底本、賀茂真淵全集第二、國學院編集部編、賀茂百樹校訂、1903(明治36)年11月26日、弘文館発行。
 
冠辭考序文
(1213)いとしもかみつ世には人の心しなほかりければ、言語《ことゝひ》も少なく、かたちよそひもかりそめになん有けらし、しかはあれど、身に冠《かうむ》りあり衣《ころも》あり沓《くつ》あり、心にうれしみあり悲しみあり、こひしみありにくしみあり、こをしぬばぬときは言《こと》に出てうたふ、うたふにつけては五つ七つのことばなむ有ける、こはおのづから天《あめ》つちのしらべにしあれば、この數《かず》よりもいふ言《こと》の少なき時は、上《かみ》にも下《しも》にも言《こと》のそはりて、調《しら》べなんなれりける、【上に有をことおこすことばといひて字は發語とかく下に添をたすけことばといひて字は助辭と書り】譬《たとへ》ばかりそめなる冠《かうむ》りおろそけなる沓などを、いつとなく身にそへ來たれるが如し、すなはち「はしけやしわぎへのかたたゆくもゐたちくも《・愛哉吾家方從雲立來》てふ大みうたのたぐひなり、【波斯祁夜斯云々は古事記に倭建命の御歌とせるによる】こは頭《かみ》を旋《めぐらす》てふ歌のかたへなれは、片《かた》歌となん名づけける、しかれども心ひたぶるに、言《こと》のすくなきをおもへば、名は後にして事はさきにし有べし、またこのすかたのごとうたはむにも、言《こと》のたらはぬときは、上にうるはしきことを冠らしめて調をなんなせりける、譬ばよそほしき冠りを設《まけ》てかしらにおくがごとし、則「高《たか》ゆくや|はやぶさ《・隼》別《わけ》のみおすひがねとうたへるたぐひ也、【多迦由久夜云々は仁コの條に出】是はた後の歌ながら、ことばゝ後にして心は上の歌につぐべきもの也けり、此ふた歌のたぐひは、後に本《もと》を混《まじふ》てふ歌のもとなるべし、【本をまじふとは混本歌なり歌の本とは上句をいひ末とは下句をいふ、こはその本に末を混たるが如くなれば、しか云り、則五言七言七言の歌也】その頭《かみ》を旋《めぐら》すてふ歌のはじめは、【旋頭歌はその五言七言七言なるものを重ねて云也則混本歌を二つ合せたる物にて、歌の本を云と思へば末となり、末かと思へば又本にかへる、よりて頭を旋す歌といふ也】「天《古事記神武の條》つゝ|ちとり《・地取》ましとゝなとさける利目《とめ》てふ歌にこたへて、「をとめ《・小女》に、直《たゞ》にあはむと|わが《・吾》さけるとめとうたへる類ひの、二つの片《かた》歌をあはせて、ひとつにうたへるものなるべし、則「い《仲哀の條》ざ|あぎ、《・吾君》、ふるくま《振熊》が|いたで《痛手》おはず《不負》は、にほ鳥の、あふみの海に|かづき《潜》せな《爲》わ《吾》てふ歌の類ひ也、次におもふ事|多《さは》なるときは、事の數々うたひつらぬるに、いよゝ上《かみ》にも中にも冠《かうむ》り辭《こと》をもてすがたをもよそひ、調(1214)をもなせりける、譬ば數のつかさの冠りしてなみゐたらんが如し、則「いすぐはし鯨《くちら》しか/\《・勇鯨云云》、「みづ/”\し《・稚》久米《くめ》しか/\てふおほみ歌のたぐひ也、【神武の條に、伊須久波斯云云同條に美都美都斯云々】こをば長《なが》うたとなむいひて、ことなん長ければこゝにはかつ/”\あぐるなり、又みそぢひとつのことばを五《いつ》つがひにつらねて歌ふあり、これも設たるにはあらで、おのづから此數にして思ふことをうたひ終れるなりけり、譬はうるはしき冠り、かみしものきぬなどの身にそなはれるがごとし、則「蘆《あし》原の|しげ《・繁》こき|をや《小家》に、すがたゝみ《・菅帖》、彌《いや》さやしきてわかふたりね《・彌隔數吾二人寢》してふ大御歌《おほみうた》の類《たぐひ》なり【神武條に、阿斯波良能志祁志岐云々】是やこの今もよむなる短か歌てふ物の、人の代となりて聞えたる始めなりけらし、しかありてより後にはもはらこのさまをよむに、猶おもふことひたぶるなるときは言《こと》たらず、言《こと》したらねば思ふ事を末にいひ、仇《あだ》し語《こと》を本《もと》に冠らせついで、彼五つがひのすがたをたらはせるあり、こはいよゝ後にいで來たるものながら、心は上つ世の片歌にことならず、ひたぶるに眞《ま》ごゝろなるを雅言《みやびごと》もて飾《かざ》れゝばなり、譬は貴人《うまびと》のよき冠りのうへに、うるはしき花|挿《させ》らんが如し、則御《み》もろ《・御室》の、いづかしが下《もと》《・嚴橿之本》橿《かし》がもと、ゆゝしきかも《・齋哉》かしはら《・橿原》處女てふおほみうたの類《たぐひ》なり【雄畧條に美母呂能云々】、此大御歌は、後にいふ序《ついで》うたの始めなるべし、かくて すべらぎのおほみよをかさねて、あまの益《ます》人ます/\にうたひあへれば、いくもゝのすがた、幾《いく》ちゞのことばか出《いで》きつらむ、そも/\冠り辭の品々《いろ/\》なるこゝろをかづ/\あげていはんに、ひさかたのあめは象《かたち》をたとへ、そらみつやまとはゆゑをいひ、ちはやぶる神は性《さが》をあげ、たらちねのはゝはもとをたゞへ、弱草《わかくさ》のつまはたぐひをなん引ける、此|言《こと》上《かみ》つ世の上より、中《なか》つ世のくだちに至りて、今に傳れるいろは三百《みもゝ》まり、數は六百《むもゝ》にもたりやしぬらん、【凡冠辭をこれにとりし數は、三百四十餘あり且その一つの中に小別のいと多きありそを數へば六百も有なんといふなり】譬ば冠《かうむり》の品《しな》位《くらゐ》も衣《ころも》のくさ/”\も、代々を經て物|多《さは》になりにたるが如し、又歌のみにもあらず、文《ふみ》をあやなすにも此|言《こと》を冠らしめたり、眞髪《まがみ》ふる櫛《くし》なだびめ、青雲《あをぐも》の白《しら》かたのつなどいへるたぐひ也、かゝればわが國ごとの宮振《みやぶり》はこれにしくものなんなき、たれやし人か心に得まくほりせざらん、しかはあれど(1215)下《しも》つ世のならはしもて思ひはからば違ふ事おほかるべし、故《かれ》ひたぶるに上つ世の心ことばをしるべき也、譬は冠をあふぎてその位をしり、面《おもて》にむかひてその人をしり、衣を見てその姿をしるときは、それがあまりはそらにしもしらるゝが如し、故《かれ》下つ世のことをばこれにいはざる也、たゞあらたまのとし月にこの冠りをあふぎ見て、いにしへ人になれゆかば、いにしへの代にかみなかしものきざみありて、うつりこしこゝろことばをもつぱらにおもひ得つべし、さてこそいにしへの世をも心をもことをも、おもひ明らめんものなりけれ、こは冠りことばをいはむことのついでなり、
              賀 茂 眞 淵
 
附ていふ
○こを或人はまくら詞といへるを、荷田大人《かたのうし》【東萬呂】はかうむりことばとそいひつ、げに枕詞とては古きみやび言とも聞えず、まくらは夜の物にてかたより、冠りは日のものにてもはらなり、物を上におくことを冠らすといふも、いにしへ今に通へる語なれは是によれり、そもはた古へよりいはましかばさても有べきを、公望が日本紀私記に、かのいすくはしちはやふるなど樣のことをば發語と書いて侍り、然れば枕詞てふ語は、延喜承平などの御時まではなくて、後にいひ出しなりけり、【今ある古今和歌集の序にまくら詞と有を以ていふ人侍れど、是はそれまろらと有しを、後にまくらと書きそこなひしものなり、眞字序に夫臣等と書り、臣等はおみらとよむを、又くだりてまろらといふも古き語也、且ここは夫まろらと轉切て、詞は春の花の云々と唱ふべき文の法也、よりてこを以てこゝの例にいふは、とらず】源氏の物語に云々の事を枕ごとゝしてと書るは、古ことを藉《シキ》もて今の思ひをいふ故の語なり、此冠辭はこを本として下の意をいふにあらず、たゞ歌の調《しら》べのたらはぬをとゝのへるより起て、かたへは詞を飾《かざ》るものにていはれ異なり、かの枕ざうし歌枕などいふを思へば、その比にいへりし也、この冠辭は、いと上つ代の物なるからは、かりにも流れたる代の二ゝろことはをばいひも出まじきものを、
○冠辭のこゝろもことばも、後の世に思ひこしとはいと異なるもあり、そが中に一つ二つをいはゞ、ひさかたのそら、神風のいせなど、語はもとの如くていふ心かはれり、※[竹冠/(脩−月)]《さゝ》なみのしが、さゞら波いそこせぢの類は、(1216)今は同しことゝ思ふを、清《すみ》にごる一言《ひとこと》によりていともことになり、又今の萬葉の訓にたちはきとあるを、くしろつくとてあげ、みくさかるとあるを、みすゞかるとて擧たる類多し、ゆくりなく見て疑ふことなかれ、
○天降《あもり》つくかぐ山、花ぐはしさくらなどは、或人は冠辭ならずといへど、しか冠らせなれこしはなほこの類とす、ゆゑよしをいふはしかならずといはゞ、ちはやふる神、たらちねのはゝなどもさならずとせんかは、
○冠辭はいと/\上つ代よりいへるぞ多く、藤原奈良などの朝にいひ出しとおぼゆるは少なし、しかありて久《ひさ》にいひなれ來しは、藤原などの人すら用を體にいひなせるあり、まして奈良に至ては、青によしくぬち、あしびきの岩ねなどもいひ、今の都にうつりては、たらちねとて母のことゝし、百しきとて大宮の事とせるたぐひ多し、然ればいと古へなるもて意を知おきて、流れ轉《うつ》りこし樣を見るべし、流れ分れたる末よりは、みなもとの水の心のおもひはかられぬものなり、
○物は一つなれど、いひなせる語によりて他部に擧るあり、又他事ながら照し見るべきあり、そは秋山の下部留《したべる》妹《いも》は阿の部に、春山の四名比盛《しなひさかえ》は波の部に、夏草の志奈要《しなえ》は奈の部に擧たれど、對《むか》へ見すばこと盡べからず、或はくしろつくたぶしは久の部に、佐久々志呂《さくくしろ》は佐の部に、玉釧《たまくしろ》は多の部に擧て、各その所に委しくいへり、かゝる物をかたはら見てうたがはざれ、
○物のついでを五十の音してせり、後の世にかゝる次第《ついで》をば、色は艶《にほへ》ど散去《ちりぬる》を云々の語もてすれど、そは童のために便りせんとてつくり出しならんを、便りばやなるわざは、中々によしを失ふこと多かれば、もの學ぶ人はいむ事なり、よりてわが友は何にも五十音もてしつゝ、古語《ふること》を知たすけとすめり、はた語を解には專ら五十音をいふ、そが中に|たてよこ《・縦韻横》の通ひ、反《かへ》りなどは本よりにて、ことおこすこゑ《・發韻》、ことをわる《竟》韻、こと過る《・過去》韻《こゑ》、おほする《・令》韻、うこく韻《用》、うごかぬこゑ《體》、のぶることば《延語》、つゞむる《・約》ことば、めぐりて通ふ《・回》語《ことば》、ふたゝび通はせる《・二囘》語、正《まさ》しく濁る語、便りに濁る《・音便》語、すむ《・清》と濁ると通ふ語、なかば《・半》濁る語、なと樣の許多《こゝだく》の例をもていへり、猶盡しがたき物は語意考にいひてこゝに畧《はぶ》けり、
○假字《カナ》は古語をとく本也、假字によらずはみだりになりぬべし、故に上つ代より延喜承平の比までは、同(1217)しくて違はざるを、其後人の心あさらかになりもてこしまに/\、皇朝古事を思ふ人あらずなりてやゝ失ひつ、【後世の人皇朝の古へをしらでから國の音韻をもてこゝの語をも假字をも定めんと思ふは、甚しきひがことなり、その委しき事はこゝにつくしがたし】故に今は古事記より和名抄までのふみに依て書たり、假字定まらざれば古語を釋くべき道なし、よりて古へのかなはいと嚴かなりしこと、古きふみを見てしれ、
○すめら御《み》國の古へ、語《ことば》を主《あるじ》とし、字を奴《やつこ》として、心にまかせつゝ用ひなしつ、他《ひとの》國の例に泥てあやしむことなかれ、つばきに椿、かもに鴨などの類ひあたらずといへども、語にしもそむかぬはかゝはらず、今此かうむりことばを冠辭と書もさるたぐひなり、又古よりかきうつしこしまゝに、今は字の誤れること多きが中に、萬葉集などはその初め草の手に書つと見えて侍るを、後の人古への草のさまをも古語をも思はで、みだりに眞字《まな》に改め書しより、物を誤らしむること數へがたし、故に今字の誤ならんとおぼゆる所をば、草にかへして意得るめり、たとへは山《やま》をら《ゆみ》と見て、高山を高弓とかき、田上《たなかみ》を白月《しらつき》と見て白月と書る類なり、
○冠辭はいとも上つ代より傳れゝば、後に書傳へたる字の誤れる右のごとも有べく、又古への諺などもていへるも有べければ、今は得も意得ぬも多し、さるをば試に強ごといひて猶よき人の定めをまつのみ、凡いにしへは人の心なほけれは、いふこともなすわざもやすらかなれど、世くだち語《こと》轉《うつ》りて、今より思ひはかるにはいとしもかたき也、こを譬ば、井をほるに下にしみづの有ぬべき所とはおもひ得てほれども、中らの水を得てやむあり、たま/\幸にしみづにいたるあり、後の世に古ことしたふ人といへども、多くは中らにてやむめり、猶ふかくとめんにはし水にいたらんをもしれど、日たらず力およばで、ほり得ぬもあり、さてほり得ては常のよき水にしてことなる事なし、そが上にことを加ふるは古語にあらず、【此譬は代々のうつりて人の心もことばも古へに異なるが如くなれば今より古への事をくみ知がたきを云のみ、後人やゝもすれば古への事には、深き心ある樣に思ひ惑ふよ、皇朝の古へ天つちの大道のまゝに治め給へば、事少く心直くて、物を設作る事なし故によろづむつかしげなる理りもなかりき、】又後の世とことならぬも有を、かの得かたきにな(1218)らひて思ひ惑ふ事あり、譬はところにつけてかつ/”\ほりてしみづのあるもあなるを、をこ井だくみは、たゞ深くこそ良き水はあれとてほりもて行に、中/\わろみづになるも有が如く、ところを見得てほるべきなり、
○古事記日本紀に同じく有ことをば古事記を擧つ、古事記はまことのふみなり、紀はから文に似たらんとつとめ書つれは、訓におきて人のおもひまどふ事もまじればなり、されど紀にてことわり明らけきをば紀を先とせり、舊事記は後につくれるものにて、古意ならぬ事おほきふみなればとらず、【右の序よりこゝまでのかみとかたへにしるせしは、おのれさきに聞こと侍りつれば、此たび此ふみよみあへるついでに書つ、むら田の春道、】
 
(1219)冠辭考卷一目次
    阿伊宇惠袁
     ○阿部  40
あまづたふ 1226  あまざかる 1226  あめなる 1227  あもりつく 1227   
あまとぶや 1228  あまぐもの 1229  あまごもり 1230  あられふり 1230  
あさひの  1231  あさづくひ 1231  あさがすみ 1232  あさぎりの 1233  
あさしもの 1233  あさびらき 1233  あさとりの 1234  あきやまの 1234  
あまをぶね 1235  あぢむらの 1236  あぢささはふ 1236  あさぢはら 1237 
あしがちる 1237  あしがきの 1237  あしびなす 1238  あしなへの 1239  
あしびきの 1239  あきがしは 1241  青ぐもの 1241  青やぎの 1242    
青みづら  1242  あをばたの 1243  あをによし 1243  あかねさす 1244  
あからひく 1245  あづさゆみ 1245  ありぎぬの 1246  あらたまの 1247  
あらがねの 1249  あらたへの 1249  あらがきの 1250  あさもよし 1250  
 
冠辭考巻二目次
 阿伊宇惠袁下
     ○伊部  22
いなのめの 1252  いなむしろ 1253  いそのかみ 1254  いそがひの 1255  
いはゞしる 1256  いしばしの 1257  いはくやす 1258  いはつなの 1258  
いもにこひ 1259  いもがかど 1260  いもらがり 1260  いもがめを 1260  
 
冠辭考卷二目次
    阿伊宇意袁下
     ○伊部  22
いなのめの 1252  いなむしろ 1253  いそのかみ 1254  いそがひの 1255  
いはゞしる 1256  いしばしの 1257  いはくやす 1258  いはつなの 1258  
いもにこひ 1259  いもがかど 1260  いもらがり 1260  いもがめを 1260  
(1220)いもがてを 1261  いもがそで 1262  いもがかみ 1262 いめたてゝ 1263
いめびとの 1263  いるしゝの 1264  いぬじもの 1264  いへつとり 1264  
いすぐはし 1265  いさなとり 1266
    ○宇部    18
うちひさす 1267  うちそを  1268  うみをなす 1268  うつゆふの 1268  
うつせがひ 1270  うちなびく 1270  うちのぼる 1270  うちたをり 1271  
うちわたす 1271  うちよする 1272  うつせみの 1272  うまさけを 1274  
うまごりの 1276  うましもの 1276  うまじもの 1277  うまのつめ 1277  
うづらなく 1277  うづらなす 1278 
     ○袁部  2
をとめらが 1278  をとめらに 1279
 
冠辭考巻三目次
    加紀久氣古  
     ○加部  11
かんかぜの 1280  風のとの  1281  かぎろひの 1281  かしの實《ミ》の 1282
かりごもの 1282  かきつばた 1283  かもじもの 1283  かこじもの 1283
からころも 1283  かぢのおとの 1284 かきかぞふ 1284 
     ○久部  6
くもゐなす 1284  くれはと〔右○〕り 1285  くしろつく 1285 くさまくら 1286
くさつゝみ 1286  くれなゐの 1286
     ○古部  12
このくれやみ 1287 こもりくの 1287  こもりづの又こもりぬの 1288 
こらが手を 1288  ことさへぐ 1288  (1221)衣手の 五つあり 1289  
衣手を 二つあり 1292  こもまくら 1293  こもだゝみ又やへたゝみ 1293
こまつるぎ 1294  ことひうしの 1294 こしぼその 1295
 
冠辭考卷四目次
    佐志須世曾
     ○佐部  18
さゞなみの【下のさ清】 1296  さゞれなみ【下のさ濁】 1296  さつぴとの 1297
さにづらふ 1297  さごろもの 1297  さか鳥の  1298  さゝがにの 1298  
さばへなす 1298  さきくさの 1298  さすやなぎ 1299  さすたけの 1300  
さきだけの 1301  さねかづら 1302  さゝらがた 1302  さくらをの 1303  
さくゝしろ 1303  さしすみの 1304  さひづるや 1304
     ○志部  19
しらぬ火の 1304  しきしまの 1305  しなてる  1305  しなざかる 1306  
しらがづく 1306  しつたまき 1307  しろたへの 1308  しきたへの 1310  
しきもあふ 1311  しらまゆみ 1311  しほぶねの 1312  しゝじもの 1312  
しゞぐしろ 1313  しながとり 1314  しまつとり 1315  しらとりの 1315  
しらとほふ 1316  しぬのめの 1316  しなたゆふ 1316
     ○須部  2
すがのねの 1317  すみぞめの 1317
     ○曾部  2
そらみつ 1317   そらかぞふ 1318
 
冠辭考卷五目次
    多知郡底登上
     ○多部  30
たかひかる 1318    (1222)たかくらの 1318  たかゆくや 1319  
たらちねの 1319  たちばなな 1320  たきゞこる 1321  たむけぐさ 1321  
たまぢはふ 1322  たまきはる 1322  たまのをの 1324  たまもよし 1325  
たまもなす 1325  たま葛《かづら》 1325  たま※[草冠/縵]《かづら》 1325
たまはやす 1326  たまぎぬの 1327  たまだれの 1327  たまくしろ 1328  
たまくしげ 1328  たまがたま 1330  たまだすき 1330  たまぽこの 1331  
たちのしり 1332  たゝなめて 1332  たゝなづく 1333  たゝみごも 1333  
たくぶすま 1334  たくづぬの 1334  たくなはの 1334  たくひれの 1335  
 
冠辭考卷六目次
    多知都※[氏/一]登下
     ○知部  3
ちゝのみの 1336  ちばの 1336  ちはやぶる 1337
     ○都部  9
つゆじもの 1339  つぎねふ 1339  つまごもる 1339  つがの木の 1340   
つゝじばな 1341  つきくさの 1341  つぬさはふ 1343  つるぎだち 1343  
つえたらぬ 1345
     ○登部  12
ときつかぜ 1345  とこよもの 1345  とぶさたて 1346  とほつかみ 1347  
とほつ人 1347  とりがなく 1348  となみはる 1348  とりじもの 1349   
とりがよふ 1349  とぶ鳥の 1349  ときゞぬの 1350  ともし火の 1350   
 
(1223)冠辭考卷七目次
    奈爾叡禰髄
     ○奈部  10
なるかみの 1351  なくこなす 1351  なゆ竹の 1351  なつくさの 1352   
なつそ引 1353  なつごろも 1354  なみくもの 1354  なぐはし 1355    
なまよみの 1355  なぐるさの 1356
     ○爾部  5
にひばり 1356  にはにたつ 1357  にはたづみ 1358  にほとりの 1358   
にほてるや 1359
     ○奴部  4
ぬつどり 1360  ぬえこどり 1360  ぬば玉の 1360  ぬえぐさの 1363    
 
冠辭考卷八目次
    波比布閇保
     ○波部  15
はるびの 1364  はるがすみ 1364  はる山の 1364  はる鳥の 1365     
はる草を 1365  はるやなぎ 1366  はなぐはし 1366  はゝそばの 1366   
はたずゝき 1366  はふくずの 1368  はふつたの 1368  はや川の 1368   
はやびとの 1369  はしむかふ 1369  はしだての 1370
     ○比部  5
ひさかたの 1371  ひなぐもり 1372  ひかるかみ 1373  ひもかゞみ 1373  
ひくあみの 1373
     ○布部  6
ふせやたつ 1374  ふせやたき 1374  ふすまぢを 1375  ふるころも 1375  
ふぢごろも 1375  ふぢなみの 1376
     ○保部  1
ほとゝぎす 1376
 
(1224)冠辭考卷九目次
    麻美武米毛
     ○麻部  15
ますらをの 1377  まがみふる 1378  まとりすむ 1378  まそがよ 1379   
ますげよし 1379  まくらがの 1379  まくさかる 1380  まさきづら 1380  
まきさく 1382  まきばしら 1383  まかなもて 1383  まそかゞみ 1383   
またまつく 1385  まよびきの 1385  まくらつく 1385
     ○美部  18
みなぞこふ 1386  みなそゝぐ 1386  みづたまる 1386  みづつたふ 1386  
みづのあわの 1387  みづたでを 1387  みづとりの 1388  みなのわた 1388 
みつぐりの 1388  みすゞかる 1389  みかしほ 1389  みごゝろを 1390   
みとらしの 1390  みはかしを 1391  みけつくに 1391  みけむかふ 1392  
みづがきの 1392  みづ/\し 1393
     ○武部  3
むらきもの 1394  むらとりの 1394  むらさきの 1394
     ○毛部  8
もちづきの 1395  もゝしぬの 1395  もゝづたふ 1396  もゝたらず 1397  
もゝしきの 1398  もみぢばの 1399  ものゝふの 1400  もちどりの 1401  
ものさはに 1402
 
冠辭考卷十目次
    也伊由延與
     ○也部  9
やくもたつ 1403  やすみしゝ 1404  やほによし 1405  やへだゝみ 1405  
(1225)やほたでを 1405  やまぶきの 1405  やますげの 1406         
やまたづの 1406  やきだちの 1407
     ○由部  5
ゆふつゞの 1407  ゆく川の 1407  ゆく鳥の 1408  ゆふばなの 1408    
ゆふだゝみ 1408
    和爲宇惠於
     ○和部  4
わだのそこ【わたづみのとも】 1409  わかくさの 1411  わかごもを 1411   
わぎもこに 1412  わがたゝみ 1412
     ○爲部  1
ゐまちづき 1413
     ○於部  12
おく山の 1413  おきつなみ 1414  おきつもの 1414  おほきみの 1415   
おほともの 1415  おほくちの 1416  おほとりの 1417  おほをよし 1417  
おほぬさの 1417  おほぶねの 1418  おきつどり 1419  おしてるや 1419  
 
冠辭考目次終
 
(1226)冠辭考卷一
 
    阿伊宇惠袁《アイウヱヲ》
     〇阿部
あまづたふ ひがさのうら
 
万葉集卷七に、(旅の歌)印南野者《イナミノハ》、行過奴良之《ユキスギヌラシ》、天傳《アマヅタフ》、日笠浦《ヒガサノウラニ》、波立見《ナミタテルミユ》、卷二に、(柿本(ノ)朝臣人萬呂の歌)天傳《アマヅタフ》、入日刺奴禮《イリヒサシヌレ》、云云、こは天路を傳ひゆく日てふ意に冠らしめたり、卷二なるは、日のありさまをいひて、冠り辭ならずともいふべけれど、その物の用をいふもはやくよりつらね來しは、おのづから冠辭となれゝは擧つ、文《フミ》かくにも便り得ることなればなり、この類ひ下に多し
 印南野は播磨國印南郡にあり、日笠浦も同し國にて、赤石(ノ)檜笠岡と推古紀に見ゆ、
 
あまざかる ひな むかつひめ
 
神代紀に、阿磨佐箇屡《アマサカル》、避奈菟謎廼《ヒナツメノ》、萬葉卷一に、(人萬呂の歌)天離《アマザカル》、夷者雖有《ヒナニハアレド》、石走《イハヾシノ》、淡海國乃《アフミノクニノ》、卷三に、天離、夷之長道從《ヒナノナガヂユ》、戀來者《コヒクレバ》、卷十五に、安麻射可流《アマザカル》、比奈乃奈我道乎《ヒナノナガヂヲ》、云云、(この冠辭猶多かれど、ことならねばはぶきぬ)こは都がたよりひなの國をのぞめば、天とともに遠放《トホザカリ》て見ゆるよしにて、天放るとは冠らせたり、さかるとは、こゝより避《サカ》り離れて遠きをいふ、古事記に奥疎神《オキザカルカミ》、(訓v疎云2奢《サ》加留(ト)1)萬葉巻十三に、夷離《ヒナサカル》、國治爾登《クニヲサメニト》、(一云、天疎夷治爾登)なほ集中【集中とは萬葉集中也、下みなしかなり】里放《サトサカリ》、澳放《オキサケ》、振離《フリサケ》、見放《ミサケ》など有も、さかるは同し語なり、さて天ざかるのさは、音便にて濁るべき例なり、よりて集中に安麻射加流《アマザカル》と書て、射は專ら濁る語に用ふ、且|夷《ヒナ》ざかるも同し意なるに、それに謝《ザ》の字をしも書しなり、【天射かるを天|低《サカル》、振放を振|提《サゲ》と意得る誤あれば、委しくいふなり、】○ひなは田居中《タヰナカ》なり、そのたゐなかの上下を略き、且ゐとひを通はせてひなといへり、【ひなを字にては、鄙又田舎など書べし、萬葉はもとより、紀にも夷の字書たるはこゝの語にはあたらず】即ゐなかてふも、田を略きていふにて同し意なるを思へ、(委くは下に見ゆ)○神功紀に、天疎向津媛命《アマザカルムカツヒメノミコト》てふは、遙けきそらは、常に向ひ見やらるゝ物故に冠らせしなり、遠くむかはるゝ峯を萬葉に向津峯《ムカツヲ》、とほきそらを祝詞に、天雲【乃】向伏極《アマクモノムカブスキハミ》などあるが如し、さて向津媛てふ名(1227)は、古へは愛《ウツクシ》みて見まほしきことを、向《ムカ》しきといへれば、その意にてつけたる物なり、
 
あめなる、ひめすがはら、さゝらのをの、又あめなるや、とも
 
萬葉卷七に、(旋頭歌)天在《アメナル》、【この天在と卷三のは、四言によむべし》日賣菅原《ヒメスガハラノ》、草莫苅嫌《クサナカリソネ》、彌那乃綿《ミナノワタ》、香烏髪《カグロキカミニ》、飽田志付勿《アクタシツクモ》、こは天なる日とつヾけて、日賣菅原はここにある地《トコロ》の名なるべし、此前後の歌どもに住のえ、引津、くらはしなどの名ところあればなり、
○卷十六に、(怕物)天爾有哉《アメナルヤ》、神楽良能小野爾《サヽラノヲノニ》、茅草苅《チガヤカリ》、草苅婆可爾《カヤカリバカニ》、鶉《ウツラ》乎《ヲ・シ》【乎は之《シ》を誤れるなるべし、乎と之の誤りし類あり】立毛《タツモ》、こは天にもこゝにもさゝらのを野てふ所の名のあれは、天なるやとは冠らせて、さて次はこゝの野に、さる物おそろしき所有をよめるなるべし、卷三に、(挽歌)天有《アメナル》、佐佐羅能小野之《サヽラノヲノノ》、七相菅《ナヽフスケ》、手取持而《テニトリモチテ》、久堅乃《ヒサカタノ》、天川原爾《アマノカハラニ》、出立而《イデタチテ》、潔身而麻之乎《ミソギテマシヲ》とよめるは、天のさゝらのをのなり、【此左佐羅云云といひ、神楽浪をさゝなみと訓たるを以て右の神楽良云云をさゝらのをのとよむなり、或人かぐらのをのと訓しは誤れり】こゝにさる所の有はしらねど、右の卷十六の歌は必こゝのなるなり、譬は、天香山と天の河はあめにもこゝにも有が如く、かの野もむかしは有つらんを、今は聞えぬならん、これによれば、上の日めすが原も天にもある傳への古へはありてつゞけしにやともおもへと、上には見えわたるつゞけによりていへるのみ、
 
あもりつく、あめのかぐ山.かせ山、
 
萬葉卷三に、(香具山の歌)天降付《アモリツク》、天之芳來山《アメノカグヤマ》、また天降就《アモリツク》、神《カミ》乃|香山《カグヤマ》、云云、(猶多かれど畧きつ)こは風土記に、天上有山《アメノヘニヤマアリ》、分而堕地《ワカレテクニヽオチヌ》、一片《カタヘハ》爲《ナリ》2伊與(ノ)國之|天《アメ》山(ト)1、一片(ハ)爲《ナレリ》大和(ノ)國之|香《カグ》山(ト)1といへり、思ふに神代紀に、美濃(ノ)國の喪《モ》山は天より墜たるてふ類ひに、是も上つ代よりしかいひ傳へしなるべし、【この風土記の説を、いかにぞやなどいふ人あれと、いと上つ代のことは、他の國にもしか樣にいひ傳ふるか多きなり】しかればいつくはあれど香山は初《ハツ》國しらしゝ御時より皇宮の鎭めともいはひ給ふからに、ことにたふとみて天降著てふ語をいひ冠らせしなるべし、さて安毛利都久は、安麻久太利都久《アマクダリツク》てふ語なるを、約め略きていふなり、(安麻久大利の麻久を反せば牟《ム》となるを、廻らし通はして毛《モ》といひ、且太をは畧きたるなり)此語は卷二十に(天孫の天くだらしゝ事を)多可知保乃《タカチホノ》、多氣爾阿毛理之《タケニアモリシ》、(1228)須賣呂伎能《スメロギノ》、可未能御代欲利《カミノミヨヨリ》、卷二に、(天武天皇吉野より美濃へ幸給ふ事を)和射見我原乃《ワザミガハラノ》、行宮爾《カリミヤニ》、安母理座而《アモリイマシテ》、天下《アメガシタ》、治賜《ヲサメタマヒシ》などもあり、
○卷六に、(三香(ノ)原の都の荒たるを傷む歌)天諸著《アモリツク》、鹿背山際爾《カセヤマノマ二》、開花《サクハナ》之、云云こはいかなるよし有けんにや知がたけれと、是はたそのをりの都に崇とみし山なれは、かの香山になぞらへて、あもりつくてふ冠辭をおきしにやとぞおぼゆる、さて今本に、三諸著と書てみもろつくと訓たるは、いよゝ何の理りともなし、こは例の草の手より、天を三に誤れるものと見えて、疑なければ改めつ、(あもりをあ諸と書は、かの御|室《ムロ》を、三諸とも書が如く、音の近く通へばなり)
天(ノ)香山は、大和國高市郡にあり、且此山は古事記に、(倭建命の御歌)阿米能加具夜麻《アメノカグヤマ》とあり、同し記に、天を阿麻《アマ》と訓べきをばそのよし注し分て、他《ホカ》の天は皆あめと訓ことを知しめたるなどに依に、此山は古へは阿米《アメ》の加具《カグ》山と唱へしなり、又香山此(ハ)云2介遇夜※[麻/糸]《カグヤマト》1と神武紀に注し、古事記に、加具《カグ》とかき、香土を軻遇突智《カグツチ》とかけるなど、かくのくを濁ること明らけし、(集中には訓にまかせて、香來山、香久山、など書たるは假字なるを、後世人香の來る事なりといひ、且かくのくを清て訓などは、皆よしなし)〇鹿背山は、山城國相樂郡にありて、聖武の御時しばらく都うつされし所なり、【集中に※[手偏+峠の旁]山とも書たり、鹿背と書は假字か】
 
あまとぶや、【かるのみち、かるのやしろ、かりぢのいけ、】又あまたむ、【かるのをとめ、】
 
古事記に、阿麻陀牟《アマタム》、加流乃袁登賣《カルノヲトメ》、(陀牟は登夫《トブ》なり、加流袁登賣は輕大郎女をさす)萬葉卷二に、(人萬呂)天飛也《アマトブヤ》、輕路者《カルノミチヲバ》、卷十一に、天飛也《アマトブヤ》、輕乃社之齋槻《カルノヤシロノイハヒツキ》、卷四に、天翔哉《アマトブヤ》、輕路從《カルノミチヨリ》、玉田次《タマダスキ》、畝火乎見管《ウネビヲミツヽ》、云云、こはみな天を飛雁《トブカリ》といふ意にて、加流《カル》の地にいひかけたるなり、【輕郎女の氏も、輕の地より出たるなり】其よしは、先かる鳧《ガモ》なども高く飛行こと無にはあらねと、打まかせて天飛といふは、雁鶴などにいふ事にて、卷十に、天飛也、雁乃翅《カリノツバサ》とよみ、古事記に、鶴をも天飛やといひたり、【集中に、山のはをわたるあきさ、山のはにあぢむらさわぎ行なれどなとよめるも、かもの類ひなれど、打まかせぬ事故に、後世までもかもの類に天とぶとはよまず】さて右に擧る如く、古事記に、加流袁冬賣ともあれど、姓氏録に、雄略天皇(ノ)御世(ニ)獻《タテマツル》2加里乃《カリノ》郡(ヲ)1、仍(テ)賜《タマフ》2姓輕部君《カルベノキミト云ウヂヲ》1とも有からは、古へは輕《カルノ》(1229)社輕(ノ)池輕(ノ)處女《ヲトメ》などの輕を、加里とも唱へけん、又萬葉卷二に、鳥垣立《トクラタテ》、飼之雁乃兒《カヒシカリノコ》てふは、雁と書たれど、かる鳧《ガモ》の事なり、後の物語ぶみに、かりの子とかけるに同し、かくてかる鳧をば|里《リ》ともいひて、雁をかるといひし例はなけれど.右の如く物にいひかくるには、語の通ふまゝに、ほのかに聞ゆるを面白みたるが冠辭の常なり、さる類ひ下にあまたあり、輕てふ所は、神名式に依に、大和國高市(ノ)郡に有なるべし、輕路(ノ)池も同し所ならむ、(或説に、獵路池を加賀國にありといふはよしなし。長(ノ)皇子の出で遊ひたまひ、人まろの供奉せしなど.都近きこと知へし、古へはよしなくて遠き地をばよまず、)
 
あまぐもの、たゆたふこゝろ、おくかもしらず、
 
萬葉卷十一に、浦觸而《ウラブレテ》、物莫念《モノナオモヒソ》、天雲之《アマグモノ》、絶多不心《タユタフコヽロ》、吾念莫國《ワガモハナクニ》、こは吾かたには、天雲のごとくたゞよひてとかくに思ふ心はあらず、君にのみおもひよれば、物なおもひそとなり、卷三に、雲居奈須《クモヰナス》、心射左欲比《コヽロイザヨヒ》とよめるは、思ひ定められぬなり、○卷十五に、(新羅への使人對馬に到て、)安麻久毛能《アマグモノ》、多由多比久禮婆《タユタヒクレバ》、云云、こは遠き船路の波の上に、ゆられたゞよひ來しを譬たり、○卷十三に、天雲之、行莫行莫《ユクラユクラニ》、蘆垣乃《アシガキノ》、思亂而《オモヒミダレテ》、云云、こは大舟乃《オホブネノ》、往良往羅二《ユクラユクラニ》、思乍《オモヒツヽ》と同し卷によみ、古今和歌集に、「おほぶねのゆたのたゆたに物思ふこゝろぞなどよめるが如く、ゆら/\と物思ふ心の樣を譬つるなり、右の三つ四つは、相似て少しのたがひおの/\あり、(此歌今本に行莫莫と有て、ゆかまく/\と訓たるは.何の事ともなし、こは行莫々々と草にかさねて書けんを、重ねの字一つおとしたる物なり、右の往良々々と有により、歌意も顯はに、さなれば、行の字をおぎなひつ)【莫は古の暮の字なり、依てくらきてふ訓を借つ、】
○卷十二に、念出而《オモヒイテヽ》、爲便爲時者《スベナキトキハ》、天雲之、奥香裳不知《オクカモシラズ》、戀乍曾居《コヒツヽゾヲル》、こは卷十三に、立良久乃《タツラクノ》、田付毛不知《タヅキモシラズ》、居久乃《ヲラクノ》、於久鴨不知《オクカモシラニ》てふに同しく、思ひにほれて※[立心偏+芒]然としてあることを、天雲の深くして何處《イヅコ》もわかぬに譬たり、さて於久可てふ語は、卷五に、常斯良奴《ツネシラヌ》、國乃意久加袁《クニノオクカヲ》、百重山《モヽヘヤマ》、越弖須疑由岐《コエテスギユキ》、卷十七に、大海乃《オホウミノ》、於久可母之良受《オクカモシラズ》、由久和禮乎《ユクワレヲ》などよみて、この歌どもは卷二十に、やみの夜の行さきしらずとよみしに似たる意なり、且於久可の於久は奥末なり、可は處にて、(1230)奥末の其處《ソコ》ともしられぬをいへり、今も物のくま/”\しく、奥の其所許《ソコハカ》となきところには、鬼《モノ》のこもれらんと思ひて、童のおつかないと云も、即此古語なり、(おくかのかをところとするは、萬葉に、そここゝを、其所此所と書、ありかすみかてふも、在所住所の意にて、ことかは同し音なれば通はしいふが故なり、)
 
あまごもり、みかさの山、
 
萬葉卷六に、雨隱《アマゴモリ》、三笠山乎《ミカサノヤマヲ》、高御香裳《タカミカモ》、云云、こは雨にかくれこもる笠とつゞけたるなり、且こもるといはでこもりと訓は、冠辭の例なり、次の條にいふを待見よ、
  三笠山は、添(ノ)上(ノ)郡春日にあり、
 
あられふり、かしまのさき、きしみがたけ、とほつあふみ、とほつおほうら、
 
萬葉集卷七に、霰零《アラレフリ》、鹿島之崎乎《カシマノサキヲ》、卷二十に、(常陸國の防人か歌)阿良禮布理《アラレフリ》、可志麻能可美乎《カシマノカミヲ》、云云、こはあられふりて、音のかしましといひかけたり、○卷三に、霰零、吉志美我高乎《キシミガタケヲ》、險跡《サガシミト》、云云もまた右に同じく、かしましてふつゞけなり、(きしみは音かよへり)○卷七に、(旋頭歌)丸雪降《アラレフリ》、遠江《トホツアフミノ》、吾跡川楊《アトカハヤナギ》、卷十一に、霰零、遠津大浦爾《トホツオホウラニ》、緑波《ヨスルナミ》、云云、こは古事記に、(允恭の大御歌)佐々婆爾《サヽバニ》、宇都夜阿良體能《ウツヤアラレノ》、多志陀志爾《タシタシニ》、韋泥弖牟能知波《ヰネテムノチハ》てふは、霰の篠《サヽ》葉うつ音は、たしたしとも、てし/\とも、はし/\とも聞ゆるを、女ぎみとたしかに朝寢する事に、いひよせ給へり。是に依に、今は霰ふりたしといふ意にて、遠つとはいひかけしと見ゆ、とほしとたしと、おのづから音の通ふなり、【或人は音を略きてとゝいふ例あれば是も霰ふるおとゝつゞけたりといへど、猶一わたりのことなり、】凡冠辭は、語のひゞき通ふまゝに、わざと幽にかくるを巧とせし多し、梓弓引豊國《アツサユミヒキトヨクニ》とは、弓を引たよむる意につゞけし物なるなど、おもひあはすべし、(たわみ、とをみ、とよみなど、皆意通ひ、意同きなり)【引とよ國をも、弓引音とつゞけつといふは、まだしきさたなり、】○且あられふるといはで、あられふりと訓は、右の卷(ノ)二十の假字にもよりぬ、冠僻は先うたひ擧て、さて次をうたふと見えて、異舍儺苔利《・鯨取》《イサナトリ》、宇彌《・海》《ウミ》、意本袁《大魚》《オホヲ》餘志《・助辭也》《ヨシ》、斯比《・鮪》《シビ》、など樣にいへるあまたあり、うたふ物は、後世にたゞよみによむとはことなることも有なり、
 鹿島崎は、常陸國鹿島郡にあり、○吉志美我高てふ歌は、萬葉には吉野(ノ)仙|柘枝《ツミノエノ》歌三首とて、その初めに(1231)擧たり、然るに其裏書に、此歌は柘(ノ)枝が傳に見えずと注せり、げに歌の意も次二首と異にて、柘枝をよめる事ともなし、こゝは別に題ありて此歌は載けんを、字|失《ウセ》どせるを好事人例のよくも考へずして、右の三首の數にたしてこゝには書けんかし、肥前風土記に、杵《キ》島(ノ)郡に杵島てふ峯ありといひて、此吉志美我高てふ歌を擧たり、言によりて肥前にありとすべく覺ゆ、○遠江吾跡川は、遠津淡海の國の事にはあらで、近津《チカツ》淡海國(ノ)高島郡の阿度《アヨ》河なり、卷九に(高島(ノ)作)高島之《タカシマノ》、阿度河波者《アトカハナミハ》とよみ、三代實録その外にも、たゞ近江の國にあと川は見えたり、さてこの遠江は、或説に同し湖ながら、京より遠き方を、とほつあふみともいふといへるによるべし、今本にとほつえにあると訓たれど、しか訓べくは遠江在と書べし、此歌字を畧き書たれど、猶在の字は畧くまじき事、集中の例をおしてみるべし、よりて、今の訓は用ひず、○遠津大浦は、紀伊《キノ》國にある歟、卷七に、山越而《ヤマコエテ》、遠津之濱之《トホツノハマノ》とよめるも.紀伊とおもはるゝよしあり、
 
あさひの、ゑみさかえきて、
 
古事記に、(沼河比倍の、八千矛(ノ)神に答へまつる歌)阿遠夜麻邇《アヲヤマニ》、比賀迦久良婆《ヒガカクラバ》、奴婆多麻能《ヌバタマノ》、用波伊傳那牟《ヨハイデナム》、阿佐比能《アサヒノ》、恵美佐迦延岐弖《ヱミサカエキテ》、【畧】多麻傳佐斯麻岐《タマデサシマキ》、云云、こは日のまだ暮やらねば暫待給へ、夜ならば我がさるべき所に出てあひなん、ゑみさかえ來てともねし給へてふ意なれば、この朝日は冠辭にて、出る日の榮えのぼるを、笑《ヱ》みさかゆるに譬たり、(ゑみほこるてふに同じ)祝詞にも、朝日《アサヒ》【能《ノ》】豐榮登《トヨサカノホリ》とあり、
 
あさづくひ、むかひの山、むかふつげぐし、
 
萬葉卷七に、(旋頭歌)朝月日《アサヅクヒ》、向山《ムカヒノヤマユ》、月出所見《ツキノイヅルミユ》、云云、こは朝日かげはあしたにこなたへむかひ來る物なれば、向ふといはんとで冠らせたるなり、祝詞に(立田(ノ)社)朝日【乃】日向處《ヒムカフトコロ》といひ、紀に日向國の名とせしもしかなり、H出る方をひむがしてふも是なり、さて朝のかたによりたる日を、あさ附日といへる事、夕附日、秋附てなどいふ類なり、月日と書しは借字のみ、且|向《ムカヒノ》山とは、集中に向津峯《ムカツヲ》といへる如く、直《タヽ》ちにむかはるゝ山をいふめり、
○卷十一に、朝月日.向黄楊櫛《ムカフツゲクシ》、雖舊《フリヌレド》、云云、てふも、櫛は匣を開て朝に先向ひとる物なれば、むかふとつゞ(1232)けたる事右に同し、こは女の歌なれは、ことに櫛をいふ事うべなりけり、
 
あさがすみ、かびやがした、
 
萬葉卷十に、(寄蝦)朝霞《アサガスミ》、鹿火屋之下爾《カビヤガシタニ》、鳴蝦《ナクカハツ》、聲谷聞者《コヱダニキカバ》、吾將戀八方《ワガコヒムヤモ》、卷十六に、朝霞、香火《カビ》屋之下|耳《ニ》、鳴川津《カハヅ》、之努比管有常《シヌビツヽアリト》、將告兒毛欲得《ツゲムコモガモ》、この冠辭は、朝霞の加乎留《カヲル》といふ語なるを、畧きてかの一言にいひかけし成へし、そのよしは神代紀に、我所生之國《ワガウメルクニハ》、唯有朝霧而薫満之哉《タヾアサギリノミカヲリミテルカモ》云云、萬葉卷二に、(伊勢の國を)鹽氣能味《シホゲノミ》、香乎禮流國爾《カヲレルクニニ》ともいひて、古へは雲霞烟霧などの曇《クモ》るを、かをるといひつればなり、【或神代紀の注に、烟霧は香有物きいへど、こゝの意は霧のくもり滿て明らかならぬをいふ、故に吹拂ふ風の神を生給ふなり、香の有のみは何ばかりの事にもあらじ、】(今昔物語にすら、煙の薫《カヲ》り合たる中より、かきまぎれて出てとかきつ)その霞烟霧など相通はしいひつるは、卷十に、春山の霧にまどへる鶯とも、卷二に秋(ノ)田のほの上に霧合《キリアフ》あさがすみとも、又すべては霞立春びとつゞくるを、卷十三には、煙立春日暮《ケムリタツハルノヒグラシ》ともよみたり、(或人は、鹿火の煙の朝までも立のぼるをいふと思へり、然らば霞立烟たつなど樣に辭を添ていふべきなり)○鹿火屋は二つの意得あり.一つには深き山里にては、猪鹿を追べき假庵に賊が入居て、引板《ヒキタ》をならしこゑをもたて、且夜もすがらほたを燒、草などをくゆらするに、人ある事を知てけものゝ田によりこぬなり、また引板は水にあやつり、火をもいたづらにくゆらせおきて、人ありげに見する田ところもあり、かくてとかくに火をおくなれは、鹿火屋と書るを正しとすべし、今一つは卷十一に、足日木之《アシビキノ》、山田守翁《ヤマダモルヲヂガ》、置蚊火之《オクカビノ》、下粉枯耳《シタコガレノミ》、余戀居久《ワガコヒヲラク》とて、置蚊火とかきつれば、初秋の比に田を守賤が、蚊やりとてくゆらする火とも爲べし、然はあれど右のごと鹿おどす料の火をおくからは、それ即かやりともなるべきを、此よみ人は一かたにつきて蚊火と書しにや、猶雄畧紀に小鹿火《ヲカビ》と書たる人の名も侍れば、前のかたによるべく覺ゆ、【或人は、香火と書たる字に付て、くさき香有ものを燒といへり、今山里ゆきて見るに、けものゝ肉を串に付て立て鹿などのおどしとすなれば、それが骨なと燒ことも有べし、されどそれ故に香火といはんは、古へびとの物名づくる樣とも聞えず侍り、又蠶を養《カ》ふ所をいふなどいへるは、いとあらぬ事にていふにもたらず、】
 
あさぎりの、おもひまどひて.
 
萬葉卷十三に、朝霧乃《アサギリノ》、思惑而《オモヒマドヒテ》、云云、朝ぎりはことに深く立ものにて、物の見まどはるゝを、戀におもひまどふにいひかけたり、卷十三に、雲入夜之《クモリヨノ》、迷間《マドヘルホドニ》ともよめり、
 
あさしもの、【みけのさをばし、けなばけなまく、おきてしくれば】
 
景行紀に、(筑後國に幸ませし時に、御木《ミキ》てふ所に、たふれたる大木の、長百七十丈あるを橋にて、臣たちのわたれるを、時の人のよみける歌)阿佐志毛能《アサシモノ》、彌概能佐烏麼志《ミケ・御木ノ|サヲバシ・※[木+高]橋》、魔幣菟耆彌《マヘツキミ・卿大夫》、伊和多羅秀暮《イ|ワタ・渡ラスモ》、彌開能佐烏麼志《ミケノサヲハシ》、こは朝霜の消《ケ》とつゞきたり、(幾衣(ノ)反氣なれば、消ぬるをけぬともいふ常の事なり)彌《ミ》の語を隔てつゞくる類ひ多し、【或人は人跡板橋霜などいひて、橋の霜をめづれば、是もさる意にやといひしは誤れり、此冠辭さる意ならぬ事は明らけきが上に、古への語にはしの霜とはいふべきを、霜のはしといふ樣のことはなし、さる樣に物を打かへしいふは、後世の俗こそあれ、】○萬葉卷十一に、朝霜《アサシモノ》、消消《ケナハケナマク》、念乍《オモヒツヽ》、云云、此外に、置て來る、起わかれなどつゞけたるは、集中に多かれど、隱れたることもなければはぶきつ、
 御木てふ所の事は紀に委し、披て見るべし、
 
あさびらき、こぎでゝ、こぎにしふね、
 
萬葉卷九に、朝開《アサビラキ》、※[手偏+旁]出而我《コギデヽワレハ》、卷十八に、安佐妣良伎《アサビラキ》、伊里江許具奈流《イリエコグナル》、可治能於登乃《カヂノオトノ》、卷十五に、安佐妣良伎、許藝弖天久禮婆《コギデヽクレバ》、卷二十に、可古登々能倍弖《カコトヽノヘテ》、安佐婢良伎《アサビラキ》、和波己藝泥奴等《ワハコギデヌト》、云云、こは朝たに湊を船|出《デ》するを、あさびらきといへり、故に船につきて朝開と書たるをば、皆あさびらきとよむなり、
○卷三に、(滿誓が歌)世間乎《ヨノナカヲ》、何物爾將譬《ナニニタトヘム》、旦開《アサヒラキ》、※[手偏+旁]去師船之《コギニシフネノ》、跡無知《アトナキガゴト》、こもあさびらきこぎにしと訓べし、後世にあさぼらけとよみたるは誤れり、卷十七に、(家特の歌)珠洲能宇美爾《スヾノウミニ》、安佐比良伎之底《アサビラキシテ》、許藝久禮波《コギクレバ》、奈我波麻能宇良爾《ナガハマノウラニ》、都奇底理爾家里《ツキテリニケリ》、とよめるにて思ひ定めよ、式に、遣唐使(ノ)開《ヒラク》2船居《フナスヱヲ》1祭とあるも此ことなり、(古へは、朝たに船出するをはあさびらきといひ、夜の明る時をば、朝あけ、又略きてあさけともいひたり、曙をあさぼらけといへる語は、奈良の比までは見えず、仍て思ふに、今の都となりで、例の古語を忘れ行ころにやいひ出けん、然るを語の本をもその意をもよく思はずして、萬葉の歌に、あさぼらけてふ訓をせしは、俗のわざのみ.この滿誓か跡無如てふ語を、あとのしらなみなと訓が如く、誤れる時も有しぞかし)
 珠洲海云云は、端の詞によるに、能登(ノ)國珠洲郡より發船《フナビラキ》して、越前國(ノ)大泥郡に還る時、同し能登の能登(ノ)郡の長濱の浦に船|泊《ハテ》て居てよめるなり
 
あさとりの、かよひし君が、
 
萬葉卷二に、(人萬呂)朝鳥《アサトリノ》、往來爲君之《カヨヒシキミガ》、云云、こは朝たは鳥のねぐらを出て遠く行かよふものなるに、君が通ひし事を譬たり、卷六に、村《ムラ》鳥の、旦立往者《アサタチユケバ》、卷一に、坂鳥乃《サカトリノ》、朝越座而《アサコエマシテ》などよめる類ひなり、
 
あきやまの、したべるいも、したびがした、
 
萬葉卷二に、(吉備津(ノ)采女が身まかれるときに、人萬呂)秋山《アキヤマノ》、下部留妹《シタベルイモ》、奈用竹乃《ナユタケノ》、騰遠依子等《トヲヨルコラ》、云云、こは采女が紅顔を秋山のもみぢに譬へ、たをやかなる姿を、萎《ナユ》竹にたとへて冠らせしなり、さてしたべるはしなぶるてふ語にて、秋の葉は、萎《シナ》び落んずる比に紅出《モミヅ》るもの故に、しなべるといひて色なる事とせしなり、
○卷十に、(秋相聞)金山《アキヤマノ》、舌日下《シタヒガシタニ》、鳴烏《ナクトリノ》、云云、このつづけも右と同じきなり、(下部も、舌日もみな借字なり)何ぞなれば古事記に、兄弟《セオト》の神ありて、兄を秋山の下氷男《シタビヲトコ》といひ、弟を春山《ハルヤマ》の霞男《カスミヲトコ》といへり、そのよしは此兄弟、ある女を得ん爲に賭《カケモノ》しけるに、弟ぞ女を得たる、その後に兄は約《チギリ》に違て贖《アカナヒ》せざりけるを、弟の咀《トコヒ》つるに、兄|八年《ヤトセ》の間に干萎病枯《ヒシタビナヤミシヲレツ》といへり、さてその弟は榮ゆれば春山の霞男《カスミヲトコ》といひ、兄は干萎病枯れば、秋山の萎《シタビ》男といひつ(此萎を下氷と書しも、萬葉に下部留、舌日など書るに同しく、借字のみなり)萬葉の右の歌どもゝ全く是に同し語なれば、相てらして語も意も知べき也、(そが中に古事記にはたゞ枯る方にいへるを、萬葉にては、しなぶる時色づく方にとりて、舌日(ガ)下てふも紅葉の下てふ意にとれり、かく轉し用るは常の事なり、しか見ずば采女をほむる語ともあらじ)かくて猶句の例をいはゞ、卷三に、名湯竹乃《ナユタケノ》、十縁皇子《トヲヨルミコ》、狹丹頬相《サニヅラフ》、吾大君者《ワガオホキミハ》とよみ、(此なゆ竹は、今の次の句と同じく姿にたとへ、狹丹つらふは、紅顔をいふなれば、今の下部る妹といふにあたれり)卷十三に、春山之《ハルヤマノ》、四名比盛而《シナヒサカエテ》、秋山之《アキヤマノ》、色名付思吉《イロナツカシキ》ともいへり、(この四名比盛は、春の若枝のしなやかなるを、宮人の姿に譬へたれは、今のなゆ竹にあたり、秋山の色なつかしきは、丹|著《ツカ》ふ顔ばせをいへば、今の下べる妹に當りぬ、されど是は春山なればしなやかなるにたとへて、今のしたべるとは、物の樣と語の意もことなり、よくわきまへよ)これらもて秋山の紅葉を、艶色に譬へたるを思ひ得べし【集中に、したべるしたびなど云は、右に云が如く、しなびかるゝ方なり、しなひしへなふなど云は、しなえびしなえめくなどのえを畧きしなり、下の春山夏草などの條に云を對へ見よ、古への假字の用樣を大かたに考へては、違ふ事多かりなん、】
(○或人此歌を解とていはく、したべるはしなべるなり、たとなと通へり、卷三に、眞木の葉のしなふせの山、卷十に、秋山のしたびが下に鳴鳥の、卷十三に、春山のしなびさかえてとよめり、秋山にしなひて立る木の葉の、うるはしく紅葉したるを、妹がさまによせていふなるべし、もろこしにも此國にも、後の如く詞を委しくいはで、心をのみいへる多しと、眞淵おもふにこはいとあら/\しく見ていへるなり、先しなやかとはしなえの假字にて.しなやか、しなえ、しなゆ、なゆ、なよ、かなど云て、也伊由延與の音もていふを、四名比と有は假字の別なるに付て、略語の有ことをおもはで、ひとつに見しは委しからず、又秋山のしたべるてふを、紅葉とするはさる事ながら、しなやかなるを兼たりとするはいかにぞや、次の奈用竹にて、妹がなよよかなる譬へは聞ゆるを、上にも同し意を兼いふべきかは、又古へは詞を委しくいはずとて、からに對へたるはいかに、から文字には多の意をこめて用るを、皇朝のむかしの語は、必助辭をもてこそ事を分ちたれ、古へをよく知ときは後よりも詞は委しく侍るものを、此秋山とてつゞけたるに、いかでしなやかなる意あらん、かの眞木の葉のしなふ背の山といへるは、眞木は檜にて、檜は枝葉のしなやかなれば是とはことなり、委くは此下にも萬葉にもいへり、)
 
あまをぶね、はつせの山、
 
萬葉卷十に、海小船《アマヲブネ》、泊瀬乃山爾《ハツセノヤマニ》、落雪乃《フルユキノ》、消長戀師《ケナガクコヒシ》、君之音曾爲流《キミガコヱソスル》、こは船の湊などに※[手偏+旁]著たるを、船はつるといへば、はつせのはつに冠らせたり、【船の行到るをはつるといふことは、紀にも萬葉にも常のことなれば、中/\に擧ず、】さて泊瀬と書たるを、後の人のとませと訓しは甚しきものなり、大和國、城上郡の長谷は、古事記に、(允恭條)波都世能夜麻能《ハツセノヤマノ》、雄略紀に、播都制能野磨《ハツセノヤマ》、萬葉に、波都世能夜麻《ハツセノヤマ》など假字に書たれば動かぬ訓《ヨミ》なり、猶下の隱國《コモリク》の條にいふべし、
 
あぢむらの、いざとはゆけど、さわぎきほひて、
 
萬葉卷四に、人多《ヒトサハニ》、國爾波滿而《クニニハミチテ》、味村乃《あぢむらの》、去來者行跡《イザトハユケド》、云云、こは人のむれ行を、あぢ鴨の友いざなひて、群つつ飛行にたとへたり、卷二十に、(難波にて、)佐乎佐之久太理《サヲサシクダリ》、安治牟良能《アヂムラノ》、佐和伎伎保比弖《サワギキホヒテ》、云云、人のさわぎ競ふに譬たることは右に同し、さて此鳥はかもの類ひにて、あぢかもとも、あぢの群《ムラ》鳥とも云り、
 
あぢさはふ、【めごともたえぬ、いもがめしば見ずて、めがぼるきみ、めにはあけども、よるひるいはず、】
 
萬葉卷二に、(あすかの皇女の殯の時、人萬呂)木※[瓦+缶]之宮乎《キノベノミヤヲ》、常宮跡《トコミヤト》、定賜《サダメタマヒテ》、味澤相《アヂサハフ》、目辭毛絶奴《メゴトモタエヌ》、卷六に、味澤相《アヂサハフ》、妹目不數見而《イモガメシバミズテ》、卷十一に、味澤相、目之乏流君《メガボルキミガ》、卷十二に、味澤相、目者非不飽《メニハアケドモ》、云云、この冠辭は味鳧《アヂカモ》の多《サハ》に群《ムレ》わたる意なるを、その群《ムレ》の語を下へめぐらして、且|武例《ムレ》の反米なれば、あぢ多經《サハフ》めとつゞけたるなり、(味澤相の三は皆借字)さて此鳥は上の條に味村乃《アヂムラノ》、去來者行跡《イザトハユケド》とある如く、多《サハ》に群《ムレ》て飛わたる故に、味群《アヂムラ》、味の群鳥《ムラトリ》などいひ、且さはとは多《オホ》きてふ古語、經《フ》は經《ヘ》わたるをいへり、又その群《ムラ》を目《メ》といひかけしは、既にいへる如く、武例《ムレ》を約《ツヾ》めたる語なれば、群《ムラガ》る鳥どもにめといふぞ多き、すゞめ、つばくらめ、しめ、かもめなどなり、卷十四に、乎都久波乃《ヲツクバノ》、之氣吉許能麻欲《シゲキコノマヨ》、
多郡登利能《タツトリノ》、目由可汝乎見牟《メユカナヲミム》、左禰射良奈久爾《サネザラナクニ》、卷十二に、小竹之上爾《サヽノヘニ》、來居而鳴鳥《キヰテナクトリ》、目乎安見《メヲヤスミ》、人妻故爾《ヒトヅマユヱニ》、吾戀二來《ワガコヒニケリ》、なとよめるも、本は序にて、めの一言《コト》にいひかけたれば、小鳥どもの木の繁みより群てたち、雀の小竹の上にむれゐるなどをいへるにて、右と同じ意なり、或人は、此二首の目といひかけたる意を、小鳥の居るが見事なるよしにいへるはわろし、それにつきて此冠辭をも解誤りしなり、(此外に、竹にしののめてふも篠群てふ事なり、しの部にいふを合せ見よ)冠辭は右の如くて、うけたる句に目辭毛絶奴《メゴトモタエヌ》てふは、既身まかり給へば見る事も絶ぬるにて卷四に、海山毛《ウミヤマモ》、隔莫國《ヘダヽラナクニ》、奈何鴨《イカデカモ》、目言乎谷裳《メゴトヲダニモ》、幾許乏寸《コヽタトモシキ》、とよめる目言に同し、(言も上の辭も借字にて、事てふ語なり)【目辭毛を、今本にまこともと訓しは、死ては眞言《マコト》もとはずてふ語の有に依るなるべけれど、此冠辭よりは、外みな目とのみつゞけつるを、此一つのみ異訓すべからず、且まことゝては、味さはふてふ語を解べきよしもなし、又卷四の、目言乎谷裳をみることをだにもと訓しも、例に違ひ且古意ならねば、共にとらず、】上つ世には見ることを目といへるぞ多き、はた此冠辭は皆目とつゞけて、他《ホカ》に、見之欲《ミガボル》と書し語をも、こヽには目《メ》がぼるとかけり、しからざれば武例《ムレ》の意にかなはぬなるべし、且|目之乏流《メガボル》は、かの見之欲と書たるこヽろなり、
○卷九に、(弟の身まかれるをいたみて)味澤相、宵晝不云《∃ルヒルイハズ》、蜻蜒火《カゲロヒノ》、心所燎管《コヽロモエツヽ》、云云、こは凡の鳥は日の間のみ飛かふを、味|鳧《カモ》は晝夜となく群經《ムレワタ》る故に、かくはたとへつ、
 
あさぢはら、つばら々、
 
萬葉卷三に、(帥大伴卿の歌)淺茅原《アサヂハラ》、曲々二《ツバラ/\ニ》、物念者《モノモヘバ》、故郷之《フリニシサトノ》、所念可聞《オモホユルカモ》、卷五にまた、淺茅原曲々とよめり、こは卷八に、茅花拔《ツバナヌク》、淺茅之原《アサヂガハラ》ともよみて、淺茅が穗花をばつばなといひ、【茅《チ》が花なればち花といふべきを、後世つばなといふも、たらちねをたら常、あちきなきを小豆なくなど書類ひなり、】又つまびらかてふ語を略きて、つばらともいへは、淺茅原つばら/\とはいひかけたり、曲々は、委曲の謂にてかくは訓なり、(契沖てふ人もかくそいひたる)卷十八に、安佐妣良伎《アサビラキ》、伊里江許具奈流《イリエコグナル》、可治能於登乃《カヂノオトノ》、都婆良々々々爾《ツバラツバラニ》、吾家之於母保由《ワギヘシオモホユ》ともよめり、(今本に曲々を、とざまかくざまと訓しは、此冠辭よりつゞけては、何のことわりともなし、)
 
あしがちる、なには、
 
萬葉卷二十に、(家拜)安之我知流《アシガチル》、難波能美津爾《ナニハノミツニ》、云云、(同卷に又あり)こは古事記に、(安康の條)興《オコシテ》v軍(ヲ)待戰《マチタヽカフ》、射出之矢《イイダセルヤ》、如《ナセリ》2葦華散《アシバナノチル》1と有によるに、難波の浦風に、葦の穂花《ホバナ》のふる雪のごと散をもて、此ところには冠らせしなるべし、隋宮の柳絮の散けんもおもひやるべし、又あしの葉も冬は散みだるゝ物なれば、華のみならじともいふべけれど、卷二に、(人萬呂)引放《ヒキハナツ》、箭繁計久《ヤノシゲケク》、大雪乃《オホユキノ》、亂而來禮《ミダレテキヌレ》、とよめるに、右の古事記の語をむかふれば、猶あしばななるべく覺ゆ、さて右の二首ともに春二月によめれど、卷十に、姫部思《オミナメシ》、咲野爾生《サクノニオフル》、白管自《シラツヽジ》とよめるが如し、
 
あしがきの、ふりぬるさと、おもひみだれて、
 
萬葉卷六に、(難波(ノ)宮に幸とき)【此いでましは、神龜二年十月なる事萬葉にも續日本紀にも見ゆ、】難波乃國《ナニハノクニ》