萬葉集卷第八
春ノ雑歌
懽《ヨロコヒノ》御《ミ》歌一首 志貴皇子
春雑歌 懽《ヨロコヒ》の歌戀の哥等の春のうたまじはりいりたり
1418 いはそゝくたるみのうへのさわらひのもえいつる春になりにけるかも
石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春尓成來鴨
いはそゝくたるみの 祇曰たるひとかけること不可然たるみ也水也袖中抄云たるみのうへの早蕨とは摂津と播磨とのさかひにたるみといふ所あり垂水《タルミ》とかけり岸よりえもいはぬ水出る故に垂水といふ也|垂水《タルミノ》明神と申神おはす此水の岩の上におちかくれはいはそゝくたるみとはいふ也其たるみの上をたるみ野といへは其野に早蕨はもえ出る也又野まてならすとも岸に萌《モエ》出とも垂水の上のさわらひとは申てん萬葉云命さち久しきよしも岩そゝくたるみの水をむすひてのみつ摂津作愚案水流れ草もえて萬物の時をうるを悦ひ給へる御うたなるへし
一首 鏡ノ王ノ女
1419 かみなひのいはせのもりのよふことりいたくなゝきそわかこひまさる
神奈備乃伊波瀬乃社之喚子鳥痛莫鳴吾戀益
かみなひのいはせの 八雲抄神なひのいはせの森大和云々春鳥のこゑにも戀心催すを侘て讀り
一首 駿河ノ采女
1420 あは雪かはたれにふるとみるまてになからへちるはなにの花そも
沫雪香薄太礼尓零登見左右二流倍散波何物之花其毛
あは雪かはたれに 八雲抄云はたれうすき也哥林良材云雪といはねとも残雪の事にきこゆ愚案なからへちるは流れ散也あは雪かのか文字|清《スム》へし
二首 尾張ノ連《ムラシ》闕《カク》v名ヲ
1421 はる山のせきのをすくろに若なつむいもかしらひも見らくしよしも
春山之開(イさき)乃乎為黒尓春菜採妹之白紐見九四与四門
はる山のせきの 基俊の説并類聚萬葉等せきのをすくろと有見安云春山のせきのあたりの焼野に若菜摘也袖中抄云すくろとは草の末黒しといふ也萬葉抄云さきのをすくろにとは所の名也今云春山の開といふまてそ所にてはあるへきすくろはすこし末くろき草といふへきなめり荻とも薄とも草ともいはて只すくろと計いはん事心得ねと萬葉の哥はさのみ侍也はたれ雪をも只はたれといひさゝれ石をも只さゝれとよめり【是迄袖中】愚案堀河院百首基俊哥「春山のせきのをすくろかき分てつめる若菜にあは雪そふるとよまれたれはせきのと云を用へしたとひ開の字にてもせきとさきと五音通しけれはせきとよむへし又本は関なりしを開に書まかへしも知かたし
1422 うちなひき春はきぬらし山のはのとをきこすゑのさきゆくみれは
打靡春來良之山際(イまの)遠木末乃開徃
うちなひき春は やう/\花の咲ゆくをみれは春のあまねくきにけらしと也
一首 中納言阿倍廣庭卿
1423 こその春いこしてうへしわかやとのわかきのうめは花さきにけり
去年春(いにしとし)伊許自而殖之吾屋外之若樹梅者花咲尓家里
こその春いこして 此哥公任卿朗詠集類聚萬葉拾遺集等にはいにしとしと和せり年春の二字をとしとよむへきにや伊許自《イコシ》而をもねこしてと有仙曰いこしてとはいは發語の詞こしてとは引こつる也ねこしてとも云愚案日本紀ニ掘ネコシテ
四首 山部宿祢赤人
1424 はるのゝにすみれつみにとこしわれそのをなつかしみひとよねにけり
春野尓須美礼採尓等來師吾曽野乎奈都可之美一夜宿二來
春のゝにすみれ 入古今祇曰野遊の心也
1425 あしひきの山さくらはな日ならへてかくしさけらはいとこひめやも
足比奇乃山櫻花日並而如是開有者甚戀目夜裳
あしひきの山さくら花 日ならへては毎日/\也いつもかくさかは花を戀る思ひはせじと也
1426 わかせこに見せんとおもひしうめの花それとも見えすゆきのふれゝは
吾勢子尓令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者
わかせこに見せんと 白梅也
1427 あすよりはわかなつまんとしめしのにきのふもけふも雪はふりつゝ
從明日者春菜将採跡標之野尓昨日毛今日毛雪波布利管
あすよりはわかな 新古今にはあすからはと入玄旨抄云しめし野は領したる野也あすからは毎日つまんと也昨日もけふもといふにて可心得さしつめてあすつまんといひ定たるにはあらさるへし
草香山ノ歌一首 作者未v詳【イ依テ2作者微ナルニ1不v顕2名字ヲ1】
1428 をしてるやなにはを過てうちなひく草かの山をゆふくれにわかこえくれはやまもせにさけるつゝしのにくからぬきみをいつしかゆきてはや見ん
忍照難波乎過而打靡草香乃山乎暮晩尓吾越來者山毛世尓咲有馬酔木乃不悪君乎何時徃而早将見
をしてるや 前注
山もせに 山のおもて也
さけるつゝしの 躑躅のうつくしきをにくからぬといはん諷詞也
櫻花歌一首并短歌 若宮《ワカミヤノ》年魚《アユ》麻呂
1429 おとめらかかさしのためにたはれおのかつらのためとしきませる国のはたてにさきにけるさくらのはなのにほひはもいかに
※[女+咸]嬬等之頭挿乃多米尓遊士之蔓之多米等敷座流國乃波多※[氏/一]尓開尓鶏類櫻花能丹穂日波母安奈何(顕点あなに)
おとめらかかさしの 女子のかさし男のかつらにもと桜を云也
しきませる 君の治め知給ふ事也国に懸《かゝ》る詞也
国のはたてに咲にける 袖中抄云国のはたては地の廣きを云又花の有て咲みちたるをはたてといふへきにやといへり見安云国の果まてと云心也可随所好
にほひはも もの字助字也袖中抄には匂ひはもあなにと有あは助字也
反歌
1430 こその春あへりしきみにこひにてしさくらのはなはむかへくらしも
去年之春相有之君尓戀尓手師櫻花者迎來良之母
こその春あへり 第一第二の句は戀にてしといはん諷詞也まち戀てし桜の花は時をむかへ來しと也こひにてしのにてくらしものも助字也
一首 山部宿祢赤人
1431 くたら野のはきのふるえに春まつとすみしうくひすなきにけんかも
百濟野乃芽古枝尓待春跡居(イおりし)之鴬鳴尓鶏鵡鴨
くたら野のはきの 八雲抄云くたら野摂津又冬野を云云々祇抄仙注用之居之仙点すみし類聚をりし
柳歌二首 大伴坂上|郎女《ヲトメ》
1432 わかせこか見らんさほちの青柳をたおりてたにも見る色にもか
吾背兒我見良牟佐保道乃青柳乎手折而谷裳見綵欲得(イいろもかな)
わかせこか見らん 佐保路大和也見らんは見るへき也せこか見るへき柳手折てもみる色にも哉と重詞に讀り
1433 うちあくるさほの河原の青柳はいまは春へとなりにけるかも
打上佐保能河原之青柳者今者春部登成尓鶏類鴨
うちあくるさほの 打なくる梭《サ》といひかけたる詞也此集十三ニなくるさの遠さかりゐてと有機織|梭《サ・カイ》をさと云也あくるはなくる也
梅歌一首 大伴宿祢三林
1434 霜ゆきもいまたすきねは思はすにかすかのさとにうめの花みつ
霜雪毛未過者不思尓春日里尓梅花見都
霜雪もいまた過ねは 過ねはとは過去消うせねはと也梅はまたさかしと思ふ春日里の霜雪に思の外にと也
山振《ヤマフキノ》花ノ歌一首 厚見王
1435 かはつなくかみなひ川にかけ見えていまかさくらんやまふきのはな
河津鳴甘南備河尓陰所見今香開良武山振乃花
かはつなくかみなひ 甘南河八雲抄大和と有此哥朗詠に入
梅歌二首 大伴宿祢村|上《カミ》
1436 ふゝめりといひし梅か枝けさふりしあは雪にあひて咲にけんかも
含(イふく)有常言之梅我枝今旦零四沫雪二相而将開可聞
ふゝめりといひし 類聚にはふくめりと有ふくめりもつほむ也沫雪にあひてはさしあはせての心也
1437 かすみたつかすかの里の梅の花やましたかせにちりこすなゆめ
霞立春日之里梅花山下風尓落許須莫湯目
かすみたつかすかの 祇曰ちりこすなとは散過なの心也ゆめは努々なり
一首 大伴宿祢駿河麻呂
1438 かすみたつかすかの里のうめの花はなにとはんとわかおもはなくに
霞立春日里之梅花波奈尓将問常吾念奈久尓
かすみたつかすか 春日里を訪て思ひかけす梅を見て里をこそ問きたれ梅の花にとはんとはおもはさりしに思ひの外に見し事よと也
一首 中臣朝臣武良自
1439 ときは今春になりぬとみ雪ふるとをきやまへにかすみたなひく
時者今春尓成跡三雪零遠山邊尓霞多奈婢久
ときはいま春に成ぬ ぬとと心に句を切へし春に成ぬと見ゆると秀句には不可心得
河邊《カハノヘノ》朝臣|東《アツマ》人
1440 春の雨のしき/\ふるにたかまとのやまのさくらはいかにあるらん
春雨乃敷布零尓高圓山能櫻者何如有良武
はるの雨のしき/\ 春の雨のと古來の点也しき/\は頻《しきり》て降也雨しきれは高圓山の桜は咲か散かいかにと也
鶯歌一首 大伴宿祢家持
1441 うちきらし雪はふりつゝしかすかにわかへのそのにうくひすなくも
打霧之雪者零乍然為我二吾(イわい・イわき)宅乃苑尓鴬鳴裳
うちきらし雪はふり 此哥後撰にも拾遺にも入少つゝ違有うちきらしはうち天霧《アマギリ》也雪は冬のやうにてさすかに春に鴬鳴と也
一首 大|藏《クラノ》少輔《セウ》丹比《タビノ》屋主《ヤヌシノ》真人《マツト》
1442 なにはへに人のゆけれはをくれゐてわかなつむこを見るかかなしさ
難波邊尓人之行礼波後居而春菜採兒乎見之悲也
なにはべに人のゆけれは 友にても夫にても難波の邊へゆきしに独をくれゐて採菜女子を憐める心なるへし
一首 丹比真人乙麻呂【屋主真人第二子也】
1443 かすみたつのかみのかたにゆきしかはうくひすなきつ春になるらし
霞立野上乃方尓行之可波鴬鳴都春尓成良思
かすみたつのかみのかた 野上和名云美濃不破郡云々見安にも美濃名所也云々風雅集ニ入
一首 高田女王高安女也
1444 やまふきの咲たるのへのつほすみれこの春の雨にさかりなりけり
山振之咲有野邊乃都保須美礼此春之雨尓盛奈里鶏利
やまふきの咲たる 哥の心は明也
一首 大伴坂上郎女
1445 かせませに(イましり)雪はふれともみにならぬわきへの梅を花にちらすな
風交(イましり)雪者雖零實尓不成(イならす)吾宅(イわかいへ・わい)之梅乎花尓令落莫
かせませに雪はふれ 雪は実《ミ》にもならねは風交に雪降て梅を散すなと也梅を惜むからによめりあなかちに梅実を思ふに非
春ノ雉《キヽスノ》歌一首 大伴宿祢家持
1446 はるのゝにあさるきゝすの妻こひにをのかあたりを人にしれつゝ
春野尓安佐留雉乃妻戀尓己我當(イありか)乎人尓令知管
はるのゝにあさる 妻戀に鳴て雉のかくれしあたりをしられしと也拾遺集にはをのかありかと入
一首【天平四年三月一日佐保ノ宅ニ作v之】 大伴坂上郎女
1447 よのつねにきくは苦しきよふこ鳥こゑなつかしきときにはなりぬ
尋常聞者苦寸喚子鳥音奈都炊時庭成奴
よのつねにきくは いたくなゝきそ我戀まさるなとよむ鳥なから春声はなつかしと也物は時による理にや
春ノ相聞
春ノ相聞《サウモン・アヒキカスル》 奥儀抄云|相《サウ》聞は戀の哥也童蒙抄云|多《ヲホ》くは戀の心或は述懷羇旅悲別問答にてそれと慥に指たる事はなし花紅葉を翫ひ雪月を詠せるにはあらすおもふ心をいかさまにもいひのへて人に知する哥をあひきかするうたとなつけたるなるへし
贈ル2坂ノ上ノ家ノ之|大嬢《ヲトメニ》1歌一首 大伴宿祢家持
1448 わかやとにまきしなてしこいつしかも花にさかなんなそへつゝ見ん
吾屋外尓蒔之瞿麥何時毛花尓咲奈武名蘇經乍見武
わかやとにまきし 仙曰なそへてみんとは准《ナソラ》へつゝ見んといへる也心は撫子の花は品やかに美《ウツク》しけれは我思ふ人に准へ見んと讀る也
與《アタフル》2妹《イモウトノ》坂上大嬢ニ1歌一首
大伴ノ田村ノ家ノ毛《ケ》ノ大嬢《ヲトメ》
1449 つはなぬく淺茅か原のつほすみれいまさかりなりわかこふらくは
茅花抜淺茅之原乃都保須美礼今盛有吾戀苦波
つはなぬく淺茅か 序哥也戀のさかんなると也
一首 大伴宿祢坂上郎女
1450 こゝろくき物にそ有けるはる霞たなひくときにこひのしげれは
情具伎物尓曽有鶏類春霞多奈引時尓戀乃繁者
こゝろくき物にそ 詞林采葉云心くきはあやしき也愚案霞はあやしき物なりたなひく時戀のまさりしけると也時節の景も思ひの催しとなるへし
贈ル2大伴家持ニ1歌一首 笠ノ女郎《ヲトメ》
1451 みつとりのかものはいろのはるやまのおほつかなくもおもほゆるかも
水鳥之鴨(イかる)乃羽色乃春山乃於保束無毛所念可聞
みつとりのかもの 鴨の羽はみとり色なるへし春山の青やかなるに霞めるけしきを序哥によみてあはておほつかなき心を云也|春《ハル》山のといひて霞むさまをこめたるへし
一首 紀女郎
1452 やみなれはうへもきまさす梅の花さける月夜にいてまさしとや
闇夜有者宇倍毛不來座梅花開月夜尓伊而麻左自常屋
やみなれはうへも 闇に來ぬはむへなから梅さき月面白き夜に出おはさしとあるはいかなる事そやと也
天平五年癸酉春三月贈ル2入唐使ニ1歌一首并短歌 笠朝臣金村
1453 玉たすきかけぬときなくいきのをにわか思ふ君はうつせみのみことかしこみゆふされはたつのつまよふなにはかたみつのさきよりおほふねにま梶しけぬきしらなみの高きあるみを嶋傳ひいわかれゆけはとゝまれる我は手向にいはひつゝ君をはやらん早歸りませ
玉手次不懸時無氣緒尓吾念公者虚蝉之命恐夕去者鶴之妻喚難波方三津埼從大舶尓二※[木+堯]梶繁(イしゝ)貫白浪乃高荒海乎嶋傳伊別徃者留有吾者幣引齊乍公乎者将徃早還萬世
玉たすきかけぬ時無 玉手次はかけぬの諷詞也朝夕かけて思ひて我命とも思ふ人は君命にて入唐使なると也
うつせみのみことかしこみ うつせみのはみといはん諷詞也君命をかしこまり承りて難波の三津より出船と也
いわかれ いはたすけ字也
たむけにいはひつゝ 知夫利の神に手向し門出を祝ひてと也
反歌
1454 波のうへに見ゆるこしまの雲かくれあないきつかしあひわかれなは
波上從(イゆ)所見兒嶋之雲隠穴氣衝之相別去者
波の上に見ゆるこ嶋の 小嶋の雲隠れといひて此使の行別る事をこめてあゝ苦しやかく別れ行はと也|氣衝《イキツカシ》は苦《クルシ》き心也
1455 たまきはるいのちにむかふこひよりはきみかみふねのかちからにもか
玉切命向戀從者公之三舶乃※[木+堯]柄母我
たまきはる命に 哥林良材命にむかふは命にひとしき心也命にかゝる戀せんより君か御船の梶柄になりて共に行よしもかなと也
贈ル2櫻ノ花ヲ娘子《ヲトメニ》1歌一首 藤原朝臣廣嗣
1456 この花のひとよのうちにもゝくさのことそこもれるおほろかにすな
此花乃一與能内尓百種乃言曽隠有於保呂可尓為莫
この花のひとよの おほろかはおほろけ也大方にすると也花の一葉に百種の我思ひをこめてまいらすと也
和スル歌一首 娘子
1457 此はなのひとよのうちはもゝくさのこともちかねておられけらすや
此花乃一與能裏波百種乃言持不勝而所折家良受也
此はなのひとよの おられけらすやとは折られけるにあらすや也花一葉のうちにさる百種の事は持かねて折れたるにはあらすやされは一よの中に百種の事こもるとは誠ならしと也
贈ル2久米女郎《クメノヲトメニ》1歌一首 厚見王
1458 やとにある桜のはなはいまもかもまつかせはやみつちにちるらん
室戸在櫻花者今毛香聞松風疾地尓落(祇点おつ)良武
やとにある桜のは 祇曰桜花に人をよそへたる也土におつらんとは身を悪くや持らんと云心なるへし
報贈《カヘシヲクル》歌一首 久米女郎
1459 よのなかもつねにしあらねは宿にあるさくらのはなのちれるころかも
世間毛常尓師不有者室戸尓有櫻花乃不所比日可聞
よのなかも常にし 祇曰人の心も常ならねは桜もおつる比かと也恨たる哥也
折2攀《ヲリヨヂテ》合歡《ネフノ》花并ニ茅花《ツハナヲ》1贈ル2大伴《ト モノ》宿祢家持ニ1歌二首 紀女郎
1460 あぬかためわか手もすまに春のゝにぬけるつはなそみけてこえませ
戯奴(イわけ)之為吾手母須麻尓春野尓抜流茅花曽御食(イめし)而肥座 戯奴此《コヽニは》云2和氣ト1
あぬかためわかても 此哥類聚萬葉童蒙抄あぬかためと五文字をよみて下七文字をみけてこえませとあり古点なるへし仙覺はわけかためと和して下に戯奴《ワケ》此《コヽニハ》云フ2和氣ト1と音義を付たり袖中抄云あぬもわけもともに我といふ詞也筑紫の者は我をあぬと申我つみたるつはなそと也みけてとは御食と書り童蒙抄云あぬかためとはわかためといへる詞なるをさてはたかふやうにそ聞ゆる君かためといふ心歟私云わかためわかつめるといはん事たかふへからす是迄袖中抄八雲御抄云手もすまにとは手もやすめす也【祇聞書詞林同】童蒙抄云手もすまにとは又もなく独つめると云也袖中用之兩説の中八雲御説可用歟
1461 ひるはさきよるはこひぬるねふりのききみのみのみ見んやわけさへに見よ
晝者咲夜者戀宿合歡木花君耳將見哉和氣佐倍尓見代(類聚見ん)
ひるはさきよるこひ 類聚萬葉にはねふりの木と和ス仙曰古点なから合歡木花をネフリノ木と点すれは花の字和せられすねふのはなと和すへき也詞林用之愚案義訓ににおゐては文字の餘る餘らぬによらぬこと此集其例あまたあり殊ニ和名にもねふりのきとこそあれ義に害なくは古点を可用之歟和名云※[木+昏]《コン》音《コヱ》昏《コン》ネフリノキ合歡木其ノ葉《ハ》朝タニ舒《ノビ》暮ニ斂《ヲサマル》者也哥の心はひるはさきよるは戀|宿《ヌ》るとは合歡木ひるはのひよるはおさまれは我昼は其けしきもせてよるは戀つゝねるによせてこの木の有さまを君のみ見んや我さへに見んよともにあはれむへき花のさまそとにや此とまり類聚には我さへにみんと有義分明にや見よも見んよの略か
贈ル2和《カヘシ》歌ヲ1二首 大伴家持
1462 わかきみにあぬはこふらし給ひたるつはなをくへといややせにやす
吾君尓戯奴(イわけ)者戀良思給有茅花乎雖喫弥痩尓夜須
わかきみにあぬは 袖中抄是もあぬはとよむ仙点はわけ也君は紀女郎をいひあぬは我也家持也
1463 わきもこかかたみのねふり花のみにさきてけたしもみにならぬかも
吾妹子之形見乃合歡木者花耳尓咲而盖實尓不成鴨
わきもこかかたみの 類聚にはかたみのねふりと有仙点はねふのと有仙曰花はさきてみはならぬ木草有ねふも花は多く咲なからみはともしき木なれはかくよそへよめるにや愚案紀ノ女郎のをくりし花なれはかたみのねふりとといへり花のみに咲てみにならぬとは紀女郎ひるはさきよるは戀ぬるなとよみをこせたれと詞はかりにて實《マコト》なしといへるなるへし
贈ル2坂上大嬢ニ1歌【一首 從2久迩ノ京1贈ル2寧樂ノ宅ニ1】 大伴宿祢家持
1464 はるかすみたなひく山のへたゝれはいもにあはすて月そへにける
春霞輕引山乃隔者妹尓不相而月曽經去來
はるかすみたなひく山 註に久迩のみやこよりならのいへにをくるとあり山城大和さかいをへたて山をへたてたれはあふ事もへたゝりて月をへしと也
夏ノ雑歌
一首 藤原夫人歌
藤夫人 一本註曰明日香清見原ノ宮ノ御宇ス天皇ニシテ之夫人也|字《アサナヲ》曰フ2大原ノ大|刀自《トジト》1云々日本紀廿九ニ藤原大臣ノ女と有
1465 ほとゝきすいたくななきそなか声をさつきのたまにあへぬくまてに
霍公鳥痛莫鳴汝音乎五月玉尓相貫左右二
ほとゝきすいたく 五月の玉とは續命縷《クスタマ》とて五彩縷を以て臂にかけて鬼をさけ兵をさくといふ哥の心は今はさのみいたくなかすとも端午薬玉をぬく比を待てなけとの心をかくよみ給ふなるへし
御歌一首 志貴皇子
1466 かみなひのいはせのもりのほとゝきすならしのをかにいつかきなかん
神名火乃磐瀬之社之霍公鳥毛無乃岳尓何時來将鳴
かみなひのいはせの 八雲抄云神なひいはせの森大和ならしのをか同
御歌一首 弓削《ユゲノ》皇子
1467 ほとゝきすなかるくにゝもゆきてしがそのなくこゑをきけはくるしも
霍公鳥無流國尓毛去而師香其鳴音乎間者辛苦母
ほとゝきすなかる国 郭公のなき国にと也
霍公鳥歌一首 小|治《ハン》田ノ廣瀬ノ王
1468 ほとゝきすこゑきくをのゝ秋かせにはきさきぬれやこゑのともしき
霍公鳥音聞小野乃秋風芽開礼也聲之乏寸
ほとゝきすこゑきく 秋來て声稀也と也
霍公鳥歌一首 沙彌
1469 あしひきの山ほとゝきすなかなけはいへにあるいもしつねにおもほゆ
足引之山霍公鳥汝鳴者家有妹常所思
あしひきの山ほとゝきす 旅にてよめるなるへし
一首 刀理《トリノ》宣令《ノフヨシ》
1470 もののふのいはせのもりのほとゝきすいまもなかぬかやまのとかけに
物部乃石瀬之社乃霍公鳥今毛鳴奴山之常影尓
もののふのいはせの森 仙曰つはものは馬をはせる故ものゝふのいはせの森とつゝくる也山のとかけとは童蒙抄云|常影《トカケ》と書又跡陰と書てふもとゝもよめは麓の心にや石瀬社大和摂津ニモ物部の屯集《イハム》と云義不用
一首 山部宿祢赤人歌
1471 こひしけはかたみにせんとわかやとにうへし藤なみいまさきにけり
戀之家婆(くは古來風――)形見尓将為跡吾屋戸尓殖之藤浪今開尓家里
こひしけはかたみに 戀しけは戀しくは也けとくと五音通ス一説しけはしきる也しきりに戀しくは也古來風躰には戀しくはと有
一首神龜五年戊辰大宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇テv病ニ長ク逝ヌ焉于v時勅シテ使シテd2式部ノ大輔石ノ上ノ朝臣堅魚ヲ1遣シテ2太宰府ニ1吊ヒv喪ヲ并ニ賜c物色ヲu也其事既ニ畢ヌ驛使《ハイマツカヒ》及ヒ府ノ諸卿大夫|等《ラ》共ニ登テ2記夷《キイノ》城ニ1而望ミ遊ノ之日乃作2此歌ヲ1
式部ノ大輔|石上堅魚《イソノカミノカツヲノ》朝臣
1472 ほとゝきすきなきとよます卯花のともにやこしととはましものを
霍公鳥來鳴令響宇乃花能共也來之登問麻思物乎
ほとゝきすきなき とよますはひゝかす也大伴郎女のうせし吊ひの心をきなきとよますとよめるにや卯花のともにやとはわか勅使に來りし供にやとなるへし
和《カヘシスル》歌一首 太宰ノ帥《ソチ》大伴卿 旅人歟
1473 たち花の花散る里のほとゝきすかたこひしつゝなく日しそおほき
橘之花散里乃霍公鳥片戀為乍鳴日四曽多寸
たち花の花ちるさと かたこひは片字心なし郎女のうせし事を橘の花ちるとよみ霍公鳥をみつから比して郎女を戀つゝ鳴心也
思フ2筑紫《ツクシノ》大城《ヲホキノ》山ヲ1歌一首 大伴坂上ノ郎女
1474 いまもかもおほきの山にほとゝきすなきとよむらんわれなけれとも
今毛可聞大城乃山尓霍公鳥鳴令響良武吾無礼杼毛
いまもかもおほきの おほきの山八雲抄筑前云々我つくしに在しほと聞はやしつる郭公の我はなけれとも今もなくらんと也初歸京の時歟
霍公鳥ノ歌一首 大伴坂上郎女
1475 なにしかもこゝはくこふるほとゝきすなくこゑきけはこひこそまされ
何奇毛幾許(イそこはか・こゝたく)戀流霍公鳥鳴音聞者戀許曽益礼
なにしかもこゝはく戀る こゝはくはそこはく也何にそこはく郭公を戀る事そ聞けは戀のます物をと也
一首 小|治田《ハルタノ》朝臣|廣耳《ヒロミヽ》
1476 ひとりゐて物おもふよひにほとゝきすこゆなきわたる心しあるらし
獨居而物念夕尓霍公鳥從此間鳴渡心四有良思
ひとりゐて物思ふ こゆはこゝより也心あるらしは慰むるにやと也
霍公鳥ノ歌一首 大伴家持
1477 うのはなもいまたさかねはほとゝきすさほのやまへをきなきとよます
宇能花毛未開者霍公鳥佐保乃山邊來鳴令響
うのはなもいまた さほ山の景物なるへき卯花いまたさかねは子規の独うけはり鳴心なるへし
橘ノ歌一首 大伴家持
1478 わかやとの花たちはなのいつしかもたまにぬくへくそのみなりなん
吾屋前之花橘乃何時毛珠貫倍久其實成奈武
わかやとの花橘の 橘の実の玉のことくにてつらぬきぬへくはいつかならんと也
晩蝉《ヒクラシノ」》歌一首 大伴家持
1479 しのひのみをれはいふかしなくさむといでたちきけはきなくひくらし
隠耳居者欝悒(おほゝし・いふせし せみ)奈具左武登出立聞者來鳴日晩
しのひのみをれは うちこもりてのみ居れは心欝々し慰みもやするとて出立きけは日晩の鳴て弥物わひしき心なるへし
二首 大伴書持《トモノフンモチ》
1480 わかやとに月をしてれりほとゝきす心あるこよひきなきとよます
我屋戸尓月押照有霍公鳥心有今夜來鳴令響(イとよませ)
わかやとに月をし照レリ 押照は只てりかゝやける心也かやうに面白く心あるこよひなけと也
1481 わかやとの花たちはなにほとゝきすいまこそなかめともにあへるとき
我屋戸乃花橘尓霍公鳥今社鳴米友尓相流時
わかやとの花橘に 橘を郭公の友といへるにや一説我を友といへり橘咲所にあれは也
一首 大伴|清縄《キヨツナ》
1482 みな人のまちしうの花散といへとなくほとゝきすわれ忘れめや
皆人之待師宇能花雖落奈久霍公鳥吾将忘哉
みな人のまちしうの花 卯花待し比よりちるといへとも猶なく郭公忘かたしと也一説皆人は卯花待し我は其卯花のちるといへともさも覺す只郭公難v忘と也
一首 奄《イホリノ》君|諸立《モロタツ》
1483 わかせこかやとのたちはな花をよみなくほとゝきす見にそわかこし
吾背子之屋戸乃橘花乎吉美鳴霍公鳥見曽吾來之
わかせこかやとの橘 橘花もよく子規もきなけは見にきつると也
一首 大伴坂上郎女歌
1484 ほとゝきすいたくなゝきそ独ゐていのねられぬにきけはくるしも
霍公鳥痛莫鳴獨居而寐乃不所宿聞者苦毛
ほとゝきすいたく 心明也拾遺集に入
唐棣《ハネスノ》花ノ歌一首 大伴家持
1485 なつまけてさきたるはねす久かたのあめうちふらはうつろひなんか
夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香
なつまけてさきたる 唐棣 論語註ス2郁李也ト1日本紀ニ朱花ハネスとよめり前委注夏まけては夏を待まうけて也移ひ安き花とそ
恨ムル2霍公鳥|晩《ヲソク》喧《ナクヲ》1歌二首 大伴家持
1486 わかやとのはなたちはなをほとゝきすきなかてつちにちらしなんとか
吾屋前之花橘乎霍公鳥來不喧地尓令落常香
わかやとのはなたちはな 恨む心ふかく言外にふくめり
1487 ほとゝきすおもはすありき此暮のかくなるまてになとかきなかぬ
霍公鳥不念有寸木晩乃如此成左右尓奈何不來喧
ほとゝきすおもはす とくなくへしと思ひしを此夕暮のかく暮ふかくなるまて遅からんとは思はさりしなとなかぬ事そと也
懽《ヨロコフ》2霍公鳥ヲ1歌一首 大伴家持
1488 いつこにはなきもしにけんほとゝきすわきへのさとにけふのみそなく
何處者(イにか)鳴毛思仁家武霍公鳥吾家(イわかいへ・わいへ)乃里尓今日耳曽鳴
いつこにはなきもしに いつくにかは鳴もしけん外はしらす我宿の里にけふのみ鳴て珎しと悦へる心にやイいつこにかも同義
惜ム2橘花ヲ1歌一首 大伴家持
1489 わかやとのはなたちはなはちり過てたまにぬくへくみになりにけり
吾屋前之花橘者落過而珠尓可貫實尓成二家利
わかやとの花橘は 玉のことくみなるといへと散過て惜き心言外にあるにや又前の家持の橘歌に我宿の花橘のいつしかもといふに答し心歟
霍公鳥歌一首 大伴家持
1490 ほとゝきすまてときなかすあやめ草たまにぬく日をいまたとをみか
霍公鳥雖待不來喧蒲草玉尓貫日乎未遠美香
ほとゝきすまてと 菖蒲を玉にぬく日は薬玉ぬく五月五日也郭公は端午を鳴時とするにいまた遠き故になかさるかと也
雨ノ日聞ク2霍公鳥ノ喧《ナクヲ》1歌一首 大伴家持
1491 うのはなのすきはおしみかほとゝきすあまゝもをかすこゆなきわたる
宇乃花能過者惜香霍公鳥雨間毛不置從此間喧渡
うのはなの過は 卯花ちらぬほとにとてにか雨の間もたゆみなくこゝよりなきわたると也
橘ノ歌一首 遊行女婦《アソヒノヲトメ》
遊行女婦 遊女の事にや只遊行する女なるへし
1492 きみかいへの花たちはなは成にけりはなのさかりにあはまし物を
君家乃花橘者成尓家利花乃有時尓相益物乎
きみかいへの花橘は 成にけりとは花落てみなりにしと也
橘ノ歌一首 大伴|村上《ムラカミ》
1493 わかやとの花たちはなをほとゝきすきなきとよめてもとにちらしつ
吾屋前乃花橘乎霍公鳥來鳴令動而本尓令散都
わかやとの花橘を 郭公なきひゝかして木下に散せしと也
霍公鳥ノ歌二首 大伴ノ家持
1494 夏山のこすゑのしのにほとゝきすなきとよむなるこゑのはるけさ
夏山之木末乃繁(イしゝ)尓霍公鳥鳴響奈流聲之遥佐
夏山のこすゑのしの 梢の茂みをしのと云夏山の木しけき中に鳴しきれとも声遠き心なるへし
1495 あしひきのこのまたちくゝ郭公かくきゝそめてのち戀んかも
足引乃許乃間立八十一霍公鳥如此聞始而後将戀可聞
あしひきのこのま 足引は山を云雪を只はたれと云|類《タクヒ》萬葉の習ひとそこのま立くゝとは袖中抄に木の間を立くゝると云又立くゝは羽ふりちらすと讀りと云々立くゝるの説可用か
石竹《ナテシコノ》花ノ歌一首 大伴家持
1496 わかやとのなてしこの花さかり也たおりてひとめ見せんこもかも
吾屋前之瞿麥乃花盛有手折而一目令見児毛我母
わかやとのなてしこの 見せん子も哉は女子也
惜ムv不《サルヲ》v登《ノホラ》2筑波山ニ1歌一首 高橋ノ連《ムラシ》蟲麻呂
1497 つくはねにわかゆけりせは霍公鳥やまひことよめなかましやそれ
筑波根尓吾行利世波霍公鳥山妣児令響鳴麻志也其
つくはねにわかゆけり 筑波根常陸山彦は山に響く音也木玉也郭公の峯谷ひゝかし鳴を我ゆかは聞へきをとの心也
夏相聞
一首 大伴坂上郎女
1498 いとまなみこさりしきみに郭公われかくこふとゆきてつけこそ
無暇不來之君尓霍公鳥吾如此戀常徃而告社(類こせ)
いとまなみこさりし 隙なしとて不來し人に告こせと也こそのそとせと同音也
宴吟歌一首 大伴ノ四縄《ヨナは》
宴吟 酒宴の吟詠也
1499 ことしけみきみはきまさす子規なれたにきなけあさとひらかん
事繁君者不來益霍公鳥汝太尓來鳴朝戸将開
ことしけみきみは 明るまて待居ても君は事しけしとて來まさぬに郭公たに來なけ君かこばあけんと思ひし朝戸開んと也朝戸と云に待明せし心有
一首 大伴坂上郎女
1500 夏の野のしけみにさける姫ゆりのしられぬこひはくるしきものそ
夏野乃繁見丹開有姫由理乃不所知戀者苦物曽
夏ののゝしけみに 序哥也形容をのつからありて奇妙也姫ゆりはうつくしむ名也
一首 小治田《ヲハルタノ》朝臣廣耳
1501 ほとゝきすなくおのうへのうの花のうきことあれやきみかきまさぬ
霍公鳥鳴峯乃上能宇乃花之厭事有哉君之不來益
ほとゝきすなく おのうへは尾上とおなし序哥也拾遺集人丸の哥にも此下句有
一首 大伴坂上郎女
1502 さつきのや花たちはなを君かためたまにこそぬけちらまくおしみ
五月之花橘乎為君珠尓貫零卷惜美
さつきのや花橘を 零卷ちらまくと古來の点也おちまくとよまゝほし其故は此哥橘の実《ミ》をよむに似たり玉にこそぬけといへりちらまくとよみて心は落まくおしみと心得へきにや
一首 紀ノ朝臣|豊河《トヨカハ》
1503 わきもこかやとのかきうちのさゆり花ゆりとしいへはうたはぬににる
吾妹子之家乃垣内(イかいちの)乃佐由理花由利登云者不歌云二似
わきもこかやとの 見安云哥をうたふに声をゆりぬれは声の響を云也愚案名をゆりと云はうたふやうなれと花には声なけれは只謡ふものゝうたはぬに似たりと也
一首 高安《タカヤス》
1504 いとまなみさつきをひさにわきもこかはなたちはなを見すかすくさん
暇無五月乎尚(イすらに)尓吾妹児我花橘乎不見可将過
いとまなみさつきを 宮仕へいそかはしき女なとの五月に久しくとはねは此橘の見せたきをも終にみすや有んと也
贈ル2大伴ノ家持ニ1歌一首 大神女郎《ミワノヲトメ》
1505 ほとゝきすなきしすなはち君かいへにゆけとをひしはいたりけんかも
霍公鳥鳴之登時(イそのかみ)君之家尓徃跡追者将至鴨
ほとゝきすなきし 初音聞し即座に君にきかせよとて追やりしは其邊に至りしやと也
與《アタフ》2妹坂上ノ大嬢《ヲトメニ》1歌一首 大伴田村大嬢
1506 ふるさとのならしのをかのほとゝきすことつけやりしいかにつけきや
古郷之奈良思乃岳能霍公鳥言告遣之何如告寸八
ふるさとのならしの いもうとのなつかしさに郭公に言告遣しと也使者をもかやうに郭公といひしにや
攀チテ2橘花ヲ1贈ル2坂ノ上ノ大嬢《ヲトメニ》1歌一首并短歌 大伴家持
1507 いかと/\あるわかやとにもゝえさしおふる橘玉にぬくさ月を近みあえぬかに花さきにけり朝にけにいて見ることにいきのをにわか思ふ妹にまそかゝみ清き月よにたゝひとめ見せんまてにはちりこすなゆめと言ひつゝこゝたくもわかもるものをうれたきやしこほとゝきす暁のうらかなしきにをへと/\猶しき鳴ていたつらにつちにちらせはすへをなみよちてたおりつ見ませわきもこ
伊加登伊可等有吾屋前尓百枝刺於布流橘玉尓貫五月乎近美安要奴我尓花咲尓家里朝尓食尓出見毎氣緒尓吾念妹尓銅鏡清月夜尓直一眼令覩麻而尓波落許須奈由米登云管幾許吾守物乎宇礼多伎也志許霍公鳥暁之裡悲尓雖追々々尚來鳴而從地尓令散者為便乎奈美攀而手折都見末世吾妹児
いかと/\ 仙曰門々にといふ詞也伊は發語の詞なり見安同義
あえぬかに 仙曰我昔を忍ふに橘も昔の香に匂へは我にあへて花咲にけりとよめる也愚案あえぬる香に也あえは似の字也五月を近み時にあへぬる香に也時に似合へる心なるへし
朝にけに 朝夕に也
出見ることに 橘を見ることに也句を切へし
ちりこすなゆめと云つゝ 妹に一目見せんまてはゆめ/\ちるなといひつゝと也彼大伴村上か梅の哥山下風に散こすな努を用ルか
うれたきやしこ霍公鳥 仙曰うれたきやは愁ふる也しことは凶《シコ》といふ詞也愚案しこは悪しと嫌える詞也日本紀に有努々ちるなと我守る橘を散らす故凶郭公と云也
反歌
1508 もちくたち清き月夜にわきもこに見せんとおもひしやとのたちはな
望降清月夜尓吾妹児尓令覩常念之屋前之橘
もちくたち清き 望降見安云望月のかたふく也愚案師説十六七夜の既望を過たる月を云長哥に清き月夜に只一目見せんまてにはといへる心を反しいふ哥也
1509 いもか見てのちもなかなん郭公はなたちはなをつちにちらしつ
妹之見而後毛将鳴霍公鳥花橘乎地尓落津
いもか見てのちも 今はなかても妹か橘をみて後にてもなけかし橘をちらしてうきほとにと也妹に見せんとおもふ心に橘を大切にせしなるへし
贈ル2紀女郎ニ1歌一首 大伴ノ家持
1510 なてしこはさきて散ぬと人はいへとわかしめしのゝ花にあらめやも
瞿麥者咲而落去常人者雖言吾標之(イの)野乃 花尓有目八方
なてしこはさきて 仙曰撫子こそ咲て散とも我しめさして思ふおとめは我こそ主にてあれは心に任せて散もうせしと云也
秋雑歌
御製一首 岡本天皇
1511 ゆふされはをくらのやまになく鹿のこよひはなかすいねにけらしも
暮去者小倉乃山尓鳴鹿之(イ者)今夜波不鳴寐宿家良思母
御歌一首 大津皇子
1512 たてもなくぬきもさためす乙女らかをれるもみちに霜なふりそね
經毛無緯毛不定未通女等之織黄(イにし)葉(イき)尓 霜莫零
たてもなくぬきも をれるもみちとは錦のことくなれはおとめかをれる紅葉とよみ給ふにや折るとそゆる心もあるへし大津皇子の詩に風紙天筆|画《エカク》2雲竜ヲ1山|機《キ》雲杼《ウンキヨ》織ル2葉錦ヲ1とおなし風情なるへし仙曰をれるもみち古点なからたてもなくぬきも定めすといひてはもみちといはん事かけあはす此第四句をれるにしきとよむへし家持哥さほの山錦をりかく紀友則たかための錦なれはか藤原関雄山の錦のをれはかつちるともよめり紅葉を偏に錦といへる事是等にて心得へし愚案紅葉を只錦といへる哥は是らに限るへからす黄葉をにしきと和する点の例おほつかなし又をれる錦に霜はふりそねといふにては紅葉に霜はふりそねといふとはをとりてや侍らん又をとめらかをれるもみちとは折に織をそへてたてぬきなと讀給へるにや錦なと其物をいはてたてぬきなとよむ例此集おほし舟をいはてこきとよみ雨をいはてふると計よむたくひ也よしゑ例まてもなく黄葉とあるをもみちと讀る古点は難すへきやうなし黄葉をにしきとよまん事字訓にも詞にも例なくはおほつかなくや
御歌二首 穂積《ホヅミノ》皇子
1513 けさのあさけ鳫かねきゝつかすかやまもみちにけらしわかこゝろいたし
今朝之旦開雁之鳴聞都春日山黄葉家良思吾情痛之
けさのあさけ鳫金 心いたしは秋情を催しいたむ儀也鳫紅葉尤節物のためにいたむへし
1514 秋はきはさきぬへからしわかやとのあさちかはなのちりゆくみれは
秋芽者可咲有良之吾屋戸之淺茅之花乃散去見者
秋萩は咲ぬへからし 淺茅か花は芽花にや春の末に有て夏懸て散へし芽花のちるに心いたみ秋情に似たりよりて秋萩も咲ぬへからしと云なるへし
御歌一首 但馬皇女
1515 ことしけみさとに住すはけさ鳴し 一云くにゝあらすは かりにたくひてゆかまし物を
事繁(イしけき)里尓不住者今朝鳴之 國尓不有者 雁尓副而去益物乎
ことしけみ里に 世の事しけきにあき果てかりにたくひていつちも/\ゆかまほしけれともとより事茂き里にすめは身をも心に任せかたしと也
惜ム2秋葉ヲ1歌二首 山ノ部ノ王《ヲホキミ》
1516 あき山にきはむこのはのうつろへはさらにや秋を見まくほりせん
秋山尓黄反木(イきの)葉乃移去者更哉秋乎欲見(イ見まほしみミ)世武
あき山にきはむ木葉 山葉の黄はむは秋の末也うつろふ比は弥秋の名残おしけれは更に立歸り秋の盛りを見まほしと也
長屋《ヲサヤノ》王
1517 うまさけのみわのはふりの山てらす秋のもみちのちらまくおしも
味(イあち)酒三輪乃祝(イやしろ)之(の)山照秋乃黄葉散莫惜毛
うまさけのみわの 童蒙抄に此集七わかきぬの色きそめたりあちさけのといふ哥と此うまさけのみわのはふりの哥を書ならへて云あちさけのとは味ひある酒といひうまさけのとはむまき酒といへる也|旨酒《シシユ》といへる旨はうましとよむ也かく酒とよみをきてみわともみむろともよみつゝけたるは酒にはみのあれは昔はかゝる事をもまさなしとはいはぬ事なれはあちさけうまさけなとよむほとに成なんにみをよまん事更なる事也云々三わのはふりか山照すとは祝部が領する山を照す也但童蒙抄にはみわのやしろの山てらすと有心は明か也味酒みわの事猶前ニ注
七夕歌十二首 山|上《カミノ》臣憶良
1518 あまの川こむかひたちて 一云河に向ひて わかこひしきみきますなりひもときまけな
天漢相向立而 向河 吾戀之君來益奈利紐解設奈 養老八年七月七日應《ヲウシテ》v令ニ作v之
あまのかはこむかひ立て一云河にむかひて こむかひは相向立と書此哥は七夕の心に成てよめり紐ときまけなとは紐解まうけなん也注養老八年は元正帝の年号なから此年の二月聖武帝受禅九月に即位と紹運録に有應スv令ニとはみこのみやの令によりての心也
1519 久かたのあまのかはせにふねうけてこよひかきみかわかりきまさん
久方之天漢瀬尓船泛而今夜可君之我許來益武 神亀元年七月七日ノ夜左大臣ノ宅《イヘニテ》作v之
久かたのあまの河瀬 見安云わかりきまさんは我もとへきまさん也となり是も七夕の心になりてよめり注神亀元年は則養老八年也前のうたと同日なから前の哥は宮の令に應し此哥は左大臣家にてよむゆへ書かへたる歟
1520 ひこほしはたなはたつめとあめつちのわかれし時ゆいなうしろかはにたちむきおもふそらやすからなくになけくそらやすからなくにあを浪に望は絶ぬしら雲になみたはつきぬかくのみやいきつきをらんかくのみや恋つゝあらんさにぬりのをふねもかもたまゝきのまかいもかも 一云をさほもかも 朝なきにいかきわたりゆふしほに 一云ゆふへにも いこきわたり久かたの天の河原にあまとふやひれかたしきまたまての玉手さしかへよいもねてしかも秋にあらすとも 一云いもさねてしか秋またすとも
牽牛者織女等天地之別時由伊奈宇之呂河向立意空不安久尓嘆空不安久尓青浪尓望者多要奴白雲尓※[さんずい+帝]者盡奴如是耳也伊伎都枳乎良牟如是耳也戀都追安良牟佐丹塗之小船毛賀茂玉纒之真可伊毛我母 小棹毛何毛 朝奈藝尓伊可伎渡夕塩尓 夕倍尓毛 伊許藝渡久方之天河原尓天飛也領巾可多思吉真玉手乃玉手指更餘宿毛寐而師可聞秋尓安良受登母 伊毛左祢而師加]秋不待登毛
いなうしろ河に立向 袖中抄云いなうしろは稲筵也むしろをうしろと云也此長哥に稲筵河とつゝくる事は水の下の草の稲筵に似たる故也又云々川の下に藻といふ草の隙なく生たるか稲を筵に敷たるに似たれは水下の藻をも稲筵といへりされは稲筵河とつゝくる也【是迄袖中抄】猶口訣
あを浪に望はたえぬ 蒼波はるかに見やりてもかひなき心也
いきつき 嘆息する也
さにぬりのをふね あけのそほ舟の類也
玉まきのまかいもかも 見安云玉卷てうつくしきかいもかなと也
いかきわたり 伊は助字|掻渡《カキワタリ》也いこぎ渡り伊は助字也|漕《コギ》渡り也
あまとふやひれかた敷 領巾 女の肩のひも也天衣の心にて天飛やといふ也衣片敷と云心也
またまての玉手さしかへとは真玉手は詩に玉臂なと作れる同心成へし うつくしき手也真は助字也またまての玉手は重ね詞也さしかへは指かはし也
よいもねてしかも 秋またすとも常によきいねせまほしと也独りはよくねられねは也
反歌
1521 かせくもはふたつのきしにかよへともわかとをつまの 一云はしつまの ことそかよはぬ
風雲者二岸尓可欲倍杼母吾遠嬬之 波之嬬乃 事曽不通
かせ雲はふたつのきしに 此方彼方の岸也 とをつま 宗祇聞書ニ遠所の妻也
1522 たふてにもなけこしつへきあまのかはへたてれはかもあまたすへなき
多夫手二毛投越都倍伎天漢敝太而礼婆可母安麻多須辨奈吉
天平元年七月七ノ日夜|仰2觀《アフキミテ》天河ヲ1 長哥反哥等の注也
たふてにもなけこし 是も反哥也仙曰たふてとはつふて也玄覺押紙云文選第二東京賦|飛礫《ヒレキ・タフテ》ノ雨散《アメノ如ニアラケ》つふてをたふてといふ事本説分明也愚案河はゞは礫もうちこすへく近けれと中に隔たれはにや逢瀬自由ならすすへなきと也
1523 秋かせの吹きにし日よりいつしかとわかまちこひしきみそきませる
秋風之吹尓之日從何時可登吾待戀之君曽來座流
秋かせのふきにし日より 七夕といはねと七夕の心也
1524 あまの川いとかはなみはたゝねともうかゝひかたしちかきこの瀬を
天漢伊刀河浪者多多祢杼母伺候難(イかて)之近此瀬呼
あまの川いとかはなみは いとは※[うがんむり/取]の字也いとも河浪はたゝねともと也うかかひかたしとは瀬をうかゝひ渡りしかたしと也常は逢瀬を不《サル》v免《ユルサ》心也
1525 袖ふらは見もかはしつへくちかけれとわたるすへなし秋にしあらねは
袖振者見毛可波之都倍久雖近度為便無秋西安良祢波
袖ふらは見もかはしつへく 袖ふりまねかは目も見かはしつへく近き河はゝなれとゝ也
1526 かけろふのほのかに見えてわかれなはもとなやこひんあふときまては
玉蜻蜒髣髴所見而別去者毛等奈也戀牟相時麻而者
天平二年七月八日夜|帥《ソチノ》家ノ集會
かけろふのほのかに 五文字はほのかにといはん枕詞也もとなやはよしな也
1527 ひこほしのつまむかへふねこきいつらしあまのかはらにきりしたてれは
牽牛之迎嬬船己藝出良之漢原尓霧之立波
ひこほしのつまむかへ船 霧のまきれに忍ひて織女をむかふらしと也
1528 かすみたつあまのかはらに君まつといかよふほとにものすそぬれぬ
霞立天河原尓待君登伊徃還程尓裳襴所沾
かすみたつあまの 霞は秋もたつ也朗詠七夕詩にも去衣曳レテv浪ニ霞應v湿《ウルハフ》と云々いかよふのいは助字也
1529 あまの河うきつの浪とさはく也わかまつきみしふなてすらしも
天河浮津之浪音佐和久奈里吾待君思舟出為良之母
あまの川うきつのなみと 浮津うきは水ある所也「おもへはうきに生る芦のと讀しにて心得へしなみとは波の音也
大宰ノ諸卿|大夫《マチキンタチ》并ニ官人|等《ラ》宴《トヨノアカリスル》2筑前ノ國|蘆城驛家《アシキノハイマ》ニ1歌二首 作者未詳
1530 をみなへし秋はぎましるあしきのはけふをはしめてよろつよに見ん
娘部思秋芽子交蘆城野今日乎始而萬代尓将見
をみなへし秋萩 あしき野 筑前也けふの宴會をたのしむ心をのへて萬世とことふきするなるへし
1531 たまくしけあしきの河をけふみれはよろつよまてにわすられめやも
珠匣葦木乃河乎今日見者迄萬代将忘八方
たまくしけあしきの 玉くしけはあしきのとはあといふに明るをこめていへりと仙覺説也此川のけふの楽み萬世にも忘ましきと也
伊香《イカコ》山作歌二首 笠朝臣金村
1532 草まくらたひゆく人も行ふれはにほひぬへくもさける萩かも
草枕客行人毛徃觸者尓保比奴倍久毛開流芽子香聞
草まくらたひゆく 萩の色よけれは旅人行ふれたらは色に衣もうつろひ染んと也伊香山の萩をほむる心なるへし伊香山近江
1533 いかこ山のへにさきたるはきみれはきみかやとれるおはなしそおもふ
伊香山野邊尓開有芽子見者公之家有尾花之所念
いかこ山のへに咲たる 皇極帝|幸《ミユキ》2比良ノ宮ニ1之時秋のゝに尾花かりふき宿れりしと讀せ給此集第一に有同国ニテ思之也
一首 石川朝臣|老夫《ヲフト》
1534 をみなへし秋はきたおれたまほこのみちゆきつとゝこはんこのため
娘部志秋芽子折礼玉桙乃道去※[果/衣]跡為乞児
をみなへし秋萩たおれ 道ゆきつとゝは道ゆく折のみやけ也
一首 藤原|宇合《ノキアヒノ》卿
1535 わかせこをいつそいまかとまつなへにおもやは見えん秋かせのふく
我背兒乎何時曽今登待苗尓於毛也者将見秋風吹
わかせこをいつそいまかと わかせこは女をいふにやまつなへには待からに也おもやは見安云よもやは也愚案見えぬ物から秋風吹て物哀なる心也
一首 縁達師《ヨリユキノイクサ》
1536 よひにあひて朝かほはつる隠れ野のはきはちりにきもみちはやつけ
暮(イくれに)相而朝面羞隠野乃芽子者散去寸黄葉早續也
よひにあひてあさかほ 一二句は隠れ野をいはん諷詞也後朝には恥隠る心也隠野は八雲抄いせと在萩ちれは紅葉早く美景を續《アツ》げと也
詠ル2秋ノ野ノ花ヲ1歌二首 山上臣憶良
1537 あきのゝにさきたる花をてを折てかきかそふれはなゝくさのはな
秋野尓咲有花乎指折可伎數者七種花
あきのゝにさきたる 此哥の次のうたの序のやうによめり
1538 はきの花おはなくすはななてしこの花をみなへし又ふちはかまあさかほの花
芽之花乎花葛花瞿麦之花姫部志又藤袴朝貌之花
はきの花をはな 是前の花の七種をいひたてし旋頭哥也
二首 天皇御製
1539 秋の田のほたをかりかねくらやみによのほとろにもなきわたるかも
秋田乃穂田乎雁之鳴闇尓夜之穂杼呂尓毛鳴渡可聞
秋の田のほたをかり 穂田は穂に出し田也秋の田の穂田は重詞也田をかるとそへて也夜のほとろのろは助字也夜の程也
1540 けさのあさけ鳫かね寒み聞しなへのへのあさちそいろつきにける
今朝乃旦開雁鳴寒聞之奈倍野邊能淺茅曽色付丹來
けさのあさけ鳫金 やう/\秋更てかりか音も寒くきこゆるからに野草色付しと也
二首 大宰師大伴卿
1541 わかをかにさをしかきなくはつ萩のはなつまとひにきなくさをしか
吾岳尓棹壯鹿來鳴先芽之花嬬問尓來鳴棹壯鹿
わかをかに棹鹿 萩さく比鹿もなきおきふしなるゝゆへ萩を鹿の妻と云萩の花つまも其心也
1542 わか岡の秋はきの花かせをいたみちるへくなりぬ見ん人もかな
吾岳之秋芽花風乎痛可落成将見人裳欲得
わか岡の秋はきの 心明也
一首 三原ノ王
1543 秋の露はうつしなりけり水鳥のあをはのやまのいろつく見れは
秋露者移尓有家里水鳥乃青羽乃山能色付見者
秋の露はうつしなり 紅のうつしの心也水鳥のは青羽山の枕詞也八雲抄に若狭云々又尾張陸奥同名有云々青葉といふ山も紅に色付みれは秋露は紅の移しそと也
七夕歌二首 湯ノ原ノ王
1544 ひこほしのおもひますらんこゝろより見るわれくるしよのふけゆけは
牽牛之念座良武從情(イこゝろゆも)見吾苦夜之更降去者
ひこほしの思ひますらん 適逢夜更て牽牛の思ひいます心さそ苦しからんより我みるに痛はしく苦しと也此哥拾遺集類聚萬葉等に心よりと和ス仙抄には心ゆもと和スヘシ云々
1545 たなはたの袖つくよるのあかつきはかはせのたづはなかすともよし
織女之袖續三更之五更者河瀬之鶴者不鳴友吉
たなはたの袖つく 祇注私ニ曰袖つくとは袖をもろともに重ねたるをよめるといへるにや愚案夫婦袖と袖をかはしつゝくる心也河瀬の田鶴のこゑあはれにもてはやすへき物なから稀の逢夜はなかすともと也
七夕歌一首 市原王
1546 いもかりとわかゆく道の河しあれはひとめつゝむとよそふけにける
妹許登吾去道乃河有者附目緘結跡夜(イよや)更(イくたち)家類
いもかりと我ゆく 牽牛に成てよめり河天河也人目つゝむといふに堤をそへて河あるゆへ人目つゝみつゝ夜更ねはえゆかすと也ひとめ堤の高けれはとよみしに同
一首 藤原朝臣|八束《ヤツカ》
1547 さをしかの萩にぬきをける露のしら玉あふさわに誰の人かも手にまかんちふ
棹四香能芽二貫置有露之白珠相佐和仁誰人可毛手尓将卷知布
さをしかの萩に貫 旋頭哥也仙曰あふさわにとはいせ物語にあふな/\に同し事也云々愚案あふな/\は懇にといふ儀といへり誰か此露の玉を懇に手にまかんといふそと也ちふは云也
晩《ヲソキ》芽子《ハキノ》歌一首 大伴坂上郎女
1548 咲花もうつろ 一云おそろ はうきをおくてなる長きこゝろに猶しかすけり
咲花毛 宇都呂 乎曽呂 波厭奥手有長意尓尚不如家里
咲花もうつろはうき うつろはうつろふ也早く咲花も早くうつろふはうきををくてにをそくさく花の心長さには猶しく物なしと也一云をそろ仙曰をそろとはをそき也咲花も遅きはうきものなれとも人は心の長きかよかりけりと也見安同義
至テ2衛門ノ大尉《タイセウ》大伴ノ宿祢|稲公《イナキミガ》跡見庄《トミノサトニ》1作レル歌一首 典鑄正《テンジユノカミ》紀ノ朝臣|麻人《アサヒト》
1549 いめたてゝとみのをかへの撫子の花ふさやおりわれはもていなんなら人のため
射目立而跡見乃岳邊之瞿麦花總手折吾者将去寧樂人之為
いめたてゝとみのをかへ 弓ゐる眼にて鳥を見るにいひかけたりこの集十三ニいめたてゝしゝまつともよめりとみの岡大和也日本紀ニ神武天皇|長髄彦《ナカスネヒコ》と戦《タヽカ》ひ給ふ時金色の異鵄《アヤシキトヒ》天皇の弓弭《ユミハズ》に止れり扨戦ひ勝給ふ其所を鵄邑《トヒノムラ》と云|鳥見《トミ》は是|訛《ヨコナハレリ》云々
鳴鹿歌一首 湯ノ原ノ王
1550 秋はきのちりのまかひによひたてゝなくなるしかのこゑのはるけさ
秋芽之落乃亂尓呼立而鳴奈流鹿之音遥者
秋はきのちりのまかひ 萩の散まかふ中に鹿のよはふ声聞ゆる心也
一首 市原王
1551 ときまちておつるしくれの雨やみてあさかのやまのうつろひぬらん
待時而落鍾礼能雨零収開朝香山之将黄變
ときまちておつる 落るは降也あさか奥州
蟋蟀《キリ/\スノ》歌一首 湯ノ原ノ王
1552 ゆふつく夜こゝろもしぬに白露のをくこの庭にきり/\すなくも
暮月夜心毛思努(イしの)尓白露乃置此庭尓蟋蟀鳴毛
ゆふつくよ心もしぬに 古來風躰此哥しぬにとあり袖中抄にはしぬにともしのにとも讀りぬとのと五音通すれは同義なるへし心もしのにを古來風体に心も常にと注し給へり夕月夜の露蛬常に秋情を催す心にや
一首 衛門大尉《エモンノダイゼウ》大伴ノ宿祢|稲公《イナキミ》
1553 しくれの雨まなくしふれはみかさ山こすゑあまねく色つきにけり
鍾礼能雨無間零者三笠山木末歴色附尓家里
しくれの雨まなくし まなくしのしは助字也三笠山雨の縁也
和スル歌一首 大伴家持
1554 おほきみのみかさの山のもみちははけふのしくれにちりかすきなん
皇之御笠乃山能黄葉今日之鍾礼尓散香過奈牟
おほきみのみかさの 御笠といはん諷詞におほきみのとをけりまへにも有し詞也
一首 安貴王
1555 秋たちていくかもあらねはこのねぬるあさけのかせはたもとさむしも
秋立而幾日毛不有者此宿流朝開之風者手本寒(イすゝし)母
秋たちていくかも 朗詠拾遺集等には幾日もあらねとゝ有て袂涼しもと有定家卿詠哥大概同類聚萬葉にはあらぬにと有て寒しもと有玄旨抄このねぬるはねぬるといふ儀也猶口訣
一首 忌部《インヘノ》首《ヲフト》黒麻呂
1556 秋田かるかりほもいまたこほたねはかりかねさむし霜もをきぬかに
秋田苅借菴(イいほ)毛未壊者雁鳴寒(イさむみ)霜毛置奴我二
秋田かるかりほも をきぬかには置ぬらんかに也借菴もこほたねはいまたさはあらしと思ふ間に早く鳫も声寒く霜も置ぬらむかと思ふ程に成しと也
故郷《フルサトノ》豊浦《トヨラノ》寺ノ之|尼《アマ》私房《ワタクシノハウノ》宴スル歌三首 丹比《タチヒノ》真人國人
1557 あすかかはゆきゝのをかの秋萩はけふふるあめにちりかすきなん
明日香河逝廻岳之秋芽者今日零雨尓落香過奈牟
あすか川ゆきゝの 飛鳥河ゆきゝのをか豊浦寺の邊成へし
沙弥尼|等《ラ》
1558 うつらなくふりにし里の秋はきをおもふひとゞちあひみつるかも
鶉鳴古郷之秋芽子乎思人共(イとも)相見都流可聞
うつらなくふりにし 心明也朗詠新拾遺等には鶉なくいはれののへの秋萩をと有
1559 あきはきはさかり過るをいたつらにかさしにさゝてかへりなんとや
秋芽子者盛過乎徒尓頭刺不挿還去牟跡哉
あきはきはさかり 心は明也
跡見田庄《トミタノサトニテ》作レル歌二首 大伴坂上郎女
1560 いもかめを見そめかさきの秋はきはこの月ころはちりこすなゆめ
妹目乎始見之崎乃秋芽子者此月其呂波落許須莫湯目
いもかめを見そめか 見そめかさき八雲御抄大和と有發句は枕詞也
1561 ふなはりのゐかひの山にふすしかのつまよふこゑをきくがともしさ
吉(イ古)名張乃猪養山尓伏鹿之嬬呼音乎聞之登聞思佐
ふなはりのゐかひ 見安云ふなはりは舟の内によこさまに渡したる木也此木に居てかいをつかふ故に舟張のゐかいと云也愚案ゐかひの枕詞にふなはりと云八雲云猪養山大和と有きくがともしさは絶てあかぬ心也
雁ノ歌一首 巫部《カンナイヘ》麻蘇娘子《マソガムスメ》
1562 たれきゝつこゆなきわたるかりかねのつまよふこゑのゆくをしらさす
誰聞都從此間鳴渡雁鳴乃嬬呼音乃之知左守
たれきゝつこゆなき 誰きゝつは誰か聞つる也こゆはこゝに也ゆくをしらさすはゆく方をしらさぬ心也心は鳫のつまよふに我家持を待心によせて此鳫を家持聞給はゝ來給はんを誰か聞つらん家持は聞給はぬにや其声聞しとも不云と也
和スル歌一首 大伴ノ家持
1563 聞つやと妹のとはせるかりかねはまこともとをく雲かくるなり
聞津哉登妹之問勢流雁鳴者真毛遠雲隠奈利
きゝつやと妹かとはせ 遠く雲隠たれは妻呼声もきかさりしと也其ゆへに鳫の行ゑも不知とひもせさりしと也
一首 日置《ヒヲキノ》長枝娘子《ナカヱカムスメ》
1564 秋つけはおはなかうへにをく露のけぬへくもわれはおもほゆるかも
秋付者尾花我上尓置露乃應消毛吾者所念香聞
秋つけはおはなかうへに 見安云秋つけは秋になれはといふ也愚案序哥也家持をおもひて消へく思ふと也拾遺集人丸「秋の田のほの上にをける白露の下同
和歌一首 大伴家持
1565 わかやとのひとむらはきをおもふこに見せでほと/\ちらしつるかも
吾屋戸乃一村芽子乎念児尓不令見殆令散都類香聞
わかやとのひとむら 見せててをにこるへしほと/\は語の助也おもふこは娘子をさしていへり
秋歌四首 大伴家持
1566 ひさかたのあまゝもをかす雲隠れなきそゆくなるわさたかりかね
久堅之雨間毛不置雲隠鳴曽去奈流早田雁之哭
久かたのあまゝも 祇曰雨間もをかすとは絶す時雨てふかき雲隠に鳫のなく也愚案|早田《ワサダ》をかるにそへて仲秋の比の鳫をよめり
1567 雲かくれなくなる鳫の行てゐん秋田のほたちしけくしそ思ふ
雲隠鳴奈流雁乃去而将居秋田之穂立繁之所念
雲かくれなくなる 第四句まては序哥也しけく其人を思ふといはんとて也
1568 あまこもり心ゆかしみいて見れはかすかの山はいろつきにけり
雨隠情欝悒(イいふせみ) 出見者春日山者色付二家利
あまこもり心ゆかしみ 雨中にこもりて心いふかしくおほつかなさにとなるへし
1569 雨はれてきよくてらせる此月夜又さらにしてくもたなひくな
雨晴而清照有此月夜又更而雲勿田菜引(イなたなひき)
雨はれてきよく 雨晴て遍清明なるにと也イ雲なたなひきもたなひくなと同心也
二首 藤原朝臣八束
1570 こゝにありてかすかやいつこあまさはりいてゝゆかねはこひつゝそをる
此間在而春日也何處雨障出而不行者戀乍曽乎流
こゝにありてかすかや 春日山の秋景見まほしけれと雨にこもりゐて出てゆかねは戀しと也秋の詞なけれとも次の哥と同時の哥にや
1571 かすか野にしくれふる見ゆあすよりはもみちかさゝんたかまとのやま
春日野尓鍾礼零所見明日從者黄葉頭刺牟高圓乃山
かすか野にしくれふる 高圓山に紅葉せん事をかさゝんと讀なるへし
白露歌一首 大伴家持
1572 わかやとのおはなかうへのしら露をけたすて玉にぬくものにもか
吾屋戸乃草花上之白露乎不令消而玉尓貫物尓毛我
わかやとのおはなか 露を愛する心也
一首 大伴|利上《トシウヘ》
1573 秋の雨にぬれつゝをれはいやしけれとわきもかやとしおもほゆるかも
秋之雨尓所沾乍居者雖賎(イやしけれと)吾妹之屋戸志所念香聞
秋の雨にぬれつゝ 沾しほれ賤しき有さまなから猶妹か宿を思ふと也一説いやしけれとは恐かましけれとゝ云也秋雨に沾る故及はぬ事なから妹か宿に雨宿りせまほしと也此説可然か
右大臣橘家ノ宴ノ歌七首 橘ノ右大臣 諸兄公
1574 雲のうへになくなる鳫の遠けれともきみにあはんとたもとをりきつ
雲上尓鳴奈流雁之雖遠君将相跡手廻來津
雲のうへに鳴なる 一二句は遠けれとゝいはん諷詞也遠き所なれと君を思ふ心深き故立もとほりきたると也
1575 くもの上になきつる鳫の寒きなへはきのしたははうつろはんかも
雲上尓鳴都流雁乃寒苗芽子乃下葉者黄變可毛
くもの上になきつる 鳫の声寒くきこゆるこゑなるへしなへは故也
長門ノ守巨曽倍《コソヘノ》朝臣|津嶋《ツシマ》
1576 此をかにをしかふみおこしうかねらひかもかくすらくきみゆへにこそ
此岳尓小牡鹿履起宇加泥良比可開(中が西)可開為良久君故尓許曽
此をかにをしかふみ 仙曰をしかふみおこしとは子鹿也うかねらひとは大鹿ねらひと云和語の習ひうは大の儀也愚案此儀髣髴也正説口訣也
阿倍朝臣蟲麻呂 從五位中務少輔
1577 秋のゝのおはなかすゑををしなみてこしくもしるくあへるきみかも
秋野之草花我末乎押靡而來之久毛知久相流君可聞
秋のゝのおはな をしなみ押なひかし也こしくのくは助字也尾花を分て來ししるしに君にあへりと也
1578 けさなきてゆきし鳫かね寒みかもこの野のあさち色つきにける
今朝鳴而行之鳫鳴寒可聞此野乃淺茅色付尓家類
けさなきて行し鳫金 寒みかもは寒さにや也
文忌寸《フミノイミキ》馬|養《カヒ》
1579 あさとあけて物思ふ時にしら露のをけるあきはき見えつゝもとな
朝扉開而物念時尓白露乃置有秋芽子所見喚鶏本名
あさ戸あけて物思ふ 祇曰物おもふあした戸ほそをし明てみるに秋萩に白露をける恨身にしむ心ちし侍る愚案もとなはよしな也
1580 さをしかのきたちなくのゝ秋はきはつゆしもおひてちりにし物を
棹壮鹿之來立鳴野之秋芽子者露霜負而落去之物乎
さをしかのきたち鳴 露霜おひては露霜をおひいたゝきて也
天平十年戊寅秋八月廿日橘ノ朝臣|奈良麻呂《ナラマロ》結集ノ宴ノ歌十一首
橘朝臣奈良麻呂
1581 たおらすてちりなはおしと我思ひし秋のもみちをかさしつるかも
不手折而落者惜常我念之秋黄葉乎挿頭鶴鴨
たおらすてちりなは 心明なるへし作者奈良麿は諸兄公の男天平十二年五月従五位下に叙す續日本紀にあり
1582 しきて見ん人に見せんともみちはをたおりそわかこし雨のふらくに
希将見人尓令見跡黄葉乎手折曽我來師雨零久仁
しきて見ん人に見せんと 見安云しきて見んしきりて見ん也愚案雨にふらくにとは雨の降にと也頻に大切にみん人のためとて雨中に折こしと也
久米《クメノ》女王
1583 もみちはをちらすしくれにぬれてきてきみかもみちをかさしつるかも
黄葉乎令落鍾礼尓所沾而來而君之黄葉乎挿頭鶴鴨
もみちはをちらす 上句のは世上なへての紅葉なるへし下句のはなら丸の家の紅葉を客方にて讀るなるへし
長忌寸娘《ヲサノイミキカムスメ》
1584 しきてみんとわか思ふ君はあき山のはつもみちはににてこそ有けれ
希将見跡吾念君者秋山始黄葉尓似許曽有家礼
しきてみんと我思ふ 此哥はなら丸のしきて見ん人にみせんとよめる詞によりて又あるし方に成て久米女王を賞してよめるなるへし
内舎人《ウトネリ》縣犬養《アカタイヌカヒノ》宿祢|吉男《ヨシヲ》
1585 なら山のみねの紅葉ゝとれはちるしくれのあめしまなくふるらし
平山乃峯之黄葉取者落鍾礼能雨師無間零良志
なら山のみねの あめしのしは助字也まなく時雨る故に紅葉を折に折もあへすちる心也平山或本にひら山と点するは非也
縣《アカタ》犬養ノ宿祢|持男《モチヲ》
1586 もみちはをちらまくおしみたおりきてこよひかさしつなにかおもはん
黄葉乎落卷惜見手折來而今夜挿頭津何物可将念
もみちはをちらまく 望足て悦ふ心也
大伴宿祢|書持《フンモチ》
1587 あしひきの山のもみちは今夜もかうきていぬらん山河の瀬に
足引乃山之黄葉今夜毛加浮去良武山河之瀬尓
あしひきの山の 今夜もかは今夜もや散浮て流行らんと也
三手代 イ之手代人名
1588 ならやまをにほはすもみち手折きてこよひかさしつちらはちるとも
平山乎令丹黄葉手折來而今夜挿頭都落者雖落
なら山をにほはす にほはすは紅にそめし心也已にかさしつれはちるとも好シと也
秦《ハタノ》許遍《コヘ》麻呂
1589 つゆしもにあへるもみちを手折きていもにかさしつのちはちるとも
露霜尓逢有黄葉乎手折來而妹挿頭都後者落十方
つゆしもにあへる 露と霜とをいひつゝけて露霜といふ也霜をにこる説不用之あへるは染し心也源氏末摘花卷にあかゝらんはあへなんといへると同一説露霜に逢て染し心也可用之か妹にかさしつはかさして見せつるとの心也
大伴宿祢|池主《イケヌシ》
1590 かみなつきしくれにあへるもみちはのふかはちりなんかせのまに/\
十月鍾礼尓相有黄葉乃吹者将落風之随
神無月時雨にあへる 是も逢心なるへし
内舎人大伴宿祢家持
1591 もみちはのすきまくおしみおもふとちあそふこよひはあけすもあらぬか
黄葉乃過麻久惜美思共遊今夜者不開毛有奴香
もみちはの過まく あけすもあらぬかは明すもあれかしの心也
竹田庄作歌二首 天平十一年己卯秋九月作v之ヲ
大伴坂上郎女
竹田庄 坂上郎女すみし所にや此集四にも有
1592 たゝならすいをしろ小田をかりみたり田ふせにをれはみやこおもほゆ
然不有五百代小田乎苅亂田蘆尓居者京師所念
たゝならすいをしろ 見安云たゝならすいたつらならす也たふせは田を守菴也袖中抄|多夫世《タフセ》ふせ屋といふはこの儀歟たいほとよめるは悪し云々愚案|五十代《イソシロ》田は一|反《タン》也|五百代《イヲシロ》は田一町也
1593 こもりくのはつせの山はいろつきぬしくれのあめはふりにけらしも
隠(イかくら)口乃始瀬山者色附奴鍾礼乃雨者零尓家良思母
こもりくのはつせ 心明也類聚にはかくらくのはつせと有こもりくかくらく點のかはり計也心は同し前に注す
佛前ニ唱《トナフル》歌一首 冬十月皇后宮之維摩講ニ終日供2養ス大唐《モロコシ》高麗《コマ》等《ナド》種々ノ音樂ヲ1尓シテ乃チ唱フ2此歌ノ詞ヲ1弾《ヒク》v琴ヲ者ノは市原ノ王忍坂ノ王後ニ賜2姓ヲ大原ノ真人赤麻呂ト1也|歌子《ウタメハ》者田口ノ朝臣家守河ノ邊《ヘノ》朝臣東人置始メノ連長谷|等《ラ》十數人也
皇后宮 光明子|淡海公《タンカイコウ》の第二女聖武天皇のきさきなるへし
維摩講《ユイマカウ》 維摩經を講せらるゝなり慶雲三年十月僕射不比等倭海公修スルコト2維摩會ヲ1一七日始テ2初十ヨリ1至ル2十六ニ1蓋《ケタシ》十六ハ者大職冠ノ諱《イミ也》故ニ充ツ2散日ト1と元享釋書にあり是此|會《エ》の始也此のち連綿興福寺にてをこなはる
大唐高麗等 音樂にもろこしの樂こまの樂とて品々有
作者未詳
1594 しくれのあめまなくなふりそ紅ににほへるやまのちらまくおしも
思具礼能雨無間莫零紅尓丹保敝流山之落卷惜毛
しくれのあめまなく これかの維摩講に佛前の音樂に合せて唱し哥也心は明也
一首 大伴ノ宿祢|像見《カタミ》
1595 あきはきのえたもとをゝに置露のけなはけぬとも色にいてめやも
秋芽子乃枝毛十尾二降露乃消者雖消色出目八方
あきはきの枝も とをゝはたは/\と同枝のたは/\するまてをく也置露のまては序哥也たとひ死すとも色に出じと戀ノ哥也
到テ2娘子《ヲトメカ》門ニ1作歌一首 大伴宿祢家持
1596 いもかいへのかとたを見んと打出こしこゝろもしるくてる月よかも
妹家之門田乎見跡打出來之情毛知久照月夜鴨
妹かいへの門田をみん 心さしいちしるくかなひて月明らかに門田をみしと也妹か見まほしさを門田によせてよめるなるへし
秋歌三首 天平十五年癸未秋八月詠2物色ヲ 大伴宿祢家持
1597 あきのゝにさける秋はきあき風になひけるうへに秋の露をけり
秋野尓開流秋芽子秋風尓靡流上尓秋露置有
あきのゝにさける 心明也秋といふ詞をかさねて一體とせられしなるへし
1598 さをしかのあさたつのへの秋はきにたまと見るまてをけるしらつゆ
棹牡鹿之朝立野邊乃秋芽子尓玉跡見左右置有白露
さをしかのあさたつ あしたにたゝすめる也時節景氣面白哥にや新古今に入
1599 さをしかのむねわけにかも秋はきのちりすきにけるさかりかもいぬる
狭尾牡鹿乃胸別尓可毛秋芽子乃散過鶏類盛可毛行流
さをしかのむねわけ 鹿の胸にてわけゆく故にかく萩の過たるか盛の時のゆき過しにやと也
二首 内舎人石川朝臣廣成
1600 つまこひにしかなく山のあきはきはつゆしもさむみさかりすきゆく
妻戀尓鹿鳴(イかなく)山邊(イやまへ)之秋芽子者露霜寒盛須疑由君
つまこひにしかなく 心明也鹿鳴山邊しかなくやまと和ス或点かなくやまへと和ス義は同し
1601 めつらしききみかいへなるはな薄ほにいつるあきのすくらくおしも
目頬布君之家有波奈須為寸穂出秋乃過良久惜母
めつらしききみか 過らくおしもは過るかおしきと也
鹿ノ鳴ケル歌二首 天平十五年癸未八月十六日作 大伴宿祢家持
1602 やまひこのあひとよむまて妻こひにしかなくやまにひとりのみして
山妣姑乃相響左右妻戀尓鹿鳴(イかなく)山邊(イやまへ)尓獨耳為手
やまひこのあひとよむ 鹿とよみ山ひことよむをあひとよむといふ鹿の妻戀山中に独のみある秋情哀にや
1603 このころのあさけにきけは足引のやまをとよましさをしかなくも
頃者之朝開尓聞者足日木篦山乎令響狭尾牡鹿鳴喪
このころのあさけに なくものもは助字也
傷2惜《イタミヲシム》寧樂《ナラノ》故ル郷ヲ1歌一首
大原ノ真人《マツト》今城
傷2惜寧樂故郷ヲ1 聖武の御宇しはらく山城の久迩の都摂津の難波なとに都をうつされし時の事前に註せり
1604 秋されはかすかのやまのもみちみるならのみやこのあるらくおしも
秋去者春日山之黄葉見流寧樂乃京師乃荒良久惜毛
秋されはかすかの 心明也
一首 大伴宿祢家持
1605 たかまとののへのあきはきこのころのあかつきつゆにさきにけんかも
高圓之野邊乃秋芽子此日之暁露尓開兼可聞
たかまとののへの 心明なり
秋ノ相聞
思テ2近江天皇ヲ1作歌一首 額田《ヌカタノ》王
思近江天皇 志賀の朝天智天皇を思ひ奉るとなるへし
1606 きみまつとわかこひをれはわかやとのすたれうこかしあきの風ふく
君待跡吾戀居者我屋戸乃簾令動秋之風吹
きみまつとわかこひ すたれうこかしといふに感あるにや君まつ折は簾のうこくにもそれかとをとろく心あるなるへし額田王は天智天皇の宮女也
一首 鏡王ノ女
1607 かせをたにこふるはともし風をたにこんとしまたはいかゝなけかん
風乎谷戀者乏風乎谷将來常思待者何如将嘆
かせをたにこふるは 暑天なとに風をたにこふれはともしと也風をたにと下にいへるは重詞也たにといふに君をこめたり君をこふれは逢かたし待はいかに歎んといへる心也
御歌一首 弓削皇子
1608 秋はきのうへにをきたるしら露のけかもしなまし戀つゝあらすは
秋芽子之上尓置有白露乃消可毛思奈萬思戀管不有者
秋はきのうへに 序哥也かく戀へくあられすは消かせんと也祇注の義はかく戀つゝあらんするには也
一首 丹比ノ真人|闕《カク》v名ヲ
1609 うたの野の秋はきしのきなく鹿もつまにこふらくわれにはまさし
宇陀乃野之秋芽子師弩藝鳴鹿毛妻尓戀樂苦我者不益
うたのゝの秋はき 鹿も妻戀らめと我戀るにはまさらしと也宇陀野大和也
贈ル2大宰帥|大伴《トモノ》卿ニ1歌一首 丹生《ニフノ》女王
1610 たかまとの秋野のうへのなてしこの花うらわかみひとのかさしゝ撫子の花
高圓之秋野上乃瞿麦之花下壯香見人之挿頭師瞿麦之花
たかまとの秋のゝ 旋頭哥也帥の卿をなてしこによそへて人のかさしけるかねたき心をよめるにや
一首 笠縫《カサヌヒノ》女王
1611 あしひきの山したとよみなくしかのことともしかもわかこゝろつま
足日木乃山下響鳴鹿之事乏可母吾情都末
あしひきの山した 事ともしかもとは事ともしく逢かたき心也見安云わか心妻心におもふ妻也愚案序哥也鳴鹿の事ともしきことく我思ふ妻も事ともしきかもと也
一首 石川ノ賀係女郎《カケノヲトメ》
1612 かみさふときかすはあらし秋くさのむすひしひもをとけはかなしも
神佐夫等不許者不有(イあらす)秋草乃結之紐乎解者悲喪
かみさふときかすはあらし 忍ひて語らふ人ある上に又わりなくいふ人に讀るにや我忍ふ人の中は神さふるまて久しき事をきかすはあらしされは其人とむすひしひもを我今とかんは悲しと也秋草は結ひしの枕詞也
一首 賀茂ノ女王【長屋王之女也母阿倍朝臣】
1613 あきのゝをあさゆくしかの跡もなくおもひしきみに逢へるこよひか
秋野乎旦徃鹿乃跡毛奈久念之君尓相有今夜香
或本云右歌は或人ノ曰|椋橋部《クラはシヘノ》女王或曰笠縫女王作
あきのゝをあさゆく 序哥也跡かたもなく行末なしと思ひし君に逢見し今夜哉と也
奉ル2天皇ニ1歌一首 遠江ノ守櫻井ノ王
1614 なかつきの其はつかりのつかひにもおもふこゝろはきこえこぬかも
九月之其始雁乃使尓毛念心者可聞來奴鴨
なかつきの其はつかり 九月廿日のほとなれは其はつかりとよめるにや九月に初鳫といふには不可有にや初鳫のつかひとは鳫書の心にや人まろのうたに「あまとふやかりのつかひにともよめり今桜井王遠江守に任して任国に侍るに何ともおほしめさすやと成へし
賜《タマフ》2報和ノ御歌《ミウタヲ》1一首 天皇
1615 おほのうらのそのなかはまによする浪ゆたけくきみをおもふこのころ
大乃浦之其長濱尓縁流浪寛公乎念比日
大ノ浦は者遠江ノ國之海濱ノ名也
おほのうらの其なかはま 大浦遠江のよし注にみゆ八雲御抄にもしか侍りなかはまは長きはまなるへし序哥のさま也浪のゆたかによすることくゆたかになんちをおもふとなるへし桜井王かく帝に思はれ奉る故有にこそ思ふ心は聞えこぬかもと讀し御返哥也
贈ル(賜イ)2大伴ノ宿祢家持ニ1歌一首 笠女郎
1616 あさことにわか見るやとのなてしこのはなにもきみははありこせぬかも
毎朝吾見屋戸乃瞿麦之花尓毛君波有許世奴香裳
あさことにわかみる なてしこは朝ことにみるに其花のことくにもきみはあり來ぬとなり
贈ル2大伴宿祢家持ニ1歌一首 山口ノ女王
1617 秋はきにをきたる露の風吹ておつるなみたはとゝめかねつも
秋芽子尓置有露乃風吹而落涙者留不勝都毛
秋はきにをきたる 祇曰秋萩咲たる折しも露を吹みたしたる風には思ひもそひ泪もとゝまりかたかるへし愚案上句はおつるといはん諷詞にて時節の景とそ
賜フ2娘子ニ1歌一首 湯ノ原ノ王
1618 玉にぬきてけさてたはらん秋はきのうれわゝらはにをけるしら露
玉尓貫不令消賜良牟秋芽子乃宇礼和和良葉尓置有白露
玉にぬきてけさて うれわゝらば上やはらかなる葉也萩の末にちいさく和かなる葉也よそにかはらて我物に得まほしき心をけさてたまはらんとよめり
至テ2姑《シウトメ》坂上ノ郎女カ竹田ノ庄ニ1作歌一首 大伴家持
1619 たまほこのみちはとをけれとよしえやしいもをあひ見にいてゝそわかこし
玉桙乃道者雖遠(イとをけと)愛哉師妹乎相見尓出而曽吾來之
たまほこの道は遠けれと 妹をあひみにこゝからは道遠きもよし/\と也
和ル歌一首 天平十一年己卯秋八月作 大伴坂上郎女
1620 あらたまのつきたつまてにきまさねはゆめにし見つゝおもひそわかせし
荒玉之月立左右二來不益者夢西見乍思曽吾勢思
あらたまの月たつ 此月に改る心也あらたまの年と同心なるへし道遠けれと相見に出こしとよめるをとかめて月たつまてに來まさねはとなるへし
一首 巫部《カンナイヘ》麻蘇《マソカ》娘子《ムスメ》
1621 わかやとの萩の花さけり見にきませいまふつかはかりあらはちりなん
吾屋前乃芽子花咲有見來益今二日許有者将落
わかやとの萩の花 心明也
與《アタフル》2妹《イモウト》坂ノ上ノ大嬢《ヲトメニ》1歌二首
大伴ノ田村ノ大嬢
大伴田村大嬢 坂上大嬢と姉妹也
1622 わかやとの秋のはきさくゆふかけにいまも見てしかいもかすかたを
吾屋戸乃秋之芽子開夕影尓今毛見師香妹之光儀乎
わかやとの秋の萩咲 いまも見てしかは見てしがな也いもはいもうとをいへり
1623 わかやとにもみつるかへて見ることにいもをかけつゝこひぬ日はなし
吾屋戸尓黄變蝦手毎見妹乎懸管不戀日者無
わかやとにもみつる もみつるは紅葉しつる也蝦手は楓也
贈ル2秋《アキノ》稲蘰《イナカツラヲ・ホクミ》於大伴ノ宿禰家持ニ1歌一首 天平十一年己卯秋九月ノ徃來也
坂上大娘
1624 わかまけるわさ田のほだちつくりたるほぐみそ見つゝしのへわかせこ
吾之蒔有(或作v業)早田之穂立造有蘰(イかつら)曽見乍師弩波世吾背(イしのはせわかせ)
わかまけるわさ田の 蔓の字童蒙抄類聚萬葉等にはほくみとよみてとまりもしのへわかせことよめり仙点はかつらそ見つゝしのはせわかせとよむはせはヘと反《カヘ》る同意なるへし
報贈《ムクヒヲクル》歌一首 大伴宿禰家持
1625 わきもこかわざとつくれる秋の田のわさほのほくみ見れとあかぬかも
吾妹児之業(イなり)跡造有秋田早穂乃蔓(イかつら)雖見不飽可聞
わきもこかわさと 業の字イニなりとよむわさとおなし哥の心はあきらか也
又報ルd脱《ヌイテ》2着《キタル》v身ニ衣ヲ1贈ルヲu歌一首 家持
1626 あきかせのさむきこのころしたにきんいもかかたみとかつもしのはん
秋風之寒比日下尓将服妹之形見跡可都毛思努播武
右三首天平十一年己卯秋九月徃來
あきかせのさむき かつもしのはんはかつ/\も忍んと也妹か形見と見つゝ戀しさをなくさめんとの心也
攀《ヨチテ》2非《ナラヌ》v時《トキ》藤ノ花并ニ芽子《ハキ》黄葉二物ヲ1贈ル2坂上ノ大嬢ニ1歌 一首天平十二年庚辰夏六月徃來
大伴宿祢家持
非時藤花 今も六月比にさく藤あり徃來とは消息贈答等也
1627 わかやとのときならぬ藤のめつらしくいまも見てしかいもかえまひを
吾屋前之非時藤之目頬布(イしき)今毛見牡鹿妹之咲容乎
わかやとのときならぬ 第一第二句は非時の藤をよみて即めつらしくといはん諷詞に用ひたり
1628 わかやとのはきの下葉は秋かせもいまたふかねはかくそもみてる
吾屋前之芽子乃下葉者秋風毛未吹者如此曽毛美照
わかやとの萩の 秋風ふけは落葉すへきをいまたふかねはかくをのかまゝに紅葉し照ると也
贈2坂ノ上ノ大嬢《ヲトメ》歌一首并短歌 大伴宿祢家持
1629 いたみ/\物をおもへはいはんすへせんすへもなし妹とわれてたつさはりてあしたには庭にいてたち夕にはとこうちはらひしろたへの袖さしかへてさねしよや常に有けるあしひきの山鳥こそはおむかひにつまとひすといへうつせみの人なるわれやなにすとかひとひひとよもはなれゐてなけきこふらんこゝ思へはむねこそいためそのゆへに心なぐやとたかまとの山にも野にもうち行て遊ひてゆけと花のみし匂ひてあれはみることにましておもほゆいかにして忘るゝ物そ戀といふ物を
叩叩物乎念者将言為便将為為便毛奈之妹與吾手携而旦者庭尓出立夕者床打拂白細乃袖指代而佐寐之夜也常尓有家類足日木能山鳥許曽婆峯向尓嬬問為(イす)云(イてふ)打蝉乃人有我哉如何(イかに)為跡可一日一夜毛離居而嘆戀良武許己念者胸許曽痛其故尓情奈具夜登高圓乃山尓毛野尓母打行而遊(イたはれて)徃杼花耳丹穂日手有者毎見益而所思奈何為而忘物曽戀云物呼
いたみ/\ かなしみ戀る心也せんすへもなしといふまて坂上大嬢に常にあはて嘆《ナケ》く心也
妹と我手たつさはり 常に有けるといふまてはかやうに二人相そふ事常になきなけき也
さねし夜や常に在ける 袖かはしてねし夜の常にやは有けると也
おむかひに 峯に向《ムカフ》也
つまとひすといへ 山鳥は夜は峯を隔て雌雄ひとりねる事童蒙抄無名抄綺語抄等に在されは峯に向ひて雌雄たかひに妻戀る心也
うつせみの 人といひ我といひ身ともいはん枕詞也前に注
こゝおもへは こゝはく思へは也
こゝろなぐやと 心も慰むやとてとの心也伊勢物語に心はなきぬと有
花のみし匂ひて 花計匂ひて君にあらねはまして戀しさなくさます忘れかたしと也
反歌
1630 たかまとののへのかほはなおもかけに見えつゝいもはわすれかねつも
高圓之野邊乃容花面影尓所見乍妹者忘不勝(イかてつ)裳
たかまとの野への かほ花只うつくしき花也見安には杜若といへり師説はそれとさすへからすといへり長哥の花のみの匂ひてあれはみることにましておもほゆいかにして忘るゝ物そなといへるこゝろを立かへりていふ也
贈ル2安倍ノ女郎ニ1歌一首 大伴宿祢家持
1631 いまつくるくにのみやこにあきのよのなかきにひとりぬるかくるしさ
今造久迩能京尓秋夜乃長尓獨宿之苦左
いまつくるくにのみやこ 祇曰此哥は久迩都造る時家持なとも此所に在て大和にある安倍の女郎に遣す哥也
從《ヨリ》2久|迩《ニノ》京《ミヤコ》1贈ルd留《トヽマレル》2寧樂宅《ナラノイヘニ》1坂ノ上ノ大嬢《ヲトメニ》u歌一首 大伴宿禰家持
1632 あしひきのやまへにをりて秋かせのひことにふけはいもをしそおもふ
足日木乃山邊尓居而秋風之日異(イひにげに)吹者妹乎之曽念
あしひきの山へに 久迩のみやこは鹿背《カセ》山の邊なり日ごとにをイひにげにと和す義同秋風の日数ふく山邊の独住に妹を思ふと也
贈《ヲクレル》v尼ニ歌二首 作者未v詳
1633 手もすまにうへしはきにやかへりては見れともあかぬこゝろつくさん
手母須麻尓殖之芽子尓也還者雖見不飽情将盡
手もすまにうへし 手もすまには手も休めす也上は萩を愛する心にて下は我作れる罪の故に我と三途の苦をうくるこゝろをよめるにや
1634 ころもてにみしぶづくまて植し田をひたわれはへてまもるくるしも
衣手尓水澁付左右殖之田乎引板(イひきた)吾波倍(イわれはへ)真守有(イまもれる)栗子(イくるし)
ころもてにみしふ付 みしふはみさび也引板は板に木をそへて綱つけて引|鳴《ナラ》して鹿を驚す物也上は我辛苦してうへし田を我守る辛苦をよみて下には我心からの三毒を又我おこさじと守る修行の安からぬ心を讀て尼にをくれるなるへし
尼作リテ2上句ヲ1令《シメテ》d誂《アツラヘテ》2大伴宿祢家持ニ1續《ツカ》c下ノ句ヲu和スル歌一首 尼
1635 さほかはの水をせきあけてうへし田を
佐保河之水乎塞上而殖之田乎
家持
かるわさいひはひとりなるへし
苅流早飯者獨奈流倍思
さほかはの水をせきあけてうへし田をかるわさ飯は独なるへし 兩作なから心は一首の和なるへし水せき植つなど苦労しなから刈ては独の早飯《ワサイヒ》ならんと讀て難苦の修行をなしても受容は独の覺悟なるへしと也彼筑波の詞の後上句に下句を付る連哥の始め是なりとそ
冬ノ雜歌
雪ノ歌一首 舎人娘子
1636 おほくちのまかみのはらにふる雪はいたくなふりそいへもあらなくに
大口能真神之原尓零雪者甚莫零家母不有國
おほくちのまかみの 八雲御抄大口まかみかはら大和家なき所と云々此哥の事也八雲にはまかみかとあり宿るへき所もなきにと行路の雪を詠めり或説に大口の真神は口にてかむ心云々非也
御歌一首 太上天皇
1637 はたすゝきおはなさかふき黒木もてつくれるやとはよろつよまてに
波太須珠寸尾花逆葺黒木用(イもち)造有室者迄萬代
はたすゝきおはな 袖中抄云はたすゝきとは花薄かたとなと同しひゝき也或萬葉裏書にはたすゝきとは穂の出て旗をさゝけたるやうなる薄を云とそ能因申けると云々童蒙抄にははた薄とははしのすゝきを云也云々師説は能因説にしたかへりおはなさかふきとは見安にさかさまにふく故に云也云々尾花のかたを下になししたを上にふけるにや黒木は皮付の木也かりの御所なから質素を稱して萬代まてといはせ給ふにや此哥おはなかれてやねふく比は冬にて侍るにや
御2在《ヲはシマシテ》左大臣長屋ノ王ノ佐保ノ宅《イヘニ》1肆宴《トヨノアカリノ》御製《ミツクリノ》歌一首 天皇聖武帝に
1638 あをによしならの山なる黒木もてつくれるやとはをれとあかぬかも
青丹吉奈良乃山有黒木用造有室者雖居座不飽可聞
あをによしならの 佐保は奈良の中にあり左大臣の宅に行幸冬なる故此部に入歟冬の詞なし
冬ノ日見テv雪ヲ憶《ヲモフ》v京《ミヤコヲ》歌一首 大宰帥大伴卿
1639 あは雪のほとろ/\にふりしけはならのみやこしおもほゆるかも
沫雪保杼呂々々々尓零敷者平城京師所念可聞
あは雪のほとろ/\ 童蒙抄云ほとろ/\とは物のほとり/\にふりしけはとよめる也雪のいたくふらぬ程は物のきは/\にたまる也云々仙覺抄并見安にはほとろ/\とは雪の降時光のあるを云といへる難信用
梅ノ歌一首 大宰帥大伴卿
1640 わかをかにさかりにさける梅のはなのこれる雪をまかへつるかも
吾岳尓盛開有梅花遺有雪乎乱鶴鴨
わかをかにさかりに 此哥梅は寒梅雪は冬の内に消残れるなるへし
雪梅歌一首 角ノ朝臣廣辨
1641 あは雪にふられてさける梅の花きみかりやらはよそへてんかも
沫雪尓所落開有梅花君之許遣者與曽倍※[氏/一]牟可聞
あは雪にふられて 君かりは君かもとへ也雪にふられて咲し梅なれは君かもとにては此梅を雪によそへ見給はんと也
雪歌一首 安倍朝臣奥道
1642 たなきりあひ雪もふらぬか梅の花さかぬかはりにそへてたにみん
棚霧合雪毛零奴可梅花不開之代尓曽倍而谷将見
たなきりあひ雪も 見安云たなは空也師説棚曇るといふに同しそへてはよそへて也雪を梅によそへてたにみんにふれかしと也
雪歌一首 若櫻部《ワカサクラヘノ》朝臣|君足《キミタル》
1643 あまきらし雪もふらぬかいちしろくこのいつしはにふらまくを見ん
天霧之雪毛零奴可灼然(イいちしるく)此五柴尓零卷乎将見
あまきらし雪も いちしろくイいちしるくあきらかなる心也見安云いつ柴はいちゐの柴也云々愚案櫟柴はたとへは椎を椎柴といふかことく櫟《イチイ》の木の事也|天《アマ》きる雪もふらぬかな此櫟にふるへきを見んにと也
梅歌一首 三野|連《ムラシ》石守《イハモリ》
1644 ひきよちておらはちるへし梅花袖にこきいれつそまはそむとも
引攀而折者可落(ちるへミイ)梅花袖尓古寸入津染者雖染
ひきよちておらは 見安云引よちては引たはめておる也愚案おらは外にちるへし直に袖にこき入たり袖の梅の色にそまはそむともよしと也袖に入るを本意にて外に散を惜む心也
雪歌一首 巨勢《コセノ》朝臣|宿奈《スクナ》麻呂
1645 わかやとの冬木の上うへにふるゆきをうめのはなかとうち見つるかも
吾屋前之冬木乃上(イうれ)尓 零雪乎梅花香常打見都流香毛
わかやとの冬木の 梅は葉なくて花咲は冬木の雪まかふへし
雪歌一首 小治田《ヲハルタノ》朝臣|東《アツマ》麻呂
1646 ぬはたまのこよひの雪にいさぬれなあけむあしたにけなはおしけん
夜干玉乃今夜之雪尓率所沾名将開朝尓消者惜家牟
ぬは玉のこよひの ぬれなはぬれなん也おしけんはおしからん也
雪歌一首 忌部《インヘノ》首《ヲフト》黒麻呂
1647 うめの花枝にかちると見るまてにかせにみたれて雪そふりくる
梅花枝尓可散登見左右二風尓乱而雪曽落(イちり)久類
うめの花枝にか 心明也
梅歌一首 紀ノ少鹿《ヲシカノ》女郎
1648 しはすにはあは雪ふるとしらぬかもうめのはなさくつほめらすして
十二月尓者沫雪零跡不知可毛梅花開含(イふゝめ)不有而
しはすにはあは雪 雪梅の哥なるへし此梅のつほみもやらて咲たりと見ゆるを我とあやしみとかめて十二月には雪ふる物としらぬかもまことは雪なる物をとみつからいふ心なるへしつほめらすしてといふに心を付へし
雪梅歌一首 大伴ノ宿祢家持
1649 けふ降りし雪にきほひて我やとの冬木のうめは花さきにけり
今日零之雪尓競而我屋戸之冬木梅者花開二家里
けふふりし雪にきほひイきそひ 祇曰雪にきほひてはあらそふ心也愚案只にも咲へかりし梅のけふの雪に競ひてと也
御2在テ西池ノ邊《ホトリニ》1肆宴歌一首 天皇御製
或本云右一首作者未v詳但堅子阿倍朝臣虫麻呂傳誦v之ヲ
御2在西池邊ニ1 續日本紀十三ニ曰天平十年七月晩頭ニ御ス2西池宮ニ1こゝ歟
1650 いけのへの松のすゑはにふるゆきはいほへふりしけあすさへも見ん
池邊乃松之末葉尓零雪者五百重零敷明日左倍母将見
いけのへの松の末葉 いけは西池也けふもあかすあすさへもみるへけれはふかく高く五百重ふりしけ也
一首 大伴坂上郎女
1651 あは雪の日なめにつきてかくふれはうめのはつ花ちりかすきなん
沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南
あは雪の日なへ(め)に 日なめは日をならへていく日もふる也つきてはつゝきて也雪のふかきに梅散過んかと也
梅歌一首 池田廣津娘子
1652 うめのはなおりもおらすもみつれともこよひの花になをしかすけり
梅花折毛不折毛見都礼杼母今夜能花尓尚不如家利
うめの花折もおらす 折ても見おらても見つれとも也
依テv梅ニ發《ヲコス》v思ヲ歌一首 縣犬養《アカタイヌカヒノ》娘子
1653 いまのことこゝろをつねにおもへらはまつさくはなのつちにおちめやも
如今心乎常尓念有者先咲花乃地尓将落八方
いまのこと心をつねに あさはかに急く物はやむるも亦はやし先さく花は早く落理を思ひ知今の心のことく常に思ひて忘すは先咲花の早く地におつるかろ/\しさは身にあらしと也
雪歌一首 大伴坂上郎女
1654 松かけのあさちのうへのしら雪をけたすてをかんことはかもなき
松影乃淺茅之(イが)上(イうれ)乃白雪乎不令消将置言者可聞奈吉
松かけのあさちの けたすしてをかん事はなきかもといふ心也類聚萬葉ことはかもなきとよめり仙点はいへはかもなきと和ス如何
冬相聞
一首 三國ノ真人《マツト》人足
1655 たかやまのすかのはしのき降雪のけぬとかいふもこひのしけゝく
高(イおく)山之菅葉之努藝零雪之消跡可曰(イいは)毛(む)戀乃繁鶏鳩
たか山のすかのは 序哥也戀のしけくて消るとかいふとの心也いふものも助字也しけゝくのけも助字也此哥古今ニ詞少かはりて入
一首 大伴坂上郎女
1656 さかつきにうめの花うけて思ふとちのみてのゝちはちりぬともよし
酒杯尓梅花浮念共飲而後者落去登母與之
さかつきにうめの花 のみてとは酒にや
和スル歌一首 作者未詳
1657 つかさにもゆるし給へるこよひのみのまんさけかもちりこすなゆめ
官尓毛縦賜有今夜耳将欲酒可毛散許須奈由米
酒は者官ノ禁制称シテ2京中閭里ニ1不v得2集宴スルコト1 但親親一二飲樂ヲ聴許《ユルス》者也縁テv此ニ和スル人作ル2此發句ヲ1焉
つかさにもゆるし 注に委此時京中閭里にも酒は官の禁制なから親しき一二人のむ事はゆるし給へり其故に上句にかく讀り散こすなとは如此飲樂の折は梅も散こすなといさめんとてゆめ/\と讀也
奉ル2天皇ニ1御歌一首 藤皇后
1658 わかせことふたり見ませはいくはくかこのふるゆきのうれしからまし
吾背児與二有見麻世波幾許香此零雪之懽有麻思
わかせことふたり 天皇と二所おはして見給はゝと也
一首 池|田《タノ》廣津《ヒロツカ》娘子《ムスメ》
1659 まきのうへにふりをける雪のしく/\もおもほゆるかもさよとふわかせ
真木乃於尓零置有雪乃敷布毛所念可聞佐夜問吾背
まきのうへにふり 一二句はしく/\もといはん諷詞也しく/\はさ夜中にとひ來るわかせこをしきりにおもふと也
一首 大伴宿祢駿河麻呂
1660 うめの花ちらすあらしの音にのみきゝしわきもを見らくしよしも
梅花令落冬風音耳聞之吾妹乎見良久志吉裳
うめのはなちらす 一二句はをとにのみといはん諷詞也音にのみ聞しわきもこを見てうれしとの心也
一首 紀少鹿女郎
1661 ひさかたの月よを清みうめの花こゝろひらけてわかおもへるきみ
久方乃月夜乎清美梅花心開而吾念有公
久かたの月よを清み 祇曰月夜に梅咲あひたるをみるやうに心そむ儀也心開けてとは大やうに思はぬ心也師説上句は心ひらけてといはむ諷詞也下句は忍ふ心もひらけ出て我思ふ君そと也兩義可随好
與《アタフル》2妹ノ坂ノ上ノ大娘《ヲトメニ》1歌一首
大伴田村大娘
1662 あはゆきのけぬへき物をいまゝてになからへぬれはいもにあへるそ
沫雪之可消物乎至今流經者妹尓相曽
あは雪のけぬへき 五文字はけぬへき物をといはん諷詞なりいもうとの坂上大娘をこひてきえぬへき身なりしを命なからへたれはかく對面しつるそとよろこふ心なるへし
一首 大伴宿祢家持
1663 あは雪のにはにふりしきさむきよをたまくらまかすひとりかもねん
沫雪乃庭尓零敷寒夜乎手枕不纒一香聞將宿
あはゆきの庭に かやうの寒夜をしも妹か手枕もかはさて独ねんかと也
萬葉集卷第八
天和三年二月三日註解此一卷同十五日終功於新玉津嶋之菴下此一卷從貞享二年九月十八日到十月朔日終再※[潟の旁]之功
2003.11.1(土) 12時14分 入力終了 休日で人のいない図書館にて 2004.6.5(土)午後5時5分、校正終了
萬葉集卷第九
雜歌
御製歌 一首 泊瀬朝倉宮 或云|崗《ヲカ》本天皇
泊瀬朝倉宮 雄略天皇にて前に注せり
或云岡本天皇 此哥此集八に岡本天皇の御うたと有但をくらの山に鳴鹿のと有仍別にかけるにや
1664 ゆふされはをくらのやまにふすしかのこよひはなかすいねにけらしも
暮去者小椋山尓臥鹿之今夜者不鳴寐家良霜
ゆふされはをくらの山に 彼第八舒明天皇の御うたとふすといふとなくといふかはりはかりにて義は同歟
岡本ノ宮ノ天皇幸ノ2紀伊《キノ》國ニ1時ノ歌 二首 作者未詳
岡本宮天皇 舒明也
1655 いもかためわれ玉ひろふおきへなるたまよせもちこおきつしらなみ
為妹吾玉拾奥邊有玉縁持(イもて)來奥津白浪
いもかためわれ玉拾ふ 玉よせもちこイもてこ沖波に玉よせてもてこよと云也
1666 あさきりにぬれにし衣ほさすしてひとりやきみかやまちこゆらん
朝霧尓沾尓之衣不干而一哉君之山道将越
あさきりにぬれにし衣 ほさすしてはひす隙なくての心也独や君かとは旅行の夫を思ひやるうたなるへし新古今ニ入
大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸ノ2紀伊國ニ1時歌十三首
作者未v詳
大寶元年 文武天皇の年号也仙曰太上天皇は持統大行天皇は文武也
1667 妹かためわれたまもとむおきへなるしらたまよせこおきつしらなみ
為妹我玉求於伎邊有白玉依來於伎都白浪
此一首見v上ニ然トモ辭《コトハ》少シ異ナリ而年代相|違《カハレリ》故|累《カサネテ》載v焉ヲ
妹かためわれたま求む 前のうたと大かた同子細注にみえたり
1668 しらさきはさきくありまておほ船にまかちしゝぬきまたかへり見ん
白埼者幸(類「さちありてまて)在待大船尓真※[木+堯]繁貫又将顧
しら崎はさきく在まて 類聚萬葉にはさち有てまてと和ス八雲御抄しら崎紀伊云々愚案白崎をめてあかて人にいとまこひするやうに幸有て無事にて我をまて又歸見んと云也
1669 みなへの浦しほなみちそねかしまなるつりするあまを見てかへりこん
三名部乃浦鹽莫満鹿嶋在釣為海人乎見變來六
みなへのうらしほな 八雲御抄には此哥をみつなへのうらしほみちなと和せさせ給へり但みなへの浦紀伊也仙点のまゝに可用歟見安云みなへかしま紀伊國名所なり
1670 あさひらきこきいてゝ我はゆらの崎つりするあまを見てかへりこん
朝開(イほらけ)榜出而我者湯羅前釣為海人乎見変将來
あさひらきこき出て 見安云朝開あさほらけ也愚案ゆらの崎きの國也
1671 ゆらのさきしほひにけらししらかみのいそのうらみをあへてこきとよむ
湯羅乃前鹽乾尓祁良志白神之礒浦箕乎敢而榜動
ゆらのさきしほひにけ しらかみのいそ八雲御抄紀伊云々浦箕とは浦廻とおなしこきとよむとは舟をこきさはく心也
1672 くろうしかたしほひの浦をくれなゐのたまもすそひきゆくはたかつま
黒牛方鹽干乃浦乎紅玉裾須蘇延徃者誰妻
くろうしかたしほひのうら 八雲御抄くろうしかた紀伊云々
1673 かさなきのはまのしら波いたつらにこゝによりくる 一云こゝによりくも 見るひとなしに
風莫乃濱之白浪徒於斯依久流(來藻)見人無
右一首山上臣憶良カ類聚歌林曰長ノ忌寸|意吉《ヲキ》麻呂應シテv詔ニ作2此歌ヲ1
かさなきのはまの 風莫濱紀伊也一云こゝによりくももは助字也こゝによりくると同義見る人なきゆへいたつらにと云也
1674 わかせこかつかひこんかと出立し此まつはらをけふかすきなん
我背兒我使将來歟跡出立之此松原乎今日香過南
わかせこかつかひこん せこか使こんかと出立まつに此枩原に彼使けふや行過らんと也此といふ所しれましき也前の哥のかさなきの濱松原か
1675 ふちしろのみさかをこゆと白たへのわかころもてはぬれにけるかも
藤白之三坂乎越跡白栲之我衣手者所沾(けんイ)香裳
ふちしろのみさか 八雲抄藤代御坂紀伊
1676 せのやまにもみちとこしくみわ山のやまのもみちはけふかちるらん
勢能山尓黄葉常敷神岳之山黄葉者今日散濫
せの山に紅葉とこしく とこしくは床に散敷ことくの心也こゝに落葉すれはかしこにもさそと思ひやる心也せの山きのくに也
1677 やまとにはきこえもゆくかおほかのゝたかはかりしきいほりせりとは
山跡庭聞徃歟大我野之竹葉苅敷廬為有跡者
やまとにはきこえも おほか野八雲に紀伊云々こゝに竹の葉をしきて旅宿せりとは故国に聞らんかえしらさらんの心也
1678 きのくにのむかしゆみおのなるやもてしかとりなひくさかのへにそある
木國之昔弓雄之響矢(古ひゝくやも)用鹿取靡坂(イさかの)上(イうへ)尓曽安留
きのくにゝむかしゆみお 見安云関守によそへたつか弓を詠する也愚案朝もよひきの関守かたつか弓と詠せし事也たつか弓とは弓のとつかを大きに卷たる也それは紀伊国椎山の関守かもつ弓也と或抄に見えたり此椎山の関守のよく弓射を弓雄と云にや類聚にはなるやもてと和ス仙点かふらもてと有同物也和名曰|鳴《ナル》箭漢書音義ニ云鳴鏑如シ2今之鳴箭ノ1也云々哥心は昔弓雄の鹿待し坂上はこゝそと也坂上も紀伊国名所にや(頭書に)
古來風――ひゝくやも同義
1679 きのくにゝやますかよはんつまもこそつまよりこさねつまといひなから 一云つま給ふにもつまといひなから 此一首或云坂上忌寸人長作之
城國尓不止将徃來妻社妻依來西尼妻常言長柄 嬬賜尓毛嬬云
此一首或云坂上ノ忌寸《イミキ》人長作v之
きのくにゝやますかよはん 紀伊にかよはん妻もこそつまといひなから私の妻をもよりこさめと也よりこさねとはよりこさめといふとおなし
後《ヲクレシ》人ノ歌 二首
1680 あさもよひきへゆく君かまつちやまこゆらんけふそ雨なふりそね
朝裳吉木方徃君我信土山越濫今日曽雨莫零根
あさもよひきへゆく 朝もよひはきの枕詞也前注まつち山八雲御抄ニ大和にも紀伊にもある歟云々是紀伊に行幸にをくれて在京の人のよめるうた也
1681 をくれゐてわかこひをれはしら雲のたなひくやまをけふかこゆらん
後居而吾戀居者白雲棚引山乎今日香越濫
をくれゐてわかこひ 是も後《ヲク》れゐる人のうた也拾遺金葉共ニ入
詠《ヨンテ》2仙人ノ形容《カタチヲ》1獻ル2忍壁《ヲシカヘ》皇子ニ1歌 一首 作者未v詳
1682 とこしへに夏ふゆゆけやかはころもあふきはなたすやまにすむ人
常之陪尓夏冬徃哉裘扇不放山住人
とこしへに夏冬ゆけや 見安云仙人を絵に書たるをよめる也愚案身に裘《カハコロモ》をきて手に扇をはなたす故に平生に夏ゆき冬かよへと云也裘は冬の服《フク》扇は夏の物なれは也仙は遷也山にうつり住故と釋名にあり山に住人とは此心なるへし
獻ル2舎人皇子ニ1歌 一首 作者未詳
1683 いもか手をとりて引よちうちたおりわかかさすへき花さけるかも
妹手取而引與治※[手偏+求]手折吾刺可花開鴨
いもか手をとりて 女の手を戯れて取事を枕詞に置て花引よつるを讀也
1684 春やまはちり過れともみわ山はいまたつほめり君まちかてに
春山者散過去共三和山者未含(イふゝめり)君持勝尓
はる山はちり過れ 舎人皇子を待兼ていまた不開と也
泉《・ノ》|河ノ邊《ホトリニテ》《カハヘニ》作歌 一首 間人《ハシウトノ》宿祢
1685 かはのせのたきるをみれは玉もかもちりしみたれてあるかはとかも
河瀬激乎見者玉藻鴨散乱而在川常鴨
かはのせのたきるを 河瀬のたきるか玉藻の乱たるやう也と也
1686 ひこほしのかさしの玉のつまこひにみたれにけらし此かはの瀬に
孫星頭刺玉之嬬戀乱祁良志此川瀬尓
ひこほしのかさしの 妻戀には彦星の妻こふる縁語にて乱《ミタレ》にといはん諷詞也此川の瀬の水玉は彦星のかさしの玉のみたれけらしと泉河を讀也
鷺坂ニテ作歌 一首 作者未v詳
1687 しら鳥のさきさか山の松かけにやとりてゆけなよもふけゆくを
白鳥鷺坂山松影宿而徃(イゆか)奈夜毛深徃乎
しらとりの鷺坂山の 白鳥のは鷺坂山の枕詞也鷺坂山は八雲抄に山城云々夜も更行を遠く歸らすとも此松かけに一宿せよと也
名木河ニテ作歌 二首 作者未詳
1688 あふりほす人もあれやもぬれ衣をいへにはやらなたひのしるしに
※[火三つ]干人母在八方沾衣乎家者夜良奈羈印
あふりほす人もあれや 名木河八雲抄山城と云々此哥名木河と云詞はあらねとぬれ衣といふにて此河の哥歟此奥の名木河の哥に皆ぬるゝ事をよめりやらなはやらなん也この河にてぬれし衣をあふりほす人もあれかし旅のしるしのやつれを見せかてら家にやらなんと也あれやものもは助字也
1689 ありそへにつきてこくあまから人のはまをすくれは恋しくあるなり
在衣邊著而榜尼杏人濱過者戀布在奈利
ありそへにつきて 見安云|在衣邊《アリソヘ》只海の邊也から人のはま名所也云々愚案ありそは越中の名所にもあれと只海の惣名にもいへり杏人の濱いつくとも未2分明1ありその礒邊につきそひて舟こくあまのから人のはまを過れは戀しきと也此哥名木河の哥と聞えす名木河哥の次手によみしゆへ書ならへ侍しやらん
高嶋ニテ作歌 二首 作者未v詳
1690 たかしまのあと河なみはさはけともわれはいへおもふたひねかなしみ
高嶋之阿渡川波者驟鞆吾者家思宿加奈之弥
たかしまのあと川 八雲抄たかしまあと河近江と有此河浪はさはけとも我はたひねかなしみていへをおもふ事波のさはきにもまきれぬとなるへし
1691 たひにあれはよなかをさして照月のたかしまやまにかくらくおしも
客在者三更刺而照月高嶋山隠惜毛
たひにあれはよなかを 童蒙抄云夜なかをさしてとは二十日の月なるへしたかしまやまあふみのくにゝあり或説夜中は近江の名所夜中潟云々是迄童蒙愚案夜をかけてゆく旅に夜半計に入月のおしきと也又夜中を名所といふ議にては義猶明らかにや
紀伊國ニテ作歌 二首 作者未詳
1692 わかこふるいもにあはさず玉の浦にころもかたしきひとりかもねん
吾戀妹相佐受玉浦丹衣片敷一鴨将寐
わかこふるいもにあはさ 玉のうら八雲抄紀伊とありあはさすはあはず也或はあはせす云々
1693 たまくしけあけまくおしきあたらよをころもてかれてひとりかもねん
玉匣開卷惜※[立心偏+×/広]夜矣袖可礼而一鴨将寐
たまくしけあけまく ころもてかれては袖をはなれて也離ヲかれてとよめり二人ねる夜はおしくあつたらしかりし夜を今君か袖を離れて独やねむと也祇曰旅戀也
鷺坂作歌 一首 作者未v詳
1694 ほそひれのさきさか山のしらつゝしわれににほはていもにしめさん
細(イたく)比礼乃鷺坂山白管自吾尓尼保波※[氏/一]妹尓示
ほそひれのさきさか 八雲御抄にもほそひれと有古点也仙覺はたくひれと和スたへ也と云詞又白と云詞也ト云々然とも可v用ユ2古点ヲ1也鷺の頭に細き領巾《ヒレ》に似たる物あれは諷詞に置也|領巾《ヒレ》は女の頭《カシラ》の飭《カサリ》也哥の心は此つゝし我ために色よく匂はで残多し妹に示しみせん物をと也
泉河作歌 一首 作者未詳
1695 いもかかといりいつみ川のとこなめにみゆきのこれりいまた冬かも
妹門入出見川乃床奈馬尓三雪遣未冬鴨
いもかかといりいつみ河 入出といはんとて妹か門といひいりいつといひかけていつみ川をよめりとこなめとはとこしなへと同泉河の邊の雪ふかきを春時に見てかくとこしなへに深雪あるは猶冬なるかと也
名木河ニテ作歌 三首 作者未詳
1696 ころもてのなきのかはへをはるさめにわれたちぬるといへおもふらんか
衣手乃名木之川邊乎春雨吾立沾等家念良武可
ころもてのなきの 衣手はなきてぬらせはかくつゝくる也かくなきぬらせし衣手を春雨にぬれしと家人はおもふらんと也家を戀る人の名木の河邊にてよめる哥なるへし仙抄ニはなきといふになみ着るといふ心こもる故と云難信用
1697 いへひとのつかひなるらしはるさめのよくれとわれをぬらすとおもへは
家人使在之春雨乃與久列杼吾乎沾念者
いへひとのつかひなるらし 家人は故郷人也故郷はなつかしさに故郷の使あれは泪にぬるゝ也春の雨のよぐれとも我をぬらすは故郷人のつかひならんと也
1698 あふりほす人もあれやもいへひとのはるさめすらをまづかひにする
※[火+共]干人母在八方家人春雨須良乎間使尓為
あふりほす人もあれやも 前と同時のうたにや故郷の戀しきに春雨さへふりて我をなきぬらさしむれは春雨すらをまつかひにしてとよめり扨かくぬれてもあふりほす人もなき旅の悲しみをいはんとてあふりほす人もあれやと云也もの字は助字也
宇治河ニテ作歌 二首 作者未v詳
1699 おほくらの入江ひゝくなりいめ人のふしみかたゐにかりわたるらし
巨椋乃入江響(イなる)奈理射目人乃伏見何田井尓鴈渡良之
おほくらの入江さはく 童蒙抄には入江なる也と有袖中抄云|巨椋《ヲホクラ》は宇治にをくらといふ所ありいめ人は夢人歟扨伏見とつゝくるなるへし見安云|射目《イメ》人は夢に見る人也田井は田の井也【或説射目人は狩人と云非也】
1700 あきかせのやまふきのせのなるなへにあまくもかけるかりあへるかも
金風山吹瀬乃響苗(イひゞくなへ)天雲翔鴈相鴨
あきかせの山吹の 仙曰山吹のせのひゝくなへとも点せり宇治河に山吹の瀬有といへり愚案鴈あへるとは山吹ノ瀬なるに雲にとふ鴈も相《アヒ》應して鳴と也
献ル2弓削《ユケノ》皇子1歌 三首 作者未v詳
1701 さよなかとよはふけぬらし鴈かねのきこゆるそらに月わたる見ゆ
佐宵中等夜者深去良斯鴈音所聞空月渡見
さよなかとよはふけ 心明也古今集に入
1702 いもかあたりしけきかりかね夕きりにきなきてすきぬともしきまてに
妹當茂苅音夕霧來鳴而過去及乏
いもかあたりしけき ともしきまてには鴈の音の幽になる迄に也
1703 雲かくれかりなくときにあきやまのもみちかたまつときはすきんと
雲隠鴈鳴時秋山黄葉片待時者雖過(イすきねと)
雲かくれかりなくときに 片待は片は助字也紅葉の時は過ぬらんと待と也
献ル2舎人皇子ニ1歌 二首 作者未v詳
1704 うちたおるたむの山ぎりしけきかもほそかはのせに波さはきける
※[手偏+求]手折多武山霧茂鴨細川瀬波驟祁留
うちたおるたむの山 打たおる手《タ》とつゞけん諷詞の五文字也仙曰たむの山大和|多武《タフノ》峯愚案大職冠を始め摂州|阿威《アイ》山に葬しを御子定恵に遺言《ユイコン》霊夢なと有て故和州|談山《タムノヤマ》に改おさめて唐土より十三|層《ゾウ》の塔を渡してたてしより塔《タフ》の峯といへりと元亨釋書に有細川八雲抄ニ参河大和に在是は大和歟
1705 ふゆこなりはるへをこひてうへし木のみになるときをかたまつわれそ
冬木成(イなる)春部戀而殖木實成時片待吾等叙
ふゆこなり春へを 冬木成前ニ在うへ木の上にて春といはん枕詞にや春部をこひてとは木は春生長する物なれは其春の栄を戀待てうへし木の又みになるときをかたまつと也是もかた待は只待と云也
御歌 一首 舎人皇子
1706 うはたまの夜きりはたちぬ衣手のたかやのうへにたなひくまてに
黒(イぬは)玉夜霧立衣手高屋於霏※[雨/微]麻天尓
うはたまの夜きりは 是も衣手の手《タ》とつゝけたる也見安には衣手を引立れは高きとつゝくると云如何高屋は見安云|高《タカ》との也さもあらんか或説大和の高野《タカヤノ》原也云々可用之
鷺坂ニテ作歌 一首 作者未詳
1707 山しろのくぜのさぎさかかみよゝり春ははりつゝ秋はちりくる
山代久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散來
山しろのくぜのさぎ坂 久世郡の鷺坂なり心は春は木の目はりつゝ秋は落葉すると也
泉河ノ邊ニテ作歌 一首 作者未v詳
1708 春草をむまくひ山をこえくなるかりのつかひはやとすきぬなり
春草馬咋山自越來奈流鴈使者宿過奈利
春草を馬くひ山 若草は馬の好故に云也八雲抄云馬くひやま山城仙曰馬くひ山といふは泉河にそひたる山也鴈の使とは本文なり【漢の蘇武か鴈に書を付し事略之】
献《タテマツル》2弓削《ユゲノ》皇子ニ1歌 一首 柿本朝臣人麻呂
1709 みけむかふみなふち山のいはほにはちるなみたれかけつりのこせる
御食向南淵山之巌者落波太列可削遺有
みけむかふみなふち山 御膳は南面してきこしめす心にてみなといはん諷詞にみけ向ふといへるなるへし哥は南渕山の巌《イハヲ》のけつりなしたるやうに見るなるに波のかゝれるも物をけつりかけたる如くなるをかくよめる成へし朗詠に山|復《マタ》山何レノ工ミカ削2成《ケツリナシタル》青巌之形《セイカンノカタチヲ》1是にて可2思合ス1
二首 作者未v詳【或云柿本朝臣人麻呂作之】
1710 わきもこかあかもひつちてうへし田をかりておさめんくらなしのはま
吾妹兒之赤裳泥塗(イぬらし)而殖之田乎苅将藏倉無之濱
わきもこかあかもひつち(イぬらし) ひつちてはひちて也祇注本あかもぬらしてと有可然にやかりておさめん倉とそへたりくらなしの濱は豊前也祇曰早苗なととる者の赤裳といふ事いかゝと思ひ侍しに民のもすそともいひ惣して如此おほくあれは只衣装と心|得《エ》侍也又御製なとにも秋の田のかりほのいほのとまをあらみなともあそはし伊勢物語にはおちほひろふともいへり又早田はからし霜はをくともなともよめり只此道はやんことなき人もいやしき事をも態するやうにもいひいやしき物にもあかもなとをもきたるやうによめる事姿心のやさしからんため也かやうの事を見侍るにもいとゝ此みち執心とまり侍るなり
1711 もゝつたふやそのしまわをこきくれとあはのこしまは見れとあかぬかも
百傳之(イもゝつての)八十之嶋廻乎榜雖來粟小嶋者雖見不足可聞
もゝつたふやそのしまわ 此五文字日本紀十五ニ謨謀逗※[手偏+色]甫奴底喩羅倶慕《モモツタフヌデユラクモ》與下畧とある詞なれはもゝつたふとよむへき也百傳之とのゝ字あれと八隅知之をしるとよむやうに是も傳之をつたふとよむへきにや已に此集第三にもゝつたふいはれの池と侍るをや然とも仙点兩所に兩やうによみたれはもゝつたふもゝつて古來兩説にて侍るにや扨此五文字は八十といはん諷詞也おほくの嶋のめくりを舟こきて見しかとも粟ノ小嶋分て面白しと也阿波の名所也追考日本紀のももつたふも百傳之義也ぬてゆらくは鐸動也驛傳之鈴うこき鳴心なるへし又日本紀に百傳度逢縣《モヽツタフワタラヒノサト》とも有おなし心の由釋に見ゆ
登《ノホリテ》2筑《ツク》波山ニ1詠ルv月ヲ歌一首 作者未v詳
1712 あまのはらくもなきよひにうは玉のよわたる月のいらまくおしも
天原雲無夕尓烏玉乃宵度月乃入卷※[立心偏+×/広]毛
あまのはらくもなき 心明也
幸《ミユキノ》2芳野ノ離宮《リキウニ》1時ノ歌二首 作者未v詳
1713 たきのうへのみふね山よりあきつへにきなきわたるはたれよふことり
瀧上乃三船山從秋津邊來鳴度者誰喚兒鳥
たきのうへのみふね山 三船山吉野にあり秋津辺秋津野の辺を云秋津野は八雲抄にも大和と有
1714 おちたきちなかるゝ水の岩にふれよどめるよどに月のかけみゆ
落多藝知流水之磐觸與杼賣類與杼尓月影所見
おちたきちなかるゝ たきちは瀧津と同落たぎる也
一首 槐本《エンスノモト》
1715 さゝなみのひら山風のうみふけはつりするあまのそてかへるみゆ
樂波之平山風之海吹者釣為海人之袂變所見
さゝなみのひら山風 海ふけは湖水也近江也新古今に入心明也
一首 山上或云川嶋皇子
1716 しらなみのはまゝつのきの手向草いくよまてにかとしはへぬらん
白那弥之濱松之木乃手酬草幾世左右二箇年薄經濫
しらなみの濱松の木の 此哥此集第一河嶋皇子のうたに濱松か枝のと有心同けれは不2重テ註セ1
一首 春日
1717 みつ河のふちせもおちすさでさしにころもてぬれぬほすこはなしに
三川之淵瀬物不落左提刺(イさす)尓衣手湿干兒波無尓
みつ川のふちせも 渕瀬もおちすは渕瀬もらさす也さでさすとは仙曰ちいさきあみを持て魚をとる也見安云三ツ川東坂本にあり
一首 高市
1718 あしりをはこきゆくふねはたかしまのあとのみなとにはてにけんかも
足利思伐榜行舟薄高嶋之足速之水門尓極尓濫鴨
あしりをはこきゆく 八雲抄云あしり近江高嶋の湖也仙曰足速のみなと同近江也はては泊也
一首 春日|藏《クラ》一云小辨カ昨
1719 てる月を雲なかくしそしまかけにわかふねはてんとまりしらすも
照月遠雲莫隠嶋陰尓吾船将極留不知毛
てる月を雲なかくしそ 泊知ねは月あかくてあれと也或本此哥ノ次ニ或ハ記シテ2姓氏ヲ1無シv記コト2名字ヲ1或稱シテ名号ヲ1不《ス》v稱《セウセ》2姓氏ヲ1然トモ依テ2古記ニ1便チ以次ニ載ス凡ソ如ノv此類下皆|効《ナラヘ》v焉《コレニ》とあり或記シテ2姓氏ヲ1無v記スルコト2名字ヲ1とは槐本山上なと氏をのみ書て名をかゝざる也或稱シテ2名号ヲ1不v稱セ2姓氏ヲ1とはこの下の元仁カ哥絹カ哥の類也
三首 元仁《モトヒト》
1720 うまなへてうちむれこえきけふみつるよしのゝ川をいつかへり見ん
馬屯而打集越來今日見鶴芳野之川乎何時将顧
うまなへてうちむれ うちむらかりこえ來たると也けふみつるよしの河を又いつみんと名残を惜る也
1721 くるしくもくれゆくひかもよしの河きよきかはらを見れとあかなくに
辛苦晩去日鴨吉野川清河原乎雖見不飽君
くるしくも暮ゆく 心明也
1722 よしの川かはなみ高みたきの浦を見すかなりなんこひしきまくに
吉野川河浪高見多寸能浦乎不視歟成嘗戀布真國
よしの川かはなみ たきの浦 八雲抄名所の部ニ入或説吉野河の奥《ヲキ》ともよめは浦ともいふべし廣き川辺を云にや又は吉野の裏也といへり八雲御説可用也戀しきまくにとは戀しきる心也まくは助字也或説ニ吉野を真国とほめたる詞也戀しき所を波高くて行てえ見さらんやと也如何
一首 絹《キヌ》
1723 かはつなくむつたの川のかは柳のねもころ見れとあかぬきみかも
河蝦鳴六田乃河之川楊乃根毛居侶雖見不飽君鴨
かはつなくむつたの 祇曰心は春柳に君をよそへたり此類多しねもころはねんころ也師説序哥也上句は柳の根とそへんため也
一首 嶋足
1724 見まくほりこしくもしるくよしの河をとのさやけさ見るにともしき
欲見(見まほしみイ)來之久毛知久吉野川音清左見二友敷
見まくほりこしくも こしくものくは助字也見まほしさに來たるしるしいちしるく此川音清く見るにあかぬとの心を乏《トモ》しきと云也
一首 柿本朝臣人麻呂
1725 いにしへのかしこきひとのあそひけんよしのゝかはら見れとあかぬかも
古之賢(イさかしき)人之遊兼吉野川原雖見不飽鴨
いにしへのかしこき人の 心明也賢き人誰ともなし
一首 丹比ノ真人
1726 なにはかたしほひに出て玉もかるあまのおとめらながなつげさね
難波方鹽干尓出玉藻苅海未通女等汝名告左祢
なにはかたしほひに 汝か名を告よとは我妻になれと也卷頭の哥同し詞也家きか名つけさねと云々
和スル歌 作者未v詳
1727 あさりする人とを見ませ草まくらたひゆくひとにつまにはしかせじ
朝入為流人跡乎見座草枕客去人尓妾者不敷(イしかじ)
あさりする人とを 玉藻かるあまのおとめらと丹比真人かよめるも誠のあまにはあらし玉裳きたる女をよそへたるへし其詞をうけて和スルにあさりする誠の蜑と我を覺せ旅人の妻には我は似ましき物そと卑下しのかれたる哥也蜑といへるをかこつ心にや
一首 石川ノ卿
1728 なくさめてこよひはねなんあすよりはこひかもゆかんいまわかれなは
名草目而今夜者寐南從明日波戀鴨行武從此間別者
なくさめてこよひは 戀かもゆかんとは戀やゆかんすると也別を悲しむ心なるへし
三首 宇合《ノキアヒノ》卿
1729 あかつきのゆめに見えつゝかぢしまのいはこすなみのしきてしそおもふ
暁之夢所見乍※[木+堯]嶋乃石越浪乃敷※[氏/一]志所念
あかつきのゆめにみえ 祇曰かぢしま丹後也しきてしそおもふとはしきりなる心也旅泊に人をこふる哥とみえたり
1730 やましなのいはたのをのゝはゝそはら見つゝやきみかやまちこゆらん
山品之石田乃小野之母蘇原見乍哉公之山道越良武
やましなのいはたの 石田小野八雲抄山城と有思ふ人の山行を思ひやる心也新古ニ入
1731 山しなのいはたのもりにふみこえはけたしわきもにたゝにあはんかも
山科乃石田社尓布靡越者蓋吾妹尓直相鴨
山しなのいはたの森 ふみこえはとは石田の社に行越はと也心は明也類聚萬葉には布靡越者をしくまへはと和ス住まへは也但靡の字はまと讀かたしイ本あるか
二首 碁師《ゴシ》
1732 おもやまにかすみたなひきさよ更てわかふねはてんとまりしらすも
母山霞棚引左夜深而吾舟将泊等萬里不知母
おもやまに霞たなひき おも山八雲抄美濃云々
1733 おもひつゝくれときかねてみをが崎まながのうらをまたかへり見つ
思乍雖來來不勝而水尾埼真長乃浦乎又顧津
おもひつゝ來れと 八雲抄みおかさきまながの浦近江云々思ひ/\て歸こんとすれと猶あかて又かへりみしと也
一首 小辨
1734 たかしまのあとのみなとをこき過てしほつすがうらいまかこくらん
高嶋之足利湖(イあしりのうみ)乎滂過而鹽津菅浦今者将滂
たかしまのあとの 八雲抄にはたかしまのあしりのとあり近江也しほつすかうら勿論近江とあり
一首 伊保《イホ》麻呂
1735 わかたゝみみへのかはらの礒の浦にかはかりかもとなくかはつかも
吾疊三重乃河原之礒裏尓如是鴨跡鳴河蝦可物
わかたゝみみへのかはら 見安云畳は表裏中三重ある故に云々八雲抄みへのかはら石見と有礒のうら紀伊にもあれは是はみへのかはらにあるなるへしかはかりかもとはかほとにか物は悲しきかといふやうに蛙鳴と也
芳野ニテ作歌一首 式部|大倭《ヤマト》
1736 やまたかみしらゆふはなにおちたきつなつみのかはと見れとあかぬかも
山高見白木綿花尓落多藝津夏身之川門雖見不飽香聞
やま高みしらゆふ花 白ゆふのことくにおちたきる心也なつみの川 八雲抄に大和よしの云々
一首 兵部|川原《カハラ》
1737 おほたきを過てなつみにそひてゐてきよき川せを見るかさやけさ
大瀧乎過而夏箕尓傍為而浄川瀬見何明沙
おほたきを過て 大滝も清き河も吉野に有見安云なつみにそひてとは川にそひゆく也
詠ル2上総《カツサノ》末珠名《スヱノタマナノ》娘子《ヲトメヲ》1歌一首并短歌 作者未v詳
末ノ珠名ノ娘子 上総の国の風流の女人々けさうせし物也
1738 みなかとりあはにつぎたるあつさ弓すゑのたまなはむねわけのひろけきわきもこしほそのすかるおとめのそのかほのうつくしけさに花のごとえみてたてれはたまほこのみちゆき人はをのがゆくみちはゆかずてよばなくにかとにいたりぬさしならふとなりのきみはかねてよりさがつまかれてこはなくにかぎさへまたし人のみなかくまとへるはかほよきによりてそいもはたはれて有ける
水長鳥(類しなかとり)安房尓繼有梓弓末乃珠名者胸別之廣吾妹腰細之須軽娘子之其姿之端正(イきら/\しさ)尓如花咲(イえまひ)而(て)立(たて)者玉桙乃道行人者己行道者不去而不召尓門至奴指並隣之君者豫己妻離而不乞尓鑰左倍奉人乃皆如是迷有者容艶縁而曽妹者多波礼※[氏/一]有家留
みなかとりあはに 古点みなかとりとよむ安房の枕詞也水長鳥を或説水中鳥と讀へし長を中とよむ事此集雉を岸とよむ類也水中の鳥は水の泡の浮たるやうなれはあはにつきたるとつゝくる也云々新点には水長鳥をしなかとりとよみて仙覺は猟者の名なるへしと髣髴の説をなす由阿は続日本紀ニ元正天皇養老二年五月|割《サキテ》2上総ノ之國|平群《ヘクリ》安房《アハ》朝夷《アサイナ》長佐《ナカサ》ノ四郡ヲ1置ク2安房ノ國ヲ1しかれは長狭等の四郡をとりて安房につくといふ歟と云々あはにつきたる上総弓といふ事也弓は彼国の貢《ミツキ》物也と詞林采葉にいへり又仙覺あはに繼たる梓弓末の玉なとは梓弓の弭《ハス》には金玉を付其国を|あは《淡》に繼たれは落てなきによそへてしなかとり末の玉なとつゝけたり云々此新点の兩説いつれも鑿せり不v足ラv用ニ古点にしくまし古点に付て安房に繼たるとは安房国につゞける上総国に末の玉名と云美女有しを云也梓弓とは末とはかりいはん諷詞也あつさはかつさと同音也
むねわけのひろき 見安云女の胸のひろき也愚案末の玉名か腰細き故に也
すかるおとめ すかるは蜂《ハチ》也細腰なる虫也かの女の腰のたをやかなるゆへに云也道ゆき人はをのかゆく 彼女のえみてたてる形にめてゝ此女の門に至ると也
さかつまかれて 隣人は此女にめてゝ相そはまほしき心にいまたそはぬ先かねてよりをのかなしみの妻をはなれて家財等をも打任んとすと也
かぎさへまたし 見安云かぎさへ女にめてゝとらすると云心也
いもはたはれて 人も皆かくまとへは彼女も亦したかひて風流なると也
反歌
1739 かなとにし人のきたては夜なかにも身はたなしらすいてそあひける
金門尓之人乃來立者夜中母身者田菜不知出曽相來
かなとにし人のきたては 見安云金門は懸金《カケカネ》よくしたる家也たなしらすは只しらす也【是迄見安】愚案門に來て懸想人のたては女もたはれて夜中にも身を忘れて出逢と也
詠ル2水ノ江ノ浦嶋ノ子ヲ1歌 一種并短歌 作者未詳
詠ル2水江ノ浦嶋ノ子ヲ1 日本紀十四雄略二十二年秋七月丹波國|餘社《ヨサノ》郡筒川《ツヽカハ》人水ノ江ノ浦嶋ノ子乗テv船ニ而釣ス遂《ツヰニ》得ル2大亀ヲ1便《スナハチ》化2為《ナル》女《ヲトメト》1於v是《コヽニ》浦嶋ノ子|感《カタリテ》以為スv婦《メト》相|逐《シタカヒテ》入v海ニ到テ2蓬莱山《トコヨニ》1歴2覩《メクリミル》仙衆《ヒチリヲ》1云々 問水江は丹後也日本紀ニ丹波と云如何答童蒙抄云元明天皇六年四月ニ丹波国五郡を割《サイ》て始て丹後國を置ケリ委見2國史ニ1
1740 春の日のかすめるときにすみの江のきしに出ゐてつり舟のとをらふみれはいにしへのことそおほゆる水ノ江のうらしまのこかかつをつりたいつりかねてなぬかまていへにもこすてうみきはをすきてこきゆくにわたつみの神のおとめにたまさかにいこきわしらひかたらひのことなりしかはかきつらねとこ世にいたりわたつみのかみのみやゐのなかのへのたへなるとのにたつさはりふたりいりゐておひもせすしにもせすしてなかきよにありける物をよのなかのしれたる人のわきもこにつけてかたらくしはらくはいへにかへりてちゝはゝにこともつけらひあすのことわれはきなんといひけれはいもかいへらくとこよへにまたかへりきてけふのことあはんとならはこのはこをひらくなゆめとそこらくにかためしことをすみの江にかへりきたりていへ見れといへも見かねてさと見れと里も見かねてあやしみとそこにおもはくいへいてゝみとせのほとにかきもなくいへうせめやとこのはこをあけてし見てはもとのこといへはあらんとたまくしけすこしあくるにしら雲のはこよりいてゝとこよへにたなひきぬれはたちはしりさけひ袖ふりこひまろひあしすりしつゝたちまちにこゝろきえうせぬわかゝりしかはもしはみぬくろかりしかみもしらけぬゆな/\はいきさへたえてのちつゐにいのちしにけるみつのえのうらしまのこかいへところ見ん
春日之霞時尓墨吉之岸尓出居而釣船之得乎即布見者古之事曽所念(イおもほゆ)水江之浦嶋兒之堅魚釣鯛釣矜及七日家尓毛不來而海界乎過而榜行尓海若神之女尓邂尓伊許藝※[走+多]相誂良比(イひて)言成之賀婆加吉結常代尓至海若神之宮乃内隔之細有殿尓携二人入居而耆不為死不為而永世尓有家留物乎世間之愚人乃吾妹兒尓告而語久須臾者家歸而父母尓事毛告良比如明日吾者來南登言家礼婆妹之答久常世邊復變來而如今将相跡奈良婆此篋開勿勤常曽己良久尓堅目師事乎墨吉尓還來而家見跡宅毛見金手里見跡里毛見金手恠(イあやしめ)常所許尓念久從家出而三歳之間尓墻毛無家(イも)滅目八跡此筥乎開而見手歯如來本家者将有登玉篋小披尓白雲之自箱出而常世邊棚引去者立走※[口+斗]袖振反側足受利四管頓情消失奴若有之皮毛皺奴黒有之髪毛白斑奴由奈由奈波氣左倍絶而後遂壽死祁流水江之浦嶋子之家地見
すみの江の岸に出ゐて 此哥よむ人の釣舟を見て浦嶋子を思出しと也|墨江《スミノヱ》水ノ江同所と聞ゆ
とをらふ見れは 見安云遠くなるを見れは也
水の江の浦嶋の子か 仙抄浦嶋子か傳を引て至2故郷ノ澄《スミノ》江ノ浦ニ1云々其哥の詞にすみの江とよめり然は水江ノ浦嶋とかけるすみの江のうらしまと讀へし云々愚案彼日本紀に水江をミツノエと点ス即仙覺引所の丹後國風土記の哥|美頭能睿能宇良志麻能古我多麻久志義《ミツノエノウラシマノコカタマクシケ》この真名假名已ニミツノエ也まして此集にも墨江とも有水江ともかけり當時《ソノカミ》より有2兩説1歟
わたつみのかみのおとめ 龍神のむすめにや日本紀ニ遂《ツイニ》得タリ2大亀ヲ1便チ化2為《ナル》女ト1とある是也
いこきわしらひ 見安云むつへる心也師説いこきは舟こきよる也いは助字也わしらひは※[走+多]相とかけり礼記|奔《ワシル》謂フ2之ヲ妾《セウト》1といへり父母しらすして私にあふをはしるといへはわしらひはわしりあふといふ心也
かたらひのことなりし 夫婦になるよし也イかたらひて云々のは一禅御点
かきつらね かいつれて也 浦嶋夫婦うちつれてとこ世に行也日本記蓬莱山《トコヨノクニ》
世のなかのしれたる人の句 愚※[病垂+疑]の人也とこよををきてふるさとをしたふ浦嶋の子をしれたる人といふ也わきもこにつけて語らくは浦嶋か告ル也
こともつげらひは かくしてとこよに在るを父母に告んといふ也
あすのごとわれはきなん けふ歸りてあす來ることく早く來んと也
そこらくに そこはくにいひ固めし也浦嶋に仙女形見にあたへていひし事也かくかためし事を用ひすして開てみて俄に老死たる事をいはむとて也
里も見かねてあやしみと あやしみとはあやしやと同し哥林良材一禅御説にはあやしめとあり心は家を尋ね里をみれとも年久しく過し事なれは終に見出かねし也かくあやしとあやしめとも又思ふやうはとの心也
家出てみとせのほとに 栄花に年月を忘て三年と思ひしなるへし彼王質の山中にて半日の客たりと思ふに歸來て七世の孫に逢したくひなるへし
家うせめやと 三年のうちにかく垣もなく家もうせめやと思ふと也前のそこにおもはくといふにかへりて心得へし
此はこをひらきて 彼女の此箱を開くな努といひしよりあやしみて此箱のうちにもし故郷やあると思ふ由也
白雲のはこより出て 浦嶋傳には紫雲と有上古の事兩義有へし
さけひ袖ふり よははり招くかたち也
ゆな/\は 見安云夜な/\は也師説ゆく/\は也兩説可随所好
うらしまのこかいへところみん 其事を思ひ出て其旧跡を見んといふ也續浦嶋傳云于v時紫雲|於《ヨリ》v匣指シテ2蓬莱ヲ1飛去ル老情忽ニ來テ紅涙湿ス2白髪ヲ1慕テ2仙洞之芳談ヲ1隠2淪ス海浦ニ1遂ニ不v知ラv所ヲv終ル矣上畧鴨長明無明抄に丹後のあさも河の明神はいにしへの浦嶋子を神に祝つる跡と云々或説に浦嶋子は淳和天皇の天長二年に三百四十餘年をへてとこよゝり歸るといへり此説難シv信シ已に此哥にかく故さとに歸りてうせたりと見ゆ天長は萬葉集より後なる事久し可v怪《アヤシム》或問然らは萬葉の哥は何をよりところにして此事をよめるそや答日本紀に已ニ到テ2蓬莱山《トコヨノクニヽ》1歴2覩《メクリミル》仙衆《ヒシリヲ》1語ハ在リ2別《コト》卷ニ1と云々浦嶋子かへり來らすは誰か此事を知ていひ傳へん雄略の御時此事有て其傳なと別卷ニあるなるへし萬葉の哥はそれによりて成へし
反歌
1741 とこよへにすむへき物をつるきたちさかこゝろからおそやこのきみ
常世邊可住物乎劔刀(八雲たちつるき)己之行柄於曽也是君
とこよへにすむへき物を 此哥の注仙云つるきたちはつばのさか/\とある故につるきたちさかとつゝくる也さかはをのれ也見安同愚案つはのさかさかといふ事心得かたし此仙注すまぬによりて詞林采葉には押て此うたをわか心からと書て剱刀《ツルキタチ》はわといはん諷詞也刀頭に鐶《ワ》あれはと云々然共諸本さか心からと和ス此説又用ひかたし其上此哥の全篇の注分明ならす師説はあきらか也此集を執せん人のために其出所等もあれと態別ニ口訣とす
見ル2河内ノ大橋ヲ獨リ去《ユク》娘子《ヲトメヲ》1歌一首并短歌 作者未v詳
1742 しなてるやかたあすは河のさにぬりのおほ橋のうへゆくれなゐのあかもすそひきやまあゐもてすれるきぬきてたゝひとりいわたりしこはわか草のつまかあるらんかしのみのひとりかぬらんとはまくのほしきわきものいへのしらなく
級照片足羽河之左丹塗大橋之上從紅赤裳數十引山藍用揩衣服而直獨伊渡爲(イわたらす)兒者若草乃夫香有良武橿實之獨歟将宿問卷乃欲我妹之家乃不知久
しなてるやかたあすは 詞林采葉云しなはしなふ也照は日也かたはかたさかりなる也しなてるや片岡山其義同愚案聖徳太子の哥の詞にて級照や片足羽河と讀り河内名所也
さにぬりの 丹塗也さは助字也|粧麗《カサリウルハシ》き橋也
山あゐ 山に生し藍也
いわたらすこ 伊は助字也わたりゆく娘子也
かしのみのひとりや 仙云栗なとは一ツすに二ツも三ツもあるにかしは一ツあれはよそふるなり
反歌
1743 おほはしのほとりに家あらは心いたくひとりゆくこにやとかさましを
大橋之頭尓家有者心悲久(イあはれしく)獨去兒尓屋戸借申尾
おほはしのほとり 心いたくイあはれしく義は同橋邊に我家あらはいたはしき娘子に宿かさん物をと也
見テ2武藏ノ小埼沼《ヲサキノイケノ》鴨ヲ1作歌一首 作者未v詳
1744 さきたまのをさきのいけにかもそはねきるをのかみにふりをける霜をはらふとにあらし
前玉之小埼乃沼尓鴨曽(イかりそ)翼霧己尾(イお)尓零置流霜乎掃等尓有斯
さきたまのをさきの 旋頭歌也さきたまのをさきの池見安云武蔵國名所也|埼玉《サイタマノ》郡に在愚案をのか身の霜を拂ふとてにや羽をふるならんと也はねきるは羽をふる心也イをのかおに
那賀郡《ナガコホリノ》曝井《サラシヰノ》歌一首 作者未v詳
1745 みつぐりのなかにむかへるさらしゐのたえすかよはんそこにつまもが
三栗乃中尓向有曝井之不絶将通彼所尓妻毛我
みつくりのなかに 那賀《ナカ》は紀伊の郡の名也或説に武蔵《ムサシ》の那珂《ナカ》郡かといへと五代哥枕八雲御抄等曝井紀伊と云々見安云三栗のは中といはんため也仙抄同義愚案日本紀十云みつくりの中つ枝の下畧伊賀栗の実おほきものは三ツ有也哥の心は序哥也那賀といふ所にさしむかへるさらし井の水の絶ぬをいひかけて曝井のそこに妻もかな絶すかよはんと也追案日本紀の三栗は中枝云計也此集は那賀の枕詞也
手綱濱《タツナノハマノ》謌一首 作者未v詳
1746 とをつましたかにありせはしらすともたづなのはまのたつねきなまし
遠妻四高尓有世婆不知十方手綱乃濱能尋來名益
とをつましたかに 祇聞書云とを妻とは遠所の妻也見安云妻遠所に居たりとも隠れなき所ならは尋ねてゆかましと云也師説高にありせはとは高き所に家して遠くてもよく見ゆる所を云或説には高に有せはとは人を仰《アヲ》き待心也たか/\に妹か待らんとよめるといへり手綱の濱は八雲抄紀伊云々尋ねといはん枕詞也又高に有せは仰く心可也
春三月|諸卿《モロキミ》大夫《マチキン》等《タチ》下《クタル》2難波ニ1時ノ歌二首并短歌 作者未詳
1747 しら雲のたつたの山の瀧のうへのをくらのみねにさきをせる桜の花は山たかみかせしやまねははるさめのつきてしふれはほつえには落過にけりしたつえにのこれるはなはしはらくはちりなみたれそくさまくら旅ゆくきみかかへりくるまて
白雲之龍田山之瀧上之小鞍嶺尓開乎為流櫻花者山高風之不息者春雨之繼而(イて)零者(イふれは)最末枝者(イほつえは)落過去祁利下枝尓遺有花者須臾者落莫亂草枕客去君之及還來
しら雲の たつたといはん諷詞也
をくらのみね 頓阿井蛙抄云をくら山は山城をくらのみねは大和と云是也
さきをせる さく事をなせる也
つきてしふれは うちつゝきてふれは也或点に助字なくてつきてふれはほつゑはと和ス此集に如此の類もあれと又助字くはへてよむ例多シ
反歌
1748 わかゆきはなぬかはすきしたつたひこゆめこのはなをかせにちらすな
吾去者七日不過龍田彦勤此花乎風尓莫落
わかゆきはなぬかは過じ 我難波の往還は七日には過ましきに其程にゆめ/\竜田明神此花を落し給ふなと也竜田彦竜田姫皆風神なれは花を祈る也日本紀ニ天武天皇五年四月祭ル2竜田ノ風神ヲ1右なかうた反哥下ル2難波1時と有て竜田をよむ事はならより難波の道ニ竜田を過れはなるへし
1749 しら雲のたつたの山を夕くれにうちこえゆけはたきのうへの桜のはなはさきたるはちりすきにけりつほめるはさきつきぬへしこち/\の花のさかりに見ねとまて君かみゆきはいまにし有へし
白雲乃立田山乎夕晩尓打越去者瀧上之櫻花者開有者落過祁里含(ふゝめ)有者可開繼許知斯智乃花之盛尓雖不見左右君之三行者今西應有
さくらのはなは こゝにて句を切て心得へし扨咲たるは落過つほめるは咲つぐへしと也つくはつゝく心也
こち/\の花の盛に こち/”\はこと/”\也ちとこと五音通|悉《コト/\ク》也心はこと/\くの花の盛は君の見給はねとも待てあれ今に行幸あらんと也雖不見左右と書たれと是萬葉の文字遣ひの習ひ也見ねどまでと讀へし
反歌
1750 いとまあらはなつさひ渡りむかつおのさくらの花もおらましものを
暇有者魚津柴比渡向峯之櫻花毛折末思物緒
いとまあらはなつさひ 見安云なつさひたつさふと同|取馴《トリナル》る心也むかつお前ニ注
難波ミ經テv宿《ヨヘヲ》明ル日|還來《カヘリクル》之時ノ歌一首并短歌
作者未v詳
明日還來 ならに歸也
1751 しまやまをいゆきもとをる河そひのをかへの道にきのふこそわかこへこしかひとよのみねたりしからにおのうへのさくらの花は瀧のせにおちてなかれぬきみか見んその日まてには山おろしの風なふきそと打こえて名におへるもりにかさまつりせな
嶋山乎射徃廻流河副乃丘邊道從昨日己曽吾越來壯鹿一夜耳宿有之柄二峯上之櫻花者瀧之瀬從落堕而流君之将見其日左右庭山下之風莫吹登打越而名二負有社尓風祭為奈
しまやまを 八雲御抄には摂津と有此集十九に家持八束等の哥によめり或説に大和といへり竜田山河を帯て嶋のやうなれは云云々難波よりならへの道なれはさもあるへし見安云大ナル嶋ノ如v山ノナルヲ云
きのふこそわかこえこし 此道を昨日越來しには桜盛なりしかけふはおちたりと也經宿明日還來と題にいへるに心をつくへし
君か見ん其日まてには 前の哥にも君かみゆきは今にし有へしとありし同心にや又同比のうたなるへし
名におへるもりに 風祭りの名におへる社頭に打こえて風祭せんと也せなはせなん也かさまつりの名におふは立田にや前の哥にも立田の事あり風まつりとは風神の心をなこめて風のあらからぬやうに祭る事也
反歌
1752 いゆきあひの坂のふもとにさきをせる桜の花を見せんこもかな
射行相乃坂上之踏本尓開乎為流櫻花乎令見兒毛欲得
いゆきあひの坂の いは助字也ゆきあひの坂紀伊にあれとも是はいつくにても行相る坂にや
登《ノホル》2筑波《ツクハ》山ニ1時作レル歌一首并短歌
檢税使《ケンゼイシ》大伴卿
檢税使 税をけみする使也今の毛見の巡見の類にや
1753 ころもてのひたちの国のふたなみのつくはのやまを見まくほりきみかきますとあつけきにあせかきなけきねとりするうそふきのほりおのうへをきみに見すれはおのかみもゆるし給へりめのかみもちはひ給ひてときとなくくもゐ雨ふりつくはねをきよめてらしてこととひしくにのまほらをまくはしにしめしたまへはうれしみとひものをときていへのことときてそあそふうちなひき春見ましよりは夏草のしけくはあれとけふのたのしさ
衣手常陸國二並筑波乃山乎欲見(イ見まほしみ)君來座登熱尓汗可伎奈氣木根取嘯鳴登岑上乎君尓令見者男神毛許賜女神毛千羽日給而時登無雲居雨零筑波嶺乎清照言借石國之真保良乎委曲尓示賜者歡登紐之緒解而家如解而曽遊打靡春見麻之從者夏草之茂者雖在今日之樂者
ころもてのひたち ひたちはもとひたしなりし袖をひたしとの心の諷詞也仙曰|日本武尊《ヤマトタケノ》翫v水ヲ洗ヒv手ヲ御衣《ミソノ》之袖|垂《タレテ》v泉ニ而|沾《ヌレヌ》依テ2漬《ヒタス》v袖ヲ義ニ1以為2此國之名ト1これはひたしの国といひけるをひたちといひなせりしとちと同音の故也詞林同義
ふたなみのつくは 仙曰筑波山の最頂《サイチヤウ》兩にわかれたり是を雄神《ヲノカミ》女《メノ》神と申也見安云おのかみめの神とて筑波に二の尾のある也【愚案二ツ双ふ心也】
あつけきに汗《アセ》かき歎き 夏の比と見ゆ此哥に君か來ますといひ君に見すれはなとあるは大伴卿みつからいへるにや詩にも公ラなと自《ミツカラ》いへり仙曰彼峯の上をみんとて上れは暑《アツ》くして汗かきうそふかるれはねとりするうそふきのほりと云愚案ねとりするはうそふきのほりの枕詞也ねとりは笛の曲也東坡の赤壁賦に劃然《カツセントシテ》長|嘯《シヨウス》スル類也
おのかみもゆるし給へり 大伴卿に見る事をゆるし給へりと也仙覺は東国の男女彼山にのほりて※[女+習]歌《カヾヒ》の會をなす事をゆるし給へりといふと注したり此卷の内の※[女+習]歌會をよめる哥にはさも注すへし此うたにはさしてかゞひの沙汰なけれは心得かたし
ちはひ給ひて 袖中抄にちはひはちかふ心歟といへりちかひ守り給心にや時ならぬ雨をふらしつくはねを清め照してこととひ給ふと也
こととひし国のまほらを まほらは守り也国の守りを委曲に示し給ふと也
ひものをときて 国の守護し給ふわさを神の示し給へは心安く遊ふと也
家のことときてそ 家のことは我宿の心安きかことく紐を解てと也
うちなひき 春といはん枕詞也春此山を見んより夏なからけふのたのしさと也
反歌
1754 けふの日にいかゝをよはんつくはねにむかしのひとのきけんその日も
今日尓何如将及筑波嶺昔人之将來其日毛
けふの日にいかゝをよはん むかしの人誰と知かたし只昔來て遊ひし人をいふなるへしけふ大伴卿のこの山にあそふたのしみには及ふましきと也長哥にけふのたのしさといへるを重て讀反歌也此哥をも見安には※[女+習]歌《カヽヒ》まつりの心也といへと用ひかたし
詠メル2霍公鳥ヲ1歌一首并短歌 作者未v詳
1755 うくひすのかいこのなかにほとゝきすひとりうまれてさかちゝににてはなかすやさかはゝににてはなかすやうの花のさけるのへよりとひかへりきなきとよまし橘のはなをゐちらしひねもすになけときゝよしまひはせんとをくなゆきそわかやとの花たちはなにすみわたれ鳥
鴬之生卵乃中尓霍公鳥獨所生而己父尓似而者不鳴(イなかす)己母尓似而者不鳴(イなかす)宇能花乃開有野邊從飛翻來鳴令響橘之花乎居令散終日雖喧聞吉幣者将為遐莫去吾屋戸之花橘尓住度鳥
うくひすのかいこの中に 哥林良材云今の世にもまれ/\鶯の巣より郭公のひなをうる事あるといへり
ひとりうまれて 鶯の巣に郭公の生れてと也
さかちゝにゝてはなかすや 是一条禅閣の哥林良材の和点也此哥古今さまさまによめり奥儀抄には乱句躰の哥とてしやか父ににてなかすしやか母にゝてなかすとよめり俊頼は短哥の旋頭哥といへりと八雲御抄にもかゝせ給へり己父尓似而者と者の字有てなかすやとやの字よみつくれはよのつねの五七五七によまれ侍るを者の字もよまてさやうにはいかてよまれけんおほつかなし基俊の悦目抄にも奥儀抄のことくよまれたれは故実にて侍るにや
橘の花をゐちらし 橘に宿り居て花をちらしなけとにくからすと也
まひはせん 顕昭まいなゐはせんの心といへり遠くゆきそ追従せんと也
住渡れ鳥 鳥は郭公ををいふなるへし
反歌
1756 かききらし雨のふるよをほとヽきすなきてゆくなりあはれそのとり
掻霧之雨零夜乎霍公鳥鳴而去成可怜其鳥
かききらし雨のふる かきくらしと同きとくと同音也又うちきらしと同義にてそらにて霧やうの事也
登ル2筑波山1歌一首并短歌 作者未v詳
1757 くさまくらたひのうれへを慰わる事もあらんとつくはねにのほりて見れはおはなちるしつきの田ゐにかりかねもさむくきなきぬにゐはりのとはのあふみもあきかせにしら波たちぬつくはねのよけくをみれはなかきけにおもひつみこしうれへはやみぬ
草枕客之憂乎名草漏事毛有武跡筑波嶺尓登而見者尾花落師付(イつく)田井尓鴈泣毛寒來喧奴新治乃鳥羽能淡海毛秋風尓白浪立奴筑波嶺乃吉久乎見者長氣尓念積來之憂者息奴
くさまくら 旅の枕詞也八雲抄云萬葉の中には第一卷やまとには村山有とゝいふ哥と此哥詞つゝきよき也
しつきの田井 八雲抄ひたちつくはのすそ也云々仙点にはしつくのたゐとよむ然とも八雲抄二所しつきと有
にゐはりのとはの 新治は常陸の郡の名也鳥羽の淡海其こほりに有
よけくをみれは よき境地をみれは也
なかきけに 嘆息に思ひつもりし也
反歌
1758 つくはねのすそわのたゐに秋田かるいもかりやらんもみちたおるな
筑波嶺乃須蘇廻乃田井尓秋田刈妹許将遺黄葉手折(イおな)奈
つくはねのすそはの 童蒙抄云すそわの田井とは山のすそめくりの田井とよめる也云々童蒙抄類聚萬葉等にはもみちたおるなと和スいもかりやるへき紅葉他人たおるなと也新点はたおらなは妹か許へやらん紅葉おらなんと也
登《ノホリテ》2筑波嶺《ツクハネニ》2爲《ナス》2※[女+曜のつくり]歌會《カヽヒノヱヲ》1日作レル歌一首并短歌 高橋ノ連《ムラシ》蟲麻呂
※[女+曜のつくり]《テウ》歌會 注※[女+曜のつくり]歌《テウカハ》者東ノ俗語ニ曰フ賀我比ト愚案※[女+曜のつくり]は玉篇云徃來|貌《カクイコト》云々男女ゆきかよひうたひあそふ事也此集六に難波宮作歌にも夕なきにかゝひの音聞こゆと有仙抄云坂より東の諸国ノ男女春花開く時秋葉|黄《キハム》節《セツ》飲《イン》シ食イ齋奠《サイテン・モノイミマツリ》を相たつさへてあそひ楽む也愚案かゞひは賎《イヤ》しき哥曲也※[女+曜のつくり]歌《カヽノ》會は右に注することく也
1759 わしのすむつくはの山のもはきつのそのつのうへにいさなひてをとめおとこのゆきつとひかゝふかゝひにひとつまにわれもかよはんわかつまに人もことゝへこのやまをうしはくかみのむかしよりいさめぬわさそけふのみはめくしも見るなこともとかむな
鷲住筑波乃山之裳羽服津乃其津乃上尓率而未通女壯士之徃集加賀布※[女+曜のつくり]歌尓他妻尓吾毛交牟吾妻尓他毛言問此山乎牛掃神之從來不禁行事叙今日耳者目串毛勿見事毛咎莫 ※[女+曜のつくり]歌《テウカハ》者|東《アツマノ》俗語《ゾクゴ》曰《イフ》2賀我比《カヾヒト》1
わしのすむつくはの 筑波根にかゝなく鷲なともよみてわしのすむ所とそ
もはきつ 見安云名所也
をとめおとこのゆきつとひ 見安云かゝひのまつりの心也愚案此哥のさま近世片田舎に有しさこねといふ物のさまなりかゞふはかゝひする心也
うしはくかみ 此集第五にうしはく神の事有|虫涌《ウシワク》ことく多き神也牛は虫とよみおなし掃は涌と同意也はとわと同音なれは成へしかゝる男女みたりかはしくあれとむかしより此山を神もいさめぬわさと也
けふのみは 此かゝひする日はかりは也
めくしもみるな 仙曰あやしくも見るなといふなり
反歌
1760 おのかみに雲たちのほりしくれふりぬれとをるともわれかへらめや
男神尓雲立登斯具礼零沾通友吾将反哉
おのかみに雲たちのほり 筑波山のいたゝきの兩にわかれたるを小筑波大筑波といふ是をおのかみめのかみといふと云々其おのかみのみねに雲たち時雨るともと云也かゝひにふけりてぬれとをるともかへるましきといへる心也
詠ル2鳴鹿《ナクシカヲ》1歌一首并短歌
柿本朝臣人麻呂【或云作者未v詳】
1761 みもろのやかみなひ山にたちむかひみかきの山に秋はきの妻をまかんとあさつく夜あけまくおしみ足引のやまひことよみよひたてなくも
三諸之神(イかみ)邊(なへ)山尓立向三垣乃山尓秋芽子之妻卷六跡朝月夜明卷鴦視足日木乃山響令動喚立鳴毛
みもろ 三諸神南備御垣山皆大和也
秋萩のつまをまかん 萩を鹿の妻といへは秋萩のと枕詞に置也まかんとは※[不/見]《マク・モトム》の字日本紀にまくとよむ也古事記に大己貴神の哥にやしま国妻まきかねて云々
あけまくおしみ 妻にあはて明るを歎く心也
反歌
1762 あすのよにあはさらめやも足引のやまひことよみよひたてなくも
明日之夕不相有八方足日木之山彦令動呼立哭毛
あすのよにあはさらめ 是も明まくおしみと長哥によめる心をかへさふしてよむ也あすの夜もある物を今夜はかりのやうに鹿のなくと也
一首【此歌|似《ニテ》2間人《ハシウトノ》宿祢大浦カ之歌ニ1而末ノ一句|異《コト》也因以|累載《カサネテノス》之】 沙彌女王
1763 くらはしの山を高みか夜こもりにいてくる月のかたまちかたき
倉橋之山乎高歟夜牢尓出來月之片待難(イかてり)
くらはしの山を高み 倉橋山大和也夜こもりは夜をこめて也くらはし山高き故か夜をこめて月の遅くてまちかてなると也此集三間人宿祢か初月の哥に有但末の句出くる月の光りともしきと有
七夕歌【一首并短歌 中衛大将藤原ノ麻呂ノ卿ノ宅ニテ作v之ヲ】 作者未v詳
1763 久かたのあまのかはらにのほりせに玉はしわたしくたりせに船うけすへて雨ふりて風ふかすともかせふきてあめふらすとももぬらさすやまてきませとたまはしわたす
久堅乃天漢尓上瀬尓珠橋渡之下湍尓船浮居雨零而風不吹登毛風吹而雨不落等物裳不令濕不息來益常玉橋渡須
玉はしわたし かく珠橋ともかさゝきの橋わたすとも又舟にてわたすとも淺瀬ふむなとも河を渡るにつけてよめり
もぬらさす 裳すそぬらさてきませとてと也
反歌
1765 あまのかは霧立わたりけふ/\とわかまつきみかふなてすらしも
天漢霧立渡且今日且今日吾待君之船出為等霜
あまのかは霧立渡り 牛女の心に成りて我待君とよめり霧立渡りといふにおほつかなき風情有ておもしろし續古今に入
相聞
退《・マカル》ク2筑紫ノ國ヲ1時ノ歌一首 振《フルノ》田向《タムカフノ》宿祢
1766 わきもこはくしろにあらなんひたりてのわかおくのてにまきていなましを
吾妹兒者久志呂尓有奈武左手乃吾奥手尓纒而去麻師乎
わきもこはくしろに 袖中抄ニくしろは釧の字をよめり内典には在ヲv指《ユヒノ》上ニ1名《ナツク》v鐶《タマキト》在ヲv臂《ヒチノ》上ニ1名クv釧《クシロト》といへり然は手のくひにあらんをはたまきといふへし又釧をはともよめり和名には農耕具に入たり萬葉類聚には櫛ノ哥に入たり六帖にも同是らはくしろといふ事をしらすして偏にくしと存る歟愚案釧玉篇充絹切叙釧也云々然とも和名に釧ひちまきとよみて袖中抄の内典の分を引て涅槃経といへり農耕の具には※[金+派のつくり]《ハク》此字くしろと出せり是は別の物の名はかり同き也見安にはくしろたまきを云おくの手とは左の手也愚案おくのてのわか左手は重ね詞也
任スル2筑紫ニ1時|娶《メトリテ》2豊前ノ國ノ娘子ノ紐兒《ヒモノコヲ》1作レル歌三首 抜氣《ヌキケノ》大首《ヲフト》
1767 とよくにのかはるはわきへひものこにいつかりませはかはるはわきへ
豊國乃加波流波吾(イわイ)宅紐兒尓伊都我里座者革流波吾家
とよくにのかはるは 豊國《トヨクニ》は豊前を云見安云ひものこは人の名也いつかりはいつきかしつく心也或抄云いつかりはつきてませは也いは助字也
1768 いそのかみふるのわさ田のほにはいてすこゝろのうちにこふるこのころ
石上振乃早田乃穂尓波不出心中尓戀流比日
いそのかみふるの早田 第一二の句はほには出すといはん諷詞也心明也
1769 かくのみしこひしわたらはたまきはるいのちもわれはおしけくもなし
如是耳志戀思度者霊剋命毛吾波惜雲奈師
かくのみし恋し渡らは のみし恋しのしは助字也是も紐のこをこふる心なるへし
大神《ヲホワノ》大夫《マウチキミ》任スル2長門ノ守ニ1時|集《ツトヒテ》2三輪河ノ邊ニ1宴スル歌二首 大神大夫
1770 みもろのや神のおはせるはつせ河みおのたえすはわれわすれめや
三諸乃(イみもろの)神能於婆勢流泊瀬河水尾之不断者吾忘礼米也
みもろのや神のおはせる 仙曰神のおはせるは神の帯せる也帯にせると讀るに同愚案下句は此水尾の絶ぬかきりはたとひ長門の遠国にても此河邊の宴会忘るましきと也三諸の神は三輪同體大神大夫か氏神なるへし
作者未v詳
1771 おくれゐてわれはや恋ん春かすみたなひく山を君かこえゆかは
於久礼居而吾波也将戀春霞多奈妣久山乎君之(イし)越去(イいな)者
おくれゐてわれはや われはやのやは助字也君は大神大夫を云別をおしみて讀る也
大神大夫任スル2筑紫ノ國ニ1時作レル歌一首 阿倍ノ大夫
1772 おくれゐてわれはやこひんいなみのゝ秋はき見つゝいなんこゆへに
於久礼居而吾者哉将戀稲見野乃秋芽子見都津去奈武子故尓
おくれゐてわれはや いなみ野はつの国也大和よりつくしの道路なるへしいなん子とは大神大夫の筑紫に行を云
獻ル2弓削《ユゲノ》皇子ニ1歌一首 柿本朝臣人麻呂
1773 かみなひの神より板にする杉のおもひもすきす恋のしけきに
神南備神依板尓為杉乃念母不過戀之茂尓
かみなひの神より板に 思ひも過すとすきの字をいふへき序哥也或説云神なひの神は三輪也此神のよりましには杉の板を立神木の故也云々
獻ル2舎人ノ皇子ニ1歌二首 柿本朝臣人麻呂
1774 たらちねのはゝのみことのことにあらはとしのをなかくたのめすきんや
垂乳根乃母之命乃言尓有者年緒長憑過武也
たらちねのはゝの 母の命の実《ジツ》なく詞計にあらは年のを長く頼むへしや母の詞は実有てかはらぬゆへ深く長く頼むとなるへし
1775 はつせ川ゆふわたりきてわきもこかいへのみかとはちかつきにけり
泊瀬河夕渡來而我妹兒何家門近舂二家里
はつせ川ゆふわたりき 夕に渡り來て也家のみかとは家の門なり
石川ノ大夫|遷任《センニンシテ》上ルv京《ミヤコニ》時|贈《ヲクレル》歌二首 播磨《ハリマノ》娘子《ヲトメ》
遷任 たとへは播磨の国司《コクシ》四ケ年のゝち他の国の守にうつり任するをいふ也
1776 たゆらきの山のおのへのさくらはなさかんはるへはきみをおもはん
絶等寸笶山之岑上乃櫻花将開春部者君乎将思
たゆらきの山のおのへ 八雲御抄云たゆらきの山播磨と云々君は石河をいふなるへし
1777 きみなくはなそ身かさらんくしけなるつけのをくしもとらんともはす
君無者奈何身将装餝匣(イはこに)有(ある)黄楊之小梳毛将取跡毛不念
きみなくはなそ 童蒙抄云つけのをくしは黄楊の木のくし也此哥童蒙抄類聚萬葉等にはなそ身のかさりはこにあると有とまりもとらんと思はすと有古点にや新点かくのことし可随所好歟哥の心は詩曰|自《ヨリ》2伯之東《ハクカヒカシセシ》1首《カウヘ》如シ2飛蓬《ヒホウノ》1豈《アニ》無ンヤ2膏休《カウホク》1誰レヲ適《アルシトシテ》爲《セン》v容《カタチツクリ》このおもかけにや
藤井《フチヰノ》連《ムラシ》遷任シテ上ルv京ニ時贈レル歌一首 娘子
1778 あすよりはわれはこひんななほり山いはふみならし君かこえいなは
從明日者吾波孤悲牟奈名欲(イなよ)山(やまの)石踏平之君我越去者
あすよりはわれは恋ん なほり山對馬国也イ本にはなよ山のと有八雲御抄なよ山播磨或はなを山共と云々愚案われは戀んなのは文字意味有君は戀給はんもしらすとふくめたる心なるへし
和スル歌一首 藤井連
1779 いのちをしませひさしかれなほりやま石ふみならしまた/\もこん
命乎志麻勢久可願名欲(イなよ)山(イやまの)石踐平之復亦毛來武
いのちをしませ久しかれ ませはましと同汝といふ詞也命を汝全く久しくあれ又/\も來てあはんと也
鹿嶋《カシマノ》郡|苅野《カルノヽ》橋ニテ別ルヽ2大伴《トモノ》卿ニ1歌一首并短歌 高橋ノ連シ蟲麻呂
1780 ことひうしのみやけの酒にさしむかふかしまのさきにさにぬりのをふねまうけてたまゝきのをかちしけぬき夕しほのみちのとゝみにみふなこをあともひたちてよひたてゝみふねいてなははまもせにをくれなをりてこひまろひこひかもをらんあしすりのねのみやなかんうなかみの其津を指て君かこきいなは
牡牛乃三宅之滷尓指向鹿嶋之埼尓狭丹塗之小船儲玉纒之小※[木+堯]繁(イしゝ)貫夕鹽之満乃登等美尓三船子呼阿騰母比立而喚立而三船出者濱毛勢尓後奈居而反側戀香裳将居足垂之泣耳八将哭海上之其津乎指而君之己藝歸者
ことひうしのみやけの 仙曰牛は酒の糟《カス》を好むくひて酔ぬれはたけりほこりてかしましけれはみやけの酒に指向ふかしまの崎とよそへつゝくる也見安同見安云みやけの酒下総国也云々或説牛は熱を痛む酒飲めは身やくるやう也身焼酒と云是らの儀皆鑿せり不用たまゝきのをかち 玉なとかさりし※[木+堯]也
しけぬき しけくつらぬく也
みちのとゝみ 見安云塩のみちとゝまる也
あともひたちて 仙曰今はと思《ヲモヒ》立てと也
よひたてゝは 舟子ともをよひたてゝ也
はまもせに 庭もせ道もせなとに同濱の面に也 をくれなをりて をくれ居て也なは助字也 うなかみのつ 八雲御抄上総云々
反歌
1781 うみつちのなきなんときも渡らなんかくたつ波にふなてすへしや
海津路乃名木名六時毛渡七六加九多都波二船出可為八
うみつちのなきなん時も うみつちは海路也つは助字也けふならて海路和たらん時にも船出し給へかしと也
與《アタフル》v妻ニ歌一首 柿本朝臣人麻呂
1782 雪こそははるひきゆらめこゝろさへきえうせたれやこともかよはぬ
雪己曽波春日消良米心佐閇消失多列夜言母不徃來
雪こそは春日消らめ 雪こそ春の日に消め君か心も消うせたるにやこともいひ通ぬと也
和スル歌 柿本朝臣人麻呂
1783 松かへりしゐにてあれやはみつくりのなかにゐてこすまろといはゝこ
松反四臂而(イしゐて)有八羽三栗中上不來麻呂等(イら)言八子
松かへりしゐにて 松かへりて椎にてとそへて三栗なとよめり仙曰待に遅く來るをしゐにてあれやはとよめり急きこんともせて心|緩怠《クハンタイ》するをしゐにてといふ也三栗なとのやうに來すとも丸かいはゝこよとよめる也見安云まろといはゝこはいはくこよ也云々但見安には松かへりしゐてあれやはとよめりしゐてはしゐて待也云々あれやはのはの字は心なきにや此歌思惟すへし
贈ル2入唐使ニ1歌一首 渡海ノ年紀未詳 作者未v詳
1784 わたつみのいつれのかみをたむけなはゆくさもくさもふねのはやけん
海若之何神乎齊祈者歟徃方毛來方毛船之早兼
わたつみのいつれのかみに たむけはいのる心也ゆくさくさはゆくもかへるも也
神亀五年戊辰秋八月歌一首并短歌 笠朝臣金村
神亀五年戊辰秋八月 續日本紀十曰神亀五年八月壬申太政官|議奏《ギソウシテ》改メ2定ム諸國ノ史生博士醫師ノ員ヲ1史生《シシヤウ》は大国四人上國三人中下國二人中略諸国の史生なと出立時のうたにや作者は金村也
1785 人となることはかたきをわくらはになれるわか身はしにもいきも君かまに/\とおもひつゝ有しあいたにうつせみのよのひとなれはおほきみのみことかしこみあまさかるひなおさめにとあさとりのあさたちしつゝむらとりのむらたちゆけはとまりゐてわれはこひんな見でひさにあらは
人跡成事者難乎和久良婆尓成吾身者死毛生毛君之随意(イまゝに)常念乍有之間尓虚蝉乃代人有者大王之御命恐美天離夷治尓登朝鳥之朝立為管群鳥之群立行者留居而吾者将戀奈不見久有(なら)者
ひとゝなる事は 人間と生をうくる事はありかたきと也
わくらはになれるわか身 適人界に生れし身は也
君かまに/\と 史生なとにゆく人を君と云歟
有しあいたに 句を切
ひなおさめにと 王命をつゝしみ承りて諸国の史生等に員定る数に入てゆかるゝとの心也朝鳥村鳥は朝立群立の諷詞也
反歌
1786 みこしちの雪ふる山をこえん日はとまれるわれをかけてしのはせ
三越道之雪零山乎将越日者留有吾乎懸而小竹葉背
みこしちの雪ふる 仙曰|三越路《ミコシチ》とは北国を云也越前越中越後あれはみこしちと云也しのはせは忍へと云
天平元年己巳冬十二月歌一首并短歌 笠朝臣金村
1787 うつせみのよの人なれはおほきみのみことかしこみしきしまのやまとのくにのいそのかみふりにし里にひもとかすまろねをすれはわかきたるころもはなれぬ見ることにこひはまされといろ/\にやまのへにまたある山はひと知ぬへみふゆのよのあかしもえぬをいもねすにわれはそこふるいもかたゝかに
虚蝉乃世人有者大王之御命恐弥礒城嶋能日本國乃石上振里尓紐不解丸寐乎為者吾衣有服者奈礼奴毎見戀者雖益色色二山上復有山者一可知美冬夜之明毛不得呼五十母不宿二吾歯曽戀流妹之直香仁
うつせみのよの人なれは 世人にてあるからは王命をつゝしみてと也王命によりて布留の古京に独宿する時の哥なるへし
ころもはなれぬ 衣の古着馴たる也妹あらはとき洗んと思ふ心有
見ることに 古郷の妻の縫し衣なれは也
いろ/\に山のへに又 山の色々なるか重なりたる事をいひて山の上に山あるは出の字也色に出なは人知へしとの心を云也三體詩絶句ニ山上ニ有v山不v得v歸《カヘルコトヲ》と作し類にや彼なれ衣みることに戀はまされと色にいては人知へしと侘たる心也
あかしもえぬを たゝにもあかしもえぬ冬のよを我は妹をこひていもねすとの心也いもかたゝかとは妹かね床を云也
反歌
1788 ふる山にたゝに見わたすみやこにそいねすてこふるとをからなくに
振山從直見渡京二曽寐不宿戀流遠不有尓
ふる山にたゝに見わたす 布留の山より故郷は只見わたさるゝはかりとをからねと猶いねす戀ると也いもねすに我はそ戀るの反哥也
1789 わきもこかゆひてしひもをとかめやもたえはたゆともたゝにあふまてに
吾妹兒之結手師紐乎将解八方絶者絶十方直二相左右二
わきもこかゆひてし 妹かゆひしひものきれはきるゝともあひみる迄はとかしと也彼なれ衣なとの事の反哥にや
天平五年癸酉|遣唐使《カラモノヽツカヒノ》舶《フネ》發《タツ》2難波ノ入海ヲ1之時|親《ヲヤ》母贈ルv子ニ歌一首并短歌 姓名未v詳
天平五年癸酉遣唐使 續日本紀十一曰天平五年閏三月癸酉遣唐大使多治比ノ真人廣成辞見ス授《タマフ》2節刀ヲ1夏四月己亥遣唐四船自2難波ノ津1進發《スヽミタツ》むかしは唐へ太使副使判官主典とて四艘にて被遣し此時にや
1790 あきはきをつまとふかこそひとつこふたつこもたりといへかこし物わかひとりこの草枕たひにしゆけはたか玉をしゝにぬきたれいはひへにゆふとりしてゝいはひつゝわか思ふわかこまよしゆきてかな
秋芽子乎妻問鹿許曽一子二子持有跡五十戸鹿兒自物吾獨子之草枕客二師徃者竹珠乎密貫垂齊戸尓木綿取四手而忌日管吾思吾子真好去有欲得
あきはきをつまとふか 秋萩を妻ととふ鹿こそはと也鹿こそすくなく子を持たりといへ我しも鹿のことく独子有といはんとて鹿兒自物我独子のとつゝくるなるへし
たか玉をしゝに 前ニ注ゆふとりしてゝは木綿なと取たらして也
まよしゆきてかな まことによし/\無事にゆきつきねかしと也
反歌
1791 たひ人のやとりせん野に霜ふらはわか子はつゝめあまのつるむら
客人之宿将為野尓霜降者吾子羽裹天乃鶴群
たひ人のやとりせん 見安云はつゝめははくゝめ也つるむらはむらつる也云々愚案我子の旅の宿かる野に霜ふらは空の群鶴も羽をおほひつゝみてはくゝめと也深切の至也
思テ2娘子ヲ1作歌一首并短歌 田邊《タナヘノ》福麻呂
1792 しらたまの人の其名をなか/\にことのをのへすあはぬ日のあまたすくれはこふる日のかさなりゆけは思ひやるたときをしらにきもむかひこゝろくたけて玉たすきかけぬときなくくちやますわかこふるこをたまたまき手にとりもちてまそかゝみたゝめに見すはしたひ山したゆく水のうへにいてすわか思ふこゝろやすきそらかも
白玉之人乃其名矣中中二辞緒不延不遇日之數多過者戀日之累行者思遣田時乎白土肝向心摧而珠手次不懸時無口不息吾戀兒矣玉釧手尓取持而真十鏡直目尓不視者下檜山下逝水乃上丹不出吾念情安虚歟毛
しらたまの人の其名 美女をほめて玉女なといふかことし詩に有v女如v玉ノといへる類也又此女の名を白玉といひしにや侍らん
ことのをのへす 見安云詞をものへす也師説言語をことのをと云心緒といふたくひの如也たときをしらに 見安云たつきもしらす也きもむかひはむら肝《キモ》の心也物を思へは肝のきるゝ也師説胸に肝のつかへむかふる也
かけぬ時なく 其人の事を懸て思ぬ時なく也口やますは口に其人の事をいひやます也
たまたまき 玉釧と書釧の字前のくしろの注に袖中抄にたまきのよしをいへり手にとり持てといはん諷詞也仙曰玉釧たまたまきと和ス第十五卷長哥にわたつみのたまきのたまをと云々
まそかゝみはたゝめに見すはといはん諷詞也我思ふ兒を手に取もちたゝめに見すは忍ひて思ふ心の安き空あらしと也たゝめは直に見る也
したひ山 摂津能勢郡也津國風土記云昔シ有2大神1云《イフ》2天|津《ツ》鰐《ワニト》1化シテ為v鷲ト下テ止ル2此山ニ1十人徃キ者五人ハ去テ五人留ル有2久波乎《クハコト云》者1來2此山ニ1伏テ2下樋ヲ1而|届《イタル》2於神ノ許《モトニ》1從2此樋ノ内1通シテ而|祷《ネキ》祭ル由v是曰フ2下樋山ト1下樋山下行水は上に出すの諷詞也
反歌
1793 かきほなす人のよこことしけきかもあはぬ日あまた月のへぬらん
垣保成人之横辞繁香裳不遭日數多月乃經良武
かきほなす人のよこ事 かきほなすとは人の中をへたつるさかしらするをいふ也よこことはよこさまのこと也
1794 たちかはる月かさなりてあはされとさねわすられすおもかけにして
立易月重而難不遇核不所忘面影思天
たちかはる月かさなり さね忘られすとはまことに忘られす也久しく逢ねとも俤立て忘られす也
挽歌
宇治|若郎子《ワカイラツコノ》宮所《ミヤトコロノ》歌一首
柿本朝臣人麻呂
宇治若郎子 應神天皇の太子仁徳帝の御弟日本紀十并十一卷ニ委御位を兄帝に譲てうせさせ給へり
1795 いもらかりいまきのみねになみたてるつまゝつの木はふる人見けん
妹等許今木乃嶺茂立嬬待木者古人見祁牟
いもらかりいまきの 妹かもとへ今來たりといひかけて今木をいはんとて妹らかりと諷詞にをけり今木の嶺は八雲抄紀伊と有なみたてるは茂くならひたてる也つま待といひかけて妹らかり今來の首尾なるへし哥の心は此今木のみねの松は古たれはむかしの宇治若郎子といふ人見奉けんと也此若郎子の御事まことにあはれあさからねはなるへし
紀伊《キ》國ニテ作レル歌四首 柿本朝臣人麻呂
1796 もみちはのすきゆくこらとたつさはりあそひしいそま見れはかなしも
黄葉之過去子等携遊礒麻見者悲裳
もみちはの過ゆく 紅葉は散過る物なれは過行といはん諷詞に紅葉ゝのと云也礒間は八雲抄紀伊云々此哥は亡婦の悼みにや
1797 しほけたつあらそにはあれと行水のすきゆくいもかかたみとそくる
鹽氣立荒礒丹者雖在徃水之過去妹之方見等曽來
しほけたつあらそ 塩煙たつ疎ましき荒礒なれと亡婦の形見とむつましさに來ると也形見浦紀伊の名所也
1798 いにしへにいもとわか見しうはたまのくろうしかたを見れはさふしも
古家(イふるいへ)丹妹等吾見黒玉之久漏牛方乎見佐府下
いにしへにいもとわかみし 黒牛方紀伊也もと妹とゝもに見し所を今一人見れはさひしく悲と也此五文字イ本ニはふるいへにと有如何
1799 玉津しまいそのうらまのまなこにもにほひてゆかないももふれけん
玉津嶋礒之裏未之真名仁文尓保比去名妹觸險
玉つしま礒のうらま 玉津嶋礒浦紀伊と八雲御抄に有亡婦らふれ遊ひけんに我もあそひてゆかんと也匂ひは遊ふ心也真砂にもと云に萬物をこめて意味有
過《ヨキリテ》2足柄《アシカラ》山ヲ1見《ミテ》2死《マカレル》人ヲ1作歌一首 田邊|福《サキ》麻呂
1800 をかきうちのあさをひきほしいもなねのつくりきせけん白たへのひもをもとかすひとへゆふおひをみへゆひくるしきにつかへまつりて今たにもくにゝかへりてかそいろもつまをも見んとおもひつゝゆきけんきみは鳥かなくあつまのくにのかしこみや神のみ坂ににきたまのころもさむらにうはたまのかみはみたれてくにとへと国をもつけすいへとへといへいへをもいはすますらおのゆきのすゝみにこゝにふしたり
小垣内(イをかいち)之麻矣引干妹名根之作(イつくりて)服(きけん)異六白細乃紐緒毛不解一重結帶矣三重結苦侍伎尓仕奉而今谷裳國尓退而父妣毛妻矣毛将見跡思乍徃祁牟君者鳥鳴東箇國能恐(イおそろし)耶(や)神之三坂尓和霊乃服寒(イこひ)等丹烏玉乃髪者乱而邦問跡國矣毛不告家問跡家矣毛不云益荒夫乃去能進尓此間偃有
をかきうちのイをかいちの 只垣内也しめし所を云也
妹なねの 妹姉と云心也
ひもをもとかす 宮仕へなとにつとむるさま也
ひとへゆふ帯をみへゆひ 腰圍のやせほそれる也かく苦しきまてに宮つかへをつとめて也ゆきけんきみは 此東路をゆく心也彼死人を云也
かしこみや神の三坂 かしこみやイおそろしや神の三坂といはん諷詞也足柄明神のおはす山なれは也八雲抄足柄坂相模と云々
にきたまの 見安云神霊を祝ふをにきたまと云云々愚案此説如何 にきたまの衣とはにきたへの衣といふ儀なるへしやはらかにほそき玉の衣と衣をほめていふなるへし さむらには寒けなるさま也彼死人のさまをいふ也
ますらおのゆきのすゝみ 武士は靱《ユキ》を負《ヲフ》也ゆきをいはんとてますらおのといへりゆきのすゝみとはこゝまてゆきすゝみて終にこゝに※[敝/死]伏《タフレフシ》たりと也哀なる心なり
過ルv葦屋《アシノヤノ》處女墓《ヲトメツカヲ》1時作歌一首 田邊福麻呂
1801 いにしへのますらおとこのあひきそひつまとひしけんあしのやのうなひをとめのおきつきをわか立見れはなかきよの語りにしつゝのちの人しのひにせんとたまほこの道のへちかくいはかまへつくれるつかをあま雲のしりへの限りこのみちをさる人ことにゆきよりていたちなけかひわひ人はねにも鳴つゝかたりつきしのひつきくるおとめらかおきつきところわれしまた見れはかなしもむかし思へは
古之益荒丁子各競妻問為祁牟葦屋乃菟名日處女乃奥城矣吾立見者永世乃語尓為乍後人偲尓世武等玉桙乃道邊近磐構作冢矣天雲乃退部乃限此道矣去人毎行因射立嘆日惑人者啼尓毛哭乍語嗣偲繼來處女等賀奥城所吾并見者悲喪古思者
いにしへのますらおとこ 哥林良材云昔津の国あしやの里にうなひおとめといふ女有これを二人の壮士いとみあらそひけり男の名一人をちぬ男と云一人をさゝた男と云けり男の心さし何もひとしかりけれは女思ひ煩ひて親に暇《イトマ》乞うて終に自害《シカイ》してうせぬ其とき二人の男も同く自殺《シサツ》しけれは其所の人是を葬《ハフフ》るとて女の墓を中に築《ツキ》て二人の男の塚をあひ双へてつくるをうなひ乙女のおきつきとはいへりおきつきとは塚の名也又花山院の大和物語にも此事見えたり畧之可v見2彼物語ヲ1也又此集の奧の哥に有
なかきよのかたり 永き世語にし後人のこひしのひ事にせんとてと也
あま雲のしりへのかきり 雲のしりそき行限也
いたちなけかひ いは助字也たちなけきてと也
反歌
1802 いにしへのさゝたおのこのつまとひしうなひおとめのおきつきそこれ
古乃小竹丁子乃妻問石菟會處女乃奥城叙此
いにしへのさゝたおのこ 哥林良材には小竹田は此男の氏なとゝきこゆ仙抄にはさゝたはいさゝけき也いさゝけきはかろくとき男也たは詞の助也云々例の鑿せり或説に笹田はしの田とよむへきをさゝ田とよみきたれり和泉国なれは也又鑿ス
1803 かたりつくからにもこゝた恋しきをたゝめに見けんむかしのおのこ
語繼可良仁文幾許戀布矣直目尓見兼古丁子
かたりつくからにも 昔物語に語傳て聞たにうなひおとめはそこはく恋しきを直に見つらん男の心思ひやると也たヽ目は直に見る事也
哀《カナシミテ》2弟ノ死去ヲ1作歌一首并短謌 田邊福麻呂
1804 ちゝはゝかなしのまに/\はしむかふなせのみことはあさ露のけやすきいのち神のむたあらそひかねてあしはらのみつほのくにゝいへなしやまたかへりこぬとをつくによみのさかいにはふつたのをのかむきむきあまくものわかれしゆけはやみ夜なすおもひまとはしいるしゝのこゝをいたみあしかきのおもひみたれてうくひすのねのみなきつゝあちさはふよるひるいはすかけろふの心もえつゝなけくわかれを
父母賀成乃任尓箸向弟乃命者朝露乃銷易杵壽神之共荒競不勝而葦原乃水穂之國尓家無哉又還不來遠津國黄泉乃界丹蔓都多乃各各向向天雲乃別石徃者闇夜成思迷匍匐所射十六乃意矣痛葦垣之思乱而春鳥能啼(イなき)耳(に)鳴乍味澤相宵晝不云蜻蜒火之心所燎管悲悽(イいたむ)別焉
ちゝはゝかなしのまに/\ 見安云うみたるまゝの子といふ也愚案|生《ナシ》の字也
はしむかふ 見安云はしむかふは兄弟也愚案箸一前二ツあれは云也
なせのみこと 弟をしたしむよりたつとみいへり
神のむたあらそひ兼て 神は常にて不滅《フメツ》也人の命は神と共《トモ》にあらそひかねてきえ安きと也
あしはらのみつほの国 日本の名也此国に家住所もなきにや遠き黄泉にゆきしと也
よみのさかい 仙曰冥途也よみはやみと云也冥途とも黒闇所とも云和語によみと云即やみ也
はふつたのをのかむき/\ 蔦のはひわかるゝ也とく死別せしと也はふ蔦の天雲の皆諷詞也
やみ夜なす 思ひまとはしの諷詞也いるしゝのは心をいたみの諷詞也芦垣は枯葉の亂るれは思ひみたれての諷詞也鶯はねのみなきつゝの諷詞也
あちさはふ 見安あちはふる也 師説あちさはふはよき事にいふ詞也こゝもよきとうけ來て夜昼といはんとて也かけろふはもえつゝの諷詞也哥の心は父母のうみなしたるまゝの兄弟とさしむかひし中なれと命たへす黄泉のさかいに別て生死へたゝれは思ひまとひ心いたみ思ひみたれねのみなきつゝよるひるいはす心もえつゝ此別を歎くと也
反歌
1805 わかれてもまたもあふへくおもほへはこゝろみたれてわれこひめやも
別而裳復毛可遭所念者心亂 一云意盡而《コヽロツクシテ》 吾戀目八方
わかれても又もあふへく 一たひ死別のゝち又はあひかたけれは心亂て戀ると也
1806 あしひきのあら山なかにをくり置てかへらふみれはこヽろくるしも
蘆桧木笶荒山中尓送置而還良布見者情苦喪
あしひきのあら山中に をくり置ては葬送して也かへらふみれはかへりみれは也荒山中といふ誠ニ可哀
詠ル2勝鹿《カツシカノ》真間娘子《マヽノヲトメヲ》1歌一首并短謌
高橋連虫麻呂
勝鹿真間娘子 上総国勝鹿といふ所の娘子賤女なから美色あり人々懸想《ケサウ》しけれと終に嫁せすしてうせぬ海邊に墓あるを世の美談に傳へて此集の赤人の哥にもよめり
1807 鳥か鳴くあつまのくにゝいにしへにありけることゝいまゝてにたえすいひくるかつしかのまゝのてこなかあさきぬにあをふすまきてひたさをゝもにはをりきてかみたにもかきはけつらすくつをたにはかてゆけともにしきあやのなかにつゝめるいはひこもいもにしかめやもち月のみてるおもわにはなのことえみてたてれは夏むしのひにいるかことみなといりにふねこくことくゆきかくれひとのいふときいくいくもいけらぬものをなにすとか身をたなしりてなみのとのさはくみなとのおきつきにいもかこやせるとをきよにありけることをきのふしも見けんかこともおもほゆるかも
鶏鳴吾妻乃國尓古昔尓有家留事登至今不絶言來(イける)勝壯鹿乃真間乃手兒奈我麻衣尓青衿着直佐麻乎裳者織服而髪谷母掻者不梳履乎谷不着雖行錦綾之中丹裹有齊兒毛妹尓将及哉望月之満有面輪二如花咲(イえまひ)而立有者夏蟲乃入火之如水門入尓船己具如久歸香具礼人乃言時幾時(イとき)毛不生物乎何為跡歟身乎田名知而浪音乃驟湊之奥津城尓妹之臥(イふし)勢流遠代尓有家類事乎昨日霜将見我其登毛所念可聞
まゝのてこな 彼娘子也
ひたさを 直麻苧《ヒタサヲノ》也あさをはかりにて織し裳也と師説也見安にはひた青き也云々
いはひこ いつきかしつけるむすめ也それを此まゝのてこなに及すと也妹はまゝのてこな也
もち月のみてるおもわ 満月のまとかなる比を云也娘子か顔を云也
えみてたてれは 娘子也
夏むしの火にいるか けさう人のてこなを思ふ事飛蛾の燈に入かことく舟の湊にこきゆくかことしと也
ゆきかくれ てこなかもとへ忍ひよる也
何すとか身をたな知て 何すると知《シリ》v身ヲてと也
なみのとの 波の音也
いもかこやせるイふせる こやせるもふせる也日本紀に飯にうへてこやせるたひ人と有 とをきよに有ける事をとはてこなか昔語を云
反歌
1808 かつしかのまゝの井見れは立ならし水をくみけんてこなしそ思ふ
勝壯鹿之真間之井見者立平之水※[手偏+邑]家武手兒名之所念
かつしかのまゝのゐ 八雲抄まゝの井上総と有此ゐを見るにつけてこゝに水くみし娘子か事をおもふと也今に神に祝云々
見ル2兎原處女墓《ウナイヲトメカハカヲ》1歌一首并短歌 高橋連蟲麻呂
1809 あしのやのうなひおとめのやとせこのかたおひのときにをはなちにかみたくまてにならひゐていへにも見えすそらゆふのかくれてませはみてしかといふせきときしかきほなす人のいとむときちぬおとこうなひおとこのふせ屋もえすゝしきそひてあひよはひしける時にはやきたちのたかびをしねりしらまゆみゆきとりおひて水にいり火にもいらんとたちむかひきそひしときにわきもこかはゝにかたらくしつたまきいやしきわかゆへますらおのあらそふ見れはいけりともあふへくあれやしゝくしろよみにまたんとかくれぬのしたはへをきてうちなけきいもかいぬれはちぬおとこその夜ゆめ見てとりつゝきをひゆきけれはをくれたるうなひおとこはいあふきてさけびおらびてつちにふしきかみたけびてもころおにまけてはあらしとかけはきのをたちとりはきさねかつらつきゆきけれはやからともいよりあつまりなかきよにしめさんためととをきよにかたりつかんとおとめつかなかにつくりをきおとこつかこなたかなたにつくりをけりゆへよしきゝてすらねともにゐものごともねなきつるかも
葦屋之菟名負處女之八年兒之片生之時從(イゆ)小放尓髪多久麻(氏/一)尓並居(イゐる)家尓毛不所見虚木綿乃牢而座在者見而師香跡悒憤(イいふかしき)時之垣廬成人之誂時智奴壯士宇奈比壯士乃廬八燎須酒師競(イきおひて)相結婚(イたはけ)為家類時者焼大刀乃手頴押祢利白檀弓靱取負而入水火尓毛将入跡立向競(いそひし)時尓吾妹子之母尓語久倭父文手纒賎(イしつの)吾之故大夫之荒争見者雖生應合有哉完串呂黄泉尓将待跡隠沼乃下延置而打歎妹之去者血沼壯士其夜夢見取次寸追去祁礼婆後有菟原壯士(イも)伊仰天叫於良妣※[長+頁]地牙喫建怒而如己男尓負而者不有跡懸佩之小劔取佩冬著蕷都良尋去祁礼婆親族共射歸(イゆき)集永代尓標将為跡遐代尓語将繼常處女墓中尓造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而雖不知新喪之如毛哭泣鶴鴨
やとせこのかたをひの時 おさなくてまた生※[ヲヒ]とゝのほらぬ時に也
をはなちに 見安云おさなき時いまたゆはれぬほとの髪ををはなちの髪と云々師説をは助字也|放髪《ハナチカミ》とていまたかんさしせぬほとのかみ也
かみたくまてに やう/\髪あくるほとになりし也前ニ注ス
ならひゐて 父母なとにのみ双ひ居て家内の人にも見えすと也イならひゐる家にもは隣家の人也
そらゆふの 見安云いとゆふ也遊糸愚案春天にあるかなきかにて見えにくけれはかくれといはん諷詞なるへし或説虚木綿ウツユフと和スヘシ日本紀に内木綿とある是なるへし木綿はかくる物なれはかくといふまての諷詞也又云そらゆふもしらゆふと同そとしと相通云々鑿せるにや
かきほなす 見安云人にへたてらるゝ心也いふせき時しのしは助字也
人のいとむ時 けさう人ともたかひにへたてさかしらして此女といとむ也
ふせやもえ しんいをもやす事を伏屋に火焼て煤けし心を云つゝくる也
すゝしきそひ 見安云すゝみきをひて也愚案きそひはあらそふ心也
あひよはひイあひたはけ 二人の男諸共にいひよばふ時にと云也たはけ同
やきたちのたかひをしねり 仙曰たかびとは太刀の柄を云也たは助字也見安云をしねりはぬかんとてをしひねる也|挑争《イトミアラソ》ふかたち也或説をしにきり也にきをねと云日本紀一ニ振2起《フリタテヽ》弓※[弓+粛]《ユハスヲ》1急2握《トリシハリ》剱柄《タチカラヲ》1云々此詞也
しつたまき 賎環也しつのをたまきと同いやしきの枕詞也これより女の母にいふ詞也
いけりともあふへく たとひ生て有とても逢へくもあらんやあふへくもなしと也
しゝくしろよみに 仙曰よみといへるよの字よしといふ詞にかよへは諷詞に完串と云|肉寄《シクシ》よしとつゝくる也愚案物の肉のあやしくよき心也日本紀|勾大兄《マカリヲホヱノ》皇子の御哥にしゝくしろうまいねしとある詞也ろは助字也心は先死て黄泉にて待んと也
かくれぬの下はへ置て 隠沼は下はへの諷詞也はへをきてはひ行て也
いもかいぬれは 哥林良材に自害してうせぬとある是也大和物語には生田河に入水せしと有
その夜夢みて 處女のうせたるを夢にみてともにうせたると也
いあふきて いは助字也 さけひをらひて さけひをりて也
きかみたけひて 見安云きはをかみていかる也愚案たけひは日本紀に雄※[言+告]《ヲタケヒ》とあるにおなしたけくいかる也天に仰きさけひ地ニふしいかり歎く也
もころおに 仙曰我ことく同し程にまけしと也愚案女モコロ男ヲ此字也
まけてはあらしとかけはきのを太刀 見安云まけてはあらしとはまけじといふこゝろ也かけはきはたちをはきて也愚案太刀の帯取にかけてはく心也
さねかつら 絶ぬ物なれはつぎてといはん諷詞也つゝく儀なるへしつゝきて此男もともに自殺してうせしと也やからは男女の一族とも也
にゐものごとも 見安云古の別をきゝていまのわかれのやうなる故に新喪《ニヰモ》の如《ゴト》もといふ也
反歌
1810 あしのやのうなゐおとめかおきつきをゆきくと見てはねのみしなかる
葦屋之宇奈比處女之奥槨乎徃(イゆく)來跡見者哭耳之所泣
あしのやのうなゐおとめ 津の国の芦屋也ゆきくはゆきゝにと同イゆくくはゆく/\と也心は明也
1811 つかのうへのこのえたなひけり聞かことちぬおとこにしよるへけらしも
墓上之木枝靡有如聞陳努壯士尓之依倍家良信母
つかのうへのこのえた ちぬ男に女の心はよりしときくかことくと也貞享二年十月二日重而染筆而同十五日於灯下終書写之功矣
萬葉集卷第九終
天和三年二月十六日染筆而同二十七日注解此一卷畢
萬葉拾穂抄第3卷 北村季吟 新典社刊行 1976、2、10、7000円。(第3卷は卷七~九)
2003.10.20(月)午後3時8分、修正入力終了
2004.6.12(土)午後6時40分、校正終了
萬葉集卷第十
春雑歌
春雑歌 春の哥にて霞戀鳥柳なと名所等の哥ましはれり
七首 柿本朝臣人麻呂
1812 ひさかたのあまのかく山このゆふへかすみたなひくはるたつらしも
久方之天芳山此夕(古來風―くれに)霞霏微春立(たちぬ)下(とか古來)
ひさかたのあまのかく山 夕の霞に春としる端的のさまなるへし
1813 まきもくのひはらにたてる春霞くれしおもひはなつみけめやも
卷向之檜原丹立流春霞欝(イクヒ)之思者名積米八方
まきもくの桧原に 序哥也春の戀哥也くれしはかきくらし思ふ心也イくひしはくやむ心なるへしなつむはとゝこほる議也思ひのとゝこらさる心にこそ
1814 いにしへの人のうへけんすきのえにかすみたなひく春はきぬらし
古人之植兼杉枝霞霏微春者來良之
いにしへの人のうへけん 古木の杉の霞る心か
1815 こらか手をまきもく山に春されはこのはしのきてかすみたなひく
子等我手乎卷向山丹春去者木葉凌而霞霏微
こらか手をまきもく 祇曰此五文字は卷向をいはんため計也同春なから暮春の哥也木葉深く成て是も菅のねしのきのことくしなひなひくこゝろ也【こらか手を卷とは枕にする也】
1816 かけろふのゆふさりくれはさつひとのゆつきかたけにかすみたなひく
玉蜻夕(イ春)去來者佐豆人之弓月我高荷霞霏微
かけろふのゆふさり 蜻蛉は夕を待て死すれは夕といはん諷詞にかけろふとをくとそ一説夕はかけろふ物なれはかけろふの夕と云とかやさつ人見安云さとき武士也袖中抄云薩人と書ものゝふ也|薩雄《サツヲ》同し事也さつひとの弓とつゝくる也蜻蛉は春の空に遊へはかけろふの春とつゝくる也 愚案袖中抄にはかけろふの春されくれはとあるゆへ此注也
1817 けさゆきてあすはこんといふしかすかにあさつまやまにかすみたなく
今朝(イけふ)去而明日者來牟(イきなん)等云子鹿丹(といふこかに)旦妻山丹
けさゆきてあすは 祇本あすはこんといふしかすかにと有 祇注云あすはこんといひて別たれともさすかにあさつま山霞たなひき隔つるをみれは戀しきといふ心也 イあすはきなんといふ子かにとは旦妻といふ名につきてあすはこんといふおとめかと思ふやうにあさ妻山霞てなつかしきとなるへし 次のうたもあさつまといふ名にてよめる類にや
1818 子らか名につけのよろしき朝つまのかたやまきしにかすみたなひく
子等名丹関(イ開アケ)之宜朝妻之片山木之尓霞多奈引
こらか名につけのよろしき 旦妻といふ名のやさしくおとめか名に付てよきと也かた山きしは片々《カタ/\》の山の岸也 イ本ニ開《アケ》のよろしと有て女はあさけの姿よき故あけて宜き朝妻と云云々不用也
詠ルv鳥ヲ歌 二十四首
作者未v詳
1819 うちなひき春たちぬらしわかかとのやなきのうれにうくひすなきつ
打霏春立奴良志吾門之柳乃宇礼尓鶯鳴都
うちなひき春立 祇曰うちなひきとはなへてといふ心也うれはうへ也
1820 うめのはなさけるをかへにいへいせはともしくもあらし鴬のこゑ
梅花開有岳邊尓家居者乏毛不有鴬之音
うめのはなさける 類聚にも如此和ス
1821 はるかすみなかるゝともにあをやきのえたくひもちてうくひすなくも
春霞流共尓青柳之枝啄持而鴬鳴毛
はるかすみなかるゝとも 霞流るゝ比は鴬も柳になくといはんとてなかるゝともにと讀也
1822 わかせこをなこしの山のよふことりきみよひかへせよのふけぬとに
吾瀬子乎莫越山能喚子鳥君喚變瀬夜之不深刀尓
わかせこをなこしの山の 八雲抄なこし山大和云々祇曰哥心はなこしの山をせこをな來《こ》そといふ山そとよめり扨よひかへせといへりせこと君と同古哥には如此あり愚案夜の更ぬとには夜のふけぬほとにといふを上略していへるにや
1823 あさいでにきなくかほ鳥なれたにもきみにこふれやときをえすなく
朝井代尓來鳴杲鳥汝谷文君丹戀八時不終鳴
あさいてにきなく 朝の井堤に也井堤は田の用水にせきとる所也時をえすとは一時をはる《終》ほとなく來なく心也※[白/ハ]鳥も君に恋るにや朝いてにはやくきなくと也※[白/ハ]鳥|美《ウツクシキ》鳥也
1824 冬こもり春さりくらしあしひきのやまにも野にもうくひすなくも
冬隠春去來之足比木乃山二文野二文鴬鳴裳
冬こもり春さり 師説冬籠り春去來とは年内立春歟但仙曰去くらしは春に成來らし也冬籠は鴬はこもりいて見えさりしかとも春になりぬらし山にも野にもなくとよめる也
1825 むらさきのねはふよこのゝ春野にはきみをかけつゝうくひすなくも
紫之根延横野之春野庭君乎懸管鴬名雲
むらさきのねはふ よこ野八雲抄上野云々祇曰紫を君によそへ鴬を身によそへてよめり君をかけてとはおもひかけたる也
1826 はるされはつまをもとむと鴬のこすゑをつたひなきつゝもとな
春之去者妻乎求等鴬之木末乎傳鳴乍本名
はるされはつまを もとなはよしなゝり我にも妻戀を催して由なと也
1827 かすかなるはかひの山ゆさほの内へなきゆくなるはたれよふことり
春日有羽買之山従猿帆之内敝鳴往成者孰喚子鳥
かすかなる羽かひの山 皆大和の名所也山ゆは山より也さほの内とは佐保山さほ川等すへてさほといふ境内を云奈良をもいふ也
1828 こたへぬになよひとよみそよふこ鳥さほのやまへをのほりくたりに
不答尓勿喚動曽喚子鳥佐保乃山邊乎上下二
こたえぬになよひ 我答るにもあらぬにと也
1829 あつさゆみはる山ちかくいへいしてつきてきくらんうくひすのこゑ
梓弓春山近家居之續而聞良牟鴬之音
あつさ弓はる山近く 心明也新古今に下句絶す聞つると有
1830 うちなひき春さりくれはさゝのは(ノ米イ)におはうちふれてうくひすなくも
打靡春去來者小竹之末(イしのゝへ)丹尾羽打觸而鴬鳴毛
うちなひき春さり 小竹之末《サゝノハ》類聚サゝノウレイニサゝノヘ 訓点如此さま/\あれと義明也或本小竹之米《サ/\ノメ・シノ/\メ》兩点笹のめくむ目也
1831 あさきりにしとゝにぬれてよふこ鳥みふねのやまになきわたる見ゆ
朝霧尓之怒怒尓(イしのゝに)所沾而喚子鳥御船(イみふね)山従(イやまより)喧渡所見
あさきりにしとゝに 類聚萬葉にも如此和ス仙点はしのゝにと点ス同義なるへし三船前注
1832 うちなひき春さりくれはしかすかにあま雲きりあひ雪はふりつゝ
打靡春去來然為蟹天雲霧相雪者零管
うちなひき春さり 春くれはあまきる雪降つゝもさすかに春めくとふくめし心也
1833 梅の花ふりおほふ雪をつゝみもてきみに見せんととれはきえつゝ
梅花零覆雪乎嚢持君令見跡取者消管
梅の花ふりおほふ 包みもては雪なから枝折ゆくを云にや必物につゝめるにもあらじか
1834 梅のはな咲ちりすきぬしかすかにしら雪庭にふりかさねつゝ
梅花咲落過奴然為蟹白雪庭尓零重管
梅のはな咲ちり過ぎぬ 早春の梅のさま也咲て散過たれとさすかに初春なれは雪積ると也
1835 いまさらに雪ふらめやもかけろふのもゆるはるへとなりにしものを
今更雪零目八方蜻火之燎留春部(イひ)常成西物乎
いまさらに雪ふらめや 餘寒もかきり有て陽焔《ヤウエン・カケロフ》空にもゆる日に今更に雪ふらんやと也祇曰かけろふのもゆる春日とは日の長閑に成て空も晴たるにもゆるやうにかすかに日に映《エイ》してある事ありたとへはいとゆふと同事也愚案祇本もゆる春日と有朗詠同
1836 かせませに雪はふりつゝしかすかにかすみたなひき春はきにけり
風交(イましり)雪者零乍然為蟹霞田菜引春去(イはるさり)尓來
かせませに雪はふりつゝ 類聚萬葉風ませにと有て春はきにけりととめたり古点にや新古今にも如此 仙点は風ましりと有てはるさりにけりと和ス古点にしくへからす哥の心は餘寒のけしきなから時節の霞は立さま也
1837 やまのはにうくひすなきてうちなひきはるとおもへと雪ふりしきぬ
山際(イま)尓鴬喧而打靡春跡雖念雪落布沼
やまのはにうくひす 心は明也
1838 みねのうへにふりをける雪し風のむたこゝにちるらし春にはあれとも
峯上尓零置雪師風之共此間散良思春者雖有
此一首筑波山ニテ作ルv之(ヲ)
みねのうへにふりをける 風のむたは風とゝもに吹さそはれての心也春なからつくは山の雪も見えてこゝにも雪ふるをかくよみなせり雪しのしは例の助字也
1839 きみかため山田のさはにゑくつむと雪けの水にものすそぬれぬ
為君山田之澤恵具採跡雪消之水尓裳裾(イもすそ)所沾(イぬらしつ)
きみかため山田の 袖中抄には下句もすそぬらしつとあり顕昭云ゑくとは女萎と云てゑことよめりくとこと同音也花すはうにさく草の水邊に有也或はゑくとは芹をいふと云義あれと六帖には芹の外に別にゑくをあけたり但古き文には委明めずして物の異名をも正さす名のかはりたれは別にかける事もあれは一定にあらす俊頼朝臣はわかなをゑくとよめり下略愚案八雲御抄にも芹の条にゑくとあり仙抄にもゑぐとは芹をいふ雪けの水とは雪の消たる水也せりつむとは心さしふかき事にいひならはしたれはかく讀るにやと云々されはゑくは芹といはんも故実《コシツ》なるへしせりつむは心さし深き事とは童蒙抄云文選ニ山ン巨源《コゲン》にあたふる?叔夜《ケイシクヤ》か絶交書に芹をうましするもの至尊《シソ》に献せんとおもふ註|博《ハク》物志ニ曰むかし芹をほめてあましとする物有是を其里の長《ヲサ》に奉る略記此古事歟
1840 梅か枝になきてうつろふうくいすのはねしろたへにあは雪そふる
梅枝尓鳴而移徒鴬之翼白妙尓沫雪曽落
梅か枝になきて 玄旨大概抄云羽白妙に沫雪そふるをは埋るるやうにはよむへからす梅花にうつり鳴鴬の翹に淡雪のちりかゝりたるさま也毛詩ニ出《イデゝ》v自《ヨリ》2幽谷《イウコク》遷《ウツル》2于|喬木《キヤウボクニ》1鴬の詩也略注
1841 山たかみふりくるゆきをうめの花ちりかもくるとおもひつるかも
山高三零來雪乎梅花落鴨來跡念鶴鴨
一云うめの花さきかもちると
梅花開香裳落跡
山高みふりくる雪 散かもくるは散くるか也
1842 ゆきをゝきて梅をな戀そあしひきの山かたつきていへいせるきみ
除雪而梅莫戀足曳引之山片就而家居為(イす)流君
此二首問答
ゆきをゝきて梅をな 前の哥雪を梅かといへるに答て雪をさしをきて梅に着《ジヤク》し給ひそと也八雲抄に山かたつきてとは山のかたそは也云々問答哥の事前に注
詠ルv霞ヲ歌三首 作者未v詳
1843 きのふこそとしはくれしかはるかすみかすかのやまにはやたちにけり
昨日社年者極之賀春霞春日山尓速立尓來
きのふこそ年は暮しか 時節の景を感する心也
1844 ふゆすきて春はきぬらし朝日さすかすかの山にかすみたなひく
寒過暖來良思朝烏指滓鹿能山尓霞軽引
ふゆすきて春はきぬ 心は明也
1845 うくひすの春になるらしかすか山かすみたなひくよめに見れとも
鴬之春成良思春日山霞棚引夜目見侶
うくひすの春になる 鴬の春珍しき詞にや春鳥とも出て春の可v翫《モチアソフ》物なれはなるへしたとへは花の春といふたくひにこそ下句は夜も霞む春のしるしを感する也月夜なとにみし景氣歟
詠ルv柳ヲ歌八首 作者未v詳
1846 霜かれの冬の柳は見る人のかつらにすへくもえにけるかも
霜干冬柳者見人之蔓可為目生來鴨
霜かれの冬の柳は 霜枯たりしの心也
1847 あさみとりそめかけたりとみる迄にはるのやなきはもえにけるかも
淺緑染懸有跡見左右二春楊者目生來鴨
あさみとり染かけ 心明也
1848 やまのはに雪はふりつゝしかすかにこのかはやなきはもえにけるかも
山際尓雪者零管然為我二此河楊波毛延尓家留可聞
やまのはに雪はふり 是も心明也
1849 山のはのゆきはきえぬをなかれあふかはのそへれはもえにけるかも
山際之雪不消有乎水飯合川之副者目生來鴨
山のはのゆきはきえぬ 河のうるほひに柳の萌たるかと也柳といはて上古の歌躰也
1850 あさなさなわかみる柳うくひすのきいてなくへき森にはやなれ
朝旦吾見柳鴬之來居而應鳴森尓早奈礼
あさなさなわかみるやなぎ 毎朝わかみる柳と也
1851 あをやきのいとのほそさをはるかせにみたれぬいまに見せん子もかな
青柳之絲乃細紗春風尓不亂伊間尓令視子裳欲得
あをやきのいとの みたれぬいまは亂ね間也伊は助字也細柳の愛らしきを思ふ人に早くみせたしと也
1852 もゝしきのおほみや人のかつらなるしたりやなきはみれとあかぬかも
百礒城大宮人之蔓有垂柳者雖見不飽鴨
もゝしきのおほみや 宮人柳をかつらにかくる事あれは也
1853 うめのはなとりもて見れは我宿のやなきのまゆしおもほゆるかも
梅花取持(イもち)見者吾屋前之柳乃眉師所念可聞
うめのはなとりもて 同し春の景物なれは梅に柳を思ひ出し也
詠v花歌二十首 作者未v詳
1854 うくひすのこつたふ梅のうつろへはさくらのはなのときかたまけぬ
鴬之木傳梅移櫻花之時片設奴
うくひすのこつたふ かたまけぬとはありまうけたる心也梅のうつろひたれは桜の時をありまうけたる也但八雲御抄云此詞一つにあらす夕かたまけ春かたまけ冬かたまけなともよめり皆心はかはらす物のありまうけたるていの心にもかよひたれとも此哥にてはあなたにとられて少《スクナ》き心なり梅花の散たるほとに桜の比はかたまけたりといへる心也清輔抄まつ心といへり云々可随所好歟
1855 さくらはなときはすきねと見るひとのこひのさかりといましちるらん
櫻花時者雖不過見之戀盛常今之將落
さくらはなときは過ねと 恋のさかりとは花をしたひ恋ふる心の盛なる也時過てちるへき比ならねと花をしたふ心を盛にせんとて今ちるらんと也
1856 わかかさすやなきのいとをふきみたるかせにかいもかうめのちるらん
我刺柳絲乎吹亂風尓加妹之梅乃散覧
わかかさす柳のいとを 妹か梅とは妹か宿の梅也
1857 としのはにうめはさけともうつせみのよの人のきみし春なかりけり
毎年梅者開友空蝉世人君羊蹄春無有來
としのはにうめはさけ 諒闇の年なと讀し哥にや毎年梅はさけとはかなき人君は又春ならすと也人君しのしは助字也
1858 うつたへに鳥ははまねとしめはへてもらまくほしき梅の花かも
打細尓鳥者雖不喫縄(イなは)延守卷く欲寸梅花鴨
うつたへに鳥ははまね うつたへ仙曰|偏《ヒトヘ》にといふ心也歌林良材には打つけと云心と同し
1859 むまなへて高き山へをしろたへににほはしたるは梅の花かも
馬並而高山部(イナシ)白妙丹令艶色有者梅花鴨
むまなへて高き山へ 馬なへてゆくに高き山といふ心也にほはしは艶色と書いろへたる心なるへし
1860 花さきてみはならねとも長きけにおもほゆるかもやまふきのはな
花咲而實者不成登茂長氣所念鴨山振之花
花さきてみは 長き氣はなけかしき心也前にも注実はならぬ花なれと待遠に歎かしき山吹そと也但仙抄には氣は名残也実はならねとも花のうつくしけれは難忘名残有て覺る也となり云々此義如何氣は名残也といふ事不審にや
1861 のとかはのみなそこさへにてるまてにみかさのやまはささきにけるかも
能登河之水底并尓光及尓三笠乃山者咲來鴨
のと川のみなそこさへに 八雲抄云のと川大和三笠山近云々咲にけるとは花なるへし
1862 雪みれはいまた冬なりしかすかにはるかすみたちうめはちりつゝ
見雪者未冬有然為蟹春霞立梅者散乍
雪見れはいまた春なり 残雪をみれはいまた冬のやうなりと也
1863 こそさきしひさきいまさくいたつらにつちにやおちん見る人なしに
去年咲之久木今開徒土哉將堕見人名四二
こそさきしひさき 此ひさき師説は久しき木也云々但八雲抄に濱楸と同所に在是も久き木にや又楸も花の春咲にや
1864 あしひきのやまのまてらすさくら花このはるさめにちりゆかんかも
足日木之山間櫻花是春雨尓散去鴨
あしひきの山のま 山のまは山のあいた也
1865 うちなひき春さりくらし山のはのひさきのすゑのさきゆく見れは
打靡春避來之山際最木末乃咲往見者
うちなひき春さり 此ひさきも同前
1866 きゝすなくたかまとのへにさくらはなちりなからふる見んひともかも
春雉鳴高圓邊丹櫻花散流歴見人毛我裳
きゝすなくたかまと たかまとの邊也野邊にはあらすちりなかふるは早く散しとちらてなからへてあると也
1867 あほ山のさねきの花はけふもかもちりまかふらし見る人なしに
阿保山之佐宿木花者今日毛鴨散乱見人無二
あほ山のさねきの花は 阿保山大和也さねき或説小寐木也ねふりの花也見安には榊の花也
1868 かはつなくよしのゝ川の瀧のうへのつゝしのはなそをくにまもなき
川津鳴吉野河之瀧上乃馬酔(イあせみ)之花曽置(イてなふれ)末(そイ)勿勤(ゆめイ)
かはつなくよしのゝ河の 仙曰つゝしの花そをくにまもなきとはつゝしの花をめつる心にて打をきかたしなといへるにや見安同類聚には下句あせみの花そてなふれそゆめと有
1869 はるさめにあらそひかねてわかやとのさくらのはなはさきそめにけり
春雨尓相争不勝而吾屋前之櫻花者開始尓家里
はるさめにあらそひかね 咲ましきさまなりしか雨に咲たるを争兼てと云
1870 はるさめはいたくなふりそさくらはないまた見なくにちらまくおしも
春雨者甚勿零櫻花未見尓散卷惜裳
春さめはいたくな 心明也
1871 はるされはちらまくおしきうめの花しはしはさかてつほみてもかな
春去者散卷梅花(イ櫻花)片時者不咲含而毛欲得
はるされはちらまく 梅花イニさくら花と有
1872 見わたせはかすかののへにかすみたちさきにほへるはさくらはなかも
見渡者春日之野邊尓霞立開艶者櫻花鴨
見わたせはかすかのゝへに 心は明也
1873 いつしかも此夜のあけんうくひすのこつたひちらす梅の花見ん
何時鴨此夜乃將明鴬之木傳落梅花將見
いつしかも此夜のあけん 鴬の木傳ふ梅の見たさに明るをまつ心也
詠v月ヲ三首 作者未v詳
1874 春かすみたなひくけふのゆふつくよきよくてるらんたかまとのゝに
春霞田菜引今日之暮三伏一向夜不穢照良武高松之野尓
春かすみたなひくけふ 終日霞し空夕方より晴て月清明なる心也高|松《マト》野は大和
1875 はるされはきのこのくれの夕月夜 一云春されはこかくれ(去は木陰)おほ(多)き夕月夜 おほつかなしもやまかけにして
春去者紀之許能暮之夕月夜欝束無毛山陰尓指天
はるされはきのこのくれの 仙曰紀之許能暮きのこのくれと和すへし木の木の暮といふ心と云々愚案木の木のは重詞にや木陰くらきと云心也
1876 あさかすみ春日のくれは木のまよりうつろふ月をいつしかまたん
朝霞春日之晩者従木間移歴月乎何時將待
あさかすみ春日のくれは 朝より暮まで長き春日の霞み暮せし心也扨木のまの月をいつしかとまたんと也
詠v雨ヲ一首 作者未v詳
1877 はるさめにありける物を立かくれいもかいへちにこの日くらしつ
春之由(イはるのあめ)尓有來物乎立隠妹之家道尓此日晩都
はるさめにありける 春雨はいたくふらて晴かたき物也しはしの雨宿りに妹か家に立隠れたれは春雨にて晴さるほとにけふ暮しと也
詠v河ヲ一首 作者未v詳
1878 今ゆきてきく物にもかあすか河はるさめふりてたきつせの音を
今往而聞物尓毛毛我明日香川春雨零而瀧津湍音乎
今ゆきてきく物にも 春水ましてたきるせのをとを聞たきと也
詠v煙ヲ歌一首 作者未v詳
1879 かすかのにけふりたつ見ゆをとめらしはるのゝをはきつみてにらしも
春日野尓烟立所喊(女偏)嬬等四春野之兔芽子採而煮良思毛
かすか野にけふりたつ をとめらしのしは助字也をはきとは和名云薺蒿(ヲハキ)一名|莪蒿(ガカウ)和名於八木崔禹錫食経ニ云ク状《カタチ》似2艾草1而香《カウハシ》作《ナシテ》v羹《アツモノト》食スv之ヲ にらしもは煮るらしと也
野遊ノ歌 四首 作者未v詳
1880 かすかのゝあさちかうへにおもふとちあそふけふをはわすられめやも
春日野之淺茅之上尓念共遊今日忘目八方
かすかのゝあさちか わすられめやもとは忘れんや忘られじと也野遊の様也
1881 はるかすみたつかすかのをゆきかへりわれはあひみんいやとしのはに
春霞立春日野乎往還吾者相見彌年之黄土
はるかすみたつ いやとしのはにとはいよ/\年毎に我はあひま見えあそはむと也野遊の友によめる哥なるへし
1882 はるのゝに心やらんとおもふとちきたりしけふはくれすもあらぬか
春野尓意將述跡念共來之今日者不晩毛荒糠
はるのゝに心やらんと 心やるとは心をのへ慰む也暮すもあらぬかとは暮すもあれかしの心也
1883 もゝしきのおほみや人はいとまあれやうめをかさしてこゝにつとへり
百礒城之大宮人者暇有也梅乎挿頭而此間集有
もゝしきの大宮人は 赤人の桜かさしてに大かた同上古此類多シ
歎《ナケク》v舊《フルキヲ》歌二首 作者未v詳
1884 ふゆすきてはるしきぬれは年月はあらたまれともひとはふりゆく
寒過暖來者年月者雖新有人者舊去
ふゆすきてはるし 百千鳥さへつる春はといへるに亦大かたおなし
1885 ものみなはあたらしきよしたゝ人はふりぬるのみそよろしかるへき
物皆者新吉唯人者舊之應宜
ものみなはあたらしき 前のうたふるきをなけきしを此哥にていひ慰めし心にや
懽《ヨロコヘル》v逢《アフヲ》歌一首 作者未v詳
1886 すみよしのさとをえしかははる花のましめつらしみきみにあへるかも
住吉(イの江)之里得之鹿歯春花乃益希見君相有香聞
すみの江のさとを 里をえしかは住吉里を領地せし心にや見安云里をえしかは里へゆきたりしかは也云々如何春花のはましめつらしみといはん諷詞也ましは益々《マス/\》也 住吉を得しのみか珍しき人に逢しと也或説ニ住よき里也云々
旋頭歌二首 作者未v詳
1887 春日なるみかさの山に月も出ぬかもさき山にさける桜の花のみゆへく
春日在三笠乃山尓月毎出奴可母佐紀山尓開有櫻之花乃可見
春日なるみかさの さき山大和春日近と八雲抄ニ在花のみゆへく月も出さるか出よと也
1888 しら雪のとこしく冬は過にけらしもはる霞みたなひくのへの鴬なくも
白雪之常敷冬者過去家良霜春霞田菜引野邊之鴬鳴焉
しら雪のとこしく とこしくは常に降しく也
譬喩《ヒユノ・タトヘウタ》歌一首 作者未v詳
1889 わかやとのけもゝのしたに月夜さししたこゝろよしうたてこのころ
吾屋前之毛桃之下尓月夜指下心吉兔楯頃者
わかやとのけもゝの 仙曰桃は花あまた咲て実すくなきもの也然を毛桃といへるはみになれるをあらはす也是をたま/\におもふ事をとけてみなれるにたとふ月夜さしとはみなりて後夜々影をさせは春のよの闇《ヤミ》晴て心ちよきにたとふうたてはうたゝといふにおなし愚案仙抄例のおもきに似たれと譬はさもあらんか
春ノ相聞
七首 柿本朝臣人麻呂
1890 かすか野にいぬるうくひすなきわかれかへりますほとおもひますわれ
春日野犬鴬鳴別眷益間思御吾
かすか野にいぬるうくひす 第一第二句は序哥也なき別てのち又かへりきますほとおもひのいやますとの心なるへし
1891 ふゆこもり春さく花をたおりもてちへのかきりもこひわたるかも
冬隠春開花手(イ乎)折(イおりもちて)以千遍限戀渡鴨
ふゆこもり春さく 序哥也冬のほとさかさるを冬籠といへり花の千重の数々のほと戀渡ると也
1892 はるやまの霧にまとへるうくひすもわれにまさりて物おもはめや
春山霧惑在鴬我益物念哉
はる山の霧にまと 元※[のぎへん+眞]詩ニ咽《ムセフ》v霧ニ山鴬|啼《ナクコト》尚少《ワカシ》この句に似たり哥の心は戀のさま也
1893 いてゝ見るむかひのをかのもとしけくさきたるはなのならすはやまし
出見向(イむかつの)岡本繁(イしゝに)開在花不成不止
いてゝ見るむかひの 花さけは実ならすといふ事なきを君にあはすはやましと添し也
1894 かすみたつはるのなか日を戀くらし夜のふけゆけは妹にあへるかも
霞發春永日(イなかきひ)戀暮夜深去妹相鴨
かすみたつ春の永日 心明也イなかき日可然か
1895 春されはまつさきくさのさきくあらはのちもあひ見んなこひそわきも
春去先三(イさい)枝幸命(イさち)在後相莫戀吾妹
春されはまつさきくさ さきくさは相傳の説檜木也さきくといはん諷詞也さきくは幸《サイハイ》也イさいくさ三枝祭と書てさいくさ祭とよむ心にや
1896 はるされはしたり柳のとをゝにもいもかこゝろにのりにけるかも
春去為垂柳十緒妹心乗在鴨
はるされはしたり 一二の句はとをゝといはん諷詞也とをゝはたはゝ也枝たはむ心也ふかく心に妹かかゝるとの議也
寄スルv鳥ニ歌二首 作者未v詳
1897 春されはもすの草くき見えすともわれは見やらんきみかあたりは
春之在者博伯勞鳥之草具吉雖不所見吾者見將遣(イ遣將)君之當婆
春されはもすの草くき 鵙の草くき説々有八雲御抄ニは是はやうあるよし申人もあれと所詮《シヨセン》只|鵙《モス》のある草|茎《クギ》をさしてしるへにいひけるを後に尋るに其跡もなしといへる心也と清輔抄にもかけり 奥儀抄云昔ある男野を行て女にあひぬ其家を問に女我家はかの鵙の居たる草くきのすちにあたりたる里にありと教ゆ男いとまなくてゆかす成ぬ次の春在し野にゆきてをしへし草をみるに霞立そひてすべて見えす終日詠てむなしく歸《カヘリ》ぬ略注哥林良材云此説によらは我は見やらん君かあたりをと戀の哥にのせ侍る其便りあるに似たり愚案奥儀抄の説を八雲抄哥林良材にも用させ給へり袖中抄には顕昭云もすの草くきとは鵙の草くゝると云也萬葉の哥に 「足引の山邊にをれは郭公木のまたちくきなかぬ日はなし 「山吹のしけみたちくゝ鴬の声をきくらん君はともしも 今案ルニ木のま立くきといふ詞に具吉とかけり草具吉と同文字也かれは郭公木のまをくゝるといひ此は鵙の草をくゝると聞えたり又山吹のしけみとひくゝ鴬のとよめりくきといふ議かと聞えたり今案ニ此哥の心は鵙は春はいともなかざれは春は鵙の草くゝる事見えすとも我は君かあたりを見やらんとよめるは只見えすといはん事はかりをとると也古哥の躰皆如此歟是迄袖中又哥林良材云又鵙の草くきは鵙の蟇《カヘル》やうの物を草のくきにさしはさめるをいふといへり是を鵙のはやにえともいへり如此の諸説は慥なる本説なしといへとも後人取用ひてよめる哥もあるにや是迄哥林仙覺抄云鵙は秋冬なとは木草の末にいてなけとも春に成ぬれは草の下にくゝりて見えぬかことく君か教へし栖も霞にかくれて見えすとも我は見やらんとよめるときこえたり 愚案仙説は顕昭袖中抄の義を用るにや又奥儀抄の義をも捨すと見えたり所詮双へて用ひ侍るへきにや
1898 かほとりのまなくしはなく春のゝのくさねのしけきこひもするかも
容鳥之間無數鳴春野之草(イかや)根繁戀毛為鴨
かほとりのまなくしはなく かほとり前ニ註することししはなくとはしば/\なくといふ也哥の心はしけき戀するといはん諷詞に上はよめるなるへし
寄ルv花ニ歌九首 作者未v詳
1899 春されは卯花くたしわかこえしいもかかきまはあれにけるかも
春去者宇乃花具多吾越之妹之垣間者荒來鴨
春されはうの花くたし 堀河川百首に基俊卯花くたし五月雨そふるとよめり 八雲抄にも雨の部に卯花くたし四五月萬十に春されはうの花くたしとよめり云々此哥なるへし卯花は三月よりもさけり春されはとよめるにや垣ほにさける卯花をくたす雨ふりて我こえてかよひし妹か家のあれしと也
1900 うめのはなさきちる園に我ゆかんきみかつかひをかたまちかてり
梅花咲散苑尓吾將去君之使乎片待香花光
梅の花さきちる 君か音信の久しくと絶しを侘て梅の咲しより使來るやと待て散迄も使なけれはよめる哥なるへし
1901 ふちなみのさく春のゝにはふ葛のした夜のこひは久しくもあり
藤浪咲春(イさけるはる)野尓蔓葛下夜之戀者久雲在
ふちなみのさく春の した夜の戀はとは色にも出す下に戀て思ひあかす事の久しきと也下は裏《ウラ》と同 序哥也
1902 はるのゝに霞たなひきさく花のかくなるまてにあはぬきみかも
春野尓霞棚引咲花乃如是成二手尓不逢君可母
はるのゝに霞たな引 祇曰此哥程へて逢ぬ人の春になり野山霞み花も咲て月日移ろへとも猶逢ぬと歎たる也
1903 わかせこにわかこふらくはおく山のつゝしのはなのいまさかりなり
吾瀬子尓吾戀良久者奥山之馬酔花之今盛有
わかせこにわか戀らく 我戀は今盛也といはむとて三四句はよめり
1904 うめの花したり柳におりませてはなにそなへは君にあはんかも
梅花四垂柳尓折雑花尓供養者君尓相可毛
うめの花したり あまりに不逢に侘て佛に祈て花に(供脱か?)侍る也
1905 をみなへしさく野におふるしらつゝししらぬこともていはれしわかせ
姫部思咲野尓生白筒自不知事以所言之吾背
をみなへしさく野に 仙曰さく野は所の名ときこえたる也在所可勘之さく野此集の中にあまた見え侍りつゝしは春の花也女郎花は秋さく花なれはいひつゝくへきにもあらされとも是は咲野といはん諷詞にをみなへしとをけり品にもよらす幸《サイハヒ》せらるゝ物は女なり然はをみなへしさく野とつゝくる也さくとは栄るをいふ故也しらぬ事もてといはん詞のたよりに白管自《シラツゝシ》といへる也愚案咲野は風雅集に春山のさき野の薄かき分てつめる若菜にあは雪そふると基俊のよめるおなし所にや可尋之扨此哥心は覺えす知ぬ事もいはれしわかせこ哉と讀る歟
1906 うめの花われはちらさしあをによしならなる人の來つゝ見るかね
梅花吾者不令落青丹吉平城之人來管見之根
うめの花われは 時節にてちらは是非なし我心とは折ちらさしと也ならなる人は奈良なる思ひ人なとなるへしかねはかにと同五音也歸りくるかに道まかふかにといへるたくひ也
1907 かくしあらはなにゝうへけん山ふきのやむときもなくこふらく思へは
如是有者何如殖兼山振乃止時喪哭戀良苦念者
かくしあらはなにゝうへ 山吹の名にやます戀るを思へはかくあらは山吹をも何にうへしと也
寄v霜一首 作者未v詳
1908 はるされはみくさのうへにをく霜のけつゝもわれはこひわたるかも
春去者水草之上尓置霜乃消乍毛我者戀度鴨
はるされはみくさのうへ 序哥也消つゝ戀ると也
寄v霞ニ歌六首 作者未v詳
1909 はるかすみ山にたなひくおほつかないもをあひみてのちこひんかも
春霞山棚引欝妹乎相見後戀毳
はるかすみ山に棚ひく 第一第二句はおほつかなといはん諷詞也あはさる前にこそ戀しからめ逢みて後にかく戀へきかはおほつかなと也
1910 春かすみたちにし日よりけふまてにわかこひやますもとのしけゝは 一云かたおもひにして
春霞立尓之日從至今日吾戀不止本之繁家波 片念尓指天
春かすみ立にし もとのしけゝはとは根本の戀の茂けれは久しく戀やますと也
1911 さにつらふいもをおもふと霞たつはる日もくれにこひわたるかも
左丹頬經妹乎念登霞立春日毛晩尓戀度可母
さにつらふいもを さにつらふは顕昭は匂へると云心云々詞林采葉にはけはふ心と云々長/\しき春日も暮まてに戀わたると也
1912 たまきはるわか山のうへにたつかすみたちてもゐてもきみかまに/\
霊寸春吾山之於尓立霞雖立雖座君之随意
たまきはるわか山のうへに 玉城張は物をほむる詞也山をほめていへる五文字なるへし我山は我領したる山也ひえの山をもわか山といふは傳教大師開基の後よりいへり萬葉はそれより已前なるへし上句は立てもといはん序なり立てもゐても君かまゝなるわか身そと也
1913 見わたせはかすかののへにたつかすみみまくのほしき君かすかたか
見渡者春日之野邊尓立霞見卷之欲君之容儀香
見わたせはかすかののへに 此野の霞の美景見まほしきによそへて見まくほしき君か姿かなと也
1914 こひつゝもけふはくらしつかすみたつあすのはるひをいかてくらさん
戀乍毛今日者暮都霞立明日之春日乎如何将晩
こひつゝもけふはくらしつ 思ひの切にたへかたき心也かくてもけふはくらしつるをあすはいかてと也
寄v雨四首 作者未v詳
1915 わかせこにこひてすへなみはるさめのふるわきしらすいてゝこしかも
吾背子尓戀而為便莫春雨之零別不知出而來可聞
わかせこにこひて せんかたなき戀しさに堪兼て春雨のふる分別も知弁すぬれ/\いてゝこしと也
1916 いまさらにきみはいゆくなはるさめのこゝろをひとのしらさらなくに
今更君者伊不徃春雨之情乎人之不知有名國
いまさらにきみはいゆくな 春雨のふらんやまん心を人の知すもあらすふるへきはしられたる空を今更に君いにそと也
1917 はるさめにころもはいたくとをらめやなぬかしふらはなゝ夜こしとや
春雨尓衣甚将通哉七日四零者七夜不來哉
はるさめに衣はいたく 雨にさはりて來ぬ人をとかめし哥にや春の細雨はさのみぬれとをるへきにもあらしにこれにさはりてこぬとならは七日ふる雨には七夜も來ましきとにやつれなくうき事と也
1918 うめの花ちらすはるさめさはにふるたひにやきみかいほりせるらん
梅花令散春雨多零客尓也君之廬入西留良武
うめの花ちらす春雨 梅花をちらしむる春雨のおほくふりてさひしき日思ふ人の旅にゆきしかかくさひしき雨にいほりし雨宿りすらんと思やる也
寄ルv草歌三首 作者未詳
1919 くすひとのわかなつむらんしはのゝのしは/\きみをおもふこのころ
國栖(イくにす)等(イら)之春菜将採司馬(八め)乃野之数君麻思比日
くすひとのわかなつむ 袖中抄八雲抄等くす人のとよめり尤可用之仙抄ニはくにすらと讀如何袖中抄ニ顕昭云帝王系圖云應神天皇十九年戊申十月吉野ノ國栖《クス》奉テ2醴《マサケヲ》天皇ニ1而|歌《ウタヒ》之|訖《ヲハリテ》打v口仰笑フ醴一日一宿酒也萬葉抄云くすひとゝはよしの川の奥にくす人といふゑひすのおほやけにもしられ奉らて隠れて有けるか神功皇后又浄見原天皇なとのおはしましけるに見付られまいらせて鮎といふ魚や若菜なとをまいらせけるにそれをめしたりけるを見て悦ひて口をたゝき笛を吹ける也されはわかなつむとはいへる也扨今に至るまて節会には其くす人笛たくみはまいりて御菜をまいらする也私云神功并|浄見原《キヨミハラ》天皇とはひか事也應神天皇の御代也|司馬《シハ》野とはしはしはといはんにはつゝきよししめ野はあれとつゝきかなはす是迄袖中抄愚案日本紀十應神紀曰十九年冬十月幸セシ2吉野ノ宮ニ1時國※[木+巣]《クズ》人來朝ス之因テ以2醴酒ヲ1獻ル2于天皇1而歌テ之曰下畧八雲御抄しめのゝ大和|国栖《クス》かわかなつむ也と云々此哥の事也しめの野古点しはのゝ吉野河上歟
1920 はる草のしけきわかこひおほ海のかたゆくなみのちへにつもりぬ
春草之繁吾戀大海方徃浪之千重積
はる草のしけき しけき我こひちへにつもりぬといはんとて春草のといひ大海のかたゆく浪のなと諷詞にいへり一方に行波也
1921 ほのかにもきみをあひみて菅のねのなかきはる日をこひわたるかも
不明公乎相見而菅根乃長春日乎孤悲渡鴨
ほのかにもきみを 菅の根は長きといはむ諷詞はかり也
寄スルv松ニ歌一首 作者未v詳
1922 うめの花さきてちりなはわきもこをこんかこしかとわかまつの木そ
梅花咲而落去者吾妹乎将來香不來香跡吾待乃木曽
うめの花さきて 梅盛なるには見にもこん頼有しをちりなはこんかこさらんかと待はかりならんと也松と添て也
寄v雲歌一首 作者未詳
1923 しらま弓いまはる山にゆく雲のゆきやわかれんこひしきものを
白檀弓今春山尓去雲之逝哉将別戀敷物乎
しらまゆみ今はる山 白ま弓ははるの諷詞也ゆく雲の迄諷詞也ゆきや別れんといはん序也白まゆみは白木の弓也
贈《ヲクル》v蔓《カツラヲ》歌一首 作者未v詳
1924 ますらおのふしゐなけきて作りたるしたりやなきのかつらせよわきも
大夫之伏居嘆而造有四垂柳之蔓為吾妹
ますらおのふしゐ 戀にふし居なけきて妹に送んとてせしとなるへし
悲ムv別ヲ歌一首 作者未v詳
1925 あさといての君かよそひをよく見すてなかきはるひをこひやくらさん
朝戸出(イて)乃君之儀乎曲不見而長春日乎戀八九良三
あさといてのイあさとての よそひはよそほひ也朝戸を出て別行名残を惜み悲む心也
1926 はるやまのつゝしの花のにくからぬきみにはしゑやよりぬともよし
春山之馬酔(イあせみ)花之不悪公尓波思恵也所因友好
はるやまのつゝしの 一二句はにくからぬの諷詞也袖中抄しゑやとはよしゑやしと同詞あらはあれと云心也よき哉やなといふたくひいひはなつ詞といへり哥の心はにくからぬ君には只よりぬともよしましてあひ見は猶よからんの心なるへしイあせみ如何つゝし猶|不《ヌ》v悪《ニクカラ》物にや
1927 いそのかみふるの神杉かみひてもわれやさら/\戀にあひにける
石上振乃神杉神備而(イにし)吾八更更戀尓相尓家留
此一首不v有2春ノ歌ニ1而以2和ナルヲ故ニ載《ノス》2於|茲次《コノツキニ》1
いそのかみふるの神杉 前の哥の答也袖中抄云いそのかみふるとつゝくる事は大和国|石《イソノ》上ミといふ所に布留の社といふ神おはす是によりて也やかて其所をはふるといふ也下畧神杉とは神木の杉也住吉の松を神松といひ北野の梅を神の梅といふたくひ也仙抄には女の布あらひしにほこのなかれ來て布にとゝまりしを河の邊にたてをきしを不浄の物にたゝりをなしけれは其ほこをうつみしかうつみし所より生たる杉を布留の神杉といふ神びてとは神さひてといふ同事也哥の心は年よりて戀する心なるへし云々哥の心の注荒涼にや此哥類聚萬葉には神びにしと和せり尤可然歟前の哥ににくからぬ君にはよりぬともよしといへる答なれは第一第二句は神ひにしの諷詞にて哥の心は神さひ古《フリ》にし我は更/\に人の戀る目にあひたる事なしされはにくからぬとの給ふも誠ならしとの心なるへし我やのや文字にあたりて心得へしやはの心有
此一首不有春歌 此部は皆春の哥なるへきに此答の哥春の詞なししかれとも前の春山の哥の和答なるを以此部にかき入しとの心也
1928 さのかたはみにならすとも花にのみさきて見えこそ戀のなくさに
狭野方波實尓雖不成花耳開而所見社戀之名草尓
さのかたはみにならす 狭野方は春花さく木也仙覺はさのかたはさねかたきといふ事にて藤の一名を云といへり但類聚萬葉に春木のねふりさねきの中にさのかたを書つらねて藤とは別所に書入られたりたとひさのかたはさねかたきといふにても必藤はかりさるへくもあらねは藤の説信用しかたし見安にも仙説にしたかへりけれと蔵玉等の異名にも八雲抄等にも見えさる異名定かたき事にや哥の心はみにならすともとは人にあはぬ事をよそへいへるにや前にも其心あるかことしたとひあはすともま見えたにせよ戀しき慰めにせんといへり
1929 さのかたはみになりにしを今更にはるさめふりて花さかめやも
狭野方波實尓成西乎今更春雨零而花将咲八方
さのかたはみになりにしを 花にさきて見えよといへるをいひのかれんとて一たひみになりにし物を今更に又春雨ふりて花さかんや已に花ちりみになりし木は二たひさくへきやうなしとの心なるへし
1930 あつさゆみひきつのへなるなのりその花さくまてにあはぬきみかも
梓弓引津邊有莫告藻之花咲及二不會君毳
あつさ弓ひきつのへ 梓弓はひきといはん枕詞也引津は筑前名所也此哥類聚には引津べにあると和シなのりそのと和せり仙点は引津のへなると和シなのりそかと和して濱成式の訓といへり式の点はさもあるへしひきつとは井をいふつるへをひくゆへなといへる仙抄の儀更に信用しかたし引津は此集第七に人丸の旋頭哥にも梓弓引津のへなるなのりその花ともあり名所也
1931 かはのうへのいつもの花のいつも/\きませわかせこときわかめやも
川(かは)上(かみのイ)之伊都藻之花乃何時何時來(古來風―)座吾背子時自異目八方
かはのうへの(かみのイ)いつもの 八雲御抄にいつもの花只藻を云也と有見安同義也哥の心は一二句はいつも/\といはん諷詞也前の哥になのりその花さくまてにあはぬといふに答ていつもの花のいつも/\時わかす來てあひ給へと也
1932 はるさめのやますふる/\わかこふるひとのめすらをあひ見せさらん
春雨之不止零々吾戀人之目尚矣不令相見
はるさめのやます 雨ふれはをのつから人もとはす隔たれは春雨やまてつれ/\なるのみならす思ふ人をもあひみせしめすと也
1933 わきもこにこひつゝをれははるさめのかれもしることやますふりつゝ
吾妹子尓戀乍居者春雨之彼毛知如不止零乍
わきもこにこひつゝ 夫の答也かれもしることゝはわきもこも知てやますふる/\といふことくやます降て戀しさをそふると也
1934 あひ思はぬいもをやもとな菅のねのなかきはる日をおもひくらさん
相不念妹哉本名菅根乃長春日乎念晩牟
あひ思はぬ妹をや 是より三首問答也心は明也
1935 はるされはまつなくとりの鴬のことさきたてしきみをしまたん
春去者先鳴鳥乃鴬之事先立之君乎之将待
はるされはまつなく 序哥也上句はことさきたてしといはんとて也ことさきたてしとは夫の方より先いひをこせたるをいふ也日本紀第一曰|如何婦人反先v言乎《イカンソタヲヤメノカヘツテコトヲサイタテンヤ》とある詞也あひおもはぬとはの給へと我はさやうにいひをこせられし君をまたん相思はぬにはあらすと也
1936 あひおもはすあらんこゆへに玉のをのなかきはる日をおもひくらさく
相不念将有兒故玉緒長春日乎念晩久
あひおもはすあらんこゆへ くらさくはくらさん也此哥は又夫のはしめいひし哥を少詞をかへてとかくあひおもふましき妹なるこゝろをいへるなるへし
夏ノ雑歌
夏雑歌 夏の鳥蝉萩の哥花の哥問答譬喩等のうたましはれり春雑哥のことし
詠ルv鳥ヲ歌 二十七首 作者未v詳
1937 ますらおにいてたちむかふふるさとのかみなひ山にあけくれはつみのさ枝にゆふされはこまつかうれにさと人のきゝこふるまて山ひこのこたふるまてにほとゝきすつまこひすらしさよなかになく
大夫丹出立向故郷之神名備山尓明來者柘之左枝尓暮去者小松之若末尓里人之聞戀麻田山彦乃答響萬田尓霍公鳥都麻戀為良思左夜中尓鳴
ますらおにいてたち向ふ 大夫は武士也軍なとに立向へはたちむかふの諷詞によめり此故郷は飛鳥の古京をいふなるへし
あけくれは 明もてくれは也柘の枝松の梢なとに朝夕なく心也
反歌
1938 たひにしてつまこひすらしほとゝきすかみなひやまにさよふけてなく
客尓為而妻戀為良思霍公鳥神名備山尓左夜深而鳴
右古歌集中出イニナシ
たひにしてつまこひ 長哥のつまこひすらしさよ中になくとよめるを反《カヘ》してよめり旅にしてとよめるは蜀魂もと蜀の望帝なりし旅行を好みて途中にうせたりし霊魂なれは故郷こひて不如歸となく其故に旅にしてとよめり此哥後撰集に入
1939 ほとゝきすなかはつこゑはわれにかもさつきのたまにましへてぬかん
霍公鳥汝始音者於吾欲得五月之珠尓交而将貫
ほとゝきすなか初声 われにかもはわか物にもかな也郭公のこゑを薬玉にぬかんの心前にも注
1940 あさかすみたなひくのへに足引のやまほとゝきすいつかきなかん
朝霞棚引野邊足檜木乃山霍公鳥何時來将鳴
あさかすみたなひく 心は明なるへし
1941 あさかすみやへ山こえてよふことりなきやなかくるやともあらなくに
旦霞八重山越而喚孤鳥吟八汝來屋戸母不有九二
あさかすみやへ山こえて 旦霞は八重山といはん諷詞也八重山おほくかさなれる山なるへし
1942 ほとゝきすなくこゑきくやうの花のさきちるをかにたくさひくいも
霍公鳥鳴音聞哉宇能花乃開落岳尓田草引※[女+咸]嬬
ほとゝきすなくこゑ 見安云田草引は手にて草引く也又田のくさとも云愚案田草引いもは子規の声を聞やと也
1943 月夜よしなくほとゝきすみまくほりわかさをとれる見んひともかな
月夜吉鳴霍公鳥欲見(イ見まほしみ)吾草取有見人毛欲得
月夜よしなく郭公 さをとれるは草を採也
1944 ふちなみのちらまくおしみほとゝきすいまきのをかをなきてこゆなり
藤浪之散卷惜霍公鳥今城岳叫鳴而越奈利
ふちなみのちらまく 今城岳《イマキノヲカ》八雲抄紀伊
1945 あさきりのやへ山こえてほとゝきすうのはなへからなきてこゆらし
旦霧八重山越而霍公鳥宇能花邊柄鳴越來
あさきりのやへ山越て 卯花へからは卯花の邊よりといふ也
1946 こたかくはかつて木うへしほとゝきすきなきとよみて戀まさらしむ
木高者曽木不殖霍公鳥來鳴令響而戀令益
こたかくはかつて木うへし 木をこたかくはかつてうへしと也
1947 あひかたききみにあへるよ霍公鳥ことときよりはいまこそなかめ
難相君尓逢有夜 他時從者今社鳴目
あひかたき君に 他時よりかく稀なる君にあふ夜こそなかめといへるなるへし
1948 このくれのゆふやみなるに 一云なれは 霍公鳥いつこをいへとなきわたるらし
木晩之暮闇有尓 有者 何處乎家登鳴渡
このくれの夕やみ 此暮の夕やみは重ね詞のやうにいへり又は木の下茂りてくらきを木の暮と云とそ
1950 ほとゝきす花たちはなの枝にゐてなきとよませは花もちりつゝ
霍公鳥花橘之枝尓居而鳴響者花波散乍
ほとゝきす花橘の 心明也イ此哥此次の項に入
1949 霍公鳥けさのあさけに鳴つるはきみきくらんかあさいぬらんか
今朝之旦明尓鳴都流波君将聞可朝宿疑将寐
霍公鳥けさのあさけ きみきゝしにやもし朝いして聞すやと也
1951 よしえやしゆく霍公鳥今こそはこゑのかるかにきなきとよまめ
慨哉四去 社者音之干蟹來喧響目
よしえやしゆく郭公 よし/\今こそ声かるる迄にもなかめいつなくへきと也
1952 このよらのおほつかなきに霍公鳥なくなるこゑのをとのはるけさ
今夜乃於保束無荷 喧奈流聲之音乃遥左
このよらの覺束なき 夜なくにも覺束なきに遙かにさへ有ておほつかなさそふるとなるへし
1953 さつき山うの花つきよ霍公鳥きけともあかす又なかんかも
五月山宇能花月(イつく)夜 雖聞不飽又鳴鴨
さつき山うの花 五月比の山の卯花の白妙なる月夜をいふ也
1954 ほとゝきすきゐてもなくか我宿の花たちはなのつちにおちんみん
霍公鳥來居裳鳴香吾屋前乃花橘乃地二落六見牟
ほとゝきすきゐて 郭公のゐる故に橘のおちぬへきを声を聞落花をみんとなるへし
1955 霍公鳥いとふときなしあやめ草かつらにせん日こゆなきわたれ
厭時無菖蒲蔓将為日從此鳴度礼
霍公鳥いとふ時なし 菖蒲をかつらにする事前ニ注こゆはこゝより也端午に鳴渡れと也
1956 やまとにはなきてかくらむ霍公鳥なかなくことになき人おもほゆ
山跡庭啼而香将來 汝鳴毎無人所念
やまとにはなきてか なきてかくらんは鳴てや來らんと也四手の山より來る鳥といへはなき人を思ひ出るにや
1957 うのはなのちらまくおしみ霍公鳥野にいてやまに入きなきとよます
宇能花乃散卷惜 野出山入來鳴令動
うのはなのちらまく 卯花の盛になかんとて山野に出入鳴|動《トヨム》と也
1958 橘のはやしをうへん霍公鳥つねに冬まて住わたるかね
橘之林乎殖 常尓冬及住度金
橘の林をうへん 祇曰住わたるかねとはかにといふ詞也愚案橘は常磐木なれは冬まての栖によせあるにや
1959 あまはりの雲にたくひて霍公鳥かすかをさしてこゆなきわたる
雨霽之雲尓副而 指春日而從此鳴度
あまはりの雲に 見安云あまはりは空のはるゝなり
1960 物おもふといねぬあさけに霍公鳥なきてさわたるすへなきまてに
物念登不宿旦開尓 鳴而左度為便無左右二
物おもふといねぬ いねぬあさけはねすして明せし朝也
1961 わかきぬを君にきせよとほとゝきすわれをしらせて袖に來ゐつゝ
吾衣於君令服與登霍公鳥吾乎領袖尓來居管
わかきぬを君にきせよ 此哥の義諸抄に注しもらして知人希なり今口訣別注也
1962 もとつ人霍公鳥をやまれに見んいまやなかくる戀つゝをれは
本人霍公鳥乎八希将見今哉汝來戀乍居者
もとつ人霍公鳥をや 本人はもとの人也源氏若菜卷にもある詞也哥心は今汝か來る事戀まちつゝをれは稀なる鳥なれはもとの人もまれに見たらんと也
1963 かくはかり雨のふらくに霍公鳥うのはなやまに猶かなくらん
如是許雨之零尓 宇之花山尓猶香将鳴
かくはかり雨のふらく かく雨のふるに卯花山に猶なくやらんと也
詠v蝉歌一首 作者未v詳
1964 もたもあらん時もなかなんひくらしのものおもふときになきつゝもとな
黙然(イたゝ)毛将有時母鳴奈武日晩乃物念時尓鳴管本名
もたもあらん時も もたもはたゝも也題には蝉の字書て哥には日晩と讀り蝉と日晩と同今は秋なくを日くらしと云夏なくを蝉といへと昔は一物なるへしもとなはよしな也
詠v榛《ハキヲ》歌一首 作者未v詳
1965 おもふこの衣すらんに匂ひせよしまのはきはら秋たゝすとも
思子之衣将摺尓尓保比與嶋之榛原秋不立友
おもふこの衣すらんに 思ふとは思ひ人也嶋萩原名所にや
詠v花十首 作者未詳
1966 かせにちる花橘を袖にうけてきみかみためとおもひつるかも
風散花橘※[口+斗]袖受而為君御跡思鶴鴨
風にちる花橘を 心明也きみかみためはみせんためと也
1967 かくはしき花たちはなを玉にぬきをくらんいもは見つれてもあるか
香細寸花橘乎玉貫将送妹者三礼而毛有香
かくはしき花たち花 かくはしきはかうはしき也榊葉のかをかくはしみ等神楽哥にも讀し詞也仙曰見つれてとはおさな/\しといふ詞也【師説は見つるにてもあはんかと也】
1968 ほとゝきすきなきとよますたちはなのはなちるにはを見ん人ひとやたれ
霍公鳥來鳴響 之花散庭乎将見人八孰
ほとゝきすきなき 郭公鳴橘ちる庭を心ありてみん人は誰ならんと也
1969 わかやとの花たちはなはちりにけりくやしきときにあへる君かも
吾屋前之花橘者落尓家里悔時尓相在君鴨
わかやとの花たちはな 盛の時にも來あはてと也
1970 見わたせはむかひののへのなてしこのちらまくおしもあめなふりこそ
見渡者向野邊乃石竹之落卷惜毛雨莫零行年
見わたせはむかひのゝへ おしものもは助字也雨なふりこそはふり來たりそと也
1971 あまゝあけて国見もせんをふる里のはなたちはなはちりにけんかも
雨間開而國見毛将為乎故郷之花橘者散家牟可聞
あまゝあけて国見も 見安云あまゝあけては雨の晴たる空也愚案雨晴て我国見をもせはやと思ふに此比の雨に故郷の橘やちらんと也
1972 のへ見れはなてしこの花咲にけりわかまつ秋はちかつくらしも
野邊見者瞿麦之花咲家里吾待秋者近就良思母
のへみれはなてしこの 秋まつ心にて心明也
1973 わきもこにあふちの花はちり過すいまさけることありそはぬかも
吾妹子尓相市乃花波落不過今咲有如有與奴香聞
わきもこにあふちの 妹にあふと樗をそへて也散過す今咲し如く珍らかに有そはまほしきに名はあふちもかひなしと也
1974 かすかののふちはちりゆきて何をかもみかりのひとのおりてかさゝん
春日野之藤者散去而何物鴨御狩人之折而将挿頭
かすかののふちは 藤は夏にも懸る物也されは夏のうたにかきつらねたり哥心は明也
1975 ときならぬ玉をそぬけるうの花のさつきをまたはひさしかるへく
不時玉乎曽連有宇能花乃五月乎待者可久有
ときならぬ玉をそ 五月にこそ薬玉はぬくへきに五月は待久しからんとてと也卯花の五月をまたす玉如v咲と云心也
問答歌二首 作者未v詳
問答 夏問答哥也
1976 うの花のさきちるをかに霍公鳥なきてさわたるきみはきゝつや
宇能花乃咲落岳從 鳴而沙渡公者聞津八
うの花の咲ちるをかに 問かけたる哥也
1977 きゝつやと君かとはせるほとゝきすしのゝにぬれてこゆなきわたる
聞津八跡君之問世流霍公鳥小竹野尓所沾而從此鳴綿類(こゝたなくなる古來風)
きゝつやときみかとはせる 答たる也しのゝはしとゝに也雨ふりし比なるへしこゆはこゝより也
譬喩歌一首 作者未v詳
1978 たちはなの花ちるさとにかよひなはやまほとゝきすとよませんかも
橘花落里尓通名者山霍公鳥将令響鴨
たちはなの花ちる里 仙曰橘の花ちる里とは昔を忍ふ形見も古ゆく宿にたとふ山郭公とよませんとは妻戀して夜昼分す鳴渡るにたとふる也
夏相聞
寄スルv鳥ニ歌三首 作者未v詳
1979 はるされはすかるなるのゝ霍公鳥ほと/\いもにあはすきにけり
春之在者酢軽成野之霍公鳥保等穂路妹尓不相來尓家里
春されはすかるなる ほと/\妹にといはん序哥也すかる説々有古今集すかるなく秋の萩原とよめるは無名抄綺語抄奥儀抄等何も鹿をいふといへり或は若き鹿を云といへり袖中抄云日本紀にすかるといふ人の名有文字は※[虫+果]羸《クハラ》とかけりあつまには蜂をすかると申とそ畧註八雲御抄云すかる鹿の異名也はちをもすかるといふといへと以v鹿為2正説ト1云々童蒙抄にも鹿といへり哥心は若き鹿の春至りて生《ヲヒ》成野へのほとゝきすとよみてほと/\いもにといはん諷詞にせるなるへしほと/\はほとんとといふ詞也或説にすかるなすと讀て腰細き妹なと云不用之
1980 さつき山花たちはなに霍公鳥かくろふときにあへる君かも
五月山花橘尓 隠合時尓逢有公鴨
さつき山花たちはな さつき山は五月の山也かくらふは橘に隠るゝ心也此折ふし君にあふてうれしき心なるへし
1981 ほとゝきすきなく五月の短夜もひとりしぬれはあかしかねつも
霍公鳥來鳴五月之短夜毛獨宿者明不得毛
ほとゝきすきなく 独しのしかねつものも皆助字也朗詠にはなくやさつきのと有
寄スルv蝉ニ歌一首 作者未v詳
1982 ひくらしはときとなけともわかこふるたをやめわれはさたまらすなく
日倉足者時常雖鳴我戀弱女我者不定哭
ひくらしはときとなけ 鳴へき時とて日晩はなけとも我は時となくにはあらて戀妻のさたまらぬゆへになくと也
寄v草歌四首 作者未v詳
1983 ひとことは夏野の草のしけくともいもとわれとしたつさはりねは
人言者夏野乃草之繁友妹與吾携宿者
ひとことは夏のゝ草の 口さかなき人ことは夏草のことくしけくとも妹とそひねはよし/\と也
1984 このころの戀のしけゝくなつくさのかりはらへともおひしくかこと
廼者之戀乃繁久夏草乃苅掃友生布如
このころの戀のしけゝ 夏草のかりてもおひしきるかことく忘んとしても戀の難v忘と也
1985 まくすはふ夏のゝしけくかく戀ばまことわかいのちつねならめやも
真田葛延夏野之繁如是戀者信吾命常有目八方
まくすはふ夏のゝ かやうに戀の茂くは誠に命もなくならんと也
1986 われのみやかく戀すらんかきつはたにほへるいもはいかにかあらん
吾耳哉如是戀為良武垣津旗丹頬令妹者如何将有
われのみやかく戀すらん かきつはたは匂へるの枕詞也匂へる妹は前にも有うつくしき心也我のみ戀るか妹はいかゝあると問かけし心也
寄花歌七首 作者未v詳
1987 かたよりにいとをそわかよるわかせこかはなたちはなをぬかんともひて
片搓尓絲※[口+斗]曽吾搓吾背兒之花橘乎将貫跡母日手
かたよりにいとをそ もひては思ひてなりせこかために橘を玉にぬかんと糸をよると也
1988 うくひすのかよふかきねのうの花のうきことあれや君か來まさぬ
鴬之徃來垣根乃宇能花之厭事有哉君之不來座
うくひすのかよふ 上句は序也うの花のはうきとうけんとて也
1989 うの花のさくとはなしにある人にこひやわたらんかた思ひにして
宇能花之開登波無二有人尓戀也将渡獨念尓指天
うの花のさくとは 卯花をこそ人は待こひめうの花のさくたくひにてなくある人に片思ひに待戀わたらんかと也
1990 われこそはにくゝもあらめわかやとのはなたちはなを見にはこじとや
吾社葉憎毛有目吾屋之花橘乎見尓波不來鳥屋
われこそはにくゝも 我をこそにくみてとひ來さらめと也
1991 ほとゝきすきなきとよますをかへなる藤なみ見れはきみはこしとや
霍公鳥來鳴動岡部有藤浪見者君者不來登夜
ほとゝきすきなき 郭公なく岡へに藤さきて面白きを君か見てあれは是にのみめてて我かかたへは來ましきとにやあらんと恨侘し心也
1992 かくしのみこふれはくるしなてしこの花にさきいてよ朝なさなみん
隠耳戀者苦瞿麦之花尓開出與朝旦将見
かくしのみこふれは しは助字也かくのみ也あひみすして戀れはくるしきに撫子とたに咲出よ毎朝みんと也
1993 よそにのみ見つゝや戀んくれなゐのすゑつむはなのいろにいてすとも
外耳見筒戀牟紅乃末採花之色不出友
よそにのみ見つゝや 末つむ花は色にといはん諷詞也哥心は師説云たとひ今色に出すとも終には逢見るへし只によそにのみ見つゝやは戀んと詞をそへてきく哥也
寄スルv露ニ歌一首 作者未v詳
1994 なつ草の露わけ衣きもせぬにわかころもてのひるときもなき
夏草乃露別衣不著尓我衣手乃干時毛名寸
なつ草の露わけ 露わけ衣は露をわけし衣也哥の心あきらけし
寄v日歌一首 作者未v詳
1995 みなつきのつちさへさけててる日にもわかそてひめやきみにあはすして
六月之地副割而照日尓毛吾袖将乾哉於君不相四手
みなつきのつちさへ 心は明也拾遺集に入
秋雑歌
秋雑歌 春夏の雑歌におなし
七夕歌九十八首 柿本朝臣人麻呂
1996 あまのかは水さへにてるふなよそひふねこくひとにいもと見えきや
天漢水左閇而照舟競(イいそひ)舟人妹等所見寸(イす)哉
あまのかは水さへに 七夕つめの舟渡りに水さへ照かゝやけは舟こく人にもさためて其かゝやく姿隠れあらしと也牽牛の心になりてよめり
1997 ひさかたのあまのかはらにぬえとりのうらなきましつともしきまてに
久方之天漢原丹奴延鳥之裏歎(イふれ)座津乏諸手丹
ひさかたのあまの ぬえ鳥のはうらなきといはん諷詞也七夕の妻戀て鳴てまし/\つらんよそめにも乏く悲き迄と也乏くはさひしき心也
1998 わかこひをいもはしれるをゆくふねのすきてくへしやこともつけらひ
吾戀嬬者知遠徃船乃過而應來哉事毛告火
わかこひをいもはしれるを 牽牛の心にてよめりゆく舟のは過てといはん諷詞也我戀る心を知なから時過て來へき事かは已に事も告たるにと也事も告らひはわかこふる事も告たるにとの儀也
1999 あからひくいろたへのこをしは見れは人つまゆへにわれこひぬへし
朱羅引色(イしき)妙子數見者人妻故吾可戀奴
あからひくいろたへのこ 八雲抄奥儀抄いろたへとよむ類聚しきたへとよめり(枕床なとのやうに夜ぬる心云々不用之)八雲の御説に可随歟八雲云あからひくはあかき心也いろたへのこ好色物といへる奥儀抄に云あからは紅の羅《ウスモノ》也其色のめてたきをいろたへと云是をきたる女といへり是は織女の哥也愚案朱羅のすそひく容色絶妙の女子也しは見れはとはしは/\みれは也人つまゆへとは織女は牽牛夫あれは人つまと云星合みる人のよめるうたにして可心得
2000 あまのかはやすのわたりに舟うけて秋たちまつと妹につけよよく
天漢安渡(イかはら)丹船浮而秋立待等妹告(イつけよく)与具
あまのかはやすのわたり やすのわたりやすのかはらともいふ天河原也八雲抄云あまの河やすのかはらは天照大神の隠れいまし給ひし所也諸神祈給ひし所なりこれ故《コ》人ノ説人不ルv知事也正説也云々愚案是童蒙抄の説也奥に注日本紀ニ曰ク閉《サシテ》2岩戸《イハトヲ》1而|幽居《コモリマシヌ》焉|故《カレ》六合之内《クニノウチ》常闇《トコヤミニシテ》而不v知2晝夜之相代《ヒルヨルノアヒカハルワキヲ》1于時《トキニ》八十萬神《ヤソヨロツカミ》曽《カツテ》合《ツトヒテ》2於|天安河邊《アマノヤスノカハラニ》1計《ハカラフ》2其《ソノ》可《ヘキ》v祷《イノル》之《ノ》方《サマヲ》1と有此所歟告よよく類聚の和也
2001 おほそらにかよふわれすらなれゆへにあまのかはちをなつみてそくる
從蒼天徃來吾等須良汝故天漢道名積而叙來
おほそらにかよふわれ 七夕の心に成てよめり天人なれは大空を自由なるへき身なから戀つまゆへにあまの河の道をなつみくると也戀になやむ心也
2002 やちほこのかみのみよゝりともしつまひとしりにけりつけてしおもへは
八千戈(イ歳とせの)神自御世乏※[人偏+麗]人知尓來告思者
やちほこの神のみよ 此哥童蒙抄にはやちとせのかみと有てやちとせとは八千歳とかけり其神とさしたる事見えす只久しき心をよめるなりともしつまとは乏※[女+麗]とかけりあふ事すくなきつまと云也告てしとは告てといふ也云々愚案此童蒙抄の説やちとせの儀をいへる可用之歟但才の字歳の字本の異あるなるへし仙本類聚等にはやちほこと有やちほこの神口訣あり
2003 わかこふるにのほのおもはこよひもかあまのかはらにいそまくらまく
吾等(イをら)戀丹穂(古にほつる)面(いもは)今夕母可天漢原石枕卷
わかこふるにのほのおも 童蒙抄にはにほつるいもはと和せり古点なり但仙曰此哥第二ノ句古点にはにほへるいもはと點す其和あたらすにのほのおもはといへる也見安云にのほのおも紅顔也愚案|丹穂《ニホ》をにほへるとはへるをよみつけて也たとへは此卷に犬鴬をいぬるうくひすとよみ十緒をとをゝにもと和すたくひにや面をいもとよむはおといと五音通る故にや又古本新本の文字のかはりも知かたし卒尓に古点を不《ス》v當《アタラ》と云へからさるにやされと新点も年久しく傳へ來たれはしはらく其まゝに和し侍り哥の心は匂へる妹にてもにのほのおもにても牽牛の心に成て織女をいへるなるへしいそまくらまきて我をこよひも待かねけんとなるへし或説にのほ丹は紅顔也穂はそれと顕るゝ心也
2004 をのかつまともしきこらはあらそひつあらいそまきてねまくまちかね
己※[人偏+麗]乏子等者競(イきほひつ)津荒礒卷而寐君待難
をのかつまともしきこらは あらそひつとはあふせを早くと心に爭ひまつ也或はきほひつゝと和す同義也つまにあふ事のともしき子らはきほひつゝ天河のあらいそをまくらにまきてねまく事をまちかねてと也
2005 あめつちと別れし時ゆをのかつましかそ手にある秋まつわれは
天地等別之時從自※[人偏+麗]然叙手而在金待吾者
あめつちと別れし時ゆ 見安云しかそ手にあるは吾妻を手ににきりたる心也愚案|混沌《コントン》天地と剖《ワカレ》し時より己か妻は手に入て逢瀬の秋まつと也秋まつわれはとはわれは逢瀬の秋まつとの心也
2006 ひこほしのなけかすいもかことたにもつけにそきつる見れはくるしみ
孫星嘆須※[人偏+麗]事谷毛告余叙來鶴見者苦弥
ひこほしのなけかす 二星の中の使なとの心にてよめり牽牛のあはてなけきする織女のありさまをたに告しらせにそ來る二星のさまみれは心苦くてとの心なるへしいもか事とは織女をいへり
2007 ひさかたのあまのしるしとみなせ河へたててをきし神世のうらみ
久方天印(イをして)等水無瀬(古みなし天河名)河隔而置之神世之恨
ひさかたのあまのしるし 玄天に銀河の明らかなるは印のあさやかなるやうなれはあまのしるしと云也イをしてといふも印の心也みなせ河は古点みなし河と和して類聚萬葉等にあり八雲抄天河の所にみなし河水只の折彼川に水のなきかと有此河を中に隔てゝ年に一夜ならては逢せぬ神世の恨ふかしと也神世のうらみとはかみよゝりかく定めをきしうらみといふ心也
2008 うはたまのよきりこもりてとをくともいもしつたへははやくつけてよ
黒玉宵霧隠遠鞆妹傳速告與
うはたまの夜霧 霧こめて遠さかるとも妹か消息は早く告よと也
2009 なかこふるいものみことはあくまてにそてふる見えつくもかくるまて
汝戀妹命者飽足尓袖振所見都及雲隠
なかこふる妹のみことは 妹の命かしつきていへり前にも有詞也なか戀るは我こふると同心は明也
2010 ゆふつゝもかよふあまちをいつまてかあふきてまたん月ひとおとこ
夕星毛徃來(イゆきかふ)天道及何時鹿仰而将待月牡
ゆふつゝもかよふあまち 類聚にはゆふつゝもゆきかふそらにと和ス同義か和名に長庚をゆふつくとよみて暮に西方にあらはるゝ大白星の一名といへり月人男は此集十五にも七夕歌におほふねにまかちしゝぬきうなはらをこき出てそくる月人おとことあるをも月讀男也と童蒙抄にはいへり八雲御抄にも月ひとおとこは月の事と注せさせ給ふされは此哥の心も夕つゝも毎夜かよふ天の道をいつまてか月のみ待て彦星を待出さらんと也織女の心になりてよめるなるへし
2011 あまのかはこむかひたちてこふらくにことたにつけんつまとふまては
天漢已向立而戀等尓事谷将告※[人偏+麗]言及者
あまのかはこむかひ こは助字こふらくには戀らんにと云也つまとふまてには彼方にとひゆき逢まての慰めに言傳たに告んと也
2012 しらたまのいほつつとひをときもみすわれはかゝたぬあはん日まつに
水良玉五百都集乎解毛不見吾者干可太奴相日待尓
しら玉のいほつつとひ 見安云玉のおほくあつまる也かゝたぬはかこたぬ也愚案心は玉かされる帯もときても見す我はあはん日待より外にかこつ事もなしと也
2013 あまのかは水蔭くさのあきかせになひくを見れはときはきぬらし
天漢水陰草金風靡見者時來之
あまのかは水蔭草 仙曰水陰草は稲也水に生る草なれは也さて水陰草といはん諷詞に天の川とをけり稲葉の秋風になひき背ける折なれは牛女の逢へき時は來ぬらしと也畧注師説には河邊に草の影水にうつる故水影草といふ天河も河といふに付て千鳥なともよめは水かけ草をもよむへし尋常の河に比して云也云々可用之也
2014 わかまちしあきはき咲ぬ今たにもにほひにゆかなをちかたひとに
吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓徃奈越方人迩
わかまちし秋萩咲きぬ 匂ひにゆかなは遊戯にゆかなんと也牛女河を隔てあれは遠方人と云也
2015 わかせこにうらこひをれはあまの河よふねこきとよみかちのをときこゆ
吾世子尓裏戀居者天河夜船榜動梶音所聞
わかせこにうらこひ うら戀は下に戀る心也
2016 まけなかくこふる心しあきかせにいもかをときこゆひもときゆかな
真氣長戀心自白風妹音所聴紐解徃名
まけなかくこふる心し 真氣長くの真は心なし只氣長く也歎息して戀る心にし秋風も妹か音つれと聞えて紐ときてゆかなんと思ふと也七夕の初秋風に心時めきしたる心なるへし
2017 こひしけはけなかき物を今たにもともしむへしやあふへきよたに
戀敷(イしき)者氣長物乎今谷毛乏牟可哉可相夜谷
こひしけはけなかき あはて戀茂ほとは歎かしき物をまれに逢へき夜の今たにともしくあらしむへしやと也今たにもとあふへきよたには重てつよくいはんとて也
2018 あまのかはこそのわたりはうつろへはかはせをふむに夜そふけにける
天漢去歳渡代遷閇者河瀬於踏夜深去來
あまの河こそのわたりは 去年渡りし瀬は一年隔てるほとにうつりかはれは今更に瀬ふみしたとるまに更しと也まれにあふよの心いられの切なる心也類聚并に人丸集にはこそのわたりのと有河瀬ふむまにと有拾遺集にはこそのわたりのうつろへはあさせふむまにとあり
2019 むかしよりあげてしころもかへりみすあまの河津に年そへにける
自古擧而之服不顧天河津尓年序經去來
むかしよりあげてし衣 七夕は神代ににきたへの衣をれりされは昔より機にあけ置たる衣をも彦星を思ひて天河津に年をへて織へき事をもかへり見すと也見安には衣をかきあけてのち渡りせし心を云と云々如何
2020 あまのかはよふねをこきてあけぬともあはんとおもふよ袖かへずあれや
天漢夜船榜而雖明将相等念夜袖易受将有
あまのかは夜ふねを たとひ夜は明るともあはんと思ふ夜は手もかへす夜舟こけと也
2021 とをつまとたまくらかへてねたるよはとりかねなくなあけはあくとも
遥※[女+漢の旁]等手枕易寐夜鶏音莫動明者雖明
とをつまと手枕かへて 遠妻は天河隔たれは也手枕かへてかはして也
2022 あひ見まくあきたらねともいなのめのあけゆきにけりふなてせんつま
相見久厭雖不足稲目明去來理舟出為牟※[人偏+麗](イいも)
あひ見まくあきたら いなのめ八雲抄暁と云々見安云しのゝめ也愚案あひ見てあかねとも明行は舟出し歸らんと也
2023 さねそめていくたもあらねはしろたへのおひこふへしやこひもつきねは
左尼始而何太毛不在者白栲帶可乞哉戀毛不竭者
さねそめていくたも ねそめていくほともなく別るれは帯を形見に乞へし戀もつきされはと也七夕後朝也
2024 よろつよにてたつさひゐてあひ見ともおもひすくへきこひならなくに
萬世携手居而相見鞆念可過戀奈有莫國
よろつよにてたつさひ あひ見ともは逢見るとも也おもひすくへきは思ひつくへき也萬世逢みるとも思ひ盡へきこひにあらすと也
2025 よろつよにてるへき月も雲かくれくるしきものそあはんとおもへと
萬世可照月毛雲隠(イかくし)苦物叙将相登雖念(イ思へは)
よろつよにてるへき 祇曰月は行末の世とをく絶す照すへき物なるに今夜しも雲かくれあふへきたつきもしらぬ事をよめり七夕のうたはおもひやりてもよみ又身の上のやうにもよむとかや此哥にて可心得也
2026 しら雲のいほへかくれてとをくともよかれせす見んいもかあたりは
白雲五百遍隠雖遠夜不去将見妹當者
しら雲のいほへかくれて いほへはおほくかさなりし也心は毎夜見やらんと也
2027 わかためとたなはたつめの其やとにをるしらぬのはをりてけんかも
為我登織女之其屋戸尓織白布織※[氏/一]兼鴨
わかためとたなはたつめの 是も牽牛の心になりてよめり織女の宿にをる白布は我にきせむためかと也
2028 きみにあはて久しき時にをりきたるしろたへころもあかつくまてに
君不相久時織服白栲衣垢附麻※[氏/一]尓
きみにあはて久しき 久しき時にとよみ切て心得へし心はあかつくまてに久しくなりしよとなけく心なるへし
2029 あまのかはかちのをと聞ゆひこほしとたなはたつめとこよひあふらしも
天漢※[木+堯]音聞孫星與織女今夕相霜
あまのかはかちの音 天河を渡る音すると也
2030 あきされはかはきり立て天河かはにむかひゐて戀るよそおほき
秋去者河霧天川河向居而戀夜多
あきされは河霧 七夕の心に成てよめり
2031 よしえやしたゝならすともぬえ鳥のうらなきをるとつけん子もかも
吉哉(イよきかなや)雖不直(イたゝならねとも)奴延鳥浦嘆(イふれ)居(イうらなけきをる)告子鴨
よしえやしたゝならす共 袖中抄には吉哉をよきかなやとも讀ていひはなつ詞と見えたり云々よしえやしもよし/\といふ詞にて義は同鵺鳥は天河に讀合せて前にも有うらなき居といはん諷詞也我戀ル心をたゝちにはあらす共うらなきをると計もよしや告る物も哉と也
2032 ひとゝせになぬかのよのみあふひとのこひもつきねはよそふけゆくも 一云つきねはさよそあけにける
一年迩七夕耳相人之戀毛不竭者夜深徃久毛 不盡者佐宵曽明尓來
ひとゝせになぬかのよのみ 牛女も天人なねは人と云逢ても戀の盡ぬ心也
2033 あまの川やすのかはらのさたまりてこゝろくらへはときまたなくに
天漢安川原定而神競者磨待無
此歌一首庚辰年作之
あまの川やすのかはら 童蒙抄云やすのかはらとは八瀬といふ也天河にあり天照太神のかくれいませし時|八百萬《ヤヲヨロツ》の神たちのつとひて太神ををの/\祈り出し奉んとはかりことせしめ給ひし所也云々前のやすのわたりといふ所に八雲抄の御説も此哥の注なるへし哥の心は天河の八瀬の河原定まりてかはらさるかことく牛女の心くらへは逢瀬の時を待す常にてかはらすとなり心くらへはたかひの戀しき心をくらふる事也
作者未v詳
2034 たなはたのいほはたたてゝをるぬのゝあきさりころもたれかとり見ん
棚機之五百機立而織布之秋去衣孰取見
たなはたのいほはた 五百の機と書只おほくの機といふ也八雲抄云秋さり衣とは七夕の布也愚案只秋の衣といふ心にや秋さりは秋の來るといふ事也下句はたれかとりみんひこほしならてはとふくめたる心にや
2035 としにありて今かまきなんうは玉の夜きりこもりてとをつまの手を
年有而今香将卷(イまかなん)烏玉之夜霧隠遠妻手乎
としにありていまか 年に有ては一年の内にてとの心也夜霧こめて遠/\しき妻の手を今夜枕にせんと也
2036 わかまちし秋はきたりぬ妹とわれなにことあれそひもとかさらん
吾待之秋者來沼妹與吾何事在曽紐不解在牟
わかまちし秋は來たり 何事あれそは何事あれはそと也
2037 としのこひこよひつくしてあすよりはつねのことくやわかこひをらん
年之戀今夜盡而明日從者如常哉吾戀居牟
としのこひこよひ 一年の戀しさを今夜の逢せにつくしてあすよりは別居て又つねのことく戀んと也
2038 あはさるはけなかき物をあまの川へたてゝ又やわかこひをらん
不合者氣長物乎天漢隔又哉吾戀将居
あはさるはけなかき 今夜のゝちを歎く也
2039 こひしけくけなかき物をあふべくあるよひたにきみかきまささるらん
戀家口氣長物乎可合有夕谷君之不來益有良武
こひしけくけなかき 戀しけくは戀しく也けは助字也七夕にをそくくるを歎く心にや
2040 ひこほしとたなはたつめと今夜逢んあまのかはとになみたつなゆめ
牽牛與織女今夜相天漢門尓浪立勿謹
ひこほしと七夕つめと ゆめ/\波立なと也
2041 あきかせのふきたゝよはす白雲はたなはたつめのあまつひれかも
秋風吹漂蕩白雲者織女之天津領巾毳
あきかせの吹たゝ 童蒙抄云ひれとは女のきものに裙|帯《タイ》領巾といふ物有前注
2042 しは/\もあひみぬきみをあまのかはふなてはやせよ夜のふけぬまに
數裳相不見君矣天漢舟出速為夜不深間
しは/\もあひみぬ 細々も逢みぬ君なる物をと也下句明也
2043 あきかせのきよきゆふへにあまのかはふねこきわたる月ひとおとこ
秋風之清夕天漢舟榜度月人壯子
あきかせの清き夕に 祇曰此哥星の渡りの舟に月を舟にして桂男のこき渡ると讀り誠に是哥の風情也
2044 あまのかはきりたちわたりひこほしのかちのをときこゆよのふけゆけは
天漢霧立度牽牛之楫(戈あり)音所聞夜深徃
あまのかは霧立わたり とわたる舟のさま也
2045 きみかふねいまこきくらしあまのかは霧たちわたるこのかはのせに
君舟今榜來良之天漢霧立渡此川瀬
きみかふねいまこき こき來るらし也
2046 あきかせにかはなみたちぬしはらくやそのふなつにみふねとゝめん
秋風尓河浪起※[斬/足]八十舟津三舟停
あきかせに河浪立ぬ やその舟津は前の安《ヤス》の渡りにや但八雲抄に此河には河瀬八十有といへりとも有只多き舟津也
2047 あまのかは河音きよしひこほしの秋こくふねのなみのさはくか
天漢河聲清之牽牛之秋榜船之浪※[足+巣]香
あまのかは川をと清し 秋こくは逢瀬の秋こく也
2048 あまのかはかはとにたちてわかこひしきみきますなりひもときまたん 一云あまのかはかはにむきたち
天漢河門立吾戀之君來奈里紐解待 天川河向立
あまのかはかはとに 類聚萬葉には此とまりひもときてまたんと和ス
2049 あまのかはかはとにゐつゝとし月をこひこしきみにこよひあへるかも
天漢川門座而年月戀來君今夜會可母
あまのかはかはとに 川門はみなととおなし
2050 あすよりはわかたまゆかをうちはらひきみとはねすてひとりかもねん
明日從者吾玉床乎打拂公常不宿孤可母寐
あすよりはわか玉とこ 玉床玉はほむる詞こよひの逢瀬とてもわつかなるに兼てよりあすのゝちをなけく心あはれにや
2051 あまのはらゆきてやゐるとしらま弓ひきてかくせる月ひとおとこ
天原徃射(イいん)跡白檀挽而隠月人壯子
あまのはらゆきてや 七日の月はとく入を白真弓引てかくせると讀にやこよひはこと事なく逢みる計と思ふあまり弓をたにゐさせしとする心にや
2052 このゆふへふりくる雨はひこほしのとくこくふねのかいのちるかも
此夕(イくれに)零來雨者男星之早(イはや)榜船之賀伊乃散鴨(イしつくか)
このゆふへふりくる かいのちるかもはかいの雫のちる歟と也此夕を類聚にはこのくれにと有早榜をとくこくとよむ仙点ははやこく云々
2053 あまの川やそせきりあふひこ星のときまつふねはいまかこくらし
天漢八十瀬霧合(あへり)男星之時待船今榜良之(イいまこきつらし)
あまの川やそせ 類聚にはきりあへりと和シいまこきくらしとよむ新点はきりあふと和しいまかこくらしとよむ時まつは七月七日ほしあひの時をまつふねにや八十瀬は瀬のおほき也
2054 かせふきて河なみたちぬひく舟にわたりもきませよのふけぬまに
風吹而河浪起引船丹度裳來夜不降間尓
風ふきて河波立 七夕のあふせをいそく心なるへし
2055 あまのかはとをきわたりはなけれともきみかふなてはとしにこそまて
天河遠渡者無友公之舟出者年尓社候
あまの川とをき 天河に瀬の遠き渡りといふにはあらねとへたてゝゆるさぬ中は君かふなては年中まちて只一夜まち得るとの心也拾遺朗詠なとにはとをきわたりにあらねともと有人丸集には遠渡りとなけれともとあり
2056 あまのかはうちはし渡し妹かいへちやますかよはんときまたすとも
天河打橋渡妹之家路不止通時不待友
あまのかはうちはし 打橋は板なとかりに渡し置を云也祇曰天川に打橋を讀事只地儀の同し心になして也千鳥やたつなと讀るをもて心得へし棚橋渡しともよめり時またすとも通はんとは年をまつ中なれは只をしてたえすかよはんとよむ也時またすの心前注
2057 月かさねわかおもふいもにあへるよはこのなぬかのよつぎこせぬかも
月累吾思妹會夜者今之七夕續巨勢奴鴨
月かさねわか思ふ 一年のほとの月をかさねて我思ふ所の妹にあふ夜は此初秋の七日の夜也此夜のゝちは續てもこせすと歎心也
2058 としによそふわか舟こかん天河かせはふくとも浪たつなゆめ
年丹装吾舟榜天河風者吹友浪立勿忌
としによそふわか舟 年中にけふのみよそひかされる我舟こかんと也皆七夕の心になりてよめる哥也
2059 あまの川波はたつともわかふねはいさこきいてんよのふけぬまに
天河浪者立友吾舟者率榜出夜之不深間尓
あまの川浪はたつとも 七夕の心に成てよめり
2060 たゝこよひあひたるこらにことゝひもいまたせすしてさよそあけにける
直今夜相有兒等尓事問母未為而左夜曽明二來
たゝこよひあひたる たゝこよひは年に只一夜こよひといふ心なりこらは織女を牽牛のいへる心なるへし
2061 あまのかは白波たかしわかこふるきみかふなてはいまそすらしも
天河白浪高(イたかく)吾戀公之舟出者今為下
あまのかはしらなみ 心あきらか也
2062 はたものゝふみ木もちいて天河うちはしわたす君かこんため
機蹈木持出天河打橋渡公之來為
はたものゝふみ木 君かこんために機のふみ木なとにて天河に打橋渡すと也
2063 あまのかはきり立のほる七夕の雲のころものかへるそてかも
天漢霧立上棚幡乃雲衣能飄袖鴨
あまのかはきり立 霧を雲衣の袖のひるかへると也去衣|曳《ヒキテ》v涙霞|應《ヘシ》v湿《ウルヲフ》なと後世の詩にも作れり
2064 いにしへにをりてしはたをこのゆふへころもにぬひて君まつわれを
古織義之八多乎此暮衣縫而君待吾乎
いにしへにをりてし 一年隔し君待事の久きをいはんとて古にと云をりてしはたは機の衣也君待我を哀しれと含めし也
2065 あしたまもてたまもゆらにをるはたをきみかみけしにぬひもあへんかも
足玉母手珠毛由良尓織旗乎公之御衣尓縫将堪可聞
あしたまもてたまも 童蒙抄云日本紀第一云|天孫《アメミマ》事勝《コトカツノ》神に問てのたまはく手玉《テタマモ》玲瓏《エラ》にはたをるおとめはこれたかむすめそ畧記愚案|玲瓏《ユラ》は玉のこゑ也ゆとえと通ス君とは牽牛を織女のいへる心也みけしは御衣也ぬひあへんは縫はんと也
2066 月日えりて逢てしあれは別ちのおしかるきみはあすさへもかな
擇月日逢義之有者別乃惜有君者明日副裳欲得
月日えりてあひてし 悪日にもあひそめはこそあすより一年あはぬさはりもあらめと也あすより逢ぬをふかく歎く心よりいへり七夕の嫁聚に吉月良日をえる事あるましきなから只人間のならはしに比してよめる也
2067 あまのかはわたるせふかみふねうけてさしくるきみかかちのをときこゆ
天漢渡瀬深弥泛船而掉來君之楫(戈あり)音所聞
あまのかはわたるせ 心明也
2068 あまのはらふりさけみれは天河きりたちわたるきみはきぬらし
天原振放見者天漢霧立渡公者來良志
あまのはらふりさけ 霧立渡るといふより君も渡りこんと成へし
2069 あまのかはせことにぬさをたてまつるこゝろはきみをさきくいませと
天漢瀬毎幣奉情者君乎幸座跡
あまのかはせことに 渡りくる君に幸《サイハヒ》有て風波の難なかれと是も人間のわさにてよめり類聚には第三句より手向るは君をさち有てとくきませよとと有本の異ありしにや
2070 ひさかたのあまのかはつに舟うけてきみまつよらはあけすもあらぬか
久方之天河津尓舟泛而君待夜等者不明毛有寐鹿
ひさかたの天の河津 あけすもあらぬか明すもあれかしと也
2071 あまのかはあしぬれわたる君か手もいまたまかねはよのふけぬらく
天河足沾渡君之手毛未枕者夜之深去良久
あまのかは足ぬれ まかねは未v枕とかくにて心はきこえ侍り
2072 わたしもりふねわたせをとよふこゑのいたらねはかもかちのをともせす
渡守船度世乎跡呼音之不至者疑※[木+堯]聲不為
わたしもりふねわたせ 渡せをのをは助字也是も天河の心なるへし
2073 まけなかくかはにむきたちありしそてこよひまかんとおもへるかよさ
真氣長河向立有之袖今夜卷跡念之吉沙
まけなかくかはに 嘆息して河に向ひ立て詠し袖をこよひは枕にせんと思ふが心よきと也
2074 あまのかはわたるせことにおもひつゝこしくもしるしあふらくおもへは
天漢渡湍毎思乍來之雲知師逢有久念者
あまのかは渡る瀬 渡る瀬ことにとは前にも有し八十の瀬渡ることに君か事を思ひこししるしにあひしを思へは思ふましき事かはと也こしくもは來しも也
2075 ひとさへや見つかぬあらん 一云見つゝあるらん ひこほしのつまよふ舟のちかつきゆくを
人左倍也見不繼将有 見乍有良武 牽牛之嬬喚舟之近附徃乎
人さへや見つかすあらん 見つかすは人も見付ぬやらんと也七夕にとく告よとの心也一云は第三句の異也心明也
2076 あまのかはせをはやみかもうはたまのよはふけにつゝあはぬひこほし
天漢瀬乎早鴨烏珠之夜者闌尓乍不合牽牛
あまのかは瀬を早み 瀬の早さに只夜はふけつゝも猶來あはぬは天河をえわたらぬならんとの心也
2077 わたしもりふねはやわたせひとゝせにふたゝひかよふきみにあらなくに
渡(イわたり)守舟早渡一年尓二遍徃來君尓有勿久尓
わたしもりふねはや 只一夜のあふせなれははやくわたせよと也
2078 たまかつらたえぬ物からさねらくはとしのわたりにたゝひとよのみ
玉葛不絶物可良佐宿者年之渡尓直一夜耳
たまかつらたえぬ さぬらくはとはねる事はとの心也絶中なからぬるは一夜と也
2079 こふる日はけなかき物をこよひたにともしむへしやあふへきものを
戀日者氣長物乎今夜谷令乏應哉可相物乎
こふる日はけなかき物を あはて戀る日比は嘆息するを七月七日の今夜たにともしく侘へきことかはさりともこよひは逢へき物をと也
2080 たなはたのこよひあひなはつねのことあすをへたてゝとしはなかけん
織女之今夜相奈婆如常明日乎阻而年者将長
たなはたのこよひあひ こよひ一夜こそあへあすに別てあすを隔てゝのゝちの年のを長く又常のこと歎きせんと也
2081 あまのかはたなはしわたすたなはたのいわたらさんにたなはしわたす
天漢棚橋渡織女之伊渡左牟尓棚橋渡
あまのかはたなはし いわたらさんは七夕のわたらんにとて棚橋わたすと也いは助字也
2082 あまのかはかはとやそありいつこにかきみかみふねをわかまちをらん
天漢河門八十有何尓可君之三船乎吾待将居
あまのかはかはとやそ 八十のみなとゝ同
2083 あきかせのふきにし日よりあまのかはせにいてたちてまつとつけこそ
秋風乃吹西日從天漢瀬尓出立待登告許曽
あきかせの吹にし日 つけこそは告來せ也
2084 あまのかはこその渡り瀬あれにけりきみかきまさんみちのしらなく
天漢去年之渡湍有二家里君将來道乃不知久
あまのかはこその渡り こそ七夕の渡り來し瀬の荒かはりしと也
2085 あまのかはせゝにしらなみ高けれとたゝわたりきぬまてはくるしみ
天漢湍瀬尓白浪雖高直渡來沼待者苦三
あまのかはせゝに白浪 待ゐるは苦しけれは波高けれと我渡來しと也
2086 ひこほしのつまよふ舟のひくつなのたえんときみをわかおもはなくに
牽牛之嬬喚舟之引綱乃将絶跡君乎吾念勿國
ひこほしのつまよふ 序哥のやうによみて牛女の絶ぬ中を云歟
2087 わたしもりふなてしいてんこよひのみあひみてのちはあはし物かも
渡(イわたり)守舟出為将出今夜耳相見而後者不相物可毛
わたしもりふなてし 七夕の別を惜みて渡守をも恨しか限あれは思ひ返してよし/\舟出していてんこよひのみあひみてのちもあふへき中なれはといふ心也
2088 わかかくせるかちさほなくて渡しもりふねかさめやもしはしはありまて
吾隠有楫(戈あり)棹無而渡(イわたり)守舟将借八方須臾者有待
わかかくせるかちさほ 別をおしむあまり舟のかちさほなとかくしたれはわたしもりも舟かすへきやうあらしなれはしはしはありてまち給へといふ也
2089 「あめつちのはしめのときゆあまのかはゐむかひをりて一年にふたゝひ逢ぬつまこひに物おもふひとあまのかはやすのかはらのありかよふ出ゞの渡りにくほふねのともにもへにもふなとそひまかちしゝぬきはたあらしもとはもくせにあきかせのふきくるよひに天の川しらなみしのきおちたきつはやせわたりてわか草のつまたまくらとおほふねのおもひたのみてこきくらんそのつまのこかあらたまのとしのをなかくおもひこしこひはつきなんはつあきのなぬかのよひはわれもかなしも
乾坤之初時從天漢射向居而一年丹兩遍不遭妻戀尓物念人天漢安乃川原乃有通(イひ)出々乃渡丹具穂船乃舮丹裳舳丹裳船装真※[木+堯]繁抜旗荒(イすゝき)本葉裳具世丹秋風乃吹來夕丹天川白浪凌落沸速湍渉稚草乃妻手枕迹大船乃思憑而榜來等六其夫乃子我荒珠乃年緒長思來之戀将盡七月七日之夕者吾毛悲焉
あめつちのはしめの 天地ひらけ日月星辰あらはれしより牛女河を隔て向居る心也
物思ふ人 牛女を云也
てゝの渡り 毎年立出/\する心也見安には数の渡り也
くほふねの 見安云くみ舟也あまたくみ合せてかさりたる舟也愚案八雲にもくほ舟七夕の舟とみゆ
はたあらし 舟に立し旗に吹嵐也前にともにもへにも舟よそひと有舳艫に旗なとかさりし心也
もと葉もくせに 見安云葉のくせみたる也愚案旗の嵐に棹に吹まつはれしか木のもとつ葉のくせみたるやうの心なるへし
おふ舟の思ひたのみて 大船は頼もしき物なれは頼みてといはん枕詞に大船のと也
其つまのこか 前に若草のつま手枕と思ひ頼てとあるを請て其妻の子の七夕の年中思ひこし戀はこよひのあふ瀬に盡けんと也われも悲しきとは思ひやりての心也
反歌
2090 こまにしきひもときかはしひこ星のつまとふよひわれもしのはん
狛錦紐解易之天人(イたなはた)乃妻問夕叙吾裳将偲
こまにしきひもとき 高麗《コマ》錦也こまの錦外にすくれたり童蒙抄云もろこしには男に逢とては錦の袴をきる也其はかまに四緒《ヨツヲ》といふ物の付たるを紐とは云也祇曰高麗の錦を七夕の紐にすへきならねと紐といはんため也又うつくしき紐の心也愚案此下句は長哥の我も悲きの心也
2091 ひこほしの川瀬を渡るさを舟のとゆきてはてんかはつしそおもふ
彦星之川瀬渡左小舟乃得行而将泊河津石所念
ひこほしの川瀬を さを舟さは助字也七夕の舟と八雲抄に有と行のと助字河津は湊也しは助字也
2092 あめつちとわかれしときゆ久かたのあましるしとておほきみのあまの河原にあらたまの月をかさねていもにあふときしをまつとたちまつにわか衣手に秋かせのふきしかへせはたちてゐてたつきをしらすむらきもの心おほえすとききぬのおもひみたれていつしかとわかまつこよひこのかはのゆきなかくあるとかも
天地跡別之時從久方乃天驗常※[氏/一]大王天之河原尓璞月累而妹尓相時候跡立待尓吾衣手尓秋風之吹反者立坐多土伎乎不知村肝心不欲解衣思亂而何時跡吾待今夜此川
行長有得鴨(イあれとも)
あましるしとて 天川をいふ也天地開闢より天河ある心也
おほきみのあまのかはら 天河は天帝の領し給ふ故おほきみの天河といへり或説に皇《スヘラキ》を天皇といへは大王《オホキミ》の天河といふと云々不足信用歟
あらたまの月を 仙曰あら玉とは改るといふ心なれはおほくの月を重ねて妹にあふちきりなれはいふ詞也
たちてゐて 立てもゐてもの心也
たつきをしらすむら肝《キモノ》 第一卷軍王の歌にある詞也義前に注
ときゝぬの 解たる衣はみたるゝ物なれは思ひ亂ての諷詞にをく也
この川のゆき 天河の長遠なることく思ひみたれまつはかりの中そと也まれの逢瀬なれは也イなかくあれとも 天河は不絶とも稀の逢瀬はかひなしと也
反歌
2093 いもにあふときかたまつとひさかたのあまのかはらに月そへにける
妹尓相時片待跡久方乃天之漢原尓月叙經來
いもにあふときかたまつと 牽牛の織女にあふ時をまつとて月をふるとの心也長哥にあまのかはらにあらたまの月をかさねて妹にあふ時しをまつといへる心なるへし
詠v花三十四首 柿本朝臣人麻呂
詠花 秋の草花をよむ也
2094 さをしかの心あひおもふあきはきのしくれのふるにちりそふおしも
竿志鹿之心相念秋芽子之鍾礼零丹落(イちら)僧(まく)惜毛
さをしかの心あひ思ふ 萩は鹿のつまといへは心あひ思ふといふなるへし
2095 ゆふされはのへの秋はきすゑわかみつゆにしかれてあきまちかたし
夕去野邊秋芽子末若露枯金待難(イかてに)
ゆふされはのへの秋萩 萩は本枝より末に若枝生わかれて花咲物也若枝はかよはく枯やすけ也されは秋のさかりをも待かたしと也イかてにも同心
作者未v詳
2096 まくすはらなひく秋風ふくことにあたのおほのゝはきのはなちる
真葛原名引秋風吹毎阿太乃大野之芽子花散
まくすはらなひく 阿太之大野八雲抄に大和とありまくすはらは葛のおほき所非名所
2097 鳫かねのきなかん日まてみつゝあらんこのはきはらにあめなふりそね
鴈鳴之來喧牟日及見乍将有此芽子原尓雨勿零根
鳫かねのきなかん 雨には散を惜む心也
2098 おくやまにすむてふしかのよひさらすつまとふはきのちらまくおしも
奥山尓住云男鹿之初夜不去妻問芽子乃散久惜裳
おくやまにすむてふ よひさらすは宵々に也つまとふ萩は鹿の妻を尋る萩原也又鹿の妻とてとふ心と兩義也
2099 しらつゆのをかまくおしみあきはきをおりのみおりてをきやからさん
白露乃置卷惜秋芽子乎折耳(イおりに)折而(イおりてし)置哉枯
しらつゆのをかまく 露にたはみふしなんを惜て折とりつゝかへりて枯さんかよしなき心也
2100 あき田かるかりほのやとりにほふまてさけるあきはき見れとあかぬかも
秋田苅借廬之宿尓穂經及咲有秋芽子雖見不飽香聞
あき田かるかりほの 田家に映して匂ふ心也
2101 わかきぬをすれるにはあらすたかまとののへゆきしかははきのすれるそ
吾衣摺有者不在高松(イまつ)之野邊行之者芽子之摺類曽
わかきぬをすれるには 我衣を我心とすりしにあらす萩の花にふれての萩の花摺せしと也高まとのゝ大和也
2102 このゆふへあき風吹きぬしら露にあらそふはきのあすさかん見ん
此暮秋風吹奴白露尓争芽子之明日将咲見
このゆふへあき風ふきぬ 秋至て白露をかんとし萩さかんとするをあらそふといふ也
2103 秋かせはすゝしくなりぬ馬なへていさ野にゆかな萩の花見に
秋風冷成駑并而去來於野行奈芽子花見尓
秋風はすゝしく 馬なへてはならへて也いさはさそふ詞
2104 あさかほはあさつゆおひて咲といへとゆふかけにこそさきまさりけり
朝杲朝露負咲雖云暮陰社咲益家礼
あさかほはあさ露 八雲御抄此哥注云曇たる日なとは夕まてもあるへき歟咲まさる条可v尋愚案朝顔も冬近成ては日影もよはく夕迄も盛なる事有或説是は今昼顔と云花也
2105 春されはかすみかくれて見えさりし秋はきさけりおりてかさゝん
春去者霞隠不所見有師秋芽子咲折而将挿頭
春されはかすみかくれて 是は春萩の花なき事をいはんとて霞隠れて見えさりしといへり袖中抄に顕昭沙汰せし木萩は春もあれと是も枝葉はかりにて花は秋さく也又俊頼霞の哥に春きぬときくたにあへぬ明くれに霞にむせふまのゝ萩原是は時にあはぬやうなれと真野の萩はらはいつともなけれはかくのことく詠也袖中抄に有是は別儀なり
2106 さぬかたののへの秋はき時しあれはいまさかりなりおりてかさゝん
沙額田乃野邊乃秋芽子時有者今盛有折而将挿頭
さぬかたののへの秋萩 沙額田《サヌカタ》野八雲抄名所部に出なからいつくともなし哥の心は明也
2107 ことさらに衣はすらしをみなへしさく野のはきににほひてをらん
事更尓衣者不摺佳人部為咲野之芽子尓丹穂日而将居
ことさらに衣はすらし 女郎花さく野の萩のなつかしきに衣の色をすり匂はせてあらん別にはすらしと也
2108 秋かせははやし吹けりはきの花ちらまくおしみきほひ/”\に
秋風者急之吹來芽子花落卷惜三競競(イいそひ/\に)
秋かせははやし吹けり はやしのしは助字也きほひ/\イいそひ/\同く追《ヲヒ》々に早く咲て萩の散かおしき心也
2109 わかやとのはきのわかたち秋かせのふきなんときにさかんと思ふを
我屋前之芽子之若末長秋風之吹南時尓将開跡思乎
わかやとの萩の若たち 秋風の比咲んと思ふを猶若立にてさかすとふくめし哥也
2110 ひとみなは萩を秋といふいなわれはおはなかすゑを秋とはいはん
人(みな)皆(ひと)者芽子乎秋云縦吾等者乎花之末乎秋跡者将言
人皆(みなひと古來風―)は萩を秋といふ 秋の哀は尾花そと也
2111 たまつさのきみかつかひのたおりくるこのあきはきは見れとあかぬかも
玉梓公之使乃手折來有此秋芽子者雖見不飽鹿裳
たまつさのきみか使の 玉章持チ來ル君か使也
2112 わかやとにさける秋はき常ならはわかまつ人に見せましものを
吾屋前尓開有秋芽子常有者我待人尓令見猿物乎
わかやとにさける秋萩 常ならはとは常にてちらすあらはと也我待人を待得るまてもあらはとの心也
2113 てもすまにうへしもしるく出みれはやとのわさはきさきにけるかも
手(たき)寸十(そ)名(な)相殖之名(イな)知久出見者屋前之早(仙はや)芽子咲尓家類香聞
てもすまにうへしも 範兼童蒙抄此哥注云手もすまにとは手もやすますといふ也又わさ萩といへり仙覺抄云此哥第一二ノ句古点にはてもすまにうへしもしるくと点せり聊あひかなはす今和しかへて云たきそなへうへしなしるく也てもすまといふ古語はあれともこの發句しかはよまれすたきそなへとはたきはあくる儀也あけそなへといふ詞也草木はうふる時に深くうへたるはあしき也云々愚案此集の詞古語によりて文字をもよみて莫囂圓隣《ユフツキ》新何本《アハナン》仙点|樂々浪《サヽナミ》若末長《ワカタチ》の類あなかち其文字にかゝはらぬ事おほし且又異本の文字のかはりたる事も知かたしいはんや範兼卿なとの古人も改さる古点ををしてたきそなへなと私の点をくはふるのみにあらすたきはあくる儀也なと臆説をなす事憚あるへき事なるへし然とも仙覺も此集におゐては先達なれは其説をも書そへをき侍り後人の好む所に随ふへし
2114 わかやとにうへおふしたるあきはきをたれかしめさすわれにしらせで
吾屋外尓殖生有秋芽子乎誰標刺吾尓不所知
わかやとにうへおふし 我宿の萩を我心にれうじたる人なとによそへて人の物となるへきを歎く哥にや
2115 手にとれは袖さへにほふをみなへしこのしらつゆにちらまくおしも
手取者袖并丹覆美人部師此白露尓散卷惜
手にとれは袖さへ匂ふ 心明也
2116 しらつゆにあらそひかねてさける萩ちらはおしけんあめなふりそね
白露尓荒争金手咲芽子散惜兼雨莫零根
しらつゆにあらそひ 咲かたかりし萩の漸露に咲たるをあらそひかねてといへり雨にちるへきをおしむ心也
2117 をとめらにゆきあひのわせをかるときになりにけらしもはきの花さく
※[女+咸]嬬等行相乃速稲乎苅時成來下芽子花咲
をとめらにゆきあひの 祇曰ゆきあひのわせとははやわせといふ心也仙同或説田を植る時苗|不《サレ》v足《タラ》は他所の苗を植置くを行合の稲と云袖中抄曰ゆきあひのわせとは所の名をわせによみつけたる也萬葉の哥にゆきあひの坂の麓に開けたる桜の花を見せんこもかな此うたにて心得あはすへし愚案此哥をとめらにとは行合といはん諷詞也相坂紀伊或立田云々
2118 あさきりのたなひくをのゝはきの花いまやちるらんいまたあかなくに
朝霧之棚引小野之芽子花今哉散濫未厭尓
あさきりのたなひく 小野非名所只野也哥の心明也
2119 こひしくはかたみにせよとわかせこかうへしあきはき花さきにけり
戀之久者形見尓為與登吾背子我殖之秋芽子花咲尓家里
こひしくはかたみに 是も哥心明也
2120 あきはきにこひつくさしと思へともしゑやあたらし又あはんやも
秋芽子戀不盡跡雖念思恵也安多良思又将相八方
あきはきに戀つくさし 萩を戀る心をさのみ盡さじと思へともよしや又此さかりにあはんもしらすあたらしき萩なれは戀を盡さんと也しゑやはよしや也
2121 あきかせは日ことにふきぬ高まとののへの秋はきちらまくおしも
秋風者日異(イひにけに)吹奴高圓之野邊之秋芽子散卷惜裳
あきかせは日ことに イ日にけに義は同
2122 ますらおのこゝろはなしに秋萩のこひにのみやもなつみてあらなん
大夫之心者無而秋芽子之戀耳八方奈積而有南
ますらおの心 萩を餘に思ふ故に人を戀るやうに大夫の心はなしになといへり
2123 わかまちし秋はきたりぬしかれともはきのはなぞもいまたさかずける
吾待之秋者來奴雖然芽子之花曽毛未開家類
わかまちし秋はきたり 花ぞものもは是も助字也さかすけるは咲さりける也
2124 見まくほりわか待戀し秋はきはえたもしみゝにはなさきにけり
欲見吾待戀之秋芽子者枝毛思美三荷花開二家里
見まくほりわかまち 八雲抄云しみゝ繁也しけきなり
2125 かすかのゝはきしちりなは朝こちのかせにたくひてこゝにちりこね
春日野之芽子落者朝東風尓副而此間尓落來根
かすかのゝ萩し 奈良京より春日野は東にあれは朝こちにたくひこよと也
2126 秋はきは鳫にあはしといへれはか 一云いへるかも こゑをきゝてははなにちりぬる
秋芽子者於雁不相常言有者香 言有可聞 音乎聞而者花尓散去流
秋はきは鳫にあはし 鳫に逢ましきと萩のいへるにやあらんと也花にのには助字也
2127 秋さらはいもに見せんとうへしはきつゆしもおひてちりにけるかも
秋去(イあきされ)者妹令視跡殖之芽子露霜負而散來毳
秋さらは妹に見せん 露霜負ては只露霜を萩の受たる也
詠v雁三首
2128 あきかせに山とべこゆるかりかねはいやとをさかり雲かくれつゝ
秋風尓山跡部(イとび)越雁鳴者射矢遠放(イさかる)雲隠筒
あきかせに山とへ越る 山とへこゆるは山飛越る也へとひと音通也山をこへてみるかうちに遠さかりつゝ雲に消しと也
2129 あけくれのあさ霧かくれなきてゆくかりはわかこひいもにつけこそ
明闇之朝霧隠(イこもり)鳴而去雁者言戀於妹告社
あけぐれの朝霧隠 明闇《アケクレ》は夜明はなれんとてしはしくらくなるを云也告こそ告こよ也
2130 わかやとになきし雁かね雲の上にこよひなくなりくにつかたかも
吾屋戸尓鳴之雁哭雲上尓今夜喧成國方可聞
わかやとに鳴しかり 国つかたかもはをのか故國に向ふほとなつかしみなくかと也
遊群《ユウクンノ》歌十首
2131 さをしかのつまとふときに月をよみかりかねきこゆいましくらしも
左小牡鹿之妻問時尓月乎吉三切木四之泣所聞今時來等霜
さをしかの妻とふ 今しのしは助字也月清き折今鳫の來らんと也
2132 あまくものよそにかりかね聞しよりはたれ霜ふりさむしこの夜は 一云いやます/\に戀こそまされ
天雲之外雁鳴從聞之薄垂霜零寒此夜者 弥益益尓戀許曽増焉
あまくものよそに はたれ奥儀抄には班也云々霜の所々なる也古今集庭もはたれにふる雪と有一云いやます/\には戀の哥也
2133 秋の田のわかかりはかの過ゆけはかりかねきこゆふゆかたまけて
秋田吾苅婆可能過去者雁之喧所聞冬方設而
秋の田のわかかりはかの かりはかとは穂田乃苅はと云に同田をかるきはの心也冬かたまけては冬近也待まうけし心也
2134 あしへなる荻の葉さやきあき風のふきくるなへにかりなきわたる 一云秋風に鳫かねきこゆ今しくらしも
葦邊在荻之葉左夜藝秋風之吹來苗丹雁鳴渡 尓 音所聞 四來霜
あしへなる荻のは さやきはそよき也吹くるなへには吹くるからにと同一云今や來らん也
2135 おしてるやなにはほり江のあしへにはかりねたるかも霜のふらくに
押照難波穿江之葦邊者雁宿有疑霜乃零尓
をしてるや難江 押照は難波の枕詞兩義有前注ふらくはふるに也
2136 あきかせに山とひこゆるかりかねのこゑとをさかりくもかくるらし
秋風尓山飛越雁鳴之聲遠離(イさかる)雲隠良思
あきかせに山とひ 前に秋かせに山とへこゆるかりかねはといへるに少ことなり
2137 つとにゆくかりのなくねはわかことく物おもふかもこゑのかなしき
朝尓徃雁之鳴音者如吾物念可毛聲之悲
つとにゆくかりの つとゝは早朝也
2138 たつかねのけさなくなへに鳫かねはいつくさしてか雲かくるらん
多頭我鳴乃今朝鳴奈倍尓鳫鳴者何處指香雲隠良哉
たつかねのけさなく 鶴のこゑのきこえて鳫はきこえぬをかくよめり
2139 うは玉のよわたる鳫はおほつかないくよをへてかをのか名をよふ
野干玉之夜渡雁者欝幾夜乎歴而鹿己名乎告
うは玉のよわたる をのか名をよふとは鳫のなく事也後撰にかり/\となくと讀る也
2140 あらたまのとしのへゆけはあともふとよわたるわれをとふ人やたれ
璞年之經徃者阿跡念(イおもふ)登夜渡吾乎問人哉誰
あらたまの年のへゆけは 見安云あともふとは何と思ふと云也よわたるは世を渡る也愚案此哥秋の詞なし然共鳫の哥にかき双へたれは鳫の身に成てよめる歟夜渡る吾を年も半過ぬ何と思ふそと問人は誰なるへきさる人もなしと也あらたまの年のへゆけはとは春より秋になりゆきし心なるへし
詠ル2鹿鳴ヲ1歌十六首 作者未v詳
2141 このころの秋のあさけにきりかくれつまよふしかのをとのさやけさ
比日之秋朝開尓霧隠妻呼雄鹿之音之亮(イはるけ)左
このころの秋の朝け 類聚には亮左をさやけさ仙点はるけさ
2142 さをしかのつまとゝなふとなくこゑのいたらんかきりなひけはきはら
左男牡鹿之妻※[勅/心]登鳴音之将至極靡芽子原
さをしかのつまとゝなふと つまとゝなふとは妻を戀求る儀也鹿の妻を戀る声の至ん限の萩は皆なひけと也妻のなひく心をそへて也此うた鹿の妻鹿《メシカ》をこふる心と又萩を即鹿の妻といふとの心を兼て也
2143 きみにこひうらふれをれはしきのゝのあきはきしのきさをしかなくも
於君戀裡觸居者敷野之秋芽子凌左牡鹿鳴裳
きみにこひうらふれをれは うらふれは愁ふる心也しきの野名所とみゆ
2144 かりはきぬ萩はちりぬとさをしかのなくなるこゑもうらふれにけり
鳫來芽子者散跡左小牡鹿之鳴成音毛裡觸丹來
かりはきぬ萩は散 鳫來萩散て秋情を我催すより鹿のねも愁ふと聞心也
2145 秋はきのこひもつきねはさをしかのこゑいつぎいつぎこひこそまされ
秋芽子之戀裳不盡者左牡鹿之聲伊續伊繼戀許増益焉
秋はきのこひも盡ねは いつきいつきは只續々也伊は助字也心は秋萩を思ふ戀も盡ねは鹿の妻戀声もつぎ/\絶すして戀の弥益と也
2146 やまちかくいへやすむへきさをしかのこゑをきゝつゝいねかてぬかも
山近家哉可居左小壮鹿乃音乎聞乍宿不勝鴨
やまちかく家や住 家や住へきとは山よせに家居やはすへきとの心也鹿のねに寝かたけれは家し住へき物かはと也
2147 やまのへにあさるさつおはおほかれと山にも野にもさをしかなくも
山邊尓射去(イいゆく)薩雄者雖大有山尓文野尓文沙小牡鹿鳴母
やまのへにあさるさつおは 童蒙抄あさるは狩るを云さつおは賤のおと云也愚案射去童蒙アサルと和仙点イユク也義同さつお或はますらおのたくひ狩人なとを云
2148 あしひきの山よりきせはさをしかのつまよふこゑをきかましものを
足日木笶山從來世波左小鹿之妻呼音聞益物乎
あしひきの山より きせはは來たりせは也
2149 やまへにはさつおのねらひおそるれとをしかなくなりつまのめをほり
山邊庭薩雄乃祢良比恐(かしこめイ)跡小牡鹿鳴成妻之眼乎欲焉
やまへにはさつおのねらひ 童蒙抄云鹿鳴て妻を思ふといへりされはさつおは五月男にはあらすほりは思ふと云也愚案さつおを忍なから猶忍かねて鳴と也
2150 あきはきのちりゆくを見ていふかしみつまこひすらしさをしかなくも
秋芽子之散去見欝(イおほゝしく)三妻戀為良思棹牡鹿鳴母
あきはきの散ゆくを いふかしみおほつかなく心もとなかる儀也仙抄同義
2151 やまとをきさとにしあれはさをしかのつまよふこゑはともしくもあるか
山遠(イとをみ)京(イみやこ)尓之有者狭小牡鹿之妻呼音者乏毛有香
やまとをきさとにし 心明也イみやこにし義なし
2152 秋はきのちりすきゆけはさをしかはわひなきせんなみねはともしみ
秋芽子之散過去者左牡鹿者和備鳴将為名不見者乏焉
秋はきのちりすき 侘鳴せんなのなは思ひやる詞也萩ちりて見ねはともしくさひしくて侘鳴らんと也
2153 あき萩のさけるのへにはさをしかそつゆをわけつゝつまとひしける
秋芽子之咲有野邊者左小牡鹿曽露乎別乍嬬問四家類
あき萩の咲るのへには 心明也
2154 なにしかのわひなきすなるけたしくもあきのゝはきやしけくちるらん
奈何牡鹿之和備鳴為成蓋毛秋野之芽子也繁将落
なにしかの侘なき しけると句を切て讀へし蓋は物ををしはかる時いふ詞也何に鹿の侘鳴そ萩の茂く散故かと也
2155 秋萩のさきたるのへにさをしかはちらまくおしみなきゆく物を
秋芽子之開有野邊左小牡鹿者落卷惜見鳴去物乎
あきはきの咲たる 心明也八雲抄ニ伊勢大輔云さをしかは必ちいさからねとおほきならぬをよむへし云々童蒙抄にはちいさきしかと云々
2156 あしひきのやまのとかけになく鹿のこゑきゝつやも山田もるすこ
足日木乃山之跡陰尓鳴鹿之聲聞為八方山田守酢兒
あしひきの山のと陰に 山のと陰は只山の陰也山田もるすこは田を守いやしき物也こゑきゝつやものもは助字也或点きかすやもとあり不用之
詠ルv蝉ヲ歌一首 作者未v詳
2157 ゆふかけにきなくひくらしこゝたくのひことにきけとあかぬこゑかも
暮影來鳴日晩幾許(イそこはかと)毎日聞跡不足音可聞
ゆふかけにきなく 題には蝉の字也哥に日晩と有同物なるへし然とも連哥等には蝉は夏日晩は秋に用こゝたくはそこはくと同
詠ルv※[虫+率]《キリ/\スヲ》歌一首 作者未v詳
2158 あきかせのさむくふくなへわかやとのあさちかもとにきり/\すなくも
秋風之寒吹奈倍吾屋前之淺茅之本尓蟋蟀鳴毛
あきかせの寒く吹 ふくなへは吹故也秋風寒き故きり/\すも侘て鳴と也もは助字也
2159 かけ草のおひたるやとのゆふかけになくきり/\すはきけとあかぬかも
影草乃生有屋外之暮陰尓鳴蟋蟀者雖聞不足可聞
かけ草のおひたる 影草は物陰の草なるへし詞林采葉ニは夕影草と同此夕影草夜一夜草也夕陰に花咲物云々
2160 にはくさにむらさめふりてきり/\すなくこゑきけはあきつきにけり
庭草尓村雨落而蟋蟀之鳴音聞者秋付尓家里
には草に村雨ふりて 秋付にけりは秋に成し也夕附日を夕になる日といふかことし
詠v蝦《カハツヲ》歌五首 作者未v詳
2161 みよしのゝいはもとさらす鳴かはつむへもなきけり川をさやけみ
三吉野乃石本不避鳴川津諾文鳴來河乎浄(かはのせきよみ古)
みよしのゝいはもと 古來風躰に河のせきよみと有水清く秋の氣色なれは蛙鳴も尤と也
2162 かみなひの山したとよみゆく水にかはつなくなり秋といはんとや
神名火之山下動去水丹川津鳴成秋登将云鳥屋
かみなひの山した 山下とよみは山下ひゝきゆく也蛙は春に今は用れと秋もなくを如此よめるなるへし
2163 くさまくらたひに物思ふわれきけはゆふかたまけてなくかはつかも
草枕 尓物念吾聞者夕片設而鳴川津可聞
くさまくらたひに 夕かたまけては夕をまけて也夕を待出し心也
2164 せをはやみおちたきちたる白波にかはつなくなりあさゆふことに
瀬呼速見落當知足白浪尓川津鳴奈里朝夕毎
せをはやみおちたきち おちたきちたるは落たぎりたる也
2165 かみつせにかはつつまよふゆふされはころもてさむみつままかんとか
上瀬尓河津妻呼暮去者衣手寒三妻将枕跡香
かみつせにかはつ妻よふ 上瀬中瀬下瀬なと有其中の上の瀬也つままかんとはつまと枕しねんとにや上瀬に鳴と也
詠v鳥ヲ二首 作者未v詳
2166 いもか手をとりこの池のなみまよりとりのねいなく秋すきぬらし
妹手乎取古(イ石)池之(イとりしのいけの)浪間従(イなみのまゆ)鳥音異鳴秋過良之
いもか手をとりこの 妹か手をはとりといはん諷詞也八雲抄とりこの池近江云々仙曰證本取石とかけりこれによりとりしと点せられたりと云々勅撰名寄云萬葉には點ス2取石《トリシノ》池ト1但先達ノ哥枕|取古《トリコノ》池也云々八雲名寄等の説古実と見えたれはとりこを可用歟此名寄には此哥鳥のねきこえ秋過ぬやと有
2167 秋のゝのおはなか末になくもすのこゑきくらんかかたきくわきも
秋野之草花我末鳴舌百鳥音聞濫香片聞(イきけ)吾妹
秋のゝのおはなか末に かたきくはかつきく心也我かかつ聞傳し妹か此鵙をきくかと也
詠ルv露ヲ歌九首 作者未v詳
2168 あきはきにをける白露あさなさなたまとそ見ゆるをけるしらつゆ
冷芽子丹置白霧朝朝珠斗曽見流置白霧
あきはきにをける をけるしら露をかやうにかさねてよめるは感する心をあらはして二度いふ也
2169 ゆふたちのあめふることに ひとつに云うちふれは かすかのゝおはなのうへのしらつゆおもほゆ
暮立之雨落毎 打零者 春日野之尾花之上乃白霧所念
ゆふたちの雨ふることに 夕立の露に春日の野花の露のおもひ出らるゝと也かすか野草花一入賞翫の故也
2170 あきはきの枝もとをゝに露霜をきさむくもときはなりにけるかも
秋芽子之枝毛十尾丹露霜置寒毛時者成尓家類可聞
あきはきのえたも とをゝはたはゝ也たはむほとをく心也
2171 しら露とあきのはきとは戀亂れわくことかたきわかこゝろかも
白露與秋芽子者戀亂別事難吾情可聞
しら露と秋の萩と 露も戀しく萩も戀しけれはいつれと分かたきと也わか心にも分かたき心なるへし
2172 わかやとのおはなをしなみをく露に手ふれわきもこちらまくもみん
吾屋戸之麻花押靡置露尓手觸吾妹兒落卷毛将見
わかやとのおはなをしなみ 尾花をしなひかし置露の愛らしきに手を妹かふれよ其露のちるをもみんと也
2173 しら露をとらはけぬへしいさことも露にいそひてはきのあそひせん
白露乎取者可消去來子等露尓争而芽子之遊将為
しら露をとらは いそひてはいさひて也あらそふ心也露を其まゝ置なから萩を翫《モテアソ》はんとの心也露も萩に着したるやうにをきたれは露にあらそひて我もあそはんと云也
2174 あき田かるかりほをつくりわれをれはころもてさむしつゆをきにける
秋田苅借廬乎作吾(イわか)居者衣手 露置尓家留
2175 このころの秋風さむしはきのはなちらすしらつゆをきにけらしも
日來之秋風寒芽子之花令散白露置尓來下
このころの秋風さむし 心明也
2176 あきたかるとまてうこく也白露はをくほたなしとつけにきぬらし 一云つけにけらしも
秋田苅苫手揺奈利白露村置穂田無跡告尓來良心 告尓來良思母
あきたかるとまて 八雲御抄云とまて田かる手也愚案田をかれはとまて動て露の置へき穂田なしと告來る人有し心なるへし
詠v山ヲ一首 作者未v詳
2177 春はもえ夏はみとりにくれなゐのにしきに見ゆるあきのやまかも
春者毛要夏者緑丹紅之綵色尓所見秋山可聞
春はもえ夏はみとりに 春下萌るいろを云也
詠v黄葉ヲ1四十一首 柿本朝臣人麻呂
2178 つまかくすやのゝかみやまつゆしもににほひそめたりちらまくおしも
妻隠(イこもる)矢野神山露霜尓尓寶比始散卷惜
つまかくすやのゝ神山 此五文字八雲御抄にも妻かくすと有家隆卿哥にもつまかくすやのゝ神山立まよひ夕の霧に鹿そ鳴なる【玉吟集ニアリ】猶あまた有仙点つまこもると和す難用歟つまかくすとは屋といはん諷詞也妻屋とて妻は屋内にかくす故也只矢野の枕詞と心得へし矢野神山諷詞也伊与にあり匂ひそめたりは色付はしめしをみて此紅葉の終にちらんをおしむ心也
2179 あさつゆにそめはしめたるあきやまにしくれなふりそありわたるかね
朝露尓染始秋山鍾礼莫零在渡金
あさ露にそめはしめ ありわたるかねはありふれわたりて珍しからぬ心也かねは哉也ねとな五音通已に露に染たれはあなかちしくれのそむるにも及はすとの心なるへし
作者未v詳
2180 なかつきのしくれの雨にぬれとをりかすかの山はいろつきにけり
九月乃鍾礼乃雨丹沾通春日之山者色付丹來
なかつきのしくれの雨 此哥童蒙抄には時雨の雨にそめかへりとあり本の異にや心は明也
2181 かりかねのさむきあさけの露ならしかすかのやまをもみたすものは
鴈鳴之寒朝開之露有之春日山乎令黄物者
かりかねのさむき朝け もみたすとはもみちせしむるといふ也
2182 このころのあかつき露にわかやとのはきのしたはゝいろつきにけり
比日之暁露丹吾屋前之芽子乃下葉者色付尓家里
このころのあかつき あかつき露夜露夕露なといふ類暁の露也拾遺集には人丸哥也
2183 かりかねはいまはきなきぬわかまちしもみちはやつけまてはくるしも
雁鳴者今者來鳴沼吾待之黄葉早繼待者辛苦母
かりかねはいまはき鳴ぬ はやつけとは鳫の來しに繼て紅葉早く色付よと也
2184 あきやまをゆめ人かくな忘れにし其もみちはのおもほゆらくに
秋山乎謹人懸勿忘西其黄葉乃所思君
あき山をゆめ人かくな 秋山の事を努々懸ていふな一年隔て忘し紅葉の思ひ出らるゝにと也
2185 おほさかをわかこえくれはふたかみにもみちはなかるしくれふりつゝ
大坂乎吾越來者二上尓黄葉流志具礼零乍
おほさかをわかこえ 大坂 和名云大和葛城郡 二上八雲大和云々
2186 あきされはをく白露にわかかとのあさちかうらは色つきにけり
秋去者置白露尓吾門乃淺茅何浦葉色付尓家里
あきされはをく白露 うらはは葉のうら也
2187 いもか袖まきゝのやまのあさつゆににほふもみちのちらまくおしも
妹之袖卷來乃山之朝露尓仁寶布黄葉之散卷惜裳
いもか袖まきゝの山 妹か袖を枕にまく心にいひかけたり枕の字をまくとよめり妹か袖はまきゝの諷詞也卷來山未v勘v所也
2188 もみちはのにほひはしけししかれともつまなしの木をたおりかさゝん
黄葉之丹穂日者繁然鞆妻梨木乎手折可佐寒
もみちはのにほひは 妻梨軒のつま梨なとよみて梨の一種也紅葉の色匂ふはおほけれとも中に妻梨をと也
2189 つゆしものさむきゆふへの秋かせにもみちにけりもつまなしの木は
露霜乃寒夕之秋風丹黄葉尓來毛妻梨之木者
つゆしものさむき夕の けりものもは助字也
2190 わかかとのあさち色つくふなはりのなみしはののゝもみち散らし
吾門之淺茅色就吉魚張能浪柴乃野之黄葉散良新
わかかとのあさち色付 ふなはりのなみしはのゝ大和也心は明也
2191 かりかねをきゝつるなへにたかまとののゝうへのくさそいろつきにける
雁之鳴乎聞鶴奈倍尓高松之野上之草曽色付尓家留
かりかねをきゝつるなへ たかまとの野 大和也
2192 わかせこかしろたへころもゆきふれはうつりぬへくももみつやまかも
吾背兒我白細衣徃觸者應染毛黄變山可聞
わかせこか白たへころも ゆきふれはとは行々ふれたらは也此山の紅葉ふれは衣にうつらんと也
2193 あきかせのひにけにふけは水くきのをかのこのはもいろつきにけり
秋風之日異(イひことに)吹者水莫能岡之木葉毛色付尓家里
あきかせのひにけに ひにけにひことに同水茎の岡は近江也
2194 かりかねのきなきしともにから衣たつたのやまはもみちそめたり
雁鳴乃來鳴之共韓衣裁田之山者黄始有
かりかねのきなきし 鳫なき山染てともに時節の佳景なるを鳴しとゝもにと讀也
2195 かりかねのこゑきくなへにあすよりはかすかの山はもみちそめなん
雁之鳴聲聞苗荷明日從者借香能山者黄始南
かりかねのこゑきく 鳫か音の声也重詞にや
2196 しくれのあめまなくしふれは槙のはもあらそひかねていろつきにけり
四具礼能雨無間之零者真木葉毛争不勝而色付尓家里
しくれの雨まなくし まなくしのしは助字也槙は常磐木にて染らしとすれと時雨隙なくふれは終に色付と也
2197 いちしろくしくれのあめはふらなくにおほきのやまはいろつきにけり
大城山ハ者在リ2筑前ノ御笠郡ノ之大野山ノ頂《イタヽキニ》1
灼然四具礼乃雨者零勿國大城山者色付尓家里
いちしろくしくれの雨は 見安云いちしろくはいちしるく也大城山注の如シ
2198 かせふけはもみちちりつゝしはらくもわかまつはらはきよからなくに
風吹者黄葉散乍小雲吾松原清在莫國
かせふけはもみちちり 見安云吾松原我あたりの松原也愚案松陰の落葉しけくてしはしも清めあへぬ心也
2199 物おもふとしのひにをりてけふみれはかすかのやまはいろつきにけり
物念隠(イかくろひ)座而今日見者春日山者色就付尓家里
物思ふと忍ひに 我忍ふ思ひの色に出し侘る心より此哥をよめる也
2200 なかつきのしらつゆおひて足ひきのやまのもみちん見まくしもよし
九月白露負而足日木乃山之将黄葉見幕下吉
なかつきのしらつゆ 見まくしもよしは見るもよし也しものしは助字也
2201 いもかりとむまにくらをきていこま山うちこえくれはもみちちりつゝ
妹許跡馬鞍置而射駒山撃越來者紅葉散筒
いもかりとむまに 妹かもとへとて馬にて伊駒山をこえくれは紅葉散つゝ面白き心也馬に鞍置ていこまの餘情有
2202 もみちする時になるらしつきひとのかつらのえたのいろつく見れは
黄葉為時尓成良之月人楓枝乃色付見者
もみちする時になる 月人は月を云桂といはん諷詞也桂男を月人おとこといへは也
2203 さともけに霜はをくらしたかまとの野やまつかさのいろつくみれは
里(イさと)異(ことに)霜者置良之高松野山司之色付見者
さとことに霜はをく 此歌歌林良材には里ことにと有てつかさはきはの心也と云々見安云司はつゝき也愚案高松の野山つゝきの色つくをみて里もさそ霜をきけんと也霜に紅葉すれは其ゆへに思ひやる心也
2204 あきかせのひにけにふけはつゆをもみはきのしたはゝいろつきにけり
秋風之日異吹者露重芽子之下葉者色付來
あきかせのひにけに 日にけに 毎日也
2205 あきはきのしたはもみちぬあらたまのつきのへゆけはかせをいたみかも
秋芽子乃下葉赤荒玉乃月之歴去者風(イかせの)疾(はやき)鴨
あきはきの下葉 類聚にはかせのはやきかもと和シ新点はかせをいたみかもと有心は同等にや荒玉月前ニ注
2206 まそかゝみ見なふちやまはけふもかもしらつゆをきてもみち散らん
真十鏡見名淵山者今日鴨白露置而黄葉将散
まそかゝ見みなふち山 まそ鏡ますかゝみと同見といはん諷詞なりみなふち山八雲抄大和なんふちともと云々
2207 わかやとのあさちいろつくふなはりのなつみのうへにしくれふるらし
吾屋戸之淺茅色付吉魚張之夏身之上尓四具礼零疑
わかやとの淺茅色 ふなはりの夏身名寄云大和心明也
2208 かりかねのさむくなくより水くきのをかのくす葉はいろつきにけり
雁鳴之寒鳴從水茎之岡乃葛葉者色付尓來
かりかねのさむくな 心明也
2209 あきはきのしたはのもみち花につきときすきゆかはのちこひんかも
秋芽子之下葉乃黄葉於花繼(つくイ)時過去(イゆけ)者後将戀鴨
あきはきの下葉の 此哥類聚には如此和ス新点は花につく時過ゆけは云々後とある詞に古点面白歟萩の花過て下葉の色面白きか是も時過ゆかは後には戀しからんかもと也
2210 あすか川もみちはなかるかつらきのやまのこのはゝいましちるらし
明日香河黄葉流葛木山之木葉者今之落疑
あすかゝは紅葉ゝ流る 此河より彼山を思やる心也飛鳥河の葛木につゝきたると云には非す
2211 いもかひもとくとむすひてたつた山いまこそもみちはしめたりけれ
妹之紐解登結而(奥むすふと)立田山今許曽黄葉始而有家礼
いもかひもとくとむすひて 仙抄云妹かひもとは袴の越也はかまのこしは立て結《ユヘ》は立といふ文字をとらんとてとくと結ひて立田山と讀るなり此哥奥儀抄にはとくとむすふと立田山と書て釋にもはかまの越はゆふとても立とくとてもたてはとくとむすふとゝつゝくる也と釋《シヤク》せり然とも此集の書やうのことくならはとくとむすひてとよまれたり紐のとけたれはむすふとてたつと聞えたり是迄仙抄愚案清輔は萬葉集を返て見し人とあれは結而とあるをむすふとゝよむやうの失は有へからす彼家本とくとむすふとゝ有しにや此哥後撰集に入にもとくとむすふとと有清輔の説有v故か
2212 かりかねのさはきにしよりかすかなるみかさのやまはいろつきにけり
雁鳴之喧之從春日有三笠山者色付丹家里
かりかねのさはきにし さはきは鳴來し心也
2213 このころのあかつき露にわかやとのあきのはきはらいろつきにけり
比者之五更露尓吾屋戸乃秋之芽子原色付尓家里
このころの暁露に 前に出しに下句異也
2214 ゆふされはかりのこえゆくたつたやましくれにきほひいろ付にけり
夕去者雁之越徃龍田山四具礼尓競(イいそひ)色付尓家里
ゆふされはかりのこえ 心は明也
2215 さよふけてしくれなふりそ秋萩のもとはのもみちちらまくおしも
左夜深而四具礼勿零秋芽子之本葉之黄葉落卷惜裳
さよふけてしくれな もと葉もとつ葉と同下葉也もとつ葉聞よしもと葉今はよむましきかとそ
2216 ふるさとのはつもみちはをたおりもてけふそわかくるみぬひとのため
故郷之始黄葉乎手折以今日曽吾來不見人之為
ふるさとのはつ紅葉は 初紅葉のさま面白しとそ
2217 きみかいへのもみちは早く散にけりしくれのあめにぬれにけらしも
君之家乃黄葉早落四具礼乃雨尓所沾良之母
きみかいへのもみちは 時雨には落葉すれは也
2218 ひとゝせにふたゝひゆかぬあきやまをこゝろにあかすすこしつるかも
一年二遍不行秋山乎情尓不飽過之鶴鴨
ひとゝせにふたゝひ 黄葉の比ならてはゆかぬ心をかくよめり只に年に一度はかりゆくとにはあらす適の紅葉見にたひ/\もゆくへきをさもえゆかぬ心なるへし
詠ル2水田ヲ1歌三首 作者未v詳
2219 あしひきのやまたつくるこひてすともしめたにはへよもるとしるかね
足曳之山田佃子不秀友縄(古なは)谷延与守登知金
あしひきの山田作る子 苗ニシテ不v秀のひさる心也仙曰ひてすともとはよからすともといふなりよくもなくともしめたにはへよまもるとしらんとよめる也愚案題の水田はたゝ田の事也しるかねは知かに也知んの心也
2220 さをしかのつまよふやまのをかへなるわさ田はからししもはふるとも
左小牡鹿之妻喚(イとふ)山之岳邊在早田者不苅(イからす)霜者雖零(をくとも)
さをしかのつまよふ 此哥新古今にはつまとふと霜はをくともと有て人麻呂の哥なるを定家卿詠歌大概にも其まゝにて入給へり玄旨抄云岡邊の田面に鹿のなくを聞て霜をくまてもからじといへる也誠に色付たる稲葉に鹿のねを聞そへんさま面白も哀にも侍へき也早田は夏の末よりかる物也霜は秋の末の事也早田を見て霜はをくともとあらましの儀也吟味たゝならす殊勝の哥とそ
2221 わかかとにもる田を見れはさほの内のあきはきすゝきおもほゆるかも
我門尓禁田乎見者沙穂内之秋芽子為酢寸所念鴨
わかかとにもる田を さほの内は大和佐保の境内也奈良春日等をも其内なるへし彼佐保の内の萩薄の思出られて門田の面白きとの心なるへし
詠v河歌一首 作者未v詳
2222 ゆふさらすかはつなくなりみわかはのきよき瀬のをとをきくはしよしも
暮不去河蝦鳴成三和河之清瀬音乎聞師吉毛
ゆふさらすかはつなく也 夕さらすは毎v夕也
詠v月歌七首 作者未v詳
2223 あめのうみ月の船うけかつらかちかけてこく見ゆつきひとおとこ
天海月船浮桂※[木+堯]懸而榜所見月人壮子
あめのうみ月の舟 此集七詠天歌に少異也かつらかち月中に桂の木有其餘情にていへり桂ノ櫂《サヲ》兮蘭ノ※[将/木]《カチ》楚辞の俤あり
2224 このよらはさよふけぬらし鳫かねのきこゆるそらに月たちわたる
此夜等者沙夜深去良之雁鳴乃所聞空從月立度
このよらはさよふけ 此集九さよなかと夜はふけぬらしとあるに義同立渡るの立助字也
2225 わかせこかかさしのはきにをく露をさやかにみよと月はてるらし
吾背子之挿頭之芽子尓置露乎清見世跡月者照良思
わかせこかかさしの 萩はもてはやすへき物なれはせこかかさしと云也
2226 こゝろなきあきの月夜の物思ふといのねられぬにてりつゝもとな
無心秋月夜之物念跡寐不所宿照乍本名
こゝろなきあきの月夜 物思ふとていねられぬに心なき月のてりてよしなきと也賞スルv月餘也
2227 おもはすにしくれの雨はふりたれとあまくもはれてつきよきよきを
不念尓四具礼乃雨者零有跡天雲霽而月夜清(イさやけみ)焉
おもはすにしくれの雨は 思はすには思ひの外に也
2228 はきのはなさくのをふたりをみよとかもつきよのきよきこひますらくに
芽子之(イか)花開乃乎再入(イふたしほ)緒見代跡可聞月夜之清戀益良國
はきの(イか)はなさくのを ふたりをのをは助字也萩咲月清きを二人見まほしきと思ふよりよめる哥なるへし我独見て戀ますに二人見よかほに照月哉と也イふたしを見よとは萩の面白きに月を添て二しほと也
2229 しらつゆをたまになしたるなか月のありあけの月夜見れとあかぬかも
白露乎玉作有九月在明之月夜雖見不飽可聞
しら露を玉になし 露に光を添しを玉に作たると云歟只月に露の面白きをいふなるへし
詠v風歌三首 作者未v詳
2230 こひつゝもいなはかきわけいへゐせはともしくもあらしあきのゆふかせ
戀乍裳稲葉掻別家居者乏不有秋之暮風
こひつゝもいなは 稲葉の中に家居しすまはいとゝ戀を催すへき秋の夕風吹そふへしとの心をともしくもあらしと云也
2231 はきのはなさきたるのへにひくらしのなくなるともにあきかせのふく
芽子花咲有野邊日晩之鳴奈流共(イなへに)秋風吹
はきのはな咲たる 萩咲蜩鳴秋景と共に秋風吹て猶秋情たゝならぬ心なるへし
2232 あき山のこのはもいまたもみちねはけさふくかせはしもゝをきぬへく
秋山之木葉文未赤者今旦吹風者霜毛置應久
あき山の木のはも 秋も紅葉の比ならて淺きに今朝の風霜もをくへく肌寒きと也餘情ある哥なるへし
詠v芳《ハウヲ・カウハシ》歌一首 作者未v詳
2233 たかまとのこのみねもせにかさたちてみちさかりなる秋のかのよさ
高松之此峯迫尓笠立而盈盛有秋香乃吉者
たかまとの此峯もせ 峯もせはみねのおもてなとの心也野もせ庭もせみ同しかさ立てとは見安云すはのみさ山にたつまといふ花あり紫にて如v笠匂ふ事甚し若是にやと云々
詠v雨歌四首 柿本朝臣人麻呂
2234 ひとひにはちへにしき/\わかこふるいもかあたりにしくれふれ見ん
一日千重敷布(イしく/\)我戀妹當為暮零礼見
ひとひにはちへにしき/\ しき/\はしきる也千重にしき/\は戀しさのかさなりしきる也
作者未v詳
2235 あきたかるたひのいほりに時雨ふりわかそてぬれぬほすひとなしに
秋田苅客乃廬入尓四具礼零我袖沾干人無二
あきたかるたひの 田をかる田家に旅宿して時雨の物さひしさ旅懷取重し泪をよめり
2236 たまたすきかけぬときなしわかこひはしくれしふらはぬれつゝもゆかん
玉手次不懸時無吾戀此具礼志零者沾乍毛将行
たまたすきかけぬ時なし 玉たすきは懸ぬの諷詞計也其人を懸てこひぬ時なけれはとかく行て逢みん時雨ふらはぬれつゝもゆかんと也
2237 もみちはをおとすしくれのふるなへによさへそさむきひとりしぬれは
黄葉乎令落(イちらす)四具礼能零苗尓夜副衣(イふすまも)寒(イさむし)一之 宿者
もみちはをおとす 類聚にはおとすしくれと和す古点也仙点ちらす云々ひとりしのし助字也夜副衣イふすまもと和ス
詠v霜歌一首 作者未v詳
2238 あまとふやかりのつはさのおほひはのいつこもりてか霜のふりけん
天飛也雁之翅乃覆羽之何處漏香霜之零異牟
あまとふやかりの おほひ羽とは鳥の腰にある毛也【一説鳫の翅廣けし也】
秋相聞
五首 柿本朝臣人麻呂
2239 あきやまのしたひかしたになく鳥のこゑたにきかはなにかなけかん
金山舌日下鳴鳥音聞何嘆
あきやまのしたひか 見安云したひ山に埋みし樋也愚案上句は声たにきかはの序也戀哥也
2240 たそかれとわれをなとひそなか月のつゆにぬれつゝきみまつわれを
誰(イたれ)彼我莫問九月露沾乍君待吾
たそかれとわれをな 祇曰たそかれ時といふにはかはれり誰そかれはと我をなとひそといふ心也
2241 あきのよのきりたちわたるあさなさなゆめのこと見るいもかすかたを
秋夜霧發渡夙夙夢見妹形矣
あきのよの霧立 心あきらか也
2242 あきののゝおはなかすゑのおひなひきこゝろはいもによりにけるかも
秋野尾花末生靡(イなひく)心妹依鴨
あきののゝおはなか 上句序哥也妹に心はなひきよりしと也類聚にはおひなひき新点は靡く也
2243 秋やまに霜ふりおほひこのはちるとしはゆくともわれわすれめや
秋山霜零覆木葉落歳雖行我忘八
秋やまに霜ふりおほひ 秋山の零落するをみてかく光陰ゆき過るとも君をわすれんやと云也
寄スル2水田ニ1歌八首 作者未v詳
2244 すみの江のきしを田にはりまきしいねのしかもかるまてあはぬきみかも
住吉(イよし)之岸乎田尓墾(イほり)蒔稲乃而及苅不相公鴨
すみの(よしイ)江のきしを田に 久しく不v逢心也拾遺には岸を田にほりと有又かりほすまてにと有て人丸の哥也見安云田にはりは田に作るを云也
2245 たちのしり玉まく田ゐにいつまてかいもをあひみすいへこひをらん
剱後玉纒田井尓及何時可妹乎不相見家戀将居
たちのしり玉まく 剱の鞘《サヤ》尻に金銀を卷故玉まく田井の枕詞に剱の尻と云也玉まく田井名所なるへし国未考
2246 あきのたのほのうへにをけるしらつゆのけぬへくわれはおもほゆるかも
秋田之穂上置白露之可消吾者所念鴨
あきのたの穂の上に 序哥也戀の心也
2247 秋の田のほむけのよするかたよりにわれはものおもふつれなき物を
秋田之穂向之所依片縁吾者物念都禮無物乎
秋の田のほむけのよする 穂のなひきよりかたよるを諷詞に置て也かたよりにとは一偏に也うき人に偏に物を思ふ哉つれなき物を思ふ哉とかさねていへる心也一説|片寄《カタヨリ》に我は物思ふよ人は難面きものをとの心也云々
2248 あきの田をかりいほつくりいほりしてあるらんきみをみんよしもかな
秋田叫借廬作五目入為而有藍君叫将見依毛欲得(イかも)
あきの田をかりいほ 田家の人を思ふ心にや
2249 たつかねのきこゆるたゐにいほりしてわれたひなりといもにつけこそ
鶴鳴之所聞田井尓五百入為而吾客有跡於妹告社
たつかねのきこゆる 是は旅なる男の哥也
2250 はるかすみたなひくたゐにいほりしてあき田かるまておもはしむらく
春霞多奈引田居尓廬付而秋田苅左右令思良久
はるかすみたなひく 久しく物を思はしむると也令思らくのらくはルノ字也
2251 たちはなをもりへのいへのかとたわせかるときすきぬこじとすらしも
橘乎守部乃五十戸之門田早稲苅時過去不來跡為等霜
たちはなをもりへの 見安云橘のみなるを守る也愚案守部は物を守者を云也上句は門田早稲かる時過ぬといふ計也心は待人の來ぬを歎く心也
寄ルv露歌八首 作者未v詳
2252 あきはきのさきちるのへの夕露にぬれつゝきませよはふけぬとも
秋芽子之開散野邊之暮露尓沾乍來益夜者深去鞆
あきはきの咲ちる 古今萩か花ちるらん小野の露霜にぬれてをゆかんと讀る本哥なるへし
2253 いろつきあふ秋のつゆしもなふりそね妹かたもとをまかぬこよひは
色付相秋之露霜莫零妹之手本乎不纒今夜者
いろつきあふ秋の 妹か袂をまかぬとは妹か袖を枕にせす独ぬる心也独ぬる夜は只にも傍寒き物を秋の露霜降そと也
2254 あきはきのうへにをきたる白露のけかもしなまし戀にあらすは
秋芽子之上尓置有白露之消鴨死猿戀尓不有者
あきはきのうへに置 序哥也戀にあられすは消かもせんと也この哥此集第八にあり
2255 わかやとのあきはきの上にをく露のいちしろくしもわかこひめやも
吾屋前秋芽子上置露市白霜吾戀目八方
わかやとのあき萩の 置露のまてはいちしろくといはん序也※[手偏+易]焉にあらはには戀ましき下にのみおもはんとなるへし
2256 あきのほをしのにをしなみ置露のけかもしなましこひつゝあらすは
秋穂乎之努尓押靡置露消鴨死益戀乍不有者
あきのほをしのに 常に押なひかし也秋萩の上に置たるといふ哥に詞少かはれる計也
2257 つゆしもにころもてぬれていまたにもいもかりゆかなよはふけぬとも
露霜尓衣袖所沾而今谷毛妹許行名夜者雖深
つゆしもに衣手 妹かりゆかなん也
2258 秋はきの枝もとをゝにをく露のけかもしなましこひつゝあらすは
秋芽子之枝毛十尾尓置霧之消毳死猿 乍不有者
秋はきの枝も とをゝはたは/\と同此哥も彼秋萩の上に置たるといふに詞少かはれる計なり
2259 あきはきのうへにしらつゆをくことに見つゝそしのふきみかすかたを
秋芽子之上尓白露毎置見管曽思怒布君之光儀乎
あきはきのうへに 萩の露の艶にあへかなるを見るに付て君か姿を思ふと也此八首寄v露戀哥也此以下寄風等准之
寄ルv風ニ歌二首 作者未v詳
2260 わきもこはころもにあらなん秋かせのさむきこのころしたにきましを
吾妹子者衣(イきぬ)丹有南秋風之寒比來下著益乎
わきもこはころもに 秋の夜寒に一人妹を思ふ心より讀る也
2261 はつせかせかくふくよはゝいつまてかころもかたしきわれひとりねん
泊瀬風如是吹三更者及何時衣片敷吾一将宿
はつせかせかくふく ならの都なとにて初瀬の方より吹を初瀬風と云哥は戀の心也
寄スルv雨ニ歌二首 作者未v詳
2262 あきはきをちらすなかめのふるころはひとりおきゐてこふる夜そおほき
秋芽子乎令落長雨之零比者一起居而戀夜曽大寸
あきはきをちらす なかめは長雨と書哥心明也
2263 なかつきのしくれのあめの 一云かみなつきしくれのあめふり やまきりにけむきわかむね誰を見はやまん
九月四具礼乃雨之 十月四具礼乃雨降 山霧烟寸吾胸誰乎見者将息
なかつきのしくれの 山きりにといふまてはけむきをいはん諷詞也けむきは思ひの煙のけふたき心也君をみるにあらすはやましとの心也一云は詞替る計にて義は同
寄2蟋《キリ/\スニ》1歌一首 作者未v詳
2264 きり/\すまちよろこへるあきのよをぬるしるしなしまくらとわれは
蟋蟀之待歡秋夜乎寐驗無枕與吾者
きり/\すまちよろこへる 蟋蟀は秋を待付てなけは待悦ると云にや然共我は君を待付すして枕とぬれはぬるしるしもなしと也きり/\すの悦に對して我歎をよめり此哥蟋蟀之とある之の字諸本こよめ(の字?)されときり/\の秋を待悦ふ心とは聞え侍歟
寄v蝦《カハツニ》歌一首 作者未v詳
2265 あさかすみかひやかしたになくかはつこゑたにきかはわかこひんやも
朝霞鹿火屋之下尓鳴蝦聲谷聞者吾将戀(イこひめ)八方
あさかすみかひやか 此哥此集十六にも上句は同して下句忍ひつゝありと告んこもかもと有又此集十一にも足引の山田もるおのをくかひの下こかれつゝわか戀をらくと云哥有歌林良材云敦隆か類聚古集に萬葉の朝霞の哥二首ともに夏部蚊火の篇に入侍り又六百番歌合俊成卿判詞云山田の菴は田を守人の住屋を離居して山中に居し間蛙の声を聞て別居の慰めにせる仍相聞の哥也又かひ屋といふは彼菴の下に火をくゆらかし煙をおほからしめて或令v拂2衆蚊ヲ1亦令v去2雄鹿ヲ1也然ハ於2蚊鹿1者|縦《タトヒ》有トモ2兩義1至テ2于煙炎ナルニ1者ハ可v為2一决1朝霞といへるは夜煙の澗隙にそひける朝霞の山腰に廻るに不ルv異《コトナラ》によりて彼哥に尤も相叶歟故來風躰にも此事委注し侍り又顕昭法師は蚕《カイコ》をかふ屋といふ説を用ひたり俊成定家卿はこれを用ひ侍らす是迄哥林良材又奥儀抄にはかひ屋とはいなかに魚とるとてすること也と有八雲御抄にも此義有仙覺抄にも此義を用ひ侍り然とも哥道におゐては俊成卿定家卿等の外を用へきにあらす祇註曰此かひ屋か下の事六百番に見えたり此注(仙覺か)にも多く書侍れと正儀とはみえす私云俊成の儀を仰《アフキ》て鹿火屋か下と可心得ならん哥の心は上十七字は序にて聲たにきかはより戀になれり是迄祇注古來風体畧曰此哥の事田を作ル者夏田を植て後秋迄廬を作りて鹿猪を追に夜は蚊遣のために煙を絶しめす山田の邊なれは蛙猪をさけ人けに付て其下に來てなくへし霞はいつも立に彼煙も山きはに霞むへしかく山中に里を離て廬に居る者宿を戀らん由によそへたる也
寄スルv雁ニ歌一首 作者未v詳
2266 いてゝいなはあまとふかりのなきぬへみけふ/\といふにとしそへにける
出去者天飛雁之可泣美且今日且今日云二年曽經去家類
いてゝいなはあまとふ 天とふ鳫は鳴ぬへみといはん諷詞也哥の心は別をおしむ人の我出ていなは鳴ぬへきはかりけふ/\といひとゝむるに年をへたると也
寄v鹿歌二首 作者未v詳
2267 さをしかのあさふすをのゝ草わかみかくろへひかねて人にしらるな
左小牡鹿之朝伏小野之草若美隠不得而於人所知名
さをしかの朝ふす 若草深からて鹿の隠れかたき心を序哥也祇曰忍ひかねて人に知《シラ》るなとよめり
2268 さをしかのをのゝくさふしいちしろくわかとはさるに人の知らく
左小牡鹿之小野草伏灼然吾不問尓人乃知良久
さをしかのをのゝ草ふし 鹿の野への草にふしたるはいちしるき跡ありそれを序に讀て我は忍てとはされと人はいちしるく知たると也
寄v鶴歌一首 作者未v詳
2269 このよらのあかつきくたちなくたつのおもひはすきす戀こそまされ
今夜乃暁降鳴鶴之念不過戀許増益也
このよらの暁くたち 序哥也鶴の思ひといひかけたる也あかつきくたちは明方に成ゆく也思ひは過すはおもひ過し忘れかたき心也追考鶴の思ふ心をよめるうた拾遺集伊勢大空にむれゐるたつのさしなから思ふ心のありけなる哉後の哥なから
寄v草ニ歌一首 作者未v詳
2270 みちのへのおはなかもとのおもひくさいまさらになにのものかおもはん
道邊之乎花我下之思草今更尓何(イなそ)物可将念
みちのへのおはなか 哥林良材云右思ひ草は思ひの草にはあらす只草を云なるへし古今集十一秋のゝのおはなにましりさく花の――右おはなにましりさく花は定家卿は龍膽《リウタン》の花の霜かれにのこれるを云といへり祇云枯たる比の薄のもとにりんたうの開たるを紫のゆかりなつかしき色を思ひいへる心也といへる定家の儀尤可v為2正説1此哥の心若道のへの尾花かもとの思ひ草一すちに心をかよはしたる思ひ変する事なし今更に何の物をか思ふへきといふ心にや愚案此哥序うた也もとよりの思ひなる物を今更に何のかはれる物思ひをせんと也思草の事仙覺は撫子或は茅をいふなといへり何も不用定家の御説を用へし
寄花歌二十三首 作者未v詳
寄花 秋の草花によする相聞の戀也
2271 くさふかみきり/\すいたくなく宿にはき見にきみはいつかきまさん
草深三蟋多鳴屋前芽子見公者何時來益牟
くさふかみきり/\す 心明也
2272 あきつけはみくさの花のあへぬかにおもへとしらしたゝにあはされは
秋就者水草花乃阿要奴蟹思跡不知直尓不相在者
あきつけはみくさの 仙曰秋つけはとは秋に成ぬれはなと云心也み草第一第二卷にも釋するかことく薄や尾花をよめりあへぬかにとは肯也哥心は秋は分て物の悲しき時なれは花薄の招くかことくに我思ひもほに出てまねきぬへく思へともたゝちにあはねはしらしと讀也
2273 なにすとかきみをいとはん秋はきのそのはつ花のうれしき物を
何為等加君乎将厭秋芽子乃其始花之歡寸物乎
なにすとか君を 何するとて君をいとはむ萩の初花の如く珍しく悦ふ物をと也
2274 こひまろひこひはしぬともいちしろくいろにはいてしあさかほのはな
展轉戀者死友灼然色庭不出朝容貌之花
こひまろひこひはしぬ 此五文字イ本展傳と書不用之新点可然也仙曰展轉こひまろふといふ詞也うちかへりまろふ也朝顔は咲て程なく日影に赤色にかへれは是をみて我はふしまろひ戀死ぬとも色には出しとよそへよめる也愚案展轉は詩ノ關雎に展轉反側
2275 ことにいてゝいはゝいみしみあさかほのほにはさきいてすこひをするかも
言出而云忌染(イゆゝしみ)朝貌乃穂庭開不出戀為鴨
ことに出ていはゝいみしみ 朝顔のほには咲出すとはあらはには色に見えぬ心也言に出ていはゝいみしく恥しけれはあらはには色に出す戀ると也
2276 かりかねのはつこゑきゝて咲てたるやとのあきはき見にこわかせこ
雁鳴之始音聞而開出有屋前之秋芽子見來吾世古
かりかねのはつこゑ 見にこわかせこは我せこに見に來れと云也
2277 さをしかのいるのゝすゝきはつおはないつしかいもかたまくらにせん
左小牡鹿之入野乃為酢寸初尾花何時如妹之将2手枕ニ1
さをしかのいるのゝ 入野国不勘祇曰いつしかといふ詞にいつしか人の心のかはるなといふ詞も有是はいつか也しは休め字也妻戀る鹿の入野なる花薄を枕にしていつか妹と二人ねんと云心也
2278 こふる日のけなかくあれはみそのふのからあゐのはなのいろにいてにけり
戀日之氣長有者三苑圃能辛藍花之色出尓來
こふる日のけなかく 戀る日のけなかく歎かしけれは忍ひあへすと也
2279 わかさとにいまさく花のをみなへしたへぬこゝろになをこひにけり
吾郷尓今咲花乃娘部四(イ敝之イ女郎花)不堪(イたへす)情尚戀二家里
わかさとにいまさく をみなへしを女に比してたへかたく猶戀ると也
2280 はきのはなさけるを見れは君にあはてまこともひさになりにけるかも
芽子花咲有乎見者君不相真毛久二成來鴨
はきの花さけるを 秋來て萩咲を見て不逢日数重しを歎也
2281 あさつゆにさきすさひたるつき草のひたくるともにけぬへくおもほゆ
朝露尓咲酢左乾垂鴨頭草之日斜共可消所念
あさつゆにさき 序哥也咲すさひは花の咲|極《キハマ》りし心也仙曰月草は露草也萬の花は朝日影にこそさくを此花は月影にさけは月草と云也
2282 なかき夜を君にこひつゝいけらすはさきてちりにし花にあらましを
長夜乎於君戀乍不生者開而落西花有益乎
なかき夜を君に戀つゝ 長夜を独戀つゝ死せは咲て散し草花のたくひとも思ふへきになましゐに死なてかひなしと也
2283 わきもこにあふさかやまのしのすゝきほにはさきいてすこひわたるかも
吾妹兒尓相坂山之皮為酢寸穂庭開不出戀渡鴨
わきもこにあふさか 序哥也しの薄は穂に出ぬを云也下句心明也
2284 いさなみにいまも見てしか秋はきのしなひにあらんいもかすかたを
率尓今毛欲見秋芽子之四搓二将有妹之光儀乎
いさなみにいまも いさなみは率の字也玉篇云千忽切急也すみやかにの心也秋萩のはしなひといはん諷詞也しなひはしなへたると同八雲抄云しなへたるやさしと云詞也在俊頼抄
2285 あきはきの花野のすゝきほにはいてすわかこひわたるこもりつまはも
秋芽子之花野乃為酢寸穂庭不出吾戀渡隠嬬波母
あきはきの花のゝ 第一第二句はほにいてすといはん諷詞也こもりつまは人しれぬ所に隠し置婦也はも助字也
2286 わかやとにさける秋はきちり過てみになるまてに君にあはぬかも
吾屋戸尓開秋芽子散過而實成及丹於君不相鴨
わかやとにさける 久く逢ぬ事を云也
2287 わかやとのはきさきにけりちらぬまにはやきて見へしならのさと人
吾屋前之芽子開二家里不落間尓早來可見平城里人
わかやとのはき咲に梟 ならの里人とは思ひ人なとなるへし
2288 いしはしのまゝにおひたるかほはなのはなにしありけりありつゝみれは
石(いは)走間間生有貌花乃花西有來在筒見者
いしはしのまゝに生 仙曰かほ花は杜若也※[白/ハ]鳥の鳴時さけはかほ花といふ八雲抄云かほはな萬葉うつくしき花也此御抄の説可v用哥心は在へつゝみれは君はうつくしき花也と也
2289 ふちはらのふりにし里のあきはきはさきてちりにき君まちかねて
藤原故郷(イふるきみやこ)之秋芽子者開而落去寸君待不得而
ふちはらのふりにしさと 類聚にはふるきみやこのと和す八雲抄藤原の都大和云々愚案見すへき君か來ぬを歎く心也
2290 あきはきをちり過ぬへみたおりもて見れともさひしきみにしあらねは
秋芽子乎落過沼蛇手折持(イもち)雖見不怜君西不有者
あきはきを散過ぬへみ 萩は折見ても君ならねはかひなく慰めかたしと也
2291 あしたさきゆふへはかるゝつきくさのけぬへきこひもわれはするかも
朝開夕者消流鴨頭草可消戀毛吾者為鴨
あしたさきゆふへはかるゝ 序哥也
2292 あきつのゝおはなかりそへあきはきのはなをふかさねきみかかりいほ
蜒野之尾花苅副秋芽子之花乎葺核君之借廬
あきつのゝおはなかり 八雲抄云あきつ野紀伊云々ふきさねはふけといふ詞也きみかかりの廬に秋津野の尾花を秋萩の花にかりそへて軒をふけと也愛して云心也
2293 さきぬともしらすしあらはもたもあらんこのあきはきを見せつゝもとな
咲友不知師有者黙然将有此秋芽子乎令視管本名(古來あるを)
さきぬともしらすし 萩咲しともしらすはたゝもたしてもあらん物をなましゐに咲しと見せてよしなく物を思はすると也しらすしのしは助字也もとなはよしな也前ニ出もたとはたゝにある心也
寄v山ニ歌一首 作者未v詳
2294 あきされはかりとひこゆるたつたやまたちてもゐてもきみをしそおもふ
秋去者鴈飛越龍田山立而毛居而毛君乎思曽念
あきされはかりとひ 序哥也立田山といふ迄は立てもといはん諷詞也
寄2黄葉ニ1歌三首 作者未v詳
2295 わかやとのくすはひことにいろつきぬきまさぬきみはなにこゝろそも
我屋戸之田葛葉日殊(イひにけに)色付奴不來座君者何情曽毛
わかやとのくすは 類聚には日ことに色付ぬと和ス新點は日にけにと和す同義なから古点にしたかふへし葛葉色付て秋興可キv愛折節來ぬは何こゝろそやと也
2296 あしひきの山さなかつらもみつまていもにあはすやわかこひをらん
足引乃山佐奈葛黄變及妹尓不相哉吾戀将居
あしひきの山さな葛 さなかつらは五味《サネカツラ》和名山さねかつら又一種歟
2297 もみちはの過かてぬこを人つまと見つゝやあらんこひしきものを
黄葉之過不勝兒乎人妻跡見乍哉将有戀敷物乎
もみちはの過かてぬ 過かてぬこは見過しかたき女也紅葉ゝのとは見過しかたきをいはん諷詞也人の妻とよそに見てや有んと也
寄スルv月ニ歌三首 作者未v詳
2298 きみにこひしなへうらふれわかをれは秋かせふきて月かたふきぬ
於君戀之奈要浦觸吾居者秋風吹而月斜烏(イかたふくを)
きみにこひしなへうら 祇曰しなへうらふれとは人をうしと思へともしなふ心也とにかくに人になひく儀也うらふれは悩の字也なやむ心歟仙曰しなへとはなひく也うらふれはうらむる也云々袖中抄顕昭曰しなへうらふれとは歎き物思ふといふ也うらふるも同事也或はうらふるは愁ふと云詞とも申萬葉長哥に夏草の思ひ志萎《シナヘ》てなけくともとよめり夏草のことく思ひなへたる也なへたるは悩《ナヤ》む儀也愚案祇注の儀可用歟
2299 あきのよの月かもきみはくもかくれしはしも見ねはこゝらこひしき
秋夜之月疑意君者雲隠須臾不見者幾許戀敷
あきのよの月かも こゝらはおほく也
2300 なかつきのありあけのつきよ有つゝもきみしきまさはわれこひめやも
九月之在明能月夜有乍毛君之來座者吾将戀八方
なかつきのありあけ 一二の句はありつゝもといはん諷詞也ありつゝもとはあり/\てのゝちもと云心也末かけてはおはすましと思へは戀しきと逢ぬ歎き成へし
寄v夜歌三首 作者未v詳
2301 よしゑやしこひしとすれとあきかせのさむくふく夜は君をしそおもふ
忍(イをし)咲八師不戀登為跡金風之寒吹夜者君乎之曽念
よしゑやし戀じと よし/\も早戀まじきとすれとゝいふ也イをしえやしをとよと同音也
2302 わひ人のあなこゝろなとおもふらんあきのなかよをねさめしてのみ
惑者之痛情無跡将念秋之長夜乎寐師耳
わひ人のあな心なと 貧賤の侘人は昼の家業に倦《ウミ》て夜はよく寝《ヌル》也戀にね覺て明すを此長夜を心なしと思んと也
2303 秋のよをなかしといへとつもりにしこひをつくせはみしかかりけり
秋夜乎長跡雖言積西戀盡者短有家里
秋のよをなかしと 積し戀の数々をいひつくさんとすれは秋の夜もたらすと也
寄v衣歌一首 作者未v詳
2304 あきつはににほへるころもわれはきしきみにまたせはよるもきるかね
秋都葉尓尓寶敝流衣吾者不服於君奉(イまたさイまつら)者夜毛著金
あきつはに匂へる 仙曰秋津とは蜻蛉《トンハウ》也あきつといふをあつまにはえばと云也えは赤き也|赤羽《エハ》といへる也されはあきつはに匂へるといへるはあけの衣也愚案順和名云|赤卒《アカエンハ》一名|絳※[馬+留]《カウリウ》蜻蛉《トンハウ》之小而赤也またせはイまたさはイまつらは皆同奉らは也あきつはににほへるうつくしき衣を我は着すして君にまいらせはよるもきる事あらんさあらは夜逢もやせんとなるへし一説あきつはもみちの事云々如何
問答ノ歌四首 作者未v詳
2305 たひにすらひもとくものを事しけみまろねわかするなかきこのよを
旅尚襟解物乎事繁三丸宿吾為長此夜
たひにすらひもとく 旅ねはとけかたけれとそれも紐とく事あるを我中は口舌茂くて長き夜を独ぬると也
2306 しくれふるあかつきつきよひもとかすこひしき君とをらましものを
四具礼零暁月夜(イつくよ)紐不解戀君跡居益物
しくれふるあかつき 戀しき君と二人あるへき物をくせち有て時雨の暁月夜にもひもとかすねると也此二首問のうたなるへし
2307 もみちはにをくしら露のいろはにもいてしとおもへはことのしけゝく
於黄葉置白露之色葉二毛不出跡念者事之繁家口
もみちはにをく 色葉にもの葉は助字にやしけゝくのけ助字也此哥一二句は色に出しといはん諷詞也色にも人にしられしと思へは事茂くて忍ひかたしと也事しけみまろねわれする永き此夜をといへるに答るなり
2308 あめふれはたきつ山かはいしにふれきみかくたかんこゝろはもたし
雨零者瀧都山川於石觸君之摧情者不持
此一首不v類せ2秋ノ歌ニ1而レトモ以v和スルヲ載スv之ニ也
あめふれはたきつ山河 上句はくたかんといはん諷詞也たきつはおちたぎる心也哥心は君かくたかん心はもち給はし我こそあはで心をくたけと也時雨ふるあかつきつきよとよめるうたの答へなるへし
此一首不類秋歌 此哥時雨ふる答に雨ふれはと計讀て秋の詞なけれと和の哥なれは一所に載との注なるへし
譬喩《タトヘ》歌一首 作者未v詳
2309 はふりらかいはふやしろのもみちはもしめなはこえてちるてふものを
祝部等之齊經社之黄葉毛標縄越而落云物乎
はふりらかいはふ社の 仙曰神主の祝ひ清る神の社のしめのうちなる紅葉も色に出ぬるのちはしめなはこえて散ゆくかことく我も色に出ぬれは人のいさむるもしらす思ふあたりへいなんと思ふにたとふる也
旋頭歌二首 作者未v詳
2310 きり/\すわかゆかのへに鳴つゝもとなおきゐつゝきみに戀るにいのねられぬに
蟋蟀之吾床隔尓鳴乍本名起居管君尓戀尓宿不勝尓
り/\すわかゆかのへ 君戀て只にもねられぬきり/\すの我床のほとりによしなく鳴ていとゝねさせぬと也詩七月篇前ニ注
2311 しのすゝきほにはさき出ぬ戀をわかするかけろふのたゝ一目のみ見しひとゆへに
皮為酢寸穂庭開不出戀乎吾為玉蜻直一目耳視之人故尓
しのすゝきほにはさき 皮《シノ》薄はほに出ぬの諷詞也かけろふは陽炎也春天に幽なれは一目見しの枕詞也一めみし人故心の中に戀ると也
冬雜歌
冬雜歌 春雜哥等に同心冬のくさ/\の哥あり
四首 柿本朝臣人麻呂
2312 わかそてにあられたはしりまきかくしけすともあれやいもか見んため
我袖尓雹手走(イたはしる)卷隠不消(イけすかも)有妹為見
わかそてにあられ あられを袖に卷隠して消さすともあれと也|手走《タハシル》は飛走《トヒハシル》心也
2313 あしひきのやまかもたかきまきもくのきしのこまつにみゆきふりけり
足曳之山鴨高卷向(イむくの)木志乃子松二三雪落來
あしひきの山かも まきもく八雲抄大和云々卷向の岸の小松に雪高く降て山の高きとみゆると也
2314 まきもくのひはらもいまた雲ゐねはこまつかすゑにあはゆきそふる
卷向之檜原毛未雲居者子松之末由沫雪流
まきもくのひはらも 祇注云此哥新古今にはくもらねはこまつかはらにと有て春の部に入如何若曇らねははかすまねはといふ心にや東野州新古今注云此哥に春の詞なしいまたくもらぬにといふを霞の心によめる也餘寒の躰也云々愚案新古今にくもらねはと直して春部に入らるゝは霞の心にて侍へし此集には正しく冬部に入て雲居ねはとは寒風はけしき心とそ
2315 あしひきのやまちもしらすしらかしのえたもとをゝに 或云えたもたは/\ 雪のふれゝは
足引山道不知白杜材枝母等乎乎尓 枝毛多和多和 雪落者
あしひきの山路も 山路もしらすは山路も見えわかぬ雪の様也此哥拾遺集には枝にも葉にも雪のふれれはと有て人丸の哥也然に清少納言枕草子にしらかしの事をいふにそさのおのみことの出雲の国におはしける御供にて人丸かよみたる哥なとを見るいみしうあはれなりといへり是につきてかの草子第一の口訣也執学のために筆を春曙抄にものこし侍し
詠v雪ヲ歌九首 作者未詳
2316 ならやまのみね猶きりあふうへしこそまかきのもとのゆきはけすけれ
奈良山乃峯尚霧合宇倍志社前垣之下(イした)乃雪者不消家礼
ならやまのみねなを 奈良山の峯は猶棚霧あひて雪ふるなれは尤籬下の雪は消さりけれと也類聚には籬のもとゝ和ス新点にはしたとあり
2317 ことふらはそてさへぬれてとをるへくふるらんゆきのそらにけにつゝ
殊落者袖副沾而可通将落(イふらんを)雪之空尓消二管
ことふらは袖さへ 仙曰|殊《コト》ふらはとはこと/\くふらは也愚案|悉《コト/\ク》にふらは袖もぬれとをるへくふるらん也雪のやかて空に消つゝ晴しと也類聚にはふるらんと有仙点はふらんをと点ス
2318 夜をさむみあさとをあけて出見れはにはもはたらにみゆきふりたり 一云庭もほとろにゆきそふりてある
夜乎寒三朝戸乎開出見者庭毛薄太良尓三雪落有 庭裳保杼呂尓雪曽零而有(イたる)
夜をさむみあさとを 仙曰はたらはまたら也はとまと同韵也一云ほとろはたらと同三字なから同音也
2319 ゆふされはころもてさむしたかまとのやまの木ことにゆきそふりたる
暮去者衣袖寒之高松之山木毎雪曽零有
ゆふされはころもて 義明也
2320 わかそてにふりつるゆきもなかれきていもかたもとにいゆきふれぬか
吾袖尓零鶴雪毛流去而妹之手本伊行觸粳
わかそてにふりつる なかれきては降流れゆきて也いゆきいは助字
2321 あはゆきはけふはなふりそしろたへのそてまきほさむひともあらなくに
沫雪者今日者莫零白妙之袖纒将干人毛不有悪
あはゆきはけふは 女に離し折なとの哥にや
2322 はなはたもふらぬ雪ゆへこちたくもあまのみそらはくもりあひつゝ
甚多毛不零雪故言多毛天三空者隠相管
はなはたもふらぬ雪 こちたくは事々しき也あまのみそら只空也
2323 わかせこをけふか/\といて見れはあはゆきふれり庭もほとろに
吾背子乎且今且今(イけさか/\)出見者沫雪零有庭毛保杼呂尓
わかせこをけふか/\と 新点如此類聚にはけさか/\と和スほとろ班也
2324 あしひきのやまに白きは我宿にきのふのくれにふりし雪かも
足引山尓白者我屋戸尓昨日暮零之雪疑意
あしひきのやまに白き 義明也
詠v花歌五首 作者未v詳
2325 たかそののうめの花そもひさかたのきよきつきよにここらちりくる
誰苑之梅花毛久堅之清月夜尓幾許散來
たかそののうめの花 花そもは花そや也八雲抄こゝらおほく也
2326 うめのはなまつさくえたをたおりてはつとゝなつけてよそへてんかも
梅花先開枝手折而者※[果/衣]常名付而與副手六香聞
うめのはなまつさく つとは家つと也つとゝ名付てきみによそへて此早梅に慰んと也
2327 たかそのゝうめにかありけんこゝたくもさけるかも見てわかおもふまてに
誰苑之梅尓可有家武幾許毛開有可毛見我欲左右手二
たかそのゝうめにか 八雲抄云こゝたくいくはくと云心也多き心歟愚案おほくも咲る哉見てわかほしく思ふ迄にといふ心なるへし
2328 きて見へき人もあらなくにわきへなるうめのはつはなちりぬともよし
來可視人毛不有二吾家有梅早花落十方吉
きて見へき人もあら わきへわかいへ也
2329 ゆきさむみさきにはさかてうめの花よしこのころはさてもあるかね
雪寒三咲者不開梅花縦比來者然而毛有金
ゆきさむみさきには さてもあるかねは其まゝにてもありね也雪寒き此比はさかて其まゝにもあれよし/\と也咲にはさかては重詞也さかて也
詠v露歌一首 作者未v詳
2330 いもかためほすゑのうめをたおるとはしつえのつゆにぬれにけるかも
為妹末枝梅乎手折登波下枝之露尓沾尓家類可聞
いもかためほすゑの 仙曰ほすゑはこすゑ也しつえは下枝也愚案たおるとはのは助字歟
詠2黄葉1歌一首 作者未v詳
2331 やたのゝのあさちいろつくあらちやまみねのあはゆきさむくふるらし
八田乃野之淺茅色付有乳山峯之沫雪寒零良之
やたのゝのあさち 祇曰矢田野有乳山越前の名所也高山にて秋より雪のふる所也されは矢田野の淺茅は色付に有乳山には淡雪の降と也哥のさまからひたり【新古人丸】
詠v月一首 作者未v詳
2332 さよふけはいてこんつきをたかやまのみねのしらくもかくしてんかも
左夜深者出來牟月乎高山之峯白雲将隠鴨
さよふけは出こん月 月をしたふ心ある哥也
冬相聞
二首 柿本朝臣人麻呂
2333 ふるゆきのそらにけぬへくこふれともあふよしをなみつきそへにける
零雪(古來風―は)虚空可消雖戀相依(古來風―よし)無(古なくて)月經(古ぬ)在
ふるゆきのそらにけぬへく 消ぬへく戀るといはんとて降雪の空にと迄はよめる也可v死戀る心也
2334 あはゆきのちさとふりしき戀しくはけなかくわれや見つゝしのはん
沫雪千里零敷戀為來食永我見偲
あはゆきのちさとふり 雪の廣遠に降を見て哀思ふ人と見はやなと見渡してかく戀しくは嘆息なから此雪を見つゝ堪忍はんかと云心也
寄v露ニ歌一首 作者未v詳
2335 さき出たるうめのしつえにをく露のけぬへくいもにこふるこのころ
咲出照梅之下枝置露之可消於妹戀頃者
さきいてたる梅のしつえ 上句はけぬへくといふへき諷詞也
寄v霜ニ歌一首 作者未v詳
2336 はなはたもよふけてゆくなみちのへのゆさゝのうへにしものふるよを
甚(イいたくし)毛夜深勿行道邊之湯小竹之於尓霜降夜焉
はなはたも夜更て 見安云ゆさゝはいひ笹也愚案霜寒き夜をいたく深ては行なと也
寄v雪ニ歌十二首 作者未v詳
2337 さゝのはにはたれふりおほひけなはかもわすれんといへはましておもほゆ
小竹葉尓薄太礼零覆消名羽鴨将忘云者益所念
さゝのはにはたれふり はたれ歌林良材云雪といはねとも残雪の事に聞ゆ云々第一第二句はけなはといはん諷詞也死なは若忘れんかさらすは忘じといへは我はまして思ふと也
2338 あられふりいたま風ふきさむきよやはた野にこよひわかひとりねん
霰(イみそれ)落板敢風吹寒夜也旗野尓今夜吾獨寐牟
あられふり板間風 板間風は板間より吹風也旗野所未勘
2339 ふなはりの野木にふりおほふ白雪のいちしろくしもこひんわれれかも
吉名張乃野木尓零覆白雪乃市白霜将戀吾鴨
ふなはりの野木に 吉名張野大和也此野のある木也上句は序也あらはにいかて戀へき忍ひてこそは思はめと也
2340 ひとめ見し人にこふらくあまきらしふりくるゆきのけぬへくおもほゆ
一眼見之人尓戀良久天霧之零來雪之可消所念
ひとめ見し人にこふらく 天霧し降くる雪はけぬへくの諷詞也一目見し人に戀てきゆへくおもふと也
2341 おもひいつるときはすへなみとよくにのゆふやまゆきのけぬへくおもほゆ
思出時者為便無豊國之木綿山雪之可消所念
おもひいつるときは とよくにのゆふ山は豊前国木綿山の雪也
2342 夢のこときみをあひ見てあまきらしふりくるゆきのけぬへくおもほゆ
如夢君乎相見而天霧之落來雪之可消所念
夢のごときみをあひ 右三首可消思ふ心同
2343 わかせこかことうつくしみいてゆけはもひきもしらんゆきなふりこそ
吾背子之言愛(イなつかしみ)出去者裳引将知雪勿零
わかせこかことうつくしみ ことうつくしみは事うるはしきと同行儀正しき心也もひきもしらんとは雪ふらはもすそひく跡つくからに人もしらんに雪降そと也通くるを忍ふ心にや
2344 うめのはなそれとも見えすふるゆきのいちしろけんなまつかひやらば 一云ふる雪にまつかひやらはそれしりなんな
梅花其跡毛不所見零雪之市白兼名間使遣 零雪尓間使遣者其将知名
うめの花それとも見えす 上句序也忍ふ中の使をやらは掲焉にしられんかと也間使は只使也一云も同心也
2345 あまきりあひふりくる雪のきゆれともきみにあはんとなからへわたる
天霧相零來雪之消友於君合常流經渡
あまきりあひふりくる 天霧相は空に村々降心也一二ノ句は序也思ひ消れとも猶君を逢んと思ふにかけとゝむると也
2346 うからふと見る山ゆきのいちしろくこひばいもか名ひとしらんかも
窺良布跡見山雪之灼然戀者妹名人将知可聞
うからふと見る山雪の 八雲抄うからふはうかゝふ也云々見る山をいはん諷詞也|見《ミル》山は同抄對馬云々
2347 あまをふねはつせのやまにふるゆきのけなかくこひしきみかをとそする
海小船泊瀬乃山尓落雪之消長戀師君之音曽為流
あまをふねはつせの 上句はけの字をいはん序也嘆息して戀つる君か音すると人の音信《ヲトツレ》を悦ふ也
2348 わさみ野のみねゆきすきてふるゆきのうとみもなしとまうせそのこに
和射美能(イのや)嶺徃過而零雪乃厭毛無跡白其兒尓
わさみのゝみね行過て わさみのゝ嶺美濃也この嶺行過て猶止ぬ雪は疎ましきを上句に讀て其女子はうとましからすといひつたへよと也
寄v花歌一首 作者未v詳
2349 わかやとにさきたる梅をつきよゝみよな/\見せんきみをこそまて
吾屋戸尓開有梅乎月夜好美夕夕令見君杜待也(イ祚待也《ソマツヤ》)
わかやとにさきたる梅を 社待《コソマテ》也イ祚待也《ソマツヤ》と有心明
寄v夜歌一首 作者未v詳
2350 あしひきのやましたかせはふかねともきみなきよひはかねてさむしも
足檜木乃山下風波雖不吹君無夕者豫寒毛
あしひきの山下風は かねてといふ詞迄味有山風は吹かねとも独ぬる夜は風をもまたすはやそゝろ寒く悲しき心をふくめていへるなるへし
萬葉集卷第十
貞享三年丙寅二月十二日書于新玉津嶋寶前焉墨付七十七枚季吟
2003.11.30(日) 午前11時42分 入力了
2004.6.20(日) 午後6時55分 校正終了 ?を解読、よって?はなし。2007.11.27(火)