荷田全集第一巻、官幣大社稲荷神社編集兼発行、吉川弘文館、591頁、1928、12.30
 
(472)萬葉集卷第二童子問(【原本、乙、三と有】)   〔童子問は春滿著、入力者注〕
 
柿本朝臣人麿從石見國別妻上來時歌二首【并短歌】
 
童子問 麿の字は和字歟。漢字歟。
答 漢字にあらす。和字の誤字也。今は俗字にもなりたりと云へき歟。もと麻呂の二字を心得違へて麿に作れる也。神木を榊に作り、田鳥を鴫に作れる類ひとしるへし。
 
131 石見乃海角乃浦廻乎浦無等人社見良目
 
童子問 浦無等人こそみらめといふ句義は、いかなる意にや。
石見の海に浦有潟有ことは、人麻呂住たまへはよく知りたることをいへり。作人は浦も潟も有事をしるへからねは、浦も潟もなしとや見るらめとも、浦も潟も有といへるは、人麻呂の妹有ことをいはん爲なり。旅人となりて獨海路に赴けるを、人は妹もなしと社みるらめとも、妹ありて意に忘たかたきよしをいへる也。
 
滷無等【一云磯無登】人社見良目
 
童子問 浦又潟なとをいへるに意有や。
答 強て意有へからす。浦は船の風に隱るゝ所をいひ、潟も陸に近きなれは、船のよるへ有所をいふ意にて、只海邊の名をあらはすのみなるへし。
童子又間 小書に一云礒無登と有注は、撰者の注とみるへき歟。後人の注とみるへきや。
答 古注者の注とみるへし。後人の傍注にてはなし。
 
能嘆八師浦者無友縱畫屋師滷者【一云磯者】無鞆
 
(473)童子問 嘆の字をゑとよむ義有にや。
答 嘆は誤字也。咲の字を書誤りたる也。咲はゑむとよめは、ゑと計もよむ也。おくに嘆の字を咲に誤りたる所もあり。嘆咲は烏焉の誤り常の事也。
童子又問
 
中原本壹貳枚缺 (校訂者補)
 
鯨魚取海邊乎指而の解の中 (校訂者補)
 
いさやまといふことし。魚は是なり。日本紀を見るに、魚鹽地これをなしほの所といふ。又此集第五卷歌云、たらしひめかみのみことのなつらすと、みたゝしせりしいしをたれみきといへり。なつからすと云釣魚也。しかれは勇不知兩種は假字也。鯨魚これをいさなと和する事は、鯨魚は洋中の大魚其氣力最勇健也。然れはこれをいさと和すは義讀也。次に又第十七卷歌、昨日許曾敷奈位婆勢之可伊佐魚取比治寄乃奈太乎今日見都流香母、此歌中の五文字これをいさことると和す、すこしき相かなはす、これをいさなとると云へし。漁父の渉行泥州故に、いさなとりひちきのなたと諷詠する也。
抑伊佐奈登利之詞、以v何爲v證者、※[手偏+僉]2日本紀1曰、雄朝津間稚子宿禰天皇十一年春三月癸卯朔丙午、幸茅淳宮衣通姫歌之曰、等虚辭陪邇枳彌母阿閇椰毛異舍儺等利、宇彌波摩毛能余留等枳等枳弘時、天皇謂2衣通郎姫1曰、是歌不可聆佗人皇后聞必大根故時人號濱謂2奈能利曾毛1已上、いさこのことはをよめる歌をみるに、おほくはいさなとりうみとつゝけたり。是則捕v魚義なるか故に、鵜の字を諷頌する歟。いさなとりの詞義理大旨如v此也。難していはく不知勇魚なとかける所を、いさなと和せんや。如何答云、如v此字訓こゑにしたかひ、所にしたかひ所にしたかひて和しかふることは常のならひ也。然るに鯨魚とかけるところをくちらと和せは、そのことわりさらにあひかなはす。さきにいふかことく鯨鯢者大魚也。何漁父浮2蒼海之浪1輙捕v之乎。次(474)に又そのことはを近江の海によすへからす。かた/\そのことわりにかなはさるか故也。次に鯨字まさしくこれくちらなりといふにいたりては、如v此字訓或は隨2譬喩1或は依2義理1閣正訓用別和者以可v爲2風流1、假令鴨頭草これをつきくさといはゝ、才人なんそくちひるをかへさゝらんや。金風これをあきかせといふ。もし人かねかせといはゝ、文士さためてをとかひをとかむをや。今このくちらとるも又亦おなしかるへし。そのせうこなしと云ともかゝるへき也。そのうへくちらをいさといふなり。管見のともからは、たとひ疑雲をはらひかたくとも、博覽の人におゐては、いかにかかくみしらさらんや。壹岐國風土記云、鯨伏在郡西、昔有鮨鰐追鯨走來隱伏、故云v鯨伏鰐並鯨並化爲v石杳去一里俗云爲2伊佐1右仙覺抄の文なり。此説用ゐむ説にや。
答 仙覺くちらとるの誤訓を正していさなとりと改るは實により所あれは、古訓は非にて新訓は是なることたれか用ゐさらんや。且日本紀並風土記を引て、其儘を顯はせり。しかれともいさなとるといへるは、取の字にしたかひて、日本紀の字にしたかはされは、猶疑ひを殘せり。僻案は日本紀の歌の童子問に答てのへたれは、此の童子問にはもらす也。
童子問 和多豆乃荒磯乃上と云句は、何とて云出せるにや。
答 和多豆は伊豫國の津の名、すてに卷第一の歌にて注し置ぬ。今此歌に和多豆を詠出せるは、石見國をはなれて、伊豫國の熟田津まて海路をのほり來りての船中の作とみえたり。異義有へからす。荒礒の上も、熟田津の荒礒の上の玉藻を見て、おもひをおこせるなるへし。
 
香青生玉藻息津藻
 
童子問 香青生とはいかなる義にや。
答 香といふは必しも字の意によるへからす。發語の辭に香と用ゆる例此集にあまたあり。青く生たるといへは、歌詞には劣なり。よりて香青といひて、雅詞とはするなり。
童子又問 玉藻息津藻とは如何。
答 玉藻とは藻を稱して玉といふ詞をそへていふ。是も雅詞の例也。おきつもは瀛津藻にて、たやすく邊によりかたき藻と云事をいへる也。
 
(475)朝羽振風社依米夕羽振浪社來縁
 
童子問 此句意心得かたし。風の羽振といふ心如何。
答 此羽は風につき浪につきていふ詞には有へからす。藻につきて羽といふなるへし。羽は借訓にて、葉なるへし。古語に藻をもとのみいはす。おきつもは邊津もはなとゝいふことあれは、藻葉のことなる故に、玉藻息津藻あさ羽振と、つゝけられたるとみるへし。
童子又問 しからは藻葉に風にそよらめ波こそよらめといふことにや。
答 しからす。玉藻息津藻を風のよせめ。波のよせめとみるへし。ふるくよみ來れるはてにをはたかへるとみえたり。僻案にはあら礒の上に青やかなる玉藻或は息津藻を、朝夕にその葉を振りて風こそよせめ浪こそきよせともいふ句意とみる也。かせこそよらめ、波こそきよるとよみては、風のより波のよるになる也。風のよせ浪の來よせるとみれば、そのよるものは、香青なる玉藻おきつものよるをいふ也。されは羽といふは藻につく詞にて、風につき浪につく詞にあらすといふ也。
童子又問 朝羽夕羽もきこえ侍る。いまたふるといふ詞、その心得かたし。如何。
答 羽ふるは古語也。必藻にかきらす。人にもいひ鳥にもいふ詞とみるへし。その證には、古事記中卷に乘龜甲爲釣乍打羽擧來人遇于速吸門といふ古語あり。此初擧の二字はふりとよむ、此羽は鳥の羽とおなしく、人の衣服を羽とむかしはいへり。袖ふりはへてなと歌によむとおなしく、牲來周旋する時はおのつから袖の動く也。擧の字を古事記にかけるも、擧動の二字をふるまふともよむ義におなし。鳥の飛來りて鳥をも打羽ふりなくと歌によむ意也。ふりとふきとは通音にて、ふきともふりともかよはしいふ事常言也。よりて振字をふりともよみふきともよむ也。此集に山吹を山振とかき、日本書記に揮の字を、布絽とも布義ともよみ來たるをみてもしるべし。
童子又問 香青生とあれは、生は礒の上に生る藻といふことにもあらすや。礒上に生る藻とみれは、海邊を指てよるとみるへし。しからば礒は石也。石に生る藻をかきりて玉藻といふ歟。その義も有へけれとも、只玉は稱美していふ義はかりにて、礒上におふる玉藻ともあらはさもみるへき歟。香青生るとある詞は、青に在といふ詞にみる方まさるへし。しかれともこれはしひ(476)ていふへくもあらす。風社よらめを、風こそよせめ、波こそ來よるを浪こそきよせとよむ義は、藻のよると風浪のよるとのたかひ甚異なれは、論して正すへし。
 
浪之共
 
童子問 仙覺抄云、この句古點にはなみのともと點す。いまはなみのむたと云也。日本紀にみえたり。此集にもみえたり。古集にむかひて古語をそむくへからされは、むたと點する也とあり。これは古新の兩義いつれか是なるや。
答 むたといふ詞古語にもあれはこそ、此集の歌の詞にもみえ今は詠詞には用ひす。俗語にむたといふことあれと、日本紀にみえたりとは非也。此集にあれはむたといふ詞古歌の證あれは、古集にむかひて古語をそむくへからされはといへるは、さる事なれとも、共の字をむたと必よみ來れる正訓もみえす。共の字をあてなは義にかなふことわりあれはとて、此歌にはかなふへくもきこえす。古讀は波のともとよめるは、波の音といふ義によめるか。しからは次の句よみかへをしては句意かなはす。僻案にはなみしともと讀て、玉藻なすとおなし對句の樣によみたまへるとみる也。波しともにては之は、助俗のしとみて、彼縁此依といはん爲の訓とする也。
 
彼縁此依
 
童子問 此詞はいかにと解へきや。
答 此詞はかしこにこゝによりといふ義なるへし。されは波のかしここゝによる如く、玉藻のよることくといふ對句躰にみるへき也。
 
玉藻成
 
童子問 成とは如何。
答 如と云古語になす共なし共云也。如五月蠅と書て、さはへなすと讀を以ても知へし。成の字は借訓にて、字義には拘らぬ也
 
玉藻成依宿之妹乎【一本波思妹之之伎余手本乎】
 
(477)童子問 一云の小書數字は撰者の注にや
答 古注者の注とみるへし。
 
童子又問 次の句に連ねては、妹を置てし來れはといふは心得やすきに、一の妹之手本乎といひては、置てくるに義かなはすきこえ侍る。しからすや。
答 しかり、只一本の異詞を擧たるとみて、正句は大書をとるへき也。
 
露霜乃置而之來者此道乃八十滑母万段顧爲騰彌遠爾何者放奴益高爾山毛越來奴
 
童子問 露霜とはおきてといはん爲の冠辭歟。
答 しかり。
童子問 此道とは如何。
答 此道とは石見國より登り來る海路を云也。
童子問 益高の二字をますたかとよみ來れり。古語にや。
答 ますたかと云詞古例なし、いやたかにとよむへし。前の彌遠に彌高になり、彌と益との字を書かへたるまて也。
 
夏草之念之奈要而志怒布良武
 
重子問 夏草のおもひしなえてといふ詞のつゝき如何。
答 夏草のおもひとつゝく義にあらで、僻案には夏草のもひにしなえてとすむ也。おもひをもひとはかりも用ひ來る例、此集にあまたあり。されはにといふ助辭をくはへされは、しなえるといふ義きこえす。夏の日にあひては、諸草皆しなゆるか故に、日にしなえることく、打かたふきてつよからぬ物をいはんとて、夏草のもひにしなえてしのふらんとよめり。
 
妹之門將見靡此山
 
童子門 なひけ此山とはいつれの山を指にや。山のなひくへきにあらぬを、なひけ此山とよめることは、あまりなることに聞(478)え侍る。しかれとも人麻呂のの歌に、かくよむをよき事にするにや。
答 此山と指は、此道と上にいへると同しく、石見より登り來る道に有山を指て云へるとみるへし。反歌に高角山の名あれとも、此山は益高に山も越來ぬといへる、山々を指てみるへきなり。且なひけ此山といへるは、山のなひかぬことを、人麻呂おろかにてしらさるにはあらす。しかれとも妹をこひしたまふあまりに、山もなひきて妹か門をみせよとねかふ情は、切なる情の實なれは、是非をわきまへす、おろかによめる情の實なれは、これをよしとす、かの山の端にけていれすもあらなんとよめるも此情なり。戀歌哀傷述懷の歌には、皆此おもむきを實情とする也。
 
反歌
 
132 石見乃也高角山之木際從我振袖乎妹見都良武香
 
童子間 此歌は高角山の木際より、人丸の振袖を妹見つらんかとよめる歌にあらすや。しかれはなひけ此山とよめるも、此と指は高角山にあらすや。
後鳥羽院の御製にも、石見かた高角山に雲はれてひれふるみねを出る月影、とあれは、人麻呂わかれし妹を袖もてまねかれたるにや。妹かあたりもみん爲に、高角山に登りて、袖をふり給へるやうにきこえ侍るは如何。
答 反歌は長歌の意を三十一言にていひ述たるものなれは、長歌と同意趣なるを、長歌の意を得すして反歌のみをみては、歌の意見あやまることおほかるへし。おそらくは後鳥羽院も歌はたくひなき事なれとも、萬葉集はしろしめさす長歌の意もわきまへ給はすして、反歌のみを見たまひて、かの松浦さよひめかひれふりしたくひに、此反歌を心得させ給ひてや、此御製有なるへし。ひれと袖とも異也。此反歌は滿句の一躰にて、高角山に登りて人丸の旅行をしたふ妹より、木間よりみつらんとある歌也人丸袖ふり行をいもみつらんといひて、いかに高角山高くとも見えましきと、妹をいたはる心なるへし。長歌におもひしなえて吾をしぬふらん、妹か門を見むとおもへとも、山隔たりたれは、みるへくもあらぬによりて、此の山なひきて妹か門を見せよとねかひたる心に、なひけ此山とはよめり。然れとも此反歌のふる袖を、妹をまねく心にみることも害なかるへき歟。歌の意は人(479)丸のふる袖を、高角山の木の間より妹みつらんかとよめるには決すへし。
童子問 後鳥羽院の御製は、新後拾遺集に載られたれは、先達も皆人丸の歌を心得違へられたるにや。且新後拾遺集には、高つの山を高間の山とあり。是もあやまりならんか。
答 後鳥羽院の御製をたれ有てあやまりとみんや。されは新後拾遺集に撰み入られたるもことわり也。袖とひれとの差別なとは、万葉集の古歌なとを見しりたる人にあらすは、おなしことのやうに心得違へらるへし。且高間の山とあるは傳寫の誤か。御製は高角山を角の字と間の字と字形相似たれは、うつしあやまれるにてもあらんか。又は万葉集に角字を間の字にかきあやまりたるを、後鳥羽院御覽ありて、高間の山となされたるか。いつれにても角の字の寫あやまりとみれは、御製の違にはなるましき也。
 
133 小竹之葉者三山毛清爾亂友吾者妹思別來禮婆
 
童子問 仙覺抄は此歌の中の五文字古點にはみたるともと和す、いさゝか相叶はす。みたれともと和すへしとあり。古新いつれを是とせんや。
答 中五文字みたるともにてはてにをはかなはす。みたれとももことたらす。みたるれともならねはかなはす。されとみたるれともはことあまりてきゝやすからす。僻案にはまとへともと訓す。此集亂の字をまかふとよめる例すくなからす。
童子又問 此反歌長歌の詞もみえす。自餘の反歌の例にもたかへるに似たり。しかれとも此歌人々に有て名歌とするは、いかなる所をさして稱美する歌にや。
答 よきうたかひなり。中古以來の歌人万葉集を見すしらさる故に、人丸の歌といへは、皆名歌と心得てみたりに稱美するのみにて、歌のよしあしをみわくる所へは及はす。人丸の歌とさへいへは後人のよみたる歌をもほめあけ、歌のきこゆきこえぬにも及はす、たゝほめにほめて、其實なき事ほの/\とあかしの浦の歌のたくひあまた有事也。此歌も長歌にあはせてみる所まてはいたらす、みたりによみなしたるとみゆるなり。此歌かなつけの如くによみては、反歌にもならす、歌といふ所見えぬ也是古學をしらす、長歌にあはせて反歌をみるならひもしらすして、よみたかへたるものなり。
(480)童子又問 此歌反歌にもならすと云へる所、もし海路の歌なるに、み山をよみたる所にてしか云へるにや。
答 いな、長歌に益高に山も越來ぬとあれは、その越行山をよめれは、山を詠るを反歌にならすといふへからす。凡反歌の長歌の言葉か、長歌の意をそむきて詠る例なし。此反歌にさゝの葉はみ山もさやになとゝいふ詞長歌に類せさるを云也。よりて僻案には小竹之葉者の五字をしぬの葉はとよむ也。これ長歌に、夏草のもひにしなえてしぬふらんといふ詞あれはしぬをよみ出て、下の句に吾者妹思と有にて、反歌にもなり歌にもなる也。小竹の二字を日本紀中にさゝと用ゐたる例もなし。皆しぬと用ゐたり。其證神代上云、篠小竹也、此云斯奴とあるをみてしるへし。此集の文字訓讀日本紀を本としてかけれは、日本紀を見ぬ人万葉集の文字をよむへからす。且清の字をさやとよみ來れり。尤清の字をさやかともさやけしともよむ、あまた例あれとも、小竹の二字をさゝとよまはさやともよむへし。小竹をしのはとよむときは、さやとよみては詞の義たかへり。よりて此清の字をすかとよむ證は、是も日本紀神代上に清地此云素鵝と訓注あれは也。且亂友をまかへともよむ意は、篠と管とは相似かよへは、篠の葉はみ山も管にまかへともといふを、衣の意にして、すかはきよき心なれとも、われは妹にわかれ來ぬれは、妹を思ふ心にきよからぬよし也。又案に清をすかとよますして、すゝしきを略してすゝとも用ゐたるか。すゝは薦にて、小竹と薦とは同類の竹と艸との異なる也。されはすゝ竹と云もの有。又しぬすすきといふ名あり。今此歌にては、しぬとすゝとを分て、しぬの葉はすゝにまかへともと云へるか。下の句は、とかくわれはいもしぬふとよますしては歌にあらす。小竹をよみ出して、下に妹しのふとあるにて、反歌ともなり歌といふもの也。しからすしてさゝの葉といひ、われは妹おもふとよみては、歌とみゆる所なし。歌は少詞のより所なくては、只平話のことになりて歌にならす。万葉集の文字よみたかへて歌を歌になさすしても、數百歳誤り來れるは、歌といふものをしらさる故也。
 
或本反歌
 
134 石見爾有高角山乃木間從文吾袂振乎妹見監鴨
 
童子問 此或本歌をあけたるは撰者の所爲歟。
(481)答 古注者の所爲也。撰者の所爲ならねは、此卷も自餘の卷も低書しても有へき事なり。
童子又問 右の反歌はさのみたかへる所もみえさるを、何とて古注者書載られたるにや。
答 撰者ならは是非を一決して載らるへき事なれとも、注者の所見にしたかひてはと載へき事にてもあり。且或本とあれは、一本の万葉集ありとみえたれは、是非は後人にゆつりて、異本の歌載加へたるもたすけによらさるにはあらす。前後の歌いつれを是とせむは、見る人の知見に有へし。僻案には或本反歌を是とす。監の字は濫の誤りにても有へきか。監にても意に違ひ有へからねと、けんといふとらんといふとには、歌によりて少意たかへる也。
童子又問 前の反歌と、此反歌といつれを是といふへき所もなきに、後の反歌を是とすとはいかなる所にや。
答 中の五文字、前の歌にてはこのまよりとならてはよまれす。後の反歌にては、この間よりとはよまれす、このまゆもとよむ所に少たかひ有か。第一句石見爾有と云句にて、異義出來ましけれは也。
 
135 角障經石見之海乃
 
童子問 仙覺抄云、つのさはふとは、つのなほかるといふなり。日本紀には多の字をさはとよむ、おほかるいはとつゝけんため也とあり。岩には角の多きといはむもその理り有へきか。如何。
答 石には丸きも有、方も有て必しも角おほしといふへからす。僻案の義有。是も日本紀の歌の童子問に答へたれは、此集にてはいはす。万葉集は末なり、日本紀は本也。本に明らかなれは末おのつからまとはす。後世の學者皆本をしらすして、末を論する故に本にたかへは事明らかならす。よりて万葉集を明らかにせんには、古事紀日本紀の歌を明かにして、後万葉集にわたるへし。万葉集明らめて後、古今集を見れは疑なきを、後人は古今集を傳授を得されは、歌學の本明かならさるやうに心得て、万葉集をもみす。况や日本紀古事紀の歌には目をわたす事もなきをや。よりて万葉集の難義とする冠辭等、日本紀古事紀等にみたるは此集の問に答へす。日本紀古事紀等の童子問に答訖ぬ。
 
言何敝久辛乃埼有伊久里爾曾
 
(482)童子問 仙覺抄云、言佐倣久とは言葉のさへらるゝ也。言葉のさたかにもきこえぬ心也。辛の埼は所の名なるへし。からのさきをいひ出んとて、ことさへくとは置る也。唐人のものいふ言葉のさきは、なにともきゝしりかたきによそふる也とあり。此説しかるへしや。
答、しかるへし。
童子問 仙覺抄云、伊久里爾曾とは、いは發語の詞、くりは石なり。山陰道の風俗石をはくりと云也とあり。此説しかりや。
答 しかるへし。山陰道の風俗のみにもあらし。日本紀の歌にもいくりとよみたまへること也。古語也。
 
深海松生流荒礒爾曾玉藻者生流玉藻成靡寐之兒乎深海松乃深目手思騰左宿夜者幾毛不有
 
童子問 此歌にては、靡寐之兒乎とあれは、妹のことにあらす。人丸の兒のことをよめるにや。
答 人丸妻も前妻後妻ありとみえ、子も有とは後々の歌にてしられたれとも、此長歌は兒息のことにはあらす。妹の事とみるへし。女のことを子とむかしはよむ、常のこと也、されは靡寐之兒は妹のことゝもしるへし。
 
延都多別之來者
 
童子問 はふつたをいへる意如何。
答 異義なし。つたかつらは本は一つにて、末はかた/\にはひわかるゝものなれは、別るといふ冠辭におけるまて也。此集第九卷にも、蔓都多乃各各向向天雲乃別石徃者とあり。
 
肝向心乎痛念乍
 
童子問 肝向心といふ詞心得かたし。或説に物おもひなけく時、肝と心とのふたつの臓をいたましむると云心也。むかふは對樣の心也。肝に對する心と云也といへり。此説しかるへきや。
答 肝心ともつらねていへは、むかふといふ詞ならは、對ふ義とならては解へくもおほへす。もし向の字異訓あるか。異義有かうたかひ殘れり。僻案には心の冠辭を村肝のといへは、肝向は村肝の顛倒にて、向は村の字の誤りとおほゆる也。猶正本を得て(483)疑を決すへし。心の臓、肝の臓等の説古義にはなきこと也。古語はむつかしき道理のおもしろきやうなることは一向みえす。皆誤字をしらすして牽強傅會の説出來るものなれは、肝は心に對といふ説も、古風の語意に異なれはうけられぬこと也。しる人しるへし。
 
顧爲騰大舟之渡乃山之
 
童子問 渡乃山は何國に在山の名にや。
答 所見なし。しかれとも長歌の詞につきて見れは、石見國の山の名にあらすして聞えす。いかにとなれは、下の詞に妹袖清爾毛不見とあれは、石見國を離れて、はるかに行かすしては妹袖石見といふへからす。されは石見の國の山とす。
 
黄葉乃散之亂妹袖清毛不見
 
童子問 散之亂の三字を、ちりのまかひとよみ來れり。此訓しかるへきや。妹袖清爾毛不見の七字を、いもかそてさやにもみえすとよみ來れり。是もしからんや。
答 散之亂の三字は、ちりしみたれにても有へけれと、此詞古語とみえて、ありのまかひちりのまかひといふ事あれは誤訓にては有へからす。散を塵とかよはして、塵のまかひといふへし。塵にかよはさすして、飛散のことのみにしては、ちりのといひかたし。且下の七字の訓は、不所見とあらは、みえすとよむへけれとも、不見の二字なれは、僻案の訓には妹かそてさやかにもみすと爲也。
 
嬬隱有屋上乃【一云室上山】乃自雲間渡相月乃
 
童子問 屋上の山並室上山何國に在山にや。
答 前の渡の山に准して、此山も石見國の山の名とす。
童子問 渡相月の三字を、わたらふつきとよみ來れり。此訓しかるへしや。
答 しかるへきか。うつらふ月ともよむへきか。月はうつりぬなとゝ、此集の歌にみえたる所あり。又夜わたるつきともよめは(484)わたらふ月も難有ましき也。
 
雖惜隱比來者天傳入日刺奴禮
 
童子問 天傳入日刺奴禮の七字を、あまつたふいりひさしぬれと、よみ來りたれとも句意心得かたし。或説に日は大空を傳ひ行心地といひて、夕になれは陰氣に感し、心ほそくなるなる躰をいふといへり。しかりや。
答 上に、自雲間渡相月乃雖惜隱比來者といふ句に對する句なれは、先達よみ來れる訓にては義不v通。訓の誤りなるへし。刺奴禮といふ詞もいはれす。句證も句例もなくて、みたりに訓すへきことにあらす。此七字とかくに異訓有へし。
童子又問 先生賢按の訓はなき事にや。
答 なきにあらねとも、決めて僻案の訓を是ともおもはす。猶好訓有へしとおもへは、しはらくさしおく也。
童子強て請問 答強て問にはもたしかたし。天傳はあめつたふにて、雨ふらんことを示したるを、あめつたふといふか。其證此集にあめつたふひかさのうらといふ句あり。日かさは日笠也。日の笠をきれは、必三日の内雨ふるしるしといひ傳へたれは、雨傳日笠の浦とつつけたるなるへし。是を句證として、此天も雨傳の借訓なるへし。入日の二字は、虹といふか。日を入る方は西なれは、入日とかきてにしと用ひたるか。これにてはしを濁りかたき故に、西にはあらすして入日の字の音を用ゐたるか。しからは入日にの音呉音なり。日ハシツにては漢音なれは、これをいかゝとおもふ也。されとしらじといふを、しらにと古語に用ゐたれは、入日をににと呉音に用ひて、虹にならんや。此所いまた決せぬか故に、的當の案訓ともおほえされはもらしかねたり。しかれとも、入日をいりひとよみては義かなはす。刺奴禮はさしやつれなるへし。されはあめつたふ虹さしやつれにては、句意もきこゆへし。奴はやつことよめは、奴禮はやつれなるへし。虻も常言にさすといへは、虹さしやつれといふに難有へからす。是僻案の一訓也。
童子又問 入日さしは、上の句に對して相叶ふ賢訓なるへし。しかれともやつれといふ詞いまた心得かたし。如何。
答 これ僻案の第一義なる所也。人麻呂官位有人とみえす。しかるを正三位なとゝいへる妄説とるにたらす。古今集の長歌にも、身はしりなからとよめる家稱にて、無位無官の人とみえたり。もし有位ならは、至極下位の人なるへし。されは旅行のやつ(485)れをよめる歌、此集中に見えたれは、かれこれを相考へて此句を解るに、虹刺奴禮は旅行の荷刺やつれたるとよめるなるへしかくみれは、天曇り雨を傳ふ旅行に、荷おもくさしやつれたれは、丈夫とおもへる吾もと、下の句へ旅愁の涙、襟をひたす感慨きはまりなかるへし。此僻案歌をしる人にあらすしてはかたりかたし。
 
大夫跡念有吾毛敷妙乃衣袖者通行沾奴
 
童子問 此歌にも大夫と有は誤字にや。
答 しかり丈夫に改むへし。
童子又問 敷妙乃衣といふこと心得かたし。或説に敷妙の衣の袖とは、袖をは枕にして常にぬるものなれはいふとあり。衣をしくものにも有へからねは、此説も心得られす。如何。
答 よきうたかひ也。袖をは枕にして、常にぬるといふこともいはれす。たとへといふは、荒妙和妙なといひて衣服の名也。拷の字を用ひ來れり。拷は楮の字の誤りとみえたれとも、今更改めかたけれは、楮の誤字としりて、舊きにしたかふて、私に改めぬを故實を守るとする也。伊弉册の册の字の類也。南の字の誤りとしりなから、册の字を通用する也。さてしき拷と云は、しきは稱美の辭にて、只拷といふまてと心得へし。敷の字義にはよるへからす。是も僻案には敷妙とかきてうつたへとよむ也。うつは稱美の詞なれは、しき妙うつ妙おなしことといふへけれとも、しきたへといふかな書をみす。布たへと書たる所あれは、布の字はしきとは訓へけれともうつとはよみ難しと難する人あるへし。それはうつたへにあらす。あらたへとよむへき也。荒妙を布をいへは也。是一僻案也。
童子又問 布拷をあらたへとす。義讀にてさもよむへし。敷の字をうつとよみたる證例ありや。
答 あり。令集解神祇令に古訓みえたり。
童子又問 仙覺抄にはしきたへとは、うちまかせは枕にこそいひならはしてはへれとも、此集にはしきたへの衣、しきたへの袖なととよめり。しきといふは、しけしといふこと也。たとへはほむること也。なれはつねにたへなりといはん詞には、なに事もいはれぬへきにや。たとへはとこめつらなといふことしと云云とあり。これも誤りなるへきか。
 
(486)答 しき妙の説先達の説々みなとるにたらす。只しきたへとよむ語例を求めて、可否をしるへし。かなつけの本にしたかひて古語有ときはむる事有へからす。うつたへといふ古語あまたあり。打酒打麻打ゆふその數つくしかたし。
 
反歌二首
 
136 青駒之足掻守速雲居妹之當乎過而來計類【一云當者 隱來計留】
 
童子問 青駒をよみ出せる義は如何。
答 その時の駒青かりし故なるへし。赤駒とよめる歌もあり。黒駒とよめるもあれは、實にその時駿馬に乘たるをよめるなるへし。
童子問 あかきといふは、今俗に少童なとの走りまふを、あかきといふも同しきか。
答 しかるへし。※[足+宛]の字を書へし。今足掻とかけるは、語義をかけるなるへし。
童子問 此反歌にてみれは、旅行馬にて人丸登り給へるか。しからは船中の作ともみるましきか。
答 いかにも此反歌によれは、陸を馬にて來れるとも見るに、其證なきにあらす。しかれとも熟田津なとの玉藻奧つ藻なとをよめるによれは、海路にあらすといひかたし。此旅行、馬にても歩行にても船にてもありたるともみるへし。その意をのへて、海路山路をよみ合せたるとみれは、いよ/\人丸の作首歌はれぬへし。今日長途の旅行には、舟にものり、馬にものり、歩行もする常の事也。されはその長途のさま/\にうつりかはる有さまを詠には、如v此の一格ともすへき長歌短歌なるへし。 
 
137 秋山爾落黄葉須臾者勿散亂曾妹之當將見【一云知里勿亂曾】
 
童子問 秋山と有は山の名歟。
答 山の名に有へからす。時節の秋なるへし。此反歌の詞を以て、此旅行秋の末の比としられたり。
童子問 須臾者をしはらくとよみ來れり。者の字をもとよむはものといふ訓故か。
答 しかり。しかれともこの歌にては、者をもとよむはよろしからす。はとよむへし。
 
(487)或本歌一首并短歌
 
138 石見之海津乃浦乎無美云云
 
童子問 此或本の歌と、前の歌とは大方おなし躰なれとも、いつれか是ならんや。
答 此反歌の角里將見と有は、前の歌にまされとも、妹之手本乎置而之來者といふは、前におとれる歟。しかれとも此歌にては置をすておくと見るへからす。曉起て別し意にみるへし。兩首ともに好む所にしたかふへし。
 
反歌
 
139 石見海打歌山乃木際從吾振袖乎妹將見香
 
童子問 打歌山、或人の云長門國にありといへり。しかりや。
答 長門の國にも有歟。同名の所諸國におほければ、さも有へし。しかれとも石見之海打歌山乃木際從と、此人麻呂の歌にみゆるからは、石見の山の名とみるへし。同名有とても他國にては長歌にかなはす。只木際從吾振袖とつゝきたるを隔句とみすして、木際にて人麻呂の袖を振とみる誤より、打歌山も長門國に有といふ説出來たる歟。それも旅立の道海にうかはす、先角の山にてもあれ、打歌山にもあれ、越行時に人麻呂山上より袖を振て、まねかれたりといはゝ、いはれましきにもあらさるか。猶復案して決すへき歟。
復案 從吾振袖乎妹將見香、此歌前案に隔句の歌と見て、何國にてもあれ、旅行の路より人麻呂の袖を振たまへるを、角の山にまれ、人麻呂の妻の、木の間より見るらんかみえましきと歎く歌の意とみたれとも、隔句とみるもいかゝなれは、順句にみて木の間より人麻呂の袖を振たるに決すへし。しかれは後鳥羽院の御製も、さのみあやまりにあらさる歟。しかれとも此御製は松浦さよ姫のひれふりし山を、とりちかへたまへるより、石見かたとよみ給へるとみたれは、いつれにしても相違の事なり。ひれと袖とのたかひを、袖ふる峰と改めまほしきこと也。されは靡此山といふ句も、或本の歌にては、此山とは打歌山を指て見るへし。前の長歌にては高角山とみるへし。若打歌山は、高角山の一名か、然らはいつれにても相違有まし。人麻呂の袖ふりしと(488)みる復案の證は、前の反歌にも、小竹之葉者三山毛とよまれ、又高角山とよまれたれは、反歌皆山の歌也。是一證也。且或本歌にも、秋山に落黄葉の歌有。又或本の歌の反歌に、打歌山の歌あれは、船中の作にはあらさるとみえたり。是一證也。
童子問 前歌に問をもらすは今問也。早敷屋師吾嬬乃兒我と云詞解かたし。嬬の冠辭か、仙覺抄云、早敷屋師吾嬬乃兒我云云、先達おほく女をははしきやしと云といへり。今※[手偏+僉]るにはしきやしといふは、言のはのしけき義也。男とも女ともとりわきては云へからす。日本書紀卷第十七云、男大迹天皇云云婆※[糸+施の旁]稽矩謨伊麻娜以播※[歿の旁が需]庭阿開仁啓梨倭蟻慕巳上。此歌の心かならすしも女をいふへしともきこえす。されは此集の歌には、男にも女にも乃至草木にあれ、水の音にもあれ、言のはのしけきにはみなよめり。又はしきやしとも、はしきよしとも、はしてやしともかける、おなし由となるへし。今の第二卷の歌には、はしきやしわかつまのことゝつゝけたれは、女ともいひつへし。女をいふと釋するは、此歌なとによりけることにや。しかれとも男にもよめりと云事は、第十六卷竹取の翁にあひて、九ゲの神女のよめる歌には、はしきやしおきなのうたにおほしきこゝのゝこらやまけてをらんとよめり。第二十卷に.天平寶字二年二月於2式部大輔中臣清麻呂朝臣家1宴歌にも、はしきよしけふのあろしはいそまつのつねにいまさねいまもみることとよめり。此歌は作者右中辨大伴宿禰家持なり。この歌ともは、男をよめり。又第七卷の歌に、はしきやしわきへのけもももとしけく花のみさきてみならすあらめやもとよめり。このはしきやしは桃によそへて讀り又第十二卷の歌に、いはゝしるたるみの水のはしきやしきみにこふらくわか心から、これは水によそへてはしきやしとよめり。しかれはかならすしも女をはしきやしといふとは、釋し定むへからさるをやとあり。此説は男女草木につきて、はしきやしといふ證歌をあけたるまてにて、句意きこえす。いかに心得へきや。
答 此詞も本日本書紀の歌にみえたれは、かの童子問に答へてこゝにいはす。
 
右歌亦雖同句句相替因此重載
 
童子問 右の注も前問の答に準ては、古注者の文なりとや。
答 しかり。
 
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子與人麻呂相別歌一首
 
(489)童子問 さきに人麻呂の妻に前妻後妻有よし命をうけ侍る。この依羅娘子は、前妻か後妻か。此所に次てたれは、この別の時の歌なるへし。如何。
答 この依羅娘子は、前妻にはあらす。後妻とみるへし。前妻は石見國に在しを、後には大和國によひて、高市郡輕郷におかれたるとみえたり。すゑにいたりてみるへし。前妻の名はみえす。依羅子名はみえたり。今此別の歌は異時の歌なるへし。撰者類によりて此所へ撰み次てるなるへし。
 
140 勿念跡君者雖言相時何時跡知而加吾不戀有乎
 
童子問 右の歌を、かなつけよみには、思ふなと君はいふ共あはむ時いつとしりてかわかこひさらんとあり。拾遺和歌集卷第十二戀二に、此歌を載られたるには、思ふなと君はいへとも逢時をいつとしりてか我か戀さらん、と有。何れのよみか是なるや
答 拾遺集の方是なり。雖言の二字をいふともいへとも、歌によりていつれをも用ゆへし。此歌にはいふともはあしゝ。且相時の二字をあはんときはよみかたし。あふ時をとよめるよろしき也。拾遺集の訓此歌に限りてはよろしけれとも、題しらす人まろとのせられたるは誤り也。すへて柿本の人まろの歌、拾遺集にあまた載られたれとも、皆よみたかへられたり。しかれは万葉集を見すして、かの時よみあやまりたる歌を、書のせたる物をや見たまひて、本集の万葉にはよらすして、後の書を證としてや書のせ給らんとそおしはからるゝ也。しからすは、いかてか拾遺集の誤り何故とはかりかたし。一首も人丸の歌をのせられたる中に、正しき事なし。皆たかへり。中にも此歌は人まろの歌にあらす。依羅娘子の人まろとわかれの時の歌と、題にもみえたるを、題しらすとのせられたるも誤りなるへし。只歌の詞につきて戀の歌と心得られて、戀の二に加へられたるなるへし。別の部に入て有へき事なり。これ万葉集の本書を見すして、妄りに載られたる事明けし。
童子又問 此歌の終に乎の字あり。しかるをよますして捨けるはいかゝ。
答 乎の字は誤字なるへし。牟の字に改むへし。有牟の二字にて、さらんと上に不の字有故によまれたるなり。
 
挽歌
 
後崗本宮御宇天皇代【天豐財日足姫天皇讓位後即岡本宮】
 
(490)童子問 代の字の下二行小書の文は撰者の文歟。後人の注歟。
答 撰者の注にては有へからす。古注者の文とみるへし。
 
有馬皇子自傷結松枝歌二首
 
童子問 有馬皇子はいつれの皇子そや。
答 孝徳天皇の皇子也。母は阿部倉梯麻呂大臣女小足媛也。くはしく日本書紀孝徳記にみえたり。齊明天皇四年に、謀反の事あらはれて、絞られ給ふ事日本紀をみて知るへし。
 
141磐白乃濱松之枝乎引結眞幸有者亦還見武
 
童子問 仙覺抄云、此歌の第四句古點にはあるひはまさしくあらはと點し、あるひはまことさちあらはと點せり。兩説共に相かなはす。まさきくあらはと和すへし。まさきくといふは眞幸也。此集第十七卷、大伴宿禰池主歌詞中云、吉美賀多太乎麻佐吉久毛安里多母等保梨云云。第二十卷追痛防人悲別之心作歌詞中云、麻佐吉久母波夜久伊多里弖云云。作例如v此。何爲2不審1乎とあり。此訓はしかるへきや。
答 しかるへし。
童子又問 一條禅閤の歌林良材集岩代乃結松事の一條に此歌をあけられたるにも、第四句をまさしくあらはありて、第五句を又かへりこん【有馬皇子】とかき給へるも誤りにや。
答 誤り給へり。皆万葉集の本文によらすして、よみたかへたる歌のかなかきのみをみたまひて、みたりに万葉集とて引てのせられたるとみえたり。万葉集の本文につかすして歌をしらす、文字の訓の是非をもわきまへられす、末學の意と心得て注釋等をくはへられたる事、枚擧にいとまあらす。禅閤の博覽は更にいふへくもあらねとも、万葉集計はうとくおはしけるやらん。万葉集の釋なとまゝなされたるをみるに、一つも是とみやる事なし。かな遣ひをも知り給はさるは、古學をしたはさる故なるへし
童子又問 此歌の注を良材集云、右有間皇子は孝徳天皇の御子也。齊明女帝の御時蘇我赤兄と心を同しくして、御門かたふけ(491)せんとせしか、紀伊國岩代と云所にありて、心さしのとけかたからん事をうれへて、其所にありける松の枝をむすひて、手向として此歌を詠置て外へ出侍し、其間に赤兄かしか/\のよしを御門へ申侍しそのかへり忠により有間皇子の謀反の事あらはれて、つひに藤白坂にしてころされ侍り、のち/\の人此松の事よめる歌おなしく、万葉集にのせ侍り。同岩代の野中にたてる結松心もとけぬむかしおもへは【意吉麻呂】。のちこんと君かむすへる岩代の小松のうれを又みけんかも人丸とあり。此注はたかひなく侍や。
答 此良材の御注、大概は日本書紀をもちて書たまへは、事の相違ひもなけれとも、万葉集の本文につきて賢按をもめくらし給ひたるとみゆるなり。文字の違ひもあれと、それは傳寫の誤りなるもはかりかたし。只万葉集につきて此歌をみれは、有間皇子はしめ紀伊國岩代と云所に有て、心さし逐けかたからん事をうれへて、其所にありける松の枝をむすひて、手向として此歌を讀置給ふには有へからす。いかにとなれは、此歌の前書と有間皇子自傷結松枝歌二首と有、自傷の二字につきておもへは謀叛の事あらはれて、赤兄に捉られて紀温湯に送られ給ふ時に、詠給へる歌なるへし。よりて自傷の二字も有か。此歌後の時の歌なれは、挽歌の中にも入たるなるへし。そのうへ二首の内後の歌も捉られておくられ給へる時なれは、笥に盛飯をも松の葉をしきておろそかなる飯をあたへたるにつきて、自傷の二字も有てよく相叶ふへし。しかるをたゝはしめ紀湯に陽狂の時の詠としては、此詠を追和する事もいかゝ。謀反の志をとけさせ給はぬをいたまは、謀反の意をたすくるにいたれは、ともに罪人といふへき難有へし。すてに謀反あらはれて捉られて死罪にきはまれるか故、自傷も有て若恩降を得て二度かへりみんことをねかひ給へる時の事ならは、意吉麿哀咽歌も罪なかるへし。且人丸の歌に、きはめて歌林良材に載られたる事は心得かたし。人麻呂歌集中に出と古注者の書たるは、必人麻呂の歌のみに有へからす。他人の歌も歌集の中に見えたるを注せるなるへし。人麻呂歌ならはこゝに人丸とこそ有へし。歌集中に出と有にて他人といふへし。良材集の歌にも文字のたかひかなのちかひあり。是は傳寫のあやまりも有へし。濱松ともよみ、岸の松とも野中と松とも詠むへき事なれは、しひて論するには及ふましきか。有間皇子此時捉れて送られ給ふ旅行なれは、自ら結ひ給ふ事はなるましきかとうたかふ人あれと、それは凡人にもあらす。いまた罪科さたまりたるにもあらす。赤兄か謀りことにて捉て送りたれは、兵卒に打圍まれて、行給ふとても小松の枝をむすひ給(492)ふほとの事をゆるすましきにあらす。
 
144 磐代乃野中爾立有結松情毛不解古所念
 
童子問 歌の意は明かなるへし。第五句所念の二字をむかしおもへはとよむこといかゝ。念者とも有へきに、所念とありてもおもへはとよむへきや。
答 是はてにをはをあはせてしかよみたるなるへし。所念の二字は、おもほゆとかおもはるとか、しのはるとかにて有へし。
 
山上臣憶良追和歌一首
 
童子問 追和とは意吉呂見結松哀咽歌を和するにや。
答 しからす。有間皇子の歌を和するなるへし。よりて追和と有歟。
 
145 鳥翔成有我欲比管見良目杼母人社不知松者知良武
 
童子問 鳥翔成の三字をとりはなすとよみ來れり。翔の字をはとよまは、羽の字にて有ぬへきに、翔の字を羽とよむこと心得かたし。若先生賢按の訓はなきことにや。
答 しかるへき疑問也。僻案あり。鳥翔は飛鳥と義おなしければ、僻案の訓にはあすかなしとよむ、かなしといふ詞訓中にありて哀情顯はるへし。
童子問 有我欲比管とは、或説に鳥の翅をもてかよふことく通はんとなりといへり。しかるへしや。
答 通ふとならてはよまれす。他訓有へしともみえす。されとも我の字かたかひ有。もし誤字か。しからすは古語にはありと上にいひては、かを濁りていひならはせるなるへし。有といふ詞は古語にうせさる事にもちひたれは、靈魂うせすして今にありてかけり通ひて見らめともとよめるなるへし。
童子問 有我欲比を或人の説には、此集中に蟻通とも末に書てあれは、蟻はあひ集りて同し道をたえす行かよふ物なれは、蟻の如くに通ふと云義なりといへり。是はめつらしき説なり。しかるへきや
(493)答 傅會したる説なるへし。ありかよふのみにもあらす。此集にあり。たゝしなとゝもよめる歌あり。蟻の立物にも有へからす只發語の辭と見るには害有へからす。うちといひかきといひ、ありといふたくひ詞に義有へからす。發語の辭とみるへし。歌には發語の言、發語の辭を用ひるにて歌語となることを知らさる故に、牽強の説あまたあり。予はとらす。
 
右件謌等雖不挽柩之時所作唯擬歌意啓以載于挽歌類焉
 
童子問 此文は万葉集撰者の文とみえたり。しからすや。
答 是も古注者の文なるへし。
 
大寶元年辛丑幸于紀伊國時結松歌一首【柿本朝臣人麻呂歌集中出也】
 
146 後將見跡君之結有磐代乃子松之宇禮乎又將見香聞
 
童子問 此歌の事先問の時人麻呂の歌に、歌林良材集には載られたるを、先生人麻呂の歌とも決せられさる説あるは、これもかのほの/\とあかしの浦の歌の類ひにて、人丸の口風にたかへる所有にや。
答 此歌風格はあかしの浦の朝霧の歌とは甚異なり。時代人丸の口風にもたかふへからす。しかれとも小書の注に柿本朝臣人麿歌集中出とあれは、人麻呂の歌ともみえ、又は他人の歌ともみえ、又は他人の歌を書入たるともみえて一決せす。人麻呂集今傳らされは是非を決しかたし。大寶元年紀伊國に幸の時人麻呂從ひたらは、人麻呂にても有へきか。其時の供奉の證もなし。此前書に名を載さる事は、山上臣憶良追和の歌の次に載たれは若憶良の歌か。よりて前にゆつりて名をもらせるか。しかるを古注者此歌人麻呂歌集中出也とかけるは、古注者は人麻呂と心得たるか、未v決事なり。憶良意喜麿人麻呂三人の中の歌なるへし。時代は同時代の風躰にてほの/\の歌とは異なり。
童子問 子松之宇禮とは如何。
答 うれはすゑの事也。うらともいふ也。
童子又問 又將見香聞とは、此作者の又將見香聞といふことにはあらすや。
答 いな、後將見とむすひし君之又將見香聞と悲嘆をしめてよめる歌ときこゆるなり。
 
(494)近江大津宮御宇天皇代【天命開別天皇謚曰天智天皇】
 
天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首
 
童子問 太后は御名は何と申や。御親は誰にや。
答 御名は倭姫王と申、古人大兄の御女なり。日本書紀卷第廿七天智天皇記云、七年二月丙辰朔戊寅立2古人大兄皇子女倭姫王1爲2皇后1とあり。
 
147 天原振放見者大王乃御壽者長久天足有
 
童子問 此の歌下の句心得かたし。もし先生賢按の訓はなきことにや。おほみいのちはなかくてたれりとよみ來りては、聖躬不豫の時の御歌にはてにをはたかひたるにはあらすや。
答 下句異訓有へし。もし脱字有歟。此文につきては僻案の訓には、下句みいのちはなかくあめたらすらしとよむ也。しかれは天より長久にいたらすらんと祝稱してよみたまへる歌なるへし。たれりとよみてはいかにも/\みちたりたるになれはいかかにて、かへりて凶句になるへし。祝意みえさるに似たり。
 
一書曰近江天皇聖躰不豫御病急時太后奉献和歌一首
 
148 青旗乃木旗上乎賀欲布跡羽目爾者雖視眞爾不相香裳
 
童子問 此の歌心得難きこと也。仙覺抄云、碧旗者葬具にはへるにや。常陸國風土記に信太郡と名つくる由縁を記して云、黒坂命征罰陸奧蝦夷事了凱旋及多歌郡角拈之山黒坂命遇病身故爰改角拈號黒前山黒坂命之輸轜車發自黒前之山到日高之國葬具儀赤旗青幡交雜飄※[風+易]雲飛虹張瑩野耀路時人謂之幡垂國後世言便稱信太國云云とあり。如v此ありて青幡を葬具の證とみれは、いよ/\疑あり。帝の御病急なる時、葬具のことを詠進有へきことにもあらす。もしいにしへ病急なるときに、神を祭りて青旗なとをたてゝ、天にいのる事の例あらは、如v此も詠を奉り給はんや。先生賢按ありや。
(495)答 疑問いやちこなり。山の歌には僻案有。此歌は聖躬不豫御病急時奉り給ふ歌にては有へからす。皆禁忌の辭有。この御歌は天皇崩御の後の御歌とみえたり。傳寫の僞に混雜して、前にかき入たるなるへし。次の前書に天皇崩御之時倭太后御作歌と有、次に此青幡を入へし。一首とあるもあやまり二首と書き改て、人者縱の御歌と相ならふ歌にうたかひなし。御不豫の時かゝる御歌有へきにあらす。歌の詞といひ、歌の意といひ、皆崩御の後の御作にきはまりたるを、後學皆歌の詞歌の意を辨へ知らすして、此歌を普通の本の傳寫の誤といふ所まてはおもひよらすして、さま/\の牽強附會をなす説有へし。皆古實をしらぬ故なり。青幡いかにも葬具の證、仙覺風土記を引るも一證也。木幡はきはたとよみて、黄幡にても有へし。葬是に黄幡を用るなり。勿論神事祭禮に幡を用ゆる事常のことなれとも、この歌をさる御病を祈る神事にいはんも亦牽強附會なり。とにかくに歌の意と歌の詞とを、わきまへしる人にあらすしては、万葉集をあらぬことにみなし、吉を凶にし凶を吉にして、正義正意を失ふたくひすくなからす。
童子又問 此歌の辨先生の賢按を得て疑急ちに治たり。然れとも猶うたかふ所は、此歌の前書あれはこれをいかにとかせんや
答 此歌の前書則此歌崩御の後の歌の一證とする僻案なり。いかにとなれは此歌の前書は万葉集撰者の文にあらす。古注者の所見をあらはして、天皇聖躰不豫之時太后奉御歌一首と有。前の歌の前書を一書には、近江天皇聖躰不豫時御病急太后奉献歌一首とありと云前の歌の左注とみえたり。しかるを前の歌の左注としらすして、後の歌の前書と心得違て、青旗の歌の前書となしたるより、次の歌を前へかきのほしたる誤りと知られたり。萬葉集の本文にあらさる證據には、一書曰と有を以て知るへし。万葉集本文に、一書曰と云こと有へからす。撰者の文にあらす。古注者の文なること明けし。うたかふへからす。
 
天皇崩御之時倭太后御作歌一首
 
童子問 前答の如くならは此一首と有は、二首の誤りに決すへし。前には太后とありて、此所に倭太后と有事いかゝ。
答 此皇后の御名倭姫王といへはかく書ける歟。もし崩御以後は倭にうつりましませるより、倭太后と後にしるせるにてもあらんか。よりて天皇崩御ならさる時の御歌故、太后とのみしるし、崩御以後に倭太后と有にても有へし。
童子又問 木旗能上乎賀欲布跡羽とは靈魂のかよふにや。
(496)答 しかり。次の影にみえつゝと有と同意の心とみえたり。
 
149 人音縱念息登母玉※[草冠/縵]影爾所見乍不所忘鴨
 
童子問 仙覺抄云、玉※[草冠/縵]とは冠の纓をいふ也とあり。しかるや。
答 此御歌にてはかけといはん冠辭とみるへし。
童子又問 影とあれは面かけの事にて、かつらをかけるとは清濁異ならすや。
答 此清濁はむかしより通ひ用ひたる例あまたあり。音讀の時は清濁をわかつ也。泉川をいつみとうくるたくひも、下は濁語にてはきこえされとも、通用の例すくなからねは、此御歌もおなし例に心得へし。
童子又問 人者縱とあるを、ひとはいさといふよりは、人はよしとよみたるかたまさるへからすや。縱はよしとよみたる例有れとも、いさと用る例を知らす、如何。
答 縱の字いさともよむへし。しかれとも此歌にてはよしとよむ方まさるへし。
 
天皇崩時婦人作歌一首 姓氏未詳
 
童子間 一首の下に小書して、姓氏未詳と有は例の如く撰者の文にあらす。古注者の小書也。
答 しかり
 
150 空蝉師神爾不樹者離居而朝嘆君放居而吾戀君玉有者手爾卷持而衣有者脱時毛無吾戀府曾伎絨乃夜夢所見鶴
 
童子問 空蝉師此三字をうつせみしとよみ來れり。師は助辭なるへし。此句の心或説に蝉は命の短かきものに云也。莊子に※[虫+惠]※[虫+舌]は不v知2春秋1と有。是せみの命のはかなくみしかき心也。されはうつせみの命と讀、うつせみの世と云もそのたとへ也。此歌は天智天皇崩御の時婦人のよみ給ふる也と有。此説しかるへきや。
答 しからす。前にもいふ如く、うつせみとは蝉のぬけからをいふは常のことなり。しかれとも万葉集にてはたゝ訓をかりた(497)るまてにて、空の字の義にもあらす。蝉の字の意にてもなく、うつは現の事にかり蝉は身の借訓にて、現の身と云詞にて今日現在の身をうつしみとも、うつせみともうつそみともよみたる也。空蝉のからをいふことにはあらす。しかれは
 
中原本一二枚缺 (校訂者補)
 
天皇大殯之時歌二皆
 
童子問 此二首の作者に名なけれは、前の作者とおなしき故に撰者名をもらせる歟。
答 前の婦人は姓氏未詳とあれは考る所なし。此二首は古注者考る所あれはこそ、第一は額田王第二は余人吉年とあるにしたかふへし。
童子又問 歌の下に名なき故に疑問をなせり。名あらは何そ疑はんや。異本にはしか有にや。
答 予所持の本にも重羽かあたへし本にも名あり。古本には皆しかるなるへし。
 
151 如是有力豫知勢婆大御船泊之登万里人標結麻思乎
 
童子問 此初句の乃の字をとゝよみ來れるは音にや、訓にや。
答 廼の字を濁音のとに用ひたれは、との音に用ひたる歟。しかれは音の清濁日本紀よりあきらかならさる也。もし刀の字を書寫誤りたるにや。末にも乃の字をとゝ用ひたる所あれは、うたかはしき也。
童子又問 此歌の意如何。
答 日本紀を※[手偏+僉]に、十二月癸亥朔乙丑天皇崩2于近江宮1癸酉殯2于新宮1とあれは、新に宮の建たること明けし。その殯宮もし湖水の邊にて、それまて大御船にめされておはしましたる歟。次の歌も大御船の歌なれは此僻案あり。しからは此歌の泊しとまりとは、御船をこきとめし所を指てよめる歟。殯斂に船にめされしこともおほつかなけれは、御在世の時のことにて見る方(498)しかるへき歟。好む所にしたかふへし。先崩御の御送體をかりもかりせんとて、こきはてしにあらすは、大津宮より行幸なる時、御船にめされてこきはてし時にしめゆひて、御船をいつかたへもやらすして、その所にとめておはしまさせまし物を還行ありし故に、崩御なりたるとおもへは、婦人の情のおろかになけきしのへる情さも有へし。
 
152 八隅知之吾期大王乃大御船待可將戀四賀乃辛崎
 
童子問 此歌の意は如何
答 此歌新宮まて御船にめされし時の歌とみればおもしろき也。御からをおさめ奉りて、こたひ大宮へ還御かなきかきりのたひなれは、いつまてか還御をまちこひなむや、まちてわたらひ有ましき意なるへし。もし又是も御在世のをりのことをおもひ出てよめは意かはるへし。
 
大后御歌一首
 
童子問 此御歌人殯之※[日+乏]の御歌とみるべき歟。
答 しかり。此御歌にも船の事を詠給へるによりて、三首とも殯船新宮時大御船にて送り奉れば、群臣も皆船にて供奉したる故に此御歌も有にや。
 
153 鯨魚取淡海乃海乎奧放而榜來船邊附而榜來船奧津加伊痛勿波禰曾邊津加伊
 
童子問 邊津加伊をへつかいとよみては一言不足に似たり。へつのかいとよみたる説もあり。いつれか是ならんや。
答 邊津二字をへつとはかりよむとも、へつのとはよむへからす。僻案訓には邊字をへたとよみて、へたつかいとよむ也。海邊をうみへたといふこと常のこと也。後の人の歌なれとも、へたのみるめとよめるも、近江の名所により所あれは、此御歌もへたつかいとよむへし。かきといふも近江の
 
中原本一二枚缺 (校訂者補)
 
(499)もつまといふ。姉より夫をもつまといふ證據には、今ひく日本紀をも用ゆへし。夫婦にたとふといふ事は用ゆへからす。。夫婦同稱の語につまといひ、若草の萠芽の葉をもつまといへは、弱草といふを冠辭には用ゆれとも、語意は人と草と各別也。軒のつまおなしことはにても又語義は異也。およそ文字異にて語おなしきは、義も異なりと知るへし。是古語を釋一傳也。今の世の人音語おなしけれは義も同しとおもひて、牽強附會の説にて語を釋する皆あたらす。文字異なれは義も異なりと知る人の釋は相當ることおほかるへし。語釋は本邦の本學にて、異國の文字を學ふとおなしければ、一字二字しりたりとて何の益やは有へき。本邦の語もおなし。一語二語は釋してしれはとて益あらんや。別に學ふへし。よりていはす。只その字をいふのみ。
童子又問 若草之嬬之念鳥立此八字を、仙覺注本にはわかくさのつまのおもふとりたつとかなをつけたり。古本の一本には、わかくさのつまのおもへるとりもこそたてと、朱にてかなをつけたり。いつれか可いつれか不可か。おもへるとりもこそたてとよめるはよみかたからすや。
答 朱にてかなをつけたるは、仙覺新訓なるへし。古訓はおもふとりたつなるへし。念鳥立の三字をおもへるとりもこそたてと訓たるは、よみかたきに似たれとも、歌の詞を知り、てにをはの格にてはよみ難にあらす。朱にてつけたる訓にしたかふへし。念の字の訓は、歌によりてあまたの訓あれは、此御歌にても念しのへるとよむへき歟。
 
中二首解缺(校訂者補)
 
明日香清御原宮宇天皇代 天渟中原瀛眞人天皇
 
十市女子薨時高市皇子尊御歌三首
 
156 三諸之神之神須疑己具耳矣自得見監乍共不寐夜叙多
 
童子問 此歌の義いかなる事にや。仙覺抄にも此三首の内中の歌の注は書けれども、此歌と終の歌とには注釋もなし。ちから(500)をよばざるなるべし。先生の賢按有べしや。流布の本も古本の訓もおなじことにて、みもろのやかみのかみすぎいくにをしとみけんつゝともねぬよぞおほき、かくはかなつけあれど義解なければ、いかなる意ともわきまへがたければ、此歌よめずとてさしおくかたにおとれり。いかゞよむべきや。
答 凡此集文字のたがひあれば、よめざるもことわり也。よめずとて案を加へたるはことわりならず。ちからにをよぶ案を盡して後學の人にをよぼすべし。可不は才學有人にまかす僻案あり。三諸之の三字をみもろのやとよむは非也。也の字ありて之の字なくば、みもろのやともよむべし、之の字ありてのやとはよまれず。いにしへは四言一句の例すくなからず。さればみもろのとばかりよむべし。神之神須疑、此五字一句にて、みわのかみ杉とよむべし。己具耳矣自、此五字一句にて、具は冥の字の誤り、矣は笑の字の誤りなるべければ、いめにのみとよむべし。此句の意は、いめは夢也、古語には夢をいめといへり。後には夢をゆめとのみおぼえて、いめといふことをしらぬ人おほし。この集を見ぬ人さおぼゆる也。此集に一所もゆめといふかなみえず、かなはみな伊目と有にてしるべし。しかれば夢に而己の義也。上に神の神杉といひて夢といへるは、いめといはむ爲に神杉をいへり。常の杉木に異にして、神の神杉は忌杉なれば、いめといふ冠句としるべし。得見監乍共、此五字一句にて、みえけんながらもとよむべし。不寐夜叙多、此五字一句にて、ねぬよぞおほきとよむべし。歌の意は、十市皇女神さりませば、うつゝに見たまふ事はならず、夢にのみはみえ給ふべけれども、かなしみにたえねばめもあはず、打とけてねられもしたまはねば、夢にだにも見給はぬかなしみを詠給ふときくべき歌なり。
 
157 神山之山邊眞蘇木綿短木綿如此耳故爾長等思伎
 
童子問 仙覺注云、山べまそゆふみじかゆふといへるは、ふたつにはあらず。苧といふにふたつの品あり。あさをはながゆふといふ、長きが故なり。まをゝばみじかゆふと云。筑紫風土記に、長木綿短木綿といへるは是也。さて今の歌に、やまべまそゆふ短木綿とよそへよめることは、十市皇女のたまのを、まそゆふみじかゆふのごとく有ける物を、ながしとおもひけるとよめる也。此歌の落句古點にはながしとおもひきと和せり。其ことわり叶はず。ながくとおもひきと云べき也。木綿をよめる歌にあまたの品有べし。或は木の中に木綿の木あり。ゆふばななどゝよめるはこれなるべし。或は神にたてまつるゆふあり。今の歌のごと(501)くなるは、長ゆふ短ゆふも有べし。そのさまはことなれども、名をつくる事はいづれも同じ心也。白きをいふと云也とあり、此説しかるべきことにや。
答 仙覺長木綿短木綿の説、筑紫風土記を引て證據とせられたる上はしかるなるべし。今の世には筑紫風土記全本なければしりがたけれども、仙覺の時代までは諸國の風土記世にありとみえて、注釋の中にあまた風土記を引用せり。仙覺注釋はとるにたらざることのみなれども、風土記を引用したるは皆證明となる事也。此歌の長短の木綿の説もさる事なるべし。落句の長の字をながくとよまん義さることなれども、ながしとよめる説まさるべき歟。いかにとなれば、かくのみゆゑにといふ句に見あやまり有べし。故にといふ詞古歌、おほくはなるにといふ詞にかよふ歌おほし。此御歌もかくのみなるにとみれば長しとおもひきともみゆる也。ながしといはんよりは、長きとよむべき歟。ながくとよむ義にては願ふ詞になるなり。十市皇女病にもふし給ひて、神山に長命を祈り給へることもあらば、ながくと願ひ給ふ意も有べけれども、此皇女の薨去日本紀天武紀に見えて、卒然病發薨2於宮中1とあれば、頓薨給へば、おもひもかけ給はぬ事なり。御歳もわかくましましければ、長くましまさんとのみおぼしめされたるに、卒に薨去し給ふことを、短木綿に御命の短を比して、かくのみなるに長き御壽ひとおぼしめししことを悔給へる歌ともみゆれば、ながくとおもひきはかへりてあしかるべき歟。しかれども故の字はからとよむ歌おほければ、かくのみからに長くとおもひきといはゞ、常に此皇女の御壽を長くと思伎と云義も有て、詠給へる歟。高市皇子尊の御心はかりがたければ、兩義を存すべき歟。
童子又問 故にといふ詞、なるにといふ義にかよふ歌、いづれの歌か證例ならんや。
答 あまたあり。ちかく人口に有歌には、古今集秋部藤原定方朝臣の歌に、秋ならであふことかたき女郎花あまの川原におひぬ物故、此歌天の川原に生ぬ物なるにといふ意なり。しかれども、この歌につきても疑なきにあらず。作者は生ぬ物故と書て、おひぬものからとよめる歟しらず。しからばおひぬ物ながらといふ義にかよふ也。ものゆゑと世によみ來れる上につきて先いふ也。猶此集の内にあまたあればすゑにていふべし。
 
158 山振之立儀足山清水酌爾雖行道之白鳴
 
(502)童子問 此歌仙覺注もなし。歌の意得がたし。もし先生賢案の義も有歟。
答 あり。此歌も一兩字誤字有歟、句切たがふとみえたり。僻案の訓は、山振之、此三字一句にてやまぶきのと訓、立儀足、此三字一句にて、立の字は充の字の誤り、足の字は色の字の誤とみる也。光儀とつゞきたる文字日本書紀神代下光儀花艶の四字をてりうるはしとよみ來れば、光儀は傳寫の僞なるべし。光儀色の三字をにほへるいろのと訓、山清水、此三字をやましみづと訓、酌爾雖行、此四字一句にてくみにゆかめどと訓、道之白鳴、此四字一句にてみちのしらなくと訓。歌の意は、十市皇女の黄泉にしづみ給ふ義を、山吹のにほへるいろの山清水と訓給ふとみるなり。酌にゆかめど道のしらなくは、黄なる泉ありとはきゝしり給へば、その水なるともせめて酌にゆかんとおぼしめせども、道のしられぬと、なげきのあまりに詠給ふ御歌とみるや。
 
天皇崩之時大后御作歌一首
 
童子問 此天皇はいづれの帝ぞや。
答 持統天皇也。
 
159 八隅知之我大王之暮去者召賜良之明來者問賜良志神岳乃山之黄葉乎今日毛鴨問給麻思明日毛鴨召賜万旨其山乎振放見乍暮去者綾哀明來者裏佐備晩荒妙乃衣之袖者乾時文無
 
童子問 仙覺注云、此歌詞の中に、暮去者召賜良之明來者問賜良志神岳乃山之黄葉乎の句、これをゆふさればめしたまふらしあけくればとひたまへらしと點ぜり。天皇崩御をかなしみてなぐさむ歌に、めしたまふらしとひたまふらしと云べきにあらず。しかればゆふさればめしたまふらしあけくればとひたまふらしと云べし。めしたまへらしとはめしたまへらましといふ詞なるべし。さればのちには、けふもかもとひたまはましあすもかもめしたまはましといへり。さてこそ上下かけあひて心え合せらるべき事なれば、神岳乃山之黄葉乎の句、古點にはかみをかのやまのもみちをと和せり。此句みわやまのもみぢといふべしと有。此説可v然ことにや。
答 召賜良之は、めしたまふらしとよむべし。問賜良志、これもとひたまふらしとよむべし。いかにとなれば、天皇、御在世なら(503)ばといふ義、下の句におのづからその意そなはれり。又神岳乃山之黄葉乎の句、ふるき訓には、かみをかのやまのもみぢをといへる可也。いかにとなれば、三輪山は城上郡、神岳は延喜式神名帳に、神岳神社は、平群郡の内にあり、三輪山と別にみゆれば、古訓にしたかふべし。かみやまとよまば害有まじけれど、下に山之黄葉とあれば、やまの山のもみぢも無益の重句なり。且此集第三卷にも、登神岳山部宿禰赤人作歌とあり、同書第九の歌にも神岳之山黄葉者といふ句ありて、皆神岳の字を用ゐ、延喜式にも神岳神社とあれば、三輪山とは異なるべければ、みわやまとよまんはかへりて誤れなるべき歟。岳の字むかしはをかと用ゐ來れる訓例すくなからず、やまと用ゐたる訓例はおほからねば、かた/\かみをかのやまのもみぢをとよむべき歟。猶明證によるべし。
童子問 綾哀といふ句意は、或説に色々にかなしき也といへり。しからんや。
答 しからず。あやにとはあなにといふにおなじ。文にといふがことく痛くといふがことく、嘆の辭也。
童子問 裏佐備晩は、心さびしくくらしといふに同じと或説にいへり。しかるべきや。
答 しかるべし。
童子問 荒妙乃衣は、或説に麁布とてふぢ衣の名也といへり。可v然や。
答 しかり。しかれどもあらたへにぎ妙常にも用る詞なれど、此歌にては喪服のふぢ衣をあらたへの衣とみるべし。
 
一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首
 
童子問 此天皇崩はいづれの天皇ぞや。
答 天武天皇の崩也。
童子又問 天武天皇の時太上天皇はなし。いかなることぞや。
答 此疑問さるべき事也。太上天皇は持統天皇也。しからば大后とも書べきことなれども、此集最初の撰者の所爲にはあらず、後に再補の時加へ入たるなるべし。其證に一書曰と有を見るべし。太上天皇御在世の時、御名をしるすことを憚りて、太上天皇御製歌としるしおきたる書をその文のまゝに擧たるなるべし。古注者の補載と見るべし。
 
(504)160 燃火物取而※[果/衣]而福路庭入澄不言八面智男雲
 
童子問 仙覺注云、此歌の心は、葬禮のならひ二度物をあらため用ゐることはいむべき事なれば、死人の枕がみにともしたる火をもちて、葬所にてももちゐるべき也。さてともしびもとりてつゝみてふくろにはいるといはずやとよめる也。もちおのこくもとは、もつべきおのこもきたるといふ歟とあり。可v然ことともおぼえず。先生の賢按あらずや。
答 僻案の訓あり。然火物の三字をともしびもとよめるは、文字はさよむべきことなれども、下の詞にとりてつゝみてふくろに入るといふべからす。ともしびつゝまるゝものにあらず、袋に入らるべきことあらず。此三字は、僻案の訓にはともしものとよむ。火を燃す物なれば、火打つけ木などの物也。これは、旅行に必袋に入て持事也。日本武尊の東征の時、倭比賣命火打を入て御嚢を給へる事をしるべし。されば今天皇崩御の時、黄泉に徃給ふ旅用の物に、ともし物をも嚢に納て棺内に入ることを詠給ふなるべし。今の世の俗にも古にならふ人、棺内に品々の調度を納るがごとし。取而※[果/衣]而、此四字一句にてとりてつゝみてと訓。福路庭、此三字一句ふくろにはと訓、入澄不言八、此五字一句、澄は登の字の誤りなるべし。此五字をいるといふことやと訓。入といふとは、いるちふともいるとふともいひて、いるといふの畧語也。さればいるといふことやは今初めてのことにあらず、いにしへよりともしものとりてつゝみて嚢には入るといふことあれば、いるとふことやと詠給へるなるべし。面智男雲、此四字一句にておもしらなくもと訓。言はおもしろくもなき義なり。
歌の惣意は、ともしものとりてつゝみて嚢に入るといふことは、世にまれなる物を乏物といふ也。めづらしき物は秘藏して、とりてつつむ上にも猶袋にも入るゝことなれば、それを兼て、さる事あるはおもしろき事にもすべけれど、黄泉の旅行にかゝることをし給ふは、おもしろからずと歎き給ふ御歌とみるべし。天皇行幸とても、供奉の人は燃火物を入る旅行と嚢は持べけれ、今天皇の獨黄泉の旅行に此嚢を奉ることを、大后の御意にかなしと思ひ給ふをかく詠給ふなるべし。
童子又問 面智男雲の四字は、もし面知呂男雲の五字にはあらずや。智の字しろと訓べきこといかゞに聞え侍る。知の字はしと音に用ゐたる例あまたみえ侍り。いかゞ。
答 さるべき一案なるべし。僻案には、智の字は知の誤字にて、下の日は男の字を傳寫混雜してあやまれるかとおもへば、四(505)字一句としたり。其證は仙覺注釋の本には知に作りて智の字にあらず、知の字はしるとも、しらとも、しめとも相通はし通用ゐる例すくなからねば、直におもしろなくもと訓也。猶異本の證とすべき出來たらば、可不を決すべし。
 
161 向南山陣雲之青雲之星離去月牟離而
 
童子問 此御製は仙覺注釋もなし。いかなる御製の意にや。
答 僻案兩義あり。先訓のまゝにて解すれば、向南山をきたやまと訓じて、群臣は天皇のしりへに位すれば、群臣の列陳する位を北山と比して、陳雲は列陳の雲客に比し、たなびく雲のと詠給ふなるべし。青雲之とは猶白雲といはんがごとし。今も白馬を青馬といひ、古語にも白といはむとて青雲の冠辭例有。されば御葬送群臣の服皆白きを用られたるによりて、青雲のと有歟、もし青は素の誤字にて、直にしら雲を傳寫※[言+爲]れる歟。いづれにても強て義に害有べからず。星離去は三台星も天皇にしたがひず離去、月卿も離去て從ひ奉らず、天宮に神あがりしたまふことを悲みたまひて詠させ給ふと見る也。此一義の僻案也。又一義の僻案には、向南山の三字をおほろやまと訓。いかにとなれば、天皇は南面の位なれば、天皇まします處大内山と稱すればすなはち皇居の地を指て、向南山と書て大内山と詠給へる歟、もしは此天皇の山陵大内山なれば、葬送奉る山陵を大内山と詠給ふるかなるべし。陳雲は陳列の雲客を比して、雲の上人の陳列して送り奉り、三台星月卿もしたがひ奉りしに、むなしく大内山に葬奉りては、陳列する事もなく、月も星も雲も皆とゞまらずしてわかれ去りて、獨天皇の尊骸を大内山にのこしおき奉りて退去することをなげき給ふ御製と見る也。青雲之三字、もし雲の字は字形相似たれば、※[雨/肖]の字の誤にあらずや。※[雨/肖]の字ならば青※[雨/肖]之三宇おほぞらのと訓て、星離去月牟離山と云、星と月とにかけ給へる冠句にしてみるべし。此兩義汝好む所にしたがふべし。
 
天皇崩之後八年九月九日奉爲御齋會之夜夢裏習賜御歌一首
 
童子問 此歌の前がきの内、習の字心得られず。いかゞ。
答 疑問ことわりいやつこ也。習は誤字なるべし。賜の字もうたがひなきにあらず、異本を得て改正すべし。
 
(506)162 明日香能清御原乃宮爾天下所知食之八隅知之吾大王高照日之皇子何方爾所念食可神風乃伊勢能國者奧津藻毛靡足波爾塩氣能味香乎禮流國爾味疑文爾乏寸高照日之御子
 
童子問 此御歌詞もいひたらぬ句のみおほく、意も得がたし。先生賢按義も訓も有にや。
答 此御歌には強て異訓有べくもみえず、異義の僻案もなし。只疑らくは、何方爾所念食可とある句の下に脱漏有て、崩御なりし句有べくみゆる也。しからずば只此何方爾所念食可といふに、崩御なりしことをこめてみるべし。夢裏の御歌なれば、詞もとゝのほらずいひかなへ給はぬことも有とみるべし。四言一句のあるも古語のまゝにて、しひて御詠の作骨有べからねば、大概歌の意きこえば可なるべし。
童子問 伊勢能國者の五字をいせのくににはとよみ來れり。國にはといへば、始終のてにをは聞得がたし。いかに。
答 いせのくにはとよむべし。六言にては、例の七言に口なれたれば、ことたらぬ故に、くにゝはとよみ來れるなるべし。疑問のごとく、國にはとよみては義かなはぬ也。
童子又問 靡足波爾、此四字なびきしなみにとよみ來れり。可v然や。
答 足はあしの訓を上略して用ゐたるといふべけれども、過去のし義かなひがたし。なびける波にとよむべし。足はたるとよむ下の言をとれるなるべし。
童子問 鹽氣能味、此四宇しほけのみとよみ來れり。かゝるべきや。
答 鹽氣と書て義訓有べき古語もなければ、先訓にまかすべし。しかれども氣を濁りて訓べき歟。俗言にもいげといふこと有。鹽のいげとみるべし。しからばもし鹽氣をゆげと訓て、ゆげのうまくとよむべき歟。
童子問 味疑文爾乏寸といふ句、其意得がたし。先生賢按の訓も義もあらずや。
答 これは僻案の訓義あり。味凝をあぢこりとよみ來る事義不v通、うまごりとこを濁てよむべし。うまとは古語に稱美の辭に用ゐる例すくなからねば也。こりはおりにて、文といはん冠辭にうま織の文とうけ給へる語なるべし。あやにともしきははなはだめづらしきと稱する詞にて、日を尊稱の辭なるべし。世に希有なるものはめづらしきと稱する古語なれば、此大王は日(507)の神のみ子と稱し奉る意なるべし。されば歌の惣意は、清御原の宮に天下をしろしめしたる君の、いかさまに覺しめしてか、天下をしろしめさずして、天宮にはかへりたまふことぞといふ御歌とみる也。神風の伊勢國より下は日神の鎭座の御國なれば、皆日神のまします、國を尊稱したる詞にて、高照日のみこといひて、此日のみこいかさまにおぼしめしてか、伊勢の國にもましまさず、天宮には上り給ふ事ぞといふ御歌の意なるべしとみる也。此外に御意有ての御歌かはしらず、只御歌の詞にすがりてみずして、詞を添へ加へていはゞ、いかやうのことにもなりぬべけれど、古葉を釋するは只詞の有にしたがひて、牽強附會をさくるを正義の釋とす。
 
藤原宮御宇天皇代
 
大津皇子薨之後大來皇女從伊勢齋宮上京之時御作歌二首
 
童子問 大津皇子と大來皇女と兄弟にてましますや。
答 しかり。天武天皇のみこにて、同母の兄弟地。大來皇女は大津皇子の姉也、御母は大田皇女也。大田皇女は天智天皇の皇女也。
 
移葬大津皇子屍於葛城二止山之時大來皇女哀傷御作歌二首
 
165 宇都曾見乃人爾有吾哉從明日者二上山乎弟世登吾將見
 
童子問 宇都曾見は世の冠辭とのみ心得侍るに、人といふ冠辭にも用ゐるにや。
答 宇都曾見といふ辭必冠辭にあらず。第一卷に、中大兄三山歌に虚蝉毛嬬乎とも詠給ひて、今はうつゝの人うつゝの身ともいふ古語なり。うつせみともうつそみとも、皆おなじこと也。
 
166 礒之於爾生流馬醉木乎手折目杼令視倍吉君之在常不言爾
 
右一首今案不似移葬之歌盖疑從伊勢神宮還京之時路上見花盛傷哀咽作此歌乎
 
童子問 右二首の中一首はまことに移葬の時の歌とはみえがたければ、古注者の今案しかるべからずや。
(508)答 いな、此者古注者の今案かへりて心得がたし。いかにとなれば、大來皇女の前の二首の御歌にて見れば、大津皇子の薨は上京ありて聞召たる御歌ときこゆる也。大津の皇子の薨は順死にあらざれば、大來皇女にはしらせまつらずして。京にかへし來させ給ふなるべし。さればにや右一首の下句、歸京有て聞しめされたる御詞ときこゆる也。且路上見花盛とあること、馬醉木の花の盛時節たがへり。馬醉木は花盛は春の末より夏にいたりて花咲也。大來皇女いせの齋宮より歸京は日本紀にみえて、朱鳥元年十一月丁酋朔壬子奉伊勢神祠皇女大來還至京師とあれば、いかゞとおぼゆる也。
童子又問 右の一首歸京路上の御歌ならずば、移葬の歌とはいかゞみるべきや。
答 葛城山に移葬とあれば、墓所に詣給ふ時馬醉木を見て詠給ふと見るかへりてむつかしからず。二首の内前の御歌はいまだ葬めざる時の御詠とみえて、明日よりはと句中にあり、後の御歌は移葬て墓所に詣給ふ路上の馬醉木の歌とみるべし。礒之於爾と有初五文字も、二上山中の石のへに生たるとみえたり。
 
日並皇子尊殯宮之時柿本人麻呂作歌一首短歌
 
167 天地之初時之久堅之天河原爾八百萬千萬神之神集集座而神分分之時爾天照日女之命【一云指上日女之命】天乎波所知食登葦原乃水穗之國乎天地之依相之極所知行神之命等天雲之八重掻別而【一云天雲之八重雲別而】神下座奉之高照日之皇子波飛鳥之淨之宮爾神隨太布座而天皇之敷座國等天原石門乎開神上上座奴【一云神登座爾之可婆】吾王皇之子命乃天下所知食世者春花之貴在等望月乃滿波之計武跡天下【一云食國】四方之人乃大船之思憑而天水仰而待爾何方爾御念食可由縁母無眞弓乃崗爾宮柱太布座御在香乎高知座而明言爾御言不御間日月之數多成塗其故皇子之宮人行方不知毛【一云刺竹之皇子宮人歸邊不知爾爲】
 
童子問 此歌訓のあやまり有てか、義やすくきゝ得がたし。先、天地之初時之の六字、先訓にはあめつちのはじめしときしといへり。賢訓もおなじきや。
(509)答 あめつちのはじまるときしとよむべし。
問 神集集座而の五字、先訓はかみあつめあつめいましてといへり。賢訓もおなじきや。
答 かみつどへつどへまさせてとよむべし。
問 神分分之時の五字、先訓かみはかりはかりしときのといへり。賢訓もおなじきや。
答 かみくまりくまりしときにとよむべし。
問 天照日女之命、此六字先訓はあまてらすひなめのみことゝいへり。いかゞ。
答 あまてらすひるめのみことゝよむべし。
問 一云指上日女之命、此六字をさしのぼるひなめのみことゝ先訓にいへり。いかゞ。
答 さしのぼるひるめのみことゝよむべし。
問 先訓の意は、天照日女之命は日並皇子尊のことゝきこゆる故に、あまてらす日なめのみことゝある天照の二字心得がたく、もし日といはん爲ばかりの冠辭に天照とあるやとうたがへり。今賢訓にあまてらすひるめのみこととあれば、此神號よみやすし。日女の二字をひなめとはよみがたし。かつ神分の二字もかみくまりとはよみやすく、かみはかりとはよみがたけれども、神集に集神議に議り給へるといふ古語は、神代の紀にもみえたる故に、さはよむことゝのみおもへるは、ならふて察せぬなるべし。しかれどもかみくまりひるめのみことゝよむ義を委曲に示し教へ給へ。
答 此歌は、人麻呂古書に據てよめるなるべし。日本紀古事記にはみえざれども、今の世に傳らざる神代の古事の書あまた有とみえたる事は、古記古語に明らか也。もし此歌の古事古記にみえずとても、日本紀の神代の古記にしたがひてかく詠めるとみても、其意たがふべからず。先天地之初時之とは、日月もいまだ位定り給はぬ時をいふべし。久堅之三字は天の冠辭也。天河原爾八百万千万神の神集は、古記の義釋に及ばず明か也。集座而、これをつどへまさせてとよむ義は、八百万の神みづから集ふにあらず、つどへまさする神有とみるべし。その神は天神也。その天神は伊弉諾册の二神に勅し給ひし天神也。神分分之時、これをかみくまり/\しときにといふ義は、日神月神蛭兒素盞嗚尊すべて八百万の神に、おの/\その所その物をつかさどりし(510)るべきことをよさし給ひて、万神をくだしたまひしときに、天照日女尊には高天原をしらしめたまふよしをのべたる詞とみゆる也。天照の二也を一には指上とあれども、天照の二字まさるべし。
問 天乎波、此三字先訓にはあまつをはといへり。しかるべきや。
答 しかるべからす。いかにとなれば、天の字をあまつとよむ事その例すくなからねども、それは皆下にいふ言につゞくる時助語につといひて、天神をあまつかみ、天社をあまつやしろといふたぐひ也。只天のみをいふ時あまつと用ゐたる例なし。此一句は天をばといふ古語なれば、あめをばといふは害なし。しかれどもあめをばといへば四言にて、古風例あれども、柿本人麻呂は古語の四言をもはじめて五言に詠めることあれば、この天乎波の三字も、五言の一句に用ゐられたるなるべし。これを五言によまんに、みそらをばとよむべき歟。
問 柿本人麻呂古語の四言を五言によめるとは、何を證據としてさ云へるや。
答 此集卷第一に載たる人麻呂の歌に、そらにみつやまとをおきてといふ句あり。是を證としてはいふ也。古語はそらみつやまとの國とあるを、人麻呂の歌にはじめてそらにみつと、にの助言を加へて五言によめり。此例をもちてあめをばといへば四言なれば、みそらをばと五言に用ゐられたることゝは爲也。
問 五言の證は承侍る。天の字をそらと訓る古證もありや。
答 右の人麻呂の歌に證あり。そらにみつといふ句に天爾滿と三字をかける、是を證例とすべき也。
問 所知食登、此四字を先訓にはしらしめさんといへり。しかるべきや。
答 しろしめされとよむべし。
問 登と有てにをは心得がたし。いかなる義ぞや。
答 此登は上にかへりて心得るてにをはの登也。天照日女尊は天をしろしめされと、神分りしりたまへる由來を述られたる詞也。これまでは天照大神の天位をかけ給ふよしを述て、これより下は日女神の子孫として、此葦原國の君として天くだし給ふことを云へりとみるべし。
(511)問 天地之依相之極、此七字を先訓にはあめつちのよりあひのかぎりといへり。或説に極ははて也、地のはては天とひとつによりあふ心也といへり。可v然訓義にや。
答 依相之極四字、異訓有べき歟。先訓先義の説にても然るべし。
問 神之命等此四字、先訓にかみのみことゝいへり。可v然や。
答 等の字はたちと訓ずへし。とゝのみ訓ては、天照日女命より天武天皇にうつることわり、ことたらぬに似たり。文字も上に登の字をかき、こゝに等の字を書かへられたるも意有べければ、おなじくとゝはよむべからず。神のみことたちとよみて、瓊々杵尊より天武天皇までの日神の子孫の神等を、此一句にこめて詠るとみるべし。
問 神下座奉之五字、先訓にかみくだりいましつかへしといへり。可v然や。
答 これは先訓のまゝにてもしかるべし。しかれども奉之の二字はまつりとよむ方まさるべき歟。
問 高照日之皇子波、此七字をたかてらすひのわがみこはと先訓にいへり。可v然や。
答 皇子の二字をわがみこと訓がたし。たゞみことよむべし。ひのみこ古語なり。それをわがの二言をそへては古語にならず。わがといふ義も證もなし。
問 飛鳥之淨之宮爾、此七字をあすかのゝきよめしみやにと先訓にいへり。
答 先訓しかるべからず。飛鳥之の三字をあすかのゝとはよみがたし。あすかのと四言によむべし。しかれどもこれも五言によまんには、之の字をなるとはよむべし。あすかなる意に飛鳥之とかける歟。此之の字一首にかぎらず、此集にのとのみよめば四言になり、なるとよめば五言になる句あまたあり。此歌の下にもあり。なるといふ詞にあるといふ三言を約したる古語にて、文字を用ゐば之の字相當ればなり。たとへば駿河之富士といふをするがなるふじといひて、するがにあるふじといふ義、あすかなるきよみが原もあすかにある淨見が原といふ義のたぐひをしるべし。且淨之宮をきよめし宮といふべからず。飛鳥も地名淨見も地名なれば、あすかなるきよみのみやにとよむべし。
問 神隨の二字をかみのまにと先訓にいへり。可v然や。
(512)答 しかるべからず。かみながらとよむべし。古語也。
問 太布座而此四字、ふとしきましてと先訓にいへり。可v然や。
答 是は先訓もしかるべし。しかれども而の字はいともと訓まほしき也。しからばふとしきませどもと反語の詞によめば、義やすき也。
問 高照日之皇子と下にいへる天皇とは、おなじ帝を指にや。
答 ことなり。日之皇子は天武帝を稱、下の天皇は持統帝を稱なるべし。
問 神上々座奴此五字を、かみあがりあがりいましぬと先訓にあり。可v然や。
答 しかるべし。天武天皇の崩御を神あがりといへる也。此神あがりし給ふは、持統帝に御世を傳へたまはんとてしかるよしをのべて、日並皇子の皇太子となり給ひ、終に天皇となり給ひ、天下をしろしめすべきことをいへり。
問 春花之貴在等此六字、先訓にはるはなのかしこからんといへり。しかるべしや。此句の意はいかなる義にや。
答 先訓しかるべし。かしこからんといはん爲の冠句に春花のとはかけり。香といはん冠なり。かしこからんとは、帝徳のすぐれてたつとからんことをかねておもふよし也。
問 望月乃滿波之計武跡此九字、先訓もちづきのみちはしけんとゝいへり。訓もしかるや。義はいかなるや。
答 先訓しかるべし。義は帝徳の天の下に滿をよばんと云義なるべし。
問 天下を一云食國とあるは、いづれかまさるべきや。
答 義おなじかるべし。しかれども上に天下の句あればこゝは食國のかたまさるべき歟。食國の二字をしくにと訓べし。
問 四方之人乃此五宇、先訓よものひとのといへり。六言なれば、これをも七言によまゝくほしき也。いかが。
答 七言によむべし。上の飛鳥之の三字をあすかなるとよむべしといひし所に、下の句にも之の字をなるとよむべき所有といひしは、此句の之の字なり。よもなるひとのとよめば七言になりて、之の字なるとよみて、よもにあるひとのといふ句義也。
問 大船之思憑而此六字を、先訓におほふねのおもひたのみてといへり。或説に大船はのる心のたのもしげ成ものなれば、か(513)く云なりといへり。此訓も義もしかるべきことにや。
答 しかるべからず。たのむといはん冠辭にも、おもひといはん冠辭にも、大船といふべきことわりなし。思憑而の三字異訓有べし。いまだ的當とおもふ異訓の僻案なし。思の字は此集にさま/”\に用ゐたれば、もしうらと用ゐたる歟。しからばうらたのみしてといふ句歟、うらにかゝりてなどゝよむ歟。憑の字は日本紀にもかゝると用ゐたる古訓おほければ、よるとかかゝるとかよむには、大船の冠辭もかなふべし。おもひたのむといふ冠辭には紆遠なるべし。猶後案に一決すべし。しばらく缺てさしおくべし。
問 天水仰而待爾此六字、先訓あまつみづあふぎてまつるといへり。或説に、義は天水は雨也。ひでりに雨のくだるを待心なりといへり。訓も義も可v然歟。
答 天水の二字異訓あるべき歟。先訓にしたがひもすべし。皆これ日並尊の天下をしろしめさば、帝徳貴くみちをよぶべきことを萬民おもひをかけて、めぐみを天をあふぐごとくにあふぎのぞみてまちしに、いかにおぼしめしてか、天下をしろしめさずして、はやく薨給へることを下に述たり。
問 由縁母無、此四字をゆえもなくと先訓にいへり。可v然や。或説にはよしもなくとよめり。可不いかゞ。
答 由縁を故と云義なればゆゑとかく也。縁の字は延のかななればかな違へば、これは義訓有べし。僻案にはよしもなくなどゝよむべき歟、はしもなくともよむべけれども、それは一字にても有べきを、由縁の二字あれば、よしもなくにても有べからず
問 一云刺竹之皇子宮人と有。皇子の冠辭に刺竹といへる義いかなることぞや。
答 此冠辭其義まち/\にして、いまだ一定正義を得ず。聖徳太子の御歌にもさゝ竹の君はやなぎと詠給ひ、さゝ竹の大宮人ともありて、天皇或は皇子或大宮人など、皆朝廷帝徳を稱するに竹を用ゐたる古語歟。しからずば箕といふものは竹を以てさしくみたる物故に、箕といふ冠辭にさゝ竹さす竹などゝいへる歟。よりてきみといふにもさゝ竹といひ、皇子といふにも刺竹といひ、宮といふにも刺竹といふにや。上古の冠辭の俗義によれば、箕の冠辭といはん古風にかなふべし。
問 歸邊不知爾爲、此六字を先訓ゆくへいさにしてといへり、しかるべきや。
(514)答 義はさるべけれども、句例みえねば異訓有べし。不知爾の三字いかにと義訓すべき歟。しからば六字をゆくへいかなるとよむべくおぼゆる也。
 
169 茜刺日者雖照有烏玉之夜渡月之隱良久惜毛 【或本云以件歌爲後皇子貴殯宮之時歌反也】
 
問 此反歌の意如何。
答 日は天皇に比し、月を皇太子に比してよめるとみるべし。義明らかなる歌也。
問 或本云以件歌爲後皇子貴殯宮之時歌反也とある後皇子貴とは、いづれの皇子をさしていふにや。
答 貴は尊の字のあやまりとみえたり。後皇子尊は高市皇子の御子也。歌反は反歌の顛倒なるべし。後皇子の薨給ふ事すゑにあり、委くいふにをよばず。
 
或本歌一首
 
170 嶋宮勾乃池之放鳥人目爾戀而池爾不潜
 
問 島宮勾乃池之、此六字を先訓しまのみやまがりのいけのといひ、又勾の字をとまりのともかなをつけたり。いづれか可なるや。
答 とまりのいけのとよめるは誤也。古本朱に書入にも、二條院本シマノミヤカリノイケ尤用v之とあり、可v然也。
問 仙覺注釋云、此歌の發句おほくはしまみやのと點ぜるおほかるべし。證本とおぼしき本共にはしまのみやと點ぜり。皇子尊宮の舍人慟作歌どもをもちて心得合するに、しまのみやとよめるこれ全たき歟。或はくにしられてしまのみやはもとよめり。或はみたちせししまをみるときともよめり。或はたちばなのしまのみやにはあかぬかもともよめり。或はあさひてるしまのみかどにともよめり。しまのみやと和すべしとえらばれたり。第二句又あるひはまがりのいけのと點じ、あるひはまなのいけなると點ず。二條院の御本の流をみるに、しまのみやまがりのいけのと點ぜり。放鳥の事|有《或カ》抄には、みこのみやのかはせ給ける鳥をそのみやうせ給ひにければ、しまのみやの池のうへにはなたれたりける也。さればこのはなちどりは、その鳥とは名をはさ(515)すまし日本紀には、かもをぞ多くこの池にはゝなたれたりけるといへるとかけり。此はなち鳥といへるはかひたる鳥を後にはなちたるにはあらず。池にはなつとき遠くとびちらせじとて羽ねをよきほどに切てはなちおきたるを放鳥といへるなるべしと有。此説可v然や。
答 此池にかもをおほくはなたれたるよし日本紀にみえたるとは非。日本紀天武卷に、周芳國貢2赤龜1乃放2島宮池1といふことはあり。はなち鳥の事は、羽をきりて池にはなちかひ給ふといふ義しかるべし。籠にいれてかひ給へる鳥を薨後にはなちたるといふ義はかなはず。その證池のはなち鳥と有詞にてしるべし。
問 仙覺、注釋にもはなち鳥島の宮とよむべき事など長くいへども、人目爾戀而といふ句を釋せず。此句心得がたし。下にいけにかづかずといへることあり、何故に放鳥のかづかぬにや。
答 人目爾戀而此五字異訓有べし。僻案にはこの五字をひとめしかれてとみるなり。皇子尊の御在世の時は人めしげき故に、放鳥も人めをおそるゝものなれば、池にかづきてかくれもせしに、今ははや皇子尊ましまさねば、まがりの池のほとりに人めかれて、放鳥の池にかづかぬを、はかなくあはれによめるなるべし。鳥は皇子尊のましまさぬをもしらずして、人めのかれゆくをしりわきまへずして、池にかづかぬぞ、かへりてはかなくあさましくあはれなりと見る歌なるべし。
 
皇子宮舍人等慟傷作歌廿三首
 
171 高光我日皇子乃萬代爾國所知麻之島宮婆母
 
童子問 高光の二字を先訓にたかてらすといへり。可v然訓にや。
答 高光の二字、たかてらすも高照の二字もあれば先訓もしかるべし。しかれども古語にはたかひかるといふ證語あれば、たかひかるとよむべし。
問 國所知麻之、此五字くにしられましと先訓にいへり、可v然や。
答 しかるべからず。國とは食國のことなれば、くにしらさましと訓べし。
問 島宮婆母、此句いかなることにや。
(516)答 此集にあまた有詞也。皆嘆息の辭とみるべし。
又問 嘆息の辭を何とて婆母とはいふや。
答 これは語釋の傳によることにて、歌の詞の釋にはをよばぬ事なり。しかれども婆母は疑詞にて、やもといふがごとし。婆は濁言にてま也。さればまもになる也。まもはまことかもといふ義になる也。言は天下をもしらし給ふべき島の宮といひしはまことかも、まことにはあらず、むなしきこと也と、ことをうたがひて歎慨する意有ときの詞としるべし。
 
173 高光吾日皇子乃伊座世者島御門者不荒有蓋乎
 
問 此歌の蓋の宇は、益の宇の誤りならずや。
答 誤りなり。
 
175 夢爾谷不見在之物乎欝※[手偏+邑]宮出毛爲鹿作日之隅囘乎
 
問 此歌の欝※[手偏+邑]の字心得がたし。※[手偏+邑]は悒の字の誤りならずや。
答 誤りなり。
又問 欝悒の二字、先訓おぼつかなといへり。歌の意おぼつかなにては此詞意やすくきゝ得がたし。賢按の異訓はなきや。
答 僻案の訓はこゝろうく也。
問 佐日之隅廻は古今集の歌にさゝのくまひのくま川と有、同所歟。隅廻の二宇はあやまりにはあらずや。
答 古今集のひのくま川、同所也。さゝのくまと有は誤りなり、さひのくま也。傳寫の僞としるべし。高市郡にあり。高廻一本に隈回と有を正とす。
問 御立爲之、此四字を先訓にみたちせしといへり。御館を作りしといふことにや。
答 しからず、皇子尊の立臨み給ひしをいふ也。みたちせしとよむはあしゝ、みたゝせしとよむべし。
 
182 鳥※[土+(一/血)]立飼之鴈乃兒栖立去者檀岡爾飛反來年
 
(517)問此鳥※[土+(一/血)]立の三字を、先訓とくらたちといへり。〓の字誤字ならずや。訓義もしかるべきや。
答 ※[土+(一/血)]は栖の字のあやまりなるべし。訓もとくらたちはいかゞ、とくらたてとよむべし。
問 鴈乃兒を或説にとくらは鳥屋也、かりの子は鳧の子也といへり。鴈の字を書てかもの子也といふ義心得がたし。しからばかな書にても有べき事也。鴈の字を書てあれば、直に鴈を古くはかりともいひたるにあらずや。
答 疑問ことわりいやちこなり。鴈の字あれば鳧のをとは云がたく、鳧の子にもせよ、鴈の子にもせよ、とくらをたてゝかひしといふを水鳥にはいかゞときこゆ。僻案はこれに異也。鴈の字は鷹のあやまりとみる也。日本紀にも雁と鷹と傳寫の誤りあり。そのうへ此日並尊狩し給ひしこと、此集の卷第一の柿本人麻呂の歌に日雙斯皇子命乃馬副而御獵立師斯時者來向と有歌にてもいちしるじければ、鷹を飼たまふなるべし。それを薨去あれば皆放ちやるを、舍人のかなしみいたみて、今放ちやるとも檀岡に飛反きたれとせめてのをによめるとみる也。
 
184 東乃多藝能御門爾肄伺侍昨日毛今日毛召言毛無
 
問 此東の字を、先訓にひんがしのといへり。古語はひがしとのみいふにて、ひんがしとは、後に讀法によみもしいひもするにあらずや。しかるを歌に今日よむとても、ひんがしのとよみても害なしや。
答 疑問ことわりいやちこ也。ひがしとのみいふ古語なれば、東の字をひんがしとよみならへども、歌にはひがしとのみよむべし、ひんがしとはよむべからず。さればこの東乃の二字ひがしのとよめば四言なり。古風にしたがひて四言一句も有べし。しかれども此舍人等の歌廿三首の内、只此一首のみ四言一句あることも疑ひなきにあらず。よりて僻案には、東乃二字をにしむきのとよむ也。此多藝能御門西に向たらば、東の御門といふにおなじかるべし。かくよめば五言一句になりて義もたがふべからず。前にも向南山の三字きたやまのとよめる訓例もあれば也。
 
185 水傳礒乃浦廻乃石乍自木丘開道乎又將見鴨
 
問 仙覺注釋に、この歌第四句古點にはこくさくみちをと點ず。その心をえず。もくさくみちをと和すべし。もくさくとはしげくさく也といへり。此説しかるべきや。
(518)答 しかるべからず。石乍自の三字いはつゝじともよむべけれども、もくさくといふ句例もなく、又こくさくみちといへることも心得られず。よりて僻案は誤字有として、訓も義も異也。
問 水傳の二字、先訓はみづつてのといへり。これも異なるや。
答 みづつてといふ義心得がたし。水つたふとはいふべし。猶正義訓有べし。しばらくみづつたふにてさしおく也。
問 礒乃浦囘乃、先訓いそのうらわのなり。異訓有や、句意如何。
答 これは異訓有べからず。礒の浦といふ名所には有べからず、嶋宮なれば、池をほり山を築き、岩をたゝみ、海浦の形勢をもうつされたるを、直に磯の浦囘とよめるなるべし。上の歌にも島之荒磯ともあるにてしるべし。
問 石乍自、此三字いはつゝじとよめる先訓、賢案とは異なるはいかなるや。
答 石乍自はいはつゝみと僻案にはよむ也。自の字みづからと訓あればみとよむべく、此集に例もあり。岩にて堤を築かれたるをいふなるべし。しからざれば次の句いはれず。
問 木丘開道乎、此五字先訓を難ぜられたる上は、賢訓はいかなることにや。
答 開は關の字の誤りなるべし。木丘關にてこくせきとよむべし。石路岩徑をこゞせきともこゞしきとも古語にいへば、磯の浦回といふよりに、石堤の道はこゞせき道とよめるに縁あり。歌の意嶋宮の山海の形勢をうつさせ給へれば、磯の浦ともいふべき景色にて、石堤などのこゞしき道を皇子尊のましませし時は常に徃來せしも、今より後は復見るべからぬををなげく風情ときく也。
 
187 所由無佐太乃岡邊爾反居者島御橋爾誰加住舞無
 
問 此歌の所由無の三字を、先訓よしもなきといへり、これは如何。
答 この歌の所由無の三字をよしもなきといへば、所の字あまれるに似たり。これはゆゑもなきといふ訓かなふべき歟。猶異訓有べきか。
 
188 旦覆日之入去者御立之嶋爾下座而嘆鶴鴨
 
(519)問 此歌の旦覆の二字先訓あさぐもりといへり。これはあしたよりくもりたる日の入たるといふ義にみるべきや。
答 旦覆の二字は異訓有べし。疑問のごとくにては日覆るといへる詮なし。くもに入とはいふべし。あさぐもり日の入ゆくとはいふべからず。
問 賢案の訓はなきや。
答 なきにもあらねども、的當の訓ともおぼえねば、さしおきて後學の賢訓をまつ也。
問 的當ならずとも、しひて賢按の訓を示したまへ。
答 僻案はあしたにおほふと書たる字なれば、あしたの雲の名をいふべし。よりて横雲にといふ義字歟。皇太子の横薨をいはむとて横雲に日の入といへるは、暮の雲にこそ日入べきに、横雲にひの入とは、出給ふべき時節にかへりてかくれ入たまふを横雲にとよめる歟。横といふ詞おもしろかるべし。しかれども猶賢訓あらん歟。
問 日之入去者此五字、先訓はひの入りゆけばとあり、可v然や。
答 ひのいりぬればとよむべし。おなじ心にても、いりゆくといふよりいりぬるといふは、句例もあり、義もまたやすかるべし
 
189 旦日照島乃御門爾欝悒人音毛不爲者眞浦悲毛
 
問 此歌の欝悒の二字も、おぼつかなと先訓にいへり。可不いかゞ。
答 此歌にてはおぼつかなといへるは義よろしけれども、上句におぼつかなときりて、下句に眞浦悲毛といへる二きれになる也。古歌にも新歌にもこれを不v好事なり。第三句は第四句につゞく句にあらざれば、好句とせず。されば此歌にても心うくといへる、第四句につゞきてよろし。しかれ共猶好訓有べき歟。
 
191 毛許呂裳遠春冬片設而幸之宇陀乃大野者所念武鴨
 
問 此歌の春冬片設而の五字を、はるふゆまけてと先訓にいへり。まけてといふ句意いかなることにや。
答 まけてはまふけてといふことにもなるべけれど、しからば設の字にてことたりぬべく、片の字あまれり。まけての訓は正訓には有べからず。僻案にははるふゆかけてと爲也。衣といふよりはるとうけ、衣は身にかけるものなれば旁言の縁も有べし。(520)片の佐字かたの訓のかをかり、設の字まふけのけをかりて、かけるとみる也。
 
192 朝日照佐太乃岡邊爾鳴鳥之夜鳴變布此年己呂乎
 
問 仙覺註釋云、此歌第四句古點にはよなきかへさふこのとしごろをと點ず。これ又其心をえず。この句をよなきかへらふと點ずべし。其故はみことのみや御かくれのゝち、かのみこのみやのとねり、さたのをか〔べにかよひける歌さきにすてゝみえたり。あるひはあさひてるさたのをか〕《補》べにむれゐつゝわがなくなみたやむときもなしともよめり。あるひはたちはなのしまの宮にはあかぬかもさたのをかべにとのゐしにゆくともよめり。しかればかのとねりら、さたのをかべにとのゐしにゆきかよふことの、とぶ鳥などの夜あくればなきてかへるに似たるとよめる也と有。此義いかゞときこゆ。可v然や。
答 しかるべからず。仙覺などは皆臆説のみにて故實にしたがはず。故實といふは、古語の例句の例といふものをしりてこそ此集を解すべきを、句例にも語例にもよらずして文字の上ばかりにてよめば、語意はきこえても歌にあらず。歌といふものは歌の句格句法句例ありて、俚諺俗談にことなるものあり。此歌も夜鳴變布の四字をよなきかへさふとよむも歌にあらず、歌にあらずといふ句例なし。又よなきかへらふとよむも、おなじく句例みえず。かくよみては俗語にて雅語にあらず。僻案は甚こと也變布の二字誤字なるべく、夜鳴も異訓有べし。さらずしては歌ともみえざる也。猶字例句例の例證有にしたがひて正義を得べき也。
強て問 賢按の異訓的當ならずとも示し給へ。且變布の二字思ひよらず、二字の内いづれか誤字ならんや。
答 夜鳴の二字異訓いまだおもひよらず。夜鳴、字のまゝにてよるなきとよむべし。よなきといへば俗言になり、よるなきとかよはなきとよまば俗言ならじ。誤といへば、變の字戀の字のあやまりにて、戀布の二字はこひしきとならではよみがたし。しかれどもこひしきとよめば、よなきこひしきと七言にてはよなき俗言なればしかるべからず。よりて夜鳴の二字に異訓有べしとはいふ也。さるから僻案をしひていはず。されどもしひてとへるにつきていはむ。戀の字は此集にてはわびとよむ所あまたあれば、布はぬのゝ首音をかり用ゐて、夜鳴戀布をよるなきわびぬとよむべき歟。しかよむ歌の意は、朝日悲岡邊になく鳥は夜る鳴くべきにならず、朝の日にむかひて音をあらはす鳥の、かへりて夜るなきわびぬること此年比ありしを、舍人のおもひ出て(521)不祥を示したる歟と今おもひ合せて愁傷する歌と見る也。
 
193 八多籠良家夜晝登不云行路乎吾者皆悉宮道叙爲
 
問 此歌の八多籠良家の五字、先訓やたこらがといへり、可v然や。句意いかなることにや。
答 やたこらがは八田子等之といふ義ときこゆる也。田子は田夫をいふ古語、あまたの義に八といへるか。家の字は、音には此集ケと用ゆる例にて、かと用る例なし。そのうへ濁音のかと用ゐたるもいかゞなり。僻案には我の字の艸を※[我の草書]とかけば、家を誤りて、家※[我の草書]似たれば眞に書て家になりたるなるべし。もし八多籠良はやつこらと通音に用ゐたる歟。しからば奴等と見て、賤夫の者の畫夜をすてずかよふ檀岡路を、吾者といへると、舍人のさながら宮にかよふ道とぞするとよめるなるべし。
問 皆悉の二字をさながらと先訓にいへり、可然や。
答 しかるべし。
 
柿本朝臣人麻呂献泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首并短歌
 
194 飛鳥明日香乃河之上瀬爾生玉藻者下瀬爾流觸經玉藻成彼依此依靡相之嬬乃命乃多田名附柔膚尚乎劔刀於身副不寐者烏玉乃夜床母荒良無【一云何禮奈牟】所虚故名具鮫魚天氣留敷藻相屋常念而【一云公毛相哉登】玉垂乃越乃大野之旦露爾玉藻者※[泥/土]打夕霧爾衣者沾而草枕旅宿鴨爲留不相君故
 
問 人麻呂一首の歌を皇女子二人に献らるゝ義心得がたしいかゞ。
答 疑問ことわりいやちこ也。是は泊瀬部皇女に奉れる歌とみえたり。古注にも或本引用せるしかるべし。疑らくは、忍坂部皇子に奉れる説あるを傍注にしるしたるが、混じて本文に入たるにても有べし。忍坂部皇子の五字は去べき也。歌もまた皇女に奉れる詞とみゆる也。
 
飛鳥明日香乃河云云
 
問 此長歌仙覺注釋にも、只一句劔刀の釋をくはへたるばかりにて、惣意を釋せられず。歌の首尾心得られず。疑らくは訓にた(522)がへる歟。先生の賢按有べし、悉く示したまへ。
答 此歌につきては誤字誤訓有とみえたり。僻案なきにあらず、問にしたがひていふべし。
問 飛鳥明日香乃河之上瀬爾、此十一字先訓にはとぶとりのあすかのかはののぼりせにとあり。賢按の訓とおなじきや。
答 ことならず。しかれども上瀬の二字を僻案の訓にはかみつせといふのみたがへり。
問 生玉藻者下瀬爾流觸從、此十字先訓にはおふるたまもはくだりせにながれふれふるといへり。如何。
答 ことならず、下瀬をしもつせと訓。
問 彼依此依靡相之、此七字先訓にかよりかくよりなびきあひしといへり、可v然や。
答 句意はしかるべし、訓はしかるべからず。彼依此依の四字句例ある七言の訓有べし。相の字は根の字の眞を※[木+(日/ヒ)]ともかけば相の字と似て混誤したる歟。靡根しなるべし。相の字にてはやすからぬ所すゑにもあり。此外の歌にても根しとみればいとやすき句例あれば、誤字とおぼゆるなり。しかれども相之の二字にても此歌此所にては義に害なければ、しひて改むにをよぶべからず。僻案には※[木+(日/ヒ)]の字とみる也。
問 嬬乃命乃、此四宇いものみことのと先訓にいへり。しかるべしや。
答 しかり。嬬の字はいもともよみ、つまともよみ來れども、いもといへば婦妻にかぎりつまとよめば、俗訓にて婦人男夫をさしてもいふ詞なれば、兩用の通語なれば、つまのみことゝよむ義もあるべけれども、上より玉藻といひかけ來れば、いものみこと然るべし。すなはち川島皇子のいもは泊瀬部皇女なれば、此所のいもは泊瀬部の皇女をさしてよめるなるべし。しかれども此詞を川嶋皇子を指ていふとみれば、つまのみことゝよむべし。兩案好むにしたがふべし。歌の詞につきては、いもの命は泊瀬部皇女とみゆれども、始終の意を貫きては川嶋皇子とみゆるなり。
問 多田名附、此四字先訓にたゝなつくといへり。可v然や、義はいかなることぞや。
答 たゝ名つくともたてなつくにてもおなじかるべし。これは柔といはむ爲ばかりの冠辭なるべし。たゝなつくは盾を並べつくと云詞なるべしたゝなべていなさの山と古詠に有によれば、盾は矢をさけん爲につくものなれば、たてならべつくの義に(523)て、矢といはん冠辭なるべし。俗言にも楯をつくといふ語例有。うへにたゝなべてといふ句例によりてさはきこゆるなり。
問 柔膚尚乎、此四宇先訓にやははだすらをといへり、如何。
答 尚の字をすらと訓ずる例も有べけれども。此歌にてはすらの詞有べからず。僻案の訓にはやはらはだへをと爲。尚はうへとよみ又はかみともよめば、やははだがみを共よめる歟。やはらはだへとよむかたまさるべし。
問 劔刀於身副不寐者、此八字先訓につるぎたちみにそへねゝばといへり、可v然や。此一句仙覺注釋に、つるぎたちとふたつにはあらざるか。常のたちかたなといへるは、片齒にはをつけたる也。つるぎたちといへるは、劔などの如く|うらうへ《兩方》にはをつけたるときこえたり。此集の第十一卷の歌に、つるぎたちもろはのときにあしをふみしにゝもしなんきみによりなばとよめる也とあり。此義可v然や。
答 つるぎたちとは古は二名一物とみえたり。つるぎといふ所の古語にたちともあり。日本紀古事記等を參考してしるべし。かたなといふは片刃のものにて、つるぎといふとはこと也。後世はかたなをもたちと云は故實に異なるべし。此劔刀、身にそへといはん爲のみの冠辭なり。劍もたちも身にそへてはなたぬから此冠辭有なるべし。
問 名具鮫魚天氣留、此七先訓なぐさめてけるといへり。訓義いかゞ。
答 先訓の外異訓有べからず。義は川嶋の皇子を慰めたまへるといふ義とみるべし。
問 敷藻相屋當念而、此七宇を先訓しきもあふやとゝおもひてといへり。何とせん心得がたき訓ども也。もし賢案の訓はなきことにや。
答 此先訓は信用しがたし。前にいふごとく相の字もし根の誤りにてあらんや。しからば敷藻の二字一句にて異訓ありて、相屋常念而の五字はねやとおもひてとよむべき歟。しかれども此集卷十六竹取翁の歌に、信巾裳成者といふ句あり、此句しきもとみえたれば、古語にしきもといふ名ある歟。ひじきものには袖をしつゝもなどゝよめるも、本よりしきもといふ名ありて寢屋に敷物の名歟。さらば敷藻の二字しきもといふは古語なるべし。相の字をそへてしきもあふとは句例もなければ、相の字に異訓有べし。相は此集にまくとよまねば義かなはぬをあまたあればしきもまくといへる歟。まくはまふくを略してまくといへ(524)るにや。舗設といふこと常語なれば、敷裳をまふくといひて屋常とつゞけたる歟。屋常の二字をやどゝはよみがたし、やとことよみて、屋床しのびてとよむべし。
問 玉垂乃越乃大野之、此八字先訓たまだれのこすのおほのゝといへり、如何。
答 此訓はあやまり也。玉だれのことつゞくることなし。玉をたるゝは、緒を用ゐたれば、をとつゞけんために玉だれのをちぬとよめるを、鈎の字の音を用ゐたる説甚誤りなり。其證すなはち此歌にて明也。古注者或本を引て越智野といへる是也。一云乎知野爾過奴ともいひて、緒といはん爲に玉垂のと用ひたる冠辭也。古今集に玉垂のをかめとよめるを、玉だれのこかめとよむ誤り先達古語にくらきより、あやまりをつたへたることおほし。これは僻案にも及ばず、明かなる事也。
問 玉藻者※[泥/土]打、此五字を先訓たまもはひぢぬといへり。又一訓にのたまもはひぢつといへり。いづれか是なるや。
答 たまもはひぢつとよむべし。打はうちうつとはいへども、ぬといふ音出る所なし。
問 不相君故、此四字あはぬきみゆゑと先訓にいへり、しかるべきや。
答 此故の字前にもいふごとくからと用たる歌おほし。さればこの歌にてもあはぬきみからとよむべし。歌の意は、泊瀬部皇女川嶋皇子をしたひ給ひて、葬りし越智野に墓詣したまへるよしをよめる歌とみれば、おのづから句意こと/”\く明かなるべし。
 
反歌一首
 
195 敷妙乃袖易之君玉垂之越野過去亦毛將相八方【一云乎知野爾過奴】
 
問 敷妙乃袖易之君、此七字を先訓しきたへのそでかへしきみといへり、可v然や。
答 しかるべからず。凡此集にて敷の字を皆しきとよみて句をあやまれること、あげてかぞへがたし。敷妙の二字はうつたへなるを、敷の字をうつとよむことをしらざるより皆しきとよみて、しきたへとは何のとやんともうたがへる人一人もなし。語釋を學ばず、古語にくらき故なり。うつたへとは、うつは賞美の詞にて、打麻打酒打木綿うつたへ、うつし國、その例すくなからず、たへは布の名也、布は麻にてもし木にてもして、衣服に用るもの也。よりて白栲とも書也。袖といはん冠辭也。されはうつた(525)へのそでかへしとよむべし。かへしとは袖をかはせしといふ詞也。はせしを約してへしといへる古語也。袖をかはせしとは、我そでを君に打かけ君の袖をわれに打かけたるといふ也。君とは川島の皇子を指てみるべし。
問 玉垂之越野過去、此七字先訓たまだれのこすのをすぎてといへり、是は誤にや。
答 誤れり。玉垂はをといはん冠辭のみ。越野はをちのとよむべし。證一云乎知野爾と有にてしるべし。過去の二字をすぎてといふては助語、かならず過去の二字はすぎぬるとよむべし。しかればたまだれのをちのすぎぬるとは、川島皇子を越野に葬送するをいふ也。
問 亦毛將相八方、此六字先訓またもあはんやもといへり、是はよろしきや。
答 是はよろし。
問 一云乎知野爾過奴、此六字はかな書のちがひのみ歟、義にもたがひ有るや。
答 句のたがひなり。越の字音はをつ也。をつををちといふは、くはつをくはちといふ類ひ也。をつのといはず、をちのといふ證此一云にて明か也。
問 此過奴は川嶋皇子ならず、泊瀬皇女の過行給ふと見る説はなきや。
答 あり、長歌に合せては、反歌の君を泊瀬部皇子を指て人麻呂よめるとみる方勝るべし。しかれども此反歌には、河嶋皇子を葬送する越野といふことをよめるとみる説もあしきにもあらねば、好む所にしたがふべし。
 
萬葉集卷第二童子問 終(【原本、乙、三終と有】)
 
(526)萬葉集卷第三童子問(【原本、三ノ一、子とあり】)
 
雜歌
 
天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
 
童子問 此天皇とはいづれの帝にや。
答 第二卷のすゑに寧樂宮と標題ありて、此卷の初に標題なければ元明天皇歟。しからずば、此次の御製女帝の御歌とみゆれば持統天皇歟、兩帝の内なるべし。
 
235 皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬爲流鴨
 
問 雷岳仙覺注釋に、三諸岳のことてゝ日本紀雄畧天皇の卷を引て、賜v名爲v雷と有文を擧たり、此説たがはずや。
答 たがはず。
問 皇者、此二字先訓すべらぎは又はすめろぎはとあり、或本の歌には王の一字を書ておほきみはと先訓にいへり、いづれか正訓ならんや。
答 三訓皆相かよはし用たればいづれにても可也。しかれども歌の詞に用ゐ來るには、おほきみはと用ゐたる古葉の躰也。後來は王の字をすめろぎとはよまず、おほきみともたゞきみとのみよむ也。
問 廬爲流鴨、先訓いほりするかもなり、いほりするとはいかなる義にや。
答 三諸山に行宮有てましましけるをいふなるべし。
 
右或本云獻忍壁皇子也其歌曰王神座者雲隱伊加土山爾宮敷座
 
問 忍壁皇子先訓おしかべのみこ也、たがはずや。
答 おさかべのみこといふべし。
(527)問 宮敷座、此三字先訓みやしきいます也、異訓はなき歟。しきますとはいかゞ。
答 異訓有べからず。敷とは稱美の辭也。ふと敷立、高しきなども古語にいふたぐひと見るべし。
問 雷岳を雷山ともよむべきや。
答 よむべし、いかづちのをかいかづちやま相通しいふなり。又かみをかの山といふも此雷山のこと也。
問 神山とは賀茂山をいはずや。
答 賀茂山をも神山といふは雷山の義也。古來雷をかみと呼來れり、なる神といはずたゞ神とのみもいへり。大和にて神山といふは三諸山の事なり、山城にて神山といふは賀茂山のこと也、別雷の神山也。
問 雲隱、此二字先訓くもがくれといへり。雲かくれいかづちとはつゞきがたからずや。
答 しかり、くもかくすとよむべし。
 
天皇賜志斐嫗御歌
 
問 此嫗字、先訓おうなといへり、たがはずや。
答 嫗は老女の稱也、和名に 無奈とかけり。女のかなはを也、おにあらず、しかるをおむなとかけるは、老のかなおいなればおいをんなを略せる語と心得べし。今おうなとかけるは、神主これをかんぬしともかうぬしともかく類の通例也。
 
236 不聽跡雖云強流志斐能我強語此者不聞而朕戀爾家理
 
問 志斐能我、此四字のかな能は助語とみるべき歟、我といふにて之たりぬべきに、能我の二言を用ゐる例も有にや。
答 此能はなとよみて、志斐能の三字にて志斐嫗の略詞とみるべし。なはおんなのなにて、之にはあらざるべし。
問 志斐は嫗の名とみえたり、傳もしれたるにや。
答 傳は未v詳、志斐は氏なり。姓氏録に志斐連大中臣同祖とみえたり。
問 此者、此二字先訓このごろなり、者の字をころともよむにや。
答 此は比の字の誤りなるべし。比者にてこのごろと用ゐる義訓なるべし。
 
(528)志斐嫗奉和歌一首 嫗名未詳
 
237 不聽雖謂話禮話禮常詔許曾志斐伊波奏強話登言
 
問 志斐伊波奏、此五字先訓しひいはまうせ也、しひいと有伊の字は助詞にや。
答 伊は天皇の御製に據れば、能の字の誤りなるべし。斐は餘音いなれば、語の下に助音の辭を用ゐる例もあれば志斐伊ともいふべけれども、能の字の艸傳寫の※[言+爲]に伊とかけるとみる義やすかるべし。此集の誤字枚擧に遑あらねば、誤字誤訓を正すちからなくて、誤字誤訓のまゝにみては一首も作者の意にかなふべからず。しかれども誤字を改め誤訓を正す事たやすかるべからず。此集の全篇に融通し句例句證をしり、古語新詞を辨へしる人にあらずしては、いかでかをよぶべき。妄りに改正せば又臆説臆見牽強附會おほかるべし。たゞその人に在べし。
 
長忌寸意吉麻呂應詔歌一首
 
問 意吉麻呂、これを先訓にいきまろといひ、亦をきまろともいへり、いづれか是にや。
答 兩訓ともにあらず、おきまろなり。意の字をいと用ゐるは後人の所爲也、古事記日本紀并此集その外古記は皆おといふかなに用ゐたり。いきまろとよむは日本紀の意美麻呂をいひまろといふたぐひにて、古記の訓をしらぬ人のいふこと也。意の字は皆おのかなに用ゐて、をのかなに用ゐることなし。意吉麻呂は奧麻呂と有是也。おみ《意美》麻呂は臣麻呂と有是也。
 
238 大宮之内二手所聞網引爲跡網子調流海人之呼聲
 
問 内二手、此三字先訓うちまでといへり、或先訓にはうちにてと有、いづれか是ならんや。
答 うちまでといふ訓是也。二手の字をにてとよめは下の所聞の二字をきこゆとよむべからず、きくとよむべし。
問 二手の二字までとよむは、二の字は又といふ義にや。
答 此集に左右の二字をまでと用ゐたれば、左右の手の義とみるべし。
問 網子調流、此訓も義いかゞ。
(529)答 調流は何にそろへるなどいふ義也。網子をあごといふ義也。網子をあごとよむはあみこの略也。直にあみことよみて調流の二字をしらぶるともよむべき歟。好むにしたがふべし。
問 此歌の惣意いかに心得べきや。
答 此歌は内二手所聞の五字の句にきゝたがへ有べき歌也。いかにとなれば、網引をするとて網子を調流聲は大宮の内にてきくべきことにあらぬを、今大宮の内にて海人の呼聲をきくはいと珍敷ことに感有をよめる歌とみておもしろかるべけれど、此義は非なるべし。其證端書にて辨ふべし、應詔歌とあればなり。内二手所聞、是をうちにてぞきくとよめば、奧丸獨聞くに似て私に憚有、うちまできこゆとよめば、私聞のみにあらず上下皆聞也。されば應詔は此海人の聲のきこゆるにつきて歌よむべき仰ごと有てよめるなるべし、よりて應詔歌と書歟。さらばうちまできこゆとよめる訓公私にわたりてよろしかるべし。
問 大宮の内までとあれば、此大宮は常の大宮には有べからず、いかゞ。
答 此大宮は行宮なるべし、難波などに行幸の時の事なるべし。此歌につきては持統天皇の時とみえたり。
 
右一首
 
問 此大宮の歌は、端作にも歌一首とあればまぎるべくもあらぬを、右一首と書るはいかなる意にや。
答 此集撰者の文にはあらず、是は古注者の文なり。もし右一首の下に注文もとは有しを脱失したる歟ともみゆれど、此集末にも幾所も右一首とかける所あれば、悉脱失したるともいひがたければ、もとより下に注文はなかるべし。僻案には、應詔とあるは撰者の文なれば、此詔ありし年月等をも考て注すべきが爲に、注者先右一首と書ておきたるまゝにて世に傳はりたるなるべし。此集再補の撰の勅もなければ、私に補撰して注を加へたる書とみゆれば、如2草稿1の集なるべし。よりて長皇子歟。
 
長皇子遊獵路地之時柿本朝臣人麿作歌一首并短歌
 
239 八隅知之吾大王高光吾日乃皇子乃馬並而三獵立流弱薦乎獵路乃小野爾十六社者伊波比拜目鶉己曾伊波比囘禮四時自物伊波比拜鶉成伊波比毛等保理恐等仕奉而久堅乃天見如久眞十鏡仰而雖(530)見春草之益目頻四寸吾於冨吉美可聞
 
問 長皇子は天武帝の皇子歟。
答 しかり。
問 獵路池、或説に石見國にありといへり、しかりや。
答 獵路池いまだ考得ず岩見國といへるは人麻呂の作歌と有によりてさる説有歟。歌の編次を見るに、攝津歟大和歟に在べし。長皇子石見國まて遊給ふべからず。僻案には大和により所あり。
問 八隅知之、此四字やすみしゝと先訓にあり、又一先訓にやすみしるとあり、いづれか是なるや。
答 やすみしゝ古語也、やすみしるは後人の臆説なり、用ゆべからず。
問 吾大王、此大王を或説に天武天皇を指といへり、いかゞ。
答 長皇子を指べし、其證古語に例あり。そのうへ此長歌の結句に吾於富吉美可聞と有、是即長皇子を指ていへり。
問 高光、此二字先訓たかてらす也、又一先訓にたかくてる也、いづれか是にや。
答 古語はたかひかる也。
問 弱薦、此二字先訓わかくさ也、一先訓にわかごもと有、題に獵路池とあれば、薦は水草なれば、弱ごもといふ訓然るべきか
答 しかるべからず。薦席藁曰v薦※[草冠/完]曰v席也。蒋とあらばこもとよむべし。わかくさといへる是也。薦は食薦などいふに穉蒋食薦などいふこと有。薦の字は、くさとか、かやとか、すゞとかよむべし、こもとよむべからず。此長歌も池に生たる蒋の義にはあらず、獵路の小野といはん冠詞に弱薦とあれば、かるとつゞけん爲のみの冠詞にて、池によれる歌の詞にあらず。此獵路とつゞけたる詞によれは輕池歟、又は輕は大和の地名にて人麻呂の妻の居たる地なれば同所なる歟、猶考べし。
問 伊波比拜目、此五字先訓いはひふせらめ也、一先訓にいはひをがまめ也、いづれか是にや。
答 是兩義也、好むにしたがふべし。ふせらめといふ義は、第二卷に人麻呂の歌の詞に鹿目物伊波比伏管とあれば、その句を證として、拜目の二字をふせらめとはよめるなるべし。をがまめとは八隅ししといふ故語を證として正訓に拜目ををがまめとは(531)よめるなるべし。兩義ともにすてがたけれど、第二卷の歌を證としてふせらめのかたまさるべし。
問 伊波比回禮、此五字先訓いはひめぐれゝ也、一先訓にはいはひもとほれ也、孰か是にや。
答、この詞もすでに第二卷の人麻呂の歌にみえたり。その上此歌の末の句にも伊波比毛等保理とみえたれは、めぐれゝはよろしからず。
問 春草之益目頼四寸、此八字先訓わかくさのましめづらしき也、一先訓はるくさのいやめづらしき也、いづれか是にや。
答 春草をはるくさとよむには異義有べからねども、首に弱薦の二字をわかくさとよみたらば、春草もわかくさとよむべし。古葉の一格は後葉とはたがひて、首にいひたる句を後にもいふことを是とすれば、おなじこと葉有べし。益の字ましは正訓ながらも句例すくなければ、いやとよむかたまさるべし。
問 わか草といふはすべて春の草をいふ歟、もし正月中までの草をいふ歟、二三月の草にてもわか草といふべふや。
答 わか草といふに月日の數限有こともなく、すべて春草をいふ事なれども、上古は大概の限りも有歟。此長歌の春草弱薦字を異にかけるには意有歟、刈とうけん爲の弱草なれば薦の字を用ひ、目頬四寸といはん冠辭のわか草なれば春草と書る歟。わか草は芽の出ていまだ大にならざるをいふ義なれば、生て七日までもいたらざるをいふべし。若菜といふもこれにおなじかるべし。史記五帝本紀は黄帝弱而能言と有注に、潘岳有哀弱子篇、其子未2七旬1曰v弱とあるは七十日にならざるをいふ歟。此義によれば草生じて七十日にならざるを弱といふ義ならば、春三月にもわたるべき歟。所詮若草のつまといふも角芽の義なればいまだ葉廣にならずのびざる間をいふとしるべし。
 
反歌一首
 
240 久堅乃天歸月乎網爾刺我大王者蓋爾爲有
 
問 仙覺注釋云、此歌古點には、久かたのそらゆく月をあみにさしわがおほきみはかさになしたりと點ず。濱成卿和歌式には、あまゆく月をあみにさしとかけり。空といひあまといふ同じけれども、古語には久かたのあまともいひあめともいふ也。ひとりだちにいふときにあめつちともいひ、あめにあるなどいふ、これ女聲なり。又ひさかたのあまかはらなどいふ常の事也。ま(532)とめと同行相近の故に、男聲をよべばあまといはるゝ也。此歌の落句かさになしたりとよめるは、その心詞こまやかならず。和歌式にきぬがさにせりといへる尤よろしきにや。此歌の心はひばりあみの、月のごとくまろにすきたるをもちたるはきぬがさに似たれば、そらゆく月をあみにさしわがおほきみはきぬがさにせりとよめる也とあり、此説是にや。
答 濱成卿の和歌式古訓なればしかるべし。久方のあめあま相通用ながら、古語はあめと用ゐたり。あまといへば助語を用ゐてあまの川あまのはらあまつ風のたぐひ也。
問 或説にきぬがさは皇子御獵にめしたる笠也。絹をもつてぬへる御笠也。その御かさの丸成をほめんとて月をあみてしたるみかさと云心也といへり。此説いかゞ。
答 しかるべし、蓋の字を書たればきぬがさなるべし。此時の皇子の蓋の制、月形などを網にさしたる御蓋なる歟、蓋の制は儀制令に大概みえたれども、月を網にさしといふ制に似たる制はみえざれば、若遊獵にめされし蓋異なるか、只此歌にてその別おしはかるべし。
 
或本反歌一首
 
241 皇者神爾之坐者眞木之立荒山中爾海成可聞
 
問 眞木之立、或説に眞木は※[木+皮]也、※[木+皮]は深山に立ものなればよめりといへり、深山に※[木+皮]の木のみあらばこそさもいふべけれ、もし※[木+皮]山などにかぎりたる山故に此詠有にや。
答 眞木を※[木+皮]と心得るは非也、たゞ木のこと也。山には木あれば山の冠辭に木立といへり。木とのみいへば歌詞にあらず、よりて發語をいひて眞木とはいふ也。たゞ此句のみにあらず木の板屋といふを眞木の板屋といふがごとし。眞木の板屋は※[木+皮]木にかぎりてする板にあらず、柱をまきばしらといふも、竹柱にもあらず、木のはしらを眞木柱といひ、草屋藁屋にあらで木の屋といはんとて眞木の屋といふが如し。ま木立山などいふを※[木+皮]立山と心得たる人あまた注にみえたるは、古語をしらぬ人の所爲なり
問 荒山中爾海成といふ義、いかゞ心得侍るべきや。
答 此反歌にて見れば海成は獵路の池を堀せ給ふことをよめるなるべし。山中に海をなし給ふことを神變の如によみなして(533)天皇を稱し奉る歌ときこゆるなり。此反歌によりてみれば、此時天皇の命によりて獵路の池を堀せ給へるにつきて、長皇子も此池を遊覽に出給へる歟。長皇子の池を堀せ給ふにあらざればにや、皇者神爾之坐者と有なるべし。前の蓋の歌は長皇子を稱し奉りたるとみえ、此歌は天皇を稱美し奉る歌とみゆれば、反歌一首と定本には載たるなるべし。しかるを古注者、或本には此反歌を載て、定本の反歌はのせざるを見て再載せるなるべし。
問 或本反歌は、一本には此反歌もあるを脱落したるかとおもひて載たるにあらずや。
答 しかるべからず。或本反歌一首とあれば、定本も或本も反歌は一首とみえたれは、脱漏を補ふには有べからず。
問。池を海ともいふべき證ありや。
答 和漢共にいかほどもあり、文選を見てもしるべし。此集の中にても例證あり、考合せてしるべし。
 
弓削皇子遊吉野時御歌一首
 
242 瀧上之三船乃山爾居雲乃常將有等和我不念久爾
 
問 御歌並春日王の和の歌、共に訓義ともうたがひもなくきこえれども、異訓異義など有ことにや。
答 異訓異義有べからず。
問 春日王とはいづれにや。
答 志貴皇子の子なり。
問 或本の歌を柿本朝臣人麻呂之歌集出とあるは人麻呂の歌といふ異説にや。
答 しからず、人麻呂集に出とは、弓削皇子の歌を人丸集には第一句を三吉野之とあり、居雲を立雲と有て、文字の異をあらはせるなるべし。人麻呂歌ともみるべからず。
 
長田王被遣筑紫渡水島之時歌二首
 
問 水島を仙覺注釋に肥後也とて、風土記云、球麿乾七里、海中有v島、稍可2七十里1、名曰2水嶋1、云云出2寒水1、逐v潮高下、云云とかける是歟。
(534)答 是なり。水嶋の名のおこり、日本紀景行天皇の紀を見てしるべし。
 
245 如聞眞貴久奇母神左備居賀許禮能水島
 
問 此歌の居賀といふ詞心得がたし、いかゞ。
答 此賀は哉《カナ》といふ賀なり、疑ふ詞のかにはあらず、嘆の意有賀也。居といへるはかの仙覺引用る風土記の説にて心得らるべし。海中にむかしより居て變らざるを稱したる義也。
問 許禮能水嶋、此句は此水島と云詞と聞ゆる也。今ならばこゝの水嶋と讀べきを、これの水嶋とは云可らず。是古葉の詞にや
答 能の字を今は皆のとよむが故に、此疑ひ有なるべし。むかしはおほく能をなと用ゐたる也。さればこれな水嶋といひてこゝの水島この水島といふ詞にはあらざるべし。これぞ水島これや水島などいふごとき水嶋を、むかし今に變ぜざるを眞貴久神さび居かな、水島はこれかなといふ意に稱したるを、これな水島とよめる歌とみるべし。
 
246 葦北乃野坂乃浦從船出爲而水嶋爾將去浪立莫勤
 
問 仙覺注釋に、葦北の野坂の浦は肥後國也とあり、是なりや。
答 是なり。
問 同釋云、此長田王歌二首有中に、さきの歌には神さびをるかこれのみづしまといへり、次の歌をみしまにゆかん波たつなゆめと點ずる事聊不審也、同所の名を心にまかせてたちまちにいひかふること、愚老管見にして未2見及1。みづしまにゆかんと點ずるもあながちにあしかるべきにもあらず。然てみしまにゆかむといへるは其義よろしと思へるにや、重待2後賢1治v思而已とあり。賢評はいかゞ辨給ふべけんや。
答 これは仙覺いへる是なり。前の歌にて水島の二字をみしまはとよまば次の歌みしまにゆかんにても有べし。前の歌をこれなみづしまと字留によまずば、兩首ともにみづしまとよむべき也。
問 長田王いづれの子にや。
答 長皇子の子也、長皇子は天武天皇の皇子也、第一卷にみえたり。
 
(535)又長田王作歌一首
 
248 隼人乃薩摩乃追門乎雲居奈須遠毛吾者今日見鶴鴨
 
問 此歌の意たしかに得がたし、遠くおもひしをけふちかく見るよしにや。
答 しかるべからす。又長田王作歌とあれば、肥後にて此歌も作れるなるべし。しかれば薩摩迫門は音にのみ聞しかどもけふは遠ながらもそことみることをよめる歌なるべし。雲居なすは雲居のごとくはるかにもけふ見る意なるべし。薩摩の迫門に至りてよめる歌とはみるべからず。
 
柿本朝臣人麻呂※[羈の馬が奇]旅歌八首
 
249 三津埼浪矣恐隱江乃舟公宣奴島爾
 
問 舟公宣奴島爾、此六字先訓ふねこぐきみがゆくかのしまにといへり、かくよまるべきにや、義も心得がたし。賢按の訓はなきにや。
答 下の句よみがたし。宣の字はのるとよめば、舟に乘の義なるべし。奴島をのしまとよめるはあしゝ。次の歌の野島とおなじこと也。日本紀の古語野は皆ぬとよむ、後にはのとよみて、ぬものも五音相通なれば害はなけれども、ぬしまとよむべし、古語也。此歌文字の漏脱したる歟、異訓有べくもみえず、しばらくさしおきて異本をまつべし。
 
250 珠藻苅敏馬乎過夏草之野島之埼爾舟近著奴
 
問 仙覺注釋に、この歌古點にはたまもかるとしまをすぎてなつくさのゝしまのさきにふねちかづきぬと點ぜり。又或本には第二句はやまをすぎてと點ず。ともに不2相叶1。みぬめと和すべし。むとぬと同韻相通也。讃岐をさぬきといひ、珍海をちぬの海と云がごとし。されば此集第六卷、過2敏馬浦1時山部宿禰赤人作歌、御食向淡路嶋二直向三犬女乃涌能とかけり。又同卷過2敏浦1時作歌、詞中云、八嶋國百船純乃定而師三犬女乃浦者とかけり。同反歌云、眞十鏡見宿女乃浦者百船過而可徃濱有七國、然則敏馬無v爭みぬめと和すべき也。されば今の第三卷※[羈の馬が奇]旅歌云、嶋傳敏馬崎乎許藝廻者日本戀久鶴左波爾鳴と云。第二の句、或本(536)にみぬめのさきをと和す、尤その心を得たるをや。第四句野嶋のさきと點ず、よろしからず、のしまがと點ずべし。第十五卷當所誦詠の古歌の中にも野島我左吉爾伊保里須和禮波とかけるなり。このみぬめは攝津國にあり、のしまがさきとは淡路國にありとみえたり。私云、攝津國風土記云、美紋賣松原、今稱2美奴賣1者神名其神本居2能勢郡美奴賣山1、昔息長足比賣天皇、幸2于筑紫國1時、集2諸神祇於川邊郡内神前松原1、以求2※[示+止]福2、于v時此神亦同來集曰、吾亦護v治、仍諭v之曰、吾所v住之山有2須義乃木1、各宜v材、採爲v吾造v船、則乘2此船1而可2行幸1、當v有2幸福1、天皇乃隨2神教1、遣2命作1v船、此神船遂征2新羅1、
 一云、于v時此船大鳴響、如2牛吼1、自v然從2對馬海1還到2此處1、不v得v乘、仍卜2占之1、曰神異所v欲、乃留置、
還來之時、祠2祭此神於斯浦1、并留v船以献、亦名2此地1曰2美奴賣1、敏馬浦此處歟
とあり、此説是なるや。
答 仙覺注釋是也。たゞ野嶋をぬしまとよむことをしらざるのみ也。風土記も眞記なるべし。
問 夏草乃野島とつゞくる義いかゞ、夏は草しげれば、夏草のしげる野とつゞくる意によめるにや。
答 しかるべからず。木は山に生草は野に生る故、野といはん冠句に夏草のとはよめるなるべし。木の神を山雷といひ草の神を野雷といふ神號の古義によるべし。
問 玉もかるの歌を新拾遺集に載らるゝにも、としまを過てとあり、其も誤りにや。
答 代々集に万葉集の歌をのせ、あやまらずして載られたるは數すくなし。古葉の學問をしりたる人なき故なるべし。此歌のみぬめは仙覺いへるごとく、此集の全編にわたりて考ず、みだりに字のまゝに訓ては、としまともはやまともよむべき也。舍人親王をいへひとゝよみ、やどとよむたぐひあげてかぞふべからず。
 
一本云處女乎過而夏草乃野島我埼爾伊保里爲吾等者
 
問 此一本の歌心得がたし。先處女の二字を先訓をとめといへり、をとめといふ地名有歟。
答 をとめといふ地名所見なし。然れ共處女の二字にてもみぬめとおなじかるべし。これ義訓を用ゐたる歟。處女は相見ぬ女の義をとりて、みぬめをとめおなじくいへる歟。風土記などにて決すべきこと也。
(537)問 吾等者、此三字先訓われはといへり。等の字をれと用ゐたる例あるにや。
答 等の字はらと用ゐたれば、この句もわらはとよむべし。我ことを古語にわらともわれともわろともかよはしいへり。
問 伊保里爲とは廬を作りて居ることにや。
答 しからず、後世はやどりすといふ詞也。
 
251 粟路之野島之前乃濱風爾妹之結紐吹返
 
問 粟路之此三字、先訓あはみちのといへり、淡の國の路といふことにや。
答 しからず、粟路あはぢとよむべし。初句を五言にせんとおもひて、あはみちのとよめるなるべし。古語古句をしらざる故也。四言一句いかほどもあればあはぢのとむかしはよめるなるべし。もし此句五言ならばあはぢなるとよむべし。之の字をなるとよむは義相通ふ也。大和のといふをやまとなるといひ、するがなるをするがのといふたぐひ、相通ふ詞なり。
問 濱風爾妹之結紐吹返、此句意は濱風のはげしきをいへるのみ歟、意有や。
答 たゞ濱風のあらきをいふのみの意にあらず、野島之埼の濱風といふ詞につきてよめる下句とみるべし。これ古語をしらずして此集の人麻呂の歌などと解べきにあらず。野島のぬといふを寢る詞にかよはしてよめるなるべし。妹之結紐をば、かのいせ物語にいへる、あひみるまではとかじとぞおもふとよめる夫婦の貞節をも、旅行の身心にまかせずして、濱風のあらきに吹返されてはとけぬべくなり行をよめる、人丸の心にあらぬことを含める歌ときこゆるなり。妹より外にはとくべからぬ心をもしらで、濱風はげしきにあへる旅行の述懷也。此歌によりてみれば、前の歌の處女乎過而の過而の二字、よきてとよむべきかとおもふ也。夜來ての詞にかよへば、ぬしまが埼にとはつゞけられたるなるべし。皆古葉の語を存たる作なり。古語古葉の句格をしらでは解すべからず。
 
252 荒栲藤江之浦爾鈴寸鉤白水郎跡香將見旅去吾乎
 
問 荒栲藤江之浦とつゞける意はいかゞ。
答 たへは布の名也、布に麁き強きあり。藤を布とする甚あらき布なれば、藤の冠句に荒栲とは置也。
(538)問 しからば麁布とこそ書べけれ荒栲と書義はいかに心得べきや。
答 荒は借訓也、栲は義訓也、上古布には栲の木の皮を以て布に織作れば、布の義に栲の字を用ゐ來れり。
問 栲の字を韻言字書あまた考へても布に作る木にあらず、上古より栲の字を用ゐ來るは、譯の誤りにあらずや。
答 譯の是非ははかりがたし。僻案には傳寫の※[言+爲]にて、後世栲になりたる也。本字は※[楮の草書]なるを、楮の艸を楮と書を、栲の艸※[木+考の草書]に混じて一書にあやまれるより、万卷に及びたるなるべし。
問 栲にもせよ、楮にもせよ、たへとよむは布よりいへるは、木の名はいかにといふべきや。
答 木の名はたくといふなり。よりてたくぶすまたくぬのなどいふ古語有也。
問 鈴寸鉤、此三字すゞきつるとよめり、鉤の字をつるともよむや、鈎の字の誤りならずや。
答 鉤の字にても義訓につるとよむべし。借訓とみるべし。釣鉤傳寫の誤おほければ誤字にても有べき歟。異本もし釣に書たるあらば誤字と決すべし。鉤にても誤訓と決すべきことにはあらず。
問 藤江之浦はいづくに在や。
答 播磨に在。
 
253 稻日野毛去過勝爾思有者心戀敷可古能島所見
 
問 稻日野、此稻日野播磨なるべし、いなみ野といはずや。しかるに今稱日野とかけるはひとみと横通故にかくもかけるにや。
答 伊奈美も稻日もおなじこと也。訓に書とき清濁にかゝはらざること此集の例也。音をかるには清濁の差別有なり。ひの濁音み也、よりて稻日の日の字清音にはいふべからず。濁音に備といふ歟、日の字を美《ミ》といふ歟也。日をひと清音によむは、語釋をしらぬ誤りなり。横通の義にあらず。
問 仙覺抄云、いなび野もかこの嶋も播磨國也、心戀しきとはこひしき也、ものを云にこゝろと云ことばをいひそふる事もあり、心よしとも心うしとも心かなしともいふがごとしと有、此説是にや。
答 古葉に心といふ詞をよむには、より所ありてよめり。たゞこひしきといふまでに心といふことをそふるにはあらず。此集(539)の句例句格ををしらざる説也。後にいふべし。
問 此歌の惣意は、稻日野の風景ををしみて行すぎがたくおもへば、又かこの島のみゆるにゆきてみばやとおもへば、心さだまらぬよしにや。
答 しかるべからず、人麻呂の風格地名によりて作られたる歌おほければ、此稻日野かこの島の名によりて此歌は解すべき也。※[羈の馬が奇]旅の情行てみばやの情よりは、名殘をゝしむ情まことなり。されば稻日野も行過がたきにをしむさへ有に、鹿兒の島の見ゆる名殘猶いやます情なるべし。いなびといふ名は心にしたがはぬ名にかよへば、むつましからぬ名の所なれども、それも立わかれむことをおもへはしたはるゝに、ましてわれにしたがふ名のかこの島のみゆる名殘をしむ情をよめるなるべし。これいなびといふと兒といふとの名につきてよめるとみえたり。されば心戀敷とよめるなるべし。心といふはこゝらとおなじく、あまたの意有所に用ゐる詞也。これ古葉の一格なり。此歌の思有者の三字をわびぬればとよむべし。しからずば心戀敷の三字をこころわびしきとよむべき也。あまた所|字《カ》名殘を惜むよしときこゆる歌なり。
問 一云潮見とあり、この潮見の二字はしほみゆとよむべきにや。
答 いな、しほみゆとよむべからず、うみゝとよむべし。古本にもうみゝゆとよめり。
問 思の字をわぶともよまるべきことにや。
答 此集全篇にわたりてみるべし。思の字戀字念の字、歌によりて、いづれもおもふとかしぬぶとかわぶるとか、縁にしたがひてよむべき也。されば先の歌の思有者の三字、おもへればといふ詞にては、れの言あまれるに似たり。おもへばにてたるべし。よりて此歌にては、思有者の三字わびぬればとよむかたまさるべき歟。しからば心戀敷の三字をこゝらこひしきとよむべし。かこといふ名につきては、わびしきといはんよりはこひしきとよむかたまさるべき歟。
問 こゝらこひしきといふならば、いなみ野の名殘をおもふに、かこの島のみゆるに慰む意もあるまじきや。
答 さる風情も有べけれども、稻日野毛といふ毛の字をみれば、心にいなむ名の所さへも過勝とよめるをみれば、戀しきかこの島もみえて名殘いやます風情有べき歟。慰む意は※[羈の馬が奇]旅の歌の情にはいかゞなるべき歟。それも歌によりてさる風情もあれば(540)好むにしたがふべし。
 
254 留火之明大門爾入日哉榜將別家當不見
 
問 仙覺抄云、此歌古點にはともしびのあかしのせとゝ和せり。せとゝほおほくは迫門と書てよめり。せはき所と聞えたり。大門とかきてせとゝ和すべからず。仍今あかしのなだと和する也。なだはなといふはなみなり、阿波國風土記云、奈汰【奈汰云事者其浦波之音無2止時1依而奈汰云海邊者波立者奈汰等云】たと云はたかき義也。海の面渺々として波高き所也。なだと云ははりまなだといへる心なるべし。よりてあかしのなだと和するなりと有、此説是ならんや。
答 大門をせとゝよむべき義もなく證もなければ、仙覺古訓改むる意は是なるべし。大門をなだといふ義はあたるべくもあらず。僻案には大の字は傳寫の誤りにて水の字なるべし。水と大とは眞にても字形誤りやすく、艸にても※[水の草書]※[大の草書]相近ければ、水門にてみとゝよむべし。是古語古訓なれば、人麿の歌おほく古語あれば也。なだといふ義歌の首尾にかなはず、せとは猶不v叶、水門はあかしのとゝいふにもおなじければ也。
 
255 天離夷之長道從戀來者自明門倭島所見
 
問 此歌の倭島を、或説に淡路にありといへり、しかるにや。
答 しかるべからず。倭島は大和の事なるべし。
問 島とあれば、大和にはあらざる歟。
答 大和島ねともいふ、秋津洲といひ、しき島、皆大和のこと也。
問 前の歌の明水門爾入日哉と有歌の次なれば、此歌は倭より石見などへゆける旅中の作にあらずや。
答 此人麿の八首の歌は一時の歌ともみえず、石見へ上下の歌をもまじへて八首の中に入たるなるべし。さみれば前のあかしの水門の歌は、石見へ下向の時の歌、此明門より倭島みゆとよめる歌は、石見より上京の時の歌とみるべし。その證據は歌詞の中におのづからそなはれり。
問 右の歌を新古今第十※[羈の馬が奇]旅歌、題しらず人麿、あまさかるひなの長ぢを漕くればあかしの戸よりやまとしま見ゆと載られ(541)たり。戀くればを漕くればと有は、人まろの歌を直して入られたること歟。
答 新古今時代にも、万葉集は本文よめざる故に、かながきの本にてもありしを正歌としてのせられたるにて有べし。戀來ればとありてこそ歌の情も顯れたるを、漕くればといひては歌の情もなきに似たり。そのうへ上にも下にも船ともあらば、戀よりは漕といはむまさるともいふべし。さもなければ、戀來ればこそまさるべし。たとひ戀來ればより漕くればといふ甚まさりたりとも、歌の聖ともあがまへる人麻呂の歌を、いかに新古今時代の歌人人丸よりすぐれたりとおもへるとも、人丸の歌を直して入らるべき理りもなく、あまりとては謙退辭讓もなき事也。されば改め直して入られたるにはあらず、万葉集の正本をみずして、かな書などの本の有たるを見て、それにしたがひて入られたるなるべし。此集第十五卷にも、安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊敝乃安多里見由と載たるを、古注者柿本朝臣人麿歌曰、夜麻等思麻見由とかけり。此等を以ても戀來ればなるを、漕くれはとあるはあやまりといはんや、ひが事といはんや、口を閉より外はなし。
 
一本云家門當見由
 
問 此一本云とは古注者の云歟、撰者の云ける歟。
答 古注者の引けるなるべし。家門の門は乃の字の傳寫の誤りにて、いへのあたりみゆなるべし。その證には前もいふごとく、此集卷第十五の歌には此歌を當時誦詠古歌の中に出して、下句安可思能門欲里伊敝乃安多里見由とあれば、これを一本云と引る歟、別に倭島所見を伊敝乃安多里見由と歟、家乃當所見とかありし歟、いづれにても異義有べからず。歌の意は、夷の長道を戀來れるに、明の門より人丸の家のあたり見ゆとよめる詞の中に、よろこべる情いはずしておのつがら顯れてきこゆる也。
 
256 飼飯海乃庭好有之苅薦乃亂出所見海人釣船
 
問 仙覺抄云、けひの海は越前也。にはよくあらしとは、海上の風波しつまりてなぎたるをばにはと云なり。にといふはやはらぐことばなれば、日のやはらぎたるをにはと云なるべしと有、此説しかるべきや。
答 日の和らぎたるをにはと云説用ゐがたし。俗に日和と書故に此説有歟。しかれども爾波とかなもあり、又は庭と云字を書たれば、和の字はかな違ひ也。
(542)問 飼の字をけとよむ義は、いかなる義にや。
答 飼は笥の字の誤りなるべし。
問 苅薦の二字をかりごもとよむ義は、いかなる義にや。
答 苅は刈の字を古來誤て苅と云書、薦は蒋を席にしたるを薦といへば、借訓にこもと用ゐたるなるべし。薦の字はすゞとよむ古訓なり。義訓にはかやとよみて、かるかやとよむべきことゝおぼゆれども、此集卷第十五に此歌を古注者引るに、可里許毛能美太禮※[氏/一]出見由安能都里船とあれば、ふるく苅薦二字をかりごもとよみたるとみえたり。しかれども第十五卷のかながきも古注者のしるしたれば、万葉集の本文にあらず、古注者より訓あやまれるにても有歟。第一卷に踪麻形の歌をも和歌に似ずといへるたぐひ、たがひもあまたあれば、苅薦の二字はかるかやにても有べき歟。蒋といふものかればとて、さのみみだれやすきものにあらず、かやはみだれやすければかるすゞもしかるべけれども、かるすゞは此集にては用ゐられても、古今以下の集の詞にみえず。かるかやのみだれをよめることは擧てかぞへがたければ、万葉古今の例に相通じて、かるかやとよむかたまさるべし
 
一本云武庫乃海舶爾波有之伊射里爲流海部乃釣船浪上從所見
 
問 一本の説に、武庫の海と飼飯海とは甚ことなれば、是非をいづれと辨べきや。
答 飼飯海は誤りなるべし。人麿越前國へ行たまへること此歌の外には万葉集中にもみえず、只此一首を證とせん事もいかゞなり。そのうへ一本に武庫の海とある上は飼飯海はすつべし。飼飯海の文字の誤り有も、本より第一句傳寫の誤有一證にもなるべし。
問 舶爾波有之、此五字先訓ふなにはならしといへり。しかれども舶爾波といふ詞も外にみえず、爾波ならしといふ詞もなし。いかゞ辨へ侍るべきや。
答 これ亦傳寫のあやまりなるべし。第十五卷の歌に武庫能宇美能爾波余久安良之とあれば、舶の字はすてゝ好の字を波の下有の上におくべし。しからば第十五卷の歌とおなじくして義もやすし。傳寫の誤りの證據には、此句もし前の歌と異ならば、古注者十五卷の歌の左位に異句をしるすべし。異句をし(以下缺)
(543)                (三ノ一子終)(以下原本、三ノ二丑トアリ)
 
鴨君足人香具山歌一首短歌
 
257 天降付天之芳來山霞立春爾至婆松風爾池浪立而櫻花木晩茂爾奧邊波鴨妻喚邊津方爾味村左和伎百磯城之大宮人乃退出而遊船爾波梶棹毛無而不樂毛己異人奈四二
 
童子問 仙覺註釋云、あもりつくとはあまくだりつくと云詞也。あまのかぐ山大和國也。此山の名を和するにかぐ山とも點じ、かこ山とも點ず。くとことは同韻相通なれば、いづれもいはれ有べけれども、來の文字をかけるところをば、こともくとも和すとも、具とかけるをはくと點ずべし。ことも讀むことわり有べけれども、そのまさしきいはれをとるべし。天のかぐ山とは空の香のかほるところなればいふといへり。空の香のかほるにつきて、天の香はことにうつくしければ、かぐと云べし。くと云はくはしと云ことば、くはしとはこまやか也、ほむる詞也。あもりつくあまのかく山とつゞけたる事は、空の香のかほりくればあもりつくともよめると心得つべし。又阿波國の風土記のごとくば、そらよりふりくだりたる山のおほきなるは、阿波國にふりくだりたるをあまのもとやまと云。その山のくだけて大和國にふりつきたるをあまのかぐ山といふとなん申す。此義によらば別の心得やうもいるべからず。あまくだりつきたるあまのかぐ山と云つべしと有。いづれか正義にや。
答 天のかぐ山を空の香來るなどは甚僻事也。香來山とかき又は香山とかきてもかぐ山と用ゐられたる故に、さる説をなすなるべし。大和を此集に山跡と書るにつきて山あとゝいふがごとし。皆文字につきて説を作りたれは古義にあらず。阿波國の風土記の説古老の傳なれば古義なり。此歌の詞も古義につきてよめるなるべし。文字にも天降付三字あもりつくとよみ來れることうたがふべからず。阿波國の風土記全記世にみえねども、古記に引用の文にみえたる説、天より降りたるよしあれば此歌にかなへり。天香山天よりくだりたるなどゝいふ由を今の世の人はうたがふべきことなれども、天香山にかぎらず美濃國の喪山の本源をも日本紀神代紀に載られたるにてもしるべし。本邦の教皆天を本として、帝皇をも天孫云云、人臣も天神の裔と傳へ(544)て、道の本源天に本づく教なれば、大和國の香山も、本天に有し香山の降りて地に付たるといふこと怪しむべからず。これをあやしまば天孫の天降り給ふことをも怪むべし。空の香のくだるなどゝいふ説本邦の神教をしらざる説也。
問 天降の二字をあもりとよめるは是にや。
答 此集のかなにかける所にも|あもり《安母里》とあれば是なるべし、是約語也、あめよりといふ約也。約言約語をしらざれば古語をときがたし。
問 木晩茂爾、此四字先訓にこのくれしげにといへり、しかるべき訓にや。
答 このくれしげには文字のまゝによめるなれば、歌詞になりがたし。僻案の訓はこれにことなり。晩は末なれば木晩の二字をこずゑとよみ、茂爾の二字をさかりにとよむ。此集は字義と歌詞と相かなふこと正訓とす。字義にかなひても歌詞に句例なければとらず、又歌詞にかなひても字義にそむくはとらず。これ予が此集の先訓にしたがはぬ一僻案也。故に予が改訓を必是ともせず、字義にかなひ歌詞にかなふ雅訓あらば又それにしたがふべし。必家訓をも是とすべからず、ただ句例にしたがひ古實にそむくべからず。
問 奧邊波鴨妻喚、此六字先訓におきへにはかもめよばひてといへり。奧邊とは奧と邊とのことにや、又かもめといふは鴎のこと歟、池に鴎すむべきにあらず。よりて鴨の妻をよぶをかもめよばひてといふ説あり。いかゞ辨へ侍るべきや。
答 奧邊は奧と邊とにはあらず、奧の方といふ義也。此集に行へといふへに邊の字を用ゐたることを考合せてしるべし。鴨妻は鴎とみるべし。香山の池甚大なるが故に奧も邊もよめるなり。常の小池には奧邊をよむべきことにあらず。如v海の池なれば水鳥皆集わたる景色をよめるとみえたり。大池には鴎もより來れる也。其證には此集第一卷舒明天皇の天香具山に登り給ひて國見し給ふ時の御製にも、海原はかもめたちたつと詠たまへる此海原は、香山に在池をのたまへること明か也。大和國に海はなし。人麻呂の歌に荒山中に海をなすかもとよめるも、獵路地の歌也。彼是を合せて大池を海とも歌には詠來れるは、池を稱美したる故としるべし。されば鴎すむことうたがふべからず。
問 味村左和伎と有味村とはいかなるものにや。
(545)答 鳧鴨の種類にあぢと云鳥有、必群をなす鳥故に、あぢむらと名附てよぶ。只あぢとのみもいふ也。俗にはあぢかもといふ是也。此集の末に山のはに味村さわぎとよめるも此鳥の事地。
 
反歌二首
 
258 人不榜有雲知之潜爲鴦與高部共船上住
 
問 有雲、此二字先訓あらくもとよめり、ありくるもといふ略にや。
答 あらくもあるもといふ詞をのべていふ詞也。古語にはのべてもいひ約めてもいふ也。
問 潜の字、いさりすると先訓にいへり、しかるべき訓にや。
答 しかるべからぬ訓也。あさりするとは義訓によむべき歟。たゞ正訓にかづきするとよむかたまさるべし。
問 鴦高部皆かづきする鳥にや。
答 高部は※[爾+鳥]也、沈鳥とあれば潜するとよむべし。潜はかづくともをよぐともよむ字なれば、水鳥は皆水にをよぎて、かしらを水の中へも入波をもかづくものなれば、かづきするとよむ義害有べからず。いさりすとはいふべからず。
 
259 何時間毛神左備祁留鹿香山之鉾椙之本爾薛生左右二
 
問 香山此二字をかぐやまと先訓にいへり。古本には香久山と有といふ人あり、しかりや。二字を正本とせんや、三字を正本とせむや。
答 香山の二字正本なるべし。古本の一本に香久山と有は、香山の二字かぐやまとよむことをしらずして、久の字を傍注したるなるべし。日本紀には香山の二字を書給へり。此集の文字は日本紀を本として書るとみえたれば、漏脱にては有べからず。
問 鉾椙、此二字を先訓むすぎとあり。鉾の字をむとよむ義も椙の字をすぎとよむ義も心得がたし。或説にむすぎとはわかき杉の事也といへり。此古語有ことにや。又一説にはむすぎとよむは誤也、ほこすぎとよむべしといへり。杉の木はすぐに立のびて鉾をつきたてたるやうに見ゆる故也といへり。仙覺註釋には、むすぎかもとにこけむすまでにとはふる木にもあらず、お(546)ひつきたる木のもとにこけのむすとよめるにや。生ずるをばむまると云がごとし。人の子をむすこといひむすめなど云も生じたる義なるべし。苔などの生たるをもむすといふ。おひしげりたる木のもとに苔むしたるとよめる也。おい木をばいふにもをよばずふる木にもあらず、おひつきたる木のもとにこけのむすまでにといふことは、上の句にいつしかもかみさびけるかとよめる故也とあり。いづれにかしたがひ侍らんや。
答 鉾の字をむとよむは音讀也、訓義にはあらず。椙の字をすぎとよむは誤字也、椙の字也、字の字も杉にはあたらぬことなれども日本紀をはじめ古記にあまた※[木+温の旁]の字を杉のことに用ゐられたり。古き字書により所ありて用られたるなるべし。勿論杉の字をも用られたる上は、飜譯の誤りともいひがたし。※[木+温の旁]をあやまりて椙に作れるは、後世傳寫の非としるべし。む杉とよむ先訓しかるべし。鉾の字にしたがひてほこ杉といへるは誤訓なるべし。ほこ杉といふこと類語もなし。ただ此一首の歌にみえたれば證據なく、義もまたほこ杉とよめる歌に便りもなし。仙覺の説むすこむすめなどの語を證例とせられたれども、むすこむすめといふむは、む杉の冠辭の類にはなるべけれども、むすめむすこのむをむまるといふことにはなりがたし。うむうまるとこそ古語にはいへ、むまるといふことなし。うまをむまとかき、うまるをむまるとかき、うもれをむもれとかくは、皆後世のことにて、古記にはみえず。むすぎもたゞ杉といふまでの詞にて、むは冠辭なるべし。ま杉といふかごとし。まみむめもの通音にて古語は通用常のこと也。さればむすこもますこ、むすめますめ、むまごもこれにおなじかるべし。若古歌には五音相通してより來る詞の縁にいへる歟。此下句もこけむすまでにとよめるが故に、むすぎがもとゝもいひても杉といはざる歟。むすぎをしひて解んには、繁茂をもすといへば、もすの約言むなれば、繁茂の杉の義也といはむは語釋にはかなへども、古語の格例によれば、たゞ發語冠辭をまといひ、むといひ、もといふ類ひと解む説まさるべし。
 
或本歌云
 
260 天降就神乃香山打靡春去來者櫻花木晩茂松風丹池浪※[風+火三つ]邊津返者阿遲村動奧邊者鴨妻喚百式乃大宮人乃去出榜來舟者竿梶母無而佐夫之毛榜與雖思
 
問 仙覺抄釋云、先にはあもりつくあまのかぐ山とこそはべりつるに、これはかみのかぐ山といへるは天降りたれば神もあ(547)まくだり給へるものなれば、よそへて神のかぐ山といへるにや。又神祇の兩字はともにかみとよむにとりて、祇をばくにつかみとよみ、神をばあまつかみとよむ也。さればあまつかみの義にて、神のかぐ山といへるは、すなはちあまのかぐ山と云心也と思へりけるにや。先賢の毫筆その心とき定めがたしといへり。いかゞ辨へ侍らんや。
答 仙覺本邦の古記の意をしられざる故に、臆説にいへる義皆あたらず。神のかぐ山の神の字、神祇の二字の差別いふべからず。神の字を冠辭におきてかみ某といふは、皆尊稱していふ古語の例也。山にかぎらず人にても物にてもその物を尊稱としるべし。義あまのかぐ山にことならず。神號にも天香山あればもし神號かとおもへる誤りも有べし。香山天よりくだり就山なれば、人作の山にあらざるよしを尊稱して、神のかぐ山とよめるなるべし。
問 木晩茂、此三字の訓前の歌とおなじかるべきや。
答 おなじかるべし。
問 或説に、此或本の晩字を一古本には作v暗といへり、正本にや。
答 作v暗本いまだみあたらねば、正誤をいひがたし。もし古本暗に作らば、前の歌の訓とは異なるべし。暗の字を末の意にはよみがたし。もししからばこぐらくしげりとよむべし。櫻花とあれば、こぐらくしげりは花の字にあたりがたければ、前の歌にては花の字によりて先訓を用ゐず。しかれども一古本晩の字を暗にかゝば、くらくとよむべし。正本正字にしたがひてよむべし。
問 池浪※[風+火三つ]、此三字先訓いけなみたちてといへり。立といふ字をかゝずして、※[風+火三つ]の字をかける意はいかゞ。
答 ※[風+火三つ]の字をたつとはよみがたし。前の歌の立の字の訓を用ゐたるなるべし。或本の字のたがひにては※[風+火三つ]をさわぎとよむべし
問 阿遲村動、此動の字先訓さわぎとあり。上の※[風+火三つ]をさわぎとよまば、此動字よみかへんや。
答 動字とよみとよむべし。異本のたがひとみるべし。
 
柿本朝臣人麻呂献新田部皇子歌一首短歌
 
261 八隅知之吾大王高輝日之皇子茂座大殿於久方天傳來白雪仕物往來乍益及常世
 
(548)問 日之皇子茂座、此六字先訓ひのわがみこのしげくますなり。しげくますといふこといかなる義にや。
答 皇子の二字をわがみことはよみがたし。ひのみことよむべし。茂座の二字をしげくますとよめる語例もなく理もきこえずしきますとよむべし。
問 大殿於、此三字おほとのゝうへにと先訓あり。上にしきますとあらば、此三字も異訓侍るべしいかゞ。
答 大殿於の三字みやにとよむべし。
問 天傳來自、此四字先訓あまつたひこしといへり。いかなる訓義にや。
答 自の字はおほくしの濁音に用たれは、こしとよむ訓義ともに心得がたし。もし誤字歟。僻案には、自はよりともよるともよめば、來自にてこると用ゐたる歟。しからずばそらつたひくる雪とつゞけたる冠句にて、下の往來乍益といふ句を起さん爲の冠句とみえたれば、たゞ雪は空をへて來るものなれば、往來の冠句に用られたる歟、此新田部の宮へは、天といふ山をもへて徃來する義をよせてよめる歟、はかりがたし。
問 雪仕物徃來乍益、此七字先訓にゆきじものゆきゝつゝませとあり、可v然や。いかなる義にや。
答 乍の字を古本の一訓にかつとよませたれども、つゝとよみたる先訓まさるべし。雪仕物は雪のごとくに、といふがごとく、徃來したまひてましませとよめるなるべし。
問 及常世、此三字先訓、とこよなるまでとあり、とこよなるまでといふ句義心得がたし。
答 及の字此集にまでと用ゐたれば正訓なるべし。しかれども常世なるまでといふ詞、何とやらん祝稱にはなりがたくきこゆるなり。若千万世の後は常住不變の世となるといふ説も有てさはよめるか。僻案には、常字は萬の字の誤にて、及萬世の三字にてよろづよまでにとよめる歟とす。
 
反歌一首
 
262 矢鈎山木立不見落亂雪驪朝樂毛
 
問 仙覺註釋云、此歌古點には、いこまやまこだちもみえずちりみだれ雪のうさぎまあしたたのしもと點ず。發句いこま山、矢(549)の字をいとよめることはさもはべりなん、矢をいと云詞有が故也。鈎をこまと和せむこと其心を得ず、是やつり山なるべし。第十二卷にもやつり川とよめり。山河かはれりといへどもその所是同じきをや。腰句以後又ちりまがふ雪もはだらにまゐでくらしもと和すべし。長歌にすでに、久かたのあまつたひこし雪じものゆききつゝませとこよなるまでとよめり。きたる心是おなじかるべしといへり。この釋しかるべきにや。
答 矢鈎山をいこまやまとよむべき義なきことは明かなり。しかれども仙覺異本をみずして古訓を難ぜるは非也。古本に一本鈎を駒に作たれば、矢駒山ならばいこまやま正訓なるべし。句中に驪字あればい駒山は縁有、矢つり山は縁なし矢鈎川あれば八鈎山ともよむべけれども、第一句の詮下の句に聞えねば、矢駒山しかるべし。然れども矢鈎山眞本正字ならば一僻案有。日本紀を案ずるに、八鈎宮は近飛鳥に在て、顯宗天皇此八鈎宮に即位まし/\たれば、此八鈎宮天武天皇までもつたはりて、新田部皇子に傳りてましませる歟。しからばすこしより所なきにあらず。たとひ顯宗帝の宮はなくとも、その宮跡に宮を營給へることも有べし。是一僻案なれども、日本紀にも八釣宮と書、此集第十二卷の歌にも八鈎川とかければ、第十二卷の八鈎川は飛鳥に有べし。その證第十二卷の歌飛鳥川をよめる次に八鈎川の歌をつらねたり。今八の字をかへて矢とかけるをみれば、矢駒山にていこまやまをよめる歟。しからすば矢は矣の誤にて、矣駒山にていくやまのとよめる歟。八鈎山は宮には縁あれども歌の詞に縁なければ、やつり山にはしたがひがたし。いこま山いく山二の中なるべし。
童子問 雪驪、此二字先訓ゆきもはだらにとあり。さるべき訓にや。
答 雪驪の二字を義訓にせばはだらともよむべき歟。驪の字をはだらとよむべき理りなし。驪は説文にも馬深黒色とあればくろうまとかこまとかはよむべし。はだれといふは雪の一名なれば、雪の一字をはだれとよみ、驪の一字をくろこまとよむべけれども、猶異訓有べき歟。
童子問 朝樂毛、此三字先訓まゐでくらくも也、可v然や。
答 右の三字はさもよまるべし、義有べし。歌の意は、人麻呂新田部皇子の宮にまうづることゝもきこえ、又は皇子の朝參のことゝもきこえて、いまだ一決しがたし。猶後按に決べし。
 
(550)從近江國上來時刑部垂麻呂作歌一首
 
童子問 此題の書樣は不v審、次にも柿本朝臣人麻呂從近江上來時至宇治河邊作歌とあれば、此題をも刑都垂麻呂從近江國上來時作歌と有べきことなり。しかるに次の標題とも異なるはいかゞ。
答 凡前後の例、姓名を上にあげて下に云々歌とあれば、此標題を垂麻呂從近江國上來時とはみえず、歌も亦馬莫疾打莫行といふ詞みづからのことにあらざる事明けし。
問 しからば上來とは誰人を指べきや。
答 柿本人麻呂なるべし。いかにとなれば、前の歌の題標に柿本朝臣人麻呂献新田部皇子歌と有次に載たれば、此從近江國上來るは柿本人麻呂、歌は垂麻呂也。されば人麻呂の歌は又次にみえたり。題と歌と合せてみるべし。
 
263 馬莫疾打莫行氣並而見※[氏/一]毛和我歸志賀爾安良七國
 
童子問 馬莫疾打莫行、此六字の二句、先生賢按によれば歌の詞うたがひなく、人麻呂を指て打莫行とよめる垂麻呂の意明かなり。只心得がたきは第三句に氣並而の三字也。これを先訓いきなめてと有、或説に息をしげく衝心也といへり。息をしげくつく心にて上下の句につゞきがたし。異訓有べし先生の賢按はなきや。
答 氣並而のうたがひうべなり。古語にも古句にも例證なければ、氣の字は馬の字を誤りたるなるべし。是僻案也。馬並而といひてこそ上下に相應の句なるべし。先賢皆誤字かとうたがへる説なく、文字のまゝに釋したる故に、万葉集わけもなきことになるなり。古詠は平易常道の理りを存たるものとしらずして異句異道によみなせる故、後人のまどひとなるなり。万葉集中の歌に氣並而といふ句例あれば、氣並而といひて馬なべてと云也ともいふべき異義も有べけれども、氣並而と云は只歌一首にかぎりたる句なれば、氣は馬の字の誤りなる事明かなり。万葉集を見るならひは、句例なきことは誤字誤訓とうたがひて、正字正訓をもとむべし。是此集を見る僻案の一傳也。
童子問 歸の字を先訓此歌にてこむとよみ來れり。この訓も訓例有ことにや。
答 訓例なし。歸の一字にてこむとはよみがたし。しかれどもおもむくとよめば、徃歸することにゆくとはよむべけれども、こ(551)むとはよみがたし。將歸ともあらばさもよむべき。たゞ此歸の字正訓にかへるとよむべし。
童子問 歸の宇正訓にかへるとよむべき義にても、垂麻呂は志賀の住人とみえたり。しかれば見※[氏/一]毛と有はいづくをみてもといふ義にや。
答 いづくを見てといふべき證はなけれども、人麻呂と別るゝ時の歌なれば、人麻呂の故里を指ていふべし、これ一據也。大和歟、石見歟兩國の中と心得べし。
 
柿本朝臣人麻呂從近江國上來時至宇治河邊作歌一首
 
264 物乃部能八十氏河乃阿白木爾不知代經浪乃去邊白不母
 
童子問 物乃部能八十氏河、此句につきて或説に、むかし應神天皇の御宇に、やそ氏と云ものゝふに家所を給りて此河のほとりに置かせ給ふより、やそうぢ川とは云也といへり。此説有ことにや。
答 日本紀をはじめ正記にみえぬことなれば、とり用ゐるにたらぬ説也。
童子問 或説に、物部の氏姓おほき故に八十氏川とはつけたりといふ説有、此説可v然や。
答 しかるべからず。氏姓は一姓わかれて數氏ともなる故に、氏はおほきといふ義ならばさもいふべし、物部氏にかぎりておほきといふ義なし。此説も取にたらず。
童子問 或説に物部は弓矢劔戟をとるものなれば、矢とつゞけむ爲に物部乃八十氏川といふ也といふ説有。此説しかるべき歟
答 此説はしかるべし、取用べし。
童子問 物部の矢とつゞけたる義はきこえ侍れども、宇治川を八十氏河といふ義はいかなる義にや。
答 此うたがひことわりしかり。古來八十氏川といふ義を解わびて、應神天皇の御宇にやそ氏といふ者此河の上に家所を給ふといふ妄説も出來るなるべし。此河を八十氏川といふに就ては僻案あり。古書に證明ありて、八十は八瀬なるべし。此宇治河大河をいはむとて八瀬河といふ義とみえたり。必瀬八にかぎるにはあらず、あまたの瀬有河といはむとて八瀬うぢ河といふなるべし。せとそと五音通用例すくなからず。八十瀬といふことも有は、八瀬よりおこれる古語なり。天安河是天八湍河といふ傳(552)有、これにしたがへば八瀬宇治河理りやすし。
童子問 此人麻呂の歌の意いかなる義あるや。
答 此物乃部の歌は、見る人の好む道に義を求むべき歌也。論語曰、子在2川上1曰、逝者如v斯夫、不v舍2晝夜1と有聖語の意とも解むにもたがふべからず。しかれどもかの聖語も註釋まち/\にして、いづれか仲尼の本意なりと決すべき。しかれば此歌の意も人麻呂の意にかなふかなはぬ、いづれの説にしたがはんや。只僻案には論語の聖語によらず、標題と合せて此歌を解べき、是人麻呂の本意ならん歟。されば此歌は晝夜を不v舍の義にはあらず。人丸近江國にも寄寓せられたるとみえて、從近江國上來とあれば、大和國へ上り來れるなるべし。その路なれば宇治河邊にて不知代經浪を見て、身上に比して去邊しらずもとよめる實意なるべし。冠句に物乃部能とよめるも身上に比する歌、故に人倫の冠句を置て、身上を網代木にいさよふ浪のごとく、我身此すゑの落着をもしらず、旅寓の題を詠じ給へるとみる也。此外の意は有べからず。強て義を求めばいか樣にもいふべけれども、題によりて歌は心得べき事なれば、旅行の意趣を全とすべし。前後旅行の歌なれば、只宇治河の邊にての詠ならば子在川上曰の題にも通じ見るべし。ゝからざれば旅情の題と見る也。
 
長忌寸奧麻呂歌一首
 
265 苦毛零來雨可神之崎狹野乃渡爾家裳不有國
 
童子問 仙覺抄釋云、三輪のさき五代集歌枕には大和國としるせり。然而此みわさき近江歟、近江に三和社あり。今歌の前後の歌近江の詞有故也とかけり。此説しかるべきや。
答 しかるべし。
童子問 或人の説に、此歌の神埼は近江にてもなし、大和にてもなし、紀伊國にさのといふ所近きわたりに三輪崎といふ所あれば紀州といへり。此説はいかゞ侍らんや。
答 紀州に三輪崎の同名もさのといふ地名も有べし。しかれども此歌の前後皆近江の歌を列られたれば、中に一首紀州の歌有べきにあらず。此歌より後他國の歌あらば紀州ともいふべし。勿論八十氏川の歌は山城なれども、標題に從近江國上來時至宇(553)治河邊作歌とあれば、近江國の歌に列すべきことなり。宇治河その末は近江國田上川の末也。彼是みな近江國の歌の列にあり。紀州の三輪崎の歌、中間に一首何の故を以て列ねんや。紀州の説は甚非也。近江國に三輪崎有事をしらざる人の説なるべし。文字に神之崎とあれば、これをみわとよまずかみとよむべしといはむには、證據にしたがふべし。神の字をかみとよみても三輪のことになる證例も有、又神の字を三輪とも訓來る據もあれば、いづれにても義にたがふべからず。古記の證明にしたがひ、此集中の例にもよるべし。
童子問 此集中に近江に三輪とよみたる證歌もありや。
答 第一卷にも據有ことなり。
童子問 正記の證明有にや。
答 延喜式神名帳近江國神前神社是也。此集第七卷の歌にも、神前と書てみわのさきとよめる歌あり。是も近江國なり。彼是古記の證明あれば、此歌の神埼は近江國に決すべし。
童子問 苦毛、此二字くるしくもと先訓にあり。旅行は雨のふるは苦しきこと故にさもよむべけれども、歌の上に苦といふほどのこともみえざれば、もし異訓などはなきことにや。
答 第二句にふりくる雨かとよめる、くる雨とつゞく詞の縁に、くるしくもとよむ義も有べけれども、僻案には苦毛の二字を義訓になして、あまなくもとよむべきかとおもふ也。苦は甘味無ことなれば、無甘の義に苦の字を用ゐたる歟。あまなくもといふ詞は、あは嘆詞にてあゝといふにおなじ、間なくもといふ詞なれば、ふりくる雨の冠辭、旅行野邊に家里もなき所にて間無ふりくる雨は、心うかるべき理をいはずして聞ゆべき也。
 
柿本朝臣人麻呂歌一首i
 
266 淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努爾古所念
 
童子問 此歌の下句こゝろもしのにいにしへぞおもふとよみ來りて、或説に心もしのにといふは、しのとはしげきと云詞也といへり。心もしげくといふ義にてはつゞけがら心得られず。いかなる義ならんや。
(554)答 しのにといふ句をしげき心にてもしげくと解釋するは、和語のてにをはをしらぬ人の釋也。しげくといひてはにといふ詞を助語に用ゐがたし。しゞになどいふもおなじかるべし。此集の歌にあまた有詞なれば、全篇にわたりて釋すべし。先下の句の訓もしかるべからず。僻案の訓はこゝろもしぬにむかしゝのばるとよむ也。此むかしと指所は志賀の都のことゝ見るべし。人麻呂近江の舊都の歌上にもみえたり。そこと引合て見るべし。
 
志貴皇子御歌一首
 
267 牟佐々婢波木末求跡足日木乃山能佐都雄爾相爾來鴨
 
童子問 山のさつをとは、或説に薩人と云も同じ、弓をよく射て常に山に入て獵するものゝふの名也といへり、可v然や。
答 しかり獵人の事也。ことのおこりは神代卷にあり。
 
長屋王故郷歌一首
 
268 吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成嶋待不得而
 
童子問 仙覺注釋には、此歌第二句古點にはふるへのさとのと點ぜり、其詞よろしからず。いにしへの里のと和すべし。古家いにしへと和する事傍例是あり。しま待かねてとはしばまちかねてと云也。しばしをしまといふ同歌相通の故也とあり。此説しかるべきや。
答 仙覺注釋はしかるべし。
童子問 此歌に吾背子我とあるは、長屋王の妻を指てよめる歌ときこえたり。此歌男も妻を指て背子とよむ證明歟。
答 此背子を妻を指ていふ證明にはなるべからず。凡背子とは婦より夫を指ていふ古語なれば、此背子を妻と見るべからず。背子は父兄尊長の稱なれば、此歌則君父を指てよみ給へる歌の證とはすべし。長屋王は天武天皇の孫高市皇子の子なれば、天武天皇皇居はあすか清見原なれば、天武帝にても高市皇子にても、古家の里とよみ給へるに相叶ふべし。古家の二字を仙覺いにしへと改めよめるは、かなにも相叶ひて去家の義も有べし。古注者の案に從明日香遷藤原宮之後作此歌歟といへるは、歌(555)意にかなふべし。嶋まちかねては明日香川の千鳥によせて、千鳥の川嶋もうつりかはりて淵となりて、今は嶋もなくなりたるを、二たび又嶋も出來むことをまつ心に、あすかの人民都の立かへらんことを待意によめる御歌と聞えたり。嶋を暫|暖《マヽ》々の意に相かよはせる歌なるべし。不得而の三字をまちかねてとよみても義あたるべけれども、まちわびてと義訓によまゝほしき歌也。
童子問 此歌に千鳥の歌にしては、嶋をまちわびてなくことわりはきこえ侍れども、此嶋をしばといふ義にては何をまちわびてなくにや。
答 第一句に吾せこがいにしへのとつゞけたる所にまちわびるせ子有べし。
童子問 此歌婦人の歌にしてみれば心得やすくきこえ侍れば、もし此長屋王の妻か又は女かなどゝいふ文字脱せるにてはなきや。
答 此發揮の疑問は理僻案にも相かなへり。此次の歌に阿倍女郎の歌入たれば、此歌婦人の歌にても有べし。しかれば吾背子我いにしとよめる所も理り相かなひ、歌の心も婦人の情にして、千鳥にみづからを比してよめる歌とみたき歌也。しかれども古注者の時分にも長屋王とのみありしとみえて、從明日香遷藤原宮之後作此歌とあれば、問をまちて答ふる也。古註者の釋も悉く相かなへるにあらざることあまたみえたれば、今疑問の脱字有とおもへる説にしたがふべし。後人知る人しるべし。
 
阿倍女郎屋部坂歌一首
 
269 人不見者我袖用手將隱乎所燒乍可將有不服而來來
 
童子問 仙覺注釋云、やけつゝかあらんきずてきにけりとよめるは、やけつゝとはよけつゝと云也。此歌詞かすか也といへども、よめる心は、やけつゝかあらんきずてきにけりと云は、かたみの衣の心也。發句人めにはと點ぜり。人不見とかけるはしのびにはと云べし、傍例あり、此歌の心は、かたみの衣をきたりともわが袖もちてかくさましを、かのかたみの衣をすてたるにやきもせできにけりとよめる也とあり。此釋あたるべきや。
答 かたみの衣何事ぞや。題の屋部坂歌と有を何と心得たるにや、甚僻事なるべし。
(556)童子問 此歌仙覺注釋の外に古人の釋もみえず。先生賢按の説ありや。
答 あり。しかれども尾の句、一本に來の一字のみあり、普通の本には來來の二字あり。此來々の二字につきて猶異訓有べき歟。來々は有來の二字なるべし。ゝからば僻案の訓義あり。第二句の人不見者の四字古訓にひとめにはと云る事、字にもあたらず義にもそむければ、仙覺改めてしのびにはとよめるはまさるべし。古訓一本にはひとみずはとよめり。これも人めにはといふよりはまさるべし。僻案にはしのびなばとよむ。所燒の二字をこがれとよみ、不服而有來五字をきもせでありけりとよむべし。歌の意は屋部坂の歌と題にあれば、此歌の詞によりてみれば、此坂木不2生茂1して有をみて、戀歌の格によみなし給へるとみえて、しのびなば我袖をもちてもかくさんに、何とて來らざる事ぞといふを、木のおひしげらざるに比してよみ給へるとみる。こがれつゝはこひこがるゝおもひにはこがれて來らぬを、木枯て木不v繁とよみ給ふなるべし。木の生繁るをもすといふは古語也、茂の字の音にはあらず。神代下卷杜樹枝葉扶疏と有、扶疏の二字を古訓にしきもしとよむ。是にてしるべし。
 
高市連黒人※[羈の馬が奇]旅歌八首
 
270 客爲而物戀敷爾山下赤乃曾保船奧榜所見
 
童子問 仙覺註釋云、あけのそほぶねとは、そほぶねは小舟也、舟をばあかくいろどるものなれば、あけのそほ舟と云。山もとは所の名也、筑後の國に有にや。但是はあけといはん爲の諷詞に山下のとおけるにや、夜の明るには山のはよりしらみはじめてあけわたるによそへて、山下のあけのそほぶねとよそへよめる也。又此歌は戀の心とみえたれば、旅にして人をこふとて、いをもねずして山もとのあけわたるをみると云心も有べしとあり。此説いかゞ侍らんや。
答 あけのそほぶねは、船をばあかく色どるといふ説はしかるべし、そほ舟を小舟也といふ説はあたらず、小船を色どる物にはあらず、大船とはいふべし。歌の詞には奧榜所見と有にてしるべし。小船ならば奧に榜もみゆべからず。凡船を色どるは海獣をおどさん爲に龍頭鷁首なども書くことあり。又山もとの事所の名といふ義はしかるべし。※[羈の馬が奇]旅の歌にはおほくその旅行の地名を詠む古實なれば、此歌の山下も所の名をかねてみれば此所歌也。筑後の國に有にやといふ説はうけられず、山もとゝいふ所はいづ國にも有べし。此歌を筑後の旅行とみる證明有べからず。次に歌に年魚市方あれは、年魚市方同國と見るべし。然らず(557)ば國ならびに有所の名とみるべし。山本といふ地名は攝津國にも美野《マヽ》にも古名あり、山下といふ地名は下野國にあれども、年魚市がたにつゞく地名を求むべし。
童子問 そほぶねといふこと小船にあらずば、いかゞ解せんや。
答 そはさとおなじく發語の詞とみて、帆船と解すべし。
童子問 初句たびにしてといふ詞此集いく所もあり。時代の詞と見侍らんや、今の時には好むべき詞にもあらざるべき歟。
答 しかり。僻案には客の一字にてたびねと用ゐてたびねしてといふ五文字歟とおもふ也。猶此集中の歌ども參考へて見るべし。
童子問 物こひしきにとは、故郷のこひしき心に見侍るべきや。
答 戀の字必こひと限りてよむべからず。此歌にはわびしきと訓方まさるべし。
童子問 此歌の物戀の二字をものわびとよまば、第一卷の高安大島の歌に旅爾之而物戀之岐乃と有句もさよむべきや。
答 大島の歌もゝのわびしきとよむ方まさるべし。彼歌に旅爾之而と有。此爾の字はねと通し用ゐたる歟、禰の字の誤字歟。猶集中の文字の例證にしたがふべし。
 
271 櫻田部鶴鳴渡年魚市方鹽干二家良進鶴鳴渡
 
童子問 櫻田部は三字にて地名にて候や。
答 いな櫻田といふを地名とみて、部は助語辭とみるべし。
童子問 櫻田或説に紀州といへり、しかるべしや。
答 紀州に同名有ことはしらず。歌の詞中に年魚市方あれば、紀州とみるべからず。年魚市方は尾張國に在證據明なれば、櫻田も尾張とみるべし。熱田と云所海邊なれば、櫻田もおなじく熱田につづきたる所なるべし。
 
272 四極山打越見者笠縫之島榜隱棚垂小舟
 
童子問 仙覺註釋云、此歌頭句古點にはよもやまをと和す。よも山いづれの山ぞや、荒凉なるにや。是をばしはつ山と云べし、(558)極の一訓ははつ也。その上古今和歌集第廿卷しはつ山ぶりの歌也。其理かた/”\しはつ山にあたれりとあり。此説しかるべきや。
答 仙覺説しかるべし、しはつ山とよむべし。
童子問 しはつ山は或説に豐後國に有といへり。八雲御抄には豐前の國のよしみえたり。兩國の内いづれに決侍るべきや。
答 豐前豐後兩國ともに此歌にかなふべくも覺ず。此歌古今集卷第二十大歌所御歌に入たり。あふみぶり、みづぐきぶり、しはつ山ぶりと出たれば、みづぐきぶり近江なれば、しはつ山ぶりも近江なるべし。鹽津山近江なれば、もし通音にていふ歟、鹽津山の外にしはつ山有歟、豐前豐後の國のふりを入べき理り有べからず。
童子問 四極山近江ならば、笠縫嶋も近江と決すべきや。
答 しかり。
童子問 古今集には此歌第二句打出てみればとあり。第三句笠ゆひのとあり。これは万葉と古今との差とみてさしおくべきや
答 万葉集は文字にかきてたがひなし。古今集は艸のかなにかきたれば證據になりがたし。古今集傳寫の誤り歟、又は撰者の考あやまりとみるべし。万葉集にいらぬ歌を古今集には撰まれたるよしあれば、此歌の入たるは撰者の考誤りとみるべし。古今集の歌墨減の歌とてある中にこの歌などいらばしかるべし。外の歌を墨減の歌とてすつることは心得がたき事也。撰入たしかならば、撰者の誤りとみて万葉集を本とすべし。
 
273 礒前榜手回行者近江海八十之湊爾鶴佐波二鳴 未詳
 
童子問 此歌玉葉集には、第二句をこぎてめぐればとあり。第三句をあふみぢやとあり。これらはいかゞ辨へ侍るべきや。
答 代々集皆万葉集を實にしられずして、みだりにその時代の風体に詞をあらためられたるものとみえたれば、論ずるにもたらざる僻事なり。古人の意に及ばずして、妄に添削せらるゝことは先達をはゞかることもなく、後賢を恐るゝ心もあらずして、我一人を歌の聖とおもへるなるべし。人麻呂赤人の歌をさへみだりにあらためられたるより、すゑ/”\の人の歌は、とかくその時代の撰者添削をくはへることを例と心得られたるものなるべし。その本のあやまりは拾遺集より起れるなるべし。かの玉葉(559)集に第二句をこぎてめぐればと有は、手回行者の四字さもよめることなれば、これを誤りとはいひがたし。しかれどもこぎたみといふ詞句例あり。此集卷第一大寶二年太上天皇幸于參河國高市連黒人の歌に、何所爾可船泊爲良武安禮乃崎榜多味行之棚無小舟とあり。此句例によれば、こぎたみゆけばとよめる作者の詞なるべし。又第三句近江海と有をあふみぢとあるは甚誤也。あふみぢといへば山野も有、此歌は八十之湊爾といふ句あるのみならず、礒前榜手回行者とあれば、海をこそ榜手回とこそいへ、あふみぢといふべからず。あふ坂山などにつゞけたるには、あふみぢのあふさか山とつゞけたる歌はあり。海上なれば波路とか船路と斗はいはず。これ皆古人の古實有句をしらずして、みだりて風躰のみにかゝはりて改められたるものなるべし。論ずるにもたらぬ僻事也。
童子問 八十之湊とは地名にや。
答 地名とはみるべからず。近江の湊あまた有故にいづれの所の湊をも八十之湊といふとみるべし。文字にかゝはりて八十の數多湊ごとに鵠なくには有べからず。一湊になく鵠をも八十の湊とよめるとみるべし。一湊をも八十之湊といふべき證は、此集卷第十三に、近江之海泊八十有八十島之島之埼邪伎ともよめる歌あれば、これによりて心得べき也。
童子問 鵠の字を此歌にたづと古來よめり。鵠にても田鶴となる字義有にや。
答 遊仙窟にも援v琴而歌、爲2別鶴操1、と有鶴を一本鵠にも作れば、古へは鵠を鶴にも用ゐたる也。五雜俎にも鵠即是鶴とあれば、古訓にはたづともつるとも用ゐたること明けし。
童子問 此歌の下に未詳の二字あり、これはいかなる説にや心得がたし。
答 此集歌の下に未詳の二字有は、皆作者未詳の義也。古註者作者をうたがへる所見有てしかせる歟、後人の傍註歟。未詳二字は削去べきこと也。
 
274 吾船者牧之湖爾榜將泊奧部莫避左夜深去來
 
童子問、 牧の字をひらと訓むはいかなる義にや。
答 牧は誤り也、枚の字にてひらと用ゐる古訓也。
(560)童子問 奧部莫避、此四字先訓おきへなゆきそとあり。莫避二字をなゆきそとよむは義訓にや。
答 義訓といふほどのことにも有べからず。避の字はさるともよめば、去の字をゆくともよめば、なゆきそにてもあしからず。正訓にしたがはゞさりそとよむべき歟、もし古本避は逝の字をも書誤りたる歟。
童子問 牧の湖あれば、八十之湊も地名とみても害あるべからざる歟。
答 地名の證あらばしたがふべし。
 
275 何處吾將宿高嶋乃勝野原爾此日暮去者
 
童子問 此歌の此日暮去者の五字を、或説にけふくれぬればとよめり。印本の訓はこの日くれなばと有。何れかまさるべきや。
答 これはしひて勝劣をわくべくもあらず、好むにしたがふべし。しかれどもくれなばといへば上の句に應ずべし。歌は高島の勝野原を歩行野とうけたる所、此歌の詮ときこゆる也。
 
276 妹母我母一有加母三河有二見自道別不勝鶴
 一本云水河乃二見之自道別者吾勢毛吾毛獨可毛將去
 
童子問 一本には水河乃とあるを或訓にみかはのやとあり。乃の字をのやとよまるべきにや。
答 之、のならばなるともよみて本書の歌に、有とあると同じ訓にも用ゆべけれども、乃とあればなるとよみ難し。のやは甚よみがたし。四言一句古例なればみかはのとよむべし。
 
277 速來而母見手益物乎山背高槻村散去奚留鴨
 
童子問 高槻村は何れの所に有村の名にや。
答 今高槻村とよぶ地名は津の國にあり。しかれども此歌に山背のとあれば、今の高槻村にはあらざる歟、もしはむかしは此高槻村山背の内にてありしを、後には攝津の國の内になりたるか、おぼつかなし。
童子問 此高槻村は村の字借訓て、此集第一に山常には村山ありともいへるごとくに、村は村邑の義にあらず、槻の木むらな(561)どをよめるにあらずや。全國にすぐれて大木高木の槻の木のありしをいへる歟。散去けるといふこと葉、村の字義にてはつゞくべからざる詞也。木むらといへばちりにけるかもといへるに相叶べし。いかゞ侍らんや。
答 一義はいはれざれども、散去の二字は義訓に用ゐたるなるべし。僻案には散去の二字をあせと訓て、高槻村あせにけるかもとよめる歟。槻の木にあらざる證據には、槻木紅葉を稱する證歌もなく、邑村の名に高槻とよべるは、高木の槻木有しより名だゝるとみえたり。村里のこと故に山背のといふ冠句あれば、むらを木むらとみずして、實に村里の村とみるべし。散去はあせにとよむ義は、此卷の末に泊師高津者淺爾家留香裳とある句例もあれば也。
 
石川少郎歌一首
 
278 然之海人者軍布苅鹽燒無暇髪梳乃少櫛取毛不見久爾
 
童子問 仙覺注釋に、この歌第四句古點にはかみけづりのをぐしと點ず。その和いたくながし。これをくじらのをぐしと和すべし。髪梳これをくじらと和すべき事は、大隅國風土記、大隅郡串卜郷、昔者造國神勤v使者遣2此村1令2消息1、使者報道、有2髪梳神云1、可v謂2髪梳村1、因曰2久四良郷1、【髪梳者隼人俗語、久四良今改曰串卜郷】とあり。此説と今の印本の訓と異なり。今は髪梳の二字をつげとよめり。兩訓いづれか是なるべきや。
答 印本の訓あたるべくもあらず。かみけづりのとよむは字のまゝによみて、歌の詞にあらず。一本の古訓にかなてとつけたるもあれども、これも句例なし。仙覺くじらとよむべしといへるは、風土記の證明あれば、仙覺注釋を是とすべし。
童子問 或説にくしげのをぐしとよむべきよしをいへり。此義はいかゞ。
答 訓義ともにくしげの小ぐしはやすく聞こえても、髪梳の二字をくしげとよむべき證明なければしたがひがたし。髪梳の二字をくじらとよまるべきことにあらざるをば大隅風土記の明證あれば古語にして、しかも細註に髪梳者隼人俗語と有明證正しければ、古實にしたがふべし。
童子問 髪梳を何とてくじらとはいへるにや。
答 隼人の俗語とあれば、眞求めがたし、強ていはゞもし海人などの櫛は鯨鯢の尾ひれにても作りたるより、さいひなせるな(562)るべし。黄楊の木を求めがたき海人などは、くじらのひれなどを用ゐたること有べき義なり。今鼈甲をさへ櫛に作れば、くじらのひげなどを用ゐんはたやすかるべきことなるべし。
童子問 軍布の二字をめとよみ來れるは、いかなる義有にや。
答 軍布の二字をめとよみ來れる義、いまだ明證を得ず。古一本には軍を葷に作れり。葷と軍いづれる正字是もいまだ考られず。昆布と軍布と音相近ければ通じ用ゐたる歟、誤字歟、後に考へていふべし。
童子問 少櫛とある少の字は小の字にて有べからずや。
答 小の字の誤り也、古本には小に作れり。
 
右今案石川朝臣君子號曰少郎子也
 
童子問 君子の二字はきみことよむべき歟。
答 くしとよむべし。
童子問 少郎子の三字はすくないらつことよむべき歟。
答 古一本には少を水に作れば、水郎子にしたがふなるべし。水郎子三字をあまことよむべし、
 
高高連黒人歌二首
 
童子問 高高連と有心得がたし。高の一宇衍にや。
答 高市連を書誤りたる也。古本高市とあり。
 
279 吾妹兒二猪名野者令見都名次山角松原何時可將示
 
童子問 猪名野攝津國なれば、名次山角松原も津の國に有歟。
答 しかり。
童子問 將示の二字先訓しめさんなり。しめすといふ詞は歌こと葉に後世用ゐたることみえず。今用ゐてもしかるべきや。
(563)答 此歌の訓につきて、古詞とて今用ゐたりとても難有まじけれども、此將示の二字作者しめさんとよめるともおほえず。後世の訓にさは用ゐたるなるべし。みせなんとかみすべきなどにても有べし。上の句にいひ出たることを、下の句に二たびいふことは古葉の一格也。後世は同字の難となりて好まず、古新の差故也。
 
280 去來兒等倭部早白管乃眞野乃榛原手折而將歸
 
童子問 仙覺註釋云、まのゝはぎ原大和國、しらすげとは菅は花の白きものなればいへるにや。白萩白菊と云かごとし。みな花の色白きによりて云也。郭知玄菅を釋していはく、白花似v茅無v毛といへりとあり、此説しかるべきや。
答 眞野を大和といへる説心得がたし。津國にあり。白菅といへるは白花咲説はしかるべし。此眞野に白菅おほく生たる野故に白菅の眞野といふ名におのづからなりたる事なるべし。
童子問 去來の二字をいざとはよみきたれども、いざやとや文字をそへてよまるべきことにや。
答 去來の二字いざと訓來ること常のことなれば、やの字はそへられぬにてはなし。しかれどもこれはいざこどもと四字にもよむべき歟。
童子問 將歸、此二字をゆかむと先訓にあり、反訓の義にや。
答 將歸、二字此歌にてはいなむとよむべき歟。去歸の心なるべし。
 
黒人妻答歌一首
 
281 白菅乃眞野之榛原往左來左君社見良目眞野之榛原
 
童子問 往左來左の二つの左の字はさまの畧言歟。
答 只助語の辭とみるべし。此左といふ言を下に付る例あまたあり。 
 
春日藏首老歌一首
 
282 角障經石村毛不過泊瀬山何時毛將超夜者深去通都
 
(564)童子問 此歌の石村の二字はいはむらとよまんや、いしむらとよまんや、地名とみえたればいかゞよみ侍るべき。
答 石村の二字、所によりてはいはむらとよみても、いしむらとよみても、義たがはぬことも有べし。しかれども此歌にては石村の二字をいはれとよむべし。磐余の地名を石村とも書たる證例あり。此石村は磐余の地のことなるべし。
 
高市連黒人歌一首
 
283 墨吉乃得名津爾立而見渡者六兒乃泊從出流船人
 
童子問 墨吉乃、此三字先訓にすみのえのとあり、又一訓にはすみよしのと有、兩訓いづれか是なるや。
答 すみよしのといふは後世の訓なり。古訓はすみのえの也。吉の字をえと用るは古訓としるべし。
童子問 此歌の從の字を先訓にをと用ゐ、又一訓によりといへり。いづれか是なるや
答 古語はゆと用ゐてよりといふ意なり。從の字此集にをともよりともゆともにとも用ゐたり。正訓はよりなり。義訓はともにとも用る也。
 
春日藏首老歌一首
 
284 燒津邊吾去鹿齒駿河奈流阿倍乃市道爾相之兒等羽裳
 
童子問 此歌の尾句に羽裳と有はいかなる義にや。
答 此羽裳の結句古葉の一格なり。羽といふていひ殘して、もは嘆の意有詞也。後世は此てにをはを用ゐることなし。古今集には少あり、忠岑の歌に、春日野の雪間をわけて生出くる草のはつかにみえし君はもとよめる、おなじてにをは也。此集にはあまた有詞也。例してわきまへしるべし。一首にてはその意もとめがたかるべし。
 
丹比眞人笠麻呂往紀伊國超勢能山時作歌一首
 
童子問 此笠麻呂は沙彌滿誓が俗名といへり。しかるやいなや。
答 滿誓が俗名也。古本の傍註にも滿誓沙彌俗名と書たる本も有。
 
(565)285 栲領巾乃懸卷欲寸妹名乎此勢能山爾懸者奈何將有
 
童子問 栲領巾乃、此初四文字は何故に冠したる意にや。
答 領巾は婦人の肩に名くるものなれば、冠句にたくひれのとおきて、かけまくほしきとよめる也。
童子問 栲といへるはいかなる意にや、或説に栲は白きといふ意といへり、しかりや。
答 栲は衣服にする木の名にて、上古は領巾にも栲を織て作れば、絹※[糸+兼]にて造らず、栲にて造を栲ひれといふ、衾にもすれば栲衾ともいふ古語也。此古實をしらぬ人栲は白きといふ意といへるなるべし。栲にて作りその色白きが故に栲衾白きとつゞけ、栲つなのしらぎとつゞける也。只白きといふ意といふは非也。
童子問 懸卷欲すといへる意はいかゞ。
答 領巾は肩にかける物故にかけとつゞけたり。かけまくほしきとは妹といはん冠句也。かけといふ詞はおもひをかけ心をかけなどいふかけ也、まくほしきとは、妹はまくはひするものなれば、まくはしきといへる也。まくといふ詞は願ふ詞にて、ほしきといはずして、まくとのみいひてもほしき意に用ゐる也。此第二句までは妹といはん爲のこと也。
童子問 此せの山にいもの名をかけばいかゞあらんとよめる意は、いかなる義にや。
答 これは旅行の歌にて、妹戀る意よりせの山を妹山といはゞ慰むべき意にてよめるならし。
 
一云可倍波伊香爾安良牟
 
童子問 此一云説は意異なるや。
答 意異ならし。
 
春日藏首老郎和歌一首
 
童子問 老郎といへること例有や。
答 郎は誤也、即の字也。諸家古本皆作v即爲v是。
 
(566)286 宜奈倍吾背乃君之負來爾之此勢能山乎妹者不喚
 
童子問 此第一句はいかなる意にや。
答 よろしき名なれといふ詞也、背の山とよぶこそよろしき名なれの義也、句例有こと也。
童子問 吾背乃君之とは誰人を指ていへるにや、もし笠麻呂を指てよめる歟。
答 いな、藏首老いかでか笠麻呂を指て吾せの君とよぶべきや。これは老の君を指て吾背の君といへり。即時の大王を指ていへるなるべし。
童子問 負來爾之とはいかなる詞義にや。
答 凡せよとよぶは君長を指尊稱の辭なれば、せといふも君といふおなじ。されば君の稱にせとおひたまへる名を、妄りにあらためかへていもとよぶべきにあらず。せは君長の身に負名なれば、私にはかへてよばじと答和したる歌也。もし負の字をおはせとよむべき證例あらば、おふせきにしとよまゝほしき義も有。いかにとなれば、凡山河佳名私に名付るあらず、皆君命によれば、吾背の君のせの山とおふせ來にし名を、私に妹とはあらためかへてよばじといふ義もあしきにはあらねど、負來爾之の四字おひきにしはよみやすく、おふせきにしは例なくてはよみがたければ、前説を是とすべし。
 
幸志賀時石上卿作歌一首 名闕
 
童子問 名闕の二字は撰者の文歟。
答 しからず、後註者の文とみるべし。古本には小書なり、今の本大書は是にあらず。
 
287 此間爲而家八方何處白雲乃棚引山乎超而來二家里
 
童子問 此第一句こゝにしてと先訓にいへり。前に客爾爲而の四字をたびにしてとよみ來れるは、此歌のこゝにしてといふ句例相かよへるにあらずや。それを旅ねしてとよむべきやのよし賢按にいへり。しからば此第一句も異訓有べきや。此句こゝにして、ならば彼句もたびにしてといふ、しかるまじきや。賢按有や。
(567)答 彼句を旅にしてとよまば、此句をこゝにしてとよむべきよし、句例尤相かなひきこえたり。好む所にしたがふべし。葢此句もこゝにしてよりは、こゝにゐてと爲の字を音讀にする方まさるべき歟。此集卷第四に大納言大伴卿の歌に、此間在而筑紫也何處白雲乃棚引山之方西有良思とあり、此同類の歌也。彼歌には在而とあれば、此歌にこゝに居てよむも、義相かよひ句例も相かなふべき歟。
 
穗積朝臣老歌一首
 
288 吾命之眞幸有者亦毛將見志賀乃大津爾縁流白浪
 
童子問 眞幸有者、此四字先訓まさきくあらばといへり、或説にはまことさちあらばと古訓にあり、いづれか是なるや。
答 古本兩訓ともにあれども、まさきくといふは古語なれば、今梓行の本の訓を是とすべし。まことさちといふ古語はなし。
 
右今案不審幸行年月
 
童子問 幸行も行幸もおなじきや。
答 古本の一本には行幸と有、行幸にしたがふべし。
 
間人宿禰大浦初月歌二首 大浦紀氏見六帖
 
童子問 大浦紀氏見六帖、此七字は撰者の文とはみがたし、注者の文歟。
答 後人の傍注なるべし。注者の文にもあるべからず。
童子問 しからば大書すべきことにあらず、小書なるべし、いかゞ。
答 古本は二行小書なり。
又問 此七字其意を得がたし。大浦は名にて姓は紀氏といふことにや。紀氏なるよし六帖にみえたりと云ことにや。大浦は氏は間人にあらずや。いかが。
答 此不審有べきことなり。予も此七字の傍注心得がたかりけらし。よりて數本を校合せしに、古本おほくは、大浦【紀氏見六帖】如v此(568)紀氏にてあり。これにては間人宿禰と本文にはあれども、六帖には紀宿禰大浦と有ことを傍注にしたるとみしなり。しかれども六帖は後の書此集は古書、古書にしたがはずして後の書にしたがふべき理もなく、かゝるたぐひ傍注すべきことにあらず、猶うたがひを殘せしに、一本の古本をみて疑ひはれたり。その本には大浦の浦を輔に作れり。傍注に浦紀氏六帖とあり。これによれば、本文の大輔の輔、紀氏六帖には浦に作れることを傍注したるとみえたり。輔浦の字の異を註したるにて、姓の異を註したるにはあらず。しかれば大浦見紀氏六帖と有べきを、傳寫誤りて紀氏六帖と見の字のおき所をたがへたるより、疑問も出來姓氏の異同かと疑ひをなせり。
 
289 天原振離見者白眞弓張而懸有夜路者將吉
 
童子問 比歌訓のたがひも有べくみえざれども、初月の歌に上弦のことをよめるをめづらしきとせんや。これはことふりたるべし。いかなる所歌なるや。滿月などならば夜路もよかるべきに、初月などの夜路よろしかるべくもおぼえねば、此歌の意得がたし、いかが。
答 此歌月といはずして天原振離見者といひて、白眞弓張而懸有といひて上弦のことをあらはして、月の字も出さぬ一躰の歌也。そのうへ夜路の二字はもし義訓に用ゐて闇道とよむべき歟。やみぢなれば矢道をかねて、よけんといふに除むとよめる所古歌の一躰なるべし。しかれども一古本には吉の字を去に作れば、いなんとよみて去と射とを兼て歸去むとよめる歟。此兩義は文字の上にて決すべし。去の字正本ならば夜路の二字よみちとよむべし。吉の字正本ならば夜路の二字やみぢとよむべき也
 
290 椋橋乃山乎高可夜隱爾出來月乃光乏寸
 
童子問 椋橋乃山、これを或説にむかはしやまとよむといへり、印本の訓くらはしのやまとあり、いづれか是なるや。
答 むかはしは誤也、くるはしの山是也、大和に有。
又問 夜隱爾、此句の意はいかゞ心得侍らんや。三ケ月なればとく入たれば、月は夜照すべきを、かへりて夜に入てみえざればこれを夜ごもりといふにや。
答 いな、下の句に出來月のとあるを連ねてみれば、三ケ月とく入て夜ごもりといひて、出來る月とよむべからず。題に初月と(569)有は前の歌の題にて、此歌は必三ケ月にもあらず、月の歌にや。古今集の例は前の歌の題を次の歌にも用ることなれども、此集は必しかるにもあらざる歟。しかれども此集の例を用て古今集の歌をも列たる歟。三ケ月にあらずしてみれば、歌の詞猶明かなり。たとひ初月の題にても義のきこえぬにはあらず。僻案は夜隱は地名とす、隱の字異訓有べき歟。地名の證によりて改正すべし。古本の一訓によがくれともあれども、よがくれといふ地名みえず。隱の字はなばりとも古訓にあれば、よなばりといふ地名有歟、猶考て決すべし。椋橋といふも暗き意を兼たる地名なれば、よごもりも縁有地名にて、椋橋の山ちかき所なるべし。しからずしては椋橋の山よみ出すべき理りなし。
童子又問 光乏寸とは、月の光のすくなきをいふ義歟。
答 しかるべし。
 
小田事勢能山歌一首
 
291 眞木葉乃之奈布勢能山之奴波受而吾超去者木葉知家武
 
重子問 眞木葉と有は※[木+皮]の葉の事にや。
答 一木の名の※[木+皮]にはあらず、諸木をすべて眞木と云、眞は發語の辭なり。
問 まきの葉のしなふといふはいかなる義にや。
答 しなふはしげきかたちにて密隱をいふ詞なれば、諸木のしげりてかくしたる兄の山といふ義をせの山の名につきて、戀歌によみなしたる歌とみゆれば、かくすせの山の意を兼ていふなるべし。たれにかくすなれば、密夫を母にかくす意ならん歟。下の句にその詞あらはれたり。
問 下の句にその意顯れたるとはいかなる義にや。
答 木葉の二字をこのはゝとよみて、こは子にて女子をかね、葉は母の詞にかよへは、しのぶせの山をしのばずて、吾超去ば子の母しりけむとよめるなるべし。表の意の、木の葉のしげくかくせるせの山を、われは超去ることをかくさすして去は、木の葉はわれとしりけんとよめるなるべし。
(570)又問 木の葉はとはの詞をそへては、てにをはの詞を母となるべき句例有や。
答 此集をはじめ古今後撰集までの歌には、あまたてにをはの詞をかねてよめる句例枚擧にいとまあらず。後世は古葉の一格しらざる故にや、てにをはにかねることをよまざる也。猶此歌の超去の二字もこえゆけばとよみては、戀歌にしたしからず、こえぬればと、てにをはに寐をかねてよめるなるべし。去の字はぬるともいなともよむなれば、いなばにてはいは寐るを云古語なれば、いづれにてもてにをはに實意をかねたるなるべし。
 
角麻呂歌四首
 
童子問 角麻呂は名とみえたり、此人姓氏をくはへざるはいかなる義にや。此集おほく姓氏をあらはすに、名のみかけるは姓のしれざる人故にや。
答 僻案あり、此角麻呂は名にては有べからず、角と云氏あれば、麻呂といふ名あまた例あれば、角氏の麻呂といふ人とみるべし。もしは續日本紀に角兄麻呂といふ人あり、此時代の人なれば、兄の字を脱漏したるにても有べし。正本によりて決すべし。
 
292 久方乃天之探女之石船乃泊師高津者淺爾家留香裳
 
童子問 高津は摂津の國の高津にや。
答 しかるべし。
 
293 鹽干乃三津之海女乃久具都侍玉藻將苅率行見
 
童子問 鹽干乃、此三字しほがれのと先訓にあり、今もしほひをしほがれとよむべきにや。
答 しほがれといふも義はたがはねども、古語にしほがれといふ事みえず。しほひとこそいひならはしければ、しほがれとよむべからず。鹽干乃三字、しほひのとよめば四言になりて五言ならねば、五言にかなへむとてしほがれとよめるなるべし。古歌は四言あまたあればしほひのとよむべし。
童子問 三津は津の國の三津にや。
(571)答 しかり。
又問 仙覺注釋に、くゞつとは細き繩をもち物いるゝものにして、ゐなかの者のもつなり。それをくゞつといふとあり、しかりや。
答 しかるべし。袖中抄に、顯昭云、久具都とはわらにてふくろのやうにあみたるもの也、それに藻などをもいるゝなりとあれば、仙覺註もこれによれる也。童蒙抄にはかたみをいふ也とあれば、少異なれども大概同じかるべきこと也。繩をかたみのごとくに造りたるものなれば也。
 
294 風乎疾奧津白海高有之海人釣船濱眷奴
 
此歌に疑問なし。
 
295 清江乃木笶松原遠神我王之幸行處
 
童子問 遠神の二字、印本にはとほつかみとかなつけたり、古本の訓にそのかみにとあるよしを或人はいへり、いづれか是なるにや。
答 とほつかみ是なるべし。其證には此集卷第一の歌にも懸乃宜久遠神吾大王とつゞけたる歌あれば、吾大王の冠句には遠神と古歌によめるなるべし。
又問 遠神とよめる義いかゞ。
答 帝王を神と尊稱する事は常のことなり。遠は猶天津神といふごとく、高く遠き尊崇の義と見るべし。
 
田口益人大夫任上野國司時至駿河淨見埼作歌二首
 
296 廬原乃清見之埼乃見穗乃浦乃寛見乍物念毛奈信
 
童子問 寛見乍、此三字ゆたにみえつゝと先訓にいへり、意は見穗の浦のひろく寛かにみえて物おもひなきといふ義にや。
答 上野國の浦ならば、ゆたにみえて物おもひなしともよむべき理りかなふべし。是は旅行の作なれば、さる心にては有べか(572)らず。見乍の二字もみえつゝとはよみがたし、見つゝとよめるなるべし。されば寛の字異訓有べし。ゆたかに見つゝとよみては浦のとつゞく詞にゆといふ縁もなきにも有べからねども、うらのうらゝに見つゝなどよめる歟。猶異訓を求めて見るべし。意は寛の字にてきこえたり。淨見之埼見穗の浦など、上野國司となりてくだればこそゆたかに見て物おもひもなしと也。けつして見えたるにては有べからず。
 
297 畫見騰不飽田兒浦大王之命恐夜見鶴鴨
 
此歌疑問なし、君命を恐て畫不v見、夜見るとよめる、尤可v然事也。
 
辨基歌
 
298 亦打山暮越行而廬前乃角太河原爾獨可毛將宿
 
童子問 此歌の亦打山は何國にや、仙覺注にはいほさきのすみだがはらは紀伊國也と有、此説可v然や。
答 亦打山、角太河、廬前等の事、古來説々多けれども、皆此万葉の歌の後に注したる書なれば決しがたし。いまだ正記をみざる間しばらく答を欠也。或は駿河に在といひ、或は武藏といひ、或は下總といひ、其説まち/\也。且暮越といふ二字ゆふこえとよみ來れるもうたがはし。もしゆふと《云脱カ》地名あらは、夕を地名に合せてゆふこえとよむべし。只夕暮のことをゆふこえといふ句いかゞときこゆる也。
 
大納言大伴卿御歌一首 未詳
 
童子問 未詳の二字是も撰者の詞には有べからず。注者の文歟。
答 註者の文なるべし。古本には小書也、今印本大書は非也。
 
299 奧山之菅葉凌零雪乃消者將惜雨莫零行年
 
童子問 奧山之、此奧山は深山のこと歟、何やらん深山の雪をゝしむ意得がたしいかゞ。
答 可v然うたがひ也、菅葉必しも深山に限るものにあらず、此奧山は地名とみるべし。大和に有とみえたり。奧山とよめる歌(573)あまた此集にみえ、古今集にもみえて、山の奧有を兼てよめるなるべし。
又問 菅葉凌といふ詞はいかゞ心得侍らんや。古今集には戀歌におく山のすがのねしのぎと有は、此歌の上の句を葉と根とをかへたる作にや。根をしのぎといふにては、葉凌といふとは義相かよひがたし。いかゞ辨へ侍らんや。
答 此しのぐといふ詞古來の説心得がたし。もしゝげきことに用ゐたらば、菅は葉しげるものなれば、雪のふりかさなれるをいふ歟、しからば菅の葉も菅の根も相かよはしよみても菅にかゝりたることにあらず、長きといはんとては管の根の長きといふごとく、根もころ/\になどよめる例によれば、ふりかさなる意より菅の葉菅の根ともに詠來れる歟、いまだ一決の辨なし。もしは誤りたるか。猶證句證歌を得て重ていふべし。しばらく管の葉しのぎ菅の根しのぎの辨明を欠べし。
 
長屋王駐馬寧樂山作歌二首
 
300 佐保過而寧樂乃手祭爾置幣者妹乎目不雖相見染跡衣
 
童子間 手祭爾とは手向山のことにや。
答 しかるべし。
童子問 目不雖、此三字をめかれずとよめることいかが。
答 雖は離のあやまりなり、古本には離に作れり。
童字問 此歌新千載集戀部に、下の句を妹にあひみんしるしなりけりとありて、聖武天皇の御製にして入たるは、聖武帝と長屋王の此歌同時の作なるべきに、此集に聖武帝の御製は載せず、長屋王の歌のみを載たるは、いかなる事にや心得がたく侍る、
答 新千載集など、此集をもとくと見られずして僞集歟、又は證記もなき聞傳を集られたる歟にて、聖武帝の御歌と實に心得て載られたるなるべし。新千載集にかぎらず、古今集以後撰集の時は代々集に万葉集を見明められたる撰者はみえず、皆あやまりて書入られたるは今論ずるにもたらず、
 
301 磐金之凝敷山乎超不勝而哭者泣友色爾將出八方
 
(574)童子問 仙覺注釋云、此歌古點には、いはがねのこりしく山をこえかねてなきはなくとも色に出んやもと點ぜり。こりしく山は和の詞なだらかなるに似たれども、古語の傍例見えず、又その心あまねからず、こゞしき山といへるは傍例みゆるうへに其心かなへり。こゞしきとはそこぱくと云詞なれば、岩がねのこゞしき山をこえかねてといはん事ことわりふかゝるべし。こりしくとてはすこしこりしきたることもありぬべし。なきはなくともといへる又よろしからず、ねにはなくともと和すべき也、又傍例おほかるべしとあり。此説ども是非いかゞ。
答 仙覺説句證あれば可v然。しかれどもこゝといふ詞を、おほき詞の義にそこばくと云ばかりにてはいひたらず、如v字こりしく山と心得てみるべし。
童子問 色に出めやはといふ義は、女子離別などの意にや。
答 しかるべからず。前後の歌を見るに、皆妹の詞あれば戀歌とみるべし。色に出るといふ句例皆戀歌に用る例なれば、離別の情をいふに句例なし。そのうへ離別のかなしみを心よはく色に出めやはといひては、ねにはなくともといふ辭きこえず、色に出るよりはねになくは心よはくつたなきなり。戀歌にては何故になくともしられず。艱難の山坂を越かねてなくとも、妹をおもふ色には出じとしのびたる意なるべし。
 
中納言安倍廣庭卿歌一首
 
302 兒等之家道差間遠烏野干玉乃夜渡月爾競敢六鴨
 
童子問 兒等と指は、廣庭の子息あまた有を兒等といへるにや。
答 句例しからず、文字はさもみえても、借訓に用ゐたるなるべければ、妹のことをこらといふとみるべし。等は助語辭にて吾をわれともわろとも只わとのみもいふ古語の例にて、子とのみもいひ、子等ともいふと見えて妹の事なるべし。
又問 差間遠烏、此一句やゝまどほきをと先訓にあり、やゝといふ詞心得がたし。いかゞ心得侍らんや。
答 可v然うたがひ也。僻案には道左間違烏の五字を一句とみて、みちはるけきをとよむ也。間の字はへだつる心に書たるなるべし。
 
(575)柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
 
303 名細寸稻見乃海之奧津浪千重爾隱奴山跡島根者
 
童子問 此歌の初句名細寸の三字、先訓なぐはしき也。しかれども玉葉集に此歌を旅部に入て、初句をなに高きとあり。名細寸の三字名に高きともよまれんや。
答 細の字を高きとよむ例所見なし。義訓に高きとよまばよまるべけれども、くはしきといふは古句の訓あることなれば、名に高きは非にして、名ぐはしきは是なるべし。
童子問 稻見の海は何國にや。
答 播麿也。
 
304 大王之遠乃朝廷跡蟻通島門乎見者神代之所念
 
童子問 遠乃朝廷を或説に、朝庭は内裏也、しかれども遠國といへども、此秋津島のうちは皆わか君のしきます國にして、朝廷の心也といへり。此説可ならんや。
答 可ならず。歌によりてさる心によめることは有べし。此歌は下の句に神代之所念と有、且題に下筑紫時とあれば、此遠の朝廷は筑紫の日向の朝廷を、今大和朝廷よりいへば遠の朝廷とよめるなるべし。遠神と大王の冠句によむ遠の字とおなじく、尊崇の辭ともみるべけれども、尊崇をかねてはみるとも下の神代にかけては遠久の朝廷と見るべし。此下の神代は神武天皇以前の神代のことを念なるべし。
又問 蟻通とは、或説に蟻はおほく集りて行ちがふ也、これをばありの通路と云。其蟻のたえず行かよへるごとくにかよふ事也。又ありかよふともよめりといへり。此説可ならんや。
答 可ならず。此歌にてはさる義をつけてみるとても、自餘の歌にありと云詞あまたありて叶ひがたし。ありかよふには蟻のごとく通ともいふべき歟、それも如くといふ詞をそへずしてはきこえねばいかゞ。且ありたゝしといふ詞此集卷第一にも(576)有、蟻のごとくにたつといふべからず。蟻の字は借訓なれば字義によらず、在通ふといふ義にて、此集に在といふ詞は皆無に對したる有にてうつゝのことをいふ也。見在存在の意に其地も存在し人も見在して通ふとも立ともいふ義也。遠の朝廷と今人麻呂見在してかよひ古跡も存在してうせざるをいふ詞とみれば、自餘の歌の在とよめる歌皆相かよひて心得らるべし。
又問 神代之所念、此おもふといへるはいかやうにか、人麻呂のおもへるにや。
答 所念の二字はしのはるともよまるれば、必おもふとよむにかぎるべからず、神代をしたふ意まさるべし。
又問 大王之 此三字すめろぎのと先訓にあり。おほきみのとよまるゝ文字をすめろぎのとよむは、歌に義有や。
答 おほきみすめろぎ義おなじかるべけれども、おほきみのとよふ方まさるべし。
 
高市連黒人近江舊都歌一首
 
305 如是故爾不見跡云物乎樂浪乃舊都乎令見乍本名
 
童子問 本名といふ詞此集にあまたあり、いかなる義にや。
答 顯昭の説に、もとなとはよしなといふ心とみえたりといへり。此義しかるべき歟。俗によしなきとなどいひて、無益のことにいひなせる義相かなへり。
又問 今俗語文に心もとなきといふはあたらぬ義歟。
答 今俗文に心もとなきといふは氣遣はしなど云とおなじ詞にて、万葉集のもとなにはかなはず。
又問 よしなを何とてもとなといふにや、詞相かよふ習ひ有にや。
答 詞はかよはねども義相かよふこと有べし。本無はうきたることにて、本意にもあらず、由來もなく、甲斐もなく、益もなくなど、義相かよふべし。
童子問 如是故とは指所有ていふ詞にあらずや。しかるに此歌のかく故にとは指所なきに似たり。舊都をみせてかなしみにたへがたきを、かく故にといふにあらずや。しかれば心上をいひてさす所なきに似たり、いかゞ。
答 舊都を指て心上をさすべからず。都舊ぬらんとおもへばみじといひしにみせたれば、案のごとく都の舊たるを指也。舊た(577)るといふ所に荒廢あらはれて、感慨にたへぬ意は有べけれども、如是と指所は舊都を指也。猶僻案には題は舊都にて、歌の舊都は荒都の誤りとおぼゆる也。舊荒字相似たれば、舊よりは荒し都をよめるにて有べし。
 
右謌或本曰小辨作也未審此小辨者也
 
童子問 右以下は注者の文欺。
答 しかるべし。
 
幸伊勢國之時安貴王作歌一首
 
306 伊勢海之奧津白浪花爾欲得※[果/衣]而妹之家※[果/衣]爲
 
童子問 家※[果/衣のなべぶたなし]と濱※[果/衣のなべぶたなし]とは意は同じくて、家と濱との義異なる歟。
答 しかり、家つとは家に持歸るつとの義也、濱づとは濱に有物を家づとにするを濱づとゝいふ也。
 
博通法師徃紀伊國見三穗石室作歌三首
 
307 皮爲酢寸久米能若子我伊座家留【一云家牟】三穗乃石室者雖見不飽鴫【一云安禮爾家留可毛】
 
童子問 仙覺注云、しのすゝきとはほに出ぬすゝきをいふ、しのといふはしのぶと云詞也、くめとはこむといふ詞なれば、くめといはむための諷詞にしのすゝきと置る也とあり、此義可ならんや。皮の字をしのといふ義いかゞ。
答 皮の字にしのといふべき訓例なし。これはゝたすゝきといふ古語あれば、はたすゝきはしのすゝきとおなじといふ義に、しのすゝきとよみ來れるなるべし。しかれども皮の字はゝたとよむ古訓なれば、直に義訓を用ゐずしてはたすゝきとよむべし。くめといはん冠句に皮すゝきとおけるは、仙覺説しかるべし。
童子問 久米能若子とは久米の仙人のことにや。
答 久米の仙人三穗石室にすめる古記あらばさも云べし。いまだ證記をみざるうへ、若子のいましけるといふ歌の詞によればこれは弘計天皇の事なるべし。弘計天皇を來目稚子と申せばうたがふべからず。天皇雄略天皇の世をさけ給ひて、播磨の國へ(578)のがれかくれ給へる事は日本紀にみえて、紀伊國にかくれ給へることはみえざれども、播磨へおもむき給へる間には、何國へもかくれ給へる事有べし。播磨にてはあらはれ給へる事日本紀にのせられたれども、自餘の國にのがれかくれ給へる事はくだ/\しくかきのせ給はざるなるべし。來目若子のいましけんと有詞、此稚子にあらずして又たれをかさゝんや。紀にもれたることの此集にあまたみゆるは、すなはち國史の補ともなるべし。
 
308 常磐成石室者今毛安里家禮騰住家類人曾常無里家留
 
童子問 此歌は義明かなるべし、只つねなかりけるといふ結句をみれば、仙人などといへども無常の意をよめるに似たれば、久米仙人のことにても有べきや。
答 證記にしたがひて決すべし。仙人を若子といへることも證例有べからず。且此常の字をつねとよむもとことよむもおなじことなれども、此歌にてはつねとよまんよりはとことよむべき歟、いかにとなれば、常磐成といふ初句もつねはといはず、ときはなるとよみたるより、尾句もとこなかりけるといひて、石室にすみける人の床なかりけるといふ義を、常にかねてよめるなるべし。此古葉の一格例也。
 
309 石室戸爾立在松樹汝乎見者昔人乎相見如之
 
童子問 汝とは松を指ていふにや。
答 しかり。
 
門部王詠東市之樹作歌一首
 
310 東市之殖木乃木足左右不相久美宇倍吾戀爾家利
 
童子問 東の字をひんがしのとよみ來れるは、初語のよみくせなどにこそひんとはねてはよむと先にうけ給り侍、歌にもひんがしとよむことにや。
答 可v然疑なり、歌にひんがしとはよむべからず、ひがしのと四言によむべし。しひて五言によまばにしむきのとよむべき也
(579)童子問 木足左右は木の垂るまでといふ義歟。
答 こたるは垂るまでなり、木は發語の辭とみるべし。こ高きこ垂る皆發語にて、木には縁有發語なるべし。うゑ木と上にあればしひて木垂るといふに及ばず。松の木高きなども、松の高きといふまでをしらずして、木高きと解するは拙劣也。
又問 不相久美宇倍、此六字先訓あはぬきみうべなり。久美は君といふ義歟、木を指て君といへるにや、人に比していへる歟、
答 君といはゞ木竹を指てもきみといふべけれども、久の字をきと用ゐたること此集に例なし。くとこそ用ゐ來れるを、此歌にかぎりて漢音のきうの音を用ゆべき理りなし。そのうへ句切たがへるなるべし。僻案の訓は不相久美の四字を句として、あはでひさしみとよむなり。宇倍吾戀爾家利の七字を一句としてうべわびにけりとよむ也。吾戀の二字わこひにけりとよみても言あまれるにもあらず。
又問 久美の二字をきみとよまずひさしみとよむべきこと賢按かなふべし。しかれども不相といふ詞何にあはぬことやらん、きみともいはずしてはいかゞときこえ侍る、賢辨もあるや。
答 あり、宇倍といふ詞はうめ也、うめは梅をかねて憂女《ウメ》の詞有故に、吾戀爾家利とも比してよめる歌也、此集の古葉一格例也。後世の歌人はしらざること也。されば不相の二字もあはでとよまんよりはならでとよむべき也。婚姻の事を古語にはなるならぬといふこと常のことなり、古葉にあまたあり。梅の實のなるとならざるとにかけて見れば、吾戀にけりとよめるも理明か也。
 
按作村主益人從豐前國上京時作歌一首
 
童子問 按作二字クラツクリト訓來れり。按は鞍の字の誤り歟。
答 誤りともいひかたし。倭古字通用たり。音通る故歟。
 
311 梓弓引豐國之鏡山不見久者戀敷牟鴨
 
童子問 仙覺注釋云、とよくにの鏡山と云は、豐前國風土記三河郡鏡山【在郡東】昔者氣足姫尊在2此山1、遙2覽國形1勅祈云、天神地祇爲v我助v福便v用。御鏡安2置此處1。其鏡即化爲v石。見在2山中1因名曰2鏡山1已上。と有。此本説にや。
答 眞風土記の文と見ゆれは疑ひ無し。本説とすへし。
(580)又問 同注釋に云、あつさ弓ひくとよくにとよめる事は、豐國とは男女婚姻の時を云といふ事あり。しかれはひくとよ國といはむ諷詞に梓弓とおける也となり。此説可なりや。
答 不可也。婚姻の事を豐國といふ事古記證明なし。たとひあればとて引といふ句證語例も見えねは用ゐるに足らす。引の字は俗音にていむとよむへし。いの冠句に梓弓とおけるなるへし。いむとは豐國にかゝらす、鏡山にかゝる詞にて、神鏡を稱尊することに忌豐國之鏡山とよめるなるへし。是僻案也。神器に齋の字を冠らするは古實なり。日本紀を見てしるへし。戀敷牟鴨もこひしからむかもとよむへし。
 
式部脚藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首
 
童子問 造難波堵とは難波宮の築地なとを造らるゝことにや。
答 續日本紀に、式部卿從三位宇合を以難波宮を造らせたまへることあれば、必しも築地とみるへからす。一本には堵を都に作りたれば、かの本にしたかひて都とみるへきか。
 
312 昔社難波居中跡所言奚米今者京引都備仁鷄里
 
童子問 今者京引都備仁鷄里、此九字先訓に、いまはみやひとそなはりにけりとあり。京の字をみやことばかりもよまるべきことにや。
答 京の字をみやとはかりによむ例証なし。もし宮の字の誤りなるへき歟。しかれとも都の字をとゝよむ例此集になし、皆つと用ゐたれば、京の字宮の字の誤りにても、みやひとにては有べからす。僻案の訓は昔者と書てむかしとよみたれば、今者と書てもいまとはかりよむへき歟。されは右九字を、いまみさとひきみやこひにけりとよむ也。若京の字宮の誤りならは、いまはみやひきみやこひにけりとよむへし。みやこひとはみやこふりといふこと也。此集おくにひきのくなとよめるも、都をひかしたることを兼てよめる歌あれは、それも句證たるへし。
 
土理宣令歌一首
 
(581)童子問 土理は氏にて宣令は名にや。
答 しかり。土理は借音字也。續日本紀には作2刀利1。
又問 宣令は訓讀歟。音讀か。
答 訓讀音讀いまた明證なし。
又問 訓讀ならはいかにかよみ、音讀ならはいかにかよまんや。
答 訓讀にはのふしとよむへし。音讀にはせりとよむへし。
 
313 見吉野之瀧乃白浪雖不知語之告者古所念
 
童子問 語之告者とは此告者は字の如みるへきや。借訓にて語り繼言繼ならむ繼者とみるへきや。
答 いつれにても聞ゆへけれとも、如v字にみゆれはつけはといふ詞つまりたれは、之の|物語《本マヽ》の辭ならて、かたりつくれはと有ぬへき句也。借訓にて繼者の義作者の意なるへし。
又問 古所念此三字、むかしおもほゆと先訓にはあり。いにしへそおもふともよまるへし。いつれか是ならんや。
答 むかしゝのはるとよむかた勝るへし。
 
波多朝臣少足歌一首
 
童子問 少足の二字いかにかよむべきや。
答 先訓にわたりとあり。僻案はすくなたりなり。
 
314 小浪磯越道有能登湍河音之清左多藝通瀬毎爾
 
童子問 磯越道、能登湍河、或説河内國|茨田《本マヽ》郡に在といへり。しかるへきや。
答 河内國の説あれとも、いそといふもこせといふも大和の地名の上前後の歌吉野なれは、大和なるへし。第一卷の歌に不知國依巨勢道從と云を、仙覺注釋に磯の國巨勢道並に大和國とみる説、此歌に合せては據有に似たり。
 
(582)暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首短歌 未逕奏上歌
 
童子問 此大伴卿とは誰人にや。
答 大伴宿禰旅人也。
又問 幸はいつれの帝にや。
答 聖武天皇とみるへし。
又問 未逕奏上歌。此五字は撰者の文歟。後の注者の文歟。
答 僻案は注者の文とす。逕字は達の誤り歟。正本を校合て決すへし。
 
315 見吉野之芳野乃宮者山可良志貴有師、永可良思清有師天地與長久萬代爾不改將有行幸乙宮
 
童子問 永可良思清有師、此二句何とやらん連續よろしからずきこえ侍る。下に天地與長久とあれは、清有師は久有師なとと有て、重て長久と有ぬへき句にあらすや。もし文字の誤りには侍らすや。
答 可v然うたかひ也。永の字傳寫の誤りなり。先年春日若宮神主の家に傳へし古葉畧要集と云ものを門人祐字見せし時、此集の文字校合せしに、永を水に作りて、ミツとかなを付たり。水の字にて句調ひてきこゆる也。みつとよむはよろしからす。反歌にも昔見之象乃小河とあれは、水の字はかはと讀て、吉野の山川のことを貴かるらし清からしとよめるに、山水を對句に用ひたるなるへし。彼古葉畧要集には、やまからしたふとくありしみつからし、さやけくありしあめつちとなかくひさしくとよめり。然れとも訓は今の印本の訓まさりて古葉畧要の訓は劣れり。永の字は水の誤りなる事は、諸家の本にてはみえす。唯若宮神主の家の古葉畧要集にてみえたれは、秘藏すへき珍重すへき事は、古本に在ことをしるへし。
 
反歌
 
316 昔見之象乃小河乎今見者彌清成爾來鴨
 
疑問なし
 
(583)山部宿禰赤人望不盡山歌一首短歌
 
317 天地之分時從神左備手高貴寸駿河有布士能高嶺乎天原振放見者度日之陰毛隱比照月乃光毛不見白雲母伊去波伐加利時自久曾雪者落家留語告言繼將徃不盡能高嶺者
 
童子問 白雲毛伊去波伐加利を、或説にふしの山の高く貴き事神の如くなれは、雲もおそれはばかりて、高ねをよきてたなびく心也。伊去の伊は例の發語也といへり。此説是ならんや。
答 是なるべし。しかれども必高ねをよきてとはみるべからす。天にひとしき高山故に、雲も立のぼることを、よばず去かぬるをはばかるといへるなるべし。
又問 時じくといふ詞はいかなる義にや。或説にふだんの心也。非時と書り。雪は惣して時有て降ものなれとも、此山ばかりいつと云事なく、時にあらずしてふるといふ心なりといへり。しかりや。
答 しかるべし。時に非ずしてとは、日本紀に非時香菓と有を、ときじくのかくのみとよみ來れる古語より、非時と書と云るなるべし。義はしかり。しかれども時ならぬを何とてときじくと云かと疑ひて、問人もなく釋したる人もなきこと遺恨なるへし。
又問 語告、此二字先訓かたりつきなり。告の字をつぎともよむはつげと同通音故にや。
答 告の字をつぎとはよみがたし。つげとよむべし。
 
反歌
 
318 田兒之浦從打出而見者眞白衣不盡能高嶺爾雪波零家留
 
童子問 從の字長歌にてはゆとよみ、反歌にてはにとよむ、かはりはいかなる義にや。
答 長歌にても短歌にても共にゆとよむへし。よりの意に用る古詞なり。
童子問 眞白衣、此句を印本の訓にはましろにそとあり。撰集にはしろたへのとあり。眞白衣の三字にて、しろたへのともよまるべき事にや。
(584)答 白衣とばかりあらばしろたへのともよまるべけれとも、眞の字あればさはよまれず。ましろくそとよむにてこそ、赤人の歌の意も時代の風體も明かなるを、人丸赤人の歌をよくしらぬ先賢達よみあやまりて、わけもなきことによみなし來れる類是なり。白妙のふしのみねとつゝくべきことにあらず。雪のふりてこそしろ妙ともいふべし。ふしの山雪ならでしろたへなるべからず。されは白妙にといはゝいはるべし。白妙のふしとはつゝくべからす。先賢かなをわきまへしられずして、白妙のふぢといふことあれば、富士も藤もおなじことゝ心得違へて、白妙のふしとつゝけよめる歟。富士のかなはし、藤のかなはちなればおなしからず。新古今時代歌は工にすかたうるはしきことは皆しられたれども、かなをしりたる人其時代一人もみえず。萬葉にくらき故也。後京極攝政堪能の御作者にても、白妙のふじの高ねに雪つもるなどと、新古今の序にもかゝせられたることなれは、定家卿家隆なとの歌の名をえたる人、かなをしらずしてよみあやまられたる歌數すくなからねは、うたかふらくは藤ふし富士のたがひをもわきまへずして、白たへのふしともつゞくと、心得たがへられたるよりのことなるへき歟。實に赤人の歌をよくしられぬ證據には、此句のみにあらす、尾句の雪波零家留と有をもよみたがへて、雪波ふりつゝとなせり。いとかたはらいたきことなり。眞白衣とよみて、雪波零家留にて赤人の歌に此二句をよみたがへては、赤人の歌にはあらす。古學なき歌人の後の人をまとはし、聖ともよはるゝ人丸赤人の歌をも見誤りて、にげもなきことにしなして世に誤りを殘し侍へられしこと、そのかずあけ盡すべからす。可2悲嘆1事也。
 
詠不盡山歌一首并短歌
 
童子問 此歌の作者は誰にて候や。前の歌に山部宿禰赤人とあれは同人の作にや。
答 同人の作にて有へからず。其證には、此次の歌に山部宿禰赤人至伊豫温泉作歌とあれば、此歌は異人の歌なる事明けし。反歌の中一首高橋連蟲麻呂の歌とみえたれは、長歌反歌ともに蟲麻呂の作にても有歟。若古本には作者の名ありしを傳寫の時脱漏したる歟。作者不分明歌とみて可なり。
 
319 奈麻余美乃甲斐乃國打縁流駿河能國與己知其智乃國之三中從出之有不盡能高嶺者天雲毛伊去波伐加利飛鳥母翔毛不上燎火乎雪以滅落雪乎火用消通都言不得名不知靈母座神香聞石花海跡名付(585)而有毛彼山乃堤有海曾不盡河跡人乃渡毛其山之水乃當烏日本之山跡國乃鎭十方座神可聞寶十方成有山可聞駿河有不盡能高峯者雖見不飽香聞
 
童子問 仙覺注釋になまよみのかひの國とはつけたることは、甲斐の國のかといふを香ほりのかによそへとれり。ひと言ふをよしと云ことによそへとれり。かよしといふ心なり。このかをいひ出んとする諷詞なれば、なまよみのと置る也。なまよはみなるなど云詞也。かと云は好香惡香ともにあれども、香といふまさしき詞は好香をいふなり。惡香をはくさしといふといへり。此説是ならんや。
答 是ならず。仙覺和語格例をしられざる故、語釋の道なき説也。
又問 或説に香は生しきよしとす。よつて生しうてよき香火とつゝけたる詞也といへり。同し釋にきこえ侍れとも、首説にては香とばかりに聞えて、ひといふこときこえず。此釋は香火といへるに勝劣少有歟。いかゞ。
答 香火といふ義勝劣までにをよばず。和語の格例をしらざる説といふは、なまよみのといふ所にあり。よみを善好といひては、乃といふ語例なきことなり。論するにたらぬ語釋なり。すゑにいふべし。
童子問 打縁流駿河能國とは、仙覺注釋に駿河のすを海の例によそへたる也。洲は浪のうちよする物なれば、洲をいひ出んとする諷詞に、うちよするとおける也。うつとは波と云字の一の例なれば、うちよするといへるに波はおさまれる也といへり。此説の可否いかゞ。
答 此説心得がたし。洲は波のよするものならは、波よするといはばさもこそきこゆべけれ、打よするといひて波のよするともいひがたし。又うつとは波と云字の一の訓といふ義も、古語の證なきことなり。此説可ならずとて僻案いまだなけれは、うたがはしきは闕て後證出來るを待べし。
又問 同注釋に、又駿河の國には富士山葦高山とて高き山二つあり。ふしの山はいたゞきに八葉の嶺有。淺間大菩薩と申す神まします。本地胎藏界大日也。葦高山は五の嶺あり。葦高大明神と申御神まします。本地金剛界の大日也。この富士葦高兩山の間、昔は東海道の驛路也けり。さて其中によこはしりの關なんと云所も有ける也。あしがら、清見、よこはしりなんと云ことの(586)侍るは是也。横はしりの關は富士あしたかのあはひ也。さて此道をむかしの旅人通りける間重服觸穢の者共朝夕通りけるを、あしがらの明神いとはせ給ひて、今のうきしまか原と云は、南海の中に浪にゆられて有けるを、打よせさせ給ひてけり。さてし其後今の道は出來にけりとなむ申傳へて侍へる也。然れば打よする駿河の國といへるは、此本縁にもや侍らん。たゞにかゝること有けりと、すゑの世の人にしらせ奉らん爲に、古老の説をしるしつけ侍る也とあり。此説は何とやらんあやしく取用かたき説にあらずや。仙覺も信用せざるとみえたれども、古老の説故に一説をあげたるものとみえたり。可否いかゞ辨へ侍らんや。
答 此説はあやしき説なれども、古事の權輿には駿河國にかぎらず、神異の説あまたあれば還て本説なるべし。風土記の説は皆あやしき説なれども、古老の口實を書傳へたるにて、後世の人の道理を盡していへるには僞説邪説あまたあり。仙覺か打といふに、波の字の一訓有などいふ説のあやしきは、古老の説よりも甚しきもの也。富士の頂を八葉の蓮華といひ、淺間の神を菩薩といひ、本地金剛界胎藏界など兩部を習合する説は、風土記の時にはなき事なり。大事經など本邦に來れる時節をさへ辨へず、古説に混雜していへる邪説俗説などのあやしきよりは、古老の口實信ずるに足れり。出雲風土記などの例によれば、神の造化には浮島原を打よせたる説は、古説なるべければこの説にしたがふべし。淺間大明神忌服觸穢などの義兩部習合に異ならず。風土記の時も大明神といふ稱號も所見なく、重服觸穢の名目も有べからす。皆後人牽強の説まじりて、專ら古説にあらざる事は明けし。古記をひろく見る人は、おのづから新古の説わかるべし筆を勞するにもをよばす。
童子問 己知其智乃國とはいかなる義にや。をちこちの國といふこと歟。
答 をちこちとみて可なり。
童子問 國之三中、此四字をくにのさかひと先訓にあり。三中の二字さかひとよむ義有ことにや。
答 不可也。三中みなかとよむべし。古本の一訓にもみなかとあり。みなかは眞なかといふかごとし。
又問 出之有、此三字いでてしあると印本に訓あり。何とやらんあまりたる訓にきこえゆる也。いかゞ。
答 古本一訓にはいでゝあるとよめり。いだしたるともよまるべし。僻案には之は立の誤字にて、いでたてるにてはあらずやとおもふ也。正本を見て一決すべし。いづれにても義に害なければ、しひて異訓を沙汰むるにはをよぶべからず。
(587)又問 言不得、此三字をいひかねてとよめり。いかゞ。
答 下の句によればいひかねてはよろしからず、いひもえずとよむへし。
又問 名不知、此三字なをもしらせずとよめり。何とやらんよみがたく心得がたし。可否いかゞ。
答 名不知、三字はなづけもしらずとよむべし。此山のことは言語のをよはぬを、いひもえず何と名つくべきこともしらぬ、神異の靈山と稱美したる句ときこゆる也。
又問 石花海跡、此四字先訓せのうみともあり。正訓にや。
答 正訓なり。石花は貝の名尨蹄子の事也。倭名鈔亀貝類にも載たり。
又問 仙覺注釋云、石花海と云は富士の山乾角に侍る水海なり。すべてふじの山の麓には山をめぐりて八の海ありとなん申す石花の海と申すはその八の海の一也とあり。爾v今八の海有ことにや。
答 予富士大宮司信章に請招れて、富士の大宮にしばらく滯留せし時、富士山にのぼりて見侍しに、若海といふものはなし。まして八海有べきにあらねども、むかしは大池を海といふこと、此集の歌にみえたれば八海といふも池のこととみれば、大山の内麓のめぐりには八池も九池も有べし。歌の詞にも石花海跡名付而有毛彼山之堤有海曾とあれば、富士山内に有こと明けし。其頂上匝v池生v竹と都良香の詩に有池のことなるべし。今は竹もなし。歌によめる富士の高ねの鳴澤といふも、此歌の海とよめるとおなじかるべし。石花海とかけるは、山頂の池のあやしきを顯はさんとて石花海とかける歟。石花貝の有べきことにあらざるを、さる名をおひたるは上古石花貝の此池にありしより名付たるもしるべからす。たゞせといふ名に借りて、石花の二字は用ゐたるとみる方まさるべし。しかれども石山奇山神山を稱して、直に石花の貝付たる石もありしより、名におへるといはむもあやしむべからす。富士山にかぎらす、かき貝など付たる石、高山に今も有ためしなきにあらず。たゞ風土記には眞記絶ぬれば、しるしとするにたらざる書の説まち/\なるべし。八雲御抄には石花海を神の名としたまへるは、證明の記なし。僻案には此山の背の方に有池故に、せの海と名付たるかとうたがふ也。
又問 水乃當烏、此四字先訓みづのあたりそとあり。當の字を曾とよむ義心得がたし。且當の字に異訓はなき歟。あたりといひ(588)てはおとれる句にきこえずや。いかゞ。
答 當の字正訓あたりにて、あたりわたりにかよへば水のわたりと直に訓べき歟。あたりとよみてわたりと心得たるもおなじ義なるへし。烏の字をうとよむは、此集にからすちふおほおそ鳥といふことあれば、おうを略してうと用ゐたるかともおぼゆれども、これは焉の字を烏にかきあやまれるなるべし。焉烏音相通して用ゐたる字例もあれば、烏の字にて焉の字とおなじく用ゐたる歟。むかしそといふ詞は、今也の字をも用ゐるたぐひにて、決辭に、なりともそともいへば、矣耳焉也者皆決辭にて、なりともそとも用ゐたるとみるべし。
 
反歌
 
320 不盡嶺爾令置雪者六月十五日消者其夜布里家利
 
問 仙覺注釋に、富士の山には雪のつもりてあるが、六月十五日に其雪の消て子の時よりしもには又降かはると、駿河國の風土記にみえたりといへりと有。此事慥なることにや。
答 駿河國風土記にみえたりとあれば、さ有なるべし。仙覺も風土記をみたりといはず、風土記にみえたりといへりとあれば、人のいふ説をあらはせるなればたしかならず。今世にある駿河國風土記は僞風土記にて眞風土記なし。仙覺もみざるなれば仙覺時代も失はれたる歟。しからば眞風土記世にたえたるなるべし。たとひ風土記にあればとて、六月十五日の夜子の時より下といふ、さることむかし一時有しを書傳へたることも有べし。天地の時候きはめていふべき事にあらず。たゝふじの山の雪きえざる時より、降つきたるよしをいはむとて、十五日に消ればその夜ふりけりとよめるなるべし。風土記も此歌より書傳へたることも有べし。予先年富士に登りし時、山の雪を見しに、絶頂より下雪氷りて殘れる事壹二里にも過たり。その雪の上をふみてのぼりし也。其時六月二十一日なり。去年の雪の殘れるなれば、六月十五日にもきえざりし事をみたり。此雪七八月に及びても猶消べくは見えず。日影のあたらぬ所には、去年の雪殘りてその上に初雪ふりかさなること、むかしも今もおなじかるべし。
 此山の臨望絶景筆の及ぶべきことにあらず。予も此山の記かきも傳ふべく、かの時草稿にあれども文拙なければ人にみせん、人にみせてはかへりて山のおもてふせなるべく、拙なき筆の及ぶことにあらねば、打すてゝやみぬ。のぼりし時
(589) 雲霧はふもとのものよ雪をふみあるしをわくる六月のふしと口號せしかども、かの山の半腹に室といふ所ありて、室より上は草木もなくたゞあらしのみなれば、かの愚詠をも
 雲霧はふもとの物よ室よりはあらしを分るふしの芝山
かく書付て大宮司信章にはみせぬ。今又おもへば、雪をふみのかたまさるべき歟。もしいとまもありて、ふしの記の草稿をも綴りおほせて、書改めむとき改正しすべきもの也。
 
321 布土能嶺乎高見恐見天雲毛伊去羽計田菜引物緒
 
童子問 此歌の意はふじの山たかければ、雲も立のほりおほせずして、麓にたなびくといふ義歟。
答 しかり。立はのぼらで山にたなびくといへるにことならず。たゝ高きのみにはあらず。雲もおそれてのぼり憚り有にや。たなびくとよみて靈山のことわりを顯はせるなるへし。
又問 田菜引にて有へきを、田莱引と諸本にかけるは傳寫の誤り歟。
答 誤字也、菜に改正すべし。
又問 天雲の田莱引といふ詞なれば、立のほりがたき理り心得がたし。もし此天雲は雨雲とみるべきにや。
答 必雨雲にて天雲にあらずともいふべからす。雲は皆空に在ものなれば、天雲といふ名によべは、此山天より高くて、天雲ののぼりがたきといふ理りはあらず。たゝ天雲は雲の惣名とみてしかるべし。天にあらざる國物をもあまつといふ古語の例もすくなからねば、あまつ風あまつ雲のことにて害有べからす。歌によりて雨雲をかねて天雲とよめるもあれど、此歌の天雲を雨雲とみるべからす。
又問 物緒此説の詞てにをはいかに心得侍らんや。
答 これ常に、てにをはを合せてかへるてにをはのをにはあらず。詞の終の辭とみるべし。あなにえやうましをとこをとよみ給へる、をの辭の類にて嘆の意を含みて、終りにをと置古詠の一格とみるへし。後世そといふ詞ともかよひて心得るを也。此終のをの詞古葉にあまたあり。准てしるべし。
 
(590)右一首高橋連蟲麿之歌中出焉以類載此
 
童子問 以類載此あれは、後に注者此歌を書加へたるに似たり、いかゞ。此文いかゞ心得侍らんや。
答 後の注者補集とみるべし。若載此歟と古本にあらば、補集にはあらで注者の案を加へたる歟。諸本歟の字みえねば後の補歌とみて可也。
 
山部宿禰赤人至伊豫温泉作歌二首短歌
 
322 皇神租之神乃御言乃敷座國之盡湯者霜左波爾雖在島山之宜國跡極此疑伊豫能高嶺乃射狹庭乃崗爾立之而歌思辭思爲師三湯之上乃樹村乎見者臣木毛生繼爾家里鴨鳥之音毛不更遐代爾神左備將徃行幸處
 
童子問 皇神祖の三字をすめろぎと訓來れるは、祝詞にかみろぎといふとおなじき義にや。
答 皇祖神祖皇神祖ともにおなじ義にて、かみろぎといふに用ゐ來れども、此歌にては天皇をすめらきといふ古語とおなじく心得て、神祖の義にはよるべからず。當今の御ことをも祖神のことをも兼合て心得させん爲に、皇神祖の字は用ゐたるまてにて、古今の天皇の上を指ていへるなるべし。
又問 神乃御言乃とあれども、神の尊のと心得べきや。
答 しかり。
又問 敷座國之盡湯者霜、此八字を先訓に、しきますくにしゝゆはしもとあり。心得がたき句なれは、賢按の訓有べくおぼえ侍る。いかゞ訓侍るべきや。
答 僻案には湯の字の上に三の字を脱せりとす。よりて右の八字をしきませるくにのこと/”\みゆはしもとよむ也。四言一句古葉の一格なれば、ゆはしもとのみよみてもあしからねども、下に三湯之上乃と有を句例にして、みゆはしもといふ句なるべしとす。湯の一字にみとつけてはよみがたし。猶盡の字はかぎりにともよまばよむべき歟。こと/”\のかたまさるべき歟。好むにしたがふべし。(以下解闕)
 
(591)萬葉集童子問 終
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