第十一巻
 
萬葉集巻第十一
古今相聞徃来ノ歌ノ類上
    旋頭歌共十七首
柿本朝臣人麻呂
古今相聞徃来ノ歌ノ類上 徃來の歌とは思ふ方へ遣《ヤリ》し哥其返哥等也むかし今の相聞の徃來の哥ノ類上下巻ある其上といふ也
2351 にゐむろのかへくさかりにみまし給はね草のごとよりあふおとめはきみかまに/\
   新室壁草苅邇御座給根草如依逢未通女者公随
にゐむろのかへくさかりニ にゐむろは新き家也みまし給はねはおはし給へ也見安云家を始て作たるかや垣なり仙曰かへ草とは田舎の萱屋の垣にすへき草かりにと也おひなひきたる草のとる手に随ひてからるゝか如く寄合をとめはともかくも君かまゝにならんと也愚案壁草正義有口訣
2352 にゐむろのふむしづけこがてたまならしも玉のことてりたる君を内にとまをせ
   新室踏静子(イしつめこ)之手玉(イたま)鳴裳玉如所照公乎内等白世
にゐむろのふむしづけこが 古点如此|静子《シヅケコ》は女の名にや此集より後なから惟高親王の母を紀の静子《シツケイコ》といひし類なるへしふむとはかんはたをるに綜《ヘ》といふ物を足にてふみて糸をましゆるゝ事あるを云なるへし此集第十に足たまもてたまもゆらにをるはたをとよめるにて此哥のふむしつけこかてたまならしもといへるを心得へしならしものもは助字也下句は玉のことく照かゝやける君を内に入給へと申せといふ也 新点はふむしつのこした玉ならしもと和しかへて仙曰ふきかやのしとろなる所を思ひあはせんとてうへをふみしづむる儀也又曰下賤のものをしつといふもしつか也といふ事と云々畧注2大意1猶古点の義に随ふへき歟見安云手玉はたまき也愚案右二首徃來贈答也
2353 はつせのやゆつきかしたにわかかくせるつまあかねさしてれる月夜に人見てんかも   一云 ひと見つらんか
   長谷(イはつせの)弓槻下吾隠在妻赤根刺所光月夜邇人見點鴨 一云人見豆良牟可はつせのやゆつきか 此五文字諸本はつせのと四字に点す然とも定家卿「初瀬のやゆつきか下に隠ろへて人にしられぬ秋風そ吹とよみ給ふにしたかはゝ初瀬のやと讀へし弓槻見安云つきの木也愚案弓に造る故弓槻と云
2354 ますらおのおもひみたれて隠せる其妻あめつちのかよひてるともあらはれめやも    一云 ますらをのおもひたけひて
   健男之念亂而隠在其妻天地通雖光(イ雖《トモ》v先《ソム》)所顕目八方  一云    大夫乃思多鶏備※[氏/一]
ますらおの思ひ亂て 天も照地も照てともに照かよふとも隠せる妻は顕んや顕れじと也月の照也此二首も贈答也一云たけひてとはたける心にや前ニ注
2355 めくまんとわかおもふ妹ははやくもしねやいけりともわれによるへしと人のいはな   くに
   恵得(イよしゑやし)吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國
めくまんとわか思ふ 此五文字或よしえやしと点尤可然歟難面き妹は早く死ねと恨餘る心にや
2356 こまにしきひものかたへそ床に落にけるあすの夜しきなんといはゝ取置てまたん
   狛錦紐片叙牀落邇祁留明夜志將来得云者取置待
こまにしきひものかたへ 高麗錦の紐のかたく也あすの夜しのしは助字也よべこし人の紐のおちたるをあすもこんといはゝこそ取置て待めさもあらし物をと也
2357 あさといての君かあゆひをぬらす露はらはやくおきて出つゝ我もものすそぬれな
   朝戸出公足結(イはゝき)乎潤(うるふ)露原早起出乍吾毛裳下潤奈(イうるふな)
あさといてのきみか 見安云足結ははゝき也露原は露のおほき所を云也
2358 なにせんにいのちをもとななかくほりせんいけりともわか思ふ妹にやすくあははなくに
   何為命本名永欲為雖生吾念妹安不相
なにせんにいのちをもとな 何とてに命をよしなく長くとよくぼりせん生ても妹にあははこそとの心なり
2359 いきのをに我は思へと人めおほみこそふくかせのあらはしは/\あふへき物を
   息緒吾雖念人目多社吹風(イかせに)有數々應相物
いきのをに我はおもへと 命にかけて我は思へど人めおほくてこそあはね吹風の便あらはしはしは逢ん物をと也イ吹風にめにミえす通んと也
2360 ひとのおやのをとめこすへてもる山へからあさな/\なかよひしきみかこぬはかなしも
   人祖未通女兒居守山邊柄朝々通公不来哀
ひとのおやの乙女子すへ 一二句は守といはん諷詞也守山八雲抄近江上野遠江等にありと云々
2361 あめにあるひとつたな橋いかてゆくらんわかくさのつまがりといふ足をうつくし
   天(イあめ)在(イなるや)一棚橋何將行穉草妻所云足壯嚴
あめにあるひとつ棚橋 祇曰或尺(仙覚の説)云天にある日とつゝけんためにいへり又天の河の橋(詞林采葉の儀)といへり天の河棚橋渡すともよめれはさもと見えたり若草はつまといはんため也天に有日とつゝける儀ならは天川にもかぎらじ(此已下仙)たな橋は橋の具足なともよはくて棚のやうなる橋也哥の心はたのもしけなくあやうき一棚橋をうつくしけなる足にて渡りゆくをいたはしと思ひやる歌也愚案祇注も仙抄を用ひて詞林を不用歟つまがりは妻のもとへゆくこゝろ也
2362 やましろのくぜのわかこがほししといふわれあふさわにわれほしといふやましろのくぜ
   開木代來背若子欲云余相狭丸吾欲云開木代(イさしすき)來背(イくるす)
山しろの 釋日本紀ニ若子《ワカコ》謂v夫ヲ也又曰|稚子《ワカコは》男子ノ之通称也あふさわはあふなくと同懇也我ほしは妻にほしと也催馬楽ニ山城の狛の渡りの瓜作我をほしと云云々
 
        古歌五首
2363 をかさきのたみたるみちをひとなかよひそありつゝもきみかきまさんよきみちにせん
   岡前多未足道(イおほミあしちを)乎人莫通在乍毛公之來曲道為
をかさきのたみたる道 新点如此仙曰たみたる道とはまがり道を云也見安云よき道はよける道也愚案岡崎山城也|多未足道《ヲホミアシチ》俊頼の点也おほく足はこふ道とそ散木集(俊頼集)ニ「秋萩を心にかけて岡崎のおほみあしちをなつみてそゆくとよみ給へりしかれともしはらく仙抄の義にしたかへり
 
2364 たまたれのこすのきけきに入かよひきねたらちねのおやがとはんは風と申さん
   玉垂小簾之寸鶏吉(イすけき)仁入通來根足乳根之母我問(イはゝかとはれ)者 風跡將申
たまたれのこすのきけき 袖中抄顕昭曰きけきはしけきといふ詞歟万葉哥云「むさしのゝおくきかきけし立別いにし宵よりせこにあはなふよ此きけしはしげしといふ歟東国の風俗の詞と見えたり俊頼哥云「年ふれとこすのきけきのたえまより見えししなひは俤に立是迄袖中抄新点はすけきと和ス仙曰玉たれのこすとはみす也すけきはすこき也けとこと同内也すこきとはしつかなる也玉たれのしつかなるに入かよひこよ母かとはゝ風といはんとよめる也是迄仙抄愚案顕昭俊頼等の古人先達の儀をゝきて近代の憶説難用にや
2365 うちひさすみやちにあへりし人妻ゆへにたまのをのおもひみたれてぬる夜しそ多《ヲホ》き
   内日左須宮道尓相之人妻垢玉緒之念亂而宿夜四曽多寸
うちひさす宮ちに 内日さす宮前ニ注みやちとは都の道也玉の緒は思ひ亂《ミタレ》てといはん枕詞也ぬる夜しのしは助字也
2366 まそかゝみ見しがと思ふいもにあはんかもたまのをのたえたるこひのしけき此比
   真十鏡見之賀登念妹相可聞玉緒之絶有戀之繁比者
まそかゝみ見しがと思ふ まそ鏡は見しといはん諷詞也見しかは見てしかな也玉のをは絶たるの枕詞也絶てあはさる戀の茂き比見まほしきいもにあはむかと悦ふ心にや
2367 うなはらのみちにのりてやわか戀をらんおほふねのゆたにあるらん人のこゆへに
   海原乃路尓乗哉吾戀居大舟之由多尓將有人兒由惠尓
うなはらのみちに 袖中抄ゆたのたゆたの注云大舟のゆたにあるらんといへるも浮たる事とおほゆと云々祇曰古今にゆだのたゆだに物おもふとはゆられ物思ふ心也といへり仙覚注にはうこかぬ人とあり如何大船はさうなくうこきやまぬ物也古今の心はよくかなへり仙覚注はかはれり定心なき人の子故に行末なき海原の道に心をのせて戀やをらんといふ心歟是迄祇注愚案大船のゆたに浮たる心の女子ゆへに海上にのり出しやうニ我も行末なき戀をせんかとの心也仙抄にはゆたにあるらん人の子ゆへにとは人はなひく心もなくうこかぬ物ゆへにとの儀といへり顕昭宗祇等の儀にもたかへり不用之
 
    正シク述フ2心緒《シンシヨヲ》1一百四十九首   柿本朝臣人麻呂四十七首
正シク述フ2心緒ヲ1 心緒は心におもふ事也物によせなともせて正しく心を述《ノフ》る也
2368 たらちねのはゝのてそきてかくはかりすへなきことはいまたせなくに
   垂乳根乃母之手放(イさかりイさけて)如是許無為便事者未為國
たらちねの母のてそき 手|放《ソキ》ては母の手をはなれし儀也イさかりさけて同儀也母の手をはなれ人となりてかくせんかたなきうき事はいまたせすと也戀哥也
2369 ひとのぬるうまいもねすてはしきやしきみかめをすらをほしみなけくか 一云きみをおもふにあけにけるかも
   人所寐味宿不寐早敷八四公目尚欲嘆 公矣思尓暁来鴨
人のぬるうまいも 寐る事は人の甘《アマ》なふ事なるに君かめにかゝらまほしき歎きにうまきいねもせすと也かは哉也はしきやしは載兼卿童蒙抄ニ愛する心也云々愛するきみといはんため也顕昭は袖中抄によしといふ詞と云々よき君との心歟
2370 こひしなはこひもしねとや玉ほこのみちゆきひとにこともつけゝん
   戀死戀死耶玉鉾路行人事告兼
こひしなはこひもしね 道ゆき人に事を告をこせて戀のまされは戀しねとてやか童蒙抄る情は有けんと也此哥拾遺集下句ことつてもなきと有少心替れり
2371 こゝろにはちへにおもへと人にいはぬわかこひつまを見るよしもかも
   心千遍雖念人不云吾戀※[人偏+麗]見依鴨
こゝろにはちへに思へと ふかく千重にも思へともいかて戀る妻也
2372 かくはかりこひしき物としらませはよそにミるへくありけるものを
   是量戀物知者遠可見有物
かくはかりこひしき なましゐにあひミて近まさりして戀しき心なるへし
2373 いつとてもこひぬときとはあらねともゆふかたまけてこひはすへなし
   何時不戀時雖不有夕方枉(イまけし)戀無乏
いつとても戀ぬ時とは 時とはのとは助字也夕かたまけては夕をまうけ出ては一入戀のせんかたなき心にや
2374 かくしのミこひやわたらん玉きはるいのちもしらすとしはへにつゝ
   是耳戀度玉切不知命歳經管
かくしのミ戀や渡らん かくしのミのしは助字也童蒙抄玉きはるは命を云と云々命はかきり有てきはまれるものなれは命の枕詞に玉きはると云玉は魂也へにつゝのには助字也
2375 わかのちにうまれん人もわかことくこひするみちにあひあふなゆめ
   吾以後所生人如我戀為道相與勿湯目
わかのちに生れん 我戀路に温《ウンシ》たる心也
2376 ますらおのうつし心も我はなしよるひるといはすこひしわたれは
   健男現心吾無夜晝不云戀度
ますらおのうつし心も ますらおの現心はたゝしくつよき心を云也
2377 なにせんにいのちつぎけんわきもこにこひせぬさきにしなまく物を
   何為命継吾妹不戀前死(古來風―まし)物
なにせんに命つき剱 命継とは存命《ナカラフ》る心也
2378 よしゑやしきまさぬ君を何すとかうとますわれはこひつゝをらん
   吉恵哉不来座公何為不厭吾戀乍居
よしゑやしきまさぬ よしゑやしはよし/\也あまりに待侘ていへる心也
2379 見わたせはちかきわたりをたちもとりいまやきますとこひつゝそをる
   見度近渡乎廻今哉來座戀居
見わたせはちかき渡り たもとをりは徘徊《タチモトヲリ》の心也
2380 はしきやしたかさへてかも玉ほこのみちわすられて君かきまさぬ
   早敷哉誰障(イさふる)鴨玉桙路見遺公不來座
はしきやし誰さへて はしきやしこれも愛する心にて我ならて愛せらるゝかさへてかもと云也誰さへてとは誰かさはりをなしてと也我方へ來へき道を忘てこぬは外に愛せらるゝ誰かさはるにやと也
2381 きみかめを見まくほりして此ふた夜ちとせのこともわかふるかな
   公目見欲是二夜千歳如吾戀哉
きみかめを見まくほり 君か御目にかゝらまほしくてといふ心也待侘る時は一夜をも久しく思ふ習をまして二夜のほとを思ひやるへし
2382 うちひさす宮ちの人はみちゆけとわかおもふきみはたゝひとりのミ
   打日刺宮道人雖満行吾念公正一人
うちひさすみやちの 内日刺前注都の道は人々満《ミチ》々ゆきておほけれとゝ也
2383 よのなかにつねかくそとはおもへともはてはわすれすなほこひにけり
   世中(はイ)常如雖念半手不忘猶戀在
よのなかに(はイ)つねかくそ 祇曰かりそめに人に馴なとすれは深き思ひとなる物をと我心をいさめて思ひつるに果は忘す戀しくなれりと讀り
2384 わかせこはさきくいますとかへりきてわれにつけこんひとのくるかも
   我勢古波幸座還來我告來人來鴨
わかせこはさきくいますと 夫《ヲツト》の遠境にあるに便宜をまつ女なとの心にや
2385 あらたまのいつとせふれとわかこふるあとなきこひのやまぬあやしも
   麁玉五年雖經吾戀跡無戀不止恠
あらたまの五年 こふるあとなきとは戀るしるしのなき事也
2386 いはほすらゆきとをるへきますらをもこひてふことはのちのくひあり
   石尚行應通建男戀云事後悔在
いはほすらゆきとをるへき 力及ふへき事は石をもさきて行通るへき強力不敵《ガウリキフテキ》の人も戀には力も及す後悔有と也
2387 ひくれなはひとしりぬへしけふの日のちとせのことくあるよしもかも
   日低人可知今日如千歳有與鴨
ひくれなは人知ぬへし 日の中人のなき程に逢中にて讀る哥にや
2388 たちゐするわさもしられす思へともいもにつけねはまづかひもこず
   立座態不知雖念妹不告間使不來
たちゐするわさも 戀に茫然として立居するわさもしられねど妹がしらねは使をもこさすと也
2389 ぬはたまのこのよなあけそあからひくあさゆくきみをまてはくるしも
   烏玉是夜莫明朱引(イあけゆけは)朝行公待苦
ぬはたまのこのよな明そ 八雲抄云あからひく赤き色歟万四あからひく日もくらきまてといへり日なとのあかき心也云々此哥もあさあけのあかくなる心にや類聚には朱引をあけゆけはと和せり心は明也或説あからひくは朝ゆく君か赤裳と和ス
2390 こひをしてしにする物にあらませはわか身はちたひしにかへらまし
   戀為死為物有我身千遍死反
こひをしてしにする 世に戀ぬ世有ましけれは生々世々死反らんと也
2391 たまゆらにきのふのゆふへ見しものをけふのあしたにこふへきものか
   玉響昨夕見物今朝可戀物
たまゆらにきのふの夕 八雲抄云たまゆらしはし也公任卿説わくらは同シ仙曰今の哥はたまさかといへるにや愚案きのふ逢てけさはや戀しき心也
2392 中/\に見さりしよりもあひミてはこひしきこゝろましておもほゆ
   中不見有從相見戀心益念
中/\に見さりしより 中/\にはなましゐにの心なり逢見さりし前よりなましゐに逢見て戀まさると也
2393 たまほこのみちをゆかすしあらませはしのひにかゝるこひにあはましや
   玉桙道不行為有者惻隠此有戀不相
たまほこの道を行す 道行ふりに見し人を忍ひて戀るわりなさによめる哥なるへし
2394 あさかけにわかミはなりぬ玉垣のすきまに見えていにしこゆへに
   朝影吾身成玉垣入風所見去子故
あさかけに我身は成ぬ 仙曰|朝《アシタ》の影は薄き物にいひ習はせり物思ひて影もうすきまて歎きをとろへたる心也
2395 ゆけと/\あはぬいもゆへひさかたのあまつゆしもにぬれにたるかな
   行行不相妹故久方天露霜沾在哉
ゆけと/\あはぬ妹故 空よりふるゆへあま露霜と云哥の心明
2396 たまさかにわかミし人はいかならんよしをもちてやまたひとめミん
   玉坂吾見人何有依以(イよしもてしもや)亦一目見
たまさかにわかミし人は 何《イカ》なる由をもちていま一めミんと也
2397 しはらくも見ねは戀しきわきもこにひに/\くれはことのしけけん
   暫不見戀吾妹日日(イひゝにし)來事繁
しはらくも見ねは 事のしけきとは人のうき名たてなとさはく心也暫もミねは戀シさに日々にくるゆへにさま/\事しけきと也
2398 としきはるよまでさためてたのめぬるきみによりてもことのしげゝん
   年切及世定特(イたのめつる)公依事繁
としきはる世まて 見安云としきはるよはひのきはまる也愚案年の老極る世まて逢ミんとたのめし君か故によりて口舌|茂《シケク》憂《ウキ》と也
2399 あからひくはたもふれずてねたれともこゝろをことにわかおもはなくに
   朱引秦不經雖寐心累(イ異)我不思
あからひくはだも 見安云|朱引《アカラヒク》あか裳の事也愚案赤裳引人の肌もふれずへたててねたれども心はかはる事なくおもふと也一説あからひくとは赤きをうつくしき事に取て美《ウツク》しき肌《はタモ》不v經《フレ》と也
2400 いていかにきはみはなはたとこゝろのうするまでおもふこふらくのゆへ
   伊田何極太甚利心及失念戀故
いていかにきはみはなはた いては發語也極めて甚しくさとき心もうせ果るまておもふこひの故はいてやいかなる事そと也|利心《トコヽロ》はさとき心也但見安ニはたけき心也
2401 こひしなはこひもしねとやわきもこかわきへのかとをすきてゆくらん
   戀死戀死哉我妹吾(イわい)家門過行
こひしなはこひもしね 拾遺集ニはこひてしね戀てしねとやと有
2402 いもかあたり遠くミゆれはあやしくもわれはこふるかあふよしをなみ
   妹當遠見者恠吾戀相依無
いもかあたりとをく 我は戀るかは哉也逢由もなき人のあたりを見て戀るはあやしと也
2403 たまくぜのきよきかはらにみそぎしていのるいのちもいもがためなり
   玉久世清川原身秡為齋(イいはふイいまふ)命妹為
たまくぜの清きかはら 八雲御抄玉くぜ山城云々妹に存命《ナカラヘ》て逢ミんため祈と也
2404 おもふより見るよりものはあるものをひとひへたつるわするとおもふな
   思依見依物有一日間(イへたてつ)忘念
おもふより見るより物は 一日隔つるとて忘るゝとは思ふな物は思ひはかり心ミるにあるそかし我ありさまをよく思ひよく見よ一日絶間置て忘るへきさまかはと也
2405 かきほなすひとはいへともこまにしきひもときあくるきみもなきかも
   垣廬鳴人雖云狛錦紐解開公無
かきほなす人はいへとも 見安云垣ほなす隔る心也ひもとき開る下紐をときたる也愚案さかしら人の隔て顔[#濁点あり]にいひなせとも我には下紐とく君も外にはなしとの心也
2406 こまにしきひもときあけてゆふへともしらざるいのちこひつゝかあらん
   狛錦紐解開夕戸不知有命戀有
こまにしきひもとき 一二句はゆふといはん諷詞也夕も知ぬ命持乍と也
2407 もゝさかふねかつきいるゝやうらさしてはゝはとふともその名はいはし
   百積船潜納八占刺母雖問其名不謂
もゝさかふねかつき 仙曰もゝさかふねとは米百石つめる船也米百石をかつきいれんには隙なく通ふへし今の哥の心はかよふ事しけゝれは母はうら正しくさしてそれかと問とも其名をかくしていはしとなり愚案行基菩薩の「もゝさかにやそさかそへて給へりしちぶさの報《ムク》ひけふそ我するとよみ給ふも百八十石といふ事也此哥もゝさかふねを百石つむ船といふ仙説たかふへからす但かつきいるゝやといふを隙なくかよふといふ説鑿せり師説は舟は水中をとをる物なれはかつくといふ也舟をいるゝは浦にての事なれはうらさしてといはん諷詞也|占刺《ウラサシ》て問とは世俗に物をうらどふといふやうに大かた問こゝろむる心也忍ひて逢人の事を母のをしはかりうらとふとも其名はいはしと也又或説云百積は百尺と同したけ十丈の舟也云々しかれとも百石可然にや此哥もゝさかの(句)ふねかつきいるゝ(句)八うらさしとよむ点有八うらさしよろしからす不可用之歟
2408 まゆねかきはなひ日もときまつらんやいつしか見んとおもふわかきみ
   眉根削鼻鳴紐解待哉何時見念吾君
まゆ根かきはなひ 祇曰まゆねかきはなひひもときは人の思ふへき告也君をゆきて見んと我思へは今のことくしてや待らんといふ心也仙曰眉根かきて戀しき人に逢といふ事は遊仙窟といふふみに見えたり又人のうへいはるゝときははなひるといふ事あり又人に戀らるゝ時は下紐とくといふ事ありされはいつしか戀しと思し君はまゆねかきはなひ紐とけて待らんと讀る也愚案遊仙窟云|昨日眼皮※[月+閏]《キノフマユルメカユカリキ》今朝良人見《ケサヨキヒトヲミル》前ニ注
2409 きみこふとうらふれをれはくやしくもわかしたひもをむすひてたゝに
   君戀浦經居悔我裏紐結手徒
きみこふとうらふれ うらふれ前に注ス君を戀うれへくるしきに我下ひももとけはこそ君も我戀るかと頼むへきにたゝにむすほふれてあれはかひもなくくやしと也只かた思ひしてくやしきとの心なるへし
2410 あらたまのとしはくるれとしきたへのそてかはししをわすれておもへや
   璞之年者竟杼敷白之袖易(イかへし)子(イこ)小忘而念哉
あらたまのとしは暮れと わすれておもへやとは忘而念哉と書り忘ておもはんやの心也袖をかはしねたりしを忘んや忘れはせましきと也
2411 しろたへのそてをはつかに見しからにかゝるこひをもわれはするかも
   白細布袖小端見柄如是有戀吾為鴨
しろたへのそてを はつかにはわつかに也かゝる戀とは不浅戀の心歟
2412 わきもこにこひてすべなみ夢ミんとわれはおもへといねられなくに
   我妹戀無乏夢見吾雖念不所寐
わきもこにこひてすへ 戀しくせんかたなさに夢ミんとすれとねられねは夢にも妹をミすと也
2413 ゆへなしにわかしたひものとけたるをひとにしらすなたゝにあふまて
   故無吾裏紐令解人莫知及正逢
ゆへなしにわか下紐の 何の故もなく下紐の解しは君か戀る告なるへし逢まては人にしらすなとミつから云也
2414 こふる事なくさめかねていてゆけは山かはしらすずきにけるものを
   戀事意遣不得出行者山川(イ山も川をも)不知來(イしらすきにけり)
こふることなくさめかね 戀さのたゝには慰かねて遊行するなれは山河もしらす茫然たる物をと也
    作者未詳 此已下百二首或本在なるかみのしはしの下
 
    正述心緒
2517 たらちねのはゝにさはらはいたつらにいましもわれもことやなるへき
   足千根乃母(イおや)尓障良婆無用(イあちきなく)伊麻思毛吾毛事應成
たらちねの母に障らは 仙曰いましとは日本紀に汝の字をよめりなれも我もと云る也愚案母ニさはらはとは母の機嫌に背くならはと也事やなるへきとは夫婦となる事成就せじと也
2518 わきもこかわれををくるとしろたへのそてひつまてになきしおもほゆ
   吾妹子之吾呼送跡白布乃袂漬左右二哭四所念
わきもこか我を送ると 惜v別ヲつる俤難v忘と也
2519 おくやまのまきのいたとををしひらきしゑやいてこねのちはいかゝせん
   奥山之真木乃板戸乎押開思恵也出來根後者何將為
おく山の真木の板戸 逢初し程こそ忍はめ後は如何せんよしや出來よと也
2520 かりこものひとへをしきてさぬれともきミとしぬれはひやけくもなし
   苅薦能一重叫敷而紗眠友君共宿者冷(イさむけ)雲梨
かりこものひとへを 菰を刈てせし筵也
2521 かきつはたにほへるきみをいさなみにおもひいてつゝなけきつるかも
   垣幡丹叫經君叫率尓思出乍嘆鶴鴨
かきつはた匂へる 杜若は色うつくしきを匂ふと云へは匂へるの諷詞也|率《イサナミ》はすみやかに也前ニ注ス
2522 うらミんとおもふやせなは有しにはよそにのミぞ見しこゝろは思へと
   恨登思(イおもふか)狭名磐在之者外耳見之心者雖念
うらみんと思ふや せなは夫《ヲツト》也ありしにはとはある時には也或時せなが我をよそにのみ見しをうらミんとおもふと也内心はむつましく思へとまつうらめしきとなるへし
2523 さにつらふいろにはいてすすくなくもこゝろのうちにわかおもはなくに
   散頬相色者不出小(イくゝなく)文心中吾念名君
さにつらふいろには さにつらふは色といはん諷詞也すくなく思はぬとは心の中におほく思へとも色ニは出すと也イくゝなくももすくなくに同
2524 わかせこにたゝにあはゝこそなはたゝめことのかよひになにそ其ゆへ
   吾背子尓直相者社名者立米事之通尓何其故
わかせこにたゝにあはゝ 事のかよひにとは事斗いひかよはすに名の立は其故何事そと也
2525 ねもころにかたおもひするか此ころのわかこゝろとのいけりともなき
   懃片思為歟比者之吾情利乃生戸裳名寸
ねもころにかたおもひ 心とのとの字助字也此比吾心の生たりとも思はぬは懇に片思ひするゆへと也又利心を心とと云
2526 まつらんにいたらはいもかうれしみとえまんすかたをゆきてはやミん
   將待尓到者妹之懽跡咲(イえまふ)儀乎徃而早見
まつらんに至らは 妹か待んに我至たらは也
2527 たれそこのわかやときよぶたらちねのはゝにいさはれものおもふわれを
   誰此乃吾屋戸來喚足千根乃母(イおや)尓所嘖(イいはれて)物思吾呼
たれそこの我宿來よふ 所嘖童蒙抄ニはいさはれと和スいさめ制せらるゝ心也類聚ニはいはれてと和スいさめいはるゝ心也誰そや我を來てよはふはと也母に制せられて物思ふ我なるをと也
2528 さねぬよはちよもありとも我せこかおもひくゆへきこゝろはもたし
   左不宿夜者千夜毛有十万我背子之思可悔心者不持
さねぬよはちよも せことねぬよはたとひ千夜有ともせこが悔るやうのあた心は我もたしと也
2529 いへひとはみちもしみゝにかよへともわかまついもかつかひこぬかも
   家人者路毛四美三荷雖徃来吾待妹之使不来鴨
いへひとはみちもしミゝ 八雲抄云しみゝはしけく也家人は茂く通へともと也
2530 あらたまのすとかたけかきあミめにもいもし見えなはわれこひめやも
   璞之寸戸之(イすごが)竹垣編目從毛妹志所見者吾戀目八方
あらたまのすとか竹垣 類聚奥儀抄等の和点如此也八雲抄にもすとの竹垣と有奥儀抄云あらたまは年と知たれと只改るといふ事也此垣も新しき垣といへるにこそ是迄奥儀抄也仙覚はすごが竹垣と和しかへてすごは賤也といへり如何すとゝは簀をあミて戸にせし所の竹垣也
2531 わかせこかその名いはしとたまきはるいのちはすてつわすれたまふな
   吾背子我其名不謂跡玉切命者棄忘賜名
わかせこか其名いはしと せこか名をいとひかくして我命をも捨るなれはなき跡にも哀とおもひいてよと也
2532 おほよそはたれ見んとかもうはたまのわかくろかミをなひきてをらん
   凡(イをふしをは)誰將見鴨黒玉乃我玄髪乎靡而將居
おほよそはたれミんとか 黒髪をなひきてとは髪さけたれてゐるを云也|夫《ヲツト》の見る時こそ髪をもさけつくろはめとの心也凡は大形はと同詩曰|自《ヨリ》2伯《はクカ》之東セシ1首《カウヘ》如2飛蓬《ヒホウノ》1豈《アニ》無ンヤ2膏沐《カウホク》1誰ヲ適《アルシトシテ》為《セン》v容《カタチツクリ》この心にかよへり
2533 おもわすれいかなる人のするものそわれはしかねつつぎてしおもへは
   面忘何有人之為物焉言者為金津継手志念者
おも忘れいかなる おも忘れは人の面影を忘るゝ也つきてしのしは助字也つぎておもふとは間断なく思ふ心也世におもわすれいかなる人のする物そや我は間断なく思ふゆへ面忘れしかねつると也
2534 あひおもはぬ人のゆへにかあら玉のとしのをなかくわかこひをらん
   不相思人之故可璞之年緒長言戀將居
あひおもはぬ人の故 年のをなかくこふるとは久しく絶す戀る也
2535 おほよそのわざは思はずわがゆへに人にこちたくいはれしものを
   凡乃行者不念言故人爾事痛所云物乎
おほよそのわざは わかゆへのわかは君をいふ也人にこちたくの人は世上の人を云也大形のわさは何を思ふ事もなし君故に人にも云たてられし此事を思ふと也
2536 いきのをにいもをおもへはとしつきのゆくらんわきもおもほえぬかも
   氣緒尓妹乎思念者年月之徃覧別毛不所念鳧
いきのをにいもをおもへは 命に懸て妹を思へはと也
2537 たらちねのおやにしらせずわかもたるこゝろはよしゑきみがまに/\
   足千根乃母(イはゝに)尓不所知吾持留心吉恵君之隨意
たらちねのおやに類聚如v此仙点はヽに知せすと有よしゑはよしや也親にも知せす君を思心を持し心也此うへはよしよし我身は君かまゝと也
2538 ひとりぬとこもくちめやもあやむしろをになるまてに君をしまたん
   獨寝等※[草冠/交](古來風とこ)朽目八方綾席緒尓成及君乎之將待
ひとりぬとこも朽めやも 童蒙抄云あやむしろとは文ある筵を云也又とこくちめやもとあり本の異歟独ぬるとても床は朽ましけれは綾筵切果て緒斗になるまて独ねて君をまたんと也こもくちめやもも義は同こもも敷也是を本哥にて「あや筵をになるまてに戀侘ぬしたくちぬらしとふの菅こも鎌倉右大臣
2539 あひ見てはちとせやいぬるいなやかもわれやしかおもふきみまちかてに
   相見者千歳八去流否乎(イいなを)鴨我哉然念待公難(イかね)尓
あひ見てはちとせやいぬるいなやかも 類聚如此かもは助字也仙点はいなをかもと有如何哥心は逢ミてよりは千年去ぬるやいなや君待かねて我やしかひさしく思ふと也
2540 ふりわけのかみをミしかみわかくさをかミにたくらんいもをしそおもふ
   振別之髪乎短弥春草乎髪尓多久濫妹乎師曽於母布
ふりわけの髪を短ミ 若草をかみにたくらんとはたくは栲也たくる也髪にたくりそふる也童女の髪に草を添る心也
2541 たちとまりゆきみのさとに妹を置てこゝろそらなりつちはふめとも
   俳※[人偏+回](イやすらひて)徃箕之里尓妹乎置而心空在土者踏鞆
たちとまりゆきみの 立とまりつ行つなといひつゝくる詞を徃箕の諷詞に置也八雲抄ゆきみの里山城云々
2542 わかくさのにゐたまくらをまきそめてよをやへだてんにくゝあらなくに(古來風にくからなくに)
   若草乃新手枕乎巻始而夜哉將間二八十一不在國
わか草のにゐたまくらを 若草はにゐといはん諷詞也新枕かはしそめてにくからぬ人なれは毎夜逢まほしと也
2543 わがこひのこともかたらひなぐさめんきミがつかひをまちやかねてん
   吾戀之事毛語名草目六君之使乎待八金手六
わかこひのことも 久しく逢ぬ中に使だに來は我戀を語慰んと也
2544 うつゝにはあふよしもなし夢にだにまなくミんきミこひにしぬへし
   寤者相縁毛無夢谷間無見君戀尓可死
うつゝにはあふよしも 現には勿論あふよしなし夢にたにまなく見んとねかふに夢は心にもまかすましけれは戀に死ぬへしとなるへし
2545 たそかれととはゝこたへんすへをなみきみかつかひをかへしつるかも
   誰彼登問者將答為便乎無君之使乎還鶴鴨
たそかれととはゝこたへん 忍ふ中の使をかれはたそととかめられんをこたへんかたなさによそにして只に返したれと歎く心也
2546 おもはずにいたらはいもかうれしみとえまんまよひきおもほゆるかも
   不念丹到者妹之歡三跡咲牟眉曵所思鴨
おもはすにいたらば まよひきは眉引し顔《カホ》はせ也こんとも思さらんに我いたりなはと也
2547 かくはかりこひんものそと思はねはいもかたもとをまかぬ夜もありき
   如是許將戀物衣常不念者妹之手本乎不纒夜裳有寸
かくはかりこひん物 妹に別て後の戀しさわりなきに日比の夜かれを悔る心也
2548 かくたにもわれはこひなん玉つさのきみかつかひをまちやかねてん
   如是谷裳吾者戀南玉梓之君之使乎待也金手武
かくたにもわれはこひ 君を戀使を待かぬるあまりにかくたに我はこひなん事かは君か使ひをも待かねん事かはと思ひ返す心也待やかねてんのやの字我は戀なんといふ詞にもかけて心得へし
2549 いもこふとわがなくなミたしきたへのまくらとをりてそてさへぬれぬ 一云まくらとをりてまけはさむしも
   妹戀吾哭涕敷妙木枕通而袖副所沾 枕通而巻者寒母
いもこふとわがなく なみたの枕とをるとは甚しきをいはんとて也一云まけは空しもは泪に枕のひやゝかなるこゝろなるへし
2550 たちておもひゐてもぞ思ふくれなゐのあかもすそひきいにしすがたを
   立念居毛曽念紅之赤裳下引去之儀乎
たちておもひゐても 紅のあかもは重詞也別をおしむ心也
2551 おもふにしあまりにしかはすへをなミいてゝそゆきしそのかどを見に
   念之餘者為便無出曽行之其門乎見尓
おもふにしあまりに 思ひあまりしかはせめて君か門をたに見に出て來しと也
2552 こゝろにはちへにしく/\おもへともつかひをやらんすべのしらなく
   情者千遍敷及雖念使乎將遣為便之不知久
こゝろにはちへにしく/\ ちへはおほき心也しくしくはしきりにと也
2553 ゆめにのミ見てすらこゝた戀る我はうつゝにミてはましていかならん
   夢耳見尚幾許戀吾者寤見者益而如何有
ゆめにのミ見てすら 夢にのミして未2相見1たにそこはく戀るにまして直に相見はと也
2554 むかへれはおもがくれするものからにつぎて見まくのほしき君かも
   對面者面隠流物柄尓継而見巻能欲公毳
むかへれはおもがくれする 對面の折はさすかに恥かしなから打つゝき相見まほしと也わりなき心也
2555 あさとやりをはやくなあけそあちさはふめのほるきみがこよひきませる
   旦戸遣(イあさのとを)一ニ無2遣《ヤリ》字1速(イしきり)一ニ作ルv連《シキリニ》莫開味澤相目之乏流君今夜來座有(イきまさせ)一作v省《セニ》
あさとやりを早《はヤ》くな 見安云あさ戸やりは朝の戸をあくる也詞林采葉云あちさはふは味《アチ》はふる也見安云めのほる君は目に見たき也愚案物を見知味はふ目の見たき公《キミ》がこよひは來ませれは朝戸を早くなあけそと別をおしむこゝろなるへし一にあさの戸をしきりなあけそとあるも義同こよひきまさせはきまさせると同下畧の詞也
2556 たまたれのこすのたれすをゆきかちにいをはねゝともきみはかよはす
   玉垂之小簀之垂簾乎徃褐寐者不眠友君者通速為
たまたれのこすの 玉垂小簀垂簾重詞也ゆきかちには行て見がちに待うかゝひていもねゝとも君はこすと也
2557 たらちねのはゝにまうさはきみもあれもあふとはなしにとしはへぬへし
   垂乳根乃母白者公毛余毛相鳥羽梨丹年可經
たらちねのはゝに申 忍ふ中に制する親有て逢かたけれは今は親に告んといふ折なとの哥なるへし
2558 うつくしとおもひにけらしわするなとむすひしひものとくらくおもへは
   愛(イめつらし)等思篇來師莫忘登結之紐乃解樂念者
うつくしとおもひに 一たひあふて別る時なと忘るなとて堅くむすひし紐の今何となくとくるを思へは哀や君か我をうつくしと思ふにやと也紐のとくるは人の戀るしるし也
2559 きのふ見てけふこそあいたわきもこかこゝたくつぎて見まくしほりかも
   昨日見而今日社間(イこそはひま)吾妹兒之幾許(イそこはか)継手見巻欲毳
きのふ見てけふこそ きのふあひミてけふ斗こそあはぬたえまなれわりなくも妹かつゝきて見まくほしき哉と也
2560 ひともなくふりにしさとにある人をめくくやきみかこひにしにせん
   人毛無故郷尓有 乎愍久也君之戀尓令死
ひともなくふりにし けさう人の戀死んといふ折によめるにやかく人めもなき古郷にある我をめぐましくやは君か戀死ん誠しからすと也めくくは恵み憐む心也
2561 人ことのしけきまもりてあへりともやへわがうへにことのしけけん
   人事之繁間守而相十方八反吾上尓事之將繁
人ことのしけきまもりて 人事の茂き隙をまもりてはかりは逢とも猶弥我身の上の事しけからんと也やへとは弥の儀又多き心也
2562 さとひとのことよせづまをあらかきのよそにやわか見んにくからなくに
   里人之言縁妻乎荒垣之外也吾將見悪有名國
里人のことよせつま わか妻に人もけさうし艶言をよする心也荒垣は隔る心也よその諷詞也人のいひよる妻はにくからすなからよそにや見んと也
2563 ひとめもるきみかまに/\われともにつとにおきつゝものすそぬれぬ
   他眼守君之随尓余共尓夙(イはやく)興乍裳裾所霑
ひとめもるきみかまに/\ 君か人目をまもり憚るにしたかひて我もともに朝つとめておき別るとて裳のすそを露にぬらせしと也隨はしたかふ也
2564 ぬはたまのいもかくろかみこよひもかわかなきとこになびきてぬらん
   夜干玉之妹之黒髪今夜毛加吾無床尓靡而宿良武
ぬはたまのいもかくろ髪 今夜もかといふに数夜の心有て「さむしろに衣かたしきこよひもや我を待らんといひしに同
2565 はなくはしあしがきごしにたゝひとめあひ見しこゆへちへになけきつ
   花細(イたへの)葦垣越尓直一目相視之兒故千遍嘆津
はなくはしあしかきこし イ花たへの不用日本紀允恭天皇の桜の御哥ニ波那具波辞佐區羅能梅涅《はナクはシサクラノメニ》下畧釋曰花|香《カクはシ》也愚案花かくはしき葦垣越《アシカキコシ》にミし女也
2566 いろにいてゝこひは人見てしりぬへしこゝろのうちのこもりつまはも
   色出而戀者人見而應知情中之隠(イかくれ)妻波母
いろに出てこひは人見て こゝろの中にこもり妻とは心の中にのミこめをくつま也はもは助字也
2567 あひミてはこひなくさむと人はいへと見てのちにそも戀まさりける
   相見而者戀名草六跡人者雖云見後尓曽毛戀益家類
あひ見ては戀なくさむと そもは見てのちにそ也もは助字也
2568 おほよそにわれしおもはゝかくはかりかたきみかとをたちいてめやも
   凡吾之念者如是許難(イかてに)御門乎退出米也母
おほよそにわれし思はゝ 大かたに我か思はぬ故にこそかく出かたき門を忍ひ出てくれと也
2569 おもひけんそのひとなれやうはたまのよことにきみかゆめにし見ゆる 一云よるひるいはすわかこひわたる
   將念其人有哉烏玉之毎夜君之夢西所見 夜晝不云吾戀渡
おもひけんそのひと 我を思ふ人にや夜ことにゆめにミゆると也
2570 かくしのミこひばしぬへたらちねのはゝにもつけつやますかよはせ
   如是耳戀者可死足乳根之母毛告都不止通為
かくしのミこひはしぬ かく間遠にては戀死へし君か事は母にも告つれは隙なくしけくやますかよはせ給へと也
2571 ますらおはとものそめきになくさむるこゝろもあらんわれそくるしき
   大夫波友之※[馬+癸の中が虫](イ驂)尓名草溢(イみて)心毛將有我衣苦寸
ますらおは友のそめき 哥林良材云※[馬+癸の中が虫](イ驂)の字を書リさはかしき心也愚案男は物思ふ時も友達なとのさはかしきに慰る心もあらんニ女はさもなく苦しと也イなくさみて慰てん也
2572 いつはりもにつきてそするいつくにか見ぬ人ごひにひとのしにする
   偽毛似付曽為何時從鹿不見人戀尓人之死為
いつはりもにつきてそ また見ぬ人の戀死なむなどいふに讀るにや
2573 こゝろさへまたせるきみになにをかもいはずいひしとわかぬすまはん
   情左倍奉有君尓何物乎鴨不云言此跡吾將竊食
こゝろさへまたせる 我いはさる事をいひしと恨る人などにことはる哥にや心さへまたせるとは偏に君を思ふは心を奉りし儀也またせるは奉る也ぬすまはんとはいつはりのかるゝ心也いひし事をいはすと偽るは物をぬすむ心なれはかくいふ也
2574 おもわすれだにもえすやとたにきりてうてどもこりすこひのやつこは
   面忘太尓毛得為也登手握(イてにきり)而雖打不寒戀之奴
おも忘れだにもえすやと 難面き人を逢事こそかなはすとも面忘れたにせよかしさもえせねは面忘れたにえするやはと拳《コフシ》もてうてともこりず戀しきと也えすやとはえするやはえせすと云也戀のやつことは見安云戀といふやつといふ心也云々只戀といふ心にもいひ戀する身をいふ事もある也
2575 まれに見んきみをミんとそひたりてのゆみとるかたのまゆねかきつれ
   希將見君乎見常衣(こそか)左手之執弓方之眉根掻礼
まれにミん君を 八雲云眉根かく是をミんする相也左手の弓とる方のなと云
2576 人まもるあしかきこしにわきもこをあひ見しからに事そさたおほき
   人間(イめ)守蘆垣越尓吾妹子乎相見之柄二事曽左太多寸
人まもるあしかき越 人間を守て垣こしに逢ミしからに人事甚おほきと也師説さたは甚也見安ニは左太は人に沙汰《サタ》せらるゝ也云々
2577 いまたにもめなともしめそあひ見ずてこひんとしつきひさしけなくに
   今谷毛目莫令乏不相見而將戀年月久家真國(イ真國マクニ)
いまたにもめなともしめ 見安云目な乏めそはめかれせす見えよと也愚案逢見すしては戀死へけれは戀ん年月も久しくもなかるへきに今此時にだにもめかれす見えよと也切なる哥なるへしひさしけもなくは久しくもなからん也イ久しけまくに如何
2578 あさねかみわれはけつらしうつくしききみかたまくらふれてしものを
   朝宿髪吾者不梳愛(イめつらしき)君之手枕觸義之鬼尾
あさねかみわれはけつらし 拾遺集ニけさはけつらしうつくしき人のと有人丸のうたと入
2579 はやゆきていつしかきみを逢ミんとおもひしこゝろいまそなきぬる
   早去而何時君乎相見等念之情今曽水葱少熱
はやゆきていつしか 久しき本意をとけての哥なるへし日本紀十三ニ悒懐少息《イキトヲリスコシヤム》といへるに似たる心なるへし
2580 おもかけのわするとならはあちきなくおのこしものやこひつゝをらん
   面形之忘戸在者小豆鳴男士物屋戀乍將居
おもかけの忘ると 君か俤の難v忘故に男としてあちきなき戀しつゝをると也
2581 ことにいへはみゝにたやすしすくなくもこゝろのうちにわかおもはなくに
   言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二
ことにいへはみゝにたやすし 深き思ひも詞にいへは聞人の耳にたやすきやうに入也詞にはいひつくされぬ心中の思ひをいはんとて也
2582 あちきなくなにのまがこといまさらにわらはごとするおひ人にして
   小豆奈九何枉言今更小童言為流老人二四手
あちきなく何のまか まかことはたはことなとの類なるへし老人ながらわらはのいふへき事なと戀のうへにはいふをあちきなく何の枉言《マカコト》といふなるへし老人なから今あらためてわらはことすれは今更にといふ也
2583 あひ見てはいくひさしさもあらなくにとしつきのごとおもほゆるかも
   相見而幾久毛不有爾如年月所思可聞
あひ見てはいく久し 逢ミて後さのミ月日も隔らねと待侘る故に久く思ふと也詩ニ一日不はv見如2三秋ノ1云々
2584 ますらをとおもへるわれをかくはかりこひせしむるはうへにざりける
   大夫登念有吾乎如是許令戀波小可(イむへに)在來
ますらをとおもへる 大丈夫と思ふ我をかく戀せしむるはむべ也形ありさまことなれはと也
2585 かくしつゝわかまつしるしあらんかもよのひとみなのつねならなくに
   如是為乍吾待印有鴨世人皆乃常不在國
かくしつゝわかまつ 世の皆人の常にこえてわか戀待しるし有て待えんか又かくてのミ待えましきかと也
2586 ひとことをしけくて君に玉つさのつかひもやらすわするとおもふな
   人事茂君玉梓之使不遣忘跡思名
ひとことをしけくて 人事茂き故の無音そや忘れて玉章も遣はさぬと思ふなと也
2587 おほはらのふりにし里に妹をゝきてわれいねかねつゆめに見えこそ
   大原故郷妹置吾稲金津夢所見乞
おほはらのふりにし 大原は山城也戀にね兼るに夢にも見え來れとの心也
2588 夕されはきみきますかと待しよのなこりそいまもいねかてにする
   夕去者公來座跡待夜之名凝衣今宿不勝為
夕されはきみきます 來ぬよのなけきに久しくねられぬ心也
2589 あひおもはす君はあるらしぬは玉のゆめにも見えすうけひてねれと
   不相思公者在良思黒玉夢不見受旱宿跡
あひ思はすきみは 袖中抄云うけふは日本紀に或は祈と書或は誓と書此うけひてぬとよめるは祈ときこえたり誓ふとはすこしたかへり
2590 いはねふみよみちゆかしと思へとも妹によりてはしのひかねつも
   石根踏夜道不行念跡妹依者忍金津毛
いはねふみよみちゆかし 忍ひ兼つこらへ兼つ也
2591 人ことのしけきまもると逢されはつゐにはこらかおもわすれなん
   人事茂間守跡不相在終八等面忘南
人ことのしけきま守と 一事茂き隙をうかゝふとて逢はて程ふれは終ニは妹は忘やせんと也
2592 こひしなんのちは何せんわかいのちいける日にこそ見まくほりすれ
   戀死後何為吾命生日社見幕欲(イほし)為礼(イけれ)
こひしなんのちは何 拾遺集には此哥第三四句生る日のためこそ人はと有
2593 しきたへのまくらうこきていねられすものおもふこよひはやあけんかも
   敷細枕動而宿不所寝物念此夕急明鴨
しきたへの枕うこき 物思ふ夜は枕も難定心なるへし
2594 ゆかぬわれくとか夜かどもさゝすしてあはれわきもこまちつゝあらん
   不徃吾來跡可夜門不閇※[立心偏+可]怜吾妹子待筒在
ゆかぬわれくとか 行ましき我を來んとてかと也故障わりなき時のうたにや
2595 ゆめにたに何かも見えぬミゆれともわれかもまとふこひのしけきに
   夢谷何鴨不所見雖所見吾鴨迷戀茂尓
ゆめにたに何かも 夢にも見えは見えて少慰む事もあれと我戀しさのしけくわりなきにまどふと也
2596 なくさむるこゝろはなしにかくしのみこひやわたらんつきに日にげに 一云おきつ波敷てのミやも恋渡りなん
   名草漏心莫二如是氏耳戀也度月日殊 奥津浪敷而耳八方戀度奈牟
なくさむる心はなしに かくしのしは助字也月に日にけには月にまし日にましの心也一云沖津波はしきての諷詞也しきりて也
2597 いかにしてわするゝものそわきもこにこひはまされとわすられなくに
   何為而忘物吾妹子丹戀益跡所忘莫苦二
いかにして忘るゝ物そ 心明也
2598 とをくあれと君をそこふる玉ほこのさとひとみなにわれこひめやは
   遠有跡公衣戀流玉鉾乃里人皆尓吾戀八方
とをくあれと君をそ 玉ほこの里とは道のほとを一里二里なといへは其心かと定家卿御説也遠き道すからの里人に皆悉く我戀せんや君をこそ戀て遠くくれと也
2599 しるしなきこひをもするか夕されはひとのてまきてねなんこゆへに
   驗無戀毛為暮去者人之手枕而將寐兒故
しるしなきこひをも 我物にもならぬ人も猶わりなく戀しけれは戀る験《シルシ》もなき戀をもする哉と也人と枕する妹故と也
2600 ももよしもちよしもいきてあらめやもわかおもふいもををきてなけかん
   百世下千代下生有目八方吾念妹乎置嘆
ももよしもちよしも しものしあらめやものも皆助字也是はあひそふに付て親の諫世のそしりなと憚りある人を思ひ侘て讀るなるへしとても生果ぬ世に思ふ妹をすへ置てうき世をなけきてあらんと也
2601 うつゝにもゆめにもわれは思はさりきふりたるきみにこゝにあはんとは
   現毛夢毛吾者不思寸振有公尓此間將會十羽
うつゝにも夢にも我は 久しく中絶し人をふりたる君といふにや
2602 くろかみのしろかミまてとむすふ君こゝろひとつをいまとかめやも
   黒髪白髪左右跡結大王心一乎今解目八方
くろかみの白髪まてと 偕老の契をむすふ君に我心一ツをゆるめて疎《ヲロソ》かならんやと也結と解と對ス
2603 こゝろをしきみにまたすと思へれはよしこのころはこひつゝをあらん
   心乎之君尓奉跡念有者縱比来者戀乍乎將有
こゝろをしきみにまたす 我心を君に奉り置上はよし/\不《サル》v逢此比はきみを心に戀つゝあらんと也戀つゝをのをは助字也戀るも心なれは心を君に奉ると同
2604 おもひ出てゝねにはなくともいちしろくひとのしるへくなけきすなゆめ
   念出而哭者雖泣灼然人之可知嘆為勿謹
おもひいてねにはなくとも 我か事を思ひ出てねに鳴とも猶人に知るなと也
2605 たまほこのみちゆきふりに思はすにいもをあひミてこふるころかも
   玉鉾之道去夫利尓不思妹乎相見而戀比鴨
たまほこの道ゆきふり 道行觸の心也道ゆく次手なとの心也
2606 ひとめおほみ常かくのミしまたませはいつれのときかわかこひさらん
   人目多常如是耳志候者何時吾不戀將有
ひとめおほみつねかく 人目おほしとて常に戀|待《マタ》するを歎きていつかは待えて戀ぬ時あらんと歎く心也
2607 しきたへのころもてかれて我を待とありけんこらはおもかけにミゆ
   敷細之衣手可礼天吾乎待登在監子等者面影尓見臭見ん
しきたへの衣手 奥儀抄云しきたへといひては枕とこそよむに此哥心得す如何答云しきたへは必枕にはあらす只ぬる所の物をしきたへといふ心にやしきたへの筵なとも敷妙の黒髪なともよめり畧記愚案しきたへの衣手かれてとは中のかれ/\になりて吾を待侘るとにや有けん妹か俤にミゆると也吾を待とありけんとは吾をまつとにや有けんと也
2608 いもか袖わかれし日よりしろたへのころもかたしきこひつゝそぬる
   妹之袖別之日從白細乃衣片敷戀管曽寐留
いもか袖わかれし日 心明也
2609 しろたへの袖はまよひぬわきもこかいへのあたりをやますふりしに
   白細之袖者間結奴我妹子我家當乎不止振四二
しろたへの袖はまよひぬ 袖はまよひぬとはやふれたる心也かたのまよひといへる心也妹か家邊を袖ふりありきしことの度かさなりし心也袖ふるとは人をまねきいさなふ心なり
2610 うはたまのわかくろかみを引ぬらしみたれてかへりこひわたるかも
   夜干玉之吾黒髪乎引奴良思乱而反戀度鴨
うはたまのわかくろ 思ふ方より思ひ亂て帰りて戀しきをかこてる心にや我髪を君か引たるやらんミたれてといひかけしうた也
2611 いまさらにきみかたまくらまきねめやわかひものをのとけつゝもとな
   今更君之手枕巻宿米也吾紐緒乃解都追本名
いまさらに君か手枕 中のふし/\にてかれし人の下紐とくるをよめりたとひ君か我を戀るにても今更に枕をかはしねんやと也もとなはよしな也|枕寢《マキネ》めや也
2612 しろたへの袖をふれてやわかせこにわかこふらくはやむときもなき
   白細布之袖觸而夜吾背子尓吾戀落波止時裳無
しろたへの袖をふれてや 袖ふれ馴てこそ戀しからめさもなきに我戀のやまさる事よと也
2613 ゆふけにもうらにも告ある今夜たにきまさぬきみをいつとかまたん
   夕卜尓毛占尓毛告有(イつける)今夜谷不来君乎何時(イいつしか)將待
ゆふけにもうらにも ちまたの夕卦心の占にもこよひ來んの告ありしこよひさへこぬ人を忙然として歎く心也
2614 まゆねかきしたいふかしみおもへるにいにしへひとをあひ見つるかも
   眉根掻下言借見思有尓去家人乎相見鶴鴨 眉根掻誰乎香將見跡思乍氣長戀之妹尓相鴨 眉根掻下伊布可之美念有之妹之容儀乎今日見都流香裳 一云まゆねかきたれをか見んとおもひつゝけなかくこひしいもにあへるかも 一云まゆねかきしたいふかしみおもへりしいもかすかたをけふ見つるかも
まゆねかきした 眉根のかゆきは誰か戀る故そといふかしく下に思つるに案の如古妻にあひしと也
一云 これも心は大形同次の一云も義相似たり
2615 しきたへの枕を巻ていもとわれぬるよはなくてとしそへにける
   敷栲乃枕巻而妹與吾寐夜者無而年曽經来
しきたへの枕をまき こゝろあきらか也
2616 おく山のまきのいたとををとはやみいもかあたりのしものうへにねぬ
   奥山之真木之板戸乎音速見妹之當乃霜上尓宿奴
おく山のまきの板戸 奥山のは槙といはん諷詞也槙は山中にあれは也真木は良木の板戸也板戸の音速く戸さして妹か閨にいれねは其邊の霜の寒き上にねしと也
2617 あしひきの山さくらとをあけ置てわかまつきミをたれとゝむる
   足日木能山櫻戸乎開置而吾待君乎誰留流
あしひきの山桜戸 八雲抄云桜戸桜の木にて作りたる也云々一説桜の陰の家也
2618 月よゝみいもにあはんと他ゝちからわれはくれとも夜そふけにける
   月夜好三妹二相跡直道柄吾者雖来夜其深去来
月よゝみいもにあはん たゝちとは直なる道也右作者未詳たらちねのはゝにさはらはと云より是まて百二首或本寄物陳思柿本人麻呂なる神のしはしとよみてといふ哥の下作者未詳あさかけにわか身はなりぬの上にあり
 
    寄テv物|陳《ノフ》v思ヲ 諸本目録皆云三百二首然今所有二百八十二首也
柿本朝臣人麻呂
寄テv物ニ陳フv思ヲ 名所神祇等よろつの物によせて我思ふ所を述る也或本是より以下の哥百四十九首こふる事慰めかねての下たらちねのはゝにといふ哥の上に在
2415 をとめらをそてふる山のみつかきのひさしきよゝりおもひきわれは
   處女等乎袖振山水垣久時由念來吾等者
をとめらを袖ふる 童蒙抄ニは五文字をとめこかと有て下句を思ひそめてきと有て注云人丸詠也人丸は天平(不審)の時の人也崇神天皇三年秋九月に都を磯城《シキ》にうつさしめ給ふ是を瑞垣の宮といへり委見日本紀されは久しきよゝりとはむかしよりといはんとてよめる歟八雲抄云袖振山吉野一説在對馬云々
2416 ちはやふる神のたもてるいのちをもたかためにかはなかくほりする
   千早振神持在命誰為長欲為
ちはやふる神の持る 神のたもてる命とは久しき長命也たとへは天照大神は廿五万歳|忍穂耳尊《ヲシホミヽノミコト》卅万歳等神道にいへるたくひ也かく久遠の壽命をも思ふかためこそほしけれと也
2417 いそのかみふるの神杉かみなれやこひをもわれはさらにするかも
   石上振神杉神成(イかミとなる)戀我更為鴨
いそのかみふるの神杉 類聚等の古点神なれやと有心は布留の神杉の久しきは神なれはさもあるへし我は神ならぬ戀をも更に久しくするとの心をふくめし落句なるへし仙覚は神となる戀をもと和しかへて注云戀死なんを神となるともいひなすへし又人の思ひ深く成ぬれは生なから霊に出るを神となる戀ともよみつへしと云々古点を可用
2418 いかならん神にぬさをもたむけはかわかおもふいもをゆめにたに見ん
   何名負(イなに/\の)神幣嚮奉者吾念妹夢谷見
いかならん神にぬさをも 餘りに戀兼て讀る成へし仙点何/\の神に云々如何
2419 あめつちといふ名のたえてあらはこそなれにわかあふことやミなめ
   天地言名絶有汝吾相事止
あめつちといふ名の 天地のあらんかきりは汝にあふ事やむましと也
2420 月見れはくにはおなしくやまへたてうつくしいもはへたてたるかも
   月見國同山隔愛(イめつらしイめくしき)妹隔有鴨
月見れはくにはおなしく 一輪の月下の国土なれは国は同くして山のみ隔てり是に付て我うつくしむ妹をへたてしか侘しきとふくめし哥なるへし
2421 くるみちははいしふむやまのなくもかもわかまつきみかうまつまつくも
   繰路者石(イいは)踏山(イやまも)無鴨吾待公馬爪盡
くるみちははいしふむ山 なくもかもはもかな也つまつくものも助字也
2422 いはねふみかさなるやまはあらねともあはぬひあまたこひわたるかも
   石根踏重成山雖不有不相日數戀度鴨
いはねふみかさなる 中に険阻はあらねともあふ事自由ならぬ歎き也いせ物語にてには少かへて義も少替リ
2423 みちのしりふかつしまやましはらくもきみかめ見ねはくるしかりけり
   路後深津嶋山暫君目不見苦有
みちのしりふかつ嶋 仙曰深津嶋山常陸國也みちのしりとは常陸は東海道の果なるゆへ也常陸の多※[言+可]郡|拆藻《タナメ》山をも風土記の哥にはみちのしりたなめの山とよめり畧註第一第二句はしはらくもといはん諷詞也しまとしはと同音なれはいひかけたり
2424 ひもかゝみのとかの山もたかゆへかきミきませるにひもとかすねん
   紐鏡能登香山誰故君來座在紐不開寐
ひもかゝみのとかの山 仙曰のとかの山可v勘2在所1ひもかゝみとは氷なるへし今の哥はのとかの山といふ諷詞にひもかゝミとをける也氷の鏡は長閑なるゆへ也哥心は君にまして思ふへき人もなく恐るへき人もなけれは誰故にか君か來ませるに紐とかてねんと也愚案此のとか山をこえて來る君を待えて悦ひたる心の哥也扨ひもかゝミのとかといひかけて下《シモ》ニ紐とかすねんといはん諷詞にせしなるへし或説に紐鏡は鏡袋の紐有也のとかはなときそといふ儀也なといへり髣髴の儀更に信用すへからす
2425 やましなのこはたの山にうまはあれとかちよりわれくなれをおもひかね
   山科(古來風―しろ)強田山(古來さとに)馬雖在歩吾(古そ)來(古くる)汝(古きミを)念不得
やましなのこはたの 汝を思ひかねてかちはたしにてくると深切をあらはす心也思ひかねは思ひ侘忍ひ兼る也
2426 とをやまにかすみたなひきいやとをみいもかめ見すてわかこふるかも
   遠山霞被益遐妹目不見吾戀
とをやまに霞たな引 一二句はいや遠見とといはん諷詞也心明也
2427 この川のせゝのしき浪しく/\にいもかこゝろにのりにたるかも
   是川瀬々敷浪布々妹心乗在鴨
この川のせゝのしき波 しき波はしきりによする浪也しく/\の諷詞也心にのるとは心にかゝる事也
2428 ちはや人うちのわたりの早き瀬にあはすありとものちもわかつま
   千早人宇治度速瀬不相有後我※[人偏+麗]
ちはや人うちの ちはや人此集七委注ちはや人は宇治の枕詞也早き瀬は早速の時をいふ也一二句は序也早くあはすとも後にも我妻相違あらしと也
2429 はしきやしあはぬこゆへにいたつらにこのかはのせにものすそぬらす
   早敷哉不相子故徒是川瀬裳襴潤
はしきやしあはぬこ 心明也
2430 此河のみなわさかまきゆくミつのことはかへらしおもひそめたり
   是川水阿和(イみなあは)逆纒行水事不反(イことかへさすそ)思始為(イてし)
此河のみなわさかまき 序哥也行水のかへらさる如く思ひ始《ソ》めし事はかへらし異変あらしと也類聚如v此和ス新点みなあはと和シ下句ことかへさすそ思ひそめてしと和ス義は大かた同し
2431 かもかはののちせしつけみのちも逢んいもにはわれはけふならすとも
   鴨川後瀬静後相妹者我雖不今
かもかはののちせ静けミ 見安云のちせは末の瀬也愚案一二句は後もあはんの諷詞也けふならすとも後にもあはん妹は我そと女のいへる也一説妹には我逢へとおとこのよめると云々或説後瀬しつけミとは先早河有て末にしつかなる流ある心也
2432 ことに出ていはゝゆゝしみやまかはのたきつこゝろをせきそかねたる
   言出云忌忌山川之當都心塞耐在
ことに出ていはゝゆゝしみ 口外せんは忌しく憚なからたきりて思ふ心は猶|難《カタシ》v堪《タヘ》と也
2433 水のうへにかすかくことき我命をいもにあはんとうけひつるかも
   水上如數書吾命(いのち)妹相受日鶴鴨
水のうへに数かくことき 上句は命のはかなき事也行水に数かくは消てはかなき故也うけひは袖中抄云日本紀に或は祈《ウケヒ》と書或は誓ともかけり祈狩と書てうけひかりとよめり古語拾遺云|誓槽《ウケフネ》古語ニ宇氣布祢《ウケフネ》約誓《ヤクセイ》の意云々愚案此哥心は今戀死ぬへきはかなきいのちを妹にあはんと誓約せし事かと也
2434 あらいそこえほかゆくなみのほかこゝろわれはおもはしこひてしぬとも
   荒礒越外徃波乃外心吾者不思戀而死鞆
あらいそこえほかゆく 一二句は外心の諷詞也あはて戀死とも君ならて外の心は思はしと也
2435 あふみのうみおきつしらなみしらすともいもかりといはゝなぬかこえこん
   淡海海奥白浪雖不知妹所云七日越來
あふみのうみおきつ 是も一二句は知らすともの諷詞也不知所なりとも七日路をも妹かり行んと也
2436 おほふねのかとりのうみにいかりおろしいかなるひとのものおもはさらん
   大船香取海慍下何有人物不念有
おほふねのかとりの 仙曰香取下総にもあれと今の哥に讀るは近江也前後近江の海の哥なれは也此集七高嶋のかとりの浦とよめる是也此哥發句に大船とよめるはかとりといはんため也梶取は大船にあれは也畧註愚案いかりおろしまてはいかなるといはん序也
2437 おきつもをかくさふ浪のいほへなみちへしき/\にこひわたるかも
   奥藻隠障浪五百重浪千重敷々戀度鴨
おきつもをかくさふ浪 奥《ヲキ》にある藻を隠しさはる波也かくさふ浪のいほへなみは重ね詞也いほへ波はいくへともなき波也扨上句はちへしき/\にといはんため也戀のいくへも淺からすしきりゆく心也
2438 人ことはしはらくわきもつなてひくうミよりましてふかくしそ思ふ
   人事暫吾妹縄手引從海益深念
人ことはしはらくわきも 人の口舌はしはらくの程にて只妹を深く思ふと也つなてひくは海といはん諷詞也
2439 あふみのうミおきつしまやまおきまけてわかおもふいもそことのしけゝん
   淡海奥嶋山奥儲吾念妹事繁
あふみのうミおきつ 奥嶋見安竹生嶋云々非也竹生嶋ならておきの嶋とて別に在一二句はおきまけての諷詞也詞林采葉ニおきまけては沖かけて也云々深くおもふといはんとて也
2440 あふみのうみおきこくふねにいかりおろしかくれてきみのことまつわれそ
   近江海奥榜船重下藏(イしのひて)公之事待吾序
あふみのうみおきこく 序哥也舟のいかりは水中に隠れたれはかくれてといはん諷詞也ことまつとはしわさをまつ也忍ひて事待我そと也
2441 かくれぬのしたにこふれはすへをなみいもか名つけつゆゝしきものを
   隠沼從裏戀者無為妹名告忌(イいむへき)物矣
かくれぬのしたに 童蒙抄云かくれぬとは上は草なと茂れる沼をいふ也愚案|隠沼《カクレヌ》は下にといはん諷詞也下にのミ戀れはすへなく苦しさにあらはして妹か名をも人に告たりゆゝしくいまはしきわさ哉と也但童蒙抄ニは妹か名つけそいむへき物をと有忍ふは無為《スヘナシ》とても告そと也
2442 おほつちもとれはつくれ世中につきせぬものはこにありけり
   大土採雖盡世中盡不得物戀在
おほつちもとれは 童蒙抄云おほつちとは大地と云也廣くて極めもなきによりてつきさる事にたとへたり
2443 こもりつのさはいつミなるいはねをもとをしておもふわかこふらくは
   隠處澤泉在石根通念吾戀者
こもりつのさはいつみ 此巻の奥にこもりつのさはたちみなると少詞かはれり仙曰こもりつとは下に隠れたる水也愚案沢泉は水わく沢也水の岩根を通《トヲ》してわく如く我戀の念力も如此と也
2444 しらまゆみいそへの山のときはなるいのちならはやこひつゝをらん
   白檀石邊山常石有命哉戀乍居
しらまゆみいそへの山 祇曰しらま弓礒へは枕詞也山はかはらぬ物なれはときはといへりときはなる命ならはこそ戀つゝをらめ明日をしらぬ命そとよめり命ならはやを常住にありたきやうには不可見
2445 あふみのうミしつくしら玉しらすしてこひせしよりはいまそまされる
   淡海海沈白玉不知從戀者今益
あふみのうミしつく 哥林良材云しつくは石なとの波にゆられあらはれかくるをいふ催馬楽にゑのはゐに白玉しつくやと云々愚案此哥一二の句はしらすしてといはん序也始めあひもしらて戀せしよりま見えてちかまさりせしと也
2446 しらたまをまきてもたれは今よりはわかたまにせんしるときたにも
   白玉纒持從今吾玉為知時谷
しら玉をまきて 玉に君を比して見知さりし時こそあれ知て我持たるは外にはやらしとの心也
2447 しらたまを手にまきてより忘れしとおもひしことはいつかやむへき
   白玉從手纒不忘念何畢
しらたまを手にまき 是も玉に君を比して心は明也
2448 うはたまのひましらみつゝひものをのむすひてしよりのちあふものか
   烏玉間開乍貫緒縛依後相物
うはたまのひましらミ うは玉はくらき夜をいへり心はくらき夜もやう/\明て閨の隙白くなりつゝ帰んとするにひもをむすひて出ゆかんのち又あはん物とも思はす別うき心なるへし
2449 かくやまにくもゐたなひきおほゝしくあひミしこらをのちこひんかも
   香山尓雲位桁曵於保保思久相見子等乎後戀牟鴨
かく山に雲ゐたなひき 一二句はおほゝしくといはん序也おほ/\しくほのミし人を後まて忘るましきかとの心也
2450 くもまよりさわたる月のおほゝしくあひみしこらを見るよしもかも
   雲間從狭徑月乃於保保思久相見子等乎見因鴨
くもまよりさわたる 雲間を渡る月の朧なるをおほゝしくの序によめり哥心明也
2451 あまくものよりあひ遠みあはすともあだしたまくらわれはまかめや
   天雲依相遠雖不相異手枕吾纒哉
あまくものよりあひ 見安云天地の遠き心也云々愚案天雲のはよりあひ遠みの諷詞也あたし枕はこと人とねる事也
2452 くもたにもしるくしたゝはなくさめに見つゝもしてんたゝにあふまてに
   雲谷灼發意遣見乍為及直相
くもたにもしるくし 君かあたりといちしるくたゝはと也見つゝもしてんは見もしてん也
2453 あをやきのかつらきやまにたつ雲のたちてもゐても妹をしそ思ふ
   春(イはる)楊(イヤなき)葛山發雲立座妹念
あをやきのかつらき 仙曰かつらき山大和也柳はかつらに似たれはあをやきの葛城山とつゝけたり又柳をかつらにすと見えたる哥もあまた侍也愚案序哥也
2454 かすかやまくもゐかくれてとをけれといへはおもはすきみをしそおもふ
   春日山雲座隠雖遠家不念公念
かすかやま雲ゐかくれて 奈良の故郷をはなれゐて遙に君を思ひやりてよめるなるへし
2455 わかゆへにいはれしいもはたかやまのみねのあさきりすぎにけんかも
   我故所云妹高山之峯朝霧過兼鴨
わかゆへにいはれし 女の親なとにをひうたれゆくを名立たる男の悲しみを思ひやる哥にや
2456 うはたまのくろかみ山のやますけにこさめふりしきます/\そ思ふ
   烏玉黒髪山山草(くさにイ)小雨零敷益益所念
うは玉のくろかみ山 黒髪山八雲抄下野云々山すけは麦門冬ぜうがひげ也第四句まては益々思ふの諷詞也
2457 おほのらのこさめふりしくこのもとにときとよりこよわかおもふひと
   大野小雨被敷木本時依來我念人
おほ野らの小雨 大野は内の大野化の大野の類也只廣き野なるへし家もなき大野に小雨ふれは木のもとによるをいひかけてたちよるへき時は今なれはよるへき時とより來《キタ》れと也物のさはり有なとして可v寄時稀なる中なるへし
2458 あさ霜のけなばけなまく思ひつゝいかでこのよをあかしなんかも
   朝霜消消念乍何此夜明鴨
あさ霜のけなバ 朝霜のは消なバの枕詞也けなまくはけぬへくお同此哥のかもは助字にや猶可思惟
2459 わかせこかはまゆく風のいやはやにはや事ましてあはすやあらん
   吾背兒我濱行風弥急急事益不相有
わかせこか濱ゆく風の 濱ゆく風のはいやはやにの諷詞也はや事ましてとは急にさかなき人事也うき事まさりてあはさらんにやとなるへし
2460 とをつまをふりあふき見てしのふるにこの月のおもにくもたなひくな
   遠妹(イつまの)振仰(イふりさけ)見(イ見つゝ)偲(イしのふらん)是月面雲勿棚引(イなたなひき)
とをつまをふりあふき見てしのふるに 類聚如此和して古点なるへし遠き所の妻を我ふり仰き月をてミて戀忍ふると也但新点は遠つまのふりさけミつゝ忍ふらんと有て遠妻のふりさけミて我を忍ふらんと也とまりくもなたなひきと和す古点雲たなひくなと可然か
2461 やまのはにさし出る月のはつ/\にいもをそ見つるこひしきまてに
   山葉追出月端端妹見鶴及戀
やまのはにさし出る 一二句ははつ/\にの序也
2462 わきもこかわれをおもはゝまそかゝみてりいつる月のかけに見えこね
   我妹吾矣念者真鏡照出月影所見來
わきもこかわれを まそかゝミは照出るつきといはん諷詞也妹か我を思はゝてる月に見え來よと也
2463 ひさかたのあまてる月のかくれなはなにのなそへていもをしのはん
   久方天光月隠去何名副妹偲
ひさかたの天てる 何のなそへては何のなそらへ有てかと也月をたに俤に准《ナソラ》へて慰みしのふるにとの心也
2464 みかつきのさやかに見えす雲かくれ見まくそほしきうたゝこの比
   若月清不見雲隠見欲宇多手(イて)比日
みかつきのさやかに 序哥也うたゝはうたてと同詞の助也
2465 わかせこにわかこひをれは我やとのくささへおもひうらかれにけり
   我背兒尓吾戀居者吾屋戸之草佐倍思浦乾來
わかせこにわかこひ 夫を思ひて月日ふるに秋も漸末に成て庭の裏枯に我思ひもこかれし心なるへし
2466 あさちはら小野にしめゆふそら事をいかなりといひてきみをはまたん
   朝茅原小野印空事何在云公待
あさちはらをのに しめゆふを云にいひかけて其いふ所の空言を何とことはり云て君を待へきそと也
2467 みちのへの草ふかゆりののちにてふいもがみことをわれはしらめや
   路邊草深(イふけ)百合之後云妹命我知
みちのへの草ふかゆり 草深ゆりは草深き所の遅く咲百合也|早百合《サユリ》は早きを云是は遅きなれは後にといはん諷詞によめり妹かみことは見安云|敬《ウヤマフ》心也愚案後にあはんといふ妹か御詞の実否知かたしと也難面くさま/\いひのかるゝ人なれは此たひも疑かはしきと也
2468 みなとあしにましれる草のしりぐさのひとみなしりぬわかしたおもひ
   潮(八しほ)葦交在草知草人皆知吾裏念
みなとあしにましれる 此五文字古点はしほあしにと和スル歟八雲抄しほあし万と有是也尤可然歟仙曰い草とは鷺尻刺《サキノシリサシ》といふ草也|藺《イ》の一名也|似《ニテ》v莞《スゲニ》而|細堅《ホソクカタシ》宜ク《ヘシ》v為《ツクル》v席《ムシロニ》云々愚案しりくさのまては人皆知ぬの諷詞也
2469 やまちさのしらつゆをもみうらふれてこゝろにふかくわかこひやまず
   山苦苣白露重浦經心深吾戀不止
やまぢさの白露重ミ 仙曰山ぢさとは木也田舎人はつさの木と云是也愚案見安には山ちさはいほたに似たる木也云々一二句はうらふれてといはん諷詞也露にしほれし心也
2470 みなとにねはふこすげのしのひずてきみにこひつゝありかてぬかも
   潮(イしほのえに)根延(イはへる)子菅不竊隠公戀乍有不勝鴨
みなとにねはふこすけ 小菅の下に根はひなから終には顕るゝを忍ひずてといはん諷詞に讀り忍ひかねて戀てたへかたしと也イ潮《ミナトニ》核《サネ》延《はフ》と有見安云湊に根の延《はフ》たる菅也云々
2471 やましろのいつみのこすけをしなみにいもかこゝろをわかおもはなくに
   山代泉小菅凡浪妹心吾不念(イわれはおもはす)
やましろのいつミの 山城|相樂《サカラノ》郡泉川の菅なるへしをしなみはをしなひかす事なるを押なへてには思はすと云也類聚ニは如此新点は落句われは思はすと有
2472 見わたせはみむろの山のいはほすけ 一云みもろのやまのいはこすけ しのひてわれはかたおもひをする
   見渡三室山石穂菅惻隠(イしのひに)吾片念為 三諸山之石小菅
見わたせはみむろの 三室山三諸山と同大和也いはほ菅は忍ひての諷詞也前ニ注ス
2473 すがのねのしのびに君がむすびてしわかひものをゝとくひとあらめや
   菅根惻隠君結為我紐緒解人不有
すかのねの忍ひに 外の人にはとかせじと也
2474 やますけのみたれ戀のみせさせつゝあはぬいもかもとしはへにつゝ
   山菅乱戀耳令為乍不相妹鴨年經乍
やますけのみたれこひ 山菅は乱の枕詞也乱戀は戀にみたれし心也
2475 わかやとののきのした草おふれともこひわすれくさ見れどまだおひず
   我屋戸甍子太草雖生戀忘草見未生
わかやとの軒の下草 心明也
2476 うつ田にもひえはかすあまた有といへとえられしわれそよるひとりぬる
   打田稗數多(イさは)雖有擇為我夜一人宿
うつ田にもひえは数 うつ田はうつとは物をほむる詞也よき田也良田にも稗は撰捨るゝ物なから猶数多あり撰捨られし我は夜只独ぬると也
2477 あしひきの名におふ山すけをしふせてきみしむすバゝあはずあらめや
   足引名負山菅押伏君(イ公)結不相有哉
あしひきの名におふ 山すけといふ草なれは足引の名におふと云也序哥也菅は結ふ物なれは也
2478 あきがしはぬるやかはへのしのゝめにひともあひミじきみにまさらし
   秋柏潤和川邊細竹目人不顏面君不勝
あきかしはぬるや川邊 見安ニは河邊の石(不用)のぬれたるを云也云々但八雲抄ニは朝柏秋柏皆柏也云々又ぬるや川名所の部に注せさせ給へり定家卿「夏出てぬるや河へのしのゝめに袖吹かふる秋の初かも拾遺愚案名所無疑家長「見るまゝに色に出ゆく朝柏ふるや時雨のしのゝめの空是秋色付し柏也秋の柏のしのゝめのぬれ色うつくしきに君を思ひ出て人も逢はしと云也
2479 さねかつらのちにあはんとゆめにのミうけひわたれととしはへにつゝ
   核葛後(イのちも)相夢耳受日度(イうけひそわたる)年經乍
さねかつらのちもあはん さねかつらは枝はひわかれて末に行あふ事有を後に逢んといはん諷詞にをけり哥心は思ひねなとの夢にのミは今こそあらめ後にはあはんと誓《チカ》ふと見れと只年はへつゝあはすと歎く心也是類聚の和古点なるへし新点ニは後もあはんと夢にのミうけひそわたると和す一たひの後も逢んと夢中にのミちかひわたりて年へつゝ現にはあはすと歎く心也可随所好
2480 みちのへのいちしの花のいちしろくひとみなしりぬわかこひつまは 一云ひとしりにけりつぎてし思へは]
   路邊壹師花灼然(古來風―しるく)人皆知我戀※[人偏+麗](古來風―も)人知尓家里継而之念者
みちのへのいちしの花 八雲抄いちしの花 羊蹄《ヤウテイ》云々和名云※[草冠/重]《チク》羊蹄《草冠/宋》也和名シフクサ一云シ一二句はいちしろくの諷詞也哥心明也仙覚はいちしの花はいちこの花といへり不v勘2古実ヲ1にや
2481 おほのらのあとかたしらすしめゆひてありともえめやわかかへりミん
   大野跡状不知印結有不得吾省
おほ野らのあとかた 廣大の野のそこともなくしめゆふとも得かたからん得かたき物をえんとせんより我かへり見ぬへけれは我を思へと也
2482 みなそこにおふる玉ものうちなひきこゝろをよせてこふるこのころ
   水底生玉藻打靡心依戀比日
みなそこにおふる玉も 一二句は打なひきの諷詞也打|靡《ナヒ》き諷詞也一向なと云心也
2483 しきたへのころもてかれてたまもなすなひきかぬらんわをまちがてに
   敷栲之衣手離而玉藻成靡可宿濫和乎待難(イかね)尓
しきたへの衣手かれて 衣手かれては夫妻の中の久く隔たりし心也玉もなすはなひきの諷詞也わをは我を也我を待かねて打靡きしほれふすらんと也
2484 きみこずはかたみにせんとわれふたりうへし松の木きみを待出ん
   君不来者形見為等我二人殖松木君乎待出牟 一作ル2来牟ニ1
きみこすはかたみに 松の木まては待出んといはん諷詞也
2485 そてふるをミるへきかきりわれはあれと其まつかえにかくれたりけり
   袖振可見限吾雖有其松枝隠在
そてふるをミるへき 君か袖振行を見送る限有てそこ迄と思ふに松に隠れてミえすと也
2486 ちぬのうみのはまへの小松ねふかめてわかこひわたるひとのこゆへに 一云ちぬの海のしほひのこまつねもころにこひやわたらんひとのこゆへに
   珍海濱邊小松根深吾戀度人子妬 血沼之海之鹽干小松根母己呂尓戀屋度人兒故尓
ちぬのうみのはまへの ちぬの海津の国也一二句は根深めての諷詞也我物にもあらぬ女子故に深く戀渡ると也一云しほひの小松は干※[さんずい+写]の松也小松の根をねもころにと云懸し也
2487 ならやまのこまつかうれにあれこそはわかおもふいもにあはすやみなめ
   平山子松末有廉叙波我思妹不相止看
なら山の小松かうれ なら山の小松は人に逢沙汰なき物也小松かうへならねは妹にあはてはやまじと也あれこそはとはあらはこそ也
2488 いそのうへに立まふたき心いたくなにゝふかめておもひそめけん
   礒上立廻香瀧心哀何深目念始
いそのうへに立まふ瀧 いそのうへ師説|石《イシ》の上《ウヘ》也立まふは瀧の不絶おちかゝるが立もとをるやうなるをいへり瀧の心いたくとは瀧つ心のいためる也下句明也あたなる人を深く思ひ初てくやめる哥なるへし
2489 たちはなのもとにわれたちしつえとりなりぬやきみととひしこらはも
   橘本我立下枝取成哉君問子等
たちはなのもとに 橘のもとに我立ゐたる時其下枝を取て此橘はなり候哉と問し女子は忘れかたしと也人のあふ事をなるといへはなるへし
2490 あまくもにはねうちつけてとふたつのたつ/\しかもきミしまさねは
   天雲尓翼打附而飛鶴乃多頭々々思鴨君不座者
あまくもにはねうちつけて 序哥也はねうちつけては羽を雲とひとしく飛也たつ/\しかもはたと/\しきかなといふ心也君しのし助字也
2491 いもこふといねぬあさけにをしとりのこゝにわたるはいもがつかひか
   妹戀不寐朝明男為鳥從是此度妹使
いもこふといねぬ朝け 妹をこひて其音つれをまつ折は鴛の渡るをも其使かと思へる心也王母か使に青雀きたり天孫の使に無名雉のきたりしたくひを可思
2492 おもふにしあまりにしかはにほとりのあしぬれくるを人見けんかも
   念餘者丹穂鳥足沾來人見鴨
おもふにしあまりにし 鳰鳥は水にうかひて足ぬるゝ物なるを諷詞によみておもふあまりに我おりたち足ぬれて來るさまを人や見けんと也
2493 たかやまのみねゆくしゝの友おほみそてふりこぬをわするとおもふな
   高山峯行完(イしかの)友衆袖不振來忘念勿
たか山のみねゆくしゝ たか山大和也一二句は友おほみといはん序也伴(?)ふ人目おほくて我独はふりはなれて來かたきを忘てこぬと思ふなと也鹿は友多き物なれはなるへし
2494 おほふねにまかぢしげぬきこぐほどをいたくなこひそとしにあるいかに
   大船真楫(戈あり)繁拔榜間極太戀(いたくそ戀る)年在如何
おほふねにまかち 大船に梶しけくぬきてかくこきくるをさのみいたくな待戀そ七夕なとの中の年にあるはいかにと也或本ニいたくそ戀ると和尤可然歟義は大方同シしけぬきは八雲の点也
2495 たらちねのはゝのかふこのまゆごもりこもれるいもを見るよしもがも
   足常母(古來風―おや)養子眉隠隠在妹見依鴨
たらちねのはゝのかふこ 足常母《タラチネノはヽ》は養子《カフコ》の諷詞也かふこはかいこ也扨|眉《マユ》ごもりとつゝけたり上句は序也母なと立そひて深窓に養《ヤシナ》ふ女を見たきと也
2496 うま人のひたいがみゆへるそめゆふのそめしこゝろをわれわすれめや 一云わすられめやも
   肥(イこえ・こま)人(はた人)額髪結在染木綿染心我忘哉 所忘目八方
うま人のひたい 日本紀ニ君の字をうまひとゝよめり前にうま人さびてと有イこえひとこえたる人にやイこま人こまかにうつくしき心なるへし見安ニは高麗人と注せり如何八雲御抄にははた人とあり古本肌人とかけるにや是は秦の氏人にや神事に木綿かつらせし事を額髪ゆへる染木綿といへるなるへし見安云そめゆふは紫の糸也愚案元服なとに紫のくみの糸にて髪ゆふを初もとゆひのこ紫と讀るたくひなるへし染し心といはん序哥にて何も義に害なけれは并註し侍
2497 はやひとのなにおふ夜こゑいちしろくわか名をいひてつまとたのまん
   早人名負(イなのりの)夜音灼然吾名謂(イいはし)※[人偏+麗]恃
はやひとのなにおふ 隼人は犬の声をなして守護《シユゴ》し侍る物也日本紀曰|火酢芹命苗裔《ホノスソリノミコトノノチ》諸ノ隼人《はイトン》等至ルマテv今ニ不v離2天皇宮墻(木偏)之傍《スメラミコトノミヤカキノモトヲ》1代吠《ヨヽニホユル》狗シテ而|奉事者也《ツカフマツルモノナリ》 この集より後の事なから延喜式隼人曰凡元日又即位及|蕃客《はンカク》入朝等ノ儀ニ左右ノ群臣初テ入テ今來《イママイリノ》隼人|發《タツル》2犬《イヌノ》聲ヲ1三節畧註この隼人の犬のこゑを名におふ夜こゑといふなるへし扨一二句はいちしろくといはん諷詞也あさやかに我名を告て妻と頼まんと也イ吾名謂をわかなをいはじと和スさはよみかたく義もよろしからぬにや
2498 つるぎたちもろはのときに足をふみしにゝもしなんきみによりては
   剱刀諸刃利足踏(古來風―のほりたち)死死公依
つるぎたちもろは 詞林采葉云つるきたちは剱と刀とにはあらす両方に刃《は》のある也剱といふ物に似たり愚案哥心明也
2499 わきもこにこひしわたれはつるきたち名のおしけくもおもほえぬかも
   我妹戀度劔刀名惜念不得
わきもこにこひし渡れは つるきたちには銘あれは名といはん諷詞也前に註哥心は明也
2500 あさづくひむかふつげくしふりぬれとなにしかきみか見れどあかれぬ
   朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽
あさつくひむかふ 朝月日は向といはん枕詞也むかふつげくしとは見安云|櫛《クシ》は髪けづる時我にむかふ故也云々一二句はふりぬれとといはん序也月日ふれとも君を見あかぬは如何と也
2501 さととをみうらふれにけりまそかゝみゆかのへさらすゆめには見えよ
   里遠省浦經真鏡床重不去夢所見與
さととをみうらふれに 通ふは遠くてうらふれたれは床上さらぬ夢に近くミえよと也まそ鏡は床上さらすの諷詞也鏡は坐右をはなさぬものなれは也或説ニまそ鏡は見えよの諷詞也
2502 まそかゝミてにとり持てあさなさな見れともきみをあくこともなし
   真鏡手取以朝朝雖見君飽事無
まそかゝみてにとり 上句は見れともといはん序也鏡は朝ニ見れは也
2503 ゆふされはゆかのへさらぬつけまくらいつしかなれがぬしまちかたし
   夕去床重不去黄楊枕射然(イされとも)汝主待固(イかたき)
ゆふされはゆかのへさらぬ なれがとは枕をさしていふ詞也夕には床上をさらて此つげ枕はをくといへといつしか此枕の主なる君はうとくなりて待えかたしと也諸本如v此但類聚ニはされともきみをまてはくるしきと有古本文字かはりたるなるへし射然と雖然と似たり汝主をきみと讀るにや待固と待困と似たりかやうの事にも侍へけれと今随2諸本1者也
2504 ときぎぬのこひミたれつゝうきてのミまなごなすわかこひわたるかも
   解衣戀亂乍浮沙生吾戀度鴨
ときゝぬのこひミだれ 解衣は乱るゝ物なれは戀乱の諷詞也まなごなすとは数不v知との心にや戀ミたれうかれて数も不知戀渡るといふ心也
2505 あづさゆみひきてゆるさすあらませはかゝるこひにはあはざらましを
   梓弓引不許有者此有戀不相
あつさ弓ひきて ひきてゆるさすとは弓をたもちてはなたぬを云也それを君か逢事をゆるしてなましゐに逢初てのち戀のうきめにあふを歎く心成へし
2506 ことたまのやそのちまたにゆふけとふうらまさにいへいもにあひよらん
   事霊八十衢夕占問占正謂(古來風―せよ)妹相依(あはんよし古)
ことたまのやその 詞林采葉云ことたまとは詞也見安云ことたまのやそのちまたとは人の詞のおほかるを云也愚案道に出てゆきかふ人の詞を聞て其吉凶を占なふに占正によくいへ妹に相よらんと也
2507 たまほこのみちゆきうらにうらなへはいもにあはんとわれにいひつる
   玉桙路徃占占相妹逢我謂(イつけてき)
たまほこのみちゆき 道ゆきうらといふも辻占なときく心なるへし
 
問答 二十九首
 
二首     柿本朝臣人麻呂九首問答
2508 すめろきのかみのミかとをかしこみとさふらふときにあへるきみかも
   皇祖乃神御門乎懼見等侍從(イさもらふ)時尓相流公鴨
すめろきの神のみかと 此以下九首或本寄v物陳v思「玉ほこの道ゆきうらの下に在すめろきの神のみかととは帝をたつとミたる詞也かしこミはおそるゝ心也宮|仕《ツカヘ》人なとの君をおそれなからとのゐ所にてなどあひミし心にや
2509 まそかゝみ見つともいはめや玉きはるいはかきふちのかくれたるつま
   真祖鏡雖見(イ見とも)言哉玉限石垣淵乃隠而在※[人偏+麗]
まそかゝみ見つとも ますかゝみは見つともといはん諷詞也玉きはるは魂極りしゝまる心と詞林采葉にいひし其心かなふへし岩垣渕の冷しきに魂しゝまるやうなるを岩垣渕の諷詞にをけり岩垣にかくれたる渕をいひてかくれたるの諷詞にをく也哥心は前の君をおそれなからあひ見し中の答のうたなれは必相見しともいはしかくれたるつまなれはとよめるなるへし
 
    三首    
2510 あかこまのあがきはやくはくもゐにもかくれゆかんぞそてまくわきも
   赤駒之足我枳速者雲居尓毛隠徃序袖巻吾妹
あかこまのあかき あかき 前足早く歩む形也駒たに早くは及はぬ雲ゐにも忍ひ至りて袖枕し逢へしと也
2511 かくらくのとよはつせちはとこなめのかしこき道そこふらくはゆめ
   隠口乃(イこもりくの)豊泊瀬道者常滑乃恐道曽戀由眼
かくらくのとよはつせ 隠口 類ニはかくらくの新点こもりくの とこなめは常に岩野なめらに恐ある道そと也我を戀バ此道に努努油断せてこよとの哥也とよ初瀬路とは豊は禁中御事に云雄略の都なれは也
2512 あちさけのみもろの山にたつ月の見かほりきみか馬のあの音そする
   味酒(イうまさかの)之三毛侶乃山尓立月之見我(イみ)欲(イほ)君(イき)我(イわか)馬之足あし音曽為
あちさけのみもろ 序哥也立月の三日とうけて見まほしき君か馬の足をとすると也イニはみかほきわかうまのあしをとそするとよめりみかほきもミまほしき也アカコマノウタニ答タルヘシ
 
    二首
2513 なるかみのしはしとよみてさしくもりあめのふらはやきみかとまらん
   雷神小動(イうこきて)刺雲雨(イあめも)零耶君(イきミも)將留
なるかみのしはしとよみ とよみはなりひゝく也
2514 なるかみのしはしとよみてふらずともわれはとまらんいもしとゝめは
   雷神小動(イうこきて)雖不零吾將留妹留者
なるかみのしはし 是は前の哥の答也雨のふらはや君かとまらんといふに答てたとひふらすとも妹かとゝめはとまらんと也
 
    二首    
2515 しきたへのまくらうこきてよるもねすおもふひとにはのちもあはんも
   布細布枕動夜不寐(イよねられす)思(イおもひし)人(イひとに)後相物
しきたへのまくら 夜をもねすして思ふ人にはかくてのミはえやむましのちも逢んと也
2516 しきたへのまくらせし人ことゝへやそのまくらにはこけむしにたり
   敷細布枕人事問哉其枕苔生負為
しきたへのまくら 後もあはんとはのたまへときたらて枕に苔生したりと也
 
2619 あさかげにわか身はなりぬからころもすそのあはずてひさしくなれは
   朝影尓吾身者成辛衣襴之不相而久成者
あさかげにわか身は 或本是より以下月夜よみ妹にあはんとゝ云哥の次にあり朝かけにとは見安影のやうにやせたると云心也云々猶奥の夕つゝに暁闇のといふ哥ニ委注唐衣すその迄はあはすての諷詞也久しくあはで痩《ヤセ》しと也
2620 ときゝぬのおもひみたれてこふれともなそながゆへととふ人もなし
   解衣之思乱而雖戀何如汝之故跡問人毛無
ときゝぬのおもひ亂て ときゝぬは亂の諷詞也なそなが故とはなそや汝か思ひ亂る故はと問人もなしと也
2621 すりころもきると夢見つうつゝにはいつれのひとのことかしげけん
   摺衣著有跡夢見津寤者孰人之言可將繁
すり衣きると夢ミつ 衣をきるは肌馴るなれは逢ん瑞夢をも見るに現には自由に逢かたきは何人の事かしけくさはるらんと也
2622 しかのあまのしほやき衣なるといへとこひてふものはわすれかねつも
   志賀乃白水郎之鹽焼衣雖穢戀云物者忘金津毛
しかのあまのしほやき衣 此志賀は筑紫也一二句はなるといへとといはん諷詞也未逢ほとは逢馴は戀を忘んと思ひしに馴るといへとも戀は忘兼つと也
2623 くれなゐのやしほのころもあさなさななれはすれともましめつらしも
   呉(イから)藍之八塩乃衣朝旦穢者雖為益希將見裳
くれなゐのやしほの 上句は馴はすれともの序也紅の八入とは度々染し濃紅也まし珍しとはまして珍しと也呉藍類聚ニはからあゐ云々
2624 くれなゐのこそめの衣いろふかくそみにしかばかわすれかねつる
   紅之深染衣色深染西鹿齒蚊遺不得鶴
くれなゐのこそめの衣 序哥也深く心に染しかはにや忘かねしと也
2625 あはなくにゆふけをとふとぬさに置にわかころもてはは又そつぐへき
   不相尓夕卜乎問常幣尓置尓吾衣手者又曽可續
あはなくにゆふけを 袖を幣に切てたひ/\夕卦問心也ぬさ手向なとに袖をきる 古今集に「手向にはつゝりの袖もきるへきにと讀るにて知へし不逢故度々夕|卜《ケ》問《トヒ》幣に袖を切に猶逢ねは切し袖を又そ繼へきと也
2626 ふるころもうちすてひとはあきかせのたちくるときにものおもふものそ
   古衣打棄人者秋風之立来時尓物念物其
ふるころもうち捨人 古衣は打捨人の枕詞也捨られし身を云也
2627 はねかつらいまするいもかうらわかみえみミいかりみきてしひもとく
   波祢蔓今為妹之浦若見咲見慍見著四紐解
はねかつらいまする 見安云玉かつら也おさなき時のかつら也愚案一二ノ句はうらわかみといはん諷詞也若き人の笑怒《エミイカリ》さま/\して相語らふといへるなるへし
2628 いにしへのしつはたおひをむすひたれたれといふひともきみにはまさじ 一云いにしへのさをりのおひをむすひたれたれしのひともきみにはまさし
   去家之倭文旗帶乎結垂孰云人毛君者不益 古之狭織之帶乎結垂誰之能人毛君尓波不益
いにしへのしつはたおひ いにしへのとは古きは也しつはた帶は賤の織し布の帶也上句はたれといはん序哥也一云さをりの帶はせまく織し帶也誰しのし助字也
2629 あはすともわれはうらみじこのまくらわれとおもひてまきてさねませ
   不相友吾波不怨此枕吾等念而枕手左宿座
あはすともわれはうらみし 枕を形見に遣てよめるうたなるへし
2630 むすふひもとかん日とをみしきたへのわかこまくらにこけおひにけり
   結紐解日遠(古來風―し)敷細吾木枕蘿生來
むすふひもとかん日 あひミる日の久しく隔たれるをいへる哥也
2631 うはたまのくろかみしきて長きよをたまくらのうへにいもまつらんか
   夜干玉之黒髪色天長夜叫手枕之上尓妹待覧蚊
うはたまのくろかみ 心明也
2632 まそかゝみたゝにしいもをあひ見すはわかこひやましとしはへぬとも
   真素鏡直二四妹乎不相見者我戀不止年者雖經
まそかゝみたゝにし 鏡は見すはといはん枕詞也句を隔て枕詞を受る事此集におほし
2633 まそかゝみ手にとりもちてあさなさな見んときさへやこひのしけゝん
   真十鏡手取持手朝旦將見時禁屋戀之將繁
まそかゝミ手にとり持 上句は見んときさへやの序也逢ミぬ時は戀るも理《コトはリ》也見るときさへやと也
2634 さととをみこひわひにけりまそかゝミおもかけさらすいめに見えこそ
   里遠戀和備尓家里真十鏡面影不去夢所見社
さととをみ戀わひに まそ鏡は面影の諷詞也夢に見えこそとは夢に見えこよ也
2635 つるきたち身にはきそふるますらおやこひてふものをしのひかねてん
   剱刀身尓佩副流大夫也戀云物乎忍金手武
つるきたち身にはき かくたけき身の戀には堪兼へきかはと也
2636 つるきたちもろはのうへにゆきふれてしにかもしなんこひつゝあらすは
   剱刀諸刃之於荷去觸而所殺鴨將死戀管不有者
つるきたちもろはの しにかも死なんは重詞也戀つゝあらすは前注
2637 うちなけきはなをそひつるつるきたち身にそふいもかおもひけらしも
   哂(イうちわらひ)鼻乎曽嚏鶴劔刀身副妹之思来下
うちなけきはなをそ イうちわらひと点ス哂玉篇に|哂式忍切《シンはシキニンノカヘシ》笑也と云々しかれはうちわらひ可然歟但諸本うちなけき釼刀は身にそふの諷詞なり人に思はるれははなひるといふ也
2638 あつさゆみすゑのはらのにとかりするきみかゆつるのたえんと思へや
   梓弓末之腹野尓鷹田為君之弓食之將絶跡念甕屋
あつさ弓すゑのはらの 末腹野参河也梓弓は末といはん諷詞也とかりは射取狩也梓弓といふより君か弓絃といふまては絶んの序也とてもあふましけれはたえんとおもへと也
2639 かづらきのそつひこまゆみあらきにもたのめやきみがわかなつけけん
   葛木之其津彦真弓荒木尓毛憑也君之吾之名告兼
かつらきのそつひこま弓 見安云仁徳天皇の后|岩《イは》の姫は葛城襲津彦《カツラキノソツヒコ》のむすめ也然は弓を作るにはあらす弓をよく射し人歟愚案神功皇后の時|新《シン》姫を撃《ウツ》日本紀ニ在其弓に其人の名をよふ事彼|穴穗括箭《アナホヤ》輕《カル》括箭の類成へし此哥あらきにもこのめやとは弓の荒木は藤も巻すぬりもせぬをいへはまた婚礼《コンレイ》の儀も定ぬほとをたとへてよめるにやきみかわか名はにかねてにもわかつまとたのめやとみつからいへる心にや名告るとは嫁娶《カシユ》を定るをいへは也
2640 あつさゆみひきミゆるへみこすはこずこはこそをなそこずはこそそを
   梓弓引見弛見不来者不来来者其其乎奈何不来者来者其乎
あつさゆみひきミゆるへミ 弓はひけは來ゆるへれはこぬを序哥によみてこすはこすにてをくへき來はこそは待へきをなそ來ぬをまたんこすは待ましきこはそれを待んとよめるなるへし此哥待といふ詞をいはて全躰待心をよめり拾遺集雑戀に人丸の哥とて下句こはこそなをそよそにこそ見めと有心少|異《コト》也
2641 ときもりのうちなすつゝミかそふれはときにはなりぬあはぬもあやし
   時守之打鳴鼓數見者辰尓波成不相毛恠
ときもりのうちなす 打ならす也古今にかきなす琴のとあるも同來へき時に成て逢ぬもあやしきと也
2642 ともしひのかけにかゞよふうつせみのいもかえめりしおもかけに見ゆ
   燈之陰尓蚊蛾欲布虚蝉之妹蛾咲状思面影尓所見
ともしひのかけ かゝよふ見安云うつくしくあさやかなる姿也愚案かゝよふはかゝやく心にや空蝉の妹とはうつくしき妹也詞林采葉にかゝよふはほのか也云々如何
2643 たまほこの道ゆきつかれいなむしろしきてもきみをミんよしもかも
   玉戈之道行疲伊奈武思侶敷而毛君乎將見因毛鴨
たまほこの道ゆきつかれ 上句は道行つかれては筵しきて休む事をしきてといはん諷詞によみて下句しきてもきみをとはしきりて見んよしも哉と也まれなるを歎く也
2644 をばたゞの板田のはしのこほれなはけたよりゆかんなこひそわきも
   小墾(イはり)田之板田乃橋之壊(イくつれ)者從桁將去莫戀吾妹
をはたゝのいたゝの橋 イをはりたの万葉諸本如v此但基俊哥「夜はくらしいもはた戀しおばただの板田の橋をいかゝふまゝし仲實哥にも「けたおちて苔むしにけりおはたゝの板田のぬまにわたす棚橋とよめり或抄にをはたゝは所の名也と云々然は基俊の点をはたゝにや俊成卿の古來風体にも其通り也をはたゝと讀事両流也 八雲抄板田橋摂津と有哥心はたとひ我かよふ此橋板は朽こほるゝともけたよりゆかんさのミこひわひそとたのむる心なるへし追考類聚おはたゝと有
2645 みやきひくいつミのそまにたつたみのやむときもなくこひわたるかも
   宮材引泉之追馬喚犬二立民乃息(イやすむ)時(イとき)無戀度可聞
みやきひくいつみの いつみのそま和泉にや八雲抄ニは大和云々哥心は序哥也心明也類聚如v此和ス新点やむ時なくも
2646 すみの江のつもりあひきのうけのをのうかひかゆかむこひつゝあらすは
   住吉(すミよしのイ)乃津守網引之浮笶緒乃得干(イかミ)蚊將去戀管不有者
すみの江の津もり 祇曰上は序の詞也如v常うかひかゆかんとはかゝる戀をせすは浮ふ事もあるへき物をと也愚案つもりあびきは津守の網引也戀つゝあられすは浮れ行かせんと師説也両説可随所好歟
2647 よこくものそらにひきこすとをみこそまことうとからめたゆとへたつや
   東細布從空延越遠見社目言踈良米絶跡間也
よこ雲のそらに引こす 横雲の空に引來る遠見こそ疎からめ我中は絶ると隔んやと也|間也《ヘタツヤ》は隔んや也隔つましきと心也
2648 とにかくに物はおもはすひたひとのうつすみなはのたゞひとすぢに
   云(イかに)云物者不念斐太人乃打墨縄之直一道二
とにかくに物は思はす ひた人とは昔飛騨国より番匠参し也是を飛騨|匠《タクミ》と云也祇曰一筋に人を思ふ外にはとにかくに物は思すといへり
2649 あしひきの山田もるおのをくかひのしたこかれのみわかこひをらく
   足日木之山田守翁置蚊火之下粉枯耳余戀居久
あしひきの山田もる 蚊火とは六百番哥合俊成卿ノ説ニ曰ク田をもる廬の下に火をくゆらかして鹿をも蚊をも払ひ去しむると云々此哥序哥也
2650 そきいたもてふける板まのあはさらはいかにせんとかわかねそめけん
   十(イ寸)寸板持盖板目乃不令相者如何為跡可吾宿始兼
そきいたもてふける そき板はへき板にやイ本寸寸板《スキイタ》は杉板なるへし是も一二の句はあはさらはといはん序哥也若中絶せられんよりはしめよりあはてあらん物をもしかくて逢すあらはと也近まさりして讀る成へし
2651 なにはびとあしびたく屋のすゝたれどをのがつまこそとこめづらしき
   難波人葦火燎屋之酢四手雖有己妻許増常目頬次吉
なには人芦火たく屋 此哥童蒙抄には難波めのと有て難波女とは津の国の女也すゝたれとはすゝたれたれと也云々本のかはりにや難波人を可用之俊成卿も用給へれとミゆ哥心は芦火たく屋のつまはすゝたれたれとも我つまはあひミるごとにめつらしきと也とこはつねにの心也
2652 いもかかみあけさゝはのゝはなれごまあれゆきけらしあはぬおもへは
   妹之髪上小竹葉野之放駒蕩去家良思不合思(イおもひ)者
いもかかみあけさゝは野 妹か髮はあけといはん諷詞也上笹葉野は津の国也俊頼「あひきする三津の濱へにさはかれて上さゝはのへたつ帰る也と讀る也妹が髮の哥上句は序也君か此比あはぬを思へはあらぬ物に心のあれゆきしにやと也
2653 うまのをとのとゞともすれは松かけにいてゝそ見つるもしはきみかと
   馬音之跡杼登毛為者松蔭尓出曽見鶴若君香跡
うまのをとのとゝ 動《トヽ》也とゝは馬の足音成へし
2654 きみこふといねぬあさけにたれのれる馬のあしをとぞ我れにきかする
   君戀寝不宿朝明誰乗流馬足音吾聞為
きみこふといねぬ朝け 君か馬かと驚く心也
2655 くれなゐのすそひく道を 一云すそつく河を なかにをきてわれやかよはんきみやきまさん 一云まちにかまたん
   紅之襴引道乎 須蘇衝河乎 中置而妾哉將通公哉將来座 待香將待
くれなゐのすそひく 赤裳なと引通路也一云ともに心は明也
2656 あまとぶやかるのやしろのいはひづきいくよまであらんかくれづまそも
   天飛也輕乃社之齊槻幾世及將有隠嬬其毛
あまとふやかるの社の  天飛鳫といひかけて也|輕《カル》の社八雲抄大和云々祝ひ槻は童蒙抄神なと祝たる森の木なるへし云々序哥也忍ひ/\の中を侘たる心なるへし
2657 かみなひにひもろきたてゝいむといへどひとのこゝろはまもりあへぬも
   神名火尓紐呂寸立而雖忌(イいはへとも)人心者間守不敢物
かみなひにひもろき立て 見安云ひもろきは玉かき也愚案ひもろき神秘とそ仙曰ひもろき胙《ヒモロキ》此字を書たり神籬と書たる事も有先祖の廟をまつるを云也愚案此哥は神南山に神籬《ヒモロキ》立て物いミしまつるといへと人の心は神もまもりあへずと也我心からの戀なれはせんかたなき心なるへし
2658 あまぐものやへ雲がくれなるかミのをとにのみやもきゝわたりなん
   天雲之八重雲隠鳴神之音尓耳八方聞度南
あま雲のやへくも 序哥也をとにのミ聞てやあらん直に逢見たきと也
2659 あらがへは神もにくみすよしゑやしよそふるきみがにくからなくに
   争者神毛悪為縱咲八師世副流君之悪有莫君爾
あらがへは神もにくミす よそふる君とはその人とあふならんなとをしあてによそへいはるゝと也しゐてなき名とあらがへは神は真偽を知て我をにくむへしよし/\よそへらるゝ君にくからぬにあらかはじと也
2660 よならべてきみをきませとちはやふるかみのやしろをねがぬひはなし
   夜並而君乎來座跡千石破神社乎不祈(イほきぬ)日者無
よならべてきみを 夜並ては毎夜也ねがぬは祈ぬ日はなしと也
2661 たまぢはふ神をもわれはうちすてきしゑやいのちのおしけくもなし
   霊治波布神毛吾者打棄乞四恵也壽之※[りっしんべん+?]無
たまちはふ神をも我は 童蒙抄云たまちはふとはあらたに霊のあらはれて光り飛といふなるへししえやはよしやと云也云々袖中抄云たまちはふ神とはたまはたましゐ也ちバふはたバふといふ歟たバふはたまふ也たましゐを給ふ神と云也其神をもうち捨て命おしからずとよめる歟ちとたと同五音なり愚案範兼卿顕昭法師いつれも先達の説両説可v随2所好ニにや見安云たまちはふはたましゐをちらす心也云々是童蒙抄の説に随ふなるへし仙覚は神道は物を見そなはす事みち早くおはしませはたましゐ道早き神をも我はうち捨つとよめる也云々此説は範顕の両説をも見す私の義を立たるにや不v足《タラ》v用ルニ歟
2662 わきもこに又もあはんとちはやふるかみのやしろをねかぬ日はなし
   吾妹兒又毛相等千羽八振神社乎不祷(イほきぬ)日者無
わきもこに又もあはん ねかぬは祈ぬ也イほきぬ不v祈とも書義は同
2663 ちはやふるかみのゐがきもこえぬへしいまはわか名のおしけくもなし
   千葉破神之伊垣毛可越今者吾名之惜無
ちはやふるかみのいかき 戀侘ての上に恐ある井垣をこえても逢へしと也拾遺集には今は我身のおしけくもと有
2664 ゆふづくよあかつきやみの朝かげにわか身はなりぬなれをおもふかに
   暮月夜暁闇夜乃朝影尓吾身者成奴汝乎念金丹
ゆふづくよあかつきやミ 童蒙抄云夕月夜とは宵に出てとく入を云我身の戀にをとろへてあらぬさまに成たるなん宵に月の入たる明かたの空の見所もなきに似たると讀なるへし祇曰夕月夜に今やも待人もとはて暁やみに心まとふ也朝かけになるとは夕暁のうつるを云也影となるとは思ひにをとろへて影の如くになれると云心也古今に「篝火の影となるとよめることし両義並用
2665 月しあれはあくらんわきもしらすしてねてわかこしを人見けんかも
   月之有者明覧別裳不知而寐吾來乎人見兼鴨
月しあれはあくらん 月有て夜の明不明分ちをしらてね過て帰しを人や見けんと也
2666 いもかめの見まくほしけく夕やミのこのはこもれる月まつごと
   妹目之見巻欲家口夕闇之木葉隠有月待如
いもかめの見まくほし 夕やみの木隠の月を待ことく妹か顔の見まほしきと也
2667 まそてもてとこ打はらひ君まつとをりしあいたに月かたふきぬ
   真袖持牀打拂君待跡居之間尓月傾
まそてもて床うち 真袖は只袖也心明也
2668 ふたかみにかくろふ月のおしけれといもかたもとをかるゝこのころ
   二上尓隠經月之雖惜妹之田本乎加流類比來
ふたかみにかくるゝ月は 祇曰此哥月の隠るゝもおしけれとも妹か袂をかるゝはまして悲といへる哥也見安云二上山ニ隠ふ月也愚案大和歟
2669 わかせこかふりさけ見つゝなけくらんきよき月よに雲たなひくな
   吾背子之振放見乍將嘆清月夜尓雲莫田名引(イくもなたなひき)
わかせこかふりさけ見 夫に別居る女の哥也
2670 まそかゝみきよき月よのゆつろへはおもひはやますこひこそまされ
   真素鏡清月夜之湯(イう)徙去者念者不止戀社益
まそかゝミきよき月 仙曰ゆつろへはとはうつろへはといふ同事也愚案月の移るにも戀まさると也
2671 このよらのありあけの月夜有つゝもきみををきてはまつ人もなし
   今夜之(イこよひのや)在開月夜在乍文公叫置者待人無
このよらの有明の 一二句は有つゝもの諷詞也有/\てもの心也
2672 此やまのみねにちかしと我見つる月のそらなるこひもするかも
   此山之嶺尓近跡吾見鶴月之空有戀毛為鴨
此山のみねにちかしと 上句空なる戀するといはん諷詞也うつら/\かひなき戀する心也
2673 うはたまのよわたる月のゆつろへはさらにやいもにわかこひをらん
   烏玉乃夜渡月之湯移去者更哉妹尓吾戀將居
うはたまの夜渡る 月をミて一入戀しき心を更にやと云成へし
2674 くたみやまゆふゐる雲のうすらがはわれはこひんなきみかめをほり
   朽網山夕居雲薄徃(イうすみゆか)者余者將戀名公之目乎欲
くたみ山ゆふゐる 仙曰くたみ山豊前《フセンノ》国愚案此山の雲晴ゆけは君か當《アタ》りなつかしく早見えまほしき心なるへし
2675 きみかきるみかさの山にゐる雲のたてはつがるゝこもするかも
   君之服三笠之山尓居雲乃立者継流戀為鴨
きみかきるみ笠の 序哥也雲の絶て連《ツラナ》る如く止難《ヤミカタ》き戀と也
2676 ひさかたのあまとふ雲にありてしかきみにあひ見ておつる日なしに
   久堅之天飛雲尓在而然君相見落日莫死
ひさかたのあまとふ 相見て落る日なしとは毎日君を相見んと也ぬる夜おちすとは毎夜ねんとの心なるにて此詞を推知《ヲシシル》へし雲は日影を落さぬ物なれは也空とふ雲にて我身あらはあひ見る日おとさす毎日逢へきにとの心也
2677 さほの内に嵐のふけれはかへるさはくたけてなけくよるしもそおほき
   佐保乃内從下風之吹礼波還者胡粉歎(イなけき)夜(ぬるよし)衣大寸
さほの内にあらし 佐保の内とは奈良春日なとなへて云也嵐ふく妹かり行ての帰さは心くたくる夜おほきと也さらても帰さは心くたくへきに嵐吹く夜は思ひやるへし此哥或はくたけて嘆きぬる夜しそおほきと和ス夜の字をぬるよと訓す但帰さはくたけて嘆きぬる夜といへはぬるの字餘るか
2678 よしえやしふかぬかせゆへたまくしけあけてさねにしわれそくやしき
   級子八師不吹風故玉匣開而左宿之吾其悔寸
よしえやしふかぬ風ゆへ 此五文字説々有八雲抄ニは笑ふ也と有奥儀抄ニは男の異名と云々袖中抄ニはそはなといふ心と見えたりあらはあれといふ心也よしといふ心歟なといへり此哥は笑ふ心よしといふ心なとかなふへき歟暑夜なと人を待とて風待によせて戸明てねしに待人は終に來ぬをよしや來ぬは是非なしふかぬ風ゆへ明てねしか悔しきと也人も來す風も吹ぬに明てねたるよとあまりの事に打笑ふ心も可有びや
2679 まとこしに月さしいりてあしひきのあらしふく夜はきミをしそおもふ
   窓超尓月臨照而足檜乃下風吹夜者公乎之其念
まどごしに月さし 足引は山の枕詞なる故直に山に用ゆ久堅と斗いひて空の事に用玉鉾と斗いひて道に用る類也望廟の御歌「足引のこなたかなたに道はあれとゝ新古今ニ在
2680 河ちとりすむさはのうへにたつきりのいちしろけんなあひいひそめては
   河千鳥住澤上尓立霧之市白兼名相言始而者
河ちとりすむ沢の 序哥也霧は白き物也朗詠等にも白霧山深なと有いちしろきの枕詞に立霧のといへりいはぬほとこそあれいひ初ては掲焉にあらはならんと也
2681 わかせこかつかひをまつとかさもきすいでつゝそ見しあめのふらくに
   吾背子之使乎待跡笠毛不著出乍其見之雨落久尓
わかせこか使をまつと ふらくはふると也
2682 からころもきみにうちきせ見まくほりこひぞくらしゝあめのふる日を
   辛衣君尓内著欲見戀其晩師之雨零日乎
から衣きみにうちきせ 唐衣は珍しくよき衣なるへし縫置て待心に也
2683 をちかたのはにふのこやにこさめふりとこさへぬれぬみにそへわきも
   彼方之赤土小屋尓※[雨/脉]霖零牀共所沾於身副我妹
をちかたのはにふの 此哥類聚ニモをちかたのと有奥儀抄には久かたのと有本の異にや清輔云はにふのこやとはあやしき家也こさめとは和名ニは細雨とかけり是はせめてはにふのこやのあやしき由をいはんとて聊の雨にも床まてぬゝよしをよめるとそ見え侍る久かたのはにふのこやとつゝけたるは久かたのこさめふるといふへきをつゝきをいたはりて詞の上下したる也中畧しかれとも今の諸本をちかたを用ゆ仙曰をちかたといへる心は都にあらさるはにふのこやといへる也はにふのこやとは垣壁《カキカヘ》を草木にてもせす土して壁ぬりたるを云也下畧師説ははにふのこや土間なる家とそよき家も土にてかへぬれは仙説如何とそこゝ雨の説用るにたらす
2684 かさなしと人にはいひてあまつゝみとまりしきみかすかたしそ思ふ
   笠無登人尓者言手雨乍見留之君我容儀志所念
かさなしと人にはいひて 見安云|雨乍見《アマツヽミ》は雨にあはしとて留る事なり愚案留らんために雨をいとふ由したるなるへし
2685 いもかかとゆき過かねつひさかたのあめもふらぬかそをよしにせん
   妹門去過不勝都久方乃雨毛零奴可其乎因將為
いもか門ゆきすき兼つ 雨もふらぬかは哉也雨ふらはそれをよしにして妹か門にいらん物をと也
2686 ゆふけとふわかころもてにをく露をきみに見せんととれはきえつゝ
   夜占問 吾袖尓置 <白>露乎 於公令視跡 取者<消>管
ゆふけとふわか衣手に 夜占問折の袖の露は泪なるへしかく袖ぬらす様を君にミせむと思ふもかひなきこゝろなるへし
2687 さくらあさのおうの下草露しあらはあかしてゆかんおやはしるとも
   櫻麻乃苧原之下草露有者(イあれは)令明而射去(イやゆかんイいゆけ)母者(イはゝは)雖知
さくらあさのおうの 童蒙抄云桜麻とは麻の桜に似たるかある也をふとは苧生也袖中抄云麻の花は白き中にすこしすわう色あるあさのある也それを桜麻とは云也下畧愚案此哥類聚童蒙袖中等の諸抄露しあらはあかしてゆかんおやはしるともと和す仙点は露しあれはあかしていゆけはゝは知ともと和ス古点の心は人のもとにねたる人の露にぬるへけれは明果て露かはきていでゆかん親は知とかむともといふ也新点の心は出ゆく人をとゝむる也露あれはあかしてゆけ母は知ともと也いは助字也しかれとも古点を可用之か或はあかしてやゆかんと和 
2688 まちかねてうちにはいらし白たへのわかころもてに露はをきぬとも
   待不得而内者不入白細布之吾袖尓露者置奴鞆
まちかねて内にはいらし たとひ遅く来るとも外にまたんと也古点今集ニ君こすは閨へもいらしと同心にや
2689 あさつゆのけやすきわか身おひぬともまたわかかへりきみをしまたん
   朝露之消安吾身雖老又若(イこま)反君乎思將待
あさつゆのけやすき 老て又若返るといふ事はなけれとも生々世世に君を待んこころなるへしイこまかへり若返る心也
2690 しろたへのわかころもてにつゆはをきていもにはあはすたゆたひにして
   白細布乃吾袖尓露者置妹者不相猶預(イうらおもひ)四手
しろたへのわかころもて 見安云たゆたひやすらふ心也愚案待更て袖に露はをけと猶入かねてやすらひ歎く心にや
2691 とにかくにものはおもはす朝つゆのわか身ひとつはきみかまに/\
   云(イかに)云物者不念朝露之吾身一者君之随意
とにかくに物は思はす 我にはたぢろく心なしと也朝露のは我身といはん諷詞也只ひたすらに我身は君にまかすと也
2692 ゆふこりのしもをきにけりあさといてにあとふみつけてひとにしゝるな
   夕凝霜置来朝戸出甚踐而人尓所知名
ゆふこりの霜をきにけり 童蒙抄云ゆふこりは夕にこりゐたる也見安云霜の夕にこほるを云也愚案夕にこりゐし霜けさもあれは帰さに跡つけて人にしらるゝなと也
2693 かくはかりこひつゝあらすはあさに日にいもかふむらんつちにあらましを
   如是許戀乍不有者朝尓日尓妹之將履地尓有申尾
かくはかりこひつゝ 朝に日には朝も昼《ヒル》も也かく戀つゝあらんするには妹かふむ土に成ても近付まほしと也一説戀つゝあられすは也但祇説は如v前
2694 あしひきのやまとりのおのひとおこへひとめ見しこにこふへきものか
   足日木之山鳥尾乃一峰越一目見之兒尓應戀鬼香
あしひきの山鳥の 山鳥は夜は雌雄峯を隔てゐる事を上句に讀て一おこへ一目といはん諷詞によめり
2695 わきもこにあふよしをなみするかなるふしのたかねのもえつゝかあらん
   吾妹子尓相縁乎無駿河有不盡乃高嶺之焼管香將有
わきもこにあふよしを 三四ノ句はもえつゝの諷詞也
2696 あらくまのすむといふ山のしはせやませめてとふともなか名はつけじ
   荒熊之住云(イてふ)山之師歯迫山責而雖問汝名者不告(イいはし)
あらくまのすむといふ しはせ山八雲抄するかと有此哥序哥と見ゆ師《シ》歯|迫《セ》といふ迫の字せまると訓する故せめてといはん諷詞に置にやせめてとふはしゐてとふ也さりとも汝か名は顕《アラ》はさしと也
2697 いもか名もわか名もたゝはおしみこそふしのたかねのもえつゝわたれ 一云きみか名もわかなもたゝはおしみこそふしのたかねのもえつゝもをれ
   妹之名毛吾名毛立者惜社布仕能高嶺之燎乍渡 君名毛妾名毛立者惜己曽不盡乃高山之燎乍毛居
いもか名もわか名も おしみこそはおしミてこそ也名を惜ミてこそしは/\あはまほしきもしゐて忍ひて心中にもえわたれと也ふしのたかねは是ももえつゝの枕詞也一云も心は同
2698 ゆきて見てきてそ恋しきあさか方やまこしにをきていねかてぬかも
   徃而見而来戀敷朝香方山越置代宿不勝鴨
ゆきて見てきてそ あさかかた播磨也君を山こしに置ていねかたく戀しき心なるへし
2699 あたひとのやなうちわたすせを早ミこゝろはおもへとたゝにあはぬかも
   安太人之八名打度瀬速意者雖念直不相鴨
あた人のやなうち 安太人は紀伊の安太部《アタベ》也鵜飼簗打等漁する者也簗うつ早瀬のやうにたきつ心は思へとえ逢すと也
2700 かけろふのいはかきふちのかくれにはふしてしぬともなが名はいはし
   玉蜻石垣淵之隠庭伏以死汝名羽不謂
かけろふのいはかき渕 かけろふは此集炎の字をもよめり石火の心にて岩の枕詞に用るとそ石垣渕は八雲抄石の廻たる也と有
2701 あすかかはあすも渡らんいしばしのとをきこゝろはおもほえぬかも
   明日香川明日文將渡石走遠心者不思鴨
あすか河あすも渡ん あすか河は明日の枕詞石|走《はシ》は遠き諷詞也明日も渡りきて逢ん何の遠慮もなしと也
2702 あすか川水ゆきまさりいや日けにこひのまされはありかてぬかも
   飛鳥川水徃増弥日異戀乃増者在勝甲(イ申)自
あすか川水ゆき 一二句は序也いや日けにとはいよ/\日毎に也ありかてぬは堪てありかたき心也
2703 まこもかるおほのかはらのみこもりにこひこしいもかひもとくわれは
   真薦苅大野川原之水隠戀来之妹之紐解吾者
まこもかるおほのかはら 八雲抄おほのかはら石見万まこもかる云々此哥の事なるへしみこもりは水にかくるゝ事也こゝにては人しれぬ心にそへていふにや此うたは序哥也人しれぬ心にこめて戀こし妹にあひそめたるよと云也
2704 あしひきの山したとよみゆく水のときともなくもこひわたるかも
   悪氷木之山下動逝水之時友無雲戀度鴨
あしひきの山した 序哥也山下ひゝき流るゝ水の時をも分ぬを云懸て也
2705 よしえやしあはぬ君ゆへいたつらにこのかはのせにたまもぬらしつ
   愛八師不相君故徒尓此川瀬尓玉裳沾津
よしえやしあはぬ 此五文字もよし/\是非なし等の心なるへし玉藻は女の裳也玉は物をほめていふ詞也
2706 はつせ河はやみはやせをむすひ上てあかすやいもととひしきみはも
   泊湍河速見早湍乎結上而不飽八妹登問師公羽裳
はつせ河はやみ早瀬 はやみはや瀬重詞也早瀬の水をくミてあくまて飲心を序哥に讀て我をあかすやと問し君はかへりてあきたりと見ゆると含めたる心也もは助字也
2707 あを山のいはがきぬまのみこもりにこひやわたらんあふよしをなミ
   青山之石垣沼間乃水隠尓戀哉度相縁乎無
あを山のいはかき 岩垣ぬま或は上野の名所云々或は石のめくりたる沼云々是もみこもりにの序哥也前注
2708 しながとりゐな山とよにゆく水のなにのみよせしこもりつまはも 一云なのミしよせて恋つゝやあらん
   四長鳥居名山響尓行水乃名耳所縁之内(イうちつ)妻波母 名耳所縁而戀管哉將在
しなかとりゐな山 とよにはとよみ也ひゝく心也此哥序哥也水は物を流よすれは名にのミよせいといはんとて也人を名聞はかりによせて実なき内妻と也一云是は其人の名のミ思ひよせて戀ると也一説猪名川の名にのミよせていなとのミ云心也
2709 わきもこにわかこふらくは 一云あひおもはぬ人をおもはく 水ならはしからみこえてゆくへくそおもふ
   吾妹子吾戀樂者 相不思人乎念久 水有者之賀良三越而應逝衣思
わきもこにわかこふ わりなき戀に難徃所へもゆかんと云也一 に人をおもはくとは人思ひてといふ心也
2710 いぬかみのとこの山なるいさや川いさとをきこせわか名つけすな
   狗上之鳥籠山尓有不知也河不知二五寸許瀬余名告奈
いぬかみのとこの山 序哥也いぬかみとこの山いさや川皆近江のよし八雲御抄に有袖中抄異説不用 いさとをきこせは不知ときこえよと也をは助字也つけすなは告る事をすなと也古今ニは名とり川いさとこたへてわか名もらすなと有
2711 おく山の木のはかくれてゆくミつのをときゝしよりつねわすられす
   奥山之木葉隠而行水乃音聞從常不所忘
おく山の木の 序哥也をときゝしは音に聞し也つね忘られすは常に忘られす也
2712 こととくはなかはよとましみなせかはたゆてふことをありこすなゆめ
   言急者中波余騰益水無瀬河絶跡云事乎有超名湯目
ことゝくは中はよどまじ 事さとくせは中はとゝこほらし事にふくして中絶る事をあらすなと也みなせ河は津の国也絶といはん枕詞也
2713 あすかかはゆくせをはやミはやミんとまつらんいもをこの日くらしつ
   明日香河逝湍乎早見將速登待良武妹乎此日晩津
あすか川ゆくせを 一二句ははやミんの諷詞也まつらん妹をま見えす侘に暮しつと也
2714 ものゝふのやそうち河の早きせにたちあへぬこひもわれはするかも 一云たちても君は忘れかねつも
   物部乃八十氏川之急瀬立不得戀毛吾為鴨 立而毛君者忘金津藻
ものゝふのやそうち河 奥儀抄云ものゝふとはたけき物といへとも只男をなへていふにこそやそうち河とは人の姓はやそある也されは八十氏といふうち川といはんとてやそとはつゝくる也袖中抄云人の姓八十と定むへからすおほかるをやそ氏と云也定家卿御説も同前愚案本意の立かたきを歎くなるへし一云義明なり
2715 神なひをうちまふさきのいは渕にかくれてのミやわかこひをらん
   神名火打廻前乃石淵隠而耳八吾戀居
神なひをうちまふ 神なひ河大和也うち廻前はうちめくりたる所の前なる渕也此哥かくれてといはん序哥也
2716 たかねよりいてくる水のいはにふれわれてそおもふいもにあはぬよは
   自高山(イたかやまより)出来水石觸破衣念妹不相夕者
たかねよりいてくる 破てといはん序哥也われてはわりなくて也
2717 あさこちにゐでこす波のせてふにもあはぬものゆへたきもとゞろに
   朝東風尓井堤越浪之世蝶(イたやす)似裳不相鬼故瀧毛響動二
あさごちにゐでこす波の 世蝶《セテフ》此哥は新点に随ふへき歟仙云第三の句せてふにもと点すへしせてふにもとはいなせのせといふ心也約諾の儀也ゐては堤也せとは諾《セ》の心を持て瀬によそへたる也朝東風のはけしき時に井手こす波の川瀬なとのやうに見ゆるによそへてことうけしてだにも逢ぬ物故瀧津瀬のことく泪も落たきりて戀るにたとへたりイたやすにも類聚童蒙抄等皆如此和ス童蒙抄云井手はひきけれは風のふかんに波のこえん事やすき也されは逢事の安からぬ物ゆへ音にたてつとよめる也瀧もとゝろにとは音にたてゝ人に皆しられぬと云心也愚案世蝶の字たやすとはいかによめるにかと思へと童蒙のミにあらす類聚ニモたやすにもと和したれは故あるへし又本の異有て文字のかはれるにや先世蝶と書たる本には仙抄の義よくかなへりと見ゆれはしはらく可随之か
2718 たかやまのいはもとたきちゆく水のをとにはたてじこひてしぬとも
   高山之石本瀧千逝水之音尓者不立戀而雖死
たかやまのいはもと 岩の本をたきりおつる也見安云瀧千はたきつ也愚案此哥序哥心也
2719 かくれぬのしたにこふれバあきたらず人にかたりついむへきものを
   隠沼乃下尓戀者飽不足人尓語都可忌物乎
かくれぬのしたに戀れ かくれぬのは下にの諷詞也下にのミ思ふがあかずいふせさに人にも語たり思へは語事は可v忌物をと也
2720 みつとりのかものすむ池のしたひなくゆかしききみをけふ見つるかも
   水鳥乃鴨之住池之下樋無(イなミ)欝悒(イおほしき)君今日見鶴鴨
みつとりのかもの 童蒙抄云下ひなくとは池のしりへに下に樋《ヒ》を渡して水を通す也されは思ひ遣《ヤル》かたなきによせて讀るなるへし無古点なく新点なミ
2721 たまもかるゐでのしからみうすみかもこひのよどめるわかこゝろかも
   玉藻苅井堤乃四賀良美薄可毛戀乃余杼女留吾情可聞
たまもかるゐてのしからミ 上句は井堤のしからみうすきやらんせきあへす水のたきりいつると也下句は水のかくよとまぬにつけて我戀のよとめる心かはよとまぬ我戀なりと云也一説一二句は薄きかもの諷詞也我心の薄きやらん戀のしはしよとめると也
2722 わきもこかかさのかりてのわさみのにわれはいりぬといもにつけこそ
   吾妹子之笠乃借手乃和射見野尓吾者入跡妹尓告乞
わきもこかかさの 童蒙抄云わさ蓑《ミノ》とよめり告こそは告こせと云也そとせとは同詞也 奥儀抄云わさみ野は野の名也|和《ワ》の字をとらんとてかりてといふ也かりてとは笠を付る物也それをは笠の筒にある輪《ワ》に付る也されは笠のかりての輪といへる也笠といはんとてわきもことはをけり愚案わさみ野は美濃国也奥儀抄の説我は入ぬといふ下句に付てよくかなへるにや然ともそのかみより童蒙抄の義と同しき説有堀河百首に公實卿ま菅よきかさのかりてのわさ蓑をうち着てのミや過渡るらんと讀給へるも蓑ときこゆかり手は笠に輪をして緒を付る物也わさみのはよき菅にてせし蓑なるへしそれを美濃の和射見《ワサミノ》原にいひかけて我は入ぬと妹に告こせと云也仙同義
2723 あまたあらぬ名をしもおしみうもれきのしたにそこふるゆくゑしらずて
   數多不有名乎霜惜三埋木之下從其戀去方不知而
あまたあらぬ名をしも 名は人の大切の物也一生ニ一たひ汚《ケカ》しても後代迄すゝきかたし此故に数多あらぬ名といへり埋木は下にといはん諷詞也いひも出まほしけれといかなるうき名たてんとも行末知ねはつゝみ過すと也
2724 あきかせのちえのうらわのこつミなすこゝろはよりぬのちはしらねど
   冷風之千江之浦廻乃木積成心者依後者雖不知
あき風のちえの浦わ 千江の浦八雲抄石見云々こつみ哥林良材水によるあくた也此集廿ニ堀江より朝しほみちによるこつみ云々秋風の此浦
芥をよするをこつミなすと讀て上句よりぬの諷詞に置也
2725 しろたへの 一作しらまなこ みつのはにふのいろに出ていはずてのミそわかこふらくは
   白細妙 一作白細砂 三津之黄土色出而不云耳衣我戀樂者
しろたへのみつのはにふ 此哥童蒙抄にも白たへのと有てはにふとは黄土とかけりと云々三津は難波の三津なるへし一二句は序也イ白まなこ心は同
2726 かせふかぬうらになみたつなきなをもわれはおふかもあふとはなしに 一云おとめとおもひて
   風不吹浦尓浪立無名乎吾者負香逢者無二 一云女跡念而
かせふかぬうらに波たつ 一二句はなき名立と云諷詞也一云落句の異斗也
2727 すがしまのなつみのうらによる波のあいたもをきてわかおもはなくに
   酢蛾嶋之夏身乃浦尓依浪間文置吾不念君
すかしまのなつみのうら 八雲抄云すかしま紀伊万葉なつみのうらと此哥の事なるへし仙抄云浪はお波め浪立て其中にちいさき波立をしは波といふかやうによる波もひまはあれと我こふる心は隙なしとよめる也
2728 あふみのうみおきつしまやまおきまへてわかおもふいもかことのしけゝく
   淡海之海奥津嶋山奥間經而我念妹之言繁
あふみのうみおきつ 此哥前ニおきまけて我思ふ妹と出へとけと通ス義は同
2729 みそれふるとをつおほうらによるなみのよしもよるともにくからなくに
   霰(イあられ)零遠津大浦尓縁浪縦毛依十方憎不有君
みそれふるとをつおほ浦 八雲抄とをつおほ浦近江みそれふると有此哥なるへしよしもはよしやと同もは助字也彼人我方による風聞を聞て讀るなるへし上句は序也
2730 きのうみのなたかのうらによるなみのをとたかしかもあはぬこゆへに
   木海之名高之浦尓依浪音高島鳧不相子故尓
きのうみのなたかの 名高の浦紀伊也紫の名高の浦は遠江也逢ぬ人ゆへに世に音高く名に立と也かもは助字也
2731 うしまとの波のしほさゐしまひゝきよられしきみにあはすかもあらん
   牛窓之浪乃鹽左猪嶋響所依之君尓不相鴨將有
うしまとの波のしほさひ 牛窓備前也しほさゐは童蒙抄塩のさしあふ波也云々よられしと云ん序哥也
2732 おきつなみへなみのきよるさたの浦のこのさたすきて後戀んかも
   奥波邊浪之來縁左太能浦之此左太過而後將戀可聞
おきつなみへなみの 童蒙抄へなみとはほとりの波と云也云々さたのうら八雲抄石見云々此哥は序哥也さたすきは央過也年の半過て老し也
2733 しらなみのきよする嶋のあら礒にもあらましものをこひつゝあらすは
   白浪之来縁嶋乃荒礒尓毛有申物尾戀乍不有者
しら波のきよする あら礒にもあらましとは身をも捨《ステ》んの心なるへし
2734 しほみてはみなはにうかふまさこにもわれはなりしかこひはしなすて
   塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而
しほみてはみなはに 細砂(マサコ・マナコ)類聚仙点 義に害なくは可用古点歟心は前の哥に大形似
2735 すみのえのきしのうらみにしき浪のしは/\いもを見るよしもかな
   住吉之城師乃浦箕(イま)尓布(イしく)浪之數(イかすにも)妹乎見因欲得
すみよしの岸の浦ミ 岸の浦名所にや此集十六に住吉の岸野の萩に匂はせとよめるは名所也しき波はしきりよする波也下句は類聚ニはしは/\妹をと和ス尤可然歟しき波のは諷詞也仙点かすにも云々
2736 風をいたみいたふるなみのひまもなくわかおもふきみはあひおもふらんか
   風緒痛甚振浪能間(イあいた)無吾念君相念濫香
風をいたみいたふる 序哥也いたふるは甚ふるひおこれる也一二ノ句は隙もなく我思ふといふへきため也類聚ニはひまもなくと和ス新点あいたなくとあり
2737 おほとものミつのしらなみひまもなくわかこふらくをひとのしらなく
   大伴之三津乃白浪間(イあいた)無我戀良苦乎人之不知久
おほとものミつの白波 大伴三津津の国也序哥也
2738 おほふねのたゆたふうみにいかりおろしいかにしてかもわかこひやまん
   大船乃絶多經海尓重石下何如為鴨吾戀將止
おほふねのたゆたふ 序哥也たゆたふ八雲抄云舟なとの動《ウコキ》ゆるく也
2739 みさこゐるおきのあらいそによる波のゆくゑもしらすわかこふらくは
   水沙兒居奥麁礒尓縁浪徃方毛不知吾戀久波
みさこゐるおきの 此集三に注する如く水沙《ミサコ》と鵙《ミサコ》と八雲抄類聚両説可随所好序哥也こひの果なき心なるへし
2740 おほふねのへにもともにもよる波のよるともわれはきみかまに/\(入力者注、この歌原文なし)
大船のへにもともにも 序哥也たとひよるとも君によりて随んと也
2741 おほうみにたつらん波はまもあらんきみにこふらくやむときもなし
   大海二立良武浪者間將有公二戀等九止時毛梨
おほうみにたつらん 君にこふる事のやむまなしと也
2742 しかのあまのけふりやきたてやくしほのからきこひをもわれはするかも
   牡鹿海部乃火氣(イかのけ)焼(たき)立而燎鹽乃辛戀毛吾為鴨
    此一首或云石川ノ君子《キミコノ》朝臣作之
しかのあまのけふり からきといはん序哥也
2743 なか/\にきみにこひすははひらの浦のあまならましをたまもかりつゝ 一云なか/\にきみにこひすはあみのうらのあまにあらましをたまもかる/\
   中中二君二不戀者枚浦乃白水郎有申尾玉藻苅管 中中尓君尓不戀波留鳥浦之海部尓有益男珠藻苅苅
なか/\にきみに戀すは 仙曰ひらの浦五代集ノ哥枕ニは近江とかけり玉もにつゝけてよめり愚案君ニ戀るうさたになくは蜑にもなるへきをと也一云あみの浦は讃岐云々
2744 すゝきとるあまのともしひよそにたも見ぬ人ゆへにこふるこのころ
   鈴寸取(イつる)海部之燭火(イたくひの)外谷不見人故戀比日
すゝきとるあまの 童蒙抄ニはあまのたくひのと和ス漁火はよそより見ゆれはよその諷詞也
2745 みなといりのあしわけを舟さはりおほみわかおもふきみにあはぬころかも
   湊入之葦別小船障多見吾念君尓不相頃者鴨
みなといりのあしわけ 一二句|障《サはリ》多みの序也
2746 にはきよみおきへこき出るあま舟のかちとるまなきこひもするかも
   庭浄奥方榜出海士舟乃執梶間無戀為鴨
にはきよみおきへこき にはきよみは日和のよき也風波静なる也間なき戀する序哥也
2747 あちかまのしほつをさしてこくふねの名はいひてしをあはさらめやも
   味鎌之塩津乎射而水手船之名者謂手師乎不相將有八方
あちかまのしほつを あちかま しほつみな近江也船には名を付太|液池《エキチ》乃|鳴鶴舟《メイカクシウ》容與《ヨウヨ》舟等西京雜記に有此国にも應神天皇の御宇伊豆の国の枯《カル》野といふ舟日本紀に有類也心は序哥也一説舟のへさき縄に結事有名はいひてしの諷詞也と云々
2748 おほふねにあしにかりつみしみゝにもいもかこゝろにのりにけるかも
   舟葦荷苅積四美見似裳妹心尓乗來鴨
おほふねにあしに しみゝ八雲抄|繁《シケキ》也心にのる奥儀抄心に懸る也云々葦荷は茂き物なれはしみゝとよみてしけく妹か心にのると云て舟の縁なるへし
2749 はいまちにひきふねわたしたゝのりにいもかこゝろにのりにけるかも
   驛路(イむまやちに)尓引舟渡直乗尓妹情尓乗來鴨
はいまちにひき舟 はいまち見安云むまやちの事也引舟はともへに縄をつけたるを云也愚案むまやは旅人徃來の道の館舎也神功皇后百済使久底等に多沙城を給ひて為ス2徃還路驛ト1これむまやの始也日本紀九ニあり此哥はたゝのりに妹か心にのりしといはん序哥也
2750 わきもこにあはてひさしくむましたのあへたちはなのこけおふるまて
   吾妹子不相久馬下乃阿倍橘乃蘿生左右(イむすまてに)
わきもこにあはてひさしく 馬下(古点むましたの・新点むましもの)生左右(古点おふるまて・新点むすまてに)あへたちはな説々有袖中抄云七巻食經云橙和名ニ安倍太知波奈似テv柚ニ而小ナル者也云々仙覚はあへたちはなからたちの一名なるへし云々詞林采葉云あへ橘とて甘子の皮のあつくふつゝかなる有云々見安にも柑子也云々からたちとは別物にや格物論云橙は橘ノ属《タクヒ》樹高シテ枝葉不v類2於橘ニ1亦有v刺《はリ》大ナル者如v杯苞|黄《キニ》皮《カは》厚《アツシ》香氣馥|郁《イクトシテ》可2以テ薫ス1v衣ヲ可以2漬ス1v蜜ニ真ニ佳實也云々むましたは所の名にや仙覚は馬しものと点を改めて注云馬は心に任て常に伏事もなく堪て立たれは馬し物あへ立花とつゝくあへはたへたるを云詞也但類聚袖中抄等馬したの云々可用之
2751 あちのすむすさのいり江の荒礒まつわれをまつこらはたゝひとりのミ
   味乃住渚沙乃入江之荒礒松我乎待兒等波但一耳
あぢのすむすさの入江 八雲抄|鯵《アチ》といふ魚の所に有類聚にも此哥魚の部類に在一説は味は水鳥也云々すさの入江八雲抄津ノ国と云々此哥待といはん序哥也
2752 わきもこをきゝつかのへのなひきねふわれはしのひえすまなくしおもへは
   吾妹兒乎聞都賀野邊能靡合歡木吾者隠(かくれすイ)不得間無念者
わきもこをきゝつかのへ きゝつかのへ所未v勘 見安云靡合歓木ねふりの木也云々わきもこを聞てまなく思へは忍ひかたしと云心也
2753 なみまより見ゆるこしまのはまひさきひさしくなりぬきみにあはすして
   浪間從所見小嶋濱久木久成奴君尓不相四手
なみまより見ゆる小嶋の 楸也序哥也いせ物語に濱|廂《ヒサシ》久しく成ぬ君にあひ見てとあり
2754 あさがしはぬるや河へのしのゝめにおもひてぬれは夢に見えつる
   朝柏閏八河邊之小竹之眼笶思而宿者夢所見來(イけり)
あさかしはぬるや河へ 前ニは秋柏と有是は朝の柏也ぬるや河名所也ぬるるに添て也扨ぬれはといはむ序哥也しのゝめに見えくる類聚の和也新点はしのゝめの見えけりと云々
2755 あさちはらかりしめさしてそらごともよせてしきみがことをしまたん
   淺茅原苅標刺而空事文所縁之君之辞鴛鴦將待
あさちはらかりしめ 淺茅をからんとてしめさす事をいひかけて我を領せんとて虚言《ソラコト》なとよせいへる君かことを我はまちたのまんよはかなしとの心なるへし
2756 つきくさのかりなるいのちある人をいかにしりてかのちもあはんてふ
   月草之借有命在人乎何知而鹿後毛將相云
つきくさのかりなる 祇曰月草とはうつろふ物なれは朝顔なとのことくかりなる命とよめりかりなる命ある人をとは此人は我事と見ゆかりなる命ある我を後もあはんといふたのまぬ物をとよめり人をかりなる命といひかたし但惣別の人の事にも成ぬへし愚案後は難《カタキ》v知身をいかに知てと也
2757 おほきみのみかさにぬへるありま菅ありつゝ見れとことなきわきも
   王之御笠尓縫有在間菅有管雖看事無吾妹
おほきみのみかさに 童蒙抄云つの国有馬の菅とよめる也愚案これ序哥也有へて久しく見れと難なき妹そと也事なきはほむる詞也
2758 すかのねのねもごろいもにこひせましうらおもふこゝろおもほえぬかも
   菅根之懃妹尓戀西益卜思心不所念鳧
すかのねのねもころ 菅の根はねもころとうけん諷詞也うらおもふは裏有て思ふうしろくらき心也さやうの心を我はおもはす懇に戀と也
2759 わかやとのほたでふるからつみはやしみになるまてにきみをしまたん
   吾屋戸穂蓼古幹採生之實成左右二君乎志將待
わかやとのほたて 古からは古枝也穂蓼の古|幹《カラ》つミて実になるまては久しきをいへるこゝろ也
2760 あしひきの山さはゑくをつミにゆかんひだにもあはんはゝはいふとも
   足檜之山澤徊具採將去日谷毛相將母者責(いさふ)十方
あしひきの山沢えく えく前注はゝはいさめいふともえくつミにゆく日たにゆきあはんと也
2761 おくやまのいはもとすけのねふかくもおもほゆるかもわか思ひつまは
   奥山之石本菅乃根深毛所思鴨吾念妻者
おくやまのいはもと 序哥也
2762 あしかきのなかのにこくさにこよかにわれとえみしてひとにしらるな
   蘆垣之中之似兒草尓故余漢我共咲為而人尓所知名
あしかきのなかの 是も序哥也にこ草は草の名也にこよかにといはんため也思ふとても我に見かはしえみなどして色にミえしなといましむる也
2763 くれなゐのあさはの野らにかるくさのつかのあいだもわれわすれずな
   紅之淺葉乃野良尓苅草(イかや)乃束之間毛吾忘渚菜
くれなゐのあさはの 淺葉の野信濃或は武蔵といへり童蒙抄云のらとは草をいふかと思ふにのらに草かるといへは野はらなとをいふと見えたり此集淺葉野にたつミわこ菅といふ哥有されは淺葉野といふ野のある也紅のといふは色なれは淺しといはんとてすへたるにやあらん愚案草はかりてつかぬれバつかのあいたもといはん序哥也つかのあいだは時の間もといふに同類聚ニは下句つかのまもわかわすられすをなと和ス是はをの字助字也又古点はかるくさのと点ス新点はかるかやのと有
2764 いもがためいのちのこせりかりこものおもひミたれてしぬべき物を
   為妹壽遺在苅薦之思亂而應死物乎
いもがため命のこせり かりこもはみたれてといはん諷詞也人もゆるさぬ中に思ひ亂てとよめるなるへし
2765 わきもこにこひつゝあらすはかりこものおもひミたれてしぬへきものを
   吾妹子尓戀乍不有者苅薦之思亂而可死鬼乎
わきもこにこひつゝ 心は明也
2766 みしま江のいり江のこもをかりにこそわれをはきみはおもひたりけれ
   三嶋江之入江之薦乎苅尓社吾乎婆公者念有來
みしま江のいり江の 序哥也かりそめにこそ我を思へ実に非と也
2767 あしひきの山たちはなの色に出てわかこひんをやめかたくすな
   足引乃山橘之色出而吾戀南八目難為名
あしひきの山橘の 山橘八雲抄に一説牡丹と云々哥心は色に出て戀る事はとくやめよとみつからいましむるにや
2768 あしたつのさはくいり江のしら菅のしられんためとこひいたむかも
   葦多頭乃颯入江乃白菅乃知為等乞(イこち)痛鴨
あしたつのさはく 序哥也君にかくとしられんための故にと也イこちいたむはこちたくこふるかもと也
2769 わかせこにわかこふらくはなつくさのかりはらへともおひしくがこと
   吾背子尓吾戀良久者夏草之苅除(イそくれ)十方生及如
わかせこにわか戀らくは 童蒙抄云おひしくとは生茂ると云也云々下句かりはらへともと有古点也新点かりそくれとも見安云かりのくる儀也云々
2770 みちのへのいつしははらのいつも/\ひとのゆるさんことをしまたん
   道邊乃五柴(イしの)原能何時毛何時毛人之將縱言乎思將待
みちのへのいつしははら 袖中抄云いつしははらとは道の邊《ホトリ》の柴原也世俗説ニモ市柴葉柴と云是也又「大原の此市柴のいつしかとゝ云々今云いつ柴市柴同事也
2771 わきもこか袖をたのミてまのゝ浦のこすけのかさをきすてきにけり
   吾妹子之袖乎憑而真野浦之小菅乃笠乎不著而来二来有
   わきもこか袖をたのみてまのゝ浦のこすけのかさをきずてきにけり
   吾妹子之袖乎憑而真野浦之小菅乃笠乎不著而来二来有(入力者注、底本での重複)
わきもこか袖をたのミて 童蒙抄云袖笠を頼ミてといへる也八雲抄云まのゝうら あふみ
2772 まのゝいけのこすけをかさにぬはずしてひとのとを名をたつへきものか
   真野池之小菅乎笠尓不縫為人之遠名乎可立物可
まのゝいけのこすげを 八雲云まのゝ池摂津愚案とを名とは身後迄名は残れは云也笠を着て忍ひて人の名をたてぬやうにこそせめと也
2773 さす竹のはにかくれたるわかせこかわがりしこずはわれこひめやも
   刺(イさゝ)竹齒隠有吾背子之吾許不来者吾將戀八方
さす竹のはにかくれ さす竹箭をもいへとこゝは笹竹也わがりはわがもとへ也しは助字也竹のはにかくれ忍ひ來たりし人の戀しく難v忘心也
2774 かみなひのあささゝはらのをミなへしおもへるきみかこゑのしるけく
   神南備能淺小竹原乃美妾思公之聲之知家口
かみなひのあささゝはら 神南備大和淺さゝはらは淺く生し笹原をミなへしを見るにつけて我おもへる君か聲しるくなつかしきを思ひ出ると也
2775 山たかみたにへにはへるたまかつらたゆるときなく見るよしもかな
   山高谷邊蔓在玉葛絶時無見因毛欲得
山たかみたにへに 序哥也いせ物かたりに谷せはみ峯まてはへるといふかたニ少かはれり
2776 道の辺の草を冬野に踏み枯らし我れ立ち待つと妹に告げこそ
   道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞
(入力者注、底本この歌なし)
2777 たゝみこもへだてあむかずかよひせはみちのしはくさおひざらましを
   疊薦隔編數通道之柴草不生有申尾
たゝみこもへたてあむ 薦《コモ》をあむはこも槌と云物に糸を巻いくつもさげて物にかけてとりちかへてあむをかよふ数のしげきによせて讀也人の絶々に成て通路も草生しを歎く心也
2778 みなそこにおふるたまものおひていでずよしこのころはかくてかよはん
   水底尓生玉藻之生不出縱比者如是而將通
みなそこにおふる 水底の藻の水隠れしをミて我あらはにもえかよはぬにおもひよそへてよし/\此比のつゝましきほどはかくて忍ひ/\にかよはんと云也
2779 うなはらのおきつなはのり打なびきこゝろもしのにおもほゆるかも
   海原之奥津縄乗打靡心裳四怒尓所念鴨
うなはらのおきつなはのり 縄苔《ナはノリ》海藻《カイサウ》也一二句はうちなひきといはん序也打なひきは一平等にといふに同心もしのには心もつねに也
2780 むらさきのなたかの浦のなひきものこゝろはいもによりにしものを
   紫之名高乃浦之靡藻之情者妹尓因西鬼乎
むらさきのなたかの 紫の名高の浦前注序哥也なひき藻はかたよる物なれは也
2781 わたつみのおきをふかめておふるものいともいまこそこひはすへなき
   海底奥乎深目手生藻之※[うがんむり+取]今社戀者為便無寸
わたつみのおきを深めて 和名云崔禹錫食經曰沈ム者ヲ曰ヒv藻ト浮フ者ヲ曰v蘋《ウシ?薄くて読めない》ト おきを深めておふるもは此心也上句はいともといはん序也今そ戀はいとすへなきと也
2782 さぬがにはたれともぬれど沖つものなびきしきミかことまつわれを
   左寐蟹齒孰共毛宿常奥藻之名延之君之言待吾乎
さぬかにはたれとも 或説さぬかには人音すれはねる故名付と云々未v知2正説1追可考
2783 わきもこかなにともわれをおもはねはふゝめるはなのほにさきぬへし
   吾妹子之奈何跡裳吾不思者含(イつほめる)花之穂應咲
わきもこか何とも我を 思ふともしらせねは妹か何とも我を思はぬに色に出て知せんと也
2784 しのびにはこひてしぬともみそのふのからあゐの花のいろにいてめやも
   隠庭戀而死鞆三苑原之鶏冠草(イつきくさの)花乃色二出目八方
    類聚古集ニ云ク鶏頭草《ツキクサ》又作ルト2鶏冠草ニ1云云|依《ヨラは》此義ニ1者可キv訓《クンス》2月草ト1歟《カ》
しのひには戀てしぬとも 心明也類聚古集は敦隆の作也鶏冠草を類聚を證にて月草と可讀と也見安云からあゐ月草也
2785 さくはなはすぐるときあれど我こふる古ゝろのうちはやむときもなし
   開花者雖過時有我戀流心中者止時毛梨
さくはなは過る時 心明也
2786 やまふきのにほへるいもかはねすいろのあかものすかたゆめに見えつゝ
   山振之尓保敝流妹之翼酢色乃赤裳之為形夢所見管
やまふきの匂へる 山吹は匂へるといはん諷詞匂へる妹はうつくしき心也はねす見安云木蓮《キはチス》也
2787 あめつちのよりあはんかきり玉のをのたえじとおもふいもかあたり見つ
   天地之依相極玉緒之不絶常念妹之當見津
あめつちのよりあはん 妹か方と遙にミやれは天高く地遠きより天地和合せん限絶まじと思ふ妹か當りミると讀也玉緒はたえしのまくらことは也
2788 いきのをにおもへはくるしたまのをのたえてミたれなしらはしるとも
   生緒尓念者苦玉緒乃絶天乱名知者知友
いきのをにおもへは苦し たまのをのはたえてといはん諷詞也たえてみたれなはひたすらに乱なんといふ心也忍ひて命にかけて思へは苦しきに一向に忍はてみたれなん世にしらは知ともといふ也或説に玉緒は玉をつらぬける糸也きれては玉の乱るゝを云懸しとそ
2789 たまのをのたえたる戀のみたるれはしなまくのミそまたもあはすして
   玉緒之絶而有戀之乱者死巻耳其又毛不相為而
たまのをのたえたる 是も玉のをは絶たるの諷詞にて中たえたる戀の思ひミたるれは死まくのミ思ふと也又もあはすしては心明也
2790 たまのをのくゝりよせつゝ末つゐにゆきはわかれでおなしをにあらん
   玉緒之久栗縁(イより)乍末終去者不別同緒將有
たまのをのくゝりよせ 祇曰此哥は念珠をよめりと見ゆくゝりよせつゝも其心也おなしをにあらんとは弟子の緒なとの玉は別にあれはへだつる心にてきらふ也愚案逢かたき中なから終には夫婦ならんとの心也わかれでのでにこるへし
2791 かたいともてぬきたる玉のををよはみみたれやしなんひとのしるへく
   片絲用貫有玉之緒乎弱乱哉為南人之可知
かたいともてぬきたる 序哥也忍ひ餘る心也
2792 たまのをのしまこゝろにやとし月のゆきかはるまていもにあはさらん
   玉緒之島(イたえ)意哉年月乃行易及妹尓不逢將有
たまのをのしま心ニヤ しまこゝろはしまる心也しまるはしゞまるの畧語也イニはたえ心と和ス義は似たる物にや
2793 たまのをのあいたもをかす見まくほりわかおもふいもははいへとをくありて
   玉緒之間毛不置欲見吾思妹者家遠在而
たまのをのあいたも 此玉の緒はしはしの心也遠所なる女をしはしの間もをかす見まほしきわりなき心なるへし
2794 こもりつのさはたちみなる岩根をもとをしておもふきみにあはまくは
   隠津之澤立(たつイ)見有石根從(イに)毛達而念君尓相巻者
こもりつのさは立《タチ・タツ》見 此巻の前に「こもり津の沢泉なる岩ねをもとをしておもふ我戀らくはと有詞少かはれる故重てかけるにや仙曰こもりつとは下にかくれたる水也さはたちみなるとはさはゝおほしといふ詞多文字のよみ也たちみは出る水也水にたち水ふし水といふ事有伏水とはたまりて出流るゝ事なき也たち水とはわき出て流るゝ水也今の哥はおほくわき出る立水也哥の心は隠れたる水の岩根をとをしてもれ出るごとく通ひかたき所なりとも出あはゝやと也愚案沢たつミは沢の水わく所也庭たつミといふ心也ちとつ通ス
2795 きのくにのあくらのはまのわすれかひわれはわすれすとしはふれとも
   木國之飽等濱之貝我者不忘年者雖歴
きのくにのあくらのはま 序哥也あくらの濱名所也
2796 みなそこのたまにましれるいそかひのかたこひのみにとしはへにつゝ
   水泳玉尓接有礒貝之獨戀耳年者經管
みなそこのたまにましれる 海中には珊瑚なと玉有故玉にましれると云也礒貝は貝の一|品《シナ》也貝は蚫のミならす片々なるも有故片戀といはん序哥也仙抄入ほか也難用
2797 すみの江のはまによるてふうつせかひみなきこともてわれこひめやも
   住吉之濱尓縁云打背貝實無言以余將戀八方
すみの江のはまによる 序哥也みなき事とはまことなき事也
2798 いせのあまのあさなゆふなにかつくてふあはひのかひのかたおもひにして
   伊勢乃白水郎之朝魚夕菜尓潜云鰒貝之独念荷指天
いせのあまのあさな かつくは海中に取上ること也第四句までは序哥也
2799 ひとことをしけしときみをうつらなく人のふるいへにあひいひてやりつ
   人事乎繁跡君乎鶉鳴人之古家(イいにしへ)尓相語(イ誥しゐ)而遣都
ひとことをしけしと 君か來しに人ことしけさに外の鶉なくある人の古家にて暫あひかたらひて帰しやりつ残念なりとの心也是古点のおもむき也仙覚は古家をいにしへと和しかへて哥の心は戀しき人のたまさかにきたれとも人ことしけきをつゝむほとにとく帰して人聞には我思ふにはあらぬ人の古人なといひてむなしく帰しつる心也云々愚案古いへより古へは詞は聞よけれと鶉なくといふ詞聞えすたゝ古点にしくへからす
2800 あかつきととりはなく也よしゑやしひとりぬるよはあけはあくとも
   旭時等鶏鳴成縱恵也思独宿夜者開者雖明
あかつきと鳥は鳴也 二人ぬる夜こそ明るもいとはめと也
2801 おほうみのあらいそのすとり朝な/\見まくほしきをミえぬきみかも
   大海之荒礒之渚鳥朝名旦名見巻欲乎不所見公可聞
おほうみのあらいその 渚鳥は海洲にゐる鳥也荒礒のすとり面白く見まほしけれと見かたきを序哥によめり
2802 おもへとも思ひもかねつあしひきのやまとりのおのなかきこのよを 一云あしひきの山とりのおのしたりおのなか/\しよをひとりかもねん
   念友念毛金津足檜木之山鳥尾之永此夜乎 足日木乃山鳥之尾乃四垂尾乃長永夜乎一鴨將宿
おもへとも思ひもかねつ 長永しき夜を思ひつゝけても思ひかねつと也
あしひきの山とりの 童蒙抄云人丸詠也山鳥の乱《ミタリ》尾ともいはれたるを山鳥の雄といふへき也峯をへたてて夜は雌雄ふす鳥也されは独ふす心にもよせて讀なるへし猶委
2803 さとなかになくなるかけの 一云さととよみなくなるかけの よひたてゝいたくはなかぬこもり妻はも
   里中尓鳴奈流鶏之 里動鳴成鶏之 喚立而甚者不鳴隠(イかくれ)妻羽毛
さとなかになく 童蒙云かけとは庭鳥を云也愚案序哥也隠れゐる身は心のまゝにねをもたてぬと也
2804 かくやまにたかべさわたりたか/\にわがまつきみをまちいてんかも
   高山尓高部左渡高高尓余待公乎待將出可聞
かく山にたかへさわたり 序哥也高/\にとは高らかにあらはれての心なるへし
2805 いせのうみになきけるたつのをとゝろもきみかきこえはわれこひんやも
   伊勢能海縱鳴來(イくる)鶴乃音杼侶毛君之所聞者吾將戀八方
いせのうみになくなる 序哥也をとゝろもは音とゝろにも也イニとゝろにも同心也鶴の鳴とよむ心なり
2806 わきもこにこふるにかあらん沖に住かものうきねのやすけくもなし
   吾妹兒尓戀尓可有牟奥尓住鴨之浮宿之安雲無
わきもこにこふるにか 浮ねは水鳥の浮ひてねる也三四句は安くもなしといはん諷詞也
2807 あけぬへし千鳥しはなくしろたへのきみかたまくらいまたあかなくに
   可旭千鳥數鳴白細乃君之手枕未厭君
あけぬへし千鳥しは 千鳥のしは/\なくは夜も明んと也白たへは物をほむる詞也
 
    二首    作者未詳
2808 まゆねかきはなひひもとき待めやもいつかも見んとこひこしわれを
   眉根掻鼻火紐解待八方何時毛將見跡戀來吾乎
此一首見タリ2柿本朝臣人麻呂歌中ニ1以2問答ルヲ1故ニ再《ふたヽヒ》載ストv之ニ云
まゆねかきはなひ いつかもあひミんと戀來し我を君か其瑞相有て待んと也此哥上に出て下句替レリ
此一首上にも出たれとこゝは問答にて答の哥そへる故又出すと也
2809 けふなれははなしはなしひまゆかゆみおもひしことはきみにしありけり
   今日有者鼻之鼻之火眉可由見思之言者君西在来
けふなれははなし/\ひ 鼻之鼻之火は重詞之は皆助字也けふ我はなひ眉かゆミなとしあやしと思ひし事は君か戀こし故にて有けりと答し也
 
    二首
2810 をとのミをきゝてやこひんまそ鏡めにたゝに見て戀まくもおほく
   音耳乎聞而哉戀犬馬鏡目直相而戀巻裳太口
をとのミを聞てや 音に聞てのミならす目に見て戀る事もおほくあると也
2811 このことをきくとにやあらんまそ鏡てれるつきよもやミにのみ見ゆ
   此言乎聞跡(イきゝなんとにや)乎真十鏡照月夜裳闇耳見
このことをきくとにや さやうに戀るとは偽よとあさける答也此事を聞へきとにや月をやみと我見たると也
 
    二首
2812 わきもこにこひてすへなみ白たへのそてかへしゝはゆめに見えきや
   吾妹兒尓戀而為便無白細布之袖反之者夢所見也
わきもこにこひて 仙曰戀しき人を夢に見んとては衣を返してぬれは夢に見ゆといふ事有袖はかりを返すともいへり今の哥の心にや但常に人のいひ習ひたるは衣を返してぬれは戀しき人をわか夢に見るとこそ思ひ習ひたるに今の哥は我袖を返してねたれは人の夢に見ゆときこえたり愚案仙抄義明也但此哥は妹を戀てせんかたなさに夢にたにミんとて袖返してねしはそなたにも夢に見えつるや此心の哀は知すやと云也
2813 わかせこかそてかへすよのゆめならしまこともきみにあへりしがこと
   吾背子之袖反夜之夢有之真毛君尓如相有
わかせこか袖かへす 仙曰返し哥と見えたり男の袖を返してねたるに戀らるゝ女の夢に男のミえたると聞えたり愚案是も誠に君に逢しことくなる夢ミし事有しは君か我をこひて夢にも見んとて袖かへすよの夢なりけんあはれといひし成へし
 
    二首
2814 わかこひはなぐさめかねつまけながくゆめに見えずてとしのへぬれは
   吾戀者名草目金津真氣長夢不所見而年之經去礼者
わか戀はなくさめかねつ まけなかくのまは助字也けなかくは嘆息の心也見えすては見えすして也
2815 まけなかく夢にも見えすたゆれともわかかたこひはやむときもなし
   真氣永夢毛不所見雖絶吾之片戀者止時毛不有
まけなかく夢にも 絶れともとは夢にもミえす中絶たるか如くなれと我は戀やますと也人はとはて我のみ思ふといふ心に片戀とよむなるへし
 
    二首
2816 うらふれて物なおもひそあまくものたゆたふこゝろわかおもはなくに
   浦觸而物莫念天雲之絶多不心吾念莫國
うらふれて物な思ひそ うらふれ前ニ注あま雲はたゆたふの諷詞也我はやすらふ心なく一筋に思ふに愁思ひそと也
2817 うらふれて物はおもはじみなせかはありてもミづはゆくてふものを
   浦觸而物者不念水無瀬川有而毛水者逝云物乎
うらふれて物はおもはじ 水なしといふ河も水有れは人の絶しとミゆるもさはあらじなれは愁へて物も思はすと也
 
    二首
2818 かきつはたさくぬのしげを笠にぬひきん日をまつにとしそへにける
   垣津旗開沼之菅乎笠尓縫將著日乎待尓年曽經去来
かきつはたさくぬ ぬは沼《ヌマ》也笠を君に比してきん日をまつとは逢瀬をまつを云也
2819 をしてるやなにはあかさをきふるしのちはたがきんかさならなくに
   臨照難波菅笠置古之後者誰將著笠有莫國
をしてるやなには 置古されし身は後は誰きる人もなき笠のやうにこそならめと笠になりて讀也
 
    二首
2820 かくたにもいもをまたなんさよふけていてくるつきのかたふくまてに
   如是谷裳妹乎待南左夜深而出來月之傾二手荷
かくたにも妹を 妹か來へき夜に遅きをうらみてよし/\かくたに待んとかこつ心也待わひ物思ひてたに妹かために労せんと深切をいひてくゐる心也
2821 このまよりうつろふ月のかげおしみたちやすらふにさよふけにけり
   木間從移歴月之影惜徘徊尓左夜深去家里
このまよりうつろふ 月を見すてかねて立やすらふまに夜をふかしをそなはりしと断る心也
 
    二首
2822 たくひれのしらはま波のよりもあへすあらふるいもにこひつゝそをる 一云こふるころかも
   栲領布乃白濱浪乃不肯縁(イよりもこす・よるかへに)荒振妹尓戀乍曽居 戀流己呂可母
たくひれのしらはま たくひれは白きひれ也しらはまといはん諷詞也或はたくひれのはま名所云々國未勘一二句はよりもあへすのの序也あらふるはあれて馴よらぬ也類聚ニは波のよりもこすとあり
2823 かへらまにきみこそわれにたくひれのしらはまなみのよるときもなし
   加敝良末尓君社吾尓栲領巾之白濱浪乃縁時毛無
かへらまにきみこそ かへらまはかへさまに也我よらぬにあらす君こそよるときもなしと也男の我かましてかへりて女をよりもこすといへるは故にかへさまに君こそと云也
 
    二首
2824 おもふ人こんとしりせはやへむくらはひたるにはにたましかましを
   念人將来跡知者八重六倉覆(イおほへる)庭尓珠布益乎
おもふ人來んと 懇切をいへる也
2825 たましけるいへもなにせんやへむくらはひたるこやもいもとしすまは
   玉敷有家毛何將為八重六倉覆(イおほへる)小屋毛妹与居(イねな)者
たましけるいへも 答の哥男の讀る也妹としのしは助字也類聚ニは妹としねなはとあり
 
    二首
2826 かくしつゝありなくさめて玉のをのたえてわかれバすへなかるへし
   如是為乍有名草目手玉緒之絶而別者為便可無
かくしつゝあり慰めて かやうにしつゝあひそひて有て慰めてと也玉のをのはたえての枕詞也たえて別はとは一向《ヒタスラ》に別果はと也ばの字にこるへし
2827 くれなゐの花にしあらは衣てにそめつけもちて行へくそ思ふ
   紅花西有者衣袖尓染著持而可行所念
くれなゐの花にし たとひ別ても君を紅にしてあらは衣に染付て持行んと也
 
譬喩共十三首
譬喩 戀をよろつの物にたとへし哥也
    寄《ヨセテ》v衣ニ喩《タトフ》v思ヲ二首
2828 くれなゐのこそめのきぬを下にきはひとの見らくににほひいてんかも
   紅之深染乃衣乎下著者人之見久尓仁寳比將出鴨
くれなゐのこそめの 仙曰ふかく思ひそめし心を紅のこそめの衣ニたとふしたにきは人の見え/\に色に出んとは思ひの色のふかけれはしのふともしるからんとよめる也
2829 ころもしもおほくあらなん取かへてきてはやきみかおもわすれせん
   衣霜多在南取易而著者也君之面忘而有
ころもしもおほく 見安云しもはやすめ字也愚案此哥のたとへ仙抄にもなしととへは君か俤の忘られぬに侘てせめて慰むわさおほくあらはさま/\して忘れんといふ心を衣にたとへて讀か
 
    寄テv弓ニ喩フv思ヲ一首
2830 あつさ弓ゆつかまきかへあてミてはさらにひくともきみかまに/\
   梓弓弓束巻易中見判更雖引君之随意
あつさ弓ゆつかまきかへ 仙曰梓弓とは手馴しにたとふゆつか巻かへあて見てはとは前に手馴し事のかはりしにたとふかくかはり中絶て後なりとも君たにひかは心のまゝにひかれむとよそふる也
 
    寄テv船ニ喩フv思ヲ一首
2831 みさこゐるすにをる舟のゆふしほをまつらんよりはわれこそまさめ
   水沙兒居渚座船之夕塩乎將待從者吾社益
みさこゐるすにをる 祇曰此哥は洲にある舟の夕しほをまつよりわかまつこそまさらめとよめり夕しほといへるは夕に人をまつことのたよりなり但采葉云|關雎《クはンシヨ》は后妃《コウヒノ》徳也といへり我朝のみさこなりこのとり雌雄|退《シリソヒ》て河中の洲にありといへり后妃も其色にふけらずして退て深宮の中にありといふ可v准v之みさこのゐるとをけるも戀に縁ある也みさこゐるは鳥にあらす波のよせたる真砂也真砂のゐたる洲の舟は難v出に依て汐を待ともいへり
    
    寄v魚喩v思一首
2832 やまかはにうへふせをきてもりかへずとしのやとせをわかぬすまひし
   山河尓筌乎伏而不肯盛年之八歳乎吾竊※[人偏+舞]師
やまかはにうへふ 筌和名云宇倍取v魚ヲ竹器也仙抄云うへとは竹してあみたる簀《ス》を口廣く末をゆひすべて山川の瀬にふせてうへの左右をふさぎてうへの中より水をながして魚の流れ入たるをとる也ぬすまひしとはうへをふせて魚をとるには漁者のもの陰に忍ひゐて音せぬ也愚案もりかへずとはもりあへす也|筌《ウヘ》ふせ置て守ゐても魚のたまらぬを君を得るてだてをなしても得かたきにたとへていふ也かくして八年まちくらせしといはんとてわかぬすまひしと漁者のわさにかけてよめり仙抄にもたとへあれとあまり入過て不v足2信用ニ1
 
    寄v水喩v思一首
2833 あしかものすだく池水まさるともまけみぞがたにわれこえめやも
   葦鴨之多集池水雖溢儲溝方尓吾將越八方
あしかものすだく池 まけみぞがたとは仙曰水のまさらん時に末をなかさんとてかねてほりとをしたる溝也愚案鴨のあつまる池水はまさるとも我はこゝをこえぬへしまけみぞがたにわれこえんやといひて我心ざす人にこそほいとげめさなきかたにはあはじなといふ心にたとへたるへし
 
    寄v菓《コノミニ》喩v思一首
2834 ひのもとのむろふのけもゝもとしけみわかきみものをならずはやまじ
   日本之室原乃毛桃本繁言(わか)大王(おほ)物(きミを)乎不成不止
ひのもとのむろふの 室原室生とも書大和也是を日本のといふ事諸抄未v注或は大和ニあれは日本の名なれは云なと云り非也口訣毛桃はならすはといはん諷詞也下句童蒙抄わかおほ君をと和ス尤可然おほきみなる人を思懸し哥なるへし
 
    寄v草喩v思一首
2835 まくずはふをのゝあさちをこゝろゆもひとひかめやもわれならなくに
   真葛延小野之淺茅乎自心毛人引目八面吾莫名國
まくずはふをのゝあさぢ まくすはふをのゝあさちをきみにたとへてうはべはかりならて内心よりひくことは我ならではあらじと也人はひくともうはべはかりならんとの心をこめて成へし仙抄譬如何
2836 みしますげいまたなへなり時またはきずやなりなんみしますががさ
   三嶋菅未苗在時待者不著也將成三嶋菅笠
みしますけいまた 津国三嶋江の菅也祇曰いまたなへなりとはいとけなき女にたとふさかりになる時を待てもいかなる人かちきらんと讀哥なり仙曰是はいまたいとけなきをとめに心をかけてよむうた也みしますけいまたなへなりといへるはいまたおさなけれは契りやむすはすして時をまたはあたし人にかりとられて我笠に縫てもきすやならんと也
2837 みよしのゝみぐまがすけをあまなくにかりのみかりてみたれなんとや
   三吉野之水具麻我菅乎不編尓苅耳苅而將乱跡也
みよしのゝみぐま 河曲と同水の入まかりし所を云也菅をあますしてかりてのみあれはみたるゝをたとへて思ふ心をつゝしまでほしいまゝにミだれなんとにやよろしかるまじき事といましむる心なるへし苅のミ苅ては重詞也
2838 かはかみにあらふわかなのなかれきていもかあたりのせにこそよらめ
   河上尓洗若菜之流来而妹之當乃瀬社因目
かはかみにあらふわかな 洗《アラ》ふ菜の流てよるかたなきも終による瀬《セ》はあるをわか身にたとへて妹かあたりにこそよらめとよむなるへし
 
     寄v標《シメニ》喩v思一首
2839 かくしてやなをややミなんおほあらきのうきたのもりのしめならなくに
   如是為哉猶八成牛鳴大荒木之浮田之社之標不有尓
かくしてやなをや なをやはたゝなをやはあるへきと伊勢物語にいへるとおなしく只にややまんと也かくしてやのやは助字也大荒木の浮田の森は山城賀茂の西にあり淀の水無をも大荒木といへと是は此賀茂のを勧請なるへし哥の心はかのうきたのもりのしめはたか手をふるゝ物もなくたゝにあり我戀も誰取あへる人もなくいたつらに年ふるをかのしめにたとへてかく有て終にたゝにややまんとなけく心也
 
     寄v瀧《タキニ》喩v思一首
2840 いくはくもふらぬあめゆへわかせこかみなのこゝたくたきもとゝろに
   幾多(イこちたくも)不零雨故吾背子之三名乃幾許瀑毛動響二
いくはくもふらぬ雨ゆへ 此五文字類聚にはこちたくもと有同義なるへし心は雨いたくふりてこそ水まして瀧もひゝかめいくはくもふらぬ雨ゆへ瀧もとゝろにひゝくとよみてさまてあふせのたひかさなりしにもあらぬにわかせこか御名のこちたくこと/\しく世に立聞ゆるにたとへてよめるなるへしたとへうたは其たとふへき物をいひあらはしてそれはこれかやうにありといふやうによめるは其一首のうちにてあらはに其事のたとへと聞え侍るを此集のたとへうたには其たとふへき物をもいはて只そへうたのやうに其たとへはかりをよめるうた有て其詞書なともあらて其たとへし様の知かたきもあれはしられぬにてさしをかまほしく侍れと初心の人のため兒女のたすけにとてうたをもひらかなにやはらけかきて侍るなれはそれらのためにしはらく愚意の了簡を書しるし侍者也名の聞ゆるを瀧にそゆる事古今に名のたつはよしのゝ河の瀧つ瀬のごとゝあるたくひ名
萬葉集巻第十一終
貞享三年三月十六日書此一巻於新玉津嶋寶前墨付七十二枚
2004.1.17(土)入力了 米田進
 
 
第十二巻
萬葉集巻第十二
古今相聞徃來ノ歌ノ類 下
   正述2心緒ヲ1 一百十首
柿本朝臣人麻呂 十首
    正述心緒
2841 わかせこかあさけのすかたよくミずてけふのあいたをこひくらすかも
   我背子之朝明(イあけの)形吉不見今日間戀暮鴨
わかせこかあさけの姿 祇曰朝けのすかたとは明かたにわかるゝ人のすかた也源氏物語に此詞おほし 愚案おき出る朝けの姿を今少見てをくへき物をとの心也
2842 わかこゝろとのそみおもへはあたらよのひとよもおちすゆめに見えけり
   我心等望使念新夜一夜不落夢見
わか心とのそみおもへは 我心から逢事を望思へは一夜もミぬ事なく夢にミると也新よのは一夜もといはんとて也
2843 うつくしとわかおもふいもをひとみなのいまゆきミるやてにまかすして
   與愛(イめつらしと)我念妹人皆如去見耶手不纒為
うつくしとわかおもふ とく我得てうつくしミ思ふ妹を皆人のをくれて今ゆきミると也手にまかすとは我物にはえせてとの心也
2844 このころのいのねられぬにしきたへのたまくらまきてねまくほしけん
   比日寐之不寐敷細布手枕纒寐欲
このころのいのねられぬ 独はいのねられぬに君か手枕まきてねたきと也
2845 ゆゝしくやものかたりしてこゝろやりすくれとすきすなをこひしくて
   忌哉(イ忘哉わすれめや)語意遣雖過不過猶戀
ゆゝしくやもの語して 心やりは思ひつめし事をはるくる也日比の思ひを語出して心やり過るも猶あかす戀しくいまはしきと也イわすれめや不用之
2846 よるもねすやすくもあらす白たへのころもはぬかじたゝにあふまて
   夜不寐安不有白細布衣不脱及直相
よるもねすやすくも あはぬ夜々は身をやすくもせしと也
2847 のちにあはん我を戀なと妹はいへとこふるあいたにとしはへにつゝ
   後相吾莫戀妹雖云戀間年經乍
のちにあはんわれを 又後にあはんといへとあはて戀るに年へしと也
2848 たゝにあはすあるはことはり夢にたに 一云うつつにはうへも相変わらずはすて夢   にさへ いかなるひとのことのしけけん
   不直相有諾夢谷 一云寤者諾毛不相夢左倍 何人事繁
たゝにあはすあるは断 夢にたにいかなる人事のしけき隙(?)にか相見えねは只に現にあはぬは断りと也畢竟あはぬ歎えお云也
2849 うはたまのそのよの夢に見つぎゝや袖ほす日なきわかこふらくを
   烏玉彼夜夢見継哉袖乾日無吾戀矣
うはたまのそのよの夢 毎日袖ぬらし戀るを其夜の夢に君見しやと也
2850 うつゝにはたゝにもあはす夢にたにあふと見えよわかこふらくに
   現直不相夢谷相見與我戀國
うつゝにはたゝにも 戀らくには我戀るにと也
2864 わかせこをいまか/\とまちをるによのふけゆけはなけきつるかも
   吾背子乎且今且今跡待居尓夜更深去者嘆鶴鴨
わかせこをいまか/\と 心は明也此哥より以下の百首或本ニはあさは野にたつミわこすけの下寄物陳フv思ヲかくしのミ有ける君をの上にあり且亦作者未詳といふ事なし作者未詳といふ事すへてなし
2865 玉つるぎまきぬるいももあらはこそよのながけきもうれしかるへき
   玉釼巻宿妹母有者許増夜之長毛歡有倍吉
玉つるきまきぬる妹 詞林采葉云玉つるきはほむる詞也剱は身に添る物なれはまきぬる妹といはん枕詞に置也まきぬる添寐る心也
2866 ひとつまにいふはたがことさ衣のこのひもとけといふはたがこと
   人妻尓言者誰事酢衣乃此紐解跡言者孰言
ひとつまにいふは 人のつまに此紐とけといふは誰かいふ事そわりなき望哉と也
2867 かくはかりこひん物そとしらませはその夜はゆたにあらましものを
   如是許將戀物其跡知者其夜者由多尓有益物乎
かくはかりこひん物 ゆたはゆたかに也其逢し夜は寛《ユタ》かに緩《ユル》緩と可有をと悔也
2868 こひつゝものちにあはんと思へこそをのかいのちをなかくほりすれ
   戀乍毛後將相跡思許増己命乎長欲為礼
こひつゝものちに 思へこそはおもへはこそ也
2869 いまはわれしなんよわきも逢すしておもひわたれはやすけくもなし
   今者吾者將死与吾妹不相而念渡者安毛無
いまはわれしなんよ 心明也
2870 わかせこかこんとかたりしよはすきぬしゑやさら/\しこりこめやも
   我背子之將来跡語之夜者過去思咲八更更思許理来目八面
わかせこかこんとかたりし 見安云しこり頻なる心也愚案さはしきりに來へきにもあらねはこんと云し夜こぬも好々と也
2871 ひとことのよごすをきゝて玉ほこのみちにもあはすといへるわきもこ
   人言之讒(イしこぢ)乎聞而玉鉾道毛不相常云吾妹(イつねいふわきも)
ひとことのよこすを 童蒙抄類聚等如此和ス新点は不相と句を切てつねいふわきもとよむ如何童蒙抄云よこすは讒といふ事也愚案我中を人のさかしらを聞て道にても終にあはすと陳するが哀と也
2872 あはぬをもうしとおもへはいやましにひとことしけくきこえこんかも
   不相毛懈常念者弥益二人言繁所聞来可聞
あはぬをもうしと 弥うき人ことの聞え來て逢かたくなるがうきと也
2873 さとひともいひつぐかねによしえやしこひてもしなんたか名ならめや
   里人毛謂告我祢縦咲也思戀而毛將死誰名將有哉
さとひともいひつく かねにはかにといふ詞也道まかふかに帰來るかにといふに同たか名ならめやとは我|名聞《ミヤウモン》ならんと也里人も世にいひつき語りつぐやうによしやよし戀死せんたか名聞ならんわか名聞ならんと也君故戀死を本意といはんとての心なるへし
2874 たしかなるつかひをなしとこゝろをそつかひにやりしゆめにミえきや
   慥使乎無跡情乎曽使尓遣之夢所見哉
たしかなるつかひを 心をつかひにやりしは現にミゆへくもあらねは若夢なとには見えすやとと也
2875 あめつちにすこしいたらぬますらおとおもひしわれやおこゝろもなき
   天地尓小不至大夫跡思之吾耶雄心毛無寸
あめつちにすこし 日比は心高大に天地にくらへても今少至らさらんと思ひし身の戀地にはおとこ心もなく成し事よと也
2876 さとちかくいへやをるへき此わかめのひとめをしつゝこひのしげゝく
   里近家哉應居此吾目之人目乎為乍戀繁口
さとちかくいへや 此我目に君をミるにつけ人の見る目に付て戀のしけくあれは君かさと近く家居やすへきと也しけゝくはしけき也
2877 いつとなもこひずありとはあらねともうたてこのころこひのしけきも
   何時奈毛不戀有登者雖不有得田直比来戀之繁母
いつとなもこひずありとは なもはなんといふ詞也續日本紀の詔の詞に天ノ下|乃《ノ》公民乎恵賜比撫《ヲンタカラヲメクミタマヒナテ》賜はン牟|止奈母《トナモ》なとあると同し此哥の心はいつとて戀すあることはあらねと此比はうたて也云々
2878 うはたまのねてのゆふへの物思ひにさけにしむねはやむときもなし
   黒玉之宿而之晩乃物念尓割西胸(月が下)者息時裳無
うはたまのねての夕 うは玉は夜るの枕詞なるにつけて夕といはんとてもをける也
2879 みそらゆく名のおしけくも我はなしあはぬ日あまたとしのへぬれは
   三空去名之惜毛吾者無不相日數多年之經者
みそらゆく名の みそらは只空の事也野にも山にも立|満《ミツ》といふことくに大空にも立行名もおしくもなしと也
2880 うつゝにも 一云わきもこを《吾妹兒乎》 今も見てしか夢にのミにたもとまきぬと見れはくるしも
   得管二毛今毛見壮鹿夢耳手本纒宿登見者辛苦毛
うつゝにも今も見てしか 夢にのミ君か袖まきぬると見てはかなく苦しきに現在に今も見たきと也一云心明也
 
 
   寄テv物ニ陳フルv思ヲ  一百五十首
           柿本朝臣人麻呂  十三首
寄物陳思 衣帶紐等によせての戀の哥也
2851 ひとめにはうへをむすひてしのひにはしたひもとけてこふる日そおほき
   人所見表結人不見裏紐開戀日太
ひとめにはうへをむすひ うへをむすひては衣の上おもての心也下紐とけては人を戀るにも戀らるゝにも紐とくる事ある心なるへし是より十三首或本ニは正述心緒現にはたゝにもあはすの下わかせこを今か/\との上にあり
2852 ひとことのしけれるときにわきもこかころもなりせはしたにきましを
   人言繁時吾妹衣有裏服矣
ひとことのしけれる 人しれすあひ添んと也
2853 しらたまもめにはとをけんおもひつゝひとへころもをひとりきてぬる
   真珠服遠兼念一重衣一人服寐
しらたまも目には 法花経の衣裏の寶珠も酔伏てえ見付さりし事を目にはとをけんとよめるなるへしそのかみの寶珠もめにとをく見さりけん我も君にあひミす思ひてのミ一人衣をかたしくとの心なるへし
2854 しろたへのわかひものをのたえぬまにこひむすひせんあはん日まてに
   白細布我紐緒不絶間戀結為及相日
しろたへのわかひもの 戀むすひとは人を戀る時我紐をむすふに其人逢はんしるしには其紐をのつからとく其しるしミんとてすることゝ也
2855 にゐはりのいまつくるみちさやけくもきこえけるかもいもかうへのこと
   新治今作路清聞鴨妹於事矣
にゐはりのいま作る 童蒙抄云にゐはり新治
書新く作る道也愚案今作る道なれは分明なるをさやけくといはん諷詞に置也
2856 やましろのいはたのもりにこゝろをそくたむけけしたれはいもにあひかたき
   山代石田社心鈍手向為在妹相難
やましろのいはたの 石田といふからにかたかるへきを心とくも心得す手向し祈りしからに妹にあひかたきと也神のとかにはあらねとわりなき心也
2857 すかのねのしのひ/\にてらす日にほすやわかそていもにあはすして
   菅根之惻隠惻隠照日乾哉吾袖於妹不相為
すかのねのしのひ/\に 菅の根は深く根さす物なれは忍ひ/\といはん諷詞によめり忍ひ/\に袖をほすと也あはぬ泪の心なるへし
2858 いもにこひいねぬあしたにふくかせの妹にふれなはわれとふれなん
   妹戀不寐朝吹風妹經者吾與經
いもにこひいねぬ われとふれなんとは我ともにふれよと也一説我妹にふるゝ也としらせてふれよと也
2859 あすか川たかかはとをしこえてくるつかひはこよひあけずゆかめや
   飛鳥川高川避紫越來信今夜不明行哉
あすか川たかかは あすか川たかゝは大和なるへし此河をこえてくるつかひの歸さに遠きほとなれは明ぬ間にはえ行付しと也遠きをなけきたる心なるへし
2860 やつり川みなそこたえす 一云みをもたえせすゆくミつのつぎてぞこふるこのとしころは
   八釣川水底不絶  水尾母不絶 行水續戀是比歳
やつり川みなそこ 八釣川前注序哥也絶すつゝきて戀すると也
2861 いそのうへにおふるこまつの名をおしミひとにしられすこひわたるかも 一云いはのうへにたてる小松の名をおしみ人にはいはて戀わたるかも
   礒上生小松名惜人不知戀渡鴨 巌上尓立小松名惜人尓者不云戀渡鴨
いそのうへに生る小松 岩上の小松に心をおこして我名を惜ミて戀をあらはさぬ事を讀る周詩の六義の興に自然と似たり一云詞少異義同
2862 やまかはのみかけにおふるやますげのやますもいもがおもほゆるかも
   山川水陰生山草不止妹所念鴨
やま川のみかげに みかけは水邊の物陰也序哥也心明也
2863 あさは野にたつみわこ菅ね隠れて 一云たかは野にたちしなひたるみわこすけ たれゆへにかはわかこさらん
   淺葉野立神古菅根隠 誰葉野尓立志奈比垂神古菅 誰故吾不戀
あさは野にたつみわ 菅は清浄の草也祓の具にも用ひ天のこ菅と神楽にもうたへは神古菅と云也神杉神松等の類也此哥根かくれてといはん序也ねかくれても忍ふ心也下句明也一云たかは野未考
 
 
    右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出
正述心緒
    正述心緒
作者未詳
2881 たちてゐるすべのたどきも今はなしいもにあはずて月のへゆけは 一云君かめ見ずて月のへゆけは
   立而居為便乃田時毛今者無妹尓不相而月之經去者 君之目不見而月之經去者
たちてゐるすべのたどき 田時八雲抄云たつきたより也田時ともかけりと有すへのたときとはすへもなく便りもなしと也
2882 あはすして戀わたるとも忘れめやいや日にげにはおもひますとも
   不相而戀度等母忘哉弥日異者思益等母
あはすして戀わたる いや日にげにはとはいよ/\日ことには也あはても我は忘れじと也
2883 よそめにもきみかすかたを見てはこそわれこひやまめいのちしなずは 一云いのちにむかふわか戀やまめ
   外目毛君之光儀乎見而者社吾戀山目命不死者 壽向吾戀止目
よそめにもきみか 見てはこそのはは助字也よそめに成とも君か姿をミてこそ戀やまめと也一云命にむかふ哥林良材云命にひとしき心也對字を書
2884 こひつゝもけふはあらめど玉くしけあけなんあすをいかてくらさん
   戀管母今日者在目杼玉匣將開明日如何將暮
こひつゝもけふは 戀の難堪をいふ也
2885 さよふけて妹を思ひ出てしきたへのまくらもそよになげきつるかも
   左夜深而妹乎念出布妙之枕毛衣世二歎鶴鴨
さよふけて妹を 見安云枕もそよに枕ニ泪落るか聞ゆる音也
2886 ひとことはまことこちたくなりぬともそこにさはらんわれにあらなくに
   他言者真言痛成友彼所將障吾尓不有國
ひとことはまこと そこにとはそれに也
2887 たちゐするたときもしらすわか心あまつそらなりつちはふめとも
   立居田時毛不知吾意天津空有土者踐鞆
たちゐするたとき 立居の便りも不知と也
2888 よのなかのひとのことバとおもほすなまことぞこひしあはぬ日をおほミ
   世間之人辭常所念莫真曽戀之不相日乎多美
よのなかの人の詞と なへての世の人なミの偽と思召なといふ也
2889 いでいかにわがかくこふるわきもこがあはじといへることもあらなくに
   乞如何吾幾許戀流吾妹子之不相跡言流事毛有莫國
いでいかにわがかくこふる 哥林良材いては扨もなどいふ心也云々心をおこして云詞也
2890 うはたまのよをながみかもわかせこかゆめにゆめにし見えかへるらん
   夜干玉之夜乎長鴨吾背子之夢尓夢西所見還良武
うはたまの夜を長み ゆめに夢にしは重詞也夜の長さ故かせこか夢に見えつ歸りつすると也度々ミゆる心也
2891 あらたまのとしのをなかくかくこひはまことわかいのちまたあらめやも
   荒玉之年緒長如此戀者信吾命全有目八面
あらたまの年のを 年久くもかやうに戀は実に我命|全《マツタ》からじと也
2892 おもひやるすべのたどきも我はなしあはずてあまた月のへゆけば
   思遣為便乃田時毛吾者無不相數多月之經去者
おもひやるすべの 前に立てゐるすへのたときもといへるニ同
2893 あさゆきてゆふへはきます君故にゆゝしくもわれはなけきつるかも
   朝去而暮者來座君故尓忌忌久毛吾者歎鶴鴨
あさゆきてゆふへは 只ひるまのへたて斗をいまはしくも歎く事とミつからいましむる也
2894 きゝしより物をおもへはわかむねはわれてくだけてときこゝろなし
   從聞物乎念者我胸者破而摧而鋒心(イとこゝろも)無
きゝしより物を思へは とき心は賢き心也類聚も如此和ス新点はとこゝろもと有同し義也
2895 ひとことをしけみこちたミわきもこにいにしつきよりいまだあはぬかも
   人言乎繁三言痛三我妹子二去月從未相可母
ひとことを茂ミこちた 言痛《コチタ》ミ人言痛く有心なるへし事/\しき也
2896 うたかたもいひつゝもあるか我ならはつちにはおちじそらにけなまし
   歌方毛曰管毛有鹿吾有者地庭不落空消生
うたかたもいひつゝも 此哥のうたかた袖中抄に水のあはによせて詞にそふる哥どもの中にあり仙抄ニ軒の玉水のうたかたと聞えたりつちにはおちじ空にけなましとよそふべきが故也と云々愚案とくけなましをうたてかけてもいひつゝもある哉といふ心なるへししは助字
2897 いかならんひのときにかもわきもこかもひきのすがたあさにげにミん
   何日之時可毛吾妹子之裳引之容儀朝尓食尓將見
いかならん日の時にかも 哥林良材云あさにけ朝夕といふ詞也愚案もひきのすかたは裳をひきありく風流のさま也いつの日いつの時かは此姿を常にミんと也
2898 ひとりゐてこふれはくるし玉たすきかけでわすれんことはかりせよ
   獨居而戀者辛苦玉手次不懸(イ不ナシ)將忘言量欲
ひとりゐてこふれは 玉手次はかけでの枕詞也かけでは其人の事を懸ず也懸て思ひ出ずといふ心也ことはかりは事のはからひ也独居て戀る苦しさに忘るはかり事をせよと我といさむる心なるへし
2899 なか/\にもだもあらましをあぢきなくあひ見そめてもわれはこふるか
   中々黙然毛有申尾小豆無相見始而毛吾者戀香
なか/\にもだも もだしてとんぢやくすましき物をと也
2900 わきもこかえまひまゆひきおもかけにかゝりてもとなおもほゆるかも
   吾妹子之咲眉(イまよ)引面影懸而本名所念可毛
わきもこかえまひまゆ 俤に懸りは俤に立心也
2901 あかねさすひの暮ゆけはすべをなミちへになけきてこひつゝぞをる
   赤根指日之暮去者為便乎無三千遍嘆而戀乍曽居
あかねさす日の暮ゆけは 暮れはいとゝ戀る心也
2902 わかこひはよるひるわかすもゝへなるこゝろしおもへはいともすべなし
   吾戀者夜晝不別百重成情之念者甚(イいたく)為便無
あかこひはよるひる分す 百重なる心し思へはとはいくへにも深く思ふ心也
2903 いとのきてうすきまゆねをいたつらにかゝしめつゝもあはぬひとかも
   五十殿寸太薄寸眉根乎徒令掻管不相人可母
いとのきてうすき 采葉云いとのきてはいとゝしく也愚案逢見ん瑞相は有乍と云
2904 こひ/\てのちもあはんとなくさむる心しなくはいきてあらめやも
   戀々而後裳將相常名草漏心四無者五十寸手有目八面
こひ/\てのちも もの字戀々て後も終に逢すは死へき心也
2905 いくはくもいけらじいのちを戀つゝそわれはいきつくひとにしられず
   幾不生有命乎戀管曽吾者氣衝人尓不所知
いくはくもいけらし 短き生の中に人にもしられぬ戀に我は嘆息する事よと也
2906 ひとくにゝよはひにゆきてたちのをもまたとかされはさよそあけにける
   他國尓結婚尓行而大刀之緒毛未解者左夜曽明家流
ひとくにゝよはひに行て よはひは結婚と書女をめとらんとての心也遙々來てとくるまもなくと也
2907 ますらおのさとき心もいまはなしこひのやつこにわれはしぬへし
   大夫之聡神毛今者無戀之奴尓吾者可死
ますらおのさとき心も 戀にのミ身心ともになやむと歎く心也
2908 つねにかくこふれはくるししはらくもこゝろやすめんことはかりせよ
   常如是戀者辛苦暫毛心安目六事計為與
つねにかくこふれは ことはかり是もはかり事也
2909 おほよそにわれしおもはゝ人つまにありといふいもにこひつゝあらめや
   凡尓吾之念者人妻尓有云(イてふ)妹尓戀管有米也
おほよそにわれし おほかたに思はぬゆへわりなき人妻に戀ると也
2910 こゝろにはちへにもゝへにおもへれとひとめをおほみいもにあはぬかも
   心者千重百重思有杼人目乎多見妹尓不相可母
こゝろにはちへにもゝへに 心明也
2911 人めおほみめこそしのふれすくなくもこゝろのうちにわかおもはなくに
   人目多見眼社忍禮小毛心中尓吾念莫國
人めおほみめこそ忍れ 人目忍ひてこそ色にもおほくは見えねと也
2912 ひとの見てことゝがめせぬゆめにわれこよひいたらんやどさすなゆめ
   人見而事害目不為夢尓吾今夜將至屋戸閇勿勤
ひとの見て事とかめ 現には人のとかむるにわひてよめるなるへし
2913 いつまてにいかんいのちそおほよそはこひつゝあらすはしぬるまされり
   何時左右二將生命曽凡者戀乍不有者死上有
いつまてにいかんいのちそ とても久しからぬ命とならは戀つゝあらんするには死るかまさらんと也一説戀つゝあられすはしぬるかまされると也
2914 うつくしとおもふわきもをゆめにミておきてさくるになきがさひしさ
   愛(イめつらし)等念吾妹乎夢見而起而探尓無之不怜(イわひしさ)
うつくしとおもふわきも 拾遺集ニは思ひし妹と有なきそ悲しきと有也
2915 いもといへはなへしかしこししかすかにかけまくほしきわれにあるかも
   妹登曰者無礼(イなけれ・なへて)恐然為蟹懸巻欲言尓有鴨
いもといへはなへしかしこし なへしはなめしとおほさてなと源氏物語にいへる詞にて輕の字無礼の字也イニなけれとよむ如何見安ニはなへてとよむ是もかろしめてかしこしといふ心なるへきをなへてならす善《ヨキ》と云心也といへり誤也此哥は妹をうつくしむあまりに讀る哥なるへし妹とたゝちにいへは無礼に恐れかましなからさすかに懸ていはまほしきと也
2916 たまかつまあはんといふはたれなるかあへるときさへおもかくれする
   玉勝間相登云者誰有香相有時左倍面隠為
たまかつまあはんといふは 袖中抄ニ顕昭云玉かつまとは妻をほめていふといへり良玉集《顕仲述》云「たまかつままつ夕くれの槙の戸はをとなふさへそ人たのめなる此両首にてはさも心得へし万葉に今二首の哥そ妻をよめりとも覚えぬ「玉かつまあへ嶋山の夕露に「玉かつましまくま山の夕暮に此二首ともにいかにつゝけたるにか畧註愚案玉かつまの事本文ありかゝるをしはかりの事にてしらるへきにあらす秘訣別ニ注ス
或説曰玉かつまは若玉の緒といふか上に玉の緒の嶋心といへり是は玉を緒にてしむる心也後二首の哥にともに嶋といふ字をよみしは其心なるへしこの哥にあはんといふはとよめるは玉のをはあはする心をつゝけしにや仙覚は玉かつまとは玉くしけといふ詞也阿波國風土記云勝間井は冷水出ツ2于|此《コヽニ》1焉所3以名2勝間井ト1者昔|倭健《ヤマトタケ》ノ天皇乃依テ2大|御《ミ》櫛笥ノ之忌ニ而勝間|栗人《クリント》トイフ者ノ穿v井ヲ故為v名ト也云々愚案此説に随ひて見安にも玉勝間 玉くしけ也又は櫛《クシ》をも云と云也といへり櫛《クシ》の説は詞林采葉の儀にしたかへり然共此風土記の心は勝間栗人か堀たる間勝間井と名付しと也大御櫛笥の故によりてほりしゆへといふにはあらす然に此風土記をよりところにて玉勝間は玉くしけといはん事ひか事なるへし此説の玉のをといふ事猶狼藉の臆説なるへし本説をしらすはいかて的當すへき口訣別注ス
2917 うつゝにかいもかきませるゆめにかもわれかまとへるこひのしけきに
   寤香妹之徠座有夢可毛吾香惑流戀之繁尓
うつゝにか妹かきませる 戀の茂きに忘却して現に妹か來りしか夢に迷ひて逢と思ふか分かねしと也夢にものもは助字にや
2918 おほかたはなにかもこひんことあげせずいもによりねんとしはちかきを
   大方者何鴨將戀言擧不為妹尓依宿牟年者近綬
おほかたは何かも戀ん ことあけせずとはさして詞も置さずの心也あまり戀しきまゝにミつからいひ慰る心にや
2919 ふたりしてむすひしひもをひとりしてわれはとき見じたゞにあふまでは
   二為而結之紐乎一為而吾者解不見直相及者
ふたりしてむすひし いせ物語の哥に下句少かはれとも心は同しかるへし
2920 しなんいのちこゝはおもはすたゞしくもいもにあはさることをしそおもふ
   終命此者不念唯毛妹尓不相言乎之曽念
しなんいのちこゝは思はす 仙曰こゝ(ろイ)は思はすとはそこはくは思はすと云也愚案こゝは思はすは文字のことく此事は思はすにて可然歟たゝしくもは唯也しくもは助字也
2921 をとめこはおなじこゝろにしばらくもやむときもなく見なんとそおもふ
   幼婦者同情須臾止時毛無久將見等曽念
をとめこはおなし心に 見安云幼婦 若き心也愚案同し心とは心の今にかはらすしてと云也
2922 ゆふされはきみにあはんとおもへこそひのくるらくもうれしかりけれ
   夕去者於君將相跡念許憎日之晩毛娯有家礼
ゆふされはきみに くるらくは暮るもと也
2923 たゝけふも君にはあはめど人ことをしけみあはずてこひわたるかも
   直今日毛君尓波相目跡人言乎繁不相而戀度鴨
たゝけふも君にはあはめと あはめどのとにこるへしあはずてはあはで也
2924 よのなかにこひしけゝんと思はねはきみかたもとをまかぬよもありき
   世間尓戀將繁跡不念者君之手本乎不枕夜毛有寸
よのなかに戀しけゝん 世にかく戀のしけからんおも思はて君とねぬ夜も有しかくさま/\に戀しからんと思はゝ一夜も隔てじをと也
2925 みとりこしすもりめのとはもとむてふちのめやきみがおももとむらん
   緑兒之為社乳母者求云乳飲哉君之於毛求覧
みとり子しすもり 見安云すもりめのともり乳母の事也愚案面求とはおもきらひする心なるへし我に難面くおも求る君に乳のめやといふ也|緑《ミトリ》子の守《モリ》乳母求るやうに我を近つけよとの心也
2926 くやしくも老にけるかも我せこかとむるめのとにゆかまし物を
   悔毛老尓来鴨我背子之求流乳母(イもとむるちもに)行益物乎
くやしくも老に 求流乳母 童蒙抄ニはもとむるちもにと和ス同心なるへし我せこかめのともとめしにゆかて老たるか悔しと也妾なとに求めし時めのとなといひなして求しにや
2927 うらふれてかれにし袖を又まかはすきにしこひやみたれこんかも
   浦觸而可例西袖※[口+斗]又巻者過西戀也乱今可聞
うらふれてかれにし 祇曰枯果て思ひ絶たるに又はかなき程にあひたる心なるへし袖をまく手枕まくなとよめる哥此集におほし袖をかさね枕をかはす心と見ゆ独を物を巻やうに讀る哥有只枕をする心歟愚案枕ヲまくと讀也
2928 をのがじゝひとしにすらしいもにこひ日にげにやせぬ人にしらせず
   各寺師人死為良思妹尓戀日異羸沼人丹不所知
をのがじゝひとじに 見安云をのがじゝをのれ/\と云心也愚案各自恣とも書哥の心は日毎に痩《ヤス》るは人しれずをのがまゝに戀死なんとにやと云歟
2929 よひ/\にわがたちまつにそこはくもきみきまさずはくるしかるへし
   夕夕吾立待尓若雲君不來益者 辛苦
よひ/\にわか立待に 夕々待てこすはそこはく苦しかるへしと也
2930 いけるよにこひてふ物をあひミねはこひのうちにもわれそくるしき
   生代尓戀云物乎相不見者戀中尓毛吾曽苦寸
いけるよに戀てふ 戀に馴し人はさもあらじ我は戀といふ物をあひミす今を始めなれは中にも苦しと也
2931 おもひつゝをれはくるしもうは玉のよるにしならはわれこそゆかめ
   念管座者苦毛夜干玉之夜尓至者吾社湯龜
おもひつゝをれは 只思ひてのミあれは苦しきにゆかんと也
2932 こゝろにはもえておもへとうつせミのひとめをしけみいもにあはぬかも
   情庭燎而念杼虚蝉之人目乎繁妹尓不相鴨
こゝろにはもえて 奥儀抄云蝉ははかなき物によせて人といはんとて空蝉と云也
2933 あひおもはず君はませとも片戀にわれはそこふるきみかすかたを
   不相念公者雖座肩戀丹吾者衣戀君之光儀
あひおもはす君は 君は相思はすおはせともと也
2934 あぢさはふめにはあけともたつさはりとはれぬこともくるしかりけり
   味澤相目者非不飽携不問事毛苦勞有來
あちさはふ目には 目にあちはふ也目に味《アチは》ふとはつら/\見て其さまをおもひはからふ也よくつら/\ミるに付て頼もしけなきをめにはあくと云也然ともたつさはり問ぬも苦しと也
2935 あらたまのとしのをなかくいつまてかわかこひをらんいのちしらずて
   璞之年緒永何時左右鹿我戀將居壽不知而
あらたまのとしのを 命のうちにえ逢ましきかとなけく心也
2936 いまはわれはしなんよわかせこひすれはひとよひとひもやすけくもなし
   今者吾者指南與我兄戀為者一夜一日毛安毛無
いまはわれはしなんよ 指南よは將《ナン》v死《シ》よ也
2937 しろたへのそておりかへしこふれはかいもかすかたのゆめにし見ゆる
   白細布之袖折反戀者香妹之容儀乃夢二四三湯流
しろたへの袖おりかへし 袖折かへし戀るるとはくり返し戀る心にや衣を返してきて寝れは夢にミる心なるへし
2938 ひとごとをしげみこちたみわかせこをめには見れともあふよしもなし
   人言乎繁三毛人髪三我兄子乎目者雖見相因毛無
ひとごとをしけみ よそなから目にはミれと人ことしけくこといたけれは逢ぬ歎き也
2939 こひといへはうすき事ありしかれともわれはわすれすこひはしぬとも
   戀云者薄事有雖然我者不忘戀者死十方
こひといへはうすき事 こひといふにはうすきもあれともわれはうすからす戀しぬとも忘れましきと也
2940 なか/\にしなばやすけん出る日のいるわきしらすわれしくるしも
   中中二死者安六出日之入別不知吾四九流四毛
なか/\にしなはやす 死は安からんと也出る日の入わきしらすとは終日に戀に茫々然たる也
2941 おもはるとかたちもわれはいまはなしいもにあはすてとしのへゆけは
   念八流跡状毛我者今者無妹二不相而年之經行者
おもはるとかたちも 今更に思はるゝとても我は思はるへき形もなくなりたりあはて年へてやつれ果しかはとの心也
2942 わかせこにこふとにしあらしみとりこのよなきをしつゝいねがてらくは
   吾兄子尓戀跡二四有四小兒之夜哭乎為乍宿不勝苦者
わかせこに戀とにしあらし 戀とにしあらしは戀るとてにてあらんと也みとり子は夜鳴といはん枕詞也いねかてらくはとは夜をねかねたるはと也
2943 わかいのちのなかくほしけくいつはりをよくする人をとらふばかりを
   我命之長欲家口偽乎好為人乎執許乎
わかいのちのなかくほし 偽をよくしたるは一旦にはあらはしかたし命なかくほしき終に其偽を見あらはしてとらへかこたん其ほとまてのいのちをほしくあると也
2944 ひとことをしけしといもにあははすしてこゝろのうちにこふるこのころ
   人言繁跡妹不相情裏戀比日
ひとことをしけしと 中の口舌によりて人事しけしなといひてしはしあはては有なから猶こゝろのうちには戀るとわりなき心を讀る也
2945 たまつさの君かつかひをまちしよのなこりそいまもいねぬよのおほき
   玉梓(イ玉鉾)之君之使乎待之夜乃名凝其今毛不宿夜乃大寸
たまつさの君か使を 使をまちてねず有し名残の今もねぬ夜多きと也君か絶しを歎く心也
2946 たまほこの道にゆきあひてよそめにも見れはよきこをいつしかまたん
   玉桙之道尓行相而外目耳毛見者吉子乎何時鹿將待
たまほこの道にゆき いつしかまたんとはいつかいひなひけて來るを待へきと也
2947 おもひにしあまりにしかはすへをなみわれはいひてきいむへきものを 一云 かとにいでゝわかこいふすを見けんかも 一云すななくもいてあるきてそいへのあたり見し
   念西餘西鹿齒為便乎無美吾者五十日手寸應忌鬼尾 門出而吾反側乎(イ乎人)見監可毛 無乏出行家當見
   柿本朝臣人麻呂歌集云 にほとりのなつさひこしを人見けんかも
              尓保鳥之奈津柴比來乎人見鴨
おもひにしあまりにし われはいひてきとは思ひあまりて其君の事をいひ出《イデ》し忌《イミ》ていふましき物をと也一云門に出ては上句のかはりし也一云すへなくもは下句のかはりし也柿本人麻呂の集の哥は中の五文字よりかはれる也鳰鳥はつかひはなれねはなつさひといふへき諷詞也
2948 あけん日はそのかとゆかん出て見よこひたるすかたあまたしるけん
   明日者其門將去出而見與戀有容儀數知兼
あけん日は其門ゆかん 戀の姿はやせをとろへさま/\しるからんと也住吉物語君か門今そ過行出てミよ戀する人のなれるすかたをとよめるも是を本哥なるへし
2949 うたかへるこゝろいふかしことはかりよくせよわかせこあへる時たに
   得田價異心欝悒(イおほゝし)事計吉為吾兄子相有時谷
うたかへる心いふかし 相見ぬほとに我を疑心いふかしきにかくまのあたり對面のときたによく事をはからひミよ我に疑ふへき事あらしかと也
2950 わきもこかよとてのすかた見てしよりこゝろそらなりつちはふめとも
   吾妹子之夜戸出乃光儀見而之從情空有地者雖踐
わきもこかよとての姿 夜外に出し姿也
2951 つはいちのやそのちまたに立ならしむすひしひもをとかまくおしも
   海石榴市之八十衢尓立平之結紐乎解巻惜毛
つはいちのやその 椿市《ツはイチ》大和也やそのちまたは方々に分れし道也哥心は馴し人の外に紐とくかおしきと也古妻を忘ぬ心なるへし
2952 わかよはひをとろへゆけはしろたへのそてのなれにしきみをしそおもふ
   吾歯之衰去者白細布之袖乃狎尓思君乎母准其念
わかよはひをとろへ 袖の着馴をそへて馴し君を思ふと也
2953 きみこふとわかなくなみた白たへのそてさへひちてせんすへもなし
   戀君吾哭泣白妙袖兼所漬為便母奈之
きみこふとわかなく 心明也
2954 いまよりはあはしとすれや白たへのわか衣手のひるときもなき
   從今者不相跡為也白妙之我衣袖之干時毛奈吉
いまよりはあはしと あはしとすればや也
2955 ゆめかともおもひわかめや月ひさにかれにしきみかことのかよへは
   夢可登情班月數多二干西君之事之通者
ゆめかとも思分めや 月久しく中絶し君か又事の通へは夢ともおもひわかすと也
2956 あらたまのとし月かねてうはたまのゆめにそ見ゆるきみかすかたは
   未玉之年月兼而烏玉乃夢尓所見君之容儀者
あらたまの年月 夢にのミ見てあはて年月ふるを歎く心也
2957 いまよりはこふともいもにあはんやもとこのへさらすゆめに見えこそ
   從今者雖戀妹尓將相哉母床邊不離夢所見乞
いまよりはこふとも 逢事かたく成て猶戀しけれはとこの邊をさらす夢にたにと也見えこそは見え來よと也
2958 ひとの見てことゝかめせぬ夢にたにやますを見えよわかこひやめん 一云人めおほたゝにはあはす
   人見而言害目不為夢谷不止見與我戀將息 人目多直者不相
ひとの見てことゝかめ せめて戀しさの慰めは夢にたにやますミえよと也をは助字也
2959 うつゝにはことたえたれや夢にたにつきても見えよたゝに逢まてに
   現者言絶有夢谷嗣而所見與直相左右二
うつゝにはことたえ 現には逢事絶しと也
2960 うつせみのうつしこゝろもわれはなしいもをあひ見でとしのへゆけは
   虚蝉之宇都思情毛吾者無妹乎不相見而年之經去者
うつせみのうつし心も うつし心現の心也うつせみのとはうつしといふへき諷詞也
2961 うつせミのつねのことはとおもへともつきてしきけはこゝろはなきぬ
   虚蝉之常辭登雖念継而之聞者心遮焉
うつせミのつねの詞と 空蝉ははかなき心也|化《アタ》人のはかなき常の頼れぬ詞と一旦は聞けとも度々打つゝきていふをきけは扨は誠かと心慰むと也心はなきぬは疑の止心也
2962 しろたへの袖かへずしてうはたまのこよひははやもあけバあけなん
   白妙之袖不數而烏玉之今夜者早毛明將開
しろたへの袖かへすして 袖かへすとはかたしきたる袖を左右かへぬ心也ねられねは一方のつかるれは又一方にかゆるをさなき程に明よと也
2963 白たへのたもとゆたけく人のぬるうまいはねすやこひわたりなん
   白細之手本寛久人之宿味宿者不寐哉戀將度
白たへのたもと うまいをぬるとはうまく心よくねる也常の人はゆたかに心よくねるに我はうまくぬる事なく戀わたらんかと也戀にねられぬ心也
 
  寄テv物ニ陳フルv思ヲ  一百五十首
柿本朝臣人麻呂  十三首
作者未詳 一百三十七首
2964 かくしのみありける君をきぬにあらはしたにもきんと我思へりける
   如是耳在家流君乎衣尓有者下毛將著跡吾念有家留
かくしのみありける かくのミ頼もしけなく有し君をしらて常に身に添まほしく思ひし事よと也異本此哥以下百卅七首白妙の袂ゆたけくの下に在
2965 つるはみのあはせのきぬのうらにせはわれしゐめやも君かきまさぬ
   橡之袷衣裏尓為者吾將強八方君之不來座
つるはみのあはせの 和名染色具云橡は櫟ノ實也童蒙抄云つるはみとは四位のうへのきぬを云扨われしゐめやもとはよめり愚案此哥われしゐめやといはん序哥と見ゆ君か心とこぬを我|強《シヰ》て如何せんと也
2966 くれなゐのうす染衣あさはかにあひ見しひとにこふるころかも
   紅薄染衣淺尓相見之人尓戀比可聞
くれなゐのうす染 淺はかといはん序哥也八雲抄淺くはかなき也と淺はかの注に在
2967 としのへは見つゝしのへといもかいひしきぬのぬひめを見れはかなしも
   年之經者見管偲登妹之言思衣乃縫目見者哀裳
としのへは見つゝしのへ あはて年へはかたみに見よと縫し衣なるへし扨あはて年へての哥也
2968 つるはみのひとへのころもうらもなくあるらんこゆへ戀わたるかも
   橡之一重衣裏毛無將有兒故戀渡可聞
つるはみのひとへの うらもなくの序哥也
2969 解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし
   解衣之 念乱而 雖戀 何之故其跡 問人毛無(入力者注、この歌底本にナシ)
 
2970 あらそめのあさらのころも淺はかにおもひていもにあはん物かも
   桃花褐(イかちの)淺等乃衣淺尓念而妹尓將相物香裳
あらそめの 見安云桃にて染し衣也イあらかちしかまのかちと同藍染の布也あさらの衣は淺き色の衣也
2971 おほきみのしほやくあまのふち衣なれはすれともいやめつらしも
   大王之鹽焼海部乃藤衣穢者雖為弥希將見毛
おほきみのしほやく 見安云勅をかうふりて塩をやきし故也愚案日本紀八ニ仲哀天皇ノ八年ニ幸キノ2筑紫ニ1時岡ノ縣主ノ祖《トヲツヲヤ》熊鰐《クマワニ》聞テ2天皇ノ車駕《ミユキヲ》1参2迎《サムカフ》于周芳ノ沙歴《サは》之《ノ》浦ニ1而獻ル2魚塩地《ナシホノトコロヲ》1又曰以2逆見《サカミノ》海1為2塩ノ地ロト1大王の塩焼といふこと是らにてをしはかるへし哥心は上句は序也馴てもあかす珎しと也
2972 あかきぬのすみうらころもながくほりわかおもふきみか見えぬころかも
   赤帛之純裏衣長欲我念君之不所見比鴨
あかきぬのすみうら 仙曰すみうら衣とは表《ヲモテ》も裏《ウラ》も赤き衣也それは人のめつる物なれは長くほりわか思ふ君とよそふる也見安云何色にても表裏同きをすみうらと云也
2973 またまつくをちこちかねてむすびつるわかしたひものとくる日あらめや
   真玉就越乞兼而結鶴言下紐所解日有米也
またまつくをちこち またまは良玉也玉は緒に付れはをの字をいはん諷詞也遠きのち近き此比を兼て契てむすひし下紐をと也
2974 むらさきのおひのむすぶもとくもミすもとなやいもにこひわたりなん
   紫帶之結毛解毛不見本名也妹尓戀度南
むらさきのおひの 袖中抄もとなやはよしなといふ心と見えたり或人は心もとなしといふ事かと申せと哥ともの心にかなはす云々愚案妹か心の変不変も見すよしなく只にこひわたらんかと也
2975 こまにしきひものむすひもときさけずいはひてまてどしるしなきかも
   高麗錦紐之結毛解不放(イそけす)齊(イいもひ)而待杼驗無可聞
こまにしきひものむすひも 高麗錦也錦の紐の事前ニ注いはひてはゆはへても君か來へき祝ひいのり事なとしてまてともこすと也イいもひ祝也
2976 むらさきのわかしたひものいろにいてずこひかもやせんあふよしをなみ
   紫我下紐乃色尓不出戀可毛將痩相因乎無見
むらさきのわか下紐 一二句は色に出すといはん諷詞也心は明也
2977 なにゆへかおもはすあらんひものをのこゝろにいりてこひしきものを
   何故可不思將有紐緒之心尓入而戀布物乎
なにゆへか思はすあらん ひものをの心に入てとはいれひもといふ物あれは入てといはんとてひものをのとは云也
2978 まそかゝみ見ませわかせこわがかたみもたらんときにあはずあらめや
   真十鏡見座吾背子吾形見將持辰尓將不相哉
まそかゝみ見ませ 鏡をもては其影うつるを我に逢ふ心せよといはんとて也
2979 まそかゝミたゞめにきみをミてはこそいのちにむかふわかこひやまめ
   真十鏡直目尓君乎見者許増命對吾戀止目
まそかゝミたゝめに 見てはこそのはの字は助字也哥林良材此哥注云命にむかふとは命にひとしき也
2980 まそかゝみ見あかぬいもにあはすしてつきのへゆけはいけりともなし
   犬馬鏡見不飽妹尓不相而月之經去者生友名師
まそかゝみ見あかぬ 五文字は見あかぬといはん枕詞也
2981 はふりらかいはふみむろのまそ鏡かけてそしのふあふひとことに
   祝部等之齊三諸乃犬馬鏡懸而偲相人毎
はふりらかいはふ 梁塵愚案抄云みむろとは神の社を云也見安云三諸のまそ鏡は神躰を申也愚案上句は懸てといはん序也毎人に忍ふか苦《クルシ》き心也
2982 はりはあれと妹しなけれはつけめやとわれをなやましたゆるひものを
   針者有杼妹之無者將著哉跡吾乎令煩絶紐之緒
はりはあれと妹し ひものをのたえたるを妹あらはぬひてつくへきを妹なけれはつけんやえつけじと我をなやましてひものきれしと也
2983 こまつるきさがかげゆへによそのミ見つゝやきみをこひわたりなん
   高麗劔己之景迹故外耳見乍哉君乎戀渡奈牟
こまつるきさが影 さがは汝か也つるきの影はおそろしき物なれは影ゆへにといはんとての五文字也其人影のおそろしきゆへきみにもあはてよそにのミ見つゝ戀る心也或説さか心ゆへと讀鑿ス
2984 つるきたち名のおしけくもわれはなしこのころのまのこひのしけきに
   劔太刀名之惜毛吾者無比來之間戀之繁尓
つるきたち名の 劔太刀は名といはん枕詞也前に注す哥の心は明也
2985 あつさゆみすゑはししらすしかれともまさかはきみによりにしものを 一云あつさみ弓末のたつきはしらねともこゝろはきみによりにしものを
   梓弓末者師不知雖然真坂者君尓縁西物乎 梓弓末乃多頭吉波雖不知心者君尓因之物乎
あつさゆみすゑはし 末はしのし助字也まさかは詞林采葉ニ寢所也在所同云々末はしらねとも先在所は君に近|寄《ヨリ》しと也一云心大かた同
2986 あつさゆみひきミゆるへみ思ひミてすてにこゝろはよりにしものを
   梓弓引見縱見思見而既心齒因尓思物乎
あつさゆみひきミ 色々思過しこゝろミてすてに心はよりしと也
2987 あつさゆみひきてゆるへぬますらおやこひてふものをしのひかねてん
   梓弓引而不縱大夫哉戀言物乎忍不得牟
あつさ弓引てゆるへ 祇曰引てゆるへぬとは心のたけきまゝに思返す事のなきをいふ愚案かくたけき身も戀は忍ひかねんかと也
2988 あつさ弓すゑなかためてゆかさりしきみにはあひぬなけきはやまん
   梓弓末中一伏三起不通有之君者會奴嗟羽將息(イやめん)
あつさ弓末中ためて ためてとはたはみたる也たはみはたゆミし心也中たゆみしてゆかさりし歎きせしか今逢たれは歎止むと也
2989 いまさらになにをか思はんあつさ弓ひきみゆるへミよりにし物を
   今更何壮鹿將念梓弓引見縱見縁西鬼乎
いまさらに何をか あつさ弓はよりにしといはん諷詞也さま/\してよりし君が外に何を思んと也
2990 をとめらかうみをのたゝりうちをかけうむときなしにこひわたるかも
   ※[女+咸]嬬等之續麻之多田有打麻懸續時無二戀度鴨
をとめらかうみをの 序哥也仙曰うみをのたゝりとは苧《ヲ》をうむに絡染《タヽリ》といふ物あるを云也うむときなしにとは怠《ヲコタ》る時なく戀わたると也
2991 たらちねのおやのかふこのまゆこもりいぶせくもあるかいもにあはずて
   垂乳根之母(イはゝか)我養蚕乃眉隠馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿異母二不相而
たらちねのおやの 此哥祇点をはしめ童蒙八雲等の諸抄の古点もおやのかふこと有新点ははゝかと有然共古点を用たらちねのおやの迄はかふこといはん諷詞也かふことは桑子也祇曰まゆこもりいふせくもあるかとは養蠶《キフコ》のまゆの中にこもりたるは見えぬ物也いふせきは心もとなき也親のかふこのまゆこもりと侍るは深窓にこもりて出ぬ事を桑子によそへたり
2992 たまだすきかけねはくるしかけたればつぎて見まくのほしき君かも
   玉手次不懸辛苦懸垂者續手見巻之欲寸君可毛
たまだすきかけねは 玉たすきはかけねはの諷詞也かけねはとは其人をかけて相見ぬ心也かけたれはとは折々も逢ミれはと也難逢人を忘兼る心也 
2993 むらさきのいろのかづらのはなやかにけふ見るひとにのちこひんかも
   紫綵色之蘰花八香尓今日見人尓後將戀鴨
むらさきのいろの 紫の色のかつらは紫綸巾《シリンキン》のたくひにや花やかニけふミるといはん諷詞也一説|額《ヒタイ》ゆふかづらにあらす藤かつら也云々如何
2994 たまかつらかけぬときなく戀れともなにそもいもにあふときもなき
   玉蘰不懸時無戀友何如妹尓相時毛名寸
たまかつらかけぬ 玉かつらは枕詞也かけて思はぬ時なく也
2995 あふよしのいてくるまてはたゝみこもかさねあむかずゆめにし見えん
   相因之出來左右者疊薦重編數夢西將見
あふよしのいでくる 逢ん由なき人を思ひねの夢に度々見て讀る哥也誠に逢よしの出來るまてはかく夢にもミんと也疊薦は疊にさすこもなるへし
2996 しらかつくゆふは花かも事こそはいつのさねきもつねわすられす
   白香付木綿者花物事社者何時之真枝毛常不所忘
しらかつくゆふは 童蒙抄云|呉録地理志《ゴロクノチリシニ》曰|交趾定安縣《カウチノテイアンケンニ》有リ2木綿樹1林中ニ有テv綿如シv蠶ノ綿又可v作ルv布ニ 羅浮《ラフ》山カ記ニ曰木綿正月ニ則花サク大サ如2芙蓉ノ1花落テ結《ムスフ》v子《ミヲ》方《マサニ》生シテv葉ヲ即|子《ミノ》内ノ布綿甚タ白シ蚕成|熟《シユクシテ》而人以為v《ス》蘊ト云々詞林采葉云しらがひろき四手也目安云木綿付る心也|何時之《イツノ》真枝《サネキ》は榊葉也愚案事こそはとは其おこなふ神事なるへしたとへは榊にゆふつけて花のやうに面白きをとりもてあそふ神事こそいつも忘られぬと君をよそへてよめるにや童蒙抄に引木綿樹の事はゆふは花かもとある故にや
2997 いそのかみふるのたかはしたか/\に妹かまつらんよそふけにける
   石上振之高橋高高尓妹之將待夜曽深去家留
いそのかみふるの高橋 一二句は高々にといはん諷詞也妹か待らん夜にさはり有てえゆかて高々に待らん夜の更るを歎く心也
2998 みなといりのあしわけを舟さはりおほみいまくるわれをこずとおもふな 一云みなといりにあしわけをふねさはりおほみきみにあはすてとしそへにける
   湊入之葦別小船障多今來吾乎不通跡念莫 湊入尓蘆別小船障多君尓不相而年曽經來
みなといりのあしわけ 一二句はさはりおほみの諷詞也さはりおほさにこそ遅く來たれ心はかはらねはこすとは思ふなと也
2999 水をおほみあげにたねまきひえをおほミえられしゆへそわかひとりぬる
   水乎多上尓種蒔比要乎多擇擢之業曽吾獨宿
水をおほみあげに 見安云あけは水のなき岡也愚案序哥也交れはえらひ出すをいひかけてわれもえりあまされしゆへひとりぬると也日本紀ニ高田《アケタ》
3000 こゝろあへはあひぬるものををやまたのしゝだもるごと母しもらすも 一云母しもらしし 
   霊(イたま)合者相宿物乎小山田之鹿猪田禁如母之(古來風―もらし)守為裳 母之(イか)守之師
こゝろあへはあひぬる 仙覚たまあへはと和ス古來風躰類聚等こゝろあへはと有可用之しゝ田とは鹿猪の付田也心を合せし中は逢見る物をいたくも母のもらす事よと女の母の制するをなけく男の哥なるへし古來風体ニはもらしもらすよとあり心は同し仙抄ニはしゝ田とは一段の田也田一段のかしらは十六六十歩あり云々鑿せり難用
3001 かすかのにてれる夕日のよそにのミきみをあひミていまそくやしき
   春日野尓照有暮日之外耳君乎相見而今曽悔寸
かすかのにてれる 日ははるかに照せはよそといはん諷詞也
3002 あしひきの山よりいつる月まつとひとにはいひていもまつわれを
   足日木乃從山出流月待登人尓波言而妹待吾乎
あしひきの山より 心明也妹待我をとは月待とて妹まつ我なるを人は只月まつとのミや思ふらんと也
3003 ゆふつくよあかつきやミのほのかにも見しひとゆへにこひわたるかも
   夕月夜五更闇之不明日之人故戀渡鴨
ゆふつくよあかつき闇 一二句はほのかにもの諷詞也仙曰夕月夜の比は暁やみなれはよそへよめる也
3004 ひさかたのあまつみそらにてれる日のうせなん日こそわかこひやまめ
   久堅之天水虚尓照日 或作v月 之將失日社吾戀止目
ひさかたのあまつ 中五文字或本ニはてる月のと有上句はたとへ也日天のうせなん時我こひはやまんとあるましき事を云也
3005 もちの日にいてにし月のたか/\にきみをいませて何をかおもはん
   十五日出之月乃高高尓君乎座而何物乎加將念
もちの日にいてにし 仙曰十五夜の月のとく出しか如く君かとく來たれは何をか思んと也
3006 つきよゝみかとにいてたち足占してゆくときさへやいもにあはさらん
   月夜好門尓出立足占為而徃時禁八妹二不相有
月夜よみ門に 足占とは足ふみなとにて心の占する也
3007 うはたまのよわたる月のさやけくはよく見てましをきみかすかたを
   野干玉夜渡月之清者吉見而申尾君之光儀乎
うは玉の夜渡る 心明也
3008 あしひきの山をこたかみゆふつきをいつかときみをまつかくるしさ
   足引之山乎木高三暮月乎何時君乎待之苦沙
あしひきの山を 木高き山は月遅しいつかと待といひかけたり
3009 つるはみのきぬときあらひまつち山もとつひとにはなをしかずけり
   橡之衣解洗又打山古人尓者猶不如家利
つるはみのきぬとき つるバみのきぬをときあらひて我歸るをまつ古きつまには猶しくものなかりけりと也今かよふ所もある男のうた成へし又打《マツチ》山はまつといひかけて山に麓あれはもとゝそへたり一説きぬはときあらひて打をそへてよめり上句はもとつの序也
3010 さほかはの川なみたゝずしづけくもきみにたぐひてあすさへもかも
   佐保川之川浪不立静雲君二副而明日兼欲得
さほ川の河波立す しつけくもといはん諷詞に一二句は讀り静に君にそひゐてけふよりあすさへもあらまほしと也
3011 わきもこにころもかすかのよしきかはよしもあらぬかいもかめを見ん
   吾妹兒尓衣借香之宜寸川因毛有額妹之目乎將見
わきもこに衣かすかの よしき河大和也春日の邊なるへし上句は序也妹か目を見んよしもあらぬかといはんとて讀り
3012 とのぐもりあめふる川のさゝれなみまなくもきみはおもほゆるかも
   登能雲入雨零川之左射礼浪間無毛君者所念鴨
とのぐもり雨ふる河 との曇り棚曇と同詞林采葉見安等棚引くもる也云々ふる河は大和也雨ふるとそへて也扨さゝれ浪といふまては序哥也隙なく君を思ふと也
3013 わきもこやあをわすらすないそのかみ袖ふる川のたえんとおもへや
   吾妹兒哉安乎忘為莫石上袖振川之將絶跡念倍也
わきもこやあを 五文字はわきもこやとよひかけたる詞也あをとは我を也袖ふる川は是も大和の布留川を袖ふるとそへたり河には絶る事あれはたえんといはん諷詞によめり哥心は自由ならぬ中なれはよしたえんと思へさりともわれを忘るなと也わすらすなは忘るゝ事をすなとの詞也
3014 かみ山の山したとよみゆく水のみをしたえずはのちもわがつま
   神山之山下響逝水之水尾不絶者後毛吾妻
かみ山の山したとよみ 序哥也祇曰みをしたえすはとは水の水尾とわか身をかねてよめり
3015 かみのごときこゆるたきのしら波のおもしるきみか見えぬこのころ
   如神所聞瀑之白浪乃面知(しろく古來風―)君之不所見比日
かみのこときこゆる瀧 見安云なる神のことくきこゆる瀧也愚案面知君は見馴し心にや但古來風体ニはおもしろくと有俗に心得ぬ事を面白きと云心カ
3016 やま川のたきにまされる戀すとそひとしりにけるまなくおもへは
   山川之瀧尓益流戀為登曽人知尓來無間念者
やま川のたきに 心の隙なく思へは山河のたきりし水にまさる戀すると人も知たりと也君か知ぬを恨心にや
3017 あしひきの山かは水のをとにいてすひとのこゆへにこひわたるかも
   足檜木之山川水之音不出人之子※[女+后]戀渡青頭鶏
あしひきの山川水の 一二句は音に出すといはん序也人の子ゆへとは人の妻故忍ひに戀ると也
3018 たかせなるのとせの川の後にあはんいもにはわれはいまにあらすとも
   高湍尓有能登瀬乃川之後將合妹者吾者今尓不有十方
たかせなるのとせの のとせ河八雲抄河内一説摂津にも在云々のとせの河は後といはんとて非v今とも妹には後にあはんと也
3019 あらひぎぬとりかへ川のかはよどのたえなんこゝろおもひかねつも
   浣衣取替河之川余杼能不通牟心思兼都母
あらひきぬとりかへ河 序哥也取かへ河筑後也見安云衣を取かへ/\あらふ心也愚案不通牟心《タエナンコヽロ》イたえさらん心と和するは非也
3020 いかるかのよるかの池のよろしくもきみをいはねはおもひぞわかする
   班鳩之因可乃池之宜毛君乎不言者念衣吾為流
いかるかのよるかの池 班鳩因可池みな河内也哥枕ニアリよろしくといはん諷詞也よろしくもとは大かたなる也大かたにも君をいはねはと見ぬ戀する心なるへし一説よきやうにも君かうはさのなけれはと也云々
3021 こもりぬのしたにはこひんいちしろくひとのしるへくなけきせめやも
   絶沼之下從者將戀市白久人之可知歎為米也母
こもりぬの下には こもりぬはかくれたる池也下にといはん諷詞也
3022 ゆくゑなみこもれるいけの下思ひにわれそものおもふこのころのまは
   去方無三隠有小沼乃下思尓吾曽物念頃者之間
ゆくゑなみこもれる 水の行方なくこもれる池を下《シタ》おもひといはん諷詞にをけり3023 こもりぬのしたにこひあまり白波のいちしろくいでぬ人のしるべく
   隠沼乃下從戀餘白浪之灼然出人之可知
こもりぬのしたに 隠沼は下にの枕詞也白波はいちしろくの枕詞也いてぬは導ぬ也下に戀餘りて人の知へき迄色に出しと也
3024 いもかめを見まくほり江のさゝらなみしきてこひつゝありとつげこそ
   妹目乎見巻欲江之小浪(イさゝれなミ)敷而戀乍有跡告乞
いもかめを見まくほり江 見まくほりとそへてさゝら波はしきての諷詞也妹か顔を見まほしさにしきりに戀つゝありとつけよと也
3025 いしはしるたるみの水のはしきやしきみにこふらくわかこゝろから
   石走垂水之水能早敷八師君尓戀良久吾情柄
いしはしるたるみの水 たるみの事前ニ注一二句ははしきやしといはむ諷詞也はしきやしはよしといふ詞を垂水の水のよきにそへたるなるへし哥の心はよし/\きみにこふるもわか心からなり人やりならぬわさといふ也
3026 きみはこすわれはゆへなみたつなミのしは/\わひしかくてこじとや
   君者不來吾者故無立浪之敷和備思如此而不徠跡也
きみはこすわれは 故なみとは我にはかくうとまるへき故もなしとの心也立波とはしは/\といはん諷詞也頻に侘しき事哉かくて不《ザラン》v來《コ》にやと也
3027 あふみのうみへたはひとしるおきつなみきみををきてはしるひともなし
   淡海之海邊多波人知奥浪君乎置者知人毛無
あふみのうみへたは あふみの海とは逢事をそへてよめるにやへたとは礒なとを云也礒は目に近くて人も知也沖は遠く人知ぬをいひかけて君を置てはといはん諷詞に沖津波といふ也此逢事を君を置て外ニは知人なしと也
3028 おほうみのそこをふかめてむすひてしいもかこゝろはうたかひもなし
   大海之底乎深目而結義之妹心者疑毛無
おほうみのそこを ふかく契りをむすひし妹か心はといふ也
3029 さだのうらによする白波あいたなくおもふをなにそいもにあひかたき
   貞能※[さんずい+内]尓依流白浪無間(イひまもなく)思乎如何妹尓難相
さだのうらによする 貞の浦未考一二句はあいたなくの諷詞也イひまもなく同義也
3030 おもひいてゝすべなきときはあま雲のおくかもしらずこひつゝそをる
   念出而為便無時者天雲之奥香裳不知戀乍曽居
おもひ出てすへなき おくかもしらすとはそこゐもしらすと同シ天雲は枕詞也
3031 あまぐものたゆたひやすき心あれはわれをたのめなまてバくるしも
   天雲乃絶多比安心有(イあらは)者吾乎莫憑(イたのむな)待者苦毛
あまくものたゆたひ 天雲は是も枕詞なり君にはたゆだひ猶豫《ユヨ》し安き心あれは必來んと我をちきりたのめな。さありてまでは苦しきにと也類聚に如此和せり古点なるへし新点は心あらは我をたのむなとあり我かたのめてゆかんといふともたゆたひ安き心君にあらは必こんと我を頼むなまてはくるしき物そと也
3032 きみかあたり見つゝもをらんいこま山雲なかくしそあめはふるとも
   君之當見乍母(イを)將居伊駒山雲莫蒙雨者雖零
きみかあたり見つゝも 伊勢物語には見つゝをとありをは助字也もも同古來風躰をと有
3033 なか/\になにゝしりけんわが山にもゆるけふりのよそに見ましを
   中中二如何知兼吾山尓焼流火氣能外見申尾
なか/\になにゝ知けん 戀てもなるましき人を中/\しらてあるへきをと也わが山の煙とは烽火《トフヒ》なとにや春の山やくにてもか
3034 わきもこにこひすべなかりむねをやきあさ戸あくれは見ゆる霧かも
   吾妹兒尓戀為便名鴈胸乎熱旦戸開者所見霧可聞
わきもこにこひすへな 戀てすへなさに胸をやく煙の霧かとミゆる心也朝戸明てミゆる霧を戀する折にかく讀成へし
3035 あかつきのあさきりこもりかへるさにいかてかこひのいろにいてにける
   暁之朝霧隠(イかくれ)反羽二如何戀乃色丹出尓家留
あかつきのあさきりこもり(イかくれ) 朝霧隠れ歸りしに我戀の色のいかてか見えしそと也朝の別なとに君かねぎらひあはれむ時なとの哥なるへし
3036 おもひいつるときはすへなミさほ山にたつあまきりのけぬへくおもほゆ
   思出時者為便無佐保山尓立雨霧乃應消所念
おもひ出る時は 雨霧はけぬへきといはん諷詞也
3037 きりめ山ゆきかふみちのあさかすみほのかにたにやいもにあはさらん
   殺目山徃反道之朝霞髣髴谷八妹尓不相牟
きりめ山ゆきかふ道の 上句は序也きりめ山 八雲抄紀伊云々見安云熊野也
3038 かくこひん物としりせはゆふへ置てあしたはきゆるつゆならましを
   如此將戀物等知者夕置而旦者(イつとには)消流露有申尾
かくこひん物と知せは 類聚ニは下句つとにはきゆると有可用歟
3039 ゆふへをきてあしたはきゆるしらつゆのけぬへきこひもわれはするかも
   暮置而旦者消流白露之可消戀毛吾者為鴨
ゆふへをきてあしたは 序哥也心明也
3040 のちつゐにいもにあはんとあさつゆのいのちはいけりこひはしげれど
   後遂尓妹尓將相跡旦露之命者生有戀者雖繁
のちつゐに妹に 戀しけく命堪かたけれと後終に逢んをたのみて生たりと也しけれとはしけゝれと也
3041 あさなさな草のうへしろく置露のきえバともにといひしきみはも
   朝旦草上(くさバに)白置露乃消者共跡云師君者毛
あさなさな草のうへ 祇曰消はともにと深く契し人今はいつくにそ忘たるやと恨たる哥也君はといふ詞にこもれり此集にも数多侍り古今にも有
3042 あさひさすかすかのをのにをく露のけぬへきわか身おしけくもなし
   朝日指春日能小野尓置露乃可消吾身惜雲無
あさひさすかすかの 序哥也春日小野大和
3043 つゆしものけやすきわか身おいぬともまたわかかへりきみをしまたん
   露霜乃消安我身雖老又若(イこま)反君乎思將待
つゆしものけやすき 終に待えぬへしと也露霜は枕詞也
3044 きみまつと庭にしをれは打なひきわかくろかみにしもそをきにける 一云しろたへのわかころもてにつゆそをきにける
   待君常庭耳居者打靡吾黒髪尓霜曽置尓家留 白細之吾衣手尓露曽置尓家留
きみまつと庭にし 打なひきは押なへてと云に同夜更霜寒きに久しく待ゐたるさま也一云心明也
3045 あさしものけぬへくのミや時なしにおもひわたらんいきのおにして
   朝霜乃可消耳也時無二思將度氣之緒尓為而
あさしものけぬへく 時なしには時を分ぬ心也いきのをは命也命に懸て此戀に消へく思ひ渡らんかと也
3046 さゝなみの波こすあさにふるこさめあいだもをきてわかおもはなくに
   左佐浪之波越安※[斬/足]仁落小雨間(イひまを)文置而吾不念國
さゝなみの波こす 安※[斬/足]は朝也波と雨との音の間なきを我思ひの隙なきによそふる也一説あさは淺シ或は田のあせ等々猶不用
3047 かみさひていはほにおふる松かねのきみかこゝろはわすれかねつも
   神左備而巌尓生松根之君心者忘不得毛
かみさひていはほ かみさひはふりてひさしき心也いはほに久しき松の忘られす面白きことく君か心忘かたしと也
3048 みかりするかりはのをのゝならしはのなれはまさらてこひこそまされ
   御猟為鴈羽之小野之楢奈礼波不益戀社益
みかりするかりはの ならしはは楢の木也なれはといはん序哥也
3049 さくらあさのおふの下草はやくおきはいもかしたひもとけざらましを
   櫻麻之麻原下草早生者妹之下紐下解有申尾
さくらあさのおふの 一二句は早くおきはの枕詞也朝ゆるいして妹をなびけしとよろこふ心也
3050 かすかのにあさちしめゆひたえめやとわかおもふひとはいやとをながに
   春日野尓淺茅標結断米也登吾念人者弥遠長尓
かすかのにあさち しめゆひは領したる心也かすか野に淺茅まではしめゆひの諷詞也領し置て絶ましきと思ふ人は弥遠長に絶ましと也
3051 あしひきの山すかのねのねもころにわれはそこふるきみかすかたを 一云わかおもふひとをミんよしもかも
   足桧木之山菅根之懃吾波曽戀流君之光儀乎 吾念人乎將見因毛我母
あしひきの山菅の ねもころといはん序哥也一云心明也
3052 かきつはたさくさはに生る菅のねのたゆとやきみか見えぬこのころ
   垣津旗開澤生菅根之絶跡也君之不所見頃者
かきつはた咲沢に 序哥也中絶んとにや君か見えぬと也
3053 あしひきの山すかのねのねもころにやますおもはゝ妹にあはんかも
   足檜木乃山菅根之懃不止念者於妹將相可聞
あしひきの山すかのね 此集四に山すけのみならぬと讀しは麥門冬也是は山にある菅也此心さしやますは終にはあはんかと也
3054 あひおもはすある物をかも菅のねのねもころころにわかおもへらん
   相不念有物乎鴨菅根乃懃懇吾念有良武
あひおもはすある物 人は相思ぬ物を我のミ懇に思んかと也ネモコロ/\ネンコロ也
3055 やますけのやますて君をおもふかもわかたましゐのこのころはなき
   山菅之不止而公乎念(イおもへ)可母吾心神之頃者名寸
やますけのやますて おもふかもは思ふ故にかと也イ思へかもは思へはか也
3056 いもかかとゆきすきかねて草むすふかせふきとくなまたかへりみん 一云たゝにあふまてに
   妹門去過不得而草結風吹解勿又將顧 直相麻※[氏/一]尓
いもかかと行過かねて 祇曰草をむすふ事道のしるしに結也又かへりミんと云其心也イ一云只に逢迄に茲類聚明也
3057 あさちはらちふにあしふみこゝろくみわかおもふこらかいへのあたり見つ 一云いもかいへのあたりミつ
   淺茅原茅生(或云|見茅《ミチ》)丹足踏意具美吾念兒等之家當見津 妹之家當見津
あさちはらちふに足 ちふは淺茅生也或は見茅は道也見安云|意具美《コヽロクミ》
心くむ也愚案女の心くみ思ひやりての心也足ふみしたとりて心をくむといはん一二句也
3058 うちひさすみやにはあれとつき草のうつしこゝろをわかおもはなくに
   内日刺宮庭有跡鴨頭艸之移情吾思名國
うち日さす宮には 内日さす宮前に注月草は移ひ安き物なれはうつし心の枕詞也宮中にも我心を移す心なく君をおもふと也古今と心別也
3059 もゝにちにひとはいふとも月くさのうつしこゝろをわれもためやも
   百尓千尓人者雖言月草之移心吾將持八方
もゝにちに人はいふ 色々に人はいふとも我心はうつさしと也
3060 わすれくさわかひもにつく時となくおもひわたれはいけりともなし
   萱艸吾紐尓著時常無念度者生跡文奈思
わすれくさわかひもに 萱草を帯れはうきを忘ると本文有時ともなく思へは生心せぬ故忘ん用意をすると也
3061 あかつきのめさまし草と是をたに見つゝいましてわれししのはせ
   五更之目不酔艸跡此乎谷見乍座而吾止偲為
あかつきのめさまし 此哥は形見なと遣して暁のね覚には是を見つゝおはして我を戀忍ひ給へと云也目|覚《サマ》し草は只目覚す物をなるへし見安ニは目不醉草《メサマシクサ》つれ/\草の事と云々如何
3062 わすれくさかきもしみゝにうへたれとをにのしこくさなをこひにけり
   萱草垣毛繁森雖殖有(古來生れとも)鬼之志許草猶戀尓家利
わすれくさかきもしみゝ 垣にもしけくと云也をにのしこ草此集第四家持の哥に委注奥儀抄云をにのしこ草は紫苑《シヲン》也是を見れは物|忘《ワスレ》せすといへり云々俊頼の髓脳にも八雲御抄にも同義なり袖中抄此哥注曰忘れ草をうへたれとをにの草のしるしに猶戀しと云
3063 あさちふのをのにしめゆふ空こともあはんときかせこひのなくさに 一云こんとしらせし君をしまたん
   淺茅原小野尓標結空言毛將相跡令聞戀之名種尓 將来知志君矣志將待
    又見タリ2柿本朝臣人麻呂歌ノ集ニ1 然《シカレトモ》落句|少異耳《スコシコトナルノミ》
あさちふの小野に 標結《シメユフ》といへる詞を言とそへていふ空言とうけたりそらこともは空言にも也偽にもあはんといひ聞せよ戀しき慰めにと也、或本落句は留《トマ》りの句也
3064 みなひとのかさにぬふてふ有間菅ありてのちにもあはんとそ思ふ
   皆人之笠尓縫云有間菅在而後尓毛相等曽念
みなひとの笠にぬふ 序哥也今こそあれ有/\て後にもあはんとおもふと也
3065 ミよしのゝあきつのをのにかるかやのおもひみたれてぬる夜しそおほき
   三吉野之蜻乃小野尓苅草之念亂而宿夜四曽多
ミよしのゝあきつの 序哥也あきつの小野 八雲抄大和云々
3066 いもまつとみかさのやまのやますけのやますやこひんいのちしなすは
   妹待跡三笠乃山之山菅之不止八將戀命不死者
いもまつとみかさの 第二三の句はやますやといはん諷詞也
3067 たにさはみミねへにはへるたまかつらはへてしあらはとしにこすとも 一云いはつたのはへてしあらは
   谷迫峯邊延有玉葛令蔓(イたえす)有者年二不來友 石葛令蔓之有者
たにさはみミねへに 此哥類聚ニはたえすしあらはと和ス尤可然上句序哥也中たに絶すは年に一度もこすともよし也はへてしあらはとは是もはへて絶すはとの心にて明也一云いはつた石に生し蔦也
3068 みつくきのをかのくすはを吹かへしおもしるこらか見えぬころかも
   水茎之岡乃葛葉緒吹變面知兒等之不見比鴨
みつくきのをかの葛 序哥也葛葉はうらおもて吹かへさるれはおもしるといはん諷詞によめる上句也下句は前に神のごときこゆる瀧のといふ哥に同おもしるは顔見馴し女子のミえぬと也見安ニおもしるは昔にくき人を云といへり不用
3069 あかこまのいゆきはゝかりまくすはらなにのつてことたゝにしよけん
   赤駒之射去羽計(イ)真田葛原何傳言直將吉
あかこまのいゆきはゝかり 仙点かくのことしおそらくはあやまれりいゆきはゝかるとよみ落句をもたゝにしえけんとよむへし慥に文證あり且又正義あり秘决別に注し侍る
3070 ゆたゝみたなかみやまのさなかつらありさりてしもあらしめすとも
   木綿疊田上山之狭名葛在去之毛不念有十方
ゆたゝみたなかみ山 仙曰ゆふは御幣也みぬさの串のかしらには紙をたゝみてはさめはゆふたゝみと云扨たゝみたる紙のすそに四手をかきてたるゝ物なれはたなかみといふ名を手の紙といひなせる諷詞なれは木綿疊とをける也田上は近江也腰の句以後さなかつら在さりてしもあらしめすともとは愚案さねかつらのたえさるかことくならはかく外にありさりてあらしめすとも近くあひそひてあらせよかしと心を含めたる哥也心は絶すなから外に置て折々あひあふ中なとを歎きてよめる哥なるへしさなかつらはさねかつら也
3071 たにはぢのおほ江のやまのさねかつらたえんのこゝろわれはおもはす
   丹波道之大江乃山之真葛絶牟乃心我不思
たにはぢのおほ江の 丹波路の大江山也序哥にて心明也
3072 おほさきのありその渡りはふ葛のゆくゑもなくや戀わたりなん
   大埼之有礒乃渡延久受乃徃方無  南
おほさきのありその 越中の名所也序哥也いつといふかきりもなく戀るを行衛なくと云也
3073 ゆふづゝみしらつき山のさなかづら後も必あはんとそおもふ 一云絶んと妹をわかおもはなくに
   木綿※[果/衣] 或は作ルv疊《タヽミニ》 白月山之佐奈葛 將相念 將絶 吾念莫
ゆふつゝみしらつき 木綿つゝみはぬさ袋といふ説あれと只ゆふたゝみ也つとたと五音通木綿は白き故枕詞に置也白月山 八雲抄近江也|葛《カツラ》は絶ぬ物なれは後も逢んの枕詞也
3074 はねすいろのうつろひやすき心あれはとしをそきふることはたえずて
   唐棣花色之移安情有者年乎曽寸經事者不絶而
はねすいろの移ろひ はねすいろは月草木芙蓉なとの説袖中抄等に有前ニ注きふるはふりきたる也うつろひやすき人の心なれは事はたゝすして年はふり來たりされとたのみかたしと心をふくめし哥也
3075 かくしてそひとのしぬてふ藤なミのたゝひとめのミ見しひとゆへに
   如此為而曽人之死云藤浪乃直一目耳見之人故尓
かくしてそ人の死ぬと 藤なみは藤のたれたる花のならひたるをいふ也又打なひきたるか波に似たれはいふともいへり藤花は見る物なれは一目見しといはん諷詞也只一目見し人故にかく戀て人は戀死ぬと云と也
3076 すみのえのしきつの浦のなのりそのなはつげてしをあはぬもあやし
   住吉(イよし)之敷津之浦乃名告藻之名者告(イのり)而之乎不相毛恠
すみのえのしきつの 童蒙抄云なのりそは神馬草也 童蒙ニは名はつけてしと有新点にはのりてし也義は同
3077 みさこゐるあらいそにおふるなのりそのよし名はのらじおやはしるとも
   三佐呉集荒礒尓生流勿謂藻乃吉名者不告父母者知鞆
みさこゐるあらいそに 親は知て有とも我名のりはせじ恥しと也此集三ニ第四句名のりは告よと有て入
3078 なみのむたなひく玉ものかた思ひにわかおもふひとのことのしけゝく
   浪之共靡玉藻乃片念尓吾念人之言乃繁家口
なみのむたなひく 一二句はかた思ひの諷詞也浪とともになひく藻の片よるをそへて片思ひにと讀り
3079 わたつみのおきつ玉ものなひきねんはやきませきみまてはくるしも
   海若之奥津玉藻乃靡將寐早來座君待者苦毛
わたつみのおきつ玉も なひきねんといはん諷詞の一二句也
3080 わたつみのおきにおひたるなはのりの名はそものらじ戀はしぬとも
   海若之奥尓生有縄乗乃名者曽不告戀者雖死
わたつみのおきにおひ 序哥也名はそものそもは助字也名のらしと也
3081 たまのをゝかたをによりてをゝよはみみたるゝときにこひさらめやも
   玉緒乎片緒尓搓而(イ志)緒乎弱弥亂時尓不戀有目八方
たまのをゝかたをに 序哥也人のみたるゝ時も我も戀んと也
3082 きみにあはて久しくなりぬ玉のをのなかきいのちのおしけくもなし
   君尓不相久成宿玉緒之長命之惜雲無
きみにあはて久しく 玉のをは長きの枕詞也
3083 こふる事まされはいまはたまのをのたえてみたれてしぬへくおもほゆ
   戀事益今者玉緒之絶而亂而可死所念
こふる事まされは 心明也
3084 あまおとめかつきとるてふわすれかいよにもわすれじ妹かすかたは
   海處女潜取云忘貝代二毛不忘妹之容儀者
あまおとめかつき 序哥也よにもは助字也
3085 あさかけにわか身はなりぬかけろふのほのかに見えていにしこゆへに
   朝影尓吾身者成奴玉蜻髣髴所見而徃之兒故尓
あさかけにわか身は 影になるとはやせをとろへしを云朝の影は猶うすくはかなきを云かけろふのは枕詞也
3086 なか/\にひとゝあらすはくはこにもならましものをたまのをはかり
   中中二人路(イに)不在者桑子尓毛成益物乎玉之緒計
なか/\に人ゝあらす 生ある物に人は貴し若人にあらすは桑子の何思ふ心もなけなる物に生をうけんしはしのほとなりともさあらは物思はしと也
3087 ますけよきそかのかはらになくちとりまなしわかせこわかこふらくは
   真菅吉宗我乃河原尓鳴千鳥間無吾背子吾戀者
ますけよきそかの そかの河原出雲也そさのお我心|清々之《スカ/\シ》と宣《ノタマ》ひし所也日本紀ニは素鵝《スカ》とも有菅をすかといへは真菅吉と諷詞に置也間なくの序哥也
3088 こひ衣きならの山になくとりのまなくときなしわかこふらくは
   戀衣著楢乃山尓鳴鳥之間無無時吾戀良苦者
こひ衣きならの山 戀衣はきならすにそへし枕詞也着|楢《ナラ》山大和
3089 とをつひとかりちの池にすむ鳥のたちてもゐても君をしそおもふ
   遠津人猟道之池尓住鳥之立毛居毛君乎之曽念
とをつ人かりちの池 遠津人は鳫といはん諷詞也鳫のとこ世よりくるは遠人のことくなれは也此集十七にも遠津人鳫のきなかむともよめりかりちの池は八雲御抄に石見と有序哥なり
3090 あしへゆくかものはをとのをとにのミきゝつゝもとなこひわたるかも
   葦邊徃鴨之羽音之聲耳聞管本名戀度鴨
あしへゆくかもの羽音 一二句は諷詞也音にのミ聞て逢事もなくよしなく戀わたるとなけく心也
3091 かもすらもをのかつまとちあさりしてをくるゝほとにこふといふものを
   鴨尚毛己之妻共求食為而所遺間尓戀云物乎
かもすらもをのかつま をくれて雄雌はなれゐるほとは妻こふ事鴨すら如此也まして我はとふくめたる哥也
3092 しらまゆみひたのほそ江のすか鳥のいもにこふれやいをねかねつる
   白檀斐太乃細江之菅鳥乃妹尓戀哉寐宿金鶴
しらまゆみひたの 見安云しらま弓ひくとつゝくる心也すが鳥は巣鳥也八雲云ひたの細江飛騨也愚案序哥也菅鳥の妻こふを我身に添て讀り
3093 さゝのうへにきゐてなく鳥めをやすみひとつまゆへにわれ戀にけり
   小竹之上尓來居而鳴鳥目乎安見人妻※[女+后]尓吾戀二來
さゝのうへにきゐて 目を安ミとはめやすき也見にくからぬ心也鳥のうつくしきを序哥によみてめやすき人妻なれは戀ると也
3094 ものおもふといねすおきたるあさけにはわひてなく也かけのとりさへ
   物念常不宿起有旦開者和備弖鳴成鶏左倍
ものおもふといねす 鳥さへなけは我は猶と也かけは鷄也
3095 あさからすはやくなゝきそ我せこかあさけのすかた見れはかなしも
   朝烏早勿鳴吾背子之旦開之容儀見者悲毛
あさからすはやく 鳥の早く朝を告て別ゆくを歎く心也
3096 ませこしにむきはむ駒ののらるれとなをもこひしくおもひかてぬを
   ※[木+巨]※[木+若]越尓麦咋駒乃雖詈猶戀久思不勝焉
ませこしにむきはむ駒 一二句は諷詞也のらるれとゝはしからるれともと也思ひかてぬはおもひにたへぬ心也ませこし垣越也
3097 さひのくまひのくま河にうまとめてうまに水かへわれよそにミん
   左桧隈桧隈河尓駐馬(イこまとめて)馬(こま)尓水令飲吾外將見
さひのくまひのくま川 大和國高市郡也古今集には「さゝのくまひのくま川にこまとめてしはし水かへ影をたに見んと有笹のくまは笹の生たる所にやひのくまといひつゝけたり此哥水飼ほとたによそにもミんと也
3098 おのれゆへのられてをれはあしけ馬のおもたかふだにのりてくへしや
   於能礼故所詈而居者※[馬+総の旁]之面高夫駄尓乗而應來哉
    此一首は平群《ヘグリノ》文屋《フンヤノ》朝臣|益人《イヤヒト》カ傳ニ云昔シ聞ク紀ノ皇女竊《ヒソカニ》嫁ス2高安ノ王ニ1被《ラルヽ》v嘖《はタ》之時ノ御《ミ》作リノ歌也高安ノ王は左降シテ任ス2伊豫ノ國守ニ1也
おのれゆへのられて 此哥註ニ云紀皇女ひそかに高安のおほきみにあひたりあらはれてしほれ給ふ時紀皇女の哥也此時高安王も左降せられし也されは哥の心はわれゆへに高安王とかめられのられてあれは蟄居の身として馬のつらつき高くたにのりてはえも來り通はしと也おもたかふだとよむへしと師説也註ニ左降とは左遷と同義也異朝秦漢より以前は官右を貴み左ひきしされは高位をとかによりてひきくするを左遷左降と云也高安王は從三位川内王の子にて正四位下と紹運録に有伊与國守は五位也されは左降といふ成へし
3099 むらさきをくさとわけ/\ふすしかの野はことにしてこゝろはおなし
   紫草乎草跡別別伏鹿之野者殊異為而心者同
むらさきを草と分/\ 紫草を分/\て別所にふす鹿のめとおの野こそことなれ心は相同して相思ふと我中の同所にもあらねと心かはらぬを云也
3100 おもはぬを思ふといはゝまとりすむうなてのもりのかミししるらん
   不想乎想常云者真鳥住卯名手乃杜之神忌(イ思)將御知
おもはぬを思ふと 思へはこそ思ふとも云を是偽ならぬほとは神照覧し給はんと也神しのし助字也真鳥住前ニ注
 
    問答歌 三十六首
二首
3101 むらさきははひさす物そつはいちのやそのちまたにあへるこやたれ
   紫者灰指物曽海石榴市之八十街尓相兒哉誰
むらさきははひさす 見安云椿の灰汁《アク》をさすと云心也愚案紫を染るには椿を灰に焼て其|灰汁《アク》をさす故に椿市といはん諷詞に讀し一二句の句也|椿《ツは》市は大和也やその街は前ニ注あへると云も灰の縁語也源氏槙柱巻ニいかてかくはひあひかたき紫をと讀り哥の心は此ちまたに逢し女の名を聞んと也
3102 たらちねのはゝのめす名を申さめどみちゆきひとをたれとしりてか
   足千根乃母之召名乎雖白路行人乎孰跡知而可
たらちねのはゝの 答哥也母のよひ給ふ我名を申きかすへけれとも誰ともしらぬ道人にはいかゝと也道行人を誰と知てか名のらんと也
 
      二首
3103 あはさらんしかはありとも玉つさのつかひをたにもまちやかねてん
   不相然雖有玉梓(イ鉾ホコノ)之使乎谷毛待八金手六
あはさらんしかは あはすとも使たにこは心慰へきにそれさへ待かぬへきかと也音信たにあるへきことゝかこつ心也
3104 あはんとはちへにおもへとありかよふひとめをおほみこひつゝそをる
   將相者千遍雖念蟻通人眼乎多戀乍衣居
あはんとはちへに 使まてもなく直に行てあはんとちへに思へと心にも任せす人目おほく戀つゝあると答たるうた也
 
二首
3105 人めおほみたゝにあはずてけだしくもわかこひしなはたが名かあらんも
   人目太直不相而(イして)盖雲吾戀死者誰名紹有裳
人めおほみたゝにあはす けだしは推《ヲシ》はかる詞也くもは助字也人めを思ふも名のおしき故也戀死はたが名かあらん名もあらずは人めをおもふ事もあらしと也
3106 あひ見まくほしミしすれは君よりもわれそまさりていぶかしみする
   相見欲為者從君毛吾曽益而伊布可思美為也
あひ見まくほしミし ほしミしのし助字也逢まほしさに我そおほつかなく床しきと也
 
二首
3107 うつせみの人めをしげミあはずしてとしのへぬれはいけりともなし
   空蝉之人目乎繁不相而年(とし)之(をし)經(ふれイ)者生跡毛奈思
うつせみの人めを 奥儀抄云蝉はもぬけてからををきて出|去《サル》物なれは人もしかあれははかなき物によそへて人といはんとて空蝉とは置奥儀年をしふれは云々
3108 うつせミの人めしけくはうは玉のよるのゆめにをつぎて見まほし
   空蝉之人目繁者夜干玉之夜夢乎次而所見欲
うつせミの人めしけくは 夢中にたにつゝきて見まほしきと答し也
 
二首
3109 ねもころにおもふわきもをひとごとのしげきによりてあはぬころかも
   慇懃憶吾妹乎人言之繁尓因而不通比日可聞
ねもころにおもふわきも 心明也是問の哥也
3110 人ことのしけくしあれは君も我もたえんといひてあひしものかも
   人言之繁思有者君毛吾毛將絶常云而相之物鴨
人ことのしけくも さま/\の人のいさめ世のそしりなと人ことしけさに今は此中絶んといひのかれて互《タカヒ》に逢しと也
 
      二首
3111 すへもなくかたごひをすと此ころにわかしぬへきはゆめに見えきや
   為便毛無片戀乎為登比日尓吾可死者夢所見哉
すへもなくかたこひ 片戀すとて死ぬへく思ふ此さまは君か夢にも見えんと也とはぬをうらむ女のうたなるへし
3112 ゆめに見て衣をとりきよそふまにいもがつかひぞさきたちにける
   夢見而衣乎取服装束間尓妹之使曽先尓來
ゆめに見て衣を 其さまを夢にミて驚なからゆかんとてさうぞくし出立ほとに此使來たり今參んなどいふ心なるへし
 
      二首
3113 あり/\てのちもあはんといふのミをかたみにしつゝあふとはなしに
   在有而後毛將相登言耳乎堅要管相者無尓
あり/\てのちも 難面き人なとのあり/\てのゝちもあはんといふをかたミにて終にあはぬと歎く心也
3114 きはまりてわれもあはんと思へともひとのことこそしけききみにあれ
   極而吾毛相登思友人之言社繁君尓有
きはまりてわれも 我空たのめせしにあらすと陳する心也
 
      二首
3115 いきのをにわがいきつきし妹すらをひとつまにありときけはかなしも
   氣緒尓言氣築之妹尚乎人妻有跡聞者悲毛
いきのをにわかいき 命と深切に思ふ妹を妻ありと聞て悲と也
3116 われゆへにいたくな侘そのちつゐにあはじといひしこともあらなくに
   我故尓痛勿和備曽後遂不相登要之言毛不有尓
われゆへにいたくな 後にはあはんといふからはさのみ悲ミそと也
 
      二首
3117 かとたてゝ戸もとちてあるをいつくにかいもかいりきてゆめにミえつる
   門立而戸毛閉而有乎何處從鹿妹之入來而夢所見鶴
門たてゝ戸も 女を夜の夢にミていひやるなるへし
3118 かとたてゝとはさしたれとぬす人のえれるあなよりいりて見えけん
   門立而戸者雖闔盗人之穿(イうかつイほれる)穴從入而所見牟
かとたてゝとはさし 女のこたへ也穿の字よのつねはえれるとよむイうかつともほれるとも点ス
 
      二首
3119 あすよりは戀つゝあらんこよひたにはやくよひよりひもとけわきも
   從明日者戀乍將在(イ去さらん)今夕弾速初夜從綬解我妹
あすよりは戀つゝ 遠別の男の哥也
3120 いまさらにねんやわかせこあらたまのまたよもおちすゆめに見まほし
   今更將寐哉我背子荒田麻之全夜毛不落夢所見欲
いまさらにねんや 荒玉はいまた切琢もせさる玉なれは全きといはん諷詞也また夜もおちすとは全く毎夜と云也心は明日遠別すへき名残おしミに今更ねんやねすして明さん別て後は全く毎夜夢に逢見まほしと也
 
      二首
3121 わかせこかつかひをまつとかさもきでいてつゝそ見しあめのふらくに
   吾背子之使乎待跡笠不著出乍曽見之雨零尓
わかせこかつかひを 雨ふりて來ぬ人のこよひはゆかしと使たにこさぬを恨讀るにや
3122 こゝろなきあめにもあるか人めもるともしきいもにけふたにあはんを
   無心雨尓毛有鹿人目守乏妹尓今日谷相乎
こゝろなきあめにも 人めをはからひ守《マモ》りて逢事稀なるを乏き妹といふ也雨ゆへにあはて残念を讀る答也
 
      二首
3123 たゝひとりぬれどねかねてしろたへのそてをかさにきぬれつゝそる
   直獨宿杼宿不得而白細袖乎笠尓著沾乍曽來
たゝひとりぬれと 忍かねて雨に來し心也
3124 あめもふるよもふけにけり今さらにきみはゆかめやひもときまけな
   雨毛零夜毛更深利今更君將行哉紐解設名
あめもふるよもふけ ひもときまけなは紐解まうけなん也かくぬれて來て今更君は歸ゆかんや只下紐とき給へとの答也
 
      二首
3125 ひさかたの雨のふる日をわかかとにみのかさきすてくるひとやたれ
   久堅乃雨零日乎我門尓蓑笠不蒙而来有人哉誰
ひさかたの雨のふる日 誰とは君ならてはと也
3126 まきもくのあなしの山に雲ゐつゝあめはふれともぬれつゝそくる
   纒向之病足乃山尓雲居乍雨者雖零所沾乍鳥來
まきもくのあなしの 巻向穴師山大和前注
 
羇旅ニ發《ヲコス》v思ヲ  共五十三首
柿本朝臣人麻呂四首
3127 わたらひのおほかはのへのわかくぬきわかくしあれはいもこふるかも
   度會大川邊若歴木吾(イ若)久(イわれひさに)在(イあら)者妹戀(イこひん)鴨
わたらひの大川のへ 伊勢也序哥也若くぬきわかくしあれは妹こふるかも宗祇抄并類聚の和如此尤可用之若き妹なれは我こふるにかと古里をおもひやるにて旅の哥なるへしイわれひさにあらは妹こひんかもと有羇旅の心はさもあるへけれと上句より下句にうけたる詞宗注の本類聚の古点にしくへからす
3128 わきもこをゆめに見えことやまとちのわたるせことにたむけわれする
   吾妹子夢見來倭路度瀬別手向吾為
わきもこを夢に見え 夢にも見え來れと手向しいのると也
3129 さくらはなさきてやちるとミる迄にたれかこゝにてちりゆくを見ん
   櫻花開哉散及見誰此所見散行
さくらはなさきてや やは助字也旅途の桜を見つゝ過行とて面白き桜なからちるまてとゝまりて見る人はあらしとよめるなるへし
3130 とよくにのきくのはままつこゝろにもなにとていもにあひしそめけん
   豊洲聞濱松心裳何妹相之始
とよくにのきくのはま 八雲御抄豊前きくの高濱と同云々祇曰曰旅の哥と見えす但羇旅の時其所に望てかくよめる歟
 
作者未v詳四十九首
3131 月かへてきみをは見んとおもへかも日もかへすしてこひのしけゝき
   月易而君乎婆見登念鴨日毛不易為而戀之重
月かへてきみをは 旅に出ゆけは月をかへてならては君を見ましきと思ふ故にや日もかへすはや別來しけふより戀しきと也
3132 なゆきそとかへりもくやとかへりミにゆけとかへらすみちのなかてを
   莫去跡變毛来哉常顧尓雖徃不帰道之長手矣
なゆきそとかへりも 旅行を送り來て歸る人を旅行の人のよめる哥也なゆきそと又歸り來てとめやせんとかへりミてゆけともあや送りし人立歸りてとゝめもせすと也道の長手は道の遠き程也
3133 たひにしていもをおもひいていちしろくひとのしるへくなけきせんかも
   去家而妹乎念出灼然人之應知歎將為鴨
たひにしていもを思ひひ出 心明也
3134 さとはなれとをからなくにくさまくらたひとしおもへはなをこひにけり
   里離遠有莫國草枕旅登之思者尚戀来
さとはなれ遠からなくに 里離れは故郷を離し心也
3135 ちかけれはなのみもきゝてなくさめつこよひそこひのいやまさりなん
   近有者名耳毛聞而名種目津今夜從戀乃益益南
ちかけれは名のミも 旅に遠さかる今夜そと也
3136 たひにありてこふれはくるしいつしかもミやこにゆきて君かめをミん
   客在而戀者辛苦何時毛京行而君之目乎將見
たひに有て戀れは 心は明也
3137 とをけれはすかたは見えすつねのごといもかえまひはおもかけにして
   遠有者光儀者不所見如常妹之咲(イえみし)者面影為而
とをけれはすかたは 遠境にあれはと也
3138 としもへすかへりきなめと朝かけにまつらんいもかおもかけにミゆ
   年毛不歴反來甞跡朝影尓將待妹之面影所見
としもへすかへりきなめ 年もへす我歸こんと朝影にやつれてまつらん妹かおもかけたつと也
3139 たまほこの道にいてたち別こし日よりおもふに忘るゝ時なし
   玉桙之道尓出立別来之日從于念忘時無
たまほこの道に出立 首途の日より不忘と也
3140 はしきやししかある戀にもありしかもきみにをくれてこひしき思へは
   波之寸八師志賀在戀尓毛有之鴨君所遺而戀敷念者
はしきやししかある はしきやしはよしや也しかある戀にもはさあるへき戀にて有しにやと也君を旅に遣て戀しきはかく戀ぬへき中にて有しかもと也
3141 くさまくらたひの悲しくあるなへにいもをあひ見てのちこひんかも
   草枕客之悲有苗尓妹乎相見而後將戀可聞
くさまくらたひの 上句は明也下句はかく旅の悲しきからに先行て妹にあひてのちに戀ばこひんかと也
3142 国とをみたゝにはあはず夢にだにわれに見えこそあはん日まてに
   國遠直不相夢谷吾尓所見社相日左右二
国とをみたゝにはあはす 歸りて逢日まては夢にたに見え來よと也
3143 かくこひん物としりせはわきもこにこととはましをいましくやしも
   如是將戀物跡知者吾妹兒尓言問麻思乎今之悔毛
かくこひん物と知せは かく我戀しからんとしらは妹かもとに言問喃らひをもすへき物をせてくやしと也
3144 たひの夜の久しくなれはさにつらふひもときさけず恋るこのころ
   客夜之久成者左丹頬合紐開不離戀流比日
たひの夜の久しく さにつらふは赤紐をほめていふ詞也紐ときかけてねることもなく戀すると也
3145 わきもこかあをしのふらしくさ枕たひのまろねにしたひもとけぬ
   吾妹兒之阿乎偲良志草枕旅之丸寐尓下紐解
わきもこかあを忍ふらし あをは吾《ワレ》を戀らし也
3146 くさまくら旅の衣のひもとけておもほゆるかもこのとしころは
   艸枕旅之衣紐解所念鴨此年比者
くさまくら旅の衣の 古郷の妹か戀るやらむと思ひやる心也
3147 草まくらたひのひもとく家の妹しわをまちかねて歎きすらしも
   草枕客之紐解家之妹志吾乎待不得而歎良霜
草まくらたひのひも 旅の紐とくるは妹か我を待兼歎くはと也
3148 たまつるきまきねしいもをよもふかずおきてやこえんこのやまのくき
   玉釼巻寝志妹乎月毛不經置而八將越此山岫
たまつるきまきねし つるきは身をはなさねはまきねしの諷詞也よもふかすは夜も更ぬにと也山のくき見安云岩屋のやうにある所也玉篇云|岫《ジウ・クキ》は似又《ジフ》の切《カヘシ》山ニ有2岩穴1
3149 あつさゆみすゑはしらねとうつくしみきみにたぐひてやまちこえきぬ
   梓弓末者不知杼愛(イめつらし)美君尓副而山道越来奴
あつさ弓末はしらねと 梓弓は枕詞也末の心はしらねといとをしき故同道して旅行すると也
3150 かすみたつはるのなかひをおくかなくしらぬやまちをこひつゝかこん
   霞立春長日乎奥香無不知山道乎戀乍可將来
かすみたつはるの長日 おくかなくは前におくかもしらす戀つゝそをると云に同そこゐなく戀つゝか來んと云也
3151 よそにのみきみをあひミてゆふたゝみたむけのやまをあすかこえなん
   外耳君乎相見而木綿牒手向乃山乎明日香越將去
よそにのみきみを ゆふたゝみ白木綿也手向といはん枕詞也大和の手向山也よく喃ひもせてあす別んかと歎也
3152 たまかつまあへしま山のゆふつゆにたひねはえすやなかきこのよを
   玉勝間安倍嶋山之暮露尓旅宿(古來風志)得為(ね)也長此夜乎
たまかつまあへしま山 玉かつまの事見安にも仙抄に随ひて玉くしけあふといふ心といへり本説をしらてあやまりのつたはる事久しきかな此哥はおもはぬ人にあひそふ旅ねのねかたからんを後人思ひやりて讀しにや
3153 みゆきふるこしのおほやまゆきすきていつれのひにかわかさとを見ん
   三雪零越乃大山行過而何日可我里乎將見
みゆきふるこしのおほ山 八雲抄云越の白山と同越前云々越中歟祇注曰旅と計聞えたり我里をミんといふにこひのこゝろもこもるか
3154 いてあかこまはやくゆかんよまつち山まつらんいもをゆきてはやミん
   乞吾駒早去欲(イゆかませ)亦打山將待妹乎去而速見牟
いてあかこまはやく いては發語也まつち山は八雲抄ニ大和駿河紀伊にもありと云々
3155 あしき山こすゑこそりてあすよりはなひきたるこそいもかあたりミん
   悪木山木末悉明日從者靡有(イたれ)社妹之當將見
あしき山こすゑこそりて 悪木山つくしに在こそりてはをしなへて也なひきたるこそは打なひきたれてこそ也あす旅立てよりはなひきたれてこそ妹か當りをミめと梢の縁にてよめるなるへし
3156 すゝかかはやそせわたりてたれゆへかよこえにこえんつまもあらなくに
   鈴鹿河八十瀬渡而誰故加夜越尓將越妻毛不在君
すゝかかはやそせ渡り 八十瀬は瀬のおほき也
3157 わきもこに又もあふみのやす河のやすいもねすにこひわたるかも
   吾妹兒尓又毛相海之安河安寐毛不宿尓戀度鴨
わきもこに又もあふミ 類聚ニは下句やすきいもねす戀渡ると和ス
3158 たひにありて物をそ思ふ白なミのへにもおきにもよるとはなしに
   客尓有而物乎曽念白浪乃邊毛奥毛依者無尓
たひに有て物をそ 途中にさまよひて物思ふと也
3159 みなとわにみちくるしほのいやましにこひはまされとわすられぬかも
   湖轉尓満来鹽能弥益二戀者雖剰不所忘鴨
みなとわにみちくる 序哥也みなとわは湊のめくり也
3160 おきつなみへなみのきよるさだの浦のこのさだすぎてのちこひんかも
   奥浪邊浪之来依貞浦乃此左太過而後將戀鴨
おきつなみへなミの 此哥此集十一巻に出
3161 ありちかたあり慰めてゆかめともいへなるいもやいぶかしみせん
   在千方在名艸目而行目友家有妹伊將欝悒(イおほゝしミせん)
ありちかたあり慰めて 在千潟八雲抄筑前云々今少こゝに在て心慰めぬへけれと妹か待んと也
3162 みをつくし心つくしておもへかもこのまももとなゆめにしミゆる
   水咫衝石心盡而念鴨此間毛本名夢西所見
みをつくし心つくして 水尾盡に興して讀り其故に旅の戀也此間ににもよしなく妹か夢にミゆるは心盡し思ふ故かと也
3163 わきもこにふるとはなしにあらそわにわかころもてはぬれにけるかも
   吾妹兒尓觸者無二荒礒廻尓吾衣手者所沾可母
わきもこにふるとは 妹にはふれす荒礒のまはりの波にふれて旅懐の泪隙なしと也
3164 むろのうらのせとのさきなるなき嶋のいそこすなみにぬれにけるかも
   室之浦之湍戸之埼有鳴嶋之礒越浪尓所沾可聞
むろの浦のせとの崎 室の浦播磨也せとの崎八雲抄播磨或なた嶋とも云々戀ならぬやうなれとなきといひぬるゝと云泪にや
3165 ほとゝきすとはたのうらにしき浪のしは/\きみを見んよしもかも
   霍公鳥飛幡之浦尓敷浪乃屡君乎將見因毛鴨
ほとゝきすとはた 霍公鳥は飛幡《トはタ》(とぶとうけて也)といはん諷詞也とはたの浦八雲御抄石見云々序哥也
3166 わきもこをよそのみやミんおちの海のこかたのうみのしまならなくに
   吾妹兒乎外耳哉將見越懈乃子難懈乃嶋楢名君
わきもこをよそのミや よそにのミや也こかたの海八雲筑前云々
3167 なみまよりくもゐにミゆるあは嶋のあはぬものゆへわれによるこら
   浪間從雲位尓所見粟嶋之不相物故吾尓依兒等
なみまよりくもゐに かけもはなれす又難面き心也両首他国を讀ゆへ羇旅の戀に成歟
3168 ころもでのまわかのうらのまなごぢのまなしときなしわかこふらくは
   衣袖之真若之浦之愛子地間無時無吾戀钁
ころもてのまわかの 序哥也八雲抄まわかのうら石見衣手のとあり浦といはん諷詞也
3169 のとのうミにつりするあまのいさりひのひかりにいませ月まちかてら
   能登海尓釣為海部之射去火之光尓伊徃月待香光
のとのうミに釣する 能登海 心明也旅なる程契りし中の待戀の哥なるへし
3170 しかのあまのつりにともせるいさりひのほのかにいもを見るよしもかな
   思香乃白水郎乃釣為燭有射去火之髣髴妹乎將見因毛欲得
しかのあまのつりに 序哥也祇曰是も旅の心見えす其所に至て讀る故旅の心持る歟
3171 なにはかたこき出るふねのはる/\とわかれてくれとわすれかねつも
   難波方水手出船之遥々別来礼杼忘金津毛
なにはかたこき出る 心明也
3172 うらわこくよしのふなつきめつらしくかけておもはぬ月も日もなし
   浦廻榜能野舟附目頬志久懸不思月毛日毛無
うらわこくよしの 見安云此吉野は出雲也云々一説丹後云々愚案舟附に舟を懸るをそへて珎しく懸て思ふと也
3173 まつらふねみだるほり江のみをはやミかぢとるまなくおもほゆるかも
   松浦舟亂穿江之水尾早楫(戈あり)取間無所念鴨
まつらふねみだる 童蒙抄云肥前国松浦の津の舟を松浦舟と云也それに付て筑紫舟をかくいふとも云傳たり見安云筑紫舟難波につくをよめる也愚案哥心は隙なくおもふと也序哥也人丸もさよふけてほり江こくなるまつら舟と讀り
3174 いさりするあまのかちをとゆくらかに妹かこゝろにのりにけるかも
   射去為海部之楫(戈あり)音湯鞍干妹心乗来鴨
いさりするあまの 一二句は序也ゆくらか寛《ユタカ》にの心を行と添て也八雲抄云
3175 わかのうらに袖さへぬれて忘れかいひろへといもはわすられなくに 一云わすれかねつも心にのる心にかゝる也
   若乃浦尓袖左倍沾而忘貝拾杼妹者不所忘尓 忘可祢都母
わかのうらに袖さへ 心明也一云義同
3176 くさまくらたひにしをれはかりこものみたれていもにこひぬ日はなし
   草枕羇西居者苅薦之擾妹尓不戀日者無
くさまくらたひにし かりこもは枕詞也
3177 しかのあまのいそにかりほすなのりそのなはつげてしをなぞあひかたき
   然海部之礒尓苅干名告藻(イなつけも)之名者告手師乎如何相難寸
しかのあまのいそに 童蒙抄ニはなつけもの名は告とあり類聚ニはなのりそのと有童蒙抄云しかのあまとはつくしに在愚案序哥也
3178 くにとをみおもひなわびそ風のむたくものゆくごとわれはかよはん
   國遠見念勿和備曽風之共雲之行如言者將通
くにとをみおもひな 風とゝもに行雲の如く遠くともかよはんそと也
3179 とままりにしひとをおもふにあきつのにゐるしら雲のやむときもなし
   留西人乎念尓蜒野居白雲止時無
とままりにし人を 留守なる人を思ふ事やますとの心也蜒野は大和のあきつのをの也
 
悲ムv別ヲ歌 三十一首
 
           作者未詳
3180 うらもなくいにしきみゆへあさな/\もとそこふるあふとはなしと
   浦毛無去之君故朝旦本名焉戀相跡者無杼
うらもなくいにし君 うらなくにくからて歸し君ゆへと也もとなそはよしなくそ戀ると也
3181 しろたへのきみかしたひもわれさへにけふむすひてなあはん日のため
   白細之君之下紐吾左倍尓今日結而名將相日之為
しろたへのきみか下紐 人にとかしと君も結ふに我さへけふの別に又あはん日のため結ふと也結ひてなは結ひてん也
3182 しろたへのそてのわかれはおしけれとおもひみたれてゆるしつるかも
   白妙之袖之別者雖惜思亂而赦鶴鴨
しろたへのそての別 袖引留ても限あれは思ひ亂なからはなちやりしと也
3183 みやこへにきみはいにしをたれとけかわかひもをのむすひてうきも
   京師邊君者去之乎孰解可言紐緒乃結手懈(イ解)毛
みやこへにきみはいにしを たれとけかは誰とけとてか也君は都へゆきてとく人もなきに誰とけとてかわかひものむすひてあるかうきと也もは助字也
3184 くさまくらたひゆく君を人めおほミそてふらずしてあまたくやしも
   草枕客去君乎人目多袖不振為而安萬田悔毛
くさまくらたひゆくきミを 袖ふらすとは名残おしミに君をまねかさるかおほくくやしきと也
3185 ますかゝみてにとりもちてミれとあかぬきみにをくれていけりともなし  
   白銅鏡手二取持而見常不足君尓所贈而生跡文無
ますかゝみてにとり 一二句は見れとあかぬといはん諷詞也
3186 くもりよのたときもしらぬ山こえていますきミをはいつしかまたん
   陰夜之田時(イたつき)毛不知山越而徃座君乎何時(イいつとか)將待
くもりよのたときも たとき類聚ニはたつきとありくもりよのとはたときも不知の枕詞也
3187 たゝなつくあをかき山のへたつれはしは/\きみをこととはぬかも
   立名付青垣山之隔者數君乎言不問可聞
たゝなつくあをかき山 日本紀私記曰青垣山並立《ナミタツ》之義也たゝは立也たとちと五音通なつくはならひつく心也青垣といふからにへたゝれはとよめり別て隔てゐる心也青山如垣と云説非也
3188 あさかすみたなひく山をこえていなはわれはこひんなあはん日まてに
   朝霞蒙山乎越而去者吾波將戀奈至于相日
あさかすみたなひく 心明也餘情有哥也
3189 あしひきの山はもゝへにかくすともいもはわすれじたゝにあふまてに 一云かくせとも君をおもはくやむ時もなし
   足檜木乃山者百重雖隠隠妹者不忘直相左右二 雖隠君乎思苦止時毛無
あしひきのやまは 別來るに山の隔るをよめるなるへし一云心明也
3190 くもゐなるうミ山こえていゆきなはわれはこひんなのちはあひぬとも
   雲居有海山超而伊徃名者吾者將戀名後者相宿友
くもゐなるうミ山 雲ゐなるは遙なる心也いゆきのいは助字也
3191 よしゑやしこひじとすれとゆふま山こえいにしきみかおもほゆらくに
   不欲恵八師不戀登為杼木綿間山越去之公之所念良國
よしゑやし戀じと よし/\戀ましきと也ゆふま山筑前也おもほゆらくにいかにせんとの心也
3192 くさかけのあらいのさきのかさしまを見つゝかきみかやまちこゆらん 一云みさかこゆらん
   草陰之荒藺之埼乃笠嶋乎見乍可君之山道將超 三坂越良牟
くさかけのあらいの崎 草陰の荒藺崎武蔵也笠嶋も八雲抄ニ武蔵也一云みさか武蔵横見郡御坂なるへし
3193 たまかつましまくまやまのゆふくれにひとりかきみかやまちこゆらん 一云ゆふきりになかこひしつゝいねかてぬかも
   玉勝間嶋熊山之夕晩獨可君之山道將越 暮霧尓長戀為乍寐不勝可母
たまかつましまくま山の 嶋熊山八雲抄津の国云々ひとりかきみかとは玉か妻をさして君といふにや一云夕霧になか戀しつゝは心さしをえぬ道中にて帝を戀奉る心にや猶秘訣ニ委
3194 いきのをにわかおもふきみはとりかなくあつまのさかをけふかこゆらん
   氣緒尓吾念君者鶏鳴東方坂乎今日可越覧
いきのをにわか思ふ あつまの坂名所にや未考東路の坂なるへし
3195 いはきやまたゝこえきませいそさきのこぬミのはまにわれたちまたん
   磐城山直越来益礒埼許奴美乃濱尓吾立將待
いはきやまたゝこえ 岩城山こぬみのはま皆駿河也別ををくる人の歸さをまつ哥なるへし
3196 かすかのゝあさちかはらにをくれゐてときそともなしわかこふらくは
   春日野之淺茅之原尓後居而時其友無吾戀良苦者
かすかのゝあさちか 時をもわかす戀ると也
3197 すみよしのきしにむかへるあはちしまあはれときみをいはぬ日はなし
   住吉(イの江)乃崖尓向有淡路嶋※[立心偏+可]怜登君乎不言日者無(古來風―日そなき)
すみよしのきしに 宗祇曰是もさして別の心見えす別たる人を毎日したふ心也住吉より淡路を見る誠に其興あるゆへに哀と思ふ所なれは人によそへてよめると見えたり
3198 あすよりはいなみのかはのいてゝいなはとまれるわれはこひつゝやあらん
   明日從者將行(イいなん)乃河之出去者留吾者戀乍也將有
あすよりはいなみ(むイ)の河 いなみ(むイ)の河印南河也八雲抄いなん河播磨云々
3199 おそろしいそわよりこきたみいませつきはへぬとも
   海之底奥者恐(イかしこし)礒廻從水手運徃為月者雖經過
わたのそこおきは こきたみはこきめくり也是もわかれを女のよめるなるへし
3200 けひのうらによするしら波しく/\にいもかすかたはおもほゆるかも
   飼飯乃浦尓依流白浪敷布二妹之容儀者所念香毛
けひのうらによする けいのうら越前也一二句はしく/\にといはん諷詞也しきなみとてしきりによする心也扨哥心はしきりに妹か姿を思ふと也
3201 ときつかせふけいのうらにいてゐつゝあかふいのちはいもかためこそ
   時風吹飯乃濱(イはまに)尓出居乍贖命者妹之為社
ときつかせふけいの 時津風は春秋の時々の風或は五日一風なとの心也吹飯といはん諷詞也吹飯は八雲御抄等和泉と有増基法師の廬主ニは紀伊の吹上の濱の事と云々あかふいのち見安云祈る事を云也
3202 にきたつにふなのりせんと聞しなへになにかもきみか見えこさるらん
   柔田津尓舟乗將為跡聞之苗如何毛君之所見不来將有
にきたつにふなのり 前になりたつと同所と也伊与也此津より出船と聞し故待にいかにして遅きそと也
3203 みさこゐるすにをる舟のこきいてなはうらこひしけん後はあひぬとも
   三沙具居渚尓居舟之榜出去者裏戀監後者會宿友
みさこゐるすにをる うら戀しけんはうらは助字也戀しからんと也
3204 たまかつらたえすゆかさねやますけのおもひミたれてこ恋ひつゝまたん
   玉葛無怠(イたえぬ)行核山菅乃思亂而戀乍將待
たまかつらたえすゆか ゆかさねはゆきねと也玉葛山菅皆枕詞也
3205 をくれゐてこひつゝあらすはたこの浦のあまならましをたまもかる/\
   後居而戀乍不有者田篭之浦乃海部有申尾珠藻苅苅
をくれゐてこひつゝ 戀つゝあられすはたこの浦の玉もかる/\あまとなりてあらんと也宗祇は戀つゝあらすはとは戀つゝあらんするならはといふ儀といへりそれにてもきこえ侍るにや祇注不可捨歟
3206 つくしちのあらいそのたまもかりにかもきみかひさしくまてどこさらん
   筑紫道之荒礒乃玉藻苅(てイ)鴨君久待不来
つくしちのあらいその つくしに夫の久しくあるを待侘る女の哥なるへしかりにかものてにをはよく/\吟味すへし玉もかりてかもと云心也
3207 あらたまのとしのをなかくてる月のあかれぬきみやあすわかれなん
   荒玉乃年緒永照月不厭君八明日別南
あらたまのとしのを 年中てる月のといふ心也年中見ても月はあかれぬ物なれは序哥にかくよみてあかぬ君にあすわかれんかとよめり
3208 ひさにあらん君をおもふにひさかたのきよき月よもやみにのミ見ゆ
   久將在君念尓久堅乃清月夜毛闇夜耳見
ひさにあらん君を 物に行て久しく逕留あらんと君を思ふに泪にくるゝ心なるへし又月夜もやミにミるは心のくるゝ心云々可用歟
3209 かすかなるみかさのやまにゐる雲をいで見るごとにきみをしそおもふ
   春日在三笠乃山尓居雲乎出見毎君乎之曽念
かすかなるみかさの山に 遠く別れ居て三笠山の雲をそなたとミつゝ戀る心也
3210 あしひきのかたやまきゞす立ゆかむきみにをくれてうつしけめやも
   足檜木乃片山雉立徃牟君尓後而打(イうちし)四鶏目八方
あしひきのかた山きゝす 一二句は立ゆかんといはん諷詞也うつ(ちイ)しけめやも見安云うき心也但師説現ならめやと云心云々
貞享三年丙寅閏三月廿二日書於新玉津嶋社中 墨付四十九枚 季吟
        2003年2月11日、午後3時35分、大和高市郡明日香の佐田丘陵にて、米田進 入力了
 
問答歌
 
    問答<歌>
3211 たまのをのうつしこゝろややそかかけこきいてんふねにをくれてをらん
   玉緒乃徒心哉八十梶懸水手出船尓後而將居
たまのをのうつし心や 此以下の問答十首他本ニは悲別歌足引の片山きゝすといふ哥の下にあり玉のをはうつくしき物なれはうつしといひかけたり八十梶はおほくの櫓也現の心にてやはをくれゐん現心もなくてこそをくれゐれと別を歎く女哥也
3212 やそかかけしまかくれなはわきもこかとまれとふらん袖見えじかも
   八十梶(かちイ)懸島隠去者吾妹兒之留登將振袖不得見可聞
やそかかけ嶋かくれ 男の答心は明也
 
      二首
3213 かみなつきしくれの雨にぬれつゝやきみかゆくらんやとりかるらん
   十月鍾礼乃雨丹沾乍哉君之行疑宿可借疑
かみなつきしくれの 旅行の男を思ふ哥也
3214 かミなつきあまゝもをかすふりにせはたかさとのまにやとかからまし
   十月雨之間毛不置零尓西者誰里之間宿可借益
かミな月あまゝも あまゝもをかす晴間なき也哀いかなる里の程に宿からん心ほそしと旅行の人の答の哥也
 
      二首
3215 しろたへのそてのわかれをかたみしてあらつのはまにやとりするかも
   白妙乃袖之別乎難見為而荒津之濱屋取為鴨
しろたへの袖のわかれを あらつのはま仙曰筑前云々愚案袖の別を別かたくしてまつ此濱に君とやとりすると也
3216 くさまくらたひゆくきみをあらつまてをくりくれともあきたらすこそ
   草枕羈行君乎荒津左右送來飽不足社
くさまくらたひゆく 送り來し人の答也あきたらすはあかすと也
 
      二首
3217 あらつのうみわれぬさまつりいはひてんはやかへりませおもかはりせて
   荒津海吾幣奉將齊早還座面(イおめ)變不為
あらつの海我ぬさ 舟の道にもぬさとる事陸の如し久しく逕留してやつれぬさきに早く歸ましませと也
3218 あさなさなつくしのかたをいてミつゝねのみわれなくいともすへなみ
   旦旦筑紫乃方乎出見乍哭耳吾泣痛毛為便無三
あさなさなつくしの 此答の哥はあらつの濱の邊の人の在京していひやりしにや
 
      二首
3219 とよくにのきくのなかはまゆきくらしひのくれゆけはいもをしそおもふ
   豊國乃聞之長濱去晩日之昏去者妹食序念
とよくにのきくの長濱 八雲御抄云きくのなかはま豊前きくの高濱とも云と有心明也
3220 とよくにのきくのたかはまたか/\にきみまつよらはさよふけにけり
   豊國能聞乃高濱高々二君待夜等者左夜深来
とよくにのきくの高濱 一二句は高々にといはん諷詞也夜の高くふけしと也月の高きと云やうに夜も高/\にふけしと云にや
 
 
 
第十三巻
 
萬葉集巻第十三
  雜謌
    一首     作者未詳
3221 冬こなり春さりくれはあしたには白露置て夕には霞たなひくあめのふるこぬれかし   たに鴬なくも
    木成  去来者朝尓波   尓波  多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鳴母
冬こなり春さり 冬木のすかたなから春來れはと也前注
こぬれかした 見安云梢の下也
 
    一首
3222 みむろは人のもる山もとへにはつゝし花さきすゑへには椿花さくうらくはし山そな   くこもる山
   三諸者  之守山 本邊者 馬酔木 開 末邊方  開  浦妙 曽 泣兒守
みもろは人のもる山 三室山は人守ると也
もとへ 山もと也
うらくはし山そ 見安云くはしくうつくしき山也愚案うらめつらしうらわかみのたくひうらは助字也
なくこもる山 只守山といはん諷詞になくこといへり上に人の守山といひしを又云也
 
    一首并短歌 作者未v詳
3223 かみとけのひかるみそらのなか月のしくれのふれはかりかねもいまたきなかすかみなひの清きみた屋のかきつたの池の堤のもゝたらすみそのつきえにみつえさす秋のもみちはまさけもちを鈴もゆらにたわやめに吾はあれとも引よちて峯もとをゝにうち手折われはもてゆききみかかさしに
霹靂之日香天之九 乃鍾礼乃落者雁音文未来鳴甘南備乃 三田 乃垣津田乃 之 之百不v足三十槻枝丹水枝指 赤葉真割(さきイ)持小 文由良尓手弱(イをや)女尓 者有友 攀而 文十遠仁※[手偏+求]  吾者持而徃公之頭刺荷
かみとけのひかる 見安云なるいかつちなり
かみなひの 大和甘南備也
清きみ田屋 神田を守屋也
かきつたの 見安云田のめくりに垣をしたるを云也愚案御田屋の垣津田のといひかけて垣津田ノ池は大和の名所也
もゝたらす みそといはんとて也みそのつき枝は三十にかきらすあまたある槻の木の枝也
みつ枝さす 若枝指也
まさけもちを鈴もゆらに 見安云紅葉を鈴のやうにさけ持たる也愚案イまさき持は枝をさきて持也まは助字也 ゆらは小鈴のこゑ也紅葉をさき持て帯物の鈴のなるさま也
たわやめに 哥の作者|自《ミツカラ》云
引よちて 見安云引たはめて也
峯もとをゝ 峯の紅葉をたはむる心也
    反歌
3224 ひとりのみ見れはこひしみかみなひのやまのもみちはたおりこんきみ
   獨耳見者戀染神名火乃山黄葉手折來君
     一イ云右一首入道殿讀出給
ひとりのみ見れは 心明也
 
     一首并短歌  作者未v詳
3225 あま雲の影さへ見ゆるこもりくのはつせの河は浦なきか船のよりこぬ礒なきかあまの釣せぬよしえやし浦はなくともよしえやし礒はなくとも奥津浪いそひこきいりこあまの釣船
天 之 寒所v見隠(イかくら)來※[竹/矢]長谷之 者 無蚊 之依不來 無(イなみ)蚊海部之 不v為吉咲八師 者無友吉畫矢寺 者無友   諍榜入来白水郎之
あま雲の影さへ 水底清くすめる心也
いそひこきいりこ 見安云いそききほひ來よと也
    反歌
3226 さゝれ浪浮て流るゝはつせ河よるへき礒のなきかさひしさ
   沙邪礼  而    長谷  可v依   之 無蚊不怜(イさふし)也
さゝれ浪浮て流るゝ よるへき礒のとは長哥に舟のよりこぬなとの心にて釣舟のよる礒のなきかさひしきと也 祇曰此哥述懐の心とみえたり河にも池にも礒といふ也
 
     一首并短歌  作者未v詳 
3227 あしはらのみつほの国に手向すとあもりましけんいをよろつ千萬神の神代よりいひつき來て在ルかみなひのみむろの山は春されは春霞たち秋ゆけはくれなゐにほふかみなひのみむろの神の帯にせるあすかの河のみをはやみいきためかたきいは枕こけむすまてにあたら夜のよしゆきかよはんことはかり夢にみえこそつるきたちいはひ祭ん神にしいまさは葦原笶水穂之 丹  為跡天降座兼五百万   之  從云續   甘南備乃三諸 者 去者   立  徃者紅丹穂經甘甞備乃三諸乃 之 為明日香之 之水尾速生多米難石  蘿生左右二新 乃好去通牟事計 尓令見社 劔刀齊  二師座者
あしはらのみつほの国 中臣祓曰豊芦原之水穂國 日本の名也|瑞《ミツ》穂は嘉穀也國人は五穀に養るゝ故に云猶神書委
あもり 天くたりおはし也
いをよろつちよろつ神 八百万神と同諸神也
秋ゆけは 秋來れは也紅葉せし事也
みむろの神 日本紀曰大三輪ノ神ノ曰欲《ヲモフ》v住《スマント》2於|日本《ヤマトノ》國之三輪山ニ1故ニ即|營《ツクル》2宮ヲ彼處ニ1使2就テ而居ラ1但こゝに神の帯にせるとは三輪の神は山を即神躰とすれは其山の帯にせし心也
いきためかたき 見安云いきのやすむまなき心也愚案岩枕といはんとていへる詞也
あたら夜の よしといはん諷詞也岩枕に苔生まて行かよひみんとの心也
ことはかり 其事をはからふ心也前にも有詞也たゝに行かよはんやうなくは事はからひて夢に見え來よと也此三諸山の奇妙なるを執心して云也
つるきたち 剱太刀は神社にいはひまつる物なれは祝ひ祭んといはん諷詞也 いはひまつらん神にしいまさはとはかく祝ふ神にて此山のましまさは此山夢に見え給へと也此山をほめてよめる詞なるへし
    反歌
3228 かみなひの三諸の山にかくれたるすきしすきんやこけのむすまて
   神名備能 之 丹隠蔵杉思v將過哉蘿生左右
かみなひのみむろの 隠れたるとは杉をいはん諷詞也杉は彼山の神木にてあれは三諸の山に隠れたると云也すきし過んやとはこけむすまて年へて行過かよひ見んやとの心を杉をいひかけて重詞にいふなるへし
3229 いくしたてみわすへまつる神主のうすの玉かけ見れはともしも
   五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉蔭見者乏文
いくしたてみわすへまつる 五十串 采葉云五十と書たれはとて五十に限るへからす只幣をはさみたる串を申也仙同義八雲抄云みわすへまつるとは神に酒をまいらする也わとは酒の字也 采葉又云うすの玉とはむかしは官位の品にしたかひて冠に鈿《ウス》をつけたりうすとはかんさし也見れはともしもとはめつらしと云也日本紀廿二巻推古天皇ノ十一年十二月朔ニ始メテ行フ2冠位ヲ1大徳小徳大仁小仁大礼小礼大信小信大義小義大智小智|并《アハセテ》十二階并ニ以當色ノ※[糸+施の旁]《キヌヲ》1縫フv之ヲ頂ニ摂惣《トリスヘテ》如シv嚢《ロノ》而シテ著《ツク》v縁《モトヲシヲ》焉唯元日著ク2※[髪/告]萃《ウスヲ》1※[髪/告]萃《ケクハ》此ニハ云2宇※[列の左+焉?]《ウスト》1又同廿五巻孝徳三年ニ是歳制ス2七色十三階ノ之冠ヲ1其冠ノ背ニハ張2漆ノ羅ノヲ1以|縁《モトヲシト》與《ト》v鈿《ウス》異《コトニス》2其高下ノ形ヲ1似v蝉《カサリクシニ》小錦冠以上ノ鈿|雑《マシヘテ》2金銀ヲ1為《ツクル》v之大小青冠ノ之鈿以v銀為ルv之ヲ大小黒冠之|鈿《ウ》以v銅下畧官位に随ひて冠に鈿《ウス》の玉を着と見えたり然は社官も此冠を着たるをうすの玉かけとよめる也仙覚抄同金銀を玉と云
 
      一首并短歌  作者未v詳
3230 みてくらをならよりいてゝ水たての穂つみにいたりとあみはるさかとをすきていははしる甘南備山に朝宮《アサミヤ》に仕へまつりて吉野へと入ます見れはむかしおもほゆ
   帛叫楢從出而水蓼 積至鳥網張坂手乎過石(イいし)走  丹  奉而  部登 座 者古所念
みてくらをならより 仙曰此詞ともは皆諷詞を上に置ていひ下せる也みてくらはなら/\とまとはるれはならといはんとてをけり 穂積といはんとて水蓼とをけり さかとゝは鳥の飛所に網を張て鳥を取所をいへはさかとゝいはんとてとあみはるとをけり神は岩か根のゆゝしき所をもたやすく走り通ひ給へはかみといひ出ん諷詞に石走とをけり
    反歌
3231 月も日もかはりゆけともひさにふるみむろのやまのとつ(古來風―とこ新勅同)宮ところ
        攝友久經流三諸之山礪津 地
     一云ふるきみやこのとつ宮ところ
        故王都跡津 地也
月も日もかはりゆけ とつ宮所とは見安云遠き内裏也愚案但此哥新勅撰集賀にはとこ宮所と入常磐と祝る心なれは是もとこつ宮所といふ心なるへきにや
 
      一首并短歌  作者未v詳
3232 斧取てにふのひ山の木こり來てふねに作てまかちぬきいそこきたみつゝ嶋傳ひみれともあかぬ三吉野の瀧もとゝろに落る白浪
     而 丹生桧 折 而 艤尓  二※[木+堯]貫  榜廻乍   雖v見不v飽  動々
にふの檜山 八雲御抄ニ大和と有檜の木有歟
こきたみ こきめくり也
瀧もとゝろ ひゝく音也
    反歌(イ旋頭歌)
3233 み芳野の瀧もとゝろに落るしら浪とまりにし妹を見まくのほしき白浪
         動々  白  留西  巻欲
三吉野の瀧もとゝろに 此反哥は旋頭歌也此瀧の見あかぬに付て妹か見まほしけれはかさねてかく下句にいへり
 
      一首并短歌  作者未v詳
3234 やすみしるわかおほきみの高照らす日のわかみこの聞食(イきこしをす)すみけつくにかみかせの伊勢の国は国見れはしも山見れは高くたふとし河見れはさやけくきよしみなとなす海もゆたけし見渡せる嶋の名高しこゝをしもまくはしみかも掛まくもあやにかしこき(イみ)山の邊のいそしの原に内日さす大宮つかへ朝日なすまくはしもゆふ日なすうらくはしも春山のしなひさかへて秋山の色なつかしきもゝしきの大宮人はあめつちと日月と共に万代にもか
八隅知之和期大皇    皇子之  御都國神風之  乃 者  者之毛  者  貴之  者左夜氣久 之水門成  毛廣之  之己許乎志毛間細美香母  巻毛文尓恐   乃五十師乃  尓  刺   都可倍 奈須目細毛暮 奈須浦細毛  之四名比盛而  之  名付思吉百礒城之  者天地與    尓母我
みけつくに 大皇のしらせ給ふ国を云也八雲御抄に物まいらする由也云々此哥は伊勢国をほめて讀り聖武帝伊勢行幸の供奉の人なとよめるにや
ゆたけし 廣く寛か也
こゝをしもまくはしみかも 日本紀第二ニ妙美之《マクハシ》と書ほめていふ詞也
いそしの原 八雲抄云伊勢
内日さす 大宮の枕詞也
朝日なす 照かゝやき目もあやなる事の諷詞也其故目細とつゝけたり夕日なすも同心也長短句相交レリ可v付v心
うらくはし うらゝかにうるはしき心也
春山のしなひさかへて 師説春の木草の若葉なから栄るをかくはいふ也云々但此春山秋山はしなひ栄へ色なつかしきといはん諷詞にて大宮人をほめし詞にや
    反歌
3235 山の邊の五十師の御井はをのつからなれる錦をはれる山かも
      乃   乃  者 自然成      乎張流 可母
山の邊のいそしのミゐ 紅葉は織さる錦なれは也
 
    二首并短歌  作者未詳
3236 空見つやまとの国青丹よしなら山越てやましろのつつきの原にちはやふるうちのわたりの瀧の屋のあこにの原を千歳にもかくる事なくよろつよに有かよはんと山科のいは田のもりのすめ神にぬさ取むけて吾は越ゆかん相坂山を
  津倭  吉寧  而山代之管木之  血速舊于遅乃渡   之阿後尼 尾 尓闕 無 萬歳尓  通將得  之石 之社之須馬神尓奴左 向而 者 徃   遠
空見つやまとの国 此哥は大和より山城をへて近江へ行人の讀けるにや亦長短相交
ちはやふるうちの渡り 山城國風土記曰謂フ2宇治ト1者宇治|若郎子《ワカイラツコ》造テ2桐原ノ日桁《ヒケタノ》宮1以為ス2宮室ト1因テ名テ号ス2宇治ト1本ノ名は許乃國《コノクニ》矣うちわかいらつこは仁徳帝と御位をたかひにゆつりてかくれさせ給ふ今の離宮彼ミこを祝へり故実の所なれは古今集にもちはやふるうちの橋守なとよめり此哥も其心なるへし
瀧の屋のあこにのはら 宇治より山科のあいたにあるへし
3237 あをによしなら山過て物の部《ふ》の氏川渡りをとめらに相坂山に手向草いとり置つゝ我妹子にあふみの海のおきつ浪きよる浜邊をくれ/\と独そわか來る妹か目をほり
縁丹吉平  而    未通女等尓  丹   絲取(イいととり) 而  尓相海之 之奥  来因  乎久礼久礼登  曽我  之目乎欲
あをによしなら山 イニは此哥の前に或本歌曰と書たり前の哥ならて此哥有しにや
物のふの宇治川渡り 武士には氏あれは宇治の枕詞に置也おとめらに相坂わきもこにあふみ皆枕詞也
いとり置つゝ いは助字也
くれ/\と 來る/\と也れとると五音通妹か目をほりは見まほしさにと也
    反歌
3238 あふさかを打出て見れはあふみの海白|木綿《ユウ》花に浪立わたる
   相坂乎 而 者 淡海之    尓  渡
あふさかを打出てミれは 白ゆふ花の如くにと也湖水に打出の濱と云所は此哥によりて云也
         一首  作者未詳
3239 あふみの海|泊《トマリ》八十あり八十《ヤソ》嶋の《之》嶋のさき/\ありたてる花橘をほつえにもち引|懸《カケ》なかつえにいかるかかけしつえにしめをかけさか母をとらくを知らすさか父をとらくをしらにいそはひをるよいかるかとしめと
近江之 八十有 之  埼邪伎安利立有 乎末枝尓毛知 仲枝尓伊加流我懸下枝尓比米乎懸己之  取久乎不知(イしらに) 己之 乎取久乎思良尓伊蘇婆比座与伊可流我等比米登
近江の海泊八十有 八雲御抄にも近江には八十ノ泊有云々此哥故歟
もちひきかけ 黐《モチ》を枝に付て媒鳥《ヲトリ》を懸るなり和名|黐《チ》毛知
いかるか しめ皆鳥名也 和名云|鵤《イカルガ》貌《カタチ》似v鴿トニ而白|啄《クチはシナル》者也班鳩同|觜《はシ》大ニ尾短キ者也同書云|?《シメ》之女小青雀也
さか母をとらくを 媒《ヲトリ》に懸し鵤《イカルカ》と?《シメ》がをのか父母をとるへきもしらてそバへ居よ哀との心也いそはひのいは助字也
 
          一首并短歌  作者未詳
3240 おほきみのミことかしこみ見れとあかぬなら山越て真木つめる泉の河のはやき瀬を竿さし渡り千はや振うちの渡りのたきつせを見つゝ渡りて近江ちの相坂山に手向してわか越ゆけはさゝ浪の志我のから崎さきくあらは又かへりミん道のくまやそくまことになけきつゝわか過ゆけはいや遠に里さかり來《き》ぬいや高に山も越來ぬつるきたちさやをぬき出ていかこ山いかゝわかせん ゆくゑしらすて
王命恐雖見不飽楢 而  積  乃  速  刺  速  氏  乃多企都瀬乎 乍 而 道乃  丹  為吾越徃者樂 乃 能韓幸有者 反見  八十阿毎 乍吾 徃者弥 丹  離 奴弥 二  文  劔刀鞘從拔 而伊香胡  如何吾將為徃邊不知而
おほきみのミこと 此哥は穂積老か罪有て佐渡になかさる時の哥也おほやけのかしこまりにてかぬ故郷を去行心也
真木つめる 伐木なとつみをける也
泉河 山城也 舟渡也
さきくあらは又かへりミん 重罪の身なれは又帰見る事かたしもし幸あらはと也
さやをぬき出ていかこ山 太刀をうつをかくと云日本紀ニ八迴弄槍八迴撃刀《ヤタヒホコユケシヤタヒタチカキス》云々撃カクとよむいかこはいかく也いは助字也いかこ山は近江也いかくといはん諷詞也
    反歌
3241 あめつちをこひねきかたしさきくあらは又かへり見んしかのからさき
   天地乎難乞祷幸有者一反 思我能韓埼
       一云此一首穂積ノ朝臣老配スル2於佐渡ニ1之時作レル歌也
あめつちをこひねき 天神地祇をこひ祈りても是たひはかひあらしとの心也身つからのとかなれは也よしさいはいあらは又かへりミんと也
配佐渡之時 續日本紀九曰元正天皇養老六年正月正四位上|多治比《タヂヒノ》真人|三宅《ミヤケ》麻呂|坐《ツミシテ》d誣2告《イツはリツケ》謀反ヲ正五位上穂積ノ朝臣老指2付ストイフニu乗輿ヲ1並ニ處ス2斬刑《サンケイニ》而ルニ依テ2皇大子ノ奏ニ2降シテ2死一等ヲ1配2流ス三宅麻呂ヲ於伊豆嶋ニ老ヲ於佐渡嶋ニ1
 
         一首  作者未詳
3242 ももくきねみのゝくにのたかきたのくくりの宮に日向ひに行なひかくを有と聞てわか通ひちのおきそ山みのゝ山なひかすと人はふめともかくよれと人はつけともこゝろなき山のおきそ山|三野《ミノ》の山
百岐年三野之國之高北之八十一隣之 尓 尓  靡闕矣  登 而 吾 道之奥十 三野之 靡(なひけイ)得  雖跡如此依等 雖衝無意 之奥礒  之
ももくきね 美濃の枕詞也見安云小峯あまたあるを云愚案ねは峯也百くきはあまた有也或説 百茎の草の蓑とうけし詞云々鑿せり
たかきたのくくりの 日本紀景行天皇行幸有|泳宮《クヽリノミヤ》と書り日向ひに行なひかく日に向ひ行なひく也
おきそ山 美濃国也
 
        一首并短歌  作者未詳
3243 をとめらかをけにたれたるうみをなすなかとの浦に朝なきにみち來る塩《シホ》の夕なきにより來る波の波塩のいやます/\にその浪のいやしく/\にわきもこに戀ひつゝ來れはあこの海の荒礒のうへに濱《はマ》菜つむあまをとめらかまつひたるひれもてるかに手に巻る玉もゆらゝに白たへの袖|振《フル》見せつあひ思ふらし
處女等之麻笥 有續麻成長門之 丹 奈祇尓満 之 奈祇尓 依乃  乃伊夜益舛二彼 乃伊夜敷布二吾妹子尓 乍 者 阿胡乃 之  之於丹 採海部處女等纓有領巾文光蟹 二 流 毛湯良羅尓 栲乃 所見津  羅霜
をけにたれたる 見安云麻笥 苧こけなり
うみをなす うみ苧の長きをそへて長門の浦を云也
いやしく/\に 弥しきりに也上に波塩の其波のなと云は諷詞也
あこの海 八雲長門也
あまをとめらかまつひたる 蜑は領巾てるをもまとはし玉も手にまくましけれど哥にはかく優美に可讀道也わきもこに戀つゝくれはあまをとめも優美なるさまに袖ふり見すなれは誰も戀路はあひ思ふにやと也
    反歌
3244 あこの海の荒礒の上のさゝら浪わかこらくはやむ時もなし
   阿胡乃 之  之 之 少 吾戀者 息 毛無
あこの海の荒礒の 浪はやむ時もあるに我戀はやむ時なしとなるへし
 
       一首并短歌     作者未詳
3245 あま橋も長くもがもたか山も高くもかも月夜見の持こせる水いとり來てきみにつかへて越るとしはやも
   天 文 雲鴨高 文 雲鴨  乃  有越  伊取 而公奉而越得之早物
あま橋も長くもかも 天橋は天の浮橋ニや只天の事なるへし天長く地久しかれとの心をかく云なるへし山|高《たか》からされは久からされは高山も高くもかもなと云也
月よみの持こせる水 月|窟《クツ》の水の事なるへし月は水の精なれは玉をもて水をとるを月よみの持こせる水いとり來てといふ也伊は助字也月夜見月の名也淮南子曰水氣之精為v月ト云々
としはやも やもは助字也君につかへて年は越ると也或説に此哥は立春に若水を献ル心なるへし
    反歌
3246 あめにあるや月日のことくわか思へる君が日にけに老ひらくおしも
   天有(イあもなるや) 如 吾 有 之 異  落惜文
あめにある月日の 日にけには日毎に也君か老給ふかおしきにより此水を奉りて若えまいらせんとの心なるへし
 
    一首  作者未詳
3247 ぬな河の底《ソコ》なる玉は求《モト》めつゝえてし玉かも拾《ヒロ》ひつゝえてし玉かもあたらしき君し老らく惜《ヲシ》も
   沼名 之 奈流  而得之 可毛 而 得之 可毛安多良思吉 之 落 毛
ぬな河のそこなる 此哥はぬな河の底なる玉は誰人そ求めしか拾得たりしならんが落沈めるかもと惜き事をいひて君か老ゆくおしさをいふなるへし
 
    相聞
3248 しきしまのやまとのくにゝ人さはにいはみてあれと藤浪の思ひまとひし若草の思ひつきにし君よりに戀やあかさん長き此夜を
   式嶋之山跡之土丹  多 満(イミち)而|雖有《イあれとも》 乃 纒 乃 就西 自二 八將明  乎
しきしまのやまとの 日本の名也哥の心は日本國に人多き中に君により戀明す此長き夜をと也
人さはに 人おほく也
いはみて みち/\て也
藤浪の 思ひまとひしといはん諷詞也藤ははひまつはるれは也
若草の思ひつきにし うら珎しくつまゝほしき物なれは思ひつきにしの諷詞也思ひ付にし君といはんとていへり君よりには君により也
    反歌
3249 式《シキ》嶋の山跡のくにゝ人ふたり有《アリ》としおもはゝなにかなけかん
     乃  乃土丹 二 年念者難可將嗟
式嶋の山跡の国に 君かことくなる人二人有と思はゝ何か戀歎んと也
 
       一首并短歌  作者未詳
3250 あきつしまやまとの国は神からとことあげせぬ国しかれとも吾は言あげすあめつちの神も甚《はナはタ》わか思ふ心しらずやゆく影の月もへゆけは玉きはる日もかさなりておもへかも胸やすからす戀れかも心|痛《イタ》まし末つゐに君にあはずはわが命のいけらんきはみ戀つゝも吾《ワレ》はわたらんまそ鏡まさめに君をあひ見てはこそわか戀やまめ
蜻嶋倭之 者 柄跡言擧不為  雖然 者 上為天地之 文  吾念 不知哉徃 乃 文經徃者玉限(イかけろふの) 文累念戸鴨 不安 烈鴨 逐尓  丹不會者吾 乃生極 乍 文 者將度犬馬  正目 乎相 天者社吾 八鬼日
神からとことあけせぬ 神國からかろ/\しくいひいでぬ国ぞと也神道は秘密の故也然とも我は申すと也
ゆく影の 月も經ゆけはといはん諷詞也
玉きはる 日もかさなるといはん諷詞也日数重れは魂極る心也玉限イカケロフノ不用之
おもへかも 思へはにや也
戀れかも 戀れはにや也
きはみ かきりと同
戀つゝも我は渡らん 我は戀渡らんと也 まそ鏡 あひミてといはん諷詞也
まさめに 正しく目に君をミてこそは戀やまめと也
    反歌
3251 おほぶねの思ひたのめる君故に盡す心は惜けくもなし
   大舟能 憑 尓 者 雲無
おほ舟の思ひたのめる 大舟は思ひたのめるといはん諷詞也のり心頼もしけれは也見安云波風をも痛ぬ心也
3252 久堅のみやこを置て草枕たびゆく君をいつしかまたん
     之王都乎 而  羈徃 乎何時可將待
久堅のみやこを置て 童蒙抄云久堅とは月や空なとをこそ申めれ都をよめるは久く堅《カタ》しと云義歟又帝の都なれは天闕なといふにひかれて讀る歟下畧袖中抄にも久しく堅しと祝ひていふ儀をとれり哥心明也 いつしかまたんはいつしかとまたん也
 
一首并短歌    柿本朝臣人麻呂
3253 あしはらの瑞穂《ミヅホ》の国は神のまにことあげせぬ国しかれともことあけそわかすることさきくまさきくませとつゝかなくさきくいまさは荒礒《アライソ》浪有ても見んともゝへ波|千《チ》重浪にしきことあげする吾
   葦原  者 在随事擧不為  雖然辞擧叙吾為言幸真福座跡恙無福座者  毛 登百重  尓敷言上為
神のまにことあけ 神のならはしのまゝに秘していはすと也
ことさきく 無事幸おはしませと也ことさきくまさきくはかさね詞也
つゝかなく 愁なき也恙玉篇ニ憂也病也云々つゝか虫なくと云儀もあり
荒礒浪は 有てもといはん諷詞也有/\ても幸あり憂なくてミんとしきりに吾ことあげすると也百重波ちへ浪にしきは頻《シキリ》に言|挙《アケ》するといはん諷詞也
    反歌
3254 しき嶋のやまとの国はことたまのたすくる国そまさきくあれよく
   志貴  倭 者事霊之所佐 叙真福在与具
しきしまのやまとの 見安云ことたまは詞也愚案此国は祝詞のたすけて幸あれと祝へは即幸ある国なれはよく真幸あれと也或問云堀河百首歳暮俊頼哥「ことたまのおほつかなさに岡見すと木末なからに年はこす哉云ことたまは明年の吉凶を云をか見とは岡に上りて遙に我家を見れは年中の吉凶ミゆる事也云々此ことたまは其義別にや答詞は同く義異なる事是に限らす数多有日本紀に設齋おかみとよむは禊(にすい)齋する事也此哥の儀と異なるかことし
 
3255 むかしよりいひつぎくらく戀すれは安からぬ物と玉の緒のつぎてはいへとをとめらか心をくたきそをしらんよしのなけれは夏そひくみことをつみてかりこもの心もしのに人しれすもとなそ戀るいきのをにして
   從古言續來口 為者不安 登  之継而者雖云處女等之  胡粉其將知因之無者 麻引命兮貯借薦之 文小竹荷 不知本名曽 流氣之緒丹四天
いひつぎくらく いひ傳へ來る也此哥は戀は不v安物そ止《ヤム》にしかじと云傳れと女子等は其理をしらで戀ると也
玉のをの 継てといはん諷詞也
そをしらん それを也
夏そひくみことを 仙云みことゝいはんために夏そ引とは置る也麻をはぎ置たるからをみことゝ云故也見安云夏そひくみことゝは麻をひくとき実《ミ》のなる事をつゝくる也両義所好にしたかふへし
かりこもの心もしのに かりこもはこゝといはん諷詞也こゝはそこはくと云義と仙覚説也心もしのには心も常に也と俊成卿の儀正説也異説には心もしけく也かりこもは茂きの枕詞と云々所好に随へし也
もとなそ戀る よしなくそこふる氣《イキ》のをにかけてと也
    反歌
3256 かす/\におもはぬ人はありといへとしはしもわれはわすれえぬかも
   數々丹不思  匹雖有 暫文吾者忘枝沼鴨
かす/\におもはぬ人は 世ニはかく数々に物思ぬ人も有といへと我は心もしのに思ひてしはしもえ忘れすと也イニ此反哥の次に「たゝにこぬこのこせちからと云哥有是本奥ニ在
 
3258 あら玉の年は來ゆきて玉つさの使の來ねは霞立長き春日を天地に思ひたらはしたらちねの母のかふこの眉こもりいきつき渡りわか戀る心の中を人にいふ物にしあらねは松か根のまつ事遠しあま傳ふ日のくれぬれは白ゆふのわかころもてもとをりてぬれぬ
   荒 之 者 去而 梓之 之不來者   乎 丹 足椅帶乳根笶 之養蠶之 隠氣衝 吾  乎 丹言 西不有者 松 天  之闇者 木綿之吾衣袖裳通手沾沼
あらたまの年は來去 年かさねて中絶し人を待侘る哥也
思ひたらはし 見安云思ひ残す事なき也愚案天地に心を思ひ渡して長き日に様々思ふ心也
眉こもりいきつき 見安云虫の眉の内にいきつかはしき心也愚案かいこの事を云かけて我戀にいき苦しき事をよめる也
松か根の まつこととをしといはん諷詞也
白ゆふの我衣手 白|細《タヘ》の衣手と同
    反歌
3259 かくのミし相おもはさらは天雲のよそにそきみはあるへかりける
   如是耳師 不思有者 之外衣君者可有有来
かくのミしあひおもは あまり待遠なるに恨み侘て讀る哥也あま雲は諷詞也
 
一首并短歌 作者未詳
3260 をぬまたのあゆちの水をひまなくそ人はくむてふ時しくそ人はのむてふくむ人のひまなきかことのむ人のときしきかこと我妹子にわか戀らくはやむときもなし
   小沼 之年魚道之 乎問無曽 者※[木+邑]云 自久曽 者飲云※[木+邑] 之無間之如飲 之不時之如  尓吾 良久波已時毛無
をぬまたのあゆち 紀伊の名所也
時しく 時ならぬ心也心は隙もなく時なく妹をこふる事やますと也
    反歌
3261 思ひやるすへのたつきも今はなしきみに阿はすて年のへぬれは
    遣為便乃田付毛 者無於君不相而 之歴去者
君ノ字|當《マサニ》v作ルv妹ニ
思ひやるすへの 思ひやるもすへきたよりも今はなくあはで年へて忘却《バウキヤク》してと也 君ノ字當ニv作v妹ニとは長哥にわきもこに我こふらくはとあれは反哥も妹にあはすてとあるへしといふ心なるへし
3262 みつかきの久しき時より戀すれはわかおひゆるふあさゆふことに
   ※[木+媛の旁]垣 (祇よゝり)從 為者吾帶緩朝夕(イよひ)毎
みつかきの久しき 祇曰我帶ゆるふとはをとろへやせたる也
 
      一首并短歌   作者未詳
3263 こもりくの泊瀬の河の上つ瀬にいくいをうち下つせに真※[木+厥]をうち伊※[木+厥]には鏡をかけまくいにはま玉を懸ま玉なす我おもふ妹も鏡なすわかおもふ妹も有といはゝこそ国にも家にもゆかめ誰故かゆかん
   己母理久乃 之 之 尓伊※[木+厥]乎打 湍尓 乎挌 尓波 乎懸真※[木+厥]尓波真 乎 真珠奈須(古本あか)念 毛(古毛なし) 成我(古あか)念 毛(古つまも) 跡謂者社 尓毛 尓毛由可米 可將行
古事記ニはいへにもゆかめくにゝもゆかめ
    檢《カンカフルニ》古事記ニ曰ク此一首は木梨《キナシ》之|軽《カルノ》太子自|死《ウサヌル》之|時《トキ》所v作ル也
古事記ニは誰故かゆかんといふ結句なし
こもりくのはつせの河に 下にま玉なす我思ふ妹鏡なす我思ふ妹といはん諷詞に讀出し詞也古事記ニ曰允恭天皇の春宮|木梨《キナシ》輕《カル》の太子妹の輕|太郎女《ヲホイラツメ》にたはけなとをこなひ悪かりけれは天皇崩御の後世人思ひつかて弟の穴穗《アナホノ》命ト安康ニ思ひつきぬ太子終に戦ひまけて伊与の湯になかされ給ひしに妹輕太郎女忍ふに堪す追至る時此哥よみて太子うせ給へり妹皇女もともにうせ給ふ畧記此哥も此かみのくたりも日本紀にはなし日本紀の異説也
ま玉なすわかおもふ妹も 玉のことく鏡のことく我思ふ妹ある国や家にこそゆかめわか思ふ妹は今こゝに追至りて一所にあれは誰故に故国へもゆかんたゝこゝにてともにうせなんとなるへし古事記の哥は所々異有
    反歌
3264 年渡るまてにも人は有といふをいつの間にそもわか戀にける
    麻弖尓毛 者 云(イありてふ)乎何時之 曽母吾 尓來
年わたるまてにも 此反歌二首古事記にはなし年渡るとは一年の程を云也年を渡りて人はあひそひてあるをいつの隙有て戀るそと也
3265 世のなかをうしと思ひていへてせしわれやなにゝかかへりてならん
    間乎倦迹 而家出為吾哉難二加還而將成
世のなかをうしと思ひ 家にふたゝひかへりても何にかならんうき世をうんして家を出しをと也
 
      一首并短歌    作者未詳
3266 春されは花咲をゝり秋つけはにの穗に黄はむ味酒《アヂサケ・ウマサカ》を神なひ山の帯にせる明日香の河のはやき瀬に生る玉|藻《モ》の打なひきこゝろはよりて朝露のけなはけぬへく戀らくもしるくもあへるこもりつまかも
    去者 乎呼里 付者丹之 尓 乎 名火 之 丹為 之 乃速 尓 之 靡情者因而 之消者可消 久毛知久毛相隠都麻鴨
花|咲《サキ》をゝり 花咲のほり也
秋つけは 秋になれは也
にの穗に あかき心也
味酒をかみなひ山 日本紀|醸《カミ》2八※[酉+温の旁]《ヤシヲヽリ》酒ヲ1云々玉篇醸汝張切作v酒ヲと云々酒を作るをかみともかもするともいへりかみなひといはん諷詞に味酒といへり
間もの打なひき 發句よりこゝまては打なひき心はよりてといはん諷詞なるへし
戀らくもしるくも 戀るしるしに逢と也
    反歌
3267 明日香《アスカ》河せゝのたまもの打|靡《ナビ》きこゝろは妹によりにける鴨
    瀬湍之珠藻之 情者 尓因来
あすか河瀬々の 心明也序哥也
 
      一首并短歌    作者未詳
3268 みむろの神奈備山にとのくもり雨はふり來《キ》ぬあま霧あひ風さへふきぬ大口のまかみの原に思ひつゝかへりにし人家に到りきや
   三諸之 從登能陰 者落 奴雨 相 左倍吹奴 乃真神之 從 管還尓之 尓伎也
とのくもり 見安云たなくもりと同事也
あま霧合 空の曇りあふ也
おほくちのまかみの原 八雲御抄大和云々或曰まかみは虎を云虎といふ神お此集に有大口は其諷詞也師説不用之
思ひつゝかへりにし人 思ひなからとまりかねて歸りし人此雨風の夜心もとなしとの心也
    反歌
3269 かへりにし人を思ふとうは玉のその夜はわれもいもねかねてき
   還尓之 乎念等野干 之彼 者吾毛宿毛寐金手寸
かへりにし人を思ふと 思ふとて也心明也
 
      一首并短歌    作者未詳
3270 さしやかん小屋のしき屋にかきすてんやれこもをしきてかゝれおれらん鬼のしき手を指かへてねなん君故赤根さすひるはしミゝにうは玉のよるはすからに此床のひしとなるまてなけき鶴鴨
   刺將焼 之四忌 尓掻將棄破薦乎敷而所※[手偏+發(中は虫)]將折 之四忌 乎 易而將宿 刺晝者終尓野干玉 夜者須柄尓 乃比師跡鳴左右嘆
さしやかん 或説さゝやかん來やとつゝけたりしとさと同音也云々師説は義なし
小屋のしきや 見安云草にて作たる家也せはき家也愚案|凶《シコ》屋にや
かゝれおれらん ※[手偏+發(中は虫)]れて居らんといふに同し
鬼のしきてを 見安云人の枕にせん我手を敷てねたるは鬼の手をしきてねたる如くうとましき心也愚案鬼の凶《シコ》手にやきたなき爪長き賤男の手を云か
ひるはしみらに 見安云ひめもすにの心也愚案終の字をしミらと訓ス
此床のひしと 見安云海中の洲と云心也仙曰海中の洲をひしといふ也然は此哥の心はわかすまゐは戀の渡にわたつみのことく成ぬれは此床の洲となるまて嘆《ナケキ》つるかもと也大隅國風土記云|必志《ヒシノ》里昔者此村之中ニ在2海之洲1因曰2必志ノ里ト1海中ノ之洲は者隼人俗語ニ云2必志ト1或説ニ或説ニ此床のひしと鳴迄は歎くこゑに床のひしめき鳴儀也如何
    反歌
3271 我こゝろやくもわれなりよしゑやし君に戀るも我か心から
    情焼毛吾有愛八師 尓 毛 之 柄
わか心やくもわれ也 心を思ひにやくも戀るも我心からなれは好々と也
 
      一首并短歌    作者未詳
3272 うちはへて思ひし小野は遠からぬその里人のしめゆふと聞てし日より立らくのたつきもしらすをるらくのをくかもしらす親/\のさか家すらを草枕たひねのことく思ふ空やすからぬ物をなけく空すこしえぬ物をあま雲のゆかまくまくにあし垣のおもひみたれて乱をのをのけをなみとわか戀るちへの一重も人しれすもとなや戀んいきの緒にして
   打延而 之 者不遠其 之標結等 手師 從 良久乃田付毛不知居久乃於 鴨不知 己 尚乎 客宿之如久 不安 嗟過之不得 乎天 之行莫莫蘆 乃思亂而 麻乃麻乃笥乎無登吾 流千重乃 母 不令知本名也 牟氣之 尓為而
うちはへて思ひし小野 我か心さす人を其里人のさまたくると聞し事をかく讀也
立らくのたつきも 立にたよりもなく居にをく所もしらすと也をくかもは置所も也身の置所もしらすといふ心なるへし
親々のさか家すらを 父母の傳へし我家をたに旅ねのやうにおもはれて安からぬと也
すこしえぬ物を 歎て過しかたき心也
あま雲のゆかまく/\に 天雲は諷詞也ゆかまくほし/\とのミ思ひみたれてと也芦垣はミたれてといはん諷詞也
乱麻《ミタレヲ》のをのけをなミと みたれし苧のをこけなけれは戀るといひかけたり物のなけれは戀る事をそへて云也
吾戀る千重のひとへも 我戀の千分一も人しらぬによしなく命にかけて戀んと也
    反歌
3273 ふたなみに戀をしすれは常の帯を三重にゆふへく我身は成ぬ
   二無 乎思為者 乎 可結 者
ふたなみに戀をし 二ツともなくうき戀すれはやつれ果て腰細く成て有との心也
 
      一首并短歌    作者未詳
3274 せんすへの田付をしらすいはか根のこゝしき道をいは床の根はへる門をあさ庭に出居てなけき夕庭に入居て思ひ白たへのわか衣手を折反し獨しぬれはうは玉の黒髪しきて人のぬるうまいはねすて大舟のゆくら行らに思ひつゝわかぬる夜らをつきもあへんかも
   為須部乃 叫不知(イしらに)石 乃興 敷 乎石 笶 延 叫朝 而嘆夕 而 桍乃吾 袖叫 之寐者野干 布而 寐味眠不睡 乃徃良 羅二 乍吾睡 等呼續將敢鴨
せんすへのたつきを 逢かたくせんかたなき戀に朝夕出居ても入居ても歎く心也
いはかねのこゝしき 岩のこりしき嶮阻なる道也石床の根はへるは石の根のはへる門也
あさ庭に ゆふ庭に 諸本如此点ス一本あしたにはゆふへにはと和 尤捨かたき歟
人のぬるうまいはねすて 心よくぬる事もせす也世人の云ぬると云事なき也
おほふねのゆくら/\に 舟のゆら/\とたゆたふやうにと也
わかぬる夜らをつきもあへんかも よくもねすたゝよひつゝかくて我ぬるよをつゝけてかやうにあらん
    反歌
3275 ひとりぬる夜をかそへんとおもへとも戀の茂きにこゝろともなし
   一眠 篝跡雖思 二情利文梨
ひとりぬる夜をかそへん 祇曰心ともなしは我心のやうにもなきと云心也愚案心共無といふ儀也仙曰利き心もなしといふ也愚案いつれも忘却の心難捨歟
      一首并短歌    作者未詳
3276 もゝたらぬ山田の道を浪雲のうつくし妻とかたらはて別れし來れははや川のゆくもしらす衣手のかへりもしらす馬しもの立ちてつまつきせんすへの田付をしらにものゝふのやその心をあめつちにおもひたらはしたまあはゝ君來ますやとわかなけく八《ヤ》さかのなけき玉鉾の道來る人の立とまりいかにと問へは答やる田付をしらにさにつらふ君か名いはゝ色に出て人しりぬへしあしひ木の山より出る月待と人には云て君待われを
   百不足(イす) 乎 愛(イめつらし) 跡不語 之 者速 之徃文不知 袂笶反裳不知 自物 而爪衝為須部乃 乎白粉物部乃八十乃 叫天地 念足橋 相者 益八跡吾嗟 尺之嗟 乃 之 留何常 者 遣 乎不知散釣相 日者 可知(イみ)足日 能 從 跡 者 而 吾乎
もゝたらすやまた 物の数をいはんとて百不足と置て八といふ詞を取て山田と云也
浪雲のうつくしつま 見安云波も雲もともにうつくしきと云なり浪雲は愚案うつくしつまといはん諷詞也
ころもての 歸るもしらすといはん諷詞也
はや川のゆくもしらす 早川のと云は諷詞也ゆくも歸るも不知と也
馬|自物《シモノ》 立てつまつきといはん枕詞也
物のふの やそいはん諷詞也やその心を天地にとはさま/\物思ふ心を天地に思ひたらはしてと也
玉あはゝ わか思ふ魂と君か魂と相叶はヽと也
やさかのなけき 八尺は長き也長き歎き也見安八坂こゆる儀如何
さにつらふ 顔の匂ひてうつくしき心也君の名をいひて其君待といはゝ人しらんとて月待と問人には答てと也
    反歌
3277 いをもねすわか思ふ君はいつこにそこの身誰とかまてときまさぬ
   眠不睡吾 者何處邊今 與可雖待不來
いをもねすわか思ふ 祇曰夜も安きいをねす待侘る君はいつくへそまちかぬる我身を我ともおもはてとはぬかと也
 
      一首并短歌    作者未詳
3278 あか駒のうまやをたて黒駒のうまやをたてゝかれを飼《カ》ひわか徃かこと思ひ妻心に乗て高山の峯のたおりにいめたてゝしゝ待がこととこしきにわか待君を犬なほえこそ
   赤 厩立 厩立而彼乎 吾 如 而 之手折丹射目立十六 如床敷而吾 莫吠行年
かれをかひわか行かこと 心にのりてといはんとての諷詞也心にのりてとは心にかゝりて也
高《タカ》山の峯のたおり 見安云平に肱《ヒヂ》折し所也
いめたてゝ ねらひ眼なる心也
とこしきに 仙曰常にしけく也獵者なとのしゝまつかことくに君を待心也見安云とこしきはとこしなへなる心也愚案ほえこそはほえ來そ也犬にほえかゝりそと也
    反歌
3279 あし垣の末かきわけて君こゆと人にな告そ事はたなしり
   蘆 之 掻別而 越跡 丹勿 者棚知(イたなゝり)
あし垣の末かき分て 童蒙抄云是は催馬楽の呂の哥に芦垣まかきかき分てとうたふ心をよめるにかなへりさて人にな告そ事|將《はタ》なしりとよめりなしりとはな知そといふ心歟仙覚同義催馬楽哥芦垣まかきかき分ててふこすとおひこすと誰か此事を親にまうよこし申しゝ云々人にな告そといふ心よくかなへりイ事者棚利《コトはタナナリ》袖中抄顕昭云たなゝりとは常也といふ歟たとつとなとねと同音也又ことは棚しりとかける本も有それならは事は常に知ると可v云云々見安云棚とは空を云空にしらるゝともといふ心也云々諸抄の儀異あり然とも童蒙抄の儀可用歟但類聚にもことは棚なりと和ス袖中抄のことし所詮所好に随ふへきか
 
      一首并短歌    作者未詳
3280 わかせこはまてと來まさす天の原振さけ見れはうは玉の夜も深にけりさ夜ふけてあらしのふけは立とまり待わか袖にふる雪はこほり渡りぬ今更にきみ來まさめやさなかつら後もあはんとなくさむる心を持てみ袖もて床打はらひうつゝには君にはあはす夢にたにあふと見えこそあまのあしやに 一云わかせこはまてと來まさす鳫の音もとよみて寒しうは玉のよもふけにけりさよふくと嵐のふけはたち待《マツ》にわか衣手に置霜もひにさえ渡りふる雪も凍渡りぬ今更に君來まさめやさな葛後もあはんと大舟の思ひたのめど現には君にはあはす夢にたにあふと見まほしあまのあしやに
   妾背兒者雖待 不益 左氣 者黒 之 毛 去來 深而荒風乃吹者 留吾 尓零 者凍 奴 公 座哉左奈葛 毛相得名草武類 乎 而三持 卯管庭 尓波不相 谷相跡所見社天之足夜于 吾背子者待跡不來 毛動而 烏 乃宵文深去來左夜深跡阿下乃吹者立 吾 袖尓 文氷丹左叡 落 母 奴 目八左奈 文將会常 憑迹 庭 者不相 谷相所見欲天之足夜尓
わかせこはまてと 此哥心明也
さなかつら後もあはん 此諷詞此集前後多シかつらは枝はひわかれて終にゆき逢ゆへ也
み袖 真袖と同
あふと見えこそ 逢と見え來よと也
あまのあしやに 蜑の住芦屋にてまつ心なるへし
一云 前のうたと同事なから詞少かはれり
さよふくと 深たりとて也
ひにさえわたり 氷て寒しと也
大舟の 大船はのり心頼もしけなれは頼むといはん諷詞也
    反歌
3282 衣手に山おろし吹て寒き夜を君來まさすは独かも寐む
    袖丹 下 而 乎 不來者 鴨
衣手に山おろし 心明也
3283 今更に戀とも君にあはめやもぬる夜をおちす夢に見まほし
    友 尓相目八毛眠 乎不落 所見欲
今さらに戀とも ぬるよをおちすとは毎夜の心也
      一首并短歌    作者未詳
3284 菅の根のねもころ/\にわかおもへる妹(妹ノ字|當《マサニ・ヘシ》v作ルv君ニ)によりてはことのいみもなくてもかなといはひへをいはひほりすへたかたまをまなくぬきたれ天地のかみをそわか祈るいともすへなみ 3286一云玉たすきかけぬ時なくわかおもへる君によりてはしつぬさを手に取持て竹珠をしゝに貫たれ天地の神をそわかこふいともすへなみ 3288一云大船の思ひたのミてこしおのれいや遠長く我おもへる君に依てはことの故もなくてもかなや木綿たすきかたにとりかけいはひへをいはひほりすへあめつちのかみにそわかいのるいともすへなみ
    之根毛一伏三向凝呂尓吾念有 尓緑而者言之禁毛無在乞常齊戸乎石相穿居竹珠乎無間貫垂 之神祇乎曽吾 甚毛為便無見  手次不懸 無吾念有 尓依者倭文幣乎 而 叫之自二 垂 之 叫曽吾乞痛毛須部奈見  之 憑而木始己弥 念 尓 而者言之 毛無有欲得 手次肩荷取懸忌戸乎齊穿居玄黄之神祇二衣吾祈甚毛為便無見
菅《スカ》の根《ネ》のねもころ/\に 仙曰ねもころ/\は懇にと云詞也菅は本の根の遠く這《はヒ》てころ/\にむらかり茂るなれはそれによそへてねもころ/\にと讀る也
ことのいみもなくても 見安云たゝりあらすなといふ心也
いはひへを 見安云酒いるゝかめ也竹珠は竹のくたのやうして神に奉る也
玉たすきかけぬ時なく 或本反哥たらちねの母にもといふ下あめつちの神を祈てといふ上にあり玉手次は諷詞也懸て思ぬ時なくと也
しつぬさ 四手幣にやつとてと五音通ス
しゝにぬきたれ しけくつらぬき垂也
わかこふ 乞祈る也
いやとを長く我思る 行末かけてと思ふ心也
    反歌
3285 たらちねの母にもいはすつゝめりし心はゆるす君かまに/\
   足千根乃 尓毛不謂※[果/衣]有之 者縦 之随意
たらちねの母にも 母にもつゝミし心中の事も君にはつゝむことなくゆるしたれはとかく君かまゝと也
3287 あめつちの神をいのりてわか戀るきみに必あはさらめやも
   乾坤乃 乎祷而吾 公以 不相在目八
あめつちの神を 心明也
 
        一首并短歌    作者未詳
3289 みはかしをつるきの池の 蓮葉にたままれる水のゆくゑなみ我せる時にあはんと相たる君をなねそよと母きこせともわかこゝろ清《キヨ》すみの池の池のそこわれははしのひすたゝにあふまてに
   御佩乎劔 之 尓渟有水 徃方無 為 尓應v相(イあはまし)登 有 乎莫寐等 寸巨勢友吾情 隅之 之 底吾者不忍正相左右二
みはかしをつるきの 見安云御はかしのつるきとつゝくる也仙曰つるきの池大和国
母きこせとも 母聞え給へとも也母の此人となねそよといさめたまへともと也
きよすみの池 仙曰大和愚案我心は清隅の池の底の如深く思ふ故に母のいさめにもえ忍ひす只に逢迄と思ふと也
    反歌
3290 いにしへの神のみよゝりあひけらし今の心も常わすられす
   古之 乃時從會計良思 文 不所忘
いにしへの神のみよ 神代より逢し中ならしと也此世はかりの縁にあらしと也
 
      一首并短歌    作者未詳
3291 三芳野の真木立山に青み生る山菅の根のねもころにわかおもふ君はすめろきのつかはしゝまゝ 一ニ云|王命恐《ヲホキミノミコトカシコミ》ひなさかる国治めにと 一ニ云|天踈夷治等《アマサカルヒナヲサメニト》むら鳥の朝たちゆけはをくれたる我かこひんなたひなれは君かおもはんいはんすへせんすへしらす 一有2 足日木《アシヒキノ》山ノ之|木末尓《コスヱニノ》八字1はふつたの歸りにし 一ニ無2帰之二字1 別れしあまたおしき物かも
    之 尓 之 乃慇懃吾念 者天皇之遣之萬萬 夷離 尓登 群 之 立行者後有 可將戀奈客有者 可將思言牟為便將為須便不知 延津田乃 之 之數惜 可聞
三芳野の真木立山に 菅の根の懇にといはん諷詞也此哥は国司にてゆく人の別をしたふ女の哥にや
ひなさかる 田舎の遠き心也
国治めにと 見安云国司也
むら鳥の 朝立といはん諷詞也任国へ朝に立ゆく也
我かこひんな なは助字也をくれたる我や戀ん又旅なれは君や思ひをこせんと也
いはんすへせんすへ不知 此句の次に一本には足引の山の梢にはふつたのいはんすへせんすへ不知 此句の次に一本には足引の山の梢にはふつたの別のあまたおしき物かもと有とそ尤可然歟|歸之《カヘリニシ》の二字衍文なるへし
    反歌
3292 うつ蝉の命を長く有れこそととゝまるわれはいはひてまたん
   打 之 乎 社等留吾者五十羽旱將待
うつせみの命を長く うつ蝉は身をも人をもいふ也あれこそととはあれとこそ也
 
      一首并短歌    作者未詳
3293 三吉野のみ金のたけにひまなくそ雨はふると云ときなくそ雪はふるといふ其雨のひまなきかことその雪のときならぬことひまもおちす吾はそこ戀る妹かまさかに
   之御 高尓間無序 者落 不時曽 者落云 無間如彼 不時如間不落 者曽 之正香尓
みよしのゝみかねのたけ 金の御嶽ともいふ金峯山也此集天武帝御製みよしのゝみゝかの峯といふ哥に少かはれり但御製は山行のうた是は戀の哥也
ひまもおちす  無隙也
まさか 見安云寝所を云又は住所をも云仙抄に随へり
    反歌
3294 み雪ふる吉野のたけにゐる雲のよそに見し子に戀渡るかも
   三 落 之高二居 之外丹 尓 可聞
み雪ふるよしのゝ 序哥也心明也
 
      一首并短歌    作者未詳
3295 うつくつのみやけの原にひた土にあとをつらねて夏草を腰になつミていかなるや人の子故そ通はすもわか子うへ/\な母はしられすうへ/\な父はしられすみなのわたか黒き髪に真木綿もちあさゝゆひたれ日の本のつけのをくしををさへさすさすたへの子はそれそわかつま
   打久津三宅乃 從當 足迹貫 乎 尓莫積如何有哉 曽 簀文吾 諾諾名 者不知諾諾名 者不知蜷腸香 丹 持阿邪左結垂 之黄楊小櫛乎抑刺刺細 彼曽吾※[女+麗]
うつくつの うつくしき沓也此詞みやけにはつゝけす跡をつらねてに續く
三宅の原 大和添下郡
ひた土に跡をつらねて ひたすらの土に沓の跡をつけつゝけて也
夏草を腰になつミて 見安云草の深きを分るをいふ
いかなるや やの字かよはすものもの字皆助字也いかなる人の子故かよはすそ我妹子といふ心也我をいかなる物の故にてなとの心也
うへ/\な なは助字也尤々といふ詞也
蜷のわた 黒き枕詞也か黒きかは助字也
まゆふもてあさゝ 本結にて朝々結也
日の本のつけの小櫛 唐櫛あるに對して云也但見安ニは大和国日の本といふ所にて櫛をひく故云也
さすたへの子 彼櫛をさすたへの子也たへの子はうつくしき女子也
    反歌
3296 ちゝはゝにしらせぬ子故みやけちの夏野の草をなつみ來るかも
   父母尓不令知 三宅道乃 乎菜積 鴨
ちゝはゝにしらせぬ 長うたの心に同し
 
      一首并短歌    作者未詳
3297 玉たすきかけぬ時なくわか思ふ妹にしあはねは赤根さすひるはしみらにうは玉のよるはすからにいもねすに妹を戀るにいけるすへなみ
    田次不懸 無吾念 西不會波 刺日者之弥良尓烏 之夜者酢辛二眠不睡尓 丹生流為便無
しみら 終の字也終日也
    反歌
3298 よしゑやし死なんよわきもいけりともかくのミこそわか戀わたりなめ
   縦恵八師二二火四吾妹生友各鑿社吾 度七目
よしゑやし死なんよ よし/\死なんと也
 
    一首并短歌    作者未詳
3299 見わたしに妹らはたゝしこのかたにわれはた立ちて 一云こもりくのはつせの川のをちかたにいもらはたゝしこのかたにわれはたちて おもふそらやすからなくになけくそらやすからなくにさにぬりのをふねもかも玉まきのをかいもかもこきわたりつゝもあひかたらめを
    渡尓 等者立志是方尓吾者立而 己母理久乃 思虚不安国嘆虚不安国左丹※[さんずい+亡/木]之小舟毛鴨 纒之小楫毛鴨榜渡乍毛相語妻遠
見わたしに 川なと隔てし心也
一云 イ本にかくあるなるへし
さにぬりの あけによそほへる舟也あけのそほ舟なとゝ同
玉まきのをかい かいに玉をかさりたる也
あひかたらめを 相語らん物をと也
 
     一首    作者未詳
3300 をし照や難波の崎に引のほるあけのそほ舟そほ舟に網取かけてひきつらひありなみすれといひつらひ有なみすれとありなみえぬそいはれにし我身
   忍 乃 尓 登赤曽朋 曽朋尓 繋引豆良比有双雖為日豆良賓 双雖為有雙不得叙所言西
をし照やなにはの 前に注
あけのそほ舟 丹青色とりかさりたる舟也
ひきつらひ 引かゝつらひ也舟を引にそへて云也こゝをいふへきために舟を云也
有なみすれと 有双はんとすれとも也
いはにし我身 うき名いひたてられし我身の引つらひいひつらひても有双ひえぬと侘たる心なるへし
 
     一首    作者未詳
3301 神風の伊勢の海の朝なきに來よるふか海松ゆふなきに來依また海松深みるのふかめしわれを俣みるのまたゆき反りつまといはしとかもおもほせる君
    之 之 之 奈伎尓 依深 暮奈藝尓 俣 海松乃深目師吾乎 海松乃復去 都麻等不言登可聞思保世流
ふかみる 深みとりなる海松也またミるは股あるみる也上は序にて深めて頼めし我を又外に行歸りて今は妻といふましきとおほすかきみと恨とかめし哥也
 
     一首    作者未詳
3302 紀伊の国の室のうみへにちとせにさはる事なく萬世にかくしあらんと大舟の思ひたのみて出立し清きなきさに朝なきに來よる深海松夕なきに來よる縄のりふかみるの深めし子らを縄のりのひけはたゆとやさと人のゆきしつとふになくこなすゆき取さくり梓弓ゆすえふりおこししのき羽を二つたはさみはなちけん人し悔《クヤ》しも戀しとおもへは
    之 之江邊尓千年尓障 無 尓如是將有登 之 恃而 之 瀲尓 名寸二 依 難岐尓 依 法深海松之 目思 等遠 法之引者絶登夜散度 之行之屯尓鳴兒成行 左具利 弓腹振起志乃岐 矣 手挾離兼 斯 思者
室のうみへ 牟婁郡の海邊也此哥は紀州むろの清き渚にてかはらしと深くたのめし女子を見はなちしおとこを恨て讀るにや
大舟 頼むの枕詞也
朝なきに 是よりひけは絶とやまては深く頼めなから絶し事を云也ふかみるなはのりは諷詞也
さと人のゆきし しは助字也里人の行つとふ所へは鳴子《ナクコ》も行よる事を讀なるへし
なく子なす さくりをいはん諷詞也源氏にさくりもよゝとなき給ふとあるたくひ也
ゆき取さくり 見安云やなくひを腰につけし也愚案行は靭也
しのき羽を 見安云鷹の羽にてはきたる上矢を云也
はなちけん人しくやしも 我をはなち捨し人を恨みなからも猶戀る事を弓の縁語にいひつゝけ來たる也此詞遣ひにて思惟すへし
 
     一首并短歌    作者未詳
3303 里人のわれにつくらくなかこ戀るうつくし妻《ツマ》はもみち葉の散りまかひたる神名火《カミナヒ》の此山邊 一云|彼《カノ》山邊からうは玉の 黒馬に乗て河の瀬をなゝせ渡りてうらふれて妻はあひつと人そ告つる
    之吾丹告樂汝 愛 者黄 亂有 之 烏 之 尓 而 乎七湍 而裏觸而 者會登 曽 鶴
里人の我に告らく 我に告て云クの心也里人の告るは汝か戀る人は神なひ山より黒馬に乗て七瀬わたりて物思ひ苦めるさまにて行あひしと里人の告しと也
うらふれて 八雲抄物思ひ苦しけなる也云々旅なとに行しにや
 
    反歌
3304 きかすしてもたしあらましを何しかも君かまさかを人の告つる
   不聞而黙然有益乎 如文 之正香乎 之 鶴
きかすしてもたし もたしはたゝに也まさか仙覚は寝所を云也云々見安には住所をも云と云々此巻に三所あり皆ありさまなといふに叶へり見安の儀にてもにや
 
    問答ノ歌十八首
二首并短歌    作者未詳
3305 物おもはで道行なんも青山を振さけ見れはつゝし花にほへるをとめ桜花さかへるをとめなれをそも吾によると云われをそもなれによるといふあら山も人しよるにはわかもとにとゝむとそいふなか心ゆめ
    不念 去毛 放 者茵 香未通女 盛未通女汝乎曽母 丹依 吾叫曽毛汝丹依云荒 毛 師依者余所留跡序云汝 勤
つゝし花 にほへる乙女といはん諷詞也赤きを匂へるといへは也
桜花 さかへるといはん諷詞也さかへるは盛なる也
なれをそも そもは助字
吾によるといふ いせ物語に君か方にそよるとなくなると云に同よりしたしむ心也
あら山も 荒き山さへ人のより親むにはとゝめて宿すといへは汝か心も努々疎《ヲロソ》かにすなと也
    反歌
3306 いかにして戀やむ物そあめつちの神をいのれとわれや思はまし
   何為而 止 序天地乃 乎祷迹吾八 益
いかにして戀やむ物そ たとひ戀やまんとて天神地祇をいのるとも猶我や思はんと也
3307 しかあれこそ年の八歳をきる髪のわかミを過て橘のほすゑを過て此河のしたにも長くなか心まて
   然有社 乃 叫鑚 乃吾同子叫 末枝乎 而 能下文 汝情待
しかあれこそ されはこそと云也是前の哥に答る也
年の八歳《ヤトセ》をきる髪 見安云女子は八歳にて髪をそき始めるを云也愚案女の髪そき八歳に不限八は陰数の極まりなれはおほき事をいはんとて八と云也只やとせとはかりは心得へからす
橘のほすゑを過て 髮(友が眉)そきに橘等用る物なれは取合たるニや彼のそきたる髮の長く身を過るにそへて汝か心にも長く下まてといはんとて此河の下にも長くなか心まてといふ也前の問のうたにゆめ/\汝か心我を疎かにすなといふに答てされはこそ汝も戀やます長く下まてといひて我も疎なるましき由を云也
    反歌
3308 あめつちの神をもわれは祷てき戀てふ物はすべてやまずけり
   天地之 尾母吾者 而寸 云 者都不止來
あめつちの神をも 前の問の反哥に天地の神を祈るとも我は戀やまて思はんおいふに答て我已に天神地祇も祈きされと戀といふ物すへてやまれす有けりと也此四首問答哥也
 
3309 柿本朝臣人麻呂之歌云 物思はて道行なんも青山をふりさけミれはつゝし花匂へるをとめさくら花さかへる越賣《ヲトメ》なれをそも吾に依《ヨル》と云《イフ》吾をそも汝《ナレ》に依と云なれはいかにおもへやおもへこそ年の八年をきる髪とわか身をすくり橘のほすゑをすくり此川の下にも長くながこゝろまて
    不念路 去裳 乎振酒見者都追慈 尓太遥越賣作樂 佐可遥 汝乎叙母 尓 乎叙物 尓 汝者如何念也念社歳 乎 與知子乎過 之末枝乎須具里 之 母 汝心待
柿本朝臣人麻呂之歌 是は前の問答の哥に異説あるを云
物おもはて道行なん 前の哥は二首問答なるを此哥は一首の哥にて言葉も替ル也
なれをそもわれに いふとは世人云成へし
なれはいかに 世人はかくいふを汝はいかにさは思はずやよし思へかしと也
おもへこそとしのやとせ 思へやといひて重ねて自問自答して思へはこそ八年のほとを通し長く汝か心に下待つなれと也きる髪と我身を過りは切し髪のひて我か身たけに過るがことく八年を過しと也過りは過し也
 
二首并短歌    作者未詳
3310 こもりくのはつせの国にさよはひにわか來れゝは棚くもり雪はふり來ぬさくもり雨はふりきぬ野つ鳥のきゝすもとよみ家つ鳥かけもなくさ夜は明《アケ》此夜はあけぬ入てあさねん此戸あけせよ
   隠口乃泊瀬乃 尓左結婚丹吾 者 雲利 者零 左雲理 者落來 雉動 可鶏毛鳴 者 者旭奴且將眠 開為
さよはひに さは助字也
さくもり 是もさは助字也心は雪ふり雨降來て侘しきに夜は明て雉なき家鶏なけは入て朝ねせん此戸あけ給へと也
さよはあけ此夜は旭ぬ 重詞也
    反歌
3311 こもりくの泊瀬をぐにゝ妻しあれは石はふめとも猶そ來にける
   隠來乃 小國丹 有者 者履友 來
こもりくのはつせ小国 古は國郡里邑の分別今のやうにはなかりし故初瀬をも難波なとも国といへり心は石ふみ來かたき道も猶來しと懇切をいふ也 
3312 隠口の泊瀬小国に夜はひしてわかすめろきと奥床に母はねて有そと床に父は寝て有おきたゝは母しりぬへし出行かは父知りぬへしうは玉の夜はあけゆきぬこゝたくも思ふことならぬこもり妻かも
    乃 丹 延為吾天皇寸與奥 仁 者睡 外 丹 者 起立者 可知 者 可知野干 之 者旭去奴幾許雲不念如隠※[女+麗]香聞
隠口の泊瀬 答の哥也
わかすめろきと 父母をいふなるへし一家の主なれは也わか帝ととおそるへくしてと也一説妻を云如シ2私ノ君ト云カ1也
こゝたくも 見安云そこはくの心也
おもふことならぬ 思ひのまゝに逢添難き心也
こもり妻 隠し妻と同
    反歌
3313 川の瀬のいはと渡りて野干玉《ウはタマ》のこまの來る夜は常にあらぬ鴨
    之石迹 之黒馬之 者常二有沼
川の瀬の岩と 見安云いはとは石のかど也愚案渡りてとは石かとをとをり來て也うは玉のこまは黒駒也即黒駒とかけり
 
一首并短歌    作者未詳
3314 つぎねふ山しろ道を人つまの馬より行にさかつまのかちよりゆけはミることにねのミしなかるそこ思ひに心し痛し垂乳根《タラチネ》の母の形見とわか持るまそみ鏡にあきつひれおひそへ持て馬かへわがせ
   次嶺經(イふる) 背 乎 都末乃 從 尓己夫之歩從行者毎見哭耳之所泣曽許 尓 之 之 乃 之 跡吾 有真十見 尓蜻領巾負並 而 替吾背
つきねふ 山城の枕詞也見安云山代と大和の峯つゝきを云也愚案見安ニはつきねふると和ス但日本紀十一菟藝泥赴《ツキネフ》と書つきねふ可然
馬より行 馬にて行也
そこ思ひに そこの思ひに心痛み断腸と也
あきつひれ 女の肩のかさりに蜻蛉の羽の如くなるを蜻領巾と云此哥夫婦の情を盡して感慨ふかし
    反歌
3315 いつみ川渡る瀬深みわかせこか旅ゆく衣きてぬらすかも
   泉河 見吾 我 行 蒙沾(イぬれぬらんかも)鴨
いつみ河渡る瀬ふかみ 是も山城の道をかちよりゆくを悲しむ也類聚ニは落句ぬれぬらんかもと和ス
3316 まそ鏡もたれどわれはしるしなし君かかちよりなづみゆく見れ
   清 雖持 者記無 之歩行名積去者
まそかゝみもたれと イニ此哥の前ニ或本反哥とあり異本是を書しなるへし心は明也或本此落句をなつみさる見はとあり尤不足信用
3317 馬かはゝ妹かちならんよしゑやしいしはふむともわれふたり行ん
    替者 歩行將有從恵八子石者雖履吾二
馬かはヽ妹かちならん 是夫の答の哥也馬買て我乗ても妹か歩行ならはかひなしよし泉河の石はふむともかちにてともに行んと也
 
一首并短歌    作者未詳
3318 木の国の濱によると云あはひたまひろはんと云て妹の山せの山越て行し君いつ來まさんと玉鉾の道に出|立《タチ》夕うらをわか問しかは夕うらの吾につくらくわきもこやなか待君はおきつ浪來よる白珠邊つ浪のよするしら珠求むとそ君か來まさぬひろふとそきみは來まさぬ久にあらは今七日はかりとくあらは今ふつかはかりあらんとそ君は聞(イきこえ)こしな戀そわきも
    之 因 鰒珠將拾跡 而 乃 勢能 而 之 何時 座跡 之 卜乎吾 之可婆 卜之 尓告良久吾妹兒哉汝 者奥 因 邊 之緑流白 跡曽 之不來益拾登曽公者不來益 有 許早有者 二日許將有等曽 者 之二二勿 吾妹
きの国の濱に 紀州の海邊に遊行の夫を待女の夕卦問し事を讀る哥也
夕うら 夕卦と同
わきもこや 其女をよひかけて占の告るさま也
へつなみ 礒邊の浪也
きよる白玉 前にあはひ玉ひろはんといひてとよみ出し首尾也真珠なるへし
ひろふとそ 玉を拾也
久にあらは 歸る日限也
君はきゝこし 君か歸路のほとかやうに占に聞來たれはさのミな戀侘そと也
    反歌
3319 杖つきもつかても吾はゆかめともきみかきまさん道のしらなく
    衝毛不衝毛 者行目友公之將来 之不知苦
杖つきもつかても 君待かねてむかへにゆかは杖も取あへす行へけれと道をしらすと也女のさま哀也
3320 たゝにこすこのこせぢからいは瀬ふみとめそわか來る戀てすへなミ
   直不徃此從巨勢道柄石 踏求曽吾 而為便奈見
たゝにこす此巨勢路 巨勢路大和也岩瀬石ふむ河瀬也非名所我はたゝに來るにあらす戀しさすへなきに此道をとめてくると紀へゆく男の答
3321 さよふけて今は明ぬと戸をあけてきへゆく君をいつしかまたん
   左夜深而 者 奴登開戸手木部行 乎何時可將待
さよふけて今は 是亦待女の哥也紀へゆくは紀州へゆきし事也
3322 門にをるおとめは内に至にいたれともいたくし戀は今かへりこん
    座郎子 尓雖至痛之 者 還金
門にをるをとめは 是は男の答の哥也門戸に立待るおとめは門に待ともたとひ内に至るとてもいたく戀は今歸りこんそと也
 
    譬喩謌
3323 しなたてるつくまさのかたをき長のとをちの小菅あまなくにい苅持きてしかなくにいかり持來て置て吾をしのはんをき長のとをちの小菅
   師名立都久麻左野方息 之遠智能小 不連尓伊 来不敷尓伊刈 而 乎令偲(しのはゆか)息 之遠智能
しなたてるつくま しなひ立る筑麻野の狹野方《サノカタ》也さのかたは仙覚藤といへり然とも類聚ニ合歡《ネフリ》木狹野方|佐宿木《サネキ》なと木の類に書双へたり藤と別に有前ニ注をきながの遠智《トヲチ》とは息長く遠き心より枕詞に置り筑麻も近江遠智も近江坂田郡也
伊苅持來て イてヲヨマス 伊は助字也刈持來て也
吾をしのはん 親点如v此但令偲と書しのバゆとかしのバすとかよむへし假令しのはんとよみても心は文字のことくしのはしむる心に見るへき也心はさの方菅なとあみもせす敷もせぬにかりもて來て置て我をしてこひ忍しむると也とまりにおきながの遠智の小菅と置は重ねていへる古哥の習ひ也發句のしなたてるつくまさのかたも此小菅一ツをいふにこめたるへし扨譬喩せる心はめあはせん女なと親のいまたあはせすして家内に置るを戀忍ふ男のよめるにやさのかた小菅を女にたとへかりもて來てあまずしかずして置るを家内に置なからいまためあはせぬにたとへて我を忍はしむるといふなるへし仙抄のたとへ的當ならぬにや難信用
 
     挽歌
一首并短歌    作者未詳
3324 掛まくもあやにかしこし藤原のみやこしみゝに人はしもみちてあれとも君はしもおほくいませとゆきむかふ年の緒長くつかへ來て君か御門をそらのこと仰きて見つゝおそるれと思ひたのみていつしかもいひたらましてもち月のたゝはしけんとわか思ふみこのみことは春されはうへつきのうへの遠つ人まつの下道ゆのほらして國見あそはせなか月のしくれの秋は大殿の砌しみゝに露おひてなひけるはきを珠たすき懸てしのはんみ雪ふる冬の朝はさす楊根はるあつさをみ手にとらし給ひてあそひし我きみをかすみたつ春の日暮しまそ鏡見れとあかねはよろつよにかくしもかなと大船のたのめる時になくわれか目かも迷へるおほ殿を振放見れは白たへのかさりまつりて内日さす宮の舎人も 或は作v者《は》ニ たへの穗に麻きぬきるは夢かもや現かもやとくもり夜の迷へるほとに朝もよひきのうへちより角さふるいは村を見つゝたまはふり葬まつれは徃道の田付をしらにおもへともしるしをなみになけゝともおくかをなしみ御袖ゆきふれし松をことゝはぬ木にはあれとも荒玉のたつ月毎に天の原振さけ見つゝ珠たすき懸て思ふなかしこけれとも
    纒毛文恐 王都志弥美尓 下満雖有 下大座常徃向 仕 之 乎如天 而 乍雖畏 憑而何時可聞日足座而十五 之多田波思家武登吾 皇子命者 避者殖槻於之 待之 湯登之而 所遊九 之四具礼之 者 之 志美弥尓 負而靡芽子乎 手次 而所偲三 者刺(イさしやなき)根 梓矣御 二所取賜而所遊 王矣烟立 喚犬追馬 雖見不飽者万歳如是霜欲得常 之憑有 尓涙言 鴨 大 矣 者 細布餝奉而 刺 方 雪 衣服者 鴨現前鴨跡雲入 之 間 裳吉城於道從 障經(イさはふ)石 乎 乍神葬 奉者 之 呼不知雖思印乎無見雖歎奥香乎無見 徃觸之 矣言不問 雖在 之立 放 管 手次 而 名雖恐有
かけまくもいとも 誰の挽哥とはしられねと藤原の朝の皇子を歎くと見ゆ
みやこしみゝ 都にしけくちふ心也
ゆきむかふ 去年ゆきことしむかふ心也
君か御門を 御殿の事也
おそるれと思ひたのミ 恐なから頼ミ奉て也
いひたらまして いつしかいひなしまいらせての心
もち月のたゝはしけん 月の正しく出しを立と云也前にも月立て見ゆと有望月のは諷詞也いつしか此みこと帝に立せ給はんと思しと也
うへ槻は植し槻の木也
遠つ人はまつの諷詞也植槻の上の松の下道より上りて国見遊させまいらしと也
玉手次 懸ての諷詞也
さす楊ねはる梓 見安云柳はさせは根のつく故也愚案あつさをみ手にとらしは梓弓を取給ひて也十月五日射場始と云事内裏に在て公卿束帯にて射ル其|類《タクヒ》にや
なく我か目かもまとへる 殯宮の思ひも懸ぬ心を云也みこ薨せしと見るは目の違つるかと也
白たへのまさりまつり 白布もてかさりし也
宮のとねりも 此皇子の仕へ人也一云舎人は
たへのほに 見安云葬礼の時の白衣也此集一委
夢かもや現かもや 夢か現かと也もやは助字也
くもり夜の 迷るといふへき諷詞也
きのうへち 大和也此集第二高市皇子殯宮の時の人丸哥の詞に在
つのさふる さはふ同シ石の枕詞也石村は大和也
おもへともしるしをなみに 思へと思ふしるしなく歎けともそこともなしと也
荒玉のたつ月 あらたまは改る心なれは年の立にも月の初にもいふ也彼皇子の忌日朔日なるへし皇子の袖にふれ給ひし松を物いはぬ木なから形見のやうに朔日ことにふりさけ見つゝ懸て思ひ奉ると也思ふなのなは助字也玉手次は諷詞也我らかかけ奉るはおそれかましけれとゝ也
    反歌
3325 つのさふる石村山に白たへのかゝれる雲はおほきみにかも
   角障經(イさはふ) 丹 栲懸有 者皇可聞
つのさふる 石村山也おほきみにのには助字也雲をなき人によそふるは巫山の古事よりにや
一首    作者未詳
3326 しきしまの日本《やまと》の国にいかさまにおほしめしてかつれもなくきのうへの宮に大殿をつかへまつりてとのくもりこもりいませはあしたにはめさしてつかへ夕にはめさして使へつかはしゝ舎人の子等はは行鳥のむらかりてまちありまてと召給はねはつるきたちときし心をあま雲に思ひし散しこひいまろひひつちなけともあきたらぬかも
   礒城嶋之 尓何方御念食可津礼毛無城上 尓 乎都可倍奉而殿隠隠座者朝者召而使 者召而 遣之 之子 者 群而待有雖待不召賜者劔刀磨之 乎天 尓念 之展轉土打哭杼母飽不足可聞
しきしまのやまとの 此哥も前と同時にやいつれにても歟
大とのをつかへまつりて 廟を仕りてと也つれもなくといふ詞哀に歎く心ふかし
とのくもり こもりの諷詞也廟にこもりおはす心也殿こもりの心也
あしたにはめさして 御在世に朝夕仕し心也
朝鳥の むらかりといはん諷詞也御在世の時のやうに召るゝかと待居れとも召ずと也前にいかさまに思召てかつれもなくといふ首尾也
つるきたち 諷詞也ときし心とは忠節をはけましつる心也天雲は諷詞也
おもひしちらし 思ひしのしは助字也イニは思ひちらしと和ス
ひついちなけとも 見安云もたえこかるゝを云
 
一首并短歌    作者未詳
3327 もゝさゝのみ野のおほきみにしのむまやたてゝ飼ふ駒ひかしのむまや立てかふ駒草こそは取てかへかに水こそはくみてかへかになにしかもあしけの馬のいはへたてつる
   百小竹之三 王金厩立而 角厩 而飼 社者 而飼旱 社者※[手偏+邑]而飼旱何然大分青 之鳴立鶴
もゝさゝのみのゝ王 見安云百小竹はおほくの笹を云みのとは笹の実《ミ》とつゝくる也三野|王《ヲホキミ》愚案美奴ノ王か諸兄ノ父也
にしのむまや 見安云東は左馬寮西は右馬寮愚案寮は禁中の馬をつかさとる也是は宮家にや東西のむまやなるへし
取てかふかに かには助語也是も挽哥也葬場に馬なと引事ありみのゝ王の葬場の引馬をミて悲ミ讀るにや
    反歌
3328 ころもてのあしけの馬のなく聲もこゝろあるかも常にけになく
衣袖 大分青馬之 嘶音 情有鳧 常從異鳴
ころもてのあしけの 仙曰あしといふは白きをいへはあしといはん諷詞に衣手のとをける也見安云衣手の白きをつゝくる也愚案是も葬送の人の白衣より馬の白きをそへて讀るにや馬も心あるか常にことになくと也(追考)右両首葬場ならてもみのゝ王の馬をミてよめると見て可然歟
 
一首    作者未詳
3329 白雲の棚引国の青雲のむかふす国の天《アマ》雲の下にある人はわれのミかも君に恋らん吾のみかもつまに戀《こふ》れは天地にことはをみてゝ戀《こふ》れかも胸のやみたるおもへかも意の痛きわか戀そ日にけにまさるいつはしもこひぬ時とはあらねともこのなか月をわか背子かしのひにせよとちとせにもしのひ渡れと万代に語りつがへと始めてし此九月の過まくをいともすへなみ荒玉の月のかはれはせんすへのたときをしらにいはかねのこゝしき道のいは床の根はへる門にあさ庭に出ゐてなけき夕庭に入ゐ戀つゝうは玉の黒髪しきて人のぬるうまいはねすに大船のゆくら/\に思ひつゝわかぬる夜等はかそへもあへすなく
    之 曳 之 之向伏 乃 有 者妾耳鴨 尓 濫 耳鴨夫君尓 礼薄 満言 鴨 之病有念鴨 妾 叙 尓異尓益何時橋物不戀時等者不有友是九 乎吾 之偲丹為與得千世尓物偲 登 都我部等 而之 之 莫呼伊多母為便無見 之 易者將為須部乃田度伎乎不知石根之許凝敷 之石 之 延 尓朝 座而嘆 座 乍烏 之 敷而 寐味寐者不宿尓 之行良行良尓 乍吾寐 者數物不敢鴨
白雲のたなひく国 普天の下には我のみ夫にをくれて戀るかと悲みに付ていふ也
むかふす 向ひ望む也
戀れかも 戀れはかも也
おもへかも 思へはかも也物の病たる句こゝろのいたき句如此讀へし
しのひにせよと 此九月を我を戀忍ふ月にせよと也千世万代にも此月を忍ひ語れと云置しとの心を始めてしと云也此事を云始置し心也夫の忌月にや
語りつがへ 語りつげ也
たときをしらに たつきをしらす也此せんすへのたつきをしらすといふより以下此巻の十七丁めに一首の哥にて有但所々詞少かはれり結句もわかぬるよらはつぎもあへんかもとあり見合て心得へし
 
三首    作者未詳 
3330 こもりくのはつせの川ののほり瀬に鵜をやつひたししもつ瀬に鵜をやつひたしかみつ瀬のあゆをくはしめ下つ瀬の鮎をくはしめくはしめにあゆをあたらしなくるさの遠さかりゐて思ふ空やすからなくに嘆く空やすからなくにきぬこそはそれやれぬれは縫つゝも又も相といへ玉こそは緒を絶ぬれはくゝりつゝ又も逢といへ又もあはぬ物はつまにし有けり   隠來之長谷之 之上(かミつ) 尓 八頭漬下 尓 八頭漬上 之年魚矣令咋 之 矣令咋麗妹尓鮎遠惜 投左乃 離居而 不安國 不安国衣社薄其破者 乍物 母相登言 社者 之 薄八十一里喚鶏 物 登曰 毛不相 者※[女+麗]尓志 來
のほり瀬に 諸本如此和ス次に下つ瀬とあり又上つ瀬とあれは是も上《カミ》つ瀬と和スへき事にや先随2諸本1
鵜を八ツひたし 仙曰鵜一荷といふは一籠に鵜を四ツ入てになへは一荷は八ツ有と申愚案仙説にも及はす只鵜を数多|漬《ヒタ》せし也此哥發句より以下遠さかりゐての序也
くはしめ 美女也日本紀安閑天皇御哥にも有詞
あゆをあたらしなくるさの遠さかりゐて 鮎をあつたらしくしてと也なくるさとは機《はタ》をる梭《ヲサ》也なくれは手に遠さかるゆへに遠さかるの諷詞也あゆとらぬことをおしミてかゝつらふ程にくはしめに遠さかりゐて思ふにも歎くにも不安と也
それやれぬれは それは助語也 又も逢といへとは玉の緒たえてみたれてもくゝりあはすれはもとのことくにつらぬきあふ頃なるへし衣と玉とは又もあふ事をいひて此妻には一たひ別れ遠さかりては又もあはすと也死別の歎き也
3331 こもりくのはつせの山青はたのをし坂の山はわしりて宜しき山の出立のくはしき山そあたらしき山の荒まくおしも
   隠來之長谷之 幡之忍 者走出之 之 妙 叙惜 之 巻惜
こもりくのはつせの山 隠口の義諸抄に沙汰すれと本義にあらす今此哥の口訣に注し侍り
青幡の 忍坂山の枕詞也忍坂山も大和也
わしりてのよろしき山のいてたちのくはしき山そ 口訣別に註し侍
3332 たか山と海こそは山のまにかくもうつなひ海のまにしかすなをならめ人はあた物そ空蝉のよ人
   高 與 社者 随如此毛現 随然直 目 者花 曽 與
高山と海こそは 心は高山と海こそ山は山のまゝにてかくいつまても現なれ右記は海のまゝにてさもすなをに海ならめ人は化《アタ》物そはかなき世の人よと也うつなひは現なる心也見安に現なき心也と云は非也
 
一首并短歌    作者未詳
3333 おほきみのみことかしこミ秋津嶋やまとを過て大伴の御津の濱邊ゆ大舟に真|※[木+堯]《カチ》しゝぬき朝なきにかこの音しつゝ夕なきに※[木+堯]の音しつゝ行し君いつ來まさんと大夕け置ていはひわたるにまかことや人のいひつる我心盡しの山のもみち葉の散て過ぬときみかまさかを
   王之御命恐 倭雄 而 之 之 從 尓 繁貫旦名伎尓水手之 為乍 名寸尓 為乍 師 何時 座登 卜 而齊度尓枉言哉之言釣 之 之黄 之 去常公之正香乎
おほきみのみこと恐み 勅使か国司なとにて筑紫に行てうせし人の挽哥也
かこの音しつゝ 見安云舟こく音也
    反歌
3334 まかことや人のいひつる玉のをの長くと君は言ひてし物を
   枉言哉 之云鶴 緒乃 登 者言手師 乎
まかことや人のいひつる 直ならぬ事をいふやらむと也我心つくしの山といひかけて君か住所或はありさまを紅葉のちり過たることく成しといふはまことにはよもあらしと也
まかことや人の 心明也
 
二首并短歌    作者未詳
3335 玉桙の道ゆき人はあしひ木の山ゆき野ゆきひたす川徃渡りなはいさなとり海ちに出てかしこみや神の渡りは吹風ものとにはふかす立浪もおほにたゝすとたか浪のふさける道を誰か心いたはしとかもたゝ渡りけん
    之 去 者足檜 之 行 徃直海 不知魚取 道荷 而惶八 之 者 母和者不吹 母踈不立跡座 之之塞 麻 勞跡鴨直 異六
玉ほこの道ゆき人は 或本ニ備後国神嶋の濱に屍を見てよめる由注したり
ひたす川 太《ヒタスラ》の河ノ洲也
神の渡り 神嶋の濱の邊をいふにや
のとにはふかす立浪もおほに 仙曰のとにふかすとは長閑には不吹と云也おほにたゝすとはをろかにはたゝすと云也愚案おほにはおほよそには也
誰か心いたはしとかも 誰か心をいたはりてか身にかへてたゝに渡りてうせたるそと也溺死の心也
3336 鳥の音のきこゆる海に高山をへたてとなして奥つ藻を枕となしてかはのきぬすゝきてきぬに不知魚取《イサナトリ》海の濱邊にうらもなくねてある人は母ちゝに真名子にかあらむ若草の妻か有けん思はしき言傳めやと家問へは家をも告す名を問へと名たにもつけすなく子のことことたにつけす思へとも悲しき物は世のなかなれや
    之所聞 尓 麻障所為而 麻 所為而蛾葉之衣浴不服尓 之 尓浦裳無所宿有 者 父尓 尓可有六雛(隹にかえて草冠)之 香 異六 布 八跡 者 乎母不告 跡 谷母不告哭 如言谷不語 鞆 者 間有
鳥の音のきこゆる 人音は絶て鳥のねばかりきこゆる海なり是も前と同し心なるへし悼ム2海邊屍ヲ1なり
かはのきぬ 裘にや
すゝきてきぬに 裘はすゝきてはきぬ物を浪にひたりてふしたるとの心也
うらもなく 死人の無心に伏居し様也
まな子 愛子也前ニ注ス
思はしきことつてめや 思ふ事あらは言傳もやする家を問ともと也
なく子のこと むつかる子のいふりに答ぬ如と也
思へとも 思へとも/\也
    反歌
3337 はゝ父も妻も子ともも高/\に來んと待けん人の悲しさ
   母 毛 毛 等毛 二 跡 異六 之 沙
はゝ父もつまも たか/\にはあふきてまつこゝろ也父母妻子待らんに旅にうせたる人の自他悲しき心也
3338 あしひきの山ちはゆかん風吹は浪のふさけるうみちはゆかし
   蘆檜木乃 道者將行 者 之塞海道者不行
あしひきの山路は 溺死をあはれみて海路をいましむる也
 
    一ニ云ク備後《ヒンコノ》國|神嶋《カミシマノ》濱《はマニテ》調使首《ツキノヲフトガ》歌
3339 玉桙の道に出立|葦《アシ》引の野行山行ひたす川徃わたりてはいさな取海ちに出て吹風もおほにはふかす立浪ものとにはたゝすかしこみや神の渡りの敷浪のよする濱へに高山をへたてに置ているふちを枕にまきてうらもなくふしたる君は母父のまな子にもあらんわか草の妻もあらんと家問へと家路もいはす名を問へと名たにも告す誰かことをいたはしとかもいふ浪のかしこき海をたゝわたりけん 反歌 3340 母父も妻も子ともも高/\に來んと待けん人の悲しさ 3341 家人のまつらん物をつにもなく荒礒を巻てふせる君かも 3342 いるふちにふしたる君を今日/\とこんとまつらん妻の悲しも 3343 いる浪の來よする濱につにもなくふしたる君か家ちし知らすも
    之 尓 乃 潦 渉鯨名 路丹 而 裳母穂丹者不吹 裳箟跡丹者不起恐耶 之 乃 乃寄 部丹 部立丹 而納潭矣 丹巻而占裳無偃為 者 之愛 丹裳在將稚 之 裳有將等 跡 裳不云 矣 跡 谷裳不告 之言矣勞鴨腫 能恐 矣直渉異將  裳 裳 等裳 丹 將跡 之 乃 將待 矣津煎裳無 矣 而偃有 鴨 納潭偃為 矣 跡將來跡將待 之可奈思母 納 依 丹 煎裳無偃為 賀 道不知裳
玉ほこの道に出立 彼溺死の人の旅途のさまを讀出し也是前のなかうたの異説の哥なれは所々前後せし詞こそあれ大かた同し心也
かしこみや 神といはん枕詞也神は恐る心也神の渡神嶋の濱の邊なるへし
いるふち 入江入海なとのたくひ入ぬる渕也反哥には入《イル》なミと有|※[さんずい+内]《セイ》玉篇云水ノ相入ル貌カタチ潭《タン・フチ》唐韵ニ云深キ水也
誰かことをいたはしと 前にはたか心いたはしとかもとあり同し心なるへし
はゝちゝもつまも 前に出
家人のまつらん 津は人のつとふ所也さやうにもなきあらいそにふせる事を憐む心也
いるふちにふしたる 前のうたに枕にまきてとに同
いる浪のきよする 入海なとに入くる浪をいる浪と云津にもなくは前の哥の心同
 
一首并短歌    作者未詳
3344 此月は君もきなんと大舟の思ひたのみていつしかとわか待|居《ヲ》れはもみち葉の過て行ぬと玉つさの使ひのいへは蛍なすほのかに聞てますらおをはたとゝのふと立て居てゆくゑもしらす朝霧の思ひまよひて杖たらぬやさかのなけきなけゝともしるしをなみといつくにか君かまさんと天雲のゆきのまに/\いるしゝのゆきもしなんと思へとも道のしらねは獨居て君に戀るにねのみしなかる
    者 將來跡 之 憑而何時可登吾 者黄 之 跡 梓之 之云者 成髣髴 而大土乎太穂跡而 而去方毛不知 乃 惑而 不足(すイ)八尺乃嘆嘆友記乎無見跡何時鹿 之將座跡 乃行之随 用所射完乃行文將死跡 友 之不知者 而 尓 尓哭耳思所泣
此月は君もきなんと 此哥は防人《サキモリ》に行し者のうせたるをなけく女のうた也
もみち葉の過て行ぬ 前の哥にも此詞有防人かうせし事也
蛍なす ほのかの諷詞
はたとゝのふと はたははなはた也とゝのふはよはふ心也あことゝのふるといふにて思ひあはすへし或は招魂する心云々
杖たらぬやさかの歎き 杖は一丈也杖たらぬは八尺といはん諷詞也八さかの歎きは長き歎き也前にもあり但仙覚は八の坂を上るいきくるしさのことく息の長くつかるゝ心と云り可随所好歟
あま雲のゆきのまに/\ 行まゝに也天雲は諷詞也
いるしゝの 狩に射られし鹿の事也行も死なんといはん諷詞也
    反歌
3345 葦邊ゆく鳫の翅を見別て君かおひこしなぐ箭《ヤ》しそ思ふ
    徃 之 乎 之佩具(イく)之投之所
     一云此一首|防人《サキモリ》之《カ》妻《ツマノ》所v作ル也然ルトキは則上ミノ長歌モ亦此ノ同作カ歟
あしへゆく鳫のつはさ 見安云君か佩こしなぐ矢とはやなぐゐを云又は矢をはなつときなくるやうなるを云愚案此哥は防人か生ての世に弓矢堪能なりしをおもひ出て戀したふ也芦邊の鳫のつはさを見分て投矢を思ひ出らるゝと也
 
一首并短歌    作者未詳
3346 見まくほりは雲居に見ゆるうつくしきとはの松原みとり子といさや出見んことさけは国にさけなん別れなは家にかれなんあめつちの神しうらめし草枕このたひのけにつまかるへしや
   欲見者 所見愛十羽能 小 等率和 將見琴酒者 丹放甞 避者宅仁離南乾坤之 志恨之 此羈之氣尓妻應離哉
見まくほりは雲ゐに 此哥は大和の十羽の松原にてうせし夫を戀る女の挽哥にや心は見まくほしきは雲ゐに見えてうつくしきとはの松原と也
みとり子といさや 小子とゝもにいさ出て彼松原をミんと也是まては戀しくなつかしき此松原の事を云て是より其歎の委曲をいふ也
ことさけは 事離の心也我と夫婦の事をさけむとならは同国の中にてさけよかしと也別なは家にかれなんも同心也境を隔てゝうせし恨を云也同し別なから一家にて別れはよのつねなるにかゝる遠き雲ゐにミゆる十羽の松原にてうせたる事誠に天神地祇も可恨也
此たひのけに妻かるへしや 此旅の故にて我と別るへき事かは同国一家の中にてこそいかにもなるへけれと也つまかるは妻と死別する事也
    反歌
3347 草枕此たひのけに 一云たひのけにして 妻さかり家道《いへち》おもへはいけるすへなし
    羈之氣尓  羈乃氣二為而 放 思生為便無
草枕此たひのけに 是は彼うせたる男の心に成て後人のよみし反哥にや彼長哥を哀盛の故也        萬葉集巻第十三終
貞享三年寅卯月十一日書于新玉津嶋之庭花下畢墨付四十二枚 季吟
2004.2.23(月)午後8時5分、入力了
 
 
萬葉集巻第十四
 
 東謌《アツマウタ》
 
  雜歌
 
 上総《カツサ》國謌 一首 作者未v詳
東歌 上総下総なと東国の事を讀り
3348 夏そひくうなかみ潟の沖つ洲にふねはとゝめんさよふけにけり
   奈都素     我多於伎都渚 布袮
夏そひくうなかみ 此集十一に此上句有下句かはれり祇曰夏そひくうなかみとは麻の生る所をうと云なれは讀り奥儀抄仙抄同仙曰麻の生たる所を畝《ウ》といふ故也上総国に今海北海南といふは古ノ海上《ウナカミ》の郡也畧注又苧の白きは老女の髪にたとふ仍うなかみとよめり祇同
 
 下|総《ヲサ》國歌 一首 作者未v詳
3349 かつしかのまゝの浦まをこく舟のふなひとさはくなみ立らしも
           宇良  許具布祢 布奈妣等  奈美
かつしかのまゝの浦間 宇良間は浦間也うら邊と同らしものも助字
 
  常陸《ヒタチノ》國歌 二首 作者未v詳
3350 つくはねのにゐ桑まゆのきぬはあれときみかみけしゝあやにきほしも
   筑波祢 一云多良知祢(タラチネ)能 具波 一云安麻多伎保思母《アマタキホシ   モ》
つくはねのにゐくは 祇曰春子の桑を新桑といへり是よき也それはあれと君か衣のあやにくにきまほしきとよめり戀の心也あやにとは又つよくなといふ心も有仙同義見安云筑波根はこのある所也 奥儀抄云にゐくはまゆとは桑は度々こく物にてあるに初てこきたる桑にて飼《カヒ》し子のまゆ也それは殊によき物にてあれはそれにて織る絹もあれと猶君かみけしそきまほしきとよめりみけしは御衣と云也愚案奥儀抄の説は天子の御衣のきまほしき心にやたゝ人の衣をほめて君かみけしと奉りけれと伊勢物語にもあれは戀の心といへる祇注の心可然にや
3351 つくはねに雪かもふらるいなをかもかなしきころかにのほさるかも
   筑波祢   由伎 布良留 伊奈乎     兒呂 尓努(イにぬ)保佐流
つくはねに雪かも 仙曰雪かもふらるとはふれると也らとれと同内のこゑ也いなをかもとは雪の降たるかふらぬかとよめる也畧注見安云いなをかもさもなきにやと云心也愚案いなかも也をは助字也仙曰にのほさるかもとはぬのほせるかとよめるなり愚案常陸の筑波根に雪か降しやいなやいとをしき女子の布ほしたるかと也ころは子等と同或にぬほさると和スにぬもぬのと同五音通
 
 信濃國歌 一首
3352 信濃なるすかの安《ア》良野に郭公なくこゑきけはときすきにけり
       須我能     能  保登等藝須
しなのなるすかのあらの 須我能安良野 八雲御抄野の部に信濃と出所の名也時過にけりとは過時不熟と時鳥のなく心にや
 
  相聞
 遠江國歌 二首 作者未詳
3353 あらたまのきへの林になをたてゝゆきかつましゝいをさきたゝに
        伎倍乃波也之            移乎佐伎太多尼
あらたまのきへの林に 八雲抄きへの林遠江云々仙曰|荒玉《アラタマ》は遠江の郡の名也いをさきたゝにとはいは發語の詞をさきたゝにとは尾崎|平《タイラ》かにと云事也歌の心はきへの林といふ名をたてなから尾崎もたいらかに雪か積れると也扨此哥はきへの林の名はかりをたてゝそれとも見えぬかことく我思ふ人も名をのみ立て通ひ來ぬと也見安云ゆきかつましゝは雪の降つむ心也
3354 きへ人のまたらふすまにわたさはたいりなましものいもがをとこに
   伎倍比等    夫須萬 和多佐波太          乎杼許
きへ人のまたら衾に 仙曰きへ人の班衾に綿おほくいれたるかことくに我も妹かねたる所に入なまし物をと讀る也愚案序哥也班衾はゑかきまたらかなる衾にやさはたは多《サハ》の字也たは助字也を床は小床也但見安には夜床云々
 
 駿河ノ國ノ歌 五首 作者未詳
3355 あまのはらふしのしは山此くれのときゆつりなはあはすかもあらん
   安麻乃波良 不自   夜麻己能久礼 由(イう)都利
あまのはら不自の 冨士は高山なれは空中に見ゆる心也冨士の芝山とは芝生たるやうに遙に見ゆる心也采葉に後山といふ説難信用時ゆつりは時うつり也仙抄に冨士のふは黒色をあらはすしはしけしといふ詞煙しけき儀なといふ注不v足2信用スルニ1歟冨士は郡名也
3356 ふしのねのいやとほなかき山路をもいもかりとへはけによはすきぬ
   不盡     等保    夜麻治        氣尓餘婆受吉奴
ふしのねのいやとほ長き 仙曰妹かりとへはとは妹かりといへはなりけによはすきぬとは思ひにまとはす來ぬといへるなり遠長《トホナカキ》
3357 かすみゐるふしのやまへにわかきなはいつちむきてかいもかなけかん
   可須美   布時
かすみゐるふしの山へ 霞立居る也雲の居ると云か如シ霞てそことなき此山へに來て妹か心を想像也
3358 さぬらくはたまのをはかりこふらくはふしのたかねのなるさはのこと
        多麻乃緒         布自能多可祢
    一云まかなしみぬらくはしけらくならくは伊豆の多可祢のなるさはなすも又云あへらくはたまのをしけやこふらくはふしのたかねにふるゆきなすも
                      布自
さぬらくは多磨の緒 祇曰ぬる事はたゝしはしと云詞也戀しきは大きに高きと也此なる沢を神のちかひにて昼はふむによりてくたるよるはのほると云儀有津守景基哥にふしのねの雲ゐなりとも忘なてなる沢水のたゆなとそ思ふ又後鳥羽院御製煙たつ思ひも下や氷るらんふしのなる沢をとむせふ也然は只水の過也 童蒙抄云鳴沢とはふしの山の上に在常に流て絶ぬ也さぬらくとは少ぬる事は玉の緒はかりにて戀る事はなる沢の如くに絶すとよめる也釋名曰下ニ有ヲv水曰v澤言潤澤也風俗通曰水草交ヲ曰v澤ト下畧 袖中抄も此童蒙抄と同義にて又曰是を或人ふしのなるさとよまれたりきいかゝと申しを聞て廣言と申者なるさといふは冨士の山よりいさこふる事有其なる音を鳴砂といふ也と申しかとふしのなる沢といふ万葉の哥にたかへり又なるいさこをはいかにこゑにさとはいふへき云々是は長明の無名抄に俊成卿ふしのなるさと讀給へるをなるさの三位と其比異名に申ける由かける事をいへるにや愚案ルに此萬葉の哥はなる沢といふに諸抄同決すへし但なるさといふには故実あるにや本朝文粋第十二都良香冨士記云山ノ腰以下ニハ生ス2小松ヲ1腹以上ニハ無2復ノ生スル木1白沙成スv山ヲ其ノ攀《ヨチ》登ル者止テ2腹下ニ1不v得v達コトヲv上ニ以ナリ2白沙ノ流下ルヲ1上下畧彼廣言か説とやらんは此記の説によるなるへし顕昭も此記を見さるにはあるましけれと妬む故にて正しく都良香の記をよりところとしてなるさとよまれしとはいはて只万葉の鳴沢の事のみをいひて誤と決する条智者の一失にや長明か抄はいふにたらさるへし又いさこをさといふへからさる条も偏倚なるにや彼|水沙子《ミサコ》居るを雎《ミサコ》にはあらて水のいさこゐるといふ義八雲御抄等にもあるは沙の字をさと讀て子《コ》をそへたるにはあらすや又祇注には此哥ふしの高根のなる沢のことを高き事にたとふといへり是仙覚にしたかへり童蒙抄には鳴沢の如くに絶すといふ両義難捨
一云 まかなしみはまことに悲く也ぬらくはしけらはねるはしはしと云也くなちるはとはこふの二字く也戀らくと同伊豆のなる沢は走湯にや
又云あへらくはとはあふ事也玉のをしけやは玉緒如也《タマノヲシケヤ》也(グ)玉のをはしはしといふ詞しはしの如と云也
3359 駿河のうみおしへにおるはまつゝらいましをたのみはゝにたかひぬ 一云おやにた   かひぬ   於思敝                         於夜
するかのうみおしへに おしへには岸邊なるへしはまつゝら濱邊のつゝら藤也一説|馬便草《ウマツヽラ》也岸の額のつゝらのはかなき頼に汝を頼て母の義にたかへて走れりと也
 
 伊豆國歌 一首 作者未v詳
3360 伊豆のうみにたつしらなみのありつゝもつぎなんものをみたれしめゝや
                     都藝(イとけなん)
   一云しらくものたえつつもつかんともへやみたれそめけん
伊豆の海に立つ白波の 仙曰海中の波はかたなひきに立つゝきてあれはつぎなん物を亂しめめやとよそふる也愚案我中は絶す継つゝきなんを亂しめんやと也めは助字也
一云いつのうみにたつしら雲の絶つゝもつかんともへやと異本に在しなるへし雲の絶て復連なるを序哥に讀てたえても継んと思へやいかて亂そめしそと也
 
 相模國歌 十二首 作者未詳
3361 あしからのをてもこのもにさすわなのかなるましつみころあれひもとく
あしからのをても 仙曰をてもはをちも也かのもこのもと云同事也さすわなとは鳥取わな也わなのはつるゝ時はなりてなりてひものとくれはころあれ紐とくとよそふる也愚案かなるはかは助字にてなるといふ事なるへしころは子等也女子也あれは吾也但見安云をてもはあなたおもて也かなるは鈴也ましつみは真にしつみ也愚案わなに付し鈴の音しつまりて妹背のあふ心にや
3362 相模ねのをみね見そくしわすれくるいもか名よひてわ(イあ)をねしなくな
   一云武蔵ねのをみね見かくしわすれゆくきみか名かけてあをねしなくる
相模ねのをみね見そくし 仙曰みそくしとは見過しと云也見安云あをねしなくな 我を音なかすな也愚案さかみねは八雲抄相模嶺とあり甲斐か根といふ類なるへしをみねハ小岑也一云武蔵根同義むさしの国に見ゆる岑也あをねしなくるは我をねなかする也
3363 わかせこをやまとへやりてまつしたすあしからやまのすきの木のまか
                    安思我等    須疑
わかせこをやまとへ 仙曰したすとはしたは間といふ詞すは栖也我背子を大和へやりて待間の栖と云也
3364 あしからのはこねのやまにあはまきて實とはなれるをあはなくもあやし
                安波
    一云はふくすのひかはよりこねしたなほなほに
        久受          奈保那保
あしからのはこねの 仙抄添書云下句実に成ぬれは粟はあるをあはなくもあやしとなそへ讀る也祇曰まきたる粟はみなるを我にあはましといひし契は徒にて成事もなく逢ぬもあやしと讀り一云足柄の箱根の山にはふ葛のひかはよりこねは上句は序也ひかはより來よ下に猶々こよと也
3365 かまくらのみこしのさきのいはぐえのきみかくゆへきこゝろはもたし
   可麻久良        伊波久叡 
かまくらのみこしの 仙曰みこしのさきとは今の腰越をいひけると申昔も石のよはくてくつれけるにや見安云みこしのさきいなむらか崎也いはくえは岩くつれ也童蒙義也妹か悔る程淺き心は我持しと也
3366 まかなしみさねにわはゆくかまくらのみなのせかはにしほみつなんか
まかなしみさねにわはゆく 仙曰まかなしみとはまことに悲しき也さねにわはゆくとは早くねに我れはゆくといへる也しほみつなんかは塩みちなんかと云也此哥の心はみなのせ川を隔てゝ妻もたりける者のよめる哥と聞えたり塩みつなんかとは夕塩のさゝぬさきにといそきわたる心なり愚案さねにわはゆくのわは我也
3367 もゝつしまあしからをふねあるきおほみ目こそかるらめこゝろはもへと
   母毛豆
もゝつしまあしから 八雲御抄もゝつ嶋相模云々仙曰世を渡る習ひ足柄小舟|歩《アル》きおほくして心には思へとも目かれこそすらめと讀る也又あしからを舟は足かるき小舟とも聞ゆ然らは足から小舟あるきおほみと讀るに縁有へし見安同足柄山の舟木にて造れる舟と云儀可然か
3368 あしかりのとひのかふちにいつる湯のよにもたよらにころかいはなくに
   阿之我利  刀比能可布知
あしかりのとひのかふち 見安云あしかり足柄也名寄にとひのかふち相模云々たよらに見安云ゆたかなる心也愚案平かに也序哥也出湯のたいらかなるかことくならて世にもすけなく女子のいふと也ころは女子を云也
3369 あしかりのまゝのこすけのすかまくらあせかまかさんころせたまくら
                    安是
あしかりのまゝの小菅 まゝ所の名にやあせかまかさんとは見安云なとか枕にせられんと云心也仙曰何しか巻せんといふ也ころせ手枕とはころせとは男也菅枕も何しか巻せんせこか枕してねんと讀る也足柄をあしかりといへりらとりと同内の故也
3370 あしかりのはこねのねろのにこくさのはなつゝまなれやひもとかすねん
                    波奈都豆麻
あしかりのはこねの 箱根のねろは箱根の峯也仙曰にこ草は苔をいへり花の心よくもさかさるなるへし見安云にこ草は花もなき草也花つゝまとはつゝみて花咲ぬと云心也愚案ひもとかすといはん序哥也
3371 あしからのみさかかしこみくもりよのあかしたはへをこちてつるかも
                     阿我
あしからのみさか 仙み坂かしこみとは御坂のおそろしくてと云也童蒙抄云みさかかしこみとは道の悪きを云也見安云くもりよは曇る夜也したはへは下よばふ也仙曰曇る夜は明き時には似す物のあやふまれて細道なとのよけかたき所に馬人の行あはん事を恐れてよはゝれはこちてつるかもと云也愚案こちてとは言《コト》出る心也源氏東屋にこて給へると云も同し独こちとも云也
3372 相模ちの余呂伎のはまのまなこなすこらはかなしくおもはるゝかも
さかみちのよろきの 和名云餘綾与呂木郡の名にも濱の名にもあり八雲御抄にこよろきともいへり云々まなこなすとは濱の真砂を愛子《マナコ》といひかけて児等といはん諷詞にをけり悲しく思ふとはいとおしくおもふ心也
 
 武蔵國歌九首 作者未詳
3373 たまかはにさらすてつくりさら/\になにそこのこのこゝたかなしき
たま川にさらす調布 八雲云玉河武蔵 童蒙抄云布をは川にてさらす也てつくりとはよき布を云こゝたはこゝら也下畧愚案序哥也悲き【同前】
3374 むさし野にうらへかたやきまさてにものらぬきみか名うらにてにけり
   武蔵                       宇良
むさし野にうらへ 武蔵野の鹿の肩骨をぬきてうらなふにまさしくも名のらぬ君か名のうらにあらはれ出しと卜《ウラ》のしるしをよめり堀河百首「かこ山のはわかゝ下に卜《ウラ》とけて肩ぬく鹿は妻戀なせそ【匡房】奥儀抄に公家に龜甲の御卜といふ事あり卜部氏の者のはわかの木にて龜甲を焼《ヤキ》てうらなふ也又それかやうに鹿の肩の骨を焼て卜《ウラ》する事有万葉云むさしのにうらへかたやき――袖中抄云うらへかたやきとは考《カンカフルニ》2日本紀1云時|天《アマツ》神以2太占《フトマニヲ》1而|卜合《ウラヘタマフ》之問云今|此《コヽニ》云ハ2太占ニト1是何ノ占|乎《ソヤ》答云是卜ノ之|謂《イヒ》也上古ノ之時未《ス》タv用2龜甲ヲ1只以2鹿ノ肩ノ骨ヲ1而用ル也公望之注云々童蒙抄には天照太神岩戸にこもり給ひし時思ヒ兼ネの神ふかくはかりて天ノ香來《カク》山の鹿をいけなからとらへて其肩の骨をぬきて鹿ははなちやりてあまのかく山のまわかの木をねこしにこして其肩の骨をやきて彼太神の出まさん事をうらなふ委見2古語拾遺ニ1といへるを袖中抄に古語拾遺のよし如何神楽のおこりは傳て此かたぬく鹿の事は見えすと云々然に仙覚抄には此思兼の神の事を用ひて童蒙抄の説にしたかへり 見安云うらへかたやきは鹿の肩の骨をぬきうらする事也まさてにもはまさしき心也仙抄奥に書武蔵野は鹿のおほくて常に狩をする也愚案万葉には宇良敝可多也伎とかけるを相傳の義によらはウラエとよむ奥儀抄にはウラベ肩ヤキとよむ袖中抄にはウラエ肩ヤキとよむ童蒙抄も同仙覚見安亦同然歟
3375 武蔵野のをくきかきけしたちわかれいにしよひよりせろにあはなふよ
        乎具奇我吉藝志            世呂 安波奈布与
武蔵野のをくき 見安云をくきは小峯也愚案武蔵野廣くて小峯書けちて見えぬをいひかけてせろか形もかきけちたるやうにたち別ていにしより逢す戀しきと也せろはせこと同あはなふよはあはなくあるよと也【草くきの義不用之】
3376 こひしけは袖もふらんをむさし野のうけらかはなのいろにつなゆめ
              牟射志   宇家良
    一云いかにしてこひばかいもに武蔵野のうけらかはなのいろにてすあらん
こひしけは袖もふらんを 戀しけはゝ戀しくは也戀しくは袖ふりまねかんそれまて努/\色に出なと也仙曰うけらか花とは心よくも開けすして果る物なれは色に出な努とよそふる也愚案うけら白木也一云いかにして戀はか 心明也
3377 武蔵野のくさはもろむきかもかくもきみかまに/\吾はよりにしを
武蔵野の草はもろむき 見安云草葉もろむきは草のあなたこなたへしたれたる也愚案かもかくもはともかくも也|諸向《モロムキ》の心也
3378 いりまちのおほやかはらのいはゐつらひかはぬる/\わになたえそね
   伊利麻治  於保屋
いりまちのおほやかはら 仙曰いりまちとは入間路《イルマチ》也いはゐつらは藺也ぬるぬるはまとはるゝ詞也藺は燈心なとにひくにまとはれてきれぬ物なれはひかはぬる/\わにな絶そねとよそへよめる也愚案大屋か原名寄に武蔵云々或説いはゐつらは岩にはへるかつら也或はゐつらはみつら也日蔭を苔のみつらとよめる是也云々可随所好歟わには吾に也
3379 わかせこをあとかもいはんむさし野のうけらかはなのときなき物を
わかせこをあとかも 童蒙抄云あとかもとはいつかもと云也うけらとは香草也とこなつに花有つほみたるやうにて咲也集註尓雅曰朮は花有といへと開さる如しといへりされは時なき物をといへりをけらをうけらと云也
3380 さきたまの津にをるふねの風を痛みつなはたゆともことなたえそね
               可是 伊多
さきたまの津にをる 埼玉津武蔵也前注
3381 なつそひくうなひをさしてとふとりのいたらんとそよあかしたはへし
        宇奈比             
なつそひくうなひ 夏そ引はうといはん諷詞也うなひは海邊也あかしたはへしは我下によはひしと云也前にわかしたはへをと云に同
 
 上総國歌二首  作者未v詳
3382 うまくたのねろのさゝ葉のつゆしものぬれてわきなはなはこふはそも
   宇麻具多  祢呂                 汝者
うまくたのねろの 宇麻具多の嶺上総也わきなはとは我來らは也なはこふはそもは汝は戀《コヒ》はそもやみなんとふくめし詞也
3383 うまくたのねろにかくりゐかくたにもくにのとほかはなか目ほりせん
うまくたのねろにかくりゐ 見安云かくりゐは隠居たる也ねろは峯也愚案とほかはとは遠からは也此峯に隠ゐてかくたに国の遠くあらは汝か顔を見まほしからんと也
 
 下総國歌四首  作者未v詳
3384 かつしかのまゝのてこなをまことかもわれによすとふまゝのてこなを
           手兒奈         余須等布
かつしかのまゝのてこな 此集三并九に在し女の事也われによすとふは其美女を我によするといふは誠かと悦心也落句に重て云は其悦心の深き故也
3385 かつしかのまゝの手兒名かありしかはまゝのおすひになみもとゝろに
                       於須比
かつしかのまゝのてこな 見安云おすひはまゝのつゞき也愚案彼女に人のけさうせし事夏虫の火に入如なと前に在されは此女有しかはまゝのつゝきに波もうこくと也或説おすひは礒邊也おしへと同 々是も礒波もとゝろくと也人の心をうこかすより波もとゝろくにと云也
3386 にほとりのかつしかわせをにへすともそのかなしきをとにたてめやも
   尓保杼里
にほ鳥のかつしかわせ 仙曰かつしかは下総ノ国|葛餝《カツシカ》郡也|鳰《ニホ》鳥のかつしかとつゝけたるは鳰鳥は水の中に入てかつくか故也かつといふ詞かつく心にかよへは也畧注見安云かつしかわせよき稲也清輔奥儀抄云にほとりとはにゐとり也にゐはあたらしといふ也あたらしく取たるわせ也田舎には田作る時やとひたる人々を集めて此初苅の稲にてにえをして饗する也其日は門をさしてさはりの出來ぬさきにくひのゝしる也此時に來る人をは内へもいれねとも君來たらは外にたてんやはとよめる也愚案仙説奥義抄両義ことなり清輔の説鑿せるか
3387 あのをとせすゆかんこまもかかつしかのまゝのつきはしやまずかよはん
                          波思
あのをとせすゆかんこま 仙曰あのをとせすとは足音せすと云也足をあといふ事馬の足をかくをあかくといひ足なやむをあなやむとよめるかことし
 
 常陸國歌十首  作者未詳
3388 筑波ねのねろにかすみゐすきかてにいきつくきみをゐねてやらさね
             為(イ志)
筑波ねのねろに 霞ゐは霞たる也雲のゐると云か如シいきつくは嘆息する也過かてに見ていきつき思ふ君をねさせてやりねと也
3389 いもかかといやとほそきぬつくはやまかくれぬほとに袖はふりてな
                           蘇提
いもかかといや遠そき 弥遠さかりぬ也妹か門を弥遠さかり來たりせめて筑波ねに行隠ぬ程に袖振まねかんと也
3390 筑波ねにかゝなくわしのねのみをかなきわたりなんあふとはなしに
       可加奈久
筑波ねにかゝなく鷲 序哥也仙曰かゝなくは侘鳴也或説こゝらなく也
3391 筑波ねにそかひにみゆるあしほやまあしかるとがもさね見えなくに
               安之保夜麻
筑波ねにそかひに さねはまことになりそかひは俊成卿古来風体并六百番哥合におひそかひの心也哥林良材同仙曰せなかあはせに也|芦穂《アシホ》山常陸|新治《ニヰハリ》郡也祇曰そかひにみゆるとはまほならぬ人を云あしかるとかも見えぬとは我身にさせるとかもなきに何とてまほならぬと云也
3392 つくはねのいはもとゝろにおつる水代にもたゆらにわかおもはなくに
   筑波祢            美豆       和我
つくはねのいはも 岩も動く程に落る水也序哥也平かには思はす切に思ふと也代には助字也たゆらはたいらなる也
3393 筑波ねのをてもこのもにもりへすへはゝこもれともたまそあひにける
筑波ねのをても をても前に注守部はまもる物也序哥也守部をすへて母の籠り居て守給へと心は君に逢通《アヒカヨフ》と也魂合とは心のあひかよふ也
3394 さころものをつくはねろのやまのさきわすらへ(イニナシ)こはこそなをかけなはめ
さころものをつくは 見安云衣の緒とつゝくる也紐也|小《ヲ》筑波ね也仙曰わすらへとは忘られ也愚案なをかけなはめとは汝をかけていはめと也忘られはこそ忘るといはめと也
3395 をつくはのねろにつくたしあひたよはさはたになりぬをまたねてんかも
                    佐波太尓(イニナシ)奈利努乎
をつくはのねろにつくたし 仙曰小筑波とはつくはに二の峯有西の方なるををつくはと云つくたしは月の出しといへる也哥の心は小筑波の峯に月の出て逢たる夜はあまたに成ぬるにまたねてんかもとよめる也愚案イさはたはあまた也五音通ス
3396 をつくはのしけきこのまよたつとりの目ゆかなを見んさねざらなくに
                       汝
をつくはのしけき 木のまよは木のまより也目ゆかは目にか也上句は目にか汝をみんといはん諷詞也茂木の間より立鳥は見かたき故也さねさらなくにはねぬにはあらなくに也ねるはねても夢にも汝を見すと也
3397 ひたちなるなさかのうみのたまもこそひけはたえすれあどかたえせん
            宇美              阿杼
ひたちなるなさかの あとかはなとか也玉藻は絶とも中は絶しと也
 
 信濃國歌四首  作者未詳
3398 ひとみなのことはたゆともはにしなのいし井の手児かことなたえそね
                     伊思井
ひとみなのことはたゆ 埴科《ハニシナ》和名に信濃の郡名也石井のてこ女の名也まゝのてこなといふことく石井と云所の女也
3399 信濃ちはいまのはりみちかりはねにあしふましむなくつはけわかせ
          波里美知                和我
信濃ちは今のはり道 仙曰はりみちは作り道也かりはねは木かや小竹なとのかり杭也愚案治道《ハリミチ》とかくつくりみちの心也かりはねに足ふみたてな沓はけと也今堤の水よけの杭をはねと云是也
3400 信濃なるちくまのかはのさゝれしもきみしふみてはたまとひろはん
信濃なる知具麻の河伯《カハ》 仙曰さゝれしは小石也
3401 なかまなにうきをるふねのこきてなはあふことかたしけふにしあらすは
   中麻奈          許藝弖奈婆
なかまなにうきをる 中|麻奈《マナ》 仙是は河の中の洲《シマ》のまなこなるを云といへり然は此哥は信濃哥と聞えかたししなのゝ所の名歟こきてなは漕《コキ》出て行は也
    
 上野國歌二十二首  作者未詳
3402 ひのくれにうすひのやまをこゆる日はせなのがそてもさやにふらしつ
ひのくれにうすひの山 碓氷 和名ニ上野の郡の名也せなのかとはせなが也のは助字也さやには清《サヤ》かに也暮て妹かりゆく男の袖ふると也
3403 あかこひはまさ香もかなしくさまくらたこのいり野のおふもかなしも
   安我    麻左香         多胡能伊利
あかこひはまさかも 仙曰まさかはね所也おふは麻なとかり敷たる苧生にねたる心也【畧注】愚案多枯上野の郡の名也此野の旅ねの床さへ都の閨中にかはりて悲き心也
3404 かみつけのあそのまそむらかきむたきぬれとあかぬをあとかあがせん
         安蘇能麻素武良
かみつけのあその あそのまそむら八雲御抄勅撰名所集にも上野の名所とみゆ仙覚は苧を刈て一|抱《イタ》きはかりたはね置たる也といへり所の名をいひ懸しとにやかきむたきはかき懐《イタ》き也此材にて懐きねてもあかぬをわれあとかせんと也あなかち苧たはねし義にかゝはらす
3405 かみつけのをとのたとりかかはちにもこらはあはなもひとりのみして
         乎度 多杼里
    一云かみつけのをのゝたとりかあはちにもせなはあはなもみるひとなしに
           乎野乃多杼里
かみつけのをとの 見安をとは名所也たとりは田作る人也愚案かはちとは田井の河の内なるへし其河の内にても兒等《コラ》はあはなんひとりのみ來てと也一云をのゝたとりは小野の田作りにや又|乎度《ヲト》小野《ヲノ》五音通スれはかよはしていふにやあはちもかはちと同音にて同義也あはなもは逢ん也一説をとのたとりは小渡也少き渡のたと/\しき也云々
3406 かみつけの左野のくゝたちおりはやしあれはまたんゑことしこ(或作v弥《ミニ》) すとも
かみつけの左野の 佐野は所の名也くゝたち菜の茎立也|※[草冠/豊]《クヽタチ》【和名】拾遺集物の名にもよめり是を希にて我はまたんと也ゑは助字也
3407 かみつけのまくはしまとにあさ日さしまきらはしもなありつゝ見れは
かみつけのまくはし窓 仙曰まくはし窓とは窓より朝日のさし入て物の色の委見ゆれはまくはし窓といへり窓はあかりのためなれは壁《カヘ》の半《ナカハ》より上にしたるかよけれは上つけのまくはし窓とよそへつゝけたり愚案日本紀|妙美《マクハシ》と有たへにうつくしき窓也まきらはしもなは目に嫌《キラハ》しくまはゆき心也もは助字也うるはしき窓に朝日かゝやく也見安には高き窓に日の赫き出るを云といへり仙説と同歟師説は此義を不用之まはゆきまて佳《カホヨキ》人をいへる序哥云々
3408 にゐたやまねにはつかなゝわによそりはしなるこらしあやにかなしも
                        兒良師
にゐたやまねには 新田山 新田は上野の郡の名にも所にも有にふたと点せり袖中抄云新田山には付すして我によりてはしなる子らは悲しと也ねは山の高根也わは我也是迄袖中抄仙曰ねにはつかなゝとは山の根にはつかすしてと云也にゐた山のはなれてはしなるかことく我によりてはしなるせなかあやしく悲しきとよめる也愚案よそりはより也なによそりけめともよめりはしなるとはいつかたにもつかすはしたなる心也はしに我身はと云か如シ
3409 いかほろにあまぐもいつぎかぬまつくひとゝをたはふいさねしめとら
いかほろにあまくもいつき 見安云上野の伊香保の峯也仙曰あま雲いつぎは雨雲のつゝき棚引ける也いは發語也かぬまつくとは沼に馴たりといふ詞かは詞の助也人とおたはふとはそはへたる也哥の心はいかほの沼に雨雲のたなひきくたれるか水にうかひなれたる人のことくにてそはへたるはいさねんとかとよそへよめる也伊香保の沼は請雨の使立所と云り愚案いさねしめとらとはいさねさしめとかといふ也らとかと通ル故也
3410 いかほろのそひのはりはらねもころにおくをなかねそまさかしよかは
かほろのそひの 仙曰そひのはり原とはほとりのはりはらと云也まさかしよくはとはね所よくはと云也歌の心はいかほの山のはりはら成ともね所たにもよくは扨有なん山深く入すともと也愚案懇に行末かねては有へからす當分の所たによくはと也
3411 たこのねによせつなはへてよすれともあにくやしつしそのかほよきに
   多胡能祢              阿尓久夜斯豆之(イの) 曽能
たこのねによせつな たこの根は所の名也よせ綱は人をつよく引事を云也あにくやはあなにくや也しつしはおもりかにしつ/\しくてよき顔にも似す難面くにくやと也イしつの不用
3412 かみつけのくろほのねろのくす葉かたかなしけ児郎《こら》にいやさかりくも
    久路保         久受
かみつけのくろほのねろ 久路保の峯といふ山の名也くす葉かたとは見安云葛の葉のやうに顔のいつくしきを云也愚案かなしけこらはいとおしき女子也いやさかりくもはいや遠さかりに遠さかりくると歎く心也もは助字也
3413 とねかはのかはせもしらすたゝわたりなみにあふのすあへるきみかも
   刀祢河泊              奈美尓安布能須
とねかはの河瀬も知す 上野利根郡にある河也仙曰是は川瀬も知す只渡りに渡るほとに浪白き河洲《カノス》に渡りつきたるかことくに君にあへるか悦はしき心也又見安云波にあふのす波にあふやうなる心也云々可尋之
3414 いかほろのやさかのゐてに立つのじのあらはろまてもさねをさねては
    夜(イよ)左可能為提    努自 安良波路   佐祢
いかほろのやさかのゐて 見安云夜左可のゐで名所也井関を申也仙曰たつのじは立|虹《ニジ》と云也ぬる夜の数重りて顕るゝによそへたり
3415 かみつけの伊か保のぬまにうへこなきかくこひんとやたねもとめけん
   古奈伎
かみつけのいかほの 見安云うへこなぎ芹に似たる草也愚案あまりに戀しきに侘てみつから観念したる心也
3416 かみつけのかほやかぬまのいはゐつらひかはぬれつゝあをなたえそね
                伊波為都良
かみつけのかほやか 仙曰武蔵国歌いりまぢのおほやかはらの哥に釋せしに同愚案結句は我をな絶そと也
3417 かみつけの伊奈良のぬまのおほゐくさよそに見しよはいまこそまされ
                於保為具左
     出ツ2柿本朝臣人麻呂歌ノ集ニ1
かみつけの伊奈良の沼 見安云おほゐ草大なる藺草也仙曰よそに見しよははよそに見しよりはと云也愚案逢て近まさりする人を此草に准ていへり柿本人丸の集の哥也
3418 かみつけの佐野田のなへのむらなへにことはさためついまはいかにせも
かみつけのさの田の 仙曰むらなへとは早苗をたはね置たる也其むら苗は植へき所を定て取置たり其やうに我心かけし女の行へき所を定たるにたとへて讀る也今はいかにせもとは歎く心也愚案師説はむら苗はおほき苗也村萩むら薄のたくひ也
3419 いかほせよなが中しげにおもひどろくまこそしつと忘れせなふも
              於毛比度路
いかほせよなか中しけに 伊可保背よとは伊香保《イカヲ》に住る背子よと也なか中しとは汝か中と云也しは助字也思ひとろとは見安云おもひどと云心也云々愚案くまは曲也しつとゝはしつれと也わすれせなふもは忘れはせなくと也もは詞の助也心は汝か中に思ひとの曲《クマ》有とも忘ぬと也
3420 かみつけの佐野のふなはしとりはなしおやはさくれとわはさかるかへ
                            和波左可流賀倍
かみつけの佐野の 仙曰とりはなしとは取放ち也かへとはかはと云也おやはさくれと我ははなるゝかはと也祇曰此舟橋水なき時は取はなち置とも云此哥の心は親にしらせす人に契るを其道の舟橋をはなちさくれとも我はさかるかはとよめりかへはかはといふ詞也かはゝてには也
3421 いかほねにかみななりそねわかへにはゆゑはなけともこらによりてそ
               和我倍
いかほねに神なゝりそ 我家には神鳴をいとふ故はなけれとも女のをそるへきによりてそと也されはいかほの峯に神な鳴そと也
3422 いかほかせふく日ふかぬ日ありといへとあかこひのみしときなかりけり
   伊可保可是              安我古非
伊可保風吹日吹ぬ日 いかほ風は吹ふかす定まらねと我戀は戀ぬ時なしと也しは助字
3423 かみつけのいかほのねろにふるよきのゆきすきかてぬいもかいへのあたり
    伊可抱(イ把ハ) 布路与伎(ゆきの)
かみつけのいかほの 序哥也行過かてぬとは過行兼ぬると也イいかは抱の字把に書まかへたる歟是もいかほと同イよきもゆき也皆五音通す
 
 下野國歌二首  作者未詳
3424 しもつけのみかものやまのこならのすまくはしころはたかけかもたん
         美可母    許奈良能須        多賀家
しもつけのみかもの 仙曰こならは小楢《コナラ》の木也殊に葉のみる/\としなひうつくしけなる也こならのすとは小楢なすと云也小楢のやうにうつくしきといふ也愚案|妙美児等《マクハシコラ》前ニ注たかけかもたんは手懸てか持んとの心と仙説俗也難用師説は高くか持ん也たかくに持と云心也五音通
3425 しもつけのあそのかはらよいしふますそらゆときぬよなかこゝろのれ
         安素 河泊良      蘇良由登伎奴與
しもつけのあさの そらゆときぬよとは空よりきぬるよと也とは助字也なかこゝろのれは汝か心にのりて也れとりと通ス汝か心にかゝりてと云也
 
 陸奥國歌三首  作者未詳
3426 あひつねのくにをさとほみあはなはゝしのひにせもとひもむすはさね
あひ津ねの国を 會津根八雲云奥州云々さ遠みさは助字也あはなはゝは逢なくは也国を遠さかりゐて逢さらは戀忍ふ縁にせよと紐をむすひねと也
3427 筑紫なるにほふこゆへにみちのくのかとりをとめのゆひしひもとく
          兒         可刀利
筑紫なる匂ふ子故 見安云匂ふ子うつくしき女也八雲かとり陸奥云々かとりをとめは奥州かとりの女也
3428 あたゝらのねにふすしゝのありつゝもあれはいたらんねとなさりそね
   安太多良    
あたゝらのねにふす 安太多良根八雲ニ奥州云々一二句は序なり有/\ても我は行至んをいねとなさりそと也ねは助字也
 
  譬喩《タトヘ》歌
 遠江國歌一首  作者未詳
3429 とをつあふみいなさほそ江のみをつくしあれをたのめてあさましものを(古来風あはましものを)   伊奈佐
とをつあふみいなさ細江 祇曰みをつくしとは年深き戀ちに立てかはくまもなきにたとふ又我身を盡すにもよそへとをつあふみとは逢事遠きとよめりいなさ細江は我いふ事をいなと云心也頼めたる事も今淺ましと讀る也仙同愚案古來風躰ニはあはまし物をと有されはあさまし物をもあはまし物をにやさとはと通ス身を盡し我を頼めて逢へき人を自由ならぬと也
    
 駿河國歌一首  作者未詳
3430 したのうらをあさこくふねはよしなしにこくらめかもよなじこざるらめ
   斯太能宇良     布祢 與志奈之尓
したのうらを朝こく舟 したのうら八雲抄にも駿河也よしなしにこくらめかもよとは由なくこぐらんかと也もよは助字也なしは汝也朝こく舟を我にたとへて我しわざの由なきかも汝疎て不來らんと也
 
 相模國歌三首  作者未詳
3431 あしがりのあきなのやまにひこふねのしりひかしも(或作v女《メ》ニ)よこゝはこかたに
あしかりのあきな 足柄の安伎奈の山八雲抄にも相模と云々ひこ舟とは仙曰ひく舟也しりひかしもよここはこかたにとは愚案しりへにひかしめよこゝはこなたへと也山へ舟ひくはあるましき事也けれはと思ふましき人に思ひ懸て思ふにかなはねは思ひかへしてこゝはこなたへしりへに引返せ思ひ懸ましき事そと云譬にや
3432 あしがりのわをかけやまのかつの木のわをかつさねもかつさかずとも
あしがりのわをかけやま 八雲抄にも相模と有かつの木樫の木也かつさねかつさかすなといはん諷詞也心は我をかつさねるをもかくさけずともあれかしと也さかずはさけず也わをかけ山を我をかけよとそへし成へし是を喩哥なるへきを仙抄見安等かつの木は木の切かぶ也斧たつきをわと云等の説如何
 
3433 たきぎこるかまくらやまのこたる木をまつとながいはゝこひつゝやあらん
        可麻久良         麻都
たきゝこる鎌倉山 祇曰薪こるは鎌倉といはんため也こたる木とは枝なとたれたる木也それを待と汝かいはゝ戀つゝやあらんとよめり待の字と松の字とかねたる也【仙同】愚案汝か待といはゝ我思ひ叶ふなれはかく戀つゝやはあらんと也見安こたる木松也云々非也
 
 上野國歌三首  作者未詳
3434 かみづけの阿蘇《アソ》やまつゞら野をひろみみはひにしものをあぜかたえせん
                都豆良
かみつけのあそ山 あせかたえせんは何か絶せんたゆへからすと也廣き野につゝらのはへてたえぬかことく我心も君かりたゆましきと也あそ山名所也
3435 いかほろのそひのはりはらわかきぬにつきよらしもよひたへとおもへは
蘇比 波里波良 母(或は作ルv女ニ) 比(イナシ)多敝
いかほろのそひの 仙曰ひたへはひとへ也彼はりはらの衣にうつろふことくに君か心を我につきよらしめよひとへに思へはとよそへよめるなり播磨國風土記云萩原ノ里土中ニ有v井|息長足《ヲキナカタラシ》姫ノ命|韓國《カラクニヨリ》還上ル之時御船|宿《トマル》2於此村ニ1一夜ノ之間ニ生ルコト2萩根ヲ1高サ一丈許仍名2萩原《ハリハラト》1即|闢《ヒラク》2御井ヲ1故ニ云2針間井ト1已上しかれは萩といひはりといふおなし事と聞えたり
3436 しらとほふをにひたやまのもるやまのうらかれせなゝとこはにもかも
   志良登保布                    登許波
しらとほふをにひた山 小新田《ヲニヒタ》山もる山皆上野也見安云しらとほふとは遠白に面白き心也仙曰新しきをほむる詞に白とほふにゐと云也うらかれせなゝとはうらかれすな/\と云也もる山のことくに裏枯もせてときはにもかなと也愚案人の心の枯る事なくと云譬へ也
 
 陸奥國歌一首  作者未詳
3437 みちのくのあたゝらまゆみはしきをきてさらしめきなはつらはがめかも
                     西良思馬(イま)伎
みちのくのあたゝら真弓 あたゝらま弓前注はしきは弾也さらしは反《ソラ》シ也弓絃はつせは弾《はシ》きて反《ソリ》帰る心也つらはかめは絃はけめや也はしきそらさは絃《ツル》はけじと也
    
雜歌
 未《イマタ・サル》v勘《カウカヘ》v國ヲ謌十七首  作者未v詳
未勘國歌 此以下の名所亦国のしれたる多シ當時《ソノカミ》未v勘の故に尓云《シカイフ》歟
3438 つむか野にすゝがをときこゆかむしたのとのゝながぢしとがりすらしも
   都武賀 一云みつか野に   可牟思太    一云わくこし
つむか野にすゝか音聞ゆ つむか野一云みつか野國未知かむした見安に名所云々然共国未知つむか野に鈴の聞るはかんしたの殿の長路に鳥狩すらん鷹の鈴かと也一云わくこ日本紀|稚子《ワクコ》男子の通称也云々殿の中父と云説鑿ス
3439 すゞかねのはゆまうまやのつゝみ井のみつをたまへないもがたゝてよ
         波由馬宇馬夜
すゝかねのはゆま 鈴鹿ねは伊勢也はゆまははいま也日本紀に驛の字をはいまとよめり和名には驛をむまやと讀りはいまむまやは重ね詞也和名に伊勢鈴鹿郡小驛家あり是也見安にはいま早馬と云非歟仙曰|包《ツヽミ》井とは人馬なとをもおちいらせじ不浄の物をもいれじとて菴を作りおほへる井也妹かたゝ手にとは妹かたゝしき手より也正手名 一説堤井也井|溝《ミソ》也鈴鹿の驛の井みぞ也可用之
3440 このかはにあさなあらふこなれもあれもよちをそ持てるいてこたはりに
               兒 一云ましもあれも 余知
このかはにあさ菜あらふこ 仙曰よちをそもてるとはよきほとをそ持るといふ也いてこたはりにとはいては發語の詞手すこしはる程にといへる也一云ましも汝も也或抄ちよをそもてる云々不審諸本よち也
3441 まとほくのくもゐに見ゆるいもがへにいつかいたらんあゆめあかこま
        一云とほくして            一云あゆめくろこま
まとほくのくもゐに 仙曰まとほくとは實《マコト》に遠く也いもかへとは妹か家に也愚案一云とほくして――あゆめ黒駒一本に柿本朝臣人麻呂歌集曰云々
3442 あづまちの手児《テコ》のよびさかこえかねてやまにかねんもやとりはなしに
あつまちのてこのよひ てこのよひ坂八雲抄云東国也万葉一所にたこのよひ坂と有駿河歟 見安云手児乃欲妣左賀うすゐ山也又はうつの山をも云云々いつれも国不v慥
 
3443 うらもなくわがゆく道にあをやぎのはりてたてれはものもひでつも
                           物能毛比※[氏/一](イ豆)都母
うらもなくわがゆく 仙曰うらもなくとは下心もなくと云也何事も思はて行道に青柳|萌《モエ》出てたてるを見て物思ひ出つと也
3444 きはつくのをかのくゝみらわれつめとこにものたなふせなとつまさね
   伎波都久乃 乎加 久君美良
きはつくの岡のくゝみら きはつくの岡仙曰常陸真壁郡に在見風土記くくみらとは茎《クヽ》立たる韮《ニラ》也こにものたなふとは子にもの給ふ也愚案つまさねはつめと云也
3445 みなとのやあしがなかなるたまこすけかりこわかせことこのへだしに
みなとのやあしが中 湊の芦の中也玉小菅は菅をほめて云也見安云とこのへたしには床のへたて也愚案小菅をかりこよ床にしきて湿氣をさけんへたてにと也一説隔足筵あむ説非也
3446 いもなろがつかふかはつのさゞらをぎあしとひとごとかたりよらじも
           河泊豆(イとの)
いもなろかつかふ 妹ねろかつき經也常に遊ふ心也 河津イかはと見安云|河門《カハト》は川のはたの井也云々さゝらおきはさゝれ荻也荻は芦の類なれはあしと人言といはん諷詞也人ことを悪とはかたりよらしと也
3447 くさかげのあのなゆかんとはりしみちあのはゆかすてあらくさたちぬ
    安努(イ安努弩) 阿努(イ安努ノ弩《ト》)波由加受※[氏/一]
くさかけのあのなゆかん 草陰也仙曰あのとはわれ也はりし道は作し道也愚案あのなのなは助字也我ゆかんと作りし道の我はゆかすしてあれて草の生立しと也あらくさたちぬは荒て草の生立し也イあのとなゆかんとはりしあのはわぬ也我也なは汝也我与v汝也但見安にあのは親也云々親とゆかんといふにや如何
3448 はなちらふこのむかつおのをなのをのひしにつくまできみがよもがも
はなちらふこの 花散かふ此向岑也仙曰むかつおは向ひの雄也おなのおは尾の上に又重りて二重に見ゆる尾也見安云同しやうなる峯也仙曰ひしにつくまてとは海中の洲《シマ》を云
3449 しろたへのころものそてをまつらがよあまこぎく見ゆなみたつなゆめ
しろたへの衣の袖を 一二句は袖を巻といはん諷詞也枕香はこかの渡りと讀し名所也
3450 をぐさをとをぐさすげをとしほぶねのならべて見れはをぐさかりめり
                              可利(イ知)馬利
をくさおとをくさすけ 見安云をくさお草かるおとこ也愚案此うたは小草かる男と小菅かるおとこと双ひてかるを見れはともにたゝ草かると見ゆると也しほふねはしほくみ舟也こぎならへてある物なれはならへてといはん諷詞也かりめりはかるめり也仙抄には草かり菅かり塩ふねも双ひてなといへり哥の義分明ならす
3451 さなつらのをかにあはまきかなしきがこまはだくともわはそともはじ
さなつらのをかに さなつらの岡國未勘見安云こまはたくとも馬にのる時はいたくやうなるを云愚案悲しきかは悲しき哉也此岡に粟まきて悲しき哉かゝるありさまするを君は駒にのりありくとも我はそれとも思はれしと也わはそともはしは我はそれとも思はしと也
3452 おもしろき野をはなやきそふるくさににゐくさまじりおひはおふるかに
おもしろき野をはなやきそ 童蒙抄云古き草に新しき草生交りとよめり新草《ニ井クサ》とかけり愚案古草焼果て新草よく生さんために野はやけともかく面白き野はなやきそ古新生ましらは交るにてもよしと也
3453 かせのとのとほきわきもかきせしきぬたもとのくたりまよひきにけり
   可是                           家利
かせのとのとほき 仙曰かせのとは風の音を云也丹後風土記に「こらにこひ朝戸を開きわかをれはとこよの濱の波のと聞ゆとも讀り見安云袂のくたりは袂のすそを云仙まよひきにけりとはきぬ布なとのぬきのかたよりに亂よりしを讀り風の音も遠く聞えし吾妹子かきせしきぬの袂の下さまに亂よりにけりとなり愚案旅行の男の妹と遠くへたゝりてよめる也
3454 にはにたつあさてこふすまこよひたにつまよしこさねあさてこふすま
   尓波      古夫須麻      都麻
にはにたつあさて小衾 見安云あさて小衾は麻の衾也愚案庭に立つあさてとは待あかしてにはに朝まて立し心をいひかけしにや此夜は明果れは是非なしよし今夜たに我妻を來せと麻の衾にかこちたる心なるへしこさねは來せと云也
 
 相聞往來
往來 戀路にいひかよはす哥なるへし
  未v勘v國歌百十二首  作者未詳
3455 こひしけはきませわかせこかきつやぎうれつみからしわれたちまたむ
               可伎都楊疑
こひしけは 戀頻る心也見安云かきつやきは垣に生たる柳也愚案立待事久しくて柳の上をつみ枯せしと也悲歎の餘りのわさ也
3456 うつせみのよそことのへはしけくともあらそひかねてあをことなすな
   宇都世美                        奈須那
うつせみのよそことのへ 見安云空蝉の世とつつくる也愚案よそ事の故はしけく有とも随分あらそひかくして我を事にしなすなと也名をたつなの心也
3457 うち日さすみやのわかせはやまとめのひさまくことにあをわすらすな
           和我世 夜麻等女
うち日さす宮の 仙曰宮のわか背とは禁中に仕る我せこ也愚案|膝枕《ヒサマク》毎《コト》に也南都に宮仕て其国の大和女に馴て古郷のわれを忘らるゝなと也
3458 なせのこやとりのをかぢしなかたをれあをねしなくよいくつぐまでに
         等里 乎加恥
なせのこやとりのをかぢ 仙曰なせのことは男也見安云鳥の岡路は名所也仙曰中たをれと云にうらうへは坂有と聞ゆ山坂苦しき物なれは息續《イキツク》まてにと讀る也愚案あをねしなくよとは我をねなかしむるよと也二三句は息續の序也
3459 いねつけはかゝるあかてをこよひもかとのゝのわくこかとりてなけかむ
いねつけはかゝるあかてを いねつけはとは眠に付といふに同寐れはといふ詞也かゝるあか手は見安に我手を枕になす心と云々かく枕にする我手をとの心なるへし哥の心は殿の若子か夜毎にきつく我手を取ていひ歎くと也
3460 たれそこの屋の戸おそふるにふなみにわけせをやりていはふこの戸を
   多礼      於曽夫流 尓布奈未 和家(或作v我ニ)
たれそこの屋の戸 仙曰にぶなみにとはにぶ/\にと云也わけせとは男也愚案我か背也即イ本に和我世とかけり仙曰いはふ此戸とは物いまひする心也此哥の心はわかせこか用事有てありかんといへはにふ/\にいとまやりて外へやりたれはつゝしみて居るに誰そ此屋の戸をそふるはとよめる也愚案そとさと通れはをそふるはをさふる也
3461 あせといへかさねにあはなくに真日くれてよひなはこなにあけぬしたくる
あせといへかさねに 仙曰あせといへかは何といへは也さねにあはなくに真日暮てとはとくする事にもあはなくにまことの日暮てと云也愚案さねにあはなくには實《サネ》に也つねにまめやかにもあはさるにと云なるへしとくする事にもあはなくにと云仙説不審也よひなはこなにとは宵にはこなくに也宵には來ずと同仙同義あけぬしたくるとはあけぬるあした來る也但仙抄にはしたはほど也明ぬほとにくると云也
3462 あしひきのやまさはひとのひとさはにまなといふこかあやにかなしさ
あしひきのやまさは人 見安云山さは人とはおほき人を云也愚案山さは人の人さはにと重詞也まなといふこかとは間無といふ子也人おほくしてあひみる間なしといふ女子のあやにくにかなしくいとおしきと也
3463 まとほくの野にもあはなんこゝろなくさとのみなかにあへるせなかも
まとほくの野にも 見安云間遠き野也里のみ中は里の真中也愚案里にてあへは人め有ル用心もなくと也
3464 ひとことのしけきによりてまをこものおやじまくらはわはまかじやも
                麻乎
ひとことのしけきに 仙曰おやしまくら同枕也おなしといふ詞を古證にはおやしと讀り日本紀のよみ也やとなと同韻也見安云|菰《マコモ》の同枕也わは我也
3465 こまにしきひもときさけてぬるかへにあとせろとかもあやにかなしき
こまにしきひもとき あとせろとは何とせよと云也童蒙抄云もろこしには男にあふとては錦の袴をきる也其綾に四ツ緒といふ物の付たるを紐とは云也愚案ひもときさけてとは紐とき退《シリソ》けての心也ぬるかへはぬるか上也あやにかなしさは足引の山さは人と云哥に注ス
3466 まかなしみぬれはことにつさねなへはこゝろの緒呂にのりてかなしも
まかなしみぬれは 此哥は逢し名の立をなき名とあらかひ置ての上によめりぬれはことにつとは寐《ヌレ》は事既に真事に似たりと也さねなへはとはぬる事なけれは也心の緒呂《ヲロ》にとは呂は助字心にと云也心緒といふ熟字有ぬれは其事真事に似るとてねさる故心緒に懸て悲きと也
3467 おくやまのまきのいたとをとゝとしてわかひらかんにいりきてなさね
   於久夜麻
おくやまの真木の板戸を とゝとしてとは戸のなる音也なさねはねよと也
3468 やまとりのをろのはつをにかゝみかけとなふへみこそなによそりけめ
   夜麻杼里         可賀美         古來風―なき
やま鳥のをろのはつお 祇曰おろは雄《ヲトリ》也はつ尾は長尾也長谷をはつせといふかことしといへり仙同義となふへみとは袖中抄に唱《トナフ》といふ事也なによそりけめとはよそりはよると云詞也鏡の影をみてなけは山鳥かゝみ見てなくとはやかて名によれる事也とよめるなるへし【是迄袖中】唱ふへみとは鏡《カヽミ》懸《カケ》て鳴へくは也|鶏人暁唱《ケイジンアカツキトナフ》と朗詠ニモ有なくを唱と云歟山鳥の鏡懸る事は奥儀抄云山鳥は夜はめ鳥と山の尾を隔て別々にぬるに暁に成て雄《ヲトリ》の尾をもたげて見るに女鳥のある所の鏡にて見ゆる也此故に山鳥の鏡とは云也と申と云々是に山鳥雄雌別にねすといふ儀もあれと古くかく云習す事を哥に用る事常の事也六帖哥「ひるは來てよるは別るゝ山鳥の影みる時そねはなかれける「足引の山鳥のおのしたりおの長々し夜を独かもねん【二首奥儀に引】又此鏡の説に山鳥鏡に影のうつれるを見て鳴て舞ふ事有異苑ニ曰山鶏愛ス2其羽毛ヲ1映スルv水ニ則舞フ魏ノ武帝ノ時南方ヨリ獻スv之ヲ公子蒼舒令dv人取テ2大鏡ヲ1看c其前ニu山鶏鑒ミテv形ヲ而舞コト不v止童蒙抄ニアリ愚案袖中抄仙覚説等猶さま/\説あれと益なくことわつらはしけれは不用之此哥師説にはなによそりは汝による也山鳥の雄の長尾にかゝみかけて妻をおもひてなくへくは我か独ねて汝か故によりてなくたくひならめといふ也山鳥のなくへくもこそ汝によるならめと云也よく/\思惟すへし袖中抄名によそりの義不審云々
3469 ゆふけにもこよひとのらろわかせなはあぜそもこよひよしろきまさぬ
ゆふけにもこよひと のらろはのる也|宣《ノル》の字也あせそもは何そも也よしろはよる也夕卦にも今夜こんとのりしを何ににこよひ夜る來まさぬそと也
3470 あひ見ては千とせやいぬるいなをかもあれやしかもふきみまちがてに
    出ツ2柿本朝臣人麻呂ノ歌ノ集ニ1
あひ見ては千とせや いぬるは徃る也いなをかもとは否《イナ》歟《カ》と也をは助字也逢みて後千年徃しやいなや君待兼て我さやうに久しくおもふかと也|然《シカ》思《ヲモフ》也
3471 しまらくはねつゝもあらんをいめのみにもとな見えつゝあをねしなくる
   思麻良久          伊米              奈久流
しまらくはねつゝも 見安云いめのみには夢|而已《ノミ》に也あをねしなくるは鳴と云心也愚案しはらくはねつゝも恋しさを忘んを夢はかりによしなく見えてわれをねをなかしむると也しまらくはしはらく也
3472 ひとつまとあせかそをいはんしからばかとなりのきぬをかりてきなばも
   比登豆麻               刀奈里
ひとつまとあせかそを あせかそをいはんとは何か其人をいはんと也我妻なる物をいかて其人をまかへいはんもし見まかへは隣のきぬをかりて着なはまかへやせんと也思ふ人の他人のやうにして見まかへさせんとせし折なと讀し哥なるへし
3473 さのやまにうつやをのとのとほかともねもとかころかおゆに見えつる
   左努(八雲さぬやま)           兒呂  於由
さのやまにうつや 八雲御抄にはさぬ山讃岐と有或抄にはさの山其山云々仙曰をのととは斧の音也とをかともは遠くとも也おゆに見えつるとはゆはより也山の尾より見えつると也愚案ねもとかころとはねんとか妹がと也一二の句は遠くともといはん諷詞也
3474 うゑだけのもとさへとよみいてゝいなはいつしむきてかいもかなけかん
   宇恵太氣               伊豆思
うへたけのもとさへ 見安云竹を揺る時は本末のうこくを云也愚案たけのとよむを諷詞に置てわか身動《ミシロ》き出てゆかはいつちにむかひて我を戀なけかんと也もとさへはもとすゑを五音通すれは尓云也
3475 こひつつもをらんとすれとゆふまやまかくれのきみをおもひかねつも
こひつつもをらんと ゆふま山前ニ注祇曰山は物をかくす物也我思ふ人を見んと思ふに忍ひ隠るゝ心也夕間山夕の心にて思ひかねたる折もけにもと見ゆ
3476 うへこなはわぬにこふなもたとつくののかなへゆけはこふしかるなも
   兒奈 和奴(イわのに) 努賀奈敝(イぬかなへ)
      一云のかなへゆけとわのかゆのへは
        奴(イぬかなへ)和努(イぬか)
うへこなはわぬ(のイ)にこふ うへはむへけにと云也こなは女也わぬにこふなもとは我に戀らんと云也イ本わのにも同義なるへし仙曰たとつくののかなへゆけはとは月立て半《ナカハ》迄成ぬれは戀しかるらんとよめる也のかとは中也愚案ぬかなへも同心也たつ月の中ば經ゆけはと云心也こふしかるなもは戀しかるらん也
3477 あつまちのてこのよひさかこえていなばあれはこひんなのちはあひぬとも
あつまちのてこのよひ坂 此名所前に注心明也
3478 とほしとふこなのしらねにあをしたもあはのへしたもなにこそよされ
         故奈
とほしとふこなの白根 仙曰とほしとふは遠しと云也こなのしらねは越の中の白根と云也越中の立山なるへし見安云あほしたとは逢時の隙也あはのへしたもはあはぬ間の心也なにこそよされは汝にこそよれと云心也仙曰彼越の白根の雪のみゆる時もめつる心つきせす雲隠れてみえぬ時も忍ふ心のしけきかことく心はたえすきみにこそよれとよめる也
3479 あかみやまくさねかりぞけあはずがへあらそふいもがあやにかなしも
   安可美夜麻
あかみ山草根かりそけ あかみ山八雲御抄にも国みえすかりそけはかりしりそけ也あはすかへは逢さるか上に也
3480 おほきみのみことかしこみかなしいもがたまくらはなれよたちきぬかも
おほきみのみこと よたちきぬかもは夜ル立て來ぬると也内の使に遠国へ行人の哥也
3481 ありぎぬのさゑ/\しづみいへのいもにものいはずきにておもひくるしも
   安利伎奴乃 佐恵々々              伎尓弖
    此一首は見タリ2柿本ノ朝臣人麻呂カ歌ノ集ノ中ニ1 上ニ已ニ記ス也
ありきぬのさゑ/\ 袖中抄ありきぬは織絹と云歟さゑ/\は絹の新きはさや/\となる也しつみはさて靜にゐたりしと云歟 玉きぬのさひ/\しつむのうたの注に有 物いはすきにてにの字助字也見安にはありきぬ有のまゝの絹云々
上《カミニ》已《ステニ》記ス 玉きぬの哥也
3482 からころもすそのうちかへあはねどもけしきこゝろをあかもはなくに
   可良許呂毛須蘇 宇知可倍     氣思吉己許呂  安我
    一曰からころもすそのうちがひあはなへばねなへのからにことたかりつも
            須素 宇知可比
からころもすそのうちかへ 一二の句はあはねともといはん諷詞也衣のすそはうちちかへてつまさきあはされは也けしき心とはあやしき心と云也源氏いせ物語等にけしうといふは恠の字にてあやしうといふ詞にて知へし心はあはねともあやしく頼もしげなき心は我思はなくにと也見安云すそのうちかへは衣を返す心也けしき心はけしからぬこと心也云々仙覚はをこたる心也云々いつれも髣髴にや
一云すそのうちかひ 是もすその打ちかひにてあはなへはといはん諷詞也あはなへはとは逢ねはといふ也ねなへのからには見安にねぬといふ心也といへりことたかりつもは事《コト》痛かりけり也前にも出たる言葉也見安には事たかひたる心也と云は亦髣髴の儀にやあはねはねられぬからにこちたく侘しき心なるへし
3483 ひるとけばとけなへひものわがせなにあひよるとかもよるとけやする
   比流                  欲流
ひるとけはとけなへ せなを待夜なと紐のとけしを讀し哥也ひるはとけともとけない紐のよるはせこにあひよるとてかとくると也夜ルをよるによせて也
3484 あさをらををけにふすさにうますともあすきせざめやいさゝおとこに
        遠家  布須左      安須伎西佐米也    乎騰許
あさをらををけに 麻苧《アサヲ》を苧笥《ヲゲ》に也|等《ラ》は助字也苧|笥《ゲ》は苧桶《ヲゴケ》也見安にふすさは苧をうみをく心也といへりあすきせざめやは明日着せさらめや也いさゝおとことは仙曰男はいさゝけき兵《ツハモノ》なと云てかろくときかよき也【一説ふすさは房やか也】
3485 つるきたち身にそふいもをとりみかねねをそなきつるてごにあらなくに
   伊母               
つるきたち身にそふ妹 剱太刀は身に添といはん諷詞也前注とりみかねとはめとり逢見かね也てこはちご也俤の身にそふ妹をめとり逢見かねて兒ならねともねをなくと也一説てこ女―
3486 かなしいもをゆつかなべまきもころおのことゝしいはゝいやかだましに
          由豆加奈倍麻伎 母許呂乎        伊夜可多麻斯尓
かなしいもを弓束なべ巻 見安云ゆつかなへまきは弓の束を並《ナラ》へ巻心也もころおは諸の男也愚案|如男《モコロオ》也なへてのおとこ也ゆつかはにきり皮を并へまく心也いやかたましは弥姦也思ふ女をなへての男のかしかましく弓取持て事といへはあらそふと也
3487 あつさゆみすゑにたままきかくすすぞねくなりにしおくをかぬ/\
                 可久須酒曽 宿莫奈那里尓 於久乎可奴加奴
あつさ弓末に玉まき 仙曰結構の弓には金玉をははずに付るを云さていたく重んする程にあたに打置事もなきをねなくなりにしとよそふる也祇同義見安云かくすゝそはかくのことくそと云心也愚案ねなくなりにしは師説ねさゝざりしと云心也なとさと同音也見安又云おくをかぬ/\は後を兼るといふ心也愚案おもんする弓のことく後をかぬるかねことにねさゝざりしよと也弓をねさせぬによそへしなるへし
3488 おふしもとこのもとやまのましばにものらぬいもが名かたにいでんかも
おふしもとこのもと山 仙曰おふしもとゝは笞《チ・シモト》罪也忍ひ妻《ツマ》の事を笞《シモト》なとおほせて問へとも実にもいはぬ妹か名も占かたにや出んと讀る也愚案木のもと山は筑前也此山の真柴を用ひし心にや笞罪《チサイ》とは罪人を梢にてうつ事有順和名云唐令イ曰|笞《シモト》大ハ頭二分小ハ頭一分半云々但師説にはおふしもとは笞罪のしもとにあらす日本紀十四雄略紀云近江ノ蚊屋野《カヤノ》ニ猪《ヰ》鹿|多《サハニ》有リ其ノ聚脚《アツマルコト》如シ2弱木原《シモトハラノ》1畧記弱木をしもとゝよむ生しもとはこのもと山の諷詞也ましはにもとはまさまにも也しはさま五音通也源氏末摘花巻に君かしゝまはしさまと云かことしそれを木の本山の真柴にいひかけて真さまにも告ぬ妹かかたに出んかと讀りのらぬは名告ぬ也かたは占かた也彼武蔵野にうらへかたやきまさてにもと讀しに大かた同し云々是可為正説也
3489 あつさゆみよらぬやま辺のしげかくにいもろをたてゝさねどはらふも
あつさ弓よらの山辺 見安云弓を引時は本末のよる心也よらは名所也八雲御抄云よらの山大和見安又云しけかくにしけき所といふ心也愚案いもろをたてゝは室を立て也いは助字也さねどはふしとゝ同寝所からんと也はらふもはからん也も助字也或説さね問也二人語らふを云と云々如何
3490 あつさゆみすゑはよりねんまさかこそひとめをおほみなをはしにをけれ
     出ツ2柿本朝臣人麻呂歌集ニ1
あつさ弓末はよりねん まさかはね所也見安云なをはしにをけれとは汝を端《ハシ》にをくと云也愚案人目おほけれは汝を端にをく末にはよりてねんまさかそやと也
3491 やなきこそきればはえすれよのひとのこひにしなんをいかにせよとそ
   楊奈疑           比等
やなきこそきれは きれはあとよりはゆる事をすると也
3492 をやま田のいけのつゝみににさすやなきなりもならずもなとふたりはも
   乎夜麻          左須楊奈疑
をやま田のいけの 刺柳の生成事をいひかけてなりもならすもといはん序哥也なるにもせよならぬにもせよなと二夫にはあはんとよめる貞女の哥也
3493 をそはやもなをこそまためむかつおのしひのこやでのあひはたがはし
                     四比 故夜提    多家波自
     一云をそはやもきみをしまたんむかつおのしひのさえたのときはすぐとも
                         思比 佐要太
をそはやもなをこそ 仙曰をそはやもとは遅くも早くもと云也なをこそとは男也こやてとは小枝也やとえと同内ちとたと同内也あひはたかはしとは萬の草木の小枝は長短高下ひとしからねと椎の梢は高下なくひとしく生ると也愚案椎の梢のたかはぬことく汝を待事あひたかはしと也 一云しひのさえたの時は過ともたとひ時過をそくともとかく君を待んと也義は本哥に同
3494 こもちやまわかかへるでのもみつまでねもとわはもふなはあとかもふ
   兒毛知夜麻 和可加敝流弖      宿毛 和波   汝波
こもち山若かへる手 子持山国未知若かへるて蝦手楓葉似タリ2蝦ノ手ニ1故ニかへるてと云仙曰若き鶏冠木也ねもとわはもふなはあとかもふとはねんと我は思ふ汝はいかゝ思ふと也愚案若楓のもみつまては久しくねんと思ふと也
3495 いはほろのそひのわかまつかぎりとやきみかきまさぬうらもとなくも
   伊波保呂  蘇比 和可麻都             宇良毛等奈久文
いはほろのそひの そひは傍の字也巌のそば也見安には巌のつゝき也うらもとなくもとは心もとなくと云儀也愚案わか松を待とそへて待事のかきりとや君か來まさぬと也仙説鑿して難用
3496 たちはなのこはのはなりかおもふなんこゝろうつくしいであれはいかな
   多知婆奈  古婆乃波奈里
たちはなのこはの 橘のきはの也見安云橘のみる/\と若きを云はなりとは女のおさなきを云也愚案思ふなん心うつくしとはなんはてには也はなりか思ふこころはへはうつくしくいたはしきをいて/\我はゆかなんと也
3497 かはかみのねじろたかゞやあやに/\さね/\てこそことにでにしか
   可波加美        安也尓阿夜尓       己登 ※[氏/一]
かはかみのねしろ高かや 祇曰水にあらはれて根白き也さね/\てこそとはかやの水に洗はれてよはくてふしたると人のねたるとをよそへてよめり妹背の中らひもさね/\てむつことしけきによそふる也あやに/\はあやに戀しくといふやうの詞歟あやにくの儀也【畧注仙同義】但見安云さね/\てこそとは妻に逢て後いひ出る心也愚案此説捨かたき歟逢ぬ已前は忍ひて詞にも出さりしにあやにくにねてのちこそ忍ひ侘て詞にも出しと也
3498 うなはらの根やはらこすけあまたあれはきみはわすらずわれわするれや
うなはらの根やはら 海原にや又此集十二ニうの原と云所有そこの菅歟見安云ねやはら小菅根の和《ヤハラ》かなる菅也愚案一二の句は数多あれはといはん諷詞也思ひ人おほき心也きみはわすらすとは君は忘るゝ事をすと也われわするれやは我は忘れんや忘れすとなり
3499 をかによせわかかるかやのさねかやのまことなこやはねろとへなかも
   乎可    和我可流加夜 佐祢        イよ   敝奈香母
をかによせわかかるかや 岡によりたる所にてかりしかや也さねかやは伏たる萱也下にねろとへといはんため也見安にはさね/\とよきかや也なこやはねろとはなこやかにねよとの心也云々愚案なこやかにはやはらかにの心也ねろとへなとはねよといへなと也かもは助字也心はかるかやのねたるかやをみて彼難面き人もやはらかにねよといへなとなけきし哥也なこやかにねよとは催馬楽の貫川にやはらかにぬる夜はなくてといへるたくひ也とへはてへといふ詞君てへばの類也イまことなこよはとは誠に今夜はと也
3500 むらさきは根をかもおふるひとのこのうらかなしけをねをおへなくに
   牟良佐伎           兒         祢 遠敝
むらさきは根をかも 見安云うらかなしけをはいとおしけなる心なりねをおへなくにとは寐《ヌ》る事のとげぬと云心也愚案紫は根を用る物なれは是をいひ出てわかいとをしくおもふおとめはねる事をとけぬにと也根とねとを對して讀り【仙義不用】
3501 あはをろのをろ田におはるたはみつらひかはぬる/\あをことなたえ
   安波乎呂  乎呂     多波美豆良
あはをろのをろ田 仙曰あはをろとは地の水つける所をあはらと云見安云沼に草の生たるをあはらといふあはをろも同をろ田は疎かなる田也愚案をはるは生る也仙曰たはみつらは三稜《ミクリ》草也ひかはぬる/\あをことなたえとはひかはまとはれ來て我に言《コト》な絶そと也一説云をろ田は小田也たはみつらは婀娜《タはヤカ》なるかつら也
3502 わかめつまひとはさくれとあさかほのとしさへこゝとわはさかるかへ
   和我目(イま)豆麻                和波
わか目つま人はさくれと 見安わか目つまとは目しめに人を思ふ心也愚案めつまイまつま同義目に見とゝめ置し妻也あさかほは朝の顔はせ也としさへこゝとゝは年さへこゝた也た同音也仙曰哥の心は人は制すれとも朝にねおきたる顔はせのあく事なきにそこはくの年もへぬへくおほえて我ははなれかたしとよめる也
3503 あさかゝたしほひのゆたにおもへらはうけらかはなのいろにでめやも(古來風―い   てめや)
   安齊可我多
あさかゝたしほひの 哥林良材にしほひのゆたにはゆたかなり云々ゆたかに思はゝ色に出し物を切に思ふ故に色に出しと也|朮《ウケラ》か花諷詞也
3504 はるべさくふちのうらはのうらやすにさぬるよそなきころをしもへは
    布治 宇良葉              夜   兒呂  (古來風―おもへ)
はるへさく藤の裏葉 一二句はうら安にといはん諷詞也藤の裏葉は下葉也心は子等を思へは心安くぬる夜なしと也
3505 うちひさすみやのせかはのかほはなのこひてかぬらんきそもこよひも
         美夜能瀬河泊
うちひさす宮の瀬河 宮の瀬河未勘顔花只うつくしき花也顔花の媚《コビ》てといひかけて戀てやぬらんと讀る序哥也きそは昨日也妹をゆかて(ヲキ也)思ひやる心也
3506 にゐむろのこときにいたれははたすゝき穂にてしきみか見えぬこのころ
    波太須酒伎              (古來風―いて)伎美
にゐむろのごときに 新室はあたらしき家也こときは今時也此時といふと同はた薄穂に出し君とは世に忍はてあらはにかよひ來し心也哥心は新家に通來し人の秋なとの時に至りて見えこぬを歎く也問今時を秋とさす事如何答薄の穂に付て也新室もはた薄ほに出しも日本紀ノ詞也
3507 たにせはみみねにはひたるたまかつらたえんのこゝろわかもはなくに
   多尓           多麻可豆良    己許呂 和我
谷せはみみねに いせ物語に峯まてはへる玉かつら絶んと人にとある哥也
3508 芝付《シバツキ》のみうらさきなるねつこくさあひ見ずあらはあれこひめやも
          根都古具佐
芝付のみうらさき 八雲御抄相模と有根つ小草とは根ある小草也つは助字也見安云針のやうなる草也云々如何此草見て面白きより序哥に讀也
3509 たくぶすましらやまかぜのねなへどもころがをそきのあろこそえしも
                宿奈敝
たくふすましら山風 仙曰たくふすまとは妙なる衾也白きを分てたへと云習はしたれはしらといはん諷詞にたく衾とをけりころかをそきのとは子等か薄衣《ウスキヌ》也あろこそえしもはあるこそよしも也心は白山風吹てねられねともころか薄衣あるこそよけれと也愚案たくふすまは日本紀にある詞也白山は越の白山也ねなへともとはねられねともと云也
3510 みそらゆくくもにもがもなけふゆきていもにことゝひあすかへりこん
        君母      家布      許等杼比
みそらゆく雲にも 遠境にはなれゐて妹をこひてよめるうた也
3511 あをねろにたなひくくものいざよひにものをそおもふとしのこのころ
                     物能乎曽(イものあをそおもふ)
あをねろに棚ひく 青根呂大和青根嶽也いさよひにたゝよふ也雲のたゝよふをいひかけて物思ひたゝよふと也イ物能安乎曽《モノアヲソ》とは物を我そ思ふ也【但不用之云々】
3512 ひとねろにいはるものからあをねろにいさよふくものよそりつまはも
ひとねろにいはる物から 一峯にはゝかりゐる物から又青根にたゝよふ雲のよることく我計にもあらす方々による妻は恨めしと也よそり妻はよる妻也
3513 ゆふされはみやまをさらぬにのくものあぜかたえんといひしころはも
         美夜麻    尓努(イにぬくもの) 安是可 
ゆふされはみやまを にの雲八雲御抄仙抄にもにぬくもと有のとぬと同音同義なるへし八雲云にぬ雲|冬(夕か)の山に在仙抄には布を引たるやうに白き雲なるへし布をにぬといふ事此巻の始筑波根の雪かもといふ哥に釋ス云々夕にみ山を去ぬ雲をみるに付てなとか絶んと子等はいひしたゆへき仲にはあらさる物をとよめる哥なるへしあせかなとかの心也
3514 たかきねにくものつくのすわれさへにきみにつきなゝたかねともひて
         久毛能都久能須             多可祢 毛比※[氏/一]
たかき根に雲のつくのす 見安云雲の付也愚案のすはなす也心は高根に雲の付事をなすを見て我さへ君に付なん君を高根と思ひてと也のすを虹とは非也
3515 あがおものわすれんしたはくにはふりねにたつくもを見つゝしのばせ
   阿我於毛     之太  久尓波布利
あかおもの忘れん 見安云あかおものは我面影の也忘れんしたは忘んひま也国はふりは国をこえてわたる心也雲にも風にもあるへし是迄見安愚案我俤を忘ん隙には国をこえわたりて嶺に立雲を見て忍ひ給へと也扨思ひ出て忘給ふなと也
3516 對馬のねはしたぐもあらなふかんのねにたなひくくもを見つゝしのばも
              南(イなん)敷可牟能祢尓
對馬のねはしたくも 八雲御抄つしまのね對馬万雲にかんのね同万と有此哥なるへし見安にはかんの《可牟能》ね名所也とあり是はしたくもあらなふかんのねにとよむにやしたくもは下雲也おりゐる雲也對馬の根には下ゐる雲もあらなくに上の根の雲を見つゝ忍ひなんと也
3517 しらくものたえにしいもをあぜゝろとこゝろにのりてこゝはかなしけ
                阿是西(イさ)呂等    許己婆可那之家
しら雲のたえにし妹 あぜゝろはせろはさる也五音通すれは也こゝはかなしけはこゝら悲しき也白雲は絶にしといはん諷詞也心は中絶し妹を何とてさはあると心にかゝりてそこはく悲しきと也さるはさはあるといふ詞也
3518 いはのへにいかゝるくものかぬまつくひとそおたはふいさねしめとら
                可努麻豆久   於多波布 伊射祢之賣刀良
いはのへにいかゝる雲の いはのうへにかゝる雲の也いは助字也見安云かぬまつくは沼に雲の付也人そおたはふとは深田に人の手をひろけてはふと云心也愚案岩の上に懸る雲の沼に付如くに人の田にはひふすにいさ其方にもねさしめと也とらは助字也或説とらはとや也ねしめとやかく這らんと也云々
3519 ながはゝにこられあはゆくあをくものいてこわきもこあひ見てゆかん
     波伴                和伎母兒
なか母にこられあは行 見安云汝か母にこらされて遠くゆく心也愚案これは姑なとにはしたなめられて出行男の歎きてよめる也青雲のは出來といはん諷詞也心は汝か母にこらされて我は出ゆけは今一目あひみてゆかんに妹出來よとよめる也
3520 おもがたのわすれんしたはおほのろにたなひくくもを見つつしのばん
                於抱野呂
おもかたの忘れん 見安云おもかた面影也おほのろは大野等也愚案前のあかおもの忘んしたはと大形同但忍んは我事を云也
3521 からすとふおほをそとりのまさてにもきまさぬきみをころくとそなく
   可良須(古來風―てふ) 於保乎曽杼里
からすとふおほをそ鳥 烏といふ也おほをそは大食《ヲホヲシ》也そとしと同音也烏よく物くふ故おほをそ鳥と云まさては正しくも也ころくは子等來也正しくも來ぬに子等來と告て待たすると也但袖中抄云烏をおほをそ鳥と云物くひきたなしと云也まさてにもとは正シくもと云也ては萬の詞に加はる也ころくは東《アツマ》詞也人をこがくと云をころくと云也こはこよといふ詞也ろくは助語也扨烏のこかこかとなくをころくとなくと云也おほきにきたなき鳥とておほをそ鳥と云也をそはきたなしと云ことは也云々仙抄も同可随所好歟
3522 きそこそはころとさねしかくものうへゆなきゆくたつのまとほくおもほゆ
         兒呂               多豆
きそこそはころと 仙曰きそは昨日を云見安云ころは人の惣名也まとほく間遠也愚案ころ此哥にも有前にも有し女子を云か
3523 さかこえて阿倍《アベ》の田のもにゐるたづのともしききみはあすさへもがも
                     多豆  等毛思吉
さかこえて阿べの田面 仙曰あへの田面とは駿河の國府の邊也坂越てといへるは宇津の山の坂に當るにや愚案序哥也たづの友といひかけて乏き珎しき君は明日もあふよしも哉との心也田※[雨/鶴]を君に比すと云説不用
3524 まをこものふのみちかくてあはなへばおきつまかものなげきそあがする
          身知可久※[氏/一]イなこは 於吉都麻可母 安我
まをこものふのみちかく 童蒙抄云まをこもはまこも也見安同仙曰しき物のこもはあみふ近くて逢ねはまをこもといふに付てよそへよめるにや見安云おきつまかもは沖にある鴨也仙曰水鳥はいつれも水底に入てかつく物なれは水より出ては息を長くつくへき物なれは歎きそわかするとよそふる也愚案とふの菅こも七ふなどよみしもあみふ也苻の短きは間に合ねはあはなへばといはん諷詞によめる一二の句也あはなへば逢ねば也下句は沖の鴨の息長きをなけきといはん諷詞によみてあはねは歎きそ我かすると云也
3525 みくゝ野にかものはほのすころかうへにことをろはへていまたねなふも
   水久君   可母 抱能須       許等乎呂波敝而   宿奈布母
みくゝ野にかもの羽ほのす 見安云|水久《ミク》君野名所也かもの羽ほのすは鴨の羽をのしてほのめく心也仙曰ほのすはほのめかす也鴨は水をくゝれはみくゝ野をよそへよめり愚案みくゝのにかもの羽と云迄はほのめく児等といはん諷詞也ことをろはへて言を延て也ことをのみいひかよはす心也ろは助字也ほのめく妹か上にことのみいひかよはして未ねなくと也
3526 ぬまふたつかよはとりかせあかこゝろふたゆくなもとなよもはりそね
           等里我栖(イす)
ぬま二ツかよは鳥かせ 見安云二沼に鳥のかよふ心也愚案かよはとりかせとは通ふ事は鳥かすると也ふたゆくなもとゝは二方に行なんとゝは也なよもはりそねはな思はれそ也沼二に鳥はかよふとも我心は二方に行なんとはな思はれそと也
3527 おきにすもをかものもころやさかとりいきつくいもををきてきぬかも
         乎加母    也左可
おきにすもをかもの 見安云沖にすむを鴨也もころはことく也やさか鳥は八坂をこえてゆく鳥也仙曰高き坂を飛越る鳥は苦しけれは妹か息つくによそふる也愚案序哥也
3528 みつとりのたゝんよそひにいものらにものいはす來にておもひかねつも
   水都等利
みつとりのたゝんよそひ 水鳥のはたゝんといはん諷詞也よそひはよそほひ也いものらは妹等に也のは助字也旅立へきよそほひして鬧かはしく物いはてきてのこりおほきよし也或説いものらは妹なろ也云々さもこそ可随所好
3529 とやの野にをさぎねらはりをさ/\もねなへこゆへにはゝにころはえ
    等夜                祢      波伴
とやのゝにをさきねらはり 鳥屋の野摂河百首顕仲の哥にもあれと国所未知をさきは兔也をとうと五音通すねらはりはねらへり也守テv株《クヰヲ》待ツv兔ヲなといひて兔をねらふ事あれは也さてをさ/\といはん諷詞に一二の句はよめりをさ/\は治定《ヂヂヤウ》の心也|治々《ヲサ/\》ねなへ子《コ》故にはゝにころはへはをさ/\もねぬ女子ゆへに母にチはるゝと也ころはへはきらはるゝ心也見安には尾崎ににら萌るなといふ説あるましき事也
3530 さをしかのふすやくさむら見えすともころかかなとよゆかくしえしも
   左乎思鹿              兒呂 可奈門
さをしかのふすや 見安にはころかかなとはたかとの也女をく所也云々金戸只麗しき所也ゆかくしえしもは行によしと云也ゆかくしのしは助字也草ふかく鹿のふしとは見えすとも女のもとに行にはあらはならてよしと也
3531 いもをこそあひ見にこしかまよひきのよこやまへろのしゝなすおもへる
   伊母                與許夜麻敝呂 思之
いもをこそあひみに 見安云まよひきは眉引《マユヒク》也横さまなるとつゝくる也しゝなす思へるとは鹿のやうにかくれゐたる心也愚案妹を逢見に來しかとも横山邊の鹿のやうにおぢ隠れゐしと侘てよめる也山邊ろのろは助字也一説しゝなす思へるは鹿の狩に心を痛む思ひせしと也
3532 はるの野にくさはむこまのくちやましあをしのふらんいへのころはも
            古麻                兒呂
はるののに草はむ 一二の句は序也駒の口やまぬことくにわか事のみ戀忍ふらむ古郷の女子は悲しきとの心也あは吾也
3533 ひとのこのかなしけしたははますとりあなゆむこまのおしけくもなし
      兒        波麻渚杼里
ひとのこの悲しけしたは 濱の洲にある鳥は鴎なとにてもさのみかけありかねはあなゆむといはん諷詞也あなゆむ駒は足なやむこま也 人の女子のかなしくいとをしき間はたひ/\行かよはまほしくてのる駒の足なやむもおしくもなしと也悲しけは悲しき也きとけと同音也したは間の心也
3534 あかこまがかどでをしつゝいでがてにせしを見たてしいへのこらはも
     胡麻  可度※[氏/一]              兒良
あかこまかかとてを 旅行の門出に別かたく出かたく我せしを女も名残おしけに見て立りしか難v忘と也
3535 をのかをゝおほになおもひそにはにたちゑます我からにこまにあふものを
                尓波尓多知        古麻
をのかをゝおほに をのか顔をおほよそにな思ひそ也えます笑也こまにあふはこまやかににほふ也君か顔のこまやかに匂ふも笑我からそと也
3536 あかごまをうちてさをひきこゝろひきいかなるせなかわがりこんといふ
           左乎妣吉 己許呂妣吉       和我理
あかこまをうちて 赤駒を打て手綱を精精引ていかなる人か我もとへこんと云と也わかりはわかもとへ也
3537 くへごしにむぎはむこうまのはつ/\にあひ見しこらしあやにかなしも
   久敝胡之  武藝波武古宇馬
     一云うませごしむぎはむこまのはつ/\ににゐはだふれしころしかなしも
        宇麻勢胡之            仁必(ひ)波太布礼思
くへこしにむぎはむ 見安云くへは垣也垣越也仙曰此哥或本哥にはうませこしといへり是は本文なりとて馬のかしらをさし出てとの方の草をはつ/\にくふを孔子見給ひて牛よと宣《ノタマヒ》しに弟子心得さりしを顔回六町行て日よみの午のかしらをさし出せは牛の字なると心得たり閔子騫《ヒンシケン》は十二町に心得たりしを「垣こしに午をは牛といはねとも人の心のほとを知哉と四条中納言の哥をひけり此引哥も古事も童蒙抄に有但哥の心此本文ニモ不v可v及也小馬の垣こしに麦《ムキ》はむは思ふまゝにもあらすはつはつなるへきを諷詞によみてはつ/\に逢し人のあやにくにいとおしきと也一云うませはませ也まごをうまこといふ類也|新肌觸《ニヰハタフレ》しは初て逢し也
3538 ひろはしをうまこしかねて 一云をはやしにこまをはさゝけ こゝろのみいもがり   やりてわはこゝにして
     波之 宇馬                           伊母 和
ひろはしをうまこし 尋橋《ヒロハシ》也一ひろはかりのみぞ堀などの細き橋はかち人のみ渡りて馬はこえがたきを心のみ妹かりやりてといはんとて讀る一二の句也わはこゝにしては我はこゝにゐるとの心也一云小林に駒を馳《ハ》さゝせ也駒は林に馳リ入て我は駒にはなれて行へきやうなき心也
3539 あすのうへにこまをつなぎてあやほかどひとつまころをいきにわかする
   安受     古馬     安夜抱可等       伊吉
あすのうへにこまを 仙曰あすのうへは芦の上也見安云あやほかはあやうき也愚案一二句は諷詞也人妻子等を忍ふは危《アヤウ》けれど又其子等を見れは命も延る心すれは息に我すると也
3540 さわたりのてこにいゆきあひあがこまかあきをはやみことゝはずきぬ
         手兒
さわたりのてこにい行相 見安云さわたりはすこし行ちかふ也愚案彼行ちかひし女に物いふへきを駒の足早く過て名も家もとはて残念と也
3541 あすへからこまのゆこのすあやはどもひとづまころをまゆかせらふも
   安受      由胡能須 安也波刀文       麻由可西良布母
あすへからこまの 見安あすへからは芦の上より也駒のゆこのすは駒の行やう也あやはともはあやうけれども也まゆかせらふもはまいなひかせんと云也危なから人妻をいひよりまいなひついしようせんかと也
3542 さゞれいしにこまをはさせて心いたみあがもふいもがいへのあたりかも
                 己許呂
さゝれいしにこまを 小石の道を馬馳するに心痛み悲しきは思ふ妹か家のあたり此ほとにあたるにやさて心いたみたるかと也我思妹也
3543 むろかやのつるのつゝみのなりぬかにころはいへともいまたねなくに
   武路我夜  都留 都追美
むろかやのつるのつゝみ 仙曰むろかやとは萱《カヤ》を高く刈敷たる心也つるのつゝみは渡れは足のつる/\と入堤と云也云々此説難2信用シ1師説にはむろかやのつるの堤名所にやと見ゆれと国所未勘云々此哥一二句は堤の成就せしをなるといはん序也我に女の成しやうにいへともいまたねすと歎也
3544 あすかかはしたにこれるをしらすしてせなゝとふたりさねてくやしも
   阿須可河泊
あすかかは下濁れるを せなゝはせな也下濁る心の有しをしらてせなと定てねて悔しと也
3545 あすかかはせくとしりせはあまたよもいねてこましをせくとしりせは
   安須可
あすかかはせくと知せは 飛鳥河はせくといはん諷詞也かく制《セイ》せらるへきとしらはいく夜もねて來へきを只わつかにてせかるゝ悲しさを重ていへる也
3546 あをやぎのはらろかはとになをまつとせみとはくまずたちどならすも
   安乎楊木
あをやきのはらろ 仙曰青柳のもえ出て木目はれる也なをまつとは見安に汝を待也云々せみとはくますとは瀬見とは來ずと云義もあれと只せにとは汲ず也此川とに我たちならすも汝をまつとて也水はせにと汲にあらすと也せには専也
3547 あちのすむすさのいり江のこもりぬのあないきつかし見ずひさにして
   阿遅    須沙 伊利  許母理沼        美受
あちのすむすさの入江 すさの入江津国也籠沼は沼の木隠れし也息つかしは歎息せらるると也此入江を見すして久しきに嘆息なるを逢見ぬに懸て云也
3548 なるせろにきつのよすなすいとのきてかなしけせろにひとさへよすも
なるせろにきつの 見安云なるせろは瀬のなる所也きつの夜すなすは狐の夜鳴するやうに也いとのきてはいとゝしく也愚案かなしけせろはおもふ男也けときと同シ人さへよすもとは仙曰ひとさへ夜鳴すると云也と云々河の瀬なる此狐も鳴て物侘しきにいとゝ思ふ故独ゐて我さへ夜鳴すると也一説云なるせろは河瀬のなる所也きつは木《コ》つみ也木つみとは木の枝木葉等の水に流れよるを云也よすなすとは其木つみのよるやうになしてと也心はなる瀬に木つみのよるやうに思ふ男にわれさへよると也
3549 たゆひかたしほみちわたるいつゆかもかなしきせろかわかりかよはん
たゆひかた塩みち たゆひかた越前の名所也見安云いつゆかもはいつよりかは也愚案一二ノ句は諷詞也塩みちわたるといふ渡るといふにつけて我思ふ男はいつ渡りきかよはんと也わかりは我もと也
3550 おしていなといねはつかねと波のほのいたふらしもよきそひとりねて
   於志※[氏/一]伊奈等       伊多夫良思毛與  比登里宿而
おしていなといねはつかねと 押ていぬれと眠にはつかねとゝ也見安云波のほは波の音のあらはるゝ也きそひとりねては昨日独ねて也愚案いたふらしもよはいたくふるひたちし夜也もは助字也心はきのふ独ねて押てねたれとも眠りにもつかす波のいたくふるひたつ夜明し兼しと也日本紀ニ秀2起《タツ》浪|穂《ホノ》之上ニ1云々
3551 あちかまのかたにさくなみひらせにもひもとくものかかなしけををきて
   阿遅可麻  可多 左久奈美 比良湍
あちかまのかたに 阿遅可麻の潟名所也さく波見安うちひらく波也師説波ノ花咲心也云々ひら湍《セ》見安ニ平かなる瀬也云々さく波の瀬には紐とけてはねられぬ事を諷詞によみて悲しくいとおしき君を置て外に紐解んやと也
3552 まつかうらにさわゑうらたちまひとことおもほすなもろわかもほのすも
         佐和恵宇良太知 麻比等其等 於毛抱須奈母呂 和賀母抱乃須
まつかうらにさわゑ 松か浦八雲抄讃岐と有さわへうらたちとは師説|五月蠅《サハヘ》むらたち也まひとごとゝは人の物いひ也おもほすなもろはおもふな妹ろ也わかもほのすもとはわかおもひなす妹也心は五月蠅のむれたつやうに人の物いひさはくをもおもふなよ妹我思ふ妹とかさねていへるなり見安仙抄等にさは早きわゑは助字わかもほのすは我思ひほのめかす等非也
3553 あちかまのかけのみなとにいるしほのこでたすぐもが入りてねまくも
         可家 水奈刀      許※[氏/一]受久毛
あちかまのかけのみなと 安治可麻の潟と同所なるへしこでたすくもがとは來ずして返る妹が也上句いる潮の迄は下句に入てねまくといはん序也来すして返る妹かこよひは入てやねまくもあらんと也こてたのゝは助字也梢の塵の説不用
3554 いもかぬるとこのあたりにいはくゝる水にもかもよいりてねまくも
                    水都
いもかぬる床の當り 岩くゝる水は入かたき所をももり入やうに妹か床に入てねんと也
3555 まくらかのこかのわたりのからかちのをとたかしもなねなへこゆへに
   麻久良我  許我
まくらかのこかの 見安云枕香のこき心也師説枕香の焦《コカ》るをいひかけし也八雲抄云こかの渡り下総と云々ねもせぬ女故に世に音高く云たてらるゝとの序哥也
3556 しほぶねのをかればかなしさねつればひとごとしげしなをとかもしん
                左宿          那乎杼可母思武
しほふねのをかれは 見安云舟をいたつらに置ては用にたらぬ心也愚案塩舟のはをかれは悲しの諷詞也見安云なをとかもせんとは何とかせんの心也仙同仙曰さねつれは人ことしけしとはねたれは又ひとのとかくいふと也
3557 なやましけひとつまかもよこぐふねのわすれはせなゝいやもひますに
   奈夜麻思家                    伊夜母比麻須尓
なやましけひとつまかもよ なやましき人妻哉といふ心也こく舟のといへるは舟出してゆきし人を思ひなやむゆへに忘れはせなて弥思ひますと云也
3558 あはすしてゆかはおしけんまくらかのこかこくふねにきみもあはぬかも
                麻久良我能 許賀
あはすしてゆかは 枕香の許賀前注こかの渡りをこく舟を云也哥の心は漸逢へき様に成し人の此舟に乗てゆくを歎きて君も此舟出によりて逢ぬと也
3559 おほぶねをへゆもともゆもかためてしこそのさとひとあらはさめかも
                    許曽
おほ舟をへゆもともゆも 見安云こその里人はよその里人也愚案舟の艫つな舳つなに固むるを添てよく前後固めても外人いひ顕はさんと也
3560 まかねふくにふのまそほのいろにでゝいはなくのみぞあかこふらくは
まかねふくにふの 仙曰ま金ふくは鉄《クロカネ》ふく也丹布は所の名越前也まそほは真蘇芳《マソハウ》也赤土をも丹生といへはまそほとつゝけて色に出ての諷詞とす
3561 かなとてをあらかきまゆみひかとれはあめをまとのすきみをとまとも
   可奈刀田(イた)乎   比賀刀礼婆     能須   等麻刀母
かなとてをあらかき 金門出は門出也あらかきま弓は荒木の弓也ひかとれははひきとむれは也仙説也師説あらかき真弓はひかとれはといはん諷詞也あめをまとのすとは雨をまつなす也虹と云義不用云々きみをとまともとは見安云雨ふらは君とゝめんの心也愚案此哥は物へ行人の名残を惜みて門出の袖を引留れは雨を待事をなす君をとまらしめんとゝ也もは助字也
3562 ありそやにおふるたまものうちなひきひとりやぬらんあをまちかねて
ありそやにおふる 有礒也やは助字也一二の句は打なひきの枕詞也我をまちかねてひとりやなひきふしつらんと也
3563 ひたかたのいそのわかめのたちみたえわをかまつなもきそもこよひも
   比多我多  伊蘇 和可米 多知美太要
ひたかたのいその若和布 見安云ひたかた名所也たち見たえとはとこしなへに立と云心也愚案わをかまつなもは我をかまつらんの心也一二の句是も第三句の諷詞也
3564 こすけろのうらふくかせのあとすゝかかなしけころをおもひすこさん
   古須氣呂  宇良     安騰須酒香
こすけろのうら こすけろのうら或説には名所也或説には小菅の下吹風也ろは助字也見安云あとすゝかは音するか也愚案心は風の音のみして吹過て跡なきかことく思ふ妹をも過さんよと也
3565 かのころとねすやなりなんはたすゝきうらののやまにつくかたよるも
                     宇良乃野   都久
かのころとねすや 宇良野の山八雲にも国未知はた薄はかたよるといはん諷詞也見安云つくかたよるもは月のかたふく夜と云也愚案彼妹とねすや成なん此山に月かたふき夜更たるにと也下待更したる心也
3566 わきもこにあかこひしなはそわへかもかみにおほせんこゝろしらすて
                曽和敝可毛 加未
わきもこにあか戀しなは そわへかも五月蠅也と師説也そとさとわとはと通スさはへなすあしきかみとて邪神也そはにたてる神背く義等の説不用之哥の心は吾妹子に我か戀死なは其心はしらて邪神のとかめなとやおふせんと也伊勢物語に「人しれす我戀しなはあちきなくいつれの神になき名おふせんとおなし心なるへし
 
  防人《サキモリノ》歌
    未タv勘v國歌五首   作者未v詳
防人歌 詞林采葉云防人者註釋曰靭負ノ職左右衛門司を懸たる者歟此集廿の哥にもますらおのゆきとりおひてと云々爰に諸國の防人等の中に或は五位六位の物有或抄に関守の一名といへとさやうの下輩の物にあらす東国の弓矢に堪たる物を筑紫につかはして異敵をふせかしむ即防戦士也同廿巻の哥につくしの国ニあた守り等鳥か鳴あつまおとこは出向ひ等有畧注猶委愚案是らも本説をしらて只此集の哥によりて推量の注と見え侍り猶師説本説別に口訣有
3567 をきていかはいもはまかなしもちてゆくあつさのゆみのゆつかにもかも
   於伎※[氏/一]伊可婆
をきていかは妹はま悲し 別かたき妹を我弓束にも哉持てゆかんと也
3568 をくれゐてこひばくるしもあさかりのきみかゆみにもならましものを
         古非     安佐我里  伎美 由美
    右二首問答歌
をくれゐてこひは苦し 女の答の哥也心は明也朝狩とは朝鷹のみにあらす只朝に狩するを云たとへは鹿狩をもいふへし
3569 さきもりにたちしあさけのかなとてにたはなれおしみなきしこらはも
   佐伎母理    安佐氣       手(イた)婆奈礼
さきもりにたちし かなとて仙説前に注見安云帳内を出かねたる心也愚案手離かたくせしこらは難忘戀しとの心也
3570 あしの葉にゆふきりたちてかもかねのさむきゆふへしなをはしのはん
   安之    由布宜里   可母我鳴         奈乎波(イや)
あしの葉に夕霧立 仙曰此謌の詞つかひやさし此哥になをはしのはんといへるはなは女を讀る也祇曰哥は儀なし猶や忍はんとは戀の心也鴨かねとよめる間書入侍り此注にも此哥はやさしとかけりさもみえ侍りぬ愚案なをは忍はんといへる仙抄祇注こと也本のたかひ有とみゆ
3571 をのつまをひとのさとにをきおほほしく見つゝそきぬるこのみちのあいた
   於能豆麻 比登 左刀        美知
をのつまを人の里に 見安云をのつまは我妻也おほゝしくはおほつかなき也
 
    譬喩歌
      未ルv勘v國ヲ歌 五首 作者未v詳
3572 あともへかあしくまやまのゆつるはのふゝまるときにかせふかすかも
   安杼毛敝  阿自久麻夜末 由豆流波 布敷麻留    可是
あともへかあしくま山 八雲云あしくま山摂津歟 仙曰あともへかとは悲しと思へか也哥の心はゆつる葉の未v開みるみるとあるも風ふけはなひくいまた盛りにならすとも我になひけと也おさなき物に思ひをかけてよめる哥とみえたりさて發句にも悲しとおもへかと云也愚案ふくまるはふくめる也ゆつる葉の未ひらけさる也
3573  あしひきのやまかつらかけましはにもえかたきかけををきやからさん
   安之比奇  夜麻可都良  麻之波
あしひきの山かつらかけ 見安云真柴の束をする時かくるかつら也愚案柴にかりえぬ木陰を置からすといふ事はなきを我はえかたき人を終にえすして枯や果んと歎く心也柴の上にて喩《タトヘ》し也仙説は例の鑿せしたとへ難用
3574 をさとなるはなたちはなをひきよちておらんとすれとうらわかみこそ
   乎佐刀  波奈多知波奈
をさとなる花橘を をさとは小里也小の字心なし小野小山の類也里の盈(?)橘を思ふ人に比してまた若くてえかたしと也
3575 みやしろのすかへにたてるかほかはななさきいてそねこめてしのはん
   美夜自呂 渚(イ緒《ヲ》)可敝 可保我波奈
みやしろのすかへに 古來風体云此哥もそかへにたてるといへる也云々かほか花※[白/八]花也こめて忍んは花咲出すは我も其ことく心にこめて忍んと也思ふ人の盛りなるを※[白/八]花にたとへてこめかたく忍れぬ心を讀りイをかへ不用之
3576 なはしろのこなきかはなをきぬにすりなるゝまに/\あせかかなしけ
   奈波之呂 古奈宜我波奈  伎奴             加奈思家
なはしろの こなきは見安云こなきうへこなきと同童蒙抄此哥注云あせかとはをのれかといふ心也云々なるゝまゝにをのか心にいとおしくおもふと也おもふ人を※[草冠+怠]《コナキ》をすりたる衣にたとへて也衣は身に馴る物故也
 
 挽歌
  未勘國歌 一首 作者未v詳 
3577 かなしいもをいつちゆかめとやますけのそかひにねしくいましくやしも
                夜麻須氣     宿
かなし妹をいつちゆかめ かくうき死別せんとはしらす悲しき妹をいつか我をはなれゆかんと思ひたゆみてそかひに背き/\にねし事も有しか今悔しと也山すけとは順和名ニ麦門冬《ハクモントウ》をやますけとよむ童蒙抄同生すかひし事をそかひともいへは諷詞にをけり見安には山すけのそかひとは菅のもちれ合心也と云々非也此集ニ此巻別而難儀歟
貞享三年寅卯月卅日書新玉津嶋菴下墨付四十五枚 季吟
            2004.3.27(土)午後12時54分校正終了 ?ひとつあり
 
第十五巻
    
遣《ツカはス》2新羅使ニ1人|等《ラ》 イ本表題ニは天平八年丙子夏六月遣ス2新羅國ニ1之時等ありむかし神功皇后新羅百済高麗をうちしたかへさせ給ひてより三韓吾朝にしたかひ毎年使を奉り貢調《ミツキモノ》をこたらす聖武天皇の御時まても使を奉りしに天平七年二月新羅の使金相貞といふもの來て新羅国を本号を改て王城國といへり是によりて使を返させ給へりさて天平八年二月に從五位下阿倍朝臣継麻呂を遣新羅大使とし正六位上大伴宿祢三中を副使とし從六位上壬生使主宇太麻呂を大判官正七位上大蔵忌寸麻呂等の官人五位六位なと四十五人新羅につかはされけるよし續日本紀第十二巻に見えたり此集の遣新羅使は此御時の事なるへし然るに新羅なを常礼をうしなひて吾朝の使の旨をうけ給はらすとて天平九年正月此使の官人帰りしに大使継麻呂はつしまにとゝまりて身まかりぬ副使三中も病に沈ミて入京する事かなはすして大判官小判官なとはかり都に入侍し其官人等を内裏に召て新羅の常礼をうしなひ使の旨をうけさる事の意見をのへしめて聞召に或は兵をおこして征伐をくはへんよしを申物なと有しよし續日本紀同巻ニあり是を思ふにつねの使にたかひて此たひは各遣新羅使をたやかにもあらさりけんに一入海路の旅の思ひも深く侍けん妻子の名残もことに悲しみ侍へし其心をふくめ持て此巻の哥を見侍らは意味も哀もあさからさるへしこれに古歌といつるは天平の朝に彼使のよみし古哥を後に家持なと書しるさるゝ故也此使の古哥を詠吟せしにはあらさるへし又新羅の使續日本紀には二月とあるは使を定られし月なるへし此集に六月とあるは進發の時をいふなるへきにや
萬葉集巻第十五     
       遣《ツカはス》2新羅使《シラキノツカヒニ》1人|等《ラ》悲メルv別レ       ヲ贈答《ソウタフ》及《ヲヨビ》海路《ウミチニ》陳《ノフ》v思ヲ并ニ       當所《ソノカミ》所《トコロノ》v誦《ズウシタル》之|古《フル》歌
贈答歌十一首
作者未詳
3578 むこのうらのいり江のすとりはくゝもるきみをはなれてこひにしぬへし
   武庫能浦乃入江能渚鳥羽具久毛流伎美乎波奈礼(氏/一) 古非尓之奴倍之
むこのうらの入江の 童蒙抄云むこ浦津の国に在すとりとは洲にたてる鳥とよめり祇曰入江のすとりを我身になしてよめり女の哥也愚案はくゝもるとははくゝめる也次の哥にはくゝミ持てゆかまし物をとあるにて心得へし
3579 おほふねにいものるものにあらませははくゝみもちてゆかましものを
   大船尓(古も)伊母能流母能尓安良麻勢波羽具久美母知(氏/一)由可麻之母能乎
おほ船に(も古來風―)妹のる物に 祇曰是は返し也新羅の使なれはかゝる舟に妹をのする事習ひなき事をよめり
 
3580 きみかゆくうみへのやとにきりたゝはあかたちなけくいきとしりませ
   君之由久海邊乃夜杼尓奇里多々婆安我多知奈氣久伊伎等之理麻勢
君かゆく海邊の宿に 又女の哥也歎く事の甚しきをいへる心也
3581 秋さらはあひ見んものをなにしかもきりにたつへくなけきしまさん
                    奇里         麻佐牟
秋さらはあひ見ん 使の贈答也秋來たらは帰來て逢ん物を也
3582 おほふねをあるみにいたしいます君つゝむことなくはやかへりませ
   大船    安流美        都追牟
おほふねをあるみに 又女の哥也あるみは荒海也つゝむ事なくはつゝしみ忘るゝ事なく也
3583 まさきくていもかいはゝはおきつなみちへにたつともさはりあらめやも
   真幸而          於伎都奈美   多都
まさきくて妹か祝はゝ 幸有て妹か祈祝ははと也又使の返し也ちへに立はおほく立也
3584 わかれなはうらかなしけんあかころもしたにをきませたゝにあふまてに
                安我
わかれなはうら悲しけん 亦女の哥也下にをのをは助字也
3585 わきもこかしたにもきよとおくりたるころものひもをあれとかめやも
               於久理多流
わきもこか下にも 亦使の答也身をはなたすきん心也
3586 わかゆへにおもひなやせそ秋風のふかんそのつきあはんものゆへ
わかゆへに思ひな痩そ 女を慰て使の讀る也續日本紀に來年正月に入京せしとあれは秋は帰ましけれと女を慰んとていへるなるへし
3587 たくふすましらきへいますきみか目をけふかあすかといはひてまたん
   多久夫須麻新羅
たくふすましらきへ 杼衾新羅と日本紀にかけり杼の字タヘともよみて白き心也白きふすまといひてしらきといはん諷詞也見安云しらきへしんら也たへにしろきすゝし也と云々君か目をとは君か對面をとの心也女の返答なるへし
3588 はろ/\におもほゆるかもしかれともあたしこゝろをあかもはなくに
   波呂々々              異情     安我毛波奈久尓
はろ/\におもほゆる 是も女の贈答なるへしはる/\遠き別路と思へとも留守のほとあたし心は思ましけれは氣をせらるゝなと也
    右十一首贈答
 
    一首    秦間満《はタノマミツ》
3589 ゆふされはひくらしきなくいこま山こえてそあかくるいもかめをほり
         比具良之   伊故麻     安我   伊毛我目
ゆふされはひくらし 祇曰大和より津国へ出る道に生駒山をこゆるとミゆ妹か目をほりは見まほしく思ふ心也
     暫《シはラク》還《カヘリテ》2私家《ワタクシノイヘニ》1陳《ノフル》v思ヲ歌一首      作者未詳
3590 いもにあはすあらはすへなみいはねふむ 伊故麻の山をこえてそあかくる
いもにあはすあらは 岩根ふむいこまの山をこえてそあかくるとは暫ク還テ2私ノ家ニ1陳ルv思ヲといふ是也遙に發進して妹にあはすあらはせんかたあらしとて家ニかへりきたると也
                                安我
    臨《ノソンテ》v發時《イテタツトキニ》作歌 三首
          作者未詳
3591 いもとありし時はあれともわかれてはころもてさむきものにそありける
妹とありし時はあれ 妹と二人有し時はあらるれともとの心也
3592 うなはらにうきねせん夜はおきつ風いたくなふきそ妹もあらなくに
   海原          於伎都
うなはらにうきね 船中にねるを浮寝といふ也
3593 おほとものみつのふなのりこき出《いて》てはいつれのしまにいほりせんわれ
   大伴    美津        (古風はナシ)          和礼
おほとものミつの ふなのりは舟の乗場也大伴三津摂津
      乗ルv船ニ海路ノ上ニテ作歌 八首
作者未詳
3594 しほまつとありける船をしらすしてくやしく妹をわかれきにけり
            布祢
しほまつと有ける 見安云舟の塩時を待て出る也愚案かく出船としらは妹に別すあらましをと也私ならぬ旅なから妹か別を惜む故かく云也
3595 あさひらきこきてゝくれはむこの浦のしほひのかたにたつかこゑすも
               牟故 宇良
あさひらきこきてゝ 見安云あさひらき朝朗也すもはする也
3596 わきもこかかたみに見んをいなみつましらなみたかみよそにかもミん
                印南都麻
わきもこかかたみに 見安云印南つまは印南の遊君也愚案波高き故舟よせかねてよそにミる心也
3597 わたつみのおきつしらなみたちくらしあまおとめらもしまかくれ見ゆ
   和多都美              安麻     思麻我久礼(イ流ル)見由
わたつミのおきつ白波 立來らし也
3598 ぬはたまのよはあけぬらしたまのうらにあさりするたつなきわたるなり
   奴波多麻         多麻能宇良      多豆
ぬはたまのよは明ぬらし 八雲抄玉の浦紀伊万あさりするたつ云々
3599 月よみのひかりをきよみ神嶋のいそまのうらゆ舟出すらしも
    余美  比可里       伊素末乃宇良
月よみのひかりを清み 神嶋紀伊備中に同名有然とも八雲抄いそまの浦紀伊神嶋月よみの光り云々此哥也浦ゆはより也
 
3600 はなれそにたてるむろの木うたかたもひさしき時をすきにけるかも
           牟漏能木 宇多我多毛
はなれそにたてるむろ 見安云はなれそはなれたる礒也祇曰うたかたはかりそめ也離れ礒にかりに立てはかなきむろの木の久しき年を過にけるかもと老木を見てよめる也十七巻「鴬のきなく山吹うたかたも君か手ふれす花ちらすかも是もかりそめにたに君か手ふれさる山吹の花をちらすかと鴬にかこちてよめる也後撰ノ哥に「思ひ河たえすなかるゝ水のあはのうたかた人にあはてきえめや此うたかたはむしろなといふ詞いかてなといふ詞そと定家卿のをしへ也哥によりてかはるへし仙抄同うたかたの義見安も如此
3601 しましくもひとりありうるものにあれやしまのむろの木はなれてあるらん
しましくも独有得 見安云しましくもはしはらくも也愚案暫時も独在得る物なれかし嶋のむろの木も独離れて有らんと也
 
    當所誦詠《ソノカミシュエイスル》古謌
     詠メルv雲ヲ歌一首  作者未詳
3602 あをによしならのみやこにたなひけるあまのしらくも見れとあかぬかも
         奈良
あをによし奈良の 天の白雲をはるかに見てなつかしくあかすと故郷を思ふ心也
3603 あをやきのえたきりおろしゆたねまきゆゝしききみにこひわたるかも
   安乎楊疑         湯種蒔  忌忌伎
あをやきのえた 見安云ゆたねまきはゆたかなる種まき也仙曰ゆゝしきといはん諷詞にゆたねまきとはいへる也愚案おほへる木陰には物の種まきてよからねは柳の枝おろしゆたねまきと云てゆゝと讀し序哥也
3604 いもかそてわかれてひさになりぬれとひとひもいもをわすれておもへや
   妹 素(氏/一) 比左          伊毛
妹か袖別れて久に 忘て思へや忘られすと也
3605 わたつみのうみにいてたるしかまかはたえん日にこそあかこひやまめ
               思可麻河伯        安我
わたつみのうみに 祇曰此哥は其所にあたりてよめりしかも大和にある人をこひてよめり八雲抄云しかま河播磨万海に出て云々此哥成へし
古歌五首
3606 たま藻かるをとめをすきて 柿本朝臣人麻呂歌曰みぬめをすきて なつくさの野嶋   かさきにいほりすわれは
   多麻    乎等女   敏馬  須疑弖  又曰ふねちかつきぬ
たま藻かるをとめを過て 見安云をとめは名所也祇曰つの国生田をとめ塚のほとりなるへし夏草のとは野嶋といはん諷詞也いほりすとは旅菴をむすへる心にや但仙抄ニはいほりはねまほしくおもふ也と云々寢欲すの心にや師説は菴する也玉もかるは藻をかる海人乙女にいひかけて也夏草は野に茂れは夏草の野嶋と云也
柿本朝臣――とは人まろの哥に玉もかるみぬめを過て夏草の野嶋の崎に舟近付ぬと有と也
3607 しろたへの 柿本朝臣人麻呂歌曰あらたへの  藤江のうらにいさりするあまとや   見らん 又曰すゝきつるあまとやミらんたひゆくわれを
しろたへの藤江 祇曰白妙は物をほむる詞也私曰藤代昔は藤白とかけり白き藤の有し故也然は是もさやうの事にや是迄祇注是も柿本の哥にはあらたへの藤江の浦に鱸《スヽキ》釣と有となりあらたへは前注
3608 あまさかるひなのなかちをこひくれはあかしのとよりいへのあたり見ゆ
           奈我道  孤悲    安可思 門  伊敝
    柿本朝臣人麻呂歌曰やまとしま見ゆ
あまさかるひなの長路 心明也新古今集に入所の人丸の哥にはこき來れは明石のとよりやまとしまミゆと有大和国をいふなるへし一説淡路云々
3609 むこのうみの 柿本朝臣人麻呂歌曰けいの海《宇美》の にはよくあらしいさりす   るあまのつり船波の上ゆ見ゆ 一曰かりこものみたれていて《出》見ゆあまのつり   船
むこのうみのにはよく 見安云にはよくは海の波もなく長閑なる也愚案此哥も此集第三ニ人丸哥けひの海のにはよくあらし刈こもの云々
3610 あこのうら 柿本朝臣人麻呂歌曰あみのうら《安美能宇良》 にふなのりすらんを   とめらかあかものすそに 又曰たまものすそに しほみつらんか
   安胡    乎等女
あこのうらにふなのり 八雲御抄あこの浦長門云々此哥も此集第一人丸哥嗚呼見の海とあり仙あみのと点してあり心は明也
 
    七夕歌一首   柿本朝臣人麻呂
3611 おほふねにまかちしゝぬきうなはらをこきてゝわたる月人おとこ
   乎登(示偏+古)
おほふねにまかち 童蒙抄しゝぬくはしけぬくと云うなはらは海を云日本紀蒼溟といへり月人男は月讀男也云々八雲御抄にも月の名に出たり或説牽牛の名といへと不用之七夕の夜の月を星の渡る舟におもひよせてよめるなるへし
 
    備後《ヒンコノ》國|水調《ミツキノ》郡長井ノ浦|舶泊《フネはテシ》之夜作    歌三首    大判官
大判官 から物の使に大使副使判官主典あり遣新羅使の大判官は壬生使主宇太麻呂也前ニ注
 
    備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首  大判官
3612 あをによしならのみやこにゆくひともかもくさまくらたひゆくふねのとまりつけん   に
         奈良    
あをによしならの都 旋頭哥也旅泊の物心細く哀なるを古郷人に告知せたき心也
3613 海原ややそしまかくりきぬれとも奈良のみやこはわすれかねつも
      夜蘇之麻我久里
うなはらややそ嶋 童蒙抄云やそ嶋は只数多の嶋也かくりとはかくれと云也れとりとは同音なれは也
3614 かへるさにいもに見せんにわたつミのおきつ白玉ひりひてゆかな
                          比利比
かへるさに妹に見せん 見安云白玉ひりひては白玉ひろひて也
    風速《カサはヤノ》浦舶泊テシ之夜作歌二首    作者未詳
3615 わかゆへに妹なけくらし風早のうらのおきへにきりたなひけり
   和我             宇良 於伎敝  奇里
わかゆへに妹なけく 風速浦 和名ニ安藝国高田郡と云々或説駿河といへと此哥新羅使の道にての哥なれは安藝可然心は前に女の哥に君かゆく海邊の宿に霧たゝはあか立歎くいきと知ませとよめるを思ひ出しにや
3616 おきつかせいたくふきせはわきもこかなけきのきりにあかましものを
おきつかせいたくふき 見安云歎きの霧は人の息を云おきその霧とも云也
 
    安藝ノ國|長門《ナカトノ》嶋ノ礒邊《イソヘニ》泊《はテヽ》v船ヲ作歌五首
            大|石《イソノ》蓑《ミノ》麻呂
3617 いははしるたきもとゝろに鳴蝉のこゑをしきけはみやこしおもほゆ
                          京師之
いははしる瀧もとゝろ 童蒙抄云瀧もうこきてなく也
3618 やまかはのきよきかはせにあそへとも奈良のみやこはわすれかねつも
   夜麻河泊
やま河の清き 心明也
3619 いそのまゆたぎつ山川絶えずあらば   またもあひ見ん秋かたまけて
いそのまゆたぎつ山河 いそのまゆは石間より也たきつはたきる心也秋かたまけては秋待まうけて也かたは助字也
3620 こひしけみなくさめかねてひくらしのなくしまかけにいほりするかも
   故悲思氣美        比具良之   之麻   伊保利
こひしけみなくさめ 仙曰いほりするかもとはいをねたかりてふすを云いはねの義ほりはほしかる也一説菴                       
3621 わかいのちをなかとのしまの小松原いくよをへてかかむさひわたる
わか命を長門のしま 和命をとは長門といはん諷詞也かむさひ諷詞也かミさひ也古き心也
 
    從2長門ノ浦1出舶《フナテ》之夜|仰《アフヒテ》觀《ミテ》2月光ヲ1作歌    三首        大石《ヲホイワノ》蓑《ミノ》麻呂
3622 月よみのひかりをきよみゆふなきにかこのこゑよひうらまゆかも
    余美  比可里         加古 
月よみの光りを 童蒙抄云かこは水手と書り應神天皇十三年に日向の諸縣《モロアカタ》の君《キミ》牛海に浮ひて來れり角《ツノ》付る鹿の皮を衣服《イフク》にせり時の人其來りし所を鹿子《カコ》の水門と号ス播磨の国也凡|水手《フナコ》をは鹿子《カコ》といふは此時より始也日本紀第十に在云々
3623 山のはに月かたふけはいさりするあまのともしひおきになつさふ
              伊射里            奈都佐布
山のはに月かたふけは なつさふは昵近と書なれそふ心也月傾影うすくなれは漁火顕る心也
3624 われのみやよふねはこくとおもへれはおきへのかたにかちのをとすなり
われのミや夜舟を 心明也
 
    古挽歌《フルキヒツキウタ》
      愴《イタム》2亡妻ヲ1歌一首并短歌  丹比大夫《タンヒノマウチキミ》
3625 ゆふされはあしへにさはきあけくれはおきになつさふかもすらもつまとたくひてわかミにはしもなふりそとしろたへのはねさしかへてうちはらひさねとふものをゆくミつのかへらぬことくふくかせの見えぬかことくあともなきよのひとにしてわかれにしいもかきせてしなれころもそてかたしきてひとりかもねん
    安之敝    可母   都麻    和我尾   之毛  左宿等布  美都
ゆふされはあしへにさはき 海上の芦鴨のつかへるをミて亡妻を思ふ心をのへし挽哥也
あけくれは 明來れは也
おきになつさふ 是も沖にあらはれなれそふ也
つまをたくひて 鴨さへ夫婦羽をかはすにと也
さねとふ物を 小寝《サヌ》云《テフ》物を也見安ニはさやうに飛物をと云心也云々如何
    反歌一首
3626 たつかなきあしへをさしてとひわたるあなたつ/\しひとりさぬれは
   多都我奈伎 安之敝    等比     多頭多頭 
たつかなき芦邊を たつかなきはたつきなき也たよりなき心を田鶴をそへたり源氏須磨の巻にたつかなき雲ゐに独音をそなくとよみしは此哥を本哥なるへしあなたつ/\しはあらたと/\し也たつかなきといひし縁語なるへし
 
   属《ツキテ》v物《モノニ》發《ヲコス》v思ヒヲ歌一首并短歌
              作者未詳
3627 あさゝれはいもか手にまくかゝみなすみつのはまひにおほふねにまかちしゝぬきからくにゝわたりゆかんとたゝむかふ見ぬねをさしてしほまちてみをひきゆけはおきへにはしらなみたかミうらまよりこきてわたれはわきもこにあはちのしまはゆふされはくもゐかくりぬさよふけてゆくへをしらにあかこゝろあかしのうらにふねとめてうきねをしつゝわたつミのおきへを見れはいさりするあまのをとめはをふねのりつらゝにうけりあかときのしほみちくれは芦へにはたつなきわたるあさなきにふなてをせんと船人もかこもこゑよひにほとりのなつさひゆけはいへしまはくもゐにミえぬあかもへるこゝろなくやとはやくきてミんとおもひておほふねをこぎわがゆけはおきつなみたかくたちきぬよそのみに見つゝすきゆきたまのうらにふねをとゝめてはまひよりうらいそを見つゝなくこなすねのみしなかゆわたつミのたまきのたまをいへつとにいもにやらんとひりひとりそてにはいれてかへしやるつかひなけれはもてれともしるしをなみとまたをきつるかも
   美津能波麻備    美奴面   小船乗   安香等(イつ)吉   安之   鹿子   柔保等里能   波麻備(イべ)  宇良伊蘇    比里(イろ)比登里
あさゝれは妹か手に巻 朝になれは妹か手にとると也鏡なすといひてみつのといはん諷詞によミ出し也
はまひ 見安濱邊也
たゝむかふ 見ぬめの枕詞也此集六赤人の哥に出し詞也
みをひきゆけは 身をひきゐて行也
わきもこに 淡路といはん諷詞也逢に添ていふ也
雲ゐかくりぬ 雲隠し也
ゆくへをしらに 不知也
あか心 吾心明らけしとそへて赤石の諷詞也
うきね 舟にねる也
つらゝにうけり 見安云船のつら也但師説はつら/\に連《ツラナ》り浮也
あかとき 暁也
かこのこゑ 見安云水手と書舟子を云也
にほとりの 鳰鳥は水に馴る物なれはなつさひといはん諷詞也舟路に馴る心也
いへしま 八雲抄播磨
あかもへる 我思へる也
心なくやと 見安云心なくさむやとゝ也
よそのミに よそにのミ也
たまのうら 八雲云紀伊仙覚抄同
はまひ 是も濱べ也
なく子なす ねのみなかるゝといはん諷詞也
わたつみのたまきの玉 見安云龍神の珠也愚案海神の手にまき持たる玉也
ひりひ取 拾取也
しるしをなみと 玉を拾持たるしるしもなしと也
    反歌
3628 たまのうらのおきつしらたまひりへれとまたそをきつる見るひとをなみ
          於伎都    比利(イろ)敝礼杼
たまの浦の沖つ白玉 ひりへれとはひろへとも也長うたに返しやる使なけれは持れともしるしをなみと又そ置つるといへる心也
3629 あきさらはわかふねはてんわすれかひよせきてをけれおきつしらなみ
          布祢    和須礼我比          之良奈美
秋さらは我舟はてん はてんは泊の字也帰朝の秋來は舟とめて拾ふへきにと也心明也
 
    周防《スはノ》國|玖河《クガノ》郡|麻里布《マリフノ》浦ニテ作レル歌八首
                  作者未詳
周防國玖河郡 是も遣新羅使の時也
3630 まかちぬきふねしゆかすは見れとあかぬまりふのうらにやとりせましを
    真可治奴伎 布祢           麻里布 宇良
まかちぬき舟しゆかす 舟順風にゆけはえやとらすと也
3631 いつしかも見んとおもひしあはしまをよそにやこひんゆくよしをなみ
                安波之麻
いつしかも見んと 阿波嶋 阿波の国也いつしかミんと願ひし阿は嶋を遙にミる/\ゆく由なけれは残念と也
3632 大船にかしふりたてゝはまきよきまりふのうらにやとりかせまし
       可之布里多(氏/一)天波麻
大船にかしふりたてゝ かしふりたてゝかしとは舟つなく木也前注
3633 あはしまのあはしとおもふいもにあれややすいもねすてあかこひわたる
あはしまのあはしと 別來て又はえあはしと思ふ妹なれはと也あはしまのはあはしといはん諷詞也
3634 つくしちのかたのおほしましましくも見ねはこひしきいもををきてきぬ
   筑紫道   可太能於保之麻
つくしちのかたの 可多の大嶋周防云々しましくといはん諷詞也しはしと也
3635 いもかいへちちくありせはミれとあかぬまりふのうらを見せましものを
      伊敝治 知可久
いもか家路近く有せは 心明也
3636 いへひとはかへりはやこといはひしまいはひまつらんたひゆくわれを
いへひとはかへりはやこと 早く帰來よと也祝嶋八雲には備前と有仙覚抄ニは周防と云々
3637 くさまくらたふゆくひとをいはひしまいくよふるまでいはひきにけん
草枕旅ゆく人を 旅にいくよふるまてと祝ひしやらん久しくかへらすと歎く心也
 
    過《スキテ》2大嶋|鳴門《ナルトヲ》1而|經《ヘテ》2再宿《フタヨヲ》1之後|追《エオヒテ》作ル歌二首 
         田邊《タナベノ》秋|庭《ニは》
大嶋鳴門 周防大嶋郡にや
3638 これやこの名におふなるとのうづしほにたまもかるとふあまをとめとも
            奈流門  宇頭之保 多麻毛 登(イてふ)布安麻
これやこの名におふ 童蒙抄云うづしほとは潮《シホ》のうづ巻たる也あまをとめとはあまの子のまた男せぬ也未通女と書り
             作者未詳
3639 なみのうへにうきねせしよひあともへかこゝろかなしくいめに見えつる
   奈美     宇伎祢  欲比 安杼毛倍香      伊(イゆ)米
波の上にうきね あともへ采葉云哀と思へ也云々心は哀と思へとてか古郷人の夢に見ゆると也
 
    熊毛《クマゲノ》浦ニ舶|泊《はテシ》之夜作歌四首
             羽栗《はクリ》
3640 みやこ辺にゆかん船もかかりこものミたれておもふことつけやらん
   美夜故 へ                   許登都碍
みやこへにゆかん舟もか 舟もかな也
3641 あかときのいへこひしきにうらまよりかちのをとするはあまをとめかも
   安可等(イつ)伎
あかときのいへ戀しき うらまは浦わと同シ梶の音に付ても旅懐催す心也
3642 おきへよりしほみちくらしからのうらにあさりするたつなきてさわきぬ
                可良能宇良尓
おきへよりしほみち からの浦未知類聚には浦風にと有イ本あるにや
3643 おきへよりふなひとのほるよひよせていさつけやらんたひのやとりを
    一云たひのやとりをいさつけやらん
      多妣 夜杼里
おきへより舟人のほる 都の方へ上る舟人に我こゝに旅宿すといひやらんと也
 
    佐婆《サはノ》海|中《ナカニシテ》忽《タチマチニ》遭《アフ》2逆《サカヘ    ル》風|漲《ミナキル》浪《ナミニ》1漂流《タヽヨヒテ》經《ヘテ》v宿《ヨ    ヘヲ》而後幸ニ得テ2順風ヲ1到リ2著ク豊前ノ國|下毛郡《シモツケノコホリ》    分間《ワケマノ》浦ニ1於v是|追2怛《ヲヒイタミ》艱難《カンナンヲ》1悽    惆シテ作レル歌八首  
             雪《ユキ》宅《イヘ》麻呂
漂 玉篇芳妙切浮ク也流《・タヽヨフ》ル也
怛 同曰丁割切悲也
悽 同曰七奚切悽愴也
惆 同曰勅周切悲愁也
3644 おほきみのみことかしこみおほふねのゆきのまに/\屋とりするかも
おほきみのみこと 王命をおそれつゝしみての故に逆浪をこえて行まゝに旅泊のうきめミると也ゆきのまに/\は行まゝにといふ也
             作者未詳
3645 わきもこははやもこぬかとまつらんをおきにやすまんいへつかすして
                             伊敝都可受之(氏/一)
わきもこははやも 仙曰いへつかすしてとは伊は発語の詞へつかすしてとは船の岸に着《ツク》は舳《ヘ》を付る也沖にあれはへつかすしてとよめる也師へは礒也
3646 うらまよりこきこし舟を風はやみおきつみうらにやとりするかも
   宇良末欲里    布祢
うらまよりこきこし 沖津美浦非名所只海を貴ミて御浦と云か
3647 わきもこかいかにおもへかぬはたまのひとよもおちすいめにしみゆる
    伊沫(イゆめ)尓之
わきもこかいかにおもへか いかに思へはにやと也一夜もおちすは毎夜夢にミゆると也
3648 うなはらのおきへにともしいさる火はあかしてともせやまとしまミん
   宇奈波良     等毛之 伊射流
うなはらのおきへ 海原の沖邊也いさるひはいさりする火也あかしてとは明らかにの心也一説夜を明して也終夜ともせ也大和嶋は只大和也
 
3649 かもしものうきねをすれはみなのわたかくろきかみにつゆそをきにける
   可母自毛能   可具呂伎
かもしものうきねを 鴨は浮居れは浮ねの諷詞に鴨自物と云也みなのわたはかくろきをいはん諷詞也かくろきは采葉に髪の黒き也云々
3650 ひさかたのあまてる月は見つれともあかもふいもにあはぬころかも
ひさかたのあまてる あかもふは吾思ふ也
3651 ぬはたまのよわたる月ははやもいてぬかもうなはらのやそしまのうへゆいもかあた   り見ん 旋頭歌也
ぬはたまの夜渡る月 はやもははやくも也うへゆは上より也
 
    至テ2筑紫ノ舘《タチニ》1遥カニ望テ2本郷ヲ1悽愴《セイサウシテ》作ル歌    四首          作者未詳
筑紫舘 太宰府にや
3652 志賀のあまのひと日もおちすやくしほのからきこひをもあれはするかも
   之賀   一日
志賀のあまの一日も 筑前の志賀の蜑也ひとひもおちすは一日もかけず也毎日の心也からきこひとは辛苦なる戀也
3653 しかのうらにいさりするあまいへひとのまちこふらんにあかしつるうを
しかのうらにいさりする 我旅泊の古郷戀しく女の待らんと思ひやる比終夜の漁火に對して此いさりのあまも家人の待戀らんに夜を明し魚釣よと讀る也
3654 かしふ江にたつなきわたるしかのうらにおきつしらなみたちしくらしも
   可之布  一云みちしきぬらし
可之布江にたつ鳴渡る かしふ江筑前也たちしくらしは立しきるらし也一云も満敷ぬらし也
3655 いまよりはあきつきぬらしあしひきのやまゝつかけにひくらしなきぬ
                            日具良之
いまよりは秋つ來ぬ 秋來ぬらし也つは助字なるへし
 
    七夕ニ仰テ觀テ2天漢《アマノカはヲ》1各|陳《ノヘテ》v所ヲv思作ル      歌三首       大使 阿倍継麻呂歟
3656 あきはきににほへるわかもぬれぬともきみかミふねのつなしとりては
     波疑                美布祢  都奈
あきはきに匂へる 織女の心に成て讀也牽牛の舟のつなを取ては我か裳のすそぬれつともよしや引よせんと也人間の事に比して秋萩に匂へる我裳なと七夕の上によむ事常の事也
               作者未詳
3657 としにありてひとよいもにあふひこほしもわれにまさりておもふらめやも
   等之            比故保思
としに有て一夜妹に 此哥拾遺集ニは人丸の哥也猶前にも人丸の哥所々に在此度の遣新羅使四十餘人の中に若人丸も有しにや拾遺集には人丸入唐のよしあり此新羅使の時をいふにや此哥の心は牽牛にも我をとらしと也古郷の妻を思ふ心なるへし
3658 ゆふつくよかけたちよりあひあまのかはこくふなひとを見るかともしさ
          可氣多知与里安比      布奈妣等
ゆふ月夜影立寄合 影どち寄合也夕月に各映したるを云也天河こく舟人とは織女牽牛をいふ也見るかともしさはあかぬ心也
 
    海邊《ウミヘニ》望《ノソミテ》v月ヲ作九首
          大使ノ二男
3659 あきかせは日にけにふきぬわきもこはいつとかわれをいはひまつらん
あきかせは日にけに 日にけには日毎に也いはひてはいのりての心也月の哥にはあらねと月をミて故郷を思ひて讀る哥也
          土師《はジノ》稲足《イナタル》
3660 かむさふるあらつのさきによするなみまなくやいもにこひわたりなん
かむさふるあら津の 神さふるは古《フリ》にし事也荒津の崎筑前也前にもあら津の濱と出たり上句は序なり
           作者未詳
3661 かせのむたよせくるなみにいさりするあまをとめらかものすそぬれぬ
   可是能牟多      
     一云 あまのをとめかものすそぬれぬ
かせのむたよせくる 見安云可是能牟多風の共也愚案風とゝもによせし波也
3662 あまのはらふりさけミれはよそふけにけるよしゑやしひとりぬるよははあけはあけ   ぬとも 旋頭歌也
あまの原ふりさけ よしゑやしはよし/\也心明也
3663 わたつみのおきつなはのりくるときといもかまつらん月はへにつゝ
わたつみのおきつなはのり 一二の句は來る時といはん諷詞也秋は帰りあはんといひしかは妹は我來る時とまつらんに思ひの外に月へて帰らすと也へにつゝのには助字也
 
3664 しかのうらにいさりするあまあけくれはうらまゆくらしかちのをときこゆ
しかの浦にいさりする 心明也
3665 いもをおもひいのねらえぬにあかときのあさきりこもりかりかねそなく
          伊能祢良延奴尓 安可等(イつ)吉能安左宜理其問理可里
いもをおもひいのねらえぬ ねらえぬはねられぬ也暁の朝霧とよめり
3666 ゆふされはあきかせさむしわきもこかときあらひころもゆきてはやきん
ゆふされはあきかせさむし 心は明也此哥も拾遺集には人丸の哥にて詞書云もろこしへつかはしける時よめると有蓋此新羅使をもろこしといへるにや然とも續日本紀にも萬葉にも柿本人丸其使せし人の名にミえす
3667 わかたひはひさしくあらしこのあかけるいもかころものあかつくミれは
                許能安我家流           見
わかたひは久しくあらし あかけるは我着る也妹かきせし衣のあか付るに旅久しと知と也
 
    到テ2筑前ノ國|志麻《シマノ》郡之韓亭ニ1泊ルコトv船ヲ經《ヘタツ》三日ヲ1於《ニ》v時《トキ》夜月之光|皎々《カウ/\トシテ》流照《リウシヤウ》奄《ヲホヘリ》對シテ2此美景ニ1旅情|悽噎《セイイツタリ》各|陳《ノヘテ》2心緒ヲ1聊以裁スルコトv歌ヲ六首     大使
皎々 詩註潔白也
流照 海に照る光也
3668 おほきみのとほのみかとゝおもへれとけなかくしあれはこひにけるかも
         等保能美可度登
おほきみのとをのみかと 遠朝《トヲノミカト》續日本紀遠国も我君のしろしめす地の心也筑紫も王土なから猶別れゐる歎息に近く仕りし御わ(?)けを戀奉ると也
       大判官 壬生使主宇多丸與
3669 たひにあれはよるは火ともしをるわれをやみにやいもかこひつゝあるらん
たひにあれはよるは 心もくれて思ふを闇にや妹か戀つゝと云也
                作者未詳
3670 からとまりのこのうらなみたゝぬ日はあれともいへにこひぬははなし
からとまりのこの浦波 唐泊のこの浦八雲抄筑前と有心は家に有妹に戀ぬ日なしと也
 
3671 ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎
(この哥拾穂抄に掲載せず)
3672 ひさかたの月はてりたりいとまなくあまのいさりはともしあへり見ゆ
ひさかたの月はてり あへりミゆはあへる見ゆ也むかしの詞なるへし
3673 かせふけはおきつしらなみかしこみとのこのとまりにあまたよそぬる
風ふけは沖つ白波 見安云かしこみはおそろしき也愚案あまたよは数夜也
 
    引津ノ亭ニ泊テv船ヲ作歌七首      
               大判官
引津亭 筑前也
3674 くさまくらたひをくるしみこひをれはかやのやまへにさをしかなくも
   久左麻久良             可也     草乎思香
草枕旅をくるしみ かやの山勅撰名所集筑前|糟屋《カスヤ》郡と有
3675 おきつなみたかくたつ日にあへりきとみやこのひとはきゝてけんかも
   於吉都奈美
おきつなみたかく立 我かくうきめ有とは都によもしらしと也
             作者未詳
3676 あまとふやかりをつかひにえてしかもならのみやこにことつけやらん
        可里乎都可比尓     奈良
あまとふやかりを 此哥拾遺集にはもろこしにて柿本人丸と有鴈の使にいてしかもと有哥の心は蘇武か面影也
3677 秋の野をにほはすはきはさけれとも見るしるしなしたひにしあれは
           波疑
秋のゝを匂はす萩は 誠に節物も都にてこそもてはやすかひもあれは也
3678 いもをおもひいのねらえぬにあきのゝにさをしかなきつつまおもひかねて
妹を思ひいのねらえぬに 前ニ朝霧こもり鴈かねそなくとあるに小異也
3679 おほふねにまかちしゝぬきときまつとわれはおもへと月そへにける
おほふねに真梶しゝ しはし潮時をまつと思ひしに思外に月へしと也
3680 よをなかみいのねらえぬにあしひきの山ひことよみさをしかなくも
                       等余米(イめ)
よをなかみいのねら 前の妹を思ひに大同
 
    肥前ノ國松浦ノ郡|狛《コマ》嶋ノ亭ニテ泊シv舶ヲ之夜遥ニ望テv海浪ヲ各|    慟《イタミテ》2旅懐ヲ1作歌七首  秦《はタノ》田《タ》麻呂
慟 玉篇曰徒貢切哀極也
3681 かへりきて見んとおもひしわかやとのあきはきすゝきちりにけんかも
                    安伎波疑須々伎
かへりきて見んと 秋は帰宅と思ひしに思外日をへし心なるへし
                  娘子
3682 あめつちのかみをこひつゝあれまたんはやきませきみまたはくるしも
   安米都知  可未
あめつちの神をこひ こひつゝは乞祈る心也あれまたんは我待ん也此娘子は狛嶋亭の人なるへし遊君なとにや
                 作者未詳
3683 きみをおもひあかこひまくはあらたまのたつつきことによくる日もあらし
きみをおもひあかこひ 改玉の月立事前注たつ一月のうちにいちにちよくる日もなく戀ぬへしと也よくるは去《サル》心也
3684 秋の夜をなかみにかあらんなそこゝはいのねらえぬもひとりぬれはか
秋の夜を長みにか なそこゝはいのねらえぬもとは何そそこはくいのねられぬそと也かくねられぬは長夜の故か独えれはにやと也
3685 たらしひめみふねはてけん松浦のうみいもかまつへき月はへにつゝ
   多良思比賣 御舶
たらし姫御舟はてけん 此哥妹か待へきとまつとい事をいはん序に松浦の海まてをよめり見安云たらしひめとは神功皇后の御事にや愚案日本紀曰神功皇后北ノカタ到テ2火前《ヒノサキノ》國松浦ノ縣《サトニ》1進2食《ミヲシス》於玉嶋ノ里ノ小河之側《ホトリニ》1此うたは此事を上句によみて松浦といふより妹かまつへきとよめりはてけんは泊の字也舟をとむる也然ニ袖中抄此哥の註ニ顕昭曰帝皇系図圖云元年二月皇后自ラ討《ウツテ》2新羅ヲ1幸シタマフ2豊浦宮ニ1号《マウス》2奥長足《ヲキナカタラシ》姫ト1みふねはてけんとはいてけんといふ也いつるをはつるとよめり云々はつるの儀誤れる歟
3686 たひなれは思ひたえてもありつれといへにあるいもしおもひかなしも
         於毛比
たひなれは思ひ絶 旅の中は万事思ふひ絶て外の事は心に懸ましきに妹かあおもひはかなしと也妹しのしは助字也
3687 あしひきの山とひこゆるかりかねはみやこにゆかはいもにあひてこね
あしひきの山飛こゆる 妹に逢て來よ無事をきかんと也
 
挽歌
    到テ2壹岐《ユキノ》嶋1雪|連《ムラシ》宅満《イヘミツ》忽《タチマチニ》    遇《アヒテ》2鬼病1死シ時作歌一首并ニ短歌
作者未詳イ雪連宅満不用
到壹岐嶋 或本此哥雪連宅満みつから悼てよむといふは非也
3688 すめろきのとをのみかとゝから国にわたるわかせはいへひとのいはひまたねかたゝまかもあやまちしけんあきさらはかへりまさんとたらちねのはゝにまをしてときもすぎつきもへぬれは今日かこん明日かもこんといへひとはまちこふらんにとをのくにいまたもつかすやまとをもとほくさかりていはかねのあらきしまねにやとりする君
   等保能朝庭   和我世   麻多祢   多太未(イ未)可毛  波波尓麻乎之[#氏/一]   登保久左可里[#氏/一]
すめろきの遠のみかと 遠朝廷《トヲノミカト》三韓我国ニしたかふ心ニ云
からくに 新羅を云三|韓《カラ》の一ツなれは也
わたるわかせ 宅満を云
いはひまたねか 祝ひ待ぬ故かあやまちしけんと
たゝまかも 見安云只今也イたゝみかも畳《タヽミ》こも也あやといはん諷詞あや筵の心也
母にまをして 申て也
とをのくに 遠国也新羅にもいまた着《ツカ》す古郷大和にも遠かさりて也
やとりするきみ 中途にとゝまるを云君は宅満を云也
    反歌
3689 いはた野にやとりするきみいへひとのいつらとわれをとはゝいかにいはん
   伊波多
いはた野に宿りする 石田野 壱岐也宅満を葬りし所にや此人をいかにと家人の問は我いかゝいはんと也
3690 よのなかはつねかくのみとわかれぬる君にやもとなあかこひゆかん
世中は常かくのみと 死は世の中の常のならひと云心也もとなはよしな也
 
   一首并短歌  葛井《クズヰノ》連《ムラシ》子老《コヲイ》
3691 天地とともにもがもとおもひつゝありけんものをはしけやしいへをはなれてなみのうへゆなつさひきにてあら玉の月日もきへぬかりかねもつきてきなけはたらちねのはゝもつまらもあさつゆにものすそひつちゆふきりにころもてぬれてさきくしもあるらんことく出見つゝまつらんものを世間のひとのなけきはあひおもはぬ君にあれやもあきはきのちらへる野邊のはつを花かりほにふきてくもはなれとをきくにへのつゆしものさむき山邊にやとりせるらん
    安良多麻    都藝[#氏/一]伎奈氣婆  伊※[氏/一]
あめつちとともにも 天長地久とゝもにと此人の寿命を思ひてと也
はしけやし よしとほむる詞也王命にて家をはなれ波に馴て新羅にゆくをほむる心にや一説はしけくと同日本紀私記哀と云語云々
月日もきへぬ 來經ぬ也
つきて來なけは 鳫の聲ことに此人をまつ心也
つまら 妻等也
ひつち ひちひたりて也
さきくしも かくうせしともしらて幸もある物のやうに出見て待らんと也
あひおもはぬ君にあれや 母妻なとはかく待に彼人は遠国にかり廬してやとりて帰らすと也されは相思はぬ君と云也岩田野にはかなき借菴しておさめ置しを云なるへし
ちらへる ちる也
    反歌
3692 はしけやしつまもこともゝたか/\にまつらんきみやしまかくれぬる
はしけやしつまも 是もはしけくと同心にて安波礼とふ詞にや高々には遙に望ミ待也
3693 もみちはのちりなん山にやとりぬる君をまつらんひとのかなしも
   毛美知葉
もみち葉の散なん山 故郷の母妻子なとの心を哀むなるへし
 
           一首并短歌  六鯖《ムツサバ》
3694 わたつみのかしこきみちをやすけくもなく(句)なやみきていまたにももなくゆかんとゆきのあまのほつてのうらへをかたやきてゆかんとするにいめのことみちのそらちにわかれするきミ
わたつみのかしこき おそろしき道也是も宅満の挽哥なるへし
もなくゆかん 無喪也見安云つゝかなくゆかんといふ心也
ゆきのあま 見安云ゆきは壱岐の国也
ほつてのうらへを 勅撰名寄に行きの国の名所と見ゆ名所の浦を占にいひかけてうらへかたやきと云也前ニ注或説帆手の手占といひ物ほしかる占等の説不用
    反歌
3695 むかしよりいひつることのからくにのからくもこゝにわかれするかも
               可良久尓     
むかしよりいひつる事 別は辛苦なると古よりいひし事をと也
3696 しらきへかいへにかかへるゆきのしまゆかんたときもおもひかねつも
   新羅奇          由吉能之麻
しらきへかいへにかかへる 見安云しらき新羅国也愚案新羅へゆかんか家に帰らんか進退忘奇の心也たときはたつきと同宅満を歎く心也
 
    到テ2對馬ノ島ノ淺茅《アサチノ》浦ニ1泊《はツル》v舶ヲ之時不シテv得2順風ヲ1經タリ2五日ヲ1於v是《コヽニ》瞻2望《ミノソンテ》物華《フツクはヲ》1各(/\)陳《ノヘテ》2客《タヒノ》心ヲ1作レル歌三首   作者未詳
物華 ものゝひかり也山海の景氣を云也
3697 もゝふねのはつる對馬のあさち山しくれの雨あめにもみたひにけり
   毛母布祢        安佐治  志具礼 安米  毛美多比尓
もゝふねのはつるつしま 百舟泊也もみたひは紅葉しにけり也
3698 あまさかるひなにも月はてれゝともいもそとほくはわかれきにける
あまさかるひなにも 田舎迄も照月はあれと妹そ遠く成しと也
3699 あきされはをくつゆしもにあへすしてみやこの山はいろつきにぬらん
あきされは置露霜ニ あへす不堪と同又哥林良材ニは取あへすの心也不敢と書云々
 
    竹敷《タカシキノ》浦ニ泊シv舶ニ之時|陳《ノヘテ》2心緒ヲ1作歌十八首
大使
竹敷浦 仙抄對馬云々
3700 あしひきの山したひかるもみち葉のちりのまかひはけふにもあるかも
         下     毛美知
あしひきの山下光る 散まかふ興は今日そと也
                   副使 大伴宿祢三仲歟
3701 たかしきのもみちを見れはわきもこかまたんといひしときそきにける
         母美知
たかしきのもみちを 秋は帰らんといひしこと有し故なるへし
                   大判官
3702 たかしきのうらまのもみちわれゆきてかへりくるまてちりこすなゆめ
たかしきの浦まの ちりこすなゆめ/\といましめし詞也
                 小判官《スナイマツリコトヒト》 大藏忌寸麻呂歟
3703 たかしきのうへかた山はくれなゐのやしほのいろになりにけるかも
たかしきのうへかた山 八雲抄にうへかた山は對馬の国のよしミえ侍り
                 對馬ノ娘子《ヲトメ》名は玉|槻《ツキ》
3704 もみちはのちらふ山邊ゆこくふねのにほひにめてゝいてゝきにけり
もみちはのちらふ山へ 山邊ゆは山へより也ちらふはちる心なり此山邊よりこき行舟の見事さにめてて立出きたりと也
3705 たかしきのたまもなひかしこきてなん君かみふねをいつとかまたん
たかしきの玉藻 こきてなんはこき出ん也
                  大使
3706 たましけるきよきなきさをしほみてはあかすわれゆくかへるさに見ん
たましけるきよき渚 玉敷るはほめていふ也清潔の所なから汐時よく成てあかすなから我出船すれは今帰さに來てミんと也
                   副使
3707 あきやまのもみちをかさしわかをれはうらしほみちくいまたあかなくに
あきやまのもみちをか 浦の潮満來て已に出船の時至れは残念の心を未飽なくにといふ也
                   大使
3708 ものもふとひとには見えししたひものしたゆこふるにつきそへにける
   毛能毛布
ものもふと人には 物もふは物思ふ也下紐はしたゆといはん諷詞也下ゆは下に也旅懐を包む心なるへし
作者未詳
3709 いへつとにかひをひりふとおきへよりよせくるなみにころもてぬれぬ
   比里(イろ)布
いへつとに貝を拾ふと ひりふは拾ふ也イひろふとあり
3710 しほひなはまたもわれこんいさゆかんおきつしほさゐたかくたちきぬ
しほひなは又も我 童蒙抄云しほさゐとはしほのさしあふ波をいふ也
3711 わか袖はたもととほりてぬれぬともこひわすれかひとらすはゆかし
わか袖は袂とほりて ぬれとをりての心也
3712 ぬはたまのいもかほすへくあらなくにわかころもてをぬれていかにせん
ぬはたまのいもかほす 喜撰式云夜をぬは玉といふ云々女はよる逢ふ故ぬはたまの妹と讀る也夜妻に逢てこそ泪もひぬへけれ逢ねは妹かほすへくもあらなくにといふ也
3713 もみちはゝいまはうつろふわきもこかまたんといひしときのへゆけは
もみちはゝ今は移ふ 秋帰んといひ女も秋はまたんといひし故也
3714 あきされはこひしみいもをいめにたにひさしく見んをあけにけるかも
   安藝佐礼婆
あきされは戀しみ妹を 戀しみは戀しき也秋は帰りて逢へき妹にあはされは夢にたに秋の長夜に久しくミんと思ふを早明と也
3715 ひとりのみきぬるるころものひもとかはたれかもゆはんいへとほくして
                              杼保久
ひとりのミ着ぬるる衣 全躰妹を思ふ心也
3716 あまくものたゆたひくれはなかつきのもみちの山もうつろひにけり
         多由多比   九月
あまくものたゆたひ 天雲はたゆたひの枕詞也舟たゝよひくれはと也
3717 たひにてももなくはやことわきもこかむすひしひもはなれにけるかも
        毛奈久
旅にてももなく 喪なく早來のと也祝ひて結ひし心也
 
    廻《カヘリ》2来テ筑紫ノ海路ヲ1入ルニv京ニ到《イタレル》2播磨ノ國ノ家嶋ニ1時作歌五首        作者未詳
3718 いへしまは名にこそありけれうなはらをあかこひきつるいももあらなくに
いへしまは名にこそ有 家といへと妹なけれはといふ心也
3719 くさまくらたひにひさしくあらめやといもにいひしをとしのへぬらく
くさまくら旅に久しく 旅に久しくはあらしといひしを年のへぬる事よと也天平八年六月に出立て九年正月に帰朝前ニ注
3720 わきもこをゆきてはやミんあはちしまくもゐに見えぬいへつくらしも
わきもこを行てはや 播州家嶋より淡路嶋の遙に見ゆるより家近付と思ふ故妹を早ミん悦ふ也見えぬは畢ぬ也
3721 ぬはたまのよあかしもふねはこきゆかなみつのはまゝつまちこひぬらん
ぬはたまの夜明しも 夜|通《トヲ》しにも舟はこきゆかんと也三津濱松は待戀ぬらん諷詞也
3722 大伴の美津のとまりにふねはてゝたつたの山をいつかこえいかん
大伴のミつの 心明也
 
    中|臣《トミノ》朝臣|宅守《イヘモリ》娶《メトル》2藏部《クラヘノ》女嬬《ニヨジユ》狭野茅上娘子《サノヽチカミノヲトメヲ》1之時勅シテ断《コトはリテ》2流罪ニ1配ス2越前ノ國ニ1也|於《ニ》v是《コヽ》夫婦相2嘆《ナケキテ》易クv別レ難《カタキコトヲ》1v會《アヒ》各|陳《ノフル》2慟《イタム》情《コヽロヲ》1贈答ノ歌六十三首
    臨テv別ニ作歌四首
           娘子
3723 あしひきのやまちこえんとする君をこゝろにもちてやすけくもなし
あしひきの山路 北陸道の山路を行こゝろ也越前におもむくを云也心に持ては易別難會悲嘆の心をおもふを云也
3724 君かゆく道のなかてをくりたゝねやきほろほさんあめの火もかも
君かゆくみちの長手 仙曰くりたゝねはくりあつむる也たはぬる也あめの火は天火也見安同義愚案道の長手は遠き道を焼ほろほし近くしたき心也
3725 わかせこかけたしまからはしろたへのそてをふらさね見つゝしのはん
わかせこかけたし けたしは蓋也かねてをしはかり云詞也越前へゆかは袖をふれ見て戀しさをなくさめんと也
3726 このころはこひつゝもあらんたまくしけあけてをちよりすへなかるへし
この比は戀つゝも たとひ別とも此比のほとは戀つゝもあるへしあすよりのちはせんかたあらしと也あけてをちは明てののち也をとのと同音也
 
         上道ニ作レル歌四首
                中臣朝臣宅守
3727 ちりひちのかすにもあらぬわれゆへにおもひわふらんいもかかなしさ
ちりひちの数にも ちりは塵也ひちは仙曰土の風にたつ物を云也愚案数にあらぬといはん諷詞にいへり
3728 あをによしならのおほちはヒゆきよけとこのやまみちはゆきあしかりけり
         奈良      由伎余家杼  山道
あをによしならの大路は ゆきよけとは行よけれとも也此山道は越前の道路を云也
3729 うるはしとあかもふいもをおもひつゝゆけバかもとなゆきあしかるらん
                        母等奈
うるはしとあかもふ 我思ふ妹也もとなはよしな也前の哥の行悪かりけりを二度ことはれる哥也
3730 かしもみとのらすありしをみこしちのたむげにたちていもかなのりつ
                    多武氣    
かしもみとのらすありしを 見安云かしこく名のらす有しと也みこしちは越前越中越後也たむけは山のたうけ也此所にて妹を思出しにや
 
          十四首    中臣朝臣宅守
3731 おもふゑにあふものならはしましくもいもかめかれてあれをらめやも
おもふゑにあふ物ならは 思 ふ故にて逢物ならは我はおもはぬ時なけれはしはしも妹にめかるゝ事あらしと也思ふてもあはぬ歎き也
3732 あかねさすひるはものもひぬはたまのよるははすからにねのミしなかゆ
あかねさすひるは物もひ 物もひは物思ひ也なかゆはなかるゝ也
3733 わきもこかかたみのころもなかりせはなにものもてかいのちつかまし
わきもこか形見の衣 是を見るにこそ戀しさしはし慰て命をもつけと也
3734 とほき山せきもこえきぬいまさらにあふへきよしのなきかさふしさ
     一云 さひしさ
とほき山関も越來ぬ さふしは悲しと同一云さひしさ同義
3735 おもはすもまことありえんやさぬるよのいめにもいもか見えさらなくに
                      伊(イゆ)米    
おもはすもまこと ぬる夜の夢にも妹か見えさるをまことに歎き思さらんやといふ也
3736 とをくあれは一日一夜もおもはすてあるらんものとおもほしめすな
遠くあれはひとひひとよ 思はすては思はすして也おもほしはおほし也
3737 ひとよりはいもそもあしきこひもなくあらましものをおもはしめつゝ
人よりは妹そも悪き 妹そものもは助字也あまりに戀侘てうきあまりに云心也
3738 おもひつゝぬれはかもとなぬはたまのひとよもおちすいめにし見ゆる
                            伊(イゆ)米
おもひつゝぬれはか 毎夜夢に見えて物思はすれはもとなと云也古今集小町か哥も是を本哥なり
3739 かくはかりこひんとかねてしらませはいもをは見すそあるへくありける
かくはかりこひんと兼て 始より逢見じをと也
3740 あめつちのかみなきものにあらはこそあかもふいもにあはすしにせめ
あめつちの神なき 天神地祇あらは我祈念をうけてあはん物をと頼む心なるへし
3741 いのちをしまたくしあらはありきぬのありてのちにも 一云ありてのゝちも あはさらめやも
いのちをしまたくし 命全くあらは也ありきぬは織絹也此詞有て後の諷詞也
3742 あはん日を其日としらすとこやみにいつれの日まてあれこひをらん
あはん日をその日と とこやみは常にかきくらしおもふ心也日神岩戸に籠給へは六合常闇と成し事日本紀にあり
3743 たひといへはことにそやすきすくなくもいもにこひつゝすへなけなくに
たひといへはことにそ 旅を安きといひ妹に戀つゝ為便なくもなきと云あまりのことに裏《ウラ》をいふなるへし
3744 わきもこにこふるにあれはたまきはるみしかきいのちもおしけくもなし
わきもこに戀るにあれは 魂極るは命をいはんとて也あれはゝ我は也
    九首    娘子
3745 いのちあらはあふこともあらんわかゆへにはたなおもひそいのちたにへは
命あらは逢ふ事も 見安云はたな思ひそ又な思ひそ也愚案いのちたにへは有《アリ》經は也
3746 ひとのうふる田はうへまさすいまさらにくにわかれしてあれはいかにせん
   比等
ひとの植る田は植まさす 配流して領地をはなるゝを田は植まさすといへるにや國別とは君は越前に我は故郷に在をいふ也あれはは我は也生業もなき流人の身を哀み悲しむ心なるへし
3747 わかやとのまつの葉見つゝあれまたんはやかへりませこひしなぬとに
わかやとの松の葉 こひ死なぬとには戀死なぬ時に也間にと同
3748 ひとくにはすみあしとそいふすむやけくはやかへりませこひしなぬとに
   比等久尓         須牟也氣久
ひとくにはすみあしとそ 住悪《スミアシ》也住難き心也すむやけくは速《スミヤ》かに也見安には須牟也氣久 炭焼といふ心也云々然らはすみあしも炭悪か如何
 
3749 ひとくににきみをいませていつまてかあかこひをらんときのしらなく
人国に君をいませて 君をおはしまさせて也時のしらなくは帰時いつとしらて也
3750 あめつちのそこひのうらにあかことくきみにこふらんひとはさねあらし
         曽許比 宇良
あめつちのそこひの あめつちのはそこといはん諷詞也そこひの浦夫木集に紀伊とあり天地の底を極てもの心成へし見安云さねあらしよもあらし也
3751 しろたへのあかしたころもうしなはすもてれわかせこたゝにあふまてに
しろたへのあか下衣 形見に送る心なるへし
3752 はるの日のうらかなしきにをくれゐて君にこひつゝうつしけめやも
                          宇都之家米也母
はるの日のうら悲しきに 春日のうら/\なるを云懸たり扨君に戀て日数を移さんかとの心也
3753 あはん日のかたみにせよとたわやめのおもひミれてぬへるころもそ
あはん日のかた見に たはやめ娘子ミつから云也
    十三首中臣朝臣宅守
3754 ひまなしにせきとひこゆるほとゝすあまたかねにもやますかよはん
   過所              多我子(イこ)尓母
ひまなしにせきとひ あまたかねにもと心数多の旅人のなくねにもかよひなんとなりイあまたかこにも他の男子にも通はんと娘子をうたかへる心にや
3755 うるはしとあかもふいもを山川をなかにへなりてやすけくもなし
うるはしとあかもふ へなりては隔てゝ也
3756 むかひゐて一日もおちす見しかともいとはぬいもをつきわたるまて
むかひゐて一日《ヒトヒ》も いとはぬはあかぬ心也見安云つきわたるまては月の過る心也愚案毎日向ひ見てもあかぬ妹を一月過てミぬ事よと也
3757 あか身こそせきやまこえてこゝにあらめこゝろはいもによりにしものを
あか身こそせき山 此関山名所にあらす道すからの関所山々なるへし
3758 さすたけの大宮人はいまもかも 一云いまさへや 人なふりのみこのみたるらん
さすたけのおほミや 此詞前にも度々出正説此巻の秘訣とす 見安云ひとなふりのミとは女の人になふられて心亂るなと云也愚案大宮人は今も人なふりを好むへけれはわかなき折に好言の人になふられなと娘子にいひやる也
3759 たちかへりなけともあれはしるしなミおもひわふれてぬるよしそおほき
たち帰りなけとも 旅途のほと帰り見てなくかひなく思侘てぬる夜おほきと也
3760 さぬるよはおほくあれともものもはすやすくぬるよはさねなきものを
さぬるよはおほく 物思はてぬる夜は実《シツ》になしと也
3761 よのなかのつねのことわりかくさまになりきにけらしすゑのたねから
               可久左麻尓        須恵之(か)多祢可良
よのなかの常の理り すゑのたね末は先と同前世の因縁を云又はするゆへのたねからかく流人となると也見安ニは心のたねから也云々
3762 わきもこにあふさか山をこえてきてなきつゝをれとあふよしもなし
わきもこに逢坂山を 越前への道路也
3763 たひといへはことにそやすきすへもなくくるしきたひもことにまさめやも
   多婢     許等              多婢 許等(イら)尓
たひといへはことにそ わか配流のうさにくらへてはよの常の旅はことに安したとひ苦き旅も是にまさめやとと也イこらにまさめやも苦しき旅も是にまさんやと也らとれと通ス3764 山川をなかにへなりてとほくともこゝろをちかくおもほせわきも
山川をなかにへなりて 前の山川を中にへなりてとおなし
3765 まそかゝみかけてしのへとまつりたすかたみのものをひとにしめすな
                麻都里太須
まそかゝみかけてしのへと まつりたすは奉り出す也示すなは遣すな也
3766 うるはしとおもひしおもはゝしたひもにゆひつけもちてやますしのはせ
        於毛比之於毛婆波
うるはしとおもひし思はゝ 形見の物をうるはしく思ひ思はゝ下紐に付てはなたす忍へと也
        八首
3767 たましひはあしたゆふへにたまふれとあかむねいたしこひのしけきに
たましひはあした夕に 宅守に別て朝夕戀死へく思へと猶|死《シナ》ぬを朝タゆふへに魂を給ふといふなるへしされと戀しけく胸痛き事せんかたなしと也
3768 このころは君をおもふとすへなきこひのみしつゝねのみしそなく
この比は君を思ふと 心明也
3769 ぬはたまのよる見し君をあくるあしたあはすまにしていまそくやしき
ぬはたまのよるミし あはすまにしてとは逢すして也たとへはこりすをこりすまと云かことし
3770 あちま野にやとれる君かかへりこんときのむかへをいつとかまたん
   安治麻         可反里
あちま野に宿れる 仙曰あちま野 越前の国 愚案流刑を免《ユル》されて帰京の迎をいつと期せんと也
3771 宮人のやすいもねすてけふ/\とまつらんものをミえぬ君かも
宮人のやすいも 宅守を待戀る人我のミにもあらぬ心にや
3772 かへりけるひときたれりといひしかはほと/\しにき君かとおもひて
かへりける人來れりと 
宅守を送りて帰りし人なとにや君か帰りしといふかと思ひてほとんと死たりと也うれしさのあまりになるへし
3377 君かむたゆかましものをおなしことをくれてをれとよきこともなし
君かむたゆかまし 君かむたは君と共《トモ》にの心也京にをくれゐれと同しことにてよからねはと也流人にともなふ事自由ならねと思ひ餘りて云也
3774 わかせこかかへりきまさんときのためいのちのこさんわすれたまふな
   和我世故
わかせこか帰りき 戀死ぬへけれと君か帰りこん時のために命を残すへし忘るゝ事なかれと也
      更ニ贈ル歌二首    中臣朝臣宅守
3775 あらたまのとしのをなかくあはされとけしきこゝろはあかもはなくに
                     家之伎    安我毛波奈久尓
あらたまの年のを長く けしき心は恠《ケ》シキ也あやしきと同娘子か忘給ふなといふに答てあやしく頼もしけなき心は思はすと云也
3776 けふもかもみやこなりせは見まくほりにしのみまやのとにたてらまし
   家布                  御馬屋
けふもかも都なりせは 西の御厩《ミマヤ》の外《ト》は娘子に忍ひ逢し所にやけふは元日なと歟
       和スル歌二首   娘子
3777 きのふけふきみにあはすてするすへのたときをしらにねのみしそなく
                須流須敝 多度伎乎之良尓
きのふけふ君に 見安云するすへのたときをしらにせんすへなみと同心也
3778 しろたへのあかころもてをとりもちていはへわかせこたゝにあふまてに
しろたへのあか衣手を 前の白妙のあかした衣といふ哥と同心也祝へとは元日にや
       寄《ヨセテ》2花鳥ニ1陳《ノヘテ》v思ヲ作レル歌   中臣朝臣宅守
3779 わかやとのはなたちはなはいたつらにちりかすくらん見る人なしに
         波奈多知波奈      知利 須具良牟
わか宿の花橘は 故郷の橘を想像にや又娘子か見ぬ歎にや
3780 こひしなはこひもしねとやほとゝきすものもふときにきなきとよむる
こひ死なは戀も 不如帰と鳴とよみて旅懐の堪かたき故にかくよむにや
3781 たひにしてものもふときにほとゝきすもとななゝきそあかこひまさる
たひにして物もふ時 古今物思ふ我に聲な聞せその本哥にや
3782 あまこもりものもふときにほとゝきすわかすむさとにきなきとよもす
あまこもり物もふ時に 仙曰あまこもりとは雨に降こめられてゐたるを云也見安云雨中に物おもふ心也愚案とよもすとよむ也
3783 たひにしていもにこふれはほとゝきすわかすむさとにこよなきわたる
   多婢尓之(氏/一)
旅にして妹に戀れは こよは今宵也
3784 こゝろなきとりにそありけるほとゝきすものもふときになくへきものか
こゝろなき鳥にそ 物思ひを催す心也
3785 ほとゝきすあひたしましをけなかなけはあかもふこゝろいたもすへなし
ほとゝきす間しまし あひたしましをけとは間をしはし置けさは鳴頻そと也我思ふ心いともすへなきにと也
萬葉集巻第十五
貞享三年五月十五日書于新玉津島新樹下畢墨付卅三枚 季吟
                     2003.9.11(木)午後3時16分巻十五入力了
 
 
萬葉集巻第十六
 
    有2由縁《ユウヱン》1雜歌
昔者《ムカシ》有2娘子《ヲトメ》1字《アサナシテ》曰2櫻兒《サクラコト》1也|于《ニ》時《トキ》有2二壯子《フタリノマスラヲ》1共《トモニ》誂《イトム》2此ノ娘ヲ1而|捐《ステヽ》v生ヲ挌競《アラソヒキソヒ》貪《ムサホリテ》v死ヲ相敵《アヒアタム》於《ニ》v是《コヽ》娘子|歔欷《ナケキテ》曰ク從《ヨリ》v古至テv今ニ未《イマタ・ス》v聞《キカ》未タv見|一《ヒトリノ》女ノ之身|徃2適《ユキムカフコトヲ》二ノ門ニ1矣|方《マサニ》今壮子ノ之意ロハ有v難《カタキコト》2和平《ヤハラキタイラキ》不v如《シカ》妾《ヤツコカ》死シテ相害《アヒソコナフコト》永ク息《ヤマンニハ》爾乃チ尋《タツネ》2入テ林ノ中ニ1懸《カヽリテ》v樹《キニ》經《ワナキ》死ヌ其ノ兩《フタリノ》壯子不2敢《アヘテ》哀慟《アイトウセ》1血ノ泣《ナンタ》漣《ナカル》v襟《エリニ》各々|陳《ノヘテ》2心緒ヲ1作レル歌二首  姓名未v詳
有2由縁1 由来因縁ある哥也
昔有2娘子1 哥林良材云むかし桜子といふ女有二人の壯士に思ひ懸られける此男命を捨てあらそひけれは女思ひけるは昔より一女の身として二門に行事を聞す壯士の心も又やはらきかたししかし身を失はんにはと云て林中へ入て木に首をかけて終に死ぬ二人の男思ひの泪を流せともかひなし各哥を讀て心をのへ侍る 祇注同義
歔欷 玉篇云|歔欷《キヨキハ》歎也又啼(白/ハ)經死物ニフレ死也
3786 春さらはかさしにせんとわか思ひしさくらのはなはちりにけるかも
   春去(イされ)者挿頭尓將為跡我念之櫻花者散去流香聞
春さらはかざしに 祇抄哥林良材 には春されはと有桜子なれは桜に比してよめり祇曰かさしにせんとは我妻にせんと思ひしと云心也
3787 いもか名にかけたるさくら花ちらはつねにやこひんいやとしのはに
   妹之名尓繋有櫻花開(イさか)者常哉將戀弥年之羽尓
妹か名にかけたる桜 花ちらは哥林ニは花さかはと有祇曰常にや戀んいやとしのはにとは年毎に弥戀やせんとの心也
 
  或《アルヒトノ》曰ク有2三《ミタリノ》男1娉《ヘイス》2一《ヒトリノ》女ヲ1也|娘子《ヲトメ》字《アサナ》曰《イフ》2縵兒《カツラコ》1嘆息テ曰ク一女之身|易《ヤスキコト》v滅《キエ》如シv露ノ三|雄《イウノ》之志難v平キコト如シv石ノ遂《ツヰニ》乃|彷2徨《タチモトヲリテ》池ノ上《ホトリニ》1沈2没《シツメリ》水底《ミナソコニ》1 於|時《トキニ》其ノ壮士|等《ラ》不《ス》v勝《タヘ》2哀頽《アイタイノ》之至ニ1 各(/\)陳《ノヘテ》2所心1作歌三首
或曰有三男イ昔有三男云々 哥林良材云和州に三人の男有て一人の女を思へり其女の名をかつらことなん云ける此女思へらく一女の身はきえやすき事露のことし三雄の志は平きかたき事石のことしといひて終に耳なしの池に行て身をなけてうせぬ其時三男悲みにたへすして同くよめる祇抄同義
3788 みゝなしの池しうらめしわきもこかきつゝかくれは水はかれなん
   無耳之池羊蹄恨之吾妹兒之来乍潜者水波將涸(イひなゝん)
みゝなしの池しうらめし 八雲御抄云無耳池大和万 將v涸類【聚等カレナン哥林ヒナヽン】
3789 あしひきの山かつらのこけふゆくとわれにつけせはかへりこましを
   足曳之山縵之兒今日徃跡吾尓告世婆還来麻之乎
あしひきの山かつらのこ けふゆくとは此池に女のゆく事也歸りこましをとは此男女のもとより歸りし日女うせたりし故我に告たらは歸り來て女をやらしと也
3790 あしひきの玉かつらのこけふのこといつれのくまを見つゝきにけん
   足曳之玉(イやま)縵兒如今日何隈乎見管來尓監
あしひきの玉かつらのこ 祇抄山かつらと有祇曰かつらこと侍るほとに山かつらと讀るといへり二条院の御本には玉かつらのこといへり山と同韵にて山と同事也と注にみえたり愚案此注とは仙覚抄也二条院の御本は清輔朝臣|奉《ウケタマハテ》v勅ヲ点と云々但師説足引は山の事也|葛《カツラ》は山にあれは山の玉かつらといひかけたり云々けふのこととはけふ我かのかつらこか行末を尋てくまことに心をつけたりしことく此女もいつれのくまをか見つゝきてこゝに沈けんと也
 
    昔有2老翁1號シテ曰2竹《タケ・タカ》取翁《トリノヲキナト》1也此翁季春ノ之月ニ登《ノホツテ》v丘《ヲカニ》遠ク望《ノソム》忽《タチマチニ》値《アフ》2煮《ニル》v羮《アツモノヲ》之|九箇《コヽノヽ》女子《ヲトメニ》1也百嬌《モヽノコヒ》無《ナク》v儔《タクヒ》花ノ容《スカタ》無《ナシ》v止《ヤンコト》于《ニ》v時《トキ》娘子|等《ラ》呼《ヨンテ》2老翁ヲ1嗤《アサワラヒテ》曰ク叔父《ヲヂ》來テ吹ケ2此ノ燭火《ヒヲ》1也於v是《コヽニ》翁カ曰ク唯唯《イイ》漸《ヤヽ》趨《ワシリ》徐《ヤヽ》行テ著2接《ツキマシハル》座ノ上《ホトリニ》1良《ヤヽ》久《ヒサシフシテ》娘子等《ヲトメラ》皆共ニ含ンテv咲《ワラヒヲ》相推譲《アヒヲシユツリテ》之曰ク阿《ア》誰《タレカ》呼《ヨフヤ》2此翁ヲ1哉|爾《シカルニ》乃竹取翁謝シテv之ニ曰非慮ノ之外|偶《タマ/\》逢《アヒテ》2神仙ニ1迷惑ノ之心無2敢ヘテ所1v禁|近《チカク》狎《ナルヽ》之罪|希《コヒネカハク》贖《アカフニ》以センv歌ヲ即作レル歌一首并ニ短歌
竹取翁 或本たかとりのおきなと点ス然共六百番哥合ニ俊成卿判詞ニたかとりを難せられぬ又竹取の物語にもたけとりといへり但大和物語堀川百首等にはたかとりと讀り両説の中猶俊成卿の御説に付てタケトリと可讀也
叔父 老翁をよふ詞也
非慮之外偶逢神仙 此詞張文成か遊仙窟の文を移せるか
贖ニ以センv謌ヲ 罪を贖といふ事あり贖銅とて錢を出す其代に哥よまんと云也
                       竹取翁
3791 みとりこのわかこか身にはたらちしのはゝにいたかれたまたすきはふこか身にはむすふかたきぬひつりにぬひきくひつきのうなひこか身にはゆふはたのそてつき衣きし我をによれるこらかよちには見なしつらなかくろなるかみをまくしもちこゝにかきたれとりつかねあけてもまき見ときみたれうなひこになれるミつらにつかふる色になつけくるむらさきのおほあやの衣すみの江のとをさとをのゝま萩もてにほしゝきぬにこまにしきひもにぬひつきさしへかさねへなみかさねきてうちそはしをみのこらありきぬのたからのこらかうつたへはへてをるぬのを日にさらしあさてつくろひしきもなせはしきにとりしきやとにへていねすをとめかつまとふとわれにそ來にしをちかたのふたあやうらくつとふとりのあすかおとこかなかめいみぬひし黒くつさしはきて庭にたゝすみいてなたちいさふをとめかほのきゝてわれにそこしみはなたのきぬの帯をひき帯なれるから帯にとらしわたつみのとのゝみかさに飛かけるすかるのこときこしほそにとりてかさらひまそかゝみとりなみかけてをのかミのかへらひ見つゝ春さりてのへをめくれは面白みわれをおもふかさのつ鳥來なきかけらふ秋さけてやまへをゆけはなつかしとわれをおもふかあま雲も行たなひきてかへりたちみちをくるにはうちひさす宮を見てもなさす竹のとねりおとこも忍ふらひかへらひ見つゝたか子そとや思ひてあらんかくそしこしいにしへのさゝぎし我やはしきやしけふやもこらにいさにとや思ひてあらんかくそしこしいにしへのかしこき人ものちのよのかゝみにせんとおひ人ををくりし車もてかへりこね
緑子之若子蚊見庭垂乳為母所懐※[衣+差]襁平生蚊見庭結經方衣水津裏丹縫服頚著之童子之見庭結幡袂著衣服我矣丹因子等何四千庭三名之綿(イつらなれる)蚊黒為髪尾信櫛持於是蚊寸垂取束擧而裳纒見解亂童兒丹成見羅丹津蚊經色丹名著來紫之大綾之衣墨江之遠里小野之真榛持丹穂之為衣丹狛錦紐丹縫著刺部重部波累服打十八為麻續兒等蟻衣之寶之子等蚊打栲者經而織布日曝之朝手作尾信巾裳成者之寸丹取為支屋所經稲寸丁女蚊妻問迹我丹所來為彼方之二綾裏沓飛鳥飛鳥壮蚊霖禁縫為黒沓刺佩而庭立住退莫立禁(イむ)尾迹女蚊髣髴聞而我丹所來為水縹帶尾引帶成韓帶丹取為海神之殿盖丹飛翔為輕如來腰細丹取餝氷真十鏡取雙懸而己蚊果還氷見乍春避而野邊尾廻者面白見我矣思經蚊狭野津鳥來鳴翔經秋僻而山邊尾徃者名津蚊為迹我矣思經蚊天雲裳行田菜引還立路尾所来者打氷刺宮尾見名刺竹之舎人壮裳忍經等氷還等氷見乍誰子其迹哉所思而在如是所為故為古部狭々寸為我哉端寸八為今日八方子等丹五十狭邇迹哉所思而在如是所為故為古部之賢(イさかしき)人藻後之世之堅監將為迹老人矣送為車持還来
みとりこの 稚《ヲサナ》きより老迄の事を讀也
たまたすき 仙曰児を負衣也玉はたすきをほむる詞也 玉篇 繦ハ居兩切繦 居兩切繦褓負《ヲフ》兒ヲ衣也
くびつきのうなひこ 仙曰髪も頸《クヒ》付におひたる童子《うなひ》か衣には袖を付て着する也
ゆふはた 見安云|纐(旁効)纈《カウケツ》也
によれるこらか 仙曰我もかくおさなかりしをよれる子とものよきとちに見なしてなミゐたるかと也
なれるみつら 見安云|鬢額《ヒンツラ》也
つかふる色に 見安云官によりて人の衣裳の色の替るを云
にほしゝ 見安云匂シ也
こまにしき 見安青錦也
さしへかさねへなみかさね 見安云色々にさしかさなるを云也
をみのこら 見安云おさなき物とも也
たからのこら 見安云人の子は寶なる故に云也
うつたへ 見安云うつくしくたへなる心也
あさてつくらひ 見安苧うみこしらふるを云也
しきもなせは 見安しき物をなすといふ心也
二綾うら沓 見安沓のうらは二重に打物也
あすかおとこかなかめいみ 見安飛鳥男は沓作也沓の形打ては日にほせは長雨をいむ也
わたつミの 見安竜宮也みかさは天蓋也天蓋のかさりに蝶やすかるを付るを云
かへらひ見つゝ 見安云形を見る也愚案顧ミる也
さ野つ鳥 見安野鳥也
秋さけて 見安秋去て也愚案此哥は此翁稚きより若かりし迄は色色に粧《ヨソホ》ひたるにいかなる人も思付しと也
さす竹のとねり男 見安云竹の戸とつゝくる也愚案此翁舎人男まても我ありさまを思ひうらやみかへり見て誰子そと思ふはかり有しと也
かくそしこし かくそありこしと也
いにしへのさゝきし 見安云古は捧られしといふ心也
いさにとや 禁《イサ》の字也
いにしへのかしこき人も 仙曰周文王太公望を見付て車に乗て送ける事を云也見安同愚案蒙求曰文王乃|齊《モノイミスルコト》三日|田《カリス》2於渭陽ニ1卒ニ見ル2大公カ坐シテv茅ニ以漁ヲ1文王勞シテ而問フv之ヲ乃|載《ノセテ》與《トモニ》歸《カヘ》ル かた見は後代のしるしの心也又かたミはかゝみ也たとかと通す心は後代の明鏡にと也
    反歌
3792 しなはこそあひ見すあらめいきてあらはしらかみこらにおひさらめやも
   死者木苑相不見在目生而在者白髪子等丹不生在目八方
しなはこそあひ見す 世に老といふ物のかれねは死なは老の白髪にあひ見さらめ生てあらは白髪の生さらんやと也子らは九の子ら也
3793 しらかせんこらもいきなはかくのことわかけんこらにのられかねめや
   白髪為子等母生名者如是將若異子等所詈金目八
しらかせんこらも のられとは禁し嫌ふ心也終にはこらも白髪せんに生てあらはかくのことく若からんこらに嫌はれんと也
 
    和スル歌九首    娘子
3794 はしきやしおきなの哥におほほしきこゝのゝこらやかまけてをらん
   端寸八為老夫之歌丹大欲寸九兒等哉蚊間毛而將居
はしきやしおきなの おほゝしきは多《ヲホ》しき也九人まてあれは也かまけてはかは發語にてまけてと云也はしきやしはほむる詞翁の哥にかゝれり
3795 はぢを忍ひはぢをもだしてこともなくものいはぬさきにわれはよりなん
   辱尾忍辱尾黙無事物不言先丹我者將依
はちを忍《シノ》ひはちを 前の詞に相推讓テ之曰ク阿《ア》誰カ呼《ヨフヤ》2此翁ヲ1哉と有九女皆恥て翁に物いひ出さりしされは人のいはぬさきに我まつ此翁に近付よらんと也
3796 いなもうもおもはんまゝにゆるすへしかたち見えめやわれもよりなん
   否藻諾(イお)藻随欲可赦貌所見哉我藻將依
いなもうもおもはん うは諾の字おとも和スいやもおふも也形は忍ふへけれは見ゆへくもあらすとかく随ひ依んと也
3797 しにもいきもおなし心とむすひてしともはたかはじわれもよりなん
   死藻生藻同心迹結而為友八違我藻將依
しにもいきも同し心に 友の心にはたかはしと也
3798 なにせんとたかひはをらんいなもうもとものなみ/\われもよりなん
   何為迹違將居否藻諾(イお)藻友之波波我裳將依
なにせんとたかひは 何のためにたかはんと也
3799 あにもあらすをのか身からを人の子のこともつくさしわれもよりなん
   豈藻不在自身之柄人子之事藻不盡我藻將依
あにもあらすをのか 見安云あにもあらすは明らかにもあらす也愚案人の子の事とはかの翁のうたにみとりこのわか子の身よりといふより以下をのかみつからのおさなきよりの事をさま/\いひつゝけしをよめるなるへし明らかならぬをのかみつからのうへをさのみいひつゝけ事をつくすまてもなく我も翁によらんと也
3800 はたすゝきほには出なと思ひてあるこゝろはしれりわれもよりなん
   者田為々寸穂庭莫出思而有情者所知我藻將依
はたすゝきほにはいつなと 見安云はたすゝきは薄の穂の旗のやうになひくを云也愚案ほにいつるとは思ひの色にあらはるゝを云旗薄は諷詞也心中の思ひを色に出なとみつからいましめらるゝ各の心は知たりと也
3801 すみの江のきしのゝはきににほはせどにほはぬわれはにほひてをらん
   墨之江之岸野之榛丹丹穂所絶迹丹穂葉寐我八丹穂氷而將居
すみの江のきしのゝ 人々は此野の萩にともに匂はせと我は形も及はす匂はねは翁をめつへきにあらす只一人うちえみ匂ひてあらんと也
3802 春の野の下草なひき我もよるにほひよりなん友のまに/\
   春之野乃下草靡我藻依丹穂氷因將友之随意
春ののゝ下草なひき 匂ひよる友達のまゝに我もよらんと也此和哥の心翁になひくとにはあらし始より翁にたはふれ心見たるに翁述懐せしに付て又我もよりなん/\と皆されたる心なるへし
 
  昔者《ムカシ》有2壮士《マスラヲト》1與2美女《ヲトメ》1也姓名未v詳|不《スシテ》v告《ツケ》2二親《カソイロニ》1竊《ヒソカニ》為《セリ》2交接《ミトノマクハヒ》1於《ニ》v時《トキ》娘子《ヲトメカ》之|意《コヽロ》欲《ヲモフ》v令《シテ》・ント2親ヲ知《シラ》1 因テ作テ2歌詠《ウタヲ》1送2與《ヲクリアタフ》其夫ニ1歌ニ曰 或曰ク男有2答ノ歌未タv得《エ》2探《サクリ》求1也
                 娘子
3803 したにのみこふれはくるしやまのはにいてくる月のあらはれはいかに
   隠耳戀辛苦山葉從出来月之顕者如何
したにのみ戀ふれは 親にしられす奔《ハシ》るは夫婦の徳にあらす交接のほともくるしけれは親にあらはし告んはいかゝあらんと也
 
  昔者有2壮士1新《アラタニ》成《ナス》2婚礼《コンレイヲ》1也未タ・スシテv經《ヘ》2幾ク時ヲ1忽チニ為《シテ》驛使《ハイマツカヒトシテ》1被《ル》v遣《ツカハサ》2遠キ境《サカヒニ》1公事《ヲホヤケコトハ》有テv限リ會期《アフコハ》無《ナシ》v日|於《ニ》v是《コヽ》娘子|感慟悽愴《カントウセイサウシテ》沈2臥《シツミフス》疾(病垂+尓)《ヤマヒニ》1累《カサネテ》v年ヲ之ノ後《ノチ》壮士|還來《カヘリクル》覆命《フクメイ》既《ステニ》了《ヲハツテ》乃|詣《ユイテ》相|視《ミル》而娘子カ之|姿容《スカタ》疲羸《ツカレツカレテ》甚《ハナハタ》異《コトニシテ》言語|哽咽《ムセヘリ》于v時|壮士《ヲトコ》哀嘆《アイタンシテ》流スv涙ヲ裁テv歌ヲ口號《クチスサブ》其歌一首
              姓名未v詳
新ニ成2婚礼1 はしめてめとる礼儀をせし也あひそめし事也
驛使 田舎へ勅使に行也
公事有v限 君命によりての使なれはゆかてかなはぬ心也
感慟悽愴 なけきかなしむ心也
覆命 勅使にまいりて御返事を君へ申也
3804 かくのみに有ける物をゐな川のおきをふかめてわかおもへりけり
   如是耳尓有家流物乎猪名川之奥乎深目而吾念有來
かくのみに有ける 猪名河八雲抄津の国云々おきを深めてといはん諷詞也かくのみ汝我を戀歎し物を我は我と汝をふかく思ひしよと也
 
    臥《フシテ》聞テ2夫君《フクンノ》之歌ヲ1從リv枕|擧《アケテ》v頭《カ    シラヲ》應《ヲウシテ》v聲ニ和スル歌一首    娘子
3805 うはたまのくろかみぬれてあは雪のふりてやきますこゝたこふれは
   烏玉之黒髪所沾而沫雪之零也來座幾許戀者【時ニ雪落ル故ニ作ル2沫雪句ヲ1】
うはたまの黒髪ぬれ こゝたはそこはく也かくそこはく戀れは哀みて雪に黒髪ぬれてきませるかと也
 
     傳ヘテ曰時ニ有2女子1不《ス》v知シメ2父母ニ1竊ニ接《マシハル》2壮士    ニ1也壮士|悚2タ《ヲソレ/\テ》其親ノ呵嘖《セムルコトヲ》1稍《ヤヽ》    有2猶預《ユヨスル》之意1因v此ニ娘子裁2作斯ノ歌ヲ1贈ル2其夫ニ1一首
姓名未詳
猶預 ためらふ心也
3806 事しあらはをはつせ山のいはきにもこもらはともにおもふなわかせ
   事之有者小泊瀬山乃石城尓母隠者共尓莫思吾背
事しあらはをはつせ いはき石城と書岩かまへし魂屋《タマヤ》也父母のゆるさて事出來たらは初瀬山の奥廓《オキツキ》にもこもらはともにこもらんさのミ猶預を思ふなと也同穴をちきる心なるへし
 
    傳テ云葛城王ヲ遣ス2陸奥ノ國ニ1之時ニ國ノ司祇承緩怠|異《コトニ》甚《ハナハタシ》於v時|王《ヲホキミノ》意《コヽロ》不《ス》v悦《ヨロコヒ》怒《イカレル》色|顕《アラハル》v面ニ雖v設《マウクト》2飲饌《インセンヲ》1不v肯《アヘ》2宴樂《エンラクシ》1於v是2有前ノ采女風流ノ娘子《ヲトメ》1 左ノ手ニ捧《サヽケ》v觴《サカツキヲ》右ノ手ニ持チv水ヲ撃テ2之王ノ膝《ヒサヲ》1而詠メリ2此歌ヲ1尓ルニ乃王ノ意|解悦《トケ/\テ》樂飲終日
葛城王 八雲御抄云葛城王は後に給《タマフ》v姓ヲ左大臣橘諸兄是也
祇承 王命をつゝしみうけ給はる事緩怠とゆるくをこたる也
飲饌 酒食也
右手持v水ヲ 酒を持也
3807 あさか山かけさへ見ゆる山のゐのあさき心をわかおもはなくに
   安積香山影副所見 井之淺 乎吾念莫國
あさか山影さへ 序歌也安積山奥州也哥ノ心は浅き心を我は思はぬにいかて御心とけす侍やらんと也祇抄云此哥かつらきのおほきみに釆女のよみて奉るといへり古今集には今の詞書のことくして浅くは人をおもふ物かはと詞をすこしかへてかけり大和物語にはある女をつれてみちのくにまていきてすみけりやまの井に置て男はありきて物なとこひてくはせけり其間に女このうたをよみてしにけりとみえたり愚案大和物語の心は安積山にて古哥を思ひ出て其女の引直し書しにや
 
     傳テ云|昔者《ムカシ》鄙人《ヒナヒト》姓名未v詳也時ニ郷里ノ男女|衆集《ツトヒテ》野遊ス是《コノ》會集《ツトヘル》之中ニ有2鄙人《ヒナヒト》夫婦1容姿《カホ》端正《キラ/\シクシテ》秀タリ2於|衆諸《モロ/\ニ》1乃|彼《カノ》鄙人之意|弥2増《イヤマシテ》愛妻《アイサイノ》(愛《ウツクシ》v妻ヲ)之|情《コ/\ロヲ》1而作テ2斯《コノ》謌ヲ1賛2嘆ス美貌ヲ1也
3808 すみの江のをへらにいてゝうつゝにもさがつますらをかゝみと見つも
   墨江之小集樂(イつめ)尓出而寤尓毛己妻尚乎鏡登見津藻
すみの江のをへらイをつめ 仙抄曰をへらとは田舎物の出集りて遊ふを云也それに住吉には年毎に濱にておへらひとて遊ふ事あり昔しかりける男の数多出て遊ひける人の中にていみしく形有さますくれてめてたかりける妻もたりける男のをのれか妻のかたちをほめて讀りける哥也此義にては此哥の第二の句ををへらに出てといへる也愚案是袖中抄顕昭説を其まゝ用てかけり見安云|小集樂《ヲツメ・ヲヘラ》あつまる心也をへらの祭とて男女あつまりて我も人も妻を不定也云々今住吉に六月晦かおはらひ祭有をへらひに似たり鏡とは清らにて見れともあかぬ心か
 
      傳テ云時ニ有リ2所《ルヽ》v幸《サヒハヒセラ》娘子1姓名未詳|寵《テ      ウ》薄《ウスラキテ》之後|還2賜《カヘシタマフ》寄物《キブツ・カタミ》      ヲ俗云2可多美《カタミト》1於v是娘子|怨恨《ウラミテ》聊《イサヽカ》      作テv歌ヲ獻上《タテマツル》
姓名未v詳
有2所v幸娘子 いつれの御時にや帝の寵にあつかれると見ゆ
3809 あきかはりしらすとのみのりあらはこそわかしたころもかへしたまはめ
   商變領為跡之御法有者許曽吾下衣反賜米
あきかはりしらすとの 見安云あきかはりしらすとのとは商ひをしてはとりかへさるゝを云愚案みのりとは天下の法度を云也商ひし物を又違變する法度あらはこそ我参らせし形見をも返し給はめさは有へき事かはと也
 
      傳て云昔シ有2娘子《ヲトメ》1也|相《アヒ》2別ル其夫ニ1望戀《ノソミコフルコト》經《ヘタリ》v年ヲ時ニ夫君《セノキミ》更ニ娶《メトツテ》2他妻《アタシツマヲ》1正身《サウジミハ》不シテv來ス徒《タヽ》贈《ヲクル》2裹物《ツヽミモノヲ》1因テv此《コレニ》娘子作テ2此ノ恨ノ歌1還酬《カヘシムクフ》之
姓名未v詳
正身 其夫の身を云
3810 あちいひを水にかみなしわかまちしよはかつてなしたゝにしあらねは
   味飯乎水尓醸成吾待之代者曽無直尓之不v有者
あちいひを水にかみ 古は飯をかみて酒作しと也水とは酒をいふ前に右ノ手ニ持ツv水ヲも酒也我待し代はかつてなしとは酒作なとして待しかはりもなき心たゝにしあらねはとは他妻有心也
 
      傳云時ニ有2娘子《ヲトメ》1姓ハ車持氏也其ノ夫經《ヘテ》v年ン序《ジ      ヨヲ》不《ス》2徃来《ユキヽセ》1時ニ娘子|係戀《ケレン》傷心シテ沈      ミ2臥ス痾(病垂+尓)《ヤマヒニ》1痩羸《ヤセツカレテ》日ニ異《コト      ナリ》忽チニ臨ム2泉路ニ1於v是|遣《ツカハシテ》v使ヲ喚《ヨヒ》2      其夫ノ君ヲ1來《キタシテ》而乃|歔欷《キヨキ》流涕シテ口2号《スサミ》      斯歌ヲ1登時《ソノカミニ》逝歿ス也
車持氏闕v名
痾(病垂+尓) 玉篇ニ痾は(病垂+可)と同病也(病垂+尓)は(病垂+火)と同熱疾也
泉路 黄泉也
登時逝歿 其時死也
3811 さにつらふ君かみことゝたまつさの使ひもこねはおもひやむわか身ひとつそちはやふる神にもおほすなうらへすゑかめもな焼そ戀しくにいたむわか身そいち白く身にしみてほりむらきもの心くたけてしなん命にはかに成ぬ今更に君がわをよふたらちねの母のみことかもゝたらすやそのちまたにゆふけにもうらにもそとふしなんわかゆへ
     之三言    玉梓   不來者憶病吾    千磐破 莫負 卜部座亀毛 莫 曽     痛  曽  伊知 尓染  保里  村肝乃  砕而  將死  君可吾乎喚  足千根  御事歟  百不足  八十乃衢  夕占   卜 毛 問 應死吾之故
さにつらふ 君をほめていはんとてをく也是夫君か御詞とて文使もこすと也
おもひやむ 思ひなやみわつらふ也
神にもおほすな 神にも祈り心みそと也
うらへすへ 亀甲を焼て破やうにて八卦に當うらなふ也君に捨られ戀死ぬる身には神にもいのるな亀の卜も無用と也
戀しくに 戀しきる也
身にしみてほり 身に染入て君が目をほりと也
君かわをよふ 君か我をよふか母の御しわさかかく死ぬへき我ゆへ夕卦にも占にもとひ給ふかひなき事と也
    反歌
3812 うらへをもやそのちまたもうらとへときみをあひ見るたときしらすも
   卜部  八十 衢毛占雖問君乎相見多時不知毛
うらへをもやその 亀の卜部をも聞衢の占もとへと君に逢由なけれはかひなしと也
3813 わか命おしくもあらすさにつらふきみによりてそなかくほりする
   吾  惜雲不v有    君尓依而  長欲為
わか命おしくもあらす さにつらふは君をほめし詞也ほりは思ふ心也
 
    傳テ云時ニ有2娘子1夫《セノ》君ニ見《ラレテ》v棄《ステ》改《アラタメテ》    適《ユク》2他氏ニ1也于時或有壮士不v知2改適コトヲ1贈テv歌ヲ而|請《コ    フ》2女ノ之父母ニ1乃報スルニ以ス2改適ノ之|縁《ヨシヲ》1也
      贈レル歌一首 姓名未v詳
3814 しらたまはをたえしにきと聞し故にそのをまたぬきわか玉にせん
   真珠者緒絶為尓伎登 之  其緒復  吾 將v為
しら玉はをたえしにき 玉を女に比し始の男の中絶しを玉を貫たる緒の絶たるニ比してわか物に得まほしき心をいふ也
    答歌一首        姓名未詳
3815 しらたまのをたえはまことしかれともそのをまたぬき人持いにけり
   白玉之緒絶者信雖然其緒又貫  去家有
しらたまのをたえ 始の男はまことに絶たれと又ことかたに嫁したりと也
 
    宴飲ノ之日酒|酣《タケナハナル》之時|好《ヨク・コノミテ》誦《ズウシテ》2斯《コノ》歌ヲ1以|為《ス》v恒《ツネト》也   穂積親王
3816 家に有しひつにざうさしおさめてし戀のやつこのつかみかゝりて
    櫃(金+巣)刺蔵而師  奴  束見懸而
家に有し櫃に 櫃にじやうおろし秘したる戀の今我身につきてせんかたなしと也忍ひあまる心をいふにや此哥は此親王の酒宴の盛りなる時つねに詠吟し給と也
 
    宴居ノ之時弾シテv琴ヲ而即チ先誦シテ2此歌ヲ1以為2常ノ行《ワサト》1也
                河村王
3817 かるはすはたふせのもとにわかせこはにぶゝにえみて立ませる見ゆ
   可流羽須波田廬乃 吾兄子者二布夫尓咲而 所v見  田廬者|多夫世《タフセ》也
かるはすはたふせの かるはすはかる矢也たふせ見安云田を守廬也にふゝにえみてはにか笑也愚案|e《ニフ》々の心也田ヲ守とて弓矢手に持て冷笑し立也
 
3818 あさ霞かひ屋か下のなくかはつしのひつゝありとつけんこもかも
   朝  香火 之 乃 鳴川津之努比管有常將告兒毛欲得
あさ霞かひ屋か 此集十に此詞有俊成卿六百番哥合判詞を引て委注ス此哥は忍ひつゝ有といはん序哥也
 
     宴居ノ之日取v琴ヲ登時《ソノカミ》必先吟2詠ス此歌ヲ1二首                    小鯛王 或名置始多久美
3819 ゆふたちの雨打ふれは春日野のおはなの末の白露おもほゆ
   暮立  零者  草花之  於母保遊
ゆふたちの雨打ふれは 祇曰おもほゆとは心に懸てしたふ心有也夕立の名残に春日野の尾花打亂たる上に白露置たるさまを興してよめる歟
3820 夕附日さすや川邊につくる屋のかたちをよしみしかそよりくる
       指哉   構   形乎(イかたを)宜(よろし)美諾所因来
夕附日《ユフツクヒ》さすや河邊 仙曰しかそよりくるとはさそよりくると云也祇曰此哥も眺望と見ゆ但かたちをよしみしかそよりくるといへる戀の哥とも見ゆ此二首小鯛王哥也しら露おもほゆも戀の心か愚案童蒙抄にかたちをよしみは地形のよき心にいへり非戀にや
 
    時ニ有2娘子1 姓ハ尺度氏《サカトノウジ》也 此娘子|不《ス》v聴《ユルサ》2高姓ノ美人《ウマヒトノ》之所ロヲ1v誂《イトム》應2許ス下姓ノ醜士《ミニクキヲトコノ》之所ヲ1v誂《イトム》也於v是裁2作此歌ヲ1嗤2咲《ワラヘリ》彼ノ愚《ヲロカナルヲ》1也      兒部女王
所誂 けさうしひきみるをいとむといふ也司馬相如以2琴心1誂ム2卓文君ヲ1といふ類也
3821 よき物のなそもあかぬをさかどらかつのゝふくれにしぐひあひにけん
   美麗  何所不飽矣坂門等之角乃布久礼 四具比相    
よき物のなそもあかぬ さかどらは此娘子か姓尺度なるを云也よき人のかくあかす所誂をゆるさてなそも見にくき男にいとみ得られしそと也つのゝふくれは醜士を鬼に比して角の額ニふくれ出し心也|四具《シク》比相はしくみあふ心也
 
   古歌一首   作者未詳
3822 橘の寺の長屋にわかいねしうなひはなりは髪あけつらんか
           吾率宿之童女波奈理波   上
橘の寺の長屋に 見安云うなひはなり男もせさる女子也髪上つらんか女の始て男をするを云也愚案橘寺八雲抄ニ河内云々拾芥云菩提寺号2橘寺1志度道場上西海人立之
    椎野《シヒノヽ》連《ムラジ》長年カ説ニ曰夫《カノ》寺ハ者不v在2俗人ノ寝處ニ1亦|稱《イハク》若冠ノ女ヲ曰2放髪丱《ウナヒハナリト》1矣然則腰ノ句ニ已ニ云《イフ》放髪丱《ウナヒハナリト》1者《ハ》尾ノ句ニ不ンカv可3重《カサネテ》云2若冠ノ之|辞《コトハヲ》1哉|改《アラタメテ》云 
3823 橘のてれる長屋に我いねしうなひはなりに髪あけつらんか
   光有   吾率宿之 宇奈為放(イはなれ)尓 擧
橘のてれる長屋 童蒙抄云なか屋は汝か屋也うなひとはわらはを云也云々此哥類聚童蒙等にはうなひはなれにと有橘の金玉のことく照りたる汝か屋に我いねたりし童姿はなれんとて髪上たるかとにや前の哥とは義こと成へし
 
    傳曰|一時《アルトキ》衆會宴飲ス也|於《ニ》v是《コヽ》夜漏三更|所2聞《キコユ》狐ノ聲1爾《シカンハ》乃チ衆諸《モロ/\》誘《サソヒテ》2奥麻呂《ヲキマロヲ》1曰ク關《アツカル》2此ノ饌具ニ1雜器《サツキ・クサ/\ウツハモノ》狐ノ聲|河橋《カハハシ》等《ラノ》物|併《シカシナカラ》作レv歌ニ者レハ即應シテv聲ニ作レル歌也
         長《ヲサノ》忌寸《イミキ》意吉麻呂《ヲキマロ》
夜漏 漏剋の心にて夜半夜比と也
奥麻呂 意吉麻呂|仝《ヲナシ》
3824 さすなへに湯わかせ子ともいちゐつのひはしよりこんきつにあむさん
   刺名倍       等 櫟津 檜橋從来許武 狐尓
さすなへに湯わかせ 仙曰さすなへは銚子也きつとは狐也見安云櫟津は名所也ひはしは桧の木の橋なりきつにあむさんは狐にあみせんと也是迄見安愚案和名云銚子サシナヘサスナヘ四聲字苑云銚は焼器似2(金+烏)(金+育)《ウイクニ》1而上有v鐶也唐韻云(金+烏)(金+育)温器也
 
    詠メル2行騰《ムカハキ》蔓菁《アヲナ》食薦《スコモ》屋梁《ウツハリヲ》1    歌一首 
        長忌寸意吉麻呂
3825 すこもしきあをなにもてこうつはりにむかはきかけてやすむこのきみ
   食薦敷蔓菁煮將來梁(木偏)尓行騰(イ)懸而息此公
すこもしきあを菜 見安あをなにもてこは青き菜煮てもて來よと也愚案むかはき狩場馬上なとの時の具也鹿革等にてする也すこもは薦計敷也
 
    詠ル2荷葉ヲ1歌
        長忌寸意吉麻呂
3826 はちす葉はかくこそあれもをきまろかいへなるものはいもの葉にあらし
   蓮    如是  有物意吉麻呂之家在物者芋乃       有之
はちす葉はかくこそ おきまろは此哥の作者か名也誠の蓮はかくこそあれ我らか家なるは芋葉成へしと也あれものもは助字あらしのし清《すむ》へし
 
    詠ル2雙六頭《スクロクノメヲ》1歌
        長忌寸意吉麻呂
3827 いちにのめのみにはあらす五六三四さへ有けりすくろくのさい
   一二之目耳不有         佐倍    雙六乃佐叡
いちにのめのみにも 双六の塞を云立るなり
 
    詠ル2香塔厠屎鮒奴《カウタフクソフナヤツコヲ》1歌一首
        長忌寸意吉麻呂 
香塔 此題以下哥をも註せさるを口訣とす
3828 かうぬれる塔になよりそ川すみの屎鮒はめるいたきめやつこ
   香塗流 尓莫依  隈乃  喫有痛女奴
かうぬれる塔に 見安云香ぬれる塔塔をかういろに彩色たるを云也痛女奴きたなきやつこと云心也愚案是見安の注のまゝ書師説は講せす
 
    詠ル2酢《ス》醤《ヒシホ》蒜《ヒル》鯛《タイ》水葱《ナキヲ》1歌
        長忌寸意吉麻呂
3829 ひしほすにひるつきかてゝたいねかふわれにな見せそなきのあつ物
   醤酢尓蒜都伎合而鯛願吾尓勿所見水葱乃煮物
ひしほすにひるつき つきかてゝはさし合せくはへての心也我は鯛をくはまほしけれはなきの羮はなみせそとなるへし
 
    詠2玉|掃《ハヽキ》鎌《カマ》天木香《ムロノキ》棗《ナツメヲ》1歌一首
       長忌寸意吉麻呂  
3830 玉はゝきかりこかまゝろむろのきとなつめかもと/\(古来風―を)かきはかんため
    掃刈来鎌麻呂室乃樹與 
玉はゝきかりこ鎌丸 見安云帚を鎌にてかりてこよと也袖中抄云|蓍《ハヽキ》といふ草をほめて玉といふ字をそへたり帚といふにつけてかきはかんといへり畧注但八雲御抄にはかきはかんためといへるは誠の只の帚ときこえたり又彼|蓍《ハヽキ》をも玉帚といふらめど此哥の心いつれなるへしとも見えす初子のけふの玉帚の注也愚案此八雲の御説によらは玉帚を借て來よかまゝろといふなるへし只の帚を刈といふへからねは也さてかまゝろといふ童の名を鎌にそへてよめるにや
 
    詠ル2白鷺|啄《クヒテ》v木ヲ飛《トフヲ》1歌一首
       長忌寸意吉麻呂
3831 いかけみのりきしまひかもしら鷺のほこくひもちてとひわたるらん
   池神力土舞(人偏)可母白鷺乃鉾啄持而飛渡良武
いけかみの力土舞 見安云池神は所の名也力士は寺の門に立る仁王也白鷺のほこくひもちてとは木の枝をくはへたるを鉾《ホコ》とよめる也愚案金剛力士皆鉾を持故也
 
    詠ル2數種物《アマタクサノモノヲ》1歌一首
         忌部首《インベノヲフト》 闕《カク》v名ヲ
3832 からたちのむはらかりそけくら立ん屎遠くまれくしつくるとじ
   枳蕀原刈除曽氣倉將立  麻礼櫛造刀自
からたちのむはら かりそけは刈しりそけ也屎遠麻礼は日本紀第一曰陰|放《・クソ》ケ2(尸/失)《カシス・マル》於|新宮《ニハナイノミヤニ》1此詞にてこゝろ得へし見安云櫛造刀自刀自は女の惣名也愚案和名云|(刀/具)《トシ》 俗ニ作2刀自1 列女傳ニ云古語に老母ヲ為v負フト今按ニ謂テ2老女ヲ1為スv(刀/自)ト字從フv目《メニ》也今|訛《アヤマツテ》以v貝ヲ為v自ト歟但此哥亦講すへからすとそ
 
    詠2數種《アマタクサノ》物ヲ1歌一首 境部《サカヒヘノ》王 穂積親王之子也
3833 虎にのり古屋をこえてあを淵にたつとりてこんつるきたちもか
    尓乗 乎越而青 尓鮫龍(イみつち)取將来劒刀毛我
虎にのりふるやを 此哥第四句古來風体ニたつとりてこんとあり見安ニはみつちと和ス仙覚は俊成卿の説にしたかふにやたつとよめり尤可然但玄覚か私云周處三害の心也蛟竜とりてのちは心やすしと云也云々蒙求云周處入テv山ニ射2殺《イコロシ》猛虎《マウコヲ》1投シテv水ニ搏2殺《ウチコロス》蛟《ミツチヲ》1遂|励《ハケマシテ》志ヲ好ミv学ヲ有リ2文思1上下畧しかれとも此哥是らの古事にも及へからす只あるましき事をねかひよめりされはたつとよみみつちとよみてもなから猶古來風躰にしたかふへし
 
    一首  作者未v詳
3834 なしなつめきみにあはつきはふくすののちもあはんとあふひ花さく
   成棗寸三二粟嗣延田葛乃後毛將相跡葵 咲
なしなつめきみにあはつき 見安云あまたの物をよめる哥也あはつきは逢といふ心也或説云きみは黍を君にあふとそへたり葵亦逢といふ詞にそへぬ云々
 
   或人ノ曰|新田部《ニツタヘノ》親王《ミコ》出2遊フ都裡ニ1御見2勝間田ノ之池1感2心中ニ1還v自2彼池1不v忍ヒ2怜愛ニ1於v時語ル2婦人ニ1曰今日遊行シテ見ル2勝間田ノ池ヲ1水影|蕩々《タウ/\トシテ》蓮花|灼灼《シヤクシヤクタリ》可怜《ヲモシロク》断腸《ハラワタタツトコト》不v可ラ得《ウ》v言《イフコトヲ》尓ハ乃チ婦人作テ2此ノ戯レノ歌ヲ1專ラ輙チ吟詠ス
             姓名未v詳
3835 かつまたの池は我しるはちすなししかいふ君かひけなきかこと
   勝間田之  者 知蓮無然言 之鬚無如之
かつまたの池は 仙曰|新田部《ニイタヘノ》親王は極めて大髭にておはしける也さて此哥はうちちかへてよむ也袖中抄曰新田部親王ハ天武天皇第七ノ皇子也天平七年九月ニ薨ス帝王系圖云白鳳九年十一月依2皇后ノ病ニ1造ル2藥師寺ヲ1云々或人申侍しはかつまたの池は奈良の西京薬師の跡を申傳たり云々能因哥枕には下総にも美作にも入尤不審彼邊の案内知人申侍しは彼寺の近き程に侍とそ承畧注見安云むかしは水ありけるか今はなき也女の狂してよめる也
 
    謗《ソシル》2侫《ネチケ》人ヲ1歌一首
          博士《ハカセ》消奈《セナノ》行文《ユキフンノ》大夫
3836 なら山のこのて柏のふたおもにとにもかくにもねちけ人のも
   奈良   兒手 之兩面尓(て古來)左(イかに)毛右毛侫 之友
なら山のこの手|柏《カシハ》の 祇曰手のうらをかへすといふ事也哥林良材云|侫《ネチケ》人とは口きゝかましき人を云然は柏の葉の風にふかれておもてうらの見ゆるにたとへたる也童蒙抄云兒手柏と書りおさなき人の手ほとに葉ちいさきをいふなるへし袖中抄云能因哥枕云柏をこのてかしはと云又やひらてと云児の手のほとにちいさき柏なるへし或は女郎花といひおほとちの花といふ不用畧注愚案西行哥「いはれ野の萩のたえまの隙/\にこのてかしはの花咲にけり是は草花のこの手柏をよめるなるへし是は別物也是哥は柏ならん歟
 
      傳云有2右兵衛1 姓名未v詳 多ク能クス2歌作之藝ヲ1也時ニ府家備ヘ2設テ酒食ヲ1饗2宴ス府ノ官人|等《ラヲ》1是ノ饌食盛ルニv之ヲ皆用2荷葉ヲ1諸人酒|酣《タケナハニ》歌舞ス乃|誘《ヒイテ》2兵衛ヲ1云ク開テ2其荷葉ヲ1而作レ2此歌ヲ1者《テイレハ》登時ニ應シテv聲ニ作ル2此歌ヲ1一首
右兵衛 右の尉なるへし
府家 兵衛府の督か佐かの家なるへし
府官人 兵衛の尉志府生等なるへし
            右兵衛
3837 久堅の雨もふらぬかはちすはにたまれる水の玉ににん見ん
     之  毛落奴可蓮荷尓渟在 乃  似將有見
久かたの雨も降ぬか 心明也
 
    無2心所1v《ムシンシヨ》着《チヤクノ・ツク》歌二首
   舎人親王令《シテ》メテ2v人ヲ侍座せ1曰或ハ有d作ル2無キv所ロv由ル之歌ヲ1者《モノ》u賜《タマフニ》以2錢帛《センハクヲ》1時ニ乃作テ2斯歌ヲ1獻上登時以2所ノv募《ツノル》物ナルヲ1錢二萬(千イ)文|給《タマフ》v之ヲ也
              大舎人安倍朝臣子祖父
無2心所1v着《ムシンシヨヂヤク》歌 八雲抄云たゝすゝろこと也あしくよめは其すかたともなき物也
3838 わきもこかひたいにおふるすくろくのことひの牛のくらのうへのかさ
   吾妹兒之額尓生雙六乃事負乃牛之倉上之瘡
わきもこかひたいに
3839 わかせこかたふさきにするつふれ石のよしのゝ山にひをそさかれる
   吾兄子之犢鼻尓為流都夫礼 之吉野乃 尓氷魚曽懸有(イかゝれる)
わかせこかたふさきに 此二首無心所着の哥なるを仙覚さま/\の義を付たりかなふへくもあらす且又舎人親王のよる所なき哥を作る者あらは給ふに銭帛を以せんとのたまひてよみし由見ゆ仙覚何と心得たるそや妹か額に生る双六のことひ牛のくらの上の瘡誠に無心所着なるへし次の哥も見安云つふれ石のよし野とはつふらなる石のよきとつゝくる也愚案たふさきとは和名云史記ニ曰司馬相如|著《ツク》2犢鼻褌《トクビコンヲ》1注韋昭カ曰今三尺ノ布ニテ作ルv之ヲ形チ如キ2牛ノ鼻ノ1者也唐韻ニ曰(衣+公)ハ小褌也漢語抄ニ曰(衣+公)子ハモノシタノタフサキ畧注哥の心は是もよるところなしひをそさかれるを八雲抄かゝれると有尤可用之か
 
    嗤2咲《ワラフ》大神《ヲホカノ・ヲホウワノ》朝臣《アソン》奥守《ヲキモリ》1歌一首        池田ノ朝臣 闕v名ヲ
嗤2咲大神朝臣奥守1 奥守はいたくやせたるを池田朝臣あさけり笑ひて此うたをよむ也
3840 てら/\のめかき申さくおほうわのおかきたはり(古來風―)て其子はらまん
   寺々之女餓鬼申久大神乃男餓鬼被給(イたまり)而 將播良
寺々のめかき 昔は寺に餓鬼を作置此集哥に大寺の餓鬼のしりへにぬかつくとよめるにて知へし大神朝臣やせたれは此男餓鬼を男に給りて其子|胎《ハラマ》んといふと也
 
    報《ムクフル》2嗤咲《ワラヒヲ》1歌一首
           大神朝臣奥守
3841 佛つくるあか丹たらすは水たまる池田のあそかはなのうへをほれ
    造真朱不足者 渟(イ停とゝめ古來風――) 乃阿曽我鼻上乎穿礼
佛造るあか丹《に》たらす 見安云佛を赤くさいしくを云愚案|丹《ニ》土はほり出る物也水たまる池と云懸て池田朝臣鼻の上赤くくほきを笑ひかへす哥也
 
    嗤《ワラフ》2咲穂積《ホツミノ》朝臣ヲ1歌一首   平群《ヘグリノ》朝臣
3842 わらはへも草はなかりそやほたてを穂つみのあそかわきくさをかれ
   小兒等 者勿刈八穂蓼乎 積乃阿曽我腋草乎可礼
わらはへも草はな 童蒙抄云八穂蓼也八ツ穂の立たる蓼《タテ》の有也仙曰穂の数多立義にて八穂蓼と云へき也穂積とは人の姓也其人の脇ニ香の有しを讀る也
 
    和《カヘシスル》歌一首   穂積朝臣
3843 いつこにそあかにほるをかこもたゝみへくりのあそか鼻の上をほれ
   何所曽真朱穿岳薦疊平群乃阿曽我  乎穿礼
いつこにそあか丹ほる丘 こも畳は隔とつゝくる諷詞也日本紀景行天皇哥こも畳《タヽミ》へくりの山の白《シラ》かしと有是も平群の朝臣鼻上赤きを讀か
 
    嗤2咲巨瀬《コゼノ》朝臣|豊《トヨ》人カ黒色ヲ1歌一首
土師《ハジノ》宿禰|水通《キヨミチ》【字|志婢《シヒ》麻呂】
3844 うは玉のひたのおほくろみることにこせのをくろのおもほゆるかも
   烏 之斐太 大黒毎見巨勢乃小黒之所念可聞
    斐太《ヒタノ》朝臣ハ嶋村《シマムラノ》大夫之|男《ムスコ》也 名字未v詳
うは玉のひたの大くろ ひたの朝臣も豊人と同く色黒きもの万葉のイ本の後注にみゆ
 
    答ル歌一首   巨瀬《コセノ》豊人《トヨヒト》【字|正月《ムツキ》麻呂】
3845 こまつくるはしのしひまろ白にあれはさもほしからんそのくろいろを
   造駒土師乃志婢麻呂  尓有者諾欲將有其黒色乎
こまつくる土師の 土師《ハジ》氏は土にて物つくる者也駒をも造るへし土師ノ宿祢|水《キヨ》通顔色白き人なれは其黒色をうらやみてかくいふにやと也
 
    戯2嗤《タハフレアサケル》僧《ホウシヲ》1歌一首   作者未詳
3846 ほうしらかひけのそりくひに馬つなきいだくなひきそほうしなからかも
   法師等之鬢乃剃(木+厥) 繋痛勿引曽僧半甘
ほうしらかひけの 僧の鬢の剃ぐひのふとく長きをあさける哥にやなからかもとは法師半分ひきたふすへきかとの心歟
 
    報フル2戯嗤ヲ1歌一首   僧 名字未詳
3847 たんをちやしかもないひそてこらわかえたすはたらはなれもなからかも
   檀越也然勿言(氏/一)戸等我課役(イゆたす)徴者汝毛半甘
檀越やしかもないひそ 見安云檀越は檀那也えたすイゆたす同|課役《クハヤク》をかけてせむる也愚案はたらはとはせめたらは也なれもなからとは課役をかけてせめは汝も半分に痩成へけれはさはないひそと也
 
     夢ノ裏ニ作テ2此戀歌ヲ1贈テv友ニ 覺《サメテ》而誦2習フ・ス之ヲ1
        忌部首黒麻呂
3848 あらき田のしゝ田の稲をくらにつみてあなうた/\しわか戀らくは
   荒城 乃子師 乃 乎倉尓擧蔵而阿奈于稲于稲志吾 良久者
あらき田のしゝ田の 八雲抄ニあらき田伊勢万しゝ田云々此哥也猪鹿の付し田也うたうたしはうたて/\し也しゝ付し稲は藏につみてもうたてしきをいひ懸て序哥也異説あれと八雲を用ゆ
 
    書ク2河原寺ノ倭琴ノ面ニ1厭《イトフ》2世間ノ無常ヲ1歌三首
作者未v詳
3849 いきしにのふたつの海をいとひ見てしほひのやまをしのひつるかも
   生死之二 乎厭見潮干乃山乎之努比鶴鴨
いきしにの二の海を 八雲御抄冥土を潮干山と云々生死流轉をいとひて後世を願ふをしほひ山を忍ふと云
 
3850 世のなかのしけきかりほに住み/\ていたらん国のたつきしらすも
     間之繁借廬尓  而將至 之多附不知聞
世のなかの茂きかりほ 生老病死等のうき事おほきを世間のしけきと云也夢幻の此身をしはらく住するをかり廬に住々てと也しかもかく厭離すへき穢土にしも執着するを住々てと云也いたらん国は浄土を云也
 
3852 いさなとり海やしにする山やしにするしねはこそ海はしほひて山はかれすれ
   鯨魚取 哉死為流 哉死為流死許曽 者潮干而 者枯為礼
いさなとり海や 旋頭哥也いさなとりは海をいはん枕詞也海山は死さると思へは海は潮干山は冬枯是即死する也山海さへしかり誰か死なからんとの心也或本に此哥はこやの山の哥の跡に無常歌と題有て出
 
      藐姑射《ハコヤノ》山ノ歌一首
作者未詳
藐姑射山 荘子逍遙遊篇云藐姑射山有テ2神人1居スv焉ニ又云堯治メ2天下之民1平ニシテ1海内之政1徃テ見2四子ヲ藐姑射之山汾水之|陽《キタ》ニ1註山海經云藐姑射在2寰海ノ外ニ1奥儀抄云堯帝位をのかれて姑射山にゐ給ふ此故におりゐのみかとをはこやの山といふ八雲抄云はこやの山山の名にてあれともこれ仙洞といふ云々
3851 心をしぶかうのさとに置たらははこやの山を見まくちかけん
   心乎之無(イむ)何有乃郷尓 而有者藐姑射能 乎 末久知香谿務
心をしふかうのさと 奥儀抄云荘子の文の無何有之郷名八雲抄云ふかうのさと是は面白き所えもいはぬ事をいふ也俊頼抄に在愚案荘子ノ逍遙遊ノ篇ニ云ク無何有之《ブカイウノ》郷ウ広莫《クハウハクノ》之野注陸方壺カ云寂莫墟曠ノ之地|喩《タトフ》2道ノ之本郷ニ1林希逸カ云言ロハ造化自然至道ノ之中ニ自ラ有ル2可v樂ノ之地1也はこやの山前ニ注ス此哥の心は我心を万物にさへらるゝ事なくして寂莫墟曠《セキハクキヨクハウ・シヤクマクコクハウ》の地に置て至道《シダウ》の中にみつからたのしまは神人《シンシン》の位といふはこやの山を見る事も遠からじ外に仙|境《キヤウ》をも求むへからすと也イ本ニ前のいさなとりといふ旋頭哥と此哥前後せり
 
    有3吉田ノ連《ムラシ》老《ヲキナ》字《アサナハ》曰フ2石麻呂ト1所謂《イハユル》仁教《シンカウノ》之|子《シ》也其老カ為《ナリ》v人ト身體甚タ痩《ヤセタリ》雖v多クスト2喫飲《ケイインヲ》1形チ以タリ2飢《ウヘタル》人ニ1 因テv此《コレニ》聊作テ2斯歌ヲ1以為2戯咲《ケセウト》1也
              大伴宿祢家持
仁教之子 仁愛教習の男子也
喫飲 くひのみする也
3853 石まろにわれ物申す夏やせによしといふものそむなきとりめせ
    麻呂尓吾   痩尓吉跡云物曽武奈伎取食   食《シヨク・クフ》此《コヽニハ》云《イフ》2賣世《メセト》1
石まろに我物まうす 見安云石麻呂は人の名也、むなきはうなきの名也
 
報答《コタフル》歌一首   吉田ノ連石麻呂
3854 やせ/\もいけらはあらんをはたやはたむなきをとると河になかるな
   痩々母生有者將在乎波多也波多武奈伎乎漁取跡 尓流勿
やせ/\もいけらは やせ/\なからも生てあらはあるへきを又/\うなきとりくはんとて河になかれは命たにあらしとみつからいふ也イ本ニは報答歌といふより作者の名まてなくて前の哥書ならへて是も家持卿の哥とす然らは又やせたるをあさけり戯れし哥にや
 
    詠ル2數種《アマタクサノ》物ヲ1歌二首     高宮ノ王
3855 ふちの木にはひおほとれるくそかつらたゆることなくみやつかへせん
   皀(草冠)莢尓延於保登礼流屎葛絶事無宦將為
ふちの木にはひおほとれ 仙曰ふちの木とはさいかし也はひおほとれるとははひおほれたる也愚案和名云草菱カハラフヂ俗云(虫+也)緒又云|細子草《クソカツラ》上句は絶る事なくの序哥也
3856 はらもんのつくれる小田をはむ烏まなふたはれてはたほこにをり
   波羅門乃作有流  乎喫 瞼腫而幡幢尓居
はらもんのつくれる 仙曰波羅門とは知恵深き者也されはそれか咒し置たる田をはむ烏のいちしるくまぶた腫て幡《ハタ》ほこに居て鳴と也見安云瞼腫《マナフタハレ》はまぶちはれてと云也或説はたほこ里の印《シルシ》に立る幡《ハタ》也其幡付る木をはたほこと云云々
 
    傳云|佐為《スケタメノ》王有2近習婢《キンシウノヲンナ》1也于v時|宿直《トノヰ》不《ス》v遑《イトマアラ》夫《セノ》君|難《カタシ》v遇《アヒ》感情|馳結《ハセムスンテ》係戀《ケイレン》實《マコトニ》深シ於v是|當《アタル》v宿《トノヰ》之夜夢ノ裏《ウチニ》相見ル覺寤《サメテ》探抱《サクリイタケトモ》曽無v觸《フルヽコト》v手ニ尓ルニ乃チ哽咽歔欷シテ高聲ニ吟2詠ス此歌ヲ1因王聞v之ヲ哀慟|永《・ヒタフル》ク免スv侍ルコトヲv宿ニ也    姓名未詳
夢裡相見 遊仙窟云夢ニ見ル2十娘ヲ1驚覺《ヲトロキサメテ》撹《カキサクルニ》v之ヲ忽然トシテ空スv手ヲこの俤也
3857 いひはめとうまくもあらすありけともやすくもあらすあかねさす君かこゝろし忘れかねつも
   飯喫騰味母不在雖行徃安久毛不有赤根佐須君之情志 可祢津藻
いひはめとうまくもあらす 夫をおもふ婢の哥也見安ニ赤根|指《サス》君か心とは心藏赤きによりそれをいひ出ん用所也愚案師説は君をかゝやくとほむる詞也
 
       戀ル2夫君《セノキミヲ》1歌二首
作者未v詳
3858 このころのわか戀ちからしるしあつめくうにまうさは五位のかうふり
   比来之吾 力記集功尓申者  乃冠
このころのわか戀力 此哥の心は勲功の賞に叙爵する事有れは我此比君に戀て力を盡せし事を記し集めて是を勲功に申たてたらは五位の冠を得へしと也五位の冠とは叙爵《ジヨシヤク》也功の字呉音にくうとよむ源氏若紫云ぐうづきてたらによむとあるも功の字也見安ニは功ニ申サはとは官になるとき供し錢を云也といへり此義いかゝにや
3859 このころのわか戀ちからたまはすはみやにこいてゝうたへまうさん
   頃者之吾 力不給者京兆尓出而將訴(イうれへ申さん)
このころのわか戀ちからたまはすは 此比かほと君に戀の力を盡しても其恩賞をも給はらす情もかけ給はすは京職に出てうつたへ申さんと也此哥京兆とかきてみやこにとよめり左右京の官人|良賤《リヤウセンノ》訴訟《ソセウ》のことをつかさとるよし養老の職員令《シキインリヤウ》に見えたり漢武帝の大初元年に京兆尹《ケイテウイン》を置《ヲ》けりこれ本朝の京職《キヤウシキ》にあたるゆへ唐名を京兆と云也
 
    神龜年中|太宰府《タサイフ》差《サシテ》2筑前國|宗像《ムナカタノ》郡之|百姓《ヲンタカラ・ミタカラ》宗形部《ムナカタヘノ》津《ツ》麻呂ヲ1充《アツ》2對馬送ルv粮《カテヲ》舶榜師ニ1也于v時津麻呂|詣《コイテ》2於|滓屋《カスヤ》郡|志賀村《シカムラノ》白水郎《アマ》荒雄カ之|許《モトニ》1語テ曰ク僕《ヤツコ》有2小事1若シ疑ラクハ不ンヤv許ルサ歟荒雄答テ曰ク走テ雖トモ2異郡ト1同船日久シ志|篤《アツキコト》如シ2兄弟ノ1在リトモ2於殉死ニ1豈復|辞《イナヒン》哉《ヤ》津麻呂曰ク府官差シテv僕ヲ充《アツ》2對馬送粮舶榜師ニ1容齒《ヨウシ・カタチヨハヒ》衰老不v堪ヘ2海路ニ1故來テ祇候《ウカヽフ》願クハ垂レヨ2相代ルコトヲ1矣於v是荒雄|許諾《キヨタクス》遂ニ從フ2彼事ニ1自2肥前ノ國松浦ノ縣|美祢良久《ミネラクノ》崎ニ1發舶《フナタチシタ》直《タヽチニ》射《サシテ》2對馬ヲ1渡ルv海ヲ登時《ソノカミ》忽ニ天暗冥|暴風《・ハヤチ》交ユv雨ヲ竟《ツヰニ》沈2没海中ニ1焉因v斯妻子等|不《ス》v勝《タヘ》2犢慕《トクホウニ》1裁2作此歌十首ヲ1 或云筑前國ノ守山|上《カミノ》憶良ノ臣感シテ2妻子之哀傷1述テv志ヲ而作v之
白水郎《アマノ》妻
太宰府 九州の事をつかさとる所也帥以下有
僕有小事 つしまに送粮船榜師にあてられし事也我老て此役にたへす汝を頼まほしき若ゆるすましきか疑はしきと也
走雖異郡 たとひ異郡に走る事にても同船のちなみ久しき中なれは承んと也
殉死 したかひ死する事也ともに死することをもいとふましと也
許諾 うけひきし也
犢慕 したふ心のふかき也うしのこなとの母をしたふかことくなる心也
3860 おほきみのつかはさゝるにさかしらにゆきしあらおら沖に袖ふる
   王之不遣尓情進尓行之荒雄良奥尓袖振
おほきみのつかはさゝる 太宰府より津丸をこそさしたれ荒雄はさゝさるにかはりて行しをさかしらにと云|賢立《カシコタテ》になとの心也宰府は筑紫九国二嶋を司とる故に宰府を王命になそらへてかくおほきみのつかはささるにとよむにや又太宰の帥《ソチ》は親王の任官にて諸臣は大貮以下に任すれは帥の宮のおほせに比しておほきみのとよめるにや海中に没死せるを沖に袖ふると云なるへし
3861 あらおらをこんかこしかといひもりて門に出たちまてときまさぬ
   荒雄良乎將来可不来可等飯盛而門尓出立雖待来不座
あらおらをこんか 荒雄か妻子なとのよみしやうなれと此哥も憶良成へし
3862 志賀の山いたくなきりそあらおらかよすかの山と見つゝしのはん
     乃  痛勿伐荒雄良我余須可乃 跡 管將偲
志賀の山いたくな 見安云よすかの山形見の山と云也あらおをしたふあまりの心也
3863 あらおらかゆきにし日よりしかのあまのおほうらたぬはかなしくもあるか
   荒雄良我去尓之 從志賀乃安麻乃大浦田沼者不樂有哉
あらおらかゆきにし 見安云大浦名所也たぬは田沼也
3864 つかさこそさしてもやらめさかしらにゆきしあらおら波に袖振
   官許曽指※[氏/一]毛遣米情出尓行之荒雄良 尓
つかさこそさしても 彼津丸は其官役なれはさしてつかはされめ荒雄は其人ならて賢らにと也
3865 あらおらはめこのわさをはおもはすろとしのやとせをまてときまさぬ
   荒雄良者妻子之産業(なり)乎波不念呂年之八歳乎待騰來不座
あらおらはめこの めこのわさ産業也すきはひ也思はすろは思はさるやらんと也
3866 おきつとりかもといふ船のかへり來はやらのさきもり早く告こそ
   奥鳥鴨云 之還 者也良乃崎守  許曽
おきつとりかもと云 見安云舟を鴨にゝて作るか故也愚案日本紀彦火々出見の御哥沖津鳥鴨つく嶋に我いねし云々此詞也八雲抄やらの嶋筑前云々荒雄か舟を待侘る心也
3867 おきつ鳥かもといふ舟は也良の崎たみてこきくときかれこぬかも
   奥 鴨云 者  多未[#氏/一]榜來跡所v聞
おきつ鳥かもといふ たみてはめくりて也|廻《タミ》と書
3868 おきゆくやあからを船につとやらはわかき人見てときあけみんかも
   奥去哉赤羅小船尓遣者若  而解披見鴨
おきゆくやあから小船 見安云|赤羅小舟《アカラヲフネ》あかく彩色《サイシ》ける舟也つとやらは愚案裹と云つゝめる物也あらおをまつ妻の心になりてよめる哥也
3869 おほふねにを船引きそへかつくとも志かのあらおにかつきあはんやも
   大船尓小  副      志賀乃荒雄尓潜將相八方
おほ船にをふね かつくは潜の字也波をしのきをよく心也あらおか溺死をおしむ心也
      
      一首      作者未詳
3870 むらさきのこかたの海にかつく鳥たまかつきいてはわか玉にせん
   紫乃粉滷乃 尓潜  珠潜出者吾 尓將為
むらさきのこかたの 表題ニ無名歌六首といへる其一也仙曰こかたの海筑前也愚案紫のは濃《コ》といはん諷詞也|潜《カツク》鳥は水鳥也
      一首      作者未詳
3871 つのしまのせとのわかめは人のともあれたりしかとわかともはわかめ
   角嶋之迫門乃稚海藻者 之共荒有之可杼吾共者和海藻
つのしまのせとの 角嶋は能登国也人の賞するわかめなれは荒てもわれ賞し友とせんと也
3872 わか門のゑのみもりはむもゝち鳥千鳥はくれと君そきまさぬ
   吾 之榎實毛利喫百千   者雖來 曽不來座
わか門のゑのみ 守食《モリハム》也仙曰百千鳥人のなへて云は鶯也されともひか事也榎の実は秋ある物也千鳥といはんとて百といふ事をそへてよめり略注百千鳥非傳授難知
3873 わか門に千鳥しはなくおきよ/\わか一夜つま人に知らすな
   吾 尓  數鳴起余起余我  妻 尓所知名
わか門に千鳥しは鳴 仙曰しはなくはしきりに鳴也千鳥は夜も明方に成たりとしは/\なくと云此哥は人の妻を忍ひて有けるに夜は明なんとす人に見えすしられすして起なんと云也童蒙抄云是は忍たる男とみえたり
 
      一首      作者未詳
3874 ゐる鹿をとむる河邊のにこ草の身わかきかへにさねしこらはも
   所射 乎認  之 草 弱 可倍尓佐宿之兒等波母
ゐる鹿をとむる 見安云手をひ鹿を尋るを云也愚案序哥也にこ草は若草のやはらかなる心を身若きといはんとて也若かへは若きか故也
 
      二首      作者未詳
3875 琴酒を押たれ小野に出る水ぬるくはいてすひや水の心もけやにおもほゆる音のすくなき道にあひぬかもすくなきよみちにあへるさはいろけせるすか笠をかさわかうなける珠の七つをとりすてもまうさん物をすくなき道にあひぬかも
     乎 垂從 流 奴流久波不出寒 之 毛計夜尓所念 之少寸 尓相奴鴨少寸四 尓相佐婆伊呂雅世流菅 小笠吾宇奈雅流   條取替毛將申 乎少寸 尓相奴鴨
琴酒をしたれをふく 見安云琴と酒共にをすと云心也愚案琴は押酒は垂るゝを枕詞に置歟此小野名所歟
心もけやに 心も消るやうに也音のすくなきとは水音幽に寂《サヒシ》き也
すくなきよ 此本ニは是より又一首也或本ニは前と同し哥一首の内也此哥の義猶可思惟也すくなきよのよは助字歟前の詞をすくにうけたる詞と見ゆ
道にあへるさは 道に相たるさまと云にや歸るさのさと同シ
いろけせる 見安云色々取々といふ心也|伊呂稚世流《イロチセル》糸にて閉し也
わかうなける つなけるにやうとつと同音也又日本紀にうなかせる玉のみすまるといふ詞に似たりうなかせるとおなし心にや
玉の七つを 笠に七つ玉をつらぬきかさりし緒をつけしにや七寶の心にて云にや
すくなき 稀なる心歟
 
    豊前國歌一首   白水郎
3876 とよくにのきくの池なる菱《ヒシ》のうれをつむとや妹かみ袖ぬれけん
   豊國企玖乃池奈流 之宇礼乎採跡也 之御 所沾計武
とよくにのきくの 豊国は豊前を云也八雲抄にもきくの池豊前と有み袖は妹おかしつきて云也ひしにうれは菱の上に成し実をつむ也
 
    豊後國歌一首    白水郎
3877 くれなゐに染てし衣雨ふりてにほひはすともうつろはめやも
   紅尓 而之  零而尓保比波雖為移波米也毛
くれなゐに染てし衣 祇曰紅に染たる衣に雨ふりて匂ふとは移ふ心也それは移ふとも我はうつろはめやと讀り戀の哥也
 
    能登國歌三首
   傳云|愚《ヲロカナル》人|堕《ヲトス》2斧《ヲノヲ》於海底ニ1而不《ス》2解セ2鐵《クロカネノ》之沈ムコトヲ1v水ニ 聊作テ2此歌ヲ1口吟シテ為v喩也               作者未詳
3878 はしたてのくまきのやらにしらきをのおとしいるゝわしかけて/\ななかしそねうき出るやとはた見てんわし
   階楯熊來乃夜良尓新羅斧堕入和之河毛低河毛低勿鳴為曽弥浮出流夜登將見和之
はしたてのくまきのやら 階楯の熊來 和名云能登国能登郡仙曰やらとは水つきて薦芦なと生茂たる浮土を云り田舎者はやはらとも云也
しらきをの 見安云しらみかきの斧也師説は白木の斧也斧の柄を白くけつりし也又は新羅の国の斧也
わし 此哥次の哥皆一句/\にわし/\と云催馬楽にさきんたちやといふたくひ哥拍子也或説ニ汝と云詞也人を和と云心也仙覚斧也と云は非也
かけて/\なゝかしそね かけてもななきそと也彼愚人のをのをおとしてなくを諫る詞也
3879 はしたてのくまきさかやにまのらるのわしさすひたてゐてきなましをまのらるのわし
   階楯熊来酒屋尓真奴良留奴和之佐須比立率而来奈麻之乎真奴良留奴和之
はしたてのくまきさかや 見安云酒のむ所にて詈《ノリ》あへるを云也愚案酔狂のさまにやまのらるのまはそへ字也
さすひたてゐてきなましを さそひたてゝひきゐて來ん物をと也一説さすひたてはしやつひつたて也
 
作者未詳
3880 そもたねのつくゑのしまのしたたみをいひろひもち來て石もちてつゝきやふりはや川にあらひすゝきからしほにこゝともみたかつきにもりつくえにたてゝ母にまつりつやめつちこのまけ父にまつりつやみめちこのまけ
    所聞多祢乃机之嶋能小螺乎伊拾持 而 以都追伎破夫利早 尓洗濯辛鹽尓古胡登毛美高坏尓盛机尓立而 尓奉都也目豆兒乃負(としか)父尓獻都也身女兒乃負(としか)
そもたねのつくゑの 机嶋能登名所也そもたねは枕詞にや そむ(?)也
したゝみ 和名小|羸子《シタヽミ》細螺シタヽミ貌似テ2甲羸ニ1而細ク小ナリ口ニ有2白玉ノ之盖1者也云々拾遺集物名ニ有
いひろひ 拾ひ也い助字
こゝともみ 仙曰そこはくもむと云也
めつちこのまけ 仙曰めつちこみめちこともにほむる詞也まけはまうけ也云々非也師説はめつちこは女児也つはそへ字也女童也愚案とじ負の字|刀自《トシ》也女の惣名に用めつちこのとしと可讀か私ニは難改
 
    越中國歌四首      作者未詳
3881 おほのちはしけちはしけちしけくとも君しかよはゝみちはひろけん
   大野路者繁道森徑之氣久登毛 志通者徑者廣計武
おほ野ちはしけちは 見安云大野路名所也繁道森徑は茂るを云愚案大野越中|砺波《トナミ》郡と云々
3882 しふたにのふたかみ山にわしそこうむといふ
   澁谿乃二上尓鷲曽子生跡云
しふたにの二上山 旋頭哥也渋谷二上山皆越中也
さしはにも 見安云さしはとは上箭也愚案上刺の心にや君か御弓の矢の羽のためにと也
3883 いやひこのをのれ神さひ 一云あなにかむさひ 青雲のたなひく日すらこさめそほふる
   伊夜彦於能礼 佐備  乃田名引  良霖曽保零
いやひこのをのれ神さひ 越中に弥彦明神在山中は青天に小雨ふる心也一云あなにはあやに也
3884 伊夜彦の神のふもとにけふらもか鹿のふすらん皮のきぬ着てつのつきなから
        乃布本今日良毛加  伏良武  服 而角附奈我良
伊夜彦の神の麓に 山の麓といふ事を神の立給ふ山なれは神の布本《フモト》と云也けふらとは今日わたりもやと
 
    為《タメニ》v鹿ノ述《ノヘテ》v痛《イタミヲ》作レル歌一首  乞食者
乞食者 釋氏要覧云善見ニ云分衛|此《コヽニハ》云2乞食ト1僧祇ニ云乞食ハ分2施ノ僧尼ニ1衛護シテ令v修2道業ヲ1故ニ云2分衛1法集ニ云乞食ハ破2一切ノ驕慢ヲ1故下略
3885 いとふるきなあにの君はをり/\て物にいゆくとはから国の虎といふ神をいけとりにやつとり持《モ》てき其皮をたゝみにさしてやへたゝみへくりの山にう月とやさつきのほとに薬かりつかふる時に足引の此かた山にふたつたついちひかもとに梓弓やたはさみひめかふらやたはさみしゝまつとわかをる時にさをしかのきたちきなけくたちまちにわれしにぬへしおほきみにわれはつかへんわかつのはみ笠のはやしわかみゝはみ墨のつほにわか目らはますみの鏡わか爪はみ弓のゆはすわかけらは御筆のはやしわか皮はみ箱のかはに吾しゝはみなますはやしわかきもゝ御なますはやしわかみきはみしほのはやしおひはてぬ吾身一つになゝへ花さく八重花さくとまうさね/\
   伊刀古名兄乃 居々而 尓伊行跡波韓 乃 云 乎生取尓八頭取 來  乎多々弥尓刺八重疊平群乃 尓四 與五月間尓 猟仕流 尓 乃 片 尓二立伊智比何本尓 八多婆佐弥比米加夫良八多婆左弥完待跡吾居 尓佐男鹿乃来立来嘆久頓尓吾可死王尓 吾仕牟吾角者御 乃婆夜詩吾耳者御 坪吾 良波真墨乃 吾 者御 之弓波受吾毛等者  波夜斯吾 者御 皮尓 完者御奈麻須波夜志吾伎毛母 奈麻須波夜之吾美義波御塩乃波夜之耆矣奴  尓七重 佐久   生跡白賞尼白賞尼
いと古き名兄の君は 是より以下の詞は八重畳へくりの山といはん諷詞也名諷詞也助字也
虎といふ神を 虎を貴《タツト》み恐《ヲソレ》て神と云也
たゝみにさして 八重畳といはんため也やへ畳はへくりの枕詞也前ニこもたゝみへくりの山といひしと同し
薬かり 見安云夏の鹿狩也又|競《キソヒ》狩共云也草木深き山にて我も/\とかる故あらそひきそふ狩と云也
ひめかふら 蟇目鏑《ヒキメカフラ》歟見安云ひめと鳴《ナル》故にひめかふらと云也
きたちきなけく 彼薬狩に弓矢を持て鹿待時にしかの來て歎く其歎きの詞を是より以下に云也
たちまちに我死すへし 是より鹿の詞也
み笠のはやし 見安云傘のろくろなとに角をするを云也はやしはしつらひ也或説林の字の心也物のかさりとする心云々非也
み墨のつほに 鹿の耳墨壺に似し心也 わか目らは 明かなれは鏡と云也 わか爪は 弓のはすに似たれは也 みはこのかはに 皮籠は箱のおほひ等也 わかみきは 鹿安美のけあるを云酒塩の心也 おひはてぬ 耆《ヲイハテ》曲礼云六十ヲ曰v耆ト なゝへ花さく かく老果ぬるわか身一つを君の御用にさま/\用らるゝは我栄花也と申せ/\と鹿のいへると也畢竟は鹿の歎きあまる心を哀見て讀る哥なるへし
 
       為メニv蟹(虫左)《カニノ》述テv痛ヲ作歌一首
乞食者
3886 おしてるや難波のを江にいほ作りかたまりてをるあしかにをおほきみ召《メス》と何せんにわをめすらめや明らけくわかしる事を歌人とわをめすらめやふえふきとわを召らめや琴ひきとわをめすらめやかれもうけんとけふけふとあすかにいたりたてれともをきなにいたりうたねともつくぬにいたりひんかしの中のみかとゆまいり來ておほすれは馬にこそふもたしかくも牛にこそはなゝはゝくれ足引の此片山のもむにれをいほえはきたれあまてるやひのけにほしてさひつるやからうすにつき庭にたてからうすにつきをしてるや難波の小江のはつたれを辛くたれ來てすゑ人のつくれるかめをけふゆきてあす取もち來吾めらにしほぬりたへとまうさも/\
   忍照八  乃小 尓廬 難麻理※[氏/一]居葦河尓乎王 跡 為牟尓吾乎召良米夜 久吾知 乎  跡和乎召良米夜笛吹跡和乎 良米夜 引跡和乎召良米夜彼毛令受牟跡今日今日跡飛鳥尓到雖立置勿尓到雖不策都久怒尓到東 門由参納 ※[氏/一]命受例婆 尓己曽布毛太志可久物 尓己曽鼻縄波久例  乃  乃毛武尓礼乎五百枝波伎垂天光夜日乃異尓干佐比豆留夜辛碓尓舂 立  碓子尓舂忍光八  乃 乃始垂乎 久垂 ※[氏/一]陶人乃所作瓶乎今日徃明日 持(イもて)  目良尓鹽染給時賞毛時賞毛
おしてるや難波の小江 かにのいふにして讀り
いほつくりかたまりをる 蟹穴に集るさま也
あしかに 見安云芦の邊にある少き蟹也
おほきみめす 蟹の歎て云也我王の我を何に召らんと也
明《アキ》らけくわか知事を 我か明らめ知事を御用ひのために召かと也歌笛琴等は我役にあらす我も似合の御用承んといはんとてかれもうけんとゝ云也
あすかに 先朝の都の名也
をきなに 見安云所名也
つくぬに 見安云所の名をつくぬと云名
來ておほすれは 是へ來て仰付らるゝ故也
ふもたしかくも 見安云ほたしかくれ也愚案もは助字也馬にこそ(金+足)《ホタシ》かくれ牛にこそ鼻縄はつくるなれ我は牛馬ならねは瓶中の塩蟹とならんと也
もむにれ 仙曰もむは茂しといふ詞にれは楡《ニレ》の木也見安云或説此楡をほしはたきて賤のくふと云々此哥の心にかなはす
いほえはきたれ 楡の数多の枝をこきたれて其上に芦蟹(虫左)をほす也
日のけに 日の氣也 さひつるや さは助字也|干《ヒ》つるやいなや舂《ウス》つくと也
はつたれ 見安云塩やく始也愚案はつ潮《シホ》をたれてやきたるしほ也
すゑ人 仙曰かはらけ造る人也愚案万のすゑ物つくりする人也
わか目《メ》等《ラ》にしほぬりたへと 是蟹の如此せん事を願ひて云にはあらす終にかくなるへき物なれは徒みつからかくいはせて其しわさの難忍痛ましき事をさとせる也前の鹿の哥共に殺生を諷シ戒めたり可v付v心也
 
    怕《ヲソルヽ》物ノ歌三首     作者未v詳
3887 あめにあるやさゝらの小野にちかやかりかやかりはかに鶉をたつも
   天尓有哉神樂良乃  尓茅草苅草苅波可尓 乎立毛
あめにあるやさゝらの 見安云天にあるさゝらへおのこといふ詞をかりてつつくる也さゝらへおのことは月の名也愚案さゝらの小野名所にや茅かや刈ておもひも懸に墓より鶉の立驚かせし心にや
3888 おきつ国しらせし君かそめ屋形黄そめの屋かた神のとわたる
   奥 領(イしらせる) 之染  染  形  之門渡
おきつ国しらせし君 見安云領君は国司也染屋形は黄に染たる屋形也愚案奥の国司の黄門の前(うがんむり+取)恐るへき所也 神のとわたるとは見安云雷の鳴渡る義也
3889 人たまのさをなる君かたゝひとりあへりしあま夜はひさしとそおもふ
    魂乃佐青有 之但獨相有之雨  葉非左思所念
人たまのさをなる君 見安云人魂(云上)の青きとつゝくる也愚案人たまは諷詞也色青みたる人只一人雨夜に逢たるはおそろしさにはや夜も明なんと思ふに明されは久しと思ふ心也皆人情のおそるへき事を云也
萬葉集巻第十六
貞享三年丙寅六月五日書于新玉津嶋菴下畢墨付三十枚  季吟 
2003.10.11(土)午前10時38分 入力了米田進
             2004.3.21(日)午前11時18分 校正終了 ?一つあり
 
萬葉集巻第十七
 
   天平二年庚午冬十一月大宰ノ帥《ソチ・ミコトモチノカミ》大伴ノ卿被v任セ2大納言ニ(兼帥如v舊)上京ノ之時※[人偏+兼]從|等《ラ》別《ベツニ》取テ2海路ヲ1入ルv京ニ於v是悲2傷シテ羇旅ヲ1各陳テv所ヲv心モフ作歌十首
大伴卿 旅人《タヒント》也
 續日本紀十一曰天平三年七月辛未從二位大伴ノ宿祢旅人薨ス難波ノ朝ノ右大臣大紫長徳之孫贈從二位安麻呂ノ之第一子也
 此集撰者家持卿の父也
           三野ノ連シ石守《イハモリ》
3890 わかせこをあかまつ原よ見わたせはあまおとめともたまもかる見ゆ 
   和我勢兒乎安我松原欲見度婆安麻乎等女登母多麻藻可流美由
わかせこをあかまつ 見安云あか松原とは我か待とつゝくる也
3891 荒津の海しほひしほみち時はあれといつれの時かわかこひさらん
    乃 之保悲思保美知 波安礼登伊頭礼乃 加吾孤悲
あらつの海しほひ 荒津の海筑前也潮は満干の時あれと我戀る心は時を分ぬと也
3892 いそことにあまの釣船はてにけりわかふねはてんいそのしらなく
   伊蘇 海夫 家里我船 伊蘇
礒ことにあまの はては泊の字也眺望より旅懐をおこせり
3893 きのふこそふなてはせしかいさなとりひちきのなたをけふ見つるかも
   昨日 伊佐魚取比治奇乃奈太 今日
きのふこそ舟出はせしか 見安云ひちきの灘ひゝきのなだ也愚案袖中抄に播磨名寄に備前と有きのふこそ近き程を云
3894 淡路嶋とわたる船のかちまにもわれはわすれすいへをしそおもふ
    刀和多流 可治 吾 伊 於毛布
あはちしま戸渡る 見安云かちまは梶とる間也【家隆と渡る舟のかちのはは是を取也】
3898 大船のうへにしをれはあまくものたときもしらす歌乞《ウタコツ》わかせ
    宇倍 居 安麻久毛 和我世
大ふねの上にしをれは 歌乞哥よみなとする心也独こつといふ詞にて心得へし天《アマ》雲は枕詞也
3899 あまをとめいさりたく火のおほゝしくつのゝまつはらおもほゆるかも
   海未通女伊射里多久 於煩保之久都努乃松原於母保由流
あまをとめいさりたく 仙曰おぼゝしくはおぼつかなき也あまの漁火はほのかなる物なれはおほゝしくと云也つのゝ松原はつのくに也
3895 たまはやすむこのわたりにあま傳ふ日のくれゆけは家をしそおもふ
   多麻波夜須武庫能和多 天 於毛布
たまはやす武庫の 此哥より三首イ本あはちしまの下大船の上《カミ》にあり童蒙抄云武庫とは津の国に在たまはやすとは珠は海にある物なれは玉おほかるといふ心にやあま傳ふとは空つたふとよめる也されはつの国むこの海に舟にのりてゆく暮に家を戀てよめる哥也八雲抄同日の暮れは家戀しき心なるへし云々
3896 いへにてもたゆたふ命浪のうへに思ひしをれは 一云うきてしをれは おくかしらずも
   家 多由多敷 於久香
いへにてもたゆたふ命 仙曰たゆたふとはたゝよふ也思ひさためぬを云おくかもしらすとは奥もしらすと云也
3897 大海のおくかもしらすゆくわれをいつきまさんととひしこらはも
    於久可 兒等
おほうみのおくかも 大海のおくともそこともしらすゆく我をいつか歸りこんと問し女の哀に悲しきと也
 
    十年七月七日之夜獨|仰《アフヒテ》2天漢《アマノカハヲ》1聊《イサヽカ》述フルv懐ヲ一首    大伴宿祢家持作
3900 たなはたのふなのりすらしまそ鏡きよき月夜に雲たちわたる
   多奈波多 船乗 麻蘇 起和多流
たなはたの船のり 船にてあまの河を渡るにや雲も立渡ると也其夜の景氣也たけある哥也
 
    追テ和ス太宰ノ之時ノ梅ノ花ノ新歌六首【十二年十一月九日作】
            大伴宿祢家持
3901 みふゆつきはるはきたれと梅の花君にしあらねはおる人もなし
   民布由都藝芳流 烏梅能芳奈 遠流 奈之
追和太宰之時梅花新歌 是此集五云天平二年正月十三日|萃《アツマリ》2于帥老ノ之宅ニ1賦シテ2園梅ヲ1聊成ス2短篇ヲ1中畧とて梅花の哥卅二首有いま十二年十一月に追て和すと也
みふゆつき春は 見安云み冬つきは冬三月の盡るを云也愚案君にしあらねはゝ大伴卿をしたふ心なるへし
3902 うめの花みやまとしみにありともやかくのみ君は見れとあかにせん
   烏梅乃花美夜萬等之美 如此乃未 波 安可尓勢牟
うめの花みやまとしみ 袖中抄云みやまは奥山也日本紀には太山と書てみやまと讀りとしみはときしみと云詞を畧歟ときしみは常にと云心也ときは時也常也しみはしけき也然はときはにしけく有ともと讀る也山こしの風をときしみぬる夜おちすと云々見安云としみは太山はいまた寒きと云心也愚案両義可随所好歟あかにせんとはあかぬにしけんと也イ安可尓氣牟と有義同
3903 春雨にもえしやなきかうめの花ともにをくれぬ常のものかも
    毛延之楊奈疑可烏梅 物能香聞
春雨にもえし柳か 疑のかにや春雨に柳萌梅咲て常にをくれぬ景物そと也
3904 うめの花いつはおらしといとはねとさきのさかりはおしき物なり
   宇梅 佐吉乃盛
うめの花いつはおらし 見安云さきのさかりとは梅の咲たる盛也愚案いつはおらしとおる事をいとひはせねともと也
3905 あそふ内のたのしき庭に梅柳おりかさしてはおもひなみかも
   遊 乎理加謝思 意毛比
あそふうちのたのしき 思ひなみは思ひなき也
3906 みそのふのもゝ木の梅のちる花のあめにとひあかり雪とふりけん
   御苑布 百 宇梅 落 安米
みそのふのもゝき 百木数多の梅也下句は落梅の雪のことくなるをかく云也
 
    讃《ホムル》2三香《ミカ》原ノ新都ヲ1歌【一首并短歌天平十三年二月作v之】 右馬《ウマ》寮ノ頭|境部《サカヒヘノ》宿祢|老《ヲヒ》麻呂
讃ル2三香ノ原新都ヲ1 前注
3907 山しろのくにのみやこは春されは花咲をゝり秋されはもみちはにほひみおはせるいつみのかはのかみつせにうち橋わたしよと瀬にはうき橋わたしありかよひつかへまつらん萬代まてに
    背 久尓 乎々理 黄葉 美(イナシ)於婆勢流泉河 可美都瀬 宇知 和多之 宇枳 安里我欲比
花咲をゝり 仙曰花咲のほり也
みおはせる 水尾走るにや水の早き心也イおはせる仙曰帯せる也愚案帯にせる細谷河の類久迩の都の帯にせる泉河と也
うち橋 打渡したる橋也
よと瀬 淀瀬也和名云淀は如ニシテv渕ノ而淺キ處也
ありかよひは行通ふ心也
    反歌
3908 たてなめていつみの河のみをたえすつかへまつらんおほ宮所
   楯並而伊豆美 河波 水緒多要受 大
たてなへていつみの河 仙曰日本紀第五に崇神天皇御宇|武埴安彦《タケハニヤスヒコ》反逆《ミカトヲカタムケントス》與v師《イクサヲ》避2那羅《ナラ》山ヲ1而進テ到ル2輪韓《ワカラ》河ニ1挾《サシハサンテ》v河ヲ屯《タフロス》v之ニ各|相挑《アヒイトム》v焉|故《カレ》時ノ人|改《アラ テ》v号《ナヲ》其河ヲ曰2挑《イトミ》河ト1今謂フは2泉河ト1訛《ヨコナマレリ》也といへり此故に楯なへていつみ河といへる也略注愚案彼たけはにやすひこと官軍といとみたゝかひし心にていとみ川といへはたてならへていとみとうけていつみの河とよめりみをとは水の深き所絶すの諷詞也
 
    詠《ヨメル》2霍公鳥ヲ1歌【二首 四月二日|從《ヨリシテ》2奈良ノ宅1贈ル2兄家持ニ1】
             大伴宿祢|書《フン》持
3909 たちはなはとこ花にもかほとゝきすすむときなかはきかぬ日なけん
   多知婆奈 常 保登等藝須周無 來鳴者
たちはなはとこ花にもか 橘は常磐の花にも哉此木に郭公の住とて來なかはときはに來鳴んからにきかぬ時あるましきと也
3910 玉にぬくあふちをいへにうゑたらはやま霍公鳥かれすこんかも
   珠尓奴久安布知 宅 夜麻
珠にぬくあふちを 楝《アフチ》はせんたんと云木也五月五日に用る木なれは薬玉にぬく心也或は楝実玉を貫きし如くなれは云とそ
 
    橙橘《タチハナ》初テ咲テ霍公鳥(イ子規)飜嚶《ヒルカヘリナク》對シテ2此|時候《トキニ》1※[言+巨]不《サラン》v暢《ノヘ》v志ヲ因テ作テ2三首ノ短歌ヲ1以散スル2欝結《ウツケツノ》之|緒《ヲモヒヲ》1耳《ノミ》【三首 四月三日自2久迩ノ京1報《ムクヒ》2送ル弟書持ニ1】
               内舎人大伴宿祢家持
橙橘 是哥の小序也 和名云|橙《トウ》は七巻食經ニ云橙《トウ》は宅耕ノ反和名アベタチはナ似テv柚ニ而小サキ者也
3911 あしひきの山へにをれはほとゝきす木のまたちくきなかぬ日はなし
    邊 木際多知久吉 奈之
あしひきの山邊に 仙曰木のまたちくきとは立くゝる也【袖中見安等同義】
3912 ほとゝきすなにのこゝろそたち花のたまぬく月し來鳴とよむる
    奈尓乃情 多知 多麻奴久 之 登餘牟流
ほとゝきす何の心そ 是も薬玉にぬく心をよめるにや又橘の金玉のことくなるを云歟
3913 ほとゝきすあふちの枝にゆきてゐは花はちらんな珠と見るまて
    安不知 居
ほとゝきすあふちの 楝花は羽吹ちらん實《ミ》の玉と見る迄ゐよとの心也
 
    思2霍公鳥ヲ1歌【一首 傳テ曰一時交遊集宴ス此日此處霍公鳥不v喧《ナカ》仍作v歌以陳フ2思慕之意ヲ1但其宴所并ニ年月未v得2詳審《ツマヒラカナルヲ》1也】              田口朝臣馬長
交遊集宴 朋友ましはりあそひてつとひて酒宴する也
3914 ほとゝきす今し來鳴かはよろつ代にかたりつくへくおもほゆるかも
    可多理 所念
ほとゝきす今し 今しのしは助字也交遊集宴楽む比來鳴かは其興一入なるへけれは万代までの美談ならんと思ふと也
 
    詠2春鴬《ウクヒスヲ》1謌【一首 年月所處未v得2詳審ルヲ1但随テv聞ニ之記シテ載ス2於茲ニ1】
             山部宿祢明人
明人 赤人と同人にや
3915 あしひきの山谷こえて野つかさに今はなくらんうくひすのこゑ
    豆加佐 者鳴
あしひきの山谷越て 仙曰つかさとはつゝきいふ詞也野つゝきに鴬なくといふ心也【見安同義】
 
    十六年四月五日獨リ居テ2平城《ナラノ》故郷ニ1作レル歌六首
大伴宿祢家持
3916 橘のにほへる香かもほとゝきすなくよの雨にうつろひぬらん
橘のにほへる香かも 面白き郭公なく夜の雨なから此雨に此橘のにほへる香もやうつろひ散へからんとなり
3917 ほとゝきす夜こゑなつかしあみさゝは花はすくともかれすかなかん
    音奈都可思安美指者
ほとゝきす夜こゑ 仙曰心は郭公の來鳴橘に網さし置たらは枯すなかんとよめる也愚案かれすは絶すと同義也
3918 橘のにほへる苑《ソノ》にほとゝきす鳴とひとつぐあみさゝましを
橘の匂へるそのに 人つくは告る也網張て外へやらしと也
3919 あをによしならのみやこはふりぬれともとほとゝきすなかすあらなくに
   青丹余之奈良 毛等保登等藝須不鳴
あをによしならの都は もと郭公は本來《モトヨリ》也ならの都は古ぬれとゝは小序に平城古郷《ナラノフルサト》とある心也聖武帝天平十二三年に奈良より恭仁《クニ》都にうつし天平十六年二月に摂州難波に遷《セント・ウツス》v都ヲ前注其年の夏の哥なれは也古京なから郭公はもとより來なくなれは独居とても住うからすと也
3920 うつらなくふるしと人はおもへれと花橘のにほふこのやと
   鶉鳴布流之 屋度
うつらなくふるしと 見安云ふるしは古郷の心也愚案八雲抄故郷をは鶉なくと云万葉にも鶉なく人の古いへといへりと侍るは此哥の事にや
3921 かきつはたきぬにすりつけますらおのきそひかりする月はきにけり
   加吉都播多衣 麻須良雄乃服曽比猟須流
かきつはたきぬに 祇曰きそひかりするとは四月五月に薬狩とてする也いつれのますらおもきをひ狩れはきそひかりと云也十六巻長哥の詞(為鹿述痛)に卯月とや五月のほとにくすりかりとよめり仙注同愚案杜若を狩衣に摺付る事此集第七「住の江の淺沢をのゝ杜若|衣《キヌ》にすり付きん日しらすもとよめり
 
     天平十八年正月白雪多ク零リテ積ツムコトv地ニ數寸也於是左大臣橘ノ卿|率《ヒキイテ》2大納言藤原ノ豊《トヨ》成ノ朝臣及ヒ諸王諸臣|等《ラヲ》1参2入シテ太上天皇元正天皇御在所ニ1中宮西院|供奉《クフシテ》掃フv雪ヲ於v是|降《クタシテ》v詔ヲ大臣参議并諸王は者令v侍ラ2于|大殿《オホトノヽ》上1諸卿大夫者令テv侍2于南細殿ニ1而則|賜《タマヒ》v酒ヲ肆宴《トヨノアカリス》勅シテ曰汝諸ノ王卿|等《ラ》聊チ賦2此雪1各|奏《ソウセヨ》2其謌ヲ1 五首 藤原豊成朝臣巨勢ノ奈※[氏/一]麻呂ノ朝臣|大伴《トモノ》牛養ノ宿祢藤原仲麻呂ノ朝臣三原ノ王智奴ノ王船ノ王邑知王山田ノ王林ノ王|穂積《ホツミノ》朝臣老小田ノ朝臣諸人小野ノ朝臣綱手高橋ノ朝臣國足太ノ朝臣徳太理高丘|連《ムラシ》河内秦|忌寸《イミキ》朝元|楢《ナラ》原ノ造《ミヤツコ》東人|等《ラ》應シテv詔ニ作v歌依テv次《ツヰテニ》奏スv之ヲ登時不v記2其歌ヲ1漏失ス也秦ノ忌寸朝元は者左大臣橘卿|謔《タハムレテ》云|靡《ス》v堪v賦ルニv歌ヲ以v麝|贖《アカヘ》v之ヲ因テv此小田ノ朝臣諸人ニ黙已也
左大臣橘卿 諸兄公也于時左大臣從一位
大納言藤原|豊《トヨ》成朝臣 于時中納言從三位天平二十年三月壬辰授ケ2從二位ヲ1拜2大納言ニ1【續日本紀十七】
肆宴《トヨノアカリ》 群臣にみき給ふ事也御酒宴の儀也
巨勢《コセノ》奈※[氏/一]《ナテ》麻呂 天平十五年中納言從三位
大伴ノ牛養 從四位上【天平十五年】
三原ノ王
智奴ノ王 正四位下木工頭
船ノ王 從四位上
邑知ノ王 ムラトモノオホキミ
山田ノ王
林王 圖書頭從五位下
穂|積《ツミ》朝臣老 正五位上
小田ノ朝臣諸人
小野ノ朝臣綱手 内藏頭從五位下
高橋ノ朝臣國足 從五位下
秦ノ忌寸朝ノ元
楢原ノ造《ミヤツコ》東人 從五位下
 右以2續日本紀ヲ1考v之
     左大臣橘宿祢諸兄公
3922 ふるゆきのしろかみまてにおほきみにつかへまつれはたふとくもあるか
   布流由吉乃之路髪 大皇 貴久母
ふる雪の白髪まて あるか有哉也
     紀ノ朝臣清人
紀朝臣清人 天平十六年治部大輔正五位下十八年五月任武蔵守續日本紀
3923 あめのしたすてにおほひてふる雪のひかりを見れはたふとくもあるか
   天下須泥尓 布流 比加里 見
あめのしたすてに 天下をおほひて雪降也
     紀朝臣|男梶《ヲカチ》
紀朝臣男梶 天平十五年弾正ノ弼 七年從五位下
3924 山のかひそことも見えすおとつひもきのふもけふもゆきのふれゝは
    可比 見延受乎登都日毛 日 今日 由吉
山のかひそことも 峡前に注山のあい也
     葛井《クスヰノ》連《ムラシ》諸|會《アヒ》
葛井ノ連諸會 天平十七年四月外從五位下
3925 新しき年のはしめにとよのとししるすとならし雪のふれるは
    婆自米 豊乃登之
新しき年のはしめに 春雪を豊年の嘉瑞《カズ》とは韓退之《カンタイシ》か詞也
     大伴宿祢家持
3926 おほみやのうちにもとにもひかるまてふらす白雪見れとあかぬかも
   大宮 宇知 零須
おほみやのうちにも外にも ふらすは降也此時家持卿從五位下のよしみゆ
 
  大伴ノ宿祢家持以2天平十八年閏七月ヲ1被ルv任せ2越中ノ國守ニ1即取テ2七月ヲ1赴《オモムク》2任所ニ1於v時|姑《シウトメ》贈《ヲクル》2家持ニ1歌二首 
以天平十八年閏七月 按ニ2續日本紀十四ヲ1曰ク天平十八年六月壬寅從五位下大伴家持|為《ス》2越中守ト1云々是は任の月を云内ニ其|有《アラ》ましをかきるにや
             大伴《トモ》氏坂ノ上ノ郎女《ヲトメ》
3927 くさまくらたひゆくきみをさきくあれといはひべすゑつあがとこのへに
   久佐麻久良多妣 吉美 伊波比倍 安我
草枕旅ゆく君を 旅行|幸《サイハヒ》あれと祝ふ酒瓶を床上にすへていはふと也いはひへは齋瓶也前注
3928 いまのごとこひしくきみがおもほへばいかにかもせんするすべのなさ
    古非之久
いまのこと戀しく君か 別る今の如く後まても戀らくはと也戀しくは戀しきる心也
 
    更ニ贈ル2越中ノ國ニ1歌二首
            大伴氏坂ノ上ノ郎女
3929 たびにいにしきみしもつぎていめに見ゆあがかたごひのしげければかも
   多妣 伊(イゆ)米 安我 孤悲
旅にいにし君しも継て つきていめにみゆは打つゝきて夢にみゆると也我片戀の茂き故にみゆるやらんと也
3930 みちのなかくにつみがみはたびゆきもしゝらぬきみをめぐみたまはな
みちの中國つみ神は 越中の國中の諸神と云心也越中をコシノミチノナカノクニと和名にもよめり旅行もし馴知ぬ人を恵給へと也見安云めくみ給はなは恵みをたれ給へと云心也
 
    贈ル2越中ノ守大伴ノ宿禰家持ニ1【十二首|時時《ヨリ/\》便使ニ來ル非2一度ヒニ所ロニ1v贈ル也】      平群《ヘグリ》氏ノ女郎
3931 きみにより吾名はすでにたつた山絶たるこひのしけきころかも
   吉美 多流
きみによりわか名はすてに立田山 たつといふ詞絶の義なれは下句に絶たるといへり逢事の絶たる戀と云也
3932 すまびとの海邊つねさらずやくしほのからき戀をもあれはするかも
   須麻比等 夜久之保
すま人の海邊常去す 序哥也すま人は須磨の浦人也あれ吾也
3933 ありさりてのちもあはんとおもへこそつゆのいのちもつぎつゝわたれ
    都由
ありさりて後も 有/\ての後も逢んと思へはこそ露の命をも継渡れと也
3934 なか/\にしなはやすけんきみがめを見ず久ならばすべなかるべし
    目
なか/\に死なは安けん 君か目を見す久しくすへなからんより死なは中/\に安からんと也
3935 こもりぬのしたゆこひあまり白波のいちしろくいてぬひとのしるへく
    之多由 志良奈美
こもりぬのしたゆ 隠沼《コモリヌ》のはしたゆといはん諷詞也したゆは下に也白波のはいちしろくといはん諷詞也下に戀餘りていち白く色に出しと也
3936 くさまくらたひにしはしはかくのみやきみをやりつゝあがこひをらん
くさまくらたひに いつまての旅とは知ねと先しはしと云遠きは悲き故也
3937 草枕たひいにしきみかかへりこん月日をしらんすへのしらなく
草枕たひいにし君か 旅に出いにし心也すへのしらなくは知すへなき也
3938 かくのみやあかこひをらんぬはたまのよるのひもたにときさげずして
    乎浪牟奴婆多麻
かくのみやあか戀をらん 夜も紐ときさけす安きいもねすかくのみ戀をるへきかと也
3939 さとちかくきみかなりなはこひめやともとなおもひしあれそくやしき
さと近く君か成なは 家持雲上人にて逢かたき時里人近く成給はゝかくは戀じ物をとよしなく思ひし悔しさよ今受領して王宮をはなれ里近く成給ひても難逢けれはと也
3940 よろつ代にこゝろはとけてわかせこかつみしを見つゝしのひかねつも
    都(イと)美之乎見都追
よろつ代に心はとけて 代には例の助字也万の事に心はうちとけてにくけもなきなからつみ取れはみし跡をみれは忍かたしと也つむとはつめる也古今に「秋來れはのへにたはるゝ女郎花いつれの人かつまてみるへきと讀したくひにや苧をつみしの説不用
3941 鴬のなくくらたにゝうちはめてやけはしぬともきみをしまたん
    久良多尓
鴬のなくくらたにゝ 見安云くらたには名所也うちはめては身をなくる也愚案此義によらは焼は死ぬとも君を待へきとなるへし但仙抄云うちはめてはうちはまりてと云也やけはしぬともとはよけは為《シ》ぬともと云也心は鴬のなく谷に打はまりておほろけにもこゝにくる事はなくとも君をまたんとよめる也と云々両説不随所好師用見安ヲ
3942 まつのはな花かすにしもわかせこかおもへらなくにもとなさきつゝ
   麻都能波奈 和我勢故 於母敝良奈久尓
松の花花数にしも 松花は春咲物なから花のやうにも見えねは花の数にも思はすと云也心は松花を平群氏女か身に比してよしなく逢初しと云也
 
    八月七日ノ夜|集《ツトヒテ》2于|守《カミ》大伴ノ宿祢家持舘ニ1宴スル歌    十二首            大伴宿禰家持
守 越中守也家持の當官也次の作者池主を掾と有越中掾也
3943 秋の田のほむき見かてりわかせこかふさたおりけるをみなへしかも
    乃穂牟伎 我(氏/一)里 布左 乎美奈敝之
秋の田の穗むき 穗むきは稲の穂立を見かてらと也ふさたおりは花ふさを手折しなるへし
                   掾《セウ》大伴《トモノ》宿祢池主
3944 をみなへしさきたるのへをゆきめくりきみをおもひてたもとほりきぬ
    野邊
女郎花咲たる野へを たもとをりきぬは立もとをり來たる也
3945 あきのよはあかときさむししろたへの妹かころもできんよしもがも
    阿加登(イつ)吉 之衣袖
秋の夜はあかとき あかときは暁也
3946 ほとゝぎすなきて過にしをかびから秋風|吹《フキ》きぬよしもあらなくに
    須疑尓之乎加備可良
ほとゝきす鳴て 見安云をかひからは岡邊から也愚案夏のほと郭公鳴し岡へから今は秋風吹たり秋情旅懐せんかたなきにと也
                   守大伴宿祢家持
3947 けさのあさけ秋風さむしとをつひとかりが來鳴んときちかみかも
    左牟之登保都比等加里
けさのあさけ秋風 遠つ人は遠国の人也鳫は遠国より來れはなそらへて遠つ人とよめるなるへし
3948 あまさかるひなに月へぬしかれともゆひてし紐をときもあげなくに
    比奈 歴奴
あまさかるひなに ひなに月へてあれといまたとけてねし事もなしとの心也
                   掾大伴宿祢池主
3949 あまさかるひなにあるわれをうたかたもひもゝときさげでおもほすらめや
あまさかるひなに 定家卿はうたかたは寧《ムシロ》なといふやうの詞との給へり顕昭袖中抄ニはうたかたはうたゝといふ詞とて此哥を引り仙覚はうたかたは不忘といふ詞と云々是喜撰式の説を用ゆとみゆ皆捨かたき中に先定家卿御説を可用之とそひももときさけてとは仙曰紐とかすして戀らんやとよめる也
                    大伴宿祢家持
3950 いへにしてゆひてしひもをときさげすおもふこゝろをたれかしらんも
   伊敝 念意
いへにしてゆひてし紐を 家にてゆひしひもを其まゝに妹かせし事ととかすしておもふ心をしらしと也しらんものもは助字也
          大目《タイサクハン》秦《ハタノ》忌寸《イミキ》八千《ヤチ》嶋
3951 ひくらしのなきぬるときはをみなへしさきたる野邊をゆきつゝ見へし
   日晩之 乎美奈敝之
ひくらしの鳴ぬる 八月比の景物をとり合せて心明也
                     大伴宿祢家持
3953 鳫かねはつかひにこんとさわくらん秋風さむみそのかはのへに
    都可比 佐和久良武
鳫かねはつかひに 秋風も寒くなれは河邊の鳫も使ひにこんとさはきゝつらむと也是も蘇武か心あるなるへし
3954 馬なめていさうちゆかなしふたにのきよきいそまによするなみ見に
    並(イなへて) 思 伊蘇未 奈弥
馬なめていさうち ゆかなはゆかなん也しふ谷八雲抄越中云々
                     史生《シシヤウ》土師《ハジノ》宿祢道良
3955 ぬはたまのよはふけぬらしたまくしけふたかみやまに月かたふきぬ
    欲波布氣奴良之
ぬはたまのよはふけ ふたかみ山八雲抄越中と云々作者史生は官也土師は姓也宿祢は尸也
 
     古歌【一首年月不v審カナラ但随テ2聞時ニ1記シテ載《ノス》v茲《コヽニ》     僧玄勝傳2誦ス之ヲ1】
古歌 玄勝か傳にて聞記せし大原高安か哥也此哥イに日晩の下家持鳫かねはの上に在
                     大原ノ高安ノ真人《マツト》
3952 いもかいへにいくりのもりの藤の花伊麻こん春もつねかくし見ん
    伊久里 母里
いもか家にいくりの いくりの森越中也妹か家にいくといはん諷詞計也常かくしみんとは常にかく見んと也
 
   宴2居《ヱンキョシテ》客屋《タヒノヤニ》1望テ2蒼海ヲ1主人ノ作レル歌一首
              大目秦ノ忌寸八千嶋
3956 なこのあまのつりするふねはいまこそはふなたなうちてあへてこきでめ
なこの蜑の釣する 仙曰なこの浦なこの海越中也舟棚打てとは舷《フナはタ》をたゝく同事か愚案敢ては詞の字也こきてめ漕《コキ》出め也
 
    哀2傷《カナシミイタム》長逝《ミマカレル》之|弟《ヲトヽヲ》1歌【一首并短歌天平十八年秋九月廿五日|遥《はルカニ》聞テ2弟ノ喪《モ》ヲ1感傷シテ作v之ヲ】
                    越中守大伴宿祢家持
3957 あまさかるひなおさめにとおほ君のまけのまに/\出てこしわれををくると青丹よし奈良やますきて泉河きよきかはらに馬とゝめわかれし時によしゆきてあれかへりこん平けくいはひて待《マテ・イマツ》とかたらひてこし日のきはみたまほこの道をたとをみ山河のへなりてあれはこひしけくけなかき物を見まくほりおもふ間にたまつさの使ひのくれはうれしみとあかまちとふにをよつれのたはことゝかもはしきよしなをとのみことなにしかも時しはあらんをはたすゝき穂に出る秋のはきの花にほへるやとをあさにはにいてたちならしゆふ庭にふみたいらけず佐保のうちの里を徃過あしひきの山の木ぬれに白雲にたちたなひくとあれにつげつる【斯ノ人為v性好テ愛シテ2花草花樹ヲ1而多|植《ウフ》2於寝院ノ之庭ニ1故ニ謂2之ヲ花薫庭ト1也佐保山ニ火葬ス故ニ謂2之ヲ佐保のうちの佐刀乎由吉須疑《サトヲユキスキ》ト1】
    比奈 大王 麻氣乃麻尓末尓 駐 好去而 可多良比 比 敝奈里(氏/一) 孤悲之家口氣奈我枳 麻久保里念 家礼婆 安我麻知刀敷 多婆許登 奈弟 芽子 尓保敝流屋戸安佐尓波 奈良之暮 敷美多比良氣受
ひなおさめにと 越中国司に家持の來しに也
まけのまに/\ 見安云国守に任するを云愚案|任《マケ・マカス》の字也
われををくる 弟の家持卿を送りし也
よしゆきてあれ歸りこん 家持のいとまこひの詞也よし/\今別るとも頓て我歸りこん平安ニ祝ひてまてと也イいはひてまつとゝ和ス用かたき歟
こし日のきはみ かく云別て來し日の限と也
たとをみ 仙曰道を遠み也たは詞の助也
へなりてあれは 仙|隔《ヘタ》たりてあれはと也見安同
うれしみと 京より使くれは嬉しとて待つけ問たれはと也
をよつれの 見安云をとつれ也愚案彼使弟の長逝といふををとつれのされことと思ふと也たはことは戯言也
はしきよし 弟をほめて云詞也よしと云詞也
なをとのみこと 見安云弟のみこと也
何しかも時しはあらんを 彼弟秋うせし事を云何事そや時もこそあれといふ心也しは助字也心は此哥の注に見えたり此弟在世に花の木草を愛して寝院の庭にうへたり其薄ほに出萩匂へる宿の庭を朝夕立ならしふみたいらけすして佐保山に火葬せられて彼山の木々にたなひく雲となりしと京よりの使の我に告つる案の外に悲しき事との心也|木《コ》ぬれは木の上也梢也注寝院は寝殿と同し
       反歌
3958 まさきくといひてし物を白雲にたちたなひくときけはかなしも
まさきくといひてし 長哥に平けく祝ひてまてといひし心足引の山のこぬれに白雲になといひし事なるへし
3959 かゝらんとかねてしりせはこしの海のありそのなみも見せまし物を
    古之能宇美 安里蘇
かゝらんと兼て知せは かく別んとしらは越中へも同道すへきをと也八雲抄ありそ越中云々
 
    相|歡《ヨロコフ》歌【二首 天平十八年八月|掾《ゼウ》大伴ノ宿祢池主|附《ツキテ》2大帳使ニ1赴《ヲモムキ》2向フ京師《ミヤコニ》1而同年十一月還2到本任ニ1仍設ケ2詩酒ノ之宴ヲ1弾シテv絲ヲ飲樂ス是《コヽニ》也白雪忽降テ積コトv地ニ尺餘此時也|復《マタ》漁夫ノ之船入v海ニ浮v瀾《ナミ》ニ爰ニ寄テ2情ヲ二眺ニ1聊裁v所v心フ】               
大帳使
本任 本の任国越中也
弾絲 琴也
是也イ是日也 尤可用
二|眺《テウ》 雪と漁父のなかめ也此二首を讀しにと也
                   大伴宿祢家持作
3960 庭にふる雪はちへしくしかのみにおもひてきみをあかまたなくに
庭にふる雪はちへしく 雪は千重降敷千重は限有我は千重のみにはおもはす深く思ひて待し君に逢て嬉しと也相|歡《ヨロコフ》歌と云是也
3961 白浪のよするいそまをこく船のかちとる間なくおもほへしきみ
    伊蘇 榜 可治登流
白浪のよする礒間を 漁舟をみて其梶とる間なきか如く思ひし池主に逢て歡《ヨロコ》ふ心也
 
    忽《タチマチ》沈ンテ2枉疾ニ1殆《ホトント》臨ム2泉路ニ1仍作テ2歌詞ヲ1以|申《ノフル》2悲緒ヲ1【一首并短歌 天平十九年春二月廿日作】
                     大伴宿祢家持
枉疾 枉曲也家持卿の病に伏て悲みを述る也
3962 おほきみのまけのまに/\ますらおの心ふりおこしあしひきの山坂こえてあまさかるひなにくたりきいきたにもいまたやすめす年月もいくらもあらぬにうつせみの代の人なれはうちなひきとこにこひふしいたけくの日にけにませはたらちねのはゝのみことの大船のゆくら/\にしたこひにいつかもこんとまたすらんこゝろさふしくはしきよしつまのみこともあけくれは門によりたちころもてをおりかへしつゝゆふされはとこうちはらひぬはたまの黒髪しきていつしかとなけかすらんそいもゝせもわかきこともはをちこちにさわきなくらんたまほこのみちをたとをみま使もやるよしもなしおもほしきことつてやらすこふるにしこゝろはもえぬたまきはるいのちおしけどせんすへのたときをしらにかくしてやあらしをすらになけきふせらん
   大王 麻氣 大夫 情 伊多家苦之(イ志)異益 由久良々々 情左夫之苦 兒等毛 美知乎多騰保弥間 情波母要奴 伊乃知 安良志乎
おほきみのまけの 前に注
ひなにくたりき 越中に下り來て也
いきたにもいまた休めす ほともなくの儀也
うちなひきとこに 打たえて病床に伏也
いたけくの 痛む事也
はゝのみこと 次に妻の命と有前にな弟のみことゝ有古は誰にもいひし詞にや
ゆくら/\に 仙曰ゆたかにといふ也
したこひ 下に待戀る也
心さふしく 心悲く也
はしきよし 妻をほめ云詞也又はしけやしと同く女を云歟
いつしかとなけかすらんそ いつか/\と待歎らんと也
いもゝせもわかき子共 妹とも兄もおさなき子ともも也
たとほみ 遠み也たは助字
ま使も 見安云人の方に使を遣て遅きを云て又使をやるを云也
もほしき事傳やらす 思ふ事のことつてもいひやらすと也
心はもえぬ もゆる也
命おしけと 惜けれどゝ也
あらしを 仙曰荒増雄同シ言《コト》也愚案ますらおすら歎き伏なんと也
反歌
3963 世間はかずなきものか春花のちりのまかひにしぬべきおもへは
    知里能麻我比
世のなかは数なき物か 数なき物かとは久しからぬ物かと也春花の散まかふ中に死ぬへきを思へは久からぬ物哉と也
3964 山河のそきへをとほみはしきよしいもをあひ見すかくやなけかん
山河のそきへを 見安云そきへはそこ也愚案深き山河を隔居て妹を見もせて煩ひて歎んかと也
 
    天平廿年二月廿九日贈ル2※[木+丞]大伴宿祢池主ニ1悲ミノ歌二首
              守大伴宿祢家持
    忽《タチマチ》沈テ2枉疾ニ1累《カサネテ》v旬ヲ痛ミ苦フ祷2恃《イノリタノンテ》百神ニ1且得タリ2消損ヲ1而|由《ナヲ》身體|疼羸《イタミツカレテ》筋力《キンリヨク・スチチカラ》怯軟《ツタナクヨハシ》未《タ・ス》v堪《タヘ》2展|謝《シヤニ》1係戀《ケイレン》弥《/\》深シ方ニ今春ノ朝ノ春花流シ2馥於春ノ苑《ソノ》ニ1春ノ暮ノ春ノ鴬《トリ》囀ル2聲ヲ於春ノ林ニ1對《ムカツテ》2此|節候《・トキ》ニ1琴※[缶+尊]可v翫《モ》フ矣雖v有ト2乗スルv興ニ之感1不v耐《タヘ》策《ツク》v杖ヲ之勞《イタはリニ》1獨リ臥《フシテ》2帷幄《イアク》ノ之裏1聊作シテ2寸分之歌ヲ1 軽《カル/\シク》奉ル2机下ニ1犯《ヲカス》v解《トカンコトヲ》2玉ノ頤《ヲトカヒヲ》1 其詞ニ曰
忽沈テ2枉疾ニ1 哥の序也
累v旬 十日を旬と云
怯軟 怯は懼《ヲソル》也|畏《ヲソル》也軟は?ト同|柔《ヤハラカ》也
展謝 身をうこかす也
乗v興之感 友を尋行心也王子猷か戴安道を尋行し古事也
策杖
帷幄の裡 史記の字也
解玉頤 玉はかしつく心也わらひ給はんと也前漢匡※[行く構え+魚]傅の詞也
3965 はるのはないまはさかりににほふらんおりてかさゝんたちからもかも
はるの花今は盛に 仙曰たちからもかもとは手の力也愚案此哥春花を詠ス
3966 うくひすのなきちらすらん春の花いつしかきみとやおりかさゝん
うくひすの鳴ちらす いつか本復して君と花を翫んと也
 
  沽洗《コセン》二日報スル2守大伴宿祢家持ニ1歌二首
大伴宿祢池主
  忽ニ辱ス2芳音ヲ1翰苑|凌《シノク》v雲ヲ兼テ垂ル2倭詩ヲ詞林1舒《ノフ》v錦ヲ以テ吟シ以詠シテ能ク|※[益+蜀]《ノソク》2戀緒ヲ1春ノ可キはv樂ム暮春ノ風景最トモ可v怜《アはレフ》紅桃|灼《シヤク》灼《・アキラカ》トシテ戯《ケ・タハフルヽ》蝶|廻《メクツテ》v花※[人偏+舞]翠柳|依依《ヨリヨル》トシテ嬌《キヤウ・コビタル》鴬《ワウ》隠レテv葉ニ歌《ウタフ》可v樂哉|淡交《タンカフ》促《モヨホシテ》v席ヲ得《エ》v意ヲ忘ルv言ヲ樂シキカナ矣美ナルカナ矣幽襟足レリv賞スルニ哉豈|慮《ハカランヤ》乎蘭※[草冠+惠]|隔《ヘタテヽ》v※[草冠/聚]《クサムラヲ》琴|※[缶+尊]《ソン・タル》無v用ルコト空ク過サハ2令節ヲ物色軽センカv人ヲ乎所v怨《ウラムル》有v此《コヽニ》不v能《アタハ》2黙已《モタスコト》1俗語ニ云以v藤ヲ續v錦ニ聊カ擬《キスル》2談咲ニ1耳
沽洗《コセン》 二月也
忽辱2芳音1 御音信こゑと也池主か返簡也
翰苑凌v雲 筆力の俗ならぬ也司馬相如か賦は有2凌雲ノ氣1といふことにてかけり
倭詩 哥のこと也
詞林舒v錦 ほむる詞也
※[益+蜀]2戀緒1 此哥をみて不逢して戀しかりしを忘れしと也
淡交 君子ノ交リハ淡シテ如v水ノ小人ノ交ハ甘シテ如v醸《アマサケノ》
幽襟 心中の思ひ也こゝはたのしむ心なるへし
蘭※[草冠+惠]隔v※[草冠/聚] したしき中の隔たりゐるたとへ也
空過2令節1 かく面白時節を空く過さは景物人をあさけりかろんせんと也
以v藤續v錦 家持の哥に我哥の不ル2懸合1心也
3967 やまかひにさけるさくらをたゝひとめきみに見せてはなにをかおもはん
山かひにさける桜を 山の峡也家持へみせ度と也
3968 うくひすのきなくやまふきうたかたもきみか手ふれずはなちらめやも
   宇具比須 夜麻夫伎 波奈
うくひすの來鳴山吹 心明也
 
    三月三日更ニ贈ル2掾大伴池主ニ1歌一首并短歌
守大伴宿祢家持
    含《・フクム》v弘《・ヒロキヲ》《カンコウ》ノ之徳|垂《タレ》2恩ヲ蓬體ニ1不ルv貲カラ之思報ルニ慰ス2陋《・シヤ》心《ロウシン》ヲ1 載荷《タイカ》未v春無v堪コトv所ロニv喩《タトフル》也但シ以レは稚《ワカヽツシ》時|不《スンハ》v渉《ワタラ》2遊藝之庭ニ1横翰ノ之藻|自《ヲノツカラ》乏2于|彫《・ヱル》蟲《チウ/\》ニ1焉幼年|未タ・スv逕《イタラ》2山柿之門ニ1裁歌ノ之趣《ヲモムキ》1詞失ス2于聚林ニ1矣爰ニ辱《ハチテ》2以v藤續v錦ニ之|言《コトハニ》1更ニ題ス2將《モツテ》v石ヲ同ウスルv瓊《タマニ》之詠ヲ1因v是ニ俗愚ニシテ懐《イタヒテ》v癖ヲ不v能2黙已コト1仍捧テ2數行ヲ1式《モツテ》酬《ムクフ》2嗤《・ワラヒ》咲ニ1其詞ニ曰
含v弘ヲ之徳 池主の才徳と弘きを云也
蓬體 我身を卑下詞也
不v貲之思
慰陋心 池主の哥にわかいやしき心を慰めしと也
載荷
遊藝 論語の字也
彫蟲 楊子か童子雕蟲篆刻といひし事にや
山柿之門 山邉赤人柿本人丸也※[草冠+聚]林哥讀わさを云
以藤續錦 池主の詞を承《ウク》
懐v癖 わかくせとしての心也
3969 おほきみのまけのまに/\しなさかるこしをおさめにいてゝこしますらわれすらよのなかのつねしなけれはうちなひきとこにこひふしいたけくのひにけにませはかなしけくこゝに思ひ出いらなけくそこにおもひ出なけくそらやすけなくにおもふそらくるしきものをあしひきのやまきへなりてたまほこのみちのとをけはま使もやるよしもなみおもほしきこともかよはすたまきはるいのちおしけどせんすへのたときをしらにこもりゐておもひなげかひなぐさむるこゝろはなしに春花のさけるさかりにおもふどちたおりかざさずはるの野のしけみとびくゝ鴬のこゑたにきかすをとめらかわかなつますとくれなゐのあかものすそのはるさめににほひひつちてかよふらん時の盛りをいたつらにすくしやりつれしのはせる君の心をうるはしみ此夜すがらにいもねずに今日もしめらにこひつゝそをる
    己伊布之 日異 夜須家久奈久尓 夜麻 敝奈里※[氏/一] 間 遣縁毛奈美伊能知 隠居而念奈氣加比 佐家流左加里 音 乎登賣良 春菜 久礼奈為 赤裳 須具之 宇(イ牟《ム》)流波之美
しなさかる 仙曰邊土は人のふるまひことから品なけれは品さかると云也
ますらわれ ますらおと同
とこにこひふし 煩ひし事也前にいひしことし
いたけくの 病いたむ也
いらなけく 見安云弥歎く也一説いらなく也
やまきへなりて 山來へたゝりし心也
みちのとをけは 遠けれは也
いのちおしけと 命おしけれとゝ也命惜けれともせんかたなき心也
おもひなげかひ 思歎也
しけみとひくゝ 飛くゞる也
わかなつますと 若菜をつむとゝ也
にほひひつちて 赤き色のうつり匂ひてぬれし心也ひつちはぬるゝ也
すくしやりつれ 過し遣つれどゝいふ詞也
しのはせる君の 池主か我を戀忍ふ心のうるはしく床しくてと也
今日もしめらに 仙曰しめらにとはしつかにと云也見安云けふも終日にと也
反歌
3970 あしひきのやまさくらはなひと目たにきみとし見てはあれこひめやも
あしひきの山桜花 一目にても君諸共に見は戀すましき物をと也
3971 やまふきのしけみとひくゝ鴬のこゑをきくらんきみはともしも
   夜麻扶枳
やまふきのしけみ とひくゝは飛くゝる也ともしも戀しき心也
3972 いてたゝんちからをなみとこもりゐてきみにこふるにこゝろともなし
いてたゝん力をなみと 病に出立氣力もなくて君に戀るに心も利《ト》からすと也愚にかへりし心也仙曰ともなしとは心|利《ト》事なしと也
 
   三月四日贈ル2守大伴宿祢家持ニ1三日遊覧詩一首并序
                 大伴宿祢池主
上巳ノ名辰暮春ノ麗《レイ》景桃ノ花照シテv瞼《マナフタヲ》以分ツv紅ヲ柳色含テv苔ヲ而|競《キソフ》v緑ヲ于|時《トキニ》也|携《タツサヘテ》v手ヲ曠《ヒロク》望シ2江河ノ之畔《ホトリヲ》1訪v酒|※[しんにょう+向]《ハルカニ》過2野客ノ之家ニ1既ニシテ而也琴樽得v性ヲ蘭契和スv光ヲ嗟《アヽ》乎今日所ロはv恨ル徳星已ニ少歟若シ不ンはv扣《タヽカ》2寂含之章ヲ1何ヲ以カ※[手偏+慮]ヘン2逍遙之趣キヲ1忽ニ課テ2短筆1聊勒スト2四韻ヲ1云コト尓リ
麗景 うるはしき風景也
柳色含v苔 柳と苔とみとりの色をあらそふ也
携手 交友遊興のさま也
蘭契 載洪正か金|蘭簿《ランホ》の事にや密友一人を得ることに千縄簡に書せし也又※[草冠/惠]蘭の契とは兄弟の心也
徳星 蒙求云異苑ニ陳寔《チンシヨウ》字《ナハ》仲弓旬ン叔字は季和仲弓ト與2諸子姪1造ル2ニ1父子討論ス于v時徳星聚ル大史奏シテ曰五百里内有ン2賢人ノ聚ル1こゝは友人に賢人をかきたるを恨むと也
若寂
餘春ノ媚タル日宜ク・シ2怜《アハレミ》賞ス1上巳ノ風光は足レリ2遊覧スルニ1柳陌臨テv江ニ※[糸+辱]《マタラカニス》2※[衣+玄]服ヲ1桃源通シv海ニ泛フ2仙舟ヲ1雲|※[疊の上/缶]《ライ》酌《クンテ》v桂ヲ三清|湛《タヽヘリ》羽爵《ウシヤク》催シテv人ヲ九曲流ル縱《ホシイマヽニシ》v醉ヲ陶シテ心ヲ忘ル2彼我ヲ1酩酊シテ無シ3處トシテ不トイフコト2淹留セ1
   昨日|述《ノヘ》2短懐ヲ1今朝|汗《ケカス》2耳目ヲ1更ニ承リ2賜《シ》書ヲ1且奉ス2不次ヲ1死罪死罪
餘春媚日 三月の日影うら/\と可キv賞スを云也
上巳ノ風光 三月の風景の遊覧にたれる也
柳陌 柳あるちまた也玄服をきかざりあそぶ也桃源は武陵の故事也桃の盛に彼仙境に至りしになそらへてけふ舟を浮へて遊ふ心也
雲※[疊の上/缶] 樽に雲雷のかたちをきさめる也酌v桂とは酒也清桂ともいふ桂をひたして其香をとらんためとす 三清湛清桂三盃の心也
羽爵 盃也鳥の羽を盃に致せる也九曲は水のめくれる也曲水の心也
縱v醉陶心 醉て樂める心也又陶心は渕明か心也愛v酒人也
酩酊 ゑひたる也淹は久也ゑひてゆく所ことに久しく遊ひし心也
昨日述2短懐ヲ1 きのふをろかなる心をのへて今朝奉て君か目を汚《ケカス》と也
更承リ2賜書ヲ1 家持より更に書を給ふにつきて此しとろなる事を奉るは死罪とをそるゝとなり
 
   三月五日答ル2守大伴宿祢家持ニ1歌一首并短歌
大伴宿祢池主
   不v遺《ノコサ・ワスレ》2下賎ヲ1頻リニ恵ム2徳音ヲ1 英雲星氣逸調過タリv人ニ智水仁山既ニ|※[韋+温の旁]《ツヽム》2琳瑯之光彩ヲ1潘《はン》江|陸《リク》海|自《ヲノツカラ》坐ス2詩書ノ之廊廟ニ1騁《ハセテ》2思ヲ非常ニ1託ク2情ヲ有理ニ1七歩ニ成スv章ヲ數篇満v紙ニ巧ニ遣d2愁人之重患ヲ1能ク除カc戀者ノ之積思ヲu山柿ノ歌泉比スレはv此ニ如シv蔑《ナキカ》彫ル2龍ヲ筆海ニ1粲《サン》然トシテ得タリv看コトヲ矣方ニ知ンヌ僕カ之有コトヲv幸也敬テ和スル歌其詞ニ曰
不v遺《ワスレ》2下賎ヲ1 いやしき我等をも忘給はす忍徳の音つれ有と也
英雲 家持の詩をほむる詞也
智水仁山 是も家持をほむる詞也智者樂v水ヲ仁者樂v山ヲと云々
琳瑯 たま也玉の光を色々につゝめりと也
潘江陸海 潘安仁陸士衝等の詩人を江海にたとへいふ也
自坐2詩書之廊廟ニ1 潘陸等の詩書の所に坐しつらなると褒詞也
騁テ2思非常ニ1 家持の詩思よのつねにあらすと也
七歩成スv章ヲ 曹子建《サウシケン》が七歩ニ詩作し事也達者をほむる詞也
彫龍 是もことわりをほむる詞也【山柿は山邊柿木ト也】
3973 おほきみのみことかしこみあしひきのやまさはらすあまさかるひなもおさむるますらおやなにかものもふあをによし奈良ぢきかよふたまつさのつかひたえめやこもりごひいきつきわたりしたもひになげかふわかせいにしへゆいひつきくらしよのなかはかすなきものそなくさむることもあらんとさとひとのあれにつぐらくやまびにはさくらはなちりかほとりのまなくしはなく春のゝにすみれをつむとしろたへのそておりかへしくれなゐのあかもすそひきをとめらはおもひみたれてきみまつとうらこひすなりこゝろくしいさみにゆかなことはたなゆひ
   可受奈枳毛能曽(イ賀か) 野
おさむるますらお 家持を云越中の国司におはせし事也
なにか物もふ 何思ふらんと也
こもりこひいきつき 忍ふ戀に戀歎く心也
したもひ 下の思ひ也
なけかふわかせ 歎くわかせこ也
いにしへゆ 古より也
世の中は数なき物そ 世はさのみ久しからさるものそと也あれは吾也
やまび 山邊也世に慰みのある時節の景物をいひ彼家持の乙女らか若菜つますと等よみ給ひし答なるへし
かほとり 前注 きみまつ 家持卿をまつと也 うらこひ うらは下也
こゝろくし 心奇也心あやしく也いさみにゆかな愚案慰におはせなんと也
ことはたなゆひ 詞只いふ也たなは只といふ詞也但袖中抄ニはことは常にいふ心也云々【ことはたななりの所】
反歌
3974 やまふきはひに/\さきぬうるはしとあがもふきみはしく/\おもほゆ
   夜麻夫枳 安我毛布 於毛保由
やまふきはひに/\ 山吹日々に面白き故我思ふ家持の御事しきりて思奉ると也
3975 わかせこにこひすへながりあしがきのほかになげかふあれしかなしも
   和賀勢故 古非
わかせこに戀すへなかり なけかふは歎く心也我せこは家持を云あれしは吾也しは助字也遊興におはさんを深く待とて女の夫を待やうにいへり深切の故也
 
三月五日和スル2大伴宿祢池主ニ1詩一首并短歌
守大伴宿祢家持
昨暮ノ來使は幸也以垂ル2晩春遊覧ノ之詩ヲ1今朝ノ累信は辱也以※[貝+兄]《ミル》フ2相招望野ノ之歌ヲ1一タヒ看テ2玉藻ヲ1稍《ヤヽ》寫ス2欝結ヲ1二タヒ吟シテ2秀句ヲ1已ニ※[益+蜀]《ノソク》2愁緒ヲ1非ンは2此ノ眺翫ニ1孰レカ能|暢《ノベン》v心乎但惟レハ下僕稟性難v彫闇神靡v瑩ニ握《トルニ》v翰《フテヲ》腐《クタス》v毫ヲ對テv研《スヽリニ》忘ルv渇ヲ終日ス目流シテ綴ルコトv之不v能は所謂ノ文章ノ天骨は習テv之不v得也豈堪テ2探字勒韻ニ1叶2和ンヤ雅篇ニ1哉抑聞2鄙里小兒ニ1古人言は無シv不コトv酬聊裁2拙詠ヲ1敬テ擬ス2解咲ニ1焉如合賦v言勒韻同2斯雅作之篇ニ1豈殊ヤ將v石同v瓊唱聲遊ノ之曲歟抑小兒譬2濫謡ニ1敬寫2葉端1式擬乱曰※[木+少]春ノ餘日媚景|麗《ウルハシ》初|巳《シ》ノ和風ハ柳ニ自ラ輕シ來燕|銜《フクンテ》泥ヲ賀シテv宇ヲ入歸鴻引テv蘆《アシヲ》※[しんにょう+向]《ハルカニ》赴クv瀛ニ聞君カ肅侶新ニ流曲禊飲催シテv爵ヲ泛テv河ノ清キニ雖v欲スト3追テ尋ント2良此宴ヲ1還テ知ヌ染懊シテ脚ノ※[足+令]※[足+丁]スルコトヲ
晩春遊覧之詩 前の餘春媚日の詩を云
今朝累信 かさねて書信せられしなるへし
相招望野之歌 かの足引の山桜花一目たに以下の哥前の長うた等なるへし
玉藻 池主の書簡を云
眺翫 ナカメモテアソフ也
下僕 身を卑下して云
稟性 わか生れ付の彫瑩してよく成かたき也
雅篇 家持の詩をいふ也其詩に相叶かたしと也
※[木+少]春 三月也上巳の日ののとやかなる心也
來燕 つはめ來り鴻鳫歸る也鴻はおほきなるかり也瀛はウミ也
聞君嘯侶 きみか詩友の新しき作あるをきくと也禊飲は巳日の祓曲水のさま也
催v爵 吾モ盃ヲ流サント也
    短歌イ反哥
3976 さけりともしらすしあらはもたもあらんこのやまふきをみせつゝもとな
さけりともしらすし 咲ともしらてあらは只にもたしてもあるへきに山吹をみせ給故病身の歎をみると也もとなはよしな也
3977 あしかきのほかにもきみがよりたゝじこひけれこそはゆめに見えけれ
    許(古イ) 伊米(イゆめ)
あしかきのほかにも こひけれこそはとは戀けれはこそ也我こひけれはこそ夢にも見えけれさなくは芦垣の外にも君か心とはよりきたらじと也
 
   三月二十日ノ夜述ル2戀緒ヲ1歌【一首并短哥夜裏ニ忽然トシテ起シテ2戀情1作ル】               大伴宿禰家持
3978 妹も吾もこゝろはおやしたくへれといやなつかしく相見れはとこはつはなにこゝろくしめくしもなしにはしけやしあかおくつま(句)大王《オホキミ》のみことかしこみあしひきのやまこえ野ゆきあまさかるひなおさめにと別れ來しその日のきはみあらたまのとしゆきかへり春花のうつろふまてに相見ねはいたもすへなみしきたへのそてかへしつゝぬる夜おちすいめには見れとうつゝにしたゝにあらねはこひしけくちへにつもりぬ近くあらはかへりにたにもうちゆきていもかたまくらさしかへてねてもこましをたまほこのみちはしとをく関さへにへなりてあれこそよしゑやしよしはあらんそ霍公鳥來鳴んつきにいつしかもはやくなりなんうの花のにほへる山をよそのみもふりさけ見つゝあふみちにいゆきのりたち青丹よし奈良のわきへにぬえ鳥のうらなきしつゝした戀におもひうらふれかとにたちゆふけとひつゝ吾《わ》をまつとなすらん妹をあひてはや見ん
    於夜自多具敝礼登 荒璞 登之 相見祢 伊多(イと)母 蘇泥 宿 伊(イゆ)米 孤悲 有者 多麻久良 路波之 餘志 淡(イあふ)海路 吉 吾(イわい)家 奈氣(イけ) 刀比 安比(氏/一)早
心はおやし 心は同くたくひたれどゝ也やとなと通
とこはつはな 常にめつらしき心也
心くしめくしもなしに 奇《クシ》の字也あやしき也心にも目にもあやしくいやしき事なくよきと也
あかおくつま(句) 内室を奥と云此詞次の別こしといふに懸てみるへし
その日のきはみ 其日との極めもあらすといひかけし詞也
いたもすへなみ いとも為便なく也せん方なく也
そてかへしつゝ 夢にもみんと衣を返す心也
ぬる夜おちす 毎夜也
いめには 仙曰夢を云也越の国の習ひには夢をいめと云也愚案前にも有
たゝにあらねは 直向《タヽチニ・マノアタリ》に非と也
かへりにたにも 世俗に立歸(濁点あり)りニたにもと云詞也
さしかへて さしかはして也
みちはし しは助字也
へなりて 隔たりて也
よしはあらん よし/\逢みる由は有んと也
よそのみも よそにのみ也
あはみちイあふみち 即近江也越路より奈良へゆく道路也
いゆきのりたち 馬なとにて行心也
わきへ わがいへ也
ぬえ鳥の うら鳴の諷詞也
うらなき 仙曰下なき也
なすらん 吾を待身と身をなすらん妹也|悩《ナヤム》の義非也
       反歌
3979 あらたまのとしかへるまてあひみねこゝろもしのにおもほゆるかも
    之努(ぬイ)
あらたまの年かへる 長うたに荒玉の年行歸りなといひし心也心もしのには常におもひたる心也俊成義
3980 ぬはたまのいめにはもとなあひみれとたゝにあらねはこひやまずけり
ぬはたまのいめには本名 是も長哥にいめには見れと現にはたゝにあらねはといひし心也直面にあらねはと云心也戀やますけりはやまさりけり也
3981 あしひきのやまきへなりてとをけともこゝろのゆけはいめに見えけり
あしひきの山木 山林隔たりて遠けれとも也長哥に玉ほこの道はし遠くと有心也
3982 はるはなのうつろふまてに相見ねは月日よみつゝいもまつらんそ
   春花
はる花のうつろふ 上句長哥にも有
 
    立夏既ニ經《ヘテ》2累日ヲ1而|由《ヨリテ》v未・ルニv聞《キカ》2霍公鳥ヲ1因テ作ル2恨ノ歌ヲ1二首  大伴宿祢家持
3983 あしひきのやまもちかきをほとゝきすつきたつまでになにかきなかぬ
あしひきの山も 郭公は山より出來れは山も近き所にはとくなくへきをと也
3984 たまにぬくはなたちばなをともしみしこのわがさとにきなかずあるらし
      越中ノ風土|希2有《ケウナリ》橙橘1也因テ2此感ニ1發ス2於懐ヲ1也
たまにぬく花橘を 越中國地に橘希有なる由注にみゆ橘のともしき故ニ子規の來なぬかといふ心也橘の如玉の心也
 
    二上山ノ賦【一首并短歌 三月三十日依テv興ニ作v之ヲ】
                大伴宿祢家持
3985 いみつ河いゆきめくれるたまくしけふたかみ山ははるはなのさけるさかりにあきの葉のにほへるときに出立てふりさけ見れはかんからやそこはたふときやまからや見かほしからんすめかみのすそみのやまのしふたにのさきのありそにあさなきによするしらなみゆふなきにみちくるしほのいやましにたゆることなくいにしへゆいまのをつゝにかくしこそ見るひとことにかけてしのはめ
   伊美都河泊 之夫多尓能佐吉乃安里蘇
いみつ川 名所也射水郡の川也越中勿論也
秋の葉の 紅葉せし也春秋の花紅葉の時に出立てと也
かんからや 見安云神からやといふ心也
そこはたふとき 見安云そこはく貴《タツト》き也
見かほし 見まほし也
すそ見の山 越中也すへかみのはすそといはん諷詞也|皇《スヘ》神の苗裔《ベウエイ・ナヘスソ》の心也大王も神の御すそ也
しふたに 八雲に越中と有
さきのありそ 見安云名所也愚案渋谷の崎の荒礒なるへし
いにしへゆ 古より也
いまのをつゝ 見安云今のうつゝ也
反歌
3986 しふたにのさきのありそによするなみいやしく/\にいにしへおもほゆ
   之夫多尓 佐伎能安里蘇 與須流奈美
しふたにの崎の有礒 いやは弥也しく/\にとは仙曰しきりに也愚案上句は序也|頻《シキリ》に君の事を思ふとよみて長哥に絶る事なく古ゆ今の現になといひし心を讀り
3987 たまくしけふたかみ山になく鳥のこゑのこひしきときはきにけり
   多麻久之氣敷多我美也麻 鳴
たまくしけふたかみ山 玉匣は二上山の諷詞也二上山射水郡也此鳴鳥は郭公にや立夏の比なれは也北国郭公まれなりとそ
 
   四月十六日夜裏ニ遥《ハルカニ》聞テ2霍公鳥ノ喧《ナクヲ》1述ルv懐ヲ歌一首            大伴宿祢家持
3988 ぬはたまのつきにむかひてほとゝきすなくをとはるけしさととをみかも
    都奇 波流氣之
ぬはたまの月に 袖中抄云此哥うは玉の月とはよるの月とよめるなるへし
 
    四月二十日|大目《タイサクハン》秦《ハタノ》忌寸《イミキ》八千嶋カ之舘ニテ餞スル2守大伴宿祢家持ヲ1宴ノ歌【二首 守大伴宿祢家持以2正税帳1須v入2京師ニ1仍作2此歌1聊陳2送別之嘆ヲ1 】
               守大伴宿祢家持
餞守大伴宿祢家持 家持正税帳を持て上京せらるへきを八千嶋の館にて餞せし也
正税帳 諸國に正税|公廨《クカイ》といふ事有正税とは国々にある天子に奉る田也公廨とは国守以下の給ふ田也其正税の帳をしるして國司都に持参して解由を取事あり家持も其ための上京なるへし越中國は古法正税公廨ともに三十万束也一束とは米五舛也
3989 なこのうみのおきつしらなみしく/\におもほえんかもたちわかれなは
   奈呉
なこのうみのおきつ 一二句はしく/\にといはん諷詞也立わかれなはしきりに戀しからんと也奈呉海は越中也
3990 わかせこはたまにもかもなてにまきて見つゝゆかんををきていかはおし
わかせこは玉にも わかせことは八千嶋を云也八千嶋を別て置てゆくか名残おしきと也
 
    四月二十四日遊2覧スル布勢水海ニ1賦【一首并短歌】
              守大伴宿祢家持
布勢水海 越中也イ本注此海は在2射水郡舊江村ニ1也と云々
賦 うたといふにおなし
3991 もののふのやそとものおのおもふとちこゝろやらんとうまなへて(句)うちくちふりのしらなみのありそによするしふたにのさきたもとをりまつたえのなかはますきてうなひかはきよきせことにうかはたちかゆきかくゆき見つれともそこもあかにと布勢のうみにふねうけすへておきへこきへにこき見れはなきさにはあちむらさはきしまゝにはこぬれはなさきこゝはくも見のさやけきかたまくしけふたかみやまにはふつたのゆきはわかれすありかよひいやとしのはにおもふとちかくしあそはんいまも見ること
   物能乃敷 宇麻 麻都太要 奈我波麻 宇奈比 安遅牟良
もののふのやそとものお 国守以下あまたの人々同道にてゆく心也
心やらん 心慰む也
うちくちふりの 見安云遠近にふれたる心也
しふたにのさきたもとをり 見安云渋谷の崎にやすらふ心也
まつた江 見安云名所なり
なかはま過てうなひ河 長濱 宇奈比河皆越中の名所也
うかはたち 見安云鵜つかふ河也
かゆきかくゆき 仙曰とゆきかく行と云也
そこもあかにと 仙曰そこもそこはくと云也見安云そこもあかぬと云心也
しまゝ 嶋間也
こぬれ花咲 梢花さき也
こゝはくも 見安云そこはくも也愚案見のさやけきかは見るにさやけき哉也
はふつたの 行はわかれすの諷詞也今かくみることく毎年遊んと也
      反歌
3992 ふせのうみのおきつしらなみありかよひいやとしのはに見つゝしのはん
   布勢能宇美
ふせのうみのおきつしらなみ 波の行かよふやうにありかよひ見て遊んと也
 
    四月二十六日敬テ和スd遊2覧スル布勢水海ニ1賦ニu【一首并一絶】
          掾大伴宿祢池主
一絶 詩の絶句と同し心に卅一字の哥を云
3993 ふちなみはさきてちりにきうのはなはいまそさかりとあしひきのやまにも野にもほとゝきすなきしとよめほとゝきすうちなひくこゝろもしの(イぬ)にそこをしもうらこひしみとおもふとちうま(馬也)うちむれてたづさはりいでたち見れはいみつかはみなとのすとりあさなきにかたあさりししほ見てはつまよひかはすともしきに見つゝすきゆきしぶたにのありそのさきにおきつなみよせくるたまもかたよりにかづらにつくりいもがためてにまきもちてうらくはし布施《フセ》のみづうみにあまぶねにまかぢかいぬきしろたへのそでふりかへしあともひてわがこきゆけは乎布《ヲフ》のさきはなちりまかひなきさにはあしかもさはきさゝれなみたちてもゐてもこきめくり見れともあかすあきさらばもみちのときにはるさらばはなのさかりにかもかくもきみかまにまとかくしこそ見もあきらめゝたゆる日あらめや
   伎美
なきしとよめは しは助字也鳴とよむ心也
うちなひく心も をしなへて誰も心もしのにと也しのに常也
そこをしも 其ふせの海を戀しきと也
いみつ川 是より布勢の湖に行道路也
すとり 洲にゐる鳥也
かたにあさりし 潟に求食し也
ともしきに 見まほしく面白き心也
しふたにのありその崎 前に渋谷の崎の有礒とありしに同
うらくはし 浦細也浦のたへに面白き也
まかちかいぬき 梶やかいをぬきし也
あともひて 仙曰今はとおもひて也采葉には哀と思ひて也
乎布《ヲフ》のさき 越中の名所也
花さきまかひ 是より此崎の景氣也
さゝれ波 立てもの諷詞
秋さらは 秋來たらは也
かもかくも 鳧も角も也
君かまにまと 前の家持の哥にいや年のはに思ふとちかくし遊はむなといへるをうけて君か仰せのまゝにと也
たゆるひあらめや こゝを見やむ時あらめやあらじと也
3994 しらなみのよせくるたまもよのあいたもつきて見にこんきよきはまひを
   備(イへを)
しらなみのよせくる 夜の間もまして朝夕もうちつゝきて見にこんと也はまひ濱邊也イはまへと有
 
    四月二十六日掾大伴宿祢池主之|舘《タチニ》餞スル2税帳使守大伴宿祢家持1宴ノ歌并ニ古歌四首         大伴宿祢家持
四月廿六日
税帳使 前に正税帳使と有におなし
3995 たまほこのみちにいてたちわかれなは見ぬ日さまねみこひしけんかも 一云見ぬ日久しみ戀しけんかも
   佐麻祢美
たまほこの道に出立 見ぬ日さまねみとはあひ見ぬ日を隔ての心也此集十九ニあはぬ日まねみとも有さと助字なるへし戀しけんは戀しからん也一云見ぬ日久しみ心明也
 
          介|内蔵《クラノ》忌寸《イミキ》縄《ナは》麻呂
介は越中介なるへし
3996 わかせこかくにへましなはほとゝきすなかんさつきほとゝきすさぶしけんかも
わかせこかくにへましなは わかせこは家持を云かくにへましなはとは古國大和へ歸給はゝ郭公なく比もさひしく戀しからんと也
 
和スル歌       守大伴宿祢家持
3997 あれなしとなわびわかせこほとゝきすなかんさつきはたまをぬかさね
あれなしとなわび 勿侘《ナワヒ》と書わびそと也わかせこは縄丸を云我なくとも薬玉をつきねそれに戀る心を慰めと也
 
    石河ノ朝臣|水《ミツ》通|橘《キ》イナシ
主人大伴宿祢池主傳誦之
3998 わかやとの花橘をはなごめにたまにぞあがぬくまたばくるしみ
わかやとの花橘を 家持卿を待は苦しからんとて橘を花も実もこめて玉にぬきて慰むと也
 
    四月二十六日飲宴スル時主人作歌一首   守大伴宿祢家持
3999 みやこへにたつ日ちかつくあくまてにあひ見てゆかなこふる日おほけん
みやこへにたつ日 やかて都へゆかは君を戀る日多からん今あくまでに逢見てゆかなんと也
 
    四月二十七日立チ山ノ賦【一首并短歌此山者在2新イ河《カハノ》郡ニ1也】
大伴宿禰家持
4000 あまさかるひなになかゝすこしのなかくぬちこと/\やまはしもしゝにあれともかはゝしもさはにゆけともすめがみのうしはきいますにゐかはのそのたちやまにとこなつにゆきふりしきておはせるかたかひがはのきよき瀬にあさよひごとにたつきりのおもひすぎめやありかよひいやとしのはによそのみもふりさけ見つゝよろつよのかたらひぐさといまだ見ぬひとにもつげんおとのみも名のみきゝてともしぶるかね
    名可加須 久奴知 尓比可波 多知夜麻 於波勢流可多加比河波
ひなになかゝす 仙曰越前越中越後ある故に中かすと云愚案こしのなか越中也
くぬちこと/\ 見安云國土押なへて也
しゝにあれとも 繁《シヽ》しけくあれとも也
さはにゆけとも おほく流行けとも也|多《サハ》
すめがみのうしはきいます 見安云虫のことくに諸神のわき出ます也
にゐかは 越中新河郡也 立山其郡也
おはせる 帯にせる也
かたかひ河 八雲抄越中
立霧の思ひ過めや 霧はなへて覆ふ故に思ひ過めやの諷詞也思ひ過めやとは何とも思はてあらめや也
よそのみも よそより見るめも也又よそなる身もと云々
ともしふるかね 見安云面白と云心也愚案ともしむるかもと云也見まほしかる心也
4001 たちやまにふりをけるゆきをとこなつに見れともあかすかんからならし
   多知夜麻 加武
たちやまにふりをける 長うたに其立山に常夏に雪降敷てといへる心也かんからとは此山のあかぬは立山権現の霊神なるからならんと也
4002 かたかひのかはの瀬きよくゆくみつのたゆることなくありかよひ見ん
かたかひの川の瀬 長うたにかたかひかはの清き瀬にとある心也祇曰たゆる事なくありかよひみんとは家持越中の国守たる間祝の心によめりとみゆ
 
    四月二十八日敬テ和ス2立山ノ賦ニ1【一首并二絶】
                 大伴宿祢池主
4003 あさひさしそかひに見ゆるかんなからみなにおはせるしらくものちへををしわけあまそゝりたかきたちやまふゆなつとわくこともなくしろたへにゆきはふりをきていにしへゆありき(有來)にけれはこゝしかもいはのかんさびたまきはるいくよへにけんたちてゐて見れともあやしみねたかみたにをふかみとおちたきつきよきかうちにあささらすきりたちわたりゆふされはくもゐたなひきくもゐなすこゝろもしのにたつきりのおもひすくさすゆくみつのおともさやけくよろつよにいひつぎゆかんかはしたえすは
    伊久代經
あさひさしそかひに 立山の形を云也童蒙抄云そかひはすちかひに也但用ユ2俊成ノ説ヲ1
かんなから 山を即《スナハチ》神といふそかひに見ゆる山なからといふ心也皆帯にせる白雲と也
あまそゝり 仙曰空に上りたりと云也物をそゝり上るなと云か如シ
こゝしかもいはのかんさひ 巨々等しかも岩の様神さひたると也こゝらはおほき心也
たまきはるいくよへに 此たまき春は袖中抄采葉等にたまき春といふ儀有春をいく代へにけんと也
見れともあやし 奇異の心也ほめたる詞
雲ゐたなひき 雲の棚引居たる也【仙義如何】
雲ゐなす心もしのに 祇曰心もしのにとは間断もなき事也古來風躰ニ見えたり云々雲ゐたえまなきやうに心もしのにといはんとて雲ゐなすと云 たつ霧の思ひ過さす 前に注することしなへておもひ過す事なく万代まていひつきゆかんと也しのに常也
かはしたえすは 此立山の谷の瀧つ河内に行水のさやかなる音たえすは万代に語次んと也
     反歌
4004 たち山にふりをけるゆきのとこなつにけずてわたるはかんなからとそ
    夜麻 氣受弖
たちやまに降をける 童蒙抄云たち山とは越中に有夏も雪常に有かむなからとはかくもなからんと云也愚案かくあるへきかはと感する也又乍神奇妙とにや
4005 おちたきつかたかひかはのたえぬごといまみるひともやますかよはん
    可多加比我波 見流
おちたきつかたかひ河 祇曰是も祝ひの心と見えたり惣て此次の哥皆越中の国にての哥也
 
    四月三十日入京|漸《ヤウヤク》近ク悲情《カナシムコヽロ》難《カタク》v撥《ハラヒ》述ルv懐ヲ一首【并一絶 贈ル2掾大伴宿祢池主ニ1】
                大伴宿祢家持
4006 かきかそふふたかみやまにかんさひてたてるとがのきもともえもおやじときはにはしきよしわがせのきみをあささらずあひてことゝひゆふざれは手たづさはりていみづかはきよきかうちにいてたちてわがたちみれはあゆのかぜいたくしふけはみなとにはしらなみたかみつまよふとすとりはさわぐあしかるとあまのをふねはいりえこぐかぢのをとたかしそこをしもあやにともしみしのびつつあそぶさかりをすめろぎのをすくになれはみこともちたちわかれなばをくれたるきみはあれともたまほこのみちゆくわれはしらくものたなひくやまをいはねふみこえへなりなはこひしけくけのながけんぞそこもへばこゝろしいたしほとゝきすこゑにあへぬくたまにもがてにまきもちてあさよひに見つゝゆかんををきていかばおし
    河波 佐和久
かきかそふふたかみ山 仙曰二上山といひ出んためにかきかそふとをけり見安云かきかそふ二ツといふ心也
もともえも 本も枝も也
おやしときほとゝきす 見安云同しときはと云心也
はしきやし 袖中抄云物をよしとほむる詞也
わかせのきみ 池主を云
てたつさはりて 見安云手を取くむを云也
あゆの風 八雲抄云東風と書是家持か越中の時作哥也是北陸道の詞也見安云北国には東風をあゆのかせと云
そこをしもあやに 其所をあやにくにこひて也
をす国なれは 見安云すへらきのしろしめす国なれは也仙曰望み見る国也
みこともち 仙曰國司也国の守は宣旨を持て任国に下る也
をくれたるきみは 池主は国に別条なくあれども也
こえへなりなは 越隔たりなは也
戀しげくけのながけん 戀茂く歎かしからんと也
そこもへは そこをおもへはと也又そこはく思へは也
こゑにあへぬく玉 郭公は金玉の声あれは声にあへぬく玉にもがなと池主を云也 をきていかはおし玉ならは見つゝゆかんを置てゆくはおしきと也
反歌
4007 わかせこはたまにもがもなほとゝきすこゑにあへぬき手にまきてゆかん
わかせこは玉にもかもな 長哥に讀し心也あへぬきとはぬきあへて也
 
   五月二日忽ニ見テ2入京ノ述懐之作ヲ1生別ノ悲ミ断腸万廻怨緒難シv禁シ聊カ奉ル2所ロヲv心《ヲモフ》報シ和シ1一首并二絶
                   大伴宿祢池主
断腸万廻 はらわたをたつ事よろつたひと也
怨緒難禁 別のうらみやめかたき心也
4008 あをによしならをきはなれあまさかるひなにはあれとわかせこを見つゝしをれはおもひやることもありしをおほきみのみことかしこみをすくにのこととりもちてわかくさのあゆひたつくりむらとりのあさたちいなはをくれたるあれやかなしきたひにゆくきみかもこひんおもふそらやすくあらねはなげかくをとゝめもかねて見わたせはうのはなやまのほとゝきすねのみしなかゆあさきりのみたるゝこゝろことにいてゝいはゝゆゝしみとなみやまたむけのかみにぬさまつりあがこひのまくはしけやしきみがたゞかをまさきくもありたもとほりつきたゝばときもかはさずなでしこがはなのさかりにあひ見しめとそ
ならをきはなれ 來離也越中に來し事也
わかせこを 家持を云也
おもひやる 心をやるといふに同し遠国にはあれと家持を見れは心もやり慰む物を上京あらん事よと也
をすくに をし国也|食国《ヲスクニ》
あゆひ 仙曰はゞき也あゆひといはんとて若草とをけり草の始て生出る葉は茎《クキ》もとまとはれたれはあゆひとよそへたる也
たつくり 足のはゞきをよそふさま也
なげかくを 歎くを也家持の朝立ゆけは我や悲しまん君や戀給はんともに思ふに安からねは歎くと也
ねのみしなかゆ 音のみなかるゝ也しは助字也
ことに出ていはゝ忌々《ユヽ》しみ 門出なれはいみて別のみたり心も不云と也
となみ山 和名越中礪波郡云々関有てたむけする所也
たむけのかみ 和名云道神タムケノカミ
あかこひのまく 吾請祈る也こひのむの心也
はしけやし 袖中抄云はしけやしはしきよしも同詞也よしとほむる詞也畧注きみをほめてつゝけし詞也是より道神に祈る詞也
きみかたゝかを 見安云たゝかまさか同まさかは寝所と云々
まさきく 真幸也 ありたもとをり 幸ありたちもとをりてと云
時もかはさす 時をもかへす也たちもとをり逕留有て時うつりなとする事なく撫子のさかりを此人にあひ見せしめ給へと道神にこひのむと也
反歌
4009 たまほこのみちのかみたちまひはせんあがおもふきみをなつかしみせよ
たまほこのみちの神達 幣はせん也我思ふ家持をなつかしくして守給へと也
4010 うらこひしわがせのきみはなてしこかはなにもかもなあさなさな見ん
うらこひしわがせの うら戀しは只戀る心也わかせのきみは家持を云也
 
    九月二十日思テ2放逸《はウイツセル》鷹ヲ1夢見《ユメミテ》感悦シテ作歌一首并短歌               守大伴宿祢家持
思2放逸鷹1 それたるたかをおしむに夢にやかて得へきよしをみてよろこふ哥也
    射水郡古江ノ村ニ取2獲《トリエタリ》蒼鷹ヲ1形容《カタチ》美麗《ウルハシクシテ》鷙雉|秀《ヒテタリ》v群ニ也於v時養吏山田|史《フンヒト》君麻呂調試失スv節ヲ野猟|乖《ソムク》v候ニ摶《ウツ》v風ニ之翅高ク翔《カケテ》匿《カクル》v雲ニ腐鼠《フソ》ノ之|餌《エ》呼《ヨヒ》留ルニ靡《ナシ》v驗《シルシ》於v是張2設テ羅網ヲ1窺《ウカヽフ》乎非常ヲ1奉2幣シテ神祇ニ1恃《タノム》2乎不ルニ1v虞《アヤマラ》也|粤《コヽヲ》以夢ノ裏ニ有2娘子1喩《サトシテ》曰使君勿レd作《ナシテ》2苦念ヲ1空ク費《ツヒヤスコト》c情神ヲu獲《エン》2得コト彼ノ放逸ノ鷹ヲ1未タ・シv幾ナラ矣須叟ニ覺寤《サメテ》有v悦2於懐ヲ1因テ作テ2却《カヘス》v恨ヲ之歌1式《モツテ》旌《アラハス》2感信ヲ1
養吏 鷹をかふ物也山田は姓史はかはね君丸は名也
調試失節 鷹のならはしほとよからぬ也
野猟乖候 狩するに時あるに其時候にそむける也
使君 國守の唐名也秘笈新書ニ裴侠守タリ2河北ニ1号ス2獨立使君ト1
却恨之歌 夢に感し悦て却《カヘス》v恨ヲ也
4011 おほきみのとをのみかとそみ雪ふるこしと名におへるあまさかるひなにしあれは山高み河とをしろし野をひろみくさこそしけきあゆはしるなつのさかりとしまつとり鵜かひかともはゆくかはのきよき瀬ごとにかゝりさしなつさひのほる露霜のあきにいたれは野もさはにとりすだけりとますらおのともいさなひてたかはしもあまたあれともやかたおのあかおほぐろにしらぬりの鈴とりつけて朝かりにいをつとりたてゆふかりにちとりふみたておふことにゆるすことなくたはなれもをちもかやすきこれをゝきてまたはありかたしさならへるたかはなけんとこゝろにはおもひほこりてゑまひつゝわたるあひたにたふれたるしこつおきなのことたにもわれにはつけすとのくもりあめのふる日をとがりすと名のみをのりて三島野をそがひに見つゝふたかみの山とひこえてくもがくりかけりいにきとかへりきてしはふれつくれをくよしのそこになけれはいふすへのたときをしらに心には火さへもえつゝおもひこひいきつきあまりけたしくもあふことありやとあしひきのをてもこのもにとなみはりもりべをすゑてちはやふる神の社にてる鏡しづにとりそへこひのみてあがまつときにおとめらがいめにつぐらくながこふるそのほつたかはまつだえのはまゆきくらしつなしとるひみの江過てたこのしまとひたもとをりあしかものすたくふる江にをとつひもきのふもありつちかくあらはいまふつかたみとをくあらはなぬかのうちはすきめやもきなんわがせこねもごろになこひそよとぞいまにつげつる大黒者蒼鷹之名也
   大王 等保 落越 登保之呂思 久佐 安由波之流 養 可賀里左之 等里 多加 矢形尾 安我大黒 猟 知登理 手放 多可 情 之許都 吾 二上 之都 保追多加 麻追太要 都奈之 安之 舊 乎等都日 太未(イ米め) 伊麻
おほきみのとをのみかと 遠国も大王の国なる心也
河とをしろし 遠白也くもりなく明白の心也
しまつとり 仙曰鵜を云此鳥魚をとる故絶嶋に住嶋つ鳥と云也愚案こゝに鵜の事をまついふは鷹狩の事をいはんとて也
なつさひのほる 河に付て鵜飼のほる也
野もさはに 多《サハ》也
とりすたけり 鳥集也
ますらお 狩人也
矢形尾の 童蒙抄云矢の形に似たる尾のある也矢形尾と書
おほくろの 此鷹の名を大黒と云よし注に有秘蔵の故わかといふ詞をうへにをけり
いほつとり 五百鳥也見安云あまたの鳥也
ちとり 千の鳥也見安云あまたの鳥也
おふことにゆるす事なく 鳥を追毎にとらてやる事なきをゆるす事なくと云也
たはなれも 見安云手を放つ事也
をちもかやすき 手に落てすゆるも安き也
さならへる さやうに習へる鷹はなからんと也
ゑまひつゝ 見安云えみつゝ也
たふれたるしこつ翁 仙曰たふれたるは狂したると云也しことは凶と云詞也愚案たわけたるあしき翁也しこつのつは助字也山田史君麻呂を云注に見
とかり 鳥狩也名計を狩と云て也
三嶋野 八雲抄越中云々
くもかくり 雲隠也鷹のそれたりと云也
しはふれつくれ 見安云しはふき也愚案しはふきつくり也うちしはふきて君丸身ををくよしなきさま也
いふすへのたときをしらに 是より家持の鷹をおしむ心也
心には火さへもえつゝ おもひこかるゝ心也 けたしくもは蓋也
あしひきのおても 山のおもて此おもて也 となみは鳥|網《アミ》也見安同
しづにとりそへ 仙曰四手也愚案序に張2設羅網ヲ1窺2乎非常1奉2幣神祇1恃2乎不虞1也といへる心也
こひのみて 見安云乞願也愚案乞祈也
いめにつくらく 夢に娘子か告ると也
ほつたか 見安云惜む鷹也
松田江の濱 越中也
つなしとる 仙曰魚の名也見安云|※[魚+制]《コノシロ》也
比美の江 見安云越中ひゞと云所也
たこのしま 越中也
とひたもとをり 飛立もとをり也
古江 越中也
おとつ日 見安一昨日也
いまふつかたみ 仙曰たみはめくる也近くあらは今二日計順りありかんすらんと也
いまに告つる 仙曰夢に也
反歌
4012 やかたおのたかを手にすへみしま野にからぬ日まねくつきそへにける
   矢形尾 多加
やかたおのたかをからぬひまねくは狩尋ぬ隙なく也仙曰矢形尾とは尾のふの矢の羽のやうに切たる也
4013 ふたかみのおてもこのもにあみさしてあがまつたかをいめにつけつも
   二上 安美 多可 伊米
ふたかみのおてもこのも 長哥によみし心也
4014 まつかへりしひにてあれかもさ山田のおぢか其日にもとめあはずけん
    佐夜麻太
まつかへりしひにて 仙曰またれて歸る事たゆたひてあるかもと云也さ山田のをちは養父山田ノ史《フヒト》也をちと老翁也日本紀|老翁《ヲヂ》
4015 こゝろにはゆるふことなくすがのやますがなくのみやこひわたりなん
    須加能夜麻
こゝろにはゆるふこと 見安云心の緩らかなる事なく也すかなくはやすけなく也愚案菅山越中也催馬楽にすかのねのすかなき事と云詞つゝきにおなし
 
    一首【年月不審ン三國ノ真人|五百《イヲ》國傳2誦之ヲ1】
                  高市ノ連黒人
4016 めひのゝのすゝきをしなへふるゆきにやとかるけふしかなしくおもへゆ
   賣比能野 於之奈倍 於毛倍遊
めひのゝの薄をしなへ 八雲御抄めひの野越中云々薄をしなへはをしなみに同押なひかし也下句は宿かるけふは悲しく思へると也しは助字也
 
歌四首       大伴宿祢家持
4017 あゆのかせいたくふくらしなこのあまのつりするをふねこきかくる見ゆ 
   東風《アユノカセ》越ノ俗語謂フ2安由乃可是1
   東風 奈呉乃安麻 都利須流乎夫祢 可久流
あゆのかせいたくふく こきかくるはこきかへりて入江に隠るゝ也
4018 みなとかせさむくふくらしなこの江につまよひかはしたつさはになく 一云たつさわくなり
   美奈刀可是 奈呉 多豆 佐和久
みなと風寒く吹らし たつさはに鳴は鶴のおほくなく也|多《サは》の字也
4019 あまさかるひなともしるくこゝたくもしけきこひかもなくる日もなく
あまさかるひなとも こゝたくはそこはく也なくる日もなくは和《ナクル》の字也戀のなぎやむ日なしと也都鄙のかはり有へきならねと戀のしけきに付てかく云也
4020 こしのうみの信濃のはまをゆきくらしなかきはるひもわすれでおもへや
    波麻 由伎久良之
信濃は者濱ノ名也
こしの海のしなのゝ 信濃の濱八雲抄越中云々
 
    春出擧シテ巡2行諸郡ニ1當時《ソノカミ》所ヲv属《ソクスル》v目《メニ》作レル歌九首            大伴宿祢家持
    礪波《トナミ》郡|雄神《ヲカミノ》河邊ニテ作レル歌
4021 をかみかはくれなゐにほふをとめらかあしつきとるとせにたゝすらし
   乎加未河泊 芦附 湍
     葦附者|水松《ミル》之類
をかみ川紅にほふ 紅にほふは紅の衣着たるを云也見安云あしつきは草の名也愚案せにたゝすは瀬に立也
 
    抵(イナシ)2婦負《メイノ》郡1渡ル2※[廬+鳥]坂《ウサカ》河ノ邊ヲ1時作歌一首
4022 うさかかはわたる瀬おほみこのあか馬《ムマ・マ》のあかきのみつにきぬぬれにけり
    安我枳 美豆
うさか河渡る瀬 あかきの水は馬の足にて水をかくさま也
 
    見ル2潜※[廬+鳥]人ヲ1歌
潜※[廬+鳥]人 鵜飼人也
4023 めひかはのはやき瀬ことにかゝりさしやそとものおはうかはたちけり
   賣比河波 可我里 夜蘇登毛乃乎
めひかはのはやき瀬 童蒙抄云やそとものおは八十氏人といふかことし哥林良材云八十はおほき心也とものおは伴男也
 
    至(イナシ)2新河《ニフカハノ》郡ニ1渡ル2延槻《ハヒツキ》河ヲ1時作歌
4024 たちやまのゆきしくらしもはひつきのかはのわたり瀬あふみつかずも
たち山の雪しくらし 雪のしきり降也鐙つかすもとは河水氷て鐙のひたらずと也雪のしきり降らん此河の氷りぬれはとの心也
 
    赴2参《ヲモムキマイルニ》氣比《ケヒノ》大神宮ニ1行ク2海邊ヲ1之時歌
氣比大神宮 越前つるかにおはす去來紗別神《イササワケノカミ》
4025 しをちからたゝこえくれははくひの海あさなきしたりふね梶もかも
   之乎路可良 波久比 船(イふな)
しをちからたゝこえ 見安云はくひの海名所也愚案和名ニ能登国|羽咋《はクヒ》有別にや
 
    過《ヨキル》(イナシ)2能登郡ヲ1從2香嶋ノ津1發2船《フナテシテ》射熊来《クマキノ》村ニ1徃く歌
4026 とふさたて船木きるといふ能登の嶋山けふ見れはこたちしけしもいく代神ひそ
    今日 備曽
とふさ立ふな木きる 旋頭歌也祇曰とふさとはをのをも云又木切屑のちるをも云木の末をも云第三に委いく世神ひそとは見安云神さひたる也
4027 かしまよりくまきをさしてこくふねのかちとるまなくみやこしおもほゆ
   香嶋 久麻吉 京都
かしまよりくま木を 心明也和名には加嶋と書
 
    赴(イナシ)2鳳至郡ニ1渡ル2饒石《ニギシ》河ヲ1時ノ歌
4028 いもにあはすひさしくなりぬにきし河きよき瀬ことにみなうらはへてな
    尓藝之河波 宇良波倍(氏/一)奈
いもに逢す久しく みなうらはへて水占也河水にて心の占ををく也と師説也
 
    從2珠洲《ススノ》郡1發船《フナテシテ》還《カヘル》2太沼郡ニ1泊テ2長|濱《ハマノ》灣《ウラニ》1見テ月光ヲ1作ルル歌一首
太沼郡 不審能登郡歟
4029 すゝのうみにあさひらきしてこきくれはなかはまのうらにつきてりにけり
   珠洲 宇美 安佐比良伎 宇良 都奇
すゝの海に朝開きして 珠洲は能登国と和名八雲御抄等に在朝開は朝朗とおなし
 
    戀(イニナシ)2怨《ウラム》鴬ノ晩《ヲソク》哢《サヘツルヲ》1歌一首
               大伴宿祢家持
4030 うくひすはいまはなかんとかたまてはかすみたなひきつきはへにつゝ
うくひすはいまはなかん かたまてはとは下待心也月はへにつゝは月をへてと云也には助字也
 
    造酒《サケノ》歌一首
               大伴宿祢家持
4031 なかとみのふとのりことゝいひはらへあかふいのちもたかためになれ
    敷刀能里其等等
なかとみのふとのりことゝ イ敷刀能里等其等《フトノリトコト》袖中抄云中臣祓歟あかふいのちとは祈る心也見安云中臣は姓也ふとのりことは中臣祓也あかふ命はいのる命也師説贖アカフとよむ祓をよみて罪科を贖《アカナ》ひて神慮を和ル也愚案日本紀神代上ニ云使メテ《・シム》d2天兒屋命1掌《ツカサトラ》c其|解除《ハラヘ》ノ之|太諄辭《フトノリトヲ》u而|宣《ノラシム》之焉太諄辭|此《コレヲ》云2布斗能理斗《フトノリト》ト1中臣祓曰天ツノツトノフトノツトオトヲ宣《ノ》レ此中臣祓は中臣|姓《ウジ》乃遠祖天児屋命乃神作といへり猶説々有今に至りて其苗裔卜部氏の人々相傳る故に中臣祓といへり中臣と卜部と一祖也此はらへは疾病消除の功能あれはこれをいひはらへて長命いのる事をよめりたかためになれとは誰ためにもなれの心なるへしてにをはをのこす事上古の哥の風躰と也此哥を造酒哥といふ事口訣
萬葉集巻第十七
貞享三年六月二十九日書于新玉津嶋寶前墨付四十二枚 季吟
2004年3月5日(金)午後7時57分 入力終わり
 于大和國高市郡今井
           2004.3.21(日)午後12時35分 校正終了 ?は一応ありません
 
 
萬葉集巻第十八
 
  天平二十年春三月廾三日|饗《アルシス》2左大臣橘家ノ之|使者《ツカヒ》造酒司令史《ミキノツカサノサクハン》田邊《タナヘノ》福麻呂《サキマロヲ》于守大伴ノ宿祢家持カ舘《タチニ》1爰《コヽニ》作シ2新歌ヲ1并ニ誦シテ2古詠ヲ1各述フ2心緒ヲ1四首
                田邊史福麻呂
左大臣橘家 諸兄公也家持卿越中守なる程に橘家より使者を國府へつかはし給へるなるへし
誦古詠 故ある古哥詠物なとせしなるへし
4032 奈古のうみにふねしましかせおきにいてゝなみたちくやと見てかへりこん
    宇美 布祢
奈古のうみに舟しまし 仙曰しましはしはし也同韻なるか故なるへし波立くやは來るや也
4033 なみたては奈古のうらまによるかひのまなきこひにそとしはへにける
なみたては奈古の 序哥也心は戀の哥ニて家持卿を思ひ來し心なるへし
4034 奈古のうみにしほのはやひばあさりしにいてんとたづはいまそなくなる
    之保
奈古の海に潮の早干は 折ふし鶴なきしなるへし干潟に求食んと也
4035 ほとゝきすいとふときなしあやめくさかつらにせん日こゆなきわたれ
郭公いとふ時なし いつもあかねは端午菖蒲かつらせん日こゝよりなきわたれと也
 
    于《ニ》v時《トキ》期《キス》2之|明日《アス》將《・セント》ニ1v遊2覧布勢ノ水海ニ1仍述テv懐ヲ各作レル歌八首
              田邊史福麻呂
期 ちきる心也明日ふせの湖見せんと契約せしと也
4036 いかにある布勢のうらそもこゝたくにきみか見せんとわれをとゝむる
   伊可尓安流 宇良 吉民
いかにあ(イせ)るふせの浦そ いかなる景氣なれは我をそこはくとゝめ給へると床しく嬉しき心をのふる心也
              守大伴宿祢家持
4037 をふのさきこきたもとをりひねもすに見ともあくへきうらにあらなくに 一云きみかとはすも
   乎敷 佐吉 多母等保里
をふの崎こきたもと 仙曰をふのさき越中国見安云見ともあくへきは見るともあくへきの心也
 
               田邊史福麻呂
4038 たまくしけいつしかあけん布勢のうみのうらをこきつゝたまもひりはん
    宇美 比利(イろ)
たまくしけいつしか明ん 玉匣は明んといはん諷詞也いつしか夜は明んあけは浦の玉藻ひろはむと也ひりはんは拾ん也
4039 をとのみにきゝて目に見ぬふせのうらを見すはのほらしとしはへぬとも
   於等 布勢 宇良 等之
音のミに聞てめに 見すは上京もせしと也
4040 布勢のうらをゆきてし見てはもゝしきのおほみやひとにたりつきてん
布勢の浦を行てし かたりつきてんとは語り傳んと也
4041 うめのはなさきちるそのにわれゆかんきみかつかひをかたまちかてら
   宇梅能波奈 曽能
うめの花さきちる 家持よりの使を待心にや
4042 ふちなみのさきゆく見れはほとゝきすなくへきときにちかつきにけり
   敷治奈美
ふちなみの咲ゆくみれは 心明也
 
         和スル歌        大伴宿祢家持
4043 あすのひの 一云ほとゝきす ふせのうらまのふちなみにけたしきなかすちらしてんかも
あすの日のふせのうらまの 是ハ期ス2之明日將コトヲ1v遊2覧布勢ノ水海ニ1と前にいへる事をよめり心は明日ゆきて見ん布勢の浦間のと也|蓋《ケタシ》來鳴すとは郭公の盛には終に來鳴ましきかと也一云郭公是ニてよくきこゆイ一頭と書一本の五文字也
 
    二十五日徃ク2布勢ノ水海ニ1道中馬上ノ口號《クチスサミノ》歌二首
                     大伴宿祢家持
4044 はまへよりわかうちゆかはうみへよりむかへもこぬかあまのつりふね
はまへよりわか打ゆかは 心明也
4045 おきへよりみちくるしほのいやましにあかもふきみかみふねかもかれ
おきへよりみちくる 沖より也あかもふは我思ふ也かれは彼也かれは我思ふ人の御舟かもと也上句いやましに我思ふといはん諷詞也
 
    垂氷邊《タルヒメ》(・イ至テ2水海ニ1)遊覧ノ時各述ルv懐ヲ歌六首
              田邊史福麻呂
4046 かんさふるたるひめのさきこきめくり見れともあかすいかにわれせん
    多流比女能佐吉
かんさふるたるひめの 仙曰たるひめの崎越中
 
              遊行女婦《アソヒメ》土師《ハジ》
遊行女婦土師 遊君なるへし土師は名也
4047 たるひめのうらをゆきつゝけふの日はたのしくあそへいひつきにせん
   多流比賣 宇良
たるひめのうらを いひつきにせんとは後まてのいひ傳へ事にせんと也橘家の使を国司のもてなしにて遊興のため召出られて其樂を述るにや
               大伴家持
4048 たるひめのうらをこくふねかちまにもならのわきへをわすれでおもへや
たるひめの浦をこく舟 かちまは梶間也梶とる間にも也袖中抄云ならのわきへとは奈良のわかいへと云也それを畧してわいへと云それをわきへと云なしたる也催馬楽に吾家といふ哥をわいへんとといふ下畧
               田邊史福麻呂      
4049 をろかにそわれはおもひしをふのうらのありそのめくり見れとあかずけり
    安利蘇野米具利
をろかにそ我は思ひし 見ぬほとはをろそかに思ひしに見てはあかさりけりと也
                掾《ゼウ》久米《クメノ》朝臣廣縄
4050 めつらしききみかきまさはなけといひしやまほとゝきすなにかきなかぬ
めつらしき君か來まさ 福麿にあいさつ也
                大伴宿祢家持
4051 たこのさきこのくれしけにほとゝきすきなきとよめははたこひめやも
   多胡乃佐伎 久礼之氣尓
たこの崎此暮しけに 多胡の崎は越中也しけにはしきりに也此暮しきりになきとよまは又戀ましきと也めとまと同音也
 
    掾久米ノ朝臣廣縄カ之|舘《タチニ》饗スル2田邊《タナヘノ》史福麻呂ヲ1宴ノ歌四首            田邊史福麻呂
4052 ほとゝきすいまなかすしてあすこえんやまになくともしるしあらめや
ほとゝきすいまなかす けふの宴會になかんこそほいならめ上京の山路にて独きかんはなくしるしもなしと也
                久米朝臣廣縄
4053 このくれになりぬるものをほとゝきすなにかきなかぬきみにあへるとき
此暮に成ぬる物を 明日は福丸上京の名残の暮に成ぬる物をいかてなかぬそかく福丸に参会の時なけと也
                 大伴宿祢家持
4054 ほとゝきすこよなきわたれともしひをつくよになそへそのかけも見ん
    許欲 都久欲尓奈蘇倍
ほとゝきすこよ鳴渡れ 祇曰こよなきわたれは今夜也つくよになそへとは月夜になそらへ也
4055 かへるまのみちゆかん日はいつはたのさかにそてふれわれをしおもはゝ
    伊都波多野佐加
歸る間の道行ん日は 仙曰いつはたの坂越中越前ノ国へこゆるに二の道有いつはたこえはすいつへ出きのへこえは敦賀《ツルガ》へ出る也きのへ越は殊にさかしき也愚案かへるまは歸さ也
 
    太上皇【清足姫天皇也】御2在《ヲハシマス》於難波ノ宮ニ1之時ノ歌【七首 田邊史福麻呂傳2誦之ヲ1】
    御船|泝《サカノホル》v江ニ遊宴ノ日奏スル歌四首
           左大臣橘宿禰
太上皇 元正天皇也此事福丸傳誦の由注にみゆ是天平二十年の此比の事にはあらす元正帝は天平二十四月崩す是は其まへの事を福丸かいひしまゝにこゝにかき入らるゝ也
4056 ほり江にはたましかましをおほきみをみふねこかんとかねてしりせは
   保里 多麻 大皇乎(イの)
ほり江には玉敷ましを 此哥諸本大皇|乎《ヲ》と有續千載集におほきみのといれらる祇注の本ものと有尤可然歟祇曰玉しかましをとは太上天皇のましますに奔走の心なり
 
     和歌        御製
4057 たましかすきみかくいていふほり江にはたましきみてゝ 一云たまこきしきて つぎてかよはん
たましかすきみか 彼諸兄公の玉しかましをと讀るは玉しかて悔る心あれは此御製に君かくいていふとよませ給へりさあらは又玉敷ておはしまさんと也
 
作者未詳
4061 ほり江よりみをひきしつゝみふねさすしつをのともはかはの瀬まうせ
ほり江よりみをひき 此哥次の哥イ本ニ月待て家にはゆかんといふ哥の下にあり
ほり江よりみを引しつゝ 童蒙抄云みをひきとは水尾引也しつをとはいやしき男と云也愚案水の深みを水尾と云浅瀬は舟行かたけれは其案内申せと也
4062 なつのよはみちたつ/\しふねにのりかはの瀬ことにさをさしのほれ
夏の夜は道たつ/\し 陸は道たと/\しけれは河瀬を舟にて上れと也
 
在《イマシテ》2於左大臣橘ノ卿之宅ニ1肆宴《トヨノアカリノ》御歌
         御製
4058 たちはなのとをのたちはなやつよにもあれはわすれしこのたちはなを
たちはなのとをの橘 見安云遠き所より橘を取渡したるを云也采葉云とをの橘とは常世の橘也やつよとは八千世也日本紀六垂仁曰九十年春二月庚子朔天皇命シテ2田道間守ニ1遣2常世國1令v求|非時《トキシクノ》香菓《カクノミヲ》1今謂橘是也云々九十九年秋七月天皇崩ス明年春三月田道間守至ルv自2常世國1則※[十+左右に人+ワ冠/貝]物《モテマテイタルモノ》非時香菓八|竿《ホコ》八|縵《カケ》
          河内女王
4059 たちはなのしたてるにはにとのたててさかみつぎいますわかおほきみかも
    佐可弥豆伎伊麻須(イくます)
たちはなのしたてる庭に 祇曰橘の宿祢の所なれは也さかみつきくますとは酒の御調酌也仙曰さかみつきとはおほきみに奉る御酒宴也見安云さかへつぎまします也愚案祇仙は酒取事注し見安ニは栄心といへり可随所好 八雲御抄難波宮は橘諸兄家也愚案とのたててとは此橘家にや
          粟田《アはタノ》女王
4060 つきまちていへにはゆかんわかさせるあからたちはなかけに見えつゝ
月待て家にはゆかん 見安云あから橘は赤き橘也愚案橘の月影ニ赤くみえて面白けれは月待て橘家に行へしと也我かさせる也
 
    後追2和スル橘ヲ1歌二首
大伴宿祢家持
4063 とこよものこのたちはなのいやてりにわかおほきみはいまも見ること
とこよ物此橘の 八雲抄云とこよ物とは常世国より奉れる物なれは橘をいへりいやてりにわか大君とは祝言の事也【童蒙抄采葉同】
4064 おほきみはときはにまさんたちはなのとのゝたちはなひたてりにして
おほきみはときはに 橘の殿の橘とは橘家諸兄公の庭の橘也ひたてりは一向《ヒタスラ》照《テル》也
 
    題スル2射水郡ノ驛舘《ムマヤノ》屋柱《ハシラニ》1歌一首
          山上臣《ヤマカミノヲン》【名未詳或云憶良大夫之男】
4065 あさひらきいり江こくなるかちのをとのつはら/\にわきへしおもほゆ
    吾家(イわいへ)
あさひらき入江こく 仙つはら/\にとはつまひらかに也采葉見安同義序哥也わきへしのしは助字也我古郷の家を思ふと也
 
    四月一日宴スル2掾久米朝臣廣縄之舘ニ1歌四首
            守大伴宿祢家持
4066 うの花のさくつきたちぬほとゝきすきなきとよめよふゝ見たりとも
   宇能 敷布美(イ里不用)
うの花のさく月 ふゝみたりとは含也卯花つほみたりともと也夏立たれは卯花未開ともなけといふ也北国は郭公稀也イふゝりとあり不用
             遊行女婦《アソヒノヲトメ》土師《ハジ》
4067 ふたかみのやまにこもれるほとゝきすいまもなかぬかきみにきかせん
ふたかみの山にこもれる 君は家持を云なるへし
             大伴宿祢家持
4068 をりあかしこよひはのまんほとゝきすあけんあしたはなきわたらんそ
   【二日應ス2立夏ノ節ニ1故ニ謂フ2之|明旦《アケンアシタハ》將《ン》v喧《ナカ》也】
   乎里安加之 許余比
をりあかしこよひは イ乎里安加之母《ヲリアカシモ》と有不用之のまんとはこひのまんと也祈るをのむといふ郭公を戀あかさんあすは立夏なれは必鳴んと也
二日應― 哥の注也
             羽咋《はクヒ》郡ノ擬主帳《ギシユチヤウ》能登臣《ノトノヲン》乙美《ヲトミ》
4069 あすよりはつきてきこえんほとゝきすひとよのからにこひわたるかも
あすよりはつきて 仙曰一夜のからには一夜の間に也愚案明日は立夏なれはつゝきて鳴つき郭公を一夜の隔からに戀れたると也作者擬主帳とは郡司に大領少領主帳主典有国司の四分の如シ擬主帳は文章生ノ擬生の如シ
 
    先國師ノ僧(イ從僧可燿歟)清見從v館欲スv入ントv京ニ設《マウケテ》2飲饌ヲ1饗宴スル時詠スル2庭中ノ牛麦《ナテシコノ》花1歌一首
              主人大伴家持
4070 ひともとのなてしこうへしそのこゝろたれに見せんとおもひそめけん
   比登母等 奈泥之故 許己呂
ひともとのなてしこ 清見に見せんとてこそうへたれとの心也
 
    郡司已下子弟已上ノ諸人|多2集《スタケリ》此會ニ1因テ作ル2此歌ヲ1一首                守大伴宿祢家持
郡司 郡の奉行也
4071 しなさかるこしのきみらとかくしこそやなきかつらきたのしくあそはめ
    故之能吉美良等
しなさかるこしの イ故之能吉美|能等《ノト》と有不用之しなさかる前注こしのきみらと越中の人々と也見安云やなきかつらきとは青柳も葛城も催馬楽の哥也愚案梁塵秘抄に委但師説かつらきはかつらにせし心也かつらくともよめり
 
    此夕ヘ月ノ光リ遅《ヲソク》流レテ和風|稍《ヤウヤク》扇《アフク》即因テv屬《ソクスルニ》v目ニ聊作ル2此歌ヲ1
                大伴宿祢家持
因テv屬《スルニ》v目ニ 月のみゆる故と也
4072 ぬはたまのよわたるつきをいくよふとよみつゝいもはわれまつらんそ
ぬはたまのよ渡る いく夜ふとゝはあはて隔てゝ幾夜へたるとかそへてと也
 
    三月一五日|贈《ヲクル》2越中ノ國主|大伴《トモ》ノ宿祢家持ニ1歌三首越前國掾大伴宿祢池主以3今月十四日|到《イタリ》2来シヲ深見ノ村ニ1望《ノソンテ》拜ス2彼ノ北方ニ1常ニ念フ2芳徳ヲ1何レノ日カ能ク休《ヤマン》兼テハ以2隣近ヲ1忽ニ増戀ス加以《シカノミナラス》先書ニ云暮春可v惜促スコトv膝ヲ未《・ス》タv期《コセ》生別ノ悲ミ兮夫レ復何ヲカ言ン臨《ノソンテ》v紙ニ悽断《セイタンス》奉状不備
越前ノ國ノ掾 池主はしめ越中ノ掾也今任2越前ニ1
望テ拜ス2彼ノ北方1 越前より越中は北也
常ニ念フ2芳徳ヲ1 家持の恩徳を思ふ事やむ時なしと也
以2隣近ヲ1 國も遠からねは忽にしたふ心を添ると也
促スコトv膝ヲ未v期 あゆみをはこひて逢みん事いつとなしと也夫復何事是をいはんより外なしと也 臨v紙 此状をかくに悲みおこりて心のまゝにかゝすと也
      古人ノ云
4073 つき見れはおなしくになりやまこそはきみかあたりをへたてたりけれ
月みれはおなしくに也 月を見つゝ遥に隔たりしを歎く也
      屬《ソクシテ》v物ニ發スv思ヲ
屬物發思 景物ニ述フルv懐ヲ也
4074 桜花今そ盛りとひとはいへと(雖2人云1)我はさふしもきみとしあらねは
桜花今そさかりと 君と同国の任ならては花にもかなしむと也
       所心歌(イニ哥ノ字ナシ)
所心歌 見安云心中に思へる事を讀ると云心也
4075 あひおもはすあるらんきみをあやしくもなけきわたるかひとのとふまて
あひ思はすあるらん 歎き渡る哉也兼盛の物や思ふと人の問迄も此哥をおもへるにや
 
    三月十六日|報《ムクフル》2越前國掾大伴宿祢池主ニ1歌四首守大伴家持
      答フ2古人云ニ1
4076 あしひきのやまはなくもかつき見れはおなしきさとをこゝろへたてつ
あしひきの山はなくもか 山こそは君かあたりを隔たりけれに答る也月はいつくも照せは同里の心するを山は隔て心をもへたてるなれは山はなくもかなと也
 
      答《コタフ》2属《ツキ》v目ニ發《ヲコスニ》v思ヲ兼テ詠シテ云|遷任《センニン》舊宅《キウタク》ノ西北《イヌイノ》隅《スミノ》櫻樹ナリト
遷任舊宅 池主越中※[手偏+丞]成し旧宅の桜を思ひて今は盛と人はいへとゝよみし事也
4077 わかせこかふるきかきつのさくらはないまたふゝめりひとめ見にこね
    佐具良婆奈
わかせこかふるき垣津の 垣津の津助字也またつほめるをみにこよと也
 
     答フ2所心ニ1即以テ古人ノ之跡ヲ1代《カフ》今日之意ニ1
4078 こふといふはえも名つけたりいふすへのたつきもなきはあかみなりけり
こふといふはえも名つけ 人を戀るをこふといふ名は古人名付得たり然とも吾身の思ふ心は戀とも何ともいはんすへなしと也
 
     更ニ矚《ミル》v目ニ
4079 みしま野にかすみたなひきしかすかにきのふもけふもゆきはふりつゝ
   美之麻 可須美 由伎
みしま野に霞棚ひき 三嶋野 越中也
 
    來2贈越中守大伴宿祢家持ヲ歌二首   姑大伴氏坂上郎女
4080 つねひとのこふといふよりはあまりにてわれはしぬへくなりにたらすや
つね人のこふといふよりは 常人の戀よりはあまりの事にしぬへく成たりと也には助字也
4081 かたおもひをうまにふつまにおほせもてこしへにやらはひとかたはんかも
    宇万尓布都麻尓 加多波牟
かた思ひを馬にふつま ふつまとは見安云|夫《フ》馬にや云々但師説はふと馬也|太《フト》くたくましき馬也思ひの重きをいはんとて也こしへは越邊也人かたはんとは人のかとはさんと也おもき物は盗人なと取へき故ニかくいへる也
 
    報歌《カヘシウタ》并ニ所心歌三首    越中守大伴宿祢家持
4082 あまさかるひなのみやこにあめひとしかくこひすらはいけるしるしあり
    比奈能都夜故 安米比度
あまさかるひなの都に 仙曰諸國の国府也田舎に取ての都なれは也見安云府中を云也あめひとしは天人也仙曰家持か姑坂上郎女を賞する詞也かく戀すらはとはかく戀すれはと云也都夜故或はツヤコとよむ不用都夜故ミヤコとよむ事|破夫利《ヤフリ》楊奈疑《ヤナキ》の和の類也
4083 つねのこひいまたやまぬにみやこよりうまにこひこはになひあへんかも
つねのこひいまた うまにこひこはとは郎女哥に馬にふつまにおほせもてとよめるをうけてかく馬におほせて戀來たらは我か常の戀とゝもに荷《ニナ》ひ合んと也
 
    別ニ所心
別所心 別ニは外に也
4084 あかときになのりなくなるほとゝきすいやめつらしくおもほゆるかも
あかときになのり 只珎しき郭公を暁にきけは猶弥珎しと也
 
   天|平《ヘウ》感寶《カンホウ》元年五月五日|饗《アルシスル》2東大寺ノ占(古イ)墾地《コンチノ》使《ツカヒ》僧《ホウシ》平榮|等《ラヲ》1時|贈《ヲクル》v酒ヲ歌一首         守大伴宿祢家持
天平感寶元年 續日本紀十七曰天平廿一年二月陸奥國ヨリ始テ貢ス2黄金1四月丁未改2天平廿一年ヲ1為ス2天平感寶元年ト1中畧金を奉る故感寶と改元と見ゆ是を天平勝寶
東大寺 聖武帝建立
4085 やきたちをとなみのせきにあすよりはもりへやりそへきみをとゝめん
   夜伎多知 刀奈美 勢伎
やきたちをとなみの 焼太刀を利《ト》きといはん諷詞也となみの關八雲御抄越中云々もりへは關の守部也慕2使僧ヲ1也
 
    五月九日諸|僚《レウ》會シテ2少目《セウサクハン》秦《ハタノ》伊美吉《イミキカ》石竹之舘《ナテシコノタチニ》1宴スル時主人造テ2合花縵《ユリノカツラヲ》三枚ヲ1疊2置《カサネヲキテ》豆器ニ1捧2贈《サヽケヲクル》賓客ニ1各賦2此縵ヲ1作レル三首           守大伴宿祢家持
諸僚 守以下の官人也
4086 あふら火のひかりに見ゆるわかかつらさゆりのはなのゑまはしきかも
あふら火のひかりに 一二句其夜の興なるへし我かつらにせし百合花の笑ことくえましく風流なるかつらなりとほめし心也
                介内蔵伊美吉縄麻呂
4087 ともし火のひかりに見ゆるさゆりはなゆりもあはんとおもひそめてき
ともし火の光りに 其夜の興を上句に置て序哥也ゆりもあはんとは動きあひて各めてたる心なるへし
       和スル歌       大伴宿祢家持
4088 さゆりはなゆりもあはんとおもへこそいまのまさかもうるはしみすれ
さゆりはなゆりも 五文字は諷詞也ゆりあはんと思へはこそ今の寝所もうるはしくすれと也ゆりもあはんといふに付ての戲成へし
 
    五月十日|獨《ヒトリ》居テ2幄裏《トハリノウチニ》1遥カニ聞テ2霍公鳥ノ喧《ナクヲ》1作ル歌一首并短歌          大伴宿祢家持
4089 高みくらあまのひつきとすめろきのかみのみことのきこしをすくにのまほらに山をしもさはにおほみと百鳥の來居てなくこゑ春されはきゝのかなしもいつれをかわきてしのはんうの花のさく月たてはめつらしくなくほとゝきすあやめくさたまぬくまてにひるくらしよわたしきけときくことにこゝろつこきてうちなけきあはれのとりといはぬときなし
    御座安麻能日継 須賣呂伎 久尓 宇能 鳴 珠 久良之 都呉枳※[氏/一] 登里
高みくらあまのひつきと 日本紀十五ニ登天下之位《タカミクラシラシ》とよむ續日本紀十七天平感寶元年四月の宣命に天皇御世々々《アマツスヘラキミノミヨ/\》天ツ日嗣《ヒツキ》高|御座《ミクラ》止《ト》坐《マシ/\》(氏/一)《テ》治メ賜《タマ》比《ヒ》恵《メクミ》賜《タマヒ》來《ケ》流《ル》この哥此詞に似《ニ》たり高御座天子の位につかせ給ふ御座也天つ日|継《ツキ》とは日神の御跡を継《ツガ》せ給ふ心也|寶祚《アマツヒツキ》
すめろきのかみのみこと 帝をたふとめる詞也
きこしをす 知聞し召也
くにのまほら 見安云国の守り也愚案山は国の守りなれは也さはにおほみと山はおほしとて百鳥の來て鳴と也さはにおほしは重詞也 きゝのかなしも見安云きく事の悲しと也愚案是迄は山おほくて百鳥鳴事を云此次の郭公をよまんとて也
ひるくらし 見安云日|暮《クラ》しに也 よわたし見安云夜もすから也
こゝろつこきて 見安云心うこきて也仙覚は心つくして也ことくときとしと通
うちなけき 讃嘆する心也春の百鳥もあれと分て郭公を賞する心なるへし
    反歌
4090 ゆくゑなくありわたるともほとゝきすなきしわたらはかくやしのはん
ゆくゑなくあり渡るとも 郭公は鳴て行末知ぬ物也たとひさは有ともこゑたえすあらはかくやは戀忍はんと也なかぬ故戀忍ふと也
4091 うの花のさくにしなけはほとゝきすいやめつらしも名のりなくなへ
    開
うの花のさく 郭公はほとゝきすと吾名を鳴故名のり鳴といふ也なくなへはなく故也卯花咲比になくゆへ弥めつらしきと也
4092 保等登藝須《ホトヽキス》いとねたけくは橘のはなちるときにきなきとよむる
保等登藝須いとねた ねたけくはねたく也橘の盛には來《コ》で散時鳴|動《トヨ》むを妬む心也
 
    行ク2英遠《アヲノ》浦ニ1之日作レル歌一首
                大伴宿祢家持
4093 あをのうらによするしらなみいやましにたちしきよせくあゆをいたみかも
   安乎能宇良 之伎与世久
あをの浦によする白波 あをの浦八雲抄越中と有たちしきよせくとは立|頻《シキリ》寄來也あゆをいたみとは東《アユノ》風を痛《イタミ》て立しきるかと也
 
    賀スル2陸奥國ヨリ出せルv金ヲ詔書ヲ1歌【一首并短歌 天平感寶元年五月十二日於2越中國守ノ舘ニ1作v之】      大伴宿禰家持
賀2陸奥國出金詔書ヲ1歌 續日本紀十七曰天平廿一年二月陸奥國始テ貢ス2黄金ヲ1四月陸奥守從三位|百済《クタラノ》王敬福貢シテ2黄金九百兩ヲ1云々詔書とは四月朔日聖武帝東大寺に行幸有て廬舎那佛《ルシヤナフツ》の前殿におはして左大臣諸兄公に勅して佛に申さしめ給へりし宣命有其下の詞に此長哥似たる所有
4094 葦原のみつほの国をあまくたりしらしめしけるすめろきの神のみことの御代かさねあまの日つきとしらしくるきみの御代/\しきませるよもの国には山河をひろみあつみとたてまつる御調寶《ミツキタカラ》はかそへえすつくしもかねつしかれともわかおほきみもろひとをいさなひ給ひよき事をはしめたまひてこかねかもたのしけくあらんとおもほしてしたなやますにとりかなくあつまの国のみちのくの小田なる山にこかねありとまうしたまへれ御《み》心をあきらめたまひ天地《アメツチ》の神あひうつなひすめろきのみたまたすけて遠き代にかゝりしことをわかみよにあらはしてあれはみけくにはさかえんものとかんなからおもほしめしてものゝふのやそとものおをまつろへのむけのまに/\老人もめぬ童《ワラは》こもしかねかひ心たらひに撫《ナテ》たまひ治め給へはこゝをしもあやにたふとみうれしけくいよゝおもひて大伴のとをつ神おやの其名をはおほくめもりとおひもちてつかへしつかさ海ゆかはみつくかはね山ゆかは草むすかはねおほきみのへにこそ死なめかへりみはせしとことたてますらおのきよきその名をいにしへゆいまのをつゝになかさへるおやの子ともそ大伴とさへきの氏は人のおやの立ることたて人の子はおやの名たゝす大君にまつろふものといひつけることのつかさそ梓弓手にとりもちてつるきたちこしにとりはきあさまもりゆふのまもりよ大きみのみかとのまもりわれををきてまたひとはあらしといやたておもひしまさるおほきみのみことのさきの 一云乎《ヲ》 きけはたふとみ 一云貴久之安礼婆《タフトクシアレハ》
   四方 吾大王 多麻比善 久我祢 鶏鳴東 金 朕御世 御食國 八十伴雄 女 兒 之我願 太良比 賜 賜 遠都 祖 大来目主(イぬし) 官 行者美都久屍 行者 牟須屍大皇 敝 米 見 勢自 大夫 彼 佐伯 祖 辞立 祖 絶 麻毛利 王 三門 且比等波安良之等伊夜多※[氏/一] 大皇 御言 左吉 聞者貴美
葦原の水穂の国 此国の名也 あまくたりしらしめし 治シラシメシ也
すめろきの神の尊 是は天孫《アメミマ》瓊々杵尊《ニニキノミコト》此国のあるしにてくたり給ひ彦火々出見よりふきあはせすのみこと扨人王の御代をかさね給ひし事を讀り
しきませるよもの国 おさめ給ふ四方の国也
ひろみあつみ 国々廣くあつく御調物奉る心也数もしらすいひつくされすと也
もろ人をいさなひ給ひよき事をはしめ給ひて 天子の仁ををこなひ給を始にて万民の苦になる心也堯舜|帥《ヒキユルニ》2天下ヲ1以シテv仁ヲ1而民從フv之ニの心也
こかねかもたのしけく 民家国家冨なんことを聖武天皇おほしなやむと也たのしけく樂《タノシ》く也
あつまの国のみちのくの小田なる 彼宣の詞云高天原尓天|降坐《クタリマシ/\》之天皇ノ御世|乎《ヲ》始《はシメ》天《テ》今《イマ》尓至ル麻(氏/一)尓《マテニ》天皇御世々々天|日嗣《ヒツキ》高|御座《ミクラ》止坐(氏/一)治《ヲサメ》賜比恵賜|來流《ケル》食《ケツ》国ニ天ノ下乃|業《ワサ》止奈母《トナモ》神奈我良《カンナカラ》母《モ》所念《ヲホシメシ》行《ユ》久止|宣《ノタマフ》大|命《ミコトヲ》衆聞シ食セト宣《ノタマフ》云々又曰ク東マノ方陸奥國乃小田ノ郡尓金出テ在止|奏《マウシ》(氏/一)《テ》進《タテマツ》礼利續日本紀ニ委シ上下畧シテ注之 まうし給へれとは申けれは也
天地の神あひうつなひ 仙曰天神地祇也あひうつなひは相あらはるゝ也愚案|現為《ウツナヒ》現形の心也
みたまたすけて 天皇のしたなやます御心をたすけてと也
遠き代にかゝりし事 昔の世にかやうの事有しと也日本紀廿二ニ推古天皇ノ十三年ニ高麗《コマ》ノ國ノ大興王聞テ3日本ノ國ノ天皇|造《ツクルト》2佛像ヲ1貢2上ル黄金三百兩ヲ1云々聖武帝も東大寺の大佛造らせ給ふ時奥州より金を貢せしをわか御代に顕はしてと讀り
みけ国 帝の知召国を云
かんなからおもほしめし 彼宣に神奈我良母《カンナカラモ》所念行久とある詞也帝の御事成へし
まつろへのむけのまに/\ 仙曰まつろへとは順《シタカヘ》る也むけとは平《タイラ》くる也
めぬわらはこ 見安云めのわらは也 しかねかひとは仙曰しかとはそれと云詞也
心たらひに 見安云心のまゝに也なて給ひとは帝王の人を憐み給ふ也
こゝをしもあやにたふとく 此御心を貴みて也
大伴の遠つ神おやの其名をは大來目主とおひ持て 其名に負心也日本紀二曰大伴ノ連《ムラシノ》遠祖《トヲツヲヤ》天ノ忍日《ヲシヒノ》命|帥《ヒキヒ》2來目部《クメヘノ》遠祖|天※[木+患]津大來目《アメクシツヲホクメヲ》1云々是は大伴と大來目とは本一流にやみな天孫降臨のときみさきにたちし神たち也
海ゆかはみつくかはね 水|漬《ツク》屍《カはネ》にや君のためと身をなして海行は水に死し山ゆかは山に死なん更に身をかへり見じと也此詞も彼宣命をうつせり彼宣ニ云又大伴|佐伯《サエキノ》宿祢波|常《ツネ》母《モ》云《イは》久《ク》天皇ノ朝守《ミカトモリ》仕《ツカフ》奉《マツル》事ヲ願《ネカフ》奈流《ナル》人|等《トモ》尓|阿礼《アレ》波|汝多知《ナンタチ》乃《ノ》祖《ヲヤ》止母乃《トモノ》云來《イヒケラ》久《ク》海|行《ユカ》波《は》美内久《ミツク》屍《カはネ》山|行《ユカ》波《は》草《クサ》牟須《ムス》屍|王《ヲホキミ》乃《ノ》幣《ヘ》尓去曽《ニコソ》死《シナ》米《メ》能杼《ノド》尓波《ニハ》不v死《シナジ》止《ト》云《イヒ》來流《ケル》人|等《トモ》止奈母《トナン》聞召《キコシメス》仙抄にも引之大伴は家持の姓なれは取分是をいふか
へにこそ死なめ 見安云へはほとりの事也 いにしへゆ 古より也
をつゝ 見安云現也 なかさへる 見安云流し傳る也愚案清き名を傳る心也
大伴とさへきの氏は 彼宣ニ大伴佐伯宿祢波とある詞なるへし
人のおやのたつる事たて 前に大君のへにこそしなめかへりみはせしとことたてといひし首尾也かく忠節の親のことをたてゝと也
人の子はおやの名たゝす 親の忠節の名を子孫まて絶さずと也身をたて道ををこなひ父母の名をあくるは孝の終也と孝經にいへる心にや
あさ守りゆふの守りよ 朝夕の守護と云心也
また人はあらしといやたて 我ならて又人はあらしと弥心をたてゝと也との字下に付へし
おもひしまさる 弥忠義を思ひ増と也しは助字也
おほきみのみことのさき 仙曰みことのさきとは帝のさいはい給ふといふ事也愚案大伴佐伯をわきての給はせし御詔の幸をたふとむと也一云義おほかた同
    反歌
4095 ますらおのこゝろおもほゆおほきみのみことのさきを 一云能《ノ》 きけはたふとみ 一云貴久之安礼婆《タフトクシアレバ》
   大夫 佐吉
ますらおの心おもほゆ 大丈夫の忠節を立る心の思はるゝと也
4096 おほとものとほつかんおやのおくつきはしるくしめたてひとのしるへく
   大伴 於久都奇 之米多(氏/一)
おほともの遠つかんおや 大伴氏の遠祖の廟を世にいちしるくしめたてよ人の見知やうにと也|遠神祖《トヲツカミヲヤ》前の長哥の詞也|奥槨《ヲクツキ》は廟也前ニ在
4097 すめろきのみよさかえんとあつまなるみちのくやまにこかねはなさく
    御代 奈流 金花
すめろきのみよ栄む 心明也哥林良材云是より年号を感寶の二字をくはへられ侍り
 
    為《スル》v幸2行《ミユキ》芳野ノ離宮ニ1之時|儲作《マウケツクル》歌一首并短歌                大伴宿祢家持
4098 たかみくらあまのひつきとあめのしたしらしめしけるすめろきのかみのみことのかしこくもはしめ給ひてたふとくもさため給へるみよしのゝこのおほみやにありかよひめし給ふらしものゝふのやそとものおもおのかおへるおのか名に/\おほきみのまけのまに/\此河のたゆることなく此山のいやつき/\にかくしこそつかへまつらめいやとをながに    安麻 日嗣 天下志良之賣師 毛能乃敷 於能我名負名負大王 麻久/\ 多由流 伊夜都藝々々
たかみくらあまの日嗣 高御座は天子の御座也よりて天乃日嗣と前にもつゝけたり
はしめ給ひて 吉野の宮をたて始め給ふ事也さため給へるも同心也
をのかおへるをのか名に/\ 其道の名におへる物は其官に任したるをの/\の名を云也
まけのまく/\ 見安云まかする心也愚案其官人に其職をまかせ給へる其任々に随ひての心也河の絶さることく山のつゝけるか如く遠長に任んと也
    反歌
4099 いにしへをおもほすらしもわかおほきみよしのゝみやをありかよひめす
    和期於保伎美
いにしへをおもほすらし 仙曰ありかよひめすとはありかよひますと云同事也愚案吉野の宮は天武持統よりこのかた行幸有し所也其古をおほしめすらん今の聖武もかよひましますと也
4100 ものゝふのやそ氏人もよしの河たゆることなくつかへつゝみん
ものゝふのやそ氏人も 長哥の八十伴男と同
 
   為メノv贈ンカ3京家願フニ2真珠ヲ1歌【一首并短哥 右五月十四日依テv興ニ作】                     大伴宿祢家持
京家 みやこの家持の家室なるへし
4101 すゝのあまのおきつみかみにいわたりてかつきとるといふあはひたまいほちもかもはしきよしつまのみことのころもてのわかれしときよぬは玉の夜床かたこりあさねかみかきもけつらすいてゝこし月日よみつゝなけくらん心なくさにほとゝきすきなく五月のあやめくさはなたちはなにぬきましへかつらにせよとつゝみてやらん
   珠洲乃安麻 伊保知毛我母 許呂毛泥 和可礼之(イの)等吉欲(イゆ) 安佐祢我美 安夜女具佐 可頭良
すゝのあま 仙曰すゝのうみ越中国愚案|海《アマ》字
おきつみかみ 見安云底のきはめ也愚案沖津御神は海神の心にて沖のふかみをいふなるへしいわたりのいは助字也
あはひたま 真珠也
いほちもかも 見安云五百千もかなといふ心也
はしきよし つまをほめて云詞也前ニ注
衣手の別し 家持卿越中へおはす時の別也
夜床《ヨトコ》かたこり 見安云泪の氷る也
心なくさに 其歎く心慰よとて此玉を送ると也
花橘にぬきましへ 此玉を五月玉にぬき交よと也
       反歌
4102 しらたまをつゝみてやらはあやめくさはなたちはなにあへもぬくかね
   白玉
しらたまをつゝみて あへもぬくかねとは和《アヘ》の字也菖橘に和してぬきねと也
4103 おきつしまいゆきわたりてかつくちふあはひたまもかつゝみてやらん
    知布(イてふ)
おきしまいゆきわたり おきつみかみにいわたりてとある心也ちふは云也
4104 わきもこかこゝろなくさにやらんためおきつしまなるしらたまもかも
わきもこか心慰さに 是も長哥にいへる心也
4105 しらたまのいほつつとひを手にむすひをこせんあま人はむかしくもあるか
しらたまのいほつゝとひ 見安云五百|集《ツト》ふ也仙曰むかしくは床しくもあるか也むとゆと同韻也
    
    教2喩《ヲシヘサトス》史生尾張ノ少咋《ヲクヒニ》1歌【一首并短歌五月十五日作之】                  守大伴宿祢家持
    七出例云犯サハ2一條ヲモ1即|合《ヘシ》v出スv之ヲ無ク2七出1輙チ棄《ステタラハ》者|徒《ツ》一年半。三不去ニ云雖v犯ト2七出ヲ1不v合v棄v之違ヘラハ者杖一百唯犯セラハ2奸悪ヲ1得v棄コトヲv之兩妻例ニ云有テv妻更ニ娶トレラハ者|徒《ツ》一年女家ハ杖一百|離《ハナテ》v之詔書云|愍2賜《アハレミタマモノセヨ》義夫節婦ニ1謹テ案スルニ2先件ノ數條ヲ1立ルv法ヲ之基ヰ化道ノ之源也然則義夫ノ之道|情《コヽロ》存スv無ンコトヲv別コト一家同財ス豈有ン2忘レv舊ヲ愛スルv新キヲ之志哉|所以《コノユヘニ》|綴《ツヽリ》2作テ數行之歌ヲ1令v悔《クヒ》2棄ルv舊キヲ之惑トヒヲ1其詞ニ曰
教喩史生尾張少咋 史生は官尾張は氏少咋は名也此人さふる子といふ遊君に思ひ付て故郷の妻を忘たるを家持卿教訓し給へる哥也
七出 婦有2七去1不ハv順2父母ニ1去ル無ンハv子去淫ナレハ去妬ハ去ル有レハ2悪病1去多言ナレハ去ル竊カニ盗メハ去ル
徒一年半 笞杖徒流死《チチヤウツルシ》謂2之ヲ五刑ト1其一ツ也徒罪とて其者とらへ置て下役につかふ也
三不去 有2三不去1有v所v取無レハv所v歸不v去|與2更《アツカリカハレハ》三年ノ喪ニ1不v去前貧賤ニ後富貴ナレハ不v去 この不去の法にそむきて女を去たる男は刑杖百と也
兩妻例 これをいひて少咋をさとしいさめらるゝ也
一家同財 夫婦の中の事也
4106 おほなむちすくなひこなの神代よりいひつきけらし父母《チヽはヽ》を見れはたふとくめこ見れはかなしくめくしうつせみのよのことわりとかくさまにいひけるものを世の人のたつることたてちさの花さけるさかりにはしきよしそのつまのこらあさよひにゑみゝゑますもうちなけきかたりけまくはとこしへにかくしもあらめや天地のかみことよせて春はなのさかりもあらたしけむときのさかりそ波をりてなけかすいもかいつしかもつかひのこんとまたすらん心さふしく南かせ雪消まして射水河流るみなはのよるへなみさふる其こにひもの緒のいつかりあひてにほとりのふたりならひゐ那呉のうみのおきをふかめてさとはせるきみかこゝろのすへもすへなさ【佐夫流者遊行女婦之字也】
    妻子 花 安良多之家牟等吉能 曽 居 何時可毛 吹 益而 水沫 左夫流 兒 雙坐
大穴貴少彦名の前注 此二神天孫降臨より以前に此国を經営せり故ニ此国の事を云にかくいひ出るなるへし
かなしくめくし いとおしく恵《メク》ましき事人情の常世の理と也
かくさまに 如此と也
世の人のたつる事たて 人の道を不破心也
ちさの花 春咲木也
其妻のこら 故郷の妻のかはらん事を兼てあやふみて誓契し心也
かたりけまくは 語しは也
とこしへにかくしも かくのみ不変ならんやと也
かみことよせて 誓言也
さかりもあらた 春花の花の盛も改りて也
しけむ時のさかりそ 新葉茂む時の盛也
なみをりて 並居て也
なけかす なけく也
またすらん 待らん也故郷の妻をよひ下すへきと契約しなから遊女に迷ひて使もやらぬをさそ待らんとの心也
さふる其子 遊女の字《アサナ》也
いつかり 見安云いつきかしつく心也紐の緒は諷詞也
さとはせる 早くとふ也さは早也仙説如何 旧妻を捨て遊女を問語ふ少咋か心を誡る也
    反歌
4107 あをによしならにあるいもかたか/\にまつらんこゝろしかにはあらしか
あをによしならにある たか/\にまつらん遙ニ仰きて待心也ならの旧妻か心はさはあらしと也
4108 さとひとの見る目はつかしさふるこにさとはすきみかみやてしりふり
    左夫流兒
里人の見る目恥かし 此哥は少咋をあさけりさとせる也 仙曰さとはすとは早くとふ也みやてしりふりとは我住家を出て行也|みや《宮》とは分々に賞する詞也しりふりとは歩《アリ》く時尻を振也愚案君とは少咋を云也或説家持自称と云は非也君といふから宮路と云
4109 くれなゐはうつろふものそつるはみのなれにしきぬになほしかめやも
   久礼奈為
紅はうつろふ物そ 仙曰紅をは新妻にたとふつるはみの衣をは旧妻にたとふ紅の色は花やかなれとも早く移ふ物也つるはみの色はうつくしからねともとこなれたるにたとふる也
    
    先妻不スシテv待タ2夫君ノ之|喚使《ヨフツカヒヲ》1自ラ來ル時作歌【一首五月十七日作之】              大伴宿禰家持
先妻不待夫君之喚使 是も史生少咋か古郷の妻の少咋か喚使をまたす遊女に迷ひぬるを聞て下りし事也然に仙抄見安等には家持卿の左夫流子を思へる由をいへり不審也前の長哥の題に教喩史生尾張少咋と有て七出例等を引て其心丁寧なるをいかゝ心得たるそや寄恠にや
4110 さふるこかいつきしとのにすゝかけぬはいまくたれりさともとゝろに
    婆由麻久太礼利
さふるこかいつきし殿に いつきかしつく殿舎也彼長哥に左夫流其兒に紐の緒のいつかりあひてといひし心と同鈴かけぬはいまくたれり里もとゝろとは彼京の先妻のをしたちて來てかうけにのゝしるを官使の驛路にのゝしるにたとへて鈴かけぬはいまといへり官使は驛鈴をならせと是は鈴ふるへくもあらねはかくよめり仙抄云官使の行て宿する所を驛路と云驛路をはいまちとよむ也官より鈴を給りてそれをしるしにて驛へゆく也國王七つの鈴をもちて七道へつかはすには官使に一つ/\給ふ也七つの中に一つは朽てかけたる鈴也それを給りたる使は道の間よろつに付て物悪きといひ傳へたり下畧愚案養老の職員令《シキインリヤウ》に少納言|飛《ヒ》驛|函鈴《カンレイ》を進付するよしあり又主鈴とて鈴をつかさとる官有是も飛驛函鈴を出納するよしあり延喜式云驛鈴|傳符《テンフ》皆|納《イル》2漆簾子《ヌリスノコニ》1主鈴ト与2少納言1共ニ預リ供奉ス云々禁秘抄云ニ鈴俊實通俊カ云件ノ鈴太タ有ルv興物也或六角或八角云々後代の事なから上古の驛鈴の事是にて推量へし
 
    橘ノ歌【一首并短謌五月二十三日作之】         大伴宿禰家持
4111 かけまくもあやにかしこしすめろきのかみのおほ御世にたちまもりとこよにわたりやほこもちまゐてこしときときしくのかくのこのみをかしこくものこしたまへれくにもせにおひたちさかへはるされはまこえもいつゝほとゝきすなく五月にははつはなを枝にたおりてをとめらにつとにもやりみしろたへのそてにもこきれかくはしみおきてからしみあゆるみはたまにぬきつつ手にまきて見れともあかす秋つけはしくれの雨ふりあしひきのやまのこぬれはくれなゐににほひちれともたちはなのなれる其実はひたてりにいや見かほしくみゆきふる冬にいたれは霜をけとも其葉もかれす常磐なすいやさかはえにしかれこそ神の御代よりよろしなへ此橘をときしくのかくのこのみとなつけけらしも
    皇神祖 可見 大 田道間守常世 時支 香久 菓子 國毛勢 孫(イひこ)枝延太 古伎礼 實 零 成流 比太照 名附
かけまくもあやに 垂仁天皇を申也
かみのおほみよ 貴みて神といふ也
たちまもりとこ世に 日本紀六垂仁曰田道間守至レリv自2常世1則※[十+左右に人+ワ冠/貝]物《モテマテイタルモノ》非時香菓《トキシクノカクノミ》八|竿《ホコ》八|縵《カケ》焉 これ橘をいへり采葉曰田道間守は昔新羅王ノ子天ノ日槍乃四世の孫但馬清彦カ子也
やほこもちまゐてこし 八竿《ヤホコ》は八竿《ヤサヲ》に懸し也※[十+左右に人+ワ冠/貝]物モチキイテタルモノとよむまゐてこしはまいりこし也
ときしくのかくのこのみ 非時香菓《トキシクノ・トキナラヌ》《カクノコノモ》と書橘也
のこしたまへれ 垂仁の御時よりのこし給へれはと也
まこえもいつゝ 孫枝|萠《モエ》也
つとにもやりみ 土産《ツト》にもやり也みは助字也
袖にもこきれ こき入也
かくはしみ かうはしく也
おきてからしみ 悲み也匂はせ置て愛する心也
あゆるみは 仙曰たへたる実也橘は次の年花咲まて堪てあるこのみなれは也橘の四季の興也
秋つけは 秋來れは也
山のこぬれ 梢也
いや見かほしく 弥見まほしく也
しかれこそ しかあれはこそ也
よろしなへ 宜く也
    反歌
4112 橘は花にも実にもみつれともいやときしくになをし見かほし
橘は花にも実にも 花の時も実なる時も見しかとも弥とこしなへにと也彼|非時香菓《トキシクノカクノミ》の心也
 
    庭中ノ花ニ作レル歌【一首并短歌閏五月二十六日作】
               大伴宿禰家持
4113 おほきみのとをのみかとゝまき給ふつかさのまにまみゆきふるこしにくたりてあらたまのとしの五年しきたへの手枕まかすひもとかすまろねをすれはいふせみとこゝろなくさになてしこをやとにまきおほし夏ののゝさゆりひきうへてさく花をいて見ることになてしこかそのはなつまにさゆりはなゆりもあはんとなくさむるこゝろしなくはあまさかるひなに一日もあるへくもあれや
    末支太末不官 末尓末 等之 末呂宿 情 奈泥之故 屋戸 佐由利 開 那泥之古 左由理花
おほきみのとをの 外国を君の遠きみかとゝ受領をまうけ置給心也見安云まき給ふはまうけたまふ也
つかさのまにま 國守介※[手偏+丞]目なと官を置給ふまゝにと
年の五年 任国の程也
手枕まかす 遠国に在て妹とねぬ心也
いふせみと 心鬱する心也いふせさと同
さゆり花ゆりも逢ん 仙曰ゆりといふ名に付てかくつゝくる上にゆりは殊に大きなるによりてわきてゆられ立たれは也
あるへくもあれや あるへくもあらんやとの心也
    反歌
4114 なてしこか花見ることにをとめらかえまひのにほひおもほゆるかも
なてしこか花見る えまひの匂ひは笑たる顔の匂ひ也
4115 佐由利花ゆりもあはんとしたはふるこゝろしなくは今日もへめやも
    由利母相等
さゆり花ゆりも逢ん かくてもやかて妹にゆりあはんと也長哥の結句と同し心也
 
    國掾久米ノ朝臣廣縄以2天平二十年ヲ1附テ2朝集使ニ1入ルv京ニ其事|畢《ヲハツテ》而天平感寶元年閏五月二十七日ニ還2到《カヘリイタル》本任ニ1仍長官ノ之舘ニ設《マウケテ》2詩酒ノ宴ヲ1樂飲スル時主人作レル歌一首并短謌
                守大伴宿禰家持
朝集使 みやこに朝するつかひ也
4116 おほきみのまきのまに/\とりもちてつかふるくにの年の内のことかたねもちたまほこのみちにいてたちいはねふみやまこえ野ゆきみやこへにまゐしわかせをあらたまのとしゆきかへり月かさね見ぬひさまねみこふるそらやすくしあらねはほとゝきすきなく五月のあやめくさよもきかつらきさかみつきあそひなくれといみつ河雪きえみちてゆく水のいやましにのみたつかなく奈呉江のすけの根もころにおもひむすほれなけきつゝあかまつ君かことをはりかへりまかりて夏の野のさゆりのはなの花えみににふゝにえみてあはしたる今日をはしめて鏡なすかくしつね見んおもかりせす
    消溢而逝 咲
おほきみのまきのまにまに まけのまゝに也或抄ニ向の字也云々
とりもちて 請取持心也
つかふる国の年内の 任したる国の年中の正税公廨等の事也
ことかたねもち 朝集使の年中の事をかたけ持て入京する也見安ニはことかたねもちは綸旨を頭に懸る心也云々如何或|重《カサネ》持
まゐしわかせを 廣縄かまいりし事也
見ぬ日さまねみ 見ぬ日へたてゝ也さは助字也
よもきかつらき 鬘にしたる心也菖鬘と同
さかみつき 酒宴と栄継と両義上ニ注
あそひなくれと 見安云遊ひ慰む心也愚案遊ひ和《ナコ》むる心也
奈呉江《ナゴエ》の菅の 越中のなこの菅也ねもころといはん諷詞也
あかまつ君か事をはり 廣縄か朝集使の事をはりて歸りし事也
にふゝにえみて 匂ひやかにえむ也
あはしたる 見安云逢よし也
鏡なす 常に見ん面かはりせすしてといはん諷詞也
     反歌
4117 こその秋あひ見しまゝに今見れはおもやめつらしみやこがたびと
こその秋あひ見し おもやめつらし對面珎しき心也見安云みやこかたひと都の方の人也
4118 かくしてもあひみるものをすくなくも年月ふれはこひしけれやも
かくしても逢みる すくなくもは少シもなと云に同こひしけれは戀しける也やもは助字也
 
    聞テ2霍公鳥ノ喧ヲ1作歌一首
               大伴宿禰家持
4119 いにしへゆしのひにけれはほとゝきすなくこゑきゝてこひしきものを
いにしへゆしのひに 古よりしたひ習ひけれは今も鳴聲聞て猶戀しき物をと也
 
    為《スル》v向ントv京ニ之時見2貴人《アテヒトヲ》1及ヒ相《アヒテ》2美人ニ1飲宴スル之日述テv懐ヲ儲《マウケ》作レル歌【二首 五月二十八日作】
               大伴宿禰家持
為向京 任限過ての事にはあらさるにや猶越中に逗留とみゆ
4120 見まくほりおもひしなへにかつらかけかくはし君をあひ見つるかも
    香具波之
見まくほり思ひしなへに なへにはからに也かつらをかけてかうはしき君にあひみつると也此哥は相美人事をよめり
4121 まいいりのきみかすかたを 一云はしきよしいもかすかたを 見すひさにひなにしすめはあれこひにけり
   朝参(イマテイリ)
まいいりのきみか姿を 見安云まいいりは内裏へ参て仕るを云也愚案此二首は歸京して貴人を見美人にあはん時によまん哥を兼てまうけつくれる也題に儲作といへる是也
 
   天平感寶元年閏五月六日|以来《コノカタ》起ツテ2小|旱《カン・ヒテリ》1百姓《ヲンタカラノ》田《テン・タ》畝《ホ》稍《ヤヽ》有2凋《シホメル》色1至テ2于六月朔日ニ1忽ニ見2雨雲之氣ヲ1仍作v雲ヲ歌1【一首并短歌  一絶は六月一日晩頭ニ作之】                 大伴宿禰家持
一絶はあとの反哥也
4122 すめろきのしきますくにのあめのした四方のみちにはうまのつめいつくすきはみふなのへのいはつるまてにいにしへゆいまのをつゝによろつつきまつるつかさとつくりたるそのなりはひをあめふらず日のかさなれはうゑし田もまきしはたけもあさことにしほみかれゆくそをみれはこゝろをいたみみとりこのちこふかことくあまつみつあふきてそまつあしひきのやまのたをりにこの見ゆるあまのしらくもわたつみのおきつみやへにたちわたりとのくもりあひてあめもたまはね
    美知 宇麻乃都米 布奈乃倍 萬調 弥騰里兒
うまのつめいつくす 馬蹄のつくる極めと也いは助字也馬のゆき至るきはめと云也
ふなのへの 見安云舟の上也愚案舟の泊る迄也いは是も助字也
いにしへゆ今のをつゝ 從古今の現也
よろつつきまつる 見安云萬の御調を奉也
其なりはひ 見安云作物の惣名也|穡《ナリはヒ》稔農《同》
そを見れは それを也
あまつみつ 天水也雨也
やまのたをり 仙曰山のかひなとにみゆる雲なるへし
此見ゆるあまの白雲 此只今見ゆる天白雲也
おきつみやへ 仙曰龍宮をいへる也文云|譬《タトはヽ》如2竜子ノ始テ生シテ七日ニシテ即能興シv雲亦能降スカ1v雨ヲ易云竜吟は雲興
との曇 棚曇と同
    反歌
4123 この見ゆるくもほひこりてとのくもりあめもふらぬかこゝろたらゐに
この見ゆる雲ほひこり 仙曰雲ほひこりてとは雲はひこりて也愚案心たらひにとは心に満足するほとにと也
 
    賀スル2雨落ヲ1歌【一首 六月四日作】
             大伴宿祢家持
4124 わかほりしあめはふりきぬかくしあらはことあけせすともとしはさかえん
     許登安氣世受
わかほりし雨は降きぬ 見安云わかほりしは我ほしかりし也愚案年さかへよと言うあけていはすとも豊年ならんと也日本紀ニ興言《コトアケシテ》曰クとあり
 
    七夕歌【一首并短歌 七月七日仰テ見テ2天漢ヲ1作v之】
                大伴宿祢家持
4125 あまてらすかみの御代よりやすのかはなかにへたてゝむかひたちそてふりかはしいきのをになけかすこらはわたりもりふねもまうけすはしだにもわたしてあらはそのへゆもいゆきわたらじたつさはりうなかけりゐておもほしきこともかたらひなくさむるこゝろはあらんをなにしかもあきにしあらねはことゝひのともしきこらうつせみの代の人われもこゝうしもあやにくすしみゆきかへる年のはことにあまのはらふりさけ見つゝいひつぎにすれ
    奈氣加須古良
あまてらす神のみよ 天照太神の御代より牛女の中を隔てしといふにはあらす只神代よりと久きことをいはんとて天照と諷詞に置なるへし下照姫のあもなるやおと七夕とよみ給へは神代よりの事は被知
袖ふりかはしあはて 戀しさに招きかはす心なるへし
なけかすこら 七夕を云
そのへゆも 其上より也
うなかけりゐて 見安云うなじに懸り肩に懸りて纏頭スル也
ことゝひのともしき 音信稀なる牛女と也
こゝうしも こゝをしも也此事をと云心也
あやにくすしみ 見安云あやにくるしきと也
いひつきにすれ 空を詠つゝ牛女の稀なる中を云|續《ツギ》語|續《ツク》と也
    反歌
4126 あまのかははしわたせらはそのへゆもいわたらこんをあきにあらすとも
あまのかは橋渡せらは 長哥に秋にしあらねはこと問の乏き子等といひし心也天河に橋も舟もよみ又かくなしともよむ風情によりよむへしとそ仙抄
4127 やすのかはこむかひたちてとしのこひけなかきこらかつまとひの夜そ
やすの川こむかひたち やすの河は天河と云こむかひたちては來向立也としの戀は年中戀て歎く牛女の妻とふ今夜そと也
 
    來贈ノ戯歌【四首 返報ノ歌者脱漏シテ不v得2探求ルヲ1也】
             越前國掾大伴宿祢池主
    忽辱2恩賜1驚欣已ニ深シ心中含ンテv咲《エミヲ》獨座|稍《ヤヽ》開表裏不v同|相違《アヒイスルコト》何ソ異ナラン推量ノ所ロv由ル率尓ニ作ンカv策《コトヲ》歟明ニ知ル加言豈有ンヤ2他意1乎凡|賀2易《ホウエキスルコト》本物ヲ1其罪不v輕ラ正※[貝+哉]倍※[貝+哉]宣ク・シ2急ニ并《アハセ》満1今勒2風雲1發2遣ス徴使1早速返報シテ不v須2延廻ス1勝寶元年十一月十二日物所貿易下吏謹テ訴2 貿易人断官司 廳下ニ1  別レノ日可v怜之意|不《ス》能《アタハ》2黙止《モタスコト》1 聊カ述テ2四詠1准ノ擬《ギス》2睡覺《スイカク》ニ1
忽辱恩賜 家持卿より音信有しなるへし
貿 玉篇亡侯切市賣
正|※[貝+哉]《サイ》倍※[貝+哉] 玉ニ※[貝+哉]子才ノ切《カヘシ》貨也イ正|贓《サウ》倍贓玉ニ贓作即ノ切藏也
4128 くさまくらたひのおきなとおもほしてはりそたまへるぬはんものもか
    於伎奈 波里
くさまくらたひの翁 旅翁の不自由を想像て針を給へるに縫物もかなと也
4129 はりふくろとりあけまへにおきかへさへはをのともおのやうらもつきたり
   芳理夫久路
はり袋とりあけ前に 見安云おきかへさへはとはおきては也愚案|置及《ヲキカヘサ》へはと也見安云をのともおのやは己ともゝ裏を付たりと云也
4130 はりふくろおひつゝけなからさとことにてらさひあるけとひともとかめす
    比等
はりふくろおひつゝけ 見安云おひつゝけは針袋を頸《クヒ》にかくる也仙曰てらさひあるけとゝはてらめき歩く也人もとかめすはあれはいかにといふ人もなきと也或説帯つけなから也
4131 とりかなくあつまをさしてふさへしにゆかんとおもへとよしもさねなし
   等里 安豆麻
とりかなくあつまを 國のをさへしにゆかんと思へと誠に由なしと也
 
    更ニ來贈ル歌二首
        大伴宿禰池主
    依2迎驛使ノ事ニ1今月十五日到2來ス部下加賀ノ郡ノ境面蔭見射水之郷ニ1戀緒ヲ結フ2深海之村ニ1身は異ナレトモ2胡馬ニ1心は悲2北風ヲ1乗シテv月ニ徘徊シテ曽テ無v所v為《スル》稍《ヤヽ》開クニ2來報ヲ1其辭ニ云|著者《コノコロ》先ニ所ノv奉書スル返テ畏ル度v疑|歟《カ》僕作2嘱羅《シヨクラヲ》1且悩ス2使君ヲ1夫乞テv水得タリv酒ヲ從來能口論v時合フv理ニ何題ンヤ2強吏ヲ1乎尋2誦ス針袋ノ詠ヲ1詞ノ泉は酌トモ不v渇《ツキ》抱テv膝ヲ獨咲テ能※[益+蜀]ク2旅愁ヲ1陶然トシテ遣ルv日何ヲカ慮ン何ヲカ思ン短筆不宣 勝寶元年十二月十五日 徴物下司 謹上 不伏使君記室
部下 領分也加賀郡は加賀国に在射水は越中也
身異胡馬 文選廿九古詩曰胡馬依2北風ニ1越鳥巣クフ2南枝ニ1註皆思フ2舊國ヲ1
4132 たゝさにもかにもよこさもやつことそあれはありけるぬしのとのとに
たゝさにもかにもよこさも 見安云たゝさはたてさま也かにもはかくにも也よこさはよこさま也愚案やつことそあれは有けるとは竪《タテ》さまにもよこさまにもとにもかくにも我は君の奴にそありけると也ぬしのとのとは主君の殿の外也日本紀五崇神天皇紀諸大夫等の歌みわのとのとに上畧此詞也
4133 はりふくろこれはたはりぬすりふくろいまはえてしかおきなさひせん
はりふくろこれは 此哥は前に草枕旅の翁とおもほして針そ給へるぬはん物もかとよみし心を思ふに針袋は給りたりすり袋を今はえて翁ざれたる風流をすへしとにや翁さひは翁ざればふたる心也伊勢物語の注にみえたりすり袋はすき袋也きとりと五音通すと若紫巻河海抄にあり愚案すき袋は透たる袋のよし也
 
    宴席ニ詠《ヨメル》2雪月梅花ヲ1歌一首 十二月作之
               大伴宿禰家持
4134 ゆきのうへにてれるつくよにうめのはなおりてをくらんはしきこもかも
   由吉 烏梅 播奈
雪の上にてれるつくよ つくよは月夜也はしきはよしとほむる詞也はしきこもかもとはよき人も哉と也或は美女を云
 
     少目秦ノ伊美吉カ石竹コノ舘ニ宴スル時ノ歌【一首】
               守大伴宿禰家持
4135 わかせこかこととるなへにつねひとのいふなけきしもいやしき増すも
わかせこかこととる わかせこは秦伊美吉をいふ此宴にいみき琴をとりて引しにや琴ニは愁をなすこと有家持歎きのいやますとは其心なるへし見安云いやしきはいやしきり也愚案文選※[(のぎ+尤)/山]叔夜《ケイシクヤカ》琴《キン》賦《フ》ニ曰|懐《イタク》v※[戚/心]《ウレヘヲ》者ノハ聞テv之ヲ莫シv不2※[立心偏+替]ニ※[立心偏+稟]ニ惨ニ悽イト愁|愴《サウシテ》傷《イタマシメ》1v心ヲ源氏若菜下にも琴の愁の事有
 
     天平勝寶二年正月二日|於《シテ》2國ノ廳《マツリコトヤニ》1給《タマフ》2饗《アルシヲ》諸郡司等ニ1宴歌一首
              守大伴宿禰家持
4136 あしひきのやまのこぬれのほよとりてかさしつらくはちとせほくとそ
あしひきの山の 仙曰こぬれは木のうれ也ほよとり師説ほや也|寄生《ヤトリキ・ホヤ》とて木の枝にこと葛なと生しをほやといふなりかさしつらくはとはかさしつへくは也袖中抄に千歳|祝《ホク》といふ心也云々
 
    判官久米朝臣廣縄之舘宴歌【一首 正月五日作】
              大伴宿禰家持
4137 むつきたつはるのはしめにかくしつゝあひしえみてはときし(―は童蒙)けめやも
むつきたつ春の初 あひしえみてはとはかく宴會し樂み笑てと也ときしけめやこきしくにと云也|非時《トキシク》はときはにつねにと云也童蒙抄云あひしえみてはとは年の始めにはしたしき人には必あひ見えて祝ひをなし祝ふ也としはけめとは年はへめといふ也愚案童蒙の本にはとしはけめとあるゆへ如此註せらるゝにやされはときしめやもといふにても時はへめやといふ心に見るへきか
 
    縁テd檢c察スルニ墾《アラキハル》3田地ヲ1事ヲu宿ル2礪波《トナミノ》郡ノ主帳《フンヒト》多治比|部《ヘノ》北里カ之家ニ1于v時忽ニ起テ2風雨1不シテv得2辭去《イナヒサルコトヲ》1作レル歌【一首 二月十八日作之】
                守大伴宿祢家持
檢察墾田地事 墾あらきはるとよむ新に田地を開く事也此事の檢察して雨風にあひて歸宅せす北里の家に宿ると也
4138 やふなみのさとにやとかりはるさめにこもりつゝむといもにつけつや
   夜夫奈美
やふなみのさとに 夜夫奈美の里は越中也北里か里なるへしこもりつゝむとは雨|隠《コモリ》してつゝみゐる心也つゝむはこもると同
               萬葉集巻第十八終
貞享三年七月十三日書于新玉津嶋神前 墨付卅一枚 季吟
             2004年3月12日午前10時6分(金) 明日香佐田(現在高市郡高取町佐田)の草壁皇子の奥津城を眼前にのぞむ丘陵にて入力終り
            2004.3.21(日)午後1時38分 校正終了 ?は一応ありません
 
 
萬葉集巻第十九
 
     天平勝寶二年三月一日之暮|眺2矚《ナカメミテ》春|苑《エン・ソノ》ノ桃李《タウリノ・モヽスモヽノ》花ヲ1作レル歌二首
               大伴宿禰家持
4139 春の苑紅にほふ桃の花したてるみちにいてたてるいも
    尓保布 下照道尓出立(イたつ)※[女+感]嬬《おとめ》
春のそのくれなゐ 此哥類聚祇注の本等ニは結句を出たつおとめ古來風体ニは出たてるいもと和ス祇曰此哥は園の桃の匂ふ陰に人の数々立やすらひて遊ひたる艶なるをありのまゝによめり
4140 わか園のすもゝの花か庭にちるはたれのいまたのこりたるかも
   吾 之李 可 尓落波太礼能未遣在可母
わかそのゝすもゝの 袖中抄云雪といはねと只はたれと讀てもはたら雪と聞ゆる也はたれまたら同事也
 
    見テ2飛飜翔《トヒカケリタル》鴫ヲ1作レル歌一首
               大伴宿禰家持
4141 春まけて物悲しきにさよふけて羽ふりなくしき誰か田にかすむ
    儲而 尓三更而 振鳴志藝 尓加須牟
春まけて物悲きに 童蒙抄云春まけてとは春さりてと云心也まけてとは罷《シリソク》とかける也仙同義誰たにかとは三更の空住所分明ならねは誰田にか住と云也但仙抄ニは誰かためにか也云々住といふ詞に不快なるにや
 
    三月二日|攀《ヨチテ》2柳黛《リウタイヲ》1思フ2京師《ミヤコヲ》1歌一首                大伴宿祢家持
4142 春の日にはれる柳をとり持て見れはみやこのおほちおもほゆ
    尓張流 乎取 而 者京之大路所思
春の日に張れる柳 はれるは柳眼を張也都の柳※[こざとへん+百]を越中にて思ひやれる心也
 
    攀2折《ヨチヲル》堅香子《カタカコ・カタカシ》草ノ花ヲ1歌一首
                 大伴宿祢家持
4143 もののふのやそのいもらかくみまかふ寺井のうへの堅香子《カタカシイコ》の花
   物部 八十乃※[女+咸]嬬等之※[手偏+邑]亂 之於乃(古來) 之
もののふのやその 物の部はやその諷詞也|八十《ヤソ》のいもらはおほくの女也くみまかふはあまた井をくむさま也かたかし類聚古來風躰本如v此見安云堅|香子《カシノ》花ツヽシニ似たる草也云々然ルニ仙覚云古点かたかしなから櫓木《カシノキ》にまかふへけれはかたかこと和シかゆへしといへり愚案木の名にまかふとても古点カタカシならは今更改かたきか
 
    見ル2歸雁《カヘルカリヲ》1歌一首
                  大伴宿禰家持
4144 燕《ツハメ》來る時に成ぬと鳫かねはふるさとおもひつゝ雲隠れなく
    尓 奴等 之鳴者本郷思都追 喧
つはめ來る時に成《ナリ》ぬ 童蒙抄云春の半に鳫も歸りつはくらめも來る也愚案故郷は鳫の故郷とこよにかへる心也
4145 春まけてかく歸るとも 一云春されはかへるこのかり 秋風に黄葉の山をこえこさらめや
    設而如v此 等母 尓 不越來有 也
春まけてかく歸る 此五文字童蒙抄等春去ての心と云々但此哥は春をまうけての心なるへきか哥によるへきにや
 
    夜裡ニ聞ク2千鳥ヲ1歌二首
              大伴宿祢家持
4146 夜くたちに寝覚てをれは河瀬とめこゝろもしのに鳴ちとりかも
    具多知尓 而居者 尋情母之奴尓 知等理加毛
夜くたちにねさめて 見安云夜くたち夜の更過る心也 祇曰夜くたちとは暁の事也斜此字也心は暁のね覚に河瀬をとめて心もしのに千鳥の鳴折のさひしき心をよめり私心もしのには間断もなき也古來風躰にみえたり
4147 夜くたちて鳴かはちとりうへしこそむかしの人もしのひ來にけれ
    降而 河波知登里宇倍之
夜くたちて鳴河千鳥 童蒙抄云夜くたちとは夜更てと云事也しのひきにけれとはむへこそ昔より哀なる物とはいひつたへたれとよめる也
 
    聞ク2暁鳴|雉《キシヲ》1歌二首
              大伴宿禰家持
4148 杉の野にさをどる雉《キヽス》いちしろくねにしもなかんこもりつまかも
    左乎騰流 灼然啼尓之母將v哭
杉の野にさをとる 八雲御抄云杉の野越中也さをとるきゝす をどるよし也云々 童蒙抄云家持哥也大載礼ニ曰正月※[矢+鳥]|震※[勿+隹]《フルヒナク》 礼記月令ニ律中ル2大呂ニ1雉|※[勿+隹]《ナキ》鶏乳ス云々愚案心は隠妻故にいちしろくねになく心を上句は序哥也
4149 あし引のやつおのきゝす鳴とよむあさけの霞見れはかなしも
   足 之八峯之※[矢+鳥] 響朝開之
あしひきのやつおの 祇曰八尾はかなたこなたの山の尾也おほき心也|鳴響《ナキトヨム》と書にて其心見えたり哥の心は春のよの明かたにあまたの山霞わたるこなたかなたに雉子のなくこゑの物哀に面白きをよめり此かなしきは愁の心になりかたし愚案やつお八雲抄ニ八たけのきゝすやみぬともと有夫木集に光俊哥「をしこめてみなきし山の朝霞やたけも見えす立にけらしもかくうたにもやたけとよめり可随所好歟此悲しもは愛する心にや浦こくふねのつなてかなしものたくひなるへし
 
    遥ニ聞2泝《サカノホル》v江ニ船人ノ唱《ウタフヲ》1歌一首
               大伴宿祢家持
4150 あさ床《トコ》に聞けは遥《はル》けし射水《イミツ》河あさこきしつゝうたふ船《フナ》人
   朝 朝己藝 唱
あさ床《トコ》 朝の床に遙に棹哥のきこゆる也射水河越中也
あさこき舟を朝にこく也
 
    三月三日宴スル歌三首   大伴宿祢家持
4151 けふのためと思ひてしめし足引のおのへの桜かくさきにけり
   今日之為 標之 峯上 如v此開
けふのためと思ひて 上巳の遊興のためしめ領したる山桜の折節咲しと悦ふ心也
4152 奥山のやつおのつはきつはらかにけふはくらさねますらおのとも
    八峯 海石榴都婆良可尓今日 大夫之徒
おく山のやつおの 童蒙抄云やつおとは八峯とかけり前注委愚案序哥也見安云つはらかにはつまひらかに也愚案詳に懇に遊ひ暮せと也
4153 から人もふねを浮へて遊ふてふ今日そわかせこ花かつらせな
   漢 毛筏 而 云 曽和我勢故 縵世奈
から人もふねを 祇曰心は三月三日ニは上巳の祓をして湖海なとに舟をうかへて身の祈をし又遊宴をする也是をおもひよそへてよめる也東野州新古今抄此哥の注云花かつらとは花をかつらに懸る儀也わかせこは女の事にいへり袖中抄云顕昭云三月三日曲水宴とて盃を水に流す事こそあれ舟にのりてあそふ事は聞えすと人々おほめくに其證とも有花かつらせなとはせよ也文集曰開成二年三月三日|河南《カナンノ》尹《イン》李侍讀《リシトク》洛濱《ラクヒン》に禊《ケイ・ハラヘ》せんとて白居易以下十五人を召て舟仲に宴す居易|挙《アケ》v酒ヲ抽《ヌキンテ》v毫《フテヲ》十二|韻を奉る舟は同ク2李|膺《ヨウカ》汎《ウカヘルニ》1醴《サケハ》為2穆生カ携サフルコトヲ1上下畧又万葉池主か詩を引り畧之
 
    三月八日詠ル2白キ太鷹《オホタカヲ》1歌一首并短歌
                大伴宿禰家持
4154 あしひきの山坂越てゆきかへる年の緒なかくしなさかるこしにしすめはおほきみのしきます国はみやこをもこゝもおやしと心にはおもふものからことはさけ見さくる人めともしみとおもひししけしそこゆへにこゝろなくやと秋つけははきさきにほふいは瀬野に馬たきゆきてをちこちに鳥ふみたてゝしらぬりのこ鈴もゆらにあはせやりふりさけ見つゝいきとほるこゝろのうちを思ひのへうれしひなから枕つくつまやの内にとくらゆひすゑてそ我かかふましらふのたか
    去更 科坂在故志尓之須(イつ)米婆大王 敷座 京師 此間 於夜自 念 語 眼乏(イともし)等 繁 情奈具也等 附婆芽子開 石 太伎 立白塗之小 延宇礼之備 附都麻屋 鳥座 飼真白部 多可
しなさかる 越の枕詞也前ニ注
こしにしすめは 住めはなりイ越に沈めは不用之
こゝもおやしと 見安云こゝも同しといふ心也帝の知せ給ふ国の中なれは也
ことはさけ 詞の都とはかはりたる心也詞さへ遠さかりし心也
見さくる人目 都人を見ることも遠さかりて人め乏しく思ひも茂しと也
そこゆへに心なくやと 其故に心も慰むやと狩する心也心なくは和樂し慰む心也
いはせ野 八雲御抄越中云々
馬たき 見安云馬にのるといへる心也
小鈴もゆらに 玲瓏《ユラ》鈴の聲也白塗鈴前注
いきとをる心の内を 北国に住て都戀しくいきとをる心を此鷹に思ひのへ慰むと也
枕つくつまや 前ニ注
反歌
4155 やかたおのましろの鷹をやとにすへかきなて見つゝかはくしよしも
   矢形尾 屋戸 飼久
やかた尾のましろの 八雲抄云やかたおは尾のまたらなる也仙曰矢形尾十七巻ニ注スましろのたかは目《メ》の上の白き鷹也童蒙同かはくしよしもとは飼ひてよしと也
 
    潜《セン・カツク》※[盧+鳥]《ロノ・ウ》歌一首并短歌
大伴宿禰家持
4156 荒玉の年ゆきかへり春されは花のみにほふあしひきの山した響《ヒヽキ》きおちたきち流るさき田の河の瀬にあゆこさはしりしまつとりうかひともなへかゝりさしなつさひゆけはわきもこかかた見がてらと紅のや八しほに染ておこせたるころものすそもとほりてぬれぬ
    徃更 去者 下 年魚 狹走 島津鳥※[盧+鳥]養 吾妹子 八鹽 服之襴毛
おちたきち流る おちたきり流るゝ也
さきたの河 八雲抄越中云々
うかひともなへ 伴《トモナ》ふ也
なつさひゆけは たつさはりゆく心也又一説前注
とほりてぬれぬ ぬれとをりしと也
反歌
4157 くれなゐの衣にほはしさきた河絶ることなくわれかへり見ん
   紅 辟田
くれなゐの衣匂はし たえすたひ/\この河に來てうかひあそはんの心なるへし
4158 としのはに鮎《あゆ》し走《はし》れはさきた河うやつ(句)かつきて河瀬たつねん
   毎v年(イとしこと)尓 ※[盧+鳥]八頭
としのはにあゆし 童蒙抄云家持哥也うやつかとは鵜を八|頭《カシラ》つけてと讀る也愚案かつきは潜の字也見安云鵜を八かつきては一荷かと云々童蒙可然か
 
   季春三月九日|擬《キシテ》2出擧ノ之政行ニ1於2舊江《フルエノ》村ノ道ノ上《ホトリニ》1属スルv目《メニ》物華《ブツクハ》之|詠《エイ》并ニ興中《ケウチウ》ニ所ノv作之歌
擬ス2出擧之政行ニ1 前ニモ依v春出2挙巡3行ス諸郡ニ1とあり
属v目ニ物華之詠 目につく所の物のひかり也|景《ケイ》物を云也
     過《ヨキリテ》2澁谿《シフタニノ》埼ヲ1見ル2巌上ノ樹ヲ1歌一首
                 大伴宿祢家持
4159 礒のうへのつまゝを見れは根をはへて年ふかゝらし神さひにけり
    上 都萬麻 延而 深有之 左備
礒のうへの都万麻《ツママ》を 仙曰つまゝ何木そ有職ノ人に可尋之云々いそのうへは石の上也
 
    悲ム2世間《ヨノナカノ》無ヲ1v常《ツネ》歌一首并短歌
                大伴宿祢家持
4160 あめつちの遠き始めよよの中は常なきものと語りつぎなからへきたれ天の原振さけ見れはてる月もみちかけしけりあしひきの山のこぬれも春されは花さきにほひ秋つけは露霜|負《ヲヒ》て風ましりもみちちりけりうつせみもかくのみならし紅のいろもうつろひぬはたまの黒髪かはり朝のえみゆふへかはらひ吹風の見えぬかごとくゆく水のとまらぬことく常もなくうつろふ見れはにはたつみ流るゝなみたとゝめかねつも
   天地 俗中 無 續 照 盈※[日/六] 木末 去婆 開 而 交 毛美知落 如v是 變 咲暮加波良比 逝 ※[さんずい+帝]
あめつちの遠き 天地開闢よりと也
なからへきたれ 存へ來たれはと也
天の原ふりさけみれは あめつちの首尾也天の無常を云也
山のこぬれも 地の無常をいへり こぬれはこすゑ也春花咲て秋葉落るは無常也
うつせみも 是も人間の現の身を云也
紅の色もうつろひ 紅顔も老衰する也
ゆふへかはらひ 見安云夕にかはる也愚案朝の悦ひも夕には愁となる心也
にはたつみ 庭にたまれる水也なかるゝといはん諷詞也
反歌
4161 ことゝはぬ木すら春さき秋つけはもみちちらくは常をなみこそ 一云常なけんとそ
   言 尚 開 遅良久波 無
ことゝはぬ木すら 見安云ことゝはぬは物いはぬといふ心也愚案紅葉ちらくはとはちるはと云也非情の無言の木さへ春秋の開落のさま是無常にこそと也一云同義
4162 うつせみの常なき見れは世間《ヨノナカ》にこゝろつきずておもふ日そおほき 一云なけく日そおほき
うつせみの常なき 此身の生滅の無常のさまをみれは世のなかに心つきせす思ひ歎く日おほきと也心つきすては心つきせすといふ心也一云同義なるへし
 
    豫《カネテ》作ル2七夕ヲ1歌一首
                 大伴宿禰家持
豫テ作2七夕ヲ1歌 天平勝寶二年三月の比なれはいまた七夕の比ならぬなるへし
4163 妹か袖われ枕せん河の湍《せ》に霧《キリ》たちわたれさよふけぬとに
    可牟 左欲布氣奴刀尓
妹か袖われ枕せん 牽牛に成てよめり天河の霧かくれ妹にあはん夜更たりといふにてとの心也
 
    慕《シタフ》v振《フルフ》ヲ2勇士ノ之名ヲ1歌【一首并短歌 追2和ス山上憶良ノ臣ノ作歌ニ1】         大伴宿祢家持
4164 ちちのみの父のみことはゝそ葉の母のみことおほろかにこゝろつくしておもふらん其子なれやもますらおやむなしくあるへき梓弓すゑふりおこしなぐ矢もち千ひろいわたしつるぎたちこしにとりはきあしひきのやつおふみこえさしまくるこゝろさはらす後の代のかたりつくへく名をたつべしも
   知智 實 美許等波播蘇 美己等 情盡而念 大夫 可在 投 毛知 尋射和多之劔刀 八峯 越 情不v障
ちちの実の 仙曰ちゝの木は葉は楊梅《ヤマモヽ》の木に似て菓《コノミ》は胡桃子《クルミ》の如し熟《シユク》する時色赤シ鴨|好《コノミ》て食スv之
はゝそ葉 仙曰|柞葉《はヽソは》は如クv常ノにして厚《アツ》き者也
おほろかに 大きやかに也父母の大きに心盡して思ふ子なれは丈夫の徒《イタツラ》にむなしくあらんや身をたて名を掲よと名
なく矢 見安云矢をはなつは投《ナク》る心也
さしまくる 指まうくるなり
反歌
4165 ますらおは名をしたつへし後の代にきゝつぐ人もかたりつぐかね
   大夫 立 聞継
ますらおは名をし立 聞継語り継やうに名を取へしと也
 
    詠《ヨメル》2霍公鳥《ホトヽキス》并ニ時ノ花ヲ1歌【一首并短歌 三月二十日雖v未タv及はv時ニ依テv興ニ豫《カネテ》作レリ也】
                   大伴宿祢家持
4166 ときことにいやめつらしくやちくさに草木花さきなく鳥のこゑもかはらふみゝにきゝめに見るごとにうちなけきしなへうらふれしのひつゝあらそふはしにこのくれやみうつきしたてはよごもりになく霍公鳥むかしよりかたりつぎつる鴬のうつしま子かもあやめくさ花橘ををとめらかたまぬくまでに赤根さすひるはしめらにあしひきのやつおとびこえぬばたまのよるはすがらに暁の月に向ひてゆきかへなきとよむれどいかゝあきたらん
   毎v時 八 種 喧 音毛更布耳 聞眼 視 嘆 有争 罷或云能四月之立 鳴 從2古昔1 宇都之真 菖蒲 ※[女+咸]嬬 珠貫 刺晝 八丘(イやおか)飛超夜干玉 夜
ときことにいや珎く 四時に珎くさま/\の花鳥の興ある心也
八千種 品おほき心也
こゑもかはらふ 時々の鳥の聲々かはる心也春の鳥夏の郭公のたくひ也
うちなけき 歎美也
しなへうらふれ 前ニ注
あらそふはしに 時々の花鳥をめてあらそふ中の第一にわきて郭公をいはんとて也はしは端也第一の心也
このくれやみ 見安云木の下闇同愚案或云此暮の義自通
う月したてはよ籠り 夜こもり夜をこめて鳴也或説世籠り末かけてなく心也
うつし真子 仙曰うつしは現也心は郭公は鴬のまことの子かと也師説うつくしむ子かと也
ひるはしめら 閑に也
いかゝあきたらん いかてか聞あかんと也
    反歌
4167 ときことにいやめつらしく咲花をおりもおらすも見らくしよしも
   毎v時彌米頭良之久 折毛不折毛
ときことに弥珎く 時の花をよめり
4168 としのはにきなくものゆへ霍公鳥きけはしのはくあはぬ日をおほみ 
    毎年謂2之ヲ等之乃波《トシノハ》ト1
   毎v年 来喧 聞婆 不v相 乎於保美
としのはにきなく しのはくは忍ふ也子規に逢ぬ日おほく忍ふと也祇曰年のはといふ詞年の始の心にとれり是は毎年の心也いや年のはと此集に侍も毎年の事也
 
    家婦|為《タメ》v贈ンカ2在《イマス》v京コニ尊母ニ1所《レテ》v誂《イサナは》作リシ歌【一首并短歌】
大伴宿禰家持
4169 霍公鳥來なく五月に咲にほふ花橘の香をよしみおやのみことの朝ゆふにきかぬひまなくあまさかるひなにしをれはあしひきの山のたをりに立雲をよそのみ見つゝなけくそらやすけなくにおもふそら苦しきものを奈呉のあまのかつきとるてふしらたまの見かほしみおもわたゝ向ひ見ん時まては松かへのさかえいまさねたふときあかきみ
   御面謂2之美於毛和ト1
    喧 吉 御言 暮 不聞日麻 夷 居者 多乎里 嘆蘇(禾左)良 念蘇(禾左)良 海部 潜取云真珠 御面(イおもて) 將見 栢 尊安我吉美
霍公鳥來なく 御母の事を聞ぬまなきをいはんとてよみしことは也
山のたをり 山の峽《カヒ》ニ同母の戀しさに雲を遙に見る事を云也
奈呉のあまの しら玉の見かほしといはん諷詞也玉は見まほしき物なれは也
見かほしみおもわ 母の見まほしき御顏也
松栢の かへはかへの木也松栢は霜の後もしほまねは栄へいませといはん諷詞によめり
    反歌
4170 しら玉の見かほし君をみす久にひなにしをれはいけるともなし
   白 不見 夷 伊家流
しら玉の見かほし君 白玉は見まほしの諷詞也君は母君を云也
 
    三月二十四日應2立夏四月節ニ1也因テv此《コレニ》二十三日之暮忽ニ思テ2霍公鳥暁キ喧ク聲ヲ1作ル歌二首
              大伴宿祢家持
二十三日之暮忽思― 明る日立夏なれは此暁必なかんと思ひて此うたをよめりと也
4171 つね人もおきつゝ聞くそ霍公鳥この暁に來なくはつこゑ
   常 起 此 喧始音
つね人もおきつゝ さしてよるおきてあるへき故なき常の人もおきゐて待聞くそと也
4172 ほとゝきす來鳴とよまく草とらん花橘を屋戸にはうへすて
   霍公鳥 響 不殖而
ほとゝきす來なき 花橘はうへすて草をうへて草とり追請(?)せんとにやたとへは客のため秣とる心なるへし
 
    贈ル2京ノ丹比ノ家ニ1歌一首
大伴宿禰家持
丹比家 丹比氏の人の家也
4173 妹を見すこしの国へにとしふれはわかこゝろとのなくる日もなし
    不v見越 經v年 吾情度乃 無
妹を見すこしの国へ 心とのと助字也わか心のなく事なしとなり伊勢物語に心はなきぬといふにて心得へし心の和平なる事也
 
    三月二十七日追2和スル筑紫ノ大宰《みこともちの》之時春ノ花ノ梅歌ヲ1一首
大伴宿禰家持
4174 春のうちの樂《タノシ》みをへは梅の花手折をきつゝ遊ふにかあらん
    理 終者 尓可有
春のうちの樂《たのし》み 梅花を手折置て春は過とも猶遊ふためにせんと成へし結句遊尓可有師説アソフニアラマシと和ス尤可然か
 
    詠メル2霍公鳥ヲ1歌二首
大伴宿禰家持
4175 霍公鳥今來なきそむあやめくさかつらくまてにかるゝ日あらめや
    イ毛能波三箇ノ辭《コトは》闕《カク》v之ヲ
    喧 菖蒲可都良久
霍公鳥今きなき初 見安云かつらくとはかつらくむ也愚案かるゝ日あらめやとは今鳴初て菖蒲かつらする迄枯す來なけと也此哥ものは此三字をよけて讀しと也古今集に同文字なき哥の類か
4176 我門ゆなき過わたる霍公鳥いやなつかしくきけとあき足らす
    イ毛能波※[氏/一]爾乎ノ六箇ノ辭闕v之
    從喧 度 雖v聞飽不v足
我門ゆなき過 我かとより也此哥もものはてにを此六の文字を除て讀と也
 
   四月三日贈2越前ノ判官|大伴《トモノ》宿祢池主ニ1霍公鳥ノ歌不シテv勝《タヘ》2感スルv舊キヲ之意ニ1述《ノフ》v懐ヲ一首并短歌
大伴宿禰家持
越前判官也 越前※[手偏+丞]也
不v勝2感v舊之意 池主は旧友なる故にかくいへり
4177 わかせこと手たつさはりてあけくれは 出立向ひゆふされは振|放《サケ》見つゝおもふかも見なぎし山にやつおには霞たなひきたにへにはつはき花さきうら悲し春の過れはほとゝきすいやしきなきぬ独のみきけはさひしも君と吾隔てゝ戀るとなみ山飛こえゆきて明たては松のさ枝にゆふされは月にむかひてあやめくさ玉ぬくまてに鳴きとよめやすいしなさて君をなやませ
   和我勢故等 携而暁來者 暮去者 念暢見奈疑之 八峯 谿敝 海石榴 咲 霍公鳥 喧 耳聞婆不怜毛 與 而 利波 超去而 立者 狭 暮去者向v月而菖蒲 貫 安寐不v令v宿
わかせこと 池主と越中まても伴ひし心也もと池主越中の※[手偏+丞]なりしほとの事也
ふりさけ見つゝ 句
おもふかも 池主に別て後思ふとの心也又師説ニは思ふかもは見なきし山の枕詞也思ふ時は見るを云懸て云
見奈疑之《ミナギシ》山 越中
独のみきけはさひしも 別ゐて我のみきけは寂寥なるにとなみ山を郭公飛こえて池主か方にも行て朝夕鳴て池主にもやすいさせしめす我ことく君をもなやませと也君も池主を云也
     反歌
4178 ひとりのみきけはさひしも霍公鳥にふの山邊にいゆきなくにも
   吾耳聞婆不怜毛 丹生 伊去鳴尓毛
ひとりのみきけは 丹生の山越前丹生郡國府此郡なれは池主の在所にや我独聞如く丹生の山に鳴にもさそさひしからんと含る也
4179 霍公鳥夜なきをしつゝ我せこをやすいしなすなゆめこゝろあれ
霍公鳥夜なきを 下句はゆめ/\安寐させな心して越前にて夜鳴せよと也
 
    不《スシテ》v飽《アカ》d感《メツル》2霍公鳥ヲ1之|情《コヽロニ》u述テv懐ヲ作歌【一首并短歌】         大伴宿禰家持
4180 春過て夏來向へはあしひきの山よひとよめさ夜中に鳴ほとゝきすはつこゑをきけはなつかしあやめくさ花橘をぬきましへかつらくまてに里とよみなき渡れとも尚ししのはゆ    足檜木 呼 霍公鳥始音 聞 奈都可之菖蒲 貫交 響喧 之努波由
山よひとよめ 山よひとよみと同鳴|響《ヒヽカ》する也
かつらくまてに 夏來向ひしより端午菖蒲のかつらくむまてきけとも猶しのはるゝと也ゆとると通す
    反歌
4181 さ夜深て暁月に影見えてなくほとゝきすきけは夏かし
    而 尓 所v見而鳴霍公鳥聞者 借
さ夜ふけて暁月に 月の字濁るへし長哥に初聲をきけは夏かしと云心也
4182 ほとゝきすきけともあかす網《アミ》とりにとりてなつけなかれすなくかね
   霍公鳥雖v聞不足 取尓獲而奈都氣奈 鳴金
ほとゝきすきけとも あみとりにとは網にてとる事也郭公にあかされは網にて取てなつけなんさあらはかれすなくかにと也一説郭公の異名を網鳥と云依テ2此哥ニ1歟
4183 ほとゝきす飼とをせらは今年へていまこん夏はまづなきなんを
    來向(イきむかふ) 麻豆將v喧乎
ほとゝきすかひ通せ 今年より來年の夏まて飼とをさは早くなかんをと也
 
    四月五日從2京師《ミヤコ》1贈《ヲクリ》來ル歌一首
                  留《トヽムル》女《ムスメノ》之|女郎《ヲトメ》
4184 山吹の花とり持てつれもなくかれにし妹をしのひつるかも
    執 而
山吹の花とりもち 京にとゝまりし娘子のいもうとの無音を恨て送りし哥にや山吹の枯す花やかなるに付て難面く音つれかれし妹を戀ひ忍ふと也
 
    詠ル2山|振《フキ》花ヲ1歌一首并短歌
大伴宿禰家持
4185 うつせみは戀を繁《シケ》みと春まけておもひ繁れは引よちておりもおらすも見ることにこゝろなきんとしけ山のたにへに生る山ふきをやとに引うへて朝露ににほへる花をみることにおもひはやまて戀し繁しも
     念 攀而折毛不v折毛毎v見情奈疑牟 繁 谿敝 振 屋戸 殖而 毎v見 念者不v止 志 母
うつせみは 現の身は也
引よちて 戀の慰めに山吹を引よちて也
しけ山 越中也顕朝「我宿に引うへてみんしけ山の露に匂へる山吹の花 夫木ニ在イ本に此哥の下に江家と書添たり此作者ニはあらす江家の点と云事成へし
反歌
4186 山吹を屋戸に植ては見ることにおもひはやます戀こそまされ
    念者不止 益礼
山吹を屋戸に植ては 長哥によみし心とおなし
 
    四月六日遊2覧シテ布勢ノ水海ニ1作歌【一首并短歌】
大伴宿禰家持
4187 おもふとちますらおのこのこのくれ(イくれに)繁《シゲ》き思ひを見明らめこゝろやらんと布勢の海に小船つらなめまかいかけいこぎめくれはをふの浦に霞たなひきたるひめに藤浪咲て濱きよく白波さわきしく/\に戀はまされと今日のみにあきたらめやもかくしこそいや年のはに春花の繁き盛りに秋の葉のもみつる時にありかよひ見つゝしのはめ此ふせの海を
   念度知大夫 情 都良奈米真可伊 乎布 垂姫 浄久 左和伎 及及 耳飽足 如v是己曽祢 波 黄色 布勢 乎
しけき思ひを見明め 遠国の旅懷を景氣に見明らめ心を慰めやらんとてと也
を船つらなめ 舟をつらねと云也
まかい 見安云よきかい也
たるひめ 見安云垂姫の明神云々此集十八ニたるひめの浦とよみし所也
しく/\に戀はまされと 頻に此水海の見まほしき戀まされと今日のみは不v足と也
見つゝしのはめ 此布勢海を見て猶戀忍はんと也
反歌
4188 藤なみの花の盛りにかくしこそ浦こきへつゝ年に忍はめ
    之努波米
藤なみの花の盛 浦こきへつゝは浦こきめくりつゝ也年に忍はめは年ことに也
 
    贈ル2水鳥《ウ》ヲ越前判官大伴宿禰池主ニ1歌【一首并短歌 四月九日附テv使ニ贈v之ヲ】
大伴宿禰家持
水鳥 うと和ス
4189 あまさかるひなとしあれはそここゝも同しこゝろそ家《イヘイヤト》さかりとしのへゆけはうつせみは物|念《ヲモ》ひしけしそこゆへにこゝろなくさに霍公鳥なくはつこゑを橘の珠にあへぬきかつらきてたはるれはしもますらおをともなへたてゝしくら河なつさひのほりひら瀬にはさてさしわたしはやせにはうをしつめつゝ月に日にしかしあそはねはしきわかせこ
   天離夷等之在者彼所此間 離家 經去 情 喧始音 安倍貫 遊波之母 立而叔羅 泝平 左泥 渡早湍 水烏 潜 和我
そここゝも同し心そ 同し夷中なれは越中越前も同し心そと也
家さかり年のへ 池主と家持初めは同国なりし今は越前に離れて居る心也
うつせみは 家持の身を云也
そこゆへに それ故に也
なく初聲を橘の 橘を玉にぬく比なく故初聲を玉にあへぬきといへる也
かつらきて かつらにして也薬玉の葛の心也
しくら河 八雲抄越中也
ひら瀬には 淺瀬也
しかし遊はね さやうにあそへと也其故に鵜をまいらすと也
はしき よしといふ心也
反歌
4190 しくら河せを尋ねつゝわかせこはうかはたゝさねこゝろなくさに
しくら河瀬を尋ね うかはたゝさねとは鵜河をたてよ心慰にと也
4191 ※[盧+鳥]河《うかは》たちとらさんあゆのしかはたはわれにかきむけおもひしおもはゝ
※[盧+鳥]河たちとらさん しかはたとはしかはそれが也はたは初也此鵜に鮎をとらせて其初尾は我にむけ与《アタ》へよと也
 
    詠ル2霍公鳥《ホトヽキス》并藤花ヲ1歌【一首并短歌 四月九日作之也】
大伴宿禰家持
4192 桃の花紅色ににほひたるおもわのうちに青柳の細き眉根をえみまかり朝影見つゝをとめらか手に取もたるまそ鏡ふたかみ山にこのくれの繁き谷邊をめすらめにあさ飛渡りゆふ月夜かそけき野邊に遥々になく霍公鳥|立《タチ》くゝと羽ふれにちらす藤浪の花なつかしみ引よちて袖にこきれつそまは染とも
    面輪 咲 ※[女+咸]嬬良我 持有真 盖上 呼等米 旦 暮 喧 觸 攀而 染
桃の花 おとめらか紅顔をいはんとていへり扨女の持たる鏡のふたかみ山とよみかけし也人面桃花相映シテ紅也
おもわの 見安云面の内也愚案顔の事也
青柳のほそき眉ね 芙蓉は如v面柳は似タリv眉ニ長恨哥
えみまかり 源氏末摘花にえみまけてと云たくひ只ほゝ笑心也
朝影見つゝ 下にまそ鏡といはんとて也
まそ鏡ふたかみ山 鏡に蓋《フタ》あれは也
このくれの茂き谷べ このくれ山越中の名所にや奥ニモこのくれの茂き尾上とよめり
めすらめに朝飛渡り 仙曰近臣の明れは君の召らんと急くやうに郭公の朝飛渡るとよめる也 かそけき 見安云かすか也 立くゝ 袖中抄ニ立くゝる心と云々藤の陰を立くゝるとて羽をふれて花をちらすと也
袖にこきれつ 袖にこき入也藤花を袖にこき入てよしや袖は染るともと也
反歌
4193 霍公鳥なく羽ふれにもちりにけり盛過らし藤なみの花 一云ちりぬへみ袖にこきいれつ藤浪の花
    鳴 觸 落 落
霍公鳥 なく羽ふれにも 羽ふれとは羽にふれてちる事也一云中の五文字よりかはれり心は長哥に引よちて袖にこきれつといへるに同
 
    更ニ怨《ウラムル》2霍公鳥|哢《ナクコト》晩《ヲソキヲ》1歌三首
大伴宿祢家持
4194 霍公鳥なき渡りぬと告れとも吾は聞つかず花はすぎつゝ
    喧
霍公鳥鳴わたりぬと 祇曰花の盛は皆過果て慰む方なきに郭公の初音をたに人傳にのみ聞て讀る誠に其感有て聞ゆ
4195 わかこゝたしのばくしらに霍公鳥いつへの山を鳴きかこゆらん
   吾幾許 不v知尓 伊頭敝能 可將v超
わかこゝたしのはく しのはくは忍ふ也戀る心也いつへの山見安ニは名所云々但いつくの山師説也
4196 月たちし日よりおきつゝうちしのひまてどきなかぬほとゝきすかも
    立之 敲自努比 霍公鳥
月立し日よりおきつゝ 仙曰霍公鳥は立夏日|來鳴《キタリナクコト》必定といへり今の哥も此心と聞えたり
 
    贈2京人ニ1歌【二首 為v贈2留女之女郎ニ1家婦所v誂作v之也女郎者即家持之妹】              大伴宿祢家持
4197 妹に似る草と見しより吾かしめし野邊の山吹誰かたおりし
    標 手
妹に似る草と見し 祇曰妹に似たるとは花によそへていへる詞也然は誰か手折しといふも人を妬む心也
4198 つれもなくかれにしものと人はいへとあはぬ日まねみおもひそわかする
    雖v云不v相 麻祢美念 吾為流
つれもなくかれにし 我を難面枯たりと人はいへと逢ぬ日隔て思ひをする物をと也
 
    四月十二日遊2覧シテ布勢水海ニ1船ヲ泊《ハテヽ》2於|多枯灣《タコノウラニ》1望2見テ藤花ヲ1各述テv懐ヲ作歌四首
大伴宿祢家持
4199 藤なみの影なる海の底清みしつく石(古來風―いそをも)をも珠とそわか見る
    成 吾
藤なみの陰なる 哥林良材云しつくとは石なとの波にゆられて顕れかくるを云也祇曰しつくとは沈むと云詞也此集ニ水底にしつく白玉誰故に心盡して我思はなくにとも讀り此哥心藤波の陰にあれは石をも玉と見るとよめり家持哥也仙同
 
                次官|内蔵忌寸《クラノイミキ》縄《ナハ》麻呂
4200 多枯の浦の底さへにほふ藤なみをかさしてゆかん見ぬ人のため
    加射之 將v去不v見 為
多枯の浦の底さへ 藤の影に水底も紫に匂ふと也此哥人丸集にも有縄丸詠吟せしか
 
                判官久米ノ朝臣廣縄
4201 いさゝかにおもひてこしをたこの浦にさける藤見て一夜へぬへし
    念而來之 多※[示+古] 開流 而 可v經
いさゝかに思ひて來しを 聊は少也少の程遊覧せんと思ひて來しを藤故に一夜へんと也
 
                久米朝臣繼麻呂
4202 藤なみをかりほにつくりあさりする人とはしらにあまとか見らん
    借廬 造灣廻(イウラワセル)為 不v知尓海部
藤なみをかりほに 藤を借廬にして遊興するをしらてあさりするに付て海士とや人の見んと也
 
    恨2霍公鳥不ヲ1v喧歌一首
                判官久米朝臣廣縄
4203 家にゆきてなにをかたらんあしひきの山ほとゝきすひとこゑもなけ
    去而 將v語 霍公鳥一音
家にゆきて何を 是も同遊覧の時の哥也けふの遊ひのしるしに聞まほしと也
 
    見ル2攀《ヨチ》折タル保寶《ホホノ》葉ヲ1歌二首
               講師《カウジノ》僧惠行
4204 わかせこか捧けてもたる保寶かしはあたかも似るか青ききぬがさ
   吾 持流 我之婆 盖
わかせこか捧《サヽ》けて 和名云厚朴ホヽカシハノ木あたかも宛の字也推量していふ詞也讀人講師とは國分寺の講師にや古は国々に国分寺有其講師一国の僧尼のつかさ也
                守大伴宿禰家持
4205 すめろきの遠き御代みよはいひき折《ヲリ》酒のむといふそ此ほゝかしは
   皇神祖 三世 伊布 飲等伊布曽 保寶我之波
すめろきの遠きみよ/\ 上古ニは此朴柏を盃にせしと也口訣
 
    還ル時|濱上《はまのほとりに》仰2見《アフキミル》月ノ光ヲ1歌一首
                守大伴宿禰家持
4206 しふたにを指てわかゆくこの濱に月夜あきてん馬しましとめよ
    吾行 停息
しふたにをさして 渋谷前ニ注国守の館への歸さのさま也見安云月夜あきてんとは月を見|飽《アキ》てゆかんと也しましはしはし也
 
    四月二十二日贈2判官久米朝臣廣縄ニ1霍公鳥怨ミ恨ル歌【一首并短歌】
大伴宿禰家持
4207 こゝにしてそかひに見ゆるわかせこかかきつの谷にあけされはならのさ枝にゆふされは藤の繁《シケ》みによそ/\になく霍公鳥わか屋戸のうへ木橘花にちる時をまたしみきなかなくそこはうらみすしかれとも谷かたつきて家居せる君か聞つゝつけなくもうし
   此間 所v見和我 垣都能谿 榛 狭 暮 遥々尓鳴 吾 殖 知流 不v怨 有 之
わかせこ 廣縄をさして云
かきつのたに 見安云外面の谷也垣津谷か
あけされは 明去者也夜明れは也こゝは廣縄か宿ニは聞事を云
よそ/\に 遠々にの心也
ときをまたしみ 橘ちる時にまだしけれは郭公鳴ぬも尤なれはそれは恨ず君がとく聞らんを我に告ざるかうきと也|未《マタシミ》
谷かたつきて 谷のかたによりたる心也垣津の谷といひし首尾也
    反歌
4208 わかこゝたまてと來なかぬ霍公鳥ひとり聞つゝつけぬ君かも
   吾幾許 不v鳴 不v告
わかこゝたまてと なか哥によみし心也
 
    四月二十三日和2家持ニ1詠ル2霍公鳥ヲ1歌【一首并短歌】
                 掾久米朝臣廣縄
4209 たにちかくいへはをれともこたかくてさとはあれともほとゝきすいまだきなかすなくこゑをきかまくほりとあしたにはかどにいてたちゆふへにはたにを見わたしこふれともひとこゑたにもいまたきこえす
たにちかく家は 家持の谷かたつきていへゐせるとよみし心也谷は郭公住へき所なれはかくよめり
木高くて里はあれとも 高木郭公宿るへき物なれは也
きかまくほりと きかまほしとてと也北国には今も郭公まれなりとそ
反歌
4210 ふちなみのしけりはすきぬあしひきのやまほとゝきすなとかきなかぬ
   敷治
ふちなみのしけりは 藤並の茂き盛りは過るまていかてか郭公のこぬそと也
 
    五月六日追テ和ス(同イ)2處女墓《ヲトメツカノ》歌ヲ1【一首并短歌】
大伴宿禰家持
追和2處女墓ノ歌ヲ1 此集第九に芦ノ屋の處女墓の哥有其故に追和と書り
4211 古《イニシヘ》に有けるわざのくすはしき事といひつぎちぬおとこうなひたけおのうつせみの名をあらそふと玉きはるいのちもすてゝあらそふにつまとひしけるおとめらが聞けは悲しさ春花のにほへさかへて秋の葉のにほひにてれる惜《ヲシ》き身のさかりなるすらますらおのこといたはしみ父はゝにまうし別ていへさかりへたに出立ち朝ゆふにみち來るしほのやへ浪になひく珠藻《タマモ》のつかのまも惜き命を露霜の過ましにけれおきつきをこゝに定めて後の代の聞つぐ人もいや遠にしのびにせよとつげをくししかさしけらしおひてなびけり
    久須婆之伎 言継知努 宇奈比壮子 競争 剋壽 相争 嬬問為家留※[女+咸]嬬等之 者 左 尓太要盛而 照有 壮尚大夫 語勞美 母 啓 而離家海邊 暮 満 潮 八隔 靡 節(イときの)間毛 奥墓 此間 而 継 黄楊小櫛 生而靡有
古に有けるわさ うなひをとめかしわさ九巻に委
くすはしき 見安云くはしき也又物くるはしきとも
うなひたけお 菟原男也
うつせみの 其身を云
春花のにほえさかえて うなひ乙女か若くさかりなる事を云也
ますらおのこといたはしみ 二人の男の争ひ夜はふをいたはり悲みてと也
父母に申別て 父母に断りて出て身なけし事也
へたにいてたち 海邊と書り大和物語には生田川に沈しと有両説か
やへ浪 波の数々よる心也
たまものつかのま 玉藻をつかぬるをそへて云時の間也イふしのま藻のなひきふすを添《ソヘ》たり
過まし 身まかりし事也露霜は諷詞也
いやとをに 後の遠き代まてにと也
つけをくししかさし 見安云|黄楊《ツゲ》の櫛《クシ》の生《ヲヒ》て木に成しといふ事也 哥林良材云塚の上につげの小櫛をさしたれは生付て有けるよし見えたり云々此哥也
反歌
4212 をとめらか後のしるしとつげ小櫛《ヲクシ》おひかはりおひてなびきけらしも
   乎等女等之 表 黄楊 生更生 靡
をとめらか後のしるしと 生《ヲヒ》かはり生てとは櫛なりしつげの誠のつげに生かはりおひてうちなびきしと也此集九ニ福丸の反哥に「つかのうへの木の枝なひけりきくがことちぬ男にしよるへけらしも
 
       贈ル2京ノ丹比ノ家ニ1歌一首
大伴宿禰家持
4213 あゆをいたみ奈呉の浦わによするなみいや千重しきに戀わたるかも
   安由 疾 廻 渡
あゆをいたみなこの あゆの風をいたみ也前ニ委注此哥序哥也波の千重しきるやうにしきりて戀わたると也
 
    五月二十七日|吊《トフラフ》3聟《ムコ》南《ミナミノ》右大臣|家《ケ》藤原ノ二郎カ之喪スルヲ2慈母《ジボヲ》1挽歌《ツキウタ》【一首并短歌】
                    大伴宿禰家持
南右大臣家 武智麻呂にや南家の祖也不比等の男也母は右大臣蘇(魚と禾逆)我羅自古ノ女椙子
4214 あめつちの初めし時にうつそみの八十伴《ヤソトモ》のおはおほきみにまつろふ物と定めたるつかさにしあれはすめろきのみことかしこみひなさかる国を治むと足日木《アシヒキ》の山河へたて風雲にことはかよへどたゞにあはぬ日のかさなれは思ひ戀ひいきつきをるに玉ほこの道來る人のつてことに吾《ワレ》に語らくはしきよし君はこのごろうらさひてなけきそいます世間《ヨノナカ》のうけくつらけくさく花も時にうつろふうつせみもつねなくありけりたらちねのおものみことなにしかも時しはあらんをまそ鏡見れともあかす珠《タマ》の《ヲ》のおしき盛《サカ》りに立霧の失《ウセ》ゆく如く置露の消ゆくかことし玉藻なす靡《ナヒキ》きこひふしゆく水のとゝめもえすとまかことや人のいひつるさかことを人の告つるあつさゆみつまよる音のとを音《ヲト》にもきけは悲み庭たつみなかるゝなみたとゝめかねつも
   天地從(曲イ)宇都曽美 男 大王 有官 在者天皇之命恐夷放 阻 言者雖v通止不v遇 累者 氣衝居 鉾 傳言 比來 嘆息 開 毛 無v常 足千根之御母之命何如可毛 將v有 不飽 惜 去 去之如 成 臥逝 留不v得 枉言哉 之云 逆言乎 梓弧 爪夜 之遠 聞者 多豆水流涕留
うつそみの伴のお 現身の八十伴男也群臣をやそとものおと云也
まつろふ 日本紀順マツロフ
つかさにしあれは 君にしたかふ物と定置たる官人そと也是家持受領申前の事を讀給ふ也
風雲にことはかよへと 便風朶雲ことは京都にかよへともと也
たゝにあはぬ 藤原二郎母なとに不逢也
はしきよし 君をほめて云詞也二郎の母の思ひにて有事也
たらちねのおもの命 慈母を喪するを吊心也おもは御母と書
時しはあらんを 老後は是悲なし盛りの齢に失しを時しもあらんをと云也
玉藻なす 靡きの諷詞也なひきこひふしは打ふしたる心也
まかことや人のいひつる すくなる事にあらぬ枉言を人のいひたるかと也
梓弓つまよる音 遠くきく諷詞也
庭たつみ 流るゝといはん諷詞也
    反歌
4215 遠をとにも君かなげくと聞つれはねにのみなかるあひおもふわれは
    痛念 哭耳所v泣相念吾者
遠をとにも君か あひおもふとは二郎君とゝもに彼慈母の事を思ふ心にや君とは二ら君也
4216 世のなかの常なきことは知《シル》らんをこゝろつくすなますらおにして
    間 無v常 情盡莫大夫
世のなかの常なき 大夫としては世の無常はのかれぬ道理は弁へ知らんをさのみは心を盡し歎くなと慰めいさむる心也
 
    霖雨《ナカアメ》晴《ハルヽ》日《ヒ》作レル歌一首
大伴宿祢家持
4217 うの花をくたすながめのみつはなによるこつみなしよらんこもかも
    令v腐霖雨 始水逝縁木積成將v因兒
うの花をくたすなかめ 卯花くたしとて四五月比の長雨也みづばなとは水ノ出ばな也イニ水まさりと和ス同義也こつみは見安云木葉の水に流るを云哥林良材云水による芥也愚案こつみのよることくよりこん女子もがなと也木積の義哥林可用か
 
    五月見2漁父《イサリ・キヨフ》ノ火《ヒノ》光ヲ1歌一首
大伴宿禰家持
4218 しびつくとあまのともせるいさり火のほにかいでなんわがしたおもひを
   鮪衝(イカニサスト) 海人燭有伊射里 保尓可將v出吾之下念乎
しびつくとあまの 序哥也心明也和名云鮪一名黄頬魚シビ尓雅云大ヲ為2王|※[有+魚]《イ》1小ヲ為2叔《シク》鮪ト1ほに出るは顕るゝ心也
 
     六月十五日見ル2芽子《ハギノ》早花ヲ1歌一首
大伴宿禰家持
4219 わか屋戸のはきさきにけり秋風のふかんをまたはいととをみかも
    芽子開 將v吹 待者 遠
わか宿の萩咲にけり 秋風を待て咲は遠けれは今さくかと也
 
    從《ヨリ》2京師《ミヤコ》1來2賜《コシタマフ》女子大孃《ムスメノヲトメニ》1歌【一首并短歌】            大伴氏ノ坂ノ上ノ郎女
4220 わたつみのかみのみことのみくしげにたくはひをきていづくとふたまにまさりておもへりしあがこにはあれどうつせみのよのことわりとますらおのひきのまに/\しなさかるこしちをさしてはふつたのわかれにしよりおきつなみとをんまよひきおほふねのゆくら/\におもかげにもとな見えつゝかくこひばをいつぐあがみけだしあへんかも
    美久之宜 等乎牟(イつ)麻欲(イ不)妣伎
みくしけ 見安ニはみくしきと和ス櫛笥也云々
たくはひをきて 仙曰貯置也タクはヘヲキ也
いつくとふたま いつきかしつくといふ玉也
あがこ 大孃を云坂上郎女のむすめ家持の妻也
ますらおのひきのまに/\ 夫《ヲツト》にひかるゝまゝにと也三從のことはりにて嫁シテは從《シタカフ》v夫ニなれは家持の受領し給ふにより越中に大孃の行し事也
とをんまよひき 遠く迷ひき也はふ蔦沖つ波は皆諷詞也
ゆくら/\に ゆく/\まゝによしなく俤に立也大船は諷詞也
をいつぐ 見安云老に成也
けだしあへんかも 蓋老に弥あへてならんと也
    反歌
4221 かくはかり戀しくしあらはまそかゝみ見ぬ日ときなくあらましものを
    古悲之久
かくはかり戀しくし 朝夕逢みてのみ有て別まじき物をと也見ぬ日見ぬ時なく也
 
    九月三日宴スル歌二首
           掾久米朝臣廣縄
4222 このしぐれいたくなふりそわきもこにみせんがためにもみぢとりてん
    之具礼 母美知
この時雨いたくな降そ もみち取てんは折なむといふに同し
 
守大伴宿禰家持
4223 あをによし奈良びと見んとわがせこかしめけんもみちつちにおちめやも
あをによしなら人 なら人のしめ領したりけん紅葉の地におちんはおしとの心也
 
      幸ノ2芳野《ヨシノヽ》宮ニ1之時|御作《ミツクリノ》歌【一首 年月未v詳十月五日河邊朝臣東人傳テ誦スト云尓リ】
               藤原ノ皇后宮
藤原皇后宮 光明后宮是也不比等の御女也東人の傳へとなへて此皇后の御哥と唱傳へて語し故載之と也
4224 朝霧のたなびく田ゐに鳴鳫をとゞめ得てんや吾|屋戸《ヤト》のはぎ
    引 為 留 波義
朝霧のたなひく 田井の鳫の面白きを宿の萩とゝめんやと也萩も面白きに鳫もめでゝ飛行ましきやとの心なるへし
 
      十月十六日餞スル2朝集使少目|秦《ハタノ》伊美吉《イミキカ》石竹《ナテシコヲ》1時作歌一首 
                 大伴宿祢家持
朝集使 續日本紀ニ有
4225 足日木の山の黄葉《モミチ》にしづく相《アヒ》てちらん山ちをきみがこえまく
    將v落 道 公之超
足ひきの山のもみちに 仙曰山の雫とゝもに紅葉のちらん山路を君か越いなん事を悲く思ひやりて讀る也祇同
 
    十二月雪ノ日作レル歌一首
大伴宿祢家持
4226 此雪のけのこる時にいさかへな山たちはなのみのてるも見ん
    之消遺 尓去來歸奈 橘之實光毛將v見
此雪のけのこる時に 此雪の消盡さぬ程にいさ歸京せん故郷の山橘の實のあかくてるを行みんと也六帖哥に「けのこりの雪にあひたる足引の山橘をつとに包《ツヽ》めり此集の此哥をとれるにや
 
     承テ2贈《ゾウ》左大臣ノ卿《キミノ》之命ヲ1作レル歌【一首并短歌 傳ル者は笠ノ朝臣子君後ニ傳讀者は越中國ノ※[手偏+丞]久米朝臣廣縄也】
                 三形沙彌
4227 大殿の此もとをりの雪な踏《フミ》みそねしば/\もふらざる雪そ山のみにふりし雪そゆめよるな人やなふみそね雪は
    廻 莫 禰數毛不v零 耳 零之 莫履 祢       莫履祢 雪者
大とのゝ此もとをりの 大殿は贈左大臣を云此もとをりとはこのめくりの雪也山のみ降て大切の雪なれは努々人もよるなふむなと也
    反歌
4228 有つゝもお見ゝたまはんぞ大とのゝ此もとをりの雪なふみそね
    御見(イきみ見)多麻波牟曽
有つゝもお見ゝ給はん 見安云おみゝ給はんは見給はんそ也愚案大とのゝといふより下は長哥とおなし心也此哥京にての事なるへし
 
     天平勝寶三年正月二日守ノ舘《タチニシテ》集宴ス於ニv時|零《フル》雪殊ニ多シテ積ムコト有2四尺《ヨサカ》1焉即主人作ル2此歌ヲ1一首
                大伴宿祢家持
4229 新しき年の初めはいやとしに雪ふみならし常かくにもが
    弥年 蹈平之 如v此
新しき年のはしめは 雪ふみならして面白けれはいよ/\毎年のはしめにはつねにかくあるよしもがなと也
 
     正月三日|會2集《アヒツトヒテ》介内蔵ノ忌寸縄麻呂之舘ニ1宴樂スル時作歌一首 
                  大伴宿祢家持
4230 ふる雪を腰《コシ》になづみて参りこししるしもあるか年の初めに
   落 來之印 有香
ふる雪をこしになつみ 腰になつみてとは腰たけの雪をなつみつゝ來ししるしにけふの宴樂の興ありと年始に悦ふ心也仙曰雪中の会集に飲樂の心のうた也
 
   正月三日積テv雪ヲ彫《エリ》2成ス重ナル巌《イハホノ》之|趣《ヲモムキヲ》(起イ)1奇巧《キコウ・アヤシキタクミ》綵2發《イロトリヲコス》草樹之花ヲ1属《ツキテ》v此作レル歌二首        掾久米朝臣廣縄
積v雪彫2成重ル巌之|趣ヲ1 雪にていはほのかさなれるおもむきをえりなせるにや
奇巧綵發 草木の花を作いろとりしにや
4231 なてしこは秋さく物を君かいへの雪は(イの)いはほにさけりけるかも
    咲 宅 巌
なてしこは秋さく 仙覚は作物の撫子をよめる由をいへり然ニ祇曰此哥は縄丸の館にて雪の降たる日庭もをのつからあらぬ様を作たるやうにみえて草木にも花咲たるやうなるを久米朝臣廣縄か讀り云々可随所好歟
 
                遊行女婦|蒲生娘子《カマフノヲトメ》
4232 雪嶋《ユキシマ》(イゆきのしまの)のいはほにおふるなてしこは千世にさきぬか君かかさしに
    巌 殖有 開(イさか)奴可 挿頭
ゆきしまのいはほに 祇曰其所を祝ひて千世にさけかしとよめり雪嶋は所の名には有へからす庭の雪をかくよめり仙曰愚案越中の雪嶋名寄にも家隆の哥にも有祇注の心は庭雪を其名所の名にてよめりと也
 
    正月三日諸人酒|酣《タケナハニシテ》更《カウ》深《フケ》鶏鳴ク因テv此《コレニ》主人作歌二首          内藏伊美吉縄麻呂
4233 うち羽ぶりとりはなくともかくばかりふりしく雪に君いまさめやも
   打 振鶏 鳴 如此許零敷
うち羽ぶりとりはなく 鶏の鳴時羽たゝく心也ふりしくは降しきる也
 
    和《カヘシスル》歌       守大伴宿祢家持
4234 なくとりはいやしきなけどふる雪の千重につむこそわれたちかてね
   鳴鶏 弥及鳴 落 積 吾等立可(氏/一)祢
なくとりはいやしき 鳥は弥頻なけと雪の千重つむにこそ我立かねたれと也雪によせて猶入興の心也
 
    奉ル2天皇1歌一首 掾久米朝臣廣縄傳2誦ス之1   
            太上大臣藤原家之|縣犬養命婦《アカタイヌカヒノミヤウフ》
4235 あま雲をほろにふみあたしなる神もけふにまさりてかしこけめやも
   天 富呂(イふろ)尓布美安太之鳴 今日 益而
あま雲をほろにふみ 見安云ほろ/\とふみ渡しと云心也仙曰ふみあたしは蹈渡りなり童蒙抄云ふろに蹈あたしとは天雲を晴に出してなるといふにや愚案かしこけめやもは恐しからんや也
 
    悲2傷《カナシミイタム》ス死妻ヲ1歌一首并短歌 遊行ノ女婦蒲生傳誦ス
作者未詳
4236 あめつちの神はなかれやうつくしきわか妻はなるひかるかみなるはたおとめたつさへてともにあらんと念《ヲモ》ひしにこゝろたがひぬいはんすへせんすへしらに木綿《ユフ》たすき肩に取かけしづぬさを手に取持てなさけそとわれはいのれど巻て寝し妹かたもとは雲にたなひく
   天地 無可礼也愛(イめつらしき)吾 離 光神(イいかつちの)鳴(イなり)波多※[女+咸]嬬携手(イてたつさへて)共將v有 情違奴將v言為便將v作為便不知尓 手次 掛倭文幣 勿令離等 雖v祷 而 之 手本
あめつちの神もなかれや 天神地祇もなきやと妻のうせ離しを恨む也
なるはたおとめ 見安はたはよみつゝくる也いかつちのやうにきこえたると云心也師説鳴はたゝくをいひかけてなるはたは妻の名にや
こゝろたかひぬ 本意たかひたりと也
しつぬさ 四手幣也
なさけそと 吾妻離れしめ給ひそと也
    反歌
4237 うつゝにとおもひてしがも夢のみにたもとまきぬと見れはすへなし
   寤尓等念※[氏/]之可毛 耳尓手本巻寐等見者須便
うつゝにと思ひてしがも 現に妹と袖巻て寝ると思はまほしきと也下句は心明也
 
    二月二日會2集《アヒツトヘル》于守ノ舘ニ1宴ニ作レル歌【一首 判官久米ノ朝臣廣縄以2正税帳ヲ1應v入2京師1仍作2此歌1也】
                守大伴宿禰家持
4238 君かゆきもしひさにあらは梅柳誰とゝもにかわかかつらせん
    之徃若久 有婆 與共吾縵可牟(イかん)
     越中ノ風土梅花柳|絮《シヨ》三月ニ初テ咲耳
君かゆきもし久に 久米廣縄上京久く逗留あらは梅柳も誰とゝもにかつらにかけもてあそはんと也イかつらかむはかつらにかけんと也越中寒国故梅柳二月ニは未翫ふへからねは也
 
    四月十六日詠ル2霍公鳥ヲ1歌一首
                守大伴宿禰家持
4239 ふたかみのおのへのしゝにこもにしはほとゝきすまてといまた來なかす
   二上 峯於乃繁 許毛尓之波霍公鳥待騰未來奈賀受
ふたかみのおのへの 見安云おのへのしゝ山の茂み也こもにしはとは籠りにしかは也愚案子規のこもりしとの心也
 
    春日祭神ノ之日即|賜《タマフ》2入唐大使藤原ノ朝臣清河ニ1御作《ミツクリ》歌【一首 参議從四位下遣唐使】          藤原太后 光明子不比等女
入唐大使藤原朝臣清河 續日本紀十八曰天平勝寶二年九月己酉任ス2遣唐使ヲ1以2從四位下藤原朝臣清河ヲ1為2大使ト1從五位下大伴宿祢古麻呂為ス2副使ト1判官主典各四人
4240 おほふねにまかちしゝぬき此あこをからくにへやるいはへ神たち
   大船尓真梶繁貫 吾子乎韓國邊遣伊波敝 多智
おほふねにまかちしゝ 清河は太后の甥《ヲイ》なれは此|吾子《アコ》と讀給ふ春日は氏神なれは祈給ふ心也
 
    和スル歌        大使藤原朝臣清河 房前四男参議
4241 春日野にいつくみもろの梅の花さきてありまてかへり來るまて
    三諸 榮而在待(イまち)還
春日野にいつくみむろ いつくみもろはいつきまつる御社也ありまては有て待てと云也
 
    大納言藤原卿ノ家ニ餞《ヲクル》スル2入唐使|等《ラヲ》1宴ノ日作レル歌三首               大納言藤原卿 房前不比等男
4242 天雲のゆきかへりなんものゆへにおもひそわかする別れ悲み
    去還 念 吾為流
天雲のゆきかへりなん 遣唐使の行歸は無為なるへき物からと也
 
    民部ノ少輔《セウ》丹治《タチノ》真人土(古イ)作
4243 すみの江にいつくはふりが神ごとゝゆくともくとも船は早けん
   住吉(イよし)尓 祝之 言 行得毛来等毛
すみの江にいつく 見安云神言託宣也愚案住吉に斎き祭る祝子か託宣とて清河入唐の徃來無為に舟早からんと也住吉は神功皇后の御時にも舟を守給ふ神也
 
                大使藤原朝臣清河
4244 荒|玉《タマ》の年の緒《ヲ》長くわかおもへるこらにこふへき月|近附《チカツキ》ぬ
    吾念有兒等 可v戀
あら玉の年のを 多年相みんと思ふ子等に別れて戀ん月日の近付しと也入唐の近く成し心也
 
     天平五年贈ル2入唐使ニ1歌一首并短歌  作者未詳
4245 そら見つ山跡の国の青丹よしならのみやこゆをしてるや難波にくたり住の江の三津にふなのりたゝ渡り日の入国につかはされわかせの君を懸まくのゆゝしかしこき墨えのわかおほみ神ふなのへにうしはきいましふなともにみたちいましてさしよらん礒の崎々こきはてん泊々に荒き風浪にあはせす平けくゐてかへりませもとのみかとに
   虚見都 平城京都由忍照 吉(イよし) 船 直 所v遣和我 麻久 恐伎 吉 吾大御 舶乃倍 座船 御立座而 久率而 國家(みやこイ)
ならのみやこゆ やまとのならより難波にくたり三津より舟にのり入唐のさま也
日の入国 唐は西なれは也
わかせの君 入唐使を云
かけまくのゆゝし 住吉を恐貴む詞也
ふなのへに 舳艫に虫《ウジ》の涌やうにのりうつりたちおはしましてと也
こきはてん 榜泊也
もとのみかとに 本朝と云事也此人を無為に神ゐておはせと也
    反歌
4246 おきつ浪へ波なこしそ君かふねこきかへり來て津にはつるまで
   奥 邊 莫越 之舶 而 泊(イとまる)
おきつ浪へなみ 歸朝の津に舟とむるまて礒波奥波あらくあるなと也
 
    遣《ツカハス》v唐ニ時奉v母ニ悲別ノ歌【一首   越中ノ大|目《サクはン》高安ノ倉人種麻呂傳誦】      阿倍朝臣|老《ヲヒ》人
4247 天雲のそきへのきはみわか念《ヲモ》へるきみにわかれん日は近つきぬ
    吾 有伎美 將v別 成奴
天雲のそきへのきはみ 雲のそこのきはまりにおもふとは至て深く思ふ心也母を思ふ事をいふ也下句は心明也
 
    七月十七日|遷2任《センニンス》少納言ニ1仍作テ2悲別ノ歌ヲ1贈2貽《ヲクリノコス》朝集使掾久米ノ朝臣廣縄カ之館ニ1歌【二首 八月四日贈之】
大伴宿祢家持
 既満テ2六載ノ之期ヲ1忽|値《アフ》2遷替《センタイノ》之運ニ1於v是別ルv舊キニ之|悽《カナシミ》心中ニ欝結《ウツケツ》シテ拭《ノコフ》v※[さんずい+帝]ヲ之袖何以能ク旱《カはカン》因テ作テ2悲ミノ歌二首ヲ1以|遺《ノコス》2莫レノv忘ルヽコト之志ヲ1 其詞ニ曰
遷2任ス少納言ニ1 家持卿越中守より少納言にうつり任して上京し給ふへけれは也
朝集使 廣縄か職にや
既満テ2六載ノ之期ヲ1 奥の哥には五とせとみゆたとへは受領の年ノ八月に來て歸る八月迄は前後六年也然とも実は五年なるへし
遷替 他官にうつりかはる事也
4248 荒玉《アラタマ》の年の緒《ヲ》長く相見てしかの心引きわすられめやも
    彼(彼イその・古來風かの) 引將v忘也毛
あらたまの年のを長く 彼心引とは六年かほと久く相見し其心引を忘られめや忘らるましきと也
4249 伊波世《イはセ》野に秋はぎしのぎ馬(古來風―こま)なめてはつとがりだにせてやわかれん
    芽子 並始鷹(イこたか)(古來風―はつとかり)猟太尓不v為哉將v別
いはせ野に秋萩 いはせ野仙曰越中国愚案馬並ては廣縄なと伴ふ心也はつと狩は初鷹と同夏の程鳥屋に在て望(?)後より狩し初るを云
 
   便《スナハチ》附テ2大帳使ニ1取テ2八月五日ヲ1入ル2京師ニ1 因テv此ニ以2四日ヲ1設《マウク》2國ノ厨《クリヤノ》之饌ヲ1於2介内蔵伊美吉《クラノイミキ》縄麻呂《ナハマロカ》舘ニ1餞《ヲクリスル》之時作歌一首 
                  大伴宿禰家持
設2國ノ厨ノ之饌ヲ1 越中の国府のくりやにてあるしする也
4250 しなさかるこしに五とせ住/\てたちわかれまくおしきよひかも
    越 五箇年 而立別 惜初夜
しなさかる越に五年 明日上京の名残をおしめる心也
 
    八月五日平旦上道ス仍國司次官已下ノ諸ノ僚《ツカサ》皆共視送ル於v時射水ノ郡ノ大領|安努《アノヽ》君《キミ》廣嶋門前ノ林中ニ預《カネテ》設ク2餞饌ノ之宴ヲ1 時ニ和ス2内蔵ノ伊美吉縄麻呂カ捧ルv盞《サカツキヲ》之歌ニ1一首
               大帳使大伴宿祢家持
國司次官 國司は新司也次官は介也縄丸なるへし
已下諸僚 掾|目《サクハン》等也
大帳使 新司來れは家持を大帳使といへり任国のほとの勘定帳の心なるへし
4251 玉|鉾《ボコ》の道に出立ゆくわれはきみかことゝをおひてしゆかん
    徃吾者公之事跡乎負 將v去
玉鉾の道に出たち 見安云公の事とは君か事とも云也愚案大帳使は次官以下迄の勘定を勉れは縄丸等の事ともをも負て上京する心なるへし
 
    事|畢《ヲハリテ》退《マカルニ》v任ニ適|遇《アヒス》2於越前國ノ掾大伴ノ宿祢池主之舘ニ1仍共ニ飲樂ス也于v時|矚《ミル》2芽子《ハキノ》花ヲ1歌一首                   正税帳使掾久米朝臣廣縄
事畢テ退v任 廣縄は二月三日正税使にて上京の事前に有其事おはりて越中に歸時越前掾池主か館にて適家持の上京に行逢て飲樂すると也
4252 君か家にうへたるはぎのはつ花を折てかざしなたひわかるどち
    殖有芽子 始 而挿頭奈客別度知
君か家にうへたるはき 君は池主を云也かささなはかさゝなん也旅別るとちとは家持は上京我は下向を云
 
    和スル歌           大伴宿祢家持
4253 たちてゐてまてど待かね出てゝこし君にこゝにあひかさしつるはき
   立而居而待登 於是相(イをしみて)挿v頭 波疑
たちてゐてまてと 国にて立居に待たれと猶待かねてここまて出て來しと也
 
    向《ナン/\トシテ》2京路《ミヤコニ》上《ノホルニ》1依テv興ニ預《カネテ》作ル2侍テv宴ニ應スルv詔リニ歌1一首并短歌
                   大伴宿祢家持
4254 あきつ島|山跡《ヤマト》の国をあま雲にいは舟船浮けてともにへにまかいしゝぬきいこぎつゝ国見しせしてあもりましはらひたいらげ千代かさねいやつぎ/\にしらしくるあまの日つきと神ながらわがおほきみのあめのしたおさめたまへは物のふの八十友《ヤソトモノ》のおをなで給ひとゝのへ給ひをし国も四方の人をもあてさはずめぐみ給へはむかしよりなかりしみづもたひみねく申給ひぬこまぬきて事なき御代とあめつちの日月とゝもに萬世にしるしつがんぞやすみしるわかおほきみは秋|花《はナイはキ》のしかいろ/\に見え給ひ明らめ給ひさかみつきさかゆるけふのあやにたふとさ
   蜻 天 磐 真可伊繁貫(イしけぬき) 看之勢志※[氏/] 掃平 累弥嗣継 所知來(イしろしける)天之 継 吾皇 天(イあまの)下治賜者 乃布    能 雄 撫賜 賜食 ※[立心偏+民]賜者從2古昔無利(イかゝなき) 瑞多婢末(イ末)祢久 手拱而 無 天地 記續 八隅知之吾大皇 之我色色 賜 酒見附榮流今日 貴左
いはふねうけて 是|饒速日《ニキハヤヒノ》命|天《アマ》くたり給ひ神武天皇此国の主と成給ひし事を云日本紀三曰東ニ有2美地《ヨキクニ》1青山|四《ヨモニ》周リ其中ニ亦有2乗v天磐舟ニ飛下ル者1余《ワレ》謂《ヲモフニ》彼|地《クニ》必ス當《ヘシ》足《タンヌ》以|恢弘《ヒロメ》天ノ業《ヒツキヲ》光2宅《ミチヲルニ》天下ニ1蓋シ六合《クニノ》之|中心《モナカ》乎厥飛下ル者は謂フニ是饒速日カ歟これ神武の御ことは也
国見しせして 国見して也又日本紀三曰登テ2腋上《ワキカンノ》※[口+兼]間《ホウマノ》丘1而|※[しんにょう+回]2望《メクラシミテ》國ノ状ヲ1曰ク妍哉《アナニエヤ》乎國ヲ之|獲《エツ》矣又曰饒速日ノ命乗テ2天ノ磐舟ニ1而|翔《メクリ》2行テ太虚《ヲホソラヲ》1也睨テ2是ノ郷ヲ1而降リタマフ之故ニ因テ目《ナツケテ》之曰フ2虚空見《ソラミツ》日本國《ヤマトノクニト》1矣前ニ注
あもりまし 守り也或は天降ましてと也
はらひたいらけ 見安云悪神を拂ひのくる也愚案中臣祓ニ國中に荒振《アラフル》神たちを神とはしに問《トは》したまひ神拂ひに拂ひ給ふ日本紀一にも此事あり やそとものおをなて給ひ 見安云なつけさせ給ふ也 とゝのへ給ひ もろ/\をおさめとゝのへ和平ならしむる也
あてさはす 仙わつらはさすと云也見安同 なかりしみつ みつは瑞祥也たとへは世おさまらさりし時は終に見ぬ鳥獣も治世に出し心也
たひみねく 仙云たゆみなく也見安ニは多婢末祢久《タヒマネク》絶ぬ也両義未決
こまぬきて事なき御代 干戈兵仗をも動さす手を拱《コマヌキ》て無為ナル也
天地の日月とゝもに 文選卅九屈原九哥云|与《トモニ》v天地ト1兮|比《タクラヘ》v壽ヲ与ニ2日月ト1兮|齊《ヒトシウス》v光
さかみつき 栄るの諷詞也 帝王の万機の政を色々に見分明らめて栄給ふ心也
     反歌
4255 あきの花くさ/\にあれと色ことに見しあきらむる今日の貴《タフト》さ
   秋時種尓有 別 之明
あきの花くさ/\に 長哥に秋花のしか色/\に等いへる心也万機を照し給ふ心なるへし見しのしは助字也
 
    為《タメニ》v壽《コトフキセシ》2左大臣橘ノ卿ヲ1預《カネテ》作レル歌一首                  大伴宿禰家持
4256 いにしへに君かみよへてつかへけりわかおほきみはなゝよまうさね
   古昔 三代經仕 吾大主(イ主ぬし) 七代申祢
いにしへに君かみよへて 是は諸兄公の親母縣犬養橘宿祢事にや續日本紀十二曰上ミ歴2浄御原ノ朝廷《ミカト》ヲ1下モ逮《ヲヨフ》2藤原ノ大宮ニ1事《ツカヘ》v君致v命ヲ移シテv孝ヲ為スv忠ヲと表の文に見ゆ天武持統文武三代につかへしにや其故橘姓を給ふ諸兄公なれは七代迄仕申給へと也諸兄公は葛城王なれはわかおほきみはと云か
 
    十二月二十日於2左大弁紀ノ飯《イヒ》麻呂ノ朝臣ノ家ニ1宴スル歌三首
               作者未v詳【治部卿舟王傳2誦之久迩ノ京都ノ時ノ歌】
4257 たつかゆみ手にとり持て朝がりに君は立いぬたなくらの野に
   手束 取 而 猟 去 多奈久良能
たつか弓手に取持て 仙曰手束弓或抄に云たつかゆみとはとつかを大きに巻し弓を云と云リ然とも手に取をたつかといへるにや此集五ニたつか杖と有も手に取てつきし杖也愚案たなくらのゝ延喜式云山城|綴喜《ツヽキノ》郡|棚倉《タナクラノ》社此所か
 
               作者未詳【左中弁中臣朝臣傳誦古京時歌】
4258 あすか河かはとを清みをくれゐてこふれはみやこいやとをぞきぬ
   明日香河戸 後居而戀者京弥遠曽伎奴
あすか河かはとを 古京ノ時ノ哥ト云々あすかは皇極の帝都也新京ニモ未v移|後《ヲク》れゐし人の都の様遠さかるを讀る也
 
      當時《ソノカミ》矚《ミテ》2梨《ナシノ》黄葉《モミチヲ》1作レル歌一首
               少納言大伴宿禰家持
4259 かみなつきしぐれのつねか吾せこかやどのもみちはちりぬへくみゆ
   十月之具礼 常 屋戸 黄葉可v落所見
かみな月時雨の常か 我せこは飯丸を云時雨の常として散す心也
 
    壬申ノ年ノ之亂|平定《ムケシツマレル》以後《ノチノ》歌二首
               大將軍|贈《ソウ》右大臣|大伴《トモノ》卿
4260 おほきみは神にしませはあかこまのはらばふ田井をみやことなしつ
   皇 座 赤駒 腹波布 為 京師
おほきみは神にし 題壬申年の乱とは天武天皇の大伴皇子と戦《タヽカ》ひ給ひし白鳳元年壬申の年なるへし哥の心は駒のはらばひ伏たりし田も帝の御威光に京となりしと也天武帝御運を開せ給ひ大和高市郡飛鳥清見原の宮におはしましたる心なるへし旅人卿の哥也
作者未詳
4261 おほきみは神にしませは水鳥のすだくみぬまをみやことなしつ
   大王 座 水奴麻 皇都 成通
おほきみは神にし 君はゆく所に幸有といへり誠に水沼も都となるは神徳なるへし
 
    閏三月於2衛門ノ督《カミ》大伴《トモノ》古慈悲《コシヒノ》宿祢ノ家ニ1餞《ヲクリスル》2入唐副使同ク胡《エヒス》麻呂ノ宿禰等ヲ1歌二首
      壽《コトフキス》2副使|大伴《トモノ》胡ス麻呂ノ宿禰ヲ1
                    多治比ノ真人《マツト》鷹主《タカヌシ》
同胡麻呂 同姓胡丸なり前ニ注
4262 からくにゝゆきたらはしてかへりこんますらたけをにみきたてまつる
   韓國
からくにゝゆきたら ますらたけおはますらおのたけきおのこと胡《エヒス》まろをほめし詞也ゆきたらはして歸りこん祝言也|行足《ユキタラはシテ》のこゝろ也
4263 くしも見じ屋なかもはかじ草枕たびゆくきみをいはふともひて
   梳毛見自 中 自久左麻久良多婢
くしも見じ屋中も 仙曰人の物へありきたる跡には三月は家の庭はかすつかふ櫛を見ずと云事のある也愚案祝ふともひては思ひて也
 
   勅《ミコトノリシテ》2從四位上|高麗《コマノ》朝臣福信ニ1遣《ツカハシテ》2於難波ニ1賜フ2酒肴ヲ入唐使藤原清河等ニ1御歌一首并短歌
天皇
天皇 聖武なるへし
4264 そらみつやまとの国は水のうへはつちゆくことく船の上は床にます如くおほ神のしづむる国ぞ四つのふねふなのへならへ平らけくはや渡り來てかへり事まうさん日に(句)あひのまん酒そこの豊《トヨ》みきは
   虚見都山跡 上 地徃如 座 大 鎮在 舶舶 倍 平安早 還 奏 相飲 豊御酒者
水の上は地行如く船の上は 日本は神國なれは水上舟中恐れなく神ノ守護ある国と也
四つの船《フネ》 大使副詞判官主典此四人の船也
ふなのへ 四舶の舳を双へて何も無事にわたり來てと也
まうさん日に 句ヲ切
とよみき 酒を祝ふ詞也
    反歌
4265 四つの舶早かへり來《コ》としらかつきわか裳のこしにしてつゝまたん
    還 等白香著(八け)朕 裙(イすそ)尓 鎮而將待
四の舶《フネ》はやかへりこと 八雲御抄云しらかつけといふも木綿也采葉云しらかは白き四手也愚案遣唐使早く歸朝せよとて白か取してゝ祈つゝ待せ給はんと也
 
    為メv應センv詔ニ儲《マウケ》作ル歌一首并短歌
大伴宿祢家持
4266 あしひきのやつおのうへのとかの木のいやつぎ/\に松か根の絶る事なく青丹よし奈良のみやこに萬代に国しられんとやすみしる吾かおほきみの神なからおもほしめして豊《トヨ》のあかり見せます今日はものゝふの八十|伴《トモ》のおの嶋山にあかる橘うすにさし紐《ヒモ》ときさけて千年ほきほきゝとよもしゑら/\につかへまつるを見るがたふとさ
    八峯 都我 伊也継々 京師 所v知 安美知之 大皇 宴 為 雄 宇受 指 解放而 保伎々々吉 恵良々々 仕奉 貴者
とかの木の 継々といはん諷詞前ニ注
松か根の 絶る事なくの諷詞也
国しられんと 奈良の都にて継々絶す万代に国をしらせ給はんとおほしめしてと也
とよのあかり 節會とも宴とも書群臣に酒肴を給り祝はせ給ふ事也
嶋やまにあかる橘 橘は蓬莱山に色付故也見安云|赤《アカル》橘也
うすにさし 日本紀云|髻萃《ウス》此《コヽニは》云2于※[歿の偏+恵]《ウスト》1云々見安云うすは頂《イタヽキ》のかさり也
千年ほき 日本紀ニ※[示偏+公/八]《ホキ》と書千歳と祝ひ祝ふこゑとよむ心也とよもしは動の字也
ゑら/\ 延々《エラ/\》也延命に也
    反歌
4267 すめろきの御代萬代にかくしこそ見せあきらめゝ立年のはに
    如v是許曽 葉
すめろきのみよ万代に 毎年豊明を万代まてみせさせ給はめと也
 
  天皇|太后《ヲホキサイ》共ニ幸キスル2於大納言藤原卿之家ニ1日|拔《ヌキ》2取テ黄葉《モミツル》澤蘭《サハアラヽキ》一|株《モトヲ》1令《シテ・シメ》d2内侍佐々|貴《キ》山ノ君《キミヲ》持タuv之遣2賜《ツカはシタマフ》大納言藤原卿并ニ陪從《ハイシウノ》大夫等《マチキンタチニ》1御歌一首 命婦誦スv之
天皇
天皇太后 聖武帝光明后宮なるへし
大納言藤原卿 房前か
4268 此里はつきて霜やをく夏の野にわか見し草はもみちたりけり
    者継而 哉置 尓吾 之 波
此里はつきて霜や 打つゝき霜や置と也
 
    十一月八日在2於左大臣橘朝臣ノ宅ニ1肆宴《トヨノアカリスル》歌四首
                      太上天皇御製
4269 よそのみに見れは有しを今日見れは年にわすれすおもほゆるかも
    者 不忘所v念
よそのみに見れは有し よそにのみ見れはよのつねにて有しをけふ見れは此宿の面白きに年中にもわすられすおほしめすと也
                      左大臣橘卿 諸兄公
4270 むくらはふいやしき屋戸もおほ君のまさんとしらは玉しかましを
   牟具良波布 大皇 座牟 知者
むくらはふいやしき 君に奔走の心なるへし
                      右大辨藤原八束朝臣 号2真楯
4271 松蔭の清き濱邊に玉しかはきみきまさんか清き濱邊に
松影の清きはまへに 松の影清き濱へは庭の池のさま也此宅をほむる詞也所の清きに又玉しかは弥君もあかす來まさんと也下に清き濱へにと云は弥深く讃美する心也
                       少納言大伴宿祢家持
4272 あめつちにたらしてらしてわかきみのきいまさはかもうれしみきをり
   天地 足之照而吾大皇之伎座婆 樂伎小里
あめつちにたらし 天地に充満するまててらす心也見安云王の恵みの天地にあまねきと云心也愚案うれしみきをりは君の來ゐまさは樂みも來居るなりと也
 
    十一月二十五日|新甞《ニ井ナメノ》會|肆宴《トヨノアカリ》應スルv詔ニ歌六首                    大納言|巨勢《コヽセ》朝臣
新甞會 天照る太神へ當年のはつほをまいらせらるゝ神事也江次第公事根源等に在
4273 あめつちとあひさかへんと大宮をつかへまつれはたふとくうれしき
   天地 貴久
あめつちとあひ栄ん 天地とゝもに久しく大宮を栄んと仕れは臣下は嬉しきと也
                      式部卿石川ノ年足《トシタルノ》朝臣
4274 あめにはもいほつつなはふ萬代に国しられんといほつつなはふ
   天 五百都綱波布 所v知 五百都 奈
あめにはもいほつ 仙曰五百都網はふと讀る事有本縁にや可尋之 口訣
                       從三位文屋(イ父室)知努麻呂ノ真人
4275 天地と久しきまてに萬代につかへまつらんくろきしろきを
    萬※[氏/]尓 黒酒白酒(八くろきしろみきを)
天地と久しきまてに 黒酒白酒|清《スミ》たると濁《ニコリ》たると也神事にも用八雲抄云万葉には黒みき白みきと云リ
                       右大辨藤原八束朝臣
4276 しまやまにてれる橘うすにさしつかへまつるはまうちきみたち
   嶋山 照在 宇受 仕奉者卿大夫等
しま山にてれる橘 前の長哥に嶋山に赤る橘と云に同し祇曰月卿雲客の冠のうすに花橘をさすとよめり
                       大和(國イ)守藤原永手朝臣
4277 袖たれていさわかそのに鴬の木《こ》傳ひちらす梅の花見に
    垂而 吾苑 令v落
袖たれていさわかその 梅の花見には見ん也 袖垂ては袖たるさふる也
                        少納言大伴宿祢家持
4278 足日木のやました日影かつらけるうへにやさらに梅をしのはん
足日木の山した日影 和名云蘿ヒカケ女蘿也神事等にかつらにせし也今は日蔭の糸とて糸を用ゆかつらけるは仙曰かつらにする也愚案|蘿《ヒカケ》のかつらしてなまめきし上に梅を戀忍んかと也新甞會小忌の様也
 
    十一月二十七日林ノ王ノ宅ニ餞スル2之但馬ノ按ノ察使《セチ》橘奈良麻呂ノ朝臣ヲ1宴ノ歌三首               治部卿船ノ王
4279 のと河ののちにはあはんしましくも別れといへはかなしくもあるか
   能登 後者相牟之麻之久母 在
のと河ののちにも 仙曰のと河大和国 見安云のと河ののちと詞をつゝくる也愚案頓て歸給はん時は逢へきを其ほとしはしも別は悲しと也
                       京(イ右京)ノ少進《ミサトノセウ》大伴宿禰黒麻呂
4280 立別れ君かいまさはしきしまの人はわれしくいはひてまたん
    之奇嶋 和礼自久
立別れ君かいまさは しきしまの人は我しくは大和人皆わか如《コトク》祝て待んと也
                       少納言大伴宿祢家持
4281 白雪のふりしく山をこえゆかん君をそもとないきのをにおもふ
    左大臣|換《カヘテ》v尾《ヲヽ》云ク伊伎能乎尓須流《イキノヲニスルト》然トモ猶|喩《サトシテ》曰如クv前ノ誦スv之ヲ也
白雪のふりしく山 霜月の末なれは雪降しきる山を越ゆかんと云也道の難儀をいたはる心もこもれるにやもとなはよしなく也いきのをに思ふは命に懸て思ふ心也左大臣|換《カヘテ》v尾ヲ云とは諸兄公此哥のとまりをするとなをされし也然とも猶作者家持卿其儀を喩しことはりて如v前ノ思ふと誦v之ヲと也是此集の撰者諸兄と家持なる證の由前ニ注
 
    五年正月四日於2治部少輔|石上《イソノカミノ》朝臣|宅嗣《イヘツクノ》家ニ宴スル歌三首               主人石上朝臣宅嗣
4282 ことしけみあひとはさるに梅の花雪にしほれてうつろはんかも
   辞繁不2相問1尓
ことしけみあひとはさるに 心明也
                     中務ノ大輔《タユウ》茨田《マイタノ》王
4283 梅の花さけるが中にふゝめるは戀やこもれる雪を待とか
    開有之(イさけりし) 布敷賣流 戀
梅の花さけるが 類聚ニはさけりしと和ス義はかはらさるにや咲し中につほめるは花も戀の心をふくめるか又さかて雪をまつとてかと也花にたはふれし心也
                     大膳ノ大夫《カミ》道祖《ミチアヘノ》王
4284 あたらしき年の始めに思ふどちゐむれてをれはうれしくもあるか
   新 共
あたらしき年の いむれての伊は助字也むれゐる心也あるかは哉也
 
    正月十一日大雪|落積《フリツムコト》尺有二《ヒトサカアマリフタ》寸因テ述ル2拙懐《ツタナキヲモヒヲ》1三首
大伴宿禰家持
4285 大宮の内にも外《ト》にもめつらしくふれる大雪なふみそねおし
大宮の内にもとにも おほみやは内裏也なふみそねおしとはふみけす事なかれおしき事と也
4286 みそのふの竹の林にうくひすはしはなきにしを雪はふりつゝ
   御苑布 ※[(貝+貝)/鳥]
みそのふの竹の林に 童蒙抄云しはなきとはあまたゝひ鳴といふなるへし數鳴と書り千鳥にそ讀習ひたれと鴬にもよめり
4287 鴬のなきしかきつににほへりし梅此雪にうつろふらんか
鴬のなきしかきつ 垣津は垣也津は助字
 
    正月十二日侍テ2於内裏ニ1聞テ2千鳥ノ喧《ナクヲ》1作レル歌一首
                       大伴宿禰家持
4288 河すにも雪はふれゝし宮の裏《ウチ》にちとりなくらしすむところなみ
    渚 布礼々之 知杼利鳴
河すにも雪はふれゝし 雪はふれゝしはふるらし也|河渚《カはス》は河嶋とおなしかはすも雪ふりて住所なきか宮中に千鳥の鳴と也
 
    二月十九日於2左大臣橘家ノ宴ニ1見ル3攀《ヨチ》2折ルヲ柳條ヲ1歌一首
                       大伴宿禰家持
4289 青柳のほづえよぢとりかづらくは君がやどにし千年ほくとそ
    保都枝 屋戸
青柳のほづえ 保都枝は木末と同見安云かつらくはかつらにくむ心也ほく祈心也愚案祝の字日本紀にほくと讀也柳をかつらにするは此家を千年と祝心と也
 
    二月二十三日依テv興《ケウニ》作歌二首
                       大伴宿禰家持
4290 春の野に霞たなひきうら悲しこのゆふかげに鴬なくも
    暮影
春の野に霞棚引 うら悲しはうらは助字也悲しとは面白き事をも讀り此哥も其心にや又時節の感にや
4291 わが屋戸のいさゝ村竹ふく風のをとのかそけきこのゆふへかも
    伊佐左
わか宿のいさゝ村竹 童蒙抄云いさゝむら竹とは聊にすくなき心也いひさゝと云はわろし仙同見安云かそけき幽なる也仙同
 
    春日|遲遲《チチトシテ》※[倉+鳥]※[庚+鳥]《ヒハリ》正ニ啼《ナク》悽惆《セイチウノ》之意非ンはv歌ニ難シv撥《ハラヒ》耳仍テ作テ2此歌ヲ1展《ノフ》2締緒《テイシヨヲ》一首 二月二十五日作此
                       大伴宿禰家持
4292 うら/\にてれる春日にひはりあがりこゝろかなしもひとりしおもへは
   宇良々々 照流 比婆理
うら/\にてれる 童蒙抄云此鳥は春日うらゝかにてるにはるかに空へあかる也うら/\にとはうらゝかにと云心也東行南行雲眇々二月三月日遲々といふ詩を人の北野にまうてゝ詠しけるに少まとろみたる夢にとさまにゆきかうさまにゆきて雲はる/\きさらきやよひ日うら/\とこそ詠すれと仰せられけるをおもへはおそろしき心にやあらん愚案うら/\は遲々と書日暮なかき心也
    或本云
     此巻ノ中ニ不v稱《セウセ》作者ノ名字ヲ1徒ニ録スル2年月所々ノ縁起ヲ1者は皆大伴宿祢家持裁作スル歌詞也
此巻中― 此奥書は常の本に哥はかり出て作者の名をかゝさる所有其故に此ことはり有也今所用之本は哥ごとに作者を書たれは不v及2此奥書ニ1也
   萬葉集巻第十九
貞享三年七月二十七日雨天書新玉津嶋社中畢墨付四十一枚 季吟
             2004年3月18日(木)午前11時42分、遂に全巻入力終了
   あたかも季吟とおなじく朝から本格的な雨の日、今12時前雨は止んだ。
             大和高市郡佐田、草壁皇子の墳墓を間近に望む所にて。
家持と同じく、季吟の翻刻でもしなければ、私の鬱情は払いがたい。それでもわずかに薄れるだけ。全巻入力終了の目出度いときにこんな感想を付けなければならないとは。7年ほど前部分的に巻六や巻三、一の一部を翻刻しておいたのを、昨年の二月頃から毎日の日課にし出して、ほぼ一年一ケ月で終わったことになる。しかし校正及び未翻読の文字の解読が残っている。 2004,3,20午後12時15分、巻十九校正終了、  残念ながら2箇所?が残った。
 
 
萬葉集巻第二十
 
 幸《ミユキノ》2山村ニ1時歌【二首 在リシ2大納言藤原朝臣ノ家ニ1時依テv奏スルニv事ヲ而請2問之ヲ1間|少主鈴《スナイスヽノツカサ》山田ノ史土麻呂語テ2少納言大伴宿禰家持ニ1曰昔聞2此言ヲ1即誦ス2此歌ヲ1也】
 天平勝寶五年五月幸《ミユキノ》2於山村ニ1之時先太上天皇詔《ミコトノリシテ》陪從《ハイシウノ》王臣ニ1曰諸王卿|等《ラ》宜クd賦シテ2和スル歌ヲ1而奏スu即|御口號《コクチスサニ》曰
                太上天皇
大納言藤原朝臣 房前なるへし
少主鈴《スナイスヽノツカサ》 鈴をつかさとる官也
山田ノ史《フヒト》 土《ツチ》丸カ姓尸《ウチカハネ》也 是は此哥共を聞し由來をいへり山田土丸昔此哥ともを家持に語し故此集に載と也
先太上天皇 前に註ス
陪從王臣 御供の諸王諸臣也
和歌 返哥を奉れと也
4293 あしひきの山行しかは山人のわれにえしめしやまつとそこれ
                       夜麻都刀
あしひきの山行しかは われにえしめしは得せしめし也山つとは山の土産也
 
     和スル歌          舎人親王
舎人親王 前ニ註
4294 あしひきの山にゆきけむ山人のこゝろもしらず山人やたれ
                 情
あしひきの山に 山人の土産を奉りしとは誰人か奉りけん其心も知かたしと也
 
 天平勝寶五年八月十二日|二三《フタリミタリノ》大夫《マチキン》等《タチ》各々提 テ2壷酒ヲ1登テ2高圓《タカマトノ》野ニ1聊述テv所ヲv心作歌 三首
        左京少進《ヒタンノミサトノスナイマツリコトヒト》大伴宿祢池主
二三大夫 池主清麻呂家持なと也
高圓 大和也
4295 たかまどのおばなふきこす秋風にひもときあけなたゞならずとも
たかまとの尾花 尾花の風たゝならす面白くとも紐とくな漸寒き比なれはと也ヒモトキアクルトは文選ニ披《ヒラキ》v襟《エリヲ》而風を快ト云タクヒ也
        左中辨中|臣《トミノ》清麻呂朝臣
4296 あまぐもにかりそなくなるたかまとのはぎの下したばゝもみちあへんかも
あまくもに鳫そなく もみちあへんとは紅葉染んと也鳫來比萩の下葉うつろふ物なれは也
        少納言大伴宿家持
4297 をみなへしあきはぎしのぎさをしかのつゆわけなかんたかまとの野ぞ
をみなへし秋萩 心明也
 
 天平勝寶六年正月四日|氏族《シゾクノ》人ト等《ラ》賀《ガシ》2集《ツトヒテ》于 少納言大伴宿禰家持カ之宅ニ1宴飲スル歌三首 
        左兵衛督大伴宿禰千室
4298 霜の上にあられたばしりいやましにあれはまゐこん年の緒ながく
                      (古來風―まし)
霜の上にあられたはしり 童蒙抄云たはしりとはとはしりといふ事也まゐこんとはめくりこむといふ也仙曰霜の上にあられたはしりとは本文也露|結《ムスンテ》為《ナリ》v霜ト霜|凝《コツテ》為2雹雪《アラレト》1と礼記正義といふ文にいへる也愚案大戴礼ニ陰氣勝則|凝《コツ》而《テ》為v霜云々白虎通露者霜ノ之始寒則變シテ而為v霜 尓雅ニ雨與雪雜下ヲ曰v霰 説文雹雨雪也從2雨包聲ニ1なとは有仙説は本文いまた見す
        民部少丞大伴宿祢村上
4299 年月はあらた/\にあいみれどとあがもふきみはあきたらぬかも
      安良多(イあたら/\)
年月はあらた/\ 新々也イあたら/\も同心也年月の新く改まることに逢見れと家持はあかすと也
         左京少進大伴宿祢池主
4300 かすみたつ春の初めをけふのごと見んとおもはゝたのしとそもふ
                   (古來風―みつとおもへは) (古來風おもふ)
かすみたつ春の初を 毎年春の初をけふの如く見参せんと思はゝ楽しからんと思ふと也
 
 天平勝寶年正月七日天皇太上天皇皇大后於2東常宮南大殿ニ1肆宴《トヨノアカリノ》 時奏スル歌一首  播磨ノ國守|安宿《ヤスヤノ》王
4301 伊奈美野のあからがしははときはあれどきみをあがもふときはさねなし
いなみのゝあから柏 祇曰心は赤ら柏は時有て其興あり君を仰く心はいつもなれは時なしと也見安云あから柏は赤き柏也愚案さねは真実也
 
 天平勝寶六年三月十九日|置《ヲキ・ヲイ》始連長谷《ソメノムラシはセ》攀テv花ヲ 提テ2酒壷ヲ1到テ2家持之庄門ノ槻《ツキノ》樹下《キノモト・コノモト》ニ宴飲ス ル歌二首           置始《ヲキソメノ》連長谷
4302 やまふきはなてつゝおほさんありつゝもきみきましつゝかさしたりけり
やまふきはなてつゝ なてつゝおほさんなつけうつくしむ心也現今家持のきましてさしかさし給へは鍾愛ことなる花なれは撫つゝ生さんといふなるへし
         大伴宿禰家持
4303 わかせこかやどのやまふきさきてあらはやまずかよはんいやとしのはに
わかせこか宿の山吹 わかせこは置始連を云年ことにかよひてやます花をみんと也
 
    同年三月廿五日左大臣橘ノ卿《キミ》宴スル2于山田ノ御母ノ之宅ニ1大伴家持|嘱《ミテ》2時花ヲ1作歌一首 然未v出サ之間大臣罷《ヤム》v宴ヲ而|不ル2擧誦1耳               少納言大伴家持
山田御母 諸兄公の母也
大臣罷v宴ヲ而不2擧誦1 いまた此哥出さぬに諸兄公宴をやめ給けれはあげ吟誦せすしてやみしと也
4304 やまふきの花のさかりにかくのごときみを見まくはちとせにもがも
やまふきの花の 君を見まくはとはかく君をみるとならはと也
 
    同年四月詠ル2霍公鳥ヲ1歌一首
大伴宿禰家持
4305 このくれのしけきおのへをほとゝきすなきてこゆなりいましくらしも
   許乃久礼 
このくれのしけき尾上 許乃久礼越中の山の名にや此集十九の長哥に二上山のこのくれの茂き谷へともよめり哥心は家持越中在国の程此山を郭公の鳴て越しを思出て今やしきりて鳴らんと思ひやる心也今しくらしは頻るらんと也
 
    同年七夕獨|仰《アフキテ》2天漢《アマノカハヲ》1作歌八首
            大伴宿禰家持
4306 はつ秋風すゝしきゆふへとかんとそひもはむすひしいもにあはんたの
はつ秋風涼しき夕 牽牛の心にてよめり心は明なるへし
4307 秋といへはこゝろそいたきうたてげに花になそへて見まくほりかも
秋といへは心そ痛き 秋といへは七夕の逢せ忍はれて心痛きと也仙曰花になそへては花になそらへてと云也織女を草花になそらへて見たきと也
4308 はつおはなはなに見んとしあまのかはへなりにけらし年の緒なかく
はつおはな花にみんとし 尾花の比にあひみんとてかく天河の年中隔たりけらしと也へなりはへたゝりといふ詞也
4309 秋風になひくかはへのにこぐさのにこよかにしもおもほゆるかも
              尓故具左
秋風になひく河邊の 序哥也にこよかにはえみ悦ふ心也七夕の稀に逢みて悦ふ心也
4310 あきざれはきりたちわたるあまのかはいしなみをかばつぎて見んかも
        奇里        河波
あきされは霧立渡る 石並《イシナミ》置《ヲカ》は蹈石の心にやさあらはつゝきて相みんと也見安ニは石なみ小河天河の名云々如何
4311 秋風にいまか/\とひもときてうらまちをるに月かたふきぬ
秋風に今か/\ 七夕の逢瀬待心也
4312 秋草にをくしらつゆのあかずのみあひ見るものを月をしまたん
        之良都由
秋草にをく白露の 草露をあかす詠る心をあかすのみ逢みるといはん諷詞によめり月をしまたんとは七夕の七月を待心也
4313 あをなみにそでさへぬれてこぐ舟のかじふるほどにさよふけなんか
                    可之
あを波に袖さへぬれ 詩にも蒼波《サウハ》碧浪《ヘキラウ》なと作るをあを波とよめり可之は楫(右に戈あり)也和名なとにも加遅と訓ス上古は假名つかひさして定さる故也
 
    同年七月廿八日作歌一首    大伴宿祢家持
4314 八千種に草木をうへてときごとにさかんはなをし見つゝしのばな
八ちくさに草木を 八千種はさま/\の心也時毎ニは四季折々に也しのはなは忍はなん也
 
    獨《ヒトリ》憶《ヲモヒテ》2秋野ヲ1聊《イサヽカ》述2拙《ツタナキ》懐ヲ1    作歌六首   兵部少輔大伴宿祢家持
4315 宮人のそてつぎころもあきはきににほひよろしきたかまとのみや
宮人の袖つき衣 袖着衣萩の花の色をすりつけし心也但仙曰袖継衣は身も袖も同し物にあらすさま/\寄文せしを云也愚案直衣の身は浅黄にて袖白きか絵(?)にあるをはた白といふ是らの類にや
4316 たかまとの宮のすそみののつかさにいまさけるらんをみなへしはも
          須蘇未
たかまとの宮のすそみ 高圓宮は尾上に在其すそ邊の野司也すそみは裾邊也野司前注
4317 秋野にはいまこそゆかめものゝふのおとこをみなのはなにほひ見に
あき野には今こそ行め 仙曰おとこをみなの花とはおほとちと云草をは男をみなへしと申也袖中抄云おほとちは女郎花に似て花の色白き也されは男へしとも云男をみなの花とよみたるは是か
4318 あきのゝにつゆおへるはぎをたおらずてあたらさかりをすぐしてんとか
      野      波疑         佐可里
秋のゝに露おへる萩 露負也心明也
4319 たかまとの秋野ゝうへのあさきりにつまよふをしかいでたつらんか
               安佐疑里
たかまとの秋のゝ いてたつは出て立也
4320 ますらおのよびたてしかはさをしかのむなわけゆかむあきのはきはら
ますらおのよびたて ますらおは狩人を云よはゝりたてられて鹿の萩を胸にてわけゆかんと也
 
   天平勝寳七歳乙未二月相|替《カハリテ》遣《ツカはス》2筑紫ノ諸國ニ1防人等   《サキモリラカ》歌
     同年二月六日|防人部領使《サキモリノブリヤウシ》遠江ノ國ノ史生《フンヒト》坂本ノ朝臣人上|進《タテマツル》2歌數十八首ヲ1但有テ2拙劣《セツレツノ・ツタナクヲトレル》歌十一首1不v取2載《トリノセ》之ヲ1
         國ノ造丁《ミヤツコヨホロ》長下《チヤウノシモノ》郡物ノ部《ヘノ》        秋持《アキモチ》
天平勝寳七歳 續日本紀十九曰天平七正甲子勅|為《スラク》有ハv所v思宜2天平勝寳七年為《ス》1v七歳ト孝謙の御宇年の字を止て歳を用
防人部領使 防人の奉行也防人は十四巻の口訣
4321 かしこきやみことかゝふりあすゆりはかえがいむたねをいむなしにして    
                     加曳我牟多祢乎
かしこきやみことかゝふり 仙曰みことかゝふりとは勅《ミコト》かうふりと云也あすゆりやとは明日よりや也かえかいむたねとはかえはかれ也えとれと同|音《ヲン》也いむたねとは伊は發語の詞也むたは共也かれかともねをと也いむなしにしてとは妹なしにしてといふ也愚案此作者國造丁とは國造は国司也丁は国司の從者也下長郡は遠江也
         主帳丁《ヒトノヨヲロ》麁玉郡《アラタマノモコホリ》若倭部《ワカヤマトヘノ》身麻《ミマ》呂
4322 わかつまはいたくこひらしのむみづにかごさへ見えてよにわすられす
   和我都麻    古比
わかつまはいたくこひらし いたく戀しき心也仙曰かこさへは影さへ也主帳丁は近來の公文也愚案郡司の主帳の丁《ヨヲロ》也丁は從者也麁玉郡は遠江也若倭部は氏身丸は名也
          防人山名ノ郡|丈部《サカヘノ》真《サネ》麻呂
4323 とき/\のはなはさけどもなにすれぞはゝとふはなのさきてこずけん
         波奈          波々  波奈 佐吉泥己受祁牟
とき/\の花はさけとも 何為母訪花之開而不来家牟《ナニスレソはヽトフはナノサキテコスケン》 仙曰はゝとふ花とは親なとかへりみる栄《サカヘ》の花のなとかさかさらんと也師|母云《はヽチフ》云々花はさけと母はなしと也
         同郡|丈部《サカベノ》川相《カはアヒ》
4324 とへたほみしるはのいそとにへのうらとあひてしあらばこともかゆかん
   等倍多保美 志留波    尓閇    
とへたほみしるはの とへたほみは遠江也しるはのいそ にへの浦見安に遠江名所也云々こともかゆかんは言もやかよはんお心也
         佐野郡丈部|黒當《クロマサ》
4325 ちゝはゝははなにもがもやくさまくらたびはゆくともさゝごてゆかん
   知々波々          麻久良
父母は花にもかもや 仙曰さゝこてゆかんはさゝけてゆかん也 能佐野郡も遠江也
         同郡|生玉部《イクタマヘノ》足國《タルクニ》
4326 父はゝがとのゝしりへのもゝよぐさもゝよいでませわがきたるまで
父はゝが殿のしりへの 祇曰采葉云哥心は防人鎮西へ被遣道すからつゝがなかれと百日ねぎ給へとよめるにや いでませは祈給へ也百夜草とは月草也此草百夜花咲故に此名有といへり此哥をとりて顕昭 百夜草もゝ夜まてなと契けんかりそめふしのしゝのはしかきと讀り
        長ノ下ノ郡物ノ部《ヘノ》古麻呂
4327 わかつまもゑにかきとらんいつまもがたひゆくあれは見つゝしのはん
   和我    畫      伊豆麻母加
わかつまもゑに書とらん いつまもかとはいとまもかなと也なつかしき妻をゑに書|暇《イトマ》もかな書持て旅ゆく我は見つゝ戀しさをたへ忍はんと也
 
    同年二月七日相模國ノ防人ノ部領使守從五位下藤原ノ朝臣|宿奈《スクナ》麻呂   進ル2歌數八首ヲ1但シ拙劣ノ歌五首は者不2取載1之
        助ノ丁《ヨホロ》丈部《サカヘノ》造《ミヤツコ》人麻呂
助丁 祇曰丁はたゝしき使の外にそふる使(夫カ)也上丁は本使(夫カ)也仙曰|防人《サキモリ》に立人夫の四十歳を上丁とず十八歳を為2下丁1
4328 おほきみのみことかしこみいそにふりうのはらわたるちゝはゝををきて
        足下郡|上丁《カミツヨヲロ》丹比部《タヒヘノ》國人
おほきみのみこと賢み 仙曰いそにふりは礒にふれ也うのはらわたるは海原渡る也見安同
4329 やそくにはなにはにつどひふなかざりあがせんひろをみもひともかも
   夜蘇久尓   
やそくには難波に 見安云やそくには数多の国也ひろをは日の事を云也愚案八十国の人は難波に集りゐてわが舟かさりて出ん日を見ん人もかなと也みも人もは見ん人も也作者足下郡とは相模の足柄下郡なるへし上丁は其人の品也
        鎌倉ノ郡上丁|丸子《マロコノ》連《ムラシ》多麻呂《ヲホマロ》
4330 なにはつによそひ/\てけふの日やいでゝまからんみるはゝなしに
    伊(いイ)田(氏+一)(イたて)
なにはつによそひ/\ 防人の鎮西へ難波より舟よそひして行に今日出船するとて母を戀る心也イいたて出立也
 
      同年二月八日追2痛ンテ防人ノ悲別テ之心ヲ1作歌一首并短歌
                 兵部少輔大伴宿禰家持
追痛防人悲別之心ヲ1作歌 此哥ともを見て哀みて家持の讀給なるへし
4331 すめろきのとをのみかととしらぬひのつくしの国はあたまもるおさへのきぞと聞召す四方の国にはひとさはにみちてはあれととりかなくあつまおのこはいでむかひかへりみせずていさみたるたけきいくさとねぎ給ひまけのまに/\たらちねのはゝが目かれて若草のつまをもまかずあらたまの月日よみつゝあしがちる難波のみ津に大船にまかいしゝぬきあさなきにかことゝのへゆふしほにかちひきをりあともひてこぎゆくきみはなみの間をいゆきさぐゝみまさきくもはやくいたりておほきみのみことのまにまますらおのこゝろをもちてありめぐり事しをはらばつゝまはずかへりきませといはひべをとこべにすへてしろたへのそでおりかへしぬばたまのくろかみしきてながきけをまちかも戀んはしきつまらは
天皇   等保能朝廷    筑紫       城         伊田牟可比  見   軍卒        目        蘇田         氣
とをのみかと 遠き朝廷といふ心也前ニ注
あたまもる 見安云異国の敵を守る心也
をさへのきそと 見安云ふせき守る城廓也
いてむかひかへりみせす 敵に出向ひて身命をもかへりみすと也
たけきいくさ 軍兵也
ねき給ひ 見安云祝ひ給ひ也
まけのまに/\ 任の随意《マニマニ》也防人となして筑紫に被遣まゝにと也
月日よみつゝ いつからいつまてと年限をかそへて也
あしかちる 芦花散心也但見安云ちいさきかに也可勘之
あともひて 今はとおもひて也
いゆきさくゝみ 行くゝりと云心也いの字さの字みの字助字也
まさきくも 幸也
みことのまにま 王命のまゝに也前にいさみたるたけきいくさとねき給ひと有し心と同くおほやけの仰せのまゝにいさみたけき心を持て筑紫に行めくりて其事終らはつゝかなく歸れと也
つゝまはす 見安云つゝかなく也師つゝみなくと云心也 とこべ 床邊也 神にみきなと捧てつゝしみ恐る事なくと祈る心也 いはひべは神酒瓶也
ながきけ 歎く心也なけきて待ゐる心也
はしきつまらは はしきやし妻等といふ儀也
      反歌
4332 ますらおのゆぎとりおひて出てゆけはわかれをおしみなげきけんつま
    伊田(氏/一)
ますらおのゆきとり 仙曰ますらおはたけきおとこをいへる歟ゆき取おひてとは靱とは督《カト》の長《ヲサ》なとのおふやなくい也下畧愚案防人は東の兵士なれは弓やなくいを負事勿論也仙抄ニ左右の衛門府を靱負《ユケイ》のつかさといふ是也と註して防人をも其つかさのやうにいへるは非也采葉にも此仙説によりてさま/\いへるも亦不知也可受口訣
4333 とりかなくあつまおとこのつまわかれかなしくありけんとしのおなかみ
とりかなくあつまおとこ 年のをなかくとは防人にてつくしにある間の年月を云也家持卿今兵部少輔なれは武官の上はしるつかさなれは防人をもかく詠給ふなるへし
 
     同年二月九日作歌三首  大伴宿禰家持
4334 海原をとほくわたりてとしふともこらがむすへるひもとくなゆめ
海原を遠く渡りて 仙曰ゆめとは努々といふ詞也
4335 今かはるにひさきもりがふなてするうなはらのうへになみなさきそね
    替
今かはる新防人《ニヰサキモリ》か 相替りて今ゆく防人のゆくゑの海上ニ波もな立とをそけそと也
4336 さきもりのほり江こきいつるいづでふねかちとる間なく戀はしけゝん
                 伊豆手夫祢    
さきもりの堀江こき 祇曰采葉曰櫓《ロ》十丁たてたる舟を五手舟といへり櫓二ツを一手といへる也又舟は伊豆國よりつくり初たる故に伊豆出舟ともいふと申也哥心は鎮西への海上の道すから古郷の妻を思ふ心也愚案仙抄も大かた如此也五手船の説は奥儀抄に在伊豆舟の説は童蒙抄に在取日本紀第十ニ應仁天皇五年冬十月伊豆國に仰せて長さ十丈の舟を作らしむ試に海にうかふかろく浮ひてとくゆく事はしるかことし故に其名を枯野といふ輕野とは後人の訛也是迄童蒙八雲ニモ有
 
       同年二月七日駿河ノ國ノ防人《サキモリ・セキモリ》部領使守從      五位下布勢《フセ》ノ朝臣人主進ル2歌數廿首ヲ1然トモ拙劣《セツレツノ》歌十首者不v取2載之ヲ1
                 上ツ丁有度部《ウドベノ》牛麻呂
4337 みづとりのたちのいそぎに父母《チヽはヽ》にものはずきにていまそくやしき
みつとりのたちの 水鳥のとは立といはん諷詞也防人の出立急きに父母に物もしかくいはて悔しと也仙曰物はずとは物いはす也       
                助丁《スケノヨホロ》生部《イクベノ》道麻呂
4338 たゝみげめむらじがいそのはなりそのはゝをはなれてゆくがかなしさ
         牟良自加已蘇
たゝみげめむらじが礒 仙曰たゝみげめは畳ごも也むらじが礒駿河と云り見安云畳のこものむらとつゝくる也愚案はなりそははなれそ也母を離れてといはん序哥也
              刑部《ヲサカベノ》虫麻呂
4339 くにめぐるあとりがまけりゆきめくりかひりくまてにいはひてまたね
くにめくるあとりか 仙曰あとりは我一人也まけりはまかりなりかひりくまてには歸來る迄に也見安云我一人まかる由也   
              川原ノ虫麻呂
4340 ちゝはゝがいはひてまたねつくしなるみつく白玉とりてくまでに
ちゝはゝかいはひて 仙曰みつく白玉は御調物に備白玉也見安云御調物の玉也又水に沈む玉とも愚案しつく白玉也       
              丈部《サカヘノ》足《タル》麻呂
4341 たちはなのみえりりのさとにちゝをゝきて道の長ぢはゆきかてぬかも
         美衣(イ袁を) 父         道     
たちはなのみえりりの 八雲抄みえりの里駿河云々見安云ゆきかてぬは行かねたる也愚案橘は諷詞也
        坂田部|首《ヲフト》麻呂
4342 まきばしらほめてつくれるとのゝごといませはゝとじおめがはりせず
         寶米(氏/一)          刀自 於米(イも)
まきはしらほめて ほめては祝ふ心也良材を祝ひて作る殿舎の久しく破壊せぬ如く母の面かはりせておはせと也見安云刀自は女の惣名也 おめは面也
              玉作リ部ノ廣目《ヒロメ》
4343 わろたびはたびとおめほどこひにしてこめちやすらんわかみかなしも
           於米(イも)保等
わろたびはたびとおめほ 仙曰わろたびとは我旅也たひとおめほとは旅と思へと也こめちやすらんとはこもりやすらん也見安同之愚案我旅は旅と思へと只戀にのみ籠り痩《ヤス》らん故郷戀しく旅の身悲しきほどにと也
             商長首麻呂
4344 わすらんとのゆきやまゆきわれくれどわがちゝはゝはわすれせぬかも
わすらんと野ゆき山行 何とそしてしはし忘んとて野山を行まきらせともと也あまり父母の恋しき故のさま也
             春日部麻呂
4345 わきめことふたりわが見しうち江するするがのねらはくふしくめあるか
   和伎米(イも)故等              苦不志久米(イも)
わきめことふたりわか 仙曰わきめことはわきもこ也うち江するとはうちよする也ねらとは山也らは詞の助くふしくもあるか戀しくも有か也
              丈部稲麻呂
4346 ちゝはゝかかしらかきなでさくあれていひしことばそわすれかねつる
    佐久安礼天               古度波曽(イ氣等波是)
ちゝはゝかかしら さくあれては師説|幸《サキ》あれとゝいふ詞也父母我か頭を撫て幸あれといひて祝ひし詞の眞さ忘かたしと也仙覚はさくりあけて鳴と云説如何又仙本|伊比之氣等波是《イヒシケトハセ》と有此本伊比之|古度婆曽《コトハソ》と有可用之
 
       同年二月九日|上総《カツサノ》國ノ防人ノ部領使|少目《セウサクハン》從七位下|茨田連《マイタノムラシ》沙彌《サミ》麻呂|進《タテマツル》2歌數十九首ヲ1然トモ拙劣《セツレツノ・ツナクヲトル》歌六首者不v取2載《トリノセ》之ヲ1
        國ノ造ノ丁|日下部《クサカヘノ》使主《ヲミ・スクリ》三中      《ミナカノ》之父
4347 いへにしてこひつゝあらずはながはけるたちになりてもいはひてしがも
   伊閇 
いへにして戀つゝあらすは なかはけるは汝か佩《はク》る也此哥は上総の防人|日下《クサカ》部の使主三中の出立とき其父別をおしみてよめる也家に止リゐて戀つゝあらすは汝か太刀に成てつきしたかひて無事を守り祝んと也クサカ部は氏使主は尸《カはネ》也
        國ノ造ノ丁《ヨヲロ》日下部《クサカヘノ》使主三中
4348 たらちねのはゝをわかれてまことわれたびのかりほにやすくねんかも
たらちねの母を別れて 母をわかれきてはいをやすくもねましきと也
        助ノ丁|刑部《ヲサカヘノ》直《アタヒ》三野《ミノ》
4349 もゝくまのみちはきにしをまたさらにやそしますぎてわかれかゆかん
もゝくまのみちは來にしを 百の隈々也さま/\の陸路は來しを又今更に八十嶋こき過て別ゆくへきかと也東路遙に來て又つくしの海路を行別る心也
        帳《チヤウノ》丁|若麻續部《ワカヲミヘノ》諸人
4350 にはなかのあすはのかみにこしばさしあれはいはゝんかへりくまでに
        阿須波
にはなかのあすはの 袖中抄云上総国に阿須と申神お堀部す其神の誓《チ》ひにて小さき柴を立て祈る事有と云り上総の防人か哥也俊頼朝臣|悔《クフル》2離別ヲ1といふ事をよめる今更に妹歸さめやいちしるきあすはの神に小柴さすとも此事哥林良材にも引用 見安云阿須波の神はかまの神也足もとのかみと云心也小柴さしは釜の上に松|椙《スキ》の柴なとを手向る心也仙抄大同小異両説の内袖中抄哥林良材等の義用來れるにや新千載頼むそよあすはの神にさす柴のしはしがほともみえねは戀しき當時連哥にも名所とせり
 
      望陀《マウタノ》郡上ツ丁玉|作部《ツクリヘノ》國忍《クニヲシ》
4351 たひころもやへきかさねていぬれともなをはたさむしいもにしあらねは
         夜倍伎(イ夜豆伎)
たひころもやへき重ね イ夜豆伎可佐祢(氏/一)《ヤツヘカサネテ》云々旅衣をあまた重ねてねても妹とねゝは寒しと也望陀郡上総也
      天羽《アマウ》郡上丁|丈部《サカヘノ》鳥
4352 みちのへのうはらのうれにはほまめのからまるきみをはかれかゆかん
         宇万良(うまら) 波保麻米       波可礼 
みちのへのうばらの 宇万良師説うばらとよむへし仙曰うまらはうはら也はほまめははふ豆也はかれかゆかんは離れか行ん也見安云うはらの末に這《はフ》豆《マメ》也愚案からまるはかゝはる也
      朝夷《アサイナノ》郡上丁丸子ノ連《ムラシ》大歳《ヲホトシ》
4353 いへかせはひ日に/\ふけどわきもこがいへこともちてくるひともなし
いへかせはひ日に/\ふけと 見安云いへかせ我家の方より吹風也愚案いへこともちては家内の安否をいひもてくる使を聞すと也朝夷郡は安房国也
      長狭《ナカサノ》郡上ツ丁|丈部《サカヘノ》與呂《ヨロ》麻呂
4354 たちこものたちのさはきにあひみてしいもかこゝろはわすれせぬかも
   多知許毛  多知
たちこものたちの たちこもは立鴨也たちのさはきの諷詞也前にたちの急きといへるに同く防人に出立ほとのさはかしさに早々逢見てしとの心なり此作者の長狭郡も安房国也此十三首皆上総防人のうた也望陀天羽武村山部市原等上総也是は古は朝夷長狭も皆上総なりしを元正帝養老二年五月に上総の内四郡を割《サキ》て安房の国を被置しに亦聖武帝天平十三年十二月にもとのことく上総国となし給へり其ほとの事ともなれは此朝夷長狭も此集には上総国に書連しなるへし此後又安房国を別にをかれて今にかはらす以v今不v可v疑v此集也
     武射《ムサノ》郡上ツ丁|丈部《サカヘノ》山代《ヤマシロ》
4355 よそにのみみてやわたらもなにはかたくもゐに見ゆるしまならなくに
                奈尓波我多
よそにのみ見てや わたらもはわたらん也難波津を舟出してかへりみてよめる哥なるへし難波はさして遠嶋にもあらぬによそにみんかと名残をおしみていへる哥也
      山ノ邊ノ郡ノ上ツ丁物ノ部ノ手刀良《テトラ》
4356 わかはゝのそてもちなてゝわかからになきしこゝろをわすらえぬかも
わかはゝの袖もち 見安云わかからには我故に也愚案防人に遠く出立を母の歎し心を忘す悲きと也
      市原《イチハラノ》郡上丁|刑部《ヲサカヘノ》直《アタヒ》千國     《チクニ》
4357 あしかきのくまとにたちてわきもこかそてもしほゝになきしぞもはゆ
         久麻刀尓
あしかきのくまとに 仙曰くまとはくみ戸也見安云芦の組戸也仙曰袖もしほゝには袖もしほ/\也もはゆは思るゝ也
      種淮(旁比)《スヘセイ・イタネモリ》郡上丁|物部《モノヽヘノ》     龍《タツ》
4358 おほきみのみことかしこみいてくればわぬとりつきていひしこなはも
                     和努(イわの)   古奈
おほきみのみことかしこみ 見安ニはわの取付てと有て我にり付いて取付て也と云々愚案こなとは子等也我に取付て名残をいひし妹は悲しく戀しと也種妣(さんずい)は上総|周准《スエ》郡か
      長柄《ナカラノ》郡上ツ丁|若麻續部《ワカヲミヘノ》羊《ヒツ     シ》
4359 つくしへにへむかるふねのいつしかもつかへまつりてくにゝへむかかも
         敝牟加流                  閇牟可毛
つくしへにへむかる舟 見安云へむかる舟の舳のむくといふ由也愚案くににへむかもといふも舳むかはんと云也心は今つくしに向ふ舟もいつしか防人の事終り仕り果て故国に舳を向んと也
 
      同年二月十三日陳ル2私ノ拙懐ヲ1歌一首并短歌   兵部少輔      大伴ノ宿祢家持
4360 すめろきのとをきみよにもをしてるや難波のくにゝあめのしたしらしめしきといまのをにたえすいひつゝかけまくも あやにかしこしかんなからわか大|王《ヲミ》のうちなひく春の初めはやちくさにはなさきにほひやまみれは見のともしくかはみれは見のさやけくものことにさかゆるときとめし給ひあきらめ給ひしきませる難波の宮はきこしをす四方のくによりたてまつるみつきの船はほり江よりみをひきしつゝあさなきにかちひきのほりゆふしほにさをさしくたりあちむらのさわききほひてはまにいてゝ海原《ウナはラ》見れはしらなみのやへをるがうへにあまをふねはらゝにうきておほみけにつかへまつるとをちこちにいさりつりけりそきたくもおきろなきかもこきはくもゆたけきかもこゝ見れはうへし神代ゆはしめけらしも
天皇        見能等母之久     乃佐夜氣久    波良良
伊射里都利     曽伎太久  於藝呂   己伎婆久  宇倍之
すめろきの遠き御代 是は防人の哥に非只難波の事をよめり
難波の国 仁徳の御事歟
いまのをに 見安云今の世也
かんなからわかおほきみの 句を切也下のめし給ひといふ詞に懸て也當代を神なからと貴み申也
見のともしく 見安云見て面白き也愚案此山は見る景面白く河は見る景の清潔なる也
めし給ひ 思召給ひの心也
難波の宮は 心ニ句を切へし
みをひきしつゝ 水尾は水の深《フカ》み也浅みは舟入かたし深みをとめ入也
あちむらの 安知の村鳥也さはきといはん枕詞也
やへをる 波の幾重もたつ心也沖にをれ波なと詠たる心と同
はらゝにうきて 仙曰はら/\に浮てと也
おほみけに 御食也天子の御膳の肴進ル也
いさりつり 漁釣也
そきたく 仙曰そこはくも也見安云多き事也
おきろなきかも 仙曰奥もなき也愚案ほむることは也
こきはくも 仙曰こゝはく也見安多き心也
ゆたけきかも 仙曰ゆたかなるかも也廣しと云也
こゝみれは 是らをみれは也
神代ゆ むかしより也宜哉古より難波の宮をよく始給ふと也
     反歌
4361 桜花いまさかりなり難波の海をしてるみやにきこしめすなへ
桜花今さかり也 忍照《ヲシテル》宮は難波宮也聞召なへは知召《シロシメス》故也長哥にやち草に花咲匂ひなといふ心也
 
4362 海原のゆたけき見つゝあしかちるなにはにとしはへぬへくおもほゆ
うなはらのゆたけき 是も長哥にゆたけきかもと云し心也此景不飽と也
 
   同年二月十四日常陸國防人部領使大目正七位上|息長《ヲキナカノ》真人|國嶋《クニシマ》進ル歌數十七首然トモ拙劣ノ歌七首不v取2載之ヲ1
         茨城《ウハラキ》郡|若舎人部《ワカトネリヘ》廣足
4363 奈尓波《ナニは》津にみふねおろすゑやそかぬきいまはこきぬといもにつけこそ
なにはつにみ舟おろすゑ 是防人廣足か哥也ゑは助字也見安云やそかぬきは舟の梶也愚案おほくのかい也此集かいをかちとよむ哥おほし
4364 さきもりにたゝんさはきにいへのいもかなるへきことをいはすきぬかも
さきもりにたゝん なるへきことをとは我か筑紫にあるほと妹かなるへき事の子細をもいひをかて來たりしよと也茨城郡は常陸の国也
         信太《シタノ》郡物ノ部ノ道足
4365 をしてるやなにはの津よりふなよそひあれはこぎぬといもにつぎこそ
をしてるやなにはの あれは吾也つぎこそは告來よの心也難波津より今舟こき出ぬと妹に告來よと也
4366 ひたちさしゆかんかりもがあかこひをしるしてつけていもにしらせん
ひたちさしゆかん鳫もが 見安云ゆかんかり鳫金也愚案常陸をさしてゆく鳫も哉我妹戀る心を玉章にしるして告て知しめんと也
 
         茨城《ウハラキノ》郡占部ノ小龍《コタツ》
4367 あがもてのわすれもしたはつくはねをふりさけ見つゝいもはしのはね
                           之奴(イぬ)波尼
あかもての忘れも 見安云わすれもしたは忘ぬ間也愚案我面の忘られぬ間は筑波山を見て妹は忍へと也イしぬはね忍ひね也
          右一首久慈郡丸子部佐壮
4368 くじかはゝさきくありまてしほぶねにまかぢしゝぬきわはかへりこん
   久自我波  佐氣久阿利麻(氏/一)
くし河はさきく有まて 八雲抄くし河常陸見安云久自郡の川也愚案さきくありまては幸有て我をまて也しほ舟は潮海の舟也わは我也
        那賀ノ郡上ツ丁大舎人部ノ千文《チフミ》
4369 つくはねのさゆるのはなのゆとこにもかなしけいもそひるもかなしけ
         佐由流    由等許  可奈之家      可奈之祁
つくはねのさゆるの花の さゆるはさ百合花にや仙曰ゆとこは夜床也かなしけは悲き也愚案ゆとこのゆ文字の諷詞にゆりの花を讀也昼夜妹を悲ムと也
4370 あられふりかしまのかみをいのりつゝすめらみくさにわれはきにしを
                     須米良美久佐
あられふりかしまの神に 祇曰千文か哥也常陸の防人と見えたり仍つくは山をも讀りあられ降かしまの神とつゝくるはかしましといふ心也すめらみくさとは野民《ヤミン》也民の帝徳にしたかふ事草の春風になひくかことしと云故に民の草葉とも申也はる/\と君命にしたかひて筑紫へ下り侍るほとに鹿嶋の神に祈をしたる心也見安云|須米良美久佐《スメラミクサ》は民也但師説は皇御軍也官軍の心也
         助ノ丁|占部《ウラヘノ》廣方
4371 たちはなのしたふくかせのかくはしきつくはのやまをこひすあらめかも
たちはなの下吹風の 祇曰かくはしきはかうはしき也 
         倭文部《シツヘノ》可良麻呂《カラマロ》
4372 あしからのみさかたまはりかへりみすあれはくえゆくあらしをもたしやはゝかる不破のせきこえてわはゆくむまのつめつくしのさきにちまりゐてあれはいはゝんもろ/\はさけくとまをすかへりくまてに
       多麻波理    久(イこ)江由久阿良志乎母多志夜              牟麻能都米     知麻利    佐祁久 麻乎須
あしからのみさかたまはり 長うた也見安云み坂をめくり也愚案たは助字也仙説如何
かへりみすあれはくえ行 故郷をも身をもかへり見す我はこえゆくと也
あらしおもたしやはゝかる 仙曰あらしおとは心たけく荒きおのこもと云也たしやはゝかるとは立やはゝかると云也愚案荒き男も立はゝかる不破のせきをもこえてゆくと也
むまのつめつくしのさき 馬のつまつく事をつくしといはん枕詞に馬の爪といへり仙曰是は防人を筑紫へ遣されける時の事なれはつくしのさきにとよめるにやちまりゐてはとまりゐて也
もろ/\はさけくとまをす 仙曰さけくはさきく也愚案諸事幸あれと我は祝ひ申さんと也歸り來るまて我はいはゝんと也此哥仙抄には足柄の御坂たまはりと云はたは助字也まはりはまもり也み坂の道をさかしくおそろしけれはあやまちせしとて横目もせす守りゆく也あらしおもたしやはゝかるとは武きおのこも危く思ひて立やはゝかると云事也愚案此説はあらしおを防人のみつからいふにや物おちして防人に似つかはしからねと亦好む人は可用にや或説ニもろ/\は衆也筑紫へむかふ軍衆也
 
     同年二月十四日下野ノ國防人ノ部領使正六位上田口ノ朝臣大戸進ル     2歌數十八首ヲ1但拙劣ノ歌者不v取2載セ之ヲ1 
         火《クは》長《ウ》今奉部《コンフヘノ》与曽布《ヨソフ》
火長《クはチヤウ》 炬火狼煙等の火の事を司るとそ今奉部は姓也与曽布は名也
4373 けふよりはかへりみなくておほきみのしこのみたてといてたつわれは
                    之許乃美多弖
けふよりはかへりみなくて そこの御楯といふをしこのといふ也異国の備へに行は敵軍の矢先の楯となる心也日本紀ニ捕鳥部|萬《ヨロツカ》曰ク萬は為ン2天皇ノ楯《ミタテト》1このこゝろ也けふよりは身をも家をも不顧と也
          火長《クハチヤウ》大田部《ヲタヘノ》荒耳《アラミヽ》
4374 あめつちのかみをいのりてさつやぬきつくしのしまをさしていくわれは
あめつちの神を祈て さつ矢ぬきは薩矢也薩は物部也神祠に上刺を奉る心なるへし
       火長物ノ部ノ真嶋
4375 まつのきのなみたるみれはいはひとのわれを見をくるとたゝりしもころ
   麻都           伊波妣等         多々理之母己呂
まつの木の並《ナミ》たる 仙曰いは人家人也たたりしもころとはたてりしことくと也見安いは人は家人吾妻を云也たゝりしは立心也もころは如にと云心也愚案なみたるは並也並木松也
       寒川《サムカはノ》郡|上丁《カンツヨヲロ》川上《カはカミ       ノ》巨老《ヲホヲキナ》
4376 たひゆきにゆくとしらすてあもしゝにことまをさずていまぞくやしき
   多妣由岐         阿母志々 己等麻乎佐受氏
たひゆきにゆくと 見安云あもは母也しゝは父也二人の親也愚案ことまをさすて暇乞の事も申さてと也仙抄ニはあもしゝ妻也云々
        津守《ツモリノ》宿禰|小黒栖《ヲクロス》
4377 あもとじもたまにもかもやいたゝきてみつらのなかにあへまかまくも
   阿母刀自  多麻          美都良    阿敝
あもとじも玉にも 阿母刀自母刀自に同く母也見安云みつらの中ひんつらの中に也愚案あへまかまくもはあへてまかまし物を也(髪/告)中珠の事本文也法華経にあり前に注す
        都賀《ツカ・トカ》ノ郡上丁|中臣部《ナカトミヘノ》足《タ       ル》國
4378 つくひ夜はすくはゆけともあもしゝかたまのすかたはわすれせなふも
   都久比   須具      阿母志々          西奈布母
         足利《アシカヽ》ノ郡上丁大舎人部ノ祢《ネ》麻呂
つくひ夜はすくはゆけとも 仙曰つくは月次の月也ひよは日夜也すくはゆけともとは過はゆけともといふ也愚案わすれせなふもは忘れせなくと也もは助字也
4379 しらなみのよするはまへにわかれなはいともすべなみやたびそでふる
しら波のよする濱へに やたひ袖ふるとは八度也物のおほきを八と云あまたゝび袖ふりて名残をおしむさま也
        梁田《ヤナタ》郡ノ上丁|大田部《ヲホタヘノ》三《ミツ》       成
4380 なにはとをこきてゝ見れはかみさふるいこまたかねにくもそたなひく
   奈尓波刀  己岐泥氏        伊古麻多可祢
なにはとをこき出て 難波津より生駒の高根の雲の眺望也上古より高山突出すれは神さふると云也
         河内《カウチノ》郡上丁|神麻續部《カンヲミヘノ》嶋麻呂
4381 くに/\のさきもりつとひふなのりてわかるを見れはいともすへなし
   具尓々々  佐岐毛利
くに/\のさきもり 諸國の防人難波津より筑紫に出航すれは一人とゝまるへきやうもなくともに出立心なるへし
         那須郡上丁|大伴《トモノ》廣成
4382 ふたほかみあしけひとなりあたゆまひわかするときにさきもりにさす
   布多富我美阿志氣     阿多由麻比和我     佐伎母里
ふたほかみあしけ人也 仙曰ふたほは二《フタ》へなりかみはたましゐ也あしけは悪き也あたゆまひとはあたひのまいない也心は二重魂悪き人也|賂《マイナヒ》のために物なと采らせたれは取納て後又防人にさすと也
         塩屋《シホヤノ》郡上丁|丈部《サカヘノ》足《タル》人
4383 つのくにのうみのなきさにふなよそひたしでもときにあもかめもかも
                    多志泥毛等伎尓阿母我米母
つのくにの海の渚に 仙曰たしてもときにとはさし出ん時にと也愚案あもかめもかもとは母の見るめもかなと也此作者寒川以下塩屋等の郡の名皆下野の国也
 
      同年二月十六日下総國防人部領使少目從七位下縣犬養《アカタイヌカヒノ》      宿禰|淨《キヨ》人進ル2歌數二十二首1但シ拙劣《セツレツノ・ツタナコ      ヲトレル》歌十一首は者不v取2載之ヲ1
        助ノ丁|海上《ウナカミノ》郡海上ノ國ノ造|他田《ヲサタ》       日奉直《ヒマツリアタヒ》得大理《トコタリ》
4384 あかときのかはたれどきにしまがきをこきにしふねのたつきしらすも
   阿加等(イつ)伎 加波多例等枳 之麻加枳
あかときのかはたれ時き 祇曰哥に義なしあかときは暁也かはたれ時は彼《カレ》は誰といふ詞也仙曰夕をたそかれと云か如に暁をかは誰時と云也しまかきは嶋陰也たつきとはたより也
       葛餝《カツシカノ》郡|私部《サキイチヘノ》石嶋《イシシマ》
4385 ゆこさきになみなどゑらひしるへにはこをらつまをらをきてらもきぬ
   由古作枳尓奈美奈等    志流敝(エ) 古乎等都麻乎等
ゆこさきになみなと 行さきには日|次《ナミ》なと撰ひしりへには子をも妻をも置てきたりと也ゆこはゆく也しるへは後《シリ》也子をら妻を等《ラ》をきて等《ラ》の等《ラ》皆助字也或説云なみなとゑらひとは波の渡を得ると也
        結城《ユウキ》郡|矢作部《ヤツクリヘノ》真長《マナカ》
4386 わかかとのいつもとやなきいつも/\おもがこひすゝなりましつしも
         以都母等夜奈枳     於母 古比須須(童奈) 奈理麻   之都之母
わかかとのいつもと柳 此哥童蒙抄ニはおもか戀すなとあり仙曰五本柳はもろこしに陶渕明といふ物閑居を好て門に五柳を植たり仍五柳先生といひきそれによそへてよめる也おもといふも女也なりましつしもとはありさましつる也と云也見安云こひすゝは戀する也愚案此仙抄は童蒙抄を用童蒙ニ戀すなと有もすなる也此柳に妹か有さましつると也
        千葉《チバ》ノ郡大田部ノ足人
4387 ちはのぬのこのてかしはのほゝまれとあやにかなしみおきてたかきぬ
   知波乃奴乃   加之波  保保麻例等          他加枳奴
ちはのぬのこの手柏 袖中抄云下野の防人か哥也千葉郡は彼国に在其野の柏也童蒙抄云児手柏とかけり幼《ヲサナ》き人の手ほとにちいさき柏を云也仙曰ほゝまれとはいまた開ぬ也たかきぬとは遠く來ぬと云也心はおさなき子なとのあやしく悲きを置てはる/\きぬると也
        占部《ウラヘノ》蟲《ムシ》麻呂
4388 たびとへどまたびになりぬいへのもがきせしころもにあかづきにけり
   多妣等弊等
たひとへとまたひに 仙曰たひとへど旅といへどゝ云也いへのもがとは家の妹がと云也見安云またひ真の旅也愚案旅といへと大かたなるもあるに真《マコト》の旅になりしと也
        印波《インハノ》郡|丈《サカ・ハセ》部ノ直《アタヒ》大        麻(歳トシイ)呂
4389 しほぶねのへこそしらなみにはしくもおふせたまほかおもはへなくに
   志保不尼乃弊古祖     尓波志久母     
しほ舟のへこそ白波 見安云にはしくもしけくおもき心也愚案にはとは日和のよき悪きと云には也しくはしきりなる也おふせたまほかは仰給哉也防人に立《タ》てと云事を茂く重くも仰給ふ哉思はずにと也        
         援(獣偏)島《サシマノ》郡|刑部《ヲサカヘノ》志加麻呂
4390 むらたまのくるにくきさしかためとしいもかこゝりはあよくなめかも
   牟浪他麻乃久留尓久枳          去去里  阿用久奈米
むらたまのくるにくきさ 見安云むら戸に釘さす也村戸は妻戸也くるはくるゝき也くさひの事を云也仙曰田舎渡りのいやしき賤か宿には隙荒き垣の戸にくるゝとてくさひさしてかたむる戸のある也いもかこゝりとは妹か心也あよくなめかもとはあゆくなみかもと云也心は男のある時には家のおほつかなき事もなくあるきなとするに男は防人に立ぬれはくるに釘さし堅めて妹か心はしつかにてあるきたかふこともなくなりなんと讀る也師説は第四句迄は仙説と同あよくなけは危くなき也云々
       結城《ユフキノ》郡|忍海部《ヲシウミヘノ》五百《イホ》麻呂
4391 くに/\のやしろのかみにぬさまつりあがこひすなんいもかかなしさ
                        須奈牟
くに/\のやしろのかみに あかこひすなんとはあか事をこひ祈るらんと也あかは吾也
       埴《はン・ハニ》生《フノ》郡大伴部ノ麻与佐《マヨサ》
4392 あめつしのいつれのかみをいのらはかうつくししはゝにまたことゝはん
   阿米都之(イち) 可美乎
あめつしのいつれの 仙曰あめつしとはあめつち也うつくし母とは我をうつくしむ母也
       結城郡|雀部《サヽイベノ》廣島
4393 おほきみのみことにされはちゝはゝをいはひへとをきてまゐてきにしを
            佐例波
おほきみのみことに 仙曰みことにされはとは御ことにしあれは也しあはさとよはるれは引合て云也愚案いはゐべはをく物なれは父母を故郷に置てまうて來にしといはんとていはひへと置てと云也きにしをのをは助字也
        相馬《サウマノ》郡大伴|子羊《コヒツシ》
4394 おほきみのみことかしこみゆみのみにさねかわたらんなかきこのよを
                由美
おほきみのみことかしこみ 王命をかしこまる故に防人につくしに行て夢のみ見つゝ長夜をねてわたらんかと也故郷を思ふ夢のみにて明すを歎く心也ゆみは夢也
    同年二月十七日獨惜ム2龍田山ノ櫻ノ花ヲ1歌一首 
               兵部少輔大伴家持
4395 たつたやま見つゝこえこしさくらはなちりかすきなんわかかへるとに(古來)
   多都多夜麻        佐久良波奈       和我可敝流刀祢(イね)
たつた山見つゝ越こし 仙曰かへるとにとは我か歸るさきにと云也 イかへるとね とにと同
 
    同日獨見テ2江ノ水ニ浮漂《ウカミタヽヨフ》糞《アクタヲ》1怨2恨《ウラミウラムテ》貝玉ノ不ルヲ1依ラ作ル歌一首 
                兵部少輔大伴家持
4396 ほり江よりあさしほみちによるこつみかひにありせはつとにせましを
            (古來風―みつしほに)許都美
ほり江より朝しほみち 難波の堀江なるへしこつみこゝはあくたの事なるへし
 
    同日在テ2舘門ニ1見テ2江南ノ美女《ヲトメヲ》1作歌一首
4397 見わたせはむかつおのへのはなにほひてりてたてるははしきたかつま
見わたせはむかつおのへ むかつおのへとはむかふ尾上也花の匂ひ照ルかことく照かゝやき立ゐるは誰妻そやと也はしきはほむる詞也
 
    同年二月十九日|為《ナリテ》2防人カ情《コヽロト》1陳テv思ヲ    作歌一首并短歌          
                     兵部少輔大伴宿禰家持
為防人情 家持兵部少輔也兵部は武官の事をつかさとれは防人等の事をも知て其故郷を離波上数百里におもむくを憐給也
4398 おほきみのみことかしこみつまわかれかなしくはあれどますらおのこゝろふりおこしとりよそひかどでをすれはたらちねのはゝかきなてゝ若草のつまはとりつき平らけくわれはいはゝんよしゆきて早かへりことまそでもちなみたをのこひむせひつゝかたらひすれはむら鳥のいてたちがてにとゞこほりかへりみしつゝいやとをに国をいはなれいやたかに山をこえすぎあしがちる難波にきすてゆふしほに船をうけすへあさなぎにへむけこがんとさもらふとわがをるときに春霞しまべにたちてたづがねの悲み鳴けははろ/\にいへをおもひておひそやのそよとなるまでなけきつるかも
大王      大夫情    門出     久    好去而 還来  言語 群    伎為(ゐイ)※[氏/一]   佐毛良布  和我   多頭
(イなくは)  波呂(イる)婆呂(イる)尓   於比曽箭
ますらおの心ふりおこし 別は悲けれと丈夫の臆すへきかはと心をおこして旅|装《ヨソ》ひすると也
母かきなてゝ 子の防人にさゝれて千里に首途すれは母の撫|憐《アはレ》み妻は取つきつゝ平安を祝ふさま也
いてたちかてに 出立兼て彼ますらおの心をおこしなから猶とゝこほり跡かへり見なとするさま也
へむけこかんと 舟の舳をさしむけこき侍ふとてと也
春霞 嶋邊に立てといはん諷詞也島に立鶴の悲み鳴事をよそへて誰も舟こき候ふと名残を思ひなけきなく事を云也
はろ/\に 遙々に也
おひそや 見安云おふ征箭《ソヤ》也愚案そよとなるとは防人のおひたる征矢のわか泣聲にひゝきてそよとなるほとなけくとと也
反歌
4399 うなはらに霞たなひきたつかねのかなしきよひはくにべしおもほゆ
              多頭
うなはらに霞棚ひき 国へしのしは助字也故国を思ふと也
4400 いへおもふといをねずをれはたづがなくあしべも見えずはるのかすみに
いへおもふといをねす 家思ふ折に鶴もなき芦へ霞みて旅懐一入かなしかるへし是は防人か心を思遣て也
 
    同年二月廿二日信濃國防人部領使|上道《カミミチ》得《エテ》v病ヲ不《ス》v來ラ進《タテマツル》2歌十二首ヲ1但シ拙劣《セツレツノ》歌九首は者不v取2載《トリノセ》之ヲ1  
     國造《クニノミヤツコ》小縣《チイサカタノ》郡|他田舎人《ヲサ     タトネリノ》大|嶋(こざとへん)《シマ》
4401 からころもすそにとりつきなくこらををきてぞきぬやおもなしにして
                            意母
から衣すそに取付 おもなしにしては見安云母なしにしてなり小縣郡等信濃也
 
      主帳|埴科《ハニシナノ》郡|神人部《カントヘノ》子忍男《コ      ヲシヲ》
4402 ちはやふるかみのみさかにぬさまつりいはふいのちはおもちゝかため
ちはやふる神のみ坂 信濃の御坂は神のおはす所なれは也おもちちは見安云母父也愚案防人の謌父母を思ふ物おほし事リテv親ニ其心君に推及《ヲシヲヨホ》す坂東の武士忠義おもひやられて殊勝にや心をつくへし
      小長谷部《コはセへ》笠麻呂
4403 おほきみのみことかしこみあをくものたなびくやまをこよてきぬかも
                         古與(イ)江※[氏/一]
おほきみのみこと 王命をおそれおもんして防人と成て遠く山越來しと也仙曰こよてとはこえて也
 
     同年二月廿三日上野國防人部領使|大目《ダイサクハン》正六位下|上毛野君《カウツケノヽキミ》駿河《スルカ》進2歌數十二首1但拙劣ノ歌八首は者不v取2載之1
       助ノ丁上毛野ノ牛甘《ウシムマ》
4404 なにはぢをゆきてくまでとわきもこかつけしひもかをたえにけるかも
                     都氣之(イの)非毛我乎
なにはちを行て來 難波路を行て歸來る迄と妹か付し紐なりけんを早絶きれしと也日数へて遠く來し心にや
      朝倉ノ益《マス》人
4405 わがいもこかしのひにせよとつけし紐いとになるともわはとかじとよ
   和我伊母古我          比毛
わかいもか(こ)しのひに 忍ひにせよは忘形見にせよと也糸になるとは古びやつれし心也
      大伴部節《フシ》麻呂
4406 わがいはろにゆかもひともがくさまくらたひはくるしとつげやらまくも
   和我伊波呂尓    
わかいはろにゆかも人もか 仙曰いはろとは家也愚案我家にゆかん人もかな旅は苦しと告やらんと也いはろのろまくものも皆助字
       他《ヲサ》(イ池)田部《タヘノ》子磐前《コはヘ》
4407 ひなぐもりうすひのさかをこえしだにいもかこひしくわすらえぬかも
         宇須比                和須良延奴
ひなくもりうすひの 見安云日の薄曇りたるによそふるなり八雲抄うすひの坂上野云々碓氷《ウスヒ》坂の故郷遠からぬを越したに妹戀しかりしにまして遙の旅にてはと也
    
 
    同年二月二十三日|陳《ニフル》2防人悲|別《ワカレノ》之|情《コ    ヽロヲ》1歌一首并短歌四首
         兵部少輔大伴宿祢家持
4408 おほきみのまけのまに/\さきもりにわかたちくれははゝそはのはゝのみことはみものすそつみあげかきなでちゝのみのちゝのみことはたくつのゝしらひげのうへゆなみたゝりなけきのたはくかこしものたゝひとりしてあさとてのかなしきわかこあらたまのとしのおなかくあひ見すはこひしくあるへしけふだにもことゝひせんとおしみつゝかなしひませは若草のつまもことももをちこちにさはにかくみゐうくひすのこゑのさまよひしろたへのそてなきぬらしたつさはりわかれかてにとひきとゝめしたひしものをすめろきのみことかしこみたまほこのみちにいてたちをかのさきいたむむることによろつたひかへりみしつゝはろ/\にわかれしくれはおもふそらやすくもあらすこふるそらくるしきものをうつせみのよのひとなれはたまきはるいのちもしらす海原のかしこきみちをしまつたひいこぎわたりてありめくりわかくるまてにたひらけくおやはいまさねつゝみなくつまはまたせとすみの江のあかすめがみにぬさまつりいのりまをしてなにはつに船をうけすへやそかぬきかことゝのへてあさひらきわはこきてぬといへにつけこそ
大王   嶋守  和我   波々蘇婆   美母   知々能未   多久頭怒能  之良比氣  乃多婆(イま)久  可胡自母乃   吾子   今日  之備麻勢婆(イ伊麻世)  若草    春鳥    蘇泥(下に土) 天皇
出立   乎可<乃>佐伎  伊多牟流   波呂(イる)波呂(イる)   和我
はゝそはの 柞葉也母の命といはん諷詞也
みものすそ 御裳のすそつみあけと也
ちゝのみの 見安云千千の木の実也愚案是も父とい諷詞也んとて也
たくつのゝしら髭 見安云たくつのはたへなる角《ツノ》也しらひけは白きひげ也愚案この集三にも栲(旁の下半分丁)角のしらきと有しらといはん諷詞也栲(旁の下半分丁)の穂も白き也
なみたゝり 見安云ひたいの波の心也
なけきのたはく 見安云歎きのたまはく也
かこし物只独 鹿は子を只一ツ生を諷詞に置也
けふたにもことゝひ 相對する今たに物いはんと別を惜む心也
さはにかくみゐ 多圍《サハニカコミ》居也見安也おほくまはりにゐたる也
うくひすのこゑのさまよひ 鴬は諷詞也こゑのさまよひ諷詞也なきさまよふ也
をかのさきいたむる舟ニ 仙曰いたむるとはめくる也見安云山の崎をまはるごとに也
かしこきみち おそろしき道也
いこき渡り いは助字也
ありめくり 只めくり也
つゝみなく つゝしむおそれなきなき心也
つまはまたせ まて也
あかすめかみ 吾皇神也吾君|吾皇孫《アカスヘミマノ》尊なといふ心にしたしみたのむ心にて云也
やそかぬき 八十梶貫也おほくかいをつらぬきて也
わはこきてぬと 我はこき出たりと故郷の家につけこせと也
反歌
4409 いへびとのいはへにかあらんたひらけくふなではしぬとおやにまをさね
         伊波倍
いへ人のいはへにか 我平安に出航したりと親に申さは家人の祝言にかあらん其由申せと也
4410 みそらゆくくもゝつかひと人はいへといへづとやらんたつぎしらずも
みそらゆく雲も使と 雲の使には家つと遣へきたよりなしと也
4411 いへつとにかひぞひりへるはまなみはいやしくしくにたかくよすれど
           比里(ろ)弊流(古來風―ひろへる) 多可久
いへつとに貝そ拾へる 濱の波はしきりに高くよするといへと家つとに貝拾ふと也
4412 しまかけにわかふねはてゝつげやらんつかひをなみやこひつゝゆかん
しま陰に我舟泊《はテ》て 舟を泊て故郷へ告遣まほしけれと使なけれは只に戀ゆかんと也是家持卿防人の心ををして讀給ふ也
 
     同年二月二十日武蔵ノ國ノ部領《フレウ》防人使《サキモリノツカヒ》掾《セウ》正六位上|安曇《アツミノ》宿祢|三國《ミクニ》進2歌數廿首ヲ1但シ拙劣ノ者八首者不v取2載之ヲ1
       上ノ丁|那珂《ナカノ》郡|桧前舎人《ヒノクマノトネリ》石前      《イハサキカ》之妻大伴ノ真足カ女
部領防人使 まへに防人部領使と同
4413 まくらたちこしにとりはきまかなしきせろかまきこんつくのしらなミ
   麻久良多之(イ知) 己志      西呂      都久    
まくらたちこしにとり 仙曰枕たちは枕太刀也せろかまきこんとはせろは男也まきこんはまいこん也|詣《マウテ》こん也つくのしらなみは月のしらなく也愚案まかなしきせろは真心におもふ男を云也
       助丁|秩父《チヽブ》郡大伴部|小歳《コトシ》
4414 おほきみのみことかしこみうつくしきまこかてはなれしまつたひゆく
    宇都久之氣(イけ)        麻古 ※[氏/一]波奈礼
おほきみのみこと 見安云まこはよき女也愚案うつくしみ思ふ真子等也仙はうつくしけと点ス古点きと和ス改めん事無責にやてはなれは手離れ也
       主帳《フミヒト》荏原《エはラノ》郡物ノ部ノ歳徳《トシトコ》
4415 しらたまをてにとりもしてみるのすもいへなるいもをまた見でももや
            母之(イち)※[氏/一] 美流乃須母  毛母也
しらたまを手に 仙曰てにとりもしては手に取持て也みるのすもは見るぬしも也愚案また見てものて濁《ニコリ》て讀へし心は玉を手に持てみる我も妹を又見すしてもや防人にゆかんと也下のも助字也
    
        妻|椋椅部《クラハシヘノ》刀自賣《トジメ》
4416 くさまくらたひゆくせながまるねせはいはなるわれはひもとかずねん
                     伊波
くさまくら旅ゆくせな 防人か妻返哥也仙曰いはなるは家なる也
        豊嶋《トシマノ》郡上ツ丁椋椅部ノ荒虫《アラムシカ》之|妻      《メ》宇遅部《ウツヘノ》黒女《クロメ》
4417 あかこまをやまのにはかしとりかにてたまのよこやまかしゆかやらん
            波賀志   加尓※[氏/一]  加志由加也良牟
あかこまを山野に 仙曰あかこまは我駒といへるにや山野にはかしとはあなちと云也とりかにては取かねて也かしゆかやらんはかちよりややらんと云也見安云玉の横山名所也愚案男をかちにて防人に遣を歎く心也
       荏原《エハラノ》郡上ツ丁物ノ部ノ廣|足《タル》
4418 わがかどのかたやまつばきまことなれわがてふれなゝつちにおちもかも
                麻己      布礼奈奈  於知母
わかかとのかた山椿 片山椿は椿の一種なるへし旅宿の門の椿の美花を見て誠に汝おらまほしけれと我手をふれは落やせんと也まことなれは誠汝也わか手ふれなゝは我手ふれなは也おちもかもはおちんかも也又一説旅館の門の美花真子となれと也真子は女也
        橘樹《タチハナノ》郡上ツ丁物部ノ真根《マネ》
4419 いはろにはあしふたけともすみよけをつくしにいたりてこふしけもはも
   伊波呂   安之布    須美與氣乎        古布志氣毛波母
いはろにはあしふ 仙曰いはろは家也見安云我家也仙曰あしふとは芦火也すみよけをとは住よきを也こふしけもはもは戀しけんやも也戀しからんやといへる也
        椋椅部《クラハシヘノ》弟女《ヲトメ》
4420 くさまくらたひのまるねのひもたえはあがてとつけろこれのはるもし
                              波流母志
くさまくらたひの 仙曰まるねはまろね也つけろとは付よ也これのはるもしは此針持てといへる也愚案此哥は女の針を送りてよめる也旅の独ねに紐たえなはみつからか手とおもひなして此針もちてつけ給へと也
       都筑《ツヽキノ》郡上丁|服部《ハトリヘノ》於田《ウヘイタ》
4421 わかゆきのいきつくしかはあしからのみねはほくもをみとゝしのはね
     由伎  伊伎都久之       美祢波保久毛  美等登
わかゆきのいきつくし 仙曰いきつくしかはとは息つぎしてはと也みねはほくもをとは峯はふ雲也みとゝしのはねは見つゝ忍へと也愚案わか防人にゆく事の歎かはしくは足柄山の雲をみて堪しのひなくさめよと也
 
       妻服部|《アサメ》
4422 わかせなをつくしへやりてうつくしみおびはとかなゝあやにかもねも
                       等可奈奈 阿也尓加母祢毛
わかせなをつくしへ うつくしみはいとおしさにと也おひはとかなくは常はとかなくて也あやにかもねもはあやにくにかもねんと也
       埼玉《サイタマノ》郡上丁藤原部ノ等母《トモ》麻呂
4423 あしからのみさかにたしてそてふらはいはなるいもははさやに見もかも
            多志※[氏/一] 伊波        美毛可母
あしからのみさかに 仙曰三坂にたしてとはたちて也いはなるは家なる也愚案さやに見もかもはさやかにみんよしもかなと也
        妻物ノ部ノ刀自賣
4424 いろふかくせなかころもはそめましをみさかたはらはまさやかにみん
                       多婆良婆
いろふかくせなか衣は 仙曰たはらはとはまはらは也まさやかにはさはやかに也或説手折らは也上りて下るゝ所九折等を云云々
 
      昔年《ソノカミノ》防人ノ歌八首|主典《ステン》刑部《ヲサカヘノ》少録《セウサクハン》正七位上|磐余《イハレノ》伊美吉《イミキ》諸君《モロキミ》抄寫《スキウツシ》贈ル2兵部少輔大伴宿禰家持ニ1
4425 さきもりにゆくはたかせととふひとをみるがともしさものもひもせず
さきもりにゆくは 此ともしさは嫉しき心也防人に行はたか背子そと問慰る人を見るか嫉しくて物思ひもせすと也せめて問れてよろこふも行かたき故なるへし
 
4426 あめつしのかみにぬさをきいはひつゝいませわかせなあれをしもはゞ
   阿米都之    奴佐          和我
あめつしのかみにぬさをき 天神地祇に幣《ヌサ》を釋《ヲク》也是は防人の妻の哥なるへし神に祈て無事に歸らんわざせよさあらは我も心|安《ヤス》からん是我を思ふしわさならんと也
4427 いはのいもろわをしのぶらしまゆすひにゆすひしひものとくらくもへは
          和      麻由須比尓 由須比之
いはのいもろわを忍ふらし 仙曰わをしのふらしとは我を忍ふらし也まゆすひとは真|結《ムス》び也愚案家の妹か我を戀忍ふらし我紐のとくるを思へはと也
4428 わかせなをつくしはやりてうつくしみゑ(古お)びはとかなゝあやにか   もねも(ねん)
    叡比波登加奈々(古來風―おひはとかなく)
わかせなをつくしはやりて 仙曰筑紫はやりては筑紫へやりて也ゑひは帯也愚案是は前の服部呰女か哥に詞少かはれる計也
4429 うまやなるなはたつこまのおくるかへいもかいひしををきてかなしも
   宇麻夜  奈波多都古麻 於久流我弁       於岐※[氏/一]
うまやなる縄たつ駒の 仙曰なはたつ駒とは伏たる馬の縄をきれは起るを云おくるかへは起るかは也心は馬屋の駒の縄切て起るか如く我を起るかはといひし妹を置て悲しと也或説云つなける馬の縄たちて馳(旁巴)するは早き物也おくるかへは後《ヲク》るゝかは也我旅行にもをくるゝかはといひし妹を置來てと也
4430 あらしおのいをさたはさみむひたちかなるましつみいてゝとあかくる
   阿良之
あらしおのいをさ 仙曰あらしおはますら男也いをとは弓といふ詞をかへせはい也あなるましつみとは矢を射やりてはなりをしつめてきくかことくに我もなりをやめて出て來ると也愚案師説はいをさたはさみは五百矢手|挟《はサ》み也やとさと同韻也日本紀第一ニ五百箭之《イヲノリノ》靭《ユキ》とある是也おほくの矢也かなるのか出て出てとのと助字也
4431 さゝがはのさやぐしもよになゝへかるころもにませるころかはたはも
さゝかはのさやく霜夜 笹が葉のそよく也仙曰なゝへかるは七重|着《キル》也愚案ころかはたとは妹か肌也妹を戀る心也
4432 さへなへぬみことにしあれはかなしいもかたまくらはなれあやにかなしも
   佐弁奈弁奴        可奈之    
さへなへぬみことにし 仙曰さへなへぬとは故障せぬせぬみことにあれはといへる也見安云|勅《ミコトノリ》を不《サル》v辞《ジセ》事也愚案さへなへぬは障《サヘ》あへぬ也みことは王命也右八首此たひの家持の知給ふ防人の哥ならす昔年の防人の哥なれは作者不知也
 
    同年三月三日檢校防人 勅使并ニ兵部ノ使人|等《ラ》同ク集ヒテ飲    宴シテ作レル歌三首
檢校防人勅使 防人の事に兵部省よりの使也家持以下の官人にや
        勅使|紫微大弼《シビノタイヒツ》安倍《アヘノ》沙弥麻呂《サ       ミマロノ》朝臣
4433 あさなさなあがるひはりになりてしがみやこにゆきてはやかへりこん
           比婆理
あさなさなあかる 仙曰朝な/\と云詞也
        兵部少輔大伴宿禰家持
4434 ひはりあがるはるべとさやになりぬれはみやこも見えすかすみたなひく
   比婆里
ひはりあかる春邊と さやにはさやかに也祇曰姿面白き哥と云々
4435 ふゝめりしはなのはじめにこしわれやちりなんのちにみやこへゆかん
   布敷
ふゝめりし花の始めに ふゝめりしは含《ツホ》めりし也
 
    昔年《ソノカミ》相替ル防人ノ歌【一首 以下四首上総ノ國ノ大掾正六位上大原ノ真父今城傳誦スト云カ尓年月未v詳】
4436 やみのよのゆくさきしらすゆくわれをいつきまさんととひしこらはも
やみのよの行さき 闇のよは行さきしらすの諷詞也行先しらねはいつ歸らんも不v知をいつ來んと問し妹は哀と也防人か心の哥也
 
    霍公鳥ノ謌一首  先太上天皇御製【日本根子高瑞日清足《ヤマトネコタカミツヒキヨタル》姫天皇謚シテ曰2元正天皇1】
4437 ほとゝきすなほもなかなんもとつひとかけつゝもとなあをねしなくも
   冨等登藝須
ほとゝきす猶も 見安云もとつ人は本なれし人也愚案昔の人を懸てよしなくねをなく比なれは郭公猶も鳴て慰めよと也あをは我を也
 
    應シテv詔ニ奉ルv和《カヘシ》歌一首   薩妙觀《サチノタヘミ》
4438 ほとゝきすこゝにちかくをきなきてよすきなんのちにしるしあらめやも
ほとゝきすこゝに かく御製ある時近く來なけ時過なん後には鳴しるしあらんや有ましきにと也薩妙觀は命婦也奥に材
 
    冬日幸ノ2于|靱負御井《ユキエノミイニ》1之時應シテv詔リニ賦スルv雪ヲ歌【一首 于v時水主|内親王《ヒメミコ》寝膳不シテv安ラ累日不v参ラ此日太上天皇勅シテ2侍嬬等ニ1曰ク為v遣ン2水主内親王ニ1賦シテv雪ヲ作シv歌者レは於v是諸ノ命婦等不v堪v作v歌ヲ而石川ノ命婦獨柞2此歌ヲ1奏v之ヲ】
               内命婦《ウチノヒメマウチキミ》石川ノ朝臣諱《イミナハ》曰2邑婆1
靱負御井 大和
水主内親王 天智皇女
寝膳不安 煩ひていぬるも食も不安な
侍嬬《シジユ》 宮仕への女房也
4439 まつがえのつちにつくまてふるゆきをみずてやいもがこもりをるらん
   麻都我延
まつかえの土につく かく面白き雪を内親王は見すして籠給ふかと也水主内親王煩てまうのほり給はされは帝のつかはさんとてよましめさせ給へるうた也
 
    上総《カツサノ》國ノ朝集使大掾大原ノ真人《マツト》今城《イマキ》    向フv京ニ之時餞スル之歌二首   
             郡司カ妻女|等《ラ》
4440 あしからのやへやまこえていましなはたれをかきみと見つゝしのはん
あしからのやへ山こえて 八重山いく重もある山也いましなはおはさはと也今城の上京の跡には誰を足下と見て戀しさを忍んと也
4441 たちしなふきみかすかたをわすれすはよのかきりにやこひわたりなん
たちしのふきみか姿 都に立しなへる今城はえ忘ましけれは我世の限戀渡んと也
 
    同年五月九日兵部少輔大伴宿禰家持カ之宅(イ)集宴ノ歌四首
           大原ノ真人今城
4442 わかせこかやとのなてしこひならへてあめはふれともいろもかはらす
わかせこか宿の撫子 日並へては日数重ねて也撫子の色よきをいはんとてなるへし
           大伴宿禰家持
4443 ひさかたのあめはふりしくなてしこかいやはつはなにこひしきわかせ
ひさかたの雨は 其日雨降しきりたるなるへし撫子の初花の如くに戀しき今城也と也上総に行故兼てかく云也
           大原真人今城
4444 わかせこかやとなるはきのはなさかんあきのゆふへはわれをしのはせ
わかせこかやとなる 祇曰萩の花咲ん秋の夕暮は我を忘す忍へといふ心也愚案五月九日比は萩未さかされはかくいへり
 
    即聞テ2鴬ノ哢《ナキヲ》1作歌一首
            大伴宿禰家持
4445 うくひすのこゑはすきぬとおもへともしみにしこゝろなをこひにけり
   宇具比須    
うくひすの聲は過ぬと 五月には時過たる鴬なから春より愛せし習ひに猶戀ると也
 
    同年五月十一日左大臣橘ノ卿宴スル2右《ウ》大イ辨《ベン》丹比《タ    シヒノ》國人ノ真人《マツト》之|宅《イヘ》ニ1歌三首
        壽《コトフキスル》2左大臣ヲ1歌
           丹比國人真人
4446 わかやとにさけるなてしこまひはせんゆめはなちるないやをちにさけ
わかやとにさける撫子 祇曰さけるなてしこまひはせんとはまいなひせむ努々ちるないよ/\たえすさけと云心也まひないせんとは人に物を出す事也花に心を付てよめり古今春されはのへに先さく見れとあかぬ花まひなしに只なのるへき花の名なれや此哥定家卿花もいひなしにと注をかゝれたり但この撫子の哥には心不叶只歌によるへし或説云いやおちには弥後に名
        和歌   左大臣
4447 まひしつゝきみかおほせるなてしこかはなのミとはんきみならなくに
まひしつゝきみかおほせる 見安云まひしつゝまいなひの心也愚案國人ノ真人《マツト》咲る撫子まひはせんとよめるをうけてまひしつゝ君か生ふせるとよめり我は此撫子故にのみとひ來ルにはあらす君を只思へは常にこんと懇意をあらはせる哥也作者左大臣は諸兄公名
    
        寄テ2味狭藍《アチサヰノ》花ニ1詠《ヨメル》  
               左大臣
4448 あちさゐのやへさくことくやつよにをいませわかせこみつゝしのはん
あちさゐのやへさく 見安云やつよは八千代の心也愚案やつよにをのをは助字也花の八重にかさなれることく八千世おはせと國人を祝給へる也
 
    同年五月十八日左大臣宴スル2於兵部卿橘ノ奈良麻呂ノ朝臣ノ之宅ニ1謌三首                    治部卿船ノ王
4449 なてしこかはなとりもちてうつら/\見まくのほしききみにもあるかも
なてしこか花とり持て 袖中抄云うつら/\とはつら/\と云詞歟うは休め詞也こと心もなく物を見るをつら/\見ると云也仙曰うつら/\とはうつくしき也愚案袖中抄の義可用か
 
        追作     兵部少輔大伴宿禰家持
4450 わかせこかやとのなてしこちらめやもいやはつはなにさきはますとも
わかせこか宿の撫子 いや初花にとは弥めつらかに咲そひ/\咲ますとも落はせしと也
4451 うるはしみあかもふきみはなてしこかはなになそへて見れとあかぬかも
うるはしみあかもふ 仙曰うるはしみもほむる詞也花になそへてはなそらへて也祇同
 
    同年八月十三日在テ2内ノ南安殿ニ1肆宴《トヨノアカリスル》歌二首
           内匠頭《タクミノカミ》兼播磨ノ守正四位下|安宿《ヤスヰノ》王奏之
内南安殿 南安殿は禁中の殿舎也
4452 をとめらかたまもすそひくこのにはにあきかせふきてはなはちりつゝ
をとめらかたまも 此庭は禁庭也官女の裳すそひきさまよふさま也花はちりつゝは草花なるへしつゝといふにゑならぬ心こもれり
 
        兵部少輔從五位上大伴宿禰家持 未v奏
4453 あきかせのふきこきしけるはなのにはきよきつくよに見れとあかぬかも
あきかせのふきこき 秋風吹て花こきちらす心也しけるは頻の字なるへし花のにはは禁庭を云也きよきつくよは清月夜也
 
    十一月廿八日左大臣集於兵部卿橘奈良麻呂朝臣宅宴歌一首
              左大臣
4454 たかやまのいはほにおふるすかのねのねもころ/\にふりをく白雪
   高山             根
たかやまの巌に生る 上句菅の根のといふ迄はねもころ/\にの諷詞也ねもころ/\に諷詞也懇にと云心也
 
    天平元年|班田《アカチタノ》之時ノ使ヒ從リ2山|背《シロノ》國1    贈ル2薩妙觀《サチノタヘミノ》命婦等《ヒメマウチキミラカ》所《モトニ》1歌|副《ソフ》2芹子裹(上は果)《セリノフクロニ》1一首 以下ノ二首は左大臣讀トv之云v尓 左大臣は是葛城ノ王 後ニ賜2橘ノ姓ヲ1
              葛城王
天平元年班田之時使 續日本紀十天平元年三月癸丑|班《アカツコト》口分田ヲ1依テv令ニ収メ授ルニ於v事不《ス》v便アラ請フ悉ク収テ更ニ班ン下畧人々の口分田を古令に依ておさめ授に當時不便の事あれは悉先おほやけに収《ヲサ》めて更に當代の便に随ひて班《アカチ》ち給はんと也同紀又云十一月癸巳任ス2京及機内ノ班田司ヲ1下畧此集ニいへるは此時の事なるへし此使といへるは葛城王也天平元年三月正四位下に叙す此使といへるは班田司なるへし彼おほやけに収め更に班《ワカ》ち給ふに付て品々ある事の奉行也續日本紀同所ニ又阿波ノ國山背ノ國ノ陲田は者不v問2高下ヲ1皆悉ク還《カヘシ》v公ニ即チ給フ2當土ノ百姓ニ1但シ在ル2山背ノ國ニ1三位已上の陲田は者|具《ツフサニ》録シテ2町段ヲ1附テv使ニ上奏セヨ以外は悉ク収下畧此使といふは此所にて心得へし班田の事は孝徳天皇御宇に沙汰有日本紀二十五ニ三年自2正月1至テ2是月ニ1班田《アカチタ》既ニ訖ンヌ凡ソ田ノ長《タケ》三十歩ヲ為v段十段ヲ為v町ト段ノ祖稻一束半町ノ祖稻十五束
4455 あかねさすひるはたゝひてぬはたまのよるのいとまにつめるせりこれ
あかねさすひるはたゝひて 童蒙抄ニはたゝにてと有赤根さす日と云懸て也昼のほとは只に使の役義をつとめてよるのいとまに是芹をつみて進《マイラ》すと也
 
    報贈《ムクヒヲクル》歌一首    薩妙觀命婦
4456 ますらおとおもへるものをたちはきてかにはのたゐにせりそつみける
                多知   可爾波
ますらおと思へる物を 可爾波《カニは》の田井名寄歌枕等山城と云々葛城王を大夫と思ひしに太刀はきて此田井の芹つみて賤のわさする人よと也
 
     天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申太上天皇太皇大后幸2行シ     於河内ノ離宮ニ1經信ス以2壬子1傳2幸ス於難波ノ宮ニ1也三月七日於2河内ノ國|伎人郷《クレヒトノサト》馬國人《ムマノクニヒトノ》之家ニ1宴スル歌三首
              兵部少輔大伴宿祢家持
天平勝寶八歳丙申 續日本紀十九曰八歳春二月戊申行2幸ス難波ニ1是日至リ2河内國ニ1御ス2智識寺ノ南行宮ニ1己酉天皇幸シテ2智識山下大里|三宅《ミヤケ》家原鳥坂等ノ七寺ニ1礼スv佛ヲ庚戌遣シテ2内舎人ヲ於六寺ニ1誦經ス襯施有v差壬子大ニ雨ル賜フ2河内國ノ諸社ノ祝《ハフリ》祢宜等一百十八人ニ正税ヲ1各有v差是日行2至難波ノ宮ニ1御ス2東南新宮ニ1下畧此集に河内ノ離宮といふは此紀の智識寺の南行宮にや此紀の礼佛誦經等を此集には經信といふなるへし壬子難波宮に行幸此集彼紀符節を合たるかことし
4457 すみの江のはまゝつか根のしたはへてわか見るをのゝくさなかりそね
すみの江の濱松かね 離宮にみゆきの時彼国にてよめる故ニ此詞書あるなるへし             主人位寮散位馬ノ史《フヒト》國人《クニヒト》
主人 けふの宴の亭主也
散位寮散位 是職員令にも見えたる官なから今は減省の官也馬は姓史は尸也
4458 にほとりのおきなかゝはゝたえねともきみにかたらんことつきめやも にほ鳥のおき中河 祇曰鳰鳥のおき中川とは息長きと云心也いきおきと相通なれは也中といふ字を長とよむ故也仙抄見安同義
          式部ノ少丞大伴ノ宿祢池主 或云兵部大丞大原ノ真人今城先日所v讀歌也 
4459 あしかりにほり江こくなるかちのをとはおほみやひとのみなきくまてに
   蘆苅
あしかりに堀江こく 難波の堀江なるへし芦かりにとてこく舟の梶の音高くて宮人の皆聞程にと也此哥河内国にて三首の内なるに堀江を讀は不審の故ニ池主讀といへと今城か先日他所にて讀しといふ或説を作者の下に注をそへられしさもや侍らん
       同年三月二十日江ノ邊《ホトリニテ》作レル歌三首
          大伴宿祢家持
4460 ほり江こくいつての船のかちつくめをとしはたちぬみをはやみかも
         伊豆手     都久米 於等之婆多知奴
ほり江こく伊豆手の 伊豆手の船前ニ注仙曰梶つくめとは舟の梶をつかぬる也見安云つくめはとる心也古き言《コトハ》也愚案両義の中には梶とるといふ儀下句にかけてよく聞ゆるにやをとしはたちぬは梶とる音しは/\たつるは水尾のはやきゆへかと也但つかぬるもとる心なるへし
4461 ほり江よりみをさかのほる梶の音のまなくそならはこひしかりける
                       奈良
ほり江よりみをさかのほる 水尾は水ふかくて船のかよふ所也序哥也まなく故郷を戀ると也
4462 ふなきほふほり江のかはのみなきはにきゐつゝなくはみやことりかも
ふなきほふほり江の 祇ふなきほふとは舟《フナ》よそひと云也仙同みなきはゝ汀也都鳥義なし
  
      同日依テv興ニ作歌【二首 今勘ニ至テ2于|此《コヽニ》1聖武天皇ノ御宇ノ之歌也叡覧ノ之時此ノ集未v可v終2於茲ニ1】
大伴宿祢家持
4463 ほとゝきすまづなくあさけいかにせはわがかどすぎじかたりつぐまで
         麻豆              須疑自   都具
ほとゝきす先なく わか門過しは不過也外よりとくなく朝けの聲のいかにせは人にも語り傳ふまで我門過す久しく鳴んと也
4464 ほとゝぎすかけつゝきみかまつかげにひもときさぐるつきちかつきぬ
ほとゝきすかけつゝ 一二句は松陰にといはん諷詞也郭公待に付て松陰に納涼すへき比のちかつきしと也
 
    同年六月十七日|喩《サトス》v族《ヤカラニ》歌【一首并短歌 自此以下聖武天皇崩御之後追テ加ル之ヲ歟聖武天皇ノ崩御諷詞也天平勝宝八年五月二日云云此歌六月十七日作v之故也】
大伴宿禰家持
縁《ヨツテ》3淡海《アフミノ》三船讒スルニ2出雲守大伴ノ古慈斐《コジヒノ》宿祢ヲ1解任セシム是以作ル2此歌ヲ1
喩スv族ヲ歌 家持の一族大伴古慈悲と云人淡海真人三船に讒《サン》せられて朝廷をそしり人臣の礼をなみるといふ化名をおひて衛士府に禁せられしを大伴氏は神代より忠義の臣下の故をよみて古慈斐をさとさるゝ也解任とは官を止らるゝ也
4465 ひさかたのあまのとひらきたかちほのだけにあもりしすめろぎのかみのみよゝりはしゆみをたにぎりもたしまかこやをたばさみそへておほくめのますらたけおをさきにたてゆきとりおほせ山河をいはねさくみてふみとほりくにまきしつゝちはやふる神をことむけまつろへぬひとをもよはしはききよめつかへまつりてあきつしまやまとのくにのかしはらのうねひの宮にみやはしらふとしりたてゝあめのしたしらしめしけるすめろきのあまの日継《ヒツギ》とつぎてくるきみのみよ/\《御代々々》かくさはぬあかきこゝろをすめらへにきはめつくしてつかへくるおやのつかさとことたてゝさづけ給へるうみのこのいやつぎ/\にみるひとのかたりつぎてゝきくひとのかゞみにせんをきよらしきたまにもせんをあからしきつるぎとぐへしいにしへゆあたらその名そおぼろかにこゝろおもひてむなこどもおやの名たつな大伴のうぢと名におへるますらおのども
     御代    御代々々   吉用良之伎宅真尓茂世武乎安加良之伎都流藝刀倶倍之伊尓之敝由安多良
ひさかたのあまの戸開き あもりしは天降也すめろきのかみは皇孫の御事也日本紀第二曰|于時《トキニ》高皇産靈尊《タカミムスヒノミコト》以2真床追衾《マトコヲフフスマヲ》1覆《ヲホヒテ》2於|皇孫天津彦彦火瓊々杵《スメミマアマツヒコヒコホニニキノ》尊ニ1使ムv降《アマクタリマサ》云々而天2降リマス於日向ノ襲《ソノ》之高千穂ノ峯ニ1矣仙曰高ちほのたけは日向国にあり風土記ニ曰天津彦々火瓊々杵尊離レ2天ノ磐座《イハクラヲ》排《ヲシヒラキ》2天ノ八重雲ヲ1稜威《イツノ》之|道別別《チワキニ/\テ》而天2降マス於日向ノ之高千穂ノ二上ミノ峰ニ1時ニ天暗冥ク晝夜不v別|人物《ヒト》失ヒv道ヲ物ノ色難シv別於v是有2土蜘蛛《ツチクモ》1名テ曰大|鉗《はツ》小《ハツト》1二人奏シテ言ク皇孫ノ尊以2尊ノ御手1稜稻《イネノ》千穂ヲ為籾投2散サは四方ニ1得ン2開晴コトヲ1于v時如2大|鉗《はツ》等《ラカ》所ノ1v奏スル槎2千穂ノ稻1為v籾即投散ス天開晴テ日月照光ル因曰フ2高千穂二上峰ト1
はしゆみをたにきりもたし 日本紀第二皇孫降臨の所に云|大伴《トモノ》連《ムラシノ》遠|祖《ヲヤ》天ノ忍日《ヲシヒノ》命|帥《ヒキヰテ》2來目部《クメヘノ》遠祖天ノ(木+患)津大來目《クシツオホクメ》1背《ソヒラニハ》負ヒ2天ノ磐靭《イハユキヲ》1臂《タヽムキニは》著《ハキ》2稜威高鞆《イツノタカトモヲ》1手ニ提2天ノ梔《ハシ》弓天ノ羽《ハ》々|矢《ヤヲ》1下畧天梔弓は占部ノ説ニ梔はクチナシ也黄ニ染シ也
まかこや 天鹿兒矢を上畧せし詞也日本紀一ニ天ノ鹿兒矢云々纂疏ニ云一名天梔矢(弓イ)採テ2天ノ香《カコ》山之梔木ヲ1為ルv之ヲ故ニ命テ曰フ2鹿兒ト1一説ニ射魔之弓也まかこや此類歟
おほくめのますらたけお 仙曰萬多親王姓氏録大十一左京神別中天神大伴宿祢は 高皇産霊ノ尊五世ノ孫 天ノ押日《ヲシヒノ》命ノ後也初メ天孫彦々火瓊々杵尊ノ神駕之際也天ノ押日命大|來目《クメ》部ト立2於御前《ミサキニ》1降2于日向ノ高千穂ノ峯ニ1然後以2大來目部ヲ1為2天ノ靭ノ部ト1靭負之名起レリ2於此ニ1也愚案此文は大來目も大伴の遠祖ニ似タリ
くにまきしつゝ 見安云國廻りする心也愚案日本紀二覓國行《クニマキトヲリ》とよむ国々もとめめくりゆく心なるへし
ちはやふる神をことむけ 悪神をたいらくる也日本紀二ニ曰ク有2殘賊強暴《チハヤフル》横悪《アシキ》神者《カミタチ》1故《カレ》汝先ツ徃テ平ムケヨ之上下畧平の字をむけとよむ
まつろへぬ人をもよはし 日本き不順と書てまつろはぬとよむまつろへぬも不順と同もよはしは催し也したかはぬ人を催しなひけ也
はきゝよめ 拂清る也
あきつしまやまとの国のかしはらの 是神武天皇の御事也日本紀第三神武紀曰辛酉ノ年春正月庚辰朔ノヒ天皇|即2帝位《アマツヒツキシロシメス》於橿原ノ宮ニ1是年為2天皇ノ元年1云々又曰故ニ古|語《コトニ》称(旧字)《ホメテ》之曰於ニ2畝傍《ウネヒノ》之橿原1也|太3立《フトシキタテ》宮2柱ラ於|底磐之根《シタツイハネニ》1峻2峙榑風《チキタカシリテ》於|高天《タカマノ》之|原ニ1而|始2馭v天下《ハツクニシラス》之|天皇《スメラミコトヲ》号テ曰2神ン日本磐余彦火《ヤマトイはレヒコホ》火|出見《テミノ》天皇ト1焉初テ天皇|草2創《ハシメタマフ》天基《アマツヒツキヲ》1之日也|大伴《トモノ》氏之遠祖道ノ臣《ヲミノ》命|師《ヒキヒテ》2大|來目部《クメヘヲ》1奉2承《ウケタマはリテ》密策《シノヒコトヲ》1能以2諷歌《ソヘウタ》倒語《サカシマコトヲ》1掃2蕩《はラヘリ》妖氣《ワサワヒヲ》1倒マ語トノ之用チヒタル始テ起レリ2乎|茲《コレヨリ》1 ふとしりはふとしきと同
あまの日つきと 帝位をつかせ給ふ事也 かくさはぬ見安云|隠《カク》しさはらぬ也
あかきこゝろ 見安云|心《シン》の臓は赤き故にいふ也愚案日本紀ニ赤心と書てきよきこゝろとよむ
すめらへに 見安云すめらきと同事也
おやのつかさとことたてて 遠祖より忠節につかへくる官人とこと立て授け給へるそと也
うみのこ 日本紀|子孫《ウミノコ》と書
かたりつきてゝ てゝはつゝといふ也
きよらしき玉にも 後代の亀鑑にもし玉にもすへく曇らぬ心也イ本きく人のかゝみにせんをあたらしききよきその名そおほろかに心おもひと有てきよらしき玉にもせんをといふより以下いにしへゆあたらといふまて卅二字なし今此本にしたかへりイ本も詞つかひよく聞えたり
あからしきつるきとくへし さひたるつるきをとけと讒言を晴よの心を云
いにしへゆ 古よりのゆへを思へは無礼の名をとるは惜しき事そと也
おほろかに おほろけに也|疎《ヲロソカ》に思ひて先祖の名をくたすなと也
むなことも 見安云むなしき子とも也愚案先祖の忠節を立ぬをいきとをりてはけます詞也 おのともは臣の字也其時はすみてよむへし
反歌
4466 しきしまのやまとのくにゝあきらけくすめらし(イ名におふと)ものをこゝろつとめよ
しきしまのやまとの 日本に住らん物いかて我君をそしり臣の礼をなみすへき勉よと也
4467 つるきたちいよゝとくへしいにしへゆさやけくおひてきにしその名そ
つるきたちいよゝとく 古より大伴といふ名は曇ぬ名そと也深く讒を歎く心也なか哥のつるきとくへしの心也 續日本紀十九天平勝宝八年五月癸亥出雲國守大伴ノ宿祢|古慈斐《コジヒ》内竪《ナイジユ》淡海《アフミノ》真人三船坐《ツミセラレ》d誹2謗《ソシリ》朝廷ヲ1無スルニc人臣ノ之礼ヲu禁セラル於左右ノ衛士府ニ1丙寅詔シテ並ニ放免《はナチユルス》ス 此紀ニは古慈斐三船ともにつみせらるると見ゆ此時の事にや此集には三船か古慈斐を讒せしとみゆ若三船一人つみせらるへかりしを三船讒して古慈斐を縁坐せしめしにやともに同月に放免すとあれはおもきつみにはあらさるへし
 
    同日臥シテv病ニ悲2無常ヲ1欲スルv修コトヲv道ヲ作歌二首
大伴宿禰家持
4468 うつせみはかすなき身なりやまかはのさやけき見つゝみちをたつねな
うつせみは数なき身 たつねなは尋なん也我身は二ツなけれは未來の大事を忘て永く輪廻せんは悲き事也山林に入て菩提を求る道を尋んと也
4469 わたる日のかけにきほひてたつねてなきよきそのみちまたもあはんため
わたる日の影に 日影にきほひてけふも早く道を尋なん此世に縁を結ひをるは未來の浄土の道に又も逢んためと也
 
    同日|願《ネカフ》v壽《コトフキヲ》作歌一首
               大伴宿禰家持
4470 みつほなすかれる身そとはしれゝともなをしねかひつちとせのいのちを
   美都煩
みつほなすかれる身 見安みつほとは水のあはの中の玉也仙曰みつほなすとは水つほの如くなると云也愚案かれる身そとはかりの身とは知ともと也
 
    同年冬十一月五日夜|小《スコシク》雷チ起リ鳴リ雪|落《フリテ》覆《ヲホフ》v庭ヲ忽ニ懐ヒテ感憐ヲ1聊カ作レル短歌一首
           兵部少輔大伴宿祢家持
4471 けのこりのゆきにあへてるあしひきのやまたちはなをつとにつみこな
けのこりの雪にあへ 消残る雪に照あへると也山橘実赤きか霜の白きに照あへる面白きを家つとに摘來なんと成へし
 
    同年十一月八日讃岐守安|宿《ヰノ》王等集テ於出雲ノ掾安宿ノ奈杼《ナト》麻呂カ之家ニ1宴スル歌二首【主人安宿奈杼麻呂語テ曰 奈杼麻呂被テv差2朝集使ニ1擬《キス》v入ント2京師1 因テv此ニ餞スルv之ヲ日各作テ2此歌1聊陳v所v心也】
         掾|安宿《ヤスヰノ》奈杼麻呂
4472 おほきみのみことかしこみおほのうらをそがひに見つゝみやこへのほる
                於保乃宇良
おほきみのみこと 奈杼丸出雲掾にて朝集使に入京の時よめり 於保のうらは出雲の意苧郡なるへし或説遠江と云は非歟王命を貴て此浦をそかひニ見つゝ上京するとよめり
         守《カミ》山背《ヤマシロノ》王
4473 うちひさすみやこのひとにつげまくはみしひのことくありとつげこそ
うちひさすみやこの 内日刺宮古前注奈杼丸上京して我事を都人に告へくは京にて我を見し其日のことく無事にて有と告よと也
      後日ニ追2和スル出雲守山背ノ王ニ1歌作
         兵部少輔大伴宿祢家持
4474 むらとりのあさたちいにしきみかうえはさやかにきゝつおもひしことく 一云おもひしものを
むらとりの朝立いにし 村立は朝立いにしといはん枕詞也朝立行終し君か上は無事ならんと思ひしかことくさやかに見し日のことくありと聞てうれしと也
    
    同年十一月二十三日集テ2於式部少丞大伴宿祢池主之宅ニ1飲宴スル歌二首           兵部大丞大原真人今城
4475 はつゆきはちへにふりしけこひしくのおほかるわれは見つゝしのはん
はつ雪は千重に降 戀しくのとは戀しき事のと云也おほかる我は見つゝ忍はんとは戀しさを雪に慰んと也忍ふは慰む心有
4476 おくやまのしきみがはなの名のことやしく/\きみにこひわたりなん
         之伎美    奈能其等也
おくやまのしきみか しきみといふ名にしきるといふ詞あれはしく/\とよそへいふなりしく/\は頻に也
 
    智努《チヌノ》女王|卒《ミマカラシメテ》後悲傷シテ作歌一首【以下四首傳ヘ讀ルハ兵部大丞大原今城也】
          圓方《マトカタノ》女王
4477 ゆふきりにちとりのなきし佐保ちをはあらしやしてんみるよしをなみ
ゆふきりにちとりの 智努女王佐保河の邊におはせしにや夕霧立千鳥鳴比智努女王とゝもに詠しをなき跡に思ひ出て今よりは荒しやせんと也
 
    行ル2佐保ノ川邉ニ1之時作歌一首  大原ノ櫻井ノ真人《マツト》
4478 佐保河にこほりわたれるうすらひのうすきこ童蒙抄ろをわかおもはなくに
佐保かはに氷り 仙曰うすらひとは薄氷也氷をひといふはひゆる義也愚案此哥上句は序也
 
    藤原ノ夫人【浄御原天皇之夫人字|氷上《ヒカミノ》大刀自】
4479 あさよひにねのみしなけはやきたちのとこゝろもあれはおもひかねつも
あさよひにねのみし やきたちのはと心といはん諷詞也さとき心も我は思ひ分すと也焼太刀の利心は中臣祓ニ焼鎌の利鎌と有類也
 
            作者未v詳
4480 かしこきやあめのみかとをかけつれはねのみしなかゆあさよひにして
かしこきやあめの帝 見安云あめのみかとは天智天皇也愚案天智御諱|天命開別《アメミコトヒラキワケノ》天皇と申故あめの帝と申袋草子に有此哥作者未詳と有然は此帝をいかにかけしにや不知なから王孫の讀るにやなかゆはなかる也あさよひにしては朝夕にと也
 
    勝寶九歳三月四日於2兵部大丞大原真人|今城之《イマキノ》宅《イヘニ》1宴スル歌|属《ツキテ》2植椿ニ1作レリ 一首
            
            兵部少輔大伴宿禰家持
4481 あしひきのやつおのつはきつら/\にみともあかめやうゑてげるきみ
         夜都乎乃都婆吉
あしひきのやつおの 童蒙抄云やつおとは八峯と云な 仙曰椿の葉つるめきたる物なれはつら/\にとよそへ讀る也愚案みともは見るとも也うゑてける君は今城をさして讀なるへし
 
      播磨ノ介藤原ノ朝臣|執弓《トリユミ》赴クv任ニ悲ムv別ヲ歌【一首 主人大原今城傳讀云尓】
           作者未詳
赴任 播磨に下る也
4482 ほり江こえとほきさとまてをくりけるきみかこゝろはわすらゆましめ
                            和須良由麻之目
ほり江こえ遠き里迄 仙曰忘らゆましめとは忘らるましもと云也
    同年勝寶六月二十三日於2大|監物《ケンモツ》三形ノ王ノ之宅1宴スル歌一首           兵部大輔大伴宿祢家持作
4483 うつりゆく時見るごとにこゝろいたくむかしのひとしおもほゆるかも
うつりゆく時見る毎に 時うつり事さりて栄達の人も世にをとろふさまを見ることに古人を思ひ出ると也此哥は勝寶九歳六月二十三日と詞書あり此比は世の變さま/\なる事ありし此時大納言藤原仲麻呂孝謙天皇の寵臣にて恵美押勝《ヱミノヲシカツ》とめされし也押勝わか田村の家に招置申せし大炊王《ヲホイノヲホキミ》を東宮にたてまいらせぬさて此年の五月に新令の外に紫微《シビ》内イ相ウといふ職《シヨク》を置れて仲麻呂を其職に任せしめ内外の諸の兵事をつかさとり其位官禄なとは大臣になそらへ給へり其故に安宿王橘奈良丸大伴古麻呂大伴池主なときこえし人々心をおこしあはせて田村の宮をかこみ仲麿をころし東宮をかへまいらせんとはからひしに此六月に山背王なと其事を孝謙帝に申あらはされけれは彼人々其七月に或は死罪或は流罪におこなはれたり心うかりし事ありきたとひ家持卿は其事にあつからすとも朋友一族此さはきあるへき折にいかて其心いたましからさらんさしも忠節の先祖の名も口おしく侍けん遠くは大伴の武持の大連近くは父君旅人卿なとの事おもひ出給ふへし其心をうつりゆく時見ることに心いたく昔の人しおもほゆるとよみ侍しにや委續日本紀に見ゆ
 
       悲2怜《カナシミテ》物色ノ變化《ヘンクハヲ》1作レル歌一首             大伴宿禰家持
4484 さくはなはうつろふときありあしひきのやますかのねしなかくはありけり
さく花は移ふ時有 花のことく栄耀ある物は衰ふ時あり菅の根なとの山中に時をも分さる物は長久也と也是も英才は時をうしなひ無用の者のほこる世のさまを歎き給へるにや
              大伴宿禰家持
4485 時の花いやめつらしもかくしこそめしあきらめゝあきたつことに
時ノ花いやめつらしも 秋至れは秋花いや珍しく咲たりかくこそ其時々にめし明らめ翫すへけれと也是も此年の七月の哥なれは心有と見ゆ
 
     天平寶字元年十一月十八日於2内裏ニ1肆宴《トヨノアカリスル》歌二首
              皇太子 淡路帝
天平寶字元年 勝寶九歳三月二十日天皇の寢殿の承塵の裏《ウラ》より天下太平といふ四字をのつから生す又駿河国益頭郡よりかいこ字をなして五月八日開下帝釋標知天皇命百年と有しを奉れり其故に勝寶九歳八月十八日を改めて天平寶字元年とす續日本紀に委 皇太子は御諱は大炊寶字元年四月立太子舎人親王御子也
4486 あめつちをてらす日月の極めなくあるへきものをなにをかおもはん
   天地         (イきはもなく)  
あめつちを照す日月《ヒツキ》の 類聚ニはきはもなくと有日月のきはまりなくめてたかるへき物を何をか心もとなく思はんと也此哥も世に謀反の輩あるへきにやと恐れ思召す心あるよりよませ給ふと見ゆるにや
        内相《タイシヤウノ》藤原朝臣
内相藤原 仲麻呂也續日本紀ニ勝寶九歳五月丁卯以2大納言從二位藤原朝臣仲麻呂ヲ1為2紫微《シビ》内相ト1云々
4487 いさ子どもたはわざなせそあめつちのかためしくにぞやまとしまねは
いさ子ともたはわさ 見安云たはれたるわさなせそと也愚案此哥も彼奈良麻呂古麻呂等か仲丸をおひやかし太子を傾《カタフケ》んとせしを嘲《アサケ》りてたはわさなせそと讀るにや 女帝の寵をたのみておこれる心顕然たり終に寵おとろへて誅せられ廢帝も淡路におはしぬ
 
    同年十二月十八日於2大監物《タイケンモツ》三形王《ミツナリノヲホキミノ》之宅ニ1宴スル歌三首  主人三形王
4488 み雪ふるふゆはけふのみ鴬のなかん春へはあすにしあるらし
み雪ふる冬はけふのみ 十二月十九日立春歟
 
        大蔵大輔《ヲホクラノタユウ》甘南備《カンナヒノ》伊香《イ       カノ》真人《マツト》
4489 うちなひくはるをちかみかぬは玉のこよひのつくよかすみたるらん
うちなひく春を 押なへての春と云也
 
        右中辨《ウチウベン》大伴宿禰家持
4490 あらたまのとしゆきかへりはるたゝはまつわかやとにうくひすはなけ
あらたまの年行歸り 年ゆきかよひての心なるへし
 
        薄《ウスンセラレ》v愛《ウツクシミヲ》離別《リヘツスルニ》悲恨《カナシミウラミテ》作ル歌【一首年月未v詳】
             石川ノ女郎《ヲトメ》【藤原宿奈麻呂朝臣之妻】
4491 おほきうみのみなそこふかくおもひつゝもひきならしゝすかはらのさと
おほきうみの水底深く かく淺かるへき人ともしらて深くのみ思ひて此菅原里に通馴し事よと也 大海水底は深くといはん諷詞也裳引ならしゝと諷詞也通ひ馴し心也菅原里は大和也|宿奈《スクナ》丸の在所にや
 
    同年十二月二十三日於2治部少輔《チブノセウ》大原ノ今城《イマキノ》真人之|宅《イヘニ》1宴スル謌一首
              右中辨大伴宿禰家持作
4492 つきよめはいまた冬なりしかすかに霞たなひきはるたちぬとか
   都奇餘米婆    
つきよめはいまた冬 月日をかそふれは冬の内なれとも立春年内に有しとてか霞めると也此年十二月十九日に立春にての同廿三日のうた也
 
   天平寶字二年春正月三日召シテ2侍從《ヲモトヒト》竪子《アツマワラハ》王臣等ヲ1令テv侍ラ2於内裏之|東屋《アツマヤノ》垣下《カイモトニ》1即|賜《タマフテ》2玉|帚《ハヽキヲ》1肆宴ス 于時内相藤原朝臣|奉《ウケタマハリテ》v勅ヲ宣フ2諸王卿|等《ラニ》1随ヒv堪ルニ任テv意ニ作リv歌ヲ并ニ賦セヨトv詩ヲ 仍テ應シテ2詔旨ニ1各陳テ2心緒ヲ1作リv歌ヲ賦スv詩ヲ【一首未v得2諸人之賦v詩并ニ作コトヲ1v歌ヲ也 此歌依2大蔵ノ政ニ1不v堪v奏ルニv之ヲ也】
          右中辨大伴宿禰家持
内相藤原 仲麻呂也前に注ス或説ニ鎌子と有不審 鎌子は大職冠也天平寶字年よりはるか已前天智の朝に薨い給へり
4493 はつ春のはつねのけふのたまはゝき手にとるからにゆらくたまのを
   始   
はつ春のはつねの 八雲御抄に此集の詞をしるして是によりて心得は初春の初子にかくすれは命を延とよめる也俊頼口傳に玉帚は蓍《メド》と申木に子日の松を引具してはゝきに作て正月初子の日かひこかふ屋をはく也といへり又只帚をほむる故に玉帚といへる歟両説にいへりなつめかもとをかきはかんためといへるはまことに只のはゝきときこえたりされは只の帚をほめんとて玉帚といふへし下畧哥林良材大かた此義也袖中奥儀も同義奥儀抄云是をは祝ひの物にして年のはしめには人もまづとる物なれは手にとるからに命なんのふるとよめり上下畧哥林良材云又能因法師の大納言經信にかたりける説に京極の御息所を志賀寺の老法師戀奉りてげざん申ける御息所御手を給りて此哥を詠しけるといへり古き哥をひしりの詠しけん事さもあるへし大かたは万葉の哥なれは事の外のそらことなるへし八雲御抄にも能因以2此哥ヲ1上人のうたと称(旧字)するはひかこと也と俊成もいへり云々(頭注俊成卿説は古來風体に有)註大藏政とは諸国の貢物金銀珠玉を出納等の事をつかさとるよし職員令に見えたり今家持は弁官也太政官は八省の事をもすべをこなふに弁官太政官の丞なれは大蔵の政にかくつら(は)るゝ事勿論也
    
     同年正月為メニ2七日侍ンカv宴ニ預《カネテ》作レル歌一首 依テ2    仁王|會《エノ》事ニ1却テ以2六日ヲ1於テ2内裏ニ1召シテ2諸王卿等ヲ1賜ヒv酒ヲ肆宴シ給フv祿ヲ因テv斯ニ不v奏v之
             右中辨大伴宿禰家持
仁王會 公事根源云仁王護國般若經を講せしむひとへに朝家の御祈のため也云々此時は正月七日にをこなはるゝなるへし
4494 水鳥のかもの羽いろの青馬をけふ見るひとはかきりなしといふ
   (イ)可毛羽能(イ)
水鳥のかもの羽色 第一第二句は春といはん諷詞也青き馬といふにはあらす白馬なれとも青きは春の色なれはあをむまの節會と申由年中行事公事根源等の説也正月七日に青馬を見れは年中の邪氣を除くといふ本文侍也云々祇曰けふ見る人はかきりなしといふとは祝ひの心也家持の哥也愚案鴨羽の色異本同義也
 
    同年正月六日内庭ニ假《カリニ》植《ウヘテ》2樹木《シユモクヲ》1以|作《ナシテ》2林帷《リンイト》1而|為《ナス》2肆宴リヲ1謌一首
           右中辨大伴宿祢家持
正月六日内庭 此前に以六日於2内裏1召シテ2諸王等ヲ1賜v酒と云是也内庭とは内裏の庭也
林帷
4495 うちなひくはるともしるくうくひすはうゑ木のこまをなきわたらなん
   打奈婢久波流           宇恵 之樹間    
ちなひく春とも 春といちしるく鴬の來なかは此うへ木になけと也
 
    同年二月於2式部ノ大輔中臣ノ清《キヨ》麻呂ノ朝臣之宅ニ1宴スル歌十首
          治部少輔大原今城真人
中臣清麻呂 意美麻呂《イミマロ》の子神護景雲二年任シ2中納言ニ1為ル2大中臣ト1
4496 うらめしくきみはもあるかやとのうめのちりすくるまてみしめすありける
                  烏梅
うらめしく君はも もは助字也君は亭主清丸を云みしめすは見せしめす有けると也
         主人中臣ノ清麻呂朝臣
4497 見んといははいなといはめやうめのはなちりすくるまてきみかきまさぬ
                               伎麻左奴
見んといはゝいなと 祇曰花みんといはゝいやといふへき事ならぬを散過るまて君かとはぬを恨て讀り愚案イ本きみかきませはと有不v用v之祇注もきまさぬを用ゆ
         右中辨大伴ノ宿禰家持
4498 はしきよしけふのあろじはいそまつのつねにいまさねいまもみること
           安路自  伊蘇麻都    
はしきよしけふの 仙曰あろしはあるし也愚案いそ松は岩松也つねといはん諷詞也
         主人中臣清麻呂朝臣
4499 わかせこかかくしきこさはあめつちのかみをこひのみなかくとそおもふ
          志伎許散婆
わかせこかかくしき 仙曰かくしきこさはとはかくしけく來はと云也愚案天地の神を祈ても長くきませとおもふと也
         治部大輔|市原王《イチハラノヲホキミ》
4500 うめのはな香をかくはしみとほけどもこゝろもしのにきみをしそおもふ
   宇梅    
うめのはなかをかくはし 祇曰香をかくはしみとは香《カ》濃《クハシ・コキ》也遠けともとは君と我中遠けれども無2断絶1思ふとといへり愚案心もしのには心も常に也俊成卿説
         右中辨大伴宿禰家持
4501 やちくさのはなはうつろふときはなるまつのさえたをわれはむすばな
やちくさの花は やちくさはおほき心也われはむすはなとは我はむすはんと也愛する心にや
         大蔵ノ大輔《タイウ》甘南備《カンナビノ》伊香真人《イカノマツト》
4502 うめのはなさきちるはるのながきひを見れともあかぬいそにもあるかな
   烏梅                       伊蘇    
うめの花咲ちる 見れともあかぬいそは庭の池の礒なるへし次の哥にもあり或石也
         右中辨大伴宿禰家持
4503 きみがいへのいけのしらなみいそによせしばしば見ともあかんきみかも
きみがいへの池の 序哥也波のしは/\よることく見るともあくへき君かはあくましきと也
         主人中臣清麻呂朝臣
4504 うるはしとあがもふきみはいやひげにきませわがせろたゆるひなしに
                       和我世呂(イ古)
うるはしとあがもふ うるはしは友善と書心也あがもふは我思ふ也いやひげには弥毎日也きませわがせろイニはせこと有同心也君と云せこといふもけふの客を云重ていふは懇なる心なるへし
          治部少輔大原今城真人
4505 いそのうらにつねよひきすむをしとりのおしきあがみはきみかまに/\
   伊蘇能宇良尓都祢欲比伎須牟
いそのうらに常よひ 見安云つねよひきすむ常により來住也愚案此池の礒を紀州の礒浦に比してにや融公の塩竃の類にや上句は序也わか身をおしむも君かためなれは君かまゝにと也
 
    依テv興《ケウニ》各思テ2高圓《タカマトノ》離宮ノ處ヲ1作レル歌五首
             右中辨大伴宿禰家持
4506 たかまどののゝうへのみやはあれにけりたゞしゝきみのみよとをぞけば
たかまどののゝうへの 見安云たゝしゝ君は宮をたてし心也御代とをそけは遠くへだたる心也愚案聖武天皇高圓に離宮有て御狩なと有し事第六巻に在こゝに君とは聖武をしたひ申てかくよむなるへしのゝうへのは野の上か但次の哥に尾の上と有のとおと通はし讀るか
             治部少輔今城真人
4507 たかまとのおのうへのみやはあれぬともたゝしゝきみのみなわすれめや
たかまとのおのうへの 是も聖武の御名を忘じとしたひ奉る心也
             主人中臣清麻呂朝臣
4508 たかまとののべはふくずのすゑつゐにちよにわすれんわがおほきみかも
            久受    
たかまとののへはふ葛の 野へをはふ葛の末廣こる心を諷詞に讀て末々迄忘ましき君そと聖武を讀る也
             右中辨大伴宿禰家持
4509 はふくすのたえすしのはんおほきみのめしゝ野邊にはしめゆふへしも
はふ葛の絶す忍はん はふ葛はたえすといはん諷詞也めしゝ野へとは離宮に領せさせ給ひし心也君の召て領し給ひしのへには今もしめゆはんと也
             大蔵大輔甘南備伊香真人
4510 おほきみのつぎてめすらしたかまとののへみることにねのみしなかゆ
おほきみのつぎて 今も大君の継て召やらんと此離宮を見るに付て御面影なと思ひ出奉れるさまなるへし
 
    属《ツケテ》2目ヲ山齊《アシビ》1(イ斎)作ル歌三首
             大監物|御方《ミカタノ》王
4511 をしのすむきみかこのしまけふ見れはあしびのはなもさきにけるかも
                     安之婢    
をしのすむきみか 見安云君か此嶋とは池の中嶋を君か作りしと云也あしびはあせみ也
             右中辨大伴宿禰家持
4512 いけみつにかけさへ見えてさきにほふあしびのはなをそてにこきれれな
   伊氣美豆                     蘇※[氏/一] 古伎礼奈
いけ水に影さへみえて 袖にこきれなとは袖ニこきいれなんと也花を愛しての心なるへし
             大蔵大輔甘南備伊香真人
4513 いそかげのみゆるいけみづてるまでにさけるあしひのちらまくおしも
いそかけの見ゆる池水 是も清まろの庭の池の礒なるへし其景の池にみゆる心也又|石《イソ》也
 
    同年二月十日於2内相ノ宅ニ1餞スル2渤海《ボツカイノ》大使小野ノ田守《タモリノ》朝臣|等《ラニ》1宴ノ謌一首
             右中辨大伴宿禰家持
渤海 仙曰續日本紀第十巻云渤海郡《クンは》者|舊《モトノ》高麗ノ國也云々渤は者海水ノ踊騰《ヲトリアカル》(白/八)也彼國|殊《コトニ》海水踊|漂《ヒヤウスル》所也猶采葉ニ委
4514 あをうなはらかぜなみなびきゆくさくさつゝむことなくふねははやけん
あをうなはら風波 なひきは風波心に随ふ心なるへしゆくさくさは行さま歸來るさま也つゝむことなくはつゝしみ恐る事なくと渤海への使を祝ふ心也
    
    同年七月五日於2治部ノ少輔大原ノ今城ノ真人カ宅ニ1餞スル2因幡ノ守大伴ノ宿禰家持ヲ1宴ノ歌一首
              大伴宿禰家持
因幡守 續日本紀廿宝字三年六月曰乙丑從五位上大伴宿祢為2因幡守ト1
4515 秋風のすゑふきなひくはきの花ともにかざゝずあひかわかれん
              波疑    
秋風の末吹なひく 名残を思ふ心なるへし
 
    三年春正月一日於2因幡ノ國ノ廳《マドコロニ》1賜《タマフ》2饗《アルシヲ》國ノ郡司《クンジ》等《ラニ》1之宴ノ歌一首
            守大伴ノ宿祢家持
4516 あたらしき年の始めのはつはるのけふふるゆきのいやしけよこと
   新     乃  乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰
あたらしき年の 仙曰正月一日郡司等に饗する宴の哥也仍祝言の哥ときこえたりいやしけよことゝはけふ降雪のしけきかことく君につかへて世の政をとりをこなふ事もしけからんとよめる也見安云いやしけよことといやしきり也愚案仙覚抄見安等いやしけの註はかりにてよことゝいふ事慥ならさるゆへ此哥の儀分明ならすよことといふ事慥なる出所ある詞なれとも両抄見あたらさるなるへし此一巻の口訣に別に註して執学の人に傳んとす或説ニいやしきかさねよといふ心也といへり以外のひか事なるへし
萬葉集巻第二十終
貞享三丙寅年八月廿日已上剋雨天書新玉津島庵下 墨付五十四枚 季吟
同年十二月廿九日辰剋終再考之功者也 新玉津島寓居士 六十三歳
 
 萬葉集之為書也在昔名公卿奉
勅所撰倭歌也爾来傳写之 久而徃徃其誤不為尠矣我先惺斎有家傳一本取數本校正之秘不出於家時田玄之懇求之惺斎不得已許之玄之太喜謄寫以傳其家及曾孫玄恒與北村季吟者有素好故使彼得寫之今拾穂鈔所由題也若拾穂之為説非余所可否焉也
 貞享五年孟夏日 
      冷泉亭人書
           2003.7.12(土)9時30分、巻二十終了、米田進
           2004.3.21(日)午後3時50分 校正終了  ?は1つです。