荷田信名、萬葉集童子問、萬葉集童蒙抄、剳記
 
〔凡例では、抹消、見せ消しの部分を【 】で示し、訂正がある時は( )で続けたとある。又、□は破損等により解読不能とある。なお、変体仮名は原則として現行の仮名に改めたとあるが、ハ、ミは現行の仮名にすべきなのにしていないので、は、み、に置き換えた。不明箇所の読みの注やママとしたところは省略した。〕
 
(11) 万葉集童子問 荷田貝子書翰紙背(自筆本)
(前欠)おほなこをと云へし。かやうの点は一字也といへともその歌の心にたかふによりてはゝかりなから点しかふる也とあり。此改点はしかるへきことにや。
答しかるへし。
童子又問或新説に此初の句を第四におきてみるへしといへり。いかなる義にや。
答此説もしかるへし。古歌には揚句といふことあり。此初句も揚句の歌の格也。大名児を彼方とは句連続せらす。第三句にすゑ【て】(ら)れす第四句にもおかれす。故に第一句に置て束の間も大名児を吾忘目八といふ歌の意也。忘めやと云詞はわすられぬといふてにをは也。大名児はともよむへし。しからは遠方に有大名児子之義にかなふへき歟。
童子又問同新説に云彼方野へ【と】は草なと刈野は遠くあれは也。草をつかぬるとつゝけて束のあひたとは矢の長さなとをはかる一束也。一束はみしかけれはすこしのほともわすれぬといはんとて束のあひたもとはよませたまへり。夏野ゆくをしかの角のつかの間もといへるにおなしとあり。此説難有ましきや。
答難有まし。しかれとも束のまつかのあひた詞は異なるに似たれともまともあひたともいへはこの詞はおなし。たゝしを鹿の角の束のまといふはみしかき義也。刈草の束のあひたはみしかきといふまてに有へからす。つかぬるあひたのすこしの間もなき心ならん歟。いひもてゆけは同しきに似たれとも心すこしかはりてよみなせる歟。
111古尓恋流鳥鴨弓弦葉乃三井能上従鳴渡遊久
童子問或新説にいにしへにこふるはいにしへをこふる也。返しの歌によれは此鳥とよませ給へるは郭公也。ほとゝきすも昔を恋て鳴ゆくか。われもみゆきの御供なから天武のもろともにみゆきしたまひし折をこひおほしめすとなるへし。第一巻に日本紀をひかるゝか如く朱鳥三年四年五年此三年のあひた年におの/\二た(12)ひみゆきしたまふ中に四年五月五年四月此両度の内の御誤にてよませたまふなるへし。いにしへにはほとゝきすを杜宇といふ説はなしと見ゆれはたゝ当意の感にてよませたまふとみるへし。弓弦葉は弦絃通する故なるへしといへり。此説はしかるへきことにや。
答古尓と有をいにしへを釈する説は弁なくてはいひかたし。□集にて尓の字音訓【に】(の)義たかへることあまたあり。今の世のてにをはと昔のてにをはと差別もあること也。いにしへにをいにしへをと改てみることはたやすきことのたやすからぬこと也。此集に妹尓恋といふ三字を妹乎恋と尓乎のてにをはを改易て見る説もこゝにおなし。且幸于吉野宮時いつともはかりかたけれとも霍公烏のなく時節なれは四月五月の御幸の内な□へけれは持統天皇四年五年四月五月両度の御幸の内の御供にてよませ給ふなるへしと有はしかるへし。朱鳥三年四年五年といへるは誤なり。これは万葉集の古注者あやまれるをしらすしてかくいへるなるへし。朱鳥は天武天皇十五年めの年号にて只一年のみの年号を考へ誤りてさはいへるとみえたり。且此歌の古尓恋る鳥鴨と上にありて弓弦葉の三井のうへより鴨渡りゆくとよみ給へるはいかなる意にやともおもはさる説なれはしかるへき釈ともいひかたし。
童子又問古歌はたゝその当然の景物をいひのへて何のよせもなきか。古歌の一体にはあらすや。されは此弓弦葉の三井の上従もその時弓弦葉三井の上になきわたりゆくにて外に何の意もなきなるへし。但ししからすや。
答古歌にも体さま/\有て詞のよせ有も有又なきもあれとわつかなる所に趣意□□事也。されは上古の歌は常言の【様】(如)なる歌もあれとそれにも少歌とし歌と見る所有こと也。そこを見しらすして古歌をしる事あたはし。此歌も弓弦葉の三井の上よりなきわたりゆくは当然の体にて何のつくろひかさる詞はあらされとも此歌いかなる所歌にやとおもひみるへし。しからは此歌とても此(後欠)
 
万葉集童子問 巻第二(自筆本)
 
(15)万葉集童子問第二 乙三
 
 万葉集巻第二童子問乙三
柿本朝臣人麻呂従石見国別妻上来※[日+乏]歌二首【并短歌】
  童子問
 麿の字は和字歟漢字歟。
  答
 漢字にあらす。和字の誤字也。今は俗字にもなりたると云へき歟。もと麻呂の二字をつめて書たるをみて一字と心得違へて麿に作れる也。神木を榊に作り田鳥を鴫に作れる類ひとしるへし。【井短歌】
131 石見乃海角乃浦廻乎浦無等人社見良目
  童子問
 浦無等人こそみらめといふ句義はいかなる意にや。
  答
 石見の海に浦有潟有ことは人麻呂住たまへはよく知りたることをいへり。他人は浦も潟も有事をしるへからねは浦も潟もなしとやみるらめとも浦も潟も有といへるは人麻呂の妹有ことをいはん為なり。旅人となりて独海路に趣けるを人は妹もなしと社みるらめとも妹ありて意に忘れかたきよしをいへる也。
滷無等【一云礒無登】人社見良目
  童子問
 浦又潟なとをいへるに意有や。
  答
 強て意有へからす。浦は舩の風に隠るゝ所をいひ潟も陸に近きなれは舩のよるへ有所をいふ意にて只海辺の名をあらはすのみなるへし。
  童子又問
 小書に一云礒無登と有注は撰者の注とみるへき歟。後人の注とみるへきや。
  答
 古注者の注とみるへし。後人の傍注にてはなし。
(16)能嘆八師浦者無友縦畫屋師滷者【一云礒者】無鞆
  童子問
 嘆の字をゑとよむ義有にや。
  答
 嘆は誤字也。咲の字を書誤りたる也。咲はゑむとよめはゑと計もよむ也。おくに嘆の字を咲に誤りたる所もあり。嘆咲は烏焉の誤り。常の事也。
  童子又問
 いさやまといふかことし。魚者是奈也。日本紀を見るに魚塩地これをなしほの所といふ。又此集第五巻歌云たらしひめかみのみことのなつらすとみたゝしせりしいしをたれみきといへり。なつらす云釣魚也。しかれは勇不知両種は仮字也。鯨魚これをいさなと和する事は鯨魚者洋中之大魚其気力最勇健也。しかれはこれをいさと和すは義読也。次に又第十七巻歌咋日許曽敷奈位婆勢之可伊佐魚取比治寄の奈太乎今日見都流香母此歌中の五文字これをいさことると和す。すこしき相かなはす。これをいさなとりと云へし。漁父の渉行泥沙故にいさなとりひちきのなたと諷詠する也。抑伊佐奈登利之詞以何為証者検日本紀曰雄朝津間稚子宿禰天皇十一年春三月癸卯朔丙午幸茅渟宮衣通姫歌之曰等虚辞陪迩枳弥母阿閇椰毛異舎儺等利宇弥能波摩毛能余留等枳等枳弘時天皇謂衣通郎姫曰是歌不可聆他人皇后聞必大恨故時人号浜藻謂奈能利曽毛也已上。いまこのことはをよめる歌をみるにおほくはいさなとりうみとつゝけたり。是則捕魚義なるか故に鵜の字を諷頌する歟。いさなとりの詞義理大旨如此也。難していはく不知勇魚なとかける所をいさなと和せんことは其諷尤あたれり。鯨魚はまさしくこれくちら也。伺そあなかちにいさなと和せんや。如何答云如此字訓こゑにしたかひ所にしたかひて和しかふることは常のならひ也。然るに鯨魚とかけるところをくちらと和せはそのことはりさらにあひかなはす。さきにいふかことく鯨鯢者大魚也。伺漁父浮蒼海之浪輙捕之乎次に又そのことはを近江の海(17)によすへからす。かた/\そのことはりにかなは【す】(さ)るか故也。次に鯨字まさしくこれくちらなりといふにいたりては如此字訓或は随譬喩或は依義理閣正訓用別和者以可為風流仮令鴨頭草これをつきくさといふ。もし人これをかもくさといはゝ才人なんそくちひるをかへさゝらんや。金風これをあきかせといふ。もし人かねかせといはゝ文士さためてをとかひをとかむをや。今このくちらとるも又亦おなしかるへし。そのせうこなしと云ともかゝるへき也。そのうへくちらをいさといふなり。管見のともからはたとひ疑雲をはらひかたくとも博覧の人におゐてはいかてかかゝみしらさらんや。壹岐国風土記云鯨伏在郡西昔者鮨鰐追鯨走来隠伏故云鯨伏鰐並鯨並【伏】(化)為石杳去一里俗云為伊佐。右仙覚抄の文なり。此説用ゐむ説にや。
  答
 仙覚くちらとるの誤訓を正していさなとりと改るは実により所あれは古訓は非にて新訓は是なることたれか用ゐさらんや。且日本紀並風土記を引て其侭を顕はせり。しかれともいさなとるといへるは取の字にしたかひて日本紀の字にしたかはされは猶疑ひを残せり。僻案は曰本紀の歌【に】(の)童子問に答てのへたれは此集の童子問にはもらす也。
  童子問
 和多豆乃荒礒乃上と云句は何とていひ出せるにや。
  答
 和多豆は伊予国の津の名すてに巻第一の歌にて注し置ぬ。今此歌に和多豆を詠出せるは石見国を【■】(は)なれて伊予国の熟田津まて海路をのほり来りての船中の作とみえたり。異義有へからす。荒礒乃上も熟田津の荒議の上の玉藻を見ておもひをおこせるなるへし。
香青生玉藻息津藻
  童子問
 香青生とはいかなる義にや。
  答
(18) 香といふは必しも字の意によるへからす。発語の辞に香と用ゆる例此集にあまたあり。青く生たるといへは歌詞には劣なり。よりて香青といひて雅詞とはするなり。
  童子又問
 玉藻息津藻とは如何。
  答
 玉藻とは藻を称して玉といふ詞をそへていふ。是も雅詞の例也。おきつもは蛋津藻にてたやすく辺によりかたき藻と云ことをいへる也。
朝羽振風社依米夕羽振浪社来縁
  童子問
 此句意心得かたし。風の羽振といふ義并浪の羽振といふ心如何。
  答
 此羽は風につき浪につきていふ詞には有へからす。藻につきて羽といふなるへし。羽は借訓にて葉なるへし。古語に藻をもとのみいはすおき津もは辺津もはなとゝいふことあれは藻葉のことなる故に玉藻息津藻あさ羽振とつゝけられたるとみるへし。
  童子又問
 しからは藻葉に風こそよらめ波こそよらめといふことにや。
  答
 しからす。玉藻息津藻を風のよせめ波のよせめとみるへし。ふるくよみ来れるはてにをはたかへるとみえたり。僻案にはあら礒の上に青やかなる玉藻或は息津藻を朝夕にその葉を振りて風こそよせめ浪こそきよせ【めと】(と)いふ句意とみる也。かせこそよらめ波こそきよるとよみては風のより波のよるになる也。風のよせ浪の来よせるとみれはそのよるものは香青なる玉藻おきつものよるをいふ也。されは羽といふは藻につく詞にて風につき浪につく詞にあらすといふ也。
  童子又問
(19) 朝羽夕羽もきこえ侍るいまたふるといふ詞その心得かたし。如何。
  答
 羽ふるは古語也。必藻にかきらす人にもいひ鳥にもいふ詞とみるへし。その証には古事記【上】(中)巻に乗亀甲為釣乍打羽挙来人遇于速吸門といふ古語あり。此羽挙の二字はふりとよむ此羽は鳥の羽とおなしく人の衣服を羽とむかしはいへり。袖ふりはへてなと歌によむもおなしく往来周旋する時はおのつから袖の動く也。挙の字を古事記にかけるも挙動の二字をふるまふともよむ義におなし。鳥の飛来りて鳴をも打羽ふりなくと歌によむ是也。ふりとふきとは通音にてふきともふりともかよはしいふ事常言也。よりて振の字をふりともよみふきともよむ也。此集に山吹を山振とかき日本書紀に揮の字を布侶とも布義ともよみ来れるをみてもしるへし。
  童子又問
 香青生とあれは生は礒上に生る藻といふことにもあらすや。礒上に生る藻とみれは海辺を指てよるとみるへし。しからは礒は石也。石に生る藻をかきりて玉藻といふ歟。その義も有へけれとも只玉は称美していふ義はかりにて礒上におふる玉藻ともあらはさもみるへき歟。香青生るとある詞は青に在といふ詞にみる方まさるへし。しかれともこれはしひていふへくもあらす。風社よらめを風こそよせめ波こそ来よるを浪こそきよせとよむ義は藻のよると風波のよるとのたかひ甚異なれは論して正すへし。
浪之共
  童子問
 仙覚抄云この句古点にはなみのともと点す。いまはなみのむたと云也。日本紀にみえたり。此集にもみえたり。古集にむかひて古語をそむくへからされはむたと点する也とあり。これは古新の両義いつれか是なるや。
  答
(20) むたといふ詞古語にもあれはこそ此集の歌の詞にもみえ今は詠詞には用ゐす。俗語にむたといふことあれとも日本紀にみえたりとは非也。此集にあれはむたといふ詞古歌の証あれは古集にむかひて古語をそむくへからされはといへるはさる事なれとも共の字をむたと必よみ来れる正訓はみえす。共の字をあてなは義にかなふことはりあれはとて此歌にはかなふへくもきこえす。古読は波のともとよめるは波の音といふ儀によめる歟。しからは次の句よみかえすしては句意かなはす。僻案にはなみしともと読て玉藻なすとおなし対句の様によみたまへるとみる也。波しともにては之は助語のしとみて彼縁此依といはん為の詞とする也。
彼縁此依
  童子問
 此詞はいかにと解へきや。
  答
 此詞はかしこ【へ】(に)こゝ【へ】(に)よりといふ義なるへし。されは波のかしここゝによることく玉藻のよることくといふ対句体にみるへき也。
玉藻成
  童子問
 成とは如何。
  答
 如といふ古語になすともなしともいふ也。如五月蝿と書てさはへなすとよむを以てもしるへし。成の字は借訓にて字義にはかゝはらぬ也。
玉藻成依宿之妹乎【一云波之位余思妹之手本乎】
  童子問
 一云の小書数字は撰者の注にや。
  答
 古注者の注とみるへし。
  童子又問
 【下】(次の)句に連ねては妹を置てし来れはといふは心得やすきに一の妹之手本乎といひては置てしくるに義(21)かなはすきこえ侍る。しからすや。
  答
 しかり。只一本の異詞を挙たるとみて正句は大書をとるへき也。
露霜乃置而之来者此道乃八十隈毎万段顧為騰弥遠尓里者放奴益高尓山毛越来奴
  童子問
 露霜とはおきてといはん為の冠辞歟。
  答
 しかり。
  童子問
 此道とは如何。
  答
 此道とは石見国より登り来る海路を云也。
  童子問
 益高の二字をますたかとよみ来れり。古語にや。
  答
 ますたかといふ詞古例なし。いやだかにとよむへし。前の弥遠に弥高になり弥と益との字を書かへたるまて也。
夏草之念之奈要而志怒布良武
  童子問
 夏草のおもひしな【へ】(え)てといふ詞のつゝき如何。
  答
 夏草のおもひとつゝく義にあらて僻案には夏草のもひにしなえてとよむ也。おもひをもひとはかりも用ゐ来る例此集にあまたあり。されはにといふ助辞をくはへされはしなえるといふ義きこえす。夏は日【の】(に)あひては諸草皆しなゆるか故に日にしなえることく打かたふきてつよからぬ体をいはんとて夏草のもひにしなえてしのふらんとよめり。
妹之門將見靡此山
  童子問
 なひけ此山とはいつれの山を指にや。山のなひくへき(22)にあらぬをなひけ此山とよめることはあまりなることに聞え侍る。しかれとも人麻呂の歌にかくよめれは歌はかくよむをよきことにするにや。
  答
 此山と指は此道と上にいへると同しく石見より登り来る道に有山を指ていへるとみるへし。反歌に高角山の名あれとも此山は益高に山も越来ぬといへる山々を指てみるへきなり。且なひけ此山といへるは山のなひかぬことを人麻呂おろかにてしらさるにはあらす。しかれとも妹をこひしぬふあまりに山もなひきて妹か門をみせよとねかふ情は切なる情の実なれは是非をわきまへす。おろかによめる情の実なれはこれをよしとす。かの山の端にけていれすもあらなんとよめるも此情なり。恋歌哀傷述懐の歌には皆此おもむきを実情とする也。
  反歌
132石見乃也高角山之木際従我振袖乎妹見都良武香
  童子問
 此歌は高角山の木際より人丸の振袖を妹見つらんかとよめる歌にあらすや。しかれはなひけ此山とよめるも此と指は高角山にあらすや。後鳥羽院の御製にも石見かた高角山に雲はれてひれふるみねを出る月影とあれは人麻呂わかれし妹を袖もてまねかれたるにや。妹かあたりもみん為に高角山に登りて袖をふり給へるやうにきこえ侍るは如何。
  答
 反歌は長歌の意を三十一言にていひ述たるものなれは長歌と同意趣なるを長歌の意を得すして反歌のみをみては歌の意見あやまることおほかるへし。おそらくは後鳥羽院も歌はたくひなき御事なれとも万葉集はしろしめさす。長歌の意もわきまへ給はすして反歌のみを見たまひてかの松浦さよひめかひれふりしたくひに此反歌を心得させ給ひてや。此御製有なるへし。ひれと袖とも異也。此反歌は満句の一体にて高角山に登りて人丸の旅行をしたふ妹か木間よりみつらんかとよめる(23)歌也。人丸袖ふり行をいもみつらんかといひていかに高角山高くとも見えましきと妹をいたはる心なるへし。長歌におもひしなへて吾をしぬふらん妹か門を見むとおもへとも山隔たりたれはみるへくもあらぬによりて此所山なひきて妹か門を見せよとねかひたる心になひけ此山とはよめり。然れとも此反歌のふる袖を妹をまねく心にみるとも害なかるへき歟。歌の意は人丸のふる袖を高角山の木の間より妹みつらんかとよめるには決すへし。
  童子又問
 後鳥羽院の御製は新後拾遺集に載られたれは先達も皆人丸の歌を心得違へられたるにや。且新後拾遺集には高つの山を高間の山とあり。是もあやまりならん歟。
  答
 後鳥羽院の御製をたれ有てあやまりとみんや。されは新後拾遺集に撰み入られたるもことはり也。袖とひれとの差別なとは万葉集又は古歌なとを見しりたる人にあらすはおなしことのやうに心得違へらるへし。且高間の山とあるは伝写の誤り歟。御製は高角山を角の字と間の字と字形相似たれはうつしあやまれるにてもあらんか。又は万葉集に角の字を間の字にかきあやまりたるを後鳥羽院御覧ありて高間【の間の字と字形似たれはうつしあやまれるにてもあらんか。又は万葉集に角の字を間の字にかきあやまりたるを後鳥羽院御らんありて高間】の山となされたる歟。いつれにても角の字の書あやまりとみれは御製の違にはなるましき也。
133小竹之葉者三山毛清尓乱友吾者妹思別来礼婆
  童子問
 仙覚抄云此歌の中の五文字古点にはみたるともと和す。いさゝか相かなはすみたれともと和すへしとあり。古新いつれを是とせんや。
  答
 中五文字みたるともにてはてにをはかなはすみたれともは勝るへし。しかれともみたれとももことたらす。(24)みたるれともならねはかなはす。されとみたるれともはことあまりてきゝやすからす。僻案にはまかへともと訓す。此集乱の字をまかふとよめる例すくなからす。
  童子又問
 此反歌長歌の詞もみえす。自余の反歌の例にもたかへるに似たり。しかれとも此歌人々に有て名歌とするはいかなる所をさして称美する歌にや。
  答
 よきうたかひなり。中古以来の歌人万葉集を見す。しらさる故に人丸の歌といへは皆名歌と心得てみたりに称美するのみにて歌のよしあしをみわくる所へも及はす。人丸の歌とさへいへは後人のよみたる歌をもほめあけ歌のきこゆきこえぬにも及はす。たゝほめにほめて其実なき事ほの/\とあかしの浦の歌のたくひあまた有こと也。此歌も長歌にあはせてみる所まてはいたらす。みたりによみなしたるとみゆるなり。此歌かなつけのことくによみては反歌にもならす歌といふ所見えぬ也。是古学をしらす。長歌にあはせて反歌をみるならひもしらすしてよみたかへたるものなり。
  童子又問
 此歌反歌にもならすと云へる所はもし海路の歌なるにみ山をよみたる所にてしか云へるにや。
  答
 いな。長歌に益高に山も越来ぬとあれはその越行山をよめれは山を詠るを反歌にならすといふへからす。凡反歌は長歌の言葉歟。長歌の意をそむきて詠る例なし。此反歌にさゝの葉はみ山もさやになとゝいふ詞長歌に類せ【す】(さるを云也)。よりて僻案には小竹之葉者の五字をしのの葉はとよむ也。これ長歌に夏草のもひにしなえてしぬふらんといふ詞あれはしぬをよみ出て下の句に吾者妹思と有にて反歌にもなり歌にもなる也。小竹の二字を日本紀中にさゝと用ゐたる例もなし。皆しぬと用ゐたり。其証神代上云篠小竹也。此云斯奴とあるをみてしるへし。此集の文字訓読日本紀を本とし(25)てかけれは日本紀を見ぬ人万葉集の文字をよむへからす。且清の字をさやとよみ来れり。尤清の字をさやかともきやけしともよむあまた例あれとも小竹の二字をさゝとよまはさやともよむへし。小竹をしの【のは】とよむときはさやとよみては詞の義たかへり。よりて此清の字を【清】すかとよむ。よむ証は是も日本紀神代上に清地此云素鵝と訓注あれは【これを】(也)。且乱友をまかへともとよむ意は篠と菅とは相似かよへは篠の葉はみ山も菅にまかへともといふを衣の意にしてすかはきよき心なれともわれは妹にわかれ来ぬれは妹を思ふ心にきよからぬよし也。又案に清をすかとよますしてすゝしきを略してすゝとも用ゐたる歟。すゝは薦にて小竹と薦とは同類の竹と草との異なる也。されはすゝ竹と云もの有。又しぬすゝきといふ名あり。今此歌にてはしぬとすゝとを分てしぬの葉はすゝにまかへともと云へる歟。下の句はとかくわれはいもしぬふとよますしては歌にあらす。小竹□よみ出して下に妹しのふとあるにて反歌ともなり歌といふもの也。しからすしてさゝの葉といひわれは妹おもふとよみては歌とみゆる所なし。歌は少詞のより所なくては只平話のことになりて歌にならす。万葉集の文字よみたかへて歌を歌になさすして【あ■■】も数百歳誤り来れるは歌【を】(と)いふものをしらさる故也。
 或本反歌
134石見尓有高角山乃木間従文吾袂振乎妹見監鴨
  童子問
 此或本歌をあけたるは撰者の所為歟。
  答
 古注者の所為也。撰者の所為ならねは此巻も自余の巻も低書しても有へき事なり。
  童子又問
 右の反歌はさのみたかへる所もみえさるを何とて古注者書載られたるにや。
  答
(26) 撰者ならは是非を一決して載らるへき事なれとも注者の所見にしたかひてはと載へき事にてもあり。且或本とあれは一本の万葉集ありとみえたれは是非は後人にゆつりて異本の歌載加へたるもたすけにならさるにはあらす。前後の歌いつれを是とせむは見る人の知見に有へし。僻案には或本反歌を是とす。監の字は濫の誤りにても有へき歟。監にても意に違ひ有へからねとけんといふとみんといふとには歌によりて少意たかへる也。
  童子又問
 前の反歌と此反歌といつれを是といふへき所もなきに後の反歌を是とすとはいかなる所にや。
  答
 中の五文字前の歌にてはこのまよりとならてはよまれす。後の反歌にてはこの間よりとはよまれすこのまゆもとよむ所に少たかひ有歟。且第一句石見尓有と云句にて異義出来ましけれは也。
135角部經石見之海乃
  童子問
 仙覚抄云つのさはふとは津のおほかるといふなり。日本紀には多の字をさはとよむ。おほかるいはとつゝけんかため也とあり。岩には角の多きといはむもその理り有へき歟。如何。
  答
 石には丸きもあり方も有て必しも角おほしといふへからす。僻案の義有。是も日本紀の歌の童子問に答へたれは此集にてはいはす。万葉集は末なり。日本紀は本也。本に明らかなれは末おのつからまとはす。後世の学者皆本をしらすして末を論する故に本にたかへは事明らかならす。よりて万葉集を明らかにせんには古事記日本紀の歌を明かにして後万葉集にわたるへし。万葉集明らめて後古今集を見れは疑なきを後人は古今集を伝授を得されは歌学の本明かならさるやうに心得て万葉集をもみす。況や日本紀古事紀の歌には目をわた(27)す事もなきをや。よりて万葉集の難義とする冠辞等日本紀古事記等にみたるは此集の問に答へす。日本紀古事記等の童子問に答訖ぬ。
言佐敞久辛乃埼有伊久里尓曽
  童子問
 仙覚抄云言佐敞久とはことはのさへらるゝ也。ことはのさたかにもきこえぬ心也。辛の埼は所の名なるへし。からのさきをいひ出んとてことさへくとは置る也。唐人のものいふことはのさきはなにともきゝしりかたきによそふる也とあり。此説しかるへしや。
  答
 しかるへし。
  童子問
 仙覚抄云伊久里尓曽とはいは発語の詞くりは石なり。山陰道の風俗石をはくりと云也とあり。此説しかりや。
  答
 しかるへし。山陰道の風俗のみにもあらし。日本紀の歌にもいくりとよ【ま】(み)たまへること也。古語なり。
深海松生流荒磯尓曽玉藻者生流玉藻成靡寐之兒乎深海松乃深目手思騰左宿夜者幾毛不有
  童子問
 此歌にては靡夜之兒乎とあれは妹のことにあらす。人丸の児のことをよめるにや。
  答
 人丸妻も前妻後妻ありとみえ子も有とは後々の歌にてしられたれとも此長歌は児息のことにはあらす。妹のこととみるへし。女のことを子とむかしはよむ常のこと也。されは靡寐之兒は妹のことゝしるへし。
延都多乃別之来者
  童子問
 はふつたをいへる意如何。
  答
 異義なし。つたかつらは本は一つにて末はかた/\にはひわかるゝものなれは別るといふ冠辞におけるまて(28)也。此集第九巻にも蔓都多乃各各向向天雲乃別石往者とあり。
肝向心乎痛念乍
  童子問
 肝向心といふ詞心得かたし。或説に物おもひなけく時肝と心とのふたつの臓をいたましむると云心也。むかふは対様の心也。肝に対する心と云也といへり。此説しかるへきや。
  答
 肝心とも心肝ともつらねていへはむかふといふ詞ならは対ふ義とならては解へくもおはえす。もし向の字異訓ある歟。異義有歟。うたかひ残れり。僻案には心の冠辞を村肝のといへは肝向は村肝の顛倒にて向は村の字の誤りとおはゆる也。猶正本を得て疑ひを決すへし。心の臓肝の蔵等の説古義にはなきこと也。古語はむつかしき道理のおもしろきやうなることは一向みえす。皆誤字をしらすして牽強傅会の説出来るものなれは肝は心に対といふ説も古風の語意に異なれはうけられぬこと也。しる人しるへし。
顧為騰大舟之渡乃山之
  童子問
 渡乃山は同国に在山の名にや。
  答
 所見なし。しかれとも長歌の詞につきて見れは石見国の山の名にあらすして聞えす。いかにとなれは下の詞に妹袖清尓毛不見とあれは石見国を離れてはるかに遠くしては妹袖石見といふへからす。されは石見の国の山とす。
黄葉乃散之乱尓妹袖清尓毛不見
  童子問
 散之乱の三字をちりのまかひとよみ来れり。此訓しかるへきや。妹袖清尓毛不見の七字をいもかそてさやにもみえすとよみ来れり。是もしからんや。
  答
(29) 散之乱の三字はちりしみたれにても有へけれと此詞古語とみえてありのまかひちりのまかひといふことあれは誤訓にては有へからす。散を塵とかよはして塵のまかひといふへし。塵にかよはさすして飛散のことのみにしてはちりのとはいひかたし。且下の七字を訓は不所見とあらはみえすとよむへけれとも不見の二字なれは僻案の訓には妹かそてさやかにもみすと為也。
嬬読有屋上乃【一云室上山】乃自雲間渡相月乃
  童子問
 屋上の山並室上山何国に在山にや。
  答
 前の渡の山に准して此山も石見国の山の名とす。
  童子問
 渡相月の三字をわたらふつきとよみ来れり。此訓しかるへしや。
  答
 しかるへき歟。うつろふ月ともよむへき歟。月はうつりぬなとゝ此集の歌にみえたる所あり。又夜わたるつきともよめはわたらふ月も難有ましき也。
雖惜隱比来者天傳入日刺奴礼
  童子問
 天傳入日刺奴礼の七字をあまつたふいりひさしぬれとよみ来りたれとも句意心得かたし。或説に日は大空をつたひ行心也といひて夕になれは陰気に感し心ほそくなる体をいふといへりしかりや。
  答
 上に自雲間渡相月乃雖惜隱比来者といふ句に対する句なれは先達よみ来れる訓にては義不通訓の誤りなるへし。刺ぬれといふ詞もいはれす。句証も句例もなくてみたりに訓すへきことにあらす。此七字とかくに異訓有へし。
  童子又問
 先生賢按の訓はなき事にや。
  答
(30) なきにあらねとも決めて僻案の訓を是ともおもはす猶【■】(好)訓有へしとおもへはしはらくさしおく也。
  童子強て請問
 答強て問にはもたしかたし。天傳はあめつたふにて雨ふらんことを示したるをあめつたふといふ歟。其証此集にあめつたふひかさのうらといふ句あり。ひかさは日笠也。日の笠をきれは必三日の内雨ふるしるしといひ伝へたれは雨伝日笠の浦とつゝけたるなるへし。是を句証として此天傳も雨傳の借訓なるへし。入日の二字は虹といふ歟。日を入る方は西なれは入日とかきてにしと用ゐたる歟。これにてはしを濁りかたき故に西にはあらすして入日の字の音を用ゐたる歟。しからは入はにの音呉音なり日はシツにては漢音なれはこれをいかゝとおもふ也。されとしらじといふをしらにと古語に用ゐたれは入日をににと呉音に用ゐて虹にならんや。此所いまた決せぬか故に的当の案訓ともおほえされはもらしかねたり。しかれとも入日をいりひとよみては義かなはす。刺奴礼はさしやつれなるへし。されはあめつたふ虹さしやつれにては句意もきこゆへし。奴はやつことよめは奴礼はやつれなるへし。虹も常言にさすといへは虹さしやつれといふに難有へからす。是僻案の一訓也。
  童子又問
 入日刺虹さしは上の句に対して相かなふ賢訓なるへし。しかれともやつれといふ詞いまた心得かたし。如何。
  答
 これ僻案の第一義なる所也。人麻呂官位有人とみえす。しかるを正三位なとゝいへる妄説とるにたらす。古今集の長歌にも身はしもなからとよめる実称にて無位無官の人とみえたり。もし有位ならは至極下位の人なるへし。されは旅行のやつれをよめる歌此集中にみえたれはかれこれを相考へて此句を解るに虹刺奴礼は旅行の荷【荷】(し)刺やつれたるとよめるなるへし。かくみれは天曇り雨を伝ふ旅行に荷おもくさしやつれたれは(31)丈夫とおもへる吾毛と下の句へ旅愁の涙襟をひたす感慨きはまりなかるへし。此僻案歌をしる人にあらすしてはかたりかた【けれは】(し)。
大夫跡念有吾毛敷妙乃衣袖者通而沾奴
  童子問
 此歌にも大夫と有は誤字にや。
  答
 しかり。丈夫に改むへし。
  童子又問
 敷妙乃衣といふこと心得かたし。或説に敷妙の衣の袖とは袖をは枕にして常にぬるものなれはいふとあり。衣をしくものにも有へからねは此説も心得られす。如何。
  答
 よきうたかひ也。袖をは枕にして常にぬるといふこともいはれす。たへといふは荒妙和妙なといひて衣服の名也。栲の字を用ゐ来れり。栲も楮の字の誤りとみえたれとも今更改めかたけれは楮の誤字としりて旧きにしたかふて私に改めぬを故実を守るとする也。伊弉冊の冊の字の類也。南の字の誤りとしりなから冊の字を通用する也。さてしき栲といふはしきは称美の辞にて只栲といふまてと心得へし。敷の字義にはよるへからす。是も僻案には敷妙とかきてうつたへとよむ也。うつは称美の詞なれはしき妙うつ妙おなしことゝいふへけれともしきたへといふかな書をみす布たへと書たる所あれは布の字はしきとは訓へけれともうつとはよみかたしと難する人有へし。それはうつたへにあらす。あらたへとよむへき也。荒妙は布をいへは也。是一僻案也。
  童子又問
 布栲をあらたへとす。義読にてさもよむへし。敷の字をうつとよみたる証例ありや。
  答
 あり。令集解神祇令に古訓みえたり。
(32)  童子又問
 仙覚抄にはしきたへとはうちまかせは枕にこそいひならはしてはへれとも此集にはしきたへの衣しきたへの袖なともよめり。しきといふはしけしといふこと也。たとへはほむることはなれはつねにたへなりといはん詞にはなにこともいはれぬへきにや。たとへはとこめつらなといふることしと云々とあり。これも誤りなるへき歟。
   答
 しき妙の説先達の説々みなとるにたらす。只しきたへとよむ証例を求めて可否をしるへし。かなつけの本にしたかひて古語ときはむる事有へからす。うつたへといふ古語あまたあり。打酒打麻打ゆふその数つくしかたし。
 反歌二首
136青駒之足掻乎速雲居曽妹之當乎過而来計類【一云當者 隱來計留】   童子問
 青駒をよみ出せる義は如何。
  答
 その時の駒青かりし故なるへし。赤駒とよめる歌もあり。黒駒とよめるもあれは実にその時駿馬に乗たるをよめるなるへし。
  童子問
 あかきといふは今俗に少重なとの走りまふをあかきといふも同しき歟。
  答
 同しかるへし。※[足+宛]の字を書へし。今足掻とかけるは語義をかけるなるへし。
  童子問
 此反歌にてみれは旅行馬にて人丸登り給へる歟。しからは船中の作ともみるましき歟。
  答
 いかにも此反歌によれは陸を馬にて来れるとも見るに其証なきにあらす。しかれとも熟田津なとの玉藻奥つ(33)藻なとをよめるによれは海路にあらすといひかたし。此旅行馬にても歩行にても船にてもありたるとみるへし。その意をのへて海路山路をよみ合せたるとみれはいよ/\人丸の作者顕はれぬへし。今日長途の旅行には舟にものり馬にものり歩行もする常の事也。されはその長途のさま/\にうつりかはる有さまを詠には如此の一格ともすへき長歌短歌なるへし。
137秋山尓落黄葉須臾者勿散乱曽妹之當將見【一云知里勿乱曽】
  童子問
 秋山と有は山の名歟。
  答
 山の名に有へからす。時節の秋なるへし。此反歌の詞を以て此旅行秋の末の比としられたり。
  童子問
 須臾者をしはらくもとよみ来れり。者の字をもとよむはものといふ訓故歟。
  答
 しかり。しかれとも此歌にては者をもとよむはよろしからすはとよむへし。
 或本歌一首井短歌
138石見之海津乃浦乎無美云云
  童子問
 此或本の歌と前の歌とは大方おなし体なれともいつれか是ならんや。
  答
 此反歌の角里将見と有は前の歌にまされとも妹之手本乎置而之来者といふは前におとれる歟。しかれとも此歌にては置をすておくと見るへからす。暁起て別し意にみるへし。両首ともに好む所にしたかふへし。
 反歌
139石見之海打歌山乃木際従吾振袖乎妹將見香
  童子問
 打歌山或人の云長門国にありといへり。しかりや。
  答
(34)長門の国にも有歟。同名の所諸国におほけれはさも有へし。しかれとも石見之海打歌山乃木際従と此人麻呂の歌にみゆるからは石見の山の名とみるへし。同名有とても他国にては長歌にかなはす。只木際従吾振袖とつゝきたるを隔句とみすして木際にて人麻呂の袖を振とみる誤より打歌山も長門国に有といふ説出来たる歟。それも旅立の道海にうかはす先角の山にてもあれ打歌山にもあれ越行時に人麿山上より袖を振てまねかれたりといはゝいはれましきにもあらさる歟。【しかれとも】(猶復案し)て決すへき歟。
 復葉
木際従吾振袖乎妹將見見香 此歌前案に隔句の歌とみて同国にてもあれ旅行の路より人麻呂の袖を振たまへるを角の山にまれ打歌山にまれ人麻呂の妻の木の間よりみるらんかみえましきと歎く歌の意とみたれとも隔句とみるもいかゝなれは順句にみて木の間より人麻呂の袖を振たるに決すへし。しかれは後鳥羽院の御製もさのみあやまりにあらさる歟。しかれとも此御製は松浦さよ姫のひれふりし山をとりちかへたまへるより石見かたとよみたまへるとみえたれはいつれにしても相違の事なり。ひれと袖とのたかひを袖ふる峰と改めまほしきこと也。されは靡此山といふ句も或本の歌にては此山とは打歌山を指てみるへし。前の長歌にては高角山とみるへし。若打歌山は高角山の一名歟。しからはいつれにても相違有まし。人麻呂の袖ふりしとみる復案の証は前の反歌にも小竹之葉者三山毛とよまれ又高角山とよまれたれは反歌皆山の歌也。是一証也。且或本歌にも秋山に落黄葉の歌有。又或本の歌の反歌に打歌山の歌あれは舩中の作にはあらさるとみえたり。是一証也。
  童子問
 前歌に問をもらせは今問也。早敷屋師吾嬬乃兒我と云詞解かたし。嬬の冠辞歟。仙覚抄云早敷屋師吾嬬乃兒我云々先達おほく女をははしきやしと云といへり。今検(35)るにはしきやしといふはことのはのしけき義也。男とも女ともとりわきては云へからす。日本書紀巻第十七云男火迹天皇云々婆※[糸+施の旁]稽矩謨伊娜以播孺庭阿関※[人偏+尓]啓梨倭蟻慕已上。
此歌の心かならすしも女をいふへしともきこえす。されは此集の歌には男にも女にも乃至草木にもあれ水の音にもあれことのはのしけきにはみなよめり。又はしきやしともはしきよしともはしてやしともかけるおなしことなるへし。今の第二巻の歌にははしきやしわかつまのことゝつゝけたれは女ともいひつへし。女をいふと尺するは此歌なとによりけるにや。しかれとも男にもよめりと云事は第十六巻竹取の翁にあひて九ケの神女のよめる歌にははしきやしおきなのうたにおほしきこえきみのこゝらやかまけてをらんとよめり。第二十巻に天平宝字二年二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣家宴歌にもはしきよしけふのあろしはいそまつのつねにみまさねいまもみることゝよめり。此歌は作者右中弁大伴宿祢家持なり。この歌ともは男をよめり。又第七巻の歌にはしきやしわきへのけもゝもとしけく花のみさきてみならすあらめやもとよめり。このはしきやしは桃によそへて読り。又第十二巻の歌にいはゝしるたるみの水のはしきやしきみにこふらくわ心からこれは水によそへてはしきやしとよめり。しかれはかならすしも女をはしきやしといふとは尺し定むへからさるをやとあり。此説は男女草木につきてはしきやしといふ。証歌をあけたるまてにて句意きこえす。いかに心得へきや。
  答
 此詞も本日本書紀の歌にみえたれはかの童子問に答へてこゝにいはす。
右歌躰雖同句句相替因此重載
  童子問
 右の注も前問の答に準ては古注者の文なるにや。
  答
(36) しかり。
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首
  童子問
 さきに人麻呂の妻に前妻後妻有よし命をうけ侍る。この依羅娘子は前妻歟。後妻歟。此所に次てたれは此別の時の歌なるへし。如何。
  答
 此依羅娘子は前妻にはあらす。後妻とみるへし。前妻は石見国に在しを後には大和国によひて高市郡軽郷におかれたりとみえたり。すゑにいたりてみるへし。前妻の名はみえす。依羅娘子名はみえたり。今此別の歌は異時の歌なるへし。撰者類によりて此所へ撰み次てるなるへし。
140勿念跡君者雖言相※[日+之]何時跡知而加吾不恋有乎
  童子問
 右の歌をかなつけよみにはおもふなときみはいふともあはむときいつとしりてかわかこひさらんとあり。拾遺和歌集巻第十二恋二に此歌を載られたるにはおもふなときみはいへとも逢事をいつとしりてか我か恋さらん
とあり。いつれのよみか是なるや。
  答
 拾遺集の方是なり。雖言の二字をいふともいへとも歌によりていつれをも用ゆへし。此歌にはいふともはあらし。且相時の二字をあはんときとはよみかたし。あふ時をとよめるよろしき也。拾遺集の訓此歌に限りてはよろしけれとも題しらす人まろとのせられたるは誤り也。すへて柿木の人まろの歌拾遺集にあまた載られたれとも皆よみたかへられたり。これは万葉集をみすしてかの時よみあやまりたる歌を書のせたる物をや見たまひて本集の万葉にはよらすして後の書を証としてや書のせ給らんとそおしはからるゝ也。しからすはいかてか拾遺集の誤り何故とはかりかたし。一首も人丸の歌をのせられたる中に正しさ事なし。皆たかへり。(37)中にも此歌は人まろの歌にあらす。依羅娘子の人まろとわかれの時の歌と題にもみえたるを題しらすとのせられたるも誤りなるへし。只歌の詞につきて恋の歌と心得られて恋の二に加へ入られたるなるへし。別の部に入て有へき事なり。これ万葉集の本書をみすして妄りに載られたる事明けし。
  童子又問
 此歌の終に乎の字あり。しかるをよますしておけるはいかゝ。
  答
 乎の字は誤字なるへし。牟の字に改むへし。有牟の二字にてさらんと上に不の字有故によまれたるなり。
挽歌
後〓本宮御宇天皇代【天豊財重日足姫天皇譲位後即後〓本宮】
  童子間
 代の字の下二行小書の文は撰者の文歟。後人の注歟。
  答
 撰者の注にては有へからす。古注者の文とみるへし。
有馬皇子自傷結松枝歌二首
  童子問
 有馬皇子はいつれの皇子そや。
  答
 孝徳天皇の皇子也。母は阿倍倉梯麻呂大臣女小足媛也。くはしく日本書紀孝徳紀にみえたり。斉明天皇四年に謀反のことあらはれて絞られ給ふ事日本紀をみてしるへし。
141磐白乃濱松之枝乎引結真幸有者亦還見武
  童子問
 仙覚抄云此歌の第四句古点にはあるひはまさしくあらはと点しあるひはまことさちあらはと点せり。両説共に相かなはす。まさきくあらはと和すへし。まさきくといふは真幸《まことのさいはひなり》也。此集第十七巻大伴宿祢池主歌詞中云吉美賀多太可乎麻佐吉久毛安里多母等保梨と云々。第二十巻追痛防人悲別之心作歌詞中云麻佐吉久母波夜(38)久伊多里弖云々。作例如此何為不審乎とあり。此訓はしかるへきや。
  答
 しかるへし。
  童子又問
 一条禅閤の歌林良材集岩代乃結松事の一条に此歌をあけられたるにも第【三】(四)句をまさしくあらはありて第五句を又かへりこん【有馬皇子】とかき給へるも誤りにや。
  答
 誤り給へり。皆万葉集の本文によらすしてよみたかへたる歌のかなかきのみをみたまひてみたりに万葉集とて引てのせられたるとみえたり。万葉集の本文につかすして歌をしらす。文字の訓の是非をもわきまへられす。末学のよみたかへを作者の意と心得て注釈等をくはへられたる事枚挙にいとまあらす。禅閤の博覧は更にいふへくもあらねとも万葉集計はうとくおはしけるやらん。万葉集の歌の釈なとまゝなされたるをみるに一つも是とみゆる事なし。かな遣ひをもしり給はさるは古学をしたはさる故なるへし。
  童子又問
 此歌の注を良材集云右有間皇子は孝徳天皇の御子也。斉明女帝の御時蘇我赤兄と心を同しくして御門かたふけんとせしか紀伊国岩代と云所にありて心さしのとけかたからん事をうれへて其所にありける松の枝をむすひて手向として此歌を読置て外へ出侍し其間に赤兄かしか/\のよしを御門へ申侍しそのかへり忠により有間皇子の謀反の事あらはれてつゐに藤白坂にしてころされ侍り。のち/\の人此松の事よめる歌おなしく万葉集にのせ侍り。
 岩代の野中にたてる結松心もとけぬむかしおもへは【意吉麻呂】
 のちこんと君かむすへる岩代の小松のうれを又みけんかも人丸とあり。此注はたかひなく侍や。
  答
 此良材の御注大概は日本書紀をもちて書たまへは事の(39)相違ひもなけれとも万葉集の本文につきて賢按をもめくらし給はさるとみゆるなり。文字の違ひもあれとそれは伝写の誤り【にて□】(なるも)はかりかたし。只万葉集につきて此歌をみれは有間皇子はしめ紀伊国岩代と云所に有て心さしの■けかたからん事をうれへて其所【にて】(に)ありける松の枝をむすひて手向として此歌を読置給ふには有へからす。いかにとなれは此歌の前書に有間皇子自傷結松枝歌二首と有自傷の二字につきておもへは謀反の事あらはれて赤兄に捉へられて紀温湯に送られ給ふ時に詠給へる歌なるへし。よりて自傷の二字も有歟。此歌後の時の歌なれは挽歌の中にも入たるなるへし。そのうへ二首の歌の内後の歌も捉られておくられ給へる時なれは笥に盛飯をも松の葉をしきておろそかなる飯をあたへたるにつきて自傷の二字も有てよく相叶ふへし。しかるをたゝはしめ紀湯に陽狂の時の詠としては此詠を追和することもいかゝ。謀反の志をとけさせ給はぬをいたまは謀反の意をたすくるにいたれはともに罪人といふへき難有へし。すてび謀反あらはれて捉られて死罪にきはまれるか故自傷も有て若恩降を得て二度かへりみんことをねかひ給へる時の事ならは意吉麿哀咽歌も罪なかるへし。且人丸の歌にきはめて歌林良材に載られたる事は心得かたし。人麻呂歌集中に出と古注者の書たるは必人麻呂の歌のみに有へからす。他人の歌も歌集の中に見えたるを注せるなるへし。人麻呂歌ならは直に人丸とこそ有へし。歌集中に出と有にて雑人□ふへし。良材集の歌にも文字のたかひかなのちかひあり。是は伝写のあやまりも有へし。浜松ともよみ岸の松とも野中と松とも詠むへき事なれはしひて論するには及ふましき歟。有間皇子此時捉れて送られ給ふ旅行なれは自ら結ひ給ふ事はなるましき歟とうたかふ人あれとそれは凡人にもあらす。いまた罪科さたまりたるにもあらす。赤兄か謀りことにて捉て送りたれは兵卒に打囲まれて行給ふとても小松の枝をむすひ給ふほとの事をゆるすましきにあらす。
(40) (以下三十四行、掛軸紙背)
 とにかくに本文によりて是非を論すへきとなり。後世の書を以ては本文とたかふことおほしともしるへし。
142家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎乃葉尓盛
  童子問
 笥といふはすへて器物の惣名ならすや。玉くし笥なともいふに笥といひて飯器になるかとにや。
  答
 笥といひては飯器になる也。日本書紀に物部影媛か歌にも施摩該?伊比佐倍母理とよめるを見て証とすへし。源順倭名鈔にも礼記注を引て笥【思吏官和名計】盛食器也とかけり。
  童子又間
 前書に自傷結松枝歌二首と有事心得かたし。後の歌は結松枝歌にはあらす。まして椎の葉に盛なとあれは二首とは有ましきことにあらすや。如何。
  答
 此説問さることなれと此所にかきらす。かゝる例あまたありて前書後の歌にはいかゝ。かなはぬ事なけく二首と有は有間皇子自傷歌二首とみておくへし。只疑しきは椎之葉にては有ましき歟。松の字を書誤りて椎に作りたるにても有へし。椎にても松にても風情はおなしことなれは松になしてみれはうたかひよくなかるへし。
長忌寸意吉麿見結松哀咽歌二首
143磐代乃岸之松枝將結人者反而復將見鴨
  童子問
 此哥疑ふ詞もなくきこえ侍る。只岸之松といへること前後の歌にこと也。前の皇子の歌には濱松之枝とあり。次の歌には磐代之野中尓立と有て三首松のあり所ことなるかいかゝわきまふへきや。
  答
 皇子の結ひたまへる松必一木の松にもあらさる歟。小松原にてその木にも枝を結ひおかれたる事も有へし。(41)たゝし一木にかきりたるとも(以下欠)
144磐伐乃野中尓立有結松情毛不解古所念
  童子間
 歌の意は明かなるへし。第五句所念の二字をむかしおもへはとよむこといかゝ。念者とも有へきに所念とありてもおもへはとよむへきや。
  答
 是はてにをはをあはせてしかよみたるなるへし。所念の二字はおもはゆとかおもはるとかしのはるとかにて有へし。
 【近江大津宮御宇天皇代
  童子間
 代の下に天命開別天皇謚曰天智天皇十二字二行小書は古注者の詞歟。前に【は】(も)謚曰――と有もあり。なきも有。いつれか是にや。
  答
 前後皆小書の義は古注者の文とみるへし。謚曰某天皇と皆有へし。本によりて【脱】(な)きは脱漏としるへし。正本を得て改正すへし。
天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首
  童子問
 太后は誰の女にや。
  答
 古本傍注に朱にて皇后倭姫王大兄皇【女】(子)女也とあり。】
山上臣憶良追和歌一首
  童子問
 追和とは意吉麻呂見結松哀咽歌を和するにや。
  答
 しからす。有間皇子の歌を和するなるへし。よりて追和と有歟。
145鳥翔成有我欲比管見良目抒【(杼)】母人社不知松者知良武
  童子問
 鳥翔成の三字をとりはなすとよみ来れり。翔の字をは(42)とよまは羽の字にて有ぬへきに翔の字を羽とよむこと心得かたし。若先生賢按の訓はなきことにや。
  答
 しかるへき疑問也。僻案あり。烏翔は飛鳥と義おなしけれは僻案の訓にはあすかなしとよむか。なしといふ詞訓中にありて哀情顕はるへし。
  童子問
 有我欲比管とは或説に鳥の  翅をもてかよふことく通はんとなりといへり。しかるへしや。
  答
 通ふとならてはよまれす。他訓有るへしともみえす。されとも我の字うたかひ有。もし誤字歟。しからすは古語にはありと上にいひてはかを濁りていひならはせるなるへし。有といふ詞は古語にうせさることにもちゐたれは霊魂うせすして今にありてかけり通ひて見らめともとよめるなるへし。
  童子間
 有我欲此を或人の説には此集□□に蟻通とも末に書てあれは蟻はあひ集りて同し道をたえす。行かよふ物なれは蟻のことくに通ふと義なりといへり。是はめつらしき説なり。しかるへきや。
  答
 傅会したる説なるへし。ありかよふのみにもあらす。此集にありたゝしなとゝもよめる歌あり。蟻の立物にも有へからす。只発語の辞と見るには害有へからす。うちといひかきといひありといふたくひ詞に義有へからす。発語の辞とみるへし。歌には発語の言発語の辞を用ゐるにて歌詞となることをしらさる故に牽強の説あまたあり。予はとらす。
右件謌等雖不挽柩之時所作唯擬歌意故以載于挽歌類焉
  童子問
 此文は万葉集撰者の文とみえたり。しからすや。
  答
 是も古注者の文なるへし。
(43) 大寶元年辛丑幸于紀伊国時結松歌一首【柿本朝臣人麿歌集中出】
146後將見跡君之結有磐代乃子松之宇礼乎又將見香聞
  童子間
 此歌の事先問の時人麻呂の歌に歌林良材集には載られたるを先生人麻呂の歌とも決せられさる説あるはこれもかのほの/\とあかしの浦の歌の類ひにて人丸の口風にたかへる所有にや。
  答
 此歌風体はあかしの浦の朝霧の歌とは甚異なり。時代人丸の口風にもたかふへからす。しかれとも小書の注に柿本朝臣人麻呂歌集中出とあれは人麻呂の歌ともみえ又は他人の歌を書入たるともみえて一決せす。人麻呂集今伝らされは是非を決しかたし。大宝元年紀伊国に幸の時人麻呂従ひたらは人麻呂にても有へき歟。其時の供奉の証もなし。此前書に名を載さる事は山上臣憶良追和の歌の次に載たれは若憶良の歌歟。よりて前にゆつりて名をもらせる歟。しかるを古注者此歌人麻呂歌集中出也とかけるは古注者は人麻呂と心得たる歟。未決事なり。憶良意喜麻呂人麻呂三人の中の歌なるへし。時代は同時代の風体にてほの/\の【浦】(歌)とは異なり。
  童子問
 子松之宇礼とは如何。
  答
 うれはすゑの事也。うらともいふ也。
  童子又問
 又將見香閲とは此作者の又将見香聞といふことにはあらすや。
  答
 いな。後将見とむすひし君之又将見香聞と悲嘆をこめてよめる歌ときこゆるなり。
近江大津宮御宇天皇代【天命開別天皇謚曰天智天皇】天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首
  童子問
(44) 太后は御名は何と申や。御親は誰にや。
  答
 御名は倭姫王と申古人大兄の御女なり。日本書紀巻第廿七天智天皇紀云七年二月丙辰朔戊寅立古人大兄皇子ノ女倭姫王為皇后とあり。
147天原振放見者大王乃御壽者長久天足有
  童子問
 此御歌下の句心得かたし。もし先生賢按の訓はなきことにや。おほみいのちはなかくてたれりとよみ来りては聖躬不予の時の御歌にはてにをにたか【へる】(ひた)るにはあらすや。
  答
 □句異訓有へし。もし脱□有歟。此文につきては□案の訓には下句□いのちはなかくあめたらすらしとよむ也。しかれは天より長久にいたらすらんと祝称してよみたまへる歌なるへし。たれりとよみてはいかにも/\みちたりたるになれはいかゝにてかへりて凶句になるへし。祝意みえさるに似たり。
一書曰近江天皇聖躰不豫御病急※[日+之]太后奉献御歌一首
148青旗乃木旗上乎賀欲布跡羽目尓者雖視直尓不相香裳
  童子問
 此御歌心得かたきこと也。仙覚抄云青旗者葬具に【は】(はへ)るにや。常陸国風土記に信太郡と名つくる由縁を記して云黒坂命征罰陸奥蝦夷事了凱旋及多歌郡角拈之山黒坂命遇病身故爰改角拈号黒【坂】(前)山黒坂命之翰轜車発自黒前之山到日【向】(高)之【山】(国)葬具儀赤旗青幡交雑飄?雲飛虹張瑩野耀路時人謂之幡垂国後世言便称信太国云々とあり。如此ありて青幡を葬具の証とみれはいよ/\疑有。帝の御病急なる時葬具のことを詠進有へきことにもあらす。【そのうへ】(もしいにし)へ病急なる時に神を祭りて青旗なと【の】(を)たてゝ天にいのることの例あらは如此も詠て奉り給はんや。先生賢按有や。
  答
(45) 疑問いやちこなり。山の歌には僻案有。此歌は聖躬不予御病急時奉り給ふ歌にては有へからす。皆禁忌の辞有。この御歌は天皇崩御の後の御歌とみえたり。伝写之偽に混雑して前にかき入たるなるへし。次の前書に天皇崩御之※[日+之]倭太后御作歌と有。次に此青幡を入へし。一首とあるもあやまり。二首と書き改て人者縦の御歌と相ならふ歌にうたかひなし。御不予の時かゝる御歌有へきにあらす。たかひあれはとて奉給ふへきことにあらす。歌の詞といひ歌の意といひ皆崩御の後の御作にきはまりたるを後学皆歌の詞歌の意を弁へしらすして此御歌を普通の本の伝写の誤かといふ所まてはおもひよらすしてさま/\の牽強附会をなす説有へし。皆古実をしらぬ故なり。青幡いかにも葬具の証仙覚風土記を引るも一証也。木幡はキはたとよみて黄幡にても有へし。葬具に黄幡を用るなり。勿論神事祭礼に幡を用ゐる事常のことなれともこの歌をさる御病を祈る神事にいはんも亦牽強附会なり。とにかくに歌の意と歌の詞とをわきまへしる人にあらすしては万葉集をあらぬことにみなし吉を凶にし凶を吉にして正義正意を失ふたくひすくなからす。
  童子又問
 此歌の弁先生の賢按を得て疑忽ちに治たり。然れとも猶うたかふ所は此歌の前書あれはこれをいかにとかせんや。
  答
 此歌の前書則此歌崩御の後の歌の一証とする僻案なり。いかにとなれは此歌の前書は万葉集撰者の文にあらす。古注者の所見をあらはして天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首と有前の歌の前書を一書には近江天皇聖躰不豫御病急※[日+之]太后奉献歌一首とありと云。前の歌の左注とみえたり。しかるを前の歌の左注としらすして後の歌の前書と心得違て青旗の歌の前書となしたるより次の歌を前へかきのほしたる誤りとしられたり。万葉集の本文にあらさる証拠には一書曰と有を以てしるへし。(46)万葉集本文に一書曰と云こと有へからす。撰者の文にあらす。古注者の文なること明けし。うたかふへからす。
天皇崩御之※[日+之]倭太后御作歌一首
  童子問
 前答のことくならは此一首と有は二首の誤りに決すへし。前には太后とありて此所に倭太后と有事いかゝ。
  答
 此皇后の御名倭姫王といへはかく書ける歟。もし崩御以後は倭にうつりましませるより倭太后と後にしるせるにてもあらんか。よりて天皇崩御ならさる時の御歌故太后とのみしるし崩御以後に倭太后と有にても有へし。
  童子又問
 木幡能上乎賀欲布跡羽とは霊魂のかよふにや。
  答
 しかり次の影にみえつゝと有と同意の心とみえたり。
149人者縦念息登母玉蘰影尓所見乍不所忘鴨
  童子問
 仙覚抄云玉蘰とは冠の纓をいふ也とあり。しかりや。
  答
 此御歌にてはかけといはん冠辞とみるへし。
  童子又問
 影とあれは面かけの事にてかつらをかけるとは清濁異ならすや。
  答
 此清濁はむかしより通ひ用ゐたる例あまたあり。音読の時は清濁をわかつ也。泉川をいつみとうくるたくひも下は濁語にてはきこえされとも通用の例すくなからねは此御歌もおなし例に心得へし。
  童子又問
 人者縦とあるをひとはいさといふよりは人はよしとよみたるかたまさるへからすや。縦はよしとよみたる例有れともいさと用る例をしらす。如何。
(47)  答
 縦の字いさともよむへし。しかれとも此歌にてはよしとよむ方まさるへし。
天皇崩※[日+之]婦人作歌一首
  童子問
 一首の下に小書して姓氏未詳と有は例のことく撰者の文にあらす。古注者の小書歟。
  答
 しかり。
150空蝉師神尓不勝者離居而朝嘆君放居而吾恋君玉有者手尓巻持而衣有者脱時毛無吾恋君曽伎賊乃夜夢所見鶴
  童子問
 空蝉師此三字をうつせみしとよみ来れり。師は助辞なるへし。此句の心或説に蝉は命の短かきものに云也。荘子(ニ)?蛞(ハ)不知春秋と有是せみの命のはかな【き】(く)みしかき心也。されはうつせみの命と読うつせみの世と云もそのたとへ也。此歌は天智天皇崩御の時婦人のよみ給ふる也と有。此説しかるへきや。
  答
 しからす。前/\にもいふことくうつせみとは蝉のぬけからをいふは常のことなり。しかれとも万葉集にてはたゝ訓をかりたるまてにて空の字の義にもあらす。蝉の字の意にてもなくうつは現の事にかり蝉は身の借訓にて現の身と云詞にて今日現在の身をうつしみともうつせみともうつそみともよみたる也。空蝉のからをいふことにはあらす。しかれは(以下欠)
天皇大殯之時歌二首
  童子問
 此二首の作者に名なけれは前の作者とおなしき故に撰者名をもらせる歟。
  答
 前の婦人は姓氏未詳とあれは考る所なし。此二首は古注者考る所あれはこそ第一は額田王第二は舎人吉年と(48)あるにしたかふへし。
  童子又問
 歌の下に名なき故に疑問をなせり。名あらは何そ疑はんや。異本にはしか有にや。
  答
 予所持の本にも重羽かあたへし本にも名あり。古本には皆しかるなるへし。
151如是有乃豫知勢婆大御船泊之登万里人標結麻思乎
  童子問
 此初句の乃の字をとゝよみ来れるは音にや。訓にや。
  答
 廼の字を濁音のとに用ゐたれはとの音に用ゐたる歟。しかれは音の清濁日本紀よりあきらかならさる也。もし刀の字を書写誤りたるにや。末にも乃の字をとゝ用ゐたる所あれはうたかはしき也。
  童子又問
 此歌の意如何。
  答
 日本紀を検に十二月癸亥朔乙丑天皇崩于近江宮癸酉殯于新宮とあれは新に宮の建【て】(たる)こと明けし。その殯宮もし湖水の辺にてそれまて大御船にめされておはしましたる歟。次の歌も大御船の歌なれは此僻案あり。しからば此歌の泊しとまりとは御船をこきとめし所を指てよめる歟。殯■(宮)に船にめされしこともおほつかなけれは御在世の時のことにて見る方しかるへき歟。好む所にしたかふへし。先崩御の御送体をかりもかりせんとてこきはてしにあらすは大津宮より行幸なる時御舩にめされてこきはてし時にしめゆひて御舩をいつかたへもやらすしてその所にとめておはしまさせまし物を還行ありし故に崩御なりたるとおもへは婦人の情のおろかになけきしのへる情さも有へし。
152八隅知之吾期大王乃大御船待可將恋四賀乃辛崎
  童子問
 此歌の意は如何。
(49)  答
 此歌新宮まて御船にめされし時の歌とみれはおもしろき也。御からををさめ奉りてこたひ大宮へ還御はなきかきりのたひなれはいつまてか還御をまちこひなむや。まちてわたひ有ましき意なるへし。もし又是も御在世のをりのことをおもひ出てよめらは意かはるへし。
大后御歌一首
  童子問
 此御歌人殯之時の御歌とみるへき歟。
  答
 しかり。此御歌にも舩の事を詠給へるによりて三首とも殯舩新宮時大御舩にて送り奉れは郡臣も皆舩にて供奉したる故に此御歌も有にや。
153鯨魚取淡海乃海乎奥放而榜来舩〓附而榜来舩奥津加伊痛勿波祢曽〓津加伊
  童子問
 〓津加伊をへつかいとよみては一言不足に似たり。へつのかいとよみたる説もあり。いつれか是ならんや。
  答
 〓津二字をへつとはかりはよむともへつの【かい】とはよむへからす。僻案訓には〓字をへたとよみてへたつかいとよむ也。海辺をうみへたといふこと常のこと也。後の人の歌なれともへたのみるめとよめるも近江の名所により所あれは此御歌もへたつかいとよむへし。おきといふも近江の名所にて海のおき海のへたを二句とも名所にとかねてよみ給ふ義も有へき歟。よしかねたまはすともおきしへたと誤も相対してよし。
若草乃嬬之念鳥立
  童子問
 仙覚抄云わか草のつまといふこと日本紀第十五巻億計天皇御宇六年有女人居難波御津哭曰於母亦兄於吾亦兄弱草吾夫※[立心偏+可]怜言於母亦兄於吾亦兄此云於慕尼慕是阿例尼慕定言吾夫※[立心偏+可]怜矣此云阿我図摩〓耶言弱草謂古者以弱草喩夫婦故以弱草為夫哭声甚令人断陽云々いふ心は(50)つまと云は津はつゝくといふことはまはまとはるといふことは也。くさのおひいてゝいまた葉もひらけさるはつゝきまとはれたり。おとこをんなもつなかれまとはれてはなれぬ物なれはわかくさにたとへてつまといふ也とあり。此説是なりや。
  答
 仙覚日本紀はみて引用ゐたるは是なり。しかれとも実に日本紀をしらさる故に何の疑もなく弱草にたとふとおもへり。日本紀の中には後人の【■】(旁)注本文に加はりたること往々あれはしる人にあらされは見わけかたかるへし。かの日本紀の注も此云阿我図摩〓耶とあるまては本注なり。言弱草謂云云本の文は皆後人の筆也。傍注に有しを本文とおもひて伝写あやまりて書加へたるものとみえたり。此たくひあまたあり。いにし弱草に夫婦を喩へたるといふはあやまり也。つまといはん冠辞に弱草といひて弱草吾夫とはいへる是本邦の語風也。八十といはむとて百不足といふたくひ也。崇道尽敬皇帝これをしろしめすましきや。かの淡路島の下に【■】(意)所不快也。故名曰淡路島といふ。注釈を加たるも傍注たる類とおなしとしるへし。且仙覚つまの語釈は皆非也。悉曇なとしりたりとて本邦の古語を釈するにもあたはし。夫より婦を呼てもつまといひ婦より夫をもつまといふ証拠には今ひく日本紀をも用ゆへし。夫婦にたとふといふことは用ゆへからす。夫婦同称の語につまといひ若草の萌芽の葉をもつまといへは弱草といふを冠辞には用ゆれとも語意は人と草と各別也。軒のつまおなしこと葉にても又語義は異也。およそ文字ことにて語おなしきは義もことなりとしるへし。是古語を釈一伝也。今の世の人音語おなしけれは義も同しとおもひて牽強附会の説にて語を釈する皆あたらす。文字異なれは義も異なりとしる人の釈は相当ることおほかるへし。語釈は本邦の本学にて異国の文字を学ふとおなしけれは一字二字しりたりとて何の益やは有へき。本邦の語もおなし一語二語を釈してしれ(51)はとて益あらんや。別に学ふへし。よりていはす只その字をいふのみ。
  童子又間
 若草乃嬬之念鳥立此八字を仙覚注本にはわかくさのつまのおもふとりたつとかなをつけたり。古本の一本にはわかくさのつまのおもへるとりもこそたてと朱にてかなをつけたり。いつれか可いつれか不。おもふとりたつとよめるはよみやすくおもへる。とりもこそたてとよめるはよみかたからすや。
  答
 朱にてかなをつけたるは仙覚新訓なるへし。古訓はおもふとりたつなるへし。念鳥立の三字をおもへるとりもこそたてと訓たるはよみかたきに似たれとも歌の詞をしりてにをはの格にてはよみかたにあらす。朱にてつけたる訓にしたかふへし。念の字の訓は歌によりてあまたの訓あれは此御歌にても念はしのへるとよむへき歟。
 【裏表紙欠】
 
万葉集童子問 巻第三ノ一 子(自筆本)
 
(55) 【表紙欠】
万葉集巻第三ノ一
       子
 童子問
 雑歌
235天皇御遊雷岳之時云々
  童子問
 此天皇とはいつれの帝にや。
  答
 第二巻のすゑに寧楽宮と標題ありて此巻の初に標題なけれは元明天皇歟。しからすは此次の御製女帝の御歌とみゆれは持統天皇歟。両帝の内なるへし。
  問
 雷岳仙覚注釈に三諸岳のことにて日本紀雄略天皇の巻を引て賜名為雷と有文を挙たり。此説たかはすや。
  答
 たかはす。
 皇者此二字先訓すへらきは又はすめろきはとあり。或本の歌には王の一字を書ておはきみはと先訓にいへり。いつれか正訓ならんや。
  答
 三訓皆相かよはし用たれはいつれにても可也。しかれとも歌の詞に用ゐ来るにはおほきみはと用ゐたる古葉の体也。後来は王の字をすめろきとはよますおほきみともたゝきみとのみよむ也。
  問
 庵為流鴨先訓いほりするかもなり。いほりするとはいかなる義にや。
  答
 三諸山に行宮有てましましけるをいふなるへし。
  問
 忍壁皇子先訓おしかへのみこ也。たかはすや。
  答
(56)おさかへのみこといふへし。
  間
 宮敷座此三字先訓みやしきいます也。異訓はなき歟。しきますとはいかゝ。
  答
 異訓有へからす。敷とは称美之辞也。ふと敷立高しきなとも古語にいふたくひと見るへし。
  問
 雷岳を雷山ともよむへきや。
  答
 よむへし。いかつちのをかいかつちやま相通しいふなり。又かみやま山といふも此雷山のこと也。
  問
 神山とは賀茂山をいはすや。
  答
 賀茂山をも神山といふは雷山の義也。古来雷をかみと呼来れり。なる神といはすたゝ神とのみもいへり。大和にて神山といふは三諸山の事なり。山城にて神山といふは賀茂山のこと也。別雷の神山也。
  問
 雲隱此二字先訓くもかくれといへり。雲かくれいかつちとはつゝきかたからすや。
  答
 しかり。くもかくすとよむへし。
  問
 天皇賜志斐嫗御歌
 此【天皇】(嫗)字先訓おうなといへり。たかはすや。
  答
 嫗は老女之称也。和名に於無奈とかけり。女のかなは遠也。於にあらすしかるを於無奈とかけるは老のかな於伊なれはおいをんなを略せる語と心得へし。今おうなとかけるは神主これをかんぬしともかうぬしともかく類の通例也。
236不聴跡――
(57)  問
 志斐能我此四字のかな能は助語とみるへき歟。我といふにて之たりぬへきに能我の二言を用ゐる例も有にや。
  答
 此能はなとよみて志斐能の三字にて志斐嫗の略詞とみるへし。なはおんなのなにて之にはあらさるへし。
  問
 志斐は嫗の名とみえたり。伝もしれたるにや。
  答
 伝は未詳。志斐は氏なり。姓氏録に志斐連大中臣同祖とみえたり。
  問
 此者此二字先訓このころなり。者の字をころともよむにや。
  答
 此は比の字の誤りなるへし。比者にてこのころと用ゐる義訓なるへし。
237不聽雖――
  問
 志斐伊波奏 此五字先訓しひいはまうせ也。しひいと有伊の字は助詞にや。
  答
 伊は天皇の御製に拠れは能の字の誤りなるへし。斐の余音伊なれは語の下に助音の辞を用ゐる例もあれは志斐伊ともいふへけれとも能の字の草伝写の訛に伊とかけるとみる義やすかるへし。此集の誤字枚挙に遑あらねは誤字誤訓を正すちからなくて誤字誤訓のまゝにみては一首も作者の意にかなふへからす。しかれとも誤字を改め誤訓を正す事たやすかるへからす。此集の全篇に融通し句例句説をしり古語新詞を弁へしる人にあらすしてはいかてかをよふへき。妄りに改正せは又臆説臆見牽強附会おほかるへし。たゝその人に在へし。
 長忌寸意吉麿――
  問
(58) 意吉麿これを先訓にいきまろといひ亦をきまろともいへり。いつれか是にや。
  答
 両訓ともに是にあらす。おきまろなり。意の字をいと用ゐるは後人の所為也。古事記日本紀并此集その外古記は皆おといふかなに用ゐたり。いきまろとよむは日本紀の意美麻呂をいひまろといふたくひにて古記の訓をしらぬ人のいふこと也。意の字は皆おのかなに用ゐてをのかなに用ゐることなし。意吉麻呂は奥麻呂と有是也。おみ麻呂は臣麻呂と有是也。
238大宮之内二手所聞網引為跡網子調流海人之呼声
  問
 内二手此三字先訓うちまてといへり。或先訓にはうちにてと有いつれか是ならんや。
  答
 うちまてといふ訓是也。二手の字をにてとよめは下の所聞の二字をきこゆとよむへからす。そきくとよむへし。
  問
 二手の二字をまてとよむは二の字は又といふ義にや。
  答
 此集に左右の二字をまてと用ゐたれは左右の手の義とみるへし。
  問
 網子調流 此訓も義いかゝ。
  答
 調流は俗にそろへるなといふ義也。網子をあことよむはあみこの略也。直にあみことよみて調流の二字をしらふるともよむへき歟。好むにしたかふへし。
  問
 此歌の惣意いかに心得へきや。
  答
 此歌は内二手所聞の五字の句にきゝたかへ有へき歌也。いかにとなれは網引をするとて網子を調流声は大宮の(59)内にてきくへきことにあらぬを今大宮の内にて海人の呼声をきくはいと珍敷ことに感有をよめる歌ともみておもしろかるへけれと此義は非なるへし。其証端書にて弁ふへし。応詔歌とあれはなり。内二手所聞 是をうちにてそきくとよめは奥丸独聞くに似て私に憚有。うちまてきこゆとよめは私聞のみにあらす上下皆聞也。されは応詔は此海人の声のきこゆるにつきて歌よむへき仰こと有てよめるなるへし。よりて応詔歌と書歟。さらはうちまてきこゆとよめる訓公私にわたりてよろしかるへし。
  問
 大宮の内まてとあれは此大宮は常の大宮には有へからす。いかゝ。
  答
 此大宮は行宮なるへし。難波なとに行幸の時の事なるへし。此歌につきては持統天皇の時とみえたり。
右一首
 此大宮の歌は端作にも歌一首とあれはまきるへくもあらぬを右一首と書るはいかなる意にや。
  答
 此集撰者の文にはあらす。是は古注者の文なり。もし右一首の下に注文もとは有しを脱漏したる歟ともみゆれと此集末にも幾所も右一首とかける所あれは悉脱失したるともいひかたけれはもとより下に注文はなかるへし。僻案には応詔とあるは撰者の文なれは此詔ありし年月等をも考て注すへきか為に注者先右一首と書ておきたるまゝにて世に伝はりたるなるへし。此集再補之撰の勅もなけれは私に補撰して注を加へたる書とみゆれは如草稿の集なるへし。よりて長皇子歟。
長皇子――
  問
 長皇子は天武帝の皇子歟。
  答
(60) しかり。
  問
 猟路池或説に石見国にありといへり。しかりや。
  問
 猟路池いまた考得す。石見国といへるは人麻呂の作歌と有によりてさる説有歟。歌の編次を見るに摂津歟大和歟に在へし。長皇子石見国まて遊給ふへからす。僻案には大和により所あり。
239八隅知之 此四字やすみしゝと先訓にあり。又一先訓にやすみしるとありいつれか是なるや。
  答
 やすみしゝ古語也。やすみしるは後人の臆説なり。用ゆへからす。
  問
 吾大王 此大王を或説に天武天皇を指といへり。いかゝ。
  答
 長皇子を指へし。其証古語に例あり。そのうへ此長歌の結句に吾於富吉美可聞と有。是即長皇子を指ていへり。
  問
 高光 此二字先訓たかてらす也。又一先訓にたかくてる也。いつれか是にや。
  答
 古語はたかひかる也。
  問
 弱薦 此二字先訓わかくさ也。一先訓にわかこもとあり。題に猟路池とあれはこもは水草なれはわかこもといふ訓しかるへき歟。
  答
 しかるへからす。薦席藁曰薦莞曰席也。蒋とあらはこもとよむへし。わかくさといへる是也。薦は食薦なといふに御蒋食薦なといふこと有。薦の字はくさとかかやとかすかとかよむへし。こもとよむへからす。此長(61)歌も池に生たる蒋の義にはあらす猟路の小野といはん冠詞に弱薦とあれはかりとつゝけん為のみの冠詞にて池によれる歌の詞にあらす。此猟路とつゝけたる詞によれは軽池歟。又は軽は大和の地名にて人麻呂の妻の居たる地なれは同所なる歟。猶考へし。
  問
 伊波比拜目 此五字先訓いはひふせらめ也。一先訓にいはひをかまめ也。いつれか是にや。
  答
 是両義也。好むにしたかふへし。ふせらめといふ義は□二巻に人麻呂の歌の詞に鹿目物伊波比伏管とあれはその句を証として拝目の二字をふせらめとはよめるなるへし。をかまめとは八隅しゝといふ故語を証として正訓に拝目ををかまめとはよめるなるへし。両義ともにすてかたけれと第二巻の歌を証としてふせらめのかたまさるへし。
  問
 伊波比回礼 此五字先訓いはひめくれゝ也。一先訓にはいはひもとほれ也。孰か是にや。
  答
 この詞もすてに第二巻の人麻呂の歌にみえたり。その上此歌の末の句にも伊波比毛等保理とみえたれはめくれゝはよろしからす。
  問
 春草之益目頬四寸 此八字先訓わかくさのましめつらしき也。一先訓はるくさのいやめつらしき也。いつれか是にや。
  答
 春草をはるくさとよむには異義有へからねとも首に弱薦の二字をわかくさとよみたらは春草もわかくさとよむへし。古葉の一格は後葉とはたかひて首にいひたる句を後にもいふことを是とすれはおなしこと葉有へし。益の字ましは正訓なからも句例すくなけれはいやとよむかたまさるへし。
(62)  問
 わか草といふはすへて春の草をいふ歟。もし正月中まての草をいふ歟。二三月の草にてもわか草といふへきや。
  答
 わか草といふに月日の数限有こともなくすへて春草をいふことなれとも上古は大概の限りも有歟。此長歌の春草弱薦字を異にかけるには意有歟。刈とうけん為の弱草なれは薦の字を用ゐ目頬四寸といはん冠辞のわか草なれは春草と書る歟。わか草は芽の出ていまた大にならさるをいふ義なれは生て七日まてもいたらさるをいふへし。若菜といふもこれにおなしかるへし。史記五帝本紀に黄帝弱而能言と有注に潘岳有哀弱子篇其子未七旬曰弱とあ□は七十日にならさるをいふ歟。此義によれは草生して七十日にならさるを弱といふ義ならは春三月にもわたるへき歟。所詮若草のつまといふも角芽の義なれはいまだ葉広にならすのひさる間をいふとしるへし。
反歌一首
240久堅乃天歸月乎網尓刺我大王者蓋尓為有
  問
 仙覚注釈云此歌古点には久かたのそらゆく月をあみにさしわかおほきみはかさになしたりと点す。浜成卿和歌式にはあまゆく月をあみにさしと□けり。そらといひあまといふ。同しけれとも古語には久かたのあまともいひあめともいふ也。ひとりたちにいふときにあめつちともいひあめにあるなといふこれ女声なり。又ひさかたのあまのかはらなといふ常の事也。まとめと同内相通の故に男声をよへはあまといはるゝ也。此歌の落句かさになしたりとよめるはその心詞こまやかならす。和歌式にきぬかさにせりといへる。尤よろしきにや。此歌の心はひはりあみの月のことくまろにすきたるをもちたるはきぬかさに似たれはそらゆく月をあみにさしわかおほきみはきぬかさにせりとよめる也とあ(63)り。此説是にや。
  答
 浜成卿の和歌式古訓なれはしかるへし。久方のあめあま相通用なから古語はあめと用ゐたり。【助】(あ)まといへは助語を用ゐてあまの川あまのはらあまつ風のたくひ也。
  問
 或説にきぬかさは皇子御猟にめしたる笠也。絹をもつてぬへる御笠也。その御かさの丸成をはめんとて月をあみてしたるみかさと云心也といへり。此説いかゝ。
  答
 しかるへし。蓋の字を書たれはきぬかさなるへし。此時の皇子の蓋の制月形なとを網にさしたる御蓋なる歟。蓋の制は儀制令に大概みえたれとも月を網をさしといふ制に似たる制はみえされは若遊猟にめされし蓋異なる歟。只此歌にてその制おしはかるへし。
或本反歌一首
241皇者神尓之坐者真木之立荒山中尓海成可聞
  問
 真木之立 或説に真木は莓轣B艪ヘ深山に在ものなれは【いへ】(よめ)りといへり。深山に艪フ木のみあらは社さもいふへけれ。もし芬Rなとにかきりたる山故に此詠有にや。
  答
 真木を艪ニ心得るは非也。【諸】(たゝ)木のこと也。山には木あれは山の冠辞に木立といへり木とのみいへは歌詞にあらす。よりて発語をいひて真木とはいふ也。たゝ此句のみにあらす木の板屋といふを真木の板屋といふかことし。真木の板屋を莓リにかきりてする板にあらす柱をまきはしらといふも竹柱にもあらす木のはしらを真木柱といひ草屋藁屋にあらて木の屋といはんとて真木の屋といふか如し。ま木立山なといふを范ァ山と心得たる人あまた注にみえたるは古語をしらぬ人の所為なり。
(64)  問
 荒山中尓海成といふ義いかゝ心得侍るへきや。
  答
 此反歌にてみれは海成は猟路の池を堀せ給ふことをよめるなるへし。山中に海をなし給ふことを神変の如によみなして天皇を称し奉る歌ときこゆるなり。此反歌によりてみれは此時天皇の命によりて猟路の池を堀せ給へるにつきて長皇子も此池を遊覧に出給へる歟。長皇子の池を堀せ給ふにあらされはにや皇者神爾之坐者と有なるへし。前の蓋の歌は長皇子を称し奉りたるとみえ此歌は天皇を称美し奉る歌とみゆれは反歌一首と定本には載たるなるへし。しかるを【後人】古注者或本には此反歌を載て定本の反歌はのせさるを見て再載せるなるへし。
  問
 或本反歌は一本には此反歌もあるを脱落したるかとおもひて載たるにあらすや。
  答
 しかるへからす。或本反歌一首とあれは定本も或本も反歌は一首とみえたれは脱漏を補ふには有へからす。
  問
 池を海ともいふへき証ありや。
  答
 和漢共にいかほともあり。文選を見てもしるへし此集の中にても例証あり。考合せてしるへし。
弓削皇子遊吉野時御歌也
242滝上之三船乃山尓居雲乃常将有等和我不念久尓
  問
 此御歌並春日王の和の歌共に訓義ともにうたかひもなくきこえたれとも異訓異義なと有しにや。
  答
 異訓異義有へからす。
  問
 春日王とはいつれにや。
(65)  答
 志貴皇子の子なり。
  問
 或本の歌を柿本朝臣人麻呂之歌集出とあるは人麻呂の歌といふ異説にや。
  答
 しからす。人麻呂集に出とは弓削皇子の歌を人丸集には第一句を三吉野之とあり。居雲を立雲と有て文字【に】(の)異をあらはせるなるへし。人麻呂歌とはみるへからす。
長田王被遣筑紫渡水島之時歌二首
  問
 水島を仙覚注釈に肥後也とて風土記云球磨乾七里海中有島稍可七十里名曰水島云々出寒水逐潮高下云々とかける是歟。
  答
 是なり。水島の名のおこり日本紀景行天皇の紀を見てしるへし
245【葦北乃】(如聞)真貴久奇母神佐備居賀許礼能水島
  問
 此歌の居賀といふ詞心得かたし。いかゝ。
  答
 此賀は哉《かな》といふ賀なり。疑ふ詞のかにはあらす。嘆の意有賀也。居といへるはかの仙覚引用る風土記の説にて心得らるへし。海中にむかしより居て変らさるを称したる義也。
  問
 許礼能水島 此句はこの水島といふ詞ときこゆる也。今ならはこゝの水島とよむへきをこれの水島とはいふへからす。是古葉の詞にや。
  答
 能の字を今は皆のとよむか故に此疑ひ有なるへし。むかしはおほく能をなと用ゐたる也。されはこれな水島といひてこゝの水島この水島といふ詞にはあらさるへ(66)し。これそ水島これや水島なといふことき水島をむかし今に変せさるを真貴久神さひ居かな水島はこれかなといふ意に称したるをこれな水島とよめる歌とみるへし。
246葦北乃野坂乃浦従船出為而水島尓將去浪立莫勤
  問
 仙覚注釈に葦北の野坂の浦は肥後国也とあり。是なりや。
  答
 是なり。
  間
 同釈云此長田王歌二首有中にさきの歌には神さひをるかこれのみつしまといへり。次の歌をみしまにゆかん波たつなゆめと点する事聊不審也。同所の名を心にまかせてたちまちにいひかふること愚老管見にして未見及。みつしまにゆかんと点するもあなからにあしかるへきにもあらす。然而みしまにゆかむといへるは其義よろしと思へるにや。重待後賢治思而巳とあり。賢評はいかゝ弁給ふへけんや。
  答
 これは仙覚いへる。是なり。前の歌にて水島の二字をみしまはとよまは次の歌みしまにゆかんにても有へし。前の歌をこれなみつしまと字面によまは両首ともにみつしまとよむへき也。
  問
 長田王はいつれの子にや。
  答
 長皇子の子也。長皇子は天武天皇の皇子也。第一巻にみえたり。
又長田王作歌一首
248隼人乃薩摩乃迫門乎雲居奈須遠毛吾者今日見鶴鴨
  問
 此歌の意たしかに得かたし。遠くおもひしをけふちかく見るよしにや。
(67)  答
 しかるへからす。又長田王作歌とあれは肥後にて此歌も作れるなるへし。しかれは薩摩迫門は音にのみ聞しかともけふは遠なからもそことみることをよめる歌なるへし。雲居なすは雲居のことくはるかにもけふ見る意なるへし。薩摩の迫門に至りてよめる歌とはみるへからす。
柿本朝臣人麻呂覊旅歌八書
249三津埼浪矣恐隠江乃舟公宣奴島尓
  問
 舟公宣奴島尓 此六字先訓ふねこくきみかゆくかのしまにいへり。かくよまるへきことにや。義も心得かたし。賢按の訓はなきにや。
  答
 下の句よみかたし。宣の字はのるとよめは舟に乗の義なるへし。奴島をのしまとよめるはあしゝ。次の歌の野島とおなしこと也。日本紀の古語野は皆ぬとよむ。後にはのとよみてぬものも五音相通なれは害はなけれともぬしまとよむへし。古語也。此歌文字の漏脱したる歟。異訓有へくもみえすしはらくさしおきて異本をまつへし。
250珠藻苅敏馬乎過夏草之野島之埼尓舟近著奴
  問
 仙覚注釈にこの歌古点にはたまもかるとしまをすきてなつくさののしまのさきにふねちかつきぬと点せり。又或本には第二句はやまをすきてと点す。ともに不相叶みぬめと和すへし。むとぬと同韻相通也。讃岐をさぬきといひ珍海をちぬの海と云かことし。されは此集第六巻過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌御食向淡路島二直向三犬女乃浦能とかけり。又同巻過敏馬浦時作哥詞中云八嶋国百舩純乃定而師三犬女乃浦者とかけり。同反哥云真十鏡見宿女乃浦者百舩過而可往濱有七国然則敏馬無争みぬめと和すへき也。されは今の第三巻※[羈の馬が奇]旅歌云嶋伝敏馬崎乎許藝廻者日本恋久鶴左波尓鳴と云。第(68)二の句或本にみぬめのさきをと和す。尤その心を得たるをや。第四句野嶋のさきと点す。よろしからす。しまかと点すへし。第十五巻当所誦詠の古歌の中にも野峨我左吉尓伊保里須和礼波とかけるなり。このみぬめは摂津国にあり。のしまかさきとは淡路国にありとみえたり。
私云摂津国風土記云美奴売松原今称美奴売者神名其神本居能勢郡美奴売山昔息長足比売天皇幸筑紫国時集諸神祇於川辺郡内神前松原以求礼福于時此神亦同来集曰吾亦護治仍諭之曰吾所住之山有須義乃木各宜材採為吾造舩則乗此舩而可行幸当有幸福天皇乃随神教遣命作舩此神舩遂征新羅。
 一云于時此舩大鳴響如牛吼自然従対馬海還到此処不得乗仍卜占之曰神霊所欲乃留置
還来之時視祭此神於斯浦并留舩船以献亦名此地曰美奴売 敏馬浦此処歟とあり。此説是なるや。
  答
 仙覚注釈是也。たゝ野島をぬしまとよむことをしらさるのみ也。風土記も真記なるへし。
  問
 夏草乃野島とつゝくる義いかゝ夏は草しけれは夏草のしける野とつゝくる意によめるにや。
  答
 しかるへからす。木は山に生草は野に生る故野といはん冠句に夏草のとはよめるなるへし。木の神を山雷といひ草の神を野雷といふ神号の古義によるへし。
  問
 玉もかるの歌を新拾遺集に載らるゝにもとしまを過てとあり。其も誤りにや。
  答
 代々集に万葉集の歌をのあやまらすして載られたるは数すくなし。古葉の学問をしりたる人なき故なるへし。此歌のみぬめは仙覚いへることく此集の全編にわたりて考すみたりに字のまゝに訓てはとしまともはやまと(69)もよむへき也。舎人親王をいへひとゝよみやととよむたくひあけてかそふへからす。
一本云処女乎過而夏草乃野島我埼尓伊保里為吾等者
  問
 此一本の歌心得かたし。先処女の二字を先訓をとめといへり。をとめといふ地名有歟。
  答
 をとめといふ地名所見なし。然れ共処女の二字にてもみぬめとおなし【な】(か)るへし。これ義訓を用ゐたる歟。処女は相見ぬ女の義をと【るなるへし】(りて)【しからすはうなひとよむへし。うなひをとめといふことあれは処女の二字をうなひに用ゐ□る様うなひは海辺とおなし語にかよへは也。古詞に岡辺ををかひといふ句例此集にあり】みぬめをとめおなしくいへる歟。風土記なとにて決すへきこと也
  問
 吾等者此三字先訓われはといへり。等の字をれと用ゐたる例あるにや。
  答
 等の字はらと用ゐたれはこの句もわらはよむへし。我ことを古語にわろともわれともわろともかよはしいへり。
  問
 伊保里為とは廬を作りて居ることにや。
  答
 しからす後世はやとりすといふ詞也。
251粟路之――
  問
 粟路之此三字先訓あはみちのといへり。淡の国の路といふことにや。
  答
 しからす粟路あはちとよむへし。初句を五言にせんとおもひてあはみちのとよめるなるへし。古語古句をしらさる故也。四言一句いかほともあれはあはちのとむ(70)かしはよめるなるへし。もし此句五言ならはあはちなるとよむへし。之の字をなるとよむは義相通ふ也。大和のといふをやまとなるといひするかなるをするかのといふたくひ相通ふ詞なり。
  問
 浜風尓妹之結紐吹返。此句意は浜風のはけしきをいへるのみ歟。意有や。
  答
 たゝ浜風のあらきをいふのみの意にあらす野島之崎の浜風といふ詞につきてよめる下句とみるへし。これ古語をしらすして此集の人麻呂の歌なとを解へきにあらす。野島【を】(の)ぬといふを寝る詞にかよはしてよめるなるへし。妹之結紐をはかのいせ物語にいへるあひみるまてはとかしとておもふとよめる。夫婦の貞節をも旅行の身心にまかせすして浜風のあらきに吹返されてはとけぬへくなり行をよめるは人丸の心にあらぬことを含める歌とき乙ゆるなり。妹より外にはとくへからぬ心をもしらて浜風は【や】(け)しきにあへる旅行の述懐也。此歌によりてみれは前の歌の処女乎過而の過而の二字よきてとよむへきかとおもふ也。夜来ての詞にかよへはぬしまか埼にとはつゝけられたるなるへし。皆古葉の語を存たる作なり。古語古葉の句格をしらては解すへからす。
252荒栲藤江之浦爾鈴木釣白水郎跡香將見旅去吾乎
  問
 荒栲藤江之浦とつゝける意はいかゝ。
  答
 たへは布の名也。布に麁き強きあり藤を布とする甚あらき布なれは藤の冠句に荒栲とは置也。
  問
 しからは麁布とこそ書へけれ荒栲と書義はいかに心得へきや。
  答
 荒は借訓也。栲は義訓也。上古布には栲の木(を】(の)(71)皮を以て布に織作れは布の義に栲の字を用ゐ来れり。
  問
 栲の字を韻言字書あまた考へても布に作る木にあらす。上古より栲の字を用ゐ来らは訳の誤りにあらすや。
  答
 訳の是非ははかりかたし。僻案には伝写の訛にて後世栲になりたる也。本字は楮なるを楮の草を楮と書を栲の草栲に混して一書にあやまれるより万巻に及ひたるなるなるへし。
  問
 栲にもせよ楮にもせよたへとよむは布よりいへらは木の名はいかにといふへきや。
  答
 木の名はたくといふなり。よりてたくふすまたくぬのなといふ古語有也。
  問
 鈴木鉤此三字すゝきつるとよめり。鉤の字をつるともよむや釣の字の誤りならすや。
  答
 鉤の字にても義訓につるとよむへし。借訓とみるへし。釣鉤伝写の誤おほけれは誤字にても有へ歟。異本もし釣に書たるあらは誤字と決すへし。鉤にても誤訓と決すへきことにはあらす。
  問
 藤江之浦はいつくに在や。
  答
 播磨に在。
253稲日野毛去過勝爾思有者心恋敷可古能島所見
  問
 稲日野 此稲日野播磨なるへし。いなみ野といはすや。しかるに今稲日野とかけるはひとみと横通故にかくもかけるにや。
  答
 伊奈美も稲日もおなしこと也。訓に書とき清濁にかゝ(72)はらさること此集の例也。音をかるには清濁の差別有なり。ひの濁音み也。よりて稲日の日の字清音にはいふへからす。濁音に備といふ歟。日の字を美《み》といふ歟也。日をひと清音によむは語釈をしらぬ誤りなり。横通の義にあらす。
  問
 仙覚抄云いなひ野もかこの島も播磨国也。心恋しきとはこひしき也ものを云にこゝろと云ことはをいひそふる事もあり。心よしとも心うしとも心かなしともいふかことしと有此説是にや。
  答
 古葉に心といふ詞をよむにはより所ありてよめり。たゝこひしきといふまてに心といふことをそふるにはあらす。此集の句例句格をしらさる説也。後にいふへし。
  問
 此歌の惣意は稲日野の風景ををしみて行すきかたくおもへは又かこの島のみゆるにゆきてみはやとおもへ【ふ】(は)心さたまらぬよしにや。
  答
 しかるへからす。人麻呂の風格地名によりて作られたる歌おほけれは此稲日野かこの島の名によりて此歌は解すへき也。※[羈の馬が奇]旅の情行てみはやの情よりは名残ををしむ情まことなり。されは稲日野も行過かたけにをしむさへ有に鹿児の島の見ゆる名残猶やます情なるへし。いなひといふ名は我心にしたかはぬ名にかよへはむつましからぬ名の所なれともそれも立わかれむことをおもへはしたはるゝにましてわれにしたかふ名のかこの島のみゆる名残をしむ情をよめるなるへし。これいなひといふと児といふとの名につきてよめるとみえたり。されは心恋敷とよめるなるへし。心といふはこゝらとおなしくあまたの意有所に用ゐる詞也。これ古葉の一格なり。此歌の思有者の三字をわひぬれはとよむへし。しからすは心恋敷の三【者】(字)を【わひ】(こゝろ)わひしきとよむへき也。あまた□□名残を惜むよしときこ(73)ゆる歌なり。
  問
 一云潮見とあり。この潮見の二字はしほみゆとよむへきにや。
  答
 いな。しほみゆとよむへからす。うみみゆとよむへし。古本にもうみみゆと【□】(よ)めり。
  問
 思【といふ】(の)字をわふともよまるへきことにや。
  答
 此集全篇にわたりてみるへし。思の字恋字念の字歌によりていつれもおもふとかしぬふとかわふるとか縁にしたかひてよむへき也。されは右の歌の思有者の三字おもへれはといふ詞にてはれの言あまれるに似たり。おもへはにてたるへし。よりて此歌にては思有者の三字わひぬれはとよむかたまさるへき歟。しからは心恋敷の三字をこゝらこひしきとよむへし。かこといふ名につきてはわひしきといはんよりはこひしきとよむかたまさるへき歟。
  問
 こゝらこひしきといふならはいなみ野の名残をおもふにかこの島のみゆるに慰む意もあるましきや。
  答
 さる風情も有へけれとも稲日野毛といふ毛の字をみれは心にいなむ名の所さへも過勝とよめるをみれは恋しきか。この島もみえて名残いやます風情有へき歟。慰む意は※[羈の馬が奇]旅の歌の情にはいかゝなるへき歟。それも歌によりてさる風情もあれは好む【へ】(に)したかふへし。
254留火之明大門尓入日哉榜将別家富不見
  問
 仙覚抄云此歌古点にはともしひのあかしのせとゝ和せり。せとゝはおほくは迫門と書てよめり。せはき所と聞えたり。大門とかきてせとゝ和すへ【き】(か)らす。仍今あかしのなたと和する也。なたはなといふはなみ(74)なり。阿波国風土記云奈汰【奈汰云事者其浦波之音無止時依而奈汰云海辺者波参者奈汰等云】たと云はたかき義也。海の面渺々として波高き所也。なたと云ははりまなたといへる心なるへし。よりてあかしのなたと和するなりと有。此説是ならんや。
  答
 大門をせとゝよむへき義もなく証もなけれは仙覚古訓改むる意は是なるへし。大門をなたといふ義はあたるへくもあらす。僻案には大の字は伝写の誤り【なるへし】(にて)水の字なるへし。水と大とは真にても字形誤りやすく草にても水大相近けれは水門にてみとゝよむへし。是古語古訓なれは人麿の歌おほく古語あれは也。なたといふ義歌の首尾にかなはす。せとは猶不叶。水門はあかしのとゝいふにもおなしけれは也。
255天離夷之長道従恋来者自明門倭島所見
  問
 此歌の倭島を或説に淡路にありといへり。しかるや。
  答
 しかるへからす。倭島は大和の事なるへし。
  問
 島とあれは大和にはあらさる歟。
  答
 大和島ねともいふ。秋津洲といひしき島皆大和のこと也。
  問
 前の歌の明水門尓入日哉と有歌の次なれは此歌は倭より石見なとへゆける旅中の作にあらすや。
  答
 此人麿の八首の歌は一時の歌ともみえす石見へ上下の歌をもましへて八首の【内】(中)に入たるなるへし。さみれは前のあかしの水門の歌は石見へ下向の時の歌此明門より倭島みゆとよめる歌は石見より上京の時の歌とみるへし。その証拠は歌詞の中におのつとそなはれり。
  問
(75) 右の歌を新古今巻第十※[羈の馬が奇]旅歌題しらす人麿あまさかるひなの長ちを漕くれはあかしの戸よりやまとしま見ゆと載られたり。恋くれはを漕くれはと有は人まろの歌を直して入られたること歟。
  答
 新古今時代にも万葉集は本文よめさる故にかなかきの本にてもありしを正歌としてのせられたるにて有へし。恋来れはとありてこそ歌の情も顕れたるを漕くれはといひては歌の情もなきに似たり。そのうへ上にも下にも舩ともあらは恋よりは漕といはむまさるともいふへし。さもなけれは恋来れはこそまさるへし。たとひ恋来れはより漕来れはといふ甚まきりたりとも歌の聖ともあかまへる人麻呂の歌をいかに新古今時代の歌人人丸よりすくれたりとおもへるとも人丸の歌を直して入らるへき理りもなくあまりとては謙退辞譲もなき事也。されは改め直して入られたるにはあらす万葉集【を】(の)正本をみすしてかな書なとの本の有たるを見てそれにしたかひて入れられたるなるへし。此集第十五巻にも安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊敵乃安多里見由と載たるを古注者柿本朝臣人麿歌曰夜麻等思麻見由とかけり。此等を以ても恋来れはなるを漕くれはとあるはあやまりといはんやひか事といはんや口を閉より外はなし。
一本【曰】(云)家門當見由
  問
 此一本云とは古注者の【文】(云)歟。撰者のひける歟。
  答
 古注者の引けるなるへし。家門の門の字は乃の字の伝写の誤りにていへのあたりみゆなるへし。その証には前もいふことく此集巻第十五の歌には此歌を当時誦詠古歌の中に出して下句安可思能門欲里伊敝乃安多里見由とあれはこれを一本云と引る歟。別に□□倭島所見を伊敝乃安多里見由と歟。家乃当所見とかありし歟。いつれにても異義有へからす。歌の意は夷の長道を恋(76)来れるに明の門より人丸の家のあたり見ゆとよめる詞の中によろこ【ひ】(へ)る情いはすしておのつから顕れてきこゆる也。
256飼飯海乃庭好有之苅薦乃亂出所見海人鉤舩
  間
 仙覚抄云けひの海は越前也。にはよくあらしとは海上の風波しつまりてなきたるをはにはと云なり。にといふはやはらくことはなれは日のやはらきたるをにはと云なるへしと有。此説しかるへきや。
  答
 日の和らきたるをにはと云説用ゐかたし。俗に日和と書故に此説有歟。しかれとも爾波とかなもあり又は庭と云字を書たれは和の字はかな違ひ也。
  問
 飼の字をけとよむ義はいかなる義にや。
  答
 飼は笥の字の誤りなるへし。
  問
 苅薦の二字をかりこもとよむ義はいかなる義にや。
  答
 苅は刈の字を古来誤て苅と書也。薦は蒋を席にしたるを薦といへは借訓にこもと用ゐたるなるへし。薦の字はすゝとよむ古訓なり。義訓にはかやとよみてかるかやとよむへきことゝおほゆれとも此集巻第十五に此歌を古注者引るに可里許毛能美太礼※[氏/一]出見由安麻能都里舩ととあれはふるく苅薦二字をかりこもとよみたるとみえたり。しかれとも第十五巻のかなかきも古注者のしるしたれは万葉集の本文にあらす。古注者より訓あやまれるにても有歟。第一巻に綜麻形の歌をも和歌に似すといへるたくひたかひもあまたあれは苅薦の二字はかるかやにても有へき歟。蒋といふものかれはとてさのみみたれやすきものにあらす。かやはみたれやすけ□□□るすゝもしかるへけれともかるすゝは【万葉】(此)集にては用ゐられても古今以下の集の詞にみえす。
(77)【■】(か)るかやのみたれをよめることは挙てかそへかたけれは万葉古今の例に相通してかるかやとよむかたまさるへし。
一本云武庫乃海舶爾波有之伊射里為流海部乃釣舩浪上従所見
  問
 一本の説に武庫の海と飼飯海とは甚ことなれは是非をいつれと弁へきゃ。
  答
 飼飯海は誤りなるへし。人麿越前国へ行たまへること此歌の外には万葉集中にもみえす。只此一首を証とせん事もいかゝなり。そのうへ一本に武庫の海とある上は飼飯海はすつへし。飼飯海の文字の誤り有も本より第一句伝写の誤有一証にもなるへし。
  問
 舶爾波有之此五字先訓ふなにはならしといへり。しかれとも□爾波といふ詞も外にみえす。尓波ならしといふ詞もなし。いかゝ弁へ侍るへきや。
  答
 これ亦伝写のあやまりなるへし。第十五巻の歌に武庫能宇美爾波余久安良之とあれは舶の字はすてゝ好の字を波の下有の上におくへし。しからは第十五巻の歌とおなしくして義もやすし。伝写の誤りの証拠には此句もし前の歌と異ならは古注者十五巻の歌の左注に異句をしるすへし。異句をし(後欠)
【裏表紙欠】
 
万葉集童子問 巻第三ノ二 丑(自筆本)
 
(81)「万葉集童子問」
 
 万葉集巻第三ノ二
 童子問    丑
鴨君足人香具山歌云々
257天降付云々
  童子問
 仙覚注釈云あもりつくとはあまくたりつくと云詞也。あまのかく山大和国也。此山の名を和するにかく山とも点しかこ山とも点す。くとことは同韻相通なれはいつれもいはれ有へけれとも来の文字をかけるところをはこともくとも和すとも具とかけるをはくと点すへし。こともよむことはり有へけれともそのまさしきいはれをとるへし。天のかく山とは空の香のかほるところなれはいふといへり。空の香のかほるにつきて天の香はことにうつくしければかくと云へし。かくと云はくはしと云ことばくはしとはこまやか也。ほむる詞也。あもりつくあまのかく山とつゝけたる事は空の香のかほりくれはあもりつくともよめると心得へし。又阿波国の風土記のことくはそらよりふりくだりたる山のおほきなるは阿波国にふりくたりたるをあまのもとやまと云。その山のくたけて大和国にふりつきたるをあまのかく山といふとなん申す。此義によらは別の心得やうもいるへからす。あまくたりつきたるあまのかく山と云つへしと有。いつれか正義にや。
  答
 天のかく山を空の香来るなとは甚僻事也。香来山とかき又は香山とかきてもかく山と用ゐられたる故にさる説をなすなるへし。大和を此集に山跡と書るにつきて山あとゝいふかことし。皆文字につきて説を作りたれは古義にあらす。阿波国の風土記の説古老の伝なれは古義なり。此歌の詞も古義につきてよめるなるへし。文字にも天降付三字あもりつくとよみ来れることうた(82)かふへからす。阿波国の風土記全記世にみえねとも古記に引用の文にみえたる説天より降りたるよしあれは此歌にかなへり。天香山天よりくたりたるなとゝいふ由を今の世の人はうたかふへきことなれとも天香山にかきらす美濃国の喪山の本源をも日本紀神代紀に載られたるにてもしるへし。本邦の教皆天を本として帝皇をも天孫とし人臣も天神の商と伝へて道の本源天に本つく教なれは大和国の香山も本天に有し香山の降りて地に付たるといふこと怪しむへからす。これをあやしまは天孫の天降り給ふことをも怪むへし。空の香のくたるなとゝいふ説は本邦の神教をしらさる説也。
  問
 天降の二字をあもりとよめるは是にや。
  答
 此集のかなにかける所にも|あもり《安母里》とあれは是なるへし。是約語也。あめよりといふ約也。約言約語をしらされは古語をときかたし。
  問
 木晩茂爾 此四字先訓にこのくれしけにといへり。しかるへき訓にや。
  答
 このくれしけには文字のまゝによめるなれは歌詞になりかたし。僻案の訓はこれにことなり晩は末なれは木晩の二字をこすゑとよみ茂尓の二字をさかりにとよむ。此集は字義と歌詞と相かなふを正訓とす。字義にかなひても歌詞に句例なけれはとらす。又歌詞にかなひても字義にそむくはとらす。これ予か此集の先訓【を】(に)したかはぬ一僻案也。故に予か改訓を必定ともせす字義にかなひ歌詞にかなふ雅訓あらは又それにしたかふへし。必家訓をも是とすへからす。たゝ句例にしたかひ古実にそむくへからす。
  問
 奥邊波鴨妻喚 此六字先訓におきへにはかもめよはひてといへり。奥邊とは奥と邊とのことにや。又かもめ(83)といふは鴎のこと歟。池に鴎すむへきにあらす。よりて鴨の妻をよふをかもめよはひてといふ説あり。いかゝ弁へ侍るへきや。
  答
 奥邊は奥と邊とにはあらす。奥の方といふ義也。此集に行へといふへに邊の字を用ゐたることを考合せてしるへし。鴨妻は鴎とみるへし。香山の池甚大なるか故に奥も邊もよめるなり。常の小池には奥邊をよむへきことにあらす。如海の池なれは水鳥皆集りたる景色をよめるとみえたり。大池には鴎もより来れる也。其証には此集第一巻舒明天皇の天香具山に登り給ひて国見し給ふ時の御製にも海原はかもめたちたつと詠たまへる。此海原は香山【の】(に)在池をのたまへること明か也。大和国に海はなし。人麻呂の歌に荒山中に海をなすかもとよめるも猟路池の歌也。彼是を合せて大池を海とも歌には詠来れるは池を称美したる故としるへし。されは鴎すむことうたかふへからす。
 味村佐和伎と有。味村とはいかなるものにや。
  答
 鳧鴨の種類にあちと云烏有。必群をなす鳥故にあちむらと名付てよふ。只あちとのみもいふ也。俗にはあちかもといふ是也。此集の末に山のはに味村さわきとよめるも此鳥の事也。
反歌二首
258人不傍有雲知之潜為鴦与高部共舩上住
  問
 有雲此二字先訓あらくもとよめり。ありくるもといふ略にや。
  答
 あらくもあるもといふ詞をのへていふ詞也。古語にはのへてもいひ約めてもいふ也。
  間
 潜の字いさりすると先訓にいへり。しかるへき訓にや。
(84)  答
 しかるへからぬ訓也。あさりするとは義訓によむへき歟。たゝ正訓にかつきするとよむかたまさるへし。
  問
 鴛高部皆かつきする鳥にや。答高部は鶴也。沈鳥とあれは潜するとよむへし。潜はかつくともをよくともよむ字なれは水鳥は皆水にをよきてかしらを水の中へも入波をもかつくものなれはかつきするとよむ義害有へからいさりすとはいふへからす。
259何時――
  問
 香山此二字をかくやまと先訓にいへり。古本には香久山と有といふ人あり。しかりや。二字を正本とせんや三字を正本とせむや。
  答
 香山の二字正本なるへし。古本の一本に香久山と有は香山の二字かくやまとよむことをしらすして久の字を傍注したるなるへし。日本紀には香山の二字を書給へり。此集の文字は日本紀を本として書るとみえた【り】(れ)は漏脱にては有へからす。
  問
 鉾椙 此二字を先訓むすきとあり。鉾の字をむとよむ義も椙の字をすきとよむ義も心得かたし。或説にむすきとはわかき杉の事也といへり。此古語有ことにや。又一説にはむすきとよむは誤也。ほこすきとよむへしといへり。杉の木はすくに立のひて鉾をつきたてたるやうに見ゆる故也といへり。仙覚注釈にはむすきかもとにこけむすまてにとはふる木にもあらすおひつきたる木のもとにこけのむすとよめるにや。生するをはむまると云かことし。人の子をむすこといひむすめなと云も生したる義なるへし。苔なとの生たるをもむすといふ。おひしけりたる木のもとに苔む【す】(し)たるとよめる也。おひ木をはいふにもをよはすふる木にもあらすおひつきたる木の、もとにいつしかもかみさひけるか(85)とよめる故なりとあり。いつれにかしたかひ侍らんや。
  答
 鉾の字をむとよむは音読也。訓義にはあらす。椙の字をすきとよむは誤字也。※[木+褞の旁]の字也。※[木+褞の旁]の字も杉にはあたらぬことなれとも日本紀をはしめ古記にあまた※[木+褞の旁]の字を杉のことに用ゐられたり。古き字書により所ありて用られたるなるへし。勿論杉の字をも用られたる上は翻訳の誤りともいひかたし。※[木+褞の旁]をあやまりて椙に作れるは後世伝写の非としるへし。む杉とよむ先訓しかるへし。鉾の字【を】(に)したかひてほこ杉といへるは誤訓なるへし。ほこ杉といふこと類語もなし。たゝ此一首の歌にみえた【るを】(れは)証拠なし。義もまたほこ杉とよめる歌に便りもなし。仙覚の説むすこむすめなとの語を証例とせられたれともむすこむすめといふむはむ杉の冠辞の類にはなるへけれともむすめむすこのむをむまるといふことにはなりかたし。うむうまるとこそ古語ににはいへむまるといふことなし。うまをむま□かきうまるむまるとかきう【つ】(も)れをむもれとかくは皆後世のことにて古記にはみえす。むすきもたゝ杉といふまての詞にてむは冠辞なるへし。ま杉といふかことし。まみむめもの通音にて古語は通用常のこと也。されはむすこもますこむすめますめむまこもこれにおなしかるへし。若古歌には五音相通してより来る詞の縁にいへる歟。此下句もこけむすまてにとよめるか故にむすきかもとゝもいひてま杉といはさる歟。むすきをしひて解んには繁茂をもすといへはもすの約言むなれは繁茂の杉の義也といはむは語釈にはかなへとも古語の格例によれはたゝ発語冠辞をまといひむといひもといふ類ひと解む説まさるへし。
或本歌云
260天降就神乃香山云々
  問
 仙覚【注】(抄)釈云さきにはあもりつくあまのかく山とこそはへりつるにこれはかみのかく山といへるは天降(86)りたれは神もあまくたり給へるものなれはよそへて神のかく山といへるにや。又神祇の両字はともにかみとよむにとりて祇をはくにつかみとよむ神をはあまつかみとよむ也。されはあまつかみの義にて神のかく山といへるはすなはちあまのかく山と云心也とおもへりけるにや。先賢の毫筆その心とき定めかたしといへり。いかゝ弁へ侍らんや。
  答
 仙覚本邦の古記の意をしられさる故に臆説にいへる義皆あたらす。神のかく山の神の字神祇の二字の差別いふへからす。神の字を冠辞におきてかみ某といふは皆尊称していふ古語の例也。山にかきらす人にても物にてもその物を尊称としるへし。義あまのかく山にことならす。神号にも天香山あれはもし。神号かとおもへる誤りも有へし。香山天よりくたり就山なれは人作の山にあらさるよしを尊称して神のかく山とはよめるなるへし。
  問
 木晩茂 此三字の訓前の歌とおなしかるへきや。
  答
 おなしかるへし。
  問
 或説に此或本の晩字を一古本には作暗といへり。正本にや。
  答
 作暗本いまたみあたらねは正誤をいひかたし。もし古本暗に作らは前の歌の訓とは異なるへし。暗の字を末の意にはよみかたし。もししからはこくらくしけりとよむへし。桜花とあれはこくらくしけりは花の字にあたりかたけれは前の歌にては花の字によりて先訓を用ゐす。しかれとも一古本晩の字を暗にかゝはくらくとよむへし。正本正字にしたかひてよむへし。
  問
 池浪※[風+火三つ] 此三字先訓いけなみたちてといへり。立とい(87)ふ字をかゝすして※[風+火三つ]の字をかける意はいかゝ。
  答
 ※[風+火三つ]の字をたつとはよみかたし。前の歌の立の字の訓を用ゐたるなるへし。或本の字のたかひにては※[風+火三つ]をさわきとよむへし。
  問
 阿遅村動 此動の字先訓さわきとあり。上の※[風+火三つ]をさわきとよまは此動字よみかへんや。
  答
 動字とよみとよむへし。異本のたかひとみるへし。
柿本朝臣人麻呂献――
261八隅知之吾大王云々
  問
 日之皇子茂座 此六字先訓ひのわかみこのしけくますなり。しけくますといふこといかなる義にや。
  答
 皇子の二字をわかみことはよみかたし。ひのみことよむへし。茂座の二字をしけくますとよめる語例もなく理もきこえす。しきますとよむへし。
  間
 大殿於 此三字おほとのゝうへにと先訓あり。上にしきますとあらは此三字も異訓侍るへし。いかゝ。
  答
 大殿於の三字みやにとよむへし。
  問
 天傳来自 此四字先訓あまつたひこしといへり。いかなる訓義にや。
  答
 自の字はおほくしの濁音に用たれはこしとよむ訓義ともに心得かたし。もし誤字歟。僻案には自はよるともころともよめは来自にてこると用ゐたる歟。しからすはそらつたひくる雪とつゝけたる冠句にて下の徃来乍益といふ句を起さん為の冠句とみえたれはたゝ雪は空をへて来るものなれは徃来の冠句に用られたる歟。此(88)新田部の宮へは天といふ山をもへて往来する義をよせてよめる歟。はかりかたし。
  問
 雪仕物徃来乍益 此七字先訓にゆきしものゆきゝつゝませとあり。可然や。いかなる義にや。
  答
 乍の字を古本の一訓にかつとよませたれともつゝとよみたる先訓まさるへし。雪仕物は雪のことくにといふかことし。徃来したまひてましませとよめるなるへし。
  間
 及常世 此三字先訓とこよなるまてとあり。とこよなるまてといふ句義心得かたし。
  答
 及の字此集にまてと用ゐたれは正訓なるへし。しかれとも常世なるまてといふ詞何とやらん。祝称にはなりかたくきこゆるなり。若千万世の後は常住不変の世となるといふ説も有てさはよめるか。僻案には常字は萬の字の誤にて及萬世の三字にてよろつよまてにとよめる歟とす。
反歌一首
262矢釣山木立不見落乱雪驪朝楽毛
  間
 仙覚注釈云此歌古点にはいこまやまこたちもみえすちりみたれ雪のうさきまあしたたのしもと点す。発句いこま山矢の字をいとよめることはさもはへりなん。矢をいと云詞有か故也。釣をこまと和せむこと其心心得す。是やつり山なるへし。第二巻にもやつり川とよめり。山河かはれりといへともその所是同しきをや。腰句以後又ちりまかふ雪もはたらにまゐてくらしもと和すへし。長歌にすてに久かたのあまつたひこし雪しものゆききつゝませとこよなるまてとよめりきたる心これおなしかるへしといへり。この釈しかるへきにや。
  答
 矢釣山をいこまやまとよむへき義なきことは明かなり。(89)しかれとも仙覚異本をみすして古訓を難せるは非也。古本に一本釣を駒に作たれは矢駒山ならはいこまやま正訓なるへし。句中に驪字あれはい駒山は縁有矢つり山は縁なし。矢釣川あれは八釣山ともよむへけれとも第一句の詮下の句に聞えねは矢駒山しかるへし。然れとも矢釣山真木正字ならは一僻案有。日本紀を案するに八釣宮は近飛鳥に在て顕宗天皇此八釣宮に即位ましましたれは此八釣宮天武天皇まてもつたはりて新田部皇子に伝りてましませる歟。しからはすこしより所なきにあらす。たとひ顕宗帝の宮はなくともその宮跡に宮を営給へることも有へし。是一僻案なれとも日本紀にも八釣宮と書此集第十二巻の歌にも八釣川とかけれは第十二巻の八釣川は飛鳥に有へし。その証第十二巻の歌飛鳥川をよめる。次に八釣川の歌をつらねたり。今八の字をかへて矢とかけるをみれは矢駒山にていこまやまをよめる歟。しからすは矢は矣の誤にて矣駒山にていくやまのとよめる歟。八釣山は宮には縁あれとも歌の詞に縁なけれはやつり山にはしたかひかたし。いこま山いく山の二の中なるへし。
  童子間
雪驪 此二字先訓ゆきもはたらにとあり。さるへき訓にや。
  答
 雪驪の二字を義訓にせははたらともよむへき歟。驪の字をはたらとよむへき理りなし。驪は説文にも馬深黒色とあれはくろうまとかこまとかはよむへし。はたれといふは雪の一名なれは雪の一字をはたれとよみ驪の一字をくろこまとよむへけれとも猶異訓有へき歟。
  童子問
 朝楽毛 此三字先訓まゐてくらくも也。可然や。
  答
 右の三字はさもよまるへし。義有へし。歌の意は人麻呂新田部皇子の宮にまうつることゝもきこえ又は皇子の朝参のことゝもきこえていまた一決しかたし。猶後(90)按に決へし。
従近江國上来時刑部垂麻呂作歌一首
  童子問
 此題の書様【に】(ノ)不審。次にも柿本朝臣人麻呂従近江上来時至宇治河邊作歌とあれは此題をも刑部垂麻呂従近江国上来時作歌と有へきことなり。しかるに次の標題とも異なるはいかゝ。
  答
 凡前後の例姓名を上にあけて下に云云歌とあれは此標題を垂麻呂従近江国上来時とはみえす。歌も亦馬莫疾打莫行といふ詞みつからのことにあらさる事明けし。
  問
 しからは上来とは誰人を指へきや。
  答
 柿本人麻呂なるへし。いかにとなれは前の歌の題標に柿本朝人麻呂献新田部皇子歌と有。次に載たれは此従近江国上来るは柿本人麿にうたかひなし。上るは人麻呂歌は垂麻呂也。されは人麻呂の歌は又次にみえたり。題と歌と合せてみるへし。
263馬莫疾打莫行氣並而見※[氏/一]毛和我歸志賀爾安良七國
  童子間
 馬莫疾打莫行 此六字の二句先生賢按によれは歌の詞うたかひなく人麻呂を指て打莫行とよめる。垂麻呂の意明かなり。只心得かたきは第三句に氣並而の三字也。これを先訓いきなめてと有。或説に息をしけく衝心也といへり。息をしけくつく心にて上下の句につゝきかたし。異訓有へし。先生の賢按はなきや。
  答
 氣並而のうたかひうへなり。古語にも古句にも例証なけれは氣の字は馬の字を誤りたるなるへし。是僻案也。馬並而といひてこそ上下に相応の句なるへし。先賢皆誤字かとうたかへる説なく文字のまゝに釈したる故に万葉集わけもなきことになるなり。古詠は平易常道の理りを存たるものとしらすして異句異道によみなせる(91)故後人のまとひとなるなり。万葉集中の歌に氣並而といふ句例あれは氣並而といひて馬なへてといふこと也ともいふへき異義も有へけれとも氣並而といふは只此歌一首にかきりたる句なれは氣は馬の字の誤りなる事明かなり。万葉集を見るならひは句例なきことは誤字誤訓とうたかひて正字正訓をもとむへし。是此集を見る僻案の一伝也。
  童子問
 歸の字を先訓此歌にてこむとよみ来れり。この訓も訓例有ことにや。
  答
 訓例なし。歸の一字にてこむとはよみかたし。しかれともおもむくとよめは往帰することにゆくとはよむへけれともこむとはよみかたし。將歸ともあらはさもよむへき。たゝ此歸の字正訓にかへるとよむへし。
  童子問
 歸の字正訓にかへるとよむへき義にても垂麻呂は志賀の住人とみえたり。しかれは見※[氏/一]毛と有はいつくみてもといふ義にや。
  答
 いつくを見てといふへき証はなけれとも人麻呂と別るゝ時の歌なれは人麻呂の故里を指ていふへし。これ一拠也。大和歟石見歟両国の中と心得へし。
柿本朝臣人麻呂――
264物乃部能八十氏河乃阿白木爾不知代經浪乃去邊白不母
  童子間
 物乃部能八十氏河 此句につきて或説にむかし応神天皇の御宇にやそ氏と云者のふに家所を給りて此河のほとりにおかせ給ふよりやそうち川とは云也といへり。此説有ことにや。
  答
 日本紀をはしめ正記にみえぬことなれはとり用ゐるにたらぬ説也。
  童子問
(92) 或説に物部の氏姓おほき故に八十氏川とはつけたりといふ説有。此説可然や。
  答
 しかるへからす。氏姓は一姓わかれて数氏ともなる故に氏はおほきといふ義ならはさもいふへし。物部氏にかきりておほきといふ義なし。此説も取にたらす。
  童子問
 或説に物部は弓矢剣戟をとるものなれは矢とつゝけむ為に物部乃八十氏川といふ也といふ説有。此説しかるへき歟。
  答
 此説はしかるへし。取用へし。
  童子問
 物部の矢とつゝけたる義はきこえ侍れとも宇治川を八十氏河といふ義はいかなる義にや。
  答
 此うたかひ乙とはりしかり。古来八十氏川といふ義を解わひて応神天皇の御宇にやそ氏といふ者此河の上に家所を給ふといふ妄説も出来るなるへし。此河を八十氏川といふに就ては僻案あり。神《古》書に証明ありて八十は八瀬なるへし。此宇治河大河をいはむとて八頼河といふ義とみえたり。必瀬八にかきるにはあらす。あまたの瀬有河といはむとて八瀬うち川といふなるへし。せとそと五音通用例すくなからす。八十瀬といふことも有は八瀬よりおこれる古語なり。天安河是天八湍河といふ伝有。これにしたかへは八瀬宇治河理りやすし。
  童子問
 此人麻呂の歌の意いかなる義あるや。
  答
 此物乃部の歌は見る人の好む道に義を求むへき歌也。論語臼子在川上曰逝者如斯夫不舎昼夜と有。聖語の意とも解むにもたかふへからす。しかれともかの聖語も注釈まち/\にしていつれか仲尼の本意なりと決すへき。しかれは此歌の意も人麻呂の意にかなふかなはぬ(93)いつれの説にしたかはんや。只僻案には論語の聖語によらす標題と合せて此歌を解へき。是人麻呂の本意ならん歟。されは此歌は昼夜を不舎の義にはあらす。人丸近江国にも寄寓せられたるとみえて従近江国上来とあれは大和国へ上り来れるなるへし。その路なれは宇治河辺にて不知代經浪を見て身上に比して去邊しらすもとよめる実意なるへし。冠句に物乃部能とよめるも身上に比する歌故に人倫の冠句を置て身上を網代木にいさよふ浪のことく我身此すゑの落着をもしらす旅寓の題を詠たまへるとみる也。此外の意は有へからす。強て義を求めはいか様にもいふへけれとも題によりて歌は心得へき事なれは旅行の意趣を全とすへし。前後旅行の歌なれは只宇治河の辺にての詠ならは子在川上曰の題にも通し見るへし。しからされは旅情の題と見る也。
長忌寸奥麻呂歌一首
265苦毛零来雨可神之埼狭野乃渡爾家裳不有國
  童子問
 仙覚抄釈に三輪のさき五代集歌枕には大和国としるせり。然而此三わのさき近江歟。近江に三和社あり。今歌の前後の歌近江の詞有故也とかけり。此説しかるへきや。
  答
 しかるへし。
  童子問
 或人の説に此歌の神埼は近江にてもなし大和にてもなし。紀伊国にさのといふ所近きわたりに三輪崎といふ所あれは紀州といへり。此説はいかゝ侍らんや。
  答
 紀州に三輪崎の同名もさのといふ地名も有へし。しかれとも此歌の前後皆近江の歌を列られたれは中に一首紀州の歌有へきにあらす。此歌より後他国の歌あらは紀州ともいふへし。勿論八十氏河の歌は山城なれとも標題に従近江国上来時至宇治河邊作歌とあれは近江国の歌に列すへきことなり。宇治河その本は近江国田上(94)川の末也。彼是みな近江の国の歌の列にあり。紀州の三輪崎の歌中間に一首何の故を以て列ねんや。紀州の説は甚非也。近江国に三輪崎有事をしらさる人の説なるへし。文字に神之埼とあれはこれを三わとよますかみとよむへしといはむには証拠にしたかふへし。神の字をかみとよみても三輪の□□になる証例も有。又神の字を三輪とも訓来る拠もあれはいつれにても義にたかふへからす。たゝ古記の証明にしたかひ此集中の例にもよるへし。
  童子間
 此集中に近江に三輪とよみたる証歌もありや。
  答
 第一巻にも拠有ことなり。
  童子問
 正記の証明有や。
  答
 延喜式神名帳近江国神前神社是也。此集第七巻の歌にも神前と書てみわのさきとよめる歌あり。是も近江国なり。彼是古記の証明あれは此歌の神埼は近江国に決すへし。
  童子問
 苦毛 此二字くるしくもと先訓にあり。旅行は雨のふるは苦しきこと故にさもよむへけれとも歌の上に苦といふほとのこともみえされはもし異訓なとはなきことにや。
  答
 第二句にふりくる雨かとよめる。くる雨とつゝく詞の縁にくるしくもとよむ義も有へけれとも僻案には苦毛の二字を義訓になしてあまなくもとよむへきかとおもふ也。苦は甘味無ことなれは無甘の義に苦の字を用ゐたる歟。あまなくもといふ詞はあは嘆詞にてあゝといふにおなし。間なくもといふ詞なれはふりくる雨の冠辞旅行野辺に家里もなき所にて間無ふりくる雨は心うかるへき理をいはすして聞ゆへき也。
(95)柿本朝臣人麻呂
266淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努尓古所念
  童子問
 此歌の下句こゝろもしのにいにしへそおもふとよみ来りて或説に心もしのにといふはしのとはしけきと云詞也といへり。心もしけくといふ義にてはつゝけから心得られす。いかなる義ならんや。
  答
 しのにといふ句をしけき心にてもしけくと解釈するは和語のてにをはをしらぬ人の釈也。しけくといひてはにといふ詞を助語に用ゐかたし。しゝになといふもおなしかるへし。此集の歌にあまた有詞なれは全篇にわたりて釈すへし。先下の句の訓もしかるへからす。僻案の訓はこゝろもしぬにむかししのはるとよむ也。此むかしと指所は志賀の都のことゝ見るむへし。人麻呂近江の旧都の歌上にもみえたり。そこと引合て見るへし。
志貴皇子御歌一首
267牟佐々婢波木末求跡足日木乃山能佐都雄爾相爾來鴨
  童子問
 山のさつをとは或説に薩人と云も同し弓をよく射て常に山に入て猟するものゝふの名也といへり。可然や。
  答
 しかり。猟人の事也。ことのおこりは神代巻にあり。
長屋王故郷歌一首
268吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成嶋待不得而
  童子問
 【仙覚】(或説)に此歌の嶋とは河洲也。水鳥は河洲に遊ふものなれは水なとまさりて河洲のかくれたる時は居所なきまゝ其島の出来るを待かねてなく心也といへり。此説可然や。
  答
 しかるへからす。題に長屋王故郷歌とあれは故郷の意なかるへしや。千鳥の歌には有へからす。千鳥に寄て(96)よめる歌とみるへし。
  童子問
 仙覚注釈には此歌第二句古点にはふるへのさとのと点せり。其詞よろしからす。いにしへの里のと和すへし。古家いにしへと和する事傍例是あり。しま待かねてとはしばまちかねてと云也。しはしをしまといふははとまと同韻相通の故也とあり。此説はしかるへきや。
  答
 仙覚注釈はしかるへし。
  童子問
 此歌に吾背子我とあるは長屋王の妻を指てよめる歌ときこえたり。此歌男も妻を指て背子とよむ証明歟。
  答
 此背子を妻を指ていふ証明にはなるへからす。凡背子とは婦より夫を指ていふ古語なれは此背子を妻と見るへからす。背子は父兄尊長の称なれは此歌則君父を指てよみ給へる歌の証とはすへし。長屋王は天武天皇の孫高市皇子の子なれは天武天皇皇居はあすか清見原なれは天武帝にても高市皇子にても古家の里とよみ給へるに相かなふへし。古家の二字を仙覚いにしへと改めよめるはかなにも相かなひて去家の義も有へし。古注者の案に従明日香遷藤原宮之後作此歌歟といへるは歌の意に相かなふへし。嶋まちかねては明日香川の千鳥によせて千鳥の川嶋もうつりかはりて淵となりて今は嶋もな【きを】(く)なりたるを二たひ又嶋も出来むことをまつ心にあすかの人民都の立かへらんことを待意によめる御歌ときこえたり。嶋を暫時/\の意に相かよはせる歌なるへし。不得而の三字をまちかねてとよみても義あたるへけれともまちわひてと義訓によままほしき歌也。
  童子問
 此御歌に千鳥の歌にしては嶋をまちわひてなくことはりはきこえ侍れとも此嶋をしばといふ義にては何をまちわひてなくにや。
(97)  答
 第一句に吾せこかいにしへのとつゝけたる所にまちわひるせ子有へし。
  童子問
 此歌婦人の歌にしてみれは心得やすくきこえ侍れはもし此長屋王の妻か又は女かなとゝいふ文字脱せるにては【有】(な)きや。
  答
 此発揮の疑問は理僻案にも相かなへり。此次の歌に阿倍女郎の歌入たれは此歌婦人の歌にても有へし。しかれは吾背子我いにしとよめる所も理り相かなひ歌の心も婦人の情にして千鳥にみつからを比してよめる歌とみたき歌也。しかれとも古注者の時分にも長屋王とのみありしとみえて従明日香遷藤原宮之後作此歌歟とあれは問をまちて答ふる也。古注者の釈も悉く相かなへるにあらさることあまたみえたれは今疑問の脱字有かとおもへる説にしたかふへし。後人知る人しるへし。
阿倍女郎屋部坂歌一首
269人不見者我袖用手将隱乎所焼乍可将有不服而來來
  童子問
 仙覚注釈云やけつゝかあらんきすてきにけりとよめるはやけつゝとはよけつゝと云也。此歌詞かすか也といへともよめる心はやけつゝかあらんきすてきにけりと云はかたみの衣の心也。発句人めにはと点せり。人不見とかけるはしのひにはと云へし。傍例あり。此歌の心はかたみの衣をきたりともわか袖もちてかくさましをかのかたみの衣をすてたるにや。きもせてきにけりとよめる也とあり。此釈あたるへきや。
  答
 かたみの衣何事そや。題の屋部坂之歌と有を何と心得たるにや。甚僻事なるへし。
  童子問
 此歌仙覚注釈の外に古人の釈もみえす。先生賢按の説ありや。
(98)  答
 あり。しかれとも尾の句一本に来の一字のみあり。普通の本には来来の二字あり。此来々の二字につきて猶異訓有へき歟。来来は有来の二字なるへし。しからは僻案の訓義あり。第一句の人不見者の四字古訓にひとめにはといへる事字にもあたらす義にもそむけれは仙覚改めてしのひにはとよめるはまさるへし。古訓一本にはひとみすはとよめり。これも人めにはといふよりはまさるへし。僻案にはしのひなはとよむ所焼の二字をこかれとよみ不服而有来五字をきもせてありけりとよむへし。歌の意は屋部坂の歌と題にあれは此歌の詞によりてみれは此坂木不生茂して有をみて恋歌の体によみなし給へるとみえてしのひなは我袖をもちてもかくさんに何と【そ】(て)【木おひしらけり】(きたらさる事)そといふを木のおひしけらさるに比してよみたまへるとみる。こかれつゝはこひこかるゝおもひにこかれて来らぬを木枯て木不繁とよみ給ふなるへし。木の生繁るをもすといふは古語也。茂の字の音にはあらす。神代下巻杜樹枝葉扶疏と有扶疏の二字を古訓にしきもしとよむ是にてしるへし。
高市連黒人※[羈の馬が奇]旅歌八首
270客為而物恋敷尓山下赤乃曽保舩
  童子問
 仙覚注釈云あけのそほふねとはそほふねは小舟也。舟をはあかくいろとるものなれはあけのそほ舟と云。山もとは所の名也。筑後の国に有にや。但是はあけといはん為の諷詞に山下のとおけるにや。夜の明るには山のはよりしらみはしめてあけわたるによそへて山下のあけのそほふねとよそへよめる也。又恋の心とみえたれは旅にして人をこふとていをもねすして山もとのあけわたるをみると云心も有へしとあり。此説いかゝ侍らんや。
  答
 あけのそほふねは舩をはあかく色とるといふ説はしか(99)るへし。そほ舟を小舟也といふ説はあたらす。小舩を色とる物にはあらす大舩とはいふへし。歌の詞にも奥榜所見と有にてしるへし。小舩ならは奥に榜もみゆへからす。凡舩を色とるは海獣をおとさん為に竜頭鷁首なとも書くことあり。又山もとの事所の名といふ義はしかるへし。※[羈の馬が奇]旅の歌にはおほくその旅行の地名を詠む古実なれは此歌の山下も所の名をかねてみれは此所歌也。筑後の国に有にやといふ説はうけられす。山もとゝいふ所はいつ国にも有へし。此歌を筑後の旅行とみる証明有へからす。次の歌に年魚市方あれは年魚市方同国と見るへし。しからすは国ならひに有所の名とみるへし。山本といふ地名は摂津国にも美野にも古名あり。山下といふ地名は下野国にあれとも年魚市かたにつゝく地名を求むへし。
  童子問
 そほ舩といふこと小舩にあらすはいかゝ解せんや。
  答
 そはさと同しく発語の詞とみて帆舩と解すへし。
  童子問
 初句たひにしてといふ詞此集いく所もあり。時代の詞と見侍らんや。今の時には好むへき詞にもあらさるへき歟。
  答
 しかり。僻案には客の一字にてたひねと用ゐてたひねしてといふ五文字歟とおもふ也。猶此集中の歌とも参考へて見るへし。
  童子問
 物こひしきにとは故郷のこひしき心に見侍るへきや。
  答
 恋の字必こひと限りてよむへからす。此歌にてはわひしさと訓方まさるへし。
  童子問
 此歌の物恋の二字をものわひとよまは第一巻の高安大島の歌に旅爾之而物恋之岐のと有句もさ【も】(よ)むへ(100)きや。
  答
 大島の歌もものわひしきとよむ方まさるへし。彼歌に旅爾之而と有。此爾の字は祢と通し用ゐたる歟。禰の字の誤字歟。猶集中の文字の例証にしたかふへし。
271桜田部鶴鳴渡年魚市方塩干二家良進鶴鳴渡
  童子問
 桜田部は三字にて地名にて候や。
  答
 いな。桜田といふを地名とみて部は助語辞とみるへし。方の義也。
  童子問
 桜田或説に紀州といへり。しかるへしや。
  答
 紀州に同名有ことはしらす。歌の詞中に年魚市方あれは紀州とみるへからす。年魚市は尾張国に在。証拠明【也】(な)れは桜田も尾張とみるへし。熱田と云所海辺なれは桜田もおなしく熱田につゝきたる所なるへし。
272四極山打越見者笠縫之島榜隱棚無小舟
  童子問
 仙覚注釈云此歌頭句古点にはよもやまと和す。よも山いつれの山そや。荒涼なるにや。是をはしはつ山と云へし。極の一訓ははつ也。その上古今和歌集第廿巻しはつ山ふりの歌也。其理かた/\しはつ山にあたれりとあり。此説しかるへきや。
  答
 仙覚説しかるへし。しはつやまとよむへし
  童子問
 しはつ山は或説に豊後国に有といへり。八雲御抄には豊前の国のよしみえたり。両国の内いつれに決侍るへきや。
  答
 豊前豊後両国ともに此歌にかなふへくも覚えす。此歌古今集巻之第二十大歌所御歌に入たり。あふみふりみ(101)つくきふりしはつ山ふりと出たれはみつくきふり近江なれはしはつ山ふりも近江なるへし。塩津山近江なれはもし通音にていふ歟。塩津山の外にしはつ山有歟。豊前豊後の国のふりを入へき理り有へからす。
  童子間
 四極山近江ならは笠縫嶋も近江と決すへきや。
  答
 しかり。
  童子問
 古今集には此歌第二句打出てみれはとあり。第三句笠ゆひのとあり。これは万葉と古今との差とみてさしおくへきや。
  答
 万葉集は【文】(真)字にかきてたかひなし。古今集は草のかなにかきたれは証拠になりかたし。古今集伝写の誤り歟。又は撰者の考あやまりかとみるへし。万葉集にいらぬ歌を古今集には【入】(撰)まれたるよしあれは此歌の入たるは撰者の考誤りとみるへし。古今集の歌墨滅の歌とてある中にこの歌なといらはしかるへし。外の歌を墨滅の歌とてすつることは心得かき事也。撰入たしかならは撰者の誤りとみて万葉集を本とすへし。
273礒前榜手回行者近江海八十之湊尓鵠佐波二鳴
  童子問
 此歌玉葉集には第二句をこきてめくれはとあり。第三句をあふみちやとあり。これらはいかゝ弁へ侍るへきや。
  答
 代/\集皆万葉集を実にしられすしてみたりにその時代の風体に詞をあらためられたるものとみえたれは論するにもたらさる僻事なり。古人の意に及はすして妄に添削せらるゝことは先達をはゝかることも【の】(な)く後賢をおそるゝ心もあらすして我一人の歌の聖とおもへるなるへし。人麻呂赤人の歌をさへみたりにあらためられたるよりすゑ/\の人の歌はとかくその時代(102)の撰者添削をくはへることを例と心得られたるものなるへし。その本のあやまりは拾遺集より起れるなるへし。かの玉葉集に第二句をこきてめくれはと有は手回行者の四字さもよめることなれはこれを誤りとはいひかたし。しかれともこきたみといふ詞句例あり。此集巻第一大宝二年太上天皇幸于参河国時高市連里人の歌に何所爾可舩泊為良武安礼乃崎榜多味行之棚無小舟とあり。此句例によれはこきたみゆけはとよめる作者の詞なるへし。又第三句近江海と有をあふみちやとあるは甚誤也。あふみちといへは山野も有。此歌は八十之湊尓といふ句あるのみならす磯前榜手回行者とあれは海をこそ榜手回とこそいへあふみちといふへからす。あふ坂山とよめる歌はあり海【路をいへ】(上なれ)は波路とか舩路とか海路とはいふ句例なり。打まかせて海路を路と計はいはすこれ皆古人の古実有句をしらすしてみだりて風体のみにかゝはりて改められたるものなるへし。論するにもたらぬ僻事也。
  童子問
 八十之湊とは地名にや。
  答
 地名とはみるへからす。近江の湊あまた有故にいつれ所の湊をも八十之湊といふとみるへし。文字にかゝはりて八十の数多湊ことに鵠なくには有へからす。一湊になく鵠をも八十の湊とよめるとみるへし。一湊をも八十之湊といふへき。証は此集巻第十三に近江之海泊八十有八十島之島之埼邪伎ともよめる歌あれはこれによりて心得へき也。
  童子問
 鵠の字を此歌にたつと古来よめり。鵠にても田鶴となる字義有にや。
  答
 遊仙窟にも援琴而歌為別鶴操と有。鶴を一本鵠にも作れは古へは鵠を鶴にも用ゐたる也。五雑俎にも鵠即是鶴とあれは古訓にはたつともつるとも用ゐたる事明け(103)し。
  童子問
 此歌の下に未詳の二字あり。これはいかなる説にや。心得かたし。
  答
 此集歌の下に未詳の二字有は皆作者未詳の義也。古注者作者をうたかへる所見有てしるせる歟。後人の傍注歟。未詳二字は削去へきこと也。
274吾舩者牧之湖尓※[手偏+旁]將泊奥部莫避左夜深去来
  童子問
 牧の字をひらと訓儀はいかなる義にや。
  答
 牧は誤り也。枚の字にてひらと用ゐる古訓也。
  童子問
 奥部莫避 此四字先訓おきへなゆきそとあり。莫避二字をなゆきそとよむは義訓にや。
  答
 義訓といふほとのことにも有へからす。避の字は【まか】(さ)るともよめは去の字をゆくともよめはなゆきそにてもあしからす。正訓にしたかはゝさりそとよむへ【し】(き)歟。もし古本避は逝の字【の】(を)書誤りたる歟。
  童子問
 牧乃湖あれは八十之湊も地名とみても害有へからさる歟。
  答
 地名の証あらはしたかふへし。
275何處吾將宿高島乃勝野原尓此日暮去者
  童子問
 此歌の此日暮去者の五字を或説にけふくれぬれはとよめり。印本の訓はこの日くれなはとあり。いつれかまさるへきや。
  答
 これはしひて勝劣をわくへくもあらす。好むにしたか(104)ふへし。しかれともくれぬれはといふ義はむつかし。くれなはといへる上の句に応すへし。歌は高島の勝野原を歩行野とうけたる所此歌の詮ときこゆる也。
276妹母我母一有加母三河有二見自道別不勝鶴一本云水河乃
  童子問
 一本には水河乃とあるを或訓にみかはのやとあり。乃の字をのやとよまるへきにや。
  答
 之のならはなるともよみて本書の歌に有とあるとおなし訓にも用ゆへけれとも乃とあれはなるともよみかたし。のやは甚よみかたし。四言一句古例なれはみかはのとよむへし。
277速来而母見手益物乎山背高槻村散去奚留鴨
  童子間
 高槻村は何れの所に有村の名にや。
  答
 今高槻村とよふ地名は津の国にあり。しかれとも此歌に山背のとあれは今の高槻村にはあらさる歟。もしはむかしは此高槻村山背の内にてありしを後には摂津の国の内になりたるか。おほつかなし。
  童子問
 此高槻村は村の字借【郡】(訓)て此集第一に山常には村山ありともいへることくに村は村邑の義にあらす。槻の木むらなとをよめるにあらすや。全国にすくれて大木高木の槻の木のありしをいへる歟。散去けるといふこと葉村の字義にてはつゝくへからさる詞也。木むらといへはちりにけるかもといへるに相叶へし。いかゝ侍らんや。
  答
 一義はいはれされとも散去の二字は義訓に用ゐたるなるへし。僻案には散去の二字をあせと訓て高槻村あせにけるかもとよめる歟。槻の木にあらさる証拠には槻木紅葉を称する証歌もなく邑村の名に高槻とよへるは高木の槻木有しより名たゝるとみえたり。村里のこと(105)故に山背のといふ冠句あれはむらを木むらとみすして実に村里の村とみるへし。散去はあせにとよむ義は此巻の末に泊師高津者浅尓家留香裳とある句例もあれは也。
 石川少郎歌
278然之海人者軍布苅塩焼無暇髪梳乃少櫛取毛不見久尓
  童子問
 仙覚注釈にこの歌第四句古点にはかみけつりのをくしと点す。その和いたくなかし。これをくしらのをくしと和すへし。髪梳これをくしらと和すへき事は大隅国土記大隅郡串卜郷若者造國神勤使者遣此村令消息使者赴道有髪梳神云可謂髪梳村因曰久四良郷【髪梳者隼人俗語久四良今改曰串卜合】とあり。此説と今の印本の訓と異なり。今は髪梳の二字をつけとよめり。両訓いつれか是なるへきや。
  答
 印本の訓あたるへくもあらす。かみけつりのとよむは字のまゝによみて歌の詞にあらす。【或説】(一本)の古訓にかなてとつけたるもあれともこれも句例なし。仙覚くしらとよむへしといへるは風土記の証明あれは仙覚注釈を是とすへし。
  童子問
 或説にくしけのをくしとよむへきよしをいへり。此義はいかゝ。
  答
 訓義ともにくしけの小くしはやすく聞こえても髪梳の二字をくしけとよむへき証明なけれはしたかひかたし。髪梳の二字をくしらとよまるへきことにあらさるをは大隅風土記の明証あれは古語にしてしかも細注に髪梳者隼人俗語と有。明証正しけれは古実にしたかふへし。
  童子間
 髪梳を何とてくしらとはいへるにや。
  答
 隼人の俗語とあれは甚求めかたし。強ていはゝもし海人なとの櫛は鯨鯢の尾ひれにても作りたるよりさいひ(106)なせるなるへし。黄楊の木を求めかたき海人なとはくしら【にて】(のひれ)なとを用ゐたること有へき義なり。今鼈甲をさへ櫛に作れはくしらのひけなとを用ゐんはたやすかるへきことなるへし。
  童子問
 軍布の二字をめとよみ来れるはいかなる義有にや。
  答
 軍布の二字をめとよみ来れる義いまた明証を得す。古一本には軍を葷に作れり。葷と軍いつれか正字是もいまた考られす。昆布と軍布と音相近けれは通し用ゐたる歟。誤字歟。後に考へていふへし。
  童子問
 少櫛とある少の字は小の字にて有へからすや。
  答
 小の字の誤り也。古本には小に作れり。
右今案石川朝臣君子號曰少郎子
  童子問
 君子の二字はきみことよむへき歟。
  答
 くしとよむへし。
  童子問
 少郎子の三字はすくないらつことよむへき歟。
  答
 古一本には少を水に作れは水郎子にしたかふなるへし。水郎子三字をあまことよむへし。
高高連黒人歌二首
  童子問
 高高連と有。心得かたし。高の一字衍にや。
  答
 高市連を書誤りたる也。古本高市とあり。
279吾妹兒二猪名野者令見都名次山角松原何時可將示
  童子問
 猪名野摂津国なれは名次山角松原も津の国に有歟。
  答
(107) しかり
  童子問
 將示の二字先訓しめさんなり。しめすといふ詞は歌こと葉に後世用ゐたることみえす。今用ゐてもしかるへきや。
  答
 此歌の訓につきて古詞とて今用ゐたりとても難有ましけれとも此將示の二字作者しめさんとよめるともおほえす。後世の訓にさは用ゐたるなるへし。みせなんとかみすへきなとにても有へし。上の句にいひ出たることを下の句に二たひいふことは古葉の一格也。後世は同字の難となりて好ます。古新の差故也。
280去来兒等倭部早白菅乃真野乃榛原手折而將歸
  童子問
 【白菅の真野は】仙覚注釈《に】(云)まのゝはき原。大和国しらすけとは菅は花の白きものなれはいへるにや。白萩白菊と云かことし。みな花の色白きによりて云也。郭知玄菅を釈していはく白花似茅無毛といへりとあり。此説しかるべきや。
  答
 真野を大和といへる説心得かたし。津国にあり。白菅といへるは白花咲説はしかるへし。此真野に白菅おほく生たる野故に白菅の真野といふ名におのつからなりたるなるへし。
  童子問
 去来の二字をいさとはよみきたれともいさやとや文字をそへてもよまるへきことにや。
  答
 去来の二字いさと訓来ること常のことなれはやの字はそへられぬにてはなし。しかれともこれは【句例あれは】いさこともと四字をもよむへ【し】(き歟)。【その例は】
  童子問
 將歸 此二字をゆかむと先訓にあり。反訓の義にや。
(108)  答
 將歸 二字此歌にてはいなむとよむへき歟。去帰の心なるへし。
黒人妻答歌一首
281白菅乃真野之榛原徃左来左君社見良目真野之榛原
  童子問
 往左来左の二つの左の字はさまの略言歟。
  答
 只助語の辞とみるへし。此左といふ言を下に付る例あまたあり。
 春日蔵首老歌一首
282角障經石村毛不過泊瀬山何時毛將超夜者深去通
  童子間
 此歌の石村の二字はいはむらとよまんやいしむらとよまんや。地名とみえたれはいかゝよみ侍るへき。
  答
 石村の二字所によりてはいはむらとよみてもいしむらとよみても義たかはぬことも有へし。しかれとも此歌にては石村の二字をいはれとよむへし。磐余の地名を石村とも書たる証例あり。此石村は磐余の地のことなるへし。
283墨吉乃得名津尓立而見渡者六兒乃泊従出流船人
  童子問
 墨吉乃 此三字先訓にすみのえのとあり。又一訓にはすみよしのと有。両訓いつれか是なるや。
  答
 すみよしのといふは後世の訓なり古訓はすみのえの也。吉の字をえと用るは古訓としるへし。
  童子問
 此歌の従の字を先訓にをと用ゐ又一訓によりといへり。いつれか是なるや。
  答
 古語はゆと用ゐてよりといふ意なり。従の字此集にをともよりともゆともにとも用ゐたり。正訓はよりなり。(109)義訓はをともにともゆとも用る也。
 春日蔵首老人歌一首
284焼津邊吾去鹿歯駿河奈流阿倍乃市道尓相之兒等羽裳
  童子問
 此歌の尾句に羽裳と有はいかなる義にや。
  答
 此羽裳の結句吉古葉の一格なり。羽といふていひ残してもは嘆の意有詞也。後世は此てにをはを用ゐることなし。古今集には少あり。忠岑か歌に春日野の雪間をわけて生出くる草のはつかにみえし君はもとよめる。おなしてにをは也。此集にはあまた有詞也。例してわきまへしるへし。一首にてはその意もとめかたかるへし。
 丹比真人笠麿徃紀伊國超勢能山時作歌一首
  童子問
 此笠麻呂は沙弥満誓か俗名といへり。しかるやいなや。
  答
 満誓か俗名也。古本の【書】(傍)注にも満誓沙弥俗名と書たる本も有。
285栲領巾乃懸巻欲寸妹名乎此勢能山尓懸者奈何將有
  童子開
 栲領巾乃 此初五文字は何故に冠したる意にや。
  答
 領巾は婦人の肩のかくるものなれは冠句にたくひれのとおきてかけまくほしきとよめる也。
  童子問
 栲といへるはいかなる意にや。或説に栲は白きといふ意といへり。しかりや。
  答
 栲は衣服にする木の名にて上古は領巾にも栲を織て作れは絹〓にて造らす栲にて造を栲ひれといふ。衾にもすれは栲衾ともいふ古語也。此古実をしらぬ人栲は白きといふ意といへるなるへし。栲にて作るその色白きか故に栲衾白きとつゝけ栲つなのしらきとつゝける也。【白】(只)白きといふ意といふは非也。
(110)  童子問
 懸巻欲すといへる意はいかゝ。
  答
 領巾は肩にかける物故にかけとつゝけたり。かけまくほしきとは妹といはん冠句也。かけといふ詞にはおもひをかけ心をかけなといふかけ也。まくほしきとは妹はまくはひするものなれはまくほしきといへる也。まくといふ詞は願ふ詞にてほしきといはすしてまくとのみいひてもほしき意に用ゐる也。此第二句まては妹といはん為のこと也。
  童子問
 此せの山にいもの名をかけはいかゝあらんとよめる意はいかなる義にや。
  答
 これは旅行の歌にて妹恋る意よりせの山を妹山といはゝ慰むへき意にてよめるならし。
  童子問
 一云可倍波伊香尓安良牟 此一云説は意異なるや。
  答
 意異なら【す】(し)。
 春日蔵首老郎和歌一首
  童子間
 者郎といへること例有や。
  答
 郎は誤也。即の字也。諸家古本皆作即為是。
286宜奈倍吾背乃君之負来尓之此勢能山乎妹者不喚
  童子問
 此第一句はいかなる意にや。
  答
 よろしき名なれといふ詞也。背の山とよふこそよろしき名なれの義也。句例有こと也。
  童子問
 吾背乃君之とは誰人を指ていへるにや。もし笠麻呂を指てよめる歟。
(111)  答
 いな。蔵首老いかてか笠麻呂を指て吾せの君とよふへきや。これは老の君を指て吾背の君といへり。即時の大王を指ていへるなるへし。
  童子問
 負来尓之とはいかなる詞義にや。
  答
 凡せとよふは君長を指【て】尊称の辞なれはせといふも君といふもおなし。されは君の称にせとおひたまへる名を妄りにあらためかへていもとよふへきにあらす。せは君長の身に負名なれは私にはかへてよはしと答和したる歌也。もし負の字をおほせとよむへき証例あらはおふせきにしとよまゝほしき義も有。いかにとなれは凡山河【草木の】(佳)名私に名付るあらす。皆君命によれは吾背の君のせの山とおふせ来にし名を私に妹とはあらためかへてよはしといふ義もあしきにはあらねと負来尓之の四字おひきにしはよみやすくおふせきにしは例なくてはよむかたけれは前節を是とすへし。
幸志賀時石上卿作歌一首 【名闕】
  童子間
 名闕の二字は撰者の文歟。
  答
 しからす。後注者の文とみるへし。古本には小書なり。今の本大書は是にあらす。
287此間為而家八方何處白雲乃棚引山乎超而来二家里
  童子問
 此第一句こゝにしてと先訓にいへり。前に客爾為而の四字をたひにしてとよみ来れるは此歌のこゝにしてといふに句例相かよへるにあらすや。それを旅ねしてとよむへきやのよし賢按に云へり。しからは此第一句も異訓有へきや。此句こゝにしてならは彼句もたひにしてといふ。しかるましきや。猶賢按有や。
  答
 彼句を旅にしてとよまは此句をこゝにしてとよむへき(112)よし。句例尤相か□ひてきこえたり。好む所にしたかふへし。蓋此句もこゝにしてよりはこゝにゐてと為の字を音読にする方まさるへき歟。此集巻第四に大納言大伴卿の歌に此間在而筑紫也何處白雲乃棚引山之方西有良思とあり。此同類の歌也。彼歌には在而とあれは此歌にこゝに居てとよむも義相かよひ句例も相かなふへき歟。
 穂積朝臣――
288吾命之真幸有者亦毛将見志賀乃大津尓縁流白浪
  童子問
 真幸有者 此四字先訓まききくあらはといへり。或説にはまことさちあらはと古訓にあり。いつれか是なるや。
  答
 古本両訓ともにあれともまさきくといふは古語なれは今梓行の本の訓を是とすへし。まことさちといふ古語はなし。
右今案不審幸行年月
  童子問
 幸行も行幸もおなしきや。
  答
 古本の一本には行幸と有。行幸にしたかふへし。
間人宿祢大浦初月歌二首大浦紀氏見六帖
  童子問
 大浦紀氏見六帖 此七字は撰者の文とはみかたし。注者の文歟。
  答
 後人の傍注なるへし。注者の文にもあるへからす。
  童子問
 しからは大書すへきことにあらす。小書なるへし。いかゝ。
  答
 古本は二行小書なり。
  又問
(113) 此七字其意を得かたし。大浦は名にて姓は紀氏といふことにや。紀氏なるよし六帖にみえたりと云ことにや。大浦は氏は間人にあらすや。いかゝ。
  答
 此不審有へきことなり。予も此七字の傍注心得かたかりけらし。よりて数本を校合せしに古本おほくは大浦【紀氏見六帖】如此あり。これにては間人宿祢と本文にはあれとも六帖には紀氏にて紀宿祢大浦と有ことを傍注したるとみしなり。しかれとも六帖は後の書此集は古書。古書にしたかはすして後の書にしたかふへき。理もなくかゝるたくひ傍注すへきことにあらす。猶うたかひを残せしに一本の古本をみて疑ひはれたり。その本には大浦の浦を輔に作れり。傍注に浦紀氏六帖とあり。これによれは本文の大輔の輔紀氏六帖には浦に作れることを傍注したるとみえたり。輔浦の字の異を注したるにて姓氏の異を注したるにはあらす。しかれは大浦見紀氏六帖と有へきを伝写誤りて紀氏見六帖と見の字のおき所ををたかへたるより疑問も出来姓氏の異同かと疑をなせり
289天原振離見者白真弓張而懸有夜路者將吉
  童子問
 此歌訓のたかひも有へくみえされとも初月の歌に上弦のことをよめるをめつらし□とせんや。これはことふりたるへし。いかなる所歌なるや。満月なとならは夜路もよかるへきに初月なとの夜路よろしかるへくもおほえねは此歌の意得かたし。いかゝ。
  答
 此歌月といはすして天原振離見者といひて白真弓張而懸有といひて上弦のことをあらはして月の字も出さぬ一体の歌也。そのうへ夜路の二字はもし義訓に用ゐて闇道とよむへき歟。やみちなれは矢道を兼てよけんといふに除むとよめる所古歌の一体なるへし。しかれとも一古本には吉の字を去に作れはいなんとよみて去と射とを兼て帰去むとよめる歟。此両義は文字の上にて決すへし。去の字正本ならは夜路の二字よみちとよむへし。吉の字正本ならは夜路の二字やみちとよむへき也。
290椋橋乃山乎高可夜隱尓出來月乃光乏寸
  童子問
 椋橋乃山 これを或説にむかはしやまとよむといへり。印本の訓くらはしのやまとあり。いつれか是なるや。
  答
 むかはしは誤也。くるはしの山是也。大和に有。
  又問
 夜隱爾 此句の意はいかか心得侍らんや。三ヶ月なれはとく入たれは月は夜照すへきをかへりて夜に入てみえされはこれを夜こもりといふにや。
  答
 いな。下の句に出来月のとあるを連ねてみれは三ヶ月とく入て夜こもりといひて出来る月とよむへからす。題に初月と有は前の歌の題にて此歌は必三ヶ月にもあらす。月の歌にや。古今集の例は前の歌の題を次の歌にも用ることなれとも此集は必しかるにもあらさる歟。しかれとも此集の例を用て古今集の歌をも列たる歟。初見によるへし。此歌三ヶ月にあらすしてみれは歌の詞猶明かなり。たとひ初月の題にても義のきこえぬにはあらす。僻案は夜隱は地名とす。隱の字異訓有へき歟。地名の證によりて改正すへし。古本の一訓によかくれともあれともよかくれといふ地名みえす。隱の字はなはりとも古訓にあれはよなはりといふ地名有歟。獅考て決すへし。椋橋といふも暗き意を兼たる地名なれ。よこもりも縁有地名にて、椋橋の山ちかき所なるへし。しからすしては椋橋の山よみ出すへき理りなし。
  童子又問
 光乏寸とは、月の光のすくなきをいふ義歟。
  答
 しかるへし。
小田事勢能山歌一首
291真木葉乃之奈布勢能山之奴波受而吾超去者木葉知家武
  童子問
 真木葉と有は※[木+皮]の葉の事にや。
  答
 一木の名の※[木+皮]にはあらす。諸木をすへて真木と云。真は発語の辞なり。
  問
 まきの葉のしなふといふはいかなる義にや。
  答
 しなふはしけきかたちにて密隱をいふ詞なれは諸木のしけりてかくしたる兄の山といふ義をせの山の名につきて恋歌によみなしたる歌とみゆれはかくすせの山の意を兼ていふなるへし。たれにかくすなれは密夫を母にかくす意ならん歟。下の句にその詞あらはれたり。
  問
 下の句にその意顕れたるとはいかなる義にや。
  答
 木葉の二字をこのははとよみてこは子にて女子をかね葉は母の詞にかよへはしのふせの山をしのはすて吾超去は子の母しりけむとよめるなるへし。表の意の木の葉のしけくかくせるせの山をわれは超去ることをかくさすして去は木の葉はわれとしりけんとよめるなるへし。
  又問
 木の葉々とはの詞をそへてはてにをはの詞を母となるへき句例有や。
  答
 此集をはしめ古今後撰集までの歌にはあまたてにをはの詞をかねてよめる句例枚挙にいとまあらす。後世は古葉の一格しらさる故にやてにをにかねることをよまさる也。猶此歌の超去の二字もこえゆけはとよみては恋歌にしたしからす。こえぬれはとてにをはに寝をかねてよめるなるへし。去の字はぬるともいなともよむなれはいなはにてはいは寝るを云古語なれはいつれにてもてにをはに実意をかねたるなるへし。
角麻呂歌四首
  童子問
 角麻呂は名とみえたり。此人姓氏をくはへさるはいかなる義にや。此集おほく姓【氏】(名□)をあらはすに名のみかけるは姓のしれさる人故にや。
  答
 僻案あり。此角麻呂は名にては有へからす。角と云氏あれは麻呂といふ名あまた例あれは角氏の麻呂といふ人とみるへし。もしは続日本紀に角兄麻呂といふ人あり。此時代の人なれは兄の字を脱漏したるにても有へし。正本によりて決すへし。
292久方乃天之探女之石舩乃泊師高津者浅尓家留香裳
  童子問
 高津は摂津の国の高津にや。
  答
 しかるへし。
293鹽干乃三津之海女乃久具都持玉藻將苅率行見
  童子問
 塩干乃 此三字しほかれのと先訓にあり。今もしほひをしほかれとよむへきにや。
  答
 しほかれといふも義はたかはねとも古語にしほかれといふ事みえす。しほひとこそいひならはしけれはしほかれとよむへからす。塩干乃三字しほひのとよめは四言になりて五言ならねは五言にかなへむとてしほかれとよめるなるへし。古歌は四言あまたあれはしほひのとよむへし。
  童子問
 三津は津の国の三津にや。
  答
 しかり。
  又問 仙覚注釈に、くゝつとは細き縄をもち物いるゝものにしてゐなかの者のもつなり。それをくゝつといふとあり。しかりや。
  答
 しかるへし。袖中抄に顕昭云久具都とはわらにてふくろのやうにあみたるもの也。それに藻なとをもいるゝなりとあれは仙覚註もこれによれる歟。童蒙抄にはかたみをいふ也とあれは少異なれとも大概同しかるへきこと也。縄をかたみのことくに造りたるものなれは也。
294風乎疾――
 此歌に疑問なし。
295清江乃木笶松原遠神我王之幸行處
  童子問
 遠神の二字印本にはとほつかみとかなつけたり。古本の訓にそのかみにとあるよしを或人いへり。いつれか是なるにや。
  答
 とほつかみ是なるへし。其証には此集巻第一の歌にも懸乃宜久遠神吾大王とつゝけたる歌あれは吾大王の冠句には遠神と古歌によめるなるへし。
  又問
 遠神とよめる義いかゝ。
  答
 帝王を神と尊称する事は常のことなり。遠は猶天津神といふことく。高く遠きは尊崇の義と見るへし。
田口益人大夫任上野國司時至駿河浄見埼作歌二首
  童子問
 寛見乍 此三字ゆたにみえつゝと先訓にいへり。意は見穂の浦のひろく寛かにみえて物おもひなきといふ義にや。
  答
 上野国の浦ならはゆたにみえて物おもひなしともよむへき理りかなふへし。是は旅行の作なれはさる心にては有へからす。見乍の二字もみえつゝとはよみかたし。見つゝとよめるなるへし。されは寛の字異訓有へし。ゆたかに見つゝとよみては浦のとつゝく詞にゆといふ縁もなきにも有へからねともうらのうらゝに見つゝなとよめる歟。猶異訓を求めて見るへし。意は寛の字にてきこえたり。浄見之埼見穂の浦なと、上野国司となりてくたれはこそゆたかに見て物おもひもなしと【也】(な)るへし。かへし見えたるにては有へからす。
297昼見――
  此歌疑問なし。君命を恐て昼不見夜見るとよめる。尤可然事也。
弁基歌
298亦打山暮越行而廬前乃角太河原尓独可毛將宿
  童子問
 此歌の亦打山は何国にや。仙覚注にはいほさきのすみたかはらは紀伊国也と有。此説可然や。
  答
 亦打山角太河廬前等の事古来説々多けれとも皆此万葉の歌の後に注したる書なれは決しかたし。いまた正記をみさる間しはらく答を欠也。或は駿河に在といひ或は武藏といひ或は下総といひ其説まち/\也。【只】(是)暮越といふ二字ゆふこえとよみ来れるもうたかはし。もしゆふと地名あらは夕を地名に合せてゆふこえとよむへし。只夕暮のことをゆふこえといふ句いかゝときこゆる也。
大納言大伴卿御歌一首 未詳
  童子問
 未詳の二字是も撰者の詞には有へからす。注者の文歟。
  答
 註者の文なるへし。古本には小書也、今印本大書は非也。
299奧山之菅葉凌零雪乃消者將□雨莫零行年
  童子問
 奧山之、此奧山は深山のこと歟。何やらん深山の雪ををしむ意得かたし。いかゝ。
  答
 可然うたかひ也、菅葉必しも深山に限るものにあらす。此奧山は地名とみるへし。大和に有とみえたり。奧山とよめる歌あまた此集にみえ、古今集にもみえて山の奧有を兼てよめるなるへし。
  又問
 菅葉凌といふ詞はいかゝ心得侍らんや。古今集には恋歌におく山のすかのねしのきと有は此歌の上の句を葉と根とをかへたる作にや。根をしのきといふにては葉凌といふとは義相かよひかたし。いかゝ弁へ侍らんや。
  答
 此しのぐといふ詞古来の説心得かたし。もしゝけきことに用ゐたらは菅は葉もしけるものなれは雪のふりかさなれるをいふ歟。しからは菅の葉も菅の根も相かよはしよみても菅にかゝりたることにあらす。長きといはんとては管の根の長きといふことく根もころころになとよめる例によれはふりかさなる意より菅の葉菅の根ともに詠来れる歟。いまた一決の弁なし。もしは古今集の菅の根は葉をかき誤りたるか。猶証句証歌を得て重ていふへし。しはらく菅の葉しのき菅の根しのきの弁明を欠へし。
長屋王駐馬寧楽山――
300佐保過而寧楽乃手祭尓置幣者妹乎目不離相見染跡衣
  童子問
 手祭尓とは手向山のことにや。
  答
 しかるへし。
  童子問
 目不雖 此三字をめかれすとよめることいかゝ。
  答
 雖は離のあやまりなり。古本には離に作れり。
  童子問
 此歌新千載集恋部に下の句を妹にあひみんしるしなりけりとありて聖武天皇の御製にて入たるは聖武帝と長屋王の此歌同時の作なるへきに此集に聖武帝の御製は載せす長屋王の歌のみを載たるはいかなる事にや。心得かたく侍る。
  答
 新千載集【作】(なと)、此集をもとくと見【す】(ら)れすして偽集歟。又は証記もなき聞伝を集られたる歟にて聖武帝の御歌と実に心得て載られた□なるへし。新千載集にかきらす古今集以後【の代々集は】(撰集の外は)代々集に万葉集を見明められたる撰者はみえす。皆あやまりて書入られたるは今論するにもたらす。
301磐金之凝敷山乎超不勝而哭者泣友色尓將出八方
  童子問
 仙覚注釈云此歌古点にはいはかねのこりしく山をこえかねてなきはなくとも色に出んやもと点せり。こりしく山は和の詞なたらかなるに似たれとも古語の傍例見えす。又その心あまねからす。こゝしき山といへるは傍例みゆるうへに其心かなへり。こゝしきとはそこはくと云詞なれは岩かねのこゝしき山をこえかねてといはん事ことわりふかゝるへし。こりしくとてはすこしこりしきたることもありぬへし。なきはなくともといへる又よろしからす。ねにはなくともと和すへ【し】(き也)。又傍例おほかるへしとあり。此説とも是非いかゝ。
  答
 仙覚説句証あれは可然。しかれともこゝといふ詞をおほき詞の義にそこはくと云はかりにてはいひたらす。如字こりしく山と心得てみるへし。
  童子問
 色に出めやはといふ義は□女子離別なとの意にや。
  答
 しかるへからす。前後の歌を見るに皆妹の詞あれは恋歌とみるへし。色に出るといふ句例皆恋歌に用る例なれは離別の情をいふに句例なし。【歌は心よはく色に】そのうへ離別のかなしみを心よはく色に出めやはといひてはねにはなくともといふ辞きこえす。色に出るよりはねになくは心よはくつたなきなり。恋歌にては何故になくともしられす。艱難の山坂を越かねてなくとも妹をおもふ【故】(色)には出しとしのひたる意なるへし。
中納言安倍廣庭――
302兒等之家道差間遠烏野干玉乃夜渡月尓競敢六鴨
  童子問
 兒等と指は廣庭の子息あまた有を兒等といへるにや。
  答
 句例しからす。文字はさもみえても借訓に用ゐたるなるへけれは妹のことをこらといふとみるへし。等は助語辞にて吾をわれともわろとも只わとのみもいふ。【□】(古)語の例にて、子とのみ【□】(も)いひ子等ともいふと見て妹の事なるへし。
  又問
 差間遠烏 此一句やゝまとほきをと先訓にあり。やゝといふ詞心得かたし。いかゝ心得侍らんや。
  答
 可然うたかひ也。僻案には道左間違烏の五字を一句とみてみちはるけきをとよむ也。間の字はへたつる【□】(心に)書たるなるへし。
柿本朝臣人麻呂――
303名細寸稲見乃海之奥津浪千重尓隱奴山跡島根者
  童子問
 此歌の初句名細寸の三字先訓なくはしき也。しかれとも玉葉集に此歌を旅部に入て初句をなに高きとあり。名細寸の三字名に高きともよまれんや。
  答
 細の字を高きとよむ例所見なし。義訓に高きとよ【むとも】(まは)よまるへけれともくはしきといふは古句の訓あることなれは名に高きは非にして名くはしきは是なるへし。
童子問
 稲見の海は何国にや。
  答
 播磨也。
304大王之遠乃朝廷跡蟻通島門乎見者神代之所念
  童子問
 遠乃朝廷を或説に朝庭は内裏也。しかれとも遠国といへとも此秋津島のうちは皆わか君のしきます国にして朝廷の心也といへり。此説可ならんや。
  答
 可ならす。歌によりてさる心によめることは有へし。此歌は下の句に神代之所念と有。且題に下筑紫時とあれは此遠の朝廷は筑紫の日向の朝廷を今大和朝廷よりいへは遠の朝廷とよめるなるへし。速神と大王の冠句によむ。遠の字とおなしく尊崇の辞ともみるへけれとも尊崇をかねてはみるとも下の神代にかけては遠久の朝廷と見るへし。此下の神代は神武天皇以前の神代のことを念なるへし。
  又問
 蟻通とは、或説に蟻はおほく集りて行ちかふ也。これをはありの通路と云。其蟻のたえす行かよへることくにかよふ事也。又ありかよふともよめりといへり。此説可ならんや。
  答
 可ならす。此歌にてはさる義をつけてみるとても自余の歌にありと云詞あまたありてかなひかたし。ありかよふには蟻のことく通ともいふへき歟。それも如くといふ詞をそへすしてはきこえねはいかゝ。且ありたゝしといふ詞此集巻第一にも有。蟻のことくに立といふへからす。蟻の字は借訓なれは字義によらす。在通ふといふ義にて此集に在といふ詞は皆無に對したる有にてうつゝのことをいふ也。見在存在の意に其地も存在し人も見在して通ふとも立ともいふ義也。遠の朝廷と今人麻呂見在してかよひ古跡も存在してうせさるをいふ詞とみれは自余の歌の在とよめる歌皆相かよひて心得らるへし。
  又問
 神代之所念 此おもふといへるはいかやうにか人麻呂のおもへるにや。
  答
 所念の二字はしのはるともよまるれは必おもふとよむにかきるへからす。神代をしたふ意まさるへし。
  又問
 大王之 此三字すめろきのと先訓にあり。おほきみのとよまるゝ文字をすめろきのとよむは歌に義有や。
  答
 おほきみすめろき義おなしかるへきともおほきみのとよふ方まさるへし。
高市連黒人――
305如是故尓不見跡云物乎楽浪乃旧都乎令見【□】(乍)本【無】(名)
  童子問
 本名といふ詞此集にあまたあり。いかなる義にや。
  答
 顕昭の説にもとなとはよしなといふ心とみえたりといへり。此義しかるへき歟。俗によしなきことなといひて無益のことにいひなせる義相かなへり。
  又問
 今俗語俗文に心もとなきといふはあたらぬ義歟。
  答
 今俗文に心もとなきといふは気遣はしなと云とおなし詞にて万葉集のもとなにはかなはす。
  又問【よし】
 よしなを何とてもとなといふにや。詞相かよふ習ひ有にや。
  答
 詞はかよはねとも義相かよふこと有へし。本無はうきたることにて本意にもあらす。由来もなく甲斐もなく盆もなくなと義相かよふへし。
  童子問
 如是故とは指所有ていふ詞にあらすや。しかるに此歌のかく故にとは指所なきに似たり。旧都をみせてかなしみにたへかたきをかく故にといふにあらすや。しかれは心上をいひてさす所なきに似たり。いかゝ。
  答
 旧都を指て心上をさすへからす。都旧ぬらんとおもへはみしといひしにみせたれは案のことく都の旧たるを指也。旧たるといふ所に荒廃あらはれて感慨にたへぬ意は有へけれとも如是と指所は旧都を指也。猶僻案には題は旧都にて歌の旧都は荒都の誤りとおほゆる也。舊荒字相似たれは旧よりは荒【たる】(し)都をよめるにて有へし。
右謌――
  童子問
 右以下は注者の文歟。
  答
 しかるへし。
幸伊勢國――
306伊勢海之奧津白浪花爾欲得※[果/衣]而妹之家※[果/衣]為
  童子問
 家※[果/衣のなへふたなし]と濱※[果/衣のなへふたなし]とは意は同しくて家と浜との義異なる歟。
  答
 しかり。家つとは家に持帰るつとの義也。浜つとは浜に有物を家つとにするを浜つとゝいふ也。
博通――
307皮為酢寸久米能若子我伊座家留【一云家牟】三穂乃石室者雖見不飽鴫【一云安礼尓家留可毛】
  童子問
 仙覚注云しのすゝきとはほに出ぬすゝきをいふ。しのといふはしのふと云詞也。くめとはこむといふ詞なれはくめといはむための諷詞にしのすゝきと置る也とあり。此義可ならんや。皮の字をしのといふ義いかゝ。
  答
 皮の字にしのといふへき訓例なし。これはゝたすゝきといふ古語あれははたすゝきはしの【し】(す)すきとおなしといふ義にしのすゝきとよみ来れるなるへし。しかれとも皮の字はゝたとよむ古訓なれは直に義訓を用ゐすしてはたすゝきとよむへし。くめといはん冠句に皮すゝきとおけるは仙覚説しかるへし。
  童子問
 久米能若子とは久米の仙人のことにや。
  答
 久米の仙人三穂石室にすめる古記あらはさも云へし。いまた証記をみさるうへ若子のいましけるといふ。歌の詞によれはこれは弘計天皇の事なるへし。弘計天皇を来目稚子と申せはうたかふへからす。天皇雄略天皇の世をさけ給ひて播磨の国へのかれかくれ給へる事は日本紀にみえて紀伊国にかくれ給へることはみえされとも播磨へおもむき給へる間には何国へもかくれ給へる事有へし。播磨にてはあらはれ給へる事日本紅にのせられたれとも自余の国にのかれかくれ給へる事はくた/\しくかきのせ給はさるなるへし。来目《久米》若子【と】(の)いましけんと有詞此稚子にあらすして又たれをかさゝんや。紀にもれたることの此集にあまたみゆるはすなはち国史の補ともなるへし。
308常磐成石室者今毛安里家礼騰住家類人曾常無里家留
  童子問
 此歌は義明かなるへし。只つねなかりけるといふ結句をみれは仙人なとといへとも無常の意をよめるに似たれは久米仙人のことにても有へきや。
  答
 証記にしたかひて決すへし。仙人を若子といへることも証例有へからす。且此常の字をつねとよむもとことよむもおなしことなれとも此歌にてはつねとよまんよりはとことよむへき歟。いかにとなれは常磐成といふ。初句もつねはといはす。ときはなるとよみたるより尾句もとこなかりけるといひて石室【より】(に)すみける人の床なかりけるといふ義を常にかねてよめるなるへし。此古葉の一格例也。
309石室戸尓立在松樹汝乎見者昔人乎相見如之
  童子問
 汝とは松を指ていふにや。
  答
 しかり。
門部王詠東市之樹――
310東市之殖木乃木足左右不相久美宇陪吾恋尓家利
  童子問
 東の字をひんかしのとよみ来れるは初語のよみくせなとにこそひんとはねてはよむと先にうけ給り侍る。歌にもひんかしとよむことにや。
  答
 可然疑なり、歌にひんかしとはよむへからす。ひかしのと四言によむへし。しひて五言によまはにしむきのとよむへき也。
  童子問
 木足左右は木の垂るまでといふ義歟。
  答
 こたるは垂るまてなり。木は発語の辞とみるへし。こ高きこ垂る皆発語にて木には縁有発語なるへし。うゑ木と上にあれはしひて木垂るといふに及はす。松の木高きなとも松の高きといふまでをしらすして木高きと解するは拙劣也。
  又問
 不相久美宇倍 此六字先訓あはぬきみうへなり。久美は君といふ義歟。木を指て君といへるにや。人に比していへる歟。
  答
 君といはゝ木竹を指てもきみといふへけれとも久の字をきと用ゐたること此集に例なし。くとこそ用ゐ来れるを此歌にかきりて漢音のきうの音を用ゆへき理りなし。そのうへ句切たかへるなるへし。僻案の訓は不相久美の四字を句としてあはてひさしみとよむなり。宇倍吾恋尓家利の七字を一句としてうへわひにけりとよむ也。吾恋の二字わこひにけりとよみても言あまれるにもあらす。【此□】
  又問
 久美の二字をきみとよますひさしみとよむへきこと賢按尊ふへし。しかれとも不相といふ詞何にあはぬことやらん。きみともいはすしてはいかゝときこえ侍る賢弁もあるや。
  答
 あり。宇倍といふ詞はうめ也。うめは梅をかねて憂女《ウメ》の詞有故に吾恋尓家利とも比してよめる歌也。此集の古葉一格例也。【□】(後)世の歌人はしらさること也。されは不相の二字もあはでとよまんよりはならてとよむへき也。婚姻の事を古語にはなるならぬといふこと常のことなり。古葉にあまたあり。梅の実のなるとならさるとにかけて見れは吾恋にけりとよめるも理明か也(後欠)
【裏表紙】
 
万葉集童子問 巻第三ノ三 寅(自筆本)
 
【表紙欠】
万葉集巻第三ノ三
  童子問   寅
按作村主益人従豊前國上京時作歌一首
  童子問
 按作二字クラツクリト訓来れり。按は鞍の字の誤り歟。
  答
 誤りともいひかたし。倭古字通用たり。音通る故歟。
311梓弓引豐國之鏡山不見久者恋敷牟鴨
  童子問
 仙覚注釈云とよくにの鏡山と云は豐前国風土記云河郡鏡山【在郡東】昔者気足姫尊在此山遙遥覧国形勅祈云天神地祇為我助福便用御鏡安置此処其鏡即化為石見在山中因名曰鏡山已上と有。此本説にや。
  答
 真風土記の文と見ゆれはうたかひなし。本説とすへし。
  又問
 同注釈に云あつさ弓ひくとよくにとよめる事は豊国とは男女婚姻の時をいふと云ふ事あり。しかれはひくとよ国といはむ諷詞に梓弓とおける也とあり。此説可なりや。
  答
 不可也。婚姻の事を豊国といふ事古記証明なし。たとひあれはとて引といふ句証語例もみえねは用ゐるにたらす。引の字は俗音にていむとよむへし。いの冠句に梓弓とおけるなるへし。いむとは豊国にかゝらす鏡山にかゝる詞にて神鏡を称尊することに忌豊国之鏡山とよめるなるへし。是僻案也。神器に斎の字を冠りするは古実なり。日本紀を見てしるへし。恋敷牟鴨もこひしからんかもとよむへし。
式部卿藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首
  童子問
 造難波堵とは難波宮の築地なとを造らるゝことにや。
  答
 続日本紀式部卿従三位宇合を以難波宮を造らせたまへることあれは必しも築地とみるへからす。古一本には堵を都に作りたれはその本にしたかひて都とみるへきか。
312昔社難波居中跡所言奚米今者京引都備仁鷄里
  童子問
 今者京引都備仁鷄里此九字先訓にいまはみやひとそなはりにけりとあり。京の字をみやことはかりもよまるへきことにや。
  答
 京の字をみやとはかりによむ例証なし。もし宮の字の誤りなるへき歟。しかれとも都の字をとゝよむ例此集になし。皆つと用ゐたれは京の字宮の字の誤りにてもみやひとにては有へからす。僻案の訓は昔者と書てむかしとよみたれは今者と書てもいまとはかりよむへき歟。されは右九字をいまみさとひきみやこひにけりとよむ也。若京の字宮の誤りならはいまはみやひきみやこひにけりとよむへし。みやこひとはみやこふりといふこと也。此集おくにひきのまに/\なとよめるも都をひかれたることを兼てよめる歌あれはそれも句証たるへし。
土理宣令歌一首
  童子問
 土理は氏にて宣令は名にや。
  答
 しかり。土理は借音字也。続日本紀には作刀利。
  又問
 宣令は訓読歟。音読か。
  答
 訓読音読いまた明証なし。
  又問
 訓読ならはいかにかよみ音読ならはいかにかよまんや。
  答
 訓読にはのふしとよむへし。音読にはせりとよむへし。
313見吉野之瀧乃白浪雖不知語之告者古所念
  童子問
 語之告者とは此告者は字の如みるへきや。借訓にて語り継言継なとよむ。継者とみるへきや。
  答
 いつれにても聞ゆへけれとも如字にみゆれはつけはといふ詞つまりたれは之の物語の辞ならてかたりつくれはと有ぬへき句也。借訓にて継者の義作者の意なるへし。
  又問
 古所念此三字むかしおもほゆと先訓にはあり。いにしへそおもふともよまるへし。いつれか是ならんや。
  答
 むかししのはるとよむかた勝るへし。
波多朝臣少足歌一首
  童子問
 少足の二字いかにかよむへきや。
  答
 先訓にわかたりとあり。僻案はすくなたるなり。
314小浪礒越道有能登湍河音之清左多藝通瀬毎尓
  童子問
 礒越道能登湍河或説に河内国茨田郡に在といへりしかるへきや。
  答
 河内国の説あれともいそといふもこせといふも大和の地名の上前後の歌吉野なれは大和なるへし。第一巻の歌に不知國依巨勢道従と云を仙覚注釈に磯の国巨勢道並に大和国とみる説此歌に合せては拠有に似たり。
暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首并短哥 未逕奏上歌
  童子問
 此大伴卿とは誰人にや。
  答
 大伴宿祢旅人也。
  又問
 幸はいつれの帝にや。
  答
 聖武天皇とみるへし。
  又問
 未逕奏上歌 此五字は撰者の文歟。後の注者の文歟。
  答
 僻案は注者の文とす。逕字は達の誤り歟。歌の字も歟の誤歟。正本を校合て決すへし。
315見吉野之芳野乃――
  童子問
 永可良思清有師 此二句何とやらん。連続よろしからすきこえ侍る。下に天地与長久とあれは清有師は久有師なとゝ有て重て長久と有ぬへき句にあらすや。もし文字の誤りには侍らすや。
  答
 可然うたかひ也。永の字伝写の誤りなり。先年春日若宮神主の家に伝へし古葉畧要集と云ものを門人祐字見せし時此集の文字校合せしに永を水に作りてミツとかなを付たり。水の字にて句調ひてきこゆる也。みつとよむはよろしからす。反歌にも昔見之象乃小河とあれは水の字はかはと読て吉野の山川のことを貴かるらし清からしとよめるに山|川《水》を対句に用ゐたるなるへし。彼古葉畧要集にはやまからしたふとくありしみつからしさやけくありしあめつちとなかくひさしくとよめり。しかれとも訓は今の印本の訓まさりて古葉畧要の訓は劣れり永の字は水の誤りなる事は諸家の本にてはみえす。唯若宮神主の家の古葉畧要集にてみえたれは秘藏すへき珍重すへき事は古本に在ことをしるへし。
反歌
316昔見――
 疑問なし
山部宿祢禰赤人――
317天地之分時従――
  童子問
 白雲毛伊去波伐加利を或説にふしの山の高く貴【く】(き)事神の如くなれは雲もおそれはゝかりて高ねをよきてたなびく心也。
伊去の伊は例の発語也といへり。此説是ならんや。
  答
 是なるへし。しかれとも必高ねをよきてとはみるへからす。天にひとしき高山故に雲も立のほることをよはす去かぬるをはゝかるといへるなるへし。
  又問
 時しくといふ詞はいかなる義にや。或説にふたんの心也。非時と書り。雪は惣して時有て降ものなれとも此山はかりいつと云事なく時にあらすしてふるといふ心なりといへり。しかりや。
  答
 しかるへし。時にあらすしてとは日本紀に非時香菓と有をときしくのかくのみとよみ来れる古語より非時と書といへるなるへし。義はしかり。しかれとも時ならぬを何とてときしくとはいふかと疑ひて問人もなく釈したる人もなきこと遺恨なるへし。
  又問
 語告此二字先訓かたりつきなり。告の字をつきともよむはつけと同通音故にや。
  答
 告の字をつきとはよみかたし。つけとよむへし。
反歌
318田児之浦従――
  童子問
 従の字長歌にてはゆとよみ反歌にてはにとよむかはりはいかなる義にや。
  答
 長歌にても短歌にても共にゆとよむへし。よりの意に用る古詞なり。
  童子問
 真白衣此句を印本の訓にはましろにそとあり。撰集にはしろたへのとあり。真白衣の三字にてしろたへのともよまるへき事にや。
  答
 白衣とはかりあらはしろたへのともよまるへけれとも真の字あれはさはよまれす。ましろくそとよむにてこそ赤人の歌の意も時代の風躰も明かなるを人丸赤人の歌をよくしらぬ先賢達よみあやまりてわけもなきことによみなし来れる類是なり。白妙のふしのみねとつゝくへきことにあらす。雪のふりてこそしろ妙ともいふへし。ふしの山雪ならてしろたへなるへからす。されは白妙にといはゝいはるへし。白妙のふしとはつゝくへからす。先賢かなをわきまへしられすして白妙のふちといふことあれは富士も藤もおなしことゝ心得違へて白妙のふしとつゝけよめる歟。富士のかなはし藤のかなはちなれはおなしからす。新古今時代歌は工にすかたうるはしきことは皆しられたれともかなをしりたる人其時代一人もみえす。万葉にくらき故に後京極摂政堪能の御作者にても白妙のふしの高ねに雪つもるなとゝ新古今の序にもかゝせられたることなれは定家卿家隆なとの歌の名をえたる人かなをしらすしてよみあやまられたる歌数すくなからねはうたかふらくは藤ふし富士のたかひをもわきまへすして白たへのふしともつゝくことと心得たかへられたるよりのことなるへき歟。実に赤人の歌をよくしられぬ証拠には此句のみにあらす。尾句の雪波零家留と有をもよみたかへて雪波ふりつゝとなせり。いとかたはらいたきことなり。真白衣とよみて雪波零家留にて赤人の歌に此二句をよみたかへては赤人の歌にはあらす。古学なき歌人の後の人をまとはし聖ともよはるゝ人丸赤人の歌をも見誤りてわけもなきことにしなして世に誤りを残し侍へられしこ□そのかすあけ尽すへからす。可悲嘆事也。
詠不尽山歌一首并短歌
  童子問
 此歌の作者は誰にて候や。前の歌に山部宿祢赤人とあれは同人の作にや。
  答
 同人の作にて有へからす。其証には此次の歌に山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌とあれは此歌は異人の歌なる事明けし反歌の中一首高橋連虫麻呂の歌とみえたれは長歌反歌ともに虫麻呂の作にても有歟。若古本には作者の名ありしを伝写の時脱漏したる歟。作【歌】(者)不分明歌とみて可なり。
319奈麻余美乃甲斐乃國――
  童子問
 仙覚注釈になまよみのかひの国とはつけたることは甲斐の国のかといふを香ほりのかによそへとれり。ひと云をよしと云ことによそへとれり。かよしといふ心なり。このかをいひいてんとする諷詞なれはなまよみのと置る也。なまよはみなるなと云詞也。かと云は好香悪香ともにあれとも香といふまさしき詞は好香をいふなり。悪香をはくさしといふといへり。此説是ならんや。
  答
 是ならす。仙覚和語の格例をしられさる故語釈の道なき説也。
  又問
 或説に香は生しきよしとす。よつて生しうてよき香火とつゝけたる詞也といへり。同し釈にきこえ侍れとも首説にては香とはかりに聞えてひといふこときこえす。此釈は香火といへるに勝劣少有歟。いかゝ。
  答
 香火といふ義勝劣まてにをよはす。和語の格例をしらさる説といふはなまよみのといふ所にありよみを善好といひては乃といふ語例なきことなり。論するにたらぬ語釈なり。すゑにいふへし。
  童子問
 打縁流駿河能国とは仙覚注釈に駿河のすを海の洲によそへたる也。洲は浪のうちよする物なれは洲をいひ出んとする諷詞にうちよするとおける也。うつとは波と云字の一の訓なれはうちよするといへるに波はおさまれる也といへり。此説の可不いかゝ。
  答
 此説心得かたし。洲は波のよするものならは波よするといはゝさもこそきこゆへけれ打よするといひて波のよするともいひかたし。又うつとは波と云字の一の訓といふ義も古語の証なきことなり。此説可ならすとて僻案いまたなけれはうたかはしきは闕て後証出来るを待へし。
  又問
 同注釈に又駿河の国には富士山葦高山とて高き山二つあり。ふしの山はいたゝきに八葉の嶺有。浅間大菩薩と申す神まします。本地胎蔵界大日也。葦高山は五の嶺有。葦高大明神と申御神まします。本地金剛界の大日也。この富士葦高両山の間昔は東海道の駅路也けり。さて其中によこはしりの関なんと云所も有ける也。あしから清見かよこはしりなんと云ことの侍るは是也。横はしりの【川】関は富士あしたかのあはひ也。さて此道をむかしの旅人通りける間重服触穢の者共朝夕通りけるをあしからの明神いとはせ給ひて今のうきしまか原と云は南海の中に浪にゆられて有けるを打よせさせたまひてけり。さて其後今の道は出来にけりとなむ申伝へて侍つる也。しかれは打よする駿河の国といへるは此本縁にもや侍らん。たゝさること有けりとすゑの世の人にしらせ奉らん為に古老の説をしるしつけ侍る也とあり。此説は何とやらん。あやしく取用かたき説にあらすや。仙覚も信用せさるとみえたれとも古老の説故に一説をあけたるものとみえたり。可否いかゝ辨へ侍らんや。
  答
 此説はあやしき説なれとも古事の権輿には駿河国にかきらす。神異の説あまたあれは還而本説なるへし。風土記の説は皆あやしき説なれとも古老の口実を書伝へたるにて後世の人の道理を尽していへるには偽説邪説あまたあり。仙覚か打といふに波の字の一訓有なとゝいふ説のあやしきは古老の説よりも甚しきもの也。富士の頂を八葉の蓮華といひ浅間の神を菩薩といひ、本地金剛界胎蔵界なと両部を習合する説は風土記の時説にはなき事なり。大日経なと本邦に来れる時節をさへ弁へす。古説に混雑していへる邪説俗説なとのあやしきよりは古老の口実信するに足れり。出雲風土記なとの例によれは神の造化には浮島原を打よせたる説は古説なるへけれはこの説にしたかふへし。浅間大明神重服触穢なとの義両部習合に異ならす。風土記の時も大明神といふ称号も所見なく重服触穢の名目も有へからす。皆後人牽合の説ましりて専ら古説にあらさる事は明けし。古記をひろく見る人はおのつから新古の説わかるへし。筆を労するにもをよはす。
  童子問
 己知其智乃国とはいかなる義にや。をちこちの国といふこと歟。
  答
 をちこちとみて可なり。
  童子問
 國之三中此四字をくにのさかひと先訓にあり。三中の二字さかひとよむ義有ことにや。
  答
 不可也。三中みなかとよむへし。古本の一訓にもみなかとあり。みなかは真なとといふかことし。
  又問
 出之有 此三字いてゝしあると印本に訓あり。何とやらんあまりたる訓にきこゆる也。いかゝ。
  答
 古本一訓にはいてゝあると□めり。いたしたるともよまるへし。僻案には之は立の誤字にていてたてるにてはあらすやとおもふ也。正本を見て一決すへし。いつれにて義に害なけれはしひて異訓を沙汰むるにはをよふへからす。
  又問
 言不得此三字をいひかねてとよめり。いかゝ。
  答
 下の句によれはいひかねてはよろしからす。いひもえすとよ【みて】(むへ)し。
  又問
 名不知此三字なをもしらせすとよめり。何とやらん。よみかたく心得かたし。可否いかゝ。
  答
 名不知三宇はなつけもしらすとよむへし。此山のことは言語のをよはぬをいひもえす。何と名つくへきこともしらぬ神異の霊山と称美したる句ときこゆる也。
  又問
 石花海跡此四字先訓せのうみともあり。正訓にや。
  答
 正訓なり。石花は貝の名尨蹄子の事也。倭名鈔亀貝類にも載たり。
  又問
 仙覚注釈云石花海と云は富士の山乾角に侍る水海なり。すへてふしの山の麓には山をめくりて八の海ありとなん申す。石花の海と申すかの八の海の一也とあり。于今八の海有ことにや。
  答
 予富士大宮司信章に請招れて富士の大宮にしはらく滞留せし時富士山にのほりて見侍しに水海といふものはなし。まして八海有へきにあらねともむかしは大池を海といふこと此集の歌にみえたれは八海といふも池のことゝみれは大山の内麓のめくりには八池も九池も有へし。歌の詞にも石花海跡名付而有毛彼山之堤有海曽とあれは富士山内に有こと明けし。其頂上匝池生竹と都良香の詩に有池のことなるへし。今は竹もなし。歌によめる富士の高ねの鳴沢といふも此歌の海とよめるとおなしかるへし。石花海とかけるは山頂の池のあやしきを顕はさんとて石花海とかける歟。石花貝の有へきことにあらさるをさる名をおひたるは上古石花貝の此池にありしより名付たるもしるへからす。たゝせといふ名に借りて石花の二字は用ゐたるとみる方まさるへし。しかれとも名山奇山神山を称して、直に石花の貝付たる石もありしより名におへるといはむもあやしむへからす。富士山にかきらす。かき貝なと付たる石高山に今も有ためしなきにあらす。たゝ風土記さへ真記絶ぬれはしるしとするにたらさる書の説まち/\なるへし。八雲御抄には石花海を神の名としたまへるは証明の記なし。僻案には此山の背の方に有池故にせの海と名付たるかとうたかふ也。
  又問
 水乃當烏此四字先訓みつのあたりそとあり。當の字をあたりとよむは當の訓なり。烏の字を曽とよむ義心得かたし。且當の字に異訓はなき歟。あたりといひてはおとれる句にきこえすや。いかゝ。當の字正訓あたりにてあたりわたりにかよへは水のわたりと直に訓へき歟。あたりとよみてわたりと心得たるもおなし義なるへし。烏の字をそとよむは此集にからすちふおほおそ鳥といふことあれはおそを略してそと用ゐたるかともおほゆれともこれは焉の字を烏にかきあやまれるなるへし。焉烏音相通して用ゐたる字例もあれは烏の字にて焉の字とおなしく用ゐたる歟。むかしそといふ詞は今也の字をも用ゐるたくひにて決辞になりともそともいへは矣耳焉也者皆決辞にてなりともそとも用ゐたるとみるへし。
反歌
320不尽嶺尓令置雪者六月十五日消者其夜布里家利
  問
 仙覚注釈に富士の山には雪のつもりてあるか六月十五□に其雪の消て子の時よりしもには又降かはると駿河国の風土記にみえたりといへりと有此事慥なることにや。
  答
 駿河国風土記にみえたりとあれはさ有なるへし。仙覚も風土記をみたりといはす。風土記にみえたりといへりとあれは人のいふ説をあらはせるなれはたしかならす。今世にある駿河国風土記は偽風土記にて真風土記なし。仙覚もみさるなれは仙覚時代もまれなる歟。しからは真風土記世にたえたるなるへし。たとひ風土記にあれはとて六月十五日の夜子の時より下といふ説はさることむかし一時有しを書伝へたることも有へし。天地の時候きはめていふへき事にあらす。たゝふしの山の雪きえさる時より降つきたるよしをいはむとて十五日に消れはその夜ふりけりとよめるなるへし。風土記も此歌より書伝へたることも有へし。予【□】(先)年富士に登りし時山の雪を見しに絶頂より下雪氷りて残れる事壱二里にも過たり。その雪の上をふみてのほりし也。其時六日廿一日なり。去年の雪の残れるなれは六月十五日にもきえさりし事みたり。此雪七八月に及ひても猶消へくは見えす。日影のあたらぬ所には去年の雪残りてその上に初雪ふりかさなることむかしも今もおなしかるへし。此山の臨望絶景筆の及ふへきことにあらす。予も此山の記かきも伝ふへくかの時草稿にあれとも文拙なけれは人にみせん。人にみせてはかへりて山のおもてふせなるへく拙なき筆の及ふことにあらねは打すてゝやみぬ。のぼりし時
 雲霧はふもとのものよ雲をふみあらしをわくる六月のふし
と口号せしかともかの山の半腹に室といふ所ありて室より上は草木もなくたゝあらしのみなれはかの愚詠をも
 雲霧はふもとの物よ室よりはあらしを分るふしの芝山
かく書付て大宮司信章にはみせぬ。今又おもへは雪をふみのかたまさるへき歟。もしいとまもありてふしの記の草稿をも綴りおほせて書改めむとき【書】(改)正しすへきもの也。
321布土能嶺乎高見恐見天雲毛伊去羽計田菜引物緒
  童子問
 此歌の意はふしの山たかけれは雲も立のほりおほせすして麓にたなひくといふ義歟。
  答
 しかり。立はのほらて山にたなひくといへるにことならす。たゝ高きのみにはあらす雲もおそれてのほり憚り有にや。たなびくとよみて霊山のことわりを顕はせるなるへし。
  又問
 田菜引にて有へきを田莱引と諸本にかけるは伝写の誤り歟。
  答
 誤字也。菜に改正すへし。
  又問
 天雲の田菜引といふ詞なれは立のほりかたき理り心得かたし。もし此天雲は雨雲とみるへきにや。
  答
 必雨雲にて天雲にあらすともいふへからす。雲は皆空に在ものなれは天雲といふ名によへは此山天より高くて天雲ののほりかたきといふ理にはあらす。たゝ天雲は雲の惣名とみてしかるへし。天にあらさる国物をもあまつといふ古語の例もすくなからねはあまつ風あまつ雲のことにて害有へからす。歌によりて雨雲をかねて天雲とよめるもあれと此歌の天雲を雨雲とみるへからす。
  又問
 物緒此緒の詞てにをはいかに心得侍らんや。
  答
 これ常にてにをはを合せてかへるてにをはのをにはあらす。詞の終の辞とみるへし。あなにえやうましをとこをとよみ給へるをの辞の類にて嘆の意を含みて終りにをと置古詠の一格とみるへし。後世そといふ詞ともかよひて心得るを也。此終のをの詞古葉にあまたあり。准てしるへし。
右一首高橋連虫麿之歌中出焉以類載此
  童子問
 以類載此あれは後に注者此歌を書加へたるに似たり。いかゝ此文いかゝ心得侍らんや。
  答
 後の注者補集とみるへし。若載此歟と古本にあらは補集にはあらて注者の案を加へたる歟。諸本歟の字みえねは後の補歌とみて可也。
山部宿祢赤人――
322皇神祖之神――
  童子問
 皇神祖の三字をすめろきと訓来れるは祝詞にかみろきといふとおなしき義にや。
  答
 皇祖神祖皇神祖ともにおなし義にてかみろきといふに用ゐ来れとも此歌にては天皇をすめらきといふ古語とおなしく心得て神祖の義にはよるへからす。当今の御ことをも祖神のことをも兼合て心得させん為に皇神祖の字は用ゐたるまてにて古今の天皇の上を指ていへるなるへし。
  又問
 神乃御言乃とあれとも神の尊のと心得へきや。
  答
 しかり。
  又問
 敷座國之盡湯者霜此八字を先訓にしきますくに【の】(し)ゆはしもとあり。心得かたき句なれは賢按の訓有へくおぼえ侍る。いかゝ訓侍るへきや。
  答
 僻案には湯の字の上に三の字を脱せりとす。よりて右の八字をしきませるくさのこと/\みゆはしもとよむ也。四言一句古葉の一格なれはゆはしもとのみよみてもあしからねとも下に三湯之上乃と有を句例にしてみゆはしもといふ句なるへしとす。湯の一字にみとつけてはよみかたし。猶盡の字はかきりにともよまはよむへき歟。こと/\のかたまさるへき歟。好むにしたかふへし。
  又問
島山之宜國跡(後欠)
【裏表紙欠】
 
 国学院大學創立百二十周年記念出版
 新編荷田春満全集編集委員会編
新編荷田春満全集第五巻
  万葉集下     おうふう
517頁、2006.5.20.
〔2019年4月23日(火)午後7時13分、入力終了〕