耳見
 久ナラムは久シク歸ラザラムなり。結句を略解にヤミニノミミユとよみ古義にヤミノミニミユとよめり。ヤミトノミミユ又はヤミニノミミユとよむべし
 
3209 かすがなる三笠の山にゐる雲をいでみるごとに君をしぞもふ
春日在三笠乃山爾居雲乎出見毎君乎之曾念
 何故に雲を見て夫を思ふにか作者の意は知るべからず
 
3210 (あしひきの)片山きぎしたちゆかむ君におくれてうつしけめやも
足檜木乃片山雉立往牟君爾後而打四鶏目八方
 初二は序なり。ウツシケメヤモはウツシカラムヤハにてウツシは正氣ナルなり。オソラクハ心ヲ喪ハムといへるなり
 
  問答歌
 代匠記に『此は悲別問答にて上の問答とは別なるを目録に合せたるは誤なり』といへり
(2732)3211 (たまのをの)うつしごころや八十梶《ヤソカ》かけこぎでむ船におくれてをらむ
玉緒乃徙心哉八十楫懸水子出牟船爾後而將居
 タマノヲノは枕辭なり。卷十一(二五〇四頁)にもタマノヲノウツシゴコロヤ云々とあり。ウツシゴコロヤは正氣ニテヤハなり〇八十梶をヤソカとよまむは言足らぬやうなれど卷二十に夜蘇加ヌキと假字書にせる例あり
 
3212 やそかかけ島がくりなば吾妹兒が留登《トマレト》ふらむ袖みえじかも
八十楫懸島隱去者吾妹兒之留登將振袖不所見可聞
     右二首
 島ガクリナバは島ニ隱レナバにてやがて島陰ニナリナバなり○留登は舊訓に從ひてトマレトとよむべし。古義にトドムトに改めたるはわろし。袖ミエジカモは袖ガ見エザラムカなり。上(二七二一頁)にもコトドハジカモとあり(2733)結句は又ハ宿ヲ借リタラムカとなり
 
3213 かみな月しぐれの雨にぬれつつや君がゆくらむ宿かかるらむ
十月鍾禮乃雨丹沾乍哉君之行疑宿可借疑
(2733) 結句は又ハ宿ヲ借リタラムカとなり
 
3214 かみな月雨之〔二字□で囲む〕|間〔日が月〕毛不置《マモオカズ》△△《アメノ》ふりにせばたが里の間〔日が月〕宿可〔二字左△〕《マカヤドハ》からまし
十月雨之間毛不置零爾西者誰里之間宿可借益
     右二首
 卷八に
  うの花のすぎばをしみかほととぎす雨間〔日が月〕毛不置こゆなきわたる
  ひさかたの南雨間〔日が月〕毛不置くもがくりなきぞゆくなるわさ田かりがね
とあり。之によりて二註に第二句の之の字を衍字としてアママモオカズとよめり。さて彼二首のアマ間〔日が月〕は雨ノフル間〔日が月〕なるが(一五三五頁及一五九五頁參照)こゝは雨ノフル間〔日が月〕としては意義通ぜざるによりて古義に『歌によりていさゝか意異なるべし』といへれど歌によりて意の正反對となるべきにあらず。思ふにこゝはもと間〔日が月〕毛不置雨之とありしを間〔日が月〕毛不置と雨之とを顛倒したるならむ〇四五を從來タガ里ノマニ宿カカラマシとよめり。さてタガ里ノマニを略解にイヅクノホドニと譯し古義にイヅレノ里ノ程ニと譯せり。宿の下のカは間〔日が月〕《マニ》の下にあるべきなり。或は宿可(2734)は顛倒ならざるか。もし然らばタガ里ノマカ宿ハカラマシとよむべし。マカは間〔日が月〕ニカなり〇一首の意は幸ニ時雨ニ晴間〔日が月〕アレバコソヨケレ、モシ晴間〔日が月〕ナカリセバ宿ヲ借ラザルベカラズ、サテソハイヅクノ里ナラム、イトオボツカナシヤといへるなり
 
3215 しろたへの袖の別をかたみして荒津の濱にやどりするかも
白妙乃袖之別乎難見爲而荒津之濱屋取爲鴨
 袖ノワカレは上(二七一九頁)に見えたり。カタミシテは後世の難ンジテなり。荒津は筑前の地名なり○こは旅行かむとする人のよめるなり
 
3216 (くさまくら)たびゆく君を荒津までおくり來ぬれどあきたらずこそ
草枕羈行君乎荒津左右送來飽不足社
     右二首
 アキタラズコソの下にオモヘを略せるなり
 
3217 荒津の海わが幣まつりいはひてむはやかへりませ面がはりせず
荒津海吾弊〔左△〕奉將齋早還座面變不爲
(2735) イハヒテムは神ニ祈リテムなり○二註に眞淵が
  是は筑紫人の京に仕奉るとて上るをりならん。オモガハリセズとは年經べきよしなれば國の任の朝集使などにて假に上るにあらず
といへるを是認したれどオモガハリセズは人の別に旅行の長短にかゝはらずいひ習ひし辭ならむ。さてオモガハリセズの語例は孝徳天皇紀大化元年に汝佐平等|不易面來《オモガハリセズマヰコ》とあり
 
3218 あさなさな筑紫の方をいで見つつ哭耳吾〔左△〕泣《ネノミヤナカム》いたもすべなみ
早早筑紫乃方乎出見乍哭耳吾泣痛毛爲便無三
     右二首
 第四句を略解にネノミワガナクとよみ古義にネノミゾアガナクとよめり。さて前者に
  是は上る道にてよみておもふ人に贈しならん。右の歌にただちに答しにはあらず
(2736)といひ後者に
  今此歌をもておもふに右の荒津海云々も京に上る人のはやく道中に至れるほどよみて贈れるにすなはち道よりその歌に答ていひおこせたるなるべし
といへり。哭耳哉泣の誤にてネノミヤナカムなるべし。ナカムは將泣とかくべき如くなれど將を略せる例もあり。たとへば卷十六にトモヤタガハムワレモヨリナムを友八違我藻將依とかけり○イタモはイトモなり
 
3219 豐國のきくの長濱ゆきくらし日のくれぬれば妹をしぞもふ
豐國乃聞之長濱去晩日之昏去者妹食序念
 豐前の國司の管内巡行のをりなどによめるなり。晝は物にまぎるれば日ノクレヌレバといへるなり
 
3220 とよくにのきくの高濱たかだかに君まつ夜らはさよふけにけり
豐國能聞乃高濱高高二君待夜等者在〔左△〕夜深來
     右二首
(2737) 初二は序なり。高濱は砂高き濱ならむ。古義に長濱と同意として『横に長きをも高きと云しにこそ』といへるはあさまし○タカダカニは人を待つ状なり。夜ラのラは助辭なり。子ラ野ラなどのラにおなじ○こは彼國司の妻の國府に留まり居てよめるにて此二首は正しき問答にはあらず○在は左を誤れるなり
                             (大正十二年四月講了)
(2739)附録
   佛足石歌新考
      序
 佛足石并佛足石歌碑は奈良縣生駒郡|都跡《ミヤト》村大字六條字砂村なる藥師寺にあり。大軌電車の西大寺停留所にて乘替ふれば屡?時にして藥師寺停留所に達す。此停留所は恰同寺の裏門に當れり。彼石は今、金堂に向ひての左側なる池の中島の堂内にすゑたり。寺僧に請はでは見るを得ず
 佛足石は石の上面を摩りて所謂釋迦の足跡を刻み其側面に記文を鐫りたり。記文は磨滅していと讀みがたし。歌碑は佛足石の後に立てたり。光澤ある黒色の石にて其周圍磨滅せり。其面に二十一首の歌と標題とを刻めること流布の拓本の如し。第二十一首には補刻あるに似たり。因にいふ。流布の拓本は直に石に就いてすりたるにあらず。木に模刻したるがありてそれにて刷りて寺にて頒つなり
 彼記文に依れば此佛跡は唐の王玄策といふ人天竺にて正眞の佛跡の石に殘れるを寫し歸りしを邦人|黄書《キブミ》(ノ)本實唐土より寫し歸しが奈良の右京四條坊の禅院に傳は(2740)れるを文室《フミヤ》(ノ)眞人|淨三《キヨミ》が獲て孝謙天皇の天平勝寶四年即今大正十一年より千百七十年前に茨田《マムタ》(ノ)女王の追福の爲に石に鐫りたるなり
 黄書(ノ)造《ミヤツコ》本實の名の國史に見えたるは天智天皇紀十年に
  三月戊戌朔庚子黄書(ノ)造本實獻2水※[自/木]《ミヅハカリ》1
とあるを始とす。氏は姓氏録には黄文と書けり。又カバネは天武天皇の時|連《ムラジ》に更へられき
 文室眞人淨三は天武天皇の御子なる長《ナガ》(ノ)皇子の子にて初智努王といひしが臣籍に下りて文室(ノ)眞人智努《チヌ》と稱し更に淨三と改名せしにて從二位大納言に陞り光仁天皇の寶龜元年十月に薨じき。萬葉集卷十七に智努王とのみありて歌なく同卷十九に從三位文屋智努麻呂眞人とありて
  天地と久しきまでに萬代につかへまつらむくろきしろきを
といふ歌あり。思ふに歌は作らざるにあらねど作家といふばかりにはあらざりけむ。
 水鏡に
  神護景雲四年八月四日稱徳天皇失サセ御座《オハ》シニシカバ位ヲ繼ギ給ベキ人モ無テ(2741)大臣以下各此事ヲ定申奉給シニ天武天皇ノ御子長屋天皇(○長親王の誤)ト申シシ人ノ御子ニ大納言文屋淨三ト申シシ人ヲ位ニ付奉ラント申サルル人々アリキ。又白壁皇子ト申テ天智天皇ノ御孫ニテ此御門(○光仁天皇)ノ御座《オハセ》シヲ位ニ付奉ルベシト申サルル人アリシカドモ尚文屋ノ淨三ヲト申サルル人ノミ多ク強クシテ既ニ其御子位ニ付給べキニテアリシニ此淨三我身其器物ニ叶ハズトアナガチニ遁レ申給ヒシカバ云々
とあり
 茨田女王は淨三が記せる彼文に爲2亡夫人從四位下茨田郡主法名良式1敬寫2釋迦如來神跡1とあるによりて從來淨三の妻としたれど人の妻をこそ夫人とはいへ我妻を敬して夫人といふ事は無し。論語季氏に
  邦君之妻、君(ハ)稱v之曰2夫人1、夫人(ハ)自稱曰2小童1、邦人(ハ)稱v之曰2君夫人1
とあるは邦君に限れる事なれば特にかく云へるなり。又女王を淨三の妻とせば彼二十一首の歌の第一首にチチハハガタメニといへると相かなはず。或は云はむ『チチハハガタメニといへるは此功徳を父母にも及ぼさむが爲にいへるのみ。さればこそ此(2742)句に添へてモロビトノタメニといへるなれ』と。答へて云はむ『もし然らばナキヒトノタメニなどいひてそれに添へてチチハハガタメニとこそいふべけれ』と。案ずるに左傳漢書以下に母の事を夫人といへる例頗多かれば茨田女王は淨三の母にて長皇子の妃ならむ。而して歌にチチハハガタメニといへるは主として母の爲にせし功徳なれど之を父皇子にも及ぼせるならむ。さて茨田郡主といへる郡主は唐制にては太子の女を云ひしなれば此女王は高市皇子の御女か。此女王の名は續日本紀天平十一年正月に
  授无位茨田女王從四位下
と見えたり
 歌碑を建てし事は記文に見えねど歌の意を推すに佛足石と同時に作りしなり。さて歌の作者は誰ぞ。こゝに拾遺集卷二十哀傷に
  光明皇后山階寺にある佛跡にかきつけ給ひける みそぢあまりふたつの姿そなへたるむかしの人のふめる跡ぞこれ
とあり。此歌は二十一首中の第二首のすこしかはれるなり。されば之を證として二十(2743)一首の歌を光明皇后の御作とすべきか。右の詞書に見えたる山階寺は興福寺の事なり。此詞書に從はばもと興副寺にありしを藥師寺に移しゝものとせざるべからざれど二十一首中に藥師をよめる歌あり而して藥師寺の本尊なる藥師は希世の名作にて寺の名はやがて此佛像より附けられたるなれば佛足石は初より藥師寺にありしなり。又佛足石は文室眞人淨三が其亡母の爲に作れるにて光明皇后は之に與り給はず。又佛跡ニカキツケ給ヒケルとあるも佛足石に副へて建てし碑に刻みし事とは聞えず。されば拾遺集の詞書は此石此碑を見ず又其傳を知らざりし人が口碑によりて書けるにて採りて史料とはしがたし
 此歌どもの作者を推定する前にまづ二十一首は一人の作か又は數人の合作かといふことを一考せざるべからず。さるははやく合作説を唱へし人あればなり。案ずるにおそらくは一人の作ならむ。その證とすべきは
 一 歌體相ひとしき事
  二十一首は悉く五七五七七七の六句より成れり。すなはち普通の短歌に添ふるに七言一句を以てせり。但その第六句は第五句と對を成せるも然らざるもあり。(2744)されば二十一首は少くとも諸人が心々によみしものを集めたるにはあらざるなり
 二 巧拙の差いちじるからざる事
  もし數人の合作ならば若干の傑作も交るべきを悉く凡作にて文藝上の價値あるものなし
 三 異樣なる語の處々に見えたる事
  ソナハレルをソダレルといへる人と、ノコセルをノケルといへる人と、メヅラシをメダシといへる人とを別人なりとは認めがたし
 四 佛語直譯の處々に見えたる事
  諸人がいひ合せて佛語直譯をもちひたりとは認めがたし
 五 所謂文字あまりの句の多き事
  第二句以下の缺けたる第十一首を除ける二十首中文字あまりの句なきは僅に六首(第十首、第十五首、呵※[口+責]生死四首)のみなり。こも諸人の趣味が偶然に一致せし結果とは認めがたし
(2745)などなり。然らば作者は誰ぞといふにおそらくは文室(ノ)淨三なるべし。二十一首中に歌を作りし人はやがて佛足石を作りし人ならむと思はしむる歌數首あり。就中最いちじろきは
  御跡すらをわれ〔二字右△〕は得見ずていはにゑらつく
といふ歌なり。二十一首中に傑作なき事と淨三が作家にあらざりけむ事とは相照して淨三所作の傍證とすべし
 さて後世五七五七七七の六句より成れる歌を佛足石體といふ。淨三果して作家ならずばいかでかさる體を創むることを得むとは或は起るべき疑ならむ。それに對して豫答へむ。萬葉集卷五には現に山上憶良が此體にてよめる歌あり(新考九六五頁參照)。憶良は淨三より先輩なれば淨三は憶良に倣へるなり。すなはち此體は淨三の創意にあらざるなり
 歌も記文も頗しどけなきは作者の性格の然らしめし所か又は事情の然らしめし所ならざるべからず。もし臆を以て測らば作者は寧漢文に得意なりし人、憶良の影響を受けし人、貴冑として下問を好まざりし人にあらざるか
(2746) 藥師寺の本尊なる藥師像は從來たが作とも知られざりしものなり。然るに此歌碑の歌によりて其作者は模索すべきに似たり。又シノブ、ウヤマフ、マウスはいにしへシヌブ、ヰヤマフ、マヲスといひしが世遷りて轉訛せるなり。此歌碑の歌によれば天平勝寶中はやくシノブ、ウヤマフ、マウスといひしなり。否少くともシノブ、ウヤマフ、マウスともいひしなり。二十一首を玩味せば史學上語學上得る所少からざるべく其書はた斯道の參考となるべきものあらむ。但文藝上には大なる價値あるものとは思はれず
 此歌を註せる書少からざるべし。但余の一讀せしは野呂實夫の佛足石碑銘、山川正宣の佛足石和歌集解、鹿持雅澄の南京遺響のみ
 さて歌碑は一たび近傍の橋梁の材となりしを奈良の古梅園松井氏の祖先が藥師寺中に再建せしなりといふ説あり。今も寺には然いひ傳へたり。案ずるに此説おそらくは非なるべし。寶暦年中野呂氏が始めて此碑の模本を公にせしは松井元英が百計工を用ひて搨寫せしものに依れるなり。然るに其後序及本文に松井氏の勞を稱しながらその發見の事を言はざるを見れば橋となりたりきといふは好事者の造言にこそ。但後序に惜嘗罹v災碑石殘缺とあり
 
(2747)    佛足石歌
      尓〔小の右に点〕2佛跡1一十七首
美阿止都久留、伊志乃比鼻伎波、阿米尓伊多利、都知佐閇由須礼、知々波々賀多米尓毛呂比止乃多米尓
みあとつくるいしのひびきはあめにいたりつちさへゆすれちゝはゝがためにもろびとのために
 尓〔小の右に点〕は恭の上半の缺けたるなりといへり。恭はウヤマフなり。歌にもサカノミアトイハニウツシオキウヤマヒテ又ユキメグリウヤマヒマツリワガ世ハヲヘムとあり」アトは足處《アト》にて即足跡なり。ミアトツクルは佛跡ヲ鐫ルなり。ツチサヘユスレは地サヘユスリテ諸佛ヲ驚シ奉レとなり
 
弥蘇知阿麻利、布多都乃加多知、夜蘇久佐等、曽太礼留比止乃、布美志阿止々己呂麻礼尓母阿留可毛
みそぢあまりふたつのかたちやそぐさとそだれるひとのふみしあと(2748)どころ(まれにもあるかも)
 ミソヂアマリフタツノカタチは三十二相なり。ヤソグサは八十種(ノ)好なり。相と好とを併せて今もサウガウといふ。ソダレルはソナハレルをつづめたるにておそらくは當時の俗語ならむ。萬葉集にもフトウマをつづめてフタといひ(卷十二)アヤフカドモ(危カレドモ)をつづめてアヤハドモ(卷十四)といへるなどの例あり。アトドコロはやがて跡なり。マレニモアルカモはメヅラシクモアルカナなり
 
与伎此止乃、麻佐米尓美祁牟、美阿止須良乎、和礼波衣美須弖、伊波尓惠利都久(多麻尓惠利都久)
よきひとのまさめにみけむみあとすらをわれはえみずていはにゑりつく(たまにゑりつく)
 ヨキヒトは下にもヨキヒトノイマスクニニハワレモマヰデム又クスリシモトムヨキヒトモトムとあり。萬葉集卷一にも
  よき人のよしとよく見てよしといひし芳野よく見よよき人よくみつ
(2749)とありて淑人良人と書けり。哲人、エライ人などいふ意とおぼゆ。こゝにては王玄策を指せるなり。
  因にいふ。惠美押勝作内大臣鎌足傳に擧げたる天智天皇の詔に
   内大臣某朝臣不v期之間〔日が月〕忽焉薨謝。如何蒼天|殲《ホロボス》2我良人1
とあるは毛詩大雅蕩之什に維《コレ》此良人、弗v求《モトメズ》弗v迪《ススメズ》とあるに據らせ給へるなり
 マサメニはマノアタリなり。スラは主語を強むる辭なり。タマは美石なり
 
己乃美阿止、夜与呂豆此賀利乎、波奈知伊太志、毛呂毛呂須久比、和多志多麻波奈(須久比多麻波奈)
このみあとやよろづひかりをはなちいだしもろもろすくひわたしたまはな(すくひたまはな)
 ヤヨロヅヒカリは經文にいへる八萬四千(ノ)光なり。略して又八萬光ともいへるが故にヤヨロヅヒカリといへるなり。モロモロは衆人なり。スクヒワタシは済度なり。但スクヒワタシを二句に割きたるは快からず。タマハナは給ヘなり。このナは萬葉集(2750)卷十七なる大伴坂上郎女の歌に
  みちのなかくにつ御神はたびゆきもししらぬ君をめぐみたまはな
とあると同例なり。おそらくはネの轉じたるにて奈良朝時代に生ぜし辭ならむ。かのユカム、キカムなどを行カナ、聞カナなどいへるとは異なり
 
伊可奈留夜、比止尓伊麻世可、伊波乃宇閇乎、都知止布美奈志、阿止乃祁留良牟(多布刀久毛阿留可)
いかなるやひとにいませかいはのうへをつちとふみなしあとのけるらむ(たふとくもあるか)
 イカナルヤのヤは助辭なり。萬葉集卷十三にもイカナルヤ人ノ子ユヱゾカヨハスモ吾子《アゴ》とあり。ツチトは地ノ如クなり。ノケルはノコセルをつづめたるにて上なるソダレルと同類なり
 
麻須良乎乃、須々美佐岐多知、布賣留阿止乎、美都々志乃波牟、多太尓阿布麻旦尓(麻佐尓阿布麻弖尓)
(2751)ますらをのすすみさきだちふめるあとをみつつしのばむただにあふまでに(まさにあふまでに)
 マスラヲは釋迦なり。如來ハ人中ノ丈夫といへるに依れるなり。ススミサキダチは諸弟子ノ前頭ニ立チテといふことにや。シノブはいにしへシヌブといひしを比頃はやくシノブともいひしなり。萬葉集卷十四なる東歌に
  い|は《ヘ》のいもろわをし乃ぶらしまゆすひにゆすひしひものとくらくもへば
 又卷十七なる平群氏女郎贈2家持1歌に
  よろづ代|爾《ト》こころはとけてわがせこがつみし乎〔左△〕《テ》みつつし乃びかねつも
とあり。タダニアフマデニはマノアタリ値遇シ奉ルマデハとなり。マサニはタダニにおなじ。タダ目をマサ目ともいへると同例なり。マデニはマデハなり
 
麻須良乎乃、布美於祁留阿止波、伊波乃宇閇尓、伊麻毛乃己礼利、美都々志乃覇止(奈賀久志乃覇止)
ますらをのふみおけるあとはいはのうへにいまものこれりみつつし(2752)のべと(ながくしのべと)
 覇の呉音はへなり
 
己乃美阿止乎、多豆祢毛止米弖、与岐比止乃、伊朝須久尓々波、和礼毛麻胃弖牟(毛呂毛呂尓爲弖)
このみあとをたづねもとめてよきひとのいますくににはわれもまゐでむ(もろもろをゐて)
 初句は此御跡ノ所在ヲと心得べし。ヨキヒトはこゝにては天竺の高僧たちを指せり。マヰデムは參出デムなり。今マウデムといふは此語を訛れるなり。モロモロヲヰテは衆人ヲ率テなり
 
舍加乃美阿止、伊波尓宇都志於伎、宇夜麻比弖、乃知乃保止氣尓由豆利麻都良牟(佐々義麻宇佐牟)
さかのみあといはにうつしおきうやまひてのちのほとけにゆづりまつらむ(ささげまうさむ)
(2753)サカは釋迦なり。ウヤマヒヒテはヰヤマヒテのうつれるなり。ノチノホトケは當來の世に出現すべき佛にてやがて彌勒菩薩なり。マウサムはマヲサムをなまれるにて萬葉集には卷十五にタラチネノハハニマ于シテとあるを始めてその例少からす
 
己礼乃与波、宇都利佐留止毛、止己止婆尓、佐乃己利伊麻世、乃知乃与乃多米(麻多乃与乃△△)
これのよはうつりさるともとことはにさのこりいませのちのよのため(またのよの△△)
 ウツリサルトモは移り行クトモなり。トコトハニは今そのハをワの如く唱ふれどこゝに婆の字を宛てたればハを濁るべきかといふに下にもマハリを麻婆利と書けるを見れば此歌どもには婆を濁にも清にも借りたるなり。婆は漢音ハ、呉音バなり。サノコリのサは添辭なり。第六句の缺文はタメならむ
 
麻須良乎能、美阿
ますらをのみあ
(2754) 阿の下は止ならむ。其次は考ふべからず
 
佐伎波比乃、阿都伎止毛加羅、麻爲多利弖、麻佐米尓弥祁牟、比止乃止毛志△(宇札志久毛阿留可)
さきはひのあつきともがらまゐたりてまさめにみけむひとのともし△(うれしくもあるか)
 サキハヒノアツキトモガラは多幸ナル人々にて王玄策等を指せるなり。マヰタリテは參到《マヰイタ》リテをつづめたるなり。第五句の尾の缺字はサならむ。トモシサはウラヤマシサなり。さてサキハヒノアツキトモガラといひて更にヒトとはいふべからず。己止などあるべきなれど拓本には明に比止とあり實物に就きて見るに又比と見ゆ。さればこは誤字にはあらで修辭のとゝのはざるなり。第六句はた穩ならず
 
乎遅奈伎夜、和礼尓於止礼留、此止乎於保美、和多佐牟多米止、宇都志麻都礼利(都加閇麻都札利)
をぢなきやわれにおとれるひとをおほみわたさむためとうつしまつ(2755)れり(つかへまつれり)
 ヲヂナキはイクヂナキなり。ヲヂナキヤのヤは上なるイカナルヤのヤに同じ。ワタサムタメトはソノ人ヲワタサム爲ニなり。ワタサムは済度セムなり。済度はやがて苦海より済ひて彼岸に渡す事なり。ウツシマツレリは此御跡ヲ模シ奉レリなり。ツカヘマツレリは作リ奉レリなり
 
舍加乃美阿止、伊波尓宇都志於伎、由伎米具利、宇夜麻此麻都利、和我与波乎閇牟(己乃与波乎閇牟)
さかのみあといはにうつしおきゆきめぐりうやまひまつりわがよはをへむ(このよはをへむ)
 ユキメグリは所謂|行道《ギヤウダウ》にてこゝにては佛足石をゆきめぐるなり。行道は天竺の禮にて今も僧侶のするわざなり。齊明天皇紀四年に行2道於寺(ノ)金堂(ヲ)1とありて行道にメグルと傍訓せり。ワガヨハヲヘムは我世ヲバ盡サムなり
 
久須理師波、都祢乃母阿礼等、麻良比止乃、伊麻乃久須理師、多布止可理家(2756)利(米太志可利鶏利)
くすりしはつねのもあれどまらびとのいまのくすりしたふとかりけり(めだしかりけり)
 クスリシは藥師如來ノ尊像ハとなり。ツネノモアレドは世ノ常ノモタフトカレドなり。マラビトは蕃客なり。和名抄玄蕃寮の訓註に保宇之萬良比止〔四字傍点〕乃豆加佐とあり(保宇之は保布之にて法師なり)。抑マラビトはマレビトのレが下につづくにつきて(ムレがムラにうつるが如く)ラにうつれるにて今マラウドといふはマラビトの又うつれるなり。マラビトノの次に作レルといふことを補ひて聞くべし。イマノは歌の註に今ノ歌などいふ今ノにてコノといふことなり。メダシはメヅラシをつづめたるにて上なるソダレル、ノケルと同類なり。此歌によれば藥師寺の本尊は明に外人の來朝して作れるなり。さて恭佛跡一十七首の中に當寺の本尊をたゝへたる作の交れるも亦例のしどけなさの一つに數ふべし
 
己乃美阿止乎、麻婆利麻都礼婆、阿止奴志乃、多麻乃与曽保比、於母保由留(2757)可母(美留期止毛阿留可)
このみあとをまはりまつればあとぬしのたまのよそほひおもほゆるかも(みるごともあるか)
 マハリは行道にて上なるユキメグリにおなじ。アトヌシは御跡の主にて即釋迦如來なり。タマノはウルハシキなり。オモホユルカモはシノバルルカナなり
 
於保美阿止乎、美尓久留此止乃、伊尓志加多、知与乃都美佐閇、保呂夫止曾伊布(乃曾久止叙伎久)
おほみあとをみにくるひとのいにしかたちよのつみさへほろぶとぞいふ(のぞくとぞきく)
 イニシカタチヨは所謂過去千歳なり。第二句はミニクルヒトハ〔右△〕とあるべく第三句はイニシ方ノ〔右△〕とあるべく(但このノはわざと省けるなるべし)第六句はノゾコル〔二字右△〕トゾキクとあるべきなり
 
      呵2※[口+責]生死1
(2758)比止乃微波、衣賀多久阿礼婆、乃利乃多能、与須加止奈礼利、都止米毛呂毛呂(須々賣毛呂母呂)
ひとのみはえがたくあればのりのたのよすがとなれりつとめもろもろ(すすめもろもろ)
 珂※[口+責]生死の下に四首とあるべきなり。又呵※[口+責]生死は生死に惑へる人を呵※[口+責]する意かとも思へど生死ニ惑ヘル人を単に生死とはいふべからず。いかが
 エガタクアレバのアレバおちつかず。アルヲなどあるべきなり。初二は萬葉集卷九なる笠金村の歌に人トナル事ハカタキヲ、ワクラバニナレル吾身ハとあると同じく經文に人離2惡道1得v爲v人難などあるに依れるなり。ノリノタは法田か。ヨスガは縁なり。ノリノタノヨスガトは法田ニ善種ヲウヱシ縁トシテといふことにや。ナレリは生レタリなり。金村の歌なるナレルも然り
 
与都乃閇美、伊都々乃毛乃々、阿都麻礼流、伎多奈伎微乎婆、伊止比須都閇志(波奈札、須都倍志)
(2759)よつのへみいつつのもののあつまれるきたなきみをばいとひすつべし(はなれすつべし)
 ヨツノヘミは四蛇にて地水火風をたとへたるなり。イツツノモノは色聲香味觸の五欲をいへるならむ。ハナレスツベシはハナチスツべシとあるべし。上にも語の自他を誤りてノゾコルをノゾクといへる例あり
 
伊加豆知乃、此加利乃期止岐、己礼乃微波、志尓乃於保岐美、都祢尓多具覇利(於豆閇可良受夜)
いかづちのひかりのごときこれのみはしにのおほきみつねにたぐへり(おづべからずや)
 初二は電光ノ如クハカナキとなり。コレノミハは此身ハなり。シニノオホキミは死王の直譯なり。タグヘリはトモナヘリなり。オヅベカラズヤは恐ルベキニアラズヤとなり
 
△都△△△、△△△△比多留、比△乃多尓、久須理師毛止牟、与伎比止毛止(2760)旡(佐麻佐牟我多米尓)
△つ△△△△△△△ひたるひ△のたにくすりしもとむよきひともとむ(さまさむがために)
 第三句は比止〔右△〕乃多尓ならむ。タニは爲ニなり。爲ニをタニといへる例は萬葉集卷五にも
  たつのまをあれはもとめむあをによしならのみやこにこむひとの多仁
とあり。第二句は佐氣尓惠〔四字右△〕比多留ならむ。第六句にサマサムガタメニとあるを思ふべし(大正十一年六月講)
    ――――――――――
九月一日の火に蕃山先生詳傳以下史學の著述ども、古今集新考以下の註釋ども、歌學雜談、隨讀抄、見聞抄など二十年間〔日が月〕の勞績百餘卷悉く烟となりし中にあやしくも佛足石歌新考の序のみ殘りしかば感ずる所ありて萬葉集新考卷十二の附録として公にしおかむと思へど歌の解無くては物足らねばそを作り添へむとするに山川氏の集解、鹿持氏の南京遺響なども燒失し、たどたどしき佛語などを考ふべき辭(2761)書なども今は存ぜざれば偏に心に求めて簡單なる註解を書き加へつ。おそらくは大方の呵※[口+責]を受けむ
     大正十二年十月              井 上 通 泰
 
 
(2763)萬葉集新考卷十三
                   井上通泰著
  雜歌
    ○
3221 (冬ごもり) 春さりくれば あしたには 白露おき ゆふべには 霞たなびく 汗湍能振 こぬれがしたに うぐひすなくも
冬木成春去來者朝爾波白露置夕爾波霞多奈妣久汗湍能振樹奴禮我之多爾※[(貝+貝)/鳥]鳴母
     右一首
 汗湍能振を舊訓にアメノフルとよみ、契沖はカゼノフクとよみ、眞淵は
  此言ところの名ならでは一首のこゝろ穩ならず。景のみよめる長歌に地をあげいはぬは凡なきものなり。次の三首も同じ山をよみ歌もひとしく飛鳥の宮の體(2764)なれば必カミナビノてふ言ぞとせり
といひて汗微竝能《カミナミノ》に改め、宣長は
  御諸能夜にてもあらむか
といひ、雅澄は
  岡部氏は汗微竝能と書るなどの誤れるならむといへり。いかさまにもさる地名にてはあるべきなり。されどその説のいはれたりと思はれぬは凡て集中に神南備、甘南備など書て神はカムとのみ唱しとおぼえて加美とも加微とも書しことのなければなり。今按(フ)に泊湍能夜《ハツセノヤ》とありしならむか
といへり。しばらく古義の説に從ふべし。カスミタナビクはハツセにかゝれるなり。切れたるにあらず○ナクモはナクカナといはむに近し。但略解にモはカモの略といへるはいみじきひが言なり
    ○
3222 みもろは 人のもる山 もと邊は 馬醉木《アセミ》はなさき 末邊は つばき花さく うらぐはし山ぞ 泣兒守△《ナクコモルナス》 △△△《ヒトノモル》山
(2765)三諸者人之守山本邊者馬醉木花開末邊方椿花開浦妙山曽泣兒守山
     右一首
 人ノモル山を契沖は
  第十一の旋頭歌に人ノオヤノヲトメゴスヱテ守山邊カラ云々此に今の歌を合せて注せしにて守山は三諸山の一名と知るべし
といひ雅澄は
  山のおもしろさに人のめでて目かれずまもる山と云なり
といへり。即契沖は守山を三諸の一名とし雅澄は人ノ注目スル山の意とせり。按ずるにモル山のモルは山田モルなどのモルにて保護といふ事なり○馬醉木はアセミとよむべし。從來ツツジ又はアシビとよめるは誤なり(一四九〇頁參照)○モトベ、スヱベは麓と峯となり○ウラグハシはウルハシにおなじ。ウラグハシキ山といふべきをウラグハシ山といへるは例の如く連體格の代に終止格をつかひたるなり○從來終句を通本に泣兒守山とあるに從ひてナク兒モル山とよみたれどさては意義通ぜず。宜しく泣兒守成人之守〔四字右△〕山の脱字としてナクコモルナスヒトノモルヤ(2766)マとよむべし。さて人ノモル山は人ノモル山ハのハを略せるにて人ノモル此三諸山ハウラグハシ山ゾとかへるなり。卷一(六頁)なるウマシ國ゾアキツ島ヤマトノ國ハと同格なり
    ○
3223 霹靂之日香天之 ながづきの しぐれのふれば かりがねも 未〔左△〕來鳴《トモシクキナク》 かむなびの 清き三田屋の 垣つ田の 池の堤の (ももたらず) 五十槻《イツキ》が枝に  水〔左△〕枝《ヒコエ》さす 秋のもみぢ葉 眞割〔左△〕持《マキモタル》 小《ヲ》鈴もゆらに たわやめに 吾はあれども ひきよぢて 峯〔左△〕《エダ》もとををに うちたをり 吾《ワ》は持而〔左△〕往《モチゾユク》 きみがかざしに
霹靂之日香天之九月乃鍾禮乃落者音文未來鳴神南備乃清三田屋乃垣津田乃池之堤之百不足三〔左△〕十槻枝丹水枝指秋赤葉眞割持小鈴文由良爾手弱女爾吾者有友引攀而峯文十遠仁※[木偏+求]〔左△〕手折吾者持而往公之頭刺荷
 此歌には誤字頗多し。まづ初二を舊訓にカミドケノヒカルミソラノとよめるを眞淵はナルカミノヒカヲルソラノに改めて(2767)
  ナルカミノは光といひかけたる冠辭也。うけたる句は曇ること也。クモルをカヲルといふは神代紀に唯有2朝霧1而|薫滿之哉《カヲリミテルカモ》てふを始めていと多し。かくてしぐれいくたびとなく日をくもらする九月の末のさまなり
といへり。略解にはまづ眞淵の説を擧げて
  されどヒカヲルといふ詞例なし。宣長云。初二句はとかく誤字ときこゆ。又二の句のはてを之《ノ》と云ては下にかなはず。雨霧合渡日香久之《アマギラヒワタルヒカクシ》か。霧合を靂之と誤れるから上の雨の字をもさかしらに霹なるべしとて改めたるべし。渡の字脱せり。卷三に度日ノカゲモカクロヒとあり。といへり
といへり。しばらく宣長の説に從ふべし○未來鳴を舊訓にイマダキナカズとよめり。眞淵は
  未來鳴とあるは理なし。しぐれふり赤葉せし九月の末に鴈の來ざる所やはある
といひて未を率の誤としてアドモヒキナクとよみ雅澄は
  未は乏(ノ)字の誤にてトモシクキナクと訓べきか
といへり。まづ雅澄の説に從ふべし。そのトモシクはメヅラシクなり。又キナクはカ(2768)ムナビにかゝれるなり〇三田屋は神の御田を守る屋にてカキツ田はその御田屋の垣内の田なり。イツキは齋槻なるべし○水枝サスのサスは出づる事なり。水枝サス秋ノモミヂ葉とある不審なり。ミヅ枝は稚き枝なればなり。枝ニ水枝サスといへるはた穩ならず。おそらくは水枝は孫枝《ヒコエ》の誤ならむ。卷十八なる橘歌にもハルナレバ孫枝モイツツとあり。モミヂ葉の下にヲを添へて心得べし○眞割持を考にマキモタルとよみて『割は假字なり』といへり。訓はげにマキモタルとあるべし。字は刻の誤か。マキモタルは手ニ纏キ持テルなり○ヲスズモユラニの語例は卷十(二〇六四頁)に足玉モタダマモユラニとあり。ユラニはユラユラトなり○タワヤメニワレハアレドモはヒキヨヂテ峯モトヲヲニウチタヲリの三句にかゝれるなり○考に峯を延多の誤とせり。字はいかにもあれげにエダとあらではかなはず。トヲヲニは撓《タワ》ムバカリとなり○吾者持而往を契沖以下ワレハモテユクとよめるを古義にアハモチテユクと改めたるはモテが古言にあらざる故なれどテを挿める、心よからず。宜しく而を曾の誤としてワハモチゾユクとよむべし〇三は五の誤なり。※[木偏+求]は※[手偏+求]の誤か。※[手偏+求]は本集卷九(一六九四頁)以下にウチに借りたり
 
(2769)   反歌
3224 獨のみみれば戀〔左△〕染《サブシミ》かむなびの山のもみぢ葉たをり來《キツ》君
獨耳見者戀染神名火乃山黄葉手折來君
     右二首
 戀染は不樂染の誤か。さらばサブシミとよみて面白カラザルニヨリテと心得べし○來を舊訓にコムとよみ眞淵以下はケリとよめり。宜しくキツとよむべし
    ○
3225 あま雲の 影さへ見ゆる (こもりくの) はつせの河は 浦なみか 船のよりこぬ 礒なみか あまの釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 礒はなくとも (おきつ浪) 諍《キホヒ》こぎりこ あまのつり船
天雲之影寒〔左△〕所見隱來※[竹/矢]長谷之河者浦無蚊船之依不來礒無蚊海部之釣不爲吉咲八師浦者無友吉畫矢寺礒者無友奥津浪淨〔左△〕※[手偏+旁]入來白水郎之釣(2770)船
 浦ナミカ船ノヨリ來《コ》ヌは浦無キニヨリテ船ノ寄來ヌニヤとなり。浦ナミカ以下八句は卷二(一八〇頁)なる人麿の歌に
  いはみの海つぬのうら囘《ミ》を、浦なしと人こそ見らめ、滷【一云いそ】なしと人こそ見らめ、よしゑやし浦はなくとも、よしゑやし滷【一云いそ】はなくとも云々
とあるに似たり。河、殊に泊瀬川の如き小川に浦といひ礒といへるは例の如く海をゆかしむ情より海めかしていへるなり(二四〇頁參照)○オキツ浪は枕辭なり。略解にオキツ浪ニの意とせるは非なり。諍は古義に從ひてキホヒとよむべし。コギリコは漕入リ來レとなり。泊瀬川に浮べる船の見えぬをあかず思へるにてこゝにも海をゆかしむ情はあらはれたり○寒は塞、淨は諍の誤なり
 
   反歌
3226 さざれ浪|浮〔左△〕而流《シキテナガルル》はつせ河よるべき礒のなきがさぶしさ
沙邪禮浪浮而流長谷河可依礒之無蚊不怜也
(2771)    右二首
 浮を考に湧の誤としてワキテナガルルとよみ古義に沸の誤としてタギチテナガルとよめり。宜しく敷而などの誤としてシキテナガルルとよむべし。シキテは頻リテなり。上にも梶島ノイソコス浪ノ敷弖シオモホユ(一七二八頁)オキソ浪敷而ノミヤモコヒワタリナム(二三八九頁)サザレ浪敷而コヒツツアリトツゲコソ(二六五〇頁)などあリ○ヨルベキは舟ノ寄ルベキなり。サブシは興ナシにてあかぬ事なリ
    ○
3227 葦原の みづ穗の國|丹〔左△〕《ヲ》 手〔左△〕向《コトムク》爲〔□で囲む〕|跡《ト》 あもりましけむ 五百萬 千よろづ神の 神代より いひつぎ來たる かむなびの みもろの山は 春されば はる霞たち 秋ゆけば くれなゐにほふ かむなびの みもろの神の 帶にせる 明日香の河の みをはやみ  生多米〔左△〕難《ムシタミガタキ》 石|枕〔左△〕《イハガネニ》 こけむすまでに 新夜乃《アラタヨノ》 △ さきくかよはむ ことはかり いめにみせこそ (つるぎだち) △ 齋祭《イハヒマツレル》 神にし座者《マサバ》
(2772)葦原※[竹/矢]水穗之國丹手向爲跡天降座兼五百萬千萬神之神代從云續來在甘南備乃三諸山者春去者春霞〔左△〕立秋往者紅丹穗經甘甞備乃三諸乃神之帶爲明日香之河之水尾速生多米難石枕蘿生左右二新夜乃好去通牟事計夢爾令見社劔刀齋祭神二師座者
 二三を從來ミヅホノクニニタムケストとよめり。宜しく丹を乎などの誤、手を平の誤とし爲を衍字としてミヅホノクニヲコトムクトとよむべし。コトムクは征服する事にて古事記にあまた見えたり。本集にも卷二十なる喩族歌にチハヤブル神ヲ許等牟氣マツロハヌ人ヲモヤハシとよめり○神代ヨリイヒツギ來タルは神代ヨリ名高キとなり。カムナビノミモロノ山は即雷岡なり。飛鳥川の右岸に臨める小丘なり。今は削られ又切り割かれて僅に其跡を殘せるのみ○春サレバ、秋ユケバのサレバ、ユケバは共にクレバといはむにひとし。先をもととして云へるなり○クレナヰニホフソノ甘南備ノとつづけて聞くべし。ミモロノ神はミモロノ山なり○生多米難を略解にオヒタメガタキ、古義にムシタメガタキとよみて共にオヒタマリガ(2773)タキの意とせり。米を未の誤としてムシタミガタキトよみて二註の如く心得べし○石枕を眞淵は枕を根の誤としてイハガネノとよみ雅澄は
  眞に然なくては聞えがたし。但しイハガネニとよまむぞ然るべき
といへり。古義に從ふべし。水脈ガ早キニヨリテ苔ノ生ヒタマリ難キ岩根ニモ苔ノ生フルマデといへるなり○新夜乃について略解に
  新夜の夜は借にて代なり。卷一に新京を新代といへり。これは藤原宮へうつりたまひて初て飛鳥の神社へ大幣神寶等奉りたまふ御使人などのよめるなるべしと翁はいはれき。宣長は新代はただ代といふ事なるよし既にいへり
といひ古義には
  新夜乃、此一句は次二句を隔てイメニミセコソの上に置て意得べし。契沖が夜は借字にて新世なりと云るによりて誰もしか心得來れどもわろし。もし新世ならば新夜乎となくては叶はず。乃とありてはサキクカヨハムとつづくべからず。句をおきかへて聞ときはいと穩なるを今まで心の付たる人なし
といへれどアラタ夜ノイメといふ事ならむには其間〔日が月〕にサキクカヨハムコトハカ(2774)リといふ辭を挿むべからず。案ずるに新夜乃の次に一夜不落恙無などいふ文字のありしがおちたるならむ。もし此文字を補はばアラタ夜ノ一夜モオチズ、ツツミナクサキクカヨハム、事ハカリ夢ニ見セコソとつづきて意義よく通ずべし。その語例は卷十二に
  あらた夜の一夜もおちずいめにしみゆる(二五四七頁)
  あらた夜の一夜もおちずいめにみえこそ(二六九五頁)
 此卷の下に
  つつみなくさきくいまさば
とあり○コトハカリはサキクカヨハムよりつづけるにて工夫といふ事なり。イメニミセコソは夢ニ知ラセ給ヘとなり。さてカヨハムといへるは三諸山の邊に住める女(おそらくは祝の娘)の許に通はむといへるなり。元來此歌は相聞歌にて雜歌に入れたるが誤なり。第一の反歌の調をも思ふべし。真淵等の解釋はいたく誤れり○斎祭神二師座者を二註にイハヒマツレル神ニシマセバとよみツルギダチ以下を劔刀ヲ納メ奉リテイハヒ祭レル此大神ニマシマセバといふ意とせり。されど劔刀(2775)ヲ納メ奉リテイハヒ祭ルといふことをツルギダチイハヒマツレルとはいふべからず。案ずるにツルギダチは枕辭にて其下に身ニソフ妹ガタスキカケ(又はヌサトリテ)などいふ二句をおとしたるなり。又座者はマサ〔右△〕バとよむべきなり。此神は即飛鳥社にて淳和天皇の天長年問に程近き鳥形山に遷され給ひき。恐らくは水害の恐ありしによりてならむ○霰は霞の誤なり
 
   反歌
3228 かむなびの三諸の山に隱藏〔二字左△〕杉おもひすぎめやこけむすまでに
神名備能三諸之山丹隱藏杉思將過哉蘿生左右
 上三句は序なり。隱藏を眞淵はイハフとよみて
  神木なればけがれをさけて秘齋《ヒメイハ》ふ意にて隱藏杉とも書たり
といひ二註は之に從へり。隱藏はおそらくは鎮斎などの誤字ならむ。卷七(一四六四頁)にミヌサトリ神ノハフリガ鎭齋《イハフ》杉原とあり○オモヒスギメヤはオモヒ止マムヤなり
 
(2776)3229 いぐしたて神酒《ミワ》すゑまつる神主部之《ハフリベガ》うずの玉〔左△〕《ヤマ》蔭みればともしも
五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉蔭見者乏文
    右三首。但或書此短歌一首無v有〔□で囲む〕載v之也
 これは右の長歌の反歌にあらず。又左註の有は衍字ならむ
 イグシはイミグシにて穢れざる杙なり。神主部之を舊訓にカミヌシノ(古義にはカムヌシノ)とよめり。考にはハフリベガとよみて『部とあるが捨がたければ也』といへり。しばらく考に從ふべし○ウズは冠に挿す飾なり。それに日蔭のかづらを垂るるなり。玉勝間卷十三に
  萬葉集に山(ノ)字を玉に誤れる例多し。草書にては山と玉といとよく似たる故なり。……二の卷に人ハヨシオモヒヤムトモ玉カヅラ影ニミエツツ云々こは山かづらは日影葛のことにて影の枕詞におけるなり。山カヅラ日カゲとつづく意にて十四の卷にアシヒキノ山カヅラカゲとよめるカゲに同じ。十八の卷にもカヅラカゲとあり。みなカゲは日影(ノ)葛のことなり。然るに後世に此玉カヅラを山カヅラの誤なることを知らずして影につづきたるを懸の意と心得たるはひがごと(2777)なり。又十三の卷にイグシタテ云々ウズノ玉カゲミレバトモシモこは※[髪の上/舌]華《ウズ》に垂たる日影のかづらなり。十六の卷にアシ曳ノ玉カヅラノ兒とあるは足曳之とあれば山なること論なし。即ならべる歌は山縵之兒とあり
といへり。此説に從ひて玉を山の誤とし山カゲを日影のかづらと心得べし(記傳卷二十五【一五三八頁】及本書二〇〇頁參照)○トモシは二註にいへる如くメヅラシの意なるべし
    ○
3230 (帛※[口+リ]〔二字左△〕《ウチヒサス》) 楢從《ナラヨリ》いでて (水蓼《ミヅタデ》) 穗積にいたり (となみはる) 坂手を過《スギ》 (石走《イハバシノ》) かむなび山に △ 朝宮《アサミヤヲ》 仕へまつりて 吉野へと いります見れば いにしへおもほゆ
帛※[口+リ]楢從出而水蓼穗積至鳥網張坂手乎過石走甘南備山丹朝宮仕奉而吉野部登入座見者古所念
 初二を舊訓にミテグラヲナラヨリイデテとよめり。さて考に『ミテグラヲは幣ヲ持(2778)テといふをはぶけり』といへれどミテグラヲモチテを略してただミテグラヲとはいふべからず。宣長は内日刺都從出而の誤としてウチヒサスミヤコユイデテとよみ雅澄は※[口+リ]を奉の誤としてヌサマツリとよめり。案ずるに次なる穗積、坂手、甘南備山に各枕辭を加へたるを見れば初句は枕辭ならざるべからず。されば宣長のいへる如く内日刺の誤とすべし。さてウチヒサスは元來宮又は都の枕辭なれど此時の都は奈良なればウチヒサスナラヨリイデテといへるならむ。されば第二句はもとのまゝにてあるべし○水蓼を舊訓にミヅタデノとよめるを考にミヅタデヲと改めたるは卷十六に八穗蓼乎〔右△〕穗積ノ阿曾ガワキクサヲカレとあるに依れるなり。古義には『ミヅタデと四言によむべし』といへり。按ずるに水タデノ穗とかゝれるなれば後世ならばかならずミヅタデノといふべきを古言にてはミヅタデヲといひしにてそのヲは格辭にはあらで後世の歌に大原ヤヲシホノ山、カヅラキヤタカマノ山などいへるヤと相似たり。このヲをつかふ事行はれずなりてはミヅタデとやうに四言にいひ四言行はれずなりてはミヅタデノとやうにいふことゝなりしなり(ウマザケヲミワなども右に同じ)。されば誤りていにしへはヲをノの代に用ひしな(2779)りとは思ふべからず。さて今はミヅタデヲとも、ミヅタデとも、ミヅタデノとも、訓者の趣味によりてよむべし○坂手は今も磯城郡に同じ地名あり。過を考にスグリとよめるはわろし。スギをスグリといふ事なし。下なる末枝乎須具里は誤字なり。其處に至りていふべし○石走は舊訓にイハバシルとよみ考にイハバシノとよめり。石階アルといふ意とおぼゆればイハバシノとよむべし○朝宮仕奉而を考に
  奈良より飛鳥まで今道七里計あれば御使よべは其社の離宮にやどりて明る朝神の御前には仕奉るなるべし
といひ宣長は
  此歌天皇の奈良より吉野の幸の時の歌也。神なび山の行宮に一夜御止宿ありてさて明朝の御膳など仕奉てそれより吉野へ入座なり。イリマスといふにて知べし。さて此歌は神なびの行宮を立せ給ふ程などによめりけん故に反歌に其宮をよめり
といへり。宣長が行幸の時の歌とせるに從ふべし。更に按ずるに飛鳥の神名火の離宮に一泊し給ひし趣なれば其宮を朝食を奉るにつきて朝宮とはいふべからず。さ(2780)れば朝宮は夕宮の誤かと思ふに夕を朝とは誤るべからず。よりて又思ふにこはもと
  夕宮をさだめたまひて、朝宮をつかへまつりて
とありしを(從來朝宮をアサミヤニ〔右△〕とよめるはわろし。アサミヤヲ〔右△〕とよむべし)上の二句をおとしたるならむ。上二句は主にて天皇の御上についていひ下二句は副にて臣下の方よりいへるなり。カムナビ山ニ夕宮ヲサダメタマヒテの語例は卷二(二六五頁)なる高市皇子尊殯宮之時歌にアスカノ眞神ノ原ニ、ヒサカタノアマツ御門ヲ、カシコクモ定メタマヒテとあり。又朝宮夕宮を相向はせたる例は同卷なる明日香皇女木※[瓦+缶]《キノヘ》殯宮之時歌(二五五頁)にナニシカモワガオホキミノ……朝宮ヲワスレタマフヤ、夕宮ヲソムキタマフヤとあり○イニシヘオモホユを古義に『いにしへの天皇等の行幸のことの思慕はるゝとなり』といへり。按ずるに比行幸はあまたの年を經て始めて行はれしならむ。さればこそ前度の行幸(同じ御代にもあれ別の御代にもあれ)をしのびてイニシヘオモホユといへるならめ
 
  反歌
(2781)3231 月日《ツキヒハ》、攝△友《カハリユケドモ》ひさにふるみもろの山のとつ宮どころ
    右二首。但或本歌曰2ふるきみやこのとつみやどころ1也
月日攝友久經流三諸之山礪津宮地
    右二首。但或本歌曰故王都跡津宮地也
 初句を舊訓にツキモヒモとよみ考、古義にツキヒハと四言によめり。後者に從ふべし○第二句を舊訓にカハリユケドモ、古義にユキカハレドモとよめり。攝の下に往などを補ひて舊訓に從ふべし。字書に攝(ハ)代也とあり。攝位、攝政などの攝も代の意なり○ヒサニフルは久シク存ズルといふこと
   ○
3232 斧とりて 丹生《ニフ》の檜山の 木こり來て 機〔左△〕《イカダ》につくり まかぢぬき 礒こぎたみつつ 島づたひ 見れどもあかず みよし野の 瀧もとどろに おつるしら浪
斧取而丹生檜山木折〔左△〕來而機爾作二梶貫礒※[手偏+旁]囘乍島傳雖見不飽三吉野(2782)乃瀧動動落白浪
 機は契沖に從ひて※[木+伐](筏と同字)の誤としてイカダとよむべし。卷十九にもカラ人モ※[木+伐]ウカべテとあり○礒も島も吉野川に云へるなり。尾句はシラ浪ハのハを略せるなり○丹生(ノ)檜山は吉野郡にあり。折は析の誤か。左傳に其父|析《コル》v薪、其子|弗v克《アタハズ》2負荷1とあり
 
   旋頭歌
3233 みよし野の瀧動動落《タキモトドロニオツル》白浪、留西《トマリニシ》妹に見せまくほしき白浪
三芳野瀧動動落白浪留西妹見卷欲白浪
     右二首
 旋頭歌を反歌に用ひたる例なければ反歌にあらで別の歌なりといふ説(代匠記、略解)と瀧動動落白浪とある動々落は長歌の末より紛れて入りたるなれば此三字を削りてタキノシラナミとよみて短歌として反歌とすべしといふ説(考)と異體の反歌なりといふ説(古義)とあり。後者に從ふべし○留西を古義にはトドメニシとよめり。トドメならばテシといふべければもとの如くトマリニシとよむべし。トマリニ(2783)シは卷十二(二七一八頁)にもトマリニシ人ヲオモハクとありて家ニ殘リシといふ事なり
   ○
3234 (やすみしし) わごおほきみ (高照《タカテラス》) 日の皇子の きこしをす 御食《ミケ》つ國 (かむ風の) 伊勢の國は 國見者之毛〔五字□で囲む〕 山みれば たかくたふとし 河みれば さやけく清し みなとなす 海も廣〔左△〕之《ユタケシ》 見渡《ミワタス》 島△名高之《シマモナダカシ》 ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに恐《カシコシ》 山邊《ヤマベ》の いしの原に (うち日さす) 大宮|△《ドコロ》 都可倍△△△△《ツカヘマツレル》 朝日なす まぐはしも ゆふ日なす うらぐはしも 春山の しなひさかえて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地與日月共 よろづ代にもが
八隅知之和期大皇高照日之皇子之聞食御食都國神風之伊勢乃國者國見者之毛山見者高貴之河見者左夜氣久清之水門成海毛廣之見渡島名(2784)高之己許乎志毛間細美香母挂卷毛文爾恐山邊乃五十師乃原爾内日刺大宮都可倍朝日奈須目細毛暮日奈須浦細毛春山之四名比盛而秋山之色名付思吉百磯城之大宮人者天地與日月共萬代爾母我
 高照を二註にタカヒカルとよめり。宜しくタカテラスとよむべし(七四頁參照)。初四句は天皇の御事なり○キコシヲスはシロシメスなり。ミケツ國は御食料を奉る國にてこゝはミケツ國ナルのナルを略せるなり。語例は卷六にミケツ國日々ノミツギト(一〇四三頁)ミケツ國野島ノアマノ船ニシアルラシ(一〇四四頁)ミケツ國シマノアマナラシ(一一四七頁)とあり○略解に
  國見者の下、之毛の上詞おちたりと見ゆ。試にいはばアヤニクハシモなどいふ詞やありけん(○以上考の説)。又之は乏の誤にてアヤニトモシモか
といひ古義に
  國見者之毛はきはめて衍文なり。さるは次に山と河とをむかへ云てたゝへたれば初に國のことをいはむは無用なればなり。さればこの五字は上下の字どもに(2785)見混へて入しなるべし
といへり。もし脱字とせば見之乏之毛《ミノトモシモ》の脱字とすべけれど雅澄の説に從ひて衍文とすべし○廣之を舊訓にユタケシ、略解にマビロシ、古義にヒロシとよめり。寛之の誤としてユタケシとよむべし。卷三(三九八頁)にミホノ浦ノ寛《ユタケキ》ミツツモノオモヒモナシ又卷二十にウナバラノ由多氣伎ミツツとあり○見渡を略解にミワタシノとよみたれど此歌の書式にてはノはよみそへがたし。古義の如くミワタスとよむべし○島名高之を略解にシマノナタカシとよめるを古義に名を毛の誤としてシマモタカシと六言によみ改めたれど島にタカシといはむはふさはず。宜しく島の下に毛の字を補ひてシマモナダカシとよむべし。この島を略解に志摩とせるは非なり○ココヲシモマグハシミカモの前に古義にソコヲシモウラグハシミカの二句を補ひて
  曾許乎志毛浦細美香の九字はきはめてあるべきを寫し脱せることしるし。其よしは下の方に朝日ナスマグハシモ、ユフ日ナスウラグハシモと目細と浦細と二(ツ)をいひて上をうけたりときこゆるにその下に照すべきマグハシとウラグハシ(2786)との二(ツ)をいはずしては、たちまち合はぬことなるを思ふべし。初に目《マ》グハシク心《ウラ》グハシキ故ニカコノ五十師《イシ》(ノ)原ニ大宮造リ仕奉リケムとおしはかりたる如くにいひおきて後に今ヨクミレバゲニモ目グハシモウラグハシモとさだめて云る趣なるをよく味ひ考べし。されば右の二句をしばらくくはへ入たるなり
といへり。按ずるに此説打見にはいみじけれど朝日ナスマグハシモ以下は別歌とおぼゆれば其四句との照應を顧慮するには及ばず。されば通本のまゝにてあるべし。さてマグハシはウラグハシとおなじくウルハシといふ事なり。二註にマグハシのマを目の意として『見る目のうるはしき也』といひ『見ることのよきをいふ詞なり』といへれどマグハシのマは眞なるべし。カナシをウラガナシとも眞ガナシともいふを思へ○カケマクモアヤニカシコシは申スモ甚恐多シとなり。恐は古義に從ひてカシコシとよみ切るべし。此二句は挿句なり○山邊を略解にヤマノヘとよみ古義にヤマベとよめり。此地鈴鹿郡にありて今はヤマベといふとぞ(一二六頁參照)。玉勝間卷三に
  萬葉集の歌によめる伊勢國の五十師《イシ》(ノ)原、山邊(ノ)御井は鈴鹿郡にて今も山邊村とい(2787)ふ所なり。そこに山邊(ノ)赤人の屋敷跡といひ傳へたる地あり。……さてイシノ原といふ名のよしは今石藥師(ノ)驛に石藥師とて寺ありて石の佛をまつれる、そは地の上におのづから立る大きなる石のおもてに藥師といふ佛のかたをゑりつけたるにて此石あやしき石なり。これによりて思ふに佛をゑりたるは法師の例のしわざにて後の事にて、もとは上つ代より此あやしき石のありしによりてぞイシノ原とは名に負たりけむ。今もそのあたりひろくかの山邊村のきはまで同じ野のつづける所なり。かくて萬葉集十三の卷なるかの長歌は持統天皇の此國に行幸ありしをりの行宮のさまをよめりと聞えたればかの赤人の屋敷跡といふなる地ぞその行宮の跡なるべき。……さてそのあたりより伊勢の海よく見渡されてこゝより見ればまことにミナトナスとよめるさまなり。尾張參河の山々もいせの山々島々もよく見え高岡川といふ川、村の東を流れてまぢかく見おろさるゝなどすべてかの長歌のけしきによくかなへる所なり
といへり○大宮都可倍を略解に考の説を承けて
  大神宮の御事は天皇の大宮とひとしく申せり。是より下は齋王の神宮に仕奉給(2788)ふさまをいふ
といへるが非なる事はいふまでもなけれど宣長が
  ただ天皇に仕奉る女官たちなること論なきものをや
といへるも亦非なり。こは行宮ヲ造リ奉リといふ事なり。すなはち古義に
  大宮ヅカヘは大宮を造奉るにて持統天皇の行宮なり
といへる如し。さればツカヘのツは清みて唱ふべし。さて上なるココヲシモマグハシミカモの結はいづれの辭とかせむ。古義に
  此句の下に大宮造リ仕ヘマツリケムといふ辭を假に加へて意得べし
といへれどこゝにさる辭を補ふべくば更に其次にウチビサス大宮ツカヘといふべけむや。案ずるに大宮ツカヘといふ句下へもつづかず。されば大宮都可倍はもと大宮地、都可倍麻都禮流などありしが落字を生じたるにて以上の歌はこゝにて終れるなり
 
朝日なす まぐはしも ゆふ日なす うらぐはしも (春山の) しなひさかえて (秋山の) 色なつかしき (ももしきの) 大宮人は 天地《アメツチ》(2789)與日月共 よろづ代にもが
 大宮人といへるは從駕の宮女にて此一篇は宮女のうるはしきをめでて人の作れるなり。考に
  ハル山ノより下は齋王にしたがひ奉る命婦采女女嬬などの有樣をいふ
といへるはいみじき誤なり○朝日ナスマグハシモ、ユフ日ナスウラグハシモの四句は一篇の冒頭の調なり。これにてもアサ日ナス以下が前とは別なる歌なる事を悟るべし○シナヒは靡キなり。卷十(二一八五頁)に秋ハギノシナヒテアラム妹ガスガタヲ、卷十一(二四八一頁)にワギモコヲキキツガ野邊ノ靡合歡《シナヒネブ》といひまた青柳ガシナヒ、藤ノシナヒといへるシナヒなり。サカエテのテは後世は用ひず(一〇三七頁參照)○天地與日月共を從來與を上に附けてアメツチトとよめり。こはアメツチ、ヒツキトトモニとよむべきにて正しく書かば與天地日月共と書くべきなれど日月以下句かはりたればさは書かれぬなり。卷二(三一五頁)には天地《アメツチ》、日月與共《ヒツキトトモニ》と書けり○ヨロヅ代ニモガは萬歳ナレカシとなり
 
(2790)3235 山邊のいしの御井〔二字左△〕はおのづから成れる錦をはれる山かも
山邊乃五十師乃御井者自然成錦乎張流山可母
     右二首
 玉勝間〔日が月〕卷三に
  此山邊村はその野(○まりが野)の東のはづれの俄にくだりたるきはの低き所なる故に東の方より見れば小山の麓なり。さればかの長歌の反歌にオノヅカラナレル錦ヲハレル山カモとよめるも西の方よりはただ平なる地の續なれども東より見たる樣によりて山とはいへるなりけり。錦ヲハレルとはかの行幸は六年の三月なれば櫻桃などの花をいへるか。又は大寶二年十月にも同じ天皇參河國に行幸ありしかば其時にてもあらむか。もし然らば行宮は參河への途次の行宮にて錦は紅葉なるべし。とにかくに長歌のやう女房たちの宮づかへのさまをよめりと聞ゆれば必持統天皇なるべし
といへり。前の歌には女房たちの宮づかへの樣は見えねど(大宮ツカヘは宮を造る事なる由上にいへる如し)次なる長歌に若き宮女たちのあまた從駕せる趣見ゆれ(2791)ばげに女帝の行幸なるべし。又卷六(一一六六頁)に錦ナス花サキヲヲリとありて春(五字ほど判讀不能)花をも錦にたとへたる例あればニシキヲハレルを紅葉とは定めがたき事も宣長のいへる如し。オノヅカラナレル錦は天然の錦なり。宣長は又
  御井はそこ(○所謂赤人の屋敷跡)より南のすこし西の方へくだりたる谷あひの田の中にあり。……今は井の形だに殘らず皆田になりてただいさゝかなる所に古き松一もとたてるのみなるを此松の木なん御井の跡なるといへり。……さて又かの赤人屋敷といふ所より東北の方へくだれる所にも古く見ゆる井あり。山邊村の東南のはづれの所なり。こは世の常の井のさまに石を積廻らして水もあり。此水いみじき旱にも涸れずと里人いへり。そもそもいにしへの御井は此二つのうちいづれならん定めがたし。……五十師《イシ》(ノ)原山邊は疑なく此處にて赤人屋敷といふ地ぞ行宮の御跡なるべく又御井もかの二つの内ははづるべからずとぞ思はるゝ
といへり○第二句にイシノ御井者とある不審なり。イシノ原者とあるべきなり○此歌は第一の長歌の反歌なり(2792)左註に右二首とあるは二首の長歌の混じて一となれる後に書けるなり
    ○
3236 (空みつ) やまとの國 (あをによし) なら山こえて 山しろの つづきの原 (ちはやぶる) うぢのわたり 瀧の屋の あごねの原を 千とせに かくることなく よろづよに ありがよはむと 山科の いは田の森の すめ神に ぬさとりむけて 吾はこえゆく あふ坂山を
空見津倭國青丹吉寧〔右△〕山越而山代之菅〔左△〕木之原血速舊于遅乃渡瀧屋之阿後尼之原尾千歳爾闕事無萬歳爾有通將得山科之石田之森之須馬神爾奴左取向而吾者越往相坂山遠
 ウヂノワタリは宇治の渡津なり。瀧ノ屋ノアゴネノ原は山城國字治郡にあるべし。さて山シロノよりアゴネノ原ヲまではアリガヨハムにかゝれるなり。トリムケテはすなはち手向ケテなり○此歌は故ありて奈良より近江にかよふ人のよめるな(2793)り○寧の下に樂をおとせり。菅は管の誤なり
   或本歌曰
3237 (あをによし) なら山すぎて (もののふの) 氏川わたり (をとめらに) あふ坂山に たむけぐさ 絲〔左△〕《イ》とりおきて (わぎもこに) あふみの海の おきつ浪 來因《キヨル》濱邊を くれぐれと 獨ぞわがくる 妹が目をほり
緑青〔左△〕吉平山過而物部之氏川渡未通女等爾相坂山丹手向草草絲取置而我妹子爾相海之海之奥浪來因濱邊乎久禮久禮登獨曾我來妹之目乎欲
 絲を舊訓にイとよめるを眞淵以下幣又は麻の誤としてヌサとよめり。按ずるに卷一(五五頁)に
  しら浪の濱松がえのたむけぐさいく代までにか年のへぬらむ
とありてタムケ草は即幣なり。さればタムケ草ヌサとは重ねいふべからず。絲はもと伊とありしを文字の消失せし後、訓にイトリオキテとあるをイトトリオキテと(2794)見まがへて絲の字を填めしならむ。さて伊は添辭なり○上にヲトメラニアフ坂山といひて更にワギモコニアフミノ海といへる拙し。來因を舊訓にキヨルとよめるを古義にキヨスと改めたり。もとのまゝにて可なり○クレグレトははやく卷五(九六二頁)に見えたり。ハルバルトといふ事なり。中世の歌謡にも
  甲斐の國よりまかり出て、信濃のみ坂をくれぐれとはるばると〔十字傍点〕、とりの子にしもあらねども、うぶげもかはらでかへれとや
といへるがあり。或は漢語の杳《エウ》々の直譯ならむか○こは近江に妻をおきたる人の奈良よりのかへるさによめるなり。通本に或本歌曰とありて前の歌の異傳としたれど別の歌なる事二註にいへる如し○因にいふ。寧樂の枕辭なるアヲニヨシを古義に青土《アヲニ》ネヤシの意として『古來此枕辭の義を解得たる人一人もなし』と言擧したれどアヲニヨシのヨシはアサモヨシのヨシとおなじく助辭にて麻裳ヨシ著《キ》とかかれるが如く青土ヨシ平《ナラ》とかゝれるなり。青土は青色の粘土なり。奈良山には今も粘土多くその中には青色なるもあり○青は諸本に丹とあり
 
   反歌
(2795)3238 相坂をうちでてみればあふみの海しらゆふばなに浪たちわたる
相坂乎打出而見者淡海之海白木綿花爾浪立渡
     右三首
 アフ坂ヲのヲはヨリなり。シラユフバナニはシラユフ花トにてそのシラユフ花は木綿もて造れる花なり。はやく卷七(一二四五頁)にシラユフ花ニオチタギツとあり○左註に右三首とあれど此歌は第二の長歌の反歌にて第一の長歌と相與からず。眞淵が前の歌の反歌とせるは非なり。されば第一の長歌の後に右一首とありてここに右二首とあるべきなり
    ○
3239 あふみの海 泊八十あり 八十島の 島の埼ざき あり立《タツ》有〔□で囲む〕 花橘|乎〔左△〕《ノ》 ほつえに もちひきかけ なかつ枝に いかるがかけ しづえに しめを懸△《カケタリ》 己之《ナガ》母を とらくを不知《シラズ》 己之《ナガ》父を とらくをしらに 伊〔左△〕《ア》そばひをるよ いかるがとしめと
(2796)近江之海泊八十有八十島之島之埼邪伎安利立有花橘乎末枝爾毛知引懸仲枝爾伊加流我懸下枝爾此米乎懸己之母乎取久乎不知己之父乎取久乎思良爾伊蘇婆此座與伊加流我等此米登
     右一首
 卷七(一二八一頁)に近江ノ海ミナトハ八十《ヤソヂ》とあり。又卷十(二〇七三頁)にアマノカハ河門|八十《ヤソ》アリとあり〇八十島の上にソノを加へて心得べし○安利立有を從來アリタテルとよめり。後世は立の下に有を添へてタテリといふをいにしへは立の上に添へてアリタツともいひしにてアリタツはやがてタテリなればタテリの上に更に有を添へてアリタテリとはいふべからず。されば有を衍字としてアリタツと四言によむべし。古義の説は非なり○花橘乎の乎は之の誤なることしるし○シメヲ懸の下に有の字あるべし○天野政徳隨筆卷一に
  おのれいとけなき比の遊に高ハゴといふ物を木にかけて小鳥を取てあそべり。其製木の枝にもちをぬりて高く茂りたる梢に出し其木に囮を籠に入れてこれ(2797)を木の半に糸もて引あげおけばおのがさまざま音になくを渡り來る秋の色鳥おのれが友とや思ふらん其木におりたゝんとして黐ぬりたる枝にかゝるなり。凡八月半より十一月半迄の事なり。鳥はヒハジメ、カハラヒハ、目白、アトリ、ヌカヒハ、連雀、イカルガ、山ガラ、四十ガラ、小ガラの類なり。此わざ始まりしは近き世の事かとおもひしに萬葉集十三雜歌にアフミノ海泊八十アリ云々かく見え又倭名鈔※[田+のぶん]獵具に※[手偏+(竹/夾)]《セキ》(ハ)所責反、漢語抄云波賀〔二字右△〕、所2以捕1v鳥也と見ゆ。いにしへはハカといひ今はハゴとよぶ。さればハゴかけて鳥を取し事いと古し。……此わざ萬葉の比すでにあれば夫より古くもあるなるべし。又いと後ながら參考保元物語の三の卷爲朝鬼が島渡りのくだりに
  網引體も見えず釣する舟もなし。又波加〔二字右△〕も立ずもろ繩も引ず、いかにして鳥を取ぞと問給ふ
とも見ゆ
といへり○己之はナガとよむべし(一七四七頁參照)。ナガ母ナガ父といへるは囮の親なり。トラクヲは取ル事ヲなり〇不知を略解にシラズ、古義にシラニとよめり。對(2798)句は成るべく辭を換ふるをよしとすれば不知はシラズとよむべし。こゝを不知とかき次なるを思良爾と書きたるは適にこゝはシラズとよむべきを知らせたるなり○伊ソバヒの伊は阿の誤なる事考にいへる如し○寓意ある歌とおぼゆ
    ○
3240 おほきみの 命かしこみ みれどあかぬ なら山こえて (眞木積《マキツム》) いづみの河の 速瀬《ハヤキセヲ》 さをさしわたり (ちはやぶる) うぢのわたりの たきつ瀬を 見つつわたりて 近江道の あふ坂山に たむけして 吾越往《ワレハコヘユク》者〔□で囲む〕 ささなみの しがのから埼 さきからば 又かへりみむ 道のくま 八十くま毎に なげきつつ わがすぎゆけば いやとほに 里さかりきぬ いや高に 山もこえきぬ つるぎだち 鞘ゆぬきでて いかご山 如何《イカニカ》わがせむ ゆくへしらずて
王命恐雖見不飽楢山越而眞木積泉河乃速瀬竿刺渡千速振氏渡乃多企都瀬乎見乍渡而近江道乃相坂山丹手向爲吾越往者樂浪乃志我能韓埼(2799)幸有者又反見道前八十阿毎嗟乍吾過徃者彌遠丹里離來奴彌高二山文越來奴劔刀鞘從拔出而伊香胡山如何吾將爲往邊不知而
 眞木積を略解にマキツメルとよめり。古義に從ひてマキツムとよむべし。泉河の准枕辭なり○速瀬を二註にハヤキセニとよめり。ハヤキセヲとよみ改むべし○往者を從來ユケバとよみたれどさては次なるササナミノシガノカラ埼サキカラバ又カヘリミムと相つづきて却りてかなはず。おそらくはもと吾越往(又は吾者越往)とありしが下なる吾過往者よりまぎれて今の如く吾越往者となれるならむ。されば此句はワレハコエユクとよみて句絶とすべし○ササナミノシガノカラ埼の二句はサキカラバの序の如く見ゆれど實は然らず。モシ幸カラバ滋賀ノ辛埼ヲ又カヘリ見ムといへるなり○ミチノクマ以下は卷二(一八〇頁)なる人麻呂の長歌に
  この道の八十くまごとに、よろづたびかへりみすれど、いや遠に里はさかりぬ、いや高に山もこえきぬ
とあるを學べるなり。ミチノクマは道の曲角なり○ツルギダチ鞘ユヌキデテイカゴ山は如何《イカニカ》にかゝれる序なり。伊香胡山は近江より越前に出づる時越ゆる山なり。(2800)今は其山を越ゆとて其山の名を序に借りたるなり○如何を從來イカガとよみたれど本集以前にイカガといへる例なし。さればイカニカとよむべし。イカガはやがてイカニカの略なり○ユクヘは前途なり。ユクヘシラズテは前途如何ナルカヲ知ラズシテとなり。ミレドアカヌナラ山コエテといひサキカラバ又カヘリミムといひユクヘシラズテといへるを思へば尋常の旅行にあらず。卷二なる彼有間皇子の御歌にも
  いはしろの濱松がえをひきむすびまさきくあらばまたかへりみむ
とあり
 
   反歌
3241 天地を難〔左△〕《ナゲキ》こひのみさきからば又かへりみむしがのから埼
天地乎難乞祷幸有者又反見思我能韓埼
   右二首。但此短歌者或書云。穗積朝臣|老《オユ》配2於佐渡1之時作歌者〔□で囲む〕也
 アメツチヲはナゲキを越えてコヒノミにかゝれるなり。さてアメツチニといふべ(2801)きが如くなれど卷十五にアメツチノカミ乎コヒツツアレマタム又卷二十にアメツチノカミ乎コヒノミナガクトゾオモフとあり○難は考にいへる如く歎の誤ならむ。左註の者は衍字か
 左註に短歌の方を穗積(ノ)老が佐渡に流されし時の歌とせる書ありといへるを考以下に長歌も同人同時の作ならむといへり。げに然らむ。老は元正天皇の養老六年に佐渡に流され十八年を經て聖武天皇の天平十二年に赦に遭ひし人なり。卷三(三九三頁)にも此人のよめる
  わが命しまさきくあらばまたもみむしがの大津によするしら浪
といふ歌あり。これを彼卷に行幸の御供にてよめりとしたれどワガ命シマサキクアラバ又モミムといへる、尋常の調にあらず。又後年同じ處を過ぎて同じやうなる歌を作るべきにあらず。おそらくはワガ命シといふ歌もこゝの長短二首と共に佐渡に流さるゝ時によみしならむ
    ○
3242 (百岐年〔二字左△〕《モモヅタフ》) みぬの國の 高北の くくりの宮〔左△〕《サト》に (日向爾《ヒムカヒニ》) 行靡闕〔左△〕矣《キラキラシコヲ》 (2802)ありとききて 吾通路之《ワガカヨフミチノ》 おぎそ山 みぬの山 なびけと 人はふめども 如此〔二字左△〕《カタ》よれと 人はつけども こころなき山|之〔左△〕《ゾ》 おぎそ山 みぬの山
百岐年三野之國之高北之八十一隣之宮爾日向爾行靡闕矣有登聞而吾通道之奥十山三野之山靡得人雖跡如此依等人雖衝無意山之奥礒山三野之山
     右一首
 冠辭考に百岐年を百詩年の誤としてモモシネとよみて美濃にかゝれる枕辭とせり。下に百小竹之《モモシヌノ》三野(ノ)王とあれば此説よろしきに似たれど小竹《シヌ》をシネとはいふべからざる事古義にいへる如し。古義には百傳布の誤としてモモヅタフ角鹿、モモヅタフ度逢縣などの類とせり。しばらく此説に從ふべし○ククリは美濃國|可兒《カニ》郡の地名なり。高北は郷名ならむククリノ宮とある、いぶかし。昔景行天皇一女子を召さむが爲に泳《ククリ》(ノ)宮にましましし事同天皇紀四年に見えたれどそを泳宮といひしは天(2803)皇のましましし爲のみ。こゝはククリノ里とあるべきなり○日向爾行靡闕矣を略解にヒムカヒニユキナビカクヲとよみ古義に日月爾行麻死里矣の誤としてツキニヒニユカマシサトヲとよめり。思ふに行靡は佳麗の誤か。さらばキラキラシとよむべし。安康天皇紀に例あり。闕は兒の誤か。さらばヒムカヒニキラキラシコヲとよみてヒムカヒニを枕辭とすべし○吾通道之を從來ワガカヨヒヂノとよみたれどさてはアリトキキテの収まる處なし。宜しくワガカヨフミチノ又はワガユクミチノとよむべし。はやく卷七(一二五五頁)なる
  妹がりとわが通路のしぬすすきわれしかよはばなびけしぬ原
の處にもいへり○オギソ山は大岐蘇山にてミヌノ山は美濃國の山々なり。此等の山を越えて行くを思へば作者は信濃國より妻よばひに美濃國にゆくなり○人といへるは作者自身なり○如此依は片依の誤ならざるか。もとのまゝにてはナビケトと對せず。山路こえゆくが苦しさにナビケ、カタヨレと希ふなり○古義に『之は曾の誤か』といへり。之に從ふべし。上なるウラグハシ山ゾ、ナク兒モルナス人ノモル山と同格なり
(2804)    ○
3243 をとめらが 麻笥《ヲケ》にたれたる うみ麻《ヲ》なす 長門の浦に 朝なぎに みちくる鹽之〔□で囲む〕 ゆふなぎに 依《ヨリ》くる波乃〔□で囲む〕 そのしほの いやますますに その浪の いやしくしくに 吾妹子に こひつつくれば 阿胡の海の ありそのうへに 濱菜つむ あまをとめ等△《ラガ》 纓有《ウナギタル》 領巾《ヒレ》もてるがに 手にまける 玉もゆららに しろたへの 袖ふる見えつ あひもふらしも
處女等之麻笥垂有續麻成長門之浦丹朝奈祇爾滿來塩之夕奈祇爾依來波乃波〔左△〕塩乃伊夜益升二彼浪乃伊夜敷布二吾妹子爾戀乍來者阿胡之海之荒磯之於丹濱菜採海部處女等纓有領巾文光蟹手二卷流玉毛湯良羅爾白栲乃袖振所見津相思羅霜
 初三句は長門之浦にかゝれる序なり。卷六(一〇三八頁)にもウミヲナス長柄ノ宮ニとあり。續麻の續は績の俗體なり。長門ノ浦は安藝國安藝郡に屬せる倉橋島の南端に(2805)て今|本《?》浦といふ處なりとぞ。卷十五にも見えたり○依を古義にヨセとよみたれど舊訓の如くヨリとよみて可なり。ヨリといふが常の格にてそを所謂復己動詞として(紅葉にソムルといひ露霜にオクといふが如く)ヨセともいひ、そのヨセを古くはヨシといひしなり○ミチクル塩之、ヨリクル波乃の之、乃は衍字ならむ○波塩の波は彼の誤なり。ソノシホノイヤマスマスニの語例は卷四(七一六頁)に蘆邊ヨリミチクル塩ノイヤマシニ、卷十二(二七一〇頁)にミナトミニミチクルシホノイヤマシニとあり○コヒツツクレバとあるを考、略解に歸京の途とせるはいかが。地方に下る途ならむ。クルといへるは無論船にて來るなり○阿胡之海を備中傭後の内にあるべしといへる眞淵の説も、攝津國の奈呉の海なりといへる説も共に非なり。長門(ノ)浦より西の方にあるべし。今の長門國阿武郡なる萩※[さんずい+彎]の事なりといへる説はたうべなひがたし。長門(ノ)浦と遠からざる處にて海岸に近づきて船の航行する處ならではかなはず○濱菜は海邊に生ずる食料とすべき草なり。海藻にはあらず○等はラガとよむべし。古義にドモとよめるはわろし。冒頭なる處女等之の例によらば略解にいへる如く等の下に之の字を補ふべし○纓有以下四句は挿句にてアマヲトメラ(2806)ガはシロタヘノ袖フル見エツにつづけるなり○纓有を二註にウナガセルとよめり。宜しくウナギタルとよむべし。ウナグは頸にかくる事なり。テルガニは照ルバカリなり。ユララニはユラユラトなり。若き海女等が海岸近く行く船に向ひて戯に袖を振る趣なり○アヒモフラシモは先方ニモ氣ガアルサウナとなり。略解に『これは吾故郷の妹をこひつゝくれば此海士處女も吾妹を相思ふやらん袖をふるといふ意なり』といへるが妄なる事は古義に指摘したる如し
 
   反歌
3244 阿胡の海のありその上のさざれ浪わがこふらくはやむ時もなし
阿胡乃海之荒礒之上之小浪吾戀者息時毛無
     右二首
 卷十一(二三九七頁)にワガコフラクハヤム時モナシ、下なる長歌にもワギモコニワガコフラクハヤム時モナシとあり。但今はもとヤム時モナシワガコフラクハとありしが顛倒せるならむ。上三句は序なり
(2807)    ○
3245 天《アマ》橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月《ツク》よみの 持有越水《モタルヲチミヅ》 いとり來て きみにまつりて 越得之早〔三字左△〕物《ヲチシメムモノ》
天橋文長雲鴨高山文高雲鴨月夜見乃持有越水伊取來而公奉而越得之早物
 高山に對してアマ橋モといひ天ハシに對してタカ山モといへるなり。アマ橋は天にかよふ橋なり○持有越水は久老(槻の落葉三之卷別記三一丁)に從ひてモタルヲチミヅとよむべし。ヲチ水は飲めば若返る水なり○イトリのイは添辭なり。上にもタムケグサイトリオキテとあり。越得之早物を久老は早を牟の誤としてヲチエシムモノとよみ田中大秀は早を目牟の誤とせり。案ずるに早は牟を誤り得之は之目を顛倒したる上、目を得に誤れるならむ。さればヲチシメムモノとよむべし。ヲチシメムモノとは若返ラシメムモノヲとなり
 
   反歌
(2808)3246 天有哉《アメナルヤ》、月日〔二字左△〕《ヒツキ》の如くわがもへるきみが日にけにおゆらくをしも
天有哉月日如吾思有公之日異老落惜毛
     右二首
 古義に有を照の誤としてアマテルヤとよみ改めたり。もとのまゝにて可なり○月日はげに古義にいへる如く日月の顛倒なり。天象にはヒツキといひ歳時にはツキヒといふ例なればなり。さて日月ノゴトクは日月ヲ仰グ如クとなり。古義に『日と月との如く長く久しく老いず死なずていつもかはらずあれかしと思ふとの謂なり』といへるは非なり
    ○
3247 沼名《ヌナ》河の 底なる玉|△《ヲ》 もとめて得之《エシ》玉〔□で囲む〕がも 拾ひて得之《エシ》玉〔□で囲む〕がも あたらしき君が おゆらくをしも
沼名河之底奈流玉求而得之玉可毛拾而得之玉可毛安多良思吉君之老落惜毛
(2809)    右一首
 契沖は
  沼名河は天上にある河なるべし。神代紀上云、天(ノ)沼名井《ヌナヰ》亦(ノ)名(ハ)去來之眞名井《イザノマナヰ》、神武紀云、神沼名河耳《カムヌナガハミミ》ノ尊是は綏靖天皇の御名なり。天武天皇をば天(ノ)渟中原瀛《ヌナハラオキ》(ノ)眞人(ノ)天皇と申奉れば此等を引合せて知るべし
といひ雅澄は
  沼名河は天(ノ)安河の中にある渟名井と同じ處を云なるべし。……さて渟名と書るは借字にて瓊之井《ヌナヰ》といふなるべし。さるは上古より其井底に瓊ありしが故にしか名に負るなるべし。……かの渟名井も安河の流の中にあればいにしへ瓊之井とも瓊之河とも云しならむとおもはるゝなり。かしこけれども神|沼《ヌナ》河耳命と申す御名も此河に依て負せたまへるなるべし
といへり(記傳卷七【四〇二頁】參照)。沼名河とあるは或は沼名井の誤にあらざるか○底奈流玉の下に乎を脱せり。補ふべし○得之玉可毛を從來エテシ玉カモとよめり。可毛の上なる玉は二つながら衍字なり。削りてエシガモとよむべし。エテシガモをエシ(2810)ガモといふは古今集なるカヒガネヲサヤニモ見シガと同格なり○後の可毛の次にソヲ君ニ奉リテ若エシメムといふことを補ひてきくべし
 
  相聞
    ○
3248 しきしまの やまとのくにに 人さはに みちてあれども (ふぢなみの) おもひ纏《マツヒ》 (若草の) おもひつきにし 君自〔左△〕《キミガメ》に こひやあかさむ ながきこの夜を
式島之山跡之土丹人多滿而雖有藤浪乃思纏若草乃思就西君自二戀八將明長此夜乎
 このヤマトノクニは日本國なり。大和國にあらず。初四句の語例は卷十一(二二五三頁)にウチ日サス宮道ヲ人ハミチユケドとあり○纏を契沖はマトハレとよみ眞淵以下は六帖によりてマツハシとよめり。マツハシは令纏なればこゝにかなはず。宜(2811)しくオモヒマツヒと六言によむべし。自を契沖は六帖に依りて目の誤とせり。元暦校本にも目とあり
 
   反歌
3249 しきしまのやまとのくにに人ふたりありとしもはばなにかなげかむ
式島乃山跡乃土丹人二有年念者難可將嗟
     右二首
 君唯一人卜思ヘバコソカクハ嘆クナレとなり○下にもナニニカを難二加と書けり
    ○
3250 あきつ島 やまとの國は 神《カム》からと 言擧せぬ國 しかれども 吾《ワ》はことあげす 天地の 神も甚《ハナハダ》 わがおもふ 心しらずや (往影乃) 月もへゆけば (玉限《タマカギル》) 日もかさなりて おもへかも 胸やすからぬ こふれかも 心のいたき 末つひに 君にあはずば 吾命の いけ(2812)らむきはみ こひつつも 吾は度らむ (まそ鏡) 正目《タダメ》に君を あひ見てばこそ 吾戀やまめ
蜻島倭之國者神柄跡言擧不爲國雖然吾者事上爲天地之神毛甚吾念心不知哉往影乃月文經往者玉限日文累念戸鴨※[匈/月〕不安戀列鴨心痛末遂爾君丹不會者吾命乃生極戀乍文吉者將度犬馬鏡正目君乎相見天者社吾戀八鬼〔左△〕目
 神柄は古義に從ひてカムカラとよむべし。さてその神柄を略解に神ニテ在ママニと譯し古義に神ユヱトと譯せり。國ガラトシテといふ意なり。はやく卷六(一〇二一頁)にも神カラカタフトカルラム國カラカ見ガホシカラムとあり○言擧セヌ國を略解に『人の心足らひて願ごとせぬと也』といひ古義に不平を云はぬ國の意とせる共に非なり。口ニ出サヌ國といふ意なり○往影乃を宣長はアラタマノの誤なるべしといへり。なほ考ふべし○オモヘカモ、コフレカモは思ヘバニヤ、戀フレバニヤなり○マソ鏡は辭を隔てゝ見テにかゝれるなり。正目を略解に『佛足石歌にヨキヒト(ノ)麻佐米ニミケムとあり』といひてマサメとよみたり。卷九に直目ニミズバ(一八二七頁)直目ニミケム(一八四七頁)とあり卷十二(二六二〇頁)に直目ニ君ヲ見テバコソとあるのみならずタダカを正香と書きたれば正目もタダメとよむべし。但タダ目とマサ目とは同意なり○アヒ見テバはアヒ見タラバなり。終句は吾戀ガ止マメとなり。卷四に
  ただにあひて見てばのみこそたまきはる命にむかふ吾戀やまめ
 又卷十二に
  まそかがみ直目に君を見てばこそ命にむかふ吾戀やまめ
とあり○鬼は魔の誤か
 
   反歌
3251 (大舟の)おもひたのめる君故につくす心はをしけくもなし
大舟能思憑君故爾盡心者情〔左△〕雲梨
 古義に
  君故爾は多くは君ナルモノヲといふ意に心得ることなれどこゝは尋常の如く(2814)君ナルガ故ニの意なり
といへり。集中には此種のユヱニも少からず。君ユヱニは君ノ爲ニなり。古義の譯は當らず○男の故ありて久しく來らぬ程によめるなり。此歌の次に右二首とあるべきなり○情は惜の誤なり
    ○
3252 (久堅の)みやこをおきて(草枕)たびゆく君をいつとかまたむ
久堅之王都乎置而草枕覊往君乎何時可將待
 都を天に擬へて久カタノといふ枕辭を冠らせたるならむ○古今集離別歌に
  すがるなく秋のはぎ原あさたちてたびゆく人をいつとかまたむ
とあり○此歌は別離の歌にて前の長歌の反歌にあらざる事前註にいへる如し。此歌の次に右一首とあるべし
 
   柿本朝臣人麿歌集歌曰
3253 葦原の 水穗の國は 神在隨《カムナガラ》 事擧せぬ國 然れども ことあげぞ (2815)わがする 言幸《コトチハヒ》 まさきくませと つつみなく △福座者《マサキクマサバ》 (ありそ浪) ありても見むと △百重波《イホヘナミ》 千重浪|爾敷〔二字左△〕《シキニ》 言擧爲〔左△〕吾△《コトアゲゾワガスル》
葦原水穗國者神在隨事擧不爲國雖然辭擧叙吾爲言幸眞福座跡恙無福座者荒磯浪有毛見登百重波千重浪爾敷言上爲吾
 神在隨は眞淵のカムナガラとよめるに從ふべし。さて略解に『神ニテ在ママニといふ意なる事をしらせん爲に在の字を添たり』といへり。案ずるにこゝに神在隨と書けるを見ればカムナガラは神タルママニといふ事なり。さてこゝの神ナガラは國タルママニといふ事なれば前の長歌に神カラトといへるとほぼ同意なり。前人此語の意を誤解せり○言幸を從來コトサキクとよめり。宜しくコトチハヒとよむべし。言靈ガチハヒ祐ケテとなり○マサキクマセト言擧ゾワガスルと返るなり○福座者を從來サキクイマサバとよめり。上にマサキクマセトとあり反歌にもマサキクアリコソとあれば福の上に眞の字を補ひてマサキクマサバとよむべし○アリテモ見ムはナガラヘテモ見ムなり○百重波は略解に『五百重波の五を脱せるか』と(2816)いへり。げに然るべし○爾敷は眞淵の改めたる如く敷爾の顛倒なり。シキニは頻ニにて五百重波千重波までは一種の序なり。語例は卷三(四九八頁)に
  ひと日には千重浪敷爾おもへどもなぞ其玉の手にまきがたき
とあり○結句は言上烏吾爲とありし烏を爲に誤り下の爲を衍字として除きたるなるべし。コトアゲゾワガスルとよみて上と照應せしむべし。二三の本に結句の下に更に言上爲吾とあれど今云ひし如くこのコトアゲゾワガスルは上なると照雁したるなれば更にそを繰返すべきにあらず○此歌アリソ浪と五百重波千重浪とを枕辭に借りたるより察すれば船に乘りて遠く行く人の別に作れるなり。さて前の歌とは無論相與る所は無きを初六句が相似たれば古人が前の歌の因に記しおきしを後人がよくも思はで前の歌の異傳と心得て次の反歌の左に右五首とは書けるなり
 
   反歌
3254 しきしまのやまとの國はことだまのたすくる國ぞまさきくありこそ
志貴島倭國者事靈之所佐國叙眞福在與具〔左△〕
(2817)     右五首
 言靈は近くは卷十一(二三三六頁)に見えたり○具は其の誤か(二〇八〇頁參照)
     ○
3255 いにしへゆ いひつぎくらく 戀すれば 安からぬものと (玉(ノ)緒の) つぎてはいへど をとめらが 心をしらに 其《ソヲ》しらむ よしのなければ (なつそひく) 命〔左△〕號貯〔左△〕《ウナカタブケ》 (かりごもの) 心もしぬに 人しれず もとなぞこふる いきのをにして
從古言續來口戀爲者不安物登玉緒之繼而者雖云爲女等之心乎胡粉其將知因之無者夏麻引命號貯借薦之心文小竹荷人不知本名曾戀流氣之緒丹四天
 ツギテハイヘドはやがてイヒツギクレドにて上なるイヒツギクラクと照應せるなり。なほ某ノ云ヘラク何々卜云ヘリといふが如し○其を眞淵以下ソコとよめり。宜しくソヲとよむべし○命號貯は冠辭考ナツソ引の處に
(2818)  萬葉卷七に夏|麻《ソ》ヒクウナガミ滷ノ、卷十四に奈都蘇妣久字奈比ヲサシテ云々こは陸田《ハタ》に生立たる麻を六月に根引すれば夏麻ヒク畝《ウネ》といひつづけたりと或人いへり○卷十三に夏麻引命號貯……まづ冠辭は夏麻ヒク畝とつづけて右に同じ。歌の意は古事記にヤマトノヒトモトズスキ宇那加夫斯とよみ給へるに同じく妹戀わびつゝ項をかたむけて思ひなやむをいへり。さてそのウナカブシに命號の字を書るは紀に命令二字を各ウナガシと訓て語の相似たれば字も訓も借たる也。且貯をマケと訓は設をマケとよむに同じ。是も借字にて向《ムケ》てふ意也。……こゝは項片向《ウナヲカタムケ》也
といへり。命號をウナガシとよむべくともウナカブシとはよむべからず。ウナカブシは項を傾くる事にてウナガシとは同意ならざればなり。雅澄は命を念の誤としてオモヒナヅミとよめり。此説の如くばナツソヒクはいかにかゝれる枕辭とかせむ。按ずるに眞淵の訓のうちウナまでは動くべからず。命號はおそらくは卯號の誤ならむ。ウナはウナヰといひウナグといひ今もウナダルといふウナにて項《ウナジ》の事なり。貯はおそらくは斜の誤ならむ。さらばカタブケとよむべし(卷十にも秋風フキテ(2819)月斜焉と書けり)○ココロモシヌニは心モ撓ムバカリなり。イキノヲニは一生懸命ニなり。シテは助辭なり
 
   反歌
3256 數數丹《シクシクニ・シマシマニ》思はず人はあらめども暫文吾者《シマシモワレハ》わすらえぬかも
數數丹不思人者雖有暫文吾者忘枝沼鴨
 初句を舊訓にカズカズニとよめるを略解にシクシクニとよみかへて
  數々はシクシクとも訓べけれど敷々の誤か
といひ古義にはシバシバニとよめり。按ずるに集中に數又は屡と書けるにシマシマとよむべきと
  たとへは卷十(一九七〇頁)なる『國栖《クニス》らが春菜つむらむ司馬《シマ》の野の數《シマシマ》君をおもふこのごろ』
シクシクとよむべきと
  たとへば卷十二(二六五一頁)なる『君は來ず吾は故《コト》なみたつ浪の數《シクシク》こひしかくて來じとや』また同卷(二七一二頁)なる『ほととぎすとばたの浦にしく浪の屡《シクシク》君をみ(2820)むよしもがも』
いづれとも決しがたきとあり。こゝなどもシクシクニともシマシマニともよむべし。但シクシクニとよみても字を改むるに及ばず。上三句の意は妹ハシクシクニ(又はシマシマニ)我ヲ思ハザラメドとなり。古義に
  古今集にカズカズニ思ヒ思ハズトヒガタミとあるを始めてカズカズニ思フと云る事の多きはもとこの數々をカズカズと訓誤れるより出たる言にやあらむ
といへり。げに然るべし○暫文吾者を舊訓にシバシモワレハとよめるを古義に
  シマシクモアハと訓べし。暫を古言にシマシクといへる例はやく具くいへり
といへれど卷十五にホトトギスアヒダ之麻思オケとあればもとのまゝにて可なり
 
3257 ただに來ずこゆこせぢから石椅《イハバシ》ふみなづみぞわがこしこひてすべなみ
直不來自此巨勢道柄石椅跡名積序吾來戀天窮見
(2821)   或本以2此歌一首1爲2之「紀伊國之濱爾縁云、鰒珠拾爾登謂而、往之君何時到來」哥之反歌1也。具見v下也。但依2古本1亦累2載茲1
    右三首
 下には
  ただにゆかずこゆ巨勢道から石瀬ふみ求曾わがこしこひてすべなみ
とあり。さて此歌は前の長歌の反歌にもあらず。別の歌なり○タダニ來ズコユはコセ路にかゝれる序(又は二句に跨れる枕辭)なり。タダニコズコユコスは近道ヲセズシテココヲトホルといふ意なり。そを巨勢路にいひかけたるなり。古義に『此處より山岡などを越て巨勢道よりといへるなり』といへるは非なり。コセヂカラは巨勢路ヲなり○石椅を略解に下の歌によりてイハセとよめるは非なり。イハバシとよむべし。イハバシは能登瀬川の飛石なり。ナヅミは辛クシテなり○スベナミを窮見と書けるは無策はやがて窮なればにや。下なるタダニユカズといふ歌には爲便奈見と書けり
(2822)    〇
3258 (あらたまの) 年は來去《キユキ》て (玉づさの) 使|之《ノ》こねば 霞たつ 長き春日を 天地に おもひたらはし (たらちねの) 母がかふ蠶《コ》の まよごもり いきづきわたり わがこふる 心のうちを 人に言《イハム》 ものにしあらねば (松が根の) まつ事〔左△〕《トキ》とほみ (あまづたふ) 日のくれぬれば 白木綿《シロタヘ》の わがころもでも とほりてぬれぬ
荒玉之年者來去而玉梓之使之不來者霞立長春日乎天地丹思足椅帶乳根※[竹/矢]母之養蚕之眉隱氣衝渡吾戀心中少人丹言物西不有者松根松事遠天傳日之闇者白木綿之吾衣袖裳通手沾沼
 去を舊訓にユキとよめるを古義にサリに改めて『キユキテとよめるはわろし』といへり。いづれともよむべし○之を略解にシとよめり。舊訓に從ひてノとよむべし○アメツチニオモヒタラハシは思ヲ天地ニ滿タシメにて天地一杯ニナルヤウナ物思ヲシテとなり。下に八十ノココロヲ天地ニオモヒタラハシといへるとオモヒと(2823)いふ語の格異なり○タラチネノ母ガカフコノマヨゴモリは序なり。ワタリはツヅケなり○言を略解にイフとよみ古義にイハムとよめり。後者に從ふべし○マツ事トホミの事は時の誤ならむ。卷十八にも時を事と誤れる例あり○白木綿を二註にシロタヘとよみて『幣の誤にや』といへり。もとのまゝにてシロタヘとよむべき事訓義辨證(下卷八一頁)にいへる如し○女の歌なり
 
   反歌
3259 かくのみしあひもはざらば(天雲の)よそにぞ君はあるべかりける
如是耳師相不思有者天雲之外衣君者可有有來
     右二首
 寧ヨソ人ニテアルベカリシヲとなり
    ○
3260 小沼〔左△〕田《ヲハリダ》の あゆ道〔左△〕《タ》の水を 間《マ》なくぞ 人はくむちふ 時じくぞ 人はのむちふ くむ人の 間《マ》なきがごと のむ人の 不時如《トキジキガゴト》 吾妹子(2824)に わがこふらくは やむ時もなし
小沼田之年魚道之水乎間無曽人者※[手偏+邑]云時自久曾人者飲云※[手偏+邑]人之無間之如飲人之不時之如吾妹子爾吾戀良久波已時毛無
 考に
  宣長がいふ。續紀に尾張國山田郡小治田(ノ)連藥等賜2姓尾張宿禰1とあり。思ふに山田愛智二郡は隣なれば小治田ノアユチともいふべしと。仍て今本沼とあるを治の誤とす。こゝにことなる冷水のありつらん
といひ記傳卷二十七(一六三〇頁)には
  萬葉十三に小沼田ノアユ道ノ水ヲ云々此沼の字は治の誤にてヲハリダなるべし。さて續紀廿九に尾張國山田郡人小治田(ノ)連藥等八人賜2姓尾張宿禰1とあると合せて思へば尾張を小治田とも云しか
といへり。按ずるに小沼田はげに小治田の誤ならむ。但もし尾張ノ愛智といふことならばただに小治之年魚道といふべく小治田とはいふべからず。小治田はおそらくは卷十一(二四一六頁)に小墾田ノ坂田ノ橋ノとあるヲハリ田にて大和國飛鳥の(2825)事ならむ。姓氏録左京神別上に
  小治田宿禰……欽明天皇御代依v墾2小治田(ノ)鮎田1賜2小治田大連1
とあり。されば年魚道の道は田の誤とすべし○間を略解にヒマ、古義にマとよめり。後者に從ふべし○不時如を二註にトキジクガゴトとよめり。トキジ、トキジキとはたらく形容詞なれば考の如くトキジキガゴトとよむべし
 
   反歌
3261 思やるすべのたづきも今はなし君にあはずて年のへぬれば
思遣爲便乃田付毛今者無於君不相而年之歴去者
    今案、此反歌謂2之|於君不相《キミニアハズ》1者於v理不v合也。宜v言2於妹不相《イモニアハズ》1也
 初二は思ヲハルクルスベモとなり。スベノタヅキはたたスベといはむにひとし○左註の意は
  長歌は吾妹子ニワガコフラクハとあれば男の歌なり。さて男は女をさして妹といひ女は男をさして君といふなれば反歌に君ニアハズテといへるは理にかな(2826)はず。宜しく妹ニアハズテといふべし
といへるなれど君は男よりも女よりもいふ語なればもとのまゝにて不可なる事なし(二四九九頁參照)○略解に
  この歌卷十二にただ短歌にて載たり。右の反歌にあらざるべきを後の人加へたるか
といへるは卷十二(二五七四頁)なる
  思やるすべのたどきも吾はなしあはぬ日まねく月のへぬれば
といふ歌を指せるなれど集中には此歌と相似たる歌少からざれば打任せて『この歌卷十二にただ短歌にて載たり』とはいふべからず。但歌の體を思ふに此歌も次の歌も右の長歌の反歌にはあらざらむ
 
   或本反歌曰
3262 (みづがきの)久しき時ゆ戀すれば吾帶ゆるぶ朝よひごとに
※[木+若]垣久時從戀爲者吾帶綾〔左△〕朝夕毎
(2827)    右三首
 遊仙窟の文に日々衣寛、朝々帶緩とあるに依れるなり。はやく卷四(七九六頁)にも
  一重のみ妹がむすばむ帶をすら三重むすぶべくわが身はなりぬ
とあり○此歌も長歌に比して調新し。綾は緩の誤なり
    ○
3263 こもりくの 泊瀬の河の かみつ瀬に いぐひをうち しもつ瀬に 眞※[木+兀]をうち いぐひには 鏡をかけ 眞くひには 眞玉をかけ 眞玉なす わがもふ妹も 鏡なす わがもふ妹も ありといはばこそ 國にも 家にもゆかめ 誰《タガ》故かゆかむ
己母理久乃泊瀬之河之上瀬爾伊※[木+兀]乎打下湍爾眞※[木+兀]乎格〔左△〕伊※[木+兀]爾波鏡乎懸眞※[木+兀]爾波眞玉乎懸眞珠奈須我念妹毛鏡成我念妹毛有跡謂者社國爾毛家爾毛由可米誰故可將行
     検2古事記1曰。件《コノ》歌者木梨之輕(ノ)太子自死之時所v作者也
(2828) 古事記|遠《トホツ》飛鳥(ノ)宮(允恭天皇)の段に
  故《カレ》大前小前(ノ)宿禰ソノ輕(ノ)太子ヲ捕ヘテ率テ參出テタテマツリキ。其太子捕ヘラエテ歌ヒタマハク
  あまだむ、かるのをとめ、いたなかば云々
 マタ
  あまだむ、かるをとめ、したたにも云々
 故其輕(ノ)太子ヲバ伊余(ノ)湯ニハナチマツリキ。マタハナタエムトセシ時ニ歌ヒタマハク
  あまとぶ、とりもつかひぞ云々
 此三歌ハ天田振《アマタブリ》ナリ。又歌ヒタマハク
  おほきみをしまにはふらば云々
 此歌は夷振《ヒナブリ》ノ片下《カタオロシ》ナリ。其|衣通《ソトホシ》(ノ)王歌ヲタテマツル其歌
  なつぐさのあひねのはまの云々、
 故《カレ》後ニマタオモヒカネテオヒイマス時ニ歌ヒタマハク
(2829)  きみがゆきけながくなりぬやまたづのむかへをゆかむまつにはまたじ
 故追到リマセル時ニマチオモヒテ歌ヒタマハク
  こもりくのはつせのやまの云々
 マタ
  こもりくのはつせのかはの、かみつせにいぐひをうち、しもつせにまくひをうち、いぐひにはかがみをかけ、まくひにはまたまをかけ、またまなすあがもふいも、かがみなすあがもふつま〔二字左△〕、ありといはばこそに〔右△〕、いへにもゆかめ、くにをもしぬばめ〔八字右△〕
 カク歌ヒテ即共ニ自シセタマヒキ。故此二首ハ讀歌也
とあり。キミガユキといふ歌は本集には磐(ノ)姫皇后の御歌とせり(卷二【一三一頁】參照)
 略解にイグヒのイを發語とせるは非なり。記傳卷三十九(二三一六頁)に
  イグヒヲウチは齋杙ヲ打なり。契沖も師も伊を發語と云れたるはかなはず。凡て伊と云發語は用言の上にこそおけれ、體言の上に置ること無し。こゝは鏡玉を掛とあれば神祭のわざとおぼしければ齋杙なるべし。中卷明(ノ)宮(ノ)段の大御歌にヰグ(2830)ヒとあるとは異なり。斎を伊と云は斎垣《イガキ》などの如し
 といへるに從ふべし。マクヒはただ語をかへたるのみにてイグヒと異なる事なし。さてクヒといへるは枝附の木なるべし。川中にては地上の如く土を掘りて木を立てむに便よからねば木の末を切りて其端を打ちて木を立てたるならむ○さてコモリクノ以下十句は眞珠ナス鏡ナスを云はむ設なり○アガモフ妹モ 古事記にはモといふ辭なく又後の方はツマとあり○アリトイハバコソ アラバコソなり。記にはコソニとあり○國ニモ家ニモユカメ 記には家ニモユカメ國ヲモシヌバメとあり。此御歌の趣によれば輕(ノ)大郎女即衣通(ノ)王は伊豫に下らでうせ給ひしならむ○誰故カユカム 此一句記には無し。誰は古義に從ひてタガとよむべし。タガ故カはタガ故ニカなり○格は挌の通用なり
 
    反歌
3264 年わたるまでにも人はありちふをいつの間〔日が月〕曾毛吾戀爾來《ホドゾモワレコヒニケリ》
年渡麻弖爾毛人者有云乎何時之間曾母吾戀爾來
 上三句の意は一年ヲ渡ルマデモ人ハ堪忍ブトイフニとなり。マデを次の句へ送り(2831)たる例として代匠記に
  手に取之、からに忘ると(卷七)
  かたりつぐ、からにもここだ(卷九)
  面わすれ、だにも得爲やと(卷十一)
を擧げたり〇四五を略解にイツノマニゾモワガコヒニケルとよみたれど間曾毛と書ける間の字にニはよみ添へがたく又四五を係結とせばイツノマニカ〔右△〕モワガコヒニケルといふべし。古義にはイツノアヒダゾモアレコヒニケルとよめり。之に從はばアレコヒニケルハイツノアヒダゾモといふべきを打返したるものとせざるべからず。然るに古義には
  吾ハ妹ニ逢ザルハイツバカリノ間ゾヤ、ヤヤ近キ間ナルヲソレニモ得堪ズシテ戀シクノミ思フとなり
と釋せり。もしさる意ならば契沖の如くイツノホド〔二字右△〕ゾモワレコヒニケリ〔右△〕とよみて第四句を句絶とすべし。更に按ずるに四五は
  イツノホドゾモワガコヒニケル
(2832)とよみてワガコヒニケルハイツノ程ゾモを打返したるものとも認むべく又
  イツノホドゾモワレコヒニケリ
とよみて相逢ハヌハイツノ程ゾ、久シキ程ニモアラヌヲ我ハハヤ戀ヒニケリの意とも認むべけれど後なる方ぞ穩ならむ○はやく卷四(六五一頁)に
  よくわたる人は年にもありちふを何時間曾毛吾戀爾來
とあり○こは無論前の歌の反歌にあらず
   或書反歌曰
3265 世のなかをうしとおもひて家出爲《イヘデセシ》我や何にかかへりて成らむ
世間乎倦跡思而家出爲吾哉難二加還而將成
     右三首
 第三句は舊訓の如くイヘデセシとよむべし。古義にイヘデセルに改めたるは却りてわろし○古義にワレヤ何ニカのヤをもカをも共に疑辭とせるは非なり。我ヤは我ヨなり○契沖が
(2833)  此歌は世を厭ひて出家したる人のさても有はてずして又白ぎぬに還る時さすがに身を省みて心のさだかならぬを愧てよめるなるべし
といへるは非なり。古義に第二案として
  或は人の還俗せよとすゝめけるにこたへて世間〔日が月〕ヲアキイトヒテ一度出家セル吾ナルモノヲ又再オモヒカヘシテ還俗シタリトモ何ニカハ成ラム、サレバ否還俗セム心ハ更ニ無シといへるにもあるべし
といへるぞ穩なる。カヘリテは俗ニ還リテなり○此歌などいかにしてか前の長歌の反歌には擬へけむ。いぶかしともいぶかし
    ○
3266 春されば 花さきををり 秋づけば 丹の穗に黄色〔左△〕《モミヅ》 (うまざけを) かむなび山の 帶にせる あすかの河の はやき瀬に おふる玉藻の うちなびき こころはよりて (朝露の) けなばけぬべく 戀久毛〔左△〕《コフラクヲ》 知久〔左△〕久毛相《シリテモアヘル》 こもりづまかも
(2834)春去者花咲乎呼里秋付者丹之穗爾黄色味酒乎神名火山之帶丹爲留明日香之河乃速瀬爾生玉藻之打靡情者因而朝露之消者可消戀久毛知久毛相隱都麻鴨
 ニノホニは丹ノ色ノ如クなり。はやく卷十(二〇二九頁)にニノホノオモワとあリ(卷一【一二三頁】タヘノホニ參照)○黄色は黄反の誤ならむ。モミヅルといはでは下へつづかざるをモミヅといへるは連體格の代に終止格をつかへるにもあるべく四段活に從へるにもあるべし(一四七六頁參照)○オフル玉藻ノまでの十句はウチナビキにかゝれる序なり○戀久毛知久毛相を前註の如く字のまゝにコフラクモシルクモアヘルとよめばウチナビキ以下四句は妹の戀ふる状となりて反歌のウチナビキ心ハ妹ニヨリニケルカモと相合はず。されば右の二句は戀久乎〔右△〕知弖〔右△〕毛相の誤としてコフラクヲシリテモアヘルとよむべし○コモリヅマを二註に親の守り隱せる女をいふといへれど人のいつき娘をコモリヅマとはいふべからず。外の處なると同じく内證ニテ逢フ女とすべし
 
(2835)   反歌
3267 あすか河|瀬湍《セゼ》のたま藻のうちなびきこころは妹によりにけるかも
明日香河瀬湍之珠藻之打靡情者妹爾因來鴨
     右二首
 初二は序なり
    ○
3268 みもろの かむなび山ゆ とのぐもり 雨はふりきぬ あまぎらひ 風さへふきぬ (大口の) 眞神の原ゆ 思つつ かへりにし人 家にいたりきや
三諸之神奈備山從登能陰雨者落來奴雨霧相風左倍吹奴大口乃眞神之原從思管還爾之人家爾到伎也
 トノグモリ、アマギラヒは同意の語にて空の曇る事なり(一六五五頁參照)○眞神(ノ)原は飛鳥川の右岸より左岸遙に檜隈郷の北部に亘りし廣野ならむ○思管を考に『哭(2836)管《ネナキツツ》の誤ならんか』といひ古義にシヌビツツとよめり。もし誤字ならずばシヌビツツとよむべし。但そのシヌビは偲にはあらで隱ならむ。即思と書けるは隱の借字ならむ○さてそのシヌビツツは大口乃の上におきかへて心得べし。眞神の原にて別れしにあらず。別れて眞神の原を經て歸りしなり○家ニイタリキヤは無事ニ家ニ到著セシカとなり
   反歌
3269 かへりにし人をおもふと(ぬばたまの)その夜は吾もいもねかねてき
還爾之人乎念等野干玉之彼夜者吾毛宿毛寢金手寸
     右二首
 略解に『ソノ夜は逢て明る日の夜也』といへるは誤解なり。逢ひしも別れしも夜にてソノ夜はやがて其夜なり○長歌は其夜の曉などに作りし調なるに反歌は翌日の作なる如く聞ゆ
    ○
(2837)3270 さしやかむ 少屋《ヲヤ》の四忌屋《シコヤ》に かき將棄《ステム・ウテム》 やれ薦乎〔□で囲む〕しきて 所〔□で囲む〕掻〔左△〕將折《ウチヲラム》 しこの四忌手《シコテ》を さしかへて 將宿《ヌラム》君故 (あかねさす) 昼は終《シミラ・シメラ》爾《ニ》 (ぬばたまの) よるはすがらに 此床の ひしとなるまで 嘆きつるかも
刺將燒少屋之四忌屋爾掻將棄破薦乎敷而所掻將折鬼之四忌手乎指易而將宿君故赤根刺昼者終爾野干玉之夜者須柄爾此床乃比師跡鳴左右嘆鶴鴨
 男のあだし女にかよふが妬ましさに其女の家と薦と手とをいひくたせるなり○サシヤカムはサシ燒キツベキにてそのサシは添辭なり。少屋は神武天皇の大御歌にアシハラノシゲ去〔左△〕《シ》キ袁夜ニとあるに依りてヲヤとよむべし。卷十一(二四三八頁)にもヲチカタノハニフノ少屋ニとあり〇四忌屋、四忌手は醜屋、醜手なり。從來之をシキヤ、シキテとよみたれど、鬼《シコ》乃志許草の例によらばシコヤ、シコテとあるべきなり。忌は同韻の其をゴともよむが如くコともよむべきならむ○カキ將棄のカキは(2838)添辭なり。將棄を古義にはウテムとよめり。もとの如くステムとよよむもあしからず。薦の下の乎は衍字ならむ○所掻將折を考にカカリヲラムとよみて皸《カガリ》居ラムの意とし文字辨證(下卷一八頁)に折を※[土+斥]の俗體としてカカリサケムとよみたれど古義に從ひて所を衍字とし掻を格の誤字としてウチヲラムとよみて打折リツベキの意とすべし。元暦校本には實に挌とあり。ウチは添辭なり○サシカヘテはサシカハシテなり。將宿をもとネナムとよみたりしを雅澄がヌラムに改めたるはよろし。君ユヱは君ナルモノヲ得アキモセズテとなり。ヒルハシミラニは晝ハ終日なり。シミラニは卷十九にヒルハ之賣良爾とあればシメラニとも云ひしなり○此床ノ云云を考に
  こゝは賤屋の竹にてあみし床のひしひしと鳴やすきを思ひていへるにもあるべし
といひ古義さへ之をうべなひて『まして賤者の家などはさらなり』といへるは妄なり。賤屋のやうにいひくたしたるは相手の女の家にこそあれ、こゝは作者の床なるをや。ヒシは鳴る音にて今いふミシミシなり。卷二十なる家持の長歌に負征箭ノソ(2839)ヨトナルマデナゲキツルカモとあるは此處を學びたるならむ
 
   反歌
3271 わがこころやくも吾なり(はしきやし)君にこふるもわが心から
我情燒毛吾有愛八師君爾戀毛我之心柄
     右二首
 初二は我心ヲ燒クモ我心カラナリとなり。第二句と結句とは互文なり〇餘意明ならねどサレバ是非ガナイといふ意なるべし
   ○
3272 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ 其里人の しめゆふと ききてし日より 立《タタマ》良〔□で囲む〕|久《く》の たづきも不知《シラズ・シラニ》 居久《ヰマク》の おくかも不知《シラニ・シラズ》 親親〔左△〕《ニキビニシ》 己之《ワガ》家すら乎〔左△〕《モ》 (草枕) たびねの如く おもふ空 やすからぬものを なげく空 すぐしえぬものを (あま雲の) 行△莫莫《ユクラユクラニ》 (あし垣の) おもひ亂れて みだれ麻《ヲ》の 麻笥《ヲケ》をなみと〔十一字□で囲む〕 わがこふる 千(2840)重の一重も 人しれず もとなやこひむ いきのをにして
打延而思之小野者不遠其里人之標結等聞手師日從立良久乃田付毛不知居久乃於久鴨不知親親己之家尚乎草枕客宿之如久思空不安物乎嗟空過之不得物乎天雲之行莫莫蘆垣乃思亂而亂麻乃麻笥乎無登吾戀流千重乃一重母人不令知本名也戀牟氣之緒爾爲而
 ウチハヘテオモヒシ小野は久シク標結ハムト思ヒシ小野なり。ウチハヘテを略解に遠キ處ニ在テとうつし古義にヤヤ遠キ方ニ心ヲ打延テとうつせる共にわろし。久シクと譯すべし。初六句は久シク我妻ニセムト思ヒシ少女ヲ其女ニ近ク住メル男ノ獲ツト聞キシ日ヨリといへるなり○立良久を略解にタツラクとよみたれどタツを延ぶればタタクにてタツラクにあらず。されば古義には良を麻萬などの誤としてタタマクとよめり。次なる居久に麻をも萬をも添へざるを思へばこゝも原は立久乃とぞありけむ。されば良は衍字と認むべし○不知を略解にシラニ、古義にシラズとよめり○居久を略解にヲラクとよみ古義にヲラマクとよめり。タタマク(2841)のうらなればヰマクとよむべし○タヅキは手段、オクカは目的にてタヅキモシラニとオクカモシラズとは互文なり。すなはち立タムニモ居ムニモタヅキオクカヲ知ラズとなり○親親を舊訓にオヤオヤノとよめるを契沖は
  第六に笠(ノ)金村の娘子に代てよまれたる長歌の中に親をムツマシキと點じたれば今も引合て然讀べきにや
といひ略解にチチハハノとよみて註には
  親之の誤にてムツバヒシとよまむか。又ニキビニシともよまむか
といへり。類聚古集に親之とあるに從ひてニキビニシとよむべし。親之を親々と誤り更に親親と書けるなり。ニキビニシは馴レ親ミシなり。はやく卷一(一一九頁)に柔備爾之家ヲサカリテ。卷三(五七九頁)に丹杵火爾之家ユモイデテとあり○己之を略解にシガとよめるはわろし。古義の如くワガとよむべし。家尚乎の乎は毛の誤ならむ。タビネノゴトクは旅寐ノ如クニテとなり。もし家尚乎をもとのまゝとしタビネノゴトクを辭のまゝに心得ば此二句の次にオモヒツツなどいふ句をおとしたるものとせざるべからず。無論オモフソラにはいひかくべきにあらず○オモフ空ナ(2842)ゲク空の空はココチなり。スグシエヌモノヲは遣リ放チ得ヌモノヲとなリ。モノヲはモトナヤコヒムにかゝれリ○行莫々は略解に
  行莫行莫と有しが字の落たる也。莫は暮に同じければ久良の詞に借し也
といへり。行々莫々とありし上の々をおとしたるなり。さてユクラユクラニは物の靜まらぬ貌なり。トザマカウザマといふ意なり(卷十二【二七一六頁】ユクラカニ參照)〇ミダレ麻ノヲケヲナミトの二句下へつづかず。おそらくは衍文ならむ〇人シレズは人ニ知ラセズにて上に附きたるなり
 
   反歌
3273 ふたつなき戀をしすれば常の帶を三重むすぶべく我身はなりぬ
二無戀乎思爲者常帶乎三重可結我身者成
     右二首
 卷四(七九六頁)に
  一重のみ妹がむすばむ帶をすら三重むすぶべく吾身はなりぬ
 卷九(一八三八頁)に
(2843)  一重ゆふ帶を三重ゆひ、くるしきに仕へまつりて
とあり
    ○
3274 せむすべの たづきをしらに いはが根の こごしき道乎 いは床の ねはへる門を 朝庭丹 いでゐて嘆き ゆふべには 入居てしぬび しろたへの わがころもでを をりかへし 獨しぬれば ぬばたまの 黒髪しきて 人のぬる うまいはねずて 大舟の ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬる夜らを よみもあへむかも
爲須部乃田付呼不知石根乃興凝敷道乎石床※[竹/矢]根延門呼朝庭丹出居而嘆夕庭入居而思白栲乃吾衣袖呼折反獨之寢者野干玉黒髪布而人寢味眠不睡而大舟乃往艮行羅二思乍吾睡夜等呼續〔左△〕文將敢鴨
 下なる挽歌のうちに
(2844)  しら雲のたなびく國の、青雲のむかぶす國の、天雲の下なる人は、妾《ア》のみかも君にこふらむ、吾のみ鴨きみにこふれば,天地に滿言、こふれかも胸のやめる、おもへかもこころのいたき、妾《アガ》戀ぞ日にけにまさる、いつはしもこひぬ時とは、あらねどもこのなが月を、吾背子がしぬびにせよと、千世にもしぬびわたれと、萬代にかたりつがへと、始めてしこのなが月の、すぎまくをいたもすべなみ、あらたまの月のかはれば せむすべのたどきをしらに、いは根のこごしき道の、いは床の根はへる門に、あしたには出居てなげき、ゆふべにはいりゐこひつつ ぬばたまのくろかみしきて、人のぬるうまいはねずに、大船のゆくらゆくらに、おもひつつわがぬる夜らはよみも不敢かも
といふ歌あり。今の歌の初十句と終九句とは其歌の中にあり。されば今の歌はいたく亂れたりと見ゆるがまづセムスベノ以下十句は挽歌の調なれば今の歌には屬すべからず。次にヌバタマノ以下九句は相聞歌の調なれば彼歌には屬すべからず。殊にワガヌル夜ラハヨミモアヘムカモとあるは反歌にヒトリヌル夜ヲヨミテム(2845)トとあると相離すべからず。されば今は初十句を削りてシロタヘノ以下十三句の歌とすべし
 
しろたへの わがころもでを をりかへし 獨しぬれば (ぬばたまの) 黒髪しきて △ 人のぬる うまいはねずて (大舟の) ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬる夜らを よみもあへむかも
 シロタヘノ云々の語例は卷十七に
  はしきよしつまのみことも、あけくれば門によりたち、ころもでををりかへしつつ、ゆふさればとこうちはらひ、ぬばたまのくろかみしきて、いつしかとなげかすらむぞ云々
 又卷二十に
  いはひべをとこべにすゑて、しろたへのそでをりかへし、ぬばたまのくろかみしきて、ながきけをまちかもこひむはしきつまらはとあり。此等によれば袖を折返すも黒髪を敷くも共に人を待つさまとおぼゆ。さて(2846)今はクロカミシキテの下に君クヤトマチツツヲルニなどいふ二句をおとせるならむ○ヨミモアヘムカモは數ヘモ得ムヤハとなり。アヘは得なり○續は讀の誤なり
 
   反歌
3275 ひとりぬる夜算跡《ヨヲヨミテムト》おもへども戀のしげきにこころどもなし
一眠夜算跡雖思戀茂二情利文梨
     右二首
 第二句を略解にヨヒヲヨマムトとよみ古義にヨヲカゾヘムトとよめり。長歌にヨミモアヘムカモとあればカゾヘとよまむは快からず。宜しくヨヲヨミテムトとよむべし○ココロドモナシは卷三(五五六頁及五六九頁)に例あり。ココロドはタマシヒなり
    ○
3276 (百不足〔二字左△〕《モモキモリ》) 山田の道を (浪雲の) うつくし妻と 不語《コトドハズ》 わかれしくれ(2847)ば (はや川の) 往文《ユクモ》しらず (ころもでの) かへるもしらに (馬じもの) たちてつまづき せむすべの たづきをしらに (もののふの) 八十の心を 天地に おもひたらはし たまあはば 君來益八跡 わがなげく 八尺のなげき (玉桙の) 道くる人の たちとまり いかにと問者 答遣 たづきをしらに (さにづらふ) 君が名いはば 色にでて 人しりぬべみ (あしひきの) 山よりいづる 月まつと 人にはいひて 君まつ吾を
百不足山田道乎浪雲乃愛妻跡不語別之來者速川之往文不知衣袂※[竹/矢]反裳不知馬自物立而爪衝爲須部乃田付乎白粉物部乃八十乃心呼天地二念足橋玉相者君來益八跡吾嗟八尺之嗟玉桙乃道來人之立留何常問者答遣田付乎不知散鈎相君名曰者色出人可知足日木能山從出月待跡人者云而君待吾乎
(2848) 百タラズ八十といへる例はあれどモモタラズは山田のヤには冠らすべからず。されば記傳卷三十六(二一五六頁)に
  百不足山田ノ道乎……彼歌は吾徒斎田清繩が考に足日木なるを日を百に、木を不に誤れるを百不足を誤れる物と心得て遂に足(ノ)字を下に移したるなりと云るぞ宜き。山の枕詞はアシヒキとより外に云る例なければなり
といひ、古義には卷六(一一六六頁)なる百樹成《モモキモリ》山ハコダカシの註には
  十三に百不足山田道乎とあるも不足は木成の誤にてモモキモルなるべし
といひながら此處にては足日木の誤とせり。案ずるに足日木の如き普通の枕辭ならばうつし誤るべからず。又もし足日木の誤とせばなほ乃をおとせりとせざるべからず。されば百木成の誤とすべし。百木成はモモキモリともモモキモルともよむべし○山田は大和國高市郡の地名なり○浪雲を雅澄は浪雪の誤としてシキタヘとよめり。朝雲の誤とすべきか。アサグモの語例は卷三(四二七頁)なる登2神岳岳?1作歌にアサグモニタヅハミダレとあリ○不語を略解にコトドハズとよみ古義に卷十四なるイヘノイモニ毛乃伊波受キニテオモヒグルシモを例としてモノイハズとよ(2849)み『又カタラハズともよむべし』といへり。いづれともよむべし○往文を略解にユカクモとよみ古義に往方文の誤としてユクヘモとよめり。下なるカヘルモシラニと對したるなればユカクモ又はユクモとよむべし○タチテツマヅキの例は卷四〈六六八頁)なる長歌に道守ノトハム答ヲ、イヒヤラムスベヲシラニトタチテツマヅクとあり。ここも跌《ツマヅ》くことにはあらで※[足+支]《ツマダ》つ事ならむ。即行かむか歸らむかと迷ひて足のおちつかざる趣ならむ〇八十ノココロはクサグサノ思といふ事か。アメツチニオモヒタラハシは上(二八二二頁)に例あり○略解に
  玉アハバ君來マスヤといふ二句は下のサニヅラフ君ガ名イハバの上に入べき詞也。いかにとなれば此歌は男の女の許より歸る道にての歌なるを此二句は全く女の男を待心にて前後かけ合ざれば也
といひ、古義にはセムスベノ云々より下を別の歌とし、又宣長は『モノノフノといふより六句は他の歌の亂れてこゝに入れるなり』といへり。しばらくアメツチニオモヒタラハシまでを前の歌としタマアハバより下を後の歌とすべし。さて前の歌は下半を失ひ後の歌は上半を失へるなり
 
(2850)たまあはば 君|來益八〔左△〕跡《キマサムト》 わがなげく 八尺《ヤサカ》のなげき (玉桙の) 道くる人の たちとまり いかにと問者《トハバ》 答遣《イヒヤラム》 たづきをしらに (さにづらふ) 君が名いはば 色にでて 人しりぬべみ (あしひきの) 山よりいづる 月まつと 人にはいひて 君まつ吾を
 タマアハバは相思ハバなり。例は卷十二(二六三三頁)にタマアハバ相ネムモノヲとあり。さてタマアハバと君來マスヤトと格相かなはず。君來益八跡は君來益六〔右△〕跡の誤ならむか〇八尺ノナゲキは長キタメ息ヲとなり○何常問者答遣を略解にイカニトトハバコタヘヤルとよみたれどさては格相かなはず。されば古義にはイカニトトハバイヒヤラムとよみて
  答(ノ)字イヒとよむは九卷にも妹之答久《イモガイヘラク》とあり
といへり。之に從ふべし。卷四(六六八頁)に道守ノトハム答ヲ、イヒヤラムスベヲシラニトとあると相似たり。イヒヤラムは今もいふと同意なれどただ、今はヤルは隔たれる人にいふをこゝはさし向へる人にいへるが異なるのみ。タヅキはやがてスベ(2851)なり○サニヅラフはこゝにては准枕辭なり。此句の上にサレバト云ウテといふことを加へて聞くべし○色ニデテは顔色ニアラハレテなり。人シリヌベミはこゝにては人ニ知ラレヌベキニヨりテなり○吾ヲは吾ゾなり。略解に
  卷十二にアシヒキノといふより下は短歌一首にして載たり。其短歌に妹マツワレヲとかはれるのみ也。こゝと彼といづれをとらむとする中にこゝは右の如く亂れたれば依がたく且長歌の末の句ともおもはれぬさまにもあれば卷十二の短歌に載し方に依べしと翁いはれき
といへれど二つながら存じて可ならずや○鈎は諸本に釣とあり
 
   反歌
3277 いをもねずわがもふ君は何處邊《イヅクヘニ》、今身〔左△〕誰與可《コヨヒタレトカ》まてど不來《キタラヌ》
眠不睡吾思君者何處邊今身誰與可雖待不來
     右二首
 何處邊を略解にイヅクヘヲとよみ古義にイヅクヘニとよめり○第四句を略解に(2852)は今夜訪與可の誤としてコヨヒトフトカとよみ古義には今夜座世可の誤としてコヨヒイマセカとよめり。身を宵などの誤としてコヨヒタレトカとよむべし。其下にヌラムを略せるなり。古歌には往々辭を略せるものあり。たとへば卷十一に
  あらそへば神もにくますよしゑやしよそふる君がにくからなくに(二四二六頁)
とあるはヨシヱヤシの下に爭ハジを略せるにて又
  この夜らのありあけづくよありつつも君をおきてはまつ人もなし(二四三一頁)
とあるはアリツツモの下に君ヲバ待タムを略せるなり
    ○
3278 赤駒の 厩立《ウマヤヲタテ》 黒駒の 厩立而《ウマヤヲタテテ》 そを飼ひ 吾〔左△〕往如《ノリユクゴトク》 思妻 心にのりて 高山の 峯のたをりに いめたてて しし待如《マツゴトク》 床敷而《トコシクニ》 わがまつ公《キミニ》 犬なほえ行〔左△〕年《ソネ》
赤駒厩立畔駒厩立而彼乎飼吾往如思妻心乘而高山峯之手折丹射目立(2853)十六待如床敷而吾待公犬莫吠行年
 眞淵のいへる如く此歌も二首の亂れて一首となれるなり。即心ニノリテまでは男の歌、タカ山ノ以下は女の歌の斷篇なり
 厩立を古義にはウマヤタテとよめり。舊訓の如くヲを添へてウマヤヲタテとよむべし○吾往如を略解にワガユクガゴトとよみ古義にワガユクゴトクとよめり。吾を乘の誤としてノリユクゴトクとよむべし。ノリユクゴトク心ニ乘リテと照應せるなり○オモヒヅマココロニノリテは思妻ガ我心ニ乘リテとなり
 タヲリは山の端の撓める處をいふ。今も中國にて峠をタヲといふ處あり。略解に『打タヲリタムノ山といふに同じ』といへるは非なり。彼(一七〇八頁)は打手折|矯《タム》とかゝれるのみ○射目は射部の借字にて射部は射手の隊なり(一〇三七頁參照)。略解にイメタテテを枕辭とせるはいみじき誤なり○床敷而を宣長は而を爾の誤としてトコシクニとよめり。而のまゝにてもニとよみつべし。卷十にもミナゾコサヘ而《ニ》テラス舟(二〇一八頁)またマスラヲノココロハナシ而《ニ》(二一〇一頁)とあればなり。さてトコシクニは常ニなり○公を從來キミヲとよめり。宜しくキミニとよむべし。行年を(2854)宣長は例の如く所年の誤とせり
 
   反歌
3279 葦垣の末かきわけて君こゆと人になつげそことはたなしれ
葦垣之末掻別而君越跡人丹勿告事者棚知
     右二首
 犬におほせたるなり。タナシレの語例は卷一なる藤原宮役民作歌(八一頁)に
  そをとるとさわぐ御民も、家わすれ身もたなしらず
 卷九(一七三八頁)に
  かなどにし人の來たてば夜中にも身はたなしらすいでてぞあひける
 同卷なる詠眞間娘子歌(一八五四頁)にも身ヲタナシリテとあり。二註は『コハタナシレはサヤウニ心得ヨといふ意なり』といふ宣長の説に從へり。タナは副詞にてタシカニなどいふ意とおぼゆ。サヤウニには當らじ
    ○
(2855)3280 わがせこは まてど來まさず あまの原、ふりさけ見れば (ぬばたまの) 夜もふけにけり さよふけて あらしのふけば 立留《タチトマリ》 待吾袖爾《マツワガソデニ》 ふる雪は こほりわたりぬ 今更に きみ來まさめや (さなかづら) 後もあはむと なぐさむる 心をもちて み袖もち 床うちはらひ うつつには 君には不相《アハズ》 いめにだに あふとみえこそ 天《アメ》の足夜《タリヨ》に
妾背兒者雖待不來益天原振左氣見者黒玉之夜毛深去來左夜深而荒風乃吹者立留待吾袖爾零雪者凍渡奴今更公來座哉左奈葛後毛相得名草武類心乎持而三袖持床打拂卯管庭君爾波不相夢谷相跡所見社天之足夜于
 二註に立留待吾袖爾を立待爾吾袖爾の誤としてタチマツニワガコロモデニとよめり。もとのまゝにて舊訓の如くタチトマリマツワガソデニとよみて可ならずや。タチトマリは卷二(三二七頁)なる長歌に
(2856)  たまほこの道くる人の、なく涙ひさめにふれば、しろたへのころもひづちて、立留吾にかたらく
 上(二八四七頁)にも
  玉ほこの道くる人の、立留いかにと問はば
とあり○ナグサムルは自慰ムルなり。ミソデのミは無意義の添辭のみ。二註に『眞袖といふに同じくて左右の袖をいへり』といへるは非なり。右利ならは右の袖をこそ用ふべけれ。卷十六なる
  とよ國の企救の池なる菱のうれをつむとや妹が御袖ぬれけむ
の御袖も御と書けるは借字にてこゝの三袖と同じくミは添鮮に過ぎず○不相を古義にアハジ、と改めたるは却りてわろし。もとの如くアハズとよむべし。さて其次にサレバといふことを加へて聞くべし○天之足夜を略解に『長き夜を云』といへるは非なり。足日の例を思へばケッコウナ夜といふことにて長の意はあらじ。ただ夜に媚びて天ノタリ夜といへるのみ。さて天はアメとよむべし
 
   或本歌曰
(2857)3281 吾背子は まてど不來《キタラズ》 かりがねも とよみてさむし (ぬばたまの) 夜もふけにけり さよ深跡〔左△〕《フケテ》 あらしのふけば たちまつに わがころもでに おく霜も 永《ヒ》にさえわたり ふる雪も こほりわたりぬ 今更に 君|來目八《キタラメヤ》 (さなかづら) 後もあはむと (大舟の) おもひたのめど うつつには 君には不相《アハズ》 いめにだに あふと見えこそ 天のたり夜に
吾背子者待跡不來鴈音文動而寒烏玉乃宵毛深去來左夜深跡阿下乃吹者立待爾吾衣袖爾置霜文氷丹左叡渡落雪母凍渡奴今更君來目八左奈葛後文將會常大舟乃思憑迹現庭君者不相夢谷相所見欲天之足夜爾
 夜に對してカリガネモといひカリガネに對して夜モといへるにて上〈二八〇七頁)なるアマ橋モ〔右△〕長クモガモ、高山モ〔右△〕タカクモガモと同例なり○深跡は深而の誤ならむ。さらばフケテとよむベし○氷《ヒ》ニは氷トなり。サエは冷《ヒエ》なり
 
   反歌
(2858)3282 ころもでにあらしのふきてさむき夜を君|不來者《キタラズバ》ひとりかもねむ
衣袖丹山下吹而寒夜乎君不來者獨鴨寢
 
3283 今更にこふとも君にあはめやもぬる夜|乎〔左△〕《モ》おちずいめにみえこそ
今更戀友君爾相目八毛眠夜乎不落夢所見欲
     右四首
 乎は毛の誤ならむ
    ○
3284 (すがの根の) ねも一伏三向《コロ》ごろに わがもへる 妹〔左△〕《セコ》によりては 言の禁《イミ》も なくありこそと いはひべを いはひほりすゑ たか珠を 間なくぬき垂《タレ》 天地の 神をぞわがのむ 甚《イタ》もすべなみ
菅根之根毛一伏三向凝呂爾吾念有妹爾縁而者言之禁毛無在乞常齊戸乎石相穿居竹珠乎無間貫垂天地之神祇乎曾吾祈甚毛爲便無見
    今案不v可v言2因妹者〔三字右△〕1。應v謂2之縁君〔二字右△〕1也。何則反歌云2公之隨意〔四字右△〕1焉
(2859) 一伏三向をコロとよむ所以は卷十(一九三八頁)及卷十二(二六二六頁)にいへり○言ノイミモ云々を略解に『神モナイサメソといふ也』といひ古義に『わがこひねぐ詞を禁《イサメ》給ふなと神に申すよしなるべし』いひ犬※[奚+隹]隨筆卷二(上四四頁)に
  言之禁は人の我を凶かれと思ひていふ言靈の害をいふべし。そは歌の意を按るにさることなかれと神に乞祈よしなればなり。且此歌の或本歌には言之禁を言之故とかけり。この故〔右△〕も後にコトユヱナクといへる故に同じく即詛言の言靈などやうのことをさして故ナカレといへるにて遂には言之禁と一意におつめり
といへり。案ずるに言ノイミはみづから不用意に發せし言辭によりて蒙る禍なるべし○イハヒベヲ云々の語例は近くは卷九(一八二二頁)にあり○甚を二註にイタとよめり。然るに文字辨證(下卷二七頁)に卷十三以下に伊多母と書ける例あれど多はトとよむべければこれもイトモとよむべしといへり。辨證に擧げたる例のみにては多はトとよむべき事確ならず。たとひトとよむべくとも言語には轉訛といふ事あればいにしへイトをイタ(又はイタをイト)といひけむこと怪むべきにあらざればなほイタとよむべし
(2860) 左註の意は
  反歌に公ガマニマニとあり。公《キミ》は女より男を指していふ稱なれば此歌は女の歌ならざるべからず。從ひて妹ニヨリテハとあるは君ニヨリテハの誤ならざるべからず
といへるなり。案ずるに集中に男より女を指してキミといへる例少からず(二八二五頁參照)。否公の字を借り書ける例さへあれば(二二九九頁參照)キミガマニマニとある故を以て此歌を女の歌とは定むべからず。されど反歌に母ニモイハズツツメリシとあれば此歌はなほ女の歌とすべく從ひて妹ニヨリテハとはいふべからず。訓義辨證(上卷三四頁)には
  妹は※[女+夫]を誤れるらなむ。※[女+夫]は義訓にてキミとよむべし(○採意)
といへり。もし※[女+夫]の誤とせばセコとよむべくや。言ノイミモナクアリコソと神に祈るも寧婦人の情なり。ノムは祈ルなり
 
   反歌
3285 (たらちねの)母にも不謂《イハズ》つつめりし心は縱《ヨシヱ》きみがまにまに
(2861)足千根乃母爾毛不謂※[果/衣]有之心者縱公之隨意
 不謂を古義にノラズとよめり。舊訓の如くイハズとよむべし○縱は契沖がヨシヱとよめるに從ふべし。略解にユルスとよめるはいみじきひが事なり○はやく卷十一(二三五五頁)に
  たらちねの母にしらえずわがもたる心は吉惠《ヨシヱ》君がまにまに
とあり
 
   或本歌曰
3286 (たまだすき) かけぬ時なく わがもへる 君によりては △ しづ幣を 手にとりもちて 竹《タカ》珠を しじにぬきたれ 天地の 神をぞわがこふ いたもすべなみ
玉手次不懸時無吾念有君爾依者倭父弊〔二字左△〕乎手取持而竹珠呼之自二貫垂天地之神呼曾吾乞痛毛須部奈見
 契沖は
(2862)  前後の歌によるに君ニヨリテハの下に二句ばかりおちたるか
といへり。コフはやがてノムなり。卷十五にもアメツチノ神ヲ許比ツツアレマタム
とあり○父は文、弊は幣の誤なり
 
   反歌
3287 あめつちの神をいのりてわがこふるきみにかならずあはざらめやも
乾地〔左△〕乃神乎祷而吾戀公以〔左△〕必不相在目八方
 地は坤の誤なり。以は契沖の云へる如く似の誤ならむ
 
    或本反〔□で囲む〕歌曰
3288 (大船の) おもひたのみて (木始己《サナカヅラ》) いやとほながく わがもへる 君によりては 言の故も なくありこそと (ゆふだすき) 肩にとりかけ いはひべを いはひほりすゑ あめつちの 神にぞわがのむ いたもすべなみ
大船之思憑而木始己彌遠長我念有君爾依而有〔左△〕言之故毛無有欲得木綿(2863)手次肩荷取懸忌戸乎齊穿居玄黄之神祇二衣吾祈甚毛爲便無見
     右五首
 木始已を大神景井は木防己の誤としてアヲツヅラとよめり。此説に基づきてサナカヅラとよむべし。新撰字鏡に木防己(ハ)佐奈葛とあればなり。始の字元暦校本及類聚古集には妨とあり。されば防を妨に誤り更に始に誤れるなり○言ノ故は言語によりて起る事故といふ事なるべし○上に神乎ゾワガ祈《ノム》とありてここにに神祇《カミ》二〔右△〕ゾワガ祈《ノム》とあり。神ヲ〔右△〕イノルとも神ニ〔右△〕イノルともいふと同例なり
    ○
3289 (みはかしを) つるぎの池の はちす葉に たまれる水の ゆくへ無《ナミ》 わが爲《スル》時に あふべしと 相〔左△〕有《キコセル》君を 莫寢《ナネソ》と 母きこせども (わがこころ) 清隅の池の 池の底 吾〔左△〕者不忍〔左△〕《ソコハオモハズ》 ただにあふまでに
御佩乎剱池之蓮葉爾渟有水之往方無我爲時爾應相登相有君乎莫寢等母寸巨勢友吾情清隅之池之池底吾者不忍正相左右二
(2864) こは女の作れる歌なり○古義にミハカシヲはミハカシノといふに同じといへるは非なり。このヲは一種の助辭なり(二七七八貢參照)○剱(ノ)池は大和國高市郡にあり。此池を作りし事は應神天皇紀に、此池に竝頭の瑞蓮の生ぜしことは舒明皇極二天皇紀に見えたり○初四句は序なり○往方無我爲時爾を略解にユクヘナミワガスルトキニとよみ古義にユクヘナクアガセシトキニとよめり。前者に從ふべし。さて其意を略解に
  露のたまれるがあとかたもなくこぼれ失るを戀の思の行へなきにたとふ
と釋し古義に
  蓮葉にたまりたる水は風などの吹過ればあるが中にもはかなくこぼれやすくて跡方もなきものなればユクヘナクの序とせり
と釋したる共に非なり。抑ユクヘといへるにユキシ方の意なるとユクベキ方の意なるとあり(二四六三頁參照)。こゝなるは後者にて蓮葉に露のたまりてこぼれざるをユクヘナミの序とせるなり。さてユクヘナミワガスルトキニはセムスベヲ知ラヌ時ニとなり○相有を宣長は占相有の誤として又はもとのまゝにてウラヘルと(2865)よみ二註は之に從へり。宜しく聞有の誤としてキコセルとよむべし。ノタマヘルとなり。次にも母キコセドモとあり○莫寢を二註にナイネソとよめり。交?の代に寢といへるなればイは不用なり。宜しくナネソとよむべし○キコセドモはノタマヘドモなり。はやく卷十一(二四五四頁)にイサトヲキコセワガ名ノラスナ、卷十二(二六七二頁)にアハムトキコセ戀ノナグサニとあり○ワガココロは清にかゝれる枕辭なり。清隅(ノ)池は大和國添上郡にあり。後のものには清澄とも書けり○吾者不忍を二註に忍を忘の誤としてフレハワスレジとよめり。さてワガココロ以下を略解には
  池の底はあだし心なく深く思ふ心をたとふ
といひ古義には
  君がため心の清淨なるからは異心はもたずと云なり。池底と云に心を奥深めて思ふ意をこめたるなり
といへり。案ずるにワガココロ清スミノ池ノ池ノ底の三句は序とおぼゆるに吾者不忍又は吾者不忘にかゝらむ由なし。吾者不忍は其者不思の誤にてソコハオモハズとよむべきならむ。ソコはソレハにて母ノ諌ハとなるべし。マデニはマデハなり(2866)〇二つの序共に池をつかひたるは故意なり
 
   反歌
3290 いにしへの神の時より會〔左△〕《モヒ》けらし今心文〔二字左△〕《イマモココロニ》つねわすらえず
古之神乃時從會計良思今心文常不所念
     右二首
 第四句を略解にイマノ心モとよみ古義にイマ心ニモとよめり。宜しく今文心の顛倒としてイマモ心ニとよむべし○第三句の會は念の誤ならむ。さらばモヒケラシとよむべし。さて上三句の意は我、君ヲ念フハ前生ノ大昔ヨリナラシとなり
    ○
3291 三芳野の 眞木たつ山に 青〔左△〕《シジニ》おふる 山すがの根の ねもころに わがもふ君は 天皇《オホキミ》の まけのまにまに【或本云おほきみのみことかしこみ】 (ひなざかる) 國をさめにと【或本云あまざかるひなをさめにと】 (むら鳥の) 朝たち行者《ユカバ》 おくれたる われか將戀奈《コヒナム》 客有《タビニアル》者〔□で囲む〕 君かしぬばむ いはむすべ せむすべしら(2867)に △△△△△《アシヒキノ》 △△△△△△△《ヤマノコヌレニ》【或書有足日木山之木末爾句也】 はふつたの 歸之〔□で囲む〕 別のあまた 惜物△《ヲシクモアル》かも
三芳野之眞木立山爾青生山菅之根乃慇懃吾念君者天皇之遣之萬萬【或本云王命恐】夷離國治爾登【或本云天疎夷治尓等】群鳥之朝立行者後有我可將戀奈客有者君可將思言牟爲便將爲須便不知【或書有足日木山之木末尓句也】延津田乃歸之【或本無歸之句也】別之數惜物可聞
 夫の任國に下らむとする時に妻のよめるなり○青を眞淵は重の誤としてシジニとよめり。初四句はネモコロニにかゝれる序なり○行者は略解に從ひてユカバとよむべし。將戀奈を舊訓にコヒムナとよめるを略解にコヒナムとよみ古義にも然よみて
  將戀奈と書けるはいさゝか心得がたき書法なれども十卷にコヒヌベシを可戀奴とかき十六卷にワカケムを將若異と書けると同例なり
といへり○客有者を從來タビナレバとよめり。宜しく者を衍字としてタビニアル(2868)又はタビナルとよむべし○アシヒキノ山ノコヌレニの二句が通本に無きは落ちたるなり。歸之は衍文なり。さてアシヒキノ以下三句は別にかゝれる序なり○末句を舊訓にヲシキモノカモとよめるを考に有の字を補ひてヲシクモアルカモとよめり
 
   反歌
3292 (うつせみの)命を長くありこそと留《トドマル》われはいは旱〔左△〕《ヒテ》またむ
打蝉之命乎長有社等留吾者五十羽旱將待
     右二首
 留を二註にトマレルとよめり。舊訓にトドマルとよめるに從ふべし○旱は古義に日手の誤とせり○卷八なる贈2入唐使1歌(一五〇八頁)に
  島づたひいわかれゆかば、とどまれる吾はぬさとり、いはひつつ公をばまたむ、はやかへりませ
とあると相似たり
    ○
(2869)3293 三吉野の 御金高《ミカネノタケ》に 間〔日が月〕《マ》なくぞ 雨はふるちふ 時じくぞ 雪はふるちふ 其雨の 間〔日が月〕《マ》なきがごと その雪の 不時如《トキジキガゴト》 間〔日が月〕《マ》もおちず 吾はぞこふる 妹が正香《タダカ》に
三吉野之御金高爾間無序雨者落云不時曾雪者落云其雨無間如彼雪不時如間不落吾者曽戀妹之正香爾
 卷一に
  三芳野の耳我《ミミガ》(ノ)山に、時じくぞ雪はふるちふ、間なくぞ雨はふるちふ、其雪の不時如、その雨の間なきがごと、隈もおちずもひつつぞくる、その山道を
とあり。今の歌は少くとも長歌に堪能ならざる人の此天武天皇の御製の末をすこし更へて自己の歌とせるなり。さればこそ間モオチズなど手づつなることを云へるなれ。元來此歌は間ナクと時ジクとを相對したるなればそを束ぬるに當りて一方に偏りて間モとはいふべきにあらざるなり○間を前註にヒマとよめるを古義に『間〔日が月〕をヒマとよむは古言に非じ』といひてマとよみ改めたり○不時如を二註にト(2870)キジクガゴトとよめり。宜しくトキジキガゴトとよむべし(卷一【四六頁】及此卷【二八二五頁】參照)○末二句の例は卷九なる長歌(一八一八頁)に
  冬のよをあかしもかねて、いもねずに吾はぞこふる、妹がただかに
とあり。タダカは玉勝間卷八(全集第四の一八四頁)に
  タダカとは君また妹をただにさしあてていへる言にて君妹とのみいふも同じことに聞ゆるなり
といへり○略解に『タダカ爾の爾は乎を誤れるなるべし』といへるはいみじき誤なり○此歌は又上(二八二三頁)に
  をはり田のあゆ道の水を、間なくぞ人はくむちふ、時じくぞ人はのむちふ、くむ人の間なきがごと、のむ人の不時之如、吾妹子にわがこふらくは、やむ時もなし
とあると相似たり
 
   反歌
3294 み雪ふる吉野のたけにゐる雲のよそに見し子にこひわたるかも
三雪落吉野之高二居雲之外丹見子爾戀度可聞
(2871)    右二首
 上三句は序なり。ヨソニはヨソナガラなり(二四七五頁參照)
    ○
3295 (うちひさつ) 三宅の原ゆ 當士《ヒタツチ》に 足ふみ貫《ヌキ》 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子故|曾〔左△〕《カ》 かよはすも吾子《アゴ》』 諾諾名△《ウベナウベナ》 母は不知《シラジ》 諾諾名△《ウベナウベナ》 父は不知《シラジ》 (みなのわた) かぐろき髪|丹〔左△〕《ヲ》 眞木綿|持《モチ》 あざ左〔左△〕《ネ》ゆひ垂《タレ》 やまとの つげのをぐしを おさへさす 刺〔左△〕細子《コシボソノコ》 それぞわがつま
打久津三宅乃原從當士足迹貫夏草乎腰爾莫積如何有哉人子故曾通簀文吾子諾語名母者不知諾々名父者不知蜷腸香黒髪丹眞木綿持阿邪左結垂日本之黄楊乃小櫛乎抑刺刺細子彼曾吾※[女+麗]
 第九句即カヨハスモ吾子までは人の問に擬したるなり。さて一首を問答二段に分ちたれば各段の末に五七七の句を用ひたるなり○常にはウチヒサスといふをウ(2872)チヒサツといへるはスを訛《ナマ》りてツといひしが故なり。卷十四にも宇知比佐都ミヤノセガハノとよめり○當土は一本に常土とあり。契沖は
  當土は常土に作れるに依るべし。常陸國の如し
といひ雅澄は常土に改めたり。もとのまゝにてもあるべくや。ヒタツチは俗語の地ベタなり。古義に『俗にいふ平地なり』といへるは非なり。貫は略解にヌキとよめるに從ふべし。古義にツラネとよめるは非なり。さてヒタツチニ足フミヌキは靴もはかでゆくゆく地上に跡を印するなり。古義に『馬にも籠にも乘らずて直に土上を歩き行よしなり』といへるは從はれず○ナヅムは行惱むなり。夏草乎腰爾莫積(元暦校本に莫を魚とせり)は夏草ニ腰ナヅミといふべきが如くなれど卷十九にもフル雪乎腰爾ナヅミテとあればいにしへかやうにも云ひしなり○イカナルヤのヤは助辭にてイカナルは子にかゝれり。故曾の曾は香などの誤ならざるべからず。下なるツマトイハジトカモ、オモホセル君と相似たる格なり○契沖眞淵等が問者をよそ人としたるは非なり。こは親の問へるなり。さればこそ吾子《アゴ》といひ又答にウベナウベナ母ハ知ラジ云々といへるなれ
(2873) 名の下に今一つの名の字あるべきなり。不知を從來シラレズ又シラセズ又シラズとよめり。宜しくシラジとよむべし。母ハシラジが主にて父ハ知ラジはただ副へて云へるのみ○持はモチとよむべし。モテはモチテの略にて後世風なり○阿邪左は宣長が左を尼の誤としてアザネとよめるに從ふべし。但宣長が『髪に木綿を交へゆひたるゝ也』といへるは非なり。案ずるに髪丹の丹は乎の誤なり。アザヌはアザナフにおなじ。されば木綿もて髪を糾ひ結ひて垂るゝなり。垂はタレとよむべし(古義にはタリとよめり)○ヤマトを眞淵は山邊郡の郷名としたれど(此地をヤマト又オホヤマトといふは倭(ノ)大國魂(ノ)神即大和神社のしづまりませるによりてなり)なほ契沖のいへる如くヤマトノは大和ノ國産ナルといふ意ならむ。果して然らば此歌は大和國ならぬあだし國(たとへば河内)の人の作れるなり○刺細子を眞淵以下敷細子の誤としてシキタヘノ子ハとよめり。さるは卷十なるアカラヒク色妙子を例とせるなれど彼はイロタヘナル子とよむべき事彼卷(二〇二四頁)にいへる如し。さて今は腰細子の誤としてコシボソノコと六言によむべし。子ハといひてソレゾとはいふべからざればハはよみ添ふべからず。腰細は美人の形容なり。はやく卷九なる詠2(2874)末(ノ)珠名|娘子《ヲトメ》1歌(一七三五頁)にも見えたり
 
   反歌
3296 父母に知らせぬ子故三宅道の夏野の草をなづみ來《クル》かも
父母爾不令知子故三宅道乃夏野草乎菜積來鴨
     右二首
 こゝの子ユヱは女ノ爲ニなり(二八一三頁參照)。孝徳天皇紀(大化五年)には凡此伽藍者元非2自身故造1の故をタメニとよめり○來は舊訓に從ひてクルとよむべし(古義にはケルとよめり)
    ○
3297 (たまだすき) かけぬ時なく わが念《オモフ》 妹にしあはねば (あかねさす) ひるはしみらに (ぬばたまの) よるはすがらに いもねずに 妹《イモニ》こふるに いけるすべなし
玉田次不懸時無吾念妹西不會波赤根刺日者之彌良爾烏玉之夜者酢辛(2875)二眠不睡爾妹戀丹生流爲便無
 カケヌは心ニカケヌなり。念は舊訓に從ひてオモフとよむべし(古義にはモヘルとよめり)○妹は古義にイモニとよめるぞよろしき。イモヲとよまむは後世風なり○イケルスベナシは生キタル詮ナシといふこととおぼゆ。此卷の末にも例あり
 
   反歌
3298 よしゑやし二二火四《シナムヨ》わぎもいけりともかくのみこそわがこひわたりなめ
縱惠八師二二火四吾妹生友各鑿社吾戀度七日〔左△〕
     右二首
 代匠記に
  二二は四の義に借り火は五行を以て五方を配する時南方は火なる故に火を南の字になしてかれる歟
といひ訓義辨證下卷(二四頁)に
(2876)  こはいさゝか物遠き借字なれど集中稀にかゝる事もあるなり
といひて五行の外五色五音を五方に借りたる例を擧げたれどそは金を西《ニシ》に借りたる類にて(金をサイとよませたる例にあらねば)今の例とはしがたし。但卷十(二〇二二頁)にコトモツゲナムとよむべき處に事毛告火と書きたれば強ひたる事ながらなほナムの借字に南と書くべきを戯れて火と書けるならむ(眞淵は火を去の誤とせり)○卷四にシナムヨ妹トイメニミエツル(六九四頁)又今ハ吾ハ死ナムヨワガセイケリトモ(七六五頁)とあり。卷十二にも
  今は吾は死なむよ吾妹あはずして念ひわたればやすけくもなし
  今は吾は死なむよ吾兄戀すれば一夜一日もやすけくもなし
とあり○三四の間に得逢ハズシテといふことを挿みて聞くべし。日は目を誤れるなり
    ○
3299 △△△△△《コモリクノ》 △△△△△△△《ハツセノカハノ》 見わたしに 妹らはたたし この方に 吾はたちて おもふそら やすからなくに なげくそら やす(2877)からなくに さにぬりの 小舟もがも 玉まきの 小かいもがも こぎわたりつつも 相語妻遠《アヒカタラメヲ》
見渡爾妹等者立志是方爾吾者立而思虚不安國嘆虚不安國左丹漆之小舟毛鴨玉纏之小※[楫+戈]毛鴨※[手偏+旁]渡乍毛相語妻遠
     或本歌頭句云こもりくのはつせのかはの、をちかたにいもらはたたし、このかたにわれはたちて
     或本歌頭句云己母理久乃波都世乃加波乃乎知可多爾伊母良波多多志己乃加多爾和禮波多知※[氏/一]
     右一首
 或本(ノ)歌に據りてミワタシニの前にコモリクノハツセノカハノの十二言を補ふべし。ミワタシニはアナタニなり○イモラのラは無意義の助辭なり。集中に例あり。日本紀(皇極天皇紀なる三輪山の猿の歌)には夫《セ》をセラといへる例さへあり○オモフソラ以下の四句とサニヌリノ以下の四句とは卷八(一五五七頁)なる憶良の七夕歌(2878)に見えたるまゝなり(小ガイが彼歌には眞カイとあるのみ異なり)○ソラはココチなり○結句を舊訓にアヒカタラメヲとよめるを略解に
  相語の下、妻は益の誤にてカタラハマシヲ歟。集中アラソフといふに相爭など書る例多し
といへり。案ずるになほアヒカタラメヲとよむべし。ムといふべきをメといへるにて卷十二(二五九一頁)なるタダ今日モ君ニハ相目跡〔左△〕《アハメヲ》と同例なり
    ○
3300 (おしてる) 難波の埼に ひきのぼる あけのそほ舟 そほ舟に 綱とりかけ 引《ヒキ》づらひ ありなみすれど いひづらひ ありなみすれど ありなみえずぞ いはれにし我身
忍照難波乃埼爾引登赤曾朋舟曾朋舟爾鋼板繋引豆良比有雙雖爲曰豆良賓有雙雖爲有雙不得叙所言西我身
     右一首
(2879) 初六句は引の一語にかゝれる序なり。埼ニは埼ユにおなじ。アケノソホ舟ははやく卷三(三七九頁)に見えたり。赤く塗れる舟なり○引豆良比を考以下に古事記八千矛神の御歌に
  をとめのなすやいたどを、おそぶらひわがたたせれば、比許豆良比わがたたせれば
とあるに依りてヒコヅラヒとよみたれど少くとも略解古義二註の解釋の如くば強ひてヒコとよむを要せじ。しばらく舊訓に從ひてヒキとよむべし。さてそのヒキヅラヒを考には引煩ラヒの意とし略解には
  ヒコヅリを延いふ也。カカヅリをカカヅラヒといふにひとし。ツリは連の意也。引よする意也
といひ古義には
  ヒコヅラヒは引にてヅラヒはその形容をいふ辭なり。次のイヒヅラヒも同じ。ニツラフ、アゲツラフ、ヘツラフなどのツラフもこれに同じかるべし。……今(ノ)俗にヒコヅルと云もヅルはヅラフの約りたるにて同じ
(2880)といひ又『物語日記などに見えたる引ジロフ、云ジロフは古言の引ヅラフ、云ヅラフと同じ云樣なり』といへり。まづ俗語のヒキズルは摩《スル》にてツルにはあらじ。次にツラフはただ形容をいふ辭にはあらでスマフといふ意の語ならむ。されば引ヅラフは引スマフ、イヒヅラフはイヒスマフならむ。後世のヒコジロフ、イヒジロフがいにしへのヒキヅラフ、イヒヅラフに當るべき事は古義にいへる如し○アリナミは否認なり。宣長が
  アリナミはアリイナミにて人のいひたつるを否といひて爭ふ事也。イナトイヒテアラソヒツレドモイナミ得ズシテ人ニイヒ立ラレシと也。右の如く見ざればイハレニシといふ詞又上の序もかなはず
といへる如し。但『上の序もかなはず』といへるは非なり。序はただヒキのみにかゝれるなればアリナミの意義にはかゝはらず
   ○
3301 (神風の) 伊勢の海の 朝なぎに 來よる深みる ゆふなぎに 來よるまた海松 ふか海松の ふかめし吾を またみるの またゆきか(2881)へり つまといはじとかも おもほせる君
神風之伊勢乃海之朝奈伎爾來依深海松暮奈藝爾來因俟海松深海松乃深目師吾乎俟海松乃復去反都麻等不言登可聞思保世流君
     右一首
 初六句は一種の序なり。卷二(一八七頁)なる人麻呂の長歌に
  つぬさはふ石見の海の、ことさへぐからの埼なる、いくりにぞ深みるおふる、ありそにぞ玉藻はおふる、玉藻なすなびきねし兒を、深みるのふかめてもへど云々
とあると似たり○フカメシは心ヲ深メシなり。但正しくはフカメタルといふべし○マタユキカヘリは又來歸リといはむにひとし。古義に『又年月日ノユキカヘリと云なり』といへるは非なり○オモホセルにて切れてカモを承けたるなり。オモホセル君とつづけては心得べからず○こは伊勢の國司などが其國にて逢ひし女に別れし時に作れるなり。君は女を指していへるなり。古義は誤解せり
    ○
(2882)3302 きの國の 室の江の邊に 千年に 障《サハル》ことなく よろづ世に 如是《カクシモ》あらむと (大舟の) やもひたのみて △ 出立之《イデタチノ》 きよき瀲に 朝なぎに 來よる深みる 夕なぎに 來よるなはのり 深みるの ふかめし子らを なはのりの 引者《ヒケバ》たゆとや △ 散度《サト》人の 行の長〔左△〕《ツドヒ》に (なく兒なす) 行取〔左△〕左具利《ユキヨリサグリ》 △ 梓弓 弓腹《ユハラ》ふりおこし 志之岐羽を ふたつたばさみ はなちけむ 人しくやしも 戀思者《コフラクモヘバ》
紀伊國之室之江邊爾千年爾障事無萬世爾如是將有登大舟乃思恃而出立之清瀲爾朝名寸二來依深海松夕難伎爾來依繩法深海松之深目思子等遠繩法之引者絶登夜散度人之行之長爾鳴兒成行取左具利梓弓弓腹振起志之岐羽矣二手挟離兼人斯悔戀思者
     右一首
 此歌脱句多し。眞淵が挽歌とせるはもとよりひが事にて宣長が紀國より京に歸り上る男の歌とせるもひが事なり。ヒケバタユトヤといひハナチケムといへるを思(2883)へば紀國に下れる人の其國の女と同棲せしに女の背き去りしかばそを悲しみて作れるなり
  紀國に下れる人といふはキノ國ノとうたひ起したる、其國人の調にあらざればなり。然も國司にはあらじ。國府は當國の北端なる名草郡にあり室は當國の東南部にありていたく相距ちたれば國司が室に住むべきにあらず。千年ニ障コトナクヨロヅ世ニ如是アラムトといへるも任期四年に過ぎざる國司の調にあらず
室は牟婁なり。室之江は牟婁港即今の田邊港か○障を略解にサハルとよみ古義にツツムとよめり。ミナト入ノアシワケ小舟|障《サハリ》オホミなどもあればサハルとよむべし○如是は古義に從ひてカクシモとよむべし。略解にはカクモとよめり○千トセニ、ヨロヅ世ニは今ならばチトセモ、ヨロヅ世モといふべきなり○オモヒタノミテの下に同棲セシニといふ意の二句あるべきなり○出立之はイデタチノとよむべし。さてイデタチノ以下六句は例の一種の序なり。宣長が『オモヒタノミテは下の深メシ子ラといふへつづけり』といへるは非なり○イデタチノは門前ノといふ意なり。古義に『山の成出たるさまなり』といへるは非なり○フカメシは我心ヲ深メテ思(2884)ヒシとなり。ナハノリは一種の海苔なり○引者を古義にヒカバとよめるはタユトヤと相協はねばわろし。略解の如くヒケバとよむべし。人の引カバ絶エムトヤハとなり○タユトヤの下に豫期セシといふ意の二句おちたるなり○散度人を古義にサドヒトとよみて『サトビトと云べきをヒの濁音を上へ轉じてサドヒトと云るなり』といへるは非なり。度を清音のトに借れるなり。度は集中に多くは濁音に用ひたれど元來清音なる上に卷二十にイヒシコトバゾのトを度と書けり○長は屯の誤なる事考にいへる如し。諸本にも屯とあり。ツドヒともイハミともよむべし。ユキノ屯ニはユキツドヘル處ニとなり○行取左具利の取は依などの誤ならむ。卷九なる過2葦屋處女墓1時歌にもコノ道ヲユク人毎ニ、行因リテイタチナゲカヒとあり○左具利の下に求ムレド求メカヌルニといふ意の二句をおとせるなり○梓弓以下四句は序なり。弓腹は弓末なり。古事記なる天照大御神の御装をいへる處にも弓腹振立而とあり。志之岐羽は矢の名とおぼゆれどいまだ考へず○ハナチケムは女ヲ我ヨリ引離チケムとなり。人は勿論弟三者なり。宣長が『人とは即女を指す』といひ雅澄が『人は我の誤にはあらざるか。人にても自のことなり』といへる、共に非なり○末句(2885)を略解にコフルオモヘバとよみ古義にコフラクモヘバとよめり。後者に從ふべし。ワガカク戀フル事ヲ思ヘバとなり。卷十(一九六一頁)にもヤムトキモナク戀良苦念者とあり
    ○
3303 里人の われにつぐらく ながこふる うつくし妻は もみぢ葉の ちり亂有《ミダレタル》 神名火の 此山邊から【或本云その山べ】 (ぬばたまの) 黒馬《クロマ》にのりて 河の瀬を 七湍わたりて うらぶれて 妻は會登《アヒキト》 人ぞつげつる
里人之吾丹告樂汝戀愛妻者黄葉之散亂有神名火之此山邊柄【或本云彼山邊】烏玉之黒馬爾乘而河瀬乎七湍渡而裏觸而妻者會登人曾告鶴
こは隱妻のうせし時男の作れるにてモミヂ葉ノ以下十句は送葬のさまなり。眞淵宣長以下皆女の歌として妻を夫の借字とせり。そは反歌に公ガタダカヲとあるによれるなれど男より女を指してもキミといひ又公の字をさへ書ける例ある事は(2886)やく云へる如し(二三九九頁及二八二六參照)。又宣長雅澄は挽歌にあらすといへれどウラブレテ妻ハアヒキトとあればなほ挽歌なり。されば此歌は眞淵のいへる如く下の挽歌の部に収むべきなり○卷二(三〇一頁)なる人麿呂の長歌に
  大とりのはがひの山に、ながこふる妹はいますと
といへると相似たる所あり
 ウツクシ妻はカハユキ妻なり。亂有を古義にミダリタルとよめるはわろし。ミダレタルとよむべし。さてチリミダレタルは今ちりみだるるにはあらず地上に散り亂れたるなり○コノ山ベカラは或本にソノとあるを採るべし。山ベカラは山邊ヲ經テなり○黒馬はクロマとよむべし。略解にコマとよめるは非なり(六五二頁及一四七九頁參照)○河瀬は飛鳥川なり。ウラブレテは物思ヒツツなり。會登はアヒキトとよむべし。考以下にアヘリトとよめるはわろし
 
   反歌
3304 聞かずして然黙〔二字左△〕《モダ》あらましをなにしかも公《キミ》がただかを人のつげつる
不聞而然黙有益乎何如文公之正香乎人之告鶴
(2887)    右二首
然黙は黙然の顛倒なり。キミガタダカヲは君ノ上ヲなり
 
   問答
    ○
3305 物もはず 道|行去毛〔左△〕《ユキナムヲ》 青《ハル》山を ふりさけみれば △ (つつじ花) 香《ニホヒ》をとめ (さくら花) 盛《サカエ》をとめ 汝《ナ》をぞも 吾《ワ》によすちふ 吾《ワ》を毛曾〔左△〕《ゾモ》 汝《ナ》によすちふ 荒山も 人しよすれば 余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》 なが心ゆめ
物不念道行去毛青山乎振放見者茵花香未通女櫻花盛未通女汝乎曾母吾丹依云吾※[口+リ]毛曾汝丹依云荒山毛人師依者余所留跡序云汝心勤
 行去毛の毛は乎の誤なる事明なり。さればミチユキナムヲとよむべし○青山を古義にハル山とよみて『五色を四時に配るとき青は春に當ればかくは書り』といへり。
 アキハギ、アキカゼのアキを白と書けると同例なり○フリサケミレバの下に脱句(2888)あり。今のまゝにては上四句のかゝる處なし。おそらくはもと
  物もはず道ゆきなむを、はる山をふりさけ見れば、つつじ花さきにほひたり、さくら花さきさかえたり、つつじ花香をとめ、さくら花盛をとめ
とありしならむ○香盛を略解にニホヘル、サカエルとよみ古義にニホヒ、サカエとよめり。後者に從ふべし。サカエを盛と書ける例は此卷の上(二七八四頁)にもシナヒ盛《サカエ》テとあり○ヨスは俗にいふ取持ツなり。イヒ寄ス、言ヨスとは別なり。吾ヲの下の毛曾は曾毛の顛倒なり○余所留跡序云を舊訓にワガモトニトドムトゾイフとよみたりしを宣長始めてヨソルトゾイフとよみ得き。ヨソルは寄ルなり。心ナキ荒山モ人ノ取持テバ寄ルトゾイフ、ナガ心ヨ、ユメツレナカルナといへるなるべけれどナガココロユメの一句平穩ならず
 
   反歌
3306 いかにしてこひやむものぞ天地の神をいのれど吾はおもひます
何爲而戀止物序天地乃神乎祷迹吾八思益
(2889)     ○
3307 しかれこそ としの八歳を きる髪の 吾|同〔左△〕《メ》子をすぎ (橘の) 末枝〔二字左△〕《トキ》をすぎて (此河の) したに文〔左△〕《ヲ》ながく 汝〔左△〕情《ワガココロ》まて
然有社歳乃八歳※[口+リ]叫鑚髪乃吾同子※[口+リ]過橘末枝乎過而此河能下文長汝情待
 シカレコソはサレバコソにて人ノ君ヲ我ニ寄セ我ヲ君ニ寄スレバコソなり。コソの結は汝情待のマテなり○トシノ八トセヲは年久シクなり。此辭を眞淵以下八歳の時と心得たるは誤れり○此河ノはシタにかゝれる枕辭とおぼゆ。但此といへる不審なり。誤字ならざるか。シタニモはシタニヲとあらむ方まされり。文は乎を誤れるか○汝情待の汝は我の誤ならむ○キルカミノ以下四句はいと心得がたし。まづ吾同子を舊訓にワガミとよめるにつきて契沖は
  同子の意得がたし。もし同は胴か。子はよろづに添へて云詞なり
といひ眞淵は何多《カタ》の誤とし雅澄は肩の誤とせり。案ずるに同子は目子の誤として(2890)メとよむべきか。所謂目ざしの前髪の更にのびたるをキル髪ノワガ目《メ》子ヲスギといへるか○次に末技を舊訓及古義にホツエとよみたれど等伎の誤としてトキとよむべきか。果して然らばタチバナノを枕辭としトキを盛と心得べし。卷十四なる
  わがせこをあどかもいはむむざし野のうけらがはなのとき〔二字右△〕なきものを
 又卷二十なる
  いなみ野のあからがしははとき〔二字右△〕はあれどきみをあがもふときはさねなし
のトキも定まれる時にてやがて盛なり
 
   反歌
3308 天地の神|尾母〔左△〕吾者〔左△〕《ヲバワレモ》いのりてき戀ちふものはかつてやまずけり
天地之神尾母吾者祷而寸戀云物者都不止來
 弟二句は神尾者吾母にて母と者といりちがへるならむ〇カツテは後世のフツニなり。俗語のサッパリなり○ヤマズケリは止マザリケリなり。太古はかくヤマズとケリとをさながらつづけしを語法やうやう精しくなりて二語の相連れることを明にする爲にヤマズをヤマザリと變ずるやうになれるなり○考以下に上のイカ(2891)ニシテといふ反歌の轉りたるならむと云へるは非なり。まさしく問答の體を成せるにあらずや。但長歌に似つかはしからず又長歌より調の新しきは前註にいへる如し。元來以上四首の長短歌は次なる人麻呂集の歌を二首に割きて少し辭を更へ又反歌を加へたるなり
 
   柿本朝臣人麿之集歌
3309 物もはず 路行きなむ裳〔左△〕《ヲ》 青《ハル》山を ふりさけ見れば △ (つつじばな) 爾〔左△〕太遙《ミダエ》をとめ (さくら花) 在〔左△〕可遙《サカエ》をとめ 汝《ナ》をぞも 吾《ワ》によすちふ 吾をぞも 汝によすちふ 汝はいかにもふや』 おもへこそ としの八年を きる髪|與〔左△〕《ノ》 和子〔二字左△〕《ワガメ》をすぎ (橘の) 末枝〔二字左△〕《トキ》を須具里〔左△〕《スグマデ》 (此川の) したに母ながく 汝〔左△〕《ワガ》心|待《マテ》
物不念路行去裳青山乎振酒見者都追慈花爾太遙越賣作樂花在可遙越賣汝乎叙母吾爾依云吾乎叙物汝爾依云汝者如何念也念社歳八年乎斬髪與和子乎過橘之末枝乎須具里此川之下母長久汝心待
(2892)    右五首
 裳は袁の誤なり。フリサケミレバの下にツツジ花サキミダエタリ、サクラ花サキサカエタリなどいふ二句をおとせるなり○爾太遙を略解に遙を逕の誤としてニホヘルとよみたれど逕(經と通用す)はフルとこそよむべけれヘルとはよむべからず。古義にはニホエとよみて
  ニホエはニホヒと云に全同じ。香はニホヒなるをうつりてはニホヘともニホエとも活く詞なり。十九にもハル花ノ爾太要サカエテ云々とあり。この例は萎はシナヒなるをシナヘともシナエとも活して云が如し
といひ關鳧翁の傭字例には
  遙は邊の誤なるべし。ヘンをヘルと轉し用る例、達字の處にいへるが如し
といへり。案ずるに爾を彌の誤としてミダエとよむべし。ミダエはサキミダレのミダレなり(太はオホを略してホともよむべけれどそは男大迹《ヲホド》、穴太部《アナホベ》などの如く訓借の時こそあれ、此處の如く音借の中に交へ書かむはいかがなり)○在可遙の在は元暦校本に佐とあり○ナハイカニモフまでが問にてオモヘコソ以下は答なり。(2893)モフヤは念フゾなり
 オモヘコソは我モウレシト思ヘバコソなり○キルカミ與は乃を与と誤れるならむ○和子を契沖は和我同子《ワガミ》の誤とし眞淵は加多の誤とし雅澄は我肩の誤とせり。おそらくは我目の誤又は我目子の誤脱ならむ○末枝は等伎の誤にてタチバナノは時にかゝれる枕辭ならむ○須具里を從來スグリとよみてスギの延言とせり。スギを延べてスグリとはいふべからず。思ふに須具至《スグマデ》の誤なるべし。スグルマデをスグマデといへるは連體格の代に終止格をつかひたるなり。否スグとマデとをさながら聯ねたるなり○汝は吾又は我の誤なり
   ○
3310 (こもりくの) 泊瀬の國に さよばひに わがくれば たなぐもり 雪はふり來《キ》奴〔□で囲む〕 さぐもり 雨はふり來《キ》 (ぬつどり) 雉《キギシ》とよみ (家つとり) かけも鳴《ナキ》 さよはあけ 此夜はあけ奴《ヌ》 △ 入りて且《カツ》ねむ 此戸ひらかせ
(2894)隱口乃泊瀬乃國爾左結賠丹吾來者棚雲利雪者零來奴左雲理雨者落來野鳥雉動家鳥可鶏毛鳴左夜者明此夜者旭奴入而且將眠此戸開爲
 サヨバヒニのサは添辭、ヨバヒニは相寢ムトテなり○タナグモリ、サグモリはただクモリテといはむにひとし○雪ハフリ來の下の奴は削るべし。此字なき本あり。もし置かばむしろ雨ハフリ來の下におくべし○雉を二註にキギシハとよめり。もしハを添ふべくは雪者、雨者、左夜者、此夜者の例に依りて雉者と書くべきなり。さてここは辭なき方まされり○鳴を略解にナキとよみ古義にナクとよめり。前者に從ふべし○コノ夜ハアケ奴の奴にて雪ハフリ來《キ》、雨ハフリ來《キ》、キギシトヨミ、カケモナキ、サヨハアケを束ねたるなり○且を舊訓に旦の字と認めてアサとよみ古義に吾の誤としてアガとよめり。契沖に從ひてカツとよむべし。カツはシバラクなり○答歌と比較するに入リテカツネムの上に五言の一句おちたるなり。其句はシカスガニか○ヌツドリ以下の四句は古事記なる八千矛神の御歌にサヌツドリキギシハトヨム、ニハツトリカケハナクとあるに似たり
 
   反歌
(2895)3311 (こもりくの)はつせ少《ヲ》國に妻しあれば石はふめどもなほぞ來にける
隱來乃泊瀕少國爾妻有者石者履友猶來來
 ヲグニのヲは添辭なり、石ハフメドモといへるは答歌の反歌と對照するに川瀬ノ石ハフメドモといへるならむ
    ○
3312 (こもりくの) 長谷《ハツセ》をぐにに よばひせす 吾大皇寸〔三字左△〕《アセノミコト》よ 奥|床《ドコ》に 母はねたり 外床《トドコ》に 父はねたり おきたたば 母しりぬべし いでゆかば 父しりぬべし (ぬばたまの) 夜はあけゆきぬ ここだくも 不念如《オモフゴトナラヌ》 隱※[女+麗]《コモリヅマ》かも
隱口乃長谷小國夜延爲吾大皇寸與奥床仁母者睡有外床丹父者寢有起立者母可知出行者父可知野干玉之夜者昶〔左△〕去奴幾許雲不念如隱※[女+麗]香聞
 ヨバヒセスは相寢ムトテ來給フとなり○吾大皇寸を考に吾夫寸美の誤としてワガセノキミとよみ村田春海は吾夫尊の誤としてアガセノミコトとよみ雅澄は吾(2896)夫寸三の誤としてアガセノキミとよめり。春海の説に基づきてアセノミコトとよむべし。ミコトの例は卷九(一八四九頁)に出せり○外床を略解にトツドコとよみ古義にトドコとよめり後者に從ふべし。トドコは一室の中の口の臥床なり○末二句を舊訓にオモフゴトナラヌコモりヅマカモとよみ、考にシヌビヅマカモとよみ、宣長はオモハヌガゴトシヌブツマカモとよみ、雅澄は宣長の訓をオモハヌゴトクと改め、さて
  ココダクモはシヌブへかけて心得べし、オモハヌゴトクは相思ハヌ人ノ如クニの意なり。シヌブツマカモは父母ニ知セジトテシノビ隱ス夫《ツマ》カナとなり
といへり。案ずるに舊訓に從ひてオモフゴトナラヌコモリヅマカモとよむべし。ココダクモはオモフゴトナラヌにかゝれるなり。コモリヅマは作者自云へるなり○昶は旭の誤ならむ。昶《シヤウ》は字書に日長也とあればこゝにかなはず
 
   反歌
3313 川のせの石ふみわたり(ぬばたまの)黒馬之來夜者《クロマノクヨハ》、常にあらぬかも
川瀬之石迹渡野干玉之黒馬之來夜者常二有沼鴨
(2897)     右四首
 第四句はクロマノクヨハとよむべし。クル夜といふべきをクヨといへるは連體格の代に終止格をつかひたるなり(一四七七頁以下參照)○常ニアラヌカモは常ナレカシなり○此歌は卷四(六五二頁)なる大伴郎女の
  さほ河の小石ふみわたりぬばたまの黒馬の來夜は年にもあらぬか
と句々殆相同じ。郎女或は此歌を借りしにや。案ずるに大伴坂上郎女はすぐれたる作家なれば人の歌を借るべきにあらず。轉じて此贈答歌を見るに眞實の贈答歌にはあらで匿名の才子が戯に作りて贈答に擬せるものとおぼゆればこのクロマノクヨハといふ歌はもと坂上郎女の歌なるを此長歌の反歌とするにふさはしく又前の反歌の答とするにふさはしければ少し辭を更へて借り用ひたるにこそ
    ○
3314 (つぎねふ) 山しろぢを 人づまの 馬よりゆくに おの夫之《ヅマガ》 かちよりゆけば 見るごとに ねのみしなかゆ そこもふに 心しいた(2898)し (たらちねの) 母がかたみと わがもたる まそみ鏡に あきつ領巾《ヒレ》 おひなめもちて 馬かへ吾背
次嶺經山背道乎人都末乃馬從行爾己夫之歩從行者毎見哭耳之所泣曾許思爾心之痛之垂乳根乃母之形見跡吾持有眞十見鏡爾蜻領巾負並持而馬替吾背
 此歌どもも亦文人の綺語のみ。眞に無名の賤女賤夫の作れるなりと思はむはおそし
 ツギネフは枕辭なり。古事記なる石之比賣《イハノヒメ》命の御歌にツギネフヤマシロガハヲとあるに依れるなり。ヤマシロヂは山背へ行く道なり。作者もし奈良人ならば山背路はやがて歌姫|越《ゴエ》なり○馬ヨリ、歩ヨリは馬ニテ、徒ニテなり。ミルゴトニは人ノ夫ト我夫トクラベ見ルゴトニとなり。さてミルゴトニといへるを思へばその男は事ありてしばしば山背にかよひしなり。ソコモフニはソレヲ思フニなり○マソミカガミはマスミカガミを訛れるなり。略してマソカガミといひ後の世にはマス鏡とい(2899)ふ。マソミカガミニのニは下なる並《ナメ》にかゝれるなり○アキツヒレは薄絹の領巾にて卷三(四六二頁)なるアキツ羽ノ袖と同例なり。略解の説は非なり○オヒナメのオヒは常いふ負なり。宣長雅澄は之を價ニ出スといふ意とせり。こは鏡と領巾とは共に微量なるものにて負といふにふさはしからぬこゝちするが故ならめど、よく思ふに此鏡領巾は此女には寶物なればさるべき函に收めたるべくさてその函のままならば無論負並もすべきなり。又思ふに今の世は物をはこぶに多くは手にさげ、重きものならでは負ふ事無けれど、いにしへ人は今の人より物を負ふ事を好みけむかし○ウマカヘは馬買へなるを馬替と書けるは借字なり。
  買フと替フとは今は活も用絡も異なれど、もとは同語なるべし
略解には『馬ト替ヘヨの略なり』といへり。もし替の意ならばウマニカヘのニを古格に依りて省きたるものとせざるべからず。馬ト替ヘヨのトを略してウマカヘとはいふべからざればなり。さてこゝこそ馬ニ替ヘヨの意ともすべけれど下なる答歌の初句をウマカヘバとよみて馬ニ替ヘバの意とせむに此長歌の如く替代《カヘシロ》を擧げざれば突然にして穩ならず。さればなほこゝもかしこも馬買へ、馬買ハバの借字と(2900)すべし。卷十二(二六四七頁)にもトリカヒ〔右△〕ガハを取替河と書けり。又卷二(三〇一頁)にハガヒ〔右△〕ノヤマを羽易乃山と書けり。因にいふ。馬の價は孝徳天皇紀に
  凡官馬ハ中馬ハ一百戸毎ニ一疋ヲ輸《イタ》セ。若細馬ナラバ二百戸毎ニ一疋ヲ輸セ。ソノ馬ヲ買ハム直《アタヒ》ハ一戸ニ布一丈二尺
とあり。されば此天皇の御世には中馬は布三十端、上馬は布六十端にて買はれしなり
 
   反歌
3315 いづみ河わたり瀬ふかみわがせこが旅ゆきごろも蒙〔左△〕沾鴨《モノヌレムカモ》
泉河渡瀬深見吾世古我旅行衣蒙沾鴨
 イヅミ河は木津川なり。結句を眞淵は蒙を裳の誤としてスソヌレムカモとよみ雅澄は蒙を裳の借字又は誤字としてモヌラサムカモとよめり。宜しく蒙を裳の誤としてモノヌレムカモとよむべし○夫の衣の裳の沾れむを思ひて益?馬に乘せまほしく思ふ趣なり
 
(2901)   或本反歌曰
3316 まそかがみ雖持《モツトモ》われは記無《シルシナケム》君が歩よりなづみゆく見者《ミバ》
清鏡雖持吾者記無君之歩行名積去見者
 雖持、記無を從來モタレド、シルシナシとよみ見者を舊訓にミバ、考以下にミレバとよめり。モツトモ、シルシナケム、ミバとよむべし。君ガ歩ニテナヅミ行クヲタダニ見バ鏡ヲイツキ持ツトモ我ニハ詮ナカラムといへるなり
    ○
3317 馬|替者《カハバ》妹かちならむよしゑやし石はふむとも吾《ワ》はふたり行かむ
馬替者妹歩行將有縱惠八子石者雖履吾二行
     右四首
 これは夫の答なり○替者を略解にはカヘバとよみ古義にはカハバとよめり。カハバとよみて買ハバの借字とすべし。替は下二段活にてカハといふ活なければ買ハバの借字とはしがたきに似たれど元來買と替とはもと同語なるべき上に集中に(2902)はかゝる借字例もあり。すなはち經はフレヌとははたらかぬを卷十一(二二七〇頁)にウラブレヲレバを浦經居と書き又(二三三三頁)コヒウラブレヌを眷浦經と書けり。又卷四(六八九頁)にオクレを所贈と書き卷十二(二〇八三頁)にオクルルを所遺と書き又卷三(四一三頁及四一五頁)にツゲバ、ツギを告者、告と書き卷十(二〇二八頁)にツギテシを告と書けり○初二の意は馬ヲ買ヒテ我ソレニ乘ラバ事アリテ二人共ニモノニ行カムニ妹一人|徒《カチ》ナラムとなり。又結句は吾ハ妹ト共ニ徒ニテ行カムといへるなり○さて此歌の前に長歌ありしがおちたるならむ。もし眞實の贈答ならば夫は長歌を得作らざる事もあるべけれど、もとより詞客の戲作なれば右をゑがきて左をさしおくべきにあらす
   ○
3318 木の國の 濱によるちふ 鰒珠 拾はむといひて 妹の山 せの山こえて ゆきし君 いつ來まさむと (玉桙の) 道にいでたち 夕|卜《ウラ》を わがとひしかば 夕卜の 吾に告《ノ》らく 吾妹兒や ながまつ君(2903)は おきつ浪 來因《キヨル》しら珠 邊浪《ヘツナミ》の よする白珠 求むとぞ 君が來まさぬ 拾ふとぞ 公者〔左△〕《キミガ》來まさぬ 久ならば 今七日ばかり 早からば 今二日ばかり あらむとぞ 君はきこしし なこひそ吾妹
木國之濱因云鰒珠將拾跡云而妹乃山勢能山越而行之君何時來座跡玉桙之道爾出立夕卜乎吾問之可婆夕卜之吾爾告良久吾妹兒哉汝待君者奥浪來因白珠邊浪之縁流白珠求跡曾君之不來益拾登曾公者不來益久有今七日許早有者今二日許將有等曾君者聞之二二勿戀吾妹
 事ありて紀國に下りし人の歸らむを待てる女の作れるなり。イツ來マサムトはイツ歸リ來マサムトとなり○こゝの夕卜は夕方路傍に立ちて路ゆく人(おそらくは老女)をえらびて其人をしてことわらしめしならむ。古義に
  これは他人の物語して道をすぎゆくを聞て我身の上の事にとりなす占なれば即そを吾に告る語とするなり
といへるはいかが。吉とか凶とか今日とか明日とかいふ一語ならばこそあらめか(2904)く長々と當人の身上に適切なる事を人のさへづり行かむやは。大鏡兼家傳に
  この御母いかにおぼしけるにか、いまだ若うおはしましけるをり二條の大路に出でてゆふけ問ひ給ひければ白髪いみじく白き女のただ一人ゆくが立ちとどまりて何わざしたまふ人ぞ。もし夕け問ひたまふか。何事なりともおぼさむ事かなひて此大路よりも廣く長く栄えさせ給へよ。と申しかけてこそ罷りけれ
とあるをも思ふべし○來因を略解にキヨルとよみ古義にキヨスとよめり。前者に從ふべし。オキツ浪の下にニを略せるなり○邊浪は集中にオキツナミヘナミタツトモ、オキツナミヘナミノキヨルなど多くはヘナミといへれど又卷六(一〇四一頁)なる車持千年作歌に邊津浪とあり古事記なる八千矛神の御歌に弊都那美とあればこゝもヘツナミとよむべし○公者不來益の公者は公之の誤と認むべし。久有の下に者をおとしたるか。キコシシはノタマヒシなり
 
   反歌
3319 杖つきもつかずも吾はゆかめども公が將來《キタラム》道のしらなく
杖衝毛不衝毛吾者行目友公之將來道之不知苦
(2905) 初二は杖ヲツイテモツカイデモとなり。但ユクを言はむ設にいふ熟語にて深き意は無し。はやく卷三(五〇七頁)に見えたり。來ラムは歸り來マサムなり。シラナクは知ラレナクにて知ラレヌ事カナとなり
 
3320 ただに往かずこゆ巨勢道からいは瀬ふみ求《モトメ》ぞわがこしこひてすべなみ
直不往此從巨勢道柄石瀬蹈求曾吾來戀而爲便奈見
 上(二八二〇頁)に
  ただに來ずこゆこせぢからいははしふみなづみぞわがこしこひてすべなみ
とあると、もと一つの歌なり。タダニコズコユコス(近道ヲセズニココヲトホルといふ意)をコセ路にいひかけたるなり。されば初七言は枕辭なり。前註皆誤解せり○求を略解にトメとよめり。古義の如くモトメとよむべし。モトメニゾのニを略したるなり○眞淵は此歌を男の歌とし宣長は
  これも同じ女の歌なるべし。道ノシラナクとはよみつれどもなほ思ひかねて出立行ならん
(2906)といへり。案ずるに此歌はかのタダニコズといふ古歌のコズをユカズに、イハハシをイハセに、ナヅミをモトメに改めて右の長歌の反歌としたるならむ。これを思へば此長短歌も亦まことにある女のよめるにはあらで文人の戯に作れるならむ
 
3321 さよふけて今はあけぬと開戸手《トヲアケテ》、木部行《キヘユキシ》君をいつとかまたむ
左夜深而今者明奴登開戸手木部行君乎何時可將待
 以下二首は贈答にて前の長歌の反歌にあらず。木部行とあるによりて誤りて反歌に列したるならむ○第三句を舊訓にトヲアケテとよみ二註にトヒラキテとよめり。いづれにてもあるべし○木部を略解にキベとよめり。へはテニヲハなり。エの如く唱ふべし。さて木部行はキヘユクとよむべきが如くなれど答歌を味ふに男のたちし後に使して追はせて贈りし歌とおもはるれば略解のごとくユキシとよむべし
 
3322 門に座《ヰシ》郎〔左△〕子《ヲトメ》は内に雖至《イタルトモ》いたくしこひば今かへりこむ
門座郎子内爾雖至痛之戀者今還金
(2907)    右五首
 こは男の歌なり。座を從來ヲルとよめり。ヰシとよみて門ニ立出デテ我ヲ送リシといふ意とすべし。郎子は娘子を誤れるなり○雖至《イタルトモ》は雖入《イリヌトモ》とあるべきに似たり○今は今直ニなり。カヘリコムはカヘリユカムなり。マツトシキカバ今カヘリコムの今カヘリコムとは異なり
 
  譬喩歌
    ○
3323 (師名立《シナタツ》) つくまさ野|方〔左△〕《カラ》 おき長の をちの小菅 あまなくに いかりもち來《キ》 しかなくに いかりもち來て おきて 吾を令偲〔左△〕《カレシム》 おき長の をちの小菅
師名立都久麻左野方息長之遠智能小菅不連爾伊苅持來不敷爾伊苅持來而置而吾乎令偲息長之遠智能子菅
(2908)    右一首
 師名立はツクマ左野方にかゝれる枕辭とおぼゆ。さて字のまゝによまばシナタツ又シナタテルとよむべけれど枕辭にシナタツ又はシナタテルといへる例なければ眞淵はシナテルとよめり。シナテルは卷九(一七五一頁)に級照《シナテル》カタシハ河ノとあり又日本紀に斯那提流カタヲカ山ニとありて意義は不明なれどカタといふ語にかゝる枕辭なり。雅澄は本文にはシナタツとよみて『此地形の階《シナ》立たるをいふべし』といひながら枕詞解には師名光の誤としてシナデルとよみてツクマ左野方の方にかゝれる枕辭とせり。しばらくもとのまゝにてシナタツとよむべし○ツクマ左野方、オキナガノ遠智とある左野方を略解に地名として
  都久麻と息長は近江國坂田郡なり。しかれば左野方はその筑摩郷の内、遠智は息長の内にある所の名なり。……左野方の左は發語といひ然も所謂野方と遠智との關係についてはいへる所なし。古義にも
  ツクマサヌ方は近江國坂田郡筑摩の地の狹額田なり。十卷に狹野方ハ實ニナラズトモ云々又沙額田ノ野邊ノ秋ハギ云々
(2909)といへるのみ。案ずるに左野方を地名とし略解にいへる如く左野方を都久麻の内とし遠智を息長の内とせむにツクマサヌガタ息長ノヲチとあるをツクマノサヌガタ及オキナガノヲチとせむか、結末にオキナガノヲチノコスゲとのみあるに對してツクマサヌガタの方は不用なり。よりて更に案ずるに第二句は筑摩ノサヌ方ヲ經テといふことにて下なる二つのモチ來にかゝれるならむ。されどサヌ方ヲ經テといふことをただサヌ方とはいふべからず。よりて又更に思ふに第二句はもと都久麻左野柄とありしを柄の字滅えて訓もカのみ殘りたりしを傳寫せし人の卷十にサヌ方ハ實ニナラズトモ又サヌカ田ノ野邊ノアキハギとあるを思ひてさかしらに方の字を補ひたるならむ。さて方を柄の誤とすれば枕辭はシナテルにあらざる事いふまでも無し。
  因にいふ。卷十にサヌカ田ノ野邊ノアキハギとある沙額田は大和國平群郡なる額田なるべく又サヌ方ハ實ニナラズトモとある狹野方は狹野榛の誤なるべき事彼卷(一九七六頁及二〇九二頁)にいへる如し
 ツクマ左野は筑摩小野なり。小野をサヌといへるは野榛をサヌハリ(三六頁)といひ(2910)野の鳥をサヌツ鳥といへると同例なり。諸國に佐野といふ地名あるも小野と同意ならむ。カラは上に神名火ノソノ山邊カラ(二八八五頁)またコユコセ路カラ(二九〇五頁)といへるカラにおなじ。さればツクマサ野カラは筑摩ノ小野ヲトホリテといふことなり○小菅の下にヲを添へて心得べし。イカリのイは添辭なり。古義に
  イカリモチキアマナクニ、イカリモチキテシカナクニといふ意なるをことさらに句をおきかへて調をとゝのへたるなり
といへるはいみじきひが言なり。もとのまゝにてよきなり。雅澄がかゝる事をいへるはオキテを生ヒタルママニ置キテと誤解せる爲なり。オキテは編ミモセズ敷キモセヌニ刈來テ棄置キテといふ意なり。卷十(二〇八六頁)なる
  しら露のおかまくをしみ秋はぎををりのみ折りておきや〔三字傍点〕からさむ
のオキにおなじ。アマナクニ以下は又卷十一(二五三六頁)なる
  みよし野のみぐまが菅をあまなくにかりのみかりてみだりなむとや
に似たり○吾乎令偲を二註にワレヲシヌバスとよめり。偲を枯の誤としてワレヲカレシムとよむべし。尾句の小菅の下にもヲを添へて心得べし。或は二處ながら小(2911)菅の下に乎のありしをおとせるか〇二註に此歌を男の作としたるは尾句のヲチノ小菅を主格と見誤れる爲なり。こは女の歌にて自小菅に譬へて男の愛の衰へしを恨みたるなり。末二句は吾《ワレ》、遠智ノ小菅ヲ云々といふべきを二句に割きたるなり
 
  挽歌
   ○
3324 かけまくも あやにかしこし 藤原の 都しみみに 人はしも 滿ちてあれども 君はしも おほくいませど 往向《ユキムカフ》 年のを長く 仕へ來《キテ》 君|之《ガ》御門を 天のごと 仰ぎて見つつ かしこけど おもひたのみて いつしかも 曰〔左△〕足座而《ヒタラシマシテ》 (もち月の) たたはしけむと わが思《オモフ》 皇子の命は 春されば 殖槻がうへの (とほつ人) まつの下道《シタヂ》ゆ 登らして 國見あそばし なが月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに 露負ひて なびけるはぎを (たまだすき) かけてしぬ(2912)ばし みゆきふる 冬のあしたは (さしやなぎ 根)はり梓を 御手《オホミテ》に とらしたまひて あそばしし わがおほきみを 煙たつ 春日暮《ハルノヒグラシ》 (まそかがみ) 見れどあかねば よろづよに かくしもがもと (大船の) たのめる時に 涙〔左△〕言《ウタテワガ》 目鴨迷《メカモマドヘル》 大殿を ふりさけ見れば しろたへに 飾り奉りて (うちひさす) 宮の舎人|方《モ》【一云者】たへのほの 麻衣服《アサギヌケル》は いめかも うつつかもと (くもり夜の) まどへる間《ホド》に (あさもよし) 城於《キノヘ》の道ゆ (つぬさはふ) いはれを見つつ かむはふり はふりまつれば ゆく道の たづきをしらに 思へども しるしをなみ 嘆けども おくかをなみ 御袖《オホミソデ》 往觸之《ユキフリシ》松を ことどはぬ 木にはあれども (あらたまの) たつ月毎に 天原〔左△〕《アメノゴト》 ふりさけ見つつ (たまだすき) かけてしぬばな かしこかれども
桂纏毛文恐藤原王都志彌美爾人下滿雖有君下大座常往向年緒長仕來君之御門乎如天仰而見乍雖畏思憑而何時可聞曰足座而十五月之多田(2913)波思家武登吾思皇子命者春避者殖槻於之遠人待之下道湯登之而國見所遊九月之四具禮之秋者大殿之砌志美彌爾露負而靡芽子乎珠手次懸而所偲三雪零冬朝者刺楊根張梓矣御手二所取賜而所遊我王矣煙立春日暮喚犬迫馬鏡雖見不飽者萬歳如是霜欲得常大船之憑有時爾涙言目鴨迷大殿矣振放見者白細布飾奉而内日刺宮舎人方【一云者】雪穗麻衣服者夢鴨現前鴨跡雲入夜之迷間朝裳吉城於道從角障經石村乎見乍神葬葬奉者往道之田付※[口+リ]不知雖思印乎無見雖嘆奥香乎無見御袖往觸之松矣言不問木矣在荒玉之立月毎天原振政見管珠手次懸而思名雖恐有
 都シミミニの語例は卷三なる悲2歎尼理願死去1歌にウチヒサスミヤコシミミニ、里家ハサハニアレドモとあり。都ニ〔右△〕シゲクといふことなり。君ハシモは皇子ハシモなり○往向を略解にユキムカヒとよみて仕ヘ來テに係け、さて宣長の『外ニモ君ハマセドモワキテ此君ニ心ヨセテ仕奉ルとなり』といへる説を擧げたり。古義には往易の誤としてユキカハルとよめり。案ずるにユキムカフとよみて年に係くべし。ユキ(2914)ムカフは來ムカフにおなじ。はやく卷一(七八頁)にミカリタタシシ時ハ來向フとあり○仕來を略解にツカヘ來テとよめるを古義にツカヘ來シに改めたり。前者に從ふべし。こゝにてはまだ過去にはいふべからず○イツシカモは早くと希ふなり。曰足座而を眞淵は曰を日の誤としてヒタラシマシテとよめるを雅澄は曰足を白之の誤とし其上に吾王之天下の二句を補ひてワガオホキミノアメノシタシロシイマシテとよめり。これは高市皇子の薨去の時の歌と前定して云へるなり。抑此歌は果して契沖雅澄のいへる如く高市皇子の薨去の時の歌なりや。まづ卷二(二七七頁)なる高市皇子尊城上殯宮之時歌によれば此皇子の御墓は城上《キノヘ》なり。然るに今の歌には
  あさもよし城於《キノヘ》の道ゆ、つぬさはふ石村《イハレ》を見つつ、神はふりはふりまつれば
とありて城上は御墓の途中なりしに過ぎず。次に高市皇子は皇太子に立ち給ひ又太政大臣として國政を執り給ひし御方なれば他の皇族は此御方に比すべくもあらず。從ひて此皇子に對し奉りて君ハシモオホクイマセドなどいふべきにあらず。次に反歌を見るに葬は火葬なり。然るに國史によれば火葬の始まりしは此皇子の(2915)薨ぜし時より後(文武天皇の御代)なり。されば此歌は高市皇子を悼み奉りての作にあらず。從ひてワガオホキミノ天ノ下シロシイマシテなどいふべきにあらず。然らば曰足座而はいかによむべきか。曰く眞淵の説の如く曰を日の誤としてヒタラシマシテとよむべし(類聚古集には日之足座而とあり。之を衍字とするか又は之足を足之の顛倒とすべし)。然るに眞淵自も古事記なる本牟智和氣《ホムチワケ》(ノ)御子の母后のうせ給はむとせし時の天皇の詔にイカニシテ日足《ヒタシ》奉ラムとあるを引きて
  こは生兒の日を足《タラ》するをいふ言なるを此御若きほどの皇子に申すはいかがあらむ
といへり。案ずるにこゝの日タラシはかのヒタシと異なり。かのヒタシは育つるこ?。こゝの日タラシは日ト足リタマフすなはち天ツ日ノ如ク滿足リタマフといふ事にて卷二(一九八頁)にオホキミノ御壽《ミヨ》ハ手《タ》ナガク天足ラシタリとあるアマタラシと相似又次にモチ月ノタタハシケムトとあると相似たる語なり○モチ月ノタタハシケムト 此二句は卷二(二二二頁)なる日並皇子尊殯宮之時歌にモチ月ノ滿《タタ》ハシケムトとあると相同じけれど彼は天下の事、此は皇子御一身の事なリ。タタハ(2916)シケムはタタハシカラムにて缺クル所ナカラムとなり。さてイツシカモ日足ラシマシテモチ月ノタタハシケムトとあるを見れば此皇子は未壯齢に達せずしてうせ給ひしなり。此事にても高市皇子にあらざる事を知るべし○吾思の思はオモフとよむべし。二註にはモヘルとよめり。殖槻《ウヱツキ》は今の郡山附近の地名なり。ウヘは丘陵なり。下道を古義にはシタヂとよめり○シグレノ秋は時雨フル秋なり。砌は軒下なり。ミギリシミミニは都シミミニ(五五八頁)と同例なり○カケテは心ニカケテなり。シヌバシはメデ給ヒなり○ハリ梓は弦を張れる梓にて即弓なり。土ニサシタル柳ガ根ヲハルといふことをいひかけて枕辭としたるなり。オホミ手を御手と書けるは大の字をおとせるにあらず。下にもオホミソデを御袖と書けり。今御の字をオホンとよむもオホミの音便なり。卷五好去好來歌(九七三頁)なる日御朝庭をも余はヒノオホミカドとよみつ○アソバシシは遊獵シ給ヒシなり。上なる國見アソバシのアソバシとは輕重相異なり○春秋冬をいひて夏を略したるは夏は興少き時節なればなり○さて上なるワガオモフ皇子ノ命ハはアソバシシまでかゝれるなり。アソバシキと切りてソノワガオホキミヲといはむにひとし○煙は霞なり。ケブリ(2917)タツは准枕辭なり。春日暮は舊訓にハルノ日グラシとよめるに從ふべし。略解にハルビノクレニと改めたるはわろし○ヨロヅヨニカクシモガモトはイツマデモカカレカシトとなり○涙言を舊訓にナクワレガとよめるを宣長は言涙の顛倒としてワガナミダとよみ改めたり。案ずるにここにてはまだナクともナミダともいふべからず。訝とありしが涙と誤まられたるにあらざるか。もし然らばウタテワガ目カモマドヘルとよむべし○舎人方を二註にトネリハとよめり。案ずるにもしハとよむべくば一云者とは註すべからず。又こゝはハにては穩ならず。さればこゝの方はヨモを四方と書き又ヤモ、トモを八方、十方と書ける例(マテリ八方《ヤモ》、ヨシ毛〔左△〕《ヱ》ヨス十方《トモ》)に從ひてモとよむべし○タヘノホは白布の色澤なり(一二三頁參照)。但こゝにてはシロタヘノといはむにひとし。服を略解にキル、古義にケルとよめり。キタルといふべき處なればケルとよむべし○大トノヲ以下は卷二(二七六頁)なる高市皇子尊殯宮之時歌に
  わがおほきみみこの御門を、かむ宮によそひまつりて、つかはしし御門の人も、しろたへの麻ごろも著て
(2918)とあると似たり○間を略解に
  マドヘルハシニともよむべし。卷一アラソフ端ニとあり
といへれどハシニは調迫りてこゝにかなはねばこゝは舊訓の如くホドニとよむべし○キノヘノ道ユは城上ヲトホリテとなり。古義の説は非なり。イハレヲ見ツツは磐余《イハレ》ヲ指シテなり○ユク道ノタヅキヲシラニはオノガ行ク道ノ勝手モヨク分ラズとなり。シルシは詮なり。オクカはアテなり○古義に往を持の誤としてミソデモチフリテシマツヲとよめるはわろし。略解の如くオホミソデユキフリシ松ヲとよむべし○タツ月毎ニは毎月なり。月のかはるをタツといふ○天原は考にいへる如く天如の誤ならむ。此歌の上にも如天アフギテ見ツツとあり又卷二(二八二頁)なる例の歌に天之如フリサケ見ツツ、玉ダスキカケテシヌバム、カシコカレドモとあり。カケテは心ニカケテなり○此歌が處々彼高市皇子尊殯宮之時歌に似たるは偶然にはあらでことさらに學びたるなり。此事も亦此歌が彼皇子を悼み奉るものにあらざる傍證とすべし
 
   反歌
(2919)3325 (つぬさはふ)いはれの山にしろたへにかかれる雲は皇〔左△〕可聞《ワガオホキミカモ》
角障經石村山丹白栲懸有雲者皇可聞
     右二首
 眞淵は皇を吾王の誤としてワガオホキミカモとよみ雅澄はもとのまゝにてオホキミロカモとよめり。前者に從ふべし○イハレノ山はやがて葬處なり。二註に葬處にあらずと云へるはそを葬處とすれば此歌を高市皇子を悼み奉る歌とするに妨あればなり(高市皇子の御墓は三立(ノ)岡即城上なり)。又略解に長歌にワガオモフ皇子ノ命ハとあるを指して『皇太子にあらずしてミコノミコトといへる例なければ高市皇子命の薨の時の歌なり』といへれど父母妻弟をさへチチノ命、ハハノ命、イモノ命、ツマノ命、オトノ命といへるをたとひ皇太子ならずとも皇子ノ命と(少くとも歌には)いはざらむや。又現に卷三(五七一頁及五七四頁)に皇太子にあらざる安積《アサカ》皇子をミコノミコトといへるにあらずや○又此反歌を火葬をいへるにあらずといへるも高市皇子に強ひなさむが爲なり。卷三なる土形娘子火2葬泊瀬山1時歌に
(2920)  こもりくのはつせの山の山のまにいざよふ雲は妹にかもあらむ
とあると全く同趣ならずや
    ○
3326 (しき島の〕 やまとの國に △ いかさまに おもほしめせか つれもなき 城上《キノヘ》の宮に 大殿を つかへまつりて とのごもり こもりいませば あしたには 召してつかはし ゆふべには めしてつかはし つかはしし 舎人の子らは (ゆく鳥の) 群而待〔左△〕《ムレテサモラヒ》 ありまてど めしたまはねば (つるぎだち) とぎし心を あま雲に おもひはふらし こいまろび ひづちなけども あきたらぬかも
磯城島之日本國爾何方御念食可津禮毛無城上宮爾大殿乎都可倍奉而殿隱隱在者朝者召而使夕者召而使遣之舎人之子等者行鳥之羣而待有雖待不召賜者剱刀磨之心乎天雲爾念散之展轉土打哭杼母飽不足可聞
     右一首
(2921) 此歌こそ高市皇子を悼み奉りて作れるなれ○ヤマトノクニニとあるおちつかずされば古義には
  大和國ナルニと云意に云るか。思ふに爾はもしは乎(ノ)字にてもありしならむか
といへり。案ずるに卷二十なる
  しきしまのやまとのくににあきらけき名におふとものを、こころつとめよ
はシキシマノヤマトノクニニの下に伴(ノ)緒ハアマタアレド特ニといふことを略したりと見らるれどこゝは宮ハシモココダクアルヲなどいふ二句をおとしたるものとせざるべからず○イカサマニ云々は卷二なる日並皇子尊殯宮之時歌(二二二頁)に
  いかさまにおもほしめせか、つれもなき眞弓の崗に、宮柱ふとしきたて、みあらかをたかしりまして
とあるを學びたるなり。ツレモナキは世間〔日が月〕トカケハレタルなり○大トノヲツカヘマツリテは略解に
  陵を造仕奉也。トノゴモリは陵の内にこもりますと云也
(2922)といへる如し○群而待は略解に待を侍の誤としてムレテサモラヒとよめるに從ふべし。アリマテドは待チテアレドなリ。このあたりは卷二(二四一頁)に
  ひむかしのたきの御門にさもらへどきのふもけふもめすこともなし
とあるに似たり○トギシ心は御奉公ニハリツメシ心となり。アマ雲ニのニはシラユフ花ニオチタギツなどのニとおなじ。さればアマ雲ニは天雲ト、天雲ノ如クといふ意なること略解にいへるごとし。ハフラシは散ラシなり。ヒヅチナクは直譯すれば濡レ泣クなれどいたく泣く意の熟語となれるなり。アキタラヌは泣キ足ラヌなり
   ○
3327 (百しぬの) 三野のおほきみ 金《ニシ》の厩 たててかふ駒 角《ヒムカシ》のうまや たててかふ駒 草こそは とりてかひ旱《ナメ》 水こそは くみてかひ旱〔左△〕《ナメ》 何しかも 大分〔二字左△〕青△馬《マカタノコマ》の いばえたちつる
百小竹之三野王金厩立而飼駒角厩立而飼駒草社者取而飼旱水社者※[手偏+邑](2923)而飼旱何然大分青馬之鳴立鶴
 三野王は橘諸兄の父にてその卒せしは和銅元年五月なり。此歌はそを悼みて作れるなり〇三野ノ王ガのガを略せるなり。西に金の字を借り東に角の字を借れるは五行五音を五方に配する時の例に依れる事前註にいへる如し〇二つの旱は宣長が嘗の誤としてナメとよめるに從ふべし。東西の厩の駒の鳴立つを聞きてモシ草ホシクバ云々モシ水ホシクバ云々といへるなり○大分青馬を舊訓及古義にアシゲノウマとよみ考にマシロノコマとよみ略解にヒタヲノコマとよめり。案ずるにこゝは馬の色などいふべき處にあらず。上にニシノウマヤ、ヒムカシノウマヤといひたればこゝは兩方ノ馬ガとやうにいふべきなり。久老の信濃漫録に
  金厩角厩と書てニシヒガシとよめる書ざまをおもふに青もヒガシの意に假れる字ならむ。然らば大分の二字も泰の一字を誤れるものにて泰は爾雅に西風を泰風といふと見えたれば泰はニシの意に假たる字、さてニシは右、ヒガシは左なればミギノウマヤ、ヒダノウマヤと訓べし。葬馬を左右に立たるをよめる歌也
といへり。案ずるに厩ながら嘶く馬をよめるなり。葬列の馬にはあらず。更に案ずる(2924)に大分青馬はもと白方青方馬とありしを下の方〔右△〕をおとし更に白方を大分と誤れるならむ。五色を五方に配すれば白は西に當り青は東に當る事人の知れる如し。さて白方青方馬之はマカタノコマノとよむべし。マカタといふ語は古書に見えたるを知らねど左右の手をマデといひ左右の袖をマソデといひ片帆に對して左右共に張れるを眞帆といふを思へば片方に對して兩方を眞方といひつべし○イバエタツは盛に嘶くなり。略解に『つれ立て鳴をいふ』といへるは非なり
 
   反歌
3328 (ころもでの)大分〔二字左△〕青△馬《マカタノコマ》の嘶音《イバエゴヱ》こころあれかも常ゆけになく
衣袖大分青馬之嘶音情有鳧常從異鴨
     右二首
 コロモデノ眞とかゝれるなり。左右の袖を眞袖といふ事上にいへる如し。卷十二(二七一三頁)にもコロモデノ眞若ノ浦といへる例あり○嘶音を略解にイバユルモとよめるは論ずるに足らず。古義にはイバユコヱとよめり。イバユルコヱといふべき(2925)を例の如く終止格にて云へるなりともいふべけれどむしろイバエゴヱとよむべし○ツネユケニナクは平生トハカハツテ鳴クとなり。卷十(二一二六頁)にもトリガネケニナク秋スギヌラシとあり。馬モ主皇子ノウセ給ヒシヲ悲シムニヤといふ意を含めたるなり
    ○
3329 白雲の たなびく國の 青雲の むかぶす國の あま雲の したなる人は 妾のみかも 君にこふらむ 吾耳鴨 夫君にこふれば 天地に 滿言 こふれかも 胸のやめる おもへかも こころのいたき わが戀ぞ 日にけにまさる いつはしも こひぬ時とは あらねども このなが月乎 わが背子が しぬびにせよと 千世にも しぬびわたれと よろづ代に かたりつがへと 始めてし このなが月の すぎまくを いたもすべなみ あらたまの 月の易者 せむすべの たどきをしらに いはがねの こごしき道之 いは床(2926)の 根ばへる門爾 あしたには 出ゐてなげき ゆふべには 入ゐこひつつ ぬばたまの 黒髪しきて 人のぬる うまいはねずに 大船の ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬる夜らは よみも不敢かも
白雲之棚曳國之青雲之向伏國乃天雲下有人者妾耳鴨君爾戀濫吾耳鴨夫君爾戀禮天地滿言戀鴨※[匈/月]之病有念鴨意之痛妾戀叙日爾異爾益何時橋物不戀時等者不有友是九月乎吾背子之偲丹爲與得千世爾物偲渡登萬代爾語都我部等始而之此九月之過莫乎伊多母爲便無見荒玉之月乃易者將爲須部乃田度伎乎不知石根之許凝敷道之石床之根延門爾朝庭出居而嘆夕庭入座戀乍烏玉之黒髪敷而人寢味寢者不宿爾大船之行良行良爾思乍吾寢夜等者數物不敢鳴〔左△〕
      右一首
 セムスベノ以下十句並にヌバタマノ以下九句は此卷の上(二八四三頁)なる長歌に(2927)見えたり。其處にいへる如くヌバタマノ以下九句は相聞歌の調にて挽歌の調にあらず。又シラクモノ以下十句も相聞歌の調なり。されば挽歌なるべきは中間なる
天地に 滿言〔左△〕《ミチタラハシテ》 こふれかも 胸のやめる おもへかも こころのいたき わが戀ぞ 日にけにまさる いつはしも こひぬ時とは あらねども このなが月|乎〔左△〕《ノ》 わが背子が しぬびにせよと 「千世にも しぬびわたれと よろづ代に かたりつがへと」 始めてし このなが月の すぎまくを △ いたもすべなみ (あらたまの) 月の易者《カハラバ》 せむすべの たどきをしらに いはがねの こごしき道|之〔左△〕《ヲ》 いは床の 根ばへる門|爾《ユ》 あしたには 出〔左△〕《イリ》ゐてなげき ゆふべには 入〔左△〕《イデ》ゐこひつつ
 以上三十四句に過ぎず。之を尾のうせたる挽歌とすべし。かく二首に分つべき事は眞淵はやく云へり
 滿言を眞淵はイヒタラハシテとよめるを宣長は滿足の誤としてミチタラハシテ(2928)とよめり。後者に從ふべし。語例は上(二八二二頁及二八四七頁)にアメツチニオモヒタラハシとあり。天地一杯ニナルヤウニとなり。さて此二句はコフレカモ胸ノヤメルのみならでオモヘカモココロノイタキにもかゝれるなり○コノナガ月乎といへるは夫が九月にうせし故なり。さて二註に新喪と認めたれど此歌は夫のうせし翌年の祥月に作りしなり。ナガ月乎の乎の収まる處なし。乎はおそらくは之の誤ならむ。コノ九月ノといひ更に立返りて云々セシコノ九月ノといへるならむ○カタリツガヘトは語り繼ゲトの延言なり。千世ニモシヌビワタレト、ヨロヅ代ニカタリツガヘトの四句は無くもがな○ハジメテシは例ヲ開キシとなり。スギマクヲの下におそらくは二句おちたるならむ○易者を從來カハレバとよみたれど上にスギマクヲとあるによりて知らるゝ如く此歌は九月に作れるなればカハラバとよむべし。さてカハラバといへばシラニとは云はれざる如くなれど未來を現在にて受けたる例は集中にあまたあり。さればシラニは知ラザラムニヨリテと譯すべし○タドキは上(二八四三頁)にはタヅキとあり○道之は上には道乎とあり。乎とあるに從ひて道ユの意即道ヲトホリテの意とすべし○イハ床は平坦なる岩なり(一二三(2929)頁參照)。根バフは根シテ匍フにてこゝにては横タハルといふ意なり○門爾は上には門呼とあり。爾とあるに從ふべし○アシタニハ出居而嘆、ユフベニハ入座戀乍(上には入居而思《イリヰテシヌビ》とあり)の出入を顛倒してアシタニハイリヰテナゲキ、ユフベニハイデヰコヒツツとよむべし。さて門といへるは墓處の門なり。略解に『夫の墓の側のかり屋に妻のやどりゐて其墓所のさまをいへる也』といへるは非なり。毎日里より墓に通ふ趣なり○これより下の缺けたるはいと口をし
 さて錯簡とおぼゆる初十句と終九句とを聯ぬれば
白雲の たなびく國の 青雲の むかぶす國の あま雲の したなる人は 妾のみかも 君にこふらむ 吾耳鴨〔左△〕《ワノミシ》 夫君《ツマ》にこふれば (ぬばたまの) 黒髪しきて △ 人のぬる うまいはねずに (大船の) ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬる夜らは よみも不敢《アヘジ》かも
となりてほぼ一首の相聞歌の體を具ふれど、おそらくはなほ誤脱あらむ。上(二八四五頁)に見えたるシロタヘノワガコロモデヲ、ヲリカヘシヒトリシヌレバの四句を(2930)ヌバタマノクロカミシキテの前に入れむとするに君ニコフレバのレバとヒトリシヌレバのレバと相重なりて調よろしからず。クロカミシキテの次に君クヤトマチツツヲルニなどいふことを補ふべきは彼處(二八四六頁)にいへる如し○シラ雲ノ云々の語例は祈年祭祝詞に青雲ノタナビク極、シラ雲ノオリヰムカブス限とあり。青雲はやがて白雲の事なり。青雲の青は水色なり。藍色にあらず。從來青雲を蒼天の事とせるは非なり(二一五頁參照)。ムカブスはタナビクに似たり。されば初四句は同事を辭の文と重ね言へるなり。さて卷三(左?四二頁)なる丈部《ハセツカベ》龍麿自經死之時歌にアマ雲ノムカブス國ノマスラヲトイハレシ人ハといへるは遠國といふことなれどこゝは廣き國といふことなり。されば初六句の意は天下ノ人ハといはむにひとし。アマ雲ノシタナル人ハ云々は卷十五に
  あめつちのそこひのうらにあがごとくきみにこふらむひとはさねあらじ
とあるに似たり○下の吾耳鴨は古義にいへる如く吾耳師の誤なり。ワノミシとよむべし○ヌバタマノ以下ははやく上(二八四五頁)に釋せり。不敢はアヘジとよむべし。アヘジカモは敢ヘザラムカモとなり。上には將敢鴨とあり。又夜ラハ上には夜(2931)ラヲとあり○不敢鳴の鳴は鴨の誤なり
   ○
3330 (こもりくの) 長谷《ハツセ》の川の かみつ瀬に 鵜を八頭《ヤツ》かづけ しもつ瀬に 鵜を八頭《ヤツ》かづけ かみつ瀬の 鮎をくはしめ しもつ瀬の 鮎をくはしめ くはし妹《イモ》に 鮎遠惜〔三字左△〕《タグヒテマシヲ》 (なぐるさの) とほざかりゐて おもふ空 やすからなくに なげく空 やすからなくに △ 衣《キヌ》こそは 其〔左△〕《ソデ》やれぬれば 縫〔左△〕《ツギ》つつも 又もあふといへ 玉こそは 緒のたえぬれば くくりつつ 又もあふといへ 又も あはぬものは つまにしありけり
隱來之長谷之川之上瀬爾鵜矣八頭漬下瀬爾鵜矣八頭漬上瀬之年魚矣令咋下瀬之鮎矣令咋麗妹爾鮎遠惜投左乃遠離居而思空不安國嘆空不安國衣社薄其破者縫乍物又母相登言玉社者緒之絶薄八十一里喚鶏又物逢登曰又毛不相物者※[女+麗]山〔左△〕志有來
(2932) カヅケは潜カセなり。クハシメは銜《クハ》ヘシメなり。初より十句はクハシ妹といはむ爲の序なり。妹はイモとよむべし(略解にはメとよめり)。クハシイモはウルハシキ妻なり○鮎遠惜を眞淵は辭遠借の誤としてコトトホザカリとよみ雅澄は副猿緒の誤としてタグヒテマシヲとよめり。後者に從ふべし○ナグルサは契沖のいへる如く投箭といふことなり。下にキミガオバシシ投箭シオモホユとあり。又卷十九にアヅサ弓末フリオコシ投矢モチ千尋射ワタシとあり。投矢は弓にたぐへずして手にて投ぐる矢なり。太平記卷十五に
  爰ニ妙観院ノ因幡(ノ)豎者《リツシヤ》全村トテ三塔名誉ノ惡僧アリ。……箆ノ太サハ尋常ノ人ノ蟇目ガラニスル程ナル三年竹ヲモギツケニ推削テ長船《ヲサフネ》打ノ鏃ノ五寸鑿程ナルヲ筈本《ハズモト》迄ナカゴヲ打|通《トホシ》ニシテネヂスゲ沓卷ノ上ヲ琴ノ絲ヲ以テネタマキニ卷《マイ》テ三十六|差《サイ》タルヲ森ノ如クニ負ナシ態《ワザト》弓ヲバ持ズ〔五字傍点〕。是ハ手撞《テヅキ》ニセンガ爲ナリケリ。……上差《ウハザシ》間〔日が月〕筋拔|出《ダシ》テ櫓《ヤグラ》ノ矢間〔日が月〕《サマ》ヲ手撞ニゾ撞《ツイ》タリケル。此矢誤マタズ矢間ノ陰ニ立《タツ》タリケル鎧武者ノセンダンノ板ヨリ後《ウシロ》ノ總角附《アゲマキツケ》ノ金物迄裏表二重ヲ洞(シ)テ矢サキ二寸許出タリケル間其兵櫓ヨリ落テ二言(ト)モイハズ死ニケリ。……(2933)是ヨリシテゾ全村ヲ手撞ノ因幡トハ名附ケル
とあリ。これも投矢なるべし○トホザカリヰテを古義に『葬りたれば家より遠く離て居るよしなり』といへるはいみじき誤なり。略解にいへる如く離レ住ミテといふことなり○ナゲク空ヤスカラナクニの下に妹のうせし事をいへる數句おちたるなり。うせし事を避けて云はざることもあれどこゝは然らず○其を二註にソレとよめり。ソレといはむは拙し。おそらくは袖の誤ならむ○縫は元暦校本に繼とある方まされり○又モは別レテ又モの意なり○山は爾の誤ならむ
   ○
3331 (こもりくの) 長谷《ハツセ》の山 (青幡の) 忍坂《オサカ》の山は 走出《ワシリデ・ハシリデ》の よろしき山の いでたちの 妙《クハシキ》山ぞ あたらしき山の あれまくをしも
隱來之長谷之山青幡之忍坂山者走出之宜山之出立之妙山叙惜山之荒卷惜毛
 次の歌の後に右三首とあれど此歌も次の歌も前の歌とは關係なき獨立の歌なり。
(2934) さて此歌は雄略天皇紀に
  六年春二月天皇遊2於泊瀬(ノ)小野1觀2山野之體勢1慨然興v感歌曰こもりくのはつせのやまは、いでたちのよろしきやま、和しりでのよろしきやまの、こもりくのはつせのやまは、あやにうらぐはし、あやにうらぐはし
とある辭を採りて作れるなり○アヲバタノは枕辭なり。オサカ山はハツセ山の西南にありてオサカ川とハツセ川とを隔てたり。古義に『並びたる山なり』といへるは非なり。ワシリデ、イデタチは所謂體勢なり。すなはち走リイデタルサマ、出立テル形なリ。今も扮装をイデタチといふ、是こゝのイデタチに似たり。卷二に※[走+多]出ノ堤ニタテルツキノ木ノ(二九八頁)といひ又イデタチノモモエツキノ木(三〇八頁)といひ上(二八八二頁)にイデタチノキヨキナギサニといへるは門前ノといふことにてこゝなるとは異なり○妙は古義に從ひてクハシキとよむべし(略解にはマグハシキとよめり)○此歌は長谷と忍坂との間に住みたまひし皇子などのうせ給ひしを悼めるにて結末の二句は君ガウセ給ヒテソノ惜キ山ノ保護モ行屆カデ荒行キナムガ惜シといへるなり。前註皆誤解せり
(2935)    〇
3332 高山と 海こそは 山|隨《ナガラ》 かくもうつしく 海|隨《ナガラ》 然直〔左△〕有目《シカモアラメ》 人は充〔左△〕物《ハナモノ》ぞ うつせみのよ人
高山與海社者山隨如此毛現海隨然直有目人者充物曾空蝉與人
    右三首
 海の下にトを省きたるに注目すべし○山隨、海隨は宣長の山ナガラ、海ナガラとよめるに從ふべし。舊訓には山ノマニ、海ノマニとよめり○ウツシはウツシキ、ウツシクとはたらく形容詞にてこゝにては山ノママデカク現存シと譯すべし○直は面などの誤ならむ。然らば此句はシカモアラメとよみて海ノママデ後々マデカクモアラメと心得べし○充は元暦校本等によりて花の誤とすべし。ハナモノはアダモノにてウセヤスキ物といふ意なり。卷十二(二六三〇頁)にも木綿ハ花モノとあり
    ○
3333 おほきみの みことかしこみ あきつ島 やまとを過〔左△〕而《オキテ》 大伴の (2936)みつの濱邊ゆ 大舟に 眞梶しじぬき あさなぎに かこの音爲乍〔二字左△〕《コヱヨビ》 ゆふなぎに 梶の音《ト》しつつ ゆきし君 いつ來まさむと 大〔□で囲む〕|夕卜△《ユフケトヒ》 △  △置而《ヌサオキテ》 いはひわたるに たは言や 人のいひつる わが心 つくしの山の もみぢ葉の ちり過去常《スギニキト》 きみがただかを
王之御命恐秋津島倭雄過而大伴之御津之濱邊從大舟爾眞梶繁貫且〔左△〕名伎爾水手之音爲乍夕名寸爾梶音爲乍行師君何時來座登大夕卜置而齋度爾枉〔左△〕言哉人之言鈎〔左△〕我心盡之山之黄葉之散過去常公之正香乎
 過而は置而の誤ならむ○水手之音爲乍を略解にカコノトシツツとよめるを古義に
  水手ノオトと云る例あることなし。今按に爲乍は喚字などにて有けむを梶音爲乍とあると、ふと見まがへて寫し誤れるものなるべし。必カコノコヱヨビとあるべきなり。卷四にもアサナギニカコノ音喚《コヱヨビ》ユフナギニ梶ノ聲《ト》シツツとあるを思合すべし。十五卷にも月ヨミノヒカリヲキヨミユフナギニカコノ古惠欲妣ウラ(2937)ミコグカモとあり
といへり○大夕卜置而を眞淵以下幣置而の誤としてヌサオキテとよめり。案ずるに大は衍字なるべく夕卜置而はもと三句なりしが字おちて一句のやうになれるならむ。即もとは
  いつ來まさむと、夕卜問《ユフケトヒ》、幸來座登《サキクキマセト》、幣置而《ヌサオキテ》いはひわたるに
とありしならむ。語例は上(二九〇二頁)に
  ゆきし君いつ來まさむと、玉桙の道にいでたち、夕うらをわがとひしかば
又卷十(二〇六六頁)に
  天のかは瀬ごとに幣をたてまつるこころは君をさきく來ませと
とあり○過去常を略解にスギニキトとよめるを古義にスギニシトに改めたるはかへりてわろし。ワガ心以下三句は否チリまではスギニキにかゝれる序なり○キミガタダカヲは君ガ事ヲとなり○略解に
  チリスギニキト君ガタダカヲ人ノイヒツルと返る意の語也
といひ古義に
(2938)  散テ過ニシト公ガ正香ヲ狂言ニ〔右△〕ヤ人ノ言ツルと立返りて心得る語の格なり
といへる共に非なり。さる格はある事なし。キミガタダカヲ人ノイヒツルといふべきを略せるなり。タハゴトヤ人ノイヒツルはタハ言ヲ〔右△〕ヤなり。タハゴトニ〔右△〕ヤにあらず。さればタハ言ヤの下の人ノイヒツルにはキミガタダカヲを受くべき餘地は無きなり○前註にいへる如く此歌は筑紫にてうせし官人の妻の大和にてよめるなり○且は旦、枉は狂、鈎は釣を誤れるなり
 
   反歌
3334 たは言や人のいひつる(玉の緒の)長くと君はいひてしものを
枉〔左△〕言哉人之云鶴玉緒乃長登君者言手師物乎
     右二首
 ナガクトは長ク生キムトなり
    ○
3335 (玉桙の) 道ゆく人は (あしひきの) 山ゆき野ゆき 直海〔左△〕《タダワタリ》 川ゆき渡(2939)り (いさなとり) 海道にいでて (かしこきや) 神のわたりは ふく風も のどには吹かず たつ浪も おほにはたたず しき浪の たちさふ道を たが心 勞《イタハシ》とかも ただわたりけむ
玉桙之道去人者足檜木之山行野往直海川往渡不知魚取海道荷出而惶八神之渡者吹風母和者不吹立浪母疎不立跡座浪之立塞道麻誰心勞跡鴨直渡異六
 こは下なる調《ツキ》(ノ)使首見v屍作歌を傳へ誤れるなり○第二句にミチユク人ハとあるふさはず。彼歌にミチニイデタチとあるぞ穩なる○直海は考に引きたる或人の説に直渉の誤ならむといへるに從ひてタダワタリとよむべし。タダワタリはタダワタリニのニを略したるにて難處をも避けず近道を取りて渡るなり○神ノワタリはここにては海峡の名なり。おそろしき處なれば神ノといへるなり○オホニハは世ノ常ニハなり。シキナミは重浪なり。卷二(三一五頁)にも跡位浪と書けり。タチサフ道ヲは立妨グル道ナルヲなり○タガ心は己ヲ待ツ妻ノ心ヲといふことを婉曲にい(2940)へるなり。勞はイタハシとよむべし。即後世のイトホシにてフビンナリといふことなり。妻の待つらむがいとほしさに一日も早く家に歸らむと思ひて近道を取りし趣なり○タダワタリケムはタダニ渡リテカク命ヲ失ヒケムとなり。タダワタリといふ語の重複せる心ゆかず○略解に
  立サフは浪の立障る道といふにて磯ぎはをいふべし。……いそぐまゝに此重浪の立塞る道を歩わたりしけんと云也
といひ、宣長が
  これはただ川に溺れて死たるが屍の海へ流れ出て磯へ打あげられてあるを見てかくよめる也。實に海を渡たるにはあらじ
といひ、雅澄が
  此重浪ノ立障ル道ヲ歩渉シケム云々となり。かくてこれは屍の海へ流れ出て磯際へ打あげられたるを見て作者のありけむやうを思ひやりてかくはよめるなり
といへるはいみじきひが言なり。渡《ワタリ》は海にもいふべきが上に、今は上にウミヂニイ(2941)デテとさへあるにいかで川とは認めけむ。又タダワタルは迂路を取らずして渡る事にて船して渡るにも云ひつべきをいかで徒渉とは心得けむ
    ○
3336 鳥音《トリガネモ》 之〔左△〕所聞《キコエヌ》海に 高山を 障所〔左△〕爲而《ヘダテニシテ》 おきつ藻を 枕|所〔左△〕爲△《ニシテ》 蛾〔左△〕葉之《アキツハノ》 衣浴〔左△〕《キヌダニ》きずに (いさなとり) 海の濱邊に うらもなく ところ〔左△〕宿有《イネタル》人は 母《オモ》父に まな子にかあらむ (若くさの) 妻か有異〔左△〕六《アルラム》 想布《オモホシキ》 言つてむやと 家問へば 家をものらず 名を問へど 名だにものらず (なく兒なす) 言だにとはず 思鞆〔左△〕《オモフカラ》 かなしきものは 世間有〔左△〕《ヨノナカノミチ》
鳥音之所聞海爾高山麻障所爲而奥藻麻枕所爲蛾葉之衣浴不服爾不知魚取海之濱邊爾浦裳無所宿有人者母父爾眞名子爾可有六若蒭之妻香有異六思布言傳八跡家問者家乎母不告名問跡名谷母不告哭兒如言谷不語思鞆悲物者世間有
 此も下の歌の一部を採れるにてそれに初二句と終五句とを添へたるなり○初二(2942)句は眞淵が之〔右△〕を不の誤としてトリガネモキコエヌ海ニとよめるに從ふべし○障所爲而を從來ヘダテ【トニ】ナシテとよみたれどナシテとはいふべからず。所を丹などの誤としてヘダテニシテと六言によむべし。海岸の山を屏風の如きものに見立てたるなり。屏風は天武天皇紀に見えたり○枕所爲の所も丹などの誤字なり。爲の下に而をおとせるなり○蛾葉之衣浴を雅澄が蜻葉之衣谷の誤としてアキツハノキヌダニとよめるは卓見なり。但蛾は※[虫+廷]の誤にてもあるべし。浴は類聚古集に谷とあり。ウスキ衣ダニ身ニマトハズシテとなり○初にトリガネモキコエヌ海ニといへるを更にイサナトリ海ノ濱邊ニといへるは拙し。此二句は削らまほし○ウラモナクは無心ニテとなり。卷十二(二六一五貢及二七一九頁)にもウラモナクアルラム兒ユヱコヒワタルカモ又ウラモナクイニシ君故とあり○所宿有を略解にヤドレルとよみ古義にイネタルとよめり。ウラモナクにつづきたれば後者に從ふべし。所は伊などの誤ならむ○マナ子は愛子なり。卷七(一四五五頁及一四五七頁)及卷十二(二七一三頁)に砂のマナゴを愛子と書けり○有異六を古義に異を羅の誤としてアルラムとよめり。さもあるべし○思布を舊訓にオモハシキとよみ考以下にオモホシ(2943)キとよめり。布は事の誤にてオモフ事言ヅテムヤトなるかと思ふに卷十七に於母保之伎、許登都底夜良受とあればしばらく考以下の訓に從ひて言を上に附けツテムヤのツを清みて唱ふべし。但家持等が古歌の辭を取れるには誤字誤訓のまゝに取れるかとおぼゆる事もあればなほ研究すべし。ツテムヤは傳ヘムカなり○家ヲモノラズ、名ダニモノラズといひて更に言ダニトハズといふべきにあらず。此一事にてもナク兒ナス以下が後人の添加なる事を知るべし○思鞆を從來オモヘドモとよみたれど穩ならず。思柄の誤ならむ○世間有を二註にヨノナカニアリとよみたれどこれも穩ならす。眞淵に從ひて世ノナカニゾアルとよまむかと思へどニゾに當る字なければ有を道の誤として世ノナカノミチとよむべし。世ノ中ノミチは世ノ中ノ習なり。卷五なる貧窮問答歌(九六七頁)にもスベナキモノカ世ノナカノ道とあり
 
   反歌
3337 母《オモ》父も妻も子どももたかだかにこむと待異〔左△〕六《マツラム》人のかなしさ
母父毛妻毛子等毛高高二來跡待異六人之悲沙
(2944) タカダカニははやくいへり。異は羅の誤ならむ。故郷人はいまだ此人のうせし事を知らざるなればマツラムといはむ方穩なり
 
3338 (あしひきの)山道|者〔左△〕《ヲ》ゆかむ風ふけば浪の△塞《タチサフ》海道はゆかじ
蘆檜木乃山道者將行風吹者浪之塞海道者不行
 此歌は前の長歌の反歌なるべきなり。山道の下の者は古義にいへる如く乎の誤とすべし。又塞の上に立の字を補ふべし○溺死人を見し作者の感想なり
 
   或本歌 備後國神島(ノ)濱(ニテ)調《ツキ》(ノ)使〔□で囲む〕|首《オビト》見v屍作歌一首并短歌
3339 (玉桙の) 道にいでたち (葦引の) 野〔左△〕《ヤマ》ゆき山〔左△〕《ヌ》ゆき (潦〔左△〕《ミナギラフ》) 川ゆきわたり (いさなとり) 海路にいでて ふく風も 母〔左△〕穗《オホ》には吹かず たつ浪も のどには不起《タタヌ》 かしこきや 神のわたりの しき浪の よする濱邊に 高山を へだてにおきて ※[さんずい+内]潭《ウラノヘ》を 枕にまきて うらもなく こやせる君は 母《オモ》父の 愛子にもあらむ わか草の 妻もあらむと 家とへど 家道もいはず 名をとへど 名だにものらず たが言を (2945)勞鴨《イタハシミカモ》 腫〔左△〕浪《シキナミ》の かしこき海を ただわたりけむ
玉桙之道爾出立葦引乃野行山行潦川往渉鯨名取海路丹出而吹風裳母穗丹者不吹立浪裳箆跡丹者不起恐耶紳之渡乃敷浪乃寄濱邊丹高山矣部立丹置而※[さんずい+内]潭夷枕丹卷而占裳無偃爲公者母父之愛子丹裳在將稚草之妻裳將有等家問跡家道裳不云名矣問跡名谷裳不告誰之言矣勞鴨腫浪能恐海矣直渉異將
 神島は備中の西端にありて神名帳に備中國小田郡神島神社と見え今も現に備中に屬せり。神ノワタリを備後の穴(ノ)海とし神島を今の福山の附近とせる説は備後人の國引言なり○使首は眞淵の説に使主《オミ》を誤れるなりといひ雅澄の説に『使はもしは衍字にて調(ノ)首ならむか。調《ツキ》(ノ)首《オビト》淡海といふ人一卷に見えたり』といへり。案ずるに姓氏録に見えたるは調(ノ)連《ムラシ》、調(ノ)曰佐《ヲサ》のみにて日本紀には又調(ノ)首《オビト》、調(ノ)吉士《キシ》、調(ノ)忌寸《イミキ》見えたり。さて姓氏録なる調(ノ)連の處に億計天皇御世……賜2調(ノ)首(ノ)姓1とあり。栗田博士の同書の考證に天武紀に調(ノ)首淡海とあるを元明紀に調(ノ)連淡海とあれば天武の御世に(2946)連姓をたまはりしなるべしといへり。右の如くなれば調使首は調首の誤とすべし。但こゝに調首とあるは淡海なるか否か知るべからず(調(ノ)首淡海の名は聖武天皇紀神龜四年十一月にも見えて年齒居v高云々とあり)此歌并に反歌は卷二なる讃岐狹岑島視2石中死人1柿本朝臣人麿作歌(三一八頁)に
  浪のとのしげき濱邊を、しきたへの枕にして、あらとこに自〔左△〕伏《コイフス》君が、家しらばゆきてもつげむ、妻しらば來もとはましを、玉桙の道だにしらず、おほほしくまちかこふらむ、はしき妻らは
とあると相似たり。然も今の歌を以て人麿の歌を學びたるものとは妄斷すべからず。人麿は持統文武兩帝の御代を盛とせし人、調氏の姓が首なりしはおそらくは天武天皇の御代までにて調(ノ)首某は人麿より寧先輩なるべくおぼゆればなり
 眞淵は『此或本の歌は甚亂て上の二首の混《マギレ》て一首の如くなれるにて取にもたらず』といへれど古義にいへる如く却りて此一首を後人の割きて上の二首としたるなり
 野ユキ山ユキは枕辭よりのつづきを思へば古義にいへる如く野と山と顛倒せる(2947)なり。上の歌にはアシヒキノ山ユキ野ユキとあり○※[さんずい+僚の旁]を略解には激の誤としてミナギラフとよみ古義には直渉の誤とせり。前者に從ふべし。ミナギラフは水煙のたつ事なり。齊明天皇紀なる御製に
  あすかがは※[さんずい+彌]儺蟻羅※[田+比]《ミナギラヒ》つつゆくみづのあひだもなくもおもほゆるかも
とあり本集卷七にも
  水霧相《ミナギラフ》おきつ小島に風をいたみ船よせかねつ心はもへど
とあり○母穗は考に於穗の誤とせるに從ふべし。オホニは普通ニなり。不起はタタヌとよみて下へ續くべし。古義にはタタズとよめり○神ノワタリは神島と陸地との間なる水道なるべし○※[さんずい+内]潭を宣長は※[さんずい+内]※[さんずい+單]の誤としてウラスとよめり。もとのままにてウラノヘとよむべし。屈平漁父辭に屈原既放遊2於江潭1とあるを王逸は戯2水側1也と註し史記列傳には右の辭によりて屈原至2於江濱〔右△〕1被髪行2吟澤畔1と書けり。因にいふ。本集卷五(九一五頁)なる遊2於松浦河1序に聊臨2玉島之潭1遊覧とある潭もへとよむべし。玉島川の岸なり。やがてキシともよみつべけれど潭(ハ)岸也といふ註は未見及ばず○タガ言の言は事の借字なり。タガ事はタガ上なり。卷四(八二二頁)なるコト(2948)デシハタガコトナルカも誰ガ上といふ事なること、はやくいへる如し○勞鴨はイタハシミカモとよむべし。イトシガリテカとなり。腫は重の誤字ならむ
 
   反歌
3340 母《オモ》父も妻も子どももたかだかに來將跡〔二字左△〕待《コムトマツラム》人のかなしさ
母父裳妻裳子等裳高高丹來將跡待人乃悲
 古義にいへる如く將と跡と顛倒せるなり
 
3341 家人のまつらむものを津煎〔左△〕《ツレ》もなき荒磯をまきてふせる公《キミ》かも
家人乃將待物矣津煎裳無荒礒矣卷而偃有公鴨
 煎を考に烈の誤とせり。ツレモナキは人里トホキとなり。古義にトモナヒヨル人モナキと譯せるは非なり○卷二なる人麿の長歌の反歌(三二一頁)に
  おきつ波來よるありそをしきたへの枕とまきてなせる君かも
とあるに似たり
 
3342 ※[さんずい+内]潭《ウラノヘニ》こやせる公をけふけふとこむとまつらむ妻しかなしも
(2949)※[さんずい+内]潭偃爲公矣今日今日跡將來跡將待妻之可奈思母
 卷二なる人麿の妻の歌(三二二頁)にケフケフトワガマツ君ハとあり。卷五なる憶良の歌(九六四頁)にもケフケフトアヲマタスラム父母ラハモとあり
 
3343 ※[さんずい+内]《ウラ》浪の來よする濱に津煎〔左△〕《ツレ》もなく偃有〔左△〕《コヤセル》きみが家道しらずも
※[さんずい+内]浪來依濱丹津煎裳無偃有公賀家道不知裳
     右九首
 有は諸本に爲とあり。長歌と前の反歌とに偃爲とあるをコヤセルとよみ前々の反歌に偃有とあるをフセルとよみたればこゝはもとのまゝならばフシタルとよむべく有を爲の誤とせばコヤセルとよむべし
    ○
3344 此月は 君|將來《キタラム》と (大舟の) おもひたのみて いつしかと わがまちをれば (もみぢ葉の) すぎてゆきぬと (玉づさの) 使のいへば (螢なす) ほのかにききて 大士〔左△〕乎 太穗跡 たちてゐて ゆくへも(2950)しらに (朝ぎりの) おもひまどひて (杖たらず) 八尺《ヤサカ》の嘆 なげけども しるしをなみ跡〔□で囲む〕 いづくにか 君がまさむと あま雲の 行のまにまに (いゆししの) △行文將死《イユキモシナム》と おもへども 道|之《ノ》しらねば 獨ゐて 君にこふるに ねのみしなかゆ
此月者君將來跡大舟之思憑而何時可登吾待居者黄葉之過行跡玉梓之使之云者螢成髣髴聞而大士乎太穗跡立而居而去方毛不知朝霧乃思惑而杖不足八尺乃嘆嘆友記乎無見跡何所鹿君之將座跡天雲乃行之隨爾所射完乃行文將死跡思友道之不知者獨居而君爾戀爾哭耳思所泣
 キタラムは還リ來ラムなり。イツシカトはイツシカ來ラムトなり○大士乎太穗跡を眞淵は大土乎|足蹈駈《アシフミカケリ》の誤とし雅澄は天土乎乞祷嘆《アメツチヲコヒノミナゲキ》の誤とせり。古本には下三字を足※[足+昆]跡とせるものありといふ。之によらば卷九なる見菟原處女墓歌の仰天※[足+昆]地(一八六三頁)に倣ひてオホヅチヲクビスニフミとよむべきか。※[足+昆]は跟と同字なればなり。なほよく考ふべし○タチテヰテは或ハ立チ或ハ居テなり(五四七頁參照)。ユク(2951)ヘはこゝにては行クベキ方にてすなはちセムスベなり。オモヒマドヒテは當惑シテなり○無見跡はナミをナミトともいへど二句次なる君ガマサム跡《ト》とトの辭重複して調よからねば跡を衍字としてシルシヲナミとよむべし。シルシは詮なり○アマ雲ノユキノマニマニは雲は遠き處にも到ればソノ雲ノサソヒ行クマニマニ遠キ處ニモといへるなり。古義にアマ雲ノを枕辭とせるは非なり○イユシシノは枕辭なり。はやく卷九(一八四八頁)に見えたり。二註に矢ヲ負ヒタル鹿ノ行ツカレテ死ヌル如クと譯したるは誤なり。將死《シナム》は將爲《シナム》の借字なり。さればユキモシナムはただユキモセムといはむにひとし。然らばイユシシノは如何にかゝれる枕辭ぞといふに行の上に伊の字のありしが落ちたるにてイユシシノイユキとかゝれるなり○道之を二註にミチシと改めよめるはわろし。舊訓の如くミチノとよむべし。シラネバは知ラレネバの略なり。上(二九〇四頁)にも道ノシラナクとあるを思へ○完は宍の俗體なり
 
   反歌
3345 葦邊ゆく鴈のつばさをみるごとに公が佩具〔左△〕之《オバシシ》、投箭《ナゲヤ》しおもほゆ
(2952)葦邊徃鴈之翅〔左△〕乎見別公之佩具之投箭之所思
    右二首。但或云。此短歌者防人妻所v作也。然則應v知2長歌亦此同作1焉
 初二の語例は卷一(一〇六頁)にアシベユク鴨ノハガヒニ霜フリテ、卷十二(二六八三頁)にアシベユク鴨ノ羽音ノオトノミニとあり。葦邊ヲ飛ビ行クなり○具は思の誤ならむ○投箭を從來ナグヤとよめり。ナグル箭をナグ箭ともいはれざるにあらねど、なほナゲヤとよむべし。上(二九二四頁)なるイバエゴヱと同例なり。さてナゲヤは上(二九三一頁)なるナグル左《サ》におなじ○※[走+羽]はトブ又はムレトブとよむべき字なれば諸本に從ひて翅の誤字とすべし
  ○
3346 欲〔左△〕見者《ミサクレバ》 雲井にみゆる 愛《ウルハシキ》 とばの松原 少子等《ワラハドモ》 いざわいでみむ △ こと酒者《サケバ》 國に放嘗《サケナム》 こと避者《サケバ》 いへに離南《サケナム》 あめつちの 神しうらめし (草枕) このたびのけに 妻さくべしや
(2953)欲見者雲井所見愛十羽能松原少子等率和出將見琴酒者國丹放嘗別避者宅仁離南乾坤之神志恨之草枕此覊之氣爾妻應離哉
 欲見者は宣長が放見者の誤としてミサクレバとよめるに從ふべし○愛を考にハシキヤシとよみ古義にウルハシキとよめり。後者に從ふべし○少子等は略解にワクゴドモとよみ古義にワラハドモとよめり。卷七(一三七四頁)なるコノ崗ニ草カル少子《ワラハ》に倣ひてワラハドモとよむべきか○イザワはイザヤにおなじ。神武天皇紀に
  兄磯城《エシキ》命ヲ承ケズ。更ニ頭八咫《ヤタ》烏ヲ遣シテ之ヲ召ス。時ニ烏其營ニ到リテ鳴キテ曰ハク。天神ノ子汝ヲ召ス、イザワイザワ〔六字傍点〕
とあり○古義に
  十羽能松原は夫を葬りし處なればウルハシキといへるなるべし
といへるはいかが(夫とあるは妻とあるべし)。妻の生前に好みて見さけし處にあらざるか。さて以上六句と第七句との間〔日が月〕になほ數句(ナキ人ノ常ニイデ見シ、ウルハシキトバノ松原、ワラハドモイザワイデ見ムなど)ありしがおちたるならむ○酒者、放嘗を古義にサカバ、サカナムとよめり。避《サク》の他動詞はサクルなれば考、略解の如くサ(2954)ケバ、サケナムとよむべし(酒者と書けるもサカバとはよみがたし)○コトサケバを略解に釋して殊サラニ吾ヲ避ケ離レントナラバと云へるはいとわろし。古義に『コノ如クニ避離レムトナラバの意なり』といへるもいまだし。神ガカクノ如ク妻ヲ我ヨリ遠ザケムトナラバと譯すべし○國ニ、家ニは國ニテ、家ニテなリ。同事を重ねいへるなり。タビノケニは旅ナル程ニなり○妻を考以下に夫《ツマ》の借字とせるは非なり。こは旅の空にて妻を失ひし男の作れるなり○卷七に
  ことさけばおきゆさけなむ湊よりへつかふ時にさくべきものか
とあり
 
   反歌
3347 (草まくら)このたびのけに妻さかり家道|思《オモフニ》、生爲便無《イケルスベナシ》
     或本歌曰たびのけにして
草枕此覊之氣爾妻放家道思生爲使〔左△〕無
     或本歌曰覊乃氣二爲而
(2955)    右二首
 妻サカリは妻ガ我ヨリ遠ザカリテにて妻ガ死ンデといはむにひとし○第四句を舊訓にイヘヂオモヘバとよめるを古義にオモフニに改めたり。之に從ふべし。イヘヂはこゝにては故郷といはむにひとし○結句を舊訓にイケルスベナシとよめるを古義にイカムスベナシに改めて
  これを昔よりイケルスベナシと訓來れるはいかに。イケルスベとてはいかにともきこえがたきをや。よく心して語を味見よ
といへり。げにイカムスベナシとよまゝほしけれど上(二八七四頁)に
  ぬばたまのよるはすがらに、いもねずに妹にこふるに、生流〔右△〕爲便なし
とあれば(そは古義にもイケルスベとよめり)なほイケルスベナシとよみてそのスベを詮といふ意とすべし。使は便の誤なり
                             (大正十三年二月講了)
            2005年4月15日(金)午後5時35分、入力終了。
 
 
(2957)萬葉集新考卷十四
                井上通泰著
 
東歌
 アヅマウタは東國の歌なり。東國の歌には訛音方言多く交りて中々におもしろき所あるが故に好事の人聞くに隨ひて書き集めて一卷としたりしを家持の借り得て寫し取りたるならむ
 佐々木信綱博士は此一卷は東國にありて東國の歌に富める彼高橋連蟲麿の輯録せるものかと云はれたり(和歌史の研究五七頁)
 此卷の借字は主として一字一音の字音を用ひたり。而して一字二音の字を用ひたるは地名に限り又一字一音の字訓を用ひたるは正訓の時に限れり。さて一字一音を原則としたるは訛音方言を正しく寫すに便なるが爲にて彼好事者の輯録の時より然ありけめどなほ取外したる處もありけむを今の如く整然たるも(2958)のとせしは家持が傳寫せし時ならむ。然いふは卷二十なる防人の歌どもを見るに此卷の如くには嚴重ならねど、なほ主として一字一音の字音を用ひたればなり。此防人どもの歌は各國の部領使の筆録せしものなれば其原本の體裁はおそらくは今の如く一定せるものにはあらざりけむ。又此卷十四の中には、もとは一字數音の借字なりしを傳寫の際に一字一音に書き改めむとして誤讀せしにはあらざるかと思はるゝ例などもあり。索引中の『誤讀誤寫とおぼゆる例』を見べし
    ○
3348 (なつそひく)うながみがたのおきつ渚《ス》にふねはとどめむさよふけにけり
奈都素妣久宇奈加美我多能於伎都渚爾布禰波等杼米牟佐欲布氣爾家里
    右一首上總國歌
 此卷の部類を見るにまづ國の知られたると知られざるとに別ち次に甲乙を各小(2959)別したるなれば○の處に必雜歌とあるべきなり。さらでは次なる相聞歌及譬喩歌との權衡を得ざればなり
 卷七(一二八七頁)に
  なつそひくうながみがたのおきつ洲に鳥はすだけど君は音もせず
とあり。上三句今の歌とおなじ○海上郡は下總にもあれど、これは上總にて今の市原郡の内なり
 
3349 かつしかのままのうら末〔左△〕《ミ》をこぐふねのふなびとさわぐなみたつらしも
可豆思加乃麻萬能宇良末乎許具布禰能布奈妣等佐和久奈美多都良思母
    右一首下總國歌
 可豆思加は葛飾なり。此卷に此地名を假名書にせる歌五首あるうち三首は豆と書き二首は都と書けり。而して此卷には濁音の語にも清音の字を借りたる例少からざれば(今も歌などを書くに濁をさゝぬと同趣なり)いにしへはカヅシカと濁りて(2960)唱へしかとも思へどなほ豆を清音に借りたるならむ。豆を清音に借りたる例は本集のみならず諸の古典にあり。はやく卷十(一九〇八頁)にもサツビトノのツを豆と書けり○末は未の誤としてミとよむべし○卷七(一三二九頁)に
  風早の三穗のうらみをこぐ舟のふな人とよむ浪たつらしも
とあり○こは夜、家にゐて船人のさわぎを聞きてよめるならむ。もし目に見ての作ならば船人のさわぐ状と共にたつ浪も見ゆべく從ひてナミタツラシモとはいふまじきが故なり。又卷七なるは風早といふ地名と浪タツラシモとひびき合ひてここなるよりはおもしろし
 
3350 筑波禰のにひぐはまよのきぬはあれどきみがみけししあやにきほしも
    或本歌曰たらちねの又云あまたきほしも
筑波禰乃爾此具浪麻欲能伎奴波安禮杼伎美我美家思志安夜爾伎保思母
     或本歌曰多良知禰能又云安麻多伎保思母
(2961) 蠶の繭をクハマヨともいふべければニヒは繭にかゝれるにて桑にかゝれるにあらず。さて古義に
  蠶は春夏飼ふをこれはまづ春はじめてかひたる蠶の衣をいふなり
といへれどニヒマヨといはば出來タテノ繭と心得べきにあらずや。思ふに新繭の絲にて織れる衣はめでたきものとしたりしならむ○筑波禰ノニヒグハマヨとつづけたる不審なり。もし飼蠶の繭ならばツクバ禰はツクバ女の誤ならざるべからず。又禰とあるが誤字ならずば繭は山繭とせざるべからず。前註に此疑を起さざるはおろそかなりといふべし○ミケシは御著衣にて今オメシといふに同じ。アヤニはアヤシク、異《ケ》ニなり。キホシは著マホシなり。結句は卷七なる
  つるばみのときあらひ衣のあやしくもことにきほしきこのゆふべかも
の三四と相似たり○宣長は
  是は京より下り居る官人などの衣服の美しきをみてよめるなるべし。上句のさましか聞ゆ
といへれどこは元來相聞歌にて男が女に対して妙ニアナタノ御メシガ著タイと(2962)いひて戀情をほのめかしたるなり。女の衣を借りて著る事は當時の習なりき
 一本にタラチネノとあるを考以下に『母といはでタラチネとのみいへること古へはすべて無し』といひて斥けたれど、こは契沖が
  集中にタラチネノと云ひつれば必ハハとつづけたれば此は足引といひてやがて山とする例なり
といへる如く母の代語とも見つべし。結句はアマタキホシモにても可なり。アマタはタイサウなり
 
3351 筑波ねにゆきかもふらるいなをかもかなしき兒ろがにぬほさるかも
筑波禰爾由伎可母布良留伊奈乎可母加奈思吉兒呂我爾努保佐流可母
     右二首常陸國歌
 フラルはフレル、ニヌは布、ホサルはホセルの訛なり。イナヲカモはヲは助辭にて否カモなり。古義に然ラズヤ然リヤの意としたるは非なり。はやく卷十一(二三五六頁)に
  相見では千歳やいぬるいなをかも我やしかもふ君まちがてに
(2963)とあり○カナシキはカハユキなり。兒ロのロは京語のラなり。くはしく云はば京語にもオホキミロカモ、トモシキロカモなど名詞又は形容詞の下に附けていひしかど、そはカモにつづく時に限り又後にはをさをさつかはずなりしを東語には後までもつかひ又京語よりは廣く且多くつかひたり。因にいふ。夜、日をヨル、ヒルといふルも右のロ、ラと同源ならむ○考に筑波山に雪の降れるを見てよめるなりといへる如し。卷十九に季をよめる歌に
  わがそののすももの花か庭にちるはだれのいまだのこりたるかも
とあると似たり
 
3352 信濃なるすがのあら能にほととぎすなくこゑきけばときすぎにけり
信濃奈流須我能安良能爾保登等藝須奈久許惠伎氣婆登伎須疑爾家里
     右一首信濃國歌
 スガノアラ野は和名抄に見えたる筑摩郡|苧賀《ソガ》郷のわたりにて犀川の上流なる櫻井川と其支流なる梓川との間に亘れる廣野なりといふ○時スギニケリの時を眞淵は歸ルベキ時とし雅澄は逢ハムト契リオキシ時とせり。夫の歸り來べき時なる(2964)べし○野《ヌ》を能といへるは訛音にはあれど東語に限れるにあらず。卷五(九〇七頁)なる筑前(ノ)目《フミヒト》、田(ノ)眞人の歌にハルノ能ニキリタチワタリとあり、卷十八なる家持の長歌に夏ノ能ノサユリヒキウヱテとあれば奈良朝時代の末よりかつがつヌをノと訛り唱へしなり
 略解に
  こゝに載せたる五首の中初二首と末一首は東ぶりならず。既に久しく仕奉りて歸りをる人の東にての歌故に入たるか(○以上眞淵の説)あるひは京人の東の國の司などにて下りたるがよめるをそれも其國に傳はりたるは其國の歌とてあるなるべし。古今集の東歌にも此類あり
といへるを古義に『甚偏なる論なり』と評して全部東人の歌としたるは曲れるを矯めて直きに過ぎたりと謂ふべし。げに古義にいへる如く東人も雅言をよく學び得たるはみやびたる歌をもよみ得べければ此歌はみやびたれば京人の歌なりとやうに定め云はむこそ妄なれ、元來此卷に収めたるは卷二十なる防人の歌とはちがひて作者は知られずただ國々に傳はれるを聞くに從ひて記し留めたるものなれ(2965)ばそが中には京人が其國々にて作れるも交りたるべきなり。否京人の歌を東人の保ち下りて傳へたるもあるに似たり
 
   相聞
3353 (あらたまの)伎倍《キヘ》のはやしになをたててゆきがつ麻思自《マシジ》、移乎〔左△〕《イザ》さきだたね
阿良多麻能伎倍乃波也之爾奈乎多※[氏/一]天由吉可都麻思自移乎佐伎太多尼
 伎倍は次の歌に伎倍ビトノとあれば遠江の地名なる事明なり。アラタマは遠江の郡名に麁玉あればそれかと思ふに和名抄に載せたる麁玉郡の郷名に伎倍といふは無し。
  濱名郡には今も貴平といふ處あり。宣長は和名抄に見えたる山香郡岐階を岐陛の誤としてこゝの伎倍に擬したり
 されば雅澄はアラタマノを伎倍(來經に通ずれば)にかゝれる枕辭とせり。アラタマ(2966)ノキヘとつづける例は卷十一(二三五一頁)に
  あらたまの寸戸《キヘ》が竹《タカ》垣あみ目ゆも妹しみえなばわれこひめやも
とあり。但そのキヘは地名にあらで後世にいふ城下なり。
 眞淵等はその寸戸とこの伎倍とを混同せり
 さてこゝのアラタマノも古義に從ひて枕辭と認むべし。又キヘのヘは清みて唱ふべし○ナヲタテテは汝ヲ立タセテなり。下にもソノカナシキヲ外《ト》ニタテメヤモ、妹ロヲタテテサネドハラフモとあり○麻之自の自を考以下に目の誤とせるは非なり。橋本進吉氏の説に從ひてもとのまゝにてマシジとよむべし。ユキガツマシジは行敢ヘジなり○移乎を大平は移毛の誤とし二註共に之に從ひたれど上に汝《ナ》ヲといひてこゝにイモといふべきにあらず。移乎はおそらくは移邪の誤ならむ○宣長は
  これは男の旅立行く時妻の伎倍の林まで送來ぬるを別るる時の男の歌也。キヘノ林ニ汝ヲ立トマラセ置テ別レユク吾ハエ行ヤラジ、汝モ立トマラズシテサキ立テユケカシ、吾モトモニユカンといへる也
(2967)といへり。大體右の如くなれど結句をサキ立テユケカシ吾モトモニユカンと譯せるは非なり。吾ニ先立チテ立歸レといへるなり
 
3354 伎倍びとのまだらぶすまにわた佐波太〔左△〕《サハニ》いりなましものいもがをどこに
伎倍此等乃萬太良夫須麻爾和多佐波太伊刹〔左△〕奈麻之母乃伊毛我乎杼許爾
     右二首遠江國歌
 佐波太の太を眞淵は爾の誤とせり。げに下なる
  をつくばのねろにつくたしあひ太よは佐波太なりぬをまたねてむかも
も佐波爾とあるべきなればこゝの佐波太も佐波爾の誤ならむ○伎倍ビトノといへればこは他處の人の作れるにて伎倍人の斑布の衾に綿をさはに入れたるを見てそを序として入リナマシモノ妹ガ小床ニといへるなリ。伎倍人は衾の斑なるを好み(古人は一般に物の斑なるをめできとおぼゆる事あり)又寒氣をおそるゝか又(2968)は綿に富みて衾に綿を多く入れしなるべし○イリナマシモノはモシ出來ル事ナラ入ラウモノヲとなリ○刹は利の誤なり
 
3355 あまのはらふじの之婆やまこのくれのときゆつりなばあはずかもあらむ
安麻乃波良不自能之婆夜麻己能久禮能等伎由都利奈波阿波受可母安良牟
 初二はアマノハラニソビユルフジノシバ山といふべきを略せるならむ。下にも百ツ島ヲ傳ヒユクといふべきを略してモモツシマアシガラヲブネといへる例あり。シバ山を略解に『麓は柴のみ繁ければいへり』といへり。富士山は下より數ふれば茅野、木立(森林)、燒野の三帶に分れたり○コノクレは木陰なり。近くは卷十(一九九〇頁)に見えたり。ユツリはウツリなり。近くは卷十一(二四三一頁及二四三三頁)に見えたり。但こゝのユツリナバは過ギナバと譯すべし○宣長いへらく
  上二句はコノクレの序のみ也。木之暗を此暮にいひかけたるなり
(2969)といへり。此説穩なれどただ柴山ノ木ノ暗といふ續おちつかす。之婆夜麻の婆は氣などの誤にあらざるか。語例は卷十九に繁山ノタニベニオフル山ブキヲヤドニヒキウヱテ又卷二十にコノクレノ之氣伎ヲノヘノホトトギスとあり。なほよく思ふべし
 
3356 不盡のねのいやとほながきやまぢをもいもがりとへばけによ婆ずきぬ
不盡能禰乃伊夜等保奈我伎夜麻治乎毛伊母我理登倍婆氣爾餘姿受吉奴
 フジノネノヤマヂとは富士の麓に沿へる山路なり。トヘバはト云ヘバなり○ケニヨ婆ズを眞淵は
  氣は息《イキ》なり。ニヨバズは不2呻吟1なり
といひ宣長は
  ケはケ長キのケにて來經なり。されば時刻ヲ移サズイソギテ來ヌと云也。ヨバズ(2970)は不及なり
といへり。ニヨフは眞淵のいへる如く呻く事なり。靈異記中卷第廿二に呻【ニヨフ】とあり。今も靜岡縣などにては呻くことをニオーといふ。ケは添辭かとも思へどケオサル、ケヂカシなどのケは多少の意味を含みて純粋の添辭にあらねば例とはしがたし。或は異《ケ》ニ呻《ニヨ》フの一つのニを略してケニヨフといひ習ひしにあらざるか。又案ずるにニヨフはこゝに氣爾餘婆〔右△〕受と書きたれど今ニオーといふを思へばニヨフと清みて唱ふべきにあらざるか。もし然らば婆と書けるは波の誤字ともすべく(波と書ける本もあり)日本紀の如く清音として借れりとも認むべし。日本紀にはナニオ婆ムト、婆リガエダ、ミガホシモノ婆など清むべき處にも婆を借りたり。否本集中にも婆を清音に借れる例ある如し
 
3357 かすみゐるふじのやまびにわがきなばいづちむきてかいもがなげかむ
可須美爲流布時能夜麻備爾和我伎奈婆伊豆知武吉※[氏/一]加伊毛我奈氣可(2971)牟
 カスミは薄霧なり(一九八四頁參照)。下にもツクバネノネロニカスミヰとあり○ヤマビは山邊なり。はやく卷六(一一一二頁)にも濱ビとあり。ワガ來ナバは我行キナバとなり。いまだ其處には到らざるなり。三四の間に我後影モ見エズナルベキニヨリテといふことを補ひて聞くべし○男の旅立たむとする時によめるなり。略解に男ハフジノ麓ヘ別レテ來居ル事アル時云々と譯せるは非なり。來ナバと未來挌もて云へるにあらずや
 
3358 さぬらくはたまの緒ばかりこふらくはふじのたかねのなるさはのごと
    或本哥曰まがなしみぬらく波《ハ》思家〔左△〕良久《シマラク》△奈良久波《カナラクハ》、伊豆のたかねのなるさはなすよ
    一本歌曰あへらくはたまのを思家也〔二字左△〕《シマシ》こふらくはふじのたかねにふるゆきなすも
(2972)佐奴良久波多麻乃緒婆可里古布良久波布自能多可禰乃奈流佐波能其登
    或本哥曰麻可奈思美奴良久波思家良久奈良久波伊豆能多可禰能奈流左波奈須與
    一本歌曰阿敞〔左△〕良久波多麻能乎思家也古布良久波布自乃多可禰爾布流由伎奈須毛
 初二は相寢ル事ハ少シノ間ニテとなり。サは添辭なり。コフラクハは我、君ニ戀フル事ハとなり○ナル澤のサハは谿流ならむ。今も谿流をサハと稱する地方あるのみならず靈異記上卷第十二に髑髏在2于奈良山(ノ)渓1爲2人畜1所v履とある渓をサハニと訓註したり。さて昔富士のまだ活火山なりし時渓流の鳴動せしかばそをナル澤といひしなり。ナル澤ノゴトはナル澤ノ如クトドロクヨといふべきを略したるなり。考に第三句をおちつかざるやうにいへるはゴトをゴトシと同視したる爲なり。ゴトはゴトクなり○古今集戀三なる
(2973)  あふ事は玉の緒ばかり名のたつは吉野の川のたきつせのごと
は今の歌にもとづきたりと見ゆ
 左註第一のヌラク波思家良久奈良久波は一本にヌラク思家良久佐奈良久波とあり(即上の波なく又奈の上に佐あり)といふ。雅澄は之を本としてヌラクシ末《マ》ラクの誤とし又サナラクハをサヌラクハの意とせり。既にヌラクといひて更にサヌラクハといふべからず。思ふにヌラクハシ末《マ》ラク、可ナラクハの誤脱ならむ。ヌラクの下の波は※[月+眷の目が貝]字にはあらじ。カナラクは下にカナルマシヅミとありて騒ぐ事なり
 左註第二の思家也を眞淵は
  シケは次也及也。玉ノヲノ如クといふに同じ
といひ宣長は
  シケヤはシキヤの意にて玉ノヲラシキの意なるべし
といへり。案ずるに思家也は思末之の誤にてタマノヲシマシは玉ノ緒ナスシバシの意ならむ○敞は敝の誤なり
 
3359 駿河のうみおしべにおふるはまつづ夜〔左△〕《ラ》いましをたのみははにたがひ(2974)ぬ【一云おやにたがひぬ】
駿河能宇美於思敝爾於布流波麻都豆夜伊麻思乎多能美波播爾多我比奴 一云於夜爾多我比奴
     右五首駿河國歌
 契沖のいへる如くオシベは礒邊の訛なり。下にママノオスビニとあるも同じ○ハマツヅ夜の夜は契沖のいへる如く良の誤なり。諸本に良とあり。上三句は序と思はるれどそのかゝりたどたどし。契沖は濱ツヅラノハフ如ク長ク絶セジトイヘル詞ヲ憑ミテと譯し諸註皆之に從ひたれど從ふべからず。案ずるに上三句はタノミテにかゝれるなり。されば濱ツヅラノ物ヲタノム如ク汝ヲタノミテと譯すべし。すべて東歌の序歌には常識にては解しがたきものあり。注意すべし○タガヒヌは背キヌなり
 
3360 伊豆のうみにたつしらなみのありつつもつぎなむものをみだれしめめや
(2975)    或本歌曰△△《タツ》しらくものたえつつもつがむともへやみだれそめけむ
伊豆乃宇美爾多都思良奈美能安里都追毛都藝奈牟毛能乎美太禮志米梅楊
      或本歌曰之良久毛能多延都追母都我牟等母倍也美太禮曾米家武
      右一首伊豆國歌
 初二は序にて契沖のいへる如くツギナムにかゝれるなり。アリツツモはカクシツツ、ツギナムは繼ギテ逢ハムとなり○ミダレシメメヤは契沖のいへる如く亂レ始《ソ》メメヤなり。ソメをシメとなまれるは染《シメ》を後にソメとなまれるとうらうへにてイソ〔右△〕ベをオシ〔右△〕ベと訛れるに同じ。一首の意は一時ノ中絶ニヨリテアダシ心ヲモタムヤといへるなり
   或本歌はシラクモノの上にタツをおとせるなり。モヘヤを略解に思ヘバニヤの意(2976)とし古義にはオモハメヤの意とせり。前者に從ふべし。但一首の意は得がたし。ミダレの意底本なるとは異なるか
 
3361 あしがらのをてもこのもにさすわなのかなるましづみ許呂《コロ》安禮〔二字左△〕《ガ》ひもとく
安思我良能乎※[氏/一]毛許乃母爾佐須和奈乃可奈流麻之豆美許呂安禮此毛等久
 ヲテモコノモは遠方此方《ヲチモコノモ》にてアチラコチラなり。ヲチモをヲテモといへるはカナシキ兒ラニをカナシケ〔右△〕兒ラニといへると同じ類なる訛なり。卷十七なる家持の歌にもアシヒキノヲテモコノモニ又二上ノヲテモコノモニとあれど、おそらくは京語にはあらで方言ならむ○ワナはハルともいへり○カナルマシヅミは卷二十なる防人の歌にも
  あらしをのいをさたばさみたちむかひ可奈流麻之都美いでてぞあがくる
とあり。卷四(六三〇頁)なる
(2977)  珠衣の狹藍左謂沈いへの妹にものいはず來ておもひかねつも
と比較するにカナルマはサヰサヰに當れり。サヰサヰはシホサヰのサヰに同じくて騒といふことなればカナルマも騒といふことならむ。今東京附近の方言にやかましくいふことをガナルといふ、このガナルこそ古語のカナルの遺れるならめ。雅澄はカナルマは囂鳴間〔日が月〕なりといへれどマは無意義の助辭ならむ。ともかくもカナリ〔右△〕マといふべくおぼゆるをカナルマといへるは例の訛にてサユリノ花をサユルノ花となまりシリヘをシル〔右△〕ヘとなまれると同例ならむか○シヅミはシヅマリなり。從來シヅメテと譯せるは非なり。さればカナルマシヅミは騒ガシヅマリテといふことなり。卷四(七二七頁)にナミダニシヅミのシヅミを定と書けるもシヅマリをつづめてシヅミともいふが故に定の字を沈の意のシヅミに借れるなり○上三句は序と思はるれどそのかゝり明ならず。鳥獣の係蹄にかゝれば音のするしかけあるにてその音のするをカナルマといへるにや○結句はコロガヒモトクの誤ならむ。許呂我とありしを誤りてコロアレとよみ終に許呂安禮と書けるにあらざるか〇四五の意は夜更ケ人靜マリテ始メテ女ノ下紐ヲ解クといへるならむ
 
(2978)3362 相模《サガム》ねのをみね見|所久〔二字左△〕思《ツツシ》わすれくるいもが名よびて吾《ア》をねしなくな
    或本歌曰|武藏《ムザシ》ねのをみね見|可久〔二字左△〕思《ツツシ》わすれゆくきみが名かけてあをねしなくる
相模禰乃乎美禰見所久思和須禮久流伊毛我名欲妣※[氏/一]吾乎禰之奈久奈
    或本歌曰武藏禰能乎美禰見可久思和須禮遊久伎美我名可氣※[氏/一]安乎禰思奈久流
 相模はサガムとよむべしと宣長いへり(記傳卷二十【一六三三頁】)。前註に『サガムネは大山なり。ムザシネは秩父山なり』などいへるは穿鑿に過ぎたり。ただ相模の山、武藏の山と心得べし。サガムネといひて更にヲミネといへるはツクバネノネロなどと同例なり。ヲミネのヲは添辭のみ○見所久思、見可久思は見都都思などの誤ならむ。ワスレクル、ワスレユクの下にヲを添へて心得べし。他郷ノ山ヲ見ツツソレニマギレテ妹ノ事ヲ忘レ來ルヲとなり。イモガ名ヨビテ、君ガ名カケテは妹ガ名ヲ口ニシテとなり。作者の妻の名をいふにあらず。其名にかよふ語を口にするなり○ネシナク(2979)ナは音ニシ泣カスナにてネシナクルは音ニシ泣カスルなり。下にも
  なせのこや等里乃乎加耻志奈可太乎禮あをねしなくよいくづくまでに
  しまらくはねつつもあらむをいめのみにもとなみえつつあをねしなくる
とあり。東語かと思ふに卷二十なる太上天皇御製に
  ほととぎすなほもなかなむもとつひとかけつつもとなあをねしなくも
とあれば然にはあらじ。古義に
  ネシナクナのはてのナはコヒムナ、ケラシナなどいふナに同じくてナアと歎きすてたる辭なり
といへるは非なり○或本歌のキミは女を指せるなり
 
3363 わがせこをやまとへやりて麻都之太須《マツシタス》あしがらやまのすぎの木のま可〔左△〕《ニ》
和我世古乎夜麻登敞〔左△〕夜利※[氏/一]麻都之太須安思我良夜麻乃須疑乃木能末可
(2980) ヤマトは京なり。契沖は
  マツシタスはマツシタツなり。マツシは翳《マブシ》なり。……又マツシタスは待《マチ》シ立《タツ》か。それはシ文字弱く聞ゆ
といひ略解には右の第一説を擧げて『さらば都は部の誤か』といひ古義にはマチシタハスの訛及約として令待慕の意とせり。宜しく契沖の第二説に從ひてマチ〔右△〕シタツ〔右△〕のチがツに、ツがスにうつれるものとすべし。
  マチをマツとなまれるは古事記なる輕(ノ)大郎女の御歌にヤマタヅノムカヘカユカム麻都ニハマタジとあると同例なり。又タツをタスとなまれるは下に月立チをツクタシといへるなどと同例なり。すべて多行の佐行にうつれるは例多し
 さてマチタツの中間に助辭のシを挿めるは下へ續くにあらざるを示さむ爲なり○結句の可は耳の誤なる事論なかるべし
 
3364 あしがらのはこねのやまにあはまきて實とはなれるをあはなくもあやし
    或本歌末句云はふくずのひか利《バ》よりこねしたなほなほに
(2981)安思我良能波姑禰乃夜麻爾安波麻吉※[氏/一]實登波奈禮留乎阿波奈久毛安夜思
    或本歌未〔左△〕句云波布久受能比可利與利己禰思多奈保那保爾
 逢ハヌを逢ハナクといふは京語にも例あることなれど東語には殊に多かりけむ。今も逢ハヌを東京語にて逢ハナイといふは右の格の遺れるなり○粟無クに逢ハナクを添へたるにて上四句は粟無クをいはむ爲に設け云へるのみ。但序歌にはあらず
 或本の歌は全く別なる歌なり。比可利は一本に比可波とあるに從ふべし。引者《ヒカバ》なり。シタは心なり。ナホナホニはダマッテなり、スナホニなり。ナホナホニの語例は卷五(八五六頁)にあり。さてヒカバ以下は下にヒカバヌルヌル又ヒカバヌレツツとあるにおなじ○未は末の誤なり
 
かまくらのみこしのさきのいはぐえのきみがくゆべきこころはもたじ
(2982)3365 可麻久良乃美胡之能佐吉能伊波久叡乃伎美我久由倍伎己許呂波母多自
 上三句は序なり。ミコシノサキは今の稻村が崎なりといふ。イハグエは岩崩なり。此處の岩崩は名高かりきと見えて相模國風土記の逸文にも
  鎌倉郡見越(ノ)崎|毎《ツネ》ニ速浪アリテ石ヲ崩ス。人名ヅケテ伊曾布利トイフ
とあり〇四五の例は上にあり(二一九七頁參照)
 
3366 まがなしみさねにわはゆくかまくらのみなの瀬がはよしほみつなむか
麻可奈思美佐禰爾和浪由久可麻久良能美奈能瀬河泊余思保美都奈武賀
 マガナシミはカハユサニなり。上(二九七一頁)にもマガナシミヌラクハシ家〔左△〕《マ》ラクとあり。初二のマとサとは添辭なり○第四句のヨはニなり。ミナノセ川は今大佛の東を過ぐる稻瀬川の古名なりといふ。大和の南《ミナ》淵山を今稻淵山と呼ぶと同例なり○(2983)ミツナムカはミツテムカの訛なり。今も上總などにてラをナと訛る事ああり。たとへば墓地をナントウといふ。是ランタフ(卵塔)の訛なり。さればシホミツナムカは潮ガ滿チテ渡リ行カレザラムカとなり
 
3367 ももつしまあしがらをぶねあるきおほみ目こそかるらめこころはもへど
母毛豆思麻安之我良乎夫禰安流吉於保美目許曾可流良米己許呂波毛倍杼
 初二は序なり。足柄船ノヤウニとなり。初句は百ツ島ヲ傳ヒユクといふべきを略せる枕辭なり。モモツのツはヒトツ、フタツ、イホツなどのツなり。又モモチといへり。ツに豆の字を借れるに注目すべし○アシガラヲブネは足柄山の杉などにて作れる船なり。山の名をアシガラといふも其山の杉もて作れる船の足の輕きによるといふ説さへあり(風土記逸文)○此歌は女の歌にて第三句以下の意は男モ心ニハ思ヘド行クベキ處ガ多キニヨリテ打絶エテ來ザルラムといへるなり
 
(2984)3368 あしがりのとひのかふちにいづる湯のよにもたよらにころがいはなくに
阿之我利能刀此能可布知爾伊豆流湯能余爾母多欲良爾故呂何伊波奈久爾
 アシガラをアシガリとなまれり。上三句は序なり。トヒは後世土肥と書く地にて足柄下郡の南端にありて伊豆に接せり。今都人士の熟知せる湯河原のわたりなり。カフチは河に圍まれたる地なり○第四句の語例は下に
  筑波ねのいはもとどろにおつるみづ代にもたゆらにわがおもはなくに
とあり。タヨラニ又タユラニはユタニにおなじ。下に安齊可ガタシホヒノユタニオモヘラバとあり。さてタヨラニの語意は序の方にては分量の多き事(俗語のタップリ)主文の方にては緩なる事(俗語のユックリ)ならむ。又ヨニモはイトといふに近からむ。されば四五の意はイト氣長ニハ女ガイハヌ否性急ニハヤク逢ヒタイト催促スルといへるならむ
 
(2985)3369 あしがりのままのこすげのすがまくらあぜかまかさむ許呂勢い〔左△〕《コロノ》たまくら
阿之我利乃麻萬能古須氣乃須我麻久良安是加麻可左武許呂勢多麻久良
 考以下にママを地名として足柄上郡なるママ下《シタ》(酒勾《サカワ》川の上流の右岸にあり)を之にあてたるは非なり。ママは地名にはあらで斷崖の方言なり。かのママシタも崖の下にあるより名を負へるなり。葛飾の眞間も斷崖あるより得たる名なるべし○アゼカはナドカの方言なり。マカサムは枕キ給ハムなり。許呂勢は許呂能の誤ならむ○上三句はマカスにかゝれる序にてイカデ彼ノ女ノ手ヲ枕キタマハムと本妻の妬みてよめるならむ
 
3370 あしがりのはこねのねろのにこぐさのはな都〔□で囲む〕づまなれやひもとかずねむ
安思我里乃波故禰能禰呂乃爾古具佐能波奈都豆麻奈禮也比母登可受(2986)禰牟
 上三句は序なり。ハナヅマは花ヨメなり。花ヨメ花ムコのハナは端にて始といふことなり。花と書くは借字なり(一七八七頁參照)〇四五は花ヨメナラメヤ、花ヨメニハアラヌヲ今夜ハ紐トカズニ寢ムといへるなり。無論女の歌なり。ニコ草ははやく卷十一(二四八七頁)に見えたり
 
3371 あしがらのみさかかしこみ(久毛利欲《クモリヌ》の)あがしたばへをこちでつるかも
安思我良乃美佐可加思古美久毛利欲能阿我志多婆倍乎許知※[氏/一]都流可毛
 二三の間〔日が月〕に頻ニ妹コヒシクオボエテといふことを挿みて心得べし○第三句は枕辭なり。略解に
  按にコミリヌノと有しを訛傳へたるか。久は己の誤、欲は奴の誤字なるべし。卷九コモリヌノシタバヘオキテとあり
といへるいとよろし。但『久は己の誤』といへるは非なり。卷二十にコエテ我ハユクを(2987)クエテワハユクといへる如くコモリヌをクモリヌとなまれるのみ○シタバヘは心ノ内ニ思ヘル事なり。コチデはコトイデの約にて言に出す事なり○卷十五に
  かしこみとのらずありしをみこしぢのたむけにたちていもが名のりつ
とあると似たり。かしこけれど倭建《ヤマトタケル》(ノ)命が阿豆麻波夜と嘆きたまひし事も聯想せらる
 
3372 相模ぢのよろぎのはまのまなごなす兒良久〔左△〕《コラハ》かなしくおもはるるかも
相模治乃余呂伎能波麻乃麻奈胡奈須兒良久可奈之久於毛波流留可毛
     右十二首相模國歌
 ヨロギノ濱は今の大磯附近なり。マナゴナスは眞砂ノ如クウルハシキとなり〇兒等久の久は諸本に波とあり。略解に之《シ》の誤とせるも棄てがたし○オモハルルカモは正語の東國に傳はれるなり。京語にオモホ〔右△〕ユルカモといへるは却りて訛れるなり
 
3373 たまがはにさらすてづくりさらさらになにぞこの兒のここだかなし(2988)き
多麻何泊爾左良須※[氏/一]豆久利佐良左良爾奈仁曾許能兒乃己許太可奈之伎
 初二は序なり。テヅクリは手織布なりといふ○古今集なる
  みまさかや久米のさら山さらさらにわが名はたてじよろづ世までに
を始めて後世の歌にいへるサラサラニは決シテといふことなれどこゝのサラサラニは別意とおぼゆ。案ずるにサラサラニは新《サラ》ニ新《サラ》ニの意なるべければこゝなるが本なるべし
 
3374 武藏野にうらへかたやきまさでにものらぬきみが名うらにでにけり
武藏野爾宇良敝可多也伎麻左※[氏/一]爾毛乃良奴伎美我名宇良爾低爾家里
 古義に
  ウラヘは占《ウラヘ》なり。カタヤキは肩灼なり。武藏野の鹿の肩骨を取て灼て占ふなり
といへれど、もし然らはカタヤキウラヘといふべきなり。
(2989) 卷十五なる六鯖の挽歌にユキノアマノホツテノウラヘ乎カタヤキテユカムトスルニとあるによらばウラヘを名詞としカタヤキを一箇の動詞とすべけれどかの歌の乎の字は衍字なるべし
 然るにウラヘカタヤキといへるを思へばウラヘはカタヤキの手段とせざるべからず。而してウラヘをカタヤキの手段とせばカタヤキは肩灼にはあらで兆灼《カタヤキ》にあらざるべからず。さればウラヘカタヤキは卜《ウラナヒ》シテ兆ヲ灼キ出シの意とすべし。又カタヤキは兆灼キシニと心得べし○さてムザシ野ニといへるは當時武藏野に卜を業とするものありしにこそ。和名抄に豐島郡占方郷とあるはよしありげにおぼゆ○マサデニモノラヌはタシカニモ言ハヌなり○此歌は女の作にて其女に男ありて子孕みなどせるより親が男の名を責め問へど白状せざれば武藏野なる卜師の許に率て行きて占《ウラナ》はせしに男の名の卜兆《ウラカタ》にあらはれし趣なり
 
3375 武藏野のをぐきがきぎしたちわかれいにしよひよりせろにあはなふよ
武藏野乃乎具奇我吉藝志多知和可禮伊爾之與比欲利世呂爾安波奈布(2990)與
 初二はタチにかゝれる序なり。ヲグキのヲは添字、クキは洞なり。洞は野にもあるべし○アハナフはもと逢ハヌを延べたるなれど一つの語となりてアハナハム、アハナヒ、アハナフ、アハナヘとはたらきしなり。無論東語なり
 
3376 こひしけばそでも布良武乎〔二字左△〕《フラナム》むざし野のうけらがはなのいろにづなゆめ
    或本歌曰いかにしてこひばかいもに武藏野のうけらがはなのいろにでずあらむ
古非思家波素※[氏/一]毛布良武乎牟射志野乃宇家良我波奈乃伊呂爾豆奈由米
    或本歌曰伊可爾思※[氏/一]古非波可伊毛爾武藏野乃宇家良我波奈乃伊呂爾低受安良牟
 コヒシケメは戀シカラバなり。タラバをテバといふが如し。フラ武乎はフラ奈武の(2991)誤ならむ。さらば初二はモシ戀シカラバ人シレズ袖ダニ振レカシとうつすべし○三四は色ニ出《ヅ》にかかれる序なり。例のフルノワサ田ノ穗ニハイデズと同格なり○ウケラは草の名、今ヲケラといふ。こは男の歌なり
 或本歌は別の歌なり。第二句はイモニコヒバカの誤寫か
 
3377 武藏野のくさはもろむきかもかくもきみがまにまに吾《ワ》はよりにしを
武藏野乃久佐波母呂武吉可毛可久母伎美我麻爾末爾吾者余利爾思乎
 クサハのハは助辭なり。古義に草葉とせるは非なり。同書に初二を序としたるも非なり。モロムキナルヲといふべきを略せるなり。モロムキはオノガムキムキなり〇カモカクモは右《ト》ニモ左《カク》ニモなり、第三句以下の意は我ハ君ガマニマニタダ一ムキニ寄リニシヲとなり。考に『いかなるよしありて疎く成つらむやと女のわぶるなり』といへる如く男を恨みてよめるなり
 
3378 いりまぢのおほ屋がはらのいはゐづらひかばぬるぬるわになたえそね
(2992)伊利麻治能於保屋我波浪能伊波爲都良此可婆奴流奴流和爾奈多要曾禰
 イリマヂは入間道なり。當國に入間〔日が月〕郡あり。オホヤガハラは古義にいへる如く大屋之原なり。河原にあらず。イハヰヅラはいかなる草にか明ならず○ヌルヌルは俗語の格にていはばヌレヌレにてヌレツツといはむにひとし。そのヌルは滑る事なり○序は上三句なり、イハヰヅラノ如ク引カバスナホニスルスルト寄リテ我ニ絶ユナといへるなり○下に
  かみつけぬかほやがぬまのいはゐづらひかばぬれつつあをなたえそね
とあると同一なる歌なり。いづれか原なりけむ。上(二九八〇頁)にもヒカバヨリコネシタナホナホニとあり
 
3379 わがせこをあどかもいはむむざし野のうけらがはなのときなきものを
和我世故乎安杼可母伊波武牟射志野乃宇家良我波奈乃登吉奈伎母能(2993)乎
 三四は序なり。二註にいへる如く時ナキまではかゝらで時のみにかゝれるなり。結句の意はワガ夫ニ戀フルハ定マレル時ナクテ不斷ナルモノヲとなり。時は定マレル時なり。下にもアガコヒノミシトキナカリケリとあり。又卷二十に
  いなみ野のあからがしははときはあれどきみをあがもふ時はさねなし
とあり(二八九〇頁參照)○アドカを古義にナドカと譯したれどナドカにては通ぜず。そもそもアドカにはナドカと譯すべきと(タマモコソヒケバタエスレアドカタエセムなど)何トカと譯すべきと(カキムダキヌレドアカヌヲアドカアガセムなど)あり。
  ナドカは元來ナニトカの略なればナドカと何トカとは同意なるべきなれどつかひ來るがまゝにおのづから意義相異なるやうになれるなり
 さてこゝは何トカと譯すべし。コヒシトカ云ハム何トカ云ハムとなり
 因にいふ。ナとアとを通はすは東語に限らず。景行天皇紀に
  阿蘇(ノ)國(ニ)到リマス。其國郊原曠遠ニシテ人居ヲ見ズ。天皇ノタマハク是國ニ人(2994)アリヤト。時ニ二神アリ。阿蘇都彦阿蘇都媛トイフ。忽人ニ化シテ遊詣シテイハク。吾二人アリ。何無v人耶《アゾヒトナカラムト》。故《カレ》其國ヲ號シテ阿蘇トイフ
とあるもナゾをアゾともいひしが故なり。上(二九八五頁)にアゼカマカサムとあるアゼカはアドカのうつれるか
 ○略解に『初句のヲはヨと云意也』といへるは非なり。常のヲなり
 
3380 さきたまの津にをるふねのかぜをいたみつなはたゆともことなたえそね
住吉多萬能津爾乎流布禰乃可是乎伊多美都奈波多由登毛許登奈多延曾禰
 考に
  埼玉郡は海によらず。利禰の大川の船津をいふなるべし
といへり。ヲルは泊レルなり。下にも中麻奈ニウキヲルフネノコギデナバとあり○コトは便なり。上四句はコトナタエソネの對照にいへるのみ
 
(2995)3381 (なつそひく)宇奈比をさしてとぶとりのいたらむとぞよあがしたばへし
奈都蘇妣久宇奈比乎左之※[氏/一]等夫登利乃伊多良武等曾與阿我之多波倍思
      右九首武藏國歌
 宇奈比はげに地名ならむ。但古義に『海邊をウナヒと云ることかつてなし』といへるはいかが。邊はヒといふべく海ノはウナといふべければ(ウナバラといふを思へ)海邊をウナビともいふべし(一〇六八頁及一八四四頁參照)。さてこの宇奈比は攝津の莵名日とおなじく海邊にあるより名を負へるならむ○上三句は序なり。トブ鳥ノヤウニとなり。イタラムはユカムなり。シタバヘシは心ニ思ヒシなり。イタラムトゾヨのヨはシタバヘシの下にひきおろしてヲに代へて心得べし○此歌は女よりさそひおこせしに答へたるにて我モ行カムト心ニ思ヒシヲといへるならむ
 
3382 うまぐたのねろのささ葉のつゆじも能〔左△〕《ニ》れて和伎奈〔左△〕婆《ワキヌハ》、汝者〔左△〕故布婆〔左△〕曾 (2996)母《ナニコフレゾモ》
宇麻具多能禰呂乃佐左葉能都由思母能奴禮※[氏/一]和枝奈婆汝者故布婆曾母
 ウマグタは即望陀郡なり。望陀の字を當てたるはウマグタをマグタといふやうになりし後にてマグに望を當てたるはカグ山のカグに香を當てたると同例なり(播磨風土記にマガリを望理と書けるは望をマガに當てたるなり)。ネロは峯なり。上にもハコネノネロとあり○第三句以下もとのまゝにては心得がたし。試に云はばまづ第三句はツユジモニ〔右△〕の誤ならむ。次に和伎奈婆はワキヌ〔右△〕ハの誤にてワキヌハは我來ヌルハといふべきを例の古格に從ひて來ヌハといへるならむ。下にも空ユ登來ヌヨといへり。婆は波を誤れるにてもあるべく又上(二九七〇頁)にいへる如く清音に借りたるにてもあるべし。次に汝者を從來ナハとよめり。汝煮の誤かと思へど此卷には者をハに借れる例無く煮をニに借れる例も無し。されば字形は遠けれど汝爾の誤とすべし。次に故布婆曾母はコフレ〔右△〕ゾモの誤とすべし
 
(2997)3383 うまぐたのねろに可久里〔二字左△〕爲かくだにもくにとほかばなが目ほりせむ
宇麻具多能禰呂爾可久里爲可久太爾毛久爾乃登保可婆奈我目保里勢牟
     右二首上總國歌
 カクダニモはカクバカリと譯すべし(二五二四頁參照)○トホカバはトホカラバをトホケバといふそのケのカにうつれるなり。下にもネモコロニオクヲナカケソマサカシヨカバとあり○第二句の可久里爲はおそらくは可須美爲の誤ならむ。下にもツクバネノネロニカスミヰとあり。さてこゝのカスミヰは薄霧ノカカレル事ヨと譯すべし。卷十一(二五二四頁)なるオシテルナニハスガ笠オキフルシと同格なり〇一首の意は故郷ナル望陀ノ山ニ霧ガカカリテ遠ク見ユル事ヨ、若カクバカリ國ガ遠カラバ定メテ汝ニ逢ヒタカラウといへるなり
 
3384 かつしかのままの手兒奈をまことかもわれによすとふままの※[氏/一]胡奈(2998)を
可都思加能麻末能手兒奈乎麻許登可聞和禮爾余須等布麻末乃※[氏/一]胡奈乎
 勝鹿の眞間の手兒奈をよめる歌ははやく卷三(五二五頁)と卷九(一八五三頁)とに出でたり。又手兒奈が人名なる事は卷三(五三〇頁)にいへり○ヨスの語例は近くは卷十三(二八八七頁)に
  汝《ナ》をぞも吾《ワ》によすちふ、吾をぞも汝によすちふ、荒山も人しよすれば、よそるとぞいふ
とあり。ヨスは俗にいふトリ持ツなり。イヒヨス、コトヨスといふとは異なり〇眞淵と雅澄とは此歌を手兒奈がありし時の歌とし宣長は後の歌とせり。手兒奈は卷三なる山部赤人の歌にイニシヘニアリケム人ノとあれば上古の人なるべきを此歌の調はいと古くはあらねば宣長は之を後人の作としたるなれどワレニ取持ツトイフといへるを思へば無論同時の人の作ならざるべからず。否手兒奈は元來實在の人にはあらで此歌と次の歌とは其傳説中の歌なるべし○さて宣長が女の作と(2999)したるは誤解にもとづけるなり
 
3385 かつしかのままの手兒奈|家〔左△〕《ガ》安里〔左△〕之《アヒシ》かばままのおすびになみもとどろに
可豆思賀能麻萬能手兒奈家安里之可婆麻末乃於須比爾奈美毛登杼呂爾
 家は眞淵の説に我を誤れるならむといへり。諸本にも我とあり。第三句はアヒ〔右△〕シカバの誤ならむ。オスビは前註にいへる如くイソベの方言なり。上(二九七三頁)にオシベとあり〇一首の意は
  手兒奈ガ始メテ我ニ逢ヒシカバ人ハ勿論眞間ノイソ邊ニ波モトドロニ騒グコトヨ
といへるなり
 
3386 (にほどりの)かつしかわせをにへすともそのかなしきをとにたてめやも
(3000)爾保杼里能可豆思加和世乎爾倍須登毛曾能可奈之伎乎刀爾多※[氏/一]米也母
 ニヘはニヒアヘの約にて始めて新穀を食ふ事なり。其夜は忌みて外人を屋内に入れざりしなり(記傳卷八【四三四頁】參照)。常陸風土記に福慈岳(富土山)筑波岳などの祖《オヤ》神が日暮れて福慈に宿らむとせしにその神が新粟初嘗家内諱忌云々といひて入れず更に筑波に宿を請ひしに此神は今夜雖2粟嘗1不2敢不1v奉2尊旨1といひて迎へ入れきといへるを思ふべし○カナシキはカナシキ人にてカハユキ男なり。下にも
  さなつらの崗に粟まきかなしきが駒はたぐともわはそとも追《ハ》じ
とあり。ソノはソコナルなり。屋外に立てるを指して云へるなり。トは外なり。タテメヤモは立タセメヤハなり。上(二九六五頁)にも伎倍ノハヤシニナヲタテテとあり
 
3387 あのおとせずゆかむこまもがかつしかのままのつぎはしやまずかよはむ
安能於登世受由可牟古馬母我可都思加乃麻末乃都藝波思夜麻受可欲(3001)波牟
     右四首下總國歌
 アノオトは足音なり。考以下に眞間の繼橋を渡り行く趣としたり。さらばヤマズワタラムとあるべし。カツシカノママノツギハシの十二言は序につかへるにて、もとはツギテカヨハムとありしをツギテを不止など書きたりしによりて誤りて夜麻受と改め書きたるにやとも思へどこは讀斷の譏を免れざるべし。さればしばらく第四句を眞間〔日が月〕ノツギ橋ヲトホリテと解すべし。即ツギ橋の下にユ、カラ、ヲなどを略したりと認むべし
 
3388 筑波ねのねろにかすみゐすきがてにいきづくきみをゐねてやらさね
筑波禰乃禰呂爾可須美爲須宜可提爾伊伎豆久伎美乎爲禰※[氏/一]夜良佐禰
 初二はスギにかゝれる序なり。カスミヰは霧ガカカリテなり。霧にスグといふは霽るる事なり○カテニはカテズなり。カテズをカテニといふは知ラズをシラニといふに同じ。はやく卷五(九一〇頁)にもウグヒスノマチガテニセシウメガ花とあり。さ(3002)てスギガテニは去リ敢へズ、歸リカネテなり○ヰネテヤラサネは連レ行キテ寢テカヘセとなり。古事記に
  おきつとりかもとくしまにわがゐねしいもはわすれじよのことごとに
とあるヰネにおなじ。本集卷十六にも
  たちばなの寺の長屋にわがゐねしうなゐはなりは髪あげつらむか
とあり。ヤラサネは遣リタマヘなり。本集卷頭歌に家キカナ名ノラサネとあるノラサネと同格なり。略解に『ヰネテヤレと他よりおほするやうにいひて實は自願ふこと也云々』、といへるはいみじき誤なり。第三者の言へるなり
 
3389 いもがかどいやとほぞきぬつくばやまかくれぬほどにそではふりてな
伊毛我可度伊夜等保曾吉奴都久波夜麻可久禮奴保刀爾蘇提婆布利※[氏/一]奈
 旅だつ時の歌なり。トホゾキヌは遠ザカリヌなり。ツクバヤマの下にニを補ひて聞(3003)くべし。かゝるニも當時は得省きしなり。無論後世の語法にては略すべからず
 
3390 筑波ねにかがなくわしのねのみをかなきわたりなむあふとはなしに
筑波禰爾可加奈久和之能禰乃未乎可奈岐和多里南牟安布登波奈思爾
 初二は序なり。カガナクのカガはカガヤクのカガとおなじくて威壓の意あり。案山子をカガシといふもオドシといふ意なり。漢字の赫嚇をカクとよむもそのケハヒを音にうつしたるならむ。さればカガナクは嚇鳴なり○ネノミヲカナキワタリナムは泣キ續ケムカとなり。ナシニは無クテなり
 
3391 筑波ねにそがひにみゆるあしぼやまあしかるとがもさねみえなくに
筑波禰爾曾我此爾美由流安之保夜麻安志可流登我毛左禰見延奈久爾
 上三句は序なり。ソガヒはウシロなり。ツクバネニのニはユにかよふニなり。卷三に
  縄ノ浦從ソガヒニミユルオキツ島、又卷六にサヒガ野由ソガヒニミユルオキツ島
とあり。アシホ山は今いふ足尾山(又葦穗山)にて南は筑波山に接し北は加波山につづけり。略解に『下野國にて二荒山の山つづき也』といへるは今の足尾銅山にて同名(3004)異地なり○トガは過なり。サネはゲニなり。ミエナクニは見ラレナクニすなはち見セナクニの意にて卷十五なるモノモフト人ニハミエジのミエにおなじ○こは女の歌にて男のかよはずなりしを恨みてよめるなり
 
3392 筑波ねのいはもとどろにおつるみづ代にもたゆらにわ家〔左△〕《ガ》おもはなくに
筑波禰乃伊波毛等杼呂爾於都流美豆代爾毛多由良爾和家於毛波奈久爾
 家は我の誤なり。上三句は序なり。上(二九八四頁)に
  あしがりのとひのかふちにいづる湯のよにもたよらにころがいはなくに
とあり。四五は氣長ニハ得思ハヌヲといふ意にてイカデ早ク逢ヘカシといへるなり
 
3393 筑波ねのをてもこのもにもりべすゑはは巳〔左△〕《ハ》もれどもたまぞあひにける
(3005)筑波禰乃乎※[氏/一]毛許能母爾毛利敞〔左△〕須惠波播巳毛禮杼母多麻曾阿比爾家留
 ヲテモコノモははやく上(二九七六頁)に見えたり。上三句は序なり。ソコココニ守部即番人ヲ置キテ山ヲ守ル如クニ母ハ我ヲ守レドモといへるなり。古義に『獵師の鹿猪をかるとて筑波嶺の彼面此面に守部を居置て守らするよしのいひかけなり』といへるは誤なり。山林の盗伐を防ぐ爲の番人なり○巳は宣長が『或人巳は巴の誤にてハハハかといへり』といへる如し○タマアフは情意投合なり。はやく卷十二(二六三三頁)に
  たまあはばあひ寢むものを小山田のしし田もるごと母しもらすも
 又卷十三(二八五〇頁)に
  たまあはば君來まさむと云々
とあり
 
3394 (さごろもの)をつくばねろのやまのさきわすらえこばこそなをかけな(3006)はめ左其呂毛能乎豆久波禰呂能夜麻乃佐吉和須良延許波古曾那乎可家奈波賣
 サゴロモノ緒とつづける枕辭なり。ヲツクバのヲはヲミネのヲにて美稱なり。大筑波小筑波と別ちて小といへるにあらず。下にも新田山をヲニヒタヤマといへり○山ノサキは山ノ崎ヲにてコバにかゝれるなり(ワスラエコバコソは忘ラレレテ行カバコソとなり○カケナハメはカケヌを延べてカケナフといひ(アハヌをアハナフといふが如く)更にそのカケナフを獨立の動詞としてはたらかしたるにて東語固有の格なり。京語にていはばカケズアラメといふべし。さてこゝのカケは宣長のいへる如く口に懸くるなり。されば一首は
  筑波ネノ山崎ヲ行クニ汝ノ忘ラレネバコソ汝ガ名ヲ呼ビツレ
といふことを裏よりいへるなり
 
3395 をつくばのねろにつくたし安比太〔左△〕欲波佐波太〔左△〕《アヒヌヨハサハニ》なりぬをまたねてむか(3007)も
乎豆久波乃禰呂爾都久多思安比太欲波佐波太奈利努乎萬多禰天武可聞
 ツク〔右△〕はツキの訛にてニジをヌ〔右△〕ジといへると同例なり。京語にては月夜をツクヨといへど月とのみいふ時はツクとはいはず○タシはタチの訛なり。さて月タチは山ノ上ニ月ガ出デテといへるなり。はやく卷七(一三七七頁)にムカヒノ山ニ月タテリミユ又卷十一(二三四〇頁)にミモロノ山ニタツ月ノとあり。古義に『月立は嶺に月の立登るをいひてさて承たる下の意は月頃の歴し事とせるなり』といへるはひが言なり○安比太欲波の太は之の誤なるべしと古義にいへり。おそらくは努の誤にて相寢ル夜ハを例の古格に從ひてアヒヌヨハといへるならむ。下にいふ一首の趣と照し合せてアヒシにてはかなひがたきを知るべし○佐波太の太を略解に爾の誤とせり。一本に佐波太爾とあり又上(二九六七頁)にマダラブスマニワタ佐波太イリナマシモノとあれど、その佐波太もこゝの佐波太も共に佐波爾の誤ならむ○ナリヌヲはナリヌルヲといふべきを古格に從ひていへるなり○こは女の許にやどり(3008)て深夜に月の出でたるを、見し趣ならむ。サハニはこゝにては久シクといふ意ならむ
 
3396 をつくばのしげきこのまよたつとりの目由〔左△〕可汝《メノミカナ》を見むさねざらなくに
乎都久波乃之氣吉許能麻欲多都登利能目由可汝乎見牟左禰射良奈久爾
 上三句はトリノ群《メ》とかゝれる序なり。目由可汝ヲミムを二註に目ニノミ見テアラムカといふ意としたれどノミといふこと無くては物足らず。おそらくはもと目耳可汝《メノミカナ》ヲ見ムとありしを例の改書に際して耳を由と見誤りて一音一字に改むるに至らざりしならむ」目ノミカ汝ヲ見ムは言問ダニセザラムカとなり。卷七に
  妹があたり今ぞわがゆく目のみだに吾に見えこそことどはずとも
とあり○サネザラナクニは寢タ事ガ無イデモ無イニとなり。略解に『サネザラナクニといひてネザルニの意となる也』といひ古義に『サネザラナクニはサネナクニに(3009)てサヌル事ナルニの意なり』といへるはいみじきひが言なり
 
3397 ひだちなるなさかのうみのたまもこそひけばたえすれあどかたえせむ
此多知奈流奈左可能宇美乃多麻毛許曾此氣波多延須禮阿杼可多延世武
     右十首常陸國歌
 我ハナドカ絶エムとなり。アドカはナドカの訛なり。ナサカノ海は銚子を口とせる入海なり
 
3398 ひとみなのことはたゆともはにしなのいし井の手兒がことなたえそね
此等未奈乃許等波多由登毛波爾思奈能伊思井乃手兒我許登奈多延曾禰
 コトは便なり。ハニシナは埴科にて信濃の郡名なり。イシヰは里名なるべし○手兒(3010)はもと手ヨリ繹《オ》カヌ兒の意なるを人となれるにもいふは愛稱なり(五三〇頁參照) 
3399 信濃道はいまのはりみちかりばねにあしふまし牟奈〔二字左△〕《ナム》くつはけわがせ
信濃道者伊麻能波里美知可里婆禰爾安思布麻之牟奈久都波氣和我世
 今ノは新シキなり。今ツクル久邇ノミヤコハ(一六四五頁)などの今なり。ハリミチは拓キタル道なり○カリバネを略解に『苅れる根をいふべし』といひ古義に『竹木などの苅株なるべし』といひてバの言に觸れず。案ずるにカリバネは苅生根か。ブをバと訛れるはヲロ田ニオフ〔右△〕ル、カヨフ〔右△〕鳥ナスをヲロタニオハ〔右△〕ル、カヨハ〔右△〕トリナスといへると同例なり。因にいふ。今株をカブといふはカリブの略か○フマシ牟奈を宣長雅澄は踏ムナの敬語とせり。然るにフムナの敬語ならばフマスナといふべきなれば宣長(玉勝間卷九)は
  古語に人の事をたふとみてユクをユカス、タツをタタスなどいへるを中音にはユカセ給フ、タタセ給フなどいひ記録ぶみなどには令行給、命立給など書り。此たぐひのシメといふことばはいと古くは見えざる事なるに萬葉十四にアシフマシムナとあるはいとめづらし。かの集のころの歌、他はみなアシフマスナといへ(3011)る例なり
といへり。案ずるに刈生根ニ足フミタマフナ靴ハケ我背といはむより足フミタマハムニ靴ハケ我背といはむ方穩なればフマシ牟奈はフマシ奈牟の顛倒と認むべし。現に元暦校本にはアシ布麻之奈牟とあり。さてアシとフマシナムとは離ちては見べからず。アシとフムと相抱きてアシフムといふ一語となれるなり。卷十二(二六六七頁)にもアサヂハラ茅生《チフ》ニ足フミとあり
 
3400 信濃なるちくまのかはのさざれしもきみしふみてばたまとひろはむ
信濃奈流知具麻能河泊能左射禮思母伎彌之布美※[氏/一]婆多麻等比呂波牟
 チクマノカハは千曲川にて即信濃川の上流なり。フミテバは踏ミタラバなり〇玉トは玉トシテと心得べし。宣長(記傳卷十【五五六頁】は『うつほ物語俊蔭の卷に紅葉ノ雫ヲ乳ブサト〔右△〕ナメツツアリフルニ云々とある登に同じ』といへり○これも女の歌なり
 
3401 中麻奈にうきをるふねのこぎでなばあふことかたしけふにしあらずば
(3012)中麻奈爾宇伎乎流布禰能許藝※[氏/一]奈婆安布許等可多思家布爾思安良受波
    右四首信濃國歌
 中麻奈を略解にナカヲナとよみて地名とせり。案ずるに舊訓に從ひてナカマナとよむべし。此卷の借字は正訓の外は皆音を用ひたればなり。そのナカマナはげに地名なるべし。此卷には地名の外二音に一字を充てたる例無ければなり。久老の信濃漫録に
  彼國人小泉好平がいひけるはこは水内《ミノチ》郡に中俣といふ村あり、そこなるべしといへり。その地は千隈川へ犀川とすすばな河の流れ落る河股なり。今も上古船をつなぎし木ぞとて大樹の株の殘れる、村の内にありといへり
といへり○第四句はアフコトカタカラムといふべきを現在格にて云へるなり。男の舟に乘りて旅立たむとせる時によめるなり
 
3402 ひのぐれにうすひのやまをこゆる日はせなのがそでもさやに布良思(3013)都《フラシツ》
比能具禮爾宇須比乃夜麻乎古由流日波勢奈能我素低母佐夜爾布良思都
 ヒノグレニは日ノ暮ニなり。冠辭考にウス日にかゝれる枕辭としたるは非なり○コユル日ハの日を從來暦の日とせるは誤解なり。この日は太陽なり○勢奈能を古義に
  夫《セナ》にて能は助辭なり。三卷にイナトイヘドシフル志斐能ガシヒガタリとある能に同じ
といへり。案ずるに卷三(三四六頁)なる志斐能ガは契沖がいへる如く志斐ノ嫗ガの嫗を略したまへるなるべければこゝのセナノガとは同例ならず。略解には『セナノは夫名根なり』といへり。此説よろし。即妹をイモナネといふ如く夫《セ》をセナネといひそのセナネをセナナともセナノともなまりしならむ
  イモナネは卷九(一八三八頁)なる過2足柄坂1見2死人1作歌に妹ナネガツクリキセケムシロタヘノ紐ヲモ解カズとあり。又セナナは下に勢奈那トフタ理サネテクヤ(3014)シモとあり。右のセナノ、セナナは勿論イモナネも、單にセナといふもおそらくは皆東語ならむ
 ○布良思都は帝ラシツの誤なり。さればこそサヤニといふ副詞を添へたるなれ○こは夕方に女が遙に男を見かけて喜びてよめるなり
 
3403 あがこひはまさかもかなし久佐麻久良〔五字左△〕《マクサカル》、多胡のいり野のお父〔左△〕《ク》もかなしも
安我古非波麻左香毛可奈思久佐麻久良多胡能伊利野乃於父母可奈思母
 父は久の誤なる事前註にいへる如し三四はオクにかゝれる序なり。マサカは眞盛にて現在、オクは將來なり○マサカモはオクに對してモといへるにて卷十三にアマ橋モ〔右△〕長クモガモ、高山モ高クモガモ(二八〇七頁)といひカリガネモ〔右△〕トヨミテサムシ、ヌバタマノ夜モフケニケリ(二八五七頁)といへると同例なり○結句はオクモカナシカラムといふべきを現在格にていへるなり○第三句を略解に
(3015)  この草枕は枕詞ならず。旅のさまをいふ
といひ橋本直香の上野國歌解に
  こは草ノ枕ヲタガヌてふタガをタゴにいひ移して冠らせたるなり
といへり。案ずるに久佐麻久良は麻久佐可流の誤ならむ。卷一(七七頁)に眞草カルアラ野といへる例あり〇二註に夫の旅だつ時の歌とせるは理由なし
 
3404 かみつけぬ安蘇のまそむらかきむだきぬれどあかぬをあどかあがせむ
可美都氣努安蘇能麻素武良可伎武太伎奴禮杼安加奴乎安杼加安我世牟
 初二は序なり。安蘇郡は延喜式によればはやくより下野國に屬せり。然るにこゝにカミツケ野アソノマソムラといひ下にもカミツケ野アソヤマカヅラといへる不審なり。元來安蘇郡と足利郡とは上野國に抱かれたれば古くは上野に屬したりしにやと思ふに又下にシモツケ野アソノカハラヨとあり。されば行政上こそ下野に屬したれ俗には上野の安蘇とも下野の安蘇ともいひしにや○マソは麻なり。
(3016)  マソは眞小麻《マサヲ》の約ならむ。元來ヲは絲にて麻には限らず。さればこそユフをも卷二(二〇八頁)にはマソユフとい へれ。さるに後に麻の一名となりしなるべし
 カキムダキのカキは添辭にてムダキはウダキ(抱)を訛れるなり。ムダキをウグキといへるは卷二十なる防人の歌にウマノ爪をムマノツメといへると同例なり○略解に『麻の群たるを刈てかき抱來ぬるを譬として云々』といへり。さらば刈リテといふこと無かるべからず。マソムラは地上に生ひたるをいふべければなり。上野國歌解には
  彼あたりにては麻は刈らで、透間なく群生たるを左右の手してかゝへて抱きながら後へ寢るやうにして拔き、さて後その根を拂ふなり
といへり。此説よろし。但麻は必しも抱き束ねて拔き取るものにあらず。集中にも麻ヲヒキホシ(一八三八頁)とも麻ヲカリ干シ(六四九頁)ともあればなり○アドカは何トカなり(二九九三頁參照)。一首の意は妹ヲ抱キテ寢レドナホ厭カヌヲ此上ハ何トカセムといへるなり○因にいふ。安蘇郡は今も麻の産地として聞えたり。アソの名義は麻生をつづめたるか
 
(3017)3405 かみつけ乃《ノ》をどのたどりがかはぢにも兒らはあはなもひとりのみして
     或本歌曰かみつけ乃《ノ》を野のたどりが安〔左△〕《カ》はぢにもせなはあはなもみるひとなしに
可美都氣乃乎度能多杼里我可波治爾毛兒良安波奈毛比等理能未思※[氏/一]
    或本歌曰可美都氣乃乎野乃多杼里我安波治爾母世奈波安波奈母美流此登奈思爾
 カミツケ乃の乃はテニヲハにあらず。上ツ毛野なり。野は初にはヌといひしを當時はやく訛りて、ノともいひしなり(二九六四頁參照)。乃を奴の誤とせる説は非なり○ヲドは或本(ノ)歌によれば小野の訛にて地名なるべし。タドリを古義に河の名としカハヂを上野國歌解に川ニ沿ヒタル道とせり。川を渡り行く道にや。タドリはなほ考ふべし○アハナモは逢ハナムなり。下なるコトハサダメツ今ハイカニセモと同例(3018)なり。ヒトリノミシテは唯一人ニテといふ事にて伴ナフ人ナシニといふ事なり
  或本歌の安波治の安は前註にいへる如く可などの誤ならむ
 
3406 かみつけ野さ野のくくだちをりはやしあれはまたむゑことしこずとも
可美都氣野左野乃九久多知乎里波夜志安禮波麻多牟惠許登之許受登母
 サヌは小野にて(二九〇九頁參照)こゝにては野の名なり。下にもカミツケヌ佐野田ノサナヘ、カミツケヌ佐野ノフナバシとあり。名高き此國の三碑のうちの神龜三年碑に上野國|郡馬《クルマ》郡下賛郷とある賛《サヌ》又辛巳碑に佐野三家とある佐野にて今の高崎市の附近なり。今の世に聞えたる下野國安蘇郡の佐野とは別なり○ククダチは野菜の莖なり。ヲリハヤシのハヤシは調製することにてこゝにては鹽漬にする事ならむ。卷十六なる乞食者詠に
  さを鹿の來たち咲かく……吾角は御笠のはやし……吾毛らは御筆のはや(3019)し……わがししはみなますはやし、わがきももみなますはやし、わが美義は御塩のはやし
とあるハヤシも調製の料といふ意と聞ゆればなり○マタムヱのヱはヨに近き助辭なり。コトシコズトモはヨシヤ今年歸リ來ズトモなり○こは旅なる夫の歸り來るを待てる妻のよめるなり
 
3407 かみつけぬまぐはしまどにあさ日さしまぎらはしもなありつつ見れば
可美都氣努麻具波思麻度爾安佐日左指麻伎良波之母奈安利都追見禮婆
 上三句は序なり。第二句難解なり。まづ考に
  眞桑島てふ川島などありて其渡瀬を門といふならん
といひ次に略解に
  今マグハといふ所ありといへり。其マグハに川島などありて其渡瀬を門といへるか
(3020)といへり。マグハといふ處上野國にありとは聞えねど、げに利根川の沿岸に然いふ處ありしならむ。案ずるに卷九なる難波經宿明日還來之時歌(一七六三頁)に島山ヲイユキモトホル、河ゾヒノヲカベノ道ユとあるを雅澄は
  これは立田川に臨める山を島山といふなるべし
といひ六人部是香《ムトベヨシカ》の龍田考に
  島山とよめるは彼川のをれめぐりて島となれる處をさして島山とはいへるなり(必しも四方ともに縁を放れて川中にある島ならでもいにしへは川のをれめぐれる處は島といへり)
といへり。今も眞桑といふ處の利根川にさしいでて小半島を成せるを眞桑島といひこれによりて川の狹められたるを門といへるか。黒川春村はマグハシマトのマトを松の訛として『昔新田郡に松の大木ありきといひ傳へたり』と云へり○マギラハシは目煌《マギラ》ハシにてマバユシといふことなるを嫌《キラ》ハシにいひかけて序とせるならむ。ナは助辭なり○アリツツミレバははやく卷十に
  いはばしの間々にさきたるかほ花の花にしありけりありつつみれば
(3021)とあり。ナジミヲ重ネテ見ルトといふことなり○こは男の歌なるべし。略解には女の歌とせり
 
3408 にひたやまねにはつかななわによそりはしなる兒らしあやにかなしも
爾此多夜麻禰爾波都可奈那和爾余曾利波之奈流兒良師安夜爾可奈思母
 新田山は今の太田の金山なり。ツカナナは下なる
  志良登保布をにひた山のもる山のうらがれせ那奈とこはにもがも
 又卷二十なる
  わがせなをつくしへやりてうつくしみおびはとか奈奈あやにかもねも
と參照するに附カズシテといふこととおもはる。無論東語なり○ヨソリは寄リなリ。ハシナルは中途半ナルとなり。されば一首の意は  雲ノ新田山ノ峯ニ附クヤウニ附クニハ至ラズシテ我ニ寄リナガラ間《ハシタ》ナル女ガ(3022)怪シキマデカハユイ
といへるなり。雲ノ附カヌガ如ク附カズシテといへるにあらず。雲ノ附クヤウニ附カズシテといへるなり。例のフルノワサ田ノ穗ニハイデズと同格なり。又考にいへる如く歌には雲といふ語無けれど之を補ひて釋すべし。雅澄が『此歌古來山の嶺に雲のつかぬごとくといふ意に解來れども雲といはざればいかが』といへるは小兒を律するに大人の法を以てするが如し。修辭に慣れざる鄙人の歌なればさばかりの手落はあるべきなり。京紳の歌にてもいと古きには此類あるにあらずや
 
3409 伊香保ろにあまぐもいつぎ可奴麻豆久ひと登おたばふいざねしめとら
伊香保呂爾安麻久母伊都藝可奴麻豆久此等登於多波布伊射禰志米刀羅
 下に
  いはのへにいかかるくもの可努麻豆久ひと曾おたばふいざねしめとら
(3023)とあり。之によれば今の歌も初二は序にて登は楚などの誤ならむ。又はゾの訛か。さらばドと濁るべし○イカホロのロは助辭、こゝのイカホはアマグモイツギとあれば地を指さで山を指せるなり。アマグモイツギは雲ガ次々ニカカリテとなり○カヌマヅクのカヌマを眞淵以下地名としたれどこゝは地名としてはかなはざる上に鹿沼は下野國にありて伊香保とはいたく相離れたり。カヌマヅクはおそらくはタビタビ、カサネガサネなどいふ意の副詞なるべし○オタバフを契沖はノタマフなるべしといひ雅澄はオ呂バフの誤にてはあらぬにやといへり。案ずるに音信する事をオトタバフといひそれを方言につづめてオタバフといひしにあらざるか○イザネシメトラはイザネソメ(ヨ)トといふべきを訛れるにてラは今の俗語のサなどに當る助辭ならむか。ソメをシメといへる例は上(二九七四頁)にアリツツモツギナムモノヲミダレシメ〔二字右△〕メヤとあり
 
3410 伊香保ろのそひのはりはらねもころにおくをなかねそまさかしよかば
伊香保呂能蘇比乃波埋波良禰毛己呂爾於久乎奈加禰曾麻左可思余加(3024)婆
 ソヒは『傍の字の意なり』と契沖いへり。ハリハラは萩原なり。榛の木の林にあらず。初二は第四句のオクにかゝれる序なり○ネモコロニはヒツコクなり。オクは將來、マサカは現在なり。上(三〇一四頁)にも
  あが戀はまさかもかなし久佐麻久良たごのいり野のおくもかなしも
とあり○カヌは豫ものする事なり。さればナカネソはカネテ心配スナとなり○ヨカバはヨカラバをヨケバといふそのケのカにうつれるなり。上(二九九七頁)にも國ノトホカバとあり。ヨカバの下にサテアルベシといふことを略せるなり
 
3411 多胡のねによせづなはへてよすれどもあにくや斯豆〔左△〕之《シシノ》そのか把《ハ》よきに
多胡能禰爾與西都奈波倍※[氏/一]與須禮騰毛阿爾久夜斯豆之曾能可把與吉爾
 こは契沖のいへる如く女を鹿にたとへたるなり。ヨスレドモは狩リ寄スレドモな(3025)り○阿爾久夜は難獲哉《エニクヤ》か。フレル、ホセルをフラ〔右△〕ル、ホサ〔右△〕ルといひ家をイハ〔右△〕といへるを見ればエニクヤをア〔右△〕ニクヤともいふべし○斯豆之の豆は二二※[小字の二を重ねた]、思などの誤なり。ノを之と書ける、此卷の書例にたがへり。取外したるにや又は寫し誤れるにや○可把は一本に可抱とありといふ。眞淵以下之に從ひて顔の意とせるは非なり。こゝはソノ皮ガヨキニといへるなれば本に從ふべし
 
3412 かみつけ野くろほのねろの久受葉我多〔二字左△〕《クズハナス》かなしけ兒らにいやさかりくも
賀美都家野久路保乃禰呂乃久受葉我多可奈師家兒良爾伊夜射可里久母
 村田春海の織錦舎隨筆下卷に
  上野國にてクロフといふ詞あり。樹木の立茂りたる山をいふ。萬葉十四にカミツケヌクロホノネロとあるこれなるべし
といへれどクロホノネロはなほ山の名ならむ○第三句を從來字のまゝにクズハ(3026)ガタとよめり。さて契沖雅澄は之を地名とせり。案ずるにもと久受葉成とありしを一音一字に書き改むるに當りて成を方と見誤りて我多とは書けるならむ。されば訂して久受葉奈須とすべし。クズハナスは葛ノ葉ノ如クとなり。下にシモツケ野ミカモノヤマノコナラノスマグハシ兒ロハ云々とあると似たり。コナラノスは小楢ナスなり○カナシケはカナシキを訛れるなり
 
3413 とねがはのかはせもしらずただわたりなみにあふのすあへるきみかも
刀禰河泊乃可波世毛思良受多多和多里奈美爾安布能須安敝流伎美可母
 カハセモシラズはイヅク川瀬トイフコトモ知ラズとなり。第三句はタダワタリテのテを略せるなり。タダワタリは迂路を取らずして眞直に渡る事なり。ノスはナスなり。古事記應神天皇の段なる吉野の國主《クズ》等が歌にもフユキ能須、カラガシタキノ、サヤサヤとあり○さて上四句はただアヘルといはむ爲に求めておもしろくいへ(3027)る序のみ。前註の釋は皆非なり。又考以下に女の歌としたるも非なり。男の歌なり。キミは女にも云ひつべし
 
3414 伊香保ろのやさかのゐでにたつぬじのあらはろまでもさね乎〔左△〕《シ》さねてば
伊香保呂能夜左可能爲提爾多都弩自能安良波路萬代母佐禰乎佐禰※[氏/一]婆
 ヤサカは地名なるべし。ヰデは堰なり。塘にあらず。ヌジはニジの訛なり。上三句は序なり○アラハロマデモはアラハルルマデモなり。連體路の代に終止格をつかひ又ルをロとなまれるなり○結句の乎は之の誤なり。古事記に
  うるはしとさね斯さねてばかりごものみだればみだれさね斯さねてば
とあり。ネタラバといふことを強く云へるにてこゝにてはタビタビ寢タラバといへるなり。久シクといへるにあらず。さてサネテバの下にウレシカラマシなどいふことを略したるなり
 
(3028)3415 かみつけぬ伊可保のぬま爾《ノ》うゑこなぎかくこひむとやたねもとめけむ
可美都氣努伊可保乃奴麻爾宇惠古奈宜可久古非牟等夜多禰物得米家武
 イカホノヌマは即榛名湖なり○爾はノとよむべし。蘭の字をノにも借りしなり。はやく
  かすがのさと爾《ノ》うゑこなぎ(四九六頁)
  妹がみしやど爾《ノ》はなさき(五六八頁)
  をばなり爾《ノ》かみたくまでに(一八六三頁)
  ながきよ爾《ノ》しるしにせむと(一八六四頁)
  天のかはせぜ爾《ノ》しらなみたかけども(二〇七四頁)
  あしひきのやま爾《ノ》しろきは(二二〇五頁)
などあり○コナギは小水葱なり。食料とする爲に水中に栽培せしものなればウヱ(3029)コナギともいへり。下にも苗代ノコナギガ花とよめり。宇治拾遺物語卷二『清徳聖きどくの事』といふ條にも水葱をうゑたりし事見えたり。コヒムトヤは戀ヒムトヤハなり。種モトメケムは栽ヱ始メケムなり○女をコナギにたとへたるにてまだ稚きより我物と領じたるが戀ひらるる趣なり
 
3416 かみづけぬ可保夜がぬまのいはゐづらひかばぬれつつあをなたえそね
可美都氣努可保夜我奴麻能伊波爲都良此可波奴禮都追安乎奈多要曾禰
 上(二九九一頁)に
  いりま路のおほやが原のいはゐづらひかばぬるぬるわになたえそね
とあると相似たり。ヌレツツは滑リツツなり。アヲは我ヨリといふことなればワニともいふべし○上三句は序なり。イハヰ葛《ヅラ》ノ如クとなり
 
3417 かみつけぬ伊奈良のぬまのおほゐぐさよそに見しよはいまこそまさ(3030)れ
可美都氣奴伊奈良能奴麻能於保爲具左與曾爾見之欲波伊麻許曾麻左醴【柿本朝臣人麻呂歌集出也】
 オホヰグサノ如クとなり。オホヰグサは太藺なり。見シヨハは見シヨリハなり〇一首の意は契沖が
  莞《オホヰ》の沼に生たるを見るよりは刈持來て席に敷たるがよき如く人をもよそめに見たるよりも今相見たるが彌まさるとなりといへる如し
 
3418 かみつけぬ佐野田のなへのむらなへにことはさだめついまはいかにせも
可美都氣努佐野田能奈倍能武良奈倍爾許登波佐太米都伊麻波伊可爾世母
 佐野田は佐野にある田なり。初二はムラナヘニのナへにかゝれる序なり。ムラナヘ(3031)はウラナヘなり。ウラをムラといへるはウダキ、ウマをムダキ、ムマといへると同例なり(三〇一六頁參照)。ウラナヘはやがてウラヘなり○コトハサダメツは占ニヨリテハヤク某卜夫婦ノ約ハ定メツとなり。卷三(四九〇頁)にもイツモイツモナリナム時ニ事ハサダメムとあり。セモはセムなり○此歌は女が他の男の挑み寄るに答へたるなり
 
3419 伊加保世欲奈可中次下おもひど路久麻こそしつ等わすれせなふも
伊加保世欲奈可中次下於毛比度路久麻許曾之都等和須醴西奈布母
 初二を舊訓にイカホセヨナカナカシケニとよめり。さて契沖は初句を伊香保ニアル夫《セ》ヨの意とせり。伊加保の下に加を補ひて伊香保風とよみて欲を第二句に屬すべきか○次(ノ)字一本に吹とあり。又一本に下(ノ)字の下に爾(ノ)字あり。試にいはむに欲奈可爾吹爾〔三字右△〕の誤にてヨナカニフクニとよむべきならむか。但フクを吹と書かむは此卷の書例にかなはねど上にもいへる如く此卷の原本は必しも一字一音にはあらざりきとおもはるれば改書に當りて取外しし事もあるべきなり。ヨナカは卷九なる詠2末(ノ)珠名1歌の反歌(一七三八頁貢)に夜中ニモ身ハタナシラズイデテゾアヒケルとあ(3032)り○オモヒド路のヒはヘを訛《ナマ》り路は母などを誤れるか○久麻コソシソ等は可禮コソシツ禮などの誤か○ワスレセナフモはワスレセズモにてやがて忘レズなり
 
3420 かみつけぬ佐野のふなばしとりはなしおやはさくれどわはさか禮〔左△〕《ル》かへ
可美都氣努佐野乃布奈波之登利波奈之於也波左久禮騰和波左可禮賀倍
 初二は序なり。舟橋ノヤウニとなり。舟橋は大水の出でむとする時には取放つものなればトリハナシの序とせるなり。ハナシはハナチの訛なり○禮は諸本に流とあり又下にワハ佐可流〔右△〕我倍とよめる歌あれば流の誤とすべし。カヘはカハの訛なり。されば第三句以下は親ハ二人ノ中ヲ取放チ離サムトスレド我ハ離レムヤハといへるなり
 
3421 伊香保ねにかみななりそねわがへにはゆゑはなけども兒らによりてぞ
(3033)伊香保禰爾可未奈那里曾禰和我倍爾波由惠波奈家杼母兒良爾與里※[氏/一]曾
 間宮永好の大鶏隨筆に上野國大戸に宿りし時雷鳴りしに家主の『雷は出づる山と出でぬ山とありて吾里近き程にては此榛名山と彼淺間山との二つの外出づる山なし』といひし由いひて
  かゝれば萬葉集卷十四に伊香保ネニカミナナリソネと見ゆるはやがて榛名山なりけり。さて伊香保といへる地はいと廣くして此邊の山どもはなべて伊香保嶺なるべけれど榛名は殊に名高く神祇さへ御座ましていとかしこき山なれば打任せては此山をしも伊香保嶺とは云へりけむ
といへり○ワガヘは古義にいへる如く我上なり。我家にあらず。ナケドモは無カレドモなり。第三句以下は我上ニハ然祈ルベキ故ハ無カレドモ妹ノ爲ニ然祈ルナリ
といへるなり
 
3422 伊香保かぜふく日ふかぬ日ありといへどあがこひのみしときなかり(3034)けり
伊香保可是布久日布加奴日安里登伊倍杼安我古非能未思等伎奈可里家利
 トキナカリケリは不斷ナリとなり
 
3423 かみつけぬ伊可抱のねろにふろよきのゆきすぎがてぬいもがいへのあたり
可美都氣努伊可抱乃禰呂爾布路與伎能遊吉須宜可提奴伊毛賀伊敞〔左△〕乃安多里
   右二十二首上野國歌
 上三句はフロヨキ〔二字右△〕ノユキ〔二字右△〕スギガテヌと類音を重ねたる序なり。フロヨ〔二字右△〕キはフルユ〔二字右△〕キの訛にてアラハロ〔右△〕マデモ、世ニモタヨ〔右△〕ラニと同例なり〇カテヌは敢ヘヌにてカナ、ヨなどをいひ殘したるなり。カテヌの例は卷七(一四三七頁)及卷十(二〇三六頁)にあり
 
(3035)3424 しもつけ野みかものやまのこならのすまぐはし兒ろは多賀家〔左△〕可《タカダカ》もたむ
之母都家野美可母乃夜麻能許奈良能須麻具波思兒呂波多賀家可母多牟
 ノスはナスなり。上にも波ニアフノスとあり。上三句はマグハシにかゝれる序なり。マグハシは眞精にてウルハシにおなじ。マグハシキ兒ラといふべきをカナシ妹などの如く一語につづめてマグハシ兒ロといへるなり○モタムは待タムの訛なり。家は多の誤ならむ。タカダカは待つ事の形容なり。集中にタカダカニ待ツといへる例多し
 
3425 しもつけぬ安素のかはらよいしふまずそらゆ登きぬよながこころのれ
志母都家努安素乃河泊良欲伊之布麻受蘇良由登伎奴與奈我己許呂能禮
(3036)    右二首下野國歌
 アソ川は渡瀬《ワタラセ》川の支流なる今の秋山川なるべし○ソラユ登キヌヨの登は楚の誤又はゾの訛ならむ。上(三〇二二頁)にも例あり。さてソラユ登キヌヨは空ヲトホリテ來ヌルヨといふことにてやがて來ヌルヨといふべきを卷二十なるオキテゾ來ヌヤなどと同じく古格によれるなり。卷十一(二三五九頁)及卷十二(二五七二頁及二六〇四頁)にココロ空ナリ土ハフメドモ、ワガ心アマツ空ナり土ハフメドモとあれどこゝはそれらとは少し異にて足ノ石ニツクヲモ感ゼズ云々といへるなり○ナガココロノレは我ニ逢ハムヤ否ヤ汝ガ心ヲノレといへるなり。既に逢ひ始めし女に對してウレシミ思フヤ云々と問へるにはあらず
 
3426 あひづねのくにをさどほみあはなはばしぬびにせむ等ひもむすばさね
安比豆禰能久爾乎佐杼抱美安波奈波婆斯努此爾勢牟等比毛牟須婆左禰
(3037) 初二はコノ會津嶺ノアル國ガ遠クナラム爲ニといへるなり。古義にアヒヅネノをアハナハバにかゝれる枕辭とせるは非なり○アハナハバはアハヌの延言なるアハナフが一の獨立語となりてはたらけるなり。逢ハズアラバと譯すべし○第四句の等はドと濁り訓みてゾの訛とすべきか或は乎の誤字とすべきか。ムスバサネは結ビ給ヘとなり。上(三〇〇一頁)にもヰネテヤラサネとあり○此歌は男の旅立たむとして女に衣の紐を結ばむことを求めたるなり
 
3427 筑紫なるにほふ兒ゆゑにみちのくのかとりをと女のゆひしひもとく
筑紫奈留爾抱布兒由惠爾美知能久乃可刀利乎登女乃由比思比毛等久
 防人として筑紫にゆきたる男のよめるなり。されば外の歌の多くは東國にてよめるなるとは例を異にせり○ニホフは色ヨキなり。ユヱニは爲ニなり。陸奥のカトリは所在不明なれど香取神を祭りしより名を負ひけむかし
 
3428 あだたらのねにふすししのありつつもあれはいたらむねどなさりそね
(3038)安太多良乃禰爾布須思之能安里都都毛安禮波伊多良牟禰度奈佐利曾禰
     右三首陸奥國歌
 アダタラノネは今の安達太郎山なり。安達太郎は充字に過ぎず(一四〇四頁參照)○アリツモはこゝにてはシバラクシテと譯すべし。イタラムは常の到ラムにてユカムといはむに同じ○ネドは寢所なり。今も陸中などにては寢所をネドといふといふ(好古叢誌第二編卷十)。ネドナサリソネは寢ベキ所ヲ去リテ他ニ行クナ、寢《ヌ》ベキ所ニ待テとなり。その寢《ヌ》べき所は屋内にあらで屋外なり。誤りて上品に思成すべからず○初二はアダタラ山ニフス猪ノヤウニといへるにて結句のネドナサリソネにかゝれる序なるべくおぼゆるにその序と係との間〔日が月〕にアリツツモアレハイタラムといふことは挿むべくもあらねば元來
  ありつつもあれはいたらむあだたらのねにふすししのねどなさりそね
とありしを傳寫の際に誤りて初二と三四とを顛倒せるにやと思ふに東歌の序歌にはかく隔つべからざる句を隔てたる例もあればなほ初より今の如くなりしな(3039)るべし。上(三〇二三頁)なる
  伊香保ろのそひのはりはらねもころにおくをなかねそまさかしよかば
の初二はネモコロニを隔てゝオクにかゝれる序と見え又下なる
  いはほろのそひのわかまつかぎりとやきみが來まさぬうらもとな久《シ》も
の初二は今の歌の如く三四を越えて結句のウラにかゝれる序と見えたり
 
   譬喩歌
3429 とほつあふみ伊奈佐ほそ江の水《ミ》をつくしあれをたの米〔左△〕《ミ》てあ佐〔左△〕《ラ》ましものを
等保都安布美伊奈佐保曾江乃水乎都久思安禮乎多能米※[氏/一]安佐麻之物能乎
     右一首遠江國歌
引佐《イナサ》細江は濱名湖の北端の狹くなりたる處なり。因にいふ。イナサを引佐と書くは(3040)引の音イヌをイナに移したるなり。ミヲツクシは水路の標なり。上三句は序なり。舟ガ水路標ヲタノムヤウニ我ヲタノミテとかゝれるなり○タノ米テの米は未の誤なり。ア佐マシの佐も良の誤なるべし○女の心の淡くなりしを恨みてよめるなり
 
3430 斯多のうらをあさこぐふねはよしなしにこぐらめかもよ奈〔左△〕《ヨ》しこさるらめ
斯太能宇良乎阿佐許求布禰波與志奈之爾許求良米可母與奈志許佐流良米
     右一首駿河國歌
 斯多は今の志太なり。ヨシはフケなり。理由なり。コグラメカモは漕グラムヤハなり。ヨは助辭なり○結句の奈は余の誤なり。現に一本に余とあり。さてヨシコサルラメは由コソアルラメをつづめたるなり○こは女の歌にて男が門前を往反するを見てよめるならむ
 
3431 あしがりの安伎奈のやまにひこふねのしりひかしもよここばこがた(3041)に
阿之我里乃安伎奈乃夜麻爾此古布禰乃斯利此可志母與許己波故賀多爾
 上三句は山にて舟を作りて其舟を引き下す趣の序なり。いにしへ深山に人りて舟を作りし事は日本靈異記下卷第一に
  熊野村人至2于熊野河上之山1伐v樹作v船……後歴2半年1爲v引v船入v山
 播磨國風土記に
  船引山 近江天皇之世|道守《チモリ》(ノ)臣爲2此國之宰1造2官船於此山1令2引下1
 伊豫國風土記の逸文に
  野問郡熊野峯 所v名2熊野1由《ユヱ》者昔時熊野|止《ト》云船(ヲ)設v此。至v今石(ト)成(テ)在
とあれば確實なり。さて何故に深山に入りて舟を作るかといふ事につきて古義に『或人云山中より多くの材を引下すより船として一度に下すは費少き故すなはち山にて作りて其を引下すなりと云り』といへるは非なり。いにしへの舟は丸木舟なれば大木をそのまゝに山より引き下さむよりは刳《ヱグ》りて船に作りての後に引き下(3042)すが便なりしなり。さて其舟をおろすに急に落ち下らば危かるべきによりて舟の後にひかへ綱を附けてその綱を取らせつゝ徐におろししなり。今はその趣を序として舟ノ後ヲ引ク如ク或女ガ男ノ後ヲ引クワイといへるなり。ヒコフネはヒク舟、ヒカシモは引カス〔右△〕モの訛にてヨは助辭なり。ココバはココバクにおなじ。下にも心ニノリテココバカナシケとあり。コガタニはキ〔右△〕ガテヌ〔二字右△〕の訛なり。キガテヌは來不敢なり。古義は第四句の外ほぼ釋き得たり
 
3432 あしがりのわをかけやまのかづの木の和乎〔左△〕可豆《ワハカツ》さねも可豆〔二字左△〕佐可〔左△〕受《ナハサネズ》とも
阿之賀利乃和乎可※[奚+隹]夜麻能可頭乃木能和乎可豆佐禰母可豆佐可受等母
 契沖は山の名はカケ山にてそれを我ヲカケ山といへるはイソノカミ袖フル河の類なりといへり。さらばワヲは句中の枕辭とすべし(二六四〇頁參照)○上三句は序なり。伴信友の比古婆衣卷二十(全集第四の四五三頁)に
(3043)  相模のみならず伊豆、甲斐、陸奥にてもヌルデをカツノ木といふ。新撰字鏡に樗、加知乃木とあるも是なるべし
といひ間宮永好の大鶏隨筆(上卷八二頁)にも
  可頭乃木はヌルデの事なり。此木相模國にいと多かる中に筥荷山には殊に多かり。この國人に此木の名をとへば何處にても皆カツ(ツ清音に唱)といひてヌルデと云ことをしらず。他國にて間試るにヌルデといひてカツと云事をしらず。かかれば此を可頭と云へるほ相模國の方言なることしるし
といへり。奥州、越前にてもカツノキ、カツキ、カチノキ、カチキなどいふ由本草啓蒙に見えたり○和乎は和波の誤ならむ。又カツサネモは且サネムの訛ならむ。カツは俗語のマアに當れり。サネモのサは添辭にてネムをネモといへるは上(三〇三〇頁)にイマハイカニセモといへると同例なり。さてカツノ木に濁音の頭を充てたるはおそらくは土人の發音に從へるならむ(豆は清音にも借る字なり)○結句は奈波サ禰ズトモの誤か
 
3433 たき木こるかまくらやまのこだる木乎〔左△〕《ノ》まつとながいはばこひつつや(3044)あらむ
多伎木許流可麻久良夜麻能許太流木乎麻都等奈我伊波婆古非都追夜安良牟
    右三首相模國歌
 上三句は序にて初句は鎌にかゝれる枕辭なり。乎は乃などの誤ならむ。略解の如く之の誤とせむは此卷の書例にたがへり。アニクヤ斯豆之(三〇二四頁)の如く取外したるは例外なり○コダルははやく卷三(四一〇頁)にヒムカシノ市ノ殖木ノコダルマデとあり。契沖は木垂とし久老は木足とせり。後者に從ふべし。枝葉の具足するにてやがてシゲルと云はむにひとし○マツトナガイハバの下にソレヲ樂ニといふことを補ひて聞くべし。コヒツツヤのヤを古義にヤハの意とせるは非なり。常のヤにてウハ氣ヲセズニコヒツツアラムカといへるなり
 
3434 かみつけ野あそやまつづら野をひろみはひにしものをあぜかたえせむ
(3045)可美都家野安蘇夜麻都豆良野乎比呂美波此爾思物能乎安是加多延世武
 野ヲヒロミハヒニシモノヲは深ク契リシモノヲといふことの譬なり。二註に上三句を序とせるは非なり。又略解に『ハヒはハヘにおなじ』といへるも非なり。自他の差あり。アゼカはナドカなり。はやく上(二九八五頁)にアゼカマカサムとあり
 
3435 伊可保ろのそひのはりはらわがきぬにつきよらしもよたへとおもへば
伊可保呂乃蘇此乃波里波良和我吉奴爾都伎與良之母與多敝登於毛敝婆
 ハリハラは上にいへる如く萩原なり。ツキヨラシは古義に云へる如くツキヨロシの訛なり。そのツキヨロシは附クニ宜シにて附クニフサハシなり。タヘトオモヘバは我衣ハ栲ナレバとなり。オモフは輕く添へたるなり○女を萩に、己を衣にたとへたるなり
 
(3046)3436 (志良登保布〔左△〕《シラトホシ》)をにひたやまのもるやまのうらがれせななとこはにもがも
志良登保布乎爾此多夜麻乃毛流夜麻能宇良賀禮勢那奈登許波爾毛我母
     右三首上野國歌
 ヲニヒタヤマは即新田山なり。モル山は略解にいへる如く人の守りて山林を荒さざる山にてやがて新田山をいへるなり。初句を宣長雅澄は布を留の誤として白砥堀ルの意とせり。守山とさへいへるを其山より砥石を掘り出さむこといかがあるべき。常陸國風上記新治郡の下に風俗(ノ)諺曰白遠新治之國とあれば志良登保布の布を誤字としてシラトホシとよみてニヒにかかれる枕辭とすべし。但其意はなほ考ふべし○ウラガレのウラは梢といふことなれどこゝにてはただ輕く添へるなり。セナナはセズテの方言とおぼゆ。上(三〇二一頁)にニヒタ山ネニハツカナナとあり。下にも例あり〇トコハは契沖のいへる如く常葉なり。女の歌にて契のかはらざら
(3047)むことを願へるなり
 
3437 みちのくのあだたらまゆみはじきおきてせらしめきなばつらはかめかも
美知乃久能安太多良末由美波自伎於伎※[氏/一]西良馬伎那婆都良波可馬可毛
     右一首陸奥國歌
 ハジキオキテは弦ヲ外シオキテなり。ハジクはハヅスの古言なり(比古婆衣卷二十)。セラシメは反《ソ》ラシメを訛れるなり。セラシメキナバは二註にいへる如くセラシメオ〔右△〕キナバの略かとも思へど(東歌には母音を略したる例多し)ハジキオキ〔二字傍点〕テといひて更にセラシメオキ〔二字傍点〕ナバとはいふべからず。さればキナバはなほ來ナバならむ○ツラはツルの古言なり(草のツルをツラといふもおなじ)。ハカメはハケメの訛なり。
  義門の山口栞(上卷二八丁)に『いにしへ四段と下二段とふたかたに活かして同じ意の詞なりしなるべし』といへるは從はれず
(3048) 卷二(一四八頁)にツラヲトリ波氣とあり。又卷十六に牛ニコソ鼻縄ハクレとあり。ハカメカモはフタタビ弦ヲ著《ハ》ケ得ムヤハとなり○こは男の歌にて女の久しく逢はぬにいひやれるにてモシウトウトシクナラバ契ハ續ケラレジといふことを譬へたるならむ
 
   雜歌
3438 つむか野にすずがおときこゆ可牟思太のとののなかちしとがりすらしも
    或本歌曰みつが野に又日わくごし
都武賀野爾須受我於等伎許由可牟思太能等能乃奈可知師登我里須良思母
    或本歌曰美都我野爾又曰和久胡思
 これより下は國明ならざる歌なり。かく國明なると明ならざるとに別ち又各雜歌、(3049)相聞、譬喩歌に(後者はなほ防人歌、挽歌に)小分したるは家持の所爲ならむ。原本にはおそらくはさる分類無かりしならむ
 スズガオトは鷹の尾鈴の音なり。カムシダは上志太にて駿河の地名なるべし。上にも斯多ノウラヲアサコグフネハとあり。トノは郡領などなるべし。ナカチは仲子なり。シは助辭なり。トガリは鳥狩にて鷹をつかふ獵なり
 或本歌のワクゴは青年の敬稱にて今の君且那なり
 
3439 すずがねのはゆまうまやのつつみ井のみづをたまへないもがただ手よ
須受我禰乃波由馬宇馬夜能都追美井乃美都乎多麻倍奈伊毛我多太手欲
 ハユマは早馬なり。初句は駅鈴ノ音ノスル早馬といふべきを略せる准枕辭なり。スズガネノ早キといひかけたりとするはわろし○ツツミ井は古義にいへる如く湧泉を石又は木にて包み圍みたるなり。そは人馬に淨水を給する爲の設備なり○タ(3050)マヘナのナは助辭なり。タマハナを訛りてタマヘナといへるにはあらじ。タダ手ヨは手ヅカラ直ニなり○こは驛使のよめるにあらず。考にいへる如く其地に住める若人が女の包井の水を汲むを見て水ノ飲ミタキニオマヘノ手カラヂキニ下サレとそばえいへるなり
 
3440 このかはにあさなあらふ兒なれもあれも知余〔二字左△〕《ヨチ》をぞもてるいで兒〔左△〕《ソ》たばりに
    一云ましもあれも
許乃河泊爾安佐奈安良布兒奈禮毛安禮毛知余乎曾母※[氏/一]流伊低兒多婆里爾
    一云麻之毛安禮母
 知余は諸本に余知とあり。契沖以下之に從ひて卷五なる哀2世間難1v住歌(八六一頁)にヨチコラとあると同語とせり。そのヨチコラは仙覺抄に同じ程の子等といふ意とし諸註之に從ひたれどよく思ふに然らじ。卷十六なる竹取翁の歌に四干庭といふ(3051)ことあり。此歌は誤脱いと多くて心得がたき處もあれどワクゴ(此歌にてはミドリ子の事)ハフ子、ワラハ、四千《ヨチ》と序を逐ひて云へる如くなれば四千は妙齢を云へるに似たり。さればヨチヲゾモテルは若キ男ヲ持テリと心得べきか○結句の兒は曾などの誤ならむ。イデは俗語のドウゾなり。タバリニはタバリネの訛《ナマリ》なり〇一首の趣は若き女が他の若き女の川邊にて朝菜を洗ふを見てよめるにて我モ汝ト同ジク若キ男ヲモテル、ソレニ食ハセマホシケレバ其菜ヲ分チ賜ヘといへるならむ
 
3441 まどほくのくもゐに見ゆるいもがへにいつかいたらむあゆめあがこま
    柿本朝臣人麿歌集曰とほくして又曰あゆめくろこま
麻等保久能久毛爲爾見由流伊毛我敝爾伊都可伊多良武安由賣安我古麻
    柿本朝臣人麿歌集曰等保久之※[氏/一]又曰安由賣久路古麻
 マドホクノは古義にいへる如く間遠之なり。ハヤクヨリなどいふハヤクと同格な(3052)り。遠キ處といふ意なり○クモヰはこゝにては空なり。但空の果にイモガヘ即妹が家の見ゆるにあらず。妹が家のあるはそのあたりと推測らるゝなり○卷七(一三五七頁)に
  遠くありて雲居にみゆる妹が家にはやく至らむ歩め黒駒 右一首柿本朝臣人麿之歌集出
とありて左註とも少し異なり
 
3442 あづまぢの手兒のよびさかこえかねてやまにかねむもやどりはなしに
安豆麻治乃手兒乃欲妣左賀古要我禰※[氏/一]夜麻爾可禰牟毛夜杼里波奈之爾
 宣長は
  手兒はタコにて即田子浦同處にて今の薩※[土+垂]山なり。紫式部集にもタコノヨビザカとよめり
(3053)といひ二註は之に從ひたれど集中にママノ手兒奈、イシヰノ手兒など手兒とかけるは皆テコとよむべき上に續歌林良材に引ける駿河國風土記に
  女神は男神を待とて岩木の山の此方にいたりて夜々待つにまち得ることなければ男神の名よびてさけぶ。よりてそこを名付ててこの呼坂とす云々。てこは東俗の詞に女をてこといふ。田子の浦も手子の浦なり
とあれば初はテコといひしを後にタゴとなまりしにこそ。岩木山は即薩※[土+垂]峠なり。紫式部の歌は時下りて證としがたき上にそのことば書に『都の方へとてかへる山こえけるによび坂といふなる所に云々』とありて越前にてよめるなれば別地なり。さて彼風土記に此歌を男神の歌とせり
 
3443 うらもなくわがゆくみちにあをやぎのはりてたてればものもひ豆〔左△〕《デ》つも
宇良毛奈久和我由久美知爾安乎夜宜乃波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆物能毛此豆都母
(3054) ウラモナクは無心ニテなり。物モ思ハズなり。はやく卷十二(二七一九頁)及卷十三(二九四一頁)に見えたり。ハリテは芽ヲ張リテなり。タテレバは立テルヲ見レバなり○豆は一本に弖とあり。雅澄は之に從へり。モノモヒデツモは妹ノ事ヲ思ヒ出デツモなり
3444 伎波都久のをかのくくみらわれつめどこにも乃〔左△〕《ミ》たなふせな等〔左△〕《モ》つまさね
伎波都久乃乎加能久君美良和禮都賣杼故爾毛乃多奈布西奈等都麻佐禰
 キハツクノ岡は常陸國眞壁郡の地名なりといふ。ククミラは契沖が上(三〇一八頁)なる佐野ノククダチを例として莖韮なりといへるに從ふべし。ミラはニラなり○第四句の乃は考に從ひて美などの誤とすべし。ミタナフは滿タズの方言なり。逢ハズをアハナフといふが如し○結句の等は茂などの誤なり○女が男に對していへるなり。古義に侍婢が女主人に對していへるなりとせるは非なり
 
(3055)3445 みなとのやあしがなかなるたまこすげかりこわがせことこのへだしに
美奈刀能也安之我奈可那流多麻古須氣可利己和我西古等許乃敞〔左△〕太思爾
 タマ小菅の玉は美稱なり。ヘダシはヘダチの訛なり。但こゝはヘダテといふべき處なればまづヘダテをヘダチと訛り次にヘダシと訛れるなり。さてトコノヘダシは上席と板敷との隔なり。古義には菅席ニアミテと補譯せり。げに然心得べし
 
3446 いもなろがつかふかはづのささらをぎ安志等此登其等〔左△〕《アシトヒトゴヒ》かたりよらしも
伊毛奈呂我都可布河泊豆乃佐左良乎疑安志等比登其等加多里與良斯毛
 イモナロのロは助辭、イモナは東語にてそのナはセナのナとひとしからむ○ツカフを古義に『今の世にも水を汲み用るをツカフといふに同じ』といへれどさらばツ(3056)カフカハ水などあらざるべからず。案ずるにカハベ、カハセなどいはでカハヅといへるに注目すべし。津は船を停むる處にて所謂フナツキなり。こゝに卷七(一四六三頁)に
  ことさけばおきゆさけなむ湊よりへつかふ時にさくべきものか
といへるあり。そのヘツカフは岸に近づく事なり。こゝのツカフも右のヘツカフに同じからむ。されば初二は妹ガ小舟ニ棹サシテ近ヅク河津ノといへるなり○ササラヲギは小さき荻なり○安志等比登其等〔右△〕の下の等は比の誤ならむ。さてアシトヒは蘆ト生ヒのオを略したるなり。我ハソトモ追ハジをワハソトモハジといへるなど東歌にはオを略せる例多し。トゴヒはタグヒの訛なり。タをトとなまれるはナスをノスといへるに同じくグをゴとなまれるはヒクフネをヒコフネといへるにおなじく又アクガル、イヅクをアコガル、イヅコといふにおなじ○カタリヨラシモは上(三〇四五頁)にツキヨラシモヨとあるに準じて語ルニ宜シモと心得べき事古義にいへる如し〇一首の意は
  妹ガ舟ヲサシ寄スル河津ノササラ荻ハ蘆ト生ヒ偶《タグ》ヒテ外ヨリウカガハレネバ、(3057)シノビ語ラフニフサハシ
といへるなり
 
3447 (くさかげの)安努弩《アヌヌ》奈〔□で囲む〕ゆかむとはりしみち阿努弩波《アヌヌハ》ゆかずてあらくさだちぬ
久佐可氣乃安努弩奈由可武等浪里之美知阿努弩波由加受※[氏/一]阿良久佐太知奴
 古義に一本に從ひて第二句第四句の弩を衍字としたれど第二句の奈を※[月+眷の目が月]字とすべし。二つの弩はニの訛なり。虹をヌジといへるに同じ○クサカゲノは枕辭、安努は地名なリ。駿河に阿野莊あるそれならむ。略解に
  卷十二に草陰ノアラヰノ崎とよみ倭姫命世記に草陰(ノ)阿野(ノ)國ともあリ(○こは伊勢の安濃なり)。皆アとつづきたる枕詞ならんか
といへり。草カゲノ畔《ア》とかゝれるならむ。アゼの古言はアなり○アラクサダチヌは出雲(ノ)國造(ノ)神賀《カムホギ》(ノ)詞に伊豆ノ眞屋ニ麁草ヲ伊豆ノ席ト苅敷キテとあり又倭姫命世記に荒草(ヲ)令2苅掃1(天)宮造令v坐給(支)また五十鈴原(乃)荒草木根苅掃(比)とあればアラクサ(3058)は雜草なり。又タツは眞木タツ、庭ニタツ麻などいへるタツにて生ひ立つ事なり。さてそのアラクサとタツとを一語としてアラクサダツといへるにて雜草が茂るといふ事なり
 
3448 はなちらふこのむかつをの乎那のをの比自につく佐〔□で囲む〕まできみがよもがも
波奈知良布己能牟可都乎乃乎那能乎能比自爾都久佐麻提伎美我與母賀母
 ハナチラフは卷一にもハナチラフ秋津ノ野ベニとあり。コノムカツヲノはコノ向峯ナルなり。ヲナノヲはげに山の名なるべし。遠江國引佐郡なる尾奈か○比自は富士を訛れるならむ。ツクは副フなり。富士ト高サヲクラブルなり。佐は※[月+眷の目が貝]字なり。諸本に無し○結句は君ガ齢ハ久シカラナムとなり
 
3449 しろたへのころものそでをまくらがよあまこぎく見ゆなみたつなゆめ
(3059)思路多倍乃許呂母能素低乎麻久良我欲安麻許伎久見由奈美多都奈由米
 初二は袖ヲ枕《マ》クとかゝれる序なり。麻久良我は下總の地名なるべし。クラガにマの添へるにはあらじ。ヨはヲなり。アマは漁人なり。コギクル見ユといはでコギク見ユといへるは古格なり
 
3450 乎久佐をと乎具佐すけをと(し乎〔左△〕《ホ》ぶねの)ならべてみれば乎具佐△可利馬〔二字左△〕利《ヲグサヲカチケリ》
乎久佐乎等乎具佐受家乎等斯乎布禰乃那良敝※[氏/一]美禮婆乎具佐可利馬利
 ヲ久サ、ヲ具サはげに地名なるべし。さて眞淵は之を同一とし宣長雅澄は一は清音の久、一は濁音の具を書きたるによりて別地とせり。眞淵の説に從ふべし。此卷には少くとも清を濁に通用し清濁の別は重く見べからざるが故なり。さて眞淵はヲグサヲを上丁としヲグサスケヲを助丁とせり。これもうべなふべし。上丁助丁の事は(3060)なほ卷二十に至りていふべし。ヲグサスケヲを受〔右△〕家乎と書きたるは方言の濁れるに從へるにや。或は度婆などの如く受も清濁に併用せるにや。但上にもコエカネテのカを我と書ける例あり○斯乎は一本に斯抱とあるに從ふべし。シホブネは卷二十なる防人の歌に
  久自が母さきくありまてしほ船に眞梶しじぬきわはかへりこむ
とあるを見れば鹽を運ぶ船ともおもはれず。契沖は『鹽海を渡る舟なり』といひ略解には『海邊の物をシホ何といふことシホ貝シホ蘆などの如し』といひて河舟の對とせり。なほ考ふべし○乎具佐可利〔右△〕馬利の上の利は一本に知とあり。二註は之に從ひてカツメリの訛としたれどメリといふ辭は奈良朝以前の歌文には見えず。さればカチケ〔右△〕リの誤とすべし。又乎具佐の下に乎をおとせるものとせざるべからず〇一首の趣は防人にさゝれて行く船中の徒然に乎具佐の上丁と同じき助丁とにたけくらべをせさせて見しに上丁の方まさりしかばそをはやしてよめるならむ。續日本後記天長十年四月の下に
  勅喚3大舎人|穴太部《アナホベ》馬麻呂與2内豎橘吉雄1雙立量2其身長1
(3061)とあるを思ふべし。さてシホブネノは眼前の物を取りて枕辭とせるにこそ。なほ云はばシホ舟を枕辭につかへるによりて航海中の戯とは推測らるゝなり
 
3451 左奈都良のをかにあはまきかなしきがこまはたぐともわはそともはじ
左奈都良能乎可爾安波麻伎可奈之伎我古麻波多具等毛和波素登毛波自
 サナツラは地名なり。古義に
  サはサヒノクマなど云サにて陸奥國名取郡名取郷あれば其地にて左名取なるべきかともおもへど、あまりに強解ならむ。なほ考べし
といへれど名取をいにしへ又名虎といひし由なればサナツラはなほナツラにサを添へたるにてそのナツラは名虎即名取の訛ならむ○カナシキガはカハユキ男ノなり。上(二九九九頁)にもソノカナシキヲ外ニタテメヤモとあり○タグは皇極天皇紀なる童謠のコメダニモクゲテトホラセのタゲテの原形にて食ふ事なり(三一(3062)九頁參照)ざて今は男ノ馬ガソノ粟ヲ食フトモといへるなり○ソトモハジは大平のいへる如くソトモ追ハジのオをモの韻に讓りて略せるなり。ソは集中に追馬と戲書せる如く馬を追ふ聲なり
 
3452 おもしろき野をばなやきそふるくさににひくさまじりおひばおふる我爾
於毛思路伎野乎婆奈夜吉曾布流久左爾仁比久佐麻自利於非波於布流我爾
 野を燒くは新草の生ふるを促さむ爲なれど同時に古草を燒き亡して、新古相交りて斑なるを見むによからねば野を燒くなといひおほせたるなり。古人が物の斑なるをめでし事ははやく上(二九六七頁)にいへり○さてこゝはガネとあらではかなはず(オフルガニは生フバカリにてオフルガネは生フベクなり)。東訛に我爾となまれるなるべけれど、かくしてぞ東國にてははやくよりガニとガネとの區別はなくなりけむかし
 
(3063)3453 (かぜのとの)とほきわぎもがきせしきぬたもとのくだりまよひきにけり
可是乃等能登抱吉和伎母賀吉西斯伎奴多母登乃久太利麻欲此伎爾家利
 初句は枕辭なり。第二句は遠キ故郷ナル妻ガとなり。タモトノクダリはクダレル處にてクモトノ下《シタ》なるべし。マヨフは衣を織り成せる絲の亂るゝをいふ。前註にいへる如く防人の作なるべし。卷七なる
  ことしゆくにひ島守が麻ごろも肩のまよひはたれかとりみむ
と相對へて味はふべし
 
3454 (にはにたつ)あさてこぶすまこよひだにつまよし許西禰《コサネ》あさてこぶすま
爾波爾多都安佐提古夫須麻許余比太爾都麻余之許西禰安佐提古夫須麻
(3064) ニハニタツは庭ニ生フルといふことにて麻の一言にかゝれる枕辭なり。卷四(六四九頁)にも庭ニタツ麻ヲカリホシとあり。さてその庭は園又は堅庭にはあらで垣内の事ならむ。卷九(一八三八頁)には小垣内ノ麻ヲヒキホシとあり○アサテは眞淵のいへる如く麻|布《タヘ》の約なり○許西禰は舊訓の如くコサネとよむべし。卷九(一六九一頁)なるツマノモリツマヨシ來西尼もコサネとよみつ。ヨシコサネは寄セ來レとなり。ツマは二註に云へる如く夫なり
 
   相聞
3455 こひしけばきませわがせこかきつやぎうれつみからしわれたちまたむ
古非思家婆伎麻世和我勢古可伎都楊疑宇禮都美可良思和禮多知麻多牟
 コヒシケバはコヒシカラバなり。柳をヤギともいふべき事は卷九(一七二四頁)にい(3065)へり。柳の末を摘み枯すは人待つほどの手すさびなり。但カラスは輕く添へたるなり。枯すが目的にはあらず。卷十一なる
  みちのへの草を冬野にふみからしわれたちまつと妹につげこそ
のフミカラシを例とすべし。此柳は絲柳なり。考以下に上ヘ小枝ノサス柳といへるはウレツミカラシを誤解せし結果なり
 
3456 うつせみのやそことのへはしげくともあらそひかねてあをことなすな
字都世美能夜蘇許登乃敞〔左△〕波思氣久等母安良蘇比可禰※[氏/一]安乎許登奈須那
 こゝのウツセミノは世ノ人ノといふことなり(二六一一頁參照)○ヤソコトノヘを略解に八十言ノ上なりとし古義には『大平が言ナヒにて音を音ナヒといふに同じといへる如し』といへり。案ずるに八十言ノ葉なるべし。ハをヘといへるは上(三〇三二頁)にサカルカハをサカルカヘといへると同例なり。但本集には言をコトバといへる例はあれど
(3066)  練乃言羽〔二字右△〕志われはたのまじ(八二二頁)
  世のなかの人の辭とおもほすな眞《サネ》ぞこひしきあはぬ日をおほみ(二五七二頁)  うつせみの常の辭とおもへどもつぎてしきけば心まどひぬ(二六一一頁)
  ちちははがかしらかきなでさくあれていひし古度婆ぞわすれかねつる(卷二十なる防人歌)
 コトノハといへる例は無し○アヲコトナスナはイヒタテハヤスナと譯すべければ(六四三頁及一四〇六頁參照)正しくはアヲコトナサスナとあるべし
 
3457 (うち日さす)みやのわがせはやまと女《メ》のひざまくごとにあをわすらすな
宇知日佐須美夜能和我世波夜麻登女乃比射麻久其登爾安乎和須良須奈
 契沖が『こは男の宮仕に都へ上りたる其妻が歌なり』といへる如し。ミヤノは宮ナルなり。四五調相かなはず。膝マクゴトニといはば我ヲシヌバセといふべく又アヲワ(3067)スラスナといはばヒザハマクトモといふべきなり
 
3458 なせのこや等里〔左△〕乃乎〔左△〕加耻志《トノノナカチシ》、奈可〔二字左△〕太乎〔左△〕禮《アニタハレ》あをねしなくよいくづくまでに
奈多能古夜等里乃乎加耻志奈可太乎禮安乎禰思奈久與伊久豆君麻※[氏/一]爾
 ナセノコは汝兄ノ子にてワガセコと云はむにひとし。ナセノコヤのヤは卷十二(二六四〇頁)に吾妹兒哉アヲワスラスナといひ卷十六に檀越也シカモナイヒソといへるヤにおなじ。ナセノコに訴ふるなり○等里乃乎加耻志の里は能、乎は奈の誤にてトノノナカチシならむ。トノノナカチは御ヤシキノ御次男にて上(三〇四八貢)にも等能乃奈可知師トガリスラシモとあり。シは助辭なり○奈可太乎禮は安耳太波禮の誤か○アヲネシナクヨは我ヲ音ニシ泣カスルヨとなり。はやく上(二九七八頁)にイモガ名ヨビテ吾ヲネシナクナとあり。イクヅクはイキ〔右△〕ヅクの訛なり
 
3459 いねつけばかかるあが手をこよひもかとののわくごがとりてなげか(3068)む
伊禰都氣波可加流安我手乎許余比毛可等能乃和久胡我等里※[氏/一]奈氣可武
 イネツケバは手杵もて稻を舂くなり。いにしへは米を舂くは女の業なりしなり。カカルは肌のやぶれ裂くるなり。古義に『アカガリはもと足ノカカリなるが後には手足に亘りていふことゝなれるなるべし』といへり。トノノワクゴは御ヤシキノ若旦那なり。はやく上(三〇四八頁)に見えたり○こはその殿のくりや女などのよめるなり
 
3460 たれぞこの屋の戸おそぶるにふなみにわ家〔左△〕《ガ》せをやりていはふこの戸を
多禮曾許能屋能戸於曾夫流爾布奈未爾和家世乎夜里※[氏/一]伊波布許能戸乎
 オソブルは押振にて押し動かす事なり。オシブルをオソブルといふはなほヒキヅ(3069)ラヒをヒコヅラヒといふが如し。古事記なる八千矛ノ神の御歌にもヲトメノ、ナスヤイタドヲ、オソブラヒ、ワガタタセレバ、ヒコヅラヒ、ワガタタセレバとあり。さて初二はコノ屋ノ戸ヲ押シ動カスハ誰ゾと内より咎めたるなり○ニフナミはニヒナメの訛なり。イハフコノ戸ヲは忌ミ慎ミテ閉ヂタル此戸ヲとなり。考に
  十一月公の新嘗祭ある時は國聽にても同じ祭すれば其國の里長より上は皆廳に集ふべし。然ればその里長などの戸《イヘ》にても妻のものいみしてあるを通ひ來る男の戸をおしひらかんとする時あるじのよめる也。上にカツシカワセヲニヘストモとよめるは戸々《イヘイヘ》にて爲べけれど事はひとしといへり。『其國の里長より上は皆廳に集ふべし』といへるはいかが。當日里長の許に戸主等の集まりしなるべし○家は我の誤字なり
 
3461 あぜといへかさ宿《ネ》にあは奈〔左△〕《マ》くに(眞日くれて)よひなはこなにあけぬしだくる
安是登伊敞〔左△〕可佐宿爾安波奈久爾眞日久禮※[氏/一]與此奈波許奈爾安家奴思(3070)太久流
 アゼトイヘカはナゼトイヘバカにて何ユヱニカといふ意なり。此句は第二句を越えて第三句以下にかゝれるなり○サネニを古義に眞《サネ》ニの意として『宿《ネ》は借字なり。字の意にあらず』といへり。此卷の書例は正訓の外は殆皆字音を用ひたり。又眞、信は集中にサネといひてサネニと云はず。さればサネニはなほサ寢《ヌ》ベクの意とすべし。上(二九八二頁)にもマガナシミ佐禰爾ワハユクとあり○アハ奈クニの奈は末《マ》の誤ならむ。アハマクニはアハムニなり○眞日クレテはヨヒにかゝれる枕辭なり。眞日クレテ來ル初夜《ヨヒ》などいふべき來ルを略せるなり。下にサカコエテ阿倍ノ田ノモニといへる坂コエテに似たり。眞日の眞は添辭なり。例は應神天真の御製にカブツク眞日ニハアテズとあり。但こゝなるは晝の意の日なり○ヨヒナハは初夜ニ〔右△〕ハの訛なり。コナニはコナナの轉ぜるなり。東語にてはセズシテといふことをナナといひきとおぼゆ。其例は上(三〇二一頁及三〇四六頁)に
  にひた山ねにはつか奈那わによそりはしなる兒らしあやにかなしも
  志良登保布をにひた山のもる山のうらがれせ那奈とこはにもがも
(3071)とあり。さればコナニは來ズシテなり○シダは大平(其説は略解に引けり)雅澄のいへる如く時といふことなり。又雅澄は『十一にコノ左太スギテノチコヒムカモとあるサダもシダと通ひて同言なり』といへり(二四六八頁參照)○アケヌル思太といふべきをアケヌシダといへるは例の如く連體格の代に終止格をつかひたるなり
 
3462 (あしひきの)やまさは妣登〔二字左△〕《ミヅ》のひとさはにまなといふ兒があやにかなしさ
安志此奇乃夜末佐波妣登乃比登佐波爾麻奈登伊布兒我安夜爾可奈思佐
 妣登は禰宜などの誤ならむ。初二はサハニにかゝれる序のみ。ヒトサハニは大勢ガなり○マナはマナゴを愛子と書けるを思へばカハユシといふことの古語ならむ。アヤニは怪シクなり
 
3463 まどほくの野にもあはなむこころなくさとのみなかにあへるせなかも
(3072)麻等保久能野爾毛安波奈牟己許呂奈久佐刀乃美奈可爾安敝流世奈可母
 マドホクは遠き處なり。ヲチカタノと云はむに同じ。上(三〇五一頁)にもマドホクノクモヰニミユル妹ガヘニとあり。ミナカはマン中なり。折角逢ひたれど人目多くして話もせられぬを恨みたるなり
 
3464 ひとごとのしげきによりてまをごものおやじまくらはわはまかじやも
比登其等乃之氣吉爾余里※[氏/一]麻乎其母能於夜自麻久良波和波麻可自夜毛
 マヲゴモは眞小薦ならと契沖いへり。下にもマヲゴモノフノ未《マ》ヂカクテとあり。眞も小も共に添辭にて古事記天之石屋の段に天香山《アメノカグヤマ》ノ眞男鹿《マヲシカ》ノ肩ヲ内拔《ウツヌキ》ニ拔キテといへる眞男鹿と同例なり。眞男鹿の男は借字なり。眞小鹿と書かむに同じ。シカといふがやがて牡鹿といふことなればなり。さてマとヲとを重ねたる例は少かれど(3073)マにかよふサとヲとを重ねたる例は少からず。其中にて最よく人の耳に熟したるはサヲシカといふ語なり(サヲシカはやがて眞小鹿なり。小牡鹿《サヲシカ》にあらず)。其外景行天皇紀には橋をサヲバシといひ(アサシモノミケノ佐烏麼志マヘツギミイワタラスモ、ミケノ佐烏麼志)古事記允恭天皇の段には丘《ヲ》をサヲヲといひ(コモリクノハツセノヤマノ、意富袁《オホヲ》ニハハタハリダテ、佐袁袁ニハハタハリダテ云々)本集卷十(二〇八一頁)には舟をサヲブネといへり(ヒコボシノカハセヲワタル左小舟ノイユキテハテムカハヅシオモホユ)。さてマヲゴモノは枕にかゝれるなり。所謂薦枕なり。オヤジはオナジの古言なり。マクラハは枕ヲバなり。されば三四は同ジキ薦枕ヲバとなり○結句は我ハマカザラムカ鳴呼といへるなり。こゝのヤモはヤハにあらず。卷三(四六四頁)なる君ニアハジカモのジカモにおなじ。近くは卷十一(二四二四頁)にもジカモとよむべき處あり
 
3465 (こまにしき)ひもときさけてぬるがへにあどせろとかもあやにかなしき
巨麻爾思吉比毛登伎佐氣※[氏/一]奴流我倍爾安杼世呂登可母安夜爾可奈之(3074)伎
 ヌルガヘニは寢ルガ上ニなり○アドセロトカモは何トセヨトカなり。今東國にて云云セヨをシロといふそのロははやく此時代に行はれしなり。卷二十にも
  くさまくらたびのまるねの紐たえばあが手とつけろこれのはるもし
とあり〇一首の趣は上(三〇一五頁)に
  かみつけぬあそのまそむらかきむだきぬれどあかぬをあどかあがせむ
とあると似たり
 
3466 まがなしみぬればことにづさねなへばこころの緒ろにのりてかなしも
麻可奈思美奴禮婆許登爾豆佐禰奈敝波己許呂乃緒呂爾能里※[氏/一]可奈思母
 コトニヅは言ニ出ヅにて口ガスベルとなり。下にもサネサネテコソコトニデニシカとあり○サネナヘバのサは添辭、ネナヘバはネナフのはたらけるにて寢ザレバ(3075)といふにひとし○ココロノヲロのロは助辭、ココロノヲは意はただ心といふに同じかれど辭は正述心緒などいへる心緒の直譯ならむ。或はノルと云はむ爲に心にも緒あるものとしてココロノ緒ロニノリテと云へるか。卷二(一四九頁)にアヅマ人ノノサキノハコノ荷ノ緒ニモ妹ガココロニノリニケルカモと云へるを思ふべし
 
3467 (おくやまの)眞木のいたどをとどとしてわがひらかむにいりきてなさね
於久夜麻能眞木乃伊多度乎等杼登之※[氏/一]和我比良可武爾伊利枝※[氏/一]奈左禰
 オク山ノは眞木のみにかゝれる枕辭なるのみ。眞木は檜なリ。はやく卷十一(二三四五頁及二三九九頁)にも見えたリ○トドは音なリ。卷十一(二四二二頁)にも馬ノ音《ト》ノトドトモスレバとあリ。トドトシテはトドト押シテのオを省けるなリ。東歌には母音を省ける例京人の歌よリ多し(我ハソトモ追ハジをワハソトモハジといへるなど)。さてトドト押シテは無論男の押すなり。三四の間にソレヲ聞キ附ケテといふこ(3076)とを挿みて聞くべし○ナサネは寢タマフをナスといふ、そのはたらけるにて寢タマヘといふことなり(八五八頁及二二四六頁參照)
 
3468 やまどりのをろのはつをに可賀美《カカミ》かけとなふべみこそなによそりけめ
夜麻杼里乃乎呂能波都乎爾可賀美可家刀奈布倍美許曾奈爾與曾利※[奚+隹]米
 ヲロは尾にてロは助辭なり。ハツヲを契沖は秀《ホ》ツ尾にて最長き尾なりといへり。事はたがはざれども尾羽のうち最上方なるをいへるにて應神天皇の御製にハツニハ、ハダアカラケミとあるハツ土《ニ》のハツにひとしからむ○此歌の從來釋かれざりしは可賀美を鏡と心得し爲なり。契沖は劉敬叔の異苑に
  山鶏愛2其毛羽1、映v水則舞、魏武(ノ)時南方獻v之、帝欲2其鳴舞1而無v由、公子倉舒令d以2大鏡1置c其前u、鶏※[臨/金]v形而舞不v知v止、逐|乏《ツカレ》死、韋仲將爲2之賦1。甚美
といへる文を引きたれど(文は淵鑑類函に依りて訂しつ。乏は字書に勞倦曰v乏とあ(3077)り。ツカレなどよむべし)山鳥に其形を見せむとならば鏡は其前にこそたつべけれ、その尾にかくとも詮なからむ。案ずるに可賀美は掛網をつづめたるにて賀はすみて唱ふべし。さればカカミカケは掛網ヲウチ掛ケといへるなり○トナフは宣長の引ける或人の説にいへる如くトラフの訛なり。トラフをトナフといへるはシホミツラムカをシホミツナ〔右△〕ムカといへる如し。上國にても郡名の相樂《サガラカ》をサガナカとなまれる例あり。ベミは可キニ由リテなり○ナニヨソリケメは汝ニ寄リケメなり。宜長は右の或人の説を擧げて
  右の説いとよく歌にかなへり。但し其意ならば結句ケレとあるべきをケメといへるはいさゝか心得ず
といへり。案ずるにこは自己の事をいへるにあらで人の上を云へるなればケメといへるなり○上三句は序にて四五の意はアノ男ハオマヘガ手ニ入リサウニ思ハレタカラオマヘニ近ヅイタノダラウといへるなり
 
3469 ゆふけにもこよひとのらろわがせなはあぜぞもこよひよしろきまさぬ
(3078)由布氣爾毛許余比登乃良路和賀西奈波阿是曾母許與比與斯呂伎麻左奴
 ノラロはノレルなり。其下にヲを補ひて聞くべし。ノレルをノラロとなまれるは下にアヲヤギノハレルカハトニを波良路カハトニといへると同例なり○アゼゾはナゼゾなり。モは助辭なり○ヨシロはヨソリ〔二字右△〕なり。イソベをオシ〔二字右△〕ベといへると同じく母韻の(イがオに、オがイに)轉倒したるなり
 
3470 あひ見ては千とせやいぬるいなをかもあれやしかもふきみまちがてに
安比見※[氏/一]波千等世夜伊奴流伊奈乎加母安禮也思加毛布伎美末知我※[氏/一]爾
    柿本朝臣人麻呂歌集出也
 はやく卷十一(二三五六頁)に出でたり。アヒ見テハのハは輕く添へたるなり。弟二句以下は千年スギシカ否カ、君ヲ待チ兼ネテワガ然思フニヤといへるなり
(3079) 卷十一によれば人麻呂歌集所出にあらず。そはともあれ此歌を東歌の中に入れたるによりて思へばイナヲカモといふ辭は東語ならむか。上(二九六二頁)にも筑波ネニ雪カモフラルイナヲカモとあり
 
3471 しまらくはねつつもあらむをいめのみにもとな見えつつあをねしなくる
思麻良久波禰都追母安良牟乎伊米能未爾母登奈見要都追安乎禰思奈久流
 ネツツアラムヲは二註にいへる如くウマイセムヲとなり。モトナはアヤニクなり。結句は吾ヲネニナカスルとなり○此歌にはツツ二つあり
 
3472 ひとづまとあぜかそをい波〔左△〕《マ》むしからばかとなりのきぬをかりてきなはも
比登豆麻等安是可曾乎伊波牟志可良婆加刀奈里乃伎奴乎可里※[氏/一]伎奈波毛
(3080) ヒトヅマトは人妻トテなり。波は麻などの誤ならむ○キナハモはキナハムの訛なり。キナハムはキナフ(不著)のはたらけるにて著ザラムといはむにひとし。シカラバカのカはその著ザラムの下に引きおろして心得べし〇一首の意はモシ人妻トテ忌ムベクバ隣人ノ衣モ借リテ著ラレザラムカといへるにてほぼ前註に云へる如し
 
3473 さぬやまにうつやをのとのとほかどもねもとか兒ろが於由〔左△〕《オメ》にみえつる
左努夜麻爾宇都也乎能登乃等抱可騰母禰毛等可兒呂賀於由爾美要都留
 サヌヤマは上野國なるか。ヲノトは斧の音なり。斧の音は漢籍にも伐木|丁丁《タウタウ》とあリてトントンとひびけばトホカドモにいひかけて序としたるならむ
  因にいふ。卷七(一三七五頁)にアラレフリトホツアフミノとあるも霰の音のトントンと聞ゆれば序としたるならむ
(3081) ○トホカドモは遠カレドモなリ。下にもアヤフカレドをアヤホカドといへり。ネモはネムなり○於由は於面の誤にてイメの訛ならむ。イメをオメとなまれるはイソベをオ〔右△〕シベとなまれると同例なり
 
3474 うゑたけのもとさへとよみいでていなばいづしむきてかいもがな藝《ギ》かむ
宇惠多氣能毛登左倍登與美伊低※[氏/一]伊奈婆伊豆思牟伎※[氏/一]可伊毛我奈藝可牟
 ウヱタケは植ヱタル竹なり。オノヅカラ生ヒタルにあらず。ウヱ木、ウヱコナギ(三〇二八頁)などいへるを思ふべし○モトサヘは他處に對していへるにて梢に對していへるにあらず。トヨメといふべくおぼゆるをトヨミといへるは當時のいひざまなり○イヅシはイヅチ、ナギカムはナゲカムの訛なり。但藝の字諸本には氣とあり、上(二九七〇頁)に
  かすみゐるふじのやまびにわがきなばいづちむきてかいもがなげかむ
(3082)とあると四五相同じ○初二は防人にいで立つとてますらをさびて大庭をふみとどろかす状をあやなし云へるならむ
 
3475 こひつつもをらむとすれどゆふまやまかくれしきみをおもひかねつも
古非都追母乎良牟等須禮杼遊布麻夜萬可久禮之伎美乎於母比可禰都母
 初二は契沖の『コヒナガラモサテ堪テヲラムトスレドなり』といへる如し○第三句はユフマ山ニのニを略せるにて上(三〇〇二頁)なる
  妹が門いやとほぞきぬつくばやまかくれぬほどにそではふりてな
と同格なり○眞淵のいへる如く卷十二(二七二三頁)なる
  よしゑやしこひじと爲杼ゆふま山こえにしきみがおもほゆらくに
ともとは一つなりけむ
 
3476 うべ兒なはわぬにこふなもたとつくのぬがなへゆけばこふしかるな(3083)も
    或本歌末句曰ぬがなへゆけどわぬがゆ△《カ》のへば
宇倍兒奈波和奴爾故布奈毛多刀都久能奴賀奈敝由家婆故布思可流奈母
    或本歌末句曰努我奈敝由家杼和奴賀由乃敞〔左△〕波
 兒ナのナはセナ、イモナのナにおなじ。ワヌは我といふこととおぼゆれど語源はいまだ考へず。コフナモはコフラムの訛なるべし〇三四は眞淵のいへる如くタツ月ノ流ラヘ往ケバにてゲニ月日ノ流レ往ケバといへるなり。タツはツイタチのタチにおなじ。卷十三なる挽歌(二九一二頁)にもアラタマノタツ月毎ニとあり○コフシカルナモはコヒシカルラムなり。一首の趣は眞淵が『こは妹が文などを見てうべさぞ有べきといふならむ』といへる如し
 或本歌は略解にいへる如く由の下に可賀などをおとせるなり。ユカノヘバはユカナ〔右△〕ヘバにて往カザレバなり
 
(3084)3477 あづま道《ヂ》の手兒のよびざかこえていなばあれはこひむなのちはあひぬとも
安都麻道乃手兒乃欲婢佐可古要※[氏/一]伊奈婆安禮婆古非牟奈能知婆安比奴登母
 アヅマヂノ手兒ノヨビ坂は上(三〇五二頁)に見えたり。ノチハアヒヌトモは後ハ逢フトモなり。契沖が雖2相寢1なりといへるは從はれず○卷十二(二七二三頁)に
  雲居なる海山こえていゆきなばわれはこひむな後はあひぬとも
とあると四五相同じ
 
3478 とほしとふ故奈〔左△〕《コシ》のしらね爾《ノ》あほしだもあはのへしだもなにこそよされ
等保斯等布故奈乃思良禰爾阿抱思太毛安波乃敝思太毛奈爾己曾與佐禮
 トホシトフは遠シト云フなり。故奈は古義にいへる如く故志の誤にてコシノシラ(3085)ネはやがてコシノシラ山ならむ。然いふはこのトホシトフといふ准枕辭は八千矛(ノ)神の御歌にトホドホシ故志ノクニニとあるに依れりと思はるればなり○シダは時なり。はやく上(三〇六九頁)に出でたり。アホシダは逢フ時《シダ》、アハノヘシダはアハナフ時《シダ》を訛れるにてアハナフは逢ハヌなり。又ヨサレはヨソレを訛れるなり○初二は序なるが如く見ゆれどそのかゝりざま明ならず。宣長は
  此山遠き故に見ゆる日と見えぬ日とあるを逢ふ日と不逢日とあるに譬へたり。コナノシラネニアフとつづきたるは歌の意の言と譬へのうへの言とを交へていへる古言の例にてシラネニアフはシラネノ見ユルといふ意なるをアフといふは歌の意の言也
といへり。案ずるにシラネ爾の爾はノとよむべし。爾をノとよむべき集中の例は上(三〇二八頁)に擧げたり。さてシラネノアフは白峯を人めかしてその見ゆるをアフといへるのみ。そもそもアフはいにしへ人ニアフとも人ノアフともいひて人ニアフと人ノアフとは我を主とすると人を主とするとの相違にて意は全く相同じかればシラネ爾とある爾をことさらにノとよまでもあるべきが如くなれど實はニ(3086)とよみては初二は序の體を成さざるなり○結句は汝ニコソ我心ハ寄レといへるなり
 
3479 あか見やまくさねかりそけあはすがへあ良〔左△〕《ヒ》そふいもしあやにかなしも
安可見夜麻久左禰可利曾氣安波須賀倍安良蘇布伊毛之安夜爾可奈之毛
 アカミヤマは下野國安蘇郡に赤見郷あるそこか。クサネカリソケは草根刈リ拂ヒにて根は輕く添へたるなり。初二を前註に障をおしやり又は人目を避くる譬とせるは誤なり。實に赤見山にて草を刈りはらひて相寢しなり。上(三〇三七頁)に
  あだたらのねにふすししのありつつもあれはいたらむねどなさりそね
といへるも、下に
  あづさゆみよらのやまべのしげかくにいもろをたててさねどはらふも
  おそはやも汝をこそまためむかつをの椎のこやでのあひはたがはじ
(3087)  かの兒ろとねずやなりなむはだすすきうら野の山に月かたよるも
といへるも皆屋外にての交會なり○アハヌガヘの語例は上(三〇七三頁)に
  こまにしきひもときさけてぬるがへにあどせろとかもあやにかなしき
 又卷二十に
  うまやなるなはたつこまのおくるがへいもがいひしをおきてかなしも
とあり。逢ヒ給フガ上ニといへるなり。かのワハサカルカヘ(三〇三二頁)のカヘはカハの訛にてこれとは異なり○安良蘇布を前註に人に向ひて否逢ひし事なしと爭ふ意とせり。さてはアハスガへといへる、穩ならず。アヒネシヲなどあるべきなり。思ふにア良ソフはア比ソフの誤にて相副ひて山を下る意ならざるか
 
3480 おほきみのみことかしこみかなしいもがたまくらはなれよだちきぬかも
於保伎美乃美己等可思古美可奈之伊毛我多麻久良波奈禮欲太知伎努可母
(3088) 結句は契沖がエダチキヌルカモなりといへる如し。エダツは役《エ》ニタツにて任ニ赴クなり。こゝにては防人となりて出づるを云へるならむ。エダチをヨダチとなまれるはカゲサヘミエテ、ササゲテユカムをカゴ〔右△〕サヘ、ササゴ〔右△〕テとなまれる如し
 
3481 (ありぎぬの)さゑさゑしつみいへのいもにもの乃〔□で囲む〕いはずきにておもひぐるしも
安利伎奴乃佐惠佐惠之豆美伊敞〔左△〕能伊母爾毛乃乃伊波受伎爾※[氏/一]於毛比具流之母
     柿本朝臣人麻呂歌集中出見v上已詮〔左△〕也
 卷四(六二九頁)に柿本朝臣人麻呂歌三首とありて
  珠衣のさゐさゐしづみいへの妹にものいはず來ておもひかねつも
とあると同一なり。下にも
  みづとりのたたむよそひにいものらにものいはずきにておもひかねつも
 卷二十にも
(3089)  みづとりのたちのいそぎに父母にものはずけにていまぞくやしき
とあり○アリギヌノは枕辭、サヱサヱはサヰサヰの訛にて騒といふ事、シヅミはシヅマリの約なり(二九七七頁參照)○オモヒグルシは思フニ苦シなり。ツクニヨロシをツキヨラシ(二〇四五頁)といへる如し○此歌は卷四に人麻呂の歌とせるが誤にて實は東歌なるべし(はやく眞淵等も然いへり)。第二句の辭、雅ならず又一首の趣防人の歌にふさはしく又東歌の中に之に似たるが多かればなり○左註の詮は諸本に訖とあり
 
3482 からごろもすそのうちかへあはねどもけしきこころをあがもはなくに
    或本歌曰からごろもすそのうちかひあはなへばねなへのからにことたかりつも
可良許呂毛須蘇乃宇知可倍安波禰杼毛家思吉己許呂乎安我毛波奈久爾
(3090)   或本歌曰可良己呂母須素能宇知可比阿波奈敝婆禰奈敝乃可良爾許等多可利都母
 ウチカヘはウチカヒをなまれるなり。ウチカヒのカヒは羽ガヒのカヒにおなじくて裾のゆきちがふ處なり。二註に『いにしへ韓人の衣はすそあはざりけん』といへれど、もし初より合はざらばウチカヒとはいはざらむ○初二はアフまでにかゝれるなり。アハズまでかゝれるにあらず。卷十一(二四〇〇頁)にカラゴロモスソノアハズテ久シクナレバとあると同例なり○ケシキコロはアダシ心なり。卷十一にも
  あからひくはだもふれずてねぬれどもけしき心をわがもはなくに(二二六三頁)
  あま雲のよりあひとほみあはずともあだし手枕われまかめやも(二二九七頁)
とあり
 或本歌は初二の同じきのみにて別の歌なり。アハナヘバはアハネバの東語、ネナヘは、ネナフの訛なり。ネナフをネナヘとなまれるはアハナフ時《シダ》をアハノヘ〔右△〕シダといひ(三〇八四頁)トケナフ紐をトケナヘ〔右△〕ヒモといへると同例なり。さてアハナヘバネナヘノカラニは逢ハネバ寢ヌモノヲとなり。コトタカリツはコチ〔右△〕タカリツの訛な(3091)り
 
3483 ひるとけばとけなへひものわがせなにあひよるとかもよるとけやす流〔左△〕《ケ》
此流等家波等家奈敝比毛乃和賀西奈爾阿比與流等可毛欲流等家也須流
 トケナヘはトケナフの訛、トケナフは解ケヌなり。アヒヨルトカモは古義にいへる如く相依ル前兆トカモなり。さてアヒヨルトカ〔右△〕モといひてヨルトケヤ〔右△〕スルとは云はれず。されば一本に流を氣に作れるに從ふべし。トケヤスケ〔右△〕はトケヤスキの訛なり。カナシキ兒ラニをカナシケ〔右△〕兒ラニといへると同例なり
 
3484 あさをらををけにふすさにうまずともあすきせさめやいざせをどこに
安左乎良乎遠家爾布須左爾宇麻受登毛安須伎西佐米也伊射西乎騰許爾
(3092) アサヲは麻緒、ラは助辭、ヲケは麻笥、フスサニはフサニ(澤山ニ)なり。宣長いへらく
  四の句は明日來セザラメヤなり。……結句は率《イザ》セ小床ニなり。中古の言に人をさそひたつるにイザサセタマヘといへると同じ。一首の意は夜の業に女の麻を積居る所へ男の來てよめるにて早く寢んと女を誘ふ歌也
といへり。第四句の外は此釋の如し。アスキセサメヤは著ルの敬語を著セスといふ、そをはたらかしたるにて明日著タマハメヤといへるなり。集中處々に著タマフをケスと云へるはキセスをつづめたるなり。さて明日著タマハメヤといへるはソレヲ織リテ明日著タマハメヤ、サレバ然イソシムニモ及バヌヲといへるなり○イザセのセは爲《セ》にて中古の文語のモノセヨに當れり。また中古の文にイザサセタマヘとあるはイザセサセタマヘのセを省けるにてイザモノシタマヘといはむにひとし
 
3485 (つるぎだち)身にそふいもをとり見かね哭《ネ》をぞなきつる手兒にあらなくに
都流伎多知身爾素布伊母乎等里見我禰哭乎曾奈伎都流手兒爾安良奈(3093)久爾
 初二の語例は卷十一(二四〇九頁)にツルギダチ身ニソフ妹ガオモヒケラシモとあり。身ニソフは我身ニ偶《タグ》フといふことなり○ここのトリ見のトリはただ輕く添へたるなり。さればこゝのトリ見は世話介抱などいふ意にあらず。卷五(九五七頁)なる國ニアラバ父トリミマシ、家ニアラバ母トリミマシ、卷七(一三五二頁)なる肩ノマヨヒハタレカトリミムなどのトリ見とは別なり○又こゝの手兒は稚兒なり。卷四なる坂上郎女の怨恨歌(七一八頁)にもタワラハノネノミナキツツとあり○此歌は臨別の歌にはあらで別後の作なり
 
3486 かなしいもをゆづかなへまきもころをのこととしいはばいやかたま斯〔左△〕《ク》に
可奈思伊毛乎由豆加奈倍麻伎母許呂乎乃許登等思伊波婆伊夜可多麻斯爾
 ユヅカナヘマキは弓束ニ合ヘ卷キをつづめたるにて我ハソトモ追ハジをワハソ(3094)トモハジといひ(三〇六一頁參照)ヨシコソアルラメをヨシコサルラメといへる(三〇四〇頁參照)と同例なり○モコロヲは卷九なる見2莵原《ウナヒ》處女墓1歌(一八六四頁)に如己男《モコロヲ》ニマケテハアラジトとありて己ト同等ナル男といふことなり○コトはこゝにては挑といふ意ならむ。結句はイヤカタマクニとあるべきか。おそらくは久を之〔右△〕に誤り更に之〔右△〕を斯に誤れるならむ○此歌は三四初二五と順序を更へて心得べし。但なほよく考ふべし
 
3487 あづさゆみすゑにたままきかく須〔左△〕酒曾《ナスゾ》、宿奈《ネナ》莫〔左△〕なりにしおくをかぬかぬ
安豆左由美須惠爾多麻末吉可久須酒曾宿奈莫邦里爾思於久乎可奴加奴
 スヱニタママキは弓末ニ玉ヲ纏キテなり。須酒曾は那須曽の誤ならむ。カクナスゾは懸クル如クゾなり。弓ヲヨソヒ飾リテソヲ損ハム事ヲオソレテ徒ニ懸クル如クとなり○宿奈莫は一本に宿莫奈とあり。その方此卷の書例にかなへり。更に案ずる(3095)にネナナは嶺ニハ附カナナ、ウラ枯セナナ、宵ニハコナニの例によれば(三ニ〇七〇頁參照)寢ズシテといふことにてこゝにはかなはず。ネナ莫とあるはネナ布の誤にあらざるか。ネナフナリニシは京語の寢ズナリニシに當れり○オクヲカヌカヌは將來ヲ慮リツツとなり。上(三〇二三頁)にもオクヲナカネソマサカシヨカバとあり
 
3488 (おふしもと)こ乃〔左△〕《リ》もとやまのましばにものらぬいもが名かたにいでむかも
於布之毛等許乃母登夜麻乃麻之波爾毛能良奴伊毛我名可多爾伊※[氏/一]牟可母
 オフシモトは生フル弱木《シモト》なり。乃は利などの誤、コリモトヤマは山の名、オフシモトは枕辭にてオフシモトコリをコリモト山にいひかけたるか。又コリモトはクリモトを訛れるか。但東國に栗本といふ山あることを聞かず○さて初二は眞柴を眞數《マシバ》にいひかけたる序なり。マシバニモはシバシバモといふことなり。下にも麻之波ニモエガタキカゲヲオキヤカラサムとあり○カタニイデムカモは略解にいへる如(3096)く兆ニ出デムヤハなり。上(二九八八頁)にも
  むざし野にうらへかたやきまさでにものらぬ君が名うらにいでにけり
とあり。參照すべし
 
3489 (あづさゆみ)よらのやまべのしげかくにいもろをたててさねどはらふも
安豆左由美欲良能夜麻邊能之牙可久爾伊毛呂乎多※[氏/一]天左禰度波良布母
 ヨラノ山ベは地名にあらず。夜《ヨル》ノ山ベの訛なり○シゲカクニはシゲケクニをなまれるなり。さてそのシゲケクニは茂カルモノヲといふ意なり○イモロのロは助辭、タテテはタタセテなり。上にもキヘノ林ニナヲタテテ(二九六五頁)ソノカナシキヲ外《ト》ニタテメヤモ(二九九九頁)とあり○サネドのサは添辭、ネドは上にもネドナサリソネとありて寢る處なり。さてサネドハラフフモは芥を拂ひて寢處を作るなり。山邊に女をつれ行きて寢むとする趣なり。女が男の家に來れるにはあらず
 
(3097)3490 (あづさゆみ)すゑはよりねむまさかこそひと目をおほみなをはしにおけれ
安都佐由美須惠波余里禰牟麻左可許曾比等目乎於保美奈乎波思爾於家禮
    柿本朝臣人麻呂歌集出也
 マサカは眞盛の略にて現在なり。方今などいふ方をマサニとよむは又マサカニを略せるにや○ハシニはドチラツカズニなり。上(三〇二一頁)にもハシナル兒ラシアヤニカナシモとあり。オケレはサシオキタレなり。男の歌なり
 
3491 やなぎこそきればはえすれよのひとのこひにしなむをいかにせよと曽〔左△〕《カ》
楊奈疑許曾伎禮婆伴要須禮余能比等乃古非爾思奈武乎伊可爾世余等曾
 ハエスレはハユレなり。上(三〇〇九頁)にタマモコソヒケバタエスレとあると同格(3098)なり。ヨノ人は眞淵が『我をいふ』といへる如し。第四句は人ハ一タビ死ヌレバ再生キヌヲとなり。結句の曾は香の誤ならむ。イカニセヨトカ汝ハ思フラムとなり
 
3492 をやま田のいけのつつみにさすやなぎなりもならずもなとふたり波〔左△〕《ネ》母
乎夜麻田乃伊氣能都追美爾左須楊奈疑奈里毛奈良受毛奈等布多里波母
 上三句は序なり。ヲヤマ田は地名にあらじ。サスヤナギ、ナリとかゝれるは契沖の説に生ひ附く事をナリといへるなリといへリ。主文の方にてはナルは事成ルなり。卷九(一七四〇頁)なる詠2水江浦島子1歌にアヒトブラヒコト成リシカバといひ卷十一(二三二一頁)にナラムヤ君ト間ヒシ子ラハモといへるコトナル、ナルにおなじ○結句の波母は宿母《ネモ》の誤にてネムの訛なるべし。古今集なる東歌に
  をふの浦にかたえさしおほひなる梨のなりもならずもねてかたらはむ
とあると似たり
 
(3099)3493 おそはやもなをこそまためむかつをのしひのこやでのあひはた家〔左△〕《ガ》はじ
    或本歌曰おそはやもきみをしまたむむかつをのしひのさえだのときはすぐとも
於曾波夜母奈乎許曽麻多賣牟可都乎能四比乃故夜提能安比波多家波自
    或本歌曰於曾波也母伎美乎思麻多武牟可都乎能思比乃佐要太能登吉波須具登母
 オソハヤモは遅クトモ速クトモといふことなるがハヤは辭の文《アヤ》に添へたるに過ぎざれば所詮オソクトモといはむにひとし〇三四は序なり。コヤデは小枝《コエダ》をなまれるなり。くはしくいはばイソベをオシ〔二字右△〕ベといひヨソリをヨシロ〔二字右△〕といへる(二九七三頁及三〇七七頁)とおなじく母音の顛倒せるなり。さて後の人此歌によりてコヤデを小枝の古語雅言と誤認してその歌につかへるはかたはらいたし○家は我の(3100)誤なり。アヒハタガハジといへるは契沖の云へる如く椎の小枝は互生なればソノアヒチガフガ如ク我ハユキチガハジといへるなり。家にて相手を待てるにあらで處を約して物陰にたゝずみなどして待てる趣なり
 或本歌の三四は時にかゝれるにてムザシ野ノウケラガ花ノ時ナキモノヲ(二九九二頁)と同例なり
 
3494 兒もちやまわかかへるでのもみづまで宿《ネ》もとわはもふ汝《ナ》はあどかもふ
兒毛知夜麻和可加敝流※[氏/一]能毛美都麻※[氏/一]宿毛等和波毛布汝波安杼可毛布
 上野國|群馬《クルマ》郡なる子持山か。モミヅマデは四段活によれるなり(二一三二頁參照)。ネモは寢ムなり。アドカモフは何トカ思フとなり○兒もち山の邊に住める男のよめるにて此コモチ山ノ若カヘデノモミヅル迄ウチ續キテ云々といへるなり
 
3495 いはほろのそひのわかまつかぎりとやきみがきまさぬうらもとな久〔左△〕《シ》(3101)も
伊波保呂乃蘇比能和可麻都可藝里登也伎美我伎麻左奴宇良毛等奈久毛
 上(三〇二三頁及三〇四五頁)に伊香保ロノソヒノハリハラとあればこゝにイハホロとあるはイカ〔右△〕ホロの誤なるべしと眞淵雅澄等はいへり。案ずるに萩原《ハリハラ》は廣さのあるものなれば伊香保ニ沿ヘルといふべけれど若松は一本二本をいへりとおぼゆれば巖ニ沿ヘルといはむ方中々にふさはしからむ。さればもとのままにてあるべし○初二は序と見ゆれどそのかゝりたどたどし。おそらくは三四を隔てゝ結句のウラにかゝれるにて上(三〇三七頁)なる
  あだたらのねにふすししのありつつもあれはいたらむねどなさりそね
と同格ならむ○ウラモトナ久モの久は之の誤ならむ。ウラモトナシは心モトナシなり
 
3496 (たちばなの)古婆のはなりがおもふなむこころうつくしい※[氏/一]〔左△〕《ザ》あれはい(3102)かな
多知婆奈乃古婆乃波奈里我於毛布奈牟己許呂宇都久志伊※[氏/一]安禮波伊可奈
 古婆は地名にてタチバナノは枕辭なり。タチバナノ濃葉《コバ》とかゝれるなり。眞淵以下タチバナを地名とせるは非なり。ヤナギコソ以下六首は寄木歌なるをも思ふべし○ハナリは童女なり。オモフナムは思フラムの訛なり。ウツクシはカハユシなり。伊※[氏/一]は伊射の誤か。イカナは行カムなり
 
3497 かはかみのねじろたかがやあやにあやにさ宿《ネ》さ寐《ネ》てこそことにでにしか
可波加美能禰自路多可我夜安也爾阿夜爾左宿左寐※[氏/一]許曾己登爾※[氏/一]爾思可
 カハカミは二註にいへる如く川ノ邊なり。卷一、卷四、卷十(四〇頁、一〇〇頁、六二一頁、一九七八頁)に例あり。ネジロは古義にいへる如く水に洗はれて根の白く露《アラ》はれた(3103)るなり○初二はアヤニにかゝれる序にてタカガヤのガにアの韻あればアヤにいひかけたるならむ。されば略解に『カとアと音通へばカヤ、アヤと言を重ねたる序也』といへるぞよろしからむ○アヤニアヤニはアヤニ著ホシモ、アヤニカナシサなどいへるアヤニとおなじくて異《ケ》ニといふ意ならむ。さてアヤニアヤニはサネサネテにつづけるにはあらでアヤニアヤニにて切れたるならむ。さればウタテ、ウタテなど譯すべし○サネサネテはタビタビ相寢テなり。又コトニデニシカは口外セシヲといふことなり。二註に人言ニイヒイデラレタレと譯し人言ニイハレテ名ノタチニケレと譯したるは非なり。卷十及卷十一にコトニイデテイハバユユシミとあるは口外セバといふことにて自言ふ事ならずや○こは女としばしば逢ひし後その女を妻に乞ひ受けたしと女の親にいひ入れしにそのうけひかぬを意外に思へる趣ならむ。因にいふ。今東京語に事の意外なるをオヤオヤといふはこのアヤニアヤニのうつれるにあらざるか
 
3498 宇奈波良の根やはらこすげあまたあればきみはわすらす和禮△和須《ワレハワス》流〔□で囲む〕禮夜《レヤ》
(3104)宇奈波良乃根夜波良古須氣安麻多阿禮婆伎美波和須良酒和禮和須流禮夜
 ウナハラを契沖以下海邊の事としたれど海邊の事をウナバラとはいふべからず。おそらくはもと河原乃とありてカハラノと四言によむべかりしを河を海と見誤りて宇奈波良乃と書き改めたるならむ○根ヤハラコスゲは根ノ柔ナル小菅なり。眞淵はネを寢とし雅澄は萎《ナエ》の約としたれど此卷に訓讀すべき文字をつかひたるは殆皆正訓なればなほ根の意とすべし。さて根ヤハラ小菅は女を譬へたるなり○ワスラスは忌レ給フなり。ワレワスルレヤを略解に
  ワスラレズと返る詞也。ワスレムヤといふに同じ
といひ、古義に
  吾|所忘《ワスルレ》ヤハ、得忘レズなり
といひ、言葉の玉緒卷七(十七丁)にも此歌を擧げて
  ワスルレヤはワスルルカハ忘レハセズといふ意なり
といへり。げにこゝは忘ルヤハ又は忘レムヤハといふ意なるべき處なれどワスル(3105)レヤは忘ルレバヤと同意にて、忘ルヤハをワスルレヤとはいふべからず。なほ云はばかかる處は末來格にていふが常なり。而してワスルは四段にもはたらきし事あれば(一四七七頁參照○ワスレタマフをワスラスといふも四段活なりし一證なり)四段活に從はば
  ワスラムヤモ、ワスラメヤ、ワスレヤ
といふべく、今の如く下二段にはたらかしめば
  ワスレムヤモ、ワスレメヤ
といふべし。又強ひて現在格にて云はむとならば
  ワスルヤモ、ワスルヤ
とこそいふべけれ。さればこゝは和禮和須禮米夜又は和禮波和須禮夜の誤とすべし
 
3499 をかに與世〔二字左△〕《キテ》わがかるかやのさねがやの麻許等奈其夜波ねろとへなかも
乎可爾與世和我可流加夜能佐禰加夜能麻許等奈其夜波禰呂等敝奈香(3106)母
 與世は支※[氏/一]《キテ》などを誤れるにあらざるか。サネガヤのサは添辭にてネガヤは根萱なる事略解のいへる如し。なほ下にいふべし○上三句は序とおぼゆれどそのかゝり明ならず。おそらくは原本に信奈其夜爾波とありてサネナゴヤニハとよむべかりしを信をマコトとよみ誤りて麻許等と書き終に爾を衍字として除きたるならむ。上(三〇〇〇頁)なるカツシカノママノツギハシヤマズカヨハムの下にいへる所と相照すべし。さて上三句はサネにかゝれる序にてそのサネをいひ起さむ爲に萱をことさらにサネガヤといへるならむ○サネはゲニなり。上(三〇〇三頁)にもアシカルトガモサネミエナクニとあり。ナゴヤニハは穩ニハなり。否穩ニにて、ハはネロトの下に引下して心得べし○ネロは寢ヨの訛にてセヨをセロといひ附ケヨをツケロといへるにおなじ(三〇七三頁參照)○ネロトヘナ〔二字右△〕カモはネヨトイハヌカモを訛れるならむ。イハヌのイは省きつべく、ハはヘとなまりつべく(オヤハサクレド我ハサカルカハをワハサカルカヘ〔右△〕といへる如く)ヌはナとなまりつべし(ヲロ田ニ生フルをオハ〔右△〕ルといへる如く)○女の逢ひながら憚る所ありてオチツキテ相寢ヨとい(3107)はぬをあかず思へる趣ならむ
 
3500 むらさきは根をかもをふるひとの兒のうらがなしけをねををへなくに
牟良佐伎波根乎可母乎布流比等乃兒能宇良我奈之家乎禰乎遠敝奈久爾
 紫草ハネ(根)ヲ竟フルヲ我ハネ(凝)ヲ竟ヘズといへるなり○ヲフル、ヲヘナクニは祝詞にタタヘゴト竟ヘマツルといひ本集卷五(八九一頁)にカクシツツ梅ヲ折リツツタヌシキ終ヘメといひ又卷二十にハルノウチノタヌシキ終《ヲヘ》ハといへるとおなじくてヲフルは盡ス、極ムなど譯すべし。さて根ヲカモヲフルは根ヲ盡スラムといへるなり。カモはヤハの意にあらず。モは助辭なり。紫草はその根を乾して染料とするものなるが根のかぎりつかはるゝを根ヲ竟フルといへるにてほぼ古義にいへる如し○ヒトノ兒は人の娘なり。いまだわが妻といふべからざるをいへるなり。卷十三(二八七一頁)にもイカナルヤ人ノ子故|曽〔左△〕《カ》カヨハスモ吾子《アゴ》とあり○ウラガナシケ(3108)ヲのケはキを訛れるにてヲはモノヲのヲなり○寢ヲヲヘナクニは心ユクマデ得寢ヌ事ヨといへるなり
 
3501 安波をろのをろ田におはるたはみづらひかばぬるぬるあをことなたえ
安波乎呂能乎呂田爾於波流多波美豆良比可婆奴流奴留安乎許等奈多延
 上三句は序なり。安波は地名なるべし。二つのヲロのロは助辭にてヲは岡なればアハヲロノヲロ田は安波岡ノ岡田といふことなる事古義にいへる如し。オハルは生フルの訛なり。下にカヨフ鳥ナスをカヨハ〔右△〕トリノスといへると同例なり。タハミヅラは蔓草の名なり○ヒカバヌルヌルは引カバヌレツツにてそのヌルは滑る事なり。されば引カバスナホニ寄リツツといはむにひとし。コトナタエは言ナ絶エソとなり。四五は上に
  入間道《イリマヂ》のおほ屋がはらのいはゐづらひかばぬるぬるわになたえそね
(3109)  かみつけぬかほやが沼のいはゐづら引かばぬれつつあをなたえそね
とあるに似たり
 
3502 わが目づまひとはさくれどあさがほの等思佐倍己其登わはさかるかへ
和我目豆麻比等波左久禮杼安佐我保能等思佐倍己其登和波佐可流我倍
 目ヅマの目を舊訓にマとよめるを古義にはメとよみ改めたり。さて目ヅマを宣長は『目につきて思ふ妻なり』といへり。案ずるにメヅマはメヅル妻を古格に從ひてメヅツマといひ更にツを略してメヅマといへるにあらざるか。
  此卷の書例は訓を借れるは殆皆正訓なれば右の如くならば目の字を書くべからず。されど此卷には取外したるかとおぼゆる事又傳寫せし人の筆に任せしかとおぼゆる事(たとへばテニヲハのノは乃能など書くべきを通本に之と書き異本には乃と書ける、又異本にはネズ夜ナリナムと書けるを通本には屋と書ける(3110)など)あればこゝも必しも目と書けるに泥むべからず
 而して卷十六に母ニマツリキヤ目豆兒ノ負《トジ》とあるメヅ兒と同例ならざるか○アサガホは今のヒルガホなり(一五七〇頁及二〇八九頁參照)○等思佐倍己其登の其登は如ならむ。等思佐倍己は心得ず○第二句と結句とは上(三〇三二頁)にオヤハサクレドワハ左可禮賀倍《サカルカヘ》とあるに似たり。サカルカヘは離《サカ》ルカハなり。我倍と書けるは清むべきを濁りし東語のまゝに書けるにや。又は清濁の字を通用せるにや。上にもコエカネテ、トリミカネのカを我と書けり(三〇五二頁及三〇九二頁)
 
3503 安齊可《アサカ》がたしほひのゆたにおもへらばうけらがはなのいろにでめやも
安齊可我多志保悲乃由多爾於毛敝良婆宇家良我波奈乃伊呂爾※[氏/一]米也母
 安齊可を舊訓にアサカとよめるを略解に『齊をサの假字に用たる例なし』といひてアセカとよみ改めたり。同韻の西をサに假れる例(三〇六三頁)あり又同音の柴をサ(3111)に假れる例あればなほアサカとよむべし。さてシホヒノまではユタニにかゝれる序なり。干潟の廣きを序とせるなり。ユタニオモフは上(三〇〇四頁)なる代ニモタユラニワガオモハナクニとうらうへにて氣長ク思フといふことなり○ウケラガハナノは色のみにかゝれる序なり。語例は卷十二(二六一九頁)にムラサキノワガ下紐ノ色ニイデズまた上(二九九〇貢)にウケラガ花ノ色ニヅナユメとあり○安齊可ガタシホヒノといへる、眼中の物を以て序としたりとおぼゆればウケラガハナも眼前に見えしにこそ
 
3504 はるべさくふぢのうら葉のうらやすにさぬる夜ぞなき兒ろをしもへば
波流敝左久布治能宇良葉乃宇良夜須爾左奴流夜曾奈伎兒呂乎之毛倍婆
 初二は序、ウラヤスニは心安クなり。日本の異名を浦安國といふも心安キ國といふことなり。浦と書けるは借字なり
 
(3112)3505 うちひさつ)みやの瀬がはのかほばなのこひてか眠《ヌ》らむきそもこよひも
宇知比佐都美夜能瀬河泊能可保婆奈能孤悲天香眠良武伎曾母許余比毛
 上三句はヌラムにかゝれる序なり。カホ花は晝顔なり(一六四二頁參照)。ひる顔の夕方にしぼむをヌルといひて序とせるなり。ウチヒサツはナスを訛れるなり。はやく卷十三(二八七一頁)にも打久津ミヤケノ原とあり○キソは昨日なり。はやく卷二(二〇一頁)にも君ゾキソノ夜イメニミエツルとあり。四五は我行カネバ妹ハ昨夜モ今夜モ我ニ戀ヒテカ寢ラムといへるなり
 
3506 にひむろ能〔左△〕騰伎爾伊多禮婆〔左△〕《ヤ》(はだすすき)穗にでしきみが見えぬこのごろ
爾此牟路能許騰伎爾伊多禮婆波太須酒伎穗爾※[氏/一]之伎美我見延奴己能許呂
(3113) 穗ニ出シ君は直譯すれば外ニアラハレシ君にて意譯すれば思ヲ我ニ打明ケシ君なり○許騰伎は明ならず。蠶飼スル時なりといへる説あれどさてはニヒムロノにつづかざるのみならず蠶飼は女の業なれば蠶飼に忙しきをもて男の來らぬ理由とはすべからず。こゝに一案あり。爾比牟路能許騰伎爾伊多禮婆の能は加などの誤又許は初句に屬すべきにあらざるか。即初二はニヒムロカコ。トキニイタレ婆とよむべきにあらざるか。カコはカクを訛れるにて上(三〇四〇頁)にヒク舟をヒコ〔右△〕フネといへると同例なり。而してカクは武烈天皇紀に
  おほきみのやへのくみがき※[加/可]※[加/可]梅《カカメ》どもなをあましみに※[加/可]※[加/可]農《カカヌ》くみがき
とあるカクにおなじくて作ルといふことなり。本集卷五なる貧窮問答歌にコシキニハクモノスカキテといへるカキテも同意なり(九六七頁參照)。更に案ずるに新室を作《カ》くは妻を迎へむ設なり。卷三(五二五頁)なる過2勝鹿眞間娘子墓1時歌にフセ屋タテツマドヒシケムとあるを思ふべし○イタレ婆の婆は夜の誤ならむ
 
3507 たにせばみみねにはひたるたまかづらたえむのこころわがもはなくに
(3114)多爾世婆美彌年爾波此多流多麻可豆良多延武能己許呂和我母波奈久爾
 卷十一(二四九五頁)に
  山たかみ谷べにはへる玉かづらたゆる時なくみむよしもがも
 卷十二に
  谷せばみ峯|邊《マデ》はへる玉かづらはへてしあらば年にこずとも(二六七四頁)
  丹波《タニハ》ぢの大江の山の眞玉葛《サナカヅラ》たえむの心わがもはなくに(二六七五頁)
など似たる歌あり。伊勢物語なる
  谷せばみ峯まではへる玉かづらたえむと人にわがおもはなくに
は適に此歌を改めたるなり
 
3508 芝付の御うらさきなる根つこぐさあひ見〔左△〕《ネ》ずあらばあれこひめやも
芝付乃御宇良佐伎奈流根都古具佐安比見受安良婆安禮古非米夜母
 芝付ノ御ウラサキは地名とおぼゆれど所在を知らず。ネツコ草もいかなる草とも(3115)知られず○上三句はいかにかゝれる序にか。案ずるに見は宿の誤にて根〔右△〕ツコグサアヒネ〔右△〕ズとかゝれるならむ。さて四五は相寢タ事ガ無イナラバカヤウニ戀ヒムヤハといへるなり
 
3509 (たくぶすま)しらやまかぜの宿奈敞〔三字左△〕《サムケ》どもころがおそきのあろこそえ志〔左△〕《キ》も
多久夫須麻之良夜麻可是能宿奈敞杼母古呂賀於曾伎能安路許曾要志母
 第三句を敞を敝の誤としてネナヘドモとよまばネナフのはたらけるなりとしてネザレドモの意とすべけれどさては二三の續おだやかならず。おそらくはサムケの誤ならむ。字は寒牟敬か。サムならば寒の一字にて足り牟を添ふるに及ばざらめど卷中にはミヅトリを水都等利とかきミヅニモを水都爾母と書ける例あり。是一音一字の書例に泥めるなり○オソキは眞淵の説に表衣なりといへり。カツギの如きものなるべし○アロコソはアル〔右△〕コソの訛なり。志は古義にいへる如く吉の誤な(3116)り。ユキはヨキの古語なり。コソといひてキとむすべるは古格なり○さてこは寒き夜に女のおそ著を借り著て歸り來る道の歌ならむ。卷六に
  わが背子が著る衣うすし佐保風はいたくなふきそ家にいたるまで
とあるを思ひ合すべし
 
3510 みそらゆくくもにもがもなけふゆきていもにことどひあすかへりこむ
美蘇良由久君母爾毛我母奈家布由伎※[氏/一]伊母爾許等杼比安須可敝里許武
 眞淵のいへる如く防人の歌ならむ。卷四(六六一頁)なる安貴王(ノ)謌に
  みそらゆく雲にもがも、たかとぶ鳥にもがも、あすゆきて妹にことどひ云々
とあるに似たり
 
3511 あをねろにたなびくくものいざよひにもの安〔□で囲む〕をぞおもふとしのこのごろ
(3117)安乎禰呂爾多奈婢久君母能伊佐欲比爾物能安乎曾於毛布等思乃許能己呂
 アヲネロのロは助辭、アヲネは青山なり。初二は序なり○第四句の安は衍字なり。イザヨヒニは迷ヒテといふことにてイザヨヒニモノヲゾオモフは考の定まらぬなり○トシノコノゴロを契沖以下コノ年ゴロの意と見たるは非なり。一年中ノコノゴロといふ意にてただコノゴロといはむにひとし
 
3512 ひと禰呂〔二字左△〕《ミナ》にいはるものからあをねろにいざよふくものよそり|△《シ》つまはも
此登禰呂爾伊波流毛能可良安乎禰呂爾伊佐欲布久母能余曾里都麻波母
 初句はもと比登彌奈〔二字右△〕爾とありしが前の歌の初句(安乎禰呂爾)にまぎれて今の如くなれるならむ○イハルルモノカラといふべきをイハルモノカラといへるは例の如く連體格の代に終止格をもちひたるなり
(3118) 因にいふ。古き歌にタテル見ユをタテリミユといひアルナリをアリナリといへるなどを思へばいにしへは連體格といふものは無かりしを語法やうやう精しくなりて相次げる二語の關係を明にする爲に連體格は創めしならむ。而して東歌に『連體格の代に終止格をもちふる格』の殊に多きは邊土の常として古風の殘れるならむ
 ○三四は序なり。結句を從來字のまゝにヨソリヅマハモとよみたれどイハルモノカラは名詞にては受くべからず。さればヨソ里ツマハモをヨソル〔右△〕ツマハモの誤又は訛と認むべきかといふにハモは目前に見えぬものを偲ぶ辭なればこゝは過去格の動詞を用ひざるべからず。右の如くなれば結句は余曾里之〔右△〕都麻波母の之をおとしたるなり。さて第二句のカラは故ニのカラにてナガラのカラにあらず〇一首の意は
  ミナガオレト似合ヂヤトイヒハヤスカラアレハオレニ靡イタガ今ハドウシタラウ。其後氣ガカハッタノカ、トント逢ッテクレナイといへるなり
 
(3119)3513 ゆふさればみやまをさらぬにぬぐものあぜかたえむといひし兒ろはも
由布佐禮婆美夜麻乎左良奴爾努具母能安是可多要牟等伊比之兒呂婆母
 上三句はタエムにかゝれる序なり。ニヌグモは布雲なり○アゼカは今のナドカなり。兒ロハモは兒ラハイカニシツラムといふ意なり
 
3514 たかきねにくものつくのすわれさへにきみにつきななたかねともひて
多可伎禰爾久毛能都久能須和禮左倍爾伎美爾都吉奈那多可禰等毛比※[氏/一]
 ノスはナスなり。上(三〇二六頁及三〇三五頁)にもナミニアフノス、コナラノスとあり。ワレサヘニは我モ亦なり。ツキナナは附キナムなり。上(三〇〇二頁)に袖ハフリテムをフリテナといへるに同じ○結句は君ヲ高峯ト思ヒテとなリ。こは女の歌なり
 
(3120)3515 あがおものわすれむしだはくにはふりねにたつくもを見つつしぬばせ
阿我於毛乃和須禮牟之太波久爾波布利禰爾多都久毛乎見都追之努波西
 オモは面なり。ワスレムは忘ラレムなり。卷十一(二三八一頁)なる面形ノワスルトナラバも忘ラルトナラバなり。シダは時なり。上(三〇六九頁及三〇八四頁)にヨヒナハコナニアケヌ思太クルまたアホ思太モアハノヘ思太モとあり。下にもオモガタノワスレム之太ハとあり○クニハフリは平地ニ溢レテなり。ネニタツは峯ニタツなり○男が防人などにいで立たむとする時に女のよめるにて空ニ我面影ヲ思ヒ浮ベタマヘといへるなり
 
3516 對馬能〔□で囲む〕ねはしたぐもあらなふかむのねにたなびくくもを見つつしぬばも
對馬能禰波之多具毛安良南敷可牟能禰爾多奈婢久君毛乎見都追思怒(3121)波毛
 初句の能は衍字ならむ。シタグモは契沖のいへる如く下雲にて低き雲ならむ。アラナフはアラズなり。上にもアハナフ、カケナフ、セナフ、ミタナフなどあり○カムノネは契沖の説に上ノ嶺なりといへり。シヌバモはシヌバムの訛なり。上にもコラハアハナモ、イマハイカニセモ、カリテ著ナハモ、ネモトカ兒ロガなどあり○作者は始めて對馬に行く人なるべければシタ雲アラジとかシタ雲アラズチフとかいふべきをアラナフと斷言したるは心ゆかず。さて此歌は前の歌に答へたるなり
 
3517 (しらくもの)たえにしいもをあぜせろと|△《カ》こころにのりてここばかなしけ
思良久毛能多要爾之伊毛乎阿是西呂等許己呂爾能里※[氏/一]許己婆可那之家
 アゼセロトはイカニセヨトなり。上(三〇七三頁)にもアドセロトカモアヤニカナシキとあり。第四句は妹ガ我心ミ乘リソテとなり。カナシケはカナシキの訛なり。上(三〇(3122)九一頁)にもヨルトケヤスキをヨルトケヤスケといへり○アゼセロトの下にカといふ辭なかるべからず。おそらくはもとアゼセロトカといふ六言の句なりけむ
 
3518 いはのへにいかかるくものかぬまづくひとぞおたばふいざねしめとら
伊波能倍爾伊賀可流久毛能可努麻豆久比等曾於多波布伊射禰之賣刀良
 上(三〇二二頁)なる
  伊香保ろにあまぐもいつぎかぬまづくひと登おたばふいざねしめとら
といへる歌と、もと同じ歌なり。いづれか原ならむ。イザネシメトラのラは下なるオモホスナモロのロにひとしき助辭ならむ
 
3519 ながははにこられあはゆく(あをぐもの)いで來《コ》わぎも兒あひ見|而《テ》ゆかむ
奈我波伴爾己良例安波由久安乎久毛能伊※[氏/一]來和伎母兒安必見而由可(3123)武
 古義にコラレアハユクは被※[口+責]吾者往なりといへるはコラレをコロバレの約とせるなり。コロバルは卷十一(二三四九頁)にタラチネノ母ニコロバエモノモフ吾ヲとあり下にもネナへ子ユヱニハハニコロバエとありてシカラルといふことなり。コロバルをつづめてコラルといはむはあまりなる事なれど東語並に當時の俗語にはシヅマリをシヅミといひナカスルをナクルといへる如く異常に語をつづめたる例あればコロバルをつづめてコラルといふまじきにもあらず。さて今も陸前陸中などの方言に叱らるゝことをクラレルと云ふといふ○アハユクはワレハ歸リ行クとなリ○アヲグモノを古義にアヒ見テにかゝれる枕辭としたれど無論イデ來《コ》にかゝれるなリ。アヲグモは白雲なり(二九三〇頁參照)。青天の事にあらず。イデコは出デ來レなり。古義に乞《イデ》來の意とせるは非なり
 
3520 おもがたのわすれむしだはおほ野ろにたなびくくもを見つつしぬばむ
(3124)於毛可多能和須禮牟之太波於抱野呂爾多奈婢久君母乎見都追思努波牟
 上(三一二〇頁)にアガオモノワスレムシダハ云々とあるに似たり。但此は男の歌なり 
3521 からすとふおほをそどりのまさでにもきまさぬきみをころくとぞなく
可良須等布於保乎曽杼里能麻左低爾毛伎麻左奴伎美乎許呂久等曾奈久
 ヲソは考にいへる如く今いふウソなり。はやく卷四(七四五頁)にもヲソロト吾ヲオモホサムカモとあり○マサデニはタシカニなり。上(二九八八頁)にもマサデニモノラヌ君ガ名ウラニデニケリとあり○コロクは鴉の聲を兒ロ來ときゝ成したるなる事考にいへる如し。宣長の諭の理由なき事はくはしく古義に辨じたり○男の歌なり。女の歌にあらず
 
(3125)3522 きそこそは兒ろとさ宿しかくものうへゆなきゆくたづのまどほくおもほゆ
伎曾許曾波兒呂等左宿之香久毛能宇倍由奈伎由久多豆乃麻登保久於毛保由
 キソは昨日なり。上にもキソモコヨヒモとあり。三四は序なり。語例は卷八(一五九九頁)に雲ノ上ニナクナル雁ノトホケドモとあり。クモノウヘユは雲ノ上ヲなり。マドホクは間遠クなり。上にもマドホクノクモヰニミユル、マドホクノ野ニモアハナムとあり。但こゝなるは久シクといふ意なること古義にいへる如し
 
3523 さかこえて阿倍の田のもにゐるたづのともしききみはあすさへもがも
佐可故要※[氏/一]阿倍乃田能毛爾爲流多豆乃等毛思吉伎美波安須左倍母我毛
 サカコエテは坂越エテ行クといふべきを略せる准枕辭にて阿倍にかゝれり。され(3126)ば卷七なる山コエテ遠津ノ濱ノ、足代《アテ》スギテ絲鹿ノ山ノと同格なり(一二九三頁及一三一五頁參照)。又上(三〇六九頁)に眞日クレテヨヒナハコナニとあるも此格に屬すべし。さて阿倍は駿河の阿倍にや。もし然らば坂は仙覚のいへる如く字津(ノ)谷《ヤ》峠とすべし○トモシキはメヅラシキなり。ウラヤマシキにあらず。語例は卷七(一二八六頁)に
  足柄の筥根とびこえゆくたづのともしきみればやまとしおもほゆ
とあり。アスサヘモガモは明日サヘ來マセとなり。古義に明日マデモガナ副テアラマホシと譯せるは非なり。もし此譯の如くならばトモシキ君ト〔右△〕又は君ニ〔右△〕とあらざるべからず
 
3524 まをごものふの未〔右△〕《マ》ぢかくてあはなへばおきつまがものなげきぞあがする
麻乎其母能布能未知可久※[氏/一]安波奈敝波於吉都麻可母能奈氣伎曾安我須流
(3127) 眞小薦は上(三〇七二頁)にもマヲゴモノオヤジ枕ハワハマカジヤモとあり。フは編薦の一節なり。さて第二句を二註の如く字のままにフノミ〔右△〕チカクテとよまばフノミまでを序とすべけれどノミといふ辭あまりて聞ゆ。眞淵は未を末の誤としてフノマヂカクテとよめり。此説に從ひてフノまでを序とすべし。マヂカクテは序よりのかゝりにては各節の狹きにて主文の方にては男女の住處の相近きなり○アハナヘバは逢ハザレバなり。オキツマガモノは沖ツ眞鴨ノ如クといへるなり。諸註にいへる如く水鳥は水より浮び上りて溜息をつくが故にナゲキに冠らせたるなり
 
3525 水《ミ》くく野にかものはほのす兒ろがうへにこと於〔左△〕《ヲ》ろはへていまだ宿《ネ》なふも
水久君野爾可母能波抱能須兒呂我宇倍爾許等於呂波敞〔左△〕而伊麻太宿奈布母
 ミクク野は地名なり。ハホノスはハフナスの訛なり。ハフは腹バフなり。ハヒユクにあらず。さて初二は第四句のハヘテにかかれる序なり。古義に『ノスは常には如とい(3128)ふ意にきく例なれどもこゝはただ輕く見べし』といひて卷三(三七三頁)なる雪ジモノユキカヨヒツツを例とせり。實はこゝはナスといふべき處にあらず。ハヘテを起すに然ははたらかぬ自動詞のハフをつかひたるも心ゆかず○コト於ロハヘテの於は誤字なり。諸本に乎とあるに從ふべし。その下の呂は助辭なり。さればコトヲロハヘテは言ヲ延ヘテにて言ヲ通ハシテなり。さてロ又ラは名詞の下に添ふるが常なるをかくテニヲハの下に添へたるはあやしかれど卷五なる老身重病云々の歌にも病ヲラ加ヘテアレバとあり下にも雨ヲマトノス君ヲラマトモとあり又卷二十にも子ヲラ妻ヲラとあり○ネナフモは寢ズモなり
 
3526 ぬまふたつかよはとり我〔左△〕栖《ノス》あがこころふたゆくなもとな與〔左△〕《オ》もはりそね
奴麻布多都可欲波等里我栖安我許己呂布多由久奈母等奈與母波里曾禰
 カヨハはカヨフの訛なり。フをハとなまれるはヲロ田ニオフルをオハルといへる(3129)と同例なり○その下を從來トリガスとよみて鳥ガ巣とせり。此卷に字訓を借りたるは殆皆正訓なれば書例より見れば從來の説正しきに似たれど修辭の上より見ればカヨフ鳥ナスとあるべきなり。されば我を能の誤とし栖はしばらくもとのままにしてトリノスとよむべし○フタユクナモトは略解にいへる如くフタユクラムトの訛なり。フタユクの語例は卷四(七九一頁)にウツセミノ代ヤモフタユクとあり。そはフタタビ來ルと譯すべけれどこゝは二方ニユクと譯すべし○ナ與モハリソネの與は古義にいへる如く於を誤れるならむ。さてオモハリはオモヒを延べたるにて下にウサギネラヒをヲサギネラハリといへると同例なり。東語には延約共に常に異なる事少からず
 
3527 おきにすもをがものもころやさか杼〔左△〕《マ》りいきづく久〔□で囲む〕いもをおきてきぬかも
於吉爾須毛乎加母乃母己呂也左可杼利伊伎豆久久伊毛乎於伎※[氏/一]伎努可母
(3130) オキニスモは沖ニ住ムなり。モコロは如クなり。上(三〇九三頁)にもモコロヲとあり。○箱三句の杼は麻の誤ならむ。第四句の一つの久は※[月+眷の目が月]字なり。キヌルカモをキヌカモといへるは古格に從へるなり〇、男の旅に出づとてよめるなり
 
3528 (水《ミ》づとりの)たたむよそひにいものらにものいはずきにておもひかねつも
水都等利乃多多武與曾此爾伊母能良爾毛乃伊波受伎爾※[氏/一]於毛比可禰都毛
 ヨソヒは支度なり。イモノラは上(三〇五五頁)なる伊毛奈呂におなじ。なほ云はばイモノラのノはセナ、イモナ、兒ナのナにおなじく又ラはロにひとしき助辭なり○オモヒカネツモは堪ヘカネツとなり。卷四に
  珠衣のさゐさゐしづみ家の妹にものいはず來ておもひかねつも
 卷二十に
  みづとりのたちのいそぎに父母にものはずきにていまぞくやしき
(3131)とあり。此外にも似たる歌あり。集中にオモヒカネツモと云へるに此處の如く堪ヘカネツモと譯して可なると然らざるとあり。然らざる例は此卷(三〇八二頁)なるカクレシ君ヲオモヒカネツモ、卷十五なるユカムタドキモオモヒカネツモ、卷十二(二六四七頁)なるヨドマム心オモヒカネツモ、卷二十なるトゴコロモアレハオモヒカネツモなり。終二首は例の心ヲモツといふ意なるココロヲオモフなり
 
3529 とやの野にをさぎねらはりをさをさもねなへこゆゑにははにころばえ
等夜乃野爾乎佐藝禰良波里乎佐乎左毛禰奈敵古由惠爾波伴爾許呂波要
 初二はヲサヲサをいひ起さむ序なり。トヤノ野は地名、ヲサギはウサギの訛、ネラハリはネラヒの延なり○ヲサヲサは俗語のアンマリに當るべし。ネナヘばネナフの訛にて寢ヌなり。上(三〇九一頁)に解ケヌ紐をトケナヘヒモといへると同例なり。コユヱニは子ナルモノヲなり。下にもオトダカシモナネナヘ兒ユヱニとあり○結句(3132)はハハニコロバユ〔右△〕をコロバエとなまれるか
  ネナフをネナヘとなまる如くコロバユをコロバエとなまりもすべし
 又は俳句川柳に行はるゝ如く
  たとへばウキ鴨ヤタハレ男ニ射クヅサレ、ウナサレル蘆生杓子デツッツカレなどいへる如く
 終止格にていふべきを轉じて連用格にていへるか。もし然らば歌にはいとめづらしき例といふべけれどおそらくは前者すなはちコロバユをコロバエとなまれるなるべし。コロバユは叱ラルなり。ハハといへるほ女の母なるべし。上にもナガ母ニコラレアハユクとあり
3530 さをし鹿《カ》のふすやくさむら見えずとも兒ろ家〔左△〕《ガ》かな門《ト》よゆかくしえしも
左乎思鹿能布須也久草無良見要受等母兒呂家可奈門欲由可久之要思毛
(3133) 初二は牡鹿ガ草村ニ伏シテといへるにて見エズにかゝれる序なり。見エズトモは兒ロノ姿ガ見エズトモとなり。家は一本に我とあるに從ふべし。兒ロガカナトヨは女ノ家ノ門ヲとなり。ユカクシエシモは行クノガ好マシヤとなり。エシはヨシの古語なり
 
3531 いもをこそあひみにこしか(まよびきの)よこやまへろのししなす於〔左△〕母敝〔左△〕流《マモレル》
伊母乎許曾安比美爾許思可麻欲婢吉能與許夜麻敝呂能思之奈須於母敝流
 マヨビキノは横山にかゝれる枕辭なり。ヘロのロは助辭にてへは邊なり○於母敝流は麻母禮流の誤ならざるか。もし然らば猪鹿ヲ監視スル如クイヂワロキ母親ガ我ヲ監視セルヨといへるなり。仇マモルのマモルなり
 
3532 はるの野にくさはむこまのくちやまずあをしぬぶらむいへの兒ろはも
(3134)波流能野爾久佐波牟古麻能久知夜麻受安乎思努布良武伊敝乃兒呂波母
 初二は序、クチヤマズは口ヲ休メズといふことにてはやく卷九なる思2娘子1作歌(一八二七頁)にタマダスキカケヌ時ナク、口ヤマズワガコフル兒ヲとあり○こは旅なる男の家なる妻をしのびてよめるなり
 
3533 ひとの兒のかなしけしだは(はま渚《ス》どり)あなゆむこまのをしけくもなし
比登乃兒乃可奈思家之太渡波麻渚杼里安奈由牟古麻能乎之家口母奈思
 ヒトノ兒は人の娘にて作者に取りてはしのび妻なり。カナシケはカナシキなり。上(三一〇七頁)にもヒトノ兒ノウラガナシケヲとあり。シダは時なり○ハマスドリはアナユムにかゝれり。海邊の砂地を歩む水鳥は行き惱むが故に枕辭とせるなり。アナユムは足惱《アナヤ》ムの訛なり。ヤをユとなまれるは卷二十にアタヤマヒをアクユマヒ(3135)となまれると同例なり。惡路に駒を驅らば駒をそこなふべけれどそも惜からすといへるなり
 
3534 あかごまがかとでをしつついでがてにせしを見たてしいへの兒らはも
安可胡麻我可度※[氏/一]乎思都都伊※[氏/一]可天爾世之乎見多※[氏/一]思伊敝能兒良波母
 初句はワガ乘ル赤駒ガと心得べし。見タテシは見タタセシにて今もいふ語なり○實は己もいでがてにせしを駒のみにおほせたるがをかしきなり
 
3535 おのがををおほになおもひそにはにたちゑますがからに古麻〔左△〕《コロ》にあふものを
於能我乎遠於保爾奈於毛比曾爾波爾多知惠麻須我可良爾古麻爾安布毛能乎
 古麻はおそらくは古呂の誤ならむ。一首の趣は若き男が馬に乘りて人の垣の外を(3136)過ぎし時庭に立てる若き女がその馬の尾振のをかしきを見てうちゑみしが縁となりて男女ものいひかはす趣にて馬に向ひて
  駒ヨ、自分ノ尾ヲ粗末ニ思フナ、別品ガ庭ニ立ッテテマヘガ尾ヲ振ルノヲ見テ笑ハシャッタカラソレガ縁ニナッテカヤウニ別品卜話ヲスルノヂヤモノヲ
といへるなり。駒ヨといふことは歌には略せるにて上(三〇二一頁)なる
  にひ田山ねにはつかななわによそりはしなる兒らしあやにかなしも
といへる歌に雲ノといふことを略せると相似たり
 
3536 あかごまをうちてさをびきこころびきいかなるせなかわがりこむといふ
安加胡麻乎宇知※[氏/一]左乎妣吉己許呂妣吉伊可奈流勢奈可和我理許武等伊布
 サヲビキは宣長のいへる如く緒牽にサといふ添辭を加へたるなり。名詞と動詞と相たぐひて一語となれるに添辭を加へたるは異樣なれどヤ船タク(一三五三頁)サ(3137)夜ドフ(一六六八頁)ウチ羽ブクなどいへる例あり。さればサヲビクは綱して引くことなり。序はウチテまでなり。されば初二は赤駒ヲウチテヲビクガ如ク我ヲヲビキといへるなり。人ををびくは人を誘ふなり。このヲビクは今もいふ語なり○ココロビキは心ヲヒキの一語となれるにてこれも誘ふことなり。さてそのココロビキは卷十一(二五二四頁)なるオシテル難波スガ笠オキフルシ又上(二九九七頁)なるウマグタノネロニカスミヰと同格にてココロビク事ヨといふ意なり○右の如くなれば此歌は女が媒に向ひていへるにて
  進マヌ赤駒ヲ打チテ緒牽クガ如ク我ヲヲビキ誘フ事ヨ、全體我許ヘカヨヒ來ムトイフハイカナル男ゾ
といへるなり
 
3537 くべごしにむぎはむこ宇〔□で囲む〕まのはつはつにあひ見し兒らしあやにかなしも
   或本歌曰うませごしむぎはむこまのはつはつににひはだふ(3138)れしころしかなしも
久敞〔左△〕胡之爾武藝波武古宇馬能波都波都爾安比見之兒良之安夜爾可奈思母
    或本歌曰宇麻勢胡之牟伎波武古麻能波都波都爾仁必波太布禮思古呂之可奈思母
 クベは垣なり。第二句の鵜は衍字なり。ハツハツニはチヨットなり。初二は序なり。ハツハツニアヒ見シにかゝれるは垣ごしに麥はむ馬は頭のみチヨット見ゆればなり
 ウマセも垣なり。今はウを略してマセといひマセ垣ともいふ。はやく卷十二(二六八五頁)にウマセゴシニ麥ハム駒ノノラユレドとあり
 
3538 ひろ波之〔二字左△〕《ヒロ》をうまこしかねてこころのみいもがりやり※[氏/一]〔左△〕《ツ》、和はここにして
    或本歌發句曰をばやしにこまをはささげ
(3139)比呂波之乎宇馬古思我禰※[氏/一]己許呂能末伊母我埋夜里※[氏/一]和波己許爾思天
    或本歌發句曰乎波夜之爾古麻乎波左佐氣
 馬越シカネテとあれば狹き橋なるべきを比呂波之といへる不審なり。されば契沖は尋《ヒロ》橋か又は古橋かといひ、眞淵は一|枚《ヒラ》橋なりといひ、宣長はいは橋の間々の廣きをいふかといひ、雅澄は飜《ヒロ》橋にてそり檎なりといへり。案ずるに比呂波之は比呂湍呂の誤ならむ。下の呂は助辭なり○第四句は宣長の説にイモガリヤリツの誤なるべしといへり、追などを誤れるならむ○結句の和はココロに對して身といふべきなり(但誤字にはあらじ)。卷十五にも
  あがみ〔右△〕こそせき山こえてここにあらめ心〔右△〕は妹によりにしものを
とあり
 或本歌のハササケは古義にハサセアゲの約とせり。ハサセは次に駒ヲハサセテとありて今ハセといふにおなじ。もしハセアゲの義ならば茂き林に駒をのり入れて(3140)進退共に難き趣なるべし
 
3539 あずのうへにこまをつなぎてあやほかどひと麻都〔二字左△〕《ヅマ》ころをいきに|△《ゾ》わがする
安受乃鵜敝爾古馬乎都奈伎※[氏/一]安夜抱可等比登麻都古呂乎伊吉爾和我須流
 アズは田中道麻呂の説に
  字鏡に※[土+冉]、崩岸也、久豆禮又阿須とある是也。俗に云がけの危き所也
といへり。アヤホカドはアヤフケド(危カレド)の訛なり。麻都は契沖のいへる如く都麻の顛倒なり。ヒトヅマコロヲは人ノ妻ナル子等ヲなり○イキニワガスルは息ノ緒ニワガ思フといふにひとしからむ。卷十九なる家持の
  白雪のふりしく山をこえゆかむ君をばもとないきのをにもふ
といふ歌の左註に
  左大臣換v尾云2いきのをにする1。然猶喩曰如v前誦|之也《ヘヨト》
(3141)とあり。なほ云はばイキノヲもイキも共に命といふことならむ。さて爾の下におそらくは曾をおとせるならむ○初二は序なり。危キガ如ク危カレドといへるなり。卷十二(二六九四頁)に
  いきのをにわがいきづきし妹すらを人妻なりときけばかなしも
とあり
 
3540 さわたりの手兒にいゆきあひあかごまがあがきをはやみことどはずきぬ
左和多里能手兒爾伊由伎安比安可故麻我安我伎乎波夜美許等登波受伎奴
 澤渡は諸國にある地名なり。こゝなるは上野國のならむか。手兒は小女の愛稱なり。第三句はイユキアヒシヲと辭を加へて聞くべし
 
3541 あずべからこまのゆこのすあやはどもひとづまころを麻由可西良布母
(3142)安受倍可良古麻乃由胡能須安也波刀文比登豆麻古呂乎麻由可西良布母
 アズベカラは崖ノ邊ヲなり。ユコノスは行クナスなり○アヤハドモはアヤフカドモ(危カレドモ)をつづめたるにてシヅマリをシヅミ、ナカスルをナクル、コロバレをコラレといへる類なり。かく甚しく語をつづむる事は東語に限れりやといふに古事記に浮島アリソレニ立タシテをウキジマリソリ〔五字右△〕タタシテといひ(二三三五頁參照)須佐之男(ノ)尊の御歌にイヅル雲をイヅモとのたまひ(イヅル雲の古格はイヅ雲なるをつづめてイヅモとのたまへるなリ)佛足石歌にソナハレル、ノコセル、メヅラシをソダレル、ノケル、メダシといひ(卷十二附録參照)姓の車持をクラモチとよめるなどを思へば京語にても甚しく語をつづむる事は行はれしなり。されど然甚しくつづめたる語はみやびたらずうるはしからねば京人は歌にはをさをさつかはざりしを
  素尊の御歌はいと古かれば別とすべし。卷二十なる元正天皇の御製にモトツ人カケツツモトナアヲネシナクモとよませたまへると佛足石歌なるとは異例な(3143)り
 東人は多くはことばえりなどをせざれば常談にいふがまゝに歌にもつかひしなり。辭を換へて云はば當時はやく語に雅俗の別ありて甚しくつづめたる語の如きは俗語に屬せしなり○此歌は二首前なるともと一つの歌なりけむ。麻由可西良布母はいまだ考へず。或は伊企耳四毛〔五字右△〕布母などを誤れるか
 
3542 さざれいしにこまをはさせてこころいたみあがもふいもがいへのあたりかも
佐射禮伊思爾古馬乎波佐世※[氏/一]己許呂伊多美安我毛布伊毛我伊敝乃安多里可聞
 ハサセテは契沖のいへる如く令馳而にてやがて馳セテなり。陸中などの方言には今もハシラスルをハサセルといふといふ。かくハサセテといへるによりてハスはいにしへ四段にはたらきし事を知るべし(一四七七頁參照)。さて初二は心イタミアガモフにかゝれる序なり。心イタミアガモフはアガ心イタミオモフにてそのイタ(3144)ミはイタガリなり○遠く妹が家のあたりを眺めてよめるにて妹ガ家ハアノ邊カといへるなり。ココカといへるにあらず
 
3543 (むろがやの)つるのつつみのなりぬがにころはいへどもいまだねなくに
武路我夜乃都留能都追美乃那利奴賀爾古呂波伊敝杼母伊末太年那久爾
 古義にいへる如くツルは甲斐國の都留にて枕辭は群萱之列《ムラガヤノツラ》といひかけたるにこそ○初二は序にて池又は川の堤の成るを事成ルにいひかけたるなり○ナリヌガニはアエヌガニ、ケヌガニなどと同例にて事成ルバカリニとなり。ナルの例は上(三〇九八頁)にナリモナラズモナトフタリネモとあり○イマダネナクニはマダ相寐セザル事ヨとなり
 
3544 (あすかがは)したにごれるをしらずしてせななとふた理さ宿《ネ》てくやしも
(3145)阿須可河泊之多爾其禮留乎之良受思天勢奈那登布多理左宿而久也思母
 名高きアスカ川は大和にこそあれ。されば眞淵はアス太ガハ(更科日記に見えたる)の誤とし、雅澄は東國の女が京に上りてよめるなりとせり。案ずるに東國にもアスカ川といふ川あるまじきにもあらず。否アスカガハは足利川にて今の渡瀬川にあらざるか。さて此句はシタニゴレルにかゝれる枕辭なり。二三は男ノ心ノウハベノミ清キヲ知ラズシテといへるなり○セナナはセナノとおなじくセナネを訛れるなり(三〇一三頁參照)○第四句のフタリといふ語無用なり。
  上(三〇九八頁)なるナリモナラズモナトフタリネモのフタリは必用なり。味はひ分くべし
 おそらくはフタ欲《ヨ》の誤ならむ〇六帖第三帖に
  とね川は底はにごりてうはずみてありけるものをさねてくやしく
とあると相似たり
 
3545 (あすかがは)せくとしりせばあまたよもゐねてこましをせくとしりせ(3146)ば
安須可河泊世久登之里世波安麻多欲母爲禰※[氏/一]己麻思乎世久得四里世波
 初句は枕辭、第二句はカク親ノセクト知ラバとなり。ヰネテはツレユキテ寢テなり。はやく上(三〇〇二頁)に見えたり
 
3546 あをや木のはらろかはとになをまつとせみどはくまずたちどならすも
安乎楊木能波良路可波刀爾奈乎麻都等西美度波久末受多知度奈良須母
 ハラロは契沖のいへる如くハレルの訛にて芽ヲ張レルなり。上(三〇七七頁)にコヨヒトノレルをノラロといへると同例なり。古義に地名とせるはいみじきひが言なり。上(三〇五三頁)にもアヲヤギノハリテタテレバモノモヒデツモとあり〇四五も契沖のいへる如く清水ハ汲マズ立所|平《ナラ》スモなり。タチドナラスはタタズムといは(3147)むにひとし
 
3547 あぢのすむ須沙のいり江のこもり沼《ヌ》のあないきづかしみずひさにして
阿知乃須牟須沙能伊利江乃許母理沼乃安奈伊伎豆加思美受比佐爾指天
 上三句は序なり。初二の語例は卷十一(二四八一頁)にアヂノスムスサノ入江ノアリソ松とあり。又三四の語例は卷七(一四四七頁)にミゴモリニイキヅキアマリ、卷八(一五一〇頁)に雲ゴモリアナイキヅカシアヒワカレユケバとあり。コモリ沼ノは無論イキヅカシにかかれるなり。古義に見ズにかゝれりとせるは非なり。葦菰などにうづもれたる沼は息ぐるしければコモリヌノイキヅカシとかゝれるなり○ミズヒサニシテは見ザル事久シクシテとなり。見ザルといはで見ズといへるは古格に從へるなり
 
3548 なるせろに木《コ》つ能〔左△〕《ミ》よすなすいとのきてかなしけせろにひとさへよす(3148)も
奈流世呂爾木都能余須奈須伊等能伎提可奈思家世呂爾比等佐敝余須母
 ナルセロのロは助辭、ナルセはたぎち騒ぐ瀬なり。契沖雅澄の地名とせるは非なり○契沖以下木都能をコツミノの意としたれどコツミを略してコツとはいふべからず。古義に或説に能を彌の誤とせるを引きたり。此説に從ふべし。コツミは樹の芥なり(二四六三頁參照)○初二は結句のヨスにかゝれる序なり○イトノキテははやく卷五にイトノキテイタキ瘡ニハ、卷十二にイトノキテウスキ眉根ヲとあり。甚シクといふことなり。カナシケはカナシキの訛なり。ヨスはトリ持ツなり(二九九八頁參照)
 
3549 たゆひがたしほみちわたるいづ|△《ク》ゆかもかなしきせろがわがりかよはむ
多由此我多志保彌知和多流伊豆由可母加奈之伎世呂我和賀利可欲波(3149)牟
 第三句は久の字をおとせるにてイヅクユカモなるべし。否モは衍字にてもあるべし。イヅコヲトホリテカとなり
 
3550 於志〔左△〕※[氏/一]伊奈〔左△〕等《オキテイマド》いねはつかねど(なみのほの)いたぶらしもよきそひとり宿《ネ》て
於志※[氏/一]伊奈等伊禰波都可禰杼奈美乃保能伊多夫良思毛與伎曾比登里宿而
 ナミノホノは枕辭なり。イタブラシの例は卷十一(二四七〇頁)に
  風をいたみいたぶる浪のあひだなくわがもふ妹はあひもふらむか
とあり。さればイタブラシはフラフラスルとなり。第二句以下は稻ヲ舂カバコソイタブラシカルベケレ稻ハ舂カネド云々といへるならむ。上にイネツケバカカルアガ手ヲとありて稻つくは女の業なり。獄令に婦人|配《アテヨ》2縫作及舂1とあり大炊寮式に舂米女丁とあり播磨風土記に舂米女、靈異記に稻舂女とあり○キソはこゝにては昨(3150)夜なり。さてキソヒトリネテはこゝにては男ヲマチ明シテといふ意なるべし○初句は於吉〔右△〕※[氏/一]伊末〔右△〕等の誤か。さらばイマドはイマダをなまれるにて起キ出デテマダといへるなり
 
3551 あぢかまのかたにさくなみひら湍《セ》に母〔左△〕《ハ》ひもとくものかかなしけをおきて
阿遅可麻能可多爾左久奈美比良湍爾母比毛登久毛能可加奈思家乎於吉※[氏/一]
 アヂカマは卷十一(二四七六頁)に昧鎌ノ塩津ヲサシテコグ船ノとあると同處にや。次にもアヂカマノカケノミナトニイルシホノとあり○サクナミといへるは浪の穗の白く開くるを花によそへてサクといふなり(さればナミノ花ともいへり)。語例は卷六(一〇四一頁)にシラナミノイサキメグレルスミノエノ濱また卷二十に
  今かはるにひさきもりがふなでするうなばらのうへになみなさきそね
とあり○ヒラ湍は波たたで穩なる川瀬なり。卷十九にはシクラ河ナヅサヒノボリ、(3151)平瀬ニハサデサシワタシ、早湍ニハ水烏《ウ》ヲカブケツツとありて早瀬にむかへもちひたり。ヒラセニ母の母は波《ハ》の誤ならむ○上三句はヒモトクモノカにかゝれる異常なる序なり。ヒモトクは序よりのかゝりにてはサクといふにおなじ。古今集なるモモ草ノ花ノヒモトク秋ノ野ニのヒモトクなり○カナシケはカナシキにてカハユキ人なり。上にもソノカナシキヲ外ニタテメヤモ、カナシキガ駒ハタグトモワハソトモハジなどあり。主文の意はカハユキ男ヲオキテアダシ男ト相寢ムヤハといへるなり。トクモノカは解カムモノカハと心得べし
 
3552 まつがうらにさわゑ宇〔左△〕《ム》らだちまひとごと|△《ト》おもほすなもろわがもほのすも
麻都我宇良爾佐和惠宇良太知麻比等其等於毛抱須奈母呂和賀母抱乃須毛
 マツガウラは地名なり。オモホスナモはオモホスラムなり。上にコヒシカルラム、フタユクラムトをコフシカルナモ、フタユクナモトといひ下にワヲカマツラムをワ(3152)ヲカマツナモといへるに同じ。ロは助辭なり。さればオモホスナモロはオモホスラムヨといはむにひとし○ワガモホノスモはワガモフナスモにてワガ思フ如クといふことなり。上にも鴨ノハフナスをカモノハホノスといへり〇二三心得がたし古義には第二句の宇を牟の誤として※[馬+聚]群立といふかといへり。されどサワギを打任せてサワヱとはいふべからず。案ずるに卷四(六三〇頁)にサ藍《ヰ》サ謂《ヰ》シヅミといへるを上(三〇八八頁)にサ惠サ惠シヅミといへり。そのサヱはサヰをなまれるなればこゝのサワヱもサワヰをなまれるなり。さて潮の騒ぐことをシホサヰといへり。サヰサヰのサヰはやがてシホサヰのサヰなるが、もとサワギをつづめたるものとも思はれず。然るにゝにサワヰ(なまりてサワヱ)とあるを思へばサワグはいにしへサワウ〔右△〕といひしにてここにはそのサワウをはたらかしてサワヰ(なまりてサワヱ)といへるなるべく又サヰサヰ、シホサヰのサヰはサワヰをつづめたるものなるべし。宇良太知の宇はげに牟の誤なるべし○マヒトコトハ今一言のイを略せるなるべし。イを略せる例はイモガ家ニ、モノイハズキニテをイモガヘニ、モノハズケニテといへるなど集中に少からず。もし然らば今の世に今一ツ、今スコシなどをマ一ツ、(3153)マスコシなどいふははやく奈良朝時代に行はれしなり。さて麻比等其等の下に重點(々)をおとせるにてもとマヒトゴトトといふ六言なりけむ○此歌は旅だつ人の作れるにて船出セシ松ガ浦ニ家人ナドノサワギ群立チテ今一言ヲト我ト同ジク思フラムといへるならむ
 
3553 あぢかまのかけの水《ミ》なとにいるしほのこて多〔左△〕《ヤ》すくもがいりてねまくも
安治可麻能可家能水奈刀爾伊流思保乃許※[氏/一]多受久毛可伊里※[氏/一]禰麻久母
 アヂカマノカケノミナトは湊の名なり○コテはコトの訛にて如なり。如を次の句の頭におきたる例は卷八にナク鹿ノ、コトトモシカモ、卷十にウグヒスノ、コトサキダチテ、卷十一にユク水ノ、コトカヘラズゾとあり(二二八四頁參照)。そのコは清みて唱ふべき事はやく云へる如し。又コトをコテとなまれるは卷二十にサクアレトをサクアレ天といへると同例なり○多受久毛可の多は夜の誤ならむ。されば第四句(3154)はコトヤスクモガにて如ヤスクモガナ、ソノ如クヤスカレカシといふ意なり。受を清音のスに借れるは上(三〇五九頁)にもヲグサスケヲのスを受と書けり○結句のネマクモはネムをネマクと延べ、それにモを添へたるにてサラバ妹ノ小床ニ人リテ寢ムヲといへるなり
 
3554 いもがぬるとこのあたりにいはぐくる水《ミ》づにもがもよいりてねまくも
伊毛我奴流等許乃安多理爾伊波具久留水都爾母我毛與伊里※[氏/一]禰末久母
 略解に
  潜ルは古く清音にて唱へたりと見ゆ。されば岩グクルと上よりいひ下す故に上を濁れり。具久は久具の下上になれる也とおもふはかへりて非也。谷具久など同じ例也
といへる如し(一五三八頁タチクク參照)○古義にいへる如く
(3155)  いはぐくる水にもがもよ妹がぬる床のあたりに入りてねまくも
と句をおきかへて心得べし
 
3555 まくらがのこがのわたりのからかぢのおとだかしもなね莫《ナ》へ兒ゆゑに
麻久良我乃許我能和多利乃可良加治乃於登太可思母奈宿莫敝兒由惠爾
 マクラガもコガも共に地名なり。上(三〇五八頁)にもマクラガヨアマコギク見ユナミタツナユメとあり。次にもマクラガノコガコグ舟ニとあり。コガは今の下總國|古河《コガ》なり。ワタリは渡津なり○カラカヂは支那風即新式の楫なり。柄楫《カラカヂ》にあらず。上三句はオトにかゝれる序なり○オトほ噂なり。モナは共に助辭なり。ネナヘはネナフを訛れるにてネナフは寢ヌなり。兒ユヱニは女ナルモノヲとなり。上(三一三一頁)にもネナヘコユヱニ母ニコロバエとあり○卷十一(二四六七頁)に
  きの海の名高の浦による浪の音たかきかもあはぬ子故に
(3156)とあるに似たり
 
3556 しほぶねのおかればかなしさ宿《ネ》つればひとごとしげしなをどかもしむ
思保夫禰能於可禮婆可奈之左宿都禮婆比登其等思氣志那乎杼可母思武
 初句はシホ船ノヤウニといへるにて枕辭なり。シホブネは上(三〇五九頁)にシホブネノナラベテミレバヲグサヲカチケリとあり。第二句以下は宣長の
  オカレバはオケレバ也。女ヲヰネズシテオケレバなり。船にはオクといふ事似つかはしからねど乘らずして浦にいたづらに置てある舟を見てそれによそへてよめるなるべし。……さてナヲドカモシムは汝ヲアドカモセムにてアを略ける也
といへる如し。但女ヲヰネズシテといへるはネズシテ女ヲなど改むべし。ヰネはただ相寢る事にあらず。屋外に又は家のうちならば一室につれゆきて相寢る事なれ(3157)ばなり○アドカモのアを略せるは少くとも當時の雅言には例なき事なり。古言俗言にはありもすべし。さてアドカモは何トカモなり
 
3557 なやましけひとづまかもよ(こぐふねの)わすれはせなないやもひます爾〔左△〕《モ》
奈夜麻思家比登都麻可母與許具布禰能和須禮姿勢奈那伊夜母比麻須爾
 ナヤマシケはナヤマシキなり。コグフネノのかゝりたどたどし。おそらくはイヤにかゝれるならむ。宣長雅澄は四五三一二とついでて心得べしと云へれど然妄に句をついづべけむや○セナナはセズシテなり。上にも
  にひ田山ねにはつかななわによそりはしなる兒らしあやにかなしも(三〇二一頁)
  しらとほ布をにひた山のもる山のうらがれせななとこはにもがも(三〇四六頁)
などあり○結句の爾は毛の誤にあらざるか。卷十八に
(3158)  わがせこが琴とるなべにつね人のいふなげきしもいやしきますも
とあり
 
3558 あはずしてゆかばをしけむまくらがのこがこぐふねにきみもあはぬかも
安浪受之※[氏/一]由加婆乎思家牟麻久良我能許賀己具布禰爾伎美毛安波奴河毛
 しのびたる人に別を告ぐる事も得せずして旅立たむとする人のよめるなり。フネニは舟ニテなり。アハヌカモは逢ヘカシなり。コガコグフネといへるは渡舟なるべし。上にもマクラガノコガノワタリとあり。ワタリは渡津なり○男の歌なり。考、略解に女の歌とせるはキミとあるに泥めるにや
 
3559 おほぶねをへゆもともゆもかためてし許〔左△〕《ヲ》、曾《ソ》のさとびと|△《ノ》あらはさめかも
於保夫禰乎倍由毛登毛由毛可多米提之許曾能左刀妣等阿良波左米可(3159)母
 初二は序にて宣長のいへる如く大船ヲツナグニ舳ヨリモ艫ヨリモ固ムル如ク口ヲ固メテシといへるなり○從來、許曾能左刀妣等の七言を第四句とし二註に許曾は地名かといへり。許は呼などの誤にて上に附くべく、等の下に能のおちたるならむ。さらば三四はカタメテシヲ、ソノサトビトノとよむべし。アラハサメカモは漏サムヤハなり
 
3560 まがねふくにふのまそほのいろにでていはなくのみぞあがこふらくは
麻可禰布久爾布能麻曾保乃伊呂爾低※[氏/一]伊波奈久能未曾安我古布良久波
 初二は序にてマガネフクは准枕辭なり。マガネは金屬の總稱にてこゝにては水銀ならむ。フクは分析するなり○ニフは丹《ニ》すなはち丹砂を産するによりて負へる地名なり。諸國にある地名なれどこゝは上野國|甘樂《カムラ》郡のなるべし。マソホはやがて丹《ニ》(3160)なり○結句の下に並々ナラズなどいふことを略したるなり。ワガコフラクハイハナクノミゾとかへるにはあらず
 
3561 かなと田をあらがき麻由美《マユミ》ひがとればあめをまとのすきみを等〔左△〕《ラ》まとも
可奈刀田乎安良我伎麻由美妣賀刀禮婆阿米乎萬刀能須伎美乎等麻刀母
 カナト田は門田なり。麻由美を眞淵は
  由美は可幾の字なるべし。田は春より馬鍬てふものしてかきならすを荒ガキといひ次に苗を植る時するをコナガキとも眞ガキともいへり
といへり。案ずるにマユミは眞忌の訛なり。實は荒ガキ眞ガキ、荒イミ眞イミといふべきを略してアラガキマユミといへるにて荒掻に眞掻をこめ荒忌を眞忌に讓れるなり(アラは粗なり豫なり假なり。マは精なり本なり眞なり)。さればアラガキマユミは田ヲ掻キ又清メテと譯すべし。但マユミは名詞なれば語格上には其下にシテ(3161)を略せるものと認むべし。シテを略せるは朝開シテ漕ギイニシ舟といふべきをアサビラキコギニシ舟といへると同例なり〇三四は前註にいへる如く日ガ照レバ雨ヲ待ツナスをなまれるなり○等を考、略解にラとよみたれど此卷には等は皆トに借りてラに借れる例なし。おそらくは良とあるべきを書き誤り又は寫し誤れるならむ。さてテニヲハのヲの下にラを添へたるは卷五(九八五頁)に病ヲラ加へテアレバ、上(三一二七頁)に言ヲロハヘテ、卷二十に子ヲラ妻ヲラとあり(このコヲラツマヲラは古乎等〔右△〕都麻乎等《》と書けり)○マトモは待ツモなる事前註にいへる如し
 
3562 ありそ夜〔左△〕《ミ》におふるたまものうちなびきひとりや宿《ヌ》らむあをまちかねて
安里蘇夜爾於布流多麻母乃宇知奈婢伎比登里夜宿良牟安乎麻知可禰※[氏/一]
 夜を雅澄は敝の誤とせり。美の誤ならむ。卷二(三一七頁)にアリソ囘《ミ》ニイホリテミレバ、卷十二(二七一二頁)にアリソ囘《ミ》ニワガコロモデハヌレニケルカモとあり○初二(3162)は序
 
3563 比多我多のいそのわかめのたちみだえわをかまつなもきそもこよひも
比多我多能伊蘇乃和可米乃多知美多要和乎可麻都那毛伎曾毛己余必母
 ヒタガタは地名とおぼゆ。初二は序なり。ミダエは亂レの訛なり。タチは添辭なり。マツナモは待ツラムなり○上(三一一二頁)にもコヒテカヌラムキソモコヨヒモとあり
 
3564 こすげろのうらふくふぜのあどすすかかなしけ兒ろをおもひすごさむ
古須氣呂乃宇良布久可是能安騰須酒香可奈之家兒呂乎於毛比須吾左牟
 コスゲロのロは助兒、コスゲノ浦は今の東京市外の小菅か。初二は結句のスゴサム(3163)にかゝれる序なり○アドススカは古義にいへる如く何トシツツカとなり○スゴサムはスグサムの訛なり。當時京語にてはいまだスゴスといはぬを後には一般にいふやうになりしなり。オモヒスゴサムは忘レムといふ意なり
 
3565 かのころと宿《ネ》ず屋〔左△〕《ヤ》なりなむ(はだすすき)宇良野のやまにつくかたよるも
可能古呂等宿受屋奈里奈牟波太須酒伎宇良野乃夜麻爾都久可多與留母
 カノコロトはカノ兒トなり。屋は一本に夜とあり。それに從ふべし。正訓ならでは字訓を借らぬが此卷の書例なればなり。ネズヤナリナムは寢ズニシマフカモ知レヌといへるなり○第三句を契沖以下ハダススキ末《ウラ》とつづけるなりといへり。案ずるに天ノ原ニ聳ユル富士ノ柴山をアマノハラフジノシバヤマといひ(二九六八頁)百ツ鳥ヲツタヒ行ク足柄小舟をモモツシマアシガラヲブネといひ(二九八三頁)鈴ガ音ノトヨム早馬をスズガネノハユマウマヤといへる(三〇四九頁)類にてハダスス(3164)キノ茂レルウラ野ノ山といふべきをシゲレルを略して准枕辭とせるなり。此格は貴人の歌にも無きにあらねど東歌には特に多し。ウラ野は古義に信濃國|小縣《チヒサガタ》郡なる浦野ならむと云へり。げに然るべし。ツクカタヨルモは月傾クモなり○古義に
  此は男の、妹がもとへ行て屋外に立て、をりよくば内に入むと伺ひ居るほど夜ふけ月かたぶくを見てよめるなるべし
といへるはカノ〔二字右△〕兒ロトといへるにかなはず、屋外の山野にて出で逢はむと契りて女を待ちかねたる趣なり
 
3566 わぎもこにあがこひしなば曾和敞〔二字左△〕《ソコヲ》かも加米《カメ》におほせむこころしらずて
和伎毛古爾安我古非思奈婆曾和敞可毛加米爾於保世牟己許呂思良受※[氏/一]
 ワギモコニを受けたるはアガコヒまでなり。されば正しくはアガコヒテシナバとテを挿みていふべし○曾和敞を古義に曾故遠の誤ならむといへり。げに然るべし。(3165)ソコヲはソレヲなり○加米は加未を誤れるにてもあるべく神をなまれるにてもあるべし。三四は我死ニシ事ヲ神ノ御シワザニヨソヘムとなり。ココロは事の心にて事情なり○伊勢物語に
  人しれずわれこひしなばあぢきなくいづれの神になき名おほせむ
とあると相似たり
 
   防人歌
3567 おきていかばいもはまがなしもちてゆくあづさのゆみのゆづかにもがも
於伎※[氏/一]伊可婆伊毛婆摩可奈之母知※[氏/一]由久安都佐能由美乃由都可爾母我毛
 もし古義の如くマガナシを悲シの意とせば妹ハといはで我ハといはざるべからず。さればこのマガナシもマガナシミサネニワハユク、マガナシミヌレバコトニヅ(3166)などと同じくカハユシといふ意とすべし。さて常法ならばマガナシカラムといふべきをマガナシといへるは古格に從へるなり
 
3568 おくれゐてこひばくるしもあさがりのきみがゆみにもならましものを
於久禮爲※[氏/一]古非波久流思母安佐我里能伎美我由美爾母奈良麻思物能乎
     右二首問答
 弟二句はコヒバ苦シカラムといふべきを現在格にていへるなり○防人に出で立たむとする夫に答ふる歌にアサガリノ君ガ弓ニモといへるうたてなれどごは君ガ平生朝獵ニツカヒタマフ弓といふ意と見べし
 
3569 さきもりにたちしあさけのかなとでに手ばなれをしみなきし兒らはも
佐伎母理爾多知之安佐氣乃可奈刀低爾手婆奈禮乎思美奈吉思兒良婆(3167)母
 タバナレは分手なり。タは添辭にあらず。卷十七なる思2放逸鷹1歌にも手放モヲチモ可《ゾ》ヤスキとあり
 
3570 あしの葉にゆふぎりたちてかもが鳴《ネ》のさむきゆふべしなをばしぬばむ
安之能葉爾由布宜利多知※[氏/一]可母我鳴乃左牟伎由布敝思奈乎波思奴波牟
 いとめでたし。はやく眞淵も『東にもかくよむ人もありけり』とたゝへたり
 
3571 おのづまをひとのさとにおきおほほしく見つつぞきぬるこのみちのあひだ
於能豆麻乎比登乃左刀爾於吉於保保思久見都都曾伎奴流許能美知乃安比太
 ヒトノサトは己ガ住マヌ里といふ意なるべし。見郡都曾とある穩ならず。思〔右△〕都都曾(3168)の誤かとも思へど此卷の書法にかなはざるをいかがせむ
 
   譬喩歌
3572 あどもへか阿自久麻やまのゆづるはのふふまるときにかぜふかずかも
安杼毛敝可阿自久麻夜末乃由豆流波乃布敷麻留等伎爾可是布可受可母
 アドモヘカは何ト思ヘバカにて其下にサハ言フなどいふことを略したるなり。阿自久麻山は常陸國にあるか○フフメルトキは葉のいまだ開けざる時なり。カゼフカズカモは風吹カザルカモを古格によりていへるにて風吹カザラムヤハといふ意なり○こは女ノマダ童ナルニ言ヲ通ハセバトテ何カバ咎ムベキといふことを譬へたるなり
 
3573 (あしひきの)やまかづらかげましばにもえがたきかげをおきやからさ(3169)む
安之比奇能夜麻可都良加氣麻之波爾母衣可多伎可氣乎於吉夜可良佐武
 ヤマカヅラカゲもカゲも共に日蔭のかづらなる事眞淵のいへる如し。マシバニモ得ガタキ山カヅラカゲヲといふことを四句にしらべなしたるなり○マシバニモは上(三〇九五頁)に
  おふしもと許乃もとやまのましばにものらぬいもが名かたにいでむかも
とありてシバシバモといふ事なり○結句の語例は卷十(二〇八六頁)に
  しら露のおかまくをしみ秋はぎををりのみをりておきやからさむ
とあり。得がたき女を得ながら逢ふをりなきをたとへたるなり
 
3574 をさとなるはなたちばなをひきよぢてをらむとすれどうらわかみこそ
乎佐刀奈流波奈多知波奈乎比伎余知※[氏/一]乎良無登須禮杼宇良和可美許(3170)曾
 ヲサトは小里にて小は添辭なり。卷十九にもワガオホキミ、シキマセバカモ、タヌシキ小里とあり。さてこゝは野に對して里といへるなり○ヒキヨヂテは引寄セテなり。ウラワカミコソの下に得折ラザレといふことを省きたるなり○譬へたる意明なり
 
3575 みやじろの緒可〔二字左△〕敝《スノヘ》にたてるかほがはな莫《ナ》さきいでそねこめてしぬばむ
美夜自呂乃緒可敝爾多※[氏/一]流可保我波奈莫佐吉伊低曾禰許米※[氏/一]思努波武
 岡邊のヲに緒の字を借れりとするは此卷の書法にかなはず。一本に渚とあり又一本に須とあり。もと渚乃敝とありしを誤れるならむ○可保我波奈を契沖以下カホ花の事としたれどガを挿めるは例なき上にカホ花すなはちヒルガホとしてはタテルといへる、ふさはしからず。されば外の草木にあらざるか○上四句は女に對し(3171)ていへるにて樣子ニアラハスナといふべきを譬へたるなり。結句はカタミニ心ニコメテ忍ビ隱サムといへるなり
 
3576 なはしろのこなぎがはなをきぬにすりなるるまにまにあぜかかなしけ
奈波之呂乃古奈伎我波奈乎伎奴爾須里奈流留麻爾末仁安是可加奈思家
 コナギは上(三〇二八頁)にウエコナギとある物なり。上三句は序なり。三四の間にソノ衣ノといふことを補ひて聞くべし。こゝのカナシケ(カナシキの訛)はカハユキなり。されば結句はナドカカクカハユキと譯すべし。古義に悲シキの意として『何ヲアカズ思ヒテカヤウニ悲シキ事ゾとあやしめるなり』といへるは從はれず
 
   挽歌
3577 かなしいもをいづちゆかめと(やますげの)そがひに宿《ネ》しくいましくや(3172)しも
可奈思伊毛乎伊都知由可米等夜麻須氣乃曾我比爾宿思久伊麻之久夜思母
    以前歌詞未v得v勘2知國土山川之名1也
 卷七(一四七〇頁)なる
  吾背子をいづくゆかめとさき竹のそがひにねしく今しくやしも
を作り更へたるならむ○カナシイモヲ〔右△〕といへるはユカメトの下に思ヒテを略したるなればなり。ユカメトは行カム〔右△〕トを轉じたるなり○ヤマスゲノは菅の末の相分れたるが男女の背合せに寢たるに似たればソガヒニネシクの枕とせるなり。ネシクは寢タ事ガとなり。いにしへ行はれし一格なり。近くは卷八(一六〇一頁)及卷十(二〇六九頁及二〇九六頁)に例あり
                          (大正十三年九月講了)
 
 
(3173)萬葉集卷第十四轉訛例一斑
 
 凡 例
  せろ、妹ろ、兒ろ、ねろナドらヲろトナマレルハ極メテ多クシテ人ノ看過セム恐ナケレバ擧ゲズ
  あぜか、あどか、のす、せもナド類多キモノハ其一二ノミヲ擧ゲツ
  字ノ左ニ△ヲ附セルハ誤字トオボユルヲ改メテヨメルナリ
 
  同行轉訛例
    あ   いトナマレル
                                    頁
あしが利の ………………………………………………………………………二九八四
    あ   うトナマレル
 
奴がなへゆけば …………………………………………………………………三〇八二
あな由むこまの …………………………………………………………………三一三四
(3174)    あ   えトナマレル
わはさかる〔左△〕か倍 ………………………………………………………三〇三二
しひのこや提の …………………………………………………………………三〇九九
    あ   おトナマレル
なみにゐふ能す …………………………………………………………………三〇二六
こなら能す ………………………………………………………………‥……三〇三五
たかだ〔左△〕か母たむ ………………………………………………………同
あしとひ登ごひ〔左△〕……………………………………………………‥…三〇五五
あは乃へしだも …………………………………………………………………三〇八四
    い   うトナマレル
ま都したす ………………………………………………………………………二九七九
ねろにつ久たし …………………………………………………………………三〇〇六
たつ努じの ………………………………………………………………………三〇二七
をかのく君みら …………………………………………………………………三〇五四
(3175)あぬ努ゆかむと …………………………………………………………三〇五六
あぬ努はゆかずて ………………………………………………………………同
い久づくまでに …………………………………………………………………三〇六七
に布なみに ………………………………………………………………………三〇六八
たとつ久の ………………………………………………………………………三〇八二
こ布しかるなも …………………………………………………………………同
あらがきま由み …………………………………………………………………三一六〇
    い   えトナマレル
を※[氏/一]もこのもに ……………………………………………………二九七六
かなし家こらに …………………………………………………………………三〇二五
すそのうちか倍 …………………………………………………………………三〇八九
うらがなし家を …………………………………………………………………三一〇七
西みどはくまず …………………………………………………………………三一四六
か米におほせむ …………………………………………………………………三一六四
 (3176)    い   おトナマレル
於しべにおふる …………………………………………………………………二九七三
ままの於すびに …………………………………………………………………二九九九
ここば故がたに …………………………………………………………………三〇四〇
よし呂きまさぬ …………………………………………………………………三〇七七
こ等たかりつも …………………………………………………………………三〇八九
    う   あトナマレル
よ良のやまべの …………………………………………………………………三〇九六
をろたにお波る …………………………………………………………………三一〇八
かよ波とりの〔左△〕す ………………………………………………………三一二八
    う   いトナマレル
爾ぬほさるかも …………………………………………………………………二九六二
しりらひか志もよ …………………………………………………………‥…三〇四○
比じにつくまで …‥……………………………………………………………三〇五七
(3177)爾ぬぐもの ………………………………………………………………三一一九
    う   えトナマレル
あはの敝しだも …………………………………………………………………三〇八四
とけな敝ひもの …………………………………………………………………三〇九一
ねな敝こゆゑに …………………………………………………………………三一三一
ははにころば要《エ》 …………………………………………………………同
いづちゆか米と …………………………………………………………………三一七一
    う   おトナマレル
すがのあら能に …………………………………………………………………二九六三
よにもた欲らに …………………………………………………………………二九八四
かみつけ乃 ………………………………………………………………………三〇一七
あらは路までも …………………………………………………………………三〇二七
いまはいかにせ母 ………………………………………………………………三○三○
ふ路よきの ………………………………………………………………………三○三四
(3178)ふろ與きの ………………………………………………………………三〇三四
び古ふねの ………………………………………………………………………三〇四〇
わは〔左△〕かつさね母 ………………………………………………………三〇四二
こよひとのら路……………………………………………………………………三〇七七
かりてきなは母 …………………………………………………………………三〇七九
ね毛とかころが …………………………………………………………………三〇八〇
た刀つくの ………………………………………………………………………三〇八二
こふしかるな母 …………………………………………………………………同
あ抱《ホ》しだも ………………………………………………………………三〇八四
あ路こそえき〔左△〕も ………………………………………………………三一一五
かものは抱のす …………………………………………………………………三一二七
おきにす母 ………………………………………………………………………三一二九
乎さぎねらはり……………………………………………………………………三一三一
あや抱かど ………………………………………………………………………三一四〇
(3179)はら路かはとに …………………………………………………………三一四六
せみ度はくまず …………………………………………………………………同
あめをま刀のす …………………………………………………………………三一六〇
きみをらま刀も …………………………………………………………………同
おもひす吾さむ …………………………………………………………………三一六二
    え   あトナマレル
ゆきかもふ良る …………………………………………………………………二九六一
にぬほ佐るかも …………………………………………………………………同
くにのとほ可ば …………………………………………………………………二九七七
まさかしよ加ば …………………………………………………………………三〇二三
ここばこが多に …………………………………………………………………三〇四〇
つらは可めかも …………………………………………………………………三○四七
こよひとの良ろ …………………………………………………………………三〇七七
とほ可ども ………………………………………………………………………三〇八〇
(3180)しげ可くに ………………………………………………………………三〇九六
しひのこ夜での …………………………………………………………………三〇九九
あやほ可ど ………………………………………………………………………三一四○
は良ろかはとに …………………………………………………………………三一四六
お可ればかなし …………………………………………………………………三一五六
    え   いトナマレル
ふじのやま備に …………………………………………………………………二九七〇
ままのおす比に …………………………………………………………………二九九九
いでそ〔左△〕たばり爾 ………………………………………………………三〇五〇
おひばおふるが爾 ………………………………………………………………三〇六二
にふな未に ………………………………………………………………………三〇六八
いもがな藝《ギ》かむ …………………………………………………………三〇八一
なをどかも思む …………………………………………………………………一三一五六
    え   おトナマレル
(3181)欲だちきぬかも …………………………………………………………三〇八七
ひが刀れば 三一六〇
    お   あトナマレル
つきよ良しもよ …………………………………………………………………三○四五
かたりよ良しも …………………………………………………………………三〇五五
なにこそよ佐れ …………………………………………………………………三〇八四
    お   いトナマレル
お思べにおふる …………………………………………………………………二九七三
みだれ志めめや ‥………………………………………………………………二九七四
よ斯ろきまさぬ …………………………………………………………………三〇七七
    お   うトナマレル
に努ほさるかも …………………………………………………………………二九六二
久もりぬ〔左△〕の ……………………………………………………………二九八六
ままのお須びに …………………………………………………………………二九九九
(3182)に努ぐもの  三一一九
    お   えトナマレル
西らしめきなば …………………………………………………………………三○四七
 
  同列轉訛例
    う   むトナマレル
かき武だき ………………………………………………………………………三○一五
式らなへに ………………………………………………………………………三〇三○
   す   つトナマレル
うちびさ都 ………………………………………………………………………三一一二
    ぞ   どトナマレル?
ひと登おたばふ …………………………………………………………………三〇二二
そらゆ登きぬよ …………………………………………………………………三〇三五
    ち   しトナマレル
(3183)ねろにつくた思 …………………………………………………………三〇〇六
とりはな之 ………………………………………………………………………三○三二
とこのへだ思に …………………………………………………………………三〇五五
いづ思むきてか …………………………………………………………………三〇八一
    つ   すトナマレル
まつした須 ………………………………………………………………………二九七九
    な   あトナマレル
安ぜかまかさむ …………………………………………………………………二九八五
安どかもいはむ …………………………………………………………………二九九二
    の   どトナマレル
を度のたどりが …………………………………………………………………三〇一七
    ら   なトナマレル
しほみつ奈むか …………………………………………………………………二九八二
と奈ふべみこそ …………………………………………………………………三〇七六
(3184)わぬにこふ奈も …………………………………………………………三〇八二
ぬが奈へゆけば …………………………………………‥………‥…………同
こふしかる奈も …………………………………………………………………同
ふたゆく奈もと …………………………………………………………………三一二八
わをかまつ那も …………………………………………………………………三一六二
    れ   えトナマレル
たちみだ要 ………………………………………………………………………同
 附言 卷中轉訛ノ最多キハ
  うべこなはわぬにこふ|なも《らむ》た|と《ツ》つ|く《キ》の|ぬ《ナ》が|な《ラ》へゆけばこ|ふ《ヒ》しかる|なも《ラム》(三〇八二頁)
トイフ歌ナリ。傍書セルハ正音ナリ
             2005年5月4日午後2時35分、入力終了、米田進
 
(3185〜流布本目録省略)
 
萬葉集新考第六  1928.9.23発行
 
  圖版解説
萬葉考|槻《ツキ》のおち葉の著者荒木田|久老《ヒサオユ》が伊勢から其門人にて豐前國中津八幡社司なる渡邊重名に贈つた長さ六尺八寸六分(幅五寸)の書翰である。紙面に限があるから左に特に必要なる部分だけ譯載する。但圖版に示せるは四殴に切りて表装したる第二段の前半と第四段の終とである
 去四月より當七月迄在京仕罷衣候……右之一件いまだ落著不仕侯に付近日又々出京仕候……今度登り申候はば霜月頃迄は逗留可仕存候得ば間隙も可有之存候に付萬葉にても持參致し先達て致しかけ置候考をも追々校正仕候樣にも可仕相樂しみ居申候右考之儀は大平抔よりも御噂可申上候奇説甚多御座候續日本後紀長歌之考是は大坂にて出板仕候近々出來との事に御座候出來候はば御覧可被下候……先は右貴報旁早々如此御座候近日出京之用意取込候故不能詳候恐惶謹言八月八日宇治久老(華押)渡邊上野助樣貴答
續日本後紀歌考初刷本の奥附に寛政六甲寅五月大坂博勞町佐野屋橋筋播磨屋新兵衛とあるから右の書翰は其前年の八月の物であらう。久老は此年四十八歳であつた
 
(凡例省略)
(目次省略)
 
(3189) 萬葉集新考卷十五             井上通泰著
 
  遣2新羅1使人等悲v別贈答及海路慟v情陳v思并當v所誦詠之古謌
 こは此卷の強半に亘れる總標なり。目録を參酌して初に天平八年丙子の六字を補ひ陳思の下に作歌の二字を補ふべし。慟情はココロヲイタマシメテとよむべし。當所はヲリニフレテといふ意なり〇一行中姓名の續日本紀なる遣使記事中に見えたるは大使阿倍朝臣繼麻呂、副使大伴宿禰三中、大判官壬生(ノ)使主《オミ》宇太麻呂、小判官大藏(ノ)忌寸《イミキ》麻呂以上四人のみ。卷中に見えたる秦(ノ)間滿(又田滿とあり)、大石蓑麻呂、田邊秋庭、羽栗某、雪(ノ)宅滿《ヤカマロ》、土師《ハニシ》稻足、葛井《フヂヰ》(ノ)連《ムラジ》子老《コオユ》、六鯖(六人部《ムトベ》鯖麻呂)は録事、通事(屬官、譯官)以下なるべし(遣新羅使の職員は大藏省式などを見て知るべし。式のうち流布本に鎌工とあるは船工の誤ならむ)。右のうち秦、田邊、大石、葛井の四氏は漢韓より歸化せし人の子孫なり。六人部氏には神別と蕃別とあるが鯖麻呂はおそらくは後者ならむ○(3190)此卷は一行中の無名氏の録したるもの(所謂家集)にて作者の名を記さざる歌はおほむね其人の作とおぼゆ。其人の名の傳はらざるはくちをし○さて績紀によるに大使は歸路對馬にて卒し副使はた途にて病に罹りしかば大判官小判官等副使に先だちて天平九年正月に京に入りし由なれど歌に秋サラバアヒ見ムモノヲ、秋風ノフカムソノ月アハムモノユヱ、マタモアヒミム秋カタマケテ、秋サラバワガフネハテムなどいへるを思へば其年即八年の秋に歸朝せむ豫定なりしなり
 
3578 武庫の浦のいり江の渚鳥《スドリ》羽ぐくもるきみをはなれてこひにしぬべし
武庫能浦乃伊里江能渚鳥羽具久毛流伎美乎波奈禮弖古非爾之奴倍之
 以下二首贈答にてこは女の作なり
 初二は羽グクモルにかゝれる序なり。ハグク毛ルはハグク牟ルの訛なり。ハグクムルをハグクモルともいふは、なほナグサムルをナグサモルともいふが如し。さてハグクムルは羽裹《ハグク》ムルにて(略解にククムルを含の意とせるは非なり)もとは鳥が羽もて雛を包むをいひ轉じては保護するをいふなり。こゝは我ヲ保護スル君といへるなり
 
(3191)3579 大船にいものるものにあらませば羽ぐくみもちてゆかましものを
大船爾伊母能流母能爾安良麻勢披羽具久美母知※[氏/一]由可麻之母能乎
 第二句は妹ガ乘ラルルモノニなどいふべきを言數に制せられてかく云へるにて心ゆかず 
3580 君|之《ガ》ゆく海邊のやどにきりたたばあがたちなげくいきとしりませ
君之由久海邊乃夜杼爾奇里多多婆安我多知奈氣久伊伎等之理麻勢
 以下二首贈答にてこは女の歌なり。タチナゲクは立チツツ嘆クなり
 
3581 秋さらばあひ見むものをなにしかもきりにたつべくなげきしまさむ
秋佐良婆安比見牟毛能乎奈爾之可母奇里爾多都倍久奈氣伎之麻左牟
 初二は秋ガ來ラバ歸朝シテ相見ムモノヲとなり。キリニは霧トなり。シマサムといへるは女のたち嘆くは未來の事なればなり
 
3582 大船をあるみにいだしいます君つつむことなくはやかへりませ
大船乎安流美爾伊多之伊麻須君都追牟許等奈久波也可敝里麻勢
(3192) 以下二首贈答にてこは女の作なり
 荒海をつづめてアルミといふは荒礒をつづめてアリソといふが如し。イマスは行キ給フなり。ツツムコトナクはサハリナクなリ。されば答歌にはサハリアラメヤモといへり
 
3583 眞幸而〔左△〕《マサキクト》いもがいははばおきつなみちへにたつともさはりあらめやも
眞幸而伊毛我伊波伴伐於伎都奈美知敞〔左△〕爾多都等母佐波里安良米也母
 イハハバは祈ラバなり。古義に
  或説に眞幸而の而は與の誤にてマサキクトなるべしといへり
といへり。刀の誤ならむ
 
3584 わかれなばうらがなしけむあがころもしたにをきませただにあふまでに
和可禮奈婆宇良我奈之家武安我許呂母之多爾乎伎麻勢多太爾安布麻弖爾
(3193) 以下二首贈答にてこは女のよめるなり
 ウラガナシケムは心ニ悲シカラムにてこゝはウラガナシクオボサムとなり。タダニはヂカニなり。マデニはマデなり。三四の間にカタミトオボシテといふことを補ひて聞くべし。シタニヲのヲは助辭なり○字は宇の誤なり
 
3585 わぎもこがしたに毛〔左△〕《ヲ》きよとおくりたるころものひもをあれとかめやも
和伎母故我之多爾毛伎余等於久理多流許呂母能比毛乎安禮等可米也母
 シタニ毛の毛は宣長の説に從ひて乎の誤とすべし。四五はソノ衣ハシバシダニヌガジといへるなり
 
3586 わがゆゑにおもひなやせそ秋風のふかむそのつきあはむものゆゑ
和我由惠爾於毛比奈夜勢曾秋風能布可武曾能都奇安波牟母能由惠
 以下三首贈答にてこは男の歌なり
(3194) ワガユヱニはワガ爲ニなり。アハムモノユヱは逢ハムモノヲなり。一首中にユヱ二つあり
 
3587 (たくぶすま)新羅《シラギ》へいますきみが目をけふかあすかといはひてまたむ
多久夫須麻新羅邊伊麻須伎美我目乎家布可安須可登伊波比弖麻多牟
 イマスは行キ給フなり。上にも大船ヲアルミニイダシイマス君とあり。目は所見《ミエ》にてこゝにては見エムコトヲとなり。イハヒテは祈リテなリ
 
3588 はろばろにおもほゆるかもしかれども異情《ケシキココロ》をあがもはなくに
波呂波呂爾於毛保由流可母之可禮杼毛異情乎安我毛波奈久爾
    右十一首贈答
 これは男の歌なリ。初句の上にシラギノ國ハといふことを添へて聞くべし。卷五(九三五頁)に
  はろばろにおもほゆるかもしらくものちへにへだ天るつくしのくには
とあり。ケシキココロはアダシ心なリ。卷十四(三〇八九頁)にも家思吉ココロヲアガ(3195)モハナクニとあリ。アガモハナクニは我持タヌ事ヨとなり
 
3589 ゆふさればひぐらしきなくいこま山こえてぞあがくるいもが目をほり
由布佐禮婆比具良之伎奈久伊故麻山古延弖曾安我久流伊毛我目乎保里
     右一首秦間滿
 イコマ山は難破と奈良との中間にある山なり。キナクのキは輕く添へたるなり○古義に此歌を奈良より難波に下る時の作としたれど契沖のいへる如く次の歌と同じく、しばらく家に歸る時の作ならむ○秦間滿は下に秦田滿とあると同一人ならむ。間と田といづれか正しからむ○代匠記に
  滿は麿なり。第四に安倍蟲麻呂を蟲滿ともかけり(○本書七五四頁)
といへり
 
3590 いもにあはずあらばすべなみいはねふむいこまの山をこえてぞあが(3196)くる
伊毛爾安波受安良婆頚敝奈美伊波禰布牟伊故麻乃山乎故延弖曾安我久流
     右一首※[斬/足]還(ルトキ)2私家1陳v思
 第二句はアラバスベナカルベミといふべきを例の如く現在格にて受けたるなり〇三四は岩根ヲフミ行クソノ生駒山ヲとなり。語例は卷十一に
  いはねふむかさなる山にあらねども(二二七八頁)
  いはねふむ夜道はゆかじとおもへれど(二三八七頁)
とあり
 古義に※[斬/足]をヒソカニとよみたれど※[斬/足]は暫に同じければ(干録字書に※[斬/足]暫ハ上通下正とあり)ヒソカニとはよむべからず。又還をカヘリテとよまむは不可なり。カヘルトキとよむべし。一たび難波に下りしかど船出延びしかばしばらく家に歸りしなり○以下十二首は此卷を録せし無名氏の作なり
 
3591 妹とありし時|者《ハ》あれどもわかれてはころもでさむきものにぞありけ(3197)る
妹等安里之時者安禮杼毛和可禮弖波許呂母弖佐牟伎母能爾曾安里家流
 アレドモはサモアラデアリシカドモといふ意なるべけれども、やゝ穩ならず○代匠記に
  此歌夏なれば衣手サムキと云まではあるまじけれども別のうきを云はむとなるべし
といへり
 
3592 海原にうきねせむ夜はおきつ風いたくなふきそ妹もあらなくに
海原爾宇伎禰世武夜者於伎都風伊多久奈布吉曾妹毛安良奈久爾
 
3593 大伴のみ津にふなのりこぎ出而者《デテバ》いづれのしまにいほりせむわれ
大伴能美津爾布奈能里許藝出而者伊都禮乃思麻爾伊保里世武和禮
    右三首臨v發之時作歌
(3198) 大件ノは枕辭にあらず。卷一に大伴ノ高師ノ濱ともありて郷名なり(一二三一頁參照)○フナノリは下にシテを省けるならむ。フナノルといふ動詞のはたらけるにはあらじ。次にアサビラキコギデテクレバといへるアサビラキと同格なり(三一六〇頁參照)○デテバは出タラバなり
 
3594 しほまつとありけるふねをしらずしてくやしく妹をわかれきにけり
之保麻都等安里家流布禰乎思良受志弖久夜之久妹乎和可禮伎爾家利
 フネヲは船ナルヲなり。上三句の意は船出ニマダ間〔日が月〕ノアル事ヲ知ラズシテといへるなり○此歌は妹トアリシといふ歌より前に記すべきなり
 
3595 あさびらきこぎでてくればむこのうらのしほひのかたにたづがこゑすも
安佐妣良伎許藝弖天久禮婆牟故能宇良能之保非能可多爾多豆我許惠須毛
 アサビラキははやく卷三(四四六頁)卷九(一六八五頁)に見えたり。朝に船を出す事な(3199)り。カタは潟なり
 
3596 わぎもこがかたみに見むを印南《イナミ》つましらなみたかみよそにかもみむ
和伎母故我可多美爾見牟乎印南都麻之良奈美多加彌與曾爾可母美牟
 イナミツマははやく卷四及卷六に見えたり。卷四(六三八頁)にいへる如く今の高砂にて印南の端《ツマ》の義ならむ。カタミニはカタミトなり〇一首の意は『イナミツマのツマが妻にかよへばそを我妹子のかたみと見べきを云々』といへるなり。即ほぼ契沖のいへる如し。略解に故郷ノ方ノ印南ヲダニ云々と譯せるは誤解なり。イナミツマは山にあらず洋中の孤島にもあらざれば遥に行き過ぎての後にかへり見らるべきにあらず。又ヨ ニカモ見ムといへるも遥にかへり見る状の調にあらず。浪の高きによりてイナミツマに沿ひて漕ぎ行きがたきを恨みたるなり。下なる屬v物發v思歌に
  いへじまはくもゐにみえぬ、あがもへるこころなぐやと、はやくきてみむとおもひて、おほぶねをこぎわがゆけば、おきつなみたかくたちきぬ、よそのみに見つつすぎゆき云々
(3200)とあると相似たる所あり
 
3597 わたつみのおきつしらなみたちくらしあまをと女どもしまがくる見ゆ
和多都美能於伎都之良奈美多知久良思安麻乎等女等母思麻我久流見由
 シマガクルは島ニ隱ルのニをはぶけるにて島陰に隱るゝなり
 
3598 (ぬばたまの)よはあけぬらしたまのうらにあさりするたづなきわたるなり
奴波多麻能欲波安氣奴良之多麻能宇良爾安佐里須流多豆奈伎和多流奈里
 このタクマノウラは中山嚴水のいへる如く備中の玉島の浦ならむ(土肥經平は備前兒島郡玉村の浦とせり)○アサリスルタヅはアサリニ行ク鶴なり
 
3599 月よみのひかりをきよみ神島のいそ末〔左△〕《ミ》のうらゆ船出すわれは
(3201)月余美能比可里乎伎欲美神島乃伊素末乃宇良由船出頚和禮波
 神島ははやく卷十三(二九四四頁)に出でたり、備中備後の界にありて備中に屬せり○末は未の誤なり。イソミは磯囘なり
 
3600 はなれそにたてるむろの木うたがたもひさしき時をすぎにけるかも
波奈禮蘇爾多※[氏/一]流牟漏能木宇多我多毛比左之伎時乎須疑爾家流香母
 ハナレソは離礒なり。ムロノ木は今のイブキ即ビヤクシンなるべし(五四九頁以下參照)○ウタガタモはオソラクハなり。略解に『あやふき意也』といひ古義に『しばらくの間にもの意なり』といへる共に非なり(二五七六頁參照)○スギニケルカモのカモはカナにはあらず。カの重きカモなり。或はスギニケ流カモの流は牟の誤にあらざるか○卷三に大伴旅人が鞆(ノ)浦のムロノ木をよめる三首の歌あるによりて契沖以下此歌をも鞆浦にての作とせるは妄斷なり。ムロノ木は鞆浦特有の植物ならむや○さて此歌はそのムロノ木の老大なるに感じてよめるのみ。二註の説の僻めるはウタガタモの語意を誤解せし結果なり
 
3601 しましくもひとりありうるものにあれやしまのむろの木は、なれてあ(3202)るらむ
之麻思久母比等利安里宇流毛能爾安禮也之麻能牟漏能木波奈禮弖安流良武
     右八首乘v船入(リテノ)v海路上作歌
 モノニアレヤはモノナラメヤ、モノナラヌヲとなり○シマは前の歌に見えたるハナレソにてハナレ島なり〇二註にハナレテアルラムを結句としたれど波は第四句に附けて島ノムロノ木ハ、馴レテアルラムと心得べし。おのが妻に別れ來たるさびしさより海中の一つ岩にただ一もと生ひたるムロノ木に同情したるなり
 入海路上は海ニ人リテノ路上とよむべし。古義に入2海路上1とよめるはひが言なり
 
   當v所誦詠古哥
3602 (あをによし)奈良のみやこにたなびけるあまのしらくも見れどあかぬかも
安乎爾余志奈良能美夜古爾多奈妣家流安麻能之良久毛見禮杼安可奴(3203)加毛
     右一首詠v雲
 奈良ノミヤコニは奈良ノ都ノ上ニ當リテなり。遥に奈良を望みてよめる古歌なり
 
3603 あをやぎのえだきりおろし湯種蒔《ユダネマキ》忌忌《ユユシキ》きみにこひわたるかも
安乎楊疑能延太伎里於呂之湯種蒔忌忌伎美爾故非和多流香母
 忌々を二註にユユシクとよめり。宜しく舊訓に從ひてユユシキとよむベし。ハバカラハシキといふ意なり。上三句はユユシキにかゝれる序なり○ユダネははやく卷七(一二四七頁)にユダネマクアラキノ小田ヲ求メムトとあり。谷川士清以來之を齋種の義としたれどユザサなどの同例にて五百種の義ならむ○初二はいかが心得べき。まづ契沖は
  春、苗代に種まかむとては柳のはびこりたれば蔭とも成りそこに通ふにもさはれば枝を切下すなり
といひ、次に宣長は
(3204)  すべて田に便よき所に井をほり井の邊に柳をおほして其柳の枝を伐すかしはねつるべといふ物をしかけ苗代の田ごとに水を汲入るゝ事あり。これかならず柳にて他木を用ひず。このアヲヤギノ枝キリオロシといふも其事をいへる也
といひ、次に雅澄は
  エダキリオロシは楊枝を伐て苗代の水口にさして神をいはひ奉るをいふなるべし。今も田を植る初に木の枝を刺ていはふことあリ。是をサバヒオロシと云リ。又今土佐國長岡郡のあたりにてはもはら苗代つくりて種を蒔とき水口に松杉などの枝を刺て水口をいはへり。さて古は何の木にてもあるにまかせて刺けむを後に事祝してしか松杉の常葉木にかぎれる如くにはなれりけむ
といへり。案ずるにもし宣長の説の如くならば枝をきりすかす事は略すとも桔槹をしかくる事は略すべからず。又雅澄の説の如くならば少くともイハヒテといふ言を略すべからず。おそらくは契沖のいへる如く小田の時におほしたる柳の陰を成さむことを怕れてその枝を切りおろすにぞあらむ。但契沖の説のうちソコニ通フニモサハレバといへるは心ゆかず。古義に契沖の説を評して
(3205)  さらば枝キリツケテなどこそいふべけれ。オロシとあるにかなひがたし
といへるは非なり。今も枝をきり除くことを枝ヲオロスといふにあらすや
 
3604 妹がそでわかれてひさになりぬれどひとひもいもをわすれておもへや
妹我素弖和可禮弖比左爾奈里奴禮杼比登比母伊毛乎和須禮弖於毛倍也
 ワスレテオモヘヤは忘レメヤなり。近くは卷十一(二二七一頁)にシキタヘノ袖カヘシ子ヲ忘レテモヘヤとあり。卷六(一〇五六頁)には忘レムを忘レテオモハムといへる例あり
 
3605 わたつみのうみにいでたるしかまがはたえむ日にこそあがこひやまめ
和多都美乃宇美爾伊弖多流思可麻河泊多延無日爾許曾安我故非夜麻米
(3206)    右三首戀歌
 代匠記に
  いづれの河も終には海に出るを殊に此川は海につづけばさてかくはよめり
といひ略解に
  いづこにても湊の川は海に出るなれど播磨の飾磨川は海に近ければかくいへり
といへり。海ニツヅケバといひ海ニ近ケレバといひミナトノ川といへる、いかなる意にかあらむ。又ただ海に出づる事を云はむとならば海ニイヅルとこそいふべけれ。海ニイデタルとはいふべからず。案ずるにこは河の流の河口に止まらで海上まで出でたるをいへるならむ○飾磨川は今姫路の市中を流るゝ船場《センバ》川の古名なり。その船場川は今は市川の支流たる小川に過ぎざれどいにしへは此方本流にて今の市川の方支流なりしなり
 
3606 たま藻かるをと女をすぎて(なつぐさの)野島がさきにいほりすわれは
    柿本朝臣人麿歌曰|敏馬《ミヌメ》をすぎて又曰ふねちかづきぬ
(3207)多麻藻可流乎等女乎須疑※[氏/一]奈都久佐能野島我左吉爾伊保里須和禮波
   柿本朝臣人麿歌曰敏馬乎須疑※[氏/一]又曰布禰知可豆伎奴
 以下四首は夙く卷三(三五九頁至三六六頁)に出でたり○ヲトメは地名として異樣なれば二註に諳記の誤ならむといへれど攝津の敏馬《ミヌメ》は當時の貴人の耳にも目にも熟したる地なればそをヲトメと誤り記《オボ》ゆべからず。契沖は
  第九に葦屋處女墓をよめる歌あり。彼由緒によりて兎原郡葦屋浦を處女とのみもいへるなり
といへれどおそらくはいにしへ葦屋附近を乎等女といひそこに同形の三古墳ありて東西の兩墳が故ありげに中墳に向へるによりて二人の青年が一處女を爭ひし彼莵名日處女の傳説を生ぜしならむ(卷九【一八四三頁】參照)
 
3607 (しろたへの)藤江のうらにいざりするあまとや見らむたびゆくわれを
   柿本朝臣人麿歌曰あらたへの又曰すずきつるあまとか見らむ
(3208)之路多倍能藤江能宇良爾伊射里須流安麻等也見良武多妣由久和禮乎
    柿本朝臣人麿歌曰安良多倍乃又曰須受吉都流安麻登香見良武
 古義に『アラタヘをシロタヘとうたへるは誤なり』といへる如し。藤江は明石の西方にあり
 
3608 (あまざかる)ひなのなが道をこひくればあかしの門よりいへのあたり見ゆ
    柿本朝臣人麿歌曰やまとしま見ゆ
安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊敝乃安多里見由
    柿本朝臣人麿歌曰夜麻等思麻見由
 トはセトなり。イヘノアタリは家ノ見當ノ山なり
 ヤマト鳥は大和の山々の蒼波の上に浮びて見ゆるをいへるなり。だだ大和國とい()ふことにはあらず○因にいふ。卷二十なる天地ノカタメシクニゾヤマト島根ハは日本國をいへるにて島根は常の義なり。こゝなるヤマト島又卷三(四〇三頁)なる
  なぐはしき稻見の海のおきつ浪千重にかくしぬやまと島根は
のヤマトシマネ又播磨國風土記逸文駒手(ノ)御井の下なる大倭《ヤマト》嶋根とは齊しからず
 
3609 武庫のうみのにはよくあらしいざりするあまのつり船なみのうへゆみゆ
     柿本朝臣人麿歌曰けひのうみの又曰かりごものみだれて出見ゆあまのつり船
武庫能宇美能爾波余久安良之伊射里須流安麻能都里船奈美能宇倍由見由
     柿本朝臣人麿歌曰氣比乃宇美能又曰可里許毛能美太禮※[氏/一]出見由安麻能都里舩
 ニハは海面なり。アラシはアルラシの古格なり。ウヘユは上ニなり
 
(3210)3610 安故《アゴノ》のうらにふなのりすらむをと女らがあかものすそにしほみつらむか
     柿本朝臣人麿歌曰安実のうら又曰たまものすそに
安胡乃宇良爾布奈能里須良牟乎等女良我安可毛能須素爾之保美都良武賀
    柿本朝臣人麿歌曰安美能良又曰多麻母能須蘇爾
 安故は志摩國の英虞なり。此歌は宮女たちの御供さきにての状を京にて思ひやりてよめるなり。はやく卷一(七〇頁)に出でたり
 
     七夕歌一首
3611 おほぶねにまかぢしじぬきうなばらをこぎでてわたる月人をとこ
於保夫禰爾麻可治之自奴伎宇奈波良乎許藝弖天和多流月人乎登祐〔左△〕
      右柿本朝臣人麿歌
 例の如く月を船に擬へたるなり。此歌は此處の外に見えず。又此歌は月を詠じたる(3211)にて銀河を詠じたるにあらず。略解に『月人ヲトコは牽牛をよめりと見ゆ』といへり。
 こは卷十なる七夕歌の中に
  ゆふづつもかよふ天道《アマヂ》をいつまでかあふぎてまたむ月人をとこ(二〇三四頁)
  あまのはらナニヲ射ムトカしらまゆみヒキテハリタル月人をとこ(二〇五七頁)
とあるによれるなれど此等は雅澄のいへる如く月の歌のまぎれて七夕歌の中に入れるならむ。月人ヲトコは月を人に擬していへるにて牽牛星を月人ヲトコといへる事は無し。或は此歌どもは七夕に月を見てよめるから七夕歌と標したるかと思ふにユフヅツモといふ歌の如きは十八九日以後の趣なればなほ七夕の作とは認むべからず○祐は※[示+古]の誤なり
 當所誦詠古歌は以上十首なり
 
   備後國|水調《ミツギ》郡長井浦舶泊之夜作歌三首
3612 (あをによし)奈良のみやこにゆくひともがも、(くさまくら)たびゆくふねのとまりつげむに
(3212)安乎爾與之奈良能美也故爾由久比等毛我母久佐麻久良多妣由久布禰能登麻利都礙武仁 旋頭歌也
     右一首大判官
 水調郡は和名抄なる御調郡なり。長井浦は今の絲崎なりといふ。古賀精里の題2長井浦記1といふ文にも備後州長井浦有2絲崎之勝1とあり。舶泊之夜の之は助字なり。之を除きてフネハテシ夜とよむべし○ツゲムニを略解に告ヤランモノヲと藥し古義に告遣ルベキ爲ニとうつせり。次に
  かへるさにいもに見せむにわたつみのおきつ白玉ひりひてゆかな
とあるは見セム爲ニと譯すべければ(卷五【八五九頁及九九三頁】何セムニ參照)こゝも告ゲム爲ニと譯すべきが如くなれど然譯しては弟三句のユク人モガモと相かなひがたきが上に、下なる
  みやこべにゆかむ船もがかりごものみだれておもふことつげやらむ
と句格相似たればなほ略解の如く泊ヲ皆ゲ遣ラムモノヲと譯すべし。即ツゲムを強めてニを添へたるものとすべし
(3213) 大判官は壬生(ノ)使主《オミ》宇太麻呂なり
 
3613 海原をやそしまがくりきぬれども奈良のみやこはわすれかねつも
海原乎夜蘇之麻我久里伎奴禮杼母奈良能美也故波和須禮可禰都母
 以下四首は此卷の筆録者の作ならむ
 ヤソシマガクリは八十島ニ隱レツツにてアマタノ島陰ヲといふことなり。古義に面白ク目トマル處々ヲ見ツツといふことを挿みて譯せるいとよろし。上三句は卷九(一七一六頁)なる人麿の
  ももづたふ八十の島みをこぎくれど粟の小島はみれどあかぬかも
に似たり
 
3614 かへるさにいもに見せむにわたつみのおきつ白玉ひりひてゆかな
可敝流散爾伊母爾見勢武爾和多都美乃於伎都白玉比利比弖由賀奈
 
   風速浦舶泊之夜作歌二首
3615 わがゆゑに妹なげくらし風早のうらのおきべにきりたなびけり
(3214)和我由惠仁妹奈氣久良之風早能宇良能於伎敝爾奇里多奈批家利
 風速は安藝國三津町の附近に今も然云ふ地あり○此歌は出發の時に妻の贈りし
  君がゆく海邊のやどにきりたたばあがたちなげくいきとしりませ
といふ歌を思ひてよめるなり
 
3616 おきつかぜいたくふきせばわぎもこがなげきのきりにあかましものを
於伎都加是伊多久布伎勢波和伎毛故我奈氣伎能奇里爾安可麻之母能乎
 フキセバは吹カバにてこゝにては吹キ持チコバなり。アカマシモノヲはソノ霧ヲ飽クマデ吸ハウモノヲといへるにていとけやけし
 
   安藝國長門(ノ)島(ニテ)舶(ヲ)泊2礒邊1作哥五首
3617 いはばしるたき毛〔左△〕《ノ》とどろに鳴蝉のこゑをしきけば京師《ミヤコ》しおもほゆ
伊波婆之流多伎毛登杼呂爾鳴蝉乃許惠乎之伎氣婆京師之於毛保由
(3215)     右一首大石(ノ)蓑麿
 第二句の毛は能の誤にてイハバシルタキノの八言はトドロニにかゝれる序ならむ
 
3618 やまがはのきよきかはせにあそべども奈良のみやこはわすれかねつも
夜麻河泊能伎欲吉可波世爾安蘇倍杼母奈良能美夜古波和須禮可禰都母
 上なるウナバラヲ八十島ガクリ來ヌレドモといふ歌と四五相同じ
 
3619 いそのまゆたぎつ山河たえずあらばまたもあひ見む秋かたまけて
伊蘇乃麻由多藝都山河多延受安良婆麻多母安比見牟秋加多麻氣※[氏/一]
 イソノマユは大石ノ間〔日が月〕ヲなり。タエズアラバは絶エザラバにてやがてカハラザラバなり。アヒ見ムのアヒは添辭なり。カタマケテは近くは卷十(二一〇八頁)に見えたり。チカヅキテといふことゝおぼゆ。秋ニナリテ歸路ニ又モ見ムといへるなり。山河(3216)に托して身を祝へるなり
 
3620 こひしげみなぐさめかねてひぐらしのなくしまかげにいほりするかも
故悲思氣美奈具左米可禰※[氏/一]比具良之能奈久之麻可氣爾伊保利須流可母
 カネテはカヌルニヨリテにあらず。カネツツなり
 
3621 (わがいのちを)ながとのしまの小松原いくよをへてかかむさびわたる
和我伊能知乎奈我刀能之麻能小松原伊久與乎倍弖加可武佐備和多流
 初句のヲはヨに通ずる助辭なり。我命ヲ長カレを長門(ノ)島にいひかけて枕辭とせるなり○小松は今いふとは異にてたとひ老木にても大木ならぬをいふなり(二五六〇頁參照)。略解に『老木の松を見てもとは小松原なりけむをと思ひてよめる也』といへるはいみじきひが言なり。カムサビはモノフリなり
 
   從2長門浦1舶出之夜仰観2月光1作歌三首
(3217)3622 月《ツク》よみのひかりをきよみゆふなぎにかこのこゑよびうら末〔左△〕《ミ》こぐかも
月余美乃比可里乎伎欲美由布奈藝爾加古能古惠欲妣宇良末許具可母
 カコノコヱヨビは近くは卷十三(二九三六頁)に見えたり。水手ガ聲ニ喚ビなり。主格は水手なり。下なる長歌にはカコモ〔右△〕コヱヨビとあり。古義に水手ヲ喚立テと譯せるは非なり
 
3623 山のはに月かたぶけばいざりするあまのともしびおきになづさふ
山乃波爾月可多夫氣婆伊射里須流安麻能等毛之備於伎爾奈都佐布
 ナヅサフは進み煩らふ事にて、うつりては處を移さざるをいふ。こゝのナヅサフは轉義の方にてイザヨフ、タダヨフなどいふに近し。卷三にも
  八雲さす出雲の子らがくろ髪はよし野の川のおきになづさふ
とあり。月が傾きて漁火が見えそめたる趣なり。古義の釋は誤れり
 
3624 われのみやよぶねはこぐとおもへればおきべのかたにかぢのおとすなり
(3218)和禮乃未夜欲布禰波許具登於毛敝禮婆於伎敝能可多爾可治能於等須奈里
 夜船ヲ漕グハ我ノミナラムト思ヒ居レバ云々といへるなり
   右〔左△〕挽歌一首并短歌
 
3625 ゆふされば あしべにさわぎ あけくれば おきになづさふ かもすらも つまとたぐひて わが尾には △ しもなふりそと しろたへ の はねさしかへて うちはらひ さ宿《ヌ》とふものを ゆくみづの かへらぬごとく ふくかぜの みえぬがごとく あともなき △ よのひとにして わかれにし いもがきせてし なれごろも そでかたしきて ひとりかもねむ
由布佐禮婆安之敞〔左△〕爾佐和伎安氣久禮婆於伎爾奈都佐布可母須良母都麻等多具比弖和我尾爾波之毛奈布里曾等之路多倍乃波禰左之可倍※[氏/一]宇知波良比左宿等布毛能乎由久美都能可敝良奴其等久布久可是能美(3219)延奴我其登久安刀毛奈吉與能比登爾之弖和可禮爾之伊毛我伎世弖思奈禮其呂母蘇弖加多思吉※[氏/一]比登里可母禰牟
 題辭の右は古の誤なり
 上なるオキニナヅサフより連想して或人の誦せしを録したるならむ○ワガ尾ニハのワガ心ゆかず。相タグヘル相手ノ尾ニハフルトモ我尾ニハフルナといふやうに聞ゆればなり。おそらくはシモハフルトモツマガ尾ニなどいふ二句のおちたるならむ○シロタヘノ云々を略解に
  白タヘノハネ云々といへればこゝの可母は鴎をいへるか。又霜のおけるによりてかくいへるにや
といひ古義に
  鳥の羽は人身の衣の如くなれば比へてシロタヘと云り。……白タヘとはもと色の白きをいふより出たる言なれどいひなれては必しも色の上をとはず人のきる物をいふことになれるより羽を人の衣に比へたるのみなるをや
といへり。霜のおけるによりてシロタヘノ羽根といへるのみ○又略解に『羽ネサシ(3220)カヘテウチハラヒは羽根を打はらひつゝさしかへての意也』といへるは非なり。羽根をさしかはしてかたみに霜を拂ふなり○カモスラモ……サヌトフモノヲはヨノ人ニシテ……ヒトリカモネムと照應せるなり。さてヨノヒトニシテは鴨スラモ云々ナルモノヲマシテ世ノ人ニシテといへるなればそれにユク水ノカヘラヌゴトクフク風ノミエヌガ如クアトモナキといふことを添へむは矛盾なり。おそらくはアトモナキの下にヨノナカナガラウツシミノなどいふ二句のおちたるならむ。アトモナキはハカナキなり○ソデカタシキテは近くは卷十一(二三九頁)に衣カタシキとあり。衣を折りてその半を下に敷き半を上に著るなり
 
   反歌一首
3626 たづがなきあしべをさしてとびわたるあなたづたづしひとりさぬれば
多都我奈伎安之敝乎左之弖等妣和多類安奈多頭多頭志比等里佐奴禮婆
(3221)    右丹比大夫悽2愴亡妻1歌
 古義に
  タヅガナキは第三句の上へめぐらして心得べし。蘆邊ヲサシテ鶴ガナキトビワタルなり。さてこはタヅタヅシといはむ料の序なりといへり。序の體にはあらざれど序と見る外は無し。又長歌とのしたしみ少くて反歌とも思はれず○タヅタヅシはタドタドシにて不安なるなり
 
   屬v物(ニ)發《アラハス》v思歌一首并短歌
3627 あさされば いもが手にまく かがみなす み津のはまびに おほぶねに まかぢしじぬき からぐにに わたりゆかむと ただむかふ みぬめをさして しほまちて みをびきゆけば おきべには しらなみたかみ うら末〔左△〕《ミ》より こぎてわたれば (わぎもこに) あはぢのしまは ゆふされば くもゐがくりぬ さよふけて ゆくへをしらに (あがこころ) あかしのうらに ふねとめて うきねをしつ(3222)つ わたつみの おきべを見れば いざりする あまのをと女は 小船乘《ヲブネノリ》 つららにうけり あかときの しほみちくれば あしべには たづなきわたる あさなぎに ふなでをせむと 船人も 鹿子《カコ》もこゑよび (にほどりの) なづさひゆけば いへじまは くもゐにみえぬ あがもへる こころなぐやと はやくきて みむとおもひて おほぶねを こぎわがゆけば おきつなみ たかくたちきぬ よそのみに 見つつすぎゆき たまのうらに ふねをとどめて はまびより うらいそを見つつ △ (なくこなす) ねのみしなかゆ わたつみの たまきのたまを いへづとに いもにやらむと ひりひとり そでにはいれて かへしやる つかひなければ もてれども しるしをなみと またおきつるかも
安佐散禮婆伊毛我手爾麻久可我美奈須美津能波麻備爾於保夫禰爾眞可治之自奴伎可良久爾爾和多理由加武等多太牟可布美奴面乎左指天(3221)之保麻知弖美乎妣伎由氣婆於伎敝爾波之良奈美多可美宇良末欲理許藝弖和多禮婆和伎毛故爾安波治乃之麻波由布左禮婆久毛爲可久里奴左欲布氣弖由久敝乎之良爾安我己許呂安可志能宇良爾布禰等米弖宇伎禰乎詞都追和多都美能於枳敝乎見禮婆伊射理須流安麻能乎等女波小船乘都良良爾宇家里安香等吉能之保美知久禮婆安之辨爾波多豆奈義和多流安左奈藝爾布奈弖乎世牟等船人毛鹿子毛許惠欲妣柔保等里能奈豆左比由氣婆伊敞〔左△〕之麻婆久毛爲爾美延奴安我毛敝流許己呂奈具也等波夜久義弖美牟等於毛比弖於保夫禰乎許藝和我由氣婆於伎都奈美多可久多知伎奴與曾能未爾見都追須疑由伎多麻能宇良爾布禰乎等杼米弖波麻備欲里宇良伊蘇乎見都追奈久古奈須禰能未之奈可由和多都美能多麻伎能多麻乎伊敝都刀爾伊毛爾也良牟等比里比等里素弖爾波伊禮弖可敝之也流都可比奈家禮婆毛弖禮杼毛之留思乎奈美等麻多於伎都流可毛     (3224) イモガ手ニマクとあるを見れば鏡の紐を手に卷きし事もあるにぞあらむ○カガミナスは美津のミのみにかゝれるなり。はやく卷二(二五八頁)にカガミナス見レドモアカズ、卷七(一四六六頁)にカガミナスワガ見シ君ヲとあり○タダムカフはタダニムカフのニを略せるにて正面ニ見ユルといふことなり○ミヲビキユケバは正しく云はばミヲビカセユケバにてミヲビキは水路のしるべをする事、海上ながら海岸に近ければ水路の案内を要せしなり。さて散文ならばシホマチテミヲビキユキ〔右△〕ウラミヨリコギテワタレバといふべきをわざとミヲビキ〔右△〕ケバ、コギテワタレバといへるなり○オキベニハシラ浪タカミはウラミヨリコギテワタレバの説明なり○クモヰガクリヌは雲ヰニ隱レヌにてクモヰは雲なり○ユクヘヲシラニは行クベキ方ヲ知ラズなり○アガココロ云々は略解にいへる如くただ我心アカシを明石にいひかけたる枕辭なり。古義の説は非なり。御津を發して第一夜を明石にてあかしし趣なり○小船ノリは小船ニ乘リのニを省けるなり。ツララニは連れる状なり。ヲトメといへるは想像に過ぎず。否實は丈夫にぞありけむ○鹿子とかけるは借字なり。フナ人は船頭、カコは水夫なり。コヱヨビは上に見えたり○こゝのナヅ(3225)サヒは辛苦シテなり。家島は播磨國の海上にある島なり。クモヰニは遙ニなり○家島トイフ名ヲ負ヒタレバ我思ヘル心ナゴマムヤト云々といへるなり○キテは往キテなり。ミムはココロミムなり。然心得ずばナグヤトのトあまるべし○ヨソノミニの上にコレニヨリテといふことを補ひて聞くべし○タマノウラは備前兒島郡ともいひ備中淺口郡とも云へり。いづれにしても明石より一日の行程にあらず。途中にて一二泊せしことを略せるなり○浦礒ヲ見ツツの下に二句おちたるならむ。イヤサカル家路オモヘバなどか○ワタツミは海神なり、卷七にも海神ノ手ニマキモタル玉ユヱニとあり。タマキノ玉は腕頸に卷きたる玉なり。釧の字を字鏡にタマキとよみ和名抄にヒヂマキとよめるより前註にタマキとヒヂマキとを混同したるものあれどもヒヂマキはクシロにて臂の上に卷くものなればタマキとは齊しからず(一七九一頁參照)。又和名抄射藝具に※[韋+構の旁]和名タマキ一名小手也とあるものと装身具なるタマキと同名異物なる事は古義にいへる如し○イヘヅトニは家苞トなり。ソデニハイレテ以下は袖ニハ入レテモテレドモ〔五字傍点〕還シ遣ル使ナケレバモテル〔三字傍点〕詮ヲナミ云々といふべきをかくいへるなり。シルシは詮なり。マタオキツルカモは(3226)又棄テツルカナなり。オキはヒリヒのうらなり
 
    反歌二首
3628 たまのうらのおきつしらたまひりへれどまたぞおきつる見△流《ミスル》ひとをなみ
多麻能宇良能於伎都之良多麻比利敝禮杼麻多曾於伎都流見流比等乎奈美
 見の下に須をおとせるならむ
 
3629 あきさらばわがふねはてむわすれがひよせきておけれおきつしらなみ
安伎左良婆和我布禰波弖牟和須禮我比與世伎弖於家禮於伎都之良奈美
 オケレは置キテアレなり
 右の歌ども安藝國長門浦の歌と周防國麻里布浦の歌との間にあればタマノウラ(3227)は安藝國にあるべしといへる説あれど詠草は日記とは異なれば掲出の前後は重視すべからす。否此歌どもは追作にてもあるべし
 
   周防國玖珂郡麻里布浦(ヲ)行之時作歌八首
3630 眞かぢぬきふねしゆかずば見れどあかぬ麻里布のうらにやどりせましを
眞可治奴伎布禰之由加受波見禮杼安可奴麻里布能宇良爾也杼里世麻之牟〔左△〕
 フネシユカズバは船ガ進ミ行キハセデ泊ラバとなり○マリフノ浦は岩國の東南なる室(ノ)木の古名なりといふ○牟は乎を誤れるなり
 
3631 いつしかも見むとおもひしあはしまをよそにやこひむゆくよしをなみ
伊都之可母見牟等於毛比師安波之麻乎與曾爾也故非無由久與思乎奈美
(3228) このアハシマを二註に卷三以下に見えたる粟島とせるはいみじきひが言なり。かのアハ島は淡路に附きたる小島なり(一三一二頁參照)。このアハシマは周防の海にあらざるべからず。因にいふ。卷三(四五〇頁)に
  武庫の浦をこぎたむをぶね粟島をそがひに見つつともしき小舟
とある第三句はもとアハヂシマなりしを傳へ誤れるならむ
 
3632 大船にかしふりたててはまきよき麻里布のうらにやどりかせまし
大船爾可之布里多弖天波麻藝欲伎麻里布能宇良爾也杼里可世麻之
 卷七(一二九五頁)に
  舟はててかしふりたてていほりせむ名子江の濱邊すぎがてぬかも
とあり。カシは船をつなぐ杙なり。フリは添辭かと思へど卷二十にコグフネノカシフルホドニサヨフケナムカとあり○結句はただヤドリヲセムカといへるにあらず。モシ出來ル事ナラバといひて萬一を希へるなり
 
3633 (あはしまの)あはじとおもふいもにあれや、やすいもねずてあがこひわ(3229)たる
安波思麻能安波自等於毛布伊毛爾安禮也夜須伊毛禰受弖安我故非和多流
 イモニアレヤは妹ナラメヤハ、妹ナラヌヲとなり。アハジの上に又といふ言を加へて心得べし。所詮二三は還ラバヤガテ逢ハレムモノヲとなり。略解の解釋の誤れるは古義に辨じたる如し
 
3634 筑紫道の可太のおほしましましくも見ねばこひしきいもをおきてきぬ
筑紫道能可太能於保之麻思末志久母見禰婆古非思吉伊毛乎於伎弖伎奴
 初二はシマシクにかゝれる序なり。大島は周防の海上によこたはる大きなる島にて昔より獨立の郡を成せり。二註に可太を地名とせり。案ずるに可太は方なり。太は集中に多くはダに借りたれど稀にはタに借りたる例あり。大島は諸國にある名な(3230)れば取分きて筑紫路ノ方ノ大島といへるなり(こは契沖の第一説なり)
 
3635 いもがいへぢちかくありせば見れどあかぬ麻里布のうらを見せましものを
伊毛我伊敝治知可久安里世姿見禮杼安可奴麻理布能宇良乎見世麻思毛能乎
 
3636 いへびとはかへりはやこと(いはひじま)いはひまつらむたびゆくわれを
伊敞〔左△〕妣等波可敝里波也許等伊波比之麻伊波比麻都良牟多妣由久和禮乎
 カヘリハヤコはハヤカヘリコにおなじ。イハヒ島は上之關の西南にあり。イハヒはイノリなり
 
3637 (くさまくら)たびゆくひとをいはひじまいくよふるまでいはひきにけむ
(3231)久左麻久良多妣由久比等乎伊波比之麻伊久與布流末弖伊波比伎爾家牟
 祝鳥トイフカラ人ヲイハフ島デアラウガ、タビ行ク人ヲ何千年來イハヒ來ニケム
といへるなり。二註にイハヒ來リテ島ノ名ニ負ヒケムとうつせるは非なり。名が先なり。事は後なり
 
   過2大島鳴門1而經2再宿1之後追作歌二首
3638 これやこの名におふなる門《ト》のうづしほにたまもかるとふあまをと女ども
巨禮也己能名爾於布奈流門能宇頭之保爾多麻毛可流登布安麻乎等女杼毛
     右一首田邊秋庭
 大島(ノ)鳴門は大島即屋代島の西北部と本土即玖珂熊毛二郡との間の海峡なり。今|大畠《オホバタケ》瀬戸といふ
(3232) コレヤコノはコレヤソノにてアマヲトメドモにかゝれるなり。古義にコレガ彼カネテ聞及ビシ鳴門ニテヤアルラムとうつせるは非なり○名ニオフは名ニ副フにて名の虚しからざるなり。ナルトは潮の鳴り轟く迫門の義なり○ウヅシホのウヅを宣長以下がうづだかき意とせるは從はれず。ウヅシホは渦潮なるべし○あま少女等が小舟漕ぎ出でなどするを見てカネテ大島ノ鳴門デハアマ少女等ガ藻ヲ刈ルト聞イタガコレガソノ勇敢ナルアマ少女等カといへるなり。二註共に誤解せり
 
3639 なみのうへにうきねせしよひあ杼〔左△〕《ヲ》もへかこころがなしくいめにみえつる
奈美能宇倍爾宇伎禰世之欲比安杼毛倍香許己呂我奈之久伊米爾美要都流
 略解に
  卷十四安杼毛敝可アジクマ山ノユヅルハノとよめるに同じくアドモヘカは何ト思ヘバカの意也。末に『わぎも子がいかにおもへかぬば玉の一夜もおちずいめ(3233)にし見ゆる』ともよめり
といひ古義はさながら之に從へり。案ずるに此歌は前の歌に和したるなり。さて杼は乎の誤にてアヲモヘカはソノアマヲトメドモガ我ヲ思ヘバニヤなり。ココロガナシクはカハユクなり。第二句のヨヒはヨヒニにてかのあま處女等を見し夜なり
 
   熊毛浦船泊之夜作歌四首
3640 みやこべにゆかむ船もが(かりごもの)みだれておもふことつげやらむ
美夜故邊爾由可牟船毛我可里許母能美太禮弖於毛布許登都※[石+疑]夜良牟
     右一首羽栗
 羽栗は氏なり。名のおちたるなり。續紀に羽栗翔、羽栗翼など見えたり
 
3641 あかときのいへこひしきにうら末〔左△〕《ミ》よりかぢのおとするはあまをと女かも
安可等伎能伊敝胡悲之伎爾宇良末欲理可治乃於等須流波安麻乎等女可母
(3234) 初二は家コヒシキ曉ニといはむに似たり。オトスルハは音ノ聞エクルハとなり。アナユカシヤといふ餘意を含めるなり。古義にカレヲキケバイツシカアノ如ク船コギテ家ノ方ニハ歸ルベキト思ハレテなどうつせるはいみじきひが言なり
 
3642 おきべよりしほみちくらしからのうらにあさりするたづなきてさわぎぬ
於伎敞〔左△〕欲理之保美知久良之可良能宇良爾安佐里須流多豆奈伎弖佐和伎奴
 カラノ浦は周防國熊毛郡の内にあるべし。二註に
  筑前國志麻郡之韓亭とある處の浦なり。長門の赤間より今道一里ばかりありといへり
といへるはひが言なり。こゝは熊毛浦なれば赤間とだに近からず。まして韓泊のある筑前國志摩郡は其國の西端なればいと遠かるをや
 
3643 おきべよりふなびとのぼるよびよせていざつげやらむたびのやどり(3235)を
    一云たびのやどりをいざつげやらな
於吉敝欲里布奈妣等能煩流與妣與勢弖伊射都氣也良牟多婢能也登里乎
    一云多妣能夜杼里乎伊射都氣夜良奈
 ノボル京の方へのぼるなり。四五はワガタビノヤドリヲココト告ゲ遣ラムといへるなり
 
   佐婆海中忽遭2逆風漲浪1漂流經v宿而後事得2順風1到2著豐前國下毛郡分〔左△〕間浦1於v是追2※[立心偏+且]《イタミ》艱難1凄惆作歌八首
3644 おほきみのみことかしこみおほぶねのゆきのまにまにやどりするかも
於保伎美能美許等可之故美於保夫禰能由伎能麻爾末爾夜杼里須流可母
(3236)    右一首雪(ノ)宅滿
 佐婆は周防の郡名なり。宿は一夜なり。下毛郡はシモツミケとよむべし。分間浦を二註に『今も下毛郡にありてママともワマともいへりとぞ』といへれど間〔日が月〕々崎こそ下毛郡にあれ和間は別處にて宇佐郡にあるをや。さて分間は万間などの誤にて今の間々崎なるべし○長門國を經て豐前國の北端に到るべきを暴風に遭ひて南方に流されて下毛郡に著きしなり
 第三句以下は船ノ行クニ任セテ思ハヌ處ニヤドリスルカナといへるなり
 雪の下に連《ムラジ》の字をおとせるか。又はわざと略せるか。雪は壱岐なり。古義に
  懷風藻に伊支(ノ)連古麻呂ありて目録には雪(ノ)連と記せり。和名抄に壱岐島(ハ)由伎と見ゆ
といへり。ユとイと相通ふは行をイクともいふが如し。宅滿はやがて古麻呂の子なり
 
3645 わぎもこははやもこぬかとまつらむをおきにやすまむいへづかずして
(3237)和伎毛故波伴也母許奴可登麻都良牟乎於伎爾也須麻牟伊敝都可受之弖
 コヌカは來レカシにてこゝにては還リ來レカシなり。オキニヤスマムは沖ニ停マラムカなり○イヘヅクを略解に『秋に近づくを集中秋ヅクとよめるが如し』といへり。イヘヅクは家ニ就クのニを省けるにて略解にいへる如く故郷ニ近ヅクなり。下にもアハヂ島クモヰニミエヌ家ヅクラシモとあり
 
3646 うら末〔左△〕《ミ》よりこぎこしふねを風はやみおきつみうらにやどりするかも
宇良末欲里許藝許之布禰乎風波夜美於伎都美宇良爾夜杼里須流可毛
 略解に『オキツミウラは沖中の島の浦也』といひ古義には牽強して『海中にもあらず海底にもあらず海浦の入こみ行つまりたる處をいふ』といへり。案ずるにまづ初二は浦ヅタヒ漕ギ來リシ船ナルヲといへるなり。さてミウラは眞心にてオキツミウラは沖の眞中なるべし
 
3647 わぎもこがいかにおもへか(ぬばたまの)ひとよもおちずいめにしみゆ(3238)る
和伎毛故我伊可爾於毛倍可奴婆多末能比登欲毛於知受伊米爾之美由流
 イカニオモヘカはやがて戀シク思ヘバカなり
 
3648 うなばらのおきべに等毛之伊射流火〔六字左△〕《イザルトモシビ》はあかしてともせやまとしま見む
宇奈波良能於伎敝爾等毛之伊射流火波安可之弖登母世夜麻登思麻見舞
 等毛之と伊射流と顛倒せるにてオキベニイザルトモシ火ハなり。アカシテは明クシテなり。古義に夜ヲ明シテとうつせるは非なり
 
3649 (かもじもの)うきねをすれば(みなのわた)かぐろきかみにつゆぞおきにける
可母自毛能宇伎禰乎須禮婆美奈能和多可具呂伎可美爾都由曾於伎爾(3239)家類
 
3650 (ひさかたの)あまてる月は見つれどもあがもふいもにあはぬころかも
比左可多能安麻弖流月波見都禮杼母安我母布伊毛爾安波奴許呂可毛
 マチマチシ月ヲバ見ツレドモと辭を加へて心得べし。略解に『滿レドモにて日數のかさなる意にもあらんか』といへるはいみじきひが言なり。もしさる意ならばミテドモとこそいふべけれ
 
3651 (ぬばたまの)よわたる月|者《ハ》はやもいでぬかも、うなばらのやそしまのうへゆいもがあたり見む
奴波多麻能欲和多流月者波夜毛伊弖奴香文宇奈波良能夜蘇之麻能宇倍由伊毛我安多里見牟 旋頭歌也
 イデヌカモは出デヨカシなり
 
   至2筑紫舘1遙望2本郷1悽愴作歌四首
3652 之賀のあまの一日もおちずやくしほのからきこひをもあれはするか(3240)も
之賀能安麻能一日毛於知受也久之保能可良伎孤悲乎母安禮波須流香母
 はやく卷十一(二四七二頁)に
  しかのあまのけぶりたきたててやくしほのからき戀をも吾はするかも 右一首或云石川君子朝臣作之
とあり。今の歌は右の歌の第二句のみを更へたるなり
 館はタチ又はムロツミとよむべし。官立の旅館なり。さて筑紫館は志珂島にありしなり。日本紀通釋(持統天皇二年紀)に太宰府にある館なりといへるは非なり
 
3653 思可のうらにいざりするあまいへびとのまちこふらむにあかしつる宇乎〔二字左△〕《カモ》
思可能宇良爾伊射里須流安麻伊敝妣等能麻知古布良牟爾安可思都流宇乎
(3241) 結句を契沖は夜ヲ明シテ釣ル魚と釋したり。アカシはげに夜ヲ明シなり。略解に燈ヲ明クトモシテとうつせるは誤解なり。宇乎は可毛の誤にあらざるか。さらばツルは釣ルにあらでテニヲハなり
 
3654 可之布江にたづなきわたるしかのうらにおきつしらなみたちしくらしも
    一云みちしきぬらし
可之布江爾多豆奈吉和多流之可能宇良爾於枳都之良奈美多知之久良思毛
    一云美知之伎奴良思
 古義に『香椎の入江を可之布江といへるにや』といへり。げにカシヒをなまりてカシフといへるならむ。筑前風土記逸文に※[加/可]襲宮とあるはカシフとよみてカシヒの訛とすべきか。又はカシヒとよみて襲の音シフをシヒに通用したりとすべきか(イヒボ、サヒガを揖保、雜賀と書く如く)。※[加/可]襲ハ可紫比ナリと註したるを思へばなほカシ(3242)フとよむべきに似たり○タチシクラシモは一本のミチシキヌラシと對照するにシは助辭にて契沖の第一説の如く立來ラシモなり。二註には同じ人の第二説に從ひて立|重《シク》ラシモの意とせり○志珂浦より香椎江を望みてよめるなり
 
3655 いまよりはあきづきぬ良〔左△〕《ベ》し(あしひきの)やままつかげに日ぐらしなきぬ
伊麻欲里波安伎豆吉奴良之安思比奇能夜麻末都可氣爾日具良之奈伎奴
 良は倍などの誤か。アキヅクは秋ニ就クにて秋ニチカヅクなり。上にイヘヅクといへると同例なり
 
   七夕仰2觀天漢1各陳2所思1作歌三首
3656 あきはぎににほへるわがもぬれぬともきみがみふねのつなしとりてば
安伎波疑爾爾保敞〔左△〕流和我母奴禮奴等母伎美我美布禰能都奈之等理弖(3243)婆
     右一首大使
 織女になりてよめるなり
 ニホヘルはソマレルなり。ワガモは我裳なり。トリテバは取リタラバにて其下にウレシカラマシなどいふことを略したるなり。さて略解に彦星ヲ留メントテ舟ノ綱ヲトリタラバとうつし古義に御舟ノ綱ヲ取テ引留メテアラバとうつしてトリテバを引留メタラバの意とせるは可ならず。こは織女が河原に立待ちて彦星の舟の著かむとする時水におり立ちてみづから舟の舳綱《ヘヅナ》を引寄する趣によめるなり
 
3657 としにありてひとよいもにあふひこぼしもわれにまさりておもふらめやも
等之爾安里弖比等欲伊母爾安布比故保思母和禮爾麻佐里弖於毛布良米也母
 トシニアリテは一年間待チテなり。はやく卷十(二〇五一頁)に
(3244)  年にありて今かまくらむぬばたまの夜ぎりがくりて遠妻の手を
とあり
 
3658 ゆふづくよ可氣多知與里安比あまのかはこぐふなびとを見るがともしさ
由布豆久欲可氣多知與里安比安麻能我波許具布奈妣等乎見流我等母之佐
 略解に
  夕月の影はいつも渡れども其夕月と共に渡る星の影は年に一夜なればめづらしきといふ也
といへるはもとより非なり。古義に
  吾旅にありて家の妻こひしく思ふ折しも夕月の影に立寄合て〔九字傍点〕天河渡る人を見るがうらやましさいはむ方なしとなり。上に彦星モ我ニマサリテ思フラメヤモ
と云るにて其意をさとるべし
(3245)といへるは歌の意を得たる如くなれど第二句なほ心得られず。おそらくは誤字あらむ
 
   海邊望v月〔左△〕作歌九首
3659 あきかぜはひにけにふきぬわぎもこは伊都登加〔二字左△〕《イツカト》われをいはひまつらむ
安伎可是波比爾家爾布伎奴和伎毛故波伊都登加和禮乎伊波比麻都良牟
     大使之第二男
 契沖は
  此九首の中に月を望める意ある歌なし。もし日を月に作ける歟。然らば海邊ニ望ム日とよむべし
といへり。望月は望郷の誤か
 ヒニケニは日々ニなり。古義に伊都登加を伊都加登の顛倒とせるは炯眼なり。イツ(3246)歸ラムカトとなり。イハヒはイノリなり
 大使之第二男の上に右一首の三宇おちたるなり
 
3660 かむさぶるあらつのさきによするなみまなくやいもにこひわたりなむ
可牟佐夫流安良都能左伎爾與須流奈美麻奈久也伊毛爾故非和多里奈牟
    右一首土師《ハニシ》(ノ)稻足《イナタリ》
 上三句は序なり。カムサブルは神サビタルにて物古リタルなり。荒津にかゝれる准枕辭なり。荒津は近くは卷十二(二七三四頁)に見えたり。今の福岡市の内なり○此歌は荒津にて作れるにあらず。荒津の方を望みてよめるなり
 
3661 かぜのむたよせくるなみにいざりするあまをと女らがものすそぬれぬ
     一云あまのをとめがものすそぬれぬ
(3247)可是能牟多與世久流奈美爾伊射里流安麻乎等女良我毛能須素奴禮奴
    一云安麻乃乎等賣我毛能須蘇奴禮濃
 カゼノムタは風ノマニマニなり。卷十二にも浪ノムタナビク玉藻ノ、風ノムタ雲ノユクナスとあり(二六七八頁及二七一八頁)
 
3662 あまのはらふりさけ見ればよぞふけにける、よしゑやしひとりぬるよはあけばあけぬとも
安麻能波良布里佐氣見禮婆欲曾布氣爾家流與之惠也之比等里奴流欲波安氣婆安氣奴等母
     右一首旋頭歌也
 卷十一にも
  あかときととりはなくなりよしゑやしひとりぬる夜はあけばあくとも
とあり。ヨシヱヤシ以下は妹ト凝ヌ夜ハ明ケナバ明ケヌトモヨシといへるなり
 
(3248)3663 わたつみのおきつなはのりくるときといもがまつらむ月|者《ハ》へにつつ
和多都美能於伎都奈波能里久流等伎登伊毛我麻都良牟月者倍爾都追
 初二は序、クルトキは歸リ來ム時なり。秋に還らむと契りしかばかくいへるなり
 
3664 しかのうらにいざりするあまあけくればうら末〔左△〕《ミ》こぐらしかぢのおときこゆ
之可能宇良爾伊射里須流安麻安氣久禮婆宇良末許具良之可治能於等伎許由
 アケクレバは夜アクレバなり
 
3665 いもをおもひいのねらえぬにあかときのあさぎりごもりかりがねぞなく
伊母乎於毛比伊能禮〔左△〕良延奴爾安可等吉能安左宜理其問理可里我禰曾奈久
 イは睡眠なりデサギリゴモリは朝霧ニ隱レテなり○禮は禰の誤なり
 
(3249)3666 ゆふさればあきかぜさむしわぎもこがときあらひごろもゆきてはやきむ
由布佐禮婆安伎可是左牟思和伎母故我等伎安良比其呂母由伎弖波也伎牟
 ユキテは歸リ行キテなり
 
3667 わがたびはひさしくあらしこのあがけるいもがころものあかづく見れば
和我多妣波比左思久安良思許能安我家流伊毛我許呂母能阿可都久見禮婆
 アラシはアルラシの古格なり。コノアガケルは此我著タルなり。コノアガは熟辭なり。卷二(二四七頁)にコノワガ心、卷十七にコノワガ里ニまたコノアガ馬ノとあり○イモガコロモは妹ガ形見ノ衣なり○卷二十に
  たびとへどまたびになりぬいへのもがきせしころもにあかつきにけり
(3250)とあると相似たり
 
   到2筑前國志麻都之韓亭1舶泊經2三日1於v時夜月之光※[白+交]※[白+交]流照|奄《タチマチ》對2此華1旅情悽※[口+壹]各陳2心緒1聊以裁歌六首
3668 おほきみのとほのみかどとおもへれどけながくしあればこひにけるかも
於保伎美能等保能美可度登於毛敞〔左△〕禮杼氣奈我久之安禮婆古非爾家流可母
     右一首大使
 トホノミカドは遠國の政廳なり。筑前國は太宰府の所在地なればトホノミカドといへるなり。ケナガクは日久シクなり。コヒニケルカモの上に家ニを略せるなり○韓亭はやがて韓泊なり。下にも引津(ノ)亭、狛島(ノ)亭などあり。亭はもし訓讀せむとならば古義の如くトマリとよむべし。ウマヤ、ウマヤダチなどはよむべからず。泊との相異は水陸並に云ふべきにあり。敏達天皇紀に海石榴市《ツバイチ》の驛舎を海石榴市亭といへり。(3251)この事は漢籍に十里一亭などいへる亭にてウマヤとも舊訓の如くウマヤダチともよむべし。ウマヤダチのタチは館なり○華を略解に『物華の物を脱せるか』といひ古義に『物華に同じからむ』といへり。もとのまゝにて美観といふ意とすべきか
 
3669 たびにあれどよるは火ともしをるわれをやみにやいもがこひつつあるらむ
多妣爾安禮杼欲流波火等毛之乎流和禮乎也未爾也伊毛我古非都追安流良牟
     右一首大判官
 上三句は旅ニアレドサマデワビシクモアラデ夜ハ家ニアル如ク火モトモシツツ居ル吾ナルヲといへるなり○ヤミニは古義に心ノ闇ニクレマドヒテと譯せる如し。火トモシにむかへて云へるにて此辭に巧はあるなり
 
3670 からどまり能許のうらなみたたぬ日|者《ハ》あれどもいへにこひぬ日|者《ハ》なし
(3252)可良等麻里能許乃宇良奈美多多奴日者安禮杼母伊敝爾古非奴日者奈之
 能許(ノ)浦を古義に能巨島(又能古又乃古と書けり○今も殘《ノコ》(ノ)島といひて福岡※[さんずい+彎]内にあり)
の事としたれど下に能許ノトマリニアマタヨゾヌルとあるはやがて韓拍の事なれば韓泊の一名を能許(ノ)泊といひその浦を能許(ノ)浦といひしなり○彼島を能許(ノ)島といふも能許(ノ)泊の海上にあるが故ならむ○古今集戀一なる
  駿河なる田子のうら浪たたぬ日はあれども君をこひぬ日はなし
は此歌を改めたるなり
 
3671 (ぬばたまの)よわたる月にあらませばいへなるいもにあひてこましを
奴婆多麻乃欲和多流月爾安良麻世婆伊敝奈流伊毛爾安比弖許麻之乎
 月の東より昇り來るを見てよめるなり○ヨワタルはただ輕く添へたるなり
 
3672 (ひさかたの)月|者《ハ》てりたりいとまなくあまのいざり波〔左△〕《ビ》ともしあへり見ゆ
(3253)比左可多能月者弖利多里伊刀麻奈久安麻能伊射里波等毛之安敝里見由
 イトマナクは常には時にいへどこゝは處にいへるにてヒマナクといふに同じ○第四句の波は火の誤ならむ○トモシアヘリは漁火ト漁火トヲトモシ合ヘリといへるなり○略解に『月の光と漁火とひかりあふなり』といへるは非なり。第二句の次にソノ上ニといふことを挿みて聞くべし
 
3673 かぜふけばおきつしらなみかしこみと能許のとまりにあまたよぞぬる
可是布氣婆於吉都思良奈美可之故美等能許能等麻里爾安麻多欲曾奴流
 カシコミトはオソロシサニなり○その次に船出シカネテといふことを加へて心得べし
 
   引津亭舶泊之△作歌七首
(3254)3674 (くさまくら)たびをくるしみこひをれば可也の山邊にさをしかなくも
久左麻久良多婢乎久流之美故非乎禮婆可也能山邊爾草乎思香奈久毛
 舶泊之の下に時などをおとせるなり○コヒヲレバは家ニコヒヲレバなり○可也山は志麻郡(今の糸島郡)にあり○今親山又筑前富士といふとぞ
 
3675 おきつなみたかくたつ日にあへりきとみやこのひとはききてけむかも
於吉都奈美多可久多都日爾安敝利伎等美夜古能比等波伎吉弖家牟可母
     右二首大判官
 こはかの周防の海上にて逆風漲浪に遭ひし事をいへるなり。さればこそアヘリキ、キキテケムカモと過去格にていへるなれ
 
3676 あまとぶやかりをつかひにえてしがも奈良のみやこにことつげやらむ
(3255)安麻等夫也可里乎都可比爾衣弖之可母奈良能禰夜古爾許登都※[石+疑]夜良武
 アマトブヤは准枕辭なり○コトツゲヤラムのコトは上(三二三三頁)にカリゴモノミダレテオモフコトツゲヤラムとあるを思へば言にはあらで事なり
 
3677 秋(ノ)野をにほほすはぎはさけれども見るしるしなしたびにしあれば
秋野乎爾保波須波疑波佐家禮杼母見流之留思奈之多婢爾師安禮婆
 ニホハスは染ムルなり○シルシは詮なり
 
3678 いもをおもひいのねらえぬにあきの野にさをしかなきつつまおもひかねて
伊毛乎於毛比伊能禰良延奴爾安伎乃野爾草乎思香奈伎都追麻於毛比可禰弖
 結句は鹿ガソノ妻ヲ思フニ堪ヘカネテといへるなり
 
3679 おほぶねに眞かぢしじぬきときまつとわれはおもへど月ぞへにける
(3256)於保夫禰爾眞可治之自奴伎等吉麻都等和禮波於毛倍杼月曾倍爾家流
 二註に時マツトを潮時を待つなりといへるはわろし○船出によろしき時を待つにてやがて順風を待つなり○月ゾ經ニケルとあるを思ふべし
 
3680 よをながみいのねらえぬに(あしひきの)山びことよ米《メ》さをしかなくも
欲乎奈我美伊能年良延奴爾安之比奇能山妣故等余米佐乎思賀奈君母
 トヨメは令響にてトヨモシにおなじ
 
   肥前國松浦郡狛島亭舶泊之夜遙望2海浪1各慟2旅心1作歌七首
3681 かへりきて見むとおもひしわがやどのあきはぎすすきちりにけむかも
可敞〔左△〕里伎弖見牟等於毛比之和我夜等能安伎波疑須須伎知里爾家武可聞
    右一首秦田麿
 旅立ノ時秋ニハ歸リ來テ見ムト思ヒシ云々といへるなり○秦田麿は上に秦間滿と(3257)あると同人ならむ
 
3682 あめつちのかみをこひつつあれまたむはやきませきみまたばくるしも
安米都知能可未乎許比都都安禮麻多武波夜伎萬世伎美麻多婆久流思母
     右一首娘子
 コヒツツは祈リツツなり○卷十三(二八五八頁)にも天地ノ神ヲゾ吾乞《ワガコフ》とあり○キマセは歸リ來マセなり○マタバクルシモは未來格を現在格にて受けたるにて卷十四(三一六六頁)なるオクレヰテコヒバクルシモなどと同格なり○娘子は遊行女婿ならむ
3683 きみをおもひあがこひまくは(あらたまの)たつつきごとによくる日もあらじ
伎美乎於毛比安我古非萬久波安良多麻乃多都追奇其等爾與久流日毛
(3258)安良自
 コヒマクハは戀ヒムヤウハなり○ヨクル日は避クル日にて忌む日なり○具註暦に註せる忌諱の一日なり○略解に『一日モオチズといふに同じ意なり』といひ古義に『一日モ漏ル日ハアラジとなり』といへるは非なり○又略解に
  故郷の女の歌なるをこゝにて誦へしか。又は是も右娘子の類にやあらむ
といへるも非ならむ。おそらくは前の歌の和ならむ
 
3684 秋(ノ)夜をながみにかあらむなぞここばいのねらえぬもひとりぬればか
秋夜乎奈我美爾可安良武奈曾許己波伊能禰良要奴毛比等里奴禮婆可
 ナゾココバは何ゾココバクにてココバクは甚なり○ネラエヌモのモは助辭なり○何故ニカク甚シク寐ラレヌゾ、秋ノ夜ガ長サニカアラム又ハ獨寐レバニカアラムといへるなり○卷一なる
  吾妹子をいざ見の山をたかみかもやまとの見えぬ國とほみかも
 又卷七なる
  まそかがみてるべき月をしろたへの雲かかくせるあまつ霧かも(3259)などと格相似たり
 
3685 たらしひめ御船はてけむ松浦《マツラ》のうみいもがまつべき月|者《ハ》へにつつ
多良思比賣御船波弖家牟松浦乃宇美伊母我麻都敝伎月者倍爾都々
 上三句はマツにかゝれる序なり○タラシヒメは神功皇后の御名なり
 
3686 たびなればおもひたえてもありつれどいへにあるいもしおもひがなしも
多婢奈禮婆於毛比多要弖毛安里都禮杼伊敝爾安流伊毛之於母比我奈思母
 オモヒガナシは思フニカナシといふことを一語としたるにて卷十四(三〇四五頁及三〇五五頁)なるツキヨラシ、カタリヨラシ(附クニ宜シ、語ルニ宜シ)の類なるべし。さればオモフは作者が思ふにてカナシはカハユシといふ意なり。略解に『妹が思をおもひやりて悲しきとなり』といひ古義に『家にある妹を一すぢに戀しく思ふ心に堪られずさても悲しやとなり』といへるは共に從はれず
 
(3260)3687 (あしひきの)山とびこゆるかりがねはみやこにゆかばいもにあひてこね
安思必寄能山等妣古由留可里我禰婆美也故爾由加波伊毛爾安比弖許禰
 雁の東の方に向ひて飛び行くを見てよめるなり
 
   到2壹岐島1雪(ノ)連《ムラジ》宅滿《ヤカマロ》忽遇2鬼病1死去之時作歌一首并短歌〔五字□で囲む〕
3688 すめろぎの とほの朝廷《ミカド》と から國に わたるわがせは いへびとの いはひまたねか 多大末〔二字左△〕《タタミ》末かも あやまちしけむ あきさらば かへり麻左牟と (たらちねの) ははにま于《ウ》して ときもすぎ つきもへぬれば 今日かこむ 明日かもこむと いへびとは まちこふらむに とほのくに いまだもつかず やまとをも とほくさかりて いはがねの あらきしまねに やどりする君
須賣呂伎能等保能朝廷等可良國爾和多流和我世波伊敝妣等能伊波比(3261)麻多禰可多大末可母安夜麻知之家牟安吉佐良婆可敝里麻左牟等多良知禰能波波爾麻于之弖等伎毛須疑都奇母倍奴禮婆今日可許牟明日可蒙許武登伊敞〔左△〕比等波麻知故布良牟爾等保能久爾伊麻太毛都可受也麻等乎毛登保久左可里弖伊波我禰乃安良伎之麻禰爾夜杼里須流君
 和名抄に壹岐島(ハ)由岐とあれど壹の音イツを略してイとは唱ふべく壹はユとはよむべからず、又古くよりイキとも云ひし事明なれば壹岐と書けるはなほイキとよむべし。さて名義は宣長の説(記傳卷五【二四三頁】)に
  此島にして神祭りますとて齋忌《ユキ》のことありけむ故の名にもやあらむ○又はから國へ渡るにまづこゝに舟とめてやすむ故に息《イコヒ》の島か
といへれど韓國へ渡り行く道に當れる島なれば行の島と名づけたるならむ。行は集中にもユクともイクともよめり○雪(ノ)連はやがて壹岐(ノ)連なり。壹岐氏は壹岐の島造なりしが(壹岐はいにしへ國といはで島といひしかば其宰をも國造といはで島造といひしなり)宅滿の祖忍見の時山背に上りて松尾なる月讀宮の長官となり子(3262)孫其職を世襲せしなり○鬼病はただ急病といふことならむ。古義に和名抄に瘧鬼エヤミノカミとあるを證として『鬼病はエヤミなり』といへれど瘧鬼の鬼はエヤミノカミのカミに當りてエヤミには當らず○宅滿を弔ふ歌は長歌三首反歌六首にて此題辭は右長短九首にかゝれるなれば一首并短歌とは書くべからず。されば古義には此五字を削れり
 トホノミカドは遠國にある政廳なり。古義に『いはゆる日本府と云るもの是なり』といへれど任那にありし日本府ははやく(欽明天皇の御代か)廢せられて此時代には存在せず。然もトホノミカドといへるは昔より唱へ來れるに從へるなり。ワガセは宅滿を指せるなり○イハヒマタネカは神ニ祈リテ待タネバカなり。多大末は眞淵のいへる如く多太未の誤なり。記傳卷三十九(二三〇三頁)に
  師(○眞淵)の説に人の旅行たる家にては其人の床の疊をいみ慎みて大事とす。これ其畳にもしあやまちすれば其人旅にて事ありとてなり。と云てこゝの御歌又萬葉十五にイヘビトノイハヒマタネカ多太未カモアヤマチシケム云々とあるを引れたり
(3263)といへり。こゝの御歌といへるは古事記なる輕(ノ)太子の御歌にオホキミヲシマニハブラバ、フナアマリイカヘリコムゾ、ワガ多多禰ユメとあるを云へるなり○カヘリ麻左牟等を契沖は『カヘリマサムとは宅滿が詞なれども歌主が引なほしてかくは云なり』といひ雅澄も之に從ひたれど穩ならず。麻爲己〔二字右△〕牟等などありしを左に誤れるにあらざるか○マ乎シテとあるべき乎の于となれるは集中にも佛足石歌にも例あり。此頃よりうつりしなり○トホノクニは遠國にてやがて新羅なり。トホノミカドのトホノと同例なり。クニの下にニを略せるなり○ヤドリスルは葬られたるをいへるなり。今(一)岐國石田郡石田村なる海岸より八丁許入りたる處に石田峯といふ岡ありて其上に方四間〔日が月〕許、高さ七八尺の古墳あり。土人は殿の墓又官人の塚と稱せり。是宅滿の墓なりといふ(好古叢誌五篇下)
 
   反歌二首
3689 伊波多野にやどりするきみいへびとのいづらとわれをとはばいかにいはむ
(3264)伊波多野爾夜杼里須流伎美伊敝妣等乃伊豆良等和禮乎等婆波〔二字左△〕伊可爾伊波牟
 伊波多野は即石田野なり。和名抄にも伊之太と訓じたるを見ればはやく字に引かれてイシダといふやうになりしなり。イヅラトは君ハイヅラトとなり○ワレニ問フをいにしヘワレヲ問フともいひしなり。日本紀なる武内《タケシウチ》(ノ)宿禰の歌にもウべナウ
ベナワレ烏《ヲ》トハスナとあり
 
3690 よのなかはつねかくのみとわかれぬる君にやもとなあがこひゆかむ
與能奈可波都禰可久能未等和可禮奴流君爾也毛登奈安我孤悲由加牟
    右三首挽歌
 初二は第三句にかゝれり。君ハツレナクモ世ノ中ハ常ニカクノ如シトテ別レ行キヌルヲソノ君ニ我ハ心ナラズモ戀ヒツツ旅行カムカといへるなり。略解に『君に戀つゝ慕行んよしなしなり』といへるは誤解なり○次々の反歌の末に右三首葛井連子老作挽歌、石三首六鯖作挽歌とあるを思へばここも右三首何某作挽歌とあるべ(3265)きに似たれどこは此卷の筆録者の歌なればわざと名を書かざるなり。落したるにあらず
 
3691 天地と ともにもがもと おもひつつ ありけむものを (はしけやし) いへをはなれて なみのうへゆ なづさひきにて (あらたまの) 月日もきへぬ かりがねも つぎてきなけば (たらちねの) ははもつまらも あさつゆに ものすそひづち ゆふぎりに ころもでぬれて さきくしも あるらむごとく いで見つつ まつらむものを 世間《ヨノナカ》の ひとのなげきは あひおもはぬ 君にあれやも あきはぎの ちらへる野邊の はつを花 かりほにふきて (くもばなれ) とほきくにべの つゆじもの さむき山邊に やどりせるらむ
天地等登毛爾母我毛等於毛比都都安里家牟毛能乎波之家也思伊敝乎波奈禮弖奈美能宇倍由奈豆佐比伎爾弖安良多麻能月日毛伎倍奴可里我爾母都藝弖伎奈氣婆多良知禰能波波母都末良母安佐都由爾毛能須(3266)蘇比都知由布疑里爾己呂毛弖奴禮弖左伎久之毛安流良牟其登久伊低見都追麻都良牟母能乎世間能比登乃奈氣伎波安比於毛波奴君爾安禮也母安伎波疑能知良敞〔左△〕流野邊乃波都乎花可里保爾布伎弖久毛婆奈禮等保伎久爾敝能都由之毛能佐武伎山邊爾夜杼里世流良牟
 アメツチト云々は略解に『宅滿が齢長くとみづから思ひたりし也』といへる如し。古義に『こゝは家人のかく思ひてありしやうを推はかりて云る故にアリケムといへるなり』といへるは非なり○ウヘユは上ヲなり。ナヅサヒキニテは次なる長歌にナヤミ來テといへるに同じ。宣長の説(玉勝間卷六)も雅澄が浪漬傍《ナヅサヒ》の字を充てたるも共に非なり(一七六二頁參照)○キヘヌは來經ヌにて過ぎヌといはむに同じ。語例は古事記なる美夜受比賣の歌にアラタマノトシガ蚊布禮婆アラタマノツキハ岐閇由久とあり。又播磨國風土記に
  宗形大神云。我可v産《コウム》之月|盡《キヘヌ》。故曰2支閇岳《キヘヲカ》1
とあり。集中にも例あり○ツギテは相繼ギテなり。アサツユニ云々は卷二(二五〇頁)(3267)なる人麻呂の長歌にアサツユニ玉裳ハヒヅチ、ユフギリニコロミモハヌレテとあるを學べるなり。サキクシモ云々はサキクハアラヌモノヲサル事トハ知ラネバサキクシモアルラム如クといへるなり。かく雁の聲を聞きて宅滿の歸宅を待つ趣にいへるは此行もと秋には歸らむあらましなりしが故なり○古義に
  ヒトノナゲキハといふ下にスベナクカナシキ物カナといふ詞を添て意得べし。アヒオモハヌ云々はシカバカリ待ラム家ノ母ヤ妻トハアハレ相思ハヌ君ニアレバニヤの意なり
といへるはいみじきひが言なり。世ノ中ノ人ノ嘆ヲバ顧ミヌ君といへるなり。世ノナカノ人は世ニアル人にて母妻子などを云へるなり。アヒは添辭のみ。さてアレヤはアレバニヤにて末なるヤドリセルラムと照應せるなり。モは助辭なり○チラヘルはチレルの延言にて萩の我が地上に散りてあるなり。古義に『チレルは俗にチッタ、チラヘルはチリヲルと云が如し』といへる上半はひが言なり。ハツヲ花の下にヲを補ひて心得べし○カリホを略解に『荒城に喪屋を造たるさまなるべし』といへり。こは神代紀に即造2喪屋1而殯之とあるに據りていへるなれど孝徳天皇紀に凡王以(3268)下及庶人不v得v營v瀕とある上に旅中の事なれは營みしは殯にはあらで本葬にてカリホといへるは墓の上屋《ウハヤ》ならむ○クモバナレを略解に『雲ゐに放れたる意にて青雲ノムカブス國などいへる如し』といひ古義にも『雲居に遠く放れたる意なり』といへり。案ずるにクモバナレはトホキにかゝれる枕辭にて雲ノ如クハナレといふ意ならむ。語例は古事記なる黒日賣の歌に
  やまとべににしふきあげて玖毛婆郡禮そきをりともわれわすれめや
とあり
  因にいふ。此歌のニシフキアゲテは西風ガ御船ヲ吹キノボセテにてクモバナレはソキにかゝれる枕辭なり。ソキはやがてハナレなり。記傳卷三十五(二一三七頁)の釋は誤れり
 
   反歌二首
3692 (はしけやし)つまもこどももたかだかにまつらむきみ也〔左△〕《シ》しまがくれぬる
(3269)波之家也思都麻毛古杼毛母多可多加爾麻都良牟伎美也之麻我久禮奴流
 タカダカニは人を待つ状なり。キミはソノ君なり。也は之の誤ならむ○シマガクレヌルは島ニ隱レヌルにて船になぞらへて云へるなり
 
3693 もみぢ葉のちりなむ山にやどりぬる君をまつらむひとしかなしも
毛美知葉能知里奈牟山爾夜杼里奴君乎麻都良牟比等之可奈思母
 
     右三首葛井《フヂヰ》(ノ)連《ムラジ》子老《コオユ》作挽歌
 古義に
  チリナムは宅滿がみまかれるは思ふにいまだ秋深からずしてこゝかしこ黄葉するほどなるべければ後を推はかりてチリナムと云るなるべし
といへる如し。ヤドリヌルは葬ラレヌルなり。人は略解に『家人をさす』といへる如し
 
3694 わたつみの かしこきみちを やすけくも なくなやみきて いまだにも もなくゆかむと ゆきのあまの ほつ手|乃〔左△〕《ヲ》うらへ乎〔□で囲む〕 かた(3270)やきて ゆかむとするに いめのごと みちのそらぢに わかれするきみ
和多都美能可之故伎美知乎也須家口母奈久奈夜美伎弖伊麻太爾母毛奈久由可牟登由吉能安末能保都手乃宇良敝乎可多夜伎弖由加武士須流爾伊米能其等美知能蘇良治爾和可禮須流伎美
 ヤスケクモは安キ事モなり。ナクを下へ附けたるは心ゆかず○イマダニモは今カラナリトモなり。語例は近くは卷十(二一六九頁)に今ダニモ妹ガリユカナ夜ハフケヌトモとあり。モナクは卷五(九八五頁)にタヒラケク安クモアラムヲ、事モナクモ〔右△〕ナクモアラムヲとあり。モは凶事なり○ユキノアマは壹岐の海人なり。ホツテは古義にいへる如く秀手《ホツテ》にて上手といふことなり。相撲人の長をホテといふはやがてホツテのつづまれるなり。豐後風土記に
  海部《アマ》郡|穗門《ホト》郷 昔者《ムカシ》纏向《マキムク》(ノ)日代《ヒシロ》(ノ)宮御宇天皇(○景行天皇)御船泊2於此|門《ト》1。海底多生2海藻1一而長美。天皇即勅曰。取2最勝海藻《ホツメ》1(謂2保都米(ト)1)。便命2以進御1。因曰2最勝海藻門《ホツメト》1。今謂2穗(3271)門1者訛也
とあり。ホツに最勝の字を充てたるに注目すべし。さてアマノホツテは最勝れたる水手なり○ホツ手乃の乃は乎を誤れるなり。ウラヘ乎の乎は※[月+眷の目が貝]字なり。削るべし○ウラヘは卜|合《ア》ヘにて卜|合《アハ》セなり。カタヤキは兆灼なり。肩灼にあらず。さてウラヘカタヤキテはつづける語なるを(卷十四【二九八八頁】にもムザシ野ニウラヘカタヤキ云々とあり)調の爲に二句に割きたるにてカタヤキの下にサダメといふ語を補ひて聞くべし。龜卜によりて最勝れたる水手を定めしなり。元來宅滿は世々月讀宮に仕へし傍龜卜を以て朝庭に仕へ、よりて卜部氏とも稱して龜卜の棟梁たりし人なれば其道を以てぞ一行には加はりけむ。遣新羅使の職員に卜師あると三代實録元慶五年十二月の下なる卜部宿禰平麻呂の傳に
  承和之初遣v使聘v唐。聘麻呂以v善2卜術1備2於使部1
とあるとを思ふべし。さて此ウラヘカタヤキは宅滿自ぞものしけむ○ユカムトスルニは出立タムトスル端ニなり○ミチノソラヂは途中といふことなるべけれど(後世も途中をミチノソラとはいへり)ミチとチとかさなれる怪しむべし。かのタダ(3272)ヂをミチノタダヂともいふにむかへて見ればソラヂのみにて途中といふことなるを語を飾りてミチノを添へたるにや
 
   反歌二首
3695 むかしよりいひけるごと乃〔左△〕《ク》(からぐにの)からくもここにわかれするかも
牟可之欲里伊比祁流許等乃可良久爾能可良久毛己許爾和可禮須留可聞
 カラクはツラクなり。韓國へ渡るには困難多かりしかばはやく古人もカラグニノカラクと歌よみせしにて(その歌どもは傳はらねど)今はそを思ひてよめるなり○許等乃の乃は久の誤ならむ。さてムカシヨリイヒケルゴトクはカラ國ノカラクモのみにかゝれるなり。古義に昔ヨリ云傳ヘケルニタガハズ果シテ辛キ別ヲコノ韓國ノ道ニテスルカナと釋せるは非なり。韓國へ渡る道にて僚友に死別せむこと豈常例ならむや
 
(3273)3696 新羅奇《シラギ》へかいへにかかへる(ゆきのしま)ゆかむたどきもおもひかねつも
新羅奇敝可伊敝爾可加反流由吉能之麻由加牟多登伎毛於毛比可禰都母
     右三首六鯖作挽歌
 新羅はこゝの如く新羅奇と書かずばシラギとはよむべからざるを常に新羅と書けるはあながちに二字としたるにぞあらむ○初二きゝ分きがたけれど新羅ヘカ行カム家ニカ歸ラムといふべきをユカムを略しカヘラムを字數に制せられてカヘルといへるならむ。二註に新羅へ往くにか家に歸るにか思ひ分かざる趣に見たるは從はれず○ユカムタドキは新羅へ行くべき便宜なり。オモヒカネツは思ヒ敢ヘズにて思に堪へかぬる事をいへる(たとへば三二五五頁)とは別なり。されば一首の意はナホ新羅ヘ行カムカ今ハ家ニ歸ラムカ、君ニ別レテ新羅ヘ往クベキ便宜ヲ知ラズといへるなり。さてユカムタドキモオモヒカネツモといへるを思へば宅滿(3274)は龜卜の道によりて一行の指導者として必要なる人にぞありけむ
 六鯖は契沖の説に續紀に見えたる六人部《ムトベ》(ノ)連鯖麻呂の略ならむといへり
   到2對馬島淺茅(ノ)浦1舶泊之時不v得2順風1經停五箇日、於v是瞻2望物華1各陳2慟心1作歌三首
3697 ももふねのはつる對馬のあさぢ山しぐれのあめにもみだひにけり
毛母布禰乃波都流對馬能安佐治山志具禮能安米爾毛美多比爾家里
 モモフネノハツルの八言はツシマのツ(津)にかゝれる枕辭なり。モミダヒはモミヂの延なり
 
3698 (あまざかる)ひなにも月はてれれどもいもぞとほくはわかれきにける
安麻射可流比奈爾毛月波弖禮禮杼母伊毛曾等保久波和可禮伎爾家流
 イモゾは妹ニゾのニをはぶけるなり。月ヲ見レドモ妹ヲ見ズといへるなり
 
3699 あきさればおくつゆじもにあへずして京師《ミヤコ》の山はいろづきぬらむ
安伎左禮婆於久都由之毛爾安倍受之弖京師乃山波伊呂豆伎奴良牟
(3275) アヘズシテは堪ヘズシテなり○ミヤコノ山モといはずしてミヤコノ山ハといへるによりて其上にサラヌダニナツカシキといふことを略せるなることを察すべし
 
   竹敷《タカシキ》(ノ)浦舶泊之時各陳2心緒1作歌十八首
3700 (あしひきの)山下びかるもみぢ葉のちりのまがひはけふにもあるかも
安之比奇能山下比可流毛美知葉能知里能麻河比波計布仁聞安留香母
     右一首大使
 山下ビカルの語例は卷六(一一六六頁)にイハホニハ山下ビカリ錦ナス花サキヲヲリとあり。下ビカルは下デルにおなじければ山、シタビカリとシタをヒカリに附けてよむべく又ヒは濁りて唱ふべし○チリノマガヒハは散リ亂ルルハにてこゝにてはチリ亂ルル盛ハの意なり
 
3701 たかしきのもみぢを見ればわぎもこがまたむといひしときぞきにける
(3276)多可之伎能母美知乎見禮婆和藝毛故我麻多牟等伊比之等伎曾伎爾家流
     右一首副使
 秋歸らむあらましなりしかばワギモコガマタムトイヒシ時とはいへるなり
 
3702 たかしきのうら末〔左△〕《ミ》のもみぢわれゆきてかへりくるまでちりこすなゆめ
多可思吉能宇良末能毛美知和禮由伎弖可敝里久流末低知里許須奈由米
     右一首大判官
 チリコスナの語例は近くは卷八(一六六七頁)にコヨヒノミノマム酒カモチリコスナユメとあり。散ッテクレルナとなり
 
3703 たかしきのうへかた山はくれなゐのやしほのいろになりにけるかも
多可思吉能宇敝可多山者久禮奈爲能也之保能伊呂爾奈里爾家流香聞
(3277)     右一首小判官
 古義に
  ウヘカタ山は上方山にて上《ウハ》つ方にある山をいふべし。又即山名に負たるにもあるべし
といへり。おそらくは山の名にはあらじ。山の名はありもすべけれど不知案内の地にて其名を知らねば上の方に見ゆるままにウヘカタ山といへるならむ○ヤシホノイロは濃き色なり
 
3704 もみぢばのちらふ山邊ゆこぐふねのにほひにめでていでてきにけり
毛美知婆能知良布山邊由許具布禰能爾保比爾米※[人偏+弖]弖伊※[人偏+弖]弖伎爾家里
 山邊ユは山邊ヲなり。コグフネノニホヒを古義にコグ船ノヨソヒノ艶色《ニホヒ》と譯せり。おそらくは赤く船を塗れるをいへるならむ。卷三(三七九頁)及卷十三(二八七八頁)にアケノソホ舟とあり○ニホヒニメデテなどなまめき云へるげに遊行女婦の口吻なり
3705 たかしきのたまもなびかしこぎでなむ君がみふねをいつとかまたむ
(3278)多可思吉能多麻毛奈婢可之己藝低奈牟君我美布禰乎伊都等可麻多牟
     右二首對馬娘子名|玉槻《タマツキ》
 此女は遊行女婦なり
 
3706 たましけるきよきなぎさをしほみてば|△《ミ》あかずわれゆくかへるさに見む
多麻之家流伎欲吉奈藝佐乎之保美弖婆安可受和禮由久可反流左爾見牟
     右一首大使
 第四句をもとのまゝにすればナギサヲはユクにかゝりて即渚を行くことゝなりて渚を見あかぬことゝはならず。おそらくは見アカズワレユクとありし見をおとせるならむ
 
3707 あきやまのもみぢをかざしわがをればうらしほみちくいまだあかなくに
(3279)安伎也麻能毛美知乎可射之和我乎禮婆宇良之保美知久伊麻太安可奈久爾
     右一首副使
 
3708 ものもふとひとにはみえじ(したひもの)したゆこふるにつきぞへにける
毛能毛布等比等爾波美要緇之多婢毛能思多由故布流爾都奇曾倍爾家流
     右一首大使
 シタユは心ニなり。古義にいへる如く三四五一二と次第を換へてモノモフトの上にサレドといふことを添ヘて心得べし
 
3709 いへづとにかひをひりふとおきべよりよせくるなみにころもでぬれぬ
伊敞〔左△〕豆刀爾可比乎比里布等於伎敝欲里與世久流奈美爾許呂毛弖奴禮(3280)奴
 
3710 しほひなばまたもわれこむいざゆかむおきつしほさゐたかくたちきぬ
之保非奈波麻多母和禮許牟伊射遊賀武於伎都志保佐爲多可久多知伎奴
 上三句はイザ歸リ行カム、サテ潮干ナバ又モ來ムといへるなり○シホサヰは潮の音なり(二四六七頁參照)○古義に潮ノ高クタチ來テ船出スべキ時ニ至リヌレバ云々
といへるは非なり。マタモワレコムは上にカヘルサニ見ムといへるとは異にて停泊中ニ又モ來ムといへるなり
 
3711 わが袖はたもととほりてぬれぬともこひわすれがひとらずばゆかじ
和我袖波多毛登等保里弖奴禮奴等母故非和須禮我比等良受波由可自
 
3712 奴波多麻能いもがほすべくあらなくにわがころもでをぬれていかにせむ
(3281)奴波多麻能伊毛我保須倍久安良奈久爾和我許呂母弖乎奴禮弖伊可爾勢牟
 ヌバタマノイモといへる、例なき事なれば眞淵は『ヌバタマノ夜といふよりうつりてイモのイ(寢)の一言につづけたるなり』といひ宣長は『十一の卷にヌバ玉ノ妹ガクロ髪云々とある歌などを心得たがへて誤りてよめるなるべし』といへり。ヌバタマノイメといふイメとイモと音相近ければ通用してヌバタマノイモと云へるか。ともかくも穩ならず。結句もヌラシテといはではとゝのはず○比歌は前者の和ならむ
 
3713 もみぢばはいまはうつろふわぎもこがまたむといひしときのへゆけば
毛美知婆波伊麻波宇都呂布和伎毛故我麻多牟等伊比之等伎能倍由氣婆
 ヘユケバは過グレバなり
 
(3282)3714 あきさればこひしみいもをいめにだにひさしく見むをあけにけるかも
安伎佐禮婆故非之美伊母乎伊米爾太爾比左之久見牟乎安氣爾家流香聞
 コヒシミを古義にコヒシキ故ニの意なりといへるはいみじきひが言なり。コヒシミイモはハヤミ濱風、クシミ玉、ハヤミ早湍などと同例にてコヒシキ妹といふことなり(卷十一【二四五一頁】ハヤミハヤセ參照)。アキサレバはコヒシミにかゝれるにはあらでイメニダニ久シク見ムヲにかゝれるにて秋ハ夜長カレバ夢ニダニ久シク見ムトタノミシヲといへるなり。二註に秋ハ還リテ逢ント契置シ比ニモ成ヌレバ云々といひ秋ニナリナバ必歸リ來テ相見ムトチギリシ故ニ云々といへるは非なり○結句の上にソノ夜サヘといふことを補ひて聞くべし
 
3715 ひとりのみきぬるころものひもとかばたれかもゆはむいへとほくして
(3283)比等里能未伎奴流許呂毛能比毛等加婆多禮可毛由波牟伊敝杼保久之弖
 略解に獨著シ衣ノ紐ヲ云々と譯したれどキヌルは著ヌルにはあるべからず。もし著の意ならばヒトリノミとはいふまじきが上にキヌルもキタルとあらざるべからざればなり。初二は宜しく獨ノミ來ヌルワガ衣ノと譯すべし○又略解にワガ下紐ヲ云々とうつしたれどコロモノ紐は上紐にて下紐即褌の紐にあらず
 
3716 (あまぐもの)たゆたひくれば九月《ナガツキ》のもみぢの山もうつろひにけり
安麻久毛能多由多比久禮婆九月能毛美知能山毛宇都呂比爾家里
 タユタヒクレバはスクスクト來ズシテ途中ニ日ヲ費シ來レバとなり。モミヂノ山は契沖のいへる如く地名にはあらで卯花山の類なり〇四五の間〔日が月〕に月ノ末ツ方ニナリテといふことを補ひて聞くべし
 
3717 たびにてももなくはやことわぎもこがむすびしひもはなれにけるかも
(3284)多婢爾弖毛母奈久波也許登和伎毛故我牟須比思比毛波奈禮爾家流香聞
 モナクは恙ナクなり。上(三二六九頁)にも今ダニモモナクユカムトとあり。ハヤコトはハヤク歸リ來ヨトイハヒテとなり。ナレはヨゴレなり。此紐も衣の紐なり。さてムスビシを受けて紐とはいひたれど實は衣全體がよごれたるなり
 
   囘2來筑紫1海路入(ルトキ)v京到2播磨國家島1之時作歌五首
3718 いへじまはなにこそありけれうなばらをあがこひきつるいももあらなくに
伊敝之麻波奈爾許曾安里家禮宇奈波良乎安我古非伎都流伊毛母安良奈久爾
 新羅にての歌又歸路の播磨までの歌は缺けたるなり○家島ノ家トイフハ名ノミナリケリといへるなり
 
3719 (くさまくら)たびにひさしくあらめやといもにいひしをとしのへぬら(3285)く
久左麻久良多婢爾比左之久安良米也等伊毛爾伊比之乎等之能倍奴良久
 アラメヤトはアラムヤハトなり。ヘヌラクは經ヌル事ヨとなり。歸朝は翌年になりたれは年ノヘヌラクといへるなり
 
3720 わぎもこをゆきてはやみむあはぢしまくもゐに見えぬいへづくらしも
和伎毛故乎由伎弖波也美武安波治之麻久毛爲爾見廷〔左△〕奴伊敝都久良之母
 クモヰニミエヌは遙ニ行手ニ見エヌとなり。古義に近ク見シ淡路島モヤヤ遠ク跡ニナリテ雲居遙ニ見エヌレバと譯したるはいみじきひが言なり○イヘヅクラシモは家ニ近クナルラシモなり。上(三二三六頁)にも
  わぎもこははやもこぬかとまつらむを沖にやすまむ家づかずして
(3286)とあり○廷は延の誤なり
 
3721 (ぬばたまの)よあかしもふねはこぎゆかなみつのはままつまちこひぬらむ
奴婆多麻能欲安可之母布禰波許藝由可奈美都能波麻末都麻知故非奴良武
 ヨアカシモは夜スガラモなり。ミツノハママツはマチにかゝれる序なり。待ち戀ふるは家人なり。卷一にも
  いざ子どもはやくやまとへ大伴のみつの濱松まちこひぬらむ
とあり
 
3722 大伴のみ津のとまりにふねはててたつたの山をいつかこえいかむ
大伴乃美津能等麻里爾布禰波弖弖多都多能山乎伊都可故延伊加武
 三四の問に上陸シテといふことを補ひて聞くベし
 
(3287)   中臣朝臣|宅守《ヤカモリ》與2狹野《サヌ》(ノ)茅上娘子《チガミヲトメ》1贈答歌
3723 (あしひきの)やまぢこえむとする君をこころにもちてやすけくもなし
安之比奇能夜麻冶〔左△〕古延牟等須流君乎許許呂爾毛知弖夜須家久母奈之
 目録に
  中臣朝臣宅守娶2藏部女嫂〔左△〕狹野茅上娘子1之時勅|斷《サダメ》2流罪(ニ)1配2越前國1也。於v是夫帰相2嘆
易v別難1v會各陳2慟情1贈答六十三首
 とあり。嫂は嬬の誤か。藏部は後宮の藏(ノ)司か
 ヤマヂコエムトスルは山路ヲ越エテ越前ニ赴カムトスルなり。ココロニモチテは心ニ保チテなり。ヤスケクはヤスキ事にてここにては安キ心なり○此人天平十二年の大赦にも赦されざりしを思へば特に重く罸せらるゝ理由ありしにや。娘子が罪せられざりし趣なるも怪しむべし
 
3724 君がゆく道のながてをくりたた禰〔左△〕《ミ》やきほろぼさむあめの火もがも
君我由久道乃奈我※[氏/一]乎久里多多禰也伎保呂煩散牟安米能火毛我母
(3288) タタ禰を古義にタタ彌の誤とせり。クリタタミは繰寄セ畳ミなり。サル事モシカナハバ君ハ越ニ下ラデモアルベキヲといへるなり。古義に燒亡シテ近クナラシメム天ノアヤシキ火モガナアレカシと譯したるは非なり。もし路の長手を近からしむる意ならばただミチノナガ手ヲクリタタマムスベモガモとあるべく四五は無用にあらずや
 
3725 わがせこ之《シ》けだしまからばしろたへのそでをふらさね見つつしぬばむ
和我世故之氣太之麻可良婆思漏多倍乃蘇低乎布良左禰見都追志努波牟
 之を略解にガとよめり。古義に從ひてシとよむべし。但卷中にもガに之の字を借れる例はあり(キミガユクを君之行と書けり)。ケダシはモシなり。或ハ免サレテマカラデ已ム事モアルベケレドモシ罷ラバといへるなり
 
3726 このごろはこひつつもあらむ(たまくしげ)あけてをちよりすべなかる(3289)べし
己能許呂波古非都追母安良牟多麻久之氣安氣弖乎知欲利須辨奈可流倍思
    右四首娘子臨v別作歌
 コノゴロハは今ハなり。アラムはアラムヲなり。アケテヲチヨリは明朝以後なり。ヲチはサキなり
 
3727 ちりひぢのかずにもあらぬわれゆゑにおもひわぶらむいもがかなしさ
知里比治能可受爾母安良奴和禮由惠爾於毛比和夫良牟伊母我可奈思佐
 チリヒヂノは塵泥ノ如クなり。初二は自謙の辭のみ。古義にカク此度罪ヲ被リテ遠ク放タレテ塵泥ノ如ク世ニ容ラレズ數マヘラレヌ吾ナルモノヲ云々と譯せるは從はれず。流罪に逢はずともかくはいふべし
 
(3290)3728 (あをによし)奈良のおほぢはゆきよけどこの山道はゆきあしかりけり
安乎爾與之奈良能於保知波由吉余家杼許能山道波由伎安之可里家利
 ヨケドはヨカレドなり。コノ山ミチといへるは山城近江を經て越前へ赴く山路なり
 
3729 うるはしとあがもふいもをおもひつつゆけばかもとなゆきあしかるらむ
宇流波之等安我毛布伊毛乎於毛比都追由氣婆可母等奈由伎安思可流良武
 略解に
  モトナは例のヨシナの意也。此モトナの詞を三の句の上へ廻して心得べし
といひ古義も之に左袒したれど辭は妄におきかふべからず。モトナは元來あらずもがなと思ふ時にいふ辭にて此歌にてはユキアシにかゝれるなり。略解に又『上のユキアシカリケリといふにみづから答るさまによめり』といへるはよろし
 
(3291)3730 かしこみとのらずありしをみこしぢのたむけにたちていもが名のりつ
加思故美等能良受安里思乎美故之治能多武氣爾多知弖伊毛我名能里都
     右四首中臣朝臣宅守上v道作歌
 流人ノ身ナレバ畏多サニ妹コヒシキヲシノビテソノ名ヲノラデ來シヲ越路ニ入立ツ有乳《アラチ》山ノ峠ニ立チテ今ハ堪ヘカネテ妹ガ名ヲノリツといへるなり
 
3731 おもふ|△惠《ユヱ》にあふものならばしましくもいもが目かれてあれをらめやも
於毛布惠爾安布毛能奈良婆之末思久毛伊母我目可禮弖安禮乎良米也母
 初句を眞淵はオモフ故ニなりといひ雅澄は『思フママニと云むが如し』といへり。惠の上に由をおとしたるならむ〇二三の間にシマシクモ思ハヌ間ナケレバといふ(3292)ことを挿みて聞くべし。カレテは離レテなり。されば妹ガ目カレテは妹ガ目見ズテといはむに似たり
 
3732 (あかねさす)ひるはものもひ(ぬばたまの)よるはすがらにねのみしなかゆ
安可禰佐須比流波毛能母比奴婆多麻乃欲流波須我良爾禰能未之奈加由
 
3733 わぎもこがかたみのころもなかりせばなにものも※[氏/一]かいのちつがまし
和伎毛故我可多美能許呂母奈可里世婆奈爾毛能母※[氏/一]加伊能知都我麻之
 母※[氏/一]加を古義に母智加の誤としたれどモテはモチテの約にてはやく奈良朝時代よりいひそめし辭なり。卷十八なる大伴坂上郎女の歌にもウマニフツマニオホセ母天とあり。このモテを古義にモタセなりといへれど、もしモタセならば令負持《オヒモタセ》と(3293)こそいふべけれ。命負令持《オホセモタセ》とはいふべからず。さてナニモノモテカは何物ニヨリテカといふ意なり
 
3734 とほき山せきもこえきぬいまさらにあふべきよしのなきがさぶしさ
    一云さびしさ
等保伎山世伎毛故要伎奴伊麻左良爾安布倍伎與之能奈伎我佐夫之佐
    一云左必之佐
 初二はトホキ山ヲモ、トホキ關ヲモといへるなり。其關は所謂三關の一なる愛發《アラチ》(ノ)關なり。古義に礪波(ノ)關なりといへるは非なり。礪波は加賀と越中との界にありて奈良より越前に赴く人の越ゆべきにあらず○イマサラニは今ハ更ニなり。集中にイマサラニといへるに右の意なると今の世にいふ意なると二つあり○サブシは樂しからざるなり。サビシはサブシのうつれるなり
 
3735 おもはずもまことありえむやさぬるよのいめにもいもがみえざらなくに
(3294)於毛波受母麻許等安里衣牟也左奴流欲能伊米爾毛伊母我美延射良奈久爾
 初二はマコトニ妹ヲ思ハズシテアリ得ムヤ、アリ得ジとなり○ミエザラナクニを略解に
  ナクは詞にて見エザルニといふ也。卷十四ヲツクバノシゲキコノマヨタツ鳥ノメユカナヲ見ムサネザラナクニといふもサは發語にて寢ザルニ也
といひ古義にも
  見エザル事ナルヲといふ意になる詞なり。比例一卷、三卷、四卷、十四卷等に見えたり
といへるはいみじきひが言なり。こゝは寢ル夜ノ夢ニモ妹ガ見エザラバコソアラメ、見エザルニアラヌヲイカデカ思ハズシテアリ得ムといへるなり
 
3736 とほくあれば一日一夜もおもはずてあるらむものとおもほしめすな
等保久安禮婆一日一夜毛於母波受弖安流良牟母能等於毛保之賣須奈
(3295) トホクアレバは第二句をうち越えてオモハズテアルラムにかゝれるなり。即一日一夜ダニ思ハズテハアラヌヲ遠ク隔タリテアレバ思ハズテアルラムトオモホスナといへるなり
 
3737 ひとよりはいもぞもあしきこひもなくあらましものをおもはしめつつ
比等余里波伊毛曾母安之伎故非毛奈久安良末思毛能乎於毛波之米都追
 イモゾモのモは助辭なり。卷十一(二三七二頁)にも
  相見ては戀なぐさむと人はいへど見て後にぞもこひまさりける
とあり。三四はモシ妹ナカリセバ云々といへるなり。オモハシメツツはカク戀セシメツツシテといふ事にて初二にかへりかゝれるなり
 
3738 おもひつつぬればかもとな(ぬばたまの)ひとよもおちずいめにし見ゆる
(3296)於毛比都追奴禮婆可毛等奈奴婆多麻能比等欲毛意知受伊米爾之見由流
 上(三二三七頁)に
  わぎもこがいかにおもへかぬばたまのひと夜もおちずいめにしみゆる
とあると第三句以下全く相同じ
 
3739 かくばかりこひむとかねてしらませばいもをばみずぞあるべくありける
可久婆可里古非牟等可禰弖之良末世婆伊毛乎婆美受曾安流倍久安里家留
 四五は妹ヲバ知ラズシテアラマシモノヲといはむにひとし。卷十一(二二四七頁)に
  かくばかりこひしきものとしらませば遠くのみ見てあらましものを
とあり
 
(3297)3740 あめつちのかみなきものにあらばこそあがもふいもにあはずしにせめ
安米都知能可未奈伎毛能爾安良婆許曾安我毛布伊毛爾安波受思仁世米
 天地ノ神アレバソノチハヒニテ我思フ妹ニ又逢フ事モアラムとなり。卷四(七一〇頁)にも
  あめつちの神にことわりなくばこそわがもふ君にあはずしにせめ
とあり。シニセメは死ナメなり
 
3741 いのち乎之〔二字左△〕《シモ》またくしあらば(ありぎぬの)ありてのちにもあはざらめやも
    一云ありてののちも
伊能知乎之麻多久之安良婆安里伎奴能安里弖能知爾毛安波射良米也母
(3298)    一云安里弖能乃知毛
 古義に之《シ》のみを助辭としたれどイノチヲ全クアラバとはいふべからず。乎之はおそらくは之毛の誤ならむ。コロモシモ〔二字右△〕サハニアラナム(二五二八頁)などのシモなり。アリテは程經テなり
 
3742 あはむ日を其日としらずとこやみにいづれの日まであれこひをらむ
安波牟日乎其日等之良受等許也未爾伊豆禮能日麻弖安禮古非乎良牟
 ソノ日トシラズはイヅレノ日ト知ラズなり○トコヤミニは上(三二五一頁)にヤミニヤ妹ガコヒツツアルラムとあるヤミニとおなじかるべし。古義に照日ヲモ常闇ニ泣クラシマドヒテとうつせるは從はれず。彼處の如く心ノ闇ニクレマドヒテと譯すべし。コヒヲラムは戀ヒ居ラムコトゾとなり
 
3743 たびといへばことにぞやすきすくなくもいもに戀つつすべなけなくに
多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎須久奈久毛伊母爾戀都都須敝奈家奈久(3299)爾
 初二は旅トイヘバ言ニハ何ナラネドとなり。卷十一(二三八二頁)なる
  言にいへば耳にたやすしすくなくも心のうちにわがもはなくに
の初二と相似たり○スクナクモは二註にいへる如くスベナケナクニにかゝれり。スベナケナクニはスベ無カラ無クニなり。さてスクナクモスベナケナクニはイトスベナキ事ヨといふ意なり。スクナクと下なる否定と相合ひてイトといふ意となるなり
 
3744 わぎもこにこふるにあれは(たまきはる)みじかきいのち毛〔□で囲む〕をしけくもなし
和伎毛故爾古布流爾安禮波多麻吉波流美自可伎伊能知毛乎之家久母奈思
     右十四首中臣朝臣宅守
 アレハは吾者なり。人壽は元來短きものなればイノチにミジカキを添へたるなる(3300)べけれどミジカキとイノチモのモと相背きて聞ゆ。毛はおそらくは衍字ならむ。ヲシケクモは惜キ事モなり
 
3745 いのちあらばあふこともあらむわがゆゑに波太《ハダ》なおもひそいのちだにへば
伊能知安良婆安布許登母安良牟和我由惠爾波太奈於毛比曾伊能知多爾敞〔左△〕波
 イノチダニヘバは命ダニアリ經バにて其下にアフコトモアラムを略せるなり○波太を從來將の意としたれど將としてはこゝにかなはず。思ふにいにしへハナハダをハダともいひしにて
  尾張國の寺の名、伊勢國の村の名(記傳卷二十一【一二六〇頁】に伊勢一志郡に甚《ハダ》目村ありといへり)なるハダメを甚目と書き來れるを思ふべし
 波太は甚ならむ。更に思ふにハナハダはハダを重ねたるハダハダの上のダをナと訛れるにや
 
(3301)3746 ひとのううる田|者《ハ》うゑまさずいまさらにくにわかれしてあれはいかにせむ
比等能宇宇流田者宇惠麻佐受伊麻左良爾久爾和可禮之弖安禮波伊可爾勢武
 初二は人ノ如ク田ツクル事ハ得爲タマハズとなり○イマサラニは雅澄の云へる如く第四句を越えてアレハイカニセムにかかれるにてそのイマサラニは今ハ更ニなり(三二九三頁參照)○アレハイカニセムを略解に『吾ハ何ヲタヅキトシテアランとなり』と釋せるは非なり。吾ハ何ヲ以テ口ヲ糊セムといへるにあらず。吾ハ君ヲイカニセムの君ヲを略したるなり○クニワカレは契沖のいへる如く國ヲ隔テタル別なり。モシオソバニヰルモノナラ又何トカスルスベモアラウモノヲといふ意を含めるなり
 
3747 わが屋どのまつの葉見つつあれまたむはやかへりませこひしなぬとに
(3302)和我屋度能麻都能葉見都都安禮麻多無波夜可反里麻世古非之奈奴刀爾
 マツノ葉ミツツは松ノ葉ヲ見テソノマツ〔二字傍点〕トイフ名ヲ心ニカケツツとなり○トニは程ニなり。近くは卷十(一九一一頁)に君ヨビカヘセ夜ノフケヌトニとあり
 
3748 ひとぐにはすみあしとぞいふすむやけくはやかへりませこひしなぬとに
比等久爾波須美安之等曾伊布須牟也氣久波也可反里常世古非之奈奴刀爾
 ヒトグニは他國なり。スムヤケクは速ニなり
 
3749 ひとぐににきみをいませていつまでかあがこひをらむときのしらなく
比等久爾爾伎美乎伊麻勢弖伊都麻弖可安我故非乎良牟等伎乃之良奈久
(3303) イマセテのイは添辭なり。さればイマセテは居ラシメテなり。卷十二(二六三六頁)にもキミヲ座而《イマセテ》ナニカオモハムとあり。略解に往《イニ》マサセテなりといへるは非なり○トキはソノイツマデトイフ時にてやがて限なり。略解に逢ハム時とせるはいかが。シラナクは知ラレナクにて知ラレヌ事ヨとなり
 
3750 あめつちのそこひのうらにあがごとくきみにこふらむひとはさねあらじ
安米都知乃曾許比能宇良爾安我其等久伎美爾故布良牟比等波左禰安良自
 ソコヒは果なり。ウラはウチなり。故に契沖はソコヒノウラを限(ノ)内とうつせり○サネはマコトニなり。姓名などに實の宇をサネとよむは右の古語に依れるなり○卷十三(二九二九頁)にアマ雲ノ下ナル人ハ妾《ワ》ノミカモ君ニコフラムとあるに似たる所あり
しろたへのあがしたごろもうしなはずもてれわがせこただにあふま(3304)でに
 
3751 之呂多倍能安我之多其呂母宇思奈波受毛弖禮和我世故多太爾安布麻低爾
 モテレはモタレのうつれるにて形見トシテ持チテアレとなり。マデニはマデなり
 
3752 はるの日のうらがなしきにおくれゐて君にこひつつうつしけめやも
波流乃日能宇良我奈之伎爾於久禮爲弖君爾古非都都宇都之家米也母
 ウラガナシは心ニ悲シなり。オクレヰテは殘サレヰテなり○ウツシケメヤモはウツシカラムヤハにて心確ナラムヤハといふ事なり。ウツシは心確ナルなり。卷十二(二七三一頁)にも
  あしひきの片山きぎしたちゆかむ君におくれてうつしけめやも
とあり
 
3753 あはむ日のかたみにせよとたわや女のおもひみだれてぬへるころもぞ
(3305)安波牟日能可多美爾世與等多和也女能於毛比美多禮弖奴敞〔左△〕流許呂母曾
     右九首娘子
 いにしへは男子はみづからマスラヲといひ女子は自タワヤメといひしなり
 
3754 過所《クワソ》なしにせきとびこゆるほととぎす多〔左△〕我子〔左△〕爾毛△△《ワガミニモガモ》やまずかよはむ
過所奈之爾世伎等婢古由流保等登藝須多我子爾毛夜麻受可欲波牟
 退所は漢語なるが我邦にも用ゐられて關市令に凡欲v度v關者皆經2本部本司1請2過所1など見えたり。後にいひし關所手形なり。略解にフミとよみ古義にフダとよみたれど此卷の書式を思ふにもしフミ又はフダならば布美又は布太と書くべく過所とは書くべからず。されば過所はクワソと音讀すべし(後の書には過書とも書けり)○第四句を眞淵は和〔右△〕我未〔右△〕爾毛我毛〔二字右△〕の誤脱とせり。之に從ふべし
 
3755 うるはしとあがもふいも乎〔左△〕《ト》山川をなかにへなりてやすけくもなし
(3306)宇流波之等安我毛布伊毛乎山川乎奈可爾敝奈里※[氏/一]夜須家久毛奈之
 山川は山ト川トなり。山川ヲはナカニにかかれるなり。ヘナリテにかゝれるにあらず。されば山川ヲ中ニテヘダタリテといへるなり。伊毛乎の乎は等の誤ならむ。ヤスケクはヤスキ心なり
 
3756 むかひゐて一日もおちず見しかどもいとはぬいもをつきわたるまで
牟可比爲弖一日毛於知受見之可杼母伊等波奴伊毛乎都奇和多流麻弖
 イトハヌは厭カザリシなり。イモヲは妹ナルニなり。結句の次にアヒ見ヌ事ヨといふことを略せるなり
 
3757 あがみこそせきやまこえてここにあらめこころはいもによりにしものを
安我未許曾世伎夜麻故要※[氏/一]許己爾安良米許己呂波伊毛爾與里爾之母能乎
 セキヤマは關ト山トなり。上にもトホキ山セキモコエキヌとよめり。關は愛發《アラチ》關な(3307)り。二註に砥浪關とせるはいみじき誤なり○第三句結句はココニアレ、ヨリタルモノヲとあるべきが如くなれど第三句は將來をかけてアラメといひ結句は既往に溯りてヨリニシといへるなり。即身コソ此後モココニ居ラメ、心ハハヤク妹ノ許ニ寄リ行キシモノヲといへるなり
 
3758 (さすたけの)大宮人はいまもかもひとなぶりのみこのみたるらむ
    一云いまさへや
佐須太氣能大宮人者伊麻毛可母比等奈夫理能未許能美多流良武
    一云伊麻左倍也
 集中に今モカモ、ケフモカモといへる、多くは二つのモ共に助辭にて今カ、ケフカといふことなれど、こゝのイマモカモは今モカといふことなり。即我在リシ日ノ如ク今モヤとなり〇四五は古義に
  自が上やまた娘子が上を殿上の若公達はおもしろがりてくさぐさなぶりごとを今やするならむと思ひやるなり
(3308)といへる如し(但今ヤは今モとあるべし)。大宮人は昔も輕薄なるが多かりきと見ゆ
 
3759 たちかへりなけどもあれはしるしなみおもひわぶれてぬるよしぞおほき
多知可敝里奈氣杼毛安禮波之流思奈美於毛比和夫禮弖奴流欲之曾於保伎
 タチカヘリはクリカヘシなり。アレハとシルシナミとをおきかへて心得べし○オモヒワブレテはオモヒワビテなり。ワブルはいにしへ下二段にもはたらかししならむ
 
3760 さぬるよはおほくあれどもものもはずやすくぬるよはさねなきものを
左奴流欲波於保久安禮杼毛母能毛波受夜須久奴流欲波佐禰奈伎母能乎
 初二はウチヌル夜ハシカスガニ少カラネドといへるなり。サネは上にも人ハサネ(3309)アラジとあり。マコトニなり
 
3761 よのなかのつねのことわりかくさまになりきにけらしすゑしたねから
與能奈可能都年能己等和利可久左麻爾奈里伎爾家良之須惠之多禰可良
 ツネノコトワリの下にトを添へて心得べし○須惠之を田中道麻呂はスヱシとよみて『草木の種をまくを種ヲスヱルと今もいへり』といひ雅澄も『今の俗にも草木の種をまくをスヱルといへり』といへり。細に云はばマキシには同じからでオキシ、ウヱシなどいふ意にこそ。さてその種を契沖以下前世の業因としたれど現世に犯しし罪ありてかくなれるにて前世の業因に歸するまでも無ければスヱシタネは犯しし罪をいへりとすべし
 
3762 (わぎもこに)あふさか山をこえてきてなきつつをれどあふよしもなし
和伎毛故爾安布左可山乎故要弖伎弖奈伎都都乎禮杼安布餘思毛奈之
(3310) 古義に契沖の説を承けて『ワギモコニはアフにいひかけたる枕詞ながら此歌にてはなほ歌意にもかゝれり』といへり。げに然り。されば初二はワギモコニアフトイフ名ヲ負ヘル山ヲなどうつすべし
 
3763 たびといへばことにぞやすきすべもなくくるしきたびも許等《コト》にまさめやも
多婢等伊倍婆許登爾曾夜須伎須敝毛奈久久流思伎多婢毛許等爾麻左米也母
 上(三二九八頁)にも
  たびといへばことにぞやすきすくなくもいもにこひつつすべなけなくに
とあり○從來許等をコラとよみて妹の事としたれどコラニマサメヤモといひてはこゝにかなはず。されば宜しくコトとよむべし。さてコトニマサメヤモは言ニ増シ言ハメヤハといふことにて一首の意は
  旅トイヘバ何デモ無イ、サリトテカク苦シキ旅モ言葉ニイヘバ旅ト言フヨリ外(3311)ハ無イ
といへるならむ
 
3764 山川をなかにへなりてとほくともこころをちかくおもほせわぎも
山川乎奈可爾敝奈里弖等保久登母許己呂乎知可久於毛保世和伎母
 上(三三〇五頁)にも山川ヲナカニヘナリテヤスケクモナシとあり。山川ヲ中ニテカタミニ隔リテといへるなり。ヘダテテをヘナリテといへるにあらず。ココロヲオモホセは心ヲモチタマヘとなり。集中に心ヲオモフといへるは皆心を持つ事なり。畢竟四五は近キヤウニ思ヘといへるなり
 
3765 (まそかがみ)かけてしぬべとまつりだすかたみのものをひとにしめすな
麻蘇可我美可氣弖之奴敝等麻都里太須可多美乃母能乎比等爾之賣須奈
 マソカガミはカケテにかゝれる枕辭のみ。契沖が
(3312)  カタミノモノは何と知べからず。上の鏡すなはち此にはあらず。次の歌を見るべし
といへる如し。カケテは心ニカケテなり○マツリダスは契沖が奉出スなりといへる如し。古義にも
  マツリダスは三代實録宣命に多く奉出と見えたるそれに同じ。この奉出を本にイダシマツルとよめるは非なり
といへり。こゝにてはマヰラスルと譯すべし。奉出に對して奉入とも云へり
 
3766 うるはしとおもひしおもはばしたひもにゆひつけもちてやまずしぬばせ
宇流波之等於毛比之於毛婆波之多婢毛爾由比都氣毛知弖夜麻受之努波世
    右十三首中臣朝臣宅守
 初句は我ヲウルハシトとなり。オモヒシオモハバはオモヒオモハバにてシは助辭(3313)なり。シヌバセは懷ヒ給ヘなり。下紐ニユヒツクヨといへるを見て贈りし物の鏡にあらざるを知るべし○婆浪は顛倒か
 
3767 たましひはあしたゆふべにたまふれどあがむねいたしこひのしげきに
多麻之比波安之多由布敞〔左△〕爾多麻布禮杼安我牟禰伊多之古非能之氣吉爾
 初句は魂ヲバなり。古義に
  タマフレドは鎮魂祭ノ祈祷ヲスレドモの意なり。鎮魂祭をミタマフリと云りと源嚴水いへり。さもあるべし
といひて
  歌意は戀シク思フ心ノシゲキニヨリテ魂モウカレ出ベケレバ朝トナク夕トナク鎮魂祭ヲシテ魂ヲシヅムレドモナホ驗ナクテ吾胸痛ク苦シクシテ神魂ノウカレ出ル事止ズとなり
(3314)といへり。案ずるに天武天皇紀十四年十一月丙寅の處に是曰爲2天皇1招魂之とあるをミタマフリシキと訓じ延喜式四時祭なる鎮魂祭を古版本にオホムタマフリと訓じたり。タマフリといふ語を味はふに魂代を設け(おそらくは衣を魂代として)そを振り動して當人に元氣を附くるわざにて眠らむとする人をゆり動すに似たる心なるべくおぼゆ。然るに招魂は
  宋玉の招魂篇の王逸注によれば宋玉憐2哀屈原|厥《ソノ》命將1v落作2招魂1欲d以復2其精神1延2其年壽u也とありて人の臨終ならでもいふべけれど
 將に離れ去らむとする魂をよび戻すわざにてタマフリとは齊しからず。
  このわざはタマヨバヒ又はタマヨビと稱せられて今も邊土には行はる。我郷里などにてはただ屋の上に昇りて其人の名を呼ぶのみなれど或地方(たとへば安房)にては禮記大喪記に見えたる如く衣を振りて呼ぶとぞ、又其衣は肌附ならでは効薄しといひて漁夫などは褌を振るとぞ
 然も天武紀に招魂をミタマフリとよめるは實はタマフリなるを之に當る漢語を求めかねて枉げて招魂を充てたるならむ。思ふにタマフリには盪魂といふ語ぞ當(3315)るべき。江淹の雜詩に盪v魂兮刷v氣とあり
 又鎮魂といふ語は始めて所謂大寶令に見えたり。こは天照大神の天(ノ)石窟《イハヤ》にこもりましし時の故事によれるにて
  古語拾遺に又令d天(ノ)鈿女《ウズメ》(ノ)命……手持2著v鐸《サナギ》之矛1而於2石窟戸(ノ)前1覆誓槽《ウケブネフセ》擧2庭燎1巧作c俳優u相與歌舞といひまた凡鎮魂之儀者天(ノ)鈿女(ノ)命之遺跡といへり
 ウカレ出ヅル魂ヲオシ鎮ムといふ思想に基づけるなれば魂ヲフリ動シテ活溌ナラシムといふ思想に基づけるタマフリとはもと別なるを其目的の一なるが爲にや少くとも後には混同せられたる如し。そは鎮魂をタマフリともタマシヅメとも訓じ又鎮魂祭の作法にタマフリに屬すべき事とタマシヅメに屬すべき事と相交れるにておし測らる
  たとへば江次第に次御巫衝2宇氣1、次……此間女官藏人開2御衣(ノ)筥1振動とある前者はタマシヅメに屬すべく後者はタマフリに屬すべし。因にいふ。ウケは桶即|麻笥《ヲケ》なるべし。古事記には伏2※[さんずい+于]氣《ウケ》1と書き日本紀には覆槽置(此云2于該布西《ウケフセ》1)と書けるを古語拾遺にウケを約誓《ウケヒ》の意として誓槽と書きてウケブネとよませたるが非(3316)なる事は記傳卷八(四七六頁)に辨じたる如し。さて宇氣を伏せしは其中に大神の御塊を籠め奉れる心、又矛にて宇氣を衝きしは其御魂を押鎮むる心なり。宇氣を衝きし事は紀にも拾遺にも見えざれど貞観儀式以下に見えたる鎮魂祭の作法によりて然りきと知らる。なほ云はまほしき事いと多かれど今の歌の註にはおのづから程あれば又時機を待ちてこそ(タマムスビの事も)
 ○さて今の歌のアシタユフベニタマフレドは朝夕ニ魂フリノワザヲスレドといへるにて畢竟朝夕ニ元氣ヲ附クレドといへるなり。古義にタマフレドが給フレドにあらざる事を顯したるはおむがしけれど其説はひが言なり。タマフリはしづまり衰へむとする魂をふり動すにてうかれ出でむとする魂をおししづむるにあらず、又今はそのわざを行ふのみにて祭など營むにあらざればなり○アガムネイタシはココチナヤマシといふ意なり
 
3768 このごろは君をおもふとすべもなきこひのみしつつねのみしぞなく
己能許呂波君乎於毛布等須敝毛奈伎古非能末之都都禰能未之曾奈久
 
3769 (ぬばたまの)よる見し君をあくるあしたあはずまにしていまぞくやし(3317)き
奴婆多麻乃欲流見之君乎安久流安之多安波受麻爾之弖伊麻曾久夜思吉
 代匠記に
  アハズマのマは助語にてただアハズなり。コリズと云べきをコリズマニとよめるが如し。此歌は事出來ぬさきにあへる時の事をいへるなり
といへり。最後に逢ひし時の事をいへるならむ。アハズマニはげにコリズマニと同格なるべし。さてマニは儘ニにて之を重ねたるがマニマニ又それを略せるがママニならむ。さらばアハヌ儘《マ》ニといふべきをアハズマニといへるは例の古格に從へるなるべし(三一一七頁參照)。なほ云はばアハズマニ、コリズマニは太古の熟語にてアハズマニは當時まで行はれコリズマニはなほ後までも行はれしならむ
 
3770 安治麻野に屋《ヤ》どれる君がかへりこむときのむかへをいつとかまたむ
安治麻野爾屋杼禮流君我可反里許武等伎能牟可倍乎伊都等可麻多武
(3318) 安治麻は越前國今立郡昧眞なり。宅守は此處に流されたりしなり。カヘリコムトキノムカヘヲは古義などに從ひて歸リ來給ハム時ニ迎ニ出デムヲの意と見べし
 
3771 宮〔左△〕《イヘ》人のやすいもねずてけふけふとまつらむものをみえぬ君かも
宮人能夜須伊毛禰受弖家布家布等麻都良武毛能乎美要奴君可聞
 略解に『或人宮は家の誤ならんといへり』といへり。げに然るべし。茅上娘子は家族にあらねば家族の情をおし測りてマツラムといへるなり
 
3772 かへりけるひときたれりといひしかばほとほとしにき君かとおもひて
可敝里家流比等伎多禮里等伊比之可婆保等保登之爾吉君香登於毛比弖
 カヘリケルは赦サレテ歸リケルなり。キタレリは元來來到レリの略なり。ホトホトシニキを契沖は『おどろきて胸のほとばしるなり』といひ宣長は『フタフタト爲《シ》ニケリなり』といへり。ウレシサニ殆死ニキといへるならむ○契沖が『これは天平十二年(3319)六月に大赦ありて穗積朝臣老等を召還させ給へる後よあるなるべし』といへる如くならむ。續日本紀天平十二年六月庚午の勅に
  其流人穗積朝臣老……等五人召令v入v京。……小野王、曰奉(ノ)弟日女、石上(ノ)乙麻呂、牟禮(ノ)大野、中臣〔二字傍点〕(ノ)宅守〔二字傍点〕、飽海(ノ)古良比不v在2赦限1
とあり
 
3773 君がむたゆかましものをおなじことおくれてをれどよきこともなし
君我牟多由可麻之毛能乎於奈自許等於久禮弖乎禮杼與伎許等毛奈之
 君ガムタは君ト共ニなり。ユカマシはもとより空想にて不可能なる事なればマシといへるなり○オナジコトは行カムモ止マラムモ同ジ事ナリとなり。後の歌ながら新古今集雜下に
  世の中はとてもかくてもおなじ事宮もわら屋もはてしなければ
とあり。まづオナジ事といひ、さて更に細にオクレテヲレドヨキコトモナシといへるなり。オクレテは殘リテなり
 
3774 わがせこがかへりきまさむときのためいのちのこさむわすれたまふ(3320)な
和我世故我可反里吉麻佐武等伎能多米伊能知能己佐牟和須禮多麻布奈
     右八首娘子
 結句を契沖がアナカシコ共時我ヲ忘レ給フナとうつせるいとよろし
 
3775 (あらたまの)としのをながくあはざれどけしきこころをあがもはなくに
安良多麻能等之能乎奈我久安波射禮杼家之伎許己呂乎安我毛波奈久爾
 四五は上(三一九四頁)にも見えたり。アダシ心ヲ我持タヌ事ヨといへるなり
 
3776 けふもかもみやこなりせば見まくほりにしの御馬屋《ミマヤ》のとにたてらまし
家布毛可母美也故奈里世姿見麻久保里爾之能御馬屋乃刀爾多弖良麻(3321)之
    右二首中臣朝臣宅守
 ケフモカモは今日カなり。モは二つながら助辭なり。二註に『西の御厩は右馬寮にて此娘子が家右馬寮の近隣にありしなるべし』といへり。案ずるにケフといへるは何の節會とかいふ日にてニシノミマヤノ外ニタツといへるは娘子が公事にて右馬寮の前を過ぐるを見る趣ならむ。又案ずるに宅守は右馬寮の職員なりしか
 
3777 きのふけふきみにあはずてするすべのたどきをしらにねのみしぞなく
伎能布家布伎美爾安波受弖須流須敝能多度伎乎之良爾禰能未之曾奈久
 キノフケフはただコノゴロといふ意にて第三句以下にかゝれるなり。されば此歌は上(三三一六頁)に
  このごろは君をおもふとすべもなきこひのみしつつねのみしぞなく
(3322)とあるとほぼ同じき意なり。古義は誤解せり。スベノタドキはやがてスベなり
 
3778 しろたへのあがころもでをとりもちていはへわがせこただにあふまでに
之路多倍乃阿我許呂毛弖乎登里母知弖伊波敞〔左△〕和我勢古多太爾安布末低爾
     右二首娘子
 イハヘは神ヲ祈レとなり。さる俗習ありしによりてよめるならむ。上に宅守の歌に
  わぎもこがかたみのころもなかりせば何物もてかいのちつがまし
 又娘子の歌に
  しろたへのあがしたごろもうしなはずもてれわがせこただにあふまでに
  あはむ日のかたみにせよとたわやめのおもひみだれてぬへる衣ぞ
といへるがあり
 
3779 わがやどのはなたちばなはいたづらにちりかすぐらむ見るひとなし(3323)に
和我夜度乃波奈多知婆奈波伊多都良爾知利可須具良牟見流比等奈思爾
 
3780 こひしなばこひもしねとやほととぎすものもふときにきなきとよむる
古非之奈婆古非毛之禰等也保等登藝須毛能毛布等伎爾伎奈吉等余牟流
 
3781 たびにしてものもふときにほととぎすもとなななきそあがこひまさる
多婢爾之弖毛能毛布等吉爾保等登藝須毛等奈那難吉曾安我古非麻左流
 第四句はモトナ啼クモノカ、サハ啼クナといへるなり
 
3782 あまごもりものもふときにほととぎすわがすむさと爾〔左△〕きなきとよも(3324)す
安麻其毛理毛能母布等伎爾保等登藝須和我須武佐刀爾伎奈伎等余母須
 爾はもと乎とありしが次の歌よりまぎれたるならむ
 
3783 たびにしていもにこふればほととぎすわがすむさとにこよなきわたる
多婢爾之弖伊毛爾古布禮婆保登等伎須和我須武佐刀爾許欲奈伎和多流
 コヨはココヲなり。第四句と重複せり
 
3784 こころなきとりにぞありけるほととぎすものもふときになくべきものか
許己呂奈伎登里爾曾安利家流保登等藝須毛能毛布等伎爾奈久倍吉毛能可
 
(3325)3785 ほととぎすあひだしましおけながなけばあがもふこころいたもすべなし
保登等藝須安比太之麻思於家奈我奈家婆安我毛布許己呂伊多母須敝奈之
     右七首中臣朝臣宅守守2花鳥1陳v思作歌
 アヒダシマシオケはシバシ啼止メとなり。イタモはイトモなり
                            (大正十四年一月講了)
         2005年5月13日(金)午後5時28分、入力終了
 
 
(3327) 萬葉集新考卷十六
                  井上通泰著
 
  有2由縁1△并雜歌
 古義に由縁はヨシともユヱヨシともよむべしといへり。由縁はやがて故事なり。由縁の下に歌の字を落せるか
   昔者有2娘子1、字曰2櫻兒1也、于v時有2二壯士1、共誂此娘△1、而捐v生挌競貪v死相敵、於v是娘子歔欷曰、從v古來2于今1未v聞未v見一女之身往2適二門1矣、方今壯士之意有v難2和平1、不v如妾死相害永|息《ヤメムニ》、爾乃尋2入林中1懸v樹經死、其兩壯士不v敢2哀慟1血泣|漣《タリ》v襟各陳2心緒1作歌二首
 此傳説は勝鹿(ノ)眞間〔日が月〕娘子、莵原《ウナヒ》娘子又次なる縵兒などのと同類なる傳説なり○古義に『櫻兒はサクラノコと唱ベし』といへり。こは次に足曳之山縵之〔右△〕兒とあるに依れる(3328)なれど櫻兒、縵兒はサクラコ、カヅラコにて歌にカヅラノ兒といへるは言を足したるなり。但歌ならでもノを添へたる例あり。たとへば靈異記中卷第卅三に有2一女子1名曰2万之子1とあり○誂を略解に挑の誤とし古義に
  トフと訓なり。つまどひ誘ふ意なり
といへり。はやく卷九(一八六七頁)にいへる如くトフ又はツマドフとよむべし。娉と同意なり。娘の下に子をおとせるならむ○挌は字書に撃也又闘也とあり。卷一なる三山歌(二六頁)にもアラソフを相挌と書けり○爾乃は文選に多く見えたり。雄略天皇九年紀にも爾乃赤駿|超※[手偏+慮]《テウチヨ》絶2於塵埃1とあり。二字をつらねてスナハチとよみて可ならむ○不敢はアヘズとよむべし。タヘズといはむに同じ。古義に『敢は堪の誤なるべし』といへるは非なり○泣は涙なり。漣はタリとよむべし。襟はコロモノクビ又は單にクビとよむべし。エリは古語にあらず
 
3786 春さらばかざしにせむとわがもひしさくらの花は散去△流香聞《チリニケルカモ》
春去者挿頭爾將爲跡我念之櫻花者散去流香聞
 結句は古義に從ひて家の字を補ひてチリニケルカモとよむべし。略解にチリユケ(3329)ルカモとよめるは語格にかなはず○時來ラバ妻ニセムト思ヒシ云々といふ意を其名にちなみて櫻にたとへていへるなり
 
3787 妹が名に繋有《カケタル》さくら花さかば常にやこひむいや年のはに
妹之名爾繋有櫻花聞者常哉將戀彌年之羽爾
 繋有を二註にカカセルとよめり。舊訓の如くカケタルとよむべし。負ヒタルとなり。卷二なる明日香皇女を悼める歌(二五九頁)に御名ニカカセル明日香河とあるはカケタマヘル即負ヒタマヘルなり○イヤトシノハニは毎年なり
 
   或曰、昔有2三男1、同娉2一女1也、娘子嘆息曰、一女之身易v滅如v露、三雄之志難v平如v石、遂乃※[人偏+方]2※[人偏+皇]池上1沈2沒水底1、於v時其壯士等不v勝2哀頽之至1各陳2所心1作歌三首【娘子字曰鬘兒也】
 古義に『彷徨を※[人偏+方]2※[人偏+皇]と書けるは例ある事にて徘徊を俳※[人偏+回]と書き彷彿を※[人偏+方]佛と書けると同類なり』といへり
 
3788 耳なしの池しうらめし吾味兒が來つつかづかば水は將涸《カレナム》
(3330)無耳之池羊蹄恨之吾味兒之來乍潜者水波將涸
 今耳なし山の南の麓に木原地といふがあり。これやいにしへの耳成池のなごりならむ。將涸を舊訓にカレナムとよめるを略解にアセナムに改めたるは中々にわろし。さてカレナムはカレナムヲといはむにひとし。一首の意は妹ガ來リテ身ヲ投ゲバ水涸レテ溺レザラシムベキヲ耳ナシノ池ノ然セザリシガ恨メシといへるなり。大和物語に
  猿澤の池もつらしなわぎもこが玉藻かづかば水ぞひなまし
とあるは今の歌を作り更へたるなり。古義に
  ウラメシは妹にかけて聞べし。池を恨むるにはあらず云々
といへるはいみじきひが言なり
 
3789 (足曳の)山縵の兒けふゆくと吾に告《ツゲ》せば還〔左△〕《ハヤク》來《コ》ましを
足曳之山縵之兒今日徃跡吾爾告世婆還來麻之乎
 山カヅラをカヅラノ兒にいひかけたるなり。されば正しくは山までを枕辭とすべし。告はツゲとよむべし(古義にはノリとよめり)○略解に
(3331)  還は迅の誤にてハヤクコマシヲとかトクキテマシヲとか訓べし
といへり。速の誤か○ケフユクトは今日死《シニ》ニ往クトなり。縵は鬘蔓の通用なり。鬘には元來カヅラの義なし
 
3790 (足曳の)玉〔左△〕《ヤマ》かづらの兒けふのごと何隈乎〔二字左△〕《イヅレノトキカ》見〔左△〕《モヒ》つつ來にけむ
足曳之玉縵之兒如今日何隈乎見管來爾監
 玉は山の誤なり(玉勝間卷十三參照)○第四句を從來もとのまゝにてイヅレノクマヲとよめり。ケフノゴトとあるより推せば隈は時の誤ならざるべからず。おそらくは何隈乎は何時可の誤又見は思の誤ならむ。さらば第二句は山カヅラノ兒ヲのヲを略せるにて第三句以下の意は今日ハ途スガラ常ヨリマサリテ妹ノ事ガ思ハレタガサテハカカル歎ニ逢ハム兆ナリシカといへるなり
 
   昔有2老翁1、號曰2竹取《タカトリ》(ノ)翁1也、此翁季春之月登v丘遠望、忽値2煮v羮之九箇女子1也、百矯無v儔花容無v止〔左△〕、于v時娘子等呼2老翁1嗤曰、叔父來乎、吹2此燭〔左△〕火1也、於v是翁曰唯唯、漸※[走+多]徐行著2接座上1、良久娘子等皆共含v咲相(3332)推讓之曰、阿誰呼2此此翁1哉、爾乃竹取翁謝之曰、非慮之外偶逢2神仙1、迷惑之心無2敢所1v禁、近狎之罪希贖以v謌、即作歌一首并短歌
 竹取は古來タカトリともタケトリともよめり。此翁の名を借れる竹取物語にこそ
  今は昔竹取の翁と云もの有けり。野山にまじりて竹を取つつよろづの事につかひけり
とあれ、こゝには登v丘遠望とのみありて竹を取る事は見えぬを物語の文に引かれてこゝの竹取翁をも竹を取る人と思はむは心淺し。タカトリは地名にておそらくは大和の鷹取ならむ。はやく契沖も
  今大和國十市郡(○高市郡か)に鷹取山あり。昔は竹取とかけりと云へば此翁彼處に住けるにや。竹取物語は此竹取翁をタケトリと讀てさて名を借て作りけるにや
といへり○煮羮は若菜を煮るなり。卷十に
  春日野に煙たつ見ゆをとめらし春野のうはぎつみて煮らしも
とあり○無止は契沖の説に無匹の誤ならむといへり。一本に無上とあり○燭は二(註)に鍋の誤とせるに從ふべし。※[走+多]は趨の俗字なり(一七四三頁參賂)○相推讓之曰、謝之曰の之は助辭なり。訓むべからず○非慮之外はオモヒノ外ニといふことなるべければ非と外と重複せるに似たれど天武天皇紀元年に栗隈王承v符對曰……若|不意之《オモハザル》外有(ラバ)2倉卒之事1云々、延暦十一年に成りし高橋氏文に見えたる景行天皇の詔詞に不思《オモ》 保佐佐流 外 爾 、三代實録貞観八年九月の宣命に不慮之外 爾、靈異記卷中第四十二に不慮之外、同卷下第廿五に不思之外、大鏡道長傳に思ハザル外ノ事ニヨリテ、十訓抄中第七可v專2思慮1事のうち二條三位云々の條に思ハザル外ニ參リテ侍ル、吾妻鏡壽永元年五月ニ不v圖外、同文冶元年八月及同六年十一月に不慮之外、本集一本に見えたる仙覚の奥書に彼御本ハ不慮之外備後守三善康持被v給v之とあり謡曲にもオモハザル外といふこと多かればオモヒノ外ニといふことを夙くよりオモハザル外ニともいひしにて今はそをそのまゝ漢文にものして非慮之外と書けるなり○無敢所禁の所は除きて心得べし。トドメガタシといふ意なり
 
3791 緑子の 若子《ワカゴ・ワクゴ》 がみには (たらちし)  母に所懷《ウダカエ》 ※[手偏+差]襁《スキカクル》 平生《ハフコ》がみには ゆふかたぎぬ 氷津裡《ヒツラ》にぬひ服《キ》 頚著《ウナツキ》の わらはがみには 結幡《ユヒハタ》の(3334)そでつけごろも きし我を
緑子之君子蚊見庭垂乳爲母所懷※[手偏+差]襁平生蚊見庭結經方衣氷津裡丹縫服頸著之童子蚊見庭結幡之袂著衣服我矣
 こゝの若子は嬰兒なり。古語拾遺に今俗號2稚子1謂2和可古〔三字傍点〕1云々とあるによりてワカゴとよむべし。又武烈天皇紀なる影媛の歌にシビノ和倶吾ヲとあり又繼體天皇紀なる毛野(ノ)臣の妻の歌にケナノ倭倶吾イとあり又本集卷十四にトノノ和久胡シ又トノノ和久胡ガ(三〇四八頁及三〇六八頁)とあるによりてワクゴとよまむも惡からず。但紀なると卷十四なるとは青年をいへるなり。なほ云はむに輕々しくワクゴを古く又正しと思ひワカゴを新しく又訛れりとは定むべからず。ワカゴとワクゴとの關係はなほ研究を要する事あり○若子蚊見庭は若子ガ身ニハなり。さて次なるハフコガ身ニハはヌヒ服《キ》と照應しワラハガ身ニハはキシと照應せるを、若子ガ身ニハは母ニ懷カエと照應せず。されば見庭とある見は代などの誤ならむかとも思へど三處ともに見庭と書きたれば妄に誤とは認むべからず。古義に
  ワク子ガミニハは今村樂の説に若子ガ時ニハといふ意なり。次のハフ兒ガ身ニ(3335)ハ、童子ガ身ニハといふも同意なりといへり。時ニハを身ニハといふことはいかがなるいひざまなれど此歌にてはまことにその意ときこえたり
といへり○古義に
  所懷はウダカエと訓べし。イダカエと云は後世の轉語なり。抑ウダクといふ言の意は腕纏なり
といへり。之に從ふべし○※[手偏+差]襁を略解にタスキカクとよめるを古義には
  襁は字鏡にvr兒帶也、須支また束2小兒(ヲ)背(ニ)1帶、須支とあり(こは今俗にスケといふものなり)ざてこゝは襁をかけて負ばかりのほどほひをいふにていまだいときなきを云り。さてこの襁を古來タスキと訓來れるはいかがあらむ。タスキならば手襁と書べし。襁のみにては字足はず。書紀にも手襁と書り
といひ又※[手偏+差]を挂の誤としてスキカクルとよめり。此説に從ふべし○平生を舊訓にはハフコとよめり。然るに何故にハフコとよむにか從來不明なりしに雅澄始めて
  熟考るに論語(○憲問篇)に久要不v忘2平生之言1とありて孔安國が註に平生猶2少時1とあるに依れりと見えたれば少時をやがて這めぐる少兒の意に取れるものな(3336)り
と唱へき。しばらく此説に從ふべし○ユフカタギヌは略解に
  木綿肩衣なり。卷五に布カタギヌともよめり。且袖なきを肩衣といふは古今同じかるべし(○眞淵説)
といへり。今も小兒の服に袖なきものあり○氷津裡は略解に
  宣長云。卷十二に純裏《ヒタウラ》衣とあり。タウの約ツなればヒタウラをヒツラともいふべし
といへり。ヒタは純一の意なればヒツラは所謂トホシ裏ならむ(二六一七頁參照)○頸著を略解にウナツキとよみ(眞淵訓)さて
  童(○頸著か)は髪の末の頸をつくほどなるをいふ、目刺などいふたぐひ也
といひ古義は舊訓に從ひてクビツキとよめり。クビは頸の周をいひ頸の後方はウナといへばウナツキとよむべし。因にいふウナジは頸脚《ウナアシ》の義か○結幡を略解にユフハタとよみて
  結は纐、幡は機也。纐纈をユハタといふは略也。ユフハタといふぞ正しかる。絹布を(3337)絲もてゆひくくりて染れば也。ハタは機して織たるをすべていふ(○眞淵説)
といへり。さらばユヒハタといふべし。やがて古義にはユヒハタとよめり。今いふシボリ染なり○袖ツケゴロモは略解に
  右の肩衣とむかへ見るに是は今少し人と成れる童の事なれば袖ある衣をきするさま也(○眞淵説)
といへり。卷二十に宮人ノソデツケゴロモといへるとは別なり○キシ我ヲは著シ我ゾなり。古義に
  こゝにて翁の生長のことはいひとぢめたり。さて此次に翁のやゝ人となりて壯なりしほどに至れることなくては言足ぬこゝちすれど其は省きて然思はせたるにや
といへるは誤解なり。なほ後にいふべし
 
丹因〔左△〕《ニツラフ》、子等何四千〔五字左△〕△庭《ヨチコラガミニハ》 (みなのわた) 蚊黒爲〔左△〕髪《カグロキ》を まぐし持《もち》 於是〔左△〕《カタニ》かきたれ とり束《ツガネ》 あげてもまきみ とき亂《ミダリ》 童兒丹成見《ワラハニナリミ》
丹因子等何四千庭三名之綿蚊黒爲髪尾信櫛持於是蚊寸垂取束擧而裳(3338)纏見解亂童兒丹成見
 宣長は丹因を舊訓の如くニヨレルとよみて
  ニヨレルは似合タルといふ事也。さてここは丹因四千子等何見庭《ニヨレルヨチコラガミニハ》とありつらんを見をおとして亂れたる也
といひ雅澄は丹因の上に我を補ひてアニヨルコラガとよみ
  四千庭とは四千は五卷にヨチコラト、十四卷にヨチヲゾモテルなどあるヨチは同じころほひの子をいふことなればここもその意なるべし。されどニハといふことおだやかならず。我ガ壯ナリシホド思ヒツキテ靡キ依ル女ノ唯一人ニハ限ラズ同ジ年齢ノ女等我モ我モト云々セシといふ意とは思はれたり
といへり。案ずるに丹因は丹囚の誤にてニツラフとよむべきならむ。トラフをツラフと訛りけむは高圓《タカマト》を高松《タカマツ》と訛れるを例とすべし(一九四〇頁參照)。又同例にはあらねどタラチネをタラツネと訛りアヂキナクをアヅキナクと訛れる例あり(二三二五頁及二三八一頁參照)。次に子等何四千庭は宣長のいへる如く四千子等何見庭の誤脱ならむ。さてニツラフは卷十一にもカキツバタニツラフ君ヲ云々とありて(3339)紅顔といふこと又ヨチコラは妙齢といふことにてヨチコラガ以下は翁が妙齢なりし程の事をいへるなり。されば上に擧げたる古義の不審は誤解より出でたるいたづら言なり○蚊黒爲〔右△〕髪尾の爲を契沖は衍字とし眞淵は伎の誤とせり。支の誤なるべし。雅澄はカグロシカミヲとよみてウマキ國をウマシ國といふ格なりといへれどウマシ國はウマシをいにしへウマシ、ウマシキとはたらかししが故にウマシキ國のキを省きていへるにてこゝの例には引くべからず○マグシのマは美辭なり。さてマグシを信櫛と書けるは卷七(一二九八頁)にマツチをニホフ信土《マツチ》ノと書けると同例なり。眞をマとよむ如く信も亦マとよみつべし。持を略解にモテとよみ古義にモチとよめり。古くはモチとのみいひしを後にはモテともいひしなり(卷十五【三二九二頁】モテカ參照)○於是を舊訓にココニとよめるを古義に於肩の誤とせるは然るべし。但『こゝはやうやく十歳をも餘れるほどなるべければ』といへるは非なり。十五六歳の美少年のさまなり○束は舊訓の如くツガネとよむべし。古義にタカネとよみて卷二にタケバヌレ多香根者ナガキ妹ガ髪とあるを例に引きたれどそのタカネバはタカザレバといふことなり○アゲテモマキミは揚ゲテモ卷イタリにて(3340)(かの揚卷はやがて揚げて卷きたるさまなり)そのミはワラハニナリミのミと相對せるなり○亂は眞淵に從ひてミダリとよむべし。古義にミダシとよめるは後の世ざまなり○童兒丹成見を眞淵が見を兒の誤とし又次なる羅を此句に附けてウナヰコノニナスコラとよめるはいとわろし。久老はウナヰニナシミとよみ雅澄はワラハニナシミとよめり。宜しくワラハニナリミとよむべし。黒髪ヲ櫛モテ肩ニ掻キ垂レ、サテ或ハ髪ヲ揚ゲテ結ヒ或ハ解キ亂シテ童兒ノ状ニ成リといへるにて自己の美少年時代の状を寫せるなり
(羅丹津蚊經) 色《イロ》丹|名著△來《ナツカシキ》 紫の 大綾の衣《キヌ》 墨(ノ)江の 遠里《トホザト》小野の 眞榛《マハリ》もち にほしし衣に こま錦 紐にぬひつけ 刺部重部波累服
羅丹津蚊經色丹名著來紫之大綾之衣墨江之遠里小野之眞榛持丹穗之爲衣丹狛錦紐丹縫著刺部重部波累服
 宣長は
  羅丹津蚊經色丹の色の下の丹は衍字にてサニツカフ色ナツカシキと訓べし。卷(3341)七に羅をサのかなに用ふ。サニツカフはほむる詞にて色といはむ爲なり
といひ雅澄は
  羅は紅(ノ)字の寫誤れるなるべし。クレナヰノと訓べし。丹《ニ》を云むが爲なり。丹津蚊經色丹はニツカフイロニと訓べし。ニツカフはニツラフといふと同意なり
といへり。宣長等が卷七に羅をサの假字に用ひたりといへるは
  すみの江の岸の松が根うちさらしよりくる浪の音の清羅(一二七七頁)
これを指せるなり。その羅は一本に霜とあり。霜とあるがまされるか否かはしばらくおかむ、羅はサとはよみがたし。されど羅丹津蚊經を一句とし色丹名著來の丹を削りてイロナツカシキとよみて一句とすべき事は宣長のいへる如し。更に案ずるに羅丹津蚊經は狹舟津羅經の誤にあらざるか。もし然らば色にかゝれる枕辭とすべし。卷十一(二三四七頁)にも
  さにつらふ色にはいでずすくなくも心のうちにわがもはなくに
とあり。又思ふに彼紗をサといふはその字音によれるなれど羅はもとより紗の類なれば之をもサといひけむによりて、よくも語源を思はでサの音に羅の字を借れ(3342)るか、もし然らばかのケミスといふ語は檢の字音より出でたるを檢と同意なる閲をケミスと訓ずると同例とすべし。又蚊も誤字にあらでサニツカフはサニツラフと通用せし枕辭なるか○名著來の著の下に爲をおとせるか○ムラサキノ大アヤノ衣は大なる文《アヤ》を織り出せる紫の衣なり。衣は下なるニホシシ衣とおなじくキヌとよむべし(二註にはこゝはコロモとよめり)○遠里小野之を古義に宣長の説に從ひてヲリノヲヌノとよみたれどこゝこそ然もよまめ、卷七なる
  すみのえの遠里小野の眞榛もちすれるころもの盛すぎぬる
は六言によみては調わろければなほトホザトヲヌノとよむべし(一二七五頁參照)○眞榛《マハリ》は萩なり。ニホシシは染メシなり。ニホスはニホハスの略なり○コマニシキヒモニヌヒツケは高麗錦ヲ紐ト縫ヒ著ケなり○刺部重部を古義にササヘカサナヘとよみて
  サシカサネを伸たる言なり。かくて刺は紐にかけていひ重は衣にかけて云るなり。從來この刺部重部を訓得たる人なし
といへり。カサネを伸ぶればげにカサナヘとなれどサシは伸べてもササヘとはな(3343)らず。其上に此句は五言なるべきなり。案ずるに上の部を衍字とし下の部を次の句に讓りてナシカサネとよむべきか。さてそのサシは下なるヌヒシ黒沓サシハキテのサシとおなじく添辭とすべきか○波累服を略解に
  ナミカサネは並重なり。又波は取の字を誤れるにてトリカサネか(○眞淵説)
といひ古義にも『波累服は竝重著なり』といへれどナメ〔右△〕カサネとはいふべくナミ〔右△〕カサネとはいふべからず。案ずるに部波累服を伊取累服の誤としてイトリカサネキとよむべきか○古義に
  以上十三句(○羅以下)は翁の壯なりしほど思ひつきたる女等の身にさまざまの装飾していかでうつくしまれむとて我さきにと心をつくせるさまときこゆ
といへるは非なり。蘿丹津蚊經以下十二句は翁が十五六歳の頃の服装のうち衣の事をいへるにて打十八爲以下はそのつづきなり
 
(打十八爲《ウチソヤシ》) 麻續《ヲミ》兒ら (ありぎぬの) 寶〔左△〕之子《ハトリノコ》らが 打栲者〔左△〕《ウツタヘニ》 經而《ハヘテ》おる布 日ざらしの 朝手作《アサテヅクリ》を 信巾裳成《シキモナス》者〔□で囲む〕 之寸丹取《シキニトリ》爲〔□で囲む〕支《キ》
打十八爲麻續兒等蟻衣之寶之子等蚊打栲者經而織布日暴之朝手作尾(3344)信巾裳成者之寸丹取爲支
 打十八爲を古義にウツソヤシとよみて
  ウツソヤシは麻績の枕詞なり。ウツソは全麻の義なるべきよし一卷にくはしくいへり。ヤシはヨシヱヤシ、ハシキヤシなどのヤシに同じ。さて此句より下は貴賤の女に限らず翁の壯なりしほど心よせたるさまを云
といへり。打麻はなほ打チタル麻の義とおぼゆればウチ〔右△〕ソとよむべし。ウチソヤシは卷一(四二頁)なる打麻《ウチソ》ヲ麻績《ヲミ》ノオホキミと同意なる枕辭なり。ヤシもヲも共に助辭なり。又ウチソヤシ以下十句は翁が十五六歳の頃の服装のうち裳の事をいへるなり。前註いたく誤解せり○麻績ノ兒ラは麻《ヲ》を績む娘なり。アリギヌノは枕辭なり。寶之子を二註に『女をほめていへるなり』といへるは寶之子ラを麻績ノ兒ラと共に翁に心を寄せたる女と誤り認めていへるなり。ヲミノ兒ラ寶之子ラは布を云はむとして云々ノ女ガ云々セシ布といへるにて次に沓を云はむとして飛鳥ヲトコガ霖《ナガメ》イミ縫ヒシといへるアスカ男におなじ。翁に心を寄せたる女にあらず。さて寶之子等はおそらくは誤字ならむ。試にいはば服部《ハトリ》之子等を誤れるか。いにしへ麻鎮と(3345)服部と相並びて朝廷にも太神宮にも仕へたりし事を思ふべし○打栲者を契沖はウツタヘニとよめり。さらば者は丹の誤とすべし(煮の誤とすべきかとも思へど此歌にてはニは皆丹と書けり)。ウツタヘニはヒタスラなり。例は卷四(六四六頁及八二四頁)及卷十(一九三〇頁)に見えたり○經而はヘテともハヘテともよむべし。卷六なる悲2寧樂故郷1作歌にウチハヘテを打經而と書けり。ヘはやがてハヘの約にて絲を延ぶる事なり○日ザラシノは麻苧のよき布は織りたる後に水にて洗ひて日に晒すが故にいへるなり。孟子にも江漢以濯v之、秋陽以暴v之、※[白+高]々乎不v可v尚《クハフ》已といへり(俗にサラシといふはやがて晒したる布なり)○手作は卷十四(二九八七頁)に
  たまがはにさらす※[氏/一]豆久利さらさらになにぞこの兒のここだかなしき
とあり。内匠寮式(櫛机の條)にも手作布一尺とあり。從來之を手織布の事とせるは誤れり。新撰字鏡には之を漢語の紵に充てたり。紵は苧にて織れる布、苧は麻の類にてカラムシといふ物なり。さればテヅクリはカラムシにて織れる布にて今|上布《ジヤウフ》といふ物なり。而して之をテヅクリといふは其絲は一すぢづつ手にて撚るが故ならむ。さてこゝに朝手作とある朝を二註に麻の借字とせり。其説宜しきに似たれどよく(3346)思ふに麻と苧《カラムシ》とは同類なれど異品なれば苧《カラムシ》もて織れる布に麻を添へて麻テヅクリと云はむ事いかが。されば朝は新《ニヒ》の誤ならむかと思ふに日本靈異記(中卷力女示2強力1縁第廿七)に織2麻細《アサタヘ》(ノ)※[草冠/疊]1而著2夫(ノ)大領1とありて※[草冠/疊](ハ)弖都九里とあり。之とこゝに朝手作とあるとを合せて思へば麻もて織れるも上等なるはなほテヅクリといひしにて苧《カラムシ》もて織れると分たむが爲にはアサテヅクリ又はアサタヘノテヅクリといひしならむ
  因にいふ。和名抄に唐式云白絲布〔三字右△〕今案俗用2手作布三字1云2天豆久利乃沼乃1是乎とあるは白細布の誤ならずや。又新撰字鏡に紵白布細〔三字右△〕也弖豆久利とあるは白細布の顛倒ならずや。テヅクリは色の白きと絲の紬きとによりて貴ばるゝものなり
 ○信巾裳成者〔右△〕之寸丹取爲〔右△〕支は者と爲とを衍字としてシキモナスシキニトリキとよむべし。麻績(ノ)兒等ガ織リシ布モテ作レル裳ト麻手作ノ裳トヲ所謂|重裳《シキモ》ノ如ク重ネテ取著といへるなり。重裳はカサナレル裳なるべくシキニは重ネテなり○古義に
  以上十句は同じ年齢のなみなみの女等に思ひつかれたるのみに非ず良き人の(3347)女賤者の女さへも我に心うつしてさまざまの絹布などを云々して容づくりすることにのみ心を用ひたる謂にや
といへるはいみじき誤解なり。翁が裳をとり装ひたるさまを云へるなるをや
 
(屋所△經《ヤドカクフ》) 稻寸丁女《イナギヲトメ》が つまどふと 我丹所來〔左△〕爲《ワレニタバシシ》 彼方《ヲチカタ》の 二綾《フタヤ》したぐつ (とぶ鳥の) あすかをとこが 霖《ナガメ》いみ ぬひし黒沓《クログツ》 さしはきて 庭《ニハ》立〔□で囲む〕住退〔二字左△〕《ユキカヘリ》
屋所經稻寸丁女蚊妻問迹我丹所來爲彼方之二綾裏沓飛鳥飛鳥壯蚊霖禁縫爲黒沓刺〔左△〕佩而庭立住退
 屋所經以下は同時の服装のうち履物の事をいへるなり○屋所經を略解にヤドニフルとよみ古義に
  反歌に丹穗所經迹とあるを思へば所經はヘルの借字なることいちじるし。是によりて考るに屋は逞の字を寫誤れるなどにやあらむ。逞(ハ)誇也と字書に見えたり。されば逞所經にてホコロヘルとよむべし
(3348)といへり。反歌の丹横所經迹はニホヘレドとはよむベからず○ヲトメを丁女と書けるは卷九(一八四二頁)なる過2葦屋處女墓1時作歌にヲノコを丁子と書けるが如し。イナギは邑長のイナギにはあらで地名ならむ。さて屋所經は經の上に※[木+存]などをおとせるにてヤドカクフとよむべきなり。※[木+存]は和名抄に加久布とあり。今いふカコフなり。左傳哀公八年にも囚2諸《コレヲ》樓臺1※[木+存]v之以v棘とあり。そのヤドカクフは枕辭なり。刈りたる稻を掛くる爲に竹木を以て作れる垣をイナギといへば地名のイナギをそれに通はして宿カクフといふ枕辭を添へたるなり○ツマドフはいひ寄るなり○我丹所來爲を宣長はワレニゾキタルとよみ雅澄は來を※[(木の左右に人)/貝]の誤としてワニゾタバリシとよめり。此辭はヲチ方ノ二綾シタ沓につづけるなればゾといひて切るべきにあらず。案ずるに來はげに※[(木の左右に人)/貝]の誤なるべし。※[(木の左右に人)/貝]は字書に賜予也とあり。又所は集中に令の如くつかへる例あれば
  たとへば卷十三なる挽歌の第一首(二九一一頁)に國見所遊(クニミアソバシ)懸而所偲(カケテシヌバシ)御手二所取賜而所遊(オホミテニトラシタマヒテアゾバシシ)とあり
(3349) 我丹所※[(木の左右に人)/貝]爲はワレニタバシシとよむべし○彼方を舊訓にヲチカタとよめるを二註に浮方の誤として浮紋《ウキカタ》の意とせり(眞淵説)。もとのまゝにて遠國の意とすべし。二綾はつづめてフタヤとよむべし。眞淵は二色の綾かと云へり。二色綾は織部司式に見えたり。シタグツは靴下なり○アスカヲトコは眞淵の説に『昔飛鳥の里に沓よく作る人ありしにや』といへり。令義解《リヤウノギゲ》に
  典履二人掌d縫2作靴履鞍具1及檢c校百済(ノ)手部u。百済(ノ)手部十人掌2雜(ノ)縫作(ノ)事(内藏寮及大藏省)
とあれば飛鳥に住みし百済の手人ならむ○ナガメイミを眞淵は
  日よりよき時にぬるが黒きなるべし
といへり。さらばヌリシ黒沓とこそいふべけれ。又宣長は
  長雨の時は外のすべき業ならざる故に家の内にゐて沓をぬふをいふにや。俗に雨フリシゴトといふ意なり
といへり。さらばアマゴモリヌヒシ黒沓などこそいふべけれ。かゝればしばらく契沖が
(3350)  霖をいむは革などのしめりて縫がたければ歟
といへるに從ふべし○黒沓はクログツともクリグツともよむべし。大寶の烏皮※[寫のウ冠なし]にクリカハノクツと傍訓したり。サシハキテのサシは添辭なり○古義に『二綾裏沓及この黒沓は皆稻寸丁女が※[(木の左右に人)/貝]物なり』といへるは非なり。稻寸娘子が贈れるは裏沓《シタグツ》のみなり○庭立住退を眞淵はニハニタタズメバとよみて『退は誤字ならんか』といひ古義には住退を往還の誤としてニハニタチユキモトホレバとよめり。こゝは七言一句なるべき處なれば立を衍字としてニハユキカヘリとよむべし=@ 因にいふ。此歌を句法いたく亂れたりと思へるは非なり。今まで釋き來れる中にて句法の亂れたるは著シ我ヲの處のみなり。その外はよみやうあしき爲に句法の亂れたる如く見ゆるのみ
 さて此句にてしばらく切れたるなり
 
(莫立〔左△〕《ナイデソト》) 禁《イサメ》をとめが ほのききて 我丹所來〔左△〕爲《ワレニタバシシ》 みはなだの 絹の帶を 引帶《ヒコビ》なす 韓帶丹取爲《カロビニトリナシ》 わたつみの 殿の蓋《ヒサシ》に とびかける (3351)すがるのごとき 腰細〔二字左△〕《ホソゴシ》に とりかざらひ まそ鏡 とりなめかけて おのがかほ かへらひ見つつ
莫立禁尾迹女蚊髣髴聞而我丹所來爲水縹絹帶尾引帶成韓帶丹取爲海神之殿盖丹飛翔爲輕如來腰細丹取※[食+芳]氷眞十鏡取雙懸而己蚊果〔左△〕還氷見乍
 莫立以下は同時の服装のうち帶の事をいへるなり○莫立は立を出の誤としてナイデソトとよむべし。次の禁にかゝれる枕辭なり○禁はイサメとよむべし(卷九【一七七八頁】なる※[女+耀の旁]歌會の歌にイサメヌを不禁と書けり)。そのイサメは上なるイナギとおなじく地名なるべし(略解には二句をナタチソトイサムルヲトメガとよみ古義には莫立を母負之又は母父之の誤としてオモトジノ又はオモチチノとよみ禁をモラスとよむべしといへり)○我丹所來爲は上の如く來を※[(木の左右に人)/貝]の誤としてワレニタバシシとよむべし○ミハナダのハナダは青白色即水色なり。ミを契沖は水の義とし雅澄は眞の意とせり。いづれとも定めがたし。絹はキヌとよむべし。略解にタヘを本(3352)訓とせるはわろし○引帶は和名抄に衿(ハ)比岐於比、小帶也とあり。今村樂はつづめてヒコビとよむべしといへり。ナスは如キなり。ヒコビナスは韓帶にかゝれるなり。取爲にかゝれるにあらず。韓帶は古義につづめてカロビとよめり。取爲は從來トラシとよみたれど己が事を云へるなればトラシとはいふべからず。宜しくトリナシとよむべし。爲は此歌にては多くはシに借りたれど又|爲輕《スガル》ノゴトキ、カタミニ將爲迹《セムト》とス又セに借りたる例あり。又カクゾシコ爲《ナル》とナルに借りたる例さへあり。さてこのヒコビナスカロビニトリナシの二句は上なるシキ裳ナス重《シキ》ニトリ著と相對せるなり○韓帶はいかなるものにか明ならず。久老がまづ引帶について
  今幼稚の兒の服に縫付たる帶をヒコビといふは是なり
といひ次に韓帶について
  こなたの帶は衣服の外に取はなして別なるを異國の帶は直に服に縫付て引帶なるにや。さるを韓帶とはいふにやあらん
といへるはげにともおぼえず。カラオビは帶をたゝみて幅を狹くして結ぶをいふにあらざるか○スガルは一種の蜂なり。蓋を眞淵はイラカとよめれどスガルが大(3353)※[まだれ+夏]の甍に飛ばむこといかがあるべき。按ずるに蓋はヒサシとよむべきか。ヒサシは古くより(新撰字鏡、弾正臺式、和名抄以下)庇と書けど廂のヒサシとは別なり。廂又は※[まだれ+無]のヒサシは今いふイリガハなり。庇のヒサシは屋ビサシなり
 字書に庇ハ蔽也覆也とあり又※[草冠/太/皿](ハ)掩也覆也とあればヒサシを※[草冠/太/皿]とも書かむこと必しも無理ならず(卷十一にはワガヤドノノキノシタクサのノキを甍と書ける例あり)。いづれにもあれ此四句には典據あるべし○腰細は細腰の誤ならむ○トリナメカケテは並ベ懸ケテなり。カヘラヒミツツは顧ミツツなり。果は※[日/木]の誤なり○略解に
  是も右のをとめが心ことによそほひて吾にけさうするさまなり。久老云。カヘラヒミツツの下に吾丹所來爲《ワレニゾコシ》の一句をおとせりといへり。此考きはめて宜しかるべし
といへるはいみじきひが言なり。以上皆翁の装をいへるにて少女の装をいへるにあらず○又吾丹所來爲は上述の如くワレニタバシシとよむべければ此に加ふべきにあらず。古義に
(3354) 以上十六句(○ミナハダノより野邊ヲメグレバまで)は翁の若かりしほど貌をとりかざりて媚ありきしありさまを云るなり
といへるも非なり。丹因以下六十二句皆翁の色めきしさまを述べたるなり
 
春さりて 野邊をめぐれば おもしろみ 我をおもへか さぬつ鳥 來なきかけらふ 秋さりて 山邊をゆけば なつかしと 我を思へか 天雲も △行田菜引《イユキタナビク》
春避而野邊尾囘者面白見我矣思經蚊狹野津鳥來鳴翔經秋避而山邊尾往者名津蚊爲迹我矣思經蚊天雲裳行田菜引
 オモシロミ云々は我ヲオモシロミ思ヘカといふべきを顛倒せるにてそのオモシロミは面白ガリなり。略解に『卷十四にオモシロキ野ヲバナヤキソともよめり』といへるはあやなし。ここは野をおもしろしといへるにあらず○サヌツ鳥はもと雉の枕辭なるを雉に借りたるなり。古事記なる八千矛ノ神の御歌に佐怒都登理キギシハトヨムとあり。カケラフは翔ルなり○行田菜引を眞淵はユキタナビキヌとよみ雅(3355)澄は一本の訓にイユキタナビキとあるに依りて行の上に伊を補へり。宜しくイユキタナビク〔右△〕とよむべし。ユキヤミタナビクとあるべきなれど止の字をおとしたるものとも思はれず。語例は卷三(四二二頁)なる不盡山歌に天雲モイユキハバカリタナビクモノヲとあり
 
かへりたち △路《オホヂ》を所來者《クレバ》 (うちひさす) 宮をみな (さす竹の) 舎人をとこも しぬぶらひ 
かへらひ見つつ 誰子ぞとや 所思而在△《オモハレテアリシ》 かくぞ爲故爲《シコナル》 古部《イニシヘ》 ささきし我や (はしきやし) 今日やも子らに 五十狹《イサ・シラ》邇《・ニ》迩哉《トヤ》 所思而在《オモハレテアル》 かくぞ爲故爲《シコナル》
還立路尾所來者打氷刺〔左△〕宮尾見名刺竹之舎人壯裳忍經等氷還氷見乍誰子其迹哉所思而在如是所爲故爲古部狹狹寸爲我哉端寸八爲今日八方子等丹五十狹邇迩哉所思而在如是所爲故爲
 カヘリタチは還發なり。略解に
  路の上に大の字おちしならん。オホヂヲクレバとあるべし(○眞淵説)
(3356)といへるに從ふべし○所來者を古義に
  ケレバと訓べし。ケレバは來ケレバの縮まれるなり。クレバとよみては所(ノ)字あまりてわろし
といへれどケレバは來タレバにてこゝにかなはず。又所は卷十一(二二四五頁)にヒトノ所寢《ヌル》、卷十二(二五五二頁及二六一八頁)にヒトノ所見《ミル》、所解《トクル》ヒアラメヤ、卷十三(二八一六頁)に所佐《タスクル》クニゾとあり又反歌にニホフ レドを丹穗所經迹と書ける如くレに借れるのみ○宮ヲミナは宮女なり、サス竹ノ舎人といへるについて略解に
  サス竹ノは例は宮とも君とも(○又皇子とも)つづくれどここは上に宮はあればはぶきてただちに舎人といへり(○眞淵説)
といひ雅澄は
  刺竹之舎人壯裳これは大宮とつづけたるより又うつれるものにて大宮の舎人といふ意にいひ係たるなり
といへり○略解に
  シヌブラヒはシヌビを延てシヌバヒなるを又延てシヌブラヒといへり
(3357)といへるはもとより非なり。古義に
  慕は常にはシヌビ、シヌブとはたらくを又シヌブルともはたらけば伸てシヌブラヒともいふなり
といへるも非なり。もしシヌブルの活ならばシヌビ又は延べてシヌバヒといふべければなり。案ずるにこはシヌブルを延べてシヌブラフといひそのシヌブラフをはたらかしてシヌブラヒといへるにて京語にヌを延べてナフといひ更にそをはたらかしてナハム、ナヒ、ナヘといへると同例なり。さてシヌブラヒはメデといふことなり。又カザラヒ、カヘラヒ、カケラフ、シヌブラヒなど延言の重出せるは作者の口癖とおぼゆ○タガ子ゾトヤ所思而在は下なるイサ邇迹哉所思而在と相對せるなり。さてタガ子ゾトヤのヤは古義にいへる如くヨの意のヤなり。かく不用なるヤを用ひたるも亦作者の口癖とおぼゆ○所思而在を略解にオモホエテアラムヲとよみ古義にオモハレテアルとよめり。案ずるにこゝは過去の事なればアリシとあらざるべからず。されば在の下に爲をおとせるならむ。さてこゝのオモハレテはユカシガラレテといふことにて下なる所思而在のオモハレテはイトハレテといふこ(3358)とゝおぼゆ。オモハレテアリシのシはシガの意なり○如是所爲故爲を眞淵はカクゾシコナルとよみて今ハカクゾ醜ナルの意としたるを古義に『爲(ノ)字は此歌にてはナルといふに用ひぬ例なり』といひて舊訓に從ひてカクゾシコシとよみてカクゾ爲來シの意とせり。前にもいへる如く爲は此歌にてもシに借れるに限らずナシにさへ借れる例(韓帶丹取爲)あればこゝはナルに借れるものとして眞淵の如くカクゾシコナルとよむベし。カクゾ爲來シなどいふべき處にあらず○古部を從來多くはイニシヘノとよみたれどノといふ辭ありてはササキシにかゝらざるのみならず下なる古部之とはちがひてこゝには之の字無ければイニシヘとよむべし○狹狹寸爲を宣長(記傳卷二十イススギキの註)雅澄はさざめきさわぐ事とせり。なほ考ふべし○ハシキヤシは今日ヤモを隔てゝ子等にかゝれるなり。今日ヤモのヤは疑辭なり。古義にヨのヤとせるは非なり○イサ邇迹哉の邇は衍字ならざるか。イサは小序なる阿誰呼2比翁1哉に當れり。イサトヤのヤはヨの意のヤなり。古義に之を疑辭とせるは非なり。タガ子ゾトヤ〔右△〕所思而在とイサトヤ所思而在と相對したるを一をヨのヤとし一を疑辭とすべけむや。再按ずるに五十狹邇迹哉はもと不知邇迹裁と(3359)ありてシラニトヤとよむべかりしを誤りてイサニトヤとよみて不知を五十狹と書き換へし爲に邇が不用となれるにあらざるか○所思而在を略解にオモホエテアラムヲとよめるはわろし。古義の如くオモハレテアルとよむべし。さてそのアルは今日ヤモのヤの結なり○如是所爲故爲は上の如くカクゾシコナルとよむべし。二つのカクゾシコナルは挿句なり
 
いにしへの 賢人《サカシキヒト》も 後の世の 堅監《カタミ》にせむと 老人を おくりし車 持還來《モチカヘリコシ》
古部之賢人藻後之世之堅監將爲迹老人矣送爲車持還來
 賢は古義に從ひてサカシキとよむべし。眞淵がカシコキとよめるはわろし○聖監を舊訓にカタミとよめるを宣長は鑒を誤りて二字とせるものとしてカガミとよめり。カタミといひては穩ならねどカガミといはば更に穩ならじ。しばらく舊訓に從ふべし。監をミに借れる例は卷七(一三六二頁)にソレヲダニ君ガ形見ニ監《ミ》ツツシヌバムとあり○持還來を契沖はモテカヘリケリとよみ略解古義にはモ【テチ】カヘリコシとよめり。ゾなどの係辭なけれど、いひ殘したる意あればげにモチカヘリコシ(3360)とよむベし○契沖は孝子傳なる
  原穀者不v知2何許人1、祖年老父母厭2患之1意欲v棄v之、數年十五、涕泣苦諌、父母不v從、乃作v輿舁棄v之、穀乃隨收v輿歸、父謂v之曰、爾焉用2此凶具1、穀曰乃後父老(ユトモ)不v能2更作1、得v是以收耳、父感悟愧懼、乃載v祖歸侍養、更成2純孝1
といふ故事を用ひて老人を嘲るを誠めたるなりといへり。但輿に車の義もあれど原穀傳なるは舁棄之とあれば肩輿なり○此歌は構想措辭共に頗常に異なる所あり。おそらくは漢文學に耽りし異俗先生の作ならむ
 
   反歌二首
3792 しなばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪《シロカミ》子らにおひざらめやも
死者水〔左△〕苑相不見在目生而在者白髪子等丹不生在目八方
 契沖が『仙女ガ今死ナバコソ白髪ト云物ヲ身ノ上ニ相見ズアラメなり』といへる如し。アヒ見ズは白髪ヲ見ズにてアヒは添辭なり。
  春霞たつかすが野をゆきかへり吾はあひ見むいや年のはに(卷十)
  いそのまゆたぎつ山河たえずあらばまたもあひ見む秋かたまけて(卷十五)
(3361) などのアヒなり○白髪を古義に卷十七にフルユキノ之路カミマデニとあるを證としてシロ〔右△〕カミとよめり。シロカミ子ラニといふ句雅ならず○死ナバといひ生キテアラバといへる、共に娘子等の上なり。略解に『我生キテアラバ子等ニ白髪オフルヲ見ンとなり』といへるはいたく誤れり。古義にアヒミズアラメを白髪ノ生ヒム時節ヲ相見ズアラメとうつせるもすこしたがへり○水は木の誤なり
 
3793 白髪爲《シロカミシ》、子らも生《オヒ》なばかくのごとわかけむ子らにのらえ金目八《カネメヤ》
白髪爲子等母生名者如是將若異子等丹所詈金目八
 初二を略解にシラガシテ子ラモイキナバとよめるはいとわろし。今村樂の説の如くシロカミシ子ラモオヒナバとよむべし。子ラモは子ラニモのニを略したるなり。ワカケムは若カラムなり○金目八《カネメヤ》はザラメヤといふべきが如くなれど誤字とも思はれねばまづ古義に
  アハレ詈《ノラ》レジトストモ詈レズアル事ヲ得ムヤハといふなり。カネは集中に多く不得と書る如く然あらむと心にねがふことのつひにその本意を得ざるをいふ(3362)辭なり
といへるに從ひて詈ラレカネジ即詈ラレザルヲ得ジの意とすべし
 
   娘子等和歌九首
3794 はしきやしおきなの歌におほほしき九兒《ココノノコ》らやかまけてをらむ
端寸八爲老夫之歌丹大欲寸九兒等哉蚊間毛而將居
 オホホシキは聰明ナラザルにてやがて暗愚ナルなり○カマケテは契沖が皇極天皇紀三年春正月の處に中臣鎌子(ノ)連便感2所遇1而語2舎人1曰云々とある感を然よめるを證として感ジテなりといへるに從ふべし○ココノノ兒ラは卷三(四四一頁)なるイニシヘノナナノサカシキ人ドモモのナナノなどと同例なり
 
3795 辱をしぬび辱尾獣《ハヂヲモダシテ》、無事物不言〔五字左△〕《モノイハズコトナキ》先に我はよりなむ
辱尾忍辱尾獣無事物不言先丹我者將依
 第二句を舊訓にハヂヲモダシテとよめるを古義にモダリテとよみ改めたり。モダルはモダアルにて自動詞なれば(卷三【四四五頁】モダヲリテ參照)辱ヲモダリテとはいふ(3363)べからず。なほモダシテとよむべし○契沖の説に初二は班姫(曹大家)の女誡に忍v辱含v垢常若2畏懼1あるによれるなりといへり。作者は漢學に通じきとおぼゆる上にハヂといふ語の重なれるは漢文を訓讀したる結果とおばゆればげに契沖の説の如くなるべし。又彼女誡の含垢はいにしへハヂヲモダシテと訓讀せしなるべし(左傳宣公十五年にも含垢とあり)。垢は字書に耻辱也如2忍垢含垢1と見え欽明天皇紀十六年春二月の處にも雪垢をハヂヲキヨメとよめり。又含は字書に包容也又懷而未v吐之義とあればモダシともよむべし〇三四はおそらくはもと物不言無事先丹とありしを物不言と無事とを顛倒したるならむ。さらばモノイハズコトナキサキニとよむべし。モノイハズは物言ハズシテなり。事ナキはアヤマチナキなり○ヨリナムは身ヲ翁ニ寄セムとなり
 
3796 否も詰《ウ・ヲ》も隨欲〔左△〕《トモノマニマニ》ゆるすべき貌所見哉《カタチミユカモ》我もよりなむ
否藻諾藻隨欲可赦貌所見哉我藻將依
 初句を舊訓にイナモウモとよめるを古義に『イナモヲ〔右△〕モと訓べし』といひて鳴門中將物語、源氏物語行幸(ノ)卷などを例に引きたれど大和物語(袖中抄參照)源信明集、蜻蛉(3364)日記、拾玉集などにイナウ〔右△〕、イナトモウ〔右△〕トモ、ウ〔右△〕トテ止ミヌ、ナヤウ〔右△〕ヤトなどあればウを誤としヲを正しとは定むべからず。畢竟今いふハイをいにしへウともヲともいひしなり。
  伴信友の應聲考(全集第三)にこのヲをオの誤としたれど漢語の唯はイにあらでヰなるのみならず噤みたる口を俄に開きてオと云はむとせばおのづからウォとひびくべければ古書にヲと書けるを輕々しくオを寫し誤りたるものとは定むべからず。義門の於乎輕重義にもオを正しとしたる由なれど其書はいまだ獲ず。見む人余の説と比較して宜しきに從ふべし
 然らば鳴門中將物語に
  人のめし侍る御いらへに男はウと申し女はヲと申すなり
とあるに從ひてウとヲとを男女に別つべきかといふに蜻蛉日記天禄三年九月の處に何事トモオボエネバウ〔右△〕トテ止ミヌとあるは(解環本にはウトクテ止ミヌとあり)作者なる道綱(ノ)母のみづから云へるなればウは男の答と限れるにあらねどウといふよりはヲといふ方柔けく聞ゆればやうやうに女は多くヲといふやうになり(3365)しならむ。因にいふ。沖縄にては今も男女共にウといらふとぞ○隨欲を略解にホリスルママニとよみ久老も雅澄もホリノマニマニとよめり。宜しく隨伴などの誤としてトモノマニマニとよむべし。下にも友ノナミナミ、友ノマニマニといへり。さて此句にて切れたるなり。ユルスベキにつづけるにあらず○貌所見哉を略解にカタチミユカモとよみ宣長はミエメヤとよみ雅澄はカタチハミエヤとよめり。略解に從ふべし。ミユルカモをミユカモといへるは例の如く連體格の代に終止格をつかひたるにて卷二十にイハズ來《キ》ヌカモとあると同例なり。言サキダチシ二人ノ友ニ身ヲ翁ニ許スベキ貌ノ見ユルカナといへるなり
 
3797 死《シニ》も生《イキ》も同じ心とむすびてし友八違《トモヤタガハム》、我もよりなむ
死藻生藻同心跡結而爲友八違我藻將依
 ムスビテシは契リテンなり。第四句を略解に友不違の誤としてトモニタガハジとよめるはさかしらなり。久老雅澄の如くトモヤタガハムとよむべし。トモヤは友ニヤのニを略せるなり
 
3798 何爲迹〔左△〕《ナニセムニ》たがひはをらむ否も諾《ウ・ヲ》も友のなみなみ我もよりなむ
(3366)何爲迹違將居否藻諾藻友之波波我裳將依
 初句を舊訓にナニセムトとよめるを宣長は迹を邇の誤としてナニセムニとよみ改めたり。之に從ふべし。ナニセムニは何ノ爲ニなり。近くは卷十一(二二三五頁及二二五〇頁)に例あり。雅澄は『すべて此長歌短歌、ニには皆丹(ノ)字をのみ用ひたればこゝのみ邇(ノ)字をかけりとも思はれず』といへれど此長歌短歌にはモ、カ、ヲには多く藻、蚊、尾と書きたるを稀には裳、何、矣と書きたる如くニにも邇と書くまじきにあらず。否雅澄は長歌の末なる五十狹邇〔右△〕迹哉をイサニ〔右△〕トヤとよみたるにあらずや○友ノナミナミは友ノ並々ニコソアラメといへるにて此句にて切れたるなり
 
3799 豈〔左△〕《オヤ》も不在《アラヌ》おのが身のから人の子|之《ノ》事も不盡《ツクサズ》我もよりなむ
豈藻不在自身之柄人子之事藻不盡我藻將依
 不在は契沖等の如くアラヌとよみてオノガ身につづくべし。第三句に人ノ子といへるを思へば初句の豈は親の誤ならむ。されば初二は親アラバマヅ親ニ告グベキナレド親モナキ己ガ身ナレバといへるなり。下なる歌の小序にも不v告2二親1竊爲2交接1とあり○第三句の之を古義(國書刊行會本)にシとよみたれど舊訓の如くノとよ(3367)むべし○不盡を從來ツクサジとよめり。宜しくツクサズとよみて盡サズシテと心得べし。人の子の事を盡すはやがて親に告ぐるなり
 
3800 (はたすすき)穗には莫出《イヅナト》、思而有《オモヒタル》こころはしれつ我もよりなむ
者田爲爲寸穗庭莫出思而有情者所知我藻將依
 莫出を二註にイデジトとよめるは非なり○舊訓の如くイヅナトとよむべし○思而有はオモヒタルとよむべし。二註にシヌビタルとよめるはわろし○穗は上なり。表なり。植物の穗もイハホ、カキホなどのホも皆然り。さて穗ニイヅは植物に比していふにあらで本來表ニアラハルといふことなり○穗ニハイヅナト思ヒタルは友だちに對して希望したるにて表ニアラハスナト願ヒタルといへるなり○シレツは知ラレツにあらず知ラセツにてこゝにては逐ニ知ラセツなり(卷八【一五〇三頁】人ニシレツツ參照)○結句の上に此上ハといふことを添へて心得べし
 
3801 すみの江の岸野之榛《キシヌノハリ》に丹穗所經迹《ニホフレド》にほはぬ我やにほひて居らむ
墨之江之岸野之榛丹丹穗所經迹丹穗葉寐我八丹聴氷而將居
(3368) 久老は岸之野榛の顛倒なるべしといへり。もとのまゝにてもあるべし○第三句を契沖以下ニホフレドとよめるを古義にはニホヘレドとよみて
  ニホヘレドはニホハセレドなり。ハセはヘとつづまる
といへれどこゝはニホハセドとはいふべくニホハセレド(すなはちニホハシテアレド)とはいふべからず。抑ニホフはソマルにてソムルは集中にニホハス又ニホスといへれど又ニホフルともいひしならむ。されば契沖等に從ひてニホフレドとよむべし
  宣長は『ニホフレドはニホハスレドをつづめたるなり』といへれどニホハスは卷一(一一〇頁)に岸ノハニフニニホハ散《サ》マシヲとありて四段活なればニホハスルとはいふべからず
 〇一首の意はイカナル丈夫ノ挑ニモ從ハヌ我ナレド翁ニハ從ヒテ居ラムカといへるなり
3802 春の野の下草なびき我もよりにほひ因〔左△〕將△《テヲラム》友のまにまに
春之野乃下草靡我藻依丹穗氷因將友之隨意
(3369) 初二は序にて春ノ野ノ下草ノ靡ク如クといへるなり○古義に『因將は將因と書べきをかく書るごとき例は集中に往々あり』といへり」案ずるに此歌は前の歌どもに我モヨリナムとあると前の歌にニホヒテヲラムとあるとを束ねたるなれば三四は我モ依リニホヒテヲラムとあるベきなり。されば因將は而將居の誤脱とすべし
 
   昔者有d壯士與c美女u也【姓名未詳】不v告2二親1竊爲2交接1、於v時娘子之意欲2親令1v知、因作2歌詠1送2與其父〔左△〕1、歌曰
 
3803 こもりのみこふればくるし山のはゆいでくる月のあらはさばいかに
隱耳戀者辛苦山葉從出來月之顯者如何
    右或曰、男有2答歌(トイヘリ)1者、未v得2探求1也
 父は夫の誤なり
 コモリノミはコモリテノミなり。コモリテはシノビテなり。三四は序なり
 
   昔者有2壯士1、新成2婚禮1也、未v經2幾時1忽爲2驛使1被v遣2遠境1、公事有v限會期無v日、於v是娘子感慟悽愴沈2臥疾※[やまいだれ/尓]1、累年之後壯士還來覆命既了、(3370)乃詣相視、而娘子之姿容疲羸甚異、言語哽|咽《エツ》、于v時壯士哀嘆流v涙|裁《ツクリテ》v歌口號、其歌一首
 
3804 かくのみにありけるものを猪名川のおきを深めてわがもへりける
如是耳爾有家流物乎猪名川之奥乎深目而吾念有來
 ※[やまいだれ/尓]は※[やまいだれ/火]《チン》の俗字、※[やまいだれ/火]はヤマヒなり。孟子(盡心章句)に※[やまいだれ/火]疾とあり左傳襄公二十三年及哀公五年に疾※[やまいだれ/火]とあり
 初二の例は卷三に
  かくのみにありけるものをはぎが花さきてありやととひし君はも(五五六頁)
  かくのみにありけるものを妹も吾も千歳のごとくたのみたりける(五六八頁)
とあり。失望したる時にいふ辭にてカヤウナ事トハ思ハズシテといふばかりの意なり○猪名川ノオキヲの八言はフカメテにかゝれる序なり。語例は卷四(七六一頁)
  わたの底おきをふかめてわがもへる君にはあはむ年はへぬとも
とあり。フカメテは心フカクにてモヘリにかゝれり(二四九八頁參照)。猪名川を枕辭(3371)につかへるを見れば津(ノ)國の人の作ならむか
 
   娘子臥聞2夫君之歌1從v枕擧v頭v聲|和《コタヘシ》歌一首
3805 (ぬばたまの)黒髪ぬれて沫雪のふるにや來ますここだこふれば
鳥玉之黒髪所沾而沫雪之零也來座幾許戀者
    今案、此歌其夫被v使既經2累載1、而當2還時1雪落之冬也、因v斯娘子作2此沫雪之句1歟
 來マスは來マセルと心得べし。結句はワガアマタ戀フレバなり。男の心の厚きを看取りたる趣なり○左註は非なり。小序に累年之後壯士還來覆命既丁乃詣〔右△〕相視とあれば娘子は親の家にありしなり。さて娘子を訪ひし時に雪のふりしにこそあれ○覆命は復命なり。覆復は通用なり
    ○
3608 事しあらば小泊瀬山の石城《イハキ》にも隱者〔左△〕《コモラナ》共になおもひ吾背
事之有者小泊瀕山乃石城爾母隱者共爾莫思吾背
(3372)    右傳云、時有2女子1、不v知(セ)1父母(ニ)1竊接2壯士1也、壯士|悚2タ《シヨウテキ》其親呵※[口+責]1稍有2猶豫之意1、因v此娘子裁2作斯謌1贈2與其夫1也
 卷四(六三二頁)に
  わが背子は物なおもひそ事しあらば火にも水にもわれなけなくに
とあり。常陸風土記に
  こちたけばをはつせやまのいはきにもゐてこもらなむなこひそわぎも
とあるは今の歌を誤れるなり○イハキは前註に墓の事としたれど墓としてはかなひがたきこゝちす。試に云はむに岩を以て圍める地域にて一種のアジール(避難處)ならざるか。かのカウゴ石も亦イハキならざるか。周防國のカウゴ石ある山をイハキ山といふをも思ふべし。カウゴと云ふは箇々の石の形が革籠《カハゴ》に似たる故ならむ。カハゴは音便にてカウゴと云ひつべし○事シアラバといひて更にコモラバとはいふベからず。されば隱者は隱名の誤としてコモラナとよむべし。ナオモヒは心配シ給フナとなり○時有2女子1の時は曾の義なり。古義にはムカシと訓せり
   ○
(3373)3807 あさか山影さへみゆる山の井の淺き心をわがもはなくに
安積香山影副所見山井之淺心乎吾念莫國
    右歌(ハ)傳云、葛城王遣2于陸奥國1之時國司祗承緩怠異甚、於v時王意不v悦怒色顯v面、雖v設2飲饌1不2肯宴樂1、於v是有2前(ノ)采女1、風流娘子、左手捧v觴右手持水〔二字□で囲む〕撃2之王膝1而詠2其〔左△〕歌1、爾乃王意解脱〔左△〕樂飲終v日
 上三句は序なり。山ノ影サヘ見ユルといひアサキといへるを思へばこの山の井は淺く廣くて澤めきたる處と見ゆ。四五は淺キ心ヲワガ持タヌ事ヨとなり。ワガといへるを味へば主人の國司に代りてよめるなり
 葛城王は契沖の説に
  橘諸兄の前名をも葛城王といへど諸兄は家持と同時の人なるにこゝに右歌傳云とよそよそしく書けるを見れば此葛城王は諸兄にはあらで天武天皇紀八年秋七月に四位葛城王卒と見えたるそれなるべし(摘意)
といへり○異甚は上に姿容疲累甚異とある甚異にひとし。もし訓讀せむとならば(3374)ウタテアリとよむべし○右手持水とある不審なり。もし略解にいへる如く此歌を誦せむ爲にわざと水を持ち出でたるならば左手に觴は捧げざらむ。又古義に撃之王膝而を王ノ膝ニ撃チテとよみて『膝に水をうちそそぐなり』といへれど膝に水をうちそゝがば王の怒は益甚しからむ。略解には『撃はフの誤か。ササゲと訓べし』といへれどフの誤とせば膝はいたづらならむ。案ずるに持水の二字は衍文にて右手撃2之王膝(ヲ)1而ならむ。之は助字なり○其は斯の誤ならむ。諸本に此とあり。脱は一本に從ひて悦の誤とすべし○古今集の序に
  難波津の歌は帝のおほむ始なり。あさか山の言の葉は采女のたはぶれよりよみてこの二歌は歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の始にもしける
とあるは此歌を指せるなり
    ○
3808 すみの江の小集樂《ヲスラ》にいでて寤《ウツツ》にもおの妻すらを鏡と兒つも
墨江之小集樂爾出而寤爾毛己妻尚乎鏡登見津藻
(3375)   右傳云、昔者△2鄙人1、姓名未v詳也、于v時郷里男女衆集野遊、是曾衆之中有2鄙人夫婦1、其婦容姿端正秀2於衆諸1、乃彼鄙人之意彌増2愛v妻之情1、而作2斯歌1讃2嘆美貌1也
 小集樂を袖中抄にヲヘラとよみ舊訓にヲツメとよみ契沖は『アソビとよむべきにや』といへり。今も邊境にては行はるゝ如くいにしへは一郷の男女時々然るべき處に集りて飲食歌舞せしなり。試に風土記に見えたる例を※[手偏+綴の旁]はば
  其筑波岳(ハ)往集歌舞飲喫至2于今1不v絶也……自v阪以東諸國男女、春花關時、秋葉黄節、相携|駢※[門/眞]《ベンテン》、飲食齎※[(木の左右に人)/貝]、騎歩登臨、遊樂栖遅(常陸)
  密筑《ミツキ》(ノ)里(ハ)村中淨泉……夏暑之時遠邇郷里酒肴齎※[(木の左右に人)/貝]、男女集會、休遊飲樂(同)
  邑美《オホミ》(ノ)冷水《シミヅ》……男女老少時叢集常燕會地矣(出雲)
  前原(ノ)埼……男女隨時叢會、或愉樂△歸、或耽遊忘歸、常燕喜之地矣(同)
  縣南二里有2一孤山1……是名曰2杵島1……郷閭士女提v酒抱v琴毎歳春秋携v手登望、樂飲歌舞曲盡而歸(肥前)
  此岡西有2歌垣山1、昔者男女集2登此上1常爲2歌垣1、因以爲v名(攝津)
(3376)などあり。又本集卷九なる登2筑波嶺1爲2※[女+耀の旁]歌《カガヒ》(ノ)會1日作歌も例とすべし。さて小集樂はヲスラとよむべきか〇そのヲスラは元來邦語なるが
  語源はヲシクラ(食座)か。さらば遊は本來ヲシクラアソビと謂ふべし
 郷人の相集りて偕に樂む遊なれば此歌の筆禄者が戯に小集樂の字を充てたるならむ。さらば小は訓を借り集樂は音を借れるにて三字共に借字なり○寤を舊訓にウツツとよめるを古義に眞寤の脱字としてマサメとよめり。此説打見には發明の如く見ゆれど實は四五の意を正解し得ざりしより起れる謬説なり。まづスラは主語を強むる辭なり。次に鏡ト見ツは鏡ノ如クキラキラシク見ツといふ意なれど鏡ト見ツといへば鏡と見成すやうに聞えて奇怪なれば戯れて夢ナラバコソアラメ夢ニモアラヌ現《ウツツ》ニ己妻ヲ鏡ト見ツといへるなり。されば第三句は舊訓の如くウツツニモとよむべきなり
 昔者の下に有をおとせるならむ。姓名未詳也は上なる昔者有d壯士與c美女u也云々又次なる左註の例によらば割註たるべきなり
   ○
(3377)3809 商變領爲跡之〔左△〕御法《アキガハリシラスチフミノリ》あらばこそわがした衣かへしたまはめ
商變領爲跡之御法有者許曾吾下衣變賜米
   右傳云、時有2所v幸娘子1也【姓名未詳】寵薄之後還2賜寄物1【俗云可多美】於v是娘子怨恨、聊作2斯歌1獻上
 商變は舊訓にアキガハリとよめるに從ふべし。アキは今いふアキナヒなり。アキナヒの略語にあらず。古義にアキガヘシとよめるはわろし。語義は契沖が
  商變は既に物と價とを定て取交して後に忽に變じて或は物をわろしとして價を取返し或は價を賤しとて物を取返すなり
といへる如し
  因にいふ。今賣買の約をたがふるをシヤウベンといふはおそらくは商變の音唱ならむ
 ○領爲跡之を舊訓にシラストノとよめるを雅澄はシラセトノとよみ改めたり。案するにもし自由ニセヨなどいふ意ならばシレといふべくシラセとはいふべから(3378)ず。宜しく之の字を(宣長に從ひて)云の誤としてシラスチフとよむべし。シラスのシルはウベナフなり。認容なり○變は反の通用なり
 娘子は或貴顯に幸せられしなるがアキガハリなどいへるを思へばあてなる女にはあらざりけむ○俗云は邦語ニイフなり。鄙俗の俗にはあらず
    ○
3810 うまいひを水にかみなしわがまちし代者曾無《カヒハカツテナシ》ただにしあらねば
味飯乎水爾醸成吾待之代者曾無直爾之不有者
    右傳云、昔有2娘子1也、相2別其夫1望戀經v年、爾時夫君更娶2他妻1、正身不v來、徒贈2裹物1、因v此娘子作2此恨歌1還酬之也
 ウマイヒはウマキ飯なり。飯をたゝへて云へるなり。水は汁にてやがて洒なり。カミナシは飯を噛みて吐きて酒となすなり。
  因にいふ。酒を造る事をカモスといふはこのカミナスの約なるカマスの轉ぜるなり。なほトヨマスのトヨモスとなれる如し
(3379) 上三句にいへるは所謂待洒なり。卷四(六七九頁)に
  君がためかみしまち酒やすの野にひとりやのまむ友なしにして
とあり○代は二註にカヒとよめるに從ふべきか。但集中に詮《カヒ》はすべてシルシといへり。曾無は舊訓にカツテナシとよめるに從ふべし。カツテは更ニなり
  代はカヘとよむべきをカヒに借りたるは卷十三(二九〇一頁)に馬カハバを馬替者と書けると同例なり。二註にカハリをつづめたるなりといへるは從はれず
 ○タダニシアラネバはタダナラネバにて御直デナイカラといふことなり
 爾時はサルホドニといふこと、正身は本人なり
 
   戀2夫君1歌一首并短歌
3811 さにづらふ 君がみこと等〔左△〕《モチ》 (玉梓の) 使もこねば 憶△《オモフニシ》 病吾身《ヤメルワガミ》一|曾《ゾ》 △ (ちはやぶる) 神爾《カミニ》毛〔□で囲む〕|莫負《オホスナ》 卜部|座《マセ》 龜もな燒きそ 「こひしくに いたき吾身ぞ」 いちじろく 身に染△保里《シミトホリ》 (むらぎもの) 心くだけて 死なむ命 にはかになりぬ 今更に 君か吾《ワ》をよぶ (た(3380)らちねの) 母のみことか (ももたらず) 八十のちまた爾〔左△〕《ノ》 夕占《ユフケ》にも 卜にも曾〔左△〕問《ナトヒ》 しぬべきわが故
左耳通良布君之三言等玉梓乃使毛不來者憶病吾身一曾千磐破神爾毛莫負卜部座龜毛莫燒曾戀之久爾痛吾身曾伊知白苦身爾染保里村肝乃心砕而將死命爾波可爾成奴今更君可吾乎喚足千根乃母之御事歟百不足八十乃衢爾夕占爾毛卜爾毛曾問應死吾之故
 此歌は錯誤多しと見えてとゝのはざる處多し。まづサニヅラフは紅ナルといふことにて夫の顔をたゝへたるなり○君ガミコト等の等は持の誤ならむ。卷二(一六二頁)にも君ガ御言ヲ持而カヨハクとあり○吾身一曾の一といふこと餘れり。又此二句は次なるコヒシクニイタキワガ身ゾと對を成せりと見ゆれば憶西病吾身曾の誤とすべし。卷四(七八三頁)なる長歌にもオモフニシ吾身ハヤセヌとあり〇四句を隔てたるコヒシクニイタキ吾身ゾはこゝに引上ぐべし。コヒシクはコヒシキ事にて後世のコヒシサなり。卷十(二二一〇頁)にもコヒシクノケナガキ我ハ見ツツシヌ(3381)バムとあり○神爾毛の毛は衍字ならむ。莫負はナオホセともよむべけれど其對句には莫燒曾とありて曾あると曾なきと參差たれば寧オホスナとよむべし。さて神ニオホスナは神ノ所爲トスナとなり○卜部は卜を職とする族なり。座は古義に從ひてマセとよむべし。招待シテなり。龜モナ燒キソは所謂龜卜ニウラナハスナとなり○染の下に等などのおちたる事前註にいへる如し。さて此二句には主格なし。イチジロクの前にコヒシサガなどいふことを加へて聞くべし○今更ニ君カ吾《ワ》ヲヨブは耳元ニ聲ノスルハ君ガ今更ニ來リテ吾ヲ喚ブニカとなり。君カのカは清みて唱ふべし○母ノミコトカは又ハ母ノ命ノ吾ヲ喚ブニカとなり〇八十ノチマタはユフケのみにかゝりたるなれば爾は乃の誤ならざるべからず。ヤソノチマタノユフケグは即辻占なり。卷十一(二三三六頁)にも八十ノチマタニユフケ問ハムとあり○卜爾毛曾問の曾は莫の誤なり。さればナトヒ又はトフナとよむべし。さてその卜は何の卜にてもあるべし。但ユフケとは別なり
 
   反歌
3812 卜部乎〔左△〕《ニ》も八十のちまたもうらどへど君をあひ見むたどき知らずも
(3382)卜部乎毛八十乃衢毛占雖問君乎相見多時不知毛
 初句の乎は某ニ問フを某ヲ問フといへる例もあれど(卷十五【三二六三頁】ワレヲトハバ參照)おそらくは爾の誤ならむ。ヤソノチマタモはニモのニを略したるなり。タドキはスベなり○こは契沖等のいへる如く未、病に罹らざりし先の事をいへるなり。古義は甚しく誤解せり
 
   或本反歌曰
3813 吾命はをしくもあらずさにづらふ君によりてぞ長くほりせし
吾命者惜雲不有散追良布君爾依而曾長欲爲
    右傳云、時有2娘子1、姓車持氏也、其夫久|逕《ヘテ》2年序1不v作2往來1、于v時娘子係戀傷v心沈2臥病※[病垂+尓]1、痩羸日異忽臨2泉路1、於v是遣v使喚2其夫君1來、而乃歔欷流涕口2號斯歌1、登時《スナハチ》逝没也
 而乃は爾乃なり。而と爾とは通用なり。登時はスナハチとよむべし。卷八(一五四五頁)にナキシスナハチを鳴之登時と書き延喜式東市司に登時をスナハチと訓じたり
 
(3383)   贈歌一首
3814 眞珠《シラタマ》は緒だえしにきとききし故《カラ》に其緒またぬき吾玉にせむ
眞珠者緒絶爲爾伎登聞之故爾其緒復貫吾玉爾將爲
 譬喩の意は左註によりて明なり。從來故をユヱとよめり。宜しくカラとよむべし。結句の下にトゾ思フといふことを添へて見べし○卷七(一四〇二頁)に
  照左豆が手にまきふるす玉もがも其緒はかへて我玉にせむ
とあり
 
   答歌一首
3815 白玉の緒絶はまことしかれども其緒又ぬき人|持《モチ》いに家有〔左△〕《ケリ》
白玉之緒絶者信雖然其緒又貫人持去家有
     右傳云、時有2娘子1、夫君(ニ)見(ステラエテ)v棄改2適他氏1也、于v時或〔右△〕有壯士不v知2改適1、此歌(ヲ)贈遣(シテ)請2誂於女之父母1者《トイフ》、於v是父母之意、壯士末v聞2委曲之旨1、乃依2彼歌1報送、以顯2改適之縁1也
(3384) 或は衍字なるに似たれど下にも右或有人聞之とあり。二字にてアルとよむべきか〇二註に家有は家里の誤なりといへり
 
   穗積親王御謌一首
3816 家爾有之〔左△〕《イヘナルヤ》櫃に※[金+巣]《クギ》さしをさめてし戀の奴のつかみかかりて
家爾有之櫃爾※[金+巣]刺藏而師戀乃奴之束見懸而
    右歌一首穗積親王宴飲之日酒酣之時好誦2斯歌1以爲2恒賞1也
 ※[金+巣]を舊訓にザウとよめるを略解に卷二十にクルニ久枳サシカタメトシとあるに依りてクギとよみ改めたり。之に從ふべし。主計式に著v※[金+巣]韓櫃とあり○初句を從來イヘニアリシとよみたれどアリシとはいふべからず。宜しく之を也の誤としてイヘナルヤとよむべし。イヘナルヤのヤは助辭なり○古義に四五一二三と句をおきかへて釋きて
  此歌は上にゾノヤ何等の言なければテキといふことテニヲハのとゝのへのさだまりなれど然いひてはよろしからぬ故にことさらにたがへてテシと宣へる(3385)なり
といへり。こはいみじきひが言なり。此歌は句のまゝに心得べきにてヲサメテシは戀ノ奴にかゝれるなり。さて四五は戀ノ奴ノ櫃ヨリ出デテツカミカカリテ我ヲ苦シムル事ヨと辭を加へて心得べし
 恒賞は次の歌の左註に見えたる常行と相似たる意なり。賞はモテアソビなり。ナグサミなり
    ○
3817 可流羽須波〔左△〕《カルウスキ》田廬《タブセ》のもとに吾兄子はにふぶにゑみてたちませり見ゆ
可流羽須波田廬乃毛等爾吾見子者二布夫爾咲而立麻爲所見【田廬者多夫世反】
 二注に初句をカルウスハとよみてカルウスはカラ臼なりといひ古義に『柄臼ハ田廬ノモトニ立チの意に云るなるべし』といへり。案ずるに田ブセノモトニ以下の主格は吾兄子なれば初句をカルウスハとよみて一主格とせむにそのかゝり著く處なし。されば初句は田ブセの屬格と見ざるべからず。更に案ずるに可流羽須波は波(3386)を伎の誤としてカルウスキとよみて輕薄キすなはち粗末ナルといふ意とすべきか。輕薄は史記平準書に
  今半兩錢法重四銖、而姦或盗2摩錢裏1取v※[金+谷]《クズ》錢益輕薄〔二字傍点〕而物貴
文選※[まだれ/臾]亮の讓2中書令1表に
 植v根之本輕也薄也。……根援扶疏、重矣大矣
と云ひて重大に對し又宋人の詩に輕薄衣裳嬾2更添1とあり又吾妻鏡建仁三年に甲冑者輕薄とあれば人の性行ならでも云ひつべし○田ブセははやく卷八(一六一〇頁)に田廬ニヲレバミヤコシオモホユとあり。田間〔日が月〕の陋屋なり。註に田廬者多夫世反とあるは卷五なる好去好來歌(九七三頁)に勅旨【反云大命】また船舳爾【反云布奈能閇爾】とあるとかへさまなるやうに見ゆれば誰も訝る事なれど多夫世ノ反とよまで多夫世ト反スとよめば事は無きなり。下にも食、賣世反也とあり。又靈異記中卷第廿七なる片※[草冠/絶]《カタワ》(ノ)里の訓注に※[草冠/絶](和反)とあり。反は飜譯なり。略解に『反の字は訓といふが如く心得てかける例あり』といへるは淺慮なり〇ニフブニヱミテは卷十八なる家持が作れる長歌にも夏ノ野ノサユリノ花ノ、花ヱミニニフブニヱミテテ、アハ シタル今日ヲハジメ(3387)テとあり。ニコニコトヱミテといふことなりといふ。吾兄子といへるを自己に擬して誦せられしなり
 
3818 (あさがすみ)香火屋がした乃〔左△〕《ニ》なくかはづしぬびつつありとつげむ兒もがも
朝霞香火屋之下乃鳴川津之努比管有常將告兒毛欲得
    右歌二首河村王宴居之時弾v琴|而即《スナハチ》先誦2此歌1以爲2常行1也
 卷十(二一七四頁)に
  あさがすみ鹿火屋がしたになくかはづこゑだにきかばわれこひめやも
とあるを學べるなり。鹿火屋が鹿半屋の誤ならざるかといふことは彼歌の下にいへり○第二句の乃は二註にいへる如く爾の誤ならむ。シヌビツツは古義にいへる如くメデツツなり○略解に上三句を序としたるは非なり。兒といへるはイザ兒ドモなどの兒にて我蛙ノ聲ヲメデツツアリト世ノ人ニ告ゲム兒モガナといへるなり○此王は其性閑適を好まれきと見ゆ○而即の二字を聯ねてスナハチとよむべ(3388)し。上に而乃とあると同じ
    ○
3819 ゆふだちの雨うちふればかすが野のをばながうれのしら露おもほゆ
暮立之雨打零者春日野之草花之末乃白露於母保遊
 はやく卷十(二一二八頁)に見えてそこには雨フルゴトニとあり
 
3820 ゆふづく日さすや河邊につくる屋の形《カタ》をよろしみうべぞよりくる
夕附日指哉河邊爾構屋之形乎宜美諾所因來
    二首小鯛王宴居之日取v琴|登時《スナハチ》必先吟2詠此歌1也、其小鯛王者|更名《マタノナ》置始《オキソメ》(ノ)多久美(トイフ)斯人也
 家を作るに日あたりのよきを好むは昔も今も同じ。ただ今は夕日を好まざるに昔は朝日夕日共に之を好みき。こは一つには燈火の設備の全からざりしによるならむ○略解に上三句を序として『本(○主文)は戀情の譬喩なるべし』といへるは非なり。序歌にはあらず。家作のめでたさに人の多くとぶらひ來るを喜べるなり。古義に人(3389)の家をよめりとせる將わろし。ウベゾヨリクルといへる、おのが家をよめる詞ならずや
 小鯛王は前註に『史に見えず』といへり。持統天皇紀に
  七年夏四月典鎰《カギトリ・テムヤク》置始(ノ)多久與2莵野(ノ)大伴1亦座v贓降2位一階1解2見任官1
とあると同人にて紀の多久は下に美をおとしたるにや
 
   兒部《コヘ》(ノ)女王|嗤歌《アザケリウタ》一首
3821 美麗物《クハシモノ》いづく不飽矣《アカジヲ》、坂門等之《サカトラガ》、角《ツヌ》のふくれに四〔左△〕具比《タグヒ》あひにけむ
美麗物何所不飽矣坂門等之角乃布久禮爾四具比相爾計六
    右時有2娘子1、姓|尺度《サカト》氏也、此娘子不v聴2高姓美人之所1v誂、應2許下姓※[女+鬼]士之所1v誂也、於v是兒部女王裁2作此歌1嗤2咲彼愚1也
 美麗物を二註にウマシモノとよみたり。宜しくクハシモノとよむべし○不飽矣を略解にアカヌヲとよみ古義にアカジヲとよめり。後者に從ふべし。イヅクアカザラム、サルヲといふべきをつづめたるなり。アカザラムは不足ナラムなり〇二三の間(3390)にイカデといふことを挿みて聞くべし○坂門は尺度氏なり。ラは助辭なり。之は舊訓の如くガとよむべし。古義にシに改めたるはわろし○角ノフクレを契沖は『牛の角などの樣して中のふくれ出たる顔つきを云なるべし』といひ二註は之に從へり。案ずるに醜士の姓|角《ツヌ》にて其人ふつつかにふくれたればツヌノフクレといへるならむ。角氏は紀にも見えたり〇四具比相爾計六を從來シグヒアヒニケムとよめり。さて記傳卷四(二一三頁)に
  凡物二が一に合をクヒアフと云。萬葉十六にシグヒアヒニケムとあるこれなり
とあれどさらばシは如何にか釋くべき。四具比はおそらくは田具比の誤ならむ
 高姓は下姓のうらにて名門なり。允恭天皇紀に或誤失2己姓1或故認2高氏1とある高氏に同じ。靈異記中卷第卅三にも高姓之人とあり。美人は醜士のうらにて西方(ノ)美人(詩經)惟2草木之零落1兮恐2美人之遲暮1(離騒經)など男子にもいへり。應許の應は從なり。歌にアヒニケムと過去にいへればベシにはあらず。※[女+鬼]は醜の通用なり(訓義辨證下卷參照)
 
  古歌曰
(3391)3822 橘の寺の長屋にわがゐねしうなゐはなりは髪あげつらむか
橘寺之長屋爾吾率宿之童女波奈理波髪上都良武可
    右歌椎野(ノ)連長年脉〔左△〕曰、夫寺家之屋者不v有2俗人寢處1、亦※[人偏+稱の旁]2若冠女1曰2放髪仆〔左△〕1矣、然則腹句已云2放髪仆〔左△〕1者尾句不v可d重云c著冠之辭u哉、决曰
 
3823 橘のてれる長屋にわがゐねしうなゐはなりに髪あげつらむか
橘之光有長屋爾吾率宿之宇奈爲放爾髪擧都良武香
 橘寺は大和高市郡の大寺にて飛鳥川の左岸にあり。長屋は今いふ長屋にて棟長く造れる屋なり○ヰネシはツレテネシなり(三一四六頁及三一五六頁參照)○ウナヰは髪の項《ウナ》に居るをいひハナリは髪の束ねられずして放たれたるをいひて共に童男童女の状なるをうつして童男童女の稱とせるなり○結句は既《ハヤ》ク生長シテ髪ヲ上ゲ結ビツラムカといへるなり
 脉は諭などの誤か○不有は不在と書くべけれど古くは有と在とを通用せり(實は(3392)こゝは不在にてもかなはず。非とあるべきなり)○※[人偏+稱の旁]は稱の本字なり。若冠は弱冠なり。女は冠を著る事なければ弱冠は男子に限りていふべきをよくも思はでいへるなり。されば若冠といひ著冠といへるは成年といふ意と見べし(男子の冠に對しては女子には笄《ケイ》といふなり)○仆は一本に從ひて丱《クワン》の誤とすべし。丱は幼なり○右の長年の論を評せむにまづ寺の長屋は寺の奴僕を住ましむる料なるべければ俗人ノ寢處ニアラズとはいふべからず。女ヲ率テ寢べキ處ニアラズとは云ふべし。但此歌は設けてよめるにはあらで實事をよめるならむ。尼寺は男子の入りて尼と酒を飲むべき處にはあらねど卷八(一五八七頁)にさる例あるにあらずや。次に長年はウナヰハナリは成年に達したる女なれば更に成年に達シタラムカとはいふべからずといへるなれどウナヰハナリはいまだ成年に達せざる女なる事前にいへる如し。されば長年はウナヰハナリの語意を知らず寺の庫裏と長屋との別を思はず冠といふ語の女子に用ふべからざるを辨へずして論を立てたるなり。今も往々長年流の歌論家の出づるはかたはらいたし
 
  長《ナガ》(ノ)忌寸《イミキ》意吉麻呂《オキマロ》歌八首
(3393)3824 刺《サシ》なべに湯わかせ子どもいちひ津の檜橋より來《コ》許〔□で囲む〕|武《ム》狐《キツ》にあむさむ
刺名倍爾湯和可世子等櫟津乃檜橋從來許武狐爾安牟佐武
    右一首傳云、一時衆集宴飲也、於v時夜漏三更|所2聞《キコユ》狐聲1、爾乃衆諸誘2興麿1曰、關《カケテ》2此饌具(ノ)雜器、狐聲、河橋等物1但〔左△〕作v歌|者《トイヒキ》、即應v聲作2此歌1也
 刺名倍を舊訓にサスナベとよめるを契沖は和名抄に銚子(ハ)佐之奈閇俗云佐須奈閇とあるによりてサシナベとよみ改めたるを雅澄は又字鏡に佐須奈戸とあるに依りて『今は字鏡によりてなほサスナベといふを古しとして然よめり』といへり。げに和名抄と字鏡とは字鏡の方古けれど和名抄は辨色立成を引けるにてその辨色立成は寛平中に成りし藤原佐世の日本國現在書目録に擧げたれば寛平乃至昌泰年間に成りし新撰字鏡よりはやや古からむ。又古きもの必しも正しからず後れたるもの必しも訛らざればこゝに理によりて斷ぜむに刺ナベのサスは注《ツ》グといふ意にて刺ナベは新井白石のいへる如く注道ある鍋なるべければ語法に從ひてサシ(3394)ナベとよむべし(下にも翳《ハ》をサシハといへり)。サスナべともいひしはそを訛りしなり
  追記 南京遺芳に第二十三進上雜物啓と題して載せたる正倉院文書に佐志奈閇と書きたり
 〇イチヒ津は大和のある河岸の名ならむ。ヒバシは檜にて作れる橋なり。許は衍字○キツは勢諸にも夜モアケバキツニハメナムとあれどキツが古きにあらで雅言はキツネにてキツは俗言ならむ
 一時は或時なり。夜漏の漏は時刻なり。興麿は即意吉麻呂なり。關は古義の如くカケテとよむべし○但を略解に而の誤とし古義に一本に併とあるに從へり。おそらくは直の誤ならむ○饌具雜器は饌具ノ雜器とよむべし。サシナベはやがて之に當れり。饌具の外に雜器あるにあらず。古義に湯櫟檜を擧げたるは非なり
 
    詠2行騰〔左△〕、蔓※[草冠/青]、食薦、屋※[木+梁]1歌
3825 すごも敷きあをな煮もち來《コ》うつばりにむかはぎかけて息此公《ヤスムコノキミ》
食薦敷蔓※[草冠/青]煮將來※[木+梁]爾行騰〔左△〕懸而息此公
(3395) 行騰はムカハギなり。騰は縢の誤なり○ムカハギは獣の皮にて造りたる一對の被服にて馬に騎る時腰より下を覆ふものなり。蔓※[草冠/青]はアヲ菜なり。今は単に菜といふ。彼ただ葉を食ひて根を食はざる疏菜なり。食薦《スゴモ》は簀薦にて食卓の下に敷くものなり。播磨風土記に
  所3以號2手苅丘1者近國之神到2於此處1以v手苅v草以爲2食薦1。故號2手苅1
とあり。之によりていにしへ食事の際に缺くべからざるものとせし事を知るべし。※[木+梁]は梁にひとし。淮南子《エナンジ》主術訓に
  是故賢主之用v人也猶2巧工之制1v木也。大者以爲2舟航柱※[木+梁]1小者以爲2楫楔1
とあり
 コノキミは此公ニすなはち此君ノ爲ニといふ意なり。略解にモチキとよみヤスメとよめるは非なり
 
     詠2荷葉1歌
3826 はちす葉はかくこそ有物《アルモノ》、意吉麻呂《オキマロ》が家なる物はうもの葉にあらし
蓮葉者如是許曾有物意吉麻呂之家在物者宇毛乃葉爾有之
(3396) 人の家の荷葉をたゝへて我家の荷葉をいひくたしたるなり、古義は誤解せり○第二句を舊訓にカクコソアレモとよめるを古義にカクコソアルモノとよみ改めたり。正しくはカクアルモノニコソといふべきにてコソのおき處たがへるに似たれどさる例も無きにはあらず。たとへば卷十二(二六九三頁)に人ノ言コソシゲキ君ナレとあり。又コソといひて物といへる例は下に馬ニコソフモダシカク物とあり○イモをウモともいふはイヲをウヲともいひイダクをウダクともいふが如し。芋の葉と蓮の葉とは相似たれば我家ナルハ蓮ニハアラデ芋ナルラシといへるなり
 
    詠2雙六(ノ)頭△1謌
3827 一二《ヒトフタ》の目のみにあらず五六《イツツムツ》、三四《ミツヨツ》さへありすぐろくのさえ
一二之目耳不有五六三四佐倍有雙六乃佐叡
 略解に和名抄に頭子(ハ)雙六乃佐以とあれば頭とあるは頭子の子を脱せるかといへり。頭子は投子の轉ぜるなりと狩谷望之は云へり。サエは采なり。サイとよむべきをなだらめてサエともいひしなり。才をサエともいふと同例なり○舊訓に數字を音(3397)讀したれど音讀すれば三四の三は第三句に附きて五六三となるが故に二註の如く訓讀すべし
 
     詠2香、塔、厠、屎、鮒、奴1歌
3828 香塗流《カウヌレル》、塔になよりそ川ぐまの屎鮒|喫有〔左△〕《ハミテ》痛〔左△〕女奴《ヤメルメヤツコ》
香塗流塔爾莫依川隅乃屎鮒喫有痛女奴
 略解に香を古語にコリといふによりて初句をコリヌレルとよみ古義に『コリはカヲリのつづまりたる言なり』といひ又
  諸の佛籍に塗香といふ事の多くある、そは佛身に香を塗ることなり。今は塔なれば燒とこそいふべけれ。塗と云る事似つかはしからず。されば此はもと香焚流などありけむを塗香といふことあるに混《マガヘ》て書誤れるならむ。さらばコリタケルと訓べし
といへり。案ずるに斎宮式の忌詞に堂稱2香《カウ・コリ》燃《タキ》1とあるは香を燃く處といふ意なり。たとひ塔にても香をたくとも香タク塔とこそいふべけれ香タケル塔とはいふべからず。さればなほもとのまゝにてコリヌレル又はカウヌレルとよむベし。香木を粉(3398)にして塗れるなり○題のうちに厠ありて歌には見えず。古義には厠を川とのみいひしによりて川グマに厠をもたせたるなりといへり。厠を川とのみいへる例果してありや、延喜式に厠殿にミカハドノと傍訓したるはカハ屋をカハ殿といひそれにミを添へたるなり。厠をミカハといへるにあらず(俗語のオカハは證とするに足らず)。題の厠は或は衍字か○隅は隈の誤にあらず。集中に佐太ノ隅《クマ》ミヲ、隅《クマ》モオチズなど書けり。屎鮒は古義に
  川隈は塵芥のよりつどひていときたなきものなり、そこにをる鮒なる故いやしめてかくいへるなり
といへり。題の屎鮒は無論二物なり〇四五を從來クソブナハメルイタキメヤツコとよみたれどまづハメルといふこと穩ならず。食ッタといふ事ならばハミシとあるべく、習トシテ食フといふ事ならばハムとあるべくいづれにてもハメルとはいふべからざるが故なり。次にイタキとあるも穩ならず。よりて思ふに喫有痛は喫而病の誤にてクソブナハミテヤメルメヤツコとよむべきなり。或はヤメルに有痛の二字を充てたるか
 
    詠2酢、醤、蒜、鯛、水葱1歌
3829 ひしほ酢に蒜《ヒル》つきかてて鯛|願《ネガフ》吾にな見せそなぎのあつもの
醤酢爾蒜都伎合而鯛願吾爾勿所見水葱乃※[者/火]物
 醤はヒシホなり。豆及麥にて造れる麹に鹽水を和して製したる半流動體なり。肉を食ふ時之を傳《ツ》けて食ひしなり。論語郷黨にも不v得2其醤1不v食といへり。酢と共にいにしへ主要なりし。※[齋の上半と韮の下半]物《アヘモノ》なり。されば大膳式にも
  小齋給食……五位已上一人醤酢各五勺……六位已下一人醤五勺云々
とあり○ツキカテテは砕キ交ヘテなり○鯛願を舊訓にタヒネガフとよめるを宣長は願を餔の誤としてタヒクラフとよめり。舊訓に從ふべし(略解にタヒモガモとよめるは言ふにも足らず)。アヘ物ヲ造リ了ヘサテ鯛モガナト願ヘル吾ニといへるなり〇四五は略解にいへる如く水葱《ナギ》ノ汁ナドハホンカラズといふ意なり
 
    詠2玉掃、鎌、天水〔左△〕香、棗l歌
(3400)3830 玉掃苅來鎌麻呂室乃樹與棗本可吉將掃爲
 天水香は天木香の誤なり。現に木とせる本あり(卷三【五四九頁】天木香樹參照)○玉ハハキは卷二十にハツ春ノハツネノ今日ノ玉ハハキとあり。ネンド草又カウヤバウキ又茶セン柴といふものなり。玉帚に作るが故に草の名をも玉ハハキといふなり。二註に卷二十なると別物とせるは非なり。こゝなるは草をいひ卷二十なるはその草もて作れる帚をいへるのみ○鎌麻呂は鎌を人に擬していへるなり○ムロの事は夙く卷三に云へり。今ネズミサシ、モロ、ブロンなどいふ木にはあらでイブキ、ビヤクシンなどいふ木なるべし○木の下に略解は舊訓に從ひてトをよみそへ古義はヲをよみそへたり。平安朝以後はかならず甲ト乙トといふこととなりたれど本集には下のトを略せる例少からざる上こゝはもし下のトを略せざらむとせばナツメの下に入るべきなれば本の字は諭なくモトヲとよむべし(八九七頁參照)
 
    詠2白鷺啄v木飛1歌
3831 池神の力士舞かもしら鷺の桙くひもちてとびわたるらむ
(3401)池神力士舞可母白鷺乃桙啄持而飛渡良武
 まづ一首の大意はシラ鷺ノ桙ヲクヒモチテ飛ビ渡ルハ池神ノ力士舞ニ行クニカアラムといへるなり○池神は地名なるべし。眞淵は『神は借字にて大和國十市郡池上郷なり』といへれど十市郡の池上は磐余《イハレ》ノ池の邊にあるより名を負へるにてイケノヘとよむべきなりと云ふ○力士マヒは池神の祭にものする舞にで當時名高かりし見物なるべし。力士マヒニカモのニを略せるなり○桙クヒモチテの桙は木の枝なり。古義に『木の枝をくはへたるを桙に見なしてかくはいふなり』といへるは非なり。枝附の橘を桙橘子といひそを數ふるに四矛八矛などいひ又内膳式に桙橘子十枝十五枝などいへるを見て小さき枝を桙といふを知るべし(記傳卷二十五【一五三六頁以下】參照)○クヒモチテはクハヘ持チテなり。思ふに力士舞に力士が桙をとりて舞ふことあるによりて力士舞ニユクニカアラムといへるならむ
 
   忌部(ノ)首《オビト》詠2數種(ノ)物1歌一首 名忘失也
3832 からたちの棘〔左△〕《ウバラ》原〔□で囲む〕|苅除《カリソケ》曾氣〔二字□で囲む〕倉たてむ屎とほくまれ櫛つくる刀自
(3402)枳棘原苅除曾氣倉將立屎遠麻禮櫛造刀自
 原と曾氣とは衍字ならむ。棘は卷二十に宇万良とあり。ウバラはマのバに轉ぜるなり。さてウマラは刺《イラ》ある木の總稱にて枳はその一種なればカラタチノウバラといへるなり。カリソケは苅リ拂ヒなり○大便する事をクソマルといふ。日本紀に送糞此云2倶蘇摩屡1とあり。竹取物語にも燕ノマリオケルフル糞とあり。さればクソトホクマレは大便ハ遠クニテセヨとなり
  因にいふ。日本紀の送糞といふこと心得がたし。或は脱糞の誤か。又マルは今も陸前などの方言に殘りて旋《ユバリ》にもいふとぞ
 〇一首の意は此荒地ノ枳ヲ刈リ拂ヒテ倉ヲ立テム、今迄ノ如ク糞マリ汚スナ、櫛作ノ刀自ヨといへるなり。枳、倉、屎、櫛などをよめるならめど此等の物を聯ねて一つの文としたるのみにて何の詩趣も無し
 
   境部王詠2數種物1歌【穗積親王之子也】
3833 虎にのり古〔左△〕屋《タカヤ》をこえて青淵に鮫龍《ミヅチ》とりこむつるぎだちもが
(3403)虎爾乘古屋乎越而青淵爾鮫龍取將來釼〔左△〕刀毛我
 履中天皇紀に
  二殯(○太姫(ノ)郎姫、高鶴(ノ)郎姫)恒歎之曰。悲哉吾兄王何處去耶。天皇聞2其歎1而問之曰。汝何歎息也。對曰。妾兄鷲住爲v人強力輕捷○由v是獨馳2越八尋屋1而遊行。既經2多日1不v得2面言1。故歎耳
とあり。八尋屋は高き屋なり。もし此故事を踏みて作れるならば古屋は高屋の誤とすべし○鮫は※[虫+交]の通用なり。トルは殺スなり○第四句にて切れたるにあらず。結句につづけるなり○我邦の古寫本に往々剱を釼と書けり。漢字の釼《ジツ》とは別なり
 
   作主未詳歌一首
3834 (なし棗)きみに粟嗣〔左△〕《アハマク》(はふくずの)後もあはむと葵花さく
成棗寸三二粟嗣延由〔左△〕葛乃後毛將相跡葵花咲
 梨、棗、粟、田葛《クズ》、葵をよめるなり。由は田の誤なり。梨棗は其子の色黄なれば君(黄實に通ず)の枕辭としたるならむ。古義に『木實といふ意にとりなして黍といふへつづけた(3404)るにや』といへるは非なり○粟嗣を從來アハツギとよめり。さて二註に逢繼の意としたれどアヒツギをアハツギとはいふべからず。おそらくは粟蒔の誤にて逢ハマクの借字ならむ。アハマクは逢ハム事ハなり○ハフクズノは後モアハムにかゝれる枕辭なり。卷二(二九二頁)以下にサネカヅラ後モアハムトとあると同例なり○結句はソノシルシニ逢フトイフコトヲ名ニ負ヒタル葵ガサクといへるならむ○古義に契沖の『こは飲宴の時盤中の物をよめるか』といへるを『さもあるべし』とうべなひたれど梨棗の熟するは葵のさくと時を同じくせざればただ諸物の名を一首によみ入れたるに過ぎざらむ
 
   戯2新田部親王1歌一首
3835 勝間田の池はわれ知るはちすなし然いふ君がひげ無如之〔二字左△〕《ナキガゴト》
勝間田之池者我知蓮無然言君之※[髪の上半/眉の上半/貝]〔左△〕無如之
    右|或有《アル》人(ニ)聞之、曰、新田部親王出2進于堵裡〔左△〕1御2見勝間田之池1感2緒〔左△〕御心之中1還v自2波池1不v忍2憐愛1、於v時〔左△〕語2婦人1曰、今日遊行見2勝間田(3405)池1、水影濤濤〔二字左△〕蓮花灼灼、可憐斷腸不v可2得言1、爾乃歸人作2此戯歌1專輙《モハラ》吟詠也
 結句を略解にヒゲナキガゴトシとよみ古義にヒゲナキゴトシとよめり。鬚ナキ如ク蓮ナシとかへれるなれば如之を之如の顛倒としてヒゲナキガゴトとよむべし。勝間田の池には連多く親王の御顔には鬚多きを戯れて君ニ鬚ノ無キガ如ク勝間田ノ池ニハ蓮ナシといへるなり。勝間田池はいにしへ奈良の郊外にありしなり○※[髪の上半/眉の上半/貝]は鬚の誤ならむ。古寫本には往々鬚とも※[髪の上半/賓]とも分き難き字を書けり。天智天皇紀の剃2除※[髪の上半/賓]髪1爲2沙門1なども或は鬚髪の誤にはあらざるかと思へどこは※[髪の上半/兵]髪とも書きたれば輕々しく決すべからず
 堵裡は都裡なり。殿より出でて里に遊び給ひしなり。堵を都に通用せる例は卷一(五三頁)に感2傷近江舊堵1、卷三(四一二頁)に改2造難波堵1之時、卷六(一一四三頁)に小獣泄2走堵里之中1とあり。裡は里の誤か。御見はメシテ又はミタマヒテとよむべし○緒は諸の誤にて論語(衛靈公)なる君子求2諸己1、小人求2諸人1などの諸なり。於の如くニとよむべし。時は一本に是とあり○濤濤は蕩蕩の誤ならむ。蕩々は動搖の貌にてユタユタ(3406)といはむが如し○專|輙《テフ》はただ專といはむにひとし。晋書劉弘傳に敢引2覆|※[食+束]《ソク》之刑1甘受2專輙之罪1とあり。此語はよく我邦に行はれきと見えて近くは足利時代の文書にも見えたり
 
   謗2佞人1歌一首
3836 奈良山の兒手柏《コノテガシハ》の兩面爾《フタオモニ》かにもかくにも倭人之友〔二字左△〕《ネヂケビトナル》
奈良山乃兒手柏之兩面爾左毛右毛佞人之友
     右歌一首博士|消〔左△〕奈《セナ》(ノ)△《キミ》行文大夫作之
 兒ノ手ガシハを貝原益軒以下側柏にあてたり。側柏は檜の一種なり。案ずるにカシハは木葉に食物を盛る時の稱なり。されば此木の葉はカシハとするに適せざるべからず。又兒ノ手にたとへたれば葉は掌状ならざるべからず。又フタオモといへるを見れば面背ほぼ同色ならざるべからず。又卷二十に千葉ノ野ノコノテガシハノホホマレドとあるを見れば少くとも初にはつぼめるものならざるべからず。右四つの品のうち第一と第三との外は側柏に合はず。
(3407)  高橋氏文に見〔左△〕2眞木(ノ)葉1天|枚次八枚《ヒラスキヤツ》爾刺作天とあり。眞木は檜なり。されば側柏もカシハとはしつべし
 袖中抄には大和守範永の説を擧げて大ドチの一名とせり。おそらくはハハソの一種ならむ○兩面爾はフタオモニとよむべし。一本に爾の字無きはわろし。序は初二なり。されば上三句の意は奈良山ノ兒手柏ノヤウニ表裏兩面ニテといへるなり○カニモカクニモはトニモアレカクニモアレにてイヅレガ表ニテモアレとなり○之友はおそらくは爾有の誤ならむ。さらばネヂケビトナルとよむべし
 略解に續紀に背奈(ノ)公行文(○懷風藻には背奈(ノ)王行文)とあればこゝは背を消に誤り又姓の下に公をおとしたるならむといへり
    ○
3837 (久堅の)雨もふらぬかはちすばにたまれる水の玉に似將有〔二字左△〕見《ニタルミム》
久堅之雨毛落奴可蓮荷爾渟在水乃玉爾似將有見
   右歌一首傳云、有2右兵衛1【姓氏未詳】多2能歌作之藝1也、于v時府家備2設酒(3408)食1饗2宴府(ノ)官人等1、於v是饌食盛v之皆用2荷葉1、諸人酒酣謌舞駱驛〔二字左△〕、乃誘2兵衛1云、開〔左△〕《カケテ》2其荷葉1而作v此〔□で囲む〕歌|者《トイヒキ》、登時《スナハチ》應v聲作2斯歌1也
 フラヌカはフレカシなり。將有は有將を顛倒したるなり。ニタルミムとよむべし
 府家は石兵衛督なり。駱驛は絡繹の誤なり。絡釋繹連續なり。開は關の誤なり。此は衍字なり。上なる意吉麻呂の第一首の左註(三三九三頁)とくらべ見べし○饌食盛v之皆用2荷葉1は荷葉をカシハとしたるなり
 
   無2心所1v著歌二首
 やがて左註にいへる無v所v由歌にてわざと意義を成さざるやうによめるなり。歌を弄べるいとうたてし
 
3838 吾味兒が額爾生△流《ヌカニオヒタル》雙六《スグロク》のことひの牛のくらの上の瘡《カサ》
吾味兒之額爾生流雙六乃事負乃牛之倉上之瘡
 第二句を舊訓にヒタヒニオフルとよめるを古義にヌカニオヒタルとよみて
  和名抄には額をヒタヒとあれど、そは中山嚴水云、和名抄容飾具に蔽髪(ハ)釋名云蔽2(3409)髪前1爲v飾、和名比太飛とありて此訓よりうつりて額の訓となれるにて額の本訓にはあらじといへり
といへり。流の上に多などをおとせるなり。コトヒ牛は牡牛なり。今もコットイといふ○鞍の下にこそ瘡は生ずべきをクラノ上ノカサといへるも無心所著を發揮せるなり
 
3839 吾兄子が犢鼻《タフサキ》にするつぶれ石の吉野の山に氷魚ぞ懸有《サガレル》
吾兄子之犢鼻爾爲流都夫禮石之吉野乃山爾氷魚曾懸有【懸有反云佐家禮流】
    右歌者舎人親王令2侍座1曰、或有d作2無v所v由之歌1人u者賜以2銭帛1、于v時大舎人安倍朝臣|子祖父《コオヂ》乃作2斯歌1獻上、登時《スナハチ》以2所v募物△銭二千文1給之也
 タフサキは今のサルマタなり。古義に俗にいふフンドシなりといへるは非なり。サルマタは形牛の鼻に似たれば漢籍には特鼻褌といへるなり(特を又犢と書けり。共に音はトクなれど特はヲウシ、犢はコウシなり)○ツブレ石はツブラ石にて圓き石(3410)なり○ここの或有は上(三三八三頁及三四〇四頁)なる或有と異なり。或の字はモシケダシなどよむべし○物の下に并などをおとせるならむ○契沖以下天武天皇紀なる朕問2王卿1以2無端事《アトナシゴト》1仍對言得v實必有v賜を例に引きたれどこは直言を奨めむが爲にわざと無端事をいひ出でて問ひ給ひしにてこゝの例に引くべきにあらず○分註中の家は我の誤なり
 
  池田朝臣嗤2大神《オホミワ》(ノ)朝臣|奥守《オキモリ》1歌一首【池田朝臣名忘失】
3840 寺寺の女餓鬼申さく大神《オホミワ》の男餓鬼《ヲガキ》たばりて其子うまはむ
寺寺之女餓鬼申久大神乃男餓鬼被給而其子將播
 卷四(七一一頁)に
  あひおもはぬ人をおもふは大寺の餓鬼のしりへにぬかづくごとし
とあり。契沖のいへる如くいにしへは寺々に餓鬼の像をすゑたりけむ。さて其餓鬼は男女共にありしか。或は女餓鬼のみならざりしか。今も往々遺りて三途河《サウヅカ》の婆《ババ》の像と稱せらるゝもの即此女餓鬼ならざるか○大神(ノ)朝臣はいたく痩せたる人なればそを嘲りて寺々ノ女餓鬼ガ大神ノ男餓鬼ニ嫁ガムト願フといへるなり。ソノ子(3411)ウマハムはただ添へ云へるなり。ウマハムは生マムなり。ウムをウマフともいひしなり○古義に池田朝臣は眞枚《マヒラ》なるべしといへり
 
   大神朝臣奥守|報嗤《コタヘアザケル》歌一首
3841 佛つくる眞朱《マソホ》たらずば(水たまる)池田のあそが鼻の上をほれ
佛造眞朱不足者水渟池田乃阿曾我鼻上乎穿禮
     或云
 眞朱は二註にマソホとよめるに從ふべし。卷十四(三一五九頁)にもマガネフクニフノ麻曾保ノイロニデテとあり。佛ツクルマソホは造佛ノ料ナルマソホなり。朱は木像に塗るものなれば然いへるなり。池田朝臣は酒渣鼻《アカバナ》なりしかばそを嘲りたるなり○アソは古事記及日本紀にタマキハルウチノ阿曾とあるを初出とす。宣長がアソはアソミの略といへるが非なる事は古義に辨じたる如し。略解には『アソは吾兄《アセ》なり』といへり。人を敬して汝兄《ナセ》とも吾兄《アセ》ともいひしは明なれどアセを訛りてアソともいひきとせむはいかが。アソは吾兄男《アセヲ》の約ならざるか(古義には吾兄子《アセコ》の約と(3412)せり)。神代紀に星(ノ)神香々背男あり。そのセを篤胤はサエの約にて清明《サエアカ》き意なりといへれどカガセヲは輝ク兄男の意なるべし
  古事記なる倭建命の御歌にヒトツマツ阿勢袁とあり又雄略天皇紀なる舎人の歌にハリガエダ阿西鳴《アセヲ》とあるは宣長のいへる如く吾兄ヨの意にてもあるべし」
 或云の下に文おちたるなり
 
   平群《ヘグリ》朝臣嗤歌一首
3842 小兒《ワラハ》ども草はな苅りそ(八穗蓼を)穗積のあそが腋草をかれ
小兒等草者勿苅八穗蓼乎穗積乃阿曾我腋草乎可禮
 小兒を略解にワラハ、古義にワクゴとよめり○ヤホ蓼ヲのヲはヤにかよふヲにてウマ酒ヲ三輪、ミハカシヲ劍、モモブネヲ度會(ノ)國などのヲなり(二七七八頁及二八六四頁參照)○從來ワキクサを腋の毛と心得たるは非なり。ワキクサは腋臭にて今いふワキガなり。ワキクサヲカレはワキクサトイフ草ヲ刈レといへるなり。腋草と書けるは借字のみ。和名抄に胡臭(ハ)和蚊久曾とあるはワキクサの轉訛ならむ
 
(3413)   穗積朝臣和歌一首
3843 何所曾△《イヅクゾモ》まそほほる岳《ヲカ》(こもだたみ)平群のあそが鼻の上をほれ
何所會眞朱穿岳薦疊平羣乃阿曾我鼻上乎穿禮
 初句を略解にイヅクニゾとよみ古義にイヅクゾとよめり。曾の下に毛を補ひてイヅクゾモとよむべし○古義に平群朝臣は廣成なるべく穗積朝臣は老人なるべしといへり(穗積朝臣老人は穗積朝臣老と同時別人なり)
 
   嗤2咲黒色1歌一首
3844 (ぬばたまの)斐太の大黒見るごとに巨勢の小黒しおもほゆるかも
鳥玉之斐太乃大黒毎見巨勢乃小黒之所念可聞
 土師(ノ)水通が巨勢(ノ)豐人と斐太(ノ)某との色の黒きを嘲りたるなり。斐太某の方一層黒かりしかば大黒といひ巨勢豐人の方やゝおとりしかば小黒といへるなれど契沖のいへる如くもと馬によそへて大黒小黒といへるならむ
  右は左註に基づきて云へるなり。但歌の調より見れば斐太の大黒は眞の馬の名(3414)にて、それによそへて巨勢豐人を巨勢の小黒といへる如し。左註の據れる傳に誤あるにあらざるか
 
   答歌一首
3845 (駒つくる)土師《ハジ》の志婢《シビ》麻呂|白爾有者《シロナレバ》うべほしからむその黒色乎〔左△〕《ノ》
造駒土師乃志婢麻呂白爾有者諾欲將有其黒色乎
    右歌者傳云、有2大舎人土師《ハジ》(ノ)宿禰|水通《ミミチ》1、字曰2志婢麻呂1也、於v時大舎人巨勢朝臣豐人字曰2正月《ムツキ》麻呂1、與2巨勢(ノ)斐太(ノ)朝臣1【名字忘之也島大夫之男也】兩人並此彼貌黒色焉、於v是土師(ノ)宿禰水通作2斯歌1嗤咲|者《トイフ》、而巨勢朝臣豐人聞v之即作2和歌1酬咲也
 土師《ハニシ》(略してハジともいふ)は埴輪の駒などを造るが故に駒ツクルを姓の土師の枕辭とせるにて此枕辭にはやく嗤笑の意を寓せるなり。又特に駒を取り出でたるは贈歌に我を馬によそへたるが故ならむ○第三句を古義には白久有者の誤とせり。げに爾を久に作れる本もあれど色ガ白イカラ黒色ガホシカラウといひては嗤咲(3415)とならず。なほもとのまゝにてシロナレバとよむべし。そのシロは亦馬によそへたるなり、さればシロナレバは白馬ダカラといふ意なり○結句の乎は之の誤ならむ。卷九なる長歌(一七五二頁)に問卷乃《トハマク△》ホシキ我妹ガ家ノシラナクとあり。又卷十一(二三六五頁)にツギテ見卷能《ミマク△》ホシキ君カモとあり 土師(ノ)宿禰|水通《ミミチ》は卷五なる梅花歌の作者に土師氏|御通《ミミチ》とある人なり。字は通稱なり○巨勢ノ斐太は復姓なり。歌にただ斐太といへるは略せるなり。島大夫は聖武天皇紀に外從五位下巨勢斐太朝臣島村とある人の事にて島村大夫と書くべきを村をおとせるならむ。諸本に村の字あり○此彼は此モ彼モとよむべければ並と重複せるに似たり
 
   戯嗤v僧歌一首
3846 法師等がひげのそり※[木+兀]《グヒ》馬つなぎいたくな引きそ僧半〔左△〕甘《ホフシナゲカム》
法師等之※[髪の上半/眉の上半/貝]〔左△〕乃剃※[木+兀]馬繋痛勿引會僧半甘
 いにしへ僧は鬚をも剃りたりき。その剃りたる鬚のすこし伸びたるをソリグヒといへるなり。ソリグヒの下にニを補ひて見べし○結句を二註にナカラカムとよみ(3416)て略解には
  ナカラカンは半分の意にてナカラニナランとたはぶれいふ也
といひ古義には
  ナカラ缺カムといふことなり。僧の面をそこなひて半を缺むといへるなり
といへり。案ずるに半甘は嘆甘の誤にてナゲカムとよむべきなり
 
   法師報歌一首
3847 檀越《ダンヲチ》や然もな言ひそ※[氏/一]〔左△〕戸等〔左△〕我《サトヲサガ》課役《ツキエ》はたらばなれも半〔左△〕甘《ナゲカム》
檀越也然勿言※[氏/一]戸等我課※[人偏+(口/又)]徴者汝毛半甘
 檀越は又檀那といふ。梵語なり。漢語の施主に當れり。僧より俗を指していふ稱なり○※[氏/一]戸等我を古義に五十戸長等我の誤脱としてサトヲサラ〔右△〕ガとよめり。※[氏/一]を五十、等を長の誤としてサトヲサガとよむベL。卷五なる貧窮問答(九六七頁)にもサトヲサを五十戸長と書けり。戸令に凡戸(ハ)以2五十戸1爲《セヨ》v里とあるに依れるなり○課役を略解にエダチとよめるを古義に天武天皇紀二年三月の處にエツキと傍訓せるに依りてエツキとよみ改めたり。課と役とは別にて課はミツギ、役はエダチなればげに(3417)一方に附きてエダチとはよむべからず。但字の順に從ひてツキエともよむべし。崇神天皇紀十二年九月なる調役にツキエと傍訓せる本あり○※[人偏+(口/又)]は役の俗字なり
 
   夢裡作歌一首
3848 荒城田のしし田の稻を倉に擧藏而《ツミテ・コメテ》あな于〔左△〕稻于〔左△〕稻志《ヒネヒネシ》わがこふらくは
荒城田乃子師田乃稻乎倉爾擧藏而阿奈于稻于稻志吾戀良久者
    右歌一首忌部(ノ)首《オビト》黒麿夢裡作2此戀歌1贈v友〔左△〕、覺而不〔左△〕2誦習1如v前
 アラキ田は新墾田なり。卷七(一二四七頁)にアラキノ小田とあり。因にいふ。今東京にて一種の粘土をアラキダといふは名義のうつれるなり○シシ田は猪鹿の荒す田なり。はやく卷十二(二六三三頁)に見えたり○擧藏而は舊訓にツミテとよみ古義にコメテとよめり。いづれとも定めがたし○于稻を契沖は干稻の誤としてヒネとよめり。ヒネシは陳稻《ヒネ》より出でたる形容詞にて古クサシといふことならむ
 左註の贈友の友は女の誤、不誦習の不は所の誤ならむ。誦習は唱へ見る意なり
 
   厭2世間無常1歌二首
(3418)3849 生死《イキシニ》のふたつの海をいとはしみ潮干の山〔左△〕《キシ》をしぬびつるかも
生死之二海乎厭見潮干乃山乎之努比鶴鴨
 生死二海は所謂苦海なり。シホ干ノ山は其二海にむかへていへるにて所謂彼岸をアナタニ見ユル潮干ノ山といへるにやとも思へど山といはむには潮干は無用なり。又彼岸をシホヒノ山といはむはあまりに物遠し。少くとも山は岸の誤ならむ○源平盛衰記卷十九に
  左衞門尉渡は……生死の苦海を渡て菩提の彼岸に屆《イタラ》ん事を志し渡阿彌陀佛とも云けるにや
といへると相似たり
 
3850 世のなかの繁借廬爾《シゲキカリホニ》すみすみて至らむ國のたづきしらずも
世間之繁借廬爾住々而將至國之多附不知聞
     右歌二首河原寺之佛堂(ノ)裡|在《ナル》佞〔左△〕琴《ヤマトゴト》(ノ)面(ニ)之〔左△〕《カケリ》
 初二は神武天皇の御製なる
(3419)  あしはらの志祁去〔左△〕岐《シゲシキ》をやにすがだたみいやさやしきてわがふたりねし
の初二に倣へるなり。志祁去〔右△〕岐は志祁志〔右△〕岐の誤にてシゲシキはシゲキなり。シゲシはいにしへウマシ、オホシ、アツシ、タケシ、アラシ、カタシなどと同じくシ、シキとはたらきしかばシゲキをシゲシキといへるなり。宣長がこのシゲ志キを去と書ける本に從ひてシゲコキとよみて醜ナルといふ意とせるは誤なり。宣長は又今の歌の第二句をシキカリイホニとよみて
  繁は假字にて醜なり。古事記穢繁國はキタナキシキクニとよむべし。卷十三ヲヤノ四忌屋ニ、シコノ四忌手などのシキに同じ
といひ二註は之に雷同せり。されど醜をシキといへる明證なし。卷十三(二八三七頁)なる四忌屋、四忌手はシコヤ、シコテとよむべし。又こゝの繁借鷹爾は舊訓に從ひてシゲキカリホニとよむべし。シゲキは彼大御歌なるシゲシキにおなじくてトコロセキといふ意ならむ○スミスミテは住ミ渡リテなり。タヅキは案内勝手なり。卷十五(三二七三頁)なるユカムタドキモオモヒカネツモのタドキにおなじ。古義にテダテ爲方とうつせるはこゝにては當らず。國といへるは無論極樂淨土なり(3420)左註の佞は一本に從ひて倭に改むべし。二註に終の之を也に改めて河原寺ノ佛堂ノ裡ノ倭琴ノ面ニアリとよめるは非なり。之は書の誤なり。河原寺ノ裡ナル倭琴ノ面ニ書ケリとよむべし。河原寺の址は大和國|高市《タケチ》郡高市村大字川原にありて橘寺と相對せり
    ○
3851 心をし無何有《ムカウ》のさとにおきたらば藐姑射《ハコヤ》の山を見まくちかけむ
心乎之無何有乃郷爾置而有者藐孤※[身+矢]能山乎見末久知香谿務
     右歌一首
 無何有之郷、藐姑射山は共に莊子に見えたり。無何有之郷は虚無の境といふこと、藐姑射山は仙人の居る處なり。ミマクチカケムは見ム事ガ近カラムとなり(略解に『目ニ近ク見ンと也』といへるは非なり。チカシは時の近きなり。處の近きにあらず
    ○
3852 (いさをとり)海や死《シニ》する山や死《シニ》する、死許曾《シヌレコソ》海は潮ひて山は枯《カレ》すれ()鯨魚取海哉死爲流山哉死爲流死許曾海者潮干而山者枯爲禮
     右一首
 海山モ無常ハノガレズといへるなり。シニスル、カレスレは死ヌル、枯ルレなり。死許曾を二註にシネコソと四言によめるはわろし。宜しくシヌレコソとよむべし○シホヒテのテは後世にはつかはぬテなり。集中には例多し
 
   嗤2咲痩人1歌二首
3853 石麻呂に吾《ワレ》物申す夏痩によしといふ物ぞむなぎとり食《メセ》
石麻呂爾吾物申夏痩爾吉跡云物曾武奈伎取食 賣世反也
 石麻呂を舊訓にイシマロとよめるを古義にイハマロと改めたり。イソマロともよむべし○ムナギは今のウナギなり。新撰字鏡にも牟奈支、和名抄にも旡奈岐とあり。ムとウとは相通へる例多し○賣世反也はメセト反スとよむべし。上(三三八五頁)にも田廬(ハ)多夫世(ト)反(ス)とあり。反は飜譯なり○卷八(一五一五頁)にも
  わけがため吾手もすまに春の野にぬける茅花《ツバナ》ぞめしてこえませ
(3422)とあり
 
3854 やすやすもいけらばあらむをはたやはたむなぎをとると河にながるな
痩々母生有者將在乎波多也波多武奈伎乎漁取跡河爾流勿
    右有2吉田《キチダ》(ノ)連《ムラジ》老《オユ》1、字曰2石麻呂1、所v謂仁教之子也、其|老《オユ》爲v人身體甚疲〔左△〕、雖2多喫飲〔左△〕1形似2飢饉△1、隱v此大伴宿禰家持聊作2斯歌1以爲2戯咲1也
 ヤスヤスは刈ル刈ルなどと同例にて俗にいふヤセヤセにでヤセツツなり。アラムヲはヨカラムヲなり○ハタヤハタは卷四(八一二頁)に
  かむさぶといなにはあらずはたやはたかくしてのちにさぶしけむかも
とあり。ハタヤハタはハタを強くいへるにてハタは又なり。轉ジテなり。古義はハタヤハタを誤解し引いて一首を誤解せり
 宣長は
  仁教は石麻呂の父の名なるべし。吉田連はもと吉備國より出たれば字音の名あ(3423)るべし
といへり。吉田《キチダ》氏は元來皇別なり。其祖|鹽足津彦《シホタリツヒコ》(所謂松(ノ)樹(ノ)君〜崇神天皇の御世に勅に依りて韓國に渡りて巴※[さんずい+文]《ハモン》といふ地の宰たりき。彼國にて宰を稱して吉《キチ》といふによりて子孫吉氏と稱せしが歸朝して奈良の田村(ノ)里に住みたるものありしかば聖武