(1)萬葉集代匠記卷之十五
                      僧契冲撰
                      木村正辭校
 
初、中臣朝臣宅守娶藏部女【此下疑脱更等字】娉誤作嫂
 
初、中臣朝臣宅守作歌十三首 守作兩字誤倒
 
初、中臣朝臣宅守更贈歌二首 二誤作三
 
遣2新羅1使人等、悲v別贈答、及海路慟情陣v思并當所誦詠之古謌
 
目録に天平八年丙子と云へるに依て聖武紀を考見るに漏して不v載、
 
初、遣新羅使人等云々 目録に天平八年丙子といへり。績日本紀を考るにもらして載ることなし
 
3578 武庫能浦乃伊里江能渚羽具久毛流鳥伎美乎波奈禮弖古非爾之奴倍之《ムコノウラノイリエノストリハククモルキミヲハナレテコヒニシヌヘシ》
 
武庫は近き海路なればかく云ひ出せり、ハグヽモルははぐゝめるなり、鳥の子は母を離れてはそだゝねば戀に死ぬべしとも寄せたり、
 
初、むこの浦のいりえのすとり 下右十一首贈答といへり。これは新羅使の留る妻の贈哥なり。此心ははくゝむは羽含なり。鳥のひなをそたつるに、羽かひの下にくゝみもちてあたゝめそ立るなり。ちゝ母の子をはくゝむといふも其心なり。妻も男にはくゝまるゝ事おなしけれはかくはよめり
 
3579 大舩爾伊母能流母能爾安良麻勢波羽具久美母知弖由可麻之母能乎《オホフネニイモノルモノニアラマセハハクヽミモチテユカマシモノヲ》
 
(2)此は夫の答歌なり、
 
初、大船に妹のる物に 是は夫の返歌なり。和名集云。唐韻云。舶【傍陌反。楊氏漢語抄云。都具能布禰】海中大船也。日本紀には舶をつむとよめり。久と牟と同語なれは通せり
 
3580 君之由久海邊乃夜杼爾奇里多多婆安我多知奈氣久伊伎等之理麻勢《キミカユクウミヘノヤトニキリタヽハアカタチナケクイキトシリマセ》
 
神代紀上云、吹|棄氣噴之狹霧《ウツルイキノサキリ》云々、
 
初、君か行海邊のやとに 妻の贈哥なり。神代紀上云。吹棄氣噴《フキウツルイフキノ》之|狭霧《サキリ》。第五に山上憶良
  大野山きり立わたるわかなけくおきその風に霧立わたる
 
3581 秋佐良婆安比見牟毛能乎奈尓之可母奇里爾多都倍久奈氣伎之麻佐牟《アキサラハアヒミムモノヲナニシカモキリニタツヘクナケキシマサム
 
麻左牟、【幽齋本、左作v佐、】
 
腰句の之は助語なり、落句の之は爲《シ》なり、
 
初、秋さらはあひみむものを 夫の答哥なり。秋は歸てあはん物を、何か霧とも立へきほとの息をつきて、歎たまはんなり
 
3582 大舩乎安流美爾伊太之伊麻須君都追牟許等奈久波也可敝里麻勢《オホフネヲアルミニイタシイマスキミツヽムコトナクハヤカヘリマセ》
 
伊多之、【幽齋本、多作v太、】
 
初、大ふねをあるみにいたし 妻の贈哥なり。あるみは荒海なり。良于反留なるゆへにあるみといへり。つゝむことなくはつゝかなくなり。第五にもつゝみなくさきくいましてとよみ、第六には草つゝみやまひあらせすとよめり
 
(3)3583 眞幸而伊毛我伊波伴伐於伎都波美知敞爾多都等母佐波里安良米也母《マサキクテイモカイハヽハオキツナミチヘニタツトモサハリアラメヤモ》
 
妹が眞幸ありて祝はゞ海上も障あらじと兼て留まる人を祝ふなり、
 
初、まさきくていもかいはゝは 夫の答哥
 
3584 和可禮奈波宇良我奈之家武安我許呂母之多爾乎伎麻勢多太爾安布麻弖爾《ワカレナハウラカナシケムアカコロモシタニヲキマセタヽニアフマテニ》
 
第四句の乎は助語なり、
 
初、わかれなはうらかなしけむ 婦贈哥。宇誤作v字。下にを著ませ、をは助語なり。たゝにあふ、たゝちにあふなり
 
3585 和伎母故我之多爾毛伎余等於久理多流許呂母能比毛乎安禮等可米也母《ワキモコカシタニモキヨトオクリタルコロモノヒモヲアレトカメヤモ》
 
以上八首皆妻の贈りて夫の答なり、
 
初、わきもこか下にも 夫答哥
 
3586 和我由惠爾於毛比奈夜勢曾秋風能布可武曾能都奇安波牟母能由惠《ワカユヱニオモヒナヤセソアキカセノフカムソノツキアハムモノユヱ》
 
(4)此は夫の贈るなり、
 
初、わかゆへにおもひなやせそ 夫贈哥
 
3587 多久夫須麻新羅邊伊麻須伎美我目乎家布可安須可登伊波比弖麻多牟《タクフスマシラキヘイマスキミカメヲケフカアスカトイハヒテマタム》
 
タクフスマシラキ別に注す、
 
初、たくふすましらきへ 妻答哥なり。仲哀紀云。八年秋|九月《ナカツキ》乙亥|朔《ツイタチ》己卯(ノヒ)詔(シテ)2羣臣《マチキムタチニ》1以議(リタマフ)v討(ンコトヲノ2熊|襲(ソヲ)1。時(ニ)有(テ)v神|託《カヽリテ》2皇后1而誨(ヘテ)曰。天皇何(ソ)憂(ヘタマハム)2能襲(カ)之|不1v服《マツロハヌコトヲ》。是|〓《ソシヽノ》之空國(ナリ)也。豈足(ンヤ)2擧(テ)v兵(ヲ)伐(ツニ)乎。逾《マサリテ》2茲(ノ)國(ニ)1而有2寶(ノ)國1。譬(ハ)如2美女《ヲトメノ》之|〓《マヨヒキ》1有2向津國1。【〓此云2麻用弭枳1】眼炎《マノカヽヤク》之|金《コ》銀《シ》彩色《イ》多《サハニ》在(リ)2其國(ニ)1。是(ヲ)謂2栲衾《タクフスマ》新羅《シラキノ》國(ト)1焉。此集第三には、たくつのゝしらきの國とよめり。しらきをしろきといふ心に神も枕詞をおかせたまひて、栲衾とはのたまへり。十四卷にはたくふすましら山風とつゝけ、第二十にはたくつのゝしらひけの上ゆ涙たりともよめり。日本紀に※[奚+隹]林とかきてもしらきとよめり
 
3588 波呂波呂爾於毛保由流可母之可禮杼毛異情乎安我毛波奈久爾《ハロハロニオモホユルカモシカレトモアタシコヽロヲアカモハナクニ》
 
異情はケシキコヽロとも讀べし、右二首は妻の答歌也、
 
初、はろ/\に はる/\になり。異情、けしきこゝろともよむへし。あかもはなくには、わかおもはなくになり。これも妻の哥なり
 
右十一首贈答
 
3589 由布佐禮婆比具良之伎奈久伊故麻山古延弖曾安我久流伊毛我目乎保里《ユフサレハヒクラシキナクイコマヤマコエテソアカクルイモカメヲホリ》
 
此は次の歌の注に依に暫家に歸る時の歌なり、
 
(5)右一首秦間滿
 
後に至て秦田麿に作れり、間と田と何れにつくべき事を知らず、滿は麿なり、第四に安倍蟲麻呂を蟲滿ともかけり、
 
3590 伊毛爾安波受安良婆須敝奈美伊波禰布牟伊故麻乃山乎故延弖曾安我久流《イモニアハスアラハスヘナミイハネフムイコマノヤマヲコエテソアカクル》
 
イハネフム伊駒ノ山ヲ越とは、勞を忘るゝ心なり、
 
初、いもにあはすあらは いはねふむいこまの山は長流かいはく。いこま山にいはねあるの心にはあらす。石ふむ駒といひかけたる詞なり。毛詩に渉《ノホレハ》2彼(ノ)高(キ)崗《ヤマニ》1我(カ)馬|玄《クロカリシカ》黄(ニナンヌ)云々。此心にていはふむ駒とはよめるなりといへり。第十一に
  くるみちは石ふむ山もなくもかなわかまつ君かうまつまつくも
  いはねふみかさなる山はあらねともあはぬ日あまたこひわたるかも
 
右一首※[斬/足]還2私家1陳v思、
 
初、左に※[斬/足]還(テ)2私(ノ)家(ニ)1陳(フ)v思(ヲ)とは、潮を待ほと難波よりならへ歸るなり
 
3591 妹等安里之時者安禮杼毛和可禮弖波許呂母弖佐牟伎母能爾曾安里家流《イモトアリシトキハアレトモワカレテハコロモテサムキモノニソアリケル》
 
初二句は妹と共に臥ては寒さも知らねどもの意なり、此歌夏なれば衣手寒きと云までは有まじけれども別のうさを云はむとなるべし、魚を得たらば筌《ウヘ》を忘るべし、
 
初、妹とありし時はあれとも 此哥夏なれは衣手寒きまてはあるましけれと、獨ぬることのわひしきをいふなり。意を得て言を忘へし
 
3592 海原爾宇伎禰世武夜者於伎都風伊多久奈布吉曾妹毛安(6)良奈久爾《ウナハラニウキネセムヨハオキツカセイタクナフキソイモヽアラナクニ》
 
3593 大伴能美津爾布奈能里許藝出而者伊都禮乃思麻爾伊保里世武和禮《オホトモノミツニフナノリコキイテヽハイツレノシマニイホリセムワレ》
 
下句は第六に坂上郎女歌に何れの野邊にいほりせむこらとよめるが如し、
 
右三首臨發之時作歌
 
3594 之保麻都等安里家流布禰乎思良受之弖久夜之久妹乎和可禮伎爾家利《シホマツトアリケルフネヲシラスシテクヤシクイモヲワカレキニケリ》
 
志弖、【幽齋本、志作v之、】
 
3595 安佐妣良伎許藝弖天久禮婆牟故能宇良能之保非能可多爾多豆我許惠須毛《アサヒラキコキテヽクレハムコノウラノシホヒノカタニタツカコヱスモ》
 
初、あさひらき 後に朝ほらけとよめるは、比良木保良介五音通すれはなり。たつか聲すもは聲するもなり
 
(7)3596 和伎母故我可多美爾見牟乎印南都麻之良奈美多加彌與曾爾可母美牟《ワキモコカカタミニミムヲイナミツマシラナミタカミヨソニカモミム》
 
印南妻と云名よりワギモコガ形見ニ見ムとは云へり、
 
3597 和多都美能於伎津之良奈美多知久良思安麻乎等女等母思麻我久流見由《ワタツミノオキツシラナミタチクラシアマヲトメラモシマカクルミユ》
 
思麻我久流見由、【幽齋本並校本、流作v禮、點云シマカクレミユ、】
 
第四句はアマヲトメドモとも讀べし、
 
3598 奴波多麻能欲波安氣奴良之多麻能宇良爾安佐里須流多豆奈伎和多流奈里《ヌハタマノヨハアケヌラシタマノウラニアサリスルタツナキワタルナリ》
 
此玉浦は安藝なり下に至て見ゆべし、第九によめる紀伊國の玉浦にはあらず、
 
初、ぬは玉の夜は明ぬらし 此玉浦を八雲御抄に紀國の玉浦とおほしめしけるは、よくかんかへさせたまはさりけるなり。紀國の玉浦は第九に紀伊國作とて
  わかこふる妹にあはさす玉の浦に衣かたしきひとりかもねむ
此玉浦は次下の三首備中備後の作なれは、これも兩國の間なるへし。下の第十三葉十四葉にもよめり。其下に周防國玖珂郡麻里布浦行之時作歌八首とあれは、安藝にもやと申へけれと、かならす國の次によむへきにもあらす。長門嶋をよめるは安藝なり
 
3599 月余美能比可里乎伎欲美神島乃伊素末乃宇由良舩出須(8)和禮波《ツキヨミノヒカリヲキヨミカミシマノイソマノウラユフナテスワレハ》
 
宇良由、【官本、或由作v爾、點云、ウラニ、】
 
神島は第十三の詞書に備後國神島濱とあるに付て注せし如く備中備後共に證あり、次の二首備後の歌なれば備後にや、然らばイソマノ浦知ぬべし、浦ユは浦よりなり、船出は初て發船《フナダチ》するを云のみにはあらず、
 
初、月よみの光をきよみ 神島は備中小田郡なり。延喜式第十神名帳下云。備中國小田郡神嶋神社。續拾遺集賀部に、建久九年大甞會主基方御屏風に備中國神島有神祠所を、前中納言資實
  神島の波のしらゆふかけまくもかしこき御代のためしとそみる
かゝるを此集さきの第十三備後國神島濱調使首見v屍作歌云々。其哥には神の渡とよめり。備後にも神嶋ある歟。備中なるを誤て備後とかける歟。いそまの浦は神島ある所の名なり。いそまの浦の神嶋なるへけれと、神をたふとひて神嶋のいそまのうらとはいふなるへし。類字名所抄に、八雲御抄并宗祇國分藻塩草等紀州といへり。みな誤なり。浦ゆは浦よりなり。ふなてすわれはとは初てこれより舟出するといふにはあらす。いそへによせてかゝれる舟をまた漕出すをいへり
 
 
3600 波奈禮蘇爾多?流牟漏能木宇多我多毛比左之伎時乎須疑爾家流香母《ハナレソニタテルムロノキウタカタモヒサシキトキヲスキニケルカモ》
 
香母、【校本、或母作v毛、】
 
ハナレソは離《ハナレ》礒なり、ウタカタは第十二に注せしが如し、次の歌と共に二首は備後の鞆の浦にての歌なり、第三の帥大伴卿の歌にて知るべし、
 
初、はなれそにたてるむろの木 次の哥とゝもに二首は備後國鞆浦にしてよめるなり。第三に帥大伴卿此むろの木をよめる哥三首有。そこに鞆浦といへり。はなれそは離礒《ハナレソ》にて、はなれたる礒なり。うたかたは遊仙窟に未必とあるをうたかたとよめれは、けたしといはむかことし。第十七にも二首見えたり。委は第十二にうたかたもいひつゝもあるかといふ哥に注せり。疑て未(タ)《・サル》v決(セ)辭なり
 
3601 之麻思久母比等利安里宇流毛能爾安禮也之麻能牟漏能木波奈禮弖安流良武《シマシクモヒトリアリウルモノニアレヤシマノムロノキハナレテアルラム》
 
(9)シマシは波と麻と同韻にて通ずればしばしに同じ、日本紀にも有間をシマシアリと點ぜり、久は助語なり、此歌は妻に別來て忘がたき心を下に持てよめり、
 
初、しましくもは、しはしもといふ詞にくもしを助におけるなり。今しく我しくの類なり。嶋によせていへるなり。これは下に妻を思ひてよめるなり
 
 右八首乘v舩入v海路上作歌
 
當所誦詠古哥
 
3602 安乎爾余志奈良能美夜古爾多奈妣家流安麻能之良久毛見禮杼安可奴加毛《アヲニヨシナラノミヤコニタナヒケルアマノシラクモミレトアカヌカモ》
 
此歌は古歌と云へど和銅三年以後の歌なれば天平八年までは廿餘年さきの作な るべし、
 
初、あをによしならの都に これより人丸の七夕歌まては所につけ時につけて興ある古哥を誦《スン》したるを載たるなり。此哥かくれたる所なし。古人の雲を詠したる哥なるを、今遙にそなたになかめやりて、此哥の心にかなひたれは、打すむしたるなり。景行紀に、はしきよしわきへのかたゆ、くもゐたちくも、やまとはくにのまほらま、たゝなつくあをかき山、こもれるやまとしうるはしと思邦《クニシノヒ》の御哥によませたまへるは、奈良都よりはるかのさきなれと、國もおなしく心もおなし。又あをによしならといひてあまのしら雲とよめるは、なら山の青きに映する白雲の心をふくめるか。第三湯原王宴席哥  青山の嶺のしら雲朝にけにつねにみれともめつらしわかきみ
第四には青山をよこきる雲のいちしろくともよめり。これらの心にひとしかるへき歟。杜子美か詩に、水碧(ニシテ)鳥逾白(シ)
 
右一首詠雲
 
3603 安乎楊疑能延太伎里於呂之湯種蒔忌忌伎美爾故非和多流香母《アヲヤキノエタキリオロシユタネマキユユシキキミニコヒワタルカモ》
 
田のほとりには柳をさし置けば第十四にも小山田の池の堤に刺楊とよめり、春苗(10)代に種まかむとては柳のはびこりたれば蔭とも成り、そこに通ふにも障れば技を切下すなり、ユタネは第七に湯種《ユタネ》まく荒木の小田と云に注せり、忌忌はユヽシクと讀べし、ゆたねのゆ〔右○〕を以てゆゝしくとつゞけむとて上は次第に序に云へり、
 
初、青柳のえた切おろしゆたねまき 田のほとりには柳をさしおくものなり。第十四に小山田の池のつゝみにさす柳とよめるこれなり。春苗代にたねまかむとては、柳の枝のはひこりたれは、陰ともなり、そこにかよふにもさはれは、枝をきりおろすなり。ゆたねのことは第七にゆたねまくあらきの小田とよめる哥に注せり。ゆゝしくといふ詞まうけんかために、ゆたねまきといひ、ゆたねまきといはむために上の句は惣して序によみかけたり。ゆゝしき君にとよめは、いつかしき君の心なり。ゆゝしく君にといへは、ゆゝしき大事の出來たりなといふ詞なり
 
3604 妹我素弖和可禮弖比左爾奈里奴禮杼比登比母伊毛乎和須禮弖於毛倍也《イモカソテワカレテヒサニナリヌレトヒトヒモイモヲワスレテオモヘヤ》
 
落句は忘て思はむやなり、
 
3605 和多都美乃宇美爾伊弖多流思可麻河伯多延無日爾許曾安我故非夜麻米《ワタツミノウミニイテタルシカマカハタエムヒニコソアカコヒヤマメ》
 
シカマ川は播磨餝摩郡にあり、何れの河も終には海に出るを殊に此川は海につゞけばさてかくはよめり、餝摩河の終に絶すまじければ我戀の止む期はあらじの意なり、
 
初、わたつみの海に出たるしかま川 いつれの川とてつゐに海に出ぬはなけれと、此川はやかて海になかれて出るゆへに、海に出たるとはいへり。十三卷に、ひたす川ゆきわたりてはといふに、直海川とかけるも此心にや。海に出る川なれは絶る事なきゆへに、その絶ぬまてはわか戀もやましといふ心なり。十二卷に
  久かたの天つみ空にてれる日のうせなん日こそわか戀やまめ
第二十に
  にほ鳥のおき長川は絶ぬとも君にかたらふことつきめやも
 
右三首戀歌
 
初、右三首戀歌 これは常の戀歌なるを、旅にて妻をこふる心にすしいてたるなり
 
(11)3606 多麻藻可流乎等女乎須疑?奈都久佐能野島我左吉爾伊保里須和禮波《タマモカルヲトメヲスキテナツクサノノシマカサキニイホリスワレハ》
 
初、たまもかるをとめを過て これより下四首は第三卷に有。相違は注のことし
 
柿本朝臣人麿歌曰|敏馬乎須疑?《ミヌメヲスキテ》又曰|布禰知可豆伎奴《フネチカツキヌ》
 
3607 之路多倍能藤江能宇良爾伊射里須流安麻等也見良武多妣由久和禮乎《シロタヘノフチエノウラニイサリスルアマトヤミラムタヒユクワレヲ》
 
初、白妙のふちえのうらに 第三には注のことくあらたへのふちえの浦と有。今のつゝきにても白妙の藤衣といふ心なり
 
柿本朝臣人麿歌曰|安良多倍乃《アラタヘノ》又曰|須受吉都流安麻登香見良武《ススキツルアマトカミラム》
 
3608 安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊敝乃安多里見由《アマサカルヒナノナカチヲコヒクレハアカシノトヨリイヘノアタリミユ》
 
柿本朝臣人麿歌曰|夜麻等思麻見由《ヤマトシマミユ》
 
(12)3609 武庫能宇美能爾波余久安良之伊射里須流安麻能都里舩奈美能宇倍由見由《ムコノウミノニハヨクアラシイサリスルアマノツリフネナミノウヘユミユ》
 
柿本朝臣人麻呂歌曰|氣比乃宇美能《ケヒノウミノ》又曰|可里許毛能美太禮?出見由安麻能都里舩《カリコモノミタレテイテミユアマノツリフネ》
 
3610 安胡乃宇良爾布奈能里須良牟乎等女良我安可毛能須素爾之保美都良武賀《アコノウラニフナノリスラムヲトメラカアカモノスソニシホミツラムカ》
 
初、あこのうらに なこのうらにて津の國なり。此哥注のことくにて第一卷に有
 
柿本朝臣人麻呂歌曰|安美能宇良《アミノウラ》又曰|多麻母能須蘇爾《タマモノスソニ》
 
初、注安美能宇良、此下に爾の字をゝとせり
 
七夕歌一首
 
3611 於保夫禰爾麻可治之自奴伎宇奈波良乎許藝弖天和多流(13)月人乎登祐《オホフネニマカチシヽヌキウナハラヲコキテテワタルツキヒトヲトコ》
 
乎登祐、【官本、祐作v※[示+古]、】
 
祐は書生の誤なり※[示+古]に改たむべし.舟に乘て海を渡るに依て牽牛の事を思ひ出で時には先だてど.ふと誦したるなるべし、
 
初、おほふねにまかちしゝぬき 第十に人麿集に出たりといふ七夕哥三十八首ある中にも此哥は見えす。月人をとこは牽牛をいふと見えたり。第十の七夕哥にあまた月人をとことよめり。祐は枯の誤なるへし。もしは※[示+古]歟。許を〓にに作る。惣して此集に此字皆たゝしからす。これは時に先たちて興に乗して誦するなり。下に筑紫館に至りておの/\七夕の哥あり。わか舟に乘て海を渡るかひこほしに似たれは、ふと古哥を誦するなり
 
右柿本朝臣人麿歌
 
第十二人麿集に出たる七夕歌三十八首あれども此歌はなし、
 
備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首
 
舶、和名集云、唐韻云舶、【傍陌反、楊氏漢語抄云、都具能布禰、】海中大船也、
 
初、備後國|水調《ミツキノ》郡 和名集には御調郡
 
3612 安乎爾與之奈良能美也故爾由久比等毛我母久佐麻久良多妣由久布禰能登麻利都礙武仁《アヲニヨシナラノミヤコニユクヒトモカモクサマクラタヒユクフネノトマリツケムニ》 旋頭歌也
 
貫之歌に舟路には草の枕も結ばねばおきながらこそ夜を明しけれとよまれたれど.今は舟路ながら草枕旅行舟とつゞけらる、第七には近江の海みなとはやそぢいづくにか君が舟はて草結びけむとよみ、第十二には草枕旅行君を荒津まで送り來(14)れども飽足らずこそとよめり例に依て草枕旅とつゞくるばかりは海路も憚かるまじき證なり、
 
右一首大判官
 
從六位上壬生使主宇太麻呂、後准v之、
 
3613 海原乎夜蘇之麻我久里伎奴禮杼母奈良能美也故波和須禮可禰都母《ウナハラヲヤソシマカクリキヌレトモナラノミヤコハワスレカネツモ》
 
何處にも八十島と讀べき證とすべし、
 
初、うなはらをやそしまかくり 八十嶋は只海路には嶋々の數おほき心なり。かくりはかくれなり
 
3614 可敝流散爾伊母爾見勢武爾和多都美乃於伎都白玉比利比弖由賀奈《カヘルサニイモニミセムニワタツミノオキツシラタマヒリヒテユカナ》
 
初、ひりひてゆかな ひろひてゆかむなゝり
 
風速浦舶泊之夜作歌二首
 
3615 和我由惠仁妹奈氣久良之風早能宇良能於伎敝爾寄里多奈妣家利《ワカユヱニイモナケクラシカサハヤノウラノオキヘニキリタナヒケリ》
 
初、おきへは奥邊なり。霧たなひけり、歎の霧なり
 
(15)3616 於伎都加是伊多久布伎勢波和伎毛故我奈氣伎能奇里爾安可麻之母能乎《オキツカセイタクフキセハワキモコカナケキノキリニアカマシモノヲ》
 
右二首は上の贈答の中に君が行海邊の宿に霧たゝばとよめる歌を蹈て先初の歌を讀て奥津風の痛く吹てあの奥に見ゆる海を此方によせば吾妹子が歎の霧に飽まし物をとよめるなり、以上備後にての歌なり、
 
初、おきつかせいたく吹せは これは上に君かゆく海への宿に霧たゝはあかたちなけくいきと知ませといふ妻の哥をふめるなるへし
 
安藝國長門島舶泊礒邊作哥五首
 
3617 伊波婆之流多伎毛登杼呂爾鳴蝉乃許惠乎之伎氣婆京師之於毛保由《イハハシルタキモトヽロニナクセミノコヱヲシキケハミヤコシオモホユ》
 
古今集に石ばしる瀧なくもがなとよめるも古歌にて作者は今の發句の如く讀けむや、下の句の二つの之は共に助語なり、
 
初、いはゝしる瀧もとゝろに 瀧と蝉との聲を合たるおもしろさにつけても都の妻とゝもに見はや聞はやなと思ふ心なり。目録に夏六月とありて下に筑紫館に到て七夕の哥あれは、此時六月の末なるへけれは、蝉もさかりに瀧にひゝきあふへし
 
右一首大石蓑麿
 
3618 夜麻河伯能伎欲吉可波世爾安蘇倍杼母奈良能美夜故波(16)和須禮可禰都母《ヤマカハノキヨキカハセニアソヘトモナラノミヤコハワスレカネツモ》
 
美夜故、【別校本、故作v古、】
 
3619 伊蘇乃麻由多藝都山河多延受安良婆麻多母安比見牟秋加多麻氣?《イソノマユタキツヤマカハタエスアラハマタモアヒミムアキカタマケテ》
 
發句のイソは石にて、石の間よりなり、
 
初、いそのまゆ 石の間よりなり。またもあひみん秋かたまけては、山と河とのおもしろく石間より落くる瀧に蝉さへ聲をあはすれはおもしろさかきりなし。此山川のことく命もたえすあらは又も初秋風の涼しきにきてみんとなり
 
3620 故悲思氣美奈具左米可禰?比具良之能奈久之麻可氣爾伊保利須流可母《コヒシケミナクサメカネテヒクラシノナクシマカケニイホリスルカモ》
 
3621 和我伊能知乎奈我刀能之麻能小松原伊久與乎倍弖加可武佐備和多流《ワカイノチヲナカトノシマノコマツハライクヨヲヘテカカムサヒワタル》
 
發句の乎は乃と同韻にて通ずれば我命のなり、第十三の御佩乎劔池《ミハカシヲツルギノイケ》と云へるに同じ、
 
(17)從2長門浦1舶出之夜仰觀2月光1作歌三首
 
3622 月余美乃比可里乎伎欲美由布奈藝爾加古能己惠欲妣宇良末許具可聞《ツキヨミノヒカリヲキヨミユフナキニカコノコヱヨヒウラミコクカモ》
 
古惠、【幽齋本、古作v己、】  可母、【別校本、幽齋本、並母作v聞、】
 
3623 山乃波爾月可多夫氣婆伊射里須流安麻能等毛之備於伎爾奈都佐布《ヤマノハニツキカタフケハイサリスルアマノトモシヒオキニナツサフ》
 
3624 和禮乃未夜欲布禰波許具登於毛敝禮婆於伎敝能可多爾可治能於等須奈里《ワレノミヤヨフネハコクトオモヘレハオキヘノカタニカチノオトスナリ》
 
右挽歌一首 并 短歌
 
右は古に作るべし、是は船中のつれ/”\に語出たるを日記したるかにて今の本そのまゝにや、
 
初、古挽歌一首 古誤作v右。これも此時舟の上にてかたり出けるを、日記なとにしたるまゝにこゝには載たるなるへし
 
(18)3625 由布左禮婆安之敞爾佐和伎安氣久禮婆於伎爾奈都佐布可母須良母都麻等多具比弖和我尾爾波之毛奈布里曾等之路多倍乃波禰左之可倍※[人偏+弖]宇知波良比左宿等布毛能乎由久美都能可敝良奴其等久布久可是能美延奴我其登久安刀毛奈吉與能比登爾之弖和可禮爾之伊毛我伎世弖思奈禮其呂母蘇弖加多思吉※[人偏+弖]比登里可母禰牟《ユフサレハアシヘニサワキアケクレハオキニナツサフカモスラモツマトタクヒテワカヲニハシモナフリソトシロタヘノハネサシカヘテウチハラヒサヌトフモノヲユクミツノカヘラヌコトクフクカセノミエヌカコトクアトモナキヨノヒトニシテワカレニシイモカキセテシナレコロモソテカタシキテヒトリカモキム》
 
由布佐禮婆、【幽齋本、佐作v左、】
 
シロタヘノハネサシカヘテとは凡そ鴨は水鳥の青葉の山などそへて青き物の例《タメシ》にこそ云を、白妙ノハネと云へるはやう替りておぼつかなく思ふ人有べし、俗に羽白と云も鴨の種類なり鴛鴨《ヲシガモ》、鴈鴨《カリガモ》などよむ時は鴨は水鳥の※[手偏+總の旁]名なれば色は白きを本として何となく白妙の袖と讀如く白妙のはねと云はむ難なかるべし、はねは和名集云、爾雅集注云、羽本(ヲ)曰v※[隔の旁+羽]【下革反、字亦作v〓和名八禰、】一云羽根也、かゝれば羽とは別に出し(19)て少替れる事あれど和語の羽は只羽をはねと云ひ習へりサヌトフモノヲはさぬると云物をなり、イモガキセテシナレ衣とは初よりなれたるを著せたるにはあらず、或は新らしき或は洗へるを著せたるを今はなるれば初を後に攝してかくはよめり、
 
初、ゆふされは これ下の明くれはに對したり。第六に車持朝臣千年歌の中に、あけくれは朝きりたちて、夕されはかはつなくなへとよめるより外、猶あまたみえたり。夕になりされはといふ心なり。第十に春なれはもすの草くき見えすとも、春なれはすかるなる野のほとゝきすといふ哥を、共に春之在者とかけり。それを誤てはるされはと和點をくはへたり。これは古今集に夏なれは宿にふすふるかやり火のとも、秋なれは山下とよみ鳴鹿のともよめるにおなし。はるにあれはとよむへきを、爾阿反奈なるゆへにはるなれはとよむなり。しかるをはるされはとよみたるにより、定家卿顯注密勘に引て春されは夕されはゝはるにあれは夕にあれはといふ心なりとのたまへるは此集のおもむきをよくかんかへられさりけるなり。第十に霞たな引はるさりにけりとよめるは、春になりさりにけりといふ心なり。おきになつさふかもすらも。第三に、第九に
  輕池のいりえめくれるかもすらに玉ものうへにひとりねなくに
  さきたまのをさきの池に鴨そはねきるおのかみにふりおける霜を怫とにあらし
さぬとふものをは、さぬといふものをなり。行水のかへらぬことく。第十九に家持の悲(シム)2世間無常(ヲ)1歌にも、吹風の見えぬかことくゆくみつのとまらぬことくといへり。論語云。子在2川(ノ)上(ニ)1曰。逝(ク)者(ノハ)如(キ)v斯(ノ)夫《カ》。不v舎(メ)2晝夜(ヲ)1。陸子衡歎逝賦(ニ)曰。悲夫川(ハ)閲《スヘテ》v水以成(ス)v川(ヲ)。水滔々(トシテ)而日(ニ)度(ル)。世(ハ)閲(テ)v人(ヲ)而爲v世(ト)。人(ハ)冉々(トシテ)而行(テ)暮(ヌ)。日本紀第十九云。豈圖|一旦眇然昇遐《ニハカニハルカニホカレテ》與(ニ)v水(ト)無(テ)v歸(コト)即|安《ヤスミマサントハ》2玄室1、古今集に
  さきたゝぬくゐのやちたひかなしきはなかるゝ水のかへりこぬなり
あともなき世の人にしてとは死さりて後をいふなり。なれころもはなるゝはきならして垢つくなり。よりて第三卷に穢の字をなるゝとよめり。袖かたしきて以下はさきに引る紀國玉浦哥下句衣かたしき獨かもねんとよめり。第十に
  泊瀬風かく吹夜はゝいつまてか衣かたしきわかひとりねむ
 
反歌一首
 
3626 多都我奈伎安之敝乎左之弖等妣和多類安奈多頭多頭志比等里佐奴禮婆《タツカナキアシヘヲサシテトヒワタルアナタツタツシヒトリサヌレハ》
 
安之敝、【官本、敝作v倍、】
 
發句を承てアナタヅ/\シとよめるは第六第十一に既に見えたり、二三の句は第六に赤人の葦邊を指て鶴鳴渡るとよまれたるに同じ、
 
初、たつかなき 鶴之鳴なり。あしへをさしては、第六に
  わかの浦にしほみちくれはかたをなみあしへをさしてたつ鳴わたる
あなたつ/\しは、第六、第十一
  草香江の入江にあさるあしたつのあなたつ/\し友なしにして
  天雲にはねうちつけて飛たつのたつ/\しかも君しまさねは
 
右丹比大夫悽2愴亡妻1歌
 
此卷中丹比氏の人なし、大使判官などは唯大使等とのみ書て姓名を擧ざれば此度にのみ云べきにあらず、題下の料簡の如くなるべし、
 
(20)屬v物發v思短歌一首 并短歌
 
3627 安佐散禮婆伊毛我手爾麻久可我美奈須美津能波麻備爾於保夫禰爾眞可治之自奴伎可良久爾爾和多理由加武等多太牟可布美奴面乎左指天之保麻知弖美乎妣伎由氣婆於伎敝爾波之良奈美多可美宇良末欲理許藝弖和多禮婆和伎毛故爾安波治乃之麻波由布左禮婆久毛爲可久里奴左欲布氣弖由久敝乎之良爾安我巳許呂安可志能宇良爾布禰等米弖宇伎禰乎詞都追和多都美能於枳敝乎見禮婆伊射理須流安麻能乎等女波小舩乘都良良爾宇家里安香等吉能之保美知久禮婆安之辨爾波多豆奈伎和多流安左(21)奈藝爾布奈弖乎世牟等船人毛鹿子毛許惠欲妣柔保等里能奈豆左比由氣婆伊敞之麻婆久毛爲爾美延奴安我毛敝流許己呂奈具也等波夜久伎弖美我等於毛比弖於保夫禰乎許藝和我由氣婆於伎都奈美多可久多知伎奴與曾能未爾見都追須疑由伎多麻能宇良爾布禰乎等杼米弖波麻備欲里宇良伊蘇乎見都追奈久古奈須禰能未之奈可由和多都美能多麻伎能多麻乎伊敝都刀爾伊毛爾也良牟等比里比登里素弖爾波伊禮弖可敝之也流都可比奈家禮婆毛弖禮杼毛之留思乎奈美等麻多於伎都流可毛《アサヽレハイモカテニマクカヽミナスミツノハマヒニオホフネニマカチシヽヌキカラクニヽワタリユカムトタヽムカフミヌメヲサシテシホマチテミヲヒキユケハオキヘニハシラナミタカミウラマヨリコキテワタレハワキモコニアハチノシマハユフサレハクモヰカクリヌサヨフケテユクヘヲシラニアカコヽロアカシノウラニフネトメテウキネヲシツヽワタツミノオキヘヲミレハイサリスルアマノヲトメハヲフネノリツララニウケリアカトキノシホミチクレハアシヘニハタツナキワタルアサナキニフナテヲセムトフナビトモカコモコヱヨヒニホトリノナツサヒユケハイヘシマハクモヰニミエヌアカモヘルコヽロナクヤトハヤクキテミムトオモヒテオホフネヲコキワカユケハオキツナミタカクタチキヌヨソノミニミツヽスキユキタマノウラニフネヲトヽメテハマヒヨリウライソヲミツヽナクコナスネノミシナカユワタツミノタマキノタマヲイエツトニイモニヤラムトヒリヒトリソテニハイレテカヘシヤルツカヒナケレハモテレトモシルシヲナミトマタオキツルカモ》
 
多豆、【別校本、或豆作v都、】  比里比、【官本、或里作v呂、】 等単軸値毎
 
(22)初の二句は鏡を云はむため、鏡はミツノ濱と云はむためにて次第に序なり、ミヲヒキユケバは水尾は水の深き筋なり、それをみちびき行を云、延喜式に三韓の朝貢使など來朝の時、國使宣云、日本明神《アラミカミ》御宇天皇朝廷《アメガシタシラウスメラミカド》某|蕃王《マガキ》申上(ル)隨參上來留|客等《マラウトラ》參《マヰ》近【奴登】攝津(ノ)國(ノ)守等聞著?水脈《ミヲ》教導賜【弊登】宣隨迎賜【波久登】宜、同第五十雜式云、凡(ソ)太宰(ヨリ)貢(マツル)2雜官物1船到(ラバ)2縁海國(ニ)1澪|引《ヒキシテ》令(メヨ)v知(ラ)2泊(ル)處1、和名集云、楊氏漢語抄云、水脈船【美乎比岐能布禰】ワギモコニアハヂノシマは相とつゞけたり、アカ心アカシノ浦とは第二十に家持のよまれたる喩族歌にも加久佐波奴安加吉許己呂乎《カクサハヌアカキコヽロヲ》云云、阮元瑜爲2曹公1作v書與(ヘシニ)2孫權(ニ)1云、若能内取2子布(ヲ)1外撃2劉備1以效(ハシテ)2赤心1用復(セバ)2前好(ヲ)1則江表之任、長以相付(セム)、丘布範與(ヘシ)2陳伯之1書云、推2赤心於天下1安2反側於萬物1、日本紀に赤心又丹心をキヨキコヽロと點じ、又丹心をマコトノコヽロとも點ぜり、黒心をキタナキコヽロと點ぜるに引かへて知べし、今は勅命を承て藩國に使ふる誠の心によせて云へり、ツラヽニウケリは、第一に列々《ツラ/\》椿とよめる如くつら/\にうけりと云べきを、後のつ〔右○〕を略せり、古事記下仁徳天皇御歌云、淤岐弊邇波袁夫泥都羅之玖《オキヘニハヲフネツラシク》云云.此集中十九には小船都良奈米《ヲフネツラナメ》ともよめり、船人モ鹿子モコエヨビとは船人は※[木+施の旁]師《カヂトリ》なり、唯舟人と云はゞ鹿子も其中に有べし、今は※[手偏+總の旁]を以て※[木+施の旁]師の別名として鹿子に對するなり、水手《カコ》を鹿子とかけるは(23)第七の終の歌に注するが如し、アガモヘルは我思へるなり、ハヤクキテ見ムト思ヒテは家島を見むと思ひてなり、妹を戀る心から家島の名をなつかしみてなり、家島は揖保【伊比保】郡にあり、神名帳云、揖保郡家島神社と云へり、許藝和我由氣婆はこぎて我行ばなり、多麻能宇良は此歌安藝にてよめば彼國の地の名なり、反歌にもよめり、慥なる事なり、ワダツミノタマキノ玉は※[金+環の旁]なり、第三に笠金村歌にわだつみの手にまかしたる玉とよまれ、第七に海神手纒持在玉故《ワダツミノテニマキモタルタマユヱニ》とよめるに同じ、マタオキツルカモは又本の如く返し置なり、
 
初、朝されは妹か手にまく鏡なす 妹かかたちをよそふに鏡を手にまつはかしならす心なり。かゝみを見るといひかけたり。はまひははまへなり。たゝむかふみぬめをさして。第六にも赤人の哥に、みけむかふあはちのしまにたゝむかふみぬめのうらのとよめり。正しく向ひ見るといひかけたり。又第六にまそかゝみゝぬめの浦ともつゝけたり。是もみの字にいひかく。不見《ミヌ》とつゝくるにはあらす。みをひきゆけは。第十八にも
  ほりえよりみをひきしつゝみふねさすしつをのともは川のせまうせ
水尾は水のふかき筋なり。それをみちひきゆくを、みをひき行とはいへり。延喜式に、三韓の朝貢使なと來朝の時、國使宣云。日本爾|明神《アラミカミ》登御宇天皇朝廷登、某蕃王能申上隨爾參上來留客等參近【奴登、】攝津國守等聞著※[氏/一]、水脈《ミナヲ・ミヲヒキ》母教導賜【幣登】宣隨爾迎賜【波久登】宜。凡(ソ)太宰(ヨリ)貢(ツル)雜官物(ノ)船到(ラハ)2縁(ル)v海(ニ)國(ニ)1澪引《ミヲヒキシテ》令(ヨ)v知(ラ)2泊(ル)處(ヲ)1。和名集云。楊氏漢語抄(ニ)云。水脈船【美乎比岐能布禰。】わきもこにあはちの嶋は、わきもこにあふとつゝけたり。くもゐかくりぬ。かくれぬなり。ゆくへをしらに、ゆくへをしらすなり。あか心あかしのうらに。吾心をはとけるかゝみのことくにと思ふ故にかくはいひかけたり。第廿にかくさはぬあかき心とよめり。明なる心といへるにや。又赤心といへるにや。日本紀に赤心丹心とかきてともにきよきこゝろとよめり。又丹心をはまことのこゝろともよめり。黒心とかきてはきたなきこゝろとよめるにきよき心は對せり。拾遺集に、みつねたゝみねにとひ侍ける、參議伊衡。又とふこれひら
  白妙のしろき月をもくれなゐの色をもなとかあかしといふらん
    こたふ
  昔よりいひしきにけることなれは我らはいかゝ今はさためむ
赤き色は明にみゆれはことはのかよへるなるへし。第三に人丸の哥には、ともしひのあかしのなたとつゝけ、※[羈の馬が奇]旅哥には、居待月明石の門にはとつゝけたり。宇誤作v字。つらゝにうけりは、つら/\にうけりなり。つら/\椿のことし。第十九にふせのうみに小舟つらなへともよめり。あかときは曉なり。明時《アカトキ》といふ心になつけたり。鹿子とかけるは第七の四十二葉にかこそ鳴なるあはれその鹿子とよめる哥にその故委尺せり。にほ鳥のなつさひゆけは。にほ鳥の友とち打つれてあそふによせたり。上にもひくあみのなつさひゆけはなとよめり。なつさひは携におなし。いへしまは揖保郡にあり。揖保は粒《イヒホ》ともかけり。あかもへるはわかおもへるなり。こきわかゆけはゝ、こきてわかゆけはなり。たまの浦は上に委尺せり。なくこなすは、なくこのことくなり
第三にはなくこなすしたひきましてとよめり。なかゆはなかるなり。わたつみのたまきのたまを。海神の環の珠なり。和名集云。唐韻云。※[金+環の旁]【音與v環同。由比萬岐】指※[金+環の旁]也。環玉環(ナリ)也。第三には、わたつみの手にまかしたる玉手次かけてしのひつとよみ、第七には、わたつみの手にまきもたる玉ゆゑにとよみ、第十九には、わたつみの神のみことの、みくしけにたくはひおきて、いつくとふ玉にまさりておもへりしあかこにはあれとゝよめり。第八に山上憶良の哥に手を折てといふに指折とかけり。まことにてを折といふは指をかゝむるなれは、指卷《ユヒマキ》はすなはち手《タ》卷なり
 
反歌二首
 
3628 多麻能宇良能於伎都之良多麻比利敝禮杼麻多曾於伎都流見流比等乎奈美《タマノウラノオキツシラタマヒリヘレトマタソオキツルミルヒトヲナミ》
 
3629 安伎左良婆和我布禰波弖牟和須禮我比與世伎弖於家禮於伎都之良奈美《アキサラハワカフネハテムワスレカヒヨセキテオケレオキツシラナミ》
 
(24)オケレはおきあれを吉阿反加なればおかれと云べきを初四相通じてオケレとは云なり、
 
周防國玖珂郡麻里布浦行之時作歌八首
 
元正紀云、養老五年四月丙申分2周防國熊毛郡1置2玖珂郡1、和名集云、玖珂、【珂音如v鵝、】
 
初、周防國玖珂郡 和名集云。養老五年四月丙申、分(テ)2周防(ノ)國熊毛郡(ヲ)1置2玖珂郡(ヲ)1【元明紀歟忽忘。】玖珂【阿音如v鵝】
 
3630 眞可治奴伎布禰之由加受波見禮杼安可奴麻里布能宇良爾也杼里世麻之牟《マカチヌキフネシユカスハミレトアカヌマリフノウラニヤトリセマシヲ》
 
之はやすめ詞なり、牟は乎を誤れるなり、
 
3631 伊都之可母見牟等於毛比師安波之麻乎與曾爾也故非無由久與思乎奈美《イツシカモミムトオモヒシアハシマヲヨソニヤコヒムユクヨシヲナミ》
 
安波之麻は舊事本紀第十云、吉備穴國造云云、吉備(ノ)風治《ホムチノ》國造云云、阿波國造云云、大嶋國造云云、波久岐國造云云、周防國造云云、都怒國造云云、右の中に大嶋都怒は並に周防國にある郡名なり、周防國と云へるは和名集を考るに熊毛郡に周防郷あり、是な(25)るべし、波久岐國はいまだ考得ざれども周防の國玖珂熊毛兩郡の内に有べし、備後をば吉備穴國吉備(ノ)風治《ホムチ》國と名を顯はして次に阿波國とあれば今の歌の安波之麻此なるべし、又按ずるに舊事紀の現本誤脱多し、備後と周防との間に安藝國造あるべきことわりなるになければ波は岐の字を誤て阿岐國造にや、いかにもあれ玖珂郡にしてよめる粟嶋なれば周防に屬して南の方海中に有べし、上にあまたよめる紀伊國の粟嶋にはあらず、
 
初、いつしかもみんとおもひしあはしまを 下にもあはしとおもふ妹にあれやとよめり。第六に眉のこと雲ゐにみゆるあはの山とよみ、第七にあはしまにこきわたらんとおもへともとよめるは、阿波の國のこなたよりみゆる山を指てよめりとみゆるを、今玖珂郡にしてそこははるかに過て、めにもかゝらぬ所なれは此あたりにあはしまといふかあるにや。神代紀云。一書《アルフミニ》曰。以2淡路(ノ)洲ゐ1爲(テ)v胞生1大日本《オホヤマト》豐秋津|洲《シマヲ》1。次(ニ)淡(ノ)洲《シマ》云々。又云。即將(ニ)v巡(ラント)2天(ノ)柱《ミ ヲ》1約束《チキリテ》曰。〇次(ニ)生(ム)2淡(ノ)洲《シマヲ》1此(レ)亦不3以|充《イレ》2兒《コノ》數(ニ)1。故《カレ》還復《カヘリテ》上(リ)2詣(テヽ)於天(ニ)1具(ニ)奏《申タマフ》2其(ノ)状《アリサマヲ》1。此淡洲といふ所しれぬよしなり。もし昔は知人ありてそれをよめる歟
 
3632 大舩爾可之布里多弖天波麻藝欲伎麻里布能宇良爾也杼里可世麻之《オホフネニカシフリタテヽハマキヨキマリフノウラニヤトリカセマシ》
 
かしふる事第七に注せり、
 
初、大船にかしふりたてゝ 第七にもふねはてゝかしふりたてゝとよめり。かしは舟をつなく木なり。和名集云。唐韻云。〓〓【〓〓二音。漢語抄云。加之】所2以(ナリ)繁(ク)1v舟(ヲ)。玉篇云。〓【繋※[舟+工]大弋也。亦作〓】〓【〓〓即〓〓也。】今の世堤なとにうつ杭をかせといふは此字なるへし
 
3633 安波思麻能安波自等於毛布伊毛爾安禮也夜須伊毛禰受弖安我故非和多流《アハシマノアハシトオモフイモニアレヤヤスイモネステアカコヒワタル》
 
故非、【校本、或非作v悲、】
 
初、あはしまのあはしとおもふ妹にあれや 落著はあはしとおもふ妹にはあらぬをなり
 
(26)3634 筑紫道能可太能於保之麻思末志久母見禰婆古非思吉伊毛乎於伎弖伎奴《ツクシチノカタノオホシマシマシクモミネハコヒシキイモヲオキテキヌ》
 
筑紫道の方の大島とよめる歟、可太能大島と云地の名歟、大嶋郡は此に依て名を負歟、下に過2大島鳴門1と云と同じかるべし、八雲御抄には大島備前萬葉と注せさせ給へども今按和名を見るに備前には大島なし、備中國淺口郡には大島郷あれど今はそれにもあらず、
 
初、つくしちのかたの大しま 八雲御抄に備前と注せさせたまへるはよく考させたまはさりけるなり。和名集云。筑前國穗浪郡堅島【加多之萬。】これにや。但筑紫へ下る道をは皆筑紫路といふへけれは、此下に大島鳴門といへるを筑紫道の方の大島といへるにや。大島をうけてしましくもとつゝけたり
 
 
3635 伊毛我伊敝治知可久安里世婆見禮杼安可奴麻里布能宇良乎見世麻思毛能乎《イモカイヘチチカクアリセハミレトアカヌマリフノウラヲミセマシモノヲ》
 
3636 伊敞妣等波可敝里波也許等伊波比之麻伊波比麻都良牟多妣由久和禮乎《イヘヒトハカヘリハヤコトイハヒシマイハヒマツラムタヒユクワレヲ》
 
第二句は波也可敝里許等《ハヤカヘリコト》なり、上に和我許藝由氣婆《ワガコギユケバ》と云べきを許藝和我由氣婆《コギワガユケバ》とよめるが如し、八雲には此いはひ島をも備前と注せさせ給へり、正本を見ざればお(27)ぼつかなし、周防なること明らけし、
 
初、家人は歸りはやこと 歸りて早くこよといはふといふ心に、いはひしまとつゝけたり。いはひ嶋をも八雲御抄に備前と注せさせたまひたれと、周防國玖珂郡にしてよめる哥なれは、當國なるへし
 
3637 久左麻久良多妣由久比等乎伊波比之麻伊久與布流末弖伊波比伎爾家牟《クサマクラタヒユクヒトヲイハヒシマイクヨフルマテイハヒキニケム》
 
過2大島鳴門1而經2再宿1之後追作歌二首
 
3638 巨禮也己能名爾於布奈流門能宇頭之保爾多麻毛可流登布安麻乎等女杼毛《コレヤコノナニオフナルトノウツシホニタマモカルトフアマヲトメトモ》
 
宇頭之保は神代紀に珍の字の讀を于圖《ウヅ》と注し給へり、今宇頭と濁音の字をかけば珍鹽《ウヅシホ》にて世にまれらなる故にめづらしき鹽と云なるべし、タマモカルトフは玉藻刈と云なり、潮聲偏恐初來客、海味|甘《ナフ》久住人と作れるに似たり、
 
初、これやこの名におふ うつしほは宇頭之保とかきたれは、つもし濁音なり。須と豆と同韻なれは、渦《ウズ》まく塩といふ心にや。神代紀に珍の字を于圖とよめり。めつらしき塩といふにや。潮聲偏(ニ)恐(ル)初來(ノ)客、海味只甘(ナフ)久住(ノ)人。たまもかるとふはかるといふなり
 
右一首田邊秋庭
 
3639 奈美能宇倍爾宇伎禰世之欲比安杼毛倍香許已呂我奈之(28)久伊米爾美要都流《ナミノウヘニウキネセシヨヒアトモヘカコヽロカナシクイメニミエツル》
 
アトモヘカは第二より有て注せし如く誘《サソ》へばかの意なり、戀しく思ふ心のさそへばにや妹が心悲しく夢に見えつるとなり、第十四にあともへかあしくま山のとよめるは何と思へかの東詞にて今と異なり、
 
初、あともへかは、いさなへはかといふ心なり。日本紀に誘の字をあとふとよめるこれなり。第二第八等にもよめり。いめはゆめなり。こひしくおもふ心のさそへはにや、妹か夢にみえつるとなり
 
熊毛浦舩泊之夜作歌四首
 
和名集云、熊毛郡熊毛【久萬介、】
 
初、熊毛浦 熊毛は周防郡の名なり
 
3640 美夜故邉爾由可牟舩毛我可里許母能美太禮弖於毛布許登都礙夜良牟《ミヤコヘニユカムフネモカカリコモノミタレテオモフコトツケヤラム》
 
都礙、【幽齋本、礙作v〓、】
 
許登都礙夜良牟は事告將遣《コトツゲヤラム》なり、言附にはあらず、
 
初、許登都礙夜良牟 言告やらんなり。言附にはあらす
 
右一首羽栗
 
名の落たるか、廢帝紀云、寶字五年十一月癸未授d迎(フル)2清河1使外從五位下高元度(ニ)從五位上u、其録事羽栗(ノ)翔(ハ)者留2清河(カ)所《モトニ》1而不v歸(ラ)、若此|翔《カケル》にや、
 
初、右一首羽栗 廢帝紀云。寶字五年十一月癸未授d迎(フル)2清河(ヲ)1使外從五位下高元度(ニ)從五位上(ヲ)u。其録事羽栗(ノ)翔《カケル》者留(テ)2河清(カ)所(ニ)1而不v歸(ラ)。この人にや、又略して氏のみをかけるか名の脱たる歟
 
(29)3641 安可等伎能伊敝胡悲之伎爾宇良末欲理可治乃於等須流波安麻乎等女可母《アカトキノイヘコヒシキニウラマヨリカチノオトスルハアマヲトメカモ》
 
初二句は家を戀しく思ふ曉になり、
 
3642 於枳敞欲理之保美知久良之可良能宇良爾安佐里須流多豆奈伎弖佐和伎奴《オキヘヨリシホミチクラシカラノウラニアサリスルタツナキテサワキヌ》
 
カラノ浦熊毛郡に有なるべし、八雲御抄にからの浦石見萬鶴と注せさせ給へるは此歌に依てなり、若是は第二に人麿の辛之埼《カラノサキ》なるいくりにぞとよまれたるは石見なれば同處と思食ける歟、石見は周防よりは後《ウシロ》の方にて今の海路にあらねばおぼつかなし、
 
初、おきへよりしほみちくらしからのうらに 八雲御抄に此からの浦を石見と注せさせたまへと、熊毛浦にての哥なるうへ、石見は.周防のうしろの方なれは、海路大に違へり。もし第二に人丸の哥にことさへくからの崎なるいくりにそふかみるおふるといふが石見なれは、それなりとおほしめしあやまられけるにや
 
3643 於吉敝欲里布奈妣等能煩流與妣與勢弖伊射都氣也良牟多婢能也登里乎《オキヘヨリフナヒトノホルヨヒヨセテイサツケヤラムタヒノヤトリヲ》
 
一云|多妣能夜杼里乎伊射都氣夜良奈《タヒノヤトリヲイサツケヤラム》
 
(30)夜良奈、【幽齋本云、ヤラナ、今點誤當v依v此、】
 
佐婆海中、忽遭2逆風1、漲浪漂流、経v宿而後幸得2順風1到2著豐前國下毛郡分間浦1、於v是追2怛艱難1悽※[立心偏+周]作歌八首
 
佐婆は周防國の郡の名なろ、和名集云、佐波【波音馬、】傾向紀仲哀紀等に見えたる處なり、下毛郡は和名集云上毛【加牟豆美介、】下毛《シモツミケ》、長門國にての歌なきは此まきれ故なり、
 
初、佐婆海中 周防の國の郡の名なり。和名集云。佐波【波音馬。】今婆の字をかけるは、おのつから濁音なり。下毛《シモツミケノ》郡
 
3644 於保伎美能美許等可之故美於保夫禰能由伎能麻爾末爾夜杼里須流可母《オホキミノミコトカシコミオホフネノユキノマニマニヤトリスルカモ》
 
於保夫禰、【幽齋本、夫作v布、】
 
右一首雪宅麿
 
下には雪連宅麿とあり、連の字落たるか、
 
3645 和伎毛故波伴也母許奴可登麻都良牟乎於伎爾也須麻牟伊敝都可受之弖《ワキモコハハヤモコヌカトマツラムヲオキニヤスマムイヘツカスシテ》
 
(31)落句は不家附而なり、第十三に津にもなくとよめる如くやとり借べきやうもなきを云へり、此下に伊敝都久良之母《イヘツクラシモ》ともよめり、第十二|廬付而《イホツキテ》とよめるに同じ、
 
初、いへつかすして 家附すしてなり。第十三に家人の待らん物を津にもなくとよめるかことし
 
3646 宇良末欲里許藝許之布禰乎風波夜美於伎都美宇良爾夜杼里須流可毛《ウラマヨリコキコシフネヲカセハヤミオキツミウラニヤトリスルカモ》
 
ウラマは礒近く乘意なり、オキツミウラは奥津|御浦《ミウラ》にて海童の住深き所の意なるべし、山にみ山と云を思ふべし、第十八に於伎都美可未爾伊和多利弖とよめるも同意歟、
 
初、おきつみうらに みうらは山にみ山といふことく、みとまとかよへは眞浦なり
 
3647 和伎毛故我伊可爾於毛倍可奴婆多末能比登欲毛於知受伊米爾之美由流《ワキモコカイカニオモヘカヌハタマノヒトヨモオチスイメニシミユル》
 
第二句はいかばかりに思へばにかの意なり、落句の之は助語なり、
 
初、わきもこかいかにおもへか いかにわれをおもへはにかなり
 
3648 宇奈波良能於伎敝爾等毛之伊射流火波安可之弖登母世夜麻登思麻見無《ウナハラノオキヘニトモシイサルヒハアカシテトモセヤマトシマミム》
 
(32)第四句はともし明せなり、落句は故郷の方を見むとなり、大和島播磨の地名にあらぬ事此等を引て第三に注せしが如し、
 
初、あかしてともせは、夜を明してともせにも、又あきらかにともせにもあるへし。やまと嶋みむは大和國のかたみんなり。第三に人丸の哥にあかしのとよりやまと嶋みゆとあるにより、播磨に大和嶋ありとおもへるは大きに誤れり。そこに委この哥なとを引てわきまへたり。日本紀に大日本豐秋津|洲《シマ》といへるが、今の大和國を本とすれは、大和嶋とはいへり
 
3649 可母自毛能宇伎禰乎須禮婆美奈能和多可具呂伎可美爾都由曾於伎爾家類《カモシモノウキネヲスレハミナノワタカクロキカミニツユソオキニケル》
 
初、かもしもの 此しもしは助語なから、鳧といふ物ときこゆる詞にて、これがなくてはつゝかぬなり。集中おほし。みなのわたも。文選屈原(カ)卜居(ニ)云。將(タ)※[さんずい+巳]々(トシテ)若(ナラム)2水中之鳧(ノ)1乎《ヤ》。與v波上下(シテ)偸(シクモ)《・タノシムテ》以全(センヤ)2吾躯(ヲ)1乎
 
3650 比左可多能安麻弖流月波見都禮杼母安我母布伊毛爾安波奴許呂可毛《ヒサカタノアマテルツキハミツレトモアカモフイモニアハヌコロカモ》
 
3651 奴波多麻能欲和多流月者波夜毛伊弖奴香文宇奈波良能夜蘇之麻能宇倍由伊毛我安多里見牟《ヌハタマノヨワタルツキハハヤモイテヌカモウナハラノヤソシマノウヘユイモカアタリミム》旋頭歌也
 
至2筑紫館1遙望2本郷1、悽愴作歌四首
 
3652 之賀能安麻能一日毛於知受也久之保能可良伎孤悲乎母(33)安禮波須流香母《シカノアマノヒトヒモオチスヤクシホノカラキコヒヲモアレハスルカモ》
 
第二句|火氣燒立而《ケフリヤキタテヽ》とて第十一に見えたり、今の第二の句は下句の本意にかゝれり、
 
3653 思可能宇良爾伊射里須流安麻伊敝妣等能麻知古布良牟爾安可思都流宇乎《シカノウラニイサリスルアマイヘヒトノマチコフラムニアカシツルウヲ》
 
落句は夜を明して釣魚なり、此は我は勅命を蒙て行身なれば妹を思へどもいかゞせむ、己は心のまゝなる身にて心なく家人の持らむとも思はず魚つるにのみ心を入れて夜をあかすらむ事よとよめるなるべし、六帖にあたら夜を妹とも寢なむ取がたき鮎とる/\といはの上にゐて、
 
初、しかのうらにいさりするあま 此家人といへるは、あまか家人なり。あかしつるうをは、夜を明して釣魚なり。心はわれらは勅を承はりたる身なれは、事おはるかきりはかへる事あたはす。あまは身を心のまゝにするを、魚をつるに心をいれておのか家なる妻ともの待こふらんことをもおもはぬよと、わか身のうへよりよめるなり。六帖に
  あたら夜をいもともねなんとりかたきあゆとるとると岩の上にゐて
第九に浦嶋子をよめる哥に、かつをつりたひつりほこりなぬかまて家にもこすてなとさへよめり
 
3654 可之布江爾多豆奈吉和多流之可能宇良爾於枳都之良奈美多知之久良思母《カシフエニタツナキワタルシカノウラニオキツシラナミタチシクラシモ》
 
落句は之は助語にて波の立來らしもとよめる歟、又立しきるらしと云意歟、
 
初、かしふ江にたつなきわたる たちしくらしもは立し來らしもともきこえ、立|重《シク》らしもともきこゆ
 
一云|美知之伎奴良思《ミチシキヌラシ》
 
(34)3655 伊麻欲理波安伎豆吉奴良之安息比奇能夜麻末都可氣爾日具良之奈伎奴《イマヨリハアキツキヌラシアシヒキノヤママツカケニヒクラシナキヌ》
 
初、今よりは秋つきぬらし 秋になり付なり。上にも見えたり
 
七夕仰2觀天漢1各陳v所v思作歌三首
 
3656 安伎波疑爾爾保敞流和我母奴禮奴等母伎美我莫布禰能都奈之等理弖婆《アキハキニニホヘルワカモヌレヌトモキミカミフネノツナシトリテハ》
 
初二句は萩に觸て色の匂ふにも又秋萩の如く匂ふとよめるにも有べし、落句は綱をだに取らばぬれぬともよしとなり、之は助語なり、
 
初、秋はきににほへるわかも もほ裳なり。たなはたつめになりてよめるなり。票みふねのつなし取ては1網を引とて妾の
 ぬれは、ぬるゝとも何かおしからんとなり。とりてはのはもし濁るへし。仁徳紀に、磐之媛皇后熊野より歸たまひて、御舟の三津につくよしきこしめしける時天皇の御哥
  難波人鈴舟とらせこしなつみその舟とらせ大みふねとれ
これつなを取てひけとのたまふなり
 
右一首大使
 
從五位下阿倍朝臣繼麻呂、後准之、
 
3657 等之爾安里弖比等欲伊母爾安布比故保思母和禮爾麻佐里弖於毛布良米也母《トシニアリテヒトヨイモニアフヒコホシモワレニマサリテオモフラメヤモ》
(35)比故保思、【別校本、思作v志、】
 
拾遺集には人丸集によりて落句思ふらむやぞとあり意得ぬ落句となれり、六帖には思らむやはとあり、凡此卷上に古歌とて十首ある中の後六首は人丸歌なるに拾遺に此歌主とし、又下の夕されば秋風寒しとよめると天飛や雁を使にとよめるをばもろこしにてよめるとさへ詞書あり、此卷鏡の如くに明らかなれど三代集の中にだにかゝる不思議の事あれば後の學ぶもの迷はじとてもいかゞはせむ、
 
初、としに有て一夜いもにあふ 此哥拾選集には、結句をおもふらんやそとあらためて、人丸の哥とす。我旅に有て妹を思ふにはまさらしとなり
 
3658 由布豆久欲可氣多知與里安比安麻能我波許具布奈妣等乎見流我等母之佐《ユフツクヨカケタチヨリアヒアマノカハコクフナヒトヲミルカトモシサ》
 
初、ゆふつくよかけたちよりあひ 七日は夕月夜なれは、それをやかてかりて影とつゝけたり。影たちよりあひは、後撰集に
  立よれは影ふむはかり近けれとたれか衣の關をすへけむ
此上句の心にてふたつのほしの影をならへて、立よりてあふなり。ともしさはめつらしき心に、すくなきをもかねたるへし
 
海邊望v月作歌九首
 
此九首の中に月を望める意ある歌なし、若日を誤て月に作ける歟、然らば海邊ニ望ム日と讀べし、
 
3659 安伎可是波比爾家爾布伎奴和伎毛故波伊都登加和禮乎伊波比麻都良牟《アキカセハヒニケニフキヌワキモコハイツトカワレヲイハヒマツラム》
 
(36)伊郡登加、【幽齋本、加作v可、】
 
此初二句第十に多し、
 
初、秋風はひにけに 日に異になり。日々にことになり
 
大使之第二男
 
3660 可牟佐夫流安良都能左伎爾與須流奈美麻奈久也伊爾故非和多里奈牟《カムサフルアラツノサキニヨスルナミマナクヤイモニコヒワタリナム》
 
荒津は第十二によめり、
 
初、かむさふるあら津のさきに 神さふるとは物ふりたるをほむる詞なり。荒津は第十二にもよめり
 
右一首土師稻足
 
3661 可是能牟多與世久流奈美爾伊射里須流安麻乎等女良我毛能須素奴禮奴《カセノムタヨセクルナミニイサリスルアマヲトメラカモノスソヌレヌ》
 
初、かせのむた 風とゝもなり。上にあまたみえたり
 
一云|安麻乃乎等賣我毛能須蘇奴禮濃《アマノヲトメカモノスソヌレヌ》
 
3662 安麻能波良布里佐氣見禮婆欲曾布氣爾家流與之惠也之(37)比等里奴流欲波安氣婆安氣奴等母《アマノハラフリサケミレハヨソフケニケルヨシヱヤシヒトリヌルヨハアケハアケヌトモ》
 
後の三句第十一に旭時等鷄鳴成《アカトキトトリハナクナリ》とよめる歌と同じ、
 
右一首旋頭歌也
 
3663 和多都美能於伎都奈波能里久流等伎登伊毛我麻都良牟月者倍爾都追《ワタツミノオキツナハノリクルトキトイモカマツラムツキハヘニツヽ》
 
繩のりなればクルとつゞけたり、クル時トとは歸り來る時となり、
 
初、わたつみのおきつなはのり くる時は歸りくる時なり
 
3664 之可能宇良爾伊射里須流安麻安氣久禮婆宇良末許具良之可治能於等伎許由《シカノウラニイサリスルアマアケクレハウラマコクラシカチノオトキコユ》
宇良末、【幽齋本、末作v未、點云ウラミ、】
 
初、しかのうらにいさりするあま あけくれはゝ、明來れはにて、夜の明れはなり。明暮はにはあらす
 
3665 伊母乎於毛比伊能祢良延奴爾安可等吉能安左宜理其問理可里我禰曾奈久《イモヲオモヒイノネラエヌニアカトキノアサキリコモリカリカネソナク》
 
初、いのねらゑぬに いのねられぬになり。禰誤作v禮
 
(38)3666 由布佐禮婆安伎可是左牟思和伎母故我等伎安良比其呂母由伎弖波也伎牟《ユフサレハアキカセサムシワキモコカトキアラヒコロモユキテハヤキム》
 
拾遺集の詞書云、もろこしへつかはしける時によめる人丸とて第四句、ときあらひぎぬとあり、人丸集には詞書なし、
 
3667 和我多妣波比左思久安良思許能安我家流伊毛我許呂母能阿可都久見禮婆《ワカタヒハヒサシクアラシコノアカケルイモカコロモノアカツクミレハ》
 
アラシはあるらしなり.コノアカケル此我著るなり、
 
初、わかたひはひさしくあらし ひさしくあるらしなり。このあかけるはこのわかきるなり。此哥は東哥に似たり。大使にしたかふものゝ中にあつまの人の有かよめるか。第廿に
  旅といへと|またひ《眞旅》になりぬいへの|も《妹》かきせし衣にあかつきにけり
 
到2筑前國志麻郡之韓亭1舶泊經2三日1、於v時夜月之光、皎皎流照、奄對2此華1、旅情悽噎、各陳2心緒1、聊以裁v歌六首
 
和名集云、志摩郡|韓良《カラ》、又云釋名云、亭(ハ)人(ノ)所2停集(スル)1也【和名阿波良、】一云【阿波良也、】日本紀にはウマヤクチとも點ぜり、今は下の歌に依にからとまりなり、備前の國名なり、本朝文粹第二三善清行意見封事第十二條云、自2※[木+聖]生泊1至2韓泊1一日行、自2韓泊1至2魚住泊1一日行云云.源氏物語玉鬘に云く例の舟子どもからとまりより河尻おすほどはと歌(39)ふ聲のなさけなきもあはれに聞ゆ、弄花云、韓泊は備前國にあり、
 
初、到筑前國志麻【和名摩】郡之韓亭1和名集云。志摩郡韓良。亭(ハ)又云。釋名(ニ)云。亭(ハ)人(ノ)所(ナリ)2停集(スル)1也【和名阿波良。】一云【阿波良也。】日本紀にはうまやくちともよめり。今はとまりなり。狹衣物語に
  からとまりそこのみくつとなかれしをせゝの岩浪尋てしかな
 
3668 於保伎美能等保能美可度登於毛敞禮杼氣奈我久之安禮婆古非爾家流可母《オホキミノトホノミカトヽオモヘレトケナカクシアレハコヒニケルカモ》
 
第四句の之は助語なり
 
初、おほきみのとほのみかとゝ 第三に人丸の哥にも
  大君のとほのみかとゝありかよふしまとをみれは神代しおもほゆ
筑紫は宰府ありて只遠き都なり
 
右一首大使
 
3669 多妣爾安禮杼欲流波火等毛之乎流和禮乎也未爾也伊毛我古非都追安流良牟《タヒニアレトヨスハヒトモシヲルワレヲヤミニヤイモカコヒツヽアルラム》
 
欲流をヨスと點ぜるは書生の失錯なり、ヨルと讀べし、岑參詩云、孤燈然(シ)2客夢(ヲ)1寒杵搗(ツ)2郷愁(ヲ)1、
 
初、たひにあれとよるはひとほし 岑參詩云。孤燈然(シ)2客夢(ヲ)1、寒杵搗(ツ)2郷愁(ヲ)1。叫我は旅なれと夜は火ともしてをるを、妹は心のやみにやこひつゝ有らんなり。火ともしてあるといふもまことは孤燈照客夢なれと、やみにやといはむためなれはおもてはこなたは愁なきやうに聞ゆるなり。心を得てみれはともに心のやみはかはらぬなり。第十二に
  久にあらん君をおもふに久かたの清き月夜もやみにのみ見ゆ
 
右一首大判官
 
3670 可良等麻里能許乃宇良奈美多々奴日者安禮杼母伊敝爾(40)古非奴日者奈之《カラトマリノコノウラナミタヽヌヒハアレトモイヘニコヒヌヒハナシ》
 
古今集云、駿河なる田兒の浦浪たゝぬ日はあれども君に戀ぬ日はなし、似たる歌なり、
 
初、からとまりのこのうらなみ 源氏物語玉鬘にいはく。例の舟こともからとまりよりかはしりおすほとはとうたふこゑのなさけなきもあはれに聞ゆ。抄閑云。備前國なり。川尻まて三日ほとゝなり。弄花良惟か意見《三善清行意見封事第十二條》に載たることくならは唐泊より川尻へは三日に行道なり。此故に川尻といふ所ちかつきてふなこはからとまりよりおすほとはとうたひたるなり。唐泊は備前國に有。狭衣哥
  かへりこしかひこそなけれからとまりいつらなかれし人のゆくへは
これによれはからとまりは筑前と備前とに同名ある歟。古今集に
浪か(別筆)(三手本ナシ)
  するかなるたこのうら浦《浪か》たゝぬ日はあれとも君にこひぬ日はなし所のかはれるはかりにて、大かた似たる哥なり
 
3671 奴婆多麻乃欲和多流月爾安良麻世婆伊敝奈流伊毛爾安比弖許麻之乎《ヌハタマノヨワタルツキニアラマセハイヘナルイモニアヒテコマシヲ》
 
3672 比左可多能月者弖利多里伊刀麻奈久安麻能伊射里波等毛之安敝里見由《ヒサカタノツキハテリタリイトマナクアマノイサリハトモシアヘリミユ》
 
3673 可是布氣婆於吉都思良奈美可之故美等能許能等麻里爾安麻多欲曾奴流《カセフケハオキツシラナミカシコミトノコノトマリニアマタヨソヌル》
 
引津亭舶泊之作歌七首
 
之の下に夜の字を落せる歟、
 
初、引津亭(ニ)舶泊(テ)之作歌 疑之字下有脱字耶
第七第十に梓弓引津の邊なるなのりそのといふ哥兩所に出たり。今の引津にやとおもへるに、濱成和哥式に當麻大夫陪(テ)2駕(ニ)伊勢(ニ)1思v婦歌云とて彼歌を出されたれは同名異所なり
 
(41)3674 久左麻久良多婢乎久流之美故非乎禮婆可也能山邊爾草乎思香奈久毛《クサマクラタヒヲクルシミコヒヲレハカヤノヤマヘニサヲシカナクモ》
 
3675 於吉都奈美多可久多都日爾安敝利伎等美夜古能比等波伎吉弖家牟可母《オキツナミタカクタツヒニアヘリキトミヤコノヒトハキヽテケムカモ》
 
安敝利、【校本、敝或作v倍、】
 
右二首大判官
 
3676 安麻等夫也可里乎都可比爾衣弖之可母奈良能彌夜古爾許登都礙夜良武《アマトフヤカリヲツカヒニエテシカモナラノミヤコニコトツケヤラム》
 
彌夜古、【幽齋本、古作v故、】  都礙、【幽齋本、礙作v〓、】
 
雁の使は故ある事にて雁ならでもよめり、古事記下輕太子歌云、阿麻登夫《アマトブ》、登理母都加比曾《トリモツカヒゾ》、多豆賀泥能《タヅガネノ》、岐許延牟登岐波《キコエムトキハ》、和賀那斗波佐泥《ワガナトハサネ》、拾遺集別に今の歌をもろこし(42)にてと詞書して柿本人丸とて載らる歌後注云、人丸入唐(ノ)事此歌(ノ)外無v所v見、但上古(ノ)事唯可v任v本、今云上の夕去ば秋風寒しと云歌の詞書もあるを此歌外無所見とは誰人の注せるにか.此集は云に及ばず拾遺集をも能見ぬ人なるべし、
 
初、あまとふやかりをつかひに 拾遺集別部にもろこしにて、柿本人麿
  あまとふやかりのつかひにいつしかもならの都《・奈良都は人丸歿後なり》にことつてやらん
注云人丸入唐事此歌外無v所v見。但上古事唯可v任v本。彼拾遺集にはおほつかなき事おほし。今こゝに載たる事たしかなり。ことつけやらんはさきのことく言告やらんなり。言附やらんにはあらす
 
3677 秋野乎爾保波須波疑波佐家禮杼母見流之留思奈之多婢爾師安禮婆《アキノノヲニホハスハキハサケレトモミルシルシナシタヒニシアレハ》
 
落句の師はやすめ詞なり、
 
初、秋の野をにほはすはきは みるしるしなしはみるかひなしなり
 
3678 伊毛乎於毛比伊能禰良延奴爾安伎乃野爾草乎思香奈伎都追麻於毛比可禰弖《イモヲオモヒイノネラエヌニアキノノニサヲシカナキツヽマオモヒカネテ》
 
初、ふたつのねらゑぬ 上のことくねられぬなり。列惠同韵
 
3679 於保夫禰爾眞可治之自奴伎等吉麻都等和禮波於毛倍杼月曾倍爾家流《オホフネニマカチシヽヌキトキマツトワレハオモヘトツキソヘニケル》
 
初、時まつと我はおもへと かりそめに潮時を待とおもへとなり
 
3680 欲乎奈我美伊能年良延奴爾安之比奇能山妣故等余米佐(43)乎思賀奈君母《ヨヲナカミイノネラエヌニアシヒキノヤマヒコトヨメサヲシカナクモ》
 
初、山ひことよめ とよましむるなり。令響とかけり
 
肥前國松浦郡狛島亭舶泊之夜遥望2海浪1、各慟2旅心1作歌七首
 
3681 可敞里伎弖見牟等於毛比之和我夜等能安伎波疑須須伎知里爾家武可聞《カヘリキテミムトオモヒシワカヤトノアキハキスヽキチリニケムカモ》
 
夜等、【幽齋本、等作v度、】
 
右一首秦田麿
 
上には秦間滿《ハタノママロ》とありき、
 
3682 安米都知能可未乎許比都都安禮麻多武波夜伎萬世伎美麻多婆久流思母《アメツチノカミヲコヒツヽアレマタムハヤキマセキミマタハクルシモ》
 
神ヲ乞ツヽとは神に祈つゝなり、
 
(44)右一首娘子
 
3683 伎美乎於毛比安我古非萬久波安良多麻乃多都追奇其等爾與久流日毛安良自《キミヲオモヒアカコヒマクハアラタマノタツヽキコトニヨクルヒモアラシ》
 
君を思ひて我戀べき心は月立毎に一日をよきて思はぬと云日あらじとなり、一日も落ず思ふべしとなり、
 
初、きみをおもひあかこひまくは 十四卷東哥に
  うへこなはわぬにこふなもたとつくのゝかなへゆけはこふしかるなも《・諾兒吾立月不遁》
第十三にもあら玉のたつ月ことにといへり。畢竟一日もおちすといふ心なり。これは右の哥よめる娘子か返しなるへし
 
3684 秋夜乎奈我美爾可安良武奈曾許々波伊能禰良要奴毛比等里奴禮婆可《アキノヨヲナカミニカアラムナソコヽハイノネラエヌモヒトリヌレハカ》
 
腰句はなむぞこゝはなり、
 
3685 多良思比賣御舶波弖家牟松浦乃宇美伊母我麻都敝伎月者倍爾都々《タラシヒメミフネハテケムマツラノウミイモカマツヘキツキハヘニツヽ》
 
御舶、【別校本、舶作v船、】
 
初、たらしひめみふねはてけむ 神功紀は第五卷に引るかことし。今新羅へゆく勅使なれは、そのかみを思ひ出たるなり。松浦の海といひて妹かまつへきとつゝけたり
 
3686 多婢奈禮婆於毛比多要弖毛安里都禮杼伊敝爾安流伊毛(45)之於母比我奈思母《タヒナレハオモヒタエテモアリツレトイヘニアルイモシオモヒカナシモ》
 
妹シのし〔右○〕は助語なり、
 
3687 安思必寄能山等妣古由留可里我禰波美也故爾由加波伊毛爾安比弖許禰《アシヒキノヤマトヒコユルカリカネハミヤコニユカハイモニアヒテコネ》
 
可里我禰婆、【幽齋本、婆作v波、】
 
腰句の婆は幽齋本に波に作れる然るべし、
 
到2壹岐島1雪連宅滿忽遇2鬼病1死去之時作歌一首并短歌、
 
壹岐島は三字引合てユキとのみ讀べし、和名集云壹岐島【由岐】歌にはゆきのしまともよめり、
 
初、到壹岐島 和名集云。壹岐【由岐。】日本紀にもかんなをゆきとそ付たるを、世には伊岐とのみよひならへり
 
3688 須賣呂伎能等保能朝庭等可良國爾和多流和我世波伊敝妣等能伊波比麻多禰可多太末可母安夜麻知之家牟安吉佐良婆可敝里麻左牟等多良知禰能波波爾麻于之弖等伎(46)毛須疑都奇母倍奴禮婆今日可許牟明日可蒙許武登伊敞妣等波麻知故布良牟爾等保能久爾伊麻太毛都可受也麻等乎毛登保久左可里弖伊波我禰乃安良伎之麻禰爾夜杼理須流君《スメロキノトホノミカトトカラクニニワタルワカセハイヘヒトノイハヒマタネカタヽマカモアヤマチシケムアキサラハカヘリマサムトタラチネノハヽニマヲシテトキモスキツキモヘヌレハケフカコムアスカモコムトイヘヒトハマチコフラムニトホノクニイマタモツカスヤマトヲモトオクサカリテイハカネノアラキシマネニヤトリスルキミ》
 
麻于之弖、【官本、于作v乎、傍注、于爲v異、】  左可里弖、【別校本、里作v理、】  夜杼里、【校本、或里作v理、】
 
ワガセは宅滿を云、イハヒマタネカはいはひてまたねばかなり、タヽマカモアヤマチシケムとは欽明紀云、於是天皇|命《ノリゴチテ》2神祇伯《カムツカサノカミニ》1敬(テ)受(ケタマフ)2策神祇《タヽマチアマツカミクニツカミ》1、いはひまてども其わざのあやまちやしけむなり、カヘリマサムトとは宅滿が詞なれども歌主の引なほしてかくは云なり、等保能久爾は遠の國にて新羅なり、イハガネノより下は墓に斂《ヲサ》むるを云へり、
 
初、家人のいはひまたねか またねはかなり。たゝまかもあやまちしけんは、たゝまははかりことなり。日本紀第十九云。於v是天皇命2神祇伯《ヵンツカサノカミニ》1敬(テ)受(タマフ)2策《タヽマヲ》神祇《アマツカミクニツカミニ》1。宅滿《イヘマロ》かなすわさのことはりにやそむきけんの心なり。秋さらはかへりまさんと、歸り申さんなり。又かへりましまさんにても有へし。同船の人のよめはなり。とほのくには遠の國にて新羅を指り。あらき嶋根にやとりする君とは、墓をかまへておさめおくをいへり
 
反歌二首
 
3689 伊波多野爾夜杼里須流伎美伊敝妣等乃伊豆良等和禮乎(47)等婆波伊可爾伊波牟《イハタノニヤトリスルキミイヘヒトノイツラトワレヲトハヽイカニイハム》
 
等婆波は等波婆なりけむをさかさまに寫せるにや、
 
初、等婆波 等波婆のかへさまになれるなるへし
 
3690 與能奈可波都禰可久能未等和可禮奴流君爾也毛登奈安我孤悲由加牟《ヨノナカハツネカクノミトワカレヌルキミニヤモトナアカコヒユカム》
 
ツネは常のことわりなり、
 
右三首挽歌
 
3691 天地等登毛爾母我毛等於毛比都都安里家牟毛能乎波之家也思伊敝乎波奈禮弖奈美能宇倍由奈豆佐比伎爾弖安良多麻能月日毛伎倍奴可里我禰母都藝弖伎奈氣婆多良知禰能波波母都末良母安佐都由爾毛能須蘇比都知由布疑里爾己呂毛弖奴禮弖左伎久之毛安流良牟其登久伊低(48)見都追麻都良牟母能乎世間能比登乃奈氣伎波安比於毛波奴君爾安禮也母安伎波疑能知良敞流野邊乃波都乎花可里保爾布伎弖久毛婆奈禮等保伎久爾敝能都由之毛能佐武伎山邉爾夜杼里世流良牟《アメツチトトモニモカモトオモヒツヽアリケムモノヲハシケヤシイヘヲハナレテナミノウヘユナツサヒキニテアラタマノツキヒモキヘヌカリカネノツキテキナケハタラチネノハヽモツマラモアサツユニモノスソヒツチユフキリニコロモテヌレテサキクシモアルラムコトクイテミツヽマツラムモノヲヨノナカノヒトノナケキハアヒオモハヌキミニアレヤモアキハキノチラヘルノヘノハツヲハナカリホニフキテクモハナレトホキクニヘノツユシモノサムキヤマヘニヤトリセルラム》
 
安佐都由、【幽齋本、佐作v左、】  麻都良牟、【別校本、都作v豆、】  比登乃、【幽齋本、乃作v能、】
 
ナミノウヘユはゆ〔右○〕よりなり、キニテのに〔右○〕は助語なり、月日モキヘヌは來經ぬなり、カリガネモツキテキナケバとは仲秋に鴻雁來、季秋に鴻雁來賓するなり、第六にかりがねの來繼て皆し此につぎとよめるが如し、サキクシモアルラムゴトク、陳陶が可v憐無定河邊骨、猶是春閨夢裏(ノ)人と作れる類なり、イデミツヽマツラムモノヲは戰國策(ニ)王孫賈之母謂(テ)v賈曰、汝朝(ニ)出(テヽ)而晩來(シタモ)吾則倚(テ)v門(ニ)而望(ム)v汝(ヲ)、ヨノナカノヒトノナゲキハアヒオモハヌキミニアレヤモとは母も妻も待侘、伴なひ行人も嘆くをそれを何とも思はぬやうにて死行を云なり、チラヘルは散あへるなり、下にもよめり、第一に人丸歌に花散相秋津乃野邊爾《ハナチラフアキツノノベニ》とよめり、クモハナレは雲離にて遠き意なり、古事記下(49)仁徳天皇段云、天皇|上幸《ノボリマス》之時、黒日賣獻御歌云、夜麻登弊邇《ヤマトヘニ》、爾斯布岐阿宜弖《ニシフキアゲテ》、玖毛婆那禮《クモバナレ》、曾岐袁理登母《ソキヲリトモ》、和禮和須禮米夜《ワレワスレメヤ》、
 
初、なつさひきにて たつさはり來てなり。には助語なり。月日もきへぬは、來經ぬなり。又第五に、阿良多麻能吉倍由久等志乃とよめるは消行年ときこゆるを、吉倍とかけるは倍叡同韻なれは通してかける歟。しかれは今も消ぬといふ心にや。朝露に裳のすそひつち夕霧に衣手ぬれては、第二に人丸の泊瀬部皇女に奉らるゝ哥にも、朝露に玉もはひつち夕霧に衣はぬれてとよめり。さきくしもあるらんことくとは、死去ことはしらてつゝかなからん人のやうにまたんといふ心なり。陳陶か猶是春閨夢裏人と心かよへり。出見つゝ待らん物を。 戰國策(ニ)王孫賈(カ)之母、謂(テ)v賈(ニ)曰。、汝朝(ニ)出而晩來(ルタモ)吾(ハ)則倚(テ)v門(ニ)而望(ム)v汝(ヲ)。よのなかの人のなけきはあひおもはぬ君にあれやもとは、母も妻もまてとも待むともおもはすしにゆけは、あひおもはぬ君にあれやといふなり。もは助語なり。秋はきのちらへるはちりあへるなり。利阿反良なり。雲はなれとほき國邊とは青雲のむかふす國なといへる心なり
 
反歌二首
 
3692 波之家也思都麻毛古杼毛母多可多加爾麻都良牟伎美也之麻我久禮奴流《ハシケヤシツマモコトモヽタカタカニマツラムキミヤシマカクレヌル》
 
3693 毛美知葉能知里奈牟山爾夜杼里奴流君乎麻都良牟比等之可奈之母《モミチハノチリナムヤマニヤトドリヌルキミヲマツラムヒトシカナシモ》
 
可奈思母、【幽齋本、思作v之、】
 
比等之をヒトノと點ぜるは誤れり、ヒトシと讀べし、し〔右○〕は助語なり、
 
初、もみちはの 比等之可奈之母、ひとしかなそもとよむへし
 
右三首葛井連子老作挽歌
 
3694 和多都美能可之故伎美知乎也須家口母奈久奈夜美伎弖(50)伊麻太爾母毛奈久由可牟登由吉能安末能保都手乃宇良敝乎可多夜伎弖由加武土須流爾伊米能其等美知能蘇良治爾和可禮須流伎美《ワタツミノカシコキミチヲヤスケクモナクナヤミキテイマタニモモナクユカムトユキノアマノホツテノウラヘヲカタヤキテユカムトスルニイメノコトミチノソラチニワカレヌルキミ》
 
モナクは第五に出て注せり、ホツテノウラヘヲカタヤキヲとはほつて〔三字右○〕のつ〔右○〕は天津國津などの津にて帆綱《ホツナ》なり、手は鋼手繩手などの手なり.土佐日記にも追風の吹ぬる時は行舟のほて打てこそうれしかりけれとよめり、占はそれ/”\の事に付てする事あれば舟にては帆綱にても占なふ事あるべし、章孝標が田家詩云、田家無2五行1水旱卜(ス)2蛙聲(ヲ)1、ウラヘヲカタヤクとは第十四に武藏野にうらへかたやきと云へるに付て注せしが如し、今は帆綱を以て占する事を占の本によせてかたはむを云歟、又一つの今按あり、三代實録第二十一云、貞觀十四年夏四月廿四日癸亥、宮主從五位下兼行丹波權掾伊岐宿禰是雄卒、是雄者壹岐島人也、本姓卜部改爲2伊伎1、始祖忍見足尼命、始v自2神代1供2l龜卜事1、厥後子孫傳2習祖業1備2於卜部1、是雄、卜數之道尤究2其要1、日者之中、可v謂2獨歩1、これに依るに此先祖壹岐島に有て卜筮の道に通ずべし、保都手は最手に(51)て中にも上手に占なはするを云歟、第九に最末枝をホツエとよめり、第十七にはすぐれたる鷹を保追多加《ホツタカ》とよめり、日本紀には秀の字をホツとよめり、安末とは島人なれば海人によそへたる歟、ミチノソラヂは道の天路なり、
 
初、やすけくもなくなやみきて やすくもなくてなやみくるなり。いまたにもゝなくゆかんと、もは喪の字にてわろきことなり。下にも旅にてもゝなくはやことゝよめり。第五に憶良長哥に、玉きはる内のかきりはたひらけくやすくもあらんをこともなくもなくもあらんをよのなかのうけくつらけく云々。伊勢物語にむかしあかたへゆく人にむまのはなむけせんとてよひてうとき人にしあらさりけれはいへとうしにさかつきさゝせて女のさうそくかつけんとす。あるしのおとこ、哥よみてものこしにゆひつけさす
  出てゆく君かためにとぬきつれは我さへもなくなりぬへきかな
ゆきのあまのほつてのうらへをかたやきてゆかんとするに。ゆきのあまは壹岐の海人なり。ほつては帆手といふことなり。帆繩のことなり。土佐日記に
  追風の吹ぬる時は行舟のほてうちてこそうれしかりけれ
うらなひはそれ/\のことにつきてする事あれは、舟にては帆繩にてうらなふ事もあるへし。章孝標か田家詩に、田家(ニ)無(シ)2五行1、水旱卜(ナフ)2蛙聲(ヲ)1。うらへかたやきは第十四に武藏野にうらへかたやきといふ哥に注せり。今はたゝうらなひする事のみなれと、舌法に准してうらへかたやきとはいへり。いめのことは夢のことくなり。道の空路とほ道の中空にて死ぬるをいへり
 
反歌二首
 
3695 牟可之欲里伊比祁流許等乃可良久爾能可良久毛已許爾和可禮須留可聞《ムカシヨリイヒケルコトノカラクニノカラクモコヽニワカレスルカモ》
 
祁流、【別校本、幽齋本、並祁作v都、點云、ツル、】
 
からくにと昔より云けるが、げにもからき別を此にするとなり、
 
初、昔よりいひけることの からくにと昔よりいひけるが、はたしてからきわかれをこゝにてするとなり。からといふ名をからきといふ詞になしてかくはよめり
 
3696 新羅寄敝可伊敝爾可加反流由吉能之麻由加牟多登伎毛於毛比可禰都母《シラキヘカイヘニカカヘルユキノシマユカムタトキモオモヒカネツモ》
 
宅満が魂は新羅へか行、又故郷へか歸る、道の空にて失にし人なれば其間を思ひ得ずとなり、
 
初、しらきへか家にかかへる 宅滿かたましひは新羅へかゆくまた故郷へか歸るといふ心なり。ゆきのしまをうけてゆかむたときといへり。たときはたつきなり
 
(52)右三首六鯖作挽歌
 
六鯖は六人部連鯖麻呂を姓名共に略してかける歟、廢帝紀云、寶字八年正月授2正六位上六人部連鯖麻呂外從五位下(ヲ)1、
 
初、六鯖《ムサハ》 廢帝紀云。寶字八年正月授2正六位上六人部連鯖麻呂(ニ)外從五位下(ヲ)1。この人の氏と名とを略してかけるなるへし
 
到2對馬島淺茅浦1舶泊之時、不v得2順風1經停五箇日於v是瞻2望物華1各陳2慟心1作歌三首
 
對馬島は三字引合てツシマと讀べし、和名集云對馬島【都之萬、】
 
初、對馬島 績日本紀に津嶋とかけり。すなはち此字の心なり。上に引るかことし
 
3697 毛母布禰乃波都流對馬能安佐治山志具禮能安米爾毛美多比爾家里《モヽフネノハツルツシマノアサチヤマシクレノアメニモミタヒニケリ》
 
モミタヒニケリはもみぢにけりなり、
 
初、もゝふねのはつるつしまの 第六にももゝふねのはつるとまりとやしまくにもゝふな人のさためてしみぬめのうらはとよめり。又千船のとまるおほわたの浦ともよめり。もみたひにけりは、もみちしにけりなり。第十にはもみたすともよめり
 
3698 安麻射可流比奈爾毛月波弖禮々杼母伊毛曾等保久波和可禮伎爾家流《アマサカルヒナニモツキハテレヽトモイモソトホクハワカレキニケル》
 
第十一に月見れば國は同じくとよめる意なり、
 
初、あまさかるひなにも 第十一に
  月みれは國はおなしく山へたてうつくし妹はへたてたるかも
第十八に
  月みれはおなし國なり山こそは君かあたりを隔たりけれ
謝希逸(カ)月(ノ)賦云。隔2千里1今共(ニス)2明月(ヲ)1
 
(53)3699 安伎左禮婆於久都由之毛爾安倍受之弖京師乃山波伊呂豆伎奴良牟《アキサレハオクツユシモニアヘスシテミヤコノヤマハイロツキヌラム》
 
淺茅山のもみぢを見て都の山を思ひやるなり、
 
竹敷浦舶泊之時、各陳2心緒1作歌十八首
 
3700 安之比奇能山下比可流毛美知葉能知里能麻河比波計布仁聞安留香母《アシヒキノヤマシタヒカルモミチハノチリノマカヒハケフニモアルカモ》
 
初、あしひきの山下ひかる 第六に山したひかりにしきなす花さきをゝりとよめり。第十にはにしきにみゆる秋の山かも
 
右一首大使
 
3701 多可之伎能母美知乎見禮婆和藝毛故我麻多牟等伊比之等伎曾伎爾家流《タカシキノモミチヲミレハワキモコカマタムトイヒシトキソキニケル》
 
右一首副使
 
正六位上大伴宿禰三中、後准v之、
 
(54)3702 多可思吉能宇良末能毛美知和禮由伎弖可敝里久流末低知里許須奈由米《タカシキノウラミノモミチワレユキテカヘリクルマテチリコスナユメ》
 
右一首大判官
 
3703 多可思吉能宇敝可多山者久禮奈爲能也之保能伊呂爾奈里爾家流香聞《タカシキノウヘカタヤマハクレナヰノヤシホノイロニナリニケルカモ》
 
八雲御抄にうつかた山とあるは假名のヘ〔右○〕とツ〔右○〕となだらかに書つればまがふ故に、宸翰に遊ばされたるはうへかたなりけむを傳寫の誤にてうつかたと成ける歟、宗碩が勅撰名所抄うつかたとあるは御抄の流布本をのみ見て此集を考がへざるなり、奥義抄にはうへかた山とあり、
 
初、たかしきのうへかた山は このうへかた山を勅撰名所抄に宇津方山と載たるは、おしはかるに、かんなにうへかたやまとかける物ありて、そのへの字のなたらかなるをつもしに見あやまりて、今のことく文字になされけるなるへし
 
右一首小判官
 
小は少に作るべし、正七位上大藏忌寸麻呂、
 
3704 毛美知婆能知良布山邊由許具布禰能爾保比爾米※[人偏+弖]弖伊(55)※[人偏+弖]弖伎爾家里《モミチハノチラフヤマヘユコクフネノニホヒニメテヽイテヽキニケリ》
 
もみぢの散あふ礒の山邊より漕舟のもみぢににほはしあへるにめでゝ我も女の身なれど立出で來しとなり、日本紀に感の字をメヅとよめり、
 
3705 多可思吉能多麻毛奈婢可之己藝低奈牟君我美布禰乎伊都等可麻多牟《タカシキノタマモナヒカシコキテナムキミカミフネヲイツトカマタム》
 
奈婢可之、【官本、婢作v比、】 己藝低、【幽齋本、藝作v伎、】
 
初、たかしきの玉もなひかし 舟をこき出る浪になひくなり
 
右二首對馬娘子名玉槻
 
3706 多麻之家流伎欲吉奈藝佐乎之保美弖婆安可受和禮由久可反流左爾見牟《タマシケルキヨキナキサヲシホミテハアカスワレユクカヘルサニミム》
 
白濱の清ければ玉敷ルとはほむるなり、
 
初、玉しけるきよきなきさを 沙の明なるに浪の打よするみな玉しくといふへし。第十八にほりえには玉しかましをと有
 
右一首大使
 
(56)3707 安伎也麻能毛美知乎可射之和我乎禮婆宇良之保美知久伊麻太安可奈久爾《アキヤマノモミチヲカサシワカヲレハウラシホミチクイマタアカナクニ》
 
ウラレホミチクは浦に鹽滿來なり、
 
初、うらしほみちく 浦にしほみち來るなり。潮時のよくなれはあかねとも見さして舟にのる心なり
 
右一首副使
 
3708 毛能毛布等比等爾波美要緇之多婢毛能思多由故布流爾都寄曾倍爾家流《モノモフトヒトニハミエシヽタヒモノシタユコフルニツキソヘニケル》
 
シタユコフルは下より戀るなり、
 
右一首大使
 
3709 伊敞豆刀爾可比乎比里布等於伎敝欲里與世久流奈美爾許呂毛弖奴禮奴《イヘツトニカヒヲヒリフトオキヘヨリヨセクルナミニコロモテヌレヌ》
 
3710 之保非奈波麻多母和禮許牟伊射遊賀武於伎都志保佐爲(57)多可久多知伎奴《シホヒナハマタモワレコムイサユカムオキツシホサヰタカクタチキヌ》
 
初、おきつしほさゐ 第一、第三、第十一等に此詞ありて尺しき
 
3711 和我袖波多毛登等保里弖奴禮奴等母故非和須禮我比等良受波由可自《ワカソテハタモトヽホリテヌレヌトモコヒワスレカヒトラスハユカシ》
 
袖とたもとゝの事、第十冬の歌に我袖に降つる雪も流行てとよめる哥に付て注せるが如し、
 
初、わかそてはたもとゝほりて 袖と衣手と袂とはみなおなし詞なり。和名集云。釋名云。袖【音岫。和名曾天。下二字同】所2以受(ル)1v手(ヲ)也。袂【音〓】開(キ)張(テ)以臂屈伸(スルナリ)也。※[衣+去]【音居】其中虚(ナリ)也。今の俗におもへるは袖は※[手偏+總の旁]名なから袂に對する時は手をとほすところをいひ、たもとは袖のくたりの下をいへり。此哥もさ聞ゆるにや。兼好法師かつれ/\草に後鳥羽院定家卿に袖とたもとゝ一首にもよむやと尋零させ給へる時
  秋の野の草のたもとか花薄ほに出てまねく袖とみゆらん
といふ古今集の哥を引て、くるしかるましきよし當座に勅答申されける事なとかけり。此哥もその類なり。又拾遺集に兼盛哥に
  しくれゆへかつくたもとをよそ人ははらふもみちの袖かとやみん
 
3712 奴波多波能伊毛我保須倍久安良奈久爾和我許呂母弖乎奴禮弖伊可爾勢牟《ヌハタマノイモカホスヘクアラナクニワカコロモテヲヌレテイカニセム》
 
ヌバタマノイモとつゞけたる事別に注す、
 
初、ぬは玉のいもかほすへく 長流かいはく此哥ぬは玉といひいてゝ夜とも黒ともつゝけす、只いもといはむためと見えたり。案するに常にぬれたる袖をも妹とぬる夜はほすものなり。袖卷ほさんいもゝなとよめるその心なり。しかれはいもかほすへくといふ所によるぬる心あれは、ぬは玉とはいひ出せるなり。今案ぬは玉といひてくろきとつゝけ、くろき心に、夜とも髪ともつゝくるは常の事なり。又ぬは玉といひてうるはしき事につゝくる事もまれ/\あるか、古事記に大|己貴《アナムチノ》命の御哥に、ぬは玉のしろきみけしをまつふさにとりよそひおき云々。これはしろきといふにはつゝかて、玉きぬなといふことく、みけしといふにつゝきたるか。かれとこれとをかよはしておもふに、ぬは玉といふもののうるはしけれは、白きみけしとも妹ともつゝくなるへし。袖を妹とぬる夜はほすものなりとて、いもかほすへくといふ所に夜の心ありといへるはすこしむつかしくや。袖卷ほさむ妹もあらなくにといへるは、只衣は女の進退する物なれはいへるなり
 
3713 毛美知婆波伊麻波宇都呂布和伎毛故我麻多牟等伊比之等伎能倍由氣婆《モミチハヽイマハウツロフワキモコカマタムトイヒシトキノヘユケハ》
 
3714 安伎佐禮婆故非之美伊母乎伊米爾太爾比左之久見牟乎(58)安氣爾家流香聞《アキサレハコヒシミイモヲイメニタニヒサシクミムヲアケニケルカモ》
 
安伎、【幽齋本、伎作v藝、】
 
秋去者戀シミ妹とよめるは初より順風にあはゞ歸り來むと思ひし程を猶また此國をも離やらねばななり、戀しきと云べきを戀しみと云へるは第一の雄略天皇の御歌の籠毛與美籠母乳《コモヨミコモチ》の如し、
 
3715 比等里能未伎奴流許呂毛能比毛等加婆多禮可毛由波牟伊敝杼保久之弖《ヒトリノミキヌルコロモノヒモトカハタレカモユハムイヘトホクシテ》
キヌルは着て寢るなるべし、
 
3716 安麻久毛能多由多比久禮婆九月能毛美知能山毛宇都呂比爾家里《アマクモノタユタヒクレハナカツキノモミチノヤマモウツロヒニケリ》
 
モミヂノ山は紅葉する山を押て云、山の名にはあらず、第十九に家持の越中にての歸雁の歌にもよまれたるにて知べし、
 
初、天雲のたゆたひくれは 第十二にも、天雲のたゆたひやすき心あらはとよめり。大舟のたゆたふともよみて、俗にゆる/\といふ心なり。猶豫とも猶豫不定ともかける心なり。さるほとに山のもみちもうつろふなり。第十九にも紅葉の山とよめり。ともに名所にあらす。第十、第十七に卯花山とよめるは只この花のさける山なり。それに准してしるへし
 
(59)3717 多婢爾弖毛母奈久波也許登和伎毛故我牟須妣思比毛波奈禮爾家流香聞《タヒニテモヽナクハヤコトワキモコカムスヒシヒモハナレニケルカモ》
 
多婢爾弖毛母奈久、【幽齋本、毛在v下母在v上、】  牟須比思、【幽齋本、比作v妣、】
 
伊勢物語に昔あがたへ行人にむまのはなむけせむとてよびて、疎き人にしあらざりければ家とうじに盃さゝせて、女のさうぞくかつけむとす、あるじのをとこ歌讀て裳の腰にゆひつけをすとて歌あれば、紐を結ぶも祝ふは同じ意なるべし、
 
初、旅にてもゝなく早こと もなくして早く來よなり。もなくは上にいへるかことし
 
廻2來筑紫1海路入v京、到2播磨國家島1之時作歌五首
 
續日本紀第十二云、天平九年正月辛丑遣新羅使大判官從六位上壬生使主宇太麻呂、少判官正七位上大蔵忌寸麻呂等入京、大使從五位下阿倍朝臣繼麻呂泊2津島1卒、副使正六位上大伴宿禰三中染v病不v得2入京1、三月壬寅遣新羅使副使正六位上大伴宿禰三中等四十人拜朝、
 
初、到播磨国家島延喜式神名云。揖保《イヒホノ》郡家島神社【名神大】
 
3718 伊敝之麻波奈爾許曾安里家禮宇奈波良乎安我古非伎都流伊毛母安良奈久爾《イヘシマハナニコソアリケレウナハラヲアカコヒキツルイモヽアラナクニ》
 
(60)名ニコソ有ケレは言にし有けりとよめるに同じ、後の歌に此詞あまたよめり、
 
3719 久左麻久良多婢爾比左之久安良米也等伊毛爾伊比之乎等之能倍奴良久《クサマクラタヒニヒサシクアラメヤトイモニイヒシヲトシノヘヌラク》
 
落句は年のへぬるなり、此は明る年歸るなるべければ、去年の内に歸るべきを今年に成て歸るを年のへぬるとはよめるなり、
 
3720 和伎毛故乎由伎弖波也美武安波治之麻久毛爲爾見廷奴伊敝都久良之母《ワキモコヲユキテハヤミムアハチシマクモヰニミエヌイヘツクラシモ》
 
雲居ニ見エヌとは跡の方に成て遠く見ゆるなり、廷は延の字を書生の誤まれるなり、家ツクは上に注せるが如し、
 
初、わきもこをゆきて 延誤作v廷。いへつくらしもは家附らしもなり。秋にいたりつくを秋附といふことく家に附なり。上にも家つかすしてとよめり
 
3721 奴婆多麻能欲安可之母布禰波許藝由可奈美都能波麻末都麻知故非奴良武《ヌハタマノヨアカシモフネハコキユカナミツノハマヽツマチコヒヌラム》
 
ヨアカシモは夜令明《ヨアカシ》もにて夜舟を漕あかすなり、下句は第一にある憶良の歌と同(61)じ、落句は妹が待戀ぬらむなり、
 
初、ぬはたまのよあかしもふねは 夜ひとよ舟をこかむなり。下句は第一山上憶良哥に、いさこともはやくやまとへ大ともの、此下句と全同
 
3722 大伴乃美津能等麻里爾布禰波弖弖多都多能山乎伊都可故延伊加武《オホトモノミツノトマリニフネハテヽタツタノヤマヲイツカコエイカム》
 
下句は第一に海底奥津白浪立田山何時鹿越奈武妹之當見武《ワタノソコオキツシラナミタツタヤマイツカコエナムイモガアタリミム》、此第三句以下に似て同じ意なり、
 
中臣朝臣宅守與2狹野※[弟の二畫までが草がんむり]上娘子1贈答歌
 
配流の科は上に見えたり、聖武紀云、天平十二年六月十五日大赦、穗積朝臣老等被v恩(ヲ)入v京、石上乙麻呂、中臣宅守等(ハ)不v在2赦(ノ)限(ニ)1、廢帝紀云、天平寶字七年正月甲辰朔壬子、從六從上中臣朝臣宅守授2從五位下(ヲ)1、神龜元年に配所の遠近を定られたるに、越前安藝爲v近とあれば近流なり、狹野は娘子が姓、※[弟の二畫までが草がんむり]上は名なり、目録も今も※[弟の二畫までが草がんむり]上とあるは今按※[弟の二畫までが草がんむり]は茅にてちのへなりけるを書生魚魯を混じて※[弟の二畫までが草がんむり]に作りける歟、然云故は茅は狹野に便あり、其上第七云、印南野乃淺茅之上《イナミノノアサヂガウヘ》、第十云、春日野之淺茅之上《カスガノヽアサヂガウヘ》云云、此のみならず第七に君に似る草なども讀て多く女によそ(62)へたる物なればなり、
 
初、中臣朝臣宅守配流の科は目録につふさなり。聖武紀云。天平十二年六月十五日大赦。穗積朝臣老等被(テ)v恩(ヲ)入v京(ニ)。石上乙麻呂、中臣宅守等(ハ)不v在(ラ)2赦(ノ)限(ニ)1。廢帝紀云。天平寶字七年正月甲辰朔壬子、從六從上中臣朝臣宅守(ニ)、授2從五位下1。配所の事、聖武紀云。神龜元年三月庚申朔癸未、定(ム)2諸(ノ)流配遠近(ノ)之程(ヲ)1。伊豆、安房、常陸、佐渡、隱岐、土佐六國(ヲ)爲(シ)v遠(ト)。諏方、伊豫(ヲ)爲(シ)v中(ト)。越前、安藝(ヲ)爲(ス)v近(ト)。かゝれは近流なり
目録の中、於是夫婦相嘆易別難會。文選陸士衡答(フル)2賈長淵(ニ)1詩云。分索(スルコトハ)則易(ク)携(ルコトハ)v手(ヲ)實(ニ)難(シ)遊仙窟云。所(ハ)v恨別(コトハ)易(ク)會(コトハ)難(シテ)去留乖(キ)隔(レリ)
 
3723 安之比奇能夜麻冶古延牟等須流君乎許許呂爾毛知弖夜須家久母奈之《アシヒキノヤマチコエムトスルキミヲコヽロニモチテヤスケクモナシ》
 
心ニ持テは手に重き物を持て苦しき如く、此別を心に持事も同じければやすくもなしとなり、
 
3724 君我由久道乃奈我?乎久里多多禰也伎保呂煩散牟安米能火毛我母《キミカユクミチノナカテヲクリタヽネヤキホロホサムアメノヒモカモ》
 
道をば繩手なども云へば繰委《クリタヽネ》とはよめり、下句は左傳云、凡火人火曰(ヒ)v火天火曰v災、史紀孝景(ノ)本紀云、三年正月乙巳天火|燔《ヤク》2※[各+隹]陽東宮大殿城室1、うつぼ物語樓上に山おろしの風もつらくぞおもほえし木の葉も道をやくと見しかば、三體詩元※[禾+眞]和2樂天早春(ニ)見《ラルヽヲ》1v寄(セ)詩云、同(シク)受2新年1不2同(シク)賞1、無v由v縮(ムルニ)v地欲2如何(トカ)1、天隱注引(テ)2神仙傳1云、壺公遺2費長房一符1能縮2地脈1、今の娘子も地をしゞめまほしき意なり、
 
初、君かゆく道のなかてを 第五にも常しらぬ道の長手をくれ/\とゝよめり。繩手なともいひたれはくりたゝねとはいへり。たゝねはたゝみなり。くりよせたゝみよせなり。元※[禾+眞]和(スル)2樂天(カ)早春(ニ)見《ラルヽヲ》1v寄(セ)詩云。同受2新年1不2同賞1、無v由v縮v地欲2如何1。天隱注(ニ)引(キ)2神仙傳(ヲ)1云。壺公遺(テ)2費長房(ニ)一符(ヲ)1能縮2地脈(ヲ)1。やきほろほさむあめの火もかも。左傳(ニ)云。凡(ソ)火(ハ)人火(ヲ)曰(ヒ)v(ト)火(ト)、天火(ヲ)曰(フ)v災(ト)。史紀孝景本紀曰、三年正月乙巳天火|燔《ヤク》2※[各+隹]陽東宮大殿城室(ヲ)1。うつほ物語樓上に
  山おろしの風もつらくそおもほえし木の葉も道をやくと見しかは
 
3725 和我世故之氣太之麻可良婆思漏多倍乃蘇低乎布良左禰(63)見都追志努波牟《ワカセコシケタシマカラハシロタヘノソテヲフラサネミツヽシノハム》
 
發句の之は此かきやうにては音を借て助語にや、
 
3726 巳能許呂波古非都追母安良牟多麻久之氣安氣弖乎知欲利須辨奈可流倍思《コノコロハコヒツヽモアラムタマクシケアケテヲチヨリスヘナカルヘシ》
 
アケヲヲチヨリはをち〔二字右○〕は彼《ヲチ》にて明日よりあなたなり、貫之歌に昨日《キノフ》よりをちをば知らずとよまれたるは昨日《キノフ》よりあなたの過つる方をば知らぬなり、准らへて意得べし、
 
初、玉くしけあけてをちより をちは彼の字なり。あけておちよりなり。あすより後といはむかことし。貫之哥にきのふよりをちをはしらすともよまれたり。きのふよりあなたをはしらすの心なり
 
右四首娘子臨v別作歌
 
3727 知里比治能可受爾母安良奴和禮由惠爾伊母我可奈思佐於毛比和夫良牟《チリヒチノカスニモアラヌワレユヱニオモヒワフラムイモカヽナシサ》
 
チリヒヂはひぢ〔二字右○〕は土なリ、氏の土形《ヒヂカタ》を思ふべし、顯昭は塵泥と心得られたり、泥を和名に比知利古《ヒヂリコ》とも古比千《コヒヂ》ともあればなり、共に同じ義ながら泥をひちとのみはよ(64)まざれば猶土にや、古今集序に高き山も麓のちりひぢより成てと云へるも爭そはゞ土なるべし、杜子美云、君不(ヤ)v見管鮑舊時交、此道今人棄(テ)如b土、されば塵も土も物を汚して賤しき物とすれば數にもあらぬ我とはつゞけたり、上にしづたまきかずにもあらぬとよめるが類なり、
 
初、ちりひちの數にもあらぬわれゆへに 數ならぬちりひちのこときわれゆへになり。ちりひちは塵土《チリヒチ》なり。第四にはしつたまき數にもあらぬ命もてとよみ、、第五にもしつたまきかすにもあらぬみにはあれととよみ、第九にはしつたまきいやしきわかゆへとよめり。物こそたかひたれと數ならぬといはむためなるはおなし心なり
 
3728 安乎爾與之奈良能於保知波由吉余家杼許能山道波由伎安之可里家利《アヲニヨシナラノオホチハユキヨケトコノヤマミチハユキアシカリケリ》
 
由吉余家杼、【幽齋本、吉作v伎、】
 
ユキヨケドは行よけれどなり、
 
初、ならの大路はゆきよけと ならのおほきなるみちはゆきよけれとなり。娘子かもとへかよふ道なり。この山みちといへるは越前の配所へおもむく道なり
 
3729 宇流波之等安我毛布伊毛乎於毛比都追由氣婆可母等奈由伎安思可流良武《ウルハシトアカモフイモヲオモヒツヽユケハカモトナユキアシカルラム》
 
右の歌を蹈てよめり、
 
初、うるはしとあかもふ うるはしとわかおもふなり。次上のゆきあしかりけりといへるを、みつから尺するやうの心なり
 
3730 加思故美等能良受安里思乎美故之治能多武氣爾多知弖(65)伊毛我名能里都《カシコミトノラスアリシヲミコシチノタムケニタチテイモカナノリツ》
 
カシコミとは神を恐るゝ故なり、第十四に足柄の御坂恐み陰夜《クモリヨ》の我下はへをこちてつるかもとよめるが如し、タムケはたうげなり、俗に峠の字をかけり、山を登りはつる所にて此方より彼方へ越すにも彼方より此方へ越すにも幣の手向をする故に手向と云ひけむを、いつとなく坂のはてをたうげと云ひ習ひけるなるべし、
 
初、かしこみとのらすありしを 勅令をおそれて妹かことを人にも告すありしをなり。みこしちのたむけにたちては、近江より塩津山をこえて越前に入山の峠《タウケ》なり。およそさる所をたうけといふはもと手向なるへし。そこにて神たちにぬさ奉てつゝかなからんことをいのれはなり。逢坂山をも第六には手向山といへり。此塩津山といふは、今木の芽峠と聞ゆるにや。案内知侍らねはたかひもし侍なん。此峠を越れはいとゝさかひはるかにおほゆるゆへに、えたへすして妹か名をいひ出つるとなり
 
右四首中臣朝臣宅守上道作歌
 
3731 於毛布惠爾安布毛能奈良婆之末思久毛伊母我目可禮弖安禮乎良米也母《オモフヱニアフモノナラハシマシクモイモカメカレテアレヲラメヤモ》
 
此發句の惠を袖中抄に故なりと釋せられたり、
 
初、おもふゑにあふものならは おもふゑは思ふ縁になり。しましくもはしはらくもなり。妹かめかれてあれをらめやもは妹かめをはなれてわれをらんやなり
 
3732 安可禰佐須比流波毛能母比奴婆多麻乃欲流波須我良爾禰能未之奈加由《アカネサスヒルハモノモヒヌハタマノヨルハスカラニネノミシナカユ》
 
3733 和伎毛故我可多美能許呂母奈可里世婆奈爾毛能母?加(66)伊能知都我麻之《ワキモコカヽタミノコロモナカリセハナニモノモテカイノチツカマシ》
 
3734 等保伎山世伎毛故要伎奴伊麻左良爾安布倍伎與之能奈伎我佐夫之佐《トホキヤマセキモコエキヌイマサラニアフヘキヨシノナキカサフシサ》
 
サブシサはさびしさなり、此さびしは不樂とかける心なり、つれ/”\なるを云にあらず、
 
初、さふしさ さひしさなり。不怜不樂なとかけり。常につれ/\なるをさひしといふよりはかなしき心ふかし
 
一云|左必之佐《サヒシサ》
 
3735 於毛波受母麻許等安里衣牟也左奴流欲能伊米爾毛伊母我美延射良奈久爾《オモハスモマコトアリエムヤサヌルヨノイメニモイモカミエサラナクニ》
 
發句は後の歌におもはずよなど云如く句絶ともすべし、又不慮にまことにながらへて世に有得むやとつゞけても意得べし、落句は見えざらなくにゝて見えざるになり、此詞づかひ上にもあまたありき、
 
初、おもはすもまことあり得むや 此おもはすもは、おもはすよなと末の哥によむことく句絶ともみるへし。又不慮にまことになからへて世に有得むやとつゝけてもよむへし。見えさらなくには此てにをは第一第三第四第十四等にありて尺しき。なくはてにをはにて見えさるにといふにおなし
 
3736 等保久安禮婆一日一夜毛於母波受弖安流良牟母能等於(67)毛保之賣須奈《トホクアレハヒトヒヒトヨモオモハステアルラムモノトオモホシメスナ》
 
於母波受弖、【幽齋本、母作v毛、】
 
3737 比等余里波伊毛曾母安之伎故非毛奈久安良末思毛能乎於毛波之米都追《ヒトヨリハイモソモアシキコヒモナクアラマシモノヲオモハシメツヽ》
 
安良末思、【幽齋本、思作v之、】
 
戀と云事も知らであるべき我に物を思はしむれば世の人よりは妹ぞあしき人にはあるとなり、妹ゾモのも〔右○〕を捨て見るべし、第七に玉津島見てしよけくも我はなし都に行て戀まく思へば、名所と人とは替れどもそしるやうにてほむる意あるは同じ、
 
初、ひとよりは妹そもあしき いもそ人よりはあしきなり。妹かなくはこふる事もなくてあらましものを、ありて物をおもはしむるゆへに外の人よりはあしきとなり。第七に
  玉つ嶋見てしよけくも我はなし都にゆきてこひまくおもへは
これ名所と人とかはれとも、そしるやうにてほむる心あるはひとつなり
 
3738 於毛比都追奴禮婆可毛等奈奴婆多麻能比等欲毛意知受伊米爾之見由流《オモヒツヽヌレハカモトナヌハタマノヒトヨモオチスイメニシミユル》
 
毛等奈、【幽齋本、等作v登、】
 
(68)落句の之はやすめ言なり、
 
初、おもひつゝぬれはかもとな 上にわきもこかいかにおもへか以下此哥と全同なり
 
3739 可久婆可里古非牟等可禰弖之良末世婆伊毛乎婆美受曾安流倍久安里家留《カクハカリコヒムトカネテシラマセハイモヲハミスソアルヘクアリケル》
 
3740 安米都知能可未奈伎毛能爾安良婆許曾安我毛布伊毛爾安波受思仁世米《アメツチノカミナキモノニアラハコソアカモフイモニアハスシニセメ》
 
第四の笠女郎が廿四首歌中に能似たるあり、
 
初、あめつちの神なきものに これは第四に笠女郎か家持に贈廿四首の歌の中に
  天地の神もことはりなくはこそ我思ふ君にあはすしにせめ
似たる哥なり
 
3741 伊能知乎之麻多久之安良婆安里伎奴能安里弖能知爾毛安波射良米也母《イノチヲシマタクシアラハアリキヌノアリテノチニモアハサラメヤモ》
 
第一第二句の二つの之は共に助語なり、アリキヌは第十四に注せしが如し、
 
初、ありきぬの有て後にも 第十四にもありきぬのさゑ/\沈とよみ、第十六に竹取翁か哥にありきぬのたからのこらとよめり。いかなるをいふともしらす
 
一云、安里弖能乃知毛《アリテノヽチモ》
 
3742  安波牟日乎其日等之良受等許也未爾伊豆禮能日麻弖安(69)禮古非乎良牟《アハムヒヲソノヒトシラストコヤミニイツレノヒマテアレコヒヲラム》
 
初、あはむ日をその日としらすとこやみに 神代紀云。是時天照大神驚動以v梭《カヒヲ》傷(リタマフ)v身(ヲ)。由(テ)v此(ニ)發(シテ)v慍《イカリヲ》乃入(テ)2于天(ノ)石窟《イハヤニ》1閉《サシテ》2磐戸(ヲ)1而|幽居《カクレマス》焉。六合《クニ》之内|常闇《トコヤミニシテ》而不v知(ラ)2晝夜《ヒルヨルノ》之相(ヒ)代(ルコトヲ)1。神功皇后紀云。皇后南|詣《イタリマシテ》2紀伊國(ニ)1會2太《ヒツキノ》子(ニ)於日高(ニ)1〇適(テ)2是時(ニ)1也晝暗(コト)如(テ)v夜(ノ)已(ニ)經2多(ノ)日(ヲ)1。時(ノ)人(ノ)曰|常夜行《トコヤミユクト云リ》之也云々。第二にいはく天雲を日のめもみせすとこやみにおほひたまひて、第四に
  てれる日を闇に見なしてなく涙ころもぬらしつほす人なしに
 
3743  多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎須久奈久毛伊母爾戀都都須敝奈家奈久爾《タヒトイヘハコトニソヤスキスクナクモイモニコヒツヽスヘナケナクニ》
 
第二句は第十一に言に云へば耳にたやすしとよめるが如し、旅は唯一言にて云時は易けれども妹に戀つゝすべなき事のすくなからなくにの意なり、落句意を得て見るべし、
 
初、旅といへはことにそやすき 旅とはひとことはなれはことはにはやすくいはるれと、妹にこひつゝすへなさのすくなからぬにといふ心なり。下の三十六葉にもこれに似たる哥有。第十一に戀といへはみゝにたやすしといへる此上の二句に似たり。又第二十に防人か哥に旅といへとまたひになりぬともよめり。すヘなけなくには、上のいめにも妹か見えさらなくにといへるに似て心得かたきやうなれと、すへなきことのすくなからぬにと心得れはたかはす。古哥の詞はたしかならぬか例なり
 
3744 和伎毛故爾古布流爾安禮波多麻吉波流美自可伎伊能知毛乎之家久母奈思《ワキモコニコフルニアレハタマキハルミシカキイノチモヲシケクモナシ》
 
第二の句は戀るに我はなり、短かき命も惜からぬと云ことは短かければ殊に惜かるべき故なり、第十二に君にあはで久しく成ぬ玉の緒の長き命の惜けくもなしとよめると水火の如くなれど、各其いはれあり、歌は風情に依て讀やう一准ならぬ常の事なり、
 
初、わきもこにこふるにあれは こふるに我はなり。戀るに有れはとよみてもきこゆれと、我なるへしとおほゆ
 
(70)右十四首中臣朝臣宅守
 
3745 伊能知安良婆安布許登母安良牟和我由惠爾波太奈於毛比曾伊能知多爾敞波《イノチアラハアフコトモアラムワカユヱニハタナオモヒソイノチタニヘハ》
 
ハタは將の字をもよみ爲當ともかけり、まさにと云意なり、
 
3746 比等能宇宇流田者宇惠麻佐受伊麻左良爾久爾和可禮之弖安禮波伊可爾勢武《ヒトノウヽルタハウヱマサスイマサラニクニワカレシテアレハイカニセム》
 
伊麻左良爾、【幽齋本、左作v佐、】
 
宇宇流とかけるは植の字を宇惠とく故に惠と宇と同音なる故なり、今の世宇倍とかく故に宇布流《ウフル》と通はしかくは日本紀此集等にたがへり、史記高祖本紀云、不v事(トセ)2家人生産作業1、亦云、九年末央宮成、高祖大朝(セシメテ)2諸侯羣臣1置2酒未央前殿1、高祖奉2玉巵1起爲2太上皇1壽云、始大人常以v臣無v頼(シケ)不v能v治2産業1不(トシテ)v如2仲(ノ)力(ラニ)1云云、此集第二十防人が歌にさきむりにたゝむさわぎに家の妹がなるべきことをいはず來《キ》ぬかも、クニワカ(71)レシテとは國を隔てゝ別るゝなり、皆人の植る田をも植まさねば遠く別れて後我は何をよすがにてあらむとも知らねばいかにせむとなり、あはれに聞ゆる歌なり、
 
初、人のうゝる田はうゑまさす 宇宇流とかけるは下の字は惠に通するゆゑなり。およそよろつの假名つかひ日本紀、此集、延喜式、和名集等をかんかふるに、皆かなひて、中古以來にたかへれは、後のが誤なるへし。今ならはこれも宇布流とかくへし。されと第五三十二首の梅の哥に誰かはうへしさかつきのへにといふ哥のみ有倍志とかけり。倍と惠と同韻にて通しけるにや。うゑまさすは殖ましまさすなり。第五令反惑情歌に
  久かたのあまちは遠し|なほ《直》/\に家にかへりて|なり《業産》をしまさ|に《ネト通》
第二十に防人か哥に
  さき|む《モ》り《防人・島守》にたゝむさわきに家の妹か|なるへき《・可業》ことをいはすきぬかも
史記高祖本紀云。不v事(トセ)2家人(ノ)生産作業(ヲ)1。又云。九年〇未央宮成(ル)。高祖大(ニ)朝(セシメテ)2諸侯羣臣(ヲ)1置2酒(ス)未央前殿(ニ)1。高祖奉(シテ)2玉巵(ヲ)1起(テ)爲(ニ)2太上皇(ノ)1壽(シテ)云。始(メ)大人常(ニ)以v臣無(トシテ)v頼(シケ)不v能v治(ムルコト)2産業(ヲ)1不(トシキ)v如2仲(カ)力(ニ)1云云。くにわかれしては國を隔て別るゝなり。皆人のうゆる田をも植まさねは、遠くわかれて後、我はいかなるたつきによりてあらむともしらすといふ心なり
 
3747 和我屋度能麻都能葉見都都安禮麻多無波夜可反里麻世古非之奈奴刀爾《ワカヤトノマツノハミツヽアレマタムハヤカヘリマセコヒシナヌトニ》
 
松を待に云ひなしてかはらぬ心をこめたり、論語云、歳寒然後知(ル)2松栢之後(ルヽコトヲ)1v凋、莊子(ニ)云、孔子曰天寒既(ニ)至(リ)霜雪既降(ル)、吾是以知(ル)2松栢之茂(キコトヲ)1也、落句は戀しなぬ時になり、時をト〔右○〕とのみよめる事上には第十にあり、下にもよめり、
 
初、わかやとの松のはみつゝ これは松を待にいひなしてかはらぬ心をこめたり。論語云。歳寒(シテ)然後知(ル)2松栢(ノ)之後(ルヽコトヲ)1v凋(ムニ)。莊子讓王(ニ)曰。孔子曰。天寒既(ニ)至(リ)、霜雪既(ニ)降(ル)。吾是(ヲ)以知2松栢之茂(キコトヲ)1也。こひしなぬとには、こひしなぬ時になり。第十に
  わかせこをなこせの山のよふこ鳥君よひかへせ夜のふけぬとに
 
3748 比等久爾波須美安之等曾伊布須牟也氣久波也可反里萬世古非之奈奴刀爾《ヒトクニハスミアシトソイフスムヤケクハヤカヘリマセコヒノナヌトニ》
 
スムヤケクはすみやけくにてすみやかになり、落句の之をノ〔右○〕と點ぜるは書生のしわざなるべし、改て音に點ずべし、
 
初、すむやけく すみやけくにて速になり
 
3749 比等久爾爾伎美乎伊麻勢弖伊都麻弖可安我故非乎良牟(72)等伎乃之良奈久《ヒトクニヽキミヲイマセテイツマテカアカコヒヲラムトキノシラナク》
 
伊都、【別校本、都作v豆、】
 
イマセテは令徃《イマセ》てなり、
 
3750 安米都知乃曾許比能宇良爾安我其等久伎美爾故布良牟比等波左禰安良自《アメツチノソコヒノウラニアカコトクキミニコフラムヒトハサネアラシ》
 
ソコヒノウラはそこひは限と云ひ極と云章、裏は内と同じければ限の内と云なり、後の歌にもそこひなき淵やはさわぐとも、名に負ふぢの花なればそこひもしらぬ色の深さかとも.わだつみのそこひもしらずとも限なき心などを底によせてよめり、源氏物給玉鬘に物の色は限りあり人の形はおくれたるもまた又そこひある物をとて云云、同胡蝶に限なうそこひしらぬ心ざしなれど云云、サネアラジはまことにあらじなり、
 
 初、あめつちのそこひのうらに そこひはきはみといひ、かきりなといふにおなし。うらはうちなり。裏の字を宇良とも宇知ともよめり。古今集云
  そこひ《・底ヲ ヌ》なき淵やはさはく山川の淺き瀬にこそあた浪はたて後撰集に
  かきりなき名におふ藤《・淵ヲカヌ》の花なれはそこひ《底ヲカヌ》もしらぬ色のふかさか
  玉もかるあまにはあらねとわたつみのそこひもしらすいる心かな
源氏物語玉鬘に物の色はかきりあり。人のかたちはをくれたるも又そこひある物をとて云々。胡蝶にかきりなうそこひしらぬ心さしなれと人のとかむへきさまにはよもあらし。さねあらしはまことにあらしなり
 
3751 之呂多倍能安我之多其呂母宇思奈波受毛弖禮和我世故(73)多太爾安布麻低爾《シロタヘノアカシタコロモウシナハスモテレワカセコタヽニアフマテニ》
 
モテレはもちあれなり、知阿反多なればつゞめては毛多禮と云べきを多と?と初四相通してもてれと云なり、
 
3752 波流乃日能宇良我奈之伎爾於久禮爲弖君爾古非都都宇都之家米也母《ハルノヒノウラカナシキニオクレヰテキミニコヒツヽウツシケメヤモ》
 
春の日のうら/\と云意にウラカナシキニとはよそへてつゞけたるか、淮南子云、春(ハ)女悲(シミ)秋(ハ)士哀(シム)而知2物化(スルコトヲ)1、落句は第十二にも見えたり、うつゝの心もせじとなり、
 
初、春の日のうらかなしきに 春の日はうら/\とあるものなれはうらかなしとつゝけたり。第十九の終に、うら/\にてれるはるひとよめり。その哥の左注に遲々とかきてうら/\とよめり。淮南子(ニ)云。春(ハ)女悲(シヒ)、秋(ハ)士|哀《カナシムテ》而知2物化(ヲ)1。さらぬたに春は女の物おもふ時なるに、おもふ人にわかれてはるけき道をへたてすめは、まことにゆめのこゝちすへし。うつしけめやもはうつゝの心ちせんやなり。第十二にも君におくれてうつしけめやもとよめり。現心とかきてうつし心とよめるもおなし
 
3753 安波牟日能可多美爾世與等多和也女能於毛比美太禮弖奴敞流許呂母曾《アハムヒノカタミニセヨトタワヤメノオモヒミタレテヌヘルコロモソ》
 
美多禮弖、【別校本、多作v太、】
 
第十二云、年のへば見つゝしのべと妹が云ひしきぬのぬひめを見れば悲しも、今の歌の答とせば然るべきにや、
 
初、あはむ日のかたみにせよと 第十二に
  年のへは見つゝしのへと妹かいひしきぬのぬひめをみれはかなしも
この哥のかへしになりぬへき哥なり
 
(74)右九首娘子
 
3754 過所奈之爾世伎等婢古由流保等登藝須多我子爾毛夜麻受可欲波牟《ヒマナシニセキトヒコユルホトヽキスアマタカコニモヤマスカヨハム》
 
過所をヒマとよめるは隙あればそこより物の過ればなるべし、我は咎ある身にて關山を越る事を得ぬに隙もなくあまたの郭公の飛越るは己も妻戀するなればおの/\があまたの妻にもやまず通ひて相らむと我妻戀する心から鳥を羨てよめるなるべし、郭公の妻を子と云は第十二|客《カホ》鳥の妻を君とよめるに准らふべし、
 
初、ひまなしにせきとひこゆる 過所とかけるは、ひまあれはそこより物の過れはなり。我は咎ある身にて關山をこゆることあたはぬに、ひまもなくほとゝきすのとひこゆるは、おのれも妻戀するなれは、あまたの妻にもやすくたえすこそかよふらめとなり。あまたの子とは、郭公のあまた飛こゆるか、おの/\妻にやますかよひてあふらんの心なり。ほとゝきすの妻を子としもいへるは、古今集に
  あしひきの山ほとゝきすわかことや君にこひつゝいねかてにする
わか妻をこふるゆへに、かれをかけて君とも子ともいへり。此哥は古今集序に鳥をうらやみといへる心なり
 
3755 宇流波之等安我毛布伊毛乎山川乎奈可爾敝奈里弖夜須家久毛奈之《ウルハシトアカモフイモヲヤマカハヲナカニヘナリテヤスケクモナシ》
 
ナカニヘナリテは中に隔てゝなり、へなり〔三字右○〕は隔の古語なリ、此集下にもよめり、
 
初、山川を中にへなりて 中にへたてゝなり。第十七にも山川のへなりてあれはとよめり
 
3756 牟可比爲弖一日毛於知受見之可杼母伊等波奴伊毛乎都奇和多流麻弖《ムカヒヰテヒトヒモオチスミシカトモイトハヌイモヲツキワタルマテ》
 
(75)第四云、向座而雖見不飽吾妹子二《ムカヒヰテミレドモアカヌワギモコニ》云云、六帖云、向ひ居て背く程だに肝《キモ》消《キエ》て思ひし物を月かはるまで、
 
初、むかひ居てひと日もおちす 第四に
  むかひ居て見れともあかぬわきもこに立別ゆかむたつきしらすも
六帖に
  向ひ居てそむくほとたにきもきえておもひし物を月かはるまて
月わたるまては、月を隔ていく月といふにわたるまてにあはぬ事の久しくなるなり
 
3757 安我未許曾世伎夜麻故要弖許己爾安良米許己呂波伊毛爾與里爾之母能乎《アカミコソセキヤマコエテコヽニアラメコヽロハイモニヨリニシモノヲ》
 
故要?、【幽齋本、故作v許、】
 
第十一に同じ下句ありき、
 
初、あか身こそせき山こえて 此下句は第十一に紫の名高の浦のなひきものといふ哥におなし
 
3758 佐須太氣能大宮人者伊麻毛可母比等奈夫理能未許能美多流良武《サスタケノオホミヤヒトハイマモカモヒトナフリノミコノミタルラム》
 
能未、【幽齋本、未作v美、】
 
娘子が事に依て我配流にあへるをなぶり又我あらぬ間に娘子が心をかひきなどせむことをうしろめたく思ふなるべし、毛詩|※[北+おおざと]《ハイ》風云、終《ヒメモス》風且|暴《ハヤテアリ》、顧v我則笑、謔浪《タワフレヲワイテ》、笑(ヒ)※[傲の旁]《ヲゴル》、中心是悼、遊仙窟云五嫂爲v人饒(ト)劇《タハフル・ヒトナフリ》
 
初、さすたけの大宮人は さすたけの大宮とつゝけたる哥上に第六に見え後に十六卷にも見えたり。第十一にはさすたけのはにかくれたるわかせこかともよめり。すてに尺せれはこゝに略せり。人なふりのみこのみたるらんとは、なふるやうにさま/\あるへし。遊仙窟云。五嫂爲(リ)v人(ト)饒劇(トタハフル)。又嬲の字を見て戯弄の樣を知へし。娘子か事によりてわか配流にあへるをなふり、又わかそこにあらねは娘子か心をかなひきなとせんことをも、うしろめたくおもふなるへし
 
(76)一云|伊麻左倍也《イマサヘヤ》
 
3759 多知可敝里奈氣杼毛安禮波之流思奈美於毛比和夫禮弖奴流欲之曾於保伎《タチカヘリナケトモアレハシルシナミオモヒワフレテヌルヨシソオホキ》
 
タチカヘリはかへす/”\有し事どもを思ひ出るなり、ワブレテは侘てなり、曾丹が集に薄くなるをうすれてとよめる類なり、ヌルヨシのし〔右○〕は助語なり、
 
初、立かへりなけともあれは 立かへりはくりかへしなといふ心なり。たとへは道を行人の又立歸ることく、かへす/\物をおもひてなくなり。しるしなみはかひなきなり。垂仁紀有何益とかきてなにのしるしかあらんとよめり。おもひわふれてはおもひわひてなり
 
3760 左奴流欲波於保久安禮杼母毛能毛波受夜須久奴流欲波佐祢奈伎母能乎《サヌルヨハオホクアレトモヽノモハスヤスクヌルヨハサネナキモノヲ》
 
安禮杼毛母能、【幽齋本、母字在v上毛字在v下、】
 
3761 與能奈可能都年能已等和利可久左麻爾奈里伎爾家良之須惠之多禰可良《ヨノナカノツネノコトワリカクサマニナリキニケラシスヱノタネカラ》
 
己等和利とかけるは判の字斷の字などをことわるとよむも斧を以て木をわるが(77)如く言を以て理を云ひわくる意なればなり、カクサマニは如是樣《カクサマ》なり、スヱノタネカヲは末世の業因に依てと云はむが如し、業因の宿報に依て末世に生るれば大方の世間もうきことは我のみならずかやうに成來にけるにこそとみづから世上を引て心の中をひろめて慰さむるなり、
 
初、よのなかの常のことはり 世間のおよそ人の上まての常のことはりなり。かくさまには如是樣になり。末のたねからは末世の業因からなり。末といふは今の世今の身なり。たねといふは宿世の業因なり
 
3762 和伎毛故爾安布左可山乎故要弖伎弖奈伎都都乎禮杼安布余思毛奈之《ワキモコニアフサカヤマヲコエテキテナキツヽヲレトアフヨシモナシ》
 
發句は上にも合坂の枕詞に多く云へり、今もそれながら落句までに承て娘子が事になせり、
 
3763 多婢等伊倍婆許登爾曾夜須伎須敝毛奈久久流思伎多婢毛許等爾麻左米也母《タヒトイヘハコトニソヤスキスヘモナククルシキタヒモコラニマサメヤモ》
 
初の二句はさきに見えたり、旅と云へば言にのみこそ易けれ、すべもなく苦しき物なれどもされどもたをやめの身にて後れ居て嘆くらむ兒等が悲しさにはまさめやまさじと娘子が心の中を思ひやりてよめるなり、
 
初、たひといへはことにそやすき 此二句上にもありき。此下にしかはあれとゝかりに一句をくはへて聞へし。わかくるしき旅の心をいひつめて、猶こらにまさめや。こらにはまさらしといふ心なるがあはれなり。およそは人のおもひをせんかたなけにいひて、それよりもわかおもひのまさるよしにこそよむものを
 
(78)3764 山川乎奈可爾敝奈里弖等保久登母許己呂乎知可久於毛保世和伎母《ヤマカハヲナカニヘナリテトホクトモコヽロヲチカクオモホセワキモ》
 
初の二句さきの如し、
 
3765 麻蘇可我美可氣弖之奴敝等麻都里太須可多美乃母能乎比等爾之賣須奈《マソカヽミカケテシノヘトマツリタスカタミノモノヲヒトニシメスナ》
 
マソカヾミはカケテと云はむ科なり、和名集云、鏡臺(ハ)辨色立成云、【加々美加介、】用の詞を體になせり、マツリダスは奉出《マツリダ》すなり、カタミノ物は何と知べからず、上の鏡すなはち此にはあらず、次の歌を見るべし、
 
初、まそかゝみかけて まつりたすは奉出《マツリタ》すなり。鏡は鏡臺にかくる物なれはかけてとつゝけたり。すなはち鏡をもかたみにおくりけるによりてかくはよせけるなるへし。かたみは第十六云。寄物【俗云2可多美1。】遊仙窟記念の二字をかたみとよめり
 
3766 宇流波之等於毛比之於毛婆波之多婢毛爾由比都氣毛知弖夜麻受之努波世《ウルハシトオモヒシオモハヽシタヒモニユヒツケモチテヤマスシノハセ》
 
第二句之は助語なり、於毛婆波は於毛波婆を兩字を倒に寫せるなるべし、
 
初、したひもにゆひつけもちて 鏡の外のかたみなり
 
右十三首中臣朝臣宅守
 
(79)3767 多麻之比波安之多由布敞爾多麻布禮杼安我牟禰伊多之古非能之氣吉爾《タマシヒハアシタユフヘニタマフレトアカムネイタシコヒノシケキニ》
 
タマシヒとは思ひおこする心ざしなり、
 
3768 己能許呂波君乎於毛布等須敝毛奈伎古非能未之都都禰能未之曾奈久《コノコロハキミヲオモフトスヘモナキコヒノミシツヽネノミシソナク》
 
須敝毛、【校本、或毛作v文、】
 
落句の之は助辞なり、
 
3769 奴婆多麻乃欲流見之君乎安久流安之多安波受麻爾之弖伊麻曾久夜思吉《ヌハタマノヨルミシキミヲアクルアシタアハスマニシテイマソクヤシキ》
 
アハズマのま〔右○〕は助語にて只あはずなり、こりずと云べきをこりすまにとよめるが如し、此歌は事出來ぬさきにあへる時の事を云へるなり、
 
初、あがすまにして あはすしてなり。まは助語なり。こりすといふをこりすまといふかことし。此哥はさきに事いてこぬ時にあへることをも。又今はとて配所におもむく日のさきの夜あへるをもいふへし。また夢にあひみてあくるあしたにあはすしてといへるにもあるへし
 
3770 安治麻野爾屋杼禮流君我可反里許武等伎能牟可倍乎伊(80)都等可麻多武《アチマノニヤトレルキミカカヘリコムトキノムカヘヲイツトカマタム》
 
和名集云、越前(ノ)國|今立《イマタチノ》郡|味眞《アチマ》【阿知末、】カヘリコム時ノ迎とは君が歸來と聞て迎に人をつかはすべき時をなり、又歸り來む時我を迎ふる迎をとも聞ゆ、
 
初、あちま野にやとれる君か 越前に此野あるなるへし
 
3771 宮人能夜須伊毛禰受弖家布家布等麻都良武毛能乎美要奴君可聞《ミヤヒトノヤスイモネステケフケフトマツラムモノヲミエヌキミカモ》
 
宮人は宅守の父兄弟等を云歟、
 
初、宮人のやすいもねすて 此宮人は宅守の親屬を指なるへし
 
3772 可敝里家流比等伎多禮里等伊比之可婆保等保登之爾吉君香登於毛比弖《カヘリケルヒトキタレリトイヒシカハホトホトシニキキミカトオモヒテ》
 
ホト/\シニキは驚て胸のほどばしるなり、又悦びて立ほどばしるなり、に〔右○〕は助語なり、欽明紀云、十三年冬十月|百濟《クダラ》聖明王獻2釋迦佛金銅(ノ)像一?《ミカタヒトハシラヲ》1、是(ノ)日天皇聞|已《ヲハリテ》歡喜|踊躍《ホトバシリタマフ》、第七にほと/\しくに手斧《テヲノ》はとられぬとよめるほと/\しくにとは替れり、第十一に馬の音のどゝともすれば松陰に出てぞ見つる若は君かと此歌の意あ(81)り、さてこれは天平十二年六月に大赦ありて穗積朝臣老等を召返させ給へる後よめるなるべし、
 
初、ほと/\しにき よろこふ心なり。欽明紀云。十三年冬十月百濟聖明王〇獻2釋迦佛(ノ)金銅像一躯(ヲ)1。〇是日天皇聞已歡喜|踊躍《ホトハシリタマフ》。長流かいはくおとろく心なり。今案第七に、ほと/\しくにてをのはとられぬとよめり。それは殆の字にてあふなきなり。危殆の時あやうしとよめり。今の心にあらす
 
3773 君我牟多由可麻之毛能乎於奈自許等於久禮弖乎禮杼與伎許等毛奈之《キミカムタユカマシモノヲオナシコトオクレテヲレトヨキコトモナシ》
 
初、君かむたゆかましものを 君とゝもに我もなかされてゆかましものを、おくれて都に残りをれと、物をおもふ事のおなしことにてよきこともなしとなり
 
3774 和我世故我可反里吉麻佐武等伎能多米伊能知能巳佐牟和須禮多麻布奈《ワカセコカヽヘリキマサムトキノタメイノチノコサムワスレタマフナ》
 
今は死ても惜からぬ身なれど者が還來む時のため心を取のべて命を殘すべし、あなかしこ其時我を忘給ふなとなり、第十一云、爲妹壽遺《イモガタメイノチノコセリ》云云、
 
右八首娘子
 
3775 安良多麻能等之能乎奈我久安波射禮杼家之伎己許呂乎(82)安我毛波奈久爾《アラタマノトシノヲナカクアハサレトケシキココロヲアカモハナクニ》
 
此下句第十四並に此卷の上にもありき、
 
3776 家布毛可母美也故奈里世婆見麻久保里爾之能御馬屋乃刀爾多弖良麻之《ケフモカモミヤコナリセハミマクホリニシノミマヤノトニタテラマシ》
 
ニシノミマヤは西の御|厩《ムマヤ》なり、第十三に金厩立而飼駒《ニシノウマヤタテヽカフコマ》云云、刀は外なり、娘子が父の家の厩なるべし、
 
初、けふもかも都なりせは にしのみまやのとにたてらましとは妹か家にいたりて案内せさするほと馬を御厩にたてかてらむまやのそとにたてらましものをとなり。第十三に西のうまやたてゝかふ駒、ひむかしのうまやたてゝかふ駒とよめり
 
右二首中臣朝臣宅守
 
3777 伎能布家布伎美爾安波受弖須流須敝能多度伎乎之良爾禰能未之曾奈久《キノフケフキミニアハステスルスヘノタトキヲシラニネノミシソナク》
 
落句の之は助語なり、
 
3778 之路多倍乃阿我許呂毛弖乎登里母知弖伊波敞和我勢古(83)多太爾安布末低爾《シロタヘノアカコロモテヲトリモチテイハヘワカセコタヽニアフマテニ》
 
第四云、又もあはむ由も有らぬか白妙の我衣手に齋ひ留めむ、此二首は別るゝ比の歌なるべし、
 
初、しろたへのあかころもてを 第四に
  またもあはむよしもあらぬか白妙のわか衣手にいはひとゝめむ
 
右二首娘子
 
3779 和我夜度乃波奈多知婆奈波伊多都良爾知利可須具良牟見流比等奈思爾《ワカヤトノハナタチハナハイタツラニチリカスクラムミルヒトナシニ》
 
3780 古非之奈婆古非毛之禰等也保等登藝須毛能毛布等伎爾伎奈吉等余牟流《コヒシナハコヒモシネトヤホトヽキスモノモフトキニキナキトヨムル》
 
初の二句第十一に二首によめり、
 
初、こひしなはこひもしねとや 第十一に
  こひしなはこひもしねとや玉ほこの造ゆき人にこともつけゝむ
  こひしなはこひもしねとやわきもこかわきへのかとを過て行らん
第四に
わかきみは|わけ《・戯奴》をはしねとおもへかもあふ夜あはぬ夜ふたゆくならん
古今集に
  こひしねとするわさならしうは玉のよるはすからに|夢に見えつゝ《・ウツヽニハツラキモノカラ》
伊勢物語に
  とへはいふとはねは恨むゝさしあふみかゝるをりにや人はしぬらん
今の哥もこれらの哥に心ひとし。おもふ人を都に留て、関山はるかに隔たる配所のあたりにさらぬ人たになかる國にも行てしかそのなくこゑをきけはかなしもとよめるほとゝきすのきてなきとよめは、中々にこひしなは此時こひもしねとやなくらんと聞侍りぬへし。とよむるは令響なり。とよむといふは物のおのつからとよむなり。とよむるは物をしてとよましむるなり
 
3782 多婢爾之弖毛能毛布等吉爾保等登藝須毛等奈那難吉曾安我古非麻左流《タヒニシテモノモフトキニホトヽキスモトナヽナキソアアカコヒマサル》
 
(84)落句は第十に木《コ》高くは曾て木殖じ霍公鳥來鳴とよめて戀まさらしむ、第八鏡王女の喚子鳥をも痛くなゝきそ吾戀まさるとよめり、
 
初、旅にして物もふ時に 第八に
  神なひのいはせの杜のよふこ鳥いたくなゝきそわかこひまさる
 
3782 安麻其毛理毛能母布等伎爾保等登藝須和我須武佐刀爾伎奈伎等余母須《アマコモリモノモフトキニホトヽキスワカスムサトニキナキトヨマス》
 
發句は雨隱なり、第六第八にもよめり、落句の等余母須をトヨマスと誤て點ぜり、トヨモスと讀てとよますと通して意得べし、第十九にもよめり、神代紀上云、廼復《スナハチマタ》扇《トヨモシ》v天(ヲ)扇《トヨモシ》v國《クニヲ》上(リ)2詣(ヅ)于天(ニ)1、
 
初、あまこもりものもふ時に あまこもりは雨にふりこめらるゝなり。第八にも雨こもり心ゆかしみ出みれはなとよめり。とよもすはとよますなり。神代紀上云。廼《スナハチ》復《マタ》扇《トヨモシ》v天(ヲ)扇(シ)v國(ヲ)上(リ)2詣(ツ)于天(ニ)1。舒明紀に諮歌《ワサウタ》三首《ミウタ》の中に、其二に
  をちかたのあはのゝきゝしとよもさすわれはねしかと人そとよもす
第十九長哥にちとせほきほきゝとよもし云々。とよもしも令響なり。神代紀に扇の一字とよもすとよみたれと、まことにはかうなり
 
3783 多婢爾之弖伊毛爾古布禮婆保登等伎須和我須武佐刀爾許欲奈伎和多流《タヒニシテイモニコフレハホトヽキスワカスムサトニコヨナキワタル》
 
許欲、【別校本、欲作v余、】
 
初、こよなきわたる こゆなきわたるとよめるにおなし。從此間なり。所しもこそあるへきにの心なり
 
3784 許己呂奈伎登里爾曾安利家流保登等藝須毛能毛布等伎(85)爾奈久倍吉毛能可《コヽロナキトリニソアリケルホトヽキスモノモフトキニナクヘキモノカ》
 
3785 保登等藝須安比太之麻思於家奈我奈家婆安我毛布許己呂伊多母須敝奈之《ホトヽキスアヒタシマシオケナカナケハアカモフコヽロイタモスヘナシ》
 
奈氣婆、【幽齋本、家作v氣、】
 
イタモはいともなり上にもありき、
 
初、ほとゝきすあひたしましおけ なくまをしはしおきてなけなり。いたもすへなしはいともすへなしなり。第十四になみのほのいたふらしもよとよめるも、いとふらしもよなり。宅守の蔵部女を捨て此娘子をむかへられけるは、道に背ける故に、流人となられけれとりよみかはされたる哥は、ともにあはれなるものなり
 
右七首中臣朝臣宅守寄2花鳥1陳v思作歌
 
萬葉集代匠記卷之十五
         〔2021年9月8日(水)午前8時55分、巻15初、入力終了〕
 
(1)萬葉集代匠記卷之十六上
                   僧  契沖 撰
                   木 村 正 辭 校
 
初、萬葉集卷第十六目録 從此去至第二十謬尤甚矣
有由縁雜歌 至v下縁の下に并の字ある心は、共に雜歌なりといへとも、由縁あると、ことなる由縁なき雜歌もあるゆゑに并にとはいへり。今なきは脱せるなるへし。故の字日本紀に加列と訓したるは此國の古語にて、後に由惠とよむは、此由縁の義にて音を和語に用けるにや。師の字なとの類なるへし。此集には由惠とのみかきたるを、後に由倍に轉せるは誤なるへし
 
初、二壯士誂 此字挑と通する歟。<戦國策注誂誘也。日本紀、誂【アトラフ】誘【アトフ。】あとらふはあつらふとおなし。あとふもおなし心なり。今も挑にはあらすして共に誘ふにや。但語勢は挑と見えたり>入林、入を誤て人に作れり
 
初、男女衆集 夫婦の下に其婦二字あるへし。哥後注には有。讃の字偏をうしなへり
初、時娘子時別夫 此目つたなし。又更娶2他妻1といへり。これ肝要なるを何そはふける
 
初、時娘子 時の字哥の注に有てはよし。目録には前後ともに無用にや
 
初、贈歌一種 此次下の目を省て今贈答歌二首とかくか。さらすは下の目をこゝに擧て、今すこし筆削すへきものを
 
初、椎野連長年哥一首 又和哥一首 此ふたつの目六大にあやまれり。長年か哥にあらす。和する哥にあらす
 
初、獻新田部親王哥一首 脱2部字1
 
初、消奈行文大夫 脱2消奈姓1
 
初、巨勢朝臣豐人聞之酬咲哥 脱2朝臣1
 
初、忌部首黒麻呂 脱v首
 
初、又無常歌二首 又字除はや
 
初、大伴宿祢家持嗤咲 疲當v作v痩
 
初、又戀歌 又字除はや
 
有2由縁1并雜歌
 
昔者有2娘子1字曰2櫻兒《サクラコト》1也、于v時有2二壯士1、共|誂《イトム》2此娘1而|捐《ステヽ》v生挌競《アラソヒキホヒ》、貪v死|相敵《アヒカタキナム》、於v是娘子|歔欷《キヨキシテ》曰(ク)、從2古來1于v今、未v聞3未v見4一女之身往(キ)2適《ムカフコト》二門1矣、方(ニ)今壯士之意有v難2和平1、不v如2妾死(シテ)相害(スルコト)永(ク)息《ヤメムニハ》1、爾乃尋(ネ)2入(テ)林(ノ)中(ニ)1、懸v樹|經《クヒレ》死(ヌ)、其兩(リノ)壯士不v敢2哀慟1血泣《チニナイテ》漣《ナカル》v襟《コロモノクヒニ》、各陳2心緒1、
 
 
作歌二首
 
(2)誂は挑と通用、歔欷、離騷云、曾(テ)歔欷(シテ)余(レ)欝悒兮、史紀留侯世家云、戚夫人※[口+虚]※[目+希]流v涕、
 
3786 春去者挿頭爾將爲跡我念之櫻花者散去香聞《ハルサラハカサシニセムトワカオモヒシサクラノハナハチリニケルカモ》
 
名を櫻兒と云へば妻にせむと思ひし心をかざしにせむと思ひしとは云へり、
 
初、はるさらはかさしに 櫻兒の名によせて妻にせんとおもひし心をかさしにせんと思ひしといへり
 
3787 妹之名爾繋有櫻花開者常哉將戀弥年之羽爾《イモカナニカケタルサクラハナチラハツネニヤコヒムイヤトシノハニ》
 
初、妹か名にかけたる櫻 花さかはを、ちらはとあるはかんな誤れり。いやとしのはには弥毎年なり。第十九にとしのはにきなくものゆゑほとゝきすとよめる哥に毎年とかきて注に云毎年謂2之(ヲ)等之乃波(ト)1
 
或曰昔有2三男1、同娉2一女1也、娘子嘆息(シテ)曰(ク)、一女之身、易v滅如v露、三雄之志、難v平如v石、遂(ニ)乃|彷2徨《ハウクワウ》池上(ニ)1、沈2没(ス)水底(ニ)1、於v時其壯士等、不v勝2哀|頽《タイ》之至1、各陳2所心1作歌三首、【娘子字曰2鬘兒1也】
 
初、彷徨 兩字共从v人。未v考2通否1。哀頽、類作v頽誤。所心、此集有2此心字1出處未v考
 
3788 無耳之池羊蹄恨之吾妹兒之來乍潜者水波將涸《ミヽナシノイケシウラメシワキモコカキツヽカクレハミツハカレナム》
 
無耳池は耳成山の麓なるべし、羊蹄《シ》は助語なり、かきやうは第十に注せり、潜者はカヅカバと讀べし、水ハカレナムは水はかれなでの意なり、六帖池の歌に猿澤の池もつらしな吾妹子が玉藻潜かば水もひなまし、若今の歌の變ぜるにや、
 
初、みゝなしの池しうらめし 耳なし山大和にあれはそこなるへし。羊蹄は十卷の第九葉にもかきてそこに注しき
 
(3)3789 足曳之山縵之兒今日往跡吾爾告世婆還來麻之乎《アシヒキノヤマカツラノコケフユクトワレニツケセハカヘリコマシヲ》
 
我に告たらば身を投《ナゲ》しむまじければ假令池の邊まで行たりとも還來なまし物をとなり、
 
初、あしひきの山かつらのこ 日蔭のかつらのみならす、さま/\の葛の山にあれは鬘子といはむためにかくはつゝけたり。かへりこましをは、我に告たらは身をなけさすましけれは、たとひ池邊にゆきたりともかへりきなましものをとなり。縵は玉篇云。莫旦切大(ナル)文也とあれとも、日本紀にも此集のことくに用たれは、鬘と通するにこそ
 
3790 足曳之玉縵之兒如今日何隈乎見管來爾監《アシヒキノタマカツラノコケフノコトイツレノクマヲミツヽキニケム》
 
足曳とのみ云ひて山とせること集中に多し、玉縵之兒は山葛を玉葛とほゆて女の名に云ひなせり、腰句より下は是より先何れの日か終に身をなげむと今日の如く此池に臨みて能見置て此には來けむとなり、そも/\集中に勝鹿眞間娘子、葦屋海邊處女、此卷の櫻兒鬘兒等おの/\容儀の勝れたるがために却て身をそこなへり、悲しきかな、左傳云、鄭徐吾犯之妹美【犯、鄭大夫、】公孫楚聘(ス)v之矣、【楚、子南穆公孫、】公孫黒又使2強委1禽焉、【禽雁也、納采用v雁、】犯懼告2子産1、子産曰是國(ノ)無(キナリ)v政、非2子(カ)之患1也、唯所v欲v與、犯請2於二子1、請使2女擇(ハ)1焉、皆許v之、子皙盛飾入、布v幣而出、【布2陳贄幣1、子皙(ハ)公孫黒、】子南戎服入、左右射、超乘(シテ)而出、女自v房觀v之(ヲ)曰、子皙信美矣、抑子南夫也【言丈夫、】夫夫婦婦所v謂順也、適2子南氏1、子皙怒、既而〓甲(シテ)以見2子南1欲3殺v之而取2其妻1、子南知v之執v戈逐v之及v衝、撃v之以(ス)v戈(ヲ)、【衝交道、】子皙傷而歸云々、此は女に依(4)て夫の爭そへるなり、韓馮が妻石崇が妓の緑珠はかほよきに依て人をも失なひ身をも殺せり、和漢相似たり、
 
初、足曳の玉かつらのこ 足引とのみいひて山に用たる事、此集にも第三にあしひきのいはねこゝしみとよみ、第十一にあしひきのあらし吹夜はとよみ、管家はあしひきのかなたこなたに道はあれとゝよませたまへり。かつらは山におふる故に玉かつらの兒とはつゝけたり。けふのこといつれのくまをみつゝきにけむとは、これよりさきいつれの日か、終に身をなけむとけふのことく此池にのそみてよく見おきてこゝにはきけんとなり。くまとはかくれたる所をいへり。此集に勝鹿眞間娘子末玉名娘子、葦屋海邊處女、此卷櫻兒、鬘兒等おの/\容儀すくれてかへりて身をそこなへり。かなしきかな。左傳曰。鄭徐吾犯(カ)之妹|美《カホヨシ》【犯鄭大夫。】公孫楚聘(ス)v之(ヲ)矣。【楚子南穆公孫。】公孫黒又使2強(テ)委《サツケ・オカ》1v禽(ヲ)焉。【禽(ハ)雁也。納采用v雁。】犯懼(テ)告2子産(ニ)1。子産曰。是國(ノ)無(ナリ)v政。非2子之患1也。唯所(ナリ)v欲(セム)v与(ント)。請使2女(ヲ)擇(ハ)1焉。皆許(ス)之。子皙盛(ニ)飾入|布《シキテ》v幣而出。【布2陳(スルソ)贄幣(ヲ)1。子皙(ハ)公孫黒。】子南戎服(シテ)入左右射(テ)超乘(シテ)而出。女自(シテ)v房觀(テ)之(ヲ)曰。子皙(ハ)信(ニ)美(ナルカナ)矣。抑子南(ハ)夫也。【言丈夫。】夫(ハ)夫(タリ)婦(ハ)婦(タラハ)所謂順(ナリト云)也。適2子南氏(ニ)1。子皙怒(ル)。既而〓《ツヽミテ》v甲(ヲ)以見(テ)2子南(ヲ)1欲3殺(シテ)v之而取(ント)2其妻(ヲ)1。子南知v之執(テ)v戈(ヲ)逐之及(テ)v衝《チマタニ》撃(ツニ)v之以(ス)v戈(ヲ)。【衝(ハ)交道。】子皙|傷《キスツイテ》而歸云々。
 
昔有2老翁1、號曰2竹取翁《タカトリノオキナト》1也、此翁季春之月(ニ)登《ノホテ》v丘《ヲカニ》遠(ク)望(ム)、忽(ニ)値(フ)2※[者/火]v羮之|九箇女子《コヽノヽヲトメ》1也百(ノ)嬌《コヒ》無(ク)v儔(クタクヒ)花容無v止、于v時娘子等呼(テ)2老翁1嗤(テ)曰舛父來(テ)乎吹2此(ノ)燭火1也、於v是翁曰、唯唯《ヰヽ》、漸(ク)※[走+多]《オモムキ》徐(ク)行(テ)著《ツキ》2接(ハル)座(ノ)上《ホトリニ》1、良《ヤヽ》久(シテ)娘子等皆(ナ)共(ニ)含(テ)v咲(ヲ)相推(シテ)讓v之曰、阿誰呼2此(ノ)翁(ヲ)1哉、爾(シテ)乃(チ)竹取翁謝v之曰、非慮之外偶逢(ヘリ)2神仙(ニ)1、迷惑之心無(シ)2敢(テ)所(ロ)1v禁(スル)、近狎之罪、希(クハ)贖(フニ)以(テセム)v謌即作歌一首并短歌、
 
竹取翁、今大和國十市郡に鷹取山あり、昔は竹取とかけりと云へば此翁彼處に住けるにや、源氏物蹄のおやと云へる竹取物語は此竹取翁をたけとりと讀てさて名を借て作りけるにや、彼物語の初云、今は昔竹収の翁と云もの有けり、野山にま(5)じりて竹を取つゝよろづの事につかひけり云々、今登丘遠望と云意あり、大和物語の歌にはたけとりをもたかとりとよめり、六百番歌合の判詞にはたかとりたけとり別なる由かゝる、此集中に仙女にあへるは第三に吉野味稻《ヨシヌノウマシネ》が仙|柘枝《ツミ》にあへる、第五に帥大伴卿の玉島(ノ)仙女にあへる、第九に浦島(ノ)子水江にて仙女にあへると今と以上四人なり、忽値2※[者/火]羮之九箇女子1也、第十云、春日野に煙立見ゆ云々、花容無v止は今按止は匹を疋とかけるを誤れるなるべし、舛父は叔父を寫し誤れる歟和名集云、釋名云仲父(ノ)之弟曰2叔父1、一云阿叔者父之弟也、此上に云、釋名云、父之兄曰2世父1又曰2伯父1【和名睿乎知、】伯父之弟曰2仲父1、是仙女が竹敗翁ををとをぢに比して呼詞なり、近狎之罪、戰國策云、服子曰、公之客獨有2三罪1、望v我(ヲ)而笑是狎也、希贖以v謌、史記范雎列傳云、范雎謂2須賈1曰、汝罪有(ル)幾、曰擢2賈髪1以續2【古與v贖通用】賈之罪1尚未v足、
 
初、昔有2老翁1號曰2竹《タカ》取(ノ)翁(ト)1也 此集の中に仙女にあへることを載たるは、第三卷|仙柘彼《ヒシリノツミノキカ》歌、これは吉野|美稻《ウマイネ》かあへる仙女の名なり。第五に山上憶良松浦河にて仙女にあひて贈答の哥あり。第九に浦島子丹|水江《スミノエ此集・ミツノエ日本紀》にて仙女にあへることをよめる哥、をよひ此翁なり。帥大伴卿か琴娘子を夢に見、家持の鷹を見られけるなとは此次なり。源氏物語に、物語のはしめといへる竹取物語は、此翁の名にもとつけりと見えたり。彼物語にいはく。いまはむかしたけとりのおきなといふもの有けり。野山にましりてたけを取つゝ、よろつの事につかひけり。名をはさるきのみやつことなんいひける。其竹の中にもとひかる竹けなんひとすちありけり。あやしかりてよりてみるにつゝの中ひかりたり。それをみれは三すむはかりなる人、いとうつくしうてゐたり。おきないふやう。われ朝こと夕ことに見る竹の中におはするにてしりぬ。子になり給ふへき人なめりとて、手にうちいれて家へもちてきぬ。めのをんなにあつけてやしなはす。うつくしきことかきりなし。いとおさなけれは箱にいれてやしなふ。竹とりのおきな竹とるに、此子をみつけてのちに竹をみつくる事かさなりぬ。かくておきなやう/\ゆたかになりゆく。此ちこやしなふほとにすく/\とおほきになりまさる。三月はかりになるほとによきほとなる人になりぬれは、かみあけなとさうしてかみあけさせ、きちやうの内よりも出さす。いつきかしつきやしなふほとに、此ちこのかたちのけさうなること世になく、屋のうちはくらきところなくひかりみちたり。おきなこゝちあしくゝるしき時も、此こを見れはくるしき事もやみぬ。はらたゝしきこともなくなくさみけり。おきな竹をとることひさしくなりさかへにけり。此子いとおほきになりぬれは、名をみむろといむへのあきたをよひてつけさす。あきたなよたけのかくやひめと付侍る。此ほと三日うちあけあそふ。よろつのあそひをそしける云々。竹取翁とかきたれは、たかとりともたけともよむへけれは、彼物語はたけとりとよみて、こゝのゝをとめに准して、かくやひめをは見つけさせたるなり。さて彼物語つくりたる人は博覽の人なりけるにや。おもひよらぬ内典を取あはせてかけり。こゝに用なけれと事の次にかの物語見む人のため、又つくりけむ人の才學をあらはさむために、ふと見出たれはかきつく。不空三藏の譯し給へる大寶廣博樓閣經とて三卷の經有。大藏に入れり。弘法大師請來録に載らる。其經第一卷云。佛言。乃往古昔不可思議【乃至】有2三仙人1【乃至】時(ニ)彼仙人得(テ)v法(ヲ)歡喜(シテ)心(ニ)生(シテ)2踊躍(ヲ)1於2其住處(ニ)1便捨(ツ)2身命(ヲ)1。所(ノ)v捨(ル)之身猶如(シテ)2生酵(ノ)1消融(シテ)入v地(ニ)。即於2歿處(ニ)1而生(ス)2三竹(ヲ)1。金(ヲ)爲(シ)2莖葉(ト)1七寶(ヲ)爲(ス)v根(ト)。於2枝梢上(ニ)1皆有2眞珠1。香氣芬馥(シテ)常(ニ)有2光明1。所有《アラユル》見(ル)者無v不(ト云コト)2欣悦(セ)1。其(ノ)竹生長(シテ)十月(ニ)則|自《ヲノ》剖裂(ス)。各於2竹内(ニ)1生(ス)2一童子(ヲ)1。頗貌端正(ニシテ)令2人(ヲシテ)樂見(セ)1。最勝端嚴(ニシテ)光色殊麗相好成就(ス)。時(ニ)三童子即於2是時(ニ)1竹下(ニシテ)結跏趺坐(シテ)、即入(ル)2正定(ニ)1。至(テ)2第七日(ニ)1於2其中夜(ニ)1皆成(ス)2正覺(ヲ)1。其身金色(ニシテ)、三十二相、八十種好圓光嚴飾(ナリ)。時(ニ)彼三竹皆變(シテ)成2七寶(ノ)樓閣(ト)1。云々。事の次に猶見及ふ所を引侍らん。智度論第十云。眞珠(ハ)出(ツ)2魚腹(ノ)中、竹(ノ)中、※[虫+也]腦(ノ)中(ヨリ)1。史記西南夷列傳云。西南夷(ハ)君長以v什(ヲ)數(フ)。夜郎最大(ナリ)。【索隱曰。案1後漢書1云。夜郎(ハ)東(ノカタ)接(ハル)2交趾(ニ)1。其(ノ)地在(リ)2胡(ノ)南(ニ)1。其(ノ)君長本出2於竹(ヨリ)1以v竹而爲v姓也。】後漢書西南夷傳(ニ)云。夜郎(ハ)者初(メ)有2女子1浣《カハアミス》於〓水(ニ)1。有(テ)2三節大竹1流(レテ)入(ル)2足間(ニ)1。聞(テ)3其中(ニ)有(ルヲ)2號《ナク》聲1、剖(テ)v竹(ヲ)視(レハ)v之(ヲ)得(タリ)2一男兒(ヲ)1。歸(テ)養(フ)v之(ヲ)。及(テ)v長(トナルニ)有2才武1。自《ミ》立(テ)爲《ナテ》2夜郎〓(ト)1以v竹(ヲ)爲v姓(ト)史記趙(ノ)世家(ニ)曰。遂(ニ)率(テ)2韓魏(ヲ)1攻(ム)v趙(ヲ)。々襄子懼(テ)乃奔(テ)保(ト)晉陽(ヲ)1。原過從v後(ロ)至(ル)。於2王澤(ニ)1見(ル)2三人(ヲ)1。自v帶以上(ハ)可(ク)v見(ツ)、自v帶以下(ハ)不v可(ラ)v見(ル)。与(ヘテ)2原過(ニ)竹(ノ)二節(アテ)莫(キヲ)1v通(スルコト)爲(ニ)v我(カ)以(テ)v是(ヲ)遺(レト云)2趙母〓(ニ)1。原過既(ニ)至(テ)以告2襄子(ニ)1。襄子|齊《モノイミスルコト》三日(シテ)親|自《ミ》剖(ニ)v竹(ヲ)有(テ)2朱書1曰。趙母〓余(ハ)霍泰山山陽〓天使(ナリ)也。云々かやうのことをもふくめるなるへし。値※[者/火]羮之九箇女子也。第十に
  春日野に煙立つみゆをとめらし春野の|うはき《・薺蒿》つみて|に《・※[者/火]》らしも
花容無止、案止(ハ)當(ニ)v作v匹。舛父、舛叔寫誤。近狎之罪、戦國策(ニ)云。服子(カ)曰。公(カ)之客獨有2三(ノ)罪1。望(テ)v我(ヲ)而笑(フ)是(レ)狎(タルナリ)也。希※[貝+賣]以v謌。史記范雎列傳(ニ)曰。范雎(カ)曰。汝(カ)罪有(ル)v幾(ハクカ)。曰擢(テ)2賈(カ)髪(ヲ)1以|續《アカフトモ》2【古與v贖通用】賈之罪(ヲ)1尚未(タ)v足(ラ)。長流か抄にいはく。此長哥一首并九娘子かよめるうた、此集において難義の第一なり。先賢不釋之。後々僻案の士是を注すること有といへとも用るにたらす。よりてこれをさしおくものなり。今いはくまことに此哥始終はよく心得ることかたしといへとも、およそはおもむき聞え侍り。まつ似たる詩を引侍らん。唐劉庭芝(カ)代(ル)d悲(シム)2白頭(ヲ)1翁(ニ)u詩(ニ)云。洛陽城東桃李花、飛來飛去(テ)落2誰(カ)家(ニカ)1。洛陽(ノ)女兒惜(ム)2顔色(ヲ)1、行(テ)逢(テ)2落花(ニ)1長(ク)歎息(ス)。今年花落(テ)顔色改(マリ)、明年花開(テ)復誰(カ)在(ム)。已(ニ)見2松栢(ノ)摧(テ)爲(ルヲ)1v薪(ト)、更(ニ)聞(ク)2桑田(ノ)變(シテ)成(ルヲ)1v海(ト)。古人無(シ)v復(ルコト)洛城(ノ)東、今人還(テ)對(ス)落花(ノ)風。年々歳々花相(ヒ)似(タリ)、歳々年々人不v同(カラ)。寄(ス)2言(ヲ)全盛(ノ)紅顔子(ニ)1、應v憐(ム)2半死(ノ)白頭翁(ヲ)1。此(ノ)翁(ノ)白頭眞(ニ)可v憐(ム)、伊(レ)昔(シ)紅顔(ノ)美少年。公子王孫芳樹(ノ)下、清歌妙舞落花(ノ)前。光禄池臺開(キ)2錦?(ヲ)1、將軍樓閣畫(ク)2神仙(ヲ)1。一朝臥(シテ)v病(ニ)無2相識(ル)1、三春(ノ)行樂在(ン)2誰(カ)邊(ニカ)1。宛轉(タル)蛾眉能(ク)幾時(ソ)、須臾(ニ)鶴髪亂(テ)如(シ)v絲(ノ)。但看(ル)古來歌舞(ノ)地、惟有2黄昏鳥雀(ノ)悲(ム)1
 
3791 緑子之若子蚊見庭垂乳爲母所懐搓襁平生蚊見庭結經方衣氷津裡丹縫服頸著之童子蚊見庭結幡袂著衣服我矣丹因子等何四千庭三名之綿蚊黒爲髪尾信櫛持於是蚊寸(5)垂取束擧而裳纒見解亂童兒丹成見羅丹津蚊經色丹名著來紫之大綾之衣墨江之遠里小野之眞榛持丹穩之爲衣丹狛錦※[糸+刃]丹縫著刺部重部波累服打十八爲麻續兒等蟻衣之寶之子等蚊打栲者經而織布日暴之朝手作尾信巾裳成者之寸丹取爲支屋所經稻寸丁女蚊妻問迹我丹所來爲彼方之二綾裏沓飛鳥飛鳥壯蚊霖禁縫爲黒沓刺佩而庭立住退莫立禁尾迹女蚊髣髴聞而我丹所來爲水縹絹帶尾引帶成韓帶丹取爲海神之殿盖丹飛翔爲輕如來腰細丹取餝氷眞十鏡取雙懸而已蚊果還氷見乍春避而野邉尾回者面白見我矣思經蚊狹野津鳥來鳴翔經秋僻而山邊尾往者名津蚊(6)爲迹我矣思經蚊天雲裳行田菜引還立路尾所來者打氷刺宮尾見名刺竹之舍人壯裳忍經等氷還等氷見乍誰子其迹哉所思而在如是所爲故爲古部狹狹寸爲我哉端寸八爲今日八方子等丹五十狹邇迹哉所思而在如是所爲故爲古部之賢人藻後之世之堅監將爲迹老人矣送爲車持還來《ミトリコノワクコカミニハタラチシハヽニイタカレタマタスキハフコカミニムスフカタキヌヒツリニヌヒキクヒツキノウナヒコカミニハユフハタノソテツキコロモキシワレヲニヨレルコラカヨチニハミナシツラナルカクロナルカミヲマクシモテコヽニカキタルトリツカネアケテモマキミトキミタレウナヒニナレルミツラニツカフイロニナツケクルムラサキノオホアヤノコロモスミノエノトホサトヲノヽマハリモチニホシシキヌニコマニシキヒモニヌヒツケサシヘカサネヘナミカサネキテウチソハシヲミノコラアリキヌノタカラノコラカウツタヘハヘテオルヌノヲヒニサラシアサテツクラヒシキモナセハシキニトリシキヤトニヘテイネスヲトメカツマトフトワレニソキニシヲチカタノフタアヤウラクツトフトリノアスカヲトコカナカメイミヌヒシクロクツサシハキテニハニタヽスミイテナタチイサムヲトメカホノキヽテワレニソコシミハナタノキヌノオヒヲヒキオヒナレルカラオヒニトラシワタツミノトノヽミカサニトヒカケルスカルノコトキコシホソニトリテカサラヒマソカヽミトリナメカケテオノカミノカヘラヒミツヽハルサリテノヘヲメクレハオモシロミワレヲオモフカサノツトリキナキカケラフアキサケテヤマヘヲユケハナツカシトワレヲオモフカアマクモヽユキタナヒキカヘリタチミチヲクルニハウチヒサスミヤヲミテモナサスタケノトネリヲトコモシノフラヒカヘラヒミツヽタカコソトヤオモヒテアラムカクソシコシイニシヘノサヽキシワレヤハシキヤシケフヤモコラニイサニトヤオモヒテアラムカクソシコシイニシヘノカシコキヒトモノチノヨノカタミニセムトオヒヒトヲオクリシクルマモチカヘリコネ》
 
氷津裡丹、【幽齋本、裡作v裏、】  信櫛持、【幽齋本云、マクシモチ、】  囘著、【幽齋本、囘作v廻、】
 
此歌は本より高古なる上に爛脱せるにやと見ゆる處もおほく極めて意得がたけれど推らるゝ程をだに注して後の人に便すべし、若子蚊見庭は若子之身にはなり、下皆此に准らふべし、發句より母所懷までは翁がみづからの生れ出しやがてより其一年の程を云、搓襁は今|搓手襁《ヨリタスキ》なりけむを手の字の落たるなるべし、細き物を搓て懸させたる手襁《タスキ》なるべし、源氏物語云、姫君のたすき引ゆひたまへる胸つきうつくしけさ添ひて見え給へる、清少納云、いみじう肥たるちごの二つ許なるが白ううつ(8)くしきがふたあゐのうすものなどきぬながくて手襁掛たるがはひ出くるもいとうつくし、平生をハフコとよめるは匍時はひらなればにや、結經方衣は木綿肩衣にや、第十三に白木綿の我衣手とよみたれば白妙の肩衣と云意歟、氷津裡丹縫服は未v考、延喜式に車棧と云へる事あり、階などのやうなる物にや、これらに通へる事あるか後の人考ふべし、以上四句は二三歳の間を云へり、頸著とは衿を著たる衣著る程の童子となれる比を云故に頸著を以て枕詞とす、すそつけの衣など云に准らへばクビツケノと讀べきか、結幡とは結は上に云如く木綿歟、幡は倭文幡《シヅハタ》と云へる幡にて絹布の名にや、倭文《シヅ》とのみも云を幡を添へて云へる其故あるべし、若は纈をゆはたとよむそれにや、綵纈也と字書に注したれば、染ませたるを云と見えたり、袂著衣はソデツケゴロモと讀べし、第二十云、宮人乃蘇泥都氣其呂母《ミヤヒトノソデツケゴロモ》云々、此に准らふべし、丹因子等何とは我に似よりたる同じ程の子等がなり、四千庭《ヨチニハ》、此四千は第五に余知古良等手多豆佐波利提《ヨチコラトテタヅサハリテ》とあるを思ふに四千は上の子等何と云上に有て庭は衍文なるぺし、句の字數のとゝのほらざるは古歌の例歟、或は五字の一句落る歟、此より下爛脱したる歟不審多し、三名之綿はミナノワタと讀べし、今の點と仙覺抄と同じ、大きに誤れり、蚊黒爲髪尾はカグロキカミヲと讀べし、爲は衍文なり、童兒丹成見は(9)ワラハニナシミと讀べし、推量するに似よりたる子等が來て、いで髪ゆひて參らせむとて、或は取束て纒上て見、或は解亂して大わらはのすがたになして見などさま/”\に戯ふれ弄《マサグ》る意なるべし、羅丹津蚊經はサニツロフと讀べし、第七に住吉之岸之松根打曝縁來浪之音之清羅《スミノエノキシノマツガネウチサラシヨリクルナミノオトノサヤケサ》、此はての羅の字を以て證とすべし、大綾之衣は紫の綾の紋の大きなるを云歟、綾の字は書たれど大文にて紫にて大きなる紋をつけたる衣歟、墨江之より下三句は第七に此を上句としてすれる衣の盛過行と云歌ありき、刺部は紐をさすか、重部は衣を重ぬるなるべし、波累は波のたゝみ重なる如く衣を著重ぬる意歟、服打十八爲はキテウチソヤセバと讀べき蠍、俗語に物をほめそやすなど云なるは程より過てほめなして人に誇る心をつくるやうの意なり、拾遺集物名によめるそやしまめもほどふるばかり※[者/火]たるを云なるべし、されば打そやし〔四字右○〕はほこりかにふるまふ意を云へり、麻屬兒等は此より下はかほよき女も見にくき女も皆我に心を著し事を云、今按蟻衣之寶之子等蚊と云に准らへて思ふに廠續兒等の上にも落たる句有べし、今試に補なはゞ第一に打麻乎麻續王《ウチヲヲヲミノオホキミ》とよめるに准らへて打麻|乎《ヲ》と云べし、蟻衣は第十四に注せしが如し、寶之子とは第五にまされる寶子にしかめやもとよめる意なり、此句より打栲者と云にはつゞかず、下の彼方之と云(10)につゞけり、此故に先注す、彼方之二綾裏沓とは異國などより來る二綾の裏をつけたる沓なる故に彼方之とは云へるか、此國にても遠く出さば彼方と云べし、飛鳥云々、アスカヲトコガナガメイミ、ヌヒシクログツサシハキテとは霖をいむは革などのしめりて縫がたければ歟、黒沓は和名集云、唐令(ニ)云、諸(ノ)〓履並烏色、上に二綾裏沓と云へるは襪にて黒沓は上につけてはく沓歟、或は二綾裏沓を著て或は黒沓を著《ハ》きと云へる歟、庭立住退莫立より下四句は退の字は今按ソキと讀べき歟、親などの護りてかりそめに立出るをも遠くそきてな立出そと誡むる處女なり、をとめは上のをみのこら寶のこらなり、麻續兒等より此まではかほよき女の我に依來しを云へり、此より立返て注すべし、打栲者より我丹所來爲に至るまでの十句は賤しくて見にくき女も我に心懸て依來るを云、打栲者は今按ウツタヘニと讀べし、うつたへにと云詞は第四第十に出て既に注せり、ひとへにの心なり、但此詞は白布の單《ヒトヘ》を本としてたへの詞にも云とみえたり、今は其本の白布の單の意なり、者の字をに〔右○〕と云に用たるは第四になか/\にと云に中中者とかけるが如し、アサテツクラヒは麻手作りなり、シキモナセバは醜裳をなせばなり、之寸丹取爲はシキニトラシと讀べし、しき〔三字右○〕は又醜なり、さらぬだに見にくさ裳をいとゞ見にくげに著成すなり、支屋所經(11)は支の下にき〔右○〕とよむべき字ありてシキヤニフルなるべきを吉伎等の字を落せるなり、しきやは第十三の如し、稻寸はイナギと讀べし、稻置なり、政務紀に五年秋九月に縣邑置2稻置(ヲ)1とあり、今の世の名主なるべし、若はいなつきと云べきをつ〔右○〕もじを略せる歟、丁女は今按丁は強也と注したればヲトメと點ぜるはかなへらず、古語拾遺によらばおずめ〔三字右○〕とも讀べけれどたゞヲミナと讀べし、さる女まで妻問とて我許にこしとなり、來爲は上に注せるにはこし〔二字右○〕と點じたれば今も一具に讀べし、此より水縹と云に移るべし、ミハナダは水色のはなだの意なり、玉篇云、縹【匹妙切、青白色、】今の俗水色と云は即はなだ色なり、引帶成はヒキオビナシと讀べし、和名集云、衿帶、陸詞云、衿【音與v襟同、和名比岐於比、】小帶也、釋名云、衿禁也、禁(シテ)不v得2開散1也、カラオビニトラシは又云、※[糸+辟]帶、唐韻云、※[糸+辟]【蒲革反、與v〓同、今案加良久美、】織v絲(ヲ)爲v帶(ト)也、此からくみなるべし、海神之殿に懸たる華葢《キヌガサ》なり、海神の宮殿の葢に蝶〓の飛翔ると云事内外の典籍の中に定て本據ある事なるべし、後の人考がへ給ふべし、すがる〔三字右○〕の事は第九に見えて注し侍りき、眞十鏡取雙懸而とは前後にともかゞみを懸て相てらさせて見るなり、己蚊果はオノガカホと讀べし、第三に見杲石山《ミガホシヤマ》、第十に朝杲《アサカホ》とかけり此に准らふべし、若彼は然り今は果ならば果實の義を身に借てかけるなり、カヘラヒ見ツヽは身に能叶へどもかねても心をつけ(12)てつくろふをば然云べきなり、春サリテは春來りてなり、第十に春は來にけりと云心を春去にけりとよめるにて知べし、サノツトリは雉子なり、第十三に野鳥雉動《ヌツトリキヾスハトヨム》と云に注せしが如し、天雲モ行タナビキは潘安仁が作れる楊仲武誄云、歸鳥頡※[亢+頁]行雲徘徊、愛すると痛むと事は替れども雲鳥のすゝまぬは同じ、カヘリ立道ヲ來ルニハとは野遊事をはりて大路を歸來るにはなり、宮尾見名をミヤヲミテモナと點ぜるは大きに誤れり、ミヤノヲミナと讀べし、下の舍人壯に對せり、シノブラヒは忍ぶらしの意なり、カヘラヒミツヽは顧つゝなり、誰子ぞとや思ひてあらむ此方より彼宮の女、舍人男が顧する意を酌て云なり、人の子のよきを見ては先親より思はるゝ習なり、此下又爛脱あり、イサニトヤオモヒテアラムと云二句を此に引あげてつゞくべし、イサニトヤとは我を去來やとさそはまほしう思ひてやあらむとなり、二つの如是所爲故爲、一つは衍文にて一つは此所に有べきか、上に段々若子のり時より全盛までを云ひ盡したればかくのごとくぞし來しと云なり、古部狹々寸爲我哉とは昔身の盛にてさゝめきし我やなり、ハシキヤシは下の子等に付たる詞なり、さて此子等丹の下に數句ありて古部之とつゞきけむを落たるにや意も收まらずつゞきもせぬなり、意を補て云はゞ罵らるべき物とやは思ひし、さればこそ此等の意の句(13)有べし、古部之と云より終までは孝子傳云、原穀者不v知2何許人1、祖年老、父母厭患v之、意欲v棄v之、穀年十五、涕泣苦諫、父母不v從、乃作v輿舁棄v之(ヲ)、穀乃隨收v舁歸、父謂v之曰、爾焉用2此凶具1、穀曰、乃後父老不v能2更作1、得v是以收耳、父感悟愧懼、乃載v祖歸、侍養更成2純孝1、此故事を用たり、老人を罵る仙女を却て誡しむるなり、落句の來をコネと點ぜるは誤なり、若落たる句に然有社など云有らばモテカヘリケレ或はコシなるべし、今のまゝに點ぜばモテカヘリケリと云べし、此穀が車げにも誰上にか、たぐり來らざらむ、
 
初、みとりこのわかこかみには 見庭は身にはなり。搓襁、これをたまたすきとよめるは心得かたし。和名集云。孫〓曰。襁褓【響保二音。和名無豆岐】小兄(ノ)被也。史記魯周公(ノ)世家(ニ)曰。成王少(シテ)在2強〓之中(ニ)1【索隱曰。強〓(ハ)即襁褓(ナリ)。古(ハ)字少(シ)假借(シテ)用v之。〇正義曰。襁(ハ)闊(サ)八寸長八尺用約2小兒於背1而負行。〓(ハ)小而(ノ)被也。】玉篇云。襁【居兩(ノ)反。襁褓(ハ)負v兒衣也。織v縷爲v之(ヲ)。廣(サ)八寸長二尺。以負2兒(ヲ)於背(ノ)上(ニ)1也。】搓はよるなれはよりむつきとよむへきにや。たすきは日本紀に手襁とかきてたすきとよめり。しかれはよりたすきとよむへき歟。源氏物語にひめきみのたすきひきゆひたまへるむねつきそ、うつくしさそひて見えたまへる。枕草子にいはく。ふたつはかりなるちこのいそきてはひくるみちに、いとちひさきちりなとのありけるをめさとにみつけて、いとおかしけなるをよひにとらへておとなゝとにみせたるいとうつくし。あまにそきたるちこのめにかみのおほひたるをかきはやらてうちかたふきて物なとみるいとうつくし。たすきかけにゆひたるこしのかみのしろうおかしけなるもみるにうつくし。又いはく。いみしうこえたるちこのふたつはかりなるか、しろうゝつくしきかふたあひのうすものなときぬなかくて、たすきかけたるかはひ出くるもいとうつくし。ひつりにぬひき、未考。縁起式に車|棧《ヒツリ》。くひつきの、未考。ゆふはたの、未考。袖つけ衣は第二十にも宮人の袖つけ衣とよめり。そこに蘇泥都氣其呂母《ソテツケコロモ》とかきたれはこゝをもしかよむへし。によれるこらかとはにあひたるこらかなり。よちにはとは、第五にもよちこらと、てたつさはりてとよめり。それとおなしきか。みなのわたかくろなるかみを、三名之綿をみなしつらなるとは訓あやまれり。みなのわたとよむへし。上に注之。まくしもてこゝにかきたれ、まくしはくしをほめていへり。第七にもおるはたのうへをまくしもてかゝけたくしまとよめり。につかふる、さにつかふといふにおなし。すみの江のとほさとをのゝまはきもて、第七に
  すみのえの遠里をのゝまはきもてすれるころものさかり過行
にほしゝきぬに。第八にもなら山をにほすもみちはとよめり。なみかさねは波の立かさなることく、衣をかさねきるなり。きてうちそやし。そやすは俗に人を吹擧するをほめそやすといふかことし。人にみするやうにふるまふを、うちそやしとはいへり。そやしまめといふ心もおなし心より出たる名歟。拾遺集にそやしまめ、高岳相如
  いさりせしあまのをしへし《スミカハナリ》、いつくそや嶋めくるとて有といひしは
ありきぬ《※[榻の旁+毛]衣歟上注之》のたからのこらか。ありきぬは十四十五にも見えたれと、いかなりともしらす。たからのこらといへるは、第九ににしきあやの中につゝめるいはひ子とよめる心なり。うつたへはとは、うつたへにといふにおなし。打たへは第四第十にもよめり。偏にといふ心なり。打栲者とかきたるをうつたへにともよむへし。しきもなせは。第二にしきもあふやとゝおもひてといへり。されともそこには字の落たらんとおほしき事有て、そのよし注しき。このしきもは重裳《シキモ》にてかさぬるをいふか。者の字は下へつけてはしきに取とよみ、爲支屋所經《シキヤニフル》と讀へき歟。しきやは醜屋《シコヤ》なり。第十三にさすたかむこやのしきやとよめり。稻寸丁女蚊妻問迹。これより上はうるはしくたかき女のあはんと我もとにくるよしをいひ、しきやにふるといふよりは賤しき女もよりくるをいへり。いなきをみなとよむへし。いなつきをとめといふを、つもしを畧せるなるへし。第十四にいねつけはかゝるあかてをとよみ、おしていなといねはつかねとゝもよめり。神樂哥に、さゝなみや、しかのから崎や、みしねつくをみな《眞稻舂女》よといへる、いつれもいやしき女のわさなり。又成務紀に、縣邑(ニ)置(ク)2稻置(ヲ)1。允恭紀云。初皇后隨(タマヒテ)v母《イロハニ》在《マシマシヽトキ》v家(ニ)獨遊(タマフ)2苑《ソノヽ》中(ニ)1。時(ニ)闘※[奚+隹]《ツケノ》國(ノ)造從2傍《ホトリノ》徑1行之。〇然當(テハ)2其日(ニ)1不(ト)v知《オモハ》2貴者《カシコキ人ニマサント云コトヲ》1。於是皇后赦(タマテ)2死刑《コロスツミヲ》1貶《ヲトシテ》2其(ノ)姓《カハネヲ》1謂(ヘリ)2稻置《イナキト》1。今の世に名主といふほとのものにや。それらかむすめなれは、いなきをみなといへるか。猶初の説をまさるといふへし。丁女とかけるは丁は強(ナリ)也。下女の心にてかけり。をちかたのふたあやうらくつ。をちかたといへるは、下の飛鳥のあすかをとこかなかめいみぬひしくろくつといふに對して、よそより出る沓なれは、をちかたのとはいふなるへし。又河内に彼方邑《ヲチカタムラ》といふ村あれは、それならすとも所の名にや。なかめいみとは、沓は日のてる時はくものなれは、くつぬふ男かいみきらふなり。いてなたちいさむをとめかほのきゝてわれにそこし。いてなたちは、親なとのむすめを立出て人にな見えそといさむるなり。そのをとめもわか容儀を聞及て來るなり。みはなたのきぬの帶をとは、水色のはなたといふ心なり。催馬樂に石川のこまふとに帶をとられてからきくゐする、いかなる帶そ、はなたの帶の中は絶たるといへり。引帶或は、ひきおひなしとよむへし。引帶からおひは、ともに結ひ樣をいふなるへし。海神のとのゝみかさに飛かける、すかるのこときこしほそにとりてかさらひ。海神の宮殿にすかるの飛かけるといふ本據いまたしらす。ゝかるは蜂なり。第九第十に有て委尺せり。こしほその事も第九に尺しぬ。とりてかさらひはかさるなり。彼はなたの帶をうるはしくせし事なり。まそかゝみとりなみかけて。數面のかゝみを、前後左右にかけて、相映するをみて、かたちつくりするなり。己蚊杲、杲の字を誤て果に作ておのかみのとよめり。おのかかほなり。上に第三に筑波山をよめる哥のともたちの見かほし山といふに、見杲石山とかき、第十にあさかほは朝露おひてさくといへとゝいふ哥にも、朝杲とかけり。音を取て用たり。さのつ鳥は雉子なり。第十三に野つ鳥、きゝすもとよみとよめり。繼體紀|勾大兄《マカリノオヒネノ》皇子の御哥にも、奴都等※[口+利]《ノツトリ》、枳蟻矢播等余武《キギシハトヨム》とよませたまへり。天雲もゆきたなひきとは、心なき雲鳥まて、わかかたちをめつるやうなりといふ心なり。秦青か悲歌の響遏(ム)2行雲(ヲ)1といへるを借用たるか。終にも故事を引はいふなり。文選潘安仁(カ)楊仲武誄(ニ)曰。皈鳥|※[吉+頁]※[亢+頁]《・トヒノホリトヒクタリ》行雲|徘徊《・タチトヽマル》(ト)。かへりたちみちをくるには、これは野より還る時、都の大路をくるなり。打氷刺宮尾見名。これをはうちひさすみやのをみなとよむへし。宮女なり。下のとねりをとこに對せり。うちひさすも、さす竹も上に注せり。しのふらひはしのふらしの心なり。かへらひみつゝはかへりみつゝなり。誰子そとやおもひてあるらん。拾遺集神樂寄哥に
  しろかねのめぬきのたちをさけはきてならの都をねるは誰子そ
かくそしこしは、かくのことくそして來りしなり。さてこゝには句のみたれましはりて猶落たる句あるへしとおほゆ。そのゆゑは、下のいさにとやおもひてあらんかくそしこしといふ三句は、此下に引つゝきて、いにしへのさゝきし我やはしきやしけふやもこらにとつゝきて、これよりいにしへのかしこき人もといふ間に二句はかりおちたるへし。さゝきし我やは、細許《サヽヤカ》なりしわれやといふ心なり。いさにとやおもひてあるらんとは、いさやとさそふ心にてや有けんなり。第四に岳本天皇の御哥に、人さはに國にはみちて味村のいさとはゆけとゝよませたまふをおもふへし。けふやもこらにといふ次にはいとはれん物とはおもはさりしといふ心の句ありて、一轉していにしへのかしこき人もとはつゝきぬへし。文選阮藉(カ)詠懷(ノ)詩(ニ)云。朝(ニハ)爲《タレトモ》2媚少年1夕暮(ニハ)成(ル)2醜(キ)老《オキナト》1。自(ハ)v非(ス)2王子晉(ニ)1誰(カ)能常(ニ)美好(ナラム)。おい人をおくりし車もてかへりけり。もてかへりこねとあるは誤なり。これは原穀か故事なり。孝子傳云。原穀(ハ)者不v知2何(レノ)許《トコロノ》人(ト云コトヲ)1。祖年老(タリ)。父母厭2患(シテ)之(ヲ)1意(ニ)欲(ス)v棄(ント)v之(ヲ)。穀年十五涕泣(シテ)苦《ネンコロニ》諫(ムレトモ)父母不v從。乃作(テ)v輿(ヲ)舁(テ)棄(ツ)v之(ヲ)。穀乃隨(テ)收(テ)v舁(ヲ)歸(ル)。父謂(テ)v之(ニ)曰。尓(チ)焉《イ ソ》用(ンノ)2此(ノ)凶具(ヲ)1。穀曰。乃後(ニ)父老(ハ)不《シ》v能2更(ニ)作(リ)得(ルコト)1。是(ヲ)以收(ムル)v之(ヲ)耳。父感悟(シテ)愧懼(ル)。乃(ハチ)載(テ)v祖(ヲ)歸(テ)侍養(シテ)更(ニ)成(ル)2純孝(ト)1
 
反歌二首
 
3792 死者水苑相不見在目生而在者白髪子等丹不生在目八方《シナハコソアヒミスアラメイキテアラハシラカミコラニオヒサラメヤモ》
 
生而在者、【官本又云、イキタラハ、】  不生在目八方、【別校本云、オヒスアラメヤモ、】
 
發句は仙女が今死ばこそ白髪と云物を身の上に相見ずあらめなり、翁がみづから死なばこそと云にはあらず、其故は仙女は全盛なるに翁は衰老に及びたればなり、こそ〔二字右○〕と云に水苑を借てかけるは和名集云、漢語抄云、水田【古奈太、】田填也、崇神紀云、其軍衆|脅退《ヲビヘニグ》、則追(テ)破2於河(ノ)北1、而斬v首過v半、屍骨|多溢《サハニハフレタリ》、故号(テ)2其處(ヲ)1曰2羽振苑1、此水田と羽振苑とを(14)引合て案ずるに水を灌《ソヽギ》て作る苑をこそ〔二字右○〕と云歟、さてそれを借れるにや、古事記云、亦斬2波布理其軍士1故號2其地1謂2波布理曾能1、【自v波下五字以v音、】和名集云、山城國|相樂《サカラノ》郡|祝《ハフ》園、【波布曾乃、】此等は日本紀の點と異なり、
 
初、しなはこそあひみすあらめ 此しなはこそは我しなはこそといふなり 水苑は和名集云。漢語抄云。水田【古奈太】田填也。崇神紀云。其軍(ノ)衆《ヒトヽモ》|脅退《オヒヘニク》。則追(テ)破(ツ)。於2河(ノ)北(ニシテ)而斬(コト)v首(ヲ)過(タリ)v半(ニ)。屍骨《ホネ》多溢《サハニハフレタリ》。故《カレ》号(テ)2其處(ヲ)1曰2羽《ハ》(上声)振《フ》(上声)※[草がんむり/宛]《ソト(上声)》1。これを引合ておもふに、水をそゝく苑を水苑《コソ》といふなるへし
 
3793 白髪爲子等母生名者如是將若異子等丹所詈金目八《シラカセムコラモイキナハカクノコトワカケムコラニノラレカネメヤ》
 
初、しらかせんこらもいきなは かくのことは、今わかこらにのらるゝことく、又わかき人にこらものらるゝ時あらむそとなり。原穀か車まことにめくりぬへし。將2若異1《ワカケム》、此かきやうをおもふに、常の文字の法にはかゝはらぬものなり
 
娘子等和歌九首
 
3794 端寸八爲老夫之歌丹大欲寸九兒等哉蚊間毛而將居《ハシキヤシオキナノウタニオホヽホシキコヽノヽコラヤカマケテヲラム》
 
大欲寸を袖中抄には欝悒などをおぼゝしくと云下に出されたれどこれは大きにほしき心歟、ホシキとは壽命のほしきなり、カマケテは感じてなり、皇極紀云、中臣鎌子連便感v所v過而語2舍人1曰云々、歌の心はおほさに命をむさぼり思ふ九箇の我等もなつかしき翁の今の歌のことわりの至れるに感じて居らむとなり、此は八人の仙女をつかさどるがよめるにや、九兒等と※[手偏+總の旁]じてよめり、
 
初、はしきやしおきなの哥に おほほしきは、おほきにほしきにて、壽命を貪するなり。かまけてをらんは、感してをらんなり。日本紀《・皇極紀》第二十四云。中臣鎌子(ノ)連便|感《カマケテ》v所《ルヽニ》v遇《メクマ》而語(テ)2舍人(ニ)1日。云々。孝徳紀には減の字をかまけてとも、おとしてとも兩方に訓せり。今は感の字の心なり。いつまてもかくてあらむものとおもひをごりつるに、かへりておきなの哥にはつかしめらるゝにことはりを感してをらむとなり。此ひとりはやたりをつかさとれるにや。こゝのゝこらやと惣してよめり
 
3795 辱尾忍辱尾黙無事物不言先丹我者將依《ハチヲシノヒハチヲモタシテコトモナクモノイハヌサキニワレハヨリナム》
 
(15)班昭女誡七篇第一云、謙讓恭敬先v人後v己有v善莫v名、有v惡莫v辭、忍必v辱(ヲ)含v垢《ハチヲ》、常(ニ)若2畏懼1、是謂2卑弱下(ルト)v人也、下句は翁の歌の理いちじるしければ我は翁に依けむとなり、依は歸依なり、臣の君に依り子の親に依るが如し、此は上の女の次たるが、我は依なむとよめるに、次よりは此歌を蹈て我も依なむとよめり、
 
初、はちをしのひはちをもたして 班固か妹の班昭字は惠班か作れる女誡七篇、其第一(ニ)云。謙讓恭敬(ニシテ)先(ニシ)v人(ヲ)後(ニス)v己(ヲ)。有(ハ)v善莫(レ)v名(ツクルコト)。有(ハ)v惡莫v辭(スルコト)。忍v辱(ヲ)含(テ)v垢《ハチヲ》常(ニ)若2畏(レ)懼(ルヽカ)1。是(ヲ)謂(フ)2卑弱(ニシテ)下(ルト)1v人(ニ)也。竹取翁すてに故事を引てよみつれは、仙女も此女誡の心にてやはちをしのひはちをもたしてとはよみ侍けん。翁にかくのりかへさるゝを聞に、ことはり|いやちこ《・灼然》なれは、此上はたゝ物いふことなくして、我は翁によりなんとなり。よるはよりところにたのむなり。臣の君により、子の親によるかことし。これをよめる仙女は、上の哥のぬしに次たるか、われはよりなんとよめり。これより下は我もよりなん/\と、此哥のわれはといふをうけてよめり
 
3796 否藻諸藻隨欲可赦貌所見哉我藻將依《イナモウモオモハムマヽユルスヘシカタチミエメヤワレモヨリナム》
 
貌、【幽齋本、作v※[貌の旁]】、
 
發句は日本紀に諸をセとよめり、然ればイナモセモと讀べし、後の歌にもいなせとも云ひはなれずなどよめり、思ハムマヽニユルスベシとは上の歌主の否とも諾とも思はれむやうに相隨がはむと云心をゆるすべしとは云なり、可赦とは書たれども可許なり、以v身許v人など云意なり、カタチ見エメヤ我モ依ナムとはかく思ふ心はあれど心は色もなき物なれば外に顯はれてかたちの見えむや、されど誠の心をもちて我も依なむとなり、伊勢物語にあかねどもいはにそかふる色見えぬ心を見せむ由のなければ、又カタチ見エメヤとは翁に痛く罵返されて恥を黙し忍ぶことを得ずして聲色を動かさむやと云へるにや、
 
初、いなもうも 俗に伊也遠宇といふにおなし。日本紀には諾を勢と訓せり。哥にもいなせともいひはてられすうきものはとよめり。おもはんまゝにゆるすへしとは、上の哥ぬしのいなともうともおもはれんやうにあひしたかはむといふ心を、ゆるすへしとはいふなり。可赦とはかきたれとも可許なり。以v身(ヲ)許(ス)v(ニ)なといふ心なり。かたち見えめや我もよりなんとは、かくおもふ心はあれと心は色もなき物なれは外にあらはれてかたちの見えむや。されとまことの心をもちて我もよりなむとなり。伊勢物語に
あかねともいはにそかふる色見えぬ心をみせんよしのなけれは
又かたち見えめやとは、翁にいたくのられて、はちをしのひはちをもたすことあたはすしてその心を聲色にあらはさんやといふ心にや
 
(16)3797 死藻生藻同心迹結而爲友八違我藻將依《シニモイキモオナシコヽロトムスヒテシトモヤタカハシワレモヨリナム》
 
日本紀に約をムスブとよめり、友八違、是をトモハタガハジとよめるは不の字の落たる歟、さらずはトモヤタガハムと讀べし、
 
初、しにもいきもおなし心と 毛詩云。死去契闊與v子成(サン)v悦(ヲ)。又云。穀《イケルトキハ》則異(ニニストモ)v室(ヲ)、死(スルトキハ)則同(シウセン)v穴(ヲ)。此集第十二に
  朝な/\草の上しろくおく露の消はともにといひし君はも
むすふはちきるなり。約の字を日本紀にむすふとよめり。又約束をちきるとよめり。友八違、これをともはたかはしとよめるは、八の下に不の字の脱たる歟。今のまゝにてはともやたかはんとよむへし。友やたかはん.の落著は、友はたかはしなれは、落著の心にて、今のことくよめる歟ともいふへけれと、有のまゝにともやたかはんとよむへきにこそ
 
3798 何爲迹違將居否藻諾藻友之波波我裳將依《ナニセムトタカヒハヲラムイナモウモトモノナミ/\ワレモヨリナム》
 
我裳、【別校本、裳作v藻、】
 
諾はセと讀べき事上に云が如し、
 
3799 豈藻不在自身之柄人子之事藻不盡我藻將依《アニモアラスオノカミカラヲヒトノコノコトモツクサシワレモヨリナム》
 
初の二句はアニモアラヌオノガミノカラと讀べし、あに友に隋がはむやと云心もなき我身からなり、人子之事藻不盡とは翁の歌に返答するやうに云はゞ、翁又言を盡して右の理を彌云べければ、只我もださむと云心にや、然らば人子とは翁を指なり、又尋常の人の子の男などに爭そふ如く、さありさあらずなど言を盡さじとよめる歟、
 
初、あにもあらすおのかみのからを あにもあらぬおのかみのからとよむへし。心はあに友にしたかはんやといふ心もなきわか身からなり。おのか身のからとやうによめるたくひは、古今集に
  あひみぬもうきもわか身のから衣おもひしらすもとくるひもかな
此集第十四に
  から衣すそのうちかひあはなへはねなへのからにことたかりつも
  おのかをゝおほにな思ひそ庭にたちゑます|か《ノニ同》からにこまにあふものを
ひとよのからにとよめる哥あれと、それは心かはれり。人の子のこともつくさしとは、よのつねの人の子の、男なとにあらそふことく、さありさあらすなと詞をつくさしとなるへし。又翁の哥に返答するやうにいはゝ、翁また言をつくして右のことはりをいよ/\いふへけれは、わかもださんといふ心にや。しからは人の子は竹取なり
 
(17)3800 者田爲爲寸穗庭莫出思而有情者所知我藻將依《ハタスヽキホニハイツナトオモヒテアルコヽロハシレリワレモヨリナム》
 
仲哀紀云、亦問之、除2是(ノ)神1有v神乎、答曰|幡荻穗《ハタスヽキホニ》出(シ)吾也、今ははたすゝきの如くほには出なの意なり、振早田《フルノワサダ》のほには出ずとよめる類なり、腰句はオモヒタルとも讀べし、仙境の長壽も限あれば思ひ誇るなと云心を竹取がよめる意を云歟、又友どちの恥を忍び恥を黙してなどよめるをホニハ出ナト思テアルとは云へる歟、
 
初、はたすゝきほには出なと ほには出なとゝは、仙境の長壽も限あれは、こと/\しく我は仙女なりとおもひほこるなといふ心に、竹取かよめる心をいへるにや。又友とちのはちをしのひはちをもたしてとよみ、なにせんとたかひはをらんとよめる心をもいへるか
 
3801 墨之江之岸野之榛丹丹穗所經迹丹穩葉寐我八丹穗氷而將居《スミノエノキシノヽハリニニホハセトニホハヌワレハニホヒテヲラム》
 
翁が歌に墨江之遠里小野之眞榛持丹穗之爲衣《スミノエノトホサトヲノノマハギモチニホシシキヌ》とよめれば今よめる岸野は遠里小野を云へるにや、丹穗所經迹をニホハセドと點ぜるは誤れり、ニホフレドと讀べし、我八もワレハと點ぜるは叶はず、ワレヤと讀べし、今の紅顔は墨江の岸野の榛にてすれる衣の如にほふれども終に匂ひはてぬ我や翁に云はれても猶驚かずして匂ひがほにて居らむとなり、
 
初、すみのえのきしのゝはきににほふれと 丹穗所經迹とかきたれは、にほはせとゝあるかむなはあやまれり。にほふれとゝよむへし。此榛ははりの木なり。翁か哥にすみのえのとほさとをのゝまはきもてにほしゝきぬといへるはきなり。にほふれとにほはぬ我はにほひてをらむとは、我顔色はすみのえのきし野の榛にてそめたる衣の色のことくにほへとも、翁か哥にしらかみこらに老さらめやもといふことく、つゐににほひはてぬ我なれは、只心の内にのみにほひをりて色にはあらはさしとよめるなるへし。次下の哥ににほひよりなんといへるは、心の内ににほふときこえたり 我八をわれやとよまは、榛の色にゝほはせとも、翁の哥にのられて、にほはぬ我や、恥をもしらす、猶にほひかほにてをらんの心なり
 
(18)3802 春之野乃下草靡我藻依丹穗氷因將友之隨意《ハルノノヽシタクサナヒキワレモヨルニホヒヨリナムトモノマニマニ》
 
下草靡は我下心も草の靡く如く友の心に隨がふなり、腰句はワレモヨリと讀べし、以上問答共に十二首は同じ神仙の互に主賓となりて常見ある人に事に託して無常を示せるにや、
 
初、春の野の下草なひきわれもより 友にしたかふを草のなひくによせていへり。第十四に
  むさしのゝ草はもろむきかもかくも君かまに/\吾はよりにしを
下草といへるには、謙讓の心ある歟。にほひよりなんは草の色のうるはしきによせて、心の内に艶を凝す心なるへし。以上竹取翁か長哥よりはしめて十二首、中にも長哥は解しかたき事おほし。おなし神仙の、たかひに主賓となりて、常見ある人に事に託して無常のことはりをしめせるなるへし
 
昔者有3壯士與2美女1也、【姓名未v詳】不v告2二親1、竊爲2交接1、於v時娘子之意、欲2親令1v知、因作2歌詠1送2與其父1、歌曰、
 
其父は夫を誤て父に作れり、夫に此相思ふ事の切なる歌を送るを父母の聞てさる程ならば力及ばずとて許すべからむがためなり、
 
初、其夫 夫誤作v父。下云右或曰男有2答歌1。共2歌理1爲v夫決矣
 
3803 隱耳戀者辛苦山葉從出來月之顯者如何《シタニノミコフレハクルシヤマノハユイテクルツキノアラハレハイカニ》
 
隱耳戀者は第十七に己母理古非《コモリコヒ》とよめるを證としてコモリノミコフレバと讀べし、落句の意に二つあるべし、一つにはあらはれば如何あらむ然るべしや否とよめる歟、二つには忍われは苦し山のはに出る月の如くあらはれむ又いかにせむと顯(9)はれむ事をも歎くやうによめる歟、
 
初、したにのみこふれはくるし しのひてこふるはくるし。さりとて又あらはれてちゝはゝにもしられたらはいかならんと、いひて、うらとふやうによみてつかはして、現にしらせぬやうにて知しむる心なり。古今集に
  なとり川せゝのむもれ木あらはれはいかにせんとかあひみそめけん
山のあなたにあるほとを下にのみこふれはくるしといふにたとへ、出るをあらはるゝにたとへたり。月は出るかうれしきに、戀はあらはるゝかうけれは、心はたかひたれと、涅槃經にもあらゆる譬は皆分喩にして全喩なしとのたまへり。兔を得てわなをわするへし。ことに和哥は猶しかのみあるものなり
 
右或曰、男有2答歌1者、未v得2探《サグリ》求1也、
 
昔者有(リ)2壯士1、新(ニ)成《ナス》2婚禮1也、未(タ)v經《ヘ》2幾(ノ)時(ヲ)1、忽(ニ)爲《シテ》2驛使(ト)1被v遣2遠境(ニ)1、公事有(テ)v限(リ)、會期無(シ)v日、於v是娘子、感慟|悽愴《セイサウシテ》、沈2臥疾※[やまいだれ/尓](ニ)1、累v年之後、壯士還(リ)來(テ)覆命既(ニ)了(ヌ)、乃(チ)詣《ユイテ》相視(ルニ)而娘子之姿容疲羸甚(タ)異(ニシテ)言語哽咽、于v時壯士哀嘆流v涙裁v歌口號、其歌一首
 
疾※[やまいだれ/尓]は、下の字は玉篇云※[やまいだれ/火]【恥刃切、病v熱疾也、】※[やまいだれ/尓]【同上、】
 
初、疾〓 新成婚礼未經幾時云々。當引秋胡子
 
3804 如是耳爾有家流物乎猪名川之奧乎深目而吾念有來《カクノミニアリケルモノヲヰナカハノオキヲフカメテワカオモヘリケル》
 
唯かくばかりに病つかれたる物を、さとも知らすして猪名川の奧の深き如く行末を深く憑みて思けるはかなさよと嘆き悔るなり、深目而は第二に人丸の深海松乃深目手思騰とよめるが如し、猪名川としもよめるは其邊の住人なるべし、
 
初、かくのみに有けるものを かくはかりに我を戀やせてしぬへくならんとはしらすして、只行末をかねてのみわかおもひしが悔しきとなり。第二に、次の哥は第十二に
  かみ山の山へまそゆふみしかゆふかくのみゆゑになかくと思ひき
  かくのみに有ける君をきぬにあらは下にもきんとわかおもへりける
猪名川は、第十一にも、しなかとり居名山とよに行水のとよめり。川にも奥はよむへし。第三に人丸の哥によしのゝ川のおきとよめり。第十四に行末をかくるをおくをかぬるとよめり。今のおきをふかめてはその心なり。猪名川とよめるは、津の國に住ける人にて有けるなるへし
 
(20)娘子臥(テ)聞2夫君之歌1從v枕擧v頭、應v聲和歌一首
 
3805 烏玉之黒髪所沾而沫雪之零也來座幾許戀者《ヌハタマノクロカミヌレテアハユキノフリテヤキマスコヽタコフレハ》
 
零也は今按フルニヤと讀べし、
 
初、ぬはたまのくろかみ 零也來座、これをふりてやとよめるは誤なり。ふるにやと訓すへし。わか身を置て、くろかみぬれてとをとこのうへをいたはりよめるがあはれなり。心は哥の後の注にあらはれたり
 
今案此歌其夫被(フテ)v使(ヲ)、既經2累載1、而當2還時1、雪落之冬也、因v斯娘子作2此沫雪之句1歟、
 
注に依て歌の意彌明なり、
 
3806 事之有者小泊瀬山乃石城爾母隱者共爾莫思吾背《コトシアラハヲハツセヤマノイハキニモコモラハトモニオモフナワカセ》
 
石城は天智紀云、皇太子謂2羣臣1曰、吾奉2皇太后天皇之所1v勅憂2恤萬民1之故不v起2石槨《イシキ》之役1、此によらばイシキニモと讀べき歟、第四に阿倍女郎が吾背子は物な思ひぞとよめる意に同じ、毛詩云、死則同v穴(ヲ)、又云、及v爾同v死、
 
初、ことしあらはをはつせ山の 壯士と女としのひてかたらふこと、父母のせめこはくして、事出來りなは、共に死して同し塚に埋れはするとも心かはりはあらしとよめるなり。石城は石をかまへて作れるおきつきなり。第四阿倍女郎歌に
  わかせこは物なおもひそことしあらは火にも水にも我ならなくに《只ナラムナリ》
毛詩云。穀《イキテハ》則異(ニストモ)v室(ヲ)死則同(セン)v穴(ヲ)。謂2予(ヲ)不1v信(アラ)、有v如(ナルコトリ)2皎日(ノ)1。同谷風、徳音莫(ハ)v違、及(ト)v尓同(セン)v死(ヲ)。石城はいしきともよむへし。天智紀云。皇太子謂2群臣《マウチキミニ》1曰。吾奉2皇太后天皇之所1v勅、憂2恤萬民1之故、不v起2石槨《イシキ》之|役《エタチヲ》1。史記張釋子列傳云。使2愼夫人(ヲシテ)鼓(カ)1v瑟(ヲ)、上|自《ミ》倚(テ)v瑟(ニ)而歌(フ)。意(ロ)慘悽悲懷(シテ)顧(テ)謂(テ)2群臣(ニ)1曰《ノ》。嗟乎以2北山(ノ)石(ヲ)1爲v槨(ト)、用2紵絮(ヲ)1※[昔+斤]《キツテ》2陳※[草がんむり/絮](ヲ)1漆(ラハ)2其間(ヲ)1豈可(ンヤ)v動(ス)哉。此集第九處女墓をよめる哥に、玉ほこの道のへちかくいはかまへつくれるつかをとよめるこれいはきなり。古今集に
  もろこしのよしのゝ山にこもるともをくれむと思ふ我ならなくに
此哥の心にはおなしからす。又岩木にこもる心にて、にけかくれて共に山へいらむといふことなりとかけるもひかことなり
 
右傳(ニ)云、時有2女子1、不v知2父母1、竊接2壯士1也、壯士|※[立心偏+束]2※[立心偏+易]《セフテキシテ》其(ノ)親《オヤノ》呵(21)嘖(ヲ)1、稍《ヤヽ》有(リ)2猶預之意1、因v此娘子裁2作斯謌1贈1與其夫1也、
 
※[立心偏+束]2※[立心偏+易]《シヨウテキ》、上(ハ)息拱(ノ)切、※[立心偏+束]然起v敬(ヲ)也、下(ハ)他的(ノ)切、憂懼也、
 
3807 安積香山影副所見山井之淺心乎吾念莫國《アサカヤマカケサヘミユルヤマノヰノアサキコヽロヲワカオモハナクニ》
 
安積香山は和名集を考るに陸奧國安積郡に安積郷あり此郷に有べし、影サヘミユルは清き意なり、此影はやがて安積山の移りて見ゆるをも亦は酌人の影をも云べし、是は心の濁なきに喩へたり、山井は淺き物なれば淺き心とつゞけたり、落句はワガモハナクニと讀べし、山の井は底まで澄とほれば淺きやうに見ゆれど實にはいとも淺からぬ如く、事おろそかなりとは見給ふとも淺くは思ひまゐらせず侍る物をとよめりと意得る人もあらむか、結ぶ手のしづくに濁る山の井のなどよめるすべて淺き心なり、物によせて讀やうまち/\なれば只さきの如くなるべし、古今集序云、難波津の歌はみかどの御はじめなり、淺香山の言の葉は釆女の戯より讀て此ふた歌は歌の父母のやうにてぞ手習ふ人のはじめにもしける、曾丹は淺香山に難波津とて難波津の歌を上に此歌を下にすゑて二遍よみたる歌六十二首彼家集に(22)見えたり、六帖に下句を淺くは人を思ふ物かはとあるは後の人の改ためて時にかなへたるなり、奥義抄和歌八品の第三述志よき歌の例に此歌を出せり、
 
初、あさか山かけさへみゆる 安積は陸奥にある郡の名なり。その郡にあるあさか山なり。影さへみゆるは山の井のきよきによりてなり。第十三に天雲の影さへみゆるこもりくのはつせの川にとよみ、第二十に防人か哥にはのむ水にかご《ケト通・彰》さへ見えてといへり。山にある井はあさき物なれは、あさき心とはつゝけたり。貫之の哥に、むすふ手のしつくにゝこる山の井とよまれたるも、いたりてきよきをいふうへに、あさきゆへににこりやすき心なり。古哥のならひ遠く上をうくる例あれは、あさか山をうけてあさくといへる歟ともいふへけれと、この哥におきてはしからす。安積山はそのわたりにある山なれは山の井のといはむためなり。すてに山の井のあさき心とつゝきたるをなんそ遠きあさか山をうけたりといはむ。影さへみゆるに下の心のいさきよきをこめたるへし。古今序になにはつの哥はみかとのおほんはしめなり あさか山のことのはゝうねめのたはふれよりよみて、このふた歌はうたの父母のやうにてそてならふ人のはしめにもしけるとかけり。曾丹はあさか山になには津とて、なにはつの哥を上に此哥を下に置て、二返よまれたる哥六十二首彼家集に見えたり。あさくは人を思ふ物かはとは、後の人のあらためて時にかなへたるなり。古歌の躰にあらす
 
右歌傳云、葛城王遣2于陸奧國1之時、國司祗承緩怠異甚、於v時王意不v悦、怒色顯v面、雖v設2飲饌(ヲ)1、不v肯2宴樂1、於v是有(リ)2前(キノ)采女《ウネヘ》1、風流(ノ)娘子(ナリ)、左手捧v觴《サカツキ》、右手持v水、撃2之王(ノ)膝(ヲ)1而詠2其歌1、爾乃王(ノ)意解悦(テ)、樂飲|終日《ヒネモスニス》、
 
此葛城王に不審あり、天武紀云、八年秋七月己卯朔乙未、四位葛城王卒、此葛城王と橘左大臣の初の名同じければ何れとかせむ、有2前釆女1とは前に貢擧せし釆女なり、左手捧v觴、右手持v水、撃2之王膝(ヲ)1而詠2其歌1、官本には其〔右○〕の字を此〔右○〕に作れり、其とは水を指て云なるべし、水を以て王の膝を撃は此歌を讀まむためなり、毛詩云、善(ク)戯謔兮不v爲v謔(ヲ)兮とは此類なるべし、雄略紀云、二年冬十月辛未朔癸酉、幸2御馬瀬1命2虞人1縱v獵云々、問2群臣1曰獵場之樂(ハ)使2膳夫(ヲ)割2v鮮、何2與自割1、群臣忽莫2能對1、於v是天皇大怒拔(23)刀斬2御者大津馬飼1、是日車駕至v自2吉野宮1、國内(ノ)居民咸皆振怖、由v是皇太后與2皇后1聞v之大懼、使2倭釆女日媛(ヲ)擧v酒迎進む、天皇見2釆女面貌端麗(シク)形容温雅(ヲ)1、乃和顔悦色曰、朕豈不v欲v覩2汝妍笑1、乃相携v手入2於後宮1、今の釆女が葛城王の怒を解しも似たり、
 
初、葛城王 此葛城はいつれにか侍らん。伊豫國風土記云。湯郡、天皇等於湯幸行降坐五度也。〇以2上宮聖徳皇子(ヲ)1爲2一度(ト)1。及侍(ヘル人ハ)高麗(ノ)慧慈|僧《ホウシ》、葛城王等(ナリ)也。天武紀云。八年秋七月己卯(ノ)朔乙未(ノヒ)四位葛城王|卒《ミマカリヌ》。次に左大臣橘朝臣諸兄を初葛城王と名つく。此三人の中に天武紀に見えたる葛城王なるへき歟。その故は伊与風土記は文拙けれは信しかたし。橘朝臣は家持ことに知音なりと見えたれは、當時の事にて右歌傳云といふへからす。第六卷に橘姓を賜ふ時の御製を載せ、第八に右大臣橘家宴歌を載たり。もし左大臣いまた葛城王なりける時なりとも、左大臣の事なりと注すへしとおほゆ。右手持v水撃2之王(ノ)膝1而詠2其歌(ヲ)1。これ山井といはむため、またたはふれにことよせて、怒をやはらけしめむかためなり。古今集序にたはふれよりよみてといへるは、このゆゑなり。毛詩云。善(ク)戯諺(スレトモ)兮不v爲v虐(ヲ)兮。このたくひなるへし
 
3808 墨江之小集樂爾出而寤爾毛己妻尚乎鏡登見津藻《スミノエノアソヒニイテヽウツヽニモサカツマスラヲカヽミトミツモ》
 
小集樂、【袖中抄云、ヲヘラ、官本亦點同v此、】  己妻、【袖中抄云、オノカメ、】
 
袖中抄顯昭云、をへらとは田舍者の出集りて遊ぶを云とぞ、住吉には年毎に濱にてをへらひと云ひて遊ぶ事あり、昔あやしかりけるをとこのありけるが云々、考2萬葉1昔者鄙人云々、私云世俗の詞に物をほめてゆゝしげなるををへらひかなと申すは此遊びを云より事起れるにや、【已上袖中抄、】今按仙覺抄に歌にはヲツメと點して注に有抄云とて引かれたるは袖中抄にて終に云此義にては第二句をへらに出でゝと云へるなりとあり、第七云、佐保河爾小驟千鳥《サホカハニアソフチトリ》云々、此小驟をアソブと點ぜるに准らへば今の小集樂をもアソビと讀べきにや、ヲヘラは本據慥ならむは知らず聞ところ甚鄙俗なり、ヲツメは氏の矢集をやつめと云例にや、されど樂の字を加へてヲツメとのみよまむ事意得がたし、寤爾毛はさだかなる意なり、己妻尚乎はオノツマスラ(24)ヲとも讀べし、己が妻ながらの意なり、鏡トミツモとはまず鏡の如く見るなり、
 
初、すみのえのをつめに出て をつめは人/\あつまりてあそふをいふなるへし。哥の後に于v時郷里(ノ)男女衆(/\)集(テ)野遊(ス)といへり。うつゝにもはさたかなる心なり。さかつますらを鏡とみつもとは己かつまのかほよきは見るにあかす朝な/\の鏡と覺ゆる心なり。第十一に
  まそかゝみ手にとりもちて朝な/\みれとも君にあくこともなし
つねあひみる妻はめつらしかるましきものゝ、めつらかにあかねは、さかつますらとはよめり
 
右傳云、昔者鄙人、姓名未v詳也、于v時|郷里《キヤウリノ》男女衆集(テ)野遊(ス)、是|會集《ツトヘル》之中(ニ)有2鄙人夫婦1、其婦|容姿端正《カホキラ/\シクシテ》、秀2於衆諸1、乃彼鄙人之意彌増2愛v妻之情1、而作2斯歌1賛2嘆美貌1也、
 
容姿はカタチ或スガタと點ずべし、
 
3809 商變領爲跡之御法有者許曾吾下衣反賜米《アキカハリシラストノミノリアラハコソワカシタコロモカヘシタマハメ》
 
商變は既に物と價とを定て取交して後に、忽に變じて或は物をわろしとして價を取返し、或は價を賤しとて物を取返すなり、シラストノ御法ラバコソとはさやうの事を恣にせよとの法令あらばこそと云なり、商變する事をゆるしたまふとの法令あらばそれに准らへてかたみの衣を我に返して、有し御情を取返したまはめ、商變は許したまはぬにいかで我下衣を嫌ては返し給はるぞと恨奉てよめるなり、
 
初、あきかはりしらすとの あきかはりはすてに物とあたひとを取かはして後に、たちまちに變して、あるひは物をわろしとしてあたひを取かへし、あるひはあたひをやすしとして物を取かへすなり。しらすとの御法とは、さやうの事をほしいまゝにせよとの法令あらはこそといふなり。しらすは令v領(セ)といふ心なれは、あきなひて變する事を自由《ホシイマヽ》ならしむるをいへり。此領字下三十一葉に奥(ツ)國|領《シラセシ》君《キミ》、第十の廿葉にもしらせてとよめり。さて此哥惣しての心はあきかはりすることをゆるし給ふとの法度あらはこそ、ゝれに准してかたみの衣を我にかへして、ありし御なさけを取かへし給はめ。あきかはりはゆるし給はぬに、いかてわか下衣をきらひてかへし給ふそと恨奉るなり
 
右傳云、時有2所v幸娘子1也、【姓名未v詳、】寵薄(シテ)之後、還2賜寄物1、【俗云2可多美1、】於(25)v是娘子怨恨、聊作2斯歌1獻上、
 
寄物、【俗云可多美、】  逝仙窟には記念をカタミとよめり、
 
3810 味飯乎水爾釀成吾待之代者曾無直爾之不有者《アチマイヒヲミツニカミナシワカマチシヨハカツテナシタヽニシアラネハ》
 
初二句は第四に君がためかみし待酒とよめるに同じ、待儲に酒を作るなり、代者曾無は、これを解かむに二つのやう有べし、一つには代者をヨハとよめるは叶はず、カヒハと讀べし、二つにはカハリハゾナキと續べし酒債とて酒は殊に直を云物なればそれによせて云へる歟、直爾之不有者は注に明なり、之は助語なり、
 
初、あちいひを水にかみなし これは夫君を待とて、そのまうけに酒を作り置心なり。第四に帥大伴卿哥に
  君かためかみし待酒やすの野にひとりやのまん友なしにして
此心なり。酒を作るをかもすともかむともいふ。酒を作るには飯をむして麹《カウシ》をあはせて水に和し、灰汁《アク》なとくはふる物なれは、かくはいへり。代者これをよはと訓したるは誤なり。かひはとよむへし。かひはかはりなり。ことわさに無代《ムタイ》といふは、あたひとらせすして押て物をとるやうなるをいふ。かひなきといふ詞はこれよりおこるなるへし。たゝにしあらねはとは、注に正身不v來徒(ニ)贈2裹物《ツトヲ》1。この心なり
 
右傳云、昔有2娘子1也、相2別其夫1望(ミ)戀(コト)經v年、爾時夫君更娶(テ)2他妻《アダシツマヲ》1、正身不v來、徒贈2※[果/衣]物1、因v此娘子作2此恨歌1還2酬之1也、
 
戀2夫君1歌一首 并短歌
 
3811 左耳通良布君之三言等玉梓乃使毛不來者憶病吾身一曾(26)千磐破神爾毛莫負卜部座龜毛莫燒曾戀之久爾痛吾身曾伊知白苦身爾染保里村肝乃心碎而將死命爾波可爾成奴今更君可吾乎喚足千根乃母之御事歟百不足八十乃衢爾夕占爾毛卜爾毛曾問應死吾之故《サニツラフキミカミコトヽタマツサノツカヒモコネハオモヒヤムワカミヒトツソチハヤフルカミニモオホスナウラヘスヱカメモナヤキソコヒシクニイタムワカミソイチシロクミニシミトホリムラキモノコヽロクタケテシナムイノチニハカニナリヌイマサラニキミカワヲヨフタラチネノハヽノミコトカモヽタラスヤソノチマタニユフケニモウラニモソトフシナムワカユヘ》
 
サニツラフ君は第十三にもよめり、身爾染保里は身に染てあはまくほしきなり、今按染の下に登の字ありてミニシミトホリなりけむを落たるなるべし、ニハカニ成ヌは俄に死ぬべく成なり、君ガ吾ヲ喚とは絶入らむとする故に夫君が呼返す聲のするを云なり、母ノ御事歟も母の命歟と云か、上に君が喚と云ひつればを承れば母の命の喚たまふ歟と云意なり、又母の御言歟とも云べし、落句はシヌベキワガユヱと讀べし、千歳の後に聞も悲しき歌なり、
 
初、さにつらふ君かみことゝ さにつらふは上にあまたよめり。君かみこと勅詔に通して聞ゆれと、ことはゝかよひて心ことなり。ちはやふる神にもおほすな。第十四に
  わきもこにあか戀しなは|そわ《サハ》へ《・五月蠅》かもか|め《ミ》《・神》におほせん心しらすて
伊勢物語に
  人しれすわか戀しなはあちきなくいつれの神になき名おほせん
しなむいのちにはかになりぬ。古今集哀傷在原しけはるか哥のことは書にいはく。かひのくにゝあひしりて侍ける人とふらはんとてまかりけるみちなかにてにはかにやまひをしていま/\となりにけれは云々。今更に君かわをよふたらちねのはゝのみことか。これはたえ入なんとする人の枕上にゐてよひいけなとする心なり。今更にといふは後の注にて明なり。はゝのみことかとは、母のみことはかなり。又母をたふとみてはゝのみことのよひたまふかと、上のわをよふといふを下にかぬるか。初につくへきにや。應死はしぬへきとよむへし
 
反歌
 
3812 卜部乎毛八十乃衢毛占雖問君乎相見多時不知毛《ウラヘヲモヤソノチマタモウラトヘトキミヲアヒミムタトキシラスモ》
 
(27)此は女のまた病せぬさき卜を問辻占を問し事なり、長歌によめるとは同じからず、
 
或本反歌曰
 
3813 吾命者惜雲不有散追良布君爾依而曾長欲爲《ワカイノチハヲシクモアラスサニツラフキミニヨリテソナカクホリスル》
 
右傳云、時有2娘子1姓車持氏也、其夫久逕2年序1、不v作2往來1、于v時娘子、係戀傷v心、沈2臥痾|※[病垂/尓]《チムニ》1痩《サウ》羸|日《ヒヽニ》異《コトニシテ》忽臨(ム)2泉路(ニ)1、於v是遣v使喚2其夫君1來、而乃歔欷流※[さんずい+帝]、口2號斯歌1、登時逝歿(ヌ)也、
 
痾玉篇於何切、説文病也、本作v※[病垂/可]、或作v痾、漢書五行傳(ニ)妖〓及v人謂2之痾1、病〓(ヤク)深也、
 
贈歌一首
 
3814 眞珠者緒絶爲爾伎登聞之故爾其緒復貫吾玉爾將爲《シラタマハヲタエシニキトキヽシユヘニソノヲマタヌキワカタマニセム》
 
眞珠は女に喩ふ、緒絶は夫君に捨らるゝに喩ふ、吾玉ニセムとは我妻にせむなり、第七に其緒は替て吾玉にせむとよめる歌の意なり、
 
初、しら玉はをたえ 和名集云。日本紀私記云。眞珠【之良太麻。】第七に
てるさつか手にまきふるす玉もかなそのをはかへてわか玉にせん
 
(28)答歌一首
 
3815 白玉之緒絶者信雖然其緒又貫人持去家有《シラタマノヲタエハマコトシカレトモソノヲマタヌキヒトモチイニケリ》
 
右傳云、時有2娘子1、夫君|見《ラレテ》v棄、改2適《カイテキス》他氏1也、于v時或有d壯士1不v知2改適1、此(ノ)歌(ヲ)贈(リ)遣(シテ)請(ヒ)2誂《イトム》於女之父母1者u、於v是父母之意、壯士未v聞2委曲之旨1、乃依2彼歌1報送(テ)、以顯(ス)2改適之|緑《ヨシヲ》1也、
 
穗積親王御謌一首
 
3816 家爾有之櫃爾※[金+巣]刺藏而師戀乃奴之束見懸而《イヘニアリシヒツニサヲサシヲサメテシコヒノヤツコノツカミカヽリテ》
 
※[金+巣]は和名集云、唐韻云、※[金+巣]【蘇果反、俗作2※[金+巣]子1、】銕※[金+巣]也、楊氏漢語抄云、※[金+巣]子【藏乃賀岐、辨色立成云、藏鑰、】ヲサメテシのて〔右○〕は助語なり、戀ノ奴は上に注せしが如し、此歌は旅に出る時戀の奴をば櫃に入れて※[金+巣]をおろしてをさめてこそ出にしが、いかにして櫃を逃出て我を追來て〓かゝるらむの心なり、六帖雜思に入れたるには、わがやどのひつにさうさしをさめた(29)るとてあり、
 
初、家にありしひつにさうさし 和名集云。唐韻云。鎖【蘇果反。俗作2※[金+巣]子1】銕※[金+巣]也。楊氏漢語抄云。※[金+巣]子※[藏乃賀岐。辨色立成云。藏鑰。]さうといふは藏の音と聞えたり。藏乃賀岐といひけるを、畧してさうとのみいひきたれるなるへし。今の世ざうといふと、かきといふとはかはりて、ざうは閉かきはひらくものなるに藏乃賀岐といひ鑰の字鍵の字なとの開閉に通するは、亂の字の治に通し、來の字の歸に通する類なるへし。戀の奴は第十一に、第十二に
  おもわすれたにもえすやとたにきりてうてともこりす戀の奴は
  ますらをのさとき心も今はなし戀のやつこに我はしぬへし
第四に廣河女王
  こひは今はあらしと我はおもひしをいつこの戀そつかみかゝれる
俊頼朝臣の哥に
  したひくる戀のやつこの旅にても身のくせなれや夕とゝろきは
これは此御哥に家に有しひつにさうさしとある詞を旅の心と見て取用られたるなるへし
 
右歌一首、穗積親王宴飲之日、酒酣之時、好誦2斯歌1以爲2恒賞1也、
 
酒宴の日好て右の歌を誦したまひし御心知がたし、
 
3817 可流羽須波田廬乃毛等爾吾兄子者二布夫爾咲而立麻爲所見《カルハスハタフセノモトニワカセコハニフフニヱミテタチマセルミユ》【田〓者多夫世反】
 
此發句は意得がたきを強て二義を以て注して後の人に便りすべし、一つには輕|括箭《ヤ》にや、安康紀云、是時太子行2暴虐1淫2于婦女1、國人謗v之、群臣不v從、悉隷2穴穗皇子1、爰太子欲v襲2穴穗皇子1而密設v兵(ヲ)、穴穗(ノ)皇子復興v兵將v戰、故穴穗箭(ノ)括箭《ヤハス》、輕(ノ)括箭、始起2于此時1也、古事記云、是以百官及天下(ノ)人等背2輕太子1而歸2穴穗御子1、爾輕太子畏而逃2入大前小前宿禰大臣之家1而備2作兵器1、【爾時所v作之矢者鍋2其箭之内1、故號2其矢1謂2輕矢1也、】穴穗王子亦作2兵器1、【此王子所v作之矢者即今時之矢也、此謂2穴穗矢1也、】筈を云へば箭あらはれ、箭あれば弓ある事云はずして知ぬべし、然れば弓矢をば田(30)ふせのもとに置なり、第二句の下句絶なり、ニフフニヱミテは莞爾《ニコ/\》の意歟、第十八にもさゆりの花の花ゑみに爾布夫にゑみてとよめり、落句は袖中秒にも今の點の如くなれど第六の葛井連大成が釣船を見る歌の落句に船出爲利所見とよめるに准らへてタチマセリミユと讀を古風とすべし、輕筈の箭をば田廬の許に置て吾兄子は打ゑみて今も鹿などのとほらば射むと構へて立ませるが見ゆるとにや、(吾兄子は兄弟朋友にも亘れば誰が心に成てよめるにも有べし、二つには羽は音を用て輕碓と云にや、輕き碓は蹈に勢少なければ夫の咲て立てると、賤しき者の妻に成てよめる意歟、注の〓は廬に作るべし、
 
初、かるはすはたふせのもとに 長流か抄に此かるはすはといふことはいかにいへるにかわきまへかたし。稻をかるこゝろにていへるとはきこえたれとはすはといふ詞不決之、尋ぬへしといへり。まことにしかり。今愚案をしるしてかなへりともかなはすとも、共に後の人にたよりし侍りなん。羽の字も音をとりて輕碓《カルウス》といふにや。かるきからうすを、田廬のもとにすゑて、わかせこかにこ/\とゑみてふみつゝ立ませるかみゆるとにや。臼と碓はことなれと、碓をも通してうすといふゆへに、上野のうすひこほりは、碓氷《ウスヒ》郡とかけり。かろきからうすはふむに勞すくなけれは、にふゝにゑむといふなるへし。第十八にもなつの野のさゆりの花のはなゑみににふゝにゑみてといへり。これは分に應して足ことを知へきことをいやしき身によせてよみたまへるにや
田廬は自注のことし。第八にも
  しかとあらぬいほしろ小田を苅乱たふせにをれは都おもほゆ
 
3818 朝霞香火屋之下乃鳴川津之努比管有常將告兒毛欲得《アサカスミカヒヤカシタノナクカハツシノヒツヽアリトツケムコモカナ》
 
兒毛欲得、【官本又云、コモカモ、】
 
此上句第十に有しには香を鹿に作り乃は爾なりき、今は字に任せて讀べきにや、下句は香火屋之下を承て第四句を云ひ鳴川津を承て第五句を云へり、將告は我に告むなり、六帖には人知れぬと云に入れたり、
 
初、朝霞かひ《香火》やか下の 第十に、次は第十一に
  朝かすみかひ《鹿火》やか下に鳴かはつしのひつゝありとつけんこもかな  足引の山田もるをのおくかひ《蚊火》の下こかれのみわかこひをらく
上の句の心は第十に尺せり。下の句の心はかひやか下にかくれてなくかはつのことく、しのひて鳴つゝありと我につけむ人もかなといふ心なり。二首ともにいやしきものゝ身になりてよまれたるにや。又我しのひつゝ有と告やらん兒もかなとや
 
(31)右歌二首河村王宴居之時、彈v琴而即先誦2此歌1以爲(ス)2常(ノ)行(ト)1也、
 
光仁紀云、寶龜八年十一月己酉朔戊辰、授2無位川村王從五位下1、十年十一月甲午爲2少納言1、桓武紀云、延暦元年閏正月庚子阿波守、八年四月備後守、
 
初、河村王 續日本紀云。寶亀八年十一月己酉朔戊辰授2無位川村王(ニ)從五位下(ヲ)1。十年十一月甲午爲2少納言1。延暦元年閏正月庚子阿波守。八年四月備後守
 
3819 暮立之雨打零者春日野之草花之末乃白露於母保遊《ユフタチノアメウチフレハカスカノヽヲハナカスヱノシラツユオモホユ》
 
此歌第十に既に出たり、
 
初、ゆふたちの雨うちふれは 此哥第十の四十二葉に既に出たり。雨|落毎《フルコトニ》とありて注に一云。打零者といひ、末を上とせ
 
3820 夕附日指哉河邊爾構屋之形乎宜美諸所因來《ユフツクヒサスヤカハヘニツクルヤノカタチヲヨシミシカシヨリクル》
 
右の歌に春日野をよめるに此歌に河邊につくる屋と云は若佐保川のつらなどに小鯛王の別業の有けるにや、構は玉篇云、古候切、架v屋也造也、允恭紀云、則別構2殿屋於藤原1而居也、形ヲヨシミとは屋の樣の面白くてよきなり、第四にまがきのすがたとよめる類なり、落句は六帖も今の點と同じけれどウベゾヨリクルと讀べし、人々の入來を主人ながら景趣の面白ければげにもなりと思ふ心なり、六帖雜思に入れた(32)るには初の二句をゆふづくよさすやをかべにとあり、てる日の歌とせるにはゆふづく日とあり、ヲカベとあるは若《モシ》河の上に乎尾〔二字右○〕等の字の有けるにや、
 
初、夕附日さすやかはへに ゆふ日のはれやかにさす川邊に、心有人のよしありて作れる家には、所からといひ、人からといひ、けにそあまたの人のこゝによりくるとなり。諾はうへとよむへし。以上穗積皇子の御哥よりこのかた、作者の心をよせらるゝ所面々にあるなるへし
 
右歌二首、小鯛《コタイノ》王宴居之日、取v琴登時、必先吟2詠此歌1也、其小鯛王者、更名2置始多久美(ト)1、斯人也、
 
小鯛壬、續日本紀には見えず、
 
兒部女王嗤歌一首
 
此女王第八但馬皇女の御歌に異本を注するに見えたり、延喜式云、大和國十市郡子部神社二座、かゝれば子部は地の名なり、
 
3821 美麗物何所不飽矣坂門等之角乃布久禮爾四具比相爾計六《ヨキモノノナソモアカヌヲサカトラカツノヽフクレニシクヒアヒニケム》
 
第二の句今の點何所の二字に叶はず、イヅクアカヌヲと讀べし、然れば發句より改(33)てヨキモノハ云々と讀べし、角ノフクレとは牛の角などの樣して中の〓《フクレ》出たる顔つきを云なるべし、シクヒアヒニケムは第十八に紐の緒のいつかりあひてと云が如し、
 
初、よきものゝなそもあかぬを 何所不飽矣とかきたれは、いつくあかぬをと讀へし。よきとたにいふものは、いつくとてあかれぬものをといふ心なり。つのゝふくれにとは、ふくれは※[暴+皮]の字なり。しくひあひにけむは、しくひは俗にしくむといふ詞なり。枕草子に、むとくなる物こまいぬしくまふものゝおもしろかりはやりていてゝおとるあしをと。角のふくれは見にくゝ賤しきものゝかたちを鬼にたとへていふ心なり。第十三にかゝれをらんおにのしき手をさしかへてねなん君ゆゑとよめるかことし。又牛の角鹿の角なと、みな下のふくれたれは、さやうのいやしきかほつきしたらんをとこにおもひつきてなとしくひあひたるそとあさけりわらはるゝ心にや
 
右時有2娘子1、姓|尺度《サカトノ》氏也、此娘子|不《ス》v聽(サ)2高姓美人之所(ロヲ)1v誂(ム)、應v許(ス)2下姓|※[女+鬼]《シコ》士之所1v誂也、於v是兒部女王裁2作(シテ)此(ノ)歌(ヲ)1、嗤2咲彼(ノ)愚(ナルヲ)1也、
 
所誂、戰國策云、楚人有2兩妻者1、人誂2其長者1、【注云、誂相呼誘也、】此にては挑の字に通しては讀べからず、イザナフと讀べし、日本紀にはアトフと點ぜり、※[女+鬼]士は玉篇云、※[女+鬼]【居位切、慙也、或作v※[女+鬼]、】醜を誤て※[女+鬼]には作れるなり、
古歌曰
 
3822 橘寺之長屋爾吾率宿之童女波奈理波髪上都良武可《タチハナノテラノナカヤニワカヰネシウナヰハナリハカミアケツラムカ》
 
橘寺は大和國高市郡にあり、橘は即地の名なり、上に橘島宮などよめりし處なり、聖(34)徳太子傳暦に太子の草創したまひて時の人菩提寺と名付たる由見えたり、元享釋書第十五云、推古十四年秋七月帝請2太子1講2勝鬘經1太子披2袈裟1握2塵尾1坐2師子座1儀則如2沙門1、講已天雨2蓮華1、大三尺、帝大喜、即2其地1建2伽藍1、今橘寺是也、長屋は寺の廻りに下部などの居る處を別に長く立つゞけたるを云べし、吾率宿之《ワガヰネシ》は我率て寢しなり、
 
初、橘の寺の長屋に 聖徳太子傳暦を見るに太子の草創したまふ寺にて、時人菩提寺となつく。元亨釋書第十五(ニ)云。推古十四年秋七月帝請(シテ)2太子(ヲ)1講(セシメタマフ)2勝鬘經(ヲ)1。太子披2袈裟(ヲ)1握2塵尾(ヲ)1坐(ス)2師子座(ニ)1儀則如2沙門(ノ)1。講(シ)已(テ)天雨(ラス)2蓮華(ヲ)1。大(サ)三尺。帝大喜(テ)即《ツイテ》2其地(ニ)1建(タマフ)2伽藍(ヲ)1。今(ノ)橘寺是(ナリ)也。わかゐねしは我ゐてゆきてねしなり。第七にもいつくに君かわれゐしのかむとよめり。うなゐは和名集云。後漢書注云。髫髪【召(ノ)反。和名宇奈爲】俗用2重髪(ノ)二字(ヲ)1謂2之(ヲ)童子垂髪(ト)1也【※[髪の友が匕]同。】用明紀云。是(ノ)時厩戸(ノ)皇子|束髪於額《ヒサコハナニシテ》【古(キ)俗《ヒト》年少兒《ワラハアコノ》年十五六(ノ)間(ハ)束髪於額《ヒサコハナス》。十七八(ノ)間(ハ)分(テ)爲2角子《アケマキカラハ》1今(モ)亦然(リ)之】而隨2軍(ノ)後《ウシロニ》1。此用明紀の文は童女の事にあらされはこゝに用なけれと、事の次に引なり。はなりははなちといふにおなし。第十四に、橘のこはのはなりとよめり。第七にはをとめらかはなちの髪をゆふの山とつゝけ、第九にはをはなちに髪たくまてにとよみ、第十一にはふりわけの髪をみしかみとよめる、皆おなしことなり。髪上つらんかは、女の年のよきほとになりぬる時、髪あけとてするなり。かみおきともいへり。允恭紀云。適《アタリテ》d産《アラシマス》2大泊瀬(ノ)天皇(ヲ)1之夕(ニ)u天皇始(テ)幸(ス)2藤原(ノ)宮(ニ)1。皇后聞(テ)之恨(テ)曰。妾《ヤツコカ》初自(リ)2結髪《カミオイシ》1陪(ヘルコト)2於|後《キサキノ》宮(ニ)1既(ニ)經(ヌ)2多(ノ)年1。【云々。】史記李廣傳云。且臣|結《アケテ》v髪(ヲ)而與2匈奴1戰(カフ)。又云。廣結《アケテ》v髪(ヲ)与2匈奴1大小七十餘戰(ス)。六帖には寺の部に此哥を載たり。わかゐねしをひとめ見しとあらため、うなゐはなりはを、うなゐは今はといふになせり
 
右歌|椎野連《シヒノヽムラシ》長年(カ)脉(ニ)曰(ク)、夫寺家之屋者、不v有2俗人(ノ)寢處(ニ)1、亦※[人偏+稱の旁](テ)若冠女(ヲ)、曰2放髪仆《ウナヰハナリト》1矣、然則腹句(ニ)已(ニ)云2放髪仆1者、尾句(ニ)不v可(カラ)3重(テ)云(フ)2著v冠之辭(ヲ)1哉、
 
聖式紀云、神龜元年五月辛未、正七位上四比忠勇賜2姓椎野連1、第三に志斐嫗が歌あり、四比と志斐と同じかるべし、長年は考ふる所なし、脉は此に二つの意有べし、一つには血脉の義、此時は相傳の意なり、二つには診脈の義、脉に依て氣血の實等を知るが如く義味をあぢはひてたゞす意なり、大寺家之屋者不v有2俗人寢處(ニ)1、此論尤謂れたり、但澆末に至ては不思議の事なきにもあらず、舒明紀云、唯兄子毛津逃匿(35)于尼寺瓦舍1即※[(女/女)+干]2一二尼1、於v是一尼嫉妬令v顯云々、三體詩杜牧宣州開元寺(ノ)詩云、松寺曾(テ)同2一鶴(ト)棲云々、天隱註(ニ)云、詳(カニ)味2詞意1情思殊(ニ)甚、首句所v謂同v鶴棲(ト)者恐是與2婦人1同v宿託2名(ヲ)鶴(ニ)1爾、唐人多如v此(ノ)、亦※[人偏+稱の旁]若冠女曰2放髪仆1矣は今按※[人偏+稱の旁]の下に未を落せるか、和名集云、後漢書注云、〓髪【召反、和名宇奈爲、】俗用2垂髪(ノ)二字1謂2之童子垂髪1也、【〓同、】腹句とは今は第四の句を指せり、第一句を頭とし第二を胸とし第三四を腹とし第五句を尾とする意なるべし、此長年が評は少不審あり、童女はなりの時我ゐて行て寢し女は今は髪上つらむ歟と後になりて云はむ事難あるべしともおぼえずや、但撰者も同心なれば不審ありとは云なり、六帖には寺の歌に入れて腰句以下をひとめみしうなゐは今は髪上つらむとあり、
 
初、椎野連 聖武紀云。神龜元年五月辛未正七位上四比(ノ)忠勇(ニ)賜(フ)2姓(ヲ)椎野連(ト)1。第三に志斐(ノ)嫗《ヲウナ》か哥あり。四比と志斐おなしくして椎野連かさきにや。脉はこれにふたつの心あるへし。ひとつには血脈の義。この時は相傳のこゝろなり。ふたつには診賑の義。脉をとりこゝろみることく、義味をあちはひてたゝす心なり。夫寺家(ノ)之屋(ニハ)者不v有(ラ)2俗人(ノ)寢處1。此理たしかなり。されとも澆末にいたりては不思議の事なきにもあらす。舒明紀云。唯|兄子《コノカミタル・エコ・コノカミニアタル》毛《ケ》野|逃2匿《カクス・齊明紀ニケカクル》于尼寺(ノ)瓦|舍《ヤニ》1。即|※[(女/女)+干]《ヲカシツ》2一(リ)二(リノ)尼(ヲ)1。於v是一(リノ)尼|嫉妬《ウハナリネタミシテ》令v顯(ハレ)。圍(テ)v寺(ヲ)將v捕(ント)。乃出(テ)之入2畝傍《ウネヒ》山(ニ)1。因(テ)以(テ)探《アナクル》v山(ヲ)。毛津|走《ニケテ》無(シテ)v所v入刺(テ)v頸(ヲ)而死。杜牧(カ)宣州(ノ)開元寺(ノ)詩(ニ)云。松寺曾(テ)同(シク)2一鶴(ト)1棲(ム)。云々。天隱註云。詳(ニ)味(ヘハ)2詞意(ヲ)1情思殊(ニ)甚(シ)。首句(ニ)所v謂同(シク)v鶴(ト)棲(トハ)者、恐(クハ)是与2婦人1同宿(シテ)託2名(ヲ)鶴(ニ)1尓。唐人多(ハ)如(シ)v此(ノ)。亦※[人偏+稱の旁]若冠女曰放髪仆矣。若冠は著冠にてそのうへに未の字の脱たるなるへし。下に著冠といへり。疑ふへからす。仆は顛仆、今の義にあらす。是は丱の字の誤れるなり。下おなし。さて此長年か脉は、かへりて長年か誤なるへきにや。うなゐはなりはといひたれは、かみあけつらんかといふへからすといふは、此哥をいかにこゝろ得けむ。わかゐねしうなゐはなりはといふは、過にしかたをいへり。かみあけつらんかは、今はかみあけつらんかといふにさまたけなし
 
决曰
 
3823 橘之光有長屋爾吾率宿之宇奈爲放爾髪擧都良武香《タチハナノテレルナカヤニワカヰネシウナヰハナリニカミアケツラムカ》
 
此歌にては第四句のウナヰを上句につゞけ放ニを落句へ引分て落句へつゞけて意得ぺし、上句は今のにても然るべし、下句はさきのやまさり侍らむ、
 
初、橘のてれる長屋に 橘のあかみて色のてるその下にある長屋なり。うなゐはなりはのはもしをにゝ改たるは、わかゐねしうなゐとつゝけて、よみきりて、はなりにかみあけつらんかといふ心にや。橘の寺の長屋はてれる長屋にても有ぬへし。下句はうなゐはなりはといへるこそまさり侍らめ
 
(36)長忌寸意吉麻呂歌八首
 
3824 刺名倍爾湯和可世子等櫟津乃檜橋從來許武狐爾安牟佐武《サシナヘニユワカセコトモイチヰツノヒハシヨリコムキツニアムサム》
 
櫟津、【別校本云、イチヒツ、】
 
刺名倍はサシナベとも讀べし、和名集云、辨色立成云、銚子佐之奈閉、俗云佐須奈倍、櫟津は櫟井歟、古事記應神天皇御歌云、伊知比韋能和邇佐能邇《イチヒヰノワニサノニ》云々、允恭紀云、於v是弟姫【衣通姫也】則從2烏賊津使主《イカツノオミニ》1而來之、到2倭(ノ)春日(ニ)1食2于櫟井(ノ)上(ニ)1、續日本紀第九に正八位下大伴(ノ)櫟津(ノ)連子人と云ものあり.今の櫟津を氏とせるにや、檜橋は櫟津に渡せる橋の名歟、檜木にて作れる橋歟、來許武は許〔右○〕は衍文なるべし、狐は伊勢物語にもきつねと云はずしてきつにはめなでくだかけのとよめり、
 
初、さすなへにゆわかせことも さすなへは、和名集云。、辨色立成(ニ)云。銚子(ハ)佐之奈閉。俗云佐須奈倍。妨色立成(ニ)云。銚子(ハ)佐之奈閉。俗云佐須奈倍。四聲字苑云。銚(ハ)【徒弔反】燒器似(テ)2※[金+烏]※[金+育](ニ)1而上(ニ)有v鐶也。唐韻云。※[金+烏]※[金+育](ハ)【烏育(ノ)二音】温器(ナリ)也。櫟津のひはしより。允恭紀云。於v是弟姫《・衣通姫》則從2烏賊津使主《イカツノオムニ》1而|來《マウク》之。到(テ)2倭(ノ)春日(ニ)1食《ヲシス》2于櫟井(ノ)上(ニ)1。こゝにや。績日本紀第九に、正八位下大伴櫟津(ノ)連子老といふものあり。來許武、許は衍文なり。あむさんは、令浴《アムサム》なり。關此饌具、湯櫟これなるへし。崔禹錫(カ)食經云。櫟子【上音歴。和名以知比】相似(テ)而大2於椎子(ヨリ)1者(ナリ)也。さすなへは雜器なり。櫟津は河なり。説文云。狐(ハ)妖獣也。鬼(ノ)所v乘(ル)也。きつとのみいへるは、伊勢物語にも、夜も明はきつにはめなてとよめり
 
右一首傳云、一時衆集宴飲也、於v時夜漏三更、所2聞《キコユ》狐聲《キツネノコヱ》1爾《テ》乃(チ)衆諸|誘《サソフテ》2興麿《オキマリヲ》1曰、關(カル)2此饌具(ニ)1雜器狐聲河橋等物、但作歌者、(37)即應v聲作2此歌1也、
 
詠2行騰蔓菁食薦屋※[木+梁]1歌
 
和名集云、釋名云、行〓(ハ)【音與v騰同、行〓和名、無加波岐、】行騰也、言裹v脚(ヲ)可2以跳騰輕便也、又云蘇敬本草注云、蕪菁【武青二音、】北人名2之蔓菁1、【上音蠻、和名阿乎奈、】古事記下仁徳天皇段云、乃自2其淡路島1而幸2行吉備國1、爾黒日賣命令v大2坐其國(ノ)(ノ)山方地1而獻2大御飯(ヲ)1於v是爲v煮2大御羮(ヲ)1、採2其地之※[草がんむり/松]菜(ヲ)1時、天皇到2坐其孃子之採v※[草がんむり/松]處1、歌曰、夜麻賀多邇《ヤマガタニ》、麻祁流阿袁那母《マケルアヲナモ》、岐備比登々《キヒヒトヽ》、等母邇斯都米婆《トモニシツメハ》、多怒斯久母阿流迦《タノシクモアルカ》、和名集云、温※[草がんむり/松]崔禹錫經云、温※[草がんむり/松]、【音終、和名古保禰、】味辛大温無v毒者也、かゝれば古事記に※[草がんむり/松]を用られたるはおぼつかなし、食薦は延喜式掃部式云、穉薦食薦《ワカコモノスコモ》一枚、和名云、漢語抄云、食單須古毛、屋※[木+梁]は又云、唐韻(ニ)云、梁、【音良、和名宇都波利、】棟梁也、釋名云、屋梁與2絶v水之梁1同v義、今の本木に從がへてかけるは俗字歟、
 
3825 食薦敷蔓菁※[者/火]將來※[木+梁]爾行騰懸而息此公《スコモシキアヲナニモチコウツハリニムカハキカケテヤスムコノキミ》
 
旅より來著て行騰をぬぎて梁に懸て息む此公に進むべければ、食薦を敷、羮には蔓菁を煮て早く飯持て來よと奴婢を急がす意なり、若落句をヤスメコノキミとよま(38)ば其程にあをなを煮てもて來よと云なり、
 
初、すこもしきあをな 和名集云。食單【須古毛。】行〓(ハ)和名又云。釋名云。行〓【音与v騰同、行〓(ハ)和名無加波岐】行騰(ナリ)也。言(ハ)裹(テ)v脚(ヲ)可2以跳騰(シテ)輕便(ナル)1也。※[木+梁]は俗字にや。哥の心は道行つかれてむかはきをぬきてやすむ此君かために、すこもをしきて、あをなを※[者/火]てもて來よとなり
 
詠2荷葉1歌
 
3826 蓮葉者如是許曾有物意吉麻呂之家在物者宇毛乃葉爾有之《ハチスハハカクコソアレモノオキマロカイヘナルモノハイモノハニアラシ》
 
有物は物は助語なり、或はアルモノとも讀べし、宇毛は宇と伊と同意なれば通してイモと點ぜり、うも〔二字右○〕と讀ていも〔二字右○〕と通しても同じ事なり、和名集云、四聲字苑云、芋【于遇反、和名以閉都以毛、】葉似v荷其根可v食v之、葉の相似たる物なれは荷葉を殊にほめむとて芋の葉をば云ひ出せり、和名にいへついもと云へるは薯蕷をやまついもと云に對してなり、
 
初、蓮葉はかくこそあれも もは助語なり。有物とかきたれはあるものとも讀へし。うもの葉はいもの葉なり。いもの葉のよくはすの葉に似たる心なり。和名集云。四聲字苑云。芋【于遇反。和名以閉都以毛】葉似(タリ)v荷(ニ)。其根可v食(ツ)之
 
詠2雙六(ノ)頭《メヲ》1謌
 
和名云、兼名苑云、讐六子一名六菜、【今案博奕是也、俗云須久呂久、】又云雙六菜、楊氏漢語抄云頭子、【雙六乃佐以、今案見2雜題雙六詩1、】かゝれば頭をメと點ぜるは誤なり、サイと讀べし、音を以て和語とせり、歌に佐叡とよめるは才の字をさえと云に准らへて意得べし、
 
初、詠雙六(ノ)頭《メヲ》歌 和名集云。兼名苑云。讐六子。一名六菜【今案博奕是也。俗云須久呂久】雙六乃菜。楊氏漢語抄云頭子【雙六乃佐以。今案見2雜題雙六詩1。】五雜組云。雙陸一名握※[朔/木]。本(ト)胡戯也云々
 
(39)3827 一二之目耳不有五六三四佐倍有雙六乃佐叡《イチニノメノミニアラスコロクサムシサヘアリケリスクロクノサイ》
 
是は略攝の頌文の如し、第八山上憶良秋七種花をよまれたる第二の歌の類なり、
 
初、佐叡はさえとよみて、五音相通に心得へし。此哥は聖教の中にある畧攝の頌のことし
 
詠2香塔厠屎鮒奴1歌
 
屎鮒は二種なるを歌には一種によめる歟、初より鮒の中の別名にて葛に屎葛あるが如き歟、
 
3828 香塗流塔爾莫依川隅乃屎鮒喫有痛女奴《カウヌレルタウニナヨリソカハスミノクソフナハメルイタキメヤツコ》
 
川隅は厠の名にや、厠、釋名云、厠(ハ)雜也雜2厠其上1也、かはる/”\行はまじはる意なれば交屋と云心に名付たるにやと思ふを、川の隅などに作りて不淨をも流し捨る意に川隅とも川屋とも名付る歟、然らざれば題に叶はず、痛女奴は日本紀に婢をメノヤツコとよめり、イタキは甚にて賤しき者の限なる意なり、香塗れる塔は清淨にて敬まひ尊とぶべき事の限りなるに川隅の屎鮒はみて其身賤しき限なる女奴は依てなけがしそとよめるなり、
 
初、かうぬれるたふになよりそ 香の字日本紀にこりとよみたれは、和訓にもよむへきか。川すみはかはやの名にや。かはやといふはかはる/\ゆけは、交屋《カハヤ》といふ心の名なり。くそふなは葛にくそかつらあることく、ふなの中にさる名おひたるが有なるへし、川すみといふを川にいひなして、くそふなとはつゝけたり。いたきめやつこは、はなはたしきめやつこにて、いやしきものゝかきりなり。日本紀に婢の字をめのやつことよめり。香ぬれる塔は清淨にてうやまふへき事のかきりにて、淨穢はるかにへたゝりたれは、なよりつきそといふこゝろなり。くそといふはよろつのものゝ屑の名なり。火をうちてつくる物をほくそといふ類なり。そのゆゑに古今の作者にくそといふ女あり。今はひとへにきたなきことにのみいひならひたれは、その名さへうたておほゆるなり
 
(40)詠2酢醤〓鯛水葱1歌
 
〓は蒜の字の誤なり、和名云、鯛【都條反、和名太比、】此は和名をたゞさむために引なり、水葱は延喜供奉雜菜云、水葱四把、【准2四升1五六七八月、】和名云、唐韻云、〓【胡谷反、】水菜可v食也、楊氏漢語抄云、水葱【奈木、】一云〓菜、【〓音與v〓同、今案〓宜作v〓、〓者石〓、他草(ノ)名也、】
 
初、酢醤蒜【誤作御】次哥おなし
 
3829 醤酢爾〓都伎合而鯛願吾爾勿所見水葱乃※[者/火]物《ヒシホスニヒルツキカテヽタイネカフワレニナミセソナキノアツモノ》
 
〓、【官本作蒜、】
 
第二句は蒜を搗合てなり、和名云、食療經云、搗蒜〓【比流豆木、】又云四聲字苑云、〓【即〓反、訓安不、一云、阿倍毛乃、】擣2薑蒜1以v醋和v之、此和名のひるつきは醤酢に蒜をつきかてて成ての後用を以て體とせる名なり、今はまだ成らぬ先の用の詞なり、かつるはまじふるなり.西京賦云、〓v良雜v苦、蜀都賦云、雜以2〓藻1〓以2蘋〓1、推古紀云、島人不v知2沈木1以交v薪燒2於竈1、
 
初、ひしほすにひるつきかてゝ 五雑組云。禮有2〓醤、卵醤、芥醤、亘醤1。用v之各有v所v宜。故聖人不v得2其醤不1v食。今江南當有2亘醤1。北地則但熟麺爲v之而己。寧辨2二多種1耶。又桓譚新論有2〓醤1。漢武帝有2魚腸醤1。南越有2〓醤1。晋武帝與2山濤1書致2魚醤1。枚乘七發有2芍藥之醤1。宋孝武詩有2匏醤1。又漢武内傳有2連珠雲醤、玉津金醤1。神仙食經有2十二香醤1。〇凡聶而切之〓藏者※[既/木]謂2之醤1矣。乃古之〓非v醤也。ひるつきかてゝ、和名集云。食療経云。搗蒜〓【比流豆木】又云四聲字苑云。〓【即〓反、訓2安不1。一云阿倍毛乃】擣(テ)2薑蒜(ヲ)1以v醋(ヲ)和(ス)v之。かてゝはあはするこゝろなり。又ましふるなり。俗に事をとりあはするを、かてゝくはへてなといひ、人の我をましへぬを、かてぬなと申めり。和名によれはひるつきはさいふもの有て躰なれと、今はひるを搗《ツキ》あはせてと用の詞になしてみるへし。たひねかふ、和名集云。鯛【都條反。和名太比】日本紀云。赤女即赤鯛(ナリ)也。水〓のあつもの、和名集云。唐韻云。〓【胡谷反】水菜可v食也。楊氏漢語抄云。水〓【奈木】一云〓菜【〓音与v〓同。今案〓宜v作v〓。〓者石〓。他艸名也。】延喜式供奉雑菜水〓四把【准2四升1。五六七八月。】※[者/火]は※[者/火]れは物のあつくなるゆへにかけるなるへし。哥の心はひしほと酢とにひるをつきかてゝ、あはれ鯛もかなこれをかけてくはむとねかふわれに、あらぬ水〓のあつ物はなみせそとなり
 
詠2玉掃鎌天水香棗1歌
 
水は木を誤まれり、第三に帥大伴卿の歌に天木香とかけり、玉掃は第二十に寶字二(41)年正月三日内裏にて王臣に玉箒を賜はりて肆宴ありける時、家持の始春の初子の今日の玉箒とよまれたるに付て先達の異説樣々なれど、今の題並に歌に依に玉箒は草の名なりと見えたり、されど如何なる草と云事を知らず、字書を見るに帚に宜しき草多し、爾雅云、〓王〓、郭璞註(ニ)云、王帚也、似v藜其樹可3以爲2掃〓(ヲ)、江東呼v之曰2落帚1、又云〓馬帚似v〓可3以爲2掃〓1、玉篇云甍【莫耕切、〓草可v爲v帚】〓【莫公切、草可2以作1v帚、】此中に先達の説に〓を云と申されたれば馬帚此に近きにや、
 
初、詠玉掃 第二十に初春のはつねのけふの玉箒と家持のよまれたる哥につきて、さま/\に申めり。玉はよろつ物をほむる時くはへていふ詞なれは、常のはゝきをも哥には玉はゝきとよみ侍るへきを、これは題に玉掃と侍れは、もとより玉はゝきと名付る物をよめるにこそ。天木香、木を誤て水となせり。第三に帥大伴卿の哥に、わきもこか見しとものうらのむろの木はとあるにも天木香樹とかけり
 
3830 玉掃苅來鎌麻呂室乃樹與棗本可吉將掃爲《タマハヽキカリコカママロムロノキトナツメカモトヽカキハカムタメ》
 
鎌に麻呂の名を付て奴などのやうに云ひなせり、
 
初、玉掃かりこ鎌まろ 今ひとつの愚案をめくらすに玉はゝきかりこといひたれは玉箒は木あるひは草なり。そのはらやふせやにおふるはゝき木のとはよみたれと、それは木の名にはあらぬよしなれは、さては地膚のことにや。和名集云。本草云。地膚一名地葵【和名迩波久左。一云末木久佐。】ふたつの和名を出されたる中に、玉はゝきといふへきよしはなけれと、世に波々岐久佐とてまさしく、はゝきにゆひて用侍り。かまゝろはいなこをも和名集にいなこまろと侍れは、只鎌をもかまゝろとはいふへきを、これはやつこなとの名にいひなせるなるへし
 
詠白鷺啄v木飛歌
 
3831 池神力士※[人偏+舞]可母白鷺乃桙啄持而飛渡良武《イケカミノリキシマヒカモシラサキノホコクヒモチテトヒワタルラム》
 
初の二句に二つの意侍るべし、一つには池神のために鷺の桙啄持て力士※[人偏+舞]をなすなり、二つに池神の鷺と化して力士※[人偏+舞]をしてみづから心を慰さむるなり、第九の細領巾の鷺坂山とよめるに付て詩を引つる如く、鷺の羽を舞人の翳として用る事あ(42)ればおのづから其よせあり、第十に※[(貝+貝)/鳥]をよめる歌にも青柳の枝啄持てと讀たり、
 
初、池神の力士※[人偏+舞]かも 海よりはしめて井池にいたるまて神あらすといふ事なし。力士まひとは、いにしへ力士まひとて鉾をもちてまふ舞の有けるなるへし。神の手力あるを、力士といふ。執金剛を金剛力士といふも、ちからによりて得たる名なり。鷺の木の枝くはへて飛ありくは、池の神の出て鉾を横たへもちて、力士まひし給ふかといふ心なり。まひとは鷺の空を飛めくる心なり。第十に
  春かすみなかるゝともに青柳の枝くひもちて鶯なくも
源氏物語胡蝶云。みつとりとものつかひをはなれすあそひつゝほそきえたともをくひてとひちかふといへり。此鷺の木をくはへて飛はすつくる料なるを、かくよめるなるへし。又鷺は舞の具に彼羽を用れはそのよせ有。詩(ノ)宛丘(ニ)云。坎(トシテ)其撃鼓(ヲ)、宛丘(ノ)之下(ニ)、無(ク)v冬(ト)無(ク)v夏(ト)、値《タツ》2其(ノ)鷺羽(ヲ)1。【朱熹注云。賦也。坎(ハ)撃v鼓聲。値(ハ)植也。鷺(ハ)春※[金+且](ナリ)。今(ノ)鷺〓(ソ)。好而潔白(ナリ)。頭上有2長毛十數枚(ノ)羽1。以2其羽1爲v翳。舞者持以指麾也。言(コヽロハ)無(トナリ)4時(トシテ)不(ト云コト)3出遊(テ)而鼓2舞(セ)於是1也】
 
忌部首詠2敷種物1歌一首 名忘失也
 
3832 枳棘原苅除曾氣倉將立屎遠麻禮櫛造刀自《カラタチノムハラカリソケクラタテムクソトホクマレクシツクルトシ》
 
神代紀云、送糞此云2倶蘇摩屡《クソマル》1、
 
初、からたちのむはらかりそけ 第十一に夏草のかりそくれともとよみ、第十四にあかみ山草根かりそけとよめり。くそとほくまれは日本紀云。送糞此(ヲハ)云(フ)2倶〓摩屡《クソマルト》1。又云復見2天照太神|當新甞《ニハナヒキコシメス》時(ヲ)1則|陰《ヒソカニ》放2〓《ケカシス》於新宮(ニ)1。疏云。放屎(ハ)屎(ハ)式視(ノ)切、与v矢同。竹取物語にいはく。まつ|しそく《紙燭》してこゝの|かひ《卵》かほみんと御くし《頭》もたけて御てをひろけたまへるにつはくらめの|まり《送》おけるふるくそをにきりたまへるなりけり。刀自は女なり。上に注せり。女のわさにくしをはつくるものなり
 
境部王詠2數種物1歌一首【穗積親王之子也】
 
元正紀云、養老元年正月乙巳、授2無位坂合部王從四位下1、五年六月治部卿、懷風藻云、從四位上治部卿境部王二首、【年二十五、】
 
初、境部王 元正紀云。養老元年正月乙巳授2無位坂合部王(ニ)從四位下(ヲ)1。五年六月治部卿。懷風〓云。從四位上治部郷境部王二首【年二十五】
 
3833 虎爾乘古屋乎越而青淵爾鮫龍取將來劔刀毛我《トラニノリフルヤヲコヱテアヲフチニサメトリテコムツルキタチモカ》
 
鮫龍、【官本又云、ミツチ、】
 
古屋を越ては履中紀云、鷲住王爲v人強力輕捷、由v是獨馳2越八尋屋1而遊行云々、青淵は清少納言に名おそろしき物に云へり、名のみならず見ても怖ろしき物なり、鮫龍は六帖に此歌を虎の歌に入れたるにもさめとあれど鮫は淵にある物にあらず、鮫は(43)鮫にて鮫龍の二字引合せてみづちなりけむを、昔より誤て鮫に作ける故字に隨て點じける歟、鮫は誠にさめなれど龍の字をばいかゞ意得べき、文選王子淵聖主得2賢臣1頌云、及v至d巧冶鑄2干將之璞1、清水|※[さんずい+卒]《ニラギ》2其鋒1越砥※[僉+欠]c其鍔u、水斷2蛟龍1陸〓2犀革1、忽若2〓v※[さんずい+巳](ヲ)畫塗、李善注曰、胡非子曰、負2長劔1赴2榛薄1析2咒豹(ヲ)1、赴2深淵1斷2蛟龍1、郭景純江賦云、壯(ナリトシ)2荊飛(カ)之擒1v蛟終成(サリ)2氣乎太阿1、李善注曰、呂氏春秋曰、荊有2欣飛者1得2寶劔於于遂1、反渉v江至2于中流(ニ)1、有2兩蛟1夾2繞其船1、欣飛拔2寶劔1曰、此江中腐肉朽骨也、赴v江刺v蛟殺v之、荊王聞v之、仕以2執珪1、晉書云周處字(ハ)子隱、少孤、未2弱冠1、膂力絶v人、縱情恣欲、州里患v之、處自知2爲v人所1v惡、慨然有2改飼V志1、謂2父老1曰、今時和歳豐、何苦而不v樂邪、父老歎曰、三害未v除、何樂之有、處曰、何謂也、答曰、南山白額猛虎、長橋下(ノ)蛟、并v子(ヲ)爲2三害(ト)1、處乃入(テ)v山射2殺猛虎1投v水搏v蛟、又自改v志行2忠孝(ヲ)1、仁徳紀云、是歳【六十七年】於2吉備中國川鳴河(ノ)派《カハマタニ》有(テ)2大(ナル)〓《ミヅチ》1令v苦v人云々、於v是笠臣(ノ)祖縣守、爲v人勇捍而|強力《コハシ》云々、即擧v劔入v水(ニ)斬(ル)v〓(ヲ)、更求2〓之黨類1、乃諸〓(ノ)族滿2淵底之岫穴1、悉斬(ル)v之河(ノ)水|變《カヘヌ》v血、故号(テ)2其水1曰2縣守淵1也、和名云、説文云、蛟(ハ)【音交、和名美豆知、日本紀用2大〓二字1、】龍屬也、山海經注云、似v蛇而四脚、池魚滿2二千六百1則蛟來爲2之長1、又云文字集略云、〓【音球】龍(ノ)之有v角青色也、此歌は虎古屋淵蛟劔の五種を故ありて讀たまふに依て壯志をふるひて讀給へる歟、若佛法の喩ならば虎に乘は勇猛の精進なり、古屋を越るは三界を度越するなり、(44)法華の長者の朽宅の如し、青淵は衆生の生死なり、蛟龍は無明なり、劔は智慧なり、智慧の決斷は譬へば昆吾の劔の玉を切こと泥の如くなるに似たり、文珠等の尊此故に此を執て智徳を表す、勇猛の大精進に依て三界を度越して還て大智慧力を以て生死の中の衆生の無明の巣穴を探て悉斷割せばやと讀たまへる歟、
 
初、とらにのりふるやをこえて これは故事なとにやいまたかんかへ侍らす。あをふちはあを/\とみゆる淵なり。枕草子に名おそろしきもの、青ふち。鮫龍、これをさめとよめるは誤なり。淵はさめあるところにあらす。鮫は蛟にあらたむへし。みつちなり。みつちは龍属なれは、二字引合てたつとよむへし。鮫にても蛟に通する歟。いまたかんかへす。たつとりてこんは、晉書曰。周處字(ハ)子隱少(シテ)孤(ナリ)。未2弱冠1膂力絶v人。縱v情恣v欲。州里患v之。處自知2爲v人所1v惡、慨然有2改飼V志1。謂2父老1曰。今時和歳豐。何苦而不v樂邪。父老歎曰。三害未v除。何樂之有。處曰何謂也。答曰。南山白額猛虎、長橋下(ノ)蛟、并v子爲2三害1。處乃入v山射2殺猛虎1投v水搏v蛟又|自《ミ》改v志行2忠孝(ヲ)1。【畧抄。】欽明紀云。六年冬十一月膳臣|巴提便《ハスヒ》還v自2百濟1言。〇巴提便忽申2左手1執2其虎舌1右手刺殺剥2取皮1還。又蛟を殺せる人有。ありところをわする又感高祖の故事歟
 
 
作主未詳歌一首
 
3834 成棗寸三二粟嗣延由葛乃後毛將相跡葵花咲《ナシナツメキミニアハツキハフクスノノチモアハムトアフヒハナサク》
 
此は飲宴の時盤中の物を戀によせてよめる歟、寸三は黍歟、粟嗣は舂《ツキ》たる粟を竹の筒に入れて能|擣堅《ツキカタ》めて酒の糟に藏して用る事侍る由申す者あり、さる體の物を云名にや、君に逢見むと云意につらねたり、由は田の誤なり、葵は和名園菜部云、本草云、葵【音逵、和名阿布比、】味甘(シ)寒無v毒物也、延喜式供奉雜菜葵四把、【准二升、五八九十月、】此は賀茂の祭に名高き草にも亦蜀葵にもあらで別の園菜なり、文選には青々園中(ノ)葵と云ひ、王維が詩には林下清齋折2露葵1とも作り秋葵なども云へり、此國にも昔は有けるを今の世には聞えぬにや、何れも日に向ひて傾くと云へば、まぎらはし、
 
初、なしなつめ君にあはつき なしのきなつめの木といふ心にきみとはつゝけたる歟。粟嗣とは、粟をよくつきて、竹の筒に入れてつきかため、糟にかくして食侍るよしかたり申ものゝ侍し。さることをいへるにや。きみにあふことのたえすつゝくといふ心にいへり。はふくすの由は田の字の誤なり。第七第十等に田葛とかけり。後もあはんとは、上にさねかつら後もあはんとあまたよめるかことく、葛のはひわかれゆくか、又末にてはひあふことくなれは、たとへていへり。これは上のあはつきをうけたり。あふひ花さくとは、これも逢といふ心にいひなして、後もあはむとゝいふをうけて、後もあはむしるしには、時いたれは今葵の花もさけりとなり。これは人のあるしまふけしたるところに、そのあるものをよめるなるへし。梨、棗、粟、葛、葵、五種なり。寸三は黍にはあるへからさるか。葵は和名集、園菜部云。本草云。葵【音逵。和名阿布比】味甘(シテ)寒(ナリ)。無(キ)v毒物(ナリ)也。延喜式供奉雜菜葵四把【准2二升1。五八九十月】
 
(45)萬葉集代匠記卷之十六上
 
(1)萬葉先代匠記卷之十六下
 
獻2新田部親王1歌一首
 
3835 勝間田之池者我知蓮無然言君之鬢無如之《カツマタノイケハワレシルハチスナシシカイフキミカヒケナキカコト》
 
鬢無如之、【官本又云、ヒケナキカコトシ、】
 
勝間田の池のあり所の事、先達の説に或は下總或は美作など申されたる事袖中抄等に委見えたり、今案これ皆此集の前後をよく見合せて意得られざる故なり、注に出2遊于堵裡1御2見勝間田(ノ)之池(ヲ)1と云へり、堵は第一第三第六にも有て既に注せし如く都の字にて通して用たれば紛なく奈良の京の内なり、招提寺は添下郡にありて今の奈良と云よりは西北の方に當れり、此地は元は新田部親王の舊宅なりけるを寶字年中鑑眞大和尚に賜りて伽藍となれり、親王の御墓も彼寺の北に當りて今の俗蓬莱と云處に侍る由彼寺の縁起に載たりとかや、袖中抄云、或人申侍しは勝間田池(2)は奈良西京藥師寺の跡を申傳へたりと云々。良玉集云、物へ參りける道に昔のかつまたの池とて※[木+戚]《イヒ》の跡ばかり見えけるに道濟
 朽たてるいひなかりせば勝間田の昔の池と誰か知らまし、
又藥師寺の跡とも聞えず、かつまたの池とていひばかり見ゆとかけり、彼邊の案内知人の申侍りしは、彼寺の近き程に侍るとぞ承と申侍りし、それは違はず侍る歟、今云藥師寺は彼招提寺の南に侍るを藥師寺の跡と云へるは勝間田の池の跡の藥師寺となれりと云意歟、續日本紀に文武天皇二年十月に藥師寺事成ぬる由記せり、此時は高市郡岡本なり、元明天皇都を奈良に遷させ姶ひて後、元正天皇養老二年に彼藥師寺を添下郡右京の二坊に遷されたりと彼寺の縁起に載たる由なれば、池と寺とは初より異處なる事明らけし、藥師寺の近き程にある池ならば遊覽に出させ給ふに尤便あり、六帖にかつまたの池に住てふこひ/\てまれにもよそにみるぞ悲しき、曾丹が集にかつまたの池の氷のとけしよりやすの浦とぞにほ鳥もなく、此等その比までも猶あせずしてよめる歟、あせたれど昔に准らへてよめる歟、和名に遠江|蓁原《ハイハラ》【波伊波良、】郡に勝田【加豆萬多、】あり、美作勝田【加豆萬多、】郡に【加豆萬多、】あれど今の用にあらず、鬢は和名云、説文云、鬢【卑吝反、】頬髪(ナリ)也、かゝれば俗に保保比介《ホホヒヘ》と云物にや、但常に和名を出さ(3)ず、又美人をほむるに蝉鬢など云ひ、常にも音に云なるは髪の耳の前に生ひさがりたるを云へば頬髪と注せるもそれにや.然れば鬚の字の誤歟、無如之は今の點に依らば之如を倒に寫せる歟、今の字に任せて點ぜばヒゲナキゴトシと讀べし、されど古風の例ヒゲナキガゴトなるべし、傳の意に依るに彼池に蓮はなかりけるを蓮華灼々たりとのたまへど我よく彼池の蓮あるべくしてなき事は知參らせてさぶらふ、なあざむかせたまひそ、然のたまふ君の鬚おはしますべき御顔になきが如くにて候と戯たるなり、此親王には鬚のおはしまさゞりけるなるべし清輔袋草子に三井寺勝觀法師衆中にして此歌を釋して聞が如くならは此親王は大鬚にておはしましけりと云へるを、滿座感じける由かゝる、勝觀が云が如くならば勝間田の池はげにも蓮多く侍べり、然のたまふ君に大鬚おはする如く侍りと云べきを戯てかへざまによめりと意得たる歎、我知と云を能味はゝぬなり、
 
初、かつまたの池は我しる蓮なし かつまたの池は大和なり。哥後傳云。新田部親王出2遊于堵裡1御2見勝間田之池1といへり。玉篇云。堵【都魯切。垣也。五版爲v堵。】二尺を板といへは、五板は一丈なり。高さ一丈の築垣《ツイチ》なるへし。今出2遊于堵裡1といふは、ちかきあたりへ出てあそはせたまふといふ心なるへし。又都と通して用たる歟。第一云。高市古人感2傷近江舊堵1作歌。第三云。式部卿藤原宇合卿被v使改2造難波堵1之時作歌。上にすてに委注せり。その哥ともをみるに、都と通せりとみゆれは、かつまたの池は奈良の都のかたはらに有にや。類字名所抄云。八雲御抄、并範兼卿五代集哥枕下總國【云云。】仍當國載v之。清輔抄美作【云云。】彼國有2勝間田郡1。其所乎可v決v之。今いはくことはり右のことし。異義に及ふへからす。又美作の勝田郡を勝間田郡といへるは誤なり。曾丹家集に
  かつまたの池のこほりのとけしよりやすの浦とそにほ鳥もなく
やすの浦はあふみなるを、にほの海といふにおもひよせて、かつまたの池の氷とけぬれは、かつくにさはりなくて、にほ鳥の心にやすの浦のことく心やすくひろ/\とあるよしによめるなり。さて此哥の心は傳にあらはなり。彼池に蓮はなきを、蓮花灼灼たりとのたまへは、我よく蓮なきことはしりてさふらふ。さのたまふ君のひけおはしますへき御かほに、なきかことくにてさふらふとたはふれたるなり。鬢は鬚の字の誤歟。和名集云。鬚【和名之毛豆比介】頤(ノ)下(ノ)毛(ナリ)也。鬢無如之とかきたれは、ひけなきことしとも讀へし。彼親王にはひけのおはしまさゝりけるにこそ
 
右或(ハ)有人聞v之曰、新田部親王出2遊于堵裡1、御2見勝間田之池1感2緒御心之中1、還(テ)v自(リ)彼(ノ)池1、不《ス》v忍《シノヒ》2憐愛1、於v時語2婦人《タヲヤメ》1曰、今日(4)遊行(シテ)見(ルニ)2勝間田(ノ)池(ヲ)1水(ノ)影(ケ)濤濤《タウ/\トシテ》、蓮花|灼灼《シヤク/\タリ》、可憐斷(ツ)v腸(ヲ)、不《ス》v可《ヘカラ》v得《ウ》v言《イフコトヲ》爾乃婦人作2此戯歌1、專輙吟詠也、
 
水影濤々.説文云、濤(ハ)大波也、かゝれど水の滿る※[貌の旁]なるべし、蓮花灼々、毛詩云、桃之夭々(タルアリ)灼々(タル)其華(アリ)、傳曰、灼灼(ハ)華之盛(ナルナリ)也、
 
初、水影濤々 蓮花灼々、陶潜詩云。明々雲間月。灼々葉中花。可憐与2※[立心偏+可]怜1同
 
謗2佞人1歌一首
 
論語云、子曰焉(ソ)用v佞(ヲ)、禦《アタルニ》v人(ニ)以(シ)2口給(ヲ)1、屡憎(マレテ)2於人(ニ)1、不v知2其仁1焉(ソ)用v佞(ヲ)、
 
初、佞人 玉篇云。佞【奴定切。口材也。】論語曰。子曰焉(ソ)用(ン)v佞(ヲ)。禦《アタルニ》v人以(シ)2口給(ヲ)1屡(/\)憎(マレテ)2於人(ニ)1不v知2其仁(ヲ)1。焉(ソ)用(ン)v佞(ヲ)。莊子漁父篇云。莫(シテ)2之(ヲ)顧1而進(ム)之謂2之(ヲ)佞(ト)1。【疏云強進2忠言1人不2來顧1謂2之佞1也】
 
3836 奈良山乃見手柏之兩面爾左毛右毛倭人之友《ナラヤマノコノテカシハノフタオモニカニモカクニモネシケヒトカトモ》
 
兩面爾、【六帖云、フタオモテ、別校本、無2爾字1點與2六帖1同、幽齋本、點亦同、】
 
兒手柏とは若《ワカ》兒の手に似たる柏なり、鶏冠樹を蝦手《カヘルテ》、蕨を紫塵〓蕨人擧(ル)v手(ヲ)と云へる類なり、第二十にも下總國防人が歌に千葉の野の兒手柏とよめり、六帖にも柏の歌とせり、おほとちと云草を云などは用べからぬ説なり、兩面ニとは柏の葉の風にかへりやすきを手を打かへすによせて、佞人の口材あるに任せて善惡の筋をとほさ(5)ずとかく云ひ成して人をまどはすに喩へたるべし、落句はネヂケビトガトモと讀べし、トモはともがらなり、末に至てしづをのとも大夫之徒《マスラヲノトモ》などもよめり、
 
初、なら山のこのてかしは 第二十に防人か哥にも
  ちは《千葉》の野のこのてかしはの|ほゝまれと《雖含有》あやにかなしみおきて|たか《高》き《來》ぬ
能困哥枕に云。かしはをはこのてかしはといふ。ひらてともいふと云々。このてかしはとて別にはあらす。只かしはなり。小兒の手によくにたる故にいふなり。かへるの手に似たれは、かへてといひ、早蕨を人手をにきると詩に作れるかことし。ふたおもにとは手にたなこゝろとたなうらと有によせて、風なとのふく時うらおもてをみすれは、かにもかくにもねちけ人とつゝけんためなり。かにもかくにもは、とにもかくにもなり。ねしけ人がともは佞人のともからなり。ますらをのともなとよみとめたるにおなし。佞人之友とかけるを、ねしけひとかもとよめるは誤なり
 
右歌一首博士|消奈行文《セナノユキフム》大夫作v之
 
元正紀云、養老五年正月戊申朔甲戍詔(シテ)曰、文人武士(ハ)國家(ノ)所v重、醫卜方術(ハ)古今斯崇云々、明經第二博士正七位上背奈公行文云々、各賜v※[糸+施の旁]十五疋、絲十五※[糸+句]、布三十端、鍬二十口1、聖武紀云神龜四年十二月丁亥授2正六位上背奈公行文從五位下(ヲ)1、懷風藻云、從五位下大學助背奈王行文二首【年六十二、】今は行文大夫と云故に氏の下に公の字を略せる歟、懷風藻に背奈王とあるは聖武紀云天平十九年六月辛亥正五位下背奈福信外正七位下背奈大山等八人賜2背奈王(ノ)姓1、此中に背奈福信は此集第十九に見えたる高麗朝臣福信にて行文が甥《ヲヒ》なり、行文は天平に入ては紀に見えねば神龜の末天平の初に卒去せるなるべし、然れば後に福信等に賜はりたる姓《カバネ》を初に廻らしてかけるにや、福信が傳に依れば行文も本は高麗より王化を慕ひて渡り來たる人の子孫にて武藏國高麗郡より都へ上れる人なり、
 
初、消奈行文 續日本紀第八云。養老五年正月戊申朔甲戌詔曰。文人武士(ハ)國家(ノ)所v重醫卜方術(ハ)古今斯崇。〇明經第二博士正七位上背奈公行文〇各賜※[糸+施の旁]十五疋、絲十五※[糸+句]、布三十端、鰍二十口。聖武紀云。神亀四季十二月丁亥〇授2正六位上背奈公行文(ニ)從五位下(ヲ)1。懷風藻云。從五位下大學助背奈王行文二首【年六十二。】こゝに消奈とありて公の字なきは脱せるなるへし。懷風藻に背奈王とあるは、聖武紀云。天平十九年六月辛亥正五位下背奈福信、外正七位下背奈大山等八人賜2背奈王姓1。此中に背奈幅信は第十九に見えたる高麗朝臣福信なり。行文かためには甥《オヒ》なり。行文は天平に入ては傳も見えねは、神龜天平の間に死去せるなるへし。しかれは後に甥に賜たる背奈王を初にめくらしてかけるにこそ。福信か傳によれは、武藏の高麗郡の人と見えたり。もとは高麗より出たり
 
(6)3837 久堅之雨毛落奴可蓮荷爾渟在水乃玉似將有見《ヒサカタノアメモフラヌカハチスハニタマレルミツノタマニニタルミム》
 
蓮荷をハチスバとよめるは爾雅云、其葉(ハ)※[草がんむり/遐]【胡歌反、】郭璞(カ)注云、※[草がんむり/遐]亦荷字(ナリ)也、第十三にも蓮葉爾渟有水之往方無《ハチスハニタマレルミヅノユクヘナシ》とよめり、落句は六帖に蓮の歌に入れたるも今の點と同じけれど有見をみむ〔二字右○〕と讀べきやうなければ今のまゝならばタマニニラムミムと讀べし、或は有の字は衍文にや、
 
初、久かたのあめもふらぬか ふらぬかふれかしなり。荷はもし葉の字にや。但葉を荷といへは、さも有へし。第十三にもみはかしをつるきの池のはちす葉にたまれる水のゆくへなみわかする時にとよめり。玉尓似將v有見《タマニニラムミム》、これをは玉ににらん見むと讀へし
 
右歌一首傳云、有2右兵衛1【姓名未v詳】多(ク)能《タヘタリ》2歌作之藝(ニ)1也、于v時府家備2設酒食1、饗2宴(ス)府官人等1、於v是饌食盛v之皆用2荷葉1、諸人酒酣謌舞駱驛(ス)、乃誘2兵衛1云關2其荷葉1而作v歌者、登時應v聲作2斯歌1也、
 
右兵衛は屬官なり、府家と云へるは右兵衛督なり、駱驛〔二字右○〕、韻會絡下注云、絡繹連屬(ルナリ)不v絶、集韻或(ハ)作v※[素+各]通作v落、莊子|落《マトフ》2馬首(ヲ)1云々、繹(ノ)下(ノ)注(ニ)云、往來不v絶曰2絡繹(ト)1、通作2絡驛1、亦作2落繹1、かくありて絡と駱と通ずと云はず、但駱下注云、廣雅白馬朱鬣、陸佃(カ)云、今呼2黄馬(ノ)(7)尾鬣一道通黒(キコト)如v界者1爲v絡、蓋(シ)馬無v分(ツコト)2黄白1皆謂2之絡1、若2今衣脊絡縫1故曰v絡(ト)、此注駱は駱の義と聞ゆれば今通じてかけるにや、
 
無心所著歌二首
 
此は濱成卿の和歌式に求韻|査《サ》體雅體の三體を立らるゝ中の査體に、別有2七種1中の雜會なり、此例に出さるゝ歌、資人久米廣足歌云、春日山嶺こぐ舟の藥師|寺《テラ》淡路の島の犂《カラスキ》の※[金+辟]《ヘラ》牛馬犬鼠等一處如(シテ)2相會1無(キカ)v有(ルコト)2雅意1故雜會(ナリ)、源氏物語|常《トコ》夏に近江の君が歌、草若み常陸の海のいかゞさきいかで相見むたごの浦波、女御のかへし、常陸なる駿河の海の須磨の浦に浪立出よ箱崎の松、此等も今の歌の類なり、
 
初、無心所著歌 これは濱成の式にいへる雜會躰なり。式云。和歌三種躰、一者求韻、二者査躰、三者雅躰。〇査體別有七種。一(ニハ)雜會。資人久米廣足哥云
  かすか山みねこく舟の藥師てらあはちのしまのからすきのへら
牛馬犬鼠等一處(ニシテ)如2相會(ルカ)1無v有2雅意1。故曰 歟 雜會(ナリ)
源氏物語床夏に近江の君か哥
  草わかみひたちの海のいかゝさきいかてあひみむ田子のうらなみ
女御の返し
  ひたちなるするかの海のすまの浦に浪立出よはこさきのまつ
これら今の無心所著の類なり
 
3838 吾妹兒之額爾生流雙六乃事負乃牛之倉上之瘡《ワキモコカヒタイニオヒタルスクロクノコトヒノウシノクラノウヘノカサ》
 
額、【校本云、ヒタヒ、】
 
和名云楊雄方言(ニ)云、額【五陌反、和名比太比、】かゝれば校本の點に依べし、
 
初、わきもこかひたいに ことひは特なり
 
3839 吾兄子之犢鼻爾爲流都夫禮石之吉野乃山爾氷魚曾懸有《ワカセコカタフサキニスルツフレイシノヨシノヽヤマニヒヲソサカレル》
 
(8)【懸有反云2佐家禮流1】
 
犢鼻は神代紀下云、於是兄著犢鼻《コヽニコノカミタフサギシテ》云々、和名云、方言注云、袴(ニシテ)而無v跨謂2之(ヲ)褌1、【音昆、和名須万之毛乃、一云知比佐岐毛乃、】史記云、司馬相如著2犢鼻褌1、韋昭(カ)曰、今三尺(ノ)布(ヲモツテ)作v之形如2牛鼻(ノ)1者也、唐韻云、※[衣+公]【職容反、与v鍾同、楊氏漢語抄云、※[衣+公]子毛乃之太乃太不佐岐、一云、水子、】小褌也、ツブレ石は?と禮と同韻にて通ずればつぶて石歟、雄略紀に禿の字をツブルと讀たれば物に觸て禿《ツビ》たる石歟、又圓の字をつぶらとよめり、良と禮と通ずれば、つぶら石にてまろなるを云歟、氷魚は和名云、考聲切韻云、※[魚+小]【音小、今案俗云氷魚是也、】白小魚名也、似2※[魚+白]魚《シロウヲ》1、長一二寸(ナル)者也、注の中の家は我を誤れるなるべし,
 
初、わかせこかたふさき 和名集云。史記云。司馬相如著著2犢鼻褌1。韋昭曰。今三尺布作v之。形如2牛鼻1者也、唐韻云。※[衣+公](ハ)職容反。与v鍾同。小褌也。楊氏漢語抄云。※[衣+公](ハ)子毛乃之太乃太不佐岐。一云、水子褌。方言注云。袴而無v袴謂2之(ヲ)褌(ト)1。【音昆、和名須万之毛能。一云知比佐岐毛乃。】雄畧紀云。乃|喚2集《ツトヘテ》采女(ヲ)1使《シム》d脱《ヌイテ》2衣裙《キヌモヲ》1而|著犢鼻《タフサキニシテ》露《アラハナル》所(ニシテ)相撲《スマヒトラ》u。つふれ石、つふて石なり。禮と※[人偏+弖]と同韻なり。氷魚は和名集云。考聲切韻云。※[魚+小]【音小。今案俗云2氷魚1是也。】白小魚名也。似2※[魚+白]魚《シロウヲニ》1長一二寸(ナル)者也
 
右歌者舍人親王令2侍座1曰、或有(ラム)v作(コト)d無(キ)2所由1之歌(ヲ)u人者、賜(ニ)以2錢帛1、于v時大舍人安倍朝臣子祖父、乃作2斯歌1獻上、登時以2所v寡《ツノル》物餞二千文1給v之也、
 
天武紀云、朱鳥《アカミトリ》元年春正月壬寅朔癸卯、御《オハシマシテ》2大極殿1而賜2宴《トヨノアカリヲ》於諸(ノ)王卿1、是日詔曰、朕問2王卿1以(セム)2無端事《アトナシコト》1、仍對言得v實(ヲ)必(ラス)有v賜、於v是高市皇子被v問以v實對、賜2蓁摺《ハリスリノ》御衣三|具《ヨソヒ》(9)錦袴二具并※[糸+施の旁]二十疋絲五十斤緜百斤布一百端1、伊勢(ノ)王亦得v實、即賜2皀《クリソメノ》御衣三具紫袴二具※[糸+施の旁]七匹絲二十斤緜四十斤布四十端1、丁巳天皇御2於大安殿(ニ)1喚《メシテ》2諸王卿1賜v宴、因以賜v※[糸+施の旁]綿布1各有v差、是日問2群臣1以2無端事1、則當時得v實重(テ)給2綿※[糸+施の旁]1、此無端事とあるは如何なる事と知らねど凡そ今も此類にや、募は説文云廣求(ムルナリ)也、
 
初、右歌者舍人 天武紀云。朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯|御《オハシマシテ》2大|極《アム》殿1而賜2宴《トヨノアカリヲ》於諸王卿(ニ)1。是(ノ)日詔曰。朕問2王郷1以2無端事《アトナシコトヲ》1。仍對言(ニ)得(ハ)v實(ヲ)必(ラス)有(ン)v賜。於v是高市皇子被v問以v實(ヲ)對。賜2蓁摺《ハリスリノ》御衣三|具《ヨソヒ》、錦袴二具、并※[糸+施の旁]二十疋、絲五十斤、緜百斤、一百端(ヲ)1。伊勢(ノ)王亦得v實(ヲ)、即賜(フ)2皀《クリソメノ》御衣三具、紫(ノ)袴二具、※[糸+施の旁]七匹、絲二十斤、緜四十斤、布四十端(ヲ)1。丁巳天皇御2於大安殿(ニ)1喚《メシテ》2諸(ノ)王卿(ヲ)1賜v宴(ヲ)。因以賜(コト)v※[糸+施の旁]綿布(ヲ)1各有v差《シナ》。是(ノ)日問(ニ)2群臣(ニ)1以(ス)2無端事(ヲ)1。則當時得(レハ)v實(ヲ)重(テ)給2綿※[糸+施の旁](ヲ)1。此あとなしことゝあるは如何なる事と知らねとおよそ此たくひにや
 
池田朝臣嗤2大神朝臣奧守1歌一首【池田朝臣名忘失也】
 
廢帝紀云寶字八年正月乙巳正六位下大神朝臣奥守授2從五位下1、
 
3840 寺寺之女餓鬼申久大神乃男餓鬼被給而其子將播《テラ/\ノメカキマウサクオホウワノヲカキタハリテソノコハラマム》
 
昔は寺寺に餓鬼を作置ける故に第四に笠女郎も大寺の餓鬼のしりへとよめり、奧守が其身いたく痩たる故に我夫に此人給はらむ子を多くまうけむと女餓鬼が申すと戯ぶるゝなり、將播をハラマムと點ぜるは誤なり、ウマハムと讀べし、うまはむ〔四字右○〕はうまむ〔三字右○〕なり、允恭紀云、一氏|蕃息《ウマハリテ》更爲2萬姓1、雄略紀云、田邊史伯孫聞2女産兒《ムスメヲノコヽウマハリセリト》1往(テ)賀《ヨロコブ》2聟《ムコノ》家(ヲ)1、又同紀に蔓生をもウマハルとよめり、仁賢紀云、遠近清平《ミヤコヒナスミヤハライデ》、戸口滋殖《オホムタカラマス/\ウマハル》、玉篇云、播種也、韻會云、播(ハ)布也、書曰|播《ホトコス》2時《コノ》百穀(ヲ)1、
 
初、寺/\のめかき申さく 寺には餓鬼を作り置こと有。めかき男餓鬼とて有ことなり。第四に
  あひおもはぬ人をおもふは大寺の餓鬼のしりへにぬかつくかこと
大神朝臣奥守か其身いたくやせたる故に、女餓鬼か申やうは、わか夫に此人給はらん。子をおほくまうけんとなり。はらまんとあれともうまはむとよむへし。允恭紀云。然三(ノ)才《ミチ》顯(ハレ)分以來多歴2萬歳1。是(ヲ)以一氏|蕃息《ウマハリテ》更爲2萬姓1難v知2其實(ヲ)1。仁賢紀云。八年冬十月|百姓《オホムタカラ》言(サク)。〇遠近清平《ミヤコヒナスミヤハライテ》戸口《オホンタカラ》滋殖《マス/\ウマハル》焉。雄略紀云。田邊史伯孫聞2女《ムスメ》産《ウマハリセリト》兒《ヲノコヽ》1往(テ)賀《ヨロコフ》2聟《ムコノ》家(ヲ)1。又云。高麗諸將言2於|王《コニキシ》1曰。百濟|心計《コヽロハヘ》非v常《アヤシ》。臣毎(ニ)v見v之不v覺自失。恐更|蔓生《ウマハリナムカ》。請逐除(カン)v之。韻會曰。播(ハ)布(ナリ)也。玉篇曰。播(ハ)種(ナリ)也、書曰。播《ホトコス》2時《コノ》百穀(ヲ)1。【注波左切。】うまはむは、うまんなり
 
(10)大神朝臣奧守報v嗤歌一首
 
初、大神朝臣奥守 廢帝紀云。寶字八年正月乙巳正六位下大神朝臣奥守授2從五位下1
 
3841 佛造眞朱不足者水渟池田乃阿曾我鼻上乎穿禮《ホトケツクルアカニタラスハミツタマルイケタノアソカハナオウヘヲホレ》
 
造はツクリと讀べきか、佛は木などにて造て眞朱は其後彩色を加ふる具なれば眞朱を以て佛を造るとは云べからずや、但彩色を以て成就するをつくるとも云べき歟、眞朱は和名云、考聲切韻云、丹砂(ハ)【丹音都寒反、和名※[人偏+爾]】似2朱砂1而不2鮮明1者也、又云本草云、朱砂最上者(ヲ)謂2之光明砂1、水渟は池と云はむためなり、應神紀に大|鷦鷯《サヽキノ》尊の御歌云、瀰豆多摩蘆豫佐瀰能伊戒珥《ミヅタマルヨサミノイケニ》、奴那波區利《ヌナハクリ》云々、此池田朝臣は俗語に云|石榴鼻《ザクロハナ》にて極めて赤かりけるなり、源氏物語末摘花に先居たけの高うをせながに見え給ふに、さればよと胸つぶれぬ、打繼て人あなかたはと見ゆる物は御鼻なりけり、ふと目とまる普賢ぼさちの乘物とおぼゆ、あさましう高うのびらかにさきのかた少たりて色つきたるほどことのはかにうたてあり、五雜爼云、宋王h張亢倶在2晏元獻幕客1、亢體肥大(ナリ)、目《ナヅケテ》v之(ヲ)爲v牛、h(ハ)枯痩(ス)、亢目(ケテ)爲v猴、h甞嘲v亢曰、張亢觸v牆成2八字1、亢應v聲(ニ)曰、王h望v月※[口+斗]三聲、一坐爲v之絶倒、調戯は何處にもある事なり、
 
初、ほとけつくるあかにたらすは 佛を造ては、彩色の具に朱を用る故にいへり。和名集云。※[石+朱]砂本作2朱丹1。出2於辰州(ヨリ)1爲2辰砂(ト)1。化2水銀(ヲ)1爲v朱(ト)名2銀朱(ト)1。丹土【二豆知。】水たまるは、池はたむるものなれは、池とつゝけんためなり。應神紀に、大鷦鷯皇子の御哥にも、瀰豆多摩蘆《ミヅタマル》、豫佐瀰能伊戒珥《ヨサミノイケニ》、奴那波區利《ヌナハクリ》云々。遊仙窟云。少府頭中|有《タマレリ》v水何(ソ)不v生(セ)2蓮(ヲ)1。あそは朝臣なり。元正紀云。靈龜元年八月庚午正三位安倍朝臣宿奈麻呂言。正七位上池田臣萬呂本系同v族實非2異姓1。追2尋親道1理須2改正1。請賜(ハムト)2安倍池田朝臣姓1許v之。はなのうへをほれとは、俗にいふ柘榴鼻《サクロハナ》にてあかゝりけれはなり。五雜組云。唐封抱一任2櫟陽尉(ニ)1。有v客過v之。既短又患v眼及鼻塞。泡一用2千字文語1作2嘲之詩1曰。面作2天地玄1、鼻有2雁門紫1、既無2老達承1、何身罔談v彼。源氏物語末摘花に、まつゐたけのたかうをせなかに見え給ふに、されはよとむねつふれぬ。うちつぎてあなかたわとみゆるものは御はなゝりけり。ふとめとまる。ふけんほさちののりものとおほゆ。あさましうたかうのひらかに、さきのかたすこしたりて色つきたるほとことのほかにうたてあり。又いはく。わか御かけのきやうたいにうつれるか、いときよらなるを見たまひて、手つから此あかはなをかきつけにほはして見たまふに、かくよきかほたにましれらんはみくるしかるへかりけり
 
(11)或云
 
此下に注落たる歟、但注せざれども其意あらはなる故に次の二首の異を云詞歟、
 
平群朝臣嗤歌一首
 
3842 小兒等草者勿苅八穗蓼乎穗積乃阿曾我腋草乎可禮《ワラハヘモクサハナカリソヤホタテヲホツミノアソカワキクサヲカレ》
 
發句の點等の字にかなはず、ワラハドモと讀べし、八穗蓼は穗の多かるなり、第十三に水蓼の穗積に至りとつゞけたるやうに、やほたでの〔右○〕と云べきをを〔右○〕と云へるは御佩乎劔池と云へるに准らふべき歟、若又是は八穗蓼を其穗を摘と云へるにや、腋草とは腋の下の毛なり、腋毛の多かりける人にこそ、
 
初、わらはへら草はなかりそ 小兒等はわらはどもともよむへし。やほたてをほつみのあそとは、ほたてを摘とつゝくるか、又みはかしのつるきの池とつゝくへきを、第十三にみはかしをつるきの池といへることく、やほたてのほつみといふ心につゝけたるか。第十三には水たてのほつみにいたりとつゝけたり。わき草は腋の下の毛をいへり
 
穗積朝臣和歌一首
 
3843 何所曾眞朱穿岳薦疊平羣乃阿曾我鼻上乎穿禮《イトコニアカニホルヲカコモタヽミヘクリノアソカハナノウヘヲホレ》
 
阿所曾、【校本云、イツクニソ、】
 
(12)薦疊は平群の枕言なり、下の乞食者が歌にも八重疊平群の山とよめり、第十四に丸小菅刈來我背兒床《マロコスゲカリコワガセコトコ》のへだしにとよめる如く薦を敷て床と身とを隔つる意なり、景行紀、思邦《クニシノビノ》御歌にも多々瀰許莽弊遇利能夜摩能《タヽミコモヘグリノヤマノ》云々、私記に上句を注して平群山安留之義也と云へるは誤なり、古事記雄略天皇の御歌にも、久佐加弁能《クサカベノ》、許知能夜麻登《コチノヤマト》、多々美許母《タヽミコモ》、弊具理能夜摩能《ヘグリノヤマノ》、許知碁知能《コチコチノ》、夜麻能賀比爾《ヤマノカヒニ》云々、
 
初、いとこにそあかにほるをか あかにほるをかはいつくにあるそ。へくりのあそんかはなの上をほれ。そこにこそよきあかにはあれとなり。こもたゝみへくりとつゝけたるは、下の乞食者か哥に、やへたゝみへくりのやまにとよめるかことく、かさねてしく心なり。一重ふたへもゝへちへなと、へといふはみなへたてかさなる心なり。日本紀に景行天皇の御哥にも、たゝみこもへくりの山の白かしとよませたまへり。第九に、わかたゝみ三重の川原とつゝけたることく心得へし。第十一に、
  たゝみこもへたてあむかすかよひせはといふは、似たることなれと、今の心にあらす。八重疊へくりの山とつゝけたる心うたかひなし
 
嗤2咲黒色1歌一首
 
3844 鳥玉之斐太乃大黒毎見巨勢乃小黒之所v念可聞《ヌハタマノヒタノオホクロミルコトニコセノヲクロカオモホユルカモ》
 
烏玉は大黒と云はむためなり、大黒小黒は黒の馬によそへて云なり、斐太も巨勢も共に氏なり、下の注に明なり、第六に帥大伴卿|日本路《ヤマトヂ》の吉備の兒鳥を過て行かば筑紫の兒島おもほえむかもとよまれたると誠と戯とは殊なれど相似たる歌なり、五雜組云、唐(ノ)初梁實好2嘲戯(ヲ)1曾因(テ)2公行1至2貝州1、問2貝州(ノ)佐史(ニ)1云、此州(ニ)有2趙神徳(トイフモノ)1甚能(ク)嘲(ス)、即令v召v之、寶顔甚(ハダ)黒、廳(ノ)上憑v案以待(ツ)、須臾《シバラクアツテ》神徳入、兩眼倶赤、寶即云趙神徳天上既(ニ)無v雲、閃電何(ヲ)以(テカ)無2准則1、答云|向《サキニハ》者入v門來(レハ)案後惟見2一挺墨1、寶又云官裏料2※[石+朱]砂(ヲ)1半眼供2一國1又答云、(13)磨(バ)2公小拇指1塗2得太社北(ヲ)1寶更無2以對1、愧謝遣v之(ヲ)、
 
初、ぬは玉のひたの大くろ くろといへは馬ときこゆるなり。第四第十三にぬはたまの黒馬とあるを、こまとよめるも、かひのくろこまなといひて、くろきに名馬もきこゆる故なるへし。第六に大納言大伴卿
  やまとちのきひのこしまを過てゆかはつくしの小嶋おもほえんかも
これ筑紫より上らるゝ時に、遊女兒島かよめる哥のかへしなり。たはふれとまことゝことなれと、哥のやう似たり。五雜組曰。唐(ノ)初梁實好2嘲戯(ヲ)1。曾因2公行1至2貝州1。問(ニ)2貝州佐史1云(ク)。此州有2趙神徳(ト云モノ)1甚能嘲(ト)。即令v召v之。寶顔甚黒。廳上憑v案以待。須臾神徳入。兩眼倶赤。寶即云。趙神徳、天上既無v雲。閃電何以無2准則1。答云。向者《サキニ》者入v門來案後惟見2一挺墨1。寶又云。官裏料2※[石+朱]砂1半眼供2一國1。又答云。磨2公小拇指1塗2得太社北1。寶更無2以對1。愧※[言+身+矢]遣v之
 
答歌一首
 
3845 造駒土師乃志婢麻呂白爾有者諾欲將有其黒色乎《コマツクルハシノシヒマロシロニアレハサモホシカラムソノクロイロヲ》
 
土師氏は後に菅原と改たむ、埴を以て樣々の物の形を作る事をつかさどる氏なりさて駒造ルとは云へり、諾はウベと讀べし、水通が歌に所念と云へるに依てほしからむと云へり、甲斐の黒駒など云ひて馬は黒《クロ》に名の聞ゆるが多けれげ、小黒がおもほゆるとて、我等が黒色をほしがらるゝは、諾ことわりなりとよめるなり、若は水通が色は源氏物語に色は雪耻かしう白くてさをにとかけるばかり白過けるにや、神代紀上云、天(ノ)穗日(ノ)命、此出雲|臣《オブト》武藏國|造《ミヤツコ》土師《ハシノ》連等(ガ)遠祖(ナリ)也、垂仁紀云、三十二年秋七月甲戌朔己卯、皇后日葉酢媛命【一云2日葉酢根命1也、】薨、臨v葬有v日焉、天皇詔2群卿1曰從v死之路前知v不v可、今此行之葬|奈之爲何《イカヾセム》、於v是野見宿禰進曰云々、喚2上出雲國之|土師《ハシ》壹佰人1、自領2土師《ハシ》等1、取v埴以造2作人馬及種種物形(ヲ)1獻2于天皇1曰云々、天皇厚賞2野見宿禰之功1亦賜2鍛地1、即任2土部職1因改2本姓1謂2土部臣1云々、所謂野見宿禰是土部連等之始祖(ナリ)也、光仁紀云、天應元(14)年六月戊子朔壬子遠江介從五位下土師宿禰古人、散位外從五位下土師宿禰道長等一十五人言、土師之先出v自2天穗日命1、其十四世孫名(ヲ)曰2野見宿禰1云々、望請因2居地名1改2土師1以爲2i菅原姓1、勅|依《マヽニ》v請《コハシノ》許v之、
 
初、こまつくるはしのしひまろ 土師氏は、埴をもてさま/\の物の形を作ることをつかさとれは、かくはつゝけたり。神代紀上云。天穗日命。此出雲|臣《オフト》、武藏國(ノ)造《ミヤツコ》、土師《ハシノ》連等(カ)遠(ツ)祖(ナリ)也。垂仁紀云。三十二年秋七月甲戌朔己卯皇后日葉酢媛命【一云日葉酢根命也】薨。臨v葬有v日焉。天皇詔2群卿1曰。從v死之道前知v不v可。今此行之葬奈之爲何。於v是野見宿祢進曰。〇喚2上出雲國之|土部壹佰人1自領2土部等1取v埴以造2作人馬及種々物形1獻2于天皇1曰。〇天皇厚賞2野見宿祢之功1亦賜2鍛地1。即任2土部職1。因改2本姓1謂2土部臣1。〇所謂野見宿祢是土部連等之始祖也。光仁紀云。天應元年六月戊子朔壬子、遠江介從五位下土師宿祢古人、散位外從五位下土師宿祢道長等一十五人言。土師之先出v自2天穗日命1。其十四世孫名曰2野見宿祢1。〇望請因2居地名1改2土師1以爲2i菅原姓1。勅依v請許v之。しろにあれはとは、源氏物語に色は雪はつかしうしろうてさをにといへるかことし。俗にもなましらけたりといへり。馬と水通か色の白過たるによせて、さもほしからんとは戯るゝなり。諾はむへともよむへし
 
右歌者傳云、有2大舍人土師宿禰水通1、字曰2志婢麻呂1也。於v時大舍人巨勢朝臣豐人字曰2正月《ムツキ》麻呂1、與2巨勢斐太朝臣1【名字忘之也、島村大夫之男也、】兩人竝此彼1貌《カタチ》黒色(ナリ)烏、於v是土師宿禰水通作2斯歌1嗤咲者、而巨勢朝臣豐人聞之、即作2和歌1酬咲也、
 
豐人は未詳、巨勢斐太朝臣は元正紀云、養老三年五月己丑朔癸卯從七位上巨勢斐太臣|大男《オホヲ》等二人並賜2朝臣姓1、注島大夫は島村大夫なるを村の字の落たる歟、聖武紀云、天平十六年閏正月天皇|行2幸《イデマス》難波(ノ)宮(ニ)1、治部大輔正五位下紀朝臣清人、左京亮外從五位下巨勢斐太朝臣島村二人爲2平城宮(ノ)留守1、十七年正月己未朔乙丑外從五位下巨勢斐多朝臣授2外從五位上1、十八年五月從五位下、同九月刑部少輔、烏は焉に作るべし、
 
初、巨勢斐太朝臣 元正紀云。養老三年五月己丑朔癸卯從七位上巨勢斐太臣|大男《オホヲ》等二人並賜2朝臣姓1。注島大夫は島村大夫なるを、村の字を脱せる歟。聖武紀云。天平十六年閏正月天皇行2幸難波宮1。〇治部大輔正五位下紀朝臣清人、左京亮外從五位下巨勢【疑脱斐太二字】朝臣島村二人爲2平城宮留守1。十七年正月己未朔乙丑外從五位下巨勢斐多朝臣嶋村授2外從五位上1。十八年五月從五位下。同九月刑部少輔。色烏、焉の誤字なり。此集中おほし。但和名集に唐韻を引て通するよしをいへり【ありところをわする】
 
(15)戯2嗤僧1歌一首
 
3846 法師等之鬢乃剃杭馬繋痛勿引曾僧半甘《ホフシラカヒケノソリクヒニウマツナキイタクナヒキソホウシナカラカモ》
 
鬢は上に云如く鬚歟、馬は杙にも繋げばかくは云なり、僧半甘は痩たる僧なれば僧の半分許なれば痛くひかば倒るべければなひきそと云なり、
 
初、ほふしらかひけのそりくゐに これはちひさき僧を檀那か戯にあさけりてよめるなり。ほふしなからかもは、なからにならんといふ心なり。鬢は鬚のあやまりなるへし
 
法師報歌一首
 
3847 檀越也然勿言?戸等我課?徴者汝毛半甘《タムヲチヤシカモナイヒソサテコラワカエタスハタラハナレモナカラカモ》
 
檀越は舊譯の梵語、新譯には檀那なり、唐には布施と飜す、僧の施主を呼詞なり、?戸等我をテコラワガと點ぜるは誤なり、テコドモガと讀べし、手兒は妻なり、課役をモエタチと讀べし、課役は房事なり、徴るは責る意なり、房勞に虚損せば汝も今やがて半にならむぞと戯ふれてかへせり、
 
初、檀越やしかもないひそ 檀越は舊《ク》譯の梵語、新譯は檀那《ダンナ・タンナウ》なり。此には布施といふ。三施の中に財施をなすをおもてとす。しかもないひそはさはないひそなり。てこともかは、妻妾をいへり。ゑたしはたらはとは、房勞にせめられは、汝も今やかて虚損してなからにならんそとたはふるゝなり
 
夢裡作歌一首
 
(16)3848 荒城田乃子師田乃稻乎倉爾擧藏而阿奈干稻干稻吾戀良久者志《アラキタノシシタノイネヲクラニツミテアナウタウタシワカコフラクハ》
 
荒城田は第七に荒木の小田とよめるに同じ、大和國宇智郡の荒城なり、子師田は第十二に鹿猪田禁如《シヽタモルゴト》とよめるしゝ田〔三字右○〕にて、しゝのつく田なめり、アナウタ/\シとは稻を熟《コナ》すにはこきもし打もすればあなうたまほしと云ひて多と登と通ずればあなうと/\しとそへたる歟、于稻于稻志とかけるは稻と云より思ひよりてなり、梅を烏梅、楊を楊奈疑とかける類なり、第六に忌部首黒麿恨2友?1歌とて有しに今の注を引合せて思ふべし、友を戀たる人と見えたり、
 
初、あらきたのしゝ田の稻を 荒木田は第七にも、ゆたねまくあらきの小田をもとめむとゝよめり。その哥前後にあまた大和の名所をよめる中につゝまれたれは、延喜式第九神名上に、大和國宇智郡荒木神社と載られたるそこなるへし。しゝ田は、第十二にも、小山田のしゝ田もることゝよめる哥に、鹿猪田とかけり。しゝのつく田をいへり。あなうた/\しとは稻を打といふによせて、長流はうと/\しなといふ義あれとひかことなり。うたゝといふ心なり。うたゝはあまりなるといふ心なれは、わかこふらくのあまりなりとはよめるなりといへり。子師田のいねといふよりおもひよりて、于稻于稻志とはかけり。多宇反豆なれは三五相通して、豆を登にも轉して、うと/\しとこゝろ得むも、かならすひかことゝもさためかたかるへし
 
右歌一首忌部首黒麿、夢裡伸2此戀歌1贈v友、覺而不誦習如v前、
 
不誦習は不は衍文なるべし、
 
初、注の中の不の字は衍文なるへし
 
厭2世間無常1歌二首
 
(17)智度論云、無常(ニ)有2二種1、一(ニハ)相續法壞無常1、二(ニハ)念念生滅無常、攝大乘論云、無常(ニ)有2三種1、一(ニハ)念念壞滅無常、二(ニハ)和合離散無常、三(ニハ)畢竟如是無常(ナリ)、
 
初、厭世間無常歌 攝大乘論云。無常有2三種1。一(ニハ)念々壞滅(ノ)無常。二(ニハ)和合離散(ノ)無常。三(ニハ)畢竟如是(ノ)無常
 
3849 生死之二海乎厭見潮干乃山乎之努比鶴鴨《イキシニノフタツノウミヲイトヒシミシホヒノヤマヲシノヒツルカモ》
 
生死の海は華嚴經(ニ)云(ク)、何能(ク)度2生死海1入2佛智海1、は深くして底なく廣くして限りなき物の能人を溺らすこと無邊の生死の衆生を沈没せしむるに相似たれば喩ふるなり、潮干乃山は名所にあらず、海水の滿る時も山はさりげなき如く生死を海に喩へたるに付て涅槃究竟の處には生滅の動轉もなければ涅槃山とも云故に寂滅無爲の處に強て名付たり、鹽の滿ぬ處には干ると云名もなけれど生死の此岸より彼岸を指て假に潮干の山と云なりと云が如し、
 
初、いきしにのふたつの海を 華嚴經云。云何能度(シテ)2生死海(ヲ)1入2佛智海1。生死の苦海とて海に喩ふるは常の事なり。生死におほるゝ六凡を此岸とし、涅槃に差別ありといへとも四聖を彼岸として其間を海にたとふるなり。ふかうして底なく、廣うしてかきりなき生死なれは、海はしたしきたとひなり。潮干の山といふは、かのきしなり。しほのひたるを生死海のかはきたるになして、それをしのふといふは、無爲の樂果をねかふなり。しほひの山はもとよりさいふ名所あるを、名をかり用たるへし
 
3850 世間之繁借廬爾住々而將至國之多附不知聞《ヨノナカノシケキカリホニスミ/\テイタラムクニノタツキシラスモ》
 
宮も藁屋もはてしなければ皆旅人のかりほの如し、
 
右歌二首河原寺之佛堂裡(ニ)在(ル)佞琴(ニ)面v之
 
(18)孝徳紀云、聞2旻《ミム》法師命終1而遣(シテ)v使弔云々、遂爲(ニ)2法師1多造2佛菩薩像1安2置於川原寺1、元享釋書に齊明天皇の時是ある由かゝれたるは誤りなり、天武紀云、二年三月、是月聚2書生1始(テ)寫2一切經於川原寺1、凡そ天式紀には大官大寺川原寺飛鳥寺の三寺と云ひ、又川原寺とのみ云へることあまた處に見えたり、橘寺より二町許北に當て礎今に殘れりとぞ、
 
初、河原寺 舒明紀云。十一年秋七月詔曰。今年造2作大宮及大寺1。則以2百濟川側1爲2宮處(ト)1。是以西民造v宮東民作v寺。便以2書《フムノ》直縣(ヲ)1爲2大匠(ト)1。十二月於2百濟川側1建2九|重《コシノ》塔1。孝徳紀云。聞2旻《ミン》法師命終1而遣v使弔。〇遂爲2法師1多造2佛菩薩像(ヲ)1安2置於川原寺1。天武紀云。是月【二年三月】聚2書生1始寫2一切經於川原寺1。十一年三月甲午朔丁卯爲2天皇體不豫1之三日誦2經於大官大寺、川原寺、飛鳥寺(ニ)1。因以v稻納2三寺1各有v差。十四年秋七月乙巳朔丙戌幸2于川原寺1施2稻於衆僧(ニ)1。九月甲辰朔丁卯爲2天皇體不豫1之三日誦2經於大官大寺、川原寺、飛鳥寺1因以v稻納2三寺1各有v差。朱鳥元年夏四月庚午朔壬午爲v饗2新羅客等1運2川原寺|伎《クレ》樂於筑紫1。仍以2皇后宮之私稻五十束1納2于川原寺1。五月庚子朔葵亥天皇體不v安。因以於2川原寺1説2藥師經1。六月己巳朔丁亥勅遣2百官人等於川原寺1爲2燃燈供養1
 
3851 心乎之無何有乃郷爾置而有者藐孤※[身+矢]能山乎見末久知香谿務《コヽロヲシフカウノサトニオキタラハハコヤノヤマヲミマクチカケム》
 
無何有、【六帖如2今點1、別校本云、ムカウ、】  置而有者、【官本又云、オキテアラハ、】
 
無何有の郷藐孤※[身+矢]の山は共に荘子に出たり、莊子云、彼至人者歸2精神乎無始1而甘2瞑乎無何有(ノ)之郷(ニ)1、又云周※[行人偏+扁】咸三(ノ)者異(ニシ)v名同(シテ)v實(ヲ)其|指《ムネ》一(ナリ)也、甞相與(ニ)遊2乎無何有(ノ)之宮(ニ)1、同合而論無v所2終窮(スル)1乎、又云、惠子謂(テ)2莊子(ニ)1曰、吾有2大樹1人謂2之(ヲ)樗(ト)1云々、莊子曰、今子有2大樹1患2其無(ヲ)1v用、何不v樹2之於無何有(ノ)郷廣莫(ノ)之野(ニ)1、又云、厭則(トキハ)又乘(テ)2夫《カノ》莽眇之鳥(ニ)1以出(テハ)2六極之外1、而遊2無何有之郷(ニ)1、以處2壙※[土+艮](ノ)野(ニ)1莊子は老子に依て虚無を宗とす、道を説こと寓言多ければ無(19)何有山は彼虚無の處に名付たり、さる處有にあらず、藐孤※[身+矢]山は又云、藐姑射(ノ)山(2)有(テ)2神人1居(レリ)焉、肌膚若(シ)2氷雪1、綽約(トシテ)若(シ)2處士(ノ)1、不v食2五穀(ヲ)1、吸(ヒ)v風飲(テ)v露(ヲ)乘2風氣1御(シテ)2飛龍(ニ)1而遊2四海(ノ)之外(ニ)1、其神凝(テ)使《シム》dv物(ヲ)不2疵※[病垂+萬](セ)1而年穀熟(セ)u、姑を今孤に作れるは不審なり、暗記してふとたがへる歟、列子云、列姑射山(ハ)在2海何(ノ)州中(ニ)1、此列姑射に似たる名なれば同じうして別處ある歟、本朝の習ひ太上天皇の仙洞を藐姑射の山によそへて申事は脱?して無爲に優遊したまふ意なり、偏に仙院をのみ申す事と思へるは誤なり、見マク近ケムは見る事の近からむとなり、六帖に此歌を雜思に入れたるはおぼつかなし、
 
初、こゝろをしふかうのさとに これは莊子のこゝろにて無爲にあそふことをよめり。莊子云。彼至人者歸2精神乎無始1而甘2瞑(ス)乎無何有之郷(ニ)1。又云。周※[行人偏+扁】咸三者異v名同v實其指一也。甞相與遊2乎無何有之宮1同合而論無v所2終窮1乎。又云。惠子謂2莊子1曰。吾有2大樹1人謂2之樗1。〇莊子曰〇今子有2大樹1患2其無1v用何不(ル)v樹2之於無何有郷、廣莫之野1。又云。厭則又乘2夫莽眇之鳥1以出2六極之外1而遊2無何有之郷1以處2壙※[土+艮]野1。はこやの山は莊子又云。藐姑※[身+矢]山有2神人1居焉。肌膚若(シ)2氷雪1。綽約若2處士1。不v食2五穀1吸v風飲v露乘2風氣1御2飛龍1而遊2四海之外1。其神凝使d物(ヲシテ)不(シテ)2疵※[病垂+萬](セ)1而年穀熟(セ)u。列子云。列姑※[身+矢]山(ハ)在2海河(ノ)洲中(ニ)1。此列姑射も藐姑※[身+矢]なるへし。本朝にはいつとなく仙洞をのみはこやの山と申ならへれと、心を得はひろく澹然無爲の境をいふへし。本文は藐姑射なるをこゝに姑を孤になせるは音の相近き故か。暗記のたちまちにわすれてたかへる歟
 
右歌一首
 
3852 鯨魚海海哉死爲流山哉死爲流死許曾海者潮干而山者枯爲禮《イサナトリウミヤシニスルヤマヤシニスルシネハコソウミハシホヒテヤマハカレスレ》
 
此は旋頭歌なり、落句は神代紀上云、復使2青山(ヲシテ)變枯《カラヤマトナセ》1第十三に高山與海社者《タカヤマトウミコソハ》とよめる歌は人のはかなきに對してしばらく海山を常なるやうに云へり、今は末遂に其海山も變壞に至る事をよめばことわり違はず、
 
初、いさなとりうみやしにする 依報正報の中に正報の人身等は無常なりとおもへとも、依報の山海等は常住なるやうにおもへるを、おとろかしてよめるなり。神代紀上云。復使2青山(ヲシテ)變枯《カラヤマトナセ》1。第十三に
 高山と海こそは山のまにかくもうつなひ海のまにしかたゝならめ人はあたものそ空蝉の世人。これはしはらく人のはかなきに對して、海山を常なるやうにいへり。今の哥はつゐに變壞にいたることをよめはことはりたかはす
 
(20)右歌一首
 
嗤2咲痩人1歌二首
 
3853 石麻呂爾吾物申夏痩爾吉跡云物曾武奈伎取食《イシマロニワレモノマウスナツヤセニヨシトイフモノソムナキトリメセ》 賣世《メセ》反也
 
吾物申は仁徳紀に國依媛が歌云、椰莽辭呂能《ヤマシロノ》、菟菟紀能瀰椰珥《ツヽキノミヤニ》、茂能莽烏輸《モノマヲス》云々、古今集云、打渡す彼方人に物申す我云々、夏痩は或醫師に尋侍りしかば此國に申習はしたる事にて中華の醫書には見えず、夏病と云をそれにやと推し意得る由申しき、ムナキは俗にはうなぎ〔三字右○〕と云ふ、武と宇とは同韻にて通ず、和名云、文字集略云、※[魚+壇の旁]【音天、和名無奈木、】黄魚鋭頭(ニシテ)口在(ル)2頸下(ニ)1者也、本草云、※[魚+旦]【上音善、和名上同、】爾雅(ノ)注(ニ)云※[魚+單](ハ)似(タリ)v蛇(ニ)【今按※[魚+單]即※[魚+旦]字也、】俗には鰻をうなぎとよめども本草云鰻※[魚+麗]魚【變〓二音、和名波之加美伊乎、】とあれば別なり、むなきの夏痩を治すると云も俗説に付てなるよし、第八に紀女郎が家持に※[草がんむり/弟]花を贈る歌に御食て肥ませとよめるが如し、
 
初、石まろにわれ物まうす むなきはうなきにて、※[魚+壇の旁]の字なり。第八に紀女郎か家持に茅花を贈る哥に
  わけかためわか手もすまに春の野にぬけるつはなそめしてこえませ
 
(21)3854 痩々母生有者將在乎波多也波多武奈伎乎漁取跡河爾流勿《ヤセ/\モイケラハアラムヲハタヤハタムナキヲトルトカハニナカルナ》
 
ハタヤハタはまさにやまさになり、あなかしこといましむる意なり、此歌は右の歌の意をみづから押返してよめり、神仙を求むとて其器にあらざる者多くは藥のために誤まられ、韓退之が病を治するとて硫黄を服して死し、賈島が牛内を※[口+敢]ふに依て病を得て死したる類皆うなぎ取とて河に流れたるものなり、
 
初、やせ/\もいけらはあらむを これ世の人のためによきをしへの哥なり。賈島か牛肉をくらふによりて、かへりて病を得て死けるは、※[魚+壇の旁]とるとて川になかれしものなり。おしあけていはゝ、天然貧賤なるものゝ、しひて富貴をとらんとするたくひ、富貴の手にいらさるのみにあらす、いとゝ貧賤になりまさるもまた川になかるゝものなり
 
右有2吉田連老(イフモノ)1字曰2石麻呂1、所v謂仁教之子也、其老爲v人身體甚(ダ)疲《ヤセタリ》、雖(トモ)v多(シト)2喫《ケイ》飲1、形似2飢饉(ニ)1、因v此大伴宿禰家持聊作2斯歌1以爲2戯咲1也、
 
石麻呂は宜かねなり第五に宜が處に文徳實録を引が如し、光仁紀云、寶龜九年二月辛巳内藥佐外從五位下吉田連古麻呂爲2豊前(ノ)介(ト)1、十年二月壬午外正五位下、天應元年四月已丑朔癸卯正六位上、此は外正五位上を外を落し五を誤て六に作れ(22)る歟、此古麻呂は今の石麻呂を石を誤て古に作れるにや、儒教の君子なりとほむる意なり、疲は痩を誤れるなり、此歌并注は上に黒色を嗤咲歌あり、其次に有べし、若錯亂せる歟、
 
初、字曰石麻呂 光仁紀云。寶亀九年二月辛巳内藥佐外從五位下吉田連古麻呂爲2兼豊前介1。十年二月壬午外正五位下。天應元年四月己丑朔癸卯正六位上。石麻呂を紀にあやまりて古麻呂になすなるへし。印本誤おはきゆへなり。疲はこれ痩の字なるへし
 
高宮王詠2數種物1歌二首
 
高宮王は考る所なし高宮は葛上郡の郷の名なり、此二首上の境部王の歌のつゞきに有べき歌なり、
 
3855 葛英爾延於保登禮流屎葛絶事無官將爲《フチノキニハヒオホトレルクソカツラタユルコトナクミヤツカヘセム》
 
葛英、【幽齋本、作2※[草がんむり/皀]莢1、】
 
葛英は和名集葛類云、「本草云、※[草がんむり/皀]莢【造夾二音、和名加波良布知、俗云2蛇結1、」周禮云、其桓草(ハ)宜2莢物(ニ)1、注(ニ)云、薺莢(ハ)三棘之屬、疏云即今皀莢也、今按※[草がんむり/皀]莢は葛類なる故に葛莢とかけるを莢と英と似たれば今の如く誤りかける歟、本より※[草がんむり/皀]莢と書たらば※[草がんむり/皀]と葛とは書たがふべくも見えず、字書に※[白/十]を皀に作れる事はあれど艸に從ふる由(ノ)事は見えぬを後に加へたる歟、さて此※[草がんむり/皀]莢は俗に西海子の木と云へり、大木になる物なり、唐の文に※[草がんむり/皀]莢樹とか(23)ける事あるは※[草がんむり/皀]莢は草にて實などの※[草がんむり/皀]に似たるを云歟、然らば西海子は皀莢樹なるべし、和名に葛類に入れて俗云?結とは葛の?に似たる歟、實の似たる歟、西海子は長さ六七寸もありて黒くて恐ろしく?結とも云べく見ゆる物なり、今フヂノキと點ぜるは和名の加波良布知を略して西海子の木なるべし、ハヒオホトレルとははひゝろがりて亂るゝ意なり、源氏物語手習の卷に髪のすその俄におほとれたるやうにしどけなくさへぞかれたる云々、枕草子に薄を云へるに冬の末までかしらいと白くおほとれたるをもしらで云々、屎葛は和名集云、辯色立成云、細子草【和名久曾加豆良、】君を※[草がんむり/皀]莢樹にたとへ我身を細子草になして云へる下句なり、
 
初、ふちの木にはひおほとれる 葛英は二字ともにあやまりて※[草がんむり/皀]莢なるへし。和名集葛類下云。※[草がんむり/皀]莢(ハ)本草云。※[草がんむり/皀]莢【造夾二音。和名加波良布知。是俗云2※[虫+也]結《ジヤケチト》1。」西海子といふ木なるを、葛類に入られたるはいかなる心にか。※[虫+也]結は彼木の實なり。そのかたちまことに※[虫+也]結ともいふへく、百足《ムカテ》にも似たり。清少納言か見たらましかは、おそろしき物の中につるはみのかさとおなしく載へき物なり。物なとあらふにも用、馬醫なとも用とかや。おほとれるははひこる心なり。源氏物語手習にかみのすそのにはかにおほとれたるやうにしとけなくさへそかれたるむつかしき事ともいはてつくろはむ人もかなといへり。くそかつらは和名集云。辨色立成云。細子草【和名久曾加豆良】
 
3856 波羅門乃作有流小田乎喫烏瞼腫而幡幢爾居《ハラモンノツクレルヲタヲハムカラスマナフタハレテハタホコニヲリ》
 
梵語の波羅憾摩《ホラカムマ》は清淨の義なり、此を略して婆羅門と云ひ最略して梵とのみ云へり、天竺に四種の姓ある中に婆羅門は漢に准らへば土の如し、梵天種姓にて淨行を宗とし廣學多智にして國家の宰臣ともなるなり、今此婆羅門を取出られたる其故をしらず、奥義抄に、はつをもの作りたる田をとあるは假名本の書たがへたるを見られけるにや、マナフタハレテとは烏はまなふたの腫たるやうに見ゆる鳥なり、ハ(24)タホコニヲリは田をはみ飽て後幢に上りてをるなり、今も桔※[木+旱]の柱上などに居るを見ては先此歌の思ひ出らるゝなり、
 
初、婆羅門のつくれる小田を 梵語の没羅《ボラ》【二合】憾摩《カムマ》【二合】は清浄の義なり。これを畧して婆羅門といひ、猶畧して梵とのみいへり。天竺に四姓あり。婆羅門は梵天種姓にて浄行をもとゝし、廣學多智にして國家の宰臣ともなるものなり。漢土の士、本朝の武士やゝこれに似たり。今かうしもよみ出られたる、その故をしらす。當座に人の所望なとによりてよまれて、只ものゝふやうのものゝ名のみなる歟。※[月+僉]は瞼に作るへし。烏はまことにまなふたの腫たるやうにみゆる鳥なり。此哥は婆羅門、田、烏、瞼、幢、以上五種、初の哥は※[草がんむり/皀]莢、細子草、都合七種を二首によめるなり。奥義抄にはつをものつくりたる田にとあるはいかなることそや
 
戀2夫君1歌一首
 
3857 飯喫騰味母不在雖行往安久毛不有赤根佐須君之情志忘可禰津藻《イヒハメトウマクモアラスアリケトモヤスクモアラスアカネサスキミカコヽロシワスレカネツモ》
 
戰國策云、秦王告(テ)2蒙※[螯の虫が鳥](ニ)1曰、寡人一城圍(マレヌレバ)食不v甘v味(ヲ)、臥(トモ)不v便v席《ヤスム》也、アカネサス君とはにほへる君なり、心シのし〔右○〕は助語なり、此歌は七句あれば旋頭歌にあらず、六帖にはかやうなるを小長歌と云へり、
 
初、いひはめとうまくもあらす 文選曹植求2自試1表曰。寢不v安v席食不v違v味。注善曰。戦國策曰。秦王告2蒙|※[敖/馬]《カウ》1曰。寡人一城圍食不v甘v味臥不v便《ヤスンセ》v席也。日本紀第十九云。食《モノ トモ》不v甘《ムマンセ》v味(ヲ)寢不v安v席《シキヰヲ》。あかねさす君とは、紅顔のにほへるをいへり。第十にあから引いろたへの子とよみ、第十一にはあから引はたもふれすてとよめり
 
右歌一首傳云、佐爲王有2近習婢1也、于v時宿直|不《スシテ》v遑《イトマ》、夫君難(シ)v遇(ヒ)、感情馳結、係戀實(ニ)深(シ)、於v是當宿之夜、夢裡相(ヒ)見《ミル》、覺寤《サメサメテ》探抱(クニ)曾(テ)無(シ)v觸(コト)v手(ニ)、爾(シテ)乃(チ)哽※[口+周]《カウエツ》歔《キヨ》欷(シテ)高聲(ニ)吟2詠(ス)此(ノ)歌(ヲ)1、因王聞v之哀慟(シテ)永(25)免(ス)2侍宿《トノヰヲ》1也、
 
覺寤探抱曾無觸手、第四に長門賦遊仙窟など引が如し、哽咽、咽を※[口+周]に作れるは誤なり、
 
初、佐爲《サヰノ》王 すけためとあるかんなは後人のしわさなり。夢裡相見、遊仙窟云。少時坐睡《シハラクヰナカヲマトロムニ》則夢見2十娘1。驚覺攪之忽然空v手。余因乃詠曰。夢中疑2是實1覺後忽非v眞 文選司馬長卿長門賦云。忽寢寐(ニシテ)而夢想(ス)兮。魂若2君(ノ)之在(ルカ)1v傍(ニ)。※[立心偏+易]寐覺《オトロキネサメ》而無v見兮。魂廷々(トシテ)若v有v亡(ナヘル)。此集第四第十二の哥にもよめり。哽咽、咽誤作v※[口+周]
 
3858 比來之吾戀力記集功爾申者五位乃冠《コノコロノワカコヒチカラシルシアツメクウニマウサハコヰノカウフリ》
 
戀力とは戀に勞を積を云へり、源氏の朝顔にかみさびにける年月の勞かぞへられ侍るにと云へり、戀に積たる勞を記し集めて勲功に申すべき事ならば五位にも叙せらるべき程なりと云へるなり、
 
初、此ころの戀ちから 苦労をこひちからといへり。周禮(ニ)王功曰(ヒ)v勲、國功曰v功、民功曰v庸(ト)、事功曰v勞、治功曰v力、戰功曰(フ)v多。此集第四に
  こひ草をちから車になゝくるまつみてこふらくわか心から
源氏物語朝※[白/八]にかみさひにけるとし月のらうかそへられ侍るにといへり。朝※[白/八]の返事にらうなとはしつかにやさためきこえさすへうはへらんときこえ出たまへり。胡蝶に宮大將はおほな/\なをさりことをうち出たまふへきにあらす。又あまりものゝほとしらぬやうならんも御ありさまにたかへり。そのきはよりしもはこゝろさしのおもんきにしたかひてあはれをもわきたまへらうをもかそへ給へなときこえたまへは君はうちそむきておはするそはめいとおかしけなり。螢に兵部卿の宮なとはまめやかにせめきこえたまふ御らうのほとはいくはくならぬに云々
 
3859 頃者之吾戀力不給者京兆爾出而將訴《コノコロノワカコヒチカラタマハスハミヤコニイテヽウタヘマウサム》
 
京兆ニ出テとは田舍の人などの都に出てと云にはあらで左右京職をさして云歟然らばミサトニ出テと讀べきか、京職大夫をみさとのかしと云故なり、
 
右歌二首
 
(26)筑前國志賀白水郎歌十首
 
此歌の故は下の注に詳なり、
 
初、筑前國志賀白水郎歌 此哥の所以《ユエ》は後の注に見えたり
 
3860 王之不遣爾情進爾行之荒雄良奧爾袖振《オホキミノツカハサヽルニサカシラニユキシアラヲラオキニソテフル》
 
不遣爾はツカハサナクニと讀べし、落句は溺るゝさまなり、神代紀下云、潮至(ル)v頸(ニ)時則擧(テ)v手(ヲ)飄掌《タヒロカス》、
 
初、おほきみのつかはさゝるに さかしらは、俗にかしこだてといふかことし。第三に帥大伴卿か酒をほむる哥に、あな見にくさかしらをすと酒のまてとよめる哥には賢良とかけり。此下に情出とかけり。又第三に家おもふとこゝろすゝむなといふに今のことく情進莫とかけるは、さかしらするなともよみぬへし。おきに袖ふるはおほるゝ時の躰をいへり
 
3961 荒雄良乎將來可不來可等飯盛而門爾出立雖待來不座《アラヲラヲコムカコシカトイヒモリテカトニイテタチマテトキマサス》
 
飯盛而とは海人などの妻には似付たり、
 
初、いひもりて門に出立 いやしき妻のまことなり。遊仙窟云。喚2桂心1盛(ラシム)v飯(ヲ)。伊勢物語にてつからいひかひとりてけこのうつわものにもるといへり
 
3862 志賀乃山痛勿伐荒雄良我余須可乃山跡見管將偲《シカノヤマイタクナキリソアラヲラカヨスカノヤマトミツヽシノハム》
 
ヨスガノ山とは荒雄が死骸を尋出て志賀の山に葬けるにや、第三高橋朝臣が悲v傷2死妻1歌にも吾妹子《ワギモコ》が入にし山をよすがとぞ思ふとよめり、
 
初、しかの山いたくなきりそ 第三にも、ことゝはぬ物にはあれとわきもこかいりにし山をよすかとそおもふとよめり。日本紀に因の字資の字をよすかとよめり
 
3863 荒雄良我去爾之日從志賀乃安麻乃大浦田沼者不樂有哉《アラヲラカユキニシヒヨリシカノアマノオホウラタヌハカナシクモアルカ》
(27)去ニシのに〔右○〕は助語なり、安麻は海をあまとも云へば志賀の海なり、大浦田沼は海邊に田ありてそれに沼水を任するを云歟、不樂は第三第四にさびしと讀つれば今の落句もサビシクモアルカと讀てありぬべし、
 
初、大うらたぬ これは海邊に田ありて、それにぬま水をまかするが、荒雄か行てかへらねは、妻子がわさには田をつくりかね、水をまかせかぬる心なり。不樂有哉はさひしくもあれやとよみて、落著をさひしからんと心得へきにや
 
3864 官許曾指弖毛遣米情出爾行之荒雄良波爾袖振《ツカサコソサシテモヤラメサカシラニユキシアラヲラナミニソテフル》
 
第一の歌に大形似たり、
 
初、つかさこそさしてもやらめ さきの第一の哥に大かたおなし心なり。波に袖ふるは神代紀下云。潮至v頸(ニ)時則擧v手(ヲ)飄掌《タヒロカス》
 
3865 荒雄良者妻子之産業乎波不念呂年之八歳乎待騰來不座《アラヲラハメコノワサヲハオモハスロトシノヤトセヲマテトキマサス》
 
産業はナリと讀むべし、第五に家に還てなりをしまさにとよみ、第二十に家の妹が在るべき事と云はず來ぬかもとよめり、胸句のなりはなりはひなり、呂は助語なり、妻子世に立べきやうを計らふ事をも思はず八年までまてども返り來ぬとなり、後注云右以2神龜年中1云々、或云筑前國守山上憶良臣作2此歌1云々、第五に天平二年によまれたる歌にひなに五年すまひつゝ云々、かゝれば天平三年十二月に都へは歸り上られければ今八年と云をまされりとす、數ふれば神龜元年の事にて歌は天平三年によまれたる歟、若あまたの年の心にて八年と云はゞ阿れの年の事とも何れの(28)年の歌とも定むべからず、
 
初、あらをらはめこのわさをはおもはすろ ろは助語なり。第十五に
  人のうゝる田はうゑまさす今更にくにわかれして我はいかにせむ
 
3866 奧鳥鴨云舩之還來者也良乃埼守早告許曾《オキツトリカモトイフフネノカヘリコハヤラノサキモリハヤクツケコソ》
 
神代紀下彦火々出見尊の御歌云、飫企都※[登+こざと]利軻茂豆句志磨爾《オキツトリカモツクシマニ》云々、鴨は能水に浮ぶ物なれば名とするなり、屈原(カ)卜居(ニ)云、將(タ)※[さんずい+巳]々(トシテ)若2水中之鳧1乎、與v波上下|偸《イヤシクモ・タノシムテ》以(テ)全(セムヤ)吾?(ヲ)1乎、鴨云船はカモテフフネハとも讀べし、次の歌此に准らふべし、也良ノ埼は八雲に筑前と注せさせ給へり、此下に熊來乃夜良《クマキノヤラ》とよめり、日本紀に海をアラとよめり、阿と也と同韻にて共に喉音なれば殊に親しく通ぬれば也良は阿良にて海の字にや、
 
初、おきつ鳥かもといふ舟の 鳧は水によくうかふ鳥なるゆへに、舟の名とせるなり。舟に名をつくる事、神代紀下云。于v時彦火々出見尊乃歌之曰。飫企都※[登+こざと]利《・奥津鳥》、軻茂豆句志磨尓《・鳧付島》、和我謂《ヰ》祢志《・我率寢》、伊茂播和素邏珥《・妹不忘》、譽能據※[登+こざと]馭※[登+こざと]母《・世悉》。荊楚歳時記云。南方競渡者治2其船1使2輕利(ナラ)1、謂2之(ヲ)飛鳧(ト)1。穆天子傳云。天子乘2鳧舟1。郭璞曰。舟爲2鳧形制1今呉之青雀舫此(レ)其遺象也。文選屈原卜居曰。將※[さんずい+巳]々若2水中之鳧1乎与v波上下(シテ)偸《イヤシクモ・タノシムテ》以全2吾躯1乎。木玄虚海賦云。鷸《−タルコト・トキコト》如(ク)2驚(ク)鳧(ノ)之失(カ)1v侶(ヲ)※[倏の犬が火](タルコト)如(シ)2六龍之所1v製。張景陽七命曰。榜人奏2采※[草がんむり/陵]之歌1々曰。乘2鳧舟1今爲2水|嬉《タハフレヲ》1。續日本紀第九云。唐人王元仲始造2飛舟1進2之天皇1。嘉歎授(ラル)2從五位下(ヲ)1。應神紀云。五年課2伊豆國1令v造v船名曰2枯野1。廢帝紀云。寶字七年八月辛未朔壬午初遣2高麗國1船名曰2能登1。歸朝之日風波暴急漂2蕩(セントス)海中1。祈曰。幸頼2般靈1平安到v國必請2朝庭1酬以2錦冠1。至v是縁2於宿祷1授2從五位下1。其冠製錦之表※[糸+施の旁](ノ)裏以2紫組1爲v纓(ト)
 
3867 奥鳥鴨云舟者也良乃埼多未弖※[手偏+旁]來跡所聞禮許奴可聞《オキツトリカモトイフフネハヤラノサキタミテコキクトキカレコヌカモ》
 
3868 奧去哉赤羅小舩爾※[果/衣]遣者若人見而解披見鴨《オキユクヤアカラヲフネニツトヤラハワカキヒトミテトキアケミムカモ》
 
アカラ小船は上にあけのそぼ船さにぬりの小船などよめるに同じ、※[果/衣]ヤラバとは荒雄がために奥を行小舟につとをことづけてやらばなり、下句は若き人などは心(29)淺きものなれば解あけてもや見むと心もとなく恥思ふ由なり、今按若人見而をばモシヒトノミテと讀べき歟、
 
初、おきゆくやあからをふねに あからをふねは、上にあけのそほふねといへるかことし。おきゆくあからをふねにことつてゝ、あらをかもとへつとをやらは、ざれたるわかき人がときあけ見むかと心もとなくおもふよしなり。若人見而、これをはもしも人みてともよむへき歟。續齊諧記曰。漢建武中(ニ)長沙區囘白日忽見2一人1。自称2三閭大夫1。謂v囘曰。聞君常被v祭甚善。但常年所v遺並爲2蛟龍1所v竊。今若有v惠可d以2練樹葉1塞v上以2五色絲1轉c縛之u。此物蛟籠所v憚。囘依(ル)2其言(ニ)1
 
 
3869 大舶爾小舩引副可豆久登毛志賀乃荒雄爾潜將相八方《オホフネニヲフネヒキソヘカツクトモシカノアラヲニカツキアハムヤモ》
 
和名云、唐韻云艇【徒鼎反、上聲之重、漢語抄云、艇乎夫禰、遊艇波之布禰、】小船也、釋名云、一二人所(ナリ)v乘也、カヅクトモとは海人なれば海に潜入りて荒雄を尋ぬともなり、
 
初、大ふねに小舟引そへ 和名集云。唐韻云。艇艇【徒鼎反。上聲之重。漢語抄云。艇乎夫祢。遊艇波之布祢】小船也。釋名云、一二人所v乘也。かつくとは舟こきあるくをいへり。第十一にももゝさかの舟かつきいるやうらさしとよめり
 
右以2神龜年中1大宰府|差《サシテ》2筑前國宗像郡之|百姓《ミタカラ》宗形部津麿1、充《アツ》2對馬送v粮船〓師1也、于v時津麻呂|詣《ユイテ》2於澤屋郡志賀村白水郎荒雄之許1、語(テ)曰(ク)、僕有(リ)2小事1、若(シ)疑(クハ)不v許歟、荒雄答曰、走(リ)雖(トモ)2異郡(ナリト)1、同v舩|日《ヒ》久(シ)、志|※[草がんむり/馬]《アツウシテ》2兄弟(ヨリモ)1、在(リ)2於|殉《シユム》死(ニ)1、豈復辭(セムヤ)哉、津麻呂曰、府官差v僕、充2對馬送v粮舶〓師1、客|齒《シ》袁老(シテ)不v堪2海路(ニ)1、故(ニ)來(テ)※[示+弖](タレヨ)侯、願(クハ)垂(レヨ)2相賛(コトヲ)1矣、於v是荒雄許|諾《タク》、遂(ニ)從(フ)2彼(ノ)事(ニ)1、自2肥前國松浦(ノ)縣|美禰(30)良久《ミネラクノ》埼1發舶《フナタチシテ》直(ニ)射《サシテ》2對馬1渡(ル)v海(ヲ)、登(ノ)時忽天暗冥(トシテ)暴風交(フ)v雨(ヲ)、竟《ツヰニ》無2順風1沈2没(ス)海中(ニ)1焉、因v斯妻子等|不《スシテ》v勝2犢慕1裁2作(ス)此謌(ヲ)1、或云、筑前國守山上憶良臣悲2感(シテ)妻子之傷(ヲ)1述v志而作2此(ノ)歌(ヲ)1、
 
充2對馬送v粮舶〓師〔八字右○〕1、延喜式(ノ)主税式上云、凡筑前筑後肥前肥後豐前豐後等國、毎年穀二千石、漕2送對馬島1以充2島司及防人等(ガ)粮(ニ)1、同第五十雜式云、凡運2漕(スル)對馬島(ニ)1粮者毎(ニ)v國作(テ)v番(ヲ)以v次運(セ)送(レ)、和名集云、唐韻云、※[舟+施の旁]【徒可反、上聲之重、字亦作v舵、】正v船木也、楊氏漢語抄云、柁【船尾也、或作v※[木+施の旁]、和語云多伊之、今案舟人呼2挾抄1、爲2※[舟+施の旁]師1是、】詣2於滓屋郡志賀村〔八字右○〕1、延喜式云、糟屋郡志加海神社、和名云。糟屋郡志阿、此は加と阿と通ずる故なり、筑前風土記には資阿島とかけり、今按澤は糟とは似ぬ字なれば滓屋《カスヤ》郡なりけむを滓を澤には書たがへけるなるべし、走雖2異郡〔四字右○〕1、司馬遷答2任少卿1書云、太史公牛馬(ノ)走、文選張平子東京賦云、走雖2不敏(ナリト)1、薛綜(カ)注(ニ)云、走(ハ)公子(ノ)自稱、走使之人(ナリ)、如2今(ノ)言1v僕(ト)矣、殉死〔二字右○〕(ハ)玉篇云殉【詞峻切、用v人送v死也、】願垂2相賛1矣〔五字右○〕、今按賛はたすくとよめども替の字を誤れる歟、美禰良久埼〔五字右○〕は禰は彌にてみゝらくのさきなるを誤まれり、袖中抄云、みゝらくの我日の本の島ならば今日も御影にあはまし物を、顯(31)昭云、此は俊頼朝臣歌也、其詞云、尼上失給ひて後みゝらくの島の事を思ひてよめると有、今考納院坤元儀云、肥前國ちかの嶋、此嶋にひゝらこのさきと云所あり、其所には夜となれば死たる人顯れて父子相見ると云々、俊頼我日本の嶋ならばと詠るは日本にはあらずと存ずるか、考2萬葉第十六1自2肥前國松浦縣美彌良久崎1發v舶云々、此國と云事は一定なり、能因はひゝらこと云ひたれど俊頼みゝらくと讀めるはたがはず、如v此の事慥に考2本文2可(ナリ)v詠(ス)也、不v然者僻事出來歟、沈2歿海中1焉〔五字右○〕、光仁紀云、寶龜三年十二月己未、太宰府言(フ)、壹岐嶋掾從六位上上(ノ)村主《スクリ》墨繩等送2年粮(ヲ)於對馬嶋(ニ)1、俄(ニ)遭2逆風(ニ)1船破(レ)人没(ス)、所(ノ)v載之穀隨(テ)復漂失云々、
 
初、充2對馬送v粮船〓師1 延喜式主税上云。凡筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後等國毎v年穀二千石漕2送對馬島1以充2島司及防人等(カ)粮(ニ)1。同第五十雜式云。凡運2漕對馬島1粮者、毎v國作v番以v次運(ヒ)送(レ)。〓、和名集云。唐韻云※[舟+施の旁]【徒可反。上聲之重。字亦作v舵】正v船木也。楊氏漢語抄云。柁【船尾也。或作v※[木+施の旁]。和語云多伊之。今案舟人呼2挾抄1爲2※[舟+施の旁]師1是。】糟屋郡、糟誤作v澤。糟屋郡志加海神社延喜式。糟屋郡志珂和名集。走《ヤツカリ》。殉死。玉篇云。殉【詞峻切。用v人送v死也。】相替、替誤作賛。美彌良久埼、弥を誤て祢に作れり。顯昭法師の袖中抄云。みゝらくのわかひのもとの嶋ならはけふもみかけにあはまし物を。此哥は俊頼朝臣哥なり。其詞にいはく。尼うへうせ給ふて後みゝらくの嶋のことを思ひてよめると有。今考能困坤元儀云。肥前國ちかの嶋、此嶋にひゝらこのさきといふ所有。其所には夜となれは死たる人あらはれて父子相見ると云々。俊頼わか日のもとの嶋ならはと詠るは日本にはあらすと存する歟。考万葉第十六曰肥前國松浦縣美弥良久崎發船と云々。此國といふ事は一定なり。能因はひゝらこといひたれと俊頼みゝらくとよみたるはたかはす。如此の事慥考本文可詠也。不然は僻事出來なりといへり。此國の外ともいへり。登時《スナハチ》。沈没海中。續日本紀第三十二、光仁紀云。寶龜三年十二月己未太宰府言。壹岐嶋掾從六位上、上(ノ)村主《スクリ》墨繩等送2年粮於對馬嶋1俄遭2逆風1船破人没。所v載之穀隨(テ)復漂失(ス)。謹※[手偏+僉]2天平寶字四年格1漂失之物以2部領使(ノ)公廨1愼備。而(ルヲ)墨繩等※[疑の左+欠](シテ)云。漕送之期不v違2常例1。但風波之災非2力能制1船破人没足v爲2明證1。府量v所v申寶難2黙止1。望請自今己後評2定虚實1徴免(セント)。許之。犢慕、慕誤作v暴
 
3870 紫乃粉滷乃海爾潜鳥珠潜出者吾玉爾將爲《ムラサキノコカタノウミニカツクトリタマカツキイテハワカタマニセム》
 
紫の色の濃《コキ》と云心にコガタノ海とつゞく、八雲に筑前と注せさせ給へり、第十二に越懈乃子難懈《ヲチノウミノコカタウミノ》とよめる越懈をこしのうみとよまば今の粉滷の海もそこなるべし、志賀泉郎の歌のつゞきに何となくて書たれば筑前と思食けるにや、
 
初、紫のこかたのうみに 紫の色の濃といふ心につゝけたり。こかたの海は、八雲御抄に筑前と載させたまへるは、志賀白水郎か歌十首につゝけれはにや。此哥のひたりに右歌一首とあり。次下に角島のせとのわかめとよめる哥は長門なり。しかれは第十二に
  わきもこをよそのみやみんこしの海のこかたのうみの嶋ならなくに
これとおなしく北陸道に有といふへし。又清原元輔家集にいはく。中つかさかあるところにまかりたりしに貝をこにいれて侍しに
  浪まわけみるかひしなしいせのうみのいつれこかたのなこりなるらん
これによれはいせにもこかたといふ所のあるにこそ
 
右歌一首
 
(32)3871 角島之迫門乃稚海藻者人之共荒有之可杼吾共者和海藻《ツノシマノセトノワカメハヒトノトモアレタリシカトワカトモハワカメ》
 
角島は長門なり、延喜式第二十八云、長門國角島牛牧云々、二つの共は並にムタと讀べき歟、人ノムタは人とゝもにて人のためにはと云はむが如し、吾共者も此に准らへて知べし、荒有之可杼はアラカリシカドとも讀べし、ワカメを若女《ワカメ》になして人の刈にはわかめの名にもおはずあらめのやうにあらかり、アレタリシカドも我刈には誠の名に負わかめにてやすく刈らるゝなり、にきめとも云へばわかめもやはらかなる意なり、落句に和海藻とかけるは和〔右○〕はわか、海藻〔四字右○〕はめ〔右○〕なり、此にても意得べし人の云ひ依るをばあらびて聞入れず、我にはやすく靡き隨ふをうれしびてよめるなり、歌のやうを思ふに長門國の白水郎がよめるにや、第二に内大臣藤原卿の我はもや安見兒《ヤスミコ》得たりと讀たまへる歌の意に似たり、
 
初、角島のせとのわかめは 角島は長門なり。演義式第二十八云。長門國角嶋牛牧。わかめは和名集云。本草云。海藻(ハ)味苦鹹。寒(ニシテ)無毒。【和名迩木米。俗用2和布1。】下に和海藻とかけるも、和は音を取にあらす。和布の心にて、和を和加とよみ、海藻を女とせり。此哥の心は、わかめといふ名より女にたとへて、人のともあれたれしかとゝは、つの嶋のせとのわかめを、人がからんとすれは、わかめといふ名にもおはず、せとのことくあれてありしかとも、わかゝるからにまことのわかめにて、やすくかるといふ心にて、人のいひよるにはあらびてきゝいれず、我にはなひきしたかふをかなしふ心なり。右二首はあまか哥なるへし
 
右歌一首
 
3872 吾門之榎實毛利喫百千鳥千鳥者雖來君曾不來座《ワカカトノエノミモリハムモヽチトリチトリハクレトキミソキマサヌ》
 
第二句は毛利と牟禮と同音にて通ずれば榎實を群《ムレ》てはむとよめる歟、又各榎實を(33)守り居てはむと云にや、百千鳥は鳥の多きなり、上に百鳥とよみ、末に五百津烏千鳥などよめるに同じ、百千鳥と云鳥の名にあらず、再たびたゝみて云時百を捨て千鳥ハ云にても知べし、八雲に※[(貝+貝)/鳥]の所に又榎實をくふと云へりと遊ばされたるは※[(貝+貝)/鳥]を百千鳥と云説に依て此歌を思召たがへられたる歟、第七に鳥はすだけど君は音もせずとよめると意同じ、
 
初、わかかとのえのみもりはむ 長流がいはく。もりはむは盛てはむなり。鳥のこのみくらふに器にもることはなけれとも、惣してくひものをは盛てはむならひなれは、かくよむことならひなりといへり。今案毛と牟と、利と禮と、共に五音通すれは、むれ居てはむ心に、むれはむといへるにや。もゝちとりは何となく、よろつのちひさき鳥のあつまることなり。鶯をいふ説あれと、此哥にはかなはさるなり。もゝちとりといひて、千鳥はくれとゝいへるにて心得へし。八雲御抄に、鶯はえのみをくふといへりと有。これ此哥によりていひならはせる説をあけさせ給ふめれと、鶯は榎のみくふものにあらぬことは、その比すへてこゝにをらぬ鳥なり。えのみはまんとておほくの小鳥ともはくれとも君はこぬとなり。第七に
  夏そひくうなかみかたのおきつすに鳥はすたけと君は音もせす
第五第六には百鳥とよみ、第十七には朝かりにいほつ鳥たてゆふかりにちとりふみたてともよめり
 
3873 吾門爾千鳥數鳴起余起余我一夜妻人爾所知名《ワカヽトニチトリシハナクオキヨオキヨワカヒトヨツマヒトニシラスナ》
 
所知名、【校本云、シラルナ、】
 
千鳥は上の歌の千鳥、又第十一に明ぬべく千鳥しば鳴とよめると同じ、冬鳴水鳥の別名にて起ヨ/\我一夜妻とは女の夫君を催ほして起すなり、落句は人ニ知ラルナとよめるよし、神樂歌に庭鳥はかけろと鳴ぬなり、起よ/\我かとよつま、人もこそ見れ、是今の歌に似て意も同じ、かとよつまは日とよつまなど書たる日の字の草の可の字を極草にかけるにやまがひけむ、
 
初、わかゝとにちとりしは鳴 第十一に
  あけぬへく千鳥しは鳴白たへの君か手まくらいまたあかなくに
神樂哥に
  庭鳥はかけろとなきぬなりおきよ/\わかかとよつま人もこそみれ
かとよつまは、一夜妻を日とよつまとかきけんか、日の字のかとなれるなるへし。ひとよつま、常は遊女をいへと、これはひとよあふつまをおしていへるなるへし
 
右歌二首
 
(34)3874 所※[身+矢]鹿乎認河邉之和草身若可倍爾佐宿之兒等波母《イルシカノトムルカハヘノニコクサノミワカキカヘニサネシコラハモ》
 
所※[身+矢]、【別校本、※[身+矢]作v射、】
 
發句は古風に依てイユシヽヲと獨べし、齊明紀云、四年五月、皇孫|建《タケルノ》王八歳薨、輒作v歌曰、伊喩之之乎《イユシヽヲ》、都都遇何播杯能《ツナグカハベノ》、倭柯矩娑能《ワカクサノ》、倭柯倶阿利岐騰《ワカクアリキト》、阿我謀婆儺倶爾《アガモハナクニ》、此御製の發句を證とすべし、認と云には二義有べし、一つには獵師の手負せたる鹿の跡を認て行なり、齊明天皇の御歌につなぐとよませ給へるも、俗に跡を認るを跡をつなぐと云へば認《トムル》と繁《ツナグ》と同じ義なり、二つには射られたる鹿の逃行が河邊の和草にあひて彼處に留まりて食居《ハミヲ》る意なり、和名云、鱧賜草【鱧音禮、和名宇末木太之、】狼牙【和名古末豆奈木、】此草馬を來らしむればうまきたし駒の得さらずして食《ハメ》ば駒つなぎとは名付たるべければ准らへて思ふべし、和草を承て身若可倍爾と云へり、今按古事記雄略天皇御製云|比氣多能《ヒケタノ》、和加久流須婆良《ワカクルスバラ》、和加加閉爾《ワカヽヘニ》、韋泥?麻斯母能《ネテマシモノ》、淤伊爾祁流加母《オイニケルカモ》、是は引田《ヒケタノ》赤猪子と云女をまだ處女なりける時物洗ふを御覽じて召べき由勅有けるを待ける帝は忘させ給ひけるをも知らで、彼女老女に成まで待てせめては己が志をも知らせ奉らむと思ひて便を設けてかくと奏しける時、あはれませ給ひて讀せたまへる(35)御歌なり、此御歌に准らへばミノワカヽヘニと讀べき歟、若き時にと云意とおぼえたり、六帖にゝこ草の歌としたるには身若きが上にとあれど古事記も今の書やうも若之上《ワカキガヘ》と云にはあらず、意も亦さは聞えず、所射鹿をば昔逢しに喩ふ、彼鹿の跡を認る河べの和草の如く若かりし時に相寢し兒等はやと尋ぬる意なり、落句の尋ぬる意を以て初め兩義を按ずるに認の字をかけるは正字にて跡を認る方に付べし、
 
初、いるしゝをとむるかはへの 齊明紀云。四年五月皇孫|建《タケル》王八歳薨。〇輙作歌曰。伊|喩《ユ》之々《・所※[身+矢]鹿》乎、都那遇何播杯《・係河邊》能、倭柯矩婆《・若草》能、倭柯倶阿利《・若有》岐騰、阿我謨婆儺倶《・吾不思》尓。これはともにふたつの心あるへし。とむるといふに認の字をかきたれは、かり人の射あてたる鹿の跡をとめゆくなり。俗に跡をとむるを跡をつなくとも申めれはこれ一義なり、又認とはかきたれと留の字の心ともみゆ。手を負たる鹿の跡もなくにけ行が、かはへのにこ草にあひてそこにはみをる心なり。狼牙といふ草を、和名集にこまつなきといへるは、野かひにあるゝ駒も、彼草につきては、つなきたることくそこをはなれぬといふ心になつけたるなるへけれは、つなくとゝもにまたこれ一義なり。和草は上にもいへることく、萩をいへるにやとおほゆ。萩は枝もたをやかに、葉も後まてやはらかなる物なり。ことに鹿の愛する物なれは、かれこれそのよせあり。身わかきかへにとは、身わかきかひにといへる心歟。かひといふは此卷上にあちいひを水にかみなし我待しかひはかつてなしたゝにしあらねは。此かひに代の字をかける所に注しつることし。身のわかきかひありてもろともにねしこらはと、たえて後尋るやうによめるなり
 
右歌一首
 
3875 琴酒乎押垂小野從出流水奴流久波不出寒水之心毛計夜爾所念音之少寸道爾相奴鴨少寸四道爾相佐婆伊呂雅世流菅笠小笠吾宇奈雅流珠乃七條取替毛將申物乎少寸道爾相奴鴨《コトサケヲオシタレヲノユイツルミツヌルクハイテスヒヤミツノコヽロモケヤニオモホユルオトノスクナキミチニアヒヌカモスクナキヨミチニアハサハイロチセルスカカサヲカサワカウナケルタマノナヽツヲトリステモマヲサムモノヲスクナキミチニアヒヌカモ》
 
初の二句琴をばおさへ酒をばたるゝ物なればさてかくはつゞくるなり、琴詩酒とつゞけて云はれ、共に賢人の愛する物なれば琴酒とは云へり、押垂小野は何處に有(36)と云事を知らず、出ル水とは押垂小野に名ある清水の出るなるべし、寒水ノ心モケヤニとは痛くつめたき水を飲つれば肝にこたへてきや/\とおぼゆるを吉と計と通ずればケヤニとは云へり、さてケヤニ思ホユルとは思ひもよらぬ處にて美麗の人に行相て肝のつぶれて驚く意なり、此ケヤニを云はむために發句より下五句は序に云へるなり、音ノ少ナキ道とは人音の少なき道なり、四道は四衢道にて辻なり、義訓してチマタと讀べき歟、相の下に奴鴨の二字落たる歟、少寸道爾相奴鴨にて足れるを古歌なれば少詞を替て少寸四道爾相奴鴨と再たび云へるにや、佐婆伊呂雅世流は雅をチと點ぜるは稚を誤て雅に作れる歟、本より雅にて點もケなりけるをチとケと相似たれば書生の誤てチとは點ぜる歟、此句意得がたし、今按雅は下の宇奈雅流に目をうつせる衍文にて鯖色《サバイロ》せるにや、和名云鯖【音青、和名阿乎佐波、】口|尖《トガリ》背蒼(キ)者也、白菅とて菅笠は白きこそうるはしきに、人にも似ぬ青色なるよからぬ菅の小笠を著たる歟、さてそれを鯖色せる菅笠とは云へる歟、菅笠小笠は菅笠を小笠と云て菅の小笠なり、吾ウナケルは我懸ると云意なり、神代紀上云、已而素戔嗚尊以2其頸(ニ)所嬰《ウナゲル》五百箇御統之瓊《イホツミスマルノニヲ》1濯《フリスヽギテ》2于天(ノ)(ノ)渟名井《ヌナヰ》亦(ノ)名(ハ)去來之眞名井《イサノマナヰニ》1而|食《ヲス》之、又同(シキ)下に下照姫歌云、阿妹奈屡夜《アメナルヤ》、乙登多奈波多廼※[さんずい+于]奈餓勢屡《ヲトタナバタノウナガセル》、多磨廼彌素磨屡廼《タマノミスマルノ》、阿奈陀磨波夜《アナタマハヤ》云々、韻會云、(37)嬰(ハ)伊盈切、音與v※[嬰の女が缶]同(シ)、説文頸(ノ)飾(ナリ)也、從2女※[嬰の女なし](ニ)1、※[嬰の女なし](ハ)貝(ノ)連(ナリ)也、胡人連(テ)v貝飾(ルヲ)v頸(ヲ)曰v※[嬰の女なし]、女子之飾也、又加也繞也※[螢の虫が糸]也繋也、説文に頸飾也とあるは體の名なり、神代紀に其頸(ニ)所嬰《ウナゲル》とあるは説文の意ながら用の詞なれば豆と宇と同韻なればつなげると云にや、棄はすつるなるを神代紀にウツルと點ぜるも此意なり、取替毛は今按トリカヘモと讀べし、彼菅笠のよからぬはよき菅笠に我うなげる玉の緒の七條を取替て菅笠の緒に著て參らせむ物をとよめる歟、七條とは細き緒を七筋とほせるなるべし、絲七筋を合せたるを云にはあるべからず、此歌能は意得がたし、凡そ如v此歟、
 
初、ことさけをおしたれ小野に 琴をは押へ、酒をはたるゝによりておしたれ小野とはつゝけたり。琴と酒とは賢人隱士の愛する二物なれは、ことさけとつらねてはいふなり。おしたれ小野いつれの國に有といふことをしらす。心もけやにおもほゆるおとのとは、心もけやは心もきやといふ心なり。常に肝きえするをきや/\するといへり。いとつめたき水を手にくみ、もしはのめは身もひえ心もきや/\とおほゆるによせて、おもふ人のうるはしき聲を道にて聞て、きものつふるゝ心ちするをかたとれり。よみちはやちまたといへるかことく、よつゝじなるへし。あへるさはは、あへるにて、さはゝ助語にや。いろちせるは心得かたし。菅笠をかさはかさねことはなり。わかうなける玉のなゝつを取かへも申さんものをとは、日本紀第一云。已而素戔嗚尊以2其頸(ニ)所嬰五百箇御統《ウナケルイホツミスマル》之|瓊《ニヲ》1濯2于天(ノ)渟名井(ニ)1亦名2去來之眞名井1而|食《ヲス》之。下照姫の哥にも、をとたなはたのうなかせる玉のみすまるといへり。玉のなゝつをとはおほかる數なり。菅のをかさきたるうるはしき女に、ふとゆきあひて、心もきゆるやうにおほえて、かの菅笠の緒とわかくひにかされる玉の緒とを取かへて、かたみにもしてみはやとおもふよしなり。すくなき道はちひさきみちなり。ちひさき道にあへるゆへに、袖をもふるゝほとなれは、いとゝきもきえておほゆるなり。これは此集の中にも古哥の躰なり
 
右歌一首
 
豐前國白水郎歌一首
 
3876 豐國企玖乃池奈流菱之宇禮採跡也妹之乎御袖所沾計武《トヨクニノキクノイケナルヒシノウレヲツムトヤイモカミソテヌレケム》
 
抹跡也、【六帖云、トレトヤ、】
 
郭景純江(ノ)賦(ニ)云、忽忘(テ)v夕(ヲ)而|宵《ヨル》歸(ル)、詠(シテ)2採菱(ヲ)1以叩v舷(ヲ)、王維(カ)詩云、渡頭燈火起(ル)、處々採v菱(ヲ)歸(ル)、御袖は眞袖なり、第十三云、三袖持床打拂《ミソデモチトコウチハラヒ》云々、是我袖を云へり、
 
初、とよくにのきくの池なる 豊前に企救郡あり。令義解には規矩郡とかけり。第七第十二にきくの濱とよめり。ともに彼郡にあるなるへし。第七に
  君かためうきぬの池のひしとるとわかそめし袖ぬれにたるかな
文選郭景純江賦云。忽忘v夕(ヲ)而|宵《ヨル》歸(ル)。詠(シテ)2採菱(ヲ)1以叩(ク)v舷(ヲ)
 
(38)豐後國白水郎歌一首
 
3877 紅爾染而之衣雨零而爾保比波雖爲移波米也毛《クレナヰニシメテシコロモアメフリテニホヒハストモウツロハメヤモ》
 
此は人を深く思ひそめたる心のたとひ事ありとし彌思ひこそせめかはりはせじと云意をたとへたり、第七に月草に衣はすらむ朝露に沾ての後はうつろひぬともとよめるは、うつるは人の上なり、此歌は歌に豐後の意はなし、唯かくよめる由聞て載たるなり、六帖には紅の歌とす、
 
能登國歌三首
 
3878 ※[土+皆]楯熊來乃夜良爾新羅斧墮入和之河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]勿鳴爲曾禰浮出流夜登將見和之《ハシタテノクマキノヤラニシラキヲノオトシイルヽワシカモテカモテナナカシソネウキイツルヤトハタミテムワシ》
 
※[土+皆]楯は梯立《ハシタテ》なり、さて熊來とつゞくるに二つの意あるべし、一つには橋立の倉橋山とつゞけたるやうに熊の上のく〔右○〕の一文字を倉になしてつゞくる歟、玉匣あしきの(39)川草枕多胡の入野の例あり、二つには第十四に久麻許曾之都等にくまこそしつとゝ云に付て注せし如く若は山をくま〔二字右○〕と云歟、然らばはしだてのさがしき山とつゞくる心なるべし、熊來は第十七云、能登郡從2香島(ノ)津1發船行射2於熊來村1往時作歌、和名集云能登郡熊來【久萬岐、】夜良は仙覺抄云、やらとは水つきてかつみ蘆やうの物など生しげりたるうき土也、田舍の者はやはらとも云ふ、今按ぬき川の岸のやはら田と云も是歟、さきにやらの埼と云に注せし如くやらは海にや、下注云斧墮2海底1と云を思ふべし、但底の字に依て云はゞ仙覺の説の助とも成べし、新羅斧は彼國より渡りたる斧を云へる歟、此方《コナタ》にて造れども新羅にて作れるとは替れども此國にて其|形《ナリ》に學べるを云歟、欽明紀云、十五年冬十二月、百濟《クダラノ》王聖名獻(レリ)2好錦二疋|〓〓《・アリカモ》一|領《クダリ》斧|三百《ミホ》口(ヲ)於我(ガ)天朝《ミカドニ》1、云々、此|百濟斧《クダラヲノ》に准らへば新羅にて造れる斧なるべし、和之とは同等の人を指して云北國の詞、或は※[手偏+總の旁]じて田舍の詞なるべし、今の俗語にも奴僕のみならず我より下ざまに向ひて和我と云へば和は此和にて之は助語なるべし、又今の俗語にみづからの上を和之と云は私と云詞を中を略して上下のみを云にやと思へど己も我も自他に通して云へば今の和之をみづからの上に云にや、カケテ/\は今の俗語のかまへて/\なり、勿鳴爲曾禰はなゝきそなり、斧を失ふを悲て泣を慰む(40)るなり、今按ナヽリシソネと讀べし、魚鳥などをねらふ者のなりを靜めて待如く斧の浮出るを待て見るべければ其程物音なせそと云なり、今按落句は待將見和之《マチミテムワシ》など有けむを字の落たるにやと見ゆるなり、此は愚人が斧を海底に墮し入れて若や浮出ると待けるを見て彼が心に成て讀て愚なるをさとし教ふるなる、
 
初、はしたてのくまきのやらに 第十四にくまこそしつとわすれせなふもといへるあつま哥に、くまこそしつは山こすしゝとゝいふ事にや侍らんと注したる所にも、此哥を引しことく、山をくまといふ事はいまたしらねと、仁徳紀にもはしたてのさかしき山とよまれたれは、かれこれを思ひ合ていへるなり。此哥一首にては、玉くしけ明とつゝくる心に、玉くしけあしきの川といひかけたることく、はしたてのくらといふ心に、くもしひとつにかゝりて、かくはつゝけたりとも申侍なん。第十七に云。能登郡從2香島津1發船行於射《兩字倒恐》2熊來村1往時作歌二首といへり。和名集云。能登郡熊來【久万岐。】やらは水の底なる泥を、北國の俗にいひならへりと長流か抄にかけり。今案歌後注に斧墮海底といへり。日本紀に大海をおほあらとよめり。耶と阿と同韻にて通すれは、やらはあらにて海をいへるにや侍らん さきに筑前志加白水郎かことをよめる哥にもやらのさきといふ所の名は、これより名付けるにや。しらきをのは新羅よりわたれる斧なり。欽明紀云。十五年冬十二月百濟王聖明獻2好錦二|疋《ムラ》、〓〓《アリカモ》一領、斧三百口於我天朝(ニ)1。この中に斧三百口といへるはくたらをのなれは、これに准して知へし。又この國の斧にても、新羅につくるかたちにせは、新羅斧といふへし。わしは汝といふこゝろなり。わきみなといふかことし かけて/\は、俗にかまへて/\といふかことし。又かねて/\なり。なゝかしそねは、なゝきそなり。新羅斧を海底におとしいれて、いかにせんとなくをうき出んもしらぬさきにかけてなゝきそうきや出ると待みんと心をなくさむるなり
 
右歌一首傳云、或有2愚人1、斧墮2海底1而不v解2鐡(ノ)沈(テ)無(コトヲ)1v理(リ)v浮(フニ)v水(ニ)、聊(カ)作(テ)2此歌(ヲ)1口吟(シテ)爲《ナス》v喩《サトスヲ》也、
 
不v解2鐡沈無1v理v浮v水〔八字右○〕、呂氏春秋云、楚人有2渉(テ)v江(ヲ)行《ヤルモノ》v舟、自v舟|遺《オトス》v劔(ヲ)、遽(ニ)刻(テ)2其舟1曰(ク)、吾(レ)於v此墜(ス)v劔(ヲ)、求(メバ)必(ラズ)得(ムト)之、其迷(ヘルコト)有2如(ナル)v此者(ノ)1、
 
初、注云々 呂氏春秋曰。楚人有2渉v江行1v舟、自v舟遺v劔。遽刻2其舟1曰。吾於v此墜v劔求必得(ント)v之。其迷有2如v此者1。成十八年左傳云。無(シテ)v慧不v能v辨2〓麥(ヲ)1故不v立。杜預注、無v慧世所v謂白癡(ナリ)。周子有v兄而無v慧。不v能v辨(マフルコト)2〓麥(ヲ)1。故不v可v立。蒙求云〓大豆也。豆麥殊v形易v別。故以爲2癡者之候1。不v慧蓋世所v謂白癡(ナリ)
 
3879 ※[土+皆]楯熊來酒屋爾眞奴良留奴和之佐須比立率而來奈麻之乎眞奴良留奴和之《ハシタテノクマキサカヤニマノラルノワシサスヒタテヰテキナマシヲマノラルノワシ》
 
眞奴良は後の奴は奈と同音にて通ずれば眞所罵莫《マノラルナ》なり、アシタテは曾と須と同音なればさそひたてなり、酒に醉て酒屋がために罵らるな、今行て誘ひ立てゝ、率て(41)來なましを其間罵られぬやうにせよとなり、源氏に醉泣こそのりあひいさかひてとかけるが如し、
 
初、はしたてのくまきさかやに まのらるのは、眞は助語なり。のはなと通すれは莫なり。のらるは所罵なり。酒に醉たる人の、心狂して詞あらくいさかふ心なり。源氏に醉なきこそのりあひいさかひてといへる心なり。さる人に汝のらるなとなり さすひたてはさそひたてなり。ゐてきなましをはひきゐてこんなり。ゑひたる人をいさとてつれてかへりて人にのらせしの心なり。又ゑひてかしましく物なといふを酒屋かのれば、酒屋にのらるなといふにもあるへし
 
右一首
 
3880 所聞多禰乃机之島能小螺乎伊拾持來而石以都追伎破夫利早川爾洗濯辛塩爾古胡登毛美高坏爾盛机爾立而母爾奉都也目豆兒乃刀自父爾獻都也身女兒乃刀自《ソモタネノツクヱノシマノシタヽミヲイヒロヒモチキテイシモチテツヽキヤフリハヤカハニアラヒスヽキカラシホニコヽトモミタカツキニモリツクヱニタテヽハヽニマツリツヤメツチコノマケチヽニマツリツヤミメチコノマケ》
 
能登にそもたぬと云處有て彼處に机の島と云が有にや、小螺は神武紀に御製云、迦牟伽筮能《カムカゼノ》、伊齊能于瀰能《イセノウミノ》、於費異之珥《オホイシニ》、夜異波臂茂等倍屡《ヤイハヒモトヘル》、之多※[人偏+嚢]瀰嚢《シタタミノ》云々、和名集云、崔禹錫(カ)食經(ニ)云、小〓子【楊氏漢語抄云、細螺、之太太美、】貌似(テ)2田螺(ニ)1而細小(ナリ)、口(ニ)有(ル)2白玉(ノ)蓋1者也、拾遺集物名にしたゝみ、讀人知らず、吾妻にて養なはれたる人の子は舌だみてこそ物は云ひけれ、伊拾、伊は發語詞なり、陂夫利《ヤブリ》は第十八に比奈野都夜故《ヒナノミヤコ》とかけるに同じ、菅家萬葉集云、匂筒散西花曾思裳保湯留《ニホヒツヽチリニシハナソオモホユル》云々、此腰句のかきやう又同じ、古胡登毛美は幾許揉《コヽダモミ》なり、高林は器の名なり、伊勢物語にも女方より其海松をたかつきに盛て云々、机爾立(42)而は神代紀下云、兼(テ)設(ク)2饌百机《モヽトリノツクヱモノ》1云々、和名云、唐韻云机【音與v几同、和名都久惠、】案(ノ)屬也、史記云、持v案進v食【案音與v按同、】蒙求云、後漢梁鴻受2業(ヲ)大學1、家貧(シテ)尚2節介(ヲ)1、遂(ニ)至(テ)v呉(ニ)依2大家皐伯通(ニ)1、居2※[まだれ/無]下1、爲v人(ノ)賃舂(ス)毎v歸(ル)妻爲(ニ)具(フ)v食(ヲ)、不d敢(テ)於2鴻(カ)前(ニ)1仰(カ)u、擧(ルコト)v案(ヲ)齊(ス)v眉(ニ)云々、文選束廣微(ガ)補亡詩云、馨《シウシ》2爾(ヂノ)夕膳(ヲ)1潔《セロ》爾(ノ)晨|餐《サムヲ》1、メヅ兒は人のめづる兒と云へる歟、負は仙覺抄に儲なりと云へり、今按和名云、劉向(カ)列女傳(ニ)云、古語老母(ヲ)爲v負(ト)漢書王媼武負注引v之、今按俗人謂(テ)2老女(ヲ)1爲v※[刀/目]、字從v目也今訛以v貝爲v自歟、【今按和名度之、】此負の字の事史記陳丞相世家に張負あり、絳※[侯の異体字]周勃世家に許負あり、索隱の説列女傳に同じ、然れば今もメヅシゴノトジ、ミメチゴノトジと讀べき歟、老女の名を處女にも呼は刀自になるまでながらへよと祝ふ意歟、第四に坂上郎女もむすめの大孃を我子の刀自とよまれたり、ミメチゴはみめよき兒なり、
 
初、そもたねのつくゑの嶋の 能登にそもたねといふ所に、机の嶋のあるなるへし。したゝみは、和名集云。崔禹錫食經云。小〓子【楊氏漢語抄云。細螺(ハ)之太太美】貌似2甲螺(ニ)1而細小口有2白玉之蓋1者(ナリ)也。神武紀云。乃|爲御謠《ミウタヨミシテ》之|曰《ノタマハク》。迦牟伽筮《・神風》能、伊齊能于瀰《・伊勢海》能《》、於費異之《・大石》珥夜、異波臂茂等倍屡《・匍匐所囘》、之多※[人偏+嚢]瀰《・細螺》嚢《》云々。拾遺集物名にしたゝみ、よみひとしらす
  あつまにてやしなはれたる人の子はしたゝみてこそ物はいひけれ
いひろひもちきて、いは發語のことはなり。こゝともみはこゝたもむなり。つくゑにたてゝ。神代紀下云。兼(テ)設(ク)2饌百机《モヽトリノツクエモノ》1。蒙求云。後漢梁鴻受2業大學1。家貧尚2節介1。〇遂至v呉依2大家皐伯通1居2※[まだれ/無]下1爲v人(ノ)賃舂(ス)。毎v歸妻爲具v食。不d敢於2鴻前1仰u。擧(ルコト)v案(ヲ)齊(ス)v眉(ニ)云々。めつちこのまけは、女津兒のまうけなり。めつちこはめのわらはなり。みめちこのまけは、みめよき兒といふ心なり。上のめつちこをふたゝひいふなり。まつりつやはたてまつりつるやなり。第一にも、たてまつるみつきといふ心を、まつるみつきとよみ、第四にも見たてまつりてといふを、みまつりてといへり。負は今案ふたつなから刀自とよむへき歟。和名集云。劉向列女傳云。古語老母爲v負。漢書五 娼武負位引v之。今按俗人謂2老女1爲v※[刀/自]1字從v人也。今訛以v貝爲v自歟【今案和名度自。】此集第四に坂上郎女むすめの大孃に贈る哥に、小かなとにものかなしらにおもへりしわかこのとしをぬはたまのよるひるといはすおもふにしわかみはやせぬなとよめり。允恭紀なと引てすてに委尺せりき。わかこの刀自とよみたれは何となく女の惣名ときこゆ
 
越中國歌四首
 
3881 大野路者繁道森徑之氣久登毛君志通者徑者廣計武《オホノチハシケチハシケチシケクトモキミシカヨハヽミチハヒロケム》
 
和名云、礪《ト》波野大野【於保乃、】小野【乎乃、】第二句シゲヂハシケヂは誠にしげぢなりと云意なり、繁道とは草木のしげれる道なり、君志の志は助語なり、
 
初、大野路はしけちはしけち 和名集云。礪波郡、大野【於保乃】小野【乎乃】
 
(43)3882 澁溪乃二上山爾鷲曾子産跡云指羽爾毛君之御爲爾鷲曾子生跡云《シフタニノフタカミヤマニワシコウムトイフサシハニモキミカミタメニワシソコウムトイフ》
 
子産跡云、【六帖云、コウムテフ、落句准v之、】
 
二上山は射水郡にあり、第十七に見えたり、子産跡云はコムトイフと讀べし、下准v此、仁徳紀に五十年春三月に茨田《マンダノ》堤に鴈子うめりと聞召てさる事昔も有きやと武内宿禰に尋させ給ふ御歌云、箇利古武等《カリコムト》、儺波企箇輸椰《ナハキカズヤ》、宿禰、答歌にも箇利古武等《カリコムト》、和例波枳箇儒《ワレハキカズ》、此二首の古風を證とす、指羽ニモとは鷹にさしはと云事あれど鷲の羽は用なし、和名の服玩具に翳【翳音於計反、和名波、】此を延喜式にはさしは〔三字右○〕と點じたれば此にや、此歌は旋頭歌なり、
 
初、しふたにのふたかみ山に 第十七以下しふたにのふたかみ山はあまたよめり。さしはにもとは、鷲の羽を矢にさしはく心なり。天子にたてまつりて御とらしの矢の羽に用る心にて、君かみためとはよめるなり。今按縁起式に翳の字をさしはとよめり。そのさしはなとをも、鷲の羽にて作る物にていへる歟。和名集にははとのみいへり。まるはといふ物も有
 
3883 伊夜彦於能禮神佐備青雲乃田名引日良※[雨/沐]曾保零《イヤヒコノオノレカミサヒアヲクモノタナヒクヒスラコサメソホフル》
 
延喜式第十云、越後國|蒲原《カムハラ》郡伊夜比古神社、【名神大、】文武紀云、大寶二年三月甲申分2越中國四郡(ヲ)1屬(ス)2越後(ニ)1かゝれば此歌は大寶二年よりさきの歌なり、延喜式に又能登國能登郡に伊夜比※[口+羊]神社あり、此伊夜彦の女神なるべし、今イヤヒコと云へるは山を指(44)て云故にオノレ神サビと云へり、神佐備はカムサビと讀べし、日の下に須の字有べし落たる歟、※[雨/沐]を袖中抄にあられと有は誤なり、今のコサメよし、曾保零は伊勢物語に時はやよひのついたち雨そぼふるに云々、此を注するに添降と云詞なりと云へど後撰集詞書に八月中の十日ばかりに雨のそぼふりける日女郎花ほりに藤原もろたゞを野邊に出して遲く歸ければ遣はしけるとあれば俗にそぼ/\と降と云なるべし、添降雨ならばいかで女郎花堀には遣はさるべき、神のおはする高山などには必らず時ならぬ雨の降ことなり、第九に登2筑波山1時、歌に時となく雲居雨零とよめるが如し、屈原が九歌の山鬼(ニ)云、東風飄兮神靈|雨《アメフラシム》九章の渉江云、山峻高(ニシテ)蔽(ヌ)v日(ヲ)兮|下《シモ》幽晦(ニシテ)以多(シ)v雨、
 
初、いやひこのおのれ神さひ 縁起式第三に、名神二百八十五座を出す中に、伊夜比古神社一座、注に越後國といへり。同第十神名下云。越後國蒲原郡伊夜比古神社【名神大。】文武紀云。大寶二年三月甲申分2越中國四郡1屬2越後國1。かゝれは弥彦は今は越後なるを、此哥は大寶二年以前によめるなるへし。能登國能登郡に伊夜比※[口+羊]神社あり。弥彦のひめ神なるへし。おのれ神さひとは、いやひこの山すなはち神なるゆへにいへり。日の字の下に須の字なとの脱たるなるへし。そほふるはそほ/\とふるなり。古今集ことは書に、やよひのついたちよりしのひに人に物をいひて後に雨のそほふりけるによみてつかはしける。後撰集に、はつきなかの十日はかりに雨のそほふりける日をみなへしほりに藤原もろたゝを野へにいたしておそく歸りけれはつかはしける。新古今集に題しらす 源重之
  春雨のそほふる空のをやみせすをつる涙に花そ散ける
威靈ある高山には、時ならす雨のふることなり。第九に登2筑波山1時歌に、をのかみもゆるしたまへりめの神もちはひたまひて時となく雲居雨ふりつくはねをきよめてらしてとよめり。文選屈平九歌山鬼云。東風飄兮神靈|雨《アメフラシム》。九章渉江云。山峻高(ニシテ)以蔽(ヌ)v日(ヲ)兮。下《シモ》幽晦(ニシテ)以多(シ)v雨。一本あなにかむさひは、あやになり。那と夜と同韵なり
 
一云、安奈爾可武佐備《アナニカムサビ》
 
神武紀云、登(テ)2腋(ノ)上(ノ)?間丘《ホヽマノヲカニ》1而|廻2望《オセリテ》國(ノ)状(ヲ)1曰、妍《アナニヤ》哉乎|國之獲《クニヲエツ》矣、【妍哉、此(ヲハ)云2鞅奈珥夜(ト)1、】今の安奈爾は此妍の字にて山をほむる詞なり、
 
3884 伊夜彦乃神乃布本今日良毛加鹿乃伏良武皮服著而角附(45)奈我良《イヤヒコノカミノフモトニケフラモカシカノフスラムカハノキヌキテツノツキナガラ》
 
神ノフモトとは山の麓なり、鹿は彌彦神の使令の獣にてかくよめる歟故あるべき歌なり、應神紀云、唯以2著《ツケル》v角鹿(ノ)皮(ヲ)1處2衣服《キモノト》1乎、委は第七の終に引が如し、此歌は旋頭歌なり、集中の旋頭歌皆第三句七字第四句五字なるを此歌のみ第三句五字第四句七字なり、
 
初、いやひこの神のふもとに 三輪明神のことく、いやひこの山やかて神なれは神のふもとゝいへり。ふもとは蹈本といふ心なり。穀梁傳云。林屬(スルヲ)2於山(ニ)1曰v麓(ト)。々を神代紀にははやまとよめり。此哥の心はもし鹿は弥彦神の使令の獣にてかくよめる歟。應神紀云。時天皇幸2淡路嶋1而遊獵之。於v是天皇西望之數十麋鹿浮v海來之便入2于播磨鹿子水門1。天皇謂2左右1曰。共何麋鹿也泛2巨海1多來。茲左右共視而奇則遣v使令v察。使者至見皆人也。唯以2著v角鹿皮1爲2衣服1耳
 
乞食(ノ)者(ノ)歌二首
 
列子云、乞兒曰、天下(ノ)之辱(ハ)莫v過(ルハ)2於乞(ヨリ)1、
 
3885 伊刀古名兄乃君居居而物爾伊行跡波韓國虎云神乎生取爾八頭取持來其皮乎多多彌爾刺八重疊平羣乃山爾四月與五月間爾藥獵仕流時爾足引乃此片山爾二立伊智比何本爾梓弓八多婆佐彌比米加夫良八多婆左彌宍待跡吾(46)居時爾佐男鹿乃來立來嘆久頓爾吾可死王爾吾仕牟吾角者御笠乃波夜詩吾耳者御墨坩吾目良波眞墨乃鏡吾爪者御弓之弓波受吾毛等者御筆波夜斯吾皮者御箱皮爾吾完者御奈麻須波夜志吾伎毛母御奈麻須波夜之吾美義波御塩乃波夜之耆矣奴吾身一爾七重花佐久八重花生跡白賞尼白賞尼《イトフルキナアニノキミハヲリ/\テモノニイユクトハカラクニノトラトイフカミヲイケトリニヤツトリモチキソノカハヲタタミニサシテヤヘタヽミヘクリノヤマニウツキトサツキホトニクスリカリツカフルトキニアシヒキノコノカタヤマニフタツタツイチヒカモトニアツサユミヤタハサミヒメカフラヤタハサミシヽマツトワカヲルトキニサヲシカノキタチキナケカクタチマチニワレハシヌヘシオホキミニワレハツカヘムワカツノハミカサノハヤシワカミヽハミスミノツホニワカメラハマスミノカヽミワカツメハミユミノユハスワカケラハミフテノハヤシワカカハヽミハコノカハニワカシヽハミナマスハヤシワカキモヽミナマスハヤシワカミキハミシホノハヤシオイハテヲヌワカミヒトツニナヽヘハナサクヤヘハナサクトマウサネマウサネ》
 
藥獵、【幽齋本、獵作v※[獣偏+葛]、】
 
發句は今按點誤れり、イトコノと讀べし、古事記上に八千戈神の御歌云、伊刀古夜能伊毛能美許等《イトコヤノイモノミコト》云々、此伊刀古夜能と云と同じかるべし、今伊刀古とのみあるは夜の字の落たる歟、夜は助語にて今は加へざる歟、此の伊刀古と云義は未詳、從父兄弟【和名伊止古、】是若親しむ意の名ならば通ふべき歟、神功皇后紀に熊之凝が歌に宇歴比等破《ウマヒトハ》、(47)于摩避苫奴知野《ウマヒトドチヤ》、伊徒姑幡茂《イトコハモ》、伊徒姑奴知《イトコドチ》、伊装阿波那和例波《イザアハナワレハ》云々、此はうまびとは君子とも良家子ともかけば、いとこはもは夜と伊と通じ豆《ツ》と徒《ト》と通ずればヤツコトハとよめる歟とおぼゆれば今の伊刀古とは別なるべし、名兄乃君、此をばナセノキミハと讀べき歟、物爾伊行跡波、伊は發語詞、物に行は他處へ行なり、物語或は歌の詞書などに多き詞なり、貫之の歌にも又もこそ物へ行人わが惜め涙の限君に啼つる、虎云神乎|蛇《オロチ》を神と云ひ狼を神と云へる事は上に注せり、後漢書東夷傳云、※[さんずい+歳]人常(ニ)用2十月(ヲ)1祭v天(ヲ)云々、又祠v虎以爲v神(ト)、欽明紀云、六年冬十一月、膳《カシハテノ》臣巴提便還(テ)v自2百濟1言、臣被v遣v使(ニ)、妻子《ヤカラ》相|逐去《シタガヒテマカル》、行2至百濟(ノ)濱(ニ)1、【濱、海濱也、】日晩(テ)停v宿、小兒《ワカゴ》忽亡不v知v所v之、其夜大(ニ)雪(フル)、天|曉《アケテ》始(テ)求(ニ)、有2虎(ノ)連《ツヾケル》跡1、臣乃帶v刀|※[手偏+鐶の旁]《キテ》v甲(ヲ)尋《トメテ》至2巖岫(ニ)1、拔(テ)v刀(ヲ)曰、敬(テ)受(テ)2絲綸1劬2勞《タシナミ》陸海《クガウミニ》1、櫛v風沐v雨|藉《マクラトシ》v草《カヤヲ》班《シキキ》v荊《シバヲ》者、爲(ナリ)d愛(シテ)2其子(ヲ)1令uv紹(カ)2父業(ヲ)1也、惟|汝《イマシ》威《カシコキ》神愛v子(ヲ)一《ヒトクセ》也、今夜兒亡、追(テ)v蹤|覓《マキ》至、不v畏v亡v命、欲v報|故《タメニ》來、既而其虎進v前開v口(ヲ)欲v噬2巴提便1、忽申2左手1執2其虎舌(ヲ)1、右手(ヲモテ)刺殺、剥2取(テ)皮(ヲ)還、萬象名義云、虎(ハ)【呼古反、】山獣(ノ)君也、發句よりタヽミニサシテと云までの十句は八重疊と云はむ爲の序をいみじうゆゝしく云ひ出せり、神代紀下云、海神《ワタツミノカミ》於是《コヽニ》鋪《シキテ》2設|八重席薦《ヤヘタヽミヲ》1以(テ)延内《ヒイテイル》之、又云乃|鋪《シキテ》2設海驢皮《ミチノカハ》八重(ヲ)1使(ム)v坐《スヱマツラ》2其上(ニ)1、古事記景行天皇段云、弟橘比賣命將v入v海時、以2菅疊八重皮疊八重絹疊八重1敷2于波上1而下2座其上1、四月與五月間爾はウヅキトサツ(48)キノホドニと讀べし、藥獵は第一卷に注せしが如し、足引乃此片山爾、顯宗紀(ノ)室壽《ムロホギノ》御詞(ニ)云、脚日木此傍山牡鹿之角擧而吾※[人偏+舞]者《アシビキコノコノカタヤマサヲシカノツノサヽゲテワガマハレバ》云々、梓弓八多婆佐彌は、八はヤツと讀べし、下准v之、ヒメカブラは舊事本紀云、大己貴神出遊行矣、事八十(ノ)神見且欺率(テ)入v山而切2伏大樹(ヲ)2茄《ハメ》v矢(ヲ)打2立其木(ニ)1令v入2其(ノ)木(ノ)中(ニ)1則打2離其|氷目矢《ヒメヤヲ》1而|拷殺《ウチシヌ》矣、古事記此に同じ、此氷は矢なるべし、然うして茄矢を氷目矢とよむ歟、茄矢の中に氷目矢は別名歟、此は木をわりて矢を入れ大己貴神を彼木の中へ入れまつりて矢を打はつして挾み奉れりと見えたり、來立來歎久は下の來は衍文にてキタチナゲカクなるべし、王爾吾仕牟は獵に死して身の殘る所なく供御等に用らるゝを云へり、吾角ハ御笠ノ林とは詩大明云、殷商之|旅《モロモロ》、其會(コト)如(シ)v林(ノ)、注曰如(シトハ)v林言(ハ)衆也、書曰受卒其旅若v林(ノ)、文選東京賦云、戈矛若(シ)v林【薛綜曰、若v林言v多也、】下に林と云へるは皆此に准らふべし、昔は華葢の飾に鹿の角を立けるにや、吾耳ハ御墨坩とは鹿の耳を墨の坩に用るにはあらず、似たる故に云なり、仁徳紀云、六十七年冬十月庚辰朔甲申、幸2河内(ノ)石津(ノ)原1以以定2陵地1、丁酉始築v陵、是日有v鹿忽起2野中1走之入2役民之中1而仆死、時異2其忽死1以探2其痍1即|百舌鳥《モズ》自v耳出之飛去、因視2耳中1悉|咋割剥《クヒサキカキハケリ》、故號2其處1、曰2百舌鳥耳原《モズノミヽハラト》1者其是之縁也、坩は和名云、坩古甘反、和名都保、今按木謂2之壺1瓦謂2之坩1、延喜式にはかはしりつきと點ぜり、吾メラハマスミノ鏡、是又耳(49)を云が如し、集中まそかゞみとのみよめるにますみの鏡とは只これのみよめり、吾爪ハ御弓ノユハズは角弓あれば爪をもても弭をかたむべし、御筆(ノ)林とは崔豹古今注云、蒙恬作2秦筆(ヲ)1以2枯木1爲v管(ト)、鹿毛(ヲ)爲v柱(ト)、羊毛(ヲ)爲v被(ト)、御箱皮は箱の覆にするを云へり、御ナマス林は和名云、唐韻云、鱠【音會、和名奈万須、】細(ニ)切(レル)肉(ナリ)也、雄略紀云、今日(ノ)遊獵《カリニ》大獲(タリ)2禽獣《トリシヽヲ》1欲d與2群臣1割鮮野饗《ナマスツクリテノアヘムト》u云々、昔は供御にも鹿などを聞食けるなめり、吾美義波以上(ハ)潘岳が射雉賦に尾(ハ)飾(テ)v※[金+〓]《クツハミヲ》而在v服、肉(ハ)登(テ)v爼(ニ)而永(ク)御(ス)、此意を委くよめるなり、耆矣奴は矣は助語なり、鹿の身に有とある所皆用るに殘る事なし、依て七重八重花咲と榮華あるやうに云ひなすは却て痛む意なり、マウサネ/\はかう/\鹿は申すと申上よとの意なり、
 
初、いとふるきなあにの君は.名兄は名背名妹なとよめるたくひなり。兄の君なるか故に、いと古きといふなり。年の高き心なり。物にいゆくとはいは發語のことは、物へゆくといふは、此國の詞なり。後の集詞書なとにおほし。貫之集に
  又もこそ物へゆくひとわかをしめ涙のかきり君になきつる
虎といふ神を、後漢書東夷傳云。※[さんずい+歳]人常用2十月1祭v天
晝夜飲v酒歌舞名v之爲2舞天1。又祠v虎(ヲ)以爲v神。萬象名義云。虎杜反。山獣(ノ)君也。欽明紀云。六年冬十一月|膳《カシハテノ》臣巴|提《ス》便還v自2百濟1言。臣被v遣v使|妻子《ヤカラ》相|逐去《シタカテマカル》。行2至百濟濱1【濱海濱也】日晩停宿|小兒《ワカコ》忽亡不v知v所v之。其夜大雪。天曉始求有2虎|連《ツヽケル》跡1。臣乃帶v刀|※[手偏+鐶の旁]《キ》v甲|尋《トメテ》至2巖岫1拔v刀曰。敬受2絲綸1劬2勞《タシナミ》陸《クヌカ》海1櫛v風沐v雨|藉《マクラトシ》v草《カヤヲ》班《シキキ》v荊《シハヲ》者爲d愛2其子1令uv紹2父業1也。惟|汝《イマシ》威《カシコキ》神愛v子|一《ヒトクセ》也。今夜兒亡追v蹤|覓《マキ》至。不v畏v亡v命欲v報|故《タメニ》來。而其虎進v前開v口欲v噬2巴|提《ス》便1。忽申2左手1執2其虎舌1右手刺殺剥2取皮1還。皇極紀云。四年夏四月戊戌朔高麗學問僧等言。同|學《ヒト》鞍作(ノ)得志以v虎爲v友(ト)學2取(レリ)其|術《ハケヲ》1。或使3枯《カラ》山|變《カヘテ》爲《ナラ》2青山(ニ)1。或使3黄地變爲2白水(ニ)1種種(ノ)奇術《ミハケ》不v可2〓《ツクシ》究(ム)1。又虎授2其針(ヲ)1曰。愼《ユメ》矣愼矣。勿v令2人(ニ)知1。以v此治(ハ)之病無v不v愈。果(シテ)如v所v言治無v不v差《イユ》。得志恒以2其針1隱2置(ケリ)柱中1。於v後虎|折《ホリテ》2其柱1取v針|走《ニケ》去。高麗國知2得志欲v歸之意1与v毒《アシモノヲ》殺之。虎は百獣の中にすくれてたけく道は千里をもかけるはやきけたものなれは神とはいふなり。欽明紀には狼をも汝(ハ)是|貴神《カシコキカミ》といへり。我朝にはすくれたるけたものなれはかくいふなるへし。八頭は獣をかそふるに一頭二頭といふゆへなり。第十三にうをやつしつめといふにもかくかけり。そこに注せり。第十九にもかけり。これは疊にさして八重疊へくりの山にとつゝけむためなり。八重疊まては序にて、へくりの山といひつれは、皆用なけれと、古哥の躰おほく序よりつゝく。これら非常のよみやうなり。八重疊へくりのつゝけやうは此巻上に、こもたゝみへくりのあそとつゝけたる所に注せり。神代紀下云。海神於是《ワタツミノカミコヽニ》鋪《シキ》2設|八重席薦《ヤヘタヽミヲ》1以|延内《ヒイテイル》之。一書云。是(ノ)時(ニ)海神|自《ミ》迎(ヒ)延入《ヒキイテ》乃|鋪《シキ》2設(テ)海驢皮八重《ミチノカハヤヘヲ》1使v坐《スエタテマツラ》2其上(ニ)1。う月とさつきのほとに藥かりつかふる時に、藥獵の事上に推古紀を引てすてに尺せり。第十七に
  かきつはたきぬにすりつけますらをのきそひかりする月はきにけり
此きそひかりといふも藥かりにおなし。鹿茸をとらんためなり。推古紀天智紀に見えたるは、皆五月五日なれと、此哥によれは惣して四月五月の間にかると見えたり。あしひきの此かた山に、顯宗紀に室壽《ムロホキ》の詞の中に、脚日木此傍山牡鹿《アシヒキノコノカタヤマサヲシカ》之|角擧《ツノサヽケテ》吾※[人偏+舞]《マハム》者【云々。】梓弓やつたはさみひめかふら八たはさみ、やつといふは、狩人のあまた弓矢を帶する心なり。ひめかふらは蟇目鏑矢のことなり。おほきみに我はつかへむ、鹿の獵に死して、身の殘る所なく天子の供御等に用らるゝをつかへむとはいへり。わか角はみかさのはやし、はやしは林の字の心なり。ものゝおほきをはやしといへり 御笠のいたゝきに鹿の角をたつることの有けるとなり。わかみゝはみすみのつほに、鹿の耳を墨の坩に用るにはあらす。御墨の坩に似たる故なり。坩は和名集云。坩古甘反。和名都保。今案木謂2之(ヲ)壺(ト)1瓦謂2之(ヲ)坩(ト)1。延喜式にはかはしりつきとよめり。わかめらはますみのかゝみ、目の明なる心なり。しかのまなこを鏡に用るにてはなけれとも、似たることなれはかさりにいふなり。下みなそれ/\の用に立をいへり。詩大明云。殷商之|旅《モロ/\》、其會如v林。注曰如v林言(ハ)衆也。書曰。受(カ)率其旅若v林。みふてのはやしは古今注曰。恬始作2秦筆1。以2枯木1爲v管、鹿毛爲v柱、羊毛爲v被。文選潘安仁(カ)※[身+矢]雉賦云。尾(ハ)飾(テ)v※[金+庶]《クツハミヲ》而在v服(ニ)。肉(ハ)登v俎(ニ)而永(ク)御(ス)。論語曰。鱠(ハ)不v厭v細。説文云。鱠(ハ)細(カニ)切(レル)肉(ナリ)也。御箱の皮とは箱のおほひとする心なり。わかみきはみしほのはやし。此美義といへるは右の訓のことし。いかにいへることゝもしらす。もし氣血等を左右にわかつ心ある歟。おいはてをぬわかみひとつに、をは助語なり。鹿の身にありとある所皆用るに殘る所なし。よりて七重八重花さくとはいへり。身をころして君につかふるに、鹿の榮華あるやうにいひなせと、かへりていたむ心なり。まうさね/\はかう/\鹿か申すと申あけよといふ心なり
 
右歌一首爲v鹿述v痛作v之也
 
3886 忍照八難波乃小江爾廬作難麻理弖居葦河爾乎王召跡何爲牟爾吾乎召良米夜明久吾知事乎歌人跡和乎召良米夜笛吹跡和乎召良米夜琴引跡和乎召良光夜彼毛令受牟等(50)今日今日跡飛鳥爾到雖立置勿爾到雖不策都久怒爾到東中門由參納來弖命受例婆馬爾巳曾布毛太志可久物牛爾巳曾鼻繩波久例足引乃此片山乃毛武爾禮乎五百枝波伎垂天光夜日乃異爾于佐比豆留夜辛碓爾舂庭立碓子爾舂忍光八難波乃小江乃始垂乎辛久垂來弖陶人乃所v作瓶乎今日往明日取持來吾目良爾塩漆給時賞毛時賞毛《オシテルヤナニハノヲエニイホツクリカタマリテヲルアシカニヲオホキミメストナニセムニワヲメスラメヤアキラケクワカシルコトヲウタヒトヽワヲメスラメヤフエフキトワヲメスラメヤコトヒキトワヲメスラメヤカレモウケムトケフケフトアスカニイタリタテレトモオキナニイタリウタネトモツクヌニイタリヒムカシノナカノミカトユマイリイリキテオホスレハウマニコソフモタシカクモウシニコソハナナハハクレアシヒキノコノカタヤマノモムニレヲイホエハキタレアマテルヤヒノケニホシテサヒツルヤカラウスニツキニハニタチカラウスニツキオシテルヤナニハノヲエノハツタレヲカラクタレキテスヱヒトノツクレルカメヲケフユキテアストリモチキワカメラニシホヌリタヘトマウサモマウサモ》
 
令受牟等、【幽齋本、等作v跡、】
 
庵作は蟹の穴なり、葦河爾は葦原蟹なり、和名云、兼名苑(ニ)云※[虫+彭]※[虫+骨]【彭骨二音、楊氏漢語抄云、葦原蟹】形似v蟹而小也、王召跡とは此句句絶り、大君の召と蟹にきかする時何と云大君召とやと蟹が云詞なり、下の十句も亦蟹に成て云なり、次の二句は我を何せむとてめさむやなり、次の二句は我無用なる事を明らかにみづから知物をとなり、歌人トワヲ召(51)ラメヤとは此歌人は歌ふ人なり、蟹にも白き沫をふく時少聲あれど歌人とて召されむやはとなり、次の二句は是も沫をふくに依てなり、次の二句は手の數も多く爪ありて琴をも引つべく見ゆる故なり、彼毛令受牟等は今按彼毛は一句なり、然れどもなど云意の句なるべき所なれば落字あるべし、令は命の字をたがへてみことうけむとなり、下の命受例婆の句今の點は誤てミコトウクレバなれば此首尾に依て知べし、今日今日跡は飛鳥ニ到りと云はむためなり、飛鳥に都有ける允恭天皇の遠飛鳥宮、顯宗天皇の近飛鳥八釣宮、舒明天皇の岡本宮、齊明天皇の後岡本宮、天武天皇淨御原宮、持統文武御兩代まし/\ける藤原宮も朝日香なる中に此歌は舒明天皇より後の歌なるべし、雖立置勿爾到とは蟹のありくは立つなれど横にすゑ置たる物のやうなれば云歟、オキナは處の名なるべし、雖不策は今按ツカネドモと讀べき歟、都久怒もツクノと讀て處の名なるべし、蟹は足の多かれば杖はつかねどもつきたるが如しと云意につゞけたる歟、杖と云はでつくと云事は古歌の習なり、古事記中應神天皇段御歌云、許能迦邇夜伊豆久能迦邇《コノカニヤイヅクノカニ》、毛毛豆多布《モモツタフ》、都奴賀能迦邇《ツノガノカニ》、余許佐良布《ヨコサラフ》、伊豆久邇伊多流《イヅクニイタル》云々、參納來弖はマウイリキテと讀べし、命受例婆はさきに云如くミコトウクレバと讀べし、召給ふ由承て參侍る何の爲にか召給ひ候やらむと奏(52)せしむる意なり、布毛太志は絆《ホダシ》なり、和名云、釋名云絆【音半、和名保太之、】半也、物d使2半行(ニシテ)不uv2得2自縱(ナルコトヲ)1、フモダシとは蹈黙《フモダシ》の意にて名付たる歟、雜令(ニ)云、※[足+翕](ム)v人(ヲ)者(ヲハ)絆(ス)v足(ヲ)と云へり、布毛反保なればふもだし〔四字右○〕をつゞめてほたし〔三字右○〕と云なるべし、又景行紀に蹈石をホシヽと點じ、仲哀紀に穴門(ノ)直踐立《ヒエホムタチ》、此等を思ふにほみもだし〔五字右○〕のみ〔右○〕を略する歟、二つ共に末は同じ、鼻繩ははなつらなり、和名云、蒼頡篇(ニ)云、縻【音與v麋同、和名波奈都良、】牛(ノ)※[革+橿の旁]也、莊子秋水云、北海若(カ)曰、牛馬(ノ)四足(ナル)是(ヲ)謂v天(ト)、落《マトヒ》2馬首(ヲ)1穿(テ)2牛鼻(ヲ)1是(ヲ)謂v人(ト)、牛馬こそ角あれば絆を懸、鼻繩はくる物なれとなり、毛武爾禮は和名云、爾雅注云、楡之皮色白名v枌、【上音臾、下音汾、和名夜仁禮、】皮の白きと白からぬにて楡と枌との名唐にも替れば此國にも同じ意にて毛武爾禮は別名歟、若は揉《モム》物にて揉楡《モムニレ》にや、延喜式第三十九内膳式(ニ)云、檎皮一千枚、【別長一尺五寸廣四寸、】搗(テ)得2粉二石(ヲ)1、【枚別二合、】右楡皮年中雜御菜并羮等料、或者の語り侍りしは楡の皮を以て楡餅《ニレモチヒ》とて山里には餅にし侍り葉をも糯《モチ》米に合せて餅に舂よし申き、波伎垂は皮を剥垂なり、日乃異爾干は日の氣ほすなり、詩云、|雨《フレル》※[さんずい+(鹿/れっか)]《ヒョウ》々(タリ)、見(バ)v※[日+見]《ヒノケヲ》曰《コヽニ》消(ナム)、【※[日+見](ハ)日氣也、】佐此豆留夜辛碓爾舂は今按辛碓はカナウスと讀べき歟、庚辛は西方の二千金に當れば義訓せる歟、サビツルヤとはかなうすなる故に云べし、又下に碓子と云ひつれば上は同詞なるべからぬにや、始垂とは殊に辛き鹽を云はむとなり、陶人は雄略紀云、新漢陶部高貴《イマキノアヤノスヱモノツクリカウクヰ》云々、(53)和名云、莊子(ニ)云陶者曰、我治v埴(ヲ)陶【桃反、】訓【須惠毛乃豆久流、】黏(シテ)v埴(ヲ)爲(ル)v器(ヲ)者(ヲ)、俗呼爲2造手陶者(ト)1、是乎鹽漆給とは昔は楡の粉に鹽を合せて蟹を漬置けるなるべし、玉篇云、胥【思餘切、蟹醢也、】遊仙窟(ニ)云、熊(ノ)腥《ナマス》純(ハラ)白(シ)、蟹(ノ)醤《ヒシホ》純(ハラ)黄(ナルアリ)、マウすモは申さむなり、今按此落句の書やう不審なり、上句の時は和語を下略して用たり、第十二喚子鳥をよめる歌に君呼かへせ夜の深ぬとにと云は夜の深ぬ時にと云なりしが如し、落句の時は衍文なるべし、さるにても賞毛をマウサモとよまむ事意得がたし、右の歌の落句に白賞尼をマウサネとよめるは白賞を引合せて申す〔二字右○〕とよめる歟、賞はさ〔右○〕のかなに用たる歟、
 
初、をしてるやなにはのをえにいほつくり かにのあなは、かれかための家なれは、いほつくりとはいへり。あしかには蟹はあしへによくをるものなれはいへり。俗にあしはらかにといふには、かきるへからす。おほきみめすと、これ句絶なり。たとへは人ならはおほきみめすとくまゐれと使の急かす心なり。なにせんとわをめすらめやあきらけくわかしることを。これは蟹か返事の心なり。我は無用のものなることをあきらかに心にしれり。何せんとてかめさんとなり。哥人とわをめすらめや。此うた人とは哥を詠するにはあらす。うたふ心なり。蟹の白き沫を吐時に、こゑの聞ゆる故に、うたよくうたふと大君にきこしめしてめさるゝかといふ心なり。笛ふきといふも其沫をふくによりてなり。ことひきとわをめすらめや。蟹は爪ありて、琴をも引へく手のかすおほきゆへにかくいふなり。螫の字はかにのおほつめなり。彼毛令受牟等。これをかれもうけむとゝよみたれと、彼毛は一句にて、下はみことうけむとゝよむへし。令は下に命受例婆とあるを思ふに命の字の誤なるへし。令にてもみことゝはよむへし 彼毛はもし上下の間に字の落たる歟。さらすはかれをしもと讀へし。哥人とも、ふえ吹とも、こと引ともわれをめさるへきやうはおほえねと、猶みことのりをうけたまはりてまいらんとなり。けふ/\とあすかにいたり、今日明日とつゝけむためなり。飛鳥に帝都のあるゆへに、君にめされて難波よりまいりてあすかにいたるとなり。飛鳥に宮居し給へる天皇は、先遠飛鳥宮允恭 近飛鳥八釣宮顯宗 飛鳥岡本宮舒明 明日香川原宮皇極 飛鳥淨御原宮天武 同藤原宮持統文武。元明天皇和銅三年まて猶藤原宮にまし/\けれは、此哥は天武天皇より、元明天皇の初まての作なるへし。たてれともおきなにいたりうたねともつくぬにいたり。此おきなにいたりつくぬにいたりといふことその心をしらす。もしふたつなから所の名歟 東(ノ)、中(ノ)門《ミカト》由《ユ》、參納來※[氏/一]《マヰリキテ》、命受例婆《ミコトウクレハ》。この間をは四句に、ひむかしの中のみかとゆまゐりきてみことうくれはとよむへし。馬にこそふもたしかくもは、馬にこそほたしはかくれの心なり。うしにこそはなゝははくれ。牛にこそ、はなつらははくるものなれの心なり。荘子秋水篇云。北海若曰。牛馬四足是(ヲ)謂v天(ト)落《オモツラハケ》2馬首(ニ)1穿《ハナツラハケ》2牛鼻1(ヲ)是謂v人(ト)。【人之生也可v不2服v牛乘1v馬乎。服v牛乘v馬可v不3穿2落之1乎。牛馬不v辭2穿落1者天命之固當也。苟當2乎天命1則雖v寄2之人事1而本2乎天1也。】あしひきの此かた山のもむにれをいほえはきたれ。もむにれは、百楡にてにれの木のおほきをいふなるへし。又揉こともありていふ歟 五百枝はきたれは、にれの木の皮を剥て日にほして、うすにつき粉にして賤かくふ物なり。和名集云。亦雅注云。楡之皮色白名v※[木+分]。【上音臾。下音汾。和名夜仁禮】。延喜式第三十九、内膳式云。楡皮一千枚【別長一尺五寸。廣四寸】搗(テ)得2粉二石1。【枚別二合。】右楡皮年中雜御菜并羮等料。これを見れは天子の供御にも用る物と見えたり。楡餅とて餅にもし侍るよしなり。葉をも賤はくひ侍るとかや。ひのけは詩角弓曰。雨《フレル》雪※[漉/れっか]《ヒヨウ》々(タリ)。見(ハ)v※[日+見]《ヒノケヲ》曰《コヽニ》消(ナム)【※[日+見](ハ)日氣也。】辛碓はかなうすとよむへきか。十支を五行に配する時庚辛は金なれはなり。さひの出たるかなうすにてつくなり。庭にたちからうすにつきとは、彼楡をかなうすにて大かたこなして又からうすにてつくなるへし。蟹味噌といふものも有といへはにれの粉にかにをあはせてつくにや。されと我目らに塩ぬりたへといへるはそのまゝ漬るなるへし ふたつの舂の字皆あやまりて春に作れり。難波の小江のはつたれ。初て垂たる塩なり。よき塩をいはむとなり。すゑ人のつくれるかめを。瓶壺のたくひをつくるをすゑものつくるといふその人を陶人とはいふなり。そのすゑ人か作れる瓶に楡粉に塩をあはせて蟹を漬《ツケ》おく心なり。仁徳紀云。即以2白塩1塗2其身1如2霜|素《シロイ》云々。まうさも/\は申さん/\なり。下の時の字は衍文なり
 
右歌一首爲v蟹述v痛作v之世
 
怕物歌三首
 
怕は玉篇云、普駕切、恐也、此は怕怖にて今の意なり、匹白切の時は、説文云無爲也、此は憺怕なり、怕物の二字下より返らずしてオソロシキモノと和語の體に讀べし
 
初、怕物歌 怕にふたつの音あり。説文匹白切。無爲也。これは憺怕にてしつかなる義、今の心にあらす。普駕切。恐也。これ怕怖にておそるゝなれは、今の義なり。目録にものにおそるゝと讀たれと、おそろしき物の哥と讀へきにや
 
3887 天爾有哉神樂良能小野爾茅草苅草苅婆可爾鶉乎立毛《アメニアルヤサヽラノヲノニチカヤカリカリハカニウツラヲタツモ》
 
發句はアメナルヤと讀べし、神代紀下云、阿妹奈屡夜《アメナルヤ》、乙登多奈波多※[しんにょう+西]《ヲトタナバタノ》云々、此をアモ(54)ナルヤと點ぜるは誤なり、古事記に阿米那流夜《アメナルヤ》とあり、梅米毎等皆め〔右○〕に用たれば妹も此に准らへて知べし、サヽラノ小野は第三にも有て注しき、八雲御抄にかぐらのをのとよませ給ひて山城と注せさせ給へるは神樂岡と同じ所と思召ける歟、今は神樂良と書たる上第三にもあれば今の點叶ふべき歟、苅婆可も上に有き、世に足もとより烏の立とて肝のつぶるゝ事に云へり、鶉は殊にふと立物なればかくはよめり、天ナルヤサヽラノ小野と云に彼野かう/\しく聞ゆるに、茅草も深からむはいとゞしかるべし、
 
初、天にあるやさゝらの小野に 神樂良能小野とかきたるを、八雲御抄にはかくらの小野とよませたまひて、山城と注せさせ給へり。日神天の石戸にこもらせたまひける時、諸神の神樂有けれは、天にあるやはその心にて、神樂岡なとゝもやおほしめしけん。第三にも天有《アメニアル》左佐羅能小野之|七相菅《ナヽフスケ》とよめるにおなし。第三によるに大和に有なるへし。それをあめにあるやといへるは第六に坂上郎女か哥に
  山のはにさゝらゑをとこ天の原とわたる光みらくしよしも
哥の後の注云。右一首歌或云月別名曰2佐散良衣壯士1也。縁2此辭1作2此歌1。しかれは天にある月といふ心につゝけたるなり。かりはかは刈場にて、かは助語なるへし。第四第十にもまた此詞あり。俗にもふとしたる事をは、あしもとより鳥のたつとて、肝のつふるゝ事にいひならへは、何心なく草かるてもとより、鶉のたゝむはおそろしかるへき上に、さゝらの小野はふかき野にて、おそろしきやうにその比いへる所にこそ
 
3888 奧国領君之染屋形黄染乃尾形神之門渡《オキツクニシラセシキミカソメヤカタキソメノヤカタカミノトワタル》
 
奥國は海路を隔たる遠島國なり、シラセシ君は知れる君なり、染屋形は染たる屋形舟なり、和名云、唐韻云篷?【蓬備二音、和名布奈夜加太、】舟上(ノ)屋也、釋名(ニ)云、舟上屋謂2之(ヲ)廬(ト)1【力居反、言《イフコヽロハ》象(トレハナリ)2廬舍(ニ)1也、黄染乃屋形は上の染屋形を再たび云へり、但染屋形は何にても染て彩《イロ》どるを云べきを今は梔子などにて黄に染たる屋形と云なり、黄染としも云へるは黄色をば海神の愛してほしがる歟、嫌ひて※[厭のがんだれなし]ふ歟、西域記云、度2石碩1至2凌山(ニ)1、山則※[草がんむり/総の旁]嶺(ノ)北原、山谷積v雪(ヲ)春夏合(ス)v凍(ヲ)、經(ルコト)v途險阻(ナリ)、寒風慘烈(ナリ)、多2暴龍(ノ)難1陵2犯(ス)行人(ヲ)1、由(ル)2此路(ニ)1者(ハ)不v得2赭(ウシ)v衣(ヲ)大聲(ニ)(55)呼(コトヲ)1微(シキ)有(レバ)2違反1禍罪目(ニ)睹(ユ)、土左日記云、舟に乘そめし日より舟には紅こくよきゝぬ著ず、それは海の神におぢてもいみて云々、海賦云、若夫(レ)負(テ)v穢(シキヲ)臨(ミ)v深(キニ)、虚(シテ)v誓(ヲ)※[衍/心](ツ)v祈(ヲ)、則有2海童邀(キリ)v路(ヲ)馬銜當(ルコト)v※[足+奚](ニ)、天呉乍(マチニ)見而|髣髴《ホノカナリ》、魍像暫(ラク)曉(ハレテ)而|閃屍《ホノメク》、羣妖|※[しんにょう+溝の旁]※[しんにょう+午]《アヒサカヘテ》眇※[目+謡の旁](ト)冶夷《コヒタリ》。决《ヤブリ》v帆(ヲ)摧《クダイテ》v橦(ヲ)※[爿+戈]《シヤウ》風起(ス)v惡《アシキヲ》廓《ホノカナルコト》如2靈變(スルガ)1、惚《タチマチニ》※[立心偏+兄]幽暮(ナリ)、氣|似《ノレリ》2天霄(ニ)1、※[雲+愛]※[雲+(弗/貝)](・ト)《クラウシテ》雲(ノゴトクニ)市《シケリ》、※[雨/脩の月が黒]※[日/立]《シクイツ》絶電百(ノ)色(ニ)妖露、呵※[口+炎+欠](ト)、掩欝(ト)※[目+穫の旁]※[目+炎](ト)無v度《アラハルヽコト》、
 
初、おきつくにしらせし君か 奥つ國とは、こゝにて.は海路を隔たる遠嶋國なり。其國を領したる人をしらせし君とはいふなり。しれる君なり。此領の字此卷上にも、第十にも見えたり。そめやかたは舟のやかたなり。黄染のやかたはそれをふたゝひいふなり。和名集云。唐韻云篷〓【蓬備二音。和名布奈夜加太】舟上屋也。釋名云。舟上屋謂2之廬1。【力居反】言象2廬舍1也。神のとわたるとは海神ははかりかたくおそろしき物にて、廣大の資財に貪する物なれは、舟に財あれは心をかけ、色よきものをもほしかるなり。よりてさはりをなすなり。西域記云。度2石碩1至2凌山1。々則※[草がんむり/総の旁]嶺北原。山谷積v雪春夏合v凍。經v途險阻寒風懍烈。多2暴龍(ノ)難1陵2犯行人1。由2此路1者不v得2赭v衣大聲呼1。微有2違反1禍災目(ニ)覩(ユ)。文選木玄虚海賦云。若夫負(テ)v穢(シキヲ)臨(ミ)v深(ニ)虚(シテ)v誓(ヲ)愆《アヤマツ》v祈則有2海童邀(キリ)v路(ヲ)馬銜當(ルコト)1v※[足+奚]。天呉乍(チ)見而|髣髴《ホノメク・ホノカナリ》(ト)。※[虫+罔]像暫(ク)曉《アラハレテ》而|閃屍《ホノメク》(ト)。羣妖|※[しんにょう+溝の旁]※[しんにょう+午]《アヒサカヘテ・ヲカシテ》眇※[目+謡の旁](ト)冶夷《コヒタリ》(ト)。决《ヤフリ》v帆(ヲ)摧《クタイテ・ヲリ》(テ)v橦(ヲ)※[爿+戈]《シヤウ》風起v惡《アシキヲ・ニクミヲ》廓《ホノカナルコト》如(ト)2靈變(スルカ)1。惚《タチマチニ》※[立心偏+兄](ト)幽暮(ナリ)。氣|似《ノレリ》2天霄(ニ)1。※[雲+愛]※[雲+(弗/貝)]《・クラウシテ》(ト)雲(ノ如ニ)市《シケリ》。※[雨/脩の月が黒]※[日/立]《シクイクト・トクシテ》絶(タル)電百(ノ)色(ニ)妖露《コヒアラハル》。呵※[口+炎+欠]《・タチマチニ》(ト)掩欝《・タチマチニシテ》(ト)※[目+穫の旁]※[目+炎]《・ミミルニ》(ト)無v度《アラハルヽコト》。土左日記にふねにのりそめし日より、舟にはくれなゐこくよきゝぬきす。それは海の神におちてもいみてなにのあしかけにことつけてほやのつまのいすしすしあはひをそこゝろにもあらぬはきにあけてみせける。此集第七に
  塩みたはいかにせむとかわたつみの神か手わたるあまのをとめら
龍神のとよむへき黄染のやかた舟にのりて、おそろしきせとをわたらんはまことにおそるへきことのかきりなり
 
3889 人魂乃佐青有公之但獨相有之雨夜葉非左思所念《ヒトタマノサヲナルキミカタヽヒトリアヘリシアマヨハヒサシトソオモフ》
 
人魂は火の青からむを見むやうにいま/\しく得もいはぬ色なれば怕物の意を云はむために青き物の多からむ中に擇び出て佐青とはつゞけたり、さらば阿と左と同韻にて通ずればあを〔二字右○〕をさを〔二字右○〕と云、常に眞青《マアヲ》とも眞佐青《マサヲ》とも云是なり、催馬樂にあをのまはなれば取繋げ、さをのま離れば捕つなげと云は後のさを〔二字右○〕は初の青なり、又狹青にて少し青き意にも有べし、白き色の餘りなれば必青み出來る物なり、米のましらげに精の字を作れるも此故なるべし、されば人の色も白過たれば青く見ゆる故に源氏物語末摘花に色は雪耻かしう白うてさをにと云ひ、若菜には色はまを(56)に白くうつくしげにともかけり、落句はヒサシクオモホユと讀べし、思の下に久九等の落たるべし、さらぬだに雨夜の暗きは物恐しくおぼゆる物なるに、人魂の色に青きすぢ白き顔なる人に相ては忽に物に取らるゝこゝちして明るを待心から久しくおぼゆべきなり、伊勢物語にゆくさきおほく夜も深にければ鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降ければ、あばらなるくらに女をば奥に押入て男弓やなぐひを負て戸口に居り、はや夜も明なむと思ひつゝ居たりけるに云々、
 
初、ひとたまのさをなるきみか 人たまは人のたましひの、火のやうにてとふをいふなり。さをは只青きことなり。さもしは助字なり。又阿と佐と同韵なれは通してあをといふをさをともいふなり。常に眞青《マアヲ》といふことをまさをといへり。催馬樂にあをのまはなれは取つなけ、さをのまはなれは取つなけといふは、後にさをといふは初の青なり 人玉は色の青き火のやうにて、いま/\しくうれはしき色なり。きて白き色のあまりに過ぬれはかならす青み出來るものなり。米のしらけきはまれるに精の字を作れるかことし。まことにましらけは青くみゆるなり。人の色も白過たれはあをくみゆれは、源氏物語末摘花に色は雪はつかしうしろうてさをにといひ、若菜下には、色はまをに白くうつくしけにともかけり。雨夜のくらきは物おそろしくおほゆるものなるに、人たまの色して、あをきまて白きかほなる人にたゝひとりあひては、たちまち物にとらるゝ心ちしてあくるまを待かぬる心から、ひさしくおほゆる心なり。あをき物こそおほかるに、人たまとしもをけるは、うちきくより、題にかなひぬへく聞ゆ。伊勢物語に、ゆくさきおほく夜もふけにけれは、おにあるところともしらて、神さへいといみしうなり雨もいたうふりけれはあはらなるくらに女をはおくにおしいれてをとこゆみやなくひをおひてとくちにをり。はや夜もあけなんとおもひつゝゐたりけるにおにはやひとくちにくひてけり。今雨夜のひさしとおもふといふに似たり
 
萬葉集代匠記卷之十六下
〔2021年10月7(木)午前11時55分、初撰本入力終了〕
 
(1)萬葉集代匠記卷之十七上
                僧 契 冲 撰
                木 村 正 辭 校
 
初、萬葉集卷第十七目録
 
初、天平二年云々 上京之時倍從人等【脱之陪兩字】
 
初、山邊宿禰赤人詠春※[(貝+貝)/鳥]歌一首 赤誤作明
 
初、同七月越中守大伴宿禰家持赴任時 脱家持
 
初、椽大伴宿禰池主 集中椽悉誤作〓
 
初、同十九年二月云々。歌一首并短歌 一誤作二
 
初、守大伴家持贈椽 當改云同二十年二月二十九日守大伴家持贈椽大伴池主悲歌二首并書
 
初、同二十年二月云々 此日當刪去
 
初、姑【誤作※[さんずい+古]】洗二日云々 當改云三月二日椽大伴池主報守大伴家持歌二首并書。以上目逐行誤當至下辯之
 
天平二年庚午冬十一月、太宰帥大伴卿被v任大納言1、【兼v帥如v舊】上v京之時、陪從人等、別取2海路1入v京、於v是悲2傷※[羈の馬が奇]旅1、各陳2所心1作歌十首
 
倍從人、【官本、陪作v※[人偏+兼]】無v人、】
 
3890 和我勢兒乎安我松原欲見度婆安麻乎等女登母多麻藻可流美由《ワカセコヲアカマツハラヨミワタセハアマヲトメトモタマモカルミユ》
 
我背子を我待とつゞけたり、第六に聖武天皇の御歌に妹爾戀吾乃松原見渡者《イモニコヒワガノマツハラミワタセバ》と遊(2)ばされたると處は替れど相似たり、此安我松原は今筑前に若松と聞ゆる處にて第十に黄葉をよめる吾松原も同じかるべし、
 
初、わかせこをあか松原ゆみわたせは わかせこかくるかと立出てわか待といふ心につゝけたり。第六に聖武天皇御製
  妹にこひ吾の松原みわたせはしほひのかたにたつ鳴わたる
これは伊勢へ行幸の時、三重郡吾松原をよませ給へるなり。こゝによめるは筑前に若松と聞ゆる所なるへし。第十に
  風ふけはもみち散つゝしはらくも吾松原はきよからなくに
此哥は伊勢筑前いつれとも分かたけれと、次上に大城の山はいろつきにけりとよみたれは、こゝによめるとおなしからんとそこにも注し侍りき
 
右一首三野連石守作
 
石守は第八冬雜歌に見えたり、
 
3891 荒津乃海之保悲思保美知時波安禮登伊頭禮乃時可吾孤悲射良牟《アラツノウミシホヒシホミチトキハアレトイツレノトキカワカコヒサラム》
 
荒津は第十二第十五にも見えたり、落句は筑紫に住なれしなごりを云なり、
 
初、あらつの海しほひしほみち 荒津は筑前なり。第十五にもしかみえたり。第十二にも三首よめり
 
3892 伊蘇其登爾海夫乃釣舩波底爾家里我舩波底牟伊蘇乃之良奈久《イソコトニアマノツリフネハテニケリワカフネハテムイソノシラナク》
 
家利、【幽齋本、利作v里、】
 
3893 昨日許曾敷奈底婆勢之可伊佐魚取比治奇乃奈太乎今日(3)見都流香母《キノフコソフナテハカシカイサナトリヒチキノナタヲケフミツルカモ》
 
袖中抄に此歌を出して顯昭云、ひぢきのなだは播磨にあり、俗説にはひゞきのなだとも云、考(ルニ)2孫姫式(ヲ)1云、遇時はますみの鏡はなるれば響のなだの浪もとゞろに、又忠見集云、延喜(ノ)御時躬|恒《ツネ》が御厨子《ミヅシ》所にさぶらひける例にて年來津の國に候らひけるを召上て天暦御時御厨子所に候らひて奏する歌、年を經て響のなだに沈む舟浪のよするを待にぞ有ける、然者ひぢきひゞき共有2本説1歟、或歌枕にはちびきのなだとかけり、ち〔右○〕とひ〔右○〕と同じひゞきなれば通ひて云歟、ひぢき〔三字右○〕さをちびき〔三字右○〕と上下して書たがへたるにや、【以上袖中抄、】源氏物語玉鬘(ニ)云、ひゞきのなだもなだらかに過す、又歌(ニ)云、うき事に胸のみさわぐひゞきにはひゞきのなだも名のみなりけり、河海抄云、李部王記云、天徳四年六月十一日、是(ノ)日備前備中淡路等飛驛至(ル)、備前使申云、賊船二艘【純友等也、】從2響(ノ)奈多1捨v舟(ヲ)曉(ニ)遁(ル)、疑(ハ)入(ル)v京(ニ)歟云々、今按忠見集云、伊豫にいきたるによしあるうかれ女の云ひたる、音にきゝ目にはまだ見ぬ播磨なる響のなだと聞は誠か、返し、年經れば朽こそまされ橋柱昔ながらの名だに替らで、彼家集を見るに攝津播磨守などの數ならぬ屬官に沈まれけると見ゆれば此贈答あり、袖中抄にひかれたる忠見の歌と詞書と(4)に付て源氏の抄に津國歟と疑ふ人あるもことわりなり、伊與の遊女が歌を見つれば疑をのこされざらまし、一首の意は古今の日こそ早苗取しかとよめるに似たり、勢をカと點ぜるは書生の誤なり、
 
初、きのふこそふなてはせしか 源氏物語玉鬘に、はや舟といひて、さまことになんかまへたりけれは、思ふかたの風さへすゝみて、あやうきまてはしりのほりぬ。ひゝきのなたもなたらかに過ぬ。かいそくのふねにやあらむちひさきふねのとふやうにしてくるなといふもあり。河海抄に今の哥を引て後
  あ《孫姫式》ふ時はますみの鏡はなるれはひゝきのなたの浪もとゝろに
  年《忠見集》をへてひゝきのなたにしつむ舟の浪のよするを待にそ有ける此哥の詞には年ころ攝津國《ツノクニ》にさふらひけるをといへり。然は當國名所歟。袖中抄顯昭云。ひちきのなたは播磨にあり。俗説にはひゝきのなたともいふと云々。李部王記云。天徳四年六月十一日是(ノ)日備|前《後歟》備中淡路等飛驛至。備前(ノ)使申(テ)云。賊船二艘【純友等也】從2響奈多1捨b舟曉(ニ)遁(ル)。疑(ハ)入v京歟云々。こゝに此次下に淡路嶋武庫なとよみたれは、淡路よりは西のほとにあたるか。李部王記に、備前備中淡路等の使、賊船のひゝきのなたより曉に遁るといへるによらは、備後より猶西にや
 
3894 淡路島刀和多流舩乃可治麻爾毛吾波和須禮受伊弊乎之曾於毛布《アハチシマトワタルフネノカチマニモワレハワスレスイヘヲシソオモフ》
 
落句のし〔右○〕は助語なり、次の歌准v之、此歌は赤人集にもなきを新續古今集に赤人の歌とて入たるは未(タ)v知v所v據(シ)
 
初、かちまにも 梶取間なり
 
3895 多麻波夜須武庫能和多里爾天傳日能久禮由氣婆家乎之曾於毛布《タマハヤスムコノワタリニアマツタフヒノクレユケハイヘヲシソオモフ》
 
發句は藍《ラム》田に玉を種《ウヱ》しためしもあれば、眞珠は海より出る故に玉を生《オホ》する所とて廣く海をほめて云歟、又武庫の浦に限りて云故の有歟、日本紀等にも見えたる處なれど限て然云べき由もなし、唯玉敷みてたる渡なりとほむる意なるべし、第十五に(5)對馬の竹敷《タカシキ》の浦にても玉しける清きなぎさとよめり、
 
初、玉はやすむこのわたりに 玉はやすは、藍田に玉を種 しこともあれは、玉をおほすといふ心歟。又もてはやす見はやすなといふことく、玉をめつる心か。いつれにもあれ、むこの浦をほめて玉しきみてるわたりなりとよめるなるへし。眞珠もあれは、まことの玉にもあるへし。又しらすなこをも浪をもいふへし。第五に、玉しけるきよきなきさとよめるも、白沙のてれるをいへる歟。第十八にほりえには玉しかましをといへるは、天子の御ためにまことの玉をしかまし物をといふなり
 
3896 家爾底母多由多敷命浪乃宇倍爾思之乎禮波於久香之良受母《イヘニテモタユタフイノチナミノウヘニオモヒシヲレハオクカシラスモ》 一云|宇伎底之乎禮八《ウキテシヲレハ》
 
家は慥な住處なるだに命は定がたきに、まして浪の上なればいとゞ行末知らぬ意なり、大船のたゆたふと云より家にてもとは云へり、思之のし〔右○〕は助語なり、注のし〔右○〕も同じ、
 
初、家にてもたゆたふ命 家はたしかなる住ところなるたに、命は定かたきに、まして浪の上なれは、いとゝゆくすゑしらすとなり。大舟のたゆたふといふ心に、家にてもたゆたふ命とはいへり
 
3897 大海乃於久可母之良受由久和禮乎何時伎麻佐武等問之兒良波母《オホウミノオクカモシラスユクワレヲイツキマサムトトヒシコラハモ》
 
3898 大舩乃宇倍爾之居婆安麻久毛乃多度伎毛思良受歌乞和我世《オホフネノウヘニシヲレハアマクモノタトキモシラスウタコフワカセ》 諸本如v此可v尋v之
 
ウヘニシのし〔右○〕は肋語なり、船の上も大虚雲の如く定て附がたなきに似たればよそ(6)へて云へり、落句は今按ウタコソと點じけむを乞の字の音を思ひて歌知らぬ寫生などのこさかしくウタコツとはなせる歟、下の後人の注も此處を不審に思へるなり、今按ウタコソと讀べきか、歌をよみて歌ふも亦たゞ歌ふも歌と云は同じ意なれば何れにでも有べし、さま/”\に思ひめぐらせり、天雲の如くたつきも知らねば此心を遣らむがために乞ふ吾背歌へとなり、吾背は傍輩をも云べし、文選劉越石(ガ)答2盧※[言+甚]1詩云、何(ヲ)以(カ)叙(ン)v懷(ヲ)、引(テ)v領《クビヲ》長(ク)謠(ヘ)、
 
初、歌乞和我世 此下に諸本如此可尋之といへるは、此歌乞をうたこつとよめるを不審して、仙覺の注せられたるなるへし。これによみやう心得やうあるへし。先うたこつは誤れり。うたこふなるへし。此哥といふに、詠する哥と、舟哥とのかはりあり。さま/\におもへは、天雲のたよりなきかことし。このこゝろをやらんがために、こふわかせ哥をよめ。あるひはうたへなり。又うたへこそともよむへし。こそはねかふ詞なり。又うたこへともよむへし。舟子にこひてうたはしめよなり
 
3899 海未通女伊射里多久火能於煩保之久都努乃松原於母保由流可聞《アマヲトメイサリタクヒノオホヽシクツノノマツハラオモホユルカモ》
 
いさり火のほのかなるによせてオボヽシクと云へり、角の松原は第三に既に出たり、
 
初、いさりたく火のおほゝしく おほゝしくはおほつかなきなり。いさりひのほのかなるによせていへり。つのゝまつはらは、第三に
  わきもこにゐな野はみせつ名次山角松原いつかしめさむ
延喜式に名次神社武庫郡にあれは、角松原もおなし郡にあるなるへし
 
右九首作者不v審2姓名1、
 
十年七月七日之夜、獨仰2天漢1聊述v懷一首
 
初、十年七月七日 述懷の下に目録には歌の字あり。述懷は、文選顔延之元皇后哀策文云。乃命2史臣1累v徳速v懷
 
(7)3900 多奈波多之舩乘須良之麻蘇鏡吉欲伎月夜爾雲起和多流《タナハタシフナノリスラシマソカヽミキヨキツキヨニクモタチワタル》
 
右一首大伴宿禰家持
 
迫和2太宰之時梅花1新歌六首
 
第五卷の梅花三十二首歌の事なり、
 
初、追和太宰之時 これは第五に梅花歌三十二首并序あり。天平二年正月十三日帥大伴卿家にての會なり。それを十二年にいたりて、家持の追和せらるゝなり
 
3901 民布由都藝芳流波吉多禮登烏梅能芳奈君爾之安良禰婆遠流人毛奈之《ミフユツキハルハキタレトウメノハナキミニシアラネハヲルヒトモナシ》
 
發句は三冬盡《ミフユツキ》なり、孟冬仲冬季冬の限つきて春の來るなり、今按三冬盡ならば都吉などゝも書べきを都藝とかけるは繼にて三冬に繼て春の來ると云意歟、多分濁る處に此藝の字を用たれば驚かし置ばかりなり、下句の意は心ある君ならでは折人もなしとなり、君ニシのし〔右○〕は助語なり、
 
3902 烏梅乃花美夜萬等之美爾安里登母也如此乃未君波見禮(8)登安可爾氣牟《ウメノハナミヤマトシミニアリトモヤカクノミキミハミレトアカニセム》
 
安可爾氣牟、【袖中抄云、アカニケム、別校本、幽齋本、並氣作v勢、】
 
ミヤマトシミニを袖中抄に釋して云、顯昭云、みやまは奥山なり、日本紀には太山と書てみやまとよめり、トシミは時しみと云詞を略歟、ときしみは常にと云心也、と〔右○〕は常盤《トキハ》也常也とこ〔二字右○〕也、しみ〔二字右○〕はしげき〔三字右○〕也しみゝ〔三字右○〕なり、ときはとこはと元も同事也、然者ときはにしげく有ともよめる也、今按み山としみゝにと云也、しみゝ〔三字右○〕をしみ〔二字右○〕とのみよめるは第一に藤原宮御井歌云、春山路之美佐備立有《ハルノヤマヂシミサビタテリ》云々、日本紀に太山と書てミヤマとよめる事見及び侍らず、等之美を時しみと云詞の略歟と云ひて又其中の之美をしみゝ〔三字右○〕なりと云義意得がたし、唯等〔右○〕はとこ〔二字右○〕の略、之美〔二字右○〕はしみゝ〔三字右○〕なりとぞ申さるべき、アカニケムは不知をしらにと云如く、あかずけむなり、あかずけむはあかであらむと推量する意なり、此梅の花のたとひみ山の如く繁く有とも其時に君は唯かくのみや見れど飽ずてあらむとなり、氣をセ〔右○〕と點ぜるは書生の誤歟、勢に作りたる本の點を寫せるに依て字と違ひたる歟、セならばあかずせむにて猶意得やすし、
 
初、うめの花みやまとしみに み山には木のしけゝれは、み山のことく梅のしけく有ともや、その梅のしけきにあらぬことく、いつもかく君はみれともあかさらんといふ心なり。眞《ミ》山|繁《シミ》に雖有哉《アリトモヤ》なり。見れとあかにけむは、不知《シラス》といふをしらにといへることく、みれとあかすけむなり
 
(9)3903 春雨爾毛延之楊奈疑可烏梅乃花登母爾於久禮奴常乃物香聞《ハルサメニモエシヤナキカウメノハナトモニオクレヌツネノモノカモ》
 
烏梅乃花、【校本無v乃、】  物香聞、【別校本、物下有v能、】
 
柳カは柳哉なり、梅柳と一雙の物に云はれて共におくれずして一時に並び賞せらるゝをこめて云へり、
 
初、春雨にもえし柳か 柳かなゝり。ともにおくれぬ常の物かもとは、梅柳と一雙にいひ、をりふしもおなしけれは、よき友とちの心なとのやうに常ある物かとなり
 
3904 宇梅能花伊都波乎良自等伊登波禰登佐吉乃盛波乎思吉物奈利《ウメノハナイツハヲラシトイトハネトサキノサカリハヲシキモノナリ》
 
落句は愛する心に折らまほしきを惜むと云へり、折を惜み散を惜むなど云には替れり、
 
初、うめの花いつはをらしと をしきものなりは、折ことのをしきにあらす。愛の字をゝしむとよむその心なり。惜の字もおなし心あり
 
3905 遊内乃多努之吉庭梅柳爾乎理加謝思底婆意毛比奈美可毛《アソフウチノタノシキニハニウメヤナキヲリカサシテハオモヒナミカモ》
 
(10)加謝思底婆、【別校本、婆作v波、】
 
發句は遊ぶ間の意なり、折カザシテバは今の本婆の字をかきたれば折かざしたらばの意なり.此によれば落句も思ふ事なからむかもの意なり、波に作る本に依らば落句は思ふ事のなきなり、
 
初、おもひなみかも おもふことのなきなり
 
3906 御苑布能百木乃宇梅乃落花之安米爾登妣安我里雪等敷里家牟《ミソノフノモヽキノウメノチルハナノアメニトヒアカリユキトフリケム》
 
登妣、【別校本、妣作v比、】
 
天ニ飛アガリは仁徳紀に隼別皇子(ノ)舍人歌云、破夜歩佐波《ハヤブサハ》、阿梅珥能朋利《アメニノボリ》、等弭箇慨梨《トニカケリ》云々、
 
初、みそのふのもゝ木のうめの 梅のおほきをいはむとて、もゝ木の梅とはいへり。第六にも百木なす山はこたかしとよめり。あめにとひあかり雪とふりけむは、百木の梅のちるが、鳥のことく天に飛のほりてや、雪とはふりつらんといひなすなり。仁徳紀に、隼別皇子舍人か哥に
  隼は|あめ《比寶位》にのほりとひかけり|い《由ト通》つきかうへの|はさき《指大鷦鷯諱》とらさね《・天升飛翔弓槻之上羽取》
 
右天平十二年十一月九日大伴宿禰家詩作
 
讃2三香原新都1歌一首 并短謌
 
初、讃2三香原新都1歌 第六にも長短合て九首あり
 
3907 山背乃久爾能美夜古波春佐禮播花咲乎乎理秋左禮婆黄(11)葉爾保比於婆勢流泉河乃可美都瀬爾宇知橋和多之余登瀬爾波宇枳橋和多之安里我欲比都可倍麻都良武萬代麻底爾《ヤマシロノクニノミヤコハハルサレハハナサキヲヽリアキサレハモミチハニホヒオハセルイツミノカハノカミツセニウチハシワタシヨトセニハウキハシワタシアリカヨヒツカヘマツラムヨロツヨマデニ》
 
都加倍、【幽齋本、可作v加、】
 
宇枳橋和多之は和名云、魏略(ノ)五行志(ニ)云、洛水(ノ)浮橋、【和名、宇岐波之、】詩(ノ)大明(ニ)云、造(テ)v舟(ヲ)爲v梁(ト)、朱子注(ニ)云、作(テ)2船(ヲ)於水(ニ)1比(ヘテ)之而加(ヘテ)2版(ヲ)於其上(ニ)1以通2行者(ヲ)1、即今(ノ)之浮橋也、
 
初、うきはしわたし 和名集云。魏略五行志云。洛水浮橋【和名宇岐波之】
 
反哥
 
3908 楯竝而伊豆美乃河波乃水緒多要受都可倍麻都良牟大宮所《タテナメテイツミノカハノミヲタエスツカヘマツラムオホミヤトコロ》
 
發句はタヽナメテと讀べし泉河の枕言なり、別に注す、
 
初、楯並而いつみの川の 崇神紀云。更《マタ》避2那羅山1而進(テ)到2輸韓河(ニ)1。埴安彦挾v河|屯《イハミテ》之、各相挑焉。故時人改號2其河(ヲ)1曰2挑河(ト)1。今謂(ハ)2泉河(ト)1訛(レルナリ)也。たてをつきならへていとむといふ心につゝけたり。神武紀に御製の哥を載ていはく。※[口+多]※[口+多]奈梅※[氏/一]《・盾並而》、伊那瑳能|椰摩《・山》能、虚能莽由《・木之間從》毛、易喩耆摩毛羅※[田+比]《・行守》、多多介陪磨《・戰者》云々。仲哀紀云。六十年天皇【成務】崩。明(ル)年秋九月壬辰朔丁酉。葬2于倭(ノ)国|狹城盾列《サキノタヽナミノ》陵(ニ)1【盾列此(ヲハ)云2多多奈美2。】これらによらは、今の哥もたゝなめてとよむへきか。又神武天皇の御哥に、たゝなめていなさの山とつゝけさせたまへるは、楯をならへて弓を射る心にや。又下のいゆきまもらひにつゝける歟。楯はおほくは矢をふせかむためなれは、いなさのいもしを射になしてつゝけたまふ心ならは、此哥もそれにおなしかるへし
 
右天平十三年二月右馬寮頭境部宿禰老麿作也
 
(12)老麿は未v詳、古事記中云、神八井耳命者坂合部連等(ガ)之祖也、
 
詠2霍公鳥1歌二首
 
3909 多知婆奈波常花爾毛歟保登等藝須周無等來鳴者伎可奴日奈家牟《タチハナハトコハナニモカホトヽキススムトキナカハキカヌヒナケム》
 
常花爾毛歟は常磐《トキハ》なる花にもがななり、スムトキナカバとは其橘を宿にして住とて來鳴者なり、
 
初、橘はとこ花にもか 橘の花のときはにもかなとなり。すむときなかはとは、橘にすむとてきてなかはといふ心なり
 
3910 珠爾奴久安布知乎宅爾宇惠多良婆夜麻霍公鳥可禮受許武可聞《タマニヌクアフチヲイヘニウヱタラハヤマホトヽキスカレスコムカモ》
 
發句は楝の花を藥玉に貫なり、
 
右四月二日大伴宿禰書持從2奈良宅1贈2兄家持1和歌二首
 
三を誤て二に作れり改むべし、
 
初、和歌三首 三誤作v二
 
(13)橙橘初咲、霍公鳥飜嚶、對2此時侯1、※[言+巨]不v暢v志、因作2三首短歌1以散2鬱結之緒1耳、
 
橙は第十一あへたちばなとよめる歌に付て注す、玉篇云、嚶(ハ)於耕切、鳥(ノ)鳴(ナリ)也、侯は候に作るべし、
 
初、嚶 玉篇云。於耕切。鳥鳴也。時候、候作v侯非
 
3911 安之比奇能山邊爾乎禮婆保登等藝須木際多知久吉奈可奴日波奈之《アシヒキノヤマベニヲレハホトヽキスコノマタチクキナカヌヒハナシ》
 
初、木のまたちくき このま立くゝりなり。日本紀に漏の字をくきとよめり。心は字のことし
 
3912 保登等藝須奈爾乃情曾多知花乃多麻奴久月之來鳴登餘牟流《ホトヽキスナニノコヽロソタチハナノタマヌクツキシキナキトヨムル》
 
玉ヌク月は五月なり、之は助語なり、
 
初、ほとゝきすなにのこゝろそ 上にもほとゝきすのこゑを玉にぬくとよみつれは、玉にぬきましへよと今しもなくかといふ心なり
 
3913 保登等藝須安不知能枝爾由吉底居者花波知良牟奈珠登(14)見流麻泥《ホトヽキスアフチノノエタニユキテヰハハナハチラムナタマトミルマテ》
 
右四月三日内舍人大伴宿禰家持從2久邇京1報2送弟書持1、
 
思2霍公鳥1歌一首 田口朝臣馬長作
 
3914 保登等藝須今之來鳴者餘呂豆代爾可多理都具倍久所念可母《ホトヽキスイマシキナカハヨロツヨニカタリツクヘクオモホユルカモ》
 
今之の之は助語なり、
 
右傳云、一時交遊集宴、此日此處、霍公鳥不v喧、仍作2件歌1以陳2思慕之意1、但其宴書并年月、未v得2詳審1也、
 
山部宿禰赤人詠2春※[(貝+貝)/鳥]1歌一首
 
3915 安之比奇能山谷古延底野豆加佐爾今者鳴良武宇具比須(15)乃許惠《アシヒキノヤマタニコエテノツカサニイマハナクラムウクヒスノコヱ》
 
野ツカサは第二十にもよめり、山のつかさに准らへて知べし、訳も御抄※[(貝+貝)/鳥]を注せさせ給へる所に、万、やつかさに鳴と云へり、【やつかさは山谷こえてといふ也、】是は叡覽の御本に今の野豆可佐をやつかさ〔四字右○〕と點じけるなるべし、
 
初、野つかさに さきに野上とよめり。野つかさも野のたかき所をいふなるへし。第廿にもよめり。第四には、きしのつかさとよみ、第十には、山のつかさとよめり。おの/\そのたかき所をいふにこそ
 
右年月所處未v得2詳審1、但隨2聞之時1記2載於茲1、
 
初、右年月所處未得詳審云々 これ家持の聞書の詞なり
 
十六年四月五日獨居2平城故宅1作歌六首
 
此端作は後人加へたるにや歌の後注も全く替らぬを具t略なり、前後に書べきにあらざる歟、おぼつかなし、
 
3916 橘乃爾保敝流香可聞保登等藝須奈久欲乃雨爾宇都路比奴良牟《タチハナノニホヘルカヽモホトヽキスナクヨノアメニウツロヒヌラム》
 
橘の香こそ雨にはうつろふ物なれ、霍公鳥の夜聲も雨の降からにうつりいにて聞えぬは汝の聲も橘の香歟となり、
 
初、橘のにほへる香かも 橘の香こそ雨にはうつれ。ほとゝきすの聲の夜きこえつるも、雨ふるからにうつりいにて、聞えぬは、汝かこゑも橘の香かとなり
 
(16)3917 保登等藝須夜音奈都可思安美指者花者須具登毛可禮受加奈可牟《ホトヽキスヨコヱナツカシアミサヽハハナハスクトモカレスカナカム》
 
アミサヽバとは網を張て霍公鳥を捕らばなり、花ハ過トモとは橘花は散過ともなり、菅家萬葉集云、春霞網爾張※[穴/牛]《ハルカスミハナニハリコメ》、花散婆可移奴鶯將留《ハナチラバウツロヒヌベキウグヒストメム》、
 
初、ほとゝきすよこゑなつかし あみさゝはとは、あみはらはなり。菅家萬葉集に
  春かすみあみにはりこめ花ちらはうつろひぬへき鶯とめむ
花は過ともいへるは、橘の花なり
 
3918 橘乃爾保敞流苑爾保等登藝須鳴等比登都具安美佐散麻之乎《ホトヽキスニホヘルソノニホトヽキスナクトヒトツクアミサヽマシヲ》
 
3919 青丹余之奈良能美夜古波布里奴禮登毛等保登等藝須不鳴安良久爾《アヲニヨシナラノミヤコハフリヌレトモトホトヽキスナカスアラクニ》
 
不鳴安良久爾、【別校本點、ナカスアラナクニ、又云、ナカナラナクニ、】
 
モトホトヽギスは第十に本人霍公鳥乎八希將見《モトツヒトホトヽギスヲヤマレニミム》とよめるに注せしが如し、落句はナカズアラナクニと點ぜるに依べし、良の下に奈那等の字落たるべし、古今集に忠(17)岑がむかしべや今も戀しき郭公故郷にしも鳴て來つらむとよめる此に似たり、
 
初、あをによしならの都は これは久邇の都のさかえたる比なれは、ふりぬれとゝいへり。まことにふるさとゝなれるは、桓武天皇よりこなたなり。もとほとゝきすは、第十に、もとつ人ほとゝきすとよめるにおなし心なり。古今集に、ならのいそのかみ寺にてほとゝきすのなくを聞て、そせいほうし
  いそのかみふるき都のほとゝきすこゑはかりこそ昔なりけれ
又はやく住ける所にて郭公の鳴けるを聞てよめる、忠岑
  むかしへや今もこひしきほとゝきすふるさとにしも鳴てきつらん
安良久爾、良の字の下に奈の字なとのをちたるへし
 
3920 鶉鳴布流之登比等波於毛敝禮騰花橘乃爾保敷許乃屋度《ウツラナキフルシトヒトハオモヘレトハナタチハナノニホフコノヤト》
 
布流土登とは故郷と思ふなり、上に鶉鳴|故郷《フリニシサト》などよめるが如し、下句は花橘は昔忘れずにほふ意なり、初の歌は※[手偏+總の旁]て奈良の都の古ぬるを云に此歌わきてみづからの宿の古ぬるを云へり、
 
初、鶉なくふるしと人は 第四にも、うつらなくふるき里よりおもへれとゝよめり。鶉はあれて人めなき所になけは、鶉のなくふるさとゝ人はおもへとゝいふ心なり。伊勢物語に
  年をへて住こし里を出ていなはいとゝふか草野とやなりなん
返し
  野とならは鶉となりて年はへむかりにたにやは君はこさらん
六帖に
  わかやとは鶉なくまてはらはせし小鷹手にすへこん人のため
 
3921 加吉都播多衣爾須里都氣麻須良雄乃服曾比獵須流月者伎爾家里《カキツハタキヌニスリツケマスラヲノキソヒカリスルツキハキニケリ》
 
第七にも淺澤小野之垣津幡衣爾摺著《アサヽハヲノヽカキツバタキヌニスリツケ》とよめり、キソヒ狩は藥獵なり、第一に注せしが如し、きそふ〔三字右○〕ときほふ〔三字右○〕と同詞なれば我先にと競てかる故の名なり、それをかきつばたを衣に摺て著粧《キヨソ》ふと云意につゞくる故に服曾比獵と服の字をかけり、
 
初、かきつはたきぬにすりつけ 第七に
  すみのえの淺澤をのゝかきつはたきぬにすりつけきん日しらすも
きそひかりは、きほひかりなり。第十六乞食者か哥に、藥獵とよめるにおなし。日本紀の推古紀天智紀に見えたるは、皆五月五日なれと、彼乞食者か哥には、う月とさつきのほとに、藥かりつかふる時にとよめり。かきつはたを衣にすりつけて、ますらをか著るといふ心に、いひつゝけたり
 
右六首歌者天平十六年四月五日、獨居2於平城故郷舊宅1大伴宿禰家持作
 
(18)天平十八年正月、白雪多零、積v地數寸也、於v時左大臣橘卿率2大納言藤原豐成朝臣及諸王臣等1、參2入太上天皇御在所1、【中宮兩院】供2奉掃雪1、於v是降v 詔、大臣1、參議并諸王者令v侍2于大殿上1、諸卿大夫者令v侍2于南細殿1、而則賜v海肆宴、 勅曰、汝諸王卿等聊賦2此雪1各奏2其謌1、
 
正月の下に一日の二字落たる歟、葛井連諸會が歌に依るに然るべしとおぼえたり.但其の他の歌に元日の意なければ一日にはあらぬにや、さりとも二日三日などの間なるべきを某日と云事の落たる歟、大納言藤原豐成朝臣、此に不審なる事あり、聖武紀を考るに此豊成卿は天平十三年五月に從三位に叙し.十五年五月中納言、二十年三月に從二位大納言とは成給ければ十八年には從三位中納言にておはしけるを大納言とあるは若中の字を書生の誤て大に作ける歟、凡そ集中の例大納言以上には名を云はず、考て知るべし、今豊成朝臣と云へり、中納言なる事知べし、此人は南(19)家にて武智麻呂の嫡男なり、勝寶元年に右大臣と成り、寶字元年に正二位に叙せらる、同年六月弟仲麻呂の讒に依で太宰員外帥に左遷し、八年九月召還されて右大臣に復し.同月從一位に昇り神護元年十一月に薨じ給へり、世に當麻の如空尼の父|横佩《ヨコハキノ》右大臣と云人是なり、分注中宮兩院を官本に兩を西に作れり、南細殿は和名云、唐韻云、廊音郎、【和名保曾止乃、】殿下外屋也、賜海は酒を誤て海に作れり、
 
初、南細殿 和名集云。唐韻云。廊音郎【和名保曾止乃】殿下外屋也。賜v酒、酒誤作v海
 
左大臣橘宿禰應 v詔歌一首
 
3922 布流由吉乃之路髪麻泥爾大皇爾都可倍麻都禮婆貴久母安流香《フルユキノシロカミマテニオホキミニツカヘマツレハタフトクモアルカ》
 
落句の香はかなゝり、次下の歌の落句效v之、
 
紀朝臣清人應 v詔歌一首
 
元明紀云、和銅七年二月己丑朔戊戌詔(シテ)2從六位上紀朝臣清人三宅臣藤麻呂(ニ)1令v撰2國史(ヲ)1、元正紀云、養老五年正月諸道博士(ニ)賜v物(ヲ)、從五位下紀朝臣清人等文章科各※[糸+施の旁]十五疋、絲十五※[糸+句]、布三十端、鍬二十口、同月詔(シテ)退(ク)v朝(ヲ)之令v侍2東宮(ニ)1焉、聖武紀云、天平十六年十(20)一月從四位下、孝謙紀慍、勝寶五年七月庚戌散位從四位下紀朝臣清人卒、
 
初、紀朝臣清人 元明紀云。和銅七年二月己丑朔戊戌詔2從六位上紀朝臣清人、三宅臣藤麻呂1、令v撰2国史1。元正紀云。養老元年七月賜2從五位下紀朝臣清人穀一百斛1。優2學士1也。養老五年正月戊申朔庚午詔2從五位上佐爲王〇從五位下紀朝臣清人〇等1退朝之令v侍2東宮1焉。五年正月 諸道博士賜v物。從五位下紀朝臣清人等文章科各※[糸+施の旁]十五疋、絲十五※[糸+句]、布三十端、鰍《スキ》二十口。靈龜元年正月甲申朔癸巳從五位下。秋七月賜2從五位下【紀朝臣歟】淨人【等歟】數人穀【一歟】百斛1。優2學士1也。同七年正月從五位上。聖武紀云。天平四年九月右京亮。十三年七月治部大輔兼文章博士。十五年五月正五位下。十六年十一月從四位下。十八年五月武藏守。孝謙紀云。勝寶五年七月庚戌散位從五位下紀朝臣清人卒
 
3923 天下須泥爾於保比底布流雪乃比加里乎見禮婆多敷刀久母安流香《アメノシタステニオホヒテフルユキノヒカリヲミレハタフトクモアルカ》
 
雪の光を天子の風光に喩ふ、
 
初、天の下すてにおほひて 雪の光を天子の恩光にたとへたり
 
紀朝臣男梶應 v詔歌一首
 
聖武紀云、天平十五年五月正六位上紀朝臣小楫授2外從五位下1、十七年正月從五位下、
 
初、紀朝臣男梶 聖武紀云。天平十五年五月正六位上紀朝臣小楫授2外從五位下1。六月彈正弼。十七年正月從五位下。孝謙紀云。勝寶二年三月山背守。六年十一月東海道巡察使。廢帝紀寶字四年正月和泉守
 
3924 山乃可比曾許登母見延受乎登都日毛昨日毛今日毛由吉能布禮禮婆《ヤマノカヒソコトモミエスヲトツヒモキノフモケフモユキノフレヽハ》
 
和名云、考聲切韻云、峽《カウハ》山間(ノ)陝《セバキ》處|也《ナリ》、咸夾(ノ)反、俗【山乃加比、】
 
初、山のかひそことも見えす かひは峽なり。山あひをいふ。字書に山(ノ)夾(ムヲ)v水ゐ曰v峽(ト)とあれと、此國にてはそれまてはなし。古今集に、山のかひよりみゆる白雲、山のかひあるけふにやはあらぬなとよめる、これなり。此下にも、山かひにさける櫻、とよめり
 
葛井連諸會應 v詔歌一首
 
(21)聖武紀云、天平十七年四月戊子朔壬子正六位上葛井連諸會(ニ)授2外從五位下(ヲ)1、孝謙紀云、寶字元年從五位下、
 
初、葛《フチ》井連諸會 聖武紀云。天平七年正六位下葛井連諸會。十七年四月戊子朔壬子、正六位上葛井連諸會授2外從五位下1。十九年四月相模守。孝謙紀云。寶字元年從五位下
 
3925 新年乃婆自米爾豐乃登之思流須登奈良思雪能敷禮流波《アタラシキトシノハシメニトヨノトシシルストナラシユキノフレルハ》
 
トヨノトシは禮記云、祭(ハ)豐年(ニモ)不v奢《マサ》、凶年(ニモ)不v儉《オトサ》、佐傳豐年、註、五穀皆熟(スルヲ)爲2有年(ト)1、大熟(ハ)大有年(ナル)也、宋孝武帝大明五年正月朔日雪降、義泰以v衣(ヲ)受(テ)v雪(ヲ)爲2佳瑞(ト)1、謝惠連(カ)雪(ノ)賦云、盈(ルトキハ)v尺則呈(ハシ)2瑞於豐年(ニ)1袤《アガルトキハ》v丈(ニ)則表(ハス)2 於陰徳に1、シルトナラシとは豐年の驗《シルシ》となる意なり、
 
初、あたらしき年のはしめに 孝武帝大明五年正月朔日雪降。義泰以v衣受v雪爲2佳瑞(ト)1。文選謝惠連雪賦云。盈v尺則呈(ハシ)2瑞於豐年(ニ)1〓《アカル》v丈則表(ハス)2〓《ワサワヒヲ》於陰徳(ニ)1。とよのとし、左傳、豐年註、五穀皆熱爲2有年(ト)1。大熟(ハ)大有年(ナリ)也。禮記云。祭(ハ)豐年(ニモ)不v奢《マサ》、凶年(ニモ)不v倹《ヲトサ》。しるすとならしは、記の字なり
 
大伴宿爾家持應 v詔歌一首
 
3926 大宮能宇知爾毛刀爾毛比賀流麻泥零須白雪見禮杼安可奴香聞《オホミヤノウチニモトニモヒカルマテフルスシラユキミレトアカヌカモ》
 
零須はフラスと讀べし、ふるなり、
 
初、ふらすしらゆき ふるしらゆきなり。ふるすはかんなあやまれり
 
藤原豐成朝臣 巨勢奈底麿朝臣
 
巨勢奈底麿朝臣 聖武紀云、天平十一年四月爲2參議1、十三年閏三月從四位上、七月辛亥爲2左大弁兼神(22)祇伯(ト)1、辛酉授2正四位上(ヲ)1、并賜(フニ)以(テス)2金牙飾斑竹(ノ)御杖(ヲ)1、十四年二月丙子朔授2徒三位(ヲ)1、十五年五月中納言考謙紀云、勝寶元年四月大納言從二位 五年三月辛未、大納約言從二位蒹神祇伯造宮卿巨勢朝臣奈※[氏/一]麻呂薨。小治田朝小徳大海之孫、淡海朝中納言大雲比登之子也
 
初、藤原豐成 神龜元年二月正六位下轉2從五位下1。天平四年正月從五位上。九年二月正五位上。九月己亥從四位下。十二月辛亥以2兵部卿從四位下藤原朝臣豐成1爲2參議1。十一年正月正四位下。十三年五月從三位。十五年五月中納言。十八年四月兼2東海道鎭撫使1。二十年三月從二位大納言。勝寶元年四月甲午朔丁未、拜2右大臣1。寶字元年五月丁卯正二位。六月戊午左2降太宰員外帥1。八年九月以2太宰員外帥正二位1。〇愎(シテ)爲2右大臣1。同月從一位。神護元年十一月戊午朔甲申薨。これによるに天平十八年はいまた從三位中約言なりけれは、こゝに大納言とあるは中納言を誤れる歟
巨勢奈底麿 天平元年三月正六位上巨勢朝臣奈※[氏/一]麻呂授2外從五位下1。八年正月從五位上【從五位下轉。】九年九月正五位下巨勢朝臣奈※[氏/一]麻呂授2從四位下1。十年正月爲2民部卿1。十一年四月爲2參議1。十三年閏三月從四位上。七月辛亥爲2左大辨兼神祇伯1。辛酉授2正四位上1。并賜以2金牙(ヲ以)飾(レル)斑竹(ノ)御杖1。十四年二月丙子朔授2從三位1。十五年五月中納言。十八年四月兼2北陸山陰兩道鎭撫使1。二十年二月正三位、勝寶元年四月朔大納言。同月從二位
 
大伴牛養宿禰  藤原仲麻呂朝臣
 
大伴牛養宿禰 元明紀云々、元正紀云々、聖武紀云、天平十七年正月己未朔乙丑從三位、孝謙紀云、勝寶元年四月朔日正二位中納言、閏五月甲午朔壬戌薨、大徳|咋子《クヒコ》連孫、贈大錦中|小吹負《ヲフケヒ》之男、
藤麻原仲麻呂朝臣
聖武紀云、天平十五年五月參議從四位上、十七年正月正四四位上、此人孝謙天皇の御時殊遇を蒙り藤原(ノ)惠美(ノ)押勝と云姓名を賜はり官位の昇進肩を並ぶる人なし、廢帝紀云、寶字四年正月從一位即日高野天皇口勅爲2太師(ト)1、太師(ハ)太政大臣(ナリ)、六年正月正一位、入年九月乙巳逆謀頗泄(ル)、壬子大石村主石楯斬(テ)2押勝(ヲ)1傳(フ)2首(ヲ)京師(ニ)1、
 
初、大伴宿禰牛養 和銅三年五月戊午以2從五位下大伴宿禰牛養1爲2遠江守1。七年三月授2從五位上1。十年正月庚午朔從四位下。同年閏七月攝津大夫。十一年四月參議。十五年五月從四位上。十七年正月己未朔乙丑從三位。十八年四月兼山陽道鎭撫使。勝寶元年四月朔日正三位中納言。閏五月甲午朔壬戌薨。大徳昨子(ノ)連(ノ)孫、贈大錦中小吹負之男《・委見天武紀》
藤原仲麻呂【武智麿之男。】天平六年正月正五位下藤原朝臣伸麻呂授2從五位下1。十一年正月從五位上。十二年正月正五位下。同十一月正五位上。十三年閏三月從四位下。七月爲2民部卿1。十五年五月從四位上參議。六月左京大夫。十七年正月正四位上。九月兼近江守。十八年三月式部卿。同四月兼東山道鎭撫使。十八年四月癸卯從三位。二十年三月正三位。勝寶元年七月大納言。八月兼紫微令。二年正月從二位。寶字二年八月甲子任2大保1勅曰。〇自v今以後宜3姓(ノ)中(ニ)加2惠美二字1。禁v暴勝v強止v戈靜v亂故名曰2押勝1。朕舅之中汝卿良(ニ)尚。故字稱2尚舅1。更絵2功封三千戸、功田一百町1、永爲2傳世之賜1以表2不常之勲1。別聽2鑄錢擧稻1−及用2惠美家印1。是日大保〇等奉v勅改2易官號1。〇右大臣曰2大保1。四年正月從一位。即日高野天皇口勅爲2太師1。太師(ハ)大政大臣(ナリ)。六年正月正一位。八年九月乙巳逆謀頗(フル)泄(ル)。壬子【大歟】石|村主《スクリ》石楯斬2押勝1傳(フ)2首(ヲ)京師(ニ)1
 
三原王
 
第八に注せり、
 
(23)智努王
 
元正紀云、養老元年正月乙巳授2無位智努王從四位下(ヲ)1、聖武紀云、天平十一年三月癸丑詔云、從四位上治部卿茅野王云々、此に准てチノと續べし、十二年十一月正四位下、十八年四月正四位上、孝謙紀云、勝寶四年八月從三位智努王等賜2文室眞人(ノ)姓(ヲ)1、廢帝紀云、寶字四年正月中納言、文徳實録第十云、天安二年正月丁巳散位從五位上文室朝臣海田麻呂、傳云大納言從二位知奴王之孫云々、
 
初、智努《チノヽ》王 養老元年正月乙巳授2無位智努王從四位下1。天平元年三月從四位上。十二年十一月正四位下。十三年八月木工頭。十八年四月正四位上。勝寶四年八月從三位智努王等賜2文室眞人姓1。寶字元年六月治部卿。二年六月和雲守。四年正月中納言。天平十一年三月癸丑詔曰。從四位上治部《・不審》卿|茅野《チノヽ》王
 
舩王
 
第六に注せり、
 
邑知王
 
聖武紀云、天平十一年正月甲午朔丙午無位大市王(ニ)授2從四位下(ヲ)1、孝謙紀云、勝寶三年正月從四位上、寶字元年五月文室眞人大市、光仁紀云、寶龜二年三月大納言、五年十一月正二位、十一年十一月戊子前大納言正二位文室眞人|邑珍《オホチ》薨《ミウセヌ》邑珍(ハ)三品長親王(ノ)之第七子(ナリ)也云々、大市を邑智ともかけるは和名集に備前の邑久《オホク》を大伯《オホク》ともか(24)けるが如し、
 
初、邑知《・大市》《オホチノ》王 慶雲元年春正月丁亥朔癸巳無位大市王授2從四位下1。三年十一月戊申從|五《四歟》位下大市王爲2伊勢守1【以上別人也。】天平十一年正月甲午朔丙午無位大市王授2從四位下1。十八年四月内匠頭。十九年正月丁丑朔從三位《不審》。勝寶三年正月從四位上。六年九月文室眞人大市爲2大藏卿1。寶字元年五月文室眞人大市授2正四位下1。六月弾正尹。三年十一月節部卿大藏。五年六月進2爵一級1。同十月出雲守。八年九月民部卿。神護元年正月從三位。二年七月參議。寶亀元年十月己丑朔正三位。二年三月大納言。七月兼彈正尹。十一月從二位。十二月兼治部卿。寶龜五年兼中務卿。十一月正二位。寶龜十一年十一月戊子前大納言正二位文室眞人|邑珍《オホチ》薨。邑珍(ハ)三品長親王之第七子也。天平中授2從四位下1拜2刑部卿1。勝寶四歳賜2姓文室眞人1。勝寶以後宗室枝族陷v辜者衆。邑珍削v髪爲2沙門1以圖2自全1。寶龜初至2從二位大納言1。年老致仕有v詔不v免。五年重乞2骸骨1許v之。尋授2正二位1。薨時年七十七。寶龜三年二月癸丑乞2致仕1表。臣大市言。臣以2愚質1幸逢2聖朝1。※[手偏+邑]v紫懷v金、叨掌2喉舌1、貪v榮負v貴、戰過2薄1深1。臣之如v斯不v知v所v措。伏惟陛下徳洽仁厚、邦奮命新。維城之遇2千年1、終譽之儀2一命1。臣蒲柳向v衰、桑楡方晏。病亦稍篤、垂v盡無v期。伏願辭2官俊乂1、賜2老丘園1、止v足以送2餘年1、返v初而待2終日1。【然歟】則上有2成物之主1、下無2尺禄之臣1矣。矜2老疾苦1有國嘉猷。天鑒曲垂暫慰2朽邁1。不v任《タヘ》2前路之至促1、謹詣2朝堂1奉v表陳乞以開。詔報省2所v上表1盛念蒹懷。宜隨2力所1v堪如v常仕奉u。五年七月戊申大納言從|三《・二歟》位文室眞人大市重乞2致仕1。詔卿年及2懸車1告v老言v退。古人(ノ)所謂知(レハ)v足不v辱、知(レハ)v止不v殆此(ノ)之謂也。思2欲留連1恐悲2優老之道1。體力勇健隨2時節1而朝參。因賜2御杖1
 
山田王
 
系譜未v詳、聖武紀云、木工頭從五位下小田王、又云從五位上、若山と小とを彼紀歟此集歟に書生の寫誤まれる歟、
 
林王
 
聖式紀云、天平十五年五月無位林王(ニ)授2從五位下1、廢帝紀云、寶字五年正月從五位上、光仁紀(ニ)云、寶龜一年九月甲申朔内申從四位上三嶋王(ノ)之男林(ノ)王(ニ)贈2姓(ヲ)山邊眞人(ト)1、
 
初、林王 天平十五年五月無位林王授2從五位下1。六月圖書頭。寶字三年六月庚戌|無《不審》位林王授2從四位下1。五年正月從五位下林王授2從五位上1。六年正月木工頭。寶龜二年九年甲申朔丙申從四位上三嶋王之男林王贈2姓山邊眞人1
 
穗積朝臣老
 
上に既に見えたり、
 
小田朝臣諸人
 
小治田なるを治の字を落せり、聖武紀云、天平九年十二月壬戌外從五位下小治田朝臣諸人(ヲ)爲2散位(ノ)頭1、十年八月乙亥爲2備後守(ト)1、十八年五月從五位下、孝謙紀云、勝寶六(25)年正月從五位上、
 
初、小治田朝臣諸人【脱洽字】天平九年十二月壬戌外從五位下小治田朝臣諸人爲2散位頭1。十年八月乙亥爲2備後守1。十八年五月從五位下。勝寶六年正月從五位上
 
小野朝臣網手
 
聖武紀云、天平十二年十一月正六位上小野朝臣綱手(ニ)授2外從五位下(ヲ)1、十八年四月從五位下、
 
初、小野朝臣綱手 天平十二年十一月正六位上小野朝臣綱手授2外從五位下1。十五年六月内藏頭。十八年四月上野守。同月從五位下
 
高橋朝臣國足
 
初、高橋朝臣國足 天平十五年五月正六位上轉2外從五位下1。十八年四月從五位下。閏九月越後守
 
聖武紀云、天平十五年五月授2外從五位下1、十八年四月從五位下、
 
太朝臣徳太理
 
聖武紀云、天平十七年正月正六位上太朝臣徳足(ニ)授2外從五位下(ヲ)1、十八年四月從五位下、
 
初、大朝臣|徳《トコ》太《・足》理 天平十七年正六位上太朝臣徳足授2外從五位下1。十八年四月從五位下
 
高丘連河内
 
上に既注せり、
 
秦忌寸朝元
 
(26)元正紀云、養老三年夏四月丁夘秦臣朝元賜2忌寸(ノ)姓(ヲ)1、五年正月戊申朔甲戌詔云、【如2二津守連通(ノ)下引1從六位下秦朝元醫術科、賜v物與v通同、】聖武紀云、天平二年三月乙酉朔辛亥太政官奏※[人偏+稱の旁]云々、又諸蕃異域風俗不v同、若無2譯《ヲサ》語1難(シ)2以通(シ)1v事(ヲ)、仍仰(セテ)2粟田朝臣馬養、播磨直乙安、陽胡《ヤコ》史眞身、秦忌寸朝元、文元貞等五人(ニ)1各取2弟子二人(ヲ)1令v習(ハ)2漢語(ヲ)1者《テヘリ》詔(シテ)並(ニ)許(ス)v之(ヲ)、七年四月戊申外從五位下秦忌寸朝元授2外從五位上(ヲ)1、九年十二月壬戌爲2圖書頭1、十八年三月爲2主計(ノ)頭(ト)1、懷風藻云、辨正法師者、俗姓(ハ)秦氏、性滑稽(ニシテ)善(シ)2談論(ニ)1、少年(ニシテ)出家(シテ)頗洪2玄學(ニ)1、大寶年中遣2學(ニ)唐國(ニ)1時(ニ)遇2李隆基龍潜1之日(ニ)以v善2圍棊(ニ)1屡見2賞遇(セ)1、有2子朝慶朝元1、法師及(ビ)慶在(テ)v唐(ニ)死(ス)元歸2本朝(ニ)1仕(テ)至2大夫(ニ)1、天平年中(ニ)拜2入唐判官1到2大唐1見(ユ)2天子1、天子以2其父故1(ニ)優詔厚(ク)賞賜(ス)、還(テ)至(テ)2本朝(ニ)1尋(テ)卒(ス)、
楢原造東人
聖武紀云、天平十七年正月己未朔乙丑正六位上楢原造東人授2外從五位下(ヲ)1、孝謙紀云、勝寶二年三月戊戌駿河國守從五位下楢原造東人等於2部内廬原(ノ)郡多胡(ノ)浦濱(ニ)1獲(テ)2黄金(ヲ)1獻v之【練金一分、沙金一分、】於是東人等(ニ)賜2勤臣(ノ)姓(ヲ)1、寶字元年五月正五位下、【文徳實録第四云、仁壽二年二月乙巳參議正四位下兼行宮内卿相摸守滋野朝臣貞主卒、貞主者右京人也、曾祖父大學頭兼博士正五位下楢原東人該2通九經1爲2名儒1、天平勝寳元年爲2駿河守1、于時(ニ)土出2黄金1、東人採而兼v之、帝美(テ)2其功(ヲ)1曰(フ)勤哉《イソシイカナ》臣也、遂取2勤臣之義1賜2姓伊蘇志臣(ト)1父尾張守從五位上家譯、延暦年中|賜2姓滋野宿禰1云々、是に依れば勤臣はイソシノオムとよむべし、】
 
初、秦忌寸朝元 養老三年夏四月丁卯秦臣朝元賜2忌寸姓1。五年正月戌申朔甲戌詔云。【如2第二之二葉津守連通下引1。從六位下秦朝元醫術科賜v物與v通同。】天平二年三月乙酉朔辛亥大政官奏※[人偏+稱の旁]之〇又諸蕃異域風俗不v同。若無2譯語《ヲサ》1難2以通(シ)1v事(ヲ)。仍仰2粟田朝臣馬養、播磨直乙安、陽胡史眞身、秦朝元、文元貞等五人1、各取2弟子二人1命v習2漢語1者。詔並許之。七年四月戊申、外從五位下秦忌寸朝元授2外從五位上1。九年十二月壬戌爲2圖書頭1。十八年三月爲2主計頭1。懷風藻云。辨正法師者、俗姓秦氏。性滑稽善2談論1。少年出家頗洪2玄學1。大寶年中遣2學(ニ)唐國1。時遇2李隆基《・玄宗》龍潜之日1、以v善2圍棊1屡見2賞遇1。有2子朝慶朝元1。法師及慶在v唐死。元歸2本朝1仕至2大夫1。天平年中拜2入唐判官1、到2大唐1見2天子1。天子以2其|文《父歟》故1特優詔厚賞賜。還至2本朝1尋卒
楢原(ノ)造《ミヤツコ》東人 天平十年正月己未朔乙丑、正六位上楢原造東人授2外從五位下1。十八年五月從五位下。十九年三月駿河守。勝寶二年三月戊戌駿河國守從五位下楢原東人等於2部内廬原郡多胡浦濱1、獲2黄金1獻v之。【練金一分。沙金一分。】於v是東人等賜2勤臣姓1。十二月葵亥從五位上。寶字元年五月正五位下
三原王船王は共に舍人親王の御子、哥にも上に見えたり。山田王は續日本紀に見えす。穂頼朝臣老、高丘連河内は上に見えたり
 
(27)右件王卿等應 v詔作v歌依v次奏之、登時不v記、其歌漏失、但秦忌寸朝元者、左大臣橘卿諺曰、靡v堪v賦v歌以v麝贖之、因v此黙已也、
 
大伴宿祢家持以2閏七月1被v任2越中國守1、即取2七月1赴2任所1、於v時姑大伴氏坂上郎女贈2家持1歌二首
 
聖武記云、天平十八年六月壬寅從五位下大伴宿禰家持爲2越中守(ト)1、閏は衍文なり、聖武紀を考ふるに閏は九月にあり、前の十六年の閏は正月にあり、後の勝寶元年の閏は五月にあり、此を引合て案ずるに紀を以て正義とすべし、目録にも閏と云はずやがて今も即取(テ)2七月(ヲ)1赴2任所(ニ)1と云へれば閏は衍文なる證なり、若は七日を寫誤て七月となせる歟、紀は六月壬寅とあれど此は今の本を以て正とすべし、此より第二十の終に至るまで次第して日記なり、日本紀纂疏云、越洲者彼地(ニ)有v坂名(テ)曰2角鹿(ト)1、行人必踰2此坂(ヲ)入(ルガ)v絶(ニ)故名(テ)曰v越(ト)也、
 
初、大伴宿禰家持以天平十八年 聖武紀云。六月壬寅大伴宿禰家持爲2越中守1。七月の閏、紀には九月にあり。相違如何。此集をもて正とすへき歟。越と名付る事は、日本紀纂疏云。越洲者彼地有v坂名曰2角鹿1。行人必踰2此坂1入2越絶1故名曰v越也。姑、をはともしうとめともよむへし。坂上郎女は家持のためにはをはにしてしうとめなるか故なり
越中守 延喜式民部云。越中國上。令義解職員令云。上國(ハ)守一人。介一人。椽一人。目一人。史生三人
 
(28)3927 久佐麻久良多妣由久吉美乎佐伎久安禮等伊波比倍須惠都安我登許能弊爾《クサマクラタヒユクキミヲサキクアレトイハヒヘスヱツアカトコノヘニ》
 
3928 伊麻能其等古非之久伎美我於毛保要婆伊可爾加母世牟須流須邊乃奈左《イマノコトコヒシクキミカオモホエハイカニカモセムスルスヘノナサ》
 
更贈越中國歌二首
 
3929 多妣爾伊仁思吉美志毛都藝底伊米爾美由安我加多孤悲乃思氣家禮婆可聞《タヒニイニシキミシモツキテイメニミユアカカタコヒノシケヽレハカモ》
 
志毛は助語なり、君も此方を相思ふ故に夢に見ゆる歟、相思はざれども我片戀の思ひ寢に見るかとなり、
 
初、旅にいにし君しもつきて これは君もこなたをあひおもふゆへに夢にみゆるか。あひはおもはねとも我かたこひのしけき故におもひねにみるかとなり。古今集に、みつね
  君をのみおもひねにねし夢なれはわか心からみつるなりけり
 
3930 美知乃奈加久爾都美可未波多妣由伎母之思良奴伎美乎(29)米具美多麻波奈《ミチノナカクニツミカミハタヒユキモシシラヌキミヲメクミタマハナ》
 
和名云、越中【古之乃三知乃奈加、】かくは云へども此は越中に限らず只道中にまします神たちを云べし.シヽラヌは只知らぬなり、落句はめぐみだにはむなゝり、
 
初、みちのなかくにつみかみは 越中をこしのみちの中といへと、これは越中にかきらす只道中にまします神たちをいふへし。地祇とかきてくにつかみとよめり。たひゆきもしゝらぬ君とは、爲不知《シシラヌ》君にてたひをしてみぬ心なり。めくみたまはなは、めくみたまはねといふなり。又めくみたまはむにても有へし
 
平群氏女郎贈2越中守大伴宿禰家持1歌十二首
 
家持は風流の美男なりけるにや、第三に笠女郎の託《ツク》馬野の紫深く思ひそめしより第四第八及び今此女郎に至るまであまたの心を摧けり、
 
3931 吉美爾餘里吾名波須泥爾多都多山絶多流孤悲乃之氣吉許呂可母《キミニヨリワカナハステニタツタヤマタエタルコヒノシケキコロカモ》
 
獨はなれたる山を斷山と云へば立田山絶タル戀とはつゞけたる歟、平群氏にて平群郡にあれば先立田山をよめり、
 
初、きみによりわか名は 斷山とて、山あひのきれて遠くひとりたつもあれは、立田山たえたるとはつゝけたる歟。さらても、立田の立を絶といふ心にてたえたるとはつゝくへし。君ゆへにわかなのすてに立たれは、おもひなからえあはて、絶たるこひの、遙にへたゝるにつけて、さらにしけき比かもとなり
 
3932 須麻比等乃海邊都禰佐良受夜久之保能可良吉戀乎母安(30)禮波須流香物《スマヒトノウミヘツネサラスヤクシホノカラキコヒヲモアレハスルカモ》
 
此下句第十一第十五にもありき、
 
初、すまひとのうみへ常さらす 海邊を常にはなれすなり
 
3933 阿里佐利底能知毛相牟等於母倍許曾都由能伊乃知母都藝都追和多禮《アリサリテノチモアハムトオモヘコソツユノイノチモツキツヽワタレ》
 
初、ありさりて後も あり/\てとよめる哥、上に有き。ありさりてもおなし。阿と佐と同韵にて通するなり
 
3934 奈加奈加爾之奈婆夜須家牟伎美我目乎美受比佐奈良婆須敞奈可流倍思《ナカナカニシナハヤスケムキミカメヲミスヒサナラハスヘナカルヘシ》
 
初、中々にしなはやすけむ しにたらは中々に心のやすからんとなり。第十二に
  中々にしなはやすけむ出る日のいるわきしらぬ我しくるしも
 
3935 許母利奴能之多由孤悲安麻里志良奈美能伊知之路久伊泥奴比登乃師流倍久《コモリヌノシタユコヒアマリシラナミノイチシロクイテヌヒトノシルヘク》
 
此歌第十二に既に出たり、
 
初、こもりぬの下ゆこひあまり かくれたるぬま水のことく、しのひにこひあまりて、そのこもりぬも風なとのあらくふけは、白波の立出ることく、わかおもふ心を、人の見知はかり色に出たるとなり
 
3936 久佐麻久良多妣爾之婆之婆可久能未也伎美乎夜利都追(31)安我孤悲乎良牟《クサマクラタヒニシハシハカクノミヤキミヲヤリツヽアカコヒヲラム》
 
3937 草枕多妣伊爾之伎美我可敝里許牟月日乎之良牟須邊能思良難久《クサマクラタヒイニシキミカヽヘリコムツキヒヲシラムスヘノシラナク》
 
初、草まくらたひいにし君か 旅にいにし君かなり
 
3938 可久能未也安我故非乎浪牟奴婆多麻能欲流乃比毛太爾登吉佐氣受之底《カクノミヤアカコヒヲラムヌハタマノヨルノヒモタニトキサケスシテ》
 
乎浪牟、【別校本、浪作v良、】
 
3939 佐刀知加久伎美我奈里那婆古非米也等母登奈於毛比此安連曾久夜思伎《サトチカクキミカナリナハコヒメヤトモトナオモヒシアレソクヤシキ》
 
是は家持の都に有し時の事なり、
 
初、さとちかく君かなりなは 平群氏は平群郡にあれは、上にもわか名はすてに龍田山とよめり。家持は奈良に家あれは、かく千里にわかるへきことはしらて、あはれ今すこし我か里ちかく君かなることもあらは、かうはこひじものをなと、おもひしことのくやしきとなり
 
3940 餘呂豆代爾許己呂波刀氣底和我世古我都美之手見都追(31)志乃備加禰都母《ヨロツヨニコヽロハトケテワカセコカツミシテミツヽシノヒカネツモ》
 
ツミシヲミツヽとは第七旋頭歌に玉緒念委《タマノヲノオモヒステヽモ》とありしをおもひつみてもと續べき由注し侍りし如く、つむも重なる意なれば萬世までも相思はむと心は打解ながら此紐の緒を我ならぬ人には解なと結びかさねて置けるを躬つゝ忍びかぬるとよめるなり、
 
初、よろつよに心はとけて つみしをみつゝ、此句心得かたし。心はとけてといふによりておもへは、むすひしひものをゝみつゝといふ心にや。積といふは、かさぬる心なれは、紐もむすへはかさなるを、つみしをといへるか。哥の心は、萬世まてもあひおもはんと、心は打とけて、此ひもを我ならぬ人はとくなとむすひおけるを見つゝ、しのひかねてなくといへる心にや。又毛詩に耳をつむといひ、古今集に
  春かすみたな引のへのわかなにもなりみてしかな人もつむやと
これもおもふよしをしらせんとて、身をつむ心をそへてよめりとみゆ。身をつむとも足をつむともよめり。背を拊、耳を※[手偏+斯]は、人にたしかにいふことをきかしめんためなれは、これもたはふれに、君か我をつみたりしあとをみつゝしのひかぬるといへるにや
 
3941 ※[(貝+貝)/鳥]能奈久久良多爾之宇知波米底夜氣波之奴等母伎美乎之麻多武《ウクヒスノナククラタニシウチハメテヤケハシヌトモキミヲシマタム》
 
久良多爾之、【仙覺抄云、クラタニニ、官本之作v上爾重點、】
 
第二句官本を正とすべし、毛詩云、伐(コト)v木(ヲ)丁《タウ》々(タリ)、鳥(ノ)鳴(コト)嚶々(タリ)、出(テ)v自2幽谷1遷(ル)2于喬木1、此意を用たる歟、ウチハナテは幽谷に身を役るなり、古今集に世の中のうき度毎に身を投ば深き谷こそ淺くなりなめ、後撰集にも世中に知られぬ山に身投とも谷の心や云はで思はむ、ヤケハシヌトモ、思ひに燒は死するともなり、落句のb〔右○〕は助語なり、待々てさても有られぬ時あらば幽谷に身を打はめて思ひに燒かれては死ぬともそれまで(33)は變らず君が還るを待たむとなり、
 
初、鶯の鳴くらたにゝ 毛詩云。伐v木丁々。鳥鳴嚶々。出v自2幽谷1、遷2于喬木(ニ)1。ふかき谷は、日のめも見えす、くらき故にかくはいへり。うちはめてとは身をなけての心なり。古今集に
  世の中のうきたひことに身をなけはふかき谷こそ淺くなりなめ
後撰集に
  世中にしられぬ山に身なくともたにの心やいはておもはむ
やけはしぬともは、おもひにやけては死ぬるともなり
 
3942 麻都能波奈花可受爾之毛和我勢故我於母敝良奈久爾母登奈佐吉都追《マツノハナハナカスニシモワカセコカオモヘラナクニモトナサキツヽ》
 
松の花は待によそへて君が目に花と見る人多からむ中に、我は松の花の如くにて花の數に入れても思はれぬを、由なく片思して待と云意を花に寄たればモトナ咲ツヽとは云へり、第十五|狹野茅上《サヌノチカミノ》娘子が歌にも我宿の松の葉見つゝ君またむとよめり、
 
初、松の花はなかすにしも 松の花は松花、松黄、松蕊なといへり。唐姚合か採2松花1詩あり。仙術なと學ふにはほめたる物なれと、花にては花といふへくもなきを、松を待によせてよしなく人なみに待といへり
 
右件十二首歌者、時時寄2便使1來贈、非d在2一度1所uv送也、
 
八月七日夜、集2于守大伴宿禰家持舘1宴歌
 
初、家持舘 和名集云。唐韻云。館(ハ)官(ノ)反。作v舘。【和名多知。】一云【無路豆美。】客舍之也
 
3943 秋田乃穗牟伎見我底里和我勢古我布左多乎里家流乎美奈敝之香物《アキノタノホムキミカテリワカセコカフサタヲリケルヲミナヘシカモ》
 
(34)次の池主が歌に依に部内の熟否を知らむがためがてら、池主が野に出て女郎花を手折來けるなり、ふさたをるは第八にもよめり、
 
初、秋の田のほむきみかてり かてりはかてらなり。國の守なれは、なりはひのやうをみるを、秋田のほむき見かてらといへり。ふもたをりけるは、ふさ/\とたをるなり。第八に、とみのをかへのなてしこの花ふさたをりともよめり
 
右一首守大伴宿彌家持作
 
3944 乎美奈敝之左伎多流野邊乎由伎米具利吉美乎念出多母登保里伎奴《ヲミナヘシサキタルノヘヲユキメクリキミヲオモヒテタモトホリキヌ》
 
初、たもとほりきぬ もとほるは囘なり。たは手の字にて、道の手折なといへるたくひなり
 
3945 安吉能欲波阿加登吉左牟之思路多倍乃妹之衣袖伎牟餘之母我毛《アキノヨハアカトキサムシヽロタヘノイモカコロモテキムヨシモカモ》
 
白妙の妹が衣著む由もがなゝれど字の足らねば衣袖と云へり、古人はかやうの處ゆるやかなり、
 
3946 保登等藝須奈伎底須疑爾之乎加備可良秋風吹奴余之母安良奈久爾《ホトヽキスナキテスキニシチカヒカラアキカセフキヌヨシモアラナクニ》
 
(35)第二句の爾は助語なり、乎加備は岡邊なり、乎をチと點ぜるは筆者の誤なるべし、落句は由なくなり、あかぬ霍公鳥は鳴て過し其岡邊より物悲しき秋風の吹來るが由なきなり、
 
初、ほとゝきすなきて過にし をかひからは岡邊からなり。よしもあらなくにはよしなきなり。聞はやとおもふほとゝきすは鳴過るその岡邊から、ものかなしき秋風のよしなく吹來るとなり。第八に
  ほとゝきす聲きくをのゝ秋風にはき咲ぬれや聲のともしき
 
右三首〓大伴宿禰池主作
 
初、右三首椽大件宿禰池主作 漢制以v曹爲v椽。如2島之椽1。言有v所2負荷1
 
3947 家佐能安佐氣秋風左牟之登保都比等加里我來鳴牟等伎知可美香物《ケサノアサケアキカセサムシトホツヒトカリカキナカムトキチカミカモ》
 
氣佐、【幽齋本、氣作v家、】
 
雁を遠津人とは上にもよみき、
 
初、とほつ人鴈かきなかむ 第十二にも、とほつ人かりちの池とつゝけよめるは、鳥けたもの草木をも人とよむならひなり。上にもしるしぬ。鴈は遠き國よりまたれてきなく物なれは、かくよめり
 
3948 安麻射加流比奈爾月歴奴之可禮登毛由比底之紐乎登伎毛安氣奈久爾《アマサカルヒナニツキヘヌシカレトモユヒテシヒモヲトキモアケナクニ》
 
右二首守大伴宿禰家持作
 
(36)3949 安麻射加流比奈爾安流和禮乎宇多我多毛比母登吉佐氣底於毛保須良米也《アマサカルヒナニアルワレヲウタカタモヒモトキサケテオモホスラメヤ》
 
比母毛、【校本無v毛、點亦無、】
 
第四句は紐も解|放《サケ》ずしてなり、落句は故郷の人の心を云へり、
 
初、あまさかるひなにある うたかたは、第十二、第十五にありてしるせり。此卷下にいたりて見えたり。遊仙窟云。著《ヨリツカン》時|未必相2著《ウタカタモアハントハオモハサリキ》死(ニ)1。ひもゝときさけて、てもし濁るへし。紐も解さけすしてなり
 
右一首〓大伴宿禰池主
 
3950 伊弊爾之底由比底師比毛乎登吉佐氣受念意緒多禮賀思良牟母《イヘニシテユヒテシヒモヲトキサケスオモフコヽロヲタレカシラムモ》
 
落句は妹は知らじの意なり、
 
右一首守大伴宿禰家持作
 
3951 日晩之乃奈吉奴流登吉波乎美奈弊之佐伎多流野邊乎遊吉追都見倍之《ヒクラシノナキヌルトキハヲミナヘシサキタルノヘヲユキツヽミヘシ》
 
(37)右一首大目秦忌寸八千島
 
系譜等未v詳、
 
古歌一首【大原高安眞人作】年月不v審、但隨2聞時1記2載茲1焉、
 
初、古歌一首云 これ家持の詞なり
 
3952 伊毛我伊弊爾伊久里能母里乃藤花伊麻許牟春母都禰加久之見牟《イモカイヘニイクリノモリノフチノハナイマコムハルモツネカクシミム》
 
妹が家に行とつゞく、或者の語りしは南京の十町許隔ていぐりと云神の社有と申き、若彼處にや、く〔右○〕もじを濁て申つれどさる事は例あり、藤も色よくて女に喩ふる物なれば又來む春もかくあかず見むと云は發句を下まで承くる意なり、落句の之は助語なり、
 
初、妹か家にいくりのもりの 妹か家にゆくとつゝけたり。あるものゝかたり侍しは、南都より十町はかりもかたはらに、いくり大明神とて社あるよし申しき。くもしをにこりて申つ。たとひそこにて濁るとむ、かくつゝくるは例のことなり。今こむ春もつねかくしみむとは、妹にあかぬによせて、藤の花をも此春のみならす、又こん春、そのゝちの春も今のことくかくこそあかすみめとなり。かくしのしもしは、助語なり
 
右一首傳誦僧玄勝是也
 
3953 鴈我禰波都可比爾許牟等佐和久良武秋風左無美曾乃可(38)波能倍爾《カリカネハツカヒニコムトサワクラムアキカセサムミソノカハノヘニ》
 
その河の邊とは雁の住胡國の川邊なり、
 
3954 馬竝底伊射宇知由可奈思夫多爾能伎欲吉伊蘇末爾與須流奈彌見爾《ウマナメテイサウチユカナシフタニノキヨキイソマニヨスルナミヽニ》
 
右二首守大伴宿禰家持
 
3955 奴婆多麻乃欲波布氣奴良之多末久之氣敷多我美夜麻爾月加多夫伎奴《ヌハタマノヨハフケヌラシタマクシケフタカミヤマニツキカタフキヌ》
 
多末久之氣、【校本或末作v麻、】
 
二上山は下に射水郡にありと注せり、此歌別に作者ある上に家持集にも見えぬを續古今に家持歌とあるは未v考v所v據、
 
右一首史生土師宿禰道良
 
(39)未v知2系譜1、
 
大目秦忌寸八千島之舘宴歌一首
 
3956 奈呉能安麻能都里須流布禰波伊麻許曾婆數奈太那宇知底安倍底許藝泥米《ナコノアマノツリスルフネハイマコソハフナタナウチテアヘテコキテメ》
 
フナタナウチテは屈原漁父辭云、漁父莞爾而笑|鼓《タヽイテ》v※[木+世](ヲ)而去(ヌ)、和名集云、野王案※[木+世]【音曳、字亦作v※[木+曳]、和名不奈太那、】大船(ノ)旁(ノ)板也(ナリ)、顯昭の古今集注云、ふなたなとはせかいとで舟の左右のそばに縁のやうに板を打つけたるなり、それを踏てもあるくなり、落句は喘て榜出ぬなり、
 
初、ふなたなうちて ふなたなうつは、ふなはたをうつなり。文選屈平漁父辞云。漁父莞爾而笑(テ)鼓《タヽイテ》v※[木+世](ヲ)而去(ンヌ)。神代紀云。蹈2船※[木+世]1【船※[木+世]此(ヲハ)云2浮那能倍(ト)1。】和名集云。野王按※[木+世]【音曳。字亦作※[木+曳]。和名不奈太那】大船(ノ)旁(ノ)板也。古今集のほりえこくたなゝしをふねといふ哥につきて、顯昭注云。たなゝし小舟とは、ちひさき舟には、ふなたなのなきなり。萬葉には、棚無小船とかけり。ふなたなとは、せがいとて、ふねの左右のそはにえむのやうに板をうちつけたるなり。それをふみてもあるくなり。とものかたにつけたるをは、したなといふ。尻のたなゝり。あへてこきてめは、あへきて漕出めなり。第三にも、いさこともあへてこき出むにはもしつけしとよめり
 
右舘之客屋居望2蒼海1、仍主人八千島作2此歌1也、
 
哀2傷長逝之弟1歌一首 并短歌
 
3957 安麻射加流比奈乎佐米爾等大王能麻氣乃麻爾未爾出而許之和禮乎於久流登青丹余之奈良夜麻須疑底泉河伎欲(40)吉可波良爾馬駐和可禮之時爾好去而安禮可弊里許牟平久伊波比底待登可多良比底許之比乃伎波美多麻保許能道乎多騰保美山河能弊奈里底安禮婆孤悲之家口氣奈我枳物能乎見麻久保里念間爾多麻豆左能使乃家禮婆宇禮之美登安我麻知刀敷爾於餘豆禮能多波許登等可毛波之伎余思奈弟乃美許等奈爾之加母時之波安良牟乎波太須酒吉穗出秋乃芽子花爾保弊流屋戸乎《アマサカルヒナヲサメニトオホキミノマケノマニマニイテヽコシワレヲオクルトアオニヨシナラヤマスキテイツミカハキヨキカハラニウマトヽメワカレシトキニヨシユキテアレカヘリコムタヒラケクイハヒテマテトカタラヒテコシヒノキハミタマホコノミチヲタトホミヤマカハノヘナリテアレハコヒシケクケナカキモノヲミマクホリオモフアヒタニタマツサノツカヒノケレハウレシミトアカマチトフニオヨツレノタハコトヽカモハシキヨシナオトノミコトナニシカモトキシハアラムヲハタスヽキホニイツルアキノハキカハナニホヘルヤトヲ》【言斯人爲v性好愛2花草花樹1、而多植2於寝院之庭1、故謂2之花薫庭1也、】
 
麻氣は日本紀に拜の字任の字をよめり、此にては越中守に任じ給ふにまかせてなり、道ヲタトホミはもとほる〔四字右○〕をたもとほる〔五字右○〕と云如くた〔右○〕はそへたる詞にて遠みなり、使乃家禮婆は今按ツカヒノケレバと讀べし.きあればと云を吉阿を反して約むれ(41)ばか〔右○〕なり、加を初四相通ずれば家となるなり、オヨツレ、タハコト第三に注せり、ナニシカモ時シハアラムヲ、二つのし〔右○〕は助語なり、
 
安佐爾波爾伊泥多知奈良之暮庭爾敷美多比良氣受佐保能宇知乃里乎徃過安之比紀乃山能許奴禮爾白雲爾多知多奈妣久等安禮爾都氣都流《アサニハニイテタチナラシユフニハニフミタヒラケスサホノウチノサトヲユキスキアシヒキノヤマノコヌレニシラクモニタチタナヒクトアレニツケツル》
 
アサニハニ、ユフニハニは第十三に既に出たり、イデタチナラシは出立ならさずと云べきを下のフミタヒラゲズの句を待て并せて結ぶなり、朝庭には出立ならしたれども暮庭には蹈平らげぬと云にはあらず、かゝる事例多き事なり、佐保の内より下は自注に明らかなり、落句は上のあが待間にと云首尾なり、
 
初、こしひのきはみ 來し日のかきり。道をたとをみ、たは助語なり。山川のへなりてあれは、隔てあれはなり。〇使乃家禮婆、家は久と通してかけり。およつれのたはことゝかも。第三に、石田王卒之時丹生王作哥にも、およつれか吾きゝつる。まかことかわか聞つるもといへり。天智紀云。九年春正月乙亥朔戊子〇復|禁2斷《イサヒヤム》誣妄妖僞《タカ《・タハ歟》コトオヨツレコトヲ》1。天武紀云。四年十一月辛丑朔癸卯有(テ)v人登2宮(ノ)東(ノ)岳(ニ)1妖言《オヨツレコトシテ》而|自《ミ》刎《クヒハネテ》死之。光仁紀左大臣藤原朝臣永手薨時、詔詞中云。天皇朝乎置而、罷還止聞看而、於母富佐久。於與豆禮加母、多奈美許止乎加母云云々。なをとのみこと、あにをなあにといへるかことしあさにはに出立ならし夕庭にふみたひらけす。花草花樹を愛してうゑおきなから、いまた朝に出立てもならさす。夕にふみたひらけもせぬまに身まかる心なり
 
佐保山火葬、故謂2之佐保乃宇知乃佐刀乎由吉須疑1、
 
此注火葬と云は白雲に立たなびくと云までなるを略して二句を擧たるなり、
 
3958 麻佐吉久登伊比底之物能乎白雲爾多知多奈妣久登伎氣(42)婆可奈思物《マサキクトイヒテシモノヲシラクモニタチタナヒクトキケハカナシモ》
 
イヒテシとは家持の言なり、長歌の平げくいはひてまてとかたらひてと云を蹈てなり、
 
3959 可加良牟等可禰底思理世婆古之能宇美乃安里蘇乃奈美母見世麻之物能乎《カヽラムトカネテシリセハコシノウミノアリソノナミモミセマシモノヲ》
 
アリソは只荒礒なり、名所にあらず、下に之夫多爾能佐吉乃安里蘇《シフタニノサキノアリソ》ともよめり、此歌第五に憶良の妻を失なはれたる時の歌の反歌にくやしかもかく知らませばとよめるに似たり、
 
初、かゝらむとかねて知せは かくはかなかるへき人としりたらましかは、我をおくりし時、そのまゝいさなひて、此こしの海のおもしろきあらいそ浪をもみせましものをとなり。第五に
  悔しかもかくしらませはあをによしく|ぬ《ニウ》ち《・國内》こと/\く《ク》みせましものを
此ありそといふは、只あらいそなり。こしのくにゝありそといふ所ありといふは、此哥によりてあやまれる歟
 
右九月廿五日、越中守大伴宿祢家持遙聞2弟喪1感傷作v之也、
 
相歡歌二首 越中守大伴肩彌家持作
 
(43)3960 庭爾敷流雪波知敝之久思加乃未爾於母比底伎美乎安我麻多奈久爾《ニハニフルユキハチヘシクシカノミニオモヒテキミヲアカマタナクニ》
 
落句は我不侍爾《ワガマタナクニ》と云にはあらず、奈は助語にて我またくになり、上に此格多かりき、千重降しく雪の如くしく/\に待つるにうれしくもあへるかなと悦こぶ心なり、
 
初、庭にふる雪はちへしく 千里にふり敷なり。しかのみにはかくのみになり。あかまたなくには、これは常の、見なくに、いはなくに、なといふにはあらす。我待にといふにて、なくは詞の字なり。第三に、人丸香具山に屍を見ていたむ哥に
  草枕たひのやとりに誰つまかくにわすれたる家またなくに
これは家にまたんにの心を、またなくにといへり。これに准して心得へし。惣して此なくといふ詞は、第一の廿九、第四の十五、第十五の三十二葉なとにも有。あらきをあらけなくといふたくひなり
 
3961 白浪乃余須流伊蘇末乎榜舩乃可治登流間奈久於母保要之伎美《シラナミノヨスルイソマヲコクフネノカチトルマナクオモホエシキミ》
 
右以2天平十八年八月1、〓大伴宿禰池主、附2大帳使1赴2向京師1、而同年十一月、還2到本任1、仍設2詩酒之宴1彈絲飲樂、是日也白雪忽降、積v地尺餘、此時也復漁夫之舩入v海浮v瀾、爰守大伴宿禰家持寄2情二眺1、聊裁2所心1、
 
(44)附大帳使は大帳を附る使とよまば即大帳使なり、大帳使に附てとよまば別に大帳使ありて池主はそれに附けば副使《ソヘツカヒ》の意なり、下に此類多し、初の意なり、二眺は雪と漁夫船となり、上の二首次の如く當れり、
 
忽洗2枉疾1殆臨2泉路1、仍作2謌詞1以申2悲緒1一首 并2短歌1
 
洗枉疾、【洗、官本、作v沈、】
 
初、忽沈枉疾 沈誤作v洗
 
3962 大王能麻氣能麻爾麻爾大夫之情布里於許之安思比奇能山坂古延底安麻射加流比奈爾久太理伎伊伎太爾毛伊麻太夜須米受年月毛伊久良母阿良奴爾宇都世美能代人奈禮婆宇知奈妣吉等許爾許伊布之伊多家苦之日異益多良知禰乃波波能美許等乃大舩乃由久良由久良爾思多呉非爾伊都可聞許武等麻多須良牟情左夫之苦波之吉與志都(45)麻能美許登母安氣久禮婆門爾餘里多知己呂母泥乎遠理加弊之都追由布佐禮婆登許宇知波良比奴婆多麻能黒髪之吉底伊都之加登奈氣可須良牟曾伊母毛勢母和可伎兒等毛波乎知許知爾佐和吉奈久良牟多麻保巳能美知乎多騰保彌間使毛夜流余之母奈之於母保之伎許登都底夜良受孤布流爾思情波母要奴多麻伎波流伊乃知乎之家騰世牟須辨能多騰伎乎之良爾加苦思底也安良志乎須良爾奈氣枳布勢良武《オホキミノマケノマニマニマスラヲノコヽロフリオコシアシヒキノヤマサカコエテアマサカルヒナニクタリテイキタニモイマタヤスメストシツキモイクラモアラヌニウツセミノヨノヒトナレハウチナヒキトコニコイフシイタケクシヒニケニマセハタラチネノハヽノミコトノオホフネノユクラユクラニシタコヒニイツカモコムトマタスラムコヽロサフシクハシキヨシツマノミコトモアケクレハ》カトニヨリタチコロモテヲヲリカヘシツヽユフサレハトコウチハラヒヌハタマノクロカミシキテイツシカトナケカスラムソイモヽセモワカキコトモハヲチコチニサワキナクラムタマホコノミチヲタトホミマツカヒモヤルトシモナシオモホシキコトツテヤラスコフルニシコヽロハモエヌタマキハルイノチヲシケトセムスゲノタトキヲシラニカクシテヤアラシヲスラニナケキフセラム》
 
久太理伎、【幽齋本、伎作v弖、】  宇都世美能、【幽齋本、都作v津、】  伊多家苦之、【幽齋本、イタケクノ、】  麻多須良武、【幽齋本、武作v牟、】
 
久太理伎は下り來なるをタダリテと點ぜるは書生の誤歟、さらずば幽齋本の如く(46)伎を弖に作れる本の點を寫して字と點と違へる歟、イキダニモ以下の四句は第五に憶良の妻の死去を慟て作られたる歌にもありき、コイフシは展《コイ》臥なり、上にあまたあり、伊多家苦之はイタケクノと讀べし、下に伊多家苦乃日異麻世婆《イタケクノヒニケニマセハ》云々、是今の二句と同じ證とすべし、ハヽノミコトノは光仁紀云、天應元年八月丁亥朔甲午正四位上大伴宿禰家持爲2左大弁兼春宮大夫(ト)1、先v是(ヨリ)遭2母(ノ)憂(ニ)1解v任(ヲ)至(テ)v是復(ス)焉、此に依に旅人《タビト》卿の本妻大伴郎女は神龜五年に死去せられたれば家持は妾の腹に出來たるにこそ、イモヽセモとは家持の子の男子女子なり、男子は續日本紀に子息永主等並v家流(サル)焉とあり、委は第三奥卷書を注せし所に引が如し、女子は此集第十九(ニ)云、右大伴(ノ)宿禰家持弔(ラフナリ)d聟(ノ)南右大臣家(ノ)藤原(ノ)二郎之喪2慈母(ヲ)1患(ヲ)u也、見えたる事かくの如し、孤布流爾思は思は助語なり、アラシヲスラニはアラシヲはますらをの意なり、
 
初、おほきみのまけのまに/\ますらをの いきたにもいまたやすめす。此哥の初は、第五に、山上憶良妻のみまかられける時よまれたる長哥の初をまなひて、大かたおなしやうによまれたり。あけくれは門によりたち。戦國策云。王孫賈之母謂v賈曰。汝朝(ニ)出而晩(ニ)來(タモ)、吾則倚v門而望(ム)v汝(ヲ)。明來れは夕去れはゝ對する詞なり。いもゝせもわかきこともは。此いもせは家持の子の兄と妹となり。續日本紀云。延暦四年八月癸亥朔庚寅中納言從三位大伴宿禰家持死。〇死後二十餘日其屍未v葬。大伴繼人竹良等殺2種繼1事發覺下v獄。案2驗之1事連2家持等1。由v是追除名。其息永主等並家流焉。むすめも有けるなるへし。をちこちにさわきなくらん。第五に、山上憶良哥に、さはへなす《・如五月蠅》さわくこともを、う|つて《チス・打捨》ゝはしなんはしらす、みつゝあれは心はもえぬなとよめり。玉ほこの道をたとほみ、たは助語なり。かくしてやあらしをすらになけきふせらむ、すらはさへの心なり。病人なれは大かたのなけきにそへて嵐をもうれふるなり。孟子公孫丑篇云。王使2人(ヲシテ)來1曰。寡人如2就見1者也。有(テ)2寒疾1不v可2以風(ス)1。古今集に、こゝちそこなひてわつらひける時に、風にあたらしとて、おろしこめてのみ侍けるあひたに、をれる櫻のちりかたになれりけるをみてよめるなとかけり。うつほ物語にも、風ひきたまひてむとてふさせたまひぬ。又第二十に、あらしをのいをさたはさみとよめるはあらちをの五百矢たはさみなり。あらちをはますらをといふにおなし。しかれは嵐にはあらてあらちをとおもふ我すらなけきふせらんとよめる歟
 
3963 世間波加受奈吉物能可春花乃知里能麻可比爾思奴倍吉於母倍婆《ヨノナカハカスナキモノカハルハナノチリノマカヒニシヌヘキオモヘハ》
 
數ナキ物カとは多き事を數々といへば程もなくはかなきを云なり、
 
初、よのなかはかすなきものか 第二十にも、臥病悲無常欲修道作歌に、うつせみはかすなき身なりとよまる。よはひの數のすくなきなり
 
(47)3964 山河乃曾伎敝乎登保美波之吉余思伊母乎安比見受可久夜奈氣加牟《ヤマカハノソキヘヲトホミハシキヨシイモヲアヒミスカクヤナケカム》
 
山河乃曾伎敝とは山と河とのはての意なり、上に天雲のそぎへのきはみとも山のそぎ野のそぎ見よとなどもよめるに同じ、
 
初、山川のそきへをとほみ 川の字清へし。山と川とのへたゝりてはるかなるなり
 
右天平十九年春二月二十日、越中國守之舘臥v病悲傷聊作2二此歌1、
 
萬葉集代匠記卷之十七上
 
(1)萬葉集代匠記卷之十七下
 
守大伴宙請家持贈2〓大伴宿禰池主1悲歌二首
 
忽沈2枉疾1累v旬痛苦、祷2恃百神1且得2消損1、而由身體疼羸、筋力怯軟、未v堪2展謝1、係戀彌深、方今春朝春花流2馥於春苑1春暮春※[(貝+貝)/鳥]囀2聲於春林1、對2此節候1、琴翠ツv翫矣、雖v有2乘v興之感1不v耐2策v杖之勞1、獨臥2帷幄之裏1、聊作2寸分之謌1、輕奉2机下1、犯v解2玉※[阜+頁]1、其詞曰、
 
且得2消損1〔四字右○〕、維摩經疏云、療治有損、一有2從v初服v藥但増而不1v損、終無2差理1、是名2増増1、二或雖2困篤1方v治即愈(ル)、是名2増損1、三或有d服v藥(ヲ)初雖2漸損1而後更増u、是名2損増1、四從v初漸損乃至2平服1、是爲2損損1、栴檀樹經(ニ)曰、佛言(ク)維衛佛(ノ)時父子三人【乃至】父言、汝二子諍使2我頭痛1、大(2)兒報言、願破2我身1爲v藥、令2父平損1云々、帷幄〔二字右○〕、和名云、帷【音維、和名加太比良、】圍也、以2自障1圍也、四聲字苑云、幄【於角反、和名阿計波利、】大帳也、犯解玉※[阜+頁]〔四字右○〕、※[阜+頁]は頤に作るべし、和名云、方言云、頤【怡反】謂2之頷1、【感反、上聲之重字、亦作v頤和名於止加比、】前漢匡衡傳曰、匡衡説v詩解2人頤(ヲ)1、注如淳曰、使2人笑不1v能v止也、列子云、五年之後心庚念2是非1、口庚言2利害1、夫始一解v顔面笑、
 
初、守大伴宿禰家持贈椽
帷幄、和名集云。釋名云。帷【音維。和名加太比良】圍也。以自障圍(スルナリ)也。四聲字苑云。幄(ハ)【於角反。和名阿計波利】大帳也。犯v解2玉※〓【作v[阜+頁]非。】列子云。五年之後、心|庚《サラニ》念2是非1、口|庚《サラニ》言2利害(ヲ)1。夫始一解v顔面笑。前漢(ノ)匡衡傳曰。諸儒爲v之語曰。無(レ)説v詩匡衡|鼎《マサニ》來。匡説v詩解2人頤(ヲ)1。注如淳曰。使(ルナリ)2人(ヲシテ)笑(テ)不1v能v止也。およそ此集にましへ載たる文筆は、皆四六の躰なり。秘府論に散文をよしとのたまへと、弘法大師も猶四六の躰にのみかゝせたまへり。これ其時に隨ふ故なるへし。其工拙にいたりては隅になつむへからさる歟。末世に至りて東福寺の師錬、近來の元政等偏に散文に耽て、偶儷の文をそしる。しからは沈約か韻を用るも古風にあらす。唐律の躰にものとるへからす。それは猶跡を追ふ物から、文のみ四六を嫌ふは公道に背けり。四六の古文に劣れるをこのますは、あなかちにそしらすして、みつからは散文をかくへし。趙宋にいたるまて、詔勅の類は猶四六を用たるよしなり。其後もしかるにや。元政は近來の庸僧にはあらすとみゆるを、古文眞寶諺解序をかゝれたるを見るに、王楊盧洛を貶して、偏に韓柳歐蘇をのみ褒せり。彼中に王勃か滕王閣序あり。北山移文、大寶箴、弔古戰場文、陋室銘等もあるにあらすや。所謂獵者の鹿を逐て山を見さるものなり
 
3965 波流能波奈伊麻波左加里爾仁保布良牟乎里底加射佐武多治可良毛我母《ハルノハナイマハサカリニニホフラムヲリテカサヽムタチカラモカモ》
 
3966 宇具比須乃奈枳知良須良武春花伊都思香伎美登多乎里加射左牟《ウクヒスノナキチラスラムハルノハナイツシカキミトタヲリカサヽム》
 
イツシカのし〔右○〕は助語なり、
 
天平二十年二月二十九日大伴宿禰家持、
 
忽辱2芳音1、翰苑凌v雲、兼垂2倭詩1、詞林舒v錦、以吟以詠、能※[益+蜀]2戀(3)緒1、春可v樂、暮春風景最可v怜、紅桃灼灼、戯蝶廻v花※[人偏+舞]翠柳依依、矯※[(貝+貝)/鳥]隱v葉歌、可v樂哉、淡交促v席、得v意忘v言、樂矣美矣、幽襟足v賞哉、豈慮乎、蘭※[草がんむり/惠]隔v※[草がんむり/聚]、琴趨ウv用、空過2令節1、物色輕v人乎、所v怨有v比、不v能2黙已1、俗語云、以v藤續v錦、聊擬2談咲1耳、
 
凌雲〔二字右○〕、史記司馬相如列傳云、相如既奏2大人之頌1、天子大説、飄々有2凌雲之氣1、似d遊2天地(ノ)之間1意u、能※[益+蜀]〔二字右○〕、玉篇云、※[益+蜀]【古玄古〓二切、除也、】矯※[(貝+貝)/鳥]〔二字右○〕、遊仙窟云、嬌鶯亂2於錦枝1、淡交〔二字右○〕、禮表記曰、君子之接如(ク)v水、小人之接(ハ)如v醴、君子淡以成、小人(ハ)甘以壞、莊子山木篇云、君子之交淡若v水(ノ)、小人之交(ハ)甘若v醴(ノ)、君子(ハ)淡以親、小人甘以絶、促席〔二字右○〕(ハ)、左大冲蜀都賦云、合樽促v席、有此〔二字右○〕は有は在に作べし、以v藤續v錦〔四字右○〕、藤は藤葛の布なり、本朝文粹第八、源順沙門敬公集序(ニ)云、譬猶d狐貉(ノ)之袖(ノ)端謬綴2毛布1貂蝉之飾上(ニ)妄加2頭巾(ヲ)u者乎、
 
初、凌雲 史記司馬相如列傳云。相如既奏(ス)2大人之頌(ヲ)1。天子大説。飄々(トシテ)有2凌v雲之氣1似d游2天地之間1意h。紅桃灼々、毛詩云。桃之夭々。灼々其華。傳曰。灼々(ハ)華之盛(ナルナリ)也。文選陶淵明詩云。明々雲間月。灼々葉中花。嬌※[(貝+貝)/鳥](ハ)遊仙窟云。嬌鶯亂2於錦枝1。有此【有當改作在。】以藤續錦、第一にあらたへのふちはらか上とよみ、第三にあらたへのふちえのうらとよめる所にしるせるかことし
 
3967 夜麻我比爾佐家流佐久良乎多太比等米伎美爾弥西底婆(4)奈爾乎可於母波牟《ヤマカヒニサケルサクラヲタヽヒトメキミニミセテハナニヲカオモハム》
 
ミセテバはみせたらばなり、
 
初、やまかひにさけるさくらを 山のかひにさけるなり。阿と加と通すれは、山あひの心なり
 
3968 宇具比須能伎奈久夜麻夫伎宇多賀多母伎美我手敷禮受波奈知良米夜母《ウクヒスノキナクヤマフキウタカタモキミカテフレスハナチラメヤモ》
 
初、鶯のきなく山ふき うたかたは上にしるせり。けたしといはむかことし。けたし君か手ふれすして花ちらめや。君か手折て後ならすはちらしといふ心なり
 
沽洗二日〓大伴宿禰池主
 
三月の異名なり、姑(ハ)故、洗(ハ)鮮、萬物去v故就v新、莫v不2鮮明1、
 
初、姑洗二日 姑誤作v※[さんずい+古]。姑故。洗鮮。萬物去v故就v新、莫v不2鮮明1
 
更贈歌 首并短歌
 
含弘之徳垂2恩蓬體1、不貲之思報2慰陋心1、載荷末v春、無v堪v所喩也、但以2稚時不v渉2遊藝之庭1横翰之藻、自乏2乎彫蟲1焉、幼年未v※[しんにょう+至]2山柿之門1、裁歌之趣詞失2乎聚林1矣、爰辱2以v藤續v錦(5)之言1、更題2將v石同v瓊之詠1、固v是俗愚懷v癖不能2黙止1、仍捧2數行1、式酬2嗤咲1、其詞曰、
 
含弘之徳〔四字右○〕、易(ニ)云、坤(ハ)厚載v物、徳合2無疆1、含光大品物咸亨、蓬體〔二字右○〕は第五の蓬身蓬客等に同じ、不貲之思〔四字右○〕、列子云、虞氏者梁之富人也、家充殷盛、錢帛無量財貨無貲、史記賃殖傳(ニ)云、巴蜀寡婦清、其先得2丹穴1而擅2其利1數世、家亦不貲【正義曰、音子兒反、言2贅財衆多不1v可2貲量1、一云清多以v財※[食+向]2遺四方1、用衛2其業1、故財亦不v多2積聚1、】韻會云、貲將支切、通作2※[此/言]、貲量也、載荷未v春〔四字右○〕、今按載は戴未は末にて季春の歌を頂戴荷負すと云なるべし、自乏乎彫蟲焉〔六字右○〕、自は目なるべし、懷風藻釋智藏詩云、雖v喜2遨遊志1還〓乏2彫蟲1、彫蟲本何の書にか出たる考ふべし、才子傳云、張祐字承吉云々、元※[禾+眞]曰、張祐(ハ)彫蟲小巧壯夫不v爲云々、此は元張祐が文章の小巧を謗る詞歟、今は別の本據あるべし、懷癖〔二字右○〕は蒙求云、晋書杜預字(ハ)元凱、預甞稱(ス)王濟有v馬癖2和〓有2財癖1、武帝聞v之謂曰、卿有2何癖1、對曰、臣有2左傳(ノ)癖1、
 
初、舎弘之徳(ハ)、易云。坤(ハ)厚(シテ)載(ス)v物。徳合(ヘリ)2無疆(ニ)1。含弘光大品物成亨。文選云。大人含弘。注云。弘(ハ)大也。言天子能含2其大道1。蓬體、文選渚安仁西征賦曰。飄(トシテ)蘋(ノ如ニ)浮而蓬(如)轉(ス)。張銑曰。言竟如2浮蘋轉蓬1無v所2止託(スル)1也。不貲之思、莊子人間世云。外|含《カナテ》而内不v※[此/言]。列子云。虞氏者梁之富人也。家充殷盛錢帛無v量財貨無v※[此/言]。史記貨殖傳云。巴蜀寡婦清(ハ)其先得2丹穴1而擅2其利1。數世家亦不※[此/言]【正義曰。音子兒反。言2贅財衆多不1v可2※[此/言]量1。一云清多以v財※[食+向]2遺四方1用衛2其業1、故財亦不v多2積聚1。】文選陳孔※[王+章]檄2呉將校部曲1文云。故乃建2丘山之功1享2不※[此/言]之禄1。王仲宣(カ)詠史詩受(ルコト)v恩(ヲ)良《マコトニ》不v※[此/言]《ハカラ》。五雜組云。吾※[門/虫]玉華洞石似2崑山1而精瑩過v之。〇若得3四面如v一無2粗石皮傳1之、其價亦不v貲(ラレ)也。貲與v※[此/言]通。載荷2末春1【未當v作v末。】自乏、自(ハ)恐(ハ)是目。彫蟲【楊雄曰】才子傳云。張祐字承吉。〇祐至2京師1。屬d元府號2有城府1偃c臥内庭u。上因召問2祐之詞藻上下1。※[禾+眞]曰。張祐彫蟲小巧、壯夫不v爲云々。これらは今とかなはす。懷風藻釋智藏詩曰。雖v喜2遨遊(ノ)志(ヲ)1還(テ)※[女+鬼]v乏(コトヲ)2彫蟲(ニ)1。今の心これとおなしと見えたり。出處かんかふへし。懷癖、記大學云。人|之《ヲイテ》3其所(ニ)2親愛(スル)1而辟焉云々。晉書、杜預、字元凱、既立v功之後從容無事。乃耽2思經籍1爲《ツクル》2春秋左氏傳集解1。〇時王濟解v相v馬、又甚愛v之。而和※[山+喬]頗聚斂。預甞稱。濟有2馬癖1。※[山+喬]有2財癖1。武帝聞(テ)之謂曰。卿有2何(ノ)癖(カ)1。對(テ)曰《マ》。臣有2左傳(ノ)癖1。式《モテ》酬、酬誤作v※[酉+羽]
 
3969 於保吉民能麻氣乃麻爾麻爾之奈射加流故之乎遠佐米爾伊泥底許之麻須良和禮須良余能奈可乃都禰之奈家禮婆(6)宇知奈妣伎登許爾己伊布之伊多家苦乃日異麻世婆可奈之家口許己爾思出伊良奈家久曾許爾念出奈氣久蘇良夜須家奈久爾於母布蘇良久流之伎母能乎安之比紀能夜麻伎弊奈里底多麻保許乃美知能等保家波間使毛遣縁毛奈美於母保之吉許等毛可欲波受多麻伎波流伊能知乎之家登勢牟須辨能多騰吉乎之良爾隱居而念奈氣加比奈具佐牟流許己呂波奈之爾春花乃佐家流左加里爾於毛敷度知多乎里可射佐受波流乃野能之氣美登妣久久※[(貝+貝)/鳥]音太爾伎加受乎登賣良我春菜都麻須等久禮奈爲能赤裳乃須蘇能波流佐米爾爾保比比豆知底加欲敷良牟弖時盛乎伊多豆良(7)爾須具之夜里都禮思努波勢流君之心乎牟流沈之美此夜須我浪爾伊母禰受爾今日毛之賣良爾※[手偏+瓜]悲都追曾乎流《オホキミノマケノマニマニシナサカルコシヲヲサメニイテヽコシマスラワレスラヨノナカノツネシナケレハウチナヒキトコニコイフシイタケクノヒニケニマセハカナシケクコヽニオモヒテイラナケクソコニオモヒイテナケクソラヤスケナクニオモフソラクルシキモノヲアシヒキノヤマキヘナリテタマホコノミチノトホケハマツカヒモヤルヨシモナミオモホシキコトモカヨハスタマキハルイノチヲシケトセムスヘノタトキヲシラニコモリヰテオモヒナケカヒナクサムルコヽロハナシニハルハナノサケルサカリニオモフトチタヲリカササスハルノヽノシケミトヒククウクヒスノコヱタニキカスヲトメラカワカナツマストクレナヰノアカモノスソノハルサメニニホヒヽツチテカヨフラムトキノサカリヲイタツラニスクシヤリツレシノハセルキミカコヽロヲムルハシミコノヨスカラニイモネスニケフモシメラニコヒツヽソヲル》
 
曾許爾念出、【別校本云、ソコニオモヒテ、】  牟流波之美、【官本牟作v宇、點云、ウルハシミ、】
 
シナサカルは越の枕詞なり、別に注す、マスラツレスラはますらをのつれさへなり、ツネシナケレバのし〔右○〕は助語なり、カナシケクより下の四句は仁徳紀に大山守皇子の屍を菟道稚郎子皇子の御覽じてよませまたへる御歌にも望苫弊破《モトヘハ》、枳瀰烏於望臂泥《キミヲオモヒテ》、須惠弊破《スヱヘハ》、伊暮烏於望比泥《イモヲオモヒテ》、伊羅那?區《イラナケク》、曾虚珥於望比《ソコニオモヒ》、伽那志鷄區《カナシケク》、虚虚珥於望む臂《コヽニオモヒ》、云々、此御歌を取用ゐられたる歟、悲シケクは悲しくなり、イラナゲクもいらなくなり、いきほひなき心にや、假令|木賊《トクサ》椋葉《ムクノハ》などの物を瑩て後苛のなくなりたるやうの心にや、いらなくふるまひてと後にかけるは風流ならぬ體に聞ゆれば今と同じからず、コヽニ思出はこゝを思出にて我身の上を如何ならむと思ひ出るなり、彼《ソ》處ニ念出は彼處《ソコ》を思出にて故郷の事を思ひ出るなり、ヤマキヘナリテは山來隔てゝなり、トホケバは遠ければなり、スグシヤリツレは過し遣つればなり、牟流沈之美は牟を宇に作れる本然るべき歟、沈は波を誤れり、ケフモシノメラニは第十三に終をしみ(8)らとよめるに同じ、ひねもすの意なり、
 
初、しなさかるこしをさめにと 舒明紀云。十一年冬十二月己巳朔壬午|幸《イテマス》2于伊豫(ノ)温湯(ノ)宮(ニ)1。是月於2宮濟川(ノ)側《ホトリニ》1建2九重《コヽノコシノ》塔(ヲ)1。層級等の字をもこしとよめり。しなは階《ハノ》の級《コシ》なれはそれを降《クタ》りて避《サカル》心にしなさかるこしとはつゝけたり。十八、十九にも、かくのことくつゝけたり。十三、十九に、ひなさかるとよめるは、只あまさかるひなといふ心にておなしからす。ますらわれすらは、ますらをのわれさへといふ心なり。かなしけくこゝにおもひ出、いらなけくそこにおもひ出。いらなけくはいらなくとて、いきほひなき心なり。仁徳紀、菟道稚郎子皇子御歌にも、伊羅那※[奚+隹]區、曾虚珥於望比、伽那志※[奚+隹]區、虚々珥於望臂云々。そこにおもひ出はそこをおもひ出なり。山きへなりて、來隔てなり。みちのとほけは、とほけれはなり。いのちをしけと、をしけれとなり。しけみとひくゝは、とひくゝるなり。過しやりつれ、過しやりつれはなり。むるはしみ、うるはしみなり。梅をうめともむめともかくことし。波の字誤て〓に作れり。けふもしめらに。上にひるはしみらにとよめるにおなし。終の字をしみらとよめり。孤悲、孤誤作抓
 
3970 安之比奇能夜麻佐久良婆奈比等目太爾伎美等之見底婆安禮古非米夜母《アシヒキノヤマサクラハナヒトメタニキミトシミテハアレコヒメヤモ》
 
古非米夜母、【幽齋本、非作v悲、】
 
初、きみとしみては、みたらはなり
 
3971 夜麻扶枳能之氣美登※[田+比]久久※[(貝+貝)/鳥]能許惠乎聞良牟伎美波登母之毛《ヤマフキノシケミトヒククウクヒスノコヱヲキクラムキミハトモシモ》
 
3972 伊尼多多武知加良乎奈美等許母里爲底伎彌爾故布流爾許己呂度母奈思《イテタヽムチカラヲナミトコモリヰテキミニコフルニコヽロトモナシ》
 
伊尼、【官本、尼作v泥、】  爲底、【幽齋本、底作v弖、】
 
尼は泥に作るべし、
 
初、伊泥多々武 泥作尼非。こゝろともなし。上に利心とも心|鋒《ト》ともよめり。又ますらをのさときこゝろもわれはなしともよめり。おなし心なり
 
(9)三月三日大伴宿禰家持
 
初、脱持字
 
七言晩春三日遊覧一首并序
 
覽の下に詩の字あるべき歟、なきも亦あしからず、
 
初、七言晩春三日遊覽【恐脱詩字】一首并序
 
上巳名辰、暮春麗景、桃花昭v瞼以分v紅、柳色含v苔而競v緑、于v時也携v手曠2望江河之畔1、訪須※[向+しんにょう]遏2野客之家1、既而也開嵩セv性、蘭契和v光、嗟乎今日所v恨、徳星已少歟、若不2扣v寂含v章、何以※[手偏+慮]2趙遙之趣1、忽課2短筆1聊勒2四韻1云爾、
 
上巳〔二字右○〕は韓詩外傳云、鄭國之俗、三月上巳於2※[さんずい+秦]※[さんずい+有]之上1招魂續魄、秉2蘭草1祓2除不祥(ヲ)1、漢禮儀志、三月上巳、官人並禊2飲水上1謂v滌2邪疾1、沈約(ガ)宋書(ニ)云、魏已後但用2三日1、不2復用1v巳也顯宗紀云、元年三月上巳幸2後苑1、曲水宴是本朝上巳の初なり、訪須〔二字右○〕は須の字意得がたし、官本に酒に作たるも然るべしともおぼねえず、強解せば訪須を以て携手に(10)對せるは字對(ノ)例か、須は鬚と同じければ手に對すれども字義別なり、爾雅云、魚曰v須、郭璞註云、鼓v顋(ヲ)須v息、※[刑の旁がおおざと]※[日/丙](カ)疏(ニ)云、魚之鼓2動兩※[月+思]1若d人(ノ)之欠須2導其氣息1者u名v須(ト)、かゝれば魚の須息によせて休息すべき處を訪てと云意歟、開〓〔二字右○〕、官本に開を琴に作れり蘭契〔二字右○〕は契は禊なるべし、徳星已少歟〔五字右○〕は異苑陳※[うがんむり/是]字(ハ)仲弓、荀淑字(ハ)季和、仲弓(ト)與2諸子姪1造2季和1、父子討論、于v時徳星聚、太史奏曰、五百里内有2賢人聚1、家持を闕故に已少歟と云へり、若不扣寂含章〔六字右○〕、文選陸士衡、叩2寂莫(ヲ)1、求v音(ヲ)、注云叩2撃無聲之外1而求2音韻1、寂莫無聲也、叩與v扣同、左太沖蜀都賦云、楊雄含v章而挺v生、聊勒四韻〔四字右○〕、釋名云、勒刻也、刻2識之1也、
 
初、上巳名辰 漢禮儀志、三月上巳官人並禊2飲水上1。謂v滌2邪疾1已去祈2介※[示+止]1也。魏已後但用2三日1不2復用1v巳《ミヲ》。風俗通云。巳(ハ)者※[示+止]也。携手、李陵詩云。携v手上2河梁(ニ)1。訪須【須者友耶。】廻作※[しんにょう+向]非。蘭契和v光、易云。同心之言其(カ)臭如v蘭。老子云。和2其光1同2其塵1。是謂2玄同1。徳星、異苑陳寔字仲弓。 
荀淑字季和。仲弓與2諸子姪1造《イタテ》2季和1父子討論。于v時徳星聚。太夫奏曰。五百里内有(ム)2賢人(ノ)聚1。扣寂、文選陸士衡文賦云。叩2寂莫1求v音。注曰叩2撃無聲之外(ヲ)1而求2音韻(ヲ)1。寂莫(ハ)無聲也。叩與v扣同。逍遥【逍誤作趙。】詩云。伊《コノ》人於焉逍遥(ス)。莊子逍遥遊
 
餘春媚日宜2怜賞1、       上巳風光足2覽遊1、
楊陌臨v江縟2※[衣+玄]服1、  桃源通v海泛2仙舟1、
雲※[田三つ/缶]酌v桂三清湛、 羽爵催v人九曲流、
縱v醉陶v心忘2彼我1、      酩酊無3處不2淹留1、
 
(11)三月四日大伴宿禰池主
 
縟2※[衣+玄]服1〔三字右○〕、顔延年(カ)曲水(ノ)序云、※[衣+玄]服縟v川、左太沖蜀都賦注蘇林(カ)曰、※[衣+玄]服謂2盛服1也、説文云、縟繁彩色也、桃源〔二字右○〕、陶淵明桃花源記云々、通海〔二字右○〕、博物志云、天河與v海通、泛2仙舟1〔三字右○〕、後漢郭泰字林宗、始見2河南尹李膺1、々大奇v之、後歸2郷里1、諸儒送至2河上1、車數千兩、林宗唯與v膺同v舟而|濟《ワタル》、賓客望v之、以爲2神仙1焉、雲罍〔二字右○〕、詩(ノ)卷耳云、我姑酌2彼金罍(ヲ)1、維以不2永懷1、史記梁孝王世家曰、初孝王在時有2罍樽山1、【鄭徳曰、上蓋刻爲雲雷象、索隱曰、應劭曰、詩云、酌彼金罍、々有d畫2雲雷之象1以v金飾uv之、】和名云、櫑子、唐韻云、櫑、【音與雷同、字亦作v罍、本朝式云、櫑子、】酒器也、酌桂〔二字右○〕、楚辭九歌云、奠2桂酒1兮椒漿(ナリ)、羽爵〔二字右○〕、應休※[王+連]與2滿公※[王+炎]1書(ニ)云、繁爼綺錯羽爵飛騰、註善曰、漢書音義云、羽觴作2生爵形1、九曲〔二字右○〕は遊仙窟云、樹(ノ)※[病垂/嬰〕蝎(ノ)唇九曲(ノ)酒池【九曲者、其※[病垂/嬰〕九廻、盤曲、形如2九曲1、】陶心〔二字右○〕、爾雅(ニ)欝陶?(ハ)喜也、註、孟子曰、欝陶思v君、禮紀曰、人喜則斯(ニ)陶々斯(ニ)詠詠斯(ニ)猶々即?也、古今字耳疏、欝陶者、心初悦而未v暢之意也、又云、禮記鄭註云、欝陶(ハ)陶也、劉伶酒徳頌云、無v思無v慮、其樂陶々、酩酊〔二字右○〕、韻會云、醉甚貌、通作2茗※[草がんむり/丁]1、晋山簡傳云、茗※[草がんむり/丁]無v所v知、
 
初、縟絃服 説文云。縟繁栄色也。文選鄒陽上2呉王1書云。夫(レ)金趙之時、武力鼎士、※[衣+玄]2服叢臺之下1者、一旦成v市、不v能v止2幽王之沈患(ヲ)1。左太沖蜀都賦云。都人士女|※[衣+玄]絃服(ソ)親粧(ト)《・ヨソホヒヨソホフ》。蘇林曰。※[衣+玄]服謂盛服也。※[衣+玄]苦練反。萌延年曲水序云。※[衣+玄]服縟川。桃源通海。博物志云。天河輿v海通。泛2仙舟1。後漢郭太字林宗〇始見2河南尹李膺1。々大奇v之。〇後歸2郷里1。諸儒送至2河上1車數千兩。林宗唯與v膺同v舟而濟。賓客望v之以爲2神仙1焉。雲罍。詩卷耳曰。我姑酌2彼金罍1維以不2永懷1。集注云。罍酒器。刻爲2雲雷之象1。以2黄金1飾(ル)v之(ヲ)。史記梁孝王世家云。初孝王在時有2罍樽1。【鄭徳曰。上蓋刻爲2雲雷象1。〇索隱曰。應劭曰。詩云。酌彼金罍1。々有v畫2雲雷之象1。以v金飾v之。】和名集云。唐韻云。櫑【音與雷同。字亦作v罍、本朝式云櫑子。】酒器也。酌桂。謝惠連雪賦云。酌2桂酒1兮揚2清曲1。秘府論側對例詩曰。忘v懷接2英彦1申v歡引2桂酒1。羽爵、文選應休※[王+連]與2滿公※[王+炎]1書云。繁爼綺(ノ如ニ)錯《マシハテ》羽爵飛騰(ス)。張衡西京賦云。羽觴行(リテ)而無v算。善曰。漢書音義曰。羽觴作2生爵形1。良曰。杯上綴v羽以速飲也。陶心。酒徳頌云。無v思無v慮、其樂陶々。唐崔曙九日登2仙臺1呈2劉明府1詩落句云。陶然一酔2菊華盃1。酪酊。世説曰。山季倫爲2荊州1時出酣暢。人爲v之歌曰。山公時一醉、径造2高陽池1、日|莫《ホ》倒載(シテ)歸、茗※[草がんむり/丁]無v所v知。茗※[草がんむり/丁]與2酩酊1同。死罪、遊仙窟曰。伏(シ)v地叩(キ)v頭(ヲ)慇懃(ト)死罪。日本紀訓與2遊仙窟1同
 
三月四日大伴宿禰池主
 
(12)昨日述2短懷1、今朝※[さんずい+于]2耳目1、更承2賜書1且奉2不次1、死罪謹言、
 
初の一句は三日に詩并に序を作るなり、次の一句は今朝家持に見せんと思ひて清書するなるべし、次の二句は家持の更贈歌の奧に三日とあれば三日に贈られたれども上巳の禊に出て醉て還り次の朝返書を遣はすべき次第なるに、先昨日の詩并序を皇し其後此返事返歌を遣はす故に不次とは云なり、死罪〔二字右○〕、遊仙窟云、伏v地叩v頭、慇懃死罪、日本紀にもカシコマルと點ぜり、
 
初、昨日述短懷とは上の三月四日の書并詩なり。今朝※[さんずい+于]耳目とは後家持よりの歌并詩到來せるゆへに又其答書をかき、返哥をして五日につかはすゆへなり
 
不v遺2下賤1、頻惠2徳音1、英雲(ノ)星氣、逸調過v人、智水仁山、既※[韋+温の旁]2琳瑯之光彩1、潘江陸海、自坐2詩書之廊廟1、※[娉の女が馬]2思非常1、託2情有理1、七歩成v章、數篇滿v紙巧遣2愁人之重患1、能除2戀者之積思1、山柿謌泉、比v此如v蔑、彫龍筆海、粲然得v看矣、方知2僕之有1v幸也、敬和v歌、其詞云、
(13)徳音〔二字右○〕は第五に注するが如し、智水仁山〔四字右○〕、論語(ニ)子曰、智者樂(ミ)v水(ヲ)仁者(ハ)樂v山(ヲ)、琳瑯〔二字右○〕(ハ)美玉(ノ)名、潘江陸海〔四字右○〕、潘岳陸機が才を江海に喩ふるなり、沈約宋書謝靈運傳(ノ)論(ニ)云、降及2元康1、潘陸特(リ)秀(タリ)云々、廊廟〔二字右○〕、文選潘安仁詩、廊廟惟清、李善(ガ)曰、史記(ニ)曰、賢人深謀2於廊廟(ニ)1、爾雅曰、室有2東西廂1、曰v廟、捷爲舍人曰、殿有2束西(ノ)小堂1也、然廊廟(ハ)君之居臣朝覲(ノ)之所、七歩〔二字右○〕(ハ)世説云、魏文帝甞令d東阿王七歩(ニ)作uv詩、作不v成當v行v法、即應v聲爲v詩曰、箕在2釜下1然、豆在2釜中1泣、本自同根(ヨリ)生、相煎何太急、帝探有2慙色1、雕龍〔二字右○〕、史記孟荀列傳云、※[馬+鄒の左]衍(ガ)之術(ハ)迂大而閑辯(ナリ)、〓文具(テ)難v施、淳于※[髪の友が几]久(ク)與(ニ)處時有v得2善言1、故齊人頌曰、談v天(ハ)衍、雕v龍(ハ)〓、炙2轂過1※[髪の友が几]、【徐広曰、劉向別録曰、※[馬+鄒の左]衍之所v言五徳終始、天地広大、盡言2天事1、故曰2談天1、※[馬+鄒の左]〓脩2歌2衍之文1飾若v雕2鏤龍文1、故曰2雕龍1、】筆海〔二字右○〕、李善上2文選註1表曰。※[塞の土が手]2中葉(ノ)之詞林(ヲ)1酌2前脩(ノ)之筆海1、粲然〔二字右○〕、詩粲々(タル)衣服、毛傳云、粲々鮮潔也、
 
初、徳音 詩谷風云。徳音莫(ハ)v違(コト)及《ト》v爾同(セム)v死(ヲ)。李少卿答2蘇武1書尾曰。時因2北風1、復惠(メ)2徳音(ヲ)1。英雲星氣。智水仁山。論語云。子曰知者樂v水仁者樂v山。琳瑯。釋氏要覧云。慧苑琳瑯【隋(ノ)高僧志念有學名當時號也。】なをかんかふへし。潘江陸海。沈休文宋書謝靈運傳論(ニ)降及2元康1潘陸特(リ)秀(タエイ)。廊廟。潘安仁詩、器非2廊廟姿1。又云、廊廟惟清。史記張釋之馮唐列傳賛云。二君之所2稱誦1可v著《シルシツ》2廊廟(ニ)1。七歩。世説云。魏文帝甞令2束阿王(ヲシテ)七歩作1v詩、作不v成當v行v法。尋應v聲爲v詩曰。※[草がんむり/其]在2釜下1然。豆在2釜中1泣。本自同根生、相煎何太急。帝深有2愁色1、東阿即陳思王曹植舊封。彫龍。史記孟荀列傳云。※[馬+鄒の左]衍之術(ハ)迂大而※[門/宏のうがんむりなし]辯。〓(ハ)也文具難v施。淳于※[髪の友が几]久與(ニ)處(ハ)時有v得2善言1。故齊人頌曰、談v天衍。雕v龍〓。炙2轂過1※[髪の友が几]。【徐廣曰。劉向別録曰。※[馬+鄒の左]衍之所v言五徳終始天地廣大盡言2天事1。故曰2談天、※[馬+鄒の左]1。〓脩2衍之文1飾若v雕2鏤龍文1故曰v雕v龍。】文選江淹別賦云。賦有2※[さんずい+陵の旁]之稱1辯有2雕龍之聲1、※[言+巨]能※[莫/手]2暫※[禹+隹]之状1寫2永訣之情1者乎。任彦升宣徳皇后令曰。文擅(ニスレトモ)2雕龍1、成(ハ)輒(ハチ)削(ル)v藁(ヲ)。筆海。李善上2文選註1表曰。※[塞の土が手]《トツテ》2中葉(ノ)之詞林(ヲ)1酌2前脩(ノ)之筆(ノ)海(ヲ)1
 
3973 憶保枳美能彌許等可之古美安之比奇能夜麻野佐波良受安麻射可流比奈毛乎佐牟流麻須良袁夜奈爾可母能毛布安乎爾余之奈良治伎可欲布多麻豆佐能都可比多要米也己母理古非伊枳豆伎和多利之多毛比余奈氣可布和賀勢(14)伊爾之敝由伊比都藝久良之餘乃奈加波可受奈枳毛能賀奈具佐牟流巳等母安良牟等佐刀妣等能安禮爾都具良久夜麻備爾波佐久良婆奈知利可保等利能麻奈久之婆奈久春野爾須美禮乎都牟等之路多倍乃蘇泥乎利可弊之久禮奈爲能安可毛須蘇妣伎乎登賣良波於毛比美太禮底伎美麻都等宇良呉悲次奈里巳許呂具志伊謝美爾由加奈許等波多奈由比《オホキミノミコトカシコミアシヒキノヤマノサハラスアマサカルヒナモヲサムルマスラヲヤナニカモノモフアヲニヨシナラチキカヨフタマツサノツカヒタエメヤコモリコヒイキツキワタリシタモヒヨナケカフワカセイニシヘユイヒツキクラシヨノナカハカスナキモノカナクサムルコトモアラムトサトヒトノアレニツクラクヤマヒニハサクラハナチリカホトリノマナクシハナクハルノノニスミレヲツムトシロタヘノソテヲリカヘシクレナヰノアカモスソヒキヲトメラハオモヒミタレテキミマツトウラコヒスナリコヽロクシイサミニユカナコトハタナユヒ》
 
可受奈枳毛能賀、【刊本賀作v曾、點應之、】  佐刀妣等能、【幽齋本、妣作※[田+比]、】  宇良呉悲次奈里、【幽齋本、次作v須、里作v理、】
 
之多毛比余は下思よりなり、徒を乎とも爾とも用たれば、下思にの意なり、宇良呉悲次奈里は幽齋本に次を須に作れるに依るべし、落句は言者|棚結《タナユヒ》の意歟、言には思ふ事の云ひ盡されねば始終を結びて暗《ソラ》に推量れと云意にや、
 
初、なにかものもふ 何かものおもふなり。ならちきかよふ。奈良路來かよふなり。こもりこひ、こもりゐてこふるなり。したもひよ、したおもひよりなり。なけかふわかせ、なけくわかせなり。家持をさせり。かほとりのまなくしは鳴。第三、第六、第十にも、かくよめり。うらこひすなり。下に戀をするなり。次は五音相通にてかける歟。もしは須の草書なとのまきれたる歟。こゝろくしは、心くるしなり。ことはたなゆひ。第十三に、ことはたなしりともよめり。第一、第九に、身はたなしらすともよめり。こゝに許等波多奈由比とかきたれとも、多奈伊比にや。雲霞のたな引といふに、輕引とかけるをおもふに、輕言といふ心に、謙退して、かろ/\しく申すといへるにや。此哥初より玉つさのつかひたえめやといふまては家持をなくさめ、こもりこひといふよりよのなかはかすなきものかといふまては、家持のわつらはるゝを、ともになけき、なくさむることもあらむとゝいふより、君まつとうらこひすなりといふまては、人のことはをあけて、心くしいさみにゆかなは、家持をもよほして野遊に.いさなふなり
 
(15)3974 夜麻夫枳波比爾比爾佐伎奴宇流波之等安我毛布伎美波思久思久於毛保由《ヤマフキハヒニヒニサキヌウルハシトアカモフキミハシクシクオモホユ》
 
初の二句は下の三句を發起すれば詩の興の體なり、山吹の日々に咲まさる如くうるはしと我思ふ君はしく/\に思ほゆるとなり、家持のかへしを合せて案ずるに折て贈れるなり、
 
初、やまふきは日に/\さきぬ これは興の心あり。日に/\さきぬといひて、しく/\おもほゆといふ心をおこせり。山ふきの花の日に/\咲ことく、わかおもふ君は、かさね/\おもはるゝとなり
 
3975 和賀勢故爾古非須弊奈賀利安之可伎能保可爾奈氣加布安禮之可奈思母《ワカセコニコヒスヘナカリアシカキノホカニナケカフアレシカナシモ》
 
ナゲカフは歎なり、蘆垣の外に嘆とは病者に頻々對面せむ事のかたければなり、掾にして守を敬の心歟とも云べけれど下の家持の和歌に蘆垣の外にも君がよりたゝし戀けれこそはとあれば只初の心のみなるべし、
 
初、わかせこにこひすへなかり 第十二にも、わきもこにこひすへなかりとよめり。あしかきのほかになけかふとは、家持は守にして池主は椽なれは、卑下していへり
 
三月五日大伴宿禰池主
 
(16)昨暮來使幸也、以垂2晩春遊覽之詩1、今朝累信辱也、以※[貝+兄]2相招望v野之歌1、一看2玉藻1、稍寫2鬱結1、二吟2秀句1已※[益+蜀]2愁緒1、非2此眺翫1孰能暢v心乎、但惟下僕、稟性難v彫、闇神靡v瑩、握v翰腐v毫、對v研忘v渇、終日因流綴v之不v能、所v謂文章天骨、習之不v得也、豈堪3探v字勒v韻叶2和雅篇1哉、抑聞2鄙里少兒1、古人言無v不v酬、聊裁2拙詠1、敬擬2解咲1焉、 如令賦v言勒v韻、同2斯雅作之篇1、豈殊將v石間v瓊、唱v聲遊2走曲1歟、抑小兒譬2※[にすい+監]※[言+餡の旁]敬寫2葉喘1式擬v亂曰、
 
難彫〔二字右○〕は、論語云、子曰朽木不v可v離也、因流綴之〔四字右○〕は淵明(ガ)歸去來辭(ニ)云、臨2清流1而賦詩、文章天骨〔四字右○〕、天然風骨なり、古人言無v不v酬〔六字右○〕、毛詩云、無2徳不1v讎、蕪2言不1v報、抑小兒譬濫諂〔六字右○〕、是は上に抑聞鄙里少兒と云を指歟、葉端〔二字右○〕は紙端なり、擬亂〔二字右○〕、史記屈賈列傳索隱云、王師叔云、(17)亂者理也、所d以發2理辭指1總2撮其要1而重理(テ)c前意u也、今按楚辭九章抽思有2少歌倡亂1、右の書一首の内いまだ考へざる事ありいまだ其意を得ざる事あり
 
初、玉藻 文選陸士衡文賦序云。故作2文賦1以述2先士之盛藻1。注善曰。孔安國尚書傳曰。藻水草之有v文者。故以喩v文焉。難彫。論語云。宰予晝寢。子曰朽木不v可v雕也。糞土之牆不v可v※[土+巧の旁]也。於v予與何|誅《セメン》。勒。釋名曰。勒刻也。刻識v之也。古人言無v不v酬【作※[酉+羽]非。】毛詩曰。無(ク)2徳(トシテ)不1v報、無(シ)2言(トシテ)不1v酬(ヒ)。禮記曰。詩曰。無2言(トシテ)不1v讎、無2徳(トシテ)不1v報。解咲、解頤也。遊走。張平子東京賦云。走雖2不敏(ナリト)庶斯(レ)達矣。【今案走下疑脱2一之字1耶】式擬亂曰。史記屈賈列傳索隱云。王師叔云。亂者理也。所3以發2理辭指1。總撮2其要1而重|理《ヲサムルナリ》2前意1也
 
七言一首
 
來韻をば和せずして別に押されたり、
 
抄春餘日媚景麗  初巳和風拂自輕
來燕銜v泥賀宇入  歸鴻引v蘆※[しんにょう+向]赴v瀛、
聞君嘯侶新流曲  禊飲催v爵泛2河清1、
雖v欲v追2尋良此宴1、  還知染※[こざと+奧]脚※[足+令]※[足+丁]
 
玉篇云、※[木+少]〔右○〕【彌紹切、木末也、】禮記云、冢宰制2國用1必於2歳之※[木+少]1、文選謝靈運詩云、※[木+少]秋尋2遠山1、賀宇〔二字右○〕、淮南子云、湯沐具而※[虫+幾]虱相弔、大厦成而燕雀相賀、引蘆〔二字右○〕、又云、雁銜v蘆而翔以避2※[矢+曾]※[糸+激の旁]1、嘯侶〔二字右○〕、文選曹子建名都篇云、鳴v儔嘯2匹侶1、呂延濟曰、鳴嘯(ハ)皆命呼也、儔匹侶(ハ)皆友朋也、良此宴〔三字右○〕、古詩云今日(ノ)良宴會、染※[こざと+奧]〔三字右○〕、玉篇云、襖【烏到切、浦※[こざと+奧]也、水涯也、又藏也、】※[足+令]※[足+丁]〔二字右○〕は切韻云、音令※[木+聖]、行不v正、水(18)涯の濕氣に中りて脚ひるみて※[足+令]※[足+丁]せむ事を恐れて良宴を追はずと云にや、
 
初、※[木+少]春 玉篇云。玉篇云、※[木+少]【彌紹切。木末也。】禮記曰云。冢宰制(スルコト)2國用(ヲ)1必(ラス)於(ス)2歳(ノ)之|※[木+少]《スエニ》1。文選謝靈運詩、※[木+少]《スエノ》秋尋(ヌ)2遠山(ヲ)1。賀宇。淮南子曰。湯沐具而※[虫+幾]虱相弔、大厦成而燕雀相賀。引蘆。淮南子曰。雁※[銜の金が含]v蘆而翔、以避2※[矢+曾]※[糸+激の旁]1。嘯侶【侶疑〓耶。】禊飲。蘭亭記云。脩2禊事1也。注云。禊者潔也。良此宴。古詩云。今日(ノ)良宴會。染※[こざと+奧]【疑懊耶。】未考。※[こざと+奧]【烏到切、浦※[こざと+奧]也。水涯也。又藏也。】班孟堅西都賦云。防禦之阻、天地之※[こざと+奧]【烏號】區。善云。※[こざと+奧](ハ)四方之土可2定居1者也。濟曰。※[こざと+奧]猶2深險(ノ)1也。日本紀に墺區をもなかとよめり。※[こざと+奧]と通する歟。※[足+令]※[足+丁]、切韻音令※[木+聖]。行不(ルナリ)v正(カラ)
 
短歌二首
 
長歌に對せざれども短歌と云證なり、
 
3976 佐家理等母之良受之安良婆母太毛安良牟巳能夜萬夫吉乎美勢追都母等奈《サケリトモシラスシアラハモタモアラムコノヤマフキヲミセツヽモトナ》
 
知ラズシのし〔右○〕は助語なり、
 
3977 安之可伎能保加爾母伎美我余里多多志孤悲家禮許曾婆伊米爾見要家禮《アシカキノホカニモキミカヨリタヽシコヒケレコソハイメニミエケレ》
 
第四の句は戀ければこそはなり、
 
三月五日大伴宿禰家持臥v病作之
 
(19)述2戀緒1歌一首并短歌
 
3978 妹毛吾毛許己呂波於夜自多具弊禮登伊夜奈都可之久相見婆登許波都波奈爾情具之眼具之毛奈之爾波思家夜之安我於久豆麻大王能美許登加之古美阿之比奇能夜麻古要奴由伎安麻射加流比奈乎左米爾等別來之曾乃日乃伎波美荒璞能登之由吉我弊利春花乃宇都呂布麻泥爾相見禰婆伊多母須弊奈美之伎多倍能蘇泥可弊之都追宿夜於知受伊米爾波見禮登宇都追爾之多太爾安良禰婆孤悲之家口知弊爾都母里奴近在者加弊利爾太仁母宇知由吉底妹我多麻久良佐之加倍底禰天蒙許萬思乎多麻保己乃路(20)波之騰保久關左閑爾弊奈里底安禮許曾與思惠夜之餘志播安良武曾霍公鳥來鳴牟都奇爾伊都之加母波夜久奈里那牟宇乃花能爾保弊流山乎余曾能未母布里佐氣見都追淡海路爾伊由伎能里多知青丹吉奈良乃吾家爾奴要鳥能宇良奈氣之都追思多戀爾於毛比宇良夫禮可度爾多知由布氣刀比都追吾乎麻都等奈須良牟妹乎安比底早見牟《イモヽワレモコヽロハオヤシタクヘレトイヤナツカシクアヒミレハトコハツハナニコヽロクシメクシモナシニハシケヤシアカオクツマオホキミノミコトカシコミアシヒキノヤマコエノユキアマサカルヒナヲサメニトワカレコシソノヒノキハミアラタマノトシユキカヘリハルハナノウツロフマテニアヒミネハイトモスヘナミシキタヘノソテカヘシツヽヌルヨオチスイメニハミレトウツヽニシタヽニアラネハコヒシケクチヘニツモリヌチカクアラハカヘリニタニモウチユキテイモカタマクラサシカヘテネテモコマシヲタマホコノミチハシトホクセキサヘニヘナリテアレコソヨシヱヤシヨシハアラムソホトヽキスキナカムツキニイツシカモハヤクナリナムウノハナノニホヘルヤマヲヨソノミモフリサケミツヽアフミチニイユキノリタチアヲニヨシナラノワキヘニヌエトリノウラナケシツヽシタコヒニオモヒウラフレカトニタチユフケトヒツヽワレヲマツトナスラムイモヲアヒテハヤミム》
 
春花乃、【幽齋本、乃作v之、】  都奇爾、【官本、奇或作v棄、】
 
初の二句は一篇の大意を括てオヤシ句絶なり、次の二句は常にたぐひて住てはめづらしかるまじきことわりなるに、いとゞなつかしきなり、次二句は見る度に常に初花の如く思はるゝなり、永縁僧正の聞郭公をいつも初音のこゝちこそすれとよまれたるが如し、次の二句は心苦しくも見苦しくもなしになり、アガオクツマは我居置妻なり、伊多母はイタモと讀ていともと意得べし、第十五の終の歌の落句に此(21)あるにはイタモと點ぜり、ウツヽニシのし〔右○〕は助語なり、カヘリニダニモは第六に注せり、ミチハシトホクは道は遠くにてし〔右○〕は助語歟、或は間をはし〔二字右○〕とよめば道の間遠くとよめる歟、次の二句アレコソはあればこそ行ても得あはねと云意にて句絶なり、ヨシハアラムゾとは逢由のあらむぞとなり、是は五月に正税帳を以て京に入べき故なり、下に見えたり、イツシカモはいつか、淡海路ニイユキノリタチは伊は發語の詞、舟に乘立なり、吾乎麻都等はアヲマツトと讀べし、奈須良牟妹乎は須と久と同韻にて通ずれば泣らむ妹と云歟、第十九に安寢不令宿をヤスイシナサデと點じたれば古事記上に沼河比賣の歌に、麻多麻傳《マタマデ》、多麻傳佐斯麻岐《タマデサシマキ》、毛毛那賀爾《モモナガニ》、伊波那佐牟遠《イハナサムヲ》云々、又須勢理※[田+比]賣の歌にも此句どもあり、伊波那佐牟遠を伊遠斯那世《イヲシナセ》とありなすとは寢るを云歟、然らば我を待と待侘て寢むずる妹をと云にや、
 
初、いもゝわれも心はおやし 心はおなしなり。たくへれとゝは夫婦とさたまりて相|割《タクヘ》ともなり。心くしめくしもなしに。心くるしくも見くるしくもなきなり。第九に、筑波山※[女+燿の旁]歌會をよめる哥に、けふのみはめくしもみるなとよみしもこれなり。あかおくつま、妻にすゑおくなり。伊多《イタ》もすへなみ、いともすへなみといふにおなし。第十三に、此長月の過まくをいたもすへなみといひ、第十四にも、なみのほのいたふらしもよといひ、第十五の終にも、あかもふ心いたもすへなしとよめり。ちかくあらはかへりにたにもうちゆきて。ゆきてほとなく歸るをかへりにたにもといへり。世俗に一夜とまりにゆく、あるひは立歸りにゆきてこんなといふたくひなり。第六にもおなし家持の哥に
  關なくはかへりにたにも打ゆきていもか手枕まきてねましを
道はし遠く、道は遠くなり。しは助語なり。俊頼の哥には、道橋遠くとよまれたり。せきさへにへなりてあれこそ。關さへ道の遠きうへに隔てあれはこそえかへらねといふ心なり。こその下句なり。よしはあらんそ。あふよしはあらむそなり。うの花のにほへる山を。第十にうの花山とよみ、此卷下にいたりて池主の長哥にも、うの花山といへるは、みな卯花のさける山をおしてさはいへりとは、これらによりてもしるへし。あふみちにいゆきのりたち。これは馬もあれと、あふみの海を舟にのるなり。ぬえ鳥のうらなげしつゝ。第一にも、奴要子鳥、卜歎居者とよみ、第十にも奴延鳥之、裏|歎座《ナケマシ》津。又奴延鳥浦|嘆居《ナケヲルト》とよめり。したなけきをるといふ心なり。第五に、ぬえ鳥の喉呼《ノトヨヒ》をるにとよめるはつぶやくやうに、のとこゑになくをいへり。こゝに宇良奈氣之都追とあると、第一、第十に歎といふ字を用たるとかなへり。うらなげくなり。うらなくといふにはあらす。末にてはひとつなり。わをまつとなすらん妹を、なくらん妹なり。久と須と同韵にて通するなり。長流か抄にわれを待身と成らん妹といふ詞なりとかけり。さも侍るへし
 
3979 安良多麻乃登之可弊流麻泥安比見禰婆許巳呂毛之努爾於母保由流香聞《アラタマノトシカヘルマテアヒミネハコヽロモシノニオモホユルカモ》
 
3980 奴婆多麻乃伊米爾波母等奈安比見禮騰多太爾安良禰婆(22)孤悲夜麻受家里《ヌハタマノイメニハモトナアヒミレトタタニアラネハコヒヤマスケリ》
 
3981 安之比奇能夜麻伎弊奈里底等保家騰母許己呂之遊氣婆伊米爾美要家里《アシヒキノヤマキヘナリテトホケトモココロシユケハイメニミエケリ》
 
3982 春花能宇都路布麻泥爾相見禰婆月日餘美都追伊母麻都良牟曾《ハルハナノウツロフマテニアヒミネハツキヒヨミツヽイモマツラムソ》
 
右三月二十日夜裏忽兮起2戀情1作、大伴宿禰家持
 
立夏四月、既經2累日1、而由未v聞2霍公鳥喧1、因作恨歌二首
 
立夏四月と云は四月節なり、下注に三月廿九日とあり、上に廿日とありて、既經累日と云は二十四五日に立夏の有けるなるべし、
 
3983 安思比奇能夜麻毛知可吉乎保登等藝須都奇多都麻泥爾(23)奈仁加吉奈可奴《アシヒキノヤマモチカキヲホトヽキスツキタツマテニナニカキナカヌ》
 
3984 多麻爾奴久波奈多知波奈乎等毛之美思巳能和我佐刀爾伎奈可受安流良之《タマニヌクハナタチハナヲトモシミシコノワカサトニキナカスアルラシ》
 
腰句は花橘を少なしと我思ひし里に郭公のなかぬはことわりなりと云歟、又思は爲にて郭公の心に花橘を少なしとしてとよめる歟、二首の意自注に見えたり、
 
初、花橘をともしみし 越中なれは、柑類すくなきなり
 
霍公鳥者立夏之日來鳴必定、又越中風土希v有2橙橘1也、因v此大伴宿祢家持感發2於懷1、聊裁2此歌1、 三月二十九日
 
立夏の日鳴と云事是を證すべし、十八十九にもみえたり、第十に春さればすがるなく野の霍公鳥とよみ新撰萬葉集に郭公なき立春の山べには沓代いたさぬ人やすむらむとあるも、春の内に郭公をよめり、文選呂安與2※[禾+(尤/山)]叔夜1書云、今將v植2橘柚(ヲ)於玄朔1、李善(カ)曰、曹植(カ)橘賦曰、背(キ)2江州(ノ)之氣※[火+爰]1處2玄朔之肅清1、
 
初、希有橙橘也 和名集云。燈、七卷食經云。橙【宅耕反。和名阿倍太知波奈】似v柚而小者也。文選趙景眞與2※[(禾+尤)/山)]茂齊1書云。又北土(ノ)之性、難2以託(ケ)1v根(ヲ)。投(ルニ)2人(ニ)夜光(ヲ)1鮮v不(トイフコト)v按《トリシハラ》v劍(ヲ)。今將d植2橘柚(ヲ)於玄朔(ニ)1、蔕《ホソツケ》2華藕於脩陵(ニ)1、表(シ)2龍章於裸壤(ニ)1、奏(セント)c※[音+召]武於聾俗(ニ)u、固難2以取1v貴矣
 
(24)二上山賦一首 此山者有2射水郡1也
 
子夏詩序云、詩有2六義1焉、一曰風、二曰賦云々、注に賦者敷2陳其事1直言v之(ヲ)者也、班固兩都賦序云或曰、賦者古詩之流也、注の中の有は在に作るべし、射水郡は國府此郡にあり、舊事本紀第十に伊彌頭國造云々、此も射水なり、
 
初、二上山賦一首 卜商詩序云。故詩有2六義1焉。一曰風。二曰賦云々。注云。賦者敷2陳其事1而直言之者也。詩序疏日。賦之言鋪。直陳2今之政善教惡1。班固兩都賦序云。或曰。賦者古詩之流也。釋名云。敷2布其義1之(ヲ)賦1。此山者有【有當2改作1v在】
 
3985 伊美都河泊伊由伎米具禮流多麻久之氣布多我美山者波流波奈乃佐家流左加利爾安吉能葉乃爾保弊流等伎爾出立底布里佐氣見禮婆可牟加良夜曾許婆多敷刀伎夜麻可良夜見我保之加良武須賣可未能須蘇未乃夜麻能之夫多爾能佐吉乃安里蘇爾阿佐奈藝爾餘須流之良奈美由敷奈藝爾美知久流之保能伊夜麻之爾多由流許登奈久伊爾之(25)弊由伊麻乃乎都豆爾可久之許曾見流比登其等爾加氣底之努波米 《イミツカハイユキメクレルタマクシケフタカミヤマハハルバナノサケルサカリニアキノハノニホヘルトキニイテタチテフリサケミレハカムカラヤソコハタフトキヤマカラヤミカホシカラムスメカミノスソミノヤマノシフタニノサキノアリソニアサナキニヨスルシラナミユフナキニミチクルシホノイヤマシニタユルコトナクイニシヘユイマノヲツヽニカクシコソミルヒトコトニカケテシノハメ》
 
イユキメグレルは伊は例の發語の詞なり、神カラ、山カラは上にとく出にき、スメカミとは二上山を神と云なり、スソミはすそはの如し、すそめぐりなり、イマノヲツヽは第五に注しつ、此次に短歌或反歌ありけむが落たる歟、
 
初、いみつかはいきゆめくれる いゆきのいは發語の辭なり。かむからやそこはたふとき。光仁紀云。寶亀十一年十二月甲辰、越中國射水郡二上神、礪波郡高瀬神並叙2從五位下1。神の威徳にてやそこはくたふときとなり。第二にも人丸の哥に、玉もよきさぬきの國はくにからかみれともあかぬ。神からかこゝはかしこきといへり。すめ神のすそみの山のしふたにのさきのありそに。すめ神とは、二上山をやかて神といへり。しふたにの山はそのすそにありて、その崎をしふたにのさきといへり。ゆふなきにみちくるしほのいやましに。第四に
  あしへよりみちくる塩のいやましにおもふか君かわすれかねつゝ
第十二、第十三にもおなしやうによめり。いまのをつゝには、いまのうつゝにて、今の現在なり。第五に、山上憶良の哥に、かんなからかむさひいます、くしみたま、今のをつゝにたふときろかも
 
3986 之夫多爾能佐伎能安里蘇爾與須流奈美伊夜思久思久爾伊爾之弊於母保由《シフタニノサキノアリソニヨスルナミイヤシクシクニイニシヘオモホユ》
 
3987 多麻久之氣敷多我美也麻爾鳴鳥能許惠乃孤悲思吉登岐波伎爾家里《タマクシケフタカミヤマニナクトリノコヱノコヒシキトキハキニケリ》
 
十八十九にも二上山に霍公鳥をよめれば今鳴鳥と云は霍公鳥なり、
 
初、玉くしけふたかみ山になく鳥の 三月三十日の哥なれは、此鳥といへるはほとゝきすなるへし
 
右三月三十日依v興作v之、大伴宿禰家持
 
(26)四月十六日夜裏遙聞2霍公鳥喧1述懷歌一首
 
3988 奴婆多麻能都奇爾牟加比底保登等藝須奈久於登波流氣之佐刀騰保美可聞《ヌハタマノツキニムカヒテホトヽキスナクオトハルケシサトトホミカモ》
 
右大伴宿禰家持作之
 
大目秦忌寸八千島之舘餞2守大伴宿禰家持1宴歌二首
 
初、大目 令義解云。上國目一人。掌d受v事|上(ケ)《・ノセ》抄《シルシ》勘2署文案1※[手偏+僉]2出稽失1讀c申(コトヲ)公文u
 
3989 奈呉能宇美能意吉都之良奈美志苦思苦爾於毛保要武可母多知和可禮奈婆《ナコノウミノオキツシラナミシクシクニオモホエムカモタチワカレナハ》
 
3990 和我勢故波多麻爾母我毛奈手爾麻伎底見都追由可牟乎於吉底伊加婆乎思《ワカセコハタマニモカモナテニマキテミツヽユカムヲオキテイカハヲシ》
 
右守大伴宿禰家持以2正税帳1須v入2京師1、仍作2此謌1聊陳2(27)相別之歎1、 四月二十日
 
遊2覽布勢水海1賦一首并短歌【此海者有2射水郡舊江村1也、】
 
注の中の有は在に作るべし、布勢は延喜式に射水郡布勢神社、和名に布西とあり舊江村は和名に古江【布留江、】
 
初、遊覽布勢水海 延喜式載2布勢神社1此海者有【有當改作1v在】
 
3991 物能乃敷能夜蘇等母乃乎能於毛布度知許已呂也良武等宇麻奈米底宇知久知夫利乃之良奈美能安里蘇爾與須流之夫多爾能佐吉多母登保理麻都太要能奈我波麻須義底宇奈比河波伎欲吉勢其等爾宇加波多知可由吉加久遊岐見都禮騰母曾許母安加爾等布勢能宇彌爾布禰宇氣須惠底於伎弊許藝邊爾己伎見禮婆奈藝左爾波安遲牟良佐和(28)伎之麻未爾波許奴禮波奈左吉許已婆久毛見乃佐夜氣吉加多麻久之氣布多我彌夜麻爾波布都多能由伎波和可禮受安里我欲比伊夜登之能波爾於母布度知可久思安蘇婆牟異麻母見流其等《モノヽフノヤソトモノヲノオモフトチココロヤラムトウマナメテウチクチフリノシラナミノアリソニヨスルシフタニノサキタモトホリマツタエノナカハマスキテウナヒカハキヨキセコトニウカハタチカユキカクユキミツレトモソコモアカニトフセノウミニフネウケスヱテオキヘコキヘニコキミレハナキサニハアチムラサワキシママニハコヌレハナサキコヽハクモミノサヤケキカタマクシケフタカミヤマニハフツタノユキハワカレスアリカヨヒイヤトシノハニオモフトチカクシアソハムイマモミルコト》
 
ウチクチブリは遠近振なるべし、波をいそぶりとも云へば遠近のいそに振ふなり、マツタエノ長濱は此卷下にもよめり、ウナヒ川は和名に射水郡宇納【宇奈美、】あり、ソコモアカニとは彼處《ソコ》も飽となり、
 
初、こゝろやらんと おもひをやるなり。うまなめてうちこちふりの、馬ならへてむちうつといふ心にいひかけて、をちこちふりとつゝけたるなり。ふりは白浪の振といふ心なり。第十一、第十五にも、浪のふるとよめり。うなひ川、和名集云。字納【宇奈美。】そこもあかにと、そこもあかすとなり。今もみることは今見ることくなり。あともひて、上におほくしるせり。誘《アトフ》 日本紀
 
3992 布勢能宇美能意枳都之良奈美安利我欲比伊夜登偲能波爾見都追思奴播牟《フセノウミノオキツシラナミアリカヨヒイヤトシノハニミツヽシノハム》
 
右守大伴宿禰家持作v之 四月廿四日
 
(29)敬和d遊2覽布勢水海1賦u一首 并一絶
 
3993 布治奈美波佐岐底知理爾伎宇能波奈波伊麻曾佐可理等安之比奇能夜麻爾毛野爾毛保登等藝須奈伎之等與米婆宇知奈妣久許已呂毛之努爾曾已乎之母宇良胡非之美等於毛布度知宇麻宇知牟禮底多豆佐波理伊泥多知美禮婆伊美豆河泊美奈刀能須登利安佐奈藝爾可多爾安佐里之思保美底婆 都麻欲妣可波須等母之伎爾美都追須疑由伎之夫多爾能安利蘇乃佐伎爾於枳追奈美余勢久流多麻母可多與理爾可都良爾都久理伊毛我多米底爾麻吉母知底宇良具波之布勢能美豆宇彌爾阿麻夫禰爾麻可治加伊奴(30)吉之路多倍能蘇泥布理可邊之阿登毛比底和賀己藝由氣婆乎布能佐伎波奈知利麻我比奈伎佐爾波阿之賀毛佐和伎佐射禮奈美多知底毛爲底母已藝米具利美禮登母安可受安伎佐良婆毛美知能等伎爾波流佐良婆波奈能佐可利爾可毛加久母伎美我麻爾麻等可久之許曾美母安吉良米々多由流比安良米也
《フチナミハサキテチリニキウノハナハイマソサカリトアシヒキノヤマニモノニモホトヽキスナキシトヨメハウチナヒクコヽロモシノニソコヲシモウラコヒシミトオモフトチウマウチムレテタツサハリイテタチミレハイミツカハミナトノストリアサナキニカタニアサリシシホミテハツマヨヒカハストモシキニミツヽスキユキシフタニノアリソノサキニオキツナミヨセクルタマモカタヨリニカツラニツクリイモカタメテニマキモチテウラクハシフセノミツウミニアマフネニマカチカイヌキシロタヘノソテフリカヘシアトモヒテワカコキユケハヲフノサキハナチリマカヒナキサニハアシカモサワキサヽレナミタチテモヰテモコキメクリミレトモアカスアキサラハモミチノトキニハルサラハハナノサカリニカモカクモキミカマニマトカクシコソミモアキラメヽタユルヒアラメヤ》
 
伎美我麻爾麻等、【官本或等作v爾點云、ニ、】
 
ホトヽギス鳴シトヨメバ、しは助語なり、此トヨメバは令動者にはあらで動者《トヨメバ》なり、打靡ク心モシノニとは霍公鳥に心をなすなり、カタニアサリシは滷にて干滷なり、妻呼カハス、此處を句としても見るべし、又トモシキニとつゞけても見るべし、マカヂカイヌキは二梶棹|貫《ヌキ》なり、※[舟+虜]と棹となり、
 
(31)3994 之良奈美能與世久流多麻毛余能安比太母都藝底民仁許武吉欲伎波麻備乎《シラナミノヨセクルタマモヨノアヒタモツキテミニコムキヨキハマヒヲ》
 
タマモは玉藻なり、ヨノアヒダモは第十九に家持のよまれたる處女墓の歌に靡|珠藻節間毛云々、此をツカノマモと點ぜるは叶はず、フシノマモと讀べしと存ず、藻にも節のあれば其兩節の間をば竹葦などの如くよ〔右○〕と云べければ今度々相繼て見に來むと云心を玉藻の短き節の間によせて云なり、
 
右〓大伴宿禰池主作 四月廿六日迫和
 
初、椽 大国大椽一人。掌d糺2判國内1審2署文案1勾2稽失1察c非違u。餘椽准v此。少椽一人。掌同2大椽1
 
四月二十六日〓大伴宿彌池主之舘錢2税帳使守大伴宿禰家持1宴謌并古歌四首
 
餞を誤て錢に作れり、改むべし、此宴歌三首主人の傳誦する古歌一首なるを今古歌四首とあるは并の字上の宴謌を兼て新舊并せて四首と云心歟、然らずは四首の二字は後人の加へたる歟、具に云ひ分ば宴謌三首并古歌一首と云べし、
 
初、餞税帳使 餞誤作v錢。税帳使は四度使の隨一なり
 
(32)3995 多麻保許乃美知爾伊泥多知和可禮奈婆見奴日佐等麻禰美孤悲思家武可母《タマホコノミチニイテタチワカレナミミヌヒサマネミコヒシケムカモ》
 
和可禮奈婆をワカレナミと點ぜるは誤なり、ワカレナバと改むぺし、第四句の等は衍文なり、サマネミはそへたる詞、マネミは第二第四にまねくと有し詞にて間なくの意なり、
 
初、みぬ日さまねみ さはそへたる字にて、まねみはまなみなり。第二、第四にもまなくといふをまねくといへり。等は衍文なるへし
 
一云|不見日久彌戀之家牟加母《ミヌヒヒサシミコヒシケムカモ》
 
右一首大伴宿禰家持作v之
 
3996 和我勢古我久爾弊麻之奈婆保等登藝須奈可牟佐都奇波佐夫之家牟可母《ワカセコカクニヘマシナハホトヽキスナカムサツキハサフシケムカモ》
 
初、わかせこかくにへましなは くにはと故郷をさせり。郷の字、土の字なと、みなくにとよめり
 
右一首介内藏忌寸繩麿作v之
 
繩麿系圖等未v詳、
 
(33)3997 安禮奈之等奈和備和我勢故保登等藝須奈可牟佐都奇波多麻乎奴香佐禰《アレナシトナワヒワカセコホトヽキスナカムサツキハタマヲヌカサネ》
 
奈和備はなわびそなり、
 
初、あれなしとなわひわかせこ 我なしとてなわひそわかせことなり
 
右一首守大伴宿禰家持和
 
石川朝臣水通橘歌一首
 
石川水通未v詳、
 
3998 和我夜度能花橘乎波奈其米爾多麻爾曾安我奴久麻多婆苦流之美《ワカヤトノハナタチハナヲハナコメニタマニソアカヌクマタハクルシミ》
 
ハナゴメニは花と共にの意なり、伊勢が歌に根ごめに風のとよめるに同じ、落句は露霜を經てあからむべき時を待たば遠くて苦しとなり、
 
初、花こめに玉にそぬける 花こめは花ともになり。伊勢か哥に、ねこめに風のふきもこさなんとよめるも、根ともに吹おこせよといへるなり。花こめに玉にぬくとは、橘のあかみてもてはやすへき比のとほけれはといふ心なり
 
右一首傳誦主人大伴宿禰池主云爾、
 
(34)守大伴宿禰家持舘飲宴歌一首 【四月二十六日】
 
3999 美夜故弊爾多都日知可豆久安久麻底爾安比見而由可奈故布流比於保家牟《ミヤコヘニタツヒチカツクアクマテニアヒミテユカナコフルヒオホケム》
 
立山賦一首并短歌 此山者有2新河郡1也、
 
此山者有2新川郡1、有〔右○〕當v作v在〔右○〕、新川郡は今の歌には爾比可波とよめり、和名集には新川【邇布加波、】とあり、
 
4000 安麻射可流比奈爾名可加須古思能奈可久奴知許登其等夜麻波之母之自爾安禮登毛加波波之母佐波爾由氣等毛須賣加未能宇之波伎伊麻須爾比可波能曾能多知夜麻爾等許奈都爾由伎布理之伎底於婆勢流可多加比河波能伎(35)欲吉瀬爾安佐欲比其等爾多都奇利能於毛比須疑米夜安里我欲比伊夜登之能播仁余増能未母布利佐氣見都々余呂豆餘能可多良比具佐等伊末太見奴比等爾母都氣牟於登能未毛名能未母伎吉底登母之夫流我禰《アマサカルヒナニナカヽスコシノナカクヌチコトコトヤマハシモシヽニアレトモカハヽシモサハニユケトモスメカミノウシハキイマスニヒカハノソノタチヤマニトコナツニユキフリシキテオハセルカタカヒカハノキヨキセニアサヨヒコトニタツキリノオモヒスキメヤアリカヨヒイヤトシノハニヨソノミモフリサケミツヽヨロツヨノカタラヒクサトイマタミヌヒトニモツケムオトノミモナノミモキヽテトモシフルカネ》
 
名カヽスは名懸なり、越中と人の言に懸て名高き意なり、延喜式に紀伊國に國懸神社あり、此|懸《カヽスと同じ、クヌチコト/”\は第五にも有て注せし如く國中悉なり、山ハシモ、川ハシモの二つのしも〔二字右○〕は助語なり、ウシハキイマスは上に注せしが如し、ニヒカハは郡の名、トコナツニは常《ツネ》にと云心なり、撫子を常夏と云も春こそさかね秋も咲、冬野にも若は咲ことのあれば常磐の意なるべし、山海經云、由首山、小咸山、空桑山、皆冬夏有v雪、漢書西域傳云、天山冬夏有v雪、張平子南都賦云、幽谷|〓岑《タカクサカシウシテ》夏含2霜雪1、タツキリノオモヒスギメヤは第三に赤人の歌に有て注しき、カタラヒ草は笑《ワラヒ》草などの類なり、
 
初、あまさかるひなに名かゝす 名かゝすは名をかくるなり。妹か名にかけたる櫻なといへることし。國懸《コクケム・クニカヽス》神社【紀伊延喜式】くぬちこと/\は。國うちこと/\くなり。爾宇反奴なれは、かくいへり。第五に、あをによしくぬちこと/\とよめるにおなし。うしはきいます。上に、第五、第六、第九等にありてすてに尺しき。とこなつにゆきふりしきて。とこなつはたゝ常にといふなり。文選張平子南都賦云。幽谷|〓岑《サカシウシテ》(ト)夏含(メリ)2霜雪(ヲ)1。五雜組云。山海經曰。由首山、小威山、空桑山皆冬夏有v雪。漢書西域傳日。天山冬夏有v雪。今蜀蛾眉山夏有2積雪1。其中有2雪蛆1云
 
(36)4001 多知夜麻爾布里於家流由伎乎登已奈都爾見禮等母安可受加武賀良奈良之《タチヤマニフリオケルユキヲトコナツニミレトモアカスカムカラナラシ》
 
4002 可多加比能可波能瀬伎欲久由久美豆能多由流許登奈久安里我欲比見牟《カタカヒノカハノセキヨクユクミツノタユルコトナクアリカヨヒミム》
 
四月二十七日大伴宿禰家持作v之
 
敬和2立山賦1一首并二絶
 
4003 阿佐比左之曾我比爾見由流可無奈我良彌奈爾於婆勢流之良久母能知邊乎於之和氣安麻曾曾理多可吉多知夜麻布由奈都登和久許等母奈久之路多倍爾遊吉波布里於吉底伊爾之邊遊阿理吉仁家禮婆許其志可毛伊波能可牟佐(37)備多末伎波流伊久代經爾家牟多知底爲底見禮登毛安夜之彌禰太可美多爾乎布可美等於知多藝都吉欲伎可敷知爾安佐左良受綺利多知和多利由布佐禮婆久毛爲多奈※[田+比]吉久毛爲奈須已許呂毛之努爾多都奇理能於毛比須具佐受由久美豆乃於等母佐夜氣久與呂豆余爾伊比都藝由可牟加波之多要受波《アサヒサシソカヒニミユルカムナカラミナニオハセルシラクモノチヘヲオシワケアマソヽリタカキタチヤマフユナツトワクコトモナクシロタヘニユキヽフリオキテイニシヘユアリキニケレハコヽシカモイハノカムサヒタマキハルイクヨヘニケムタチテヰテミレトモアヤシミネタカミタニヲフカミトオチタキツキヨキカフチニアサヽラスキリタチワタリユフサレハクモヰタナヒキクモヰナスコヽロモシノニタツキリノオモヒスクサスユクミツノオトモサヤケクヨロツヨニイヒツキユカムカハシタエスハ》
 
御名所帶とは立山と名に負給ふ如く高きと云意なり、やがて立山とはつゞけずして白雲ノと云より中に三句を云へることゆるやかなり、白雲ノ千重ヲ押分とは天孫の天降り給ふ時排2分天|八重雲《ヤヘグモ》1と云には替りて此は立あがるとて下より押分る意なり、アマソヽリは俗に沙などのなだれたるを上へ高く積やうの事をそゝり上と云如く天に高くそゝり擧たる意なるべし、コヾシカモイハノカムサビは巖の物(38)古てこゞしきなり、タマキハル幾世經ニケムは一世と云はかぎりあれば玉きはるとは云へり、行水ノ音モ清ケクとは立山の名をかたかひ川の水の音の如くさやかに云ひつがむとなり、落句の之は助語なり、
 
初、あまそゝりたかきたち山 しらくものちへをおしわけといひてかくつゝけたるはあまくたるといふ詞ときこゆれと、かんかふる所なし。天にそゝりあけたることく、高き立山とよめるなりと、長流か抄にはかけり。玉きはるいくよへにけん。第十には、たまきはる吾山のうへに立かすみとよみ、第十一には、としきはる世まてさためてともよめり。世といふはかきりあることなれは、玉きはるとはいへり。こゝしかもは、こゝしくもなり。こゝしくはこりしくにて、いはねのこりかたまりてしくなり
 
4004 多知夜麻爾布理於家流由伎能等許奈都爾氣受底和多流波可無奈我良等曾《タチヤマニフリオケルユキノトコナツニケステワタルハカムナカラトゾ》
 
初、けすてわたるはとは、きえすしてわたるはなり
 
4005 於知多藝都可多加比我波能多延奴期等伊麻見流比等母夜麻受可欲波牟《オチタキツカタカカヒカハノタエヌコトイマミルヒトモヤマスカヨハム》
 
右〓大伴宿禰池主和v之 四月廿八日
 
入v京漸近悲情難v撥述v懷一首并一絶
 
4006 可伎加蘇布敷多我美夜麻爾可牟佐備底多底流都我能奇毛等母延毛於夜自得伎波爾波之伎與之和我世乃伎美乎(38)安佐左良受安比底許登騰比由布佐禮婆手多豆佐波利底伊美豆河波吉欲伎可布知爾伊泥多知底和我多知彌禮婆安由能加是伊多久之布氣婆美奈刀爾波之良奈美多可彌都麻欲夫等須騰理波佐和久安之可流等安麻乃乎夫禰波伊里延許具加遲能於等多可之曾己乎之毛安夜爾登母志美之努比都追安蘇夫佐香理乎須賣呂伎能乎須久爾奈禮婆美許登母知多知和可禮奈婆於久禮多流吉民婆安禮騰母多麻保許乃美知由久和禮播之良久毛能多奈妣久夜麻乎伊波禰布美古要弊奈利奈婆孤悲之家久氣乃奈我家牟曾則許母倍婆許巳呂志伊多思保等登藝須許惠爾安倍奴(39)久多麻爾母我手爾麻吉毛知底安佐欲比爾見都追由可牟乎於伎底伊加婆乎思《カキカソフフタカミヤマニカムサヒテタテルツカノキモトモエモオヤシトキハニハシキヨシワカセノキミヲアサゝラスアヒテコトゝヒユフサレハテタツサハリテイミツカハキヨキカフチニイテタチテワカタチミレハアユノカセイタクシフケハミナトニハシラナミタカミツマヨフト》ストリハサワクアシカルトアマノヲフネハイリエコクカチノオトタカシソコヲシモアヤニトモシミシノヒツゝアソフサカリヲスメロキノヲスクニナレハミコトモチタチワカレナハオクレタルキミハアレトモタマホコノミチユクワレハシラクモノタナヒクヤマヲイハネフミコエヘナリナハコヒシケクケノナカケムソソコモヘハコヽロシイタシホトヽキスコヱニアヘヌクタマニモカテニマキモチテアサヨヒニミツヽユカムヲオキテイカハヲシ》
 
發句は第八に憶良の秋の野に咲たる花を手を折て掻數ふれば七種花とよまれたる如く一つ二つとかぞふる意につゞけたり、モトモエモは本も枝もなり、アユノカゼは下に東風とかきて自注ありイタクシフケバのし〔右○〕は助語也.ヲスクニナレバは食國なればなり、ミコトモチは司の字をふこともちと讀て職とす、今は御事《ミコト》を持と用に意得べし、正税帳を以て京へ入るを云、オクレタル君ハアレドモとは後れ居て君が我を思はむずる事はあれどもなり、ソコモヘバはそこを思へばなり、ソコはそれなり、心シ痛シ上のし〔右○〕は助語なり、ホトヽギスコヱニアヘヌクタマニモガとはアヘヌクは相貫なり、第八夏雜歌の初藤原夫人歌に此意を讀て相貫左右二と云落句をアヒヌクマデニと點ぜるを今の歌等を證としてアヘヌクと讀べき由注し侍りしが如し、玉は藥玉の事なり、
 
初、かきかそふゝたかみ山 かきかそふとは、ゆひを折かゝめてひとつふたつとかそふる心にて、ふたかみ山とつゝけたり。第八に、山上憶良の秋花をよまれたる哥二首の中に
  秋のゝに咲たる花をてををりてかきかそふれはなゝ草の花
かむさひてたてるとかの木、もともえもおやしときはに。第一、第三等に、とかの木のいやつき/\にとよめる心なり。もとは本にて木の幹なり。えは枝なり。大伴氏の嫡庶にたとへたり。あゆの風いたくしふけは。下にあゆのかせいたく吹らしとよめる哥、あゆのかせを東風とかきて、注にいはく、越俗語東風謂2之(ヲ)安由之可是(ト)1也。しかれは、こゝもとにいふこちかせなり。今も安以乃可是と申侍るとそ承し。すめろきのをすくになれはとは、をすくには食國なり。みこともちは、みことをもちてなり。日本紀に、司の字、宰の字を、みこともちとよめるは、彼みことのりをたもつものゝ名なり。家持も國司なれはみこともちなれと、今は税帳使にてのほらるれは、用に心得へし。おくれたる君はあれともとは、おくれてある君か、我をおもひおこさむ心はあれともといふ心なり。そこもへは心しいたしとは、そこをおもへはなり。そこはそれなり。心しのしもしは助語なり。ほとゝきすこゑにあへぬく玉にもかとは、藥玉のことなり。あへぬくはましへぬくなり。和名集云。四聲字苑云。〓【即※[(禾+尤)/山]反。訓安不。一云阿倍毛乃】擣2薑蒜(ヲ)1以v醋和(スルナリ)v之。和の字もあへものとよめり。今あへぬくはその心なり
 
4007 和我勢故波多麻爾母我毛奈保登等伎須許惠爾安倍奴伎(41)手爾麻伎底由可牟《ワカセコハタマニモカモナホトヽキスコヱニアヘヌキテニマキテユカム》
 
安倍奴吉、【幽齋本、伎作v吉、】
 
右大伴宿禰家持贈2〓大伴宿禰池主1、【四月卅日】
 
忽見2入京述懷之作1生別悲兮斷v腸萬回、怨緒難v禁、聊奉2所心1一首 并2二絶1
 
初、生別悲兮 屈原九歌云。悲莫v悲(シキハ)2兮生(テ)別離(スルヨリ)1。樂莫v樂(シキハ)2兮斯(ニ)相知(ヨリ)1
 
4008 安遠爾與之奈良乎伎波奈禮阿麻射可流比奈爾波安禮登和賀勢故乎見都追志乎禮婆於毛比夜流許等母安利之乎於保伎美乃美許等可之古美乎須久爾能許等登理毛知底和可久佐能安由比多豆久利無良等理能安佐太知伊奈婆於久禮多流阿禮也可奈之伎多妣爾由久伎美可母孤悲無(42)於毛布蘇良夜須久安良禰婆奈氣可久乎等騰米毛可禰底見和多勢婆宇能婆奈夜麻乃保等登藝須禰能未之奈可由安佐疑理能美太流流許己呂許登爾伊泥底伊波婆由遊思美刀奈美夜麻多牟氣能可味爾奴佐麻都里安我許比能麻久波之家夜之吉美賀多太可乎麻佐吉久毛安里多母等保利都奇多々婆等伎毛可波佐受奈泥之故我波奈乃佐可里爾阿比見之米等曾《アヲニヨシナラヲキハナレアマサカルヒナニハアレトワカセコヲミツヽシヲレハオモヒヤルコトモアリシヲオホキミノミコトカシコミヲスクニノコトヽリモチテワカクサノアユヒタツクリムラトリノアサタチイナハオクレタルアレヤカナシキタヒニユクキミカモコヒムオモフソラヤスクアラネハナケカクヲトヽメモカネテミワタセハウノハナヤマノホトヽキスネノミシナカユアサキリノミタルヽコヽロコトニイテヽイハヽユヽシミトナミヤマタムケノカミニヌサマツリアカコヒノマクハシケヤシキミカタヽカヲマサキクモアリタモトホリツキタヽハトキモカハサスナテシコカハナノサカリニアヒミシメトソ》
 
許等登里毛知底、【幽齋本、里作v理、】
 
キハナレは來難なり、ミツヽシヲレバ、し〔右○〕は助語なり、ワカクサノアユヒタツクリはアユヒは第十一にもよめる脚帶《アユヒ》なり、タツクリはた〔右○〕はもとほるをたもとほるなど云た〔右○〕にてそへたる詞なり、皇極紀に蘇我大臣蝦夷の歌にも、阿庸比※[木+施の旁]豆矩梨とよめ(43)り、若草のと云へるは第二に葦若未足痛我背とよめるやうに足のうつくしく柔なるをほむる意に云へる歟、又は若草を以て脚帶に作る歟、ウノ花山は卯の花の咲たる山を押て云なり、本より然云山の有にはあらず、第十にもかくよめるに付て注せしが如し、トナミ山は越中の礪浪郡にあり、タムケノカミは和名云、唐韻云、【示+場の旁】音觴、【和名太無介乃加美、】道上祭一云、道神也、アガコヒノマクは我請《ワガコヒ》祷なり、アリタモトホリはありめぐりてなり、た〔右○〕はそへたる詞なり、月タヽバとは此は五月二日の歌なれば六月を云なり、トキモカハサズは時もたがへずなり、アヒミシメトゾは令相見給へよとぞなり、
 
初、おもひやることもありしを おもひをやることも有しものをなり。わかくさのあゆひたつくり。わか草はうつくしき足をほめて足といふにつゝくるなり。第二に、あしかひのあなへくわかせとつゝけたるかことし。あゆひは此集には、上に足結とかけり。日本紀に脚帶とかけり。上にしるせり。たつくりは、たは助語にて、あゆひを作るなり。見わたせはうの花山のほとゝきす。うの花山は、只卯花のおほくさける山をおしていへり。上にうの花のにほへる山とよめるかことし。第十にも、うの花山とも、うの花へからともよめり。となみやまたむけのかみに。和名集云。唐韻云。※[衣+易]音觴【和名太無介護乃加美】道上祭。一云道(ノ)神也。あかこひのまく。わかこひいのらくなり。日本紀に祷の字をのむとよめり。あひみしめとそ、あひみしめよとそなり。第三に
  さほ過てならの手向におくぬさは妹をめかれすあひみしめとそ
 
4009 多麻保許乃美知能可未多知麻比波勢牟安賀於毛布伎美乎奈都可之美勢余《タマホコノミチノカミタチマヒハセムアカオモフキミヲナツカシミセヨ》
 
4010 宇良故非之和賀勢能伎美波奈泥之故我波奈爾毛我母奈安佐奈佐奈見牟《ウラコヒシワカセノキミハナテシコカハナニモカモナアサナサナミム》
 
(44)右大伴宿禰池主報贈和歌 五月二日
 
思2放逸鷹1夢見感悦作歌一首并短歌
 
本朝に鷹の初て渡れるは仁徳紀云、四十三年秋九月庚子朔、依網|屯倉《ミアケノ》阿弭古捕2異鳥1獻2於天皇1曰、臣|毎《ツネニ》張v網捕v鳥未3曾得2是鳥之類1、故奇而獻之、天皇召2酒君(ヲ)1示1v鳥曰、是何鳥矣、酒君對(テ)言、此鳥類多在2百濟1、得馴而能従v人、亦捷(ク)飛之掠2諸鳥1、百濟俗號2此鳥1曰2倶知1、【是今(ノ)時(ノ)鷹也、】乃授2酒(ノ)君1令2養馴1、未2幾時1而得v馴、酒君則以2韋緡1著2其足1、以2小鈴1著2其尾1、居2腕上1獻2于天皇1、是日幸2百舌鳥《モズ》野1而遊獵、時雌雉多起、乃放v鷹令v捕、獲2数十雉1、是月甫定2鷹甘部《タカカヒベヲ》1、故時人號2其養v鷹(ヲ)之處1曰2鷹甘《タカカヒノ》邑1也、此依網は攝津國住吉郡にあり、和名集に大羅【於保與佐美】とある處なり、延喜式に、依羅神社四座【並名神大、月次新甞相甞、】と注せられたる神のおはする處なり、依網池は崇神天皇六十二年冬十月に造らせ給ひて彼邊の民今に至るまて恩波に潤ほへり、日本紀に阿弭古を網子と讀べきやうに聲をさしたるは誤歟、古事記孝元天皇段云、又娶2葛城之垂見宿禰之女※[壇の旁+鳥]比賣1生2御子建豊波豆羅和氣王(ヲ)1、所謂建豊波豆羅和氣王者【道守臣、忍海部(ノ)造、御名部(ノ)造、稻羽之忍海部、丹波之竹野別、依網之阿※[田+比]古等之祖也、】聖武紀云、天平十八年閏九月戊子正六位上依羅我孫忍麻呂授2外從五位下1、孝謙紀云、勝(45)寶二年八月辛未攝津國住吉郡人外從五位下依羅我孫忍麻呂等五人賜2依羅宿禰姓1、神奴|意支奈祝長月《オキナノハフリナガツキ》等五十三人(ニ)賜2依羅(ノ)忌寸(ノ)姓1、今も我孫子《アヒココムラ》村とて侍るは、彼阿弭古のすまれたる故にすなはち名とせるなるべし、昔は我孫なりけるを今子の字を加へたるは孫をまご〔二字右○〕ともひこ〔二字右○〕とも云ひ、ひこの子をばひゝご〔三字右○〕と云を俗には知らで孫の子をひこ〔二字右○〕と云と意得て然れば子の字を加ふべしとて添へたるなるべし、阿珥古は長壽の人なり、神功皇后紀云、既而神有v誨曰、和魂服2玉身1而守2壽命1、荒魂爲2先鋒1導2師船(ヲ)、即得2神(ノ)教1而拜禮之、因以2依網吾彦男垂見1爲2祭神主1、是にて年の程を知べし、鷹甘邑は今鷹合村とて我孫の東北の方に有と承りき、和名集云、蒋紡切韻云、※[執/鳥]【音四、和名太加、今按古語云倶知急讀屈、百濟俗號v鷹也、見2日本紀私記1、】鷹※[搖の旁+鳥](ノ)總名也、たかと名付るは高の義なるべし、詩(ニ)云、時維鷹揚(ル)、朱子注云、如2鷹(ノ)之飛揚而將1v撃、言2其猛1也、仁徳紀の中におぼつかなき事あり、紀云四十年春三月納2 雌鳥皇女1欲v爲v妃、以2隼別皇子1爲v媒、時隼別皇子密(ニ)親娶而久之不2復命1云々、俄而隼別皇子枕2皇女(ノ)之膝1以臥(セリ)、乃語之曰、孰2捷《イヅレトシ》鷦鷯與1v隼焉、曰隼(ハ)捷也、乃皇子曰、是我所v先也、天皇聞2是言1更亦起v恨、時隼別皇子之舎人|等《トモ》歌曰、破夜歩佐波《ハヤブサハ》、阿梅珥能朋利《アメニノボリ》、等珥箇慨梨《トニカケリ》、伊菟岐餓宇倍能《イツキガウヘノ》、婆弉岐等羅佐泥《ハサギトラサネ》、古事記云、其夫|速總《ハヤフサ》別王到來之時、其妻女鳥王歌曰、比婆理波《ヒバリハ》、阿米邇迦氣流《アメニカケル》、多迦由玖夜《タカユクヤ》、波夜夫佐和(46)氣《ハヤブサワケ》、佐邪岐登良佐泥《サザキトラサネ》、天皇聞2此歌1即興v軍欲v殺云々、和名集云、斐務齊切韻云、※[骨+鳥]【音骨、和名八夜布佐、】鷹屬(ナリ)、隼【音笋、訓上(ニ)同、】※[執/鳥]鳥也、大名21祝1、往古より※[骨+鳥]は有ければこそ應神天皇既に皇子の御名を隼別と付させたまひけめ、又隼の鳥を捕こと右の日本紀の歌に見えたるに此は四十年の事にて四十三年に鷹を得たらむには※[骨+鳥]に准らへても凡そは知らるべき事にや、但隼も彼がおのづから鳥を捕ことは見て知たれどもいまだ飼て取らしむる事の世になかりける故歟、古事記の歌は日本紀の歌の異説なるべし、任邪岐登良佐泥《サザキトラサネ》と云を以て見るに日本紀の婆弉岐は娑を誤て婆に作れるなり、
 
4011 大王乃等保能美可度曾美雪落越登名爾於弊流安麻射可流比奈爾之安禮婆山高美河登保之呂思野乎比呂美久佐許曾之既吉安由波之流奈都能左加利等之麻都等里鵜養我登母波由久加波乃伎欲吉瀬其等爾可賀里左之奈豆左(47)比能保流露霜乃安伎爾伊多禮婆野毛佐波爾等里須太家里等麻須良乎能登母伊射奈比底多加波之母安麻多安禮等母矢形尾乃安我大黒爾《オホキミノトホノミカトソミユキフルコシトナニオヘルアマサカルヒナニシアレハヤマタカミカハトホシロシノヲヒロミクサコソシケキアユハシルナツノサカリトシマツトリウカヒカトモハユクカハノキヨキセコトニカヽリサシナツサヒノホルツユシモノアキニイタレハノモサハニトリスタケリトマスラヲノトモイサナヒテタカハシモアマタアレトモヤカタヲノアカオホクロニ》【大黒者蒼鷹之名也】之良奴里能鈴登里都氣底朝※[獣偏+葛]爾伊保都登里多底暮※[獣偏+葛]爾知登理布美多底於敷其等爾由流須許等奈久手放毛乎知母可夜須伎許禮乎於伎底麻多波安里我多之左奈良弊流多可波奈家牟等情爾波於毛比保許里底惠麻比都追和多流安比太爾多夫禮多流之許都於吉奈乃許等太爾母吾爾波都氣受等乃具母利安米能布流日乎等我理須等名乃未乎能里底三島野乎曾我比爾見都追二上山登妣古要底久母我久理可氣理伊爾伎(48)等可弊理伎底之波夫禮都具禮呼久餘思乃曾許爾奈家禮婆伊敷須弊能多騰伎乎之良爾心爾波火佐倍毛要都追於母比孤悲伊伎豆吉安麻利氣太之久毛安布許等安里也等安之比奇能乎底母許乃毛爾等奈美波里母利弊乎須惠底知波夜夫流神社爾底流鏡之都爾等里蘇倍巳比能美底安我麻都等吉爾乎登賣良我伊米爾都具良久奈我古敷流曾能保追多加波麻追太要乃波麻由伎具良之都奈之等流比美乃江過底多古能之麻等妣多毛登保里安之我母乃須太久舊江爾乎等都日毛伎能敷母安里追知加久安良婆伊麻布都可太未等保久安良婆奈奴可乃乎知波須疑米也母伎(49)奈牟和我勢故禰毛許呂爾奈孤悲曾余等曾伊麻爾都氣都流《シラヌリノスヽトリツケテアサカリニイホツトリタテユフカリニチトリフミタテオフコトニユルスコトナクタハナレモヲチモカヤスキコレヲオキテマタハアリカタシサナラヘルタカハナケムトコヽロニハオモヒホコリテヱマヒツツワタルアヒタニタフレタルシコツオキナノコトタニモワレニハツケストノクモリアメノフルヒヲトカリストナノミヲノリテミシマノヲソカヒニミツヽフタカミノヤマトヒコエテクモカクリカケリイニキトカヘリキテシハフレツクレヲクヨシノソコニナケレハイフスヘノタトキヲシラニコヽロニハヒサヘモエツヽオモヒコヒイキツキアマリケタシクモアフコトアリヤトアシヒキノヲテモコノモニトナミハリモリヘヲスヱテチハヤフルカミノヤシロニテルカヽミシツニトリソヘコヒノミテアカマツトキニヲトメラカイメニツクラクナカコフルソノホツタカハマツタエノハマユキクラシツナシトルヒミノエスキテタコノシマトヒタモトホリアシカモノスタクフルエニヲトツヒモキノフモアリツチカクアラハイマフツカタミトホクアレハナヌカノヲチハスキメヤキナムワカセコネモコロニナコヒソヨトソイマニツケツル》
 
奈都能左加利等、【幽齋本、加作v可、】  麻郁太要乃、【幽齋本、都作v追、】
 
ミ雪フルは越の枕詞、第十二にもよめり、ヒナニシのし〔右○〕は助語なり、河トホシロシは第十三に在て注せり、草コソシゲキ、此てにをは上に多かり、シマツトリは和名云、辨色立成云、大云2※[盧+鳥]※[茲/鳥]1、【※[盧+鳥]茲二音、日本紀私記云、志萬豆止利、】小曰2鵜〓1、【啼胡二音、俗云宇、】かくはあれども鵜をも通じてしまつ鳥と云故に神武紀の御製にも之摩途等利《シマツトリ》【私記云、欲v讀v※[盧+鳥]之發語也、】宇介辟餓等茂《ウカヒカトモ》云々、今此に同じ、ともは徒なり、カゞリサシは鵜舟のかゞり常の事なり、和名云、漢書陳勝(ガ)傳云、夜篝v火、【師説云、比乎加加利邇須、今按漁者以v〓作v篝盛v火照v水者名v之、此類乎、】ナツサヒノボル此所句なり、鷹ハシモはしも〔二字右○〕の二自助語なり、矢形尾は袖中抄に鷹の相經を引て屋像尾|町像《マチカタ》尾の事をかゝれたれど此集に今も反歌にも第十九にも三所一樣に矢形尾と書たれば相經の説用べからず、奧義抄云、尾のふの矢の羽のやうにさがりふに切たる鷹なり、綺語抄童蒙抄の説大かた此に同じ、アガ大黒は十六嗤歌にもぬば玉のひたの大黒とよめり、注の蒼鷹は和名云、廣雅云.一歳名2之黄鷹1、【俗云和名太加、】二歳名2之撫鷹1、【加太加閉利、】三歳名2之青鷹(50)白鷹1、隋(ノ)魏彦深鷹賦云、三歳成v蒼、今按青鷹と蒼鷹と同じ、シラヌリノ鈴取著テは延喜式第三八十島神祭注文云、白塗(ノ)鈴八十口、イホツトリタテは五百津鳥起なり、オフゴトニは毎v逐なり、鳥を鷹の追なり、ゆるす事なくは一つも取はづさぬなり、ヲチモカヤスキは上より落來て鳥を捕を云歟、但オフゴニユルス事ナクと云ひつれば鳥を捕をはりて後手にかへりてすわりて落居るを云歟、手放に對すれば後の義なるべし、於知とかゝずして乎知とかけるは第五に雲に飛藥はむとも又落めやもと云ひ、遠知米也母、次に賤しき我身又落ぬべしと云に麻多《マタ》越知奴倍之とかけるに同じ、折々通じてかける事あり、カヤスキのか〔右○〕はかよれるかよわきの類なめり、サナラヘルとは然習へるにて、かく飼習はして能馴たる鷹は世に又も有まじきと思ふ意なり、タフレタルは齊明紀に狂心をタフレゴヽロとよめり、左傳云、國狗之※[病垂/犬]無v不v噬也、【〓狂也、噬齧也、】シコツオキナは醜翁なり、下の註に見えたる鷹飼山田史君麿を物くるはしきしこ翁と詈詞なり、コトダニモ我ニハ告ズとは此秘藏の大黒を使ふ由を告ずなり、下にトカリスト名ノミヲノリテと云へば只何となく鳥狩に罷侍るとのみ云て、三島野は和名云、射水郡三島【美之萬】シハブレツグレとはしはぶき打して告ればなり、ヲクヨシノソコニナケレバは措言べき由も中々なきなり、於久を呼久とかけるは(51)さきの乎知の如し、火サヘモエツヽは瞋火なり、アシビキノヲテモコノモは山の彼面此面なり、ヲテモコノモは第十四にもよめり、テル鏡シヅニ取副とは照にてるます鏡を倭文幣に取副て神に奉て此鷹の事を祈るなり、ヲトメラガイメニツグラクとは神靈の童女と成て夢に入て告給ふなり、ソノホツタカハとは第九にほつえを最末枝とかけるを此に准らふるに最鷹なり、最上の鷹と云なり、又神武紀秀眞國、此(ニ)云2袍圖莽句※[人偏+爾](ト)1、此に依れば秀鷹と書べし、秀逸の鷹なり、ツナシトルはつなしは※[魚+利]に似たる魚なり、比美乃江も射水郡なるべし、多古ノ嶋はたこの浦に有べし、第十八にはたこのさきともよめり、たこの浦は第十九の詞書に遊2覽布勢水海1船泊2於多※[示+古]灣1云々、此に依に射水郡なり、今二日太未とは太未は上に舟を榜たむと云に運の字轉の字廻の字などをよめれば今二日ばかり日のめぐらばの意なり、ナヌカノウチハとは第十三にも久有今七日許早有者今二日許將有等曾《ヒサナラバイマナヌカバカリハヤクアラバイマフツカバカリアラムトソ》云々、キナムワガセコは鷹の歸り來なむとなり、イマニツゲツルは伊と由、麻と米共に同音にて通ずれば夢なり、或は寢間にて宿たる間にと云にも有べし、
 
初、大きみのとほのみかとそ 第十五には、新羅をもとほのみかとゝよめり。第三には人丸筑紫をとほのみかとゝよまる。山高み河とほしろし。とほしろしは、大なるなり。神代紀下云。集《ツトフ》2大《トホシロク》小(ヒキ)之|魚《イヲトモヲ》1。第三に、赤人の哥にもあすかのふるきみやこは山高み河とほしろしとよめり。草こそしけき。此こそといひてきとうけとめたるは、第一に、天智天皇の御哥に、いにしへもしかにあれこそ、うつせみもつまにあひうつらしきとあるより、第六、第十一なとにも見えたり。夏のさかり。樂天詩云。盛夏(ニ)不v消雪。しまつとりうかひかともは、しまつとりは鵜の名なり。和名集云。辨色立成云。大云2※[盧+鳥]※[茲/鳥]1【※[盧+鳥]茲二音。日本紀私記云。志萬豆止利】小曰2鵜※[胡+鳥]1。【啼胡二音。俗云宇。】しかれは大小によりて、嶋津鳥とうとの名かはれりといへとも、又通してもいふなり。日本紀に、神武天皇の御哥に
  たゝなへて《・盾並而》、いなさの山の、このまゆも《・木間從》、い《發語》ゆきま《・往守》もらひ、たゝかへは《・戰者》、我|はや《・早》ゑぬ《困日本紀》《・瘁日本紀》。しまつとり《・嶋津鳥》、うかひかとも《・鵜養之徒》、いますけにこね《・今助來》
これはそれよりさき、阿太の鵜養《ウカヒ》等か先祖|苞苴擔《ニヘモチ》が子に吉野にてあはせたまへるをおほしめし出て、今諸卒のつかれたる時なれは、まゐりて軍の助となれとよませたまへるなり。此御哥にも、嶋津鳥鵜養かともとつゝけさせたまへは、嶋津鳥とは鵜はよく嶋なとにゐるゆへに、異名にいへるなるへし。ともはともからなり。かゝりさし。和名集云。漢書陳勝傳云。夜篝(ニス)v火。【師説云。比乎加加利邇須。案漁者以v鐵作v篝盛v火照v水者名v之。此類乎。】なつさひのほる、たつさひのほるなり。此所句絶なり。鳥すたけりと、すたくはあつまるなり。第十一には、かも鳥のすたく池水といふに多集とかけり。第七にも、鳥はすたけとゝよめり。伊勢物語には
  むくらおひてあれたる宿のうれたきはかりにもおにのすたくなりけり
鷹はしもあまたあれとも。鷹はにて、しものふたもしはみな助語なり。やかたをのあか大くろに。鷹の尾にさかりふとて、苻のすちかひに、もとのかたさまへきりたるを、やかた尾とはいふなり。大黒苻といふは、尾すけの毛まて苻をきりたるをいふとなり。今案たゝ大鷹の黒苻なるを、名つけてわか大黒といへるなるへし。第十六に嗤2咲黒色1歌に
  ぬは玉のひたの大黒見ることにこせの小黒かおもほゆるかも
とよめるたくひなるへし。注蒼鷹、隋魏彦深(カ)鷹賦曰。三歳成v蒼。戰國策云。要離之刺2慶忌1也、倉鷹撃2於殿上(ニ)1。【補云倉即蒼。】文選云。蒼鷹※[執/鳥]而受v紲、鸚鵡惠而入v籠。和名集引2廣雅1云。一歳名2之(ヲ)黄鷹1。【俗云。和賀太加】二歳名2之(ヲ)撫鷹(ト)1。【俗云。加太加閉利。】三歳名2之(ヲ)青鷹白鷹(ト)1。しらぬりの鈴とりつけて、鈴をよくみかきたるをいふへし。延喜式第三、八十島《ヤソシマ》神祭料注文中云。白塗鈴八十口。日本紀第十五、顯宗紀云。繩(ノ)端(ニ)懸|鐸《ヌテヲ》。和名集云。三體圖云。鐸(ハ)【音澤】今之鈴(ソ)。鐸もよくみかきたる故にぬりてといふ歟。ぬてはぬりての畧語なり。朝かりにいほつとりたて、五百箇鳥たてなり。ゆふかりにちとりふみたて。いほつ鳥ちとりは只鳥のおほかるをいふなり。第三に朝かりにしゝふみおこし、ゆふかりにとりふみたてゝと、おなしぬしのよまれたり。第十六にもゝちとりちとりはくれとゝもよめり。おふことにゆるすことなくは、毎v逐無v免なり。をちもかやすきとはをとすことのやすきなり。かもしはあをきをかあを、くろきをかくろといふことく、そへたる字なり。源氏物語に、かやすき、かよはき、かよれるなといへる、かもしは、みなたすけなり。詩大明云。時《コヽニ》維鷹(ノ如ニ)揚(ル)。注曰。如2鷹之飛揚(シテ)而將(ルカ)1v撃(ント)。言(ハ)其(レ)猛也。手はなれは、鳥にあはする時、手をはなれて行ことのやすきなり。第十四に
  さきもりにたちしあさけのかなとてにたはなれをしみなきしこらはも
手はなれすることもおちて鳥とることもやすきこれをおきてとつゝけて心得へし。さならへるは、しか習へるなり。かくならはし入れたる鷹は、世になけんとおもひほこるなり。第五に、憶良の貧窮問答歌に、あれをおきて人はあらしとほころへとゝよめるに似たり。ゑまひつゝは、ゑみつゝなり。たふれたるしこつおきなの、齊明紀に、狂心をたふれこゝろとよめり。顛狂といへは心も身のたふれたることくなれは、たふれたるといふなり。左傳曰。國(ノ)狗(ノ)之夕|〓《タフルヽトキニ》無v不v噬《カマ》也。【〓(ハ)狂也。噬(ハ)齧也。】しこつおきなは、おにのしこ草、しこほとゝきすなといふことく、見にくゝきたなきおきなと罵そしる詞なり。此翁は下の注にいへる山田史君麿なり。ことたにもわれにはつけす。我に此鷹をすゑて出ることをよくつけすなり。とかりすと。上に鷹田とかきてとかりとよめり。源氏物語に、とりのせうのやうにといへるは、鷹の兄鷹のことくといへることなり。これにあはせて、鷹を鳥といへることを知へし。名のみをのりて。とかりしに出とてたゝなのりをのみして行なり。三島野は、和名集に、射水郡に三島あり。しはふれつくれ、しはふきして、鷹のそれたるよしを告るなり。しはふれつくれはなり。をくよしのそこになけれは、をくは措《ヲク》v言(ヲ)といふかことし。心には火さへもえつゝ。よくもいひきかせすして狩に出て鷹をそらしやりたるに腹立せらるゝなり。けたしくもあふことありやと。けたしかの鷹をもとめあふこともありやとなり。あしひきのをてもこのもにとなみはりもりへをすゑて。あしひきとのみいひて山に用たる事、上に第三、第十一、第十六にも見えたり。をてもこのもは、をちもこのもなり。彼面此面《ヲチモコノモ》とかきて、このもかのもといふにおなし。第十四に、あしからのをてもこのもとも、つくはねのをてもこのもともよめり。となみは鳥網なり。第十三にも、となみはるさかとを過とよめり。和名集云。爾雅曰。鳥罟謂2之羅(ト)1。【和名度利阿美。】てるかゝみしつにとりそへ、鏡を倭父幣《シツヌサ》にそへてたてまつりて、鷹のことを祈申なり。日本紀に、明神をあらかかみとよめるは、あきらかなるかゝみなり。神の智慧圓滿にして萬事に應すること鏡のことなるゆゑに、御正躰にも鏡を奉るは、人にさへ物を贈るには、その好むところをはかりてそれにしたかふかことし。内侍所は天照大神の御影をうつしたまへる鏡なるを三種の神器の隨一とす。第十二に
  はふりらかいはふみもろのまそかゝみかけてそしのふ逢人ことに
をとめらかいめに告らく。神靈の童女となりて夢に入て告るなり。なかこふるそのほつたかは。なかこふるは汝かこふるなり。ほつたかは最《ホツ》鷹なり。木のほつえといふに、第九に最末枝とかけり。末の枝は高く立出れはなり。土佐にほつみさきといふ所にも最御崎とかけり。はつとほつとおなし。第十四に、山鳥のをろのはつをとよめるも、山鳥の尾のしたり尾といへることく、尾の末にことになかき尾のあるをいへは、はつはすくれたるをいふ詞なる故に、ほつたかは逸物をいふなり。まつたえのはまは、上にもまつたえの長濱過てとよめり。つなしは魚の名、※[魚+制]《コノシロ》のちひさきに似たりとも申。又あるものはやかてこのしろのちひさきほとの名ともいへり。たこのしまは、第十八に、たこのさきとよみ、第十九に、たこのうらとよめる水海の嶋なり。あしかものすたくふる江に。第十一にも、あしかものすたく池水とよめり。ふる江は、和名集云。射水郡古江【布留江。】をとつ日もきのふもありつ。をとつ日、をとゝひ、おなし詞なり。彼津日《ヲチツヒ》といふ心なり。貫之の哥に、きのふよりをちをはしらすとよまれたるをおもふへし。きのふよりさきをは皆いふへけれと、きのふのきのふをいへり。第六に
  さきつ日もきのふもけふもみつれともあすさへみまくほしき君かも
前日毛とかきたれは、をとつ日もともよむへし。その故は、第四に、家持の哥に、をとゝしのさきつ年よりことしまてといふに、前年とかきてをと年とよめれはなり。今ふつかたみは、今ふつかはかりといふ詞と聞ゆれと、たみといふ詞、此外いまた見をよはす。考ふへし。第八に
  我宿のはきの花さけり見にきませ今ふつかはかりあらは散なん
とほくあらはなぬかのうちは過めやと。第九に
  我ゆきはなぬかに過し龍田彦ゆめ此花をなぬかちらすな
第十三の長哥に、ひさにあらは今なぬかはかり、とくあらは今ふつかはかりあらんとそ君はきこしゝなこひそわきも。今は此哥をふみてよまれたるにや。いまに告つるは、夢に告つるなり。ゆめともいめともいへは、女と麻と五音通する故に、いまともいへり。又|寝間《イマ》の心にてねたるあひたにといへる心にや。それにても夢なり
 
4012 矢形尾能多加乎手爾須惠美之麻野爾可良双日麻禰久都(52)寄曾倍爾家流《ヤカタヲノタカヲテニスヱミシマノニカラヌヒマネクツキソヘニケル》
 
初、からぬ日まねく まねくはまなくなり。又からぬ日もなくともいふへし。月そへにけるは、初鷹狩よりあまたの月をふるなり
 
4013 二上能乎底母許能母爾安美佐之底安我麻都多可乎伊米爾都氣追母《フタカミノヲテモコノモニアミサシテアカマツタカヲイメニツケツモ》
 
4014 麻追我弊里之比爾底安禮可母佐夜麻太乃乎治我其日爾母等米安波受家牟《マツカヘリシヒニテアレカモサヤマタノヲチカソノヒニモトメアハスケム》
 
此初の二句第九に有て注せり、シヒニテのに〔右○〕は助語なり、サヤマダノヲチは山田|老翁《ヲヽヂ》なり、佐はそへたる詞なり、皇極紀の童|謠《ウタ》に山背王の頭髪の斑雜毛、山羊に似たまへるを柯麻之之能烏膩《カマシシノヲヂ》とよめり、歌の心は彼鷹我を欺きて翔いにきと云歟、又實に求めたれとも求め相はずして歸りたる歟、おぼつかなき意なり、
 
初、まつかへりしひにてあれかも 第九に此二句ありてそこに注せり。さやま田は、さは助語にて、山田は君丸か氏なり。をちは日本紀に、老翁とかきてをちとよめり。皇極紀の謠歌《ワサウタ》に
  いはのへにこさるこめやくこめたにもたけてとほらせかましゝのをち
此尾句を尺していはく。而喩3山背(ノ)王《ミコ》之|頭髪《ミクシ》班雜《・フヽキ》毛《フヽセニシテ》似《ニタマヘルニ》2山羊《カマシヽニ》1。かゝれはをちはみくしのふゝせにましませは、老翁といへるなり。さて哥の惣しての心は、霜雪をへてもかはらぬ松をかはるとしひていふことく、我に山のをちがしひてあるか。その日に、もとめばもとめあふへきを、三嶋野をそかひに見つゝ、ふたかみの山とひこえて雲かくり、かけりいにきといひなして、もとめあはさりけむといふなり
 
4015 情爾波由流布許等奈久須加能夜麻須可奈久能未也孤悲和多利奈牟《コヽロニハユルフコトナクスカノヤマスカナクノミヤコヒワタリナム》
 
(53)ユルブコトナクは彼鷹を暫も忘れで心の緩くもならぬなり、須加能夜麻は此も射水郡に有にや越中をば出べからず、スガナクは透なくなり、
 
初、こゝろにはゆるふことなく 緩ふ事なくなり。すかの山すかなくのみやは、すかの山をかへしてすかなくといへり。すかなくは、すきなくにて、透間なく鷹をこひおもふなり。催馬樂蘆垣第五段に、菅の根のすかなきことをわれはきくかなといへるは、すけなきことゝいふにて、今とおなしからす
 
右射水郡古江村取2獲蒼鷹1形容美麗※[執/鳥]v雉秀v群也、於v時養吏山田史君麻呂、調試失v節、野獵乖v候、搏風之翅、高翔匿v雲、腐鼠之餌、呼留靡v驗、於v是張2設羅網1窺2乎非常1、奉2幣神祇1特2乎不虞1也、奥以夢裏有2娘子1、喩曰、使君勿d作2苦念1空費c精神u、放逸彼鷹、獲得未v幾矣哉、須臾覺寤、有v悦2於懷1、因作2却v恨之歌1式旌2感信1、守大伴宿祢家持、 九月廿六日作也
 
※[執/鳥]雉〔二字右○〕は戰國策云、夫智伯(ガ)之爲v人也、好v利而※[執/鳥]、【※[執/鳥]殺鳥也、喩2其殘忍1、】調試失節〔四字右○〕、魏彦深鷹賦云、調v之實難(シ)、搏風之翅〔四字右○〕、莊子云、有v鳥焉、其名爲v鵬、背(ハ)如2大山1翼若2垂天(ノ)之雲(ノ)1、搏2扶搖1羊角而上者九萬里、絶2雲氣1負2青天1、然後圖v南、腐鼠之餌〔四字右○〕、莊子曰、夫※[宛+鳥]雛發2於南海1而飛2北海1、非2梧桐1(54)不v止、非2練實1不v食、非2醴泉1不v飲、於是鴟得2腐鼠1※[宛+鳥]雛過v之(ヲ)仰而視之曰嚇、特〔右○〕は待歟、
 
初、※[執/鳥]雉 戰國策云。夫智伯之爲人也、好v利而|※[執/鳥]《・ツカミトル》。【※[執/鳥](ハ)殺v鳥也。喩2其殘忍1。】搏風之翅。莊子云。有v鳥焉其名爲v鵬。背如2大山1翼若2垂天之雲1。搏2扶搖《・五雜組風名》1、羊角而上者九萬里。絶2雲氣1負2青天1然後圖v南。腐鼠之餌。莊子又云。夫※[宛+鳥]雛發2於南海1而※[非/虫]2北海1。非2梧桐1不v止。非2練實1不v食。非2醴泉1不v飲。於v是鴟得2腐鼠1。※[宛+鳥]雛過v之。仰而視(テ)之|曰《コヽニ》嚇《カヽナク》。調試失節。魏彦〓鷹賦云。調v之(ヲ)實(ニ)難(シ)。粤以、粤誤作奥
 
高市連黒人謌一首 年月不審
 
4016 賣比能野能須須吉於之奈倍布流由伎爾夜度加流家敷之可奈之久於毛倍遊《メヒノノヽスヽキオシナヘフルユキニヤトカルケフシカナシクオモヘユ》
 
メヒノ野は婦負野なり、婦負は越中郡名なり、和名集には婦負【禰比】とあり、第一に輕皇子の阿騎野に宿り給へる時人麿のよまれたる長歌の末に似たり、落句の倍は保の字を寫し誤れる歟、オモヘユとよめる例なし、袖中抄におもはゆとあるは字にあたらず、
 
初、めひの野のすゝきおしなへ 越中に婦負郡あり。下にめひ川ともよめり。和名集云。婦負【禰比。】此集とはたかへり。かゝる事常ある例なり。かなしくおもへゆは、おもほゆなり
 
右傳2※[言+漏の旁の雨が用]此誦1三國真人五百國是也、
 
此誦の誦は謌を寫し誤れる歟、官本には歌に改たり、五百國は未v詳、
 
4017東風《アユノカセ》【越俗語東風謂2之安由乃可是1也】伊多久布久良之奈呉乃安麻能都利須(55)流乎夫禰許藝可久流見由《イタクフクラシナコノアマノツリスルヲフネコキカクルミユ》
 
北國には今も東風をあゆのかぜと申習はす由承る、六帖にははるかぜのと改て春の風の歌とせり、
 
初、あゆのかせ、注云々 五雜組云。元微之詩云。江喧過雲雨。船泊打頭風。【二皆俚語也。】李賀詩、門前流水江陵道。鯉魚風起芙蓉老。【九月風也。】又六月中有2束南風1、謂2之黄雀風1。〓〓也、舶〓也、石尤也、羊角也、少女也、扶搖也、孟婆也、皆風之別名世。海風謂2之颶風1。以其具2四方之風1
 
4018 美奈刀可是佐牟久布久良之奈呉乃江爾都麻欲妣可波之多豆左波爾奈久《ミナトカセサムクフクラシナコノエニツマヨヒカハシタツサハニナク》
 
六帖にはみなとの歌に入れたり、
 
一云|多豆佐和久奈里《タツサワクナリ》
 
4019 安麻射可流比奈等毛之流久許己太久母之氣伎孤悲可毛奈具流日毛奈久《アマサカルヒナトモシルクコヽタクモシケキコヒカモナクルヒモナク》
 
落句は慰さむ日もなくなり、六帖にはなかぬ日もなくとて戀の歌として作者なし、
 
初、あまさかるひなともしるく 越中はひなの都ともいふへき國なれと、ひなとしられておほくのこひのなくさむる日なきとなり
 
4020 故之能宇美能信濃《コシノウミノシナノ》【濱名也】乃波麻乎由伎久良之奈我伎波流(56)比毛和須禮弖於毛倍也《ノハマヲユキクラシナカキハルヒモワスレテオモヘヤ》
 
初、こしのうみのしなのゝはまを これは信濃の長き濱路を行くらすほとにおほゆる春日にも、しはらくたにわすれておもふや。わするゝ時なきとなり
 
右四首天平二十年春正月二十九日大伴宿禰家持
 
今按是は天平二十一年なるを一の字を落せるにはあらずして後人長暦等を見るに天平に二十一年なきに依て思慮もなく一の字を削り捨たるなり、先二十一年なるべき故は此卷より下は年月等日記の如くなるを上に天平二十年二月より九月までの歌有て又立返り正月の歌あるべからず、其上十九年二月より二十年三月まで重く煩らはれたれば堅く此歌を正月によまるべきことわりなし、一の字を落せるにはあらずして削り捨たりと云故は、第十八の初の詞書云、天平二十年春三月廿三日云々、是彌天平二十一年なるを二十年とあれば削り捨たるに極まれり、二十一年五月に天平感寶元年と改元したまひ、同七月に皇太子に御位を讓らせ給ふに依て感寶元年を改めて勝寶元年としたまへり、年中の改元なれば感寶をば捨て勝寶元年とのみ知れり、此集は感寶と勝寶とを並べ擧たるは日記の故なり、されば五月より此方を天平二十一年と云へる事明らかなるものなり、定家卿抄にも、第十七自2天平二年1至2于廿年1、第十八(57)自2天平廿年三月廿三日1至2于同勝寶二年正月二日1とあり、
 
礪波郡雄神河邉作歌一首
 
延喜式神名帳云、礪波郡雄神神社あり、
 
初、礪波郡雄神河 延喜式神名云。越中國礪波郡雄神神社
 
4021 乎加未河伯久禮奈爲爾保布乎等賣良之葦附《ヲカミカハクレナヰニホフヲトメラシアシツキ》【水松之類】等流登湍爾多多須良之《セニタヽスラシ》
 
腰句の之は助語なり、葦附は自注に見えたり、
 
婦負郡渡※[盧+鳥]坂河邊1時作歌一首
 
神名帳に婦負郡に鵜坂神社あり、
 
初、婦負郡渡※[盧+鳥]坂河 神名帳云。婦負郡鵜坂神社
 
4022 宇佐可河伯和多流瀬於保美許乃安我馬乃安我枳乃美豆爾伎奴奴禮爾家里《ウサカヽハワタルセオホミコノアカマノアカキノミツニキヌヽレニケリ》
 
(58)見2潜※[盧+鳥]人1作歌一首
 
4023 賣比河波能波夜伎瀬其等爾可我里佐之夜蘇登毛乃乎波宇加波多知家里《メヒカハノハヤキセコトニカヽリサシヤソトモノヲハウカハタチケリ》
 
新川郡渡2延槻河1時作歌一首
 
初、新河郡 和名集云。新川【邇布加波】
 
4024 多知夜麻乃由吉之久良之毛波比都奇能可波能和多理瀬安夫美都加須毛《タチヤマノユキシクラシモハヒツキノカハノワタリセアフミツカスモ》
 
ユキシのし〔右○〕助語なり、クラシモは雪消して其水の流れ來らしなり、アブミツカスモは鐙を衝なり、
 
初、立山の雪しくらしも 立山の雪の消てその雪消の水の來るらしといふ心なり。はひつきは、今彼國には、やつきと所のもの申侍るよしなり。あふみつかすもは、水のまさりて乘る馬の鐙を衝て過る心なり。第七に廣瀬川袖|衝許《ツクハカリ》とよめる心におなし。毛詩云。濟《ワタリ》盈(テ)不v濡《ウルホサ》v軌《ワタチ》
 
赴2參氣比大神宮1行2海邊1之時作歌一首
 
今按能登國羽咋郡氣多神社、此氣多を知らずして氣比とせり、又延喜式第三名神祭二百八十五座の中に氣多神社一座能登國とあれば神名帳に大一座と標して(59)大と注せることなきを引合せて神名帳の氣多神社の下に名神大の三字の注を失なへり、稱徳紀云、神護景雲二年十月甲子充2能登國氣多神封二十戸田二町1、光仁紀云、寶亀元年八月庚寅朔辛卯遣2神祇員外少史正七位上中臣葛野連飯麻呂1奉2幣帛於越前國氣比神、能登國氣多神1、桓武紀云、延暦三年三月壬申朔丁亥敍2徒三位氣太神正三位1、延喜式第三云、能登國氣多神宮司准2少初位官1、【以2神封1給v之、】源順家集云、天元三年春能登に成て下る左衛門佐誠信餞する日の歌、神のます氣多のみ山木繁くとも別て祈らむ君ひとりをば、能登國は元正紀云、養老二年五月甲午朔乙未割2越前國之羽咋能登鳳至珠洲四郡1置2能登國1、聖武紀云、天平十三年十二月能登國并2越中國1、孝謙紀云、寶字元年五月能登安房和泉等國依v舊分立、かゝれば今は能登をまさせたる越中守なる故に能登へも赴むかるゝなり、境を越て越前へは赴くべきにあらず、下の歌どもゝ、能登にての作なり、
 
初、赴參氣多大神宮 多を誤て比につくれり。これは能登國羽咋郡にまします御神なり。聖武紀云。天平十三年十二月能登國(ヲ)并(ス)2越中國(ニ)1。これによりて越中守なれとも、能登をも兼て治めらるゝ故に、まうてらるゝなり。延喜式神名を考るに、羽咋郡十四座。下注云。大一座。小十三座。かくして神名を載るには、大社のよし注することなし。これ漏脱なり。同第三卷、名神祭二宮八十五座の中に、神名を奉る中に、いはく。氣多神社一座。能登國。これにて知ぬ神名下巻には氣多神社の下に名神大の注を落せるなり。又第三云。能登國氣多神宮司(ハ)准2少|初《ソ》位(ノ)影官(ニ)1。【以2神封1給v之。】續日本紀云。景雲二年十月甲子充2能登國氣多神(ノ)封(ニ)二十戸(ト)田二町(トヲ)1。寶龜元年八月庚寅朔辛卯遣(シテ)2神祇員外少史正七位上中臣葛野連飯麻呂(ヲ)1奉2幣帛(ヲ)於越前國(ノ)氣比(ノ)神(ト)能登國(ノ)氣多(ノ)神(トニ)1。延暦三年三月壬申朔丁亥、叙(ス)2從三位氣太(ノ)神(ヲ)正三位(ニ)1
 
4025 之乎路可良多太古要久禮婆波久比能海安佐奈藝思多理舩梶母我毛《シヲチカラタヽコエクレハハクヒノウミアサナキシタリネカチモカモ》
 
(60)之乎路は延喜式神名帳云、羽咋郡志乎神社、かゝれば之乎は所の名なり、乎の字を書たれば鹽のにはあらず、船梶は第六笠金村歌は長歌短歌ともにフナカヂと點ぜり、
 
初、しをちから 延喜式云。羽咋郡志乎神社。かゝれはしをは羽咋郡にある所の名なり。第十四に塩をしほとかゝすして、しをとかけれは、これも塩に名付たる歟
 
能登郡從2香島津1發舩行放2射熊來村1往時作歌二首
 
香島は和名集に加島【加之萬、】とあり、於射は射於なるべし、
 
初、從香島津 和名集云。加島【加之萬。】於射熊來村往時、射於倒して於射となれるなるへし。第十六云。自2肥前國松浦縣美彌良久埼1發船、直(ニ)射《サシテ》2對馬(ヲ)1渡(ル)v海(ヲ)。熊來村は和名集云。能登郡熊來【久萬岐。】此集第十六能登國歌云。はしたてのくまきのやら。又はしたてのくまきさかや
 
4026 登夫佐多底舩木伎流等伊有能登乃島山今日見者許太知之氣思物伊久代神備曾《トフサタテフナキヽルトイフノトノシマヤマケフミレハガコタチシケシモイクヨカミヒソ》
 
伊有、【官本或有作v布、】
 
發句は第三に云が如く別に注す、有は布に作れるを用べし、能登乃島山は能登郡にさ云山の有なるべし、能登はのどかの意などにて舟木をも祝ひて伐る歌、廢帝紀云、寶字七年八月辛未朔壬午、初遣2高麗國1、船名曰2能登1、歸朝之日風波暴急漂2蕩海中1、祈曰幸頼2船靈1平安到v國、必請2朝庭1酬以2錦冠1、至v是縁2於宿祷1授2從五位下1、其冠製錦表※[糸+施の旁]裏以2紫組1爲v纓、船材キルト云能登ノ島山と云へるを思ふべし、落句は幾代を經てかく神さびたるぞとほむる意なり、第十にもふるの神杉神備てもとよめり、
 
初、とふさたてふなきゝるといふ 第三沙彌滿誓の哥に、とふさたてあしから山の舟木をも木によりよせつあたらふなきを。此哥にすてに尺せり。伊有は伊布をあやまれるなるへし。いくよ神びぞは幾代をへて神さひたるそとなり。第十にもいそのかみふるの神杉かみひてもとよめり
 
(61)4027 香島欲里久麻吉乎左之底許具布禰能可治等流間奈久京師之於母保由《カシマヨリクマキヲサイテコフネノカチトルマナクミヤコシオモホユ》
 
京師、【別校本、師作v都、】
 
落句の之は助語なり、
 
凰至郡渡2饒石河1之時作歌一首
 
官本凰を鳳に作れり、和名集云鳳至【不布志、】今の本は書生の誤れるなるべし、饒石河を後に錦川とよめるは誤なり、
 
初、鳳至郡 和名集云。鳳至【不布志。】鳳を凰に作れるは誤なり。饒石河は哥に爾藝之河波とかけるをおもふに、きもしにこれり。饒速日命のことし。にきはふといふ時のことし。後にはこれをあやまりてにしき川とよめり。錦河のことし
 
4028 伊毛爾安波受比左思久奈里奴爾藝之河波伎欲吉瀬其登爾美奈宇良波倍底奈《イモニアハスヒサシクナリヌニキシカハキヨキセコトニミナウラハヘテナ》
 
ミナウラハハヘテナは水占をしていつかあはむと占なひて見むとにや、第三に石卜とよめり、饒石河とは石の多きに名付たるべければ清き瀬毎に石のあざやかに見(62)ゆるを踏こゝろ見て占なふを水古と云にや、
 
初、みなうらはへてなは水占せんなといふ心なり。石占足占のたくひなるへし
 
從2珠洲郡1發舩還2太沼郡1之時泊2長濱灣1作2見月光1作歌一首
 
珠洲〔二字右○〕、和名云珠洲【須須、】延喜式第十神名帳云珠洲郡須須神社あり、太沼郡は能登四郡の内此名なし、今按和名集を考ふるに羽咋【波久比】郡に太海【於保美、】郷あり、然れば海を誤て沼に作り郷を誤て郡に作れるなるべし、長濱は和名集云、能登郡長濱【奈加波萬、】灣は烏關切、水曲也、作見は官本に作を仰に作る尤此に依るべし、
 
初、從珠洲郡 和名集云。珠洲【須々。】延喜式第十、珠洲郡須々神社。還太沼郡。能登は四郡こゝにみな出て、太沼郡といふは越中にもなし。和名集を考ふるに、羽咋郡に太海【於保美】郷あり。延槻河をわたりて羽咋郡にまします氣多大神宮にまうてゝ、能登郡より鳳至郡にいたり、それより珠洲にいたりて、舟にてまた羽咋郡へ還らるゝなるへし。しかれは海郷の二字を誤て、沼郡となせるなるへし。長濱灣は和名集云。能登郡長濱【奈加波萬。】仰見、仰誤作v作(ニ)
 
4029 珠洲能宇美爾安佐妣良伎之底許藝久禮婆奈我波麻能宇良爾都奇底理爾家里《スヽノウミニアサヒラキシテコキクレハナカハマノウラニツキテリニケリ》
 
右件謌詞者、依2春出擧1巡2行諸郡1、當時所2屬目1作v之、大伴宿祢家持
 
(63)司馬彪(ガ)云、凡郡長治v民進v賢勸v功決v訟※[手偏+僉]v姦、常以v春行2所v至縣1、勸2民農桑1振2救乏絶1、令義解第十雜令云、凡公私以2財物1出擧者、【謂、公者、公廨之物也、】任依2私契1官不2爲理1、【謂、凡以v物出v息者、雖2是官物1、不d毎經2官司1以爲c判理u、任修2私契1、和擧取v利、故云3官不2爲理1也、】凡以2稻粟1出擧者【謂此條亦包2公私1、故下文云、其官半倍也、】任依2私契1、官不2爲理1、仍以2一年1爲v斷、【謂、春時擧受、以2秋冬1報、是爲一年也、】不v得v過2一倍1、其官半倍、並不v得d因2舊本1更令v生v利及※[しんにょう+囘]v利爲uv本、若家資盡、亦准2上條1、【謂2役身折庸1、】凡出擧、兩情和同私契、取v利過2正條1者、任人糺告、利物並賞2糺人1、
 
初、依春出擧 司馬彪曰。凡郡長治v民進v賢勸v功決v訟※[手偏+僉](ニハ)v姦、常(ニ)以v春行所v至縣、勸2民(ニ)農桑(ヲ)1振2救(ス)乏絶(ヲ)1。令義解第十雜令云。凡公私以2財物1出擧者【謂公者公廨之物也】任依d2私契1官不2爲理1。【謂凡以v物出v息者、雖2是官物1不d毎《ツネニ》經2官司1以爲c判理u。任修2私契1和擧取v利故云3官不2爲理1也。】凡以2稻粟1出擧者【謂此條亦包2公私1故下文(ニ)云2其官半倍1也。】任依2私契1官不2爲理1。仍以2一年1爲v斷。【謂春時擧受以v私冬報是爲2一年1也。】不(レ)v得v過2一倍1。其官半倍。並不(レ)v得d因2舊本1更令v生v利及※[しんにょう+囘]v利爲uv本。若家資盡亦准2上條1【謂役v身折v庸。】凡出擧(センニ)兩情和同(シテ)私契(ヲ以)取v利過2正條1者、任2人糺告1利物並賞2糺人1。屬目。戰國策云。田簡謂2司馬喜1曰。趙使者來屬v耳【霍光傳(ノ)注(ニ)屬近也。正曰。詩(ニ)耳屬2于垣1。史記注(ニ)屬猶v注也。言趙使屬2耳中山之事1
 
※[死/心]※[(貝+貝)/鳥]晩哢1歌一首
 
4030 宇具比須波伊麻波奈可牟等可多麻底婆可須美多奈妣吉都奇波倍爾都追《ウクヒスハイマハナカムトカタマテハカスミタナヒキツキハヘニツヽ》
 
造酒歌一首
 
延喜式第四十造酒司式云、祭神九座、二座【洒弥豆男神、酒弥豆女神】並從五位上、四座【竈神、】三座【從五位上大邑刀自、從五位下小邑刀自、次邑刀自、】
 
初、造酒歌 延喜式第四十、造酒司《サケツカサ》式云。祭神九座。二座【酒(ノ)彌豆男(ノ)神酒(ノ)彌豆女(ノ)神】並從五位上。四座【竈《ヘツヰノ》神。】三座【從五位上大邑刀自。從五位下小邑刀自。次邑刀自】
 
(64)4031 奈加等美乃敷刀能里等其等伊比波良倍安賀布伊能知毛多我多米爾奈禮《ナカトミノフトノリトコトイヒハラヘアカフイノチモタカタメニナレ》
 
延喜式第八云、凡祭祠祝詞者、御殿御門等祭(ニハ)齋部氏祝詞、以外(ノ)諸齋中臣氏祝詞、神代紀上云、乃使2天兒屋命1掌2其解除之太諄辭1而宣之焉、大諄辭、此(ニ)云2布斗能理斗1、神樂酒殿歌云、酒殿は廣しまひろしみかこしの我手な取そしかつけなくに 本 酒殿は今朝はなはきをむれかめの裳引裙曳今朝ははきてき、天原振放見者八重雲の雲の中なる雲の中臣の天の小菅をさきはらひ祈りし事は今日の日のため、あなこなや我皇神のかみろぎのよさて、下句は贖命も誰爲になれとか贖はむ妹がためにこそ贖へとなり、落句の云ひたらひても聞えぬやうなるは例の古風なり、上に妹が爲命殘せりとも贖命は妹が爲こそともよめるを引合せて意得べし、
 
初、なかとみのふとのりとこといひはらへ 延書式第八云。凡祭祠祝詞者、御殿御門等(ノ)祭(ハ)齋部氏。以下(ノ)諸齋(ハ)中臣氏祝詞。神代紀
上云。乃使(シテ)2天兒屋命(ヲ)1掌(トリ)2其|解除《ハラヘノ》之|太諄辭《フトノリトヲ》1而|宣《ノラシム》之焉。太諄辭《タイシユンシ》此(ヲハ)云2布斗能理斗《フトノリトヽ》1。神樂酒殿哥。本さかとのはひろしまひろし、みかこしのわか手なとりそ、しりつけなくに。末さかとのはけさはなはきそ、むれかめのもひきすそひきけさははきてき。天原ふりさけみれは、八重雲の雲の中なる雲の中とみの、天の小すけをさきはらひ、いのりしことはけふの日のため。あなこなや。わかすへの神のかみろきのよけこ。彼中臣祓をいひはらへてありと有罪科をあかなひて、神の御心をなこめ命なかくなるなり。たかためになれは、たかためになれや。故郷の妹かためにこそといふなるへし。第十一に
  玉くせのきよきかはらにみそきしていはふ命もいもかためなり
第十二に
  時つかせふけひのはまにいてゐつゝあかふいのちは妹かためこそ
 
右大伴宿禰家持作v之
 
萬葉集代匠記卷之十七下
〔2021年10月27(水)午後12時50分、初稿本入力終了〕
 
(1)萬葉集代匠記卷之十八上
                   僧契沖撰
                   木村正辭校
 
初、萬葉集卷第十八目録 又大に誤れり
 
初、太上皇御在於難波宮時歌七首 此惣標にてたれり。下の別目煩らはし。いはむや御船以云々。傳誦之人、田邊史福麿是也と七首の終に注したるは、泝江遊宴時の二首にかきるにあらす。七首を惣して福丸か傳誦なりと注したるをや。そのうへ右件歌者御船以綱手泝江遊宴之日作也と決して、傳誦之人田邊史福麿是也。かくのことくありてこそ當時異時のわかちはあれ。御舶以綱手泝江遊宴時田邊史福麿傳誦歌二首といへるは、あさましき事なり。田邊二字おちたり
 
初、先國師從館 館の字を僧にあらたむへし
 
初、行2英遠《アヲノ》浦(ヲ)1日【當v加2守大伴家持1】作哥一首
 
初、幸行芳野離宮時儲作歌 哥に至りては、爲幸行等といひて爲の字あり。けにも越中にありて京へ歸りて後、行幸有む時のため、まうけつくらるゝ哥なれは、爲の字を略しては、そのことはりなし
 
初、十七日大伴家持云々 此目大に拙して、家持の先妻の自來るやうにかけり。十七日史生尾張少咋前妻不v待2夫君使1自來時、守大伴家持作歌一首といふへし。今のまゝにても作哥の二字脱たり
 
初、廿三日 下に閏五月といへり
 
初、椽久米〇任時 此下に、舘聊設2詩酒宴1主人守大伴家持作歌一首并短歌といふへきにや
 
初、霍公鳥歌一首 上に大伴家持を加ふへし
 
初、二月十一日守云々 此目小序の大意を盡さす。又十八日なるを、十一日といへるも誤なり。當d改(テ)云c二月十八日守大伴家持緑(丙)※[手偏+僉](乙)察墾2田地1事(甲)、宿2礪波郡主帳多治比部北里之家1、于v時忽起2風雨1不v得2辭去1作歌一首(ト)u
 
初、田邊福麿 聖武紀云。天平十一年四月正六位上田邊史難波授2外從五位下1。福麿も此親族なるへし。雄略紀に田邊史伯孫といふもの有。先祖歟。爰新歌。爰作新歌なるへき歟
 
天平二十年春三月二十三日左大臣橘家之使者造酒司|令史《サクワン》田邊福麿(ヲ)饗(ス)2于守大伴宿禰家持(カ)舘(ニ)1、爰新歌并使誦(シテ)2古詠1各述2心緒1、
 
田邊、【官本邊下有v史、】  爰新歌、【官本、爰下有v作、】
 
第十七に注して云が如く天平二十一年なるを後人一の字を誤て削れり、目録に云はざるは目録は卷々の端作を拾ひ擧て後人の作る故なり、田邊の下の史の字爰の下の作の字官本に依るべし、
 
4032 奈呉乃字美爾布禰之麻志可勢於伎爾伊泥?奈美多知久(2)夜等見底可敝利許牟《ナコノウミニフネシマシカセオキニイテテナミタチクヤトミテカヘリコム》
 
ナミタチクヤとは浪立來るやとなり、此歌は次の歌をよまむためなり、
 
初、舟しましかせ しはしかせなり
 
4033 奈美多底波奈呉能宇良末爾余流可比乃末奈伎孤悲爾曾等之波倍爾家流《ナミタテハナコノウラマニヨルカヒノマナキコヒニソトシハヘニケル》
 
間ナキ戀とは家持を都にて戀たるを云へり、
 
4034 奈呉能宇美爾之保能波夜悲波安佐里之爾伊泥牟等多豆波伊麻曾奈久奈流《ナコノウミニシホノハヤヒハアサリシニイテムトタツハイマソナクナル》
 
鶴の上を云は我も見にゆかばやの心こもるべし、
 
4035 保等登藝須伊等布登伎奈之安夜賣具左加豆良爾勢武日許由奈伎和多禮《ホトヽキスイトフトキナシアヤメクサカツラニセムヒコユナキワタレ》
 
(3)此歌は第十に已に出たり、使誦2古詠1とは此歌と下に今一首あるを云へり、第四句を校本の點にかつらにきむと云ひ、幽齋本に勢を藝に作りて點校本と同じけれど第十に※[草冠/縵]將爲日《カツラニセムヒ》とかけるを證として今取らず、
 
初、あやめ草かつらにせん日 績日本紀第十七云。天平十九年五月丙子朔庚辰、天皇|御《オハシマシテ》2南苑(ニ)1觀《ミソナハス》2騎射走馬(ヲ)1。是(ノ)日太上天皇詔曰。昔者五日之節常(ニ)用(テ)2菖蒲(ヲ)1爲(ス)v縵(ト)。比來已停(ム)2此事(ヲ)1。從v今而後非(ラム)2菖蒲(ノ)縵(ニ)1者(ノハ)勿入《ナイリソ》2宮中(ニ)1
 
右四首田邊史福麿
 
三首の新歌一首の古歌※[手偏+總の旁]じて云へり、
 
于v時期之明日將v遊2覽布勢水海1仍述v懷各作歌
 
于時とは上の二十三日の饗宴を指にあらず、後の注の二十四日の宴を指す詞なり、其故は二十五日に布勢海を遊覽せられたれば明日の言二十五日を指故なり、
 
初、布勢水海 和名集云。射水郡|布西《フセ》
 
4036 伊可爾世流布勢能宇良曾毛許己太久爾吉民我彌世武等和禮乎等登牟流《イカニセルフセノウラソモコヽタクニキミカミセムトワレヲトヽムル》
 
世流、【幽齋本、世作v安、點云、アル、】
 
初、いかにせるふせのうらそも いかはかりおもしろきふせの浦なれはといふ心なり
 
(4)右一首、田邊史福麻呂
 
4037 乎敷乃佐吉許藝多母等保里比禰毛須爾美等母安久倍伎宇良爾安良奈久爾《ヲフノサキコキタモトホリヒネモスニミトモアクヘキウラニアラナクニ》
 
一云|伎美我等波須母《キミカトハスモ》
 
キミガトハスモは第二句の異なり、をふのさきはいかばかりなる所ぞとおろかにも君が問となり、
 
初、をふのさき 十七にも、をふのさき花ちりまかひとよめり。みともあくへき、みるともあくへきなり。一云、きみかとはすも、君かとふなり。これはこきたもとほりといふを、一にはきみかとはすもといふなり。いかにせるふせのうらそもと福丸かよめるによりて、君かとはすもといひて、ひねもすにみるともあくましき浦そとこたふる心なり。此集に處々に、一云とて句なとかはれる事有は、作者もとよりふたつによめるもあり。古今集に、山高み人もすさめぬ櫻花といへる哥に注して、又はさとゝほみ人もすさめぬ山櫻といひ、わすらるゝ身をうち橋の中たえてといふ哥の下句を、又はこなたかなたに人もかよはすといへるたくひなり。又異本あるによりて後に注したるもあるへし
 
右一首守大伴宿禰家持
 
4038 多麻久之氣伊都之可安氣牟布勢能宇美能宇良乎由伎都追多麻母比利波牟《タマクシケイツシカアケムフセノウミノウラヲユキツヽタマモヒリハム》
 
初、玉くしけいつしかあけむ いつか夜のあけんなり。玉くしけは明むといふへきためのみならす。あけてみぬほとは中のゆかしき物なれは、明るを待心おのつからこもれり。古今集に
  夕つくよおほつかなきを玉くしけふたみの浦は明てこそみめ
 
4039 於等能未爾伎吉底目爾見奴布勢能宇良乎見受波能保良(5)自等之波倍奴等母《オトノミニキヽテメニミヌフセノウラヲミスハノホラシトシハヘヌトモ》
 
4040 布勢能宇良乎由吉底之見弖波毛母之綺能於保美夜比等爾可多利都藝底牟《フセノウラヲユキテシミテハモヽシキノオホミヤヒトニカタリツキテム》
 
由吉底之、【幽齋本、吉作v伎、】  見弖波、【幽齋本、波作v婆、】
 
第二句の波は婆に作れる本然るべし、行て見たらばなり、之は助語なり、落句はカタリツゲテムとも讀べし、
 
4041 宇梅能波奈佐伎知流曾能爾和禮由可牟伎美我都可比乎可多麻知我底良《ウメノハナサキチルソノニワレユカムキミカツカヒヲカタマチカテラ》
 
此歌第十に既に出たり、使誦2古詠1と云に當れり、第十九云、但越中(ノ)風土、梅花柳絮三月初(テ)咲|耳《ノミ》、かゝれば今の歌時に叶ふべし、
 
初、梅の花咲ちるそのに これは第十の十四葉に出て全同なり。福丸古哥を用てそのまゝ時にあへは出されたるか。今の心は君かふせの海を見むとさそひにおこす使を待かてら、梅の花の咲ちる苑に我立出むとなり。第十九に、二月三日の作
  君かゆきもし久にあらは梅柳たれとゝもにかわかかつらかむ
哥後の注にいはく。但越中風土梅花柳絮三月初咲耳。今三月二十四日の哥なれは、梅のさきちるは、都にみぬめつらものなるゆゑに、すむしたるなるへし
 
4042 敷治奈美能佐伎由久見禮婆保等登藝須奈久倍吉登伎爾知可豆伎爾(6)家里《フチナミノサキユクミレハホトヽキスナクヘキトキニチカツキニケリ》
 
奈久倍吉、【幽齋本、吉作v伎、】
 
玉葉集に赤人の歌とて載られたるは、彼家集と云物にさへ見えねば未v知(ラ)2其據(ヲ)1、
 
右五首田邉史福麿
 
新歌四首古歌一首を※[手偏+總の旁]じて云へり、
 
4043 安須能比能敷勢能宇良末能布治奈美爾氣太之伎奈可受知良之底牟可母《アスノヒノフセノウラマノフチナミニケタシキナカスチラシテムカモ》
 
發句はあす見むずる布勢の浦とつゞくなり、昨日今日をきのふけふと云時は比と布と通よはして云へば、下句は來なかでちらしてむやきなかずばちらさじとなり、
 
一頭云|保等登藝須《ホトヽキス》
 
初、あすの日のふせのうらまの あすゆきてみんとちきれはかくはいへり。又きのふけふといふは《昨昨夜共日本紀》、きす《・キソ此集十四》の日この日《今》《ヒ》といふ心なり。比と布と通すれはなり。しかれは今もあすの日の日とかさねてつゝけいふ心もある歟。けたしきなかすといふはほとゝきすなり。一頭云保等登藝須、これは注するにをよはす。あすの日のといへるにては、なりひらの、あめのふる日藤を折て人につかはすとて、ぬれつゝそしひてをりつる、とよまれたる類に心得へし
 
右一首大伴宿禰家持和v之
 
(7)前件十首歌者二十四日宴作v之
 
十首と云は誤なり、八首なり、是は後人の誤れるなるべし、八首の中に古歌一首あればそれを除て七首と云へるを書生の誤て十に作れる歟、但二十三日宴の歌も古歌を除けば三首なるを右四首と注したれば今も八首なりけむをや、
 
二十五日徃2布勢水海1道《ミチノ》中(ノ)馬上口號二首
 
雄略紀云、天皇乃|口號《クチヅカラウタヒテ》曰《ノタマハク》、
 
初、馬上口號 雄略紀云。天皇乃(チ)口號《クチツウタシテ》曰云々
 
4044 波萬部余里和我宇知由可波宇美邊欲里牟可倍母許奴可安麻能都里夫禰《ハマヘヨリワカウチユカハウミヘヨリムカヘモコヌカアマノツリフネ》
 
欲利、【別校本、或利作v理、】
 
第四句の落著は迎へ來よの意なり、
 
4045 於伎敞欲里美知久流之保能伊也麻之爾安我毛布支見我(8)彌不根可母加禮《オキヘヨリミチクルシホノイヤマシニアカモフキミカミフネカモカレ》
 
落句は禮と留と通ずれば御船かも借るなり、君を載すべき御船を借置つる歟の意なり、此てにをは上にも下にもあり、古風にて今に叶はず、此左に右二首大伴宿禰家持と注したりけむが落たるなるべし、
 
初、おきへよりみちくるしほの 第四に、あしへよりみちくるしほのいやましにおもふか君かわすれかねつる。あかもふは、わかおもふなり。みふねかもかれは、みふねかれなり
 
至2水邉1遊覽之時各述v懷作歌
 
初、至水邊 水誤作v氷
 
4046 可牟佐夫流多流比女能佐吉許支米具利見禮登裳安可受伊加爾和禮世牟《カムサフルタルヒメノサキコキメクリミレトモアカスイカニワレセム》
 
下句は第十四にぬれどあかぬをあどかあがせむとよめる意に同じ、
 
右一首田邊史福麿
 
4047 多流比賣野宇良乎許藝都追介敷乃日婆多奴之久安曾敝移比都支爾勢牟《タルヒメノウラヲコキツヽケフノヒハタノシクアソヘイヒツキニセム》
 
(9)日婆、【幽齋本、婆作v波、當v依v此、】  多奴之久、【幽齋本、奴作v努、】一》
 
初、いひつきにせん 第三赤人不盡山の哥にかたりつけいひつきゆかむとよめり
 
右一首|遊行女婦土師《アソヒヒメハシ》
 
4048 多流比女能宇良乎許具夫禰可治末爾母奈良野和藝弊乎和須禮?於毛倍也《タルヒメノウラヲコクフネカチマニモナラノワキヘヲワスレテオモヘヤ》
 
許具夫禰、【幽齋本、夫作v不、當v隨v之、】
 
右一首大伴家持
 
4049 於呂可爾曾和禮波於母比之乎不乃宇良能安利蘇野米具利見禮度安可須介利《オロカニソワレハオモヒシヲフノウラノアリソノメクリミレトアカスケリ》
 
オロカはおろそかの意なり、古今集に小町が歌にもおろかなる涙ぞ袖に玉はなすとよめり、
 
初、おろかにそ我はおもひし おろそかにそ我はおもひしなり
 
(10)右一首田邊史幅麿
 
4050 米豆良之伎吉美我伎麻佐波奈家等伊比之夜麻保登等藝須奈爾加伎奈可奴《メツラシキヽミカキマサハナケトイヒシヤマホトヽキスナニカキナカヌ》
 
伎麻佐波、【幽齋本、波作v婆、】
 
右一首〓久米朝臣廣繩
 
4051 多胡乃佐伎許能久禮之氣爾保登等藝須伎奈伎等余米波婆太古非米夜母《タコノサキコノクレシケニホトヽキスキナキトヨメハハタコヒメヤモ》
 
婆太、【幽齋本、婆作v波、】
 
第二句は木闇《コノクレ》の繁き如くしげく鳴かばの意なり、第四句の終第五句の始の波婆の二字は婆波をさかさまに寫し誤まれるなるべし、
 
初、たこのさきこのくれしけに 第三にも、櫻花このくれしけにとよめり。木陰のしけりそひてくらきなり。猶あまたよめり。その木のくれのことく、ほとゝきすもしけくなきとよめは、こひめやとなり
 
右一首大伴宿禰家持
 
(11)前件十五首歌者二十五日作v之
 
八首なるを十五首とは二十四日の歌古歌を除けば七首あるを十首後人誤て合せたる歟、
 
〓久米朝臣廣繩之舘饗2田邊史福麿1宴歌四首
 
4052 保登等藝須伊麻奈可受之弖安須古要牟夜麻爾奈久等母之流思安良米夜母《ホトヽキスイマナカスシテアスコエムヤマニナクトモシルシアラメヤモ》
 
今日の良宴になかずば明日我獨越る山路に聞ともかひあらじとなり、
 
初、あすこえむ山になくともしるしあらめや けふの宴席にきかすして、あすわか獨かへる山道にきくとも、かひあらしとなり
 
右一首田邉史福麿
 
4053 許能久禮爾奈里奴流母能乎保等登藝須奈爾加伎奈可奴伎美爾安敞流等吉《コノクレニナリヌルモノヲホトヽキスナニカキナカヌキミニアヘルトキ》
 
初、このくれになりぬるものを このくれ、上のことし
 
右一首久米朝臣廣繩
 
(12)4054 保等登藝須許欲奈枳和多禮登毛之備乎都久欲爾奈蘇倍曾能可氣母見牟《ホトヽキスコヨナキワタレトモシヒヲツクヨニナソヘソノカケモミム》
 
初、ほとゝきすこゆなきわたれ これより啼わたれなり。ともしひをつくよになそへは、ともし火の影のあきらかなるを月夜になそらへて、その飛過る影をもみむとなり
 
4055 可敝流末能美知由可牟日波伊都波多野佐可爾蘇泥布禮和禮乎事於毛波婆《カヘルマノミチユカムヒハイツハタノサカニソテフレワレヲシオモハヽ》
 
カヘルマは歸間《カヘルマ》なり、イツハタは延喜式云、越前國|敦賀《ツルガノ》郡|五幡《イツハタノ》神社、後撰に君をのみいつはたと思ふこしなればゆきゝの道ははるけからしを、新古今に伊壹、忘なむよにもこしぢの歸山いつはた人にあはむとすらむ、紫式部が集に、行めぐり誰も都にかへる山いつはたと聞程のはるけさ、落句のし〔右○〕は助語なり、
 
初、かへるまの道ゆかん日は まは助語なり。歸るさの道ゆかん日はなり。第十一に、かへらまに君こそ我をといへるは、かへりての心なり。これに准すへし。いつはたの坂は越前なり。延喜式云。越前國、敦賀郡、五幡神社。後撰集別、よみひとしらす
  君をのみいつはたと思ふこしなれはゆきゝの道ははるけからしを
新古今集別、伊勢
  わすれなんよにもこしちの歸る山いつはた人にあはむとすらん
紫式部家集に                               ゆきめくり誰も都にかへる山いつはたときくほとのはるけさ
 
右二首大伴宿彌家持
 
前件歌者二十六日作v之
 
歌の員を云はぬは初に四首と云へる故なり、
 
(13)大上皇御2在於難波宮1之時哥七首【清足姫天皇也】
 
下の細注は後人の所爲なり、去年四月まで御在世にて紛るゝ事なければ撰者の注すべきにあらず、第七首の發句に奈都乃欲波《ナツノヨハ》とあれば此御幸は十九年の夏なるべし、
 
左大臣橘宿禰歌一首
 
4056 保里江爾波多麻之可麻之乎大皇乎美敷禰許我牟登可年弖之里勢婆《ホリエニハタマシカマシヲオホキミヲミフネコカムトカネテシリセハ》
 
腰句は乎と乃と同韻にて通ずれば大きみのなり、下の注(ニ)在2於左大臣橘卿之宅1肆宴とあればかくはよみ給へるなり、新拾遺集※[羈の馬が奇]旅部に亭子院なにはにみゆきの時|貞數親王《サダカズノミコ》、君がため浪の玉敷三津の濱行過がたしおりて拾はむ、今の左大臣の歌を思ひたまへるにや、奧義抄灌頂卷、古今集まきもくのあなしの山の山人とよめる歌の注の末に.事の便に此歌をひかれたるに、腰句をみづかきのとかきて注の前後大き(14)に誤れる事どもあり、煩らはしければひかず、考て知べし、歌道の博覽人に許されて事々しき奧書あるだにかくの如し、
 
初、ほりえには玉しかましを 第十九におなし橘卿
  むくらはふいやしき宿も大君のまさんとしらは玉しかましを
第六、第十一にも似たる作あり。大君をは、大君のなり。乎と乃と同韻にて通せり
 
御製歌一首 和
 
4057 多萬之賀受伎美我久伊弖伊布保理江爾波多麻之伎美弖々都藝弖可欲波牟《タマシカスキミカクイテイフホリエニハタマシキミテヽツキテカヨハム》
 
御舟こがむと兼て知らば堀江に玉しかまし物をとある故に君が悔て云とはよませ給へり、
 
初、玉しかすくいて 玉しかましをとは、かねてしきおかぬことをくゆる詞なれは、君かくいていふとはよませたまへり。元正天皇の御返哥なり
 
或云|多麻古伎之伎弖《タマコキシキテ》
 
こきちらす瀧の白玉とよめるが如し、
 
右一首件歌者御船泝v江遊宴之日左大臣奏并御製
 
右二首と有けむを、御製歌一首と云へるに迷ひて後人のかしこげに一首とは(15)改けるなるべし、左大臣奏并御製と云へるにて二首なること掌を指て明なり、
 
御製歌一首
 
4058 多知婆奈能登乎能多知婆奈夜都代爾母安禮波和須禮自許乃多知婆奈乎《タチハナノトヲノタチハナヤツヨニモアレハワスレシコノタチハナヲ》
 
是は左大臣の姓によせてよませ給へるなり、トヲノタチバナとは橘に十種の異あるか、聖武紀云、神龜二年十一月己丑、中務少丞従六位上佐味朝臣虫麻呂、典鑄正從六位上播磨直弟兄、並授(ク)2從五位下1、弟兄初賚2甘子1從2唐國1來、虫麻呂先殖2其種1結v子、故有2此授1焉、かゝれば此國に柑子は聖武天皇の時より有そめけるなり、十と云員を承て八代とのたまへり、第二十に橘左大臣のあぢさゐの八重咲如く八代にをと讀たまへるも今の御製のつゞきに似たり、さて八代とは久しき意なり、
 
初、橘のとをのたちはな とをは十なり。香菓のかす/\あるを、とをとはよませたまへり。あまた名の立を、人のとを名とよめるかことし。聖武紀云。神龜二年十一月己丑、天皇|御《オハシマシテ》2大|安《アム》殿(ニ)1受(タマフ)2冬至(ノ)賀辭《ヨコトヲ》1。〇中務少丞從六位上佐味朝臣虫麻呂、典鑄正【正歟從歟】六位上播磨直弟兄(ニ)並(ニ)授2從五位下(ヲ)1。弟兄初賚2甘子1從2唐國1來。虫麻呂先殖2其種1結v子。故有2此授1焉。田道間守か常世の橘を得て歸りし後、弟兄また柑子を唐國より傳へ來りて、柑類さま/\にわかれたれは、大數を擧てとをの橘とのたまへるなり。八代と、十に對してあまたの代々も忠功をわすれたまはしとのたまへり。諸兄の氏によせ給へり
 
河内女王歌一首
 
聖武紀云、天平十一年正月甲午朔丙午、從四位下河内女王授2從四位上(ヲ)1、光仁紀云、寶(16)龜十年十二月己未正三位河内女王薨、淨廣壹高市皇子之女也、此あはひにあまた處見えたり、
 
4059 多知婆奈能之多泥流爾波爾等能多弖天佐可彌豆伎伊麻須和我於保伎美可母《タチハナノシタテルニハニトノタテヽサカミツキイマスワカオホキミカモ》
 
第十六にも橘のてれる長屋とよめり、サカミヅキは酒宴なり、古事記雄略天皇段に御製歌云、毛毛志紀能《モヽシキノ》、淤富美夜比登波《オホミヤビトハ》、爾波須受米《ニハスヾメ》、宇受須麻理韋弖《ウズスマリヰテ》、祁布母加母《ケフモカモ》、佐加美豆久良斯《サカミヅクラシ》云々、
 
初、橘のしたてる庭に 次下の哥にあから橘とよめるは、あからめる橘なり。橘のおほくなりてあからむ時は、下もてるはかりなる故に、下てる庭といへり。第十六に、橘のてれる長屋ともよめり。さかみつきいますは、酒宴しましますなり。此卷下にいたりて、ほとゝきすきなくさつきのあやめ草よもきかつらきさかみつきあそひなくれとなとよめり。第十九にも、さかみつきさかゆるけふのあやにたふとさとよめり
 
粟田女王歌
 
聖武紀云、天平十一年正月從四位下粟田女王授2從四位上1、二十年三月正四位下粟田女王授2正四位上1、廢帝紀云、寶字五年六月從三位粟田女王進2一階1、八年五月庚子正三位粟田女王薨、
 
初、粟田女王 天平十一年正月甲午朔丙午、從四位下粟田女王授2從四位上1。二十年三月、正四位下粟田女王授2正四位上1。寶字五年六月、從三位粟田女王進2一階1。八年五月庚子、正三位粟田女王薨
 
4060 都寄麻知弖伊敝爾波由可牟和我佐世流安加良多知婆奈(17)可氣爾見要都追《ツキマチテイヘニハユカムワカサセルアカラタチハナカケニミエツヽ》
 
初、月まちて家にはゆかん 酒宴にあそひて月の出るを待てわたくしの家にはゆかん。あからめる橘をかさしにさせる影さへ、月に見えて歸らは興あらんとなり。日本紀に、應神天皇髪長姫を橘によせて、あかれるをとめとよませたまへり。第廿には、かしはをも、いなみのゝあからかしはとよめり。日本紀に熟の字をあかめるとよめり。このみもいねも熟すれはおほく色もあかめは、さる心にて熟の字をあかめりとはよめるなるへし
 
右件歌者在2於左大臣橘卿之宅1肆宴御歌并奏歌也、
 
4061 保里江欲里水乎妣吉之都追美布禰左須之津乎能登母波加波能瀬麻宇勢《ホリエヨリミヲヒキシツヽミフネサスシツヲノトモハカハノセマウセ》
 
シヅヲノトモはしづのをのともがらなり、もろこしにも賤しき事を布衣といへば、此國にもいにしへ倭文《しづ》をのみ著る者をしづとは名付たる歟、河ノ瀬申セとは此處《コヽ》は河の瀬にてさふらふと申て案内せよとなり、
 
初、ほりえよりみをひきしつゝ みをひきは水尾の筋をみちひき行なり。第十五の長哥にたゝむかふみぬめをさして塩待てみをひきゆけはといへる所に委しるせり。しつをのともは、しつのをのともからなり。いやしきものをしつといふは、古今集にも、いにしへのしつのをたまきいやしきもよきもさかりは有しものなりとよめり。もろこしにもいやしきものを布衣といふことく、わか國にも倭父はいにしへのいやしきものゝ衣にきる物にて、それにつきて名付たりと見えたり。かはのせまうせは川の瀬ありて、舟のなつむへき所あらは、奏せよとなり
 
4062 奈都乃欲波美知多豆多都之布禰爾能里可波乃瀬其等爾佐乎左指能保禮《ナツノヨハミチタツタツシフネニノリカハノセコトニサヲサシノホレ》
 
初、さをさしのほれ 和名集云。唐韻云。〓【音高。字又作v※[竹/高]、和名佐乎。】棹竿也。方言云。刺v船竹也
 
右件歌者御舩以2綱手1泝v江遊宴之日作也、傳誦之人田(18)邉史福麿是也、
 
後追2和橘歌1二首
 
是は御製の意を追て私に和するなり、
 
4063 等許余物能已能多知婆奈能伊夜?里爾和期大皇波伊麻毛見流其登《トコヨモノコノタチハナノイヤテリニワコオホキミハイマモミルコト》
 
トコヨ物はすなはち橘の事なり、下の橘の長歌に注すべし、
 
初、今もみることは、今みることくなり
 
4064 大皇波等吉波爾麻佐牟多知婆奈能等能乃多知婆奈比多底里爾之?《オホキミハトキハニマサムタチハナノトノヽタチハナヒタテリニシテ》
 
初、ひたてりにして 常にてるなり。常陸をひたちとよむかことし。たちはなのとのゝ橘といへるによりて思ふに、さきの御製に、たちはなのとをのたちはなとよませたまへるも、乎と能と通して橘の殿の橘にや。又とのゝ橘といへるか、かへりてとをの橘にや。此二首は河内女王と粟田女王との哥を和せるなるへし
 
右二首大伴宿禰家持作v之
 
射水(ノ)郡(ノ)驛舘之屋(ノ)柱(ニ)題(シ)著(タル)歌一首
 
(19)4065 安佐妣良伎伊里江許具奈流可治能於登乃都波良都婆良爾吾家之於母保由《アサヒラキイリエコクナルカチノオトノツハラツハラニワカヘシオモホユ》
 
吾家之、【官本云、ワキヘ、】
 
第四句はつまびらか/\にと云なり、第十九には八峯《ヤツヲ》の椿つばらかにとよめり、舒明紀云、仍|曲《ツバヒラケク》擧2山背大兄之語1、かぢの音のさやかに聞ゆるやうにつまびらかに故郷のおぼゆるとなり、落句のし〔右○〕は助語なり、上の都波良の波は下の如く婆なるべし、
 
初、つはら/\に つまひらかといふ詞なり。日本紀第二十三云。仍|曲《ツハヒラケク》擧2山背大兄之語(ヲ)1。此集第十九におく山のやつをのつはきつはらかにともよめり。第三にあさちはらとさまかくさまに物おもへはといへる帥大伴卿の哥に曲々とかけるを、とさまかくさまとよめるはつはら/\にてあらんとそこにも尺し侍き
 
右一首山上臣作不v審v名、或云憶良大夫之男、但其正名未v詳也、
 
四月一日〓久米朝臣廣繩之舘宴歌四首
 
4066 宇能花能佐久都奇多知奴保等登藝須伎奈吉等與米余敷(20)布《ウノハナノサクツキタチヌホトヽキスキナキトヨメヨフヽ》里|多里登母《タリトモ》
 
敷布里、【幽齋本、里作v美、點云フヽミ、】
フヽリはふゝむにてつぼむなり、
 
初、ふゝりたりとも ふくみてありともにて、うの花はまたつほみて有とも、ほとゝきすになけとよめるなり
 
右一首守大伴宿禰家持作v之
 
4067 敷多我美能夜麻爾許母禮流保等登藝須伊麻母奈加奴香伎美爾妓可勢牟《フタカミノヤマニコモレルホトヽキスイマモナカヌカキミニキカセム》
 
第四句はなけかしの意なり、
 
初、ふたかみの山にこもれる 第十九にも
  ふたかみのをのへの|しゝ《繁》にこもに《リ・ル》し《・之》は《・句》助《》ほとゝきすまてといまたきなかす
 
右一首遊行女婦土師作v之
 
4068 乎里安加之許余比波能麻牟保等登藝須安氣牟安之多波奈伎和多良牟曾《ヲリアカシコヨヒハノマムホトヽキスアケムアシタハナキワタラムソ》
 
(21)乎里安加之、【幽齋本、之下有2母字1點亦應v此、】
 
發句は居明《ヲリアカシ》なり、
 
初、をりあかし 居明《ヲリアカシ》なり
 
二日應2立夏節1、故謂2之明旦將1v喧也、
 
立夏に必らず鳴由第十七に既に見えたり、
 
初、注、二日應立夏節故云々 第十七云。霍公鳥者立夏之日來鳴必定。第十九云。二十四日應2立夏四月節1也云々
 
右一首守大伴宿禰家持作v之
 
4069 安須欲里波都藝弖伎許要牟保登等藝須比登欲能可良爾古非和多流加母《アスヨリハツキテキコエムホトヽキスヒトヨノカラニコヒワタルカモ》
 
アスヨリと云こと上の注に見えたり、ヒトヨノカラは一夜之間《ヒトヨノカラ》なり、第四にも讀て注せしが如し、
 
初、ひとよのからに 一夜の間なり。第九にもひとよのみねたりしからに、をのうへの櫻の花は、たきのせにおちてなかれぬとよめり。神代紀下云。雖2復天(ノ)神(ト)1何(シ)能|一夜《ヒトヨノ》之|間《カラニ》令v人(ヲ)有娠《ハラマセンヤ》乎
 
右一首羽咋郡擬主張能億巨乙美作
 
擬主帳、【官本、張作v帳、】  能登巨、【官本、巨作v臣、】
 
(22)張の字巨の字共に官本の如く改むべし、職員令云、大郡主帳三人、掌d受v事(ヲ)上抄勘《ノセシルシ》署(シ)文案1檢2出(シ)稽失(ヲ)1讀c申(スコトヲ)公文u、餘主帳准v此、上郡二人、中郡一人、下郡一人、
 
初、擬主帳 帳誤作v張。職員令云。大郡主帳三人。掌d受v事上抄、勘2署文案1※[手偏+僉]2出稽失1讀c申公文u。除主帳准v此。上郡二人。中郡一人。下郡一人。但張帳通する歟。第二十防人か名にも主張とかける事あり
 
詠2庭中牛麥花1一首
 
瞿麥を牛麥とかけるは一切經(ノ)音義第十二(ニ)云、瞿|此《コヽニハ》謂(テ)云v牛(ト)、官本并に目録には花の下に歌あり、
 
初、詠庭中牛麥花一首 一切經音義第十二(ニ)曰。瞿|此《コヽニハ》謂(テ)云v牛(ト)。これにつきて瞿麥を今牛麥とかけるを思ふに、瞿麥の瞿は梵語なりとしられたり。牛を梵語に瞿といふ。あるひは遇の字を用ゆ。瞿も梵語には濁音に用たり。秘密藏の經軌におほく見えたり。瞿と牛と梵漢ことなれと、自然に音相近し。かゝること往々にあり。梵語の蘇羅は天なり。和語の空これに通せり。又梵語の摩斯多は猿なり。【未v考2出(ト)相傳如v此】此國にましらといふに似たり。目録に歌一首といへり。誠に歌の字ありぬへきを
 
4070 比登母等能奈泥之故字惠之曾能許己呂多禮爾見世牟等於母比曾米家牟《ヒトモトノナテシコウヱシソノコヽロタレニミセムトオモヒソメケム》
 
歌の本意は君に見せむとこそ植つるに見捨て京へ上るが名殘惜きとなり、
 
初、たれにみせんとおもひそめけむ 君にみせんとおもひそめしとなり
 
右先國師從僧清見可v入2京師1、因設2飲饌1饗宴、于v時主人大伴宿禰家持作2此哥詞1送(クル)2酒清見(ニ)1也、
 
文武紀云、大寶元年二月戊戍朔丁巳|任《ヨサス》2諸國國師1、送酒とは遊仙窟云、兒《ワレ》與《タメニ》2少府公1送(23)v酒(ヲ)、姚合詩云、滿座詩人吟送v酒、
 
初、送酒清見とは盃をさすをいふなるへし
 
4071 之奈射可流故之能吉美能等可久之許曾楊奈疑可豆良枳多努之久安蘇婆米《シナサカルコシノキミノトカクシコソキナキカツラキタノシクアソハメ》
 
吉美能等、【校本點云、キミラト、幽齋本、官本、並能作v良、點與2校本1同、】  楊奈疑、【別校本云、ヤナキ、】
 
第二句注に依るに能を良に作てコシノキミラトとよめるに依べし、カクシのし〔右○〕は助語なり、楊をキと點ぜるは書生の失錯なり、
 
初、しなさかるこしのきみのと 第十七にしなさかるこしをゝさめに出てこしますらわれすらとよめる所に、しなさかるこしとつゝくるよしはしるせり。こしのきみのとゝは、下にひなのみやこといへるも越中射水郡國府をさしてみつからいへれは、こゝもみつから諸人にかはりていへるなるへし。此宴はこしのきみのめくみといへるなり
 
右郡司巳下子茅巳上諸人多集2此(ノ)會(ニ)1國守大伴宿禰家持作2此歌1也、
 
弟を誤て茅に作れり、官本改v之、
 
初、子弟 弟誤作茅
 
4072 奴婆多麻能欲和多流都奇乎伊久欲布等余美都追伊毛波和禮麻都良牟曾《ヌハタマノヨワタルツキヲイクヨフトヨミツヽイモハワレマツラムソ》
 
(24)右此(ノ)夕(ヘ)月(ノ)光(リ)遲(ク)流(レテ)和風稍扇(ク)、即因2屬目1聊作2此歌1也、
 
越前國〓大伴宿禰池主来贈歌三首
 
聖武紀云天平十八年九月從五位下大伴宿禰駿河麻呂爲2越前守1、かゝれば此時駿河麻呂に屬せる掾なり、
 
以2今月十四日1、到2來深見村1、望2拜彼北方1、常(ニ)念(フ)2芳徳(ヲ)1、何(レノ)日(カ)能(ク)休《ヤマム》、兼(テ)以(テ)2隣近(ナルヲ)1、忽(ニ)増v戀、加以先書云、暮春可v惜、促v膝未v期、生別悲兮夫復|何《イカヽ》言(ハム)、臨v紙|悽《セイ》斷、奉(ルニ)v状不v備(ナラ)、
 
深見村は以2隣近1忽増v戀と云へるは越前の北にして越中に近き歟、悽斷は悽愴斷腸(ナリ)、
 
三月十五日大伴宿禰池主
 
此贈答は次第を云はゞ此卷の初に有べきを記し漏して此には置れけるにや、
 
(25)一古人云
 
此は第十一に人麿集歌に月見國同山隠愛妹隠有鴨《ツキミレバクニハオナジクヤマヘダテウツクシイモハヘダテタルカモ》、此歌の意は今に叶ひて下句の言は叶はねば作り替ながら本は古人の意なるを以てかくは題せられたるなり、
 
4073 都奇見禮婆於奈自久爾奈里夜麻許曾婆伎美我安多里乎敝太弖多里家禮《ツキミレハオナシクニナリヤマコソハキミカアタリヲヘタテタリケレ》
 
初、つきみれはおなしくになり 此哥、古人云といへるは、第十一に人麿集の哥に
  月みれは國はおなしく山へたてうつくしいもはへたてたるかも    .此哥を時にかなふやうに引なをしたれと、たゝ古人の心なれは古人云とはいへるか。又第十五に
  あまさかるひなにも月はてれゝともいもそ遠くはわかれきにける
 
一屬v物發v思
 
4074 櫻花今曾盛等雖人云我佐不之毛支美止之不在者《サクラハナイマソサカリトヒトハイヘトワレハサフシモキミトシアラネハ》
 
落句の之は助語なり、
 
初、櫻花今そさかりと 第四に岳本天皇
  山のはに味村さはきゆくなれと我はさふしゑ君にしあらねは
 
一所心耳
 
官本耳を歌に作れり、若然らば哥と似たれば此を誤る歟、今按たゞ今の本然るべ(26)し、
 
4075 安必意毛波受安流良牟伎美乎安夜思苦毛奈氣伎和多流香比登能等布麻泥《アヒオモハスアルラムキミヲアヤシクモナケキワタルカヒトノトフマテ》
 
第四句の香は哉なり、落句は兼盛が物や思ふと人の問までとよめるに同じ、
 
初、あひおもはすあるらん君を 終の句は拾遺集に平兼盛
  しのふれと色に出にけりわかこひは物やおもふと人のとふまて
 
越中國守大伴家持報贈歌四首
 
一答2古人(ノ)云1
 
4076 安之比奇能夜麻波奈久毛我都奇見禮婆於奈自伎佐刀乎許己呂敝太底都《アシヒキノヤマハナクモカツキミレハオナシキサトヲコヽロヘタテツ》
 
落句は山に依て實に心の隔たるにはあらず、下の心は通へども面談を隔つればへだゝるに似たるをヘダテツとは云へり、
(27)一答2屬目發(ス)1v思(ヲ)兼(テ)詠(シテ)云《イヘルニ》遷任(ノ)舊宅(ノ)西北隅《イヌヰノスミノ》櫻樹(ナリ)
 
初、あしひきの山はなくもか 月はそこもこゝもおなしひかりのかよふを、山にへたてられてみかはさぬことく、身もまた山にへたてられたれは、あふことのなきによりて、人もうらむれは、心を山のへたてたるといへり
 
官本に目の傍に物の字を注せられたるは池主が贈歌に屬物發思とあるに依て贈答ひとしかるべければ屬物を誤て屬目となしける歟と疑ひてなり、此も其謂なきにはあらねど屬物と屬目と末はひとつなる上に、下に更屬目と云へるは、今を踏める詞なれば今の本を正義とす、
 
4077 和我勢故我布流伎可吉都能佐久良婆奈伊麻太敷布賣利比等目見爾許禰《ワカセコカフルキカキツノサクラハナイマタフヽメリヒトメミニコネ》
 
一答(フ)2所心(ヲ)1、即以(テ)2古人之跡(ヲ)1代(フ)2今日之意(ニ)1、
 
4078 故敷等伊布波衣毛名豆氣多理伊布須敝能多豆伎母奈吉波安賀未奈里家利《コフトイフハエモナツケタリイフスヘノタツキモナキハアカミナリケリ》
 
第二句に二つのやう侍るべし、一つにはよくも名附たりと云なり、住吉をすみのえ、(28)日吉をひえと云時、吉はえ〔右○〕なり、二つには得も名附たりにて名附得たりの意なり、第十一に面忘だにも得爲哉《エスヤ》とよみ、第十二に旅寢は得爲哉とよめる得の字を思ふべし、
 
初、こふといふはゑもなつけたり よくもなつけたりといふ心なり
 
一更矚目
 
矚は屬に作るべし、
 
4079 美之麻野爾可須美多奈妣伎之可須我爾伎乃敷毛家布毛由伎波敷里都追《ミシマノニカスミタナヒキシカスカニキノフモケフモユキハフリツヽ》
 
雪ハ零ツヽとは櫻の咲を云へる歟、其故は越の國なれども三月十六日の歌なれば實の雪の降べき時にあらず、右に屬目と云へるは櫻なるに、いまだふゝめりとよめれば、今も散を雪と見しにはあらで日にそひて咲まさるを云へると知られたり、
 
初、三島野に霞 和名集云。射水郡三島【美之萬】
 
三月十六日
 
姑大伴氏坂上郎女來2贈越中守大伴宿禰家持1歌二首
 
(29)4080 都禰比等能故布登伊敷欲利波安麻里爾弖和禮波之奴倍久奈里爾多良受也《ツネヒトノコフトイフヨリハアマリニテワレハシヌヘクナリニタラスヤ》
 
故布登、【別校本、或登作v等、】
 
常人《ツネビト》はよのついねの人なり、落句はなりにてあらずやにて落著はなりたりと云なり、に〔右○〕は助語なり、
 
初、つねひとのこふといふよりは 此人を清てよめは、常に人のと聞ゆ。濁てよめは、よのつねの人のこふといふよりはと聞ゆ。濁をよしとすへし。なりにたらすやは、なりにてあらすやなり
 
4081 可多於毛比遠宇萬爾布都麻爾於保世母天故事部爾夜良波比登加多波牟可母《カタオモヒヲウマニフツマニオホセモテコシヘニヤラハヒトカタハムカモ》
 
フツマは太馬《フトウマ》なり、登宇(ノ)反《カヘシ》豆なる故につゞめてフツマとは云なり、馬の中にも太く逞《タクマ》しきに負せて持となり、第四に戀草を力車に七車とありし類なり、コシベニヤラバは越邊に遣らばなり、ヒトカタハムカモは阿と加とは同韻にて通ずれば人あたはむかもにて荷《ニナ》ふに堪《ヤヘ》じの意なり、
 
初、かたおもひをうまにふつまに ふつまはふとうまなり。登宇反|都《ツ》なれはふつまといへり。よくこえたる馬なり。人かたはんかもは、人あたはむかもなり。阿と加と同韻にて通ずるうへに、梵語は初に阿を置、終に訶を置り。阿訶一躰とて悉曇《シツタン》に習あるよしなり。こしべは越邊なり。第四に廣河女王哥に
  戀草をちからくるまになゝくるまつみてこふらくわか心から
 
越中守大伴宿彌家持報歌并所心三首
 
(30)4082 安萬射可流比奈能都夜故爾安米比度之可久古非須良波伊家流思留事安里《アマサカルヒナノミヤコニアメヒトシカクコヒスラハイケルシルシアリ》
 
ヒナノミヤコとは何れの國にても國府を云べし、都夜故を二條院の御本の流にはつやこ〔三字右○〕と點じたるを第十六能登國歌に破夫利と書てやぶり〔三字右○〕とよめる例などを引てみやこ〔三字右○〕と讀べき由を證せらる、其理分明なり、アメヒトシは天人にて之は助語なり.カクコヒスラバは良と留と同音なればかくこひするはなり.此處は鄙にては都なれど實の帝都にくらべては賤しき地なるを天人の如此戀するは生て世にあるかひありとなり、久方の都ともよめば即女を天女に比してよめるなり、
 
初、あまさかるひなの都に 上にこしの君ともよめり。越中國府はひなにての都なれはかうはいへり。あめひとしは、しもしは助語にて天人なり。第十三に、久かたの都とつゝけてよめることく、天子のまします所にすむ坂上郎女なれは、天女にいひなせり。かれよりの哥に、つね人のこふといふよりはあまりにてといへるをうけて、つね人ならぬ天女のかくわれをこひすれは、いきたるかひありとなり
 
4083 都禰乃孤悲伊麻太夜麻奴爾美夜古欲里宇麻爾古非許婆爾奈比安倍牟可母《ツネノコヒイマタヤマヌニミヤコヨリウマニコヒコハニナヒアヘムカモ》
 
我常の戀のいまだやまぬ上に都より太馬に負せて戀をおこせたらばげにも荷ひあへじとなり、
 
初、つねのこひいまたやまぬに これもつね人といふをうけて、次の哥にかへせり。わかつねのこひのいまたやまぬうへに、都よりふとうまにおふせてこひおこせたらは、まことにになひあへしとなり。人かたはんかもといふをうけて、人のこひをおもにのこつけにいひなせり
 
(31)別所心一首
 
4084 安可登吉爾名能里奈久奈流保登等藝須伊夜米豆良之久於毛保由流香母《アカトキニナノリナクナルホトヽキスイヤメツラシクオモホユルカモ》
 
右四日附v使贈2上京師1
 
今按四日は四月なるべし、其故は上に國師の從僧清見をもてなさるゝ歌の左の注に、右此夕月光遲流とあり、其上に四月一日の歌あれば四月にして四日にあらざるべき事明なり、然らば十四日なるを十を落せる歟とも救ふべからず、其故は上に池主と家持との贈答は三月十五日十六日の歌なるを書入て上と隠たれば、たゞ十四日とのみは云べからずや、
 
初、あかときになのりなくなる あかときはあかつきなり。なのるは博物志曰。杜宇啼(テ)苦則自呼(テ)v名(ヲ)曰2謝豹(ト)1。ほとゝきすのなのりなくによそへて、坂上郎女か、われはしぬへくなとよめる哥をほむるなり
 
天平感寶元年五月五日饗d東大寺之古2墾地1使僧平榮等u、于v時守大伴宿禰家持送(クル)2酒(ヲ)僧《ホウシニ》1歌一首
 
(32)聖武紀天平感寶元年閏五月甲午(ノ)朔癸卯(ノヒ)、大赦(ノ)詔(ニ)曰、自2天平感寶元年閏五月十日昧爽1云々、又云、秋七月甲午皇太子受v禅(ヲ)即(タマフ)2位(ニ)於太|極《アム》殿(ニ)1、是(ノ)日改(テ)2感寶元年(ヲ)1爲勝寶元年(ト)1、古墾地(ノ)古は占の字を誤れり、目録には占に作れり、墾は玉篇(ニ)云、苦※[獣偏+艮](ノ)切、耕(ナリ)也、治(ナリ)也、國語(ニ)土不(レハ)v備墾發也、又耕(スニ)用(ルナリ)v力(ヲ)也、
 
初、天平感寶元年五月 績日本紀天平感寶元年閏五月甲午朔癸卯、大赦詔曰。自2天平感寶元年閏五月十日昧爽1云々。秋七月甲午皇太子受v禅即2位(ニ)於大|極《アム》殿(ニ)1。是日改(テ)2感寶元年(ヲ)1爲2勝寶元年(ト)1。占墾地使僧。占を古に作るは誤なり。目録には占の字なり。玉篇云。墾、苦※[獣偏+艮]切。耕也。治也。國語、土不(ト云ルハ)2備(ニ)懇(カ)1發也。又耕用v力也
 
4085 夜岐多知乎刀奈美能勢伎爾安須欲里波毛利敝夜里蘇倍伎美乎等登米牟《ヤキタチヲトナミノセキニアスヨリハモリヘヤリソヘキミヲトヽメム》
 
燒太刀をとぐと云意につゞけたり、礪波の關は越中礪浪郡なり、
 
初、やきたちをとなみのせきに やきたちをとくとつゝけたり。といしといふもとく石なり。唯砥とのみいふも、とくといふ用の詞を躰にいひなせり。やきたちは第四第六に見えたり。燒て作れはやきたちとはいへり。もりへやりそへ、關をもるものなり。上にもあまたもりへとよめり
 
同月九日、諸僚會2少目秦伊美吉石竹之舘1飲宴、於v時主人造(テ)2百合(ノ)花縵三枚(ヲ)1疊(ミ)2置(テ)豆器(ニ)1捧2贈(テ)賓客(ニ)1、各賦2此縵1作三首
 
日本紀に諸僚〔二字右○〕の讀トモダチなり、石竹〔二字右○〕は光仁紀云、寶龜七年三月正五位下大伴宿禰潔足(ヲ)爲(シ)2播磨(ノ)守(ト)1、外從五位下秦(ノ)忌寸石竹(ヲ)爲(ス)v介(ト)、聖武紀云、天平二十年五月己丑右大史正六位上秦老等一千二百餘烟(ニ)賜(フ)2伊美吉姓(ヲ)1、廢帝紀云寶字三年十月辛丑天下(ノ)諸(ノ)(33)姓《カバネ》著(ル)2君(ノ)字(ヲ)者換(ルニ)以(ス)2公(ノ)字(ヲ)1、伊美吉(ハ)以(ス)2忌寸(ヲ)1豆器〔二字右○〕、爾雅釋器云、木豆謂2之(ヲ)豆(ト)1、郭璞註曰、豆(ハ)禮器也、〓〓(ガ)疏(ニ)曰、豆者以v木(ヲ)爲《ツクル》v之(ヲ)、高(サ)一尺、口(ト)足(トノ)徑《ワタリ》一尺、其(ノ)足(ヲ)名(ツク)v鐙(ト)、中央直(ク)竪者(ヲ)名v校(ト)、校徑(リ)二寸、總(テ)而言(ヲ)v之(ヲ)名v豆(ト)、其(ノ)實四升、用(テ)薦(ム)2〓〓(ヲ)1、作の下に歌の字有べきか、目録には歌の字を以て作に替たり、
 
初、同月九日|諸僚《トモタチ日本紀・》會《ツトフ》2少目秦伊美吉|石竹《ナテシコ》之舘1 廢帝紀云。寶字三年十月辛丑、天下(ノ)諸(ノ)姓《カハネ》著(ル)2君(ノ)字(ヲ)1者換(ルニ)以(ス)2公(ノ)字(ヲ)1。伊美吉(ハ)以(ス)2忌寸(ヲ)1。光仁紀云。寶亀七年三月正五位下大伴宿禰潔足(ヲ)爲(シ)2播磨守1、外從五位下秦忌寸石竹(ヲ)爲(ス)v介(ト)。聖武紀云。天平二十年五月己丑、右大史正六位上秦老等一千二百餘烟(ニ)賜2伊美吉(ノ)姓(ヲ)1。作三首。作の字の下に、歌の字落たるへし。詩なとには作とのみもいへと、哥の詞書には歌の字有ぬへくおほゆ。目録には作の字なくて哥の字有。豆器。論語云。百合根のいまたひらけぬ蓮花のことくして瓣々相かさなる故の名なり。縵。日本紀もおなし。鬘と通する歟
 
4086 安夫良火乃比可里爾見由流和我可豆良佐由利能波奈能惠麻波之伎香母《アフラヒノヒカリニミユルワカヽツラサユリノハナノヱマハシキカモ》
 
アブラ火は燈なり、燈盞をあぶらつきとよめり、下句は第七に草深百合の花ゑみとよめるに注せしが如し、
 
初、あふらひのひかりにみゆる あふら火はともし火なり。延喜式に燈盞をあふらつきとよめり。さゆり《・早百合》はわさゆりなり。早蕨早苗なとのことし。さゆりの花のゑまはしきかもとは、花のさくをゑむといへはなり。第七に  道のへの草ふかゆりの花ゑみにゑみせしからに妻といふへしや
 
右一首守大伴宿禰家持
 
4087 等毛之火能比可里爾見由流左由理婆奈由利毛安波牟等於母比曾米弖伎《トモシヒノヒカリニミユルサユリハナユリモアハムトオモヒソメテキ》
 
ユリモアハムトは百合を承て云へり、物をゆる合すれば能あふなり、鬘は糸を以て(34)花を貫ぬけば面々にある花も一處に集まる如く心の相叶へる諸僚の中も行末かけてかゝらむと思ひ初てきとなり、
 
初、ともしひのひかりに さゆりはなゆりもあはんとゝは、ゆりをうけて汰もあはむとつゝけたるなり。ものをゆりあはすれはよくあふ心なり。次下の哥、ならひに第二十九葉にもおなしやうによめり
 
右一首介内藏伊美吉繩麿
 
4088 左由理婆奈由里毛安波牟等於毛倍許曾伊末能麻左可母宇流波之美須禮《サユリハナユリモアハムトオモヘコソイマノマサカモウルハシミスレ》
 
腰句は思へばこそなり、行末懸てゆりもあはむと思へばこそ指向へる今より互にうるはしうはすれ、僞て親しみて後に疎からむやはの意なり、
 
右一首大伴宿禰家持和
 
獨居2幄裏1遙聞2霍公鳥喧1作歌一首并短歌
 
和名集云、四聲字苑云、幄【於角反、和名阿計波利、】大帳也、小爾雅云、覆帳謂2之(ヲ)幄(ト)1、杜預左傳注、幄(ハ)帳也、
 
(35)4089 高御座安麻能日繼登須賣呂伎能可未能美許登能伎巳之乎須久爾能麻保良爾山乎之毛佐波爾於保美等百鳥能來居弖奈久許惠春佐禮婆伎吉能可奈之母伊豆禮乎可和枳弖之努波無宇能花乃佐久月多弖婆米都良之久鳴保等登藝須安夜女具佐珠奴久麻泥爾比流久良之欲和多之伎氣騰伎久其等爾許巳呂豆呉枳弖宇知奈氣伎安波禮能登里等伊波奴登枳奈思《タカミクラアマノヒツキトスメロキノカミノミコトノキコシヲスクニノマホラニヤマヲシモサハニオホミトモヽトリノキヰテナクコヱハルサレハキヽノカナシモイツレヲカワキテシノハムウノハナノサクツキタテハメツラシクナクホトヽキスアヤメクサタマヌクマテニヒルクラシヨワタシキケトキクコトニコヽロツコキシウチナケキアハレノトリトイハヌトキナシ》
 
豆呉枳弖、【官本點云、ツコキテ、幽齋本、豆作都、】
 
高御座は第三に云ひつル如く別に注す、キコシヲス國ノマホラも上の如し、山ヲシモはしも〔二字右○〕の二字共に助語ナリ、イヅレヲカワキテシノバムとは春の鳥は何れも面白けれど同じやうなれば取分しのびがたしとて霍公鳥を賞するがために春の鳥(36)をばさしおくなり、ウノ花ノと云より卯月五月の間此鳥のあかれぬ由なり、心ツコキシは弖をし〔右○〕と點ぜるは今按?を氏に作りけるか、或は見損じて點ぜるなるべし、官本に依て改たむべし、宇と豆と同韻なれば心動きてと云なるべし、聞たびに耳を驚かし心を動かすなり、アハレノ鳥とは第九にも霍公島をあはれ其鳥とよめる歌有き、
 
初、高みくらあまのひつきと 高御座の事、第三に赤人の春日野にてよまれたる哥に、春の日をかすかの山の高くらのみかさの山になとよまれたる長哥につきて委尺せり。あまのひつきとゝは、天照大神より、皇統の絶すつゝかせたまふ故なり。神のみこと。君を神と申事、上にあまた見えたり。きこしをすは、きこしめすなり。食の字をゝすとよめり。くにのまほらに、國眞原なり。百鳥のきゐてなく聲。第五第六にも百鳥とよめり。第十六には、千鳥とも百千鳥ともよめり。第十七には、朝かりにいほつ鳥たて夕かりに千鳥ふみたてとよめり。今こゝをもて、古今集に
  もゝちとりさえつる春はものことにあらたまれとも我そふり行
此哥をも思ふへし。ひるくらしは日くらしといふ心、終日のことなり。夜わたしは、夜もすからなり。心つこきては、心うこきてなり。宇と豆と同韻にて通せり。聞たひことにおとろく心なり。あはれの鳥といはぬ時なし。あはれはおもしろきなり。※[立心偏+可]怜とかきておもしろしとも、あはれとも、かなしともよめり。第九に
  かきゝらし雨のふる夜をほとゝきす鳴てゆくなりあはれその鳥
 
反歌
 
4090 由久敞奈久安里和多流登毛保等登藝須奈枳之和多良婆可久夜思努波牟《ユクヘナクアリワタルトモホトヽキスナキシワタラハカクヤシノハム》
 
初の二句は待侘る里をかれずしてはながら此方彼方に有渡るともなり、第四句のし〔右○〕は助語なり、
 
初、ゆくへなく有わたるとも かくはかりあはれとおもふ人の宿をおきて、あらぬ方へ飛過るともの心なり
 
4091 宇能花能開爾之奈氣婆保等得藝須伊夜米豆良之毛名能里奈久奈倍《ウノハナノサクニシナケハホトヽキスイヤメツラシモナノリナクナヘ》
(37)第二句の之は助語なり、卯花の咲初ると霍公鳥の初音とあひにあひてめづらしき意なり、
 
4092 保登等藝須伊登禰多家口波橘乃播奈治流等吉爾伎奈吉登余牟流《ホトヽキスイトネタケクハタチハナノハナチルトキニキナキトヨムル》
 
初、ほとゝきすいとねたけくは いとねたましきはなり。日本紀に、爲慨憤時《ネタミツヽアルトキニ》 神武紀。憤慨《ネタミツヽ》、嫉《ネタ》、所v嫌《ネタシトオモフ》之人 崇峻紀
 
右四首十日大伴宿禰家持作v之
 
行2英遠浦1之日作歌一首
 
射水郡の國府に近く有なるべし、
 
4093 安乎能宇良爾餘須流之良奈美伊夜末之爾多知之伎與世久安由乎伊多美可聞《アヲノウラニヨスルシラナミイヤマシニタチシキヨセクアユヲイタミカモ》
 
第四句の之は助語にて立こせ來とよめる歟、立頻依來《タチシキヨセク》とよめる歟、
 
初、あをのうらによする 立しきよせく。これにふたつあり。ひとつには、しは助語にて、立來寄來《タチキヨセク》なり。ふたつには、立重寄來《タチシキヨセク》なり。立重寄來をよしとすへきか。あゆは東風なり。第十七の、あゆの風いたく吹らしといふ哥の自注に見えたり
 
(38)右一首大伴宿禰家持作v之
 
上の歌は十日、次の歌は十二日の作なれば此は十一日の作なるべし、
 
賀(スル)2陸奧國(ヨリ)出(セル)v金(ヲ) 詔書1哥一首 并2短歌1
 
聖武紀云、天平二十一年二月丁巳、陸奥國(ヨリ)始(テ)貢(マツル)2黄金(ヲ)1、於v是(ニ)奉(テ)v幣(ヲ)以告2畿内七道諸社(ニ)1、夏四月甲午朔天皇幸(マシテ)2東大寺1御《オハシマシテ》2盧舍那佛(ノ)像(ノ)前(ノ)殿(ニ)1北面對v像(ニ)、皇后太子並(ニ)侍焉、群臣百寮及士庶分(テ)v頭(ヲ)行2列(ス)殿後(ニ)1、勅(シテ)遣2左大臣橘宿禰諸兄(ヲ)白(シタマハク)v佛、三寶仕奉天皇【羅我】命盧舍那像太前《フトマヘ》奏《マウシ》賜【部止】奏此大倭國者天地開闢以來黄金人國【用理】獻(ツル)言《コト》有《アレ》【登毛】斯地(ニ)者無物念【部流仁】聞看食《キコシメス》國中東方陸奥國守從五位上百濟(ノ)王敬福部内|少《ヲ》田(ノ)郡黄金在?獻(レリ)此聞食驚念【久波】盧舍那佛慈賜福【波倍】賜物受賜戴持百官人等率禮拜(シ)仕奉事挂(マクモ)畏(コキ)三寶太前恐【美毛】奏賜【波久止】奏、從三位中務卿石上朝臣乙麻呂宣、現神御宇《アラミカミトアメガシタシラシメス》倭根子(ノ)天皇(ノ)詔《ミコトラマト》旨宣(タマフ)大命(ヲ)親王諸王諸臣百官人等天下(ノ)公民《オホムタカラ》衆々聞(シ)食《メセト》宣云々、此後初て黄金の出たる由の詔書を七道へ下させ給ふを家持越中守にて承はり私に(39)賀し奉りてよまれたるなり、陸奥國より金を出せる詔書を質する歌と讀べし、
 
初、賀(スル)2陸奥(ノ)國(ヨリ)出(セル)v金(ヲ) 詔書(ヲ)1哥一首并短歌
聖武紀云。天平十八年九月庚戌朔壬戌、從五位下百濟王敬福爲2陸奥守1。同閏九月、從五位下百福王敬福授2從五位上1。天平二十一年二月丁巳、陸奥國始貢2黄金1。於v是拳v幣以告2畿内七道(ノ)諸社(ニ)1。四月|庚午《有疑》朔、授2王敬福(ニ)從三位1。乙卯陸奥守從三位百濟王敬福貢(ツル)2黄金九百兩(ヲ)1
 
4094 葦原能美豆保國乎安麻久太利之良志賣之家流須賣呂伎能神乃美許等能御代可佐禰天乃日嗣等之良志久流伎美能御代御代之伎麻世流四方國爾波山河乎比呂美安都美等多弖麻豆流御調寶波可蘇倍衣受都久之毛可禰都之加禮騰母吾大王乃毛呂比登乎伊射奈比多麻比善事乎波自米多麻比弖久我禰可毛多能之氣久安良牟登於母保之弖之多奈夜麻須爾鷄鳴東國乃美知能久乃小田在山爾金有等麻宇之多麻敝禮御心乎安吉良米多麻比天地乃神安比宇豆奈比皇御祖乃御霊多須氣弖遠代爾可可里之許登乎(40)朕御世爾安良波之弖安禮婆御食國波左可延牟物能等可牟奈我良於毛保之賣之弖毛能乃布能八十伴雄乎麻都呂倍乃牟氣乃麻爾麻爾老人毛女童兒毛之我願心太良比爾撫賜治賜婆許己乎之母安夜爾多敷刀美宇禮之家久伊余與於母比弖大伴乃遠都神祖乃其名乎婆大來目主等於比母知弖都加倍之官海行者美都久屍山行者草牟須屍大皇乃敝爾許曾死米可敝里見波勢自等許等太弖大夫乃伎欲吉彼名乎伊爾之敝欲伊麻乃乎追通爾奈我佐敞流於夜乃子等毛曾大伴等佐伯氏者人祖乃立流辭立人子者祖名不絶大君爾麻都呂布物能等伊比都雅流許等能都可左曾梓(41)弓手爾等里母知弖劔大刀許之爾等里波伎安佐麻毛利由布能麻毛利爾大王乃三門乃麻毛利和禮乎於吉弖比等波安良自等伊夜多弖於毛比之麻左流大皇乃御言能左吉乃《アシハラノミツホノクニヲアマクタリシラシメシケルスメロキノカミノミコトノミヨカサネアマノヒツキトシラシクルキミノミヨミヨシキマセルヨモノクニニハヤマカハヲヒロミアツミトタテマツルミツキタカラハカソヘエスツクシモカネツシカレトモワカオホキミノモロヒトヲイサナヒタマヒヨキコトヲハシメタマヒテクカネカモタノシケクアラムトオモホシテシタナヤマスニトリカナクアツマノクニノミチノクノヲタナルヤマニクカネアリトマウシタマヘレミコヽロヲアキラメタマヒアメツチノカミアヒウツナヒスメロキノミタマタスケテトホキヨニカヽリシコトヲワカミヨニアラハシテアレハミケクニハサカエムモノトカムナカラオモホシメシテモノヽフノヤソトモノヲヽマツロヘノムキノマニマニオイヒトモヲミナワラハコモシカネカフコヽロタラヒニナテタマヒヲサメタマヘハコヽヲシモアヤニタフトミウレシケクイヨヽオモヒテオホトモノトホツカミオヤノソノナヲハオホクメヌシトオヒモチテツカヘシツカサウミユクハミツクカハネヤマユクハクサムスカハネオホキミノヘニコソシナメカヘリミハセシトコトタテマスラヲノキヨキソノナヲイニシヘヨイマノヲツヽニナカサヘルオヤノコトモソオホトモトサヘキノウチハヒトノオヤノタツルコトタテヒトノコハオヤノナタヽスオホキミニマツロフモノトイヒツケルコトノツカサソアツサユミテニトリモチテツルキタチコシニトリハキアサマモリユフノマモリニオホキミノミカトノマモリワレヲオキテマタヒトハアラシトイヤタテオモヒシマサルオホキミノミコトノサキノ》【一云 乎】 聞者貴美《キケハタフトミ》
 
多弖麻豆流、【幽齋本、豆作v都、】  牟氣乃麻爾麻爾、【校本、幽齋本、並云ムケノマニマニ、】  海行者、【幽齋本云、ウミユカハ、】  山行者、【校本、幽齋本、並云、ヤマユカハ、】  佐伯氏者、【幽齋本、或伯下有v乃、】
 
山河乎は河を清て讀べし、山と河となり、奉る御調寶と云は唯金のみなかりしに其始て出來る事をほめ奉らむ爲なり、モロヒトヲイザナヒタマヒ善事《ヨキコト》ヲハジメタマヒテは大佛を作らせ給へる事なり、聖武紀云、天平十五年十月辛巳詔曰、朕以3薄コ1恭承(ク)2大位(ヲ)1、志(ザシ)存(シ)2兼濟(ヲ)1勤(メ)2撫2人物(ヲ)1雖2率士(ノ)之濱已(ニ)霑(フト)2仁恕(ニ)1、而普天(ノ)之下未(タ)v洽(ラ)2法恩(ニ)1誠(ニ)欲(ス)d頼(テ)2三寶(ノ)之威靈(ニ)1乾坤相(ヒ)泰、修2萬代(ノ)之福業(ヲ)1動植咸榮(エムコトヲ)u、粤(ニ)以2天平十五年歳次癸未十月十五日(ヲ)1、發(シテ)2菩薩(ノ)大願(ヲ)1奉(ル)v造(リ)2盧舍那佛金銅(ノ)像一躯(ヲ)1、盡(シテ)2國銅(ヲ)1而鎔v象(ヲ)、削(テ)2大山(ヲ)1以構2堂(ヲ)、廣(ク)及(ボシテ)2法界(ニ)1爲2朕(ガ)知識1、遂使d同蒙2利益(ヲ)1共(ニ)致(サ)c菩提(ヲ)u、夫有(ツ)2天下(ノ)之富(ヲ)1者(ノハ朕(ナリ)也、有(ツ)2天下(ノ)之勢(ヲ)1者(ノモ)朕也、以2此(ノ)富勢(ヲ)1造(テハ)2此(ノ)尊像(ヲ)1、事(ハ)(42)事之易(クトモ)v成(リ)心(ハ)之難(ケム)v至(リ)、但恐(ラクハ)徒(ニ)有(テ)v勞(スルコト)v人(ヲ)無(ケム)2能(ク)感(ズルコト)1v聖、或(ハ)生(シテ)2誹謗(ヲ)1反(テ)墮(ナムコト)2罪辜(ニ)1、是(ノ)故(ニ)預(ラム)2知識(ニ)1者(ハ)懇(ニ)發2至誠(ヲ)1各々招(ケ)2介幅(ヲ)1、宜(シク)《ヘシ》d毎日三(タビ)拜(テ)2盧舍那佛(ヲ)1自當(ニ)存念(シ)各造(ル)2盧舍那佛(ヲ)u也、如更(ニ)有(テ)v人情(ニ)願(ハヾ)d持2一枝(ノ)草一把(ノ)土(ヲ)1助(ケント)uv造(ルコトヲ)v像者、恣(ニ)聽(セ)v之(ヲ)、國郡等(ノ)司莫(レ)d因(テ)2此事(ニ)1侵2擾(シテ)百姓(ヲ)1強令c收斂u、布2告(テ)遐邇1知(シメヨ)2朕意(ヲ)1矣、上の四句此詔の意なり、是は近江の紫香樂にて事をはじめさせ給へる時なり、天平十七年に南京へ引せ給へり、此佛の事は大宋の高僧傳にも載て見えたる事なり)コガネカモ以下の四句は、タノシは日本紀に貴盛をタノシと讀めれば金薄をもて飾りたらむは貴盛ならむを黄金の多少如何あらむと宸襟を安くし給はぬを下悩マスと云へり、下は御心なり、宣命(ニ)云、衆《モロ》人不《ジ》v成《ナラ》【※[加/可]登】疑(ヒ)、朕金|少《スクナケ》【牟止】念憂【都都】在《アル》、此意なり、良辯僧正などに勅して祈らしめ給へる事元亨釋書の中に詳に記せり、鷄鳴、東海道東|山《セン》道を共にあづまと云こと常の如し、小田ナル山は小田は陸奥の郡の名なり、聖武紀云、出(ス)v金(ヲ)山(ノ)神主小田(ノ)郡|日下部《クサカベノ》深淵(ニ)授2外少初位下(ヲ)1、神名帳云、小田(ノ)郡黄金山(ノ)神社、金有等麻宇之多麻敝禮は、奏し給へればなり、聖武紀云、二月丁巳陸奥國始(テ)貢(マツル)2黄金(ヲ)1、四月午朔授2王敬福(ニ)從三位(ヲ)1、乙卯陸奥守從三位百濟(ノ)王敬福貢(マツル)2黄金九百兩1、同紀前(ニ)云、天平十八年九月庚戌朔壬戌從五位下百濟王敬福(ヲ)爲2陸奥守(ト)1、御心ヲアキラメ給ヒとは、黄金を貢たるに依て宸襟を安くし給ふ事暗き夜の明たる如くになれる意なり、天(43)地乃神安比宇豆奈比とは、第十三に現の字をうつなに〔四字右○〕とよめり、天神地祇の相共に助けてあらはし給の意なり、元明紀和銅元年詔(ニ)曰、東方武藏國自然作成《オノヅカラナレル》和銅出|在《タリ》獻焉此物(ハ)者天(ニ)坐(ス)神地(ニ)坐(ス)神相【于豆奈比】奉福【波倍】奉事依而|顯《ウツシク》出【多留】寶在【羅之止奈母】神|隨《マニ》所念行《オヒシメ》、延喜式第八大甞(ノ)祝詞(ニ)云、天都御食長御食遠御食皇御孫命大甞聞食爲故皇神|等《タチ》相宇豆乃比奉?云々、皇御祖乃御靈多須氣?は今按皇御組乃をばスメミオヤノと讀べし、神功皇后紀云、吾|被《ウケ》2神祇《アマツカミクニツカミ》之|教《ミコトヲ》1、頼《カフヽリ》2皇祖之靈《オホオヤノミタマノフユヲ》1、浮2|渉《ワタリテ》滄海《アヲキウナハラヲ》1躬欲2西(ヲ)征(ムト)1、遠代ニカヽリシ事ヲ朕御世ニアラハシテアレバとは文武天皇の御世に金の少出たる事あれど慥ならぬを今紛なく出來たるを云歟、文武紀云、二年十二月辛卯令3對馬《ツシマ》嶋(ニ)冶《ワカサ》2金(ノ)鑛《アラカネヲ》1、大寶元年三月戊子|遣《マタシテ・ツカハシテ》2追大肆|凡海《オシノミノ》宿禰|麁鎌《アラカマヲ》于陸奧(ニ)1冶《ワカサシム》v金(ヲ)、甲午對馬嶋(ヨリ)頁(マツル)v金(ヲ)、建v元(ヲ)爲2大賓元年(ト)1、八月丁未、先v是(ヨリ)遣(ハシテ)2大倭國|忍海《オシノミ》郡(ノ)人三田(ノ)首《オブト》五瀬(ヲ)於對馬嶋(ニ)1冶《ワカシ》2成(シム)黄金(ヲ)1、至(テ)v是(ニ)詔(シテ)授2五瀬(ニ)正六位上(ヲ)1賜2封五十戸田十町并|※[糸+施の旁]《アヅマキヌ・アシキヌ》綿布|鍬《スキヲ》1、仍免2雜戸(ノ)之名(ヲ)1、對馬嶋(ノ)司《ミコトモチ》及(ビ)郡司主典已上進2位一階1、其(ノ)出(ス)v金(ヲ)郡司(ハ)者二階、獲(ル)v金(ヲ)人家部(ノ)宮道(ニ)授2正八位上(ヲ)1、并(ニ)賜2※[糸+施の旁]綿布鍬(ヲ)1、復2其戸(ヲ)1終(シム)v身(ヲ)、百姓(ニハ)三年(ナリ)、又贈右大臣大伴(ノ)宿禰御行《ミユキ》首《ハジメ》遣2五瀬(ヲ)1冶(サシム)v金(ヲ)、因(テ)賜2大臣(ノ)子(ニ)封百戸田四十町(ヲ)1、【年代暦曰、於v後五瀬之詐欺發露、知d贈右大臣爲2五瀬1所uv誤也、】文武天皇は今上の御父なれども元明天皇元正天皇の御世を隔たれば遠代とは云へり、牟氣乃麻(44)爾麻爾は、ムケノマニ/\と讀べし、女童兒毛は、メノワラハコなり、今按、ヲミナワラハモと讀て、老たる人も女も童もと意得べし、之我願は、己が願なり、心太良比爾は、老少男女面々に願ふ事の足るやうに治めさせ給ふなり、論語云、子路曰、願聞2子之志1、子曰、老者安v之、朋友信v之、少者懷v之、大伴乃より下六句は、神代紀下云、一書曰、高皇産靈尊以2眞床覆衾1裹2天津彦國光彦火瓊瓊杵尊1則引2開天磐戸1排2分天八重雲1以奉降之、于v時大伴連遠祖天忍日命帥2來目部遠祖天※[木+患]津大來目1背負2天磐靫1臂著2稜威高鞆1手捉2天梔弓天羽羽矢1及副2持八目鳴鏑1又帶2頭槌劔1而立2天孫前1遊行降來、到2於日向襲之高千穗※[木+患]日二上峯天浮橋1云云)姓氏録云、【左京神別】大伴宿禰高皇産靈尊五世孫、天押日命之後也、初天孫は牽(産)火瓊瓊杵尊神駕之降也、天押日命帥2大來目部1立2於御前1降2日向高千穗峯1、然後以2大來目部1爲2天靫負1、天靫負之號起2於此1也、雄略天皇御世(ニ)以2天(ノ)靫負(ヲ)1賜2室屋大連公(ニ)1、神武紀云、是(ノ)時大伴氏(ノ)之遠祖日(ノ)臣《オミノ》命|帥《ヒキヰテ》2大來目督將元戎《オホクメノイクサノキミノオホツイハモノヲ》1、蹈(ミ)v山(ヲ)啓v行《ミチヲヒラキユキテ》、乃(ハチ)尋《マニ/\》2烏(ノ)所向《ムカヒノ》1仰視而|追《オフ》之、于v時|勅《ミコトノリヲモテ》譽2日(ノ)臣《オミノ》命(ヲ)1曰、汝|忠《タヾシクシテ》而且勇(メリ)、加《マタ》能有2導之功《ミチビキノイサヲシ》1、是(ヲ)以改(テ)2汝《シガ》名(ヲ)1爲《ス》2道(ノ)臣《オムト》1、道(ノ)臣(ノ)命|帥《ヒキヰテ》2大來目部(ヲ)1、奉2承《ウケタマハリテ》密策《シノビオホムコトヲ》1能以(テ)2諷歌倒語《ソヘウタサカシマコトヲ》1掃2蕩《ハラヘリ》妖氣《ワザハヒヲ》1、二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定(メテ)v功《イサヲシサヲ》行《タマフ》v賞《タマモノヲ》、賜(テ)2道(ノ)臣(ノ)命(ニ)宅地《イヘトコロヲ》1居《ハムベラシム》2于|築《ツキ》坂(ノ)邑(ニ)1、以(ニ)寵2異《コトニメグミタマフ》之1、亦使大來目(ヲシテ)居2《ハムベラシメタマフ》于|畝傍山《ウネヒヤマノ》以西川邊(ノ)之|地《トコロニ》1、今號2來目(ノ)邑(テ)1此(レ)其(ノ)(45)縁也、海行者より下八句は、上に云石上乙麻呂奉v勅宣云、又大伴佐伯(ノ)宿禰天皇(ノ)朝(ノ)守(ニ)仕(ヘ)奉(ル)事顧【奈伎】人等阿禮汝【多知乃】祖【止母乃】云(ヒ)來《ケラ》海行美豆屍《カハネ》山行草【牟須】屍王弊【爾去曾】死能杼【爾波】不《ジ》v死(ナ)云來人等【止奈母】聞召、此詔の詞なり、海行者山行者を幽齋本にうみゆかばやまゆかばと點ぜる然るべし、ミツク屍とは、美《ミ》と之《シ》と同韻にて通ずれば沈《シヅク》屍と云なるべし、第二十にも、美豆久白玉《ミヅクシラタマ》とよめり、たとひ事ある時勅命を蒙りて海をゆかば屍を潮に沈め山をゆかば屍に草むすとも私なく仕へ奉りて大君のあたりにこそ死なめ顧をばせじと言を立るなり、第二十喩族歌にも、加久佐波奴《カクサハヌ》、安加吉許己呂乎《アカキココロヲ》、須賣良弊爾《すめらへに》、伎波米都久之弖《キハメツクシテ》、都加倍久流《ツカヘクル》、於夜能都可佐等《オヤノツカサト》、許等太弖弖《コトタテテ》云々、イニシヘユイマノヲツヽニナガサヘルトは古より今の現在に流せるなり、流せるは流れ傳ふなり、大伴等佐伯氏者とは續日本紀第二十(ニ)云、大伴佐伯(ノ)之族(ハ)此(レ)擧《ミナ》前(ニ)將《ス》v無(ラント)v敵、又寶字元年七月詔曰、又大伴佐伯(ノ)宿禰等 波 自2遠(キ)天皇御世1内仕奉來、姓氏録云、【左京神別】佐伯(ノ)宿禰(トハ)同祖(ナリ)、道(ノ)臣《オムノ》命七世(ノ)孫室屋大連公之後也、大王ノミカドノ守は大甞會の時も大伴佐伯の兩氏は御門を守る事を主どるなり、伊夜多底は若?の字の二つ有けむを一つおとせるにや、文選潘安仁射雉(ノ)賦(ニ)云、敷《シケリ》2藻翰《ウルハシキハネノ》之陪|鰓《サイト》《イヨタテルコトヲ》1、【蘇來(ノ)反、徐爰(ガ)曰、陪鰓(ハ)舊怒(ノ)之※[貌の旁]也、】此いよたてるに同じ、注に奮怒之[貌の旁]と云へる如く志を奮ひ(46)はげますなり、オモヒシマサルはし〔右○〕は助語なり、御言ノサキとは幸なり、大伴氏の事をかくまでのたまふは分に過たるい幸にて、承に貴しと畏て謙下するなり、以上猶四月朔の詔詞に合せて見るべし、
 
初、あしはらのみつはのくにを天くたり 皇孫瓊々杵尊の御事なり。しらしめしけるはしろしめしけるなり。しらしくるはしろしめしくるなり。治の字領の字なとみなしるとよめり。山川をひろみあつみと。廣は河につき、厚は山につけり。川の字清てよむへし。かそへえす。つくしもかねつ。つくしもかねつは知つくす事あたはぬなり。以上は天地開闢以來よりをいひて、国家の豐饒なることをほめたてまつるなり。しかれともといふより下は、聖武天皇の盧遮那佛の大像を造らせ給へることをいへり。此像は天平十五年に紫香樂に創させたまひて、後に奈良へ移させ給へる東大寺の大佛なり。天平十五年十月辛巳詔曰。朕以2薄徳1恭承2大位1。志存2兼濟1勤撫2人物1。雖3率土之濱已霑2二仁恕1而普天之下未v給《洽歟》2法恩1。誠欲d頼2三寶之威靈1乾坤相泰、修2萬代之福業1動植咸榮u。粤以2天平十五年歳次癸未十月十五日1發2菩薩大願1奉v造2盧舍那佛金銅|像一躰《ミカタヒトハシラヲ》1。盡2國銅1而鎔v像、削2大山1以搆v堂。廣及2法界1爲2朕知識1。遂使d同蒙2利益1共致2菩提1。夫有2天下之富1者朕也。有2天下之勢1者【亦歟】朕也。以2此富勢1造2此尊像1。事(ハ)也易(シテ)v成、心(ハ)之難v至。但恐徒有v勞v人無2能感1v聖、或生2誹謗1反墮2罪辜1。是故預2知識1者懇發2至誠1各招2介幅1。宜(丁)毎日三(タヒ)拜(シテ)2盧舍那佛1自《ミ》當(ニ)存(丙)念(ス)各(/\)造(リ上ルト)(乙)盧舍那佛(甲)也。如《モシ》更(ニ)有(ント)v人情(ニ)願d持2一枝(ノ)草一把(ノ)土1助c造像u者恣聽v之。國郡等(ノ)司莫(レ)d因2此事1侵2擾百姓1強(テ)令(ムルコト)c收斂(セ)u。布2告遐邇1、知(ラシメヨ)2朕意1矣。天平二十一年夏四月甲午朔、天皇幸2東大寺1御2盧舍那佛像前殿1北面對v像。皇后太子並(ニ)侍焉。群臣百寮及士庶分v頭行2列殿後1。勅遣2左大臣橘宿禰諸兄1白v佛。三寶乃奴止仕奉流|天皇《スメ》【羅我】命、盧舍那像能|太《フト》前仁|奏《マウシ》賜【部止】奏久。此大倭國者、天地開闢以來爾、黄金波、人國【用理】獻(ツルコト)言波|有《アレ》【登毛、】斯|地《クニヽ》者無物止念【部流仁、】聞看食《キカシメス》國中能東(ノ)方(ノ)陸奥國守從五位上百濟王敬福伊、部内|少《ヲ》田(ノ)郡仁|黄金《コカネ》在《アリト》奏※[氏/一]獻《マツレリ》。此遠聞食驚伎、悦備、貴備念【久波、】盧舍那彿乃、慈《ウツクシ》賜(ヒ)比|福《サイ》【波倍】賜《タマフ》物爾有止念閉受賜里、恐理戴持、百官《モヽツカサ》乃人|等《タチ》率《ヰ》天|禮拜仕奉《ヰヤマヒツカヘマツル》事遠、挂畏《カケマクモカシコキ》三寶乃太前爾恐毛無久奏賜【波久止】奏。從三位中臣卿石上朝臣乙麻呂宣。現神御宇倭根子天皇詔旨宣《アラミカミトアメノシタシロシメスヤマトネコノスメラカミコトラマトノタマフ》大|命《ミコトヲ》、親《ミ》王諸王諸臣百(ノ)官(ノ)人|等《タチ》天下(ノ)公民《オホンタカラ》衆《モロ/\》聞|食《メセト》宣云々。寶龜五年冬十月己巳、散位從四位下國中達公麻呂卒。本是百済國人也。其祖父徳率國骨富近江朝廷歳次癸亥|屬《アタテ》本蕃(ノ)喪亂(ニ)1歸化。天平年中聖武皇帝發2弘願1造2盧舍那銅像1。其長【十歟】五丈。當時鑄工無2敢加v手者1。公麻呂頗有2巧思1。竟成2其功1。以v勞遂授2【從歟】四位1【下歟】官至2造東大寺次官1。県2但馬員外(ノ)介1。寶字二年以v居2大和國葛下郡國中村1。因v地命v氏焉。元亨釋書第十七王臣篇云。聖武皇帝者云々。第十八神仙篇云。伊勢皇太神宮者云々。賛曰云々。第二十八寺像志云。東大寺云々。石山寺者云々。大宋高僧傳云。異國の傳記まてに載、すてに千載に及ふまて、つゝかなくてまします事は、ひとへに聖武皇帝の大願力のいたす所なり。都をうつし給ふに費ありしよしは國史にも見え、本朝文粹三善清行の異見封事にも刺《ソシリ》奉られけれと、天地もみちぬ所あり。日月も蝕する習あり。1凡慮のはかるへからさる所有ぬへし。もししからしといはゝ、胎中《ホムタノ》天皇は八幡宮といはゝれさせたまへとも、武内宿禰の弟|甘美《ウマシ》内宿禰か讒《ヨコス》を信《ウケ》たまひて、武内宿禰を殺さむとせさせたまへるをはいかゝすへき。こかねかもたのしけくあらんとおもほしてしたなやますに。金薄を押奉らはたふとからんとおほしめすなり。日本紀に貴盛をたのしとよめり。したなやますは、したは心をいふ。うらといふもおなし。したうれし、下こゝろよしなと、すへていひ出すして心ひとつにおもふをしたといへり。下心をなやましておほしめすなり。石上乙麻呂卿の宣命にいはく。衆人波|不《シ》v成《ナラ》【※[加/可]登】疑(カヒ)、朕波金|少《スクナケ》【牟止】念(ヒ)憂【都々】在爾。これを下なやますにといへり。みちのくの小田なる山に。小田郡にある山なり。紀云。出(ス)v金(ヲ)山(ノ)神主小田郡|日下部《クサカヘノ》深淵(ニ)授2外少|初《ソ》位下(ヲ)1。延喜式第十、神名下云。小田郡黄金山(ノ)神社。まうしたまへれ。奏したまへはなり。あめつちの神あひうつなひ。第十三に、高山と海こそは山のまにかくもうつなひ、うみのまにしかたゝならめといふうつなひに、現の字をかけり。又第十一には現心とかきてうつしこゝろとよみ、第十二には現の字をうつゝとよみたれは、うつなひもうつゝにあらはれ出てといふ心なり。元明天皇和銅元年詔云。東方武藏園國|自然作成《オノツカラナレル》和銅|出在《イテタリ》止奏而献焉。此物者|天坐《アメニマス》神、地坐神乃相【于豆奈比】奉、福【波倍】奉事爾依而、顯《ウツクシ》久出【多留】寶爾在【羅之止奈母、】神隨《カミノマニ・カミナカラ》所念《オホシメ》須。延喜式第八大嘗會祝詞云。天都御食乃、長御食能、遠御食登皇御孫《スメミマノ》命乃、大嘗聞食牟爲故爾皇神|等《タチ》相宇豆乃比奉※[氏/一]云々。すめろきのみたまたすけて。神功紀云。皇后還(テ)|詣《イタリマシテ》2橿日(ノ)浦(ニ)1、解《トイテ》v髪《ミクシヲ》臨(テ)v海(ニ)曰。吾|被《ウケ》2神祇《カミ》之|教《ミコトヲ》1頼《カヽフリ》2皇祖之靈《オホオヤノミタマノフユヲ》浮2渉《ワタリテ》滄海《アヲキウナハラヲ》1躬欲2西(ヲ)征(ント)1。とほき世にかゝりしことをわか御代にあらはしてあれは。これは優填王の赤栴檀をもて初て佛像を造られし天竺の佛在世のことをいへるか。又此國にそのさきもこかねのすこし出たることあれは、それをいへるか。文武紀云。二年十二月辛卯、令3對馬嶋(ヲシテ)冶2金(ノ)鑛《アラカネヲ》1。大寶元年三月戊子|遣《マタシテ》2追大肆|凡海《オシノミノ》宿禰|麁鎌《アラカマヲ》于陸奥(ニ)1、冶《ワカサシム》v金(ヲ)。甲午對馬嶋(ヨリ)貢(ツル)v金(ヲ)。建(テヽ)v元(ヲ)爲2大寶元年(ト)1。八月丁未先v是(ヨリ)左遣2大倭國|忍海《オシノミ》郡(ノ)人三田(ノ)首《オフト》五瀬(ヲ)於對馬嶋(ニ)1冶(シ)2成(シム)黄金(ヲ)1。至v是詔(シテ)授2五瀬正六位上(ヲ)1賜2封五十戸、田十町、并|※[糸+施の旁]《アツマキヌ・アシキヌ》綿布|鍬《スキヲ》1。仍兎2雑戸(ノ)之名(ヲ)1。對馬嶋(ノ)司《ミコトモチ》及郡司主典已上進2位階一階(ヲ)1。其出v金郡司者二階。獲v金人家部宮道授2正人位上1并賜2※[糸+施の旁]綿布|鍬《スキヲ》1。復2其戸1終身。百姓(ニハ)三年(ナリ)。又贈右大臣大伴宿禰御行|首《ハシメ》遣2五瀬1冶v金。因賜2大臣子(ニ)封百戸田四十町1。【年代歴曰、於v後五瀬之詐欺發露(スト)。知(ヌ)贈右大臣爲2五瀬1所v誤也。】此年代暦を引て注を加へたるにてみるに、對馬嶋より金を貢し故に、大寶の年號をたて、陸奥へも凡海宿禰麁鎌をつかはさし金をふかさせたまふ跡あれと、あるひはあさむき、あるひは髣髴なるに、今さたかに黄金の出來たれは、わかみよにあらはしてあれはとはいへり。さきに引る宣命の中に、黄金波人國【用理】献言波有【登毛】斯地者《コノクニヽハ》無物止念【都流爾】とあるは、對馬嶋より奉りしはいつはりあさむける故、あるひは少分屬無なるへし。今遠き代にかゝりし事といふが、もし金の事ならは、文武天皇の御時なれは、遠き世とはいふましきにやといふ難もあるへけれと、五十年にをよふ事なれは難あるへからす。かむなからは神なからなり。君をすなはち神と申奉るなり。第一卷以下におほきことはなり。まつろへのむけのまに/\。まつろふはしたかひ奉るなり。日本紀に服の字をまつろふとよめり。此集第二卷にまつろはぬといふに不奉仕とかきたれは、奉仕はまつろふなり。むけは平の字を日本紀にかきてたひらくるなり。おい人もめぬわらはこもしがねかひ心たらひに。めぬわらはこはめのわらはこなり。しがねがひはさかねがひにて、おのかねかひのまゝに心にたるとなり。論語曰。子路(カ)曰。願(ハ)聞(ン)2子之志(ヲ)1。子曰。老者(ヲハ)安(ンシ)v之(ヲ)、朋友(ヲ)信(セシメ)v之(ヲ)、少者(ヲハ)懷(ケン)v之(ヲ)。しがとは第十九にもよめり。大伴の遠つ神祖。神代紀下云。一書曰。高皇産靈尊以2眞|床覆《トコオフノ》衾(ヲ)1裹《キセマツリ》2天津彦國|光《テル》彦火(ノ)瓊々杵(ノ)尊1則引2開《アケ》天(ノ)磐戸(ヲ)1排《オシ》2分(テ)天(ノ)八重雲(ヲ)1以(テ)奉降《アマクタリマス》之。于v時大伴(ノ)連(ノ)遠(ツ)祖天(ノ)忍日《オシヒノ》命帥(テ)2來目《クメノ》部遠祖|天《アメ》※[木+患]津大來目(ヲ)1背《ソヒラニハ》負(ヒ)2天(ノ)磐靫《イハユキヲ》1臂《タヽムキニハ》著《ハキ》2稜威《イヅノ》高|鞆《カラヲ》1手(ニハ)捉(リ)2天(ノ)梔《ハシ》弓天(ノ)羽羽矢(ヲ)1、及|副2持《トリソヘ》八目(ノ)鳴鏑《カブラヲ》1、又|帶《ハキ》2頭《カフ》槌(ノ)劔(ヲ)1而立(シテ)2天孫《アメミマ》之|前《ミサキニ》1遊行降來到《ユキメクリテ》2於日向(ノ)襲(ノ)之高千穗(ノ)※[木+患]日《クシヒノ》二|上峯《ガンノタケ》天(ノ)浮橋(ニ)1而立(シテ)2於|浮渚在《ニマリ》之|平地《タイラニ》1膂宍空國《ソシヽノムナクニヲ》自2頓丘《ヒカヲカヲ》1覓《マキ》v國|行去《トホリ》到(マス)2於|吾《ア》田(ノ)長屋笠狹(ノ)御《ミ》碕(ニ)1。古語拾遺云。仍使d2大伴遠組天忍日命1帥2來目《クメノ》部遠(ツ)祖天(ノ)※[木+患]津大來目1帶v仗(ヲ)前驅u。萬多親王、姓氏録云。【左京神別】大伴宿禰(ハ)、高皇産靈尊五世孫、天押日命之後也。初天孫彦火(ノ)瓊々杵尊神駕之降也。天押日命帥2大來目部1立2於御前1降2日向高千穗峯1。然後以2大來目部1爲2天靫負(ト)1。天靫負之號起2於此1也。雄略天皇御世以2天靫負1賜2大連公1。姓氏録又云。【神別】佐伯(ノ)直《ア》(ハ)景行天皇(ノ)々子、稻背入彦命之後也。男御諸別(ノ)命|稚足《ワカタラシ》彦天皇【諡成務】御世中2分|針間《ハリマノ》國(ヲ)1給v之。仍號2針間別(ト)1。男阿良都命、【一名伊許自】譽田天皇爲v定2國(ノ)界(ヲ)1車駕《スヘラミコト》巡幸到2針間國神崎郡瓦村東崗上(ニ)1。于v時青菜葉自2崗邊(ノ)川1流下。天皇詔。應(シト)2川上有1v人也。仍差2伊許自命1往問。即答曰。己等、是日本武尊平2東夷1時|囚俘《トリコニセラレシ》蝦夷之後也。散遣2於針間、阿藝、阿波、讃岐、伊豫等國1。仍居v此−《サヘキ》氏也。【後改爲2佐伯1。】伊許自別命以v状《アルカタチ》復奏。天皇詔曰。宜2汝爲(ニ)治《シラス》1v之。即賜(フ)2氏(ヲ)針間別佐伯直(ト)1。佐伯者所v賜氏姓也。直者謂君也。爾後至2庚午年1脱2落針間別三字1偏爲2佐伯直1。又云。【左京神別】佐伯(ノ)宿禰(ト)大伴(ノ)宿禰(トハ)同祖。道(ノ)臣《オムノ》命七世(ノ)孫室屋大連公之後也。此外録中有2佐伯(ノ)造《ミヤツコ》佐伯(ノ)首《オフト》1。性靈集第三、贈(ル)3伴平章事(カ)【大伴國道也】赴(ムクニ)2陸府(ニ)1詩序云。昔景行天皇撫運之日、東夷未v賓。日本武尊率2左右(ノ)將軍武彦【吉備】武日等1征之。毛人面縛(セラル)之。日(ノ)命《ミコトハ》則君之先也。〇貧道與v君淡交(ニシテ)、玄度遠公(ナリ)。緇素區(/\ニ)別(タレトモ)伴【大−】佐【−伯】昆季(ナリ)。弘法大師、俗姓は佐伯直、これによりて大伴佐伯は姓よりしたしきよしなり。今いふこゝろは大伴と佐伯の氏は先祖は先祖たる道を立、子孫は相續て先祖の名を斷絶せしめぬなり。海ゆくはみつくかはね山ゆくは草むすかはね大君のへにこそしなめ。上に略して引る石上乙麻呂卿奉v勅宣曰。又大伴佐伯宿禰波、常母云久。天皇(ノ)朝(ノ)守仕奉事、顧【奈伎】人等爾汝【多知乃】祖【止母乃】云來《ケラ》久。海行波、美【内久】屍、山行波、草【牟須】屍、王乃弊【爾去曾】死米。能杼《ノド》《・和》【尓波】不v死止云來流人等【止奈母】聞召須。かへりみはせしとことたて。たては言を立るなり。第二十にも出むかひかへりみせすていさみたるたけき軍とよみ、又
  けふよりはかへりみなくて大君のしこのみたてと出立我は
大君のへは邊なり。海路に死なは水つくかはね、山路に死なは草むす屍となりて、とにかくに天皇の御ために我命をはかへりみしと言を立たるとなり。いにしへゆいまのをつゝに。いにしへより今の現在になり。うつゝをゝつといへる事、第五第十七にも見えたり。なかさへるおやの子ともそ。なかせる子孫といふなり。子モ孫モを末流といふ故なり。大伴と佐伯の氏は人のおやの立ることたて、人の子は祖の名たゝす。續日本紀第二十云。大伴佐伯之族(ハ)此(レ)擧《ミナ》前將v無v敵。寶字元年七月詔曰。又大伴佐伯宿禰等波自2遠(キ)天皇(ノ)御世1内乃兵止爲而奉來。あさまもりゆふのまもりに大きみのみかとのまもり。大嘗會の儀式にも、大伴佐伯の両氏大嘗宮門の開閉をつかさとれり。具に延喜式に載たり。われをおきてまた人はあらしと。第五貧窮問答哥にも、しかとあらぬひけかきなてゝあれをおきて人はあらしとほころへとゝよめり。いやたて。上にかへりみはせしとことたてといふによりて、いよ/\くりかへして其言を立る心なり。集中哥のもし有餘不足あけてかそふへからねと、此哥はよくとゝのほりたれは、此句も伊夜多※[氏/一]※[氏/一]にて有けんが、ひとつの※[氏/一]もしうせたるか。みことのさきは、みことのさきはひなり
 
一云|貴久之安禮婆《タフトクシアレハ》
 
續日本紀第十七に載たり、之は助語なり、
 
反歌三首
 
4095 大夫能許己呂於毛保由於保伎美能美許登乃佐吉乎《マスラヲノコヽロオモホユオホキミノミコトノサキヲ》【一云能】聞者多布刀美《キケハタフトミ》
 
初二句は大夫の心の振|起《オ》して思はるゝなり、
 
初、ますらをの心おもほゆ 此みことのりを聞がかたしけなさに、いよ/\ますらをの心をおもふとなり
 
一云貴久之安禮婆
 
4096 大伴乃等保追可牟於夜能於久都奇波之流久之米多弖比(47)等能之流倍久《オホトモノトホツカムオヤノオクツキハシルクシメタテヒトノシルヘク》
 
シルクシメタテはしるくしたてよなり、
 
初、おくつきはしるくしめたて おくつきは墓なり。しるくしめたては人の見てそれとしるはかりにしめゆひたてよなり。汝【多知乃】祖【止母乃】云來久とある宣命の詞によりてかくはよめるなるへし
 
4097 須賣呂伎能御代佐可延牟等阿頭麻奈流美知乃久夜麻爾金花佐久《スメロキノミヨサカエムトアツマナルミチノクヤマニコカネハナサク》
 
榮ゆるは第三にも木綿花の榮ゆる時にとよみ、第七にもあしびなす榮しキミと讀て、花に付て云詞なれば花の中にも金花の咲たるは君が代の榮えむとての驗なりとよめるなり、陸奥山は金の出たる山の名にはあらず、陸奥の小田なる山と長歌によめるにて知るべし、延喜式に黄金山とあるも金の出てより後の名歟、聖武紀にも出v金山とのみあれば本はさして名もなき山なるべし、我心つくしの山とよめる如く陸奥にある山なれば押て陸奥山とはよめるなり、
 
初、みちのく山に金花さくは 彼小田郡の山の名をみちのく山といふとは見えす。只みちのくの山といふ心なり。こかね花咲とは、山にはよろつの木の花さく故に、みちのく山には、金の花さけりとよめるなり。奇妙の詞なり
 
天平感寶元年五月十二日、於2越中國守舘1大伴宿禰家持作v之
 
(48)萬葉集代匠記卷之十八上
 
(1)萬葉集代匠記卷之十八下
 
爲d幸2行芳野離宮1之時u儲作歌一首并短歌
 
歸京の後芳野離宮へ行幸あらむ時、御供せば奏せむがために兼て詠ぜらるゝなり、
 
4098 多可美久良安麻乃日嗣等天下志良之賣師家類須賣呂伎乃可未能美許等能可之古久母波自米多麻比弖多不刀久母左太米多麻敝流美與之努能許乃於保美夜爾安里我欲比賣之多麻布良之毛能乃敷能夜蘇等母能乎毛於能我於弊流於能我名負名負大王乃麻氣能麻久麻久此河能多由(2)流許等奈久此山能伊夜都藝都藝爾可久之許曾都可倍麻都良米伊夜等保奈我爾《タカミクラアマノヒツキトアメノシタシラシメシケルスメロキノカミノミコトノカシコクモハシメタマヒテタフトクモサタメタマヘルミヨシノヽコノオホミヤニアリカヨヒメシタマフラシモノヽフノヤソトモノヲモオノカオヘルオノカナニナニオホキミノマケノマクマクコノカハノタユルコトナクコノヤマノイヤツキツキニカクシコソツカヘマツラメイヤトホナカニ》
 
於能我名負名負は荷《ニ》は或はになひ或は負物なれば負を荷と同じく義訓せる歟、第十一に敷細布枕人事問哉其枕苔生負爲《シキタヘノマクラセムヒトコトトヘヤソノマクラニハコケムシニタリ》、此負の點と同じ、今按引所の歌はコケオヒヲセリと讀べしと存ず、今はオノガナオヒナオヒと讀べし、上の長歌にも多能之氣久安良牟登《タノシケクアラムト》と云へるは九字を一句とせしは今も長きを※[厭のがんだれなし]ふべからず,第十七より第二十に至るまでは難義にかける事なき中に此負の字のみさる義訓を用べきにあらず、孝コ紀云、始2於祖子(ヨリ)1奉仕《ツカマツル》、卿大夫臣連伴(ノ)造氏氏(ノ)人等【或本云、名名王民《ナナノオホムタカラ》云々、マケノマク/\は任《マケ》のまに/\の意なり、第十三に天雲之行莫莫《アマクモノユキノマクマク》とよめり、引合せて意得べし、此山ノイヤツギ/\ニとは山の相つゞけるによそへて云へり、
 
初、於能我|名負名負《ナニナニ》 負の字をにとよめるは、荷を負ふ心にて、義をもてかける歟。十七卷より廿卷にいたるまては、かゝる異躰の字を用す。負の字日本紀にとるとよみたれは、おのか名とりてとよみて、今ひとつの名負は衍文にや。まけのまく/\は任の字をまけとよめり。まく/\はまに/\といふにおなし詞と見えたり。第十三にも天雲のゆきのまく/\とよめり。君の任し給ふ官位のまに/\なり。此山のいやつき/\にとは、山の谷峯のつゝきたるによせていへり。第三に赤人の哥に、とかの木のいやつき/\にとよめり。山城の枕詞に、つきねふとおきたるも、此いやつき/\といへる心なり
 
反歌
 
4099 伊爾之敝乎於母保須良之母和期於保伎美余思努乃美夜(3)乎安里我欲比賣須《イニシヘヲオモホスラシモワカオホキミヨシノノミヤヲアリカヨヒメス》
 
初二句は故事を思召て行幸したまふを云へり、
 
4100 物能乃布能夜蘇氏人毛與之努河波多由流許等奈久都可倍追通見牟《モノヽフノヤソウシヒトモヨシノカハタユルコトナクツカヘツヽミム》
 
此初の二句に付て物部の八十氏河とつゞくるにことやうなる説あり、用べからず、
 
初、ものゝふのやそうち人も これは長哥に、ものゝふのやそとものをもとよめるにおなし。此哥につきて異説をなすものあるゆへに此注をくはふるなり
 
爲v贈2京家1願2眞珠1哥一首并短歌
 
4101 珠洲乃安麻能於伎都美可未爾伊和多利弖可都伎等流登伊布安波妣多麻伊保知毛我母波之吉餘之都麻乃美許登能許呂毛泥乃和可禮之等吉欲奴婆玉乃夜床加多古里安佐禰我美可伎母氣頭良受伊泥?許之月日余美都追奈氣(4)久良牟心奈具佐余保登等藝須伎奈久五月能安夜女具佐波奈多知婆奈爾奴吉麻自倍可頭良爾世餘等都追美?夜良牟《スヽノアマノオキツミカミニイワタリテカツキトルトイフアハヒタマイホチモカモハシキヨシツマノミコトノコロモテノワカレシトキヽヌハタマノヨトコカタコリアサネカミカキモケツラスイテヽコシツキヒヨミツヽナケクラムコヽロナクサヨホトヽキスキナクサツキノアヤメクサハナタチハナニヌキマシヘカツラニセヨトツヽミテヤラム》
 
和可禮之等吉欲、【別校本云、ワカレシトキヨ、】
 
於伎都美可未は奧津御神《オキツミカミ》にて三輪の山などをすなはち神と云へるやうに奧津島山を指て神と云、第二の反歌の意是なり、伊和多利弖は伊は發語詞なり、イホチモガモは五百千もがなゝり、夜床加多古里は片凝《カタコリ》にて夜床の片つ方に依て物の凝たるやうにて臥すを云歟、凝は打解ても寢ぬ意なり、今按古は左の字を誤て夜床方去にや、第四に敷細之枕片去《シキタヘノマクラカタサリ》とよめるに准らふべし、夜床の片つ方に依り去て臥なり、心奈具佐余、余は尓の誤なり、第三の反歌初の第二句の如し、
 
初、すゝのあまの 能登の珠洲の海なり。おきつみかみにいわたりて。龍神のしれる海なれは奥つ御神とはいふなり。山のすそをいふとてすめ神のすそみなとよめるかことし。いは例の發語なり。いほちもかもは五百も千もかなゝり。夜床かたこりは、片凝なり。床のかたはらによりて、物のこりたるやうにしてふすなり。もし古は左の字の誤にて、かたさりか。第四に第五に
  いくそはくおもひけめかも敷妙の枕片さり夢に見え來し
  たゝにあはすあらくもおほく敷妙のまくらさらすていめにし見えむ
床と枕とことなれと、これに准して思ふへし。心なくさよは心なくさめよといへる歟。さらすは余は尓の字の誤れるにて、心なくさになるへし。第二の短哥に心なくさにやらんためとよめるを思ふへし
 
4102 白玉乎都々美?夜良婆安夜女具佐波奈多知婆奈爾安倍母奴久我禰《シラタマヲツヽミテヤラハアヤメクサハナタチハナニアヘモヌクカネ》
 
(5)此歌は第三笠金村の鹽津山歌の反歌の如く云ひはてず貫てやらばやの意を殘せり、若は次下の歌を兼る歟、
 
初、白玉を 日本紀に眞珠をしらたまとよめり。つゝみてやらは。此波の字はもし那の字なとをかきまかへたる歟。さらてはあへもぬくかねといひては哥のをさまらぬなり。されとも第三にも
  ますらをのゆすゑりおこしいつる矢を後みん人はかたりつくかね
此哥もおなし躰なれは、古哥のさまにていひのこせるにや
 
4103 於伎都之麻伊由伎和多里弖可豆久知布安波妣多麻母我都々美弖夜良牟《オキツシマイユキワタリテカツクチフアハヒタマモカツヽミテヤラム》
 
伊は發語の詞なり、
 
4104 和伎母故我許己呂奈久佐爾夜良無多米於伎都之麻奈流之良多麻母我毛《ワキモコカコヽロナクサニヤラムタメオキツシマナルシラタマモカモ》
 
4105 思良多麻能伊保都都度比乎手爾牟須妣於許世牟安麻波牟賀思久母安流香《シラタマノイホツヽトヒヲテニムスヒオコセムアマハムカシクモアルカ》
 
一云我家牟伎波母
 
(6)都度比、【幽齋本都作v追、】
 
初の二句は第十の七夕の歌に有て注せり、ムカシクモアルカは向はしくもあるかにて、さる海人《アマ》には相向《アヒムカ》はまほしくも有かなの意歟、物の嫌はしきには背かるれば心に叶へるには向ふべき理なり、異を注するに我家牟伎波母と云へるは我家へもて向へと云心にや、牟賀思久と牟伎と同じかるべし、或は牟と由と同韻にて通ずればユカシクモ有哉とよめる歟、
 
初、しら玉のいほつゝとひを 五百箇集《イホツツトヒ》なり。五百はおほき數なれは、おほくの玉の心をきはめていへる歟。神代紀上云。便以2八坂|瓊《ニノ》之|五百箇御統《イホツノミスマルヲ》1纏《マツフ》2其|髻鬘《ミイナタキ》及|腕《タフサニ》1【前注云。瓊(ハ)玉也。々】これをふめる歟。第十、七夕哥に
  しら玉のいほつゝとひをときもみす我はかゝたぬあはむ日まつに
むかしくもあるか。長流かいはくゆかしくも有かなゝり。むとゆと同韻相通なりといへり。今案此説いはれたりといへとも、左に一云、我家牟伎波母《ワキヘムキハモ》といへるを思ふに、むかはしくもあるかなといへるにや。物のきらはしきにはそむくに違ひて、心にかなへるにはむかふへきことわりなり。わきへむきはもは、我家へもてむかへといふ心にや
 
右五月十四日大伴宿禰家持依v興作
 
教2喩史生尾張少咋1歌一首并短歌
 
職員令云、上國史生三人、延喜式民事云、越中國上、
 
七出例云、
 
但犯2一條1即合v出v之、無2七出1輙棄者徒一年半、
 
令義解第二云、凡(ソ)棄(ルニ)v妻須(ラク)《・ベシ》v有2七出(ノ)状1、一(ニハ)無v子、【謂雖有2女子1亦爲v無v子、更取2養子1故、】二(ニハ)婬※[さんずい+失]、【謂婬者蕩也、※[さんずい+失]者過也、須2其※[(女/女)+干](7)訖1乃爲2姪※[さんずい+失]1也、】三(ニハ)不v事(ヘ)2舅姑(ニ)1、【謂夫父曰v舅、夫母曰v姑、上條云、母之昆弟曰v舅、父之姉妹曰v姑、一字兩訓、隨v事通用也、】四(ニハ)口舌、【謂多言也、婦有2長舌1維※[蠣の旁】之階、是也、】五(ニハ)盗竊、【謂雖v不v得v財亦同2盗例1也、】六(ニハ)妬忌、【謂以v色曰v妬、以v行曰v忌也、】七(ニハ)惡疾、夫手(ヅカラ)書棄(テヨ)v之、與2尊属近親1同署、【謂尊属近親相須、即男家女家親屬共署也、】若不v解(セ)v(ヲ)書畫v指爲(セ)v記(ヲ)、
 
三不去云、
 
難v犯2七出1不v合棄v之、違者杖一百、唯犯※[(女/女)+干]惡疾得v棄v之、
 
兩妻例云
 
有v妻更娶者徒一年、女家杖一百離v之、
去の下に例の字を脱せる歟、令義解云、妻雖v有v棄有2三不去1、一(ニハ)經v持(スルコトヲ)2舅姑(ノ)之喪1、【謂持猶2扶持1也、】二(ニハ)娶時賤後(ニ)貴、【謂依v律稱v貴者、皆據2三位以上1、其五位以上即爲2通貴1、但此條曰v貴者、直謂2娶時貧苦下賤、棄日官位可1v稱而已、不2必五位以上1也、】三(ニハ)有v所v受無v所v歸、【謂無2主婚之人1是(ヲ)爲v無v所v歸、言不v窮也、】即《モシ》犯(サバ)2義絶淫※[さんずい+失]惡疾1不(レ)v拘(ハラ)2此令(ニ)1、集に引は、律の文なるべし、
 
初、七出例云 七出、令義解第二云。凡棄v妻須v有2七出状1。一無v子【謂雖2女子亦有《有亦歟》1爲v無v子。更取2養子1故。】二婬洪。【謂婬者蕩也。洪者過也。須2其※[(女/女)+干]訖1乃爲2姪洪1也。】三不v事2舅姑1。【謂夫父曰v舅夫母曰v姑。上條云。母之昆弟曰v舅。父之姉妹曰v姑。一字兩訓隨v事通用也。】四口舌。【謂多言也。婦有2長舌1維飼V階(ト云)是也。】五盗竊。【謂雖v不v得v財亦同2盗例1也。】六妬忌。【謂以v色曰v妬以v行曰v忌也。】七惡疾。夫手(ツカラ)書與v之。與2尊屬近親1同|署《ナシルセ》。【謂尊屬近親相須(テ)。即男家女家親屬共(ニ)署也。】若不(ンハ)v解v書(ヲ)指(ヲ以)爲(セ)v記
三不去云。去下疑脱2例而耶。令義解云。妻雖v有v棄有2三不去1。一(ニハ)經《フ》v持2舅姑之喪1。【謂持(ハ)猶2扶持1也。】二(ニハ)娶(ル)時賤(シテ)後(ニ)貴。【謂依v律稱v貴者皆據2三位以上1。其五位以上即爲2通貴1。但此條(ニ)曰v貴者、直謂2娶時貧苦下賤(ニシテ)棄日官位可(ヲ)1v稱而已。不2必五位以上(ノミ)1也。】三有v所v受無v所v歸。【謂無2主婚之人1是爲v無v所v歸。言不v窮也。】即犯(サハ)2義絶、淫洪、惡疾(ヲ)1不(レ)v拘(ハラ)2此令(ニ)1。集に引るは、律の文なるへし。古樂府詩云【第十二つるはみのきぬときあらひまつち山といふ哥の注にひけり。】後漢書曰。貧賤之知不v可v忘。糟糠之妻不v可v下v堂
 
詔書云、
(8)愍2賜義夫節婦1、
謹案2先件數條1逮法之基、化道之源也、然則義夫之道、情存無v別、一家同v財、
 
元明紀、和銅七年六月二十八日大赦詔書云、孝子順孫義夫節婦(ハ)表(シテ)2其門閭(ニ)1終(ルマデ)v身(ヲ)勿(ラシメヨ)v事、令義解第三云、凡(ソ)孝子順孫、【謂高柴泣血三年、顧悌絶漿五日之類、孝子也、原穀喩父迎祖、※[登+おおざと]殷冒雪獲芹之類、順孫也、】義夫節婦、【謂辛威五代同〓、郭〓七世共居之類、義夫也、衛共姜、楚白妃之類、節婦也、】志行聞2於國郡1者申(シテ)2太政官(ニ)1奏聞(シテ)表(セヨ)2其門閭(ニ)1、
 
初、詔書云愍賜義夫節婦 元明紀、和銅七年六月廿八日大赦詔書云。〇孝子順孫義夫節婦表2其門閭1終(ルマテ)v身勿(ラシメヨ)v事。令義解第三云。凡孝子順孫【謂高柴泣血三年、顧悌絶v漿五日之類孝子也。原穀喩v父迎v祖、※[登+おおざと]殷冒v雪獲v芹之類順孫也。】義夫節婦【謂辛威五代同〓、郭〓七世共居之類義夫也。衛(ノ)共姜楚白妃之類節婦也。】志行聞2於國郡1者申2太政官1奏聞表2其門閭1。【謂假名於其門及里門尋推之※[片+旁]題云2孝子門若里(ハ)1也。】同籍悉免(セ)2課役1。有(ラハ)2精誠通感者1【謂孟宗泣生冬笋、梁妻哭崩城之類通感。】別加(ヘヨ)2優賞(ヲ)1。豈有忘舊愛新之志哉。
 
豈有2忘v舊愛v新之志1哉、所以綴2作數行之歌1、令v悔2棄v舊之惑1、其詞曰、
 
4106 於保奈牟知須久奈比古奈野神代欲里伊比都藝家良之父母乎見波多布刀久妻子見波可奈之久米具之宇都世美能(9)余乃許等和利止可久佐末爾伊比家流物能乎世人能多都流許等太弖知左能花佐家流沙加利爾波之吉余之曾能都末能古等安沙余比爾惠美々惠末須毛宇知奈氣支可多里家末久波等己之部爾可久之母安良米也天地能可未許等余勢天春花能佐可里裳安良多之家牟等吉能沙加利曾波居弖奈介可須移母我何時可毛都可比能許牟等末多須良无心左夫之苦南吹雪消益而射水河流水沫能余留弊奈美左夫流其兒爾比毛能緒能移都我利安比弖爾保騰里能布多理雙坐那呉能宇美能於支乎布可米天左度波世流支美我許己呂能須敞母須弊奈佐《オホナムチスクナヒコナノカミヨヨリイヒツキケラシチヽハヽヲミレハタフトクメコミレハカナシクメクシウウツセミノヨノコトワリトカクサマニイヒケルモノヲヨノヒトノタツルコトタテチサノハナノサケルサカリニハシキヨシソノツマノコトアサヨヒニヱミヽヱマスモウチナケキカタリケマクハトコシヘニカクシモアラメヤアメツチノカミコトヨセテハルハナノサカリモアラタシケムトキノサカリソナミヲリテナケカスイモカイツシカモツカヒノコムトマタスラムコヽロサフシクミナミカセユキヽエマシテイミツカハナカルミナワノヨルヘナミサフルソノコニヒモノヲノイツカリアヒテニホトリノフタリナラヒヰナコノウミノオキヲフカメテサトハセルキミカコヽロノスヘモスヘナサ》 言2佐夫流1者、遊行女婦之字(10)也
 
伊比都藝家良之、【別校本、之作v久、】  曾能都末能古等、【官本、等字點云vト、】  佐可里裳安良多之家牟、【官本、良下有2牟等末三字1、注云、此三字諸本無v之、】  那具能宇美能、【校本、幽齋本、並具作v呉、】
 
父母乎より下六句は第五の山上憶良令v反2惑情1歌を本とせられたる歟、世人ノ立ルコトタテは仁コ紀に御製云、于磨臂苫能多菟屡虚等太弖《ウマヒトノタツルコトダテ》云々、今は夫妻は人の常の道なるを云なり、曾能都末能古等は官本に依て等を音に讀べし.カタリケマクハとは語りつらむはと云はむが如し、第三に通計萬四波《カヨヒケマシハ》と云へるに同じてにをはなり、天地ノ神言ヨセテ、第四に笠金村歌にもよめり誓ふなり、佐可里裳安良多之家牟、是は官本に、佐可里裳安良牟等末多之家牟《サカリモアラムトマタシケム》、と有に依べし、波居弖は今按是も波奈禮居弖《ハナレヰテ》なりけむを奈禮の兩字落たるなるべし、イツシカモし〔右○〕は助語なり、南吹は今按吹をかぜと讀こと勿論なれどみなみかぜならば此にては南風と書べければミナミフキと讀べし、古事記仁徳天皇段に、吉備(ノ)黒日賣歌に夜麻登弊邇爾斯布岐阿宜弖《ヤマトヘニヽシフキアゲテ》云々、風と云はずして南ふきと云べきこと此に准らふべし、春の比より佐夫流兒に迷ひそめたるべければかくはつゞけられたるなるべし、ヨルベナミはよるべなき(11)なり、うかれめなればかくは云へり、紐ノ緒ノイツカリアヒテは第九に紐兒爾伊都我里座者《ヒモノコニイツカリヲレバ》と云に注せるが如し、移《イ》は發語の詞なり、那具能宇美は具は呉に作れる本に依べし、オキヲフカメテサドハセルは末と左と同韻にて通ずれば深く迷へるなり、
 
初、大なむちすくなひこなの神代より かやうにつゝけたる事、第三第六第七等にも有て、神代紀を引て尺しき。父母をみれはたふとくめこみれはかなしくめくし。これは第五に、山上憶良、令v反2惑情1歌に、ちゝはゝをみれはたふとし、めこみれはめくしうつくし、よのなかはかくそことわりとよみ出されたるにおなし。うつせみのよのことわりとかくさまにいひけるものを。これは第十五に中臣宅守哥に
  よのなかのつねのことわりかくさまになりきにけらし末のたねから
よのひとのたつることたては、日本紀に仁徳天皇御哥
  うま人のたつることたてうさゆつるた|ゆ《エ》まつかんにならへてもかも《・君子立言立儲《ヲサ》弦神功紀絶間將續並》
ちさの花、山ちさなり。第七第十一にもよめり。かたりけまくはとは、かたりけむはなり。第三にも、つのさはふいはむらの道をあさかれすよりけむ人のおもひつゝかよひけましはとよめり。今の心におなし。とこしへにかくしもあらめやは、とこしなへにかくてのみまつしくいやしくてあらんやなり。第九にも、とこしへに夏冬ゆけやとよめり。允恭紀に衣通姫の哥にもとこしへに君もあへやもと讀たまへり。天地のかみことよせて、第四に笠金村の長哥にも此二句あり。天神地祇をかけてちかふなり。春花の。此下の二句に文字落たり。今これをゝきなはゝ、佐可里裳安良波多能之家牟なり。波居※[氏/一]。これは波は彼の字の誤にて、をちにゐてなるへし。第十三に、うみをなす長門の浦に朝なきにみちくる塩の、夕なきによりくるなみの、そのしほのいやます/\に、その浪のいやしくくにとよめる中の、そのしほのといふ句を、波塩乃とかけるを、點はそれにまかせてなみしほのとつゝけたり。そのなみのといふ句に彼浪乃とかけるをもてみれは、彼塩乃にて有けること、掌をさすかことし。今もそれに准して誤れる事を知へし。南風雪きえまして。越中にして五月中旬の哥なれは、をりふしによせて遊女を妻とせることをそしりて、なかるゝみなわのことくいつかたともよるへさためぬさふることいへり。さふるは遊女の名、後の注に見えたり。ひものをのいつがりあひてとは、いは發語のことは、つかりあふなり。袋なとの口を※[金+巣]のやうにまつふを、つかりといふ。つかりあふもその心なり。今俗にくさりあふといへるなり。にほとりのふたりならひゐ、第五卷憶良の哥にも此二句有。なこのうみは、なこ江ともよめる越中にある所の名なり。津のくにゝはあらす。おきをふかめてさとはせるは、ふかくまとへるなり。佐と末と同韻相通なり。舜南風歌云。柳公權聯句云。薫風自v南來、殿閣生2微涼1。伊勢物語にその夜南の風ふきて浪いと高し
 
反歌三首
 
4107 安乎爾與之奈良爾安流伊毛我多可多可爾麻都良牟許巳呂之可爾波安良司可《アヲニヨシナラニアルイモカタカタカニマツラムコヽロシカニハアラシカ》
 
落句は憶良の令v反2惑情1長歌の終と同じ、汝が佐夫流に迷ひて本妻を忘れたるが如くはあるまじきかの意なり、
 
初、高々に待らん心 上におほかりし詞なり。しかにはあらしかとはさやうにてはあるましきかなり。佐夫流にまとひて、本妻を打わすれたる少咋《ヲクヒ》には似す、もとの心にて今やかへりくると高々に望てまたんとなり
 
4108 左刀妣等能見流目波豆可之左夫流兒爾佐度波須伎美我美夜泥之理夫利《サトヒトノミルメハツカシサフルコニサトハスキミカミヤテシリフリ》
 
里人は多くの人の意なり、落句の美夜泥は第二に宮出とかけり、出仕のやう知たるふりをするを知ふりと云へり、尻打振て出仕すると云にはあらず、初の二句はさる(12)道なき史生の使ふは家持のみづからも人の思はむ處耻かしと當りて誡しめらるゝ意も有ぬべし、
 
初、みやてしりふり みやては出仕なり。第二に日並皇子かんさりましける時、舍人等かよめる哥の中に
  夢にたに見さりし物をおほつかな宮出もするかさひのくまわを
しりふりは、宮出のやう我こそ知たれと、知たるふりをするなり。之理夫利とかきたれはふもし濁るへし。此字およそ呉音を用たり。尻打ふりてほこらしけにみやてするといふにはあらす。濁音の夫の字を用たるにても知へし
 
4109 久禮奈爲波宇都呂布母能曾都流波美能奈禮爾之伎奴爾奈保之可米夜母《クレナヰハウツロフモノソツルハミノナレニシキヌニナホシカメヤモ》
 
紅をば佐夫流に喩へ橡の衣をば本妻に喩ふ、ナレニシのに〔右○〕は助語なり、
 
初、くれなゐはうつろふものそ 佐夫流を紅にたとへ、先妻をつるはみのきぬにたとへたり。第十二に
  つるはみのきぬときあらひまつち山もとつ人には猶しかすけり
此哥にてよまれたるなるへし
 
右五月十五日守大伴宿禰家持作之
 
先妻不v待2夫妻之喚使1自來時作歌一首
 
夫妻、【仙覺抄、妻作v君、今本誤矣、】
 
仙覺抄に先妻を家持の先妻と意得られたるは手を拍て笑ふべし、前より鉤※[金+巣]明らかなり、
 
初、先妻不待夫君之喚使 君誤作v妻、目録爲v正。上の哥ともにつゝきたれは、かく題してことわりよく聞え、又哥の後に同月十七日大伴宿禰家持作之といひ、哥にはさふるこかとよみたれは、まきるゝことなし。目録この心を得すして、大に誤れり
 
4110 左夫流兒我伊都伎之等乃爾須受可氣奴婆由麻久太禮利(13)佐刀毛等騰呂爾《サフルコカイシキシトノニスヽカケヌハイマクタレリサトモトヽロニ》
 
伊都伎之、【仙覺抄、並官本、イツキシ、今本訛矣、】  婆由麻、【校本婆作v波、別校本點云、ハユマ、】
 
イツキシ殿ニは小咋《ヲクヒ》が許になり、鈴カケヌとは官使の驛には鈴を懸るを、是は先妻が佐夫流が事を聞付けて腹立て京より急ぎて下る故に鈴かけぬ驛とは云へり、孝徳紀云、几2驛《ハイ》馬傳馬1皆依2鈴傳(ノ)符刻數(ニ)1、凡諸國及關(ニハ)給2鈴契1、並|長官《カミ》執(レ)、無(クハ)次官《スケ》執(レ)、婆は波に作れるをよしとし、點はハユマに依べし、佐刀毛等騰呂爾とは里も此事に噪ぐばかりにの意なり、然らむと思ひつる事よの意なるべし、五雜爼云、唐(ノ)王鐸鎭2渚宮(ヲ)1以禦2黄巣(ヲ)1寇兵漸近、鐸赴v鎭以2姫妾1自隨、留2夫人(ヲ)於家中1、忽(ニ)報夫人離(テ)v京(ヲ)徑(ニ)來(テ)在(ト)2道中(ニ)1、鐸謂(テ)2從事(ニ)1曰、黄巣漸以v南來(リ)、夫人又將v北(ヲ)至、旦夕情味何(ヲ)以(テカ)安處(セム)、幕寮戯曰、不v如v降(ラムニハ)黄巣1、公(モ)亦大(ニ)笑(フ)、
 
初、さふるこかいつきし殿に 少咋を、佐夫流かいつきまつれは、少咋か家を殿といへり。鈴かけぬはゆまくたれり。これは驛 の鈴といふことの有をよめり。それは官使として七道へおもむく人は、鈴を給りて、馬屋つたひに打ふりて過るを聞て、馬やの長か馬のまうけをもするなり。大やけに七の鈴をもてひとりつゝに給るに、其中に口のかけたる鈴あり。其鈴を給はれる使は、道のほとよろつにつけてあしゝとはいへり。はゆまは早馬《ハヤウマ》なり。也宇反由なれははゆまといへり。第十四東哥にも、すゝかねのはゆまうまやとよめり。第十一に、はいまちに引舟わたしともよめり。日本紀にも驛路をはいまちとよみ、はいまはせてなといへり。伊と由と五音通すれはおなしことなり。孝徳紀云。初脩2京師1置2畿内國司、郡司、關塞、斥候、防人、驛馬、傳馬1、及造2鈴(ノ)契1定2山河1。凡給2驛馬《ハイマ》傳馬1皆依2鈴(ノ)傳符刻數1。凡諸国及關給2鈴契1並|長官《カミ》執(レ)。無(ハ)次官《スケ》執(レ)。天武紀上云。即遣2大|分《イタノ》君惠|尺《サカ》〇于留守司高坂王1而令v乞2驛鈴1。〇既而惠尺等至2留守司1擧2東宮命1乞2驛鈴於高坂王1、然不v聽矣。温庭※[竹/均]詩云。晨(ニ)起(テ)動(カス)2征鐸(ヲ)1。朗詠集云。驛路鈴声夜過v山。少咋かもとの妻、都よりおして越中國にくたれるを、鈴もかけぬ驛使下れりと、あまねく人のいひさわくを、里もとゝろにとはよまれたり。五雜組云。唐(ノ)王鐸鎭2渚宮1以禦2黄巣1、寇兵漸近。鐸赴v鎭以2姫妾1自随留2夫人於家中1。忽報夫人離v京徑來已在2道中1。鐸謂2從事1曰。黄巣漸以v南來、夫人又將v北至。旦夕情味何以安處。幕寮戯曰。不v如v降2黄巣1。公亦大笑
 
同月十七日大伴宿禰家持作v之
 
橘歌一首并短哥
 
和名集云、橘【居密反、】一名金衣、【和名太知波奈、】南方草木状下(ニ)云、橘(ハ)白華赤實(ナリ)、皮馨香(テ)有2美味1、今、按此橘と云は今の世に蜜柑と名づくる是なり、俗に橘と云は柑子《カウジ》に似て少さく(14)皮の色黄にして赤からず、味も少酸くして苦《ニガ》ければ美味にあらず、凡そ橘と柑とも詳には分けがたかるべし、
 
初、橘歌一首 南方草木状下曰。橘白華赤實皮馨香有2毒味1。和名集云。兼名苑云。橘【居密反】一名金衣【和名太知波奈】
 
4111 可氣麻久母安夜爾加之古思皇神祖乃可見能大御世爾田道間守常世爾和多利夜保許毛知麻爲泥許之登吉時支能香久乃菓子乎可之古久母能許之多麻敞禮國毛勢爾於非多知左加延波流左禮婆孫枝毛伊都追保登等藝須奈久五月爾波波都婆奈乎延太爾多乎理?乎登女良爾都刀爾母夜里美之路多倍能蘇泥爾毛古伎禮香具播之美於枳弖可良之美安由流實波多麻爾奴伎都追手爾麻吉弖見禮騰毛安加受秋豆氣婆之具禮乃雨零阿之比奇能夜麻能許奴禮(15)波久禮奈爲爾仁保比知禮止毛多知波奈乃成流其實者比太照爾伊夜見我保之久美由伎布流冬爾伊多禮波霜於氣騰母其葉毛可禮受常磐奈須伊夜佐加波延爾之可禮許曾神乃御代欲理與呂之奈倍此橘乎等伎自久能可久能木實等名附家良之母《カケマクモアヤニカシコシスメロキノカミノオホミヨニタチマモリトコヨニワタリヤホコモチマヰテコシトキシキノカクノコノミヲカシコクモノコシタマヘレクニモセニオヒタチサカヘハルサレハヒコエモイツヽホトトキスナクサツキニハハツハナヲエタニタヲリテヲトメラニツトニモヤリミシロタヘノソテニモコキレカクハシミオキテカラシミアユルミハタマニヌキツヽテニマキテミレトモアカスアキツケハシクレノアメフリアシヒキノヤマノコヌレハクレナヰニニホヒチレトモタチハナノナレルソノミハヒタテリニイヤミカホシクミユキフルフユニイタレハシモオケトモソノハモカレストキハナスイヤサカハエニシカレコソカミノミヨヨリヨロシナヘコノタチハナヲトキシクノカクノコノミトナツケヽラシモ》
 
於非多知、【官本、非或作v悲、】  波都婆奈乎、【幽齋本、婆作v波、】  多乎理?、【校本、或多作v手、】  冬爾伊多禮波、【幽齋本、波作v婆、】
 
可見能大御世とは神は垂仁天皇を指て申奉れり、田道間守は田道は氏、間守は名なり、垂仁紀云三年春三月、新羅|王子《コキシノコ》天(ノ)日|槍《ホコ》來歸《マウケリ》云々、自注云、故(レ)天(ノ)日槍、娶2但馬(ノ)出嶋《イツシマノ》人|太耳《フトミヽガ》女麻多烏(ヲ)1生2但馬|諸助《モロスケヲ》1也、諸助生2但馬|日楢杵《ヒナラキヲ》1、日|楢《ナラ》杵生2清彦(ヲ)1、清彦生2田道間守(ヲ)1之、古事記應神天皇段云、又昔有3新羅国主之子名謂2天之日矛1、是人参渡來也、所2以參渡來1者云々、於是天之日矛聞2其妻遁1乃追渡來、將v到2難波1之間、其渡之神塞以不入、故更還泊2多遲摩國1、即留2其國1而娶多遲摩之俣尾之女名前津見1、生2多遲摩母呂須玖1、此之子多遲(16)摩斐泥、此之子多遲摩比那良岐、此之子多遲麻毛理、次(ニ)多遲摩比多訶、次(ニ)清日子【三柱】云々、是に依れば田道間の三字は今の但馬なり、常世爾和多利以下は、垂仁紀云、九十年春二月庚子朔、天皇命2田道間守1遣2常世國1令v求2非時香菓《トキジクノカグノコノミヲ》1、今謂v橘(ト)是也、九十九年秋七月戊午朔、天皇|崩《カミアガリタマフ》2於纒向宮(ニ)1、時御年百四十歳、冬十二月癸卯朔壬子葬2於菅原伏見陵(ニ)1、明(クル)年春三月辛未朔壬午、田道間守至v自2常世國1則|賚物《モチマイデイタルモノ》也、非時香杲八竿八縵《トキジクノカグノミヤホコヤカケ》焉、田道間守於v是|泣《イサチテ》悲歎(テ)之曰、受《ウケタマヒテ》2命|天朝《ミカドニ》1、遠(クヨリ)往《マカル》2絶域《ハルカナルクニヽ》1、萬里《トホク》踏(テ)v波(ヲ)遙(ニ)度(ル)2弱水《ヨワノミヲ》1、是(ノ)常世(ノ)國(ハ)則|神仙秘區《ヒジリノカクレタルクニ》、俗《タヾヒトノ》非(ズ)v所(ニ)v臻(ラム)、是以(テ)往來《カヨフ》之間(ニ)、自(ニ)經《ナリヌ》2十年1、豈|期《オモヒキヤ》獨凌(テ)2峻瀾《タカキナミヲ》1更《マタ》向《マウデコムトイフコトヲ》2本土《モトノクニヽ》1乎、然|頼《ヨリテ》2聖帝之神靈《ヒジリミカドノフユニ》1僅(ニ)得(タリ)2還(リ)來《マウクルコトヲ》1、今天皇既(ニ)崩(テ)不v得2復命《カヘリコトマヲスコトヲ》1、臣雖v生之、亦何(ノ)益《シルシカアラム》矣、乃|向《マヰリテ》2天皇之陵(ニ)1、叫哭《オラヒナキテ》而|自《ミ》死《マカレリ》之、群臣聞(テ)皆|流《ナガシツ》v涙也、古事記中垂仁天皇段云、又天皇以2三宅連等之祖《ミヤケノムラジタチノオヤ》、名(ハ)多遲麻毛理(ヲ)1遣(ハシテ)2常世(ノ)國1、令v求2登岐士玖能迦玖能木實《トキシクノカグノコノミヲ》1、【自v登下八字以v音、】故多遲摩毛理逐(ニ)到2其(ノ)國(ニ)1採2其木(ノ)實1以2縵《カゲ》八矛(ヲ)1將來《モテクル》之間(ニ)天皇既(ニ)崩(マス)、爾多遲摩毛理分(テ)2縵四縵矛四竿(ヲ)1獻(テ)2于太后1以2縵《カケ》四縵矛四竿(ヲ)1獻2置天皇之御陵戸1而|※[敬/手]《サヽゲテ》2其|木《コノ》實(ヲ)1叫哭《オラヒナキテ》以白(サク)、常世《トコヨノ》國(ノ)之登岐士玖能迦玖能|木實《コノミ》持参《モテマヰテ》上|侍《ハベリ》、遂叫哭|死《ウセヌ》也、其登岐士玖能迦玖能木實|者《ハ》是(レ)今(ノ)橘(トイフ)者(ナリ)也、遍照發揮性靈集第四獻2柑子(ヲ)1表(ニ)云、又此菓(ハ)本出(タリ)2西域(ヨリ)1、同詩云、太奇珍妙(ナリ)、何(ヨリカ)將(テ)來(ル)、定(テ)是(レ)天上王母(ガ)里(ナラム)云々、西域記(ニ)云、石榴甘橘諸國皆樹(ウ)、ヤホコモチは紀の如し、又延喜(17)式内膳式云橘子|二十四蔭《ハタカヾアマリヨカケ》、梓《ホコ》橘子十枝云々、時支能は支の下に久の字を落せる歟、ノコシタマヘレ、古風にてはは〔右○〕の字なし、加へて意得べし、孫枝は枝よりさしたる枝は喩へば人の孫子の如し、木を斬て復生ずるを蘖《ヒコバエ》、【魚列反、比古波衣、】と云もひこ〔二字右○〕はまご〔二字右○〕なればまごばえの意なり、毛伊都追は伊と衣と同音なれば萠《モエ》つゝなり、ハツハナヲエダニタヲリテ、屈原九章橘(ノ)頌(ニ)云、緑葉素榮《・ミドリノハシロキハナ》(ノ)紛《・サカムニシテ》(ト)其(レ)可(シ)v喜《ヨミシツ》兮、梁簡文帝(ノ)詠(ズル)v橘(ヲ)詩(ニ)云、擧(テ)v枝(ヲ)折(ル)2縹幹1、ツトニモヤリミは、遣て見るなり、コイレも、カクハシミもオキテカラシミもアユルミも皆上に既に注せり、久禮奈爲爾は仙覺抄に或證本に禮奈爲の三字を落せる由あり、イヤサカハエニは、彌榮になり、應神紀に髪長媛を大鷦鷯に賜ふ時橘によそへてよませ給へる御歌の落句にも伊弉佐伽磨曳那《イササカバエナ》とよませ給へり、シカレコソは然ればこそなり、神の御代は又垂仁天皇を申奉れり、
 
初、田道間守常世にわたり 田道は氏、間守は名なり。垂仁紀云。三年春三月新羅|王子《コキシノコ》天(ノ)日|槍《ホコ》來歸《マウケリ》焉云々。自注云。故天(ノ)日槍娶2但馬(ノ)出嶋《イツシマノ》人|太耳《フトミヽカ》女麻多烏1生2但馬諸助1也。諸助生2但馬日|楢杵《ナラキ》1。々々々生2清彦1。々々生2田道間守1之。九十年春二月庚子朔。天皇命2田道間守1遣2常世園1、令v求2非時香菓《トキシクノカクノコノミヲ》1。今謂v橘是也。九十九年秋七月戊午朔、天皇崩2於纒向宮1。時御年百(アマリ)四十歳《ヨソチ》。冬十二月癸卯朔壬子、葬2於菅原伏見陵1。明(クル)年春三月辛未朔壬午、田道間守至(レリ)v自2常世國1。則|賚物《モチマイデイタルモノ》也、非時香菓八竿八縵《トキシクノカクミヤホコヤカケ》焉。田道間守於v是|泣《イサチテ》悲歎(テ)之曰。受《ウケタヒテ》2命《オホムコトヲ》天朝《ミカトニ》1遠(クヨリ)往《マカル》2絶域《ハルカナルクニヽ》1。萬里《トホク》踏(テ)v浪(ヲ)遙(ニ)度(ル)2弱水《ヨハノミヲ》1。是(ノ)常世(ノ)國(ハ)則|神仙秘區《ヒシリノカクレタルクニ》俗《タヽヒトノ》非v所v臻(ム)。是以(テ)往來《カヨフ》之間(ニ)自(ニ)經《ナヌ》2十年(ニ)1。豈|期《オモヒキヤ》獨凌(テ)2峻瀾《タカキナミヲ》1更《マタ》向《マウテコムトイフコトヲ》2本土《モトノクニヽ》1乎。然|頼2聖帝之神靈《ヒシリミカトノミタマノフユニヨリテ》1僅(ニ)得2還(リ)來《マウクルコトヲ》1。今天皇既崩(テ)不v得2復命《カヘリコト申コト》1。臣雖v生之亦何(ノ)益《シルシカアラム》矣。乃|向《マヰリテ》2天皇之陵1叫哭《オラヒナキテ》而|自《ミ》死《マカレリ》之。群臣聞(テ)皆|流涙《カナシフ》也。性靈集第四獻2柑子1表云。又此菓本出2西域1。同詩云。桃李雖v珍不v耐v寒。豈如2柑橘遇v霜美1、如v星如v玉黄金質、香味應堪實※[竹/甫/皿]※[竹/艮/皿]、太奇珍妙何將來。定是天上王母里、應v表2千年一聖會1、擧摘持獻2我天子1。西域記云。石榴甘橘諸國皆樹(フ)。やほこもちまゐてこし時。やほこは上に引る日本紀に見えたり。又延喜式内膳式云。橘子|二十四蔭《ハタチアマリヨカケ》。桙《ホコ》橋十枝。のこしたまへれ。のこしたまへれはなり。毛詩に貽(ス)2厥(ノ)孫謀(ヲ)1といふかことし。まごえもいつゝは。まこえたもえつゝなり。枝より出る小枝を孫枝といへり。文選※[禾+(尤/山)]叔夜琴賦云。乃|〓《キリテ》2孫枝(ヲ)1准2量所1v任(スル)。第五云。梧桐日本琴一面【對馬(ノ)結石山(ノ)孫枝。】袖にもこきれは、こきいれなり。おきてからしみ。手折たるをそのまゝ置て枯しめてみるなり。をしみてかるゝまて置心なり。應神天皇御哥にも。かくはし《・香妙》。花橘。しつえらは《・下枝等》。人みなとり《・皆把》。ほつえらは《・末枝等》。とりいからし《摘發語令乾》。みつくりのなかつえのふほこもり《三栗中枝含隱》なとよませたまへり。あゆる實はましはる實はなり。第八にも。もゝえさしおふる橘玉にぬく五月をちかみあえぬかに花咲にけりとよめり。第十にも
  秋つけはみ草の花のあえぬかにおもへとしらしたゝにあはされは
霜おけともその葉もかれすときはなすいやさかはえに。第六に葛城王等に氏を橘と給はる時の御哥
  橘は實さへ花さへその葉さへ枝に霜おけとましときはの木
いやさかはえにはいやさかえになり。さきの應神天皇御哥の末にも。みつくりのなかつえのあかれるをとめいささかはえなとよませ給へり。髪長姫を大鷦鷯皇子にたまはる時の御哥なり。しかれこそはしかあれはこそなり。神の御代よりは。垂仁天皇の御代をいふへし。又神代紀にも。橘の名はあれは。まことの神代とも心得へき歟。よろしなへは。よろしくなり。第一。第三。第六等にもよめり。ときしくのかくのこのみ。さきに引る垂仁紀に非時香菓とかけり。非時といふは常は春あるものゝ夏あることきをいふにあらす。いつといふ時をわかぬ心なり。かくはかくはしきなり
 
反歌一首
 
4112 橘波花爾毛實爾母美都禮騰母移夜時自久爾奈保之見我保之《タチハナハハナニモミニモミツレトモイヤトキシクニナホシミカホシ》
 
(18)落句の上の之は助語なり、
 
閏五月二十三日大伴宿禰家持作v之
 
庭中花作歌一首并短哥
 
目録には初に詠の字あり、今は落たる歟、詠にては下の作歌の二字あまりに重疊する歟、見の字などの落たるにや、
 
初、詠庭中花作歌 詠の字目録にあり。こゝにはおとせるなるへし
 
4113 於保伎見能等保能美可等々末支太末不官乃末爾末美由支布流古之爾久太利來安良多末能等之乃五年之吉多倍乃手枕末可受比毛等可須末呂宿乎須禮波移夫勢美等情奈具左爾奈泥之故乎屋戸爾末枳於保之夏能能佐由利比伎宇惠天開花乎移低見流其等爾那泥之古我曾乃波奈豆末爾左由理花由利母安波無等奈具佐無流許已呂之奈(19)久波安麻射可流比奈爾一日毛安流部久母安禮也《オホキミノトホノミカトヽマキタマフツカサノマニマミユキフルコシニクタリキアラタマノトシノイツトセシキタヘノタマクラマカスヒモトカスマロネヲスレハイフセミトコヽロナクサニナテシコヲヤトニマキオホシナツノノヽサユリヒキウヱテサクハナヲイテミルコトニナテシコカソノハナツマニサユリハナユリモアハムトナクサムルコヽロシナクハアマサカルヒナニヒトヒモアルヘクモアレヤ》
 
久太利來、【幽齋本、太作v多、】  安麻射可流、【幽齋本、麻作v末、】
 
マキタマフはまけのまに/\と有しまけ〔二字右○〕に同じ、拜の字任の字などをよめり、コヽロシナクハのし〔右○〕は助語なり、アルベクモアレヤはあるべくもあらむやにて落著はあるべくもあらずなり、
 
初、まきたまふはまけたまふなり。任するなり。まにまはまに/\なり。みゆきふるこしにくたりきは、第十二にも、みゆきふるこしの大山とつゝけたり。越路は雪深き國なれはなり
 
反歌二首
 
4114 奈泥之故我花見流其等爾乎登女良我惠末比能爾保比於母保由流可母《ナテシコカハナミルコトニヲトメラカヱマヒノニホヒオモホユルカモ》
 
4115 佐由利花由利母相等之多波布流許巳呂之奈久波今日母倍米夜母《サユリハナユリモアハムトシタハフルコヽロシナクハケフモヘメヤモ》
 
シタハフルは第九處女墓歌にもよめり、下心に思ひおくなり、心シナクハのし〔右○〕は助(20)語なり、今日モ經メヤモとは長歌の終の意なり、
 
初、さゆり花ゆりもあはむとゝは、此巻上にもかくよめり。したはふる。第九にもかくれぬの下はひおきてとよみ、第十四東哥にも、くもり夜のあかしたはへとよめり。下心にあらまし置心なり。第九に下延とかけり。草木の根の下に打はへてあるやうの心なり。けふもへめやもは、けふ一日も經むやとなり
 
同閏五月二十六日大伴宿禰家持作
 
國〓久米朝臣廣繩以2天平二十年1附2朝集使1入v京、其事畢而天平感寶元年閏五月二十七日還到2本任1、仍長官也舘設2詩酒宴1樂飲、於v時主人守大伴宿禰家持作歌一首并短歌、
 
4116 於保伎見能末支能末爾末爾等里毛知底都可布流久爾能年内能許登可多禰母知多末保許能美知爾伊天多知伊波禰布美也末古衣野由伎彌夜故敝爾末爲之和我世乎安良多末乃等之由吉我敞理月可佐禰美奴日佐未禰美故敷流(21)曾良夜須久之安良禰波保止止支須支奈久五月能安夜女具佐余母疑可豆良伎左加美都伎安蘇比奈具禮止射水河雪消溢而逝水能伊夜末思爾乃未多豆我奈久奈呉江能須氣能根毛己呂爾於母比牟須保禮奈介伎都都安我末川君我許登乎波里可敝利末可利天夏野能佐由里能波奈能花咲爾々布夫爾惠美天阿波之多流今日乎波自米?鏡奈須可久之都禰見牟於毛我波利世須《オホキミノマキノマニマニトリモチテツカフルクニノトシノウチノコトカタネモチタマホコノミチニイテタチイハネフミヤマコエノユキミヤコヘニマヰシワカセコアラタマノトシユキカヘリツキカサネミヌヒサマネミコフルソラヤスクシアラネハホトトキスキナクサツキノアヤメクサヨモキカツラキサカミツキアソヒナクレトイミツカハユキヽエミチテユクミツノイヤマシニノミタツカナクナコエノスケノネモコロニオモヒムスホレナケキツヽアカマツキミカコトヲハリカヘリマカリテナツノノヽサユリノハナノハナヱミニヽフヽニヱミテアハシタルケフヲハシメテカヽミナスカクシツネミムオモカハリセス》
 
コトカタネモチは事結《コトカタネ》持なり、第十の七夕歌に、我はかたすと云に注せしが如し、末爲之和我世とは參《マヰリ》し我背なり、ミヌ日サマネミは上に既に注せり、ヤスクシアラネバのし〔右○〕は助語なり、ユク水ノイヤマシニノミ、是よりネモコロニとつゞくを其間の二句はネモコロを云べき序なり、オモヒムスボレは今はむすぼゝれとのみ云を是(22)は古風なり、安我末川君我、此川〔右○〕の字をつ〔右○〕に用たること集中に唯此一字のみなり、常の以呂波のつ〔右○〕片假名のつ〔右○〕共に此川の字の草なり、爾布夫爾惠美天は第十六に既によめり、阿波之多流は逢たるなり、可久之の之は助語なり、
 
初、年の内のことかたねもち 結の字かたぬとよめり。結束の義にてつかねあつむる心なり。第十に
  しら玉のいほつゝとひを解も見す我はかゝたぬあはん日まつに
これも上のかもしはかよはき、かやすきなとのことくそへたる字にて此かたねもちといへるにおなし。江次第々一云。元日先召2外記1問2諸司具否1、次令d2外記進c外任奏u、付2頭蔵人1奏v之。此次令v申d諸司奏可v付2内侍所1之由u。【御暦、腹赤、氷樣等也。】但腹赤(ノ)奏遲參之時七日奏v之。若又當2卯日1有2卯杖奏1。返給之時、故攝政於2筥中1被《ラル》v結《カタネ》。故土御門右府稱2小野【宮歟】大臣例1不v被v結《カタネ》
みやこへにまゐしわかせを 都邊に參りしわかせをなり。みぬひさまねみは、さは助語にて、あひみぬ日まなくなり。第十七にも
  玉鉾の道に出たちわかれなはみぬ日さまねみこひしけむかも
まなくといふをまねくとよめる事、集中にあまた見えたり。さかみつきは上にも有。酒宴なり。いみつ川雪きえみちて行水の。上にも南風雪消ましていみつ川なかるみなわのとよめり。あかまつ君か。川の字をつとよめる事、此集中たゝ此一所のみなり。今以呂波の中のつもし此最略なり。かたかんなに用るも此畧なり。又此つもしもおなし。にふゝにゑみて。第十六にも、わかせこはにふゝにゑみてといへり。あはしたる、逢たるなり。けふをはしめて、第八にもけふをはしめてよろつよまてにとよめり
 
反歌二首
 
4117 許序能秋安比見之末末爾今日見波於毛夜目都良之美夜古可多比等《コソノアキアヒミシママニケフミレハオモヤメツラシミヤコカタヒト》
 
末末爾、【幽齋本、作2末爾末1、點云マニマ、】
 
下句は面彌《オモイヤ》めづらし都方人《ミヤコカタヒト》なり、
 
初、おもやめつらし 面彌めつらしなり。みやこかた人は都のかたの人なり
 
4118 可久之天母安比見流毛能乎須久奈久母年月經禮波古非之家禮夜母《カクシテモアヒミルモノヲスクナクモトシツキフレハコヒシケレヤモ》
 
落句はこひしくあれやもを久阿(ノ)反加なれば約めて戀しかれやもと云べきを加と家と初四相通して今の如くはよめり、年月經れば少なく戀しからむや多く戀しと(23)なり、
 
聞2霍公鳥喧1作歌一首
 
4119 伊爾之敝欲之怒比爾家禮婆保等登伎須奈久許惠伎吉?古非之吉物能乎《イニシヘヨシノヒニケレハホトヽキスナクコヱキヽテコヒシキモノヲ》
 
保等登伎須、【幽齋本、伎作v藝、】
 
下句は聞に付て彌あかず戀しき意なり、
 
爲d向v京之時、見2貴人1、及相2美人1飲宴之日述uv懷、儲作歌二首
 
4120 見麻久保里於毛比之奈倍爾加都良賀氣香具波之君乎安比見都流賀母《ミマクホリオモヒシナヘニカツラカケカクハシキミヲアヒミツルカモ》
 
三四の句は玉鬘を懸、第三の句は桂蔭なるべし、第十四にも夜麻可都良加氣《ヤマカツラカゲ》とよめり、桂は香はしき木なればカグハシ君ヲとつゞけたり、香細《カグハシ》はコの馨《カウバ》しきなり、是は貴人にまみゆる時のために讀おかるゝなれば我身其陰に依る心に桂蔭とはよそ(24)へらるゝなり、
 
初、かつらかけかくはし君を かつらをかけて衣裳にたきものしたる君なり。又かはそへたる詞にてくはし君歟。細妙等の字をくはしとよめり
 
4121 朝參乃伎美我須我多乎美受比左爾比奈爾之須米婆安禮故非爾家里《マヰイリノキミカスカタヲミスヒサニヒナニシスメハアレコヒニケリ》
 
是は美人に相時のためなり、仍て假粧などよくして宮に參る君がすがたを久しく見ずしてとは云へり、第四句の之は助語なり、美人の中に貴女に相時のためなれば君と云へり、
 
一頭云波之吉與思伊毛我須我多乎
 
此は同輩の美人に相時のために妹と云へり、
 
同閏五月二十八日大伴宿禰家持作v之
 
天平感寶元年閏五月六日以來起2少旱1、百姓田畝稍有2凋色1也、至2于六月朔日1忽見2雨雲之氣1、仍作雲歌一首短歌一絶
 
4122 須賣呂伎能之伎麻須久爾能安米能之多四方能美知爾波(25)宇麻乃都米伊都久須伎波美布奈乃倍能伊波都流麻泥爾伊爾之敝欲伊麻乃乎都頭爾萬調麻都流都可佐等都久里多流曾能奈里波比乎安米布良受日能可左奈禮波宇惠之田毛麻吉之波多氣毛安佐其登爾之保美可禮由苦曾乎見禮婆許巳呂乎伊多美彌騰里兒能知許布我其登久安麻都美豆安布藝弖曾麻都安之比奇能夜麻能多乎理爾許能見油流安麻能之良久母和多都美能於枳都美夜敝爾多知和多里等能具毛利安比弖安米母多麻波禰《スメロキノシキマスクニノアメノシタヨモノミチニハウマノツメイツクスキハミフナノヘノイハツルマテニイニシヘヨイマノヲツヽニヨロツヽキマツルツカサトツクリタルソノナリハヒヲアメフラスヒノカサナレハウヱシタモマキシハタケモアサコトニシホミカレユクソヲミレハコヽロヲイタミミトリコノチコフカコトクアマツミツアフキテソマツアシヒキノヤマノタヲリニコノミユルアマノシラクモワタツミノオキツミヤヘニタチワタリトノクモリアヒテアメモタマハネ》
 
日能可左奈禮波、【幽齋本、波作v婆、】
 
四方ノ道は七道なり、ウマノツメより下の四句二つの伊は發語の詞、初の二句は陸路《クガヂ》のはて次の二句は海路《ウミツヂ》のはてまでなり、延喜式|祈年《トシコヒノ》祭(ノ)祝詞(ニ)云、青海原者棹柁不v干(26)舟舳《アヲウナハラハサヲカヂホサズフナノヘノ》至(リ)留(ラム)極《キハミ》大海|舟滿都都氣?《ニフネミチツヅケテ》自v陸《クガ》徃道者荷緒縛堅?磐根木根履佐久彌?馬瓜《ユクミチハニノヲユヒカタメテイハネコノネフミサクミテウマノツメ》至(リ)留(マル)限(リ)長(キ)道|無v間立都都氣?《マナクタテツツケテ》云々、ソノナリハヒヲは日本紀私記云、農|奈利波比《ナリハヒ》、マキシハタケモは和名集云、續捜神記云、江南(ノ)畠(ニ)種v豆(ヲ)、畠一(ニハ)云2陸田1、【和名八太介、】アサゴトニは日毎になり、シホミカレユクは文選應休※[王+連](ガ)與(フル)2廣川(ノ)長岑文瑜1書云、頃者炎旱|日《ヒヾニ》更(ニ)増々甚(シウシテ)沙礫銷※[金+樂](シ)草木焦卷(ス)、元正紀養老六年秋七月丙子詔(ニ)曰、奉2幣(ヲ)名山(ニ)1奠2祭(スレトモ)神祇(ヲ)1甘雨未(タ)v降(ラ)、黎元失v業、朕(カ)之薄コ致(ス)2于此(ヲ)1歟、百姓何(ノ)罪(アテカ)※[火+焦]萎(スルコト)甚(シキ)矣、ソヲミレバは其を見ればなり、アマツ水アフギテゾ待は第二に日並皇子の薨じ給へる時人麿のよまれたる歌にありき、アシビキノより下四句は廬山記云、天將(ル)v雨(フラン)、則有(テ)2白雲1或冠(フラシ)2峰巖(ニ)1或(ハ)亘2中嶺(ニ)1、謂2之(ヲ)山帶(ト)1不v出2三日(ヲ)1必(ナラズ)雨(フル)、ワタツミノオキツミヤベは神代紀上云、已而天照大神則以2八坂|瓊《ニノ》曲玉1、浮(ケ)2寄(セテ)於天眞名井(ニ)1噛2斷(テ)瓊(ノ)端(ヲ)1而吹出(ル)氣噴《イフキ》之中(ニ)化生《ナル》神(ヲ)号2市杵《イチキ》島姫(ノ)命(ト)1是(ハ)居(マス)2于|遠瀛《トホツミヤニ》1者|也《ナリ》、
 
初、うまのつめいつくすきはみふなのへのいはつるまてに ふたつのいもしは助語なり。延喜式祈年祭祝詞云。青海原者棹|枚《カチ》不v干《ホサス》、舟舳《フナノヘ》能至(リ)留(ラン)極《キハミ》、大海爾舟滿都々氣※[氏/一]、自v陸往道者、荷緒縛堅《ニノヲユヒカタメ》※[氏/一]磐根木(ノ)根|履《フミ》佐久彌※[氏/一]、馬(ノ)瓜(ノ)至(リ)留(ラン)限、長(キ)道無v間久立都々氣※[氏/一]云々。いまのをつゝは、今のうつゝなり。上にいふかことし。よろつつきまつるつかさと、よろつのみつき物奉る官。そのなりはひ。農業なり。はたけ、和名集云。續捜神記云。江南畠種v豆。畠一云陸田【和名八太介。】朝ことにしほみかれゆく。孟子曰。七八月之間旱則苗槁矣。天油然(トシテ)作《オコシ》v雲、沛然(トシテ)下v雨、則苗※[さんずい+悖の旁]然(トシテ)興之矣。文選應休※[王+連]與2廣川長岑文瑜1書曰。頃者炎旱|日《/\ニ》更増甚(シ)。沙礫銷※[金+樂](シ)草木焦卷(ス)。文武紀云。慶雲二年六月丙子太政官奏。比日亢旱田園※[火+焦]卷。元正紀云。養老六年秋七月丙子詔曰。奉2幣名山1奠2祭神祇1、甘雨未v降黎元失v業。朕之薄徳致2于此1歟。百姓何罪※[火+焦]萎甚矣。そをみれははそれをみれはなり。みとりこのちこふかことく。乳をほしかりて乞ふかことくなり。あまつ水あふきてそまつ。天つ水は雨なり。景行紀云。山神之興(シ)v雲(ヲ)零《フラシム》v水《アメヲ》。第二人麻呂長歌に、おほふねのおもひたのみてあまつ水あふきて待にとよめり。第十四に
  かなとでを、あらかきまゆみ、ひが|と《テ》れは、あめをま|との《ツナ》す《・金戸出荒垣間從見日之照者雨待成》、君をと|ま《・待》と《ツ》も
史記晋世家云。繆公曰。知3子欲2急反1v國矣。趙衰與2重耳1下再拜曰。孤臣之仰v君如3百穀之望2時雨1。文選司馬長卿難2蜀父老1檄云。擧v踵思慕若2枯旱之望1v雨。あしひきの山のたをりに。第十三にも、高山のみねのたをりにいめたてゝしゝまつかことゝよめり。文選班彪北征賦云。渉2長路之緜々1兮、遠|紆廻《・メクリテ》(ト)以|樛流《・モトレリ・タヲル》(ト)。宋玉高唐賦云。道|互折《・ツヽラヲリニシテ》(ト)曾累《・カサナレリ》(ト)。わたつみのおきつみやへにたちわたり。神代紀上云。已而天照大神則以2八坂|瓊《ニノ》之曲玉(ヲ)1浮(ケ)2寄(テ)於天(ノ)眞名井(ニ)1、囓2斷(テ)瓊(ノ)端(ヲ)1而吹|出《イツル》)氣噴《イフキ》之中(ニ)化生《ナル》神(ヲ)號(ク)2市杵《イチキ》嶋姫(ノ)命(ト)1。是(ハ)居(マス)2于|遠瀛《オキツミヤニ》1者《カミナリ》也。盧山記云。天將v雨則有2白雲1、或冠2峰巖1或亘2中嶺1。謂2之(ヲ)山帶(ト)1。不v出2三日1必雨
 
反歌一首
 
4123 許能美由流久毛保妣許里弖等能具毛理安米毛布良奴可(27)許己呂太良比爾《コノミユルクモホヒコリテトノクモリアメモフラヌカココロタラヒニ》
 
ホビコリテははびこりてなり、公羊傳云、雲觸(テ)v石(ニ)而生(ス)、膚寸(ニシテ)而合(テ)不(シテ)v崇《ヲヘ》v朝(ヲ)而※[行人偏+扁]2天下(ニ)1者太山之雲(ナリ)也、雨モフラヌカはふれかしなり、
 
初、このみゆる雲ほひこりて 雲はひこりてなり。公羊傳云。雲觸v石而生、膚寸而合(テ)不(シテ)v崇《ヲヘ》v朝(ヲ)而※[行人偏+扁]2天下1者太山之雲也。あめもふらぬかはふれかしなり。心たらひには、上にも、老人もめぬわらはこもしがねかひ心たらひになてたまひをさめたまへはとあり。心にたるほとにふれなり
 
右二首六月一日晩頭守大伴宿禰家持作v之
 
賀2雨落1歌一首
 
4124 和我保里之安米波布里伎奴可久之安良波許登安氣世受杼母登思波佐可延牟《ワカホリシアメハフリキヌカクシアラハコトアケセストモトシハサカエム》
 
腰句の之は助語なり、
 
右一首同月四日大伴宿禰家持作v之
 
七夕歌一首并短哥
 
4125 安麻泥良須可未能御代欲里夜洲能河波奈加爾敝太弖々(28)牟可比太知蘇泥布利可波之伊吉能乎爾奈氣加須古良和多里母理布禰毛麻宇氣受波之太爾母和多之?安良波曾乃倍由母伊由伎和多良之多豆佐波利宇奈我既里爲?於毛保之吉許登母加多良比奈具左牟流許己呂波安良牟乎奈爾之可母安吉爾之安良禰波許等騰比能等毛之伎古良宇都世美能代人和禮毛許己宇之母安夜爾久須之彌徃更年乃波其登爾安麻乃波良布里左氣見都追伊比都藝爾須禮《アマテラスカミノミヨヽリヤスノカハナカニヘタテヽムカヒタチソテフリカハシイキノヲニナケカスコラワタリモリフネモマウケスハシタニモワタシテアラハソノヘユモイユキワタラシタツサハリウナカケリヰテオモホシキコトモカタラヒナクサムルコヽロハアラムヲナニシカモアキニシアラネハコトヽヒノトモシキコラウツセミノヨノヒトワレモコヽウシモアヤニクスシミユキカヘルトシノハコトニアマノハラフリサケミツヽイヒツキニスレ》
 
ワタリモリ舟モマウケズ、此處句絶なり、ソノヘユモは其上よりもなり、伊ユキワタラシ、伊は發語詞、行渡るなり、ウナカケリヰテは舊事紀第四云、大己貴(ノ)命將v婚《ミアハムト》2高志《コシノ》國之沼河姫(ニ)1、行幸《イデマス》之時到(テ)2其沼河姫(ノ)家(ニ)1歌曰云々、如v此歌即爲2宇岐由比1、而宇那賀氣理?(29)至(マデ)v今(ニ)鎭(マリ)坐(ス)也、此(ヲ)謂2神語《カムゴトト》1矣、古事記上、須勢理※[田+比]賣歌云云々、如v此歌即爲2宇岐由比1、【四字以音、】而宇那賀氣理?【六字以音、】至(マデ)v今鎭(マリ)坐(ス)也、此(レ)謂(フ)2之(ヲ)神語《カンゴト》1也、此兩文に依て案ずるに所嬰を神代紀にウナケルと讀たればうなげる玉の如く纏はり居る意なるべし、所嬰は第十三に我うなげる玉のなゝつをとよめる所に注せしが如し、何シカモ秋ニシアラネバ、二つのし〔右○〕は助語なり、コヽウシモは、う〔右○〕とを〔右○〕と同音なればこゝをしもなり、或は宇は乎を誤まれる歟、アヤニクスシミは奇の字をよめり、あやしひと云に同じ意なり、稱徳紀云、天平神護二年十月壬寅、奉v請2脇寺(ノ)※[田+比]沙門像(ヨリ)所v現舍利於法華寺1詔曰、然今示現賜【弊流】如來大御舍利常奉見【余利波】大御色光照?甚美大御形圓滿別好大【末之末世利】特久須之奇事思議【許止】極難、此中に須之久とあるに同じ、延喜式山口祭祝詞云、汝屋船命 爾 天津|奇護言《クスシイハヒコト》 乎【古語云、久須志伊波比許止、】以 ? 言壽鎭白 久 云々、源氏物語帚木に吉祥天女を思ひ挂むとすればほうげづきくすしからむこそ又侘しかるべけれなど見えぬ、此くすしからむは今の意にはあらずと見えたり、又神武紀に※[立心偏+復の旁]※[獣偏+艮]をクスカシマニモトリテとよめるも今の義にあらず、年ノハゴトニは毎年謂(フ)2之|等之乃波《トシノハト》1と第十九に注あれば、年ノハと云上にコトニと云は重言なれど優曇華《うどむげ》の花(30)と源氏の歌にもよめる如く、かゝる例歩き事なり、終の句の須禮は今ならば須留と讀べき所なり、禮と留と通ずればかくよめる歟、上にも此禮の字ありき、
 
初、あまてらす神のみよゝりやすの川中にへたてゝ 日本紀第一云。乃入(テ)2于天(ノ)石窟《イハヤニ》1閉《サシテ》2磐戸1而|幽居《カクレマス》焉。六合《クニ》之内|常闇《トコヤミニシテ》而不vレ知2晝夜《ヒルヨル》之相|代《カハルワキモ》1。于v時八十万(ノ)神《カムタチ》會2合《カムツトヒテ》於天(ノ)安河邊《ヤスノカハラニ》1、計《ハカル》2其可v祷《イノル》之|方《サマヲ》1云々。第十の七夕の哥あまたある中にも、天川やすのわたりとも、天川やすのかはらの有かよひなともよめり。ふねもまうけす。此所句なり。そのへゆもは、その上よりもなり。いゆきわたらし。いは發語の詞、ゆきわたりなり。うなかけりゐて。うなは海なり。天の海に月の舟うけなと第七にもあれは、うなかけりゐては、あまかけりゐてなり。第八の七夕の哥に天川とはよみなから、朝なきにいかきわたり夕塩にいこきわたりともよめれは、なつむへからす。こゝうしもあやにくすしみ。宇と乎と五音相通なれは、こゝをしもなり。くすしみはくるしみなり。すとると同韻にて通せり。上にもあまた有し詞なり。としのはことに。十九に毎年謂2之等之乃波1とあれは、ことにといふは、あまれるやうなれと、うとんけの花ともよめるかことき例なり。いひつきにすれ。此れもし此まゝにては今のてにをはにかなはす。昔はかくも讀ける歟。第七に第十一にも
  みわたせはちかき里わをたもとほり今そわかくれひれふりし野に
  まれにみん君をみんとそひたり手のゆみとるかたのまゆねかきつれ
 
反歌二首
 
4126 安麻能我波々志和多世良波曾能倍由母伊和多良佐牟乎安吉爾安良受得物《アマノカハヽシワタセラハソノヘユモイワタラサムヲアキニアラストモ》
 
伊は發語詞なり、
 
4127 夜須能河波許牟可比太知弖等之乃古非氣奈我伎古良河都麻度比能欲曾《ヤスノカハコムカヒタチテトシノコヒケナカキコラカツマトヒノヨソ》
 
初、やすのかはこむかひたちて 第八にあまの川相向立而、これをこむかひたちてとよみたれは、あひむかひたつといふ詞なり。第十にも、あまの川こむかひたちてこふらくにとよめり。年の立は年に有て唯ひと夜あへはなり。第十にも年のこひこよひつくしてと七夕の哥によめり
 
右七月七日仰2見天漢1大伴宿禰家持作v之
 
越前國〓大伴宿禰池主來贈戯歌四首
 
忽辱2恩賜1、驚欣巳深、心中含v咲、獨座稍開、表裏不v同相違何(31)異、推2量所由1、率爾作策歟、明知加v言豈有2他意1乎、凡貿2易本物1、其罪不v輕、正贓倍贓宜2急并滿1、今勒2風雲1、發2追徴使1、早速返報不v須2延廻1、
 
勝寶元年十一月十二日物所貿易下吏
 
恩賜は下の歌に依るに針袋なり、表裏不v同相違何異、又云、凡(ソ)2易本物(ヲ)1罪不2輕とは下の書云、僕作v囑(ヲ)羅且悩2使君(ヲ)1、夫乞(テ)v水(ヲ)得v酒、從來能口、此等の文に今の第二の歌を合せて按ずるに池主より家持の許へ此を針袋にぬはせて給べとて羅を遣されたるを家持の許によき絹の有けるを表とし池主より遣はされたる羅を裏として面白き袋を縫て贈られたるをかうは戯ふれて書にもかき歌にもよまれたる歟、貿(ハ)爾雅云、貿(ハ)賈市也、註詩曰、抱(テ)v布貿(フ)v絲(ヲ)、贓、玉篇云、作郎切、蔵也、
 
初、貿易【上亡候反。市賣也】
 
謹訴2 貿易人斷官司  廳下1
 
廳下、廳は日本紀にはマツリコトヤとよめり、和名集(ニ)云、四聲字苑云.廳 【汀反、萬豆利古止止乃、】延v賓屋(ナリ)也人衙(ナリ)也、
 
初、廳下 和名集云。四聲字苑云。廳(ハ)打反【万豆利古止止乃】延《ヒク》賓屋也。人衙也
 
(32)別日可v怜之意、不v能2黙止1、聊述2四詠1、准2擬睡覺1、
 
今按別日は別曰にて別紙曰の意なるべし、其故は池主遷任して越前掾と成ことは去年の事なるに今に至て別日と云べからず、又四首の歌の中に別日と云に叶へるもなし、次の書の後云別奉云々歌二頸、此も亦證とすべし、書は彼針袋のために遣はせる羅を除《オキ》てよき絹にて縫て遣はされたるを貿2易本物(ヲ)1など引替て戯たる故に此歌は戯ながらなほく謝するなり、
 
4128 久佐麻久良多比乃於伎奈等於母保之天波里曾多麻敞流奴波牟物能毛負《クサマクラタヒノオキナトオモホシテハリソタマヘルヌハムモノモカ》
 
物能毛負、【幽齋本、負作v賀、】
 
負は賀の誤なり、針は旅にて衣の綻《ホコロビ》たるを縫などして殊に用ある物なれば第二十に防人が妻の歌にも草枕旅のまるねの紐絶ば我手と著《ツケ》ろこれのはるもし、此落句は此針を以てと云へるなり、引合せて見るべし、ヌハム物モガとは、針はあれど衣のなければ衣もがなと云なり、
 
初、草まくらたひのおきなと 第二十に、武藏國防人か妻の哥に
  草枕旅のま|る《ロ》ねの紐たえはあが手とつけ|ろ《東助語》これのはるもし《・吾著此針持》
負は賀の字を誤れり
 
(33)4129 芳理夫久路等利安宜麻敝爾於吉可邊佐倍波於能等母於能夜宇良毛都藝多利《ハリフクロトリアケマヘニオキカヘサヘハオノトモオノヤウラモツキタリ》
 
カヘサヘバは飜せばなり、源氏物語|賢木《サカキ》云、致仕《チシ》の表奉り給ふを云々、せめてかへさひ申たまひてこもり居給ひぬ、床夏云、おとゞもねむころに口《クチ》入れかへさひたまはむはこそはまけざまにてもなびかめとおぼす、下句は己が針袋とも己が針袋や裏も表の如く樣々に續集めたりと云へる歟、若此針袋は人たがへにもやと思ひて引かへして裏を見れば囑《アツラヘ》をなしつる羅を續たるにて己がための袋と慥に知る意にや、
 
初、はりふくろ 針袋なり。旅行人に送るものなり。それをとりあけてまへにおきて、うらをかへしてみれはなり。おのともおのやはおのれか袋ともおのれか袋ともやとなり。うらもつぎたりは裏も續てありなり。前後の心を引合て案するに、家持のかたへ針袋をぬはせて給はれとて、池主のかたよりきぬのはしなとつかはしけむを、それよりまされるおもてに取かへて、うらは池主よりのを續てつかはすゆへに、もしこれはわがにはあらぬにやとかへして裏をみれは、おのかともいかにもおのかなりと決するなり。源氏物語常夏に、おとゝもねんころにくちいれかへさひたまはむにこそはまけさまにてもなひかめとおほす
 
4130 波利夫久路應婢都都氣奈我良佐刀其等邇天良佐比安流氣騰比等毛登賀米授《ハリフクロオヒツヽケナカラサトコトニテラサヒアルケトヒトモトカメス》
 
第二句に二つの意あるべし、一つには常に帶つゞけて放たぬをも云べし、二つには和名云、唐韻(ニ)云〓【音騰、和名於比不久呂、】嚢(ノ)之可(ナリ)v帶也、催馬楽云、庭に生るから薺《ナヅナ》はよきになり、宮人のさぐる袋を己さげたり.此は薺《ナヅナ》の實《ミ》の成たるが袋のやうに見ゆるを云にや、帶(34)袋《オビフクロ》の上に更に針袋を帶るをおびつゞくと云へる歟、テラサヒアルケドは光彩ある絹の針袋を帶てあたりを照して行《アリ》けどもなり、又は衒《テラ》ひてありくと云歟、此を見よかしの意なるを衒ふとは云べし、落句は人も目にたてゝ見とがめぬなり、田舍なる故に好絹をも知らぬなり、
 
初、はりふくろおひつゝけなから 帶續なからなり。てらさひあるけと人もとかめすとは、てらさひは照しなり。錦やうの物を表とせられけれは、光彩あるゆへに、てらさひあるくとはいへるか。又衒の字にて、てらひあるくといふ心歟。これをみよかしといはぬはかりにするを、てらひあるくといふへし。人もとかめすは、過分の針袋なれと、越中守殿より給はりたりと聞て、人もとかめぬなり。又みつから旅の翁とよみたれは、ゆきひらのおきなさひ人なとかめそとよめるやうに、分に應せねと、翁さひすと見て、人もとかめすといへる歟。催馬樂に、庭におふるからなつなはよきなゝり。はれ《拍子詞》、宮人のさぐるふくろをおのれかけたり。雄略紀、狹々城山君韓※[代/巾]といふもの有り。下に※[代/巾]といふ韓袋の心によき名とはいへる歟。※[草がんむり/亭]※[草がんむり/歴]子ヲ袋ニ喩タル歟
 
4131 等里我奈久安豆麻乎佐之天布佐倍之爾由可牟等於毛倍騰與之母佐禰奈之《トリカナクアツマヲサシテフサヘシニユカムトオモヘトヨシモサネナシ》
 
フサヘシニはふさはしになり、ふさふとは相應するを云へばかゝるめでたき針袋を帶ては吾妻などに行てこそふさふべければ此袋をふさはしに吾妻の方へゆかばやと思へど行べき由のなきとなり、離騷云、高(シテ)2余(ガ)冠(ノ)之岌々(タルヲ)1兮、長(ス)2余(ガ)佩《オムモノヽ》之陸離(タルヲ)1、芳(コト)與v澤(ヒ)雜(ハリ)糅(ハレリ)兮、唯(リ)昭(ラカニ)質(シウシテ)其猶未v虧《・ツキ》(ステ)、忽(トシテ)反(リ)顧(テ)以遊(ハシム)v目(ヲ)兮、將(ニ)2往觀(ムト)2乎四荒(ヲ)1佩繽紛(トシテ)其繁飾(セリ)兮、芳(コト)菲々(トシテ)其(レ)彌章(ラカナリ)。又云、及(テ)2余(ガ)飾(ヲ)之方(ニ)壯(ナルニ)兮、周流(シテ)觀(ム)2乎上下(ヲ)1、 
 
初、とりかなくあつまをさして ふさへしにはおさへしにといふ心なり。國のおさへとなる心なり。此針袋をさけては、いかなる鎭守府將軍なとにてゆくとも、はつかしかるまし。あはれさる事にゆかはやとおもへと、ゆくへきよしのまことになしとなり。みなたはふれの詞なり
 
右歌之返報歌者脱漏不v得2探求1也
 
返報の草藁を失なはれたる由の自注なり、
 
初、右歌之返 返哥の草藁をうしなはれたるよしの自注なり
 
(35)更來贈歌二首
 
依d迎2驛使1事u、今月十五日到2來部下加賀郡境1、面蔭見2射水之郷1戀緒結2深海之村1、身異2胡馬1心悲2北風1、乘v月徘徊、曾無v所v爲、梢開2來封1、其辭云、著者、先所v奉書返畏度v疑歟、僕作2嘱羅1且悩2使君1、夫乞v水得v酒、從來能口、論v時合v理何題強v吏乎、尋誦2針袋詠1、詞泉酌不v渇抱v膝獨咲、能※[益+蜀]2旅愁1、陶然遣v日、何慮何思、短筆不宣、
 
部下加賀郡〔五字右○〕、和名集云、加賀國弘仁十四年割(テ)2越前(ノ)國加賀江沼(ノ)二郡(ヲ)1置2此國(ヲ)1、今按|江沼《エヌマ》能美《ノミ》加賀《カヾ》石川《イシカハ》の四郡あれば江沼郡より能美を割、加賀郡より石川を割ける歟、然れば此に加賀郡と云は加賀石川兩郡の内何れと知べからず、面蔭〔二字右○〕は和語なり、影は水に浮て見ゆれば見2射水之郷1と云、是は家持の舘のある方なり、戀緒〔二字右○〕も和語歟、(36)結2深海之村1〔五字右○〕、深海は今池主が到加賀郡の村の名なり、此は深と云詞の戀緒に便よきなり、結は緒の字の縁なり、身異2胡馬1心悲2北風1〔七字右○〕、古詩云、胡馬依2北風1、越中は北に當る故にかくは云へり、其辭云著者〔五字右○〕、此詞いまだ其意を得ず、嘱〔右○〕玉篇云、止屠切符也、夫乞v水得v、從來能口〔九字右○〕は遊仙窟云、乞(テ)v奨(ヲ)得(ルハ)v酒(ヲ)舊來(ノ)神口、打(テ)v兎得v〓(ヲ)、非2意(ノ)所(ニ)1v望、今の意は少の羅を遣はして好き針袋を得たるを喩ふる意なり、不渇〔二字右○〕は官本に渇を竭に改たるに依べし、抱膝〔二字右○〕は劉越石(ガ)扶風(ノ)歌(ニ)云、抱(テ)v膝(ヲ)獨(リ)推藏(ス)陶然〔二字右○〕(ハ)崔曙九日(ニ)登2仙臺1呈2劉明1詩(ノ)落句(ニ)云、陶然(トシテ)一(タヒ)醉(ヒ)酔2菊華(ノ)盃1、
 
初、依迎驛使事 池主初は越中椽にて家持に屬せられけるが、後には越前判官にうつりて、加賀郡より更に此書を家持へ贈なり。加賀は弘仁十四年に越前國より割て置れたりといへは、勝寶元年に部下といへる勿論なり。加賀郡は今の加賀國四郡のうちに有。加賀を一説に天平廿年に置るといへるは誤なるへし。其ころあるひは割あるひは越前に并せなとせは、續日本紀にも見ゆへきを、しからぬうへに、今部下といへるは慥なる證なり。面蔭は和語をもて對句を作られけれは、文字にかゝはるへからす。文選顔延年秋胡詩云。日|落《クレテ》游子|顔《オモカケアリ》。深海之村、加賀郡にある村の名なるへし。おもかけの水にうつりて見え、戀の心のふかき海に結ふといふ、皆所の名にその寄せ有。身異2胡馬1心悲2北風1。古詩云。胡馬依2北風1、越鳥巣2南枝1。越中は越前よりは猶北なるゆへに、かくはいへり。夫乞水得酒從來能口。遊仙窟云。乞v漿得v酒舊來神口。打v兎得v※[鹿/章]非2意(ノ)所(ニ)1v望。よきおもてをつけらるゝ故にかうはいへり。其辭云著者先問奉書返(テ)畏(ル)度(ル)疑(ニ)歟。此心を得す。論時合理何題強吏乎。上におなし。不渇、竭歟。抱膝獨咲。文選劉越石扶風歌、梗概窮林中、抱v膝獨摧藏
 
勝寶元年十二月十五日徴物下司
 
謹上 不伏使君 紀室
 
初、記室 記誤作紀
 
別奉云云歌二首
 
4132 多多佐爾毛可爾母與己佐母夜都故等曾安禮波安利家流奴之能等能度爾《タヽサニモカニモヨコサモヨツコトソアレハアリケルヌシノトノトニ》
 
(37)夜都故等曾、【校本云、ヤツコトソ、】
 
成務紀に阡陌をタヽサノミチ、ヨコサノミチとよみ、縱横をタヽシ、ヨコシとよめり、然れば縱にも横にも左《ト》にも右《カク》にもなり、腰句今の點誤れり校本に依て讀べし、安禮は我なり、落句は主の殿外になり、日本紀に大人をも君をも卿の字をもウシとよめるは宇と奴と同韻にて通ずれば皆ぬしなり、奴の進退主人の命のまゝなる如く我も殿外に在て縱横左右唯君が奴に等しとよめり、崇神紀の歌に瀰和能等能渡《ミワノトノト》とよめるは三輪殿戸《ミワノトノト》なれど今は殿外なるべし、
 
初、たゝさにもかにもよこさも たゝさにもは、たてさにもなり。よこさもは、よこさまにもなり。かにもは、此集にとにもかくにもといふを、かにもかくにもとよめる、そのかにもなり。たてさまにもよこさまにも、とにもかくにも、君かために我はやつこにてそありけるなり。ぬしのとのとには、日本紀に、大人とも君とも卿ともかきて、うしとよめるは、ぬしなり。うとぬと同韻にて通せり。第五に、憶良の帥大伴卿をさして、あがのしのとよまれたるもわかぬしといふことにて、主人とあかめていへるなり。とのとには殿外なり。日本紀に、崇神天皇の御哥に、みわのとのと《・三輪殿戸》とよませたまへるにはかはるへし。それはおしひらかねとあれは、殿戸なり。家持は大伴氏の棟梁と見えたれは、其殿外にありて、やつこの禮をとるといふなり。たゝさよこさは、成務紀云。則|隔《サカヒテ》2山河(ヲ)1而分2國縣(ヲ)1、隨2阡陌《タヽサノミチヨコサノミチニ》1以定(ム)2邑里《ムラヲ》1。因(テ)以2東西(ヲ)1爲2日縱《ヒヽタシ》1南北爲2日横《ヒヨコシト》1
 
4133 波里夫久路巳禮波多婆利奴須理夫久路伊麻婆衣天之可於吉奈佐騰勢牟《ハリフクロコレハタハリヌスリフクロイマハエテシカオキナサヒセム》
 
伊麻婆、【別校本、婆作v波、】
 
スリフクロは火燧を入るゝ袋なり、敦忠家集云、親盛からものゝ使にていくにかねの火うちほくそに沈〔左○〕をしてをゝすりたる袋に 〔左○〕打つけに思ひ出やと故郷の忍ぶ草にてすれるなりけり、後撰集を初て旅に行人に火打つかはせる歌ども見えたり、(38)エテシカは得てしかななり、オキナサビセムは第五にをとめさびをとこさびとよめるを注せしに准らへて知べし、おきなだてと云はむが如し、
 
初、すりふくろ今はえてしか すりふくろは火燧《ヒウチ》を入るゝ袋なり。敦忠家集にいはく。親盛からものゝ使にていくに、かねの火うち、ほくそにちんをして、をゝすりたる袋に
  打つけに思ひ出やとふるさとのしのふ草にてすれるなりけり
翁さひせんは翁めかむなり。第五に、をとめさひとも、をとこさひともよめるかことし
 
宴席詠2雪月梅花1哥一首
 
4134 由吉乃宇倍爾天禮流都久欲爾烏梅能播奈乎理天於久良牟波之伎故毛我母《ユキノウヘニテレルツクヨニウメノハナヲリテオクラムハシキコモカモ》
 
右一首十二月大伴宿禰家持
 
家持、【官本家持下加2作字1、】
 
4135 和我勢故我許登等流奈倍爾都禰比登乃伊布奈宜吉思毛伊夜之伎麻須毛《ワカセコカコトヽルナヘニツネヒトノイフナケキシモイヤシキマスモ》
 
第四句の思毛は助語なり、落句は彌頻益《イヤシキマス》なり、第七詠和琴歌あり引合せて見るべし、
 
初、わかせこかことゝるなへに 第七詠2和琴1歌云
  琴とれは嘆さきたつけたしくも琴の下樋につまやこもれる
古今集に、ならへまかりける時にあれたる家に女のことひきけるをきゝてよみていれたりける、よしみねのむねさた
  佗人の住へきやとゝみるなへになけきくはゝることのねそする
史記樂書云。絲聲哀。※[禾+(尤/山)]叔夜琴賦云。懷(ル)v戚《ウレヘヲ》者聞v之莫v不2※[立心偏+僭の旁]※[立心偏+禀]惨悽※[立心偏+秋]愴(セ)1。傷(シメ)v心(ヲ)含v哀|懊《イク》※[口+伊](ト)《・コヽロカシナヒテ》(「コヽロカナシヒテ」カ)不v能2自《ミ》禁(スルコト・タフルコト)1。いやしきますもは、いやかさなりますなり。つね人は上にもよめり。よのつねの人なり
 
右一首少目秦伊美吉石竹舘宴守大伴宿禰家持作
 
(39)天平勝寶二年正月二日於2國廳1給2饗諸郡司等1宴歌一首
 
定家卿云、第十八自2天平廿年三月廿三日1至(シト)2于同勝寶二年正月二日(ニ)1然れば彼卿の本には此より後の二首落たりけるにやおぼつかなし、
 
4136 安之比奇能夜麻能許奴禮能保與等理天可射之都良久波知等世保久等曾《アシヒキノヤマノコヌレノホヨトリテカサシツラクハチトセホクトソ》
 
保與は和名集云、本草(ニ)云、寄生一名寓生、【寓亦寄也、音遇、和名夜止里木、一云保夜、】夜と與と同音にて通ぜり、祝ふ事には日蔭を用るを寄生も似たる物にて同じく用るにや、カザシツラクハとはかざしつるはなり、千年ホグトゾとは祝の字壽の字をほぐとよめり、千年を祝ふなり、
 
初、山のこぬれのほよよりて ほよはほやなり。和名集云。本草云。寄生。一名寓生【寓亦寄也。音遇。和名夜止里木。一云保夜。】ほやは或は古き木の俣なとに、こと木のはえ出たるをいふことも有。また木にはひかゝりて有かつらをもいふなり。こゝによめるは、かつらのことなり。第十九に山下ひかけかつらけるとよめるこれなり。ひかけはそこに尺すへし。かさしつらくはとは、かさしつるはなり。千年ほくとそは、祝の字をほくとよめり。壽の字をことふきとよむもことほきなり。又さかほかひとよむも、盃の上にて、ほく心なれは、ほくはいはふといふにおなし
 
右一首守大伴宿禰家持作
 
判官久米朝臣廣繩之舘宴歌一首
 
4137 牟都奇多都波流能波自米爾可久之都追安比之惠美天婆(40)都枳自家米也母《ムツキタツハルノハシメニカクシツヽアヒシヱミテハトキシケメヤモ》
 
第四句は相共に咲たらばにて之は助語なり、落句は喜《ヨロコ》びの時じけむやなり、非時をときじくとよめばいつと云限なからむやの意なり、時じけむやときじからじとは意得べからず、
 
初、あひしゑみては しは助語にて、相咲てはなり。ときしけめやもは時しけんやなり。非時とかきてときしくとよめり。時わかぬ心なり。今もいつとわく時あらんや。なからしといふ心にて、ときはならんといふ心なり
 
同月五日守大伴宿禰家持作v之
 
縁d※[手偏+僉]2察墾田地1事u宿2礪波郡主張多治比部北里之家1、于v時忽起2風雨1不v得2辭去1作歌一首
 
主張は帳を誤て張に作れり、
 
初、礪波郡主帳 帳誤作張。但また帳と張と通してかけるか
 
4138 夜夫奈美能佐刀爾夜度可里波流佐米爾許母理都追牟等伊母爾都宜都夜《ヤフナミノサトニヤトカリハルサメニコモリツヽムトイモニツケツヤ》
 
ヤブナミノ里は北里が家ある里の名なり、コモリツヽムは隱り居てつゝしむなり、(41)妹ニ告ツヤは今按第十九に今と同じ年三月廿日の歌ありて次に云く、爲(ニ)3家(ノ)婦《メノ》贈(ルガ)2在(ス)v京尊母(ニ)1所(レテ)v誂(ラヘ)作歌、さて下に同月二十三日の歌あり、此卷上に勝寶元年閏五月までの歌は家絆の妻坂上大孃は京におかれたる由なり、かゝれば其後秋冬の間に喚下されたるなるべし、
 
初、やふなみの里 北里か家ある所なり。はるさめにこもりつゝむと。上に雨こもりとも、雨つゝみともよめり
 
二月十八日守大伴宿禰
 
初、二月十八日守大伴宿禰 家持作の三字落たる歟。もとよりなくともたりぬへし
 
萬葉集代匠記卷之十八下
〔2021年11月18日(木)午前10時40分、初稿本、入力終了〕