萬葉集卷第五
雜歌
神龜五年六月二十三日報フル2凶問ニ1歌一首 太宰帥大伴卿
禍故重疊《クハコテウデウシ》凶問累集《ケウモンルイシウセリ》永《ヒタスラ》懷《イタキ》2崩《クヅス》v心ヲ之悲ミヲ1獨リ流ス2斷《タツ》v腸《ハラワタヲ》之泣《ナンタヲ》1但依テ2兩君ノ大イナル助《タスケニ》1傾命《ケイメイ》纔《ワツカニ》繼《ツグ》耳《ノミ》筆ハ不《ス》v盡《ツクサ》v言《コトヲ》古今ノ所ロナリv歎《タンスル》
報2凶問ニ1 旅人卿の家の凶事を或人吊ひしに返報の哥也大伴卿は即旅人卿也
禍故 わさはひの事也
重疊 かさなりし事也
累集 かさなりつどふ也崩v心断v腸は皆かなしむ心也
兩君大助 兩君誰々と不知大ナル助は吊ひ慰る事なるへし
傾命 已に危《アヤウキ》命也
筆不v盡言 筆端にはえいひつくさすと也古今是を歎く事と也
793 よのなかはむなしきものとしるときしいよゝます/\かなしかりけり
余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊與麻須萬須加奈之可利家理
よのなかはむなしき 浮世ははかなき物と知れは也いよゝとは弥也 旅人卿人をうしなへる事つゝくる折なるへし心経に有空無空畢竟空云々
同年七月廿一日挽歌一首并短歌 筑前守山上臣憶良
盖聞《ケタシキク》四生ノ起滅《キメツ》方《マサニ》夢《ユメニシテ》皆|空《ムナシ》三界ノ漂流《ヒヨウル》喩《タトフ》2環《タマキノ》不ルニ2v息《ヤマ》
所以《コノユヘニ》維摩《ユイマ》大士ノ在《イマスモ》2于方丈ニ1有v懷《イタクコト》2染疾《センシツノ》之|患《ウレヘヲ》1釋迦能仁《シヤカノウニンノ》坐スルモ於2雙林ニ1無v免《マヌカルヽコト》泥(さんずい+亘)《ヲンノ》之苦ミヲ1
故ニ知ンヌ二聖ノ至極《シコクナルスラ》不v能《アタは》v拂フコト2力負《リキフノ》之尋至コトヲ1
三千世界ニ誰レカ能|逃《ノカレン》2黒闇《コクアンノ》之|捜《サクリ》來ルコトヲ1二|鼠《ソ》競走《キソヒはシリテ》而|度《ワタル》目ヲ之鳥|旦《アシタニ》飛ヒ四※[虫+也]|争侵《アラソヒヲカシテ》而過ルv隙《ヒマヲ》之駒夕ニ走ル嗟《アヽ》乎痛《イタマシイ》哉紅顏|共《トモニ》2三從ト1長ク逝《ユキヌ》素質《ソシツ》與《トモニ》2四徳ト1永ク滅ス何ソ圖《はカラン》偕老|違《タカヒテ》2於|要《ヨウ》期ニ1獨飛テ生コトヲ2於半路ニ1蘭室ノ屏風《ヘイフウ》徒《タヽニ》張テ斷《タツ》v腸ヲ之哀シミ弥/\痛ム枕頭ノ明鏡空ク懸テ染ルv均(竹冠)《タケヲ》之涙タ逾《イヨ/\》落ツ泉門一タヒ掩テ無v由シ2再タヒ見《マ》ルニ1嗚呼《アゝ》哀《カナシイ》哉 愛河ノ波浪已ニ先滅ス苦海煩悩亦無v結《ムスフコト》從來《モトヨリ》厭離《エンリス・イトヒハナルヽ》此|穢土《ヱト》本願ス託2生センコトヲ彼ノ浄刹ニ1
同年 憶良か亡婦の挽哥也
蓋聞 挽哥の序也或本此序夕走といふ迄なし
四生 胎卵湿化 是也 般若經に在十二因縁經ニ曰有2四種ノ生1一ニハ腹生者謂フ2人及ヒ畜生ヲ1胎生是也二ニハ寒熱和合生者謂2蟲蛾蚤虱ヲ1湿生者是三ハ化生者謂2天及地獄ヲ1四ハ卵生者謂2飛鳥魚|鼈《ヘツヲ》1法苑珠林
起滅 生と死と也
三界|漂流《ヘウリウ・タヽヨヒナカルヽ》 三界とは欲界《ヨクカイ》色《シキ》界無色界是也瑜伽論并|婆娑《ハシヤ》論等に委
環不v息 三界に流轉《ルテン》して生れかはり死にかはりめくりしてやまぬ事也
維摩 維摩經にあり大士とは瑜伽論に曰有ルヲ2大心大行1名ツク2大士ト1と云々
懷染疾之患 維摩經問疾品に釋尊文殊をして維摩の疾ひを問しむ
釋迦能仁 釋迦は梵語也能仁は飜釋也名義集に委 双林とは娑羅雙《シヤラサウ》樹林釋尊入滅の所也 泥※[さんずい+亘]は梵語滅度と釋ス泥※[さんずい+亘]經有
二聖 維摩と釋尊也 至極とは道徳至り極りて貴《タツトキ》き心也
力負《リキフ》 死する事也荘子大崇師篇曰|藏《カクシ》2舟ヲ於(※[(止/谷)+軽の旁]《タニヽ》1蔵ス2山ヲ於澤ニ1謂2之ヲ固《カタシト》1矣然ニ夜半ニ有テ2力者1負《ヲフテ》之而走ル也此ふることにて死を力負と云
三千世界 長阿含經ニ曰四刕ノ地心即須弥山也此ノ山ニ有テ2八山1遶v外ヲ有2大銕圍山1周廻圍繞ス并一ノ日月晝夜回轉シテ照四天下ヲ1名2一國ト1積ンテ2一千國土ヲ1名ク2小千世界1積2千箇小界ヲ1名ク2中千世界ト1積2一千中千界ヲ1名2大千界1以ノ2三積ヲ1故ニ名2――
黒闇 これも死を云也
二鼠競走 昼夜日月のたかひに過るたとへ也經に有月日のねすみと哥にもよむ事也誰も知事也 度ル目ヲ之鳥 是も目前を過る鳥のことく年月早ク過て人の老死に近き心也婁炭經
四※[虫+也]爭侵 涅槃經二十四ニ曰四大毒※[虫+也]盛《モリテ》2之ヲ一筺ニ1令2久養飴瞻臥起1若一※[虫+也]生スレは2瞋ン恚《イヲ》1者我當3准テv法ニ戮2之ヲ都市ニ1 弘决一ニ妙藥大師釋シテ曰四大成コトv身ヲ如2一筺ノ1一大不はv調能令v犯v重故ニ謂2都市ト1 仙曰地水火風ヲ四※[虫+也]に譬
過隙之駒 是も人生の早く過るたとへ荘子にある詞也此序此本に是迄なし今多本にしたかふてしはらく書侍る
紅顔 うつくしき顔也
三從 婦人は幼ては父に随ひ嫁しては夫にしたかひ夫死ては子に随ふ是を三随といふ儀礼等に有
素質 しろきすかた也
四徳
偕老違於要期 生ては老をともにせんとの契のたかへる心也偕老は毛詩の詞也
獨飛 比翼の契りも半途に絶て環(女偏)《ヤモメ》となる心也双飛獨飛なと云也
蘭室屏風徒張 閨のさひしき心也 芝蘭之室も詩の詞也
染※[竹/均]之涙 血涙やみかたき心也舜崩して后娥皇女英の血涙竹を染し是を班竹の古事と云博物志に有 泉門黄泉の事也
愛河波浪 恩愛の深きを河にたとへて愛河と云彼婦うせて恩愛すてにたえたる儀也 此頌彼蓋聞より夕走まてなき本には書さる也
苦海 十界の佛界の外は皆苦あれは海にたとへて苦海と云こゝは只人間世の生老病死苦愛別離苦等の煩悩晴す一別のゝち再見せぬ歎也
從來厭離 もとよりいとはしき此穢土なれは浄土に早く生れて一蓮托生をねかふと也厭離穢土《ヱンリヱド》欣求浄土《ゴングジヤウト》の心也厭離はいとひはなるゝ也托生はよせうまるゝ也浄刹は浄土也
日本挽歌《ヤマトノヒツキウタ》
日本挽歌 愛河波浪のからうたに對してやまとのひつきうたと云也彼頌なき本には此言葉なし
794 おほきみのとをのみかとゝしらぬひのつくしのくにゝなくこなすしたひきましていきたにもいまたやすめすとしつきもいまたあらねはこゝろゆもおもはぬあひたにうちなひきこやしぬれいはんすへせんすへしらにいはきをもとひさけしらすいへならはかたちはあらんをうらめしきいものみことのあれをはもいかにせよとかにほとりのふたりならひゐかたらひし心そむきていへさかりいます
大王能等保乃朝廷等斯良農比筑紫國尓泣子那須斯多比枳摩斯提伊企陀尓母伊摩陀夜周米受年月母伊摩他阿良祢婆許々呂由母於母波奴阿比陀尓宇知那※[田+比]枳許夜斯努礼伊波牟須弊世武須弊斯良尓石木乎母刀比佐氣斯良受伊弊那良婆迦多知波阿良牟乎宇良賣斯企伊毛乃美許等能阿礼乎婆母伊可尓世與等可尓保鳥能布多利那良毘※[田+比]為加多良比斯許々呂曽牟企※[氏/一]伊弊社可利伊摩須
とをのみかと 筑紫は遠境なから王土なれは遠の朝廷と云也
しらぬひ 筑紫の枕詞也
なくこなす したひといはん枕詞也憶良筑前守にて下りし時此女も京よりしたかひ來る也
とし月もいまたあらねは 年月と云程もなき心也
こゝろゆも思はぬあいたに 心にも也彼女したひきて息《イキ》も休《ヤスメ》す程もなく心にも思懸ぬ間にうせしと也
うちなひきこやしぬれ 仙曰こやとはふすを云ふすといはんとてうちなひきとは置る也愚案拾遺集聖徳太子ふせる旅人とあるに日本紀にはこやせる其旅人と有こやしぬれとはふしぬれはと云詞也 せんすへしらにはせんわきしらす也
いは木をもとひさけ ※[云/鬼]《タマシイ》の岩木にもよらす行末不《レ》ルv知《シラ》心也とひさけは飛離《トビサケ》也
いへならはかたちはあらんを 此女家内にあらは其形勢あるへきをうらめしくも家をさかりて形もとゝめずと也 いものみこと 女をかしつきいへる詞也
あれをはも 我をは也もは助字也我を何とせよとて也
にほ鳥の 鳰はつかひゐる物なれは二人双ひ居といはん枕詞也いへさかりとは家を離て黄泉に去しと也
反歌
795 いへにゆきていかにかあがせんまくらつくつまやつまやさふしくおもほゆへしも
伊弊尓由伎※[氏/一]伊可尓可阿我世武摩久良豆久都摩夜左夫斯久於母保由倍斯母
いへにゆきていかにかあがせん 仙曰まくらつくとは枕馴たりと云也婦人のゐる家を妻屋と云へし妻と云つゝけんために枕つくとそへたる也愚案さふしくはさひしく也都の家に歸ゆきてもいかに我せんと也
796 はしきよしかくのみからにしたひこしいもかこゝろのすへもすへなさ
伴之伎与之加久乃未可良尓之多比己之伊毛我己許呂乃須別毛須別那左
はしきよし 日本紀釋云端清也|褒美《ホウビ》の詞也云々かくのみからにはかく計の短命なるからに我をもしたひきたりし妹か心のしわさのすへなく悲しさよと也
797 くやしかもかくしらませはあをによしくぬちこと/\見せまし物を
久夜斯可母 阿乎尓與斯久奴知許等其等
くやしかもかくしらませは 悔しき哉也かく短命の妹と知ましかはとく古郷の奈良にゐて歸りて国土を盡くみせん物をと也あをによしは奈良を云枕詞計いひて其事に用る事久堅といひて月に用ひ玉ほこといひて道に用るたくひ也又都なりし所を国と云也なにはのくによしのゝ国のたくひ也あをによし国土とはならの国を云心也
798 いもか見しあふちの花はちりぬへしわかなくなみたいまたひなくに
伊毛 阿布知
いもか見しあふちの花は 楝和名アフチ樗童蒙抄せんだんの花也妹か見し花なれはなつかしきに泪もひぬまにとくちるかおしき心也なるへし
799 おほの山きりたちわたるわかなけくおきそのかせにきりたちわたる
大野山紀利多知和多流和何那宜久於伎蘇 可是 紀利
おほ野山霧立わたる 和名抄に筑前御笠郡に大野有現存六帖に「大野やま麓の浦は霧こめておきその風に月そさやけき云々海邊なるへし見安云おきその風人の息也云々愚案日本紀第一に吹棄氣噴狭霧《フキスツルイフキノサキリ》云々此哥の心は我歎く息《イキ》に霧渡ると也彼大野山の霧をみてかくよめり
反《カヘサフ》v惑《マトヒヲ》歌一首并ニ序并ニ短歌
山上臣憶良
人(イ或有人)或は知テv有ルヲ2父母1忘《ワスレ》於孝養《ケウヤウヲ》1不《スシテ》v顧《カヘリミ》2人倫ヲ1軽《カロンス》v於《ヨリ》2脱?《ヌケルクツ》1自ラ称《セウス》2離俗《リソク》先生ト1意氣は雖v揚《アカルト》2青雲ノ之上ニ1心志ハ猶在2塵泥《ヂンネイ》之中ニ1未《タ・ス》v驗《コヽロミ》2修シv行ヲ得ルv道ヲ之|聖《ヒシリニ》蓋シ是|亡《ウシナフ》v命《メイヲ》之民也|所以《コノユヘニ》指シ2示シ三徳ヲ1更ニ開テ2五|教《カウヲ》1遣《ヲクルニ》v之ニ以シテv歌ヲ令v反《カヘサフ》2其惑ヲ1
歌曰
知v有コトヲ2父母1忘2於孝養ヲ1イ本作知v敬2父母ヲ1忘2於侍養ヲ1
不v顧2人倫1イ妻子ニ作ル
軽v於2脱?1 文選四十三曰|?《クツハカリニシテ》2萬乗ヲ1其レ如v脱《ヌケルカ》註千金萬乗ハ俗皆貴フv之ヲ此|高潔《カウケツ》之人視ルコトv之如ク2草あくた脱?《サウカイタツシ・アクタヌケルクツ》ノ1而已《ノミ》言ウハ輕キ也
意氣ハ雖v掲ルト2青雲ノ之上ニ1 同文云干シテ2青雲ヲ1而直ニ上ル
心志ハ猶在2塵泥之中ニ1イ本 身體猶在2塵俗之中1とあり父母に孝をわすれ人倫をかろんしてぬき捨しくつのことくせはみつからたかぶるともかひなくけからはしき事そと也是彼離俗先生か惑へる所をいましむる詞也
未v驗2修v行得v道之聖ヲ1 聖人の修行得道をこゝろみしらすと也
亡命之民 不幸の物と也
示2三徳ヲ1イニ三綱に作る君臣父子夫婦の道也
五教 虞書舜典に曰敬テ敷ク2五教ヲ1註父子有v親君臣有v義夫婦有v別長幼有v序朋友有v信以2五ノ者ノハ當然之理ナルヲ1而為ス教令ヲ1也
800 ちゝはゝを見れはたふとしめこみれはめくしうつくしのかろえぬはらからうからのかろえぬおひみいはけみともかきのこととひかはしよのなかはかくそことはりもち鳥のかゝらはしもようきくつをぬきつることくふみぬきてゆくちふ人は岩木よりなりてし人かなのらさねあめへゆかはなかまに/\つちならはおほきみいますこのてらす日月のしたはあま雲のむかふすきはみたにくゝのさわたるきはみきこしをすくにのまほらそかにかくにほしきまに/\しかにはあらしか
父母乎美礼婆多布計斯妻子(イ夫を)見礼婆米具斯宇都久志遁路得奴兄弟親族遁路得奴老見幼見朋友乃言問交余能奈迦波加久叙許等和理母智騰利乃可可良波志母與宇既具都遠奴伎都流其等久布美奴伎提由久智布比等波伊波紀欲利奈利提志比等迦名能良佐祢阿米弊由迦婆奈何麻尓々々都智奈良婆大王伊摩周許能提羅周日月能斯多波阿麻久毛能牟迦夫周伎波美跂許斯遠周久尓能麻保良叙可尓迦久尓保志伎麻尓/\斯可尓波阿羅慈迦
めくし 八雲抄云日本紀|憐愛《メクシ》いとをしみ詞林采葉云愛する也
のかろえぬ 遁路得奴と書りのかれ捨かたき也
老みいはけみ 老幼也
もちとりの かゝらはといはん枕詞也しもとは助字也かくあるとならはよといふ心也親妻子兄弟親族老若朋友等こと問かはしなと是世の道理也かくあるとならはと也
うきくつをぬきつることく 彼文選の詞を用ひて離俗先生か妻子親族をすてし事を云
ゆくちふひとは 行云《ユクトイフ》人は也親族を?《クツ》を脱《ヌケ》ることく捨て行といふ人は岩木より生れし人かと也父母もなくて生し人かとの心也なりてし人のなりは生の字也
なのらさねイ本奈何名能良佐祢《ナカナノラサネ》とあり岩木より生し人か汝《ナンチ》が名のれと也但此本には奈何の二字なしなきを可用なのらさねは名のれと也
あめへゆかはなかまに/\ 若天に飛行して此国に住すは汝がまゝと也
つちならはおほきみいます 天にゆかはしらす此地にてならは天子のおはしまし日月の照す天の下雲のむかひ水の渡るきはめに天子のきこしめす国の守るへき法なれは父母妻子等を捨てほしいまゝにはあるましき事と也
むかふす 仙曰むかひふす也愚案只向ふ也きはみは極まり也限と同
たにくゝ 仙曰谷水也水は谷をくゝれは云也 詞林曰 きこしをす 知聞食《シリキコシメス》心也
国のまほら 國の守《マモ》り也守るへき国法そといふ心也但日本紀景行天皇の御哥にやまとは国のまほらとあるは釋曰まほら鳥の脇の下の毛をいふ倍羅《ホロ》羽とすまは真《マ》也|言《イフコヽロハ》鳥の脇の羽の如くおほひかくす国也大和は奥區の由也褒美也といへるは別義か ほしきまに/\しかにあらしとは我か恣にさやうに恩愛を捨て俗を離るとみつから高ぶるへからすと也しかはさやう也さはあるましき事かと彼離俗先生か理に惑へるをいさめかへす心也
反歌
801 ひさかたのあまちはとをしなほ/\にいへにかへりてなりをしまさに
比佐迦多能阿麻遅波等保斯奈保々々尓伊弊尓可弊利提奈利乎斯麻佐尓
ひさかたのあまちは 仙曰あまちは天の道也なほ/\には直々にといふ心也なりをしまさにとはなりはひをしませと也八雲御抄云なりわひは田舎のしわさ田なと也愚案あまちは遠しとは彼あめへゆかはながまに/\といへる心也天へゆかんは迂遠也すなをに世の生業を事としまさねと也
思フv子ヲ歌一首并短歌
山上臣憶良
釋迦如來ノ金口|正説《マサニトキタマフ》d等《ヒトシク》思フコト2衆生ヲ1如シトc羅(目+侯)羅《ラゴラノ》u又|愛《ウツクシミハ》無トv過《スキタル》子ニ至極ノ大聖スラ尚《ナヲ》有リ2愛ムv子ヲ之心1況《イハンヤ》乎|世間《ヨノナカノ》蒼生《アヲヒトクサ》誰レカ不ンv愛マv子ヲ乎《ヤ》
釋迦如來金口 此序或本になし今多本に随へり金口とは佛言を貴みて金口といへり
等思衆生 これ涅槃經鳥喩品の文也但視衆生とあり
802 うりはめはこともおもほゆくりはめはましてしのはゆいつくよりきりしものそまなかひにもとなかゝりてやすいしなさぬ
宇利波米婆胡藤母意母保由久利 斯農波由 物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農(イなさの)
うりはめは 瓜食は也
くりはめは 栗をも食はまして子ともの事を戀忍ふと也
いつくよりきたりし 子を思ふあまりに子はいつくより來たりし物にてかくおもふそと云也まなかひに仙曰|真《マコト》に永日に也袖中抄にもとなはよしな也云々愚案やすいしなさぬはやすきいねをなさぬと也永き日に子を思ふにかゝりて安き眠もなさぬと也しは助字也
反歌
803 しろかねもこかねも玉も何せんにまされるたから子にしかめやも
銀母金母玉母奈尓世武尓 多可良古尓
しろかねもこかねも 金銀珠玉も何にかせん殊勝の寶は子にしくはなしと也
同年七月二十一日世間ノ難《カタキ》v住《トヽメ》歌一首并短歌并序【嘉摩郡ニシテ撰2定ス之ヲ1】 山上臣憶良
哀《カナシム》2世間ノ難キコトヲ1v住所以ニ作テ2一章ノ之歌ヲ1以|撥《ハラフ》2二毛ノ之|歎《ナケキヲ》1其歌曰
哀2世間難1v住 此序異本には易《ヤスク》v集リ難v排《ハラヒ》八大ノ辛苦ナリ難v遂《ヲヒ》易ハv盡キ百年ノ賞樂ナリ古人ノ所v歎スル今亦及ヘリv之ニ所以ニ因テ――
とあり八大辛苦とは人間の八苦を云にや
二毛之歎 文選潘安仁秋興ノ賦ノ序ニ曰余カ春秋三十有二ニシテ始テ見ル2二毛ヲ1註二毛は髪ニ始テ有2二白毛1云々
804 よのなかのすへなきものは年月はなかるゝことしとりつゝきをひくるものはもゝくさにせめよりきたるおとめらかおとめさひすとから玉をたもとにまかししろたへの袖ふりかはしくれなゐのあかもすそひきよちこらとてたつさはりてあそひけんときのさかりをとゝみかねすくしやりつれみなのわたかくろきかみにいつのまかしものふりけんにのほなす(イくれなゐを)おもてのうへにいつくゆかしわかきたりしつねなりしゑまひまよひきさくはなのうつろひにけりよのなかはかくのみならしますらおのおとこさひすとつるきたちこしにとりはきさつ弓をたにきり持てあかごまにしつくらうちをきはひのりてあそひあるきしよのなかのつねに有けるをとめらかさなす板戸ををしひらきいたどりよりてま玉てのたまてさしかへさねしよのいくたもあらねはたつかつゑこしにたかねてかくゆきは人にいとはえかくゆきはひとににくまえおよしをはかくのみならしたまきはるいのちおしけとせんすへもなし
世間 周弊奈伎物能 年月 等利都々伎 佐備周等 麻可志 袖布利可伴之 阿可毛 余知古良等手
等々尾迦祢周具斯野利都礼美奈乃和多迦具漏伎可美尓伊都乃麻可 伊豆久由可 恵麻比麻欲毘伎散久伴奈能 都流伎多智 佐都由美 志都久良
阿蘇比阿留伎斯 佐那周 伊多度利与利提 多都可豆慧 多何祢提可由既(イけ)婆 可久由既(イけ)婆
すへなき物は すへき方なきものはと也
年月はなかるゝことし 文選ニ云ク逝者《ユクモノハ》如シ2流水ノ1
とりつゝきをひくる物は 打續き追《ヲヒ》來る物は百|憂《イウ》の身にせめくると也もゝくさは百種也色々の愁なるへし老來の説不用
おとめらかおとめさひすと 本朝月令五節の事に吉野山の神女の哥謡の詞を少かへていひつゝけたりおとめさひすは女の盛りなる形を云からたまは唐玉也袂にかさり卷《マキ》ぐしたる也
白妙の袖ふりかはし 此詞赤裳すそひきといふ迄異本になし心は明也
よちこらと 仙曰おなし程の子等といふ心也愚案とゝみかねはとゝめかね也
すくしやりつれ 若盛を過しやりつれは也
みなのわた 蜷《ミナ》といふ貝の腸《ワタ》黒き故黒キの枕詞也
かくろきかみ 詞林云かは発語也愚案いつのまかとはいつのまにか也
にのほなす《尓能保奈酒》 丹の穂成也紅粉をよそほふ心也イ紅をとあり同し心也紅顔也
いつくゆか いつくよりか也黒髪白く紅顔しはのよりきたりし心也
つねなりし イ本これよりかくのみならしといふまてなしありて可然
ゑまひまよひき 笑眉引也よのつねなりし花の移ふことく老かはりはてし也花にえみのまゆなどいふ事あるより人の笑の眉作にそへたり
ますらおのおとこさひすと 前のおとめらかおとめさひすとといふより若き女もいつしか紅顔のしはめる事をよめり是より男の若きほとのさま/\なる栄耀有しもやかて年老淺ましき事を云也
さつ弓を さつおの持弓也 たにきりもち 見安云手に握《ニキリ》持也
あかこまに 仙曰赤き毛の馬也しつくらはしつとは下といふ詞なれはよくもなき也是迄仙抄見安云しつくらうちをきしつかに鞍置て也如何
さなすいたと 見安云板戸をならす也愚案さは助語也ならす板戸也
いたどりよりて 仙曰たどりよりて也いは発語也愚案手取よりてにや
またまてのたまてさしかへ 仙曰まきてといはんとて真玉手といへる也見安云まことの玉のやうなる手といふ心也愚案ま玉手のたまては重詞也さしかへはさしかはし也おとめらとねし夜のいくはくもなきに老果しと也
たつかつえ腰にたかねて 仙曰手につきたる杖を腰につかへて也【タとツとネとエと通】
かくゆきは人にいとはえかくゆきは人ににくまえ かくゆけは人にいとはれかくゆけは人ににくまれ也老人を人のきらふさま也仙曰二条院の御本にはとゆきは人にいとはえとありとゆけは人にいとはれ也
をよしをは 見安云をよそは也愚案およそをはのをは助字なるへしいのちおしけとは命おしめと也凡世の人の若か老果て人にいとはるゝ習ひかくのことくなれは命をおしみとめて長生してもせんすへなしと也
反歌
805 ときはなすかくしもかもとおもへともよのことなれはとゝみかねつも
迦久斯母何母等 等登尾
ときはなすかくしもかも 仙曰とゝみかねつもとはとゝめかねつもと云也愚案身を常磐にかくつねにもかなと思へ共老は世の習ひの事なれはとゝめかたしと也
相聞歌二首
大宰帥大伴卿
伏シテ辱クス2來書ヲ1具《ツフサニ》承ル2芳旨ヲ1忽ニ成2隔ツルv漢ヲ之戀ヲ復タ傷《イタム》2抱《イタク》v梁《ウツハリヲ》之意ロヲ1
唯|羨《ウラヤム》去留|無《ナキコトヲ》v恙《ツヽカ》遂《ツイニ》待v披《ヒラクコトヲ》v雲ヲ耳《ノミ》
伏辱來書 大伴旅人卿大宰におはせしに大伴淡消息せし返事の詞也
隔漢之戀 漢は天河也牛女天漢を隔て戀る如く筑紫と奈良遙にて戀る心也
抱梁之意 荘子に尾生人と契て梁下に待に大水至れり抱テv梁ヲ而死大伴淡か我待らんをいたはる心成へし
待v披コトヲv雲耳 逢みん事を待心也隔漢之戀といひし首尾に披《ヒラク》v雲ヲといふ也|呂望《リヨバウ》か文王に遇《ア》ふ※[火+勿]《シヤク》然として如2披テv雲見カ1v日ヲと徐幹中論にある詞とそ
806 たつのまもいまもえてしかあをによしならのみやこにゆきてこんため
多都能馬母伊麻勿愛(めてイ)※[氏/一]之可阿遠尓與志
たつのま 仙曰たつのまとは龍馬也愚案文選十四赭白馬賦曰馬ハ以v龍ヲ名ツク善カ註ニ曰周礼ニ曰凡馬八尺已上為v龍ト えてしかは得てしかな也
807 うつゝにはあふよしもなしぬは玉のよるのいめにをつきて見えこそ
伊昧
うつゝにはあふよしも いめは夢也をは助字也つきて見えこそはうちつゝきて見えこよと也
答歌二首 大伴《トモノ》淡《アハキ》
808 たつのまをあれはもとめんあをによしならのみやこにこん人のため
多米(イ多仁《タニ》)
たつのまをあれは求ん 大伴卿をとく歸したけれは龍馬を我は求てまいらせんと也イたには為に也
809 たゝにあはすあらくもおほく敷妙のまくらさらすていめにし見えん
阿良久毛於保久
たゝにあはすあらくも 見安云あらくもはあるも也愚案さらすてとは立ちさらて也只あはてある事もおほく侘しきに枕さらて夢にはみえむと也
贈ル2梧桐《キリノ》日本琴《ヤマトコトヲ》於中衛大將藤原卿ニ1書《フミ》并ニ歌二首大伴|淡《アハキ》
大伴淡|等《ラ》謹状梧桐ノ日本琴一面【對《ツシ》馬ノ結石《ユフシ》山ノ孫枝也】此琴夢ニ化シテ2娘子《ヲトメニ》1曰|余《ワレ》託《ツケ・ヨセ》2根ヲ遥《ハルカナル》嶋《シマノ》之|崇巒《サウランニ》1
晞《サラス》2幹《カラヲ》九陽《キウヤウノ》之|休光《キウクハウニ》1長ク帶《ヲヒテ》2烟霞《ヱンカヲ》1逍2遥《セウエウシ》2山川ノ之阿《クマニ》1遠《トヲク》望テ2風波ニ1出2入ス鴈木《カンホクノ》之間ニ1唯《タヽ》恐《ヲソラクハ》百年ノ之後|空《ムナシク》朽《クチンコトヲ》2溝壑《カウカクニ》1偶《タマ/\》遭《アヒテ》2良匠《リヤウシヤウニ》1散シテ為《ナル》2小琴ト1不《ス》v顧《カヘリミ》2質《スカタノ》?《アラク》音ノ少《スクナキヲ》1恒《ツネニ》希《ネカフ》2君子ノ左ノ琴ヲ1
即チ歌ニ曰
孫枝 文選註ニ銑カ曰孫枝ハ側ラニ生タル枝也
余託2根ヲ遥嶋之崇巒ニ1 文選稽(のぎへんは上の左)康カ琴賦をうつせり琴賦曰惟|椅梧《キコノ》所ロv生スル兮|託《ツケリ》峻嶽之|崇岡《サウカウニ》1 崇巒タカキヤマ也
晞《サラス》2幹《カラヲ》九陽ノ之休光ニ1 文選ノ琴賦曰|旦《アシタニハ》晞《ホス》2幹ヲ於九陽ニ1註九陽数也陽は日也 同賦曰|吸《スフ》2日月之休光ヲ1註休は養也 えたを日のよき光りにほすと也
逍遙 優遊自在の貌
出2入ス雁木之間ニ1 仙曰荘子ニ曰弟子問2荘子1昨日ノ山中ノ木ハ以2不材ヲ1得3其終コトヲ2天年1今ノ主人ノ雁ハ以2不材ヲ1死ス矣先生テ※[立心偏+勺]《チスル》2何處ニ1荘子|笑《ワラウテ》曰周|恃《ヒトリニ》處2彼之間1才ト與ノ2不才1二門似テv之ニ 而非也故ニ未v免2乎累《ワツラヒヲ》1云々今琴娘子かいふこゝろは才と不才との間に處《ヲル》乎と也
唯恐クは百年ノ之後 死後といふと同此桐枯たらん後むなしく谷底に朽んことを恐れしに遇良匠に逢て琴に作られしと也
不v顧2質?音少ヲ1 卑下の詞也かさりなく音すくなきをかへりみす也
恒希2君子ノ左琴1 君かほとりの琴とならん事をこひねかふと也
810 いかにあらん日のときにかもこゑしらんひとのひさのへわかまくらせん
伊可尓安良武日能等伎尓可母許恵之良武比等能比射乃倍和我麻久良可武
いかにあらん日のとき こゑしらんとは知音とて琴に由ある也伯|牙《カ》鐘子期か古事也仙曰ひさのへはひさのうへ也
僕《ヤツカレ》報《ムクフルニ》詩|詠《ヨミテ》曰
811 こととはぬ木にはありともうるはしききみかたなれのことにしあるへし
許等々波奴樹尓波安里等母宇流波之吉伎美我手奈礼能許等尓之安流倍志
こととはぬ木には ことゝはぬ木とは物いはぬ非情の木といふ心也中臣祓に語問し岩根木の立といひしも同し心也是は物いはぬ桐なからかくあやしきおとめとみゆるなれはうるはしきひとの手に馴ぬへしと也たなれのことは手に馴る琴
琴娘子ノ答テ曰|敬《ツヽシミテ》奉《ウケタマハル》2徳音ヲ1幸甚幸甚片事ニ覺《サメタリ》即感シテ2於夢ノ言ニ1慨《カイ》然トシテ不v得2黙止《モタスルコトヲ》1故ニ附《ツケテ》2公使ニ1聊《イサヽカ》以進御|耳《スルノミ》不具謹状
天平元年十月七日 謹《ツヽシンテ》通2 中衛《チウヱ》高明|閤下《カク カ》
敬テ承2徳音ヲ1 功徳あるこゑ也即此報詠をうやまひていふ詞也
片事覺タリ やかて此夢さめたりと也 慨然 慨 玉篇ニ大息也なけくともいたむともよむ琴娘子か詞をあはれむ心也
附2公使1 きみか使にことつけて進上申と也不具あら/\申心也
中衛 今の近衛《コンヱ》也聖武帝の天平年中に中衛あり平城帝の大同二年に勅して中衛を以右近衛とすと職原抄に有高明は敬フ詞也
答書并短歌 一首
中衛大將藤原卿
謹テ言《マウス》跪《ヒサマツヒテ》承ル2芳音ヲ1嘉懽《カクハン》交《コモ/\》深シ乃チ知ル2龍門ノ之恩ヲ1復|厚《アツクス》2蓬身ノ之上ニ1戀望《レンハウ》殊ナル念ヒ常ノ心ニ百倍セリ謹テ和シテ2白雲ノ之什ヲ1以奏ス2野鄙《ヤヒノ・イヤシ》之歌ヲ1
房前ニ謹状
跪テ承ル2芳音ヲ1 返簡の詞也
嘉懽交深シ 嘉は善也懽は悦也寄夢のたゝちをきゝてよみする心とよろこひとともにふかしとの心也
龍門之恩 後漢の李膺に容接《ヨウセツ・イレマシユ》せらるゝ士を登龍門と号せし事なるへし今此芳音を承る事李膺にいれらるゝごとくなれは龍門の恩復厚といふにや
蓬身 身をひげしていふ詞也荀子曰蓬ノ生スルは2麻中ニ1不スシテv扶ケ自ラ直シ 我身のかく容接《ヨウセツ》せらるゝは蓬《ヨモキ》の麻《アサ》の中に生たるかことくといふ心にて蓬身といふにや又蓬心の身といふ儀なるへし
戀望殊ナル念ヒ まのあたり對面せまほしき思ひ日比に百倍せりと也
白雲之什 什とはうたなとを云也司馬相如ガ大人ノ賦を奏せしを帝御讀して有2凌《リヤウ・シノク》雲之氣1とのたまへる事前漢書に有彼哥をほめて白雲之什といふなるへし野鄙之歌はいやしきうた也房前はさきを云
812 こととはぬきにはありともわかせこかたなれのみことつちにをかめいも
移(イや)母
十一月八日
謹《ツヽシンテ》通《トウズ》2尊《ソン》門ノ記室《キシツニ》1
ことゝはぬ木にはあり わかせこは大伴淡をいふなるへしみことは御琴也つちにをかめやもは下にをかめやはといふに同し地《ツチ》の字なるへし
十一月八日 イ本此下に附ス2還使《クハンシ》大|監《ゲンニ》1とあり 大監は大宰ノ大監といふ官人也今歸ゆへ還使といふなるへし中衛大将の詞也附スはことつくる心也
謹テ通ス2尊《ソン》門ノ記室ニ 尊門とはさきをたつとむ詞也記室とは書記右筆なとの心也|直《ジキ》にいふを憚りて記室まて達するとの心なり事物紀元ニ曰漢書の百官志ニ曰王公大將軍幕府モ皆有リ2記室1掌《ツカサトル》2草表書記ヲ1
詠《ヨメル》2鎮懷石《チンクハイセキヲ》1歌一首并短歌并序
那珂《ナカ》郡伊知ノ郷|蓑《ミノ》嶋|建《タケ》部牛麻呂傳v之ヲ
山上臣憶良
筑前ノ國|怡土《イト》郡|深江村《フカエノムラ》子負原《コフノハラニ》臨《ノソメル》v海ニ丘《ヲカノ》上ニ有2二ノ石1大ナルハ|長《タケ》一尺二寸六分|圍《カクミ》一尺八寸六分|重《ヲモサ》十八斤五兩小ナル者|長《タケ》一尺一寸圍一尺八寸重十六斤十兩並皆|堕圓《タエンニシテ》状《カタチ》如2鷄子《ケイシノ》1
其|美好《ビカウナル・ウルハシクヨキ》者《モノ》不可2勝《アケテ》論ス1所謂《イハユル》徑《ケイ・ワタリ》尺ノ璧《タマ》是也去コト2深江ノ驛家《ムマヤ》ヲ1二十許里《ハタサトハカリ》近ク在リ2路ノ頭《ホトリニ》1公私ノ徃來莫シv不《ストイフコト》2下テv馬ヲ跪《・ヒサマツキヲカム》拜セ1
古老相傳テ曰ク徃昔《ムカシ》息長足日女《ヲキナカタラシヒメノ》命征2討|新羅《シラキノ》國ヲ1之時用テ2茲《コノ》兩石ヲ1挿2著《サシハサミツケテ》袖中ニ1以為スv鎮《シツメント》v懷ヲ所以《コノユヘニ》行人ノ敬2拜ス此石ヲ1
乃作歌曰 或云此二石は者肥前彼杵郡ノ平敷之石當占而取之ト
鎮懷石 懷胎をしつめおさむる石也序にくはし
怡土郡 日本紀には伊都郡とあり
有2二石1 くしみ玉是也
楕圓ニシテ状如2鶏子1 まろくして鳥の玉子の如也
息長足日女命 神功皇后の御事也日本紀九曰|于時《トキニ》也|適《タマ/\》當レリ2皇后ノ之開胎《ウムカツキニ》皇后則取テv石ヲ挿ヒv腰ニ而|祈《ウケヒテ》v之ヲ曰事竟テ還ン日|産《ウマレタマヘ》2於|茲土《ココニ》1其石今在2于伊都ノ縣ノ道ノ邊ニ1
813 かけまくはあやにかしこしたらしひめかみのみことからくにをむけたひらけてみこゝろをしつめたまふといとらしていはひ給ひしまたまなすふたつの石を世の人にしめし給ひて萬代にいひつくかねとわたのそこおきつふか江のうなかみのこふのはらにみてつからをかしたまひてかんなからかんさひいますくしみ玉いまのをつゝにたふときろかも
阿夜尓 多良志比咩 可良久尓 武氣 伊刀良斯※[氏/一] 世人尓 余呂豆余尓 伊比都具可祢等 意枳都布可延 宇奈可美乃 故布乃波良
可武奈何良 可武佐備 久志美多麻 伊麻能遠都豆尓 多布刀伎呂可※[にんべん+舞]
あやにかしこし 奇《アヤニ》可畏《カシコシ》也奇妙におそれ有と貴む心也
かみのこと 足姫を貴みて神の命といふにや又|表筒男《ウハツヽヲ》中筒男《ナカツヽヲ》底筒男《ソコツヽヲ》等の神語に任せて三|韓《カン》を平け給へる事にや只足姫を云也
からくに 韓國也即三韓也仙曰新羅也
むけたいらけ 日本紀には平ムケとよむむけたいらけは重詞也
しつめ給ふと とて也
いとらして 仙曰とりて也いは發語也愚案彼石をとりて祝ひさしはさみ給ふと也
ま玉なす まことの玉のことくなるとの心也
いひつぐかねと 萬世まていひつげとて子負《コフノ》原に手つからをかせ給ふと也
おきつふか江 見安云おきつは枕詞ふか江は名所也
うなかみのこふのはら 見安云うなかみは海上也こふのはらは名所也
みてつからをかし 御手つから置せ給ひて也
かんなから 神なから此二石をたふとみていへる詞也神異なからの心ノ也
くしみたま 仙曰くしはあやしと云詞奇の文字のよみ也愚案|奇御霊《クシミタマ》也見安云二石の名也 いまのをつゝに見安云今の現に也
たふときろかも ろは助字也日本紀にかしこきろかもとも大君ろかもともある類也
反歌
814 あめつちのともに久しくいひつげとこのくしみたましかしけらしも
阿米都知能等母尓比佐斯久伊比都夏等許能久斯美多麻志可志家良斯母
あめつちのともに 天地とゝもに萬世にいひつぎ語りつけとてしかかくいはひ置けらしと也八雲抄云是は神功皇后の新羅を討給ひし時二の石を御裳の腰にさしはさみ給ひたりし是誕生あらしの故なり件の石をくしみ玉といふ也愚案しかしけらしもしかはかく也かくしけりと也又示し也
宴スル2大宰ノ帥大伴ノ卿ノ宅ニ1梅花ノ歌卅二首并序
天平二年正月十三日|萃《アツマリテ》2于帥老之宅ニ1申《ノブ》2宴會ヲ1也時ニ初春令月氣|淑《ヨク》風|和《ヤハラク》梅|披《ヒラキ》2鏡前之粉ヲ1
蘭薫ス2珮後《ハイゴノ》之香ヲ1加以《シカノミナラス》曙ノ嶺移スv雲ヲ松|掛《カケテ》v羅《ウスモノヲ》而傾《カタフケ》v盖ヲ夕ノ岫《クキ》結《ムスフ》v霧ヲ鳥封シテv穀(禾が糸)《ヒナヲ》而迷フv林ニ庭ニは舞フ新蝶アリ空ニハ歸ル故鴈アリ於v是盖ニシv天ヲ坐ニシテv地ヲ促《ツケ》v膝ヲ飛ハスv觴ヲ忘レ2言ヲ一室ノ之裏日本紀1
開ク2衿ヲ煙霞ノ之外ニ1淡然トシテ自ラ放《ホシヒマヽニシ》快然トシテ自足レリ若シ非ハ2翰苑1何以※[てへん+慮]《ノヘン》v情ヲ請フ紀シテ2落梅之篇ヲ1古今夫何ソ異ナラン矣宜クd賦シテ2園梅ヲ1聊カ成c短詠ヲu
帥老 旅人卿也
氣淑風和 淑氣和風皆春のけしき也
梅開鏡前之粉 梅のうつくしく咲しは美人の鏡にむかひて紅粉をよそほふに似たる心也
蘭薫ス2珮後ノ之香ヲ1 説文曰蘭は香草也花常ニ在2春ノ初ニ1離騒ニ曰ク紐テ2秋蘭ヲ1以為v佩《ヲモノト》蘭ををものとせしに香のうしろにかほる心也唐には蘭春さくと也
松掛v羅ヲ 雲のうつりゆく嶺松はうす物をかけたるやう也と也王策記云千歳松樹望而視レハv之有v如コト2偃盖ノ1盖《キヌカサ》
夕岫 岫は山有2岩穴1也
穀(禾が鳥) 尓雅云|須《マチテ》2其母ヲ1而食ス謂2之ヲ穀(禾が鳥)ト1ヒナとよむ
盖v天坐v地 酒徳頌ニ幕v天ヲ席ニスv地ヲ云々此躰也
忘2言ヲ一室之裏 一室のうちは胸中の心也心に面白き事のいはんかたなき儀也王義之蘭亭記曰悟ス2言ヲ一室ノ之内ニ1此語勢を用ゆすへて此序此記を移せり
開2衿ヲ煙霞ノ之外ニ1 春風を楽むさま也文選宋玉カ風賦ニ曰王乃披テv襟《エリヲ》而當《アタテ》v之ニ曰快哉此風云々 淡然 仙曰しつかにしてといふ也 快然 仙曰こゝろよくして也愚案是も蘭亭記にある詞也
非スシテ2翰苑ニ1何以カ※[てへん+慮]ンv情 筆にあらては心をのへんやうなしと也
大|貳《ニ》紀ノ卿
815 むつきたち春のきたらはかくしこそうめをおりつゝたのしきをへめ
烏梅 多努之岐乎倍米
むつきたち春の かくしこそのしは助字也如此梅を折て樂《タノシ》き春を歴んといはんとてたのしきをへめといふ也む月たちは正月のきたる心也
少貳小野ノ大夫《マウチキミ》
816 うめの花今さけるごとちり過ずわかへのそのにありこせぬかも
烏梅 波奈 期等 和我覇 阿利己世奴加毛
うめのはないまさけるごと わかへの園我家の苑也ありこせぬは在|越《コサ》ぬと也今さけることく散過すしてあらせたき心也
少貳粟田大夫
817 うめの花さきたるそのゝあをやきはかつらにすへくなりにけらすや
烏梅 阿遠也疑波 可豆良 奈利尓家良受夜
うめの花さきたる園の 柳の髪をたれしことくなるをめつる心なるへしなりにけらすやは成けるに非や也
筑前守山上大夫
818 春されはまつさくやとの梅花ひとり見つゝや春日くらさん
比等利 波流比久良佐武
春されはまつさくやとの 仙曰春されはといふも春なれはといふも心は春になれはといふ詞也山上大夫は憶良歟
豊後守大伴大夫
819 よのなかはこひしきしへやかくしあらはうめの花にもならましものを
古飛斯宜志恵夜
よのなかは戀しきしゑや 見安云しゑやはよしや也愚案哥の心は心有て世にあれは戀しき事ありよしや非情の梅にならんと也
筑後守|葛《カト》井大夫
820 うめの花今さかりなり思ふどちかさしにしてな今さかりなり
笠ノ沙彌 満誓歟
うめの花今盛也 してなのなは助字也|思同志《オモフトチ》宴會の極也
821 あをやなき梅との花をおりかさしの見てののちはちりぬともよし
阿乎夜奈義烏梅等 能弥※[氏/一]
あをやなきうめとの 柳と梅との花也柳の花は絮と云也のみては酒なるへし
主人
主人 帥老旅人卿歟
822 わかそのに梅の花ちる久かたのあめより雪のなかれくるかも
阿米 由吉
わかそのに梅の花 空より雪のふるかと也雪漲ルv溪ニなとも詩に作れり流れくるともよむへし
大監《ダイゲン》伴氏《トモウシ》百代《モヽヨ》
823 うめの花ちらくはいつくしかすかにこの紀のやまにゆきはふりつゝ
知良久 紀能夜麻
うめの花ちらくは ちらくはいづくはちるはいつくと也只散來るは何方なるへししかすかにはさすかに也この紀の山は筑前の名所とそ
小監《セウゲン》阿《クマ・ア》氏|奥嶋《ヲクシマ》
824 梅のはなちらまくおしみ我そのゝたけのはやしに鴬なくも
多氣 波也之 宇具比須奈久母
梅のはなちらまく惜み 梅の散をおしみて鴬の鳴と也もは助字也竹は梅鴬によせ有物也
小監|土《ハニ》氏百村
825 うめの花咲たるそのゝ青柳をかつらにしつゝあそひくらさな
阿素比久良佐奈
うめの花咲たる園 くらさなは暮さなん也粟田大夫か哥に大同
大典《ダイテン》史《フヒト》氏大原或作ルv魚ニ
826 うちなひく春の柳とわかやとの梅のはなとをいかにかわかん
也奈宜 烏梅 波奈
うちなひく春の柳 仙曰打なひく春の柳と梅花と何も分かたき情あることをよめる也
小典山氏|若《ワカ》麻呂
827 はるされはこぬれかくれてうくひすそなきていぬなる梅かしたえに
波流佐礼婆許奴礼我久利※[氏/一](イこぬれかくりて)志豆延
はるされはこぬれかくれ こぬれ木村《コムラ》也イかくり隠れと同但童蒙抄にはこぬれかくれとは雫にぬるゝといふ事也云々愚案此哥木村可然歟しつえは下枝也梢也大典小典皆官の名也
大判事舟氏麻呂
828 ひとことに折かさしつゝあそへともいやめつらしきうめのはなかも
比等期等尓
ひとことに折かさし いやめつらしき弥珎也大判事太宰府ノ官也
醫師《クスシ》張氏福子
829 梅の花さきてちりなは桜はなつぎてさくへく成にてあらすや
佐久良波那都伎※[氏/一] 奈利
梅花さきて散なは つきてはつゝきて也なりにては成て也には助字也
筑前ノ介|佐《スケ》氏|子首《タネカミ》
830 よろつよにとしはきふとも梅の花たゆることなくさきわたるへし
萬世 得之波岐布 佐吉
よろつよに年はきふとも 年はきふは消の字也日を消しなとも云也年の過さる事也
壹岐守《ユキノカミ》榎(或板)氏安麻呂
831 春なれはうへも咲たる梅の花きみをおもふとよいもねなくに
春なれはうへも咲 うへもはむへ也君とは梅をさして云也詩に此躰ありよいもねなくには夜寝もせすといふ也
神司《カンツカサ》荒《アラ》氏|稲布《イナシキ》
832 うめの花折てかさせるもろ人はけふのあいたはたのしく有へし
うめの花折て 心明也
大|令史《サクハン》野氏|宿奈《スクナ》麻呂
大令史 大宰の属官也
833 としのはに春のきたらはかくしこそうめをかさしてたのしくのまめ
得志能波尓 能麻米
としのはに春の 年のはゝとしことに也毎年と書と哥林良材にいへり此集に有たのしくのまめは酒の事なるへし
小令史田氏|肥《コ》人
834 うめの花今さかりなりもゝ鳥のこゑのこほしき春きたるらし
古保志枳
うめの花今さかり也 仙抄曰もゝ鳥は百鳥諸鳥也こほしきは戀しき也
藥師高氏義通
835 はるさらはあはんともひし梅花けふのあそひにあひみつるかも
波流佐良婆 母比之
はるさらは逢んと 春來らは逢んと思ひし也去は來と同もひしは思ひし也土左日記ニモ思ふをと云へきをもふと有
陰陽師礒氏|法《ノリ》麻呂
836 梅の花たおりかさしてあそへともあきたらぬ日はけふにし有けり
梅の花たおりかさして あきたらぬはあかぬといふ也たらぬのたにこるへからす
?師《サンシ》志氏大道
837 春のゝになくや鴬なつけんとわかへのそのにうめが花さく
奈都氣牟 和何弊
春の野になくや 梅には鴬の馴來る物なれはかくよめりわかへは我家也?師大宰の披官也
大隅《オホスミ》目《サクハン》榎氏鉢麻呂
838 梅花ちりまかひたるをかひにはうくひすなくも春かたまけて
乎加肥尓波 波流加多麻氣※[氏/一]
梅花ちりまかひたる 見安云をかひ岡部也八雲抄云かたまけては片設とかけり物のありまうけたるてい也云々梅のちれは鴬の春に有まうけて鳴となりもは助字也
筑前目田氏|真上《マカミ》(人イ)
839 春の野に霧立わたりふる雪とひとの見るまて梅の花ちる
紀理 比得
春の野に霧立わたり 天霧《アマキル》雪とて霧立わたりしやうに雪の降也
壹岐《ユキノ》目《サクはン》村氏彼方
840 はるやなきかつらにおりし梅の花たれかうかへしさかつきのへに
波流楊那宜 可豆良 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓
はる柳かつらにおりし 春の柳はかつらに折しに梅を盃の上にうかへしは誰かうかへしそと也
對馬目高氏老
841 うくひすのをときくなへに梅の花わきへのそのにさきてちるみゆ
於登
うくひすのをときく 音をきくからに也なへにはからに也わきへは我家也
薩摩目高氏海人
842 わかやとのうめのしつえに遊ひつゝうくひす鳴くも散らまく惜しみ
宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美[薩摩目わかやとの梅の しつえ下枝也散をおしみて鴬のなくと也も助字也
土師《ハジ》氏|御通《ミユキ》
843 梅の花おりかさしつゝもろ人のあそふを見れは都しそもふ
弥夜古之叙毛布
梅の花おりかさし 都しそもふとはしは助字也みやこをそ思ふ也けふの宴會の大宮人の遊ひに似たるより思へるなるへし
小野氏|國堅《クニカタ》
844 いもかへにゆきかもふると見るまてにこゝたもまかふ梅のはなかも
伊母我陛邇由岐 許々陀母
いもかへにゆきかも 妹か家に行といひかけて雪といはん枕詞にをける五文字也童蒙抄こゝたはそこらと云也云々おほくちりまかふと也
筑前ノ拯《セウ》門氏|石足《イソタル》
845 うくひすのまちかてにせし梅か花ちらすありこそおもふこかため
麻知迦※[氏/一] 宇米我波奈知良須阿利許曽意母布故我多米
うくひすのまちがて 鴬の待かねし心なりちらすありこそはちらてあれとの心也思ふ子は思ふ女子を云也
小野氏|淡理《アハタニ》
846 かすみたつなかきはる日をかさせれといやなつかしきうめのはなかも
那我岐波流卑 可謝勢例杼伊野
かすみたつなかき春日 長き日ねもす梅をかさせとも猶あかす弥なつかしきと也
後ニ追《ヲヒテ》和《ワスル》梅ノ花ノ歌四首 イ本ニ思故郷二首の跡にあり
作者未詳
849 のこりたる雪にましれるうめのはなはやくなちりそ雪はけぬとも
由棄 宇梅 半奈 由吉
のこりたる雪にましれる 雪はけぬともとは消ぬるとも也
850 雪の色をうばひてさける梅の花いまさかりなり見ん人もかも
由吉 伊呂 有米 波奈 必登
雪の色をうばひて 白梅の雪の如なるをよめり見ん人もかもは人もかな也
851 わかやとにさかりにさける梅の花ちるへくなりぬみんひともかも
和我夜度尓 左加里
わかやとにさかりに 心あきらか也
852 うめの花いめにかたらくみやひたる花とあれもふ酒にうかへこそ
烏梅能波奈伊米尓加多良久美也備多流波奈等阿例母布左氣尓于可倍許曽
一云 いたつらにあれをちらすなさけにうかへこそ
うめのはないめにかたらく 見安云いめは夢也愚案かたらくは語るといふ也仙曰みやひたる花とあれもふとは情ある花と我思ふとよめり見安云みやひたるはうつくしきといふ心也閑麗《ミヤヒ》 閑の字はかりをもよむ也愚案酒にうかへこそは浮へよと也
思フ2故郷ヲ1歌二首 員外
847 わがさかりいたくくたちぬ雲にとふくすりはむともまたおちめやも
和我佐可理伊多久久多知奴久毛尓得夫久須利波武等母麻多遠知米也母
わかさかりいたくくたち 八雲抄云くたちは物のくたり末になるなり仙曰くたちぬは斜の文字をくたちとよめはわかよはひいたくたけぬとよめる也雲にとふくすりとは仙薬也仙にのほりたる物も欲心おこりぬれは通力うせておつる事なれは我盛いたくたけたれは仙薬を服して通力を得たりとも又おちんとよめる也愚案淮安王劉安仙薬を食て上天せしに其家の鷄犬其残薬をくひて雲にほえしと也国王の宮女を見て多くの仙人欲をおこして堕落《タラク》せし事も有
848 雲にとふくすりはむよはみやこ見はいやしきあか身またおちぬへし
久毛尓得夫久須利波牟用波美也古弥婆伊夜之吉阿何微麻多越知奴倍之
雲にとふ薬はむ世は 服薬登仙せし世には我俗骨なれは都見は故郷を思ふ愛欲出て又落んと也
遊テ2松浦河ニ1贈答ノ歌八首并ニ序
蓬客
余《ワレ》以|暫《シハラク》徃テ2松浦ノ之|縣《サトニ》1逍遥ス聊カ臨ンテ2玉島ノ之|潭《フチニ》1遊覧ス忽チニ値《アフ》2釣ルv魚ヲ女子等ニ1也花ノ容《カタチ》無v雙ヒ光儀《カタチ》無v匹《タクヒ》開キ2柳葉於眉ノ中ニ1發《ヒラク》2桃花ヲ於頬ノ上ニ1意氣《イキ》凌《シノキ》v雲ヲ風流|絶《タエタリ》v世ニ僕問テ曰|誰郷《ナサトノ》誰カ家ノ兒等《コラソ》若疑ラクハ神仙ナル者《モノ》乎《カ》娘等皆|咲《ワラヒテ》答テ曰|兒等《コラ》者《ハ》漁夫ノ之|舎兒《イエノコ》草菴ノ之|微《イヤシキ》者ナリ無クv郷モ無シv家モ何ソ足ラン2稱《ナノリ》云《イフニ》1
唯性便リスv水ニ復《マタ》心樂v山ヲ或は臨2洛浦ニ1而徒羨2王魚ヲ1乍|臥《フシテ》2巫峡《ブカウニ》1以空ク望2烟霞ヲ1今以|邂逅《タマサカニ》相2遇フ貴|客《カクニ》1
不v勝《タヘ》2感應ニ1輙チ陳《ノフ》2?曲ヲ1
而今而後豈可ンヤv非ル2偕老ニ1哉|下官《ヤツカレ》對《コタヘテ》曰唯々敬テ奉《ウケタマハル》2芳命ヲ1時ニ日落チ2山ノ西ニ1驪馬將《マサニ・ス》v去ント遂《ツイニ》申《ノフ》2懷抱ヲ1因贈詠歌曰
蓬客 山上憶良か作名といふ説有可尋之 松浦の事奥ニ委シ 此序は文選十九宋玉か神女ノ賦 曹子建か洛神賦なとの俤を移してかけりとみゆ
花容無雙 洛神賦ニ曰華容|婀娜《アダタリ》 神女賦ニ曰其|象《カタチ》無v雙ヒ
開2柳葉1 眉のみとりなるをいふ也
桃花 紅顔云也
臨2洛浦1而徒羨2王魚ヲ1 唯性便v水と云し心也仙曰王魚者王餘魚也和名ニ引2朱害記1云南海ニ有2王餘魚1昔シ越王作v膾ニ不《ズ》v盡2餘半ヲ1棄《スツ》v水自以2半身1爲v魚故ニ曰2王餘ト1已上彼松浦ノ縣娘子等身の独を守るをあらはして王魚をうらやむと云也
臥2巫峡1以空ク望2烟霞ヲ1 樂山の心也巫山神女か朝雲の俤なるへし
?曲 ヨロコヒノ曲也次の而今而後これ其曲にや
偕老 詩註ニ曰言2偕《トモニ》生《イキ》而偕ニ死スルヲ1
唯唯 あゝとこたふることは也 奉2芳命ヲ1おほせことを聞うけしと也
驪馬 馬深黒也|申《ノフ》2懷抱ヲ1心中のおもひをのふると也
853 あさりするあまのこともと人はいへと見るにしらえぬうまひとのこと
阿佐里 阿末能古 之良延奴
あさりするあまの あさりはすなとり也かの娘子の漁夫之舎児といひしによりてかく云也しらえぬはしられぬ也うまひとのこは日本紀十五ニ君子と書てうまひとのことよめり八雲御抄云是は神仙の事也又美人をうまひとゝよむ見るに其形勢うまひとのことしれ畢と也
答歌
854 たましまのこのかはかみにいへはあれときみをやさしみあらはさすありき
多麻之末能許能可波加美尓伊返波阿礼騰吉美乎夜佐之美阿良波佐受阿利吉
たましまの此河上に 祇曰きみをやさしみとは恥る心也
更贈歌 蓬客
855 まつらかは河のせひかりあゆつるとたゝせるいもかものすそぬれぬ
多多勢流
まつら川かはの瀬 河の瀬光りは彼乙女の形のうるはしき心也たゝせるは立たる也いもは乙女を云也
856 松浦なる玉しま河にあゆつるとたゝせるこらかいへちしらすも
松浦なる玉嶋川 いへちすらすもとは君をやさしみ顕《アラハサ》すと云けるをうけていふ也
857 とをつ人まつらの川にわかゆつるいもかたもとをわれこそまかめ
等富都比等 和可由都流
とをつ人まつらの川 見安云遠人也愚案遠人をまつとうけて讀也見安云わかゆは小鮎也愚案妹か袂を我こそまかめは枕に卷て我こそねんと也
更ニ報ル歌 松浦娘
858 わかゆつるまつらのかはのかはなみのなみにしもはゝわれこひめやも
和可由都流 母波婆
わかゆつる松浦の 若鮎釣也序哥也なみにしもはゝとはなみ/\におもはゝと也
859 春されはわきへの里のかはとにはあゆこさはしるきみまちかてに
和伎覇 加波度 阿由故佐婆斯留吉美麻知我低尓
春されはわきへの里の 我家ノ里也かはとは河渡也あゆこさはしるは鮎子|小走《サハシル》也あゆのはしるを我か君をまちかねて立はしる事にそへてよめり
860 まつら河なゝせのよとはよとむともわれはよとますきみをしまたん
奈奈勢能與騰波
まつら川なゝせのよとは 七瀬の淀は只おほくの瀬々のよとみ也心は明也
追テ和スル歌三首 帥老 大伴卿
861 まつら河かはの瀬はやみくれなゐのものすそぬれてあゆかつるらん
まつら川かはの瀬 祇曰松浦河に鮎釣事は神功皇后占に釣給ひてあなめつらやとの給ひしよりよめり愚案日本紀曰於是皇后|勾《マケ》v針ヲ為v釣ト取テv粒為v餌ト抽2取テ裳ノ糸ヲ1為v緡ト登テ2河中石上ニ1而|投《ナケ》釣ヲ祈《ホキテ》v之ヲ曰|朕《ワレ》西ニカタ欲v求ント2財《タカラノ》國ヲ1若有ラハ2成事1者河魚飲メv釣ヲ因テ以擧テv竿ヲ乃獲《エタリ》2細鱗魚ヲ1時ニ皇后曰|希見物《メツラミモノ》也故時人号2其處ヲ1曰《イフ》2梅豆羅《メツラト》1今謂2松浦ト1訛焉 このことのおこりにてまつら川にあゆつると也
862 ひとみなの見らんまつらの玉嶋を見すてやわれはこひつゝをらん
比等未奈能美良武 美受※[氏/一]
ひとみなの見らん 皆人の見るらん松浦の玉嶋を我は見すしてと也
863 まつら川たましまの浦にわかゆつるいもらを見らん人のともしさ
まつら川玉嶋の 若鮎つる妹等は彼娘子をいへりともしさはすくなき心也我みぬ心より人の乏さといへり
答2和スル人ノ歌ヲ1書并歌四首
吉田ノ連《ムラシ》宜シ
宜啓ス伏シテ奉《タマハル》四月六日ノ賜書ヲ1跪テ開キ2封函ヲ1拜2讀スルニ芳藻ヲ1心神開朗ニシテ似タリv懷《イタクニ》2泰《タイ》初カ之月ヲ1鄙懷|除拂《 ホツシテ・ハラヒ》若シv披《ヒラクカ》2樂廣ノ之天ヲ1至若《シカノミナラス》羈《キ》旅邊《ヘン》城ニ懷テ2古舊ヲ1而|傷《イタミテ》v志ヲ年矢|不《ス》v停《トヽマラ》憶《ヲモヒテ》2平生ヲ1而落スv涙ヲ但シ達人ハ安排君子ハ無シv悶《イキトヲリ》伏シテ冀《ネカハクハ》朝タニ宜ヘテ2懷《ナツクル》v瞿《キジヲ》之化ヲ1暮ニハ存2放《ハナツ》v龜ヲ之術ヲ1架《カシ》2張趙ヲ於百代ニ1追フ2松喬ヲ於千|齡《レイニ》1耳《ノミ》兼テ奉ル2垂示シヲ1梅花ノ芳席群英(手偏+璃の旁)藻松浦玉潭ノ仙媛ノ贈答類ス2杏壇ノ各言ノ之作ニ1疑フ2衡皐税駕《カウカウゼイカノ》之篇カト1耽《フケリ》讀ンテ吟諷シ感謝シテ歡怡《 ンタイス・ヨロコフ》宜|戀《シタフ》v主ヲ之誠誠逾ヘ2犬馬ニ1仰クv徳ヲ之心心同シ葵※[草冠+霍]《キクハクニ》1而碧海分チv地ヲ白雲隔ツv天ヲ徒ニ積ム2傾延ヲ1何ンシテ慰セン2勞緒ヲ1孟秋|膺《・アタル》節伏シテ願クは萬祐|日《ヒヽニ》新ナランコトヲ今因テ2相撲ノ部領使ニ1附シテ2片紙ヲ1啓不次
天平二年七月十日
和2諸人ノ梅花ノ歌ヲ1一首
宜啓 宜は我名也啓は申と云心也是書|簡《カン》の文法なるへし
賜書 たまはれるふみ也
開2封函1 封したる文箱を開也芳藻も文也
懷泰初カ之月 蒙求ニ曰魏志ニ曰夏侯玄|字《アサナハ》太初世説ニ曰曹ト與トv玄共ニ座ス朗朗トシテ如2日月ノ之入1v懷ニ
鄙懷 イヤシキオモヒ卑下也
披樂廣之天 廣樂歟事文類聚ニ曰史記ニ秦ノ穆公夢至ル2帝所ニ1観2鈞天廣樂ヲ1註ニ中央曰2鈞天ト1
邊城ニ懷フ2故舊ヲ1 邊地にてふるき友を思ふ心也
年矢不停 年月の行也
達人安排 荘子大宗師ノ篇ニ安ク排シテ而去ル註ニ安シテ2其ノ所ヲ1v排隨テ2 造化ニ1而去ル
君子無v悶
懷クルv瞿之化 蒙求後漢ノ魯恭有v雉|過《ヨキツテ》止ル2其傍ニ1肥親カ曰化及2鳥獣ニ1
放龜之術 毛寶白亀蒙求に在又浦嶋の子か古事等の心にや
張趙 二氏の名也
松喬 赤松王喬神仙傳
梅花芳席 前の卅二首也
仙媛 かの娘子の事也
杏壇各言之作 荘子ノ雑篇漁父ニ曰孔子遊ヒ2緇帷《シイ》之林ニ1休2坐ス乎杏壇ノ上ニ1、弟子ハ讀v書ヲ孔子ハ絃歌ス奏スルコトv曲ヲ未ルニv半有2漁父者1下リv船ヲ而來ル下畧
衡皐税駕 文選十九洛神ノ賦ニ曰|税《ヲロス》2駕ヲ乎衡皐ニ1註衡皐は香草ノ之澤也
逾ヘ2犬馬ニ1同シ葵※[草冠+霍]ニ1 文選卅七曹子建カ表ニ曰臣伏シテ以レハ犬馬ノ之誠ハ不v能v動コトv人ヲ又曰若シ2葵※[草冠+霍]之傾ルカ1v葉ヲ太陽雖v不ト2為《タメニ》廻ラ1v光ヲ然モ向フv之ニ者誠也こゝは戀v主仰v徳心を云
碧海分v地白雲隔v天筑前と海を隔て天を隔てゝ遠き事を云也
徒ニ積2傾延1 傾延はカタムキヒク也前の葵※[草冠+霍]の心をうつして君をしたふことのつもる事を云にや 何慰2勞緒1心の労不慰と也孟秋七月也
萬祐日新ニ 此和のうたをよくなをしたすけてあらたになせとの心也
因2相撲ノ部領使1 昔は大隅薩摩を初め西国より都へ相撲とも來れり七月相撲節のため也其部領使歸国に付て此返書をやると也
不次 臈次なきと卑下の詞也
864 をくれゐてなかこひせすはみそのふのうめのはなにもならまし物を
那我古飛世殊波 于梅能波奈
をくれゐてなが戀せすは 此哥はまへの豊後守大伴大夫かよの中は戀しきしへやと讀しに和するにや心は我都にをくれゐて汝か戀に預らすは帥老の御園の梅に成へき物をさらは汝に翫はれんと也下句詞同して心はこと也
和スル2松浦ノ仙媛ニ1歌
865 きみをまつまつらのうらのをとめらはとこよのくにのあまをとめかも
伎弥 于良 越等賣 等己與 阿麻
きみをまつ松浦の 此哥は松浦姫か七瀬のよとはよとむとも我はよとます君をしまたんと讀るに和して讀なるへし八雲御抄にとこよの国とは是より北の世界也仙家をもいふへしすべてときはなる国也云々
思フv君ヲ未《スシテ》タv盡《ツキ》重テ題スル歌
866 はる/\におもほゆるかもしらくものちへにへたてるつくしのくには
波漏々々 志良久毛 知弊仁邊多天留都久紫能君仁波
はる/\におもほゆるかも 杳々に也彼返簡に白雲隔v天といへる心也ちへには千重也いくへも隔てる心也
867 きみかゆきけなかくなりぬならちなるしまのこたちもかんさひにけり
枳美可由伎氣那家久 奈良遅 志満乃己太知母可牟佐飛仁家理
きみかゆきけなかく成ぬ 一二句は此集第二磐姫の哥の詞也君か筑紫に行て歎息すると也見安云ならちなるしまとは奈良路なる嶋といふ所也愚案かんさひは君か筑紫に行て年久けれはこゝの木立も神さひたると也
與《アタフル》2松浦ノ歌ヲ1書并ニ歌三首
山上臣憶良
憶良|誠惶《セイクハウ》頓首《トンシユ》謹《ツヽシンテ》啓《ケイス》憶良聞ク方|岳《カクノ》諸侯《シヨコウ》都督《トトク》刺使《シシ》並ニ依テ2典法ニ1巡2行シテ部下ヲ1察《ミソナハスト》2其風俗ヲ1意ノ内|多《ヲホクシテ》v端《ハシ》口外ニ難v出シ謹テ以2三首ノ之鄙歌《ヒカヲ》1欲v寫《ウツサント》2五蔵ノ之欝結ヲ1其歌曰
方岳諸侯 異朝の舜《シユン》なとの時巡守とて諸國をめくる事有すへて古は天子四方に巡狩し諸侯方嶽に朝する事春秋左傳等に委 方岳とは東西南北に其方々の朝する常所あるをいへり我朝にても是になそらへて国々の守を方岳の諸侯といふなるへし周の世まて諸侯あり秦の世に侯をやめて守を置とかや漢晋より以來太守を刺史と称す 都督とは太宰帥をいふ唐名也刺史は國司也 典法とはおほやけより掟給ふ令法也 巡2行部下ヲ1とは師国司等領分を巡見する事也
意内多端 是は彼國司都督なとの巡行のよしをきゝて憶良は故障によりえゆかて意内に残念多端なると也多端は品多き心也されと徒《タヽ》には口外しかたき故三首の哥にのふると也
五蔵之欝結 胸中の鬱結を此うたにうつしはらすと也
868 まつらかたさよひめのこかひれふりしやまの名のみやきゝつゝをらん
佐欲比賣能故可比列布利斯
まつらかたさよひめのこ 祇曰只佐夜姫を云其子にはあらす愚案松浦※[さんずい+写]ひれふる山皆肥前也名高き山をもゆきてみす聞てのみあるへきかと也さよひめ事此次に委
869 たらしひめ神のみことのなつらすと(一云あゆつると)みたゝしせりしいしをたれみき
多良志比賣 美多々志世利斯伊志
たらしひめかみのみこと 神功皇后の御事前ニ注なつらす見安云なは魚也つらすは魚つる也一本には鮎つるとゝ有みたゝし見安云御立有也石を誰みきとは我行て見ぬ残念を讀り
870 もゝかしもゆかぬまつらちけふ行てあすはきなんをなにかさやれる
毛毛可斯母 麻都良遅 佐夜礼留
もゝかしもゆかぬ 仙曰もゝかとは百日也さやれるとはさはれる也愚案松浦路は百日行にもあらすけふ行てあすは歸こんを何にかく障りて我を行せぬそと也
天平二年七月十一日
筑前ノ國司山上憶良謹テ上《タテマツル》
詠《ヨメル》2領巾麾嶺《ヒレフルミネヲ》1歌一首并序
大伴《トモノ》佐提比古郎子《サデヒコノイラツコ》特《ヒトリ》被《カウフリテ》2朝命ヲ1奉《ウケタマハル》2使ヲ藩《ハン》國ニ1艤《フナヨソヒシ》棹シテ言テv歸《カヘルコトヲ》稍《ヤヽ》赴《ヲモムク》2蒼波ニ1妾《セウ》也松浦|佐用嬪面《サヨヒメ》嗟《ナケキ》2此ノ別《ワカレノ》易《ヤスキコトヲ》1歎ク2彼ノ會《アフコトノ》難《カタキヲ》1即登テ2高山之嶺ニ1遥《ハルカニ》望ミ2離去《ワカレサル》之船ヲ1悵然トシテ断《タチ》v肝《キモヲ》黯《アン》然トシテ銷スv魂ヲ遂《ツイニ》脱《トヒテ》2領巾《ヒレヲ》1麾《マネク》v之|傍者《カタヘノモノ》莫シv不《ストイフコト》v流サv涕《ナンタヲ》因テ號シテ2此山ヲ1曰2領巾麾《ヒレフル》之嶺ト1也乃作歌曰
藩國 外国を云也 日本紀十八宣化天皇云二年冬十月天皇以3新羅寇スルヲ2於|任那《ミマナニ》1詔シテ2大伴金村大連ニ1遣シテ2其子磐ト與ヲ2狭手彦1以助ク2任那ヲ1 同十九欽明天皇云二十三年八月天皇遣シテ2大將軍《イクサノキミ》大伴《トモノ》連《ムラシ》狭手彦《サテヒコヲ》1領シテ2兵数萬ヲ1伐ツ2高麗《コマヲ》1狭手彦乃用テ2百済《クタラノ》計ヲ1打2破高麗ヲ1
悵然 なけくこと也
黯然 イ黙然モノイはヌ也 領巾 仙曰|遊《ユ》仙|窟《クツ》註ニ曰|領巾《ヒレハ》※[巾+彼]子也|單《ヒトヘナルヲ》曰2領巾ト1狭キヲ曰2※[巾+彼]子ト1也春ハ著キ2領巾ヲ1秋は著2※[巾+彼]子ヲ1婦人ノ頭ノ飭リ也云々装束師の家に尋しかは当時も五節の舞妓は桾帯|領巾《ヒレ》にて身をかさると答し也袖には非る處分明也又曰ひれ或は肩巾領もひれとよむ肩にかゝりたる也
作歌曰
871 とほつひとまつらさよひめつまこひにひれふりしよりおへるやまの名
得保都必等 比米 胡非 比例布利之 夜麻
とほつ人まつらさよ姫 遠津人はまつといはん諷詞也仙曰肥前ノ國ノ風土記ニ曰松浦ノ縣東卅里ニ有2※[巾+彼]揺《ヒレフルノ》岑1最頂《イタヽキニ》有v沼《イケ》計《ハカルニ》可半町俗ニ傳テ云昔者《ムカシ》檜《ヒノ》前ノ天皇ノ之世遣シテ2紗手比子《サテヒコヲ》1領2任那《ニマナノ》國ヲ1于v時奉タマはテv命ヲ經2過《スク》此|墟《トコロヲ》1於v是|篠《シノ》原ノ村ニ有2娘子1名テ2曰乙等比賣《ヲトヒメト》1容貌《カタチ》端正《キラ/\シ》孤リ為2國色1紗手比子便チ娉シテ成v婚ヲ離別ノ之日乙等比賣登テ2此嶺ニ1擧テv※[巾+彼]ヲ招ク因以為v名ト童蒙抄同
後人追テ和スル歌一首 姓名未詳
872 やまの名といひつげとかもさよひめかこの山のへにひれをふりけん
伊賓都夏等可母
やまの名といひつけとかも ひれ振の名を云傳んとてかと也此山の上也
最後《サイゴノ》人追テ和スル歌一首 姓名未詳
最後人 前に後人といひしゆへこゝに最後人といふ次に又最々後といふ
873 よろつよにかたりつげとし此だけにひれふりけらしまつらさよひめ
都夏 許能多氣
よろつよにかたりつけ 語リ續《ツケ》也としのしは助字也此だけは嶽也山上に池あるを嶽といふかの風土記に有沼云々
最々後《サイ/\コノ》人追テ和スル歌二首
姓名未詳
874 うなはらのおきゆくふねをかへれとかひれふらしけんまつらさよひめ
宇奈波良 布祢 比礼布良斯家武
うなはらのおきゆく 奥儀抄云うなはらとは海をいふ也云々ひれふらしは領巾振けん也
875 ゆくふねをふりとゝみかねいかはかりこほしくありけんまつらさよ姫
布利等騰尾加祢 古保斯苦
ゆくふねをふりとゝみかね 比礼を振とゝめかね也詞林云こほしく戀しく也愚案日本紀廿六に君が梅のこほしき釋ニ戀也
書殿《フントノゝ》餞酒《ヲクリサケノ》日《ヒノ》倭歌四首
作者未詳
876 あまとふやとりにもかもやみやこまてをくりまをしてとひかへるもの
阿麻等夫夜等利 美夜故 摩遠志※[氏/一]等比可弊流母能
あまとふや鳥にもかもや 見安云まをしては申て也愚案日本紀十一ニ物まをす釋云物言也云々空飛鳥ならは都迄送り申て飛ゆかん物をと也鳥は飛に倦《ウミ》て歸る事を知れは也【仙抄王喬雙鳧を引かなはす】
877 ひともねのうらふれをるにたつたやまみまちかつかはわすらしなんか
比等母祢能宇良夫礼 美麻知可豆加婆和周良志奈牟迦
ひともねのうらふれ 仙曰人もねのとは人の思ひのね《根》といへるにやうらふれをるにとは恨みをるにと也 八雲抄云うらふれ公任卿云物思ひ苦しけなる也恨たるよし也云々見安云みまちかつかはとは御馬ちかつかは也仙曰わすらしなんかは忘れなんかとなり愚案旅行人の名残をおしみてとゝまれる人は物思ふねをなき恨るに行人は竜田山なとに馬近つかは其景に慰ておしむ人をも忘んかと也【仙義同】
878 いひつゝものちこそしらめとのしくもさふしけめやもきみいまさすして
伊比都々母能智 等乃斯久母佐夫志計米夜母吉美
いひつゝものちこそしらめ 仙曰とのしくもとは殿しきりにさひしからんと也殿とははしつくりにかける書殿なるへし愚案さひしからんといひつゝも君いまさて後こそ実に思ひしらめと也一説とのしくもは乏しくも也尤可然歟
879 よろつよにいましたまひてあめのしたまをしたまはねみかとさらすて
余呂豆余尓伊麻志多麻比提 麻乎志多麻波祢
よろつよにいまし給ひて あめのしたまをしたまはねとは奥にも天の下|奏《マウシ》たまひしとある心に同萬代おはしまして帝の御そはさらすして天下の事を申上申下し給へと也旅行のかとてに祝言をよめるなるへし
敢《アヘテ》布《ノフル》2私ノ懷《ヲモヒヲ》1歌 三首天平二年十二月六日作
筑前ノ国司山上憶良
敢布2私《ワタクシノ》懷ヲ1イ敢の字聊の字に作る
880 あまさかるひなに五年すまゐつゝみやこのてふりわすらえにけり(古來風躰れにけり)
阿麻社迦留比奈尓伊都等世周麻比都々美夜故能提夫利和周良延尓家利
あまさかるひなに 八雲抄に俊成抄云都のてふり都のふるまひといへり 童蒙抄祇注同袖中抄も同ひなとははるかなるいなか也云々仙曰|受領《ジユリヤウ》の一任は遠国は六年近国は四ケ年也是はつくしなれは六ケ年なるへけれはひなに五年すまひつゝとよめる也愚案此仙説不審也續日本紀天平寶字二年十月ノ勅ニ頃年国司ノ交替《カウタイ》皆以2四年ヲ1為《ス》v限ト又同紀ニ曰寶亀十一年八月太政官ノ奏ニ筑紫ノ太宰ハ遠ク居ス2邊要ニ1官人相替ル限以ス2四年ヲ1於v事ニ商量スルニ甚タ不2穏便ナラ1臣|等《ラ》望ミ請フ官人ノ歴任増シテ為シ2五年ト1略註しかれは筑紫にも太宰は五年其外は四年也しかれとも良|吏《リ》は延任とて四ケ年にかきらぬ例あまたあれはひなに五年は延任なるへし其後仁明天皇御宇に陸奥出羽太宰は任限六年外は四年と定られし此萬葉集より後の事也仙説如何
881 かくのみやいきつきをらんあらたまのきえゆくとしのかきりしらすて
加久能未夜伊吉豆伎遠良牟阿良多麻能吉倍由久等志乃可伎利斯良受提
かくのみやいきつき 見安云あら玉のきえゆく年とは改玉の年の消て行也愚案古事記ニ尾張《ヲハリノ》国|美夜受比賣《ミヤスヒメノ》哥ニ改玉の月は消ゆくとも云り哥心は消過行年の限知ぬにかく息つき苦みてのみ有んかと也
882 あかのしのみたまたまひて春さらはならのみやこにめさけ給はね
阿我農斯能美多麻多麻比※[氏/一] ※[口+羊]佐宜
あかのしのみたま 見安云あかのしは我主の帝王と申心也みたまたまひては宣旨を給りて也めさけ給はねはめしあけ給へ也と云々仙曰あかのしのとは我ぬしのといふ也心は父母なとをいふなるへしみたまたまひてとは先霊をまつることは一年に二度也父母にもあれ師君にもあれ弔ふへき人の忌日七月盂蘭盆十二月晦日也此内にみたまのふゆすとて十二月の霊供むねとあるへしときこえたり春さらは奈良のみやこへめさけ給はねとは春にならは都へめしあけ給へといふ也しあはさとよまるれは也愚案みたまのふゆの事は奥儀抄に頼の字恩頼ミタマノフユと日本紀にかくと云々見安と仙抄とは義各別也兩義の内見安分明にや
後ニ追2和スル松浦|佐用嬪面《サヨヒメカ》歌ヲ1一首 三島王
883 おとにきゝめにはいまたみすさよひめかひれふりきとふきみまつらやま
於登尓吉伎目尓波伊麻太見受佐容比賣我必礼布理伎等敷吉民萬通良楊満
おとにきゝめにまた ひれふりきとふとは領巾振しといふ也きみまつら山とは佐提彦をさよ姫のまつ心を添て讀也
為メニ2大伴《トモノ》君|熊凝《クマコリカ》1述ルv志ヲ歌二首
大典麻田陽春
大伴君熊凝 大伴君は姓尸也熊凝は名なり其うせしさまは次の憶良の序に見ゆ
884 くにとをきみちのなかてをおほゝしくけふやすきなんことゝひもなく
國遠伎路乃長手遠意保々斯久計布夜須疑南己等騰比母奈久
くにとをきみちの くまこり相撲使にて上京の道にて死たりし其心を思ひやり憐て讀り見安云みちの長手は道の長き也愚案おほゝしくおほ/\しく覺束なき心也肥前国より上京の道の道の長きを故郷の父母も覺束なく誰事問もなくけふや過らんと也
885 あさ露のけやすき我身ひとくにゝすきかてぬかもおやのめをほり
朝露乃既夜須伎我身比等國尓須疑加※[氏/一]奴可母意夜能目遠保利
朝露のけやすき 仙曰ひとくにとは他国也わか生土の国にも非す他国と云也愚案過かてぬとは行過かねぬると也おやの目をほりとは父母を見る目を欲《ホツ》する也欲の字をほりとよむ也朝露は消安きの枕詞也かく消安くはかなき身のおやを見るめをねかひて行過かねしにやとあはれみおもふ心也日本紀廿六にかくや戀んも君かめをほりと云々是も同心也但釋には君かもをほりと和ス別歟
和スルd為メニ2熊凝《クマコリカ》1述ルヲuv志ヲ歌一首并ニ短歌并ニ序
筑前國守山上憶良
大伴ノ君熊凝者肥後ノ國|益城《マシキノ》郡ノ人也年十八歳ニシテ以2天平三年六月十七日トイウヲ1為《ナル》2相撲使ト1某ノ國司官位姓名カ從人トシテ参2向《マイリムカフ》京都《ミヤコニ》1為《タルカナ》v天|不幸ニシテ在テv路ニ獲《エテ》v疾《ヤマヒヲ》即於2安藝《アキ》國|佐伯《サエキ》郡|高庭驛家《タカハノムマヤニ》1身|故《シヌ》也|臨《ノソム》v終リニ之時キ長ク歎息シテ曰ク傳聞ク假《ケ》合ノ之身易クv滅《キエ》泡沫《ハウマツ》之命難v駐《トヽメ》所以《コノユヘニ》千聖モ已ニ去リ百賢モ不v留ラ况ンヤ乎凡愚ノ微《イヤシキ》者何ソ能ク逃避《ノカレサケン》但シ我老親並ニ在2菴室ニ1侍テv我ヲ過日ニ自ラ有2傷ムv心ヲ之恨1望v我|違《イスレハ》v時ニ必致シ2喪《ウシナフ》v明ヲ之泣ヲ1哀哉我父痛哉我母不v患ヘ2一身ノ向フv死ニ之途《ミチヲ》1唯《タヽ》悲ム2二親ノ在ルv生ニ之苦ヲ1今日長ク別レハ何レノ世ニカ得《エン》v覲《マミユルコトヲ》乃作ルコト歌ヲ六首ニシテ而死ス其歌ニ曰
某國司官位姓名 何の国守何の官位姓は何名も分明ならさる也此人の從人と熊凝が成て行し也
不幸 論語ニ不幸短命而死と云々
假合之身 仙曰人の身は四大和合して假《カリ》に所成也四大とは地水火阿風也人の身にうるほひあるは水大也身の暖かなるは火大也いきの出入するは風大也身の亂すしてたもてるは地大也此四大かりに和合したれは假合之身と云終には離散すれは易v滅といへる也
喪v明 礼記檀弓上曰子夏喪其子而喪2其明ヲ1註以2哭コト甚ヲ1故喪v明也
886 うちひさすみやへのほるとたらちしやはゝかてはなれつねしらぬくにのおくかをもゝへ山こえてすきゆきいつしかもみやこを見んとおもひつゝかたらひをれとをおのかみしいたはしけれはたまほこの道のくまみにくさたおりしはとりしきてとけしものうちこいふしておもひつゝなけきふせらくくにゝあらは父とり見ましいへにあらははゝとり見ましよのなかはかくのみならしいぬしものみちにふしてやいのちすぎなん 一云わかよすきなん
宇知比佐受宮 多羅知斯 波々 常斯良奴國 意久迦 百重山越※[氏/一] 京師 意乃何身志 玉桙乃道 久麻尾尓久佐
志波 等許自母能宇知許伊 國尓阿良婆父刀利美麻之家尓阿良婆母刀利美麻志世間 伊奴時母能道
宮へのほると 都へ上るとて也
たらちしやは垂乳根也
國のおくかを 見安云国の奥也かは助字也愚案遠き国と云心也
百重山 紀伊国の名所にもあれとこゝは山幾重にも越過る心也
をのか身しいたはし 己か身のいたはりになやむ心也熊凝か心也
道のくまみに 仙曰道より入たる所をくまと云
とけじもの 仙曰霜のとけたるを云霜のとけて露と成てはころひぬれはうちこひふしてとよそふる也師説と(不)こし物也こいふしてといはんとて也けとこと五音通スふせらく 伏也
よのなかはかくのみならし 我か世はかく是まてなりと也
いぬしもの道にふしてや 仙曰犬のやうにや道にふして死なんと讀る也
反歌
反歌 イニなしあるへき歟
887 たらちしのはゝかめ見すておほゝしくいつちむきてかあかわかるらん
多良知子能母 目 阿我
たらちしの母の 親の顔をも見すしていつちにむきて我別ゆかんおほつかなしと也
888 つねしらぬ道のなかてをくれ/\どいかにかゆかんかりてはなしに 一云かれいはなしに 道乃長手袁久礼久礼等 可利※[氏/一]
つねしらぬ道の長手 くれ/\とは來ると來れとも也かりてとは旅の宿かる代物也借代也代の字旧事記にてと讀也イかれいは※[食+尚]カレイヒ也
889 いへにありて母かとり見はなくさむるこゝろはあらまししなは死ぬとも 一云のちはしぬとも
家尓阿利※[氏/一]波波何
いへにありて母かとりみは 長哥に母とり見ましといへるに同とりあへ見あつかふ心なるへし
890 いてゝゆきし日をかそへつゝけふ/\とあをまたすらんちゝはゝらはも 一云はゝかかなしさ
出※[氏/一]由伎斯日乎可俗閇都々家布々々等阿袁 知々波々良波母
いてゝゆきし日を数へつゝ あをまたすらんとは吾を待《マツ》らんと也ちゝはゝらはも父母等者も也もは助字也我|故《コ》国を出て都に行しより日をかそへて我を待らんと悲める心哀也
891 ひとよにはふたゝひ見えぬちゝはゝををきてやなかくあかわかれなん 一云あひわかれなん
一世尓波二遍美延農 阿我和加礼南
ひとよにはふたゝひ 親子は一世の中と云也
貧窮《ビングウ・マツシクキハマル》ノ歌一首并短歌 イ貧窮問答歌云々
山上憶良
貧窮 まつしくきはまりたる心をのへしうた也
892 かせましり雨のふるよのあめましりゆきのふるよはすへもなく寒くしあれはかたしほをとりつゝしろひかすゆさけうちすゝろひてしはぶかひ鼻※[田+比]しひしにしかとあらぬひけかきなてゝあれををきてひとはあらしとほころへとさむくしあれはあさふすまひきかゝふりぬのかたきぬありのこと/\きそへともさむきよすらをわれよりもまつしきひとのちゝはゝはうへさむからんめこともはこひてなくらん此時はいかにしつゝかながよはわたるあめつちはひろしといへとあがためはせはくやなりぬる日は月はあかしといへとあかためはてりやたまはぬ人みなかわれのみやしかるわくらはにひとゝはあるを人なみにあれもつくるを綿もなきぬのかたきぬのみるのことそゝけさかれるかゝふのみかたにうちかけふせいほのまきいほのうちにひたつちにわらときしきてちゝはゝは枕のかたにめこともはあとする方にかこみゐてうれへさまよひかまとにはけふりふきたてすこしきにはくものすかきていひかしく事も忘れてぬえ鳥ののどよひをるにいとのきてみしかき物をはしきるといへるかことく楚取いとらかこゑはねやとまてきたちよはひぬかくはかりすへなきものかよのなかのみち
風雜(イませに)雨布流欲乃雨雜(イませに)雪布流欲波為部母奈久寒之安礼婆堅鹽乎取都豆之呂比糟湯酒宇知須々呂比※[氏/一]之波(イ可)夫可比鼻※[田+比](仙ひび)之毘※[田+比]之尓志可登阿良農比宜可伎撫而安礼乎於伎※[氏/一]人者安良自等富己呂倍騰寒之安礼婆麻被引可賀布利布可多衣安里能許等其等伎曽倍騰毛寒夜須良乎和礼欲利母貧人乃父母波飢寒良牟妻子等(イとら)波乞泣良牟此時者伊可尓之都々可汝代者和多流天地者比呂之等伊倍杼安我多米波狭也奈里奴流日波月波安可之等伊倍騰安我多米波照哉多麻波奴人皆可吾耳(イに)也之可流和久良婆尓比等々波安流乎比等奈美尓安礼母作乎綿毛奈伎布可多衣乃美留乃其等和々氣佐我礼流可可布能尾肩尓打懸布勢伊保能麻宜伊保乃内尓直土尓藁解敷而父母波枕乃可多尓妻子等母波足乃方尓圍居而憂吟可麻度柔播火氣(イほのけ)布伎多※[氏/一]受許之伎尓波久毛能須可伎※[氏/一]飯炊事毛和須礼提奴延鳥乃能杼與比居尓伊等乃伎提短物乎端伎流等云之如楚取(見たかの いためとる)五十戸良我許恵波寝屋度麻低來立呼比奴可久波可里須部奈伎物能可世間乃道
かたしほ 見安云焼塩愚案堅塩日本紀ニ有
とりつゝしろひ 取しろひつゝの心也取あへる也
かすゆさけ 酒糟を湯にてときし物とそ
すゝろひ すゝりて也
しはふかひ しはふきする也イしかふかひ同義也
鼻※[田+比]之※[田+比]之《ヒヒシヒシ》尓志 仙ひゝしひしにしと云也日々の心也此本はなひしひしにしと点すはなひる心也しは助字也
かとあらぬ 仙曰かとゝは才の字をよむよしと云心也よくもあらぬと云也
ほころへと ほこれとも也
ひかゝふり 仙曰引かふりといふ也かゝふりと云始めのかは詞の助也かよはきかほそきの類也
ぬのかたきぬ 布の肩はかりにきるやうなる也
ありのこと/\ 仙云ある限《カキリ》こと/\く着そへとも也
あめつちは 身の置所なきといふ心也
人皆か 皆人如此あるか我のみかくうきかと也
わくらはに 仙曰玉さかに也愚案遍人間にて有をと也
みるのこと 八雲御抄云海松のやうに破て也可々布とはつゝれの名をいふ是迄八雲見安同そゝけさかれる 私々氣《ソヽケ》イ和々氣見安云わゝけさかれるは破れ下りたるなり愚案そゝけは明也
ふせいほ 伏屋の類也仙曰軒なともはらてかたなひきなる屋也見安云軒の地につくはかりいやしき屋也
まきいほ 仙曰角なともなく丸に作たる菴也見安云草にてもかやにても作たる屋也丸屋同心也
ひたつちに 土邊の心也
こしき 物むすこしき也
いひかしく事も忘れて 久しく飯をもたかぬさま也蒙求に甑中ニ生v塵ヲ范史雲云々范冊か貧き事也
ぬえ鳥ののどよひ 仙曰ぬえ鳥は怪鳥也の《野》とよひをるとは貧家荒たれは野なとのやうに鳴と也或説鵺の咽声《ノトゴヱ》とてこもり聲に鳴を云
楚《タカノ・イタメ》取《トル》 此本にはいためとると点ス見安にはたかのとると訓ス多本如此
いとらかこゑ 仙曰いとらはうつら也いとうとかよはしていふ事有|魚《イヲ》をうをなといふかことし見安同之 ねやとまて愚案閨の外迄鶉の立來て鳴也
かくはかりすへなき物か 様々侘しき事を云立てかくせん方なき物かと也
反歌
893 世のなかをうしとやさしとおもへともとひたちかねつとりにしあらねは
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
世のなかをうしとやさしと やさしは窶《ヤツ/\シ》の字也貧して礼なきを窶と云世をうし窶しく淺ましとは思へとも飛立んやうもなし鳥ならねはと也
贈《ヲクル》2大唐《モロコシ》大使卿記室《ヲホキツカヒノケイノキシツニ》1好去好來ノ歌一首并ニ短歌二 天平五年三月一日良宅對面ニ献ス三日ニ謹上
山上憶良
好去好來歌 よしされよしきたれのうたと和すへし此哥は遣唐大使にをくる也好去は帝に撰れ奉りて大命を承りてゆく人なれは好去とほめ祝ひていへり海《カイ》漫《マン》々をこえて無事に朝に歸れとの心に好來れといふにや
894 神代よりいひつてくらくそらみつやまとの国はすへ神のいつくしきくにことたまのさきはふくにとかたりつきいひつがひけり今のよの人もこと/\めのまへに見まししりましひとさはにみちてはあれともたかてらすひのみかとには神なからめくみのさかりにあめのしたまうしたまひしいへのこらえらひたまひておほみことのせもたしめてもろこしのとをきさかひにつかはされまかりいませうなはらのへにもおきにも神つまりうしはきいますもろ/\のおほみかみたちふなのへにみちびかましをあめつちのおほみかみたちやまとなるおほくにみたまひさかたのあまのみそらゆあまかけり見渡したまひ事おへてかへらん日に日には又さらにおほみかみたちふなのへにみてうちかけてすみなはをはへたることくあてかをしちかのくきよりおほとものみつのはまへにたゝはてにみふねははてんつゝみなくさきくいましてはや歸りませ
神代欲理云傳久良久虚見倭國者皇神能伊都久志吉國言霊能佐吉播布國等加多利繼伊比都賀比計理今世能人母許等期等目前尓見在知在人佐播尓満※[氏/一]播阿礼等母高(たかく)光(てる)日御朝廷神奈我良愛能盛尓天下奏多麻比志家子等(イと)撰多麻比天勅言 大命 戴持※[氏/一]唐能遠境尓都加播佐礼麻加利伊麻勢宇奈原能邊尓母奥尓母神豆麻利宇志播吉伊麻須諸能大御神等船舳尓道引麻志遠天地能大御神等倭大國霊久堅能阿麻能見虚喩阿麻賀氣利見渡多麻比事畢還日者又更大御神等船舳尓御手打掛※[氏/一]墨縄遠播倍多留期等久阿庭(遅イ)可遠志智可能岫欲利大伴御津濱備尓多太泊尓美船播將泊都々美無久佐伎久伊麻志※[氏/一]速歸坐勢
いひつてくらく イ云傳介良久《イヒツテケラク》同心也云傳る心也
すへ神のいつくしきくに 此国は天照皇大神の厳威ある也一説齋也祝心也
ことたまのさきはふ国 ことたまはことのきざし也さきはふは幸也惣而ことのさいはいある国と此国をほむる詞也
いひつがひ いひつぐ也
高光日の 帝を貴む詞也
あめのしたまうし給ひし 帝にも寵臣なる盛に天下にも此人と申良家のノ子らと撰ひて遣唐使となりしとの心也
おほみこと 勅言見安にはミコトノリ オホミコト兩点也一云大命是はオホミコトとよむへき儀にや
のせもたしめ 王命を承らしめてと也異朝へ使ひのさま也
神つまり 見安云神集る也
うしはきいます 見安云|虫《ウジ》のわくやうに海中より神の涌《ワキ》出給ひし事也
ふなのへに 船舳に一云布奈能閉尓云々イ本成へし見安ニフネノヘニとも讀由也
おほくにみたま 見安云三輪明神の御事也愚案大國玉は大巳貴神の御名のよし日本紀一にあり みそらゆは空より也
事おへてかへらん日には 使の事をはりて還朝せられん時にはと也
すみなはをはへたることく 延《ハヘ》の字番匠の墨縄のへたる如くますくに也
あてかをし あてかふ也墨縄を木の本末に當し心也見安には近き心也あは發語云々
ちかの岫より 仙曰肥前國松浦郡|近《チカノ》嶋の岫なるへし愚案はては泊也
つゝみなく 見安云つゝしみなく也愚案恐れなき心也さきくは幸有ての心也
反歌
895 おほとものみつの松はらかきはきてわれたちまたんはやかへりませ
大伴御津松原可吉掃※[氏/一]和礼立待速歸坐勢
おほとものみつの松 かきはきてとは難波の津につき給はんをまちつけんとて掃除なとの心也
896 なにはつにみふねはてぬと聞えこはひもときさげてたちはしりせん
難波津尓美船泊農等吉許延許婆紐解佐氣※[氏/一]多知婆志利勢武
なには津に御舟はてぬ 彼遣唐使の歸朝ときかば装束の紐をしあへす立はしり迎行《ムカヘユカ》んと也待得祝ふへき心也見安云紐ときさけてとは紐をとけは兩方へさかるゆへに云々
沈テv痾《ヤマヒニ》自《ミツカラ》哀シム文
山上憶良
沈痾 痾は病也憶良病に沈てみつからかく文也
惟《コレ》時七十有四|鬢髪《ビンハツ》斑白《ハンハクニシテ》筋力※[(八/几)+王]羸《ワウルイセリ》不2但《タヽ》年老タルノミニ1復加フ2斯病ヲ1諺《コトワサニ》曰痛キ瘡ニ灌《ソヽク》v鹽《シホヲ》短カキ材|截《キル》v湍《ハシヲ》此《コレ》之《コノ》謂《イヒナリ》也四支|不《ス》v動《ウコカ》百節皆疼ミ身體|太《ハナハタ》重|猶《ナヲ・コトシ》v負《ヲフカ》2鈞《キン》石ヲ1懸テv布ニ欲レハv立ント如2折テルv翼ヲ之鳥ノ1倚《ヨツテ》v杖ニ且歩メハ比ス2跛足《アシナヘタル》之驢《ロ・ウサキムマ》1吾レ以v身ヲ已ニ穿《ウカテハ》2俗心ヲ1亦|累《カサヌ》v塵ヲ欲v知ント2禍ノ之所v伏祟《タヽリノ》之所1v隠ルヽ願《ネカハナクハ》割2刳五蔵ヲ1抄《ヌキ》2採テ百病ヲ1尋2達シテ膏肓《カウクハウノ》之※[こざと+奥]處《フカキトコロヲ》1欲スv顕《アラハサント》2二リノ竪《ワラハノ》之|逃匿《ノカレカクレタルヲ》1
惟時七十有四 憶良の年齢なるへし但此文イには竊《ヒソカニ》以レはと發端在て長々と書たり此本は其半にもたらすなから文意明白に首尾達して彼長きよりよきなり亦一家の正本なるへし
※[(八/几)+王]羸 よはくつかるゝ也
四支 左右の手足也
鈞石 或本の注云三十斤ヲ為2一鈞ト1四鈞ヲ為2一石ト1合一百廿斤也云々
吾以v身已ニ穿2俗心1亦累v塵 わか身をもてわか俗心穿鑿すれは六塵のためにけかさるゝ事おほしとの心也されは身の禍祟あるましきにあらすと也
割刳五蔵 秦の扁鵲胸を割《サキ》心腸を探りて神薬を以いやしむ華陀といふ醫も結積ふかき病者ははらわたをさき病をとりて膏をぬりて愈せりこれを五蔵を割刳《サキ/\》百病を抄採といふなるへし
尋2達膏肓《カウクハウノ》之※[こざと+奥]《フカキ》處ヲ1 仙曰二|竪《ワラハ》といふ事|晋《シン》の景公《ケイコウ》病《ヤマヒ》してとかく療治すれとも験《ゲン》なかりけり秦《シン》の醫《イ》緩《クハン》を召て見せんとの給へるに其夜の夢に醫緩見けるは二人のわらはありて一人の云たとひ明日醫緩きたらは終に居とぐへからすといふに今一人の云たとひ醫緩きたりとも我ら膏肓のふかき所に入ぬれはいかてか治する事を得へきといへり醫緩景公にあひて疾治しかたし膏肓に入て鍼《ハリ》も灸も不及と云しことなり 或本ニ此跡に命根既盡等の語あり此本になし今随之
歎2假合は即離レ易クv去難キヲ1v留リ詩一首并序
山上憶良
世は無2恒質《ツネノスカタ》1所以《コノユヘニ》陵谷更變《カハル/\ヘンス》人ハ無2定レル期《ゴ》1所以ニ壽夭《ジユヨウ》不《ス》v同カラ撃《ウツ》v目ヲ之間ニ百|齢《レイ》已ニ盡《ツキ》申《ノフル》v臂《ヒチヲ》之|頃《アイタニ》千代亦空シ旦タニは作2席上之主1夕ニは為《ナル》2泉下ノ之客ト1白|駒《ク》走《ハシリ》來リ黄泉ン何ソ及ン隴《ロウ》上ノ青松|空《ムナシク》掛2信|劔《ケンヲ》野中ノ白|楊《ヤウ》但《タヽ》吹カル2悲風ニ1是《コヽニ》知ンヌ世俗|本《モトヨリ》無2隠遁《イントンノ》之室1原野唯有2長夜ノ之|薹《ウテナ》1先聖已ニ去リ後賢不v留ラ如《モシ》有テv贖《アカフコト》而可ンハv免《マヌカル》者古人誰レカ無ン2価《アタヒノ》金ヲ1乎《ヤ》未《・ス》タv聞《キカ》獨リ存シテ遂《ツヰニ》見ル2世終ヲ1者ヲ況ンヤ乎|縦《タトヒ》覺《サトルトモ》2始終之恒《ツネノ》数《スウヲ》1何ンソ慮《ヲモンハカラン》存亡之大ナル期《トキヲ》1者世道ノ變化《ヘンケ》猶《ナヲ・コトシ》v撃《ウツカ》v目ヲ人事ノ經紀如v申《ノフルカ》v臂《ヒチヲ》空ク與《ト》2浮雲1行《ユク》2大虚ニ1心力|共《トモニ》盡《ツキテ》無シv所v寄《ヨル》
世無恒質 世界は常住のすかたなく人命は定期なしと也但或本には此文のはしめに
竊以釋慈之示教先開三歸五戒而化法界周孔之垂訓前張三綱五教以斉済郡國故知引導雖二得悟惟一也但以――如此の文あり釋慈は釈迦と慈尊と也三歸は佛法僧に歸依するをいふ五戒は不殺生不侚盗等也周孔は周公旦孔子也三綱は君臣父子夫婦也五教は父義母慈兄友弟順子孝をいふと云々然とも此本故あるゆへに是にしたかへり
白駒黄泉 前に注
空掛信劔 死後の手向のかひなき心也史記ニ曰呉季札使北ノカタ過ル2徐ノ君ニ1徐君好ム2季札カ劔ヲ1口ニ弗《ス》敢テ言は1季札心ニ知v之為メニv使スルカ2上國ニ1未v献還テ至ニv徐ニ徐ノ君已ニ死ス乃解テ2其寶劔ヲ1係テ2徐ノ君カ冢樹ニ1而去ル
野中白楊 文選古詩ニ云古墓は犂テ為v田松柏は摧テ為v薪ト白楊悲風多シ上下畧
世終者 イ本此下に所以《コノユエニ》維摩大士ノ疾《ヤメル》2玉體ヲ于方丈ニ1釈迦能仁掩フ2金容ヲ于双樹ニ1内教ニ曰不ンハv欲2黒闇之後來ヲ1莫レv入2徳天之先至ニ1故ニ知ヌ生必有v死若不はv欲不v如v不v生況ヤ乎――とあり能仁は※[しんにょう+尺]迦の事掩2金容ヲ于双樹ニ1とは尺尊の金色の身を庶羅双樹におほひて入滅し給ふ事也黒闇は死也徳廛は生也死の來る事を恐れは生るへからすとの心也
世道変化 是其詩也うき世の無常目たゝきのほとゝ也
人事經紀 年月の過る心也賈誼傳ニ立v經ヲ陳ヌv紀ヲ云々ヒチヲノフルハヤスキ心ナリ
老病|經《ヘテ》v年ヲ思フ2兒等《コラヲ》1歌七首 天平五年六月丙申朔戊戌作v之 山上憶良
897 たまきはるうちのかきりはたいらけくやすくもあらんをこともなくもなくもあらんをよのなかのうけくつらけくいとのきていたききつにはからしほをそゝくちふがことくます同もおもきむまにゝうはにうつといふ事のごと老てあるわか身のうへにやまひをとかてゝしあれはひるはもなけかひくらしよるはもいきつきあかし年なかくやみしわたれは月かさねうれへさまよひこと/\はしなゝとおもへとさはへなすさはく子ともをうつてゝしなんはしらす見つゝあれは心はもえぬかにかくに思ひわつらひねのみしなかゆ
霊剋内限者平氣久安久母阿良牟遠事母無裳無母阿良牟遠世間能宇計久都良計久伊等能伎提痛伎瘡尓波鹹鹽乎潅知布何其等久益母重馬荷尓表荷打等伊布許等能其等老※[氏/一]阿留我身上尓病遠等(イら)加※[氏/一]之阿礼婆晝波母歎加比久良志夜波母息豆伎阿可志年長久夜美志渡礼婆月累憂吟比許等々々波斯奈々等思騰五月蝿奈周佐和久兒等遠宇都※[氏/一]※[氏/一]死波不知見乍阿礼婆心波母延農可尓可久尓思和豆良比祢能尾志奈可由
たまきはる内のかきりは 或本註ニ謂|瞻浮州《ヱンフシウノ》人壽は一百二十年也云々此心は此南州の人は寿命の数かきりあり玉は命きはるはきはまるの心也袖中抄此哥の注にも慥に命によせていへり云々かきりある命の内には平安にあるへき事をと也
もなくもあらんを 喪なくも有へきをと也喪はわさはひとよむよし伊勢物語我さへもなくといふ哥の諸抄ニ有
いとのきて いとゝしく也
そゝくちふ 灌くと云也
うはにうつ 重荷の上に又荷を馬につくる心也
やまひをと とは助字也イニらとよむ見安ニは病遠等加※[氏/一]之阿礼婆《ヤマヒヲトカテヽシアレハ》とよみて病をのそかぬといふ心也と云々病を不v脱の儀也然共此本の点やまひをととよみてかてゝしあれはと有義まさるへし仍用之かてゝはくはへての心也との字助字に用ること古今集にもあり「人しれぬおもひやなそと芦垣のまちかけれとも逢よしのなき
なけかひくらし なけき暮し也ひるはもよるはものもは助字也やみしのしも同
こと/”\は 事の如くは也重病に年へて愁へさまよふ事の如くは已に死なんと思へとと也しなゝは死なんといふ詞也
さはへなす 夏の蠅のやうにさはく子ともと也
うつてゝは 見安云打捨ては也仙曰うつくしむてゝは也てゝ父同内相通也云々愚案さはく子ともをも打捨て死なんひたすら心(濁点あり)にてはしらす我今の心にてかくさはく子ともを見つゝ有ては死なんと思ひとる事は心も得ぬと也仙抄の心は子ともをうつくしむ父は死なん後はしらすかく見つゝあれは死なん事は心も得すと也心はもえぬは心も得ぬ也はは助字なり
かにかくに 見安云とにかくに也 なのみしなかゆ仙曰ねのみ鳴るゝと云也
反歌
898 なくさむる心はなしにくもかくれ鳴ゆくとりのねのみしなかゆ
奈具佐牟留心波奈之尓雲隠鳴徃鳥乃祢能尾志奈可由
なくさむる心はなしに 老病のうれへかさねて慰る心もなくねのみなかるゝと也雲隠鳴行鳥のはねのみしといはんとての諷詞也
899 すへもなくくるしくあれはいてはしりいなゝとおもへとこらにさやりぬ
周弊母奈久苦志久阿礼婆出波之利伊奈々等思騰許良尓作夜利奴
すへもなくくるしく 見安云こらにさやりぬは子にさはりぬ也愚案せんかたなく苦しけれは出奔しいなんと思へと子共にさはりてさもえせすと也
900 とみひとのいへの子とものきる身なみくたしすつらんきぬわたらはも
富人能家能子等能伎留身奈美久多志須都良牟絹綿良波母
とみ人の家の子とも きる身なみは着身無也冨家の子ともの栄耀にほこりて着る身無と朽し捨らん絹綿なともと云我子に着せたき心を含《フク》めたりくさしはくさらかし也
901 あらたへのぬのきぬをたにきせかてにかくやなけかんせんすへをなみ
※[麁3つ]妙能布衣遠陀尓伎世難尓可久夜歎敢世牟周弊遠奈美
あらたへのぬのきぬを 見安云ふとくあらき布衣也云々愚案きせかてには着せかたき心也此哥は前の哥の餘意を讀歟
902 みなはなすもろき命もたくなはのちひろにもかとねかひくらしつ
水沫奈須微命母栲縄能千尋尓母何等慕久良志都
みなはなすもろき命 仙曰水の淡《アハ》なす也愚案たくなはたくる縄也千尋の枕詞也にもかはにも哉也老病の身も長命を願と也
903 しつたまき数にもあらぬ身にはあれとちとせにもかとおもほゆるかも
倭文手纒數母不在身尓波在等千年尓母可等意母保由留加母
此一首神龜二年雖v作トv之ヲ更ニ載《フユ》v茲《コヽニ》
しつたまき数にも しつたまきは数ならぬ身をいはんとて也前ニ注
戀《コフル》2古日《フルヒヲ》1 男兒ノ之名 歌三首 長一首短二首
山上臣憶良
904 よの人のたふとびねかふなゝくさのたからも我はなにゝかせんわかなかのうまれいてたる白玉のわか子ふるひはあかほしのあくるあしたはしきたへのとこのへさらすたてれともをれともともにたはふれてゆふほしのゆふへになれはいさねよと手をたつさはりちゝはゝもうへはなさかりさきくさの中にをねんとおもはしくしかかたらへはいつしかもひとゝなりいてゝあしけくもよけくも見んとおほふねのはおもひたのむにおもはぬに横風《よこかせ》乃|爾母《しかにしも》布敷《しく/\》可爾《かしか》おほひきぬれはせんすへのたときをしらにしろたへのたすきをかけてまそかゝみてにとりもちてあまつかみあふきこひのみくにつかみふしてぬかつきかゝらすもかゝりもかみのまにまにとたちあさりわれこひのめとしはらくもよけくはなしにやうやくにかたちつくほりあさなさないふことやみてたまきはるいのちたえぬれたちおとりあしすりさけひふしあふきむねうちなけきてにもてるあかことはしつよのなかのみち
世人之貴慕七種之寶毛我波何為和我中能産礼出有白玉之吾子古日者明星之開朝者敷多倍乃登許能邊佐良受立礼杼毛居礼杼毛登母尓戯礼夕星由布弊尓奈礼波伊射祢余登手乎多豆佐波里父母毛表者奈佐我利三枝之中尓乎祢牟登愛(イめくはしく)久志我可多良倍婆何時可毛比等々奈理伊※[氏/一]天安志家口毛与家久母見武登大船乃於毛比多能無尓於毛波奴尓 覆來礼婆世武須便乃多杼伎乎之良尓志路多倍乃多須吉乎可氣麻蘇鏡※[氏/一]尓登利毛知※[氏/一]天神阿布藝許比乃美地祇布之※[氏/一]額拜可 良受毛可賀利毛神乃末尓麻尓等立阿射里我例乞能米登須臾毛余家久波奈之尓漸々可多知都(イ下)久(上)保里朝朝伊布許等夜美(よみ)霊剋
伊乃知多延奴礼立乎杼利足須里佐家婢伏仰武祢宇知奈氣吉手尓持流安我古登波之都世間之道
なゝくさのたから 見安七寶也云々金銀|瑠璃車※[渠のさんずいを玉に]瑪瑙珊瑚琥珀《ルリシヤコメナウサンココハク》是也
白玉の 子を愛して云也
あかほし 明星明る朝の枕詞
とこのへさらす 仙曰床上也
ゆふ星《ツヽ》の 辰星と書夕に出也
うへはなさかり 見安云外にはねじとさかる也愚案上はほとりの心也なさかりは遠さからぬといふの儀也雲棚引なといふへきを雲な棚引と云か如シ
さきくさの中にを 見安云父母の中に子のねたれはみつあれは三枝の中にと云也愚案|三枝《サキクサ》三つある枝なりこゝは檜《ヒノキ》を云ニ非ス
横《ヨコ》風乃爾母《しかにしも》布敷《しく/\》可爾《かしか》 或点よこかせのにもしくしくかに見安云よこ風は思ひの外の事をいふしく/\はしきり也云々愚案船に横風の頻ることく病のおほふ心にや
しろたへのたすきを 白綿たすきなるへし
こひのみ 祈ノミ日本紀ニヨム
かゝらすもかゝりも 此子の命のかゝりかゝらす神のまゝにまかせ奉るとの心也 たちあさり 立あせり也さとせと通
こひのめと 仙曰祈を云也 かたちつく(イくつ)ほり 形くづほるゝ也
むねうちなけき 仙曰今も物をなけくにはむねをうつ也
あかことはしつ 吾子を浮世の道に飛せしと歎く心也鳥の飛て行末なき心也
反歌
905 わかけれは道ゆきしらしまひはせんしたへのつかひおひてとをらせ
和可家礼婆道行之良士末比波世武之多敝乃使於比※[氏/一]登保良世
わかけれは道行しらし 仙曰まひはせんはまひなひはせんと也見安云したへの使は冥土の使也愚案幼少の者道知まじ冥土の使にまひなひせん負てとをれと也下邊は下黄泉也
906 ふしおきて我はこひのむあさむかすたゝにいゆきてあまちしらしめ
布施於吉※[氏/一]吾波許比能武阿射無加受多太尓率去※[氏/一]阿麻治思良之米
此一首ノ作者未v詳以v似タルヲ2山上之操ニ1載スv茲ニ
ふしおきて我はこひのむ 仙曰あまちは天道也見安云人の死するは天に知るゝ也愚案伏仰き我祈れは天|欺《アサムカ》すゐて行て此子に天の道をしらしめ給へと也と
操 劉向カ別録曰其道閉塞悲愁シテ而作ル者ヲ名テ2其曲ヲ1曰フv操ト言ハ遇テ2受害ニ1不v失2其操ヲ1也
貞享二年七月七日染筆于新玉津嶋菴下而八月五日書此一卷畢(2003.9.27.土.午前10時20分入力終了、草壁陵を臨む丘の上で) 2004.5.15(土)午前11時5分校正終了。
萬葉集卷第六
雑歌
養老七年(元正年号)癸亥五月幸キノ2芳《ヨシ》野ノ離宮《リキウニ》1時作歌一首并短歌 笠朝臣金村
907 瀧のうへのみふねの山にみつえさししゝに生たるとかの木のいやつき/\によろつよにかくにゝしらみみよしのゝあきつの宮は神からかたふとかるらん国からか見まほしからん山川をさやけくすめりうへしかみよゆさためけらしも
瀧上之御舟乃山尓水枝指四時尓生有刀我乃樹能弥繼嗣尓萬代如是二二知三三芳野之蜻蛉乃宮者神柄香貴將有國柄鹿見欲將有山川乎清清諾之神代從定家良思母
御舟の山 八雲云大和吉野
みつえさし 見安云水枝若枝也人の子を水子と云かことし 一説に河水に枝さしひたせる也
しゝに 見安云しけく也
とかの木の 次々の枕詞也
かくにゝしらみ かは発語国にしられて也
あきつの宮 雄畧天皇吉野に狩し給にあむといふ虫帝の臂をくらふに蜻蛉(アキツ)其|虻《アフ》をくひころす帝哥讀給そこを蜻蛉野といふ由日本紀に委
うへし神代ゆ 宣《ムヘ》神《カミ》代より也しは助字也かく貴《タツト》く見まほしく山川の清々なるは神代より定置けんと也
反歌
908 としのはにかくも見てしかみよしのゝのきよきかうちのたきつしらなみ
毎年如是裳見壮鹿三吉野乃清河内之多藝津白浪
としのはにかくも 祇曰哥に別心なし幸の時の事なれは毎年に見はやといひ見れとあかぬなとそいへる
909 山たかみしらゆふはなにおちたきつたきのかうちは見れとあかぬかも
山高三白木綿花落多藝追瀧之河内者雖見不飽香聞
山高み白ゆふ花に 白ゆふ如v花ノなるを白ゆふ花と云瀧亦如ク2白木綿花ノ1と也
910 一云神からか見まほしからんみよしのの瀧のかうちは見れとあかぬかも
神柄加見欲賀藍三吉野乃瀧河内者雖見不飽鴨
神からか見まほしからん 長哥に秋津宮は神からかたふとかるらん国からか見まほしからんといへる心也此吉野に鎮坐の神からにやと也
911 みよしのゝ秋津の川のよろつよにたゆることなく又かへりみん
三芳野之秋津乃川之萬世尓断事無又還將見
みよしのゝ秋津の 是もみれとあかぬ心也行幸を祝て萬世に絶す歸來てみんと也
912 はつせめのつくるゆふはなみよしのゝたきのみなはにさきゝたらすや
泊瀬女造木綿花三吉野瀧乃水沫開(イ関セキ)來受屋
はつせめのつくる 初瀬の女也真苧木綿なと苧は女のわさなれはかく云也瀧の淡《アワ》のゆふ花のやうなるを瀧の泡に咲と云也
一首并ニ短歌 年月未《・ス》v審《ツマヒラカナラ》然トモ以v類ヲ載《ノス》2於此《コヽニ》1 車持朝臣千年作歌
車持《クルマモチノ》朝臣|千年《チトシ》
913 あちこりのあやにともしくなる神のをとのみきゝしみよしのゝまき立山ゆ見くたせは川のせことにあけくれは朝霧立て夕されはかはつ鳴なへとひもとかすたひにしあるはわれにしてきよきかはらを見らくしおしも
味凍綾丹乏敷鳴神乃音耳聞師三芳野之真木立山湯見降者川之瀬毎開來者朝霧立夕去者川津鳴(イなき)奈弁詳紐不解客尓之有者(イあれは)吾耳為而清川原乎見良久之惜蒙
あちこりのあや 見安云よき綾といふ也愚案あやにといはん枕詞にをく也
あやにともしく あやにくに難《カタク》v見《ミ》乏《トモ》しき心也
かはつ鳴《ナキ・ナク)なへと 蛙なくなれと也イなきなへとはなきなめど也
ひもとかす 旅はうちとけぬ物なれは枕詞に置也
旅にしあるはイあれは 旅にしある我にて也はは助字也イあれはゝ義なし旅なる我にて見るはおしき緩々見度と也
反歌
914 滝の上のみふねの山はかしこけれとおもひわするゝときも日もなし
瀧上乃三船之山者雖畏思忘時毛日毛無
滝の上のみふねの山は 我忘ぬなといはんは恐れあれとゝの心也帝を思ふ事を添てにや
915 ちとりなくみよしの川の音しけみやむときなしにおもほゆる君
千鳥鳴三吉野川之音成止時梨二所思君
ちとりなくみよしの 吉野河の音しけきかことく我帝を思ひ奉る心もやむ時なしとなるへし
916 あかねさす日をもへなくにわか恋るよしのゝ河の霧にたちつゝ
茜刺日不並二吾戀吉野之河乃霧丹立乍
あかねさす日をも 日をへて見てたにあくましき吉野河を日をもへぬに霧に立かくしつゝ見せぬ心をよみて此河の霧立景をよめり或本云養老七年五月幸于芳野離宮之時云々前の金村哥と同時にや
神亀元年甲子冬十月五日幸ノ2紀伊ノ國ニ1時作歌
山部宿禰赤人
神亀元年 聖武御宇歟
917 やすみしるわかおほきみのとこ宮とつかへまつれるさひか野ゆそかひに見ゆるおきつしまきよきなきさにかせふけは白波さはきしほひれはたまもかりつゝ神代よりしかそたふとき玉津しまやま
安見知之和期大王之常宮等仕奉流左日鹿野由背上尓所見奥嶋清波瀲尓風吹者白浪左和伎潮干者玉藻苅管神代從然曽尊吉玉津嶌夜麻
とこみや 常住不変といはふ詞也とこ宮所なともよめり
さひか野ゆ 八雲御抄紀伊国云々ゆはより也
そかひにみゆる うしろさまにみゆる心也俊成卿の説はおひすかひに見ゆる心也
神代より むかしよりの心也玉津嶋の明神の垂跡のよせいもあるにやまことに和哥の神衣通姫の立せ給ふ然そたふときさる事なるへし
反歌
918 おきつしまあらいその玉も塩ひみちていかくれゆかはおもほへんかも
奥嶋荒礒之玉藻潮干満(イしほミちて)伊隠去者所念武香聞
おきつしまあらいその 伊かくれは伊は助字也此礒の玉藻の面白きを見るにあかねは塩にかくれゆかは惜く思んと也
919 わかのうらにしほみちくれはかたをなみあしへをさしてたつなきわたる
若浦尓鹽満來者滷乎無美葦邊乎指天多頭鳴渡
わかのうらにしほみち 祇曰塩の満て※[さんずい+写]のなくなると也又は方と用る説有いつくともなく芦へ鳴行さま也
神亀二年乙丑五月幸キノ2芳野ノ離宮《カリミヤニ》1之時作歌三首并短歌 笠朝臣金村
920 あしひきのみやまもさやにおちたきつよしのゝ川の川のせのきよきを見れはかみへにはちとりしはなきしもへにはかはつつまよふもゝしきの大宮人もおちこちにしゝにしあれは見ることにあやにともしみ玉かつらたゆる事なく萬代にかくしもかなとあめつちの神をそ祈るかしこけれとも
足引之御山毛清落多藝都芳野川之河瀬乃浄乎見者上邉者千鳥數鳴下邉者河津都麻喚百礒城乃大宮人毛越乞尓思自仁思有者毎見文丹乏玉葛絶事無萬世尓如是霜願跡天地之神乎曽祷恐有等毛
みやまもさやに 御山吉野山を清きとほめし詞也次に川も清き事をいへる皆ほめし也
かみへ 水上也しはなきはしは/\しきりなく也
しもへ 河下也
しゝにしあれは 宮人のしけき也
あやにともしみ あやにくに見あかぬ心也
玉かつらは 絶る事なくといはん諷詞也
かくしもかなと 萬代もかはらすかくあれがなと也君の離宮を金村らかかく申はおそれあれともと也
反歌
921 よろつよに見ともあかめやみよしのゝたきつかうちのおほみやところ
萬代見友(古來風体見るとも)將飽八三芳野乃多藝都河内乃大宮所
よろつよに見とも 見るともあかじとの心也長哥の心とおなし
922 人みなのいのちもわれもみよしのゝたきのとこいはの常ならぬかも
人皆乃壽毛吾母三芳野乃多吉能床磐乃常有沼鴨
人みなのいのちも我も とこいはとは岩はとことはに不《サル》v変セ物なれは云也皆人の寿も我か命も此岩のことく常ならぬと也此景の不変なるをうらやみて我生の常なきを感する心也
山部宿祢赤人
923 やすみしるわかおほきみの高しらすよしのゝみやはたゝなつくあをかきこもりかはなみのきよきかうちそはるへにははなさきをゝり秋されは霧立わたりその山のいやます/\にこの河のたゆる事なくもゝしきのおほみやひとはつねにかよはん
八隅知之和期大王乃高知為芳野宮者立名附青垣隠河次乃清河内曽春部者花咲乎遠里秋去者霧立渡其山之彌益々尓此河之絶事無百石木能大宮人者常將通
やすみしるわかおほきみの高《タカ》しらす 大王のしらせ給ふ事を貴み云詞也たかてらすなとも云也
たゝなつく 見安云立つゝく也日本紀釋云青山並立之義也
あをかきこもり 青垣山こもり皆よしのゝ名所也
清きかうちそ 清浄なる吉野河の内と也此河の境内と也
花さきをゝり 仙曰をゝりとはのほりといふ詞也
其山の 吉野山重畳なるを益々の諷詞に置也
この河の 吉野河也絶ぬといはん諷詞也
反歌
924 みよしのゝきさやまきはのこすゑにはこゝたもさはくとりのこゑかも
三吉野乃象山際(イのは)乃木末尓波幾許(イこゝたく)毛散和口鳥之聲可聞
みよしのゝきさ山 象《キサ》山名所也こゝたはおほき心也
925 うはたまのよのふけゆけはひさきおふるきよきかはらにちとりしはなく
烏玉之夜之深去者久木生留清河原尓知鳥數鳴
うはたまのよのふけ 久木は楸と同清河原吉野名所也或非名所云々しばなくはしきり鳴也
926 やすみしるわかおほきみはみよしのゝあきつのをのゝのかみにはあと見すへ置てみ山にはせこたちわたりあさかりにしゝふみおこし夕かりに鳥ふみたてゝ馬なめてみかりそたてしはるのしけ野に
安見知之和期大王波見吉野乃飽津之小野笶野上者跡見居置而御山者射固立渡朝猟尓十六履起之夕狩尓十里※[足+(日/羽)]立馬並而御狩曽立為春之茂野尓
あきつのをの 吉野名所也
野上 野の上つかた也
あと見 見安云狩に鹿の跡を見する也
み山 御猟の山也かたのゝみ野といふたくひ也
あさかり 朝に猟する也
しゝふみふみおこし 鹿ををひたつる心也
みかりそたてし 狩するを立ると云也
春の茂野 草木のしけた春野也
反歌
927 あしひきの山にも野にもみかり人ともやたはさみみたれたるみゆ
足引之山毛野毛御狩人得物矢手挟散動而有所見
あしひきの山にも野 童蒙抄云ともや物によくあたる矢を云也得物矢とかけりたはさみとは二も三も手にはさみぬきてゐるを云愚案君の狩なれは御狩人と狩人をも云
冬十月幸ノ2難波ノ宮ニ1時ニ作歌三首并短歌 笠朝臣金村
928 をしてるやなにはの国は芦かきのふりにしさとゝ人みなのおもひやすみてつれもなく有しあいたにうみをなすなからの宮にまき柱ふとたかしきてをしくにをおさめたまへはおきつとりあちへのはらにものゝふのやそとものをはいほりしてみやことなせりたひにはあれとも
忍照難波乃國者葦垣乃古郷跡人皆之念息而都礼母無有之間尓續麻成長柄之宮尓真木柱太高敷而食國乎治賜者奥鳥味經乃原尓物部乃八十伴雄者廬為而都成有旅者安礼十方
をしてるやなには 喜撰式に海を押照と云湖をにほてると云々奥儀抄用之しかれとも日本紀釋ニ云推出也難波之埼如ク2推出タル1也或曰欲v讀2難波ヲ1之發語也愚案采葉等説如何
芦垣のふりにし里 古郷には芦垣なとおろそかにてあれは古にしさとの枕詞に置て仁徳帝の後古京と成し故にや
おもひやすみて 思ひおこたりての心也 つれもなく有しとは誰とひ來てとり立るわさもなかりしゆへ難面有し間にといふなるへし
うみをなすなからの 見安云長柄の豊嶋の都也うみをの長きとつゝくる也
ふとたかしきて ふとくたかくしき立る心也離宮つくらせ給ふ事なるへし
をしくに 食國と書帝のしろしめす国の心也日本紀に食國【ケクニ・クニシロシメス】とも讀
おきつとり あちといはん枕詞也味むらは沖にすむ故也沖津鳥鴨と云に同 味経《アチフノ》原 つの国の名所也奥にあちふの宮といふも此離宮を云なるへし
やそとものを 八雲抄朝に仕男也哥林良材云やそはおほき也とものおは伴男也愚案釋日本紀に八十部ヤソトモノヲとよめり朝《テウ》につかふる諸臣の廬《イヲリ》を作りて都となせりかりの離宮なれともといはんとて旅にはあれともと云也
反歌
929 あらのらに里はあれともおほきみのしきますときはみやことなりぬ
荒野等丹里者雖有大王之敷座時者京師跡成宿
あら野らに里はあれとも あれたる野にて此里はあれともと也味経原を云なるへし亦長歌ノ心に同
930 あまおとめたなゝしを舟こきいつらしたひのやとりに梶の音きこゆ
海末通女棚無小舟榜出良之客乃屋取尓梶音所聞
あまおとめ棚なし小舟 童蒙抄云たなとはうらうへのふなはたに打たる板を云|舷《フナタナ》と書りそれもなき小舟と云也
車持朝臣千年
931 いさなとり濱へを清み打なひきおふる玉もに朝なきにちへに浪よせ夕なきにいをへなみよるへつ波のますしく/\に月にけにひゝに見れとも今のみにあきたらめやもしらなみのいさきめくれるすみのえのはま
鯨魚取濱邊乎清三打靡生玉藻尓朝名寸二千重浪縁夕菜寸二五百重浪因邊津浪之益敷布尓月二異二日日雖見今耳二秋足目八方四良名美乃五十開廻有住吉能濱
いさなとりはまへを いさな取海邊の枕詞也
ちへに波よせ 波の数かきりなくよする心也いをへも同義也
へつ波 へは礒の心也つは助字也
ますしく/\ ます/\しきりにと也
月にけに 月/\にと同
今のみにあきたらめやも 今計見てはあかじと也波も咲と云心也日本紀ニ其|於秀起浪穂之上《カノサキタテルナミホノウヘ》云々いは助字也
反歌
932 しらなみのちへにきよする住の江のきしのはにふににほひてゆかな
白浪之千重來縁流住吉能岸乃黄土粉二寶比天由香名
しらなみのちへに 見安云はにふは土也にほひてはあそひてゆかなんと也【奥にもあることは也】
山部宿祢赤人
933 あめつちのとをきかことく日つきのなかきかことくをしてるやなにはの宮にわかきみのくにしらすらしみけつくにひゝのみつきとあはみちののしまのあまのわたのそこおきついくりにあはひたまさはにかつきてふねなめてつかへまつらしかしこみ見れは
天地之遠我如日月之長我如臨照難波乃宮尓和期大王國所知良之御食都國日之御調等淡路乃野嶋之海子乃海底奥津伊久利二鰒珠左盤尓潜出船並而仕奉之貴見礼者
あめつちのとをきか 是も同時の哥也大王の国をしらせ給ふ事の長遠なる事を云也
みけつくに 食《ケ》国と同見安云帝王の供御を備《ソナフ》る国也愚案淡路を云
あはみち あはちの国也
おきついくりに 日本紀十ニゆらのとの中のいくり釋ニ云石也伊は助語也云々|鮑《アハ》は石に付物也鮑ニ真珠あれは鰒《アハヒ》珠と云允恭帝淡路の幸に明石にて大鰒の玉をえ給ふ事日本紀ニアリ
つかへまつらし 帝を貴み見奉れはのしまのあまも仕へ奉るらしと也
反歌
934 朝なきにかちの音聞ゆみけつ国野しまのあまの舟にしあるらし
朝名寸二梶音所聞三食津國野嶋乃海子乃船二四有良信
朝なきに梶の音 長哥に心同
三年丙寅秋九月十五日幸ノ2播磨ノ國|印南《イナミ》野ニ1時作レル歌二首并短歌 笠朝臣金村
三年丙寅秋九月 續日本紀ニ神亀三年九月多治比ノ廣足村國ノ志賀丸|等《ラ》十八人為ス2造頓宮司ト1為《タメ》v將《セン》v幸2播磨國印南野ニ1也冬十月行幸云々此時にや
935 なきすみのふなせにみゆるあはちしままつほの浦にあさなきに玉もかりつゝゆふなきにもしほやきつゝあまおとめありとはきけと見にゆかんよしのなけれはますらおのこゝろはなしにたはやめのおもひたはみてたちとまりわれはそ恋るふなかちをなみ
名寸隅乃船瀬從見淡路嶋松帆乃浦尓朝名藝尓玉藻苅管暮菜寸二藻塩焼乍海末通女有跡者雖聞見尓將去餘四能無(定なから)者大夫之情者梨荷手弱(イをや)女乃念多和美手徘徊(定家やすらはん)吾者衣戀流船梶雄名三
名寸隅の舟瀬 播磨名所也
ますらおのこゝろはなしに 雄々しき心はなく只たはやめのことく思ひよはりて松帆の浦の海人おとめを見まほしきと也あなかちあまの戀しきにはあらさるへし松帆蜑のかつくをみんの心也
反歌
936 玉もかるあまおとめらを見にゆかんふなかちもかな波たかくとも
玉藻苅海未通女等見尓將去船(ふねの)梶(かち)毛(も)欲得(か)浪高友
たまもかるあまおとめらを 是も長哥と同意也第四句俊成卿はふなかちもかな定家卿はふねのかちもかと和ス
937 ゆきかへり見れとあかんやなきすみのふなせのはまにしきるしらなみ
徃廻雖見(イみとも)将飽八名寸隅乃船瀬之濱尓四寸流思良名美
ゆきかへり見れとあかんや 定家卿の和也仙点は見ともあかめやと和ス或は見るともあかめや也
山部宿祢赤人
938 やすみしるわかおほきみのかみのまに高くしらせるいなみのゝおほ海の原のあらたへの藤井の浦にしひつるとあま舟とよみしほやくと人そさはにある浦をよみうへもつりはす濱をよみうへもしほやくありかよひ見らんもしるしきよきしらはま
八隅知之吾大王乃神随高所知流稲見野能大海乃原笶荒妙藤井乃浦尓鮪釣等海人船散動鹽焼等人曽左波尓有浦乎吉美宇倍毛釣者為濱乎吉美諾毛鹽焼蟻徃來御覧母知師清白濱
おほきみのかみのまに 是も帝を神といひて也君のまゝに知し召心也
あらたへの藤井 荒妙は藤井の枕詞也藤布とて荒々しき物なれは藤といはんとての五文字なるへし藤井は藤江と同所歟反歌ニは藤江とよめり播磨の名所也
とよみ さはく心也
うへも釣はす 尤釣すると也
ありかよひ 行通ひの心也
反歌
939 おきつなみへなみしつけみいさりすとふち江のうらに舟そとよめる
奥浪邊波安美射去為登藤江乃浦尓船曽動流
おきつなみへなみしつけみ 仙曰藤江浦播磨に在昔住吉明神藤の枝を海上にうかへて此枝のよりたらん所を我領とすへしとの給ひけるに此藤浪にゆられてこゝによりけれは藤江の浦と名付住吉の御領也愚案いさりは漁也
940 いなみのゝあさちをしなみさぬるよのけなかくあれは家ししのふる
不欲見野乃淺茅押靡左宿夜之氣長有者家之小篠生
いなみのゝあさち 古來風体にはいへのしのふると有 をしなみはをしなひかし也此野の草莚にねたる夜の嘆息せらるれは故郷の戀しのはるゝと也此哥類聚萬葉にはさねし夜のと有
941 あかしかたしほひの道をあすよりはしたうれしけんいへちかつけは
明方潮干乃道乎從明日者下咲異六家近附者
あかしかたしほひの しほのひたる道をありくかうきに此道あすよりは嬉しくゆかん還幸にて故郷近つけはと也
過《ヨキル》2辛荷《カラカノ・カラニノ》島《シマヲ》1時作レル歌 一首并短歌 山部宿祢赤人
過辛荷島 仙曰播磨國風土記ニ曰|韓《カラ》荷島ハ韓人破v船所v漂《タヽヨフ》之物就ク2於此島ニ1故ニ云フ2韓荷島ト1云々又曰古点からかからに兩点也愚案八雲御抄からにと有奥義抄にはからかと有續後撰ニ雅経もからかとよみ給へり兩点也
942 あちさはふいもかめしば見ずてしきたへの枕もまかすかにばまきつくれる舟にまかちぬきわかこきくれはあはみちのしまもすきぬいなみつま辛荷のしまのしまゝよりわかやとをみれはあを山のそことも見えす白雲もちへになりきぬこきたむる浦のはてまてゆき隠れしまのさき/\くまもをかすおもひそわかこしたひのけなかみ
味澤相妹目(イいめ)不數見而敷細乃枕毛不卷櫻皮纒作流舟二真梶貫吾榜來者淡路乃野島毛過伊奈美嬬辛荷(に・か)乃島之島際從吾宅乎見者青山乃曽許十方不見白雲毛千重尓成來沼許伎多武流浦乃盡徃隠島乃崎崎隈毛不置憶曽吾來客乃氣長弥
あちさはふ 詞林云あちはふる也愚案あちはひうれしき心也
いもがめしは見すて 妹か顔|屡《シハ/\》見ぬ心也妹ニ逢ぬ心也イいめしは見すて味《アチハヒ》ある夢を見ぬ也
かにばまきつくれる舟 見安云|桜皮《カハ》の色に色とりたる舟也かにはまきの舟とも是を申也八雲抄さくらかはまきたる舟と有古点か
いなみつまからにのしま 見安云いなみつまはいなといふ妻からかは我にからかふと云心也愚案此点はからかを用からにといふには不叶かいなといひて難面き妻はからくうき心にて枕詞に置なるへし
わかやとを見れは 故郷大和の方をみやれ青山蒼々とせし心也
こきたむる 舟こきめくる也くまもをかすはくまもなくの心にや旅の嘆息かきりなけれはおもはぬくまもなく故郷をおもひこしと也
反歌
943 たまもかるからにの嶋にあさりするうにしもあれや家思はさらん
玉藻苅辛荷乃嶋尓嶋廻為流水烏二四毛有哉家不念有六
たまもかるからにの 仙曰此哥第四句古点かもにしもと点せり水鳥は鵜也うにしもと点すへし愚案我故郷を思ふ故ニ水鳥ノ思事なきを羨《ウラヤ》む也
944 しまかくれわかこきくれはともしかもやまとへのほるみくまのゝふね
嶋隠吾榜來者乏毳倭邊上真熊野之船
しまかくれわかこき ともしかもはともしくも也故郷へ急く心に舟の故国に上る事ともしく速きと也みくまのゝ舟とは熊野山の舟木にて造し舟也此山の木にて造し舟は風波難なしと旧記に有とそ師説に侍し
945 風ふけは波かたゝんとまつほとにつたのほそ江にうらかくれゐぬ
風吹者浪可将立跡伺候尓都太乃細江尓浦隠居
風ふけは波かたゝんと 八雲抄につたの細江播摩と云々風波をうかゝひて此江に隠れ居ると也うら隠れのうらは助字也
過《ヨキル》2敏馬《ミヌメノ》浦ヲ1時作歌一首并短歌 年月未詳
山部宿祢赤人
946 みけむかふあはちのしまにたゝむかふみぬめの浦のおきへにはふかみるつみうらわにはなのりそかりふかみるの見まくほしみとなのりそのをのか名おしみまつかひもやらすて我はいけりともなへに
御食向淡路乃嶋二直向三犬女乃浦能奥部庭深海松(イを)採浦廻庭名告藻(をイ)苅深見流乃見卷欲跡莫告藻之己名惜三間使裳不遣而吾者生友奈重二
みけむかふあはちのしま 帝の御膳の肴等奉る故御食向淡路と云にや前にも御食つ国日々の御調と淡路《アハミチ》のと有
みぬめの浦 八雲抄摂津と有たゝむかふ直《タヽチ》に向也
ふか見るの見まくほしみ 見るといふより見まほしとつゝけ名のりそといふより名をおしといへり若名のもれやせんとて使をもやらすおほつかなく生たる心もせすと也
反歌
947 すまのあまのしほやきゝぬのなれなはかひとひもきみをわすれておもはん
為間乃海人之鹽焼衣乃奈礼名者香一日母君乎忘而將念
すまのあまのしほやき 馴なはかといはん序哥也馴る事なけれは一日も忘れかたしと也
四年丁卯春正月勅2諸王諸臣|子等《コラニ》1散2禁スル於授刀寮ニ1時作ル歌一首并ニ短歌【神亀四年正月數王子乃諸臣ノ子等集テ2於春日野ニ1而作ス2打《タ》毬ノ之樂ヲ1其日忽ニ天陰雨雷電ス此時宮中ニ無2侍從乃侍衛1勅シテ行2刑罰ヲ1皆散2禁シテ於授刀寮ニ1而妄ニ不v得v出ルコトヲ2道路ニ1 于v時|悒憤《ウレヘイキトヲル》シテ即作2此歌ヲ1】 作者未v詳
散2禁シテ於授刀寮ニ1 聖武帝の比は今の近衛といふ官なくて中衛といひ或は授刀衛といへり神亀四月正月諸王諸臣の子等かすか野に打毬の楽みをなす其日雨雷せしに禁中の侍衛なかりし故授刀寮に禁制してみたりに道路に出さらしむ是をむつかりて此哥を讀るよし注にみゆ
948 まくずはふかすかの山はうちなひき春さりゆくと山のへに霞たなひきたかまとに鶯なきぬものゝふのやそとものをは折ふしもしきつぎ皆しこゝにつぎ常にありせは友なめてたはれん物を馬なめてゆかまし里を待がてにわかするはるをかけまくもあやにかしこくいはまくもゆゝしくあらんとあらかしめかねてしりせは千鳥なく其さほ川に石に生るすかのねとりて忍ふ草はらへてましをゆく水にみそきてましをすめろきのみことかしこみもゝしきのおほ宮人の玉ほこのみちにもいてすこふるこのころ
真葛延春日之山者打靡春去徃跡山上丹霞田名引高圓尓鴬鳴沼物部乃八十友能壯者折不四喪之來繼皆石此續常丹有脊者友名目而遊物尾馬名目而徃益里乎待難丹吾為春乎决卷毛綾尓恐言卷毛湯々敷有跡豫兼而知者千鳥鳴其佐保川丹石二生菅根取而之努布草解除而益乎徃水丹禊而益乎天皇之御命恐百礒城之大宮人之玉鉾之道毛不出戀比日
春さりゆく 春の來たるといふ心也
たかまと 大和名所也
しきつぎ皆しこゝにつぎ 頻打續き皆々こゝに打つゝきて也常の正月ならは頻にうちつゝき皆伴ひ遊ん物をと也皆しのしは助字也
友なへて 友並也伴ふ也
ゆかまし里を 句を切
待かてにわかする春を かく遊んと待兼し心也
かけまくもあやにかしこく 彼侍衛の怠りによりて君の刑法にあふをおそるゝ心也
いはまくもゆゝしく いふもいま/\しと也道にえ出ぬを云也かゝる恐れあるへしとあらかしめかねてしらは御祓をもせん物をと也
菅のねとりて忍ふ草はらへて 菅ぬきなど菅は祓具也忍草もことなし草といひて物いみの時なと用る物なれははらへの諷詞にをくなるへし
反歌
949 うめ柳すくらくおしみさほの内にあそひしことを宮もとゝろに
梅柳過良久惜佐保乃内尓遊事乎宮動動尓
うめ柳すくらくおしみ さほの内は彼春日野に打毬の遊ひせしをいふ也梅柳の盛過るをおしみて春日野に遊ひて宮中を騒動する御とかめにあひし心をいひたる哥也
五年戊辰幸ノ2難波宮ニ1時作歌四首 笠朝臣金村 一云車持朝臣千年
950 おほきみのさかいたまふと山もりすへもるといふ山にいらすはやまし
大王之界賜跡山守居守云山尓不入者不止
おほきみのさかい給ふ 山の堺を定めて山守をすへてまもらしめ給ふ事也いらすはやまじとは愛スルv山ヲ心深き也
951 見わたせはちかき物からいそかくれかゝよふ玉をとらすはやまし
見渡者近物可良石隠加我欲布珠乎不取不已
見わたせはちかき物から 見安云云かゝよふ玉は波にたゝよふ貝の事也詞林にはかゝよふはほのかなる也云々如何
952 から衣きならの里のしままつに玉をしつけんよき人もかな
韓衣服楢乃里之島待尓玉乎師付牟好人欲得
から衣きならの里の 服楢《キナラノ》里 大和|添上《ソフノカミノ》郡也奥にきならの山と同所也しまゝつは嶋松也衣裏寶珠なとのよせにて玉を付るにつけてから衣と枕詞に置るにや
953 さをしかのなくなる山をこえていなん日たにや君にはたあはさらん
竿壯鹿之鳴奈流山乎越將去(イさらん)日谷八君當不相將有
さをしかのなくなる山を 妻戀鹿に催さるゝ日たに思ふ人にあいてやあらんと也行幸從駕の旅の戀のうたなるへし
一首 年月未v審然トモ以2歌ノ類セルヲ1載スv此ニ 膳《カシハテ》王
954 あしたにはうみへにあさりし夕されはやまとびこゆるかりしともしも
朝波海邊尓安左里為暮去者倭部(類ニはやまとへ)越鴈四乏母
あしたにはうみへに 鴈しともしもとは山飛越るをみるにあかぬ心よりともしもと云也類聚萬葉には大和へ越ると有
一首 大宰小貳石河朝臣足人
955 さゝ竹のおほみやひとのいへとすむさほの山をはおもふやもきみ
刺(仙さす)竹之大宮人乃家跡住佐保能山乎者思哉毛君
さゝ竹のおほみや人の 仙曰此哥の頭《ハシメ》の句さゝたけと点せり古語によらはさす竹といふへき也此集十五ニ作須太氣能《サスタケノ》大宮人|者《ハ》伊麻毛可毛《イマモカモ》又|検《カンカフルニ》聖徳太子歌ニ佐須堕氣乃岐祢波夜《サスタケノキミハヤ》といへりはかりしるにさすたけといふへき也愚案仙覺さす竹の事しらさるにや注する事なし口訣別にしるせり然とも定家卿の哥「散もせし衣にすれるさゝ竹のおおみや人のかさす桜は此さゝさす五音通すれは兩点可用中に定家卿はさゝ竹を用ひ給へは此点も捨へからす扨ささ竹は大宮人の枕詞也宮人の家とすむならの京さほの山を思ひ出給ふかと太宰府にて旅人卿にいへるうた也君は帥旅人卿をいへり次に此卿和の哥有
和スル歌一首 帥大伴卿
956 やすみしるわかおほきみのみけくにはやまともこゝもおなしとそおもふ
八隅知之吾大王乃御食國者日本毛此間毛同登曽念
やすみしるわか大きみ 普天の下率土の濱皆王地なれは大和筑紫も同く思ふと也遠近の隔なく忠義の心みえて殊勝にや
冬十一月|太宰《ミコトモチ》ノ官《ツカサ》人|等《ラ》奉v拝《ヲカミ》香椎《カシイノ》廟ヲ1訖|退歸《マカリカヘル》之時|駐《トヽメテ》馬ヲ于香椎ノ浦ニ1各述《ノヘテ》v懷《ヲモヒヲ》作歌 三首
帥大伴卿
香椎廟 仲哀天皇の廟或は神功皇后と申筑前ノ國ノ風土記ニ云到ル2筑前ノ國ニ1例先恭2詣ス加|可襲《カシイノ》宮ニ1とあり
957 いさやこらかしゐのかたにしろたへのそてさへぬれてあさなつみてん
去來兒等香椎乃滷尓白妙之袖左倍所沾而朝菜採手六
いさやこらかしゐの 朝菜は朝つむ菜也
大貳小野老朝臣
958 ときつ風吹へくなりぬかしゐかたしほひのきはに玉もかりてな
時風應吹成奴香椎滷潮干※[水+内]尓玉藻苅而名
ときつ風吹へくなりぬ 時ツ風こゝは潮《シホ》時の風にや※[水+内]玉篇云水相入|貌《カタチ》江文通擬スルv古詩今宿ス2浦陽※[水+内]ニ1水ノ北ヲ曰v※[水+内]トたまもかりてなはかりなんといふ心也
豊前ノ守|宇努《ウノヽ》首《ヲフト》男人《ヲヒト》
959 ゆきかへり常にわか見しかしゐかたあすよりのちにはみんよしもなし
徃還常尓我見之香椎滷從明日後尓波見縁母奈思
ゆきかへりつねに我みし 是も同時の歸路によみたるにや又任果て歸京の比よみしなるへし
遥ニ思テ2芳野ノ離宮ヲ1作歌一首
帥大伴卿
遥思2芳野 太宰府より故国の美景を思へるなり
960 はやひとのせとのいはほもあゆはしるよしのゝたきになをしかすけり
隼人乃湍門乃磐母年魚走芳野之瀧尓尚不及家里
はやひとのせとの 隼人の瀬戸名所也但見安云はや人は武士の早くさとしといふ心也云々こゝも佳境なから猶鮎はしる吉野の瀧にはしかすと也
宿テ2次《ツグ》田ノ温泉《イテユニ》1聞テ2鶴ノ喧《ナクヲ》1作ル歌一首 帥大伴卿
次田温泉 哥ニ湯ノ原と有
961 ゆのはらになくあしたつはわかことくいもにこふれやときわかすなく
湯原尓鳴蘆多頭者如吾妹尓戀哉時不定鳴
ゆのはらになくあしたつ 我妻戀る心より鶴をも思ひやる也見安云湯原名所也
天平二年庚午勅シテ遣《ツカハス》2擢駿馬使《タクシユンハシ》大伴《トモノ》道足ノ宿祢1時ノ歌一首【勅使大伴ノ道足ノ宿祢ヲ饗ス2于帥ノ家ニ1此日會集ノ衆諸相2誘驛使葛井ノ連シ廣成ヲ1言フv須トv作ル2歌詞ヲ1之時應シテv聲ニ即吟2此歌ヲ1】
驛使《ハイマツカヒ》葛井《クヅ》ノ連《ムラジ》廣足
擢駿馬《タクシユンハ》使 よき馬をえらひとる使也玉篇曰|擢《タクハ》引也|抜挙《ハツコ・ヌキアクル》也駿は馬の美称也
962 おく山のいはにこけむしてかしこみもとひたまふかもおもひたへなくに
奥山之磐尓蘿生恐毛問賜鴨念不堪國
おく山のいはにこけ 深山岩に苔生所はおそろしき物なれはかしこみといはん序哥によめりかしこみもかしこくもと同シ勅使道足思ひもかけすとひおはせし事かたしけなしとの心にや
冬十一月發シテ2帥ノ家ノ上《ホトリノ》道ヨリ1超《コユル》2筑前ノ國|宗形《ムナカタノ》郡|名兒《ナゴ》ノ山ニ1之時作レル歌一首
大伴坂上郎女
963 おほなむちすくなひこなの神こそはなつけそめけめ名にのみをなこ山とおひてわかこひのちへのひとへもなくさめなくに
大汝小彦名能神社者名著始鷄目名耳乎名兒山跡負而吾戀之干重之一重裳奈具佐米七國
おほなむちすくなひこな 大汝見安云みわの明神の御事也愚案此二神は此国を経営の事前ニ注す此山の名も此二神こそつけ給ひけんにされとなごめ慰る名のみおひて我戀を少も慰めすと也なこ山といふ名によりてよめるうた也見安云名兒山名所也
向v京ニ海路ニ見テ2濱ノ貝ヲ1作歌一首
大伴坂上郎女
964 わかせこにこふれはくるしいとまあらはひろひてゆかんこひわすれかひ
吾背子尓戀者苦暇有者拾而將去戀忘貝
わかせこにこふれは 忘貝といふ名によりて戀のくるしさを忘まほしき心をのふる也
冬十二月大宰帥大伴卿上ルニv京ニ作レル歌二首【大宰ノ帥大伴ノ卿兼2任シテ大納言ニ1向v京ニ上ル道ニ此日駐テ2馬ヲ水城《ミツキニ》1顧《カヘリミ》2望ム府家ヲ1于v時送ルv卿ヲ府吏之中ニ有2遊行ノ女婦1
其字ヲ曰2兒嶋ト1也於v是娘子傷ミ2此易コトヲ1v別嘆シテ2彼ノ難コトヲ1v會拭テv涕ヲ自ラ吟2振v袖之哥ヲ1】 娘子 はしめの坂上郎女也
大伴卿 旅人卿也
府家 太宰府の家也
府吏 太宰府の下つかさとも也其中に字《アサナ》は児嶋《コシマ》有しにや
振袖 そてふりてまねきて別を惜心也
965 おほならはさもともせんをかしこしとふりたき袖を忍ひてあるかも
凡有者左毛右毛将為乎恐跡振痛袖乎忍而有香聞
おほならはさもとも おほならはとはおほよそ大惣なとの心也さもともせんは左右の袖をもふらんをと也大惣ならは思ふまゝにさもともしてふるへきを恐れあれは忍ひてふらすと也袖ふりまねきて名残おしき人を戀ふへきをと也
966 やまとちは雲かくれたりしかれともわかふるそてをなけれともふな
倭道者雲隠有雖然余振袖乎無礼登母布奈
やまとちは雲かくれ 我故国大和地は雲かくれたりされとも我は袖ふりて児嶋なとをしたふへきを雲かくれてみえねは袖ふる事もなけれはしたふましきとおもふなと也
和スル歌 二首 大納言大伴卿
967 やまとちのきひのこしまを過てゆかはつくしのこしまおもほえんかも
日本道乃吉備乃兒嶋乎過而行者筑紫乃子嶋所念香聞
やまとちのきひの 祇曰大和に都ある時はいつくよりゆくをも大和路の何といへる也八雲抄|吉備《キビ》の児《コ》嶋は備前か云々つくしのこしまは彼遊行の婦女児嶋の事也
968 ますらおとおもへるわれや水くきのみつきのうへになみたのこはん
大夫跡念在吾哉水莖之水城之上尓泣將拭
ますらおと思へる我や 水くきのは水城といはん諷詞也水城は和名に筑前下座郡云々日本紀廿七天智三年於2筑紫ニ1築テ2大堤ヲ1貯テv水ヲ名テ曰フ2水城ト1云々凶賊の防《フセキ》也
三年辛未在テ2寧楽《ナラノ》家1思フ2故郷ヲ1歌 二首 大納言大伴卿
969 たゝしはしゆきて見てしか神なひのふちはあさひてせにかなるらん
須臾去而見相鹿神名火乃淵者淺而瀬二香成良武
たゝしはしゆきて見てしが 神なひの渕八雲抄大和と云々旅人卿の故郷飛香宮なれはあすか河歟あさひては淺くなりて也
970 さしずきのくるすのをのゝ萩の花ちらんときにしゆきてたむけん
指進乃粟栖乃小野之芽花將落時尓之行而手向六
さしずきのくるすの 仙曰さしすきはさしつく也栗栖は栗のいか也されは諷詞にさしすきとをけり愚案栗のいかのさしつく心に云懸て也栗栖小野山城といへと非歟旅人卿思故郷哥なれは也古事記ニ雄略天皇ひき田のわかくるすはらと讀せ給ふは初瀬に在飛鳥に近し是にや心は朝につかへていとまなくて萩ちる時や行手向んと也
四年壬申藤原ノ宇合《ノキアヒヲ》遣《ツカハス》2西海道ノ節度使《セツトシニ》1之時作レル歌一首并短歌
高橋ノ蟲《ムシ》麻呂
四年壬申 元正天皇神亀四年世に災害《サイカイ》しきり国司の政《マツリコト》違背《イハイ》し民愁|怨《ウラム》る故|詔《ミコトノリ》して七道の諸国へ使を遣して国司の治跡勤怠を見そなはしめ給ふ事續日本紀に在此時の事也
971 しら雲のたつたの山の露しもにいろつく時にうちこえてたひゆく君はいほへやまいゆきさくみてあた守るつくしに至り山のそき野のそき見よととものべをわかちつかはし山ひこのこたへんきはみ谷くゝのさわたるきはみくにかたを見せし給ひて冬こなり春さりゆけはとふ鳥のはや見きたりてたつたちのをかへのみちににつゝしの匂はんときの桜花さきなん時にやまたつのむかへまいてん君かきまさは
白雲乃龍田山乃露霜尓色附時丹打超而客行君者五百隔山伊去割見(イさくみ)賊守筑紫尓至山乃曽伎野之衣寸見世常伴部乎班遣之山彦乃將應極谷潜(イくま)乃狭渡極國方乎見之賜而冬木成春去行者飛鳥乃早御來龍田道之岳邊乃路尓丹管土乃將薫時能櫻花將開時尓山多頭能迎参出六君之來益者
いほへ山 いくへもある山也但見安名所云々可尋之
いゆきさくみ 伊は助字也行過ての心也【さくみの注前ニ有】
あた守る 見安云異国の警固也愚案筑紫に太宰府有て九州の非違を守る所なれはあた守るつくしと云也
山のそき野のそき 仙曰そきとはあいた也師山の崎野の崎也西国の守りにゆくさきもりにて可心得さとそと通ス
とものへ 見安云物の部《フ》事也愚案|八十伴男《ヤソトモノヲ》なとの心也べは部類なり
わかちつかはし 七道の諸国に使を分ち遣さるゝ也節度を給ふ使也
谷くゝの 水也前ニ注スさ渡るは流れ及ふ心也さは助字也心は山彦のこたふるかきり谷水の及ふかきり国々のこるかたなく見せしめ給ひてと也
とふ鳥の 飛鳥は早き物なれは早見來りといはん枕言葉也宇合卿早く巡監して此立田山の紅躑躅白桜の時歸り來給はゝ迎へに出んと也
につゝし 仙曰あかき躑躅也
やまたつの むかへといはん枕詞也前ニ委注宇合卿の歸路を迎へ参り出んと也
反歌
972 そこはくのいくさなりともことあけせすとりて來ぬへきたけおとそおもふ
千萬乃軍奈利友言擧不為取而可來男常曽念
そこはくのいくさなりとも 仙曰たけおとは心たけきつはもの也愚案千萬人の軍|帥《スイ》なりとも一言いふ事もなく拉へき宇合卿そと也ことあけは声をあけ物いふ事也
賜《タマフ》2酒ヲ節度使ノ卿|等《ラニ》1御歌一首并短歌
聖武天皇一云太上天皇
973 をしくにのとをのみかとになれかかくいてゝしゆけはたいらけくわれはあそはんたにきりてわれはいまさんきみのわかうつのみてもてかきなてそねきたまひうちなてそねきたまひかへりこん日あひのまんさけそこのとよみきは
食國遠乃御朝庭尓汝等之如是退去者平久吾者將遊手抱而我者將御在天皇朕宇頭乃御手以掻撫曽祢宜賜打撫曽祢宜賜将還來日相飲酒曽此豊御酒者
とをのみかと 遠国を云遠境も王地なれは云也
なれかかく 汝か如此也宇合卿等節度使にゆけは遠国平安類ひなけれは叡慮安きと也
たにきりて 拱《コマヌク》v手《テヲ》といふに同し帝|冲襟《チウキン》をなやませ給ふ事もなく御心やすからんとの心也
きみのわか 天子のみつからの給ふ御詞にや
うつの御手もて 人を恵みうつくしむ御手を持て節度使をなていたはり給ふ也
ねき給ひ ねきらふ心也又は祈る心也安穏にと思召す心也
かへりこん日あひのまん 節度使の無事平安に歸り來ん日又如此相のまんと祝給ふ御心也節度は天皇の御使といふしるし也
此とよみき 只今給ふ此酒を歸こん日ものまんと也豊御酒とは大やけの給ふさけなれは豊の字を付る也とよのあかりなといふ心なるへし
反歌
974 ますらおのゆくといふ道そおほろかにおもひてゆくなますらおのとも
大夫之去跡云道曽凡可尓念而行勿大夫之伴
ますらおのゆくといふ 節度使に出立道は大夫《マスラヲ》の道そおほろけに思ふなとはけます心也
中納言|安倍廣庭《アベノヒロニハ》卿
975 かくしつゝあらくをよみそたまきはるみしかきいのちをなかくほりする
如是為管在久乎好叙霊剋短命乎長欲為流
かくしつゝあらくを あらくはあらん也よみそとは好《ヨミ》じてそと云也臣の道はかゝる御使に参るを好て限りある命をも惜むと也これも節度使を讀り
五年癸酉|超《コユル》2草香《クサカ》山ヲ1時作レル歌二首
神社《ヤシロノ》忌寸《イミキ》老麻呂
976 なにはかたしほひのなこりまくはしみいへなるいもかまちとはんため
難波方潮干乃奈凝委曲見在家妹之待将問多米
なにはかたしほひの なこりは波の名也見安云なこりは残りの波也まくはしみは委《クハシ》く見ると云也愚案草香山より難波の景を委みて妹に語んと也
977 たゝこえの此みちにしてをしてるやなにはのうみとなつけけらしも
直超乃此徑尓師※[氏/一]押照哉難波乃海跡名附家良思裳
たゝこえの此道に 見安云津の国の山をこゆるをたゝこえの道と云也愚案難波の押照名にしおへるは此道の遠景にしてあることよと也草香山津国也此集八押照や難波を過て打なひく草香の山をけふみつる哉
沈《シツム》v痾《ヤマヒニ》之時ノ歌一首【山|上《カミノ》憶良ノ臣沈ムv痾ニ之時藤原ノ臣八束使2河邊ノ朝臣東人ヲ1令v問v疾ヲ於v是憶良ノ臣報語已ニ畢テ有v頃拭テv涕悲嘆シテ口2吟ス此歌ヲ1】
山上臣憶良
978 ひとなれはむなしかるへしよろつよにかたりつくへき名はたゝすして
士也母空應有萬代尓語續可名者不立(イたてす)之而
ひとなれはむなしかる 祇曰道ある名をも残さてむなしくならんと悲る也愚案功名の本意を遂ぬ歎にや
與《ト》2姪《ヲヒ》家持|從《ヨリ》2佐保1還2歸《カヘル》西ノ宅《イヘニ》1歌一首 大伴坂上郎女
979 わかせこかきたるきぬうすきさほ風はいたくなふきそいへにいたるまて
吾背子我著衣薄佐保風者疾莫吹及家左右
わかせこかきたる衣 佐保風は佐保山より吹風也類聚には着衣薄をコロモゝウスシと和
月ノ歌 安倍朝臣蟲麻呂
980 あまこもりみかさの山をたかみかも月のいてこぬ夜はふけにつゝ
雨隠三笠乃山乎高御香裳月乃不出來夜者更降管
あまこもり三笠の 仙曰三笠山をいはん諷詞にあまこもりとをけり笠は雨に着もさしもする也愚案月の出ぬは三笠山の高き故かもと也ふけにつゝのには助字也
月歌三首 大伴坂上郎女
981 かるたかのたかまと山をたかみかもいてくる月のをそくてるらん
猟高乃高圓山乎高弥鴨出來月乃遅將光
かるたかの高まと山 猟高高圓山大和也
982 うはたまのよきりの立てすまさるにてれる月よのみれはかなしさ
烏玉乃夜霧立而不清照有月夜乃見者悲沙
うは玉のよきりの 夜霧に清からねと月は照て面白きと也此悲さは綱手悲しもと同義也
983 やまのはのさゝらへおとこ天のはらとわたるひかり見らくしよしも
山葉左佐良榎壯子天原門度光見良久之好藻
佐散良衣壯士《サヽラエヲトコ》月ノ別名也童蒙抄同
やまのはのさゝらへ男 天にさゝらの小野有此集に讀り月其名を得てさゝらえ男と云とそ
月ノ歌一首 豊前ノ國ノ娘子《イラツコ》【字ハ曰フ2大宅《オホヤカト》1姓氏未v詳】
984 くもかくれゆくゑをなしとわかこふる月をや君か見まくほりする
雲隠去方乎無跡吾戀月哉君之欲見為流
くもかくれゆくゑを 我戀る月を君もと也
月歌二首 湯ノ原ノ王
985 あめにます月よみおとこまひはせんこよひのなかさいほよつぎこそ
天尓座月讀壯子幣(イぬさ)者將為今夜乃長者(イなかさは)五百夜繼許増
あめにます月よみ男 月讀月夜見皆月の名也日本紀に見ゆ月は男神の故男と云童蒙抄云あめにますは空にあると云也いほよ夜つきこそは五百夜つけと云也こそはかしと云詞にや袖中抄云まひは幣の字愚案まひなひせんと也童蒙にはぬさと和ス
986 よしえやしま近き里の君くやとおほのびにかも月のてらせる
愛也思不遠里乃君來(イこん)跡大能備尓鴨月之照有
よしえやしま近き 此よしえやしは愛する心也おほのび袖中抄云|寛《ユタ》かに閑《シツカ》也と云也是|江都督《カウトトク》の説也と云々君くや仙点也袖中には君こんとゝ和
月歌一首 藤原八束朝臣
987 まちかてにわかする月はいもかきるみかさの山にかくれてありけり
待難尓余為月者妹之著三笠山尓隠而有來
まちまてにわかする 待|難《カテ》とは待かぬる心也妹かきるは三笠といはん諷詞也
宴2檮《エンシイノル》父|安貴《ヤスタカノ》王ヲ1歌一首
市原王
988 春草はのちはかれやすしいはほなすときはにいませかしこきわかきみ
春草者後者落易巌成常磐尓座貴吾君
はるくさはのちはかれやすし 春草は若やかにめてたかれと後は枯安けれは我父君にたとへかたしいはほのことくときはにおはしませと也かしこきは貴む心也
打酒《タシユノ》歌一首 湯原王
989 やきたちのかとうちはなつますらおのねくとよみきにわれゑひにけり
焼刀之加度打放大夫之祷(イのむ)豊御酒尓吾酔尓家里
やきたちのかとうち ※[示+壽] 類聚にはのむと和ス仙覺はねぐとよむ義は同シ仙曰かと打放ちとは岩のかとなと打はなつほとの太刀也ねくとよみきとは祝ひて呑する大みき也【見安同】イのむとよみき祝ひの心同 打酒は只酒也
見ル2茂岡《シケヲカ》之松樹ヲ1歌一首 紀朝臣|鹿人《シヽヒト》
990 しげをかに神さひ立てさかへたるちよ松のきのとしのしらなく
茂岡尓神佐備立而榮有千代松樹乃歳之不知久
しけをかに神さひ 茂岡八雲抄紀伊云々神さひ立ては古たる也幾年の木そしられぬとの心なるへし
至テ2泊瀬《ハツセ》河邉ニ1作歌一首 紀ノ朝臣|鹿《シヽ》人
991 いしはしりたきち流るゝはつせ河たゆることなく又もきて見ん
石走(イはしる)多藝千流留泊瀬河絶事無亦毛來而將見
いしはしりたきち流る 瀧津なかるゝ也たぎり流る也はつせ河の絶ぬかことく絶す又來てこゝをみんと也
詠《ヨメル》2元興寺《アスカ》之里ヲ1歌一首 大伴坂上郎女
元興寺 拾芥にあすかてらとよむ元亨釋書曰上宮太子|討《ウツ》2守屋ヲ1時|蘇《ソノ》馬子又誓テ營メ2寺ヲ於飛鳥ノ地ニ1創ムv之日本紀委
992 ふるさとのあすかはあれと青丹よしならのあすかを見らくしよしも
古郷之飛鳥者雖有青丹吉平城之明日香乎見樂思好裳
ふるさとのあすかは 八雲抄云ふるさとのあすかならのあすかは同し所にあらす愚案古郷のあすか此集三四にも有|高市《タカイチノ》郡也此哥は奈良の南也
初月《ミカツキノ》歌一首 大伴坂上郎女
993 月たちてたゝ三日月のまゆねかきけなかくこひし君にあへるかも
月立而直三日月之眉根掻氣長戀之君尓相有鴨
月たちて只みか月の 童蒙抄云ほそき月の女の眉《マユ》に似たる也月眉といへりけなかくはいきなかくといへる也愚案月たちて只三か月とは朔日より三日めの月なれは也扨三か月のまゆといひかけて人に戀らるれは眉《マユ》根かゆきといふ事あるを歎きて戀られし君にあへる事よといへる也初月に寄て我思ひを述し哥とそ
初月歌一首 大伴宿祢家持
994 ふりさけて三か月みれはひとめ見しひとのまゆひきおもほゆるかも
振仰而若月見者一目見之人乃眉引(イまゆきの)所念可聞
ふりさけて三か月 振さけ見ると云懸也眉引【仙点まゆひき童蒙まゆきの】童蒙抄云まゆきに似たる三か月を見るにまゆきをおもひ出らるゝとよめる也
宴スル2親族《ヤカラヲ》1歌一首 大伴坂上郎女
995 かくしつゝあそひのむとも草木すらはるはもえつゝ秋はちりゆく
如是為乍遊(イたはれ)飲與草木尚春者生管秋者落(イかれ)去(イいぬ)
かくしつゝあそひのむ かく飲楽すといへと無常の習にて草木も春秋の栄落あれは誰も其時節のかれかたからんと也|歓樂《クハンラク》極テ兮|哀情《アイセイ》多シ少壮《セウサウ》幾時ソ奈《イ》v老ヲ何《カン》と云に似たり郎女の心はへきとくにや
六年甲戌應スルv詔ニ歌一首
海犬養《アマイヌカヒノ》宿祢|岡《ヲカ》麻呂
996 みたからのわかいけるしるしありあめつちのさかゆるときにあふらくおもへは
御民(イおんたから)吾(イわれ)生有驗在天地之榮時尓相樂念者
みたからのわか句 みたから百姓也日本紀百姓ヲンタカラとよむ民は帝の寶なれは也天地は天下と同天下栄る時に逢て應詔の哥奉るは生の楽みと也
春三月幸キ2難波ノ宮ニ1時ノ歌六首 作者未v詳
997 すみの江のこはまのしゝみあけもみすしのひてのみやこひわたりなん
住吉乃粉濱之四時美開藻不見隠耳哉戀度南
すみの江のこはまの 忍ひてといはン序哥也しゝみは貝に身籠れは明もみすと云見安にはしゝみは茂み也草はの茂き故明るもみすと云
船ノ王
998 まゆのこと雲ゐに見ゆる阿はのやまかけてこくふねとまりしらすも
如眉雲居尓所見阿波乃山懸而榜舟泊不知毛
まゆのこと雲ゐに 童蒙抄云眉のことゝは黛《マユスミ》のやうにて細くて遙にみゆる也唐ならぬ国にも昔の女は花して薄々とそ眉作けるされはそれに似たりと讀る也愚案黛ノ色は※[しんにょう+向]《ハルカニ》臨ム2蒼海ノ上ニ1これ山を云仙曰阿はの山阿波の国也
遊2覧シテ住吉ノ濱ヲ1還ルv宮ニ之時道ノ上《ホトリニテ》應シテv詔ニ作歌一首 守部《モリヘノ》王
999 ちぬわより雨そふりくるしはつのあまあみてなはほせりぬれてたへんかも
從千沼廻雨曽零來四八津之白泉郎網手縄乾有沾将堪香聞
ちぬわより雨そ降くる 千沼回は千沼の海のほとり也四八津もみな津国也ぬれてたへんかもとは手縄|堪《タヘ》かたからんと也
1000 こらかあらはふたりきかんをおきつすになくなるたづのあかつきのこゑ
兒等之有者二人将聞乎奥渚尓鳴成多頭乃暁之聲
こらかあらはふたり 兒等は女を云也おきつすは沖の洲也旅の暁物侘しき心也
山部宿祢赤人
1001 ますらおはみかりにたゝしおとめらはあかもすそひき清きはまへを
大夫者御猟尓立之未通女等者赤裳須素引清濱備乎
ますらおはみかりに たゝしは立出る心也男は君のみかりにたちいて女はあかもひきて清き濱邊を遊覧するさまなるへし
安部朝臣豊嶋
1012 うまのあゆみしはしとゝめよ住の江のきしのはにふににほひてゆかん
馬(イまの)之歩押止駐余住吉之岸乃黄土尓保比而将去
うまのあゆみしはし 八雲云はにふは黄土也見安云にほひてゆかむはあそひてゆかんなり愚案前にも有詞也
遙ニ見テ2海人《アマノ》釣船ヲ1作歌一首
筑後守外從五位下葛井連大成
1003 あまおとめ玉もとむらしおきつなみかしこきうみにふなてせり見ゆ
海※[女+感]嬬玉求良之奥浪恐海尓船出為利所見
あまおとめ玉求むらし おきつ波かしこき海とは波荒く恐るへき海也貨源云珠ハ生2大海中ニ1乃※[虫+半]蛤ノ胎也採v之者必|齎《ツヽミ》v糧ヲ篝v火ヲ以2數十丈ノ麻縄ヲ自|縋《スカリ》2其身ヲ1於2海岸底ニ1取v之ヲ【舟出せりしみゆ也】
一首【内匠寮ノ大|属《サクハン》按作ノ村主《スクリ》益人聊カ設テ2饌飲ヲ1以饗ス2長官佐為ノ王ヲ1未タv及2日斜ニ1王既ニ還歸ル於v時益人怜2惜不《サル》v厭《アカ》之歸ヲ1仍作2此哥ヲ1】 鞍作ノ村主《スクリ》益人
長官 内匠頭也 佐為王 敏達帝御末美奴王男諸兄公弟 日斜 日の暮るゝ也
1004 おもほえすきませる君をさほ河のかはつきかせでかへしつるかも
不所念來座君乎佐保河乃河蝦不令聞還都流香聞
おもほえすきませる 適思の外に來臨の君を此河の蛙の夕暮の声の哀なるをきかせて残念との心也きかせてのてにこるへし歸路を惜む心也
八年丙子夏六月幸ノ2于芳野ノ離宮ニ1之時應シテv詔ニ作レル歌一首并短歌 山部宿祢赤人
1005 やすみしるわかおほきみの見せ給ふよしのゝ宮は山高み雲そたなひくかははやみせのをとそ清きかみさひて見れはたふとくよろしなへみれはさやけしこの山のつきばのみこそ此かはのたえばのみこそもゝしきのおほみやところやむときもあらめ
八隅知之我大王之見給芳野宮者山高雲曽輕引河速弥湍之聲曽清寸神佐備而見者貴久宜名倍見者清之此山之盡者耳社此河乃絶者耳社百師紀能大宮所止時裳有目
見せ給ふ 見させ給ふ也
かみさひて見れはたふとくよろしなへみれはさやけし 見れはたふとく神さひ見れはさやけくよろしきといふ心也
此山のつきはのみこそ 山つき河たえはこそとの心也此山此河つきすたえぬかきりは此宮所もやむましきとなるへし
反歌
1006 かみよゝりよしのゝ宮にありかよひたかくしれるは山河をよみ
自神代芳野宮尓蟻通高所知者山河乎吉三
かみよゝりよしのゝ 神代よりは昔よりの心也むかしより吉野の宮に幸し給ひて帝の高知ましますは此山河の美景によりて也とほむる心也
悲メル2獨子ヲ1歌一首 市原王
獨子 妻子なき独身也
1007 ことゝはぬ木すら妹とせ有といふをたゝひとりこにあるかくるしさ
言不問木尚妹與兄有云乎直獨子尓有之苦者
ことゝはぬ木すら 見安云木にたにめ木お木とてあるにとよめる也
恨ル2友ノ※[具+余]來《ヲソククルヲ》1歌一首
忌部《インベノ》首《ヲフト》黒麻呂
※[具+余] 字彙云|音《コヱ》奢《シヤ》遠也又遅緩ヲ為v※[具+余]ト
1008 やまのはにいさよふ月のいてんかとわかまつきみのよはふけにつゝ
山之葉尓不知世經月乃将出香常我待君之夜者更降管
やまのはにいさよふ いさよふはやすらふ也上句は序也わかまつ君の夜更つゝ來ぬといはんとて也ふけにつゝのには助字也
冬十一月左大辨|葛城王《カツラキノヲホキミ》等《ラ》賜《タマフ》2姓ヲ橘氏ト1之時ノ御製《ミツクリノ》歌一首【冬十一月九日從三位葛城ノ王從四位上佐為ノ王|等《ラ》辞シテ2皇族之高名ヲ1賜フ2外家之橘姓ヲ1已ニ訖ヌ於v時太上天皇皇后共ニ在シテ2于皇后ノ宮ニ1以|為《シタマフ》2肆宴《トヨノアカリ》1而即御2製シ賀v橘ヲ之歌ヲ1并ニ賜フ2御酒ヲ宿祢等ニ1也 或云此歌一首は太上天皇ノ御歌ナリ但天皇皇后ノ御歌各々有ト2一首1者《テイレハ》其歌|遺落《イラクセリ・ノコリヲチヌ》未v得2探リ求コトヲ焉今檢[#手偏]2案内ヲ1八年十一月九日葛城王|等《ラ》願テ2橘ノ宿祢ノ之姓ヲ1上テv表ヲ以十七日ニ依v表乞2賜フ橘ノ宿祢ヲ1】
天皇
辞皇族之高名賜外家之橘姓 これ續日本紀にもあり葛城王は敏達帝の五代の王孫也聖武帝の天平八年十一月に母方の橘氏を給らん表を奉て弟の佐為ノ王ともに橘氏と成ル續日本紀六曰天平八年十一月從三位葛城ノ王從四位佐為ノ王|等《ラ》上《タテマ》テv表ヲ曰――葛城カ親母贈從一位|縣《アカタ》犬|養《カヒ》橘ノ宿祢ハ上ミ歴《ヘ》2浄御原ノ朝庭ヲ1下|逮《ヲヨフ》2藤原ノ大宮ニ1事テv君ニ致シv命ヲ移シテv孝ヲ為v忠ヲ夙ニ夜ニ忘v勞累代竭《ツクス》v力ヲ和銅元年十一月二十一日供2奉|擧《コソツテ》v國大嘗ニ1二十五日ノ御宴ニ天皇譽テ2忠誠之至ヲ1賜テ2浮杯ノ之橘ヲ1勅シテ曰橘は者果子ノ長上人ノ所v好|※[木+可]《エタ》凌シテ2霜雪ヲ1而繁茂シ葉經2寒暑ヲ1而不v彫《シホマ》與2珠玉1共ニ競ヒv光ヲ交テ2金銀ト1以|逾《イヨ/\》美ナリ是以汝カ姓者賜2橘宿祢1也而|今《イマ》無シ2繼副1者恐ハ失ン2明詔1上下畧これ母かたの橘姓給りし事を表文なり同紀又曰壬辰 詔シテ省スルニ2從三位葛城王|等《ラカ》表ヲ1因テ知2意趣ヲ1王等情深謙譲ノ志在v顕スニv親辞2皇族之高名ヲ1請フ2外家之橘姓ヲ1尋思ニ所執誠ニ得v時宜ク2一ラ依v表令1v賜2橘ノ宿祢ヲ1千秋萬歳相繼テ無ンv窮リ
1009 たちはなはみさへ花さへそのはさへえたにしもをけとましときはの木
橘者實左倍花左倍其葉左倍枝尓霜雖降益常葉之樹
たちはなはみさへ 此うた童蒙抄にはますときはの木と有ます/\の儀也ましも同心也哥林良材には此哥枝に霜をきいましときは木とあり傳写のあやまりなるへし此哥はかの表の文に柯凌テ2霜雪ヲ1繁茂シ葉經2寒暑ヲ1不v彫《シホマ》といふ詞によりてよませ給へるなるへし聖武帝の御製也
應スルv詔《ミコトノリニ》歌一首 橘宿祢奈良麻呂
1010 おく山のまきの葉しのきふる雪のふりはますともつちにちめやも
奥山之真木葉凌零雪乃零者雖益地尓落目八方
おく山のまきのは凌き 祇曰此哥しのきはなひく心也奥山の雪降共葉のしけき木なれは土に落めやといへる也但古今集に菅の葉しのきとある顕注にしのきはわくる心也云々
冬十二月十二日歌舞所ノ之諸王臣|等《ラ》集《ツトヒテ》2葛井ノ連《ムラシ》廣成カ家ニ1宴スル歌二首 葛井連廣成
比來《コノコロ》古舞《コブ》盛《サカンニ》興《ヲコリ》古歳漸晩ル理宜クd共ニ盡シテ2古情ヲ1同ク唱フc此歌ヲu故ニ擬シテ2此趣ヲ1輙チ獻ス2古曲二節ヲ1
風流《フリウノ》意氣《イキノ》之士|儻《モシ》有ニ2此|集《ツトヒノ》之中ニ1争テ發シv念ヲ心心ニ和ヨ2古體ヲ1
古歳漸晩ル 十二月十二日なれは也是は哥の小序也
唱2此歌ヲ1 左の二首の哥也
擬2此趣ヲ1 此心はへをあてなそらへてと也
1011 わかやとの梅さきたりとつけやらはこてふににたりちりぬともよし
我屋戸之梅咲有跡告遣者來云似有散去十方吉
わかやとの梅さきたり こてふにゝたりとは來よといふに似たりと也梅咲しと告やるからは見にこよといふに似たれはよし/\ちりぬとも彼人來るにてあらんと也祇曰月よゝしの哥は是を本哥にしてよめり
1012 春されはをゝりにをゝりうくひすのなくわかしまそやますかよはせ
春去者乎呼理尓乎呼里鴬之鳴吾嶋曽不息通為
春されはをゝりにをゝり 仙曰をゝりにをゝりとは上《ノホ》りに上《ノホ》りといふ詞也うくひすを遷喬《センキヤウ》とて高きにうつると云木のしつえにゐては次第にかみさまへ上る也愚案詩に出テv自リ幽谷1遷ル2于喬木ニ1鴬の詩也鴬もうつり上る我宿の嶋そや君も不絶かよはせ給へと也
九年丁丑春正月橘ノ少卿并ニ諸《モロ》大夫《マウチキミタチ》等《ラ》會テ2彈正ノ尹《イン》門部《カトヘ》ノ王家1宴スル歌二首
主人門部王 後賜v姓大原真人也
1013 かねてよりきみきまさんとしらませはかとにやとにもたましかましを
豫公來座武跡知麻世婆門尓屋戸尓毛珠敷益乎
かねてよりきみきまさん 君は橘少卿等を云也
橘宿祢文成 即少卿之子也
1014 さきつ日もきのふもけふも見つれともあすさへ見まくほしききみかも
前日毛昨日毛今日毛雖見明日左倍見卷欲寸君香聞
さきつ日もきのふも 毎日あかすと思ふ心也
後ニ追テ和スル歌一首 榎井《エノヰノ》王
1015 玉しきてまたましよりはたけそがにきたるこよひしたのしくおもほゆ
玉敷而待益欲利者多鷄蘇香仁來有今夜四樂所念
玉しきてまたまし 此哥は主人門部王玉しかましをといへるに和せる也たけそかには見安にはたけき事也云々玉しきて待るゝにも及ずたけくいそきゝて遊ふか吉と也哥林良材には竹そかひにの儀也云々竹生すがひし所に來てとの心也可用之
春二月|諸《モロ/\ノ》大夫《マチキンタチ》等|集《ツトヒテ》左少辧|巨勢《コセノ》宿奈《スクナ》麻呂ノ朝臣ノ家ニ1宴《トヨノアカリスル》歌一首【此一首書テ2白紙ニ1懸2着屋ノ壁ニ1也題シテ云蓬莱仙媛ノ所v嚢《ツヽム》v蘰ヲ為ナリ2風流秀才之士ノ1矣|斯《コレ》凡客ノ不《シ》v所2望見1哉】
作者未v詳
蓬莱ノ仙媛所ノ嚢縵ヲ 左の哥に海原の遠きわたりをなと荒涼によみしをたはふれていへるなるへし
1016 うなはらの遠き渡りをたはれおのあそふを見んとなつさひそこし
海原之遠渡乎遊士之遊乎將見登莫津左比曽來之
うなはらの遠き たはれおは風流の遊士也なつさひはなれそひよりこし心也
夏四月奉ルv拜《ヲカミ》2賀茂ノ神社ヲ1之時|便《スナハチ》超《コヱテ》2相坂山ヲ1望2見テ近江ノ海ヲ1而晩頭ニ還來テ作レル歌一首 大伴ノ坂上ノ郎女
1017 ゆふたゝみたむけの山をけふこえていつれののへにいほりせんこら
木綿疊手向乃山乎今日超而何野邉尓廬将為子等
ゆふたゝみたむけの山を 逢坂山は手向を祈るところなれは手向山と云也木綿は手向の具也いほりとは旅のかり屋を云
十年戊寅自ラ嘆スル歌一首【元興寺之僧獨覺多智ニシテ未v有2顯聞コト1衆諸狎侮因此僧作テ2此哥ヲ1自嘆2身ノ才ヲ1也】
元興寺之僧
1018 白たまは人にしられすしらすともよししらすともわれししれゝはしらすともよし
白珠者人尓不所知不知友縦雖不知吾之知有(イら)者不知友任意
白たまは人にしられす 旋頭歌也白玉をわか身に比して卞和か玉のことく人に見しられねと我たにしれはよしと自得せしなるへし
配スル2土左ノ國ニ1之時歌三首并短歌 石上乙麻呂卿
配土左國 年此詞書并に此うたいかなるゆへといふ事諸抄にしるさすよりて此一卷の口訣にて別に注し侍し
1019 いそのかみふるのみことはたわやめのまとひによりてむましものなはとりつけてしゝし物のゆみやかこみ(かくみ)ておほきみのみことかしこみあまさかるひなへにまかりふるころもまつち山よりかへりこぬかも
石上振乃尊者弱(ヲ定)女乃或尓縁而馬自物(よりも)縄取附肉自物(よりも)弓笶圍而王命恐天離夷部尓退古衣|又打《またうち》山從還來奴香聞
いそのかみふるのみことは 是乙麻呂みつから人のうへのやうによめるにや但萬葉ノ他本ニ石上乙麻呂卿配スル2土左國ニ1之時ノ哥とあり是は他人のよめるやう也
たはやめのまとひに 此詞諸抄に注しもらせりさして深き本ならねと口訣ならすは知人稀歟
馬し物 馬は縄付る物なれは諷詞によめり乙丸の流され給ふいましめのさま也定家卿は馬よりもと和し給ふ馬より淺ましく縄付と也
しゝし物弓矢かこみて 鹿は弓矢にてかこみ狩を諷詞に置也定家卿はしゝよりも云々
おほきみのみことかしこみ 王命恐ありてと也ひなへにまかりは配所に行さま也
ふる衣まつち山 仙曰まつちといふは又うちと云にかよへは諷詞に古衣とをける也愚案定家卿はまたうち山と和し給ふ八雲御抄まつち山紀伊云々土佐の道路か
反歌
1020 1021 おほきみのみことかしこみさしなみし国にいてますやわかせのきみを
王命恐見刺並(定家卿さしならへ)國尓出(スい)座(イます)耶吾背乃公矣
おほきみのみこと 此反哥も女の讀るやうに讀給ふにや見安云さしなみしはさしならぶ也愚案紀伊より阿波淡路土左つゝける国をいふにや定家卿此哥次の長うたと一首によみつゝけ給ふ故和訓も異也執学の人のため別評ス
かけまくもゆゝしかしこしすみの江のあら人かみのふなのへにうしはき給ひつけ給はんしまのさき/\より給はんいそのさき/\あらなみの風にあはせす草つゝみやまひあらせすすみやかにかへし給はねもとの国へに
繋卷裳湯々石恐石住吉乃荒人神船舳尓牛吐賜付賜將嶋之崎前依賜将礒乃崎前荒浪風尓不合遇草管見身疾不有急令變賜根本國部尓
かけまくもゆゝしかしこし 新点は是より一首也住吉を懸て祈る恐を云也定家卿前後一首に和シ給ふ心面白けれと先しはらく新点にて注ス
船のへにうしはき給ひ 乙丸の舟にうじのわくやうに付守り給へと也此住吉の荒人神正説口訣アリ
つき給はん嶋のさき/\ 乙麿の舟路のほと付給ふ嶋より給ふ礒のさきさきにても風波の難なく無病平安にてすみやかに歸国し給へと住吉に祈念の心也草つゝみは物をつゝみいたはるやうに病なくと神の加護し給へとの儀也乙まるみつからの祈願を女に託して讀るか是まて一首の哥也
1022 ちゝきみにわれはまなこそはゝとしにわれはまなこそまうのほりやそうち人のたむけすとかしこの坂にぬさまつり吾はそをへるとをきとさちを
父公尓吾者真名子叙妣刀自尓吾者愛(しほ)兒叙参昇(さしのほり)八十氏人乃手向為等恐乃坂尓幣奉吾者叙追遠杵土左道矣(に定家卿)
まなこ 見安云思ひ子也
はゝとし ※[女+比]玉篇曰母為v※[女+比]ト刀自和名負俗ニ作ル2刀自ニ1劉向列女傳曰古語老母ヲ為v負云々|愛子《シヲコ》定家卿
まうのほり 仙曰まうてのほりと云まいり上り也
かしこの坂 大和也日本紀廿八ニ遣《ツカハシテ》2紀ノ臣大音ヲ1令《シム》v守ラ2懼《カシコ》坂ノ道ヲ1云々是也心は八十氏人まうのほりて手向すとかしこまる所のかしこ坂にぬさたてまつりて我は土左の国にをひゆくと也土左日記に奈半の津ををはんとてこき出けりとあるに同
反歌
1023 おほさきの神のをはまはせはけれともゝふなひともすくといはなくに
大埼乃神之小濱者雖小百船純毛過迹云莫國
おほさきの神のをはま 八雲抄土左と有名寄光俊哥千早振神の小濱に舟よせて大崎見れは月のさやけさ哥の心は此小濱狭けれと百の舟人も皆舟よすると也乙まるの配所土さに至りしさま也
秋八月二十日宴スル2右大臣|橘家《キツケニ》1歌四首
長門ノ守|巨曽部《コソヘノ》對馬ノ朝臣
右大臣橘家 諸兄公也葛城王是也續日本紀十三曰天平十年正月壬午諸兄授2正三位1拜2右大臣ニ1
1024 なかとなるおきつかりしまおきまへてわかおもふきみはちとせにもかも
長門有奥津借嶋奥真經而吾念君者千歳尓母我毛
なかとなるおきつ 奥津借嶋は八雲抄におきつしま長門と云々これ也おきまへて我思ふとは深く思ふ心也古今の沖を深めて思ひこしと同シ一二句は長門守国の嶋の名を諷詞に讀り
和スル歌 右大臣
1025 おきまへてわれを思へるわかせこはちとせいほとせありこせぬかも
奥真經而吾乎念流吾背子者千歳五百歳有巨勢奴香聞
おきまへてわれを思へる わかせこは長門守をさして也千年にもと祝る故千五百年あれと祝返して也日本紀一ニ伊弉册尊千頭日々に殺さんとの給ふに伊弉諾尊さあらは千かうへあまりりいおかうへ生んとの給へる心にかよへるにや有こせぬかもとは有來たるへしとの心也
豊嶋采女 イ故豊嶋采女
1026 もゝしきのおほみや人はけふもかもいとまもなしとさとにゆかさらん
百礒城乃大宮人者今日毛鴨暇無跡里尓不去将有
もゝしきのおほ宮人は 宮つかへにいとまなけれと右大臣の家の宴に來会せしとの心にや里にゆかてこゝに來しとの心なるへし「百敷の大宮人はいとまあれや桜かさしてけふも暮しつ
豊嶋采女
1027 たちはなのもとに道ふみやちまたにものをそおもふひとにしられす
橘本尓道履八衢尓物乎曽念人尓不所知
【右一首右大辨高橋ノ安麻呂卿ノ語テ云|故《コ》豊嶋ノ采女カ之作也但或本ニ云三方沙弥戀テ2妻ノ※[草冠/完]臣《シヽヲミヲ》1作ル歌也然は則豊嶋采女當時當所ニ口2吟スル此歌ヲ1歟】
たちはなのもとに道 橘家の宴會なれは橘のもとに道ふみといひて序哥也八ちまたはさま/\行わかるゝ所をいへは人しれすさま/\物思ふと戀の哥なるへし註或人の説は三方沙弥か哥と云々其心は知りかたし
十一年己卯天皇|遊2猟《ミカリシタマフ》高圓《タカマトノ》野ニ1之時|小獣《セウジウ》泄走《モレハシル》堵里《トリノ》之中ニ1於v是|適《タマ/\》値《アフテ》2勇士ニ1生ナカラ而|見《ラル》v獲《エ》即以2此|獣《ケモノヲ》1獻2上《タテマツルニ》御在所ニ1副《ソフル》歌【一首 未シテv奏セ而小獣死斃ル因v此獻コトv歌|停《ヤム》v之ヲ】
大伴坂上郎女
高圓野 大和也
小獣 すなはちむさゝび也
堵里《トリ》 さとを云也非名所
1028 ますらおのたかまとやまにせめたれはさとにおりくるむさゝひそこれ
大夫之高圓山尓迫有者里尓下來流牟射佐※[田+比]曽此
牟射佐妣獣名
ますらおのたかまと 高圓山に狩せめたれは堵里の中に下り來しむさゝひにて侍りと也
十二年庚辰冬十月依テ2太宰少貮《タサイノセウニ》藤原ノ朝臣|廣嗣《ヒロツク》謀反《ミカトヲカタムケントシテ》發《コスコトニ》1v軍ヲ幸《ミユキノ》2于伊勢ノ國ニ1之時河口ノ行宮《カリミヤニテ》作歌一首
内舎人大伴宿祢家持
藤原廣嗣|謀反《ミカトヲカタムケントス》 續日本紀十三天平十二年九月丁亥廣嗣遂ニ起v兵反ス勅シテ以2從四位上大野朝臣東人ヲ1為2大将軍1從五位上紀朝臣飯麻呂為2副将軍ト1軍監軍曹各四人|徴《メシ》2發シテ東海東山山陰山陽南海五道軍一萬七千人ヲ1委《ユタネ》2東人等ニ1持シテv節ヲ討シムv之冬十月己卯勅シテ2大将軍大野朝臣東人等ニ1曰朕縁テv有ルニv所v意《ヲモフ》今月之末暫徃ン2關東ニ1雖v非ト2其時ニ1事|不《ス》v能はv已コト将軍知テv之ヲ不v須2驚怖ス1壬午行2幸伊勢國ニ1乙酉到2伊勢國壹志ノ郡河口ノ頓宮ニ1謂フ2之ヲ關ノ宮ト1十一月戊子大将軍東人等|言《マウス》以2今月一日1於2肥前國松浦郡ニ1斬コト2廣嗣縄手1已ニ訖ヌ廣嗣式部卿長養之第一之子也
1029 かはくちののへにいほりて夜のふれはいもかたもとしおもほゆるかも
河口之野邊尓廬而夜乃歴者妹之手本師所念鴨
かはくちののへにいほりし 夜のふれはゝいく夜もふれは也旅ねに夜をふれは妹か袂戀しきと也續日本紀云車駕|停2御《トヽマリヲハシマスコト》關宮ニ1十箇日云々
一首 天皇御製
1030 いもにこひわかの松はら見わたせはしほひのかたにたつなきわたる
妹尓戀吾乃松原見渡者潮干乃滷尓多頭鳴渡
今案|吾《ワカノ》松原在リ2三重《ミヱ》郡ニ1相2去ルコト河口ノ行宮ヲ1遠シ矣若疑ラクハ|御2在《ヲハシマス》朝明《アサアケノ》行宮ニ1之時所v製ノ御歌ヲ傳者ノ誤《アヤマレルカ》之歟
いもにこひわかの松はら 新古今ニ入東野州云若松原伊勢也妹に戀とは御旅殿にて都の戀しくおほさるゝさま也しほひのかたにたつ鳴わたるは如此の風景まて妹に見せはやの御哥なるへし
朝明行宮 續日本紀曰丙午從2赤坂1發シテ到ル2朝明ノ行宮ニ1
一首 丹比《タチヒ》屋主《ヤヌシノ》真人《マツト》
1031 をくれにし人をおもはくしてのさきゆふとりしてゝすまんとそおもふ
後尓之人乎思久四泥能崎木綿取之泥而將住跡其念
【案ルニ此歌は者|不《サラン》v有《ナラ》2此行宮ノ之作1乎|所2以《ニハ》然言1勅シテ2大夫ニ1從2河口ノ行宮1還シテv京ニ勿v令2從駕1焉何ソ有ンd詠テ2思泥《シテノ》崎ヲ1作uv歌哉】
をくれにし人をおもはく しての崎は伊勢也ゆふとりしてゝとは木綿取持ての心也しての崎のしてをうけて也心は都に御留守にてをくれとゝまりし人を思ふから四手の崎の名におふゆふ取持てこゝにとゝまらんと也
狭残行宮作歌二首 大伴宿祢家持
1032 すめろきのみゆきのまゝにわきもこかたまくらまかすつきぞへにける
天皇之行幸之随吾妹子之手枕不卷月曽歴去家留
すめろきのみゆきの 行幸の御ともにしたかひて妹に久しくあはぬと也
1033 みけつくにしまのあまならしみくまのゝをふねにのりておきへこくみゆ
御食國志麻乃海部有之真熊野之小船尓乗而奥部榜所見
みけつ国しまの 志摩は今も御膳部の輩の任国なれは勿論御食国なるへし紀州の熊野の舟にのりゆくなるへし【みくまのゝ舟前注】
美濃ノ國|多藝行宮《タキノカリミヤニテ》作歌二首 大伴宿祢東人
美濃國多藝行宮 續日本紀七曰【元正天皇養老元年】八月丙辰幸ス2當耆《タキ》郡|多度《タトノ》山ノ美泉ニ1十一月癸丑天皇詔シテ曰覧ニ2當耆郡多度山ノ美泉ヲ1自ラ盥《アラヒ》2手面ヲ1皮膚如シv滑ルカ洗ニ2痛處ヲ1無v不2除愈1在テ2朕カ之躬ニ1其験アリ又就テ而飲2浴スル之ニ1者或白髪反シv黒キニ頽髪更ニ生ス或は闇目如シv明ルカ自餘ノ痼疾咸皆平愈ス昔聞後漢ノ光武ノ時醴泉出ツ飲v之ヲ者痼疾平愈ス符瑞書ニ曰醴泉は者美泉ナリ可シ2以養フ1v老ヲ蓋シ水之精也※[うがんむり+是]《マコトニ》惟レ美泉は即合ヘリ2大瑞1朕雖v痛v虚ヲ何ソ違シ2天※[目+兄]ニ1可v大2赦ス天下ニ1改2霊亀三年ヲ1為2養老元年1上下畧養老瀧也
1034 むかしより人のいひくるおひ人のわかゆてふ水そ名におふ瀧の瀬
從古人之言來流老人之變若云水曽名尓負瀧之瀬
むかしより人のいひくる わかゆとは若やく也むかしより人のいひくるとは彼符瑞書に醴泉ハ者美泉ナリ可シ2以養フ1v老ヲとある事等也一説菊水の事云々非也
大伴宿祢家持
1035 たとかはのたきを清みかむかしよりみやつかへけんたきののゝうへに
田跡河之瀧乎清美香從古宮仕兼多藝乃野之上尓
たと川のたきを たと河は即多度山の此瀧川也此瀧の清き故か昔の帝の御浴水になり宮仕へけんと也たきの野は當耆《タキ》郡の野也此野のうへに此瀧あるなるへし
不破ノ行宮《カリミヤニテ》作歌一首 大伴宿祢家持
1036 せきなくはかへりにたにもうちゆきていもかたまくらまきてねましを
關無者還尓谷藻打行而妹之手枕卷手宿益乎
せきなくはかへりに 美濃の不破の関也此関あれは自由に都に歸りて妹と枕ならふるわさもせられすとの心也是も彼續日本紀に今年九月到テ2美濃國不破行宮ニ1留コト連2數月ヲ1とある時の事にて帝の供奉の折なるへけれと関にさはるやうによみなしたまへり
十五年癸未秋八月十六日|讃《ホメテ》2久邇京《クニノミヤコヲ》1作歌一首 内舎人大伴宿祢家持
久邇京 聖武の新京也續日本紀十三曰天平十二年十二月戌午是日右大臣橘ノ宿祢諸兄在テv前而發經2畧ス山背ノ國|相樂《サカラノ》郡|恭仁《クニノ》郷1以ノv擬2遷都ヲ1故也丁卯皇帝在テv前ニ幸ス2恭仁宮ニ1始テ作2京都ヲ1矣太上天皇在v後ニ
1037 いまつくるくにのみやこはやまかはのきよく見ゆれはうへししらるらし
今造久尓乃王都者山河之清見者宇倍所知良之
いまつくるくにの都は うへは宜也山河清浄の地なれは尤朝廷にしられて都と成けんと也
二首 高|丘《ヲカノ》河内連
1038 ふるさとはとをくもあらすひとへ山こゆるわれからにおもひそわかせし
故郷者遠毛不有一重山越我可良尓念曽吾世思
ふるさとは遠くも 一重山は山城泉河の邊也古郷はならの都也新京久迩の都は只一重山を越る計なれと思ふ人などある我心からに思ひをすると也
1039 わかせことふたりしをれは山たかみさとには月はてらずともよし
吾背子與二人之居者山高里尓者月波不曜十方余思
わかせことふたりしをれは 我か夫とたにあれは高山さへきり月くらくとも不苦と也
安積《アツミノ》親王宴スル2左少|辨《ベン》藤原ノ八束ノ朝臣ヲ1之日作歌一首 内舎人大伴宿祢家持
1040 久かたの雨はふりしくおもふこのやとにこよひはあかしてゆかん
久堅乃雨者零敷念子之屋戸尓今夜者明而将去
久かたの雨はふりしく 降しきる也おもふことは思ふ女をいへり
十六年甲申春正月五日|諸卿《モロキミ》大夫《マチキミ》等《ラ》集テ2安倍《アベノ》蟲麻呂ノ朝臣ノ家ニ1宴スル歌一首 作者未詳
1041 わかやとのきみまつの木にふる雪のゆきにはゆかしまちにしまたん
吾屋戸乃君松樹尓零雪之行者不去待西将待
わかやとのきみまつのき 正月五日餘寒の雪の松に對して序哥によみて君たちを待えむ心をよめり君松の木に降雪のゆきにはゆかし詞つかひ奇妙ニヤ
正月十一日登テ2活道岡《イクチノヲカニ》1集テ2一株ノ松ノ下《モトニ》1飲《ノメル》歌一首 市原ノ王
活道岡 八雲抄いくち山石見云々或説播磨
1042 ひとつ松いくよかへぬるふくかせのこゑのすめるはとしふかきかも
一松幾代可歴流吹風乃聲之清者年深香聞
ひとつ松いくよかへぬる としふかきは松の年古たる心也風聲清々たるは松の神さひ老し故かとなるへし
大伴宿祢家持
1043 たまきはるいのちはしらす松か枝をむすふこゝろはなかくとそおもふ
霊剋壽者不知松之枝結情者長等曽念
たまきはるいのちは知す 今生かきりある命の定期はしらす松を結て翫ひては千年ともおもふと也
傷《イタミ》2惜メル寧楽《ナラノ》京ノ荒墟《アレタルアトヲ》1作リ歌三首 作者未v詳
1044 くれなゐにふかくそみにしこゝろかもならのみやこにとしのへぬへき
紅尓深染西情可母寧樂乃京師尓年之歴去倍吉
くれなゐにふかくそみにし 紅にとは深くそみにしといはん枕詞也新京もあれと旧都に深く染し心やらむ只こゝに年へぬへくおもふと也
1045 世のなかをつねなき物と今そしるならのみやこのうつろふ見れは
世間乎常無物跡今曽知平城京師之移徙見者
世のなかをつねなき 無常の世のさま可驚
1046 いはつなの又わかえつゝあをによしならのみやこをまたもみんかも
石綱乃又變若反(イわかゝへり)青丹吉奈良乃都乎又将見鴨
いはつなの又わかえつゝ 此本并に八雲抄わかえつゝとよむ袖中抄同し顕昭云木つな竹つなもあれは石つなもつよく久しき心歟又いはゝときはの物也つなはつね歟なとねと同音也中畧愚案つよく久しき心にてもときはに常なる儀にても又わかえつゝの諷詞也つよくときはなる物は一旦古ても又若やき/\すれは也哥の心は旧き都と成たれと又わかやきつゝ又も平城をみんと也仙点は又わかゝえりとよむ儀は同し又仙覺は石綱は蔦也蔦なとの又若反りはへ出ることくにならの都を又もみんかと讀と云々いはつな蔦の異名本草なとにても慥なる出所あるか
悲ル2寧楽《ナラノ》故郷ヲ1作歌一首并短歌 田邉《タナヘノ》福麻呂
1047 やすみしるえあかおほきみのたかしきしやまとの国はすめろきの神のみよゝりしきませる国にしあれはあれまさんみこのつき/\あめのしたしらしめませとやほよろつちとせをかねてさためけんならの都はかけろふの春にしなれはかすかやまみかさののへにさくらはなこのくれかくれかほとりはまなくしはなく露霜の秋さりくれはいこまやまとふひかくれに萩のえをしからみちらしさをしかはつまよひとよみ山見れは山も見かほし里見れはさとも住よしものゝふのやそとものおのうちはへて思ひなみしけはあめつちのよりあふかきり萬代に栄へゆかんとおもひにしおほみやすらをたのめりしならの都をあたらよの事にしあれはすめろきのひきのまに/\はるはなのうつろひやすくむらとりのあさ立ゆけはさゝたけのおほみやひとのふみならしかよひしみちは馬もゆかすひともゆかねはあれにけるかも
八隅知之吾大王乃高敷為日本國者皇祖乃神之御代自敷座流國尓之有者阿礼將座御子之嗣繼天下所知座跡八百萬千年矣兼而定家牟平城京師者炎乃春尓之成者春日山御笠之野邉尓櫻花木晩牢(されに)貌鳥者間無數鳴露霜乃秋去來者射駒山飛火賀塊丹芽乃枝乎石辛見散之狭男鹿者妻呼令動(定め)山見者山裳見貌石里見者里裳住吉物負之八十伴緒乃打經而思並敷者天地乃依會限萬世丹榮将徃迹思煎石大宮尚矣恃有之名良乃京矣新世乃事尓之有者皇之引乃真尓真荷春花乃遷日易村鳥乃旦立徃者刺(イさす)竹之大宮人能踏平之通之道者馬裳不行人裳徃莫者荒尓異類香聞
やすみしるわかおほきみ 聖武の御事なるへし
やまとの国 和州也春日山東に生駒西に在
すめろきの神のみよ 皇太神の御事にや人王のはじめ神武も和州に都せさせ給也
しきませる おはせし事也
あれまさん 生の字形の字をもよむ也皇子の代々天下を知おさめおはしまし久しき都と定給ひしと奈良の都をいへるうた也
かけろふの春にし【定春されくれは】蜉蝣は春天に遊物なれは春の枕詞にをく也
このくれかくれ(定このくれされに) 木くらき所也
かほ鳥 見安云虫はみ共云
露霜の 秋の枕詞也
いこま山 とふひかくれ生駒山の飛火とは河内国高安の烽《トフヒ》なるへし元明天皇和銅五年正月※[やまいだれ+發]シテ2河内國高安ノ烽ヲ1始テ置2高見烽及大和國春日ノ烽ヲ1以通2平城ニ1と續日本紀ニ在聖武御宇は生駒の烽有ましけれとも猶其跡を飛火といふ成へし童蒙抄云昔唐に軍せしに大なるたい松を山毎にたてゝ軍おこりぬれは次第に火をともして一月にゆく程なれと一日にしるを烽燧と云云々
しからみちらし 鹿の萩を押伏たるか柵《シカラミ》のやうなるを云也
山も見かほし 山も見まほしく景よき也ならの春秋にも面白く山郷も好と也 おもひなみしけは 思並敷 思ひおこたらす忠義をつくさんとする心也 イ里なみしけはとありものゝふの家つくりの心さとのつゝきし心也
おほみやすらを句たのめりしならのみやこを句あたら世とは新京(恭仁)に改し時なれは帝の宮をひかせ給ふまゝに相楽郡にうつろひ立行と也春花はうつろひの枕詞 むら鳥は立ゆくの枕詞也續日本紀天平十五年十二月云己丑始テ運《ハコヒテ》2平城ノ器杖ヲ1収メ2置キ於恭|仁《ニノ》宮ニ1初テ壊《コホツテ》2平城ノ大極殿及ヒ歩廊ヲ1遷シ2造ル於恭仁ノ宮ニ1
反歌
1048 たちかはりふるき都となりぬれはみちのしはくさなかく生にけり
立易古京跡成者道之志婆草長生尓異利
たちかはりふるき都 さしもさかへしならも古都と成て恭仁宮に立かはりたれは馬も人もかよはす道の草も高く荒しと也
1049 なつきにしならの都のあれゆけはいてたつことになけきしますも
名付西奈良乃京之荒行者出立毎尓嘆思益
なつきにしならの なつきなれたる奈良の都も古京とあれたれはくにの都に出立行か物うく嘆ますと也
讃《ホムル》2久邇《クニノ》新京ヲ1歌二首并短歌 田邉《タナヘノ》福麻呂
1050 あきつかみわかすめろきのあめのしたやしまのなかにくにはしもおほくあれとも里はしもさはにあれとも山なみのよろしき国と川なみの立あふ里とやましろのかせ山のまにみやはしらふとしきたてゝたかしらすふたいの宮は川ちかみせをとそ清き山ちかみとりかねいたむ秋されはやまもとゝろにさをしかはつまよひとよみ春されはをかへもしゝにいはほには花さきをゝりいとあはれふたいのはらはいとたかきおほみや所うへしこそわかおほきみはきみかまにきかしたまひてさゝ竹のおほみやこゝとさためけらしも
明津神吾皇之天下八嶋之中尓國者霜多(イさはに)雖有里者霜澤尓雖有山並之宜國跡川次之立合郷跡山代乃鹿脊山際(イはイきは)尓宮柱太敷奉高知為
當乃宮者河近見湍音叙清山近見鳥賀鳴慟秋去者山裳動響尓左男鹿者妻呼令響春去者岡邊裳繁尓巌者花開乎呼理痛※[立心偏+可]怜布當乃原甚貴大宮處諾己曽吾大王者君之随所聞賜而刺(イさす)竹乃大宮此跡定異等霜
あきつかみ 帝を明神とあかめたふとむ詞也
やしま 日本紀大八嶋の国といへり日本を云へし
さはに 多く也日本に國里おほけれと中に布當の宮は山つゝき川つゝきよき所そとの心也
立あふ里 川つゝきもよく立あひ相應してと也
かせ山のまに 久迩の宮の所也山のまには山きはと同心也布當も同所也
ふたいの宮 八雲抄云山城川近山近所也云々是也
山もとゝろに 鹿のねのひゝく心也
をかへもしゝに しけく也花のしけく咲のほる也
いとあはれ ほむる詞也
うへしこそ むへこそ也尤也
君かまにきかし給ひて 王者の御心まゝに萬事をきかせ給てと也聖武天皇を申なるへし
反歌
1051 みかのはらふたいののへをきよみこそおほみやところさためけらしも
三日原布當乃野邊清見社大宮處定異等霜(イこゝとしめさん)
みかのはらふたいののへ 皆山城の名所也きよみこそは清しとてこそとの心也
1052 やまたかくかはのせきよしもゝよまてかみの見ゆかんおほみやところ
弓(イゆミ)高來川乃湍清石百世左右神之味将徃大宮所
やまたかくかはのせ 是も神と帝を申也みゆかんはみゆきせん也百世まても帝王の行幸あらんと祝つる心也
1053 わかきみの神のみことのたかしらすふたいのみやはもゝ木なす山はこたかしおちたきつせをともきよし鶯のきなくはるへはいはほには山したひかりにしきなす花さきをゝりさをしかの妻よふ秋はあまきりあふしくれをはやみさにつらふもみち散つゝやちとせにあれつきしつゝあめのしたしらしめさんともゝよにもかはるへからぬおほみやところ
吾皇神乃命乃高所知布當乃宮者百樹成(イなへ)山者木高之落多藝都湍音毛清之鴬乃來鳴春部者巌者山下耀錦成花咲乎呼里左壯鹿乃妻呼秋者天霧合之具礼乎疾狭丹頬歴黄葉散乍八千年尓安礼衝之乍天下所知食跡百代尓母不可易大宮處
わかきみの神のみこと 是も帝を神のみことゝ申也是亦長哥也
もゝ木なす おほくの木々の生長する心也
せをとも清し 瀬の水音きよしと也
にしきなす 花の錦と見ゆる心也
あまきりあふ 空の霧のみちたるやうに曇《クモ》る也
さにつらふ 袖中抄云さ匂へると同しさは少義也詞林采葉には色めく也云々こゝは紅葉をいふへきとて也
やちとせにあれつきしつゝ 八千世もうちつゝきつゝと也續日本紀十四曰天平十三年十一月右大臣橘ノ諸兄奏ス此間朝庭以2何ノ名号ヲ1傳ン2於萬代ニ1天皇勅シテ曰号シテ為ン2大養徳恭仁宮ト1
反歌
1054 いつみかはゆくせの水のたえはこそおほみやところうつりもゆかめ
泉河徃瀬乃水之絶者許曽大宮地遷徃目
いつみかはゆく瀬の 此河絶ぬかきりは此宮所かはらしと祝心也
1055 ふたいやま山なみゝれはもゝよにもかはるへからすおほみやところ
布當山山並見者百代尓毛不可易大宮處
ふたいやま山なみゝれは 山のならひつゝける氣色のゆたかにあるをみれは此宮所|易《かは》るましきと祝言せしなるへし
1056 をとめらかうみをかくといふかせのやまときのゆけれはみやことなりぬ
※[女+感]嬬等之續麻繁云鹿脊之山時之徃去京師跡成宿
をとめらかうみをかく 第一第二句はかせ山といはん序也時のゆけれはとは時節の來れはとの心也思ひよらすも久迩の宮となりし心也
1057 かせの山こたちをしけみあさゝらすきなきとよもすうくひすのこゑ
鹿脊之山樹立矣繁三朝不去寸鳴響為鴬之音
かせの山こたちを茂み 長哥にも鶯有木深く鳥も止る所と褒《ホム》る心也
1058 こまやまになくほとゝきすいつみかはわたりをとをみこゝにかよはす 一云わたりとをみやかよはすはあらん
狛山尓鳴霍公鳥泉河渡乎遠見此間尓不通 渡遠哉不通者武
こまやまになく郭公 狛山山城也泉河を隔て久迩宮には來鳴すと也一云も儀はおなし
悲シミ2傷ム2三香ノ原ノ荒《アレタル》墟ヲ1作歌一首并短歌 田邉福麻呂
悲傷三香原荒墟 續日本紀十五曰天平十六年正月朔詔|喚2會《メシアツメテ》於朝堂ニ1問3恭仁難波二京何ヲ定メテ為コトヲ2v都ト 乙亥天皇行2幸難波ノ宮ニ1二月乙未取2恭仁宮ノ驛鈴内外ノ印ヲ1又遣ス2諸司及朝集使等ヲ於難波宮ニ1庚申左大臣宣テv勅ヲ云ク今以2難波ノ宮ヲ1定テ為2皇都ト1宜ク2v知此城京戸ノ百姓任v意徃來スルコトヲ畧記
1059 みかのはらくにのみやこはやまたかみ河のせきよしありよしとひとはいへともありよしとわれはおもへとふるされしさとにしあれはくにみれと人もかよはす里見れはいへもあれたりはしけやしかくありけるかみもろつくかせ山のまにさく花の色めつらしくもゝとりのこゑなつかしくありかほしすみよきさとのあれらくおしも
三香原久邇乃京師者山高河之瀬清在吉迹人者雖云在吉跡吾者雖念故去之里尓四有者國見跡人毛不通里見者家裳荒有波之異耶之如此在家留可三諸着鹿脊山際(はイ)尓開花之色目列敷百鳥之音名束敷在杲石住吉里乃荒樂苦惜喪
はしけやし 袖中抄にははしきやしとはよしといふ詞也はしけやし同詞也愚案はしけくと同日本紀釋云哀と云詞也
みもろつく 御室は神社也鹿は神社の使者也鹿背といはん諷詞に御室つくと云也
ありかほし あらまほしき也見まほしきを見かほしといふかことし
反歌
1060 みかのはらくにのみやはあれにけりおほみや人のうつりいぬれは
三香原久邇乃京者荒去家里大宮人乃遷去礼者
みかのはらくにの都は
1061 さく花の色はかはらすもゝしきのおほみやひとそたちかはりぬる
咲花乃色者不易百石城乃大宮人叙立易去流
さく花の色はかはらす 兩首儀あきらか也
難波宮作歌一首并短歌 田邉福麻呂
1062 やすみしるわかおほきみのありかよふなにはの宮はいさなとり海かたつきてたまひろふはまへをちかみあさはふる波の音さはき夕なきにかゝひのをと聞ゆあかつきのねさめにきけはあまいしのしほひのむたにいりすには千鳥妻よひあしへにはたつかねとよみ見るひとのかたりにすれはきく人の見まくほりしてみけむかふあちふの宮はみれとあかぬかも
安見知之吾大王乃在通名庭乃宮者不知魚取海片就而玉拾濱邊乎近見朝羽振浪之聲躁夕薙丹櫂合之聲所聞暁之寐覺尓聞者海石之鹽干乃共納渚尓波千鳥妻呼葭部尓波鶴鳴動視人乃語丹為者聞人之視卷欲為御食向味原宮者雖見不飽香聞
ありかよふ 帝王のこゝに行幸ましますを云
いさなとり 海の枕詞也
海かたつきて 見安云海かけて也愚案海に付心也
朝はふる 前ニ注
かゞひのをときこゆ 見安云舟人の哥の声也棹哥也師説櫂合とはいやしき者のうたふ哥也あまいし 見安云所の名也
しほひのむた 見安云むたはとも也愚案しほひの比千鳥鶴のこゑするを共にといふ也諸共になきかはす心なるへし
御食向 味といはん枕詞也味原宮は摂津也見安云難波歟
反歌
1063 ありかよふなにはの宮はうみちかみあまおとめらかのれるふね見ゆ
有通難波乃宮者海近見海童女等之乗船所見
ありかよふなにはの宮は 長哥にわかおほきみの有かよふといへる心也
1064 しほひれはあしへにさはくあしたつのつまよふこゑはみやもとゝろに
鹽干者葦邊尓躁白鶴乃妻呼音者宮毛動響二
しほひれはあしへに 宮もとゝろには響《ヒヽ》く心也長哥に芦へにはたつかねとよみとある心也
過ル2敏馬《ミヌメヲ》1時作歌一首并短歌 田邊福麻呂
1065 やちほこの神のみよゝりもゝふねのはつるとまりとやしまくにもゝふな人のさためてしみぬめのうらはあさ風に浦浪さはきゆふなみに玉もはきよるしらまさこきよきはまへはゆきかへり見れともあかすうへしこそ見る人ことにかたりつきしのひけらしきもゝよへてしのはれゆかん清きしらはま
八千桙之神乃御世自百船之泊停跡八嶋國百船純乃定而師三犬女乃浦者朝風尓浦浪左和寸夕浪尓玉藻者來依白砂(イまなご)清濱部者去還雖見不飽諾石社見人毎尓語嗣偲家良思吉百世歴而所偲將徃清白濱
やちほこの神の 仙云國作大巳貴命の一名也見2日本紀第一ニ1見安同百船は多《ヲホ》き舟也
やしまくに 大八洲の国なるへし日本を云但こゝはおほくの嶋也
みぬめの浦 津の国也
しのひけらしき きは助字也前にあひうつらしきといふに同ししたふをしのふといふ也清白濱敏馬の景色也
反歌
1066 ますかゝみ見ぬめの浦はもゝふねのすきてゆくへきはまならなくに
真十(イそ)鏡見宿女乃浦者百船過而可徃濱有七國
ますかゝみ見ぬめの 祇曰ますかゝみとは見ぬめの發語の句也面白き名所なれは過てゆくへき濱ならぬと讀也
1037 はまきよみうらなつかしみ神よゝりちふねのとまるおほわたのはま
濱清浦愛(イめつらし)見神世自千船湊大和太乃濱
はまきよみうらなつかし 神世よりはむかしよりの心也大わたの濱摂津也
貞享二年八月六日染筆於新玉津嶋而同二十七日終此一卷畢
萬葉集卷第六終 1997,3,28(金)午後7時58分終了
2003.10.17(土)午後4時50分 修正入力終了
2004.5.15(土)午後6時45分 校正終了
萬葉集卷第七
雑歌
詠メルv天ヲ歌一首 柿本朝臣人麻呂
1068 あめのうみに雲のなみたち月のふねほしのはやしにこきかくる見ゆ
天(集拾そらイ)海丹雲之波立月船星之林丹榜隠(かくされぬ古來風)所見
あめのうみ雲の
仙點如此但人丸集并拾遺集等にはそらの海とあり又こきかへる見ゆとある也類従萬葉も同シ義はかはるべからさるか星の林とは星の多くあるを云天ノ海雲ノ波月ノ船等形容寄妙にや
詠ルv月ヲ歌十八首 作者未v詳
1069 つねはさもおもはぬものをこの月のすきかくれまくおしきよひかも
常者曽(イそも)不念物乎此月之過匿卷惜夕香裳
つねはさも思はぬ 曾ノ字イそもと點ス義も同シすきかくれまくおしきとは過隠るゝか惜きと也過は行心也
1070 ますらおのゆすゑふりたてかるたかののへさへきよくてる月よかも
大夫之弓上振起(イおこし)借高之野邊副清照月夜可聞
ますらおのゆすゑ 第一第二句はかるといはん枕詞也鹿狩心なる也所はかるたかの野の月の面白きをめてゝよめり
1071 やまのはにいさよふ月をいてんかとまちつゝをるによそふけにける
山末尓不知夜歴月乎将出香登待乍居尓夜曽降(イくたち)家類
やまのはにいさよふ月 童蒙抄云いさよひとは十六夜の月を云也されは待とても夜少更へし古來風躰よはふけにつゝ
1072 あすのよもてらん月よはかたよりにこよひによりて夜なかゝらなん
明日之夕将照月夜者片因尓今夜尓因而夜長有
あすのよもてらん月よは あすのよもてらんとならはあすをも今夜にかたよりて二夜を一夜に長かれと也清夜をあかぬ心也
1073 たまたれのこすのまとをしひとりゐて見るしるしなきゆふつくよかも
玉垂之小簾之間通獨居而見驗無(イなみ)暮月夜鴨
たまたれのこすのま 玉たれのこすは重詞也只すたれの隙をすきとをる心也童蒙抄云見るしるしなきとはこすの隙よりみれと見るといふへきこゝちもせすかひなくいりぬといふ心也
1074 かすか山なへて照らせるこの月はいもかにはにもさやけかりけり
春日山押而照有此月者妹之庭母清有家里
かすか山なへて照らせる 春日山の月を見つゝ妹かりゆきて庭の月清きなと興して讀なるへし
1075 うなはらの道とをみかも月よみのひかりすくなく夜はふけにつゝ
海原之道遠鴨月讀明少夜者更下乍
うなはらの道遠み鴨 月よみは月の事也更につゝには助字也海上の月光少きは海路遠き故出るも遅くて夜もふけ光もうすきと也
1076 もゝしきのおほみや人のまかりいてゝあそふこよひの月のさやけさ
百師木之大宮人之退(イたち)出而遊今夜之月清左
もゝしきのおほみや人 此哥退出而玄旨法印はまかり出てと讀給へりと師説也玉葉集にはたち出てと和す兩点可随所好歟哥心は官人のいとまをえて遠遊楽の夜月の清明なるを一入賞する心也
1077 ぬはたまのよわたる月をとゝめんににしの山へにせきもあらぬかも
夜干玉之夜渡月乎将留尓西山邊尓塞毛有糠毛
ぬは玉のよわたる月を 月をおしむあまりに関も哉と思へる心なるへし
1078 この月のこのまにくれはいまとかもいもかいてたちまちつゝあらん
此月之此間來者且今跡香毛妹之出立待乍将有
此月のこのまにくれは このまは木の間なるへし月も木間に出來れは妹立出て我を今ヤとか待らんと也
1079 まそかゝみてるへき月をしろたへの雲かかくせるあまつ霧かも
真十鏡可照月乎白妙乃雲香隠流天津霧鴨
まそかゝみてるへき 十寸鏡とは照へき月といはん枕詞也猶も照へき月を雲の隠すか天霧か残念と也
1080 久かたのあまてる月は神代にか出かへるらんとしはへにつゝ
久方乃天照月者神代尓加出反等六年者經去乍
久かたのあまてる 祇曰年へて末代なれと明らかに天照月は神代にや歸るらんと讀リ
1081 うは玉のよわたる月をあはれとてわかをる袖に露そ置にける
烏玉之夜渡月乎可怜吾居袖尓露曽置尓鷄類
うは玉の夜渡る 月を哀と見居る程に覺す夜更て袖に露をくと也
1082 みなそこのたまさへきよく見るへくもてる月よかも夜のふけゆけは
水底之玉障清可見裳照月夜鴨夜之深去者
みなそこの玉さへ 童蒙抄云玉みつへしとは水そこにあらん玉を見えぬへしとよめるか又|洛《ラク》水高|低《テイ》兩|顆《クハノ》珠と作るやうに月の水に宿りて珠と見ゆへきにや月のうつらん心はつよけれと渕の底にあらん玉も見えぬへしとよめらんは月のあかさまさるへし
1083 霜くもりすとにかあらん久かたのよわたる月の見えぬおもへは
霜雲入為(イせん)登尓可将有久堅之夜渡月乃不見(イみえす)念者
霜くもりすとにか 仙点如此類聚萬葉にはせんとにかと和ス又見えすと思へはととまりをも和せり 霜くもりとは霜ふかくをきては曇る事あるを云
1084 山のはにいさよふ月をいつとかもわかまちをらんよはふけにつゝ
山末尓不知夜經月乎何時母吾待将座夜者深去乍
山のはにいさよふ月を 山のはにしはしやすらひて出やらぬ月也いつとかは我か待をらんとはいつ出るとてか我待居んかく夜は更つゝと也には助字也
1085 妹かあたりわか袖ふらんこのまより出くる月にくもなたなひきそ
妹之當吾袖将振木間從出來月尓雲莫棚引
いもかあたりわか袖ふらん 妹かあたりにて我袖をふるへきを妹も見るへきに月も晴よと也
1086 ゆきかくるとものおひろきおほともにくにさかへんと月はてるらし
靱(イ鞆《トモ》)懸流伴雄廣伎大伴尓國将榮常月者照良思
ゆきかくるとものお 靱は矢をいるゝ箙の類也左右衛門府を靱負といふも是をおふゆへと也勅勘の家に督《カト》の長《ヲサ》の負たるゆきかくる事あり然は是はゆきをおへることをゆきかくるといふへし伴のおひろきとは八十伴男なといひて廣大なる物の類をいふ也其中にも大伴氏は上古には忠義の臣おほく高官の人々有て栄耀他にことなりけれは大伴に国さかへんと月はてるらしと月の明白なるにつきて祝ひよめるなるへし但此哥類聚萬葉には鞆《トモ》かくるとものおと有鞆は弓小手也武士の臂に懸る物也前注哥心同
詠v雲ヲ歌三首 柿本朝臣人麻呂
1087 あなしかは河なみたちぬまきもくのゆつきかたけに雲ゐたつらし
痛足河河浪立奴卷目之由槻我高仁雲居立有良志(イたてるらし)
あなし河かはなみ 童蒙抄云皆同所の名とも也大和に在祇曰穴師河弓槻嵩同所なれは河波立をみて雲立らしと讀る也又移る心にも云り【古來風体にクモヰタツラシと和】
1088 あしひきの山河のせのなるなへにゆつきかたけに雲たちわたる
足引之山河之瀬之響苗尓弓月高雲立渡
足引の山河のせの なるなへにはなるからに也雨ふらんとて河瀬のなるといへり雨雲を催す心なるへし
伊勢|従駕《ヲゝントモニ》
1089 おほうみにしまもあらなくにうな原のたゆたふなみにたてるしら雲
大海尓嶋毛不在尓海原(イあまのはら)絶塔浪尓立有(イたゝる)白雲
おほうみにしまも 海原童蒙にはあまのはらと和ス同抄云嶋もなけれと波に雲立とよめりあまのはらとは白雲とよまむとてなるへし云々仙点うなはらと和ス可然歟
詠v雨歌二首 作者未v詳
1090 わきもこかあかものすそのそめひちんけふのこさめにわれとぬれぬな
吾妹子之赤裳裙之将2染泥1(童そめんとて)今日之※[雨/(月+永)]※[雨/沐]尓 吾共(イも)所沾v名
わきもこかあかもの 童蒙抄云是はそめんとてとはぬらさんとてといふ心也もすそをぬらすへきこさめに我さへぬれしとよめる也
1091 とをるへき雨はなふりそわきもこかかたみのころもわれしたにきたり
可融雨者莫零吾妹子之形見之服吾下尓著有
とをるへき雨はなふりそ した着まてぬれとをるへき雨はなふりそと也
詠v山歌七首 柿本朝臣人麻呂
1092 なるかみのをとにのみきくまきもくのひはらの山をけふ見つるかも
動神之音(イをと)耳(イのミし)聞卷向(イもこ・むく・むこ)之桧原山乎 今日見鶴鴨
なるかみのをとにのみ をとにのみきくといはむ枕詞になる神のとをけり拾遺集に入
1093 みもろのや其山なみにこらかてをまきもくやまはつぎてしよしも
三毛侶之其山奈美尓兒等手乎卷向山者繼之宜霜
みもろのや其山なみ 三諸の山つゝきと云也こらは女也手をまくとは枕にする事を卷向といはン枕詞に置也つきてしとはつゝきて好と也
1094 わかきぬの色きそめたりあち酒のみむろのやまのもみちしたるに
我衣色服染 (未イうま)酒(イさか)三室山黄葉為在
わかきぬの色きそめ 味酒童蒙抄あちさけと和ス仙点うまさか也みむろの枕詞也三室山の紅なるに付て我衣の色も如此との心なるへし
作者未v詳
1095 みむろつく三わ山みれはこもりくのはつせのひはらおもほゆるかも
三諸(イもろ)就(イなる)三輪山見者隠(イかくらく)口乃始瀬之檜原所念鴨
みむろつくみわ山みれは 此哥類聚萬葉にはみもろなるみわ山みれはかくらくのと有仙点等はみもろつくみわ山みれはこもりくのと和ス詞林采葉云隠口此訓かくらくこもりえこもりく先達古訓|區《マチ/\》也其中にかくらくは字訓なる故尤其いはれ有こもりえは口の字書誤歟此所は山の口より入て奥深き故籠り口の初瀬と云歟日本紀雄略紀天皇哥ニ挙暮利矩能播都制能野麻播《コモリクノハツセノヤマハ》下略右日本紀こもりくといふへき證跡明鏡也是迄詞林愚按こもりくの義正説口訣に残す者也
1096 いにしへのことはしらぬを我見てもひさしくなりぬあまのかく山
昔者之事波不知乎我見而毛久成奴天之香具山
いにしへのことはしらぬを 童蒙抄云天のかく山とは餘に高くて空の香のかゝへくるによりて云と記に見えたり愚案今はかく山高からす古今かはれるにや
1097 わかせこをこちこせ山とひとはいへときみもきまさぬ山のなにあらし
吾勢子乎乞許世(集拾きませの)山登人者雖云君毛不來益山之名尓有之(イならし)
わかせこをこちこせ山 拾遺集并ニ人丸集にはきませの山とゝ有近江也こちこせ山は紀伊忠岑はこちこせ河ともよみて六帖にありわかせこをこちへ來せとそへてよめり
1098 きちにこそいも山ありといへかつらきのふたかみ山もいもこそありけれ
木道尓社妹山在云櫛上(イくしあけの)二上山母妹許曽有來
きちにこそ妹山有とゝ
紀伊路の背山に向へる妹山の事也葛城の二上山は岑二ツ双へりよりて妹《イモト》有とよめり祇曰妹山背山とて名山あるに葛木の二上山も面白きとほめし心也【イくしあけのとは櫛笥のはこのふたといはんため也】
詠v岳《ヲカヲ》歌一首 作者未v詳
1099 かたおかのこなたのみねにしゐまかはことしの夏のかけになみんか
片岡之此向峯(イこのむかつおに・むかひのみねに)椎蒔者今年夏之陰尓将比疑(イおもひき・イならばん祇点)
かたおかのこなたの 片岡大和也八雲云たゝかた/\の岡の心にてもと云々椎まかはとは椎のたねまかは也祇曰今年の夏の陰になみむかとはやかて生ひ茂て双はんと云心歟祇本むかひのみねに云々
詠ルv河ヲ歌十六首 柿本朝臣人麻呂
1100 まきもくのあなしの川ゆ遊く水のたゆることなく又かへり見ん
卷向之病足之川由徃水之絶事無又反将見
まきもくのあなしの 川ゆは川より也行水のは絶る事なくの序にて此河の美景を不v飽《アカ》心也
1101うはたまのよるさりくれはまきもくの川をとたかしあらしかもとき
黒玉之夜去來者卷向之川音高之母荒是鴨疾
うは玉のよるさりくれは よるになり來れは河音高きは嵐のとく吹故かと也
作者未詳
1102 おほきみのみかさの山のおびにせるほそたにかはのをとのさやけさ
大王之御笠山之帶尓為流細谷川之音乃清也
おほきみのみかさの山の 祇曰五文字はみかさといはん諷詞也愚案山のこしにほそくなかれめくれは帯にせるといへり古今きひの中山は是を本哥にてよめるにや
1103 いましくはみめやとおもひしみよしのゝおほかはよとをけふ見つるかも
今敷者見目屋跡念之三芳野之大川余杼乎今日見鶴鴨
いましくはみめやと 今しくはとは今は也しくは助語也侘しく恋しくの類也今は見ましきと思ひし大河淀をけふ見て嬉しと也大河淀吉野に在
1104 むまなへてみよしのかはを見まくほりうちこえきてそ瀧にあそひつる
馬並而三芳野河乎欲見打越來而曽瀧尓遊鶴
むまなへてみよしの河 思ふとち馬のりならへて見まくほしかりし吉野河の瀧に遊興するとよろこふ儀也
1105 をとにきゝめにはまたみぬよしのかはむつたのよとをけふ見つるかも
音聞目者末見吉野川六田之與杼乎今日見鶴鴨
をとにきゝめには 六田淀吉野の名所也
1106 かはつなくきよきかはらをけふみてはいつかこえきて見つゝしのはん
河豆鳴清川原乎今日見而者何時可越來而見乍偲食
かはつなく清きかはら 清河原吉野の名所也けふ見て後又いつ來て見つゝけふのことくしのはんと也
1107 はつせかはしらゆふ花におちたきつせをさやけくと見にこし我を
泊瀬川白木綿花尓堕多藝都瀬(イかはせ)清(きよしと)跡見尓來之吾乎
はつせ川しらゆふ花に 童蒙抄云白木綿花のやうにおちたきつ也又瀬清跡をかはせきよしとゝ和ス心は同
1108 はつせ川なかるゝみをのせをはやみゐてこすなみのをとのさやけく
泊瀬川流水尾之湍乎早(みをはやみ)井提越浪之音之清久
はつせ川なかるゝみを 水尾《ミヲ》は水の深き所也祇曰井手とは水をせきあけたる所をいふ也愚案田の水せき分つ小堤也
1109 さひのくまひのくま川のせを早みきみか手とらはよらんてふかも
佐檜乃熊檜隅川之瀬乎早君之手取者将縁言毳
さひのくまひのくま川 佐檜のくまは大和高市郡也檜のくま川も同所を重ね詞なるへし一説云桧の木の陰の隠れし所也さは助字也君の手とらはとは彼早瀬を渉るに君か手を取引助けはよらんと云と也
1110 ゆたねまきあらきの小田をもとめんとあゆひはぬれぬ此かはのせに
湯種蒔荒木之小田矣求(イあさらん)跡足結出(イあゆひいて)所沾此水之湍尓
ゆたねまきあらきの ゆたねは五百種也色々の種也見安には豊に良種也あらきの小田はあらし也愚案墾田也あゆひは足のはゝき也日本紀十三ニみやひとのあゆひの小鈴又十四ニ曰|鈴金距《スゝカネノアユヒ》等是也イあゆひいてぬれぬ同義也
1111 いにしへもかくきゝつゝやしのひけんこのふる川のきよきせのをとを
古毛如此聞乍哉偲兼此古河之清瀬之音矣
いにしへもかくきゝつゝや ふる川大和也古川といふ名に付て古の人も此ふる川の清き瀬の音を我かく面白く聞ことくきゝてこそしたひけめと也
1112 はねかつらいまするいもをうらわかみいさいさ川のをとのさやけさ
波祢蘰今為妹乎浦若三去來率去河之音之清左
はねかつらいまする妹 はねかつら袖中抄に女の花のかつらの由也いさ/\川見安云いさ河名所也云々愚案常陸のいさゝ河にや花のかつらせし若き妹をいさ/\とさそふ心を序哥によみて此河をとを讀めり
1113 このを川きりそむすへるたきち行《ユク》はしりゐのうへにことあけせねとも
此小川白氣(イこほり)結瀧至八信井上尓事上不為友(イと)
このを川きりそむすへる 見安云きりむすふは霧むせぶ也たきちゆくは只瀧のゆく也愚案此小河とは関の小河なとをさしていふにや走井も逢坂也ことあけとは日本紀一に興言《コトアケ》と書心を起こしていふ詞也物いへは息出る也又日本紀に気噴之狭霧《イフキノサキリ》ともあれはことあけせはこそ霧立ぬへれことあけせねとも走井のうへに川霧むせふとよめりイこほり結るは義なし
1114 わかひもをいもか手もちてゆふは川又かへりみんよろつよまてに
吾紐乎妹手以而結八川又還見萬代左右荷
わかひもをいもか手持て 第一句第二句は結八川といはん序也五代集歌枕には肥後国也といへりこのこの河の美景にあかぬ心也
1115 いもかひもゆふはかうちをいにしへのみなひと見きとこれをたれしる
妹之紐結八川内乎古之并人見等此乎誰知
いもかひもゆふは河内 妹かひもはゆふは河の枕詞也義は明なる歟
詠ルv露ヲ歌一首 作者未v詳
1116 うはたまのわかくろかみにふりなつむあまのつゆしもとれはきえつゝ
烏玉之吾黒髪尓落名積天之露霜取者消乍
うはたまのわか黒髪 ふりなつむは降結ふ心なるへしあまの露霜は空の露霜也
詠ルv花ヲ歌一首 作者未v詳
1117 あさりすと礒にみし花風吹てなみはよるともとらすはやまし
嶋廻為等礒尓見之花風吹而波者雖縁不取不止
あさりすと礒に見し 朝すなとりするをあさりと云風波は有とも此花折とらんと也
詠v葉ヲ歌二首 柿本朝臣人麻呂
1118 いにしへにありけん人もわかことかみわのひはらにかさしおりけん
古尓有險人母如吾等架弥和乃檜原尓挿頭折兼
いにしへにありけん わかことかは我ことくにや也みわの桧葉を折かさして我翫ふ心を推《ヲシ》て古人もかくやと思ひやる心也
1119 ゆく川の過ゆく人のたおらねはうらふれたてりみわのひはらは
徃川之過去人之手不折者裏觸立三和之檜原者
ゆく川の過ゆく人の 河の逝て歸らぬことく過行古人を云古人は手おらねは桧葉も愁立と也前の哥の我かさしおりし心をことはる哥にや
詠v蘿《コケヲ》歌一首 作者未v詳
1120 みよしののあをねがみねのこけむしろたれかをりけんたてぬきなしに
三芳野之青根我峯之蘿席誰将織(イをるらん)經緯無二
みよしののあをねが 苔筵は苔のむしろを敷たるやうなる也下句類従萬葉には誰かをるらんとあり
詠v草ヲ歌一首 作者未v詳
1121 いもかりとわかかよひちのしのすすきわれもかよはゝなひけしのはら
妹所等我通路細竹為酢寸我(イわれし)通靡細竹原
いもかりと我通路の 妹かりは妹かもと也童蒙抄云しの薄とはもとに葉のなきを云又穂の出ぬをも云
詠v鳥ヲ歌三首 作者未詳
1122 やまのはにわたる秋さの行くてゐんその河の瀬に浪たつなゆめ
山際(八祇やまきは)尓渡秋沙乃徃将居其河瀬尓浪立勿湯目
山のはにわたるあきさ 八雲抄祇注等には山きはに八雲云山きはにわたるあきさといふ河にゐる鳥也見安云あきさ村鳥也祇註に云山きはゝ岸也波たつなゆめとは閑《シツカ》なる瀬に行ゐて遊ふを見んため又ははくゝむ心ならし
1123 さほ川の清きかはらになく千鳥かはつとふたつ忘れかねつも
佐保河之清河原尓鳴智鳥河津跡二忘金都毛
さほ川の清き河原 千鳥蛙忘れかたく面白しと也
1124 さほ河にあそふ千鳥のさよ更てそのこゑきけはいねられなくに
佐保河尓小驟千鳥夜三更而尓音聞者宿不難(イかて)尓(イして)
さほ河にあそふ鵆 心は明也
思フ2故郷《フルサトヲ》1歌二首 作者未v詳
1125 きよきせにちとりつまよひ山のはにかすみたつらんかみなひのさと
清湍尓千鳥妻喚山際(古きはに)霞立良武甘南備乃里
きよき瀬にちとり かみなひの里大和也此里を故郷なりし人の哥なるへし清き川瀬の千鳥山の霞なつかしき心なるへし
1126 とし月もいまたへなくにあすか河せゝにわたりしいしはしもなし
年月毛末經(古いまたへさるに)明日香河湍瀬由渡之石走無
とし月もいまたへなく 祇曰あすか河古郷いつしかあれて石橋も絶けるよと也愚案是は遷都の折の哥にや類従萬葉にはいまたへさるにとあり
詠v井ヲ歌二首 作者未詳
1127 おちたきつはしりゐ水の清けれはわたらはわれはゆきかてぬかも
隕田寸津走井水之清有者渡者吾者去不勝(イたへぬ)可聞
おちたきつはしりゐ水 渡らはにこらんと思ふにゆきあへずとなるへしかてぬたへぬ同
1128 あしひなすさかへし君かほりしゐのいは井の水はのめとあかぬかも
安志妣成榮之君之穿之井之石(イいし)井之水者雖飲不飽鴨
あしひなす栄へし君か 仙覺足引の山の註ニ曰|山斎《アシヒ》といふ木殊に栄たる木也故にあしひなす栄し君と讀り
詠ル2和琴ヲ1歌一首 作者未v詳
1129 こととれはなけきさきたつけたしくも琴のしたひにつまやこもれる
琴取者嘆先立盖毛琴之下樋尓嬬哉(古いもや)匿有(古かくれる)
こととれは歎き先たつ 此哥袖中抄には琴のしたひにいもやかくれると有顕昭云したひとは下樋とかけり琴の腹の中は樋《ヒ》に似たれは下樋とよめる歟それに妹か隠れたるかといへる歟蓋はをしはかることは也
芳野ニテ作歌五首 作者未v詳
1130 神さふるいはねこきしくみよしのゝみつわけやまを見れはかなしも
神左振磐根己凝(イり)敷三芳野之水分山乎見者悲毛
神さふるいはねこきしく 袖中抄祇本こりしくと有諸本こきしくと有義は同袖中抄云こりしくとは岩根のたくみしける也こきしくとも同心也きとりと同音云々祇曰此見れは悲しもといふ詞愁の心にあらす愛したる心也人をいとおしかなしといへる心也
1131 みなひとのこふるみよしのけふみれはうへもこひけりやま川清み
皆人之戀三吉野今日見者諾母戀來山川清見
みなひとのこふる 恋るは慕望《シタヒノゾ》む心也
1132 ゆめのわたことにし在けり現にも見てこしものをおもひし思へは
夢乃和太事西在來寤毛見而來物乎念四念者
ゆめのわたことにし 夢のわたは夢の渡りといふ事の下略の詞にや夢の渡りは只夢の事也哥の心は現にも吉野を見てこし物を猶思ひ思へは夢の渡りの吉野もことに有て夢にみると也思ひし思へはは重詞也
1133 すめかみの神のみやひとゆふかつらいやとこしきにわれかへりみん
皇祖神之(仙すめろきの)神宮人夕(イ冬)薯蕷葛(仙サネカツラ)弥常敷尓吾反将見
すめかみの神のみやひと 皇祖神《スメカミ・スメロキ》類従にはすへ(めイ)かみのと和す仙覺はすめろきのと和ス夕(冬イ)薯蕷葛類従にはゆふかつらと和す仙覺はさねかつらと和す今類従にしたかへりすめかみは神楽哥にも有て天照太神の御事也ゆふかつらとは木綿を額《ヒタイ》にかけてかつらにする也神事の時する事也神は不変の事にすれはいやとこしきの枕詞也いやとこしきとはいよ/\ときはにといふ心也此吉野ノ宮を常に我かへりみんと也
1134 よしのかはいはとかしはとときはなすわれはかよはんよろつよまてに
能野川石迹柏等(イの)時齒成(イなる)吾者通萬世左右二
よしの川いはとかしはと 袖中抄云いはと柏とは岩に生たる柏也柏は常盤木ならねと岩によせて如此よめるか或人石を玉柏といへは其心かと申せと是は柏といひたれは非ルv石歟云々愚案論語云松柏|後《ヲクル》v凋《シホムニ》といへり異朝には柏は松と同しきときは木と見ゆ岩と柏のときはといはん事勿論なるへし見安にはいはと柏石のかとあるを云云々兩説共可用ときはなすとは岩と柏のときはなるやうにとの心也我はときはに萬代まてに此よしの川に通ひて見んと也
山|背《シロニテ》作歌五首 作者未v詳
1135 うちかははよどせなからしあしろひとふねよふこゑはをちこちきこゆ
氏河齒与杼湍無之阿自呂人舟召音越乞所聞
うち川はよとせなからし 山城の宇治はよとむ瀬なからんと也見安云あしろ人は網代守也愚案よとむ瀬なく早けれはかちわたりかなはて網代守の舟よはふ声の此方彼方にきこゆと也
1136 うち川におふるすかもを川はやみとらてきにけりつとにせましを
氏河尓生菅藻乎河早不取來尓家里※[果/衣]為益緒
うち川におふる 仙曰菅藻とは菅《スカ》に似たる河藻也人のくふ物と云也祇曰河早くてとられぬ心也
1137 宇治人のたとへのあしろわれなれはいまはきみらそこづみこすとも
氏人之譬乃足白吾在者今齒王良増木積不來友
宇治人のたとへの網代 仙曰宇治人のたとへのあしろとはひをまつといふ心によそへたり日をまつわれなれは人なあつまり來そ閑にてあらんとよめる也見安云こつみこすともはあつまり來すともといふ也うち人のたとへのあしろとは網代はかりにする物なる故に我身にたとふる也愚案仙説と見安とあしろのたとへ儀かはれり然とも畢竟は同意歟
1138 うち川を舟わたせよとよはへともきこえさるらしかちをともせす
氏河乎船令渡呼跡雖喚不所聞有之楫音毛不為
うち川を舟わたせよと ※[楫+戈]音もせすとは渡舟の來る音もせぬとの心也
1139 ちはや人うち河なみをきよみかもたひゆくひとのたちかてにする
千早人氏川浪乎清可毛旅去人之立難為
ちはや人うち川浪を ちはや宇治の枕詞也此集十一にもちはや人うちのわたりの早き瀬にとあり仙覺抄云うちといはんための諷詞にちはや人とをけりちはや人とは道早き人也哥の心は宇治河浪のいさきよくして飽《アキ》かたけれは旅ゆく人も是にめてゝ立かたくするとよめる也是迄仙抄詞林采葉云路早人打出るとつゝくる詞也見安も同義也愚案此諸抄の説みちはやの上畧の詞とおもへるにやまことに髣髴の儀也正説ありしる人まれなるへし口訣に残之
摂津《ツノクニヽテ》作歌二十一首 作者未v詳
摂津作歌 つの国の名所のうた也
1140 しなかとりゐな野をくれはありま山 一云ゐなのうらをこきくれは ゆふきりたちぬやとはなくして
志長鳥居名野乎來者有間山 猪名乃浦廻乎榜來者 夕霧立宿者無爲
しなかとりゐな野を 八雲抄云しなかとり白猪と云能因説俊頼云雄畧天皇ゐな野にて狩し給ひけるに猪のなかりけれはしなかとりゐなとはいへり云々袖中抄云今案しなかとりゐなという所の名なるへしいかなれはさはつゝくるなといふは次の事也古くかやうにつゝくる所の名の中に心得られたるも有心得られぬもあれはあやしむへからすかくらくのはつせまきもくのひはらともつゝくるやうの所はさてのみこそ侍れ愚案しなかとりゐなの説無名抄奥儀抄綺語抄童蒙抄の説々未決只猪名の枕詞なるへし袖中抄の説可然歟哥の心は旅行の暮に猪名野をくれは有馬山霧立渡り夕を催してとるへき宿はなきさま哀也新古今にはいなのをゆけは云々
1141 むこ河の水をはやみかあかこまのあかくそゝきにぬれにけるかも
武庫河水尾急嘉赤駒足何久激沾祁流鴨
むこ河の水を急《はヤ》みか あか駒吾馬也あかくは前足にて水ををよくさま也水早けれはあかきの水高くあかりて其そゝきに沾《ヌレ》しと也
1142 いのちさち久しきよしもいはそゝくたるみの水をむすひてのみつ
命幸久吉石(イいし)流垂水水乎結飲都
いのちさち久きよしも 命と幸と久しきか人にはよき也もは助字也石そゝくたるみは八雲抄津国云々袖中抄云摂津と播磨との堺にたるみと云所有岸よりえもいはぬ水出る故に垂水と云也垂水明神といふ神おはす此水の石のうへにおちかゝれは岩そゝく垂水と云愚案名におふたるみをのみて悦ひて命幸久しき故にのみし事よと也
1143 さよふけてほりえこくなる松浦舟かちおとたかしみをはやみかも
作夜深而穿江水手鳴松浦船(木+堯)音高之水尾早見鴨
さよふけてほりえ 松浦よりこし舟の摂津堀江をこき入なるへし摂津の国の作哥也日本紀十一仁徳十一年冬十月掘テ2宮ノ北之|郊原《ノハラ》1引テ2南水ヲ1以入ル2西海ニ1因テ以号テ2其水ヲ1曰2堀江ト1祇曰夜舟の梶の音を聞てみをの早きと思ふ也
1144 くやしくもみちぬるしほか住の江のきしのうらわにゆかましものを
悔毛満奴流鹽鹿墨江之岸乃浦廻從行益物乎
くやしくもみち 墨江の岸古はしほみちてはゆかれぬ所なりしなるへし
1145 いもかためかひをひろふとちぬの海にぬれにし袖はほせとかはかす
為妹貝乎拾等陳奴乃海尓所沾之袖者雖涼常不干
いもかため貝を拾ふと ちぬの海八雲抄にも津国也妹にみせんとて貝拾ひて袖沾しと也
1146 めつらしき人をわきへにすみの江のきしのはにふをみんよしもかな
目頬敷人乎吾(イわい)家尓住吉(イすみよし)之岸乃黄土(イつち)将見因毛欲得
めつらしき人をわきへ 希客者と書て日本紀神代下ニメツラシキヒトとよめり第一第二の句は住吉をいはん諷詞也めつらし人を我家にすませんといひかけたり是住吉の岸の黄土《ハニフ》の美景《ビケイ》を見まほしと也はにふは八雲抄に黄土也云々きしのつちべ也只其ほとり也
1147 いとまあらはひろひにゆかん住の江のきしによるてふ恋わすれかひ
暇有者拾尓将徃住吉之岸因云戀忘貝
いとまあらはひろひに 戀の忘かたきに侘てよめるにや古今に入
1148 むまなへてけふわか見つるすみの江のきしのはにふをよろつよにみん
馬雙而今日吾見鶴住吉之岸之黄土(イつち)於萬世見
馬なへてけふわか 是も美景にあかぬ心なるへし
1149 すみの江にゆくといふみちにきのふ見しこひわすれかひことにしありけり
住吉尓徃(イゆく)云(イてふ)道尓昨日見之戀忘貝事二四有家里
すみの江にゆくといふ道 住吉の道に名におふ忘貝のあるが殊なるとなるへし
1150 すみの江の岸に家もかな沖にへによするしら浪見つゝ思はん
墨吉之岸尓家欲得奥尓邊尓縁白浪見乍将思
すみの江のきしに家 こゝに住つゝ沖にも磯にもよする波を見て其人を思ひてあらんと也
1151 おほとものみつのはまへを打さらしよせくるなみのゆくゑしらすも
大伴之三津之濱邊乎打曝因來浪之逝方不知毛
おほとものみつのはまへ 打さらしはをしなへて白く見ゆるを云也下句はいさよふ波の行ゑしらすもと同意也
1152 かちの音そほのかにすなるあまをとめ 一云ゆされはかちのをとす也 おきつもかりにふなてすらしも
梶之音曽髣髴為鳴海末通女 暮去者梶之音為奈利 奥藻苅尓舟出為等思母
かちのをとそほのかに 心明也一云も同義
1153 すみの江のなこのはまへに馬たてゝたまひろひしく常わすられす
住吉之名兒之濱邊尓馬立而玉拾之久常不所忘
すみの江のなこの 下句玉拾ひしを常に忘れすと也しくのく助字也常は常に也
1154 雨はふるかりほはつくるいつのまになごのしほひに玉はひろはん
雨者零借廬者作何暇尓吾兒之鹽干尓玉者将拾
雨はふるかりほは作る 雨にぬれじと借庵つくりて※[日+安]《イトマ》なき心也八雲抄になごの濱摂津
1155 なこの海のあさけのなこりけふもかもいそのうらわにみたれてあるらん
奈呉乃海之朝開之奈凝今日毛鴨礒之浦廻尓乱而将有(イあらん)
なこの海のあさけの 祇曰是は只波の余波歟乱てあらんとは波の荒かるへきかといへり八雲抄云磯の浦摂津
1156 すみの江のとを里をのゝまはきもてすれるころものさかりすきゆく
住吉之遠里小野之真榛以須礼流衣乃盛過去
すみのえのとを里をの 今をりうのといふ所也津国也萩の盛過る比摺衣も盛過る心也
1157 ときつかせふかまくしらす阿胡の海のあさけのしほにたまもかりてな
時風吹麻久不v知阿(なか)胡乃海之朝明之鹽尓玉藻苅奈
ときつかせふかまく 時風とは朝風夕風春風なと時々の風也吹こん時のしられねは朝けの程に玉もかりてんと也阿胡海八雲抄名寄等長門と云々但前の雨はふるの哥吾児をなことよむ吾の字奈の字同音に用ひてかけるにやされはあの字もなのこゑに用てなことよむへきにやしからは津の国のうた勿論也但摂津にもあこ有歟可尋也
1158 すみのえのおきつ白波風ふけはきよするはまを見れは清しも
住吉之奥津白浪風吹者來依留濱乎見者浄霜
すみの江の沖つ白波
1159 すみの江のきしの松かねうちさらしよりくるなみのをとのさやけさ
住吉之岸之松根打曝縁來浪之音之清羅
すみのえの岸の松かね
1160 なにはかたしほひに立て見わたせはあはちのしまにたつわたるみゆ
難波方鹽干丹立而見渡者淡路嶋尓多豆渡所見
なにはかた塩ひに立て 右三首心明なるへし
羈旅《タビ》作歌九十首 作者未v詳
1161 いへさかりたひにしあれは秋かせのさむきゆふへにかりなきわたる
離家旅西在者秋風寒暮丹鴈喧渡
いへさかりたひにし いへさかりは故郷をはなれきてとの心也秋風寒き夕鳫を聞けん旅懷哀也
1162 まとかたのみなとのすとり浪たてはつまよひたてゝへにちかつくも
圓方之湊之渚鳥浪立巴妻唱立而邊近著毛
まとかたのみなとの 圓方風土記に摂津八雲抄紀伊云兩所在歟すとりは洲にゐる鳥也へに近付は磯に也
1163 あゆちかたしほひにけらしちたの浦にあさこくふねもおきによるみゆ
年魚市方鹽干家良思知多乃浦尓朝榜舟毛奥尓依所見
あゆちかたしほひに 鮎市《アユチ》知多《チタ》八雲紀伊云々
1164 しほひれはともがたに出てなくたつのをととをさかるあさりすらしも
鹽干者共滷尓出鳴鶴之音遠放礒廻為等霜
しほひれはともかたに とも備後ノ鞆の事とそあさりしてゆくやらん鞆潟の鶴声|遠放《トヲサカ》る也
1165 ゆふなきにあさりするたつしほみてはおきなみ高みをのかつまよぶ
暮名寸尓求食為鶴鹽満者奥浪高三己妻喚
ゆふなきにあさりする 夕に閑なるを夕和《ユフナキ》と云
1166 いにしへにありけん人のもとめつゝきぬにすりけんまのゝはきはら
古尓有監人之覓乍衣丹揩牟真野之榛原
いにしへにありけん 真野萩原八雲大和云々
1167 あさりすといそにわかみしなりそをいつれのしまのあまかかるらん
朝入為等礒尓吾見之莫告藻乎誰嶋之白水郎可将苅
あさりすといそにわか あさりするとて磯にて我見し神馬藻をと也
1168 けふもかもおきつたまもはしら波のやへおりしうへにみたれたるらん
今日毛可母奥津玉藻者白浪之八重折之(イの)於丹乱而将有
けふもかもおきつたまも やへをりしは波の幾重ももたゝめる也
1169 あふみの海みなとはやそちいつくにかきみのふねはてゝ草むすひけん
近江之海湖者八十何尓加君之舟泊草結兼
あふみの海みなとは 八十に限らす多き心也草結ひけんは草枕したりけんと也
1170 さゝなみのなみくら山にくもゐてはあめそふるてふかへりこわかせ
佐左浪乃連庫山尓雲居者雨會零智否反來吾背
さゝなみのなみくら山 なみくら山八雲抄近江云々雨のふらぬさきにかへりこよと也
1171 おほみふねはてゝさもらふ高しまのみおのかちのゝなきさしそ思ふ
大御舟竟而佐守布高嶋之三尾勝野之奈伎左思所念
おほみふねはてゝ 大御舟は君の御舟歟さもらふは侍ふ也高嶋八雲抄近江云々三尾の勝野の渚同し所にあるにや御舟の泊し所の難v忘心歟
1172 いつくにかふなのりしけんたかしまのかとりのうらにこきいてくる舟
何處可舟乗為家牟高嶋之香取乃浦從己藝出來船
いつこにか舟のりしけん 高嶋のかとりのうら八雲抄に下総と有
1173 ひた人のまきなかすてふにふの河ことはかよへとふねそかよはぬ
斐太人之真木流云尓布乃河事者雖通船會不通
ひた人のま木流す 斐太《ヒタ》人は番匠なるへし古は飛騨国より番匠來りし由延喜式にも有南都の比も然なるへしにふの川八雲抄大和云々番匠等宮木筏を此川になかせしなるへしことはかよへとゝは用事はかよへともと也
1174 あられふるかしまの崎を浪高みすきてやゆかん恋しき物を
霰零鹿嶋之埼乎浪高過而夜将行戀敷物乎
あられふるかしまの 八雲抄鹿嶋崎常陸云々かしまの崎戀しく見まほしき物を霰降あれ浪たかければ見ずに過てやゆかんと也
1175 あしからのはこねとひこえ行たつのともしきみれはやまとしそ思ふ
足柄乃筥根飛超行鶴乃乏見者日本之所念(イのおもほゆ)
あしからのはこね 八雲抄足柄山箱根山皆相模と云々遥に飛ゆく鶴の幽にともしくなるを見れは故郷大和の恋しきと也
1176 なつそひくうなかみかたの沖つすにとりはすたけと君は音もせす
夏麻引海上滷乃奥洲尓鳥者簀竹跡君者音文不為
なつそひくうなかみ 奥儀抄云集には夏麻と書又夏素なとかけり夏の苧也夏そ引と讀ては必うとつゝけたりそれは麻の生たる所をうといふ也う文字をとらんとて夏そひくとはいふ也又云苧をかりてのちうは皮をとりて捨るをひくと云也云々詞林采葉にも此義を用ふ八雲抄云すたくは集る儀也うなかみかたは八雲上総云々【仙同】
1177 わかさなるみかたの海の濱清みいゆきかへらひ見れとあかぬかも
若狭在三方之海之濱清美伊徃變良比見跡不飽可聞
わかさなるみかたの海 いゆきかへらひは行歸り也いは助字也
1178 いなみ野はゆきすきぬらしあまつたふひかさのうらに波たてるみゆ 一云しかま江はこきすきぬらし
印南野者徃過奴良之天傳日笠浦波立見 思賀麻江者許藝須疑奴良思
いなみ野は行過ぬらし 印南野日笠浦八雲抄皆播磨云々祇曰天伝ふとは日と續く詞也旅行の人を思ひ遣て讀める哥也一云しかま江是も播磨也
1179 いへにしてわれはこひんないなみのゝあさちかうへにてりし月夜を
家尓之底吾者将戀名印南野乃淺茅之上尓照之月夜乎
いへにして我は戀んな 印南野の淺茅の月面白けれは歸ん家にても戀んと也
1180 あらいそこす浪をかしこみあはち嶋見すてやすきんこゝたちかきを
荒礒超浪乎恐見淡路島不見哉将過幾許近乎
あらいそこす浪を そこはく近き淡路嶋を荒磯波を恐れて見すしてや過んと也
1181 あさかすみやますたなひくたつた山ふなてせん日はわれこひんかも
朝霞不止輕引龍田山船出将為日者吾将(めイ)戀香聞
あさかすみやます 竜田山の霞めるか面白きを旅立船出せは戀しからんと也
1182 あまをふねほかもはれると見るまてにとものうらわに浪たてるみゆ
海人小船帆毳張流登見左右荷鞆之浦廻二浪立有所見
あまをふね帆かも張る 帆をかはりけん也鞆浦の浪を帆を張しかと見ると也源氏すまの卷海の面は衾を張《ハレ》ると有
1183 よしゆきてまたかへりみんますらおの手にまきもたるとものうらわを
好去而亦還見六大夫乃手二卷持在鞆之浦廻乎
よしゆきて亦かへりみん ともの浦を見捨行かたき故よしや此たひは先ゆきて又こそかへりみめと也ますらおの手にまきもたるは鞆といはん諷詞也鞆は武士の手に懸る物也前注
1184 とりし物海にうきゐておきつなみさはくをきけはあまた悲しも
鳥自物海二浮居而奥津浪※[馬+發(中虫)]乎聞者數悲喪
とりし物海にうき 鳥自物《トリジモノ》は鳥也水鳥の浮つる事を諷詞によみて我か舟にのりてゐるを云也一説水鳥うかひ浪さはくにつきて旅懷を催す心といへり船の儀可用歟
1185 あさなきにまかちこき出て見つゝこしみつのまつはらなみこしに見ゆ
朝菜寸二真梶※[木+堯]出而見乍來之三津乃松原浪越似所見
あさなきにまかち 真梶こき出ては船こき出ての心也三津松原八雲抄津国三津浦也云々浪越は海越と同
1186 あさりするあまをとめらか袖とをりぬれにしころもほせとかはかす
朝入為流海未通女等之袖通沾西衣雖干跡不乾(イかはかぬ)
あさりするあまをとめ 袖とをりは袖のぬれとをりたる也
柿本朝臣人麻呂
1187 あひきするあまとや見らんあきの浦のきよきあらいそを見にこし吾を
網引為海子哉見飽浦清荒礒見來吾
あひきするあまとや あみひくあまとや見るらんと也八雲抄云あきの浦紀伊
作者未v詳
1188 山こえて遠津の濱のいはつゝしわかきたるまてふゝみてありまて
山超而遠津之濱之石管自迄吾來(イわかくるまては)含而有待
山こえてとをつの濱の 遠津の濱八雲抄にも国不知此集十一遠津大浦は近江也同所にやふゝみてはつほみて也我來るまて開かてありて我をまてと也
1189 おほうみにあらしなふきそしなかとりゐなのみなとに舟はつるまて
大海尓荒(古あらく)莫吹四長鳥居名之湖尓舟泊(古とむる)左右手
おほうみにあらしな吹そ 荒類聚萬葉袖中抄等あらくとよむ古点なるへし泊是も類袖等とむるとよめり古点を執せんとならは可用之ゐなのみなと八雲抄津の国云々袖中抄云二条院御時或人湖上月といふ題にゐなのみつうみとよめりしを其坐の歌仙達もとかめられす猪名野には池こそあれ湖なし萬葉ゐなの湖とかけるをあしくよめり云々畧注
1190 舟はてゝかしふりたてゝいほりするなこ江のはまべすぎがてぬかも
舟盡(イふなつくし)可志振立而廬利為名子江乃濱邊過不勝鳧
舟はてゝかしふり立て 可志《カシ》見安云木を立て舟をつなくをかしといふ也但類聚萬葉にはかちと書書違たるにや舟つなくへき所に大木を梢を下に振たて置也なこ江の濱八雲抄になこの濱と同摂津云々哥心は此濱の美景を過あへす舟泊て廬すると也
1191 いもかかといていりの河の瀬をはやみわか馬つまつく家こふらしも
妹門出入乃河之瀬速見吾馬爪衝家思良下
いもか門いていりの河 出入河見安云名所也未勘云々妹か門は出入といはん諷詞也馬の早瀬につまつき行なつむは家をこふるかと也我か故郷を思ふ心より讀也
1192 しろたへににほふまつちの山川にわか馬なつむいへこふらしも
白栲尓丹保布信土之山川尓吾馬難家戀良下
しろたへににほふ 白きに少赤みある心也ま土《ツチ》といはんとて讀る心也まつち山は大和紀伊下総にも有哥心前に同
1193 せの山にたゝにむかへるいものやまことゆるすやもうちはしわたす
勢能山尓直向妹之山事聴屋毛打橋渡
せの山にたゝにむかへる 妹背は親《シタシ》くあるへきに只に向へるは背き/\なると見るに事うけするやらんうち橋わたせると也打橋はうち渡しの橋也見安云ことゆるすとはことうけするかといふ也此哥の次にイ本には奥のうたともあり
1208 いもにこひわれこえゆけはせのやまの妹にこひすてあるかともしさ
妹尓戀余越去者勢能山之妹尓不戀而有之乏左
いもにこひわれこえゆけは 紀路の旅に古郷の妹を恋つゝゆけは背の山のさして妹に恋する気色もなくてあるか乏しくさひしきと也また浦やむ心歟
1209 人ならはおやのまなこそ朝もよひきのかはつらのいもとせの山
人在者母之最愛子曽麻毛吉木川邊之妹與背山
人ならはおやのまなこそ 妹背山の愛らしきを若《モシ》人ならは親の愛子《マナコ》ならんかく愛せらるゝ程にと也
1210 わきもこにわかこひゆけはともしくもならひをるかもいもとせのやま
吾妹子尓吾戀行者乏雲並居鴨妹與勢能山
わきもこにわか恋ゆけは 妹にこひ我こえゆけはといふ哥に大かた同乏しくもはうらやむ心にてもとそ
1211 いもかあたり今そわかゆくめにたにもわれにみえこそこととはすとも
妹當今曽吾行目耳谷吾耳見乞事不問侶
いもかあたり今そわか 旅行の人忍ひし女の家邊を行とてよめるにや今ひとめ見まほしき心切なるへし
1212 あしろ過ていとかの山のさくらはなちらすもあらなんかへりくるまて
足代過而絲鹿乃山之櫻花不散在南還來萬代
あしろ過ていとかの山の 八雲抄ニ足代濱伊勢云々糸鹿山紀伊云々
1213 なくさ山ことにしありけりわか恋のちへのひとへもなくさめなくに
名草山事西在來吾戀千重一重名草目名國
なくさ山ことにし 名草山八雲抄紀伊云々名は慰むにゝて異《コト》に各別にし有けりと也
1214 あたべゆくをすての山のまきのはもひさしく見ねはこけおひにけり
安太部去小為手乃山之真木葉毛久不見者蘿生尓家里
あたべゆくをすての 安太部は安太氏ノ人也部は伴の部等の類也日本紀三ニ作梁取魚《ヤナウチスナトル》者を阿太養鵜等《アタノウカヒラカ》始祖也云々をすての山は紀伊の邊也安太部等の取魚《スナトリ》なとに行通ふ山と云也
1215 たまつしまよくみていませ青によしならなるひとのまちとはゝいかに
玉津嶋能見而伊座青丹吉平城有人之待問者如何
たまつしまよくみて よくみて語給へと也
1216 しほみたはいかにせんとかわたつみのかみかてわたるあまのをとめら
鹽満者如何将為跡香方便海之神我手渡海部未通女等
しほみたはいかにせんと 見安云わたつみの神か手渡る龍神の上を渡ると云心也愚案あまの潮の淺みを渡りありくをかく讀也
1217 たまつしまみてしよけくも我はなしみやこにゆきてこひまくおもへは
玉津嶋見之善雲吾無京徃而戀幕思者
玉津しま見てしよけく 歸京の後又見まほしかるへきを思へは見しかよきにも非と也美景故也
藤原卿
1218 くろうしの海紅にほふもゝしきのおほみや人しあさりすらしも
黒牛乃海紅丹穂經百礒城乃大宮人四朝入為良霜
くろうしの海紅匂ふ 見安云上臈女房赤き袴きて舟遊し給ふを讀る也
1219 わかのうらにしらなみ立ておきつかせさむきゆふへはやまとしそおもふ
若浦尓白浪立而奥風寒暮者山跡之所念
わかのうらに白波立て やまとしそ思ふとは故国大和をこふる心也
1220 いもかため玉をひろふときのくにのゆらのみさきにこの日くらしつ
為妹玉乎拾跡木國之湯等乃三埼二此日鞍四通
いもかため玉を拾ふと 祇曰旅行の身なれと妹かために玉をひろふとて日を暮すといふ心也
1221 わか舟のかちはなひきそやまとよりこひこしこゝろいまたあかなくに
吾舟乃※[木+堯]者莫引自山跡戀來之心未飽九二
わか舟の梶はなひきそ 梶はな引そは舟を引過そと云也大和よりこゝを戀來し心あくまて見まほしき心なるへし
1222 たまつしま見れともあかすいかにしてつゝみもてゆかんみぬひとのため
玉津嶋雖見不飽何為而※[果/衣]持将去不見人之為
たまつしま見れとも 家つと包むなれは其やうに包持てゆかんと也
1194 きのくにのさひかの浦にいて見れはあまのともしひなみまより見ゆ
木國之狭日鹿乃浦尓出見者海人之燎火浪間從所見
きのくにのさひかの浦 心明也此哥より粟島にといふ迄十四首異本には十五首前せの山にたゝに向へるの下妹に恋の上に在
1195 あさころもきれはなつかしきの国のいもせのやまにあさまけわきも
麻衣著者夏樫木國之妹背之山二麻蒔吾妹
あさ衣きれはなつかし 麻衣は妹かしわさなれはきれはなつかしきに妹背山に麻まきそたてゝ猶麻衣を我にきせよと也紀伊を着にそへ妹背山をを夫婦に添て也
作者未v詳 出タリ2古歌集ニ1
1196 いてつとゝこはゝとらせんかひ日ろふわれをぬらすなおきつしらなみ
欲得※[果/衣]登乞者令取貝拾吾乎沾莫奥津白浪
いてつとゝ いては發語也つとは家つと也
1197 手にとりしからにわするとあまのいひしこひわすれかひことにしありけり
手取之柄二忘跡礒人之曰師戀忘貝言二師有來
手にとりしからにわする 戀忘貝取りても妻こふる心は忘ねはかの蜑のいひし貝はことに有と也からには取からに也
1198 あさりすと礒にすむたつあけゆけははまかせさむみをのかつまよふも
求食為跡礒二住鶴暁去者濱風寒弥自妻喚毛
あさりすと礒に 我妻戀る旅懷よりつるのつまよふとよめりもは助字也
1199 もかりふねおきこきくらし妹かしまかたみのうらにたつかけるみゆ
藻苅舟奥榜來良之妹之嶋形見之浦尓鶴翔所見
もかりふねおきこき 藻をかる舟に驚きたる鶴にやと思ふ心にや名に負ふ妹か嶋かたみのうら目とまるへし皆紀伊也と八雲抄にあり祇曰是を見たるぬし旅人歟羈中の眺望なとの心なるへし
1200 わかふねはおきにさかるなむかへ舟かたまちかてら浦にこきあはん
吾舟者從奥莫離(イなはなれそ)向舟片待香光從浦榜将會
わかふねはおきにさかるな 莫離類聚萬葉にはなはなれそと和仙点はさかるなとよむ迎へ舟待かてら沖をはなれす有て迎の人にこぎ逢んと也
1201 おほうみのみなそことよみたつ波のよらんとおもへるいそのさやけさ
大海之水底豊三立浪之将依思有礒之清左
おほうみのみなそこ 水底ひゝくほとの浪也是を枕詞のやうによみて我よらんとおもふ礒の清きと也
1202 あらいそにもましておもふや玉の浦のはなれこしまの夢にし見ゆる
自荒礒毛益而思(おもへイ)哉玉之浦離小嶋夢石見
あらいそにもまして思ふ 此の玉の浦の美景は波荒岩高き佳境にもましておもふやらん忘難く夢にみゆると也八雲抄玉の浦紀伊云々
1203 いその上につま木折たきなかためとわかかつきこしおきつしらたま
礒上尓爪木折焼為汝等吾潜來之奥津白玉
いその上につま木 爪木は薪にひろふ木也礒の邊に爪木たく侘居して汝かために沖の玉をかつき取しと也
1204 はま清みいそにわかをれはよそ人はあまとか見らんつりもせなくに
濱清美礒尓吾居者見者白水郎可将見釣不為尓
はま清み礒にわか 清き美景をめつる心也
1205 おきつかちしは/\しふを見まくほりわかするさとのかくらくおしも
奥津梶漸漸志夫乎欲見吾為里乃隠久惜毛
おきつ梶しは/\ 見安云しふは舟のしぶる也愚案梶しふり行やらてわが見まほしくする故里の隠るゝかおしきとなるへし
1206 おきつ波へつもまきもてよりくとも 一云おきつ波へ浪しく/\よりくとも きみにまされる玉よらめやも
奥津波部都藻纒持依來十方 奥津浪邊浪布敷縁來登母 君尓益有玉将縁八方
おきつ波へつもまきもて へつもは礒邊の藻也つは助字也沖波の礒の藻をまきよする中にも玉はあらめともと也【一云も同義】
1207 あはしまにこきわたらんと思へともあかしのとなみいまたさはけり
粟嶋尓許枳将渡等思鞆赤石門浪未佐和來
あはしまにこき 童蒙抄云あはしまとは阿波をいふとなみは明石の瀬戸の波と云り
1223 わたのそこおきこく船をへによせんかせもふかぬかなみたゝすして
綿之底奥己具舟乎於邊将因風毛吹額波不立而
わたのそこおきこく わたのそこは海底也沖といはんとて也へには礒に也吹ぬかは吹ぬ哉也
1224 おほは山霞たなひきさよふけてわかふねはてんとまりしらすも
大葉山霞蒙(イかくせり)狭夜深而吾船将泊(イとめん)停不知文
おほは山霞たなひき 大葉山八雲抄に紀伊丹波にも有云々蒙を類聚萬葉にはかくせりと和シ将泊をもとめんと和す今仙点にしたかへり
1225 さよふけて夜なかのかたにおほゝしくよひしふなひとはてにけんかも
狭夜深而夜中乃方尓欝之苦呼之舟人泊(類聚とまり)兼鴨
さよふけてよなかの 夜中の潟は近江也此集九高嶋山に讀合せし名所也おほゝしくよひしはおぼつかなくよばひし也
1226 みわのさきあらいそもみえす浪立ちぬいつこよりゆかんよきみちはなしに
神前荒石毛不所見浪立奴從何處将行與奇道者無荷
みわのさきあらいそも 八雲抄云三輪崎大和非v海と有或は近江或は熊野に在と云々よぎ道は其道ならぬよけ行道也源氏真木柱卷にもある也
1227 いそにたちおきへを見れはもかり舟あまこきいつらしかもかけるみゆ
礒立奥邊乎見者海藻苅舟海人榜出良之鴨翔所見
いそにたちおきへを 海士のもかりて舟出すやらん鴨の飛と也
1228 かさはやのみほのうらわをこく舟のふなひとさはく波たつらしも
風早之三穂乃浦廻乎榜舟之船人動浪立良下
かさはやのみほの浦 八雲抄云かさはやのみほのうらするか云々
1229 わかふねはあかしのはまにこきいてんおきへさかるなさよふけにけり
吾舟者明旦石之湖(イうら)尓榜泊(イとめ)牟奥方(イも)莫放(イはなるな)狭夜深去來
わかふねはあかしのはま おきへさかるな 沖の方へ舟遠くすな此浦にとまらんと也類聚萬葉にはおきもはなるなと和ス此浦にとむへけれはこゝをもはなれされとの心也
1230 ちはやふるかねのみさきを過れともわれはわすれすしかのすめかみ
千磐破金之三崎乎過鞆吾者不忘壯鹿之須賣神
ちはやふるかねの 八雲抄金の御崎筑前云々見安云しかのすめ神は筑紫の鹿《シカ》嶋也愚案すめ神は皇神也しかの嶋の神をたふとみいへる詞なるへしちはやふるも神の事にいふ詞なりしかのすめ神にかけていへるにや祇曰我は忘れすとは旅の祈なとをして忘ぬ事にや又所の面白きをいふなるへし
1231 あまきりあひ日かた吹らし水くきのをかのみなとになみたちわたる
天霧相日方吹羅之水莖之岡水門尓波立渡
あまきりあひ日かた 童蒙抄云日かたとはたつみの風の吹を云也八雲抄云日かたひつしさる俊頼巽風也愚案前説にや水くきの岡の湊八雲抄には近江と云々仙抄筑前風土記云※[木+烏]※[舟+可]《ヲカノ》縣之東ノ側《ホトリ》有2大ナル江口1名テ曰2[木+烏]※[舟+可]《ヲカノ》水門《ミナト》1くきとは入りたる所也水の入たる所なれは水くきと云愚案此義鑿せるにやいとむつかし八雲抄の近江水くきの岡といふ議可用にや
1232 おほうみの波はおそろししかれともかみをたむけてふなてせはいかに
大海之波者畏然有十方神乎齊禮而船出為者如何
おほうみの波はおそろし 神をたむけてとは神を手向し祈る心也舟の道に手向しいのる事有土佐日記「わたつみの知夫利の神に手向するぬさのをひかせまなく吹なんと有
1233 をとめらかをるはたのうへをまくしもてかゝけたくしまなみまよりみゆ
未通女等之織機上乎真櫛用掻上栲嶋波間從所見
をとめらかをるはたの 栲《タク》嶋和名に出雲ノ嶋根《シマネ》郡と云々承保三年十一月源經仲朝臣出雲ノ名所ノ哥合に通貞「人しれぬわか戀なれやたく嶋のあまのもしほひたえぬけふりはとよめり女の機をるにちきりに糸をまく時糸の乱たるを櫛にてかきすかし※[手偏+考]《タク》りなとする事ありされは※[手偏+考]嶋といはん諷詞に上句よりかゝけたくしまとつゝけたり
1234 しほはやみいそわにをれはかつきするあまとや見らんたひゆく我を
塩早三礒廻荷居者入潮(イあさり)為海人鳥屋見濫多比由久和礼乎
しほはやみいそわに 潮早く船あやうさに礒にゐれはかつきのあまとや人見るらんと也
1235 なみたかしいかにかちとりみつとりのうきねやすへき猶やこくへき
浪高之奈何橈取水鳥之浮宿也應為猶哉可榜
なみ高しいかにかち取 祇曰いかに橈取とは水手をよひて云詞也水鳥の浮ねとは枕詞也愚案うきねは海上に船がゝりして寐る事也
1236 ゆめにのみつきて見ゆれはさゝしまのいそこす波のしく/\おもほゆ
夢耳繼而所見小竹嶋之越礒波之敷布所念
ゆめにのみつきて さゝしま八雲抄石見云々故郷の人なと夢にうちつゝき見ゆれはしきりに戀しと也波のしきるをいひかけて讀也
1237 しつかにもきしには波はよりけるか此屋どをしにきゝつゝをれは
静母岸者波者縁家留香此屋通聞乍居者
しつかにもきしには 此屋とをしにとは家にゐて物こしにきけは波は荒しといへと閑にもよりけるかなと也かは哉也
1238 たかしまのあと川なみはとよめともわれはいへおもふいほりかなしみ
竹嶋乃阿戸白波者動友吾家思五百入※[金+巳]染
たかしまのあと川 八雲抄に高嶋阿戸川近江云々旅の菴の悲さに波はほこらしけに響《ヒヽ》けとも我は故郷を思と也
1239 おほうみのいそもとゆすりたつ波のよらんとおもへるはまのさやけく
大海之礒本由須理立波之将依念有濱之浄(イきよ)奚久
おほうみのいそもと 礒もとは岩本也岩も動ほとゝ也序哥也立寄遊ん濱の清きと也
1240 たまくしけみもろとやまをゆきしかはおもしろくしてむかしおもほゆ
珠匣見諸(イむろ)戸山矣行之鹿齒面白四手古昔所念
たまくしけみもろと山 祇曰玉匣御諸戸山は枕詞也昔大和に都ある時近江へは宇治より田上へとをりてゆくと見えたり此集にも有さやうのとき三室戸山をこえけるにや愚案三もろと三むろと同所也山城也
1241 うはたまのくろかみ山をあさこえてやました露にぬれにけるかも
黒玉之玄髪山乎朝越而山下露尓沾來鴨
うはたまのくろかみ山 八雲抄云くろかみ山下野云々今日光山也
1242 あしひきの山ゆきくらし宿からはいもたちまちてやとかさんかも
足引之山行暮(イくれて)宿借者妹立待而宿将借鴨
あしひきの山行暮て 此本并類聚等くらしと有仙抄くれてと有哀故郷の妹か立待て今夜の旅宿をかさはなと思ひつゝけてよめりし成へし
1243 見わたせはちかき里わをたもとほりいまそわかくれひれふりし野に
視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來礼巾振之野尓
見わたせはちかき 里わは里の邊也たもとほりとは立もとほり也今そわかくれは今そ我來る也ひれふり招きし方へとくゆくへきを近き里の邊をたもとをりてやう/\我今來しと也
1244 をとめらかふりわけかみをゆふの山雲なかくしそいへのあたりみん
未通女等之放髪(八はなちのかみ)乎木綿山雲莫蒙家當将見
をとめらかふりわけ 一二句はゆふの山の諷詞也ゆふの山は八雲抄豊前云々放髪を八雲抄にははなちのかみ云々古点也みたれし髪也
1245 しかのあまのつり舟のつなたへすしてこゝろにおもひていてゝきにけり
四可能白水郎乃釣船之綱不堪情念而出而來家里
しかのあまの釣舟の 是も一二句は堪すしてといはん諷詞也堪すしては堪忍しかねて也しかの蜑は筑前のしかのうらのあま也
1246 しかのあまのしほやくけふり風をいたみたちはのほらてやまにたなひく
之加乃白水郎之燒鹽煙風乎疾立者不上山尓輕引
しかのあまの塩やく 風をいたみは風のいたくふけはといふ心也
柿本朝臣人麻呂
1247 おほなむちすくなみ神のつくりたるいもせのやまを見るはしよしも
大穴道少御神作(イつくれりし)妹勢能山見(イ見れはし)吉
おほなむちすくなみ神 童蒙抄云大穴道少御神と書り此神の作りませる山と見えたり此山きのくにゝ有奥儀抄云是は神ふたりの名也大己貴《オホアナムチ》神はすさのおの子也少彦名《スクナヒコナノ》神は高皇産霊尊《タカミムスヒノミコト》の子也ともに心を一つにして天下をいとなみて百姓今に恩頼をかうふる故にかくよめり【中畧注之】
1248 わきもこか見つゝしのはんおきつもの花さきたらはわれにつけこよ
吾妹子見偲奥藻花開在我告與
わきもこか見つゝ おきつもは沖の藻也妹独見つゝ忍ふらん我にも告よ行てみんと也
1249 きみかためうきぬの池の(古來に)ひしとるとわかそめし袖のねれにけるかな
君為浮沼池菱採我染袖(イそめそての)沾在哉
きみかためうきぬの 八雲抄云うきぬの池石見と云々童蒙抄云ひしとるとは採菱の哥といふ事あり愚案在2楽天之詩ニ1
1250 いもかためすかのみとりて(類に)ゆくわれをやまちまとひてこの日くらしつ
妹為菅實採行吾山路惑此日暮
妹かためすかのみ 類聚萬葉には菅のみとりにとあり心は明也
問答
問答 八雲抄云問答は多くは二首也問事を答たる也一は問二は答也
詠ルv鳥ヲ歌二首 以下出2古歌ノ集ニ1
作者未v詳
1251 さほ川になくなるちとり何しかもかはらをしのひいやかはのほる
佐保河尓鳴成智鳥何師鴨川原乎思努比益河上
さほ川になくなる かはらをしのひは河原は歩かたき物なれは人の心に比して何かはこの河原を堪忍ひて弥のほり行らんと千鳥に問心也
1252 ひとこそはおほにもいはめわかこゝたしのふかはらをしめゆふなゆめ
人社者意保尓毛言目我幾許師努布川原乎標緒勿謹
ひとこそはおほにも 人こそはおほよそに忍ふなとの給はめ我はそこはく堪忍する河原をしめゆひ鎖したるやうには努々の給ふなと千鳥の答に讀り
詠2白水郎《アマヲ》1歌二首 作者未v詳
1253 さゝなみのしかつのあまはわれなしにいさりはなせそなみたゝすとも
神樂浪之思我津乃白水郎者吾無二潜者莫為浪雖不立
さゝなみのしかつの蜑は 近江の志賀也たとひ波たゝすとも我なきほとはいさりすなと戯たる心也
1254 おほふねにかちしもあらなん君なしにいさりせめやも波たゝすとも
大船尓橈之母有奈牟君無尓潜(イかつき)為八方波雖不起
おほふねに梶しも 海人未通女の答に讀りし哥也大船に梶あるかことく我には君有て君にしたかふ我なれは君なきほとにはいさりせじと也
臨ミテv時ニ作歌十二首 作者未v詳
臨時 ときにのそみて四季にも戀ニモ讀る也
1255 つき草にころもそ染るきみかためいろとりころもすらんと思ひて
月草尓衣曽染流君之為綵色(イいろとる)衣将摺跡念而
つき草に衣そ染る 月草は露草也君かため色とり衣すらんとは上句を断たる詞也
1256 春霞ゐのうへにたゝに道はあれときみにあはんとたもとをりくも
春霞井(イゐ)上(かみ)徒直尓道者雖有君尓将相登他廻(イほりめくり)來毛
春霞井の上にたゝに 霞も雲もゐるといへは井上といはんとて春霞と云井の上ゐかみ皆所名也たゝにすぐに也たもとをりくもは見安云道をめくりくると也類聚にはほかめくりすると和ス井かみは大和也
1257 みちのへの草ふかゆりのはなえみにえみせしからにつまといふへしや
道邊之草深由利乃花咲尓咲(イえまひし)之柄二妻常可云也
みちのへの草ふかゆり 草ふかゆりは草深き中の百合也花のえむやうに我とあひえみせしからに心は已に通したりと見ゆれは妻といはんにやと也えまひ同義
1258 もたあらしと事のなくさにいふ事をきゝしるらくはすくなかりけり
黙然(イなを)不有跡事之名種尓云言乎聞知良久波少可者有來
もたあらしと事の 此哥源氏花宴卷にはなをあらしにとかけるに諸抄引歌にも此哥をなをあらしとゝかけり古点にやなをあらしはたゝにあらしといふにてもたあらしと同心也とふ事を有のまゝにはいひにくけれはたゝにはあらしと事のなくさみ口すさみなとにいふ事をよく我下心をきゝしる人はすくなしと也
1259 さへき山うの花もたし哀わか子をしとりては花ちりぬとも
佐伯山于花以之哀我子鴛取而者花散鞆
さへき山うの花もたし さへき山は八雲抄に津の国と云々卯花もたしとて卯花をもちてついさうしたる心也子をしとりてはとは子は女をいへり此山の卯花を持て思ふ人を取得たらは花は落共好と也
1260 ときならぬまたら衣のきほしきかころもはりはら時にあらねとも
不時斑衣服欲香衣針原時二不有鞆
ときならぬまたら衣 班《マタラ》衣とは班衾と同く彩《イロトリ》たる衣也こゝにては萩の花すり衣なとの心にやきほしきかは着まほしき哉也袖中抄云はり原は萩原也見安同又云榛原はりはらとあり愚案衣はりはらは衣はるにそへたり萩原の花の時ならねとも其時ならぬ班衣着まほしと也追考此卷の譬喩歌にも今造班衣服と書てあたらしくすれる衣と讀るにて此哥も花すり衣と知へし
1261 山もりのさとへにかよふ山みちそしけくなりける忘れけらしも
山守之里邊通(イさとへかよへる)山道曽茂成來忘來下
山もりのさとへにかよふ 類聚ニモ如此和すイ本にはさとへかよへると点ス草茂く成たれは山守も里に通ふ道忘けんと也
1262 あしひの山つはきさくやつをこえしかまつきみかいはひつまかも
足病之山海石榴開八峯越鹿待君之伊波比嬬可聞
あしひの山つはき咲 見安云椿の咲八峯越て也やつおの椿とよめり祝ひ妻とは狩人の照射するには深山入とて祝ひ事をするやうに君にあはんといはふ故に祝ひ妻と云也
1263 あかつきとよからすなけと此をかのこすゑのうへはいまたしつけし
暁跡夜烏雖鳴此山上(イみね)之木末之於者未静之
あかつきと夜烏 暁の山景のしつけきけしきなり
1264 にしの市にたゝひとり出てめならはすかへりしきぬのあきしこりかも
西市尓但獨出而眼不並(めす)買(イかひに)師絹之商自許里鴨
にしの市に只独出て めならばすは独見る心也あきしこりかもは商ひにこりたりと也見安云悪き絹をかひてこりたりと云心也愚案西京の市に独出て人にも見せ合せす独見てかひたりしきぬのよからねは商にこり有也し助字
1265 ことしゆくにゐしまもりのあさころもかたのまよひはたれかとりみん
今年去新嶋(イさき)守之麻衣肩乃間亂者許誰取見
ことしゆくにゐしま守 此哥類聚萬葉にもにゐしまもりと有童蒙抄云にゐしまもりとはあたらしき嶋守と云也かたのまよひ見安云衣のかたのやふれて也童蒙抄には肩のまよひは目ゆひと云なり云々見安可然にや或本にはにゐさきもりと有嶋守とさきもりは少差別有也防人《サキモリ》と書つくしの守護にゆく物也此集の末に委注
1266 おほふねをあるみにこき出やふねたきわか見しこらかめ見はしるしも
大舟乎荒海尓榜出八船多氣吾見之兒等之目見者知之母
おほふねをあるみにこきいて あるみは荒海と書見安云やふねたきはおほくの舟をひく也愚案目見は見目とおなし海上にあまたひく舟中にもわか見し女は見め掲焉《イチシル》哉と也
就《ツイテ》v所ニ發《ヲコス》v思ヲ歌三首 作者未v詳
就v所發v思 禁中名所等其所に讀し哥也或本には此下に旋頭歌とあり八雲抄云旋頭哥は三十一字に今一句をそへたる也普通の哥は五句是は六句也初五七五はなへての哥の様にて其後七字の句或五字の句を添たるも有又五七々上句五七々下句なるもありさて七々はなへてのうたにかはる事なし云々
1267 もゝしきの大宮人のふむ跡ところおきつ浪きよらさりせはうせさらましを
百師木乃大宮人之踏跡所奥浪來不依有勢婆不失有麻思乎
もゝしきの大宮人の 是せんとうか也宮人の蹈し跡ある所を波のよらさらはうせすいつまてもあらん物をと也人のなしをくわさ居宅堂社等も其事末までのこり留《トヽマ》る事稀なる心を云か
柿本朝臣人麻呂
1268 こらかてをまきもく山は常なれとすきゆく人にゆきまかめやも
兒等手乎卷向山者常在常過徃人尓徃卷目八方
こらか手をまきもく こらか手をとは卷向といはん諷詞也卷向山は常盤なるやうなれと是も時有て常なかるへし過行てむかしになる人に行負んやと也まかめやは負めや也
1269 まきもくの山へひゝきてゆく水のみなわのことしよのひとわれは
卷向之山邊響而徃水之三名沫如世人吾等者
まきもくの山へ響て 是も世人も我も如ク2泡沫1はかなき事をよめり
寄テv物ニ發《ヲコセル》v思ヲ歌一首 出ツ2古歌集ニ1
作者未v詳
1270 こもりくのはつせの山にてる月はみちかけしてそ人のつねなき
隠(イかくら)口乃泊瀬之山丹照月者盈※[日/八の逆/一/口]為(イする)焉を人之常無
こもりくのはつせの 月の盈虚《エイキ》せることく人も盛衰有生死有て常なきとの心也これ題の物に寄て感思をおこす也易ニ曰|日《ヒ》中ナル則|欠《カク》月|盈《ミツル》則食ス天地盈虚|與《ト》v時消息ス
行路《カウロ・ユクvミチヲ》歌一首
柿本朝臣人麻呂
1271 とをく有て雲ゐにみゆる妹か家にはやくいたらんあゆめくろこま
遠有而雲居尓所見妹家尓早将至歩(イあゆげ)黒駒
とをく有て雲ゐに 遠く隔たりての心也
旋頭歌 作者未v詳
1272 たちのしりさやにいる野に葛ひくわきもま袖もてきてんとてかも夏くずかるも
劔後鞘納野迩葛引吾妹真袖以著點等鴨夏葛苅母
たちのしりさやに入野 太刀のしりとは太刀のさき也はく時しりへになれは也入野をいはん諷詞也入野の葛引て布にして着んとてか真袖をもちて妹か葛かると也もは助字也入野国所未勘
1273 すみの江のはつまの君かまそころもさにつらふおとめをすへてぬへる衣そ
住吉波豆麻君之馬乗衣雜豆臈漢女乎座而縫衣叙
すみの江のはつまの 見安云はつまといふ所に住し人也愚案まそ衣は真苧衣也さにつらふ前に注すへてはすへ置也波豆麻君なみつま君と讀説不用
1274 住の江のいてみのはまの柴なかりそねおとめらかあかものすそのぬれゆかん見ん
住吉出見濱柴莫苅曽尼未通女等赤裳下潤将徃見
すみの江の出見 名所也乙女らか赤裳をぬらし刈に行んをみんと也
1275 すみの江のを田からする子いやしかもなしやつこあれと妹かみために忍ひ田そかる
住吉小田苅為子賎鴨無奴雖在妹御為私田苅
すみの江のを田からする 賤しかもなしはいやしくもなし也八雲抄云しのひ田忍ひてかる田也愚案忍ひ田私田とておほやけに隠て作る田を忍ひて刈にそへたり奴なきにもあらねと妹思ふ故と也
1276 池のへのをつきかしたのしのなかりそねそれをたに君かかたみに見つゝしのはん
池邊小槻下細竹苅嫌其谷君形見尓監乍将偲
池の邊の小槻か下の 小槻は木の名也しのは竹の細き也苅そねのねは助字也
1277 あめにあるひめ菅原の草なかりそねみなのわたかくろき髪にあくたしつくな
天在日賣菅原草莫苅嫌弥那綿香烏髪飽田志付勿
あめにある 日といはん諷詞也姫菅原菅のうつくしきを云姫つゝし姫ゆりの類也見安には名所といへり如何みなのわたは黒きの枕詞前ニ注あくたし付は芥の付と也しは助字也
1278 夏かけのねやのしたにて衣たつわきもうらまけてわかためたゝはやゝおほきにたて 夏影房之下庭衣裁吾妹裏儲吾為裁者差大裁
夏影のねやの下にて 夏影は夏の日当らぬ陰にやうらまけては裏をまうけて也又心まうけして也|差《ヤヽ》大《ヲホキ》にたてはたけはゝ廣くと也
1279 あつさ弓引津のへなるなのりその花つむまてはあはさらめやもなのりその花
梓弓引津邊(イひきつへにある)在莫謂花及採不相有目八方勿謂花
あつさ弓引津のへ 引津筑前也あはさらめやもは君にあはすやあらんと也
1280 うちひさす宮路をゆくに我裳破れぬ玉のをのおもひ捨ても家にあらましを
撃日刺宮路行丹吾裳破玉緒念委家在矣
うちひさす宮ちを うち日さすは宮の枕詞前注玉のをのとはおといはん諷詞也思ひ捨て家にあるへかりしを忍ひかねて宮路行に裳も破たりと也宮路は宮にゆくみち也
1281 きみかため手つからをれる衣きなゝめ春さらはいかにやいかにすりてはよけん
君為手力勞織在衣服斜春去何何揩者吉
きみかため手つから 衣きなゝめとは衣を着よと也春さらはとは春の來ては何に摺りてよからんと也
1282 橋立のくらはし山にたてるしら雲見まくほりわかするなへにたてる白雲
橋立倉椅山立白雲見欲我為苗立白雲
橋立のくらはし山に 八雲抄云大和云々橋立はくらのの枕詞也高きには橋立て上る心也日本紀十一|隼別《ハヤフサワクノ》皇子も橋立のさかしき山と讀り
1283 はしたてのくらはし川の石のはしはもみさかりにわか渡したるいしのはしはも
橋立倉椅川石走者裳壯子時我度為(イたり)石走者裳
はしたてのくらはし河 みさかりに壮士時と書若盛の比也史記に方の字をみさかりと讀まさにと云心也橋はものもは助字也
1284 はしたてのくら橋川のかはのしづすけわれかりて笠にもあまず川のしつ菅
橋立倉椅川河静菅余苅笠裳不編川静菅
はしたてのくら橋川の 河のしつ菅は見安云水に沈む菅也
1285 春日すら田に立つかるきみはあはれわか草のつまなき君か田に立つかる
春日尚田立羸公哀若草※[女+麗]無公田立羸
春日すら田に立つかる 春の長日に田に耕《タカヘ》しつかるゝ也若草の妻は枕詞也妻あらは田に立つかるましきをと憐む也
1286 やましろのくせのもりなる草な手折そをのか時たちさかゆとも草なたおりそ
開木代來背社(イやしろの)草勿手折己時立雖榮草勿手折
やましろのくせの をのか時とは草の栄ふへき時とて栄ふともと也イ久背のやしろは綾戸明神といふ神社にや
1287 あをみつらよさみの原の人にあへるかも石走るあふみのあかた物かたりせん
青角髪依細(イ網)原人相鴨石走淡海縣(イかたの)物語為
あをみつらよさみ 青角髪は緑髪なとのたくひうつくしきひんつら也よきといひかけてよさみの枕詞也依網は近江の名所也石はしるは淡とうけて淡海の枕詞也縣物語は田舎の物かたり也青き葛の網《アミ》をあむやうなると云儀非也
1288 みなとなる芦の末葉を誰かたおりしわかせこかふるてを見んと我そ手折し
水門葦末葉誰手折吾背子振手見我手折
みなとなる芦の末葉 自問自答の哥也湊の芦の末葉を誰か折しと問て也わかせこか手振る姿を見るにさはらぬためと我そ折しと答る也
1289 かきこしに犬よひこしてとかりするきみあを山の葉しけき山へに馬やすめよ君
垣越犬召越鳥猟為公青山葉茂山邊馬安君
かきこしに犬よひこして とかりは鳥を狩也鷹狩する君馬を休めよといひて留んとする心なるへし
1290 わたつみのおきつ玉ものなのりその花いもとあれとこゝに有となのりその花
海底奥玉藻之名乗曽花妹與吾此荷有跡莫語之花
わたつみのおきつ玉も なのりそ神馬草也沖津玉もの類なれは也
1291 此をかに草かるわらはしかなかりそありつゝも君かきまさんみま草にせん
此(イかの)岡草苅小子(イおのこ)然苅有乍君來座御馬草為
此をかに草かるわらは 基俊の点はかのをかに草かるおのこと和ス拾遺集にも如此入しかなかりそとはさは残りなくかりそと也
1292 江はやしにやとるしゝやも求めよきしろたへの袖まきあけてしゝまつ我せ
江林次完也物求吉白栲袖纒上完待我背
江はやしにやとるしゝ 江邊の林に宿る鹿や求めよきと也鹿を狩は尋求る心なれは也
1293 あられふるとをつあふみのあとかは柳かりつともまたも生てふあと川柳
丸雪降遠江(イとをつえにある)吾跡川楊雖苅亦生云吾跡川楊
あられふるとをつあふみの 霰降はとゝいはん諷詞也とは音也波とゝは波音を云也名寄ニ「春雨は降にけらしなとをつあふみあと河柳深緑也【遠州名所】
1294 朝つくひむかひの山に月たちてみゆとをつまをもたらん人や見つゝ忍はん
朝月日向(イむかつの)山月所見遠妻持在人看乍偲
朝つくひむかひの 朝月日はむかひの山の枕詞也朝に月は西日は東に向ヘは也月立ては月の立出たる心也向の山に月出てみゆれは遠所に妻もちたる人うち詠めて戀忍ふらんとの心なるへし一説向ノ山名所也と云々
作者未v詳
1295 かすかなる三笠の山に月の舟いつたはれおののむ盃にかけに見えつゝ
春日在三笠乃山二月船出遊士之飲酒盃尓陰尓所見管
かすかなる三笠の 祇曰月の出て盃にうつる也月を望て遊士の酒をのむ歓なるにや
譬喩《タトヘ・ヒユノ》歌
譬喩歌 八雲抄云たとへうたといへり但たとへともなきもある歟寄テv衣ニ喩フv思寄テv弓ニ喩v思ヲなといへり唯奇物哥也
1296 いまつくるまたらころもはめにつくと(イめにそつく)われにおもほゆいまたきねとも
今造(古あたらしくすれる)斑衣面就(祇本つきて)吾尓(古しか)所念(イにそ思ふ)末服友(イきせねと)
いまつくるまたら衣は 古あたらしくすれる衣は兩点仙抄ニ在義は同歟仙曰今縫る班衣とは初て逢初るにたとふいまたきねともとは未夫婦に定らぬに喩る也祇曰始たる人をみて我妻とはせねとも哀と思ひかくる心也此義可用
1297 くれなゐに衣をそめてほしけれときてにほはゝや人のしるへき
紅衣染雖欲著丹穗哉人可知
くれなゐに衣を染て 班衣きて遊ひあるかは人は知へきと也色ふかき人にそはまほしけれとひとにしられけんか侘しきとなり
1298 ちなにはも人はいふともをりつがんわかはたものゝしろきあさきぬ
千名(イとにかくに)人雖云織次我二十物白麻衣(仙しろあさころも)
ちなにはも人はいふとも にはものもは助字也さま/\の名にたてゝ人はいひなすともと也をりつがんとは織かゝりし麻衣なれはなかはにてはやましと也さま/\名にはたてらるゝとも猶つぎてあひみんとの心を白麻衣にたとへてよめり深切に思ふ人をよせいはんとてわか機物なとよめり仙覺たとへはあまりにや又此とまり八雲抄にも白きあさきぬと有仙点はしろきあさころも也
作者未v詳
1311 つるはみのきぬきし人はことなしといひしときよりきまほしくおほゆ
橡衣人者事無跡曰師時從欲服所念
つるはみのきぬきし 和名染色ノ具ニ云ク橡《ツルハミ》は櫟ノ実《ミ》也童蒙抄云つるはみとは四位の袍《ウヘノキヌ》を云也昔は四位したる人はとがあれとおほろけにては行《ヲコナ》はれさりけれはかくよめるとそ祇曰昔は四位して橡《ツルハミ》の衣きし人にはとかを行はさる也我戀の事しけくなき名なとをもたてとかを人のいふによりて此衣を願ふ也
1312 おほよそにわれしおもははしたにきてなれにしきぬをとりてきめやも
凡尓吾之念者下服而穢尓師衣乎取而将著八方
おほよそにわれし しは助字也おほよそならす思へは人のはだなれし人をわかとりもてはやすなれといふ心を衣にたとへてよめる也
1313 くれなゐのこそめのころもしたにきてうへにとりきはことならんかも
紅之深染之衣下著而上取著者事将成(イなさん)鴨
くれなゐのこそめの 仙曰紅のこそめの衣を下にきてとは心さし深けれともいまた忍ふほとを下にきるにたとふ妻と定て顕しを上に取きたるにたとふる也愚案事ならんとは成就する心也
1314 つるはみのときあらひきぬのあやしくもことにきほしきこのゆふへかも
橡解濯衣之恠殊欲服此暮可聞
つるはみのときあらひ 仙曰つるはみを古《フリ》すさひぬ色にいひ習はせりとき洗ひきぬとは一入めつらしく覺るにたとへてあやしくも殊にきまほしきと云也愚案こと出來なとしてとき洗ひし橡の衣をも殊に着まほしきとにや
1315 たちはなのしまにしをれはかはとをみさらさてぬひしわかしたころも
橘之嶋尓之居者河遠不曝縫之吾下衣
橘の嶋にしをれは 仙曰橘の嶋は伊与国宇摩郡此哥伊与国の風土記のことくならは息長足日女《ヲキナカタラシヒメノ》命の御製也愚案仙抄此哥のたとへさま/\書り然とも哥のおもてに聞えさる譬喩を今をしはかりさま/\いはん事作者の本意にも違ひ哥の大意をもそこなふへし只八雲御抄にたとへなきも有歟との御説深切に侍にや此哥も橘の嶋は河に遠き故さらさんやうなさにさらさてぬひ着たりしと計聞え侍り尤たとふる下心あるへけれと詞書もなく哥詞にもなきを鑿せんやうなかるへしたとへは古今集のそへ哥も只梅の哥也然とも王仁かおほさゝきの帝そへ奉ると書そへられたれはこそ其心聞え侍るかことし
寄ルv絲《イトニ》歌一首 作者未v詳
1316 かはちめのてそめのいとをくりかへしかたいとにあれとたえんとおもへや
河内(イかうち)女之手染之絲乎絡反片絲尓雖有(イありと)将絶跡念也(おもふな)
かはちめの手染の糸を たへんとおもへや絶の字書たれと堪の字なるへし萬葉の文字つかひ其例あまたあるにや片糸にはあれとかやすく絶はせし堪んと思へと也但此哥類聚萬葉にはかたいとにありと絶んと思ふなとあり尤可然歟念也と書を思ふなと和スル例此卷に目間心間哉と書をめはへたつとも心へたつなと和せり也と哉と文字かはれともなとよむ心はひとしかるへし又見安に河内女は神也云々非也只河内の女也難波めの類也仙抄曰かた糸にあれとたへんと思へやとは逢事なけれと絶んと思はぬにたとふる也といへり此譬はさも可有にや
寄スル2和琴《ヤマトコトニ》1歌一首 作者未v詳
1328 ひさにふす玉のを琴の事なくはいとかくはかりわかこひめやも
伏膝玉之小琴之事無者甚幾許吾将戀也毛
ひさにふす玉のを琴の 事なくはといはんとて玉のを琴のとまてはよめり仙曰かりにも近付よりてわりなき事なかりせはと也云々此哥或本寄v玉の前にあり
寄ルv弓ニ歌二首 作者未v詳
1329 みちのくのあたたらまゆみつるつけてひかはか人のわれをことなさん
陸奥之吾田多良真弓著絃而引(袖ひか)者香人之吾乎事将成
みちのくのあたたら 袖中抄云吾田多良陸奥にある所也能因哥枕にはあたゝらね有2神峯1也云々此哥下句袖中抄にはひかはか人のとあり尤可然歟哥心は序哥也人をも引見はこそ本意とけさせ事なすへけれ先ひき心見んと也童蒙抄にはあたしらま弓と書てあたちの白真弓といへり然とも八雲抄ニモあたゝらま弓と有可用之あたゝらにて作りし弓也
1330 みなふちのほそかは山にたつまゆみつかまくまてに人にしらるな
南淵之細川山立檀弓束級人二不所知
みなふちのほそ川山に 立檀弓束級
類聚萬葉には立檀句|弓束《ユツカ》まくまてと有義は何も同歟弓の握革《ニキリカハ》まくをゆつかまくともつかまくとも云也八雲抄云みなふちなんふちとも云大和ほそ川山同と云々哥の心は我かくいひよる事を我手にいるまて人にしらるなとなり此弓の哥二首もイ本和琴の哥の下寄山哥の上に有
寄ルv玉ニ歌十六首
柿本朝臣人麻呂
1299 あちむらのとをよる海にふねうけてしらたまとらん人にしらすな
安治村十依海船浮白玉採人所知勿
あちむらのとをよる 安知村は鳥也前注とをよるは遠くより來る也白玉を思ふ人に喩《タトヘ》て忍ひて逢かよはんを人にしらすなといへるにや
1300 をちこちのいそのなかなるしら玉をひとにしらせて見るよしもかも
遠近礒中在白玉人不知見依鴨
をちこちのいそのなか 是も思ふ人を玉にたとへて人しれす逢見まほしき心を讀るにや
1301 わたつみのてにまきもたる玉ゆへにいそのうらわにかつきするかも
海神手纒持在玉故石浦廻潜(イあさり)為鴨
わたつみの手にまき 礒浦八雲抄紀伊云々勅撰名所集越中云々わたつみの手にまき持玉とは海竜王は珠を持事内外の書にも有得かたき人を恋るたとへなるへし仙抄の譬に云わたつみとは母を云海の心也母の手をはなたす深窓にかしつきて玉の如する女也礒の浦わにかつきするとは乙女をおもふとて泪の海に沈に喩云々餘歟
1302 わたつみのもたる白玉見まくほりちかへりつげつかつきするあま
海神持在白玉見欲千遍告潜為海子
わたつみのもたる 蜑に千度も告て海神の寶珠を見まほしと其しるへを頼むと也得かたき人を恋て媒を度々わりなく頼む喩哥か
1303 かつきするあまはつぐともわたつみのこゝろをえすて見るといはなくに
潜為海子雖告海神心不得(イえねは)所見不云
かつきするあまは告 心を得すてはとはの字を添て心得へしたとひ媒は其玉の有かを告るとも守人の心を得すしては見かたしといふを如何せんと歎く心にや此哥前のわたつみのもたる白玉の哥の餘意をよめるやう也又玉といふ詞なし然共前の哥の餘意にて心玉の哥なれは書双へしなるへし此寄玉哥五首イ本ニ千名にはも人はいふともの下寄木哥の上にあり
作者未v詳
1317 わたのそこしつくしら玉かせふきてうみはあるともとらすはやまし
海底沈白玉風吹而海者雖荒不取者不止
わたのそこしつく白玉 催馬楽ニえのはゐに白玉しつくやとあるにしつくはひたりたる心也と後成忍寺殿の注也仙曰白玉をたとへにとる事は如前風吹て海は荒ともとは妨さへらるゝ共猶逢んと思ふに喩《タトフ》る也
1318 そこきよみしつめる玉を見まくほりちたひそつけしかつきするあま
底清(イきよき)沈有玉乎欲見千遍曽告之潜為白水郎
そこ清みしつめる玉を 義は千かへり告つに同
1319 おほうみのみなそこてらすあはひ玉いはひてとらん風なふきこそ
大海之水底照之石著(イあくや)玉齊而将採風莫吹行年
おほうみのみなそこ あはひ玉は蚫の含る真珠也いはひてとらんとは玉をかつきて取んと也イあくや玉は阿古屋の玉也さはりなく其人をえまほしくおもふにたとへて讀る歟
1320 みなそこにしつく白玉たかゆへにこゝろつくしてわかおもはなくに
水底尓沈白玉誰故心盡而吾不念尓
みなそこにしつく白玉 底の玉を君にたとへて誰ゆへに心つくして我か思ふにあらす君ゆへにこそと也河原左大臣の忍ふもちすりの哥此躰に習ひ給へりと見え侍り仙曰此哥にはしつむ白玉と点せり然を参議|濱成《ハマナリ》卿歌|経標式《キヤウヒヨウシキ》に此句を美奈曽巳幣《ミナソコヘ》一句|旨都倶旨羅他麻《シツクシラタマ》二句|他我由恵尓《タカユヱニ》三句|巳巳侶都倶旨弖《ココロツクシテ》四句|和我母波那倶尓《ワカモハナクニ》といへりしつく白玉といへるは古語と見えたりしつむをしつくといへり同音相通の義なるへし此哥第二句以下の詞歌式によるへし下略
1321 よのなかはつねかくのみかむすふきみしら玉のをのたゆらくおもへは
世間常如是耳加結大王白玉之緒絶樂思者
よのなかはつねかくのみか 我玉の緒の絶へくおもふをも君にかけとめらるゝと思へは結ふ君といへるにや哥の心は世中は常にかくのみある事か絶へく思ふ命も君にかけとめらるゝと也
1322 いせのうみのあまのしまつかあはひたまとりてのちもか恋のしけけん
伊勢海之白水郎之嶋津我鰒玉取而後毛可戀之将繁
嶋津は嶋人也
伊勢の海のあまの 仙曰嶋津とは嶋人也東人をあつまつと云かことし音に聞て心を懸し人の逢みて後弥思ひ増るに喩る也
1323 わたのそこおきつ白玉よしをなみつねかくのみやこひわたりなん
海之底奥津白玉縁乎無三常如此耳也戀度味試(イみし)
わたのそこおきつ白玉 海底の玉とるによしなきを君を得へき便りなきにたとへて讀也
1324 あしのねのねもころ思ひて結ひてしたまのをといはゝ人とかめやも
葦根之懃念(イもひ)而結義之玉緒云者人将解(イむ)八方
あしのねのねもころ 芦の根はねといはん諷詞也懇に思ひて結ひし中を若とき妨る人やあらんと危き故玉ノ緒といはゝ人ときやせんとよめるなるへし
1325 しら玉を手にはまかすにはこにのみをけりし人そ玉おほれする
白玉乎手者不纒尓匣耳置有之人曽玉令泳流
しら玉を手には 見安云玉おほれは空おほれ也愚案玉おほれは玉持なから持さるさまにおほめく也君を得なから隠して空おほれするをよめるなるへし
1326 てるさつか手にまきふるす玉もかなその緒はかへてわかたまにせん
照左豆我手尓纒古須玉毛欲得其緒者替而吾玉尓将為
てるさつか手にまき 袖中抄云照左豆は人の名歟|環《タマキ》とて麗《ウルハ》しくは玉を手にまく也仙曰てるさつはよきますらお也手に卷古《マキフル》すとは思ひすさみたるなり其緒はかへてとはてるさつか捨たらは我妻にせんと讀る也(照はよき心さつはさつをますらお也)
1327 あきかせはつきてな吹そわたのそこおきなるたまを手にまくまてに
秋風者繼而莫吹海底奥在玉乎手纒左右二
秋風はつきてな吹そ 仙曰秋風はつゝきてな吹そとは悲きさはり常にありと云也沖なる玉を手にまくまてにとは深く思ふ人にあはむまてにといふ也イ本には作者未詳のわたのそこしつくといふより是迄十一首寄ルv絲ニの下寄ル2和琴1の上にあり
寄スルv山ニ歌五首 作者未v詳
1331 いはたゝみかしこき山としりつゝもわれはこふるかともならなくに
磐疊恐山常知管毛吾者戀香同等不有尓
いはたゝみかしこき山 童蒙抄云いはほ重りてけはしき山を云也祇曰岩畳はかよひかたきにたとふかしこき山とは高き人にたとふ友ならなくにとは我身いやしきといふ心也仙同義
1332 いはかねのこきしく山にいりそめてやまなつかしみいてかてぬかも
石金之凝木(イこり・こゝしきイ)敷山尓入始而山名付染出不勝鴨
いはかねのこきしく山 此哥類聚萬葉にはいはかねのこきしく山と有童蒙抄袖中抄等にはこりしく山と有此集十三にもいはかねのこりしく山をこえかねてとあり凝敷とかけり袖中抄云いはかねとは岩の根と云也かひかねなといふかことし磐金ともかけりいはねこきしみとも讀めりこりしくとは凝敷とかけり岩根のたゝみしける也こきしくも同心也きとりと同しひゝき也下略仙点はいはかねのこゝしきとつけたり是も同義なるへし哥の心は岩根たゝみしきてけはしきと見し山なから一たひ入りそめてはをのつからなつかしき心も出來て出あへすすむと也うち見はそひよりかたくある人もなるれはしたしくなる事の喩にや
1333 さほ山をおほに見しかと今見れはやまなつかしも風ふくなゆめ
佐保山乎於凡尓見之鹿跡今見者山夏香思母風吹莫勤
さほ山をおほにみしかと 仙曰おほに見しかととは大形に見しかとゝ云也風吹なゆめとは此山を愛《メテ》て静に詠んためにと也心はよそにては只大方に思ひしかと近まさりてなつかしきにたとふる也
1334 おくやまのいはにこけむしかしこみとおもふこゝろをいかにかもせん
奥山之於石蘿生恐(イおそろし)常思情乎何如裳勢武
おくやまのいはにこけ 類聚にはおそろしとゝ有かしこみ同心也第一第二句はかしこみといはん諷詞也さて人もゆるさぬ中をあやまちておそるゝ心をいへり山によせたとへて恐る心をいへる是も喩哥也
1335 思ひあまりいともすへなみたまたすきうねひのやまにわれそしめゆふ
思勝痛文為便無玉手次雲飛山仁吾印結(イしめむすふ)
思ひあまりいともすへなみ 仙曰此哥第一卷|三《ミツ》山の哥の心をとりてよめるにやおゝしくよきにめてゝ思ひあまりて心にしめゆふを畝火《ウネヒ》山にたとふ也愚案かく山はうねひおゝしとみゝなしとゝいふ哥のこと也此哥類聚にもしめゆふと有イしめ結ふも同心也或本ニ此寄v山五首寄ルv弓ニ歌の下寄ルv草歌の上にあり
寄スルv木ニ歌八首 柿本朝臣人麻呂
1304 あま雲のたなひく山にかくれたるわれわすれめやこのはしるらん
天雲棚引山隠在吾忘木葉知
あま雲のたなひく山に 高山に隠れ入たる我も君を忘めやかく忘ぬほとは木の葉知んと也此哥山に隠といふ縁に木葉知らんと讀り木葉は知へきやうなし是喩る事あるなるへし
1305 見れとあかぬ人国やまのこのはをそをのかこゝろになつかしくおもふ
雖見不飽人國山木葉己心名著念
見れとあかぬ人くにやまの 人国山八雲抄紀伊云々祇曰見れとあかぬ人とつゝくる也木葉の色をうつくしき人によそへてなつかしく思ふと云也此二首一本ニは寄v玉歌かつきするあまの下寄v花の上に在
作者未v詳
1354 しらすけのまのゝはきはら心にもおもはぬきみかころもにそする
白菅之真野乃榛原心從(イゆ)毛不思君之衣尓揩
しらすけのまのゝ 大和名所也萩原は草也寄木哥には不審にゝたり但袖中抄に榛原萩原同き事をいふに榛の木といふ儀有此哥榛原と書たれははりはらとよむへきか
1355 まきはしらつくるそま人いさゝめにかりほのためとつくりけめやも
真木柱作蘇麻人伊佐佐目丹借廬之為跡造計米八方
まきはしら 八雲抄云いさゝめはかりそめ也愚案真木柱は良材なれはかりの庵の料には不作と也懇に思懸し人をかりそめ事にはあらす末々まてもといふ心なるへし
1356 むかつおにたてるもゝの木なりぬやとひとそさゝめきしなかこころゆめ
向峯(イかのをか)尓立有桃樹成哉等人曽耳言為汝情勤
むかつおにたてるもゝ 此哥類聚にはかのをかにと和ス但日本紀廿四ニ曰|武舸都烏爾陀底婁《ムカツヲニタテル》釈ニ曰ク向峯《ムカヘルミネ》也むかつお可然一二ノ句は諷詞也心は汝になるやとさゝめきし人有汝か心努々傾なと也
1357 たらちねのはゝのそのなるくはもなをねかへはきぬにきるといふものを
足乳根乃母之其業桑尚願者衣尓著常云物乎
たらちねの母の園なる ねかへはきぬにとは願求れは子飼《コカ》ひし糸とりて絹に織て着るといふ物をと也母の本なる人を思ふ喩也
1358 はしきやしわきへのけもゝもとしけく花のみさきてならさらめやも
波之吉也思吾(イわい)家乃毛桃本繁(しけみ)花耳開而不成在目八方
はしきやしわきへの はしきやしはよしといふ詞也わきへはわか家也思ひかけし人の気色はにくけならてさすかになひきはてぬをよし/\終にはと頼む心也
1359 むかつおのわかかつらきのしたえとりはなまついまになけきつるかも
向岳之若楓木(イわかみかへての)下枝取花待伊間尓嘆鶴鴨
むかつおのわかかつらのき 桂花は秋咲といへり伊間は伊は助字也花まつまにと也またかたなりなる成長を待侘るたとへにやイわかみかへて楓は夏花咲也下枝取は枝なとに取つきて此花いつかとおもふ風情なるへし此作者未詳の六首一本寄v稲の下寄v花の上にあり此哥向岳もむかへる岑と同
寄v草歌十七首 作者未v詳
1336 ふゆこもりはるのおほのをやく人はやきたらぬかもわかこゝろやく
冬隠春乃大野乎焼人者焼不足香文吾情熾
ふゆこもりはるの 大野筑前国此集に大野なる三笠の森とよみし所か冬籠春の大野を焼とは年内より春草のために焼心なるへし野火にたとへおこして我恋を催す尤|喩《タトヘ》哥也野火も春草のためなれは此哥寄草哥に入にや
1337 かつらきのたかまの草野はや知てしめさゝましをいまそくやしき
葛城乃高間草野早知而標指益乎今悔拭
かつらきのたかまの 八雲抄云かつらきの高ま大和又云草野といへる野有とも心得つへし只野とよみたるか可尋云々心は明也君を人に先《セン》せられてくやめるたとへにや
1338 わかやとにおふるつちはりこゝろにもおもはぬ人のきぬにすらゆな
吾屋前尓生土針從心毛不想人之衣尓須良由奈
わかやとに生る土針 土針和名云王孫一名黄孫はりくさ此間《コヽニハ》云つちはり云々すらゆなはすらるな也思はぬ人にしたかふなと自いへる心か見安云土針土萩也
1339 つきくさにころも色とりすらめともうつろふいろといふかくるしさ
鴨頭草丹服色取揩目伴移變色登稱之苦沙
つきくさに衣色取 うつろひやすき人には心ゆるしかたき心にや
1340 むらさきのいとをそわれよる足引のやまたちはなをぬかんとおもひて
紫絲乎曽吾搓足檜之山橘乎将貫跡念而
むらさきの糸をそ 山橘赤き実のりてうつくしけれは也美色を思ゆへ我身もつくろふ心にや其人にあはまほしさにさま/\すると也
1341 またまつくこしの菅原われからてひとのからまくおしきすかはら
真珠付越(イをち)能菅原吾不苅人之苅卷惜菅原
またまつくこしの 玉をかされるやうなる心とそ或説をちの菅原と讀て玉付る緒とそへしといへり非也家隆卿も「知さりきこしの菅原枯果て仮《カリ》にも逢ぬ契也とはと讀リ或哥枕に佐渡の名所云々たとへは佳人をよそなから見ておしむ心なるへし
1342 山たかみゆふ日かくれのあさちはらのちみんためにしめゆはましを
山高夕日隠奴(一本ぬ)淺茅原後見多米尓標結申尾
山たかみ夕日かくれ 高山に夕日かけろひたる所の淺茅原のほの暮て面白きにけふは暮ぬとも後みんためにと也けふ逢すとも後に逢見んためによく契りをくへき物をと悔る心のたとへなるへし祇曰馴れつる人を後もとちきるへき物をといふ心歟かくれぬのと同
1343 ことたくはとにかくせんをいはしろののへのした草われしかりては 一云くれなゐのうつし心や妹に逢さらん
事(イこち)痛者左(イかに)右将為乎石代之野邊之下草吾之苅而者 紅之寫心哉於妹不相将有
ことたくはとにかくせんを イこちたくはとあり岩代の野紀伊也われしのしかりてはのはゝ助字也我かりてんといふ心なるへし此野の草を我かりてんこちたく事/\しく切らはとにかくさはりとも成やせんをと也おもふ人にあひみん時さはりなきやうにとかまふる心のたとへなるへし一云紅のうつし心や妹にあはさらんとはかくこちたくおもふとならはとにもかくにもあはん方便もせんをそのかみ我現心や妹にかなはさりけんいまはくやしきとの心なるへし紅は紅花也うつしといはん枕詞也
1344 まとりすむうなての森のすかのねをきぬにかきつけきせんこもかな
真鳥住卯名手之神社之菅根乎衣尓書付令服兒欲得
まとりすむうなてのもり まとりすむはうなての森の枕詞にて此集に猶もよめり八雲抄袖中抄にはまとりは鵜也とあり類聚萬葉には鵜と真鳥別に有仙覺は真鳥は鷲といへり見安同只八雲抄御説に可随うなての森同抄ニ美作云々祇曰此哥の心菅のねのやうに心をなかく我にうつして妻となる子もかなとよそへたる也或説鵜の住|海《ウナ》と添たり云々
1345 つねならぬひとくに山の秋津のゝかきつはたをしゆめにみるかも
常不人國山乃秋津野乃垣津幡鴛夢見鴨
つねならぬひとくに山 つねならぬは人といはん諷詞也人は無常の物なれは也人国山は八雲抄紀伊云々杜若を君にたとへたる也
1346 をみなへしおふるさはへのまくすはらいつかもくりてわかきぬにきん
姫押生澤邊之真田葛原何時鴨絡而我衣将服
をみなへし生る沢への 葛布に織んの心にやいつか糸にくりきぬにしての心也祇曰いつか我手にひかれて身にしたかふ妻ならんといふ心也
1347 きみににる草と見るよりわかしめし野やまのあさち人なかりそね
於君似草登見(イみし)從我標之野山之淺茅人莫苅根
きみににる草とみる 茅は詩に女の手に喩《タトヘ》し也詩|碩《セキ》人ノ扁ニ云手は如2柔※[くさがんむり+夷]《ジウイノ》1註|茅《チノ》之始テ生ヲ曰v※[くさがんむり+夷]《イト》1言ロは柔《ヤハラカニシテ》而白キ也かやうのよせにてやはらかに白きを君ににるといふにや
1348 みしま江のたま江のこもをしめしよりをのかとそおもふいまたからねと
三嶋江之玉江之薦乎從標之己我跡曽念雖未苅
みしま江の玉江の 八雲抄に皆津国の名所也思ひかけしより我妻と思と也
1349 かくしてや猶や老なんみ雪ふるおほあらきのゝさゝにあらなくに
如是為而也尚哉将老三雪零大荒木野之小竹(イしの)尓不有九二
かくしてや猶や 大荒木野八雲抄山城云々賀茂の西に有なをや老なんとは只にや老なん也此森のさゝはかる人なしに老果るを思ひよせていつたれをよるへとうらむる事もなく只に老やせんとなけく女のうたにや
1350 あふみのややはせのしのをやにはかてまことありえんやこひしき物を
淡海之哉八橋乃小竹乎不造矢而信有得(イとや)哉戀敷鬼乎
あふみのややはせの 矢橋と矢を名におふ所の笹竹を矢にはかぬを我に逢へき故|有《アル》人に逢ぬに喩《タトフ》扨誠有えかたしと身を恨ム也イまこと有とや不用
1351 つき草にころもはすらんあさ露にぬれてのゝちはうつろひぬとも
月草尓衣者将揩朝露尓所沾而後者徙去友
つき草に衣はすらん 童蒙抄云月草とは移花也されはうつろふといふ愚案たとひ一花心なりともあひ見まほしき人をよそへよめるなるへし
1352 わかこゝろゆたにたゆたふうきぬなはへにもおきにもよりやかねまし
吾情湯谷絶谷浮蓴邊毛奥毛依勝益士(仙よりかたましを)
わか心ゆたにたゆたふ 此哥の終の句|依勝益士《ヨリヤカネマシ》ヲ八雲抄袖中抄童蒙抄哥林良材等によりやかねましと和せり仙点はよりかたましをと和ス難用か童蒙抄云ゆたにたゆたはうこきたゆたふ心也哥林良材云波にゆられたゆたふ也袖中抄同之古今集にはゆたのたゆたにと有同事也奥儀抄云波に浮てとかくゆるゝ也うきてとかく物をおもふ也浮ぬなはゝ蓴菜なり池に浮たる草なれは波にたゆたふをいひかけていつかたにも身の寄かたなきをたとへ讀り右寄草十七首一本におもひあまりいともすへなみの下寄v稲の上に在
寄スルv花ニ歌七首 柿本朝臣人麻呂
1306 この山のもみちのしたの花をわかはつ/\に見てかへる恋しも
是山黄葉下花矣我小端見反戀
この山のもみちの下の 草花なるへし紅葉隠れにわつかに見て歸るか恋しく忘れかたきよし也花を君にたとへし哥成へし此哥一本ニ見れとあかぬ人国山の哥の下寄v川の上にあり
作者未v詳
1360 いきのをにおもへるわれを山ちさのはなにかきみかうつろひぬらん
氣緒尓念有吾乎山治左能花尓香君之移奴良武
いきのをに思へる我 山治左はちさの木也白キ花移ひ安キ物なるを君か心にたとふる也こころは命に懸て思ふ我をうつろひかはる事よと也
1361 すみの江のあさゝはをのゝかきつはたきぬにすりつけきん日しらすも
墨(イすみ)吉(イよし)之淺澤小野之垣津幡衣尓揩著将衣日不知毛
すみの江のあさゝは 淺沢小野摂津此集十七に「かきつはたきぬにすりつけますらおのきそひかりする月はきにけり此うたも杜若をきぬにすり付る事をよめり此淺沢をのゝうたもきそひかりにても何にても此すり衣來て風流をなすへき日をいつかなといふ心をよみて思ひかけし人をいつかはだふれんといへる心なるへし
1362 あきさらはかけにもせんとわかまきしからあゐの花をたれかつみけん
秋去(イされ)者影毛将為跡吾蒔之韓藍之花乎誰採家牟
あきさらはかにも 秋來たらは詠る景にもせんとまきし心にや我物にと思ひし本意のむなしきを歎くたとへにや
1363 かすか野にさきたる萩はかたえたはいまたふゝめりことなたえこそ
春日野尓咲有芽子者片枝者未含有言勿絶行年
かすかのにさきたる ふゝめりはつほめる也ことなたえこそとはいひかよふ事の消息なとたえ來りそと也萩の盛も過たらはこそあれ猶かた枝は含《ツホ》むもあるをこと絶そと也なるましきと思ふ中も猶頼む所有消息絶そとの心か
1364 見まくほりこひつゝまちし秋はきははなのみさきてならすかもあらん
欲見戀管待之秋芽子者花耳開而不成可毛将有
見まくほり恋つゝ ならすとは実ならぬ事也思懸し人の難《カタキ》v成《ナリ》を歎心か
1365 わきもこかやとの秋はき花よりはみになりてこそこひまさりけれ
吾妹子之屋前之秋芽子自花者實成而許曽戀益家礼
わきもこかやとの 見安云みのなるは木萩也仙曰始め色めきかたらひし時より夫婦となりて志《コヽロサシ》まさるをよめる也右作者未詳六首一本ニはむかつおの若かつら木の下寄鳥のあすか川七瀬のよとのうたの上にあり
寄スルv稲ニ歌一首 作者未v詳
1353 いそのかみふるのわさ田をひでずともしめたにはへよもりつゝをらん
石上振之早田乎雖不秀繩(古來風つな)谷延與守乍将居
いそのかみふるのわさ田 石上布留大和也童蒙抄云|不秀《ヒテズ》とはよからすともといふへきにや愚案論語ニ苗ヲ而不v秀者ノ有註穀之始生スルヲ曰v苗吐クヲv華《ハナヲ》曰v秀トしめはゆるとは領する心也祇曰ひてすともとは悪き契なりともしめたにはへたらは我物ともたらんといへり此哥一本我心ゆたにたゆたにの下寄木の上に有
寄v鳥歌一首 作者未v詳
1366 あすか川なゝせのよとにすむとりもこゝろあれこそなみたゝさらめ
明日香川七瀬之不行尓住鳥毛意有社波不立目
あすか川なゝせの 七瀬ノ淀はおほくの瀬々のよとみ也祇曰此鳥は鴛鴨にや鴛鴨は妻とよく語らひてそねみなとする事なけれは波たゝさらめといふへし彼鳥のことく我中も波たゝぬに喩ふ也此哥以下一本ニ寄花のわきもこかやとの秋萩の下にありアレコソはアレハコソ也
寄獣歌一首 作者未v詳
1367 みくにやまこすゑにすまふむさゝひのとりまつかことわかまちやせん
三國山木末尓住歴武佐左妣乃此待鳥如吾待将痩
みくに山 八雲抄摂津と有むさゝひは鳥を食する物也飢※[鼠+吾]《キゴ》の鳥待如くと喩る也
寄v雲歌一首 作者未v詳
1368 いはくらのをのゆあきつにたちわたる雲にしもあれやときをしまたん
石倉之小野從(イより・イの)秋津尓發渡雲西裳在哉時乎思将待(イもまつ)
いはくらのをのゝあきつに 八雲抄山城云々此歌類聚にはをのゝ秋津にと和す仙覺本とはことなるにや但このゝち諸集に入し哥何もをのゝ秋津にと讀り類聚のとをりをのゝといふを可用にや哥の心は瑞雲は帝徳の至れる時をまちて出るといへば時を待雲のことく我も時節をまたんと也
寄ルv雷ニ歌一首 作者未v詳
1369 あま雲にちかくひかりてなる神の見れはかしこしみねはかなしも
天雲近光而(或は作2走《はシリニ》)響神之見者恐(イかしこみ)不見者悲毛
あま雲にちかく 雷光のおそろしきをいひかけて思ふ人のあてなれはみれはおそれありさりとて見ねはかなしと也
寄雨歌二首 作者未v詳
1370 はなはたもふらぬ雨ゆへにはたつみいたくなゆきそひとのしるへく
甚多毛不零雨故庭立水太莫逝人之應知
はなはたもふらぬ雨故 和名|潦《ニハタツミ》雨水也八雲抄に庭たつみ庭にたまりたる水也|甚《ハナハタ》降ぬ雨には潦水さのみ流行すこれをたとへて思ふ方へ度々ゆかましきを我といましめて讀る也
1371 久かたの雨にはきぬをあやしくもわかころもてはひるときなきか
久堅之雨尓波不著乎恠毛吾袖者干時無香
久かたの雨には着ぬを 恋の泪の隙なきをよめり是亦寄スル歌ノ躰也
寄v月歌 四首 作者未v詳
1372 みそらゆく月よみおとこゆふさらすめには見れともよるよしもなし
三空徃月讀壯士夕不去目庭雖見因縁毛無
みそらゆく月よみ男 月讀男は月也夕さらすは毎夕也毎夕みれとも近付よる由なき人を月にたとへて也
1373 かすかやま山たかゝらしいはのうへのすかのね見んに月まちかねぬ
春日山山高有良之石上菅根将見尓月待難(イかてぬ)
かすかやま山高からし 月を遮《サヘキ》りて遅からしむるにやと也祇曰高き山に月のさはることく人のさはりかちにて遅きを讀り
1374 やみのよはくるしき物をいつしかとわかまつ月もはやもてらぬか
闇夜者辛苦物乎何時跡吾待月毛早毛照奴賀
やみのよのくるしき 待出ぬ夜の苦しきにとくきませと也
1375 あさ霜のけやすき命たかためにちとせもかなとわかおもはなくに
朝霜之消安命為誰千歳毛欲得跡吾念莫國
あさ霜のけ安き 朝霜は消安きの諷詞也消安き命を誰かために千年とも思ん只さは思はすと也是寄月歌に非ス次の詞ニ委
右一首者は非2譬喩歌類ニ1但闇夜ノ歌人所v心《ヲモフ》之故に並ニ作ル2此歌ヲ1因テ以此歌ヲ1載2出ス此次ニ
右一首者非譬――前の闇夜の同作者のおもふ所有ての故に闇夜の哥と并に此哥をよめりよりて此次にのせたりと也
寄ル2赤土《サニニ》1歌 一首 作者未v詳
1376 やまとのやうたのまはにのさにつかはそこもかひとのわれをことなさん
山跡之宇陀乃真赤土左丹著者曽許裳香人之吾乎言将成
やまとのやうたの 大和の見安云只大和也野にはあらす愚案左丹は赤き色也宇※[こざとへん+施の旁]の赤土のうつくしきか我身につかはそこより人の我を取持て事なさむと也よき縁にふるゝたとへなるへし
寄ル2神ニ歌 二首 作者未v詳
1377 ゆふかけてまつるみむろの神さひていむにはあらす人めおほみこそ
木綿懸而祭三諸乃神佐備而齊尓波不在人目多見許曽
ゆふかけてまつる 三諸乃神は日本紀曰吾レ欲《ヲモフ》v住ント2於|日本《ヤマトノ》國之三諸山ニ1故即|営《ツクリ》2宮ヲ彼處ニ1使ム2就《ユイテ》而|居《ヲラ》1此レ大三輪神也云々此うたはいむにはあらすといはんとて上句はよめり人目おほきゆへこそあはねいみていなといふにはあらすと也
1378 ゆふかけていみしやしろもこえぬへくおもほゆるかもこひのしけきに
木綿懸而齊此神社可超所念可毛戀之繁尓
ゆふかけていみし社も 彼神の井かきもこえぬへしといふと同心なるへしかよひかたき所をゆふかけてきよめいみ所にたとへてよめり
寄v河ニ歌 七首 柿本朝臣人麻呂
1307 このかはにふねもゆくへくありといへとわたるせことにまもるひとあり
從此川船可行雖在渡瀬別守人有
この川に舟も行へく かよふへき便はあれと守人有てさはる譬也河の水鳥にそへて也此哥一本ニ寄花この山の紅葉の下の哥の下寄海の上に在
作者未v詳
1379 たえすゆくあすかの河のよとめらはゆへしもあると人の見らくに
不絶逝明日香川之不逝有者故霜有如人之見國
たえすゆくあすかの川の 類聚ゆかすあらはと和スよとめらも同義也絶す來し人の思絶にしは故あるへしと人の見るに付てかへりて悪からんとのたとへなるへし
1380 あすか川せゝにたまもはおひたれとしからみあれはなひきもあはす
明日香川湍瀬尓玉藻者雖生有四賀良美有者靡不相
あすか川せゝにたまもは せき守る人有て逢かたきをたとへたるへし
1381 ひろせかは袖つくはかりあさきをやこゝろふかめてわかおもふらん
廣瀬川袖衝許淺乎也心深目手吾念(イおもへ)有良武
ひろせ川袖つく計 広瀬河八雲抄大和云々わつかに袖につくほとの淺瀬を人の心に喩る也
1382 はつせかはなかるみなわのたえはこそわかおもふこゝろとけすと思はめ
泊瀬川流水沫之絶者許曽吾念心不遂登思齒目
はつせ川流るみなわ 初瀬河の水泡も絶ましく我本意もとけすはをかしと也戀哥成へし
1383 なけきせは人しりぬへみ山河のたきつこゝろをせかへたるかも
名毛伎世婆人可知見山川之瀧情乎塞敢(イせきあへ)而有鴨
なけきせは人知ぬへみ 思ふ歎きせは人知んと憚てたきりて思ふ心をせかれしと也イせきあへも同しくせき留し心也
1384 みこもりにいきつきあまりはや河のせにはたつとも人にいはめやも
水隠(イかくれ)尓氣衝餘早川之瀬者立友人二将言八方
みこもりにいきつき みこもりは水に隠るゝ也水中にいきつきあまりも苦しき事早河の瀬に立も堪かたき事也さる苦しく堪かたき事はするとも此事は人にいはしと也忍戀の心成へし
寄スル2埋木ニ1歌 一首 作者未v詳
1385 まかなもてゆけのかはらの埋れ木のあらはるましきことにあらなくに
真※[金+巳]持(イもち)弓削河原之埋木之不可顕事尓不有君
まかなもてゆけの 真は心なし※[金+色]《カナ》はかんな也和名には※[金+斯]の字をかなと讀也平ルv木ヲ器也云々かなを持て弓を削るにいひかけていへり弓削河原は八雲抄に大和と云々此上句は序也忍ひ/\に逢中なから終にはあらはれむと也仙抄也略古今集せゝの埋木あらはれはとよめる此哥に依てか
寄v海歌 九首 柿本朝臣人麻呂
1308 おほうみのまもるみなとの事あるにいつくにきみがわれゐてしのかん
大海護水門事有從何方君吾率凌
おほうみのまもる湊の 舟おほく出入湊は守護有て其事のしけきを思ふ人に守りめ有リ事出來なとせしによせいひてかくあるにいつくに君をか我ゐてかくししのかんと也ゐてはひきゐさそふ心也又君かと濁《ニコリ》ては我をいつくにかくししのかんと也
1309 かせ吹て海はあるともあすといはゝひさしかるへしきみかまに/\
風吹海荒明日言應久君随
かせ吹て海はある 人の今夜あはんと云に自由ならねとあすといはゝ待久しからん只君かいふまゝに今夜あふへしと云也風吹海荒るを自由ならぬに喩
1310 雲かくれこしまのかみしかしこくはめはへたつともこゝろへたつな
雲隠小嶋神之恐者目間心間哉
雲かくれ小嶋の神 遠島は雲に隠れてある物なれはかく云也小嶋の神とは嶋々は皆神也旧事記ニ我国々の嶋悉ク神の名を記せし也小嶋の神の恐れを守人わりなきに喩て相みる事は隔つともこころはかはせと也イ此三首此河にといふ下寄v衣つるはみの上に在
作者未v詳
1386 おほふねにまかちしけぬきこき出にしおきはふかけんしほはひぬとも
大船尓真※[木+堯]繁(イしゝ)貫水手出去之奥将深潮者干去友
おほふねにまかち 類聚萬葉童蒙抄等しけぬきと有仙点はしゝぬき兩点なるへし祇曰大舟は行へもなくゆられて安き心もなきにたとふ沖はふかけんとは我恋によそへたり潮はひても思ひはふかきをそへたり
1387 ふしこえにゆかましものをひまもりにうちぬらされぬ波かそへずて
伏超從去益物乎間守尓所打沾(イぬらさるゝ)浪不數為而
ふしこえにゆかまし物を 仙曰ふしこえにとは上古は足柄清見かよこはしりとて足からの山より出て富士のすそ野をとをりて清見か関へ出る道有けりよこはしりのせきは富士山と足高山の間に有けり此道を足柄清見かよこはしりと云今の清見か崎をとをりて田子の浦なとをとをるは中古よりの事也此哥は海辺の道出來て後かの富士こえの道ありしと聞し人の讀る云々ひまもりとは見安云昔は|くき《久岐》か崎をとをりけるに波のひまを守りてとをりしをひまもりとは云仙曰清見か崎といふ所今はくきか崎と申彼崎の高波の時はとをりにくけれは波の間をとをらんとて立とまりて波をかそへて過又云波をかそへて過とは高き波をお波といひひきゝをめ波といふ其め波男波の中《ウチ》にちいさき波たつをしは波といふ其しは波の時にとをるへき也波のひまをかそへて過けれはひまもりと云略注愚案此哥のたとへの心はぬれぬ道もあるへきにあやなくぬれたるは当然の理をさしおきて早卒の失をとる事のたとへなるへしよこはしりをよめる哥|兼盛《カネモリ》集に「よこはしり清見か関のかよひちにいつといふ事はなかくとゝめつ
1388 いはそゝくきしのうらわによする波へにきよれはかことのしけけん
石灑岸之浦廻尓縁浪邊尓來依者香言之将繁
いはそゝくきしのうら 岸浦所不知或住吉ニ在仙曰岸の浦わに寄る波とは恨てよるにたとふへにきよれはかとは我かあたりによりたれはことのはの茂きに喩
1389 いその浦にきよるしら波かへりつゝすきかてさらはきしにたゆたへ
礒之浦尓來依白浪反乍過不勝(かてされイ)者誰尓絶多倍(イたふ)
いそのうらにきよる 礒の浦紀伊也上句序也浦の美景に舟をこきかへりて過あへすあらはきしにたゝよひあれと也イたゆたふ義明也
1390 あふみの海なみおそろしと風まもりとしはやへなんこくとはなしに
淡海之海浪(イなみを)恐(イかしこみ・イかしこしと)登風守年者也将經去榜者無二
あふみのうみ波 風を守り日より待ちゐて舟をこくとはなくて年やへんと也あふ事をはゝかりてのみありてたゝにとしをやへんとなけくたとへにや
1391 あさなけにきよる白波見まくほりわれはすれとも風こそよせね
朝奈藝(イき)尓來依白浪欲見吾雖為風許増不令依
あさなけにきよる あさなけは朝夕也イあさなきと和スきよる白波風こそよせねなとの詞にかなはさるにや朝夕による波を我見まほしくすれとも風荒て我よせすと也思ふ人をつねに見まほしけれと自由ならぬさはりある喩也
寄ル2浦ノ沙《イサコニ》1歌 二首 作者未v詳
1392 むらさきの名たかのうらのまなこちにそてのみふれてねすかなりなん
紫之名高浦之愛子地袖耳觸而不寐香将成
むらさきの名高のうら 見安云紫の名高きとほむる心也八雲抄名高の浦遠江云々紫とは女をいへはをのつから餘情もあるにや砂地にはねられぬ事をいひて君に袖のみふれて終に逢ましきかと歎心也
1393 とよくにのまゝのはまへのまなこちのまなをにしあらはなにかなけかん
豊國之間(イまく・まし)之濱邊之愛子地真直之有者何如将嘆
とよくにのまゝの濱へ とよくに豊前豊後をいへりまゝの濱八雲抄豊前云々序歌也まなをはますくなる也君か心にても我心にてもすくなれは歎きはすくなかるへき理也
寄スルv藻《モニ》歌 四首 作者未v詳
1394 しほみてはいりぬるいその草なれや見らくすくなくこふらくのおほき
鹽満者入流礒之草有哉見良久少戀良久乃太寸
しほみては入ぬる 袖中抄云濱成式云しほみては入ぬる礒の草ならし見る日すくなく戀る夜おほみ數《シハ/\》不ルコトv見|譬《タトヘハ》如シ2潮《シホノ》間ノ之礒ノ草ノ1盈《ミツル》時ハ不v見落ル時ハ纔《ワツカニ》見ル故ニ以v塩為スv喩ト今此式に付て案之萬葉には見らくすくなくこふらくのおほきと有此式には見る日すくなく戀る夜おほみといへり大旨同事也下畧愚案しほみては入ぬる礒とは潮満くれは水の入くる事也しほのみつる時は其礒の草見えすしてしほの落る時わつかにみゆる草に思ふ人をたとへて見る事はすくなく見すして戀るはかりと也
1395 おきつなみよするあらいそのなのりそはこゝろのうちにとくとなりけり
奥浪依流荒礒之名告藻者心中尓疾跡成有
おきつなみよする 波よせかくる礒のなのりそは浮沈いそかしきをたとへによみて心のうちにとくなのれかしと君か名|告《ツク》る事を急く心なるへし
1396 むらさきのなたかのうらのなのりそのいそになひかんときまつわれを
紫之名高浦乃名告藻之於礒将靡時待吾乎
むらさきのなたかの つれなき人のなひくをまつと也われをといふに餘意こもれりきみかなひく時をまつ我なるを哀ともみぬにやなとの心なるへし
1397 あらいそこす浪はおそろししかすかにうみのたまものにくゝはあらすて
荒礒超浪者恐(イかしこみ)然為蟹海之玉藻之憎者不有手
あらいそこす浪は恐し しかすかにはさすかに也守人のきひしきは恐しなから君はにくからすと也玉もを君に喩て也
寄《ヨスル》v舩ニ歌 五首 作者未v詳
1398 ささなみのしかつのうらのふなのりにのりにしこゝろつねわすられす
神樂聲浪乃四賀津之浦能船乗尓乗西意常不所忘
ささなみのしかつの浦 序歌也湖上の舟の心にのりし美景難v忘を君か事によせてよめり
1399 もゝつたふやそのしまわをこく舟にのりにしこゝろわすれかねつも
百傳八十之嶋廻乎榜船尓乗西情忘不得裳
もゝつたふやその 百傳ふとはさま/\の嶋をつたふ心也日本紀にも謨謀逗※[手偏+施の旁]甫奴底喩羅倶慕與《モモツタフヌテエラクモヨ》とある詞也喩の心同前
1400 しまつたふあしはやのを舟かせまもりとしはやへなんあふとはなしに
嶋傳足速乃小舟風守年者也經南相常齒無二
しまつたふ足はやの小舟 童蒙抄云舟のはらを足といふなるへし大なる舟をは足たかとそいふめる愚案はやくゆく舟を云哥こころは前の近江の海に同しきか前のは恐る事に休らふ心也此哥は我は早くと急く心あるにや
1401 みなきりあふおきつこ嶋に風をいたみふねよせかねつこゝろはおもへと
水霧相奥津小嶋尓風乎疾見船縁金都心者念杼
みなきりあふ沖つ小嶋 風荒波くたけて如ルv霧を水霧相といふ也心は舟よせまほしく思へと風によりかぬるを君に制せる人有てより兼るに喩也
1402 ことさけはおきにさけなめみなとよりへつかふときにさくへきものか
殊放者奥從酒甞湊自邊著經時尓可放鬼香
ことさけはおきにさけなめ ことさけはとは事をいみへたては也沖にさけなめは沖にてさけなんと也へつかふとは仙曰礒につくを云愚案哥心は事の悪かるへき事をいみさけんとならは早く兼てにさけよ其きはになりて俄にさくへき事かはと也此こころはへ萬事に渡るへきか
旋頭歌 一首 作者未v詳
1403 みぬさとるみわのはふりかいはふすきはらたきゝこりほと/\しくてをのはとられぬ
三幣帛取神之祝我鎮齊杉原焼木伐殆之國手斧所取奴
みぬさとるみわの 御幣也いはふ杉原とは三輪の神木なれは也薪こりはほと/\しくの枕詞也神木こと/\しくて難v伐心也拾遺ニ宮造るひだの工のてをの音のほと/\しかるめをもみし哉
挽歌
雜挽《サツハン》 十二首 作者未v詳
雜挽 誰の挽歌といふにはあらて只書|雜《マシ》へたる也
1404 かゝみなすわか見し君をあはの野のはなたちはなのたまにひろひつ
鏡成(イなる)吾見之君乎阿婆乃野之花橘之珠尓拾都
かゝ見なすわか見し 五文字は我みしといはむ諷詞也あはの野所未知橘は玉に似たり与《ト》2珠玉1共《トモニ》競《キソフ》v光ヲと諸兄の表にも有我見し君を此野の魄《タマ》となしたるよと歎く心を花橘の玉に拾ひつとよめり
1405 あきつ野を人のかくれはまいてまくきみかおもほへてなけきはやます
蜻野※[口+斗]人之懸(イかく)者朝(イあさ)蒔(まきし不用)君之所思而 嗟齒不病
あきつ野を人のかくれは 蜻野《アキツノ》八雲抄紀伊云々人のかくれはとは秋津野に廟なとあるを人のかけてあはれみいへはと也イ人のかくれはあさまきしと点ス非也まゐてまく見安云まいりたきといふ詞也哥の心はあきつのゝ事を人のかけていへは我もまいりまほしく君が事のみおほえてなけきやむときなしと也源氏帚木ニ見きとなかけそも同
1406 あきつ野にあさゐる雲のうせゆけはむかしもいまもなき人おもほゆ
秋津野尓朝居雲之失去者前裳今裳無人所念
あきつ野にあさゐる雲 此野の朝雲のさまに昔の巫山の神女の朝には行雲となりといひし事思ひ出られて今のなき人の上も悲しきと也文選高唐賦也
1407 こもりくのはつせの山にかすみたちたなひくくもはいもにかもあらん
隠(イかくら)口乃泊瀬山尓霞立棚引雲者妹尓鴨在武
こもりくのはつせの山に 是も朝雲廟の俤より此山におさめし妹か事を思ふ心なるへし
1408 まかことかさかさまことかこもりくのはつせの山にいほりすといふ
狂語香逆言哉隠(かくらイ)口乃瀬山尓廬為云
まかことかさかさまこと 枉言逆言するをならぬこと也おもひもかけぬ人のうせて初瀬に廟たてしを聞傳へて讀る哥なるへし實にはあらしと思ふ心也
1409 あき山にもみちあはれとうらふれていりにしいもはまてときまさす
秋山黄葉可怜浦觸而入西妹者待不來
あき山にもみちあはれと 黄葉の比うせて秋山におさめし女をなけく哥にやうらふれ前注
1410 よのなかはまことふたよはゆかさらしすきにしいもにあはぬおもへは
世間者信二代者不徃有之過妹尓不相念者
よのなかはまことふたよは 夫婦は二世といへと憂世の中なれは実にさは行逢さらんと也下句心明也
1411 さいはいのいかなる人かくろかみのしろくなるまていもかをときく
福(イさいさちの)何有人香黒髪之白成左右妹之音乎聞
さいはいのいかなる人か 我不幸にてうせし妹か音信《ヲトツレ》聞ぬ歎き也
1412 わかせこをいつちゆかめとさきたけのそかひにねしくいましくやしも
吾背子乎何處(イいつこ)行目跡辟(イさく)竹之背向尓宿之久今思悔裳
わかせこをいつちゆかめ 見安云さき竹のそかひにとは竹をわれはうしろあはせになるをいふ愚案さき竹のとはそかひにといはん諷詞也ねしくのくは助字也男の死別を歎く女の哥也かく遠行すへしともしらて生ての世にいつちにかゆかんとおもひたゆみて若は中のふし/\に背きてねし事なとの今悔きと也
1413 にはつとりかけのたれおのみたれおのなかきこゝろもおもほえぬかも
庭津鳥下鷄乃垂尾乃亂(イしたり)尾乃長心毛不所念鴨
にはつとりかけの 亂尾童蒙抄にはみたれおとよみて庭つ鳥かけとは庭鳥を云也たれをみたれ尾なとは長くしたれたるをいふ也云々仙点はしたりおと和ス哥心は上句は序也只今の別の悲しみに行末の事も思はれすといはんとてなかき心もおもほえぬといふ也庭つ鳥のつ助字也
1414 こもまくらあひまきしこもあらはこそ夜のふくらくもわれおしみせめ
薦枕相卷之兒毛在者社夜乃深良久毛吾(イわか)惜責
こも枕あひまきし子も 薦枕は草枕のたくひ也相まきし子とは諸共に枕かはせし女也二人ねてこそ夜のふくるをもおしむ事にはせめと也
1415 たまつさの妹はたまかもあしひきのきよきやまへにまけはちりぬる
1416一云たまつさの妹は花かも足引のこのやまかけにまけはちりぬる
玉梓能妹者珠氈足氷木乃清山邊蒔散※[さんずい+七/木] 玉梓之妹者花可毛足日木乃此山影尓麻氣者失留
たまつさの妹は 玉梓とは梓は良木なれはほめて玉梓といふ妹を稱美して玉梓の妹といふ也清き山邊は彼妹を葬し山也玉をまけは散失ぬることくに此亡婦も跡かたなき歎き也
一云玉つさの妹は花かも 珠と花とかはれる計にて義は同見安云呪願を讀て納るを玉章の妹と云といへり如何
羈旅歌 一首 作者未v詳
1417 なこのうみを朝こきくれはうみなかにかこそなくなるあはれそのかこ
兒乃海乎朝榜來者海中尓鹿子曽鳴成可怜其水手
なこの海をあさこき 八雲抄なこの海越中海中にしかそなく云々又摂津丹後にも有と云々此哥舟中にて鹿の音聞てよめり或は鴨子或は水手の謡ふを云等非也
萬葉集卷第七
貞享二年八月廿八日染筆而九月一七日於新玉津嶋月下終此一卷之功 2003.10.13(月)午後4時13分修正入力終了 米田進 もとの大和国高市郡今井にて、2004.5.29(土)後世終了