(1)萬葉集古義十一卷之上
 
古今相聞往来歌類上。
 
古今とは古は、飛鳥岡本(ノ)宮の中比より、清見原宮の比までの歌を云、今とは、藤原(ノ)宮より、寧樂(ノ)宮の初頃までの歌を云なるべし、相聞の歌おほきゆゑに、上下にわかちて、十一(ノ)卷、十二(ノ)卷に載たり、書紀に、天武天皇(ノ)卷を上下にわかち、源氏物語に、若菜(ノ)卷を上下にわかてるがごとし、契冲云、此(ノ)相聞(ノ)歌は、男女の中によみかはせるにかぎれり、○此(ノ)十一(ノ)卷、舊本の順次、初に旋頭歌十七首、(人麿集(ノ)歌十二首、古歌集(ノ)歌五首、)正述心緒四十七首、(人麿集(ノ)歌、)寄物陳思九十三首、(人麿集(ノ)歌、)問答九首(人麿集(ノ)歌、)を載、後に正述心緒百二首、(人麿集外(ノ)歌、)寄物陳思百八十九首、(上に同じ、)問答二十首、(上に同じ、)譬喩十三首(上に同じ、)を載、以上通計歌數四百九十音にて、卷を終たり、今用るところの本の順次は、相聞(旋頭歌、)十七首、(舊本に異なることなし、)正述心緒百四十九首、(人麿集(ノ)歌四十七首、人麿集外(ノ)歌百二首、)寄物陳思二百八十二首、(人麿集(ノ)歌九十三首、人麿集(ノ)外歌百八十九首、)問答二十九首、(人麿集(ノ)歌九首、人麿集外(ノ)歌二十首、)譬喩十三首(舊本に異(2)なることなし、)を載、以上通計歌敷上に同じ、按(フ)に、舊本は、初に人麿集(ノ)歌を載て、正述心緒、寄物陳思、問答の標を出し、後に人麿集外の歌を載るに、上の同標を、再出したることわづらはし、今用るところの本は、正述心緒等の標を出して、その初方に人麿集(ノ)歌、後方に人麿集外の歌を載て、再同標を出すに及ばざること、理甚叶へり、
 
相聞〔二字各○で囲む〕《シタシミウタ》。【旋頭歌。】十七首。【十二首。人麿集。五首。古歌集。】〔十七〜古歌集、大きく□で囲む〕
 
2351 新室《ニヒムロノ》。壁草苅邇《カベクサカリニ》。御座給根《イマシタマハネ》。草如《クサノゴト》。依逢未通女者《ヨリアフヲトメハ》。公隨《キミガマニ/\》。
 
新室《ニヒムロ》とは、新しく造れる家を云、十四に、爾比牟路《ニヒムロ》、古事記景行天皇(ノ)條に、熊曾建家邊《クマソタケルガイヘノホトリニ》、軍《イクサ》圍《カクミ》2三重《ミヘニ》1、作《ツクリテ》v室《ムロヲ》以居《ヲリ》、於是《コヽニ》言3動《イヒトヨミテ》爲《セムト》2御室樂《ニヒムロウタゲ》1、設2備《マケソナヘタリ》食物《クヒモノヲ》1、清寧天皇(ノ)紀に、二年冬十一月、依(テ)2大甞供奉之料《オホニヘツカヘマツルコトニ》1、遣《ツカハスニ》2於播磨(ノ)國(ノ)司《ミコトモチ》山部(ノ)連(ノ)先祖伊與(ノ)來目部(ノ)小楯(ヲ)1、於(ニ)2赤石(ノ)郡|縮見屯倉《シヾミノミヤケノ》首|忍海部《オシヌミベノ》造|細目新室《ホソメガニヒムロ》1、見2《ミマツリテ》市邊(ノ)押磐(ノ)皇子(ノ)子、億計、弘計(ノミコヲ)1、顯宗天皇(ノ)紀卷(ノ)初に、適會(リ)2縮見(ノ)屯倉(ノ)首、縱賞新室《ニヒムロアソビシテ》、以v夜(ヲ)繼1v晝(ニ)、など見ゆ、室《ムロ》は家のことなり、(伊勢物語に、惟高(ノ)親王の事を、比叡の山の麓なれば雪いと高し、しひて御室《ミムロ》にまうでゝをがみ奉るに云々、大和物語に、比叡の山に念覺といふ法師のやまごもりにて、ありけるに、しとくにてまし/\ける大徳の、早う死けるが、室《ムロ》に松の木のかれたるを見て、源氏物語若紫に、老かゞまりて、室《ムロ》の外《と》にもまかでず、世繼物語に、五つの室ならべて、などある類は、修道《オコナヒ》の爲にこもり居る所を、室《ムロ》と云り)○壁草《カベクサ》は、契冲も云しごとく、あたらし(3)く造れる屋は、先(ヅ)草をかりて、壁のごとくかこひふせぐより云ならむ、契冲又云、今も田舍には、柴などにてかこひて、壁のかはりにするゆゑに、やがて壁をかきと申めり、楚辭屈原九歌、湘夫人云※[草がんむり/全](ノ)壁《カキ》兮紫(ノ)壇《センアリ》、これに壁(ノ)字を牆の和訓によみたれば、田舍には、かへりて古語の殘れるなり、※[草がんむり/全](ノ)壁とあれば、常の草にてもかこひぬべし、(今すさと云ものかともきこゆれど、さにはあらじ、)略解に、陸奥南部の黒川(ノ)盛隆がいはく、延喜式七(ノ)踐祚大甞祭式(ニ)云、所v作八神殿一宇、(中略)並以2黒木及草(ヲ)1構※[草がんむり/?]、壁蔀(ニハ)以v草(ヲ)云々、とある、是壁草なるべし、といへり、又同國鹽竈の藤塚(ノ)知明がいへるは、彼(ノ)あたりにては、新室造て壁などいまだぬらざるほどは、草を刈て其(ノ)屋をかこひおくを、壁草とはいふといへり、とあり、(本居氏は、壁草を、やがてカキクサ〔四字右○〕とよめれど、猶カベクサ〔四字右○〕なるべし、)○御座給根は、イマシタマハネ〔七字右○〕とよむべし、(オハシタマハネ〔七字右○〕、とよめるは非なり、オハシ〔三字右○〕は、古語に大坐坐《オホマシマシ》といふを、中古より省きて、オマシマス〔五字右○〕といひ、其を又オマス〔三字右○〕とも云なるを、其(ノ)マ〔右○〕をハ〔右○〕に轉して、オハス〔三字右○〕といふなり、かゝれば此(ノ)集の頃には、オハシオハス〔六字右○〕といふ計は、なきことなれば、然訓べきに非ず、)來て給はれかし、といふ意なり、凡て來をも行をも、敬ひていふときは、伊座《イマス》といふ例なり、○依逢未通女《ヨリアフヲトメ》とは、多く女の依相をいふにはあらで、これは一人の女のうへにて、草のより合(ヒ)靡くごとく、容儀《カタチ》しなやかにして、うるはしきをいふなるべし、○歌(ノ)意は、吾(ガ)造る新室の壁草を刈に來て給はれかし、其(ノ)壁草にかる草の(4)繁生て、よりあひなびける如く、容儀しなやかにしてうるはしき女は、公が心(ノ)任《マヽ》に進《マヰ》らせむ、といふなるべし、さて此(ノ)歌と次なると二首は、女持たる人のもとへ、心ありて通ふ男のあるを、おやのゆるして、聟にせむと思ふ意を告てよめるなるべし、さてその折から、此(ノ)人新室つくりたる故に、託《コトヨセ》て云るなるべし、
 
2352 新室《ニヒムロヲ》。蹈靜子之《フミシヅムコガ》。手玉鳴裳《タタマナラスモ》。玉如《タマノゴト》。所照公乎《テラセルキミヲ》。内等白世《ウチヘトマヲセ》。
 
蹈靜子之は、フミシヅムコガ〔七字右○〕とよむべし、靜《シヅム》とは、動《サワク》の反《ウラ》にて、此は新室の柱を築建て、動《ユル》ぐことなく、搖《ウゴ》くことなからしめむと、堅固《カタラ》に蹈(ミ)鎭むるを云、さるは、凡て古(ヘ)の家の造り樣を、礙《イシズヱ》と云ことなく、やがて柱を地に築建たればなり、顯宗天皇(ノ)紀室賀(ノ)御詞に、築立稚室葛根《ツキタツルワカムロツナネ》、築立柱楹者《ツキタツルハシラハ》、此(ノ)家長御心之鎭也《イヘキミノミコヽロノシヅメナリ》、とあるも、柱を築建て、堅固《カタ》く令不動《シヅムル》をもて、心の鎭と賀(ギ)給へるなり、これ新室の柱を蹈(ミ)鎭るをいへり、とする證なり、又神賀(ノ)詞に、白御馬能前足爪《シロミマノマヘアシノツメ》、後足爪蹈立事波《シリヘアシノツメフミタツルコトハ》、大宮能御門柱乎《オホミヤノミカドノハシラヲ》、上津石根爾蹈堅米《ウハツイハネニフミカタメ》、下津石根爾蹈凝立《シタツイハネニフミコラシ》(立は志の誤、)云々、とあるをも、思(ヒ)合(ス)べし、貞觀儀式(ノ)踐詐大甞祭儀に、鎭2稻實殿(ヲ)1、と見え、又止由氣宮儀式帳に、新宮奉v造時行事并用物(ノ)事云々、右物等新造正殿|地鎭《ツチシヅメノ》料云々、とある、この地鎭《ツチシヅメ》も、柱を令不動《シヅムル》料にて、同意なるを考(ヘ)合(ス)べし、さて子《コ》とは、何(レ)にまれ、その業をする件《トモ》をいふ稱にて、狩する卒《トモ》を狩子《カリコ》といひ、※[楫+戈]とるをのこを、※[楫+戈]子《カコ》といふ類なり、こゝは委細にいふ時は、新室の柱を築(キ)建(テ)蹈(ミ)堅め令不動壯子之《シヅムルヲノコガ》、(5)と云義なるを、かく簡便《テミジカ)にいひて、その事を聞せたるものなり、○手玉鳴裳《タタマナラスモ》は、手玉《タタマ》は、十(ノ)卷に、足玉母手珠毛由良爾織旗乎公之御衣爾縫將堪可聞《アシタマモタタマモユラニオルハタヲキミガミケシニヌヒアヘムカモ》、とある歌に、委(ク)釋《イヘ》るが如し、さて手玉は、多くは女の装飾《カザリ》にいへれど、履中天皇(ノ)紀に、時仲(ツ)皇子、冒2太子(ノ)名(ヲ)1、以※[(女/女)+干]2黒媛(ニ)1、是夜《ソノヨ》仲(ツ)皇子、忘2手鈴《タナスヾヲ》於黒媛之家(ニ)1而歸(レリ)焉、とあるに准へて、をとこも手玉をかくることありしなるべしと、契冲も云り、さてこゝは、たゞにかざりにせるとは異にて、手玉の相觸て、玲瓏《ユラヽ》と鳴を拍子にとりて、足蹈しつゝ柱を蹈鎭るなるべし、裳《モ》は歎息(ノ)詞なり、○玉如所照公《タマノゴトテラセルキミ》とは、容儀のうるはしくすぐれたるを、ほめたるなり、源氏物語に、光君の御誕生のことを、さきの世にも御ちぎりやふかゝりけむ、世になくきよらなる、玉のをのこ御子さへうまれ給ひぬ、とあり、なほ人の容儀のうるはしきを、玉にたとへたる例古(ヘ)に多し、既くいへり、○歌(ノ)意は、吾(ガ)造る新室の柱を蹈(ミ)鎭る壯子《ヲノコ》どもの、手玉を玲瓏《ユラ/\》と鳴《ナラ》すよ、さても面白や、中にその手玉の光華《カヾヤク》ごとく、うるはしき公ぞ、わが聟にせむと思ふ人なるを、いで内へ入給へと白《マヲ》せ、と女に云るか、又は從者などに云つくる意にもあるべし、○上件二首、從來説等あれど紛はしくて、よく解得たりと思ふはなし、
 
2353 長谷《ハツセノ》。弓槻下《ユツキガモトニ》。吾隱在妻《アガカクセルツマ》。赤根刺《アカネサシ》。所光月夜邇《テレルツクヨニ》。人見點鴨《ヒトミテムカモ》。
 
弓槻《ユツキ》は、(齋槻《ユツキ》ともきこゆれど、然にはあらじ、)五百箇桂《イホツカツラ》を、湯津桂とも云ると同例にて、五百槻《イホツキ》(6)なり、さらば弓津槻《ユツツキ》と云べきが如くなれども、津《ツ》の言重なるゆゑいはざるなるべし、さてそは、一株《ヒトキ》に、五百《イホ》と數多の繁(キ)枝あるをいふ、二(ノ)卷に、百枝槻《モヽエツキ》の木とよめるをも、思(ヒ)合(ス)べし、(和名抄に、槻(ハ)木(ノ)名、堪v作v弓、とあるによりて、弓に作る槻といふ義とする説はとらず、其は弓は借(リ)字のみなるにまどへる後(ノ)世意にて、いへるなり、)○歌(ノ)意は、長谷の五百槻が下の繁みの中に、深く率て行て、かくし置る隱妻なれば、人はしらじと思ふに、もし此(ノ)清き月夜にうかれ出て、山めぐりなどして、あそびありく人の、見あらはしつることもあらむか、さてもうしろめたしや、となり、此(ノ)歌は、所由ありて、長谷のあたりの山隱れる家に、隱妻を率て行て、かくしおけるほどよめるなるべし、たゞに荒山中の槻の木陰に、放ちおけるを云にはあらず、○舊本に、一云人見豆良牟可、と註せり、いづれにてもよろし、
 
2354 健男之《マスラヲノ》。念亂而《オモヒタケビテ》。隱在其妻《カクセルソノツマ》。天地《アメツチニ》。通雖光《トホリテルトモ》。所顯目八方《アラハレメヤモ》。
 
念亂而は、舊本に、一云大夫乃思多鷄備※[氏/一]、とあるぞ、理協へりとおぼゆる、こゝは或説に、亂(ノ)字は武の誤にて、オモヒタケビテ〔七字右○〕なるべし、といへり、○通雖光《トホリテルトモ》は、かしこくも神代紀(ノ)上に、於是共生2日(ノ)神(ヲ)1號2大日〓(ノ)貴(ト)1、此(ノ)子《ミコ》光華明彩《ヒカリウルハシクシテ》、照2徹《テリトホル》於六合之内《クニノウチニ》1、とあるが如し、○歌(ノ)意は、右の作者、おしかへして、ふたゝびよめるにて、よの常の月(ノ)光はさるものにて、たとひ天地のかぎり、てりとほることありとも、大夫の念(ヒ)武びて、深く隱せるしのび妻なれば、たはやすくあらはれむや(7)は、あらはれはせじ、となり、
 
2355 惠得《イキノヲニ》。吾念妹者《アガモフイモハ》。早裳死耶《ハヤモシネヤモ》。雖生《イケリトモ》。吾邇應依《アレニヨルベシト》。人云名國《ヒトノイハナクニ》。
 
惠得は、本居氏云、或人の説に、息緒の誤にて、イキノヲニ〔五字右○〕なり、といへり、これによるべし、○早裳死耶は、ハヤモシネヤモ〔七字右○〕と訓べし、(略解に、ハヤモスギネヤ〔七字右○〕とよめるは、甚わろし、)耶(ノ)字、ヤモ〔二字右○〕とよませたる例は、下に、雷神少動刺雲雨零耶君將留《ナルカミノヒカリトヨミテサシクモリアメモフレヤモキミヲトヾメム》、と見えたり、○人云名國《ヒトノイハナクニ》は、妹が云(ハ)ぬことなるをと云むが如し、人は他人をさすにあらず、○歌(ノ)意は、妹ゆゑに、あまりに心をなやますことの切なるにょりて、中々に吾(ガ)命にかけて、深く思ふ妹は早くも死ねかし、たとひ妹は存生《イキナガラヘ》てありとも、我に心を許して、依べしといはぬことなるを、といへるなり、後撰集に、まだあはず侍ける女のもとに、しぬべしといへりければ、返事に、はやしねかしといへりければ、又つかはしける、とあるを、思(ヒ)合(ス)べし、
 
2356 狛錦《コマニシキ》。※[糸+刃]片叙《ヒモノカタヘゾ》。床落邇祁留《トコニオチニケル》。明夜志《アスノヨシ》。將來得云者《キナムトイハバ》。取置待《トリオキテマタム》。
 
狛錦《コマニシキ》は、高麗錦《コマニシキ》にて、既く註りき、錦紐《ニシキノヒモ》は、允恭天皇(ノ)紀御歌は、佐瑳雁餓多邇之枳能臂毛弘等枳舍氣帝《ササラガタニシキノヒモヲトキサケテ》云々、とあり、○紐片叙《ヒモノカタヘゾ》云々は、契冲も云しごとく、紐には、女紐男紐あるを、かた/\のおちてあるなり、さきにひける、仲(ツ)皇子の黒媛がもとに、手鈴をわすれて歸りたまへるたぐひなり、古今集にいはく、五節のあしたに、かむざしの玉のおちたりけるを、たがならむとと(8)ぶらひてよめる、とあり、○歌(ノ)意は、夫君の結び賜ひし、高麗錦の紐のかた/\の取忘れて吾(ガ)床に落してあるを、若(シ)明夜も、例の如く來座むとのたまはゞ、その紐のかたへを取あげ隱し置て待居む、いでやこの紐のかたへの、取落してあるからには、よも來じとはのたまはじ、となり、
 
2357 朝戸出《アサトデノ》。公足結乎《キミガアユヒヲ》。閏露原《ヌラスツユハラ》。早起《ハヤクオキテ》。出乍吾毛《イデツヽアレモ》。裳下閏奈《モノスソヌレナ》。
 
朝戸出《アサトデ》は、わかれて歸る夫の朝戸出なり、○足給《アユヒ》は、既くいへり、雄略天皇(ノ)紀に、大臣(圓《ツブラ》)出2立於庭1索《ユフ》2脚帶《アユヒヲ》1、時(ニ)大臣(ノ)妻持2來|脚帶《アユヒヲ》1、愴矣傷懷而《カナシビイタミテ》、歌曰云々、※[人偏+爾]播爾陀々始諦阿遙比那陀須暮《ニハニタヽシテアヨヒナダスモ》、とあり、○閏露原《ヌラスツユハラ》は、露のしげくおきたるを、露原といふ故に、それにて足結を沾すなり、○歌(ノ)意は、夫(ノ)君の朝戸出の脚帶を、露の沾すがいとほしければ、われもはやく起(キ)出て、夫のかへるを見おくりがてら、露原にて裳の裾を沾さむ、いでや君ひとりに、さる艱難はかけじよ、となり、
 
2358 何爲《ナニセムニ》。命本名《イノチヲモトナ》。永欲爲《ナガクホリセム》。雖生《イケリトモ》。吾念妹《アガモフイモニ》。安不相《ヤスクアハナクニ》。
 
安不相《ヤスクアハナクニ》は、たは易《ヤス》く逢ことのならぬことなるをの意なり、○歌(ノ)意は、たとひいきながらへたりとも、吾(ガ)念ふ妹に、たはやすく逢ことの叶ふべからねば、何故に、むざ/\と長命を欲《ネガ》はむぞ、早く死とも、さらに命をば惜まじ、となり、
 
2359 息緒《イキノヲニ》。吾雖念《アレハオモヘド》。人目多社《ヒトメオホミコソ》。吹風《フクカゼニ》。有數數《アラバシバシバ》。應相物《アフベキモノヲ》。
 
(9)人目多社《ヒトメオホミコソ》は、人目の多き故にこそ、行て得逢ぬといふ意を含ませたるなり、○歌(ノ)意は、命にかけて吾は思へど、人目の多き故に、行て得逢ねば、そのかひなし、吾(ガ)身もし吹風ならば、人の目に見えずして、いづくまでも至りて、屡々見べきものなるを、となり、伊勢物語に、吹風にわが身をなさば玉すだれひまもとめても入べきものを、此(ノ)下にも、玉垂小簾之寸鶴吉仁入通來根足乳根之母我問者風跡將申《タマタレノヲスノスケキニイリカヨヒコネタラチネノハヽガトハサバカゼトマヲサム》。とあり、
 
2360 人祖《ヒトノヤノ》。未通女兒居《ヲトメコスヱテ》。守山邊柄《モルヤマヘカラ》。朝朝《アサナサナ》。通公《カヨヒシキミガ》。不來哀《コネバカナシモ》。
 
第一二(ノ)句は、守山《モルヤマ》をいはむ料の序なり、未通女兒《ヲトメコ》は、幼女にて、母の膝に居おきて、朝夕に守(レ)ば、かくつゞけたるなり、十三長歌に、三諸者人之守山《ミモロハヒトノモルヤマ》、本邊者馬醉木花開《モトヘハアシビハナサキ》、未邊方椿花開《スヱヘハツバキハナサク》、浦妙山曾泣兒守山《ウラグハシヤマソナクコモルヤマ》、とある、泣兒守《ナクコモル》とつゞきたるに同じ、○守山邊柄《モルヤマヘカラ》は守山は、右に引る十三の歌に、三話者人之守山《ミムロハヒトノモルヤマ》、とある守山は、大和(ノ)國高市(ノ)郡飛鳥の神岳をいへり、と思はるれば、こゝも同處なるべし、かくて山守は、諸國にあることなれば、神岳は、天皇の旦暮御覽し給ふ御山にして、ことに嚴しく山守を居て守しめ賜ふが故に、山(ノ)名にもなれるなるべし、(古今集に、白露もしぐれもいたくもる山は下葉殘らず色付にけり、とあるも、同處なるべし、新古今集に、すべらきをときはかきはにもる山の山人ならし山かづらせり、とあるは、近江(ノ)國守山をいへるにて別なり、)柄《カラ》は從《ヨリ》と云に同じ、ヲ〔右○〕といはむがごとし、十(ノ)卷に既く委(ク)云り、○朝朝《アサナサナ》は、日毎にと(10)いふがごとし、○歌(ノ)意は、守山邊を通りて、吾(ガ)方に日毎に來座しゝ君が、何の障によりてか來座(サ)ざらむ、今日かく來座ずあれば、さても心もとなく悲しやとなり、
 
2361 天在《アメナル》。一棚橋《ヒトツタナハシ》。何將行《ナニカサヤラム》。穉草《ワカクサノ》。妻所云《ツマガリトイハヾ》。足莊嚴《アユヒシタヽム》。
 
此(ノ)歌|解難《トケガタ》し、説々あれど、よく解得たりと思ふもなし、せめて按《オモ》ふに、何將行の行は障の誤か、さらばナニカサヤラム〔七字右○〕とよむべし、足莊嚴(莊(ノ)字、拾穗本には杜と作り、)は、足帶發の誤か、さらばアユヒシタヽム〔七字右○〕と訓べし、(略解にも、本居氏(ノ)論を載て、足莊嚴は、足結發の誤にて、アユヒシタヽス〔七字右○〕とよむべし、といへり、されどタヽス〔三字右○〕とよみては、いかゞなり、)かくて歌(ノ》意は、一(ツ)棚橋は、たゞさへあるに、たとひ天上にある一(ツ)棚橋の危きにも、何かは障るべき、愛《ウツク》しき妻が許へとならば、脚帶《アユヒ》して出發む、といふなるべし、棚橋は、十(ノ)卷|天漢《アマノガハ》の歌に、既く見えたり、
 
2362 開木代《ヤマシロノ》。來背若子《クセノワクゴガ》。欲云余《ホシトイフアヲ》。相狹丸《アフサワニ》。吾欲云《アヲホシトイフ》。開木代來背《ヤマシロノクセ》。
 
來背若子《クセノワクゴ》は、和名抄に、山城(ノ)國久世(ノ)郡|久世《クセ》とありて、そこの若年の男をいへり、地(ノ)名もて人を呼《イフ》は、血沼壯士《チヌヲトコ》、蒐原壯士《ウナヒヲトコ》などの如し、若子は字の如く、若く壯りなる人をいふ、集中にも、殿之若子《トノノワクゴ》、久米之若子《クメノワクゴ》などよめり、(古語拾遺に、天照大神、育2吾勝(ノ)尊(ヲ)1、特甚鍾愛、常懷2腋下(ニ)1、曰2腋子《ワキコト》1、今(ノ)俗號2稚子1謂2和可古《ワカコト》1、是其轉語也、とあるは、正説にあらず、)○欲云余《ホシトイフアヲ》は、吾を妻にほしといふなり、大日本靈異記中卷に、聖武天皇(ノ)世、擧(リテ)v國歌詠(テ)之謂、奈禮乎曾與※[口+羊]邇保師登多禮《ナレヲソヨメニホシトタレ》、阿牟知能古牟(11)智能餘呂豆能古《アムチノコムチノヨロヅノコ》云々、〔頭註、【奈禮乎曾は、汝をそなるべし、與※[口+羊]邇保師登多禮は婦に欲と誰と云か阿牟知能古は、奄知之子なるべし、奄知は、大和國十市郡奄知村を云、牟知能を打反して、阿の言を略きて云るなるべし、餘呂豆能古は、萬之子にて、女子の名なり、なほ南京遺響に云、】〕催馬樂山城に、也未之呂乃己末乃和太利乃宇利川久利和禮乎保之止伊不伊加爾世牟《ヤマシロノコマノワタリノウリツクリワレヲホシトイフイカニセム》、古今集に、足引の山田のそほづおのれさへわれをほしてふうれはしきこと、○相狹丸《アフサワニ》は、契冲、おもひ入ず、大方にと云心なりと云り、此(ノ)詞既く八(ノ)卷に見えて、彼處にいへり、○吾欲云《アヲホシトイフ》云々は、本(ノ)句をかへざまにして、ふたゝびいへるなり、古歌の體なり、さてこゝにも若子《ワクコ》といふべきを、上に照して省きたるなり、○歌(ノ)意は、久世の若子が、吾を欲《ホ》し吾を欲《ホ》しといへど、大方にわれを欲(シ)といふ人に許《ユル》さむやは、深切《フカク》思ふとならば、さもあらむをの意を含みたるなるべし、
〔右十二首。柿本朝臣人磨之歌集出。〕
 
2363 崗前《ヲカノサキ》。多未足道乎《タミタルミチヲ》。人莫通《ヒトナカヨヒソ》。在乍毛《アリツヽモ》。公之來《キミガキマサム》。曲道爲《ヨキミチニセム》。
 
崗前、こゝはヲカノサキ〔五字右○〕と訓べし、此《コ》は名處にはあらず、山の岬《サキ》などいへるに同じ、書紀に、丘岬此云2塢介佐棄《ヲカサキト》1、○多未足道《タミタルミチ》は、手廻而在路《タモトホリタルミチ》といふに同じ、多《タ》はそへことば、美《ミ》は毛等保里《モトホリ》の約れるなり、折(レ)曲れる路をいふ、○曲道《ヨキミチ》は、避路《ヨキミチ》なり、避《ヨキ》は、春風は花のあたりをよきてふけ、又夢の通路人目よくらむなどのよくに同じ、俗に與氣路《ヨケミチ》といふに同じ、七(ノ)卷に、神前荒石毛不所見浪立奴從何處將行與奇道者無荷《カミノサキアリソモミエズナミタチヌイヅクユユカムヨキヂハナシニ》、ともよめり、曲(ノ)字は、曲《マガ》りて避《サク》る義にとりて書り、○歌(ノ)(12)意は、崗の岬を折(リ)廻れるその路は、氣遠くて、常に人のしらぬ道なれば、わがしれる人の、ありありつゝ吾(ガ)方へ通ひ來座すとき、人目を避《ヨク》る避路《ヨケミチ》にせむを、たとひ他人は、その路のあることをしれりとも、そこをば、通ることなかれ、となり、
 
2364 玉垂《タマタレノ》。小簾之寸鷄吉仁《ヲスノスケキニ》。入通來根《イリカヨヒコネ》。足乳根之《タラチネノ》。母我問者《ハヽガトハサバ》。風跡將申《カゼトマヲサム》。
 
玉垂《タマタレ》は、枕詞なり、玉を貰(キ)垂る綸《ヲ》、といふ意にかゝれり、○小簾之寸鷄吉仁《ヲスノスケキニ》は、簾《スダレ》の透間《スキマ》にといふが如し、小簾《ヲス》は、小《ヲ》はそへことばにて、たゞ簾《ス》なり、寸鷄吉《スケキ》は透《スキ》なり、須吉《スキ》を須鷄吉《スケキ》といふは、繁《シゲ》きを斯宜氣伎《シゲケキ》、暑《アツキ》を阿都氣伎《アツケキ》、寒《サム》きを佐牟氣伎《サムケキ》などいふに同じ、仁は、もしは從(ノ)字の誤寫にてはあるまじきにや、スケキヨ〔四字右○〕とあらまほしくおぼゆればなり、猶考(フ)べし、○入通來根《イリカヨヒコネ》、下に、玉垂之小簀之垂簾乎往褐寢者不眠友君者通速爲《タマタレノヲスノタリスヲユキガテニイハナサズトモキミハカヨハセ》、枕册子に、にくきもの云々、伊豫簾などかけたるを、打かづきてさら/\と鳴したるも甚《イト》憎《ニク》し、帽額簾《モカウノス》は、ましてこはき物の打おかるるいとしるし、それもやをら引(キ)揚(ケル)て出入するは、更に鳴ず、○問者《トハサバ》は、問賜はゞと云が如し、○風跡將申《カゼトマヲサム》は、風なりと答奉《コタヘマツ》らむといふほどの意なり、申(ス)は奉(ル)と云に大かた同じくて、今少し輕き詞なり、さればこの言は、よき人に對《ムカ》ひていふことにて、稱奉《タヽヘマツル》といふほどの意を稱申《タヽヘマヲス》とやうにいへること多し、さて又言に出してよき方に告を、直に麻乎須《マヲス》とのみもいへり、こゝはその申《マヲス》なり、たゞ云を申《マヲス》と云は、古へになきことなり、紀氏六帖に、風ふけと人にはいひて(13)戸はさゝじ、あはむと君にいひてし物を、○歌(ノ)意は、簾を掲て入たまはゞ、音ありて、それとしらるべきなれば、身をそばめて、簾の透間より通ひ來りたまへかし、もしそれにても、なほ音ありて、母がいぶかり問たまはゞ、風なりと答へ奉らむ、となり、
 
2365 内日差須《ウチビサス》。宮道爾相之《ミヤヂニアヒシ》。人妻※[女+后]《ヒトヅマユヱニ》。玉緒之《タマノヲノ》。念亂而《オモヒミダレテ》。宿夜四曾多寸《ヌルヨシソオホキ》。
 
※[女+后]《ユヱ》は、拾穗本に垢と作り、考(フ)るところなし、略解(ニ)云(ク)、藤原(ノ)濱臣、此(ノ)※[女+后]をユヱ〔二字右○〕とよめるは、此(ノ)卷(ノ)末に、珍海云《チヌノウミノ》々|人子※[女+后]《ヒトノコユヱニ》、此(ノ)歌或本(ノ)歌、人兒故爾《ヒトノコユヱニ》、卷(ノ)十二にも、※[女+后]をユヱ〔二字右○〕とよめる歌二首あり、さて※[女+后]は妬の訛なり、さるよしは、集※[韵の旁](ニ)※[女+戸](ハ)都故(ノ)切妬同(シ)、と有のみにて、字書にユヱ〔二字右○〕とよむべきよしはなけれども、遊仙窟に、無情明月故臨v窓を、アヂキナキアリアケツキノミゾネタマシゲニマドニイル〔アヂ〜右○〕と訓せり、字鏡に、故々|禰太介爾《ネタケニ》、又己止太戸《コトタヘ》と有(リ)、是も字書に、故に嫉※[女+戸]の義を註せることなし、といへど、おもふに、故※[女+戸]ともに去聲にて、遇暮の韵の字にして、いにしへは故※[女+と]通し用しものと見ゆ、されば互に相通はして、ユヱ〔二字右○〕といふにも妬(ノ)字を用ひしなるべし、今の字書にさるよし見えずして、たま/\にも、遊仙窟又吾國の古書に殘れるぞ、いにしへを見る據なるべき、今の字書どもは、唐以前用ひし字を遺漏し、字義をももらせること有(リ)とおぼゆるよしいへり、さもあるべしといへり、〔頭註、【干禄字書ニ、※[女+戸]妬(上通下正)、】〕○歌(ノ)意は、人目遠きあたりならばこそ、もしはすべきやうもあるべきならめ、さる打はれたる、宮路に逢し人妻なるものを、か(14)ひなきことにおもひみだれて、ぬるよの多きは、げにもはかなきことよ、となり、
 
2366 眞十鏡《マソカヾミ》。見之賀登念《ミシガトオモフ》。妹相可聞《イモニアハメカモ》。玉緒之《タマノヲノ》。絶有戀之《タエタルコヒノ》。繁比者《シゲキコノゴロ》。
 
眞十鏡《マソカヾミ》は、枕詞なり、つゞけの意明けし、○見之賀登念《ミシガトオモフ》は、見てしがなと思ふの意なり、(見《ミ》し歟の意にはあらず、)願ふ意の處を、之賀《シガ》といへること、古今集廿(ノ)卷に、甲斐が嶺をさやにも見之《ミシ》賀けゝれなくよこほりふせるさやの中山、とあるこれなり、金葉集三卷に、秋ならでつまよぶ鹿をきゝしがなをりから聲の身にはしむかと、とあるも同じ、○比(ノ)字、舊本に此と作るは誤なり、古寫本、拾穂本等に從つ、○歌(ノ)意は、心は變らねど故ありて中絶たれば、比日戀(シキ)情の繁く、いかで見てしがな/\と思ひこがるゝ妹に、相見るよしのあれかし、さてもこひしや、となり、
 
2367 海原乃《ウナハラノ》。路爾乘哉《ミチニノレヽヤ》。吾戀居《アガコヒヲリテ》。大舟之《オホブネノ》。由多爾將有《ユタニアルラム》。人兒由惠爾《ヒトノコユヱニ》。
 
海原乃路《ウナハラノミチ》は海路《ウミヂ》といふが如し、○歌(ノ)意は、吾は海路を船に乘てあればにや、かくゆたのたゆたに、むなさわぎして、心の落居る間もなく、いもを、こひしく思ひつゝあるらむ、かく戀しく思ひても、さらにそのかひなき、他人の妻なるものをの謂なり、(由多爾將有《ユタニアルラム》を、人兒《ヒトノコ》といふへ屬て見る説はわろし、吾戀る心の、たゆたひさわぐ意なればなり、)
〔右五首。古歌集中出〕
 
(15)正《タヾニ》述《ノブ》2心緒《オモヒヲ》」1。百四十九首。【四十七首。人麿集。百二首。人麿集外。】〔百四十九〜集外□で囲む〕
 
左の歌より下四十七首は、人麿歌集に出たるよし、後に註せるごとし、其(ノ)次百二首は、人磨歌集外(ノ)歌なり、舊本は順次たがへり、今は順次のよき本どもに從(リ)てしるせること、初にいへる如し、
 
2368 垂乳根乃《タラチネノ》。母之手放《ハヽガテハナレ》。如是許《カクバカリ》。無爲便事者《スベナキコトハ》。未爲國《イマダセナクニ》。
 
母之手放《ハヽガテハナレ》は、契冲云、常に親の手をはなれて、といへるこゝろなり、允恭天皇(ノ)紀に、皇后曰、妾《ワレ》初2自《ヨリ》結髪《カミアゲシ》1陪《ハベリテ》2於|後《キサキノ》宮(ニ)1、既經多年《トシヲアマタスグシツ》、この結髪《カミアゲ》しよりとのたまへるが如し、第五に、山上(ノ)憶良の大伴(ノ)熊凝がためによまれたる歌にも、うちびさす宮へのぼるとたらちしや母がてはなれ、といへり、(但(シ)今(ノ)歌は、やう/\成長《ヒトヽナリ》て、母の手を放るゝを云、五(ノ)卷なるは、旅に行とて母の許を放るゝをいへるなり、されば同詞ながら、事は別なり、)○歌(ノ)意は、やゝ人となりつゝ、母の手許をはなれてよりこのかた、かゝるせむかたなき戀をば、いまだせぬことなるを、となり、
 
2369 人|所〔□で囲む〕寐《ヒトノヌル》。味宿不寐《ウマイハネズテ》。早敷八四《ハシキヤシ》。公目尚《キミガメスラヲ》。欲嘆《ホリテナグクモ》。
 
人所寐は、本居氏、所寐は、ヌル〔二字右○〕と訓ては、所(ノ)字餘れり、ヒトノナス〔五字右○〕と訓べし、といへり、今按(フ)に、十二、十三の歌を併(セ)思ふに、人之寐といふ古語の例なれば、こゝも所は衍文にて、ヒトノヌル〔五字右○〕にや、此(ノ)一二(ノ)句の意は、世(ノ)間の人の寐るところの快寐《ウマイ》をば爲《セ》ずしての謂なり、十二に、人之宿味(16)宿者不寐哉《ヒトノヌルウマイハネズヤ》、十三に、入寢味眠不眠而《ヒトノヌルウマイハネズテ》云々、○公目尚《キミガメスラヲ》は、公《キミ》と相宿するはさるものにて、その目さへをといふ意なり、尚《スラ》は、すべて斡《モト》はさるものにて、その枝葉《スヱ》さへをといふ意の詞なり、○歌(ノ)意は、世(ノ)間の人の寐るところの、快寐をば、得爲ぬだにあるを、愛しき君が面をさへ見たく思ひて、夜もすがら嘆きあかすよ、さてもくるしや、となり、○舊本に、或本歌云公矣思爾曉來鴨、とあり、
 
2370 戀死《コヒシナバ》。戀死邪《コヒモシネトヤ》。玉桙《タマホコノ》。路行人《ミチユキヒトニ》。事告无《コトモツゲナキ》。
 
事告无(无(ノ)字、舊本に兼と作るは誤なり、今は官本に從つ、)は、コトモツゲナキ〔七字右○〕と訓べし、四(ノ)卷に、我念人之事毛告不來《ワガオモフヒトノコトモツゲコヌ》、とあるをも、考(ヘ)合(ス)べし、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此(ノ)下に、戀死戀死哉吾妹吾家門過行《コヒシナバコヒモシネトヤワギモコガワギヘノカドヲスギテユクラム》、十五に、古非之奈婆古非毛之禰等也保等登藝須毛能毛布等伎爾伎奈吉等余牟流《コヒシナバコヒモシネトヤホトトギスモノモフトキニキナキトヨムル》、古今集に、こひしぬとするわざならしうば玉のよるはすがらに夢に見えつつ、又、かゝるをりにや人はしぬらむ、とよめる歌も、思(ヒ)合すべし、と契冲云り、(新古今集に、玉ほこの道行人のことづてもたえてほどふる五月雨のころ、とあるは、今の歌によられたるなり、)
 
2371 心《コヽロニハ》。千遍雖念《チタビオモヘド》。人不云《ヒトニイハズ》。吾戀※[女+麗]《アガコフイモヲ》。見依鴨《ミムヨシモガモ》。
 
※[女+麗](ノ)字、拾穗本には、儷と作り、
 
(17)2372 是量《カクバカリ》。戀物《コヒムモノソト》。知者《シラマセバ》。遠可見《トホクミツベク》。有物《アリタルモノヲ》。
 
二首(ノ)歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、
 
2373 何時《イツハシモ》。不戀時《コヒヌトキトハ》。雖不有《アラネドモ》。夕方枉《ユフカタマケテ》。戀無乏《コフハスベナシ》。
 
夕方枉《ユフカタマケテ》、方枉は借(リ)字にて、夕(ヘ)を片設而《カタマケテ》なり、片《カタ》は、片就《カタツキ》たるをいふ詞なり、○無乏は、スベナシ〔四字右○〕なり、乏(ノ)字、スベ〔二字右○〕とよむ義は未(ダ)詳ならねど、此(ノ)下に、無乏《スベナカリ》、又|無乏《スベヲナミ》、十二に、無乏《スベヲナミ》などあれば、古(ヘ)スベ〔二字右○〕と云に用ひし字なるべし、(略解に、乏は爲も誤なり、といへるは、推當なり、)○歌(ノ)意かくれなし、十二に、何時奈毛不戀有登者雖不有得田直比來戀之繁母《イツハナモコヒズアリトハアラネドモウタテコノゴロコヒノシゲシモ》、十三に、何時橋物不戀時不者《イツハシモコヒヌトキトハ》、不有友是九月乎《アラネドモコノナガツキヲ》、吾背子之偲丹爲與得《ワガセコガシヌヒニセヨト》云々、古今集に、いつはとは時はわかねど秋の夜ぞもの思ふことのかぎりなりける、
 
2374 是耳《カクノミシ》。戀度《コヒシワタレバ》。玉切《タマキハル》。不知命《イノチモシラズ》。歳經管《トシハヘニツヽ》。
 
是耳は、カクノミシ〔五字右○〕と訓べし、(カクシノミ〔五字右○〕と訓ては、同じやうのことながら、助聲のおきどころ、古語の例にたがひてわろし、)九(ノ)卷に、如是耳志戀思渡者靈刻命毛吾波惜雲奈師《カクノミシコヒシワタレバタマキハルイノチモアレハヲシケクモナシ》、此(ノ)下に、人目多常如是耳志候者何時吾不戀將有《ヒトメオホモツネカクノミシサモラハヾイヅレノトキカアガコヒザラム》、十三に、如是耳志相不思有者天雲之外衣君者可有有來《カクノミシアヒモハザラバアマクモノヨソニソキミハアルベカリケル》、などある、其(ノ)例なり、○玉切《タマキハル》は、命《イノチ》の枕詞なり、○歳經管は、トシハヘニツヽ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、如是《カク》ばかり、一(ト)すぢに戀しく思ひて、月日を經わたれば、惜むべき命の、終(リ)に近くならむ(18)ことをもおぼえずして、徒に歳月を過しつゝあらむが、くちをしき事ぞ、となり、
 
2375 吾以後《アレユノチ》。所生人《ウマレムヒトハ》。如我《アガゴトク》。戀爲道《コヒスルミチニ》。相與勿湯目《アヒコスナユメ》。
 
相與勿湯目《アヒコスナユメ》は、勤《ユメ》よ勤《ユメ》よ、あふことなかれの意なり、散《チリ》こすなゆめ、ありこすなゆめ、聞(キ)こすなゆめ、など云る類なり、與(ノ)字は、集中に、希望辭の、コソ〔二字右○〕に多く用ひたり、既く説《イヘ》り、(略解に、乞の誤なりと云るは、推當なり、)○歌(ノ)意は、吾より後に生れ出む人は、ゆめ/\吾(ガ)如く、戀の道にあふことなかれ、まことに戀は苦しきものにてあるぞ、となり、
 
2376 健男《マスラヲノ》。現心《ウツシコヽロモ》。吾無《アレハナシ》。夜晝不云《ヨルヒルトイハズ》。戀度《コヒシワタレバ》。
 
現心《ウツシコヽロ》は、字(ノ)意の如く、うつゝ心といはむが如し、つよくたしかなる心を云、此(ノ)下に、玉緒之島心哉《タマノヲノウツシコヽロヤ》云々、七(ノ)卷に、紅之寫心哉《クレナヰノウツシコヽロヤ》云々、十二に、虚蝉之宇都思情毛《ウツセミノウツシコヽロモ》、又|鴨頭草乃移情《ツキクサノウツシコヽロ》、又|玉緒乃徙心哉《タマノヲノウツシコヽロヤ》云々、などあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2377 何爲《ナニセムニ》。命繼《イノチツギケム》。吾妹《ワギモコニ》。不戀前《コヒザルサキニ》。死物《シナマシモノヲ》。
 
2378 吉惠哉《ヨシヱヤシ》。不來座公《キマサヌキミヲ》。何爲《ナニセムニ》。不厭吾《イトハズアレハ》。戀乍居《コヒツヽヲラム》。
 
二首とも、歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2379 見度《ミワタシノ》。近渡乎《チカキワタリヲ》。回《タモトホリ》。今哉來座《イマヤキマスト》。戀居《コヒツヽソヲル》。
 
見度は、ミワタシノ〔五字右○〕と訓べし、十三に、神風之伊勢乃國者《カムカゼノイセクニハ》云々、見渡島毛《ミワタシノシマモ》(毛を名に誤、)高之《タカシ》、此下(19)に、見渡三室山《ミワタシノミムロノヤマ》、又十三に、見渡爾妹等者立志《ミワタシニイモラハタヽシ》、などありて、打向ひ見渡さるゝ處を、ミワタシ〔四字右○〕といふなり、(こゝはミワタセバ〔五字右○〕と訓はわろし、)○渡《ワタリ》は、河などのあるによりて云るなるべし、(略解に、あたりといふことに解なせるは、ひがことなるべし、すべてあたりを、わたりと云こと古(ヘ)になきことなればなり、五條わたりなどやうに云ことは、やゝ後のことなり、)○歌(ノ)意は、今夫(ノ)君の來るをりに至れりと、打(チ)見やるに、見わたしの近き河瀬のわたりに、かげも見えこぬは、人目をはゞ かりて、避(キ)道をして、まはりきますにやと、待つゝぞ居る、となり、七(ノ)卷に、視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來領巾振之野爾《ミワタセバチカキサトミヲタモトホリイマソアガコシヒレフリシヌニ》、
 
2380 早敷哉《ハシキヤシ》。誰障鴨《タガサフレカモ》。玉桙《タマホコノ》。路見遺《ミチミワスレテ》。公不來座《キミガキマサヌ》。
 
歌(ノ)意は、誰人りへだて障ふればか、愛《ウツク》しき君が、此ほどは、路見忘れて來まさぬやうに、間《ホド》久しくはなりたるぞ、さてもなさけなや、となり、第一(ノ)句は、第五(ノ)句の上にうつして心得べし、(略解に、公《キミガ》のカ〔右○〕の言は清て、歟《カ》の意なり、誰人の障て來まさぬか、又路を忘れて來まさぬかと云なり、といへるは、ひがことなるべし、)
 
2381公目《キミガメノ》。見欲《ミマクホシケミ》。是二夜《コノフタヨ》。千歳如《チトセノゴトク》。吾戀哉《アガコフルカモ》。
 
公目は、キミガメノ〔五字右○〕と訓べし、○見欲は、ミマクホシケミ〔七字右○〕と訓べし、見まほしかる故にの意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
(20)2382 打日刺《ウチヒサス》。宮道人《ミヤヂヲヒトハ》。雖滿行《ミチユケド》。吾念公《アガモフキミハ》。正一人《タヾヒトリノミ》。
 
歌(ノ)意かくれなし、四(ノ)卷岳本(ノ)天皇御製歌に、人多爾國爾波滿而《ヒトサハニクニニハミチテ》、味村乃去來者行跡《アヂムラノサワキハユケド》、吾戀流君爾之不有者《アガコフルキミニシアラネバ》云々、反歌に、山羽爾味村騷去奈禮騰吾者左夫思惠君二四不在者《ヤマノハニアヂムラサワキユクナレドアレハサブシヱキミニシアラネバ》、十三に、式島之山跡之土丹《シキシマノヤマトノクニニ》、人多滿而雖有《ヒトサハニミチテアレドモ》云々、反歌に、式島乃山跡乃土丹八二有年念者難可將嘆《シキシマノヤマトノクニニヒトフタリアリトシモハバナニカナゲカム》、これら思(ヒ)合すべし、
 
2383 世中《ヨノナカハ》。常如《ツネカクノミト》。雖念《オモヘドモ》。半手不忘。猶戀在《ナホコヒニケリ》。
 
常如は、ツネカクノミト〔七字右○〕と岡部氏のよめるぞよろしき、如此とあるべき處なれども、此(ノ)字は省きて書るなるべし、○半手不忘は、(手は多(ノ)字の誤にて、ハタワスラレズ〔七字右○〕ならむ、と岡部氏云り、されど此(ノ)人麿集の書樣に、さる假字あることなければ、なほいかゞなり、)吾者不忘《アレハワスレズ》などあるべきところなり、○戀在は、コヒニケリ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、世中の常の理にて、如此あるべき事なれば、強て迷はじとは思へども、猶人のうへの忘られずして、戀しく思ふ心に迷ひけり、といふなるべし、
 
2384 我勢古波《ワガセコハ》。幸座《サキクイマスト》。遍來《タビマネク》。我告來《アレニツゲツヽ》。人來鴨《ヒトモコヌカモ》。
 
遍來は、もとのまゝにては、解《トケ》がたし、(略解に、適喪を誤れるにて、タマタマモ〔五字右○〕なるべし、といへるは非なり、喪の假字を書るも、此前後の例にたがへるをや、)かれ按(フ)に、來は多の誤なるべし、(21)さらばタビマネク〔五字右○〕と訓べし、四(ノ)卷に、大夫之思和備乍遍多嘆久嘆乎不負物可聞《マスラヲノオモヒワビツヽタビマネクナゲクナゲキヲオハヌモノカモ》、又、夜之穗杼呂出都都來良久遍多數成者吾※[匈/月]截燒如《ヨノホドロイデツツクラクタビマネクナレバアガムネキリヤクゴトシ》、などあるを考(ヘ)合(ス)べし、○告來の來も誤なるべし、乍(ノ)字などあるべし、ツゲツヽ〔四字右○〕と訓べし、○人來鴨は、ヒトモコヌカモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、吾(カ)夫子に、平安《サキ》くておはしますと云ことを、吾に告知せつゝ、使人の度しげく來れかし、となり、
 
2385 麁玉《アラタマノ》。五〔□で囲む〕|年雖經《トシハフレドモ》。吾戀《アガコフル》。跡無戀《アトナキコヒノ》。不止恠《ヤマヌアヤシモ》。
 
五年雖經は、略解に、清水(ノ)濱臣云、五は上の玉よりうつりて、誤て入たるなるべし、トシハフレドモ〔七字右○〕ならむといへり、とあり、○跡無戀は、アトナキコヒノ〔七字右○〕と訓べし、則跡形もなき戀の意なり、八(ノ)卷に、秋野乎旦往鹿乃跡毛奈久念之君爾相有今夜香《アキノヌヲアサユクシカノアトモナクオモヒシキミニアヘルコヨヒカ》、とある跡《アト》の意に同じ、しるしのなきことなり、○不止恠は、中山(ノ)嚴水が、ヤマヌアヤシモ〔七字右○〕とよめるぞ宜き、○歌(ノ)意は、大方何事も、年月を經れば、繁きことも、まばらになりなど、移ひ變《カハ》るならひなるに、吾(カ)思は初も今も變る事なく繋きは、さてもあやしき事や、かく年月久しく、戀しく思へども、何のしるしもなき事なるに、となり、
 
2386 石尚《イハホスラ》。行應通《ユキトホルベキ》。建男《マスラヲモ》。戀云事《コヒチフコトハ》。後悔在《ノチクイニケリ》。
 
歌(ノ)意、契冲云、神武天皇(ノ)紀に、更|少進《イサヽカイデマセバ》、亦有(リ)v尾而|披《オシワケ》2磐石《イハヲ》1而《テ》出者《イヅルヒトアリ》、天皇問之曰、汝(ハ)何人《タレソ》、對2曰《マウシキ》臣《アレハ》是|磐排別之子《イハオシワクノコト》1、いはをも蹈さきて、とほるべきほどのつはものも、戀といふことには、後のくや(22)みある、となり、大敵にむかひても、おそれぬをのこの、戀とい へば、かへりみしてくゆるは、これがおもしろきことなり、
 
2387 日低《ヒクレナバ》。人可知《ヒトシリヌベミ》。今日《ケフノヒノ》。如千歳《チトセノゴトク》。有與鴨《アリコセヌカモ》。
 
日低(低(ノ)字、舊本には位と作り、其は低を※[人偏+弖]とも作《カク》によりて、誤れるなり、今は拾穗本に從つ、)は、ヒクレナバ〔五字右○〕とよむべし、○今日は、ケフノヒノ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、日暮なば、人の知べき故に、今日暮ずして、千年の如く、長くてあれかし、といふならむ、略解に、日暮て、却て人目多きことのよしありて、今日の日は、千歳の如く、長くあれかしとねがふなるべし、といへり、(契冲が夕になれば、いとゞ心ぼそく涙もろなるゆゑに、人知ぬべしとはいふなり、と云るは、いかゞなり、
 
2388 立座《タチテヰテ》。態不知《タドキモシラズ》。雖念《オモヘドモ》。妹不告《イモニツゲネバ》。間使不來《マツカヒモコズ》。
 
立座態不知は、タチテヰテタドキモ、シラズ〔タチ〜右○〕、と訓べし、(略解にタチヰスルワザモシラエズ〔タチ〜右○〕、とよめるはわろし、)十二に、立而居爲便乃田時毛今者無《タチテヰムスベノタドキモイマハナシ》、又、立居田時毛不知《タチテヰテタドキモシラズ》、とあり、○歌(ノ)意は、何(レ)のすぢに便り寄(リ)著ば、思をはるけむと云事をもしらず、立ても居ても、ひとへに戀しく思へども、かく思ふと云ことを、妹に告知す人のなければ、間使も來ず、となり、
 
2389 烏玉《ヌバタマノ》。是夜莫明《コノヨナアケソ》。朱引《アカラビク》。朝行公《アサユクキミヲ》。待苦《マテバクルシモ》。
(23)朱引《アカラビク》は、朝行《アサユク》の言を隔て、公《キミ》といふへかゝれり、(朝の言へつゞけたるにはあらず、)十(ノ)卷に、朱羅引色妙子數見者久妻故吾可戀奴《アカラビクシキタヘノコヲシバミレバヒトヅマユエニアレコヒヌベシ》、とあり、又十六に、飯喫騰味母不在《イヒハメドウマクモアラズ》云々|赤根佐須君之情志忌可禰津藻《アカネサスキミガコヽロシワスレカネツモ》、とあるも同じ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2390 戀爲《コヒスルニ》。死爲物《シニスルモノニ》。有者《アラマセバ》。我身千遍《ワガミハチタビ》。死反《シニカヘラマシ》。
 
歌(ノ)意は、戀をするに、若(シ)戀死に死るものにてあるぞならば、幾度と云限もなく、千度も吾は死ては死《シニ》、死ては死《シニ》すべき事なるに、かく苦しき戀をしても、死る期《トキ》に至らねば、死るものにてもなきぞ、となり、四(ノ)卷笠(ノ)女郎が、家持卿に贈れる歌に、念西死爲物爾在麻世波千遍曾吾者死變益《オモフニシシニスルモノニアラマセバチタビソアレハシニカヘラマシ》、とあると、同じ歌なり、
 
2391 玉響《ヌバタマノ》。昨夕《キノフノユフベ》。見物《ミシモノヲ》。今朝《ケフノアシタニ》。可戀物《コフベキモノカ》。
 
玉響、タマユラ〔四字右○〕と訓來れども、さる詞のあるべくもあらず、玉の聲を、由良良《ユララ》とも、由良久《ユラク》ともいふ詞はあれども、そをやがて打まかせて、玉由良《タマユラ》といはむは、古語の格にたがへり、もし又しばらく玉の聲を、玉由良《タマユラ》と云ことの有とせむに、此(ノ)歌にては、いかにも解べきよしなきをや、(玉ユラ〔二字右○〕は、幽かなる意なりなど云は、強て此(ノ)歌を、もとのまゝにて解むとおもふ、後(ノ)世意より出たる説なり、さるは昨夕たしかにあはずして、幽かに見たらむには、今朝はいよ/\思ひのまさるべき理なれば、可v戀物かとは、いふまじきことなるをや、)かれ熟々按(フ)に、こはもと烏(24)玉とありて、ヌバタマノ〔五字右○〕にて、夕《ユフベ》にかゝれる枕詞なりけむを、例の下上に玉烏と誤り、さて烏の草書〓と書るが、〓と似たるうへ、玉には響こそよしあれとて、後(ノ)世人の、うるはしく玉響と改寫て、たまゆらといふ訓をさへになせしなるべし、然るを、今まで註者等の舊本の誤をうけて解來れるは、いかにぞや、(其(ノ)中に荒木田(ノ)久老が、玉響をタマユラ〔四字右○〕とよめるは、ひがよみにて、響は玉の音のさやかなる意にて假れるものなれは、則タマサカ〔四字右○〕とよむべきなり、と云るは、舊訓に泥まざるは宜しけれども、なほ強解《シヒコト》なり、)あはれ古書に眼をさらす人の、絶て久しくなりにけるこそ、あさましけれ、(堀川百首に、伊勢、おくれじと山田のさなへとる田子の玉ゆらもすそほす隙ぞなき、愚草に、定家、玉ゆらの露も涙もとゞまらずなき人こふる宿の秋風、などあるをおもへば、右の歌を、たまゆらとよみたるあやまりをうけたることも、やゝ久しきことなり、)○歌(ノ)意は、絶々なるにこそ、戀しく思ふなどいふことは有らめ、昨日の夕に相見てしものを、今朝かくまで戀しく思ふべきものかは、戀べきことにはあらぬをと、自(ラ)吾(カ)身をなぐさむるやうにいへるが、中々あはれなり、此(ノ)下に、昨日見而今日社間吾妹子之幾許繼手見卷欲《キノフミテケフコソヘダテワギモコガコヽグクツギテミマクホシキモ》、とあるをも考(ヘ)合(ス)べし、
 
2392 中中《ナカナカニ》。不見有從《ミザリシヨリハ》。相見《アヒミテハ》。戀心《コヒシキコヽロ》。益念《イヨヽオモホユ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、六帖、後朝、逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり、(25)思(ヒ)合(ス)べし、
 
2393 玉桙《タマホコノ》。道不行爲《ミチユカズシテ》。有者《アラマセバ》。惻隱此有《ネモコロカヽル》。戀不相《コヒニハアハジ》。
 
歌(ノ)意、契冲云、道ゆきぶりに、おもひよらず人を見そめて、物思となる心にて、かくはよめり、
 
2394 朝影《アサカゲニ》。吾身成《ワガミハナリヌ》。玉垣入《タマカギル》。風所見《ホノカニミエテ》。去子故《イニシコユヱニ》。
 
朝影《アサカゲニ》云々は、痩衰へて、朝日にうつりて見ゆる影の如くになれるを云、此(ノ)下に、朝影爾吾身者成辛衣襴之不相而久成者《アサカゲニワガミハナリヌカラコロモスソノアハズテヒサシクナレバ》、古今集に、戀すれば吾身は影となりにけりさりとて人にそはぬものゆゑ、○玉垣入は、タマカギル〔五字右○〕とよむべし、垣は、カギ〔二字右○〕の借(リ)字、入はル〔右○〕の借(リ)字なり、(垣は清音、カギル〔三字右○〕のギ〔右○〕は濁音なれば、いかゞと思ふ人あるべけれど、借(リ)字には、清濁互にまじへ用る例あること、既くいへるが如し、入は、イル〔二字右○〕のイ〔右○〕の言は、カギ〔二字右○〕のギ〔右○〕の餘韻に含める故に、自ら省る故ル〔右○〕の假字とせり、)玉限《タマカギル》、玉蜻《タマカギル》などあるに同じくて、風《ホノカ》といはむ料の枕詞なり、別に委き考(ヘ)あり、○風所見は、ホノカニミエテ〔七字右○〕とよむべし、○歌(ノ)意は、たゞ髣髴にのみ見し女なるものを、せむなき思(ヒ)にやせおとろへて、吾(カ)身ははや朝日の影の如くになりぬとなり、○十二に、朝影爾吾身者成奴玉蜻髣髴所見而往之兒故爾《アサカゲニワガミハナリヌタマカギルホノカニミエテイニシコユヱニ》、とあるは、全(ラ)同歌なり、
 
2395 行行《ユケドユケド》。不相妹故《アハヌイモユヱ》。久方《ヒサカタノ》。天露霜《アメノツユシモニ》。沾在哉《ヌレニケルカモ》。
 
行行は、雖《ドモ》v行《ユケ》雖《ドモ》v行《ユケ》なり、○不相殊故《アハヌイモユヱ》は、逢(ハ)ぬ妹なるものをの意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢな(26)し、
 
2396 玉坂《タマサカニ》。吾見人《ワガミシヒトヲ》。何有《イカナラム》。依以《ヨシヲモチテカ》。亦一目見《マタヒトメミム》。
 
歌(ノ)意かくれなし、
 
2397 暫《シマシクモ》。不見戀《ミネバコヒシキ》。吾妹《ワギモコヲ》。日日来《ヒニヒニクレバ》。事繁《コトノシゲケク》。
 
暫は、シマシクモ〔五字右○〕と訓べし、(又シマラクモ〔五字右○〕にてもあしからず、)○吾妹《ワギモコヲ》は、吾妹子なるものをの意なり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
2398 年切《タマキハル》。及世定《ヨマテサダメテ》。恃《タノメタル》。公依《キミニヨリテシ》。事繁《コトノシゲケク》。
 
年切は、年は玉の誤なりといへり、タマキハル〔五字右○〕と訓べし、八(ノ)卷にも、玉切命向戀從者公之三舶乃梶柄母我《タマキハルイノチニムカヒコヒムヨハキミガミフネノカヂツカニモガ》、とあり○歌(ノ)意は、本(ノ)句は、契冲が、偕老同穴の心なり、といへるごとく、死行末來《シニユクスヱ》までもかはらじと、たのみに思はせたる君なるに依て、とにかく云さわぎつゝ、人事の繁き事よ、かくては、心のまに/\相見む事もかはほじを、いかにしてまし、といふ意を、含めたるなるなるべし、但し玉切は、自餘みな命《イノチ》、また世《ヨ》といふ言の枕詞に用ひたるを、こゝはいさゝか異りて、來世のことにいへりとみゆるは、いかなることにか、其(ノ)所由をしらず、
 
2399 朱引《アカラビク》。秦不經《ハダモフレズテ》。雖寐《ネタレドモ》。心異《ケシキコヽロヲ》。我不念《アガモハナクニ》。
 
朱引《アカラビク》は、契冲云、第十六に、あかねさす君とよめるに同じ、それは紅顔《テレルカホ》のにほひをいひ、今は、は(27)だへの雪のごとくなるに、すこし紅のにほひあるをいへり、○秦不經《ハダモフレズテ》は、(秦は借(リ)字にて、)膚《ハダ》も不《ズ》v觸《フレ》而《テ》なり、經は觸(ノ)字の意なり、十二に、吹風の妹にふれなば、といへるにも、經者とかけり、此(ノ)下にも、浦經《ウラブレ》、又|浦經《ウラブル》、とあり、○心異は、(コヽロヲケニハ〔七字右○〕とよみたれども、つたなし、)按(フ)に、異心とありけむが、例の下上に誤れるなるべし、さらば、ケシキコヽロヲ〔七字右○〕と訓べし、十四に、可良許呂毛須蘇乃宇知可倍安波禰杼毛家思吉己許呂乎安我毛波奈久爾《カラコロモスソノウチカヘアハネドモケシキココロヲアガモハナクニ》、十五に、波呂波呂爾《ハロバロニ》、於毛保由流可母之可禮杼母異情乎安我毛波奈久爾《オモホユルカモシカレドモケシキコヽロヲアガモハナクニ》、又、安良多麻能等之能乎奈我久安波射禮杼家之伎許己呂乎安我毛波奈久爾《アラタマノトシノヲナガクアハザレドケシキコヽロヲアガモハナクニ》、などあるを考(ヘ)合(ス)べし、○歌(ノ)意は、すべなく障る事のありしにより、女の紅のにほひある膚に觸て、相宿せずしてはあれども、異なる情を持はせぬものを、何かは疑はるゝ事のあるべき、となり、
 
2400 伊田何《イデイカニ》。極太甚《ネモコロゴロニ》。利心《トゴヽロノ》。及失念《ウスルマデモフ》。戀故《コフラクノユヱ》。
 
伊田何《イデイカニ》は、乞如何《イデイカニ》なり、乞《イデ》は既くたび/\出(デ)つ、○極太甚は、此(ノ)末に、大船にまかぢしゞぬきこぐほども極太戀し年にあらばいかに、とあるも、ネモコロ〔四字右○〕と訓べければ、ネモコロゴロニ〔七字右○〕と訓べし、と本居氏云り、○利心《トゴヽロ》は、利《ト》き心を云、ますらをのさとき心もわれはなし、とよめるに同じ、○歌(ノ)意は、いでそも如何なれば、人戀しく思ふ故によりて、かくさとき心の消失るまで、深切に思ふことぞ、となり、
 
(28)2401 戀死《コヒシナバ》。戀死哉《コヒモシネトヤ》。我妹《ワギモコガ》。吾家門《ワギヘノカドヲ》。過行《スギテユクラム》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、上に似たる歌ありて、既く彼處にも註り、
 
2402 妹當《イモガアタリ》。遠見者《トホクシミレバ》。恠《アヤシクモ》。吾戀《アレハソコフル》。相依無《アフヨシヲナミ》。
 
歌(ノ)意は、妹(カ)家の邊を遠々に見やれば、たゞに相見ることのならぬ故に、心に堪がたく、何故にかくまで思はるゝぞ、と自(ラ)もあやしまるゝばかり、戀しく思ふ、となり、
 
2403 玉《ヤマシロノ》。久世清河原《クセノカハラニ》。身※[禾+祓の旁]爲《ミソギシテ》。齋命《イハフイノチハ》。妹爲《イモガタメコソ》。
 
第一二(ノ)句は、略解に、本居氏、玉は山の誤にて、代を脱し、清は能(ノ)字ならむ、さらばヤマシロノクセノカハラニ〔ヤマ〜右○〕と訓べしといへり、されどこゝは、能(ノ)字を添べき書さまにあらず、考べし、といへり、故(レ)按(フ)に、山背久世河原《ヤマシロノクセノカハラニ》とありけむを、山を玉に、背を清に誤りたるより、つひに錯置《ミダレ》しならむ、和名抄に、山城(ノ)國久世(ノ)郡久世郷、とあり、○※[禾+祓の旁]は、祓と通(ハシ)用、○歌(ノ)意は、久世の河原に禊齋《ミソギ》して、壽命《イノチ》永かれと?(リ)申すことは、妹が爲によりてこそするなれ、となり、
 
2404 思依《オモヒヨリ》。見依物《ミヨリシモノヲ》。有《ナニストカ》。一日間《ヒトヒヘタツヲ》。忘念《ワスルトオモハム》。
 
此(ノ)歌(ノ)意、もとのまゝにては解難《キコエガタ》し、(契冲が、オモフヨリミルヨリモノハアルモノヲヒトヒノホドモワスルトオモフナ〔オモフヨ〜右○〕とよみて、人のかたより、我がおもひのほどをおもひはかり、色をうかゞひみるよりは、わがおもひはふかくてあるものを、たとひさはることありて、一日へ(29)だてゝあはぬことありとも、わすれたりやとは、おもふなとなり、といへれどいかゞ、岡部氏は、上の依は從の意、下の見依の依は、倦か飽の誤ならむ、オモフヨリミルニハアケルモノナレバヒトヒヘダツヲワスルトオモハム〔オモフ〜右○〕と訓べし、といへり、なほいかゞなり、)今按(フ)に、有(ノ)字は、何の誤か、又は爲の誤にて、何爲とありけむが、何(ノ)字は脱たるものか、さらばオモヒヨリミヨリシモノヲナニストカヒトヒヘダツヲワスルトオモハム〔オモヒ〜右○〕と訓べし、さらば歌(ノ)意は、心に思ひ目に見て、二(ツ)なく縁(リ)しに妹なるものを、いかなれば、たゞ一日障ることありて隔てたりとも、わすれたりとは、妹がおもはむやは、となり、
 
2405 垣廬鳴《カキホナス》。人雖云《ヒトハイヘドモ》。狛錦《コマニシキ》。※[糸+刃]解開《ヒモトキアケシ》。公無《キミナラナクニ》。
 
垣廬鳴《カキホナス》は、人のことしげにいひたつるをいへり、四(ノ)卷、九(ノ)卷に出て、既く註《イヘ》り、○狛錦《コマニシキ》は、高麗錦にて、既くいへり、契冲云、源氏物語繪合に、右はぢんのはこ、せんかうのしたづくゑ、うちしきは、あをぢのこまのにしき、といへり、○歌(ノ)意は、とにかくに、他人はいひたてさわぐとも、よしや紐解て、相宿せし君にてはなきことなるを、となり、
 
2406 狛錦《コマニシキ》。※[糸+刃]解開《ヒモトキアケテ》。夕戸《ユフヘダニ》。不知有命《シラザルイノチ》。戀有《コヒツヽアラム》。
 
夕戸は、略解に、戸は谷(ノ)字の誤なるべし、といへり、さもあるべし、ユフヘダニ〔五字右○〕なり、○※[糸+刃]解開《ヒモトキアケテ》は、思ふ人にあはむ前兆に、自《オラ》紐の解る事あるを、その前兆にならひて、自(ラ)設けてするならむ、○(30)歌(ノ)意は、本居氏、三四一二五、と句を次第《ツイデ》て心得べし、といへり、夕にだにもしらぬ、はかなき命なるものを、紐ときあけて、こひつゝあるべきことかはの謂なり、
 
2407 百積《モヽツミノ》。船潜納《フネコギイルヽ》。八占剃《ヤウラサシ》。母雖問《ハヽハトフトモ》。其名不謂《ソノナハノラジ》。
 
百積、古來モヽサカ〔四字右○〕とよみて、百尺《モヽサカ》の義とすれども、穩ならず、(こゝは積(ノ)字を、サカ〔二字右○〕の假字に用ひたりともおもはれず、)モヽツミ〔四字右○〕とよみて、百の物を積載る大きなる船といふ義とせむかた、穩なるべし、○船潜納は、十六に、大船爾小船引副可豆久登毛志賀乃荒雄爾潜將相八方《オホブネニヲブネヒキソヘカヅクトモシカノアラヲニカヅキアハメハモ》、とありて、潜《カヅク》と云こと、いふまじきにあらず、と思ふめれど、彼(ノ)歌は、事のさま異りたれば、こゝはカヅク〔三字右○〕にては穩ならぬことなり、故(レ)按(フ)に、潜は漕(ノ)字の誤なるべし、又納も※[さんずい+内]の寫誤にてもあるべきか、もしさらば、フネコグウラノ〔七字右○〕と訓べし、但し納は舊のまゝにて、イルヽ〔三字右○〕にても通《キコ》ゆれば、そはいづれにてもあるべし、さてこれまでは序にて、八占《ヤウラ》をいはむ料に、船こぐ浦を設ていへるなり、船漕(キ)入る浦と云意のいひつゞけなり、かく思ひよらず、他物《コトモノ》をとりもちきて序とするをおもしろみしたるものなり、○八占刺《ヤウラサシ》は、彌度占《ヤタビウラナヒ》を爲《ス》るを云なるべし、刺《サシ》は、その卜占のわざするをいふ言なるべし、そのもと何某何某《ナニガシタレガシ》の所爲などゝ、さしあらはす具なるゆゑに、指といふにやあらむ、○歌(ノ)意は、男の我許にかよひくるを、母のいぶかり思ひて、八たび占などおほせて、度々われをせめて問とも、其(ノ)男の名をば、母にいひきかせじと、女の男を(31)たのめてよめるなり、
 
2408 眉根削《マヨネカキ》。鼻鳴※[糸+刃]解《ハナヒヒモトケ》。待哉《マテリヤモ》。何時見《イツカモミムト》。念吾君《オモヒシワギミ》。
 
此(ノ)歌此(ノ)卷(ノ)未問答(ノ)歌に、眉根掻鼻火紐解待八方何時毛將見跡戀來吾乎《マヨネカキハナヒヒモトケマテリヤモイツカモミムトコヒコシアレヲ》、とある、理かなひて聞ゆ、今はその歌を誤れるなるべし、末にいたりてなほいふべし、
 
2409 君戀《キミニコヒ》。浦經居《ウラブレヲレバ》。悔《アヤシクモ》。我裏※[糸+刃]《ワガシタヒモノ》。結手徒《ユフテタユシモ》。
 
悔は、略解に、恠の誤ならむか、アヤシクモ〔五字右○〕と訓べし、といへり、○結手徒は、岡部氏、徒は倦の誤にて、ユフテタユシモ〔七字右○〕と訓べし、といへり、十二に、京師邊君者去之乎孰解言紐緒乃結手懈毛《ミヤコヘニキミハイニシヲタレトケカワガヒモノヲノユフテタユキモ》、古今集戀(ノ)一に、おもふともこふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐、○歌(ノ)意は、君を戀しく思ひて、恍惚《ホレ/”\》として愁ひ居れば、あやしや吾(ガ)下紐の、結ぶ手もつかるゝまで解るよ、これはさは思ふ人にあはむと云、前兆《シルシ》にてこそあらめ、となり、
 
2410 璞之《アラタマノ》。年者竟杼《トシハハツレド》。敷白之《シキタヘノ》。袖易子少《ソテカヘシコヲ》。忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》。
 
年者竟杼は、トシハハツレド〔七字右○〕と訓るよろし、年の暮るを竟《ハツ》ると云は、古言なり、(クルヽ〔三字右○〕と云は後なり、)十(ノ)卷に、昨日社年者極之賀春霞春日山爾速立爾來《キノフコソトシハハテシカハルカスミカスガノヤマニハヤタチニケリ》、後撰集に、藤原(ノ)敦忠、物思ふと過る月日もしらぬまにことしもけふにはてぬとかきく、○敷白は、契冲、白とかけるは、日本紀に、たへのはかまとまみ、此(ノ)集第二第十三に、たへのほとよめる、みな白きをたとへ云ばなり、と(32)いへり、(略解に、白の下、布か妙かの字、脱たるならむ、といへれど、中々にわろかるべし、)たへのほと云に、雪穗とかけるをも、考(ヘ)合(ス)べし、○少は、ヲ〔右○〕の假字なり、(略解に、乎の誤なるべし、といへれど、もとのまゝにてよろし、)○忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》は、唯忘れむやは、と云意なり、○歌(ノ)意は、年は竟終《ハツ》れども、袖交て相宿せし女の事を忘れむやは、得忘れあへず、となり、
 
2411 白細布《シロタヘノ》。袖小端《ソテヲハツ/\》。見柄《ミシカラニ》。如是有戀《カカルコヒヲモ》。吾爲鴨《アレハスルカモ》。
 
見柄は、舊本に依て、ミシカラニ〔五字右○〕と訓べし、(略解に、ミテシカラ〔五字右○〕と訓るは穩ならず、)按(フ)に、柄の下に、爾(ノ)字など脱たるか、ミシカラニ〔五字右○〕は、見しものなるをの意にて、柄《カラ》は人妻故爾《ヒトヅマユヱニ》などの故と同(シ)意なり、○歌(ノ)意は、親く交りて、相語ひし人ならば、さもあるべきに、袖をほの/”\と見しばかりなるものを、さてもかやうに、堪がたき思をする事哉、となり、
 
2412 我妹《ワギモコニ》。戀無乏《コヒスベナカリ》。夢見《イメニミムト》。吾雖念《アレハオモヘド》。不所寐《イネラエナクニ》。
 
戀無乏は、(略解に、乏は爲の誤なるべし、といへるは、ひがことなるよし、上にいへり、)コヒスベナカリ〔七字右○〕とよめるよろし、戀て爲便《スベ》なさに、といはむが如し、十二に、吾妹兒二戀爲便名鴈《ワギモコニコヒスベナカリ》、十七に、和賀勢故爾古非須弊奈賀利《ワガセコニコヒスベナカリ》、などあり、○歌(ノ)意は、吾妹子を戀しく思ひて爲方のなさに、夢になりとも見て慰まむと思へど、寢入(ラ)れずして、夢に見ることも叶はぬことなれば、いかにとかせむ、となり、
 
(33)2413 故無《)ユヱモナク》。吾裏※[糸+刃]《ワガシタヒモソ》。令解《イマトクル》。人莫知《ヒトニナシラセ》。及正逢《タヾニアフマデニ》。
 
令解は、中山(ノ)嚴水(カ)説に、令は今り誤にてイマトクル〔五字右○〕なり、といへり、是(レ)宜し、○歌(ノ)意は、故も無(ク)、自然に吾(カ)下紐ぞ今解る、さてもうれしや、これは思ふ人にあふべき前兆《シルシ》ならむ、能して直に逢までは、人に知(ラ)るゝことなかれ、若惡くして人にしられたらば、とにかくいひさわかれて、あふことのならぬやうになるべきぞと、紐にいひ付るやうに、いへるなるべし、
 
2414 戀事《コフルコト》。意遣不得《コヽロヤリカネ》。出行者《イデユケバ》。山川《ヤマモカハヲモ》。不知來《シラズキニケリ》。
 
意遣不得《コヽロヤリカネ》、遣(ノ)字、舊本に追と作るは誤なり、此(ノ)下に、雲谷灼發意遣見乍爲及直相《クモダニモシルクシタヽバコヽロヤリミツヽヲヲラムタヾニアフマデニ》、とある、遣をも追に誤たり、(この追を、共に進の誤として、ナグサメ〔四字右○〕と、略解には訓たれど、わろし、)十一に、忘哉語意遣雖過不過猶戀《ワスルヤトモノガタリシテコヽロヤリスグセドスギズナホゾコヒシキ》、又三(ノ)卷に、酒飲而情乎遣爾《サケノミテコヽロヲヤルニ》、十七に、於毛布度知許己呂也良武等《オモフドテココロヤラムト》、十九に、見明米情也良武等《ミアキラメコヽロヤラムト》、などあるを、思(ヒ)合(ス)べし、○山川は、ヤマモカハヲモ〔七字右○〕と訓て、山をも川をもと云意になれり、九(ノ)卷に、父母をも妻をもと云意なるを、父妣毛妻矣毛將見跡《チヽハヽモツマヲモミムト》、といひ、十九に、京師《ミヤコ》をも此處《コヽ》をもと云意なるを、京師乎母此間毛於夜自等《ミヤコヲモココモオヤジト》、とあるなど、みな同例なり、○歌(ノ)意は、戀しく思ふことの物むづかしさに、いかにもして、心をなぐさめむと思へど、心を晴し遣得ずして、家を立出て此方彼方吟ひ行ば、山をも川をも辨へ知ずに、心空にて來にけり、となり、
(34)〔右四十七首、柿本朝臣人麿之歌集出。〕
 
2517 足千根乃《タラチネノ》。母爾障良婆《ハヽニサハラバ》。無用《イタヅラニ》。伊麻思毛吾毛《イマシモアレモ》。事應成《コトナルベシヤ》。
 
母爾障良婆《ハヽニサハラバ》は、母《ハヽ》の禁《イサ》め衛るに、憚り障らばの意なり、(略解に、さはらばは、障られなばを約め云なり、といへるは、自他の差別あることを辨へぬ、ひがことなり、)○無用《イタヅラ》、一(ノ)卷にもかく書り、○伊麻思《イマシ》は、十四に、伊麻思乎多能美《イマシヲタノミ》云々、續紀高野(ノ)天皇(ノ)大命に、朕我天先帝乃御命以天《アガアマツサキノミカドノミコトモチテ》、朕仁勅之久《アレニノリタマヒシク》、天下方《アメノシタハ》、朕子伊未之仁授《アガコイマシニサヅケ》給(フ)云々、字鏡に、※[人偏+尓](ハ)禰、汝也、伊萬志《イマシ》、又|支三《キミ》、などあり、本居氏云、伊麻志《イマシ》は、十四(ノ)卷、また後の物語などに麻之《マシ》ともあり、又續紀(九、三十一」宣命どもに、美麻斯《ミマシ》ともあり、さて那と云も伊麻志《イマシ》と云も、後には下ざまの人にのみいへど、いと上(ツ)代には然らず、其(ノ)本は尊む人にもいへる稱《ナ》なり、○事應成は、コトナルベシヤ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、母の禁め衛るに、憚り障りて時を待(タ)ば、つひに吾と汝が中の事成(ラ)ず、思の無用《イタヅラ》になりなむか、となり、此(ノ)下に、垂乳根乃母白者公毛余毛相鳥羽梨丹年可經《タラチネノハヽニマヲサバキミモアレモアフトハナシニトシソヘヌベキ》、
 
2518 吾妹子之《ワギモコガ》。吾呼送跡《アレヲオクルト》。白細布乃《シロタヘノ》。袂漬左右二《ソテヒヅマテニ》。哭四所念《ナキシオモホユ》。
 
歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、
 
2519 奥山之《オクヤマノ》。眞木乃板戸乎《マキノイタドヲ》。押開《オシヒラキ》。思惠也出來根《シヱヤイデコネ》。後者何將爲《ノチハイカニセム》。
 
奥山之《オクヤマノ》は、眞木《マキ》と云のみにかゝれり、檜は、もはら奥山に生る謂もていへるなり、奥山の家の(35)義にはあらず、○眞木乃板戸《マキノイタト》は、檜材《ヒノキ》の板戸なり、十四にも、於久夜麻能眞木乃伊多度乎等杼登之※[氏/一]和我比良可武爾伊利伎※[氏/一]奈左禰《オクヤマノマキノイタドヲトドトシテワガヒラカムニイリキテナサネ》、此(ノ)下にも、奥山之眞木乃板戸乎音速見妹之當乃霜上爾宿奴《オクヤマノマキノイタドヲオトハヤミイモガアタリノシモノヘニネヌ》、などあり、○押開《オシヒラキ》は、五(ノ)卷に、遠等※[口+羊]良何佐那周伊多斗乎《ヲトメラガサナスイタドヲ》、意斯比良伎伊多度利與利提《オシヒラキイタドリヨリテ》、書紀繼體天皇(ノ)卷、匂(ノ)大兄(ノ)皇子(ノ)御歌に、莽紀佐倶避能伊陀圖嗚《マキサクヒノイタトヲ》、飫斯※[田+比]羅枳倭例以梨魔志《オシビラキワレイリマシ》云云、などあり、○思惠也《シヱヤ》は、假に縱す辭にて、縱意哉《ヨシヱヤシ》と云に同じ意の處に用ひたり、○歌(ノ)意は、女の家の戸口にいたりて、男のよめるにて、後といはゞなにとかせむ、よしやさはることありとも、檜の坂戸を押開て、出來て逢てよと、いふなるべし、
                         
2520 苅薦能《カリコモノ》。一重※[口+立刀]敷而《ヒトヘヲシキテ》。紗眠友《サヌレドモ》。君共宿者《キミトシヌレバ》。冷雲梨《サムケクモナシ》。
 
苅薦《カリコモ》は、薦《コモ》は蓆《ムシロ》なり、蒋《コモ》を刈ほして、席に造る故に、苅薦《カリコモ》と云なるべし、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、四(ノ)卷に、蒸被奈胡也我下丹雖臥與妹不宿者肌之寒霜《ムシブスマナゴヤガシタニフセレドモイモトシネネバハダシサムシモ》、今と表裏《ウラウヘ》の歌なり、思(ヒ)合(ス)べし、
 
2521 垣幡《カキツハタ》。丹頬經君※[口+立刀]《ニヅラフキミヲ》。率爾《イサヽメニ》。思出乍《オモヒイデツヽ》。嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》。
 
垣幡《カキツハタ》は、燕子花にて、丹頬經《ニヅラフ》をいはむ料の枕詞なり、○丹頬經は、ニヅラフ〔四字右○〕とよむべし、(ニホヘル〔四字右○〕とよめるは誤なり、契冲もはやくいへり、)○率爾《イサヽメニ》は、七(ノ)卷に、眞木柱作蘇麻人伊左佐目丹借廬之爲跡造計米八方《マキハシラツクルソマヒトイサヽメニカリホノタメトツクリケメヤモ》、十(ノ)卷に、率爾今毛欲見秋芽之四搓二將有妹之光儀乎《イサヽメニイマモミガホシアキハギノシナヒテアラムイモガスガタヲ》、などあり、○鴨は、可《カ》は、後(ノ)世の可波《カハ》の意なり、母《モ》は歎息(ノ)辭なり、○歌(ノ)意は、紅顔の君の事を思(ヒ)出つゝ、たゞかりそ(36)めに、嗚呼《アヽ》と歎きつるかは、草率《カリソメ》の事にはあらず、深く思ふに堪かねたればこそ、あはれかくまで、歎息をしつるにこそあれ、となり、
 
2522 恨登《ウラミムト》。思狹名盤《オモヒナヅミテ》。在之者《アリシカバ》。外耳見之《ヨソノミゾミシ》。心者雖念《コヽロハモヘド》。
 
恨登とは、ウラミムト〔五字右○〕とよめるによるに、恨《ウラミ》をいはむとゝいふ意なり、吾に教へよ行て恨みむ、とよめる恨みむに同じ、○思狹名盤(盤(ノ)字、拾穗本、古寫一本等には磐と作り、それもいかゞ、)は、本居氏、狹名盤は必(ス)誤字なるべし、といへり、(セナハ〔三字右○〕とよめるによりて、兄名《セナ》がつらさを、うらみむと思ひて有しかば、心にはこひしく思ひながら、懲《コラ》しめむとて、よそめにはみてあはぬよしなり、と契冲いへれど、さては歌(ノ)意も穩ならじ、そのうへ兄名者《セナハ》を、狹名盤とは書しとも思はれねば、いかさまにも、決《ウツナ》く誤字ならむ、)今按(フ)に、狹は積(ノ)字を草書にて誤寫《ヒガウツシ》し、さて字を顛置《オキタガ》へて、狹名とし、狹名を兄名《セナ》と見たるより、盤はもとは而(ノ)字なりけむを、さてはよめがたきによりて、上下の畫の消滅たるものと思ひて、さかしらに補加へて、改寫したるものにて、もとは、思名積而《オモヒナヅミテ》なりしにやあらむ、○歌(ノ)意は、直に相見たらば、果して日ごろの恨《ウラミ》をいはれむ、と思ひ艱難《ナヅ》みてありしからに、心には、いかにも戀しく思ひはすれども、直に相見ることを得せずして、外《ヨソ》にのみぞ見てありつる、といへるにやあらむ、
 
2523 散頬相《サニヅラフ》。色者不出《イロニハイデジ》。小文《スクナクモ》。心中《コヽロノウチニ》。吾念名君《アガモハナクニ》。
 
(37)歌(ノ)意は、少くも思はず、心中に深く切に思ふことなれど、さりとて、人にしらすべきにあらざれば、色には出すまじ、となり、此(ノ)下に、言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二《コトニイヘバミミニタヤスシスクナクモコヽロノウチニアガモハナクニ》、
 
2524 吾背子爾《ワガセコニ》。直相者社《タヾニアハバコソ》。名者立米《ナハタヽメ》。事之通爾《コトノカヨフニ》。何其故《ナニカソコユヱ》。
 
歌(ノ)意は、吾(ガ)夫子《セコ》にたゞしく逢たらばこそ、げにも名は立ため、たゞ言のみ徃來《ユキカヒ》するに、それゆゑに、なにか人に名を立て、いひさわがるゝことのあらむぞ、となり、
 
2525 懃《ネモコロニ》。片念爲歟《カタモヒスレカ》。比者之《コノゴロノ》。吾情利乃《アガコヽロドノ》。生戸裳名寸《イケルトモナキ》。
 
情利《コヽロド》は、十三、十九にもかく見えたり、心神と書る字(ノ)意なり、(荒木田(ノ)久老云、三(ノ)卷に、心神、情神、十二卷に、心神とあるは、コヽロド〔四字右○〕と訓べし、度《ド》は所の意にて、心臓をいふにやあらむ、)○歌(ノ)意は、深切に片思をすればにや、このごろは、吾(カ)心神の生(キ)たるこゝちもせぬ、となり、
 
2526 將待爾《マツラムニ》。到者妹之《イタラバイモガ》。懽跡《ウレシミト》。咲儀乎《ヱマムスガタヲ》。往而早見《ユキテハヤミム》。
 
懽跡《ウレシミト》は、懽しさにといふ意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、下に、不念丹到者妹之歡三跡咲牟眉曳所思鴨《オモハヌニイタラバイモガウレシミトヱマムマヨビキオモホユルカモ》、とある歌に、大方似たり、
 
2527 誰此乃《タレソコノ》。吾屋戸來喚《ワガヤドニキヨブ》。足千根乃《タラチネノ》。母爾所嘖《ハヽニコロバエ》。物思吾呼《モノモフアレヲ》。
 
根の下乃(ノ)字、舊本にはなし、今は拾穗本、水戸本等に從つ、○母爾所嘖《ハヽニコロバエ》、神代紀に、發(シ)2稜威之嘖讓《イツノコロビヲ》1云々、嘖讓此云2擧廬毘《コロビト》1、とありて、罵り責らるゝを云、十四に、禰奈敝古由惠爾波伴爾許呂波要《ネナヘコユヱニハハニコロバエ》、(38)と見え、又、奈我波伴爾己良例安波由久《ナガハハニコラレアハユク》、ともあり、○歌(ノ)意かくれなし、契冲云、女に似つきたる歌なり、十四に、多禮曾許能屋能戸於曾夫流爾布奈未爾和我世乎夜里※[氏/一]伊波布許能戸乎《タレソコノヤノトオソブルニフナミニワガセヲヤリテイハフコノトヲ》、
 
2528 佐不宿夜者《サネヌヨハ》。千夜毛有十方《チヨモアリトモ》。我背子之《ワガセコガ》。思可悔《オモヒクユベキ》。心者不持《コヽロハモタジ》。
 
歌(ノ)意かくれなし、三(ノ)卷に、妹毛吾毛清之河乃河岸之妹我可悔心者不持《イモモアレモキヨミノカハノカハキシノイモガクユベキコヽロハモタジ》、十四に、可麻久良乃美胡之能佐吉能伊波久叡乃伎美我久由倍伎己許呂波母多自《カマクラノミコシノサキノイハクエノキミガクユベキココロハモタジ》、などあり、
 
2529 家人者《イヘヒトハ》。路毛四美三荷《ミチモシミミニ》。雖往來《カヨヘドモ》。吾待妹之《アガマツイモガ》。使不來鴨《ツカヒコヌカモ》。
 
徃(ノ)字、舊本になきは脱たるなり、今は水戸本、異本等に從つ、○歌(ノ)意は、此方の家内の人は、めしつかふ者まで、家の邊の路を、しげく行來《ユキカヒ》すれども、吾(カ)思ふ妹が使は、今か今かと待居るに、たえて來ぬ事哉、さても待遠や、となり、
 
2530 璞之《アラタマノ》。寸戸我竹垣《キヘガタカカキ》。編目從毛《アミメヨモ》。妹志所見者《イモシミエナバ》。吾戀目八方《アレコヒメヤモ》。
 
璞之《アラタマノ》といへるよしは、次にことわらむ、○寸戸我竹垣《キヘガタカカキ》は、十四遠江(ノ)國(ノ)歌に、阿良多麻能伎倍乃波也之爾奈乎多※[氏/一]天由吉可都麻思目移乎佐伎太多尼《アラタマノキヘノハヤシニナヲタテヽユキカツマシモイオヲサキダタネ》、また、伎倍比等乃萬太良夫須麻爾和多佐波太伊利奈麻之母乃伊毛我乎杼許爾《キヘビトノマダラブスマニワタサハダイリナマシモノイモガヲドコニ》、とあり、契冲、契冲、璞《アラタマ》は、遠江(ノ)國|麁玉《アラタマノ》郡なり、といへり、和名抄に、遠江(ノ)國麁玉(ノ)郡|阿良多未《アラタマ》、今稱2有玉(ト)1、とあり、續記に、元明天皇靈龜元年五月、遠江地震、山崩(レ)※[雍/土]2※[竹/鹿]《麁歟》玉河(ヲ)1、水爲之不v流云々、廢帝寶字五年七月辛丑、遠江(ノ)國荒玉河(ノ)堤決(ルコト)三百餘丈、役(シ)2單功三(39)十萬三千七百餘人(ヲ)1、宛v粮修築、と見ゆ、〔頭註。【略解に、遠江國麁玉河に、堤三百餘丈を築しこと、三代實録に見ゆとあり、今按、三代實録無所見、可重考、】〕さて寸戸は、其(ノ)郡のあたりに、今貴平と呼村あり、是なりと略解にはいへり、又本居氏は、璞之《アラタマノ》は枕詞にて、地(ノ)名の寸戸を、來經《キヘ》の意にとりなしてつゞけたるなり、寸戸《キヘ》は、遠江(ノ)國山香郡に、伎階《キヘ》と云郷の見えたる、階(ノ)字は陛の誤にて、寸戸《キヘ》は是なるべし、麁玉(ノ)郡には、伎倍《キヘ》てふ郷なし、といへり、なほ國人に尋て具《クハシ》くいふべし、(又荒木田氏は、寸戸《キヘ》は地(ノ)名を云に非ず、城隔《キヘ》にて、今|壁《カベ》といふは、この城隠《キヘ》と同意にて、垣隔《カキヘ》なるべし、又伎倍乃波也之《キヘノハヤシ》とあるも、伎倍《キヘ》は城隔《キヘ》にて、垣外の林をいふなり、といへれど、いかゞ、)璞之《アラタマノ》を、枕詞とする説によりて、猶考(フ)るに、寸戸《キヘ》は、孝徳天皇(ノ)紀に、大化三年、造2渟足柵《ヌタリノキヲ》1置2柵戸(ヲ)1、四年治2磐舟(ノ)柵《キヲ》1以備2蝦夷1、遂(ニ)選d越|與《ト》2信濃1之民(ヲ)u、始置2柵戸(ヲ)1、この渟足、磐舟は越後なり、績紀廿(ノ)卷(ノ)詔に、出羽(ノ)國|小勝《ヲカチ》村(ノ)乃柵戸爾移賜久止宣《ノキニウツリタマハクトノリタマフ》、などありて、陸奥出羽越後などには、蝦夷の備に城柵を置れしなり、さて柵戸と云は、柵に屬たる民戸《タミノイヘ》也、と本居氏詔詞解に云る如し、さて今も南部の地に、南より段々一の戸《ヘ》、三の戸《ヘ》、五の戸《ヘ》、七の戸《ヘ》、八の戸《ヘ》、九の戸《ヘ》など、すべて戸《ヘ》と呼地多くて、その戸と云所は、城跡と見ゆるとぞ、されば、その城柵を置れしにつきて、その蝦夷の防のために選ばれし民どもの、つぎ/\にかために居し小城を、三の戸、五の戸など呼なせる、今はその跡を云なるべし、さて陸奥出羽のあたりには、蝦夷の備に、もはら城柵をきびしく置れしことにこそあれ、他(ノ)國々にも、軍備のために置れし(40)ことのありしなるべければ、此(ノ)歌の寸戸《キヘ》も柵|戸《ヘ》にて、其はいづれの國とも、定めがたきにやあらむ、さてその城外の竹垣を、寸戸《キヘ》が竹垣《タカカキ》とは云るなるべし、此は城内に守り居る人のよめるか、又は柵戸の垣は、世にことに緊しく造れゝば、たとひその柵戸の垣のまばらならず、きびしく結堅めたる、わづかの透間からなりとも見えなば、といへるにて、幽かになりとも見むと思ふ意をいはむために、設出て譬へたるにて、城柵《キヘ》にあづからnu人のよめるにもあるべし、○歌(ノ)意は、心足ひに相見る事は叶ふべからねば、竹垣の編目の透間からなりとも、妹が容儀の見えなば、かくばかり一(ト)すぢに戀しく思ふことはせじ、嗚呼見まほしや、となり、
 
2531 吾背子我《ワガセコガ》。其名不謂跡《ソノナノラジト》。玉切《タマキハル》。命者棄《イノチハステツ》。忘賜名《ワスレタフフナ》。
 
歌(ノ)意は、たとひいかなる大事ありて、生て居られぬばかりのことあらむにも、吾(カ)夫子が名をば謂《ノリ》て人にしらせじ、と堅く思ひ定めたれば、もとより我は、命もなきものと思ふなり、かくまで夫(ノ)君を深くたのみたれば、夫(ノ)君も吾を忌(レ)賜ふことなかれ、となり、
 
2532 凡者《オホカタハ》。誰將見鴨《タガミムトカモ》。黒玉乃《ヌバタマノ》。我玄髪乎《ワガクロカミヲ》。靡而將居《ヌラシテヲラム》。
 
靡而將居は、本居氏云、ヌラシテヲラム〔七字右○〕と訓べし、二(ノ)卷に、多氣琴奴禮《タケバヌレ》と云|奴禮《ヌレ》の意なり、此(ノ)下に、夜干玉之妹之黒髪今夜毛加吾無床爾靡而宿良武《ヌバタマノイモガクロカミコヨヒモカアガナキトコニヌラシテヌラム》、又、夜干玉之吾黒髪乎引奴良思亂而反戀度鴨《ヌバタマノワガクロカミヲヒキヌラシミダレテアレハコヒワタルカモ》、などあり、○歌(ノ)意は、誰に見せむとてか、吾(カ)黒髪をぬら/\と靡して居むぞ、大方にお(41)もはねばこそ、夫(ノ)君に媚《ナマメ》く容形を見せむとて、かくは爲なれ、となり、
 
2533 面忘《オモワスレ》。何有人之《イカナルヒトノ》。爲物烏《スルモノソ》。言者爲金津《アレハシカネツ》。繼手志念者《ツギテシモヘバ》。
 
面忘《オモワスレ》は、下にも、面志太爾毛得爲也《オモワスレダニモエセムヤ》、とよめり、○烏(ノ)字、舊本に鳥に誤れり、古寫本、古寫一本、拾穗本等には、焉と作り、烏焉相通ふこと既くいへり、○言は、我也と註り、○歌(ノ)意は、いかなる人の面忘をするものにてあるぞ、いかで忘れむ忘れむと思へども、つゞきて絶ず思へば、吾は面忘をすることを得知ず、となり、
 
2534 不相思《アヒオモハヌ》。人之故可《ヒトノユヱニカ》。璞之《アラタマノ》。年緒長《トシノヲナガク》。言戀將居《アガコヒヲラム》。
 
言を我と通(ハシ)書ること、前また後の歌、また其(ノ)他にも、かた/”\に見ゆ、(略解に、吾の誤かと云るは、無稽(ノ)説なり、)○歌(ノ)意は、相思はぬ人にてあるものを、年(ノ)緒長く、戀しくのみ思ひつゝ居むか、となり、
 
2535 凡乃《オホカタノ》。行者不念《ワザトハモハジ》。言故《ワレユヱニ》。人爾事痛《ヒトニコチタク》。所云物乎《イハレシモノヲ》。
 
歌(ノ)意は、わが故によりて、君も世の人に、こと/”\しくいひさわがれしものを、其をおもへば、君とわが中を、たゞ一(ト)通《ワタリ》のことゝは思ひ侍らじと、女の男の心をねぎらひて、よめるものか、
 
2536 氣緒爾《イキノヲニ》。妹乎思念者《イモヲシモヘバ》。年月之《トシツキノ》。往覽別毛《ユクラムワキモ》。不所念鳧《オモホエヌカモ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
(42)2537 足千根乃《タラチネノ》。母爾不所知《ハヽニシラエズ》。吾持留《アガモタル》。心者吉惠《コヽロハヨシヱ》。君之隨意《キミガマニマニ》。
 
歌(ノ)意は、中山(ノ)嚴水、母あれば、此(ノ)身は君によりがたけれど、母にもしらさずして、もたる我(ガ)心は、よしやよし、君がまに/\よらむ、といへるにや、と云り、十三に、足千根乃母爾毛不謂※[果/衣]有之心者縱君之隨意《タラチネノハヽニモノラズツヽメリシコヽロハヨシヱキミガマニマニ》、
 
2538 獨寢等《ヒトリヌト》。※[草がんむり/交]朽目八方《コモクチメヤモ》。綾席《アヤムシロ》。緒爾成及《ヲニナルマデニ》。君乎之將待《キミヲシマタム》。
 
獨寢等《ヒトリヌト》は、一人寢《ヒトリネ》をするとての意なり、○※[草がんむり/交]《コモ》は、菰、蒋などの字と同じきを、こゝは薦《コモ》に借(リ)用(ヒ)たり、薦は、こゝは薦筵《コモムシロ》の中重《ナカノヘ》なり、○綾席《アヤムシロ》は、契冲、さま/”\にそめて、文を織たるむしろなり、と云り、略解に、綾檜笠《アヤヒガサ》、綾槍垣《アヤヒガキ》などの綾の言の如く、藺を綾に織たるなるべし、といへり、○緒《ヲ》は、席を編る絲《イト》なり、○歌(ノ)意は、畧解に、こもは中(ノ)重なり、席は上(ノ)重なり、その上重の綾席はそこなはれて、編緒《アミヲ》のみに成ぬとも、中(ノ)重のこもまでは、朽亂るまじければ、夫子《セコ》と共宿せし疊を、いつまでも取もかへず、敷寢つゝ待なむとなり、と云り、第一二(ノ)句は、二人寢ばこそあらめ、一人寢とて、薦朽はすまじ、と云なるべし、(鎌倉(ノ)右大臣、あやむしろをになるまでも戀わびぬしたくちぬらしとふのすがごも、)
 
2539 相見者《アヒミテハ》。千歳八去流《チトセヤイヌル》。否乎鴨《イナヲカモ》。我哉然念《アレヤシカモフ》。待公難爾《キミマチカテニ》。
 
否乎鴨《イナヲカモ》は、否歟諾歟《イナカヲカ》と云むが如し、母《モ》は歎息(ノ)辭なり、(俗に、そうであるまいか、そうであらうか、(43)と云に、こゝは同じ、)十四に、筑波禰爾由伎可呼布良留伊奈乎可呼加奈思吉兒呂我爾奴保佐流可母《ツクハネニユキカモフラルイナヲカモカナシキコロガニヌホサルカモ》、とあり、○歌(ノ)意は、逢見て後、千歳の久しき間をや經ぬる、いな然《サ》はあらぬか、然《サ》あらむか、思ふに、君を待がてに思ふ心より、我(ガ)しか思ふにてあらむ、さても待久しきことや、となり、四(ノ)卷に、比者千歳八往裳過與吾哉然念欲見鴨《コノゴロハチトセヤユキモスギヌルトアレヤシカモフミマクホリカモ》、相似たる歌なり、○此(ノ)歌、十四(ノ)東歌の未に入て、其(ノ)左註に、柿本朝臣人麻呂歌集出也、とあり、
 
2540 振別之《フリワケノ》。髪乎短彌《カミヲミジカミ》。青草乎《ハルクサヲ》。髪爾多久濫《カミニタクラム》。妹乎師曾於母布《イモヲシゾオモフ》。
 
振別之髪《フリワケノカミ》とは、專らとは、八歳までは、髪の末を肩にくらべて切て、頂より兩方へかきわけて垂るを云、(宇津保物語姫松に、十のみこ四ばかりにて、御ぐしふりわけにて、しろくうつくしげにこえて云々、)されど是は今少し過て、十歳ばかりにもなりて、漸(ク)髪を長からしむる比にても、猶ふり分髪と云べし、と畧解にいへり、○青草乎(青(ノ)字、古寫本、水戸本、拾穗本等には春と作り、いづれにてもよろし、乎(ノ)字、舊本にはなし、官本、古寫本、拾穗本等に從つ、)は、ハルクサヲ〔五字右○〕と訓べし、ハル〔二字右○〕草は即(チ)若草のことなり、五色を四時に配るとき、青は春に當れば、ハル〔二字右○〕と訓べし、十三にも青山《ハルヤマ》とあり、さて青草乎《ハルクサチ》云々とは、若草の髪の如きを、其(ノ)髪にたぐりそへつかぬるなり、ゐなかの女兒の、かづら草と名付て、なよゝかに、細く長き草の、叢に生るを採て、さるわざするなりと、これも略解にいへり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
(44)2541 徘徊《タモトホリ》。往箕之里爾《ユキミノサトニ》。妹乎置而《イモヲオキテ》。心空在《コヽロソラナリ》。土者蹈鞆《ツチハフメドモ》。
 
徘徊《タモトホリ》奮本に、徊徘と作るは、例の下上に誤れるものなり、類聚抄、拾穗本等には俳※[人偏+回]と作り、)は、枕詞なり、徘徊りて往(キ)廻るといふ意なり、(往箕《ユキミ》は、往(キ)めぐると云に同じ古言なればなり、)○往箕之里《ユキミノサト》(往(ノ)字、舊本に住と作るは誤なり、今は官本、拾穗本、古寫一本等に從つ、)は、いづくならむ、未(タ)考得ず、○心空在《コヽロソラナリ》は、十二に、吾妹子之夜戸出乃光儀見之從情空成地者雖踐《ワキモコガヨトデノスガタミテシヨリコヽロソラナルツチハフメドモ》、又、立居田時毛不知吾意天津空有土者踐鞆《タチテヰテタドキモシラズアカコヽロアマツソラナリツチハフメドモ》、伊勢物語に、野にありけど心はそらにて云々、源氏物語に、たれもたれも、あしをそらにてまかで給ふ、○歌(ノ)意は、往箕(ノ)里に、妹を殘し置て、別れて來れば、地は蹈ども、なほ心は空にて、殊が許にのみ通ふぞ、となり、
 
2542 若草乃《ワカクサノ》。新手枕乎《ニヒタマクラヲ》。卷始而《マキソメテ》。夜哉將間《ヨヲヤヘタテム》。二八十一不在國《ニククアラナクニ》。
 
若草乃《ワカクサノ》は、新《ニヒ》といはむための枕詞なり、若草の新《ニヒ》しきといふ意にいひかけたり、十四に、新草《ニヒクサ》
ともよめり、○歌(ノ)意は、今始めて心とけて、新に相宿したる妹が、ありしにまさりて、愛《ウルハ》しく思はるゝことなるに、早故ありて、毎夜逢事もかなはねば、夜を隔て相見むか、となり、源氏物語葵に、かよひ給ひし所々よりは、うらめしげに、おどろかしきこえ給ひなどすれば、いとほしとおぼすもあれど、にひ手枕の心ぐるしくて、夜をや隔てむとおぼしわづらはるれば、いと物うくて、なやましげにのみもてなし給ひて云々、とあるは、此(ノ)歌によりて書るものなり、
 
(45)2543 吾戀之《アガコヒシ》。事毛語《コトモカタラヒ》。名草目六《ナグサメム》。君之使乎《キミガツカヒヲ》。待八金手六《マチヤカネテム》。
 
歌(ノ)意は、君が使の來らば、吾(カ)戀しく思ひし事をも相語(ヒ)て、心を慰めむと思ふに、その使を待ど待ど待得ずて、さる事もかなはねば、その使をまつに堪がたくて、今日も暮しなむか、となり、
 
2544 寤者《ウツヽニハ》。相縁毛無《アフヨシモナシ》。夢谷《イメニダニ》。間無見君《マナクミエキミ》。戀爾可死《コヒニシヌベシ》。
 
間無見君《マナクミエキミ》は、間無(ク)見えよ君、と云がごとし、本居氏は、君は誤字なるべし、マナクミエコソ〔七字右○〕とあるべし、といへり、○歌(ノ)意は、現在にあひたくはあれども、とてもあふべきよしなければ、せむ方なし、夢になりとも毎夜毎夜間なく見えよ、もし夢にさへ見え來ずば、吾は戀死に死ぬべきぞ、となり、
 
2545 誰彼登《タソカレト》。問者將答《トハバコタヘム》。爲便乎無《スベヲナミ》。君之使乎《キミガツカヒヲ》。還鶴鴨《カヘシツルカモ》。
 
歌(ノ)意は、君が使をだに、今しばしとゞめて、かたらはまほしけれども、彼は誰そと、母などのとひあやしまむことをおそれて、かへせしが、さても口惜きこと哉、となり、
 
2546 不念丹《オモハヌニ》。到者妹之《イタラバイモガ》。歡三跡《ウレシミト》。咲牟眉曳《ヱマムマヨビキ》。所思鴨《オモホユルカモ》。
 
不念丹《オモハヌニ》は、おもひがけなく不慮にの意なり、○眉曳《マヨビキ》は、六(ノ)卷、十四(ノ)卷にもあり、仲哀天皇(ノ)紀に、※[目+録の旁]此云2麻用弭枳《マヨビキト》1、○歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、此(ノ)上にも似たる歌あり、
 
2547 加是許《カクバカリ》。將戀物衣常《コヒムモノゾト》。不念者《オモハネバ》。妹之手本乎《イモガタモトヲ》。不纒夜裳有寸《マカヌヨモアリキ》。
 
(46)歌(ノ)意は、これほど月日をへだてゝ、戀しう思はむものぞとも、かねておもはざりしかば、おこたりてあはぬ夜もありしが、今更くやしき、となり、十二は、此間爾戀將繁跡不念者君之手本乎不枕夜毛有寸《ヨノナカニコヒシゲケムトオモハネバキミガタモトヲマカヌヨモアリキ》、又七(ノ)卷に、吾背子乎何處行目跡辟竹之背向爾宿之久今思悔裳《ワガセコヲイヅクユカメトサキタケノソガヒニネシクイマシクヤシモ》、これは挽歌ながら、後悔の意相通へり、
 
2548 如是谷裳《カクダニモ》。吾者戀南《アレハコヒナム》。玉桙之《タマホコノ》。君之使乎《キミガツカヒヲ》。待也金手武《マチヤカネテム》。
 
如是谷裳《カクダニモ》は、谷《ダニ》は、第四(ノ)句の使乎《ツカヒヲ》の下にめぐらして意得べし、俗に、なりともと云意の詞なり、又さへといふ意にも通へり、こゝは君が使なりとも、來れかしとまつに、その使をさへも、待や不得《カネ》てむ、といふ謂なり、○吾者戀南《アレハコヒナム》は、南《ナム》は、辭の那牟《ナム》には非ず、望《ネガ》ふ意にて、能牟《ノム》と云むがごとき詞なるべし、三(ノ)卷大伴氏(ノ)郎女祭神歌に、如此谷裳吾者祈奈牟君爾不相可聞《カクダニモアレハコヒナムキミニアハヌカモ》、反歌に、木綿疊手取持而如此谷裳吾波乞甞君爾不相鴨《ユフタヽミテニトリモチテカクダニモアレハコヒナムキミニアハヌカモ》、とある、彼は神に祈?《コヒイノ》る事にいひ、此はたゞ望《ネガ》ふ意に用ひたれど、本は何にも心に乞望ふ事をば、すべて能牟《ノム》とも那牟《ナム》とも通(ハ)し云るなるべし、(本居氏は、或説に、十三に、引づらひ有なみ雖爲《スレド》、いひづらひありなみすれど、ありなみえずぞ云々と、あるは、有(リ)なみの活用《ハタラキ》にて、戀なむは、戀なみすると云むに同じ、といへるよしいへれど、十三なるは、有否《アリナミ》の謂にて、此《コヽ》の戀南《コヒナム》の南《ナム》とは、意異れりとおぼゆれば、いかゞなり、猶十三にいはむを、考(ヘ)合(ス)べし、)○歌(ノ)意は、戀しく思ふ君に、あひたく望《ネガ》ふは、さらにもいはず、その(47)使なりとも來れかしと待に、使をさへ、吾はかくばかり待得ずしてやあらむ、となり、
 
2549 妹戀《イモニコヒ》。吾哭涕《アガナクナミダ》。敷妙木《シキタヘノ》。枕通而《マクラトホリテ》。袖副所沾《ソテサヘヌレヌ》。
 
敷妙木の木は、之の誤なるべし、○歌(ノ)意は、妹を戀しく思ひて、ひたすらになくわが涙は、枕を徹り越て、袖まで沾ぬ、となり、○註に、或本歌云枕通而卷者寒母、これは用(フ)べからず、尾句穩ならざればなり、
 
2550 立念《タチテオモヒ》。居毛曾念《ヰテモソオモフ》。紅之《クレナヰノ》。赤裳下引《アカモスソビキ》。去之儀乎《イニシスガタヲ》。
 
立念《タチテオモヒ》は、立ても念ひといふ意なり、その毛《モ》は、次の居毛《ヰテモ》の毛《モ》にて帶《カネ》たり、○毛曾《モソ》は、かへりてといふ意を、輕く含む辭なるを、此《コヽ》はたゞ毛《モ》と曾《ソ》と、おのづから重りたるのみにて、含めたる意はなし、○下引は、スソビキ〔四字右○〕なり、(契冲云、源氏物語眞木柱に、あかもたれ引いにし姿をと、にくげなるふることなれど、御ことぐさになりてなむ、ながめさせ給ひける、とかけるは、此(ノ)歌なり、下引は、むかしはタレヒキ〔四字右○〕とよみけるか、式部がそらにおぼえてたがへる歟、)。歌(ノ)意は、紅の赤裳襴引て去し容儀の、しばしも忘れがたくて、立ても居ても、ひたすらに戀しく思ふぞ、となり、
 
2551 念之《オモフニシ》。餘者《アマリニシカバ》。爲便無三《スベヲナミ》。出曾行之《イデテソユキシ》。其門乎見爾《ソノカドヲミニ》。
 
2552 情者《コヽロニハ》。千遍敷及《チヘシク/\ニ》。雖念《オモヘドモ》。使乎將遣《ツカヒヲヤラム》。爲便之不知久《スベノシラナク》。
 
(48)2553 夢耳《イメノミニ》。見尚幾許《ミルスラコヽダ》。戀吾者《コフルアハ》。寤見者《ウツヽニミテバ》。益而如何有《マシテイカニアラム》。
 
三首とも、歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2554 對面者《アヒミテハ》。面隱流《オモカクサルル》。物柄爾《モノカラニ》。繼而見卷能《ツギテミマクノ》。欲公毳《ホシキキミカモ》。
 
面隱《オモカクサル》は、一(ノ)卷に、暮相而朝面無美隱爾加《ヨヒニアヒテアシタオモナミナバリニカ》云々、八(ノ)卷に、暮相而朝面羞隱野乃《ヨヒニアヒテアシタオモナミナバリヌノ》云々、とよめる、其(ノ)意なり、○歌(ノ)意は、まさしくあひみては、はづかしくてさしうつむき、或は面をおほひなどして、面隱《オモカクシ》せらるゝ物ながら、あはざればやがて戀しく思はれて、打つゞきて見まくほしき、君にもあるかな、となり、
 
2555 旦戸遣乎《アサトヤリヲ》。速莫開《ハヤクナアケソ》。味澤相《ウマサハフ》。目之乏流君《メヅラシキミガ》。今夜來座有《コヨヒキマセリ》。
 
旦戸遣《アサトヤリ》とは、遣(リ)戸をあけはなつを、戸を遣(ル)といへば、旦に開(ク)をかくいふべし、○早莫開《ハヤクナアケソ》は、朝早く開ることなかれの意なり、○味澤相《ウマサハフ》は、目《メ》をいはむとての枕詞なり、○目之乏流君は、本居氏云、流は視の誤にて、メヅラシキミガ〔七字右○〕ならむ、○今(ノ)字、舊本令に誤、拾穗本、古寫一本に從つ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2556 玉垂之《タマダレノ》。小簀之垂簾乎《ヲスノタレスヲ》。往褐《ヒキアゲテ》。寐者不眠友《イハナサズトモ》。君者通速爲《キミハカヨハセ》。
 
玉垂之《タマダレノ》は、枕詞なり、既く往々《トコロ/”\》出たり、○往褐、舊本ユキカチニ〔五字右○〕と訓れど、通えがたし、引掲の誤にて、ヒキアゲテ〔五字右○〕なるべきか、枕冊子に、帽額簾《モカウノス》は、ましてこはき物の打おかるゝ、いとしるし、(49)それもやれら引掲《ヒキアゲ》て出入するは、更に鳴ずとあるを考(ヘ)合(ス)べし、又岡部氏は、持掲の誤にて、モチカヽゲ〔五字右○〕なるべし、といへり、○歌(ノ)意は、吾がもとにて、やすく相寢することはなむずとも、小簾の垂簾をやをら引掲て、夜毎に通ひ來給へ、といふにや、
 
2557 垂乳根乃《タラチネノ》。母白者《ハヽニマヲサバ》。公毛余毛《キミモアレモ》。相鳥羽梨丹《アフトハナシニ》。年可經《トシソヘヌベキ》。
 
歌(ノ)意は、今こそたま/\にも、しのびあふことあれど、此(ノ)事を、母にあらはし申さば、禁《イサ》め衛《マモ》られて、たえてあふ事叶はずして、年をぞ經ぬべき、となり、上に第二(ノ)句、母にさはらばとありて、大かた同じき歌あり、
 
2558 愛等《ウツクシト》。思篇來師《オモヘリケラシ》。莫忘登《ナワスレト》。結之※[糸+刃]乃《ムスビシヒモノ》。解樂念者《トクラクモヘバ》。
 
思篇來師は、契冲、オモヘリケラシ〔七字右○〕とよむべし、篇《ヘム》の音をとりて、ヘリに用るは、播磨《ハリマ》などの例に準ずるなり、といへり、平群《ヘグリ》なども同例なり、○莫忘登は、ナワスレト〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、旅などにある男のよめるにて、別るゝ時に、妹がわすれ賜ふなと云て、結びし紐の、今解ることを思へば、我をなつかしと、妹が戀しく思へる故なるらし、となり、
 
2559 昨日見而《キノフミテ》。今日社間《ケフコソヘダテ》。吾妹兒之《ワギモコガ》。幾許繼手《コヽダクツギテ》。見卷之欲毛《ミマクシホシモ》。
 
今日社間は、(ケフコソアヒダ〔七字右○〕とよみて、今日こそ間なれ、といふ意なり、と云はわろし、)千賀(ノ)眞恒がもたりし本にケフコソヘダテ〔七字右○〕とよめる、いと宜し、此(ノ)上に、一日間を、ヒトヒヘダツヲ〔七字右○〕と(50)よめり、考(ヘ)合(ス)べし、○見卷之欲毛、(之(ノ)字、舊本にはなし、古寫本に從(ツ)、)ミマクシホシモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、月日隔て、あはざらばこそあらめ、昨日相見て、たゞ今日ばかりこそ隔つなれ、其(レ)にさへ堪かねて、つゞきて見まほしく、そこらくに戀しく思はるゝよ、嗚呼なにしに、かくまでに戀しく思はるらむぞ、となり、
 
2560 人毛無《ヒトモナキ》。古郷爾《フリニシサトニ》。有人乎《アルヒトヲ》。愍久也君之《メグクヤキミガ》。戀爾令死《コヒニシナセム》。
 
有人《アルヒト》とは、女のみづから我をいへるなり、○愍久《メグク》は、契冲、こゝにては、俗にいふ、かはゆげにといふ意に見るべし、といへり、〈今按に、俗にむごくと云は、このめぐゝの轉訛にやあらむ、)○歌(ノ)意は、契冲、人目もなき古里に、たゞ君が音づるゝを、たのむごとくにてある我を、とひもこずして、かはゆげに、戀(ヒ)死《シ》なせむものかとなり、といへり、
 
2561 人事之《ヒトコトノ》。繁間守而《シゲキマモリテ》。相十方《アヘリトモ》、八反吾上爾《ハタアガウヘニ》。事之將繁《コトノシゲケム》。
 
繁間守而《シゲキマモリテ》は、繁き間を守(リ)ての意なり、○八反吾上爾は(八反は八重にて、わが身の上に、八重にことのしげからむといふ意なり、といへど、八反の詞うちつかず、平穩ならぬやうなり、)今按に、八反は八多の誤なるべし、ハタアガウヘニ〔七字右○〕と訓べし、八多《ハタ》は、そのもと厭《イト》ひ惡《ニク》むことなれど、外にのがるべきすぢなくて、止ことなくする意の時に、いふ詞なり、○歌(ノ)意は、人言の繁ければ、あはで止べきなれど、さては得あらで、その人言の隙を守りうかゞひて、あひたりとも(51)なほその隙を、うまくうかゞひ得ること協はずして、人にとにかく、いひさわがれなむか、そのもと人言の繁きをば、厭ひ惡むことなれど、外にのがるべきすぢなければ、止事かたし、との謂なり、
 
2562 里人之《サトビトノ》。言縁妻乎《コトヨセヅマヲ》。荒垣之《アラカキノ》。外也吾將見《ヨソニヤアガミム》。惡有名國《ニクカラナクニ》。
 
歌(ノ)意は、女と我と相知(レ)る中ぞと、さもあらぬことを、其(ノ)里人のいひよせたるに、實は其(ノ)女を、にくゝはあらずおもふことなるを、人言をはゞかりて、外《ヨソ》にのみ見てありなむか、となり、
 
2563 他眼守《ヒトメモル》。君之隨爾《キミガマニマニ》。余共爾《アレサヘニ》。夙興乍《ハヤクオキツヽ》。裳裾所沾《モノスソヌレヌ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、しのび夫《ヅマ》の夙《ハヤク》興《オキ》て去(ク)時に、女のよめるなるべし、
 
2564 夜干玉之《ヌバタマノ》、妹之黒髪《イモガクロカミ》。今夜毛加《コヨヒモカ》。吾無床爾《アガナキトコニ》。靡而宿良武《ヌラシテヌラム》。
 
今(ノ)字、舊本令に誤れり、古寫一本に從つ、○靡而は、これもヌラシテ〔四字右○〕と訓べし、上にいへり、此(ノ)下に、夜干玉之吾黒髪乎引奴良思《ヌバタマノワガクロカミヲヒキヌラシ》、とあり、○歌(ノ)意は、さはることありて、女の許へえ行ぬ夜、女をおもひやりてよめるにて、わが行て相宿せし夜のごとく、今夜もわがなき床に、黒髪を引ぬらして寢らむか、さてもいとほしや、といへるなり、
 
2565 花細《ハナグハシ》。葦垣越爾《アシカキコシニ》。直一目《タヾヒトメ》。相視之兒故《アヒミシコユヱ》。千遍嘆津《チタビナゲキツ》。
 
花細《ハナグハシ》は、契冲云、蘆の花をほむる詞なり、允恭天皇(ノ)紀に、天皇、衣通(ノ)姫の御もとに、御《ミ》ゆきせさせ(52)賜ひ、櫻を御覽じてよませ賜へる御歌に、波那具波辭佐久羅能梅涅許等梅涅麼波椰區波梅涅孺和我梅豆留古羅《ナグハシサクラノメデコトメデハハヤクハメデズワガメヅルコラ》、と見ゆ、(按に、蘆の花は、櫻のごとく、さのみうるはしきものならねば、花細蘆《ハナグハシアシ》とつゞけたりとせむこと、いさゝかおぼつかなし、故(レ)おもふに、此は多くの句を隔て、第四句の、兒といふへ、かゝりて、女の美貌《ウルハシキカタチ》を、花細《ハナクハシ》とほめたるものにてもあらむかと、松本(ノ)弘蔭云り、猶考(フ)べし、)○歌(ノ)意は、葦垣越に、たゞ一目ばかり相見し女なれば、さのみは、戀しく思ふまじきものなるを、猶忘れがたくて、千度嘆息をしつ、となり、
 
2566 色出而《イロニイデテ》。戀者人見而《コヒバヒトミテ》。應知《シリヌベミ》。情中之《コヽロノウチノ》。隱妻液母《コモリヅマハモ》。
 
應知は、シリヌベミ〔五字右○〕と訓べし、知(リ)ぬべからむとての意なり、○波母《ハモ》は、歎息《ナゲ》きて、いづらと尋ね慕ふ意の詞なり、○歌(ノ)意は、色に出しあらはして戀しく思はゞ、人の見て、それと知(リ)ぬべからむとて、心(ノ)中に深く隱して思ふ其(ノ)女はいづらや、さても戀しく思はるゝ事ぞ、となり、
 
2567 相見而者《アヒミテハ》。戀名草六跡《コヒナグサムト》。人者雖云《ヒトハイヘド》。見後爾曾毛《ミテノチニモソ》。戀益家類《コヒマサリケル》。
 
見後爾曾毛は、曾毛は、毛曾とありしを、誤れるなるべし、と略解に云るは、さもあるべし、ミテノチニモソ〔七字右○〕と訓べし、毛曾《モソ》は、かへりてといふ意を、輕く含める詞なり、二(ノ)卷下に、委(ク)云り、○歌(ノ)意は、戀しく思ふ人に相見ては、心をなぐさむるものぞと、世(ノ)人はいへども、中々さにあらず、相見て後に、かへりて戀しく思ふ心ぞ、いよ/\まさりける、となり、契冲云、此(ノ)歌、あひ見ての(53)後に心にくらぶれば、といふ歌の心におなじ、
 
2568 凡《オホロカニ》。吾之念者《アレシオモハバ》。如是許《カクバカリ》。難御門乎《カタキミカドヲ》。追出米也母《マカリデメヤモ》。
 
凡は、オホロカニ〔五字右○〕と訓べし、大方にと云むが如し、十九に、知智乃實乃父能美許等《チチノミノチヽノミコト》、波播蘇葉乃能美己等《ハハソハノハヽノミコト》、於保呂可爾情盡而念良牟其子奈禮夜母《オホロカニコヽロツクシテオモフラムソノコナレヤモ》、云々、○難御門《カタキミカド》とは、禁裏の御門は、出入の自縱《コヽロマヽ》ならぬを云、左右衛門式に凡黄昏之後出2入(セバ)内裏(ヲ)1、五位以上(ハ)稱(シ)v名、六位已下(ハ)稱(シ)2姓名(ヲ)1、然後聽(セ)之、其(ノ)宮門(ハ)、皆令(ヨ)2衛士(ニ)炬1v火(ヲ)、閤門(モ)亦同(ジ)、と見ゆ、考(ヘ)合(ス)べし、○歌(ノ)意は、大方にそこを思はゞ、かくばかり出入の自縱ならず、難き禁裏の御門を退り出てあはむやは、なみ/\に思はず、深く切に思へばこそ、かくて相見るなれ、嗚呼《アハレ》一(ト)わたりに思ふことなかれ、となり、
 
2569 將念《オモフラム》。其人有哉《ソノヒトナレヤ》。烏玉之《ヌバタマノ》。毎夜君之《ヨゴトニキミガ》。夢西所見《イメニシミユル》。
 
歌(ノ)意は、相思らむ其(ノ)人にてあれやは、さばかり相思らむ人にてはあらじを、かく毎夜《ヨゴト》に、君が吾が夢に入來て見ゆるは、あやしきことぞ、となり、○註に、或本歌云|夜晝不云吾戀渡《ヨルヒルトイハズアガコヒワタル》、この意は、相思ふらむ其(ノ)人にてあれやは、相思ふ人にてもなきに、よる晝といふ分もなく、わがこひわたるは、かひなきこと、といふなるべし、
 
2570 如是耳《カクノミニ》。戀者可死《コヒバシヌベミ》。足乳根之《タラチネノ》。母毛告都《ハヽニモツゲツ》。不止通爲《ヤマズカヨハセ》。
 
如是耳は、カクノミニ〔五字右○〕と訓べし、(カクシノミ〔五字右○〕とよめるはいとわろし、)○戀者可死《コヒバシヌベミ》は、戀ば死ぬ(54)べからむとての意なり、○歌(ノ)意は、かくばかり戀しく思はゞ、戀死に死ぬべからむとて、かくと母にもあらはして告つるなり、今はつゝむべきにもあらざれば、常に止ずて通ひ來給へ、となり、
 
2571 大夫波《マスラヲハ》。友之驂爾《トモノサワキニ》。名草溢《ナグサムル》。心毛將有《コヽロモアラム》。我衣苦寸《アレソクルシキ》。
 
友之驂は、本居氏のトモノサワキニ〔七字右○〕とよゆるによるべし、驂は、契冲、驟の誤か、又は騷かといへり、即(チ)拾穗本には騷と作り、今按(フ)に、驂は※[足+參]の誤なるべし、干禄字書に、※[足+參]躁(上俗下正、)とあり、かゝれば※[足+參]は躁の俗字なり、六(ノ)卷に、朝羽振浪之聲※[足+參]《アサハフルナミノトサワキ》、とあり、思(ヒ)合(ス)べし、○名草溢は、ナグサムル〔五字右○〕と訓べし、(ナグサモル〔五字右○〕とよめるは甚わろし、既く委く云り、)○歌(ノ)意は、契冲云、をとこは物思へど、友どちのまじはりに、何くれとまぎれても過るを、深閨にひとり居るわがおもひは、やるかたなくくるしき、となり、第四に、ますらをもかくこひけるをたをやめのこふる心にたぐへざらめやも、
 
2572 僞毛《イツハリモ》。似付曾爲《ニツキテソスル》。何時從鹿《イツヨリカ》。不見人戀爾《ミヌヒトコフニ》。人之死爲《ヒトノシニスル》。
 
歌(ノ)意は、見もしらぬ人を戀しく思ひて、戀死《コヒシニ》に死《シヌ》ると云は、そもいつの時代より、はじまれることぞや、吾等は、さやうのことはあるべき理とも思はず、さて/\よく似合たる僞をも、爲賜ふもの哉、となり、似合(ハ)しからぬことを、わざと似付たりと云は、人のうへを嘲るやうにい(55)へるなり、聞にくきを聞よきといふと、同類なり、神代(ノ)紀下(ノ)卷一書に、是時天孫見2其(ノ)子等《ミコタチヲ》1、嘲之曰《アザケリテノリタマハク》、妍哉吾皇子者《アナニヤアガミコハ》、聞喜而生之歟《キヽヨクテアレマセルカモ》、云々、(これも似合(ハ)ず、聞にくきことを嘲りて、わざと、聞喜《キヽヨク》と詔へる掌り、)四(ノ)卷に、僞毛似付而曾爲流打布裳眞吾妹兒吾爾戀目八《イツハリモニツキテソスルウツシクモマユトワギモコアレニコヒメヤ》、とあり、さて今の歌は、未(タ)親く相見しこともあらぬ人の許より、死ばかり戀しく思ふよし、云おこせたるに、よみておくれるなるべし、
 
2573 情左倍《コヽロサヘ》。奉有君爾《マツレルキミニ》、何物乎鴨《ナニシカモ》。不云言此跡《イハズテイヒシト》。吾將竊食《アガヌスマハム》。
 
奉有は、マツレル〔四字右○〕と訓べし、(マタセル〔四字右○〕と古くよりよみ來れども、すべてマタス〔三字右○〕と云こと、古書にたしかなる假字書あることなければ、おぼつかなし、こゝなどはマ
ツレル〔四字右○〕とよむかた、たしかなり、)○何物乎鴨は、本居氏云、乎は、之の誤にて、ナニシカモ〔五字右○〕なるべし、○歌(ノ)意は、契冲云、我(カ)身を君に奉るは、もとよりのことにて、心ざしをも、ともによせたるほどの君なれば、嗚呼何かいつはりをば申さむぞ、となり、いはぬことをいひたりといひ、又いひたることをもいはぬなどいふは、我ながら詞をぬすみて、人をあざむくなり、さやうのいつはりは我はいはず、となり、
 
2574 面忘《オモワスレ》。太爾毛得爲也登《ダニモエセムヤト》。手握而《タニギリテ》。雖打不寒《ウテドサヤラズ》。戀云奴《コヒノヤツコハ》。
 
面忘《オモワスレ》は、上にも、面忘何有人之爲物烏《オモウスレイカナルヒトノスルモノソ》、とよめり、俗に、知(ル)人をもどすといふが如し、○得爲也は、(56)エセムヤ〔四字右○〕と訓べし、することを得むや、と云むが如し、十二に、玉勝間安倍島山之暮露爾旅宿得爲也長此夜乎《タマカツマアベシマヤマノユフツユニタビネエセメヤナガキコノヨヲ》、とあるは、爲ることを得むやは、と云なり、十(ノ)卷に、彦星之川瀬渡左小舟乃得行而將泊河津石所念《ヒコボシノカハセヲワタルサヲブネノエユキテハテムカハツシオモホユ》、とあるは、行て泊ることを得む、と云意なり、(今の歌なると、十二なるとの得爲也を、エスヤ〔三字右○〕と訓るはわろし、爲をス〔右○〕と云は、現在のうへのことを云ことなればなり、セム〔二字右○〕とよむときは、未(タ)然らぬことを、兼て云詞となれば、二首ながら、爲はヤム〔二字右○〕と訓べきことなるをや、)○雖打不塞、(塞(ノ)字舊本には寒と作り、今は阿野本に從つ、)ウテドサヤラズ〔七字右○〕とよむべし、○戀之奴《コヒノヤツコ》とは、人を戀しく思ふ心のあぢきなきを、賤き奴にたとへて、罵ていへるなり、(俗に、鯉と云やつといふが如し、)十六に、家爾有之櫃爾※[金+巣]刺藏而師戀乃奴之束見懸而《イヘニアリシヒツニクギサシヲサメテシコヒノヤツコノツカミカヽリテ》、(これは、四(ノ)卷に、戀は今はあらじとあれはおもひしをいづこの戀ぞつかみかゝれる、とよめる如く、いやしきやつこの物のわきまへもなく、人につかみかゝる如くに、戀思ふ心の、制《イサ》めがたくあぢきなきを、たとへていへるなり、)十二に、大夫之聰神毛今者無戀之奴爾吾毛可死《マスラヲノサトキコヽロモイマハナシコヒノヤツコニアレハシヌベシ》、(これは戀の奴にせめられて、われは死ぬべしとなり、)なども見えたり、○歌(ノ)意は、面忘れして、知人をもどすことをなりとも、することをえむやと、にぎりこぶしをもて、打て禁《イサ》むれども、なほそれにも障り憚らずして、戀と云奴の、我身にわざはひをなすことよ、となり、戀思ふ心を、いかでわすれむと、みづから我(カ)心をいさむれども、そのしるしもなく、なほ思ふ心のやまぬを、奴に(57)たとへ云り、
 
2575 希將見《メヅラシキ》。君《キミ》乎〔□で囲む〕|見常衣《ミムトコソ》。左手之《ヒダリテノ》。執弓方之《ユミトルカタノ》。眉根掻禮《マヨネカキツツ》。
 
希將見は、メヅラシキ〔五字右○〕とよめるよろし、○君乎見常衣は、六帖に、君みむとこそ、とあるをも思ふに、此《コヽ》も本はしかなりけむを、後に誤れるなるべし、故(レ)按(フ)に、衣(ノ)字は社の誤なるべし、社の草書、衣とまがひぬべし、さてこそ、もとは、君見常社《キミミムトコソ》とありけむを、衣に誤れるより、後(ノ)人、乎(ノ)字を補入て、つひに舊本の如く、キミヲミムトゾ〔七字右○〕、とよめるなるべけれ、荒木田(ノ)久老(ノ)漫筆に、これはキミヲミトコソ〔七字右○〕と訓べし、常は登古《トコ》の訓を假れるものなり、と云り、今按に、常(ノ)字は、此(ノ)集に、常之倍《トコシヘ》、常登波《トコトハ》、常世《トコヨ》、常滑《トコナメ》などとは書たれども、辭《テニヲハ》の借(リ)字には、ト〔右○〕と云處にのみ用(ヒ)て、トコ〔二字右○〕に用たる例、をさ/\なし、そのうへキミヲミトコソ〔七字右○〕といひては、一首の意も通《キコ》えがたし、その謂は、ミトコソ〔四字右○〕は、ミヨトコソ〔五字右○〕と云意になればなり、來《コ》チフニ似タリ〔六字右○〕と云も、來《コ》ヨチフニ似タリ〔七字右○〕の意となると、全(ラ)同例なればなり、しかればこの久老(ノ)説は、用ひがたし、又略解には、終句の禮は、類の誤にて、マユネカキツル〔七字右○〕にて今の第二(ノ)句は、もとのまゝなるべし、といへり、これもさることながら、なほキミミムトコソ〔七字右○〕云々カキツレ〔四字右○〕、とあるべき語(ノ)勢にぞありける、)○執弓方之《ユミトルカタノ》云々は、契冲、今も左を弓手といふこれなり、さて眉かゆみなどとこそよみたるを、それは惣じてにいひて、まことには、左の眉のかゆきが、人にあふべき相にこそ、申ならひて侍けめ、と(58)いへり、○歌(ノ)意かくれたるところなし、
 
2576 人間守《ヒトマモリ》。蘆垣越爾《アシカキコシニ》。吾妹子乎《ワギモコヲ》。相見之柄二《アヒミシカラニ》。事曾左太多寸《コトソサダオホキ》。
 
人間守《ヒトマモリ》は、人のなき間を守(リ)ての意なり、人間《ヒトマ》は、契冲云、舒明天皇(ノ)紀に、間の字のみをも、ヒトマ〔三字右○〕とよめり、人のなき間なり、古今集に、貫之の梅花の歌にも、いつの人間にうつろひぬらむ、とよめり、○相見之柄二《アヒミシカラニ》は、相見し物をの意なり、○左太多寸《サダオホキ》は、評定することの多き、と謂なり、左太《サダ》はもと定《サダ》にて、これと云(ヒ)かれといひて、物を論じ定むるより、出たる言なるべし、(今俗に、沙汰すると云も同言なり、もと字音より出たる言にはあらず、さだのうらのこのさだすぎて、とあるサダ〔二字右○〕は別言なり、思ひ混ふべからず、)○歌(ノ)意は、人のなき間をうかゞひて、垣越に、そと妹を相見しばかりのことなるを、誰か知つらむ、はやあやにくに、世(ノ)間の人のこれかれといひさわぎ、沙汰することの多きよ、となり、
 
2577 今谷毛《イマダニモ》。目莫令乏《メナトモシメソ》。不相見而《アヒミズテ》。將戀年月《コヒムトシツキ》。久家眞國《ヒサシケマクニ》。
 
今(ノ)字、舊本令に誤れり、古本に從つ、○久家眞國《ヒサシケマクニ》(眞(ノ)字、舊本には莫と作り、今は古寫本によりつ、)は、久しからむことなるをの意なり、○歌(ノ)意は、男の遠き旅などに行むとする日、ちかくなりてよめるにて、今のほどなりとも、しば/\相見て給《タ》べ、旅に發出なば、こひしく思はむ年月の間の、久しからむことなるを、となり、
 
(59)2578 朝宿髪《アサネガミ》。吾者不梳《アレハケヅラジ》。愛《ウツクシキ》。君之手枕《キミガタマクラ》。觸義之鬼尾《フリテシモノヲ》。
 
義之は、羲之の誤なるよし、既くいへるが如し、○歌(ノ)意は、うつくしとわが思ふ君が手枕に、ふれてありしものを、いでやその吾(カ)朝宿髪をも、けづりてあらためじ、となり、
 
2579 早去而《ハヤユキテ》。何時君乎《イツシカキミヲ》。相見等《アヒミムト》。念之情《オモヒシコヽロ》。今曾水葱少熱《イマソナギヌル》。
 
今(ノ)字、舊本令に誤れり、古本に從つ、○少熱《ヌル》は、湯のいまだよくわかぬを、ぬるきといへば、其(ノ)義もてかけり、(神代紀に、弱(ノ)字をヌルシ〔三字右○〕とよめり、)○歌(ノ)意は、いつしか君がもとに、はやくゆきいたりてあひ見むと、せきあがり思ひし心の、今相見てぞなごみぬる、となり、
 
2580 面形之《オモカタノ》。忘戸在者《ワスレテアラバ》。小豆鳴《アヂキナク》。男士物屋《ヲトコジモノヤ》。戀乍將居《コヒツヽヲラム》。
 
面形《オモカタ》(形(ノ)字、古寫には影と作れど、なほ舊本宜し、)は、十四に、於毛可多能和須禮牟之太波《オモカタノワスレムシダハ》云々、とあり、○忘戸在者は、本居氏、戸は弖の誤にて、ワスレテアラバ〔七字右○〕なるべし、といへり、○小豆鳴《アヂキナク》は、書紀に、無端、無状などを、アヂキナシ〔五字右○〕とよめり、文選古詩に、無爲をしかよめり、古今集(ノ)序(ノ)歌に、さくはなに思ひつく身のあぢきなき身にいたづきのいるもしらずて、同集三(ノ)卷に、時鳥はつ聲きけばあぢきなくぬしさだまらぬこひせらるはた、などあり、俗に、遠慮なくと云に同じ、本居氏は、あぢきなくは、俗に無益《ムヤク》など云意なり、といへり、古今集よりこなたの歌は、さても聞ゆることあり、)小豆は、アヅキ〔三字右○〕をアヂキ〔三字右○〕に轉(シ)て借(リ)用たり、十二にも、小豆無《アヂキナク》とあり、二(ノ)卷に、(60)香切火《カギロヒ》、又、御在香《ミアラカ》、十(ノ)卷に、高松之野《タカマトノヌ》などある類、みな轉用の例なり、又此卷に、足常《タラチネ》、又、間結《マヨヒ》、又四(ノ)卷、九(ノ)卷、十二に、名草漏《ナグサムル》、又此(ノ)卷に、名草溢《ナグサムル》などある、みな同例なり、○男士物屋《ヲトコジモノヤ》は、士物《ジモノ》は、たゞ輕く添たる辭にて、男哉《ヲトコヤ》なり、○歌(ノ)意は、女のかたちの忘られてあるならば、男たる物の、かくこひしこひしと遠慮なく、思ひほれてあるべしやは、面貌の忘られぬ故にこそ、かく堪忍かねて、戀しく思ふなれ、とあり、
 
2581 言云者《コトニイヘバ》。三三二田八酢四《ミミニタヤスシ》。小九毛《スクナクモ》。心中二《コヽロノウチニ》。我念羽奈九二《アガモハナクニ》。
 
歌(ノ)意は、すくなくも思はず、心中には深切に思ひ入てあることなるを、その心のたけを、言に出しては述盡しがたし、されば言に出していへば、聞人の耳にたやすく、大方のさまに聞ゆるものなれば、いかにしてか、吾(カ)心中をしらせむ、となり、契冲が、和泉式部が歌に、こひしともいはゞはしたになりぬべしなきてぞ人に見すべかりける、とあるを、引たる宜し、
 
2582 小豆奈九《アヂキナク》。何狂言《ナニノタハコト》。今更《イマサラニ》。小童言爲流《ワラハコトスル》。老人二四手《オイヒトニシテ》。
 
何狂言は、舊本に、狂を枉と作るは誤にて、ナニノタハコト〔七字右○〕なりといへり、○今(ノ)字、舊本令に誤れり、類聚抄、古本、拾穗本等に從つ、○歌(ノ)意はわが戀しく思ふよしを人に告るを、自《ミ》らかへりみいさめて、身の老人となりたるをわすれて、今更わか/しきわらはべの、何の遠慮もなきやうに、何とてたはことするぞ、といへるなるべし、
 
(61)2583 不〔○で囲む〕相見而《アヒミズテ》。幾久毛《イクバクヒサモ》。不有爾《アラナクニ》。如年月《トシツキノゴト》。所思可聞《オモホユルカモ》。
 
不相見而は、不(ノ)字、舊本になきは脱たるにて、アヒミズテ〔五字右○〕なるべし、といへる説ぞ宜(シ)き、○歌(ノ)意は、別れて後相見ざるは、幾く久しき間にてもなきことなるを、心には、早年月を隔てたるやうにおもはるゝ哉、嗚呼さてもあふ事の待久しや、となり、
 
2584 大夫登《マスラヲト》。念有吾乎《オモヘルアレヲ》。如是許《カクバカリ》。令戀波《コヒセシムルハ》。小可者在來《カラクソアリケル》。
 
第一二(ノ)句は、六(ノ)卷に、大夫跡念在吾哉水莖之水城之上爾泣將拭《マスラヲトオモヘルアレヤミヅクキノミヅキノウヘニナミダノゴハム》、とあり、○小可者在來は、小は不、者は曾の誤なるべし、不可は、義を得てカラク〔三字右○〕と訓べし、(不顔面《シヌフ》、不行《ヨド》、不通《ヨドム》、不樂《サブシ》、不明《オホヽシ》、不穢《キヨク》、不得《カネ》、などの類を思ふべし、)さればこの一句は、カラクソアリケル〔八字右○〕なるべし、(岡部氏は、小可は、苛の誤なるべし、といへり、さることもあらむか、)七(ノ)卷に、黙然不有跡事之名種爾云言乎聞知良久波少可者有來《モダアラジトコトノナグサニイフコトヲキヽシレラクハカラクソアリケル》、とあり、(これも少可者は、苛曾の誤なりと説り、今按(フ)に、これも不可曾《カラクソ》とありしならむ、)考(ヘ)合(ス)べし、○歌(ノ)意は、大丈夫と思へる吾なれば、何事にも堪忍てあるべしと思ひ居しに、人のかくばかりに、吾を戀しく思はしむるには、猶得堪ずして、からくぞありける、となり、
 
2585 如是爲乍《カクシツヽ》。吾待印《アガマツシルシ》。有鴨《アラヌカモ》。世人皆乃《ヨノヒトミナノ》。常不在國《ツネナラナクニ》。
 
歌(ノ)意は、わが戀しく思ふ心は、よの常ならぬことなるを、いかでかくしつゝ、わがまちこふる(62)益《シルシ》のありて、人の心とけて、うけひくことのあれかし、といふ歟、四五一二三と句を次第て意得べし、
 
2586 人事《ヒトコトヲ》。茂君《シゲミトキミニ》。玉梓之《タマヅサノ》。使不遣《ツカヒモヤラズ》。忘跡思名《ワスルトモフナ》。
 
上二句は、ヒトコトヲシゲミトキミニ〔十二字右○〕と訓べし、人言のしげさが故に、といはむが如し、(略解に、ヒトコトノシゲケキキミニ〔十二字右○〕とよめるは、いみじくわろし、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2587 大原《オホハラノ》。古郷《フリニシサトニ》。妹置《イモヲオキテ》。吾稻金津《アレイネカネツ》。夢所見乞《イメニミエコソ》。
 
大原《オホハラ》は、大和(ノ)國高市(ノ)郡にて、藤原とも云、鎌足(ノ)大臣の本居なり、皇居の藤原とは別地なり、思混ふべからず、二(ノ)卷にも、大原の、ふりにし里、とあり、○夢所見乞《イメニミエコソ》は、いかで夢に見えよかし、と乞望ふなり、○歌(ノ)意は、大原の故郷に妹を留め置て、獨別れかへり來て、夜寐入むと思へども、思ひに堪かねて、打つかねば得寐入ず、いかですこし寐入て、妹が事の夢になりとも見えよかし、となり、契冲、頼政卿の歌に、山しろのみづのゝ里に妹をおきていくたびよどの舟よばふらむ、これは今の歌をおぼえてやよまれけむ、といへり、
 
2588 夕去者《ユフサレバ》。公來座跡《キミキマサムト》。待夜之《マチシヨノ》。名凝衣今《ナゴリソイマモ》。宿不勝爲《イネカテニスル》。
 
名凝《ナゴリ》とは、波凝《ナゴリ》にて、そは海際に打よせし潮《シホ》の引たるあとに、なほ波の凝たるが殘りて、あるを云をもとにて、轉りては、何にても、物の殘りたる事に、用ひなれたり、○今(ノ)字、此(レ)も舊本令に(63)誤れり、古本、拾穗本等に從つ、○歌(ノ)意は、夕になれば君來座むとて、いもねずして、待しならはしのなほのこりて、絶て來座ぬ後もなほ得|寐《ネ》入ずして、戀しく思はるゝ、となり、○十二に、本(ノ)二句|玉梓之君使乎《タマヅサノキミガツカヒヲ》、尾(ノ)句|不宿夜乃太寸《イネヌヨノオホキ》、とあるが換れるのみにて、全(ラ)同歌あり、
 
2589 不相思《アヒオモハズ》。公者在良思《キミハアルラシ》。黒玉《ヌバタマノ》。夢不見《イメニモミエズ》。受旱宿跡《ウケヒテヌレド》。
 
受旱宿跡は、本居氏、旱は、日手二字を一字に誤れるなり、と云るが如し、ウケヒテヌレド〔七字右○〕なり、神武天皇(ノ)紀に是夜《コヨヒ》自|祈而寢《ウケヒテミネマセリ》、○歌(ノ)意は、神に誓約《ウケヒ》て寢れば、大抵夢に思ふ人の見えぬと云ことは、なきものなるに、なほ夢にも見え來ざるは、よく/\相思はず、つれなく心のきれはなれたる、君にてあるらし、となり、
 
2590 石根蹈《イハネフミ》。夜道不行《ヨミチハユカジ》。念跡《トオモヘレド》。妹依者《イモニヨリテハ》。忍金津毛《シヌビカネツモ》。
 
歌(ノ)意は、石根ふみ危き夜道は、いな行じと堅く念へれども、妹が待らむと思へば、なほ堪ずして、この夜道をふみ出して行よ、嗚呼さても辛しや、となり、
 
2591 人事《ヒトコトノ》。茂間守跡《シゲキマモルト》。不相在《アハズアラバ》。終八子等《ツヒニヤコラガ》。面忘南《オモワスレナム》。
 
茂間守跡《シゲキマモルト》は、茂き間を守(ル)とての意なり、○歌(ノ)意は、人言のしげきによりて、その人のなき間をうかゞふとて、月日を經てあはずあらば、終には子等が我(カ)面を忘れて、知人をもどすやうになりなむか、となり、
 
(64)2592 戀死《コヒシナム》。後何爲《ノチハナニセム》。吾命《ワガイノチノ》。生日社《イケラムヒコソ》。見幕欲爲禮《ミマクホリスレ》。
 
吾命は、ワガイノチノ〔六字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、戀死に死む後には、思ふ人の心とけたりとも、何にかはせむ、命の生てある日の爲にこそ、相見まほしくするなれ、となり、四(ノ)卷大伴(ノ)百代(カ)歌に、孤悲死牟後者何爲牟生日之爲社妹乎欲見爲禮《コヒシナムノチハナニセムイケルヒノタメコソイモヲミマクホリスレ》、大方似たる歌なり、
 
2593 敷細《シキタヘノ》。枕動而《マクラウゴキテ》。宿不所寢《イネラエズ》。物念此夕《モノモフコヨヒ》。急明鴨《ハヤモアケヌカモ》。
 
歌(ノ)意は、寐入むと思へども、枕が動くゆゑに、さわがしくて寐入られず、寐入れぬ故に、物思をする夜なれば、夜になれる益なし、かゝる夜なれば、いかではやく明て、朝になれかし、さてもくるしや、となり、もと寐られぬ故に、枕の動くやうにおぼゆるを、枕の動く故に、寐られずと負せたるが、をかしきいひざまなり、下問答(ノ)歌に、布細布枕動夜不寐思人後相物《シキタヘノマクラウゴキテヨルモネズオモフヒトニハノチアフモノヲ》、十二に、左夜深而妹乎念出布妙之枕毛衣世二嘆鶴鴨《サヨフケテイモヲオモヒデシキタヘノマクラモソヨニナゲキツルカモ》、
 
2594 不往吾《ユカヌアヲ》。來跡可夜《コムトカヨルモ》。門不閉《カドササズ》。※[立心偏+可]怜吾妹子《アハレワギモコ》。待筒在《マチツヽアラム》。
 
門不閉《カドサヽズ》、古今集に、君やこむわれやゆかむのいざよひにまきの板戸もさゝずねにけり、○歌(ノ)意、これは思ひかけなく、とみにさはることの出來て、約をたがへて、女のもとに、得ゆかぎりし男のよめるにて、かくれたるすぢなし、
 
2595 夢谷《イメニダニ》。何鴨不所見《ナニカモミエヌ》。雖所見《ミユレドモ》。吾鴨迷《アレカモマドフ》。戀茂爾《コヒノシゲキニ》。
 
(65)歌(ノ)意は、夢になりとも、見えよかしと思ふに、なぜに夢にさへ見えぬぞ、たゞし夢に入來て見えはすれども、夢にも吾(ガ)思のしげきが故に、迷ひて、それとも得わかぬにてもあらむか、となり、
 
2596 名草漏《ナグサムル》。心莫二《コヽロハナシニ》。如是耳《カクノミシ》。戀也度《コヒヤワタラム》。月日殊《ツキニヒニケニ》。
 
名草漏は、ナゲサムル〔五字右○〕と訓べし、(ナグサモル〔五字右○〕とよめるは、甚誤なり、)○如是耳は、カクノミシ〔五字右○〕と訓べし、(カクシノミ〔五字右○〕とよめるは、甚非なり、)九(ノ)卷に、如是耳志《カクノミシ》、此(ノ)下に、常如是耳志《ツネカクノミシ》、十三に、如是耳師《カクノミシ》、などある、其(ノ)例なり、此(ノ)上にも委(ク)云り、○歌(ノ)意は、慰むる心は露なくして、月々日々に、かくばかりに戀しく思ひて、經度らむか、かくては命も堪まじきを、いかにかしてまし、と云意を持せたり、○註に、或本歌云奥津浪敷而耳八方戀度奈牟、
 
2597 何爲而《イカニシテ》。忘物《ワスレムモノソ》。吾妹子丹《ワギモコニ》。戀益跡《コヒハマサレド》。所忘莫苦二《ワスラエナクニ》。
 
忘物は、ワスレムモノソ〔七字右○〕と訓べし、(ワスルルモノソ〔七字右○〕とよめるはわろし、)○歌(ノ)意は、吾妹子を戀しく思ふ心の、月日にまさりはすれども、すこしも忘れられはせぬことなるを、かくしては、いかにして忘(レ)むものぞ、もし妹が事を忘れずしてあらば、つひには命も堪まじきを、となり、
 
2598 遠有跡《トホクアレド》。公衣戀流《キミニソコフル》。玉桙乃《タマホコノ》。里人皆爾《サトビトミナニ》。吾戀八方《アレコヒメヤモ》。
 
公衣戀流は、キミニソコフル〔七字右○〕と訓べし、(キミヲソコフル〔七字右○〕、とよめるはわろし、)○玉桙乃《タマホコノ》は、道《ミチ》の(66)枕詞なるを、やがて道のことにして、君が住方の道路《ミチ/\》の里といふ意に、つゞけたり、○歌(ノ)意は、遠き處にいませども、君をこそ戀しく思へ、君が住方の道路の里々のことを、とあらむかかからむかなど云へば、なべての里人を、戀しく思ふやうに聞ゆめれど、君をおきて、嗚呼他し里人みなを、戀しく思ふよしあらむやは、となり、
 
2599 驗無《シルシナキ》。戀毛爲鹿《コヒヲモスルカ》。暮去者《ユフサレバ》。人之手枕而《ヒトノテマキテ》。將寐兒故《ネナムコユヱニ》。
 
驗無《シルシナキ》は、かひなきといはむが如し、古今集に、しるしなさ音をも鳴かな※[(貝+貝)/鳥]のことしのみちる花ならなくに、契冲、日本紀に、有2何益1、とかきて、ナニノシルシカアラム〔十字右○〕とよめり、といへる、其(ノ)意なり、○將寐兒故《ネナムコユヱニ》は、ねなむ子なるものをの意なり、十三長歌に、掻將折鬼之四忌手乎《カキヲラムシコノシキテヲ》、指易而將宿君故《サシカヘテネナムキミユヱ》、赤根刺晝者終爾《アカネサスヒルハシミラニ》云々、○歌(ノ)意は、夕(ヘ)ごとに、人の手をまきて、相宿しなむ女なるものを、それとしりつゝ、かひなき思ひをもする事哉、となり、
 
2600 百世下《モヽヨシモ》。千代下生《チヨシモイキテ》。有目八方《アラメヤモ》。吾念妹乎《アガモフイモヲ》。置嘆《オキテナゲカム》。
 
百世下千代下《モヽヨシモチヨシモ》の下《シモ》は、借(リ)字にて、多かる物の中に、その一(ト)すぢを、つよくうけはりていふ意の辭なり、○歌(ノ)意は、百歳千歳までも、たしかにうけはりて、生ながらへてあらむやは、あはれあすしらぬ我(ガ)命なるものを、いかで妹をさしおきて、あはずに嘆きてのみあらむぞ、となり、吾念《アガモフ》といふ上へ、いかでと云詞を、かりにくはへて心得べし、
 
(67)2601 現毛《ウツヽニモ》。夢毛吾者《イメニモアレハ》。不思寸《オモハズキ》。振有公爾《フリタルキミニ》。此間將會十羽《コヽニアハムトハ》。
 
現毛《ウツヽニモ》は、夢毛《イメニモ》といはむためにいへるなり、現《ウツヽ》の事は言に及ばず、夢にも云々の意なり、伊勢物語に、駿河なる宇都の山邊の現にも夢にも人の遇ぬなりけり、とあるに同じ、○不思寸《オモハズキ》は、思はざりけり、と云むが如し、集中に不及《シカズ》けりと云るは、及《シカ》ざりけりと云意、不止《ヤマズ》けりと云るは止《ヤマ》ざりけりと云意、不飽《アカズ》けりと云るは、飽《アカ》ざりけりと云意、其(ノ)他|不逢《アハズ》けむ、不來《コズ》けむ、などいふも、逢ざりけむ、來ざりけむ、と云意なるに、准ふべし、かくて思はざりけりと云も、思はざりきと云も、同じ語格なるにつきて、古(ヘ)はかくも云りしにぞあるべき、○振有公《フリタルキミ》とは、舊而在君《フリテアルキミ》にて、むかししたしく相語ひし人なり、○歌(ノ)意は、此處にして、ふるなじみの人に遇會《アヒミ》むとは、現はさらにも云ず、夢にだにも、思ひよらざりし事、と歡べるなり、
 
2602 黒髪《クロカミノ》。白髪左右跡《シロカミマデト》。結大王《ムスビテシ》。心一乎《コヽロヒトツヲ》。今解目八方《イマトカメヤモ》。
 
白髪左右跡《シロカミマデト》は、白髪《シロカミ》に成るまでの意なり、白髪はシロカミ〔四字右○〕とよむべし、十七に、布流由吉乃之路髪麻泥爾《フルユキノシロカミマデニ》、とあり、これその證なり、(シラカミ〔四字右○〕とよめるは、いとわろし、)又按(フ)に、こゝは白髪とは書たれども、義を得て、シラクルマデト〔七字右○〕と訓かた、しかるべからむ歟、九(ノ)卷に、黒有之髪毛白斑奴《クロカリシカミモシラケヌ》、とあればなり、(忠見集に、年ごとにまつらむかずはきねぞ見むいたゞく髪のしらくるまでに、)○結大王《ムスビテシ》は、ちぎりてしといはむが如し、契冲、日本紀に、約(ノ)字をムスブ〔三字右○〕とよめる是な(68)り、といへるが如し三(ノ)卷に、白妙之袖指可倍※[氏/一]《シロタヘノソテサシカヘテ》、靡寢吾黒髪乃《ナビキネシワガクロカミノ》、眞白髪爾成極《マシラガニナリナムキハミ》、新世爾共將有跡《アラタヨニトモニアラムト》、玉緒乃不絶射妹跡《タマノヲノタエジイイモト》、結而石事者不果《ムスビテシコトハハタサズ》云々、○今解目八方《イマトカメヤモ》(今(ノ)字、これも舊本には令に誤れり、今は拾穂本、古本、古寫一本等に從つ、)は、今更|約《チギリ》を變《タガ》へむやは、と云意なり、約を結ぶと云、其結(ヒ)を解(ク)は、約を變(フ)るなり、○歌(ノ)意は、黒髪の白髪になりて、老はてむまで變《カハ》らじと、心一(ツ)に堅くちぎりしもの」を、今更約を變《タガ》へむやは、すこしも疑ふ心を持賜ふな、となり、
 
2603 心乎之《コヽロヲシ》。君爾奉跡《キミニマツルト》。念有者《ヨシコノゴロハ》。縱比來者《オモヘレバ》。戀乍乎將有《コヒツヽヲアラム》。
 
君爾奉跡は、キミニマルト〔七字右○〕と訓べし、既く此(ノ)上、情左倍奉有君爾《コゝロサヘマツレルキミニ》云々、とある處にいへり、○歌(ノ)意は、契沖、すでに身に心をそへて、君がまに/\とまゐらせつれば、心とてもわが心ならねば、とはずともうらみじ、こひしくばたゞこひつゝあらむ、となり、かゝる心もてる人、末の世にありなむや、といへり、四卷に、心毛身副縁西鬼尾《コヽロモミサヘヨリニシモノヲ》、
 
2604 念出而《オモヒイデテ》。哭者雖泣《ネニハナクトモ》。灼然《イチシロク》。人之可知《ヒトノシルベク》。嘆爲勿謹《ナゲカスナユメ》。
 
嘆爲勿謹は、ナゲカスナユメ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、思ひ出て泣はするとも、誰が目にも其(レ)としらるゝばかり、嘆の息をつきて、謹々《ユメ/\》人にしられたまふことなかれ、となり、
 
2605 玉桙之《タマホコノ》。道去夫利爾《ミチユキブリニ》。不思《オモハヌニ》。妹乎相見而《イモヲアヒミテ》。戀比鴨《コフルコロカモ》。
 
道去夫利《ミチユキブリ》は、道行觸《ミチユキブリ》なり、古今集に、躬恒、春くれば鴈かへるなり白雲の道ゆきぶりにことや
(69)つてまし、○不思《オモハヌニ》は、八(ノ)卷に、霜雪毛未過者不思爾春日里爾梅花見都《シモユキモイマダスギネバオモハヌニカスガノサトニウメノハナミツ》、とあるに同じ、○歌(ノ)意は、上に、玉桙道不行爲有者惻隱此有戀不相《タマホコノミチユカズシテアラマセバネモコロカヽルコヒニハアハジ》、とあるを、ことわれるやうなり、
 
2606 人目多《ヒトメオホミ》。常如是耳志《ツネカクノミシ》。候者《サモラハバ》。何時《イヅレノトキカ》。吾不戀將有《アガコヒザラム》。
 
候者《サモラハバ》(候(ノ)字、舊本には侯と作り、今は拾穗本、古寫一本等に從つ、)は、守者《モラバ》といはむが如し、うかゞはゞといふ意なり、サモラフ〔四字右○〕のサ〔右○〕は、輕く添たる言にて、モラハヾ〔四字右○〕なり、さてモル〔二字右○〕を伸てモラフ〔三字右○〕、モリ〔二字右○〕を伸てモラヒ〔三字右○〕、又モラム〔三字右○〕をモラハム〔四字右○〕、モラバ〔三字右○〕をモラハヾ〔四字右○〕、などゝ云は、たとへば、ワタル〔三字右○〕を伸てワタラフ〔四字右○〕、ワタリ〔三字右○〕を伸てワタラヒ〔四字右○〕、ワタラム〔四字右○〕をワタラハム〔五字右○〕、ワタラバ〔四字右○〕をワタラハヾ〔五字右○〕、など云例の如し、されば守者《モラバ》と云と候者《サモラハバ》と云とは、もと引伸たると、取縮たるとの差(ヒ)あるのみにて、全(ラ)同言なりと知べし、さてしか引伸て云(フ)は、その事の緩なるをいふことにて、モラハバ〔四字右○〕は、絶ず引續きて、緩に守るよしなり、○歌(ノ)意は、人目のしげさに、常に如v此して、人目のなき間を守りうかゞびてのみ、時を待てをるならば、いづれのときか、わがこひしく思はぬと云時のあらむ、と云にて、今は人目をも憚らじと思ふ下心なり、
 
2607 敷細之《シキタヘノ》。衣手可禮天《コロモテカレテ》。吾乎待登《アヲマツト》。左濫子等者《アルラムコラハ》。面影爾見《オモカゲニミユ》。
 
衣手可禮天《コロモテカレテ》は、別てよりの心なり、と契冲いへり、○歌(ノ)意は、あひて別れてより、吾(ガ)來むことを待て居らむ女が容儀の、戀しく思はれて、常に面影に見ゆ、となり、
 
(70)2608 妹之袖《イモガソデ》。別之日從《ワカレシヒヨリ》。白細乃《シロタヘノ》。衣片敷《コロモカタシキ》。戀管曾寐留《コヒツヽソヌル》。
 
歌(ノ)意は、妹と相別れてし其(ノ)日より、夜ごと夜ごとに、戀しく思ひつゝ、衣片敷て丸寢をぞする、となり、
 
2609 白細之《シロタヘノ》。袖者間結奴《ソテハマヨヒヌ》。我妹子我《ワギモコガ》。家當乎《イヘノアタリヲ》。不止振四二《ヤマズフリシニ》。
 
間結《マヨヒ》は、契冲、※[糸+此](ノ)字(和名抄)なり、ヨル〔二字右○〕ともいへり、古今集に、蝉の羽のひとへにうすき夏衣なればよりなむ物にやはあらぬ、此(レ)※[糸+此]《ヨル》を依《ヨル》によせたり、といへり、七(ノ)卷、麻衣肩乃間亂者《アサゴロモカタノマヨヒハ》、とよめる歌に、既く委(ク)註たりき、○歌(ノ)意は、妹に見られむとて、妹が家の方に向て、不v止(マ)袖を振しに、このごろは、衣の經緯の絲が、より※[糸+此]《マヨ》ひぬ、となり、
 
2610 夜干玉之《ヌバタマノ》。吾黒髪乎《ワガクロカミヲ》。引奴良思《ヒキヌラシ》。亂而反《ミダレテアレハ》。戀度鴨《》コヒワタルカモ。
 
引奴良思《ヒキヌラシ》は、引靡《ヒキヌラシ》なり、引《ヒキ》は引(キ)伸(ル)謂なり、靡《ヌラシ》は、上に、黒玉乃我玄髪乎靡而將居《ヌバタマノワガクロカミサヌラシテヲラム》、又、夜干玉之妹之黒髪《ヌバタマノイモガクロカミ》云々|靡而宿良武《ヌラシテヌラム》、などあるところにもいへり、二(ノ)卷に、多氣婆奴禮多香根者長寸妹之髪《タケバヌレタカネバナガキイモガカミ》云々、十四に、多波美豆良比可婆奴流奴流《タハミヅラヒカバヌルヌル》、などある、ヌレ〔二字右○〕も、ヌル/\〔四字右○〕も同言なり、さてこれまでは、亂をいはむための序なり、○亂而反は、反は吾の誤にて、ミダレテアレハ〔七字右○〕なるべし、(春海(カ)説に、反は已の誤にて、ミダレテノミモ〔七字右○〕なるべし、といへり、又本居氏の説には、而反は留及の師にて、ミダルルマデニ〔七字右○〕なるべし、といへり、なほ考(フ)べし、)○歌(ノ)意は、心も亂れて、戀しくのみ思(71)ひつゝ、月日を經度る事哉、さても、苦しや、となり、
 
2611 今更《イマサラニ》。君之手枕《キミガタマクラ》。卷宿米也《マキネメヤ》。吾※[糸+刃]緒乃《ワガヒモノヲノ》。解都追本名《トケツツモトナ》。
 
歌(ノ)意は、ゆゑありて、又あふまじくなりたる後に、紐の自(ラ)解たる時よめるにて、今更に又君にあひて、手枕まきて、宿むことのあるべしやは、さることはあるべくもあらぬを、むざ/\と紐の自《オラ》解つゝ、吾をたのみに、思はするは、いかにぞや、すべて紐の自《オラ》解るは、思ふ人にあふべき前兆と云に、さる前兆はあるまじきものを、となり、
 
2612 白細布乃《シロタヘノ》。袖觸而夜《ソテフレテヨリ》。吾背子爾《ワガセコニ》。吾戀落波《アガコフラクハ》。止時裳無《ヤムトキモナシ》。
 
乃(ノ)字、官本、拾穗本等には、之と作り、○袖觸而夜は、夜は、從の誤にて、ソテフレテヨリ〔七字右○〕なるべし、といへる説ぞ宜き、○歌(ノ)意は、袖を觸てし日より、片時も、吾(ガ)夫子を戀しく思はぬ間とては、さらになし、となり、
 
2613 夕卜爾毛《ユフケニモ》。占爾毛告有《ウラニモノレル》。今夜谷《コヨヒダニ》。不來君乎《キマサヌキミヲ》。何時將待《イツトカマタム》。
 
今(ノ)字、また令に誤れり、古本、古寫一本、拾穗本等に從つ、○歌(ノ)意は、夕卜《ユフケ》のつじうらにも、また常の卜筮《ウラナヒ》にも、必(ズ)來むと出たる今夜さへも、來座ぬ君なれば、何時を其(ノ)期と待居(ラ)む、となり、
 
2614 眉根掻《マヨネカキ》。下言借見《シタイフカシミ》。思有爾《オモヘルニ》。去家人乎《イニシヘヒトヲ》。相見鶴鴨《アヒミツルカモ》。
 
下言借見《シタイフカシミ》は、下《シタ》は裏《シタ》なり、心(ノ)裏といふに同じ、言借《イフカシ》は、不審《イプカシ》なり、九(ノ)卷登2筑波山(ニ)1長歌にも、言借石《イフカリシ》、(72)國之眞保良乎《クニノマホヲヲ》云々、とあり、心の裏《ウチ》に不審《イブカシ》うの意なり、見《ミ》は恨美念《ウラメシミモフ》など云ときの美《ミ》にて、俗にイフカシウ、ウラメシウ〔十字右○〕、など云ウ〔右○〕の言に似たり、○去家人《イニシヘヒト》は、舊好《フルナジミ》の人にて、上に振有公《フリタルキミ》といへるに同じ、○歌(ノ)意は、眉毛の癢《カユ》きは、思ふ人に逢べき相《シルシ》にやと、心裏《シタノコヽロ》といぶかり思ひしに、其(ノ)しるしありて、舊好の人に遇見つる哉、さてもうれしや、となり、
 
〔或本(ノ)歌(ニ)曰。眉根掻《マヨネカキ》。誰乎香將見跡《タレヲカミムト》。思乍《オモヒツヽ》。氣長戀之《ケナガクコヒシ》。妹爾相鴨《イモニアヘルカモ》。〕
 
〔一書(ノ)歌(ニ)曰。盾根掻《マヨネカキ》。下伊布可之美《シタイフカシミ》。念有之《オモヘリシ》。妹之容儀乎《イモガスガタヲ》。今日見都流香裳《ケフミツルカモ》。〕
 
今(ノ)字、また舊本令に誤れり、古本、拾穗本等に從つ、この一書歌曰云々、古寫小本にはなし、
 
2615 敷栲乃《シキタヘノ》。手〔○で囲む〕枕卷而《タマクラマキテ》。妹與吾《イモトアレ》。寐夜者無而《ヌルヨハナクテ》。年曾經來《トシソヘニケル》。
 
手枕卷而、手(ノ)字、舊本にはなし、補入てタマクラマキテ〔七字右○〕と訓べし、○寐夜者無而《ヌルヨハナクテ》、催馬樂に、ぬき川の岸のやはらたまくら、やはらかにぬるよはなくて親さくるつま、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2616 奥山之《オクヤマノ》。眞木之板戸乎《マキノイタドヲ》。音速見《オトハヤミ》。妹之當乃《イモガアタリノ》。霜上爾宿奴《シモノヘニネヌ》。
 
音速見《オトハヤミ》は、音高さにといはむか如し、○歌(ノ)意は、妹が家の槇の板戸を開きて、内に入むとおもへど、音が高き故に、母などの、きゝとがめむことをおそれて、ひらきて得入ずして、せめてのわざにとて、妹が家の邊の霜(ノ)上にねぬるよ、となり、
 
(73)2617 足日木能《アシヒキノ》。山櫻戸乎《ヤマサクラトヲ》。開置而《ヒラキオキテ》。吾待君乎《アガマツキミヲ》。誰留流《タレカトヾムル》。
 
山櫻戸《ヤマサクラト》は、櫻の材《キ》にて造れる戸なり、櫻戸といはむとて、足日木能山《アシヒキノヤマ》といへるなり、眞木の板戸をいはむとて、奥山乃《オクヤマノ》とおけるに同じ、○歌(ノ)意は、戸をひらき置て、待どもきまさぬは、誰かとゞめてかよはしめぬぞ、となり、曾丹集に、君待とねやの板戸をあけおきて寒さもしらず冬のよな/\、
 
2618 月夜好三《ツクヨヨミ》。妹二相跡《イモニアハムト》。直道柄《タヾチカラ》。吾者雖來《アレハキツレド》。夜其深去來《ヨソフケニケル》。
 
直道柄《タヾチカラ》は、從《ヨリ》2定路《タゞチ》1といふに同じ、直道《タヾチ》はすぐみちにて、近道なり、柄《カラ》は從《ヨリ》といふに同じ、從《ヨリ》といふべきをカラ〔二字右○〕と云ること、十(ノ)卷に既くいへり、神代(ノ)紀(ノ)下にも、自《カラ》2頓丘《ヒタヲ》1覓《マキ》v國《クニ》行去《トホリテ》、催馬樂本滋に、もとしげききびの中山むかしより、むかしから名のふりこぬはいまのよのためけふのひのため、古今集物名に、浪音の今朝からことにきこゆるは云々、などもあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、思ふ人にとく相見むとて、近道を通りて、急ぎては來ぬれど、なほ遲なはりて、夜更たりとおもふは、人情の常なり、
 
萬葉集古義十一卷之上 終
 
(74)萬葉集古義十一卷之中
 
寄《ヨセテ》v物《モノニ》陳《ノブ》v思《オモヒヲ》。二百八十二首。【九十三首。人麿集。・百八十九首。人麿集外。】
 
2415 處女等乎《ヲトメラヲ》。袖振山《ソテフルヤマノ》。水垣《ミヅカキノ》。久時由《ヒサシキトキユ》。念來吾等者《オモヒコシア ハ》。〔頭註、【四首寄2神祇1、】〕
 
乎《ヲ》は、(略解に、之《ノ》に改めしは甚謾なり)之《ノ》に通ふ詞にて、既く云り、○念來吾等者は、オモヒコシアハ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意、四(ノ)卷にはやく出て、そこに註しつ、
 
2416 千早振《チハヤブル》。神持在《カミニイノレル》。命《イノチヲバ》。誰爲《タレガタメニカ》。長欲爲《ナガクホリスル》。
 
神持在は、本居氏、持は?の誤にて、カミニイノレル〔七字右○〕ならむ、と云り、○歌(ノ)意は、壽命の長からむ事を、神祇に乞?れるをば、そも誰が爲の故にてあるぞ、思ふ人の爲のみの事にこそあれ、となり、
 
2417 石上《イソノカミ》。振神杉《フルノカムスギ》。神成《カムサビテ》。戀我《コヒヲモアレハ》。更爲鴨《サラニスルカモ》。
 
神成は、カムサビテ〔五字右○〕なり、此は身の老たるをたとへて云り、○歌(ノ)意は、第一二句は序にて、身老衰へたれば、今更人を、戀しく思ふやうの事はあるまじきに、さても似合(ハ)ぬ思をもする事哉、(75)となり、十(ノ)卷に、石上振乃神杉神佐備而吾八更更戀爾相爾家留《イソノカミフルノカムスギカムサビテアレヤサラサラコヒニアヒニケル》、とあると、同歌なり、
 
2418 何《イカナラム》。名負神《ナオヘルカミニ》。幣嚮奉者《タムケセバ》。吾念妹《アガモフイモヲ》。夢谷見《イメニダニミム》。
 
何名負神は、安並(ノ)雅景云、イカナラムナオヘルカミニ〔十二字右○〕とよむべし、(本居氏は、名は在の誤、負は皇の誤にて、本(ノ)句は、イカナラムスメカミニヌサタムケバカ〔イカ〜右○〕と訓べし、といへれど、平穩ならず、)○幣嚮奉者は、タムケセバ〔五字右○〕とよめる宜し、○歌(ノ)意は、なみ/\の神に祈りても、更にその驗なければ、何處いかなる名に負へる神に奉幣して、ねもころに?申さば、受納し賜ひ、その御加恩《ミメグミ》によりて、吾(ガ)思ふ妹を、夢になりとも見べきぞ、となり、○以上四首は、神祇に寄てよめるなり、
 
2419 天地《アメツチト》。言名絶《イフナノタエテ》。有《アラバコソ》。汝吾《イマシトアレト》。相事止《アフコトヤマメ》。〔頭註、【一首寄2天地1、】〕
 
汝、此(ノ)上に、伊麻思《イマシ》とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○この一首は、天地に寄てよめるなり、
 
2420 月見《ツキミレバ》。國同《クニハオヤジソ》。山隔《ヤマヘナリ》。愛妹《ウツクシイモガ》。隔有鴨《ヘナリタルカモ》。〔頭註、【七首寄v山、】〕
 
國同は、クニハオヤジソ〔七字右○〕と訓べし、同をオヤジ〔三字右○〕と云は古言なり、書紀天智天皇(ノ)卷(ノ)歌に、於野兒《オヤジ》、とあり、集中十七にも、於夜自《オヤジ》、と見えたり、於奈自《オナジ》と書るところもあれど、其は奈良(ノ)朝の季《スヱ》つ方に至《ナ》りては、さもいひけむと思はるれば、此(ノ)歌などにては、然《サ》は訓べからず、○隔有鴨は、ヘナリタルカモ〔七字右○〕と訓べし、ヘダツ〔三字右○〕をヘナル〔三字右○〕と云は古言なり、此(ノ)下にも重成《ヘナリ》と書り、○歌(ノ)意は、月(76)光のけしきを見れば、さのみ遠く隔れるにはあらず、なほ同じ國内にてあるぞ、さりながら山をさかひたる故に、愛しき妹に隔てある哉、さてもこの月を、妹と二人居て見まほしや、となり、○契冲、第十八に、古人云、月見(レ)ばおなじ國なり山こそは君があたりを隔てたりけれ、答2古人1云家持、足引の山はなくもが月見ればおなじき里をこゝろへだてつ、はじめの歌は、大伴(ノ)池主、家持へおくる歌の中に有(リ)、もし今の歌を、時にかなへむとて、詞をかへたれど、もと古人の歌なれば、古人云といへるか、といへり、十五に、安麻射可流比奈爾毛月波弖禮禮杼母伊毛曾等保久波和可禮伎爾家流《アマザカルヒナニモツキハテレレドモイモソトホクハワカレキニケル》、又似たり、
 
2421 ※[糸+參]路者《マヰリヂハ》。石蹈山《イハフムヤマノ》。無鴨《ナクモガモ》。吾待公《アガマツキミガ》。馬爪盡《ウマツマヅクニ》。
 
※[糸+參]路者、(※[糸+參](ノ)字、拾穗本には繰と作り、)※[糸+參]《クル》を來《クル》に借たるにて、來《ク》る道はの意とする説は穩ならず、誤字なるべし、故(レ)考るに、※[糸+參]は、絲扁の衍《アヤマリ》て加はれるにて、參にて參路者《マヰリヂハ》などありしにてもあるべきか、參路とは、朝參《ミカドマヰリ》の路を云べし、十八、朝參乃伎美我須我多乎美受比左爾《マヰリノキミガスガタヲミズヒサニ》云々、とあり、猶考(フ)べし、○馬爪盡《ウマツマヅクニ》、金葉集に、御熊野に駒の爪づく青つゞら君こそまろが絆《ホグシ》なりけれ、○歌(ノ)意は、京外の地より朝參する人を、心(ノ)裏に待て、官女のよめるにて、吾(カ)待君が馬の爪突て、艱難《ナヅミ》給ふらむと思ふが、いとほしければ、いかでその君が來ます路に、岩踏蕗のなくてもがなあれかし、と云るにや、
 
(77)2422 石根蹈《イハネフミ》。重成山《ヘナレルヤマハ》。雖不有《アラネドモ》。不相日數《アハヌヒマネミ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。
 
重成山は、ヘナレルヤマハ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、相思ふ人の中間に、石根ふむさがしき山の、へだゝれるにはあらねども、他にさはることのありて、あはぬ日かずの重れる故に、戀しくのみ思ひつゝ、月日を過すことかな、となり、○拾遺集に、いはねふみかさなる山はなけれども逢ぬ日かずをこひやわたらむ、とあらためて、坂上(ノ)郎女の歌とせるは、いかに、伊勢物語には、いはねふみかさなる山にあらねどもあはぬ日おほく戀わたるかな、とあるも、今の歌なり、(新古今集に、岩根ふみかさなる山を分捨て花もいくへのあとの白雲、とあるは、これらの歌を本として、よまれたるなり、)
 
2423 路後《ミチノシリ》。深津島山《フカツシマヤマ》。暫《シマシクモ》。君目不見《キミガメミネバ》。苦有《クルシカリケリ》。
 
路後《ミチノシリ》は、和名抄に、備後(ハ)吉備乃美知乃之利《キビノミチノシリ》、とある、これなり、委(ク)云ば、某之路後《ソレノミチノシリ》といふべきなれど、歌にはたゞ道之後《ミチノシリ》、道之中《ミチノナカ》、道之口《ミチノクチ》、といへる例|往々《コレカレ》あり、應神天皇(ノ)紀に、大鷦鷯(ノ)尊、日向(ノ)國なる髪長姫にたまへる御歌に、瀰知能之利古破※[人偏+嚢]塢等綿《ミチノシリコハダヲトメ》云々、(道(ノ)後|細肌少女《コハダヲトメ》なり、道(ノ)後は日向(ノ)國なり、但日向國に、備前備後などの如く、前後の稱はなけれども、京都よ上りの路次《ミチナミ》、日向は後《シリノ》方なる國なるゆゑに、いへるなり、)集中に、みちのなかくにつみかみは云々、(越中國津御神者なり、)催馬樂道口に、みちのくちたけふのこふに我はありと親に申たべ心あひの風、(越前(ノ)國(78)武生(ノ)國府なり、)○深津島山《フカツシマヤマ》は、和名抄に、備後(ノ)國深津(ノ)郡(ハ)、布加津《フカツ》、とあり、契冲、續紀(ニ)云、養老五年夏四月丙申、分2備後(ノ)國安那(ノ)郡(ヲ)1、置2深津(ノ)郡(ヲ)1、書紀(ニ)云、日本武(ノ)尊、既而從2海路1還v倭、到2吉備(ニ)1、以渡2穴海(ヲ)1、其處有2惡神1、則殺v之、かゝれば穴海は、安那(ノ)郡にあり、深津《フカツ》も、初は安那(ノ)郡の内の一所の別名なるを、養老五年に、分て郡とせられたれば、此(ノ)歌の出來ける時は、まだ安那(ノ)郡に屬せるなり、といへるが如し、さてこれ迄二句は、暫《シマラク》をいはむための序なり、歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2424 ※[糸+刃]鏡《ヒモカヾミ》。能登香山《ノトカノヤマハ》。誰故《タレユヱソ》。君來座在《キミキマセルニ》。※[糸+刃]不開寐《ヒモアケズネム》。
 
紐鏡《ヒモカゞミ》とは、冠辭考に、物に懸む料に、鏡の裏に紐を着ること、類聚雜要抄の、鏡のかたを見て思ふべし、萬葉に、神鏡をも懸ると訓(ミ)、其(ノ)外にも鏡を懸ること多きは、みなうらに紐のある故なりと云り、さて契冲云る如く、その裏に着たる紐は、常に解まじきものなるによりて、勿解《ナトキ》そと云意に云かけたる、枕詞なるべし、勿解《ナトキ》と能登香《ノトカ》と、親く音通ふがゆゑなり、○能登香《ノトカノ》山は、山(ノ)名なり、何地にありや、未(ダ)詳ならず、○紐不開寐は、ヒモアケズネム〔七字右○〕なり、開《アク》は解(ク)といふに同じ、紐《ヒモ》を解(キ)放るを、開(ク)といひしなり、十七に、安麻射可流比奈爾月歴奴之可禮登毛由比底之紐乎登伎毛安氣奈久爾《アマザカルヒナニツキヘヌシカレドモユヒテシヒモヲトキモアケナクニ》、廿(ノ)卷に、多可麻刀能乎婆奈布伎故酒秋風爾比毛等伎安氣奈多太奈良受等母《タカマトノヲバナフキコスアキカゼニヒモトキアケナタダナラズトモ》、などあり、○歌(ノ)意は、契冲、代匠記に、ひもかがみのとかの山とつゞくるは、紐鏡の其(ノ)紐|勿解《ナトキ》その心なり、さて末(ノ)句に、たれゆゑか君きませるに紐とかずねむ、とよみたる心は、紐か(79)がみなときそ、といふ山の名はたれゆゑぞ、思ふ人の來たる夜、などか紐ときてねざらむといふ意なり、といへるが如し、(今云、紐鏡《ヒモカヾミ》と云は、枕詞、能登香《ノトカ》と云は山(ノ)名にて、別事《コト/\》なれど、此歌は紐鏡能登香と云を、即(チ)山(ノ)名のごと取なして、さて其(ノ)意を設けたること、契冲いへるごとし、)
 
2425 山科《ヤマシナノ》。強田山《コハタノヤマヲ》。馬雖在《ウマハアレド》。歩吾來《カチユアガコシ》。汝念不得《ナヲオモヒカネ》。
 
山科は、和名抄に、山城國宇治(ノ)郡山科(ハ)、也末之奈《ヤマシナ》、とあり、○強田山《コハタノヤマ》は、山科にありて、今は木幡《コハタ》山とかけり、神名帳に、山城(ノ)國宇治(ノ)郡|許波多《コハタノ》神社三座、(並大、月次新甞、)山科(ノ)神社二座、(並大、月次新甞、)通稱云、山背(ノ)風土記(ニ)曰、宇治(ノ)郡木幡(ノ)社、名2天(ノ)忍穗耳(ノ)尊1、○歩吾來は、カチユアガコシ〔七字右○〕とか、カチユアガケル〔七字右○〕とか訓べし、歩にて來しとの謂なり、歩にてと云意を歩より、馬にてと云意を馬より、舟にてと云意を舟より、など云る例、既くいへり、金葉集に、いとせめて戀しき時は播磨なるしかまに染るかちよりぞ來る、惠慶法師集に、さうしのゑに、須磨のうらのかたを書たるに、かみの社に、舟より行人の浪のたかければ、たよせにみてぐらたてまつる、釋書に、徒歩カチヨリアユンデ》※[手偏+耆]《サヽフ》v※[竹/〓]《ツヱヲ》、○汝念不得は、ナヲオモヒカネ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、吾(レ)馬を持てあらざるにてはなし、馬はありはすれども、草飼て、鞍置手綱着など、用意する間得待ず、汝を思ふ思ひに堪かねて、取(ル)物もとりあへず、強田山のさがしき道を、歩にてあゆみて來しを、汝はいかに思や、との(80)意を持せたり三五一二四と句を次第て意得べし、強田山に馬はあれどゝつゞけて聞べからず、(しかるを、此(ノ)歌を昔來、強田山に馬はあれど、馬をかる間もなくして、切に思ふゆゑに、歩にて來し、と云意に見て、契冲なども、さる謂に解なせるは、ひがことなり、)
 
2426 遠山《トホヤマニ》。霞被《カスミタナビキ》。益遐《イヤトホニ》。妹目不見《イモガメミネバ》。吾戀《アレコヒニケリ》。
 
歌(ノ)意、第一二(ノ)句は、遠《トホ》をいはむための序にて、あはぬ間の月日いやとほくて、戀しく思ふ心の、さてもいよ/\まさるよ、となり、○以上七首は、山に寄てよめるなり、
 
2427 是川《コノカハノ》。瀬瀬敷浪《セセニシクナミ》。布布《シクシクニ》。妹心《イモガコヽロニ》。乘在鴨《ノリニケルカモ》。
〔頭註、【七音寄v川、】〕
 
瀬瀬敷浪は、セヽニシクナミ〔七字右○〕と訓べし、布布《シクシク》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、妹が容儀《スガタ》の、吾(ガ)心のうへにのりて、常に頻々に、戀しくのみ思はるゝこと哉、となり、二卷(ノ)久米(ノ)禅師(ガ)歌に、東人之荷向篋乃荷之緒爾毛妹情爾乘爾家留香聞《アヅマヒトノノサキノハコノニノヲニモイモガコヽロニノリニケルカモ》、十(ノ)卷に、春去爲垂柳十緒《ハルサレバシダルヤナギノトヲヲニモ》、とありて、下全(ラ)同(キ)歌あり、
 
2428 千早人《チハヤヒト》。宇治度《ウヂノワタリノ》。速瀬《ハヤキセニ》。不相有《アハズアリトモ》。後我※[女+麗]《ノチハワガツマ》。
 
千早人《チハヤヒト》は、枕詞なり、既く七(ノ)卷に見えたり、○後は、ノチハ〔三字右○〕と訓べし、〔頭注、【和訓栞、萬葉に、宇治川を、是河と書る所あり、前漢地理志にも其事みえ、後漢書、李雲傳の五氏來備の註に、是と氏と通するよし見えたり、橘氏の祖神梅宮を、攝家の人の管領するを是定と云ふ、西宮記に、氏定とあると同じ義なり、】〕○歌(ノ)意は、はやき瀬にあはずありとも後は我つまとは、下に、かも川の後瀬しづけみ後もあはむ、と(81)よめる如く、人のことのしげきを、はやき瀬にたとへ、後瀬は、次の瀬にてぬるければ、人ことのやむにたとへて、いまこそさはり有て得逢ずとも、後には我(ガ)妻にせむ、といふこゝろなり、と契冲いへるが如し、(略解に、速き瀬は、速き時のことなり、といへるは、いかゞあらむ、)
 
2429 早敷哉《ハシキヤシ》。不相子故《アハヌコユヱニ》。徒《イタヅラニ》。是川瀬《コノカハノセニ》。裳襴潤《モノスソヌレヌ》。
 
早敷哉《ハシキヤシ》は、子《コ》といふにかゝる詞なり、愛《ハシ》きやし、子《コ》に相(ハ)ぬもの故に、といふ意に、つゞけ下したり、○不相子故《アハヌコユヱニ》は、あはぬ女なるものをの意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、契冲云、これは古今集に、いたづらにゆきてはきぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつゝ、此(ノ)意なり、
 
2430 是川《コノカハニ》。水阿和逆纒《ミナワサカマキ》。行水《ユクミヅノ》。事不反《コトカヘサズソ》。思始爲《オモヒソメテシ》。
 
水阿和は、阿は那の誤にて、ミナワ〔三字右○〕なるべし、○事不反思始爲は、舊訓に、コトカヘサズソオモヒソメテシ〔コト〜右○〕とある、これよろし、事不反《コトカヘサズ》は、思案をめぐらさず、二念なくと云意なり、○歌(ノ)意は、契冲、おもひの切なるを、行水のはやさにたとへて、ことかへさずぞおもひそめてしといへり、ことかへさぬは、思案をめぐらさぬなり、たけ/”\しくゆく水の、かへらぬこゝろによせていへり、と云り、(略解に、コトハカヘサジモヒソメタレバ〔コト〜右○〕とよみて、早川の如く、一(ト)たび思ひそめて言(ヒ)出たれば、いかなることありとも、いひ返さじ、となり、また反は變の誤にて、コトハ(82)カハラジ〔七字右○〕ならむか、といへるは、穩ならず、)又本(ノ)句は、たゞ不反をいはむためのみにて、逆(カ)卷(キ)流るゝ水の反らぬ意に、いひつゞけたるならむか、行水のかへらぬごとくなどよめるをも、考(ヘ)合(ス)べし、いかにまれ、末(ノ)句は同意なり、
 
2431 鴨川《カモガハハ》。後瀬靜《ノチセシヅケシ》。後相《ノチハアハム》。妹者我《イモニハアレハ》。雖不今《イマナラズトモ》。
 
鴨川《カモガハ》は、山城(ノ)國愛宕(ノ)郡の賀茂川なるべし、○後瀬靜《ノチセシヅケシ》は、上(ツ)方は、浪高き急流《ハヤセ》なれども、次の瀬はぬるくて、浪靜なるよしにいひて、さて今は人言のしげきを、その人言のやむをしばし期《マチ》て、後に逢むといひつゞけたるなり、○後相《ノチハアハム》、四(ノ)卷に、一瀬二波千遍障良比逝水之後毛將相今爾不有十方《ヒトセニハチタビサハラヒユクミヅノノチニモアハムイマナラズトモ》、○歌(ノ)意は、今は人言しげし、よしや今ならずとも、しばしなりをしづめて、さて後に靜(カ)なるをりのあらむ、其(ノ)時を待得て、妹にはあはむぞ、となり、
 
2432 言出《コトニデテ》。云忌忌《イハヾユユシミ》。山川之《ヤマガハノ》。當都心《タギツコヽロヲ》。塞耐在《セカヘタリケリ》。
 
云忌忌《イハヾユヽシミ》は、言(ハ)ば忌憚《イミハヾカラ》しからむとての意なり、○塞耐在、は、セカヘタリケリ〔七字右○〕と訓べし七(ノ)卷に、名毛伎世婆人可知見山川之瀧情乎塞敢而有鴨《ナゲキセバヒトシリヌベミヤマガハノタギツコヽロヲセカヘタルカモ》、とて載たり、續後紀十九長歌に、堰加倍留天《セカヘトヾメテ》、とあり、世加閇《セカヘ》は、世伎《セキ》の伸りたるなり、(但し世伎《セキ》を伸れば、世加比《セカヒ》となるを、比《ヒ》を閇《ヘ》に轉して、世加閇《セカヘ》といふは、抑《オシ》を伸て於佐比《オサヒ》とは云(ハ)ず、於佐閇《オサヘ》と云と、同じ例なり、)かく伸て云るは、その緩なる形をいへるなり、○歌(ノ)意は、言に打出していはゞ、忌憚しからむとて、やるせなき心を、強(83)ておしとゞめて、黙止《モダシ》てありけり、となり、
 
2433 水上《ミヅノヘニ》。如數書《カズカクゴトキ》。吾命《ワガイノチヲ》。妹相《イモニアハムト》。受日鶴鴨《ウケヒツルカモ》。
 
水上《ミヅノヘニ》云々、契冲、涅槃經に、是(ノ)無常云々、亦如v畫(カ)v水(ニ)、隨(テ)書(ハ)隨(テ)合(フ)、と云(ル)を引たる如し、○吾命は、ワガイノチヲ〔六字右○〕と乎《ヲ》の辭をそへてよむべし、凡て吾(ガ)命と云時は、必(ズ)乎者能《ヲハノ》等のてにをはを添て、六言にいふ例なること、既く三(ノ)卷にいひたりき、○受日《ウケヒ》は、神に誓を立て祈ることなり、靈異記に、祈?、(有介比《イケヒ》)と見え、その餘にも、祈(ノ)字をよめること多けれど、たゞ祈るのみのことにはあらず、見集めて、其(ノ)意をさとるべし、(神代紀葦芽に、誓《ウケヒ》は、目に見えぬ心を、神にかけて物するを云ことなり、俗に、うけやひといふことは、もと誓約《ウケヒ》と同言にはあらじか、請合の字には、なづむべからず、といへり、)○歌(ノ)意は、水(ノ)上に、物の數を、一(ツ)二(ツ)幾箇《イクツ》と書付る如く、はかなくもろく、たのみになりがたき吾(ガ)命なれど、妹にあはむ爲にとて、長からむことを祈りて、神に誓を立つる哉、となり、○以上七首は、川に寄てよめるなり、
 
2434 荒礒越《アリソコエ》。外往波乃《ホカユクナミノ》。外心《ホカゴヽロ》。吾者不思《アレハオモハジ》。戀而死鞆《コヒテシヌトモ》。〔頭註、【七首寄v海、】〕
 
外心《ホカゴヽロ》は、他心《アタシゴヽロ》、異心《コトゴヽロ》などいはむが如し、○歌(ノ)意かくれなし、第一二(ノ)句は序のみなり、下に葦がものすだく池水まさるともまけみそのへにわれゆかめやも、同じこゝろなり、と契冲云へり、
 
2435 淡海海《アフミノミ》。奥白浪《オキツシラナミ》。雖不知《シラネドモ》。妹所云《イモガリトイヘバ》。七日越來《タヾニコエキヌ》。
 
(84)第一二(ノ)句は、不知《シラヌ》をいはむ料の序のみなり、淡海《アフミ》に用あるにあらず、さて白浪不知《シラナミシラヌ》とつゞけるは、みよしぬのたぎのしらなみしらねども、などよめる類なり、○妹所云《イモガリトイヘバ》、四に、不盡能禰乃伊夜等保奈我伎夜麻治乎毛伊母我理登倍婆氣爾餘婆受吉奴《フジノネノイヤトホナガキヤマヂヲモイモガリトヘバケニヨバズキヌ》、○七日越來は、本居氏云、或人説に七日は直の誤にて、タヾニコエキヌ〔七字右○〕なり、といへり、これ然るべし、(十(ノ)卷に、春雨爾衣甚將通哉七日四零者七夜不來哉《ハルサメニコロモハイタクトホラメヤナヌカシフラバナヽヨコジトヤ》、とよめることもあれど、いかにもこの歌にては、七日と云べきにあらず、)○歌(ノ)意は、未(ダ)道をふみしらねども妹が許といへば、心すゝみて、とにかくたどる間もなく、山をも坂をも、直越に越來りぬるよ、となり、
 
2436 大船《オホブネノ》。香取海《カトリノウミニ》。慍下《イカリオロシ》。何有人《イカナルヒトカ》。物不念有《モノモハザラム》。
 
大船《オホブネ》は、枕詞なり、大船の※[楫+戈]取《カトリ》、といふ意につゞけたり、○香取海《カトリノウミ》は、契冲、下總近江兩國にあれば、いづれならむ、されどこゝの前後に、近江の海とよめる歌の中にあれば、七(ノ)卷に、高島の香取の浦とよめる處ならむ歟、ことに下の歌に、近江の海沖こぐ船にいかりおろし、とよめればなり、といへり、眞に、然あるべし、○慍下《イカリオロシ》は、何有《イカナル》をいはむ料の序のみなり、いかりに謂なし、下に、大船乃絶多經海爾重石下何如爲鴨吾戀將止《オホブネノタユタフウミニイカリオロシイカニシテカモアガコヒヤマム》、とあるに同じ、さて慍は借字にて、碇《イカリ》なり、和名抄に、四聲字苑(ニ)云、海中以v石(ヲ)駐v舟(ヲ)曰v碇(ト)、字亦作v※[石+丁]、和名|伊加利《イカリ》、とあり、○歌(ノ)意は、いかなる人か、物思はず平和にてあるらむ、我は一日片時も、物思をせぬ間と云ものはなくて、常にくる(85)しきを、となり、
 
2437 奧藻《オキツモヲ》。隱障浪《カクサフナミノ》。五百重浪《イホヘナミ》。千重敷敷《チヘシクシクニ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。
 
隱障《カクサフ》は、かくすの伸りたるなり、サフ〔三字右○〕を切てス〔右○〕となれり、かく伸(ベ)云は、其(ノ)緩なる形を云ことなり、一(ノ)卷にも、雲乃隱障倍之也《クモノカクサフベシヤ》、とあり、(かくし障《サヽフ》るの意には非ず、障と書るは、借(リ)字のみなり、)○歌(ノ)意は、千重と重々《シク/\》に戀しく思ひて、月日を經度る哉、さてもくるしや、となり、
 
2438 人事《ヒトコトノ》。暫吾妹《シゲケキワギモ》。繩手引《ツナデヒク》。從海益《ウミユマサリテ》。深念《フカクシゾモフ》。
 
暫は、繁の誤なるべし、第一二(ノ)句ヒトコトノシゲケキワギモ〔ヒト〜右○〕とよむべし、と本居氏云り、これによるべし、○繩手引《ツナデヒク》は、海をいはむための枕詞なり、繩事《ツナデ》は舟の綱手《ツナデ》なり、○從海益は、ウミユマサリテ〔七字右○〕とよむべし、○歌(ノ)意は、人のとにかくいひたてさわぐ吾妹子が、海よりもまさりて、深く一(ト)すぢに戀しく思はるゝよ、かく人言のしげからずば、たま/\はあふ事も叶ふべきに、人言のしげければ、あふ事も得爲ずして、たゞ思ふのみにてあるがくるしきを、となり、
 
2439 淡海《アフミノミ》。奥島山《オキツシマヤマ》。奥儲《オクマケテ》。吾念妹《アガモフイモガ》。事繁《コトノシゲケク》。
 
奥島山《オキツシマヤマ》は、契冲云、延喜式(ニ)云、近江(ノ)國蒲生(ノ)郡奥津島(ノ)神社、(名神大、)竹生島の神などを、かしこにいはへる歟、しからば今いへるは、竹生島をさすか、といへり、貝原氏(ノ)諸州めぐりに、近江滋賀(ノ)郡小松のむかひに、奥の島あり、民家多くして田畠もあり、島のひろさ廿町ばかりあり、古(キ)歌に(86)奥津島山とよめる、これなり、といへり、さてこれまでは、奥儲《オクマケ》をいはむ料の序なり、○奥儲《オクマケテ》は、契冲が、おくふかくおもふなり、といへるが如し、奥儲《オクマケテ》は、奥《オク》メテ〔二字右○〕なり、(マケ〔二字右○〕はメ〔右○〕と切れり、)深めてといはむが如し、奥眞經《オクマヘ》といふも同じ、(マヘ〔二字右○〕の切もメ〔右○〕となる、)○歌(ノ)意は、奥深めて思ひ入たる妹がうへの事を、人のとにかく云さわぐことよ、かく人言のしげからずば、あふべきてだてもあるべきに、さる事もかなはざるが苦し、となり、
 
2440 近江海《アフミノミ》。奥※[手偏+旁]船《オキコグフネニ》。重石下《イカリオロシ》。藏公之《カクレテキミガ》。事待吾序《コトマツアレゾ》。
 
※[手偏+旁](ノ)字、舊本に滂と作るは誤なり、今は拾穗本、古寫一本等に從つ、○重石下《イカリオロシ》、舊本には石(ノ)字なし、今は類聚抄に從つ、下にも、大船絶多經海爾重石下《オホブネノタユタフウミニイカリオロシ》、とあり、○歌(ノ)意、契冲、あふみの海の底におろせるいかりの如く、ふかくかくれて、君がたのむることのはをまつ、われにてあるぞ、となり、かくれては、しのびての心なり、といへり、本居氏、藏《カク》れてとは、浦隱れ居て風を候《マツ》を云、そはたとへのみにて、歌の意にしのびかくるゝ意はなし、此(ノ)いかりおろしは、序にはあらじ、といへり、さらば船に碇をおろして、浦隱れ居て風待する如く、君が吾をいざなはむ言を、待て居(ル)吾にてあるぞと云なるべし、○以上七首は、海に寄てよめるなり、
 
2441 隱沼《コモリヌノ》。從裏戀者《シタヨコフレバ》。無乏《スベヲナミ》。妹名告《イモガナノリツ》。忌物矣《イムベキモノヲ》。
〔頭註、【一首寄v沼、】〕
 
齋乏は、上にもあり、スベヲナミ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、心(ノ)裏にのみこめて、表にあらはさず思ふ(87)事の、物むづかしくせむ方なさに、妹が名を言に出して云つれば、今は人も知つらむ、いやとよこれは、早《ハヤ》まり過たるしわざにてありけり、まづ妹が名をば、忌つゝみてあるべきものにてありしを、となり、○この一首は、沼に寄てよめるなり、
 
2442 大土《オホツチモ》。採雖盡《トラバツキメド》。世中《ヨノナカニ》。盡不得物《ツキエヌモノハ》。戀在《コヒニシアリケリ》。〔頭註、【一首寄v土、】〕
 
大土《オホツチ》は、神代紀に、大地《オホツチ》海原《ウナハラ》と對(ヘ)云たるに同じ、○戀在は、コヒニシアリケリ〔八字右○〕とよめるよろし、○歌(ノ)意は、この大地はとりても盡終ると云ことは、さらになきものなり、されば、それも、とりとりし居らば、終には、盡終る世もありなむものを、世(ノ)中に盡る時なきものは、人を戀しく思ふ思にてありけり、されば吾(ガ)思をば、何物にかはたとへていふべきぞ、となり、○この一首は、土に寄てよめるなり、
 
2443 隱處《コモリヅノ》。澤泉在《サハイヅミナル》。石根《イハネヲモ》。通念《トホシテゾオモフ》。吾戀者《アガコフラクハ》。〔頭註、【一首寄v石、】〕
 
隱處《コモリヅ》は、此(ノ)下に、隱津《コモリヅ》とあるに同じ、古事記(ノ)歌に、許母埋豆能志多用波閇都都《コモリヅノシタヨハヘツツ》、とあり、契冲、隱處はかくれたる處なり、かくれたる澤に、水のわき出る岩根なり、といへり、(古事記に、許母埋豆《コモリヅ》とあるを、本居氏の、隱水《コモリヅ》なりといへれど、いかゞ、水をば、美とのみ云る例は多けれど、豆《ヅ》と云る證なし、さて又こゝの處(ノ)字は、泉の誤には非るか、其(ノ)故は、處は度《ド》とこそ訓べけれ、豆《ヅ》とは訓がたし、豆《ヅ》に此(ノ)字を書べきにあらず、泉(ノ)字にて豆《ヅ》とよみて、伊豆《イヅ》美の省きならむ歟、といへれ(88)ど、泉(ノ)字を、豆《ヅ》とまで略きて訓べき謂、さらになし、)○歌(ノ)意は、吾(ガ)戀しく思ふやうは、丈夫心の二念なく、石根をも透すばかりに、通りぬけたる心にてぞある、となり、俗に、男の正念は、岩をも透すといふが如し、上に、石尚行應通建男《イハホスラユキトホルベキマスラヲ》、とあるに、こゝろばえ似たり、さて澤泉在《サハイヅミナル》といへるは、たゞあるがまゝに、文《アヤ》なせるのみにて、泉《イヅミ》に別《コト》に用あるには非ず、(契冲が、古今集に、吉野川岩きりとほし行水の、とよめるを引て、石の中をとほすにはあらず、せかれはてずして、つよく行水をいひて、わがおもひの切なるも、その如くなり、とよめる意なり、と云るは、いかゞ、)下に、隱津之澤出見爾有石根從毛遠而念君爾相卷者《コモリヅノサハイヅミナルイハネヨモトホシテゾオモフキミニアハマクハ》、とあるは、全(ラ)同歌なり、○この一首は、石に寄てよめるなり、
 
2444 白檀《シラマユミ》。石邊山《イソヘノヤマノ》。常石有《トキハナル》。命哉《イノチナレヤモ》。戀乍居《コヒツヽヲラム》。
〔頭註、【一首寄v山、】〕
 
白檀《シラマユミ》は、枕詞なり、眞弓を射《イ》とつゞきたり、古今集に、梓弓いそべの小松とよめるに同じ、○石邊山《イソヘノヤマ》は、契冲、此前後近江をよめるうたおほければ、今甲賀(ノ)郡石邊、(伊之敝《イシベ》)といふ處にや、又佐佐木承禎にしたがひし人に、磯邊の某ときこゆるあり、かの承禎、重代の近江の住人なれば、磯邊も、所の名を氏とせるにや、といへり、但しこれは地(ノ)名ならずとも、たゞいづくにまれ、海際の磯邊山をいへるにもあるべし、○歌(ノ)意は、常石《トキハ》に、いつもかはらぬ身命にてあらむやは、常なき現身は、明日さへもたのみがたきならひなれば、心長くおもひのどめて、たゞに思(ヒ)つ(89)つのみをるべきことかはと、心いられして、戀しぐ思ふよしなり、○この一首は、山に寄てよめるなり、
 
2445 淡海海《アフミノミ》。沈白玉《シヅクシラタマ》。不知《シラズシテ》。從戀者《コヒツルヨリハ》。今益《イマゾマサレル》。
〔頭註、【四首寄v玉、】
 
沈白玉《シヅクシラタマ》は、沈着白玉《シヅクシラタマ》なり、七(ノ)卷に海底沈白玉《ワタノソコシヅクシラタマ》云々、とある處に、委(ク)註せり、(契冲が、浪の玉なり、といへるはわろし、もししからば、沈着《シヅク》とはいふべからず、)さてこれまでは、不知《シラズ》をいはむ料の序のみなり、(契冲が、白玉を女によせ、あふみの海に、逢といふこゝろをそへたり、と云るは非ず、)○今(ノ)字、舊本に、令と作るは誤なり、今は拾穗本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意は、拾遺集に、逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり、とあるに同じ、
 
2446 白玉《シラタマヲ》。纒持《マキテソモタル》。從今《イマヨリハ》。吾玉爲《ワガタマニセム》。知時谷《シレルトキダニ》。
 
今(ノ)字、これも、舊本令に誤、今は姶穗本、古寫一本等に從つ、○吾玉爲《ワガタマニセム》、七卷に、照左豆我|手爾纏古須玉毛欲得其緒者替而吾玉爾將爲《テニマキフルスタマモガモソノヲハカヘテワガタマニセム》、十六に、眞珠者緒絶爲爾伎登聞之故爾其緒復貫吾玉爾將爲《シラタマハヲタエシニキトキヽシユヱニソノヲマタヌキワガタマニセム》、などあり、みな己が妻にすることを、たとへいへり、○歌(ノ)意は、本(ノ)二句は、女を我(ガ)手に入たるをたとへたり、思ふ女を我(ガ)手に入れたれば、今よりしては、かく相知(レ)る時なりとも、己が妻と思ひたのまむ、行末はとまれかくまれ、そこにはさはらじ、と云なるべし、
 
2447 白玉《シラタマヲ》。徒手纒《テニマキシヨリ》。不忘《ワスレジト》。念|心〔○で囲む〕《オモフコヽロハ》。何畢《イツカカハラム》。
 
(90)念何畢は、本居氏、念の下、心(ノ)字を脱し、畢は其の誤にて、オモフコヽロハイツカカハラム〔オモ〜右○〕、とありしなるべし、といへり、これにて歌(ノ)意も、よくことわりに協ひて聞ゆ、○歌(ノ)意は、本(ノ)二句は、これも、女を我(ガ)手に入たるをたとへたり、思ふ女を我(ガ)手に入たる其(ノ)日より、未遂に忘れじと、堅く思ひ定めし心の、いつかは變るべき、となり、
 
2448 烏玉《シラタマノ》。間開乍《アヒダアケツヽ》。貫緒《ヌケルヲモ》。縛依《クヽリヨスレバ》。後相物《ノチアフモノヲ》。
 
烏玉は、白玉《シラタマ》の誤なり、といふ説によるべし、○歌(ノ)意は、白玉の間々遠く明つゝ貰(キ)たるをも、其(ノ)緒を縛《クヽ》り依(セ)合(ハ)すれば、後にはその玉も依(リ)合ものを、なにしに吾(ガ)中をも、はるけきものとのみは、思ひ居む、となり、○以上四首は、玉に寄てよめるなり、
 
2449 香山爾《カグヤマニ》。雲位桁曳《クモヰタナビキ》。於保保思久《オホホシク》。相見子等乎《アヒミシコラヲ》。後戀牟鴨《ノチコヒムカモ》。〔頭註、【四首寄v雲、】
 
雲位桁曳《クモヰタナビキ》(桁の字、タナ〔二字右○〕とよむにや、棚の字の誤歟、と契冲は云り、姓氏録右京神別の下に、天(ノ)湯河|桁《タナノ》命とあるを、山城神別の下には、天(ノ)湯河板擧(ノ)命とあり、かゝれば桁(ノ)字、タナ〔二字右○〕と訓しこと明けしと云説あり、さることなり、)は、たゞ雲の※[雨/非]※[雨/微]《タナビキ》なり、さてこれまでは、於保保思久《オホホシク》をいはむ料の序なり、○於保保思久《オホホシク》は、おぼつかなくほのかなる意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2450 雲間從《クモマヨリ》。狹徑月乃《サワタルツキノ》。於保保思久《オホホシク》。相見子等乎《アヒミシコラヲ》。見因鴨《ミムヨシモガモ》。
 
歌(ノ)意かくれなし、
 
(91)2451 天雲《アマクモノ》。依相遠《ヨリアヒトホミ》。雖不相《アハズトモ》。異手枕《アタシタマクラ》。吾纒哉《アレマカメヤモ》。
 
天雲依相遠《アマクモノヨリアヒトホミは、天の雲と國土と、はるかに離れ隔りて、依合(フ)事の遠きよしのつゞけなるべし、○異手枕《アタシタマクラ》は、契冲云、思ふ人をおきて、こと人の手枕するをいへり、日本紀に、此(ノ)異(ノ)字、餘地等の字を、アタシ〔三字右○〕とよめり、字の如く、あだなる心にはあらず、といへるが如し、○吾纏哉は、アレマカメヤモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、妹が家と吾(ガ)居(ル)處と、天と地とのごとく、離れ隔りて遠くて、依相(フ)事は協はずとも、こと人の手枕をまきて宿むやは、今こそあれ、つひには依合て、一處に居むと思へば、其(レ)をたのみて、異なる心は露もたじ、となり、
 
2452 雲谷《クモダニモ》。灼發《シルクシタヽバ》。意遣《コヽロヤリ》。見乍爲《ミツヽシシヲラム》。及直相《タヾニアフマデニ》。
 
 本(ノ)二句は、齊明天皇(ノ)紀に、建(ノ)王かくれ給ひける時、天皇なげかせ給ひて、みよみませる大御歌に、伊磨紀那屡乎武例我禹杯爾倶謨娜尼母旨屡倶之多多婆那爾柯那皚柯武《イマキナルヲムレガウヘニクモダニモシルクシタタバナニカナゲカム》、とあるに同じ、○意遣(遣(ノ)字、舊本に追と作るは誤なり、今は拾穗本に從つ、)は、コヽロヤリ〔五字右○〕と訓べし、○見乍爲は、爲は居の誤なり、と岡部氏云り、ミツヽシヲラム〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、何につけても、なぐさむ事のなきに、せめて雲なりとも、いちじるくをかしくたちてあらば、其を見つゝ意を遣て、たゞにあふまでの慰にせむを、となり、
 
2453 春楊《ハルヤナギ》。葛|木〔○で囲む〕山《カヅラキヤマニ》。發雲《タツクモノ》。立座《タチテモヰテモ》。妹念《イモヲシゾモフ》。
 
(92)春楊《ハルヤナギ》は、枕詞なり、春の楊を鬘《カヅラ》きといふ意につゞきたり、楊を折て、鬘《カヅラ》にするをいへるなり、五(ノ)卷にも、波流楊奈宜可豆良爾乎利志烏梅能波奈《ハルヤナギカヅラニヲリシウメノハナ》、とよめり、○木(ノ)字、舊本になきは、脱たるなるべし、○妹念は、イモヲシソモフ〔七字右○〕とよむべし、○歌(ノ)意、本句は全序にて、立ても居ても忘るゝ間なく、妹が事のみをぞ、一(ト)すぢに思ふ、となり、
 
2454 春日山《カスガヤマ》。雲座隱《クモヰカクリテ》。雖遠《トホケドモ》。家不念《イヘハオモハズ》。公念《キミヲシソモフ》。
 
公念は、キミヲシソモフ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、家道の春日山は、雲にかくれて、はるかに遠く隔て來つれども、家のことは、さらに戀しくおもはず、ちかき君をのみぞ、一(ト)すぢに念ふ、となり、これは旅にある人の、旅宿などにて、人にあひてよめるなるべし、○以上六首は、雲に寄てよめるなり、
 
2455 我故《アガユヱニ》。所云妹《イハレシイモハ》。高山之《タカヤマノ》。岑朝霧《ミネノアサギリ》。過兼鴨《スギニケムカモ》。〔頭注、【一首寄v霧、】〕
 
高山之は、タカヤマノ〔五字右○〕と訓べし、(一(ノ)卷に、カグヤマ〔四字右○〕を、高山と書たることもあれど、こゝはなほタカヤマ〔四字右○〕なるべし、又之(ノ)字は、前後の書さまによるに、例にたがへり、後に加はれるにやあらむ、)○歌(ノ)意は、わがゆゑに、人にいひさわがれし妹は、それにうむじて、峯の朝霧の晴行ごとく、われを思ふおもひを過しやりて、忘れけむか、となり、と契冲云る如し、さて終に、さても情なやと云意をくはへて心得べし、四(ノ)卷に、山菅乃實不成事乎吾爾所依言禮師君者與敦可宿良(93)牟《ヤマスゲノミナラヌコトヲワレニヨリイハレシキミハタレトカヌラム》、○この一首は、霧に寄てよのるなり、
 
2456 鳥玉《ヌバタマノ》。黒髪山《クロカミヤマノ》。山草《ヤマスゲニ》。小雨零敷《コサメフリシキ》。益益所思《シクシクオモホユ》。〔頭註、【二首寄v雨、】
 
黒髪山《クロカミヤマ》は、七(ノ)卷にも見えたり、○山草は、山菅《ヤマスゲ》の誤なるべし、○零敷《フリシキ》は、零重る意なり、これまでは、重々《シク/\》をいはむ料の序にいへるなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2457 大野《オホヌラニ》。小雨被敷《コサメフリシク》。木本《コノモトニ》。時依來《トキ/”\ヨリコ》。我念人《》アガオモフヒト。
 
大野は、オホヌラニ〔五字右○〕と訓べし、○被敷はフリシク〔四字右○〕と訓がたし、本居氏、誤字ならむ、といへり、さもあるべし、○歌(ノ)意は、本は大野の中にて、小雨のふりしきるにあひて、路行人などの、一木の陰に集り來る意をもて、依來《ヨリコ》といはむための序とせるにて、吾(ガ)念ふ人の、吾(ガ)許にときどきに依り來よ、といへるなるべし、○以上二首は、雨に寄せてよめるなり、
 
2458 朝霜《アサシモノ》。消消《ケナバケヌベク》。念乍《オモヒツヽ》。何此夜《マツニコノヨヲ》。明鴨《アカシツルカモ》。〔頭註、【一首寄v霜、】
 
何此夜、本居氏、何《イカデ》と云て、鴨《カモ》と留ること、語とゝのはず、何は待の誤にて、マツニコノヨヲ〔七字右○〕云々とありつらむ、といへり、○歌(ノ)意は、身も心も、消失(セ)ば消失よと、切に思ひつゝ待居るに、そのかひもなくして、この夜を徒に開しなむか、さてもくるしや、となり、○この一首は、霜に寄てよめるなり、
 
2459 吾背兒我《ワガセコガ》。濱行風《ハマユクカゼノ》。彌急《イヤハヤニ》。急事|成〔○で囲む〕《ハヤコトナサバ》。益不相有《イヤアハザラム》。〔頭註、【一首寄v風、】
 
(94)初句は、假(リ)によみ絶《キリ》て、彌急《イヤハヤニ》の下に置て心得べし、と契冲がいへる如し、○濱行風は、行は吹の草書を誤れるにて、ハマフクカゼノ〔七字右○〕とありしならむ、(行にては、きこえがたし、)常さへあるに、濱吹(ク)風は、物の障りなくて、疾《トク》ふき過れば、彌急《イヤハヤ》をいはむ料の序とせり、○成(ノ)字、舊本になきは、脱たるなるべし、○益不相有は、イヤアハザラム〔七字右○〕なり、○歌(ノ)意は、吾(ガ)夫子よ、事をいそぎては、中中にさはりありて、こと成べからず、しばらく心をのどめて、時をまちたまへ、といへるにて、女のよめるなり、○この一首は、風に寄てよめるなり、
 
2460 遠妹《トホヅマノ》。振仰見《フリサケミツヽ》。偲《シヌフラム》。是月面《コノツキノオモニ》。雲勿棚引《クモナタナビキ》。〔頭註、【五首寄v月、】〕
 
偲《シヌフラム》は、吾(ガ)旅行を戀《シヌ》び思(フ)らむの意なるべし、○月面《ツキノオモ》、源氏物語須磨にも、月のかほのみまもられ給ふ、とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、旅にありて、家(ノ)妻を思ひてよめるなるべし、
 
2461 山葉《ヤマノハニ》。追出月《テリヅルツキノ》。端端《ハツハツニ》。妹見鶴《イモヲゾミツル》。及戀《ノチコヒムカモ》。
 
追出月は、岡部氏は、追は進の誤にて、サシヅルツキノ〔七字右○〕とよむべし、といへり、いかゞあらむ、本居氏は、追は照の誤にて、テリヅルツキノ〔七字右○〕なるべし、次下の歌、合(セ)考(フ)べし、といへり、是然るべし、○端端《ハツハツニ》、此(ノ)上、また七(ノ)卷にも、はつ/\と云に、小端と書り、契冲、衣をたつに、きぬのやうやうたれるを、はつ/\と常にいへり、絹布のはつるゝとも、又それをはつすとも云、みな端につき(95)ていへば、はつ/\、はつか、はつるゝ、もとはみなをなじ詞なるべし、といへり、さて山の端より、まだ半輪ばかりてり出たる月の、見ずもあらず見もせぬほどを、端端《ハツ/\》といへり、さて端《ハツ》かに妹を見つる、と云むための序とせり、○及戀は、本居氏、及は、後の誤にて、ノチコヒムカモ〔七字右○〕なり、上に、相見し子等を後戀牟鴨《ノチコヒムカモ》、とあり、といへり、○歌(ノ)意は、見ずもあらず見もせぬばかり、ほのかに妹が容貌をぞ見つる、嗚呼さても、今より後戀しく思はむか、となり、
 
2462 我妹《ワギモコシ》。吾矣念者《アレヲオモハバ》。眞鏡《マソカヾミ》。照出月《テリヅルツキノ》。影所見來《カゲニミエコネ》。
 
影所見來《カゲニミエコネ》は、略解に、此(ノ)影と云は、面影にはあらで、右のハツ/\ニ〔五字右○〕と云如く、ほのかにだにも見え來よ、と云なるべし、と云り、○歌(ノ)意は、吾妹子よ、吾をあはれに思ふとならば、山(ノ)端より照出る月の、端々《ハツ/\》に見え始る如く、ほのかにだにも見え來よ、と云なるべし、
 
2463 久方《ヒサカタノ》。天光月《アマテルツキモ》。隱去《カクロヒヌ》。何名副《ナニナソヘテ》。妹偲《イモヲシヌハム》。
 
隱去は、カクロヒヌ〔五字右○〕と訓べし、(カクレイヌ〔五字右○〕と訓は、いとわろし、)○何名副は、ナニニナソヘテ〔七字右○〕と訓べし、何になぞらへての意なり、○歌(ノ)意は、てる月の光を、見愛つゝ居ると人には云て、實は妹が戀しく思はるゝに堪かねて、外に出て居しに、やう/\その月も、西の山(ノ)端に隱れはてぬれば、今は何を見つゝ賞愛《ウツクシミ》して、内へもいらずに居ると、人に、なぞらへことよせていはむぞ、となり、
 
(96)2464 若月《ミカツキノ》。清不見《サヤニモミエズ》。雲隱《クモガクリ》。吾欲《ミマクゾホシキ》。宇多手比日《ウタテコノゴロ》。
 
宇多手《ウタテ》は、本より有(ル)ことの愈々進みて、殊に甚しくなるを云言にて、既く十(ノ)卷譬愉歌に、吾屋前之毛桃下爾月夜指下心吉菟楯頃者《ウガヤドノケモヽノシタニツクヨサシシタゴヽロヨシウタテコノゴロ》、とある歌につきて、委く註り、○歌(ノ)意は、相見まほしく思ふ妹を、三日月のかすかなるごとく、清《サヤ》かにも見えず、はつ/\に見しのみにて、はやかげを隱したる故に、このごろは愈進みて、殊に甚しくぞ見まほしき、といふなり、○以上五首は、月に寄せてよめるなり、
 
2465 我背兒爾《ワガセコニ》。吾戀居者《アガコヒヲレバ》。吾屋戸之《ワガヤドノ》。草佐倍思《クササヘオモヒ》。浦乾來《ウラガレニケリ》。
〔頭註、【十九首寄v草、】〕
 
歌(ノ)意は、契冲わがせこを、わがこひつゝをれば、草さへ我(ガ)心を知て、ともになげくやうに、うらがるゝ、となり、夏草の思ひしなへて、とよめるごとく、秋の未にも打しをるれば、物おもふ心より、かくはみるなり、といへり、本の三句は、竹をさくいきほひに、わがといふ詞のかさなれるが、おぼえずおもしろし、第四に、額田(ノ)王(ノ)歌に、君まつとわがこひをれば我やどの、簾うごかし秋の風ふく、とあるに、語勢相似たり、といへり、
 
2466 朝芽原《アサチハラ》。小野印《ヲヌニシメユヒ》。空事《ムナコトヲ》。何在云《イカナリトイヒテ》。公待《キミヲシマタム》。
 
本(ノ)二句の意は、淺茅生たる曠野原《アラノラ》に標繩《しめ》ゆふは、何の益《シルシ》なく、いたづら事なるこゝろにて、空事《ムナコト》といはむための序とせるなり、かれ序の意は、徒事《イタヅラコト》の由にいひかけ、空事《ムナコト》とうけたるう(97)へにては虚言《ムナコト》なり、此(ノ)下にも、淺茅原刈標刺而空事文所縁之君之辭鴛鴦將待《アサチハラカリジメサシテムナコトモヨセテシキミガコトヲシマタム》、十三に、淺茅原 小野爾標結空言毛將相跡令聞戀之名種爾《アサヂハラヲヌニシメユヒムナコトモアハムトキコセコヒノナグサニ》、などあり、○空事は、十二に空言とある、其(ノ)字(ノ)意なり、(事と書るは借《カリ》字なり、)さてこれをばムナコト〔四字右○〕と訓べし、(古來ソラゴト〔四字右○〕と訓來れども、大じきひがことなり、さるは廿(ノ)卷に、牟奈許等母於夜乃名多都奈《ムナコトモオヤノナタツナ》、と假字書の見えたる、これしか訓べき確據《タシカナルヨサドコロ》なり、牟奈《ムナ》とは、空虚《ムナ》しくして、實の無きをいふ言なり、(曾良《ソラ》は、蒼天《オホソラ》をのみ云
とにて、唯に虚しさを曾良《ソラ》といへること、古(ヘ)にはなきことなり、然るに、漢字の空虚の字は、蒼天のかたにも、又たゞ實のなくて、むなしきかたにもわたりて用ふるから、混《マギ》れて、中古より牟奈《ムナ》某と云べきを、曾良《ソラ》某といひしなり、ソラゴト、ソラメ、ソラネ、ソラギキ、ソラヨミ〔ソラゴ〜右○〕など云類のソラ〔二字右○〕某も、古言の例によりて、正しく云ときは、牟奈《ムナ》某と云べき理なり、されどこれら、ソラ〔二字右○〕某ととなへ誤りたる後にては、何とかせむ、牟奈《ムナ》某とのみとなへし古語を、後の言もて、然訓べきことわりにはあらずなむ、拾遺集物名に、むな車、枕册子に、月夜にむな車ありきたる、とある類は、古(ヘ)に叶へり、そも/\古は、虚空《ムナシ》き方には、空虚國《ムナクニ》、徒手《ムナテ》などいひ、蒼天《オホソラ》をいふには、天津空《アマツソラ》、虚津彦《ソラツヒコ》とやうにいひて、古言には、曾良《ソラ》と牟奈《ムナ》との差別《ケジメ》、きはやかに分りたるを、今までこのさだせし人のなきは、いかにぞや、○歌(ノ)意は、空言《ムナコト》とは、あしひきの山より出る月まつと人にはいひて君まつ吾を、とよめる類にて、虚言《ウソ》をこしらふるを云(ヘ)ば、その虚言《ウソコト》を、何事に(98)託《ヨソ》へて、人を欺きつゝ、君をば待むぞ、といへるなり、
 
2467 路邊《ミチノベノ》。草深百合之《クサフカユリノ》。後云《ユリニチフ》。妹命《イモガイノチヲ》。我知《アレシラメヤモ》。
 
後云は、ユリニチフ〔五字右○〕と訓べし、由理《ユリ》は、後《ノチ》と云に同じき古言なればなり、○我知は、アレシラメヤモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、後云《ユリニチフ》は、後(チ)にあはむといふ、と云義にて、そこは後(チ)にあはむといはるれども、はかなき露の命は、たのみがたきならひなれば、時を待つゝあらむに、そこの命の、いつまでもながらへむといふことを、われたしかに知てたのまむやは、されば、後までもなく、今の間にうけひきてよ、といふなるべし、
 
2468 湖葦《ミナトアシニ》。交在草《マジレルクサノ》。知草《シリクサノ》。人皆知《ヒトミナシリヌ》。苦裏念《ワガシタオモヒ》。
 
湖葦(湖(ノ)字、舊本に潮と作り、今は類聚抄に從つ、)は、ミナトアシニ〔六字右○〕と訓べし、○知草《シリクサ》は、契冲、藺《ヰ》のことなるべし、和名抄に、玉篇(ニ)云、藺(ハ)似v※[草がんむり/完](ニ)而細(ク)堅(シ)、宜v爲v席(ト)、和名|爲《ヰ》、辯色立成(ニ)云、鷺尻刺《サギノシリサシ》、まことに鷺の尻さしといひぬべき草なり、といへり、なほ品物解に云、さて是までは、知《シリ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3469 山萵苣《ヤマチサノ》。白露重《シラツユシゲミ》。浦經《ウラブルヽ》。心深《コヽロヲフカミ》。吾戀不止《ワガコヒヤマズ》。
 
山萵苣《ヤマチサ》は、契冲、常にちさの木といひならへるもの、是なり、といへり、(現存六帖に、足曳の山ちさの花露かけてさける色これ吾見はやさむ、この歌によりて、よめるものなるべし、)今按(フ)に、(99)この前後十八首、いつれも草に寄てよめるを思ふに、この山萵苣も草なるべし、なほ、品物解に云、○浦經《ウラブルヽ》は、契冲、しなえうらぶれとつゞけ、第七に、みわのひばらをうらぶれたてり、とよみみたれば、しをれて葉をたれたる心ときこゆ、こゝも、白露おもみうらぶれて|《と歟》つゞけるほどは、山ちさのしをれたるをいひて、ものおもふこゝろによせたり、といへり、○心深は、誤字なるべし、と本居氏は云う、○歌(ノ)意は、もとのまゝにて云ば、恍惚《ホレ/”\》と愁ひ憐む心の深さに、吾(ガ)戀しく思ふ事の止時なし、なみ/\の思ひならば、息(ム)間もあるべきに、との謂なり、いづれ第一二(ノ)句は序なり、
 
2470 潮《ミナトニ》。核延子菅不《ネバフコスゲノ》。竊隱《ネモコロニ》。公戀乍《キミニコヒツヽ》。有不勝鴨《アリカテヌカモ》。
 
潮は、湖の誤なり、ミナトニ〔四字右○〕なり、四言に訓べし、○核延子菅不は、本居氏、核は根の誤、不は之の誤にて、第二三(ノ)句、ネバフコスゲノネモコロニ〔ネバ〜右○〕なるべし、といへり、これに依べし、核は、拾穗本にも、はやく根と作り、○歌(ノ)意、第一二(ノ)句は序にて、深切《ネモコロ》に君を戀しく思ひつゝ、かくては在にも得堪ぬ哉、さてもかなしや、となり、
 
2471 山代《ヤマシロノ》。泉小菅《イヅミノコスゲ》。凡浪《オシナミニ》。妹心《イモヲコヽロニ》。吾不念《アガモハナクニ》。
 
泉《イヅミ》は、和名抄に、山城(ノ)觀相樂(ノ)郡水泉(ハ)、以豆美《イヅミ》、とある、これなり、○凡浪は、契冲、押靡《オシナミ》になり、すゝきおしなみふれる白雪、とよめるがごとし、それを、なみにおもはぬになしていへり、といへり、(100)さて菅の葉の、涌《ワキ》流るゝ泉水《イヅミ》に押(シ)靡かさるゝより、いひつゞけたるなるべし、○歌(ノ)意、これも第一二(ノ)句は序にて、なみ/\は思はぬことなるに、いかでか忘るゝ事のあるべき、淺き思ひならば、かくまで心を苦むる事は、あるまじきを、となり、
 
2472 見渡《ウマサケノ》。三室山《ミムロノヤマノ》。石穗菅《イハホスゲ》。惻隱吾《ネモコロアレハ》。片念爲《カタモヒゾスル》。
 
見渡は、略解云、打わたすと同じく、打向ひ見る意ともおもへど、猶|美酒《ウマサケノ》の誤にて、枕詞ならむ、○歌(ノ)意、本(ノ)句は、惻隱《ネモコロ》をいはむ料の序にて、吾は深切《ネムコロ》に片思をぞする、相思ふ中ならば、かくまで益なき事は、あるまじきをとなり、○註に、一云三諸山之石小菅、
 
2473 菅根《スガノネノ》。惻隱君《ネモコロキミガ》。結爲《ムスビテシ》。我※[糸+刃]緒《ワガヒモノヲヲ》。解人不有《トクヒトハアラジ》。
 
解人不有《トクヒトハアラジ》は、君をおきて、他に解(ク)人はあらじ、となり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2474 山菅《ヤマスゲノ》。亂戀耳《ミダレコヒノミ》。令爲乍《セシメツヽ》。不相妹鴨《アハヌイモカモ》。年經乍《トシハヘニツヽ》。
 
歌(ノ)意は、心も亂れて、戀しくのみ思はせつゝ、徒に年月を經て、あはぬ妹にてある哉、さてもつれなしや、となり、
 
2475 哉屋戸《ワガヤドノ》。甍子太草《ノキノシダクサ》。雖生《オヒタレド》。戀忘草《コヒワスレグサ》。見未生《ミレドイマダオヒズ》。
 
甍子太草《ノキノシグクサ》は、六帖にも、軒のしだ草とよめり、子太《シダ》は、草(ノ)名なるべし、今も齒朶《シダ》と云て、山に生るもの有(リ)、されどをはときはにて、古き軒端などに生るものにはあらず、一種山に生る齒朶に(101)似て、小くて濕地に生るものあり、古き軒などにも、たま/\は生ることあるべし、(契冲は、軒の下草として、しのぶ草なり、和名抄に、本草(ニ)云、垣衣、一名烏韮、和名|之乃布久佐《シノブクサ》、又云、蘇敬本草(ノ)註(ニ)云、屋遊(ハ)屋瓦上(ノ)青苔衣也、和名|夜乃宇倍乃古介《ヤノウヘノコケ》、とあるを引て、此(ノ)歌は、人を、こひしのぶ心を、草の名にもたせたるなり、といへれど、いかゞ、子太《シダ》と太の濁音の字を書たるをも思へば、下草にはあらじとぞおもふ、)○歌(ノ)意は、由縁《ヨシ》なき子太《シダ》草は、生しげりたれど、戀をわするゝ忘草は、もし生むかと見れど未(ダ)生ず、といへるにて、益《シルシ》なき思ひのみいやまさりて、いまだえわすれぬといふ車を、もたせたるなるべし、(略解に、しだと云言を、したふ意に取なしてよめるかと、或人はいへり、といへり、いかゞあらむ、)
 
2476 打田《ウツタニモ》。稗數多《ヒエハアマタニ》。雖有《アリトイヘド》。擇爲我《エラエシアレゾ》。夜一人宿《ヨルヒトリヌル》。
 
歌(ノ)意は、稗は、稻の苗にまじりてあるものなるを、其を共に殖るときは、稻をそこなふ故に、擇《エラビ》ぬきてすつるものなり、さて田夫《タビト》の稻苗を殖る時に、稗のあるを、ことごとにえりぬきて、捨る事を得せざる故に、なほその打かへして殖る田にも、稗は多くまじりてありといふを、我のみぞ、ふつに人にえり捨られて、夜ひとりねをするがわびしき、といふなるべし、十二に、水乎多上爾種蒔比要乎多擇擢之業曾吾獨宿《ミヅヲオホミアゲニタネマキヒエヲオホミエラエシワザゾアガヒトリヌル》、とあるに似たる歌なり、
 
2477 足引《アシヒキノ》。名負山菅《ヤマノヤマスゲ》。押伏《ネモコロニ》。公結《キミシムスババ》。不相有哉《アハザラメヤモ》。
 
(102)名負山菅は、契冲、これは、もとより山菅といふ名なれば、足引の名に負といへり、と云れど、いさゝか穩ならぬやうなり、今按(フ)に、足引と云こと、云なれて後は、即(チ)山の事として、やがて足引とて、石《イハ》とも木とも嵐とも、つづけたる事多し、されば此《コヽ》は、足引の名(ニ)負とは、即(チ)山と云ことなれば、義を得て、ヤマノヤマスゲ〔七字右○〕と訓べきにや、(本居氏は名負は、必誤字なるべし、といへり、)○押伏は、押は根の誤にて、ネモコロニ〔五字右○〕なるべし、と本居氏云り、○歌(ノ)意は、第一二(ノ)句は序にて、深切《ネモコロ》に結び堅めて、君が約《チギ》り賜はゞ、つひにあはずあらむやは、後にはあふべきなれば、其をたのみにせむを、いかで變らねやうに、約をかはしたまへかし、となり、
 
2478 秋柏《アキカシハ》。潤和|川邊《カハヘノ》。細竹目《シヌノメノ》。人不顔面《ヒトニシヌヘバ》。公無勝《キミニタヘナク》。
 
秋柏は、下に出せる歌には、朝柏とかけり、ともにアキカシハ〔五字右○〕と訓べし、品物解に註(ヘ)り、第二(ノ)句は誤字あるべし、其(ノ)謂は、別に枕詞解に、委しく註したりき、○潤和川邊、未(ダ)思ひ得ず、契冲代匠記に、閏八川邊、むかしより、かむがふるところなし、拾芥抄を見るに、中の未、宮城(ノ)部を亘る中に、諸院と標して、八省院、豐樂院等を次第に出して、終に至りて云、紙屋院、(圖書(ノ)別所、在2野宮(ノ)未(ニ)1、)漆室、(内匠(ノ)別所、今荒廢、)在2上西門(ノ)北脇(ニ)1、(これのみ院の字なきは落たるか、しかれども圖もまた此まゝなり、)鷹屋院(在2紙屋(ノ)北(ニ)1、人不v出v之云々、)今荒廢、此中に、もし漆室をヌルヤ〔三字右○〕と讀歟、氏に漆部《ヌリベ》あり、うるしは塗る物なるゆゑなり、室をヤ〔右○〕とよむは、文屋を文室とも書(ケ)ばなり、紙屋院は、(103)紙屋川なれば、漆室も、昔(シ)都とならざる時、ぬるや川有ける所にもやと、書付侍り、といへり、なほ考べし、(○定家(ノ)卿、よる出て《夏果て夫木如此》ぬるや川邊のしのゝめに袖ふきかふる秋の初風、今の歌によられたり、)〔頭註、【枕詞解一卷云、潤和、閏八、ともに疑しきに就て、按に、和八は、共に字の寫誤にて、本は潤比とありけむをはやく誤り傳へたるにはあらじか、さるは和名抄に、上總國市原郡濕津(字留比豆)といふ郷名も見えたれば、宇留比河てふ川も、有しにこそと思はるればなり、もしこの閏比河が、彼濕津と同所ならむとせば、宇留比といふが本の地名にて、其所の河を宇留比河といひ、さて其河津に因て、宇留比津と呼る地名にや有むとも思はるゝなり、再按、寶永年間梓行ありし、東海道驛路鈴と云ものに、駿河國吉原驛より、蒲原驛までての間に、うるか河歩渡、此水大宮淺間の御手洗より漏出る、とあり、これ宇留比河ならむか、更に尋ぬべし、】〕○細竹目《シヌノメ》は、細竹之群《シヌノメ》なり、不顔面《シヌフ》といはむ料の序なり、○人不顔面は、ヒトニシヌヘバ〔七字右○〕と訓べし、○公無勝は、キミニタヘナク〔七字右○〕なり、○歌(ノ)意は、本(ノ)句は序にて、人目をしのびかくるれば、あふことのならぬ故に、公を戀しく思ふ心のたへられず、さりとてほに出むも、さすがにおもはゆげなれば、いかにともせむかたなきものを、と云なるべし、此(ノ)下に、朝柏《》閏八|河邊之小竹之眼笶思而宿者夢所見來《アサカシハカハヘノシヌノメノシヌヒテヌレバイメニミエケリ》、
 
2479 核葛《サネカヅラ》。後相《ノチハアハムト》。夢耳《イメノミニ》。受日度《ウケヒワタリテ》。年經乍《トシハヘニツヽ》。
 
核葛《サネカヅラ》は、まくら詞なり、五味子《サネカヅラ》の葛《ツル》のはひわかれて、未にて又ゆきあふ意に、いひかけたり、○歌(ノ)意は、今こそあれ、後にはあはむと、神に誓ひて、たゞ夢に見るばかりにて、其をたのみに思ひつゝ、年月を經度れども、つひにあふ事もなし、となり、
 
2480 路邊《ミチノベノ》。壹師花《イチシノハナノ》。灼然《イチシロク》。人皆知《ヒトミナシリヌ》。我戀〓《アガコフルツマ》。
 
(104)壹師花《イチシノハナ》、未(タ)詳ならず、契冲、雄略天皇(ノ)紀に、蓬累此云2伊致寐姑《イチビコト》1、とあるを引たれど、蓬累《イチビ》とは別なるべし、(伊勢の壹師(ノ)郡も、此物より云か、と岡部氏云り、)これは灼然《イチシロク》とつゞけむための序なり、○〓(ノ)字、拾穗本には※[女+麗]と作り、○歌(ノ)意は、吾(ガ)戀しく思ふ女ぞと云ことを、此頃は世(ノ)人が皆いちじるく知ぬれば、今はしのびてもかひなし、となり、(現在六帖に、たつたみもころもで白しみちのべのいちしの花の色にまがへて、)○註に、或本歌云、灼然人知爾家里繼而之念者、
 
2481 大野《オホヌラニ》。跡状不知《タヅキモシラズ》。印結《シメユヒテ》。有不得《アリゾカネツル》。吾眷《アガコフラクハ》。
 
吾眷は、アガコフラクハ〔七字右○〕と訓べし、眷は戀と通(ハシ)用たり、下に至りて委(ク)註《イフ》べし、○歌(ノ)意は、とりとめもなき大野の原に、標繩ゆひまはしたるごとく、無益なる戀を爲《シ》はじめて、わがこふることは、あるにもあられぬことになりぬるよ、と云なるべし、
 
2482 水底《ミナソコニ》。生玉藻《オフルタマモノ》。打靡《ウチナビキ》。心依《コヽロヲヨセテ》。戀比日《コフルコノコロ》。
 
比(ノ)字、舊本に、此と作るは誤なり、今は古寫本、拾穗本に從つ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2483 敷栲之《シキタヘノ》。衣手離而《コロモテカレテ》。玉藻成《タマモナス》。靡可宿濫《ナビキカヌラム》。和乎待難爾《ワヲマチカテニ》。
 
歌(ノ)意は、吾(ガ)行至らぬ間を、待に得堪ずして、玉藻の如く靡きて、妹が獨宿すらむか、と思ふがいとほし、となり、○以上十九首は、草に寄てよめるなり、
 
2484 君不來者《キミコズハ》。形見爲等《カタミニセヨト》。我二人《アトフタリ》。植松木《ウヱシマツノキ》。君乎待出牟《キミヲマチデネ》。
 
(105)我二人《アトフタリ》は、其(ノ)君と我と二人して、と云なり、三(ノ)卷に、大伴卿、與妹爲而二作之吾山齋者木高繁成家留鴨《イモトシテフタリツクリシアガシマハコダカクシゲクナリニケルカモ》、○牟は、本居氏云、年の誤なり、○歌(ノ)意は、もしさはる事ありて、得來らぬ時は、吾(カ)形見に見よと君が云て、我(ト)二人殖置し松の木よ、そのまつと云名の如く、いかで君を待つけよかし、となり、
 
2485 袖振《ソテフルガ》。可見限《ミユベキカギリ》。吾雖有《アレハアレド》。其松枝《ソノマツガエニ》。隱在《カクリタルラム》。
 
其松枝《ソノマツガエ》は、契冲、上の歌によめる松をさせり、といへり、○歌(ノ)意は、妹が袖ふりて、吾を招くが見ゆべき道(ノ)程をはかりて、その道の限に留りて、妹が方を見やれど、袖ふるが見えぬは、その松枝《マツガエ》に隱れてあるらむ、となり、女の許よりかへる時、男のよめる歌なり、
 
2486 珍海《チヌノウミノ》。濱邊小松《ハマヘノコマツ》。根深《ネフカメテ》。吾戀度《アガコヒワタル》。人子※[女+后]《ヒトノコユヱニ》。
 
珍海《チヌノウミ》は、和泉(ノ)國血沼(ノ)海なり、○※[女+后](ノ)字、上にいへり、○歌(ノ)意は、第一二(ノ)句は序にて、他妻《ヒトヅマ》にてあれば、いかに思ひても、かひなき事なるに、心深く戀しく思ひて、月日を經度るよ、となり、
〔或本歌云。血沼之海之《チヌノウミノ》。鹽干能小松《シホヒノコマツ》。根母己呂爾《ネモコロニ》。戀屋度《コヒヤワタラム》。人兒故爾《ヒトノコユヱニ》。〕
 
2487 平山《ヒラヤマノ》。子松末《コマツカウレノ》。有廉敍波《ウレムゾハ》。我思妹《アガモフイモニ》。不相止者《アハズヤミナム》。
 
有廉飯《ウレムゾ》は、何《ナム》ぞと云に同じ、既く三(ノ)卷にいへり、○者(古寫本、拾穗本等には、看と作り、)は、岡部氏の、甞の誤なり、と云るによるべし、○歌(ノ)意は、これも第一二(ノ)句は序にて、かくまで深く思ふ妹(106)に、何ぞあはずしては止なむ、となり、
 
2488 礒上《イソノヘノ》。立回香瀧《タテルムロノキ》。心哀《ネモコロニ》。何深目《イカデフカメテ》。念始《オモヒソメナム》。
 
立回香瀧は、未(ダ)詳ならず、(舊本に、タチマフタキ〔六字右○〕とよめるは論(フ)に足(ラ)ず、契冲、これをワカマツ〔四字右○〕とよみて、瀧は※[木+龍]に作るべし、※[木+龍]は※[片+怱]也とあり、清濁を通はして、雉を岸にかり用たる例あれば、的のごとくによみ、それを登《ト》と都《ツ》と通へば、松《マツ》となる、上|を《の歟》回香につゞくれば、若松《ワカマツ》なり、高圓を高松とかきたれば、穿鑿といふべからず、といへり、十四に、伊波保呂乃蘇比能和可麻都可藝里登也《イハホロノソヒノワカマツカギリトヤ》云々、とあれば、若松《ワカマツ》といふまじきにはあらねど、※[木+龍](ノ)字は、あまりにもの遠しとやいふべからむ、且《ソノウヘ》回は、浦回、礒回などかけるをウラワ、イソワ〔六字右○〕と訓來れど、其は古言ならぬ事、既くかたがた云る如し、されば回をワ〔右○〕と訓べきにあらぬをや、〉岡部氏(ノ)説に、集中に、吾妹子が見し鞆の浦の天木香樹《ムロノキ》は、と書し類にて、これも回香樹《クワイカウジユ》にて、むろの木にはあらずや、といへるは、よしあり、(但し天木香樹と書るも、回香樹と書るも、其(ノ)所由は詳ならねども、古(ヘ)所據ありてムロ〔二字右○〕にあてし字にこそあらめ、いづれにまれ、君不來者形見爲等《キミコズバカタミニセヨト》云々、といふ歌より、此次の歌まで六首、みな木によせてよみたれば、この歌のみ、瀧なるべきよしなければ、木(ノ)名をよめる歌なるべし、)故(レ)字はもとのまゝにさしおきて、しばらくタテルムロノキ〔七字右○〕とよみつ、○心哀は、十二に、豐國聞濱松心喪《トヨクニノキクノハママツネモコロニ》云々(略解に、春海云、喪は、衷の誤なるべし、字書に、衷(ハ)誠也、とあ(107)れば、心衷を義もてネモコロニ〔五字右○〕と訓べしといへり、と見えたり、)とあるを合(セ)考(フ)るに、共に、心衷にて、ネモコロニ〔五字右○〕なるべし、さて十二なるは、松の根といひかけ、こゝは回香樹《ムロノキ》の根とかゝれるなるべし、室《ムロ》の樹は、根延(フ)むろのきなどもよみて、根によしあるものなれば、此(ノ)くさりあること勿論《サラ》なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2489 橘《タチバナノ》。本我立《モトニアレタチ》。下枝取《シヅエトリ》。成哉君《ナリヌヤキミト》。問子等《トヒシコラハモ》。
 
問子等が、トヒシコラハモ〔七字右○〕とよみて、波母《ハモ》は、歎息《ナゲキ》の辭にて、尋(ネ)慕ふ意あり、古事記景行天皇(ノ)條に、斗比斯岐美波母《トトヒシキミハモ》、此(ノ)集三(ノ)卷に、如是耳有家類物乎芽草花咲而有哉跡問之君波母《カクノミニアリケルモノヲハギガハナサキテアリヤトトヒシキミハモ》、又、阿倍乃市道爾相之兒等羽裳《アベノイチヂニアヒシコラハモ》、此(ノ)卷(ノ)下に、情中之隱妻波母《コヽロノウチノコモリヅマハモ》、又、不飽八妹登問師公羽裳《アカジヤイモトトヒシキミハモ》、十二に、消者共跡云師君者母《ケナバトモニトイヒシキミハモ》、十四に、安乎思努布良武伊敝乃兒呂波母《アヲシヌフラムイヘノコロハモ》、廿(ノ)卷に、伊都伎麻左牟等登比之古良波母《イツキマサムトトヒシコラハモ》、などある、皆同じ、此(ノ)餘にも、なほ多し、○歌(ノ)意は、契冲、これは橘の實のなりぬやといふを、戀の成就するによそへたるなり、我(レ)立は、女の身の我なり、下枝取(リ)は、下枝をとりてしめすなり、おもふことのかなひて相見しときに、今こそは成たれといひし女の、後はあひみぬを、いづらやと尋ねてよめる心なり、問しは、いひしなりといへるが如し、但し末(ノ)句の意は、なりぬやいかにと問し、といふなるべし、○以上六首は、木に寄てよめるなり、
 
2490 天雲爾《アマクモニ》。翼打附而《ハネウチツケテ》。飛鶴乃《トブタヅノ》。多頭多頭思鴨《タヅタヅシカモ》。君不座者《キミシマサネバ》。〔頭註、【三首寄v鳥、】〕
 
(108)本(ノ)二句は、古今集に、白雲にはねうちかはし、とよめるに似たり、○飛鶴乃《トブタヅノ》、此(レ)までは、多頭多頭思《タヅタヅシ》といはむ料の序なり、○多頭多頭思《クヅタヅシ》は、契冲、たど/\しにて、おぼつかなく、心のおちつかぬ意なり、といへり、四(ノ)卷に、草香江之入江二求食蘆鶴乃痛多頭多頭思友無二指天《クサカエノイリエニアサルアシタヅノアナタヅタヅシトモナシニシテ》、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2491 妹戀《イモニコヒ》。不寐朝明《イネヌアサケニ》。男爲鳥《ヲシドリノ》。從是此度《コヨトビワタル》。妹使《イモガツカヒカ》。
 
從是此度は、此の飛の誤なり、と岡部氏の云るぞよろしき、コヨトビワタル〔七字右○〕と訓べし、從是《コヨ》は、此間《コヽ》を、或は、此間《コヽ》にと云が如し、○歌(ノ)意は、契冲、をし鳥は、雌雄あひおもふ鳥なれば、我(ガ)戀あかしたる朝に、こゝにしもわたりくるは、おなじこゝろにこひあかしたる妹が心を、つたふる使かとなり、といへり、鳥を使と云ること、古事記允恭天皇(ノ)條、輕(ノ)太子(ノ)御歌に、阿麻登夫登理母都加比曾多豆賀泥能岐許延牟登岐波和賀那斗波佐泥《アマトブトリモツカヒソタヅネノキコエムトキハワガナトハサネ》、此集十五に、安麻等夫也可里乎都可比爾衣弖之可母《アマトブヤカリヲツカヒニエテシカモ》、奈良能彌夜許爾許登都礙夜良武《ナラノミヤコニコトツゲヤラム》、などあり、
 
2492 念《オモフニシ》。餘者《アマリニシカバ》。丹穗鳥《ニホドリノ》。足沾來《アシヌレコシヲ》。人見鴨《ヒトミケムカモ》。
 
歌(ノ)意は、足ぬれ來しといはむために、丹穗鳥のとはいへるにて、雨ふりし後《アト》の道をば、ゆかでもやみなむとためらへど、猶おもひあまりて、歩にて足ぬれ來しなれば、人もかゝるけしきをあやしみて、それと見あらはしけむか、嗚呼うしろめたしや、となり、十(ノ)卷七夕の歌にも、天(109)河足沾渡《アマノカハアシヌレワタリ》、とよめり、にほどりは、おなじ水鳥|の岸に《本ノマヽ》もしばし水をはなれねば、あしぬるゝにつゞけたるなるべし、と契冲はいへり、本居氏は、沾は脳の誤にて、アナヤミコシヲ〔七字右○〕ならむか、十四に、安奈由牟古麻能《アナユムコマノ》、とよみたるを思ふべし、といへり、(水鳥陸行とか、から人のいふこともあめれば、これもよしある考(ヘ)か、)○以上三首は、鳥に寄てよめるなり、
 
2493 高山《タカヤマノ》。峯行宍《ミネユクシヽノ》。友衆《トモヲオホミ》。袖不振來《ソテフラズキヌ》。忘念勿《ワスルトオモフナ》。〔頭註、【一首寄v獣、】〕
 
岑行完《ミネユクシヽ》(完は宍なり、古書に、宍を多くは完と作り、宍は肉にて、鹿猪に借てかけるなり、)は、岑行鹿猪《ミネユクシヽ》なり、(友衆といふこと似つかはしからねば、雁なるべし、と本居氏はいはれしかど、鹿も群(レ)行こともあるものなれば、猶宍なるべし、と中山(ノ)嚴水いへり、契冲も、後の歌に、鹿のむら友などもよめり、群の多きものなればなり、といへり、)○歌(ノ)意は、本(ノ)二句は、友を多みといはむ料の序のみにて、友どちの多きが故に、人目を憚りて、思ふ心はあれども、袖ふらずかへり來しと、女のもとよりかへりて後、男のよみておくれるなるべし、袖振《ソテフル》は、上にも、袖ふるが見ゆべきかぎり云々、とよみて、男も女も、遠き間《ホド》まで袖打ふりまねくさまして、思ふ心をしめすは、古(ヘ)の常なり、○この一首は、獣に寄てよめるなり、
 
2494 大船《オホブネニ》。眞※[楫+戈]繁拔《マカヂシヾヌキ》。※[手偏+旁]間《コグマダニ》。極太戀《ネモコロコヒシ》。年在如何《トシニアラバイカニ》。〔頭注、【一首寄v船、】
 
※[手偏+旁]間は、コグマダニ〔五字右○〕と訓べし、※[手偏+旁]は榜と同じ、○極太は、ネモコロと〔四字右○〕よむこと、既く此(ノ)上にいへ(110)るが如し、○歌(ノ)意は、大船の眞※[楫+戈]しゞぬきて、こぐばかりの間も、わすれがたく、かへす/”\思はるゝを、もしさはることありて、あひ見ぬこと一年もあらば、いかにかあらむ、となり、○この一首は、船に寄てよめるなり、
 
2495 足常《タラチネノ》。母養子《ハヽガカフコノ》。眉隱《マヨゴモリ》。隱在妹《コモレルイモヲ》。見依鴨《ミムヨシモガモ》。〔頭註【一首寄v蠶、】〕
 
足常は、タラチネノ〔五字右○〕と訓べし、常はチネ〔二字右○〕に借たり、このことはやくいひたりき、○眉隱《マヨゴモリ》は、老蠶《ヒヽル》の※[爾/虫]《マユ》の内に圍《ツヽマ》れ隱《コモ》れるを云、眉はマヨ〔二字右○〕と訓べし、(古言には、マユ〔二字右○〕といへること一(ツ)もなし、)○歌(ノ)意は、本(ノ)句は序のみなり、隱れる妹とは、深※[窗/心]《オクトコ》の内にかくれ居て、人に見えぬ女をいへば、いかでそのかくれゐたる女を、見むよしもがなあれかし、とねがへるなり、十二に、垂乳根之母我養蠶乃眉隱馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿異母二不相而《タラチネノハヽガカフコノマヨゴモリイブセクモアルカイモニアハズテ》、十三長歌にも、帶乳根笶母之養蠶之《タラチネノハヽノカフコノ》、眉隱氣衝渡《マヨゴモリイキヅキワタリ》云々、などよめり、○この一首は、蠶に寄てよめるなり、
 
2496 肥人《ウマヒトノ》。額髪結在《ヌカカミユヘル》。染木綿《シメユフノ》。染心《シミニシコヽロ》。我忘哉《アレワスレメヤ》。〔頭註、【一首寄2木綿1、】〕
 
肥人は、契冲、うま人は、高貴富有のよき人なり、良家君子※[手偏+晉]紳、これらを日本紀に、ウマヒト〔四字右○〕とよめり、又五(ノ)卷に、帥大伴(ノ)卿の家にて、みな人のよみける、三十二首の梅の歌の中の、作者の名にも、少令史田氏肥人あり、鳥も魚も獣も、肉の肥たるは、うまきことわりなり、今の本には、コマ〔二字右○〕人とよめり、高麗人なるべし、いかでコマヒト〔四字右○〕とはよめりけむ、今朝鮮(ノ)人のわたりくるを(111)見るに、いたくふつゝかにこえふとりたるがおほければ、その人をもてよめりけむ、たゞウマヒト〔四字右○〕にしたがふべし、といへり、(今按、中古肥人書と云ものあり、肥人とは、肥前、肥後の國の人をいへることゝおぼえたれば、こゝの肥人には、あづからぬ事なるべし、然るを平田(ノ)篤胤が、肥人書のことを論へる因に、今の歌を引て、肥人はヒノヒト〔四字右○〕と訓べし、即(チ)肥(ノ)國人のことなり、ウマヒト〔四字右○〕と訓説は、非言なり、といへるは、中々に謾なり、紀人《キヒト》、吉備人《キビヒト》などやうに、多くいひて、紀の人、吉備の人とやうに云ることかつてなし、また難波人《ナニハヒト》、安太人《アダヒト》、或は韓人《カラヒト》、新羅人《シラキヒト》などいふも同じ、何(レ)もの〔右○〕の言を云る例なし、肥(ノ)國人ならぬこと、著きをや、)○額髪は、ヌカカミ〔四字右○〕と訓べし、其證は、和名抄に唐※[韵の旁](ニ)云、※[髪頭/首](ハ)額前髪也、俗(ニ)云|奴加加美《ヌカカミ》、と見えたり、(俗云といへれど、俗にはあらず、枕册子に、ひたひ髪ながやかに、おもやうよき人の云々、ひたひ髪もしとゞになきぬらし、狹衣に、ひたひの髪のゆら/\とかゝりこぼれ給へる云々、などあるは、やゝ後の稱ならむ、)わが古(ヘ)は、男も髪を額に結たりとおぼえたり、さて中山(ノ)嚴水、額は古(ヘ)は、奴加《ヌカ》といへりしなり、和名抄に、額を比太比《ヒタヒ》とあれども、そは後のことならむ、さてひたひてふこと、和名抄に、容飾(ノ)具の中に、蔽髪、釋名(ニ)云、蔽(テ)2髪前(ヲ)1爲v飾(ト)、和名|比多飛《ヒタヒ》、とあり、此(ノ)訓|移轉《ウツリ》て、額の訓となりしにや、といへり、さもあるべし、(枕册子に、御ひたひあげさせ給へる際次《サイジ》に、御わけめの御ぐしの、いささかよりてしるく見えさせ給ふなど云々、新古今集に、后に立給ひけるとき、冷泉院の后宮(112)の、御ひたひを奉り給ひけるを、出家のとき返し奉り給ふとて、東三條院、そのかみの玉のかざしを打かへし今は衣のうらをたのまむ、とあるなどは、いはゆる蔽髪なるべし、)○染木綿は、シメユフノ〔五字右○〕と訓べし、さて古今集に、濃紫わがもとゆひ、とよめるごとく、染たる木綿もて、額髪《ヌカガミ》をゆひしならむ、木綿もて髪を結しことは、十三に、蜷腸香黒髪丹《ミナノワタカグロキカミニ》、眞木綿持阿邪尼結垂《マユフモチアザネユヒタリ》云々、とあり、さてこれまでは、染心《シミニシコヽロ》といはむための序なり、○染心は、シミニシコヽロ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、一度心の染着て、深く思(ヒ)入にしものを、二度忘るゝ事のあらむやは、となり、○舊本註に、一云所忘目八方、○この一首は、木綿に寄てよめるなり、
 
2497 早人《ハヤヒトノ》。名負夜音《ナニオフヨコヱ》。灼然《イチシロク》。吾名謂《アガナハノリツ》。※[女+麗]恃《ツマトタノマセ》。〔頭註、一首寄2早人1、〕
 
早人《ハヤヒト》は、隼人《ハヤヒト》なり、延喜式に、隼人司式あり、○名負夜音《ナニオフヨコヱ》は、灼然《イチシロク》をいはむ料なり、神代紀(ノ)下海宮(ノ)條に、是以火酸芹(ノ)命(ノ)苗裔《スヱ》諸(ノ)隼人等《ハヤヒトラ》、至今《イマモ》不《ズ》v離《サラ》2天皇宮牆之傍《ミカキノモト》1、代2吠《カハリホエテ》狗《イヌニ》1而|奉事者《ツカヘマツレリ》也、と見えて、大甞會式に、十一月卯日平明云々、隼人司※[攣の手が十]2隼人1、分立2左右(ニ)1、朝集堂(ノ)前、待v開v門乃發v聲(ヲ)、とありて、其(ノ)發聲のいちじるきよしもて、いひつゞけたり、○歌(ノ)意はかくれもなし、かく打出して、いちじるくまぎれもなく、今は我(ガ)名をのりつれば、いでや妻とおもひたのみてよ、と云なり、末(ノ)句は、アガナハノリツツマトタノマセ〔アガ〜右○〕と訓むべし、(本居氏の説に、吾は、君の誤なり、キミガナノラセツマトタノマム〔キミ〜右○〕なりといへるは、わろし、)○この一首は、隼人に寄てよめるなり、
 
(113)2498 釼刀《ツルギタチ》。諸刃利《モロハノトキニ》。足蹈《アシフミテ》。死死《シニヽモシナム》。公依《キミニヨリテバ》。〔頭註、【二首寄v劔、】
 
諸刃利《モロハノトキニ》、契冲、和名抄に、四聲字苑云、似v刀(ニ)而兩刃(ナルヲ)曰v劔(ト)、といへる如く、兩刃《モロハ》の劔なりといへる如し、但し上古は、都流岐《ツルギ》といひ、多知《タチ》といへる、皆|兩刃《モロハ》なり、劔刀《ツルギタチ》といひ、劔《ツルギ》の刀《タチ》といへる、皆一(ツ)物なち、刀劔の字に泥むべからず、故(レ)釼刀諸刃《ツルギタチモロハ》とはいへるなり、○歌(ノ)意は、君がためといはゞ、たとひ兩刃《モロハ》の利《ト》きつるぎをふみて死《シニ》すとも、辭《イナ》とは云(ハ)じ、となり、下に、つるぎたちもろはのうへにゆきふれてしにかもしなむこひつ>あらずは、さて又、あふことはかたなのはをもあゆむかな人の心のあやぶまれつゝ、といふ歌も、こゝろはことなれど、此(ノ)歌をもてよめるなるべし、又第四(ノ)卷に、大舟をこぎのすすみに岩にふれかへらばかへれ妹によりてば、これまたこゝろいまの歌に似たり、と契冲云りき、
 
2499 我妹《ワギモコニ》。戀度《コヒシワタレバ》。劔刀《ツルギタチ》。名惜《ナノヲシケクモ》。念不得《オモヒカネツモ》。
 
劔刀《ツルギタチ》(刀(ノ)字、舊本に、刃と作るは誤なり、拾穗本、古寫一本等に從つ、)は、枕詞なり、既く四(ノ)卷に出て、委(ク)註り、(契冲が刀には、鍛冶の名を彫つくる故、名《ナ》とつゞくるなり、と云るは非ず、)○歌(ノ)意は、常は名の惜まるゝことなるに、そのをしさも忍《ネム》じかねてあはれ妹にあふよしもがなと、名をすてゝ戀しく思ひつゝ、月日を經度ることよ、となり、○以上二首は、劔に寄てよめるなり、
 
2500 朝月日《アサヅクヒ》。向黄楊櫛《ムカフツゲクシ》。雖舊《フリヌレド》。何然公《ナニシカキミガ》。見不飽《ミルニアカザラム》。〔頭註、【一首寄v櫛、】
 
(114)朝月日《アサヅクヒ》は、契冲、朝月日と書たれども、唯朝日なり、朝月夜とよめるは、朝まで月のてるなり、夕づくひも、また唯夕日にて、夕づく夜は月夜なり、心を付べし、延喜式の祝詞にも、朝日の日むかひなどいへるごとく、朝つく日は、むかふにめでたきものなれば、向ふといはむとて、朝づく日とはいへり、といへり、今按(フ)に、朝《アサ》づく日《ヒ》、夕《ユフ》づく日《ヒ》を、月日とかけるは、月は借字なることさらにて、朝附日《アサヅクヒ》、夕附日《ユフヅクヒ》と云ことなり、朝月夜《アサヅクヨ》、夕月夜《ユフヅクヨ》など云は、月のことなれば、月は借(リ)字にあらず、實字なり、しかるを契冲が、某|月夜《ヅクヨ》と云を、某づく日《ひ》と云事に引たるは、いさゝか、いひざままぎらはしきことなり、○向黄楊櫛《ムカフツゲクシ》は、すべて櫛の齒は、わが頭髪の方へ向へさすものなれば、いふなるべし、○歌(ノ)意は、朝な/\とりて、向へさす黄楊櫛の、もてならしてふるびたる如くに、年經てふるめきたる君なれば、いとはるゝ方もあるべきに、さらにさやうの心は露思はず、なにしかいつもめづらしく、あく世なく、かくばかりうるはしく思はるらむ、となり、○この一首は、櫛に寄てよめるなり、
 
2501 里遠《サトトホミ》。〓浦經《コヒウラブレヌ》。眞鏡《マソカヾミ》。床重不去《トコノヘサラズ》。夢所見與《イメニミエコソ》。〔頭註、【二首寄v鏡、】〕
 
〓浦經(〓は、眷の減畫なり、)は、コヒウラブレヌ〔七字右○〕と訓べし、下に、里遠戀和備兩家里眞十鏡面影不去夢所見社《サトトホミコヒワビニケリマスカヾミオモカゲサラズイメニミエコソ》、とあるによるべし、且眷(ノ)字を、コヒ〔二字右○〕とよむ例は、此(ノ)上に、大野《オホヌラニ》云々|吾眷《アガコフラクハ》、とあり、これコヒ〔二字右○〕とよむゆゑはしらねども、此(ノ)處と合せて、戀(ノ)字を書べき所に、通(ハシ)用たるを知べし、(115)もしは眷《カヘリ》み慕ふ義もて書るにや、(略解に、眷は吾の誤にて、ワレウラブレヌ〔七字右○〕なり、といへるは、推度のみなり)○眞鏡《マソカヾミ》は、枕詞なり、鏡は常に床の邊にかけおきて、旦暮に取見るものなればつゞけたり、○與(ノ)字、コソ〔二字右○〕と云に用たること、上にも云るが如し、(略解に、、乞の誤なり、といへるは、推當なり」○歌(ノ)意は、妹(ガ)家の里が程遠き故に、朝夕に、見ることかなはず、戀しく思ふ心の恍惚《ホレボレ》として、愁《ウレ》ひ憐《カナシ》むに堪がたければ、いかで毎夜々々の吾夢に入來て、相宿すと見えよかし、となり、
 
2502 眞鏡《マソカヾミ》。手取以《テニトリモチテ》。朝朝《アサナサナ》。雖見君《ミレドモキミハ》。飽事無《アクコトモナシ》。
 
歌(ノ)意は、毎朝々々鏡を取見る如くに、常にむかひ見れども、飽厭はるゝところなく、うるはしき君にてあるぞ、となり、下に、眞十鏡手取持手朝旦見時禁屋戀之將繁《マソカヾミテニトリモチテアサナサナミムトキサヘヤコヒノシゲケム》、○以上二首は、鏡に寄てよめるなり、
 
2503 夕去《ユフサレバ》。床重不去《トコノベサラヌ》。黄楊枕《ツゲマクラ》。射然汝《ナニシカナレガ》。主待固《ヌシマチガタキ》。〔頭註、【一首寄v枕、】〕
 
射然は、岡部氏云、射は何の誤にて、ナニシカ〔四字右○〕なり、○汝主《ナレガヌシ》とは、枕の主にて、我(ガ)戀る男を云なり、とこれも同人いへり、○歌(ノ)意は、夕(ヘ)になるごとに、床(ノ)邊さらぬ黄楊枕よ、なにとて汝が主とする吾(ガ)夫君を待に、待得がたくてあるぞ、となり、○この一首は、枕に寄てよめるなり、
 
2504 解衣《トキキヌノ》。戀亂乍《コヒミダレツヽ》。浮沙《ウキクサノ》。生吾《ウキテモワレハ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。〔頭註、【一首寄v衣、】〕
 
(116)解衣《トキキヌノ》は、亂《ミダレ》をいはむ料の枕詞なり、○浮沙生(沙(ノ)字、類聚抄には渉と作り、)は、浮草浮とありしを、誤寫《ヒガカキ》せるものなるべし、六帖に此(ノ)歌を載て、ときぎぬの思(ヒ)亂(レ)てうき草のうきたる戀もわれはするかな、とあるに依べし、さて浮草は、浮をいはむ料の枕詞なり、古今集にも、瀧つ瀬に根ざしとゞめぬ浮草の、うきたる戀もわれはするかな、とあり、○歌(ノ)意は、物に便りて落着方もなく、心亂れつゝ、うか/\と戀しく思ひて、月日を經度ること哉、さても苦しや、となり、○この一首は、衣に寄てよめるなり、
 
2505 梓弓《アヅサユミ》。引不許《ヒキテユルサズ》。有者《アラマセバ》。此有戀《カヽルコヒニハ》。不相《アハザラマシヲ》。〔頭註、【一首寄v弓、】〕
 
歌(ノ)意は、契冲、はれる弓をゆるさぬごとく、はじめこひせじ、と思ひしまゝの心ならば、かゝる物思はせじものを、と悔るなり、といへる如し、十二にも、梓弓引而不縱大夫哉《アヅサユミヒキテユルサヌマスラヲヤ》云々、とよめり、○この一首は、弓に寄てよめるなり、
 
2506 事靈《コトタマヲ》。八十衢《ヤソノチマタニ》。夕占問《ユフケトフ》。占正謂《ウラマサニノレ》。妹相依《イモニアハムヨシ》。〔頭註、【二首寄v占、】〕
 
事靈《コトタマ》は、(事は借(リ)字、)言靈《コトタマ》にて、言語に靈驗《タマノシルシ》あるを云、なほ言靈のことは、五(ノ)卷に既くいへり、大鏡に、此(ノ)御時ぞかし、村上のみかど生れさせ給へる、御五十日《イカ》のもち、殿上へ出させ給へるに、伊衡中將つかうまつり給へるはとておぼゆるめり、一年にこよひかぞふるいまよりは百年までの月かげをみむ、とよむぞかし、御かへしみかどのせさせ給ふ、かたじけなさよ、いはひ(117)つることたまならば百年の後もつきせぬ月をこそみめ、(此(ノ)御歌、玉葉集にも出づ)さて事靈は、コトタマヲ〔五字右○〕と訓て、夕占問《ユフケトフ》の上にうつして心得べし、○八十衢《ヤソノチマタ》は、街道の多きをいへり、○歌(ノ)意は、夕占問とは、次の歌に、路往占《ミチユキウラ》といへるに同じく、今(ノ)世に辻占とて、辻に出居て、往來の人の言語を聞て、其(ノ)言語のさまによりて、吉凶の前相《シルシ》をさだむることあり、その類なるべし、さて其は、初發《ハジメ》に神祇《カミタチ》に幣帛獻(リ)置て、吉兆をあらはし賜へと祈て、道股の、多く人の往來のしげき地に出て、物する故、やがて言靈の靈驗を問なり、しか道の衢に出て、夕占して言靈のさとしを問に、いかで妹に逢見むよしを、正しく告てよ、といふなるべし、
 
2507 玉桙《タマホコノ》。路往占《ミチユキウラニ》。占相《ウラナヘバ》。妹逢《イモニアハムト》。我謂《アレニノリテキ》。
 
占相《ウラナヘバ》、本居氏云、占相《ウラナヘバ》は、こは賂《マヒ》をするを麻比那布《マヒナフ》、商《アキ》をするを阿伎那布《アキナフ》、荷《ニ》を爾那布《ニナフ》と云類にて、卜《ウラ》をするを云なり、此(ノ)外|行《オコナ》ふ、養《ヤシナ》ふ、咒《マジナ》ふなど、那布《ナフ》てふことを添て云言多し、皆同じ意なり、○歌(ノ)意は、事靈云々の歌と同作にて、前には、妹にあはむよしのれといひ、さて今は、あはむよしのりつるを、よろこべるにて、かくれたるすぢなし、○以上二首は、占に寄てよめるなり、
〔右九十三首。柿本朝臣人麿之歌集出。〕
 
2619 朝影《アサカゲニ》。吾身成《ワガミハナリヌ》。辛衣《カラコロモ》。襴之不相而《スソノアハズテ》。久成者《ヒサシクナレバ》。〔頭註、【八首寄v衣、】〕
 
朝影爾《アサカゲニ》云々は、契冲は、只影のとごくになりぬといはむを、ことばたらねば、朝影といへり、と(118)云り、岡部氏は、晝は影の見えず、夕(ヘ)は見えもすべけれど、朝ばかり見ゆるはなきによりて云ならむ、といへり、此(ノ)上に、朝影吾身成玉垣入風所見去子故《アサカゲニワガミハナリヌタマカギルホノカニミエテイニシコユヱニ》、とあり、○辛衣《カラコロモ》云々は、十四に、可良許呂毛須蘇乃宇知可陪安波禰杼毛《カラコロモスソノウチカヘアハネドモ》、とよみたるを、合(セ)思ふに、古(ヘ)皇朝に參來し韓人等《カヲヒトドモ》の、衣服の制法、裔《スソ》の合(ハ)ずぞありけむ、故(レ)不相《アハズ》といはむとて、韓衣襴之《カラコロモスソノ》といひかけたるなるべし、○歌(ノ)意は、思ふ人に逢ずして、月日の久しくなりぬれば、思痩て、今は吾(ガ)身は、影の如くに衰へぬ、となり、
 
2620 解衣之《トキキヌノ》。思亂而《オモヒミダレテ》。雖戀《コフレドモ》。何如汝之故跡《ナソナガユヱト》。問人毛無《トフヒトモナシ》。
 
十二に、解衣之念亂而雖戀何之故其跡問人毛無《トキキヌノオモヒミダレテコフレドモナニノユヱソトトフヒトモナシ》、とて載たる方、ことわりに通《きこ》えたり、今は彼(ノ)歌を誦《トナヘ》誤れるものなるべし、汝之故《ナガユヱ》といへる、甚(ク)いかゞに聞ゆればなり、
 
2621 摺衣《スリゴロモ》。著有跡夢見津《ケリトイメミツ》。寤着《ウツヽニハ》。孰人之《タレシノヒトノ》。言可將繁《コトカシゲケム》。
 
摺衣《スリコロモ》は、黄土《ハニ》の類、或は草木の花の類にて、摺綵《スリイロド》りたる衣を云、○寤者《ウツヽニハ》(寤(ノ)字、舊本に寐と作るは誤なり、今は活字本、拾穗本等に從つ、)は、夢にむかへていへるなり、すべて爾波《ニハ》は、他の物に對へて云詞なり、心をつくべし、○孰人之は、タレシノヒトノ〔七字右○〕と訓べし、此(ノ)下一書(ノ)歌に、誰之能人《タレシノヒト》、とあり、○歌(ノ)意は、四(ノ)卷に、吾念乎人爾令知哉玉匣開阿氣津跡夢西所見《アガオモヒヲヒトニシラセヤタマクシグヒラキアケツトイメニシミユル》、又|劔太刀身爾取副常夢見津何如之怪曾毛君爾相爲《ツルギタチミニトリソフトイメニミツナニノシルシソモキミニアハムタメ》、などよめる類にて、古(ヘ)の世のいひならはしに、摺衣着たりと(119)夢に見るは、人言の多からむ前相《シルシ》ぞ、といふことのありけるなるべし、さてかくはよめるなるべし、
 
2622 志賀乃白水郎之《シカノアマノ》。塩燒衣《シホヤキゴロモ》。雖穢《ナレヌレド》。戀云物者《コヒチフモノハ》。忘金津毛《ワスレカネツモ》。
 
志賀《シカ》は、肥前の志可《シカ》なり、(賀(ノ)字は書たれども、清て唱べし、)○鹽燒衣《シホヤキゴロモ》は、海藻刈鹽燒海夫《メカリシホヤクアマ》の衣は、鹽じみて、褻垢《ナレアカヅ》きたるものなれば、穢《ナレ》をいはむ料の序におけるなり、○歌(ノ)意は、思ふ人と互になれては、さはあるまじきものなるを、狎(レ)親みても、戀と云ものは、なほ忘れがたき物にてあるよ、といへるなり、
 
2623 呉藍之《クレナヰノ》。八塩乃衣《ヤシホノコロモ》。朝旦《アサナサナ》。穢者雖爲《ナルトハスレド》。益希將見裳《イヤメヅラシモ》。
 
八塩乃衣《ヤシホノコロモ》は、略解に、古事記に、八鹽折之紐小刀《ヤシホリノヒモカタナ》とも有、八鹽利《ヤシホリ》とは、しほは、其(ノ)色をしむるをいひ、利《リ》は、入《イリ》の略にて、彌《ヤ》たび染入るといふ事なり、さて歌には、利《リ》の言を略きて、やしほといへり、とあり、○朝旦《アサナサナ》は、日に/\といふが如し、○歌(ノ)意は、本(ノ)句は序にて、日に/\狎(レ)親みはすれども、いよ/\めづらしくうつくしきことよ、となり、
 
2624 紅之《クレナヰノ》。深染衣《コソメノコロモ》。色深《イロブカク》。染西鹿齒蚊《シミニシカバカ》。遺不得鶴《ワスレカネツル》。
 
歌(ノ)意は、これも本(ノ)句は序にて、おもふ人に、情深く染にしゆゑかして、怠るゝことを得がたき、となり、六(ノ)卷に、紅爾深染西情可母寧樂乃京師爾年之歴去倍吉《クレナヰニフカクシミニシコヽロカモナラノミヤコニトシノヘヌベキ》、とあり、
 
(120)2625 不相爾《アハナクニ》。夕卜乎問常《ユフケヲトフト》。幣爾置爾《ヌサニオクニ》。吾衣手者《ワガコロモテハ》。又曾可續《マタソツグベキ》。
 
歌(ノ)意は、逢こともなきことなるに、夕卜《ユフケ》を問《フ》ために、神祇《カミタチ》に幣帛奉るとて、著たる衣の袖を解てものせしに、そのしるしもさらになきを、なほそれにもこりずして、又つゞきて、夕卜のぬさに袖を解べし、となり、古今集に、手向にはつゞりの袖もきるべきに、とよめり、
 
2626 古衣《フルコロモ》。打棄人者《ウツテシヒトハ》。秋風之《アキカゼノ》。立來時爾《タチクルトキニ》。物念物其《モノモフモノソ》。
 
古衣《フルコロモ》は、打棄《ウツテ》をいはむための枕詞なり、○打棄人《ウツテシヒト》は、人に捨られし我(ガ)身を云、古言には、捨《ステ》を宇※[氏/一]《ウテ》とも宇都※[氏/一]《ウツテ》ともいへり、(打棄《ウチステ》のチス〔二字右○〕を切れば、ツ〔右○〕とはなれども、この言は、約めたるには非じ、)五(ノ)卷長歌に、宇都弖弖波死波不知《ウツテテハシニハシラズ》、とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、三(ノ)卷家持卿の亡妻を悲める歌に、從今者秋風寒將吹烏如何獨長夜乎將宿《イマヨリハアキカゼサムクフキナムヲイカデカヒトリナガキヨヲネム》、○以上八首は、衣に寄てよめるなり、
 
2627 波禰※[草冠/縵]《ハネカヅラ》。今爲妹之《イマスルイモガ》。浦若見《ウラワカミ》。咲見慍見《ヱミミイカリミ》。著四※[糸+刃]解《ツケシヒモトク》。〔頭註、【一首寄v※[糸+刃]、】
 
第一二(ノ)句は、四(ノ)卷、七(ノ)卷にも、出て既く委く註り、○今(ノ)字、舊本には令と作り、今は古本に從つ、○浦若見《ウラワカミ》も、既くいへり、○咲見慍見《ヱミミイカリミ》は、或はよろこびて打ゑみもし、或はうらみて慍《イカ》りもするを云、○歌(ノ)意は、吾妻の事とありて、或は吾をよろこびてゑみ、或は吾をうらみて慍りなどして著し、その紐を解放て、今夜、少女のまだうらわかく、うるはしさにめでゝ、新枕交(ハ)す、となり、○この一首は、紐に寄てよめるなり、
 
(121)2628 去家之《イニシヘノ》。倭文旗帶乎《シヅハタオビヲ》。結垂《ムスビタレ》。孰云人毛《タレチフヒトモ》。君者不益《キミニハマサジ》。〔頭註、【一首寄v帶、】
 
倭文旗帶《シヅハタオビ》は、倭文布《シヅヌノ》にて造りたる帶を云、○本(ノ)句は、孰《タレ》をいはむ料の序なり、武烈天皇(ノ)紀鮪(ノ)臣(ガ)歌に、於〓枳瀰能瀰於寐能之都波※[手偏+施の旁]夢須寐陀黎陀黎耶始比得謀阿避於謀波儺倶※[人偏+爾]《オホキミノミオビノシヅハタムスビタレタレヤシヒトモアヒオモハナクニ》、繼體天皇(ノ)紀春日(ノ)皇女(ノ)御歌に、野須美矢失倭我於朋枳美能《ヤスミシシワガオホキミノ》、於磨細屡裟佐羅能美於寐能《オバセルサヽラノミオビノ》、武須彌陀例駄例夜矢比等母《ムスビタレタレヤシヒトモ》、紆陪※[人偏+爾]泥堤那皚矩《ウヘニデテナグク》、などあるに、ならへるものなるべし、○歌(ノ)意は、君にまさりてうるはしき人は、誰かあらむ、となり、○この一首は、帶に寄てよめるなり、
〔一書歌云。古之《イニシヘノ》。狹織之帶乎《サオリノオビヲ》。結垂《ムスビタレ》。誰之能人毛《タレシノヒトモ》。君爾波不益《キミニハマサジ》。〕
云(ノ)字、舊本にはなし、阿野本、古寫本、古本等に從つ、○狹織《サオリ》は、狹く織たる倭文布にて、帶に用る料のものなるべし、今さなだといひて、細き紐あるも、狹之機《サナハタ》の意なるべきよし、冠辭考にいへり、
 
2629 不相友《アハズトモ》。吾波不怨《アレハウラミジ》。此枕《コノマクラ》。吾等念而《アレトオモヒテ》。枕手左宿座《マキテサネマセ》。〔頭註、【三首寄v枕、】
 
左宿座《サネマセ》は、左《サ》はそへことばにて、寢給へと云に同じ、○歌(ノ)意は、男のもとへ、枕をおくれるときによめるにて、かくれたるすぢなし、
 
2630 結※[糸+刃]《ユヘルヒモ》。解日遠《トキシヒトホミ》。敷細《シキタヘノ》。吾木枕《ワガコマクラニ》。蘿生來《コケムシニケリ》。
 
解日遠《トキシヒトホミ》は、※[糸+刃]解かはしてあひし其(ノ)日より、絶て日數の遠くなりし故にの意なり、○蘿生來《コクムシニケリ》は、
 
(122)下に敷細布枕人事問哉其枕苔生負爲《シキタヘノマクラニヒトハコトトヘヤソノマクラニハコケムシニ ケリ》、とよめり、何にても、ふるくなれるものには、苔の生るにならひて、事をつよくいはむとて、かくいへり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2631 夜千玉之《ヌバタマノ》。黒髪色天《クロカミシキテ》。長夜※[口+立刀]《ナガキヨヲ》。手枕之上爾《タマクラノヘニ》。妹待覽蚊《イモマツラムカ》。
 
歌(ノ)意は、手枕の上に、黒髪しきて、長さよすがら、妹が吾をまつらむか、となり、四一二三五と句を次第て意得べし、○以上三首は、枕に寄てよめるなり、
 
2632 眞素鏡《マソカヾミ》。直二四妹乎《タヾニシイモヲ》。不相見者《アヒミズハ》。我戀不止《ワガコヒヤマジ》。年者雖經《トシハヘヌトモ》。〔頭註、【三首寄v鏡、】〕
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2633 眞十鏡《マソカヾミ》。手取持手《テニトリモチテ》。朝旦《アサナサナ》。將見時禁屋《ミムトキサヘヤ》。戀之將繁《コヒノシゲケム》。
 
本(ノ)二句は、朝旦見《アサナサナミ》といはむ料の序なり、○旦(ノ)下、舊本將(ノ)字なし、活字本に從つ、見(ノ)下、舊本に人(ノ)字あるは衍なり、古本に允とあるもよしなし、官本になきぞよき、○禁は、副《サヘ》の借(リ)字なり、○歌(ノ)意は、相見る事の心に協はゞ、戀しく思ふ事は、さらにあるまじき理なるに、かやうに思(ヒ)の切なるからは、毎日々々相見む時にてさへも、なほ戀情の息ずて、思ひのしげからむ、と云るにや、此上に、本は全(ラ)同じくて、未(ノ)句|雖見君飽事無《ミレドモキミハアクコトモナシ》、とあり、
 
2634 里遠《サトトホミ》。戀和備爾家里《コヒワビニケリ》。眞十鏡《マソカヾミ》。面影不去《オモカゲサラズ》。夢所見社《イメニミエコソ》。
 
以上三首は、鏡に寄てよめるなり、
(123)〔右一首。上見2柿本朝臣人麿之歌集中1也。但以2句句相換1。故載2於茲1。〕
上見とは、里遠眷浦經眞鏡床重不去夢所見與《サトトホミコヒウラブレヌマソカヾミトコノベサヲズイメニミエコソ》、とある、是なり、
 
2635 劔刀《ツルギタチ》。身爾佩副流《ミニハキソフル》。大夫也《マスラヲヤ》。戀云物乎《コヒチフモノヲ》。忍金手武《シヌヒカネテム》。〔頭註、【三首寄v劔、】〕
 
本(ノ)二句は、丈夫《マスラヲ》の武きよそひを云り、欽明天皇(ノ)紀に、紀(ノ)男麻呂(ノ)宿禰|令《ノリゴチ》2軍中《イクサビトニ》1曰(ケラク)云々、況復|平安之世刀劔《ヤスラケキヨニモツルギタチ》不v離《サケ》2於身(ヲ)1、蓋|君子之武備《サカシヒトノソナヘ》不《アラズ》2以已《ヤムベキニ》1、○大夫也《マスラヲヤ》は、丈夫にしてや、と云ほどの意なり、○歌(ノ)意は、常に劔刀を身にそへはく、いみじく武々しき大丈夫にして、戀と云ゑせものに、えたへしのびずして、あるべきことかはと、みづからはげませども、なほ忍びえず、となり、
 
2636 劔刀《ツルギタチ》。諸刃之於荷《モロハノウヘニ》。去觸而《ユキフレテ》。所殺鴨將死《シセカモシナム》。戀管不有者《コヒツヽアラズハ》。
 
所殺鴨將死《シセカモシナム》は、殺されなむか、といふ意なり、所殺をシセ〔二字右○〕と云は、古言なり、將死は借(リ)字にて、將《ナム》v爲《シ》なり、○歌(ノ)意は、中々に、たゞに戀しく思ひつゝあらむよりは、刀の諸刃《モロハ》の利《ト》きがうへに行ふれて、殺されなむがまさらむか、となり、堀河百首に、逢事は刀の刃をも歩むかな人の心のあやぶまれつゝ、此(レ)意は異れども、今の歌によりてよまれけるにや、
 
2637 ※[口+酉]《シハブカヒ》。鼻乎曾嚔鶴《ハナヲソヒオモヒケラシモツル》。劔刀《ツルギタチ》。身副妹之《ミニソフイモガ》。思來下《》。
 
※[口+酉]、(拾穗本、古寫一本等には、哂と作り、)略解に、※[口+酉]は、哂にて、哂は、字書に微笑(ナリ)、一曰大笑、とあれば、ウレシクモ〔五字右○〕と訓べし、と岡部翁はいはれき、宣長云、※[口+酉]は※[口+湮の旁]の誤なり、※[口+湮の旁]は咽と同字にて、ムセ(124)ブ〔三字右○〕と訓り、五(ノ)卷に、之可夫可比鼻※[田+比]之※[田+比]之爾《シハブカヒハナ《ビシビシニ》、とあれば、こゝもシハブカヒ〔五字右○〕とよまむといへり、とあり、咽は聲塞也、とあり、烟煙同字なれば、此に准へて、同字とするなるべし、今按に、五(ノ)卷一本に、之波夫可比《シハブカヒ》とある、これよろし、然ればこゝも※[口+煙の旁]にて、シハブカヒ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、鼻ひるは、人におもはるゝしるしなること、かた/”\に見えたれば、吾(レ)に心を許して、常に吾(ガ)身にそふ殊が、今暫離れては居れども、吾(ガ)事を心に忘れず思ふらし、其(ノ)相《シルシ》に、打咽《ウチムセ》び鼻嚔《ハナヒ》せらるる事の、さてもうれしや、となり、○以上三首は、劔に寄てよめるなり、
 
2638 梓弓《アヅサユミ》。末之腹野爾《スヱノハラヌニ》。鷹田爲《トガリスル》。君之弓食之《キミガユヅラノ》。將絶跡念甕屋《タエムトモヘヤ》。〔頭註、【三首寄v弓、】〕
 
梓弓《アヅサユミ》は、まくら辭なり、○未之腹野《スヱノハラヌ》は、略解に、大和(ノ)國添上(ノ)郡|陶《スヱ》の原野なるべし、といへり、もし崇神天皇(ノ)紀に、即於2茅渟(ノ)縣|陶《スヱノ》邑(ニ)1、得2大田々根子(ヲ)1而|貢之《タテマツリキ》、とある地ならば、和泉(ノ)國なり、又日本後紀に、建暦十六年冬十月戊寅、遊2獵于陶野(ニ)1、十八年九月己亥、遊2獵於陶野(ニ)1、とある地ならば、山城國宇治(ノ)郡山科なり、又本居氏は、末之《スヱノ》と云ふまでは序にて、腹野《ハヲヌ》ぞ地の名にあるべき、古事記に、弓腹振立而《ユハラフリタテテ》云々、此(ノ)集十三に、梓弓弓腹振起《アヅサユミユハラフリオユシ》云々、などありて、古(ヘ)弓(ノ)末に、腹と稱《ナヅ》くる處の有し故に、末之腹《スヱノハラ》とは連《ツヾ》けたるなり、と云り、もし腹野《ハヲヌ》を地(ノ)名とするときは、其(ノ)地は何處ならむ、詳ならず、和名抄に、遠江(ノ)國佐野(ノ)郡|幡羅《ハラ》、と見えたる、其(ノ)地とは定めがたけれど、此(ノ)歌なるも、腹《ハラ》と云(フ)が地(ノ)名にて、其(ノ)野をいへるにもあらむ、○鷹田、トガリ〔三字右○〕と云は、鳥獵《トガリ》の意なりき、鳥を獵と(125)いふ謂の稱なるべし、鳥にて獵(ル)と云にはあらず、こゝに鷹田、又ことゝころに鷹獵と書るは、鷹にて獵(ル)ゆゑに、其(ノ)義を得て書るのみなるべし、なほトガリ〔三字右○〕は、十四、十七、十九等にも見えたり、○弓食は、岡部氏は、弓弦の誤ならむ、といひ、本居氏は、弓葛の誤なるべし、といへり、いづれにまれユヅラ〔三字右○〕と訓べし、(一説に、食は、人良の二字を誤れるなるべし、人はツ〔右○〕の假字なりといヘり、東人をアヅマヅ〔四字右○〕、藏人をクラウヅ〔四字右○〕など云しことも物に見え、新撰萬葉に、五十人禮《イヅレ》と書れたり、但集中の頃、人をツ〔右○〕と云しことありしか、おぼつかなし、)○將絶跡念甕屋《タエムトモヘヤ》は、將《ム》v絶《タエ》哉、といふに同じ、念《オモヘ》の言に意なし、○歌(ノ)意は、本(ノ)句は、絶をいはむための序にて、君とわが中の絶べしやは、未遂に絶べきにあらず、となり、
 
2639 葛木之《カヅラキノ》。其津彦眞弓《ソヅヒコマユミ》。荒木爾毛《アラキニモ》。憑也君之《タノメヤキミガ》。吾之名告兼《アガナノリケム》。
 
其津彦眞弓《ソヅヒコマユミ》とは、其津彦《ソヅヒコ》は、履中天皇(ノ)紀に去來穗別《イザホワケノ》天皇(ハ)、大鷦鷯《オホサヾキノ》天皇之|太子也《ヒツギノミコナリ》、母《ミハヽハ》曰(ス)2磐之媛《イハノヒメノ》命(ト)1、葛城(ノ)襲津彦《ソヅヒコノ》女也、と見えて、磐之媛皇后の父、武内(ノ)宿禰の男なり、神功皇后(ノ)紀に、五年春二月云々、因以副(テ)2葛城(ノ)襲津彦(ヲ)1而遣之、云々、六十二年、新羅|不《ス》v朝《マヰコ》、即年《ソノトシ》遣2襲津彦(ヲ)1撃2新羅(ヲ)1、云々、應神天皇紀に、十四年云々、是年|弓月《ユツキノ》君自2百濟1來歸《マヰケリ》、因以奏之曰《カレマヲサク》、臣領2己(ガ)國之|人夫《ヒトクサ》百二十縣(ヲ)1而|歸化《マヰク》、然(ルニ)因(テ)2新羅人之|拒《フセグニ》1、皆留2加羅(ノ)國(ニ)1、爰遣2葛條城(ノ)襲津彦(ヲ)1而召2弓月之人夫(ヲ)於加羅(ニ)1、然經2三年1而襲津彦不v來《マヰコ》焉、十六年八月、遣(シ)2平群(ノ)木菟《ヅクノ》宿禰、的戸田《イクハノトタノ》宿禰(ヲ)於加羅(ニ)1、仍授2精兵(ヲ)1、詔之曰《ノリゴチタマハク》、襲津彦久(ク)之不v還《カヘリマヰコ》必由(テ)2新(126)羅人拒(ニ)1而|滯之《トヾコホレルナラシ》、汝等|急往而《トクユキテ》、撃2新羅(ヲ)1、披(ケ)2其(ノ)道路(ヲ)1、於v是|木菟《ヅクノ》宿禰、進(テ)2精兵1※[草がんむり/位]2于新羅之境(ニ)1、新羅王|愕《オヂテ》之|服《フシヌ》2其罪(ニ)1、乃《カレ》※[欒の木が十]《ヰテ》2弓月之人夫(ト)與(ヲ)2襲津彦1、共(ニ)來焉《マヰキツ》、と見えて、勝れたる武將なりければ、弓力《ユチカラ》もいみじかりけむほど、おもひやるべし、此(ノ)人の後なる盾人(ノ)宿禰の、銕《クロカネ》の的を射通せしことも、其(ノ)系にて弓刀《ユチカラ》の勝れりしなり、さてその襲津彦の持たりし弓になずらへて、後まで大弓を、襲津彦眞弓《ソツヒコマユミ》と云しなり、(俊頼朝臣の、もゝつての五十師《イソシ》の篠生《サヽフ》時雨してそづ彦眞弓紅葉しにけり、とよまれたるは、木(ノ)名と心得られしにや、おぼつかなし、)○荒木《アラキ》は、いまだ手なれぬ意なり、又|新木《アラキ》の意に見ても通ゆ、○憑也は、タノメヤ〔四字右○〕と訓るぞよろしき、(略解に、ヨルトヤ〔四字右○〕とよみて新木の弓は引どより難きを、吾により難き人の心のよるに譬ふ、といへれどいかゞ、)憑めばにやの意なり、○吾の下之(ノ)字、類聚抄、古寫一本等にはなし、○歌(ノ)意は、襲津彦眞弓《ソツヒコマユミ》の荒木《アラキ》は、強きものゝ限りなるが、その荒木の眞弓の如くにも、たしかにたのもしきものに、我を思ひたのめばにや、君が吾(ガ)名を人に告しらせけむ、となり、さるは末終(ヒ)に、妻とたのまむと思ふ女の名をば、つゝみかくすべきにあらねば、他人にも告知す理なれば、中々にうらみずして、たのもしみしたるなり、
 
2640 梓弓《アヅサユミ》。引見弛見《ヒキミユルベミ》。不來者不來《コズハコズ》。來者其其乎奈何《コバコソヲナド》。不來者來者其乎《コズハコバソヲ》。
 
引見弛見《ヒキミユルベミ》(弛(ノ)字、舊本に絶と作るは誤なり、今は水戸本、拾穗本等に從つ、)は、引もし弛べもしの(127)意にて、心の足らぬにたとへたるなり、○歌(ノ)意は、來ずは來ずしてあるべし、來むとならば來べきを、其を何事ぞや、弓を引ともなく弛ぶともなく、かたづかぬごとく、心の足らぬことよと、とがめたるなり、尾(ノ)句は、第三四(ノ)句を、ふたゝび打かへして、來ずは來ずしてあるべし、來むとならば來べきを其を何事ぞや、といへるなり、○以上三首は、弓に寄てよめるなり、
 
2641 時守之《トキモリノ》。打鳴鼓《ウチナスツヾミ》。數見者《ヨミミレバ》。辰爾波成《トキニハナリヌ》。不相毛恠《アハナクモアタシ》。〔頭註、【一首寄v鼓、】〕
 
時守《トキモリ》は、陰揚寮の屬官に、漏剋(ノ)博士有(リ)て、十二時の一時を四剋にわりて漏剋を置り、さて守辰丁とて、其(ノ)漏剋を守る者有(リ)て、其時々に鐘鼓をうつなり、その守辰丁を、うるはしくは時守《トキモリ》といふめり、(枕册子には、時づかさといへり、)陰陽寮式に、諸時撃v鼓(ヲ)、子午各九下、丑未八下、寅申七下、卯酉六下、辰戌五下、巳亥四下、並平聲鐘依2刻數(ニ)1、(枕册子に、時そうするいみじうをかし、いみじう寒きに、夜中ばかりなどに、こほ/\とこほめき、くつすりきて、弦うちなどして、なむけの何がし、時うしみつ子よつなど、あてはかなる聲にいひて、ときのくひさすおとなど、いみじうをかし、子九つうし八(ツ)などこそさとびたる人はいへ、すべて何も/\、よつのみそくひはさしける、とあるは、上にいひたる如く、一時を四刻にわりて、たとへば丑(ノ)時の一刻二刻三刻四刻、子時の一刻二刻三刻四刻などいふ故に、丑みつ子よつとはいへるなり、時の※[木+兀]さすとは、漏刻とて、銅壺に水を入て、四十八|刻《キザミ》の※[木+兀]をたてゝ、銅壺の水のしたゝりて、たとへば、丑(128)の時の一の刻をあらはせば、うしひとつ、二の刻をあらはせばうしふたつなり、かくて四の刻をあらはせば、丑よつにて、一時の刻滿るなり、然るに子には九(ツ)、丑には八(ツ)、鐘鼓をうつが故に、今も里俗にて、九(ツ)時八(ツ)時などいふ如く、清少納言が頃も、禁中にてこそ、漏刻にしたがひて、丑みつ子四(ツ)などいふを、里俗の者は、鐘鼓の數にしたがひていふと、いやしみたるなり、)齊明天皇(ノ)紀に、又皇太子(天智)初造2漏刻(ヲ)1、使2民(ニ)知1v時(ヲ)、天智天皇(ノ)紀に、十年夏四月丁卯朔辛卯、置2漏尅《トキノキザミヲ》於新臺(ニ)1、始打2候時(ヲ)1動2鐘鼓(ヲ)1、始(テ)用2漏尅《トキノキザミヲ》1、此(ノ)漏尅者、天皇(ノ)爲(リシ)2皇太子1時、始親所2製造1也、云々、と見えたり、○打鳴《ウチナス》は、撃て令《ス》v鳴《ナラ》と云に同じ、令v鳴をナス〔二字右○〕と云は、五(ノ)卷に、遠等※[口+羊]良何佐那周伊多斗乎《ヲトメラガサナスイタトヲ》、とあるも、閇《サシ》令《ス》v鳴《ナラ》の意、古今集に、秋風にかきなす琴の、とよめるも、掻《カキ》令《ス》v鳴《ナラ》なり、○數見者は、ヨミミレバ〔五字右○〕と訓て、かぞへ見ればと云に同じ、○不相毛恠《アハナクモアヤシ》は、不相恠毛《アハナクアヤシモ》と、毛《モ》を下にめぐらして心得べし、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、○歌(ノ)意は、守辰丁《トキモリ》の撃鳴《ウチナラ》す鼓の數をかぞへ見れば、かねて契りし時になりぬるを、來て逢(ハ)ぬことの、さてもあやしや、いかなるさはりか出來つらむ、はた心の淺くて、わすれやしぬらむ、といふなり、十二に、名者告而之乎不相毛恠《ナハノリテシヲアハナクモアヤシ》、○この一首は、鼓に寄てよめるなり、
 
2642 燈之《トモシビノ》。陰爾蚊蛾欲布《カゲニカガヨフ》。虚蝉之《ウツセミノ》。妹蛾咲状思《イモガヱマヒシ》。面影爾所見《オモカゲニミユ》。〔頭註、【一首寄v燈、】〕
 
蚊蛾欲布《カガヨフ》は、耀《カヾヤク》と云に同じ、既く六(ノ)卷に、加我欲布珠乎《カガヨフタマヲ》、とある歌に註り、○虚蝉《ウツセミ》は、既く委(ク)註り、(129)こゝは虚蝉之妹《ウツセミノイモ》とつゞきて、現身《ウツシキミ》の妹といふ意なり、○歌(ノ)意は、女と離り居て、直に相見し夜、燈の先にかゞやきわたりし、うつくしき咲《ヱマ》ひすがたの、現身の妹にてありながら、幻の如く、一(ト)すぢに面影に立て見ゆ、となり、○この一首は、燈に寄てよめるなり、
 
2643 玉戈之《タマホコノ》。追行疲《ミチユキツカレ》。伊奈武思侶《イナムシロ》。敷而毛君乎《シキテモキミヲ》。將見因母鴨《ミムヨシモガモ》。〔頭註、【一首寄v筵、】〕
 
玉戈之《タマホコノ》は、枕詞なり、既く出つ、○本(ノ)句は、旅人の道ゆきつかれて、宿をかりて、あさましき稻筵を敷て打臥意にて、さて重而《シキテ》をいはむ序とせり、(住吉歌合に、清輔、いなむしろ敷津の浦の松風はもりくる折ぞ※[雨/衆]雨《シグレ》とはしる、)なほ稻筵のことは、八卷(ノ)長歌に、伊奈牟之呂河向立《イナムシロカハニムキタチ》、とある處に委(ク)註り、○歌(ノ)意は、重重《シク/\》に間もおかず、君を相見むよしもがなあれかし、となり、○この一首は、筵に寄てよめるなり、
 
2644 小墾田之《ヲハリタノ》。板田之橋之《サカタノハシノ》。壞者《クヅレナバ》。從桁將去《ケタヨリユカム》。莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》。〔頭註、【一首寄v橋、】〕
 
小墾田《ヲハリタ》は、推古天皇、十一年十月、豐浦(ノ)宮より、小墾田(ノ)宮へ遷(リ)ませること、書紀に見ゆ、神名式に、大和(ノ)國高市(ノ)郡|治田《ハリタノ》神社、とあり、○坂田乃橋は、略解に、板は坂の誤にて、サカタ〔三字右○〕なり、サカタ〔三字右○〕とせることは、小墾田《ヲハリタ》の金剛寺を、坂田尼寺といへり、推古天皇、鞍作(ノ)鳥に、近江(ノ)坂田(ノ)郡(ノ)水田を賜ける時、鳥、天皇の御爲に、此(ノ)寺を建たれば、坂田寺といふなるべし、南淵山細川山より、水落合て、坂田寺のかたへも流るといへば、そこに渡せる橋をいふならむよし、契冲いへり、舒明天(130)皇二年十月に、飛鳥(ノ)岡本(ノ)宮へ遷ませしより、小はり田は故郷と成て、そこの橋の板の朽たる程の歌なるべし、これを後世には、誤りて、ヲハタヽノイタヽ〔八字右○〕とよめる歌どもおほし、と云り、(狹衣に、たかきもいやしきもたづねよりつゝ、いたゞのはしはくつれど、いとはかなきほどにこそあらね、と書たれば、板田に誤れることも、やゝ古し、續後拾遺集戀上には、此を小はたたのいたゝのはしの云々として、人麿の歌とせられたり、)〔頭註、【推古天皇紀云、十 四年五月、勒2鞍作鳥1曰、云々、又造2佛像1、既訖不v得v入v堂、諸工人以將v破2堂戸1、然汝不v破v戸而得v入、此皆汝之功也、即賜2大仁位1、因以賜2近江國坂田郡水田二十町1焉、鳥以2此田1、爲2天皇1作2金剛寺1、是今謂2南淵坂田尼寺1、】〕○歌(ノ)意は、契冲云、坂田の橋をわたりて、君がもとへかよふに、もし橋のふりてこぼれたらば、ゆきげたをわたりても、ゆきてあはむと思ふ心あれば、さだかにたのみてな戀わびそ、と云意なり、○この一首は、橋に寄てよめるなり、
 
2645 宮材引《ミヤキヒク》。泉之追馬喚犬二《イヅミノソマニ》。立民乃《タツタミノ》。息時無《イコフトキナク》。戀渡可聞《コヒワタルカモ》。〔頭註、【二首寄2名所1、】〕
 
宮材引《ミヤキヒク》は、宮殿《オオミヤ》造る料《タメ》の、材木《ソマキ》を伐りて引(キ)出すを云、○泉之追馬喚犬《イヅミノソマ》は、山城(ノ)國相樂(ノ)郡泉の杣山なり、(新古今集序に、泉の杣しげき宮材は、引とも絶べからず、和名抄に、功程式(ニ)云、甲賀(ノ)杣、田上(ノ)杣、杣讀2曾萬《ソマト》1、所v出未v詳、但功程式者、修理(ノ)算師山田福吉等、弘仁十四年所2撰上(ル)1也、)十三にも、眞木積泉河《マキツムイヅミノカハノ》、とも見えて、古(ヘ)多く良材を出せる地なり、追馬喚犬は、契冲云、これをはじめにて、此(ノ)後まそ鏡といふに、犬馬鏡などあまたかけり、今も馬を追(フ)に志《シ》といへば、志《シ》と曾《ソ》と通ずれ(131)ば、いにしへは曾《ソ》といひて追けるゆゑ、追馬とはかけるなるべし、喚犬は、昔犬をよぶに、麻《マ》といひたるにや、都都《ツツ》といふに、喚※[奚+隹]とかける所あり、今も登々《トヽ》といひてよべば、いにしへは都都《ツ》といひて、よびけるなるべし、追馬喚犬も、其たぐひなり、(馬を迫に曾《ソ》と云しことは、十四の歌に見えたり、)○歌(ノ)意は、宮材を引出すとて、泉の杣山にたてる民の、やすむ間もなきがごとく、隙なく戀しくおもひて、月日を過す事哉、さても苦しや、となり、
 
2646 住吉之《スミノエノ》。津守網引之《ツモリアビキノ》。浮笶緒乃《ウケノヲノ》。得干蚊將去《ウカレカユカム》。戀管不有者《コヒツヽアラズハ》。
 
津守網引《ツモリアビキ》は、本居氏、津守は、舊事紀に、津守(ノ)連(ガ)齋祠《イツキマツル》住吉云々、さて古事記に、墨江之津《スミノエノツ》と云、書紀にも、住吉のことを、大津《オホツ》云々とあれば、住吉は本より津《ツ》にて、津守《ヅモリ》は、此(ノ)津を守し由なるべし、西生(ノ)郡に津守《ツモリノ》郷もあるは、其人の住し里ならむ、と云り、さて其(ノ)津守が徒《トモ》の綱引《アピキ》するを、今は云ならむ、○浮笶緒《ウケノヲ》とは、浮《ウケ》は、和名抄に、蒋魴(カ)切韻(ニ)云、泛子(ハ)鉤(ノ)別名也、漢語抄(ニ)云、宇介《ウケ》、今按、網具(ニ)又有2此名1、故別置之、と見えたるは、釣具なる緡《ツリノヲ》を、令《ケ》v浮《ウ》む料のものなり、今は網(ノ)具とあるものにて、海に沈めたる網の上の方を、令《ス》v浮(カ)る具なり、さて其は網に着たる緒あれば、浮之緒《ウケノヲ》とは、いへるなり、そも/\宇介《ウケ》と云は、令《セ》v浮《ウカ》の縮れる言なり、(カセ〔二字右○〕の切ケ〔右○〕となれり、)さてこれまでは、所浮《ウカレ》をいはむたのの序なり、○歌(ノ)意は、中々に戀しくのみ思ひつゝあらむよりは、いづかたへなりとも、うかれゆきやせん、となり、○以上二首は、名所に寄てよめるなり、
 
(132)2647 東細布《ヨコクモノ》。從空延越《ソラヨヒキコシ》。遠見社《トホミコソ》。目言踈良米《メコトカルラメ》。絶跡間也《タユトヘダツヤ》。〔頭註、【一首寄v雲、】〕
 
東細布《ヨコクモノ》は、曉方《アケガタ》の横雲は東の天《ソラ》に細布を引はへたるやうに見ゆれば、其(ノ)義を得てかく書り、○從空延越《ソラヨヒキコシ》は、嶺にわかるゝよこ雲の、空の方に引越し、其(ノ)間の遠放りゆくもて、遠見《トホミ》をいはむ料とせり、從《ヨ》は爾《ニ》と云に通へり、○遠見社《トホミコソ》は、遠き故にこその意なり、見《ミ》は假字なり、遠きとは、女の居處と遠離り居るを云、○目言疎《メコトカル》とは、相見ることも、言かはすことも疎くなるを云、目《メ》と言《コト》と二(ツ)にて見ること言(フ)こなり、○歌(ノ)意は、女のわが居(ル)處と、間の遠き故にこそ、相見てかたらふことの、うときにはあらめ、今は絶なむとて、男のわれをへだてむやは、さはあらじを、たび/\あひ見ねば、心の鬼にて、とにかくうしろめたく思ふことよ、となり、これは隔れる所にすめる男に、心かよはせる女のよめるなるべし、(略解に、遠ければ、直(チ)に相見て、ものいふことこそうとからめ、便りだにせぬは、今は絶むとて、へだつるならむと疑ふなり、といへるはいかゞ、)○この一首は、雲に寄てよめるなり、
 
2648 云云《カニカクニ》。物者不念《モノハオモハズ》。斐太人乃《ヒダビトノ》。打墨繩之《ウツスミナハノ》。直一道二《タヾヒトミチニ》。〔頭註、【一首寄v匠、】〕
 
云云《カニカクニ》は、字書に、猶v云(カ)2如此(ト)1、とありといへり、四(ノ)卷に、浪之共靡珠藻乃云云意者不持《ナミノムタナビクタマモノカニカクニコヽロハモタズ》云々、○斐太人《ヒダヒト》は、工人《タクミ》のことなり、古(ヘ)は飛騨(ノ)國より、番匠をめし上せて、宮中の造營修理を、つとめしめけるゆゑなり、賦役令(ノ)義解に、凡斐陀(ノ)國(ハ)、庸調倶免(シテ)、毎(ニ)v里點2匠丁十人(ヲ)1、(謂若不v足v里(ニ)者、即率2此(ノ)法(ニ)1而降(シ)(133)減(セヨ)、)民部式に、凡飛騨(ノ)國(ハ)、毎(ニ)v年貢2匠丁一百人(ヲ)1、其(ノ)返承(ハ)准(セヨ)2諸國(ノ)調庸例(ニ)1、凡飛騨(ノ)匠丁、役(ノ)中身死者、勿v貢(ルコト)2其代(ヲ)1、役畢(テ)還v國者、免2當年(ノ)※[人偏+徭の旁]役(ヲ)1、木工寮式に、凡工部一人、飛彈工一人、充2大學寮1、令v修2理小破官舍1、凡飛彈(ノ)國(ノ)匠丁三十七人、以2九月一日(ヲ)1、相共(ニ)參2着(テ)寮家(ニ)1不v得2參差(スルコトヲ)1、○墨繩《スミナハ》は、五(ノ)卷好去好來(ノ)歌にありて、既く註りき、(靈異記に、路廣平直(キコト)如2墨繩(ノ)1、)○一道《ヒトミチ》は、一筋《ヒトスヂ》といふが如し、(續紀廿七詔に、一道爾志弖《ヒトミチニシテ》、)中山(ノ)嚴水は、やがて舊本のまゝに、ヒトスヂとよまむ、といへり、○歌(ノ)意は、とかくの物思(ヒ)はなし、工人《タクミ》のうつ墨繩のごとく、唯一(ト)すぢに、君をこそおもへ、となり、○この一首は、匠に寄てよめるなり、
 
2649 足日木之《アシヒキノ》。山田守翁《ヤマタモルヲヂガ》。置蚊火之《オクカヒノ》。下粉枯耳《シタコガレノミ》。余戀居久《アガコヒヲラク》。。〔頭註、【一首寄v火、】
 
翁《ヲヂ》は、書紀に、鹽土老翁《シホツヽノヲヂ》、老翁此云2烏膩《ヲヂト》1、とあり、皇極天皇(ノ)紀歌に、歌麻之之能烏膩《カマシシノヲヂ》、此(ノ)集十七に、佐夜麻太乃乎治《サヤマタノヲヂ》、とも見えたり、○蚊火《カヒ》は、二説あり、一(ツ)には、猪鹿を退べきための假庵なれば、夜(ル)ほだを燒(キ)、草などをくゆらするを云といひ、一(ツ)には、蚊遣火を云といへり、その中に、こゝは蚊火と書たる字の如く、蚊遣火なるべし、和名抄に、新撰萬葉集(ノ)歌(ニ)云、蚊遣火《カヤリヒ》(一(ニ)云|加夜利比《カヤリヒ》、一(ニ)云|蚊火《カヒ》、所v由未v詳、但俗説(ニ)、蚊遇v煙即(チ)去、仍夏日庭中薫v火(ヲ)放(ツ)v煙(ヲ)、故以名之、)とあり、山田守(ル)賤が假廬の蚊遣は、ことにすぐれたれば、とりたてゝ云り、さて蚊遣は、火を下(タ)におきて、上に柴芥など積てくゆらするなれば、下焦《シタコガレ》をいはむための序とせるなり、○歌(ノ)意は、表《ウヘ》にあらはさぬやうに(134)して、裏《シタ》にのみこがれて、戀居る事の、さても苦しや、とあり、(新古今集に、こがれつゝわがこふらくはと改て、人麻呂(ノ)歌とせり、)○この一首は、火に寄てよめるなり、
 
2650 十寸板持《ソギタモチ》。蓋流板目乃《フケルイタメノ》。不令相者《アハザラバ》。如何爲跡可《イカニセムトカ》。吾宿始兼《アガネソメケン》。〔頭註、【一首寄v板、】〕
 
十寸板持は、ソギタモチ〔五字右○〕と訓べし、契冲、十寸板《ソギタ》は、殺板《ソギイタ》なり、今もそぎといひならへるは、殺《ソグ》ゆゑなりと云るがごとし、(又云、新古今集、後京極殿(ノ)御歌、山がつが麻のさころもをさをあらみあはで月日や杉ふけるいほ、本(ノ)句は、古今集の、すまのあまの、しほやき衣をさをあらみまとほにしあれや君がきまさぬ、末(ノ)句は、今の歌を取て、まとほにしてあはぬよしを、よみ給へり、此(ノ)御歌をはじめて、杉ふくとよめるは、此(ノ)歌を杉板《スギイタ》と心得きたれるなり、)○盖流板目乃《フケルイタメノ》は、合《アフ》をいはむ料の序なり、板目は板のすき目なり、さて背(ク)とき、板目を和合《アハ》すれば、板目の合とつづきて、不《ズ》v合(ハ)といふまでにはかゝはらぬこと、ふるのわさだの穗には出ずの類なり、と略解にいへり、○歌(ノ)意は、あひそめて後、さはる事などいできて、あはずあらば、其(ノ)時いかにして過さむとおもひて、わが相宿しそめけむ、となり、○この一首は板に寄てよのるなり、
 
2651 難波人《ナニハビト》。葦火燎屋之《アシビタクヤノ》。酢四手雖有《スシテアレド》。己妻許増《オノガツマコソ》。常目頬次吉《ツネメヅラシキ》。〔頭註、【一首寄v火、】〕
 
難波人《ナニハビト》とは、難波に住(ム)人なり、四(ノ)卷には、難波壯士《ナニハヲトコ》ともよめり、仁徳天皇(ノ)紀(ノ)御製に、那珥波譬苔《ナニハビト》ともあり、安太人《アダビト》などの類なり、○葦火《アシピ》は、廿(ノ)卷防人(ノ)歌に、伊波呂爾波安之布多氣騰母須美與(135)氣乎都久之爾伊多里※[氏/一]古布志氣毛波母《イハロニハアシフタケドモスミヨケヲツクシニイタリテコフシケモハモ》、とあり、(家には葦火燒(ケ)ども住よきを、筑紫に至りて戀しく思はむもなり、)○酢四手雖有《スシテアレド》は、煤《スヽ》けてあれどといはむが如し、(但本居氏(ノ)古事記傳に、此(ノ)歌を引て、酢四《スシ》は、スヽビ〔三字右○〕の切りたる歟といへれど、さにあらず、第三言にすわりたる詞は、第二言に活く例あり、舊《フルキ》を布利弖《フリテ》、布利由久《フリユク》、布利爾之《フリニシ》など云とき、布利《フリ》と活《ハタラ》くと同例なるを思ふべし、)和名抄に、唐韻(ニ)云、炸煤(ハ)灰集v屋(ニ)也、和名|須々《スヽ》、とありて、既くいへり、○常目頬次吉は、ツネメヅラシキ〔七字右○〕とよむべし、(トコメヅラシキ〔七字右○〕とよみ來れど、こゝはしか訓べき處にあらず、)常《ツネ》は、常《ツネ》にといふ意なり、○歌(ノ)意は、難波にすまひする人の、葦火たきこがしたる、ふせ屋のごとくに、舊《フル》びてすゝけてはあれど、己(ガ)妻とおもひたのむ女こそ、常に見さむることなく、めづらしく、うるはしくはあれ、となり、初のほどこそあれ、後にはかたみにえせ心をさしはさみて、中たがふことも、多かるならひなるに、終に古くなるまで、夫妻あひおもふ心のうすらがざるは、いとめでたき人にこそ、(新古今集に、難波人芦火たく屋に宿かりてすゞろに袖のしほたるゝ哉、今の歌によりて、よまれたり、)○この一首は火に寄てよめるなり、
 
2652 妹之髪《イモガカミ》。上《カミ》小〔□で囲む〕|竹葉野之《タカハヌノ》。放駒《ハナチコマ》。蕩去家良思《アラビニキケラシ》。不合思者《アハナクモヘバ》。〔頭註、【三首寄v馬、】〕
 
妹之髪《イモガカミ》は、枕詞なり、髪を揚《タク》とかゝれるなるべし、○上小竹葉野、いづくにや、未詳ならず、(堀河百首に、網引するみつの濱べにさわがれてあげをさゝのへたづ歸るなり、とあるは、此《ノ)歌を、(136)あげをさゝのと訓りと聞えたれど、おぼつかなし、又攝津(ノ)國の地とせむことも、他に其(ノ)證なし、○荒木田(ノ)久老(ノ)漫筆に、門人城戸(ノ)千楯が説に、此はアゲタカハヌ〔六字右○〕と訓べし、さてアゲタカヌ〔五字右○〕といふ意に、かゝる詞とすべしといへり、とあり、今按(フ)に、タカハヌ〔四字右○〕と云は宜しけれど、小竹をタカ〔二字右○〕と訓は、例なきことなり、)せめて按(フ)に、上とは、和名抄に、山城(ノ)國愛宕(ノ)郡に、上粟田《カミアハタ》下粟田《シモアハタ》、大和(ノ)國廣瀬(ノ)郡に、上(ツ)倉下(ツ)倉、和泉(ノ)國和泉(ノ)郡に、上(ツ)泉下(ツ)泉など云がある如く、(この類古書に往々見えたり、)地の勢《ナリ》に、自(ラ)上下ありて、上《カミ》某|下《シモ》某と別ち云る事多し、今もさる所由《ヨシ》にて、上と云るならば、カミ〔二字右○〕と訓べし、(アゲ〔二字右○〕と云てはいかにも地(ノ)名めかず、)さて小は衍文にて、竹葉はタカハ〔三字右○〕なるべし、竹葉は、和名抄に、山城(ノ)國綴喜(ノ)郡|多河《タカハノ》郷、豐前(ノ)國田河(ノ)郡、(延喜式にも、田河(ノ)驛とあり、)とあり、若(シ)は此(ノ)内などにや、)又出羽(ノ)國田河(ノ)郡田河(ノ)郷、壹岐(ノ)島壹岐(ノ)郡田河(ノ)郷、などあり、又此(ノ)集十二に、誰葉野とあるも、同處にや、(すべて地(ノ)名には、諸國に同名多ければ、何國とも定めては云べからねど、此(ノ)下にも、豐國《トヨクニ》の朽網山《クタミヤマ》をよみたれば、豐前のならむも、知べからず、さて枕詞よりは、髪を揚《タク》と云意にかゝれるうへに、(此(ノ)上に、青草髪爾多久濫《ハルクサヲカミニタクラム》、九(ノ)卷に、髪多久麻底爾《カミタクマテニ》、二(ノ)卷に、多氣婆奴禮多香根者長寸妹之髪《タケバヌレタカネバナガキイモガカミ》などあり、)髪《カミ》と上《カミ》と、言の同じきから、かた/”\語路をなして、妹之髪上竹葉《イモカカミカミタカハ》、とつゞけ下したるなるべし、○放駒、ハナレコマ〔五字右○〕と云(ハ)ずして、ハナチコマ〔五字右○〕と云は、放(チ)鳥など同例なり、かげろふの日記にも、河づらに、はなちうまどものあさりありくも、はる(137)かに見えたり、とあり、○蕩《アラビ》は、疎《ウト》くなるを云、さて本(ノ)句よりは、野馬の荒(ビ)行(ク)意に云つゞけたり、○歌(ノ)意、本(ノ)句は、蕩《アラビ》をいはむ序のみにて、日ごろ絶て、來てあはぬ車を思へば、心のうつり變りて、うとく荒びたるゆゑならし、となり、蕩《アラビ》は、上よりは、駒の荒ぶる意にいひかけ、うけたるうへにては、疎《アラ》ぶるよしなり、
 
2653 馬音之《ウマノトノ》。跡杼登毛爲者《トドトモスレバ》。松陰爾《マツカゲニ》。出曾見鶴《イデテゾミツル》。若君香跡《ケダシキミカト》。
 
跡杼《トド》は、動響《トヨメキ》なり、歩む足音なり、等杼《トド》と云るは、十四に、於久夜麻能眞木乃伊多度乎等杼登之※[氏/一]《オクヤマノマキノイタドヲトドトシテ》、とあり、○松陰《マツカゲ》は、走出のなり、矣冲、松に、待こゝろをよせたり、と云り、さることもあらむ、○若君香跡は、ケダシキミカト〔七字右○〕と訓べし、十五茅上(ノ)娘子(カ)歌に、可敝里家流比等伎多禮里等伊比之可婆保登保登之爾吉君香登於毛比弖《カヘリケルヒトキタレリトイヒシカバホトホトシニキキミカトオモヒテ》、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2654 君戀《キミニコヒ》。寢不宿朝明《イネヌアサケニ》。誰乘流《タガノレル》。馬足音《ウマノアノトソ》。吾聞爲《アレニキカスル》。
 
君戀《キミニコヒ》云々、上に、妹戀不寢朝明男爲鳥從是此度妹使《イモニコヒイネヌアサケニヲシドリノコヨトビワタルイモガツカヒカ》、とあるに似たり、○馬足音は、ウマノトソ〔五字右○〕と訓べし、足音《アノ》は、十四に、安能於登世受由加牟古馬母我《アノオトセズユカムコマモガ》云々、とあり、(職人歌合に、いとふなよかよふ心の馬ひじり人り聞べきあの音もなし、)曾《ソ》は加《カ》と云むが如し、誰が乘(レ)る馬の足音にてかあるらむ、となり、加《カ》と云べきを曾《ソ》と云は、十四に、多禮曾許能屋能戸於曾夫流《タレソコノヤノトオソブル》、催馬樂淺水に、多禮曾古乃名加比止太天天美毛止乃加太知世宇曾己之止不良比爾久留也《タレソコノナカヒトタテテミモトノカタチセウソコシトアラヒニクルヤ》、色(138)葉歌にも、わが世たれぞ常ならむ、などある、皆同じ、○歌(ノ)意は、こゝには、君をこひしく思ひつつ、ねもやらで.あかせる朝開《アサケ》に、誰が妹がり行し馬の足(ノ)音にてかあるらむ、それだにわれに聞せずはあるべきを、聞ばいよ/\ねたくおもふを、となり、○以上三首は、馬に寄てよめるなり、
 
2655 紅之《クレナヰノ》。襴引道乎《スソヒクミチヲ》。中置而《ナカニオキテ》。妾哉將通《アレヤカヨハム》。公哉將來座《キミヤキマサム》。〔頭註、【一首寄v道、】〕
 
襴引道《スソヒクミチ》は、續日本後紀十二童謠に、玉兒《タマノコノ》牽《ヒク》v裾《スソ》|乃〔□で囲む〕|坊爾《マチニ》云々、とあり、(此(ノ)謠は、南京遺響に委(ク)釋り、)襴《スソ》は、女の裳裾《モスソ》なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、末(ノ)句は、古今集に、君やこむ我やゆかむのいざよひに、とめる類なり、○舊本に、一云須蘇衝河乎、又曰待香將待、と註せり、一云は第二(ノ)句、又曰は第五(ノ)句なり、須蘇衝は裾漬《スソツク》なり、○この一首は、道に寄てよめるなり、
 
2656 天飛也《アマトブヤ》。輕乃社之《カルノヤシロノ》。齋槻《イハヒツキ》。幾世及將有《イクヨマデアラム》。隱嬬其毛《コモリヅマソモ》。〔頭註、【二首寄2神祇1、】
 
天飛也《アマトブヤ》は、枕詞なり、契冲、天飛鴈《アマトブカリ》といふこゝろにつゞけたり、石上ふりにし里ともよめる例にて、カル〔二字右○〕とカリ〔二字右○〕と、たがひたるやうなれど、かくはつゞくるなり、鴈は高く飛ものなれば、多く天飛鴈《アマトブカリ》とよめり、といへり、也《ヤ》は、のどめたる時におく助辭なり、○輕乃社《カルノヤシロ》は、神名式に、大和(ノ)國高市(ノ)郡輕(ノ)樹村(ニ)坐神社二座、(並大、月次新甞、)○齋槻《イハヒツキ》とは、彼(ノ)社には、槻の木を神木とすればなるべし、と契冲云り、さてこれまでは序にて、此(ノ)木の久しきによせて、幾世及《イクヨマデ》とつゞけたり、○(139)歌(ノ)意は、人目をつゝむ隱妻《コモリヅマ》なれば、あらはして妻とすることのかたきに、いつまでかやうにてあらむぞ、さても久しや、となげきたるなり、
 
2657 神名火爾《カムナビニ》。※[糸+刃]呂寸立而《ヒモロキタテテ》。雖忌《イハヘドモ》。人心者《ヒトノコヽロハ》。間守不敢物《マモリアヘヌモノ》。
 
神名火《カムナビ》は、飛鳥《アスカ》の神南備山《カムナビヤマ》なり、○紐呂寸《ヒモロキ》は、神代紀に、高皇産靈(ノ)尊因|勅曰《ノリタマハク》、吾則《アハ》起2樹《オコシタテヽ》天津神籬及天津磐境《アマツヒモロキトアマツイハサカヲ》1、當爲(ニ)2吾(ガ)孫(ノ)1奉《マツリキ》齋《イハヒ》矣、云々、崇神天皇(ノ)紀に、以2天照大神1託《ツケイェ》2豐鍬入姫(ノ)命(ニ)1祭2於倭(ノ)笠縫(ノ)邑(ニ)1、仍《ソコニ》立(ツ)2磯堅城神籬《シキノヒモロキヲ》1、(神籬此云2比莽呂岐《ヒモロキト》1、)和名抄に、日本紀私記(ニ)云、神籬、俗(ニ)云|比保路岐《ヒボロキ》、とあり、そもそも比母呂岐《ヒモロキ》と云物は、さか木を立て、其を神の御室《ミムロ》として、祭るよりして云名にて、柴室木《フシムロキ》の意なるを、布志《フシ》を切て比《ヒ》と云なり、三(ノ)卷に、吾屋戸爾御諸乎立而《ワガヤドニミムロヲタテテ》、これさか木を立るを云、又廿(ノ)卷に、爾波奈加能阿須波乃可美爾古志波佐之《ニハナカノフスハハノカミニコシバサシ》、これらも同じ、と本居氏云り、○雖忌《イハヘドモ》は雖《ドモ》2齋祭《イハヒマツレ》1、といふ意なり、○不敢物は、アヘヌモノ〔五字右○〕とよみたるよろし、物《モノ》は物《モノ》をの意なり、(略解に、物は疑の誤として、カモ〔二字右○〕とよめるは、古(ヘ)のことばづかひをしらぬ、みだりことなり、)○歌(ノ)意は、神南備山の神の御爲に、神籬《ヒモロキ》をたてゝ、慇懃《ネモゴロ》に齋祭《イハヒマツ》りて、約《チギリ》の變《タガ》はぬやうにと?白《イノリマヲ》せども、うつろひ易き人の心は、神だに守り留め賜ふに、得堪たまはぬものを、となり、○以上二首は、神祇に寄てよめるなり、
 
2658 天雲之《アマクモノ》。八重雲隱《ヤヘクモガクリ》。鳴神之《ナルカミノ》。音爾耳八方《オトニノミヤモ》。聞度南《キヽワタリナム》。〔頭註、【二首寄v雲、】
 
(140)歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、かくれたるすぢなし、古今集に、逢事は雲居はるかに鳴神の音に聞つゝ戀渡(ル)哉、○この一首は、雷に寄てよめるなり、
 
2659 爭者《アラソヘバ》。神毛惡爲《カミモニクマス》。從咲八師《ヨシヱヤシ》。世副流君之《ヨソフルキミガ》。惡有莫君爾《ニクカラナクニ》。〔頭註、【五首寄2神祇1、】〕
 
惡爲《ニクマス》は、惡み賜ふと云に同じ、○歌(ノ)意は、君と吾とのうへを、人のよそへいふなるを、さることさらになしと爭ふべけれど、惡《ニク》くいとはしからぬ君なれば、よしやよそへいふとも、さてありなむ、すべて物爭(ヒ)するは、神もにくみ賜ふことなれば、あらそはじ、となり、
 
2660 夜並而《ヨナラベテ》。君乎來座跡《キミヲキマセト》。千石破《チハヤブル》。神社乎《カミノヤシロヲ》。不祈日者無《ノマヌヒハナシ》。
 
夜並而《ヨナラベテ》は、夜毎《ヨゴトニ》といふか如し、日並兩《ヒナラベテ》と云も、昼夜《ヨルヒル》こそかはれゝ、並《ナラベ》の言は意同じ、○神社乎《カミノヤシロヲ》は、神社爾《カミノヤシロニ》といはむが如し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2661 靈治波布《タマチハフ》。神毛吾者《カミモアレヲバ》。打棄乞《ウツテコソ》。四惠也壽之《シヱヤイノチノ》。?無《ヲシケクモナシ》。
 
靈治波布神《タマチハフカミ》とは、人の靈《タマシヒ》を、幸《チハ》ひ佐《タス》け保《タモ》ち賜ふ神と云なり、すべて人の命は、神の保ち賜ふものなればなり、○打棄乞《ウツテコソ》とは、打棄《ウツテ》は、此上にも見ゆ、五(ノ)卷には宇都弖《ウツテ》とあり、捨《ステ》と云に同じ乞《コソ》は、希望(ノ)の辭なり、○歌(ノ)意は、人の壽命《イノチ》を持《タモ》つは、神のちはひによることにこそあれ、さるに、かく君にあふことの叶はぬからには、生てあらむも益なく苦しければ、命も惜からず、中々に死ばやすけむと思へど、我(ガ)命の靈を、保ち賜ふ神の、見離ち賜はぬかぎりは、死ることも叶ひ(141)がたし、よしやよし、今は神も、我(ガ)身をば見捨賜へよかし、となり、
 
2662 吾妹兒《ワギモコニ》。又毛相等《マタモアハムト》。千羽八振《チハヤブル》。神社乎《カミノヤシロヲ》。不?日者無《ノマヌヒハナシ》。
 
略解(ニ)云、右の夜並而《ヨナラベテ》の歌の或本なるべし、
 
2663 千葉破《チハヤブル》。神之伊垣毛《カミノイガキモ》。可越《コエヌベシ》。今者吾名之《イマハワガナノ》。惜無《ヲシケクモナシ》。
 
伊垣《イガキ》は、齋籬《イミカキ》にて、神(ノ)社の籬は、齋忌《モノイミ》して清淨《キヨラ》なれば云り、和名抄に、日本紀私記(ニ)云、瑞籬、俗(ニ)云|美豆加岐《ミヅカキ》、一(ニ)云|以賀岐《イガキ》、○今(ノ)字、舊本には令と作り、古本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意は、契冲、神は人のうやまふべきかぎりなれど、たとひその神の、いがきをふみこえても、あふとだにいはゞこえぬべし、そのたゝりゆゑに、いかなることありて、名をけがすとも、それも惜からずとなり、と云り、七(ノ)卷に、木綿懸而齋此神社可越所念可毛戀之繁爾《ユフカケテイハフコノモリコエヌベクオモホユルカモコヒノシゲキニ》、今の歌と、同じこゝろばえなるべし、十(ノ)卷に、祝部等之齋經社之黄葉毛標繩越而落云物乎《ハフリラガイハフヤシロノモミチバモシメナハコエテチルチフモノヲ》、ともあり、○以上五首は、神祇に寄てよめるなり、
 
2664 暮月夜《ユフヅクヨ》。曉闇夜乃《アカトキヤミノ》。朝影爾《アサカゲニ》。吾身者成奴《ワガミハナリヌ》。汝乎念金丹《ナヲオモヒカネテ》。〔頭註、【十首寄v月、】〕
 
本(ノ)句の意、まづ、暮月夜《ユフヅクヨ》は、かならず曉やみなれば、いへり、さてこれは、歌にとりて用なし、朝をいはむ料に、曉をいへるのみなり、○第三四(ノ)句は、上に見えたり、○汝乎念金丹は、丹は手の誤なるべし、手の草書丹とよく似て混(ヒ)易し、さらばナヲオモヒカネテ〔八字右○〕と訓べし、(略解に、本居氏(ノ)(142)説を引て、丹は衍文にて、ナヲオモヒカネ〔七字右○〕と訓べし、といへれど、さにはあらじ、)○歌(ノ)意は、汝を思ふ思ひに堪|難《カネ》て、吾(ガ)身は朝日にうつる影のごとくに、疲れやつれぬ、となり、
 
2665 月之有者《ツキシアレバ》。明覽別裳《アクラムワモモ》。不知而《シラズシテ》。寐吾來乎《ネテアガコシヲ》。人見兼鴨《ヒトミケムカモ》。
 
歌(ノ)意は、月影が明くてれる故に、夜の開るさかひもしらずして、朝になるまで、相宿して歸り來しを、人のそれと見あらはしけむか、さても悔しや、となり、四(ノ)卷に、戀々而相有物乎月四有者夜波隱良武須臾羽蟻待《コヒ/\テアヒタルモノヲツキシアレバヨハコモルラムシマシハアリマテ》、此は意|異《カハ》りたれど、今の歌に似たり、新古今集、藤原(ノ)惟成、まてしばしまだ夜はふかし長月の在明の月は人まどふなり、又古今集に、玉くしげあけばきみが名立ぬべしよぶかくこしを人みけむかも。とあるは、今の歌のうらなり、
 
2666 妹目之《イモガメノ》。見卷欲家口《ミマクホシケク》。夕闇之《ユフヤミノ》。木葉隱有《コノハガクレル》。月待如《ツキマツゴトシ》。
 
月待加は、ツキマツゴトシ〔七字右○〕と訓べし、(ツキマツガゴト〔七字右○〕とよみては意いさゝかたがへり、)○歌(ノ)意は、妹を見まほしく思ふやうは、たとへば、夕やみのおぽつかなきに、木(ノ)葉隱れし月の、いつか出來むと待がごとし、となり、
 
2667 眞軸持《マソデモテ》。床打拂《トコウチハラヒ》。君待跡《キミマツト》。居之間爾《ヲリシアヒダニ》。月傾《ツキカタブキヌ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2668 二上爾《フタガミニ》。隱經月之《カクロフツキノ》。雖惜《ヲシケドモ》。妹之田本乎《イモガタモトヲ》。加流類比來《カルルコノゴロ》。
 
(143)二上《フタガミ》は、大和(ノ)國葛下(ノ)郡葛城山のはてに、尖《トガ》りたる嶺二(ツ)あり、其を二上《フタガミ》山と云といへり、○本(ノ)句は、序にて、大和(ノ)國の西の方にある二上山に、やう/\落隱れ行て、見えずなる月の、惜きと云つゞけなり、○歌(ノ)意は、別(レ)のをしくはあれども、公役のつとめなどを、辭《イナ》み止(ム)ことを得ずして、このころは、妹がたもとをはなれ遠ざかりて、得逢(ハ)ぬ、となり、
 
2669 吾背子之《ワガセコガ》。振放見乍《フリサケミツヽ》。將嘆《ナゲクラム》。清月夜爾《キヨキツクヨニ》。雲莫田名引《クモナタナビキ》。
 
雲莫田名引《クモナタナビキ》は、雲莫霏曾《クモナタナビキソ》といふに同じ、曾《ソ》は添いふ辭なれば、あるもなきも同じことなり、(六帖には、此(ノ)歌を、雲なたなびきそと載たれば、必(ズ)曾《ソ》の辭なくて叶はぬことぞと思ふは後なり、)なほ三(ノ)卷に、既く委(ク)説り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2670 眞素鏡《マソカヾミ》。清月夜之《キヨキツクヨノ》。湯徙去者《ユツリナバ》。念者不止《オモヒハヤマジ》。戀社益《コヒコソマサメ》。
 
湯徙《ユツリ》は、依移《ヨリウツリ》なり、依《ヨル》は、彼方にあるものゝ此方に、此方にあるものゝ彼方に依(ル)意なり、されば移《ウツ》るとのみ云も、大方は同じ言なれど、湯徙《ユツル》は、たしかに依來り移る由を、今一(ト)きはくはしくいふ言なり、四(ノ)卷に、松之葉爾月者由移去《マツノハニツキハユツリヌ》、とあるも、松(ノ)葉に、たしかに月の依移れるを、委しく云るにて、其(ノ)言(ノ)意を味(フ)べし、さて與利《ヨリ》を切めて由《ユ》といひ、由移《ユウツル》と連云(フ)とき、宇《ウ》の言は、由《ユ》の餘韻に含れば、自《オラ》省る例にて、由都留《ユツル》とはいへるなり、かくてこゝは、月の西に依(リ)かたぶくを云り、○歌(ノ)意は、清《サヤ》けき月の西にかたふきなば、吾(ガ)思ひも、月と共に鎭るべきに、さはなくして、人を(144)待(ツ)たのみもなき故に、いよ/\ます/\こひしく思ふこゝろこそまさるべけれ、となり、
 
2671 今夜之《コノヨラノ》。在開月夜《アリアケノツクヨ》。在乍文《アリツヽモ》。公乎置者《キミヲオキテハ》。待人無《マツヒトモナシ》。
 
本(ノ)二句は、在《アリ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、君をさしおきて、外に待べき人はさらになし、あり/\て夜更るまでも、君をこそ待べけれ、となり、
 
2672 此山之《コノヤマノ》。嶺爾近跡《ミネニチカシト》。吾見鶴《アガミツル》。月之空有《ツキノソラナル》。戀毛爲鴨《コヒモスルカモ》。
 
嶺爾近跡《ミネニチカシト》云々は、譬ふる意はなし、山の端より立出る月を、ふと打見たるときは、此方《コナタ》の山の嶺上《ミネ》に、近くより來れるやうにも、見ゆるからに、たゞありのまゝに云るが妙(ヘ)に面白し、さて月之《ツキノ》と云までは、たゞ空といはむ料のみの序にて、月のことは、歌(ノ)意にはあづからず、○歌(ノ)意は、うか/\と心も空になりたる、戀をすることにもある哉、となり、古今集に、五月山梢を高み時鳥なく音そらなる戀もするかな、
 
2673 烏玉乃《ヌバタマノ》。夜渡月之《ヨワタルツキノ》。湯移去者《ユツリナバ》。更哉妹爾《サラニヤイモニ》。吾戀將居《アガコヒヲラム》。
 
歌(ノ)意は、月のあるかぎりは、なぐさむるかたもあるを、その月のかたふきなば、いよ/\心ぼそく、さま/”\に思ひみだれて、又更に戀しく思ふ事のまさらむか、となり、○以上十首は、月に寄てよめるなり、
 
2674 朽網山《クタミヤマ》。夕居雲《ユフヰルクモノ》。薄往者《タチテイナバ》。余者將戀名《アレハコヒムナ》。公之目乎欲《キミガメヲホリ》。〔頭註、【三首寄v雲、】〕
 
(145)朽網山《クタミヤマ》は、景行天皇(ノ)紀に、十二年冬十月云々、留(テ)2于|來田見《クタミノ》邑(ニ)1、權興(テ)2宮室《ミヤヲ》1居之《マシ/\キ》、これは碩田(ノ)國に至りたまひての事なり、碩田は、今の豐後なり、豐後風土記に、大分川《オホキダカハ》、此(ノ)川之源出2直入(ノ)郡|朽網《クタミ》之峰(ヨリ)1、指v東下流云々、とあり、(又契冲、式に、伊勢(ノ)國度會(ノ)郡|朽網《クタミノ》神社、因幡(ノ)國八上(ノ)郡|久多美《クタミノ》神社、これらの神社おはします所にある山にてもあるべきか、といへり、)〔頭註、【風土記、直入郡|球※[譚の旁]《クタミ》郷在2郡北1、此村有v泉、泉水有2蛇※[雨/龍]1、天皇勅曰、如將v有v※[自/死]、莫v令v汲、因曰2※[自/死]水1、今謂2球※[譚の旁]1者、訛也、】〕○君之目乎欲《キミガメヲホリ》、書紀齊明天皇崩御の後、天智天皇いまだ太子にてよませ賜へる御歌に、枳瀰我梅能姑〓之枳※[舟+可]羅※[人偏+爾]婆底底威底※[舟+可]矩野姑悲武謀枳瀰我梅弘報梨《キミガメノコホシキカラニハテテヰテカクヤコヒムモキミガメヲホリ》、○薄徃者、ウスラガバ〔五字右○〕と訓るによらば、おもふ人の心のうすらぎ、うとくなりゆかばと云意にいへるか、(略解に、ウスラガバ〔五字右○〕の言雅ならず、薄と轉と字の似たれば、轉徃とありしにや、しからば、ユツリナバ〔五字右○〕とよむべし、といへり、されどユツル〔三字右○〕、と云詞、雲には聞つかぬ心ちすれば、おぼつかなし、なほ考(フ)べし、)今つら/\按(フ)に、おもふ人の、うすらぎうとくなりゆかむには、戀しく思ふ心の益らむこと、當然の理なれば、ことあたらしく、余者將戀名《アレハコヒムナ》などいふまでもなき歟、故(レ)考るに、薄は發(ノ)字の誤なるべきか、さらば、タチテイナバ〔六字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、いづれ第一二(ノ)句は序なり、第三(ノ)句|發徃者《タチテイナバ》とするときは、雲の發《タツ》と云かけたるなり、さて發て徃賜はば、親く相見ることも叶はねば、君を見まほしくて、我は戀しくのみ思はむなあといへるにて、此は男の旅行などせむとすとき、女のよめる歌とすべし、
 
(146)2675 君之服《キミガケル》。三笠之山爾《ミカサノヤマニ》。居雲乃《ヰルクモノ》。立者繼流《タテバツガルル》。戀爲鴨《コヒモスルカモ》。
 
君之服は、枕詞なり、キミガケル〔五字右○〕と訓べし、○立者繼流は、タテバツガルヽ〔七字右○〕ト訓べし、立《タツ》は、起《タチ》て徃を云、雲の起去かと見れば、又あとより續きて起(ツ)をいへり、三(ノ)卷に、高※[木+安]之三笠乃山爾鳴鳥之《タカクラノミカサノヤマニナクトリノ》、止者繼流戀哭爲鴨《ヤメバツガルルコヒモスルカモ》、とあるは、鳥と雲と物は異りたれど、言(ノ)意は同じ、(略解に、タチテハツゲル〔七字右○〕とよめるは、よろしからず、)○歌(ノ)意は、山に下(リ)居る雲の、起て行かと見れば、又あとより居るが如く、戀しく思ふ心の、うするかとすれば、又あとよりつゞきて、なげかるゝ事哉、となり、
 
2676 久堅之《ヒサカタノ》。天飛雲爾《アマトブクモニ》。成而然《ナリテシカ》。君相見《キミヲアヒミム》。落日莫死《オツルヒナシニ》。
 
成而然《ナリテシカ》(成(ノ)字、舊本には在とあり、今は異本に從つ、)は、雲にがな成たきの意なり、○落日莫死《オツルヒナシニ》は、闕《カク》る日無(シ)にといはむが如し、落《オツ》は、一日も落ず、一夜も落ず、隈も落ずなど、集中に多し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十四に、美蘇良由久君母爾毛我母奈家布由伎弖伊母爾許等杼比安須可敝里許武《ミソラユククモニモガモナケフユキテイモニコトドヒアスカヘリコム》、○今按(フ)に、飛といへること、何とやらむ、雲に似つかはしからぬやうなり、若は天飛鴈《アマトブカリ》と、もとはありけむを、はやくより誤り吟(ヘ)て、此(ノ)次《ナミ》に收(レ)たるにはあらざる歟、相見《アヒミム》といへるも、雲よりは、雁ならむこそ、ふさはしかるべけれ、十(ノ)卷にも、出去者天飛鴈之可泣美《イデヽイナバアマトブカリノナキヌベミ》、とあるを思(ヒ)合(ス)べし、○以上三首は、雲に寄てよめるなり、
 
2677 佐保乃内從《サホノウチヨ》。下風《アラシ》之〔□で囲む〕吹禮波《フケレバ》。還者《タチカヘリ》。爲便胡粉《セムスベシラニ》。歎夜衣大寸《ナゲクヨソオホキ》。
〔頭註、【三首寄v風、】〕
 
(147)下風之吹禮波は、アラシノフケレバ〔八字右○〕とよみては、之《ノ》の言あまりて聞ゆ、今按(フ)に、こは傍訓のシ〔右○〕の、本文にまがひ入しなるべし、さらばアラシフケレバ〔七字右○〕と訓べし、下風をアラシ〔三字右○〕とよむこと、既くいへり、○還者、カヘルサハ〔五字右○〕とよみたれど、穩ならず、誤字などあるべし、もしはもとは、立還《タチカヘリ》とありしならむを、字を倒置《オキタガ》へ、つひに立を、者に誤れるなどにもあらAか、○爲便胡粉(爲便(ノ)二字、舊本には脱たり、今は古本に從つ、)は、セムスベシラニ〔七字右○〕なり、シラニ〔三字右○〕は、不v知にあり、○大寸《オホキ》は、借(リ)字にて、多きなり、○歌(ノ)意は、佐保の内より嵐の吹來て、甚寒ければ、爲べきやうをしらずして、立かへり/\、幾度となく、歎息をする夜の多き事よ、獨宿ならずは、かく寒く苦しきに、堪かぬる事もあるまじきを、といへるにやあらむ、
 
2678 級子八師《ハシキヤシ》。不吹風故《フカヌカゼユヱ》。玉※[しんにょう+更]《タマクシゲ》。開而左宿之《ヒラキテサネシ》。吾其悔寸《アレソクヤシキ》。
 
級子八師は、級は、階級也、と字註に見えたれば、階の意にて、ハシ〔二字右○〕に借たる字なり、子は、本居氏、寸(ノ)字の誤なりと、いへり、ハシキヤシ〔五字右○〕と訓べし、さて夏の風は、身にうるはしく覺るものなれば、賞て、愛《ハシ》き風といへるなり、○不吹風故《フカヌカゼユヱ》は、不v吹風なるものをの意なり、○玉※[しんにょう+更]《タマクシゲ》は、枕詞なり、○歌(ノ)意は、待人のむなしく來らざるを、風にたとへたるにて、愛《ウルハシ》き風の吹入(リ)もせざるものを、よもや吹も入むと思ひたのみて、戸を開き置て宿しことの悔しき、となげきたるなり、六帖に、風ふけと人にはいひて戸は閇《サヽ》じあはむと人にいひてしものを、とあるは、風にことよせ(148)て、人を待(ツ)意、今の歌は、やがて人を風にたとへたり、
 
2679 窓超爾《マドコシニ》。月臨照而《ツキオシテリテ》。足檜乃《アシヒキノ》。下風吹夜者《アラシフクヨハ》。公乎之其念《キミヲシソモフ》。
 
窓《マド》は、和名抄に、説文(ニ)云、〓(ハ)穿v壁(ヲ)以v木爲v交(ト)、〓也、和名|末度《マド》、また説文(ニ)云、在v屋(ニ)曰v〓(ト)、在v墻(ニ)曰v〓(ト)、和名|末止《マド》、○月臨照《ツキオシテリ》は、おしなべて照(ル)意なり、八(ノ)卷に、月押照有《ツキオシテレリ》、七(ノ)卷にも、春日山押而照有此月者《カスガヤマオシテテリタルコノツキハ》、とよめり、○足檜、かく書て、アシヒキ〔四字右○〕とよませたる例、此(ノ)下に二所、七(ノ)卷に一所、十二に二所あり、○歌(ノ)意は、秋更て、月さやかに窓にさし入(リ)て、ものあはれに、あらしの膚《ハダ》寒く打ふくよはは、いとど君を戀しくぞ思ふ、となり、(六帖に、窓超に月はてらして足引のあらし吹夜は妹をしぞ思ふ、と載たり、)○以上三首は、風に寄てよめるなり、
 
2680 河千鳥《カハチドリ》。住澤上爾《スムサハノヘニ》。立霧之《タツキリノ》。市白兼名《イチシロケムナ》。相言始而言《アヒイヒソメテバ》。。〔頭註、【一首寄v霧、】〕
 
本(ノ)句は、著然《イチシロク》といはむ料の序なり、霧は、集中に白氣とも書(キ)、漢籍にも白霧と云て、白くそれと著(レ)て見ゆる物なれば、いち白《シロ》くとつゞきたり、○歌(ノ)意は、おもふ人と相語ひ初たらば、それと著《シル》く顯れむなあ、さらばなほつゝみてあるべきなれど、さては堪(ヘ)難からむに、と歎きたる、女の歌なるべし、○此(ノ)一首は、霧に寄てよめるなり、
 
2681 吾背子之《ワガセコガ》。使乎待跡《ツカヒヲマツト》。笠毛不著《カサモキズ》。出乍其見之《イデツヽソミシ》。雨落久爾《アメノフラクニ》。〔頭註、【五首寄v雨、】〕
 
落久爾《フラクニ》は、零爾《フルニ》の伸りたるなり、(良久《ラク》の切|留《ル》、)零ことなるにの意なり、○歌(ノ)意は、雨の零ことな(149)るに、其にも障らず、心いられに笠もとりあへず、濕つゝわびしきに、吾(ガ)夫子が使を待とて、家を出つゝぞ見し、となり、此(ノ)歌十二に再載たり、そこには問答にて、これに答る歌あり、
 
2682 辛衣《カラコロモ》。君爾内著《キミニウチキセ》。欲見《ミマクホリ》。戀其晩師之《コヒソクラシシ》。雨零日乎《アメノフルヒヲ》。
 
辛衣《カラコロモ》、此はあやある衣をいふなるべし、と略解にいへり、○内著《ウチキセ》は、打《ウチ》令《セ》v着《キ》にて、打《ウチ》はそへことばなり、○歌(ノ)意は、あやあるよき衣を縫おきて、着せて見まほしさに、雨のふる日なるものを、よもや來まさぬことはあらじと思ひて、來まさぬ人を、戀しくのみ思ひつゝ待て、いたづらに日をくらせし事、と悔みたる女の歌なるべし、
 
2683 彼方之《ヲチカタノ》。赤土少屋爾《ハニフノヲヤニ》。※[雨/脉]※[雨/沐]零《コサメフリ》。床共所沾《トコサヘヌレヌ》。於身副我妹《ミニソヘワギモ》。
 
彼方《ヲチカタ》は、齊明天皇(ノ)紀童謠に、烏智可※[手偏+施の旁]能阿婆努能枳枳始《ヲチカタノアバヌノキギシ》、大祓詞に、彼方乃繁木我本《ヲチカタノシゲキガモト》、とあり、凡て彼方《ヲチカタ》は、あちかたといふことなり、をちこちは、あちこちと云ことにて、遠近と書て、ヲチコチ〔四字右○〕とよむも、其(ノ)意なり、(しかるを、遠近の字にのみ就て、遠と近とをいふことゝのみ思ふは、末のことなり、)こゝの彼方《ヲチカタ》も、見渡したる所をいへるなり、さて人目|隱《シノ》ぶとて、吾(ガ)家の彼方《ヲチカタ》なる小屋《ヲヤ》に、妹を率《ヰ》て行てねたるからに、なほもとの吾(カ)家よりいふ言もて、やがて彼方《ヲチカタ》とは云るなり、○赤土少屋《ハニフノヲヤ》は、五(ノ)卷に、直土爾藁解敷而《ヒタツチニワラトキシキテ》、と云るごとく、土の上に、たゞわら莚など打しきたる、賤しき屋を云、さて古事記神武天皇(ノ)御歌に、阿斯波良能志祁去岐袁夜爾《アシハラノシケコキヲヤニ》、とあるにより(150)て、少屋をヲヤ〔二字右○〕とよみたるよろし、○※[雨/脉]※[雨/沐]、舊本に、※[雨/沐]を霖と作るは誤なり、今は飛鳥井本、活字本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意は、此(ノ)下に、人事乎繁跡君乎鶉鳴人之古家爾相語而遣都《ヒトコトヲシゲミトキミヲウヅラナクヒトノフルヘニカタラヒテヤリツ》、といへる如く、人目しのぶとて、賤き屋に女を率て行てねたるに、たゞさへあるに、床の上に雨のもりきて、いとゞせむすべなく、くるしければ、此方の身にそへ吾妹よ、と云て、したしむなり、
 
2684 笠無登《カサナミト》。人爾者言手《ヒトニハイヒテ》。雨乍見《アマツヽミ》。留之君我《トマリシキミガ》。容儀志所念《スガタシオモホユ》。
 
笠無登は、(カサナシト〔五字右○〕とよみきたれるはわろし、)カサナミト〔五字右○〕と訓べし、笠無き故に、との意なり、○雨乍見《アマツヽミ》は、雨に障《サヘ》られて、こもりゐるを云詞なり、○歌(ノ)意は、笠無きが故に、得かへらずて女の家に留りしと、人に言よせいひて、留りて、かへり賜ひし、君がすがたのうるはしさの、わすられずおもはるゝ、となり、
 
2685 妹門《イモガカド》。去過不勝都《ユキスギカネツ》。久方乃《ヒサカタノ》。雨毛零奴可《アメモフラヌカ》。其乎因將爲《ソヲヨシニセム》。
 
雨毛零奴可《アメモフラヌカ》は、雨もがな降(レ)かしと希ふ意なり、零奴《フラヌ》は、もと零禰《フヲネ》の通(ヒ)たる詞なり、(不v零の義にあらず、)布禮《フレ》と云に、禰《ネ》の希望辭のそはれるが故に、それに引れて、禮《レ》を良《ラ》に通(ハ)して、布良禰《フラネ》といひ、可《カ》の辭のそはれるに引れて、禰《ネ》を奴《ヌ》に通(ハ)して、布良奴可《フラヌカ》といへるなり、集中に、多き詞格《コトバヅカヒ》なり、○歌(ノ)意は、いかで爾もがなふり來れかし、雨だにふらば、雨やどりを託言《カゴト》にして、過行がたき妹が家にとまらむを、となり、(契冲、催馬樂に、いもが門せなが門行過かねてわがゆかば(151)ひぢかさの雨もふらなむ、などうたふは、此(ノ)歌より出けむを、ひさかたを、ひぢかさとあやまれるにや、と云り、六帖にも、此(ノ)歌を、ひぢかさの雨もふらなむ雨がくれせむ、と見え、源氏物語にも、ひぢ笠といふことあるは、みな誤を傳へたるものなり、)○以上五首は、雨に寄て、よめるなり、
 
2686 夜占問《ユフケトフ》。吾袖爾置《ワガソデニオク》。白露乎《シラツユヲ》。於公令視跡《キミニミセムト》。取者消管《トレバケニツヽ》。〔頭註、【六首寄v露、】〕
 
歌(ノ)意は、君にあふやあはじやと、夜すがら夜占《ユフケ》を問とて、道に立あかしたる袖におきたる露を、その艱難《イタヅキ》をせししるしを、せめて君に視《シメ》さむとて取ば泣つゝ、それだに心にまかせぬよ、となり、(六帖に、此(ノ)歌を、ゆふとけて、と載たるはいかゞ、)
 
2687 櫻麻乃《サクラアサノ》。苧原之下草《ヲフノシタクサ》。露有者《ツユシアレバ》。令明而射去《アカシテイマセ》。母者雖知《ハヽハシルトモ》。
 
櫻麻《サクラアサ》は、さくらのさくころ、まくものなる故にいふといへり、又後の麻を見るに、すなほにおひたちて、枝のやう葉のやう、やゝさくらに似たればいふにや、と契冲云り、(袖中抄に、さくらあさとは、麻の花は、白き中に、すこしうすすはう色あるあさのあるなり、それを櫻麻とはいふなり、又下人の申侍りしは、くらあさといふものありと申き、くらあさとは、もし苦參《クラ》と云物にや、それも布に織ばあさといふ歟、それにさもじをくはへて、さくらあさといふにや、櫻とかきたる心得ねど、萬葉は書樣ともかくもあり、あるはこれを、さくらをのをふの下草と(152)もよめり、○苧原《ヲフ》の下草《シタクサ》は、苧原《ヲフ》は、麻《アサ》を生したる※[田+漢の旁]《ハタ》を云て、下草《シタクサ》は、其麻の下に、生たる草なり、○射去は、イマセ〔三字右○〕にて、おはしませと云が如し、(イマセ〔三字右○〕は今(ノ)俗に、御出被v成といふに同じ、こゝは、御歸り被v成よの意なり、○歌(ノ)意は、麻生の下草の、曉露のしげきに、たふまじきがいとほしければ、夜を明して歸り賜へ、よしや母にしらるゝとも、さのみいとはじ、となり、女の家のあたりに、麻※[田+漢の旁]のありしからに、苧原をよめるなり、○枕册子に、朝貌の露落ぬさきに文かゝむと、みのほども心もとなく、をふの下草などくちすさみて、わがかたへゆくに云々、とかけるは、今の歌を思ひたるなり、十二に、櫻麻之麻原乃下草早生者妹之下紐不解有申尾《サクラアサノヲフノシタクサハヤオヒバイモガシタヒモトケザラマシヲ》、とて載たり、(新古今集、さくらあさのをふの浦浪立かへり見れどもあかず山梨の花、とあり、此はいかが、)
 
2688 待不得而《マチカネテ》。内者不入《ウチヘハイラジ》。白細布之《シロタヘノ》。吾袖爾《ワガコロモテニ》。露者置奴鞆《ツユハオキヌトモ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十二に、待君常庭耳居者打靡吾黒髪爾霜曾置爾家類《キミマツトニハニシヲレバウチナビクワガクロカミニシモソオキニケル》、とあると、言異なれど、意は相似たり、又古今集に、君こずば閨へも入じ濃紫《コムウサキ》わがもとゆひに霜はおくとも、といへるは、右の二首を、とりまじへたるやうなり、と略解に評《イへ》り、
 
2689 朝露之《アサツユノ》。消安吾身《ケヤスキワガミ》。雖老《オイヌトモ》。又|變〔○で囲む〕若反《マタヲチカヘリ》。君乎思將待《キミヲシマタム》。
 
又變若反は、マタヲチカヘリ〔七字右○〕と訓べし、(舊本に、變(ノ)字なきは脱たるものなり、克木田氏(ノ)考に從(153)て姑(ク)補つ、六(ノ)卷に、石綱乃又變若反青丹吉奈良乃都乎又將見鴨《イハツナノマタヲチカヘリアヲニヨシナラノミヤコヲマタミナムカモ》、とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十二に、初句|露霜乃《ツユシモノ》とかはれるのみにて、重て出たり、
 
2690 白細布乃《シロタヘノ》。吾袖爾《ワガコロモテニ》。露者置《ツユハオケド》。妹者不相《イモニハアハズ》。猶預四手《タユタヒニシテ》。
 
露者置の下、跡(ノ)字などの脱しにや、ツユハオケド〔六字右○〕とあるべし、○猶預四手《タユタヒニシテ》とは猶預《タユタヒ》は、(玉篇に、豫或作v預、とありて、猶豫と書たるに同じ、)行《ユキ》もやらず、去《カヘリ》もあへぬやうの意、四手《シテ》はしかする形を、たしかにいふ言なり、○歌(ノ)意は、女のあたりに行て、内に入(ラ)むとは思へど、もし打つけに入ば、母などのきゝとがめやせむと、心しらひしつゝ、夜更るまでたゝずみて、袖はしとゝに露にぬれたれど、逢ことをば得せず、さりとてなほ黙止《モダ》してかへりもあへず、入も得ずして、たゆたはれつゝをるほどの心うさ、といへるなるべし、
 
2691 云云《カニカクニ》。物者不念《モノハオモハジ》。朝露之《アサツユノ》。吾身一者《アガミヒトツハ》。君之隨意《キミガマニマニ》。
 
朝露之吾身《アサツユノワガミ》とは、露の如く、微《モロ》くはかなき身をいへり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、上に、云云物者不念斐太人乃打墨繩之直一道二《カニカクニモノハオモハズヒダビトノウツスミナハノタヾヒトミチニ》、とあり、○以上六首は、露に寄てよめるなり、
 
2692 夕凝《ユフコリノ》。霜置來《シモオキニケリ》。朝戸出爾《アサトデニ》。跡踐|附〔○で囲む〕而《アトフミツケテ》。人爾所知名《ヒトニシラユナ》。〔頭註、【一首寄v霜、】〕
 
夕凝霜《ユフコリノシモ》とは、夕方に、凝結《コリカタマ》れる霜を云、○跡踐附而、(舊本には、甚踐而と作り、さらばイタクシフミテ〔七字右○〕と訓べきか、されど穩ならざるなり、拾穗本には跡踐而と作り、)舊訓に、アトフミツケテ〔七字右○〕(154)とあると、拾穗本とに依に、附(ノ)字の脱たるにて、跡踐附而《アトフミツケテ》なるべし、又本居氏は、舊本に甚とあるは、其上(ノ)二字の誤寫にて、ソノウヘフミテ〔七字右○〕なるべしといへり、是然るべし、と略解には云へり、○歌(ノ)意は、夕方に凝結りたる霜の、其(ノ)まゝあれば、其に足跡を踐附て、人に知れ賜ふ事なかれ、よくして歸りたまへ、となり、○此(ノ)一首は、霜によせてよめるなり、
 
2693 如是許《カクバカリ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》。朝爾日爾《アサニヒニ》。妹之將履《イモガフムラム》。地爾有申尾《ツチナラマシヲ》。〔頭註、【一首寄v土、】〕
 
朝爾日爾《アサニヒニ》は、毎朝《アサゴト》に毎日《ヒゴト》に、といふが如し、○歌(ノ)意は、かほどに戀しく思つゝあらむよりは、中中に、妹が朝ごと日ごとに履らむ土にてだにも、あらましものを、となり、○此(ノ)一首は、土に寄てよめるなり、
 
2694 足日木之《アシヒキノ》。山鳥尾乃《ヤマドリノヲノ》。一峯越《ヒトヲコエ》。一目見之兒爾《ヒトメミシコニ》。應戀鬼香《コフベキモノカ》。〔頭註、【五首寄v山、】〕
 
本(ノ)二句は、一峯《ヒトヲ》をいはむ料の序にて、尾乃一峯《ヲノヒトヲ》と、乎《ヲ》の言を重ね、あやなせるなるべし、さて八(ノ)卷に、足日木能山鳥許曾婆《アシヒキノヤマドリコソハ》、峯向爾嬬問爲云《ヲムカヒニツマドヒストイヘ》、ともありて、山鳥は、雌雄一峯を隔て居といふことのあれば、其(ノ)意をも、帶《カネ》たるにもあるべし、○歌(ノ)意は、一(ツ)の峯を越たる、あなたの里にて、たゞ一目のみ見し妹なるに、かくばかり戀しく思ふべきものかは、といふなるべし、
 
2695 吾妹子爾《ワギモコニ》。相縁乎無《アフヨシヲナミ》。駿河有《スルガナル》。不盡乃高嶺之《フジノタカネノ》。燒管香將有《モエツヽカアラム》。
 
歌(ノ)意は、妹に相見むよしのなき故に、富士の高峯の燒るがごとく、つねに心もえつゝあらむ(155)歟、となり、
 
2696 荒熊之《アラクマノ》。住云山之《スムチフヤマノ》。師齒迫山《シハセヤマ》。責而雖問《セメテトフトモ》。汝名者不告《ナガナハノラジ》。
 
本(ノ)二句は、荒山のさまをいへるのみなり、○師齒迫山《シハセヤマ》、何國にか、未(ダ)詳ならず、本居氏、これは師齒迫《シハセ》といふを、數《シバ/\》責《セム》る意にとりて、しば/\せめて問ともの意なるべし、といへり、さもあるべし、さらば齒《ハ》をば濁りて唱へしか、○汝名者不告《ナガナハノラジ》は、汝《ナムヂ》の名をば告知せじ、となり、汝《ナ》は、夫(ノ)君を云なるべし、後(ノ)世こそ、汝《ナムヂ》とはいやしむ方にいへ、古(ヘ)は、尊む方にも、那《ナ》とも伊麻之《イマシ》ともいへること多ければ、疑ふべきにあらず、此(ノ)下に、隱口乃豐泊瀬道者常滑乃恐道曾戀由眼《ユモリクノトヨハツセヂハトコナメノカシコキミチソナガコヽロユメ》、とあるも、戀は爾心の誤にて、爾とは女より男をさせるなり、思(ヒ)合(ス)べし、○歌(ノ)意は、たとひ父母のしばしば責て問とも、吾(ガ)夫の名をば、告知すまじければ、心易く思(ヒ)賜へ、といふなり、上に、百積船潜納八占刺母雖問其名不謂《モヽツミノフネコギイルヽヤウラサシハヽハトフトモソノナハノラジ》、とあるに似たり、
 
2697 妹之名毛《イモガナモ》。吾名毛立者《アガナモタテバ》。惜社《ヲシミコソ》。布仕能高嶺之《フジノタカネノ》。燒乍渡《モエツヽソヲレ》。
 
立者は、タテバ〔三字右○〕と訓べし、(タヽバ〔三字右○〕とよめるは、いみじき非なり、もししか訓ば、尾(ノ)句を、モエツヽワタラメ〔八字右○〕といはでは、首尾とゝのはざるをや、)○歌(ノ)意は、女も吾も名のたてればこそ惜さに、富士の高峯の燒るがごとく、心もえつゝ月日を過すことなれ、さらずば、かくはあらじを、となり、
(156)〔或|本〔○で囲む〕歌曰、君名毛《キミガナモ》。妾名毛立者《ワガナモタテバ》。惜己曾《ヲシミコソ》。不盡乃高山之《フジノタカネノ》。燒乍居《モエツヽモヲレ》。〕
舊本に、本(ノ)字なきは、脱たるなるべし、○本文は、男の歌、註は女の歌とせると、結句のすこしかはれるを、異本とす、
 
2698 往而見而《ユキテミテ》。來戀敷《クレバコヒシキ》。朝香方《アサカガタ》。山越置代《ヤマコシニオキテ》。宿不勝鴨《イネカテヌカモ》。
 
本(ノ)二句は、夜往て、妹を見て、曉に歸り來れば、戀しきといふにて、朝の序なるよし、略解にもいへり、○朝香方《アサカガタ》、未(タ)詳ならず、陸奥(ノ)國安積(ノ)郡にもやあらむ、(十四(ノ)東歌に、安齋可我多《アセカガタ》、とあるとは、別なるべし、又略解に、古事記に、其(ノ)猿田※[田+比]古(ノ)神は坐2阿邪※[言+可]《アサカニ》1、神名式に、伊勢(ノ)國壹志(ノ)郡|阿射加《アザカノ》神社、とあるを引たれど、阿邪加《アザカ》は、邪《ザ》濁音なれば朝香《アサカ》とは別ならむ、)○歌(ノ)意は、うるはしくおぼゆる人を、朝香がたにおきて、わかれ來つるに、山こしにさへあれば、たやすくあふべきことも叶はねば、思ひにたへかねて、夜だにまどろみあへぬ哉、さてもくるしや、となり、○以上五首は、山に寄てよめるなり、
 
萬葉集古義十一卷之中 終
 
(157)萬葉集古義十一卷之下
 
2699 安太人乃《アダヒトノ》。八名打度《ヤナウチワタス》。瀬速《セヲハヤミ》。意者雖念《コヽロハモヘド》。直不相鴨《タヾニアハヌカモ》。〔頭註、【廿三首寄v水、】〕
 
安太人《アダヒト》は、安太《アダ》と云地に住(ム)人を云、難波人《ナニハヒト》などの類なり、安太《アダ》は、和名抄に、大和(ノ)國宇智(ノ)郡|阿陀《アダ》、(陀音可2濁讀1、)とあるこれなり、○八名打度《ヤナウチワタス》とは、八名《ヤナ》は、和名抄に、魚梁(ハ)(夜奈《ヤナ》、)籍(ハ)(漢語抄(ニ)云、夜奈須《ヤナス》、)取v魚(ヲ)箔也、とあり、なほ三(ノ)卷に既く委(ク)云り、古事記に、到《イタリマス》2吉野河之河尻(ニ)1時、作《ウチテ》v筌《ヤナ》有2取(フ)v魚人1、云々、名(ハ)謂2贄持之子《ニヘモチノコト》1、(此者|阿陀之鵜養之祖《アダノウガヒガオヤ》也、)と見えて、阿陀《アダ》は、上古より魚梁に名だゝる處なり、打《ウツ》とは、山川をしがらみして塞(キ)て、其(ノ)水の聚り落る所に、※[木+戈]《クヒ》を立て竹床を作り、それに、留る點をとる、その竹床をやなといへれば、多く杙を打て作る故に、打とは云なり、と略解に云るが如し、度《ワタス》とは、廣く作り度す謂なり、○速《ハヤミ》は、はやうと云むが如し、首(ノ)卷に委く論へり、○歌(ノ)意、本(ノ)二句は、速《ハヤミ》をいはむための序にて、川瀬の急《ハヤ》きが如くに、心には、やるせなく思へども、たゞに相見ることのなき哉、と歎きたるなり、
 
2700 玉蜻《タマカギル》。石垣淵之《イハカキフチノ》。隱庭《シヌヒニハ》。伏以死《コヒテシヌトモ》。汝名羽不謂《ナガナハノラジ》。
 
(158)玉蜻《タマカギル》は枕詞なり、○石垣淵《イハカキワチ》は、谷川などの、石かき圍《カコ》みたる所の淵を云、さてさる處の淵は、石に隱れてある意もて、隱《シヌヒ》といはむ料の序とせり、○隱庭は、シヌヒニハ〔五字右○〕と訓べし、ニハ〔二字右○〕は、他にむかへていふ辭なり、こゝは顯に對へていへるなり、○伏以死は、誤字あるべし、伏(ノ)字は戀なるべけれど、字形遠し、いかゞあらむ、以(ノ)字は、雖の誤ならむか、と略解に云る、さもあるべき歟、(本居氏(ノ)説に、庭伏以は、みな誤字なるべし、といへれど、次に引(ク)、下に出たる歌によれば、庭(ノ)字は、本のまゝにて通《キコ》えたり、)なほ考(フ)べし、今は姑(ク)此下に、隱庭戀而死鞆《シヌヒニハコヒテシヌトモ》、とあるに依て、コヒテシヌトモ〔七字右○〕と訓つ、歌(ノ)は意、隱々《シノビ/\》には、戀死《コヒシニ》に死はすとも、汝の名をば、人に告知せじ、となり、
 
2701 明日香川《アスカガハ》。明日文將渡《アスモワタラム》。石走《イハバシノ》。遠心者《トホキコヽロハ》。不思鴨《オモホエヌカモ》。
 
明日文將渡《アスモワタラム》は、やがて上の明日香川をうけていへるなり、明曰香川明日左倍將見等念八方《アスカガハアスサヘミムトオモヘヤモ》、といへるに同じ、さてこゝは、今日のみならず、明日さへもわたらむの意なり、○石走《イハバシ》は、石橋《イハバシ》なり、契冲、石ばしは、間近く蹈(ミ)こえてわたるべきために、そのあたりの石をならべ置なり、今の世に、庭に飛石とてふせ置が如し、といへり、さてこゝは、四(ノ)卷に、石走間近《イハバシノマチカキ》とつゞけたると同じ意にて、遠き心はおもはず、石橋の如く、間近くわたらむとおもふ謂なり、されば遠《トホキ》といふのみにはかゝらず、不思《オモホエヌ》といふまでにかゝれり、○歌(ノ)意は、今日あひて、又間近く明日もわたりて、あひ見むと、思はるゝ哉、遠く間を置てあはむとおもふ心は、さらになし、となり、
 
(159)2702 飛鳥川《アスカガハ》。水往増《ミヅユキマサリ》。彌日異《イヤヒケニ》。戀乃増者《コヒノマサラバ》。在勝申目《アリカテマシモ》。
 
本(ノ)二句は、増《マサリ》をいはむ料の序なり、○彌日異《イヤヒケニ》は、彌日來經《イヤヒケ》にゝて、日々《ヒヾ》に彌《イヨヽ》といはむが如し、○在勝申目《アリカテマシモ》(申(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、甲と作れど、甲目《カモ》にては非じ、)は、在難《アリカテ》ましにて、目《モ》は歎息(ノ)辭なり、なほ二(ノ)卷内大臣(ノ)歌に、王匣《タマクシグ》云々|有勝麻之目《アリカテマシモ》、とあるにつきて、委(ク)註り、○歌(ノ)意は、かく日《ヒ》に日《ヒ》に戀しく思ふ心の彌益らば、つひには在ながらふること、難からましを、となり、
 
2703 眞薦苅《マコモカル》。大野川原之《オホヌガハラノ》。水隱《ミゴモリニ》。戀來之妹之《コヒコシイモガ》。※[糸+刃]解吾者《ヒモトクアレハ》。
 
大野川原《オホヌカハラ》は、大和志には、富川、一名斑鳩(ノ)富小川、名水也、自2添下(ノ)郡1流、至2高安(ニ)1、曰2大野川(ト)1、古人所v賦大野川原、即此流、至2笠目1入2廣瀬川(ニ)1、といへり、なほ尋ぬべし、八雲御抄に、石見と註させたまへるは、由ある歟、(契冲が、おほやがはらとよみて、十四に、いりまぢの於保夜我波良《オホヤガハラ》とよめる所か、といへれど、こゝは野を、ヤ〔右○〕の假字に用ひしとは思はれず、現存六帖に、日のくれに大やが原を分行ばすかもが下にくひな鳴なり、これは今の歌をオホヤ〔三字右○〕と訓て、それに依る歟、如何、)○水隱《ミゴモリ》は、水は上の序のくさりにいへるのみにて、歌(ノ)意に用なし、たゞ隱《コモリ》なり、○歌(ノ)意は、裏《シタ》にのみ隱《コモ》りて、戀しく思ひ來にしを、かたみに心打とけて、吾は今夜、妹が紐解て泊るが、うれしき、となり、
 
2704 惡氷木之《アシヒキノ》。山下動《ヤマシタトヨミ》。逝水之《ユクミヅノ》。時友無雲《トキトモナクモ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。
 
(160)歌(ノ)意は、山とよみてゆく水の、いつとも時分ずに、たぎりゆく如くに、吾は何時ともわかず、戀しく思ひて、月日を度ことかな、となり、
 
2705 愛八師《ハシキヤシ》。不相君故《アハヌキミユヱ》。徒爾《イタヅラニ》。此川瀬爾《コノカハノセニ》。玉裳沾津《タマモヌラシツ》。
 
玉裳《タマモ》は、裳《モ》をほめていへるなり、二(ノ)卷にも、九(ノ)卷にも見えたり、○歌(ノ)意は、愛しき君にあはむと思ひて、この川瀬を、辛うしてわたりつるものを、得あはずして、いたづらに玉裳裾《タマモノスソ》を濕しつるが悔しき、となり、此(ノ)上に、第二(ノ)句不相手故《アハヌコユヱニ》、尾句|裳襴沾《モノスソヌレヌ》、とかはれるのみにて、全(ラ)同歌を載たり、彼は男の歌にて、此は女の歌と聞ゆ、歌の樣を考るに、男のとせる方、さもあるべくおぼゆ、
 
2706 泊湍川《ハツセガハ》。速見早湍乎《ハヤミハヤセヲ》。結上而《ムスビアゲテ》。不飽八妹登《アカズヤイモト》。問師公羽裳《トヒシキミハモ》。
 
速見早湍乎《ハヤミハヤセヲ》(見(ノ)字、拾穗本には水と作り、)は、速《ハヤ》きが故に、(速《ハヤ》さにと云ても同じ、)その早湍をの意なり、(略解に、早み早湍は、言を重ねて、最早きを云と云るは、甚荒凉なり、すべててにをはに暗くては、古人の詞を味得べからず、)さて水の急《ハヤ》きは、淨きこと勿論《サラ》なれば、急《ハヤ》く淨《キヨ》きがゆゑに、それを賞翫《メテ》て掬《ムス》ぶ謂なり、○結上而《ムスビアゲテ》は、掬擧而《スクヒアゲテ》といふが如し、さて清水は、掬《スク》ひ擧て飲に飽足ねば、不v飽といはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、こしかた親《チカ》くなれて相見れども、不v飽や否、妹よと問し其(ノ)男君はいづらや、と絶て後更に尋ね慕ふ謂なり、
 
2707 青山之《アヲヤマノ》。石垣沼間乃《イハカキヌマノ》。水隱爾《ミゴモリニ》。戀哉度《コヒヤワタラム》。相緑乎無《アフヨシヲナミ》。
 
(161)青山《アヲヤマ》は、木立《コダチ》茂き山を云、青香具山《アヲカグヤマ》の青に同じ、○石垣沼間《イハカキヌマノ》(間(ノ)字、舊本に問と作るは誤、類聚抄、古寫一本等に從(ツ)、)は、上に石垣淵《イハカキフチ》とよめるにひとしくて、溪川などの石かき圍《カコ》みたる處の溜《タマ》り水を云べし、○水隱《ミゴモリ》は、此(ノ)上にも見えたり、○歌(ノ)意は、本(ノ)句は序にて、かくれたるすぢなし、
 
2708 四長鳥《シナガトリ》。居名山響爾《ヰナヤマトヨミ》。行水乃《ユクミヅノ》。名耳所縁之《ナノミヨセテシ》。内妻波母《コモリヅマハモ》。
 
四長鳥《シナガトリ》は、枕詞なり、○居名山響爾《ヰナヤマトヨミ》云々は、十六に、猪名川之奥乎深目而《ヰナガハノオキヲフカメテ》、といへる川水にて、其(ノ)猪名山に響《ヒヾ》き動《トヾロ》きて、音高く流るを云り、さて爾は、彌(ノ)字の誤なり、と本居氏の云るぞよき、○名耳所縁之《ナノミヨセテシ》は、上に、里人之言縁妻乎《サトヒトノコトヨセヅマヲ》、とよみたる如く、いひよせらるゝをいふ、○内妻は、コモリヅマ〔五字右○〕にて、母《ハヽ》の養蠶《カフコ》の眉隱《マヨゴモリ》といへるごとく、父母の守りこめて、逢がたき女を云、○歌(ノ)意は、居名山にとゞろきて流るゝ水の、音高さが如く、名ばかり高く、人にいひよせられし、其(ノ)女はいづらや、行方しらぬが本意なし、となげきたるなり、○舊本に、一云名耳之所縁而戀管哉將在、と註せり、
 
2709 吾妹子《ワギモコニ》。吾戀樂者《アガコフラクハ》。水有者《ミヅナラバ》。之賀良三超而《シガラミコエテ》。應逝衣思《ユクベクソモフ》。
 
歌(ノ)意は、妹を戀しく思ふ心は、物にたとへていはゞ、水ならば、しがらみをも、おしこえてゆくべくぞおもふと、切なる心のたゆみなきをいへり、十四に、伊毛我奴流等許乃安多理爾伊波具久留水都爾母我毛與伊里底禰末久母《イモガヌルトコノアタリニイハグクルミヅニモガモヨイリテネマクモ》、趣は異りたれど、聊似たるところあり、○舊本に、或(162)本歌發句云、(發(ノ)字、舊本にはなし、古本、古寫本、類聚抄等にはあり、)相不思人乎念久、と註り、これは右の歌によしなし、第三句已下失たるか、又別處の註なるが、混(レ)入しか、
 
2710 狗上之《イヌカミノ》。鳥籠山爾有《トコノヤマナル》。不知也河《イサヤガハ》。不知二五寸許瀬《イサトヲキコセ》。余名告奈《ワガナノラスナ》。
 
狗上《イヌカミ》は、和名抄に、近江(ノ)國犬上(ノ)郡、天武天皇(ノ)紀に、時(ニ)近江命(テ)2山部(ノ)王、蘇賀(ノ)臣果安、巨勢(ノ)臣比等(ニ)1、率(テ)2數萬衆《ヤヨロヅノイクサヲ》1、將v襲《ムト》2不破(ヲ)1、而|軍《イクサダチス》2于犬上川(ノ)濱《ホトリニ》1、○不知也河《イサヤガハ》は、即(チ)犬上川なり、四(ノ)卷に、淡海路乃鳥籠之山有石知哉川《アフミヂノトコノヤマナルイサヤガハ》、と見えたり、さてこれまで三句は、不知《イサ》を云むための序なり、○不知二五寸許瀬《イサトヲキコセ》(瀬、舊本に須と作るは誤、今は官本、水戸本、類聚抄等に從つ、)は、不v知と宣《ノタマ》へと云むが如し、伊佐《イサ》は、不(ル)v知ことを云古言なり、神功皇后紀に、有無之不知《アルコトナキコトイサ》、古今集に、貫之、人は伊佐《イサ》心も知らず云云、(集中六(ノ)卷、七(ノ)卷に、伊佐用布《イサヨフ》と云言に、不知世經、とかけり、これ不v知を伊佐《イサ》といふ故なり、(二五《トヲ》は、(十《トヲ》にて、登乎《トヲ》の借(リ)字なり、)乎《ヲ》は、力(ラ)いれて云ときの助字にて、只|不知登《イサト》の謂なり、寸許瀬《キコセ》は、令《セ》v聞《キコ》にて、宣《ノタマ》へと云ことなり、そはもと人の言て、我に令《ス》v聞(カ)意より、出たる言にて、誰(レ)に言(フ)にも、其(ノ)言(フ)人を尊みて云ときにいふ言なり、(又中昔の物語文などに申すと云べきを、聞ゆと云ること常多し、それは尊む人に申すをのみ云り、されば古言の伎許須《キコス》とは、つかひざま表裏のたがひなり、今の人は、古言雅言のつかひざまをしらず、きこすときこゆとをも、一(ツ)にこゝろえ、又人の己(レ)にむかひて言、と云ことを、きこゆと云など、いたくひがことなり、と本居氏云り、)(163)古事記上卷沼河日賣(ノ)歌に、阿夜爾那古斐伎許志《アヤニナコヒキコシ》、下卷八田(ノ)若郎女(ノ)御歌に、意富岐美斯與斯登伎許佐婆《オホキミシヨシトキコサバ》、書紀仁徳天皇(ノ)大御歌に、飫朋呂伽珥枳許瑳怒《オホロカニキコサヌ》、此(ノ)集十二に、空言毛將相跡令聞戀之名種爾《ムナコトモアハムトキコセナグサニ》、十三に、莫寢等母寸巨勢友《ナイネソトハヽキコセドモ》、又、和我勢故之可久志伎許散婆《ワガセコシカクシキコサバ》云々、などある、みな同意なり、○歌(ノ)意は、もしそこと吾との中を、人の問むときに、さらにさることはしらずとの賜ひて、ゆめ/\吾(カ)名を告知すことなかれ、となり、○古今集墨滅(ノ)歌に、狗上の鳥籠の山なる名取川いさとこたへよ吾(カ)名漏すな、(名取の傍にいさやと註して、異本とす、さてその左註に、この歌、或人、あめのみかどの近江の采女に賜へると、)返し、采女の奉れる、山科の音羽の瀧の音にだに人のしるべく吾こひめやも、この狗上の歌は、即(チ)今のと同歌なり、(又六帖に、名を惜む、あののみかど、狗上や鳥籠の山なるいさゝ川いさとこたへてわがなもらすな、とあるは、いさやを、いさゝと唱へ誤れるものなり、この誤を傳へて、後々のものどもに、いさゝ川とよみ、又源氏物語朝貌に、いとかく、よのためしになりぬべきありさま、もらしたまふなよ、ゆめ/\いさゝ川なども、なれ/\しやとて、云々、と書るは、右の歌をふみていへるなり、其(ノ)他いさゝ川としるせるもの多くて、今こと/”\に引出でたゞさむも、わづらはしくなむ、)
 
2711 奥山之《オクヤマノ》。木葉隱而《コノハガクリテ》。行水乃《ユクミヅノ》。音聞從《オトニキヽシヨ》。常不所忘《ツネワスラエズ》。
 
音《オト》は、音《オト》づれなるべし、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、かくれたるすぢなし、
 
(164)2712 言急者《コトトクハ》。中波余騰益《ナカハヨドマセ》。水無河《ミナシガハ》。絶跡云事乎《タユチフコトヲ》。有超名湯目《アリコスナユメ》。
 
言急《コトトク》は、人言の甚しきを云(フ)、と本居氏の云るがごとし、○中波余騰益《ナカハヨドマセ》は、中ころは不通《ヨド》みたまへ、といふなり、四(ノ)卷に、事出之者誰言爾有鹿小山田之苗代水乃中與杼爾四手《コトデシハタガコトナルカヲヤマダノナハシロミヅノナカヨドニシテ》、○水無河(無(ノ)下、飛鳥井本、古本、拾穗本等には瀬(ノ)字あり、なくてよろし、)は、ミナシガハ〔五字右○〕と訓べし、絶《タユ》をいはむ料なり、砂の下を水のくゞりて、上に水のなき河をいへば、絶とかゝれり、この川のこと、既く委(ク)註り、十(ノ)卷にも、久方天印等水無川隔而置之神世之恨《ヒサカタノアマツシルシトミナシガハヘダテテオキシカミヨシウラメシ》、とあり、○有超名湯目《アリコスナユメ》は、有乞莫勤《アリコソナユメ》にて、乞《コソ》は、有(ル)こと莫れと云ことを、ふかく乞希《コヒネガ》ふ言なり、○歌(ノ)意は、人言のはなはだしくば、中ごろはよどみて通ひ賜ふな、されどつひに絶賜ふことは、ゆめ/\なかれ、となり、
 
2713 明日香河《アスカガハ》。逝湍乎早見《ユクセヲハヤミ》。將速|見〔○で囲む〕登《ハヤミムト》。待良武妹乎《マツラムイモヲ》。此日晩津《コノヒクラシツ》。
 
本(ノ)二句は、速見《ハヤミ》といはむ料の序なり、○將速見(ノ)登、見(ノ)字、舊本にはなし、はやく契冲も、見(ノ)字脱たるなるべし、といへり、さもあるべし、ハヤミムト〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、來らば速く相見むと、女の待らむものを、障ることありて、速(ク)得行ずして、むなしく此(ノ)日を暮しつ、となり、
 
2714 物部乃《モノヽフノ》。八十氏川之《ヤソウヂガハノ》。急瀬《ハヤキセニ》。立不得戀毛《タチエヌコヒモ》。吾爲鴨《アレハスルカモ》。
 
本(ノ)句は、序なり、宇治川の急(キ)瀬には、おしながされて立留りがたき故に、立不得《タチエヌ》とつゞきたり、○立不得《タチエヌ》は、在不得《アリエヌ》といふに似て、立(ツ)にも居(ル)にも得あられぬ、と云ほどの意なり、(七(ノ)卷に、水隱(165)爾氣衝餘早川之瀬者立友人二將言八方《ミゴモリニイキヅキアマリハヤカハノセニハタツトモヒトニイハメヤモ》、とあるは、意異れり、○歌(ノ)意は、立(ツ)にも立れず、居るにも居られず、あるにあられず、忍《ネム》じがたき切なる思(ヒ)を、することにもあるかな、となり、○舊本に、一云立而毛君者忘金津藻、と註せり、
 
2715 神名火《カムナビノ》。打廻前乃《ヲリタムクマノ》。石淵《イハフチニ》。隱而耳八《コモリテノミヤ》。吾戀居《アガコヒヲラム》。
 
神名火《カムナビ》は、集中に高市郡なると、平群(ノ)郡なるとをよめり、此(ノ)歌なるは、何(レ)の郡のなるにや。未(タ)詳ならず、但し石淵《イハフチ》とよめるによれば、いはゆる神名火河にや、○打廻前は、本居氏、打は折の誤にて、ヲリタムクマ〔六字右○〕、とよみて、道の折まがれるをいふなるべし、といへり、既く四(ノ)卷に、衣手乎打廻乃里《コロモテヲウチタムサト》、とある歌につきて委く註せり、○石淵《イハフチ》は、石垣淵《イハカキフチ》と、よめるごとく、石かき圍《カコミ》て隱《コモ》りかなる淵を云ば、隱《コモリ》を、いはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、人目をしのび隱りて、いつまで、かく裏《シタ》にばかり、戀しく思ひ居るべしや、さてはつひに逢こともかたかるべし、されば今は打出して、色に顯《アラハ》さむ、との事なるべし、
 
2716 自高山《タカヤマヨ》。出來水《イデクルミヅノ》。石觸《イハニフリ》。破衣念《ワレテソオモフ》。妹不相夕者《イモニアハヌヨハ》。
 
高山《タカヤマ》は、地(ノ)名にあらず、何處にまれ、たゞ高き山なり、○石觸《イハニフリ》は、水の石に當り觸るを云、破《ワレ》をいはむ料の序なり、十(ノ)卷に、雨零者瀧津山川於石觸君之摧情者不持《アメフレバタギツヤマガハイハニフリキミガクダカムコヽロハモタジ》、相模(ノ)國風土記に、鎌倉(ノ)郡見越(ノ)崎、毎(ニ)v有2速浪1崩v石(ヲ)、國人|名2號《イヘリ》伊曾布利《イソブリト》1、謂《ヨシナリ》v振(ル)v石也、土佐日記に、いそぶりのよする磯には年月(166)をいつともわかぬ雪のみぞふる、此等は海濱にて礒《イソ》に觸るを云、今は山河の磐《イハ》に觸るを云て、言は同じ、○歌(ノ)意は、妹に得相見ぬ夜は、心も千《チヽ》にわれくだけて、物をぞ思ふ、となり、
 
2717 朝東風爾《アサゴチニ》。井提越浪之《ヰテコスナミノ》。世蝶似裳《サヤカニモ》。不相鬼故《アハヌコユヱニ》。瀧毛響動二《タギモトヾロニ》。
 
朝東風《アサゴチ》は、東風《コチ》はもはら朝に吹ば、かくいへり、さて其(ノ)東風に、浪のさわぐにつれて、井提を水の越れば、かくは云るなり、○井提《ヰテ》は、堰※[土+隷の旁]《ヰセキ》の事なり、河水を田に沃《マカ》せむ料に、しがらみして※[雍/土]き留めたるを云、さて風荒く吹て、浪立(ツ)たびに、其(ノ)堰を水溢れ越る故に、井提越浪《ヰテコスナミ》、といへり、○世蝶似裳は、誤字あるべし、(世蝶を、瀬云《セテフ》の意とする説は、論にも足ず、人或は、世蝶似裳不相《セテフニモアハヌ》は、しば/\もあはぬといはむが如し、後の物語文などに、せちにといへることばは、この世蝶《セテフ》の言の轉れるなるべし、といへれど、證としがたし、又の説に、蝶は越(ノ)字の誤にて、世越似裳《セゴシニモ》ならむといひ、或は染(ノ)字の誤にて、世染似裳《ヨソメニモ》ならむ、ともいへれど、みな用(ヒ)がたし、本居氏は、世蝶似は、且蛾津の誤にて、且蛾津裳《カツガツモ》ならむ、といへり、されどなほいかゞ、みな甘心《アマナヒ》がたき説なり、かにかくに、誤字にはあるべきなり、)七(ノ)卷に、泊瀬川流水尾之湍乎早井提越浪之音之清久《ハツセガハナガルヽミヲノセヲハヤミヰテコスナミノオトノサヤケク》、とあるによりて考(フ)るに、若(シ)は此《コヽ》も、井提越浪之左也蚊似裳《ヰテコスナミノサヤカニモ》、とありしを、左(ノ)字を脱し、也を世に誤、蚊を蝶に寫し誤れるにはあらざる歟、左也蚊《サヤカ》てふ詞は、見(ル)ことはさらにて、逢ことにも聞(ク)ことにも、下に、       、とあり、)何にも、あり/\と慥《タシカ》なることに云(167)言なり、されば清《サヤ》かにも不相《アハヌ》とは、あり/\とたしかに不v逢てふ意なり、六(ノ)卷に、足引之御山毛清《アシヒキノミヤマモサヤニ》、落多藝都芳野河之《オチタギツヨシヌノカハノ》、河瀬乃淨乎見者《カハノセノキヨキヲミレバ》云々、左夜蚊《サヤカ》の詞に縁《ヨセ》あるをも、思(ヒ)合(セ)てよ、○不相鬼故は、鬼は兒の誤ならむ、と本居氏云り、さもあらむ、さらばアハヌコユヱニ〔七字右○〕と訓べし、不v逢子なるものをの意なり、○瀧毛響動二《タギモトヾロニ》は、人の言さわぐことを比《タト》へ云り、礒もとゞろに、宮もとどろに、里もとゞろになども、集中にょめり、(金葉集に、白雲とよそに見つれば足曳の山もとどろに落る瀧つ瀬、)○歌(ノ)意は、あり/\と、たしかに逢たるにもあらぬ女なるものを、名を立て人のいひ動《サワ》ぐことは、瀧の音のとゞろとゞろと、聞えわたるが如し、となり、
 
2718 高山之《タカヤマノ》。石本瀧千《イハモトタギチ》。逝水之《ユクミヅノ》。音爾者不立《オトニハタテジ》。戀而雖死《コヒテシヌトモ》。
 
瀧千《タギヂ》は、激《タギ》りといはむが如し、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、たとひ戀死に死はすとも、音にたてゝ、名には顯さじ、となり、古今集に、吉野川いはきりとほしゆく水の音にはたてじ戀は死とも、又、山高みしたゆく水のしたにのみながれてこひむこひはしぬとも、
 
2719 隱沼乃《コモリヌノ》。下爾戀者《シタニコフレバ》。飽不足《アキタラズ》。人爾語都《ヒトニカタリツ》。可忌物乎《イムベキモノヲ》。
 
隱沼乃《コモリヌノ》は、裏《シタ》をいはむ料の枕詞なり、○下爾戀者は、シタニコフレバ〔七字右○〕と訓べし、(コフルハ〔四字右○〕と訓はわろし)、○可忌物乎《イムベキモノヲ》は、つゝみ隱すべきものをの意なり、○歌(ノ)意は、しのびしのびに思へば、心もむせかへるやうにて、なほ十分ならぬ故に、おもひのはるけむ方もあるべくやと、人に(168)かたりつるが、今更くやしきことなり、よく堪忍びて、つゝみかくすべきことにてありしを、となり、十二に、念西餘西鹿齒爲便乎無美吾者五十日手寸應忌鬼尾《オモフニシアマリニシカバスベヲナミアレハイヒテキイムベキモノヲ》、
 
2720 水鳥乃《ミヅトリノ》。鴨之住池之《カモノスムイケノ》。下樋無《シタヒナミ》。欝恨君《イフセキキミヲ》。今日見鶴鴨《ケフミツルカモ》。
 
水鳥乃《ミヅトリノ》は、まくら詞なり、○下樋無《シタヒナミ》(樋(ノ)字、舊本に桶と作るは誤、類聚抄、拾穗本、古寫一本等に從つ、)は、本居氏、下樋なき池は、水の流れ出る方もなきをもて、いぶせきといはむ序とせるなり、といへり、○欝悒君は、イフセキキミヲ〔七字右○〕と訓べし、吾(ガ)心の結ぼれふさがりて、戀しく思ふ君をの義なり、○今(ノ)字、舊本には令と作り、類聚抄、拾穗本、古本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2721 玉藻苅《タマモカル》。井提乃四四賀良美《ヰテノシガラミ》。薄可毛《ウスミカモ》。戀乃余杼女留《コヒノヨドメル》。吾情可聞《ワガコヽロカモ》。
 
玉藻苅《タマモカル》は、枕詞なり、○井提乃四四賀良美《ヰテノシガラミ》は、井提《ヰテ》は上に云如く、いつくにまれ堰※[土+隷の旁]《ヰセキ》なり、(山城の井手《ヰテ》に、かぎるべからず、)四賀良美《シガラミ》は、※[雍/土]搦《セキカラミ》にて、河中に杙をうちて、それに柴竹などをからみつけて、水をせくものなり、さて其は、主《ムネ》と田に水をまかする料にするものなれば、厚く細かに精く造るを上《ヨシ》とするを、薄く粗くつくれば、自ら水もるゝ故に、薄可毛《ウスミカモ》云々、といへり、本(ノ)一二(ノ)句は序なり、○歌(ノ)意、本居氏、第三(ノ)句、ウスミカモ〔五字右○〕とよみて、しがらみの薄さに、もれたる歟、又わが忍ぶ思のよどみみちて、おのづからあふれたる歟なり、三(ノ)句にて切て、四五とつゞけて(169)心得べし、といへり、今按(フ)に、密《シノ》び隱す心の薄さに、もれたるか、又吾(ガ)隱《シノ》ふ心のよどみ滿餘りて、もれたる故に、人の知たるか、さてもせむかたなしや、と歎きたるなり、○以上廿三首は、水に寄てよめるなり、
 
2722 吾妹子之《ワギモコガ》。笠乃借手乃《カサノカリテノ》。和射見野爾《ワザミヌニ》。吾者入跡《アレハイリヌト》。妹爾告乞《イモニツゲコソ》。〔頭註、【一種寄v野、】〕
 
吾妹子之《ワギモコガ》は、契冲云、妹が着る笠とつゞけたり、○笠乃借手乃《カサノカリテノ》は、笠に緒をつくる所に、ちひさき輪をしてつくる、そこを借手《カリテ》といふによりて、借手の輪とつゞくること葉なりと、これも契冲云り、(堀川百首に、眞菅よき笠のかりてのわざみのを打きてのみや戀渡るべき、)○和射見野《ワザミヌ》は、美濃(ノ)國不破(ノ)郡|和※[斬/足]野《ワザミヌ》にて、二(ノ)卷に委(ク)云り、○歌(ノ)意は、和※[斬/足]野に入立ぬるといふことを、家の妹に告よかし、といへるにて、旅立しとき歟、あるは歸るさなどに、よめるにもあるべし、○この一首は、野に寄てよめるなり、
 
2723 數多不有《アマタアラヌ》。名乎霜惜三《ナヲシモヲシミ》。埋木之《ウモレキノ》。下從其戀《シタヨソコフル》。去方不知而《ユクヘシラズテ》。〔頭註、【一種寄2埋木1、】〕
 
數多不有名《アマタアラヌナ》とは、吾(カ)身一(ツ)に、二(ツ)なき名なるをもていへり、と略解にいへり、さもあるべし、○埋木之《ウモレキノ》は、下《シタ》の枕詞なり、下《シタ》は裏《シタ》にて、埋木は、沙土の裏《シタ》に埋れたる木をいへば、かくつゞけたり、(又本居氏は、二(ノ)卷に、こもりぬの行へをしらにとねりはまどふ、とあると、同意にて、結句は埋木へかゝれり、三五四と次第して見べし、といへり、いかゞあらむ、)○去方不知而《ユクヘシラズテ》は、遂に落着《ナリハテ》(170)むほどを知ずしての意な.るべし、○歌(ノ)意は、つひになりはてむほどをも、はかりしらずして、名のもれむことをつよく惜みて、しのびしのびに、心の裏に思ふ事のいぶせさよ、といへるなるべし、○此(ノ)一首は、理木に寄てよめるなり、
 
2724 冷風之《アキカゼノ》。千江之浦回乃《チノエノウラミノ》。木積成《コツミナス》。心者依《コヽロハヨリヌ》。後者雖不知《ノチハシラネド》。〔頭註、【一首寄2木糞1、】〕
 
冷風之《アキカゼノ》は、枕詞なり、大神(ノ)景井、これは千《チ》の一言にかゝれる詞なるべし、さてその知《チ》は、風の用《ワザ》をいふことなるべし、波夜知《ハヤチ》(疾風)、許知《コチ》(東風)などの知《チ》、また阿良志《アラシ》の志《シ》なども、同言にて、皆風の用《ワザ》を以て、さる風の號となれるなるべし、さてその知《チ》にあたる字は、發起などの字や、近からむか、と云り、○千江之浦回《チエノウラミ》、いづこにかしられず、(遠江(ノ)國磐田(ノ)郡|千柄《チエ》とする説は、あたらず、と岡部氏云り、又略解に、江は沼の誤にて、和泉の千沼《チヌ》か、といへれど、おぼつかなし、なほ考(フ)べし、)浦回は、ウラミ〔三字右○〕とよむべきよし、さきに委(ク)説り、(ウラワ、ウラマ〔六字右○〕などよむはわろし、)○木積成《コツミナス》は、木糞《コツミ》の如くといはむが如し、○歌(ノ)意は、浪にゆられて、木糞《コツミ》の浦回《ウラミ》によする如く、吾(カ)心も、君に一向《ヒタスラ》によりぬるなり、但し後をかねてまでは知(レ)れねば、つひにはとまれ、今は他心《ホカゴヽロ》なし、となり、○この一首は、木糞に寄てよめるなり、
 
2725 白細砂《シラマナゴ》。三津之黄土《ミツノハニフノ》。色出而《イロニイデテ》。不云耳衣《イハナクノミソ》。我戀樂者《アガコフラクハ》。〔頭註、【一首寄2黄土1、】〕
 
白細砂《シラマナゴ》(砂(ノ)字、古本、拾穗本等には、妙と作り、頓阿井蛙抄にも、此(ノ)歌を、白妙として引たり、)は、枕詞(171)なり、白妙《シラマナゴ》布《シキ》はへたる、三津の濱といふ意につゞきたり、(契冲代匠紀に、微塵の如き白まなごの、みちてある心なり、といへり、さらずとも、三津のはまは、皆しろきまなごなれば、満《ミチ》といふこゝろならずとも、つゞくべし、といへり、又略解に、岡部氏の説を引て、砂は紗の誤にて、シロタヘノ〔五字右○〕なるべし、三津は眞土の意にて、白栲《シロタヘ》の眞土《マツチ》といひかけたる、枕詞とせむか、七(ノ)卷に、白栲ににほふ信士の山川に、といふが如し、といへれど、平穩ならず、)又按(フ)に、白細砂は、白銅鏡とありしを、誤れるにもあるべき歟、十二に、白銅鏡《マソカゾミ》、と書たり、さてマソカヾミ〔五字右○〕とて、見宿女《ミヌメ》とも、見名淵《ミナフチ》ともつゞけたるを、合(セ)考(フ)べし、○三津之黄土《ミツノハニフ》は、三津は、住吉の御津にて、黄土は、即(チ)住吉の岸の黄土とよめる是なり、さて黄土の色とつゞけむための序なり、○不云耳衣は、イハナクノミソ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、色にあらはれて、いはぬのみのことにこそあれ、わが戀しく思ふ心は、物にたとへて言に、いひがたし、となり、○この一首は、黄土に寄てよめるなり、
 
2726 風不吹《カゼフカヌ》。浦爾浪立《ウラニナミタチ》。無名乎毛《ナキナヲモ》。吾者負香《アレハオヘルカ》。逢者無二《アフトハナシ》。〔頭註、【十九首寄v海、】〕
 
毛(ノ)字、舊本になきは、脱たるなり、今は一本に從つ、○歌(ノ)意、契冲云、吹風にあひて、浪のたつは、ことわりなり、しかるを、風もふかで、浪のたつごとく、我は人にもあはずして、なき名をも、たてらるゝことよ、とよめるなり、古今集に、かねてより風にさきだつ浪なれやあふことなきにまたきたつらむ、おなじ心なり、これは風にさきだつなみといふに、立名をもたせたり、○舊(172)本に、一云女跡念而、と註せり、女(ノ)字は誤にや、又落字あるにや、本のまゝにては、適えがたし、
 
2727 酢峨島之《スガシマノ》。夏身乃浦爾《ナツミノウラニ》。依浪《ヨスルナミ》。間文置《アヒダモオキテ》。吾不念君《アガモハナクニ》。
 
酸蛾島《スガシマ》は、契冲、塩津《シホツ》菅浦《スガウラ》とつ ゞけよめるは、近江なり、此(ノ)下のつゞき近江なれば、此(ノ)酢蛾《スガ》島は、菅《スガ》島にて、菅浦にあるなるべし、塩津は淺井(ノ)郡なれば、菅浦、菅島共に、その郡にあるにや、といへり、(略解に、或人、今阿波と紀伊との間に、すが島といふありともいへり、といへり、)○夏身乃浦《ナツミノウラ》、酢蛾島の内にあるべし、(和名抄に、近江(ノ)國甲賀(ノ)郡|夏身《ナツミ》、とあるは、由ある歟、)○依浪は、ヨスルナミ〔五字右○〕と訓べし、間《アヒダ》も不置《オカズ》といふ意に、つゞきたる序なり、○歌(ノ)意は、聞を置て、わがおもふことにてはなし、間もなくしば/\におもふものを、となり、
 
2728 淡海之海《アフミノミ》。奥津島山《オキツシマヤマ》。奧間經而《オクマヘテ》。我念妹之《アガモフイモガ》。言繁苦《コトノシゲケク》。
 
奥間經而《オクマヘテ》は、奥めてなり、奥めのめ〔右○〕は、深《フカ》め崇《アガ》めなどのめ〔右○〕なり、そを延て奥まへと云は、崇めを、崇まへと云と、同じ例なり、さて奥めて思ふは、玉くしげ奥におもふ、とよめると同じく、深く思ふ意なり、○苦(ノ)字、舊本にはなし、類聚抄に從つ、○此(ノ)歌、上(ノ)人磨歌集出歌に、淡海奥島山奥儲吾念妹事繁《アフミノミオキツシマヤマオクマケテアガモフイモガコトノシゲケク》、とあるに同じ、
 
2729 霰零《アラレフリ》。遠津大浦爾《トホツオホウラニ》。縁浪《ヨスルナミ》。縱毛依十方《ヨシヱヨストモ》。憎不有君《ニクカラナクニ》。
 
霰零《アラレフリ》は、枕詞なり、○遠津大浦《トホツオホウラ》は、紀伊(ノ)國の地(ノ)名なり、七(ノ)卷に、山越而遠津之濱《ヤマコエテトホツノハマ》、とよめるに同じ、(173)(本居氏云、大は、もしくは之の誤にはあらざる歟、)○縁浪は、ヨスルナミ〔五字右○〕とよみて、依十方《ヨストモ》をいはむ料の序なり、○縱毛依十方《ヨシヱヨストモ》は、縱《ヨシ》は、假(リ)にゆるす辭、毛《モ》は助辭なりといへど、穩ならず、もしは惠の誤にて、ヨシヱヨストモ〔七字右○〕にはあらぎる歟、○歌(ノ)意は、人にいひよせられて、なき名を立るはつらけれども、もとより、にくからぬ人によりての故なるを、よしやさのみいとはじと、假に縱す謂なり、上にも、世副流君之惡有莫君爾《ヨソフルキミガニクカラナクニ》、とよめり、
 
2730 木海之《キノウミノ》。名高之浦爾《ナタカノウラニ》。依浪《ヨスルナミ》。音高鳧《オトタカキカモ》。不相子故爾《アハヌコユヱニ》。
 
名高之浦《ナタカノウラ》は、紀伊(ノ)國の地(ノ)名にて、此(ノ)下にも、十二にもよめり、○本(ノ)句は序にて、名高の浦に、高く依る浪の音《オト》高《タカ》しとかゝれり、○歌(ノ)意は、いまだ逢たることもなき女なるものを、音高く人にいひさわがるゝこと哉、と歎きたるなり、十四に、麻久良我乃許我能和多利乃可良加治乃於登太可思母奈宿莫敝兒由惠爾《マクラガノコガノワタリノカラカヂノオトタカシモナネナヘコユヱニ》、末(ノ)句似たる歌なり、
 
2731 牛窓之《ウシマドノ》。浪乃塩左猪《ナミノシホサヰ》。島響《シマトヨミ》。所依之君爾《ヨセテシキミニ》。不相鴨將有《アハズカモアラム》。
 
牛窓《ウシマド》は、備前(ノ)國邑久(ノ)郡にありて、俗《ヨ》に前島と云(フ)地のあたりなり、○塩左猪《シホサヰ》は、一(ノ)卷人磨(ノ)歌に、潮左爲二五十等兒乃島邊※[手偏+旁]船荷《シホサヰニイラコノシマヘコグフネニ》云々、三(ノ)卷※[覊の馬が奇]旅(ノ)歌に、塩左爲能浪乎恐美《シホサヰノナミヲカシコミ》、十五に、於伎都志保佐爲多可久多知伎奴《オキツシホサヰタカクチキヌ》、などよめり、潮のさしくるを云言なり、さてその潮の高くみちくる時、島も響《トヨ》みわたるなり、○歌(ノ)意は、潮のおどろ/\しくみちくるとき、島もとどろきわたるが如(174)く、音高く人にいひよせられしうへは、つひにあはずて止べしやは、となり、
 
2732 奥波《オキツナミ》。邊浪之來緑《ヘナミノキヨル》。左太能浦之《サダノウラノ》。此左太過而《コノサダスギテ》。後將戀可聞《ノチコヒムカモ》。
 
左太能浦《サダノウラ》は、和泉に今在り、又出雲にもあり、こゝはいづれにか、と略解にいへり、土佐に蹉※[足+它]《サダ》崎あり、もしはそこならむも知べからず、(今あしずりと云は、蹉※[足+它]の字より出たる、後の唱なり、)さて本(ノ)句は、此左太《コノサダ》といはむ料の序なり、○此左太過而《コノサダスギテ》は、左太《サダ》は、之太《シダ》と同じく、時《トキ》の古言にて、一(ノ)卷に委曲《ツバラ》に辨《ワキマ》へたるを、披(キ)見て考(フ)べし、さればこゝは、此(ノ)時過而といふに同じ、(略解に、本居氏の説を引て、左太過而《サダスギテ》とは、物語文に多くある言の如く、人の齡の盛過たることなり、さてカクサダスギテ〔七字右○〕とよむべしと云へるは、うべなひがたし、物語文の左太《サダ》も、本は同言なれど、其はいたく轉れるものなり、又此(ノ)上に、人間守蘆垣越爾吾妹子乎相見之柄二事曾左太多寸《ヒトマモリアシカキコシニワギモコヲアヒミシカラニコトソサダオホキ》、といへる左太《サダ》は、本より別言なり、今の左太《サダ》と、おもひ混《マガ》ふべからず、)○歌(ノ)意は、此(ノ)時を取はづし過しては、後さらに戀しからむか、さればいかにもして、此(ノ)時の間に相見む、となり、○此(ノ)歌、十二に重出たり、
 
2733 白浪之《シラナミノ》。來緑島乃《キヨスルシマノ》。荒磯爾毛《アリソニモ》。有申物尾《アラマシモノヲ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》。
 
歌(ノ)意、かくばかり、こひしく思ひつゝあらむよりは、何の物思ひもなき、大海のあら磯にてもあらましものを、となり、
 
(175)2734 塩滿者《シホミテバ》。水沫爾淨《ミナハニウカブ》。細砂裳《マナゴニモ》。吾者生鹿《アレハイケルカ》。戀者不死而《コヒハシナズテ》。
 
歌(ノ)意は、轡死なば、中々に心安かりなむを、戀死に死もせずして、潮の滿來るとき、其(ノ)泡と共に、浮たゞよふ微《ハカナ》き眞砂の如く、心もそらにうかれつゝ、いたづらに生《イケ》る事哉、となり、
 
2735 住吉之《スミノエノ》。城師乃浦箕爾《キシノウラミニ》。布浦之《シクナミノ》。數妹乎《シバ/\イモヲ》。見因欲得《ミムヨシモガモ》。
 
城師乃浦箕《キシノウラミ》は、岸之浦廻《キシノウラミ》なり、浦廻《ウラミ》のことは、さきに委(ク)註り、(略解に、浦箕《ウラミ》は、浦備《ウラビ》に通ひて、浦方《ウラベ》なり、といへるは、たがへり、○本(ノ)句は、數《シバ/\》といはむ料の序なり、重《シキ》る浪のしば/\間無くよする意に、つゞきたり、○數は、シバ/\〔四字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、間無くしば/\女を相見べき、てだてもがなあれかし、となり、
 
2736 風緒痛《カゼヲイタミ》。甚振浪能《イタブルナミノ》。間無《アヒダナク》。吾念君者《アガモフキミハ》。相念濫香《アヒモフラムカ》。
 
甚振浪《イタブルナミ》は、甚く動《ユル》ぎ振《フル》ふ浪《ナミ》なり、十四に、於志※[氏/一]伊奈等伊禰波都可禰杼奈美乃保能伊多夫良思毛與伎曾比登里宿而《オシテイナトイネハツカネドナミノホノイタブラシモヨキソヒトリネテ》、○歌(ノ)意は、本(ノ)二句は、間無《アヒタナク》といはむ料の序にて、かくれたるすぢなし、
 
2737 大伴之《オホトモノ》。三津乃白浪《ミツノシラナミ》。間無《アヒダナク》。我戀良苦乎《アガコフラクヲ》。人之不知久《ヒトノシラナク》。
 
人は、女を指て云なるべし、○歌(ノ)意、これも本(ノ)二句は序にて、吾(ガ)かくばかり、間もなくしげく戀しく思ふ事を、かくともいはねば、うべも女のしらぬことよ、吾(ガ)かくまで思ふといふことを知たらば、よもやあはれと思ひて、なびく事もあるべきを、となり、
 
(176)2738 大船乃《オホブネノ》。絶多經海爾《タユタフウミニ》。重石下《イカリオロシ》。何如爲鴨《イカニセバカモ》。吾戀將止《ワガコヒヤマム》。
 
本(ノ)句は、何如《イカニ》をいはむ料の序なり、上に、大船香取海慍下《オホブネノカトリノウミニイカリオロシ》云々、とあるに似たり、○歌(ノ)意かくれたるすなし、
 
2739 水沙兒居《ミサゴヰル》。奧麁礒爾《オキノアリソニ》。縁浪《ヨスルナミ》。往方毛不知《ユクヘモシラズ》。吾戀久波《アガコフラクハ》。
 
水沙兒《ミサゴ》は、※[且+鳥]鳩《ミサゴ》なり、品物解にいへり、○本(ノ)句は、徃方《ユクヘ》知ずといはむ料の序なり、三(ノ)卷に、物乃部能八十氏河乃阿白木爾不知代經浪乃去邊白不母《モノノフノヤソウヂガハノアジロギハイサヨフナミノユクヘシラズモ》、七(ノ)卷に、大伴之三津之濱邊乎曝因來浪之逝方不知毛《オホトモノミツノハマヘヲウチサラシヨセクルナミノユクヘシラズモ》、などあり、○歌(ノ)意は、吾(ガ)戀しく思ふ心は、何處に行て、いかになりはてむ、その行方もしられず、となり、
 
2740 大船之《オホブネノ》。舳毛艫毛《ヘニモトモニモ》。依浪《ヨスルナミ》。依友吾者《ヨストモアレハ》。君之任意《キミガマニマニ》。
 
歌(ノ)意は、船の舳《ヘ》にも艫《トモ》にも、浪のよする如く、此方《コヽ》よりも彼方《ソコ》よりも、さま/”\に、いひよせらるれども、よしやさばれ、あだし心をわれはもたず、君が意に任せ侍らむ、となり、
 
2741 大海二《オホウミニ》。立良武浪者《タツラムナミハ》。間將有《アヒダアラム》。公二戀等九《キミニコフラク》。止時毛梨《ヤムトキモナシ》。
 
歌(ノ)意は、大海に立浪は、常止ぬ物ながら、それすら、起《オコリ》さめのあるならひにて、間(ダ)もあるべきを、わが君を、こひしく思ふ心は、いつも止ときさらになし、となり、
 
2742 牡鹿海部乃《シカノアマノ》。火氣燒立而《ケブリタキタテテ》。燒塩乃《ヤクシホノ》。辛戀毛《カラキコヒヲモ》。吾爲鴨《アレハスルカモ》。
 
(177)牡鹿海部《シカノアマ》は、既く出つ、○歌(ノ)意、本(ノ)句は、辛《カラキ》をいはむ料のみの序にて、かくれたるすぢなし、古今集に、おしてるや難波の三津に燒塩の辛くも我は老にける哉、今の歌をまねべるにや、
〔右一首。或慍。石川君子朝臣作之。〕
石川君子は、傳九(ノ)下に詳なり、此(ノ)卷、すべて作者しられぬを集めしからは、此(ノ)註おぼつかなし、と略解にいへり、
 
2743 中中二《ナカナカニ》。君二不戀者《キミニコヒズハ》。牧浦乃《ヒラノウラノ》。白水郎有申尾《アマナラマシヲ》。玉藻刈管《タマモカリツヽ》。
 
牧浦《ヒラノウラ》は、近江の比良《ヒラノ》浦なり、牧は枚(ノ)字なり、(即(チ)類聚抄、拾穗本、古寫一本等には、枚と作り、)古書に、多く枚を牧と作り、○歌(ノ)意は、なまなかに、君を戀しく思ひつゝあらむよりは、比良の浦の海人となりて、玉藻かりつゝ、何の物思もなく、やすらかにあらましものを、となり、
〔或本歌曰。中中爾《ナカ/\ニ》。君爾不戀波《キミニコヒズハ》。留鳥浦之《タコノウラノ》。海部爾有益男《アマナラマシヲ》。珠讃刈刈《タマモカルカル》。〕
留鳥浦、舊訓アミノウラ〔五字右○〕とあるにつきて、讃岐と伊勢とにあり、いづれのにつかむといふことをしらず、と契冲云り、此(ノ)説おぼつかなし、(さるはもと、此をアミノウラ〔五字右○〕と訓るによりてなり、されば讃岐といへるは、一(ノ)卷軍(ノ)王(ノ)、讃岐(ノ)安益(ノ)郡にてよみ給へる歌に、鋼浦とあるを、網浦《アミノウラ》とある本につきて、いへりと見え、伊勢といへるは、同卷人麿のよめる伊勢の歌に、嗚呼見浦とあるを、アミノウラ〔五字右○〕とよめるにつきて、いへりとおぼえたり、然れども、綱浦、嗚呼見浦は、みな(178)アミノウラ〔五字右○〕に非ず、既く一(ノ)卷に委く註るが如し、合(セ)見て知べし、)故(レ)考るに、留鳥は、田兒とありけむを、誤寫せるなどにやあらむ、左に引十二の歌に、田籠《タコ》とあるを思(ヒ)合すべし、○刈刈《カルカル》は、刈管《カリツヽ》といふに同じ、十二に、後居而戀乍不有者田籠之浦乃海部有申尾珠藻刈刈《オクレヰテコヒツヽアラズバタコノウラノアマナラマシヲタマモカルカル》、
 
2744 鈴寸取《スヾキトル》。海部之燭火《アマノトモシビ》。外谷《ヨソニダニ》。不見人故《ミヌヒトユヱニ》。戀比日《コフルコノゴロ》。
 
鈴寸取《スヾキトル》は、鱸漁《スヾキトル》なり、鱸のことは、品物解にいへり、○本(ノ)二句は序にて、燭火《トモシビ》は外目にも見ゆる物なるからに、外に見といふにつゞきて、不《ヌ》v見《ミ》とある不《ヌ》の言までは關らず、布留《フル》の早田《ワサダ》の穗には出ずの例なり、○歌(ノ)意は、外目にだにも、いまだ見ぬ人なるものを、戀しく思ふこの比ぞ、となり、○以上十九首は、海に寄てよめるなり、
 
2745 湊入之《ミナトイリノ》。葦別小舟《アシワケヲブネ》。障多見《サハリオホミ》。吾念公爾《アガモフキミニ》。不相頃者鴨《アハヌコロカモ》。〔頭註、【五首寄v船、】〕
 
本(ノ)二句は序にて、湊に漕入(ル)舟の、葦の間を過るほど、おほくの葦のさはるをもて、障多《サハリオホミ》とつゞきたり、○歌(ノ)意はさま/”\の事業の障り多さに、わがこひしく思ふ人に、此(ノ)頃えあはぬかな、さても戀しく思はるゝ事よ、となり、十二に、本(ノ)句同歌あり、
 
2746 庭淨《ニハキヨミ》。奥方※[手偏+旁]出《オキヘコギヅル》。海士舟乃《アマブネノ》。執梶間無《カヂトルマナキ》。戀爲鴨《コヒヲスルカモ》。
 
庭淨《ニハキヨミ》は、庭《ニハ》が好《ヨ》さにといはむが如し、(略解に、淨は靜の誤にて、ニハヲヨミ〔五字右○〕ならむ歟、といへれど、いかゞ)淨《キヨキ》は、濁《ニゴル》の反《ウラ》にて、浪立|動《サワ》げば濁《ニゴ》れども、靜なれば清き意にて、淨《キヨミ》といへるならむ、天(179)氣よくて浪風たゝず、海上の靜(カ)なるをいへり、(岡部氏、庭をニハ〔二字右○〕といふは、土場《ニハ》にて、平らかにならせる物なれば、それを借りて、海の平らかに有をも、にはといふならむ、といへれど、いかがなり、場をハ〔右○〕とのみいひたること、古(ヘ)になければなり、)○奥方※[手偏+旁]出《オキヘコギヅル》は、奥邊に※[手偏+旁]出る意なり、○本(ノ)句は序にて、間無《マナキ》といはむ料なり、舟人の※[楫+戈]取(ル)に隙なきをもて、無v間とつゞきたり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、(後撰集に、白浪のよする磯間を漕船のかぢとりあへぬ戀もする哉、)
 
2747 味鎌之《アヂカマノ》。塩津乎射而《シホヅヲサシテ》。水手船之《コグフネノ》。名者謂手師乎《ナハノリテシヲ》。不相將有八方《アハザラメヤモ》。
 
味鎌《アヂカマ》は、十四東歌に、阿遲可麻能可多爾左久奈美《アヂカマノカタニサクナi》、とも妥治可麻能可家能水奈刀《アヂカマノカケノミナト》、ともありて、多くの歌の後にすべて註して、以前歌詞、未v得v勘2知國土山川(ノ)名1也、とあれば、古(ヘ)より、知られざりけるなるべし、(略解に、讃岐(ノ)國寒川(ノ)郡に、庵治《アヂ》の浦、鎌の浦といふ所ありと、其(ノ)國人云り、といへれど、おぼつかなし、)○鹽津《シホヅ》は、知(レ)ざるは勿論《サラ》なり、(近江に、今も鹽津と云所あれど、定めがたし、)○水手は、契冲云、水手《カコ》は舟をこぐものなれば、體をも用にかりて、コグ〔二字右○〕とよめり、○本(ノ)句は序にて、水手船之名《コグフネノナ》とかゝれるは、契冲、十六、筑前(ノ)國志賀(ノ)白水郎(カ)歌十首の中に、奥津鳥《オキツトリ》かもといふ舟のかへりこばやらのさきもり早くつげこそ、おきつどりかもといふ舟はやらの島たみてこぎくときかれこぬかも、應神天皇(ノ)紀に、伊豆(ノ)國におほせてつくらせたまへる舟を、枯野《カラヌ》と名づけさせ給へることもあれば、舟の名によせていへり、と云り、○歌(ノ)意は、おぼろげ(180)にては、名をばのらぬことなるを、既く名さへ告知せたれば、女のうけひきたること、さらにうたがふべきにあらず、されば逢ずあらめやは、嗚呼下(タ)ゑましや、となり、
 
2748 大舟爾《オホブネニ》。葦荷刈積《アシニカリツミ》。四美見似裳《シミミニモ》。妹心爾《イモガコヽロニ》。乘來鴨《ノリニケルカモ》。
 
本(ノ)二句は、繁見《シミミ》をいはむ料の序なり、舟に刈積たる葦荷《アシニ》の繁《シミ》とかゝれり、○四美見《シミミ》は、繁々《シゲミ/\》といはむが如し、○歌(ノ)意は、繁々にも妹が事の、吾(カ)心の上にうかびて、戀しくおもはるゝこと哉、となり、此(ノ)未(ノ)句、二(ノ)卷久米(ノ)禅師が歌に見えたるをはじめて、全(ラ)同詞なる、集中に甚多し、
 
2749 驛路爾《ハユマヂニ》。引舟渡《ヒキフネワタシ》。直乘爾《タヾノリニ》。妹情爾《イモガコヽロニ》。乘來鴨《ノリニケルカモ》。
 
驛路《ハユマヂ》は、驛《ハユマ》は早馬《ハヤウマ》なり、(ヤウ〔二字右○〕の切ユ〔右○〕、)書紀に驛をハユマ〔三字右○〕と訓り、又中山(ノ)嚴水は、やがてこゝは、ウマヤヂ〔四字右○〕と訓べきか、と云り、今の歌は、水驛《ミヅウマヤ》をいふなるべし、厩牧令義解に、凡水驛(ハ)、不(ル)v配(セ)v馬(ヲ)處(ハ)、量(テ)2閑繁(ヲ)1、驛別(ニ)置(ケ)2船四隻以下二隻以上(ヲ)1、隨(テ)v船(ニ)配(セヨ)v丁(ヲ)、(謂船(ニ)有2大小1、故隨(テ)v船(ニ)配(シ)v人(ヲ)、令v應(ラ)v堪(フ)v行(クニ)、若應(クハ)2水陸兼(テ)送(ル)1者、亦船馬並置(ケ)之、)驛長(ハ)、准(シ)テ2陸路(ニ)1置(ケ)、と見えたり、○引舟渡《ヒキフネワタシ》は、契冲、引舟は、ながれのはやく、又わたることを急ぐゆゑに、綱をもて引をいへり、と云る如し、さてこれまでは序にて、乘をいはむ料なり、直乘《タヾノリ》とつゞきたる、直《タヾ》には別に意なし、乘とかゝれるのみなり、○歌(ノ)意は、直一向《タヾヒタスラ》に、(直乘《タヾノリ》の意、)妹が事の、わが心の上にうかびて、こひしくおもはるゝこと哉、となり、○以上五首は、船に寄てよめるなり、
 
(181)2750 吾妹子《ワギモコニ》。不相久《アハズヒサシモ》。馬下乃《ウマシモノ》。阿倍橘乃《アベタチバナノ》。蘿生左右《コケムスマデニ》。〔頭註【四首寄v木、】
 
馬下乃《ウマシモノ》は、(借(リ)字、)甘美物《ウマシモノ》なり、抑々|宇麻之《ウマシ》とは、味のよきにかぎらず、何にまれ、心に好《ヨシ》と賞愛《メデウツク》しむものをば、稱《ホ》めて云なる中にも、菓子《コノミ》などは、もはら味の方につきていへるなり、○阿倍橘《アベタチバナ》は、契冲、和名抄に、爾雅(ニ)云、橙(ハ)似v柚(ニ)小者也、和名|安倍太知波奈《アベタチバナ》、とあるを引て、柚に似てちひさしとあれば、俗に花柚といふものにや、といへり、なほ品物解にいへり、○歌(ノ)意は、阿倍橘の木に、苔の生たるを見て、かくなるまでに妹に相見ず、さても久しき事やと、おどろきたるなり、契冲、花柚ならば、餘(リ)大きにもならぬ木なるに、苔のむすまでといへるは、久しきことをいはむために、わきてとり出てよめるにや、といへり、
 
2751 味乃住《アヂノスム》。渚沙乃入江之《スサノイリエノ》。荒礒松《アリソマツ》。我乎待兒等波《アヲマツコラハ》。但人耳《タヾヒトリノミ》。
 
味乃住《アヂノスム》(住(ノ)字、舊本に徃と作るは誤、拾穗本、古寫一本等に從(ツ)、)は、味は、味鳧《アヂカモ》とて、鴨の屬《タグヒ》なり、其(ノ)鳥の住(ム)渚《ス》とかゝれる歟、又は直に、須沙乃入江《スサノイリエ》といふまでに、かゝれるにもあるべし、○渚沙乃入江は、神名式に、紀伊(ノ)國在田(ノ)郡須左(ノ)神社と有(リ)、そこならむ、と略解にいへり、十四東歌未勘國の歌の中に、阿遲乃須牟須沙能伊利江乃許母理沼乃安奈伊伎豆加思美受比佐爾指天《アヂノスムスサノイリエノコモリヌノアナイキヅカシミズヒサニシテ》、とあり、東國にも、同地名あるにや、○本(ノ)句は、待をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2752 吾妹兒乎《ワギモコヲ》。聞都賀野邊能《キヽツガヌヘノ》。靡合歡木《シナヒネブ》。吾者隱不得《アハシヌヒエズ》。間無念者《マナクシモヘバ》。
 
(182)吾妹兒乎《ワギモユヲ》云々は、妹がうへのことを、聞繼(ク)といふ意に、都賀野《ツガヌ》てふ地に、いひかけたるなり、○都賀野は、書紀神功皇后(ノ)卷、仁徳天皇(ノ)卷等に、菟餓野《トガヌ》と見えて、攝津西成(ノ)郡にある地(ノ)名にて、難波堀江を、ほりとほされて後、堀江の南北にわたりて、南渡邊とひて、北渡邊と云、即(チ)それなりといへり、○靡合歡木は、岡部氏、シナヒネブ〔五字右○〕と訓べし、隱不得《シヌヒエズ》をいはむ料なり、といへるぞよろしき、さてシナフ〔三字右○〕は、三(ノ)卷に、眞木葉乃之奈布勢能山之奴波受而《マキノハノシナフセノヤマシヌハズテ》、ともよめるごとく、なよなよとなびくをいふ言なれば、やがて靡(ノ)字を、訓せたるなり、○歌(ノ)意は、本(ノ)句は全(ラ)序にて、妹がうへのことを、時も間も無くおもふゆゑに、しのび隱さむとおもへども、得しのびあへぬよ、となり、
 
2753 浪間從《ナミノマヨ》。所見小島之《ミユルコシマノ》。濱久木《ハマヒサキ》。久成奴《ヒサシクナリヌ》。君爾不相四手《キミニアハズシテ》。
 
浪間從は、ナミノマヨ〔五字右○〕と訓べし、浪(ノ)間にといふほどの意なり、○小島《コシマ》は、紀伊にも備前にも、さる地(ノ)名はあれど、これはいづくにまれ、たゞ海の小島をいふなるべし、○濱久木《ハマヒサキ》は、木(ノ)名にて、品物解にくはしくいへり、こゝは久《ヒサ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○以上四首は、木に寄てよめるなり、
 
2754 朝柏《アキカシハ》。閏八|河邊之《カハヘノ》。小竹之眼笶《シヌノメノ》。思而宿者《シヌヒテヌレバ》。夢所見來《イメニミエケリ》。〔頭註、【一首寄2小竹1、】〕
 
本(ノ)句は、此(ノ)上にも出て、既く註り、さてそこには、朝を秋と作、閏八を潤和と作り、(本居氏は、こゝ(183)も八は丸の誤にて、ウルワ〔三字右○〕なるべしと云り、)さて思《シヌヒ》をいはむための序に、本(ノ)句をまうけたることも、全(ラ)上に出たるに同じ、○思(ノ)字、シヌフ〔三字右○〕とよのること、例多し、(しかるを略解に、思は偲(ノ)字の誤なるべし、といへるは、謾なり、二(ノ)卷明日香(ノ)皇女、水※[瓦+缶](ノ)殯宮(ノ)時(ノ)長歌に、天地之彌遠長思將徃《アメツチノイヤトホナガクシヌヒユカム》、とある處に、思(ノ)字を、シヌフ〔三字右○〕とよめる證どもを擧て、委曲《ツバラ》に云るを考(ヘ)見べし、)○歌(ノ)意は、女の事を、思ひ宿《ネ》に思ひ慕ひてぬれば、夢に見えけり、となり、古今集に、小町、おもひつゝぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを、躬恒、君をのみおもひねにせし夢なればわが心から見つるなりけり、○この一首は小竹に寄てよめるなり、
 
2755 淺茅原《アサチハラ》、刈標刺而《カリシメサシテ》。空事文《ムナコトモ》。所縁之君之《ヨセテシキミガ》。辭鴛鴦將待《コトヲシマタム》。〔頭註、【廿八首寄v草、】〕
 
刈標刺而《カリシメサシテ》とは、(刈は借(リ)字にて)假標《カリシメ》を指而《サシテ》なり、假初に※[片+旁]示さしたる意にていへり、さて曠《ムナ》しき淺茅生に、假標さしたらむは、何の益なく、空事《ムナシコト》なる意もていひかけ、空言《ムナコト》とうけたるうへにては、虚言《ムナコト》の謂なり、(しかるを略解に、廣き荒野の中に、假そめなる、標の杙などをさしたるは、とりとめなく定かならぬしるしなるを、空言《ソラゴト》に譬へいへり、と云るは、いさゝか聞取がたき説なり、さるはもと、この空事を、ソラコト〔四字右○〕と訓たるにつきたる考(ヘ)なればなり、空事は、かならずムナコト〔四字右○〕と訓べきこと、此(ノ)上に出たる處に、委(ク)註たるが如し、合(セ)見て考(フ)べし、)○空事は、此上に、朝茅原小野印空事《アサチハラヲヌニシメユヒムナコトヲ》云々、とある處にいへるごとく、ムナコト〔四字右○〕と訓べし、(しかるを、昔來(184)ソラコト〔四字右○〕とよめるは、大《イミ》じきひがことなり」○歌(ノ)意は、虚《ムナシ》言にても、一(ト)度世の人に、いひよせられしからは、今更人言の禁《イサ》めがたきからに、よしやとゆるして、さて君があはむといふ言を、吾は一(ト)すぢに待つゝあらむ、となり、
 
2756 月草之《ツキクサノ》。借有命《カリナルイノチ》。在人乎《ナルヒトヲ》。何知而鹿《イカニシリテカ》。後毛將相云《ノチモアハムチフ》。
 
月草之《ツキクサノ》云々は、鴨頭草《ツキクサ》は、(後の世、露草《ツユクサ》とも云如く、いとはかなくて、)あしたにさきて、暮(ヘ)にしぼむ花なれば、假なる命とつゞきたり、人とは吾を云、○歌(ノ)意は、明日しらず、はかなくかりそめなる、吾(ガ)命にてあるものを、いつまでながらふるものと知てか、後にも逢べしと、たのもしくいふことぞ、となり、
 
2757 王之《オホキミノ》。御笠爾縫有《ミカサニヌヘル》。在間菅《アリマスゲ》。有管雖看《アリツヽミレド》。事無吾妹《コトナシワギモ》。
 
王之《オホキミノ》は、枕詞なり、○御笠爾縫有《ミカサニヌヘル》とは、御笠《ミカサ》は御蓋《ミカサ》なり、蓋は、踐祚大甞祭式に、宸儀始(テ)出(タマフトキ)、主殿(ノ)官人、執(テ)v觸(ヲ)奉v迎、車持(ノ)朝臣一人、執2菅(ノ)蓋(ヲ)1、子部(ノ)宿禰一人、笠取(ノ)直一人、並執(テ)2蓋(ノ)綱(ヲ)1、膝行(シテ)各供2其(ノ)職(ニ)1、主殿式に、正月元日云々、執2威儀(ノ)物(ヲ)1、殿部左方(ニ)十一人、一人(ハ)執2梅(ノ)枝、二人(ハ)紫(ノ)繖、三人(ハ)紫(ノ)蓋、二人(ハ)菅(ノ)繖、三人(ハ)菅(ノ)蓋(ヲ)1、など見えたり、さて其(ノ)蓋をば、縫て造る故に、縫有《ヌヘル》といへり、内匠寮式、野(ノ)宮(ノ)装束の中に、御輿(ノ)中子(ノ)蓋一具、(菅并(ニ)骨(ノ)料材(ハ)、從2攝津(ノ)國1笠縫氏參來作(ル)、)と見えたるをも思(フ)べし、○在間菅《アリマスゲ》は、在間《アリマ》は、攝津の有馬《アリマ》にて、菅の名所なり、さてこれまでは、有管《アリツヽ》をいはむための序なり、○事無吾妹(185)は、コトナシワギモ〔七字右○〕と訓べし、(コトナキ〔四字右○〕と訓はわろし、)さて事無《コトナシ》は、姑(ク)絶《キリ》たる意に心得べし、吾妹《ワギモ》は、いで吾妹よと呼(ビ)かけたる意なり(此(ノ)下に、赤駒之足我枳速者雲居爾毛隱往序袖卷吾妹《アカゴマノアガキハヤケバクモヰニモカクリユカムソソテフリワギモ》、とあると同じく、惣てかやうに、語の尾に、吾妹《ワギモ》、吾夫《ワガセ》、吾君《ワギミ》などやうにいひつめたるは、いづれも吾妹《ワギモ》よ、吾夫《ワガセ》よ、吾君《ワギミ》よ、と呼(ヒ)かけたる意にいふ例なればなり、○歌(ノ)意は、在々て、年月を經て看《ミ》れども、(看《ミ》は、俗に、世間を見合すると云意なり、)何の障ることなし、いで/\吾妹よ、今は打あらはして、夫妻とならむ、となり、(然るをコトナキワギモ〔七字右○〕とよみて、昔來何の難ずることもなく、よき吾妹といふ意と見たるは、大《イミ》じき誤なり、さては尾(ノ)句、いたく手つゝになることなり、十二に、常人之笠爾縫云有間菅在而後爾毛相等曾念《ヒトミナノカサニヌフチフアリマスゲアリテノチニモアハムトソモフ》、
 
2758 菅根之《スガノネノ》。懃妹爾《ネモコロイモニ》。戀西《コフルニシ》。益卜思而心《マスラヲコヽロ》。不所念鳧《オモホエヌカモ》。
 
菅根之《スガノネノ》は、枕詞なり、○益卜思而は、(くさ/”\説あれど、みなあたらず、)本居氏、思而(ノ)二字は、男(ノ)字の誤にて、三(ノ)句コフルニシ〔五字右○〕、四(ノ)句マスラヲコヽロ〔七字右○〕と訓べし、といへり、この説まことにいとよくいはれたり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十(ノ)卷に、丈夫之心者無而秋芽子之戀耳八方奈積而有南《マスラヲノコヽロハナクテアキハギノコヒニノミヤモナツミテアリナム》、
 
2759 吾屋戸之《ワガヤドノ》。穗蓼古幹《ホタデフルカラ》。採生之《ツミオホシ》。實成左右二《ミニナルマデニ》。君乎志將待《キミヲシマタム》。
 
穗蓼《ホタデ》は、品物解に云、(現存六帖に、さぎのとぶ河べの穗蓼くれなゐに日影さびしき秋の水か(186)な、世を秋の田づらの穗蓼つみはやしいくたびからきふしにあふらむ、)○本(ノ)句の意は、略解にもいへる如く、去年の秋の未に枯たる、蓼の古莖の子《ミ》を採(ミ)取て、今年の春蒔生するを云るなるべし、さて生之《オホシ》にいふまでは、實に成といはむ料の序のみなり、○歌(ノ)意は、實《マコト》に夫妻とならむかぎり、いつまでも心長く、一(ト)すぢに君を待む、といふなるべし、(古來の説ども、みなあたらず、略解にも、子《ミ》に成秋までも、同じ心に君を待む、といふ意に見たるは、いとわろし、末(ノ)句は、實《マコト》の夫妻になるをのみ云て、蓼のことには、あづからざるをや、)
 
2760 足檜之《アシヒキノ》。山澤回具乎《ヤマサハヱグヲ》。採將去《ツミニユカム》。日谷毛相將《ヒダニモアハム》。母者責十方《ハヽハセムトモ》。
 
回具《ヱグ》(回(ノ)字、官本、古寫本、袖中抄等には個、拾穗本には徊と作り、)は、水草の名にて、春の頃採て食ふ物なり、品物解に委(ク)註り、○相將は、將相と書るに同じ、集中に例多し、○歌(ノ)意は、今は許(ル)して會むとは思へども、相見べきたよりのなければ、回具《ヱグ》採《ツム》と云にことよせて、出て行し日なりともあはむ、もし母は聞つけて、我を責(ム)とも、そこには障らじ、と云る、女の歌なり、
 
2761 奥山之《オクヤマノ》。石本菅乃《イハモトスゲノ》。根深毛《ネフカクモ》。所思鴨《オモホユルカモ》。吾念妻者《アガモフツマハ》。
 
本(ノ)二句は、深くといはむ料の序にて、さて菅乃根深《スゲノネフカク》とつゞきたり、○吾念妻者は、アガモフツマハ〔七字右○〕と訓べし、(ワガオモヒツマハ〔七字右○〕、とよめるはわろし、)○歌(ノ)意は、わがうるはしく念ふ女は、ただ一わたりの、淺はかなることにあらず、深くねもころに、おもはるゝことにてあるかな、と(187)なり、
 
2762 蘆垣之《アシカキノ》。中之似兒草《ナカノニコグサ》。爾故余漢《ニコヨカニ》。我共咲爲而《アレトヱマシテ》。人爾所知名《ヒトニシラユナ》。
 
似兒草《ニコグサ》は、草(ノ)名なり、品物解に委(ク)註り、さて此も、本(ノ)二句は序なり、○爾故余漢《ニコヨカニ》は、にこやかにと云が如し、漢は、音を轉(シ)て、カニ〔二字右○〕の假字とせり、笑顔の莞爾《ニコ/\》としたるを云、廿(ノ)卷にも、秋風爾奈妣久可波備能爾故具左能爾古與可爾之母於母保由流香母《アキカゼニナビクカハピノニコグサノニコヨカニシモオモホユルカモ》、とあり、○歌(ノ)意は、吾を相見て、莞爾《ニコ/\》とゑみたまはむはうれしけれど、よくせずば、密情《ミソカコヽロ》を通はせることを、人に見知(ラ)るべければ、心したまへ、といふなり、四(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)女郎(カ)歌に、青山乎横〓雲之灼然《アヲヤマヲヨコギルクモノイチシロク》、とありて、未(ノ)句全(ラ)同じきあり、(現存六帖に、吾思ひ人しるらめや蘆垣の中のにこぐさしたにもゆとも、)
 
2763 紅之《クレナヰノ》。淺葉乃野良爾《アサハノヌラニ》。苅草乃《カルカヤノ》。束之間毛《ツカノアヒダモ》。吾※[立/心]渚菜《アヲワスラスナ》。
 
紅之《クレナヰノ》は、枕詞なり、紅色には、濃《コ》きも淡《アサ》さもあれば、その淡《アサ》き方につきてつゞけたり、○淺葉《アサハ》は、和名抄に、武藏(ノ)國入間(ノ)郡|麻羽《アサハ》、あり、今遠江(ノ)國|佐野《サヤノ》郡にも、麻葉《アサハノ》庄あり、いづこにか、と略解にいへり、○苅草乃《カルカヤノ》云々は、(後(ノ)世|刈《カル》かやを、一種の草の名とせるは、云に足ず、)草をかりて握《ニギ》るを、つかぬるといひて、一握二握《ヒトニギリフタニギリ》を、一束二束《ヒトツカフタツカ》といふ、その一束《ヒトツカ》は、いと短かければ、たゞしばしの間のことを、束《ツカ》の間《アヒダ》といへり、四(ノ)卷に、小牡鹿之角乃束間毛《ヲシカノツヌノツカノマモ》、とあるも同じ、○吾※[立/心]渚菜《アヲワスラスナ》は、吾を忘れ賜ふ勿《ナ》と云意なり、忘《ワス》るを延てワスラス〔四字右○〕》と云は、(良須《ラス》は、留《ル》と切る故なり、)知《シル》をシラス〔三字右○〕居《ヲル》を(188)ヲラス〔三字右○〕、立《タツ》をタヽス〔三字右○〕、引《ヒク》をヒカス〔三字右○〕、行《ユク》をユカス〔三字右○〕、など云と同例なり、さてしか言を延て、云は、崇むる時にいふ言なれば、忘《ワス》ラス〔二字右○〕は、忘れ賜ふ、知《シ》ラス〔二字右○〕は、知賜ふと云と、おのづから同じ意になることなり、○歌(ノ)意は少《シバシ》の間も、われをわすれ賜ふな、吾は君を思ふこと、立ても居ても、止ときなきものを、となり、二(ノ)卷日並(ノ)皇子(ノ)尊御歌に、大名兒彼方野邊爾苅草乃束間毛吾忘目八《オホナコヲヲチカタヌヘニカルカヤノツカノアヒダモアレワスレメヤ》、とあるは、大方同じ御歌ながら、歌(ノ)意に自他の違あり、
 
2764 爲妹《イモガタメ》。壽遺存《イノチノコセリ》。苅薦之《カリコモノ》。念亂而《オモヒミダレテ》。應死物乎《シヌベキモノヲ》。
 
苅薦之《カリコモノ》は、枕詞なり、○歌(ノ)意は、上に、齋命妹爲《イハフイノチハイモガタメコソ》、又|贖命者妹之爲社《アガフイノチハイモガタメコソ》、とよみ、十七に、奈加等美乃敷力能里等其等伊比波良倍安賀布伊能知毛多我多米爾奈禮《ナカトミノフトノリトゴトイヒハラヘアガフイノチモタガタメニナレ》、とよめる如く、妹が爲ばかりにこそ、こひ死にしにもせずして、神祇に齋ひ贖ひて、吾(カ)命を遺しおけるなれ、中々に、かくあふこともなくて、あらむよりは、おもひみだるゝ心に打まかせて、戀死に死べかりしを、となり、契冲、此(ノ)歌は、忍ぶ故ありて、心はかよひながらも、えあはぬ中によめるなるべし、といへり、さもあるべし、
 
2765 吾妹子爾《ワギモコニ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》。苅薦之《カリコモノ》。思亂而《オモヒミダレテ》。可死鬼乎《シヌベキモノヲ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし。
 
2766 三島江之《ミシマエノ》。入江之薦乎《イリエノコモヲ》。苅爾社《カリニコソ》。吾乎婆公者《ワレヲバキミハ》。念有來《オモヒタリケレ》。
 
(189)三島江《ミシマエ》は、神名式に、攝津(ノ)國島下(ノ)郡三島(ノ)鴨(ノ)神社とあり、そこの江なり、○本(ノ)二句は、假《カリ》をいはむ料の序なり、○苅(ノ)字は、上の薦の縁にかぇるのみにて、歌(ノ)意は假《カリ》なり、○歌(ノ)意は、吾をおもふおもふとの賜ひしは、まことに、ふかく思ひ賜ひしにはあらず、たゞ假初に淺はかにこそ、おもひたまひしにはありけれ、となり、男の心の淺くなるを見て、恨(ミ)たる女の歌なり、
 
2767 足引乃《アシヒキノ》。山橘之《ヤマタチバナノ》。色出而《イロニデテ》。吾戀南雄《アハコヒナムヲ》。八目難爲名《ヒトメイマスナ》。
 
山橘之《ヤマタチバナノ》は、色出《イロニデ》をいはむ料の序なり、山橘は、今|薮柑子《ヤブカウジ》といふものにて、(なほ品物解にいへり、)實の赤ければ、色に出とつゞきたり、古今集に、わがこひをしのびかねてはあしひきの山たち花の色に出ぬべし、○八妻難爲名は、八は人(ノ)字の誤なり、難爲名は、本居氏、イマスナ〔四字右○〕とよみて人目いむは、はゞかる意なるをもて、難とかけりと見ゆ、といへり、これによるべし、○歌(ノ)意は、今よりは、色にあらはして、吾(カ)思はむからは、そこにも、人目をはゞかり賜ふことなく、相思ひたまへよ、といふなるべし、四(ノ)卷に、此(ノ)本(ノ)句と、全(ラ)同歌出たり、
 
2768 葦多頭乃《アシタヅノ》。颯入江乃《サワクイリエノ》。白菅乃《シラスゲノ》。知爲等《シラレムタメト》。乞痛鴨《コチタカルカモ》。
 
本(ノ)句は、知《シル》といはむ料の序なるべし、○歌(ノ)意、未(ノ)句は、シラレムタメトコチタカルカモ〔シラ〜右○〕と訓て、我(カ)戀しく思ふ心のほどを、君にしられむ爲とて、人言にこちたく、いひさわがるゝ歟、といふなるべしといへれど、穩ならず、誤字あるべし、猶よく考へて云べし、○古今集に、あしかもの(190)さわぐ入江のしら浪のしらずや人をかくこひむとは、今の歌をおもへるか、
 
2769 吾背子爾《ワガセコニ》。吾戀良久者《アガコフラクハ》。夏草之《ナツクサノ》。苅除十方《カリソクレドモ》。生及如《オヒシクゴトシ》。
 
苅除十方は、カリソクレドモ〔七字右○〕と訓べし、苅|退《ノク》れどもと云に同じ、十四に、安可見夜麻久佐禰可利曾氣《アカミヤマクサネカリソケ》云々、十六に、枳棘原苅除倉將立《カラタチノウバラカリソケクラタテム》云々、などあり、○生及加は、オヒシクゴトシ〔七字右○〕とよむべし、(オヒシクガゴト〔七字右○〕と訓ては、いさゝか違へり、この言の事、既く委く云り、)○歌(ノ)意は、吾(ガ)夫子を、わがこひしく思ふ心を、ものにたとへていはゞ、夏草の苅退々々《カリノケカリノケ》すれども、なほ重々に生繁るが如くにして、思ふ心の止(ム)ときなし、となり、十(ノ)卷に、廼者之戀乃繁久夏草乃苅掃友生布如《コノゴロノコヒノシゲケクナツクサノカリハラヘドモオヒシクゴトシ》、
 
2770 道邊乃《ミチノベノ》。五柴原能《イツシバハラノ》。何時毛何時毛《イツモイツモ》。人之將縱《ヒトノユルサム》。言乎思將待《コトヲシマタム》。
 
五柴原能《イツシバハラノ》は、何時毛《イツモ》といはむための序なり、四(ノ)卷に、河上乃伊都藻之花乃何時何時《カハカミノイツモノハナノイツモイツモ》云々、さて五《イツ》は、五藻《イツモ》、五橿《イツカシ》などの五《イツ》と同じく、其(ノ)繁きを云、柴《シバ》は(借(リ)字にて、)莱草《シバ》をいふべし、(略解に、四(ノ)卷に市柴とも書るにつきて、用明天皇(ノ)紀に、赤檮此云2伊知比《イチヒト》1。とあるを引て、橿の類にて、俗にいちかしと云て、大木となるものなり、これも詞なるをば、柴《シバ》といへば、いちひを略きて、いちしばと云、楢柴《ナラシバ》、椎柴《シヒシバ》などいふが如し、といへるは、いとうけがたし、赤檮柴《イチヒシバ》としては、道邊乃《ミチノベノ》といへるにも、似つかはしからぬをや、こは柴とかけるに、いたく泥みたりと乙見えたり、そも/\此(ノ)(191)前後二十八首は、みな草に寄てよめる歌をあつめて、一類とせりとおぼゆるに、此(ノ)一首のみ木なるべき由なきをもおもへ、〉猶|委曲《クハシク》は、既く四(ノ)卷に、大原之此市柴乃何時鹿跡《オホハラノコノイツシバノイツシカト》云々、とある處に云るを、考(ヘ)合(ス)べし、○何時毛何時毛《イツモイツモ》は、何時《イツ》なりとも/\、といはむが如し、と契冲がいへる如し、○歌(ノ)意は、何時《イツ》なりとも、何時なりとも、己がいふことをうけひきて、人のゆるさむときを、心ながく一(ト)すぢに持てをらむ、となり、
 
2771 吾妹子之《ワギモコガ》。袖乎憑而《ソテヲタノミテ》。眞野浦之《マヌノウラノ》。小菅乃笠乎《コスゲノカサヲ》。不著而來二來有《キズテキニケリ》。
 
眞野《マヌ》は攝津(ノ)國八部(ノ)郡の地(ノ)名なり、○歌(ノ)意は、もし雨ふることあらば、妹が袖をかりて、うちかづきてかへらむとおもひて、とかくといそぐ心に、空のおぼつかなさに、菅笠をだに、とりあへず來つる、となり、と契冲が云る如し、
 
2772 眞野池之《マヌノウラノ》。小菅乎笠爾《コスゲヲカサニ》。不縫爲而《ヌハズシテ》。人之遠名乎《ヒトノトホナヲ》。可立物可《タツベキモノカ》。
 
眞野池は、本居氏、池は※[さんずい+内]の誤なるべしといへり、これは次上の歌の答と見ゆれば、いかさまにも、※[さんずい+内]なるべく、おぼえたり、○笠爾不縫《カサニヌハズ》とは、十三に、遠智能小菅不連爾伊苅持來《ヲチノコスゲアマナクニイカリモチキ》、とよめる類にて、實《マコト》に夫婦の縁を結ぶを、笠に縫合すに譬へて、こゝは實なきをよせて、いへるなるべし、○人之遠名《ヒトノトホナ》は、人は吾を云、遠名とは、世に廣く立る名を云べし、と岡部氏いへり、○歌(ノ)意は、吾(カ)袖をたのみて、笠を着ずに來しとの賜ふが、それは何とやらむ、實ありがほなれど、實に君(192)と契を緒びしことのなければ、吾(カ)名を、世に廣く立べきにあらぬをや、といへるなり、
 
2773 射竹《サスダケノ》。齒隱有《ハゴモリテアレ》。吾背于之《ワガセコガ》。吾許不來者《アガリキセズハ》。吾將戀八方《アレコヒメヤモ》。
 
刺竹《サスダケ》は、古來《ムカシヨリ》、註者等《フミトキビトタチ》皆、竹のことゝして説たれど、下にも云る如く、此(ノ)上に、淺茅原刈標刺而《アサチハラカリシメサシテ》云々、とあるより、此(ノ)下に、左寐蟹齒孰共毛宿常《サネカネバタレトモネメド》云々、とあるまで、凡《スベテ》廿八首は、みな寄v草陳v思歌をあつめて、一類とせりと所思《オボユル》に、この一首のみ竹ならむも、いかにぞやおもはるゝにつきて、考(フ)るに、(竹は、古今集にも、木にもあらず、草にもあらぬ、といへるごとく、古(ヘ)より草(ノ)類には入ざりしよし、余(ガ)考あり、)此(ノ)刺竹《サスダケ》は、黍《キミ》の別名《マタノナ》におぼえたり、さるはまづ、書紀聖徳(ノ)太子(ノ)御歌に、佐須陀氣能枳彌波夜那祇《サスダケノキミハヤナキ》、とあるは、佐須竹之黍《サスダケノキミ》といふ意に、つゞけさせ賜へりと見えたり、黍は、(今は吉備《キビ》とのみいへど、)古くは吉彌《キミ》と云しこと、此(ノ)集十六(ノ)歌に寸三《キミ》と見え、和名抄にも木美《キミ》、とあるを思ふべし、(即(チ)黄實《キミ》の義なるをも、併(セ)考(フ)べし、)さて其(ノ)原《モト》は、其(ノ)幹《カラ》を佐須竹《サスダケ》といひ、(黍《キミ》の幹は、竹に能(ク)似たるものなれば、竹といふべし、今俗にも、※[草がんむり/讓の旁]荷《メガ》の幹を※[草がんむり/讓の旁]荷竹《メウガタケ》、甘蔗を砂糖竹《サトウダケ》などいふめり、さてよのつねの竹は、幹中の虚《ス》の、いと廣きものなるに、黍は幹中に肉《ミ》あれば、虚《ス》の窄《セマ》り合たるよしにて、狹處竹《サスダケ》といへるにやあらむ、狹《サ》とは、狹少《セマクチヒサ》きを云のみならず、庭も狹《セ》、山も狹《セ》、などいふ如く、細く窄り合たるを云言なり、)其(ノ)實を黄實《キミ》と解けるを、後には吉彌《キミ》とのみ云が、草(ノ)名のごとくになりて、佐須竹《サスタケ》と云|稱《ナ》は、人のしらぬやうに、なれりしものとおもは(193)るゝなり、かくて黍は、葉廣く長く繁りて、大かたは其(ノ)葉に、幹の隱るゝものなれば、葉隱《ハゴモリ》とはいひかけたるなり、○齒隱有《ハゴモリテアレ》は、齒は(借(リ)字にて、)葉なり、さて内に隱《コモリ》てあれと云ことを、上の言の縁《チナミ》に、葉隱《ハゴモリ》といひ連ねたり、○吾許不來者は、ワガリキセズハ〔七字右○〕と訓べし、(ワレガリコズハ〔七字右○〕とよむは、いとつたなし、)不來をキセズ〔三字右○〕と云は、あしびきの山よりきせばなど云と、同例なり、○歌(ノ)意は、吾(ガ)許へ來て、己が目に觸る故に、思ふ心もいや益るを、來座ずてだにあらば、かくばかりに、戀しく思ふべきよしあらむやは、されば、そなたに隱《コモリ》て、出賜ふなよと、切なる餘りにいへるなるべし、○此歌、吾といふ言三(ツ)あるは、わがせこにあがこひをればわがやどの、とよめる如く、水の瀬をくだる勢に、ことさらに重ねたり、と契冲云り、
 
2774 神南備能《カムナビノ》。淺小竹原乃《アサシヌハラノ》。美《シミヽニモ》。妾思公之《アガモフキミガ》。聲之知家口《コヱノシルケク》。
 
神南備《カムナビ》は、飛鳥のなるべし、一説に、平群(ノ)郡にあり、ともいへり、○淺小竹原《アサシヌハラ》は、小篠原《ヲサヽハラ》といふに同じ、淺《アサ》は、淺茅《アサチ》の淺《アサ》に同じく、深からぬをいへり、(夫木集に、かれぬるかころもの秋の神なびのあささゝ原の霜の下草、とあり、舊訓にも、あささゝ原とあれば、アサシヌハラ〔六字右○〕なるべし、)○美は、上下に脱字あるべし、(美妾思公之を、ヲミナベシオモヘルキミガ〔ヲミ〜右○〕、と訓るは穩ならず、岡部氏は、ヲミナベシシヌベルキミガ〔ヲミ〜右○〕とよみて、篠原に立交れるをみなべしの、見えがたきをたとへて、しぬべるきみがといへるなるべし、といへれど、いかゞ、女郎花を、美妾と書むこと(194)の、元來平穩ならざればなり、)故(レ)甞(ミ)に按(フ)に、繁美似裳《シミミニモ》などありけむを、美(ノ)字のみ遺して、餘は寫し脱したるにもやあちむ、上に、大舟爾葦荷苅積四実見似裳妹心爾乘來鴨《オホブネニアシニカリツミシミミニモイモガコヽロニノリニケルカモ》、とあり、○妾思公之は、本居氏の、アガモフキミガ〔七字右○〕なるべし、といへる、眞に然もあるべし、○歌(ノ)意、本(ノ)二句は、繁《シミ》を云む料の序なるべし、さて繁々にも、わが戀しく思ふ君なれば、わづかにその聲を聞ても、それとしるく、身にしみとほりておぼゆることよ、と云るなるべし、○小竹《シヌ》は、竹に類《タグヘ》れど、又草にも類ふぺければ、前後寄v草陳v思(ヲ)歌の中に收たるならむ、
 
2775 山高《ヤマタカミ》。谷邊蔓在《タニヘニハヘル》。玉葛《タマカヅラ》。絶時無《タユルトキナク》。見因毛欲得《ミムヨシモガモ》。
 
山高《ヤマタカミ》云々は、山が高さに、峰まで蔓上《ハヒノボ》ること能はずして、谷邊に蔓有《ハヘル》と云か、さらば谷迫峯邊延有《タニセバミミネヘニハヘル》、(谷が狹さに、峯へに蔓有《ハヘル》なり、)とよめるとは、反對《カヘサマ》なり、(もしは高山とありて、タカヤマノ〔五字右○〕なりけむを、下上に誤れるにもあるべきにや、)さて本(ノ)句は、絶時無(ク)といはむための序なり、十二に、谷迫峯邊延有玉葛令蔓之有者年二不來友《タニセバミミネヘニハヘルタマカヅラハヘテシアラバトシニコズトモ》、十四に、多爾世婆美彌年爾波比多流多麻可豆良多延武能己許呂和我母波奈久爾《タニセバミミネニハヒタルタマカヅラタエムノココロワガモハナクニ》、伊勢物語に、谷せばみ峯まではへる玉かづらたえむと人にわがおもはなくに、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2776 道邊《ミチノベノ》。草冬野丹《クサヲフユヌニ》。履干《フミカラシ》。吾立待跡《アレタチマツト》。妹告乞《イモニツゲコソ》。
 
歌(ノ)意は、冬野の草の萎枯《シモガレ》たるごとくに、道の邊の草をふみからして、女の家の邊に通ひ來て、(195)立待(ツ)と云ことを、いかで妹に告てよかし、となり、女の出て會むことを、待ことの度重れる勞《イタヅキ》を、示《アヲハ》さむとなり、
 
2777 疊薦《タヽミコモ》。隔編數《ヘダテアムカズ》。通者《カヨハサバ》。道之柴草《ミチノシバクサ》。不生有申尾《オヒザラマシヲ》。
 
疊薦《タヽミコモ》は、疊《タヽミ》の蒋《コモ》にて、席具《シキモノ》の疊《タヽミ》にする蒋《コモ》なり、十二に、相因之出來左右者疊薦重編數夢西將見《アフヨシノイデコムマデハタヽミコモカサネアムカズユメニシミテム》、とあり、○隔編《ヘダテアム》とは、疊の蒋を編(ム)には、まづ薦桁《コモゲタ》といふ木を横に亙し、薦槌《コモツチ》といふものに編苧《アミソ》を卷(キ)、薦桁へかけて、槌を此《コヽ》を彼《カシコ》へ、彼《カシコ》を此《コヽ》へ、とり違へつゝあむなり、さて蒋一筋一筋に、編苧を隔て編(ム)ゆゑに、隔(テ)編(ム)とはいへるなり、古事記傳に、隔《ヘダテ》は、重《ヘ》を立るを云て、加佐泥《カサネ》と云に同じ、同事を重編《カサネアム》とも云るにて知べし、さて又|編數《アムカズ》と云は、疊は細密《コマカ》に繁くある物なる故に、編目の數の多くしげきを云なり、重《ヘ》の數の多きを云には非ず、○道之柴草《ミチノシバクサ》は、六(ノ)卷に、立易古京跡成者道之志婆草長生爾異梨《タチカハリフルキミヤコトナリヌレバミチノシバクサナガクオヒニケリ》、とあるに同じく、ともに柴は借(リ)字にて、莱草《シバ》なり、○歌(ノ)意は、疊薦を隔(テ)編(ム)其(ノ)薦槌の、往反のしげく隙なきが如く、屡《シバ/\》に通ひ來ましなば、道の芝草も得生立(ツ)まじきものを、絶間がちなるゆゑに、草長く生(ヒ)しげりたり、となり、
 
2778 水底爾《ミナソコニ》。生玉藻之《オフルタマモノ》。生不出《オヒイデズ》。縱比者《ヨシコノゴロハ》。如是而將通《カクテカヨハム》。
 
歌(ノ)意は、水底に生たる玉藻の、水上に顯れて生出ぬごとく、かくしのび/\に、この頃は通ひてむ、縱やさばれ、つひにはあらはして妻とせむと、末をたのみに思へるよしなるべし、上に、(196)水底生玉藻打靡心依戀比日《ミナソコニオフルタマモノウチナビキコヽロヲヨセテコフルコノゴロ》、
 
2779 海原之《ウナハラノ》。奥津繩乘《オキツナハノリ》。打靡《ウチナビキ》。心裳四怒爾《コヽロヲモシヌニ》。所念鴨《オモホユルカモ》。
 
繩乘《ナハノリ》(乘は、借(リ)字にて苔《ノリ》なり、)は、海苔の一種なり、品物解に云、さて打靡《ウチナビキ》といはむための序に、まうけいへり、○歌(ノ)意は、身もなよ/\と打なびきつゝ、心もしなひて、人の戀しくおもはるゝことかな、となり、
 
2780 紫之《ムラサキノ》。名高乃浦之《ナタカノウラノ》。靡藻之《ナビキモノ》。情者妹爾《コヽロハイモニ》。因西鬼乎《ヨリニシモノヲ》。
 
名高乃浦《ナタカノウラ》は、上にも、木海之名高之浦爾《キノウミノナタカノウラニ》、とよめり、七(ノ)卷に二首、今の歌の初二句と同じきありて、そこに委(ク)註したりき、○本(ノ)句は、因西《ヨリニシ》といはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、心は妹に打なびき、一向によりにしものを、今更に、何事をかはおもはむ、となり、
 
2781 海底《ワタノソコ》。奥乎深目手《オキヲフカメテ》。生藻之《オフルモノ》。最今社《モハライマコソ》。戀者爲便無寸《コヒハスベナキ》。
 
奥《オキ》とは、海(ノ)底の極をも云(ヒ)、海(ノ)上の岸より遠さ方をむ云(ヘ)ど、此は底の方なり、○本(ノ)句は、最《モハラ》といはむ料の序なり、(奥乎深目手《オキヲフカメテ》と云に、深き思をたとへたる意はなし、)○最今社は、岡部氏の、モハライマコソ〔七字右○〕とよめるよろし、(モトモ〔三字右○〕とよめるは、甘心《アマナヒ》がたし、)モハラ〔三字右○〕は、古今集に、あふことのもはら結ぬる時にこそ人の戀しきことも知けれ、とあるに同じ、社《コソ》と云て、寸《キ》と結《トヂ》めたる例、一(ノ)卷三山(ノ)御歌に、委(ク)註たりき、○歌(ノ)意は、今社は、專(ラ)戀しく思ふ心の、せむすべなき時なれ、とな(197)り、
 
2782 左寐蟹齒《サネカネバ》。孰共毛宿常《タレトモネメド》。奥藻之《オキツモノ》。名延之君之《ナビキシキミガ》。言待吾乎《コトマツアレヲ》。
 
左寐蟹齒は、(サヌガニハ〔五字右○〕と訓たるによりて、契冲、さぬるからには、といふ意なり、と云れど、カラニ〔三字右○〕を、ガニ〔二字右○〕とのみ云る例あることなし、無稽論《ムナシゴト》といふべし、又略解に、本居氏(ノ)説を引て、さねむとならば、といふほどの言なり、共寢せむとならば、誰ともぬべけれど、といふ意なり、といへれど、いかゞ、逢むとならばといふことを、逢(フ)ガニハ〔三字右○〕、去《イナ》むとならばといふことを、去《イヌ》ガニハ〔三字右○〕など云に、例あらばこそさもあるべけれ、さる例はさらにあることなし、且歌(ノ)意も、さては穩ならず、これ又無證言《アトナシコト》といひつべし、凡《オヨ》そ云々我爾《シカ/”\ガニ》といふ詞は、集中にも四(ノ)卷に、吾屋戸之暮除草乃白露之消蟹本名所念鴨《ワガヤドノユフカゲグサノシラツユノケヌガニモトナオモホユルカモ》、又、道相而咲之柄爾零雪乃消者消香二戀云吾妹《ミチニアヒテヱマシシカラニフルユキノケナバケヌガニコヒモフワギモ》、八(ノ)卷に、於布流橘《オフルタチバナ》、玉爾貫五月乎近美《タマニヌクサツキヲチカミ》、安要奴我爾花咲爾家里《アエヌガニハナサキニケリ》、又、秋田刈借廬毛未壞者秋鳴寒霜毛置奴我爾《アキタカルカリホモイマダコボタネバカリガネサムシシモモオキヌガニ》、十(ノ)卷に、音之于蟹來喧響目《コヱノカルガニキナキトヨマメ》、又、秋就者水草花乃阿要奴蟹思跡不知直爾不相在者《アキヅケバミクサノハナノアエヌガニオモヘドシラズタヾニアハザレバ》、十三に、海處女等《アマヲトメラガ》、纓有領巾文光蟹《ウナガセルヒレモテルガニ》、手二卷流玉毛湯良羅爾《テニマケルタマモユララニ》、十四に、武路我夜乃都留能都追美乃那利奴賀爾古呂波伊敝杼母伊末太年那久爾《ムロガヤノツルノツツミノナリヌガニコロハイヘドモイマダネナクニ》、古今集に、櫻花散かひくもれ老らくの來むと云なる道まがふがに、などありて、消我爾《ケヌガニ》は、消るばかりに、干我爾《カルガニ》は、かるゝばかりに、光我爾《テルガニ》は、光(ル)ばかりにといふ意にて、其(ノ)餘なるもこれに准ふべし、これを本居氏の、語(リ)繼(ク)ガネ〔二字右○〕、立(チ)隱るガネ〔二字右○〕(198)などいふ我禰《ガネ》と同意にて、我爾《ガニ》は、我禰爾《ガネニ》の約りたる言なり、といへるは、大《イタ》く違へり、我禰《ガネ》は言の趣甚く異《カハ》れり、混ふべからず、その差別は、既く委く辨へたれば、こゝにいはず、さてかゝれば、こゝの左寐蟹も、さぬるばかりに、と云意かとも云べけれど、さては解べきやうなし、)今按(フ)に、サネカネバ〔五字右○〕と訓べし、蟹をカネ〔二字右○〕とよむは、集中に、足乳根《タラチネ》を足常《タラチネ》、迷《マヨフ》を間結《マヨフ》、あぢきなくを小豆無《アヂキナク》、など書る類の借(リ)字とも云べけれど、書紀允恭天皇(ノ)卷、衣通(ノ)王(ノ)歌に、さゝ蟹を、佐々餓泥《サヽガネ》とよまれたれば、もとより上(ツ)代には、蟹をカネ〔二字右○〕とも云しこと、うつなければ、カネ〔二字右○〕の借字とせること論なし、土佐(ノ)國幡多(ノ)郡以南と云あたりの俗には、今も蟹をカネ〔二字右○〕と云り、但ガ〔右○〕を濁りて唱るは甚鄙し、)さてサネカネバ〔五字右○〕は、左寐不得者《サネカネバ》にて、左寢《サヌ》ることを不《ズ》v得《エ》者《バ》なり、カネ〔二字右○〕は、集中に多く不得と書る如く、とゞめかねは、留めむとすれど留(メ)不v得、いひかねは、言むとすれど言(ヒ)不v得の意なるに、相例すべし、○奥藻之《オキツモノ》は、枕詞なり、○名延之君《ナビキシキミ》とは、吾(ガ)心の靡きよりにし君といふなり、(君が自(ラ)なびける意にはあらず、)○吾乎《アレヲ》は、吾なるものをの意なり、○歌(ノ)意は、末遂に、吾と相寐することを不v得とならば、われも思(ヒ)斷て、誰その人になりとも、かたらふべきなれど、よもさる心には君もあるまじければ、はじめより吾(カ)心の、一向《ヒタスラ》になびきよりにし君が、今は妻とたのむといふ言を、待つゝあるものを、となり、○以上廿八首は、草に寄せてよめるなり、
 
(199)2783 吾妹子之《ワギモコガ》。奈何跡裳吾《イカニトモアヲ》。不思者《オモハネバ》。含花之《フヽメルハナノ》。穗應咲《ホニサキヌベシ》。〔頭註、【四首寄v花、】
 
歌(ノ)意は、わがかく深く下心におもひ入たるを、妹は何ともおもはぬけしきなるに、得堪やらねば、含める花の色にさき出る如く、今はおしあらはして、心の底を示すべし、となり、
 
2784 隱庭《コモリニハ》。戀而死鞆《コヒテシヌトモ》。三苑原之《ミソノフノ》。鷄冠草花乃《カラヰノハナノ》。色二出目八方《イロニイデメヤモ》。
 
本(ノ)二句は、此上にも出たり、○鷄冠草花乃は、カラヰノハナノ〔七字右○〕と訓べし、色二出《イロニイデ》といはむ料の序なり、鷄冠草《カラヰ》は、契冲が※[奚+隹]頭花なるべし、といへる、さもあるべし、なほ品物解に云り、十(ノ)卷に、戀日之氣長有者三苑圃能辛藍花之色出爾來《コフルヒノケナガクアレバミソノフノカラヰノハナノイロニデニケリ》、とよめり、○方(ノ)字、類聚抄には毛、異本には目と作り、○歌(ノ)意は、たとひ戀死に死はすとも、しのびはてゝむ、色にはあらはさじ、となり、契冲、これは上の歌に問答して、まてしばしと、制してよめるこゝろなり、もと問答の歌にはあらねど、撰集の時、撰者次第をさやうにするなり、といへり、此(ノ)説は、上の歌の穗應咲《ホニサキヌベシ》を、色に出して、人にしらるべしと云意に、見たるなるべし、○舊本註に、類聚古集云、鴨頭草、又作2鷄冠草1云云、依2此義1者、可v和2月草1歟、とあり、和(ノ)字、拾穗本には訓と作り、此(ノ)説はひがことなり、用べからず、古寫本には此(ノ)註なし、
 
2785 開花者《サクハナハ》。雖過時有《スグトキアレド》。我戀流《アガコフル》。心中者《コヽロノウチハ》。止時毛梨《ヤムトキモナシ》。
 
歌(ノ)意は、花は盛あれど、やがてうつろひすぐるものなるを、わが人を戀しく思ふ心は、いつも(200)さかりにて、うつろひすぐる時はさらになし、となり、
 
2786 山振之《ヤマブキノ》。爾保倣流妹之《ニホヘルイモガ》。翼酢色乃《ハネヅイロノ》。赤裳之爲形《アカモノスガタ》。夢所見管《イメニミエツヽ》。
 
山振之は、枕詞なり、茵花《ツヽジバナ》にほへる君、などもつゞくると、同例なり、○爾保敝流妹《ニホヘルイモ》は、紅顔の女を云、○翼酢色《ハネズイロ》は、既く四(ノ)卷に出て、委(ク)註り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○以上四首は、花に寄てよかるなり、
 
2787 天地之《アメツチノ》。依相極《ヨリアヒノキハミ》。玉緒之《タマノヲノ》。不絶常念《タエジトオモフ》。妹之當見津《イモガアタリミツ》。〔頭註、【七首寄2玉緒1、】〕
 
本(ノ)二句は、既く出(デ)つ、○玉緒之《タマノヲノ》は、枕詞なり、玉貫たる綸《ヲ》の斷《キレ》離るゝを、絶《タユ》るといふから、絶《タユ》とも不絶《タエズ》ともつゞく詞なり、(こゝは命の事を云(フ)靈緒《タマノヲ》にあらず、)○歌(ノ)意は、天地のあらむかぎりは、思ひ斷《タエ》じと、心におもひきはめたる女なれば、さらに唯假初のことにはあらず、其(ノ)女の家の當(リ)をば、物よりことに、心に愛《ウツクシミ》してぞ見つる、といふにや、
 
2788 生緒爾《イキノヲニ》。念者苦《オモフハクルシ》。玉緒乃《タマノヲノ》。絶天亂名《タエテミダレナ》。知者知友《シラバシルトモ》。
 
生緒爾念《イキノヲニオモフ》とは、命にかけて念(フ)といふに同じく、眞實に深く思ひ入たる形容《サマ》なり、生緒《イキノヲ》は即(チ)命のことなればなり、さてこの生緒を、他處には多く氣緒《イキノヲ》とかきたれど、其(ハ)借字にて、此處にかけるが正字ならむ、と本居氏も云る如し、(三十二番職人歌合に、息のをのくるしき時は鉦鼓こそ南無阿彌陀佛の聲たすけなれ、とあるは、たゞ氣息を云ことゝ、後には心得たるか、)○玉(201)緒乃《タマノヲノ》、これも緒の斷て、玉の亂るゝとかゝれる枕詞なり、○絶天亂名《タエテミダレナ》は、絶天《タエテ》は、枕詞の縁《チナミ》にいひ下したるのみにて、歌(ノ)意の方は、たゞ亂名《ミダレナ》なり、亂名《ミダレナ》は、將《ム》v亂《ミダレ》といふことを、さし急《セマ》りて強く云言なり、(亂牟《ミダレム》と云と、亂奈《ミダレナ》と云とは、緩急の異《カハリ》ある古言なり、亂名《ミダレナ》は、亂(レ)むと、二念なくおもひつのたる意にて、急《セマ》りて云るなり、)さて亂るゝは、放蕩《ミダリゴヽロ》になるといふほどの意なり、古今集俳諧歌に、實《マメ》なれど何ぞは善《ヨケ》く刈(ル)草《カヤ》の亂て有ど惡けくもなし、とある亂(レ)に同じ、○歌(ノ)意は、命にかけて、心(ノ)裏にのみおもへば、神《タマシヒ》疲《ツカレ》て辛苦《クルシ》きによりて、今はいで亂て、放蕩なる者になりなむ、縱《ヨシ》やたとひ人は知ば知(ル)とも、となり、古今集に、下にのみおもへばくるし玉緒のたえて亂む人なとがめそ、とあるは、今の歌を換たるか、
 
2789 玉緒之《タマノヲノ》。絶而有戀之《タエタルコヒノ》。亂者《ミダレニハ》。死卷耳其《シナマクノミソ》。又毛不相爲而《マタモアハズシテ》。
 
絶而有戀之亂《タエタルコヒノミダレ》とは、中絶して後戀しく思ふ故に、心も散亂《ミダ》れたるを云、戀之亂《コヒノミダレ》と云るは、戀のみだれのつかね緒にせむ、などよめる是なり、○歌(ノ)意は、中絶して後、戀しく思ふあまりに、心も散亂《ミダ》れたるからは、又も相むとはおもはず、たゞ一向《ヒタスラ》に、死むことを而巳《ノミ》ぞおもふ、となり、
 
2790 玉緒之《タマノヲノ》。久栗縁乍《ククリヨセツヽ》。末終《スヱツヒニ》。去者不別《ユキハワカレデ》。同緒將有《オヤジヲニアラム》。
 
久栗縁乍《ククリヨセツヽ》は、白玉《シヲタマ》の間《アヒダ》あけつゝ貫《ヌケ》るをもくゝりよすれば後あふものを、とよめるに同じく、久栗《ククリ》は、借(リ)字にて、縛《クヽリ》なり、○歌(ノ)意は、間置て貫たる玉の緒も、縛りよすれば、末遂により合て、同(202)じ緒になるごとく、今こそ人言などに障《サヘ》られて、暫(ク)遠ざかりたれど、末終には、かた/\に行別れずして、夫婦となりて相住(マ)むぞ、となり、古今集に、下の帶の道はかた/\わかるとも行めぐりてもあはむとぞおもふ、意相似たり、
 
2791 片絲用《カタイトモチ》。貫有玉之《ヌキタルタマノ》。緒乎弱《ヲヲヨハミ》。亂哉爲南《ミダレヤシナム》。人之可知《ヒトノシルベク》。
 
片絲用(用(ノ)字、菅家本には丹と作り、舊本の方まされり、)は、カタイトモチ〔六字右○〕なり、(モテ〔二字右○〕と訓はわろし、)○本(ノ)句は、亂《ミダレ》といはむ料の序なり、より合せぬ片糸をもて貫たるは、緒が弱さに絶(エ)易(ス)ければ、亂るといひ連ねたり、○歌(ノ)意は、今は人の知ぬべく、心も亂やしなむ、となり、十二に、玉緒乎片緒爾搓而緒乎弱彌亂時爾不戀有目八方《タマノヲヲカタヲニヨリテヲヲヨワミミダルヽトキニコヒザラメヤモ》、
 
2792 玉緒之《タマノヲノ》。島意哉《ウツシコヽロヤ》。年月乃《トシツキノ》。行易及《ユキカハルマデ》。妹爾不逢將有《イモニアハザラム》。
 
玉緒之寫《タマノヲノウツシ》とかゝれるは、間置て貫たる玉の緒を、くゝりよするにつれて、玉の彼《カシコ》へ此《コヽ》へ轉《ウツ》るをもて、轉《ウツ》しとつゞきたるなるべし、大神(ノ)景井、玉緒之現《タマノヲノウツシ》、とつゞきたる玉緒《タマノヲ》は、玉貫たる綸《ヲ》を云に非ず、玉《タマ》とかけるは借(リ)字にて、靈之緒《タマノヲ》なり、さて緒《ヲ》は、生之緒《イキノヲ》の緒《ヲ》にて、靈魂《タマシヒ》の緒《ヲ》は、すなはち命のことなれば、靈《タマ》の緒《ヲ》の現《ウツ》しとは、つゞくるなり、と云り、さもあるべし、(但し此(ノ)説によるときは、玉緒《タマノヲ》と靈緒《タマノヲ》と、言は同じけれど、物は各別《コト/”\》なり、撰者は、なほ前の説の如く、玉緒《タマノヲ》の轉《ウツ》しと云意に心得て、玉(ノ)緒に寄て、よめる歌の類に収《イレ》たるか、また靈(ノ)緒にしても、言の同じきまゝ(203)に、何となく、こゝに收たるにもあるべし、)○島意哉(島(ノ)字、古寫一本には、長と作て、ナガキコヽロヤ〔七字右○〕と訓り、それもいかゞ、)は、本居氏、島は寫(ノ)字の誤にてウツシコヽロヤ〔七字右○〕なり、と云り、七(ノ)卷に、事痛者《コチタクハ》云々、とありて、註に、一(ニ)云(ク)紅之寫心哉於妹不相將有《クレナヰノウツシコヽロヤイモニアハザラム》、とあるを、考(ヘ)合(ス)べし、十二にも、玉緒乃徒心哉八十梶懸水手出牟船爾後而將居《タマノヲノウツシコヽロヤヤソカカケコギデムフネニオクレテオラム》、とあり、寫意《ウツシコヽロ》は、寫ほ借(リ)字にて、現心《ウツシコヽロ》なり、○歌(ノ)意は、靈魂《タマシヒ》の緒《ヲ》の、斷《タエ》たらむほどのことはしらず、あり/\としたる現心をもて、年月の行易るまで、久しく妹にあはずてあり得むやは、さは得堪まじきことなるを、となり、
 
2793 玉緒之《タマノヲノ》。間毛不置《アヒダモオカズ》。欲見《ミマクホリ》。吾思妹者《アガモフイモハ》。家遠在而《イヘトホクアリテ》。
 
玉緒《タマノヲ》の云々は、繁く貫たる玉のすき間なき意に、間毛不置《アヒダモオカズ》とつゞきたり、○家遠在而《イヘトホクアリテ》は、いひのこせる詞なり、あはびの貝のかたもひにして、又、あかざる君を山越におきて、など留たると、何例なり、○歌(ノ)意は、間もなく、しば/\に相見まほしくおもふ妹は、家遠くして、度々あひがたきがわびしきこと、となり、○以上七首は、玉緒に寄てよめるなり、
 
2794 隱津之《コモリヅノ》。澤出見爾有《サハイヅミナル》。石根從毛《イハネユモ》。達而念《トホシテソオモフ》。君爾相卷者《キミニアハマクハ》。〔頭註、【一首寄v石、】〕
 
隱津《コモリヅ》は、上に出たるには、隱處と作り、古事記に、許母理豆能志多用波閇都都《コモリヅノシタヨハヘツツ》云々、○澤出見(出(ノ)字、舊本には立と作り、今は活字本に從つ、)は、上に出たるには、澤泉《サハイヅミ》とあり、○達(ノ)字、(舊本に遠と作るは誤なり、今は類聚抄、阿野本、水戸本、拾穗本等に從つ、)上には通と作り、○歌(ノ)意は、君に逢(204)むと思ふやうは、丈夫心の二念なく、石根をも透すばかりに、通りぬけたる心にてぞある、となり、なほ此(ノ)上に出たる處に、委(ク)註り、○此(ノ)一首は、石に寄てよめるなり、
 
2795 木國之《キノクニノ》。飽等濱之《アクラノハマノ》。忘貝《ワスレガヒ》。我者不忘《アレハワスレジ》。年者雖歴《トシハヘヌトモ》。〔頭註、【四首寄v貝、】
 
飽等濱《アクラノハマ》は、七(ノ)卷に出て、既く委(ク)註り、○忘貝《ワスレガヒ》は、貝(ノ)名なり、品物解にいへり、さてこれまでは、不忘《ウスレジ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2796 水泳《ミヅクヽル》。玉爾接有《タマニマジレル》。礒貝之《イソガヒノ》。獨戀耳《カタコヒノミニ》。年者經管《トシハヘニツヽ》。
 
水泳《ミヅクヽル》は、玉が水を潜《クヽ》るなり、○磯貝《イソガヒ》は、中山(ノ)嚴水、何にまれ、石にはひ付てある貝にて、其はみな鰒のごとく片貝なれば、片戀とはつゞけしなるべし、鮑のことゝするは、泥《ナヅ》める説なり、といへり、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、かくれたるすぢなし、
 
2797 住吉之《スミノエノ》。濱爾縁云《ハマニヨルチフ》。打背貝《ウツセガヒ》。實無言以《ミナキコトモチ》。余將戀八方《アレコヒメヤモ》。
 
打背貝《ウツセガヒ》は、石花見《セガヒ》の肉《ミ》うせて、殻《カラ》のみになりたるを云、(源氏物語蜻蛉に、浮舟の屍の事を、いかななさまにて、いづれのそこのうつせにまじりなど、やるかたなくおぼす、)さて肉《ミ》無《ナキ》と、いふ意につゞけ下して、實《ミ》なきといはむ料の序とせり、○歌(ノ)意は、實の心なくして、戀しく思はむやは、嗚呼さら/\僞にあらず、となり、
 
2798 伊勢乃白水郎之《イセノアマノ》。朝魚夕菜爾《アサナユフナニ》。潜云《カヅクチフ》。鮑貝之《アハビノカヒノ》。獨念荷指天《カタモヒニシテ》。
 
(205)朝魚夕菜《アサナユフナ》(魚(ノ)字、官本、異本等には莫と作り、それもさることながら、なほ菜に對《ムカ》へて書れば、舊本よろし、)とは、凡て那《ナ》と云は、何にまれ、飯に副《タグヘ》て食ふ物をいふ稱《ナ》にて、(今俗に、字音に菜《サイ》といふもの、これなり、)こゝは朝食夕食の菜科に、貝を潜きとるを云、(然るを、朝々を、古言に朝那朝那《アサナサナ》といへることあるによりて、朝那夕那《アサナユフナ》といふことをも、たゞ朝夕と云ことゝのみ心得るは、ひがことなり、)さて其(ノ)那《ナ》と云は、魚にも菜にもわたりて云稱なるから、朝魚菜《アサナ》、夕魚菜《ユフナ》と云意にて、如此書るなり、(朝魚夕菜とかけるは、所謂文を互にすると云ものにて、朝菜夕魚とかかむも同じ事なり、)○第四(ノ)句までは、獨念《カタモヒ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、吾のみ深く思ふのみにして、人は然ともしらず、片思ひにして、わびしき事といふよしを、言(ノ)外に含ませたり、古今集に、本(ノ)句今と同じくて、見るめに人をあくよしもがな、とよめる歌あり、○以上四首は、貝に寄てよめるなり、
 
2799 人事乎《ヒトコトヲ》。繁跡君乎《シゲミトキミヲ》。鶉鳴《ウヅラナク》。人之古家爾《ヒトノフルヘニ》。相語而遣都《カタラヒテヤリツ》。〔頭註、【九首寄v鳥、】〕
 
繁跡《シゲミト》とは、繁《シゲミ》は、繁《シゲ》さにの意なり、跡《ト》は助辭にて、意なし、○鶉鳴《ウヅラナク》は、枕詞なり、鶉《ウヅラ》は、人目なき處に棲《スミ》て啼ものなれば、古家《フルヘ》とつゞきたり、○古家《フルヘ》は、三(ノ)卷に、吾背子我古家乃里乃明日香庭《ワガセコガフルヘノサトノアスカニハ》、とあり、○相語而は、岡部氏の、カタラヒテ〔五字右○〕とよめるぞ宜しき、〔頭註、【岡部氏云、この歌、夕貌六條院など意ひとし、】〕○歌(ノ)意は、人の口(チ)さがなきによりて、吾(ガ)家に君をむかふることあたはず、人の住あらして、人目なき古(206)家に率《ヒキヰ》行(キ)て、あひかたらひて、さて後に去《ヤリ》つるが、あかずくちをしき事、となるべし、
 
2800 旭時等《アカトキト》。鷄鳴成《カケハナクナリ》。縱惠也思《ヨシヱヤシ》。獨宿夜者《ヒトリヌルヨハ》。開者雖明《アケバアケヌトモ》。
 
惠鳴成《カケハナクナリ》は、古事記八千矛(ノ)神(ノ)御歌に、爾波都登理迦祁波那久《ニハツトリカケハナク》云々、此集十三に、家鳥可鷄毛鳴《ニハツトリカケモナキ》、左夜者明此夜者旭奴《サヨハアケコノヨハアケヌ》、云々、○歌(ノ)意は、曉方になりぬとて、鷄は鳴なり、よしやよし開ば開ぬとも、獨宿の夜なれば、さらに惜くは思はず、となり、
 
2801 大海之《オホウミノ》。荒礒之渚鳥《アリソノスドリ》。朝名旦名《アサナサナ》。見卷欲乎《ミマクホシキヲ》。不所見公可問《ミエヌキミカモ》。
 
渚鳥《スドリ》は、一(ツ)の鳥(ノ)名に非ず、何にまれ洲《ス》に居る鳥を云、古事記八千矛(ノ)神(ノ)御歌に、和何許許呂宇良須能登理叙《ワガココロウラスノトリゾ》、とあるも同じ、(雎鳩《ミサゴ》の事とかぎる説は、偏《カタオチ》なり、)さて契冲もいひしごとく、けしきよき洲《ス》さきなどに、鳥の居たらむは、心ある人は、おもしろく見はやすべければ、日に/\其(ノ)鳥の見まくほしき意に、つゞけ下したる序なり、○朝名旦名《アサナサナ》は、毎日毎日《ヒニヒニ》といはむが如し、○問(ノ)字、古本、中院本、拾穗本等には、聞と作り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2802 念友《オモヘドモ》。念毛金津《オモヒモカネツ》。足檜之《アシヒキノ》。山鳥尾之《ヤマドリノヲノ》。永此夜乎《ナガキコノヨヲ》。
 
念毛金津《オモヒモカネツ》は、思ひを忍《ネム》じ不得《カネ》つ、といはむが如し、○第三四(ノ)句は、永《ナガキ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、つれなき人を戀しく思ふは、何の益《シルシ》もなければ、今は、しか思はじと思へども、なみ/\の物念にあらねば、思はじと思ふ思ひを忍《ネム》じかねて、此(ノ)長き夜を、もの思ひ明す事、といふな(207)るべし、
〔或本歌曰。足日木乃《アシヒキノ》。山鳥之尾乃《ヤマドリノヲノ》。四垂尾乃《シダリヲノ》。長永夜乎《ナガキナガヨヲ》。一鴨將宿《ヒトリカモネム》。
。〕
曰(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、云と作り、○四垂尾《シダリヲ》は、四垂柳《シグリヤナギ》の例のごとし、(略解に、シナヒタリ〔五字右○〕の約言なり、と云るはいかゞ、)○長永夜乎は、もとのまゝならば、本居氏の訓るごとく、ナガキナガヨヲ〔七字右○〕なり、十(ノ)卷に、惑者之痛情無跡將念秋之長夜乎寐師耳《サドヒトシアナコヽロナシトオモフラムアキノナガヨヲサムクシアレバ》、(寐耳は誤字か、)とあり、又永を、此(ノ)字の誤とする説に依ば、ナガキコノヨヲ〔七字右○〕にて、理さだかなり、(ナガ/\シヨ〔六字右○〕とはいふべきにあらず、紀(ノ)友則集に、誰きけと聲高砂にさを鹿のなが/\し夜をひとり鳴らむ、とあるは、全(ラ)今(ノ)歌に本づきてよめり、されば、ナガ/\シヨ〔六字右○〕とよみたるも、やゝ古くよりのことにてはあるなり、近き頃、若狹の法師義門が、山口栞といふものを著て、此(ノ)歌のことを辨じていへるやう、長永夜とかけるは、ナガ/\シ〔五字右○〕夜《ヨ》と詠るに、あてゝかけること、もとよりなるべし、然るにこれをナガ/\シキ〔六字右○〕夜《ヨ》といはでは、シ〔右○〕の言は、體語へはつゞくべからざる故に、ナガキナガヨ〔六字右○〕と訓べし、といふ人のあるは、中々精しからぬ事なり、もしさいはゞ、ナガヨ〔三字右○〕といふことも聞えず、ナガキ〔三字右○〕夜《ヨ》といはではともいふべし、悲しくある妹をカナシ〔三字右○〕妹、空しくなりにたる煙をムナシケブリ〔六字右○〕、同じくある人をオナジ〔三字右○〕人、とやうにいふ例にて、古事記に、賢女《サカシメ》、麗女《クハシメ》、萬葉に、麗妹《クハシイモ》、可憐妹《カナシイモ》など、引出るにたへず、いとおほきを、いかでナガ/\シヨ〔六字右○〕といへるのみをば、あ(208)やしむべき、云々、但しナガキナガヨ〔六字右○〕と訓事、ふつにかなはず、といふにはあらねど、そは作者の意ならざるべく、ナガナガシヨ〔六字右○〕と訓にはおとれり云々など、なほくほしく論へり、今按(フ)に、げにもナガ/\シ〔五字右○〕夜《ヨ》といはむに、語の活《ハタラキ》の格におきては、さらに疑ふべきにあらざること、かたへの證例どもにても、論なきことなり、さればかの紀(ノ)友則集などにも、ナガナガシ〔五字右○〕夜《ヨ》とよめるを見れば、後(ノ)世の人の、語(ノ)活の法を誤りて訓る類とは、いふべきに非ず、余が今ナガナガシヨ〔六字右○〕といふべきにあらず、といへるは、活語の法にかゝはりて、いへるには非ず、古語のやうを考へわたすに、すべて疊りをどれる詞を、歌の七言句の位に居《スヱ》む事は、古人の詞つゞけのさまにあらず、をどらせたる詞は、みづ/\し久米の子、とほ/”\し越の國など、七言句の位の上に冠らせて、姑く歌ひ絶(リ)て、次をいふ處におかざれば、語の勢たゆみて、古人の詞のさまになきことなれば、なが/\し日、なが/\し夜などよまむは、今の人の耳には、さもと聞ゆることなめれど、作者の意には、かなふべくもなし、しかるをナガキナガヨ〔六字右○〕と訓は、ナガナガシ〔五字右○〕夜《ヨ》と訓には、おとれりと思ふは、なほ後(ノ)世の意にて、古書見むとする癖の、清くのぞこらざるが故なり、)○此(ノ)歌、後に人麻呂の作とするは、何の證もなければ、論《イフ》に足ず、されど上手の歌にてはあるなり、
 
2803 里中爾《サトヌチニ》。鳴奈流鷄之《ナクナルカケノ》。喚立而《ヨビタテテ》。甚者不鳴《イタクハナカヌ》。隱妻羽毛《コモリヅマハモ》。
 
(209)里中爾、はサトヌチニ〔五字右○〕と訓べし、(サトナカ〔四字右○〕とよむはわろし、サトナカ〔四字右○〕は、里の中央《モナカ》を云ことなればなり、たとへば國中《クニナカ》と云も、國の中央《モナカ》を云なると同じ、)能宇《ノウ》は奴《ヌ》と切れば、里之内《サトノウチ》といふを約めて、かくいへり、(屋之中《ヤノウチ》をヤヌチ〔三字右○〕と云(ヒ)、木之未《コノウレ》をコヌレ〔三字右○〕と云など、皆全(ラ)同例なり、)さて里内《サトウチ》は、なべて里の域内《カギリ》を云ことなれば、(國内《クヌチ》と云も、なべて國の域内を云に同じ、)一里の内、此《コヽ》にも彼《カシコ》にも呼立て、屡々鳴(ク)よしなり、○隱妻《コモリヅマ》は、父母のもとに隱り居る女をもいへど、こゝは、心の中のこもり妻、とよめる如く、下心に思ひ慕へる女をいふべし、○歌(ノ)意は、戀しく思ふあまりに、此彼《コヽカシコ》に啼(ク)鷄の如く、聲に立ても泣まほしけれども、吾は人目をしのべば、泣ことも心にまかせず、しのび/\になきて、心の中に戀しくおもふ其(ノ)女は、いづらや、と尋慕ふよしなり、○舊本に、一云里動鳴成鷄之、(之(ノ)字、舊本にはなし、拾穗本にはあり、)と註り、(金葉集に、さぎの居る松原いかにさわぐらむしらけばうたて里|動《トヨミ》けり、
 
2804 高山爾《タカヤマニ》。高部差渡《タカベサワタリ》。高高爾《タカタカニ》。余待公乎《アガマツキミヲ》。待將出可聞《マチデナムカモ》。
 
高部左渡《タカベサワタリ》とは、高部《タカベ》は、鳥(ノ)名なり、品物解にいへり、左《サ》はそへことばにて、たゞ飛渡るを云、さて高々《タカ/\》といはむ料に、高《タカ》の言を疊《カサネ》て序とせり、○高高爾《タカタカニ》は、人を望み待意の言にて、集中にあまた見えたり、○待將出可聞《マチデナムカモ》は、待つけなむか、といふほどの意なり、聞《モ》は歎息(ノ)辭なり、人の出來るを待つくるを、待出ると云り、在明の月を待出づるかな、と云も、月の出るを待つけたるに(210)て、意同じ、○歌(ノ)意は、高々に望みて、わが待(ツ)君が出來らむを、待つけなむ歟、さても待久しや、となり、
 
2805 伊勢能海從《イセノウミユ》。鳴來鶴乃《ナキクルタヅノ》。音杼侶毛《オトドロモ》。君之所聞者《キミガキコエバ》。吾將戀八方《アレコヒメヤモ》。
 
音杼侶毛《オトドロモ》(侶(ノ)字、古寫一本には呂と作り、)は、吉信《オトヅレ》だにもと云むが如し、音杼侶《オトドロ》は、音驚《オトオドロ》と云なるべし、續紀宣命をはじめ、中昔の物語書などに驚呂々々《オドロオドロ》と云詞見えたり、さて音信《オトヅレ》は、人を令《ス》v驚《オドロカ》意より、音驚《オトオドロ》とは云なるべし、驚《オドロ》の於《オ》は、音《オト》の等《ト》の餘韻に含まれば、自(ラ)省かりて、吉杼呂《オトドロ》とはいへるなり、かくて音豆禮《オトヅレ》と云言も、この音杼呂《オトドロ》より轉れる詞なるべし、(略解には、杼侶は、陀※[人偏+爾]などの誤れるにて、音ダニモ〔三字右○〕なりけむ歟、といへり、しかるべからず、)○歌(ノ)意は、本(ノ)二句は序にて、君が音信だにも聞え來ば、かくばかり戀しくおもはむやは、音信さへもなきによりて、嗚呼《アハレ》戀しや戀しやとのみ、思ふにこそあれ、となるべし、
 
2806 吾妹兒爾《ワギモコニ》。戀爾可有牟《コフレニカアラム》。奧爾住《オキニスム》。鴨之浮宿之《カモノウキネノ》。安雲無《ヤスケクモナシ》。
戀爾可は、コフレニカ〔五字右○〕と訓て、戀ればに歟、といふ意なり、○歌(ノ)意は、奥つ浪間に鴨の浮宿する如く、安くもいねられぬは、妹を戀しくおもへばにかあらむと、自《ミラ》をさなくいぶかるなり、契冲云、しらぬよしゝて、かくよみなすは、歌のならひなり、
 
2807 可旭《アケヌベク》。千鳥數鳴《チドリシバナク》。白細乃《シキタヘノ》。君之手枕《キミガタマクラ》。未厭君《イマダアカナクニ》。
 
(211)千鳥數鳴《チドリシバナク》は、契冲云、この千鳥《チドリ》は、唯よろづの鳥を、千々《チヽ》の鳥といふ意にていへり、川に住(ム)ひとつの鳥の名にはあらず、十六に、我(ガ)門に千どりしばなくおきよおきよわがひとよづま人にしらるな、此(ノ)歌の次上に、我(ガ)門のえのみもりはむ百千鳥《モヽチドリ》千どりはくれど君ぞきまさぬ、又十七には、朝がりにいほつ鳥たて、夕がりに千鳥《チドリ》ふみたて、云々、などもよめり、數鳴《シバナク》は、屡啼《シバ/\ナク》なり、○白細乃は、略解に、白は色の誤なり、シキタヘノ〔五字右○〕と訓べし、といへり、○歌(ノ)意は、めづらしく相寢して、君とかたらふことの、未(ダ)飽足ぬことなるに、夜ははや明ぬべしとて、數數《カズカズ》の鳥が屡々啼よ、となり、○以上九首は、鳥に寄てよめるなり、
 
問答《トヒコタヘノウタ》。二十九首。【九首。人麿集。二十首人麿集外。】〔二十九〜外。】□で囲む〕
 
2508 皇祖乃《スメロキノ》。神御門乎《カミノミカドヲ》。懼見等《カシコミト》。侍從時爾《サモラフトキニ》。相流公鴨《アヘルキミカモ》。
 
皇神乃神御門《スメロキノカミノミカド》は、宮城(ノ)門なり、○懼見等《カシコミト》は、畏まりてといはむが如し、等《ト》は徒《タヾ》に添りたる助辭なり、(とての意の等《ト》にはあらず、)○歌(ノ)意は、相見るときも、時こそあらめ、宮城(ノ)門を、つゝしみうやまひて、仕(ウ)まつれる時なれば、心のまゝに、物言かたらふ事も叶はぬに、あへる君哉、さてもせむ方なや、となり、
 
2509 眞祖鏡《マソカヾミ》。雖見言哉《ミトモイハメヤ》。玉限《タマカギル》。石垣淵乃《イハカキフチノ》。隱而在※[女+麗]《コモリタルツマ》。
 
玉限は、タマカギル〔五字右○〕と訓べし、余(レ)別に委(キ)考あり、○石垣淵《イハカキフチ》は、巖の立かこみたる處の淵にて、そ(212)はかくれて見えぬものなれば、隱而在《コモリタル》とつゞきたり、○※[女+麗](ノ)字、拾穗本には※[人偏+麗]と作り、○歌(ノ)意は、おくふかくつゝみかくして、人目しのぶ※[女偏+麗]なれば、見ても見たりと、打つけに人にいはむやは、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2510 赤駒之《アカコマノ》。足我枳速者《アガキハヤケバ》。雲居爾毛《クモヰニモ》。隱往序《カクリユカムソ》。袖卷吾妹《ソテフレワギモ》。
 
足我枳速者は、アガキハヤケバ〔七字右○〕、とよみて、足掻《アガキ》が速ければの意なり、○袖卷吾妹は、本居氏、袖卷は、此(ノ)歌に由なし、卷は擧の誤にて、ソテフレワギモ〔七字右○〕ならむ、古事記に、羽擧をハフリ〔三字右○〕とよめる例あり、といへり、吾妹《ワギモ》は、吾妹子よ、といふ意なり、○歌(ノ)意は、わが乘てゆく赤駒の足掻が速ければ、いとはやも、雲居はるかにかくれ行むぞ、吾(ガ)容形《スガタ》の見えむかぎり、袖ふりて、招け、吾妹子よ、といへるなり、是は女の家を出去るときによめる、男の歌なり、二(ノ)卷に、青駒之足掻乎速雲居曾妹之當乎過而來計類《アヲコマノアガキヲハヤミクモヰニソイモガアタリヲスギテキニケル》、
 
2511 隱口乃《コモリクノ》。豐泊瀬道者《トヨハツセヂハ》。常滑乃《トコナメノ》。恐道曾《カシコキミチソ》。戀由眼《ナガコヽロユメ》。
 
常滑《トコナメ》(滑(ノ)字、舊本に濟と作るは誤なり、今は古寫本、活字本、拾穗本等に從つ、)は、一(ノ》卷、九(ノ)卷にも出て、既く註(ヘ)り、川底の石につきたる滑《ナメ》りなり、○戀由眼は、もとのまゝにて、コフラクハユメ〔七字右○〕と訓ては、解べきやうなし、(略解に、アカシテヲアユケ〔七字右○〕などあるべき所なり、といへれど、いかゞな(213)り、)今按(フ)に、戀は爾心(ノ)二字なりけむを、戀と見て誤れるなるべし、さらばナガコヽロユメ〔七字右○〕と訓べし、七(ノ)卷に、向峯爾立有桃樹成哉等人曾耳言爲汝情勤《ムカツヲニタテルモヽノキナリヌヤトヒトソサヽメキシナガコヽロユメ》、とあるを合(セ)考(フ)べし、さて爾(ノ)字をナ〔右○〕とよませたるは、これも七(ノ)卷に、爾音聞者《ナガコヱキケバ》、とあり、かくて今の歌の爾《ナ》は、男をさして云るなり、凡て汝《ナ》とは、後にこそ、いやしむ方にのみいへど、そのもとは、尊みたる方に いふ詞にて、女より男をさして、汝《ナ》と云ること、往々《トコロ/”\》見えたり、(後(ノ)世のならはしをわすれて、古言をあやしむことなかれ、)四(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)郎女(ノ)歌に、千鳥鳴佐保乃河門乃瀬乎廣彌打橋渡須奈我來跡念者《チドリナクサホノカハトノセヲヒロミウチハシワタスナガクトモヘバ》、又同郎女(ノ)歌に、汝乎與吾乎人曾離奈流乞吾君人之中言聞越名湯目《ナヲトアヲヒトソサクナルイデワギミヒトノナカコトキヽコスナユメ》、などある、これら皆男をさして汝《ナ》と云り、其(ノ)中にも此(ノ)一首は、初に汝《ナ》といひ、後に吾(カ)君といへる、みな同人をさせるにて、其(ノ)尊みいひし言なること著し、又此(ノ)上に、荒熊之住云山此師齒迫山責而雖問汝名者不告《アラクマノスムチフヤマノシハセヤマセメテトフトモナガナハノラジ》、とあるも、女より男をさして云り、と聞えたり、此(ノ)類猶多し、○歌(ノ)意は、泊瀬道は、河底の滑り多くて、恐《カシコ》くあやふき道なるぞ、汝の心をつゝしみて、ゆめ/\あやまち爲《シ》賜ふことなかれと、男の發《タチ》ていぬるに、いひやる女の歌にて、即(チ)右の歌に答へたるなり、(略解に、是は右の答にはあらず、たゞ同じ夜の歌なり、といへるは、ひがことなり、右の答として、よく聞えたるをや、
 
右二首《ミギフタウタ》〔三字各○で囲む〕。
 
上二首は、問答(ノ)歌なれば、こゝにかくあるべきが、舊本はまがひたるなり、
 
(214)2512 味酒之《ウマサケノ》。三侶乃山爾《ミモロノヤマニ》。立月之《タツツキノ》。見我欲君我《ミガホシキミガ》。馬之足音曾爲《ウマノアトソスル》。
 
味酒之《ウマサケノ》は、まくら詞なり、(略解に、之は乎(ノ)字の誤かといへるは、いみじきひがことなり、之にてよくきこえたるをや、但し、其は、味酒《ウマサケ》を釀《カミ》と云意にかゝれる詞なり、といふ説に、泥める誤なり、味酒乎《ウマサケヲ》といへる所もあれど、その乎《ヲ》は之《ノ》に通ふ言にて、意は同じことなるをや、をとめらが袖ふる山とも、をとめらを袖ふる山ともいへる類をも、おもふべし、既くこのことは、前に委(ク)辨へ云り、)○三毛侶乃山《ミモロノヤマ》は、豐泊瀬道《トヨハツセヂ》といふにつゞきたれば三輪山なり、と契冲はいへり、○立月之《タツツキノ》は、七(ノ)卷にも、朝月日向山月立所見《アサヅクヒムカヒノヤマニツキタテリミユ》云々、とありて、立のぼる月なり、(略解に、立は光(ノ)字を誤れるにや、テルツキノ〔五字右○〕とあるべし、といへるは、無稽(ノ)説なり、)さてこれまでは、見我欲《ミガホシ》といはむ料の序なり、○見我欲君我は、ミガホシキミガ〔七字右○〕と訓べし、見まくほしき君がと云むが如し、○歌(ノ)意は、相見まほしく思ひし男の、馬の足音のするを聞て、悦べるさまにて、かくれたるすぢなし、さて舊本、此(ノ)次に答歌なくして、左に、右三首としるせるは、まぎれて三首となれるを見てしるせる後人の所爲なるべし、○戀事意遣不得出行者山川不知來《コフルコトコヽロヤリカネイデユケバヤマモカハヲモシラズキニケリ》、(右見d上正述2心緒1歌中u、但以2間答故1累載2於茲1也、)などやうにあるべし、出行者《イデユケバ》は、道すがらの當時《ソノカミ》を云、不知來《シラズキニケリ》は、女(ノ)許に至れる即今《イマ》を云るにて、右の味酒之《ウマサケノ》云々に、答へたる歌とすべし、
 
右三首《ミギフタウタ》。
 
(215)三首は、二首に改作べし、右に云る如く、答歌の落失しによりて、理辨へぬ後人の手に、三と改(メ)作《カケ》るものなり、
 
2513 雷神《ナルカミノ》。小動《ヒカリトヨミテ》。刺雲《サシクモリ》。雨零耶《アメモフレヤモ》。君將留《キミヲトヾメム》。
 
小動は、本居氏云、小は光の誤にて、ヒカリトヨミテ〔七字右○〕ならむ、○雨零耶《アメモフレヤモ》は、雨もがなふれかしの意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2514 雷神《ナルカミノ》。小動《ヒカリトヨミテ》。雖不零《フラズトモ》。吾將留《アレハトマラム》。妹留者《イモシトヾメバ》。
 
小動、上の如し、○歌(ノ)意これもかくれなし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2515 布細布《シキタヘノ》。枕動《マクラウゴキテ》。夜不寐《ヨイモネズ》。思人《オモフヒトニハ》。後相物《ノチアフモノヲ》。
 
後相物は、ノチアフモノヲ〔七字右○〕と訓て、後に逢ものなるをの意なり、(略解に、後は復の誤、物は疑の誤にて、マタモアハムカモ〔八字右○〕なるべしと、といへるはわろし、)○歌(ノ)意は、わが物思ふ故に、ねいりがてにて、ねがへりねがへりするを、枕の動くによりて、ねいりがたきよしに言負《コトオホ》せて、さてかくいねがてに思ふ人には、後に必あふことのあるものなるを、さる心したまへ、といひやれるなるべし、此(ノ)上に、敷細枕動而宿不所寢物念此夕急明鴨《シキタヘノマクラウゴキテイネラエズモノモフコヨヒハヤモアケヌカモ》、とあり、
 
2516 敷細布《シキタヘノ》。枕人《マクラニヒトハ》。事問哉《コトトヘヤ》。其枕《ソノマクラニハ》。苔生負爲《コケムシニタリ》。
 
(216)苔生負爲は、(負はニ〔右○〕の假字なり、荷とかけるに同じ、字書にも、負(ハ)擔也背荷也、とあり、)コケムシニタリ〔七字右○〕と訓べし、(略解に、コケオヒニタリ〔七字右○〕とよめるは非なり、)さて契冲が云る如く、まことに枕に苔の生ることはなけれど、ちりばみてあるを、問來ぬほどの久しきよしに、かくはいへり、上にも、結※[糸+刃]解日遠敷細吾木枕蘿生來《ユヘルヒモトキシヒトホミシキタヘノワガコマクラニコケムシニケリ》、とあり、○歌(ノ)意は、中山(ノ)嚴水、此は、枕うごきて、よをも寐ず、と君のの賜ふは、枕にの賜ふことにや、必(ズ)われにの賜ふことにはあらじ、その君の言問賜ふ枕は、君の久しく來ていもねたまはねば、此(ノ)ごろは苔生にたりと、人の來ぬをなじりて、よめるなるべし、といへり、今按に、枕うごきて云々とのたまへども、しか吾にのたまふほどの心ならば、をり/\は來座(ス)べきに、枕に苔の生まで、久しく來まさぬは、吾を思ひてのたまふにはあらで、枕にのみ、こととひたまふことならし、となるべし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
〔以前九首。柿本朝臣人麿之歌集出。〕
九(ノ)字、十に改むべし、
 
2808 眉根掻《マヨネカキ》。鼻火※[糸+刃]解《ハナビヒモトケ》。待八方《マテリヤモ》。何時毛將見跡《イツカモミムト》。戀來吾乎《コヒコシアレヲ》。
 
歌(ノ)意は、何時か相見むと思來にし吾を、そこにも眉根掻《マヨネカキ》、鼻鳴《ハナビ》、※[糸+刃]解《ヒモトケ》など、その前表《シルシ》ありて、吾を待りしや、さても歡しきこと、となり、
 
(217)〔右上見2柿本朝臣人麿之歌集中1。但以2問答故1累載2於茲1也。〕此は上に、尾(ノ)句|念吾君《オモヒシワギミ》、と異《カハ》れるのみにて、全(ラ)同歌を載たるを云り、但念吾君にては、理叶ひがたければ、今のを正とすべし、
 
2809 今日有者《ケフシアレバ》。鼻之鼻之火《ハナビシハナビ》。眉可由見《マヨカユミ》。思之言者《オモヒシコトハ》。君西在來《キミニシアリケリ》。
 
今日有者は、ケフシアレバ〔六字右○〕と訓べし、時し有ばと云も、時が有ばと云意なるにて、准(フ)べし、(ケフナレバ〔五字右○〕とよめるは、いとわろし、今日なればは、今日にあればと云意なればなり、)君を相見る今日が有ばと、一(ト)すぢに歡べる意なり、○鼻之鼻之火といへる、穩ならず、今按(フ)に、鼻火之鼻火とありしが、混てかく誤れるなるべし、さらばハナビシハナビ〔七字右○〕と訓べし、嚔之嚔《ハナビシハナビ》にて、之《シ》は助辭なり、思《オモヒ》を、思之思《オモヒシオモヒ》など云と同例にて、嚔《ハナビ》ることの絶ざるをいふ言なり、○言は、借(リ)字にて事なり、○歌(ノ)意は、かく君を相見る今日があるにておもへば、さきに嚔《ハナビ》眉癢《マヨカユ》みなどして、戀しく思しことは、君が來まさむの前相《シルシ》にてこそありけれ、と一すぢによろこべるなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2810 音耳乎《オトノミヲ》。聞而哉戀《キヽテヤコヒム》。犬馬鏡《マソカヾミ》。目直相而《タヾニアヒミテ》。戀卷裳大口《コヒマクモオホク》。
 
犬馬鏡《マソカゾミ》は、枕詞なり、犬馬は、喚犬追馬と書べきを、省て書り、○目直相而は、メニタヾニミテ〔七字右○〕と訓たれど、穩ならず、相(ノ)字ミ〔右○〕と訓も、例にたがへり、(相をミル〔二字右○〕と訓べきは、論無れども、集中の例(218)みな、アヒ、アフ〔四字右○〕といふにのせ用ひたるをおもへ、)今按(フ)に、直相見而とありしを、見(ノ)字を目に誤り、且《マタ》相の上に混入しなるべし、さらばタヾニアヒミテ〔七字右○〕と訓べし、○大(ノ)字、舊本に太と作るは誤なり、大は、(借(リ)字)多《オホ》の意なり、○歌(ノ)意は、契冲、音のみ聞たるばかりにこひむものかは、聞たるばかりにだに、こふる我なれば、たゞちに相見て、後こひむことのおほさは、かねて知(ラ)るゝとなり、といへり、
 
2811 此言乎《コノコトヲ》。聞跡乎《キカムトナラシ》。眞十鏡《マソカヾミ》。照月夜裳《テレルツクヨモ》。闇耳見《ヤミノミニミツ》。
 
聞跡乎は、契冲、乎は手(ノ)字のあやまりにて、下に鴨、鳧などの字のおちたるにや、聞跡手鴨とあらば、キカムトテカモ〔七字右○〕とよむべし、といへり、(岡部氏も、此(ノ)説然るべし、といへり、)今按に、トテ〔二字右○〕と屬きたること、古言にあることなし、又|可毛《カモ》と云て、下に見都《ミツ》と承《ウケ》たるも、いかゞ、されば、聞跡有之などありけむを、草書より誤れるにや、さらばキカムトナラシ〔七字右○〕と訓べし、○眞十鏡《マソカヾミ》は、即(チ)上のかけ歌にあるをうけて、こゝは照《テル》の枕詞とせり、○歌(ノ)意は、契冲、贈れる歌に、ふかく我をおもふよしをいへれば、君がかゝる言を聞むとてにや、われも此(ノ)ごろ君をこひて、鏡のごとくてれる月夜も、かきくるゝ心に、やみのやうに見なしつるならむ、さては同じ心のかよひけるにや、といひやるなり、といへるがごとし、十二に、久將在君念爾久堅乃清月夜毛闇夜耳見《ヒサニアラムキミヲオモフニヒサカタノキヨキツクヨモヤミノミニミツ》、四(ノ)卷に、照日乎闇爾見成而哭涙衣沾津干人無二《テラスヒヲヤミニミナシテナクナミダコロモヌラシツホスヒトナシニ》、
 
(219)右二首《ミギフタウタ》
 
2812 吾妹兒爾《ワギモコニ》。戀而爲便無三《コヒテスベナミ》。白細布之《シロタヘノ》。袖反之者《ソテカヘシシハ》。夢所見也《イメニミエキヤ》。
 
袖反《ソテカヘス》とは、思ふ人を、夢見むとてするわざにして、古今集にも、いとせめて戀しき時はぬば玉の夜の衣をかへしてぞぬる、と見え、集中にも、さるさまなる歌甚多し、さて袖をかへすと云は、契冲、衣をかへさゞれば袖もかへらざれば、袖をかへすは、やがて衣をかへすなり、指は手につきたる物なれど、ゆびを折を、手を折と云に准ふべし、と云るが如し、(但衣をかへすことを、袖をかへすと云は、末を云て本をしらすなり、指ををることを、手を折(ル)と云は、本を云て末をしらすなり、されば末を云と、本を云と、相|反《ソム》くがごとくにして、又おのづから相|對《ムカ》ふことなれば、准ふべしとはいへるならむ、)十二に、白細布之袖折反戀者香妹之容儀乃夢二四三湯流《シロタヘノソテヲリカヘシコフレバカイモノスガタノイメニシミユル》、○歌(ノ)意は、いとせめて戀しき心のせむすべなさに、夜の衣をかへしてねて、そこを夢に見たりつるを、そこの夢にも見えつるや、いかに、と問なり、
 
2813 吾背子之《ワガセコガ》。袖反夜之《ソテカヘスヨノ》。夢有之《イメナラシ》。眞毛君爾《マコトモキミニ》。如相有《アヘリシゴトシ》。
 
如相有は、アヘリシゴトシ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、わが夫子《セコ》が、衣を返して、寢賜ひて、吾を夢に見しとのたまふ、その夜の夢にてこそありけらし、眞にあり/\と、君にあへるが如く見え侍りしは、吾も心かよひける故にや、と答へたるなり、
 
(220)右二首《ミギフタウタ》。
 
2814 吾戀者《ワガコヒハ》。名草目金津《ナグサメカネツ》。眞氣長《マケナガク》。夢不所見而《イメニミエズテ》。年之經去禮者《トシノヘヌレバ》。
 
眞氣長《マケナガク》は、眞《マ》は美稱にて、來經長《キヘナガク》なり、日月《ツキヒ》長くといはむが如し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、夢にだにも、見えよかしと思へども、夢にも見えずして、年を經ぬれば、今は吾(カ)心を、何にか慰さめ侍らむ、となり、
 
2815 眞氣永《マケナガク》。夢毛不所見《イメニモミエズ》。雖絶《タエヌトモ》。吾之片戀者《ワガカタコヒハ》。止時毛不有《ヤムトキモアラジ》。
 
歌(ノ)意、夢にも見えずとの賜ふは、われをおもふ心のうすきが故なるべし、よしやそこには、夢にも見賜はず思ひ絶賜ふとも、わが片戀は、止期《ヤムトキ》もさらにあらじ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2816 浦觸而《ウラブレテ》。物魚念《モノナオモヒソ》。天雲之《アマクモノ》。絶多不心《タユタフコヽロ》。吾念魚國《アガモハナクニ》。
 
天雲之《アマクモノ》は、枕詞なり、雲の中空《ナカソラ》に立て、行ともなく、居るともなき意をもて、猶豫《タユタフ》とつゞきたり、○魚國の魚(ノ)字、拾穗本には、莫と作り、○歌(ノ)意は、さのみうなたれて、物思ひたまふことなかれ、今しばし障ることのあればこそ、絶たるごとくにも侍れ、猶豫《タユタヒ》て定まらぬやうの心を、われはおもはねば、未遂(ゲ)ぬことはあらじものを、と云なるべし、
 
2817 浦觸而《ウラブレテ》。物者不念《モノハオモハジ》。水無瀬川《ミナセガハ》。有而毛水者《アリテモミヅハ》。逝云物乎《ユクチフモノヲ》。
 
(221)歌(ノ)意は、水無瀬川《ミナセガハ》とて、水の絶たるごとくなれども、なほあり/\と、水は下に通ふ如く、うへには、絶たる中と見ゆれども、下に通はす心ざしの互に絶ぬが、末たのもしければ、さのみ物は思はじを、となり、古今集に、みなせ川ありて行水なくばこそ終に我(カ)身をたえぬとおもはめ、今の歌をとれるなるべし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2818 垣津旗《カキツハタ》。開沼之菅乎《サキヌノスゲヲ》。笠爾縫《カサニヌヒ》。將著日乎待爾《キムヒヲマツニ》。年曾經去來《トシソヘニケル》。
 
垣津旗《カキツハタ》は、枕詞なり、燕子花《カキツハタ》の開とかゝれり、○開沼《サキヌ》は、大和(ノ)國添下(ノ)郡|佐紀沼《サキヌ》なり、○歌(ノ)意は、互に心通はしながら、打あらはして、夫妻とならむほどを待に、年を經しことを、菅を笠に縫ながら、さて着ずして、おきふるしたるに、たとへたり、
 
2819 臨照《オシテル》。難波菅笠《ナニハスガカサ》。置古之《オキフルシ》。後者誰將著《ノチハタレキム》。笠有魚國《カサナラナクニ》。
 
魚(ノ)字、古寫本、類聚抄、阿野本、拾穗本等には、莫と作り、○歌(ノ)意は、のたまふごとく、著む日を待賜ふ内に、年を經て置舊し、古物になりはてぬとも、後逐に他人の著む笠ならねば、君こそ著賜ふべきなれ、と云て、打あらはして、妻と爲賜はむを待うちに、年ふりて、いたづらの孃《オミナ》となりはてぬとも、つひに君にこそよりなめ、外に夫《ヨスガ》とたのむ人はあらぬものを、といふ意を、たとへたるなるべし、
 
(222)右二首《ミギフタウタ》。
 
2820 如是谷裳《カクダニモ》。妹乎待南《イモヲマチナム》。左夜深而《サヨフケテ》。出來月之《イデコシツキノ》。傾二手荷《カタブクマデニ》。
 
如是谷裳《カクダニモ》は、如(ク)v此(ノ)夜は更行たりとも、と云なり、○歌(ノ)意は、東山より出來し月が、夜更て西山(ノ)末に傾くまでになりぬ、如(ク)v此(ノ)深行たれども、なほ心長く、妹を待なむ、といへるなるべし、四三五一二と句を次第て心得べし、待は女の門にいたりて、夜更てしのび出來(ム)を待よしなり、
 
2821 木間從《コノマヨリ》。移歴月之《ウツロフツキノ》。影惜《カゲヲヲシミ》。徘徊爾《タチモトホルニ》。左夜深去家里《サヨフケニケリ》。
 
歌(ノ)意は、速く家を出來て、君にあはむと思へども、木(ノ)間よりもり來て、依移れる月影の、いとさやかなれば、この月影に、見あらはされなむことの、さすがに名の惜ければ、今少し、月のかたぶかむほどを待て、出むとして、得出もやらず、立もとほりし間に、心ならず時をうつして、夜深にけり、といへるなるべし、實は月影を厭へる歌なれど、打つけにさはいはで、月影を愛で惜めるやうにいへること、面白かるべし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2822 栲領巾乃《タクヒレノ》。白濱浪乃《シラハマナミノ》。不肯緑《ヨリモアヘズ》。荒振妹爾《アラブルイモニ》。戀乍曾居《コヒツヽソヲル》。
 
栲領巾乃《タクヒレノ》は、枕詞なり、栲領巾とは、栲にてつくれる白き領巾なり、さて白濱とつゞけたり、○白濱浪乃《シラハマナミノ》は、縁《ヨリ》といはむ料の序なり、不肯《アヘズ》といふまでにはかゝらず、ふるの早田の穗には出(223)ずの例なり、さて白濱は、契冲、たゞまさごの白くしき滿たる濱をいへり、名處にはあらず、六(ノ)卷に、赤人の、藤江(ノ)浦にてよまれたる歌に、清き白濱とよまれたるにて知べし、といへり、○不肯縁《ヨリモアヘズ》とは、縁《ヨル》は、荒振《アラブル》の反對《ウラ》にて、歸《ヨ》り懷《ナツク》を云、されば不《ズ》2肯狎親《アヘテナレチカヅカ》l、といふが如し、○荒振《アラブル》は、疎振《ウトブル》といふに同じ、(疎遠になるを云言なり」つくし舟いまだもこねばあらかじめ荒ぶる君を見むが悲さ、とよめる荒振《アラブル》に同じ、上にも、妹之髪上小竹薬野之放駒蕩去家良思不合思者《イモガカミカミタカハヌノハナチコマアラビニケラシアハナクモヘバ》、とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○舊本に、一云戀流己呂可母、と註せり、
 
2823 加敝良末爾《カヘラマニ》。君社吾爾《キミコソアレニ》。栲領巾之《タクヒレノ》。白濱浪乃《シラハマナミノ》。緑時毛無《ヨルトキモナキ》。
 
加敝良未爾《カヘラマニ》は、契冲云、却而《カヘリテ》なり、末《マ》は、あはずま、こりずまなどのたぐひに、そへたる辭なり、○社《コソ》と云て、伎《キ》と結る例、此(ノ)上にも見えたり、委(ク)一(ノ)卷にいひたりき、○歌(ノ)意は、吾を疎ぶるとのたまへども、吾は君をしたへども、中々に君こそ吾をうとみて、狎親《ナレチカヅ》く時の無(キ)なれ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2824 念人《オモフヒト》。將來跡知者《コムトシリセバ》。八重六倉《ヤヘムグラ》。覆庭爾《オホヘルニハニ》。珠布益乎《タマシカマシヲ》。
 
八重六倉《ヤヘムグラ》は、彌重葎《ヤヘムグラ》にて、草生繁りたる謂なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十九に、牟具良波布伊也之伎屋戸母大皇之座牟等知者玉之可麻思乎《ムグラハフイヤシキヤドモオホキミノマサムトシラバタマシカマシヲ》、六(ノ)卷に、豫公來座武跡知麻世婆門爾屋戸爾毛珠敷益乎《アラカジメキミキマサムトシラマセバカドニヤドニモタマシカマシヲ》、
 
(224)2825 玉敷有《タマシケル》。家毛何將爲《イヘモナニセム》。八重六倉《ヤヘムグラ》。覆小屋毛《オホヘルヲヤモ》。妹與居者《イモトヲリテバ》。
 
小屋《ヲヤ》は、古事記神武天皇(ノ)大御歌に」阿斯波良能志祁去岐袁夜邇《アシハラノシケコキヲヤニ》云々、○居者《ヲリテバ》は、居《ヲリ》たらばの意なり、○歌(ノ)意は、玉敷る家も何にかはせむ、彌重葎の茂りおほへる賤しき小屋《ヲヤ》も、妹と二人居たらば、何のあき足ぬことかはあらむ、となり、伊勢物語に、思ひあらば葎のやどにねもしなむひしきものには袖をしつゝも、六帖に、何せむに玉のうてなも八重むぐらはへらむ中にふたりこそねめ、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
2826 如是爲乍《カクシツヽ》。有名草目手《アリナグサメテ》。玉緒之《タマノヲノ》。絶而別者《タエテワカレバ》。爲便可無《スベナカルベシ》。
 
歌(ノ)意は、この年ごろ共にあり/\て、かく相なぐさめつゝ居しを、今遠く別れて、相見ることの絶なば、戀しき心の、せむすべなくあるべし、と云るにて、相馴し夫の、遠境へ旅に行ときよめる、女の歌なるべし、
 
2827 紅《クレナヰノ》。花西有者《ハナニシアラバ》。衣袖爾《コロモテニ》。染著持而《ソメツケモチテ》。可行所念《ユクベクオモホユ》。
 
染著持而《ソメツケモチテ》は、たゞ染着而《ソメツケテ》なり、持《モチ》は、身に附るを云辭なり、青柳の枝くひ持《モチ》て、白さぎの桙くひ持《モチ》て、などの持《モチ》に同じ、○可行所念は、ユクベクオモホユ〔八字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、紅顔《ニホヘ》る妹は、紅(ノ)花にてもがなあれかし、もし妹が、紅(ノ)花にはあるならば、衣に染付て、いづこまでも、したがへ行(225)べきに、さることもならねば、せむすべなく、かなしくおもはるゝ、となり、契冲云、意を得て、言をすてたる返歌なり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
譬喩《タトヘウタ》。十三首。人麿集外。〔七字□で囲む〕
 
2828 紅之《クレナヰノ》。深染乃衣乎《コソメノキヌヲ》。下著者《シタニキバ》。人之見久爾《ヒトノミラクニ》。仁寶比將出鴨《ニホヒイデムカモ》。
 
人之見久爾(之(ノ)字、舊本に者と作るは誤なり、今は中院本、拾穗本、等に從つ、)は、ヒトノミラクニ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、花艶《ハナヤギ》たる女に、なれ近(ヅ)きなば、たとひ密々《シノビ/\》に通ふとも、元來《モトヨリ》人(ノ)目のつく女なる故に、とく顯れなむか、嗚呼さりとて、かくて止べきにあらぬものなるを、といふを、深染《コソメ》の衣を下には著たりとも、色の光り透りて、表にあらはれむかと云に、譬へたるならむ、
 
2829 衣霜《コロモシモ》。多在南《サハニアラナム》。取易而《トリカヘテ》。著者也君之《キセバヤキミガ》。面忘而有《オモワスレタラム》。
 
箱《シモ》(借(リ)字)は、多かる物の中を、取出ていふ助辭なり、○多在南は、サハニアラナム〔七字右○〕と訓べし、○著者也は、キセバヤ〔四字右○〕と訓べし、○君之面忘而有《キミガオモワスレタラム》は、君が面を、吾(ガ)忘れてあらむ、と云意なり、(略解に、君がは、君をといふ意なり、と云るは、たがへり、)上に、面忘何有人之爲物烏言者爲金津繼手志念者《オモワスレイカナルヒトノスルモノソアレハシカネツツギテシモヘバ》、又、面忘太爾毛得爲也登手握而雖打不塞戀之奴《オモワスレダニモエセマヤトタニギリテウテドサヤラズコヒノヤツコハ》、これらは、人の面を自《ミ》忘るゝをも云、吾(ガ)面を他《ヒト》の忘るゝをも云るにて、面忘《オモワスレ》の言はひとつぞ、而有は、岡部氏の、タラム〔三字右○〕と訓る、然るべ (226)からむ、○歌(ノ)意は、色異なる衣を着れば、其(ノ)人を見違ること、あるならひなれば、われに衣のかずおほくしもあれかし、さらば其をとりかへつゝ、君に著させなば、其(ノ)衣の色の異《カハ》れるまぎれに、もし君が面をも、見わするゝこともあらむ歟、さあらむには、かく切なる思の、少しゆるぶこともあるべきをと、思ひのあまりに、をさなくいへるにや、
 
右二首《ミギノフタウタハ》。寄《ヨセテ》v衣《コロモニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2830 梓弓《アヅサユミ》。弓束卷易《ユツカマキカヘ》。中見判。更雖引《サラニヒクトモ》。君之隨意《キミガマニマニ》。
 
中見判は、舊本に、アヲミテハ〔五字右○〕と訓たれど、平穩ならず、(契冲、此(ノ)歌は、我を捨て、人にうつりたる男の、又立歸りいふときによめる、女の歌ときこゆ、弓束卷易《ユツカマキカヘ》とは、弓束のふりたると思ひて、新しき革に卷かへたれども、心ゆかずして、もとの弓束に思ひかへして引(ク)、とたとへたり、さはありとも、我はかはる心もなし、君がまゝに隨ひよらむ、とよめるなり、と云り、さる意にはあるべし、岡部氏、中見判は、ナカミテハ〔五字右○〕と訓べし、弓束の革は、纏易るとき、内を見るものなるに譬て、女をこゝろみるを云、さてうち/\試て、後にはなれて、さらにいひよるは、にくむべきことなれど、わが心のよりし君なれば、ともかくもといふなり、と云り、おぼつかなき説なり、)且判(ノ)字、ハ〔右○〕の假字に用たる例なし、必誤字なるべし、猶よく考(フ)べきことにこそ、〔頭註、【山田清賢云、中見判は、ナカミワリと訓べし、】〕
 
(227)右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v弓《ユミニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2831 水沙兒居《ミサゴヰル》、渚座船之《スニヲルフネノ》。夕塩乎《ユフシホヲ》。將待從者《マツラムヨリハ》。吾社益《アレコソマサメ》。
 
水沙兒居《ミサゴヰル》(水(ノ)字、舊本に氷と作るは誤なり、今は官本、古本、活字本、拾穗本等に從つ、)は、枕詞なり、○吾社益は、アレコソマサメ〔七字右○〕、或はアコソマサラメ〔七字右○〕など訓べし、(略解に、ワレコソマサレ〔七字右○〕とよめるは、いとわろし、)○歌(ノ)意、洲にかゝれる舟の、舟出せむとて、夕汐のみちくるを、汐待して居るほどよりも、切なることは、君を待(ツ)わが心こそまさりたらめ、となり、
 
右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v船《フネニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2832 山河爾《ヤマガハニ》。筌乎伏|置〔○で囲む〕而《ウヘヲフセオキテ》。不肯盛《モリアヘズ》。年之八歳乎《トシノヤトセヲ》。吾竊舞師《アヲヌスマヒシ》。
 
筌乎伏而は、舊本に、ウヘヲフセオキテ〔八字右○〕とよめるからは、伏の下、置(ノ)字の落しこと著し、故(レ)舊訓によりて、姑(ク)補入つ、筌《ウヘ》は、和名抄に、野王按(ニ)、筌(ハ)捕v魚(ヲ)竹※[竹/句]也、※[竹/句](ハ)取v魚(ヲ)竹器也、和名|宇倍《ウヘ》、とあり、山川などの、水の早く落る所に伏(セ)置て、魚を捕るものにて、世(ノ)人のよくしるところなり、○不肯盛《モリアヘズ》とかけるは、盛は借(リ)字にて、不《ズ》v敢《アヘ》v守《モリ》なり、筌《ウヘ》を伏(セ)置たるところには、人居(ヱ)て、目をはなたず守らすることなるに、其(ノ)守る人の、時置ず守り敢ずして、たゆむ事あれば、その間をうかゞひて、筌に入たる魚を、人の盗み取ゆゑに、こゝは尾(ノ)句の竊舞《ヌスマヒ》をいはむ料の序に、まうけいへるなり、○年之八歳乎《トシノヤトセヲ》は、數多《アマタ》の歳をといふほどの意なり、十三にも、歳乃八歳※[口+立刀]鑽髪乃《トシノヤトセヲキルカミノ》云々、とあり、(228)(集中に、年《トシ》の五年《イツトセ》などもよめり、)こゝは必(ズ)八年に限るにあらず、彌年《ヤトセ》の義にとりても違はざるなり、○吾竊舞師(舞(ノ)字、古寫本、拾穗本等には※[人偏+舞]と作り、)は、アヲヌスマヒシ〔七字右○〕と訓べし、(ワガヌスマヒシ〔七字右○〕とよみては、意違へり、)そも/\盗むとは、垣おしやぶり、ついぢ乘越などして、人の家の物を掠《カソ》ひ取(ル)を云こと常なれど、こゝはそれとはいさゝか異にて、言《コトバ》にて人を掠《カス》むる意にて、此(ノ)上に、情左倍奉有君爾何物乎鴨不云言此跡吾將竊食《コヽロサヘマツレルキミニナニヲカモイハズテイヒシトアガヌスマハム》、とあると同じく、なきものを有がほにいひなし、有(ル)物を無(キ)さまにいひなして、人を欺くを、竊《ヌス》むといへるなり、(この竊舞師《ヌスマヒシ》を、ひとへに譬とのみ見たるから、昔來(リ)歌(ノ)意を解たがへたり、故(レ)今くだくだしくいへり、なほ次にもいふべし、)○歌(ノ)意は、(本(ノ)句は序のみにて、歌(ノ)意にはあづからず、)われに心よせがほにいひなして、この數多の年ごろをたのませつゝ、つひに打とくるともなくて、われを欺きしが口(チ)をしく、恨めしきこと、といふなり、(然るを、こゝの左註に、寄v魚喩v思、とあるに、深くまどひて、昔來(リ)此(ノ)歌を、山川に筌を伏て守るとすれどなほ魚をぬすまるゝにたとへて、わが思ふ女を、父母などの守れども、此(ノ)年のやとせのほど、ひま/\をうかゞひて、しのび通ひて、相かたらひし、といふ意なり、と心得來つるは、いたくたがへることなり、)
 
右一首《ミギヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v魚《ウヲニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2833 葦鴨之《アシカモノ》。多集池水《スダクイケミヅ》。雖溢《ハフルトモ》。儲溝方爾《マケミゾノヘニ》。吾將越八方《アレコエメヤモ》。
 
(229)多集《スダク》は、字(ノ)意にて、多く群(レ)集るを云、○儲溝《マケミゾ》は、池に水の溢るとき、流し遣む料に、穿(リ)儲(ケ)たる遣溝なり、○歌(ノ)意は、おもひかけたる人に、逢ことかたくして、池水の溢る如く、思(ヒ)は胸にあまるとも、あたし心をもたねば、君ならずして、たとひ逢易からむ人ありとも、溢る水の、遣(リ)溝の方へ流れゆく如くに、外に心をうつす事はせじ、となり、上に、荒磯越外在波乃外心吾者不思戀而死鞆《アリソコエホカユクナミノホカゴヽロアレハオモハジコヒテシヌトモ》、
 
右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v水《ミヅニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
水(ノ)字を、鳥と作る本は用ゐがたし、
 
2834 日本之《ヤマトノ》。室原乃毛桃《ムロフノケモヽ》。本繁《モトシゲク》。言大王物乎《イヒテシモノヲ》。不成不止《ナラズハヤマジ》。
 
室原乃毛桃《ムロフノケモヽ》は、室原《ムロフ》は、和名抄に、大和(ノ)國城下(ノ)郡|室原《ムロフ》、これ室生山といふ靈地なり、村も有なり、と契冲は云り、大和志に、室生山、宇陀(ノ)郡室生村、有2安明寺嶽、愛宕嶽、毘沙門嶽等(ノ)支別1、又有2嶽窟二1、曰2仙人(ト)1、一曰2護摩(ト)1、窟前(ノ)井曰2壺井1、峯聳谷深、清巖遮v路(ヲ)、眞塵外之境、といへり、式に、大和(ノ)國宇陀(ノ)郡室生龍穴(ノ)神社、(後紀十三に、大和(ノ)國室生山龍穴寺、)と見えたるによらば、宇陀(ノ)郡なるべし、毛桃《ケモヽ》は、子《ミ》に毛(ノ)生たるさまなればいへり、さて毛桃の木の本《モト》繁《シゲク》とつゞけ下したる序なり、○本繁《モトシゲク》、七(ノ)卷に、波之吉也思吾家乃毛桃本繁花耳聞而不成在目八方《ハシキヤシワギヘノケモヽモトシグクハナノミサキテナラザラメヤモ》、とあり、こゝは本繁は、毛桃のつゞきの縁《ヨセ》にいへるのみにて、本《モト》の言は歌に用なし、歌(ノ)意は、たゞ繁《シゲク》なり、○歌(ノ)意は、互に親(230)言《チカコト》を繁くいひかはし、契り結《カタ》めしからは、末遂に、實《ミ》にならずしては止じものを、となり、成《ナル》は、桃(ノ)實の成によせたり、
 
右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v菓《コノミニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2835 眞葛延《マクズハフ》。小野之淺茅乎《ヲヌノアサチヲ》。自心毛《コヽロヨモ》。人引目八面《ヒトカラメヤモ》。吾莫名國《アレナケナクニ》。
 
眞葛延《マクズハフ》は、枕詞なり、○淺茅《アサチ》は、女を譬へたり、○人引目八面は、引は、刈(ノ)字の誤にてヒトカラメヤモ〔七字右○〕ならむ歟、と略解にいへり、七(ノ)卷に、於君似草登見從我標之野山之浅茅人莫刈根《キミニニルクサトミシヨリアガシメシヌヤマノアサチヒトナカリソネ》、ともよめるをおもへば、實にさもあるべし、淺茅を引(ク)とては、似つかはしからず、必(ス)刈(ル)なるべければなり、○吾莫名國は、アレナケナクニと訓て、吾にて莫《ナキ》にはあらぬものをの意なり、一(ノ)卷に、吾大王物莫御念須賣神乃嗣而賜流君莫勿久爾《ワガオホキミモノナオモホシスメカミノツギテタマヘルキミナケナクニ》、(君(ノ)字、吾とあるは誤なり、)四(ノ)卷に、吾背子波物莫念事之有者火爾毛水爾毛吾莫七國《ワガセコハモノナオモヒソコトシアラバヒニモミヅニモアレナケナクニ》、十五に、多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎須久奈久毛伊母爾戀都々須敝奈家奈久爾《タビトイヘバコトニソヤスキスクナクモイモニコヒツヽスベナケナクニ》、などある、皆同例なり、○歌(ノ)意は、あらかじめ標《シメ》結《ユヒ》置し、吾にて莫にはあらぬものを、時いたりなば、そのうるはしき小野の淺茅を刈て、吾(ガ)物とせむ、他し人の心まかせに、刈とることを得めやは、となり、
 
2836 三島菅《ミシマスゲ》。未苗在《イマダナヘナリ》。時待者《トキマタバ》。不著也將成《キズヤナリナム》。三島菅笠《ミシマスガカサ》。
 
三島菅《ミシマスゲ》は、三島は、攝津(ノ)國八部(ノ)郡の地(ノ)名にて、上に見ゆ、菅に名たゝる地なり、(現存六帖に、もの(231)のふのゆつかにまけるみしますげみしまゝながらとけぬつれなさ、)菅は女を譬へたり、七(ノ)
 
卷に、眞味付越能菅原吾不苅人之苅卷惜菅原《マタマツクヲチノスガハラアレカラズヒトノカラマクヲシキスガハラ》、十三に、師名立都久麻左野方《シナタツツクマサヌカタ》、息長之遠智能小菅《オキナガノヲチノコスゲ》、不連爾伊苅持來《アマナクニイカリモチキ》、不敷爾伊刈持來而《シカナクニイカリモチキテ》、置而吾乎令偲《オキテアレヲシヌハス》、息長之遠智能子菅《オキナガノヲチノコスゲ》、など見え、此(ノ)上にも、開沼之菅乎笠爾縫《サキヌノスゲヲカサニヌヒ》、また難波菅笠《ナニハスガカサ》、などある、これらみな、女を菅に譬へたるなり、そも/\女を菅に譬ることは、古事記仁徳天皇(ノ)大御歌に、夜多能比登母登須宜波《ヤタノヒトモトスゲハ》、古母多受多知迦阿禮那牟《コモタズタチカアレナム》、阿多良須賀波良《アタラスガハラ》、許登袁許曾《コトヲコソ》、須宜波良登伊波米《スガハラトイハメ》、阿多良須賀志賣《アタラスガシメ》、とあるは、八田(ノ)若郎女を詔へるにで、其を須賀志女《スガシメ》とのたまはむがために、菅原をまづ詔へるなり、この大御歌に原《モトヅ》きて、すべて女を、やがて菅に譬へて云ことになれり、と見えたり、○未苗在《イマダナヘナリ》、三(ノ)卷に、春霞春日里之殖子水葱苗有跡云師柄者指爾家牟《ハルカスミカスガノサトノウヱコナギナヘナリトイヒシエハサシニケム》、苗は、稻のみにかぎらず、よろづの草木《キクサ》のちひさきほどをいふなり、今も松苗《マツナヘ》、杉苗《スギナヘ》などいふもこれなり、と契冲云り、○歌(ノ)意は、いまだ幼《イトケナ》き女の、いとをかしげなるを、己が物と心に領居《シメヲリ》ながら、其(ノ)年立て人とならむほどを待ば、他人にえられて、我(カ)妻とならず成なむ歟、といふを、菅のいまだ苗なりとて、時待て、刈取て笠に縫むとせば、他人の取(リ)て著て、我(カ)笠にすることを得ざらむ歟、と譬へたり、
 
2837 三吉野《ミヨシヌノ》。水具麻我菅乎《ミグマガスゲヲ》。不編爾《アマナクニ》。苅耳苅而《カリノミカリテ》。將亂跡也《ミダレナムトヤ》。
 
水具麻我菅《ミグマガスゲ》は、契冲云、水具麻《ミグマ》は、水の隈《クマ》にて、水の入(リ)曲りたる所なり、河隈《カハクマ》といふ意なり、そこ(232)にある菅なり、名所にあらず、○不編爾《アマナクニ》は、薦《コモ》に不《ナク》v編(マ)になり、十三に、不連爾《アマナクニ》とあるも同じ、さて女を、我(カ)物と領せぬにたとへたり、○歌(ノ)意は、心のあはむとうけ引たるものから、なほ我(カ)妻とも得定めずて、さま/”\思ひみだれなむとにや、と云を、菅を刈たるのみにて、なほ未(タ)薦に編(マ)ず、亂しおきなむとにや、といふにたとへたり、
 
2838 河上爾《カハカミニ》。洗若菜之《アラフタカナノ》。流來而《ナガレキテ》。妹之當乃《イモガアタリノ》。瀬社因目《セニコソヨラメ》。
 
河上は、河の上(ツ)方なり、(河上《カハカミ》のいつもの花、又、河上《カハカミ》のねじろたかゝやなどゝは、いさゝか意たがへり、)○洗若菜之《アラフワカナノ》、十四に、許乃河泊爾安佐奈安良布兒奈禮毛安禮毛《コノカハニアサナアラフコナレモアレモ》、云々、姓氏録に、譽田(ノ)天皇、爲v定(ム)2國堺(ヲ)1、事駕巡幸《クニメグリイデマシテ》、到(リタマフ)2針間(ノ)國神崎(ノ)郡|瓦《カハラノ》村東崗(ノ)上(リニ)1、于時《トキニ》青菜(ノ)葉自2崗邊(ノ)川1流(レ)下(リキ)、天皇|詔《ノリタマヒテ》應(シト)2川上《カハカミニ》有(ル)1v人也、仍差(テ)2伊許自《イコジ》別(ノ)命(ヲ)1徃(テ)問(シメタマフニ)即答曰、己(レ)等(ハ)、是日本武尊平(ケタマヒシ)2東夷1時、囚俘蝦夷之《トリコニセラレシエミシノ》後(ナリ)也、云々、○瀬社因目《セニコソヨラメ》は、瀬は、こゝはより處といふ處なるを、河の縁《チナミ》にいへるなり、後の歌に逢(フ)瀬と云、西行法師が、こゝを瀬に むとよみたる瀬と、同意の言なるべし、古事記上卷に、爾(ニ)伊邪那岐(ノ)命、告《ノリタマハク》桃子《モヽニ》1、汝《イマシ》如v助(シガ)v吾(ヲ)、於《ニ》2葦原(ノ)中國1、所有宇都志伎青人草之《アラユルウツシキアヲヒトグサノ》、落2苦瀬《ウキセニ》1而《テ》患惚《クルシマム》時(ニ)可(ト)v助|告《ノリタマヒテ》、賜2名號《ナヲタマヒキ》意富加牟豆美《オホカムヅミノ》命(トイフ)、云々、とある、この瀬も、その境界をいへるにて、今と同じき古言なり、○歌(ノ)意は、河上《カハカミ》にて洗ふ若菜の、とりはづして流るゝが、末の瀬による如く、われも末つひには妹が當りをより所にして、よらむぞ、と云なり、(六帖に、第三四(ノ)句を、流れても君が當(リ)のとして(233)載たり、)契冲、古今集に、大ぬさと名にこそたてれながれても終による瀬はありてふものを、後撰集に、貫之、わびわたるわが身は露をおなじくは君がかきねの草にきえなむ、千載集に、刑部範兼、妹があたりながるゝ川の瀬によらば沫となりてもきえむとぞ思ふ、これらは今の歌を本として、よまれたりとおぼゆ、といへり、
 
右四首《ミギノヨウタハ》。寄《ヨセテ》v草《クサニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2839 如是爲哉《カクシテヤ》。猶八成牛鳴《ナホヤナリナム》。大荒木之杜之《オホアラキノ》。浮田之杜之《ウキタノモリノ》。標爾不有爾《シメナラナクニ》。
 
猶八成牛鳴は、契冲が、ナホヤナリナム〔七字右○〕とよめる、これよろし、牛鳴は、牟《ム》の借(リ)字なり、玉篇に、牟(ハ)亡侯(ノ)切牛鳴(ナリ)、とあり、(今も土佐(ノ)國にて、小兒詞に、牛をモウ〔二字右○〕といへり、これその鳴聲の牟《ム》を轉しいへるなり、契冲も、牛鳴の二字は、義をもて牟《ム》とよめり、牛のほゆる聲、しか聞ゆればなり、陀羅尼の中に、吽(ノ)字あり、※[合+牛]とおなじ、これを雲の音の如く常によめり、猶|宇牟《ウム》の上をすてゝ、牟《ム》とのみよむを習とす、其(ノ)吽(ノ)字、如2牛鳴1、と註したる所あり、今もそれに准じて心得べし、といへり、然るを岡部氏は、牛鳴は、毛《モ》に借(リ)用(ヒ)たりとて、ナホヤナラムモ〔七字右○〕と訓べきよしいへれど、わろし、さて此(ノ)一句、昔よりくさ/”\に説《イフ》めれど、穩ならず、まづ契冲が、こひの猶成ことやあらむ、といふ意に解たれど、いかゞなり、又略解に、成は朽の誤ならむ、といふ説によりて、戀のむなしく成を云ならむ、といへれど、おぼつかなし、)今按(フ)に、猶(ノ)字は書たれど、其は借(リ)字にて、五(ノ)卷令(234)v反2惑情(ヲ)1長歌の反歌に、比佐迦多能阿麻遲波等保斯奈保奈保爾伊弊爾可弊利提奈利乎斯麻佐爾《ヒサカタノアマヂハトホシナホナホニイヘニカヘリテナリヲシマサニ》、十四に、波布久受能比可利與利己禰思多奈保那保爾《ハフクズノヒカリヨリコネシタナホナホニ》、などある奈保《ナホ》と同言にて、云々せむと思ふことを、黙止《モダ》りて、徒《タヾ》に打過ることを云言なり、(なほざりのなほも、本同言なり、)なほ黙止《モダ》る意の奈保《ナホ》に、猶(ノ)字を借(リ)用(ヒ)たる例、續紀宣命に往々見えて、五(ノ)卷に引たるが如し、さて成《ナル》とは、終にさて止《ヤム》を云言にて、續紀廿二(ノ)詔に、吾《アカ》加久《カク》不《ズ》v申《マヲサ》成奈波《ナリナバ》、敢弖中人者《アヘテマヲスヒトハ》不《ジ》v在《アラ》、また、太(キ)政(ノ)大臣|止之弖《トシテ》、仕奉止勅部禮止《ツカヘマツレトノリタマレド》、數々辭備申多夫仁依弖《シバ/\イナビマヲシタブニヨリテ》、受賜多婆受成爾志事毛《ウケタマハリタバズナリニシコトモ》、悔止念賀故仁《クヤシトオモホスガユヱニ》云云、などある成《ナル》に同じ、さればこゝも、奈保奈保《ナホナホ》と黙《モダ》りて、終に止《ヤミ》なむやはの意なり、○大荒木《オホアラキ》は、契冲(ノ)説に、式に、大和(ノ)國宇智(ノ)郡荒木(ノ)神社、と載られ、又荒城氏ありて、大荒城なりけるを、大(ノ)字を除《ノゾ》けるよし、續日本紀の末にいたりて、有けるかとおぼゆ、もししからば、荒木《アラキ》は、すなはち大荒木《オホアラキ》なり、泊瀬《ハツセ》を、大泊瀬《オホハツセ》、豐泊瀬《トヨハツセ》といひ、比叡《ヒエ》を、大比叡《オホヒエ》ともいふがごとくなるべし、といへるが如し、○浮田之杜《ウキタノモリ》(杜(ノ)字、拾穗本には社と作り、)は、即(チ)荒木の地にある杜なるべし、大あらきの杜とよめるも、大荒木野にある浮田の杜を、やがて大荒木の杜といふなるべし、とこれも契冲いへり、○歌(ノ)意は、浮田の神社の神の御爲に、標繩をいかめしく引わたすことなれど、やがて、舊《フルビ》て、雨露のために朽《クタ》されて、無用物《イタヅラモノ》になりはつるを、その標繩にもあらぬ吾(カ)身なるを思(ヒ)し事の叶ふよしもなくして、たゞなほざりになりて、止なむやはといふなるべし、七(ノ)卷寄(235)v草譬喩歌に、如是爲而也尚哉將老三雲零大荒木野之小竹爾不有九二《カクシテヤナホヤオイナムミユキフルオホアラキヌノシヌニアラナクニ》、とて載たるは、同歌ながら、意いさゝか異《カハ》れり、既く彼處にいへり、
 
右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v標《シメニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
2840 幾多毛《イクバクモ》。不零雨故《フラヌアメユエ》。吾背子之《アガセコガ》。三名乃幾許《ミナノコヽダク》。瀧毛動響二《タギモトヾロニ》。
 
不零雨故《フラヌアメユヱ》は、零ぬ雨なるものをの意なり、七(ノ)卷に、甚多毛不零雨故庭立水太莫逝人之應知《ハナハダモフラヌアメユヱニハタヅミイタクナユキソヒトノシルベク》、○三名《ミナ》は、御名《ミナ》なり、貴て云稱なり、○瀧毛動響二《タギモトヾロニ》、この下に、言を含めて、いひのこしたり、上にも、朝東風爾井提越浪之世蝶似裳不相兒故瀧毛響動二《アサゴチニヰテコスナミノサヤカニモアハヌコユヱニタギモトヾロニ》、とあり、○歌(ノ)意は、雨のおびたゞしくふりたらむには、瀧の音のまさるもことわりなり、その雨の、はか/”\しくふらぬごとくに、吾(カ)夫にあふといふばかりのことも、なきものなるを、わが夫が御名のそこらく立て、人にいひさわがれて、瀧の音のとゞろきわたるが如くなるは、勞《イトホ》しき事ぞ、となり、
 
右一首《ミギノヒトウタハ》。寄《ヨセテ》v瀧《タギニ》喩《タトフ》v思《オモヒヲ》。
 
萬葉集古義十一卷之下 終
 
(236)萬葉集古義十二卷之上
 
古今相聞往來歌類下。
 
岡部氏(ノ)考爾云、或人問(フ)、上の卷(十一)に既に出たる歌の、此卷十二に二たび載しも、たま/\有はいかにと、答ふ、己(レ)も先には、此事おぼつかなかりしを、今つら/\考(フ)るに、上の卷には只相聞に入しを、此卷には旅に入、又上に相聞なりしが、是には贈答の類に載しもあり、是らは其撰とられし本集どもに二樣にあり、又は傳への異なるなどに依て、其まゝにとり集めし物にて、是も集の一(ツ)の體なり、其外言いさゝか異にて、他歌となれるなどを、或は海山の類、或は草木の類によりて擧つるも有なり、不意《ユクリナク》見ば、同歌の重り載たりと思ふべし、皆心して載し物ぞ、○此(ノ)十二卷、舊本の順次は、初に正述心緒十首、(人麿集歌)寄物陳思十三首、(人麿集(ノ)歌)を載、後に正述心緒百首、(人麿集(ノ)外(ノ)歌)寄物陳思百三十七首、(上に同じ、)問答歌二十六首、(上に同じ、)覊旅發思九十四首、(人麿集(ノ)歌(ノ)四首、人麿集(ノ)外(ノ)歌四十九首、)覊旅に隷たる悲別歌、(人麿集(ノ)外(ノ)歌三十一首、)覊旅に隷たる問答歌(人麿集(ノ)外(ノ)歌十首、)を載、以上通計歌數三百八十首にて、卷を終たり、(今(237)按に、舊本の篇次に從ときは、下に出たる覊旅發思の初、人麿集(ノ)歌四首は、上に出たる寄物陳思の下に、覊族發思と標して、其處にこそ入べけれ、さて其下に、上の歌を總括りて、右二十七首、柿本朝臣人磨歌集出、と云註あるべきが、混れたるか、されど舊本の篇次は、わづらはしければ、今は取ず、十一の初に云るに准(フ)べし、)今用るところの本の順次は、正述心緒百十一首、(人麿集(ノ)歌十一首、人麿(ノ)集(ノ)外(ノ)歌百首、)寄物陳思百五十首、(人磨集(ノ)歌十三首、人麿集(ノ)外(ノ)歌百三十七首、)問答歌二十六首、(舊本に異なることなし、)覊旅發思九十四首、(舊本に異なることなし、但し問答歌已下は、全(ラ)舊本の順次に從べし、舊本に篇次のたがへる本どもは、甚みだりなれば從がたし、)以上通計歌數三百八十一首にて、卷を終たり、
 
正《タヾニ》述《ノブ》2心緒《オモヒヲ》1。百十一首。【十一首。人麿集。百首。人麿集外。】
 
2841 我背子之《ワガセコガ》。朝明形《アサケノスガタ》。吉不見《ヨクミズテ》。今日間《ケフノアヒダヲ》。戀暮鴨《コヒクラスカモ》。
 
朝明形(形の上に、爲(ノ)字脱たる歟、といへる説あり、)は、アサケノスガタ〔七字右○〕と訓べし、アサケ〔三字右○〕は、即(チ)朝明の字(ノ)意なり、(續古今集、土御門(ノ)院、あさあけの霞の衣ほしそめて春立なるゝ天のかぐ山、)○吉不見《ヨクミズテ》は、委曲《ツマビラカ》に見ずしての意なり、下に、野于玉夜渡月之清者吉見而申尾君之光儀乎《ヌバタマノヨワタルツキノサヤケクバヨクミテマシテキミガスガタヲ》、とある、吉見《ヨクミ》も同じ、十卷に、朝戸出之君之儀乎曲不見而長春日乎戀八九良三《アサトデノキミガスガタヲヨクミズテナガキハルヒヲコヒヤクラサム》、とも見ゆ、なほ一卷なる、淑人乃良跡吉見而《ヨキヒトノヨシトヨクミテ》、とある大御歌に、委しくいへるを、考(ヘ)見べし、○歌(ノ)意は、朝開に女の許(238)より歸る男の容儀を、委曲《ツマビラカ》に見ざりしが殘りおほくて、今日、一日戀しく思ひつゝ暮す哉、といへる女の歌なり、
 
2842 我等心《アガコヽロ》。望使念《イキヅキモヘバ》。新夜《アラタヨノ》。一夜不落《ヒトヨモオチズ》。夢見《イメニシミユル》。
 
本(ノ)二句は、舊本のまゝにては、解べきやうなし、(略解に、或人の考とて、使の下に、美(ノ)字脱たるか、さらば等望使美念にて、トモシミモヘバ〔七字右○〕と訓べし、といへり、されど此(ノ)歌の、書樣ならねば、此(ノ)説は用がたし、)今按(フ)に、まづ心等は、下上に誤れるものにて、我等心は、アガコヽロ〔五字右○〕と訓べし、我の下に等(ノ)字を添書て、アレ〔二字右○〕とも、アガ〔二字右○〕ともよめる例多し、さて望使念は、格解に、望使は無便の誤にて、スベナクモヘバ〔七字右○〕と訓べき歟といへるは、さることもあらむ歟、又按(フ)に、氣附の誤にて、イキヅキモヘバ〔七字右○〕と訓べきにや、未(タ)定めては説がたし、なほよく考(フ)べし、○新夜は、アラタヨノ〔五字右○〕と訓べし、抑々|新夜《アラタヨ》とは、世の事を新世《アラタヨ》といふと同例にて、經易(リ)經易(リ)新《アラタ》まる夜と云ことなり、此(ノ)下に、今更將寢哉吾背子荒田麻之全夜毛不落夢所見欲《イマサラニネメヤワガセコアラタマノヒトヨモオチズイメニミエコソ》、とあるは、彼處に云如く、麻は夜(ノ)字の誤|荒田夜《アラタヨ》にて、今と全(ラ)同じ、(これに、照(シ)見て、アタラヨ〔四字右○〕とよむは、ひがことなるをさとるべし、しかるを岡部氏が、新とかけるは借(リ)字にて、惜夜《アタラヨ》の意なり、といへるは、甚《イミジキ》非《ヒガコト》なり、古(ヘ)は、新はアラタ〔三字右○〕、惜はアタラ〔三字右○〕にて、もとより異言なるを、中ごろより、新をも惜をもアタラ〔三字右○〕と唱へて、兩義を兼し歌どもゝあるは、皆|混《マギ》れたるものなり、後(ノ)世の心をもて、上古の言を思(ヒ)誤ることなか(239)れ、○一夜不落《ヒトヨモオチズ》は、一夜も不v闕といはむが如し、○歌(ノ)意は、吾(カ)心から息づきて、君をのみ思ひ寢にすれば、一夜も闕ると云ことなく、夜々一(ト)すぢに夢にぞ見ゆる、となり、十五に、於毛比都追奴禮婆可毛等奈奴婆多麻能比等欲毛意知受伊米爾之見由流《オモヒツツヌレバカモトナヌバタマノヒトヨモオチズイメニシミユル》、古今集に、君をのみ思ひ寢にせし夢なれば吾心から見つるなりけり、
 
2843 與愛《ウツクシト》。我念妹《アガモフイモヲ》。人皆《ヒトミナノ》。如去見耶《ユクゴトミメヤ》。手不纏爲《テニマカズシテ》。
 
與愛は、もしは愛與とありけむを、顛倒《オキタカフ》る歟、又さらずとも、かく書まじきにもあらざる歟、何(レ)にまれ、ウツクシト〔五字右○〕なり、○如去見耶は、ユクゴトミメヤ〔七字右○〕とよめるよろし、○歌(ノ)意は、わが心にふかく愛しと思ふ妹なるを、世(ノ)人皆の道行如く、手にも纏ず、よそ目に見過してあらむやは、といへるにて、心をよせたる女の道ゆくを見て、よめるなるべし、
 
2844 比日《コノゴロノ》。寢之不寢《イノネラエヌハ》。敷細布《シキタヘノ》。手枕纒《タママクラマキテ》。寢欲《ネマクホリコソ》。
 
寢欲は、ネマクホリコソ〔七字右○〕と訓べし、(ネマホシミコソ〔七字右○〕とよみても、意はきこゆれども、古言ならず、すべて寢マクホシ〔四字右○〕と云べきを寢マホシ〔三字右○〕、見マクホシ〔四字右○〕と云べきを見マホシ〔三字右○〕と云類は、後なり、)○歌(ノ)意は、此(ノ)頃の夜のいねられぬゆゑは、妹が手枕まきてねまほしく思へばこそ、かゝるなれ、さらずば、かく夜を重ねつゝ起明して、わびしき物思(ヒ)をばせじを、とあるがまゝに、かざらず云るが、古(ノ)風なり、
 
(240)2845 忘哉《ワスルヤト》。語《モノガタリシテ》。意遣《コヽロヤリ》。雖過不過《スグセドスギズ》。猶戀《ナホソコヒシキ》。
 
意遣は、コヽロヤリ〔五字右○〕と訓る宜し、十一に二處、意追と見えたるも、追は遣(ノ)字の誤にて、コヽロヤリ〔五字右○〕と訓べきよし、彼處にいへり、(然るを略解に、こゝの遣は、追の誤にて、ナグサメテ〔五字右○〕とよむべきか、といへるは、中々に非《ヒガコト》なり、○歌(ノ)意は、物思ひを忘れて、安《ヤスム》ずることもあらむか、と友だちなどゝ物語して、心をやり、過さむとすれど、得やり過さずして、猶その人の面影の忘れられずして、戀しくぞ思ふ、となり、
 
2846 夜不寢《ヨルモネズ》。安不有《ヤスクモアラズ》。白細布《シロタヘノ》。衣不脱《コロモモヌカジ》。及直相《タヾニアフマデニ》。
 
寢(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、寐と作り、○本(ノ)二句は、ヨルモネズヤスクアモラズ〔ヨル〜右○〕と訓べし、)ネジ、アラズ〔五字右○〕と訓は、わろからむ、○歌(ノ)意は、直に相見るまでは、安《ヤス》むずる事のあるべきならねば、夜寢ることもあらず、夜寢ることのあらぬからは、晝の衣服をも脱(キ)替ずして、其(ノ)まゝあらむぞ、となり、
 
2847 後相《ノチニアハム》。吾莫戀《アヲナコヒソト》。妹雖云《イモハイヘド》。戀間《コフルアヒダニ》。年經乍《トシハヘニツヽ》。
 
歌(ノ)意は、今は人目しげゝれば、この時を過して、後にやがて逢むからに、我をさのみは莫戀《ナコヒ》しく思ひ賜ひそと、たのもしげに妹はいへれど、いたづらに時を待つゝ、あふこともなくして、戀しく思ふ間に、むなしく年月をわたりつるが、あたら悔しき事、となり、二(ノ)卷に、勿念跡君者(241)雖言相時何時跡如而加吾不戀有牟《ナオモヒトキミハイヘドモアハムトキイツトシリテカアガコヒザラム》、本(ノ)句、似たるところあり、
 
2848 直不相《タヾニアハズ》。有諾《アルハウベナリ》。夢谷《イメニダニ》。何人《ナニシカヒトノ》。事繁《コトノシゲケム》。
 
有の下、飛鳥井本、拾穗本等に、者(ノ)字あり、今此(ノ)前後の書樣をおもふに、なき方宜しかるべし、○歌(ノ)意は、人言の繁さに、直に得あはぬはことわりなり、夢の中は知(ル)人もなければ、見え來べきに、いかなれば夢の通(ヒ)路さへ、人言のしげくさゝへてあるらむ、しげくあればこそ、夢にも見え來ずあるらめと、なり、古今集に、住の江の岸による浪よるさへや夢の通路人目よくらむ、現にはさもこそあらめ夢にさへ人目をもると見るがわびしさ、○舊本に、或本歌曰、寤者諾不毛相夢左倍、(寤(ノ)字、舊本に寢と作るはわろし、今は拾穗本に從つ、古寫本に寐とあるも誤なり、)と註せり、
 
2849 烏玉《ヌバタマノ》。夜夢《ヨルノイメニヲ》。見繼哉《ミエツグヤ》。袖乾日無《ソテホスヒナク》。吾戀矣《アレハコフルヲ》。
 
夜夢、舊本には彼夢と作り、拾穗本に彼夜夢と作る、彼は衍字なるべし、舊本に彼とあるは、本居氏、夜(ノ)字の誤にて、ヨルノイメニヲ〔七字右○〕と訓べし、と云り、下に、夜干玉之夜夢乎次而所見欲《ヌバタマノヨルノイメニヲツギテミエコソ》、○見繼哉は、ミエツグヤ〔五字右○〕と訓べし、繼て見ゆるや如何に、と問意なり、繼て聞ことを聞繼《キヽツグ》と云に准へて、見繼《ミエツグ》は、繼て見ゆる意なるを知べし、○歌(ノ)意は、われは袖ほす間もなく、晝夜戀しく思ふを、そなたの夜の夢には、繼て見えたまふにや如何、といふなるべし、
 
(242)2850 現《ウツヽニハ》。直不相《タヾニアハナク》。夢谷《イメニダニ》。相見與《アフトミエコソ》。我戀國《アガコフラクニ》。
 
與は、乞と通(ハシ)書る例、集中に往々見えたり、○我戀國《アガコフラクニ》は、吾がかやうに戀しく思ふ事なるをの意なり、コフラク〔四字右○〕はコフル〔三字右○〕の伸りたる言にて、戀る事といふ意になる、古語の例なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2944 人言《ヒトコトヲ》。繁跡妹《シゲミトイモニ》。不相《アハズシテ》。情裏《コヽロノウチニ》。戀比日《コフルコノゴロ》。
 
人言繁跡《ヒトコトヲシゲミト》は、人(ノ)言が繁さにといはむが如し、跡《ト》は、例のかろくそへたる辭なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○此(ノ)一首、舊本此間に無して、下の人麿歌集(ノ)外の歌中に收たるは、錯亂《マギレ》たるなり、此(ノ)歌は、人磨集の書樣なれば、必此間に入べきことなり、
〔以上十|一〔○で囲む〕首。柿本朝臣人麿之歌集出。〕
 
2864 吾背子乎《ワガセコヲ》。且今且今跡《イマカイマカト》。待居爾《マチヲルニ》。夜更深去者《ヨノフケヌレバ》。嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》。
 
歌(ノ)意、かくれなし、
 
2865 玉釵《タマクシロ》。卷宿妹母《マキヌルイモモ》。有者許増《アラバコソ》。夜之長毛《ヨノナガケクモ》。歡有倍吉《ウレシカルベキ》。
 
玉釵《タマクシロ》(釵(ノ)字、舊本に釼と作て、タマツルギ〔五字右○〕とよめるは誤なり、拾穗本に、劔と作るは、釼劔|同作《オナジモジ》と思へるより、誤れるなり、釵は釧(ノ)字と同じくて、クシロ〔三字右○〕なり、靫をも、古書に多くは靱と作れば、釵をも釼と作しなり、さてつひに、劔と混ひたるな、)は、枕詞なり、玉釵《タマクシロ》は、九(ノ)卷に、玉釧手爾取(243)持而《タマクシロテニマキモチテ》、とある歌に既くいへり、此(ノ)下にも、玉釵卷寢志妹乎《タマクシロマキネシイモヲ》、と見えたり、○夜之長毛は、ヨノナガケクモ〔七字右○〕と訓べし、夜の長き事もの謂なり、○歌(ノ)意は、手枕相纏て、共寢する妹もあらばこそ、夜の長きことも、うれしかるべきに、獨宿なれば、中々に明がたくてつらき事、となり、
 
2866 人妻爾《ヒトヅマニ》。言者誰事《イフハタガコト》。酢衣乃《サゴロモノ》。此※[糸+刃]解跡《コノヒモトケト》。言者孰言《イフハタガコト》。
 
酢衣《サゴロモ》は、酢は、音をとりて、サ〔右○〕の假字とせるにや外に例なし、いかゞ、)岡部氏、作の誤なり、と云り、佐男鹿《サヲシカ》、佐筵《サムシロ》など云|佐《サ》にて、そへたる言なり、佐衣《サコロモ》は、十四にも見えたり、(略解に、佐は狹にて、卑下の詞なり、といへるは、いかゞ、佐《サ》某といへる言の例を合(セ)見て、然ならぬを知べし、又卑下の詞と云ものも、古(ヘ)になきことなるをや、すべて自(ラ)を卑下《クダ》りて云は、みなから國のならはしなり、かの國にては、自(ラ)を卑下《クダ》りて、よき人も、寡人、不穀など常に云めり、これを禮讓とて、よき事とすめれど、實はうはべの へつらひなり、さるは外の國にては、人の首領《カシラ》となれるきはも、種姓《スヂ》によりて、實に尊卑をわかつことなく、たゞ時の勢と徳と云ものとによりて、位にのぼるならひなれば、よき人も、下民を懷《ナツ》け服《シタガ》へて、へつらふことをしばしも忘れては、國は治りがたきにより、自《ミラ》を卑下りて、うはべに人にへつらふ事の多きこそ、あさましけれ、されば皇朝の古(ヘ)さる類の事、かつてなし、)○歌(ノ)意は、人妻は、自(ラ)我をさしていへるにて、われは人の妻にてあるものを、みだりに紐とけと云は、そもいかなる人の言ぞ、と咎めたるなり、尾(ノ)句に打かへ(244)して、同じことをかさねていへるは、深くとがたるものなり、
 
2867 加是許《カクバカリ》。將戀物其跡《コヒムモノソト》。知者《シラマセバ》。其夜者《ソノヨハユタニ》。由多爾有益物乎《アラマシモノヲ》。
 
歌(ノ)意は、かく月日を經て、あはずして、こひしく思はむものぞと、かねて知せば、そのあひし夜は、寛かにねてかへらましものを、さあらむともしらで、とくおきてわかれ歸りしが、くやしき事、となり、
 
2868 戀乍毛《コヒツヽモ》。後將相跡《ノチニアハムト》。思許増《オモヘコソ》。己命乎《オノガイノチヲ》。長欲爲禮《ナガクホリスレ》。
 
思許増《オモヘコソ》は、思へばこその意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2869 今者吾者《イマハアハ》。將死與吾妹《シナムヨワギモ》。不相而《アハズシテ》。念渡者《オモヒワタレバ》。安毛無《ヤスケクモナシ》。
 
今者吾者、下の者(ノ)字、官本にはなし、なくても、イマハアハ〔五字右○〕と訓べし、○本(ノ)句、此(ノ)卷の下にも見えたり、四(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)郎女(ノ)歌にも、似たるあり、下に引り、○歌(ノ)意かくれなし、十七に、奈加奈可爾之奈婆夜須家牟伎美我目乎美受比佐奈良婆須敝奈可流倍思《ナカナカニシナバヤスケムキミガメヲミズヒサナラバスベナカルベシ》、
 
2870 我背子之《ワガセコガ》。將來跡語之《コムトカタリシ》。夜者過去《ヨハスギヌ》。思咲八更更《シヱヤサラサラ》。思許理來目八面《シコリコメヤモ》。
 
思咲八《シヱヤ》(咲(ノ)字、古寫一本には惠と作り、)は集中、假(ニ)縱す辭にも、嘆息(ノ)辭にも用たり、此處《コヽ》はいづれにても通《キコ》ゆ、○思許理《シコリ》は、失計《シソコナヒ》といはむが如し、(しかるを、此(ノ)詞を、昔より註者等心得誤りて、頻《シキリ》と同言とせるは、叶ひがたし、又岡部氏が、思許理《シコリ》は、如是在《シカアリ》といふ義なり、と云るもあたらず、)(245)源氏物語に、爲損《シソコナヒ》たることを、しこらかすといへるも、同言なり、なほ七(ノ)卷に、買師絹之商自許理鴨《カヘリシキヌシアキジコリカモ》とある歌につきて、既く委く註たるを見て、考(フ)へし、○面(ノ)字、古寫一本には方と作り、○歌(ノ)意は、男の必來むと期《チギ》りし夜さへ不v來して、徒に過ぬるからは、まして然《サ》らぬ夜は來べきにあらざれば、今更待とても、過《アヤマ》りて來そこなひにも來らむやは、縱《ヨシ》やさてあらむ、となり、(これ思惠八《シヱヤ》は、假(ニ)縱(ス)意なり、)又來らむやは、あゝさてもくるしやと、嘆(キ)たるにもあるべし(これ嘆息(ノ)意なり、)
 
2871 人言之《ヒトコトノ》。讒乎聞而《ヨコスヲキヽテ》。玉桙之《タマホコノ》。道毛不相《ミチニモアハズ》。常云吾妹《タエニシアギモ》。
 
讒乎聞而《ヨコスヲキヽテ》は、人の讒言《ヨコシマココト》するを聞ての意なり、應神天皇(ノ)紀に、讒2言《ヨコシマヲサク》于天皇(ニ)1、催馬樂に、蘆垣まがきかきわけて、てふこすと、おひこすと、たれか此(ノ)事を、親にまうよこしけらしも、とゞろける此(ノ)家のおとよめ、おやにまうよこしけらしも、あめつちの神もしやうしたべ、我はまうよこし申さず、すがのねのすがなきことを、われはきくか、などあり、抑々|與己須《ヨコス》は、横《ヨコ》すにて、あらぬことを曲て横樣にいひなすを云言なり、なほよこしまてふことは、書紀に、讒言《ヨコシマコト》、(安康天皇(ノ)卷、)讒《ヨコシマコト》(齊明天皇(ノ)卷、)からぶみ毛詩に、匿《ヨコシマ》、回《ヨコシマ》、尚書に、淫《ヨコシマ》などあり、又此(ノ)集十八に、多々佐爾毛可爾母與己佐母《タヽサニモカニモヨコサモ》云々、とある與己佐《ヨコサ》も、與己志麻《ヨヨシマ》と同じ、(志麻《シマ》の切|佐《サ》、孝徳天皇(ノ)紀に方《タヽサヨコサ》、)又|與己志《ヨコシ》とも云り、和名抄に、南北(ヲ)曰v阡(ト)、私記(ニ)曰、多知之乃美知《タチシノミチ》、東西(ヲ)曰v陌(ト)、私記(ニ)曰、與之志乃美知《ヨコシノミチ》、成務天皇(ノ)紀(246)に、阡陌を、タヽサノミチ、ヨコサノミチ〔十二字右○〕とも、タチシノミチ、ヨコシノミチ〔十二字右○〕ともよめり、そもそも與己志《ヨコシ》も與己佐《ヨコサ》も、みな横樣《ヨコサマ》の意にて、しか横樣にいひなすを、與己須《ヨコス》と活用《ハタラカ》しいふなり、○常云は、絶去の誤にて、末(ノ)句、ミチニモアハズタエニシワギモ〔十四字右○〕ならむ、と本居氏云り、○歌(ノ)意は、世(ノ)人の讒言するを聞憚りて、直に相見る事は、さらにもいはず、道の行合にも避て相見ず、中絶にし吾妹ぞ、さるにても、人の物いひさがにくき世にてもありけるよ、となり、
 
2872 不相毛《アハナクモ》。懈常念者《ウシトオモヘバ》。彌益二《イヤマシニ》。人言繁《ヒトコトシゲク》。所聞來可聞《キコエクルカモ》。
 
歌(ノ)意は、あふことのなきを、つらしとおもふ、それだにもあるを、いやましにあやにくなる世の人言の、さまざまにいひさわぐよしの聞え來る哉、かくてはいとゞ相見べきよしもあらじを、となり、
 
2873 里人毛《サトビトモ》。謂告我禰《カタリツグガネ》。縱咲也思《ヨシヱヤシ》。戀而毛將死《コヒテモシナム》。誰名將有哉《タガナナラメヤ》。
 
里人《サトビト》は、里内のあまたの人、といふ意なり、(俗に、在所《ザイシヨ》中の人、といぶ意なり、)十一に、里人皆爾吾戀八方《サトビトミナニアレコヒメヤモ》、○歌(ノ)意は、戀死に死たりと云こと、里内のあまたの人に聞えて、あはれなる世がたりにも、かたりつぐがために、今は戀死に死てむ、よし/\わが死たらむには、誰人の名にあらず、君ゆゑと云ことはしるければ、ひとへに君が名こそたゝめ、といへるにて、後に名たゝむことをおそれて、わが戀死に死(ナ)ぬ内に、人のあはれとは見よかし、といふ意を、思はせたるな(247)り、十一に、人目多直不相而盖雲吾戀死者誰名將有裳《ヒトメオホミタヾニアハズテケダシクモアガコヒシナバタガナナラムモ》、古今集に、こひしなば誰が名は立じ世の中の常無(キ)ものといひはなすとも、
 
2874 慥《タシカナル》。使乎無跡《ツカヒヲナミト》。情乎曾《コヽロヲソ》。使爾遣之《ツカヒニヤリシ》。夢所見哉《イメニミエキヤ》。
 
慥《タシカナル》(舊本※[立心偏+送]に誤れり、拾穗本に從(ツ)、)は、玉篇に、言行相應(スル)貌、とあり、古事紀允恭天皇(ノ)條、(木梨之輕(ノ)太子(ノ)御歌に、)佐々婆爾宇都夜阿良禮能多志陀志爾《サヽバニウツヤアラレノタシダシニ》云々、竹取物語に、つかうまつる人の中に、心たしかなるをえらびて云々、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、後拾遺集に、わか菜つむ春日の原に雪降ば心づかひを今日さへぞ遣(ル)、曾丹集に、おもひやる心づかひはいとなきをゆめに見えずと聞があやしさ、これは今の歌をとりてよめるなり、
 
2875 天地爾《アメツチニ》。小不至《スコシイタラヌ》。大夫跡《マスラヲト》。思之吾邪《オモヒシアレヤ》。雄心毛無寸《ヲゴヽロモナキ》。
 
歌(ノ)意は、武勇《タケクイサ》める氣《イキ》ざしは、天地のきはみ、阿隈《クマ/”\》のかぎりには、少しは至らぬ地のあらむのみにて、大方はみちたらひたらむと、おもひほこれる、大丈夫の吾なるを、戀故に、おめ/\とたけき心もなく、あるべしや、となり、下に、大夫之聰神毛今者無《マスラヲノサトキコヽロモイマハナシ》云々、(略解に、三(ノ)卷に、天雲之向伏國武士登所云人者《アマクモノムカフスクニノモノヽフトイハレシヒトハ》云々、とあるを引たるは、此(ノ)歌にょしなし、
 
2876 里近《サトチカク》。家哉應居《イヘヤヲルベキ》。此吾目之《コノワガメノ》。人目乎爲乍《ヒトメヲシツヽ》。戀繁口《コヒノシゲケク》。
 
家哉應居《イヘヤヲルベキ》は、家やは居るべきの謂にて、家居すべきことかはの意なり、十(ノ)卷に、山近家哉可居(248)左小牡鹿乃音乎聞乍宿不勝鴨《ヤマチカクイヘヤヲルベキサヲシカノコヱヲキヽツヽイネカテヌカモ》、○人目乎爲乍《ヒトメヲシツヽ》は、人目《ヒトメ》とは、源氏物語若菜に、たゞ嬰兒《チゴ》の面《オモ》ぎらひせぬ心ちして、心やすく、うつくしささまし給へり、とある、其(ノ)面ぎらひと同意にて、今の世、嬰兒の知(ラ)ぬ人を見憚りて、なれ親《チカ》づかぬを、人目をするといへり、この人目をするといふ、人目は、人おめといふことにて、人を怖《オソ》れ憚るを云(ヘ)ば、これ古言にて、今の歌も、其(ノ)意に、人目を怖れ憚るよしならむ、又按(フ)に、乎爲は、五十見の三字の誤れるにもあらむ歟、ヒトメイミツヽ〔七字右○〕とあらば、ことわりさだかなり、十一に、人目難爲名《ヒトメイマスナ》とあり、(しかれども多く字を改めむこと快からず、人目をすると云こと、中々に古言なるべくおぼゆれば、なほ前説に從べし、岡部氏は、乎爲ほ毛里の誤にて、ヒトメモリツヽ〔七字右○〕ならむ、と云り、略解に、乎爲は避止の誤にて、ヒトメヲヨクト〔七字右○〕ならむ、といへるは、いとわろし、)○歌(ノ)意は、妹が家里近く、家居すべきことかは、家居すべきにあらず、さるは人目を憚りてしのぶ故に、中々にあふこともえせずして、思ひのしげくあることなるを、もし遠き方にあらむには、人もさ心づくことも、あるべからねば、月花のをりにことよせて、行てあはむに、かく人目を怖れ憚る事の、あるべきならねば、かへりて心の安き方もあるべきを、となり、
 
2877 何時奈毛《イツハシモ》。不戀有登者《コヒズアリトハ》。雖不有《アラネドモ》。得田直比來《ウタテコノゴロ》。戀之繁母《コヒノシゲキモ》。
 
何時奈毛は、(略解に、奈毛《ナモ》は、後に奈牟《ナム》といふと同じく、助辭なりといへれど、こゝは奈毛《ナモ》てふ(249)助辭を、おくべき所にあらざるをや、)奈は志(ノ)字の誤にて、イツハシモ〔五字右○〕なり、十一に、何時不戀時雖不有夕方枉戀無乏《イツハシモコヒヌトキトハアラネドモユフカタマケテコフハスベナシ》、十三に、何時橋物不戀時等者不有友《イツハシモコヒヌトキトハアラネドモ》云々、(この十三の借(リ)字によりて、疑なくイツハシモ〔五字右○〕なるを思へ、)志毛《シモ》は、多かる物の中に、その一(ト)すぢなるをつよく云辭なり、○得出直《ウタテ》は、本より有ことの愈々進て、殊に甚しくなるを云言なり、既く十(ノ)卷に、吾屋前之毛桃之下爾月夜指下心吉菟楯頃者《ワガヤドノケモヽノシタニツクヨサシシタコヽロヨシウタテコノゴロ》、とある處に、本居氏(ノ)説を引て委く註り、直は、物の價をテ〔右○〕といふ故に、借て書り、書紀に、玉代《タマテ》と云地あり、玉の價といふ意にて、名づけたる地なり、新撰萬葉に沓直《クツテ》とあり、今も酒の價を、さかてと云は、古言の遺れるなり、○歌(ノ)意は、何時は思ふ、何時は思はぬと云差別もなく、一(ト)すぢに常にこひしくおもふことなれど、此(ノ)頃は、こひしさのいよいよすゝみて、殊に甚しく、しげくなれる事哉、となり、古今集に、何時はとは時はわかねど秋(ノ)夜ぞ物思ふことのかぎりなりける、
 
2878 黒玉之《ヌバタマノ》。宿而之晩乃《イネテシヨヒノ》。物念爾《モノモヒニ》。割西※[匈/月]者《ワレニシムネハ》。息時裳無《ヤムトキモナシ》。
 
烏玉之《ヌバタマノ》は、晩《ヨヒ》と、いふにかゝるまくら詞なり、○割西※[匈/月]者《ワレニシムネハ》は、此(ノ)下に、從聞物乎念者我胸者破而摧者鋒心無《キヽシヨリモノチオモヘバワガムネハワレテクダケテトコヽロモナシ》、十一に、自高山出來水石觸破衣念妹不相夕者《タカヤマヨイデクルミヅノイハニフリワレテソオモフイモニアハヌヨハ》、四(ノ)卷に、村肝之情摧而如此許余戀良苦乎不知香安類良武《ムラキモノコヽロクダケテカクバカリアガコフラクヲシラズカアルラム》、とも見えたり、○息時裳無《ヤムトキモナシ》、十一に、吾戀落波止時裳無《アガコフラクハヤムトキモナシ》、又|公二戀等九止時毛梨《キミニコフラクヤムトキモナシ》、なども見えたり、思(ヒ)の止(メ)ば、割(レ)にし胸も直る理なり、思(ヒ)の止(マ)ねば、割にし胸の(250)直る期《トキ》もなし、となり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2879 三空去《ミソラユク》。名之惜毛《ナノヲシケクモ》。吾者無《アレハナシ》。不相日數多《アハヌヒマネク》。年之經者《トシノヘヌレバ》。
 
三空去名《ミソラユクナ》とは、名の高く空までも立のぼる意なり、古今集に、塵ならぬ名の空に立らむ、とよめるが如し、○惜毛《ヲシケクモ》は、惜《ヲシ》き事も、と云意なり、○不相日數多《アハヌヒマネク》は、不相日がちにといはむが如し、數多はマネク〔三字右○〕と訓て、數多きことをいふ古言にて、かた/”\に見えたり、(無《ナク》v間《マ》を通(ハシ)云たるにはあらず、似たる言ながら、別なり、)○歌(ノ)意は、相見ぬ日がちにして、年月を經ぬれば、思ひに堪かねて、今は高く立のぼる名のをしきこともあらずと、身をすてたるさまに、切なるあまりにいへるなり、
 
2880 得管二毛《ウツヽニモ》。今見牡鹿《イマモミテシカ》。夢耳《イメノミニ》。手本纒宿登《タモトマキヌト》。見者辛吉毛《ミレバクルシクモ》。
 
今見牡鹿《イマモミテシカ》は、今もがな見まほしき、と希ふなり、五(ノ)卷に、多都能馬母伊麻勿愛弖之可《タツノマモイマモエテシカ》、十八に、須理夫久路伊麻婆衣天之可《スリブクロイマハエテシカ》、などあり、すべて弖之可《テシカ》とある處は、可《カ》を清て唱ふる例なり、(しかるを、略解に、借(リ)字は清濁にかゝはらぬ例なれば、牡鹿とかきたれど、カ〔右○〕を濁るべし、といへるは、中々の非なり、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○舊本に、或本歌發句云吾妹兒乎、と註せり、(發(ノ)字、舊本登に誤れり、古寫本に從つ、)
 
2881 立而居《タチテヰテ》。爲便乃田時毛《スベノタドキモ》。今者無《イマハナシ》。妹爾不相而《イモニアハズテ》。月之經去者《ツキノヘヌレバ》。
 
(251)立而居は、タチテヰテ〔五字右○〕と訓べし、立ても居てもの意なり、下に、立居田時毛不知《タチテヰテタドキモシラズ》、十一に、立座態不知《タチテヰテタドキモシラズ》云々、十七に、多知底爲底見禮登毛安夜之《タチテヰテミレドモアヤシ》云々、○歌(ノ)意かくれなし、○舊本に、或本歌云、君之目不見而月之經去者、と註せり、
 
2882 不相而《アハズシテ》。戀度等母《コヒワタルトモ》。忘哉《ワスレメヤ》。彌日異者《イヤヒニケニハ》。思益等母《オモヒマストモ》。
 
歌(ノ)意、年月を經わたるとも、逢ずしては、つひに忘るゝことはあらじ、彌日々に、戀しく思ふ心こそまさらめ、となり、二一三四五と句を次第て意得べし、
 
2883 外目毛《ヨソメニモ》。君之光儀乎《キミガスガタヲ》。見而者社《ミテバコソ》。壽向《イノチニムカフ》。吾戀止目《ワガコヒヤマメ》。
 
歌(ノ)意は、外目にだにも、君がすがたを見たらばこそ、命にかけておもふ吾(カ)戀の、止こともあらめ、さらずば戀の息(ム)ことあるまじければ、戀死に死むより他なし、となり、下に、眞十鏡直目爾君乎見者許増命對吾戀止目《マソカヾミタヾメニキミヲミテバコソイノチニムカフワガコヒヤマメ》、とあるに、未(ノ)句全(ラ)同じ、○舊本に、末(ノ)句、吾戀山目命不死者、とて載たり、其は外目にも君を見たらばこそ、吾(カ)戀止め、もしさらずば、命死ずしては、止ときあらじ、といふ意なるべけれど、尾(ノ)句平穏ならず、故(レ)今は、一云壽向吾戀止目、と註したるを、全(ラ)用《トリ》つ、
 
2884 戀管母《コヒツヽモ》。今日者在目杼《ケフハアラメド》。玉〓《タマクシゲ》。將開明日《アケムアスノヒ》。如何將暮《イカデクラサム》。
 
明日は、アスノヒ〔四字右○〕と訓べし、本居氏は、明旦の誤なるべし、と云り、さらずともあるべし、○歌(ノ)意は、戀しく思ひながらにも、今日はとかくして暮すべけれど、あけむ明日をば、いかで暮さむ(252)となり、しば/\逢(フ)中に、さはることありて、得あはぬほとよめるならむ、十(ノ)卷に、戀乍毛今日者暮都霞立明日之春日乎如何將晩《コヒツヽモケフハクラシツカスミタツアスノハルヒヲイカテクラサム》、似たる歌なり、
 
2885 左夜深而《サヨフケテ》。妹乎念出《イモヲオモヒデ》。布妙之《シキタヘノ》。枕毛衣世二《マクラモソヨニ》。嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》。
 
枕毛衣世二《マクラモソヨニ》は、枕も曾與曾與《ソヨソヨ》と鳴(ル)ばかりに、大《イタ》く歎くよしなり、曾與《ソヨ》は、十(ノ)卷に、旗荒木末葉裳其他丹《ハタスヽキウラバモソヨニ》、秋風乃吹來夕丹《アキカゼノフキタルヨヒニ》云々、とあるをはじめて、風(ノ)音に多くよみたり、新撰萬葉に、夏之夜之松葉牟曾與丹吹風者《ナツノヨノマツバモソヨニフクカゼハ》云々、古今集に、稻葉のそよとなどある類なり、今は嘆息の聲の、枕に響くよしにいへるにて、廿(ノ)卷に、波呂波呂爾伊弊乎於毛比※[泥/土]於比曾箭乃曾與等奈流麻※[泥/土]奈氣吉都流香母《ハロバロニイヘヲオモヒデオヒソヤノソヨトナルマデナゲキツルカモ》、とよみ、十三に、此床乃比師跡鳴左右嘆鶴鴨《コノトコノヒシトナルマデナゲキツルカモ》、とよめる類なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2886 他言者《ヒトコトハ》。眞言痛《マコトコチタク》。成友《ナリヌトモ》。彼所將障《ソコニサハラム》。吾爾不有國《アレナラナクニ》。
 
彼所《ソコニ》は、其《ソレ》にと云が如し、○歌(ノ)意は、人はまことに口(チ)さがなく、とかくいひさわぐとも、それにさへられて、思(ヒ)止べき吾にはあらず、なみ/\の事にてはあらぬことなるを、となり、
 
2887 立居《タチテヰテ》。田時毛不知《タドキモシラズ》。吾意《アガコヽロ》。天津空有《アマツソラナリ》。土者踐鞆《ツチハフメドモ》。
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十一に、徘徊往箕之里爾妹乎置而意空在土者蹈鞆《タモトホリユキミノサトニイモヲオキテコヽロソラナリツチハフメドモ》、
 
2888 世間之《ヨノナカノ》。人辭常《ヒトノコトバト》。所念莫《オモホスナ》。眞曾戀之《マコトソコヒシ》。不相日乎多美《アハヌヒヲオホミ》。
 
(253)世間之人辭《ヨノナカノヒトノコトバ》は、俗にいふ、くちぐせのこゝろなり、と契冲いへり、此(ノ)下に、うつせみの常のことばとおもへども云々、とあるも、意似たり、(後撰集に、哀てふことこそうけれうつせみのよの人ことのいはぬなければ、)○歌(ノ)意は、逢(ハ)ずして、多くの日かずを經しからに、眞實にこそ戀しく思ひたれ、大かたの世の人の、恆云くちくせのやうに、おぼしめすことなかれよ、となり、
 
2889 乞如何《イデイカニ》。吾幾許戀流《アガコヽタコフル》。吾妹子之《ワギモコガ》。不相跡言流《アハジトイヘル》。事毛有莫國《コトモアラナクニ》。
 
乞如何《イデイカニ》は、いでをも如何《イカ》にぞや、といふなり、十一に、伊田何極太甚利心及失念戀故《イデイカニコヽダハナハダトコヽロノウスルマデモフコフラクノユヱ》、乞《イデ》は、四(ノ)卷に委(ク)註り、允恭天皇(ノ)紀に、壓乞《イデ》、皇極天皇(ノ)紀に、咄哉《イデヤ》、古今集に、いで、われを人なとがめそ云云、○歌(ノ)意は、妹があはじといへらばこそ、さま/”\におもひみだれもせめ、時をうかゞひて、あひぬべくいへれば、心をもやすむべきことなるを、かくそこばくす戀しく思ふは、いでそもいかなることぞや、となり、
 
2890 夜干玉之《ヌバタマノ》。夜乎長鴨《ヨヲナガミカモ》。吾背子之《ワガセコガ》。夢爾夢西《イメニイメニシ》。所見還良武《ミエカヘルラム》。
 
夢爾夢西《イメニイメニシ》は、夢に所見《ミエ》て、又夢に所見《ミユ》るを云詞にて、繼て絶ず見ゆる意なり、西《ニシ》は、さだかにしかりとする意の時云(フ)辭なり、○所見還《ミエカヘル》は、幾遍《イクタビ》も所見所見《ミエミエ》するを云、○歌(ノ)意は、夜の長き故に、幾遍も幾遍も、吾(カ)夫《セ》がうへの夢に見ゆらむか、さるは長き夜すがら、夫(ノ)君を思ふ心のひまなきによりて、さむれば又|所見所見《ミエミエ》するにこそあらめ、嗚呼なつかしや、となり、
 
(254)2891 荒玉之《アラタマノ》。年緒長《トシノヲナガク》。如此戀者《カクコヒバ》。信吾命《マコトワガイノチ》。全有目八目《マタカラメヤモ》。
 
信は、マコト〔三字右○〕とも、サネ〔二字右○〕ともよむべし、○全有目八目《マタカラメヤモ》、(八目、古寫一本には八方、拾穗本には八面と作り、)四(ノ)卷に、吾命之將全幸限忘目八《ワガイノチノマタケムカギリワスレメヤ》云々、○歌(ノ)意は、年月長く、かくの如くに戀しく思はゞ、つひに思(ヒ)に疲れて、まことに我命も全くはあらじ、あはれ戀死に死む外なし、となり、
 
2892 思遣《オモヒヤル》。爲便乃田時毛《スベノタドキモ》。吾者無《アレハナシ》。不相數多《アハヌヒマネク》。月之經去者《ツキノヘヌレバ》。
 
思遣《オモヒヤル》は思をやり過し失ふなり、既く往々《トコロ/”\》に見えたり、○不相數多は、本居氏、相の下、日(ノ)宰を脱せしにてアハヌヒマネク〔七字右○〕なり、と云り、不v相日がちに、と云がごとし、上に、三空去名之惜毛吾者無不相日數多年之經者《ミソラユクナノヲシケクモアレハナシアハヌヒマネクトシノヘヌレバ》、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2893 朝去而《アシタユキテ》。暮者來座《ユフヘハキマス》。君故爾《キミユヱニ》。忌忌久毛吾者《ユユシクモアハ》。歎鶴鴨《ナゲキツルカモ》。
 
朝去而は、アシタユキテ〔六字右○〕と訓べし、朝に女の許を起出て去《ユク》を云、十一に、朱引朝行公《アカラビクアサユクキミ》、とあり、○君故爾《キミユヱニ》は、君なるものをの意なり、○忌忌久《ユユシク》は、もと忌《ミ》憚らるゝ意より出て、忌(ミ)憚りて、人目を隱《シノ》ぶべき乳をも、得|堪忍《タヘ》ずして、事の甚じかるをも云(フ)、こゝは後の意なり、既く二(ノ)卷に、挂毛忌之伎鴨《カケマクモユヽシキカモ》、とある處に、委(ク)註り、○歌(ノ)意かくれなし、契冲、後撰集に、明ぬればくるゝものとは知ながらなほうらめしきあさぼらけかな、此(ノ)歌と、作者男女にかはりて、歌のやうはかはれど、心同じ、といへり、
 
(255)2894 從聞《キヽシヨリ》。物乎念者《モノヲオモヘバ》。我胸者《アガムネハ》。破而摧而《ワレテクダケテ》。鋒心無《トコヽロモナシ》。
 
從聞《キヽシヨリ》は、妹がうへのことをなり、○破而摧而《ワレテクダケテ》は、上に、割西胸者《ワレニシムネハ》ともよめるに同じ、十一にも、自
高山出來水石觸破衣念妹不相夕者《タカヤマユイデクルミヅノイハニフリワレテソオモフイモニアハヌヨハ》、とあり、○鋒心無《トコヽロモナシ》は、利《ト》き心もなし、となり、十一に、伊田何極太甚利心及失念戀故《イデイカニコヽダハナハダトコヽロノウスルマデモフコフラクノユヱ》、又此(ノ)下に、大夫之聰神毛今者無《マスラヲノサトキコヽロモイマハナシ》、ともよめるに同じ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2895 人言乎《ヒトコトヲ》。繁三言痛三《シゲミコチタミ》。我妹子二《ワギモコニ》。去月從《イニシツキヨリ》。未相可母《イマダアハヌカモ》。
 
去月《イニシツキ》は、前月なり、○歌(ノ)意これもかくれなし、
 
2896 歌方毛《ウタガタモ》。曰管毛有鹿《イヒツヽモアルカ》。吾有者《アレシアレバ》。地庭不落《ツチニハオチジ》。空消生《ソラニケヌトモ》。
 
歌方毛《ウタガタモ》は、危《アヤ》ふげにもと云が如し、抑々|宇多賀多《ウタガタ》は、もと水(ノ)泡の空形《ウツガタ》より出て、姑(ク)の事にも、危き事にも用ふ言なりといへり、和名抄に、准南子註(ニ)云、沫雨(ハ)、雨《アメフリテ》2潦上(ニ)1、沫(ノ)起(ツコト)若2覆盃(ノ)1、和名|宇太加太《ウタガタ》、と見えたり、十七に、大船乃宇倍爾之居婆安麻久毛乃多度伎毛思良受歌方和我世《オホブネノウヘニシヲレバアマクモノタドキモシラズウタガタワガセ》、とあるは、今と同じく、危き事に用たり、遊仙窟に、著時未必相著死《ヨリツカムトキウタガタモアハムトオモハザリキ》、《ヨリツカムトキウタガタモアハムトオモハザリキ》とあるごとぐ、未必をウタガタ〔四字右○〕とよめるも、今と同じ意をもて、いへるならむ、又十五に、波奈禮蘇爾多※[氏/一]流牟漏能木宇多我多毛比左之伎時乎須疑爾家流香母《ハナレソニタテルムロノキウタガタモヒサシキトキヲスギニケルカモ》、十七に、安麻射加流比奈爾安流和禮乎宇多我多毛比母登伎佐氣底於毛保須良米也《アマザカルヒナニアルワレヲウタガタモヒモトキサケテオモホスラメヤ》、又、宇具比須能伎奈久夜麻夫伎宇多賀多母伎美我手敷禮受波(256)奈知良米夜母《ウグヒスノキナクヤマブキウタガタモキミガテフレズハナチラメヤモ》、此等は姑(ク)の意に用たりと見えたり、○地庭不落《ツチニハオチジ》は、打捨りはせじ、といふ意なり、六(ノ)卷橘氏を賜りし歌の次に、奈良麻呂、奧山之眞木葉凌零雪乃零者雖益地爾落目八方《オクヤマノマキノハシヌキフルユキノフリハマストモツチニオチメヤモ》、とあるに同じく、捨ることを、地に落るといへり、又八(ノ)卷に、如今心乎常爾念有者先咲花乃地爾將落八方《イマノゴトコヽロヲツネニオモヘラバマヅサクハナノツチニオチメヤモ》、ともあり、十(ノ)卷に、零雪虚空可消雖戀相依無月經在《フルユキノソラニケヌベクコフレドモアフヨシヲナミツキソヘニケル》、などもあるを思ふに、岡部氏の云るごとく、今の歌に雪とはなけれど、雪に譬て、地に落と云、空に消《ケヌ》と云るなるべし、○空消生は、岡部氏云、生は共(ノ)字の誤なるべし、ソラニケヌトモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、妹は未かけて、危ふげに云つゝもあること哉、吾かくてあるからは、たとひそこの命は死とも、打捨ることはあるまじきなれば、それを一(ト)すぢにたのみて、心おちゐてあれ、といふにやあらむ、
 
2897 何《イカニアラム》。日之時可毛《ヒノトキニカモ》。吾妹子之《ワギモコガ》。裳引之容儀《モビモノスガタ》。朝爾食爾將見《アサニケニミム》。
 
何日之時可毛《イカニアラムヒノトキニカモ》は、嗚呼《アヽ》いかなる日、いかなる時にかの意なり、可《カ》は疑の辭、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、五(ノ)卷に、伊可爾安良式日能等伎爾可母許惠之良武比等能比射乃倍和我麻久良可武《イカニアラムヒノトキニカモコエシラムヒトノヒザノヘワガマクラカム》、三(ノ)卷に、何在歳月日香茵花香君之牛留鳥名津匝來跡《イカニアラムトシツキヒニカツヽジハナニホヘルキミガヒクアミノナヅサヒコムト》、○裳引之容儀《モビキノスガタ》は、赤裳を地に引ならす容儀をいへり、あかもすそ引とも、裳引ならしゝすが原の里、などもよめり、○朝爾食爾《アサニケニ》は、朝に來經《ケ》にゝて、毎朝毎日《アサゴトヒゴト》に、と云に同じ意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2898 獨居而《ヒトリヰテ》。戀者辛苦《コフレバクルシ》。玉手次《タマタスキ》。不懸將忘《カケズワスレム》。言量欲《コトハカリモガ》。
 
(257)不懸將忘《カケズワスレム》は、心にかけず忘む、といふなり、○言量欲《コトハカリモガ》は、(言は借(リ)字、)事策《コトハカリ》もがなあれかし、となり、事量《コトハカリ》は、四(ノ)卷、十三(ノ)卷などにも見えて、既く委く説り、○歌(ノ)意は、獨のみ居て思ふ勞《イタヅキ》のくるしきにより、いかで心にかけて思はず、忘れはてなむ事策もがなあれかし、となり、下に、常如是戀者辛苦暫毛心安目六事計爲與《ツネカクテコフレバクルシシマラクモコヽロヤスメムコトハカリセヨ》、
 
2899 中中《ナカナカニ》。黙然毛有申尾《モダモアラマシヲ》。小豆無《アヂキナク》。相見始而毛《アヒミソメテモ》。吾者戀香《アレハコフルカ》。
 
黙(ノ)字、舊本に點と作るは誤なり、拾穗本に從つ、○歌(ノ)意は、はじめよりもだりて、あはむともせずしてあらましものを、なまなかに相見そめてより、かく思はじと思へども、止こと得ずして、遠慮もなく、こゝろをくるしめて、戀しく思ふこと哉、となり、相見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり、今の歌を註《コトワ》れるに似たり、
 
2900 吾妹子之《ワギモコガ》。咲眉引《ヱマヒマヨビキ》。面影《オモカゲニ》。懸而本名《カヽリテモトナ》。所念可毛《オモホユルカモ》。
 
咲眉引は、ヱマヒマヨビキ〔七字右○〕と訓べし、又ヱマムマヨビキ〔七字右○〕とも訓べし、十九に、青柳乃細眉根乎咲麻我埋《アヲヤギノクハシマヨネヲヱミマガリ》云々、○歌(ノ)意は、妹が愛しき咲顔眉引《ヱマヒマヨビキ》の、容儀《スガタ》の面影が、いつといふわかちもなく、むざ/\と眼(ノ)前にうかびて、常に戀しく思はるゝ哉、かくては得|堪《タフ》まじきを、妹はさるこゝろをも知ずて、つれなくさりげなくやあるらむ、となり、
 
2901 赤根指《アカネサス》。日之暮去者《ヒノクレヌレバ》。爲便乎無三《スベヲナミ》。千遍嘆而《チタビナゲキテ》。戀乍曾居《コヒツヽソヲル》。
 
(258)赤根指《アカネサス》は、枕詞なり、○爲便乎無三《スベヲナミ》は、せむ爲便《スベ》のなき故にの意なり、○歌(ノ)意は、晝だにあるに、日くれては、いとゞ心ぼそく、戀しく思ふ心に切《セマ》りて、せむかたなく、千度彌千度《チタビヤチタビ》あはれ/\と、長き息をつきて、わびつゝぞをる、となり、
 
2902 吾戀者《ワガコヒハ》。夜晝不別《ヨルヒルワカズ》。百重成《モヽヘナス》。情之念者《コヽロシモヘバ》。甚爲便無《イトモスベナシ》。
 
夜晝不別《ヨルヒルワカズ》、四(ノ)卷に、夜晝云別不知吾戀情盖夢所見寸八《ヨルヒルトイフワキシラニアガコフルコヽロハケダシイメニミエキヤ》、○百重成《モヽヘナス》は、百重《モヽヘ》にといはむが如し、如《ナス》は、常に如くといふ意に用ふれど、こゝは輕く見べし、四(ノ)卷に、三熊野之浦乃濱木綿百重成心者雖念直不相鴨《ミクマヌノウラノハマユフモヽヘナスコヽロハモヘドタヾニアハヌカモ》、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2903 五十殿寸太《イトノキテ》。薄寸眉根乎《ウスキマヨネヲ》。徒《イタヅラニ》。令掻管《カヽシメニツヽ》。不相人可母《アハヌヒトカモ》。
 
五十殿寸太《イトノキテ》(太は、手(ノ)字の誤なるべし、)は、甚除而《イトノキテ》にて、いとゞと云に同意なり、(岡部氏云、いとゞしくてふ言、いにしへはあらねど、此(ノ)言によくかなへるを思へば、本はいとのきてと言(ヒ)しを、今(ノ)京こなた、いとゞしくと轉じいふならむ、〉)既く五(ノ)卷に見えて、委《(ク)註り、○眉根は、マヨネ〔三字右○〕と訓べし、(マユネ〔三字右○〕と訓るはわろし、すべて眉をマユ〔二字右○〕と云は、中昔よりのことなり、古(ヘ)マヨ〔二字右○〕とのみ云り、古事記、書紀、集中の假字書を見集めて知べし、書紀に眉輪(ノ)王とあるを、古事記に目弱《マヨワノ》王とあり、これもマヨ〔二字右○〕と云る證なり、字鏡にも、黛(ハ)万與加支《マヨカキ》、とある、これ古言なり、しかるを若狹の法師義門が書るものに、眉《マユ》を古言に、眉引《マヨビキ》、眉根《マヨネ》などユ〔右○〕をヨ〔右○〕といへるは、連聲の便に、第三言(259)を、第五言に轉しいふ例なり、と定めたること、何やらむにて見たり、しかれども古言に、爾比具波麻欲《ニヒグハマヨ》などいひて、麻由《マユ》といひたること、かつてなければ、連言の便に、轉しいふ例には、あらざること、さらなり、)○令掻管は、岡部氏、カヽシメニツヽ〔七字右○〕と訓り、これしかり、又舊本に、カヽシメツヽモ〔七字右○〕と訓るに依ば、管の下、毛(ノ)字など脱たるか、○歌(ノ)意は、もとよりうすき眉なるに、いとゞ薄くなれとにや、絶ず掻しめつゝ、其|表《シルシ》には、逢こともあるべきに、然《サ》はなくて、無用《イタヅラ》に、其(ノ)表《シルシ》をのみ示す人にてある哉、となり、すべて鼻鳴《ハナビ》、紐解《ヒモトケ》、眉掻《マヨカユ》きは、人に相見むと云|前表《シルシ》とすることなれば、云るなり、四卷に、無暇人之眉根乎徒令掻乍不相妹可聞《イトマナクヒトノマヨネヲイタヅラニカヽシメニツヽアハヌイモカモ》、
 
2904 戀戀而《コヒコヒテ》。後裳將相常《ノチモアハムト》。名草漏《ナグサムル》。心四無者《コヽロシナクバ》。五十寸手有目八面《イキテアラメヤモ》。
 
名草漏は、ナグサムル〔五字右○〕と訓べし、(ナグサモル〔五字右○〕と訓は、甚誤なり、)既く出たり、○面(ノ)字、古寫一本には方と作り、○歌(ノ)意は、戀しく思ひ思ひて、後々逢むと、自から思ひなぐさめて居ればこそ、其を命にして、暫はながらへてあれ、もしさるたのみさへたえてなくば、いよ/\身もよわり、心も消て、命生てあるべきにあらぬをや、嗚呼|勞《イタヅカハ》しき世にもある哉、となり、
 
2905 幾《イクバクモ》。不生有命乎《イケラジイノチヲ》。戀管曾《コヒツヽソ》。吾者氣衝《アレハイキヅク》。人爾不所知《ヒトニシラエズ》。
 
本(ノ)二句は、九(ノ)卷詠2勝鹿(ノ)眞間娘子(ヲ)1歌に、幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而《イクバクモイケラジモノヲナニストカミヲタナシリテ》云々、とあり、いくばく時も、いきながらへてあるべからじ、と思ふ人の、壽命なるものを、と云意なり、○氣衝《イキヅク》(260)は、長、く息をつきてなげくを云、○歌(ノ)意は、人の世の壽命は、はかなくもろきものにて、いくばく時も、いきては得あらじものなれば、かく戀に心をくるしめずともあるべきことなるに、吾は息をつきつゝくるしみて、思ふ人にもしられず、獨のみ物を思ふぞ、となり、
 
2906 他國爾《ヒトクニニ》。結婚爾行而《ヨバヒニユキテ》。太刀之緒毛《タチガヲモ》。未解者《イマダトカネバ》。左夜曾明家流《サヨソアケニケル》。
 
他國《ヒトクニ》は、契冲云、此(ノ)國は、なにはの國、よしぬの國といへる類に心得べし、又業平の、龍田山をこえて、河内の高安へかよはれけるは、まことに兩國にかゝれば、いつれにもあるべし、○結婚《ヨバヒ》、は九(ノ)卷に、智奴壯士宇奈比壯士乃《チヌヲトコウナヒヲトコノ》、庵八燎須酒師競《フセヤタキススシキホヒ》、相結婚爲家類時者《アヒヨバヒシケルトキニ》云々、靈異記に、※[人偏+抗の旁]※[人偏+麗](ハ)與波不《ヨバフ》、とあり、伊勢物語に、昔(シ)男ありけり、女の得うまじかりけるを、年を經てよばひわたりけるを、からうして盗み出て、いと暮きにきにけり、云々、また、昔(シ)男、大和にある女を見て、よばひてあひけり、云々、(職人歌合の附言に、一義には、ぬしある人をよばふを、まめと云といへり、)言(ノ)意は、本居氏、呼《ヨブ》より出たるならむ、今の世の語に、婦をよぶと云も此(レ)なり、竹取物語に、闇の夜にも、こゝかしこより垣間見《カイマミ》まどひあへり、さる時よりなむ、よばひとは云ける、と云るは、故《コトサラ》に興に作りて云るなり、此(ノ)集十三に、夜延爲《ヨバヒセス》と書るも、正字にはあらず、さて又大和物語に、故式部卿(ノ)宮を、桂のみこ、せちによばひ賜ひけれど、おはし坐ざりけり、とあるは、女の方より、よばふと云りと云り、源氏物語玉葛に、けさう人は、夜にかくれたるをこそ、よばひとはいひけ(261)れ、とあるは、かの竹取物語を思ひて、滑稽《タハムレ》にわざとをかしく書るか、又もとより夜延の意と、心得誤りたるにもあるべし、(しかるを、高尚が、伊勢物語新釋に、夜延と云を、本義と心得て解たるは、ひがことなり、)○太刀之緒は、古事記によりて、タチガヲ〔四字右○〕と訓べし、廿(ノ)卷に、紐之緒《ヒモノヲ》を比毛我乎《ヒモガヲ》、とも假字書ありて、かゝる類の物にも、之《ノ》を我《ガ》と云る例多し、さて太刀が緒は、身に佩(ク)料の緒なり、そのさまは、大神宮式、神寶の條を見て考(フ)べし、彈正式に、凡衛府(ノ)舍人(ノ)刀(ノ)緒、左近衛(ハ)緋(ノ)※[糸+施の旁]、右近衛(ハ)緋(ノ)纈《ユハタ》、左兵衛(ハ)深緑、右兵衛(ハ)深緑(ノ)纈、左(ノ)門部(ハ)淺|縹《ハナダ》、石(ノ)門部(ハ)淺縹纈、凡囚獄司、物部(ノ)横刀《タチノ》緒(ノ)色(ハ)、胡桃《クルミ》染、帶刀賢人黄、また拾遺集神樂歌に、石上ふるやをとこの太刀もがな組(ノ)緒しでて宮路通はむ、又物名、をがはの橋をよめる歌に、筑紫より此《コヽ》まで來れどつともなし太刀の緒革《ヲカハ》の端《ハシ》のみぞある、大和物語に、良少將、太刀の緒にすべき皮をもとめければ三代實録に、貞觀十六年九月、檢非違使の請に依て、構刀之緒に上下の品を別て、五位已上同(ク)用2唐組(ヲ)1、六位已下並用2綺新羅組等(ヲ)1、と定められしことも見えたり、○未解者《イマダトカネバ》は、未(タ)解《トカ》ぬにの意なり、と契冲がいへる如し、此(ノ)語例、既く二(ノ)卷に委(ク)説り、○歌(ノ)意は、他國に女を婚ひに行て、未(ダ)刀(ガ)緒も解あへぬ間に、あたら夜の明ぬるぞ惜(シ)き、となり、此(ノ)歌、古事記上卷に、八千矛(ノ)神、將(テ)v婚(ムト)2高志(ノ)國之沼河比賣(ヲ)1幸行之時、到(リテ)2其(ノ)沼河比倍之家(ニ)1歌曰(タマハク)、夜知富許能迦微能美許登波《ヤチホコノカミノミコトハ》、夜斯麻久爾都麻麻岐迦泥底《ヤシマクニツママキカネテ》、登富登宮斯故志能久邇々《トホトホシコシノクニヽ》、佐加志賣遠阿理登岐加志※[氏/一]《サカシメヲアリトキカシテ》、久波志賣遠阿理登伎許志※[氏/一]《クハシメヲアリトキコシテ》、佐用婆比(262)爾阿理多斯々《サヨバヒニアリタシヽ》、用婆比邇阿理加用婆勢《ヨバヒニアリカヨハセ》、多知賀遠母伊麻陀登迦受※[氏/一]《タチガヲモイマダトカズテ》、淤須比遠母伊麻陀登加泥婆《オスヒヲモイマダトカネバ》、遠登賣能那須夜伊多斗遠《ヲトメノナスヤイタトヲ》、淤曾夫良比和何多々勢禮婆《オソブラヒワガタヽセレバ》、比許豆良比和何多々勢禮婆《ヒコヅラヒワガタヽセレバ》、阿逮夜麻邇奴延波那伎奴《アヲヤマニヌエハナキ》、佐怒都登理岐藝斯波登與牟《サヌツトリキギシハトヨム》、爾波都登理迦祁波那久《ニハツトリカケハナク》、宇禮多久母那久那留登理加《ウレタクモナクナルトリカ》、許能登理母宇知夜米許世泥《コノトリモウチヤメコセネ》、伊斯多布夜阿麻波勢豆加比《イシタフヤアマハセヅカヒ》、許登能加多理其登母許遠婆《コトノカタリゴトモコヲバ》、とあるを、意を約めてよめるなり、と本居氏いへるが如し、
 
2907 大夫之《マスラヲノ》。聰神毛《サトキコヽロモ》。今者無《イマハナシ》。戀之奴爾《コヒノヤツコニ》。吾者可死《アレハシヌベシ》。
 
聰神毛今者無《サトキコヽロモイマハナシ》とは、契冲、戀に心のほれ/”\となる意なり、上にこゝろもなきとよみ、心ともなしとも、利心《トコヽロ》のうするとも、よめるに同じ、といへり、今按(フ)に、佐刀伎《サトキ》と云は、佐《サ》は、佐男牡鹿《サヲシカ》、佐莚《サムシロ》の佐《サ》にて、刀伎《トキ》は、利《トキ》の意にやあらむ、從聞物乎念者我胸者破而摧而鋒心無《キヽシヨリモノヲオモヘバワガムネハワレテクダケテトゴヽロモナシ》、とも、此(ノ)上に見え、利心《トコヽロ》、鋒心《トキコヽロ》、聰心《サトキコヽロ》、みな同じことなり、○戀乃奴《コヒノヤツコ》、十六に、家爾有之櫃爾※[金+巣]制藏而師戀乃奴之束見懸而《イヘニアリシヒツニクギサシヲサメテシコヒノヤツコノツカミカヽリテ》、とも見えて、自(ラ)の戀情を、※[手偏+益]《ツカ》み懸りて、人の身を責る賊《アタ》の如くいひなし、さて賤しめ罵惡《ノリニク》みて、奴《ヤツコ》とはいへるなり、(心の鬼といふに近し、○賤しき奴は、もとより聰明心もなき者なり、ほ一の物しらぬ奴になりて、吾身ははつべし、と云意を、もたせたるなるべし、といふ説は、理屈めきたり、)○歌(ノ)意は、いかなる強敵に對《ムカ》ひても、いさゝかもおくれはとらじと、常は思ひたのみて有し、大夫の利心もうせはてゝ、吾身につかみかゝれる、戀といふ賊奴《アタヤツコ》のくせものゝ(263)爲に、弱り死に死むより、今は他なし、となり、
 
2908 常如是《ツネカクシ》。戀者辛苦《コフレバクルシ》。暫毛《シマシクモ》。心安目六《コヽロヤスメム》。事計爲與《コトハカリセヨ》。
 
戀者は、コフレバ〔四字右○〕と訓べし、○暫毛は、シマシクモ〔五字右○〕と訓べし、○事計爲與《コトハカリセヨ》(計(ノ)字、舊本許に誤れり、拾穗本に從(ツ)、)は、四(ノ)卷に、外居而戀者苦吾妹子乎次相見六事計爲與《ヨソニヰテコフレバクルシワギモコヲツギテアヒミムコトハカリセヨ》、とあるに同じくて、事の思(ヒ)はかりをせよと、妹に令せたるなり、なほ彼(ノ)四(ノ)卷に、既く註せるを披(キ)見て考(フ)べし、又此(ノ)下に、事計吉爲吾兄子《コトハカリヨクセワガセコ》とあるも、同意なり、此(ノ)上に不懸將忘言量欲《カケズワスレムコトハカリモガ》、とあるは、事策もがなあれかしと、自(ラ)云るにて、今とは自他の別あり、(然るを略解に、事計《コトハカリ》せよは、みづから下知するやうにいひなしたるなり、といへるは、いかにぞや、)○歌(ノ)意は、常にかくばかり戀しく思へば、苦く堪がたきによりて、いかで吾(ガ)身を、すこしはあはれとおもひて、しばらくの間だにも、心安かるべき事の、思ひはかりをしてよ、と妹に令せたるなり、
 
2909 凡爾《オボロカニ》。吾之念者《アレシオモハバ》。人妻爾《ヒトヅマニ》。有云妻爾《アリチフイモニ》。戀管有米也《コヒツヽアラメヤ》。
 
凡爾は、オホロカニ〔五字右○〕と訓べし、十九に、於保呂可爾情盡而《オホロカニコヽロツクシテ》、念良牟其子奈禮夜母《オモフラムソノコナレヤモ》云々、とあり、○歌(ノ)意は、もとより他妻にてあるなれば、いかに思ひてもかひなし、さればさて思ひ止べきなれど、なみ/\の心ならねばこそ、なほ堪がたくて、かく戀しく思ひつゝあるなれ、となり、
 
2910 心者《コヽロニハ》。千重百重《チヘニモヽヘニ》。思有杼《オモヘレド》。人目乎多見《ヒトメヲオホミ》。妹爾不相可母《イモニアハヌカモ》。
 
(264)歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2911 人目多見《ヒトメオホミ》。眼社忍禮《メコソシヌフレ》。少毛《スクナクモ》。心中爾《コヽロノウチニ》。吾念莫國《アガモハナクニ》。
 
人目多見《ヒトメオホミ》、四(ノ)卷に、人眼多見不相耳曾情左倍妹乎忘而吾念莫國《ヒトメオホミアハナクノミソコヽロサヘイモヲワスレテアガモハナクニ》、○少毛《スクナクモ》、(少(ノ)字舊本には小と作り、今は官本、古寫本等に從つ、)十一に、散頬相色者不出少文心中吾念名君《サニヅラフイロニハイデズスクナクモコヽロノウチニアガモハナクニ》、又、言云者三三二田八酢四少九毛心中二我念羽奈九二《コトニイヘバミミニタヤスシスクナクモコヽロノウチニアガモハナクニ》、などあり、又十五に、多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎須久奈久毛伊母爾戀都々須敝奈家奈久爾《タビトイヘバコトニソヤスキスクナクモイモニコヒツヽスベナケナクニ》、十(ノ)卷に、風吹者黄葉散乍少雲吾松原清在莫國《カゼフケバモミチチリツヽスクナクモアガマツバラノキヨカラナクニ》、○歌(ノ)意は、人目をしのびかくればこそ、思ふさまには、得あはずあるなれ、心の中には、そこばく思ふことなるものを、となり、
 
2912 人見而《ヒトノミテ》。事害目不爲《コトトガメセヌ》。夢爾吾《イメニアレ》。今夜將至《コヨヒイタラム》。屋戸閉勿勤《ヤトサスナユメ》。
 
事《コト》は、借(リ)字にて言《コト》なり、○屋戸《ヤト》は、屋之戸《ヤノト》なり、屋之戸《ヤノト》を屋戸《ヤト》と云る例、古事記に、天照大御神、見畏(マシテ)閇2天(ノ)石屋戸《イハヤトヲ》1而刺(シ)許母理坐《モリマシキ》也、とあり、此(ノ)集三(ノ)卷に、石室戸《イハヤト》とも見えたり、四(ノ)卷に委(ク)註り、○歌(ノ)意は、君のみ見賜ふ夢なれば、他人の見あらはして、とがめ言することもなければ、今夜わが心神の其所に至りて、君が夢に見え申さむぞ、ゆめ/\屋の戸を閉て、わが心神の通路を、塞たまふことなかれ、となり、此(ノ)下に、門立而戸毛閉而有乎何處從鹿妹之入來而夢所見鶴《カドタテテトモサシタルヲイヅクユカイモガイリキテイメニミエツル》、四(ノ)卷に、暮去者屋戸開設而吾將待夢爾相見二將來云比登乎《ユフサラバヤトアケマケテアレマタムイメニアヒミニコムトイフヒトヲ》、古今集に、かぎりなきおもひのまゝ(265)によるもこむ、夢路をさへに人はとがめじ、(遊仙窟に、今宵莫v閉v戸(ヲ)、夢裏向2渠邊1、此(ノ)下に、人見而言害不爲夢谷不止見與我戀將息《ヒトノミテコトトガメセヌイメニダニヤマズミエコソワガコヒヤマム》、
 
2913 何時左右二《イツマデニ》。將生命曾《イカムイノチソ》。凡者《オホカタハ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》。死上有《シナムマサレリ》。
 
將生命曾は、イカムイノチソ〔七字右○〕と訓べし、(將生を、イケラム〔四字右○〕或はイキナム〔四字右○〕など訓むは、よろしからず、)生《イカ》ム〔右○〕、生《イ》キ〔右○〕、生《イ》ク〔右○〕、生《イ》ケ〔右○〕、と活く詞なればなり、○戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》は、戀しく思ひつゝあらむよりはの意なり、例多し、既く二(ノ)卷にいへり、○死上有《シナムマサレリ》は、義を以てかけり、○歌(ノ)意は、何時《イツ》まで生ながらへてあらむ命とて、かく戀にくるしむ事なるらむ、戀しく思ひつゝ勞きてあらむよりは、大むねのところを、はかりくらべて見れば、中々に死む方|勝《マサ》れり、といへり、
 
2914 愛等《ウツクシト》。念吾妹乎《アガモフイモヲ》。夢見而《イメニミテ》。起而探爾《オキテサグルニ》。無之不怜《ナキガサブシサ》。
 
念吾妹は、今按(フ)に、吾念妹とありしを、誤れるにやあらむ、アガモフイモヲ〔七字右○〕とあるべき處なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、四(ノ)卷に、夢之相者苦有家里覺而掻探友手二毛不所觸者《イメノアヒハクルシカリケリオドロキテカキサグレトモテニモフレネバ》〔頭註、【相如長門賦曰、忽寢寐而夢想兮、魂若君之在傍、※[立心偏+易]寐覺而無見兮、魂廷同若有亡、】〕この歌と今の歌は、共に遊仙窟に、少時坐睡則夢2見十娘(ヲ)1、驚覺(テ)※[手偏+覺](ルニ)之、忽然空v手、心中悵怏、復何可v論、とあるを本にて、よめりと聞えたり、
 
2915 妹登曰者《イモトイフハ》。無禮恐《ナメクカシコシ》。然爲蟹《シカスガニ》。懸卷欲《カケマクホシキ》。言爾有鴨《コトニアルカモ》。
 
無禮恐は、ナメクカシコシ〔七字右○〕と本居氏よめり、是然るべし、無禮《ナメク》は、書紀に、亂語《ナメリゴト》、(繼體天皇(ノ)卷、)輕《ナメク》、(266)(上に同じ)輕《ナメシク》、(安閑天皇(ノ)卷、)此(ノ)集六(ノ)卷に、倭道雲隱有雖然余振袖乎無禮登母布奈《ヤマトヂハクモガクリタリシカレドモアガフルソテヲナメシトモフナ》、續紀廿五(ノ)宣命に、無《ナク》v禮《ヰヤ》之弖《シテ》不v從|奈賣久在牟人乎方《ナメクアラムヒトヲハ》云々、(賣、舊本に壹と作るは誤なり、)伊勢物語に昔(シ)男、かくてはしぬべしといひやりたりければ、女、白露は消《ケ》なば消《ケ》なゝむ消《キエ》ずとて玉に貫べき人も在じを、といへりければ、いと奈賣之《ナメシ》と思ひけれど、心ざしはいやまさりけり、源氏物語未通女に、いさゝか物いふをも制せず、奈賣氣《ナメゲ》なりとてもどかむ、梅(カ)枝に、おぼしすつまじきをたのみて、奈賣氣《ナメゲ》なるすがたを、御覽ぜさせ侍るなり、夕霧に、いかさまにして、この奈賣氣《ナメゲ》さを、見じとおぼしければ、眞木柱に、うちにも奈賣久《ナメク》心あるさまに聞しめし、人々もおぼす所あらむ、枕册子にも、なめげなるもの云々、また文詞なめき人こそ、いとゞにくけれ、とあり、(すべてこの言は、ナメキ、ナメク、ナメシ、ナメシキ、ナメシク、ナメリ、ナメル〔ナメキ〜右○〕など、さま/”\に用く言なり、今俗に、ナメス〔三字右○〕といふ言のあるも、同意の言の轉れるものなるべし、ナメゲ〔三字右○〕と云は無醴氣《ナメゲ》にて、氣《ゲ》は、尊氣《タフトゲ》、卑氣《イヤシゲ》など云|氣《ゲ》なり、)輕しめあなどるを云言にて、無《ナキ》v禮《ヰヤ》といふと、同意の言ながら、無《ナキ》v禮《ヰヤ》といふよりは、いさゝか輕き方に用たり、○然蟹爲《シカスガニ》は、さすがにといふに同じ、(略解に、しかしながらを約めいふなり、と云る言は、さることながら、其(ノ)言を約めりといへるは、いかゞ、)既くあまたに出たり、○歌(ノ)意は、吾が賤しき身にて、妹といふは、無禮《ナメシク》て、おそれあることながら、さすがに言に妹といひて、我手に入まほしく思ふこと哉、となり、
 
(267)2916 玉勝間《タマカツマ》。相登云者《アハムトイフハ》。誰有香《タレナルカ》。相有時左倍《アヘルトキサヘ》。面隱爲《オモカクシスル》。
 
玉勝間《タマカツマ》は、此(ノ)下にも、二處に見えたり、玉《タマ》は美稱、勝間《カツマ》は、古事記上卷海宮(ノ)段に、無間勝間之小船《マナシカツマノヲブネ》、てふもの見えて、其を書紀には、堅間《カツマ》と作り、勝は借(リ)字にて、書紀の字の如く、堅津間《カタツマ》の約りたるなり、(多都《タツノ》切|都《ツ》となれり、)さて組(ミ)たる竹の目の、堅く縮りたるよりいふ稱《ナ》なり、(冠辭考に、勝間《カツマ》は、古事記に、造2無間勝間云々(ヲ)1、神代紀に、取2其竹(ヲ)1作2大目|麁籠《アラカタマ》又無目堅間(ヲ)1、とあり、此勝間、堅間など書たるは、借(リ)字にて、籠と書たるは實なり、且今本に、カツマ〔三字右○〕と訓しも、韻は通へども、猶紀によりて、カタマ〔三字右○〕と訓べし、とあるは、いみじきひがことなり、まづ大目麁籠《オホマアラコ》とあるを、オホマアラカタマ〔八字右○〕とよめるは、いかにぞや、目の麁きを、いかでか堅間とはいふべき、私説と云べし、又書紀に堅間とあるによりて、カタマ〔三字右○〕とよむべし、と云るもいかに、古事記の字づかひ、カタ〔二字右○〕といはむに、勝(ノ)字など書るやうの例、あることなし、書紀は、堅《カタ》つ間《マ》てふ義を得て書たるなれば、訓は猶古事記と此(ノ)集とによりて、加都麻《カツマ》と訓べき定なり、すべて加多麻《カタマ》といふ稱は、前にもノツにもあることなし、本居氏古事記傳に、古(ヘ)加都麻《カツマ》とも加多麻《カタマ》とも云りしなり、といへるも、右の誤を承たる説なれば、とかく論ふまでもなし、なほ次に云べし、)阿波(ノ)國風土記に、勝間井《カツマヰノ》冷水、倭建(ノ)命乃|大御櫛笥《オホミクシゲヲ》忘(タマヒシニ)依|而《テ》、勝間云《カツマトイフ》、とあると、古事記を合(セ)考(フ)るに、籠(ノ)類を後には加多美《カタミ》とはいへど、古代には、船また櫛笥の類、何にても、竹もて編目《アミメ》きびしく製《ツク》れる器《モノ》を、ひろくいひし稱《ナ》にぞありけむ、(古今集に、花かたみ目ならぶ人のあまたあれば云々、和名抄に、四聲字苑(ニ)云、答※[竹/青](ハ)小籬也、漢語抄云、加多美《カタミ》、などあるは、かの加都麻《カツマ》を訛りたるなり、さてその加多美《カタミ》を、小籠の稱とするも、今(ノ)京よりこなたのことにて、上(ツ)代には、ひろく何にもいへりし稱なること、上に辨たるが如し、)さて相《アフ》とかゝれるは、冠辭考にも云し如く、こゝの玉勝間《タマカツマ》は、蓋《フタ》と身《ミ》とある合せ篋《バコ》の謂にて、逢《アフ》とはいひかけたるなるべし、○誰有香《タレナルカ》は、誰(レ)なるぞ、と云に同じ、例多し、事出之者誰言爾有鹿小山田之苗代水乃中與杼爾四手《コトデシハタガコトナルカヲヤマタノナハシロミヅノナカヨドニシテ》、とあるも、誰言なるぞの意なり、○面隱《オモカクシ》は、十一に、對面者面隱流物柄爾《アヒミレバオモカクサルヽモノカラニ》云々、○歌(ノ)意は、あひ見むといひおこせしは誰なるぞ、そこの然《サ》いひおこせしにあらずや、さるを今逢見る時となりてさへ、しか面隱するよ、かゝれば相見むといひおこせしは、たゞうはべの人だのめにてやありしと、女にむかひて、せむるやうに云るなり、相見むとは、人づてにいひおこせしものから、うらわかき女なれば、なほはぢらひて、人おめするをいへるなり、
 
2917 寤香《ウツヽニカ》。妹之來座有《イモガキマセル》。夢可毛《イメニカモ》。吾香惑流《アレカマドヘル》。戀之繁爾《コヒノシゲキニ》。
 
歌意は、現《ウツヽ》に正《マサ》しく妹が來座せるにてあるか、又は戀のしげきによりて、夢に吾心の惑へるにて、眞に來座るには非るか、といへるにて、いかさま戀のしげきによりて、わがまよへるにてこそあらめ、と云意を思はせたるなり、一二五三四と句を次第て意得べし、古今集に、君や(269)こしわれや行けむおもほえず夢か現か寢てか寤てか、○今按(フ)に、此(ノ)歌|可《カ》の疑辭三あり、其(ノ)中初句なるは、來座有《キマセル》にて結めり、第三句なるは、惑流《マドヘル》にて結めり、第四句なるは、徒に重なりたるが如くなれども、かやうの處に重ね云て、語勢をつくる例多し、誤字あるに非ず、既く二(ノ)卷に、例等《アトコトバドモ》を擧て、委(ク)辨へたるを、披(キ)見て考(ヘ)合(ス)べし、
 
2918 大方者《オホカタハ》。何鴨將戀《ナニカモコヒム》。言擧不爲《コトアゲセズ》。妹爾依宿牟《イモニヨリネム》。年者近※[糸+侵の旁]《トシハチカキヲ》。
 
大方者《オホカタハ》は、契冲、おほ方の人ならばの意なり、といへり、○言擧不爲《コトアゲセズ》は、とにかくいふべきこともなしに、といはむが如し、言擧《コトアゲ》は、集中にかた/”\見えたり、既く六(ノ)上に委(ク)註り、○近※[糸+侵の旁]、(※[糸+侵の旁](ノ)字、舊本に侵と作るは誤なり、古寫本、古寫一本、拾穗本等には絞と作り、絞(ノ)字はよしなし、今は古本、水戸本等に從つ、字註に、※[糸+侵の旁]※[糸+踐の旁]也、可2以縫(フ)1v衣、と見えたれば、緒とかけるに同じことなり、)チカキヲ〔四字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、妹が父母の許して、とかくいふことなしに、眞の夫妻となりなむ年月も近きものを、大かたの人ならば、かくばかり、何ぞ戀しく思はむやは、なみ/\の人ならねばこそ、しばし時まつ間も待堪ずして、戀しく思ふなれ、となり三四五一二と句を次第て心得べし、
 
2919 二爲而《フタリシテ》。結之※[糸+刃]乎《ムスビシヒモヲ》。一爲而《ヒトリシテ》。吾者解不見《アレハトキミジ》。直相及者《タヾニアフマデハ》。
 
吾者解不見《アレハトキミジ》は、吾は不《ジ》v解《トカ》と云ことを、かく不《ジ》v見《ミ》といひたる見《ミ》は、試《コヽロミ》の見《ミ》にて、本意ならねど、も(270)し心なぐさになることもぞあると、姑《シバラ》く試に解こともせじ、といへるなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、伊勢物語に、ふたりして結びし紐をひとりしてあひみるまではとかじとぞ思ふ、今の歌をつくり換(ヘ)たるか、
 
2920 終命《シナムイノチ》。此者不念《コヽハオモハズ》。唯毛《タヾニシモ》。妹爾不相《イモニアハナク》。言乎之曾念《コトヲシソモフ》。
 
此者不念《コヽハオモハズ》は、其《ソレ》は不念《オモハズ》といはむが如し、其(ノ)將《ム》v終《シナ》命を、惜くは思はず、となり、○唯毛は、タヾニシモ〔五字右○〕とよめるよろし、之毛《シモ》は、多かる物の中に、その一(ト)すぢをとり出ていふ辭なり、○言は、借(リ)字、事《コト》なり、○歌(ノ)意は、命ばかり惜きものは、さらに無れども、其(ノ)將《ム》v終《シナ》命をも惜くは思はず、たゞ一(ト)すぢに、妹に得逢(ハ)ざる事をこそ、くちをしくは思ふなれとなり、
 
2921 幼婦者《ヒモノヲノ》。同情《オヤジコヽロニ》。須曳《シマシクモ》。止時毛無久《ヤムトキモナク》。將見等曾念《ミナムトソモフ》。
 
幼夫者、穩ならず、本居氏、或人(ノ)説に、この三字は、紐緒之《ヒモノヲノ》の誤なるべし、古今集に、入(レ)紐の同(シ)情にいざむすびてむ、とあるに同じといへり、と云り、姑(ク)此(ノ)説によりて訓つ、○歌(ノ)意は、妹とわれと情を一(ツ)にして、相見なむ事をこそ、しばらくの間も、止ときなしに思ふなれ、となり、
 
2922 夕去者《ユフサラバ》。於君將相跡《キミニアハムト》。念許憎《オモフコソ》。日之晩毛《ヒノクルラクモ》。娯有家禮《ウレシカリケレ》。
 
念許憎《オモヘコソ》は、念へばこそといふに同じ、○娯(ノ)字、舊本に〓と作るは誤なり、玉篇に、〓與v誤同、とあればなり、今は中院家本、拾穗本等に從つ、娯は、玉篇に樂也、とあり、○晩毛《クルラクモ》は、晩《クル》る事もといふ(271)意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、上に、玉釵卷宿妹母有者許増夜之長毛歡有倍吉《タマクシロマキネシイモモアラバコソヨノナガケクモウレシカルベキ》、これ意異りたれど、語勢相似たり、
 
2923 直今日毛《タヾケフモ》。君爾波相目跡《キミニハアハメド》。人言乎《ヒトコトヲ》。繁不相而《シゲミアハズテ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。
 
直《タヾ》の言は、相目跡《アハメド》の上にうつして心得べし、○歌(ノ)意は、今日も君には、直に相見むすべのあるべきなれど、人言の繁さに、得あはずして、戀しく思ひつゝ過す哉、さて/\人言の繁きほど、世にすべなきものはなきぞ、となり、
 
2924 世間爾《ヨノナカニ》。戀將繁跡《コヒシゲケムト》。不念者《オモハネバ》。君之手本乎《キミガタモトヲ》。不枕夜毛有寸《マカヌヨモアリキ》。
 
世間爾《ヨノナカニ》は、世にうれしく、世にかなしくなど云、世と同言にて、世(ノ)間にあるが中にも、殊に甚しきをいふ言にて、こゝは戀の繁き中にも、とりわきて、殊に甚しく繁きを云、(本居氏(ノ)説に、世間は、ヨノホトニ〔五字右○〕と訓べし、ヨノホトニ〔五字右○〕は、生て在(ル)内になり、わが生涯のほどに、かくこひむものとは、かねておもはざりしかばの意なり、と云り、なほ考(フ)べし、)○歌(ノ)意は、かくばかり、世に繁く戀しく思はむものぞと、かねて思はざりしかば、悔しくも、君が手本を枕《マキ》て、相寢せざりし夜もありけり、となり、○十一に、如此許將戀物衣常不念者妹之手本乎不纏夜裳有寸《カクバカリコヒムモノソトオモハネバイモガタモトヲマカヌヨモアリキ》、と出せり、古本には、其(ノ)歌十一にはなくて、此所の左に、一云とて註したり、と岡部氏(ノ)考に云り、
 
2925 緑兒之《ミドリコノ》。爲社乳母者《タメコソオモハ》。求云《モトムトイヘ》。乳飲哉君之《チノメヤキミガ》。於毛求覽《オモモトムラン》。
 
(272)爲社乳母者《タメコソオモハ》、(社(ノ)字、舊本には杜と作り、今は阿野家本、類聚抄、拾穗本等に從つ、)爲社《タメコソ》は、爲《タメ》にこその意なり、乳母は、岡部氏の、オモ〔二字右○〕とよめる宜し、こゝに乳母とは書たれども、たゞオモ〔二字右○〕と訓べきこと、末(ノ)句に、於毛《オモ》とあるにて知べし、於毛《オモ》とは、兒を養育《ヒタ》す婦人をすべて云(フ)稱にて、其(ノ)中に、乳母《チオモ》は、殊に主とある者なる故に、唯に淤毛《オモ》とのみ云、又|親母《ハヽ》を於毛《オモ》といふも、兒を養育《ヒタ》す方につきていへるなり、と本居氏|説《イヘ》り、なほ古事記傳(ノ)廿五に詳に見えたり、披(キ)見て考ふべし、故(レ)こゝには略きて引つ、和名抄に、乳母、日本紀師説、女乃於止《メノオト》、言(ハ)妻(ノ)妹也、事見2彼書(ニ)1、唐式(ニ)云、乳母、和名|米乃止《メノト》、辨色立成(ニ)云※[女+爾]母、今按(ニ)、即(チ)乳母也、和名|知於毛《チヲモ》、とあり、(古本には、知(ノ)字なしといへり、)○乳飲哉《チノメヤ》は、乳を飲ばにやの意なり、○歌(ノ)意は、吾は君と年齡のたがへること、母子ほどの間なれば、吾をいざなひ賜ふは、君の乳母《チオモ》にせむとならむ、さりながら、乳母《チオモ》は、嬰兒《ミドリコ》のためにこそ、求むといふなれ、君も未(タ)乳を飲(ミ)賜へばにや、其(ノ)乳母をもとむならむ、となり、此(ノ)歌は、ねびたる女を、男のけさうするとき、其(ノ)女の、自(ラ)を乳母に比(ヘ)て、よめるなるべし、
 
2926 悔毛《クヤシクモ》。老爾來鴨《オイニケルカモ》。我背子之《ワガセコガ》。求流乳母爾《モトムルオモニ》。行益物乎《ユカマシモノヲ》。
 
歌(ノ)意は、その求め賜ふ乳母《オモ》になりても、君の許へ行まほしくおもへども、今はいたくねびすぎたれば、乳母にだにも得堪じとおもふが、悔しき事哉、となり、此(ノ)歌も、右同(シ)女の作なり、上の歌につゞけて意得べし、契冲、下の心を思ふに、たのめたるをとこの、ねびたる女に心かはり(273)て、こと人をむかへて、子の出來たりときゝて、ねたくうらめしさに、我身を、ほどよりも老たるやうにいひて、人の心をいたましむるが爲に、よみておくるなるべし、と云り、其(ノ)意ならば、上の歌とは別人の作とするか、
 
2927 浦觸而《ウラブレテ》。可例西袖※[口+立刀]《カレニシソテヲ》。又卷者《マタマカバ》。過西戀也《スギニシコヒヤ》。亂今可聞《ミダレコムカモ》。
 
浦觸而《ウラブレテ》は、恍惚《ホレ/”\》と愁ひ憐しみて、と云意なり、○可例西袖《カレニシソテ》とは、離《カレ》にし袖といふにて、可例《カレ》は、男女中絶て、互に纏交《マキカハ》せし袖の、相遠り離るゝよしなり、○今《コム》は、二合假字にて、將《ム》v來《コ》なり、○歌(ノ)意は、恍惚《ホレ/”\》と愁ひ憐しみて、絶果し中を、又ふたゝび、思ひかへして相見たらば、さまざまの物思おこりて、漸々《ヤウ/\》に過《スゴ》し遣り失ひし、日頃の戀の、又みだれ來て、われをなやまさむ歟、されば又ふたゝび思ひかへして、相見むことも、心ぐるしくはあれど、又さらに打とくべきたよりの出來たるに、心づよく、さりげなくもてなさむは、さすがなれば、おもひ倦《ウム》じてあるこのごろぞ、となり、
 
2928 各寺師《オノガジシ》。人死爲良思《ヒトシナスラシ》。妹爾戀《イモニコヒ》。日異羸沼《ヒニケニヤセヌ》。人丹不所知《ヒトニシラエズ》。
 
各自師《オノガジシ》は、人のうへに關ることに非ず、己(レ)として、自身のうへの事を、物する意ときこえたり、(中昔の書に、此言をつかへるやうは、かず/\あるものゝ中に、各自といふ意にて、少し此《コヽ》とは、やうかはりたるやうなるは、より/\に轉れるものならむ、拾遺集(ノ)七物名に、秋風に四方(274)の山よりおのがじしふくに散ぬる紅葉かなしな、紫式部日記に、池のわたりのこずゑども、やり水のほとりの草むら、おのがじしいろづきわたりつゝ云々、源氏物語橋姫に、春のうららかなる日かげに、池の水鳥どもの、羽打かはしつゝ、おのがじしさへづる聲などを、つねはかなさことゝ見賜ひしかども云々、これらは、常に面々にと云意に用ひたり、)○人死爲良思《ヒトシナスラシ》は、人を令《ス》v死《シナ》らしなり、此(ノ)人は、自《ミラ》我《ガ》身をいふなり、(心の鬼が、身をせむるといふが如し、)○歌(ノ)意は、人を戀しく思ふも、我(カ)心よりの事なれば、故《コトサラ》に他の事を、とかくとがめいふべきに非ず、我と我(ガ)身を、戀に令《ス》v死《シナ》るわざならじ、さるは思ふ人にもしられず、しのび/\に、かくばかり思ひつゝ、日々にやせおとろふれば、死むこと遠からじ、もし思ふ人の、我(ガ)かくまで、死《シ》ぬばかり戀しく思ふよしを知たらば、よもむげに、つれなくはもてなさじを、となり、及びなき人などを思ひかけて、いひよらむよしなくて、獨思(ヒ)切《セマ》りて、よめるなるべし、
 
2929 夕夕《ヨヒヨヒニ》。吾立待爾《アガタチマツニ》。若雲《ケダシクモ》。君不來益者《キミキマサズバ》。應辛苦《クルシカルベシ》。
 
夕夕は、ヨヒ/\ニ〔五字右○〕とよめるよろし、(略解にユフベユフベ〔六字右○〕とよめるはわろし、)○若雲は、ケダシクモ〔五字右○〕と訓べし、ケダシ〔三字右○〕と云に、若(ノ)字を用たること、はやく見えたり、字鏡にも、儻(ハ)設也若也云云、介太志《ケダシ》と見えたり、○益は、坐の借(リ)字なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、一夜二夜ならず、夜を數多|連《カサ》ねて、吾(カ)立待たるに、今夜も、もしなほ君が來坐ざりせば、いかにくるしかるべきと(275)なり、
 
2930 生代爾《イケルヨニ》。戀云物乎《コヒチフモノヲ》。相不見者《アヒミネバ》。戀中爾毛《コフルウチニモ》。吾曾苦寸《アレソクルシキ》。
 
生代爾は、イケルヨニ〔五字右○〕と訓べし、生てある現(シ)世にの意なり、四(ノ)卷に、生有代爾吾者未見事絶而如是何怜縫嚢者《イケルヨニアハイマダミズコトタエテカクオモシロクヌヘルフクロハ》、○戀中爾毛は、コフルウチニモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、生てある現(シ)世に、戀といふ物を、いままでならはねば、戀しく思ひつゝある中にも、吾は一(ト)通《ワタリ》の戀と云ものにあらず、殊にとりわきて、せむかたなくさし切《セマ》りて、心を苦しむる事、となり、伊勢物語に、人はこれをやこひといふらむ、
 
2931 念管《オモヒツヽ》。座者苦毛《ヲレバクルシモ》。夜干玉之《ヌバタマノ》。夜爾至者《ヨルニナリナバ》。吾社湯龜《アレコソユカメ》。
 
歌(ノ)意は、來まさぬ君を、思ひつゝ、此方《コナタ》に居れば、苦しく堪がたきによりて、よるになりなば、人目をしのびて、吾こそ君が許にゆかめ、といへるにて、女のよめるなるべし、
 
2932 情庭《コヽロニハ》。燎而念杼《モエテオモヘド》。虚蝉之《ウツセミノ》。人目乎繁《ヒトメヲシゲミ》。妹爾不相鴨《イモニアハヌカモ》。
 
燎而念杼《モエテオモヘド》、十七に、心爾波火佐倍毛要都追於母比孤悲伊伎豆吉安麻利《コヽロニハヒサヘモエツツオモヒコヒイキヅキアマリ》云々、新撰萬葉に、人緒念心之熾者身緒曾燒煙立※[石+弖]者不見沼物※[朝の月が袴の旁]《ヒトヲオモフコヽロノオキハミヲソヤクケブリタツトハミエヌモノカラ》、古今集に、胸走火《ムナハシリヒ》に心燒をり、などある類なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2933 不相念《アヒオモハズ》。公者雖座《キミハマサメド》。肩戀丹《アレハソコフル》。吾者衣戀《カタコヒニ》。君之光儀《キミガスガタヲ》。
 
(276)雖盛《マサメド》は、座《マサ》むなれどの意にて、座すらめどといはむが如し、○肩は、借(リ)字にて片《カタ》なり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
2934 味澤相《ウマサハフ》。目者非不飽《メニハアケドモ》。携《タヅサハリ》。不問事毛《コトトハナクモ》。苦勞有來《クルシカリケリ》。
 
味澤相《ウマサハフ》は、目《メ》といはむ料の枕詞なり、○非不飽は、義を得て、アケドモ〔四字右○〕とよませたり、○不問事《コトトハナク》は、物言(ハ)ぬことゝいふに同じ、○歌(ノ)意は、目にはあくまで見れども、狎(レ)親(ヅ)き、打とけて物いふ事もなきが苦しき、となり、此(ノ)歌は、男にまれ女にまれ、同じほどの宮づかへなどして、日に/\互に相見かはすものから、心おかるゝあたりなれば、ちかづきたづさはることの、心ならぬ人のよめるならむ、
 
2935 璞之《アラタマノ》。年緒永《トシノヲナガク》。何時左右鹿《イツマデカ》。我戀將居《アガコヒヲラム》。壽不知而《イノチシラズテ》。
 
歌(ノ)意は、涯(リ)ある命のほどをもしらずして、年久しく、いつまで戀しく思ひつゝ、居むことぞ、となり、
 
2936 今者吾者《イマハアハ》。指南與我兄《シナムヨワガセ》。戀爲者《コヒスレバ》。一夜一日毛《ヒトヨヒトヒモ》。安毛無《ヤスケクモナシ》。
 
指南與我兄《シナムヨワガセ》とは、指南は、將《ム》v死《シナ》の假字なり、中々に死ば安けむ、とよめるごとく、死《シニ》たらば何の物思(ヒ)もなく、かへりて安からむと思へば、今は死なむ我兄よ、といへるなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、上に、今者吾者將死與吾妹不相而念渡者安毛無《イマハアハシナムヨワギモアハズシテオモヒワタレバヤスケクモナシ》、作者は男女かはりたれども、意(277)は同じ、四(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)郎女(ノ)歌に、今者吾波將死與吾背生十有吾二可縁跡言跡云莫苦荷《イマハアハシナムヨワガセイケリトモアニヨルベシトイフトイハナクニ》、
 
2937 白細布之《シロタヘノ》。袖折反《ソテヲリカヘシ》。戀者香《コフレバカ》。妹之容儀乃《イモガスガタノ》。夢二四三湯流《イメニシミユル》。
 
歌(ノ)意かくれなし、上にも、袖反してぬれば、思ふ人を夢に見ると云こと、これかれ見えたり、袖反は、即《ヤガテ》衣を反すことなり、古今集にも、いとせめてこひしきときはうば玉の夜の衣をかへしてぞぬる、
 
2938 人言乎《ヒトコトヲ》。繁三毛人髪三《シゲミコチタミ》。我兄子乎《ワガセコヲ》。目者雖見《メニハミレドモ》。相因毛無《アフヨシモナシ》。
毛人髪三《コチタミ》、毛人は、契冲がいひしごとく、蝦夷なり、敏達天皇(ノ)紀に、十年春|閏二月《ノチノキサラギ》、蝦夷|數千《ヤチタリ》寇《アタナヘルノ》2於|邊境《ホトリニ》1由是《ヨリテ》、召(テ)2其(ノ)魁帥綾糟《ヒトコノカミアヤカス》等(ヲ)1云々、証に、魁帥(ハ)者、大毛人《エミシ》也、また續紀に、蝦夷(ノ)大臣を毛人とかけり、(今とても蝦夷人は大毛あること、人の知たるごとし、)さて人の言痛《コチタク》言(ヒ)さわぐは、聞(ク)人の耳に繁く煩はしけれは、かの蝦夷が身にも、けだものゝ如くに毛おひ、髪もよもぎの如くに繁きによせて、かけるなるべし、二(ノ)卷但馬(ノ)皇女(ノ)御歌に、人事乎繁美許知病美已母世爾未渡朝川渡《ヒトゴトヲシケミコチタミイケルヨニイマダワタラヌアサカハワタル》、(已母は、生有の誤なるべし、)此(ノ)上に、人言乎繁三言痛三我妹子二去月從未相可母《ヒトゴトヲシゲミコチタミワギモコニイニシツキヨリイマダアハヌカモ》、○歌(ノ)意かくれなし、
 
2939 戀云者《コヒトイヘバ》。薄事有《ウスキコトアリ》。雖然《シカレドモ》。我者不忘《アレハワスレジ》。戀者死十方《コヒハシヌトモ》。
 
歌(ノ)意は、十一に、言云者三三二田八酢四《コトニイヘバミミニタヤスシ》、十五に、多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎《タビトイヘバコトニソヤスキ》、などいへる類(278)に、たゞ言にのみ戀戀《コヒコヒ》といへば、さのみ深めしからず、たやすくきゝなされて、うすきことにてあり、しかれども、われにおきては、さるうすきことにあらず、たとひ戀死に死はすとも、わするゝよはさらにあらじを、となり、
 
2940 中中二《ナカナカニ》。死者安六《シナバヤスケム》。出日之《イヅルヒノ》。入別不知《イルワキシラヌ》。吾四久流四毛《アレシクルシモ》。
 
死者安六は、シナバヤスケム〔七字右○〕と訓べし、死たらば安樂ならむ、といふ意なり、(略解に、シニハ〔三字右○〕安ケム〔二字右○〕とよめるは、易v死といふ意になりて、いたくたがへり、)十七に、奈加奈可爾之奈婆夜須家牟伎美我目乎美受比佐奈良婆須敝奈可流倍思《《ナカナカニシナバヤスケムキミガメヲミズヒサナラバスベナカルベシ》、とあると同意なり、(古今集に、死(ニ)はやすくぞあるべかりける、とあるは、易v死の意にて、今とは意異れり、)○出日之《イヅルヒノ》云々、一(ノ)卷に、霞立長春日乃《カスミタツナガキハルヒノ》、晩家流和肝之良受《クレニケルワキモシラズ》云々、十一に、氣緒爾妹乎思念者年月之往覽別毛不所念鳧《イキノヲニイモヲシモヘバトシツキノユクラムワキモオモホエヌカモ》、四(ノ)卷に、夜晝云別不知吾戀情盖夢所見寸八《ヨルヒルトイフワキシラニアガコフルコヽロハケダシイメニミエキヤ》、○歌(ノ)意は、朝夕のわかちだにもしらずして、一すぢに物思ふことの、くるしく勞《イタ》づかはしければ、死たらば、何の物思(ヒ)もなく、かへりて安からむをとなり、上に、今者吾者指南與我兄戀爲者一夜一日毛安毛無《イマハアハシナムヨワガセコヒスレバヒトヨヒトヒモヤスケクモナシ》、
 
2941 念八流《オモヒヤル》。跡状毛我者《タドキモアレハ》。今者無《イマハナシ》。妹二不相而《イモニアハズテ》。年之經行者《トシノヘヌレバ》。
 
跡状は、タドキ〔三字右○〕とよめる例《アトコトバ》多し、○歌(ノ)意は、上に思遣爲便乃田時毛吾者無不相日數多月之經去者《オモヒヤルスベノタドキモワレハナシアハヌヒマネクトシノヘヌレバ》、とある歌に同じ、又、三空去名之惜毛吾者無不相日數多年之經者《ミソラユクナノヲシケクモアレハナシアハヌヒマネクトシノヘヌレバ》、ともあり、
 
(279)2942 吾兄子爾《ワガセコニ》。戀跡二四有四《コフトニシアラシ》。小兒之《ワカキコノ》。夜哭乎爲乍《ヨナキヲシツヽ》。宿不勝苦者《イネカテナクハ》。
 
二四《ニシ》と連ねたるは、さだかにしかりとする意のときにいふ辭なり、○小兒は、ワカキコ〔四字右○〕と訓べし、齊明天皇(ノ)紀(ノ)大御歌に、于都倶之枳阿餓倭柯枳古弘飫岐底※[舟+可]〓※[舟+可]武《ウツクシキアガワカキコヲオキテカユカム》、○夜哭《ヨナキ》は、枕册子に、くるしげなるもの、夜哭《ヨナキ》といふものするちごのめのと、○宿不勝苦者《イネカテナクハ》は、寐難《イネガテ》にすることは、といはむが如し、○歌(ノ)意は、兒《チゴ》の夜哭をしつゝ、寐がてにすることは、吾のみにあらず、彼さへも、吾(ガ)夫を、さだかに戀しく思ふとてにこそあらめ、さればしか夜哭をするならし、となり、
 
2943 我命乎《ワガイノチヲ》。長欲家口《ナガクホシケク》。僞乎《イツハリヲ》。好爲人乎《ヨクスルヒトヲ》。執許乎《トラフバカリヲ》。
 
我命乎《ワガイノチヲ》、乎(ノ)字、舊本に之と作り、今は古本に從つ、○長欲家口《ナガクホシケク》は、長らへまほしくすることは、といふ意なり、○僞乎好爲人《イツハリヲヨクスルヒト》とは、逢むと度々たのめいひて、まことには逢はぬ人を云、○執許乎《トラフバカリヲ》は、執《トラ》へむため許《バカリ》のことなるものを、といふほどの意ならむ、○歌(ノ)意は、我壽を長らへま欲くすることは、他の義にあらず、僞(リ)言を好(ク)爲《シ》おぼえて、又しても、吾に逢むと、度々たのめいひて、欺きつゝ逢ふこともなき人を捕へて、からき目見せむが爲許(リ)のことなるものを、他に望《ネガ》ふことはさらにあらめや、といふ意を、含め餘したるなるべし、此(ノ)歌、僞をいふ人を、盗人などになぞらへて、吾(カ)命だに全《サキ》く長からば、その盗人の遁(レ)隱るゝを、終には追(ヒ)捕へて、糺明せむと思ひ入たる意のしたてにや、されど尾(ノ)句、今少し平穩ならぬにや、誤字などもあるならむか、(280)略解に、或人云、執は報の誤にて、ムクユバカリヲならむ、といへり、されどいかゞなり、猶よく考(フ)べし、○舊本、此間に、人言繁跡妹不相情裏戀比日《ヒトコトヲシゲミトイモニアハズシテコヽロノウチニコフルコノゴロ》、の歌一首を載たり、これは全(ラ)人麿集の書樣なれば、混亂《マギ》れて此處《コヽ》に入しことしるし、故(レ)此處を除て、上の人麿歌集中に收つ、
 
2945 玉梓之《タマヅサノ》。君之使乎《キミガツカヒヲ》。待之夜乃《マチシヨノ》。名凝其今毛《ナゴリソイマモ》。不宿夜乃大寸《イネヌヨノオホキ》。
 
大(類聚抄には太と作り、)は、借(リ)字にて、多《オホ》なり、○歌(ノ)意は、今は待べきよしなけれど、さきに使を待て、待得し時の心ならひに、今も猶快寐せられぬ夜の數ぞ多き、となり、絶て後猶思ふ女の歌なり、○十一に、夕去者公來座跡待夜之名凝衣今宿不勝爲《ユフサラバキミキマサムトマチシヨノナゴリソイマモイネカテニスル》、
 
2946 玉桙之《タマホコノ》。道爾行相而《ミチニユキアヒテ》。外目耳毛《ヨソメニモ》。見者吉子乎《ミレバヨキコヲ》。何時鹿將待《イツトカマタム》。
 
吉子《ヨキコ》は、可愛女《エキヲミナ》といふに同じ、すべて與吉《ヨキ》と要吉《エキ》とは、もと同言にて、目に見ることの吉《ヨ》きは、可愛《ウツクシキ》なり、その可愛《ウツクシキ》を要吉《エキ》と云は、神代紀に、妍哉可愛少男歟《アナニヤシエヲトコヲ》とある、此(レ)なり、(これを古事記に、阿那邇夜志愛袁登古袁《アナニヤシエヲトコヲ》、とあり、)古事記神武天皇(ノ)大御歌に、加都賀都母伊夜佐岐陀弖流延袁斯麻加牟《カツガツモイヤサキダテルエヲシマカム》、とある、延《エ》も同じ、(最前立《イヤサキダテ》る可愛女《エキヲミナ》を將《ム》v娶《マカ》なり、)天智天皇(ノ)紀童謠に、阿箇悟馬能以喩企波々箇屡麻矩儒播羅奈爾能都底擧騰多※[手偏+施の旁]尼之曳※[奚+隹]武《アカゴマノイユキハヾカルマクズハラナニノツテゴトタダニシエケム》、集中には、十四に、左乎思鹿能布須也久草無良見要受等母兒呂家可奈門欲由可久之要思毛《サヲシカノフスヤクサムラミエズトモコロガカナトヨユカクシエシモ》、とあり、これらみな、要《エ》は欲《ヨ》と同言にして、可愛子《エキコ》といはむは、即(チ)吉子《ヨキヨ》の謂なるを知べし、○歌(ノ)意は、道の行あひに、外目にのみ(281)見るだにも、うつくしき女なるを、何時をばかりに、吾(レ)其(ノ)女を得むことを待むぞ、となり、
 
2947 念西《オモフニシ》。餘西鹿齒《アマリニシカバ》。爲便乎無美《スベヲナミ》。吾者五十日手寸《アレハイヒテキ》。應忌鬼尾《イムベキモノヲ》。
 
歌(ノ)意は、思ひに、さだかにあまれることの、いともせむかたなさに、しのび妻の名を云(ヒ)つるからは、やがてさはりの出來むこと、はかり難し、なほ忌憚りて、ゆめ/\女の名をば、漏すまじきものにてありしを、となり、○舊本此所に、或本歌曰、門出而吾反側乎人見監可毛、一云無乏出行家當見、(一云を、舊本に可云と作るは誤なり、今は官本、古寫本、水戸本、拾穗本、古寫一本等によりつ、家當は、イヘノアタリ〔六字右○〕と訓べし、略解に、イヘアタリ〔五字右○〕とよめるはわろし、)柿本朝臣人麿集云、爾保鳥之奈津柴比來乎人見鴨、と註せり、今は古本に、此或本歌を似て、本文とせるに從て、左に載つ、又一云已下、人見鴨以前、古本にはなしといへり、
 
思爾之《オモフニシ》。餘爾志可婆《アマリニシカバ》。門爾出※[氏/一]《カドニイデテ》。吾反側乎《アガコイフスヲ》。人見監可毛《ヒトミケムカモ》。
 
反側《コイフス》は、ころび伏と云むがごとし、許伊《コイ》は、許夜理《コヤリ》と同言なり、許夜流《コヤル》は、古事記允恭天皇(ノ)條(ノ)歌に、都久由美能許夜流許夜理母《《ツクユミノコヤルコヤリモ》、とある此なり、がの古今集なる、横ほりふせる佐夜の中山を、構ほりくやる、とある本も、くやるは即(チ)こやるにて、同言なり、さて此(ノ)詞を、許夜之《コヤシ》、許夜須《コヤス》と云、其(レ)ももと同言ながら、其はよき人の然爲るを、此方より敬ひて云にかぎれることなり、しかるに、許夜之《コヤシ》、許夜須《コヤス》と云は、單に伏(ス)ことを云古言なりと心得るは、いみじきひがことなり、此(ノ)(282)事委(キ)論あり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、思ひにあまりて、心亂したる形をいへるなり、○此歌、舊本にはなくて、上の歌の左に註せること、前に云るが如し、今は古本に從て本文とせり、さてこの歌、十一人麿歌集の中に、念餘者者丹穗鳥足沾來人見鴨《オモフニシアマリニシカバニホトリノアシヌレコシヲヒトミケムカモ》、とあるは、第三四(ノ)句異れるのみにて、全(ラ)同歌なり、又、念之餘者爲便無三出曾行之其門乎見爾《オモフニシアマリニシカバスベヲナミイデヽソユキシソノカドヲミニ》、とも見えたり、
 
2948 明日者《アスノヒハ》。其門將去《ソノカドユカム》。出而見與《イデテミヨ》。戀有容儀《コヒタルスガタ》。數知兼《アマタシルケム》。
 
明日者は、アスノヒハ〔五字右○〕と訓べし、すべて今日をケフノヒ〔四字右○〕、明日をアスノヒ〔四字右○〕といへること、古言に多し、○數《アマタ》は、殊に甚しく、といはむが如し、此(ノ)下に、草枕客去君乎人目多袖不振爲而安萬田悔毛《クサマクラタビユクキミヲヒトメオホミソテフラズシテアマタクヤシモ》、七(ノ)卷に、鳥自物海二浮居而奥津浪驂乎聞者敷悲哭《トリジモノウミニウキヰテオキツナミサワクヲキカバアマタカナシモ》、○歌(ノ)意は、明日は、そこの門の前を行むを、出て見賜へ、甚しく思に痩衰へたるすがたの、さらにかくれもあらじを、たゞ詞にのみ、 戀しく思ふといはゞ、うはべのことゝ思ひもぞする、容貌を正しく見て、わが僞ならぬを知べし、となり、住吉物語に、君が門今ぞ過ゆく出て見よ戀する人のなれるすがたを、
 
2949 得田價異《ウタテケニ》。心欝悒《コヽロイフセシ》。事計《コトハカリ》。吉爲吾兄子《ヨクセワガセコ》。相有時谷《アヘルトキダニ》。
 
得田價異は、ウタテケニ〔五字右○〕と訓べし、(古來此(ノ)一句を、訓得たる人一人もなし、舊本に、これをウタガヘル〔五字右○〕と訓るによりて、異は、累(ノ)字、或は婁(ノ)字の誤ぞなどいへるは、諺に、角|矯《ナホ》さむとて、牛ころすといへるごとし、此(ノ)歌、ウタガヘル〔五字右○〕といふべき所にあらざるをや、)價をテ〔右○〕の假字に用(フ)こと(283)は、此(ノ)上に、得田直比來《ウタテコノゴロ》、とある處に云り、考(ヘ)合(ス)べし、さてこゝは、廿(ノ)卷に、秋等伊弊婆許巳呂曾伊多伎宇多弖家爾花爾奈蘇倍弖見麻久保里香聞《アキトイヘバココロソイタキウタテケニハナニナソヘテミマクホリカモ》、とあると、全(ラ)同言にて、宇多弖家爾《ウタテケニ》は、うたて殊更にの意なり、なほ宇多弖《ウタテ》といふ言(ノ)義は、既く十(ノ)卷にも、此(ノ)上にもいへり、○事許《コトハカリ》は、此(ノ)上に見えたり、○吉爲《ヨクセ》は、好爲《ヨクセ》よといふに同じ、○歌(ノ)意は、本より、おぼつかなく思ひ居りしに、君がかく相見る時だに、なほ事定めし賜はねば、いよ/\殊におぼつかなし、とにもかくにも、ことのはからひを好(ク)爲て、はや事を定め賜ひてよ、といふなるべし、
 
2950 吾妹子之《ワギモコガ》。夜戸出乃光儀《ヨトデノスガタ》。見而之從《ミテシヨリ》。情空成《コヽロソラナリ》。地者雖踐《ツチハフメドモ》。
 
夜戸出《ヨトデ》は、十一に、朝戸出公足結乎閏露原《アサトデノキミガアユヒヲヌラスツユハラ》、といへるを、併(セ)考(フ)るに、女の許より、朝に出て歸るを朝戸出《アサトデ》といひ、夜ごめに出て去《カヘ》るを、夜戸出《ヨトデ》といふならむ、かげろふ日記に、硯なるふみを見つけて、あはれといひて、夜戸出《ヨトデ》の所に云々、(夫木集に、織女の夜戸出《ヨトデ》のすがた立かへりきりのとばりに秋風ぞ吹、)○而(ノ)字、舊本にはなし、なくてもあるべけれど、なほ今は、官本、拾穗本等に從つ、○末(ノ)句は、十一にも見え、此(ノ)上にも、吾意天津空有土者踐鞆《アガコヽロアマツソラナリツチハフメドモ》、又十四に、志母都家努安素乃河泊良欲伊之布麻受蘇良由登伎奴與奈我己許呂能禮《シモツケヌアソノカハラヨイシフマズソラユトキヌヨナガココロノレ》、ともあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2951 海石榴市之《ツバイチノ》。八十衢爾《ヤソノチマタニ》。立平之《タチナラシ》。結※[糸+刃]乎《ムスビシヒモヲ》。解卷惜毛《トカマクヲシモ》。
 
(284)海石榴市《ツバイチ》は、大和(ノ)國泊瀬の邊にあり、武烈天皇(ノ)紀に、海柘榴市《ツバイチノ》巷、用明天皇(ノ)紀に、海柘榴市《ツバイチノ》宮、敏達天皇(ノ)紀に、海柘榴市《ツバイチノ》亭、蜻蛉日記に、又の日つばいちといふ所にとまる、枕册子に、市は、つば市は、やまとにあまたある中に、長谷寺に、まうづる人の、必そこにとゞまりければ、觀音の御縁あるにやと心ことなり、(枕册子の意は、つば市は、大和にあまたある市の中に、長谷寺にまうづる人の云々、と謂《イフ》なるべし、さればつば市はと云にて、姑(ク)絶《キ》る心持なるべし、つば市と云市の、あまたある意にはあらず、)源氏物語玉鬘にも、(玉鬘君泊瀬にまうで賜ふことをいへる所に、)つば市と云所に、四日といふ巳(ノ)時ばかりに、いける心ちもせで、いきつき賜へり、云々、紀略に、延長四年丙戌七月十九日大風|日《本ノマヽ》大和國長谷寺山崩、至2于椿市(ニ)1、人々|烟《衍》悉流、花鳥餘情に、小右記(ニ)云、正暦元年九月八日、參2長谷寺(ニ)1、午時至2椿市1、令v交2易|御明灯心《ミアカシトウシミ》器等1云々、今城上郡金屋村(ノ)の山に、つば市の地藏と云あり、又同村に、つばいづかと云もあるよし、略解にいへり、○八十衢《ヤソノチマタ》は、數多ある衢の義にて、市は、かた/”\より、人のよりつどふ道の、あまたある處なればいへり、下に、紫者灰指物曾海石榴之八十衢爾相兒哉誰《ムラサキハハヒサスモノソツバイチノヤソノチマタニアヒシコヤタレ》、ともあり、又十一に、事靈八十衢夕占問《コトタマヲヤソノチマタニユフケトフ》、占正謂妹相依《ウラマサニノレイモニアハムヨシ》、○立平之《タチナラシ》は、十七に、芽子花爾保弊流屋戸乎《》、安佐爾波爾伊泥多知奈良之《ハギノハナニホヘルヤドヲアサニハニイデタチナナラシ》、暮庭爾敷美多比良氣受《ユフニハニフミタヒラケズ》云々、○歌(ノ)意は、海石榴市の衢に立て、君と二人して結びし紐を、ふたゝび他し人には解せじと、ちぎりかためてしものを、今は其(ノ)男は心がはりしたれ(285)ど、吾(レ)はこの男の爲に解むことは、心ゆかず、さてもをしきことぞ、となり、さてその衢に立平しゝは、男女あつまりて、歌場《ウタガキ》に立る間をいふなるべし、歌場《ウタガキ》は、古事記下卷清寧天皇(ノ)條に、志毘(ノ)臣立2于歌垣(ニ)1、取2其(ノ)袁祁(ノ)命(ノ)將v婚之|美人手《ヲトメノテヲ》1云々、爾袁祁(ノ)命亦立2歌垣1、於是志毘(ノ)臣歌曰云々、このこと書紀には、武烈天皇(ノ)卷に見えて、歌場此云2宇多我岐《ウタガキト》1、と註《シル》せり、攝津(ノ)國風土記に、雄伴(ノ)郡、波比具利《ハヒグリノ》岡、此(ノ)岡(ノ)西(ニ)有2歌垣山1、昔者《ムカシ》男女集(ヒ)登(リ)此(ノ)山(ニ)1、常|爲《セリ》2歌垣1、因《カレ》以爲v名(ト)、常陸(ノ)國風土記に、香島郡、輕野以南|童子女《ヲトメノ》松原、古(ヘ)有2年少僮子1、男稱2那賀(ノ)寒田之郎子(ト)1、女號2海上(ノ)安是之孃子(ト)1云々、※[女+燿の旁]歌之會(俗云|宇多我岐《ウタガキ》、又云2加我毘《カガヒト》1也、)邂逅相遇、于時郎子歌(ヒケラク)曰云々、などあるを合(セ)考(フ)べし、※[女+燿の旁]歌會《カガヒ》のことは、九(ノ)卷に見えて、既くいへり、さて續紀十一に、天平六年二月癸巳朔、天皇御2朱雀門1覽2歌垣(ヲ)1、男女二百四十餘人、五位以上有2風流1者、皆交2雜其(ノ)中1、云々等爲v頭(ト)、以2本末1唱和、爲2難波曲、倭部曲、淺茅原曲、廣瀬曲、八裳刺曲之音1、令2都中士女縱觀(セ)1、極v歡(ヲ)而罷、賜(コト)d奉2歌垣1男女等禄u有v差、と見え、同三十に、寶龜元年三月庚申、車駕行2幸由義(ノ)宮(ニ)1云々、辛卯、葛井船津文武生藏六氏(ノ)男女二百三十人、供(ヘ)2奉(ル)歌垣(ニ)1、其服(ハ)並着2青※[手偏+皆]細布衣(ヲ)1、垂2紅(ノ)長紐(ヲ)1、男女相並分(テ)v行《ツラネ》徐進、歌(ヒケラク)曰、乎止賣良爾乎止古多智蘇比布美奈良須爾詩乃美夜古波與呂豆與乃美夜《ヲトメラニヲトコタチソヒフミナラスニシノミヤコハヨロヅヨノミヤ》、其(ノ)歌垣(ノ)歌(ヲ)曰云々、毎v歌曲折擧(ルヲ)v袂(ヲ)爲(ス)v節(ト)云々、とあり、これらにて其(ノ)さまをおもふべし、又、乎止賣良爾乎止古多智蘇比布美奈良須《ヲトメラニヲトコタチソヒフミナラス》、といへるにて、今の歌に立平之《タチナラシ》とあるも、歌場《ウタガキ》の擧動《フルマヒ》なることしられたり、かくて古(ヘ)のは、私の心と會(286)集《ツド》ひて、興ぜしことゝ見ゆるを、續紀の頃は、一(ツ)の舞曲の、ごとなりて、御覽《オホミマヘ》にも供(ヘ)奉りしなるべし、さて古(ヘ)は、もはら市街に集ひてせしことゝ思はれて、大和物語に、中頃はよき人々、市にいきてなむ、色好むわざはしける、とあるも、歌場の類なるべし、拾遺集雜戀にも、すぐろくの市場にたてる人妻のあはでやみなむ物にやはあらぬ、
 
2952 吾齡之《ワガヨハヒノ》。衰去者《オトロヘヌレバ》。白細布之《シロタヘノ》。袖乃狎爾思《ソテノナレニシ》。君乎《キミヲ》母〔□で囲む〕准其念《シソモフ》。
 
吾齡之は、ワガヨハヒノ〔六字右○〕と訓べし、(略解に、ワガヨハヒシ〔六字右○〕、とよめるはわろし、)○袖乃狎爾思《ソテノナレニシ》は、軸乃《ソテノ》といへるまでは、たゞ馴にしといはむ料のみなり、十一に、呉藍之八鹽乃衣朝旦穢者雖爲益希將見裳《クレナヰノヤシホノコロモアサナサナナレハマサレドイヤメヅラシモ》、○君乎母准其念は、准は衍文なりと契冲いへれど、猶思ふに、母(ノ)字衍にて、准は進(ノ)字の誤なるべし、さらば君乎進其念にて、舊本の訓の如く、キミヲシソモフ〔七字右○〕なるべし(新古今集にも、きみをしぞと載られたり、岡部氏は、母准は、羅の一字を誤れるなり、キミヲラソモフ〔七字右○〕と訓べし、といへり、)○歌(ノ)意は、吾齡のおとろへぬるにつれて、年ごろなれ親みし君を、殊にふかく、一(ト)すぢに戀しくぞ思ふ、といへるにて、壯《サカリ》なる齡ならば、思ふとも、かくまではあらじを、といふ意を、思はせたるなり、
 
2953 戀君《キミニコヒ》。吾哭涕《アガナクナミダ》。白妙《シロタヘノ》。袖兼所漬《ソテサヘヌレヌ》。爲便母奈之《セムスベモナシ》。
 
袖兼所漬《ソテサヘヌレヌ》は、面顔《カホ》の濕るのみならず、袖《ソテ》副《サヘ》も漬《ヌレ》ぬといふ意なり、○爲便母奈之《セムスベモナシ》は、人目をしの(287)ぶになり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2954 從今者《イマヨリハ》。不相跡爲也《アハジトスレヤ》。白妙之《シロタヘノ》。我衣袖之《ワガコロモテノ》。干時毛奈吉《ヒルトキモナキ》。
 
爲也《スレヤ》は、爲《スレ》ばにやの意なり、○歌(ノ)意、今より後は、君が絶て逢(ハ)じとすればにや、そのしるしに、吾(カ)涙の、かく止時なく落るならむ、と思ふよしなり、
 
2955 夢可登《イメカト》。情班《コヽロマドヒヌ》。月數多《ツキマネク》。干西君之《カレニシキミガ》。事之通者《コトノカヨフハ》。
 
夢可登は、可の下に、毛字脱たるにて、イメカモト〔五字右○〕とありしなるべし、十三に、夢鴨現前鴨跡雲入夜之迷間《イメカモウツヽカモトクモリヨノマドヘルホトニ》云々、とあるを、考(ヘ)合(ス)べし、此(ノ)上にも、寤香妹之來座有夢可毛吾香惑流戀之繁爾《ウツヽニカイモガキマセルイメニカモアレカマドヘルコヒノシゲキニ》、とあり、岡部氏は、イメカト〔四字右○〕にて、四言一句なり、といへり、○情班は、(班は恠(ノ)字の誤にて コヽロアヤシモ〔七字右○〕ならむ、と岡部氏云れど、もしさらば、恠《アヤシ》マレヌ〔三字右○〕とやうにいはずしては、上に夢可登《イメカト》とあるに、應《カナヒ》がたし、もしアヤシモ〔四字右○〕ならば、上を夢可毛《イメカモ》とやうにいはでは、調ひがたからむ、よく詞の首尾を考(ヘ)てしるべし、)されば思ふに、此(ノ)下に、虚蝉之《ウツセミノ》云々心遮焉《コヽロマドヒヌ》、四(ノ)卷に、直一夜《タヾヒトヨ》云々|心遮《コヽロマドヒヌ》などあれれば、こゝも情遮《コヽロマドヒヌ》とありしを、誤れるならむかともおもへど、なほ字形遠ければ、いかゞあらむ、かゝればなほ班は、斑にてもあるべきか、斑は、字彙に、周禮王制(ニ)、雜色(ヲ)曰v斑(ト)、と見えたれば、こゝは斑雜《マギレ》て、夢現とも、わきがたき意をめぐらして、斑(ノ)字にて、マドヒヌ〔四字右○〕と訓せたるにもあらむか、○月數多の下、舊本に二(ノ)字あり、今は官本になきに從つ、ツキマネク〔五字右○〕と訓べ(288)し、こゝは月を累《カサネ》たるよしなり、○事は、借(リ)字にて、言《コト》なり、○歌(ノ)意は、月ごろ絶て後、又君が音信するは、そも夢にてあらむか、現にてあらむか、心にわきがたし、いかさまこれは、夢にてもやあるらむ、となり、
 
2956 未玉之《アラタマノ》。年月兼而《トシツキカネテ》。烏玉乃《ヌバタマノ》。夢爾所見《イメニソミユル》。君之容儀者《キミガスガタハ》。
 
未玉《アラタマ》は、義を以て書るにて、未(ダ)v理(メ)玉の謂なり、和名抄に、野王按、璞(ハ)玉未v理(メ)也、和名|阿良太萬《アラタマ》、とあり、○年月兼而《トシツキカネテ》は、年月累而《トシツキカサネテ》、といはむが如し、○夢爾所見は、イメニソミユル〔七字右○〕とよめるに依ば、爾の下に、曾(ノ)字など脱たる歟、又爾は、西(ノ)字などの誤にて、イメニシミエツ〔七字右○〕か、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2957 從今者《イマヨリハ》。雖戀妹爾《コフトモイモニ》。將相哉母《アハメヤモ》。床邊不離《トコノベサラス》。夢所見乞《イメニミエコソ》。
 
夢所見乞《イメニミエコソ》は、いかで夢に見えよかし、と希ふ意なり、○歌(ノ)意は、故ありて、女に長く別るゝ事ありし時よめるにて、いかに戀しく思ふとも、あふべきよしなければ、あはれ今よりは、女の形の、床(ノ)邊さらずして、いかで毎夜の夢に見えよかし、となり、
 
2958 人見而《ヒトノミテ》。言害目不爲《コトトガメセヌ》。夢谷《イメニダニ》。不止見與《ヤマズミエコソ》。我戀將息《ワガコヒヤマム》。
 
不止見與(與(ノ)字、古本には乞と作り、)は、ヤマズミエコソ〔七字右○〕と訓て、いかで絶ず夢に見えよかし、と希ふ意なり、(略解に、不止を、ツネニ〔三字右○〕とよめるは非なり、)十(ノ)卷に、山振乃止時喪哭《ヤマブキノヤムトキモナク》、十二に、山菅之(289)不止而公乎《ヤマスゲノヤマズテキミヲ》、又、山菅之不止八將戀《ヤマスゲノヤマズヤコヒム》、などあり、○歌(ノ)意かくれなし、此(ノ)上に、此(ノ)初(ノ)二句、全(ラ)同(ジ)歌あり、○舊本に、或本歌頭云、人目多直者不相、と註せり、
 
2959 現者《ウツヽニハ》。言絶有《コトタエニケリ》。夢谷《イメニダニ》。嗣而所見與《ツギテミエコソ》。直相左右二《タヾニアフマデニ》。
 
言絶有は、コトタエニケリ〔七字右○〕と訓べし、(路解に、コトタエニタリ〔七字右○〕とよめるは、いさゝかわろし、)現前《ウツツ》には、相通ふ言語《コトヾヒ》の道の斷絶《タエ》たるよしなり、四(ノ)卷に、事絶而如是※[立心偏+可]怜縫流嚢者《コトタエテカクオモシロクヌヘルフクロハ》、とある事絶而《コトタエテ》は、述《ノベ》む言の絶たるよしにて、詞にものべていひがたきばかり、奇妙不測《クシビ》なる由にいへれば、言は同じけれど、用(ヒ)ひたるさま異れり、○嗣而所見與、(與(ノ)字、舊本に而と作るは誤なり、今は古本、水戸本、異本拾穗本等に從つ、)ツギテミエコソ〔七字右○〕とよむべし、いかで續きて見えよかし、と希ふ意なり、○歌(ノ)意、現前《ウツヽ》に正眞《マサ》しくは、相通ふことゞひの道絶はてたるなれば、いかで今よりは、夢になりとも續きて見えよかし、さらば月日めぐり來て、又相見むまでの、心なぐさめにせむぞ、となり、
 
2960 虚蝉之《ウツセミノ》。宇都思情毛《ウツシコヽロモ》。吾者無《アレハナシ》。妹乎不相見而《イモヲアヒミズテ》。年之經去者《トシノヘヌレバ》。
 
虚蝉之《ウツセミノ》は、現身之《ウツシキミノ》といはむが如し、○宇都思情《ウツシコヽロ》は、現心《ウツシコヽロ》にて、生て在(ル)心のなきよしなり、十一に、健男現心吾無夜晝不云戀度《マスラヲノウツシコヽロモアレハナシヨルヒルトイハズコヒシワタレバ》、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2961 虚蝉之《ウツセミノ》。常辭登《ツネノコトバト》。雖念《オモヘドモ》。繼而之聞者《ツギテシキケバ》。心遮焉《コヽロマドヒヌ》。
 
(290)虚蝉之《ウツセミノ》、これも上の如し、(但し契冲が、此(ノ)ウツセミ〔四字右○〕は、世《ヨ》といふまくら詞なるを、玉桙《タマホコ》、足引《アシヒキ》などの例に、空蝉《ウツセミ》を、やがて世のことにいへり、といへるは、言の本末をたがへたる説なり、さるは玉桙《タマホコ》、足引《アシヒキ》などは、生れつき枕詞に用ふ言なり、空蝉《ウツセミ》は、もと現しくてある人(ノ)身を、なべていふ言にて、枕詞(ノ)料に設出たる言ならねど、自(ラ)いひなれては、他のまくら詞の如くにも、なれるものなるをや、)○常辭《ツネノコトバ》は、俗に、口(チ)くせといふと同(シ)意なり、○心遮焉、(遮焉、官本には遲烏と作り、いづれもいかゞなり、岡部氏は、慰焉《ナギヌ》の誤なるべし、といへり、)荒木田久老、遮は迷に同じ、マヨヒ
ヌ〔四字右○〕と訓べし、他(ノ)卷にも見えたり、と云り、但(シ)マドヒヌ〔四字右○〕と訓べし、(マヨヒヌ〔四字右○〕とよまむは、いさゝかわろし、字彙に、迷(ハ)遮《サヘキル》也、とあれば、同義の字とせるならむ、他(ノ)卷とは、四(ノ)卷に、直一夜隔之可良爾荒玉乃月歟經去跡心遮《タヾヒトヨヘナリシカラニアラタマノツキカヘヌルトコヽロマドヒヌ》、これをいふにや、この心遮も、コヽロマドヒヌ〔七字右○〕と訓て、きこえたり、)○歌(ノ)意は、君が言清くの賜ふは、常の口くせとは思ふものから、たゞ一二度こそあれ、續きていくたびも聞ば、もしやまことの心にてもあらむ歟、と一(ト)すぢに心の迷ひ入ぬる、となり、
 
2962 白細之《シロタヘノ》。袖不數而宿《ソテカレテヌル》。烏玉之《ヌバタマノ》。今夜者早毛《コヨヒハハヤモ》。明者將開《アケバアケナム》。
 
白細《シロタヘ》、拾穗本には白妙、古寫一本には白細布と作り、○袖不數而宿は、(岡部氏が、數は卷(ノ)字ならむ、といへれど、おぼつかなし、略解に、而(ノ)字、官本になきをよしとす、といへれど、ある方まされり、)契冲もいひしごとく、數は、一(ノ)卷にも馬數而とかきて、ウマナメテ〔五字右○〕と訓るごとく、此《コヽ》は男女、(291)袖を相ならべずして、宿る義を以て、書りとおぼしければ、意を得てソテカレテヌル〔七字右○〕と訓べし、(味澤相妹目不敷見而、とあるをも、本居氏は、イモガメカレテ〔七字右○〕とよまむ、といへり、但し數見は、しば/\見る義にて、數(ノ)字、今の歌なるとは、理かはりたれど、カレテ〔三字右○〕と訓は、ひとつなり、)袖を觸ずに遠離《トホザカ》りて宿る謂なり、○明者將開《アケバアケナム》は、明ば明よかしの意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2963 白細之《シロタヘノ》。手本寛久《タモトユタケク》。人之宿《ヒトノヌル》。味宿者不寢哉《ウマイハネズヤ》。戀將渡《コヒワタリナム》。
 
手本寛久《タモトユタケク》は、快寢《コヽロヨクヌ》る形容なり、由多《ユタ》は、此(ノ)上に、其夜者由多爾有益物乎《ヨハユタニアラマシモノヲ》、とある、その由多《ユタ》を活《ハタラ》かしたる詞なり、氣久《ケク》は、善《ヨ》を善氣久《ヨケク》、惡《アシ》を惡氣久《アシケク》など活《ハタラ》かしいふと、同格なり、〇人之宿《ヒトノヌル》は、すべての他の人の宿るなり、○味宿《ウマイ》は、快寢《コヽロヨクイヌ》るをいへり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
寄《ヨセテ》v物《モノニ》陳《ノブ》v思《オモヒヲ》。百五十首。【十三首。人麿集。百三十七首。人麿集。人麿集外。】〔百五十〜□で囲む〕
 
2851 人所見《ヒトミレバ》。表結《ウヘヲムスビテ》。人不見《ヒトミネバ》。裏紐開《シタヒモアケテ》。戀日太《コフルヒゾオホキ》。〔頭註、【四首寄2衣紐1、】〕
 
歌(ノ)意は、人の見ぬ時には、浦紐開解《シタヒモトキアケ》、人が見れば、やがて表衣《ウハキ》の紐を結びつゝ、つくろひかくして、思ふ日ぞ多き、となり、かくする所以《ユエ》は、裏紐のおのづから解るは、思ふ人にあはむと云前相なれば、おのづから解ることはなくとも、おのづから解るになぞらへて、設けても、ときあけたらば、もしあふこともあらむかと、せめてのわざに、ひとへにあはむことを希ひて、する(292)よしなり、
 
2852 人言《ヒトコトノ》。繁時《シゲケキトキニ》。吾妹《ワギモコシ》。衣有《キヌニアリセバ》。裏服矣《シタニキマシヲ》。
 
吾妹は、ワギモコシ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、女(ノ)身が、やがて衣にてあらましかば、かく人の物いひのしげきときに、そと裏に着こめて、人にしらせずして、あるべきものを、衣ならねば、いかにしてか、人目をしのびてまし、となり、下に、如是耳在家流君乎衣爾有者下毛將著跡吾念有家留《カクノミニアリケルキミヲキヌナラバシタニモキムトアガオモヘリケル》、
 
2853 眞珠服《マタマツク》。遠|近〔○で囲む〕兼《ヲチコチカネテ》。念《オモヘレバ》。一重衣《ヒトヘコロモヲ》。一人服寢《ヒトリキテネヌ》。
 
眞珠服《マタマツク》(服(ノ)字、舊本に眼と作るは誤なり、今は類聚抄に從つ、略解に、眼は附の誤なり、といへれど、字形遠ければ非なり、)は、眞珠を服緒《ツケヲ》とかゝれる枕詞なり、服は貫《ヌ》き服《ツク》るよしなり、○遠近兼《チチコチカネテ》(近(ノ)字、舊本になきは脱たるなり、本居氏(ノ)説に從て補つ、四(ノ)卷に、眞玉付彼此兼手言齒五十戸常《マタマツクヲチコチカネテイヒハイヘド》云々、此(ノ)下に、眞玉就越乞兼而結鶴言下紐之所解日有米也《マタマツクヲチコチカネテムスビツルアガシタヒモノトクルヒアラメヤ》、)は、こなたかなたをかけて、と云むがごとし、○念《オモヘレバ》、類聚抄に、人云と作るに從ば、ヒトノイヘバ〔六字右○〕なり、されどなほ舊本のまゝなるべし、○寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、○歌(ノ)意は、あながちなるわざせば、末あしかりなむこともやと、こなたかなたを兼て、とりつおきつして思ふが故に、逢こともなくして、只一重の衣を打着て、獨宿をしつるよ、となり、
 
2854 白細布《シロタヘノ》。我※[糸+刃]緒《ワガヒモノヲノ》。不絶間《タエヌマニ》。戀結爲《コヒムスビセム》。及相日《アハムヒマデニ》。
(293)※[糸+刃]緒不絶間《ガモノヲノタエヌマ》とは、下※[糸+刃]の斷《タユ》るは、思ふ人と、中の絶むとする前兆《シルシ》なれば、絶はてぬ前に、戀結せむ、といへるなるべし、○戀結《コヒムスビ》とは、末遂に中絶しめたまふ勿《ナ》、と神かけて、誓願《チカゴト》するとき、衣(ノ)※[糸+刃]、あるひは草木の枝などを、結び合(ハ)することある、其を云て、古(ヘ)の一(ツ)のならはしにてぞありけむ、こゝはやがて、己が※[糸+刃]を戀結にするよしなり、○歌(ノ)意は、中の絶はてぬ間に、戀結をして、後相見む日まで、かたみに心がはりせざらむことを、神かけて、ちかごとせばや、となり、○以上四首は、衣紐に寄てよめるなり、
 
2855 新治《ニヒバリノ》。今作路《イマツクルミチ》。清《サヤカニモ》。聞鴨《キヽニケルカモ》。妹於事矣《イモガウヘノコトヲ》。
〔頭註、【一首寄v路、】〕
 
新治《ニヒバリ》とは、新《アラタ》に造《ツク》り墾《ヒラ》きたるを云、治《ハリ》は、墾をアラキバリ〔五字右○〕とよむ、そのハリ〔二字右○〕なり、(アラキ〔三字右○〕は、即(チ)新掻《アラカキ》なるべし、)十四に、信濃道者伊麻能波里美知《シナヌチハイマノハリミチ》、とよめるが如し、○今作路《イマツクルミチ》は、今《イマ》は、新參《イママヰリ》、新來《イマキ》、また新熊野《イマクマノ》、新日吉《イマヒエ》などいふごとく、即(チ)新の意にて、今|新《アラ》たに造れる新墾道《ニヒバリミチ》といふなり、さてこれまでは、清《サヤカ》といはむ料の序なり、古き道は、人馬のかよひしげくて、塵芥に穢れたるを、新に墾りて、眞砂など布《シキ》はへたる路は、實に淨清なるものなれば、つゞけたり、サヤカ〔三字右○〕は、即(チ)キヨキ〔三字右○〕と云に同じきを思(フ)べし、天武天皇(ノ)紀に、潔《サヤム》v身(ヲ)とある、これきよむるにて、同じ事なり、○清は、サヤカニモ〔五字右○〕と訓べし、こゝは明《アキラカ》にも、あるひは慥《タシカ》にもなどいはむが如し、抑々サヤカ〔三字右○〕と云は、濁り穢などして、物の障《サヽ》へまぎるゝことなく、ありのまゝに、明《アキラカ》に慥《タシカ》なる意なればなり、(東齋隨筆(294)に、修理のかみ俊綱と聞えしは、宇治關白殿の御子と申し侍れども、さやかならぬことなれば、讃岐(ノ)守橘の俊遠が子に定りて、橘の姓を名乘りしが云々、とあるも、さやかならぬはたしかならぬ、と云意なり、○妹於事《イモガウヘノコト》とは、妹が身(ノ)上のありさまを云、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、女の身(ノ)上の平安《サキ》かるありさまを、たしかにきゝて歡べるにや、廿(ノ)卷に、武良等里乃安佐太知伊爾之伎美我宇倍波左夜加爾伎吉都於毛比之其等久《ムラトリノアサタチイニシキミガウヘハサヤカニキキツオモヒシゴトク》、○此一首は、路に寄てよめるなり、
 
2856 山代《ヤマシロノ》。石田杜《イハタノモリニ》。心鈍《コヽロオソク》。手向爲在《タムケシタレヤ》。妹相難《イモニアヒガタキ》。〔頭注、【一首寄2神社1、】〕
 
石田杜《イハタノモリ》は、神名式に、山城(ノ)國久世(ノ)郡石田(ノ)神社、とあり、九(ノ)卷、十三(ノ)卷にも見えたり、(枕册子にも、山は云々|石田《イハタ》山、とあり、)契冲云、石田は、延喜式にも、和名抄にも、宇治(ノ)郡山科とあるを、石田(ノ)神社は、式に久世(ノ)郡に載らる、もしは神社ある處は、山科も久世(ノ)郡にわたれる歟、もしは昔は宇治(ノ)郡に屬《ツキ》けるが、延喜の比は、久世(ノ)郡に屬るにや、○心鈍《コヽロオソク》、鈍《オソク》は、九(ノ)卷に、於曾也是君《オソヤコノキミ》、とよめる於曾《オソ》を、はたらかしいへるにて、心の利《ト》からぬを云、○歌(ノ)意は、石田(ノ)神社に、心|利《ト》く奉幣《タムケ》したらましかば、神もあはれとうけひきましまして、やがて事依しつゝ、妹に逢べきに、心おぞくたむけしたれば、神慮に叶はずして、納受爲賜はざりし故にや、殊にあひがたかるらむ、と云るにて、奉幣せしことの、心鈍かりしを悔るなり、さて石田(ノ)杜をよめるは、作者《ウタヌシ》の生土《ウブスナノ》神にて座ましけむ歟、又は何ぞゆゑありてよめるにもあるべし、○此(ノ)一首は、神社に寄てよめるなり、
 
(295)2857 菅根之《スガノネノ》。惻隱惻隱《ネモコロゴロニ》。照日《テルヒニモ》。乾哉吾袖《ヒメヤワガソテ》。於妹不相爲《イモニアハズシテ》。〔頭註、【一首寄v日、】〕
 
菅根之《スガノネノ》は、まくら詞なり、○歌(ノ)意は、妹に逢たらばこそ、涙にぬれ通りし、吾(カ)袖の乾《カワキ》もすべきを、妹に逢ずしては、夏のつよく照日に乾《ホ》すとも、ねごころには、いかで乾《ヒ》めやは、乾《ヒ》べきに非ず、となり、五三一二四と句を次第て心得べし、○此(ノ)一首は、日に寄てよめるなり、
 
2858 妹戀《イモニコヒ》。不寐朝《イネヌアサケニ》。吹風《フクカゼシ》。妹經者《イモニシフラバ》。吾與經《アガムタニフレ》。〔頭註、【一首寄v風、】〕
 
不寢朝(寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、)は、イネヌアサケニ〔七字右○〕と訓べし、○妹經者吾共經(共(ノ)字、官本、古寫本、拾穗本等には與と作り、)は、イモニシフラバアガムタニフレ〔イモ〜右○〕と訓べし、經は、觸の借(リ)字なり、十一にもあり、さてフレ〔二字右○〕とのみいひて、フレヨ〔三字右○〕といふ意になるは、古言なり、○歌(ノ)意は、妹を思ひ、寐ずあかせし朝開の、そゞろ寒くおぼゆることなるに、妹も吾と同じさまに、獨宿しつらむとおもへば、いかにわびしかるらむと思ふに、もし吹風の、妹が身に行て觸るならば、妹のみわづらはすべきにあらねば、我(カ)身にも共々に、同じさまに觸よと、一(ト)すぢに希へるさまなり、十(ノ)卷に、吾袖爾零鶴雪毛流去而妹之手本伊行觸糠《アガソテニフリツルユキモナガレユキテイモガタモトニイユキフレヌカ》、とあるは、此を見て彼をいひ、今は彼を思ひて、此をいへるにて、いさゝか異りたれど意又相似たり、○この一首は、風に寄てよめるなり、
 
2859 飛鳥河《アスカガハ》。高河避紫《タカカハヨカシ》。越來《コエコシヲ》。信今夜《マコトコヨヒヲ》。不明行哉《アケズヤラメヤ》。〔頭註、【一首寄v河、】〕
 
(296)高河避紫《タカカハヨカシ》、(紫、異本、活字本等には柴と作り、高河《タカカハ》は、(河(ノ)名に非ず、)雨ふりて、水の高く出たるを云、避紫《ヨカシ》は、避《ヨキ》の伸りたる言にて、(カシ〔二字右○〕の切キ〔右○〕となれり、)避《ヨキ》賜ひて、と云むが如し、すべて言を伸るは、長《ノド》けく媛《ユルヤ》かにいふ時に用る事にて、その長緩なるは即(チ)尊みて云言なる事、一(ノ)卷に委しく云るが如し、採《ツミ》を都麻之《ツマシ》、行《ユキ》を由可之《ユカシ》などいふ、みな同格なり、○越來は、コエコシヲ〔五字右○〕と訓べし、河水の高きを避賜ひて、丘山などを越て、來坐しと云か、又同じ河ながら、さのみ水の高からぬ方へ廻りて、越來しよしか、但(シ)山には越《コエ》といひ、河には渡《ワタ》るといふこと、多くは常のことなれど、又面河に越《コエ》るといへることも、むげに例なきにはあらず、さるは此(ノ)下に、雲居有海山越而伊社名者《クモヰナルウミヤマコエテイマシナバ》云々、これは海と山とを兼て越ると云り、又十一に、淡海海奥白波雖不知妹所云七日越來《アフミノミオキツシラナミシラネドモイモガリトイヘバタヾニコエキツ》、又廿(ノ)卷に、保里延故要等保伎佐刀麻弖於久利家流伎美我許々呂波和須良由麻之目《ホリエコエトホキサトマテオクリケルキミガコヽロハワスラユマジモ》、これらは海江に越、と云るなり、(赤染衛門(ノ)集に、雪のいたくふりたるに、ほうりんにまうでて、つとめてかへるに、雪に大井川の水まさりにけるとて、をのこども衣ぬぎてこ|し《え歟》しに、こしにこそたちけれときゝて云々、これも川に越といへるなり、)○歌(ノ)意は、彼(ノ)飛鳥川の高河を避て、廻り道を爲賜ひつゝ、辛うして越來座つるからは、まことに夜を明さずしては、その危き道を、夜ごめにはかへし申さじ、今夜は寛に相語て行賜へ、といへる女の歌なり、(これを第三(ノ)句をコエテキツ〔五字右○〕、尾句をアケズユカメヤ〔七字右○〕と訓て、女をふかく思へるにより、高河を避き、廻(297)り道をして、辛くして越來つるからは、今夜を明さずしては、その危き道を、夜ごめにひとりはかへらじ、といへる、男の歌とするは、宜しからず、自《ミラ》避ることを、伸て避之《ヨカシ》といはむは、古格に非ず」
 
2860 八釣河《ヤツリガハ》、水底不絶《ミナソコタエズ》。行水《ユクミヅノ》。續戀《ツギテソコフル》。是比歳《コノトシゴロヲ》。
 
八釣河《ヤツリガハ》(釣(ノ)字、舊本に鉤に誤、古本、拾穗本等に從(ツ)、)は、大和(ノ)國高市(ノ)郡にあり、三(ノ)卷に、矢釣《ヤツリ》山とある處に云り、○歌(ノ)意は、本(ノ)句序にて、かくれたるすぢなし、○舊本に、或本歌曰水尾母不絶、と註せり、○以上二首は、河に寄てよめるなり、
 
2861 礒上《イソノヘニ》。生小松《オフルコマツノ》。名惜《ナヲヲシミ》。人不知《ヒトニシラエズ》。戀渡鴨《コヒワタルカモ》。〔頭註、【一首寄v松、】〕
 
本(ノ)二句の意、まづ礒《イソ》は石《イソ》にて、巖石《イハホ》の上に生(ヒ)立たる松は、類少き物なれば、顯に目立ものなる故、名に顯るゝにたとへたる歟といへり、今按(フ)に此(ノ)説おぼつかなし、中山(ノ)嚴水、石《イソ》の上に生たる松は、根の多くからみてあれば、小松の根《ネ》といふべきを、禰《ネ》と奈《ナ》と音通へば、名《ナ》と云へり、と説り、此によるべき歟、○歌(ノ)意は、立む名の惜さに、人の知(ラ)ぬやうに、しのび/\に戀しく思ひつゝ、年月をわたること、さても心ぐるしき事哉、となり、○此(ノ)一首は、松に寄てよめるなり、
〔或本歌曰。巖上爾《イハノヘニ》。立小松《タテルコマツノ》。名惜《ナヲヲシミ》。人爾者不云《ヒトニハイハズ》。戀渡鴨《コヒワタルカモ》。〕
 
2862 山河《ヤマガハノ》。水隱生《ミコモリニオフル》。山草《ヤマスゲノ》。不止妹《ヤマズモイモガ》。所念鴨《オモホユルカモ》。〔頭註、【二首寄v菅、】〕
 
(298)河(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、川と作り、○水隱生(隱(ノ)字、舊本に陰と作るはわろし、今は一本によりつ、)は、ミコモリニオフル〔八字右○〕と訓べし、十(ノ)卷に、天漢水隱草《アマノガハミコモリクサ》、ともよめり、十一には三吉野之水具麻我菅乎不編爾《ミヨシヌノミグマガスゲヲアマナクニ》、とあり、○山草は、草は菅の誤なり、草菅、草書似て混(レ)やすし、十一に、烏玉黒髪山山草《ヌバタマノクロカミヤマノヤマスゲノ》云々、この草も、菅を誤れるよし、既く云るが如し、さてヤマスゲノ〔五字右○〕は不止《ヤマズ》をいはむ料の序なり、下にも、山菅之不止而公乎念可母《ヤマスゲノヤマズテキミヲオモヘカモ》云々、とあり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2863 淺葉野《アサハヌニ》。立神古《タチカムサブル》。菅根《スガノネノ》。惻隱誰故《ネモコロタレユヱ》。吾不戀《アガコヒナクニ》。
 
淺葉野は、和名抄に、武藏(ノ)國入間(ノ)郡|麻羽《アサハ》、安佐波《アサハ》、とあり、十一に、紅之淺葉乃野良《クレナヰノアサハノヌラ》、とよめるも、同處なるべし、○立神古は、岡部氏、或本(ノ)歌をむかへ見るに、神は紳の誤にて、シナヒ〔三字右○〕に當り、古(ノ)字は、有を草書より誤りけむ、故(レ)タチシナヒタル〔七字右○〕と訓べし、又立は、生の誤にもあらむ歟、といへり、今按(フ)に、紳(ノ)字を、シナヒ〔三字右○〕と訓こと紳は帶にて、帶はタラシ〔三字右○〕ともよみて、タラス〔三字右○〕は垂(ノ)字の意なるに、垂をばシダル〔三字右○〕とよみて、シダル、シナフ〔六字右○〕、意近ければ、げにも其(ノ)理ありといへども、集中他に例なければ、おぼつかなし、されば思ふに、神の下に左(ノ)字脱たるにて、立神左古《タチカムサブル》か、菅の生て、神々《カウ/\》しく古めきたるを云べし、下に、神左備而巖爾生松根之《カムサビテイハホニオフルマツガネノ》云々、とあるを合(セ)考(フ)べし、○菅根《スガノネ》は、惻隱《ネモコロ》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、誰故にかくねもころに、わが戀しく思ふにてなし、思ふ其(ノ)人故に、かく心を盡して、戀しく思ふことなるものを、かばかりに思ふといふことをい(299)はねば、女はさとも知ずや、となり、古今集に、誰故に亂れむとおもふわれならなくに、とあるに似たり、○舊本に、或本歌曰誰葉野爾立志奈比垂、と註せり、誰葉野《タカハヌ》は、契冲、いづくともしらず、誰の字なれども、かもじ清べし、竹葉野《タカハヌ》といふなるべし、といへり、按(フ)に、誰葉野は、和名抄に、豐前(ノ)國田河(ノ)郡延喜式に、同國田河(ノ)驛とある、この田河《タガハ》の野をいへるにや、(又抄に、壹岐(ノ)島壹岐(ノ)郡にも、田河(ノ)鄭あり、)もしさらば、この田河《タガハ》を、誰葉《タガハ》と書るにて、カ〔右○〕の言は、もとより濁れるにもあらむか、猶考(フ)べし、○以上二首は、菅に寄てよめるなり、
〔右十三首。柿本朝臣人麻呂之歌集出〕
 
萬葉集古義十二卷之上 終
 
(300)萬葉集古義十二卷之中
 
2964 如是耳《カクノミニ》。在家流君乎《アリケルキミヲ》。衣爾有者《キヌナラバ》。下毛將著跡《シタニモキムト》。吾念有家留《アガモヘリケル》。〔頭註、【九首寄v衣、】〕
 
如是耳は、カクノミニ〔五字右○〕と訓べし、(カクシノミ〔五字右○〕と訓はわろし、)十六に如是耳有家流物乎猪名川之奧乎深目而吾念有來《カクノミニアリケルモノヲヰナガハノオキヲフカメテアガモヘリケル》、○歌(ノ)意は、かくばかりの、淺き心にてありける君なるものを、然《サ》ともしらずして、もし君が衣にてあるならば、人に知(ラ)さず、つねによるひる下に着て、身をはなたずあらむとさへ、おもひしことの悔しき、となり、上に人言繁時吾妹衣有裏服矣《ヒトゴトノシゲケキトキニワギモコシキヌニアリセバシタニキマシヲ》、
 
2965 橡之《ツルハミノ》。袷衣《アハセノキヌノ》。裏爾爲者《ウラシアラバ》。吾將強八方《アレシヒメヤモ》。君之不來座《キミガキマサヌ》。
 
橡之衣《ツルハミノキヌ》は、七(ノ)卷に、註り、○袷衣《アハセノキヌ》は、字鏡に、※[衣+夾](ハ)合乃己呂毛《アハセノコロモ》、和名抄に、文選秋興(ノ)賦(ニ)云、御(ス)2袷衣(ヲ)1、李善(カ)曰、袷衣(ハ)無v絮也、和名|阿波世乃岐沼《アハセノキヌ》、落窪物語に、あさゞゆふざのかうし、にび色のあはせのきぬども、かづけ給ふ云々、などあり、さてこれまで二句は、裏《ウラ》をいはむとての序なり、○裏爾爲者、(ウラニセバ〔五字右○〕にては、平穩ならず、)爲は、本居氏の説の如く有の誤なるべし、(但し其(ノ)説に、ウラニアラバ〔六字右○〕はウラ〔二字右○〕は、疑ひあやぶむことなり、といへるは、猶いかゞ、)また爾は、志(ノ)字などの誤なる(301)べし、さらばウラシアラバ〔六字右○〕と訓べし、裏は、此下に、橡之一重衣裏毛無將有兒故戀渡可聞《ツルハミノヒトヘコロモノウラモナクアルラムコユヱコヒワタルカモ》、又、浦毛無去之君故朝旦本名烏戀相跡者無杼《ウラモナクイニシキミユヱアサナアサナモトナソコフルアフトハナシニ》、十三に、浦裳無所宿人者《ウラモナクイネタルヒトハ》云々、十四に、宇良毛奈久和我由久美知爾安乎夜宜乃波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆物能毛比弖都母《ウラモナクワガユクミチニアヲヤギノハリテタテレバモノモヒデツモ》、伊勢物語に、初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな、かげろふの日記に、夜もうらもなう打臥て寢たり、源氏物語帚木に、思ひ出しまゝにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いと物思ひがほにて云々、枕册子に、あしと人にいはるゝ人、さるはよしとしられたるよりは、うらなくぞ見ゆる、などある、裏《ウラ》と同じく、裏《ウラ》戀し、裏《ウラ》悲しなどいふ裏《ウラ》にて、心(ノ)裏をいふより、出たる言にて、裏無《ウラナク》は、心の表裏《ウラウヘ》なく、打(チ)解たるをいへり、さればこゝは、心に表裏をおきて打解ざらば、吾(ガ)強て申さむやはの意なり、○吾將強八方《アレシヒメヤモ》は、あはれ強て來座(セ)と申さむやはの意なり、(強《シヒ》は、俗に何分に、といふ意なり、)八《ヤ》は反る詞にて、後(ノ)世の也波《ヤハ》の意なり、方《モ》は、歎息を含めたる辭なり、四(ノ)卷に、不欲常云者將強哉吾背菅根之念亂而戀管母將有《イナトイハバシヒメヤワガセスガノネノオモヒミダレテコヒツヽモアラム》、○歌(ノ)意は、吾(カ)心に表裏《ウラウヘ》をおきて打(チ)解がたきところあらば、君を一(ト)すぢに強て來ませと、嗚呼《アハレ》すゝめ申さむやは、心に表裏なければこそ、強て來座(セ)とは申なれ、さるを何しに、君が來座ぬことなるぞと、難《トガ》めいふなるべし、
 
2966 紅《クレナヰノ》。薄染衣《アラソメコロモ》。淺爾《アサラカニ》。相見之人爾《アヒミシヒトニ》。戀比日可聞《コフルコロカモ》。
 
(302)薄染衣《アラソメコロモ》は、縫殿寮式に、退紅《アラソメ》帛一疋(ニ)、紅花小八兩、酢一合、稾半圍、薪三十斤、彈正臺式に、紵《テツクリノ》布衣(ハ)者、雖2深退紅《コキアラソメト》1、自(ハ)v非2輕細(ニ)1、不v在2制限(ニ)1、江次第二(ノ)卷、大臣家大饗(ノ)次第に、仕丁二人、着2荒染《アラソメヲ》1持v之、とあり、さて阿良《アラ》とは、こゝに薄(ノ)字をかける意に、麁々《アラ/\》と一(ト)度染て、薄紅ならしむるを云へば、麁《アラ》は精《クハシ》の反にて、幾入《イクシホ》も染ずして、濃《コ》からぬよしなるべし、(伊勢氏(ノ)四季草に、洗革鎧のことをいひて、洗革とは、洗ひはがしたるよしにて、うす紅の革を云、退紅をアラソメ〔四字右○〕と訓、これアラヒソメ〔五字右○〕の略言なり、西宮記に、相撲御覽日、相撲の長《ヲサ》并(ニ)立合等、著2洗染布袍1云々、此文を江次第に、相撲左右二人、退紅の袍を著るよし、しるされたり、これにて、アラソメ〔四字右○〕と云は、アラヒソメ〔五字右○〕の意なるを知べし、といへり、しかれども、このアラ〔二字右○〕をアラヒ〔三字右○〕の意とせむこと、おぼつかなし、もし西宮記の洗染布袍、やがて、退紅《アラソメ》ならむには、なほ洗は、麁の意の借(リ)字にこそあらめ、)今のもゝ色の類をいふなるべし、(古き書に、桃花布、桃花※[衣+珍の旁]、桃花布※[衣+珍の旁]、桃花褐、などある類をアラソメ〔四字右○〕と訓たるによらば、アラソメ〔四字右○〕即(チ)もゝ色なるか、但し桃花布等は、なほモヽソメ〔四字右○〕にて、アラソメ〔四字右○〕とは、いさゝか異なるか、モヽソメ〔四字右○〕はやがて、此(ノ)下に見ゆ、なほそこにもいふべし、)さて、これまでは、淺爾《アサラカニ》といはむ料の序なり、○淺爾《フサラカニ》は、あさはかにといはむが如し、○歌(ノ)意は、はじめの間は、ただ假初に、淺はかにおもひて、相見初し人なるに、今は心に思ひ染て、深く戀しく思はるゝ哉、となり、
 
(303)2967 年之經者《トシノヘバ》。見管偲登《ミツヽシヌヘト》。妹之言思《イモガイヒシ》。衣乃縫目《コロモノヌヒメ》。見者哀裳《ミレバカナシモ》。
 
歌(ノ)意、逢(ハ)ずして年を經たらば、形見に見つゝ、思ひ出草にせよとて、妹が縫(ヒ)ておこせし衣の縫目の、このごろまよひたるを見れば、妹が形見と見つゝ、憂思をなぐさめはせずして、中々いよ/\戀しく思はれてさても哀しや、となり、旅に年經て、女の形見の衣を見て、よめるなるべし、十五に、中臣(ノ)朝臣宅守が、越前へながさるゝ時に、茅上(ノ)娘子がおくれる歌に、安波牟日能可多美爾世與等多和也女能於毛比美多禮弖奴敝流許呂母曾《アハムヒノカタミニセヨトタワヤメノオモヒミダレテヌヘルコロモソ》、
 
2968 橡之《ツルハミノ》。一重衣《ヒトヘコロモノ》。裏毛無《ウラモナク》。將有兒故《アルラムコユヱ》。戀渡可聞《コヒワタルカモ》。
 
一重衣《ヒトヘコロモ》は、和名抄に、釋名(ニ)云、衣(ヲ)無v裏曰v單(ト)、比止閇岐沼《ヒトヘキヌ》、とあり、さてこれまでは、裏毛無《ウラモナク》をいはむ料における序なり、○裏毛無《ウラモナク》は、心に表裏無《ウラウヘナク》、といはむが如し、此(ノ)上に云り、○將有兒故《アルラムコユヱ》は、有らむ女なるものをの意なり、○歌(ノ)意は、女の心に、疑はるゝ事のあらむにこそあらめ、何のうらうへもなく、打とけてありと見ゆれば、物思をすべきことにあらぬを、われは猶戀しくのみ思ひて、月日を經ることかな、となり、
 
2969 解衣之《トキキヌノ》。念亂而《オモヒミダレテ》。雖戀《コフレドモ》。何之故其跡《ナニノユヱソト》。問人毛無《トフヒトモナシ》。
 
解衣之《トキヰヌノ》は、枕詞なり、○歌(ノ)意は、わが戀しく思ふ心の、亂れてあるを、何《イカ》なる故に然るぞと、とがむべきに、さらにとがむる人もなし、といへるにて、その戀しく思ふ人の、さらぬがほにてあ(304)ることを、ふかく恨みたるなり、十一に、第四(ノ)句、何如汝之故跡《ナソナガユヱト》、とて、全(ラ)同歌あり、
 
2970 桃花褐《モヽソメノ》。淺等乃衣《アサラノコロモ》。淺爾《アサラカニ》。念而妹爾《オモヒテイモニ》。將相物香裳《アハムモノカモ》。
 
桃花褐は、一本に、モヽソメノ〔五字右○〕とよめるによるべきか、褐は布衣なり、されば褐(ノ)字に、染る意はなけれども、桃花色に染たる布衣の義を得て、かくかけるなるべし、さてその桃染は、天智天皇(ノ)紀六年に、桃染布《モヽソメノ》五十八端云々を、耽羅人に賜ひしよしあり、衣服令に、朝服云々、衛士(ハ)皀(ノ)縵(ノ)頭巾《カウフリ》、桃染(ノ)袗《ヒトヘキヌ》云々、衛門式に、衛士(ハ)皀(ノ)※[糸+委]桃染(ノ)布袗、左右京式に、凡兵士以2淺|桃染《モヽソメヲ1爲(ヨ)2當色(ト)1、不v得d與2衝士1雜亂(スルコトヲ)u、など見えたり、即(チ)今の桃色にて、上に云る退紅の類なるべし、又契冲も云しごとく、やがてアラソメ、モヽソメ〔八字右○〕は、一色の上に二名ならば、即(チ)此も舊訓の如く、アラソメノ〔五字右○〕と訓て然るべし、○淺等乃衣《アサラノコロモ》は、染色の薄《アサ》らかなる衣、と云意なり、さて此(ノ)一句、淺爾《アサラカニ》をいはむとての序なり、○香裳《カモ》は、香《カ》は疑(ノ)辭にて、後に可波《カハ》と云にちかし、裳《モ》は歎息を含める助辭なり、○歌(ノ)意は、女をあさはかに、たゞうはべに、なみ/\に思ひたるのみにて、あはるゝものかは、あはれ深く思ひ入むぞ、となり、
 
2971 大王之《オホキミノ》。塩燒海部乃《シホヤクアマノ》。藤衣《フヂコロモ》。穢者雖爲《ナルトハスレド》。彌希將見毛《イヤメヅラシモ》。
 
大王之《オホキミノ》云々、塩は、田租にひとしく、公の供御とするを、主として燒(ク)物なれば、かくいへるか、契冲、武烈天皇(ノ)紀(ニ)云、於是大伴(ノ)大連、率《ヰテ》v兵(ヲ)自將《》イクサノキミトナリ、圍2大臣(ノ)宅(ヲ)1、縱《ハナチ》v火(ヲ)|燔《ヤキ》之、所v※[手偏+爲](ケ)雲(ノゴトクニ)靡(ケリ)、眞鳥(ノ)大臣、恨(ミ)2事(ノ)(305)不(ヲ)1v濟、知(リ)2身(ノ)難(キヲ)1v免(レ)、計窮望絶《セムスベシラニ》、廣(ク)指(テ)v塩(ヲ)詛遂《トコヒテ》被《エキ》2殺戮《コロサ》1、及其(ノ)子弟(サヘ)、詛(フニ)唯忘(テ)2角鹿(ノ)海塩《シホヲ》1、不以爲詛《トコハザリキ》、由v是(ニ)角鹿之塩(ハ)、爲2天皇(ノ)所食《オモノト》1、餘海《ホカノウミノ》之塩(ハ)、爲(ニ)2天皇1所《エキ》v忌(マ)、かゝれば延喜式等にも、供御の塩、敦賀にかぎるとは見えざれども、此(ノ)歌よめるころは、敦賀なるゆゑに、大王《オホキミ》の塩燒海部《シホヤクアマ》とは、おけるなるべし、と云り、此(ノ)謂にて、敦賀の塩をいへるにや、○藤衣《フヂコロモ》は、馴《ナル》をいはむ料の序なり、藤布の衣の、あかづきふくたみたるを穢《ナル》ると云(ヘ)ば、男女の相馴るにいひつゞけたり、三(ノ)卷に、須麻乃海人之塩燒衣乃藤服間遠之有者末著穢《スマノアマノシホヤキキヌノフヂコロモマトホクシアレバイマダキナレズ》、六(ノ)卷に、爲間之海人之塩燒衣乃奈禮名者香一日母君乎忘而將念《スマノアマノシホヤキキヌノナレナバカヒトヒモキミヲワスレテオモハム》、○穢者、雖爲は、ナルトハスレド〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意、男女久しく相馴るゝとはすれども、いとふ心はさらになくて、さてもいよ/\めづらしくなつかしやとなり、十一に、難波人葦火燎屋之酢四手雖有己妻許増常目頬次吉《ナニハヒトアシビタクヤノスシテアレドオノガツマコソツネメヅラシキ》、といへるに、心相似たり、
 
2972 赤帛之《アカキヌノ》。純裏衣《ヒウラノコロモ》。長欲《ナガクホリ》。我念君之《アガモフキミガ》。不所見比者鴨《ミエヌコロカモ》。
 
赤帛《アカキヌ》は、紅色(ノ)衣とは異にて、緋色《アカイロ》の衣をいふべし、(六帖には、これを、くれなゐのとあり、いかゞ、)○純裏衣は、表裏同色の衣をいふよし、岡部氏云り、(又契冲は、純(ノ)字を、延喜式やらむには、にびとよめり、鈍色といふに、思(ヒ)合(ハ)すれば、鈍純通ずる歟、然らば、ニビウラコロモ〔七字右○〕とよむべき歟、といへり、岡部氏(ノ)考には、ヒタウラコロモ〔七字右○〕にて、純は、純一のよしにて、ヒトツ〔三字右○〕の意に書り、六(ノ)卷に、百船純乃《モヽフナヒトノ》の純も、一《ヒト》を人《ヒト》にかりつ、といへり、さもあらむ、)十六に、結經方衣永津裡丹縫服《ユフカタキヌヒツラニヌヒキ》、とあ(306)る、氷津裡はヒツラ〔三字右○〕にて、純裡《ヒタウラ》の約言(タウ〔二字右○〕の切ツ〔右○〕、)にて、今の純裏《ヒタウラ》に同じと云り、さらば此《コヽ》をも、ヒツラノコロモ〔七字右○〕と訓べし、純《ヒタ》とは、頓丘《ヒタヲ》と云も、此面《コノモ》も彼面《カノモ》も、純一《ヒタスラ》に丘《ヲ》なる謂の稱なるに准へて、表も裏も純一なる意に、純裏《ヒタウラ》とはいふなることを知べし、さて然る表裏同色の赤衣は、花やぎうるはしくて、すそ長からむことを、欲《ネガ》ふものなれば、長欲《ナガクホリ》といひつゞけむための序に、設けたるなるべし、○歌(ノ)意は、末長く相思はむことをこひねがひおもふに、此(ノ)頃其(ノ)人の見え來ぬはさはることやある、心やかはりぬるおぼつかなし、さても心もとなき事哉、といへるなり、(岡部氏は、長欲は、長は、着(ノ)字の誤なるべし、といへり、さらばキマクホリ〔五字右○〕と訓て、男の表裏同色の緋衣を、着て來るより、相共に、其(ノ)衣を著て、寢まほしとおもふに、見えこずといふにて、筑波禰乃爾比具波麻欲能伎奴波安禮杼伎美我美家思志安夜爾伎保思母《ツクハネノニヒグハマヨノキヌハアレドキミガミケシシアヤニキホシモ》、といへるごとく、相寢して、重ね着まほしといへる意歟、されど着欲《キマクホリ》とのみにて、相寢せむことを欲《ネガ》ふ意とせむこと、穩ならぬやうなれば、猶もとのまゝなる方ぞ、宜かるべき、)○以上九首、衣に寄てよめるなり、
 
2973 眞玉就《マタマツク》。越乞兼而《ヲチコチカネテ》。結鶴《ムスビツル》。言下※[糸+刃]之《アガシタヒモノ》。所解日有米也《トクルヒアラメヤ》。〔頭註、【五首、寄2帶紐1、】〕
 
眞玉就《マタマツク》は、緒《ヲ》とかゝる枕詞にて、此(ノ)上にも見えたり、○越乞兼而《ヲチコチカネテ》は、彼方此方を兼て、といふに同じくて、此《コヽ》は來し方行さきをかけて、心わかはるまじと、契約する意なり、四(ノ)卷に、眞玉付彼此兼(307)手言齒五十戸常相而後社悔破有跡五十戸《マタマツクチチコチカネテイヒハイヘドアヒテノチコソクイハアリトイヘ》、○歌(ノ)意は、來し方ゆくさきをかけて、心のかはるまじと、かたく契りて結びつるからは、又あふまで、吾(ガ)紐の緒のとくる日は、さらにあらじ、となり、
 
2974 紫《ムラサキノ》。帶之結毛《オビノムスビモ》。解毛不見《トキモミズ》。本名也妹爾《モトナヤイモニ》。戀度南《コヒワタリナム》。
 
帶之結《オビノムスビ》は、次の歌に、紐之結《ヒモノムスビ》とあるに同じく、帶も即(チ)下紐をいふべし、古(ヘ)帶《オビ》、紐《ヒモ》、緒《ヲ》を、一(ツ)に通はし云る例多し、○解毛不見《トキモミズ》は、不《ズ》2解開《トキモアケ》1といはむが如し、見《ミ》は開《アク》といふに當れり、○歌(ノ)意は、思ふ人にあふこともなければ、紐の緒を解も開ずして、むざ/\と戀しくのみ思ひつゝ、月日をわたりなむか、となり、
 
2975 高麗錦《コマニシキ》。※[糸+刃]之結毛《ヒモノムスビモ》。解不放《トキサケズ》。齊而待杼《イハヒテマテド》。驗無可聞《シルシナキカモ》。
 
高麗錦《コマニシキ》は、既く出つ、○齊(ノ)字、官本、拾穗本等には齋と作り、此(ノ)集には、齊齋通(ハ)し用たれば、いづれにてもあるべし、○歌(ノ)意は、二人して結びし、紐を解放ずして、齋ひつゝしみて待(ツ)には、神の冥驗《ミシルシ》も有べきことなるに、思ふ人を待得ざること哉、と歎きたるなり、
 
2976 紫《ムラサキノ》。我下※[糸+刃]乃《アガシタヒモノ》。色爾不出《イロニイデズ》。戀可毛將痩《コヒカモヤセム》。相因乎無見《アフヨシヲナミ》。
 
本(ノ)二句は、色爾《イロニ》出(ツ)といはむための序なり、紫紐《ムラサキノヒモ》の色に出(ツ)といふのみに、つゞきたる詞にて、不《ズ》といふまでにはかゝらず、布留の早田の穗には出ず、の例なり、○戀可毛將痩《コヒカモヤセム》は、さても戀痩むか、といふに同じ、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、○歌(ノ)意は、人目をはぢて、色に顯はさず、下にのみ戀し(308)く思つゝをることなれど、逢べきよしのなきによりて、つひに吾(カ)身の痩衰へなむか、さても悲しや、といへるなり、
 
2977 何故可《ナニユヱカ》。不思將有《オモハズアラム》。※[糸+刃]緒之《ヒモノヲノ》。心爾入而《コヽロニイリテ》。戀布物乎《コヒシキモノヲ》。
 
紐緒之《ヒモノヲノ》云々、契冲、古今集戀一に、よそにしてこふればくるしいれひものおなじ心にいざむすびてむ、これを顯昭法師釋していはく、入紐は、雄紐雌紐《ヲヒモメヒモ》、ふたつを取合せてさすものなれば、同じ心にむすばむとはよめるなり、今の歌に、こゝろにいりと云るも、そのこゝろなりといへり、と云り、上に、幼婦者|同情《オヤジコヽロ》云々、とある、幼婦者も紐緒之《ヒモノヲノ》の誤なるべし、と云る説ありて、彼處にいへり、○歌(ノ)意、かく心に入て、深く戀しく思ふものを、何によりて、君を思はずあることのあるべしやは、となり、男の思はずやなどいへるに、答へたるならむ、○以上五首、紐帶に寄てよめるなり、
 
2978 眞十鏡《マソカゞミ》。見座吾背子《ミマセワガセコ》。吾形見《アガカタミ》。將持辰爾《モタラムキミニ》。將不相哉《アハザラメヤモ》。〔頭註、【四首寄v鏡、】〕
 
將持辰爾、穩ならず、本居氏、辰は君(ノ)字の誤にて、モタラムキミニ〔七字右○〕なるべし、といへり、是然るべし、○將不相哉は、アハザラメヤモ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、吾(カ)形見の鏡を吾とおぼして、常に身をはなたず、見つゝ心をなぐさめ賜へ、まさきくて、はや事竟り、吾(カ)形見を持て、還り來まさむ其(ノ)君に、互に心もかはらずして、今の如く、あはれ相見ずてあらむやは、と云なるべし、此は夫(ノ)君(309)の遠(キ)境へ旅などに行とき、女の形見に、鏡を贈てよめるなるべし、岡部氏、天孫の天降賜ふ時、天照大御神の神寶をあたへ賜ひて、此(ノ)鏡は、專(ラ)我を拜む如せよとの賜ひしより、形見には、鏡を贈るならはしとして、後(ノ)世の物語ふみにすら見えたり、といへり、
 
2979 眞十鏡《マソカヾミ》。直目爾君乎《タヾメニキミヲ》。見者許増《ミテバコソ》。命對《イノチニムカフ》。吾戀止目《ワガコヒヤマメ》。
 
眞十鏡《マソカヾミ》は、枕詞なり、○見者許増《ミテバコソ》は、見てあらばこそ、といふ意なり、○命對《イノチニムカフ》は、命にかくるといふに同じ、命にもかふるばかりに思ふ、と云が如し、八(ノ)卷に、玉切命向戀從者公之三舶乃梶柄母我《タマキハルイノチニムカヒコヒルヨハキミガミフネノカヂツカニモガ》、○歌(ノ)意は、かく命にかけて、切に思ふ戀も、一度直目に相見てあらばこそ、息《ヤス》かりもせめ、さらずば戀死に死む他なし、となり、上に、外目毛君之光儀乎見而者社壽向吾戀止目《ヨソメニモキミガスガタヲミテバコソイノチニムカフワガコヒヤマメ》、
 
2980 犬馬鏡《マソカヾミ》。見不飽妹爾《ミアカヌイモニ》。不相而《アハズシテ》。月之經去者《ツキノヘヌレバ》。生友名師《イケルトモナシ》。
 
犬馬鏡《マソカヾミ》は、まくら詞なり、○生友名師《イケルトモナシ》は、生《イケ》る利心《トコヽロ》も無(シ)の意にて、生《イキ》たる心ちもせざる謂なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
2981 祝部等之《ハフリラガ》。齊三諸乃《イハフミモロノ》。犬馬鏡《マソカヾミ》。懸而偲《カケテシヌビツ》。相人毎《アフヒトゴトニ》。
 
齊三諸《イハフミモロ》(齊(ノ)字、官本には齋と作り、此(ノ)字のこと上に云り、拾穗本に、〓と作るは誤か、)とは、三諸は御室《ミムロ》にて、神の座《オハシ》ます御殿なり、さてすべて神殿は、祝部等が齋(ヒ)清め祭《イツキ》奉るものなれば、齊御室《イハフミムロ》とはいへり、○犬馬鏡《マソカヾミ》、これまでは、懸《カケ》をいはむとての序なり、すべて神の御前には、賢木の(310)枝などに、鏡をかけて祭る故に、かくいへり、賢木の上(ツ)枝(ニ)掛2八尺瓊(ヲ)1、中(ツ)枝(ニ)掛2白銅鏡(ヲ)1、下(ツ)枝(ニ)掛2十握劔(ヲ)1、など云ること、書紀にも、往々《コレカレ》に見えたり、○歌(ノ)意は、すべて誰にまれ、人にあふごとに、君がことを思ひ出て、心にかけてしのびつるよ、といふにて、其(ノ)あふ人は、もしは似たる人、或はおなじほどにうるはしき人、あるひは、しなかたちのおよばぬ人、それ/”\に見るにつけて、思ひ出てしのぶ意なり、と契冲がいへるごとし、○以上四首、鏡に寄てよめるなり、
 
2982 針者有杼《ハリハアレド》。妹之無者《イモガナケレバ》。將著哉跡《ツケメヤト》。吾乎令煩《アレヲナヤマシ》。絶※[糸+刃]之緒《タユルヒモノヲ》。〔頭註、【一首寄v針、】〕
 
緒(ノ)字、舊本に結と作るは誤なり、今は官本、類聚抄、古寫本、水戸本、拾穗本等に從つ、○歌(ノ)意は、契冲、針はあれども、妹がなければえつけじと、われをなぶりてなやますやうに、紐の緒の絶る、となり、四(ノ)卷に、獨宿而絶西紐緒忌見跡世武爲便不知哭耳之曾泣《ヒトリネテタエニシヒモヲユヽシミトセムスベシラニネノミシソナク》、吾以在三相二搓流絲用而附手益物今曾悔寸《アガモタルミツアヒニヨレルイトモチテツケテマシモノイマソクヤシキ》、などあり、又廿(ノ)卷(防人が妻の歌)に、久佐麻久良多妣乃麻流禰乃比毛多要婆安我弖等都氣呂許禮乃波流母志《クサマクラタビノマルネノヒモタエバアガテトツケロコレノハルモシ》、(針持なり、)これ針をもて、我(カ)手にてつくるとおもひてつけよ、となり、われをなやましたゆるは、古今集に、ゆふ手もたゆくとくる下紐、といへるが如し、といへり、此(ノ)歌は、旅などにありてよめるなるべし、廿(ノ)卷に、奈爾波治乎由伎弖久麻弖等和藝毛古賀都氣之非毛我乎多延爾氣流可毛《ナニハヂヲユキテクマテトワギモコガツケシヒモガヲタエニケルカモモ》、○此(ノ)一首、針に寄てよめるなり、
 
2983 高麗劔《コマツルギ》。己之景迹故《ワガコヽロユヱ》。外耳《ヨソノミニ》。見乍哉君乎《ミヽツヤキミヲ》。戀渡奈牟《コヒワタリナム》。〔頭註、【二首寄v劔、】〕
 
(311)高麗劔《コマツルギ》は、心《コヽロ》といふにかゝる枕詞なり、高麗劔《コマツルギ》は、二(ノ)卷に、狛釼和射見我原乃《コマツルギワザミガハラノ》、ともよめり、さて心とかゝるは、契冲、太刀にはなかごあり、それをこゝろといふ、といへり、猶九(ノ)卷に、常世邊可住物乎劔刀己之心柄於曾也是君《トコヨヘニスムベキモノヲツルギタチワガコヽロカラオソヤコノキミ》、とある歌に、委(ク)釋り、○己之景迹故は、ワガコヽロユヱ〔七字右○〕lと訓るぞよろしき、(舊本に、サガカゲユヱニ〔七字右○〕とよめるは、よしなし、)契冲、景迹をコヽロ〔三字傍点〕とよむことは、天武天皇(ノ)紀に、十一年八月壬戌朔癸未、詔曰、凡諸(ノ)應(キ)2考選《シナサダメス》1者、能※[手偏+僉](テ)2其|族姓《ウヂカバネ》及|景迹《コヽロバセヲ》1、方(ニ)後考(セヨ)之、若|雖《トモ》2景迹行能灼然《コヽロバセシワザイチシロク》1、其(ノ)族姓不v定者(ハ)、不(レ)v在2考選之|色《シナニ》1、とあり、といへり、(考課令に、凡官人(ノ)景迹功過應(ク)v附(ク)v考(ニ)者、皆須2實録(ス)1、とありて、義解に、最迹(トハ)者、景(ハ)像也、猶v言2状迹(ト)1也、と見ゆ、この景迹の字を、昔の博士は、コヽロバセ〔五字右○〕ともコヽロ〔三字右○〕とも訓けるがゆゑに、此集にも心《コヽロ》と云に用たるならむ、)故は、ここは常の故《ユヱ》なり、古語に云るは、多くは君故爾《キミユヱニ》、妹故爾《イモユヱニ》など云は、君なるものを、妹なるものを、と云意にて、俗に君ぢやに、妹ぢやに、と云に同じを、こゝの故《ユヱ》は、それとは異にて、今(ノ)世に常云に同意なり、かやうにいへるは、古くはいと少きを、たえてなきにはあらず、十三に、大舟能思憑君故爾盡情者惜雲梨《オホブネノオモヒタノメルキミユヱニツクスコゝロハヲシケクモナシシ》、十六に、直珠者緒絶爲爾伎登聞之故爾其緒復貫吾玉爾將爲《シラタマハヲタエシニキトキヽシユヱニソノヲマタヌキアガタマニセム》、などあるは、尋常の故《ユヱ》なり、書紀雄略天皇(ノ)卷(ノ)歌に、耶麼能謎能古思麼古喩衛爾比登涅羅賦宇麼能都都礙播嗚思稽矩謀那斯《ヤマノベノコシマコユヱニヒトデラフウマノヤツギハヲシケクモナシ》、とあるも、其なり、又こゝの故《ユヱ》をも、多くの例のごとく、なるものをと云意にきゝて、俗に吾(ガ)心ぢやに、と云に同じとするときは、いさゝか意かはるべし、○歌(ノ)(312)意は、男の心の、打とけぬにはあらねども、女の自《ミラ》さはることありて、心のまゝに得あはねば、われとわが心故に、外にのみ見つゝ、戀しくおもひて、年月を過しなむか、といふなるべし、これ故《ユヱ》と云を、今(ノ)世に常云と、同意とするときの釋なり、又男の心のつらきにはあらねど、女の自《ミラ》さはることありて、心のまゝに得あはねば、人を恨むべきにあらず、即(チ)吾(ガ)心なるものを、(俗に、吾(ガ)心ぢやに、、といはむがことし、)さとは得思ひあきらめずして、なほ外にのみ見つゝ、戀しく思ひて、年月を過しなむか、といふなるべし、これ故《ユヱ》と云を、多くの例のごとく、なるものをときくときの釋なり、
 
2984 劔太刀《ツルギタチ》。名之惜毛《ナノヲシケクモ》。吾者無《アレハナシ》。比來之間《コノゴロノマノ》。戀之繁爾《コヒノシゲキニ》。
 
劔太刀《ツルギタチ》は、枕詞なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、戀しさのあまりに、打すてゝいへるなり、四(ノ)卷に、劔太刀名惜雲吾者無君爾不相而爲之經去禮者《ツルギタチナノヲシケクモアレハナシキミニアハズテトシノヘヌレバ》、大かた同じ歌なり、此(ノ)上に、三空去名之惜毛吾者無不相日數多爲之經者《ミソラユクナノヲシケクモアレハナシアハヌヒマネクトシノヘヌレバ》、とあり、以上二首、劔に寄てよめるなり、
 
2985 梓弓《アヅサユミ》。末者師不知《スヱハシシラズ》。雖然《シカレドモ》。眞坂者君爾《マサカハキミニ》。縁西物乎《ヨリニシモノヲ》。〔頭註、【五首寄v弓、】
 
梓弓《アヅサユミ》は、枕詞におきて、やがてその縁言をいへるなり、○師《シ》は、その一(ト)すぢなる事を、重く思はする助辭なり、○眞坂《マサカ》は、さしあたりたる時をいふ、四(ノ)卷下|直香《タヾカ》の下に、委(ク)云り、○歌(ノ)意は、行末かけて、心のかはるべきにあらねども、初より末のことをいはゞ、たゞうはべに、一(ト)すぢに言(313)よくいひなすものと思やせむ、されば末かけてのことはいはじ、然はあれども、只今さしあたりては、二念なく、君に心のよりにしものを、何ぞ、他心《アタシコヽロ》あらむやは、となり、
〔一本歌云。梓弓《アヅサユミ》。末乃多頭吉波《スヱノタヅキハ》。雖不知《シラネドモ》。心者君爾《コヽロハキミニ》。由之物乎《ヨリニシモノヲ》。〕
 
2986 梓弓《アヅサユミ》。引見縱見《ヒキミユルベミ》。思見而《オモヒミテ》。既心齒《スデニコヽロハ》。因爾思物乎《ヨリニシモノヲ》。
 
梓弓《アヅサユミ》、これも枕詞の如くに置て、譬をもたせたり、引《ヒク》、弛《ユルブ》、因《ヨル》、みな弓の縁言なり、○引見縱見《ヒキミユルベミ》(縱(ノ)字、一本には緩と作り、)は、引もし弛べもし、といはむが如し、見《ミ》は字(ノ)意にはあらず、咲み慍み、降み不v降みなどのみなり、十一に、梓弓引見弛見不來者不來來者其々乎奈何不來者來者其乎《アヅサユミヒキミユルベミコズハコズコバソヽヲナドコズハコバソヲ》、とあり、さてこゝは、契冲が、俗に、とりつおきつ思案する、といふが如し、といへるが如し、○思見而《オモヒミテ》は、思ひ試ての意なり、思案するを云、○既《スデニ》は、全《マタク》といふに同じ、天下須泥爾於保比底布流雪乃《アメノシタスデニオホヒテフルユキノ》、とある、須泥爾《スデニ》に同じ、古事記上(ツ)卷に、此(ノ)葦原(ノ)中(ツ)國者、隨v命(ノ)既《スデニ》獻《タテマツラム》也、とあるも同じ、書紀繼體天皇(ノ)卷には、全(ノ)字をスデニ〔三字右○〕と訓り、按に、既(ノ)字を、スデニ〔三字右○〕と訓ときは、字書に、盡也、と註したる意なり、既往の義はなきによりて、既往《ハヤク》のことを、スデニ〔三字右○〕と云たること、古(ヘ)には、さらになきことなり、かれ既(ハ)已也、と註したる意のときは、ハヤク〔三字右○〕あるはサキニ〔三字右○〕など訓べし、スデニ〔三字右○〕とは訓べからず、しかるを此(ノ)字を、後にはスデニ〔三字右○〕とのみ訓て、既往の意に云ことゝ意得て、スデニ〔三字右○〕と云は、盡(ノ)字の意なることを、知たる人のすくなくなれるは、字にまよへることの、久しきによ(314)りてなり、○歌(ノ)意は、とりつおきつ、さま/”\に思ひ試て、つひに全く心の因にし君なるものを、いかで他《アタ》し心をもたむやは、となり、
 
2987 梓弓《アヅサユミ》。引而不縱《ヒキテユルサヌ》。大夫哉《マスラヲヤ》。戀云物乎《コヒチフモノヲ》。忍不得牟《シヌヒカネテム》。
 
梓弓《アヅサユミ》、これ枕詞にあらず、譬なり、○歌(ノ)意は、常に張(リ)置て弛(マ)ぬ弓の如く、心を強くもつ大丈夫にして、戀と云ばかりのえせ物を、堪忍び得ざらむやはと思へど、猶忍得ずして、心のみだるゝ、となり、大夫哉片戀將爲跡嘆友《マスラヲヤカタコヒセムトナゲケドモ》、のこゝろなり、本(ノ)句は、十一にも、梓弓引不許有者《アヅサユミヒキテユルサズアラマセバ》云々、とあり、
 
2988 梓弓《アヅサユミ》。未中一伏三起《スヱノナカゴロ》。不通有之《ヨドメリシ》。君者會奴《キミニハアヒヌ》。嘆羽將息《ナゲキハヤマム》。
 
梓弓《アヅサユミ》は、枕詞なり、○末中一伏三起不通有之は、本居氏、スヱノナカゴロヨドメリシ〔スヱ〜右○〕と訓るに從べし、六帖に、弓、かくこひむものとしりせば梓弓すゑの中ごろあひみてましを、と有といへり、一伏三起を許呂《コロ》とよむは、岡部氏、今ころぶしざいと云て、一(ト)度なげころばせば、先へ行て、少しづゝ三度起るものあり、といへり、今按(フ)に、※[土+蓋]嚢抄、小兒の翫物を多く擧たる中に、肚《コロ》といふ物あり、又東齋隨筆に、わらはべのうつむきざいと云もの、一(ツ)ふして三(ツ)あふむくよししるされたるを、合(セ)考(フ)るに、肚《コロ》即(チ)うつむきざいの類にて、其は昔よりありし翫物にて、古(ヘ)より許呂《コロ》とぞ云つらむ、(許呂《コロ》は轉《コロ》ばす謂なるべし、〉さてその許呂《コロ》と云物の、用《ハタラ》く形《サマ》によりて、一伏三起と書て、しか訓せたるならむ、十三に、根毛一伏三向《ネモコロ》とかけるも同じ、又十(ノ)卷に、暮三伏一向(315)夜とかきて、ユフツクヨ〔五字右○〕と訓せたるも、こゝと同類なり、その由は既《ハヤ》く彼處にいへり、かくて未(ノ)中頃と云る意は、末とは、なかば通ひ住し盛の末《スヱ》の間《ホド》來て、其(ノ)末の間《ホド》に、ひたすら絶しにはあらで、中不通《ナカヨド》なりしを云なるべし、○嘆(ノ)字、古本、拾穗本等には、嗟と作り、○歌(ノ)意は、末の中間《ナカコロ》中不通《ナカヨド》にして、(四(ノ)卷に、事出之者誰言爾有鹿小山田之苗代水乃中與杼爾四手《コトデシハタガコトナルカヲヤマダノナハシロミヅノナカヨドニシテ》、)暫絶たりし心のいぶせかりし、日ごろの歎きをも、今はわするゝばかりに、うれしきことゝ、あへるをよろこびていへるなるべし、
 
2989 今更《イマサラニ》。何牡鹿將念《ナニシカモハム》。梓弓《アヅサユミ》。引見縱見《ヒキミユルベミ》。縁西鬼乎《ヨリニシモノヲ》。
 
歌(ノ)意は、とりつおきつ、さま/”\に思ひ試みて、つひにひたむきに、心はよりにしものを、君をおきて、今更に何の他し事をかはおもはむ、となり、男の末おぼつかなくやなど云るときに、女のよめるなるべし、四(ノ)卷に、今更何乎可將念打靡情者君爾縁爾之物乎《イマサラニナニヲカオモハムウチナビキコヽロハキミニヨリニシモノヲ》、十(ノ)卷に、道邊之乎花我下之思草今更爾何物可將思《ミチノベノヲバナガシタノオモヒグサイマサラ/\ニナニカオモハム》、○以上五首、弓に寄てよめるなり、
 
2990 ※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》。續麻之多田有《ウミヲノタタリ》。打麻懸《ウチソカケ》。續時無二《ウムトキナシニ》。戀度鴨《コヒワタルカモ》。〔頭註、【一首寄v麻、〕
 
續麻之多田有《ウミヲノタタリ》、(續(ノ)字、二條院御本、類聚抄、拾穗本等には、績と作り、次なるも同じ、續、績、古(ヘ)は通(ハシ)用たり、)多田有《タタリ》は、和名抄に、絡〓、楊氏漢語抄(ニ)云、多々理《タヽリ》、また※[木+面](ハ)多々利加多《タヽリカタ》、神祇令(ノ)義解に、凡天皇即(キタマハヽ)v位(ニ)云々、其大|幣者《ミテクラハ》、三月之内令(ヨ)2修理(シ)訖(ヘ)1、(謂大幣(トハ)者、云々、金(ノ)水桶、金線柱《ソタヽリヲ》、奉2伊勢(ノ)神宮(ニ)1、楯戈(ヲ)奉2住(316)吉(ノ)神(ニ)1之類是也、○釋云、伊勢大社(ニ)奉2金(ノ)麻笥、金(ノ)多々利《タヽリヲ》1、住吉(ニ)奉2楯戈(ヲ)1之類也、)大神宮式に、金銅(ノ)多々利《タヽリ》二基、(高各一尺一寸六分、土居(ノ)徑(リ)三寸六分、)銀銅(ノ)多々利《タヽリ》、高一尺一寸六分、土居(ノ)徑(リ)二寸五分、)龍田(ノ)風神(ノ)祭(ノ)祝詞に、金(ノ)※[木+喘の旁]《タヽリ》(契冲云、※[木+喘の旁]は※[木+而]と通(フ)歟、)など見えたり、方なる木を下居にして、それに柱を一(ツ)立て、紵《ヲ》を引掛てうむものなり、其(ノ)形状は、内宮神寶(ノ)圖に見ゆ、六帖に、但馬絲のよれどもあはぬおもひをば何のたゝりにつけてはらへむ、源氏物語總角に、むすびあげたるたゝりの、簾《スダレ》のつまより、木丁のほころびにすきて見えければ方々、〔頭註、【契沖云、左の方に、灯臺の臺なきやうなる物ふたつ、左右に置て、※[木+峠の旁]にかけたる糸をかく、これをふたつたゝりと云、もしかせひの長ければ、今ひとつを、さきの方に置て、かなへの如くするを、三たゝりと云、空の其方に、木にても竹にても、横につりて、ちひさき穴をゑりて、彼絡※[土+朶]のいとくちをとほして、右の方に〓を置てくるなり、】〕○打麻懸《ウチソカケ》、これまでは倦《ウム》をいはむ料の序なり、打麻《ウチソ》は、二説あり、今の世の女も常する如く、麻を績には、まづ打和らげて用ふものなれば、打(ノ)字を書る如く、擣《ウチ》たる麻《ヲ》の意にや、さらばチウソ〔三字右○〕と訓べし、又|全麻《ウツソ》にて、全《ウツ》は美《ホメ》たる稱《ナ》にもあるべし、さらばウツソ〔三字右○〕と訓べし、猶一(ノ)卷、打麻乎麻續王《ウチソヲヲミノオホキミ》とある歌に、委(ク)註り、さてこゝは、柱種《タヽリ》に擣麻を引懸て續《ウム》といふ意に、いひつゞけたるなり、○續時無二《ウムトキナシニ》は、續《ウム》は倦《ウム》の借(リ)字にて、倦《ウミ》おこたり、たゆむ時なしに、と謂なり、(ついでに云べし、伊勢物語に、あてなる女の尼になりて、世(ノ)中をうんじて云々、竹取物語に、御子達上達部きゝて、おいらかに、あたりよりだに、なありきそとやは、の給はぬと云て、うんじてみなかへりぬ、枕册子に、むげにこそ、おもひうんじにしかど云々、などある、(317)このうんじてを、慍の字音にて、慍《ウン》じてなりと云、或は屈してを通して云りなど云り、皆ひがことなり、これらも倦《ウミ》してと云ことなり、世(ノ)中をうんじては、世(ノ)中を倦あきはてゝと云意を、かくいへるなり、さて倦をウン〔二字右○〕と云は、難みしてを難ンジテ〔三字右○〕と云と、同例なり、)○歌(ノ)意は、倦《ウミ》おこたる時なしに、長の月日を、戀しく思ひつゝ過すことかな、となり、(契冲、續時無二の續は、もし繰(ノ)字の誤にて、クルトキナシニ〔七字右○〕にや、といへるは、強解なり、本のまゝにて、よく通《キコ》えたるをや、)○此一首は、麻によせてよめるなり、
 
2991 垂乳根之《タラチネノ》。母哉養蚕乃《ハヽガカフコノ》。眉隱《マヨゴモリ》。馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿《イフセクモアルカ》。異母二不相而《イモニアハズテ》。〔頭註、一首寄v蠶、〕
 
本(ノ)句、十一に、足常母養子眉隱隱在妹見依鴨《タラチネノハヽノカフコノマヨゴモリコモレルイモヲミムヨシモガモ》、十三(ノ)長歌に、帶乳根笶母之養蚕之《タラチネノハヽノカフコノ》、眉隱氣衝渡《マヨゴモリイキヅキワタリ》云云、などあり、(古今集(ノ)序、なずらへ歌の古註に、今の歌を、たらちめのと出せるは、いと後に、父をたらち男《ヲ》、母をたらち女《メ》と云ことゝ心得たるひがことなり、)さて此(ノ)歌は、欝悒《イフセキ》をいはむとての序なり、蠶《カヒコ》の眉(ノ)中に隱(リ)居るは、欝々《イフセ》くふさがりたる由に、いひつゞけたり、○馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿《イフセクモアルカ》は、欝悒《イフセ》くも有哉《アルカ》なり、馬聲は、馬の鳴《イナヽ》く聲、初に伊《イ》の音あるゆゑなり、蜂音は、蜂の鳴(ク)音、しか聞ゆればなり、牛鳴を、牟《ム》の假字に用たる類なり、石花は、三(ノ)卷不盡(ノ)山の歌にも、石花《セノ》海とかけり、和名抄に、崔禹錫(カ)食經(ニ)云、〓蹄子云々、兼名苑註(ニ)云、石花云々、和名|勢《セ》とあり、なほ品物(318)解に云、○歌(ノ)意は、妹に得あはずして、いぶせく心のふさがりて、やるせなくもあることかな、となり、○此(ノ)一首は、蠶によせてよめるなり、
 
2992 玉手次《タマタスキ》。不懸者辛苦《カケネバクルシ》。懸垂者《カケタレバ》。續手見卷之《ツギテミマクノ》。欲寸君可毛《ホシキキミカモ》。〔頭註、【一首寄2手繦1、〕
 
歌(ノ)意は、手繦《タスキ》を懸るを、思ふ人にあふにたとへて、いまだあひ見ぬは苦しく、相見そめては、續ぎて絶ず相見まほしくて、さても心の安まる時なき事哉、と歎きたるなり、女を菅によせてよむに、笠にあむを、戀の成就《ナル》にたとふるもひとし、○此(ノ)一首は、手繦によせてよめるなり、
 
2993 紫《ムラサキノ》。綵色之※[草冠/縵]《マダラノカヅラ》。花八香爾《ハナヤカニ》。今日見人爾《ケフミルヒトニ》。後將戀鴨《ノチコヒムカモ》。〔頭註、【二首寄v※[草冠/縵]、】
 
綵色之※[草冠/縵]は、岡部氏、ソメテシカヅラ〔七字右○〕とよむべし、女《メ》の童の、かしらをかざるかづら、古(ヘ)ありしと見ゆ、其(ノ)作りざまはしられず、といへり、(略解に、此(ノ)かづらは、玉かづらにて、玉を貫垂て、頭にかくるかづらなり、といへれど、玉※[草冠/縵]にかぎるべきにあらず、(今按(フ)に、七(ノ)卷に、月草爾衣曾染流君之爲綵色衣將摺跡念而《ツキクサニコロモソソメルキミガタメマダラノコロモスラムトモヒテ》、十(ノ)卷に、紅之綵色爾所見秋山可聞《クレナヰノマダラニミユルアキノヤマカモ》、などあるを、合せ考(フ)るに、こゝもマダラノカヅラ〔七字右○〕と訓て然るべし、なほ七(ノ)卷にいへるを、合(セ)考(フ)べし、さて紫の斑々《ムラ/\》に綵《イロド》り染たる※[草冠/縵]の、花やぎうるはしきをもて、花八香《ハナヤカ》をいはむとての序とせり、○花八香爾《ハナヤカニ》は、花《ハナ》は、花物《ハナモノ》の花《ハナ》にて、さてその花《ハナ》は、實《ミ》の對《ウラ》にて、實《ミ》ならず、阿陀阿陀《アダアダ》しきをいふ言なるべし、八香《ヤカ》は、形容をいふときにそふる辭なり、されば上よりは、※[草冠/縵]の花艶《ハナヤギ》うるはしき意に云かけ、承たる上に(319)ては、あだ/\しき謂なり、○歌(ノ)意は、實に心をかよはして、相見るには非ず、假初に、あだ/\しく相見し人なるを、後長く戀しく思ひて、月日を過む歟、さて/\相見し人の容儀のうるはしく、なつかしき事や、となり、
 
2994 玉※[草冠/縵]《タマカヅラ》。不懸時無《カケヌトキナク》。戀友《コフレドモ》。何如妹爾《イカデカイモニ》。相時毛名寸《アフトキモナキ》。
 
玉※[草冠/縵]《タマカヅラ》は、玉着たる、※[草冠/縵]《カヅラ》にて、二(ノ)卷に既く委(ク)釋り、さてこゝは、懸《カケ》をいはむ料の枕詞におけるなり、○不懸時無《カケヌトキナク》は、心に懸て思はぬ時無(ク)の謂なり、古今集に、千早振賀茂の社の木綿手繦一日も君を懸(ケ)ぬ日はなし、宵々に脱て吾(ガ)寢るかり衣懸て思はぬ時の間もなし、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○以上二首、※[草冠/縵]によせてよめるなり、
 
2995 相因之《アフヨシノ》。出來左右者《イデコムマデハ》。疊薦《タヽミコモ》。重編數《カサネアムカズ》。夢西將見《イメニシミテム》。〔頭註、【一首寄v疊、】
 
歌(ノ)意は、思ふ人に、逢べき爲方《シカタ》の出來むまでは、疊薦を、重(ネ)重(ネ)編(ム)數のしげきが如く、透(キ)間もなく、夢に見てだに、心をなぐさまむ、となり、十一に、疊薦隔編數通者道之柴草不生有申尾《タヽミコモヘダテアムカズカヨハサバミチノシバクサオヒザラマシヲ》、○此(ノ)一首は、疊によせてよめるなり、
 
2996 白香付《シラカツク》。木綿者花物《ユフハハナモノ》。事社者《コトコソハ》。何時之眞坂毛《イツノマサカモ》。常不所忘《ツネワスラエネ》。〔頭注、【一首寄v木、】〕
 
白香付木綿《シラカツクユフ》とは、白紙を切て着(ケ)垂たる木綿にて、此《コヽ》は女の髪を結(ヒ)かざりしを云なるべし、なほ白香付《シラカツク》の事、三(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)郎女(カ)祭神(ノ)歌に、奥山乃賢木之枝爾《オクヤマノサカキノエダニ》、白香付木綿取付而《シラカツクユフトリツケテ》云々、とあ(320)る處に委(ク)云り、考(ヘ)合(ス)べし、○花物《ハナモノ》は、中山(ノ)嚴水、ハナモノ〔四字右○〕と訓べし、十三に充物とあるも、花物《ハナモノ》の誤なり、その外にも花物ありと、本居翁いへり、さもあるべし、といへり、(岡部氏、物は疑の誤にて、花カモ〔二字右○〕と訓べし、木綿は、花にまがへど、思ふ人のいひし言は、いつのその時にいひしをも、まがひ忘るゝことなしと云なり、といへるは、強解なり、)後拾遺集に、近き所に侍りけるに、音づれし侍らざりければ、むらかみの女三(ノ)宮の許より、思ひ隔《ヘダ》てけるにや、花心《ハナゴヽロ》にこそなど、云おこせたる返事に云々、とある花心も、あだ/\しき心のよしなり、○事は、借(リ)字にて言《コト》なり、○眞坂《マサカ》(舊本に、坂を枝と作るは、誤なり、)は、さしあたりたる時をいふ言なり、此(ノ)上にも出(ツ)、○歌(ノ)意は、女の木綿もて結び飾りたる髪は、世にうるはしけれど、それは當時のあだ/\しき花物《ハナモノ》にて、さのみは賞《メヅ》るに足ず、たゞいつのときもかはらぬ妹が言こそ、常に忘れがたく、たのもしく賞《メデ》たけれ、といふなるべし、○此(ノ)一首、木綿によせてよめるなり、
 
2997 石上《イソノカミ》。振之高橋《フルノタカハシ》。高高爾《タカタカニ》。妹之將待《イモガマツラム》。夜曾探去家留《ヨソフケニケル》。〔頭註、【一首寄v橋、】〕
 
振之高橋《フルノタカハシ》は、武烈天皇(ノ)紀、影媛(ガ)歌に、伊須能箇彌賦屡嗚須擬底《イスノカミフルヲスギテ》、擧慕摩矩雁※[手偏+施の旁]箇播志須擬《コモマクラタカハシスギ》云々、神名式に、大和(ノ)國山邊(ノ)郡、石上(ノ)布留(ノ)神社、とありて、その社の前なる、布留川に渡せるを、高橋と云て、世に名高くて、即(チ)邑(ノ)名にも負(ヘ)りと思はるゝは、崇神天皇(ノ)紀に、八年夏四月庚子朔乙卯、以2高橋(ノ)邑(ノ)人活目(ヲ)1、爲2大神之|掌酒《サカヒトヽ》1、とあるにてしられたり、さてこれまでは、高々《タカ/\》をいはむ料の序(321)なり、○高高爾《タカタカニ》は、集中に多き詞なり、佇《ツマダテ》て高く望み待ときに云言なり、景行天皇(ノ)紀に、是以朝夕|進退《サマヨヒテ》佇2待還《ツマタチマツ》還日(ヲ)1云々、○歌(ノ)意は、妹が吾(カ)方を仰望て、佇(テ)待らむものを、道遠く速に得到らずして、はや夜ぞ更にける、となり、○此(ノ)一首橋によせてよめるなり、
 
2998 湊入之《ミナトイリノ》。葦別小船《アシワケヲブネ》。障多《サハリオホミ》。今來吾乎《イマコムアレヲ》。不通跡念莫《ヨドムトモフナ》。〔頭註、【一首寄v船、】〕
 
本(ノ)二句は、障多《サハリオホミ》をいはむためなり、水門《ミナト》に漕入る舟の、葦間を分るに、これかれ障(リ)多ければつづけたり、十一に、湊入之葦別小舟障多見吾念公爾不相頃者鴨《ミナトイリノアシワケヲブネサハリオホミアガモフキミニアハヌコロカモ》、とあり、○今來《イマコム》は、俗に、追(ツ)付(キ)來む、といふに同じ、(集中に、今《イマ》來《コ》む春も、土佐日記に、一(ト)うたに言のあかねば、今一(ツ)などあるは、又《マタ》と云に近き意なり、今(ノ)俗に、字音に、今度《コンド》と云も、この今《イマ》より出たるならむ、)この歌なるは、後の歌に、今來むと云しばかりに、又まつとし聞(カ)ば今歸り來む、などいふ、今に同じ、さて來《コム》は、こゝは行《ユカ》むといふべき所なるを、かくいへるは、妹が方を内にしていへる言にて、かの倭にはなきてか來《ク》らむといへる、來《ク》らむに同じ、○歌(ノ)意は、得さりあへぬ、さま/”\の障の多きが故に、速(カ)には得行ざれども、今追(ツ)付(キ)往むと思へるものを、吾(カ)心に緩《ユルミ》ありて、不通《ヨドム》とおもふことなかれ、といひおくれるなり、○此(ノ)一首、舟によせてよめるなり、
〔或本謌曰。湊人爾《ミナトイリニ》。蘆別小船《アシワケヲブネ》。障多《サハリオホミ》。君爾不相而《キミニアハズテ》。年曾經來《トシソヘニケル》。〕
 
2999 水乎多《ミヅヲオホミ》。上爾種蒔《アゲニタネマキ》。比要乎多《ヒエヲオホミ》。擇擢之業曾《エラエシワザゾ》。吾獨宿《アガヒトリヌル》。〔頭註、【二首寄v田、】〕
 
(322)上爾種蒔《アゲニタネマキ》、古事記海宮(ノ)條に、然而《シカシテ》、其(ノ)兄作(ラ)2高《アゲ》田(ヲ)1者《バ》、汝(カ)命(ハ)營(リタマヘ)2下田《クボタヲ》1、其(ノ)兄作2下田(ヲ)1者《バ》、汝(ガ)命(ハ)營(リタマヘ)2高田(ヲ)1、爲《シタマヘv然|者《バ》、吾(レ)掌《シレルガ》v水(ヲ)故(ニ)、三年之間《ミトセノホドニ》、必(ス)其(ノ)兄|貧窮《マヅシクナリナム》云々、(書紀にも、兄作2高田(ヲ)1者、汝可v作2※[さんずい+夸]田(ヲ)1云々、と見えたり、)上《アゲ》は、即(チ)この高田《アゲタ》にて、高き地の田なり、種《タネ》は稻種なり、(然るを畧解に、神代紀を引て、※[さんずい+夸]田《クボタ》は、田にて、高田《アゲタ》は畠を云なり、といひ、又種は畠物の種なり、と云るは、大《イミ》じき誤《ヒガコト》なり、高田※[さんずい+夸]田は、地の高下によりていふ稱にて、共にみな水田なり、右に引る古事記の文にも、吾掌v水(ヲ)故云々、とあれば、共に水田なること、いふまでもなきをや、)さてこゝは、※[さんずい+夸]田《クボタ》は水多きに過る故に、高田《アゲタ》に稲種を播しに、また高田《アゲタ》は水乾ること多ければ、草の種|除《ノゾ》きがたくて、あらぬ稗なども、まじりて、生るよしのつゞけなり、○歌(ノ)意は、※[さんずい+夸]田は水多くて、蒔|生《オホ》しがたき故に、高田に稲種を播《マキ》て、あらぬ稗草などまじれゝば、其を擢み捨る爲業の如くに、吾をば數ならずとて、思ふ人に擢み捨られて、夜獨宿をぞする、となり、十一人麿集(ノ)歌に、打田稈數多雖有擢爲我夜一人宿《ウツタニハヒエノアマタニアリトイヘドエラエシアレソヨルヒトリヌル》、とあり、(略解に、この十一の歌によりて、今の歌の業は、吾等二字の誤、吾は夜の誤にて、エラエシワレソヨルヒトリヌル〔エラ〜右○〕、と有べきなり、といへるは、いみじきさかしらなり、もとのまゝにて、よくきこえたるをや、又こゝは、さばかり字を誤るべき處にも、あらざるをや、)
 
3000 靈合者《タマシアヘバ》。相宿物乎《アヒネシモノヲ》。小山田之《ヲヤマダノ》。鹿猪田禁如《シシダモルゴト》。母之守爲裳《ハヽシモラスモ》。
 
靈合者は、タマシアヘバ〔六字右○〕と訓べし、靈《タマ》は魂にて、心の相協ふを、魂合《タマアフ》といへり、三(ノ)卷に、王之親魂(323)相也豐國乃鏡山乎宮登定流《オホキミノムツタマアヘヤトヨクニノカヾミノヤマヲミヤトサダムル》、十三に、玉相者君來益八跡《タマシアハバキミキマスヤト》云々、十四に、筑波禰乃乎※[氏/一]毛許能母爾毛利敝須惠波播巴毛禮杼毛多麻曾阿比爾家留《ツクハネノヲテモコノモニモリベスヱハハハモレドモタマソアヒニケル》、などもあり、○相宿物乎は、中山(ノ)嚴水が、アヒネシモノヲ〔七字右○〕、と訓るぞ宜き、○鹿猪田禁如《シシダモルゴト》は、山田には、猪《ヰノシヽ》鹿《カノシヽ》などのつけば、それを禁衛《マモ》るを、猪鹿田守《シヽダモル》といひて、その如く、母が女を守るなり、鹿猪田《シシダ》は、十六にも、荒城田乃子師田乃稲乎《アラキタノシシダノイネヲ》云々、○守爲裳《モラスモ》は、守爲《モラス》は守《モリ》の伸りたる詞にて、守(リ)賜ふと云(ム)が如し、裳《モ》は歎息の辭なり、○歌(ノ)意は、心の一(ト)すぢに相協へる君なればこそ、からくして相寢せしなれ、さるを何しに、鹿猪田《シシダ》を守る如くに、あながちに母の守り賜ふ事や、さても歎かしき事ぞ、とうらみて、女のよめるなるべし、○舊本に、一云母之守之師、と註せり、○以上二首、田によせてよめるなり、
 
3001 春日野爾《カスガヌニ》。照有暮日之《テレルユフヒノ》。外耳《ヨソノミニ》。君乎相見而《キミヲアヒミテ》。今曾悔寸《イマソクヤシキ》。【頭註、【八首寄2月日1、】〕
 
本(ノ)句は、外《ヨソ》に見といはむとての序なり、春日野に夕日のさすを、こなたより遙に見る意につづけたり、○歌(ノ)意は、よそながらに君を相見しのみにて、物思(ヒ)となれるが、中々に今更にぞ悔しき、となり、
 
3002 足日木乃《アシヒキノ》。從山出流《ヤマヨリイヅル》。月待登《ツキマツト》。人爾波言而《ヒトニハイヒテ》。妹待吾乎《イモマツアレヲ》。
 
乎《ヲ》は、ものをの意なり、乎《ヲ》は、しか欲《オモ》ふに、それに應《カナ》はぬをいふ詞なり、こゝは速く來よかしと欲《オモ》ふに、遲きをいへり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、十三に、百不足山田道乎《アシヒキノヤマダノミチヲ》云々、とある長歌(324)の末にいたりての五句、全(ラ)此(ノ)一首なり、たゞ彼處には、妹を君とせるが異れるのみなり、今は妹待とあれば、男の女の門近く至りて、出來むほどを待よしなれば、さてあるべきにこそ、
 
3003 夕月夜《ユフヅクヨ》。五更闇之《アカトキヤミノ》。不明《オホヽシク》。見之人故《ミシヒトユヱニ》。戀渡鴨《コヒワタルカモ》。
 
本(ノ)二句は、序なり、夕月夜《ユフヅクヨ》の頃は、必(ス)曉闇なれば、曉闇をいはむとて、夕月夜と云(ヒ)、さてその曉闇は、ほのぐらくおぼつかなきものなれば、不明《オホヽシ》をいはむとて、曉闇とはいへるなり、(夕月夜も、曉闇も、共に不明なれば、ならべて云りとおもふは、たがへり、)十一に、暮月夜曉闇夜乃朝影爾《ユフヅクヨアカトキヤミノアサカゲニ》云々、○不明は、オホホシク〔五字右○〕と訓るよろし、ほのかにおぼつかなき意なり、○見之人故《ミシヒトユヱニ》は、見し人なるものをの意なり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
3004 久堅之《ヒサカタノ》。天水虚《アマノミソラニ》。照日之《テレルヒノ》。將失日社《ウセナムヒコソ》。吾戀止目《アガコヒヤマメ》。
 
天水虚爾は、アマノミソラニ〔七字右○〕と訓べし、(アマツ〔三字右○〕と云は、例にたがへり、)例は、既く五(ノ)卷に出つ、水は、借(リ)字にて、御空《ミソラ》なり、○照日之《テレルヒノ》、阿野本、水戸本等に、日を月と作り、それによらば、テルツキノ〔五字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意、これもかくれなし、十五に、和多都美乃宇美爾伊弖多流思可麻河泊多延無日爾許曾安我故非夜麻米《ワタツミノウミニイデタルシカマガハタエムヒニコソアガコヒヤマメ》、とあるに意同じ、
 
3005 十五日|夜〔○で囲む〕《モチノヨニ》。出之月之《イデニシツキノ》。高高爾《タカタカニ》。君乎座而《キミヲイマセテ》。何物乎加將念《ナニヲカオモハム》。
 
十五日夜《モチノヨニ》、舊本に、夜(ノ)字なきは脱たるなるべし、○本(ノ)句は序なり、望月の東の天高くさし登る(325)を以て、高々《タカ/\》とつゞけたり、○高々爾《タカ/\ニ》は、既く多く出たり、四(ノ)卷にも、白雲之多奈引山之高々二吾念妹乎將見因毛我母《シラクモノタナビクヤマノタカ/\ニアガモフイモヲミムヨシモガモ》、とあり、今の歌は、高々《タカ/\》に佇《ツマダチ》て、待(チ)望みし君を、とつゞく意なるべし、○歌(ノ)意は、道に佇て待望みし君を、吾(カ)許に今夜おはしまさせたれば、何事をかはおもはむ、さらに物思ひもなし、とよろこべるなり、
 
3006 月夜好《ツクヨヨミ》。門爾出立《カドニイデタチ》。足占爲而《アウラシテ》。往時禁八《ユクトキサヘヤ》。妹二不相有《イモニアハザラム》。
 
足占《アウラ》は、歩の數を、兼て定めおきて、歩の奇偶をもて、合《アハム》と否《アハジ》とを知る卜事《ウラワザ》なり、なほ四(ノ)卷に、月夜爾波門爾出立夕占問足卜乎曾爲之行乎欲焉《ツクヨニハカドニイデタチユフケトヒアウラヲソセシユカマクヲホリ》、とある歌に、委(ク)註せり、(續古今集に、ゆきゆかずきかまはしきはいづかたにふみさだむらむあしの占山、)○歌(ノ)意は、月の清さに、門の前に出て、さてこよひ合《アハム》か否《アハジ》かと、足占《アウラ》をせしに、逢べき兆《シルシ》のありしによりてこそ、ふりはへ往たるに、かゝる時にさへ、妹にあはずして、むなしくかへるべき事かと、ふかくなげきたるなり、
 
3007 野干玉《ヌバタマノ》。夜渡月之《ヨワタルツキノ》。清者《サヤケクハ》。吉見而申尾《ヨクミテマシヲ》。君之光儀乎《キミガスガタヲ》。
 
歌(ノ)意は、くもれる夜に、あひて、男の容儀を委曲《ヨク》も見ざりしが、殘り多き事、と悔たるなり、
 
3008 足引之《アシヒキノ》。山呼木高三《ヤマヲコタカミ》。暮月乎《ユフヅキヲ》。何時君乎《イツカトキミヲ》。待之苦沙《マツガクルシサ》。
 
歌(ノ)意は、山の梢の木高き故に、出る月のおそきを、いつかと待如くに、君を待居る心の中の、苦しくさぶ/\しさ、いかばかりぞや、となり、○以上八首、日月に寄てよめるなり、
 
(326)3009 橡之《ツルハミノ》。衣解洗《キヌトキアラヒ》。又打山《マツチヤマ》。古人爾者《モトツヒトニハ》。猶不如家利《ナホシカズケリ》。〔頭註、【一首寄v山、】〕
 
本(ノ)句は、古人《モトツヒト》をいはむ料の序なり、まづ初(ノ)二句の意は、橡にて染たる衣の、ふくだみ垢づきたるを、解濯ひて、復擣《マタウツ》といふ意にて、眞土山《マツチヤマ》につゞけたり、多字《タウ》の切|都《ツ》なれば、又擣《マタウチ》は麻都知《マツチ》となれり、〔頭註、【兼良公令抄云、橡者、以搗橡并茜灰染之、】〕こゝに眞土《マツチ》を又打とかきたるは、即(チ)つゞけの意を、字にて解たるがごとし、六(ノ)卷長歌に、古衣又打山從《フルコロモマツチノヤマユ》、とあるも、今と同じ、さて麻都知《マツチ》と毛等都《モトツ》とは、音の親く通ふ故に、古《モトツ》人を云むとて、又打山《マツチヤマ》を設云るにて、此(レ)までは、歌(ノ)意にはあづからぬことなり、○古人《モトツヒト》は、もとあひかたらひし人にて、俗にいふ舊好《フルナジミ》のことなり、(源氏物語浮舟に、わびしくもあるかな、かばかりなるもとつ人をおきて、我(カ)方にまさる思ひは、いかでかつくべきぞと、ねたうおぼさる、)○歌(ノ)意は、もとあひかたらひし舊好《フルナジミ》の人に、いさゝかのゆゑよしなどありて、中絶て、又こと人にあひて、さて彼(ノ)舊好の人にくらべみれば、もとかたらひなれし人には、猶およばずありけり、とおもひかへしたるなり、十八に、久禮奈爲波宇都呂布母能曾都流波美能奈禮爾之伎奴爾奈保之可米夜母《クレナヰハウツロフモノソツルハミノナレニシキヌニナホシカメヤモ》、とあるに意同じ、○此(ノ)一首、山によせてよめるなり、
 
3010 佐保河之《サホガハノ》。河浪不立《カハナミタヽズ》。靜雲《シヅケクモ》。君二副而《キミニタグヒテ》。明日兼欲得《アスサヘモガモ》。〔頭註、【十首寄v水、】
 
本(ノ)二句は、靜《シヅケク》をいはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、今日如此靜かに、事もなく逢る如くに、明日までもがな、君に副ひてあらまほし、となり、
 
(327)3011 吾味兒爾《ワギモコニ》。衣借香之《コロモカスガノ》。宜寸河《ヨシキガハ》。因毛有額《ヨシモアラヌカ》。妹之目乎將見《イモガメヲミム》。
 
吾妹兒爾《ワギモコニ》云々は、妹に吾が衣を假《カス》と云意に、春日《カスガ》にいひかけたり、春日を借香《カスガ》とかけるも、つづけの意を字にて、解《コトワ》りたるごとき、一(ツ)の書樣なり、○宜寸河《ヨシキガハ》は、大和志に、宜寸川、源自2春日水屋峯1、經2野田(ヲ)1曰2水屋川(ト)1、遶2東大寺(ヲ)1至(リテ)2法蓮(ニ)1入2佐保川(ニ)1、とあり、さてこれまでは、因《ヨシ》をいはむ料の序なり、○因毛有額《ヨシモアラヌカ》は、因《ヨシ》もがな有(レ)かし、と希ふ意なり、額《ヌカ》の奴《ヌ》の言は、不《ヌ》の意にあらず、)禰《ネ》の通へるなり、有(レ)かしと希ふを、古言に、阿良禰《アラネ》と云(フ)、その禰《ネ》なり、さて有禰哉《アラネカ》と云べきを、音便のよろしきまゝに、禰《ネ》を奴《ヌ》に轉して、有奴哉《アラヌカ》といへるなり、これ古言の常(ノ)格なり、○歌(ノ)意は、いかで妹が目を見むしかたもがな、あれかし、となり、
 
3012 登能雲入《トノグモリ》。雨零河之《アメフルカハノ》。左射禮浪《サザレナミ》。間無毛君者《マナクモキミハ》。所念鴨《オモホユルカモ》。
 
登能雲入《トノグモリ》云々は、上の春日を、衣借香《コロモカスガ》といひかけし類にて、との曇りて雨零(ル)と云意に、石(ノ)上の布留《フル》河にいひかけたり、即(チ)零河《フルカハ》とかけるも、字にてつゞけの意を解《コトワ》れること、借香《カスガ》の例なり、さて登能雲入《トノグモリ》は、多那陰《タナグモリ》と云と同じく、一天|陰《クモ》り合たるをいふことなり、(契冲が、薄曇なり、といへるは、あたらず、)○左射禮浪《サザレナミ》は、細浪《サザレナミ》にて、これまでは、間無といはむ料の序なり、(略解に、此(ノ)下に、さゝ浪の浪越あぜにふる小雨間もおきて吾(カ)思はなくに、といふをおもへば、こゝも川浪に兩ふりて、いよよこまかなる浪のしわの見ゆるを、間なく思ふたとへとせるなるべし、(328)といへるは、わろし、この歌に、雨をいへるは、たゞ布留《フル》川をいはむ料のみのいひかけにて、さらに末(ノ)句までには、あづからざることなるをや、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3013 吾妹兒哉《ワギモコヤ》。安乎忘爲莫《アヲワスラスナ》。石上《イソノカミ》。袖振河之《ソテフルガハノ》。將絶跡念倍也《タエムトモヘヤ》。
 
吾妹兒哉《ワギモコヤ》は、吾妹子余《ワギモコヨ》といはむが如し、十三に、吾妹兒哉汝待君者《ワギモコヤナガマツキミハ》、奥津浪來因白珠《オキツナミキヨスルスラタマ》、邊浪之縁流白珠《ヘツナミノヨスルシラタマ》、求跡曾君之不來座《モトムトソキミガキマサヌ》云々、とあるに同じ、○安乎忘爲莫《アヲワスラスナ》は、吾を忘れたまふな、といはむが如し、忘爲《ワスラス》は、忘《ワスル》を延たる言にて、行《ユク》をユカス〔三字右○〕、立《タツ》をタヽス〔三字右○〕、などいふに同じく、さきの人を崇むる時に、かく延て云(フ)古言の格なり、○袖振河《ソテフルガハ》は、たゞ布留河《フルガハ》にて、集中に、をとめらが袖布留《ソテフル》山と詠(メ)るに同じ、さて布留河《フルガハ》を、振河とかけるも、上の零河等の例なり、○將絶跡念倍也《タエムトモヘヤ》は、絶むやは、絶べきに非ず、といふ意なり、念《モフ》は、たゞ輕く添たる詞なり、○歌(ノ)意、第三四(ノ)句は、序にて、行末いつまでも、中絶べきにあらざれば、吾妹子よ、汝も吾を、後つひにわすれ賜ふことなかれ、となり、
 
3014 神山之《カミヤマノ》。山下響《ヤマシタトヨミ》。逝水之《ユクミヅノ》。水尾不絶者《ミヲノタエズバ》。後毛吾妻《ノチモアガツマ》。
 
神山《カミヤマ》は、飛鳥の雷岳《カミヲカ》なるべし、○水見不絶者は、ミヲノタエズハ〔七字右○〕と訓べし、(ミヲシ〔三字右○〕とよめるは、いとわろし、)さて水屋《ミヲ》といふまでは、不絶《タエズ》をいはむとての料なり、○歌(ノ)意は、汝の心だにかはらずして、中絶ずあらば、この後いつまでも、吾は夫妻《ツマ》と思ふ心ぞ、となり、
 
(329)3015 如神《カミノゴト》。所聞瀧之《キコユルタギノ》。白浪乃《シラナミノ》。面知君之《オモシルキミガ》。不所見比日《ミエヌコノゴロ》。
 
如神《カミノゴト》は、如《ゴト》v雷《カミノ》にて、鳴雷《ナルカミ》の如く、瀧の音の響くよしなり、應神天皇(ノ)紀(ノ)歌に、彌知能之利古破※[人偏+嚢]塢等綿塢伽未能語等枳虚曳之介廼阿比摩區羅摩區《ミチノシリコハゼヲトメヲカミノゴトキコエシカドアヒマクラマク》、○白波乃《シラナミノ》これまでは序なり、白波《シラナミ》の灼然《イチシロ》き意に、面知《オモシル》といひつゞけたり、○面知君《オモシルキミ》とは、本居氏、面知《オモシル》はたゞ面を知(ル)といふ意のみにあらず、知(ル)は、いちじろき意にて、他の人にはまがはず、いちじるく見ゆる君、といふことなり、故(レ)瀧の白浪、或は末に、岡の葛葉を吹返しなどいへる、皆いちじろき物を序とせり、と云り、○不所見比日《ミエヌコノゴロ》は、この日ごろ見え來ぬよ、といふなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3016 山河之《ヤマカハノ》。瀧爾益流《タギニマサレル》。戀爲登曾《コヒストソ》。人知爾來《ヒトシリニケル》。無間念者《マナクシオモヘバ》。
 
歌(ノ)意は、古今集に、たぎつ心をせきぞかねつる、とよめる如く、間無く物思ふ胸の内の、たぎりわきかへるを、せきとめかねて、色に出しつれば、今は山川の瀧よりもまさりて、甚しく、やるせなき物思をすると云ことをぞ、人にしられつる、となり、(顯れて名の立を、瀧にたとへたるにはあらず、思ひ混(フ)べからず、)
 
3017 足檜木之《アシヒキノ》。山河水之《ヤマカハミヅノ》。音不出《オトニイデズ》。人之子※[女+后]《ヒトノコユヱニ》。戀渡青頭鷄《コヒワタルカモ》。
 
本(ノ)二句、は序にて、音《オト》に出(ヅ)と云のみにかゝりて、不出《イデズ》といふまでにはかゝらず、布留《フル》の早田の穗には出ずの例なり、○音不出《オトニイデス》は、音に立(テ)ずといはむが如し、○人之子※[女+后]《ヒトノコユヱニ》は、人の子なるもの(330)をの意なり、※[女+后](ノ)字ユエ〔二字右○〕とよむこと、既くいへり、○青頭鷄《カモ》は、鴨《カモ》にて、哉《カモ》の借(リ)字なり、鴨をかく書は、霰《アラレ》を丸雪と書る類なり、(漢名にはあらず、戀水《ナミダ》、西渡《カタブク》などかけるに似たることなり、此(ノ)類集中に甚多し、既く首(ノ)卷にいへり、)○歌(ノ)意は、人の子なるものを、さとも得思ひあきらめずして、しのび/\に戀しく思ひつゝ、月日を過すことかな、となり、
 
3018 高湍爾有《コセナル》。能登瀬乃河之《ノトセノカハノ》。後將合《ノチニアハム》。妹者吾者《イモニハアレハ》。今爾不有十方《イマナラズトモ》。
 
高湍爾有《コセナル》は、四言一句なり、高瑞《コセ》は、大和(ノ)國高市(ノ)郡|巨勢《コセ》なり、三(ノ)卷に、小浪礒越道有能登湍河音之清左多藝通瀬毎爾《サヾレナミイソコセヂナルノトセガハオトノサヤケサタギツセゴトニ》、とよめり、○第二(ノ)句までは、後をいはむ料の序なり、能登《ノト》と能知《ノチ》と音親(ク)
通へばつゞけたり、四(ノ)卷に、云々人者雖云若狹道乃後瀬山之後毛將會君《カニカクニヒトハイフトモワカサチノノチセノヤマノノチモアハムキミ》、○歌(ノ)意は、今人言のしげき時にあはずとも、かく契をふかめし中なれば、よしや後に、のどかにあひかたらはむ、となり、十一に、鴨川後瀬靜後相妹者我雖不今《カモガハノノチセシヅケシノチニアハムイモニハアレハイマナラズトモ》、四(ノ)卷に、一瀬二波千遍障良比逝水之後毛將相今爾不有十方《ヒトセニハチタビサハラヒユクミヅノノチニモアハムイマナラズトモ》、
 
3019 浣衣《アラヒキヌ》。取替河之《トリカヒガハノ》。河余杼能《カハヨドノ》。不通牟心《ヨドマムコヽロ》。思兼都母《オモヒカネツモ》。
 
浣衣《アラヒキヌ》(浣(ノ)字、一本には洗と作り、いづれにてもあるべし、衣(ノ)字、舊本に不と作るは誤なり、今は古寫本、類聚抄、拾穗本等に從つ、)は、枕詞なり、洗濯《アラ》ひ衣を、垢穢《ケガレ》たる衣に、取代て着るよしに、いひつゞけたり、○取替河《トリカヒガハ》は、略解に、和名抄に、大和(ノ)國添下(ノ)郡鳥貝、(止利加比《トリカヒ》)とある所の川にて、則(チ)(331)鳥見(ノ)小川なり、又大和物語にいへる鳥飼の御湯は、河内なり、いづれにか、といへり、今按(フ)に、鳥貝《トリカヒ》河とせむこと、まことにさもあるべきことなれど、上の衣借香《コロモカスガ》、雨零河《アメフルガハ》、袖振河《ソテフルガハ》、などあるを、つら/\併(セ)考(フ)るに、此《コヽ》も香火河《カヒガハ》など云河(ノ)名なるを、香火《カヒ》をいはむとて、浣衣取替《アラヒキヌトリカヒ》といひかけ、さて惜香《カスガ》等の例の如く、詞のつゞけの意を解《シラ》せむとて、替(ノ)字をかけるにもあらむか、なほかへさひ考へて、又も註《イフ》べし、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、人をこひしく思ふ心の切なることの、あまりにくるしきによりて、よしやすこしは、心をよどめ、思ひやみてまし、とおもひ試《コヽロム》れども、よどまるべくほおもはれず、さてもしみ着たる心や、となり、○以上十首水に寄てよめるなり、
 
3020 斑鳩之《イカルガノ》。因可乃池之《ヨルカノイケノ》。宜毛《ヨロシクモ》。君乎不言者《キミヲイハネバ》。念衣吾爲流《オモヒソアガスル》。〔頭註、【一首寄v池、】〕
 
班鳩《イカルガ》は、推古天皇(ノ)紀に、九年春二月、皇太子《ヒツギノミコ》興(リタマフ)2宮室於|斑鳩《イカルガニ》1、あり、大和(ノ)國平群(ノ)郡にあり、斑鳩群居しより、此(ノ)名ありと云り、法隆寺の古名、斑鳩寺といへば、今の法隆寺村ならむといへり、○因可乃池《ヨルカノイケ》は、今法隆寺村に在(ル)天滿の池にや、と或説にいへり、夫木集に、いかるがやよるかの池は氷れども富の小川ぞ流たえせぬ、とあり、さてこれまでは、宜毛《ヨロシクモ》をいはむとての序なり、○宜毛《ヨロシクモ》すべて與呂之《ヨロシ》とは、心の相應《アヒカナヒ》て、あかぬところなきをいふ言なり、靡相之宜君《ナビカヒシヨロシキキミ》が、朝宮を忘れ賜ふや云々、とあるを、思(ヒ)合(ス)べし、(略解に、或人、宜毛《ヨロシクモ》は、因《ヨ》らしくなりと云(ヘ)り、といへるは、非《ヒガコト》なり、)○君乎不言者は、乎は、之(ノ)字の誤にて、キミガイハネバ〔七字右○〕なるべし、さて宜くも君が言(ハ)ぬ(332)は、苦々敷《ニガ/\シク》云(フ)よしなり、○歌(ノ)意は、わがとかく思ひまつはせども、君がわれをうけひき相應《アヒカナ》ふけしきの見えず、いつも苦々《ニガ/\》しくのみいへば、物思をぞわれはする、となり、心だらひなることはあらずとも、せめて君が、さばかり苦々敷《ニガ/\シク》だにいはずは、かくはあるまじきを、との意を、思(ハ)せたるなり、○この一首、池によせてよめるなり、
 
3021 絶沼之《コモリヌノ》。下從者將戀《シタヨハコヒム》。市白久《イチシロク》。人之可知《ヒトノシルベク》。歎爲米也母《ナゲキセメヤモ》。〔頭註、【三首寄v沼、】〕
 
絶沼之《コモリヌノ》は、枕詞なり、十一に出たり、絶は、隱の草書より誤りしものなり、と岡部氏いへり。古事記に、許母理豆能志多用波閇都々由久波多賀都麻《ユモリヅノシタヨハヘツヽユクハタガツマ》、○下從者將戀《シタヨハコヒム》は、下には將v戀といふに同じく、隱《シノ》びに戀しく思はむ、となり、○歌(ノ)意は、たとひ思ひあまるとても、歎息の息をつきて、いちじるく、其(レ)その人の知ぬべくは、思はし、嗚呼《アハレ》くるしくはありとも、裏にのみ戀しく思ひつつをりて、つひに色にはあらはさじを、となり、
 
3022 去方無三《ユクヘナミ》。隱有小沼乃《コモレルヲヌノ》。下思爾《シタモヒニ》。吾曾物思《アレソモノモフ》。頃者之間《コノゴロノアヒダ》。
 
去方無三《ユクヘナミ》云々は、水のはけすたる方のなさに隱《コモ》れる、といふ意に、つゞきたり、二(ノ)卷に、埴安乃池之堤之隱沼乃去方乎不知舍人者迷惑《ハニヤスノイケノツヽミノコモリヌノユクヘヲシラニトネリハマドフ》、○隱有小沼乃は、コモレルヲヌノ〔七字右○〕と訓べし、下《シタ》をいはむ料の序なり、隱沼之下《コモリヌノシタ》とつゞくに同じ、○頃者之間は、コノゴロノアヒダ〔八字右○〕と訓べし、十(ノ)卷に、夜不深間《ヨノフケヌアヒダ》、とあり、(略解に、間の下に、乎(ノ)字を脱せる歟、といへれど、さにはあらじ、)十四に、於能(333)豆麻乎比登乃左刀爾於吉於保々思久見都々曾伎奴流許能美知乃安比太《オノヅマヲヒトノサトニオキオホヽシクミツヽソキヌルコノミチノアヒダ》、ともあり、事は異なれど、安比太《アヒダ》は、共に程《ホド》といふ意にて同じ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3023 隱沼之《コモリヌノ》。下從戀餘《シタヨコヒアマリ》。白浪之《シラナミノ》。灼然出《イチシロクイデヌ》。人之可知《ヒトノシルベク》。
 
隱沼之《コモリヌノ》、白浪之《シラナミノ》》は、共に枕詞なり、○歌(ノ)意は、しのび/\に、戀しく思ふ心のあまり溢れて、著然《イチシル》く人の知ぬべく、このごろは、色に出て、戀しく思はるとなり、此(ノ)歌、十七平群氏(ノ)女郎、贈2家持宿禰1歌十二首、の中に出たり、○以上三首、沼に寄てよめるなり、
 
3024 妹目乎《イモガメヲ》。見卷欲江之《ミマクホリエノ》。小浪《サヾレナミ》。敷而戀乍《シキテコヒツヽ》。有跡告乞《アリトツゲコソ》。〔頭註、【一首寄v江、】〕
 
妹之目乎《イモガメヲ》云々は妹が目を見むことを欲《ホル》、といふ意に、堀江《ホリエ》につゞけたり、○欲江《ホリエ》は、難波堀江《ナニハホリエ》なり、欲とかけるは、字にてつゞけの意を解《シラ》せたる、一(ツ)の書樣なること、上にたび/\いへるごとし、○小浪は、サゞレナミ〔五字右○〕と訓べし、(略解に、サゞラナミ〔五字右○〕とよめるはわろし、)敷而《シキテ》をいはむ料の序なり、浪の重《シキ》るといふ意につゞけたり、○歌(ノ)意は、重々《シク/\》に戀しく思ひつゝ居る、と云ことを、いかで妹につげよかし、と乞ふなり、十(ノ)卷に、和射美能嶺徃過而零雪乃《ワザミノミネユキスギテフルユキノ》厭毛無跡|白其兒爾《マヲセソノコニ》、とあるも、第四(ノ)句は、敷手念跡《シキテオモフト》を誤れるならむか、なほ彼處にいへるを、考(ヘ)合(ス)べし、○此(ノ)一首江に寄てよめるなり、
 
3025 石走《イハバシル》。垂水之水能《タルミノミヅノ》。早敷八師《ハシキヤシ》。君爾戀良久《キミニコフラク》。吾情柄《アガコヽロカラ》。〔頭註、【一首寄v水、】〕
 
(331)石走《イハバシル》は、枕詞なり、○垂水之水能《タルミノミヅノ》は、早敷八師《ハシキヤシ》をいはむ料の序にて、飛泉《タルミ》の走《ハシ》るといふ意に、つづけなしたり、さて垂水《タルミ》は、攝津(ノ)國の垂水《タルミ》にて、七(ノ)卷、八(ノ)卷等に見えたると、同處なるべし、神名帳に、攝津(ノ)國豐島(ノ)郡垂水(ノ)神社、(名神大、月次新甞、)とあり、姓氏録に、垂水《タルミノ》公(ハ)、豐城入彦(ノ)命四世(ノ)孫、賀表乃眞稚(ノ)命之後也、六世(ノ)孫、阿利眞(ノ)公、謚孝元天皇(ノ)御世、天下旱魃、河井涸絶、于時阿利眞(ノ)公、造2作《ツクリ》高樋(ヲ)1、以《ヲ》2垂水《タルミ》1四(ノ)山(ヨリ)基之《ヒキテ》、令v通《カヨハ》2宮内《オホミヤニ》1、供2奉《ツカヒマツリキ》御膳《ミケニ》1、天皇美(テ)2其功(ヲ)1、便賜2垂水(ノ)公(ノ)姓(ヲ)1、掌2垂水(ノ)神社(ヲ)1也、と見ゆ、○早敷八師《ハシキヤシ》は、愛《ハシ》きやしなり、愛《ハシ》きを早敷とかけるは、早をばハ〔右○〕とのみもいひける故なるべし、七(ノ)卷に、島傳《シマヅタフ》足速乃小舟、とあるを、アスハノヲブネ〔七字右○〕と訓たる人あり、これも早《ハヤ》を、ハ〔右○〕とのみいふことのあるときは、むげなることにはあらず、さて走《ハシ》ると云にも、早《ハヤ》き意あるが故に、愛《ハシ》きを早敷とかきて、字にてつゞけの意を、解《コトワ》れるごとき書樣なること、借香《カスガ》、零河《フルカハ》の例の如し、○歌(ノ)意は、愛《ウルハ》しき君を、かく思ひなやむ事は、たゞ假初の淺はかなる事にはあらず、心の底より、深く思ひ入たることぞ、となり、
 
3026 君者不來《キミハコズ》。吾者故無《アレハユヱナミ》。立浪之《タツナミノ》。數和備思《シバ/\ワビシ》。如此而不何跡也《カクテコジトヤ》。〔頭註、【一首寄v浪、】〕
 
吾者故無《アレハユヱナミ》は、吾は、君が方へ行べき故がなさにの意なり、○立浪之《タツナミノ》は、數《シバ/\》をいはむための枕詞なり、○數和備思《シバ/\ワビシ》は、(略解に、數はシバ/\〔四字右○〕ともよめども、重浪《シキナミ》ともいひて、浪にはシク/\〔四字右○〕といへること、集中に例多きによりて、シク/\〔四字右○〕と訓べし、といへるは、ひがことなり、浪の息(ム)と(335)きなく、屡々起意もて、シバ/\〔四字右○〕とつゞけむこと、何《ナ》てふことかあらむ、例は次にも引り、)心の息時なく、屡和備思《シバ/\ワビシ》となり、此(ノ)下にも、霍公鳥飛幡之浦爾敷浪之屡君乎將見因毛鴨《ホトヽギストバタノウラニシクナミノシバ/\キミヲミムヨシモガモ》、とあり、○歌(ノ)意は、君は吾(カ)許へ來まさす、吾は女の身なれば、君が方へ行べき故なきにより、しば/\わびしきを、かくわびさせて、さて終に君が來まさじとや、さてもつれなきことや、となり、○以上二首、水浪に寄てよめるなり、
 
3027 淡海之海《アフミノミ》。邊多波人知《ヘタハヒトシル》。奥浪《オキツナミ》。君乎置者《キミヲオキテハ》。知人毛無《シルヒトモナシ》。〔頭註、【三首寄v海、】〕
 
邊多《ヘタ》、神代紀に、海濱《ウミヘタ》、古今集に、大かたは我(カ)名も湊漕出なむ世を海|邊多《ヘタ》にみるめすくなし、後撰集に、何せむに邊多《ヘタ》のみるめを思ひけむ奥つ玉藻をかづく身にして、肥前(ノ)長崎にては、今も海邊を、海のへたと云とぞ、○歌(ノ)意、本居氏、此(ノ)歌、上(ノ)句は、四(ノ)句をへだてゝ、知人毛無《シルヒトモナシ》といふへかゝる序のみなり、其(ノ)序の意は、邊の浪は人皆知(レ)ども、沖の波は、遠き故に、知(ル)人もなしといふなり、是は只序のつゞけの意のみにて、さて歌(ノ)意は、下(ノ)句にあり、君を除《オキ》て、外に知(ル)人はなしと云のみなり、知人とは、逢見る人なり、と云り、君を除《オキ》て相知(ル)人は、世にさらにあるべくもなければ、いつまでも、つひに心のかはるべからず、されば君も然思ひ給ひて、行末長くあたし心を勿持給ひそ、といふ心を、告たるなるべし、
 
3028 大海之《オホウミノ》。底乎探目而《ソコヲフカメテ》。結義之《ムスビテシ》。妹心者《イモガコヽロハ》。疑毛無《ウタガヒモナシ》。
 
(336)底乎《ソコヲ》といふまでは、深目而《フカメテ》をいはむ料の序なり、○義之《テシ》の事は、既くいへり、○歌(ノ)意は、かたみに心を深めて、かたく契りしからは、妹が心に行末疑ふべきことも、さらになし、となり、
 
3029 貞能※[さんずい+内]爾《サダノウラニ》。依流白浪《ヨスルシラナミ》。無間《アヒダナク》。思乎如何《オモフヲイカデ》。妹爾難相《イモニアヒガタキ》。
 
貞能※[さんずい+内]《サダノウラ》(※[さんずい+内](ノ)字、舊本納に誤、今は官本、拾穗本等に從つ、類聚抄には浦と作り、)は、十一に既く出たり、此(ノ)下にも見ゆ、○如何の如(ノ)字、古寫本にはなし、さらぼナソモ〔三字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意、本(ノ)二句は序にて、かくばかり間無く妹を思へば、妹もさりとはあはれなる事と思ひて、あふ事もあるべきに、なにとてそのかひなく、あふ事の難きぞ、となり、○以上三首、海に寄てよめるなり、
 
3030 念出而《オモヒイデテ》。爲便無時者《スベナキトキハ》。天雲之《アマクモノ》。奧香裳不知《オクカモシラニ》。戀乍曾居《コヒツヽソヲル》。〔頭註、【三首寄v雲、】〕
 
天雲之《アマクモノ》は、まくら詞なり、○奥香裳不知《オクカモシラニ》は、底《ソコ》ひも不知《シラズ》に、といはむが如し、思ふ心の長《タケ》の、はかりしられぬ意なり、奥香《オクカ》は、奥處《オクカ》にて、行到り極りたる處を云言なれば、底《ソコ》ひといふに同じ意なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3031 天雲乃《アマクモノ》。絶多比安《タユタヒヤスキ》。心有者《コヽロアラバ》。吾乎莫令憑《アレヲナタノメ》。待者苦毛《マテバクルシモ》。
 
天雪乃《アマクモノ》は、まくら詞なり、○絶多比安《タユタヒヤスキ》は、猶豫《タメラ》ひ易《ヤス》きにて、やゝもすれば猶豫《タメラ》ひて、定りなき心を云、○吾乎莫令憑《アレヲナタノメ》(令(ノ)字、舊本にはなし、今は一本に從つ、)は、吾を勿憑《ナタノ》ませそ、といはむが如し、(萬勢《マセ》の切|米《メ》となれり、)吾を憑みに思はすることなかれの意なり、○歌(ノ)意は、君はやゝもすれ(337)ばためらひて、定りなき心あり、さやうの心あらむからには、吾をたのみにおもはせて、言清くの賜ふことなかれ、その言清きのみをたのみて、來ぬを待ば、さても苦しきものにてあるぞ、となり、
 
3032 君之當《キミガアタリ》。見乍母將居《ミツヽモヲラム》。伊駒山《イコマヤマ》。雲莫蒙《クモナタナビキ》。雨者雖零《アメハフルトモ》。
 
伊駒山《イコマヤマ》、十(ノ)卷に射駒山《イコマヤマ》とあり、既く彼處にいへり、十五にも見えたり、この山嶺を堺ひて、東は大和(ノ)國、西は河内(ノ)國なり、(これによりて、伊勢物語の文はつくれるなり、なほ下に引(ク)、)○雲莫蒙は、クモナタナビキ〔七字右○〕とよめるよろし、雲たなびくことなかれの意なり、蒙《タナビク》は、此(ノ)下にも、朝霞蒙山《アサカスミタナビクヤマ》、と書り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、岡部氏、いと切なる心より、かゝる事は、思ひもいひもする物なり、と云る如し、伊勢物語に、河内國高安(ノ)郡の女、大和の方を見やりて、君が當り見つつを居(ラ)む伊駒山雲なかくしそ雨はふるとも、といひて、見いだすに、からうして大和人こむ、と云り、よろこびてまつに、度々過ぬれば、君來むと云し夜ごとに過ぬればたのまぬものゝこひつゝぞをる、といひけれど、男すまずなりにけり、とて載たり、(續拾遺集に、伊駒山雲なへだてそ秋の月あたりの空は時雨なりとも、とあるは、今の歌によれり、)○以上三首、雲に寄てよめるなり、
 
3033 中中二《ナカナカニ》。如何知兼《イカデシリケム》。吾山爾《ハルヤマニ》。燒流火氣能《モユルケブリノ》。外見申尾《ヨソニミマシヲ》。〔頭註、【一首寄v煙、】〕
 
(338)二(ノ)字、古寫本には、爾と作り、○吾山爾は、集中に、吾岡《ワガヲカ》、吾島《ワガシマ》などもあれば、吾住(ム)地の山を、吾山《ワガヤマ》といはむはさることなれど、こゝは春山を燒煙をいへりと見ゆれば、略解にもいへるごとく、吾は春の誤にて、ハルヤマニ〔五字右○〕なるべくこそおもはるれ、○燒流火氣能《モユルケブリノ》は、春の野山を燒煙の立登るは、外にも見ゆるゆゑに、外見《ヨソニミ》といはむ料の序に設けたるなり、○歌(ノ)意は、はじめより、外目《ヨソ》にのみ見過してあらましかば、かく思ひに、もゆるばかりのことはあるまじきものを、何故にか、なまなかに、相知(レ)る中とはなりそめつらむ、と悔るなり、○此(ノ)一首、煙によせてよめるなり、
 
3034 吾妹兒爾《ワギモコニ》。戀爲便名鴈《コヒスベナカリ》。※[匈/月]乎熱《ムネヲアツミ》。旦戸開者《アサトアクレバ》。所見霧可聞《ミユルキリカモ》。〔頭註、【三首寄v霧、】〕
 
爲便名鴈《スベヘナカリ》は、無《ナク》2爲便《スベ》1在《アリ》、なり、久阿《クア》の切|可《カ》、○※[匈/月]乎熱《ムネヲアツミ》は、胸が熱《アツ》さにの意なり、胸の熱(キ)は、思ひに、燒焦《ヤケコガ》るゝを云り、○霧《キリ》は、氣噴《イブキ》の霧《キリ》なり、古事記に、吹棄気吹之狭霧《フキウツルイブキノサギリ》云々、集中六(ノ)卷に、茜刺日不並二吾戀吉野之河乃霧丹立乍《アカネサスヒナラベナクニワガコヒハヨシヌノカハノキリニタチツヽ》、七(ノ)卷に、此小川白氣結瀧至八信井上爾事上不爲友《コノヲガハキリタナビケリオチタギツハシヰノウヘニコトアゲセネドモ》、十五に、君之由久海邊乃夜杼爾奈里多々婆安我多知奈氣久伊伎等之理麻勢《キミガユクウミヘノヤドニキリタヽバアガタチナゲクイキトシリマセ》、(源氏物語明石にも、歎きつゝあかしの浦に朝霧の立やと人をおもひやるかな、とあり、)などある霧に同じく、物思ひなどするとき、吐(キ)出す白氣《イキ》をいへり、なほ五(ノ)卷に、大野山紀利多知和多流和何那宜久於伎蘇乃可是爾紀刊多知和多流《オホヌヤマキリタチワタルワガナゲクオキソノカゼニキリタチワタル》、とある歌の下に、既く委(ク)註せりき、○歌(ノ)意は、妹を思(ヒ)切《セマ》りて、せむか(339)たなく、夜もすがら胸を焦し明しつゝ、朝戸押明たれば、げにもことわりにこそあれ、むせかへれる胸の白氣《イキ》の、けぶり出ても見ゆる哉、嗚呼《アハレ》さて/\、なみ/\のことならず、ふかき歎息の氣噴《イブキ》ぞ、となり、(新撰萬葉に、思庭大虚障哉燃亘朝起雲緒烟庭爲手《オモヒニハオホソラサヘヤモエワタルアサタツクモヲケブリニハシテ》、
 
3035 曉之《アカトキノ》。朝霧隱《アサギリゴモリ》。反羽二《カヘリシニ》。如何戀乃《イカデカコヒノ》。色丹出爾家留《イロニイデニケル》。
 
曉之朝霧隱《アカトキノアサギリゴモリ》、朝《アサ》は鷄鳴《アカトキ》より以後を、廣く云稱なれば、かく重ねつゞけたり、(略解に、曉と朝は、本同じ事にて、曉、曙、朝と分つは、後なりといへるは、いさゝかたがへり、曉と朝とは、本同じ事にはあらざれども、曉は朝に属(キ)たるものなれば、曉を朝といふには妨なく、朝をば、なべて曉とはいふまじき、ことわりなるをや、)十五に、伊母乎於毛比伊能禰良延奴爾安可等吉能安左宜理其問理可里我禰曾奈久《イモヲオモヒイノネラエスニアカトキノアサギリゴモリカリガネソナク》、○反羽二、羽は爲(ノ)字の寫誤なり、カヘリシニ〔五字右○〕と訓べし、羽爲草書甚混(レ)易し、(略解に、岡部氏説によりて、羽は詞の誤ならむ、といへれど、詞(ノ)字を、シ〔右○〕の假字に用(ヒ)たる例なければわろし、)○歌(ノ)意は、人目をふかくしのへばこそ、曉の霧の紛れに起(キ)出て、女の許より歸りしなれ、さるをいかでか、わが戀の色に出て、人にしられつらむと、あやしめるなり、
 
3036 思出《オモヒイヅル》。時者爲便無《トキハスベナミ》。佐保山爾《サホヤマニ》。立雨霧乃《タツアマギリノ》。應消所念《ケヌベクオモホユ》。
 
歌(ノ)意、第三四(ノ)句は序にて、戀しく思ひ出る時は、せむかたなさに、身も消失ぬべく思はる、となり、○以上三首、霧に寄てよめるなり、
 
(340)3037 殺目山《キリメヤマ》。往反道之《ユキカフミチノ》。朝霞《アサガスミ》。髣髴谷八《ホノカニダニヤ》。妹爾不相牟《イモニアハザラム》。〔頭註、【一首寄v霞、】〕
 
殺目山《キリメヤマ》は、新古今集に、熊野にまうで侍しついでに、切目(ノ)宿にて、海邊眺望といへるこゝろを、をのこどもつかうまつりしに云々、とある處の山なり、本居氏(ノ)玉勝間に、切目山は、紀伊(ノ)國日高(ノ)郡熊野道の海邊にて、切目坂、切目浦、切目村あり、山は村より一里ばかり東北なり、村の北に、切目王子(ノ)社もあり、といへり、殺をキリ〔二字右○〕と訓は、四(ノ)卷にも、青山乎横〓雲之《アヲヤマヲヨコギルクモノ》云々、〓は殺に同じとあり、○朝霞《アサカスミ》、これまでは髣髴《ホノカ》といはむとての序なり、○歌(ノ)意は、直に相見る事は、かなふべからねば、ほのかになりとも、見まほしく思ふに、それだに心にまかせずやあらむ、となり、契冲、此は切目山をこえて、妹がり行て、いひかゝづらふ人の、いたづらに行ては歸りて、おもひわづらひて、よめりときこゆ、と云り、此は序歌ながら、所由《ユヱ》なく、殺目山《キリメヤマ》を取(リ)出(ヅ)べき謂《ヨシ》なければ、實《ゲニ》もさるよしにて、よめるにこそ、○此(ノ)一首霞に寄てよめるなり、
 
3038 如此將戀《カクコヒム》。物等知者《モノトシリセバ》。夕置而《ユフヘオキテ》。旦者消流《アシタハキユル》。露有申尾《ツユナラマシヲ》。〔頭註、【五首寄v露、】〕
 
旦者の者、古寫一本、活字本等にはなし、ある方宜し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3039 暮置而《ユフヘオキテ》。旦者消流《アシタハケヌル》。白露之《シラツユノ》。可消戀毛《ケヌベキコヒモ》。吾者爲鴨《アレハスルカモ》。
 
本(ノ)句は、加消《ケヌベキ》といはむとての序なり、○歌(ノ)意、大方のわざにはあらず、心肝も消失ぬべきばかりに、思をすることかな、となり、
 
(341)3040 後遂爾《ノチツヒニ》。妹爾將相跡《イモニアハムト》。旦露之《アサツユノ》。命者生有《イノチハイケリ》。戀者雖繁《コヒハシゲケド》。
 
妹爾の爾(ノ)字、舊本にはなし、阿野本にある方まされり、○歌(ノ)意は、今こそ思はしげくて、わりなけれど、後遂には、本意の如く、妹にあはずば止じとて、はかなき露(ノ)命を續て、生てこそあれ、となり、
 
3041 朝旦《アサナサナ》。草上白《クサノヘシロク》。置露乃《オクツユノ》。消者共跡《ケナバトモニト》。云師君者毛《イヒシキミハモ》。
 
本(ノ)句は、序なり、○歌(ノ)意は、死(ナ)ば共に死(ナ)む、おくれ先だちはせじと、かたくちぎりし其(ノ)君は、いづらやと、尋ね求むる謂に云るにて、絶て後、ほどへて、又思出てよめるなるべし、源氏物語桐壺に、かぎりあらむ道にも、おくれ先立じとちぎらせ賜ひけるを、さりとも打捨ては、得ゆきやらじと詔《ノタマハ》するを云々、新撰六帖に、いかにせむしなば共にと契る身の同じ限りの命ならずば、靈異記中卷に、禅師信嚴者、和泉(ノ)國泉(ノ)郡(ノ)大領、血沼(ノ)縣主倭麻呂也、觀2鳥(ノ)邪姪(ヲ)1出家《イヘデシ》、隨(テ)2行基大徳1、修v善(ヲ)求v道(ヲ)、但要語曰、與2大徳1倶死、必當3同往2生西方(ニ)1云々、信嚴無v幸、自2行基大徳1先命終也、大徳哭誄作v歌曰、加良須等伊布於保乎蘇等利能古等乎能未等母邇等伊比天佐岐陀智伊奴留《カラストイフオホヲソトリノコトヲノミトモニトイヒテサキダチイヌル》、
 
3042 朝日指《アサヒサス》。春日能小野爾《カスガノヲヌニ》。置露乃《オクツユノ》。可消吾身《ケヌベキワガミ》。惜雲無《ヲシケクモナシ》。
 
本(ノ)句は、序なり、○惜雲無《ヲシケクモナシ》は、惜き事も無(シ)、と謂なり、十一に、靈治波布神毛吾者打棄乞四惠也壽之?無《タマチハフカミモアレヲバウツテコソシヱヤイノチノヲシケクモナシ》、十五に、和伎毛故爾古布流爾安禮波多麻吉波流美自可伎伊能知毛乎之家久母奈(342)思《アギモコニコフルニアレハタマキハルミジカキイノチモヲシケクモナシ》、○歌(ノ)意は、思に心をなやましくるしめむよりは、中々に死《シニ》たらば安かるべきなれば、戀故に消失べき吾(ガ)身の、惜きこともさらになし、とせめていへるなり、上に中々二死者安六出日之入別不知吾四久流四毛《ナカ/\ニシナバヤスケムイヅルヒノイルワキシラヌアレシクルシモ》、○以上五首、露に寄てよめるなり、
 
3043 露霜乃《ツユシモノ》。消安我身《ケヤスキワガミ》。雖老《オイヌトモ》。又變若反《マタヲチカヘリ》。君乎思將待《キミヲシマタム》。〔頭註、【三首寄v霜、重出、】〕
 
露霜乃《ツユシモノ》は、まくら詞なり、○又變若反《マタヲチカヘリ》、舊本に、變(ノ)字なきは脱たるなり、既く十一に云るを、考(ヘ)合(ス)べし、〔頭註、【岡部氏考云、此歌、一二句の言と、三句より下と言の道違へり云々、他歌の交りし物といふべし、】〕○此(ノ)歌既く十一に出て、發句を、朝露之《アサツユノ》とかへたるのりみなり、さて彼(ノ)卷には、寄v物陳v思標中に、寄v露歌一類の中に收、此(ノ)卷には、同標中、寄v霜歌一類の中に收たるを、異なりとするのみ、
 
3044 待君常《キミマツト》。庭耳居者《ニハニシヲレバ》。打靡《ウチナビク》。吾黒髪爾《ワガクロカミニ》。霜曾置爾家類《シモソオキニケル》。
 
庭耳居者は、耳の下に、之(ノ)字などの脱たるか、耳をニ〔右○〕の假字に用たるは、此(ノ)上にも、外目耳毛《ヨソメニモ》とあり、また耳は西(ノ)字の誤か、いづれにまれ、ニハニシヲレバ〔七字右○〕と訓べし、(舊本にもかくよめり、略解に、ニハノミヲレバ〔七字右○〕と訓て、ニハノミ〔四字右○〕とは、ニハニノミ〔五字右○〕と云べきを、ニ〔右○〕の言を略ける古言の例ぞ、と云れど、さる例は、をさ/\あることなし、夢耳《イメノミ》、外耳《ヨソノミ》などいふことはあれども、其は甚く異なることなり、)此(ノ)下に、草枕羈西居者《クサマクラタビニシヲレパ》云々、十九に、安麻射可流夷爾之居者《アマザカルヒナニシヲレバ》云々、などの類、集中に往々《コレカレ》あるを考(ヘ)合(ス)へし、爾之《ニシ》は、さだかにしかりとする意のときにいふ詞なり、○打靡(343)は、ウチナビク〔五字右○〕と訓べし、髪の自(ラ)靡く謂なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、○舊本に、或本歌尾句云、白細布之吾衣手爾露曾置爾家留、と註せり、十一に、待不得而内者不入白細布之吾袖爾露者置奴鞆《マチカネテウチヘハイラジシロタヘノワガコロモテニツユハオキヌトモ》、
 
3045 朝霜乃《アサシモノ》。可消耳也《ケヌベクノミヤ》。時無二《トキナシニ》。思將度《オモヒワタラム》。氣之緒爾爲而《イキノヲニシテ》。
 
朝露乃《アサシモノ》は、次上の、露霜乃《ツユシモノ》とあるに同じく、まくら詞なり、○爲而《シテ》は、其(ノ)事をうけはりて、他事なく物する意のときにいふ辭なること、たび/\出たるごとし、○歌(ノ)意は、何時といふ時の定りもなしに、命にかけて嘆きて、肝魂も消失ぬべきばかりに、他事なく物思ひつゝ、月日を過さむか、となり、三五一二四と句を次第て、心得べし、○以上三皆、霜に寄てよめるなり、
 
3046 左佐浪之《サザナミノ》。波越安暫仁《ナミコスアゼニ》。落小雨《フルコサメ》。間文置而《アヒダモオキテ》。吾不念國《アガモハナクニ》。〔頭註、【一首寄v雨、】〕
 
左佐浪《ササナミ》は、小浪をいふなるべし、左射禮浪《サザレナミ》といふとは、言のもと、いさゝか異なるべし、こゝに左佐《ササ》と、清音の字を用ひたるをも思べし、さて左佐《ササ》は、左々蟹《サヽガニ》、左々栗《サヽグリ》などの左々《サヽ》にて、細少《サヽヤカ》なる意の言にやあらむ、(曾根好忠(ノ)集に、河上に夕立すらしみくづせくやなせのさ浪立さわぐなり、とよめるさ浪も、左々浪と同意にや、西行が、をみなへし池のさ浪に枝ひぢて物思ふ袖のぬるゝがほなる、夫木集に、雪氷みな上山にとけにけむ小川のさ浪さゞれこえけり、などあるさ浪も同じ、このさゞれは、細石《サヾレ》にて、水増れるによりて、小浪《サナミ》の細石《サヾレ》を越をいふなるべ(344)し、)○波越安暫仁(暫(ノ)字、拾穗本には※[斬/足]と作り、)は、ナミコスアゼニ〔七字右○〕と訓て、安暫《アゼ》は、田の畔背《アゼ》にや、(岡部氏は、安暫《アゼ》は、まぜることなり、今もまぜるを、あぜかへすといへり、此(ノ)歌は、さゝ浪の石こすにまぜて、小雨のふれば、波文のこまかに見ゆるを、間もおかぬことに、たとへしなり、といへれど、穩ならず、)本居氏は、安暫仁は、必誤字なるべし、といへり、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、間も置ずに、吾かくまで思ひわたることなるを、さても君が心のつれなきことよ、と歎きたるなり、その歎きたる意は、不念國《オモハナクニ》の詞に、含ませたるなり、○此(ノ)一首、雨に寄てよめるなり、
 
3047 神左備而《カムサビテ》。巖爾生《イハホニオフル》。松根之《マツガネノ》。君心者《キミガコヽロハ》。忘不得毛《ワスレカネツモ》。〔頭註、【二首寄v木、】〕
 
神左備而《カムサビテ》は、必(ズ)神のうへならでも、かう/”\しく物ふりたることにいへること、集中に多し、さて此(ノ)歌は、巖に生たる松の、年久しく物ふりて見ゆるをいへり、○松根之《マツガネノ》、これまでは序なるべし、さて序に設けたる意は、巖に生たる、松の根のからみつきて、凝々《コリ/\》しきよしにて、心《コヽロ》といふに係れるなるべし、(やがて心《コヽロ》といふも、凝々《コリ/\》しきよりいへる稱なるべし、即(チ)妹之心《イモガコヽロ》と云を、廿(ノ)卷には、以母加古々里《イモガコヽリ》、と有(リ)、又按(フ)に、松(ガ)根の常磐の如くに、いつも變らぬ君が心、と云意かともいふべけれど、古意ならず、)○歌(ノ)意は、うるはしき君が心は、しばしも忘るゝことかたくて、さても常に戀しくのみ思はるゝぞ、となり、
 
3048 御獵爲《ミカリスル》。鴈羽之小野之《カリヂノヲヌノ》。櫟柴之《ナラシバノ》。奈禮波不益《ナレハマサラズ》。戀社益《コヒコソマサレ》。
 
(345)鴈羽之小野《カリハノヲヌ》は、地(ノ)名なりと、本居氏云り、(これを鴈羽と書るは借(リ)字にて、獵場《カリバ》なりとするは非ず、凡某場と云場を婆《バ》と云は、後(ノ)世の言にて、正しさ古言にはなきことなり、其はもと、某|爾波《ニハ》と云(フ)爾《ニ》を、音便にン〔右○〕云なし、又其(ノ)ン〔右○〕を省けるものなり、さて凡の音便のン〔右○〕の下は、清音をも、濁らるゝをば、みな濁る例にて、ハ〔右○〕を濁れるを、後に又ン〔右○〕を省きても、なほ其(ノ)濁の殘れるものぞ、と本居氏のいへるが如し、されば古(ヘ)は、大庭《オホニハ》、弓場《ユニハ》、馬場《ウマニハ》など云場も、正しくは爾波《ニハ》と云るなり、獵場をも、書紀の訓にカリニハ〔四字右○〕とある、〔頭註、獵場之樂(書紀十四五丁、)】〕これ正しき古言のまゝなり、されば鴈羽は、獵場の意ならぬを知べし、今按(フ)に、鴈羽と云地は、古(ヘ)も今も聞及ばず、ことに古(ヘ)遊獵《ミカリ》などのありし地は、後までも名高く聞ゆることなるに、さる地(ノ)名を知(レ)る人もなきにつきて、いぶかり思ふに、こゝも、もとは鴈路之小野なりけむを、はやく字のまぎらはしき本によりて、御獵する獵場《カリバ》こそ理(リ)あれと、たやすく意得て、鴈羽と書しにはあらずや、獵路《カリヂ》は、此(ノ)下にも、遠津人獵道之池爾主鳥之《トホツヒトカリヂノイケニスムトリノ》云々、と見え、既く三(ノ)卷長(ノ)皇子、獵路野に遊獵《ミカリ》し賜ふ時、人麿のよめる長歌に、八隅知之吾大王《ヤスミシシワガオホキミ》、高光吾日乃皇子乃《タカヒカルワガヒノミコノ》、馬並而三獵立流《ウマナメテミカリタヽセル》、弱薦乎獵路乃小野爾《ワカコモヲカリヂノヲヌニ》、十六社者伊波比拜目鶉己曾伊波比回禮《シシコソハイハヒヲロガメウヅラコソイハヒモトホレ》云々、とありて、獵路《カリヂ》の小野は、古(ヘ)御獵に名高く、今も大和(ノ)國十市(ノ)郡に有といへり、故(レ)こゝも、鴈路之小野《カリヂノヲヌ》なりけむにこそ、御獵爲《ミカリスル》とあるにも、打あひてよろしく聞ゆれば、かくは云るなり、○櫟柴之《ナラシバノ》、(櫟(ノ)字、阿野本、類聚抄等には柏と作り、いかゞ、又(346)拾穗本に楢と作て、ナラノハノ〔五字右○〕と訓て、柴之(ノ)二字なきは、脱たるものなるべし、)これまでは、馴《ナレ》といはむとての序なり、奈良《ナラ》、奈禮《ナレ》と言を、疊ねてつゞけたり、大和物語に、わがやどをいつかは君がなら柴のならしがほにはをりにおこせる、(後撰集には、わがやどをいつならしてかならのはのならしがほにはをりにおこする、とあり、)櫟《ナラ》は即(チ)楢《ナラ》なり、品物解に委(ク)註り、(今の歌を、新古今集に出されたるにも、ならしばのとあり、しかるを、契冲、櫟(ノ)字を、ナラ〔二字右○〕とよめるを疑ひて云、櫟柴はイチシバ〔四字右○〕とよむべき歟、第十六に、櫟津《イチヒツ》、又允恭天皇(ノ)紀に、櫟井《イチヒヰ》、和名抄に、櫟子、和名|以知比《イチヒ》、とあり、イチシバ〔四字右○〕は第四に、市柴、第八に、五柴、第十一に、五柴原とよめり、イチヒシバ〔五字右○〕をイチシバ〔四字右○〕とも、イツシバ〔四字右○〕ともいふは、キツネ〔三字右○〕をキツ〔二字右○〕とのみも云に同じ、さて、ナレハマサラデ〔七字右○〕とつゞくるは、御狩場なれば、かり人の分ならす心にて、つゞけたり、と云るは、いみじきひがことなり、伊知比《イチヒ》を省きて、伊知《イチ》といへること、集中其(ノ)他の古書にも、をさ/\見えたることなし、證に引る市柴、五柴も、櫟柴《イチヒシバ》を謂《イヘ》るに非ず、此は、昔來《ムカシヨリ》、註者等も皆意得誤れることなり、此は余が考ありて、既く四(ノ)卷にも、十一(ノ)卷にも委(ク)註り、披(キ)見て考(フ)べし、又櫟(ノ)字をナラ〔二字右○〕に充たることも、古書に據あることにて、其(ノ)詳《クハシ》き事は、品物解にいひたれば、こゝに略けり、凡そ古(ヘ)は、人々の心々にて、字を充たること多ければ、一(ト)かたにつきて、字に泥むべきことには非ずかし、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、(源氏物語葵に、としごろ思ひきこえしほいなく、なれはまさ(347)らぬ御氣色の、こゝろうきことゝ、うらみ聞え給ふほどに年もかへりぬ、とあるは、今の歌に依て、書るなり、)○以上二首、木に寄てよめるなり、
 
3049 櫻麻乃《サクラアサノ》。麻原之下草《ヲフノシタクサ》。早生者《ハヤオヒバ》。妹之下紐《イモガシタヒモ》。不解有申尾《トケザラマシヲ》。〔頭註、【三十二首寄v草、】〕
 
本(ノ)二句は、十一に、櫻麻乃苧原之下草露有者令明射去母者雖知《サクラアサノヲフノシタクサツユシアレバアカシテイマセハヽハシルトモ》、とあり、櫻麻の事、彼處に註(ヘ)り、○歌(ノ)意は、中山(ノ)嚴水、早生者《ハヤオヒバ》とは、我よりさきに、妹にいひよする人のあるにたとふ、麻を作れる畠に、麻よりも下草の早く生(ヒ)立る如く、我よりさきに、妹にいひよする人の有しならば、かく我(ガ)爲に、妹が下紐をとくことは、得せざらましものを、人のいひよせぬうちに、我(ガ)早くいひよせたればこそ、我(ガ)物になりしなれ、とよろこぶなり、といへり、
 
3050 春日野爾《カスガヌニ》。淺茅標結《アサチシメユヒ》。斷米也登《タエメヤト》。吾念人者《アガモフヒトハ》。彌遠長爾《イヤトホナガニ》。
 
淺茅標結《アサチシメコヒ》は、女をわが手に入ることを、標結《シメユフ》といへば、其(ノ)標結をいはむとて、淺茅をとり出(テ)、さて其(ノ)標繩《シメナハ》の縁に、斷米也《タエメヤ》といへり、○斷米也登《タエメヤト》は、行末いつまでも、將《ム》v斷《タエ》やは不《ジ》v斷(エ)と、と云意なるを、淺茅に結たる標繩の、長くて不v斷(エ)と云意に、上より連(ケ)下したり、七(ノ)卷に、於君似草登見從我標之野山之淺茅人莫刈《キミニニルクサトミシヨリアガシメシヌヤマノアサチヒトナカリソネ》、山高夕日隱奴淺茅原後見多米爾標結申尾《ヤマタカミユフヒカクリヌアサチハラノチミムタメニシメユハマシヲ》、などよめるは、女のうるはしきを、淺茅にたとへたるなり、今の歌は標結をいはむ料のみにて、淺茅にことに用あるには非ず、○彌遽長爾《イヤトホナガニ》は、三(ノ)卷には、延葛乃彌遠永《ハフクズノイヤトホナガク》、とも、天地與彌遠長爾《アメツチトイヤトホナガニ》、ともよめり、○歌(ノ)意(348)は、遂に我(ガ)手に入(レ)て、いつまでも中絶じと要釣《チギ》りかためて、ふかく思ひ入たる女なれば、行末遠く長く離るゝことは、さらにあらじ、となり、
 
3051 足檜之《アシヒキノ》。山菅根乃《ヤマスガノネノ》。懃《ネモコロニ》。吾波曾戀流《ワレハソコフル》。君之光儀乎《キミガスガタヲ》。
 
足檜之《アシヒキノ》と書るは、檜をば、古(ヘ)は、比乃伎《ヒノキ》とも、比伎《ヒキ》とも云しから、即(チ)かくかけるなり、木(ノ)字を脱せしにはあらず、○歌(ノ)意、本(ノ)二句は序にて、かくれたるすぢなし、○舊本に、或本歌曰|吾念人乎將見因毛我母《アガモフヒトヲミムヨシモガモ》、と註せり、
 
3052 垣津※[弓+旗の旁〕《カキツハタ》。開澤生《サキサハニオフル》。菅根之《スガノネノ》。絶跡也君之《タユトヤキミガ》。不所見頃者《ミエヌコノゴロ》。
 
垣津※[弓+旗の旁〕《カキツハタ》は、開《サキ》とかゝれる枕詞なり、※[弓+旗の旁〕は旗(ノ)字なり、○開澤《サキサハ》は、佐紀《サキ》と云地の澤なり、四(ノ)卷に、娘子部四咲澤二生花勝見《ヲミナベシサキサハニオフルハナカツミ》、とよめるに同じ、○菅根之《スガノネノ》、これまでは、絶《タユ》と、いはむための序なり、菅を引ば、根の斷《タエ》きるゝよしにつゞけたり、(岡部氏(ノ)説に、集中、山菅には專ら根といへど、水の菅に根をいへるは、十一に、湖に核延子菅、と云るのみにて、外には見えず、こゝは前後山菅の中なれば、此(ノ)菅(ノ)根も山菅にて、二(ノ)句|開野《サキヌニ》生とや有けむ、と云るは、甚じき非なり、水の菅に根をいへるは、十八に、多豆我奈久奈呉江能須氣能根毛己呂爾《タヅガナクナゴエノスゲノネモコロニ》、ともあるをば、いかで見ざりけむ、さて十一に、垣津旗開沼之菅乎《カキツハタサキヌノスゲヲ》、とよめると同じく、こゝも佐紀澤の水に生たる菅なり、)○頃(ノ)字、舊本項に誤れり。類聚抄、拾穗本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意は、思ひ離ちて、絶むとての下心にや、(349)この頃君が見え來ざるらむ、となり、
 
3053 足檜木之《アシヒキノ》。山菅根之《ヤマスガノネノ》。懃《ネモコロニ》。不止念者《ヤマズシモハバ》。於妹將相可聞《イモニアハムカモ》。
 
本(ノ)二句は序なり、○歌(ノ)意、かく心長くやまずて、一すぢに深切に思はゞ、遂には妹があはれみて、逢事のあらむか、さても戀しく思はるゝ事ぞ、となり、
 
3054 相不念《アヒオモハズ》。有物乎鴨《アルモノヲカモ》。菅根乃《スガノネノ》。懃懇《ネモコロコロニ》。吾念有良武《アガモヘルラム》。
 
有物乎鴨《アルモノヲカモ》は、有(ル)ものを、何とてかも、と云意なれば、有物乎《アルモノヲ》の下に、何《ナニ》とてと云詞を、假に加へてきくべし、此(ノ)例集中にも、前後にをり/\あり、後の歌にも、往々《コレカレ》あり、古今集に、春の色の至り至らぬ里はあらじ咲る咲ざる花の見ゆらむ、久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ、などいへる類も、第三(ノ)句の下に、假に何とてと云詞を加へざれば、きこえがたし、みな同例なり、○歌(ノ)意、妹は相思はずてあるらむものを、何とてか、我はかく深く思ふならむ、さてもはかなしやと、みづからいぶかるさまにいへり、
 
3055 山菅之《ヤマスゲノ》。不止而公乎《ヤマズテキミヲ》。念可母《オモヘカモ》。吾心神之《ワガコヽロトノ》。頃者名寸《コノゴロハナキ》。
 
山菅之《ヤマスゲノ》は、枕詞なり、此(ノ)上にも、山草不止妹《ヤマスゲノヤマズモイモガ》とあり、山ぶきのやむときもなく、とつゞけたるに同じ、○念可母《オモヘカモ》は、思へばかの意なり、母《モ》の辭に、歎息をもたせたり、その歎息の意は、下にめぐらしてきくべし、一首のうへに關る辭なればなり、○心神は、コヽロト〔四字右○〕と訓べし、三(ノ)卷に、君師(350)不座者心神毛無《キミシマサネバコヽロトモナシ》、又、山隱都禮情神毛奈思《ヤマガクリツレコヽロトモナシ》、とあり、○歌(ノ)意は、君を止ずて思ふいたづきによりてか、この頃は、わが心神の消失て、なき心ちのするならむ、さてもせむ方なしや、となり、
 
3056 妹門《イモガカド》。去過不得而《ユキスギカネテ》。草結《クサムスブ》。風吹解勿《カゼフキトクナ》。又將顧《マタカヘリミム》。
 
妹門《イモガカド》云々、十一に、妹門去過不勝都久方乃雨毛零奴可其乎因將爲《イモガカドユキスギカネツヒサカタノアメモフラヌカソヲヨシニセム》、催馬樂|妹之門《イモガカド》に、妹が門やせなが門、行過かねてや我行ば云々、○草結《クサムスブ》とは、古(ヘ)人のもはらせしうけひ事にて、其は路傍などに自(ラ)生たる草を、さながら莖と莖とを結び合せて、わがなす事の成就《トゲ》むとならば、後日《ノチ》立還り來て見む時まで、解(ケ)ずてあれ、もし事成じとならば、自《オラ》解よとて、さて後に來て見て、事の成否《ナリナラジ》をしることなり、松(カ)枝などを結ぶも、これに同じ事ぞ、(然るを略解に、妹にあふまでのしるしに、草を結びおくなり、と云るは、いななる由にていへるにか、其(ノ)意さらに得がたし、又道の指南《シルベ》のために結ぶ事あり、七(ノ)卷に、近江之海湖有八十何爾加君之舟泊草結兼《アフミノミミナトヤソアリイヅクニカキミガフネハテクサムスビケム》、とある、是なり、また伊勢(ノ)集に、女の里にて、前栽のをかしければ、手ずさみに尾花を結びたりけるを、初の人來て見て、花薄我こそ下にたのみしか穗に出て人に結ばれにけり、公忠集に、醍醐の御時に、御前のすゝきの結ばれたるを御覽じて、あれはたが結びたるにか、と仰られければ、ほころびてまねくすゝきと見えしかばしどけなしとて我ぞ結びし、とある類は、たゞ手すさみにせし事と見ゆ、後拾遺集に、夏草は結ぶばかりに成にけり野飼し駒やあくがれぬらむ、(351)とも見ゆ、)○歌(ノ)意は、妹が門のまへをわたるほど、よそに見て過ゆくことはかたく、さすがに立寄むも、人目ゆゝしくて、又立かへり見むほど、いかであふべき表《シルシ》のあれかしと、うけひて草を結びおくに、其(ノ)結びの自《オラ》解なむは力(ラ)なきを、誤ても、風の吹解ことしもなかれ、となり、○舊本に、一云|直相麻底爾《タヾニアフマデニ》、と註せり、(麻※[氏/一]爾を、類聚抄に、麻之とあるは、寫誤れるものなるべし、)
 
3057 淺茅原《アサヂハラ》。茅生丹足蹈《チフニアシフミ》。意具美《コヽログミ》。吾念兒等之《アガモフコラガ》。家當見津《イヘノアタリミツ》。
 
本居氏、上二句は、家當見津《イヘノアタリミツ》といふへかけて見べし、意具美《コヽログミ》へかけて見べからず、といへり、○意具美《コヽログミ》は、中山(ノ)嚴水(ガ)説ありて、既く四(ノ)卷にいへり、こゝは心になつかしく思ふを、意具美吾念《コヽログミアガモフ》といへるなるべし、(契冲、意具美《コヽログミ》は、心ぐるしみなり、第四、第八、第十七などにも、心グシ〔二字右○〕とよめり、第九第十七に、メグシ〔三字右○〕とよめるは、目のくるしきにて、見ぐるしきなり、といへり、此(ノ)説は、今云ところとは表裏なり、こは茅生丹足蹈意具美《チフニアシフミコヽログミ》、とつゞけて心得て、茅生に足を蹈(ミ)艱難《カラク》して心ぐるしみ、といふ意に、聞たるにや、)○歌(ノ)意は、思(ヒ)にあまりて、せめてその家のあたりをだに見やりたらば、しばしは、心のなぐさむ方もあらむかと、淺茅原の、うばらからたちの中に足蹈(ミ)、艱難苦勞《カラク》して來て、心になつかしく思ふ女の、家の當(リ)を見やりつ、と云なるべし、○舊本に、一云|妹之家當見津《イモガイヘノアタリミツ》、と註せり、
 
(352)3058 内日刺《ウチヒサス》。宮庭有跡《ミヤニハアレド》。鴨頭草乃《ツキクサノ》。移情《ウツシコヽロヲ》。吾思名國《アガモハナクニ》。
 
内日刺《ウチヒサス》は、宮《ミヤ》の枕詞なり、既く數處《アマタトコロ》に出たり、○鴨頭草乃《ツキクサノ》も、まくら詞なり、此(ノ)草の花をもて、絹布などに移し着て染る故に、移《ウツ》しと云につゞけたり、(江次第(ノ)五に、鴨頭草(ノ)移(シ)二帖、上野、これは鴨頭草(ノ)花を紙に移し置て、又其を以て、絹布などに移し染る料とするを、移《ウツシ》と云なるべし、されどそれは、やゝ後のことにて、草木(ノ)花を、直に絹布の類にすり移すこと、すべて古(ヘ)のならはしなれば、今もそのこゝろなり、)○移情《ウツシコヽロ》とは、(移は借(リ)字ながら、上の枕詞よりつゞきたる意をしらせて、此字を書たるなり、承たる意は別なり、)現心《ウツシコヽロ》なり、此(ノ)上に、虚蝉之宇都思情毛吾者無《ウツセミノウツシコヽロモアゾハナシ》、とある、宇都思情《ウツシコヽロ》に同じ、(古來註者等、この移《ウツシ》を、人に心を移す意に心得たるは、大じきひがことなり、移とかける字は、たゞ枕詞よりのつゞけの意を、しらせたるのみなるをや、)○歌(ノ)意は、嚴重《オゴソカ》なる朝廷に、仕へ候らひてあれば、心も鎭りかへりて、萬事正眞にあるべき理なれども、深く思ふ人のあるによりて、吾は現々《ウツウツ》しき心もなきことなるを、となり、元來丈夫にして、ことに嚴重なる朝廷にさへ候ひたれば、さらにさはあるまじきを、なほ女を思ふ情には得堪ずして、おれ/\しき心のほどを、打あらはしいひたるが、あはれなり、(昔より、此(ノ)歌(ノ)意を、解得たる人なし、)
 
3059 百爾千爾《モヽニチニ》。人者雖言《ヒトハイヘドモ》。月草之《ツキクサノ》。移情《ウツロフコヽロ》。吾將持八方《アレモタメヤモ》。
 
(353)百爾千爾《モヽニチニ》は、色々種々《イロ/\サマ/”\》にいふことにて、かにかくにといはむが如し、○月草之《ツキクサノ》は、これもまくら詞なり、○移情、(上にいへる移情《ウツシコヽロ》と、字は同じかれど、意詞は別なり、)これはウツロフコヽロ〔七字右○〕と訓べし、變易《ウツロヒカハル》心を云り、(下に、唐棣花色之移安情有者《ハネズイロノウツロヒヤスキコヽロアラバ》云々、とあるに意同じ、)○歌(ノ)意は、わが他し心をもつ如く、人は色々種々《イロ/\サマ/”\》に云立(ツ)ることなれども、よしやさばれ、われは嗚呼《アハレ》君をおきて、外にうつろふ心をば、さらにもたぬものを、となり、
 
3060 萱草《ワスレグサ》。吾紐爾著《ワガヒモニツク》。時常無《トキトナク》。念度者《オモヒワタレバ》。生跡文奈思《イケルトモナシ》。
 
萱草《ワスレグサ》を身に帶て、思(ヒ)を忘るゝこと、既く三(ノ)巻の歌に、委(ク)註り、○歌(ノ)意、いつといふ時の定りなしに、戀しく思ひて、月日を經れば、生る心神《コヽロト》もさらになし、かくては身命も、得堪まじきによりて、いかで思ひを忘れなむと、萱草を紐に帶る、となり、
 
3061 五更之《アカトキノ》。目不醉草跡《メサマシグサト》。此乎谷《コレヲダニ》。見乍座而《ミツヽイマシテ》。吾止偲爲《アレトシヌハセ》。
 
五更之《アカトキノ》と云るは、契冲、曉は目さます時分なれば、目さまし草といはむためなり、といへる如し、○目不醉草《メサマシグサ》は、草(ノ)名には非ず、何にてもあれ、こなたより贈れる物をさして、いへるなるべし、(後(ノ)世に、茶の雅名を、目醒(シ)草と云とゾ、此《コヽ》は一種の品の名にはあらず、)草《クサ》は、志奴布草《シヌフグサ》、戀草《コヒグサ》、手向草《タムケグサ》、など云ときの草にて、何にも、其(ノ)品をさして云言なり、さて草と云る言によりて、草の一類の歌(ノ)中に、收たるなるべし、不醉と書るは、醒(ノ)字の意にて、酒の醒るを、眠の覺《サム》るにかり用た(354)り、と契冲云るが如し、○歌(ノ)意は、此(ノ)まゐらする品をだに、曉の目覺し種《グサ》と見つゝおはしまして、吾によそへ賜へと云おくりて、吾(ガ)深く思ひまゐらする心のほどを、いかですこしは、あはれとおぼしめせ、と云意を、告たるなるべし、○契冲、此(ノ)歌は、人に忘草をおくりて、よめりと聞ゆ、といへり、そは前後、萱草をよめる歌の中に、はさまりたれば、拘りたることのやうにも聞ゆれど、若(シ)其(ノ)説の如く、此(ノ)草を萱草とするときは、又説あるべし、そのときの意は、目覺し種《グサ》と見つゝ偲《シノ》ばせ、といへるは、反《ウラ》の意にて、君がこの頃とだえがちなるは、吾(ガ)事を忘れむとなるべし、よしさらば、此(ノ)忘草を帶て、ふつに忘れはてたまへ、忘るともなく忌れぬともなく、ためらひ賜ふは、こなたかなたにかゝりて、中々に思の種となり侍れば、中絶はつるにはしかじを、と人のうときさまになれるを、したに恨(ミ)て、わざとねぢけて、よみておくれる歌なるべき歟、
 
3062 萱草《ワスレグサ》。垣毛繁森《カキモシミヽニ》。雖殖有《ウエタレド》。鬼之志許草《シコノシコグサ》。猶戀爾家利《ナホコヒニケリ》。
 
繁森《シミヽ》は、繁々《シミシミ》の約りたる言なるべし、(シミ〔二字右○〕の切ミ〔右○〕となれり、)○鬼之志許草《シコノシコグサ》は、醜之醜草《シコノシコグサ》にて、深く惡み罵ていへる詞なり、四(ノ)卷に、萱草吾下紐爾著有跡鬼乃志許草事二思安利家里《ワスレグサワガシタヒモニツケタレドシコノシコグサコトニシアリケリ》、といふ歌に、委(ク)註(ル)せり、(岡部氏考(ニ)、志許草《シコグサ》は、紫苑にて、物をよく覺ゆる草なること、今昔物語にもいひつ、さて忘るやと植し草はかひなければ、こは醜の紫苑ぞと、にくみて云なり、といへるは、い(355)かゞ、)○歌(ノ)意は、わが物思ひを、いかでわすれむと、萱草を垣内にしげく殖置て、或は折て手に持(チ)、身に帶などすれど、猶得忘れがたきは、わすれ草といふは、名ばかりにて、何の益もなく、醜《ミニク》き醜《シコ》草にてあるなり、といたく罵てよめるなり、
 
3063 淺茅原《アサチハラ》。小野爾標結《ヲヌニシメユヒ》。空言毛《ムナコトモ》。將相跡令聞《アハムトキコセ》。戀之名種爾《コヒノナグサニ》。
 
本(ノ)二句は、空言《ムナコト》を、いはむとての序なり、十一に、朝茅原小野印空事何在云公待《アサチハラヒヲヌニシメユヒムナコトヲイカナリトイヒテキミヲバマタム》、又、淺茅原刈標刺而空事文所縁之君之辭鴛鴦將待《アサチハラカリシメサシテムナコトモヨセテシキミガコトヲシマタム》、とあり、空言とつゞくる意、彼處に委(ク)註り、(略解に、一二(ノ)句は、とり留めもなき、かねごといふたとへなり、と云るは誤なり、)○空言は、ムナコト〔四字右○〕と訓べし、(古來ソラコト〔四字右○〕とよめるは、大《イミ》じき誤なり、そも/\空(ノ)字に、ソラ〔二字右○〕とムナ〔二字右○〕との兩訓あり、前(ノ)字に、サキ〔二字右○〕とマヘ〔二字右○〕との兩訓あり、中(ノ)字に、ナカ〔二字右○〕とウチ〔二字右○〕との兩訓ありて、これらは、字は同じ字ながら、言にはいたく差別《ケヂメ》あることなるを、中世以降は、字にのみ泥(ヅ)みて、これらの差あることを辨へずして、混(ヘ)云ることの多きは、あさまし、)○令聞《キコセ》は、のたまへと云に同じ、十一に、狗上之《イヌカミノ》云々|不知二五寸許瀬《イサトヲキコセ》、とある歌に、委(ク)釋(ケ)り、○歌(ノ)意は、まことにあはむとのたまはむことは、及(ビ)なし、空言《ムナコト》にだにも、あはむとのたまへ、實情にさることは、のたまふべきにあらねば、虚言なりと云ことは、かねてよく知をれども、もしは百に一(ツ)も、吾をあはれみて、心ゆるせることもあらむかと、それをせめての、戀の心なぐさめにせむを、と吾につれなきをかこちて、云おく(356)れるなり、○舊本に、或本歌曰|將來《コムト》知志|君矣志將待《キミヲシマタム》、又見2柿本朝臣人麿歌集1、然落句少異耳、と註せり、本居氏、知は言(ノ)字の誤か、言志《イヒテシ》ならではきこえず、といへり、人麿歌集は、右に引十一の何在云公待《イカナリトイヒテキミヲバマタム》、とあるこれなり、
 
3064 人皆之《ヒトミナノ》。笠爾縫云《カサニヌフチフ》。有間菅《アリマスゲ》。在而後爾毛《アリテノチニモ》。相等曾念《アハムトソモフ》。
 
人皆之《ヒトミナノ》、(舊本には、皆人之と作て、ヒトミナノ〔五字右○〕とよめる訓は宜し、)今は古本、元暦本等に從つ、○本(ノ)句は、在《アリ》といはむための序なり、十一に、王之御笠爾縫有在間菅有管雖看事無吾妹《オホキミノミカサニヌヘルアリマスゲアリツヽミレドコトナシワギモ》、とあり、○歌(ノ)意は、あり/\て、年月經て後にも、あはむふとぞおもふ、となり、
 
3065 三吉野之《ミヨシヌノ》。蜻乃小野爾《アキヅノヲヌニ》。刈草之《カルカヤノ》。念亂而《オモヒミダレテ》。宿夜四曾多《ヌルヨシソオホキ》。
 
蜻乃小野《アキヅノヲヌ》は、吉野にあり、既く出つ、(後(ノ)世に、かげろふの小野と云、即(チ)其(ノ)地なり、其(ノ)上つ方の瀧を、清明が瀧といへり、蜻《アキヅ》を、蜻螟と書が故に、其を字音に呼て、後つひに字をも書かへたるなるべし、といへり、)○刈草之《カルカヤノ》、此までは、亂《ミダレ》といふにかゝれる序なり、草《カヤ》は、主とは芒《スヽキ》の事にて、屋葺料にする草を、すべて加也《カヤ》とはいへり、既く委(ク)註り、(後にかるかやとて、一種の草(ノ)名とするは、古(ヘ)にたがへり、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3066 妹待跡《イモガケル》。三笠乃山之《ミカサノヤマノ》。山菅之《ヤマスゲノ》。不止八將戀《ヤマズヤコヒム》。命不死者《イノチシナズバ》。
 
妹待跡は、六(ノ)卷に、妹之着三笠山爾《イモガケルミカサノヤマニ》、とあるによりておもふに、待跡は、我服などの誤寫にて、こ(357)ここもイモガケル〔五字右○〕なるべし、(さるを妹待跡といふ詞も、集中に多きによりて、ふとかきあやまれるならむ、)十一に、君之服三笠之山爾《キミガケルミカサノヤマニ》云々、古今集旋頭歌に、君がさす三笠の山の紅葉の色云々、などあり、みな三笠山の枕詞なり、○本(ノ)句は、不止《ヤマズ》をいはむ料の序なり、此(ノ)上にも、山菅之不止而公乎《ヤマスゲノヤマズテキミヲ》云々、○歌(ノ)意は、命終たらむ後はしらず、生てあらむかぎりは、いつまでも止ずて、かやうに戀しく思はむか、となり、
 
3067 谷迫《タニセバミ》。峯邊延有《ミネヘニハヘル》。玉葛《タマカヅラ》。令蔓之有者《ハヘテシアラバ》。年二不來友《トシニコズトモ》。
 
谷迫《タニセバミ》云々は、谷が狹さに、延(ヒ)わたりひろごる方なくて、峯までに蔓のぼれる意なり、十一に、山高谷邊蔓在玉葛《ヤマタカミタニヘニハヘルタマカヅラ》、とあるは、山が高さに、得延(ヒ)のぼらずして、谷邊に蔓有《ハヘル》にて、今とは表裏の意なり、十四に、多爾世婆美彌年爾波比多流多麻可豆良多延武能己許呂和我母波奈久爾《タニセバミミネニハヒタルタマカヅラタエムノココロワガモハナクニ》、とあるは、今と意全(ラ)同じ、○峯邊延有《ミネヘニハヘル》、峯邊《ミネヘ》と云ることは、(もとより云まじき詞にはあらねど、)此(ノ)集はさらにて、他の歌書どもにても、此(ノ)歌の外に見當りたることなし、伊勢物語に、谷迫み峯迄はへる玉葛たえむと人に我思はなくに、とあるによりて、思ふに、若は此(ノ)邊も、迄(ノ)字の誤寫にて、ミネマデハヘル〔七字右○〕にてありしにはあらざる歟、猶考(フ)べし、○令蔓之有者《ハヘテシアラバ》は、思ひ交《カハ》す心の、絶ずあらば、と云むが如し、(令蔓は、ハヽセ〔三字右○〕にて、其(ノ)ハヽセ〔三字右○〕は、ハヘ〔二字右○〕と約れば、かく書り、)十四に、可美都家野安蘇夜麻都豆良野乎比呂美波比爾思物能乎安是加多延世武《カミツケヌアソヤマツヅラヌヲヒロミハヒニシモノヲアゼカタエセム》、之《シ》は、その一(ト)すぢなる(358)ことを、重く思はする助辭なり、○歌(ノ)意は、われと思ひ交《カハ》すこゝろの、一(ト)すぢにたえずてあらば、たとひ一年來まさずとも、物は思はじを、君が心のいかならむ、末おぼつかなければ、かくこそ物思ひはすなれ、となり、○舊本に、一云|石葛令蔓之有者《イハツナノハヘテシアラバ》、と註せり、石葛《イハツナ》は、石に蔓たる絡石《ツタ》なり、六(ノ)卷に註り、
 
3068 水莖之《ミヅクキノ》。崗乃田葛葉緒《ヲカノクズバヲ》。吹變《フキカヘシ》。面知兒等之《オモシルコラガ》。不見比鴨《ミエヌコロカモ》。
 
水莖之《ミヅクキノ》は、崗《ヲカ》のまくら詞なり、既く本居氏(ノ)説を引て、六(ノ)卷に委(ク)註り、○崗乃田葛葉《ヲカノクズバ》、十(ノ)卷に、鴈鳴之寒鳴從水莖之岡乃葛葉者色付爾來《カリガネノサムクナキシユミヅクキノヲカノクズバハイロヅキニケリ》、○吹變《フキカヘシ》、風といはざれども、吹返しとよめるは、古歌の例なり、と契冲云り、開《サク》とのみ云て、花のことゝ聞え、散《チル》とのみ云て、黄葉のことと聞ゆると同じ、さて田葛葉《クズバ》を吹返せば、裏のかたの、いちじるく見ゆるを以て、面知《オモシル》をいはむ料の序とせり、○面知兒等《オモシルコラ》とは、他人にまがはず、いちじるく見ゆる子等《コラ》、と云意なり、上に面知君《オモシルキミ》とある歌に、委(ク)註り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、(新古今集に、家持(ノ)歌とて、水くきの岡のこの葉を吹かへし誰かは君を戀むと思ひし、とて載られたり、)
 
3069 赤駒之《アカゴマノ》。射去羽計《イユキハバカル》。眞田葛原《マクズハラ》。何傳言《ナニノツテゴト》。直將吉《タヾニシエケム》。
 
射去羽計《イユキハバカル》は、(計(ノ)字、舊本には許と作り、今は拾穗本に從つ、三(ノ)卷不盡(ノ)山の歌に、白雲母伊去波伐加利《シラクモモイユキハバカリ》云々、とあり、契冲云、伊《イ》は發語、去羽計《ユキハバカル》は、眞田葛原《マクズハラ》の、馬の蹄《ヒヅメ》にまつはるれば、行ことをは(359)ばかるなり、拾遺集雜戀に、みかりするこまのつまづくまくず原君こそまろがほだしなりけれ、○傳言《ヅテゴト》は、人傳《ヒトヅテ》なり、雄略天皇(ノ)紀に、流言とも、飛聞ともかきて、ツテゴト〔四字右○〕とよめり、○歌(ノ)意は、契冲云、眞くず原にこそ、駒のつまづけば、ゆきはゞかるなれ、さるさはりもなきに、なぞやなほざりのつてごとのみはする、直に來てあはむこそよけれ、となり、○此(ノ)歌、書紀にては、童謠なれば、意異なるべし、天智天皇(ノ)紀、十年十二月癸亥朔乙丑、天皇崩2于近江(ノ)宮(ニ)1、癸酉、殯(ス)2于新宮(ニ)1、于時童謠曰云々、阿箇悟馬能以喩企波々箇屡麻矩儒播羅奈爾能都底擧騰多※[手偏+施の旁]尼之曳鷄武《アカゴマノイユキハヾカルマクズハラナニノツテゴトタダニシエケム》、とあり、赤駒の眞葛原に馳入(ル)に、足をまつはれて、行難にする如く、憚りなづみて、傳言《ツテゴト》すなるは、何事ぞ、人傳ならずとも、直に云寄(リ)なば、善《ヨ》かるべきを、と云るにて、大友(ノ)皇子の、天武天皇に、直に云寄(リ)賜ひなば、和睦《コトナゴミ》たまふべきことなるを、と云意をさとして、あらかじめ童謠にうたへるならむか、
 
3070 木綿疊《ユフタヽミ》。田上山之《タナカミヤマノ》。狹名葛《サナカヅラ》。在去之毛《アリサリテシモ》。不今有十方《イマナラズトモ》。
 
木綿疊《ユフタヽミ》は、まくら詞なり、此は、木綿帖疊《ユフタヽミタヽナハ》ると云意に、いひかけたるなり、木綿疊のことは、既く六(ノ)卷に委(ク)いへり、(これを冠辭考に、手に取(リ)持て手向る意にて、手の上(ミ)とつゞけしなるべし、と云るは、いみじきひがことなり、たゞ手の上と云たるばかりにて、いかでか手に取(リ)持(ツ)意とは、通ゆべき、)○田上山《タナカミヤマ》は、一(ノ》卷に出つ、○狹名葛《サナカヅラ》、此までは、在去《アリサリ》といはむとての序にて、葛の在(リ)(360)在(リ)て絶ず連きたる意に、いひかけたり、○在去之毛《アリサリテシモ》は、在々而《アリ/\テ》しもといはむが如し、在去《アリサリ》は、在之在《アリシアリ》の約れる言なり、之阿《シア》の切|佐《サ》、春之在者《ハルシアレバ》、秋之在者《アキシアレバ》を、春去者《ハルサレバ》、秋去者《アキサレバ》と云に同じ、袖中抄に、萬葉に、なぐさやまことにざりけりわが戀のちへのひとへもなぐさまなくに、とある、ことにざりけりは、言にし有けり、と云詞なり、としるせり、此は七(ノ)卷に、名草山事西在來《ナグサヤマコトニシアリケリ》、とある歌なり、かの歌を、古くは、ことにざりけりとよみたるゆゑに、かくいへるなり、さてさりけりは、しありけりと云詞なり、と云る、さることにて、今も其(レ)に全(ラ)同じ.之毛《シモ》は、多かる事の中を取出ていふ助辭にて、此《コヽ》はたしかに、其(ノ)事をとりたてゝいふなり、○歌(ノ)意は、在々て後にも、遂に逢むとしも、たしかに思ふとならば、たとひ今ならずとも、よしや心長く待むを、となり、
 
3071 丹波道之《タニハヂノ》。大江乃山之《オホエノヤマノ》。眞玉葛《マタマヅラ》。絶牟乃心《タエムノコヽロ》。我不思《アガモハナクニ》。
 
大江乃山《オホチノヤマ》は、天武天皇(ノ)紀に、八年十一月、初(テ)置2關(ヲ)於龍田山、大江(ノ)山1、とあり、山城丹波の境にありて、今はおいの坂と云よしなり、園大暦に、於伊坂と作り、和名抄に、山城(ノ)國乙訓郡大江、とあり、この郷即(チ)丹波(ノ)國桑田(ノ)郡にも、わたれるなるべし、(小式部が、大江山生野の道の、とよみしも、これなり、といへり、又丹後國にも大江山と云てあり、世に酒顛童子が住し山なり、と云傳る、其は別地なり、)○眞玉葛(玉(ノ)字、類聚抄、拾穂本等にはなし、それに從ば、サネカヅラ〔五字右○〕と訓べし、現存六帖に、夏來れば大江の山の玉かづらしげりにけりな道見えぬまで)は、マタマヅラ〔五字右○〕とこそ(361)訓べけれ、と田中(ノ)道麻呂いへり、と本居氏云り、さてこれも、不v絶(エ)と云意につゞく序なり、○絶牟乃心《タエムノコヽロ】は、絶むと思ふ心、といふほどの意なり、かうやうに、云々|牟乃心《ムノコヽロ》とつゞく云樣は、古今集戀(ノ)四に、君や來む吾や行むのいざよひに、源氏物語桐壺に、此(ノ)君にたてまつらむの御心なりけり、云々、紅葉(ノ)賀に、見せたてまつらむの心にて云々、みかど、おりゐさせ賜はむの御心づかひ、ちかう成て云々、紫式部日記に、忍ぶとおもふらむを、あらはさむのこゝろにて、此等の格なり、○歌(ノ)意は、我は絶むと思ふ心は、さらになきことなるを、君が心こそ、おぼつかなけれ、となり、十四に、多爾世婆美彌年爾波比多流多麻可豆良多延武能己許呂和我母波奈久爾《タニセバミミネニハヒタルタマカヅラタエムノココロワガモハナクニ》、
 
3072 大埼之《オホサキノ》。有礒乃渡《アリソノワタリ》。延久受乃《ハフクズノ》。往方無哉《ユクヘモナクヤ》。戀渡南《コヒワタリナム》。
 
大埼《オホサキ》は、紀伊(ノ)國の、南へさし出たる埼なり、六(ノ)卷に、大埼乃神之小濱者《オホサキノカミノヲハマハ》、とある歌につきて、委(ク)註り、○延久受乃《ハフグズノ》、これまでは序なり、かくて、田葛の蔓《ツル》は、東西《トザマカクザマ》己がまゝ蔓《ハヒ》わたる物なるに、礒邊にはへるは、岸際《キシギハ》をかぎりて、蔓《ハヒ》ゆくことかなはぬよしにて、徃方無《ユクヘナク》とつゞけたるなるべし、さらずば、山野をおきて、殊に荒礒の渡を取出て、よみあはすべきよしなし、と弘蔭いへり、田葛は、山野にかぎらず、渡門の礒岸などにも、多く蔓ものなればいへるなるべし、又本居氏は、此(ノ)一句、※[手偏+旁]舟乃《コグフネノ》とあるべき歌なり、昔より誤りたるなるべし、といへり、○歌(ノ)意は、むせかへる心の、徃(キ)すぐる方もなく、ひたすらに戀しく思ひつゝ、月日を過しなむ歟、となり、
 
(362)3073 木綿疊《ユウタヽミ》。田上山之《タナカミヤマノ》。佐奈葛《サナカヅラ》。復毛必《ノチモカナラズ》。將相等曾念《アハムトソモフ》。
 
疊、舊本※[果/衣]と作て、一云疊と註せるに從つ、○田上山《タナカミヤマ》(田上、舊本に白月と作り、誤なり、夫木集に、さびしとや松に霜おく有明のしら月山の峯になく鹿、とあるも、字の誤れるにつきてよめるなり、誤來れることやゝ舊《ヒサ》し、今は古寫一本に從つ、既く、白月とあるは、田上の誤なるよし、岡部氏(ノ)冠辭考にも、委(ク)辨へたり、)は、一(ノ)卷に見えて、此(ノ)上にも出(ツ)、○佐奈葛《サナカヅラ》は、契冲もいへるごとく、はひわかれても、後にまたはひあふことのあるによりて、後も逢むといふにつゞけたり、二(ノ)卷に、狹根葛後毛將相等《サネカヅラノチモアハムト》云々、とあるも同じ、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、上にも、在而後爾毛相等曾念《アリテノチニモアハムトソモフ》、とあり、○舊本に、或本謌曰將絶跡妹乎吾念莫久爾、と註せり、
 
3074 唐棣花色之《ハネズイロノ》。移安《ウツロヒヤスキ》。情有者《コヽロアレバ》。年乎曾寸經《トシヲソキフル》。事者不絶而《コトハタエズテ》。
 
唐棣花色之《ハネズイロノ》は、まくら詞なり、四(ノ)卷に、不念常曰手師物伊乎翼酢色之變安寸吾意可聞《オモハジトイヒテシモノヲハネズイロノウツロヒヤスキワガコヽロカモ》、とある歌に、委(ク)註り、さて唐棣は、木なり、しかるに、上にも云るごとく、此(ノ)前後三十二首ありて、みな草に寄てよめる歌を以て、一類とせるを思ふに、この波禰受《ハネズ》も、小木なれば、草(ノ)類と心得て、こゝに入しにやあらむ、○事は借(リ)字にて、言なり、○歌(ノ)意は、契冲云、人の心のあだにして、うつろひやすければ、さすがに、ことばのかよひはたえねど、あはずして年を來り經る、となり、
 
3075 加此爲而曾《カクシテソ》。人之死云《ヒトノシヌチフ》。藤浪乃《フヂナミノ》。直一目耳《タヾヒトメノミ》。見之人故爾《ミシヒトユヱニ》。
(363)此(ノ)歌、一首の意貫きがたし、本(ノ)句末(ノ)句は、各々別歌なりしが、混《マギ》れて一歌となれるなるべし、かゝれば、本のまゝにて、強て解ば解るべきなれど、其は無益《イタヅラ》の骨折と云ものなれば、姑(ク)さしおきつべし、さて末(ノ)句は、十(ノ)卷に、皮爲酢寸穗庭開不出戀乎吾爲玉蜻直一目耳解之人故爾《ハタススキホニハサキデヌコヒヲアガスルタマカギルタヾヒトメノミミシヒトユヱニ》、とある歌の、混れ來たるなり、
 
3076 住吉之《スミノエノ》。敷津之浦乃《シキツノウラノ》。名告藻之《ナノリソノ》。名者告而之乎《ナハノリテシヲ》。不相毛恠《アハナクモアヤシ》。
 
敷津《シキツ》は、攝津(ノ》國住吉(ノ)郡にあり、新古今集に、敷津の浦にまかりて、あそびけるに、磯にとまりてよみ侍りる、藤原(ノ)實方(ノ)朝臣、船ながら今夜ばかりは旅宿せむ敷津の浪に夢はさむとも、○本(ノ)句は序なり、○歌(ノ)意は、はやく女のうけひきて、名をさへに告知しつるに、あはぬことの、さてもあやしや、となり、下に、然海部之磯爾刈干名告藻之名者告手師乎如何相難寸《シカノアマノイソニカリホスナノリソノナハノリテシヲイカデアヒガタキ》、
 
3077 三佐呉集《ミサゴヰル》。荒磯爾生流《アリソニオフル》。勿謂藻乃《ナノリソノ》。吉名者令告《ヨシナハノラセ》。父母者知鞆《オヤハシルトモ》。
 
三佐呉集《ミサゴヰル》は、まくら詞なり、はやく出つ、○吉名者令告(令(ノ)字、舊本に不と作るは誤なり、今改つ、)は、ヨシナハノラセ〔七字右○〕なり、○本(ノ)句は、序なり、○歌(ノ)意は、三(ノ)卷に、美沙居石轉爾生名乘藻乃名者告志弖余親者知友《ミサゴヰルイソミニオフルナノリソノナハノラシテヨオヤハシルトモ》とあるに同じく、縱《ヨシ》や父母は知てとがむとも、其は吾《ワ》がはからひにて、よくとりをさむるにより、名を告知せて、我(カ)心をうけひきゆるしてよ、とよめるなり、(略解に、既に女の名をあかせし上は、今は妻を呼(ブ)如く、吾(カ)名を告《ノリ》賜へ、よし父母の聞てとがむともと云な(364)り、といへるは、いみじきひがことなり、)凡て人の妻と定《ナル》ことを、許諾《ユル》すときならでは女の名を告(ラ)ぬ、古(ヘ)のならはしなればなり、
 
3078 浪之共《ナミノムタ》。靡玉藻乃《ナビクタマモノ》。片念爾《カタモヒニ》。吾念人之《アガモフヒトノ》。言乃繁家口《コトノシゲケク》。
 
本(ノ)二句は、浪のまゝに靡く藻の、片依(リ)になびき依(ル)意をもて、片思《カタオモヒ》につゞけたる序なり、○歌(ノ)意は、相思ひて、心をかよはす中ならば、かたみに名の立むも、さることながら、わが片思に思ふのみの女なるに、人言のしげく言さわぐことよ、となり、
 
3079 海若之《ワタツミノ》。奥津玉藻之《オキツタマモノ》。靡將寢《ナビキネム》。早來座君《ハヤキマセキミ》。待者苦毛《マテバクルシモ》。
 
本(ノ)二句は、靡《ナビク》をいはむとての序なり、○靡將寢《ナビキネム》、(寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、)二(ノ)卷人麿(ノ)歌に、浪之共彼縁此依玉藻成依宿之妹乎《ナミノムタカヨリカクヨルタマモナスヨリネシイモヲ》云々、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3080 海若之《ワタツミノ》。奧爾生有《オキニオヒタル》。繩乘乃《ナハノリノ》。名者曾不告《ナハカツテノラジ》。戀雖死《コヒハシヌトモ》。
 
繩乘乃《ナハノリノ》(乘(ノ)字、類聚抄には苔と作り、)は、名者告《ナハノリ》とつゞく序なり、繩乘《ナハノリ》は繩苔《ナハノリ》にて、品物解に註り、○曾《カツテ》は、物をかたく極めていふ言なり、俗に堅《カタ》く、又|更々《サラ/\》、又一向になど云意なり、四(ノ)卷に、委(ク)註り、○歌(ノ)意は、たとひ戀死に死はすとも、君が名をば、かたく父母に告知せじ、となり、父母に男の名を知しては、隱ひて逢中なれば、事の出來むこと必定なれば、曾て告じ、といへるなり、十一に、吾背子我其名不謂跡玉切命者棄忘賜名《ワガセコガソノナノラジトタマキハルイノチハウテツワスレタマフナ》、○以上三十二首、草に寄てよめるなり、
 
(365)3081 玉緒乎《タマノヲヲ》。片緒爾搓而《カタヲニヨリテ》。緒乎弱彌《ヲヲヨワミ》。亂時爾《ミダルヽトキニ》。不戀有目八方《コヒズアラメヤモ》。〔頭註、三首寄2玉緒1、】〕
 
片緒《カタヲ》とは、繩《ナハ》などのごとく、兩旁《カタ/\》にはよりあはせずして、片絲《カタイト》によりたるを云り、○本(ノ)句は、片絲《カタイト》もて貫たる、玉の緒の弱さに、玉の亂(レ)散る意に、いひかけたる序なり、○歌(ノ)意は、わが中の、かくみだれわかるゝ時に至りて、戀しく思はずてあらむやは、さても堪がたきわざぞ、となり、亂時は、互に離るゝ時をいふべし、
 
3082 君爾不相《キミニアハズ》。久成宿《ヒサシクナリヌ》。玉緒之《タマノヲノ》。長命之《ナガキイノチノ》。惜雲無《ヲシケクモナシ》。
 
玉緒之《タマノヲノ》は、長《ナガ》のまくら詞なり、○長命《ナガキイノチ》は、年若くて、末の長き命をいへり、○歌(ノ)意は、君にあはずて、久しくなりぬる事のくるしさに、在《ナガラ》へてあらむも、かひなきことなれば、年若くて、末長き命の終む事の、さらに惜くもあらず、となり、十五に、和伎毛故爾古布流爾安禮波多麻吉波流美自可伎伊能知毛乎之家久母奈思《ワギモコニコフルニアレハタマキハルミジカキイノチモヲシケクモナシ》、とあるは、表裏の云樣ながら、おつるところの意はひとつなり、十一に、四惠也壽之?無《シヱヤイノチノヲシケクモナシ》、此(ノ)上に、可消吾身惜雲無《ケヌベキアガミヲシケクモナシ》、なども見えたり、
 
3083 戀事《コフルコト》。益今者《マサレルイマハ》。玉緒之《タマノヲノ》。絶而亂而《タエテミダレテ》。可死所念《シヌベクオモホユ》。
 
戀事《コフルコト》、(略解に、事は、布か敷かの誤にて、コヒシクノ〔五字右○〕とありしか、と云れど、あらず、)十一に、戀事意追不得《《コフルコトコヽロヤリカネ》云々、(かくあれば、こゝもなほもとのまゝなり、)○玉緒之絶而《タマノヲノタエテ》は、亂《ミダレ》をいはむ料にて、玉(ノ)緒の緒斷《ヲタエ》して、貫たる玉の亂るゝ意のつゞきなり、○歌(ノ)意は、戀しく思ふ事の益れる今は、心(366)も千《チヾ》に亂て、死ぬべくのみおもはるゝ、となり、○以上三首、玉緒に寄てよめるなリ、
 
3084 海處女《アマヲトメ》。潜取云《カヅキトルチフ》。忘貝《ワスレガヒ》。代二毛不忘《ヨニモワスレジ》。妹之光儀者《イモガスガタハ》。〔頭註、【一首寄v貝、】〕
 
本(ノ)句は、忘《ワスレ》をいはむ料の序なり、○代二毛不忘《ヨニモワスレジ》は、世(ノ)中にあるが中にも、殊にとり別て忘れじ、と云意なり、代《ヨ》に嬉しき、世《ヨ》に悲しきなど云(フ)世《ヨ》みな同じ、○歌(ノ)意は、世(ノ)中に、忘れがたく、しのばしきことは、多かるが中にも、妹が容儀のうるはしきをば、つひにわすらるゝ世あらじ、となり、○此(ノ)一首、貝に寄てよめるなり、
 
3085 朝影爾《アサカゲニ》。吾身者成奴《ワガミハナリヌ》。玉蜻《タマカギル》。髣髴所見而《ホノカニミエテ》。往之兒故爾《イニシコユエニ》。〔頭註、【二首寄v蟲、重出】〕
 
十一に、朝影吾身成玉垣入風所見去子故《アサカゲニワガミハナリヌタマカギルホノカニミエテイニシコユエニ》、とあると、全(ラ)同歌なり、彼處に委(ク)註り、さて彼(ノ)卷には、正述2心緒1の標内、人麿歌集中の歌とし、此(ノ)卷には、寄v物陳v思の標内、人麿歌集(ノ)外の歌とせるを、異とす、(但し蜻(ノ)字は書たれども、玉蜻は、虫(ノ)名に有ざる由、余(ガ)考あり、撰者は、蜻(ノ)字を書るに依て、蟲(ノ)名と心得て、こゝに收《イレ》しか、又按(フ)に、此歌の前に、寄v貝歌を載、後に寄v蚕歌を載たり、玉蜻を蟲(ノ)名と心得て、後人の加へしならば、此所を除くべし、十一に出たるを、正しとす、)
 
3086 中中二《ナカナカニ》。人跡不在者《ヒトトアラズハ》。桑子爾毛《クハコニモ》。成益物乎《ナラマシモノヲ》。玉之緒許《タマノヲバカリ》。
 
中中二《ナカ/\ニ》は、なまなかにといふ意なり、既くあまた處に出たり、○人跡不在者《ヒトトアラズハ》は、人とあらむよりは、といふ意なり、これも既く註(ヘ)り、三(ノ)卷に、中中二人跡不有者酒壺二成而師鴨酒二染甞《ナカ/\ニヒトトアラズハサカツホニナリテシカモサケニシミナム》、○(367)玉之緒計《タマノヲバカリ》は、(計(ノ)字、舊本には許と作り、今は拾穗本に從つ、)玉(ノ)緒の短き間を云て、たゞ少間《シバシノマ》をいふ言なり、既く出つ、○歌(ノ)意は、なまなかに人となりて、かく苦しき物思(ヒ)をせむよりは、少間《シバシ》ばかり蚕《クハコ》になりてだに、雌雄《メヲ》はなれず、たぐひてあらましものを、となり、蚕は命短かけれども、雌雄むつましく、ちぎりふかきものなるゆゑに、うらやみていへるなり、さて伊勢物語に、今の歌を、中々にこひにしなずばくは子にぞなるべかりける玉のをばかり、と載て、一(ツ)の物語をつくれり、○以上二首、蟲に寄てよめるなり、
 
3087 眞菅吉《マスガヨシ》。宗我乃河原爾《ソガノカハラニ》。鳴千鳥《ナクチドリ》。問無吾背子《マナシワガセコ》。吾戀者《ワガコフラクハ》。〔頭註、【九首寄v鳥、】〕
 
眞菅吉ハ本居氏の、マスガヨシ〔五字右○〕と訓る宜し、宗我《ソガ》の枕詞なり、推古天皇(ノ)紀(ノ)大御歌に、摩蘇餓豫蘇餓能古羅破《マスガヨソガノコラハ》云々、○宗我乃河原《ソガノカハラ》は、神名式に、大和(ノ)國高市(ノ)郡宗我(ニ)座|宗我都比古《ソガツヒコノ》神社二座、(並大、月次新嘗、)とあり、今も飛鳥(ノ)里の西北に、宗我村ありて、そこに河ありて、即(チ)檜隈川の末流なりとぞ、○本(ノ)句は、河千鳥《カハチドリ》の屡々鳴をもて、間無《マナシ》といはむ料の序とせり、○歌(ノ)意は、わが戀しく思ふ心は、間も時もなし、吾(ガ)夫子《セコ》よ、といへるなり、
 
3088 戀衣《カラコロモ》。著楢乃山爾《キナラノヤマニ》。鳴鳥之《ナクトリノ》。間無時無《マナクトキナシ》。吾戀良苦者《ワガコフラクハ》。
戀衣ハ、戀は、辛(ノ)字の誤寫なり、カラコロモ〔五字右○〕と訓べし、さて奈良をいはむとて、衣を着褻《キナラ》すと云意に、いひつゞたり、六(ノ)卷に、韓衣服楢乃里《カラコロモキナラノサト》、とよめり、○本(ノ)句は、序なり、三(ノ)卷に、高※[木+安]之三笠乃(368)山爾鳴鳥之止者繼流戀喪爲鴨《タカクラノミカサノヤマニナクトリノヤメバツガルヽコヒモスルカモ》、とよめる如く、鳴鳥の止(ム)時なき意もて、間無《マナク》とつゞけなしたり、○歌(ノ)意は、上なるにおなじ、
 
3089 遠津人《トホツヒト》。獵道之池爾《カリヂノイケニ》。住鳥之《スムトリノ》。立毛居毛《タチテモヰテモ》。君乎之曾念《キミヲシソモフ》。
 
遠津人《トホツヒト》は、まくら詞なり、遠つ人の鴈《カリ》といふ意につゞきたり、十七に、氣佐能安佐氣秋風左牟之登保都比等加里我來鳴牟等伎知可美香物《ケサノアサケアキカゼサムシトホツヒトカリガキナカムトキチカミカモ》、○獵道之池《カリヂノイケ》は三(ノ)卷に、長(ノ)皇子(ノ)遊2獵獵路(ノ)池(ニ)1之時、柿本(ノ)朝臣人麿(カ)作(ル)歌云々、とある、同處なるべし、○歌(ノ)意、本(ノ)句は序にて、起ても居ても、止時なく、君を一(ト)すぢに、戀しくのみぞ思ふ、となり、
 
3090 葦邊往《アシヘユク》。鴨之羽音之《カモノハオトノ》。聲耳《オトノミヲ》。聞管本名《キヽツヽモトナ》。戀渡鴨《コヒワタルカモ》。
 
本(ノ)二句は、聲《オト》といはむ料の序なり、○歌(ノ)意は、音に聞つゝ居るのみにて、長の月日を、むざ/\と戀しく思つゝ、過すことかな、となり、
 
3091 鴨尚毛《カモスラモ》。己之妻共《オノガツマドチ》。求食爲而《アサリシテ》。所遺間爾《オクルヽホトニ》。戀云物乎《コフチフモノヲ》。
 
己之妻共《オノガツマドチ》は、俗に己之夫婦《オノガメヲト》どうしといふ意なり、(都麻《ツマ》とは、妻《メ》よりは夫《ヲ》をさしていひ、夫《ヲ》よりは妻《メ》をさしていひ、又夫婦一連《メヲヒトツラネ》を、すべてもいへば、こゝの妻共《ツマドチ》は、夫婦《メヲト》どうしと云ことにて、今(ノ)俗に、つれあひどうしと云に同じ、妻(ノ)字には、拘るべきにあらず、)○所遺は、所《ルヽ》v後《オクラサ》意にて、雄《ヲ》にまれ、雌《メ》にまれ、先(キ)立(チ)飛て、後《オク》らさしむるを謂り、○歌(ノ)意は、鴨にてさへも、己が雄雌《メヲ》共に求食《アナリ》し(369)て、飛(ヒ)立(チ)行(ク)とき、少し立(チ)後れたる間《ホド》をも、戀(ヒ)慕て鳴と云ものを、まして人なるわれや、かくわかれ居て、何《イカ》で戀しく思はざらむ、となり三(ノ)卷に、輕池之※[さんずい+内]回往轉留鴨尚爾玉藻乃於丹獨宿名久二《カルノイケノウラミモトホルカモスラモタマモノウヘニヒトリネナクニ》、
 
3092 白檀《シラマユミ》。斐大乃細江之《ヒダノホソエノ》。菅鳥乃《スガトリノ》。妹爾戀哉《イモニコフレヤ》。寢宿金鶴《イヲネカネツル》。
 
白檀《シラマユミ》は、枕詞なり、弓を引撓《ヒキタム》るといふ意にかゝれり、○斐太乃細江《ヒダノホソエ》、略解に大和(ノ)國葛城(ノ)郡にも、高市(ノ)郡にも、斐太《ヒダ》と云(フ)村有と云ど、江といふばかりの、大沼有とも聞えず、されど三(ノ)卷に、輕の池の入江といひ、後にも、此(ノ)川の入江などよみて、海ならねど川にもいへり、又十四、未v得2勘知1國(ノ)歌と云る中に、比多我多能伊蘇乃和可米《ヒタガタノイソノワカメ》、とよめり、今も此(ノ)ひたがた、同じ所歟といへり、(但十四なる比多我多《ヒタガタ》は、多《タ》の言清て唱へ、今の歌の斐太《ヒダ》は太《ダ》の言濁りて唱ふめれば、なほ別地ならむか、又は比太我多《ヒダガタ》と連ねるときは、濁音疊る故に、同地ながら、故《コトサラ》に清て唱へしにもあらむか、)○菅鳥乃《スガトリノ》は、此(ノ)鳥の妻戀する意にいひつゞけて、妹爾戀《イモニコフ》といはむための序とせり、さて菅鳥は、いかなる鳥にか、古(ヘ)より定かにしれる人なし、岡部氏が、つゝ鳥てふものあれば、菅は、管の誤字にや、と云るは、さもありぬべくおぼえたり、なほ品物解に註り、○戀哉《コフレヤ》は、戀しく思へばにやの意なり、○寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、○歌(ノ)意は、斐太の細江にすむ菅鳥の妻戀する如く、妹を戀しく思へばにや、かくよもすがら、いねがてなりつらむ、と云(370)にて、さて忘れては、かくいねられぬは、いかなる故ぞ、と問(ヒ)をかけて、それに答ふるやうに、いひなしたるなり、(菅鳥も、吾(ガ)如く、妹を戀しく思へばにや、いねがてなりつる、と云意とも聞ゆれど、さにあらず、菅鳥毛《スガトリモ》となきを思ふべく、又尾(ノ)句をも味ひて、さる謂《ヨシ》ならぬを知べし、)
 
3093 小竹之上爾《シヌノヘニ》。來居而鳴鳥《キヰテナクトリ》。目乎安見《メヲヤスミ》。人妻※[女+后]爾《ヒトヅマユヱニ》。吾戀二來《アレコヒニケリ》。
 
本(ノ)二句は、目《メ》をいはむ料の序にて、略解に云る如く、鳴鳥《ナクトリ》の群《ムレ》とかゝれり、牟禮《ムレ》は、米《メ》と切れり、小竹之眼《シヌノメ》と云も、小竹之群《シヌノムレ》を云におなじきを思ふべし、(鴎《カマメ》、※[旨+鳥]《シメ》、燕《ツバメ》、雀《スヾメ》など鳥(ノ)名に米《メ》と云ることの多きも、みな群り集るものなるによりて、負る稱なるべし、)○目乎安見《メヲヤスミ》は、目安く惡からぬ故に、といふ意なり、すべて目安《メヤスキ》は、見惡《ミニク》きの反《ウラ》にて、愛賞《ウツクシミ》することを云言なり、(易《ヤスキ》v見《ミ》よしにはあらず、源氏物語桐壺に、(桐壺更衣の事を、)さまかたちなどの、めでたかりしこと、心ばせの柔和《ナダラカ》に目安く、惡み難かりし事など、今ぞおぼし出る、云々、○人妻※[女+后]爾《ヒトヅマユヱニ》は、人妻なるものをの意なり、一(ノ)卷に、紫草能爾保敝類妹乎爾苦久有者人嬬故爾吾戀目八方《ムラサキノニホヘルイモヲニククアラバヒトヅマユヱニアガコヒメヤモ》、十(ノ)卷に、朱雁引色妙子數見者人妻故吾可戀奴《アカラピクシキタヘノコヲシバミレバヒトヅマユヱニアレコヒヌベシ》、などあるに同じ、さて※[女+后](ノ)字、ユヱ〔二字右○〕とよむことは、既くいへり、○歌(ノ)意は、他妻なるものを、見惡からずうるはしきが故にこそ、なほ堪忍ぶことを得ずして、かく戀しく思(フ)なれ、となり、
 
3094 物念常《モノモフト》。不宿起有《イネズオキタル》。旦開者《アサケニハ》。利備※[氏/一]鳴成《ワビテナクナリ》。鷄左倍《ニハツトリサヘ》。
 
(371)旦開者《アサケニハ》は、爾波《ニハ》とは、他にむかへて云詞にて、他(ノ)朝にはしからず、かゝる朝開《アサケ》にはとの意なり、
○和備※[氏/一]《ワビテ》は、俗に、力(ラ)落して、と云意なり、○鷄、舊本〓に誤れり、庭津鳥《ニハツトリ》と云は、もと鷄《カケ》の枕詞にて、野津鳥雉《ヌツトリキヾシ》、奥津鳥鴨《オキツトリカモ》、島津鳥※[盧+鳥]《シマツトリウ》などの例なり、さて直に其を鳥の名にしていふは、※[盧+鳥]《ウ》をやがて島津鳥《シマツトリ》ともいふ類なり、○歌(ノ)意は、人を戀しく思ひて、おき明したる朝開には、吾(カ)身のみにはあらず、吾(カ)家に飼る鷄さへも、わびしみ力(ラ)落して鳴なるは、彼(レ)も心あるにこそ、となり、契冲、十一に、我背兒爾吾戀居者吾屋戸之草佐倍思浦乾來《ワガセコアガコヒヲレバワガヤドノクササヘオモヒウラカレニケリ》、とあるを引て、もの思ふとて、いねずしておくる心から、鷄の聲さへ、わびて鳴と聞ゆるは、草さへ思ひうらがるゝ、といへる意に同じ、と云り、
 
3095 朝烏《アサガラス》。早勿鳴《ハヤクナナキソ》。吾背子之《ワガセコガ》。旦開之容儀《アサケノスガタ》。見者悲毛《ミレバカナシモ》。
 
悲《カナシ》とは、懽《ウレ》しきことにも、憂《ウ》きことにも、深く歎息《ナゲカ》るゝときに、いふ詞なり、○歌(ノ)意は、朝烏の鳴を聞ば、すはや夜が開《アク》よとて、夫の起(キ)出て去《イヌ》るに、其(ノ)起て別るゝ容儀の、見るにしのび得ず、憂愁《カナ》しみに堪がたきによりて、早く鳴ことなかれ、となり、(遊仙窟に、可憎病鵲夜半《アナニクノヤモメガラスノヨナカニ》驚(ス)v人(ヲ)、)十一に、旦戸遣乎速莫開味澤細目之乏視君今夜來座有《アサトヤリヲハヤクナアケソウマサハフメヅラシキミガコヨヒキマセリ》、○以上九首、鳥に寄てよめるなり、
 
3096 ※[木+巨]※[木+若]越爾《ウマセコシニ》。麥咋駒乃《ムギハムコマノ》。雖詈《ノラユレド》。猶戀久《ナホシコフラク》。思不勝烏《シヌヒカネツモ》。〔頭注、【四首寄v獣、】〕
 
※[木+巨]※[木+若]越爾は、十四に、宇麻勢胡之《ウマセコシ》云々、又四(ノ)卷に、赤駒之越馬棚乃《アカゴマノコユルウマセノ》云々、とあるによりて、ウマセ(372)コシニ〔六字右○〕と訓べし、(舊訓に、マセゴシニ〔五字右○〕と訓るはわろし、六帖に、ませごしにむぎはむこまのはつはつにおよばぬこひもわれはするかな、とあるも、ウマセ〔三字右○〕を、マセ〔二字右○〕と訛略《ヨコナマ》れるなり、枕册子に、あをざしといふ物を、人のもてきたるを、青きうすやうを、艶なる硯の蓋にしきて、これませごしにさぶらへばと、まゐらせたれば云々、とあるは、今の歌にゆづりて、麥と云ことを思はせたるなり、さてこれにも、ませと云るは、この歌を、古(ク)より、よみ訛《ナマリ》たるによれり、馬を後に訛略《ヨコナマ》りて、マ〔右○〕といふほ、牧《ウマキ》をマキ〔二字右○〕、秣《ウマクサ》をマクサ〔三字右○〕と云など、其(レ)なり、されど言(ノ)首に、馬《ウマ》を略きて、マ〔右○〕と云ること、古くはなし、御馬駒《ミマコマ》など、マ〔右○〕とのみ云とは別なり、)抑々|宇麻勢《ウマセ》と云は、馬塞《ウマサヘ》の義なるべし、佐閇《サヘ》の切|勢《セ》となれり、(略解に、馬塞《ウマセキ》の意か、と云るは、いさゝかたがへり、關《セキ》と云も、塞城《サヘキ》の切れるなり、)さて※[木+巨]※[木+若](ノ)字を書るは、いかなる義にか、※[木+若]《シモト》をもて、馬柵を造りし故に、書る字とはおぼえたり、されど※[木+巨]字、未詳ならず、(※[木+若]は、延喜式に、シモト〔三字右○〕とよめり、集中十三には、※[木+若]垣《ミヅカキ》とあり、又※[木+巨]は拒を誤れるか、拒は禁ぐ義なれば、※[木+若]《シモト》をもて拒《フセグ》よしにて書るか、と云説あり、さることもあらむ、)猶考(フ)べし、○麥咋駒之《ムギハムコマノ》は、罵《ノラ》ると云(ハ)むとての序のみなり、田夫《タビト》の家の庭に、刈(リ)干(シ)たる麥を、馬柵《ウマセ》より頭をさしのべて、馬《ウマ》の咋を、人の罵《ノリ》いさむる意もて、續けたり、○雖罵《ノラユレド》は、罵禁《ノリイサ》めらるれどもの意なり、能流《ノル》とは、もと詔、宣などを云を、又人を惡み辱《ハヅカ》しめて言ことにも用(ヒ)たり○烏は、焉と通(ハシ)用たること、既く云り、(和名抄装束(ノ)部、烏帽の註に、俗訛v烏(ヲ)爲v焉(ト)、今按、烏焉或通、(373)見2文選註、玉篇等1、)○歌(ノ)意は、母などに罵りいさめらるれども、なほ一(ト)すぢに、君が戀しくおもはるゝに、堪がたきことよ、と女のよめるなるべし、
 
3097 左檜隈《サヒノクマ》。檜隈河爾《ヒノクマガハニ》。駐馬《ウマトヾメ》。馬爾水令飲《ウマニミヅカヘ》。吾外將見《アレヨソニミム》。
 
左檜隈檜隈河《サヒノクマヒノクマガハ》といへるは、御吉野之吉野山《ミヨシヌノヨシヌノヤマ》など云に同じ、(岡部氏云、同じ事をかさねたる詞のうるはしさ、歌てふ物のみやびは、こゝに有めり、後(ノ)世人は、いかで忘れけむ、)さてその左檜隈《サヒノクマ》の左《サ》は、御吉野《ミヨシヌ》、眞熊野《マクマヌ》など云|御《ミ》眞《マ》に同じ、檜隈《ヒノクマ》は、二(ノ)卷、七(ノ)卷等に出て、既く云り、○馬は、二(ツ)共にウマ〔二字右○〕と訓べし、(コマ〔二字右○〕とよめるは甚わろし、馬(ノ)字、コマ〔二字右○〕とよめる例、さらになきことなり、)○水令飲《ミヅカヘ》は水を飲《ノマ》せよ、と云意なり、すべて養《ヤシナ》ふ畜獣《モノ》に、草|食《ハマ》せ水|飲《ノマ》せするを、可布《カフ》といへり、俊成(ノ)卿、駒とめて猶水かはむ山ふきの花の露そふ井手の玉川、○歌(ノ)意は、檜(ノ)隈河にて、馬に水飲せて、しばしとゞまり賜へ、あかぬわかれの悲しさに、吾よそにだに、今しばらく見まゐらせむを、となり、古今集、大歌所の御歌に、さゝのくまひのくまがはに駒とめてしばし水かへ影をだに見む、とあるは、今の歌を、うたひ誤りたるものなり、
 
3098 於能禮故《オノレユヱ》。所詈而居者《ノラエテヲレバ》。※[馬+総の旁]馬之《アシゲウマノ》。面高夫駄爾《オモタカブタニ》。乘而應來哉《ノリテクベシヤ》。
 
此(ノ)歌、すべて左註に依て解り、其(ノ)心して見べし、○於能禮故《オノレユヱ》とは、己(レ)故にて、己に密通《ミソカゴトセ》し所故《ユヱ》によりての意なり、○所罵而居者《ノラエテヲレバ》は、公《オホヤケ》の咎《トガ》めにあひて、左降《ハナタ》れて居(レ)ば、といふなるべし、○※[馬+総の旁]馬《アシゲウマ》(374)は、和名抄に、説文(ニ)云、※[馬+怱](ハ)青白雜毛(ノ)馬也、漢語抄(ニ)云、※[馬+怱](ハ)青馬也、黄※[馬+怱]馬(ハ)葦花毛馬《アシノハナゲウマ》也、日本紀私記云、美太良乎乃宇萬《ミダラヲノウマ》、また毛詩註(ニ)云、※[馬+總の旁](ハ)蒼白雜毛(ノ)馬也、漢語抄(ニ)云、騅馬(ハ)鼠毛也、爾雅註(ニ)云、※[草がんむり/炎]騅(ハ)青白如v※[草がんむり/炎](ノ)色也、今按(ニ)、※[草がんむり/炎]者蘆初生也、俗(ニ)云|葦毛《アシゲ》是(ナリ)、○面高夫駄《オモタカブタ》とは、夫駄《ブタ》は、(契冲、人夫などの、荷を負する馬なるべし、といへれど、證なし、又夫駄とは書たれど、字音の言にはあらじをや、)駁《フチ》なるべし、(但し布知馬《フチウマ》の布知《フチ》は、二言ともに、必清べきことなれど、布《フ》は、上の面高より、直に連きたれば、音便に濁るべし、駄は濁るべき由なければ、清音(ノ)字を用べきに、馬に所由ある假字《カナ》書せむとて、中々に取はづして用たるか、太(ノ)字をも、清べき所に用たる事、集中に多きと、同例なり、)和名抄に、説文云、駁(ハ)不2純色1馬也、俗(ニ)云|布知無萬《フチムマ》、とあり、(俗(ニ)云と云ること、いかゞ、)さて※[馬+総ノ旁]《アシゲ》も、もとより蒼白雜毛なるをいへば、蒼白の純色ならざるを、※[馬+総ノ旁]《アシゲ》の駁馬《フチウマ》といはむに、妨なかるべし、面高《オモタカ》といへるは、馬はもとより、面を高くさしあげて、歩むものなるに、王《オホキミ》の心あがりして、面高くほこりかに、馬に乘てかよひ賜ひし形容をよそへて、のたまへるにやあらむ、(枕册子に、草は云々、おもだかも名のおかしきなり、心あがりしけむと思ふに云々、とあるを、考(ヘ)合(ス)べし、)○御歌(ノ)意は、王《オホキミ》は我に密通せし咎めによりて、遙《ハルケ》き伊與(ノ)國に左降《ハナタ》れてあれば、こしかたの如く、※[馬+総ノ旁]《アシゲ》の面高き駁馬《フチウマ》にのりて、わが許に、又更に通來賜ふべしやは、されば今よりは、ありし時のさまをのみ思ひ出て、慕ひ居むに、いと堪がてなるよし、のたまへるにて、高安(ノ)王の左降せられしを、(375)歎きたまへるにやらむ、
〔右一首。平羣(ノ)文屋(ノ)朝臣益人傳(テ)云。著聞紀(ノ)皇女竊2嫁高安王(ニ)1被v責之時。御2作此歌(ヲ)1。但高安(ノ)王(ハ)左降。任2之伊與(ノ)國守(ニ)1也。〕
益人は、傳未(ダ)詳ならず、○紀(ノ)皇女は、御傳、二(ノ)卷上に、委(ク)云り、○高安(ノ)王は、傳四(ノ)卷上に、委(ク)云り、○責(ノ)字、官本、古寫本、拾穗本等には、嘖と作り、○契冲云、紀(ノ)皇女は、天武天皇の皇女、高安(ノ)王は、和銅六年正月に、初て從五位下に叙せられ、養老元年正月に、從五位上に昇進せられて、紀(ノ)皇女に事のありしは、その年の事なるべし、元正天皇(ノ)紀に、養老三年七月、令d伊豫(ノ)國(ノ)守從五位上高安(ノ)王(ニ)管(ヘ)c阿波讃岐土佐三國(ヲ)u、
 
3099 紫草乎《ムラサキヲ》。草跡別別《クサトワクワク》。伏鹿之《フスシカノ》。野者殊異爲而《ヌハコトニシテ》。心者同《コヽロハオヤジ》。
 
紫草乎《ムラサキヲ》云々は、岡部氏云、鹿は、只の草と紫とを撰(リ)分て、其(ノ)紫ある處に伏(ス)といへり、○別々《ワク/\》は、別《ワケ》つゝと云が如し、刈々《カル/\》は、刈《カリ》つゝと云が如く、、零々《フル/\》は、零《フリ》つゝと云がごとくなるに同じ、○歌(ノ)意は、紫草のある方を撰(リ)分つゝ、鹿どもの臥處《フシド》を定めて伏(ス)野は、その鹿の牡《メ》と牝《ヲ》と、處は各別なれど、牡牝通はす心は異ならず、同じきが如ク、君と吾と住處は異なれど、互になつかしむ心魂は、同じことぞ、といへるにや、中山(ノ)嚴水、紫草は、柴草の誤にて、道之柴草《ミチノシバクサ》とよめるに、同じか(376)るべし、といへり、かの道之柴草《ミチノシバクサ》は、柴と書るは借(リ)字にて、莱草《シバクサ》なり、(つねに芝《シバ》とかくものなり、)げにも。紫草《ムラサキクサ》は、鹿の臥(ス)野山ごとに、生てあらむこと、おぼつかなければ、柴草なりしにてもあらむ、さて莱草《シバクサ》は、寢處《フシド》とするに、柔軟《ヤハラカ》にして宜しければ、他《アダシ》草と撰び別つゝ臥(ス)といふことにや、猶よく考ふべし、
 
3100 不想乎《オモハヌヲ》。想常云者《オモフトイハバ》。眞鳥住《マトリスム》。卯名手乃社之《ウナテノモリノ》。神思將御知《カミシシラサム》。〔頭註、【一首寄2神社1、】〕
 
眞鳥住卯名手乃社《マトリスムウナテノモリ》は、七(ノ)卷に出て既く註り、さて卯名手《ウナテノ》神社にまします神は、出雲(ノ)國造(ノ)神賀詞に、己命乃御子《オノレミコトノミコ》、事代主命能御魂乎《コトシロヌシノミコトノミタマヲ》、宇奈提爾坐《ウナテニマセ》云々、と見えたる、宇奈提《ウナテ》は、大和(ノ)國高市(ノ)郡|雲梯《ウナテ》村なれば、天武天皇(ノ)紀に元年秋七月庚寅朔壬子云々、先是軍2金綱井《カナツナヰニ》1之時、高市(ノ)郡(ノ)大領高市(ノ)縣主|許梅《コメ》、〓忽口閇而不能言也《ニハカニクチヲツクヒテエモノイハズ》、三日之後《ミカバカリノノチ》、方著神以言《カムガヽリシテノリタマハク》、吾者高市(ノ)社(ニ)所居《マス》名(ハ)事代主(ノ)神(ナリ)、とある、即(チ)其(レ)にて、神名帳に、大和(ノ)國高市(ノ)郡高市(ノ)御縣(ニ)坐、鴨事代主(ノ)神社、(大、月次新甞、)と見えたる、是なるべし、かくて、同帳に、同國葛上(ノ)郡鴨都波八重事代主(ノ)命(ノ)神社二座、(名神大、月次相甞新甞、)とあるは、同神にまし/\ながら、葛上(ノ)郡にて、地異なれば、別社なり、然るを、この葛上(ノ)郡なるは、今も社大きにして、神威いちじるきを、雲梯村なるは、今はその神社も、さだかにしられずなりぬるよしなるは、いかなることにか、さばかり嚴重《イカシ》かりし大社の衰微《オトロヘ》ぬるは、かしこしとも、かし(377)こきわざならずや、〔頭註、【嚴水云、神賀詞に事代主命波宇奈提乃神奈備爾坐、と有は、傳の混(レ)たるにて、宇奈提は加夜奈流美命命に坐よし、本居翁の後譯に見えたり、此説然るべし、】〕○歌(ノ)意は、思はぬを、うはへに僞りつくろひて、思ふといふべきにあらず、もし僞りて、思はぬを、思ふといふとならば、卯名手の神社の神こそ、證據《アカシ》にたちたまふなるべけれ、卯名手の社の御神は、かしこくも言代主(ノ)神にまし/\て、世(ノ)中の人のあらゆる、諸の言語をしろしめし、眞僞をも、きこしめしわきたまへば、わがいふことの虚言ならむには、忽(チ)その御神の咎め給ひて、まのあたり、凶事をほどこしたまふことなれば、人を欺きて虚言いはむは、かしこきことのかぎりなり、さればゆめ/\僞り申すべきにあらぬをや、となり、そもそも事代主(ノ)神の、世(ノ)中の人の一あらゆる言語を、掌《ツカサド》り治《シロ》しめす謂は、先(ヅ)御名を、古くは言代主(ノ)神とも書たる、言(ノ)字の義にて、事と作《カケ》るは借(リ)字なり、さて言は、言靈をいひ、代と書るも借字にて、治《シル》なり、神代紀に、汝(カ)所《セル》v治《シラ》顯露事《アラハニコトハ》、宜(ベシ)2是|吾孫治《アガミコシラス》1云々、とある治《シル》なり、主《ヌシ》は、神(ノ)名に多きことにて、之大人《ノウシ》の約れるなり、されば、世(ノ)中の一あらゆる言靈を、掌《ツカサド》り治《シロ》しめす大人《ウシ》の神、と申す義なり、かくて御父大國主(ノ)神を、古くは物代主(ノ)神と稱《マヲ》せしことのある、さるは皇御孫(ノ)命の御天降の時に、天(ノ)下を事避ましますとて、吾|治《シラ》せる顯露事《アラハニコト》は、皇御孫(ノ)命|治《シロ》しめせ、吾は退隱《カクリ》て幽冥事《カムコト》治《シリ》なむと、神契《ミウケヒ》ましましゝより、大國主(ノ)神は、幽冥事《カムコト》しろしめすによりて、天(ノ)下のあらゆる、萬(ヅ)の物の吉凶禍福《ヨコトマガコト》を、人の目に見せず、掌《ツカサド》り治《シロ》しめすが故に、物治之大人《モノシロノウシ》と稱《マヲ》し、御父子神を、物治《モノシロ》、言治《コトシロ》と並べ稱《タヽ》へ奉(378)りて、ことに嚴《オゴソカ》に拜《イツ》き祭るべき神にましますによりて、昔よりこの二柱(ノ)神を、家毎に、並《アハ》せ安置《マセ》て、崇め祀りしと見ゆ、(世に大黒、惠美須と申す、これなり、大國と申すは、大國主(ノ)神と申す御號の大國に、佛家の大黒天を附會《ヒキヨ》せたることさらなり、惠美須は、西(ノ)宮の神にて、蛭兒《ヒルコ》なりとするは、いかなるよしにて、云そめたることにか、おぼつかなし、これは大穴牟遲、事代主(ノ)神の二柱にますこと、確據あることにて、別にくはしく記したるものあり、)かくて神功皇后(ノ)紀(ノ)始、神の御教言に、於v天《アメ》事代於v虚《ソラ》事代、玉籤入彦巌之《タマクシイリヒコイヅノ》事代(ノ)神|有之《アリ》也、云々、とあるも、この神のこととおぼしく七、天《アマ》つ虚《ソラ》をかけりいでまして、諸人《ヒト/”\》の言語を、聞《キカ》し治《シロ》しめす謂にて、於v天|言治《コトシロ》於v虚|言治《コトシロ》とは、のたまへるならむ、さればあるが中にも、この御社の神をいひ出て、わがいふ言語に、もし虚僞あらむとならば、世(ノ)中の諸の言語を掌り治《シロ》しめす、言代主(ノ)神こそ、證《シラ》したまふべきことなれ、といへるなり、さて此(ノ)神(ノ)名に、古くは言(ノ)字を書ること、また八重言代主(ノ)神とも、積羽《ツミハ》八重事代主(ノ)命とも、都波《ツハ》八重事代主(ノ)命とも申せしこと、かくて又大國主(ノ)神を、物代主(ノ)神と申せしこと、又この神の和御魂《ニキミタマ》を、大倭の大三輪にいつきまつりてより、その和御魂にかぎりて、大物主(ノ)神と申すがごと、人皆意得つめれど、神代紀一書には、大物主(ノ)神と申すをも、大國主(ノ)神の亦名《マタノミナ》と見えたるごとく、大物主(ノ)神と申すは、なべてに亙りて申せし一(ノ)名にて、倭大物主櫛瓦玉《ヤマトノオホモノヌシクシミカタマノ》命と申すぞ、大三輪にます、和御魂にはかぎりたることなど、委くは別に論へり、(379)四(ノ)卷に、不念乎思常云者大野有三笠杜之神思知三《オモハヌヲオモフトイハバオホヌナルミカサノモリノカミシシラサム》、又、不念乎思常云者天地之神祇毛知寒《オモハヌヲオモフトイハバアメツチノカミモシラサム》邑禮左變、ともあり、○此(ノ)一首、神社に寄てよめるなり、
 
萬葉集古義十二卷之中 終
 
(380)萬葉集古義十二卷之下
 
問答歌《トヒコタヘノウタ》。二十六首。人麿集外〔八字□で囲む〕。
 
3101 紫者《ムラサキハ》。灰指物曾《ハヒサスモノソ》。海右榴市之《ツバイチノ》。八十街爾《ヤソノチマタニ》。相兒哉誰《アヒシコヤタレ》。
 
紫者《ムラサキハ》云々は、海石榴市《ツバイチ》をいはむとての序なり、紫色《ムラサキイロ》を染るときは、衣さすものぞ、海石榴《ツバキ》といふ意のつゞけなり、紫を染るには、椿《ツバキ》の灰のあくをさして、染ればなり、和名抄に、蘇敬(カ)云、又有2※[木+令]灰1、燒2於木葉(ヲ)1作之、並入2染用(ニ)1、今按(ニ)、俗(ニ)所謂椿灰等是也、後拾遺集、齋宮(ノ)女御、紫に八入《ヤシホ》染たる藤の花池に灰さす物にぞありける、源氏物語末採花に、紫の紙の年經にければ、灰おくれふるめいたるに云々、眞木柱に、なとてかく灰あひがたきむらさきを、心に深く思ひそめけむ、今按に、紫者とある、いさゝか穩ならず聞ゆ、若は者は之の誤などにて、ムラサキノ〔五字右○〕にはあらざるにや、○海石榴市《ツバイチ》は、上に註り、○歌(ノ)意は、椿市《ツバイチ》の八十と街の數多くある道にて、行逢たる女は、をも誰にてありけるぞ、となり、此(ノ)歌は、椿市の街に行あひたる女に、頓《タチマチ》に目とまり、見過しがたくて、從者などして、そのあとを追行て、家處を尋て贈入たるなるべし、(大和物語に、な(381)かごろはよき人々、市にいきてなむ、色このむわざしける、拾遺集雜戀に、すぐろくのいちばにたてる人づまのあはでやみなむ物にやはあらぬ、などある、考(ヘ)合(ス)べし、但し今の歌なるは、わざわざ市街に出て、色好のわざしけるものとはきこえず、ふと女にあひて、心とまりしさまなり、)
 
3102 足千根乃《タラチネノ》。母之召名乎《ハヽガヨブナヲ》。雖白《マヲサメド》。路行人乎《ミチユクヒトヲ》。孰跡知而可《タレトシリテカ》。
 
母之召名乎《ハヽガヨブナヲ》とは、たゞ自(ラノ)名なればあながちに母にかぎらず、其父母ともに呼ことなれど、女はもはら、母のもとに居るならひなれば、母の呼名といへる、いと面白し、さて少き女は、夫と定りて、嫁《アフ》ことを許《ユ》す人ならでは、名を告(ゲ)知さぬこと、古(ヘ)のならはしにて、其(ノ)趣かたがたに見えたり、○歌(ノ)意は、誰そと問れしからは、速《スミヤカ》に、名を告(ゲ)知せまゐらすべきことながら、路行ぶりに、行あひたるのみの人なるを、誰人と知てか、打つけに名を告(ゲ)申すべきとなり、○岡部氏云、此(ノ)贈答の序のいひなしの、みやびておもしろく、和(ヘ)歌の有(リ)ふることのまゝにいひて、あはれに、且二者ともに、調のうるはしきなど、飛鳥(ノ)岡本(ノ)宮の始の頃の歌なり、歌はかくこそあるべきなれ、
 
右二首《ミギフタウタ》。 
 
3103 不相《アハナクハ》。然將有《シカモアリナム》。玉梓之《タマヅサノ》。使乎谷毛《ツカヒヲダニモ》。待八金手六《マチヤカネテム》。
 
(382)歌(ノ)意は、他心《ホカゴヽロ》ありてのわざとにはあらず、止事なく障《サハル》ことありて、直《タヾ》に得あはぬとならば、姑(ク)思ひのどめて、なほさてもありぬべきを、さらば言通はす使を得てだに、心をなぐさむべきに、其(ノ)使をさへ、待得ずしてやあらむ、さりとはつれなき君が心ぞ、とよめるなり、
 
3104 將相者《アハムトハ》。千遍雖念《チタビオモヘド》。蟻通《アリガヨフ》。人眼乎多《ヒトメヲオホミ》。戀乍衣居《コヒツヽソヲル》。
 
歌(ノ)意は、いな/\使を遣《オク》るまでもなく、直《タヾ》に行てあはむとは、幾度もおもへども、ありつゝ行かふ人目の多きを、はゞかりて、得行ずして、戀しくのみ思ひつゝ居るを ひそ、となり、
ゞかりて、得行ずして、戀しくのみ思ひつ >居るを、然《サ》のみな恨みたまひそ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3105 人目多《ヒトメオホミ》。直不相而《タヾニアハズテ》。蓋雲《ケダシクモ》。吾戀死者《アガコヒシナバ》。誰名將有裳《タガナナラムモ》。
 
誰名將有裳《タガナナラムモ》は、タガナナラムモ〔七字右○〕と訓べし、裳《モ》は歎息を含める助辭なり、○歌(ノ)意は、人目の多きにはゞかりて、行てあふことも得せずて、若(シ)わがこひ死に死たらば、誰が名はたゝじ、そこの名こそたゝめ、さてもいとほしや、となり、上に、里人毛謂告我禰縱咲也思戀而毛將死誰名將有哉《サトビトモカタリツグガネヨシヱヤシコヒテモシナムタガナナラメヤ》、古今集に、こひしなばたが名は立じ、世(ノ)中の常無(キ)物といひはなすとも、
 
3106 相見《アヒミマク》。欲爲者《ホシケクアレバ》。從君毛《キミヨリモ》。吾曾益而《アレソマサリテ》。伊布可思美爲也《イフカシミスル》。
 
欲爲者は、ホシケクスレバ〔七字右○〕にても、きこえはすれども、なほよく思ふに、爲は有(ノ)字なりけむを、(383)草書《ウチトケガキ》より、誤りつるものならむ、さらば、ホシケクアレバ〔七字右○〕と訓べし、(本居氏(ノ)説に、爲の下に、事(ノ)字を寫し脱せるものにて、欲爲事者《ホリスルコトハ》とありしなるべし、といへるは、いみじきひがことなり、もししかするときは、下の伊布可思美爲《イフカシミスル》と云こと、無用になるなり、相見《アヒミ》まく欲《ホリ》する事は、君よりも吾(レ)ぞ益れる、と云て、ことたるべきなり、相見《アヒミ》まく欲《ホ》しきことにて有ばこそ、君よりも吾が益りて、欝悒《イフカシミ》するなれ、と云意にこそあれ、よくことばの首尾を味察《アヂハヒミ》て、思ひ定むべきことなり、)○伊布可思美爲也《イフカシミスル》は、欝《オホヽシ》く結《ムスボホ》るゝ意なり、此(ノ)下に、家有妹伊將欝悒《イヘナルイモイイフカシミセム》、とあるも同じ、(後に不審することに云も、これより出たり、疑ひ思ふことは、心の結ぼほれて、さだかならぬより云り、しかるを不審がることのみをいぶかると云と思ふは、後(ノ)世(ノ)意にて、古(ヘ)をわすれたるなり、)也は、徒に添て書るのみなり、○歌(ノ)意は、起《タチ》ても居《ヰ》ても、外の事はなし、たゞひとへに、嗚呼《アハレ》いかで相見ま欲《ホシ》、相見まほしとのみ思ひてあれば、我(レ)こそ、君よりも益りて、欝悒《オホヽシ》く結《ムスボ》ほれてあることなれ、かゝれば君が戀死に死たらば、誰が名はたゝじなどのたまへども、もし戀死に死むには、吾こそさきに死ぬべけれ、といふ意を、思はせたるなり、二(ノ)卷に、秋山之樹下隱逝水乃吾許曾益目御念從者《アキヤマノコノシタガクリユクミヅノアコソマサラメオモホサムヨハ》、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3107 空蝉之《ウツセミノ》。人目乎繁《ヒトメヲシゲミ》。不相而《アハズシテ》。年之經者《トシノヘヌレバ》。生跡毛奈思《イケルトモナシ》。
 
(384)生跡毛奈思《イケルトモナシ》、既くあまた處に出たり、生《イキ》たる心神《コヽロト》も無(シ)、と云に同じ、(本居氏(ノ)玉勝間にいへるやう、二(ノ)卷に、衾路乎云々|生《イナル》跡毛無、また衾路云々|生《イケル》刀毛無、また天離云々|生《イケル》刀毛無、十一に、懃云云吾情利乃|生《イケル》戸裳名寸、十二に、萱草云々|生《イケル》跡文奈思、また空蝉之云々|生《イケル》跡毛奈思、また白銅鏡云々|生《イケル》跡毛無、十九に、白玉之云々|伊家流《イケル》等毛奈之、これら生るともなし、とよめる歌なり、いづれも十九の假字書にならひて、イケルトモナシ〔七字右○〕と訓べし、本にイケリトモナシ〔七字右○〕と訓るは誤なり、生る刀《ト》とは、刀《ト》は、利心《トコヽロ》、心利《コヽロト》などの利《ト》にて、生る利心もなく、心の空けたるよしなり、されば、刀《ト》は、辭《テニヲハ》の登《ト》にはあらず、これによりて、伊家流等《イケルト》とはいへるなり、もし辭ならば、さだまりのごとくイケリリトモナシ〔七字右○〕といふべし、又刀(ノ)字などは、てにをはのト〔右○〕には、用ひざる假字なり、これらを以て、古(ヘ)假字づかひの嚴なりしこと、又詞つゞけのみだりならざりしほどをも知べし、然るを、本にイケリトモナシ〔右○〕と訓るは、これらのわきだめなく、たゞ辭と心得たるひがことなり、とあり、しかるに、二(ノ)卷に、如是有刀豫知勢婆《カヽラムトカネテシリセパ》、十四に、安受倍可良古麻乃由胡能須安也波刀文《アズヘカラコマノユコノスアヤハトモ》、などあれば、刀(ノ)字てにをはのト〔右○〕には、用ひざる假字なり、とは云がたし、又イケルト〔四字右○〕と訓も、十九の假字書たゞ一(ツ)を、證として云ことなれど、もし彼(ノ)卷の假字書、誤字ならむも知べからずと、疑ふ人あらむには、他には、證とすべきものなし、されば、舊訓に、イケリトモナシ〔七字右○〕とあるも、むげなることゝも云がたからむ、且イケルトモナシ〔七字右○〕といはむよりは、なほ刀《ト》(385)を辭としてイケリトモカシ〔七字右○〕といはむかた、おだやかにきこゆるは、いかにかあらむ、しかれども、しばらく本居氏(ノ)定(メ)によりて、右のごとくよみつるなり、なほ人えらび給ひてよ、)○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3108 空蝉之《ウツセミノ》。人目繁者《ヒトメシゲクハ》。夜干玉之《ヌバタマノ》。夜夢乎《ヨルノイメニヲ》。次而所見欲《ツギテミエコソ》。
 
夜夢乎《ヨルノイメニヲ》とは、乎《ヲ》は其(ノ)事をつよくいふ時の助辭なり、夜(ノ)夢に決(メ)て見えよかし、との意なり、○次而所見欲《ツギテミエコソ》は、續て毎夜《ヨゴトニ》所見《ミエ》よかし、と云意なり、此(ノ)下に、全夜毛不落夢所見欲《ヒトヨモオチズイメニミエコソ》、とあるに、同意なり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3109 慇懃《ネモコロニ》。憶吾妹乎《アガモフイモヲ》。人言之《ヒトコトノ》。繁爾因而《シゲキニヨリテ》。不通比日可聞《ヨドムコロカモ》。
 
憶吾妹乎は、吾憶を、憶吾に顛倒《オキタガヘ》たるにや、アガモフイモヲ〔七字右○〕、とあるべき處なればなり、上にも、與愛我念妹人皆之如去見耶手不纏爲《ウツクシトアガモフイモヲヒトミナノユクゴトミメヤテニマカズシテ》、とあえい、四(ノ)卷に、大原之此市柴乃何時鹿跡吾念妹爾今夜相有香裳《オホハラノコノイツシバノイツシカトアガモフイモニコヨヒアヘルカモ》、十一にも、惠得吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國《イキノヲニアガモフイモハハヤモシネヤモイケリトモアレニヨルベシトヒトノイハナクニ》、又、何爲命本名永欲爲雖生吾念妹安不相《ナニセムニイノチヲモトナナガクホリセムイケリトモアガモフイモニヤスクアハナクニ》、又、何名負神幣嚮奉者吾念妹夢谷見《イカナラムナオヘルカミニタムケセバアガモフイモヲイメニダニミム》、又、淡海之海奥津島山奥間經而我念妹之言繁苦《アフミノミオキツシマヤマオクマヘテアガモフイモガコトノシゲケク》、と見ゆ、○歌(ノ)意これもかくれなし、
 
3110 人言之《ヒトコトノ》。繁思有者《シゲクシアラバ》。君毛吾毛《キミモアレモ》。將絶常云而《タエムトイヒテ》。相之物鴨《アヒシモノカモ》。
 
(386)鴨《カモ》は、可《カ》は疑(ノ)辭、後(ノ)世の可波《カハ》の可《カ》なり、毛《モ》は、歎息を含める輔辭なり、○歌(ノ)意は、かくあひそめて後、もし人言の繁くは、其(ノ)時に中絶むといひて、こゝろみに逢しものかは、さはあらぬを、人言の繁きをはゞかりて、よどみたまふは、薄き心なり、さてもつれなき君や、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3111 爲便毛無《スベモナキ》。片戀乎爲登《カタコヒヲスト》。比日爾《コノゴロニ》。吾可死者《アガシヌベキハ》。夢所見哉《イメニミエキヤ》。
 
歌(ノ)意、相思ふ中ならば、然はあるまじきを、せむ爲便なき片戀に疲れて、頃日吾(ガ)死《シヌ》べく成たるを、さる疲勞の形貌の、そなたの夢にも見えしやいかに、といひおくれるなり、
 
3112 夢見而《イメニミテ》。衣乎取服《コロモヲトリキ》。装束間爾《ヨソフマニ》。妹之使曾《イモガツカヒソ》。先爾來《サキタチニケル》。
 
歌(ノ)意、相思ふ中ならば、然はあるまじきをと思ふべかめれど、さらに然《サ》にはあらず、此方よりも、そこの事を、ふかく思へばこそ、そこの形貌の夢に見えつるなれ、しか夢に見えしにより、心あわたゞしく装束して、とみに妹がり行むとする間に、そこの使の、先立てはやく來りし、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3113 在有而《アリサリテ》。後毛將相登《ノチモアハムト》。言耳乎《コトノミヲ》。堅要管《カタクイヒツヽ》。相者無爾《アフトハナシニ》。
 
在有而は、アリサリテ〔五字右○〕と訓べし、上に出つ、(上に、木綿疊田上山之狹名葛在去之毛不今有十方《ユフタヽミタナカミヤマノサナカヅラアリサリテシモイマナラズトモ》、)(387)在ながらへてといふが如し、○後毛將相登《ノチモアハムト》、上に、戀乍毛後將相跡思許増《コヒツヽモノチモアハムトオモヘコソ》、また戀々而後裳將相常名草漏《コヒ/\テノチモアハムトナグサムル》、十一に、核葛後相《サネカヅラノチニアハムト》、などいと多し、○竪要管は、カタクイヒツヽ〔七字右○〕と、岡部氏のよめる宜し、要《イヒ》は、いひ要期《チギル》意なり、次下に、不相登要之《アハジトイヒシ》、とあり、○歌(ノ)意は、今のみならずとも、在ながらへて月日を經る間に、後にも必相見むと、言ばかりを堅く要約《チギリ》つゝ、たのみに思はせおきて、いつまでも、あふとはなきことなるものを、さりとは心づよきしわざにてあるぞ、となり、
 
3114 極而《キハメテ》。吾毛相登《アレモアハムト》。思友《オモヘドモ》。人之言社《ヒトノコトコソ》。繁君爾有《シゲキキミナレ》。
 
極而は、キハメテ〔四字右○〕と訓て、四言一句なり、(舊印本には、此をキハマリテ〔五字右○〕と訓たれど、わろし、)三(ノ)卷に、將言爲便將爲使不知極《イハムスベセムスベシラニキハメテ》、貴物者酒西有良之《タフトキモノハサケニシアラシ》、とあり、(但し此をば、舊印には、キハマリテ〔五字右○〕と訓り、それも宜し、)○相の上、將(ノ)字を脱せしか、と略解にいへり、なくてもあるべきなれど、こゝは、上のかけ歌にも、將相とあれば、さもあるべきか、○歌(ノ)意、われも相(ハ)むと極ておもへど、人言繁く、いひさわぐ君なればこそ、それに憚りて、思ふ如く得逢(ハ)ね、さらに心づよきしわざにはあらぬをや、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3115 氣緒爾《イキノヲニ》。吾氣築之《アガイキヅキシ》。妹尚乎《イモスラヲ》。人妻有跡《ヒトヅマナリト》。聞者悲毛《キケバカナシモ》。
 
(388)氣緒《イキノヲ》は他處に、生緒《イキノヲ》ともかける正字《マサモジ》にて、命のことなれば、生(ノ)緒に氣築《イキヅク》とは、命にかけて、息衝き歎くことなり、○氣築《イキヅク》は、思の切なる時、ため息を衝ことなり、既くあまた處に出たり、十四に、於吉爾須毛乎加母乃毛巳呂也左可杼利伊伎豆久久伊毛乎於伎※[氏/一]伎努可母《オキニスモヲカモノモコロヤサカドリイキヅクイモヲオキテキヌカモ》、とある、乎加母乃毛巳呂《ヲカモノモコロ》は、如《モコロ》2小鴨《ヲカモノ》1にて、鴨の海中に頭を漬《ツケ》て求食《アサ》り、水より頭をあげて、ため息をつくより、息衝《イキヅク》といへるなり、○歌(ノ)意は、命にかけてまで、深く思ひ入たる妹にさへあるを、頃者聞ば、他人に契を交《カハ》せしとかや、さても/\かなしく、本意なきことぞ、となり、
 
3116 我故爾《ワガユヱニ》。痛勿和備曾《イタクナワビソ》。後遂《ノチツヒニ》。不相登要之《アハジトイヒシ》。言毛不有爾《コトモアラナクニ》。
 
歌(ノ)意、他人に契を結《カハ》せしと云は、人のいひなしにこそあらめ、君ならずして、他人によする心は、さらに侍らねば、ありながらへて、後終に君にあはじといひし言も、われはさらになきことなるものを、しかのみいたくわび給ふな、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3117 門立而《カドタテテ》。戸毛閉而有乎《トモサシタルヲ》。何處從鹿《イヅクヨカ》。妹之入来而《イモガイリキテ》。夢所見鶴《イメニミエツル》。
 
門立而《カドタテテ》は、門(ノ)戸を闔《タテ》てと謂なり、○戸毛閉而有乎は、本居氏のトモサシタルヲ〔七字右○〕とよめるぞよろしき、閉《サス》は、刺固《サシカタ》むるを云、さいばら東屋に、東屋の雨阿《マヤ》の餘(リ)の雨灑(ギ)、我立霑ぬ其(ノ)戸開かせ、鎹《カスガヒ》も?《トザシ》も有ばこそ、其(ノ)門の戸我刺め、押開いて來座(セ)吾や人妻、なほ次に云べし、○歌(ノ)意は、夢に妹(389)が入來て見えむことは、欲《ネガ》はしけれど、盗人を恐るゝ故に、夜は門(ノ)戸を闔《タテ》て、その戸に?を刺(シ)固めてあるを、いづくの隙より入來て、妹が夢に見えつるぞと、戯にいひやれるなり、
 
3118 門立而《カドタテテ》。戸者雖闔《トハサシタレド》。盗人之《ヌスヒトノ》。穿穴從《ヱレルアナヨリ》。入而所見牟《イリテミエシヲ》。
 
雖闔は、サシタレド〔五字右○〕とあるよろし、字鏡に、闔(ハ)合也、閇也、門乃止比良《カドノトビラ》、本居氏、古事記に、天照大御神、見畏(テ)閇《タテ》2天(ノ)石屋戸《イハヤトヲ》1而《テ》刺許母理《サシコモリ》坐(シキ)也、とあると、右の二首にて、多都留《タツル》と、佐須《サス》との差あることを知べし、刺《サス》は、たてたる戸に、物を刺(シ)て固むるを云、廿に、久留爾久枳作之加多米等之《クルニクギサシカタメトシ》、又十六に、櫃爾※[金+巣]刺藏而師《ヒツニクギサシヲサメテシ》、清寧天皇(ノ)紀に、※[金+巣]2閇《サシカタメ》外門(ヲ)1云々、和名抄に、?(ハ)度佐之《トサシ》、此も戸を刺(シ)固むる故の名なり、といへり、○盗人《ヌスヒト》、和名抄に、儔兒|奴須比止《ヌスヒト》、竊盗(ハ)美曾加奴須比止《ミソカヌスヒト》、なであり、○入而所見牟、牟は乎(ノ)字の誤なるべし、イリテミエシヲ〔七字右○〕とあるべし、(略解に、牟の上氣(ノ)字脱しにて、イリテミエケム〔七字右○〕なるべし、と云るは、わろし、)○歌(ノ)意は、いかにも、のたまふ如くに、門(ノ)戸を闔《タテ》て、其(ノ)戸に?《トザシ》を刺(シ)固めたまへれば、内に入むことは、叶ふべからねど、さて止べきにあらざれば、盗人の穿(リ)開たる穴よりくゞりて、からうして入て、君が夢に見えしものなるを、大方の心ざしとは、おぼしたまふなと、戯れ答へたるなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3119 從明日者《アスヨリハ》。戀乍將在《コヒツヽアラム》。今夕弾《コヨヒダニ》。速初夜從《ハヤクヨヒヨリ》。綏解我妹《ヒモトケワギモ》。
 
(390)將在、阿野本には、將去と作て、ユカム〔三字右○〕と訓り、○綏、舊本に緩と作るは、綏を寫誤れるなるべし、今は官本、水戸本、阿野本等に從つ、字書に、※[糸+委]或作v綏と見えて、冠の※[糸+委]《ヒモ》を云字なれば、紐に借(リ)用たるなるべし、又飛鳥井本には縷、古本には※[糸+委]と作り、○歌(ノ)意、明日よりは、遠く別れて、月日久しく、戀しく思ひつゝのみあらむ、せめて今夜ばかりなりとも、速く初夜のほどより、紐とき交《アヒ》て、しめやかにかたらひてあれ妹よ、と云るにて、明日旅立むとする男の、前夜によめるなるべし、
 
3120 今更《イマサラニ》。將寢哉我背子《ネメヤワガセコ》。荒田麻之《アラタヨノ》。全夜毛不落《ヒトヨモオチズ》。夢所見欲《イメニミエコソ》。
 
寢(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、〓と作り、○荒田麻之は、此(ノ)上に、新夜一夜不落夢見《アラタヨノヒトヨモオチズイメニミエコソ》、とあるによりて思ふに、麻は、夜(ノ)字の誤寫にて、アラタヨノ〔五字右○〕なり、(アラタマノ〔五字右○〕にては、解べきすべなし、又集中に、アラタマてふ言は、甚多かれど、タマ〔二字右○〕を田麻と書る處、一處だになし、且音訓連用て、假字とせることも、むげになしとにはあらねど、其は大要|用《ツカ》ひなれたる字あれば、かやうに書べしともおもはれず、しかるを昔より、字の誤なることをしれる人、一人だになくして、荒田麻之全夜《アラタマノヒトヨ》とは、一年の間の毎夜といふ意と心得來れるは、あらぬことにこそありけれ、)○全夜毛不落は、全夜は、ヒトヨ〔三字右○〕と訓て、一夜《ヒトヨ》も漏《モレ》ずと云に同じ、(全(ノ)字をかけるは、全一夜の義にて、俗に、丸一夜といふ意を得て書るなり、)○歌(ノ)意、たゞ今夜ばかりになりて、今更に速く相寢せむ(391)もかひなし、たゞ明日の夜より一夜も漏さず、夢に見え來よかし、と云るなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3121 吾勢子之《ワガセコガ》。使乎待跡《ツカヒヲマツト》。笠不著《カサモキズ》。出乍曾見之《イデツヽソミシ》。雨零爾《アメノフラクニ》。〔頭註、【重出】〕
 
歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此(ノ)歌既く十一にも出たり、(但(シ)彼(ノ)卷には、寄v物發v思の中、寄v雨一類に出、此には、問答歌の部に出たるを以て異とす、)
 
3122 無心《コヽロナキ》。雨爾毛有鹿《アメニモアルカ》。人目守《ヒトメモリ》。乏妹爾《トモシキイモニ》。今日谷相乎《ケフダニアハムヲ》。
 
人目守は、ヒトメモリ〔五字右○〕と訓べし、他目《ヒトメ》を守り、見ぬ間を、伺《ウカヾ》ひての謂なり、十一に、他眼守君之隨
爾余共爾夙興乍裳裙所沾《ヒトメモリキミガマニマニアレサヘニハヤクオキツヽモノスソヌレツ》、又、人間守蘆垣越爾吾妹子乎相見之柄二事曾左太多寸《ヒトマモリアシカキコシニワギモコヲアヒミシカラニコトソサダオホキ》、とあるは、人目のなき間を、候《ウカヾ》ひての謂なり、○乏妹《トモシキイモ》とは、逢ことの稀に乏しき妹といふなり、乏妻《トモシツマ》と云るに同じ、○乎(ノ)字、舊本に牟と作るは誤なり、今は官本、古寫本、水戸本、阿野本、拾穗本等に從つ、○歌(ノ)意、逢(フ)ことの稀に乏しき妹に、人目の隙を窺ひて、今日なりとも、相見むとおもふものを、さても心無くふる雨にてもある哉、いかで雨がにも心せよかし、となり、四三五一二と次第て意得べし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3123 直獨《タヾヒトリ》。宿杼宿不得而《ヌレドネカネテ》。白細《シロタヘノ》。袖乎笠爾著《ソテヲカサニキ》。沾乍曾來《ヌレツヽソコシ》。
 
(392)直獨《タヾヒトリ》、(俗にたつた一人《ヒトリ》と云がごとし、)六(ノ)卷、市原(ノ)王の獨子を悲しみ、給へる歌に、不言問木尚妹與兄有云乎直獨子爾有之苦者《コトヽハヌキスライモトセアリチフヲタヾヒトリコニアルガクルシサ》、(これもたつた獨子と云がごとし、)○宿杼宿不得而《ヌレドネカネテ》、九(ノ)卷に、思乍雖來來不勝而水尾崎眞長乃浦乎又顧津《オモヒツヽクレドキカネテミヲノサキマナガノウラヲマタカヘリミツ》、とあるに似たる、語(ノ)勢なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、寢入むと思ひて、臥て見たれども、唯一人は、寢入らるべくもあらねば、衣の袖を笠に着て、沾ながら、からくして來たる謂なり、伊勢物語に、雨のふりぬべきになむ、見煩ひ侍る、身幸あらば、この雨は降じといへりければ、例のをとこ、女にかはりてよみてやらず、かず/\に思ひおもはず問がたみ身を知雨は降ぞ益れる、とよみて、やれりければ、みのも、かさもとりあへで、しとゞにぬれて、まどひ來にけり、
 
3124 雨毛零《アメモフリ》。夜毛更深氣〔○で囲む〕利《ヨモフケニケリ》。今更《イマサラニ》。君將行哉《キミイナメヤモ》。※[糸+刃]解設名《ヒモトキマケナ》。
 
更深氣利《フケニケリ》、舊本に、氣(ノ)字なきは、脱たるなるべし、○君將行哉は、キミイナメヤモ〔七字右○〕と訓べし、下に、將行乃河《イナミノカハ》とあるも、將《ム》v行《イナ》を、印南《イナミ》に借たるを、思(ヒ)合(ス)べし、哉《ヤモ》は、夜《ヤ》は、後(ノ)世の也波《ヤハ》の意、母《モ》は、歎息を含める助辭なり、嗚呼|將《ム》/歸《カヘラ》哉波《ヤハ》といふに同じ、)○紐解設名《ヒモトキマケナ》は、紐解(キ)將《ム》v設《マケ》と云ことを、急にいふ時の言なり、既くあまた處に出たる詞なり、(略解に、設名は、設むに同じ、といへるは、くはしからず、設名《マグナ》といふと、設《マケ》むといふとは、緩急の差別ある言なり、一(ノ)卷に委しく辨へたり、)○歌(ノ)意かくれなし、雨もふるなり、夜も更《フケ》たるなり、されば今更君が、歸りますべきにあらねば、紐解(393)設て相宿しつゝ、しめやかにかたらはむ、と謂なり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3125 久竪乃《ヒサカタノ》。雨零日乎《アメノフルヒヲ》。我門爾《ワガカドニ》。蓑笠不蒙而《ニノカサキズテ》。來有人哉誰《ケルヒトヤタレ》。
 
蓑は、爾能《ニノ》と訓べし、字鏡に、蓑(爾乃《ニノ》)と見えたり、今も土佐の國の山里にては、爾能《ニノ》と云り、これ古言なるべし、(但し韮を、爾良《ニラ》とも、美良《ミラ》とも、※[辟+鳥]〓を、爾保杼理《ニホドリ》とも、美保杼理《ミホドリ》とも、通はし云たる例多ければ、古(ヘ)より、蓑をも、爾能《ニノ》とも美能《ミノ》とも云るにもあらむ、又字韻のン〔右○〕を轉じて、錢《セニ》、蘭《ラニ》など、爾《ニ》といひ、文《フミ》頓《トミ》など、美《ミ》といへる類多ければ、爾《ニ》と美《ミ》とは、もとより親く通ふ韻なるを知べし、)○來有人哉誰は、ケルヒトヤタレ〔七字右○〕と訓べし、來有をケル〔二字右○〕と云は、キケル〔三字右○〕の約れるなり、既く一(ノ)卷に、委(ク)釋り、○歌(ノ)意これもかくれなし、蓑も笠も取あへずして、いそぎ女の方に至り、とく内に入まほしけれど、家人などに、見とがめられなばあしかりなむと、門の外にためらひ居たるほど、女の見付て、をりよければ、内に呼人(レ)まほしけれど、雨ふる日の夕暮なれば、男のすがたもほのかに見ゆるを、もし人たがへなどならむには、中々なれば、あらはにはいかでかとて、件の歌を、しづかに打|吟《ウタヒ》て、男にきかせたるなるべし、上に引る伊勢物語の、蓑も笠も取あへで、又こゝに引べし、但しこゝは蓑笠とり着て、人目にふれむことをおそれて、ことさらに、雨にぬれつゝ來しにてもあるべし、
 
(394)3126 纒向之《マキムクノ》。痛足乃山爾《アナシノヤマニ》。雲居乍《クモヰツヽ》。雨者雖零《アメハフレドモ》。所沾乍烏來《ヌレツヽソコシ》。
 
烏は、曾の誤か、又焉に通(ハ)し用たる例にて、ソ〔右○〕とも訓べければ、もとのまゝにてもあるべし、○歌(ノ)意これもかくれなし、これは男の内に入て後に、件の女の歌に、こたへがてらよめるなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
羈旅《タビニ》發《ノブ》v思《オモヒヲ》。九十首。【四首人麻呂集。 三十四首。悲別歌。人麻呂集外。 四十九首。人麻呂集外。 十首。問答歌。人麻呂集外。】〔九十〜集外□で囲む〕
 
3127 度會《ワタラヒノ》。大河邊《オホカハノベノ》。若歴木《ワカヒサキ》。吾久在者《ワガヒサナラバ》。妹戀鴨《イモコヒムカモ》。
 
度會《ワタラヒ》は、伊勢(ノ)國度會(ノ)郡なり、既くいへり、大河邊《オホカハノベ》は、即(チ)五十鈴の川邊なり、○若歴木は、岡部氏、ワカヒサキ〔五字右○〕と訓べし、といへり、また本居氏も、古事記傳に、この歌をひきて、此(ノ)上(ノ)句は、吾久《ワガヒサ》と詞を疊《カサネ》む料の序なれば、歴木は、必(ス)比佐岐《ヒサキ》なることしるし、本にクヌギ〔三字右○〕とよみたれど、さては若《ワカ》と吾《ワガ》と、詞の疊なるのみにて、久《ヒサ》に縁なし、此(ノ)歌は、久《ヒサ》と云こと、主たるを思ふべし、比佐岐《ヒサキ》は、六にも、久木生留清河原《ヒサキオフルキヨキカハラ》、などもあれば、河邊も由あり、今も川邊などにも、よくある木なりと、なほ委く論へり、但(シ)古事記、書紀に見えたる歴木は、久奴岐《クヌキ》なるべく、和名抄にも、私記を引て、歴木を久奴岐《クヌキ》に充たれど、凡て草木鳥獣などの名の字は、古(ヘ)は人の心々に充て書たれば、泥むべきにあらず、又歴木と書るは、岡部氏も云し如く、歴v年(ヲ)の義に取て、久木《ヒサキ》をかくかけるにて、いはゆる(久奴岐《クヌキ》を云、)歴木には、拘はらずともありぬべし、故(レ)今は、右の説どもによりて、ワカ(395)ヒサキ〔五字右○〕と訓つ、なほ此(ノ)木共の事、品物解に委く釋たるを見て考(フ)べし、(或人は、若歴木《ワカクヌキ》は、我(カ)不《ヌ》v來《コ》と云に通はせて、下に久《ヒサ》しくとうけたり、久しく吾(カ)不v來者の意なり、といへれど、おぼつかなし、)○歌(ノ)意は、わが旅の日數の久しくなりなば、家なる妹が、いかにか吾を戀しく思はむ、さてもいとほしや、となり、
 
3128 吾妹子《ワギモコヲ》。夢見來《イメニミエコト》。倭路《ヤマトヂノ》。度瀬別《ワタリセゴトニ》。手向吾爲《タムケソアガスル》。
 
歌(ノ)意は、家なる妹を、いかで夢に見え來さしめ賜へ、と旅中の倭路の渡瀬毎に、そこにても、ここにても、神祇を祈りて、奉幣《タムケ》をぞ吾はする、となり、十(ノ)卷七夕(ノ)歌に、天漢瀬毎幣奉情者君乎幸來座跡《アマノガハワタリセゴトニヌサマツルコヽロハキミヲサキクキマセト》、
 
3129 櫻花《サクラバナ》。開哉散《サキカモチルト》。及見《ミルマデニ》。誰此所《タレカモコヽニ》。見散行《ミエテチリユク》。
 
開哉散《サキカモチルト》とは、閑散哉《サキチルカモ》とゝいふに同じ、さてたゞ散(ル)ことを、集中に、開(キ)散(ル)と云ること多ければ、櫻花の散かと、と云意となれり、○歌(ノ)意は、花の散は、はかなく、たゞしばしの間に落失れば、それかあらぬか、目を留る間もなし、其(ノ)花の散を見る如く、それかあらぬかと思ふばかり、たゞしばしの間なりとも、本郷の思ふ人を、見まほしくおもへども、遠く離去て來しからは、思ふ人のあふべきよしのなければ、誰かはしばしだに目にかゝらむ、さても家路の戀しく思はるる事や、と云なるべし、
 
(396)3130 豐洲《トヨクニノ》。聞濱松《キクノハママツ》。心喪《コヽロイタク》。何妹《ナニシカイモニ》。相云始《アヒイヒソメケム》。
 
豐州《トヨクニ》は、豐國とかけるに同じ、州と書ても、久邇《クニ》とよまるゝが故に、こゝに此(ノ)字を書たるなり、(神代(ノ)紀下に、西州《ニシノクニ》、神武天皇(ノ)紀に、中州《ナカツクニ》などあり、國語補音叙録に、國(ヲ)爲v州自v唐始(ル)耳、と見ゆ、)抑々此(ノ)集などには、字はひろくさま/”\に用たる故に正しく充れるも、否《シカラザ》るも、いと/\多し、(しかるを、此に州(ノ)字を書たるを見て、ひとへに國と書も、州と書も、同じことぞとのみおもふは、あらぬことなり、)六十六國を云|久邇《クニ》には、國(ノ)字を用ふること、皇朝の御制にて、古事記、書紀等の正史、延喜式、和名抄等に至るまで、州(ノ)字を用ひられたることなきを見てしるべし、(しかるを後に、あながちに漢ざまを學ぶ世となりてより、諸國に州(ノ)字を書ことは、もと御制にもとれる私事にして、いと/\あらぬことなるを、さることに心もつかずして、今はおしなべて、大和(ノ)國を和州と云、山城(ノ)國を城州と云て、異《アヤ》しとせざる類は、あさましきことなり、)○聞濱松《キクノハママツ》は、豐前(ノ)國|企玖《キクノ》郡の海濱の松なり、聞(ノ)濱、既く七(ノ)卷に見えたり、以上二句の意は、次に云べし、○心哀(哀(ノ)字、舊本には、喪と作り、今は元暦本に從つ、拾穗本に裳と作るは、喪を母《モ》の假字と思へるより、誤れるなり、)は、ココロイタク〔六字右○〕と訓べし、三(ノ)卷に、時者霜何時毛將有乎情哀伊去吾妹可若子乎置而《トキハシモイツモアラムヲコヽロイタクイユクワギモカワカキコヲオキテ》、十一に、磯上立回香瀧心哀何深目念始《イソノヘニタテルムロノキコヽロイタクナニヽフカメテオモヒソメケム》、十四に、佐射禮伊思爾古馬乎波佐世※[氏/一]巳許呂伊多美安我毛布伊毛我伊敝乃安多里可聞《サザレイシニコマヲハサセテココロイタミアガモフイモガイヘノアタリカモ》、また九(ノ)卷に、所射十六乃意矣痛《イユシヽノコヽロヲイタミ》、とも見え(397)たり、又略解に云、本居氏は、舊本に、喪とあるは誤にて、ネモコロニ〔五字右○〕と有べき處なり、といへり、春海云、喪とあるは、衷の誤か、字書に衷(ハ)誠也とあれば、心衷を、義もて、ネモコロ〔四字右○〕と訓べし、と云り、(以上、常に漢文にても、懇衷を、ネンゴロ〔四字右○〕と訓は、ネモコロ〔四字右○〕を心衷とかゝむこと、實に、其(ノ)理あり、これによりて、十一なるは、舊訓に、コヽロイタク〔六字右○〕と訓たれど件の説に從ばネモコロニ〔五字右○〕と訓つべし、さらば彼(ノ)卷なるは、室の樹の根とかゝり、此なるを心衷《ネモコロニ》とするときは、松の根とかかれりとすべし、されど、心衷《コヽロイタク》といへることも、上に引る如く、例多ければ、前説もなほすてがたし、)○相云始(云(ノ)字、舊本に之と作るは誤なり、今は元暦本、阿野本等に從つ、)は、アヒイヒソメケム〔八字右○〕とよむべし、○歌(ノ)意は、(心衷《コヽロイタク》とあるかたにつきて解ば、)本の二句は、即(チ)旅路に歴往(ク)處の、目に觸るものをいひて、松に待(ツ)意をそへたるにて、さて家なる妹が待戀らむは、いとゞ心ぼそくかなしきに、何しにかは、その妹に、相言かたらひ始つらむ、始より相言かたらはざらましかば、遠く別れ來ても、かゝる物思はすまじきに、といふなるべし、かく松と云に待(ツ)意をそへたるは、四(ノ)卷岳本(ノ)天皇(ノ)大御歌に、淡海路乃鳥籠之山有不知哉川氣乃己乃其侶波戀乍裳將有《アフミヂノトコノヤマナルイザヤガハケノコノゴロハコヒツヽモアラム》、とあるは、不知哉川《イザヤガハ》といふに、不知《イサ》や知《シラ》ず、と云御意ををへて、女の心は知ずて、來經長《ケナガ》き頃者は、戀つゝあらむ、といふ御意に、よませ賜ひ、又同卷に、眞野之浦乃與騰乃繼端情由毛思哉妹之伊目爾之所見《マヌノウラノヨドノツギハシコヽロユモオモヘヤイモガイメニシミユル》、とあるは、繼橋《ツギハシ》と云に、繼《ツギ》て思ふ意をそへたるにて、同例なり、又二(ノ)卷十市(ノ)皇(398)女(ノ)薨時高市(ノ)皇子(ノ)尊(ノ)御作歌に、三諸之神之神須疑《ミモロノカミノカムスギ》云々、とあるも、神杉《カムスギ》に、皇女の薨《スギ》ませる意をもたせ賜ひ、其(ノ)次の御歌に、神山之山邊眞蘇木綿短木綿如是耳故爾長等思伎《カミヤマノヤマベマソユフミジカユフカクノミユヱニナガクトオモヒキ》、とあるも、短木綿《ミジカユフ》に、皇女の御命の短さをそへ賜へるにて、皆同例なり、又(心衷《ネモコロニ》とする方につきて解ば、)本(ノ)二句は、松の根といひかけたるにて、心衷《ネモコロ》の序のみにて、何しにかと、懇に妹に相言始けむ、始より相言かたらはざらましかば、今かく旅に遠く別れ來て、切なる思ひはすまじきを、と云なるべし、
〔右四首。柿本朝臣人磨集出〕
 
3131 月易而《ツキカヘテ》。君乎婆見登《キミヲバミムト》。念鴨《オモヘカモ》。日毛不易爲而《ヒモカヘズシテ》。戀之重《コヒノシゲケム》。
 
月易而《ツキカヘテ》とは、契冲が、旅に出る人の、八月に出て、九月に歸るごときを云、と云るが如し、○念鴨《オモヘカモ》は、思へばかの意なり、母《モ》は歎息を含める辭なり、○日毛不易爲而《ヒモカヘズシテ》とは、別れし其(ノ)日、やがてに戀しく思ふよしなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、夫の旅に行とき、來月よりさきに、歸り來らむといへるによりて、女のよめるなるべし、もしこの月のかぎりに、かへりまさむとならば、なほ心をなぐさむるかたもあるべきを、月を移して後に、かへりまさむときけば、待遠なるに、堪がたからむと思ふより、別るゝ其(ノ)日すなはちに、戀しく思ふことのしげきよしなり、古今集に、別れてはほどを隔つと思へばやかつみながらにかねて戀しき、
 
(399)3132 莫去跡《ナユキソト》。變毛來哉常《カヘリモクヤト》。顧爾《カヘリミニ》。雖往不帰歸《ユケドユカレズ》。道之長手矣《ミチノナガテヲ》。
 
莫去跡《ナユキソト》は、行(ク)ことなかれと、と云意にて、自《ミ》を送(リ)來る人の云詞の謂なり、○變毛來哉常《カヘリモクヤト》は、送り來りて、道中より、さらばよと別(レ)を告て、家の方へ還りし人の、又立復り來や、と思ふ謂なり、○雖往不歸は、ユケドユカレズ〔七字右○〕と訓べし、(ユケドカヘラズ〔七字右○〕、とよめるはわろし、)○道之長手矣《ミチノナガテヲ》は、手《テ》は、即(チ)道《テ》にて、(通音なり、)道の長道《ナガチ》をといふに同じ、四(ノ)卷に、野干玉能《ヌバタマノ》云々|路之長手呼《ミチノナガテヲ》、五(ノ)卷に、國遠伎路乃長手遠《クニトホキミチノナガテヲ》、又、都禰斯良農道乃長手袁《ツネシラヌミチノナガテヲ》、十五に、君我由久道乃奈我※[氏/一]乎《キミガユクミチノナガテヲ》、などあり、これらみな長手《ナガテ》といへる例なり、三(ノ)卷に、天離夷之長道從《アマザカルヒナノナガチユ》、廿(ノ)卷に、道乃長道波《ミチノナガチハ》、などある、これらは正しく長道《ナガチ》といへるなり、長道磐《ナガチハノ》神と申す、神(ノ)名もあり、○歌(ノ)意は、我(ガ)旅行を送る人の、別れながら又立復り來て、行ことなかれと、若(シ)やとゞむることもあらむか、とゞめられなば、今日一日は暫《シバシ》とまらむ物をと、顧《カヘリミ》せられつゝ、長き旅路の行(ケ)ども行(キ)もやられず、となり、古今集に、人やりの道ならなくに大かたはいきうしといひていざかへりなむ、
 
3133 去家而《タビニシテ》。妹乎念出《イモヲオモヒデ》。灼然《イチシロク》。人之應知《ヒトノシルベク》。歎將爲鴨《ナゲキセムカモ》。
 
去家而は、義を得て、舊本の如く、タビニシテ〔五字右○〕と訓べし、又直に、イヘサリテ〔五字右○〕と訓むも、あしからじ、○歌(ノ)意は、旅にありて、家の妹を思出て、わが妹故に、かく歎くと云ことを、隱《シノ》びあへず、人の著《アラ》はに知べく歎をせむか、さてもすべなくかなしや、となり、
 
(400)3134 里離《サトザカリ》。遠有莫國《トホカラナクニ》。草枕《クサマクラ》。旅登之思者《タビトシモヘバ》。尚戀來《ナホコヒニケリ》。
 
里離《サトザカリ》は、家離《イヘザカリ》といはむが如し、(里と家とは、もとより別物なれど、里を雖るは、わが家の方を雖るなれば、なほ同理なり、)○草枕《クサマクラ》は、まくら詞なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、家遠からぬ處へ、旅に行てよめるなるべし、九(ノ)卷に、振山從直見渡京二曾寐不宿戀流遠不有爾《フルヤマニタヾニミワタスミヤコニソイヲネズコフルトホカラナクニ》、
 
3135 近有者《チカクアレバ》。名耳毛聞而《ナノミモキヽテ》。名種目津《ナグサメツ》。今夜從戀乃《コヨヒヨコヒノ》。益益南《イヤマサリナム》。
 
名耳毛聞而《ナノミモキヽテ》は、名ばかりを聞てゞも、といふほどの意なり、さて名とは、某と云名のみの事にはあらで、此は其(ノ)消息《アリサマ》を謂《イヘ》り、十七思2放逸鷹(ヲ)1夢見(テ)感悦作歌に、等乃具母利安米能布流日乎《トノグモリアメノフルヒヲ》、等我理須等名未乎能里底《トガリストナノミヲノリテ》云々、とあるも、今と同じ意なり、○歌(ノ)意は、女の家里遠からぬ處にあれば、直に逢ことはなくても、其(ノ)消息ばかりを聞てゞも、心を慰めつるに、今日又更に立て、遠方に行なば、今夜より戀しく思ふ心の彌益りて、堪がたかりなむ、となり、これは遠からぬ里に、旅に行たる男の、ゆゑありて、又やがて其處より、遙なる方に趣むとするほど、よめるなるべし、
 
3136 客在而《タビニアリテ》。戀者辛苦《コフレバクルシ》。何時毛《イツシカモ》。京行而《ミヤコニユキテ》。君之目乎將見《キミガメヲミム》。
 
何時毛《イツシカモ》は、未來《ユクサキ》のことを、待遠に思ふときにいふ詞なり、五(ノ)卷戀2男子名古日1歌に、何時可毛比等々奈理伊弖天安志家久毛與家久毛見牟登《イツシカモヒトヽナリイデテアシケクモヨケクモミムト》云々、十八教2喩史生尾張少咋1歌に、何時可毛都(401)可比能許牟等《イツシカモツカヒノコムト》、末多須良無心左夫之苦《マタスラムコヽロサブシク》云々、など多き詞なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此は父の任國などへまかれるに、具せられて、下りたる女の、京に思ふ人ありてよめるにや、(又略解に、男の國の任に在てよめるにて、君は、こゝは女をさせるなるべし、といへり、いづれにても通ゆ、)
 
3137 遠有者《トホクアレバ》。光儀者不所見《スガタハミエズ》。如常《ツネノゴト》。妹之咲者《イモガヱマヒハ》。面影爲而《オモカゲニシテ》。
 
面影爲而《オモカゲニシテ》は、面影《オモカゲ》にといふ意なるを、かく言をそへて、爲而《シテ》といへるは、その事をうけはりて、他事なく物する意の時、いふ詞なればなり、家遠くさかり來てあれば、まことの容儀をば、見べきよしのなければ、たゞその面影にのみ、平常《ツネ》の如く、女の咲顔の、眼前に他事なくうかびてをれば、いよ/\戀しく思ふ心の、堪がたきよしなり、三(ノ)卷に、陸奥之真野乃草原雖遠面影
爲而所見云物乎《ミチノクノマヌノカヤハラトホケドモオモカゲニシテミユチフモノヲ》、四(ノ)卷に、暮去者物念益見之人乃言問爲形面影爲而《ユフサレバモノモヒマサルミシヒトノコトトフスガタオモカゲニシテ》、九(ノ)卷に、立易月重而雖不遇核不所忘面影思天《タチカハルツキカサナリテアハネドモサネワスラエズオモカゲニシテ》、などある、みな同例にて、面影の他事なくうかびて見ゆるをいへるなり、さてこゝには爲而《シテ》といひすてゝ、その戀しく思ふよしを、含め餘したるにて、面影の他事なくうかびて見えつゝ、戀しく思ふ心の、しばしも息(ム)ときなきよしなり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
3138 年毛不歴《トシモヘズ》。反來甞跡《カヘリキナメド》。朝影爾《アサカゲニ》。將待妹之《マツラムイモガ》。面影所見《オモカゲニミユ》。
 
反來甞跡は、カヘリキナメド〔七字右○〕とよめるに依て、跡《ト》は雖(ノ)字となして讀べし、と契冲がいへる、宜(402)し、○朝影爾《アサカゲニ》は、此(ノ)上に、朝影爾吾見者成奴《アサカゲニワガミハナリヌ》云々、とありて、戀(ヒ)痩て、影の如くになれるを云、○歌(ノ)意は、年も經ず、近きほどに、われは歸り來りぬべけれども、其(レ)すら待わびつゝ、戀痩て、影の如くになりて待居るらむ、其(ノ)妹が容貌の、面影に見ゆ、となり、(岡部氏(ノ)説に、影は異の誤にて、アサニケニ〔五字右○〕とありしか、と云り、但し朝異爾《アサニケニ》とあらむは穩なれども、さらば第二(ノ)句に、照合よろしからず、もし朝異爾《アサニケニ》ならば、第二(ノ)句、妹が云事として、反早來跡《カヘリハヤコト》などやうにこそ、あるべけれ、
 
3139 玉桙之《タマホコノ》。道爾出立《ミチニイデタチ》。別來之《ワカレコシ》。日從于念《ヒヨリオモフニ》。忘時無《ワスルトキナシ》。
 
玉桙之《タマホコノ》(桙(ノ)字、舊本に梓と作るは誤なり、古寫一本に從つ、拾穗本には鉾と作り、)は、まくら詞なり、○忘時無《ワスルトキナシ》は、忘《ワス》るゝ時なし、と云に同じ、古(ヘ)の詞づかひなり、十八に、射水河流水沫能《イミヅガハナガルミナワノ》、とあるも、流《ナガ》るゝ水沫《ミナワ》の、と云に同じ、此(ノ)下に、松浦舟亂穿江之《マツラブネミダルホリエノ》、とあるも、亂るゝ堀江之《ホリエノ》、と云ことなり、四(ノ)卷に、衣手乃別今夜從《コロモテノワカルコヨヒユ》、とあるも、別るゝ今夜《コヨヒ》より、といふことなり、此(ノ)上に、變毛來哉常《カヘリモクヤト》とあるも、反《カヘ》りも來《ク》るやと、といふことなり、十一に、開花者雖過時有《サクハナハスグトキアレド》、とあるも、開花《サクハナ》は、うつろひ過《スグ》る時あれど、と云ことなり、十三に、黒馬之來夜者《クロマノクヨハ》、とあるも、黒馬《クロマ》の來る夜は、と云ことなり、これらみな同じ例なり、古(ヘ)の詞づかひのさまをしらぬ人は、あやしむことなれど、古き歌にはめづらしからず、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
3140 波之寸八師《ハシキヤシ》。志賀在戀爾毛《シカルコヒニモ》。有之鴨《アリシカモ》。君所遺而《キミニオクレテ》。戀敷念者《コヒシクオモヘバ》。
 
(403)波之寸八師《ハシキヤシ》は、第二三(ノ)句を隔て、第四(ノ)句の、君と云にかゝれり、○戀敷念者《コヒシクオモヘバ》は、戀しく思ふを思へば、と云意なり、(略解に、戀|重《シキ》る意に説なせるは、たがへり、)○歌(ノ)意は、朝夕馳つゝ在べく思ひしものを、今かく愛《ウツクシ》き君に後《オク》れ居て、戀しく思はるゝことを、思ひ見れば、兼てより、さるべき中の宿縁にてもありけるか、嗚呼さても歎かしや、といへるなるべし、十五に、與能奈可能都年能己等和利可久左麻爾奈里伎爾家良之須惠之多禰可良《ヨノナカノツネノコトワリカクサマニナリキニケラシスヱシタネカラ》、とあるに同じく、佛説によりて、宿業のことをいへること、この頃既く往々《コレカレ》あり、一四五二三と次第て意得べし、
 
3141 草枕《クサマクラ》。客之悲《タビノカナシク》。有苗爾《アルナベニ》。妹乎相見而《イモヲアヒミテ》。後將戀可聞《ノチコヒムカモ》。
 
苗は、借(リ)字にて、並《ナベ》なり、○歌(ノ)意は、もとより旅の物がなしくあるうへに、今逢初し妹をも、後に又戀しく思ひて、くるしまむか、さてもすべなき事や、となり、略解に、遊女などに、一夜逢てよめるかと云るは、さもあるべし、
 
3142 國遠《クニトホミ》。直不相《タヾニハアハズ》。夢谷《イメニダニ》。吾爾所見社《アレニミエコソ》。相日左右二《アハムヒマデニ》。
 
歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、
 
3143 加此將戀《カクコヒム》。物跡知者《モノトシリセバ》。吾妹兒爾《ワギモコニ》。言問麻思乎《コトトハマシヲ》。今之悔毛《イマシクヤシモ》。
 
言問《コトトフ》は、物言《モノイフ》と云に同じ、○歌(ノ)意は、かくばかり、戀しく思はれむものと、かねて知たらば、殘る方なく、深切に妹に物言て、別れ來べかりしものを、さもせずして、今更一(ト)すぢに殘多く、さて(404)も悔しき事ぞ、となり、岡部氏云、十四に、ありきぬのさゑ/\しづみ家の妹に物いはず來て思ひくるしも、てふにひとしく、立とき、なきさわぐをしづめむとて、物をもよくいはでこしを侮るか、又しぬびて逢(フ)妹なれば、物いはむよしもなくて、別れ來しを、今思ふには、顯にも物語らひて來べかりしを、といふにも有べし、
 
3144 客夜之《タビノヨノ》。久成者《ヒサシクナレバ》。左丹頬合《サニヅラフ》。※[糸+刃]開不離《ヒモアケサケズ》。戀流比日《コフルコノゴロ》。
 
客(ノ)字、舊本に容と作るは誤なり、古本、古寫一本、拾穗本、活字本等に從つ、○左丹頬合紐《サニヅラフヒモ》は、女の結べる紅の赤紐をいふべし、○開不離は、アケサケズ〔五字右○〕、と訓べし、(トキサケズ〔五字右○〕とよめるはわろし、)○歌(ノ)意は、旅寢する夜の數の重れば、妹がうつくしき赤紐を開離ずして、たゞその面影のみ、眼(ノ)前にうかびつゝ、いよ/\頃者は、戀しく思ふ心のまされる、と云なるべし、
 
3145 吾妹兒之《ワギモコシ》。阿乎偲良志《アヲシヌフラシ》。草枕《クサマクラ》。旅之丸寢爾《タビノマロネニ》。下※[糸+刃]解《シタヒモトケツ》。
 
阿乎偲良志《アヲシヌフラシ》は、吾《ア》を慕《シノ》ぶらしなり、良志《ラシ》は、さだかにしかりとはしられねど、十に七八は、それならむとおぼゆるを云詞なり、(俗にそうなと云にあたれり、)○寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、人に戀しく思はるれば、下紐の自(ラ)解るよしよめる歌、集中にかた/”\あり、されば旅屋の獨宿に、己《オノ》が紐の自《オ》らに解るを見て、家の妹が、吾を戀しく思ひ慕ぶらし、と思ひやれるなり、
 
(405)3146 草枕《クサマクラ》。旅之衣《タビノコロモノ》。※[糸+刃]解《ヒモトケツ》。所念鴨《オモホセルカモ》。此年比者《コノトシゴロハ》。
 
紐解は、ヒモトケツ〔五字右○〕と訓べし、○思念鴨《オモホセルカモ》は、家の妹が、吾を慕《シタ》ひ給へるか、といふ意なり、○歌(ノ)意かくれなし、右の歌と同意なり、
 
3147 草枕《クサマクラ》。客之※[糸+刃]解《タビノヒモトク》。家之妹志《イヘノモシ》。吾乎待不得而《アヲマチカネテ》。歎良霜《ナゲカスラシモ》。
 
紐解は、これも右の歌どもと同じく、紐の自解る謂《ヨシ》なり、(岡部氏の、トク〔二字右○〕は、トクル〔三字右○〕を略けり、と云るは、大《イミジキ》誤《ヒガコト》なり、たとへば、夜開《ヨアク》と云は、夜の自《オ》ら開《アク》るを謂《イフ》ことなれば、アク〔二字右○〕》は、自《オラ》開《アク》るよしなり、とはいふべし、アクル〔三字右○〕の略なりといはむは、たがへるがごとし、)○乎(ノ)字、舊本に之と作るは誤なり、元暦本、官本、古寫本、拾穗本等に從つ、○嘆良霜《ナゲカスラシモ》は、嘆《ナゲカス》は、ナゲク〔三字右○〕の延言にて、嘆き給ふと云に近し、良之《ラシ》は、さだかにしかりとは知(ラ)れねど、十に七八は、それならむとおぼゆるをいふ詞なること、既くたび/\云るごとし、母《モ》は歎息(ノ)辭なり、歎き給ふらし、さても戀しく思はるゝ事や、となり、○歌(ノ)意、右に見えたる歌どもに同じ、
 
3148 玉釵《タマクシロ》。卷寢志妹乎《マキネシイモヲ》。月毛不經《ツキモヘズ》。置而八將越《オキテヤコエム》。此山岫《コノヤマノサキ》。
 
玉釵《タマクシロ》(釵(ノ)字、舊本に釼と作て、タマツルギ〔五字右○〕とよめるは誤なり、但し釼とあるは、むげに誤なりと云にはあらず、釵と同じければなり、そは靫をも、古書に多く靱と作ると同じことなり、さて釵は、釧と同じ、しかるを釼とかけるを、劔と同《オナジ》作《モジ》と心得て、ツルギ〔三字右○〕と訓たるは、大(シキ)非なり、猶委(406)くは、上にいへり、)は、まくら詞なり、釵《クシロ》を纏《マク》といひかけたるなり、○岫は、岬の誤寫なるべし、サキ〔二字右○〕と訓べし、和名抄に、唐韻(ニ)云、岬(ハ)山側也、日本紀私記(ニ)云、美佐岐《ミサキ》、○歌(ノ)意は、相宿し始し妹を、未(ダ)月も經ざるに、はや殘し置て、別れて、この山の岬を越行むか、となり、契冲云、これは妻をむかへて、ほどなく任國などに、おもむく人の歌なるべし、
 
3149 梓弓《アヅサユミ》。未者不知杼《スヱハシラネド》。愛美《ウツクシミ》。君爾副而《キミニタグヒテ》。山道越來奴《ヤマヂコエキヌ》。
 
梓弓《アヅサユミ》は、まくら詞なり、○未者不知杼《スヱハシラネド》は、契冲云、男女の行末と、旅の行末とをかぬべし、○愛美《ウツクシミ》は、愛《ウツ》くしき故にの意なり、愛しき故に、雖るゝことを得ずして、副ひ來たる謂なり、たゞ愛《ウツクシ》き君と云にはあらず、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、任國に下る男に、從ひ來れる女の、よめるなるべし、
 
3150 霞立《カスミタツ》。長春日乎《ナガキハルヒヲ》。奥香無《オクカナク》。不知山道乎《シラヌヤマチヲ》。戀乍可將來《コヒツヽカコム》。
 
長春日乎、舊本に、長春を、春長と作るは、下上に誤れるなり、今は岡部氏の改めたるに從つ、ナガキハルヒヲ〔七字右○〕と訓べし、一(ノ)卷に、霞立長春日《カスミタツナガキハルヒ》とあるをはじめて、かたがたに多き詞なり、(但(シ)十(ノ)卷に、霞發春永日戀暮《カスミタツナガキハルヒヲコヒクラシ》、とあるも、永春日《ナガキハルヒ》とありしを下上に誤れるなるべし、)○奧香無《オクカナク》は、行つきを不v知、といはむが如し、此(ノ)詞、上に出て既く云り、○戀乍可將來《コヒツヽカコム》は、家の妹を、戀しく思ひつつ行むかの意なり、將《ム》v來《コ》といへるは、往(ク)方を内にして云る言なり、○歌(ノ)意かくれなし、
 
(407)3151 外耳《ヨソノミニ》。君乎相見而《キミヲアヒミテ》。木綿牒《ユフタヽミ》。手向乃山乎《タムケノヤマヲ》。明日香越將去《アスカコエイナム》。
 
外耳はヨソノミニ〔五字右○〕なり、(ヨソニノミ〔五字右○〕と訓はわろきよし、、既くいへり、)○木綿牒《ユフタヽミ》は、まくら詞なり、既く六(ノ)卷に出(デ)つ、牒は、後漢書王符傳(ニ)、皆服2文組綵牒(ヲ)1、註(ニ)牒(ハ)即(チ)今(ノ)疊布(ナリ)、とあり、○手向乃山は、集中に、奈良の手向と、近江(ノ)相坂の手向山とをよめる中に、こゝは奈良の手向をいへり、奈良人の歌にて、明日越むといへばなり、と岡部氏いへり、○歌(ノ)意は、奈良の京の女が、父の任に從ひて、あがたへ行むとするに、兼て心に思ひよりにし男を、外目にのみ相見て、得近づく事もせで、遂に遠き別(レ)とさへ成を、悲しめるなるべし、と岡部氏いへり、
 
3152 玉勝間《タマカツマ》。安倍島山之《アベシマヤマノ》。暮露爾《ユフツユニ》。旅宿得爲也《タビネエセメヤ》。長此夜乎《ナガキコノヨヲ》。
 
玉勝間《タマカツマ》は、まくら詞なり、此下にも、玉勝間島熊山之《タマカツマシマクマヤマノ》云々、とあり、本居氏(ノ)説に、古事記清寧天皇(ノ)段(ノ)歌に、意富岐美能美古能志婆加岐《オホキミノミコノシバカキ》、夜布士麻理斯麻理母登本斯《ヤフジマリシマリモトホシ》云々、とあるは、大君の御子の柴垣《シバカキ》、八節結々廻《ヤフシマリシマリモトホシ》にて、柴垣を結堅め、廻《メグ》らしたるを云なり、されば玉勝間《タマカツマ》は、島《シマ》にかゝれる枕詞にて、籠の目を、堅く結《コ》へるよしのつゞきなり、といへり、○安倍島山《アベシマヤマ》は、仲哀天皇(ノ)紀に、八年春正月、幸2筑紫(ニ)1時云々、限2没利島、阿閇島(ヲ)1爲2御筥(ト)1、云々、とあれど、こゝにいへるは、總國風土記に、尾張(ノ)國中島(ノ)郡|安倍島山《アベシマヤマ》、と見えたる、是か、○旅宿得爲也、(旅(ノ)字、元暦本には客と作り、)は、タビネエセメヤ〔七字右○〕と訓べし、十一に、面忘太爾毛得爲也《オモワスレダニモエセムヤ》云々、とあるも同じ、十(ノ)卷に、彦星之川瀬渡(408)左小舟乃得行而將泊河津石所念《ヒコホシノカハセヲワタルサヲブネノエユキテハテムカハツシオモホユ》、とあるは、行て泊ることを得む、と云意なり、旅宿|爲《スル》ことを得むや、爲《スル》ことを得じ、となり、(今(ノ)世の俗言にしていはゞ、ようせうか、えすまいといふ意なり、)○歌(ノ)意は、安倍島山の暮露の上に、衣かた敷て、長き夜すがら、旅宿は得すまじきを、とわびたるなり、
 
3153 三雪零《ミユキフル》。越乃大山《コシノオホヤマ》。行過而《ユキスギテ》。何日可《イヅレノヒニカ》。我里乎將見《ワガサトヲミム》。
 
三雪零《ミユキフル》とは三《ミ》は御《ミ》にて、眞雪《マユキ》と云が如し、さて越(ノ)國は甚寒くて、古今集にも、君をのみ思ひ越路の白山はいつかは雪の消る時ある、とよめる如く、大かたいつも雪の零(ル)處なれば、かくつづけたり、十七に、美雪落越登名爾於弊流《ミユキフルコシトナニオヘル》、十八に、美由伎布流古之爾久太利來《ミユキフルコシニクダリキ》、などあり、○越乃大山《コシノオホヤマ》は、越《コシ》と云名の由縁は、外國をさして、諸越《モロコシ》といへるを思へば、外國人の調貢の品々を、越《コシ》の國なるべし、と諸國名義考にいへり、垂仁天皇の御世に、意富加羅國(ノ)王の子、都怒我阿羅斯等が、皇朝に歸化《マヰキ》し時、一船に乘て、越(ノ)國笥飯(ノ)浦に泊しよしあるを思ひて、いへる説なるべし、又本居氏は、越後(ノ)國に古志(ノ)郡あれば、そこより出たる名ならむかのよし、古事記傳に論へり、猶考ふべし、大山《オホヤマ》は、契冲、和名抄に、越中(ノ)國婦負(ノ)郡大山(ハ)、於保也萬《オホヤマ》、とあるを引り、此か、又神名式に、越前(ノ)國丹生(ノ)郡大山御板(ノ)神社、と云も見えたり、其處にてもあるべきにや、今決てはいひがたし、○行過而《ユキスギテ》は、過來而《スギキテ》と云が如し、來と云べきを、行と云るは例の越(ノ)國の方を、なほ内に(409)していへるなり、○歌(ノ)意は、任國の越の大山を越過來て、越路《コシヂ》を遙々よそに見すてゝ、何(ノ)日にか、京方にかへり到(リ)著て、吾里をば見べき、となり、任はてゝ上らむとする人の、よめるなるべし、
 
3154 乞吾駒《イデワガコマ》。早去欲《ハヤクユキコソ》。亦打山《マツチヤマ》。將待妹乎《マツラムイモヲ》。去而速見牟《ユキテハヤミム》。
 
乞は、物を乞ふ辭なり、既く徃々《トコロ/”\》に出たり、○早去欲は、ハヤクユキコソ〔七字右○〕とよめるよろし、欲《コソ》は、乞希(ノ)辭なり、○亦打山《マツチヤマ》は、既く出(デ)つ、即(チ)經行(ク)路の山を云て、待《マツ》をいはむ料とせり、○去而速見牟《ユキテハヤミム》は、(本居氏の、ユキテトクミム〔七字右○〕とよめるは、いとわろし、速は、必(ズ)ハヤ〔二字右○〕とよむ例なり、)早く還り往て見むと、自(ラ)いそぐなり、速《ハヤ》は、十(ノ)卷に、森爾早奈禮《モリニハヤナレ》、とある早《ハヤ》に同じ、未來《ユクサキ》のことを、急ぐときにいふ早《ハヤ》なり、○歌(ノ)意は、いで/\吾(ガ)のれる駒よ、早く行(ケ)かし、待つゝあるらむ家の妹が容貌を、早く行|到《イタ》りて見むぞ、となり、紀伊(ノ)國の任などより、京へ還る人のよめるならむ、此(ノ)歌、催馬樂に、いや吾(ガ)駒はやく行こせまつち山待らむ人を行てはやみむ、とあり、古世《ユセ》とあるは、後の、訛なり、(伊勢物語にも、告己曾《ツゲコソ》と云べきを、告己世《ツゲコセ》と云り、)
 
3155 惡木山《アシキヤマ》。木末悉《コヌレコト/”\》。明日從者《アスヨリハ》。靡有社《ナビキタリコソ》。妹之當將見《イモガアタリミム》。
 
惡木山《アシキヤマ》は、契冲、筑前なり、第八に、太宰(ノ)諸卿大夫並官人等、宴2筑前(ノ)國蘆城(ノ)驛家1歌二首云々、その歌に、あしき野とも、あしき川ともよめり、其(ノ)地なるべし、といへり、(岡部氏、肥前の蘆城山かと(410)云るは、筑前を誤れるか、又略解に、尾張|春部《カスカベノ》郡|安食《アジキ》、近江(ノ)犬上(ノ)郡|安食《アジキ》、といふを引たれど、こゝはそれらにはあらず、)○靡有社《ナビキタリコソ》は、靡きてがな有(レ)かし、と云意なり、社《コソ》は乞希(ノ)辭なり、二(ノ)卷人麻呂歌に、妹之門將見靡此山《イモガカドミムナビケコノヤマ》、十三に、靡得人雖蹈《ナビケトヒトハフメドモ》、如此依等人雖衝《カクヨレトヒトハツケドモ》、無意山之《コヽロナキヤマノ》、奥磯山三野之山《オキソヤマミヌノヤマ》、などよめり、○歌(ノ)意は、わが今日越來たる、惡木山の木高き梢、盡(ク)明日よりは靡き伏てがなあれかし、さらば妹が家のあたりの見えむぞ、となり、筑前(ノ)國(ノ)任などにて下れる人のよめるなるべし、
 
3156 鈴鹿河《スヾカガハ》。八十瀬渡而《ヤソセワタリテ》。誰故加《タガユヱカ》。夜越爾將越《ヨコエニコエム》。妻毛不在君《ツマモアラナクニ》。
 
鈴鹿河《スヾカガハ》は、伊勢(ノ)國鈴鹿(ノ)郡の河にて名高し、○八十瀬渡而《ヤソセワタリテ》は、此河同じ流を、かなたこなたと、幾遍も渡りて、往來する處なれば云へりとぞ、催馬樂に、鈴鹿河八十瀬の瀧をみな人のあくるもしるく時にあへるかも、源氏物語賢木に、鈴鹿河八十瀬の浪にぬれ/\て伊勢まで誰か思ひおこせむ、○歌(ノ)意は、相見て、歡ふべき妻もなきことなるに、誰人の爲に鈴鹿河の八十瀬をわたりて、艱難《カラク》して、山道を夜越に越來らむ、となり、男の旅なるほどに、家の妻の身まかりし後に歸るとて、よめるなり、と岡部氏いへり、さもあらむか、
 
3157 吾妹兒爾《ワギモコニ》。又毛相海之《マタモアフミノ》。安河《ヤスノカハ》。安寢毛不宿爾《ヤスイモネズニ》。戀渡鴨《コヒワタルカモ》。
 
本(ノ)二句は、家なる妹に別れ來て、又立還りて逢(フ)といふ意もて、つゞけなしたり、さて此は、近江《アフミ》(411)を云むとての縁《クサリ》に云るのみにて、歌意までには關からず、○安河《ヤスノカハ》は、近江(ノ)國野洲(ノ)郡の河なり、さて旅に居る處の河(ノ)名をいひて、やがて安寐《ヤスイ》をいはむ料とせり、○寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、○歌(ノ)意は、近江(ノ)國に別れ來て、家路戀しく思ふにつけて、夜も安くも寐ずして、月日を過すこと哉、となり、
 
3158 客爾有而《タビニアリテ》。物乎曾念《モノヲソオモフ》。白浪乃《シラナミノ》。邊毛奧毛《ヘニモオキニモ》。依者無爾《ヨルトハナシニ》。
 
歌(ノ)意は、旅にありて、契りのならむともなく、ならざらむともなく、たとへば海上の白浪の、邊方によるともなく、奥方によるともなきがごとくに、たゞよひて、心落居ず、物思をぞする、と云るにて、旅中にて、女に思をかけたる人のよめるなるべし、
 
3159 湖轉爾《ミナトミニ》。滿來塩能《ミチクルシホノ》。彌益二《イヤマシニ》。戀者雖剰《コヒハマサレド》。不所忘鴨《ワスラエヌカモ》。
 
湖轉は、ミナトミ〔四字右○〕と訓べし、三(ノ)卷にも、石轉《イソミ》とあり、轉は同と書むが如し、(轉は、つねに回轉とつらぬる字なるを思ふべし、)回をミ〔右○〕と訓べきこと、一(ノ)卷中に既く委く辨へたるがごとし、(ミナトワ〔四字右○〕とよめるは、後の言なれば、あらず、又略解に、ミナトマ〔四字右○〕とよめるもいとゞわろし、ミナトマ〔四字右○〕と云言、すべてあることなし、)○本(ノ)二句は序なり、四(ノ)卷に、從蘆邊滿來鹽乃彌益荷念歟君之忘金鶴《アシヘヨリミチクルシホノイヤマシニオモヘカキミガワスレカネツル》、○歌(ノ)意は、家なる妹が、わすられはせずして、旅の月日を經るま)に、戀しく思ふ心は、いよ/\まさる哉、となり、
 
(412)3160 奥浪《オキツナミ》。邊浪之來依《ヘナミノキヨル》。貞浦乃《サダノウラノ》。此左太過而《コノサダスギテ》。後將戀鴨《ノチコヒムカモ》。〔頭註、【重出、】〕
 
本(ノ)句は、序にて、旅路に經行(ク)處の、浦の名をいひて、左太《サダ》をいはむ料とせるなり、○歌(ノ)意は、此(ノ)時節を過して、後に戀しく思はむか、さても殘り多や、と云るにて、これも旅中にて、女に思をかけてよめるなるべし、戀此(ノ)歌、十一に既く出たり、なほ彼(ノ)卷に註るを、考(ヘ)合(ス)べし、(但(シ)彼(ノ)卷には、寄v物陳v思と云中に、寄2海邊1歌の一類に載《ツケ》、此(ノ)卷には、羈旅發v思と云中に載たるを以て、異《タガヒ》とす、
 
3161 左千方《アリチガタ》。在名草目而《アリナグサメテ》。行目友《ユカメドモ》。家有妹伊《イヘナルイモイ》。將欝悒《イフカシミセム》。
 
有千方《アリチガタ》は、未(ダ)考(ヘ)得ず、(岡部氏、もし越前のアラチ〔三字右○〕にや、然らばアラチガタ〔五字右○〕と訓べし、といへれど、おぼつかなし、)これも經行路の地(ノ)名を云て、やがて、在《アリ》をいはむ料とせり、○在名草目而《アリナグサメテ》は、在在《アリアリ》つゝ心を慰めて、と云意なり、○行目友《ユカメドモ》は、雖《ドモ》v將《メ》v行《ユカ》なり、(俗に行(カ)うけれども、といふが如し、)○伊《イ》は助辭なり、繼體天皇(ノ)紀(ノ)歌に、※[立心偏+豈]那能倭倶吾伊《ケナノワクゴイ》云々、續紀詔に、藤原(ノ)朝臣|麻呂等伊《マロライ》云々、百濟(ノ)王敬福|伊《イ》云々、又國王|伊《イ》云々、などある同例なり、なほこの辭のこと、三(ノ)卷|志斐伊《シビイ》とある處に、委(ク)註り、○欝悒《イフカシミ》は、思ひ結るゝを云、上に出(デ)つ、○歌(ノ)意は、この在千潟《アリチガタ》の美景を見つゝ、此處に在在《アリアリ》て、心を慰(メ)つゝ行むとはおもへど、家にある妹が、思ひ結れて待らむと思へば、のどかに心をも得とゞめず、徒に見過して行よ、となり、(註どもに、吾はなぐさめても行を、家の妹は、おもひはるゝ時なくてあらむ、といふ意に、心得たるは、大じきひがことなり、)
 
(413)3162 水咫衝石《ミヲツクシ》。心盡而《コヽロツクシテ》。念鴨《オモヘカモ》。此間毛本名《コヽニモモトナ》。夢西所見《イメニシミユル》。
 
水咫衝石は、咫は、尾(ノ)字の誤寫なるべし、(集中に、水脉《ミヲ》を、水尾と書る處多し、)水脉津籤《ミヲツクシ》にて、江海の深き水脉に杙を建て、往來の舟の、其(ノ)杙を目あてにして、漕(グ)料とせるを云、雜式に、難波津(ノ)頭(ノ)海中(ニハ)立2澪標《ミヲツクシヲ》1、若(シ)有(バ)2舊標(ノ)朽折(タル)者1、捜(リ)求(テ)拔(キ)去(レ)、古今集に、君こふる泪の床に滿ぬれば水脉《ミヲ》つ籤《クシ》とぞ我は成ける、六帖に、みをつくし、川浪もうしほとかゝるみをつくしよする方なき戀もする哉、土佐日記に、六日、みをつくしのもとより出て、難波の津をきて、河尻に入云々、さて此は、心盡《コヽロツクシ》といはむとての枕詞ながら、此(ノ)歌の前後、多くは皆地(ノ)名をよめれば、契冲も云る如く、難波の邊に族居せる人の、目にふるゝ物を、やがてよめるなるべし、○念鴨《オモヘカモ》は、おもへばかの意なり、毛《モ》は歎息を含める助辭なり、○此間《コゝ》は、此處《コヽ》なり、此(ノ)方といふが如し、七(ノ)卷に、此月之此間來者且今跡香毛妹之出立待乍將有《コノツキノコヽニキタレバイマトカモイモガイデタチマチツヽアラム》、○歌(ノ)意は、家なる妹が、心を盡して、吾を思へばか、此方にも、むざ/\とかぎりもなく、夢に見ゆるよ、さてもいよ/\、家路の一(ト)すぢに、戀しく思はるゝ事ぞ、となり、
 
3163 吾妹兒爾《ワギモコニ》。觸者無二《フルトハナシニ》。荒礒回爾《アリソミニ》。吾衣手者《ワガコロモテハ》。所沾可母《ヌレニケルカモ》。
 
觸者無二《フルトハナシニ》、上にも、吹風妹經者吾共經《フクカゼシイモニフレナバアガムタニフレ》、とあり、○荒礒回はアリソミ〔四字右○〕とよむべし、(略解にアリソマ〔四字右○〕とよめるは、いみじきひがことなり、)○歌(ノ)意は、妹にこそ依(リ)觸(ル)べきに、さはあらずして、荒き(414)礒浪に觸て、衣手を打沾しつゝ、さてもくるしき旅をすること哉、となり、
 
3164 室之浦之《ムロノウラノ》。湍門之崎有《セトノサキナル》。鳴島之《ナルシマノ》。礒越浪爾《イソコスナミニ》。所沾可聞《ヌレニケルカモ》。
 
室之浦《ムロノウラ》は、播磨(ノ)國揖保(ノ)郡の室《ムロ》なり、○湍門《セト》は、淡路島の間の迫門《セト》なるべし、○鳴島は、舊本ナキシマ〔四字右○〕とよめり、(契冲、ナキシマ〔四字右○〕とよめるによりて、故郷の妻を戀てなくによせて、よめるよしいへれど、然まで譬へたる意はなし、)浪音の鳴動《ナリトヨ》むより、負せたる島の名なるべければナルシマ〔四字右○〕なるべし、鳴尾《ナルヲ》、鳴門《ナルト》、鳴海《ナルミ》などの例をも、思(ヒ)合(ス)べし、略解にも、今人(ノ)氏に、成島《ナルシマ》といふもあれば、ナルシマなるべし、といへり、なほ土人に問べし、○歌(ノ)意は、家妻を思ふ情さへ、堪がたくあるを、鳴島の磯浪にぬれつゝ、さてもくるしき旅をすることにてもある哉、となり、
 
3165 霍公鳥《ホトヽギス》。飛幡之浦爾《トバタノウラニ》。敷浪之《シクナミノ》。屡君乎《シバ/\キミヲ》。將見因毛鴨《ミムヨシモガモ》。
 
霍公鳥《ホトヽギス》は、まくら詞なり、飛《トブ》といひかけたり、四(ノ)卷に、白鳥能飛羽山松之《シラトリノトパヤママツノ》云々、○飛幡之浦《トバタノウラ》、筑前(ノ)國遠賀(ノ)郡に、戸畑《トバタ》と云處あり、筑前(ノ)國風土記、塢※[舟+可](ノ)水門(ノ)條に、鳥旗《トバタ》と云あり、そこ歟、○本句(ノ)は序なり、依重《ヨリシキ》る浪の、間無《マナキ》謂もて、屡《シバ/\》とつゞけたり、此(ノ)上に、立浪之數和備思《タツナミノシバ/\ワビシ》、ともあり、○君《キミ》とは、旅宿のあたりにて、思ひかけたる人を云るか、○歌(ノ)意は、間もおかず、度々君を見むよしもがなあれかし、となり、
 
3166 吾妹兒乎《ワギモコヲ》。外耳哉將見《ヨソノミヤミム》。越懈乃《コシノウミノ》。子難懈乃《コカタノウミノ》。鳥楢名君《シマナラナクニ》。
 
(415)越懈乃は、コシノウミ〔五字右○〕ノとよめる宜し、懈は二(ツ)ともに、契冲がいへるごとく、※[さんずい+解](ノ)字の誤寫なるべし、○子難懈《コカタノウミ》は、十六にも、紫乃粉滷乃海爾潜鳥珠潜出者吾玉爾將爲《ムラサキノコカタノウミニカヅクトリタマカヅキデバワガタマニセム》、とよめり、○歌(ノ)意は、妹は、子難の海の島にてもあらぬことなるを、其(ノ)島を外目に見すぐして、行(ク)如く、外に見てのみあらむ歟、となり、これも旅行中に、思ひかけたる女をよめるにや、
 
3167 浪間從《ナミノマヨ》。雲位爾所見《クモヰニミユル》。粟島之《アハシマノ》。不相物故《アハヌモノユヱ》。吾爾所依兄等《アニヨスルコラ》。
 
浪間從は、ナミノマヨ〔五字右○〕と訓べし、○雲位爾所見《クモヰニミユル》(所(ノ)字、舊本にはなし、元暦本、拾穗体等に從つ、)は、雲居遙に見ゆるなり、○粟島之《アハシマノ》、此までは序なり、さてこれも、旅居せる所より、見やりたる所を云て、即(チ)不相《アハヌ》と疊《カサ》ねつゞけたり、粟島は、既く三(ノ)卷に出(デ)つ、○不相物故《アハヌモノユヱ》は、逢ざる物をといふ意なり、○所依《ヨスル》は、人のいひよするを云、○歌(ノ)意は、未(ダ)逢たることもなき女なるものを、人の吾にいひよするよ、となり、これも旅中にて、女をかたらふよし、人のいひさわぐよしをきゝてよめるなるべし、
 
3168 衣袖之《コロモテノ》。眞若之浦之《マワカノウラノ》。愛子地《マナゴツチ》。間無時無《マナクトキナシ》。吾戀钁《アガコフラクハ》。
 
衣袖之《コロモテノ》は、眞若《マワカ》とつゞきたるは、衣袖の眞別といふ意に、いひかけたるなり、其は四(ノ)卷三方(ノ)沙彌(カ)歌に、衣手乃別今夜從妹毛吾母甚戀名相因乎奈美《コロモテノワカルコヨヒヨイモモアレモイタクコヒムナアフヨシヲナミ》、とあるをはじめて、衣袖《コロモテ》の別《ワカル》とも、袖《ソテ》の別《ワカレ》ともよめる、集中に多し、其は此(ノ)下にも、白妙之袖之別者雖惜《シロタヘノソテノワカレハヲシケドモ》云々、また白妙乃袖之別乎難(416)見爲而《シロタヘノソテノワカレヲカタミシテ》云々、などよめる類なり、これらを思(ヒ)合すべし、○眞若之浦《マワカノウラ》は、紀伊(ノ)國の弱《ワカノ》浦なり、眞《マ》は、眞熊野《マクマヌ》、御吉野《ミヨシヌ》など云、眞《マ》御《ミ》の如し、○愛子地は、マナゴツチ〔五字右○〕と訓べし、(七(ノ)卷にも、愛子地《マナゴツチ》とあれば、地は、ツチ〔二字右○〕なること灼然《シル》し、然るを、地は路の意と心得て、マナゴチノ〔五字右○〕とよめるはわろし、)眞砂のある地《トコロ》を謂ふ、さてその數々《カズ/\》の眞砂の、すき間なきをもて、間無《マナク》とゞけたるなるべし、又七(ノ)卷に、豐國之聞之濱邊之愛子地眞直之有者何如將嘆《トヨクニノキクノハマヘノマナゴツチマナホニシアラバナニカナゲカム》、とある如くマナ〔二字右○〕の言を疊む料に、いへるにもあるべし、○钁(元暦本、類聚抄、拾穗本等には、〓と作り、)は、久波《クハ》の借(リ)字なり、和名抄に、※[秋/金]一名※[金+華]、和名|久波《クハ》、また説文(ニ)云、〓(ハ)大鋤也、和名同v上(ニ)、と見えたり、○歌(ノ)意は、家なる妹と、衣袖の眞別(レ)に別れ來て、此(ノ)弱(ノ)浦の眞砂地の、眞砂の透間《スキマ》なきが如く、吾(ガ)家路を戀しく思ふ心は、間も時もなし、となり、(此(ノ)歌(ノ)意、古來解得たる人なし、まづ冠辭考に、契冲が説を引て、左右の手を具して、眞手《マテ》といふなれば、袖も同じく相具したる物故に、眞《マ》とつゞけたるか、といへり、抑々《マ》某と云|眞《マ》の言は、もと何にまれ、物のすぐれてよきと、又|全備《ソナハリ》たるとを稱《ホメ》いふ言にして、左右の手を眞手《マテ》、左右の袖を眞袖《マソテ》、左右の楫を眞楫《マカヂ》と云る類は、其(ノ)全備《ソナハリ》たるを稱たるなり、其餘なるも・皆其(ノ)定にて、いづれも語首におく言にこそあれ、手の眞《マ》卦、袖の眞《マ》と云べき理やはあるべき、かゝるを、世の古學者の徒、冠辭考に委ねて、ことさらに考(フ)べき物ともせざるにや、いぶかしいぶかし、)
 
(417)3169 能登海爾《ノトノウミニ》。釣爲海部之《ツリスルアマノ》。射去火之《イザリヒノ》。光爾伊往《ヒカリニイマセ》。月待香光《ツキマチガテリ》。
 
能登海《ノトノウミ》は、能登(ノ)國の海なり、○伊往は、舊本は、イマセ〔三字右○〕と訓る、いと宜し、これに從べし、(略解に、イユク〔三字右○〕とよめるは、いみじき非なり、)○月待香光は、ツキマチガテリ〔七字右○〕と訓べし、既く出たる辭なり、○歌(ノ)意は、程なく月も出來べきなれば、其(ノ)月を待兼帶《マチガテラ》に、漁人《アマビト》のともせる、漁火《イザリヒ》の光にてらされて、緩々《ユル/\》と恙《ツヽミ》なくしておはしませ、心急して、あやまちしたまふなよ、とよめるなるべし、此(ノ)歌は、同じ湊に泊たる舟の中に、思ふ人のありけるが、夜中にこぎわかれて、舟出する間に、いひやれるなるべし、
 
3170 思香乃白水郎乃《シカノアマノ》。釣爾燭有《ツリニトモセル》。射去火之《イザリヒノ》。髣髴妹乎《ホノカニイモヲ》。將見因毛欲得《ミムヨシモガモ》。
 
思香《シカ》は、筑前(ノ)國糟屋(ノ)郡にありて、名高き志珂《シカ》なり、既く出つ、○釣爾燭有(釣(ノ)字、舊本には鉤と作り、今は古寫一本、拾穗本等に從つ、爾(ノ)字、舊本に爲と作るは、次上の歌に、釣爲海部之、とあるに見混へて、寫し誤れるなるべし、今は岡部氏の、爾に改めたるに從つ、)は、ツリニトモセル〔七字右○〕と訓べし、○本(ノ)句は序にて、火(ノ)光の幽《ホノカ》といひつゞけたり、○歌(ノ)意は、ほのかになりとも、嗚呼《アハレ》家なる妹を、相見むしかたもがなあれかし、となり、
 
3171 難波方《ナニハガタ》。水手出船之《コギデシフネノ》。遙遙《ハロバロニ》。別來禮杼《ワカレキヌレド》。忘金津毛《ワスレカネツモ》。
 
遙々《ハロ/”\ニ》、五(ノ)卷に、波漏波漏爾《ハロバロニ》とあり、○歌(ノ)意は、難波潟こぎ出て、遙々に別れ來ぬれば、めづらしき(418)處々に、目は觸(ル)れども、なぐさむ心はなくて、家なる妹を、しばしも得忘れず、さても戀しく思はるゝ事ぞ、となり、
 
3172 浦回※[手偏+旁]《ウラミコグ》。熊野舟泊《クマヌフネハテ》。目頬志久《メヅラシク》。懸不思《カケテオモハヌ》。月毛日毛無《ツキモヒモナシ》。
 
浦回は、ウラミ〔三字右○〕と訓べし、(ウラワ、ウラマ〔六字右○〕などよむは、古言にあらず、ひがことなり、)既くたびたび出つ、契冲、右に難波方《ナニハガタ》と云、左に穿江《ホリエ》とあれば、難波の浦回なり、と云り、但しこれは、何處の浦回にてもありぬべし、○熊野舟泊、(泊(ノ)字、舊本に附と作り、古本には、泊と作るよし、これ宜し、)契冲、能は、熊(ノ)字の列火をうしなへるなり、と云るぞ當れる、クマヌフネハテ〔七字右○〕と訓べし、熊野舟《クマヌフネ》は、神代(ノ)紀下(ツ)卷に、故(レ)以(テ)2熊野(ノ)諸手船1、(亦名(ハ)天(ノ)鳩船、)載2使者稻背彦(ヲ)1、此(ノ)集六(ノ)卷にも、眞熊野之舟《マクマヌノフネ》を、二首よめり、さて此までは、愛《メヅ》らしくといはむとての序なり、中山(ノ)嚴水云、今も熊野にて鯢《クヂラ》取(ル)船は、赤く黒く漁りて、色々の花形など畫ければ、古よりしかありしなるべし、されば餘の舟どもとは、異にて愛《メヅ》らしくうるはしければ、そを熊野舟と云て、さてめづらしくといひつゞけたるなるべし、○目頬志久《メヅラシク》は、愛憐《メヅラシ》くなり、難波人葦火燎屋之酢四手雖有己妻許増常目頬次吉《ナニハビトアシビタクヤノスシテアレドオノガツマコソツネメヅラシキ》、とあるめづらしきに同じ、さて此(ノ)は、思《オモフ》の言に屬(ケ)て意得べし、○歌(ノ)意は、家路遙に、別れ來てはあれども、心に懸て、己妻を愛憐《メヅラ》しき物に思ひ慕はぬ時も日もさらになし、と云るなるべし、
 
(419)3173 松浦舟《マツラブネ》。亂穿江之《ミダルホリエノ》。水尾早《ミヲハヤミ》。※[楫+戈]取間無《カヂトルマナク》。所念鴨《オモホユルカモ》。
 
松浦舟《マツラブネ》は、筑紫の松浦の舟にて、物積(ミ)運ぶ舟なれば、難波に來湊《キツド》ふなり、七(ノ)卷に、作夜深而穿江水手鳴松浦船梶音高之水尾早見鴨《サヨフケテホリエコグナルマツラブネカヂオトタカシミヲハヤミカモ》、○亂穿江之は、ミダルホリエノ〔七字右○〕と訓べし、亂《ミダル》は、三(ノ)卷にも、苅薦乃亂出所見海人釣船《カリコモノミダレイヅミユアマノツリフネ》、とよめり、(亂は、壞れ亂るゝをも云(ヘ)ど、こゝは出入船の數多くて、さわぎきほふさまをいへるなり、)穿江《ホリエ》は、難波堀江なり、○水尾早《ミヲハヤミ》は、水脉《ミヲ》の流の急《ハヤ》さに、といふ意なり、○※[楫+戈]取間無《カヂトルマナク》は、※[楫+戈]を取に隙無(キ)意なり、流(レ)の急《ハヤ》さに、※[楫+戈]を取(リ)止《ヤム》る間のなき謂なり、さて※[楫+戈]取(ル)と云までは、間無《マナク》を「いはむ料の序にて、旅居のほど、目にふるゝ物をもていへるなり、十七に、香島欲里久麻吉乎左之底許具布禰能可治等流間奈久京師之於母保由《カシマヨリクマキヲサシテコグフネノカヂトルマナクミヤコシオモホユ》、これは少しつゞけの意、かはりたるやうなれど、香島より熊來の間は、潮早くて、※[楫+戈]取に隙なきより云るならむ、○歌(ノ)意は、家なる妹が、間も時もなく、さても戀しくおもはるゝことかな、となり、○此(ノ)一首、古寫本になきは、脱たるなるべし、
 
3174 射去爲《イザリスル》。海部之※[楫+戈]音《アマノカヂノト》。湯鞍干《ユクラカニ》。妹心《イモガコヽロニ》。乘來鴨《ノリニケルカモ》。
 
本(ノ)二句は序にて、※[楫+戈]音高之水尾早見鴨《カヂノオトタカシミヲハヤミカモ》、又、可治都久米於等之婆多知奴美乎波也美加母《カヂツクメオトシバタチヌミヲハヤミカモ》、など云るとは異にて、なぎたる海にて、海部の漁《イザリ》する舟なれば、急《イソ》がず寛《ユル》やかに漕よしのつゞけにて、さてうけたる方にては、湯鞍干《ユクラカニ》は、意|異《カハ》れり、○湯鞍干《ユクラカニ》は、動搖《ユクラカ》になり、その動搖は、ゆたの(420)たゆたに物思ふ頃ぞと云る、ゆたと同言にして、心の動《ユ》り搖《サワ》ぐを云言なり、○歌(ノ)意は、妹が我(ガ)心の上にうかびて、心《ムネ》打動くばかりに、さても戀しく思はるゝことかな、となり、さてその妹は、旅にして、家の妹を云るなり、此(ノ)歌の末(ノ)句二(ノ)卷に、久米(ノ)禅師(ガ)歌に、東人之荷向篋乃荷之緒荷毛妹情爾乘爾家留香聞《アヅマヒトノノサキノハコノニノヲニモイモガコヽロニノリニケルカモ》、とあるよりこのかた、あまた見えたり、
 
3175 若乃浦爾《ワカノウラニ》。袖左倍沾而《ソテサヘヌレテ》。忘貝《ワスレガヒ》。拾跡妹者《ヒリヘドイモハ》。不所忘爾《ワスラエナクニ》。
 
跡(ノ)字、元暦本、官本、拾穗本等には、杼と作り、○歌(ノ)意は、忘貝《ワスレガヒ》を手に取(レ)ば、忘《ワスル》といふ名にあやかりて、憂を忘ると人のいへば、さることもあらむかと、衣(ノ)裾《スソ》はさるものにて、袖さへも濕《ヌレ》て、、艱難《カラク》して、弱《ワカノ》浦の忘貝を袷へれど、家なる妹は、しばしも得忘れられずに、戀しく思はるゝものを、これにて思へば忘貝といふも、たゞ貝の名ばかりにてありけり、となり、○舊本に、或本末句云忘可禰都母、と註せり、
 
3176 草枕《クサマクラ》。羈西居者《タビニシヲレバ》。苅薦之《カリコモノ》。擾妹爾《ミダレテイモニ》。不戀日者無《コヒヌヒハナシ》。
 
草枕《クサマクラ》、苅薦之《カリコモノ》は、共に枕詞なり、○歌(ノ)意は、旅に居れば、心も亂れて、家の妹を、戀しく思はぬ日は、一日もさらになし、となり、
 
3177 然海部之《シカノアマノ》。礒爾苅干《イソニカリホス》。名告藻之《ナノリソノ》。名者告手師乎《ナハノリテシヲ》。如何相難寸《イカデアヒガタキ》。
 
然《シカ》は、上にいへる思香《シカ》に同じ、○本(ノ)句は序にて、名告藻之名告《ナノリソノナノリ》、と連(ネ)下したり、○歌(ノ)意、女の名を(421)告知せしからは、うけひきつらむを、事とて、逢事の難きことぞ、となり、筑前に任られし人の、旅中にて、女をかたらひてよめるなるべし、さて上に、住吉之敷津之浦乃名告藻之名者告而之乎不相毛恠《スミノエノシキツノウラノナノリソノナハノリテシヲアハナクモアヤシ》とあるは、今の歌に甚(ク)似たり
 
3178 國遠見《クニトホミ》。念勿和備曾《オモヒナワビソ》。風之共《カゼノムタ》。雲之行如《クモノユクナス》。言者將通《コトハカヨハム》。
 
歌(ノ)意、國が遠く隔りたる故に、得相見ずとて、思ひわぶることなかれ、風と共に、雲の空を往かよふ如くに、音信せむをと、別れしとき、家の妹がいたくわびたるを、なぐさめむとて、よみておくれるなるべし、
 
3179 留西《トマリニシ》。人乎念爾《ヒトヲオモフニ》。※[虫+廷]野《アキヅヌニ》。居白雲《ヰルシラクモノ》。止時無《ヤムトキモナシ》。
 
留(ノ)字、元暦本には※[死/田]と作り、留の異體なり、○人《ヒト》は、妻《メ》を云べし、○※[虫+廷]野は、吉野の蜻蛉野《アキヅヌ》なり、○居白雲《ヰルシラクモ》は、下(リ)居る雲の消失る時なきをもて、止時無《ヤムトキナシ》の序とせり、○歌(ノ)意は、家に留(リ)居し妻を、戀しく思ふに、思ひ止時とてはさらになし、となり、
 
悲別歌《ワカレノカナシミウタ》。
 
これは覊旅の標内の悲別歌なり、その心して見べし、
 
3180 浦毛無《ウラモナク》。去之君故《イニシキミユヱ》。朝旦《アサナサナ》。本名烏戀《モトナソコフル》。相跡者無杼《アフトハナシニ》。
 
浦毛無《ウラモナク》は、心の裏表無《ウラウヘナキ》を云詞にて、此は何の邪心《ヨコシマゴヽロ》もなく、といはむが如し、上に、橡之一重衣(422)裏毛無將有兒故戀渡可聞《ツルバミノヒトヘコロモノウラモナクアルラムコユヱコヒワタルカモ》、とあり、○君故《キミユヱ》は、君なるものをの意なり、故《ユヱ》は、人妻故爾《ヒトヅマユヱニ》などいふ故《ユエ》なり、○朝旦《アサナサナ》は、毎日《ヒゴト》といはむが如し、假字書は、十七に、奈泥之故我波奈爾毛我母奈安佐奈佐奈見牟《ナデシコガハナニモガモナアサナサナミム》、廿(ノ)卷に、阿佐奈佐奈安我流比婆理爾奈里弖之可《アサナサナアガルヒバリニナリテシカ》云々、などあり、○本名烏戀《モトナソコフル》、烏は、上にも、曾といふべき處に用ひたり、焉に通(ハシ)用たるなるべし、烏焉通(ハシ)用る謂は、上に和名抄を引て、證したるごとし、○相跡者無杼、本居氏、杼は荷(ノ)字の誤にて、アフトハナシニ〔七字右○〕なるべし、といへり、元暦本にも、假字には、ナシニ〔三字右○〕とあり、さもあるべし、○歌(ノ)意は、邪心《ヨコシマゴヽロ》をさしはさみて、別れ去し君ならば、さもあるべきに、然はなきものなるを、逢ことなければ、得思ひはるけずして、むざ/\と戀しくのみぞ思ふ、となり、此は夫(ノ)君の旅に行て後に、女のよめるならむ、
 
3181 白細之《シロタヘノ》。君之下※[糸+刃]《キミガシタヒモ》。吾左倍爾《アレサヘニ》。今日結而名《ケフムスビテナ》。將相日之爲《アハムヒノタメ》。
 
吾左倍爾《アレサヘニ》は、男の紐を結ぶを主にて、其(ノ)縁に、吾紐をまでに、と云意なり、○結而名《ムスビテナ》は、結ばむとすることを、さし急ぎていふ言なり、(すべて結而奈《ムスビテナ》、※[手偏+旁]而奈《コギテナ》などいふと、結《ムス》びてむ、※[手偏+旁]《コギ》てむなど云とは、緩急の差別あることなるを、註者等、たゞ古言の一(ノ)格にて、牟《ム》を奈《ナ》と、通(ハシ)云るよしに、説なせるは、古(ヘ)に委しからぬことなり、上にもたび/\いへり、)○歌(ノ)意は、君が下紐を妾《ワガ》結ぶ縁に、我(カ)紐をまでに、いざさらば、今日結(ヒ)堅めおきて、君が恙なく歸り來まして、互に解(キ)交《カハ》さむ時、たしかに異情をもたざる鐙の爲にせむ、となり、此も夫(ノ)君の旅立に臨て、夫(ノ)君の紐を、女の結(423)ぶとてよめるなり、三(ノ)卷人麿の※[羈の馬が奇]旅歌八首の中にも、粟路之野島之前乃濱風爾妹之結紐吹返《アハヂノヌシマノサキノハマカゼニイモガムスベルヒモフキカヘス》とあるも、旅發むとするほど、家(ノ)妻が結べる紐の謂《ヨシ》なり、此(ノ)外さるさまなる歌、これかれあり、
 
3182 白妙之《シロタヘノ》。袖之別者《ソテノワカレハ》。雖惜《ヲシケドモ》。思亂而《オモヒミダレテ》。赦鶴鴨《ユルシツルカモ》。
 
雖惜《ヲシケドモ》は、惜《ヲシ》けれども、といふ意なるを、かくレ〔右○〕の言をいはざるは、古(ヘ)の詞づかひなり、近家杼母《チカケドモ》、遠家杼母《トホケドモ》など云、皆同じ例なり、○赦鶴鴨《ユルシツルカモ》は、縱《ユル》しつる哉の意なり、縱《ユルス》とは、もとよりの意ならねど、よしやさばれと、縱《ユル》べはなつ謂《ヨシ》なり、さればこゝは、縱《ユル》べはなつは、本意にはあらねども、思ひ亂れし紛れに、得留めあへずて、縱《ユル》しつる謂なり、上に、梓弓引而不縱大夫哉《アヅサユミヒキテユルサズマスヲヲヤ》、とあるも、武夫《マスラヲ》の健《タケキ》心の、いさゝか緩《タユミ》なきを、弓弦を引張て、弛《ユルブ》ることのなきが如くなるに、たとへたるなり、四(ノ)卷に、今者吾羽和備曾四二結類氣乃緒爾念師君乎縱久思者《イマハアハワビソシニケルイキノヲニオモヒシキミヲユルサクモヘバ》、とあるは、縱《ユル》べはなら、去しめたることを思へば、わびしきよしにて、今の歌なるに、全(ラ)同じ、同卷に、根毛許呂爾君之聞四手《ネモコロニキミガキコシテ》、年深長四云者《トシフカクナガクシイヘバ》、眞十鏡磨師情乎《マソカヾミトギシコヽロヲ》、縱手師其日之極《ユルシテシソノヒノキハミ》、浪之共靡珠藻乃《ナミノムタナビクタマモノ》、云云意者不持《カニカクニコヽロハモタズ》、大船乃憑有時丹《オホブネノタノメルトキニ》云々、とあるは、もとよりたやすく、人の心にまかすまじと思へるものから、懇切《ネモコロ》にのたまふによりて、許容《ユル》したるよしにて、これも縱《ユルス》は、ゆるべはなちて、人に任せたる意なり、罪を赦《ユルス》と云も、繋《ツナ》ぎ縛《シバ》れるものを、解(キ)て縱《ハナ》つ意なり、そも/\ユル〔二字右○〕は、ユルブ、ユルヤカ、ユルラカ、(424)ユル/\、ユルカセ〔十九字右○〕など多くいふユル〔二字右○〕にて、結《シマ》れるをゆるぶるよしなり、○歌(ノ)意は、纏ひ交《カハ》せる袖と袖とを離《ハナ》して、別ることの惜(ク)はあれども、思ひ亂(レ)し紛れに、得留めもあへずして、縱《ユル》して別れゆかしのつる哉、さても惜き事ぞ、となり、
 
3183 京師邊《ミヤコヘニ》。君者去之乎《キミハイニシヲ》。孰解可《タレトクカ》。言※[糸+刃]緒乃《ワガヒモノヲノ》。結手懈毛《ユフテタユキモ》。
 
京師邊は、ミヤコヘニ〔五字右○〕とよめる宜し、(略解に、ミヤコヘヘ〔五字右○〕とよみしは、いとつたなし、但し三(ノ)卷に、燒津邊《ヤキヅヘニ》、春日之野邊《カスガノヌヘニ》、四(ノ)卷に、山跡邊《ヤマトヘニ》、邊去伊麻夜《ヘニユキイマヤ》、七(ノ)卷に、邊近着毛《ヘニチカヅクモ》、清山邊《キヨキヤマヘニ》、八(ノ)卷に、佐保乃山邊《サホノヤマヘニ》、九(ノ)卷に、在衣邊《アリソヘニ》、秋津邊《アキヅヘニ》、十(ノ)卷に、棚引野邊《タナビクヌヘニ》、開有野邊《サキタルヌヘニ》、咲有野邊《サキタルヌヘニ》、十一に、谷邊蔓《タニヘニハヘル》、十九に、可蘇氣伎野邊《カソケキヌヘニ》、など書る處多きによりて、邊は、ヘン〔二字右○〕の字音を、ヘニ〔二字右○〕に假(リ)たるにて、集中に、黄土粉《ハニフニ》、爾故余漢《ニコヨカニ》、今夕彈《コヨヒダニ》、湯鞍干《ユクラカニ》など書ると、同例なり、と思ふ人あるべし、邊はいづくも用《ツカ》ひ樣、正字にかきて、邊《ヘン》の字音を假れるにはあらず、正字なるからは、邇《ニ》の辭をよみ附るに、妨なきことなり、)○孰解可《タレトケカ》は、孰が解ばにか、と云意なり、○結手懈毛は、ユフテタユキモ〔七字右○〕と訓べし、(略解に、ユフテタユシモ〔七字右○〕とよめるは、第三(ノ)句の、可《カ》の疑詞に結(ビ)とゝのはず、)○歌(ノ)意は、夫(ノ)君は、遠く都方へ行しものを、誰が解ばにか、さてもかく下紐の、結(フ)手もたゆむまで、度々とくるならむ、とまづ疑ひて、さてこれは、他《ホカ》の故にあらず、いかさまこれは、わが夫(ノ)君を思ふが如く、君も妾《ワレ》をこひしくおもほすらむ、其(ノ)應《シルシ》に、かく自《オ》解るならむ、となり、人に戀しく思はるれば、紐の自《オ》解るといふ諺(425)によりて、よめるなり、(岡部氏の、夫は京へ行しかば、田舍女をば思ふまじきに、わが下紐のしきりにとくるは、誰人のわれを戀て、解ぬらむとあやしむなり、といへるは、いさゝか行たらはぬ説なり、)さて此は田舍(ノ)女の、夫(ノ)君が宮づかへなどすとて、都にのぼれるに、殘し置れて、よめる歌なるべし、十一に、君戀浦經居悔我裏紐結手徒《キミニコヒウラブレヲレバクヤシクモワガシタヒモノユフテタユキモ》、古今集に、思ふとも戀ともあはむ物なれやゆふ手もたゆくとくる下紐、
 
3184 草枕《クサマクラ》。客去君乎《タビユクキミヲ》。人目多《ヒトメオホミ》。袖不振爲而《ソテフラズシテ》。安萬田悔毛《アマタクヤシモ》。
 
安萬田悔毛《アマタクヤシモ》は、嗚呼《アハレ》殊に甚じく悔しき事、といふなり、七(ノ)卷に、鳥自物海二浮居而奥津浪驂乎聞者數悲哭《トリジモノウミニウキヰテオキツナミサワクヲキケバアマタカナシモ》、八(ノ)卷に、多夫手二毛投越都倍伎天漢敝太而禮婆可母安麻価多須辨奈吉《タブテニモナゲコシツベキアマノガハヘダテレバカモアマタスベナキ》、などある安麻多《アマタ》は、みな殊に甚しき謂なり、かやうに用《ツカ》へること、古(ヘノ)歌にのみ見えて、後(ノ)世なるにはなし、十七に、多加波之母安麻多安禮等母《タカハシモアマタアレドモ》、矢形尾乃安我大黒爾《ヤカタヲノアガオホクロニ》云々、とあるは、後(ノ)世に云と、同じ用ひ様なり、これも言は、もと同じことにて、殊に數多くあれどもの謂《ヨシ》なり、十四に、安麻多欲《アマタヨ》とあるも、後(ノ)世に云と同じ、毛《モ》は、歎息を含める助辭なり、○歌(ノ)意は、旅に出發往(ク)君を慕ふにつけて、せめての心やりに、袖振(リ)さしまねかまほしくは、思ふものから、さすがに人目の多きに憚りて、袖振ざりしが、さてもあかず、殊に甚《イミ》じく悔しき事、となり、六(ノ)卷に、凡有者左毛右毛將爲乎恐跡振痛袖乎忍有香聞《オホナラバカモカモセムヲカシコミトフリタキソテヲシヌヒタルカモ》、
 
(426)3185 白銅鏡《マソカヾミ》。手二取持而《テニトリモチテ》。見常不足《ミレドアカヌ》。君爾所贈而《キミニオクレテ》。生跡文無《イケルトモナシ》。
 
本(ノ)二句は、見《ミ》をいはむとての序なり、○常(ノ)字、官本には、跡と作り、○所贈而《オクレテ》は、贈は借(リ)字にて、所《レ》v後《オク》而《テ》なり、君に殘し置れて、と云なり、集中に多き詞なり、古今集離別に、かぎりなき雲居のよそに別るとも人を心におくらさむやは、これも正身は、今かく別るれども、心の裏には、そこを殘し置はせぬ、との謂なり、かゝればもとオクラス〔四字右○〕は、行人より令《セシ》むるに云(ヒ)、オクル〔三字右○〕は、留る人の、行人の令《セシ》むるを應《ウケ》て云意なるべし、○歌(ノ)意は、見れど見あかず、うるはしき君に殘し置れて、吾は生たる心神もなし、となり、四(ノ)卷に、眞十鏡見不飽君爾所贈而哉旦夕爾左備乍將居《マソカヾミミアカヌキミニオクレテヤアシタユフヘニサビツヽヲラム》、似たる歌なり、
 
3186 陰夜之《クモリヨノ》。田時毛不知《タドキモシラズ》。山越而《ヤマコエテ》。往座君乎者《イマスキミヲバ》。何時將侍《イツトカマタム》。
 
陰夜之《クモリヨノ》は、まくら詞なり、陰夜《クモリヨ》は、たど/\しくて、たよりよる處のしられねばつゞけたり、廿(ノ)卷に、夜未乃欲能由久左伎之良受由久和禮乎伊都伎麻左牟等登比之古良波母《ヤミノヨノユクサキシラズユクワレヲイツキマサムトトヒシコラハモ》、ともめり、○歌(ノ)意は、をちこちのたづきもしらずに、山道を越て、遙々に旅行給ふ君を、何時《イツ》かへり來まさむものと、待つゝやをらむ、となり、
 
3187 田立名付《タタナヅク》。青垣山之《アヲカキヤマノ》。隔者《ヘナリナバ》。數君乎《シバ/\キミヲ》。言不問可聞《コトトハジカモ》。
 
本(ノ)二句は、一(ノ)卷、六(ノ)卷に既く出たり、山(ノ)名に非ず、青々と繁りたる山を云、○隔者は、ヘナリナバ〔五字右○〕(427)と訓べし、十一に、石根踏重成山雖不有不相日數戀渡鴨《イハネフミヘナレルヤマハアラネドモアハヌヒマネミコヒワタルカモ》、十七に、之良久毛能多奈妣久夜麻乎《シラクモノタナビクヤマヲ》、伊波禰布美古要弊奈利奈婆《イハネフミコエヘナリナバ》、孤悲之家久氣乃奈我氣牟曾《コヒシケクケノナガケムソ》云々、○言不問可聞は、コトヽハジカモ〔七字右○〕と幽齋本に訓れたる、よろし、○歌(ノ)意、青々と圍める繁山を隔て、遠くおはしましなば、度度|音信《オトヅレ》することもあらじか、さても惜き別ぞと、女の歎きてよめるにて、今まのあたり相見たるほどだに、ねもころに、いかでかたらひておはしまさねかし、との意を、思はせたるなり、
 
3188 朝霞《アサガスミ》。蒙山乎《タナビクヤマヲ》。越而去者《コエテユカバ》。吾波將戀奈《アレハコヒムナ》。至于相日《アハムヒマデニ》。
 
蒙《ナビク》は、七(ノ)卷にも、大葉山霞蒙《オホハヤマカスミタナビキ》、とあり、○戀變奈《コヒムナ》とは、奈《ナ》は歎息(ノ)詞にて、戀むなあ、と云なり、四(ノ)卷に、大船之念憑師君之去者吾者將戀名直相左右二《オホブネノオモヒタノミシキミガイナバアレハコヒムナタヾニアフマデニ》、七(ノ)卷に、家爾之弖吾者將戀名南野乃淺茅之上爾照之月夜乎《イヘニシテアレハコヒムナナミヌノアサチノウヘニテリシツクヨヲ》、などあるに同じ、○歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、
 
3189 足檜乃《アシヒキノ》。山者百重《ヤマハモヽヘニ》。雖隱《カクストモ》。妹者不忘《イモハワスラジ》。直相左右二《タヾニアフマデニ》。
 
雖隱は、カクストモ〔五字右○〕と訓て、未來《ユクサキ》ををかけたるなり、○妹者不忘《イモハワスラジ》、古事記、日子穗々手見(ノ)命(ノ)大御歌に、意岐都登理加毛度久斯麻邇和賀葦泥斯伊毛波和須禮士余能許登碁登邇《オキツトリカモドクシマニワガヰネシイモハワスレジヨノコトゴトニ》、とあり、これを書紀には、伊茂播和素邏珥《イモハワスラニ》とあり、(和須良士《ワスラジ》を、和須良爾《ワスラニ》といふ所由は、余が鍼嚢の書に、委くいへり、○直相左右二《タヾニアフマデニ》、九(ノ)卷に、吾妹兒之結手師紐乎將解八方絶者絶十方直二相左右二《ワギモコガユヒテシヒモヲトカメヤモタエバタユトモタヾニアフマデニ》、に同じ、○歌(ノ)意は、山の百重隔て、家路を隱したらば、妹が聲を聞べき由も、容を見べきよしもあるべから(428)ねば、何くれの事の紛れに、ふとわするゝ事もあるべきに、中々にさはなくして、旅の憂ごとに、戀しくのみ思ひ出られて、家ならば、かくはあらじと思ふより、かへりきて、直に相見むまでは、一日片時も、妹を忘るゝ間はさらにあらじ、となり、○舊本に、一云|雖隱君乎思苦止時毛無《カクセドモキミヲシヌハクヤムトキモナシ》、と註せり、雖隱は、カクセドモ〔五字右○〕と訓て、現在のうへにていへるなり、思苦は、シヌハク〔四字右○〕と訓べし、(オモハク〔四字右○〕とよめるは、いとわろし、)こは女の歌にして、夫(ノ)君の旅行し方を、山の隱せども云云といふなり、
 
3190 雲居有《クモヰナル》。海山越而《ウミヤマコエテ》。伊往名者《イマシナバ》。吾將戀名《アレハコヒムナ》。後者相宿友《ノチハアヒヌトモ》。
 
雲居有《クモヰナル》は、雲居に在(ル)にて、甚遙なるを云、古今集離別に、かぎりなき雲居のよそにわかるとも人を心におくらさむやは、雲居にもかよふ心のおくれねばわかると人に見ゆばかりなり、白雲の八重にかさなるをちにても思はぬ人に心へだつな、○伊往名者《イマシナバ》は、おはしましたらばの意にて、俗に御出被v成たらば、といはむがごとし、○後者相宿友《ノチハアヒヌトモ》は、宿とかけるは借(リ)字にて、辭の奴《ヌ》に用たるなり、此下に、三沙呉居渚爾居舟之※[手偏+旁]出去者裏戀監後者會宿友《ミサゴヰルスニヰルフネノコギデナバウラコホシケムノチハアヒヌトモ》、とあるも同じ、○歌(ノ)意は、後は立歸り來まして、相見むとはおもへども、白雲の八重にかさなる、をちの海山を越て、旅におはしましたらば、歸り來まさむまで、相見むことのかなふべからねば、吾は、戀し/\と、日々になげきてのみ、待居むなあ、となり、
 
(429)3191 不欲惠八師《ヨシヱヤシ》。不戀登爲杼《コヒジトスレド》。木綿間山《ユフマヤマ》。越去之公之《コエニシキミガ》。所念良國《オモホユラクニ》。
 
不欲惠八師《ヨシヱシシ》(師(ノ)字、舊本に跡と作るは、趾の誤なるべし、一本には、趾と作《カケ》ればなり、今は古本、拾穗本等に從つ、道風手跡本にも、師とあるよしなり、)は、縱《ヨシ》と云は、假《カリニ》縱《ユルス》辭にて、たとへば、人のしひてせむと云ことを、よしやともかくもせよと、假初に縱すは、まことには、心に不《ヌ》v欲《ネガハ》ことなれば、義を得て不欲をヨシ〔二字右○〕と訓せたり、○木綿間山《ユフマヤマ》は、何國にあるにか、未(ダ)詳ならず、次々の歌ども、みな東國の地(ノ)名をよみたれば、これも東にある山なるべし、十四に、古非都追母乎良牟等須禮杼遊布麻夜萬可久禮之伎美乎於母比可禰都母《コヒツツモヲラムトスレドユフマヤマカクレシキミヲオモヒカネツモ》、とあるに、同じかるべし、○歌(ノ)意は、縱や戀じとはおもへども、木綿間山越て、遠く別れ去し君が、戀しく思はるゝ心の、堪がたきことなるを、いかにとかせむ、となり、(略解に、公之は、君乎《キミヲ》と云べきを、かくいふは例なり、といへるはいみじきひがことなり、オモホユル〔五字右○〕は、思はるゝと云にあたれば、君を思はるゝとは連《ツヾ》くべからず、必(ス)君がならでは續かず、されば、オモホユ〔四字右○〕といふにつゞけたる所は、何處にても君之《キミガ》、妹之《イモガ》とやうに云(ヒ)、オモフ〔三字右○〕と云につゞけたる所は、君乎《キミヲ》、妹乎《イモヲ》とやうにいへるは、定まれる格なるをや、心を付て味ひ置べし、)
 
3192 草陰之《クサカゲノ》。荒藺之崎乃《アラヰノサキノ》。笠島乎《カサシマヲ》。見乍可君之《ミツヽカキミガ》。山道越良無《ヤマヂコユラム》。
 
草陰之《クサカゲノ》は、まくら詞なるぺし、屬《ツヾキ》の意、未(タ)考(ヘ)得ず、十四に、久佐可氣乃安努奈由可武等《クサカゲノアヌナユカムト》云々、(草陰(430)之阿野野將行《クサカゲノアヌナユカム》、となるべし、野をナ〔右○〕といへる例多し、)倭姫(ノ)命(ノ)世記に、草陰阿野《クサカゲアヌノ》國などあるを、併(セ)思ふに、安《ア》の一言にかゝれる詞にやあらむ、○荒藺之崎乃笠島《アラヰノサキノカサシマ》は、未(ダ)勘(ヘ)知ず、(岡部氏云、或説に、荒藺(ノ)崎を武藏にありといふは、ひがことなり、海の島を見て越る山は、此(ノ)國にはなし、相模などには有もせむ、)○越良無《コユラム》、拾穗本には、將越と作り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、夫(ノ)君の旅行をおもひやりて、妻のよめるなるべし、此(ノ)歌九(ノ)卷に、山品之石田乃小野之母蘇原見乍哉公之山道越良武《ヤマシナノイハタノヲヌノハヽソハラミツヽヤキミガヤマヂコユラム》、とあるに、末(ノ)句大かた同じ、○舊本に、一云|三坂越良牟《ミサカコユラム》、と註り、三坂《ミサカ》は、眞坂《マサカ》といはむが如し、廿(ノ)卷東歌に、阿志加良能美佐可多麻波理《アシガラノミサカタマハリ》眞坂手廻《ミサカタマハリ》なり、手《タ》はそへたる辭なり、)とあり、かくて阿志加良能美佐可《アシガラノミサカ》は、相模(ノ)國足柄の眞坂にて、此は東國の防人の、不破(ノ)關を越るほどによめる歌なり、十四に、安思我良乃美佐可加思古美《アシガラノミサカカシコミ》、又、安思我良乃美佐可爾多志弖《アシガラノミサカニタシテ》、ともよめり、九(ノ)卷に、鳥鳴東國能《トリガナクアヅマノクニノ》、恐耶神之三坂爾《カシコキヤカミノミサカニ》、云々、とあるも、即(チ)足柄坂なり、これらを思ふに、こゝの三坂《ミサカ》も、足柄坂をいふならむか、しからば、荒藺笠島《アラヰカサシマ》は、かの坂路より見ゆる地ならむ、東(ノ)國の地體しれる人に尋て、註(シ)入べし、
 
3193 玉勝間《タマカツマ》。島熊山之《シマクマヤマノ》。夕晩《ユフグレニ》。獨可君之《ヒトリカキミガ》。山道將越《ヤマヂコユラム》。
 
玉勝間《タマカツマ》は、島《シマ》と云に係れる枕詞にて、上に、玉勝間安倍島山《タマカツマアベシマヤマ》、とある歌に、本居氏(ノ)説を擧て、委(ク)註り、○島熊山《シマクマヤマ》は、未(タ)勘知ず、東(ノ)國の地(ノ)名なるべし、○歌(ノ)意、これも夫(ノ)君の旅行を思ひやりて、女の(431)よめるにて、かくれたるすぢなし、九(ノ)卷に、朝霧爾沾爾之衣不于而一哉君之山道將越《アサギリニヌレニシコロモホサズシテヒトリヤキミガヤマヂコユラム》、○舊本に、一云|暮霧爾長戀爲乍寢不勝可聞《ユフギリニナガコヒシツヽイネカテヌカモ》、と註せり、暮霧爾《ユフギリニ》云々は、霧のおぼつかなき中に、旅宿する意か、長戀《ナガコヒ》は、五(ノ)卷に、於久禮爲天那我古飛世殊波《オクレヰテナガコヒセズバ》云々、とありて、年月永く戀思ふを云り、岡部氏は、此の一云は、上の安倍島山《アベシマヤマ》てふ歌の、字の亂れたるを見て、こゝに入しよしいへり、
 
3194 氣緒爾《イキノヲニ》。吾念君者《アガモフキミハ》。鷄鳴《トリガナク》。東方坂乎《アヅマノサカヲ》。今日可越覽《ケフカコユラム》。
 
氣緒爾《イキノヲニ》云々、十一に、息緒吾雖念人目多社《イキノヲニアレハオモヘドヒトメオホミコソ》、又、氣緒爾妹乎思念者《イキノヲニイモヲシモヘバ》云々、又、生緒爾念者苦《イキノヲニオモヘバクルシ》云々、此(ノ)卷(ノ)上に、氣緒爾言氣築之妹尚乎《イキノヲニワガイキヅキシイモスラヲ》云々、など見えたり、なほ他(ノ)卷にも、かくざまにいへること、往々《カレコレ》あり、本居氏、古事記(ノ)歌に、意能賀袁《オノガヲ》とある、袁《ヲ》は命と云むが如し、凡て物を續け持て、不v絶らしむる物を、袁《ヲ》と云緒も、此(ノ)意の名なり、命も、生の續きて絶ざる間を云なれば、是を袁《ヲ》と云るなるべし、又|多麻能袁《タマノヲ》と云るも、魂を放《ハフ》らさず、持續くるより云なるべし、年(ノ)緒長くと云も、年の長く續くことなり、されば氣緒《イキノヲ》に思ふと云るも、氣は借(リ)字にて、生《イキ》の緒の意にて、命にかけて思ふ、と云ことならむ、されば、十一に、生緒と書るや正字ならむ、命は生の緒なればなりと云り、(建俗職人歌合に、息《イキ》の緒《ヲ》のくるしき時は鉦鼓こそ南無阿彌陀佛の聲たすけなれ、とあるは、彼(ノ)頃はイキノヲ〔四字右○〕と云は、氣息等の字をかける意に心得て、いへるなるべし、しかれども、集中などには、かやうに正しく、氣息《イキヅキ》のことにいへることは、一(ツ)もなし、心をつけて考ふ(432)べし、)○鷄鳴《トリガナク》は、枕詞なり、○東方坂《アヅマノサカ》は、契冲、景行天皇(ノ)紀を考(フ)るに、日本武(ノ)尊、上野(ノ)國碓日(ノ)嶺にのぼりて、弟橘媛をしのびたまひて、東南を望て、吾嬬者耶《アガツマハヤ》との賜ひしゆゑに、山東の諸國《クニ/”\》を、あづまの國といふと見えたれば、今は碓日の坂をいふ歟、といへり、今按(フ)に、古事記には、倭建(ノ)命、相模(ノ)國足柄(ノ)坂に登(リ)立して、阿豆麻波夜《アヅマハヤ》、と歎き詔ふ、とあり、これに依ば、足柄(ノ)坂とすべし、されど、かの倭建(ノ)命の御歎は、碓日と足柄と二(タ)しへに傳りたるにて、今何(レ)を正しとも、決めがたきよし、既く二(ノ)卷(ノ)下に委しく論たりき、岡部氏云、東方は、地(ノ)名にあらぬをしらせて、方(ノ)字を添しものなり、○歌(ノ)意、これも、夫(ノ)君の旅行を想ひやりてよめる、女の歌にて、かくれたるすぢなし、一(ノ)卷に、吾勢枯波何所行良武己津物隱乃山乎今日香越等六《ワガセコハイヅクユクラムオキツモノナバリノヤマヲケフカコユラム》、とあるに似たり、
 
3195 磐城山《イハキヤマ》。直越來益《タヾコエキマセ》。礒崎《イソサキノ》。許奴美乃濱爾《コヌミノハマニ》。吾立將待《アレタチマタム》。
 
磐城山《イハキヤマ》は、和名抄に、陸奥(ノ)國岩城(ノ)郡岩城(ノ)郷、あり、そこの山なるべし、○磯崎《イソサキ》は、神名帳に、常陸(ノ)國鹿島(ノ)郡大洗磯前《オホアライソサキノ》神社あり、其(ノ)地を云ならむといへり、○許奴美乃濱《コヌミノハマ》は礒崎の地にあるなるべし、○歌(ノ)意は、吾(ガ)事をわすれたまはずば、岩城山を直越に越て、他所に目もとゞめず、はやく歸り來ませ、さらば吾は、許奴美の濱に出て立待むど、といへるにて、常陸(ノ)國の女の、夫(ノ)君が陸奥へ往に臨て、別を惜みてよめるなるべし、
 
3196 春日野之《カスガヌノ》。淺茅之原爾《アサチガハラニ》。後居而《オクレヰテ》。時其友無《トキソトモナシ》。吾戀良若者《アガコフラクハ》。
 
(433)後居而《オクレヰテ》は、夫(ノ)君の旅に出たるに、殘し置れて、といふなり、この上にも見ゆ、集中に甚多き詞なり、四(ノ)卷に、後居而戀乍不有者木國乃妹背乃山爾有益物乎《オクレヰテコヒツヽアラズバキノクニノイモセノヤマニアラマシモノヲ》、八(ノ)卷に、難波邊爾人之行禮波後居而春菜採兒乎見之悲也《ナニハヘニヒトノユケレバオクレヰテハルナツムコヲミルガカナシサ》、九(ノ)卷に、後居而吾戀居者白雲棚引山乎今日香越濫《オクレヰテアガコヒヲレバシラクモノタナビクヤマヲケフカコユラム》、又、於久禮居而吾波也將戀春霞多奈妣久山乎君之越去者《オクレヰテアレハヤコヒムハルカスミタナビクヤマヲキミガコエナバ》、又、於久禮居而吾者哉將戀稻見野乃秋芽子見津都去奈武子故爾《オクレヰテアレハヤコヒムイナミヌノアキハギミツツイナムコユヱニ》、十四に、於久禮爲※[氏/一]古非波久流思母安佐我里能伎美我由美爾母奈良麻思物能乎《オクレヰテコヒバクルシモアサガリノキミガユミニモナラマシモノヲ》、などもあり、○時其友無《トキソトモナシ》は、古今集に、吾(カ)如く物や悲しきほとゝぎす時ぞとも無(ク)夜たゞ鳴らむ、とあるに同じく、時を定めず、何時も戀しく思ふよしなり、○歌(ノ)意は、夫(ノ)君の旅に出る時に、春日野の淺茅が原まで、送り行しに、そこに留め遺されてより、わが夫(ノ)君を戀しく思ふ時をも定めず、いつも思はぬ間とてはさらになし、となり、
 
3197 住吉乃《スミノエノ》。崖爾向有《キシニムカヘル》。淡路島《アハヂシマ》。※[立心偏+可]怜登君乎《アハレトキミヲ》。不言日者無《イハヌヒハナシ》。
 
本(ノ)句は、淡路島《アハヂシマ》の、住吉(ノ)崖にさし向へるを云り、應神天皇(ノ)紀に、二十二年秋九月、天皇狩(シ玉フ)2于淡路島(ニ)1、是島者、横(テ)v海(ニ)在2難波之西1、とあり、○淡路島《アハヂシマ》は、阿波禮《アハレ》と疊《カサネ》む料にいへり、さて此(ノ)作者、攝津《ツノクニ》の女にて、やがて打見たる處を、いひ出たるなるべし、○※[立心偏+可]怜《アハレ》(※[立心偏+可](ノ)字、舊本に阿と作るは誤なり、今は古寫本、類聚抄等に從つ、)は、嗚呼《アハレ》と歎息《ナゲ》きたる聲なり、(古語拾遺に、天晴《アハレ》といふ言とせるは、ひがことなり、阿波禮《アハレ》とは、歡しきことにも、悲しきことにも、長き息をつきて歎く、その聲の(434)阿波禮《アハレ》と聞ゆるより、いへるなり、古今集長歌に、獨居てあはれ/\と歎きあまり、とあるは、阿波禮《アハレ》は、歎息《ナゲキ》の聲なることを、意得たる云ざまなり、)○歌(ノ)意は、遠き國に別れ行し夫君|者耶《ハヤ》、嗚呼鳴呼《アハレアハレ》と歎きて、戀しく思はぬ日とては、さらに一日もなし、となり、
 
3198 明日從者《アスヨリハ》。將行乃河之《イナミノカハノ》。出去者《イデイナバ》。留吾者《トマレルアレハ》。戀乍也將有《コヒツヽヤアラム》。
 
明日從者《アスヨリハ》は、尾(ノ)句の上にうつして心得べし、(明日より將《ム》v行《イナ》とつゞきたるにはあらず、さては後(ノ)世の歌のつゞけざまになるなり、混ふべからず、)○將行乃河之《イナミノカハノ》は、去者《イナバ》をいはむ料に、設け出たるにて、播磨の印南《イナミ》河なり、さて將《ム》v行《イナ》といふ言を、牟《ム》を美《ミ》に轉して、伊奈美《イナミ》に借(リ)用(ヒ)たり、しか轉(シ)用ひたるは、去者《イナバ》と云につゞけむために、設けたる詞なるを知しめたる、一(ツ)の書樣なり、○歌(ノ)意は、愛《ウルハ》しき夫の君が旅に出去《イデイナ》ば、留まれる吾は、明日よりは、戀しく思ひつゝ獨のみあるべきかと思へば、かつ見ながらに、かねて戀しく思ふ心に、堪がたきよしなり、(古今集離別に、わかれてはほどをへだつと思へばや、かつ見ながらにかねてこひしき、)二三四一五と次第て心得べし、さて此(ノ)歌、印南《イナミ》河をいへれば、播磨(ノ)國の女の、夫(ノ)君の別(レ)に臨《ナリ》て、よめるなるべし、
 
3199 海之底《ワタノソコ》。奥者恐《オキハカシコシ》。礒回從《イソミヨリ》。水手運往爲《コギタミイマセ》。月者雖過經《ツキハヘヌトモ》。
 
海之底《ワタノソコ》は、まくら詞なり、奥《オキ》とつゞきたるは、まづ奥《オキ》と云は、海底の極(ミ)をも云、又磯岸はなれて、遠き方をも云て、こゝの海之底《ワタノソコ》と云るは、下を興すかたにてほ、底の極を云(フ)奥の意、うけたる(435)上にては、遠き方の奥をいへり、○礒回從は、イソミヨリ〔五字右○〕と訓べし、(イソワ、イソマ〔六字右○〕などよむは、甚誤なり、)磯廻《イソノメグリ》をといふが如し、○水手運往爲《コギタミイマセ》は、漕運《コギメグ》りおはしませ、といふが如し、運《タミ》は、手廻《タモトホリ》にて、手《タ》は添たる辭、廻《モトホル》は、めぐるを云(フ)古言なり、徃爲《イマセ》は、おはしませと云に、同じ意なり、○歌(ノ)意は、沖の方は、船道近くて便よくとも、浪|暴《アラ》くて恐く危ふければよしや、日月をば經るとも、磯際につきて、恙なく漕めぐりおはしませ、とよめるなり、旅行の海上平安らむことを、とかく思ふより、その實情を告たること、あはれなり、これも夫(ノ)君の船道經て旅行する時、妻のよめるなどにやあらむ、
 
3200 飼飯乃浦爾《ケヒノウラニ》。依流白浪《ヨスルシラナミ》。敷布二《シクシクニ》。妹之容儀者《イモガスガタハ》。所念香毛《オモホユルカモ》。
 
飼飯乃浦《ケヒノウラ》は、越前國敦賀(ノ)郡にあり、三(ノ)卷にも、飼飯海《ケヒノウミ》出つ、但し彼處なる飼飯《ケヒ》は別處なるべし、既く委(ク)云り、飼飯と書る所由も、彼(ノ)卷に委(ク)註り、○本(ノ)句は、重々《シク/\》をいはむとての序なり、十七に、奈呉能宇美能意吉都之良奈美志苦思苦爾於毛保要武可母多知和可禮奈波《ナゴノウミノオキツシラナミシクシクニオモホエムカモタチワカレナバ》、○歌(ノ)意は、家なる妹が、容儀《スガタ》の、限(ノ)前にかゝりて、さても重々《シク/\》におもはるゝことかな、となり、此は越前國の任などにて、下れる人のよめるなるべし、
 
3201 時風《トキツカゼ》。吹飯乃濱爾《フケヒノハマニ》。出居乍《イデヰツヽ》。贖命者《アガフイノチハ》。妹之爲社《イモガタメコソ》。
 
時風《トキツカゼ》は、潮汐《シホ》のさゝむとする時に興《タツ》風を云て、こゝは吹《フク》とかゝれる枕詞なり、○吹飯乃濱《フケヒノハマ》は、(436)紀伊(ノ)國に在(リ)、大和物語に、故右京のみか宗于の君、成(リ)出べき程に、我(カ)身の得成(リ)ぬ鱒事と思ひ給ひける頃ほひ、亭子院の御門に、紀伊(ノ)國より、石つきたる海松をなむ、奉りたりけるを題にて、人々歌よみけるに右京のかみ、沖津風吹飯の浦に立浪のなごりにさへや吾はしづまむ、清正(ノ)家集に、紀伊の守になりて、まだ殿上もせざりしに、天津風吹飯の浦に住たづのなどか雲居にかへらざるべき、〔頭註、【吹飯、名所集に和泉國日根郡とす、續紀に、天平神護元年十月甲申、到2和泉國日根郡深日行宮1、夫木集、寛平の菊合の歌詞書に、和泉國吹飯のうら云云、】〕○贖命《アガフイノチ》とは、まづ贖ふは、身に罪穢ある時は、神の祟らせ給ふが故に、身を祓ひ清めて、罪をのがれむがために、身のかはりに、物を出すを、贖《アガ》ふと云(フ)、さてその出す物を贖物《アガモノ》といへり、大祓の時などに、天皇よりはじめて、御贖物《ミアガモノ》とて出し賜ふ、これなり、さてその贖物《アガモノ》を出して、壽命《イノチ》幸《サキ》く長からむことを願(フ)を贖《アガフ》命とはいへり、十七に、奈加等美乃敷刀能里等其等伊比波良倍安賀布伊能知毛多我多米爾奈禮《ナカトミノフトノリトゴトイヒハラヘアガフイノチモタガタメニナレ》、これ禰宜祝等に誂て、中臣の太諄辭言《フトノリトゴト》を宣《ノリ》て祓はしめて、贖(フ)命は誰が爲ぞ、汝が爲にこそあれ、と云意なるべし、○歌(ノ)意は、吹飯の濱に出居て、身を潔(キ)祓ひて、贖物《アガモノ》など出しつゝ、身命《イノチ》の全《サキ》く長からむことを希ふは、他の故にあらず、本郷にかへりて、待らむ妹に、相見む爲にこそあれ、となり、此は紀伊(ノ)國の任などにて、下れる人のよめるなるべし、十一に、玉久世清河原身祓爲齋命妹爲《ヤマシロノクセノカハラニミソギシテイハフイノチモイモガタメコソ》、
 
3202 柔田津爾《ニキタヅニ》。舟乘將爲跡《フナノリセムト》。聞之苗《キヽシナベ》。如何毛君之《ナニソモキミガ》。所見不來將有《ミエコザルラム》。
 
(437)柔田津《ニキダヅ》は、伊與(ノ)温泉(ノ)郡にあり、一(ノ)卷に見えたり、○歌(ノ)意は、柔田津より舟乘して、歸り來むと告來し並《ナベ》に、今日か今日かと佇待《タチマチ》望むに、何ぞも今日まで、君が見え來まさゞるらむ、もしは家にはやくかへらむと思ふ心すゝみに、船などの損《ソコ》ねしにはあらずやと、伊與(ノ)國に任《マケ》られし人の、任はてゝかへるを、妻の京にて立て待居て、待ほどの心づかひ、いとあはれなり、
 
3203 三沙呉居《ミサゴヰル》。渚爾居舟之《スニヰルフネノ》。※[手偏+旁]出去者《コギデナバ》。裏戀監《ウラコホシケム》。後者會宿反《ノチハアヒヌトモ》。
 
三沙呉居《ミサゴヰル》は、まくら詞な、既く十一にも、水沙兒居渚座船之《ミサゴヰルスニヰルフネノ》、とあり、此(ノ)上には、三佐呉集荒磯《ミサゴヰルアリソ》、と見えたり、三(ノ)卷には、美沙居石轉《ミサゴヰルイソミ》、十一には、水沙兒居奥麁磯《ミサゴヰルオキノアリソ》、とよめり、美沙呉《ミサゴ》は、雎鳩《ミサゴ》なり、○裏戀監《ウラコホシケム》は、心戀《ウラコヒ》しからむ、といはむが如し、裏《ウラ》は心なり、また下《シタ》と云にも通ひて同じ、○歌(ノ)意は、既く舟乘して、暫(ク)潮待すとて、洲に候《サブラ》ひ居る舟の、ほどなく遠くこぎ出別れ行なば、心(ノ)裏に戀しく思ひてのみ、月日を過すべし、ふたゝび逢まじき別(レ)ならばこそあらめ、やがて後又かへり來りてあふべき別(レ)なれば、さばかりこひしく思はずともあるべきを、なほ然《サ》とは得思ひはるけずしてあらむよ、となり、(古今集離別に、かへる山ありとはきけど春霞立別れなば戀しかるべし、心似たり、さて略解に、是は別るれど、久しからで歸る契あれば、いたくは歎かず、今はとこぎ出なば、何となく下戀しからむと云なり、と云るは、たがへり、さるは、裏戀《ウラコヒ》といふを、いさゝか戀る意に見たる誤なり、すべて、裏戀《ウラコヒ》、下戀《シタコヒ》など云(フ)裏《ウラ》、下《シタ》は、心の底より戀しき意に(438)て、表方《ウハヘ》に戀しきさまするにあらず、眞實に戀しきを云言にて、戀ることの淺からぬ意なるをや、)
 
3204 玉葛《タマカヅラ》。無怠行核《タエズイマサネ》。山菅乃《ヤマスゲノ》。思亂而《オモヒミダレテ》。戀乍將待《コヒツヽマタム》。
 
玉葛《タマカヅラ》は、不《ズ》v絶《タエ》といふにかゝれるまくら詞なり、○無怠行核は、タエズイマサネと訓べし、サ〔右○〕はセ〔右○〕の通へるなり、ネ〔右○〕は希望(ノ)辭なり、名告《ナノラ》セ〔右○〕と云に、禰《ネ》の希望(ノ)辭を添て、名告沙禰《ナノラサネ》といへるに同じ、速々《スク/\》と滯りなく、おはしまし給(ヘ)かし、と謂るにて、さて滯り怠《オコタ》ることなく、はや事竟て、幸く歸り來ませ、といふ意をもたせたり、されば義を得て、不《ズ》v絶《タエ》を無怠とはかけるなり、○山菅乃《ヤマスゲノ》、これもまくら詞なり、○歌(ノ)意は、われは心もみだれて、戀慕ひつゝ、君が歸り來まさむ日を、今日か明日かと待つゝあらむぞ、君も吾事をあはれとおぼしたまはゞ、速々《スク/\》と滯(リ)なくおはしまして、はやくかへり來ましたまへとなり、
 
3205 後居而《オクレヰテ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズバ》。田籠之浦乃《タコノウラノ》。海部有申尾《アマナラマシヲ》。珠藻苅苅《タマモカルカル》。
 
後居而《オクレヰテ》、此(ノ)上に出たり、○苅苅《カル/\》は、刈つゝと云に同じ、零零《フル/\》は、零《フリ》つゝと云むに同じく、別別《ワケ/\》は、別《ワケ》つゝと云むに同きが如し、(業平集に、ぬれ/\ぞしひて折つる、とあるを、古今集に、ぬれつゝぞと改めて載たるを思ふに、ぬる/\ぞとあるべきことなり、刈《カリ》つゝの意を、刈々《カル/\》、痩《ヤセ》つゝの意を、痩々《ヤス/\》と云など、みな同例にて、濕々《ヌル/\》は、濕つゝと云意になればなり、)○歌(ノ)》意は、殘し置れて、(439)戀しく思ひつゝあらむよりは、夫(ノ)君のおはします、田子の浦の海部となりて、珠藻苅つゝもあらましものを、さらば夫(ノ)君の擧動を、明暮見つゝあるべきに、となり、戀しき思ひに、心を苦しめむよりは、數ならぬ海部の身とならむこと、遙にまさりたらむ、との謂なり、契冲云、此は男の駿河(ノ)國に於けるあとにて、妻のよめる歌と見えたり、十一に、中中二君二不戀者枚浦乃白水郎有申尾玉藻苅管《ナカ/\ニキミニコヒズバヒラノウラノアマナラマシヲタマモカリツヽ》、五(ノ)卷に、於久禮爲天那我古飛世殊波彌曾能不乃于梅能波奈爾母奈良麻之母能乎《オクレヰテナガコヒセズハミソノフノウメノハナニモナラマシモノヲ》、
 
3206 筑紫道之《ツクシヂノ》。荒礒乃玉藻《アリソノタマモ》。苅鴨《カレバカモ》。君久《キミハヒサシク》。待不來《マツニキマサズ》。
 
苅鴨《カレバカモ》は、刈者歟《カレバカ》の意なり、毛《モ》は、歎息を含める助辭なり、○歌(ノ)意は、荒磯の玉藻など刈つゝ、筑紫を在(リ)よしとおぼしめしたればか、妾《ワガ》久しく待戀慕ふに、速くかへり來まさずあるらむ、さてもつれなき君が心や、となり、此は筑紫に下れる人の妻の、よめるなり、
 
3207 荒玉乃《アラタマノ》。年緒永《トシノヲナガク》。照月《テルツキノ》。不厭君八《アカヌキミニヤ》。明日別南《アスワカレナム》。
 
荒玉乃《アラタマノ》は、まくら詞なり、○年緒永《トシノヲナガク》は、下の別南《ワカレナム》といふに屬(ケ)て意得べし、照月《テルツキノ》と云へば、つゞかず、○照月《テルツキノ》も、まくら詞にて、月の見に不《ズ》v足《アカ》といふ意につゞきたり、○歌(ノ)意は、相見毎に、足ず愛はしく思ふ君なるを、明日よりは、年月長く、相別れなむか、となり、
 
3208 久將在《ヒサニアラム》。君念爾《キミヲオモフニ》。久堅乃《ヒサカタノ》。清月夜毛《キヨキツクヨモ》。闇夜耳見《ヤミノミニミユ》。
 
(440)闇夜耳見は、ヤミノミニミユ〔七字右○〕と訓しべし、(ヤミニノミミユ〔七字右○〕とよめるは、いとわろし、)○歌(ノ)意は、旅に出て、久しく君が還り來まさずあらむ、と思ふ涙に、はやかきくもりて、清き月夜も、闇夜のごとくにのみ、見なさるゝ、となり、四(ノ)卷に、照日乎闇爾見成而哭涙衣沾葎干人無爾《テレルヒヲヤミニミナシテナクナミダコロモヌラシツホスヒトナシニ》、十一に、此言乎聞跡平眞十鏡照月夜裳闇耳見《コノコトヲキカムトナラシマソカヾミテレルツクヨモヤミノミニミツ》、
 
3209 春日在《カスガナル》。三笠乃山爾《ミカサノヤマニ》。居雲乎《ヰルクモヲ》。出見毎《イデミルゴトニ》。君乎之曾念《キミヲシソモフ》。
 
歌(ノ)意は、契冲、三笠の山に居る雲は、行かとすれば又居るを、旅に出たる人は、歸り來て家にも居らねば、雲を見るにつけて戀しきとなり、といへり、今按(フ)に、三笠(ノ)山に、雲の起居する風景を見るごとに、あはれ共に見ましをと思へど、遠く別れたれば、すべなくて、一(ト)すぢに君を戀しくのみぞ思ふ、といへるにもあるべし、(略解に、遠き旅に行し夫をおもひて、雲のみを形見と見るなり、といへるは、いさゝかおぼつかなき説なり、)
 
3210 足檜木乃《アシヒキノ》。片山雉《カタヤマキヾシ》。立往牟《タチユカム》。君爾後而《キミニオクレテ》。打四鷄目八方《ウツシケメヤモ》。
 
片山雉《カタヤマキヾシ》とは、片山《カタヤマ》は、傍國《カタクニ》、片岡《カタヲカ》などの片《カタ》なり、顯宗天皇(ノ)紀、室壽(ノ)御詞に、脚日木此傍山《アシヒキノコノカタヤマニ》云々、ともあり、その片山に棲て鳴(ク)雉を、やがてかくいへり、さてその雉の飛立をもて、立《タツ》をいはむ料の序とせり、十四に、武減野乃乎具奇我吉藝志多知和可禮伊爾之與比欲利世呂爾安波奈布與《ムザシヌノヲグキガキギシタチワカレイニシヨヒヨリセロニアハナフヨ》、○打四鷄目八方《ウツシケメヤモ》は、嗚呼《アハレ》顯しく在むやは、といふ意なり、○歌(ノ)意は、旅立往む君に後れ居て、あ(441)はれ顯《ウツ》しくあらむやは、現心もさらにあらじ、命死たるも同じからむぞ、となり、
 
問答歌《トヒコタヘノウタ》。
 
さきに問答歌の標ありけれど、此《コヽ》は其とは別なり、此は羈旅の標内の問答なり、其(ノ)心して見べし、
 
3211 玉緒乃《タマノヲノ》。徒心哉《ウツシコヽロヤ》。八十梶懸《ヤソカカケ》。水手出牟船爾《コギデムフネニ》。後而將居《オクレテヲラム》。
 
玉緒乃《タマノヲノ》は、此《コヽ》はまくら詞にはあらじ、大神(ノ)景井、玉緒《タマノヲ》の玉は借(リ)字、靈之緒《タマノヲ》にて、命のことなり、と云る、然るべし、緒《ヲ》は、生之緒《イキノヲ》、年之緒《トシノヲ》などの緒《ヲ》にて、長く引續くよしの稱《ナ》なり、十一に、玉緒之島意哉年月乃行易及妹爾不逢將有《タマノヲノウツシコヽロヤトシツキノユキカハルマデイモニアハズアラム》、とあり、既く彼處にもいへり、○徙心哉《ウツシコヽロヤ》は、(徙は借(リ)字なり、十一に、健男現心吾無《マスラヲノウツシコヽロヤアレハナシ》、とあり、)現心也《ウツシコヽロヤ》にて、哉《ヤ》は哉者《ヤハ》の意なり、○八十梶懸《ヤソカカケ》は、八十《ヤソ》は數多きをいふ稀《ナ》にて、數多《アマタ》の※[楫+戈]を懸、といふなり、廿(ノ)卷に、夜蘇加奴伎伊麻波許伎奴等《ヤソカヌキイマハコギヌト》云々、又、夜蘇加奴伎可古登登能倍弖《ヤソカヌキカコトトノヘテ》云々、などあり、○歌(ノ)意は、八十《ヤソ》と數多の※[楫+戈]を懸て、鳥の飛が如く、迅くこぎ出て往む君が舟なれば、留《トヾ》むとも、留《トゞ》めらるべきにあらざれば、せむすべなく、後れ居ながら、吾は現しき心にて、戀しく思ひつゝあらむやは、生たるこゝちも、さらにすべからじを、となり、
 
3212 八十梶懸《ヤソカカケ》。島陰去者《シマガクリナバ》。吾妹兒之《ワギモコガ》。留登將振《トヾムトフラム》。袖不所見可聞《ソテミエジカモ》。
 
(442)島隱去者《シマガクリナバ》は、六卷に、島隱吾※[手偏+旁]來者乏毳倭邊上眞熊野之船《シマガクリアガコギクレバトモシカモヤマトヘノボルマクマヌノフネ》、古今集※[覊の馬が奇]旅歌に、ほの/”\と明石の浦の朝霧に島隱(レ)往(ク)舟をしぞ思ふ、(本居氏、遠鏡に、この古今集の歌を釋ていへるやう、すべて島がくれといふことを、よく解得たる人なし、島がくれとは、海をへだてたる所の、かくれて見えぬをいへり、必しも島にはかぎらず、此(ノ)歌にては、朝霧にかくれて、明石の浦の見えぬを、海の沖よりいへるなり、といへり、これは島がくれゆく船と云こと、船の島がくれ行さまにきこゆれど、さにはあらで、朝霧に、明石の浦のかくれゆくを、自《ミ》が船中より見やりて、心ぼをくおぼゆるけしきを、いへるものなりとして、かの今昔物語に、明石にて、海をながめてよめるとあるをさへ、末(ノ)句を心得誤りて、おしあてにいへる、ひがことなり、といへる、いといといぶかしきことなり、島隱《シマガクル》といへること、自《ミ》の船の、島に隱るゝ意として、古(ヘ)の歌ども、いづれも妨なく通《キコ》ゆることなるをや、浦隱《ウラガクル》、磯隱《イソガクル》など云も、皆|自《ミ》乘(レ)る船の、浦磯などに隱るゝをいへるにても、相|例《アカ》すべし、但し必しも、島にはかぎらずといへるは、さることにて、沖の方に遠く隔りて、陸の方より見えずなるをば、島になずらへて、島隱とはいふべきことなり、されば古今集なるも、明石の浦の朝霧にへだてられて、いとゞ沖遠く隱れて、見えずなりゆく船を、此方の海邊より見やりて、おぼつかなく思ふよしにて、聞ゆることなるをや、これは、元來、ほのぼのとの歌を、小野(ノ)篁(ノ)郷のなりとする説を信て、篁(ノ)卿ならば、船中にてこそ、よみたまふなる(443)べけれ、海邊より、沖をながめて、よまれたるものなりとせむは、ことたがへることなり、と一概《ヒトカタ》に思へるより、しひて設けいへる説なるべし、十五に、遣2新羅國1使人の中に、雪(ノ)連宅滿、といひける人の、壹岐(ノ)島に、到りて死れるを、かなしみてよめる歌に、波之家也思都麻毛古杼毛母多可多加爾麻都良牟伎美也之麻我久禮奴流《ハシケヤシツマモコドモモタカタカニマツラムキミヤシマガクレヌル》、とあるは、山隱《ヤマガクリ》、石隱《イハガクリ》など云類に、即(チ)島に葬りたるを、島隱といへるにても、いよ/\自《ミ》の隱るゝを云詞なるを、さとるべし、)などあり、なほ次にいふべし、○留登(留(ノ)字、元暦本には、※[死/田]と作り、留の異體なり、)は、トヾムト〔四字右○〕と訓べし、(トマレト〔四字右○〕とよめるは、いとつたなし、)とゞむるとての意なり、○歌(ノ)意は、そこの心をいとほしみ思へば、しばしは留るべきにてあれど、心なき※[楫+戈]師等《カヂトリラ》が、八十と數多の梶をかけて、沖の方遠くこぎ出して、速々《スク/\》とゆくことなれば、ほどなく吾船の島隱て、見えずなりなむ、其(ノ)時は、此方よりも、そこの吾を留むるとて、振む袖も見えじか、さても名殘惜きことや、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3213 十月《カミナツキ》。鍾禮乃雨丹《シグレノアメニ》。沾乍哉《ヌレツヽヤ》。君之行疑《キミガユクラム》。宿可借疑《ヤドカカルラム》。
 
十月《カミナツキ》云々、古今集冬長歌み、ちはやぶる神無月《カミナツキ》とや、今朝よりはくもりもあへず、打しぐれ云云、○沾乍哉《ヌレツヽヤ》、(沾(ノ)字、舊本に、沽と作るは誤なり、拾穗本に從つ、)は、哉《ヤ》の辭を、第四(ノ)句の下に屬《ツケ》て意得べし、沾乍《ヌレツヽ》君が行らむ哉《ヤ》の意なり、○宿可借疑《ヤドカカルラム》は、宿借(ル)らむ歟、と云むが如し、○歌(ノ)意は、旅路(444)の憂苦《ウケカ》るに、まして※[雨/衆]雨《シグレ》さへ降來て、いとゞわびしかるらむを、なほ厭はずして、彼處までと、からくして、濕《ヌレ》ながら、君が行らむ歟、但し凌ぎあへたまはずして、宿を取つらむ歟、いかさま難義《イタヅキ》し賜ふらむ心のほどこそ、いとはしけれと、夫(ノ)君の旅路のほどを、女の思ひやれるよしなり、
 
3214 十月《カミナツキ》。雨間毛不置《アママモオカズ》。零爾西者《フリニセバ》。誰里之間《タガサトノマニ》。宿可借益《ヤドカカラマシ》。
 
雨間毛不置《アママモオカズ》(雨の下、舊本に、之(ノ)字あるは、衍なるべし、官本、古本等に、無をよしとす、)は、雨の晴間もなくと云が如し、八(ノ)卷に、宇乃花能過者惜香雀公鳥雨間毛不置從此間喧渡《ウノハナノスギバヲシミカホトヽギスアママモオカズコヨナキワタル》、とあるが如きは、雨のふる間を、雨間《アママ》といへるなり、歌によりて、いさゝか意異るべし、○零爾西者《フリニセバ》は、零《フリ》てありせばといふほどの意なり、○誰里之間《タガサトノマニ》とは、いづれの里の程にといふが如し、○歌(ノ)意は、十月のしぐれのならひと、降みふらずみさだめなき空なれば、宿取までもなく、からくして行ことなるを、もし雨の晴間もなく、降來りてありせば、いづれの里の程に、宿からむといふたのみもさらになければ、いとゞ家路を、戀しく思ふことぞ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3215 白妙乃《シロタヘノ》。袖之別乎《ソテノワカレヲ》。難見爲而《カタミシテ》。荒津之濱《アラツノハマニ》。屋取爲鴨《ヤドリスルカモ》。
 
本(ノ)二句は、此(ノ)上に、白妙之袖之別者雖惜《シロタヘノソテノワカレハヲシケドモ》云々、とある處に註り、○難見爲而《カタミシテ》は、難むじてといは(445)むが如し、別れ難《カテ》にしての意なり、○荒津之濱《アラツノハマ》は、三代實録十六、貞觀十一年十二月廿九日詔に、新羅(ノ)賊船二艘、筑前(ノ)國那珂(ノ)郡乃|荒津爾《アラツニ》到來天、豐前(ノ)國貢調船乃絹綿乎掠奪天、逃退太利云云、同二十九、貞觀十八年八月三日、太宰府言、去月十四日、唐商人楊清等三十一人、駕2一隻(ノ)船(ニ)1著2荒津(ノ)岸(ニ)1、など見えたり、此(ノ)集十五に、可牟佐夫流安良都能佐伎爾與須流奈美《カムサブルアラツノサキニヨスルナミ》云々、十七に、荒津乃海之保悲思保美知時波安禮登《アラツノウミシホヒシホミチトキハアレド》云々、○歌(ノ)意は、ふりはへて、吾を送(リ)來し女と、袖をふり離して、別れむとすれど、別れ難にして、速に發船《フナデ》をも得せず、荒津の濱に、今夜は宿を取かな、となり、
 
3216 草枕《クサマクラ》。羈行君乎《タビユクキミヲ》。荒津左右《アラツマデ》。送來《オクリキヌレド》。飽不足社《アキタラズコソ》。
 
歌(ノ)意は、旅行君と、袖をふり離して、別れむとすれど、別れ難にして、發船《フナデ》せむ濱津まで、遙々送(リ)來ぬれども、なほ厭足ずて、夜を連ねつゝ、こゝに留めまほしくこそ思へ、となり、此は太宰府の官人、或は國司の京へ上る時、遊女が、舟津まで送來て、よめるなるべし、と岡部氏いへるが如し、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
3217 荒津海《アラツノウミ》。吾幣奉《アガヌサマツリ》。將齋《イハヒテム》。早還座《ハヤカヘリマセ》。面變不爲《オモガハリセズ》。
 
幣奉《ヌサマツリ》(幣(ノ)字、舊本弊に誤れり、元暦本、拾穗本等に從つ、)は、幣帛《ミテクラ》を、海(ノ)神に、奉獻《タテマツリ》て、海路《ウミツヂ》の安全《サキカ》らむ(446)ことを、祈齋《イノリイハ》ふよしなり、奉《タテマツル》を、マツル〔三字右○〕とのみ云ことは、一(ノ)卷に委(ク)辨へたり、○兩變不爲《オモガハリセズ》は、十八長歌に、鏡奈須可久之都禰見牟於毛我波利世須《カヾミナスカクシツネミムオモガハリセズ》、廿(ノ)卷に、麻氣波之良寶米弖豆久禮留等乃能其等已麻勢波波刀自於米加波利勢受《マケバシラホメテツクレルトノノゴトイマセハハトジオメカハリセズ》、孝徳天皇(ノ)紀に、汝佐平等|不易面來《オモガハリセズマヰク》、續後紀五(ノ)卷宣命に、今日乃己止《ケフノゴト》、變顔容世須《オモガハリセズ》、早還參來止之※[氏/一]奈母《ハヤカヘリマヰコトシテナモ》云々、○歌(ノ)意は、荒津(ノ)海の海(ノ)神に、幣帛を獻りて、今日よりは、君が旅路の平安《サキ》からむことを、祈り齋ひつゝのみ、吾(ガ)待居むぞ、たとひ年は經とも、なほ面易りせぬうちに、早く還り來まして、ありしごとく、相語ひてよ、となり、岡部氏云、此は筑紫人の、京に仕(ヘ)奉るとて、上るをりならむ、面變不爲《オモガハリセズ》は、年經べきよしなれば、國に任《マケ》られたる人の、朝集使などにて、かりに上るにあらず、
 
3218 旦旦《アサナサナ》。筑紫乃方乎《ツクシノカタヲ》。出見乍《イデミツヽ》。哭耳吾泣《ネノミソアガナク》。痛毛爲便無三《イタモスベナミ》。
 
旦旦、(舊本に、早早と作るは、義を得て書るか、今は古寫本、拾穗本等に從つ、)アサナサナ〔五字右○〕とよめる宜し、○哭耳吾泣《ネノミソアガナク》は、哭《ネ》に泣耳《ナクノミ》にてぞ吾(ガ)ある、といふ意なり、○歌(ノ)意、そこの、海(ノ)神に幣帛を獻りて、余《オノ》が旅路の平安《サキ》からむことを、祈(リ)齋ひつゝ待居と聞ば、家路戀しく思ふ心の、いとゞ堪がたくて、たゞ哭《ネ》に泣てのみ、毎日毎日《ヒゴトヒゴト》に、筑紫の方を、出見つゝ居るぞ、となり、今此(ノ)歌をもて按(フ)に、右の荒津海《アラツノウミ》云々も、京に上る人の、はやく道中に至れるほど、よみて贈れるに、すなはち道より、その歌に答て、いひおこせたるなるべし、
 
(447)右二首《ミギフタウタ》。
 
3219 豐國乃《トヨクニノ》。聞之長濱《キクノナガハマ》。去晩《ユキクラシ》。日之昏去者《ヒノクレヌレバ》。妹食序念《イモヲシソモフ》。
 
聞之長濱《キクノナガハマ》は、豐前(ノ)國企救(ノ)郡の海濱なり、既くいへり、長濱《ナガハマ》は、一(ツ)の濱(ノ)名には非ず、海濱の廣く長きを云ならむ、八百日往《ヤホカユク》濱の意なるべし、○歌(ノ)意、晝はめづらかなるところ/”\の、目にふるるにつきて、すこしはまぎるゝかたの、なきにしもあらぬを、企救(ノ)郡の長き濱路を徃暮し、夜になりぬれば、いとゞ心ぼそく堪がたくて、家の妹を、一(ト)すぢに戀しく思ふぞ、となり、此は旅路に、企救の濱を歴行(ク)ほど、家の妻に、よみて贈れるなるべし、
 
3220 豐國能《トヨクニノ》。聞乃高濱《キクノタカハマ》。高高二《タカタカニ》。君待夜等者《キミマツヨラハ》。左夜深來《サヨフケニケリ》。
 
高濱《タカハマ》も、長濱《ナガハマ》と云に同じく、廣く遠きを云るにやあらむ、祝詞に、高山短山《タカヤマミジカヤマ》と云(ヒ)、中昔の物語書に、高《タカ》き短《ミジカ》きなど云て、短に對(ヘ)て、高と云ることあれば、竪に長を云のみにはあらで、横に長きをも、高きと云しにこそ、さてこゝは、やがて高々《タカ/\》をいはむ料の序とせり、○高高二《タカ/\ニ》は、佇待《ツマダテテ》望む意なること、既く云り、此(ノ)上に、石上振之高橋高高爾妹之將待夜曾深去家留《イソノカミフルノタカハシタカタカニイモガマツラムヨソフケニケル》、又、十五日出之月乃高々爾君乎座而何物乎加將念《モチノヒニイデニシツキノタカ/\ニキミヲイマセテナニヲカオモハム》、十一に、高山爾高部左渡高々爾余待公乎待將出可聞《タカヤマニタカベサワタリタカ/\ニアガマツキミヲマチデナムカモ》、又 也ヤ、十三に、母父毛妻毛子等高々二來跡待羅六人之悲沙《オモチヽモツマモコドモモタカ/\ニコムトマツラムヒトノカナシサ》、など多し、さてこれは、十五に、波之家也思都麻毛古杼毛母多可多加爾麻都良牟伎美也之麻我久禮奴流《ハシケヤシツマモコドモモタカタカニマツラムキミヤシマガクレヌル》、十八に、安乎爾石之奈良(448)爾安流伊毛我多可多可爾麻都良牟許己呂之可爾波安良司可《アヲニヨシナラニアルイモガタカタカニマツラムココロシカニハアラジカ》、などある假字書によりて、清て唱ふべし、(多可陀加《タカダカ》と、濁るは非なり、)○左(ノ)字、舊本に在と作るは誤なり、活字本、拾穗本、古寫一本等に從つ、○歌(ノ)意は、旅に出去し夫(ノ)君が、今宵は還り來まさむかと佇待に、還りまさずて、いたづらに、夜の更にけるよ、といへるならむ歟、按に、此(ノ)歌は、筑紫の女のもとに通ひ往男を、女の待わびてよめるにもあらむ、歌のさま、然きこえたればなり、されば、此(ノ)一首は、答歌ならずて、たゞの相聞なるが、聞乃高濱《キクノタカハマ》とあるよりまぎれて、問答に收《イリ》しにもあらむか、
ミギフタウタ
右二首《》。
 
萬葉集古義十二卷之下 終
 
(449)萬葉集古義十三卷之上
 
雜歌《クサ/”\ノウタ》。【是中長歌十六首。】
 
小書の七字、古寫本、拾穗本等にはなし、但し拾穗本には、此間に、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3221 冬木成《フユコモリ》。春去來者《ハルサリクレバ》。朝爾波《アシタニハ》。白露置《シラツユオキ》。夕爾波《ユフヘニハ》。霞多奈妣久《カスミタナビク》。汗湍能振《ハツセノヤ》。樹奴禮我之多爾《コヌレガシタニ》。※[(貝+貝)/鳥]鳴母《ウグヒスナクモ》。
 
冬木成《フユコモリ》は、枕詞なり、既く一(ノ)卷に出て、後處に云り、○妣(ノ)字、水戸本には、毘と作り、○汗湍能振(湍(ノ)字、元暦本、古寫本、拾穗本等には、瑞と作り、)は、誤字あるべし、(舊本に、アメノフル〔五字右○〕と訓るは謂なし、又契冲が、カゼノフク〔五字右○〕とよめるも、心ゆかず、岡部氏は、汗微竝能《カミナミノ》、と書るなどの誤れるならむ、といへり、これもいはれたりとは、おぼえねども、いかさまにも、さる地(ノ)名にてはあるべきなり、されどその説の謂《イハ》れたりと思はれぬは、凡て集中に、神南備、甘南備など書て、神は加牟《カム》とのみ唱しとおぼえて加美《カミ》とも加微《カミ》とも、書しことのなければなり、又本居氏は、御諸能夜《ミモロノヤ》の誤ならむか、と云(ヘ)り、)今按(フ)に、汗は、泊(ノ)字の誤、振は夜(ノ)字の誤にて、泊湍能夜《ハツセノヤ》とありしならむか、(450)(泊湍《ハツセ》と書る例、十一に見えたり、但し此(ノ)次々なるも、三諸《ミモロ》、神南備《カムナビ》などよめれば、カムナビノ〔五字右○〕とか、ミモロノヤ〔五字右○〕とかあらむこと、然るべしとも云べけれども、強(チ)拘るべきにもアらず、此(ノ)次下にも、長谷河《ハツセガハ》の歌見え、はた泊湍とせむかた、字形も然るべければなり、)○樹奴禮我之多爾《コヌレガシタニ》は、木末之裏《コヌレガシタ》になり、樹奴禮《コヌレ》は、木之末《コノウレ》の約れる言にて、既くいへり、(夫木集に、うたかみやたにのこぬれにかくろへて風のよきたる花を見る哉、とあり、後の歌に、こぬれとよめる、めづらし、)之多《シタ》は、裏《ウチ》と云に同じ、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
右(ノ)字、拾穗本にはなくして、一首の字を、左の歌に題《カケ》たり、
 
3222 三諸者《ミモロハ》。人之守山《ヒトノモルヤマ》。本邊者《モトヘハ》。馬醉木花開《アシビハナサキ》。末邊方《スヱヘハ》。椿花開《ツバキハナサク》。浦妙山曾《ウラグハシヤマソ》。泣見守山《ナクコモルヤマ》。
 
三諸《ミモロ》は、三輪山か、又は飛鳥の神南備《カムナビ》山にてもあるべし、○人之守山《ヒトノモルヤマ》は、山の※[立心偏+可]怜《オモシロ》さに、人の愛《メデ》て、目離《メカレ》ず目守《マモル》山、と云なり、(新古今集に、すべらきをときはかきはにもる山の山人ならし山かづらせり、とあるは、近江(ノ)國守山を、皇朝を守護《マモ》る謂にいひつらね、今は、山(ノ)名にはあらで、ただ賞愛《ウツクシミ》して、目かれずまもる意に、いひつゞけたり、〔頭註、【古今集白露もしぐれもいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり、】〕○本邊《モトヘ》は、山の麓の方なり、○末邊《スヱヘ》は、峰の方なり、仁徳天皇(ノ)紀、兎道(ノ)稚郎子(ノ)皇子(ノ)御歌に、望苫弊破枳瀰烏於望臂泥《モトヘハキミヲオモヒデ》、須惠弊破伊暮鳥於望比泥《スヱヘハイモハイモヲオモヒデ》云々、(これは山の麓峯をよみ給へるにはあらね(451)ど、同詞なる故に、こゝに引つ、)○浦妙山曾《ウラグハシヤマソ》、(浦妙、元暦本に、妙沙と作るは誤なり、)浦《ウラ》は、心《ウラ》なり、裏《ウラ》なり、心悲《ウラカナ》し、心戀《ウラコヒ》しなどの心《ウラ》なり、妙《クハシ》は、ほめて云詞なり、雄略天皇(ノ)紀大御歌に、據暮利矩能播都制能夜麻播《コモリクノハツセノヤマハ》、阿野備于羅虞波斯《アヤニウラグハシ》、阿野爾于羅虞波斯《アヤニウラグハシ》、とあり、曾《ソ》は、※[立心偏+可]怜國曾《ウマシクニソ》などの曾《ソ》なり、○泣兒守山《ナクコモルヤマ》は、守山《モルヤマ》をいはむとて、泣兒と云かけたるなり、泣兒守とは、幼き兒の泣を、母の慰め守るよしなり、さて守山とは、上に、人之守山《ヒトノモルヤマ》とあると、同じ意なり、(契冲が、應神天皇五年に、山守部を定させ給ひて、後、山々に山守なきはなけれども、三諸山は、ことに神のためにもる山なり、第十四に、つくばねのをてもこのもにもりべすゑ、ともよめり、と云れど、こゝの守山は、上に云如く、唯人の愛て、目離ず目守《マモ》る義の外なかるべし、)
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穂本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3223 霹靂之《アマギラヒ》。日香天之《ワタルヒカクシ》。九月乃《ナガツキノ》。鍾禮乃落者《シグレノフレバ》。鴈音文《カリガネモ》。未來鳴《トモシクキナク》。神南備乃《カムナビノ》。清三田屋乃《キヨキミタヤソ》。垣津田乃《カキツタノ》。池之堤之《イケノツヽミノ》。百不足《モヽタラズ》。五十槻枝丹《イツキガエダニ》。水枝指《ミヅエサス》。秋赤葉《アキノモミチバ》。眞割持《マキモタル》。小鈴文由良爾《ヲスヾモユラニ》。手弱女爾《タワヤメニ》。吾者有友《アレハアレドモ》。引攀而《ヒキヨヂテ》。峯文十遠仁《エダモトヲヲニ》。※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》。吾者持而往《アハモチテユク》。公之頭刺荷《キミガカザシニ》。
 
霹靂之日香天之は、(岡部氏は、なるかみの、ひかをるそらの、と訓て、しぐれのはれくもる時な(452)れば、日のくもるそらの、といふなり、さてなるかみは、冠辭にて、冠辭よりは、光とつゞけたり、うけたる言の、かをるは、くもることなり、潮氣のみかをれると云も、即(チ)潮氣のくもるといふなり、日カヲル〔三字右○〕》を、ひかる方につゞけなすは、冠辭の例なり、といへり、されど天之《ソラノ》とありては、下に屬き難し、かにかくに誤字あるべし、)本居氏、雨霧合渡日香久之《アマギラヒワタルヒカクシ》、とありしが、霧合を、靂之と誤れるから、上の雨(ノ)字を、さがしらに、霹なるべしとて改め、渡(ノ)字を脱せるなるべし、三(ノ)卷に、度(ル)日の陰もかくろひとあり、と云り、猶考べし、)○未來鴨は、(いまだきなかず、にては謂《ヨシ》なし、必(ス)さかりに來鳴時なればなり、)未は乏(ノ)字の誤にて、トモシクキナク〔七字右○〕と訓べきか、八(ノ)卷に、誰聞都從此間鳴度鴈鳴之嬬呼音乃乏左右爾《タレキケトコヨナキワタルカリガネノツマヨブユヱノトモシキマデニ》、九(ノ)卷に、妹當衣刈音夕霧來鳴而過去及乏《イモガアタリコロモカリガネユフキリニキナキテスギヌトモシキマデニ》、などあり、(略解には、文末(ノ)二字、率(ノ)字の誤れるにて、かりがねのいざなひきなくか、と云り、)○神南備《カムナビ》(神(ノ)字、元暦本、拾穂本等には、甘と作り、)は、飛鳥のなり、○清三田屋《キヨキミタヤ》は、清とは、神に供(ヘ)む爲に、齋(ミ)清めたる謂なり、三田屋は三《ミ》は御(ノ)字の意なり、神供のために作る御田を、植て刈て春まで守る屋なり、神代紀に以2天(ノ)垣田(ヲ)1爲2御田(ト)1、曾根(ノ)好忠集に三田屋守(リ)今日は五月に成にけり急げや早苗老もこそすれ、(後拾遺にも載たり、)○垣津田乃池《カキツタノイケ》とは、垣津田は、其(ノ)御田屋の垣内の田を云なるべし、池は、其(ノ)御田にまかする料に、穿(リ)設けたるなり、(契冲が、第九に、みもろの神なび山にたちむかふ、みかきの山にとよめる、そのみかきの山にある田をいふか、神垣の内のごとく、ま(453)ぢかぐ作るをも云るは、いさゝかわろし、又或説に、此(ノ)歌の神南備は、平群(ノ)郡にて、法隆寺の鎭守天滿宮の前の池を、今里人は、天滿の池と云り、是(レ)垣津田の池なり、と云う、いかゞあらむ、)○百不足《モヽタラズ》は五十《イ》の枕詞なり、○五十槻《イツキ》は、(五(ノ)字、舊本に三と作るは誤なり、今は古本に從つ、又元暦本、拾穗本等に、五十を卅と作るは、再誤れるにて、いよ/\わろし、)五十は借(リ)字にて、齋槻《イミツキ》なるべし、御田の池の堤にあれば、齋清《イミキヨマ》はりたる槻といふなるべし、齋《イミ》を、いといふは、齋垣《イミカキ》を、いかきと云に同じ、さて槻は、古(ヘ)多くは、地溝の堤に殖けるなるべし、二(ノ)卷に、※[走+多]出之堤爾立有槻木之己知碁智乃枝之《ワシリデノツヽミニタテルツキノキノコチゴチノエノ》云々、○水枝指《ミヅエサス》は、みづ/\とうるはしき稚枝のさすを云なり、(秋時にても、今春新に芽出たる枝をぼ、然云つべし、契冲が、水枝は、三枝にて、凡そ木は、こなたかなたに枝のさせば、中をあはせて三枝と云り、と云るは、非《ヒガコト》なり、水と三とは、清濁|異《カハ》れるをや、)水は借(リ)字にて、美豆山《ミヅヤマ》、美豆垣《ミヅガキ》などいふ美豆《ミヅ》に同じ、〔頭註、【弘蔭按に、水枝指秋赤葉とは、凡て木葉は、末葉より色附そめ、芽子などは、本葉より色附よしに思はるるに、今春新に芽出たる木の稚枝は、生氣弱ければ、中にも露霜に、はやく變色ふものにて、其艶へる色も、殊にうるはしきよりいへるならむか、】〕○眞割持は、岡部氏、マキモタル〔五字右○〕と訓べし、と云る、よろし、小鈴とつゞきて、吾(カ)手に纏持たる鈴もゆらになり、割は、常にはさきといへるを、古くは、きとのみも云しなれば、唯きの言に用ひしなり、靈剋春《タマキハル》など、きの假字に用ひし例あり、割は剋に同じ、(契冲が、マサキモツ〔五字右○〕と、舊訓にあるによりて、云る説は、云に足ず、)此(ノ)一句、上の赤葉《モミチバ》よりは連かず、小鈴といふに屬けり、○小鈴文由良爾《ヲスヾモユラニ》は、手玉母由良爾《タダマモユラニ》とあ(454)るに同じ、(文《モ》は、語(リ)辭にて、由良《ユラ》は、鈴の鳴音なり、既く十(ノ)卷七夕(ノ)歌に、足玉母手珠毛由良爾《アシダマモタダマモユラニ》云々、とある處に、具く云るを見て考(フ)べし、○手弱女爾《タワヤメニ》云々は、手力もなき弱《タヨワ》き女にはあれども、夫(ノ)君のためにとて、手折る謂なり、三(ノ)卷に、石戸破手力毛欲得手弱寸女有者爲便乃不知苦《イハトワルタヂカラモガモタワヤキメニシアレバスベノシラナク》、○引攀而《ヒキヨヂテ》は、赤葉をなり、○峯文十遠仁は、岡部氏云、峯は、延多か、延太かの二(ノ)字の、一字となりし物なり、エダモトヲヽニ〔七字右○〕なり、と云り、十遠《トヲヽ》は、多和々《タワヽ》と云に同じ、既く云り、○※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》、※[手偏+求]《ウチ》は、いひおこす詞にて、手して物する事に、多くそへて云う、九(ノ)卷に、※[手偏+求]手折多武山霧《ウチタチリタムノヤマギリ》云々、○吾者持而往は、アハモチテユク〔七字右○〕と訓べし、○公之頭刺荷《キミガカザシニ》は、夫(ノ)君の頭刺のためにとて、と云なるべし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3224 獨耳《ヒトリノミ》。見者戀染《ミレバコヒシミ》。神名火乃《カムナビノ》。山黄葉《ヤマノモミチバ》。手折來君《タヲリケリキミ》。
 
第一二(ノ)句は、唯獨のみ見てはあかず、夫(ノ)君が、戀しく思はるゝ故に、と云なり、○山黄葉《ヤマノモミチバ》、長歌に堤と云て、こゝにかく山と云るは、即(チ)かの御田、神南備山《カムナビヤマ》の山田にて、其處の池堤に立る槻なるべし、○手折來君は、タヲリケリキミ〔七字右○〕と訓べし、ケリ〔二字右○〕は、來有《キケリ》なり、キケ〔二字右○〕はケ〔右○〕と切れり又タヲリコシ〔五字右○〕と訓ても、然るべし、○歌(ノ)意は、唯獨のみ見ては、足《アカ》ず戀しく思はるゝ故に、神名火山の黄葉を、艱難《カラク》して手折來にけるを、あはれと見賜へ、夫(ノ)君よと、なり、○舊本、此所に、此(ノ)一首入道殿讀出給の丸字あり、古寫本、異本等には無(シ)、後人の加筆《カキクハヘ》なり、これは當時入道殿の、此(ノ)歌の訓(455)を付られたるを記せるなり、そも/\今こそ、古學のみさかりの世となりて、此(ノ)集の歌を訓ことなど、さばかり、むつかしきことにはあらぬを、古學の道の開けざりし時には、こよなく訓難きことゝせし故に、一首(ノ)歌の訓を付たるをも、いみじき功業とせる故に、かく記せるなり、江家江説などゝ記せる所あり、これらも、大江家の人の訓點を付たるを、記せるなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3225 天雲之《アマグモノ》。影寒所見《カゲサヘミユル》。隱來笶《コモリクノ》。長谷之河者《ハツセノカハハ》。浦無蚊《ウラナミカ》。船之依不來《フネノヨリコヌ》。礒無蚊《イソナミカ》。海部之釣不爲《アマノツリセヌ》。吉咲八師《ヨシヱヤシ》。浦者無友《ウラハナクトモ》。吉畫矢寺《ヨシヱヤシ》。礒者無友《イソハナクトモ》。奧津浪《オキツナミ》。諍※[手偏+旁]入來《キホヒコギリコ》。白水郎之釣船《アマノツリブネ》。
 
影寒所見は、寒は、塞(ノ)字の寫誤なり、カゲサヘミユル〔七字右○〕と訓べし、雲影の見ゆるは、水の至《キハメ》て清き意なり、十六に、安積香山影副所見山井之《アサカヤマカゲサヘミユルヤマノヰノ》云々、古今集にも、月のあきらかなることをよめるに、飛鴈の數さへみゆるとあるを、顯昭の註には、一本に、影さへみゆるとありと云り、と契冲いへり、○隱來笶《コモリクノ》は、枕詞なり、既く出つ、○長谷之河《ハツセノカハ》は、城上(ノ)郡にあり、既く一(ノ)卷に出つ、○浦無蚊《ウラナミカ》云々(此(ノ)句、並次の礒無の無(ノ)字共に、元暦本になきは、脱たるなり、)は、よき浦の無(キ)故にや、船の依來ぬ、よき礒のなき故にや、海部の釣爲ぬとの謂なり、已下八句は、二(ノ)卷人麻呂(ノ)歌に、石見乃(456)海角乃浦回乎《イハミノミツヌノウラミヲ》、浦無等人社見良目《ウラナシトヒトコソミラメ》、滷無等人社見良目《カタナシトヒトコソミラメ》、能咲八師浦者無友《ヨシヱヤシウラハナクトモ》、縱畫屋師滷者無鞆《ヨシヱヤシカタハナクトモ》云々、とあるに似たり、○吉畫矢寺《ヨシヱヤシ》は、寺は、濁音の假字なるに、此(ノ)清音の處に用《カケ》るは、取はづしたるものか、又は子(ノ)字の誤にてもあるべし、此(ノ)下に、縱惠八子《ヨシヱヤシ》と書り、子寺、草書混(ヒ)易し、○奥津浪《オキツナミ》は、次の句をいはむ料なり、浪の立て依來るは、競ひ重るものなればなり、奥《オキ》は河の奥《オキ》にて、凡て古(ヘ)は、河海《ウミカハ》に限らず、岸側《ミギハ》より遠放りたる方を、奥《オキ》と云り、なほ三(ノ)卷に、八雲刺《ヤクモサス》云々|吉野川奥名豆颯《ヨシヌノカハノオキニナヅサフ》、とある歌につきて、具く云るを見て考ふべし、○諍※[手偏+旁]入來(諍(ノ)字、舊本に淨と作るは誤なり、今は官本、拾穗本等に從つ、校本にも、異本、古寫本、淨作v諍、とあり、)は、キホヒコギリコ〔七字右○〕と訓べし、岡部氏が、諍をキソヒ〔三字右○〕とよめるはわろし、諍は、古言にはキホフ〔三字右○〕とのみ云て、キソフ〔三字右○〕と云ること、凡てなし、既く具く云り、)此は白水郎《アマ》の船どもの、我先にと爭《アラソ》ひて、こぎ入(リ)來よ、といふなり、(略解に、浪の打よするに競て、こぎ入來れと云意とせるは、いさゝかたがへり、)〔頭註、【字鏡に、※[言+言]競言也、支曾比云、又支曾比加太利、とあれば、伎曾布と云も、古言には非ずとも云がたきか、されど集中には、伎保布とのみあり、備考、】〕○歌(ノ)意は、雲影うつるばかりの、清潔《イサギヨキ》泊瀬の河なるに、よき浦や礒の無故にや、海人船の依來て釣せざるらむ、よしやよき浦礒は無(ク)とも、此(ノ)河の清き風趣に愛て、爭ひ※[手偏+旁]入來れ、海部の釣舶よ、となり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
反(ノ)字、舊本友に誤れり、類聚抄、古寫小本、拾穗本等に從つ、
 
(457)3226 沙邪禮浪《サザレナミ》。浮而流《タギチテナガル》。長谷河《ハツセガハ》。可依礒之《よるべきいその》。無蚊不怜也《ナキガサブシサ》。
 
浮而流は、(或人の考に、こは河の流の早ければ、さゞれなみの立ながら、浮(キ)流るゝをいへり、と云れど、わろし、又岡部氏が、浮は湧の誤にて、わきてながるゝなりと云るは、よしなし、)浮は沸(ノ)字の誤寫なるべし、さらばタギチテナガル〔七字右○〕と訓べし、十(ノ)卷に、落沸速瀬渉《オチタギツハヤセワタリテ》云々、とあり、九(ノ)卷に、瀧之瀬從落墜而流《タギノセヨタギチテナガル》云々、○歌(ノ)意は、細浪《サヾレナミ》の沸《タギ》りて流るゝ、甚《イト》清《キヨ》き長谷河なるに、海人船のよるべき礒のなきのみが、心にもあらで、不足《アカズ》さぶ/\しさ、いはむ方なし、となり、(浪の速きが故に、船のよるべき礒もなき意と見るは、わろし、)
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3227 葦原※[竹冠/矢]《アシハラノ》。水穗之國丹《ミヅホノクニニ》。手向爲跡《タムケスト》。天降座兼《アモリマシケム》。五百萬《イホヨロヅ》。千萬神之《チヨロヅカミノ》。神代從《カミヨヨリ》。云績來在《イヒツギキタル》。甘南備乃《カムナビノ》。三諸山者《ミモロノヤマハ》。春去者《ハルサレバ》。春霞立《ハルカスミタチ》。秋徃者《アキユケバ》。紅丹穗經《クレナヰニホフ》。甘甞備乃《カムナビノ》。三諸乃神之《ミモロノカミノ》。帶爲《オビニセル》。明日香之河之《アスカノカハノ》。水尾速《ミヲハヤミ》。生多米難《ムシタメガタキ》。石枕《イハガネニ》。蘿生左右二《コケムスマデニ》。新夜乃《アラタヨノ》。好去通牟《サキクカヨハム》。事計《コトハカリ》。夢爾令見社《イメニミセコソ》。劔刀《ツルギタチ》。齋祭《イハヒマツレル》。神二師座者《カミニシマセバ》。
 
第一二(ノ)句は、大御國の大名にて、本居氏(ノ)國號考に具(ク)云り、○手向爲跡《タムケスト》は、(岡部氏は、手《タ》は、發語にて、向(ケ)平らぐる意なるべし、と云り、されど、向平らぐることを、手向と云る例、外になければ、い(458)かゞなり、)中山(ノ)嚴水、こは三諸山の、いと遠き御代より齋ひまつられ給ふことを、むねとしていへれば、この手向は、神に物を奉りて、齋ひまつることなるべし、神賀(ノ)詞に、大穴待命乃申給久《オホナムヂノミコトノマヲシタマハク》、皇御孫命乃靜坐牟大倭國申天《スメミマノミコトノシヅマリマサムオホヤマトノクニトマヲシテ》云々、賀夜奈流美命能御魂乎《カヤナルミノミコトノミタマヲ》、飛鳥乃神奈備爾坐天《アスカノカムナビニマセテ》、と有て三諸(ノ)大神は、神の御代より、手向し祭られたまふ神にましますを、思ふべし、さればこゝの意は、此(ノ)水穗の國に坐ます神たちに、手向すとて、天降坐けむ、その神代より、名高く言繼來たる、神南備乃云々の意なり、と云り、(猶考べし、)○神代從《カミヨヨリ》云々、五(ノ)卷に、神代《カミヨ》欲里云傳介良久《ヨリイヒツテケラク》云々、)十八に、於保奈牟知須久奈比古奈野神代欲里伊比都藝家良久《オホナムヂスクナビコナノカミヨヨリイヒツギケラク》云々、○霞(ノ)字、舊本霰と作るは誤なり、今は拾穗本、古寫一本等に從つ、校本にも、活字本、古寫本、霰作v霞、とあり、○秋往者《アキユケバ》は、秋になればの意なり、○紅丹穗經《クレナヰニホフ》は、紅葉の艶《ニホ》ふをいへり、○三諸乃神《ミモロノカミ》は、即(チ)山をさしていへり、○帶爲は、オビニセル〔五字右○〕とよむべし、又オバセル〔四字右○〕とも訓べし、山の帶《オビ》てあるを云り、此(ノ)下に、神名火山之帶丹爲留明日香之河乃《カムナビヤマノオビニセルアスカノカハノ》、七(ノ)卷に、大王之御笠山之帶爾爲流細谷川之《オホキミノミカサノヤマノオビニセルホソタニガハノ》云々、九(ノ)卷に、三諸乃神能於婆勢流泊瀬川《ミモロノカミノオバセルハツセガハ》、十七立山(ノ)歌に、於婆勢流可多加比河波能《オバセルカタカヒガハノ》云々、ともよめり、○水尾速《ミヲハヤミ》は、水脉《ミヲ》が速き故にの意なり、○生多米難《ムシタメガタキ》は、苔の生留め難き、と云なり、○石枕は、枕は根の誤にて、イハガネノ〔五字右○〕なり、と岡部氏云り、眞に然なくては、聞えがたし、但しイハガネニ〔五字右○〕とよまむぞ、然るべき、○蘿生左右二《コケムスマデニ》は、早河の石根には、苔の生とゞまりがたきものなるを、それにさへ(459)苔の生までと、未久しくかけて云るなり、○新夜乃《アラタヨノ》、此(ノ)一句は、次(ノ)二句を隔て、夢爾令見社《イメニミセコソ》の上に置て意得べし、新夜乃夢《アラタヨノイメ》とつゞくは、十二に、我心《ワガコヽロ》等望使念(テ)新夜一夜不落夢見《アラタヨノヒトヨモオチズイメニシミユル》、又、荒田麻之《アラタヨノ》(麻は夜の誤なり、)全夜毛不落夢所見欲《ヒトヨモオチズイメニミエコソ》、などあると同じ、(今の新夜を、契冲が、夜は借(リ)字にて、新世なり、と云るによりて、誰もしか心得來れども、わろし、もし新世ならば、新夜乎《アヲタヨヲ》となくては叶はず、乃《ノ》とありては、好去通牟《サキクカヨハム》とつゞくべからず、句をおきかへて聞ときは、いと穩なるを、今迄心の付たる人なし、)○好去通牟《サキクカヨハム》は、末久しく平安《マサキ》くて、この三諸山に、あり通ひつゝ遊ばむ、と云なり、好去と書て、サキク〔三字右○〕とよめる例、集中にこれかれあり、○、事計《コトハカリ》は、俗に、爲道《シミチ》爲方《シカタ》などいふが如し、既く具く云り、○夢爾令見社《イメニミセコソ》は、末限りなく、さきくあり通はむ爲方を新夜の夢に告給へと、此(ノ)山の大神に願申すなり、○劔刀《ツルギタチ》云々、垂仁天皇(ノ)紀に、二十七年秋八月癸酉朔己卯、令(チテ)2神官《カムツカサニ》1卜《シムルニ》3兵器《ツハモノヲ》爲(ムト)2神幣《カミノマヒト》1吉之《ヨシ》、故(レ)弓矢及|横刀《タチヲ》、納2諸神之《モロカムタチノ》社(ニ)1、仍更定2神地神戸(ヲ)1、以v時祠之、蓋|兵器《ツハモノモテ》祭2神祇1、始2興《ハジマレリ》於是時(ニ)1也と見えて、古へより、劔を納て神祇を祭れるなり、されば劔刀を納奉りて齋祭れる、此(ノ)大神にましませば、いかで件の事計を、夢に告給へ、と云なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3228 神名備能《カミナビノ》。三諸之山丹《ミムロノヤマニ》。隱藏杉《イハフスギ》。思將過哉《オモヒスギメヤ》。蘿生右左《コケムスマデニ》。
 
隱藏杉《イハフスギ》は四(ノ)卷に、味酒呼三輪之祝我忌杉手觸之罪歟君二遇難寸《ウマサケヲミワノハフリガイハフスギテフリシツミカキミニアヒガタキ》、又七(ノ)卷に、三幣取神之祝我(460)鎭齋杉原《ミヌサトリカミノハフリガイハフスギハラ》などあるが如し、神木は、汚穢《ケガレ》を放るが爲に、繩引延て、隱藏《ヒメカク》す意をもて、隱藏と書り、さて即《ヤガ》てこれを、次(ノ)句の過《スギ》をいはむとての序とせり、九(ノ)卷に、神南備神依板爾爲杉乃念母不過戀之茂爾《カムナビノカミヨセイタニスルスギノオモヒモギズコヒノシゲキニ》、とあり、○思將過哉《オモヒスギメヤ》(將(ノ)字、類聚抄にはなし、)は思ひ忘れむやは、といはむが如し、歌(ノ)意は、この三諸山の齋杉に、蘿の生代まで、思ひ忘れずして、此(ノ)神社に仕奉らむ、となり、
 
3229 五十串立《イクシタテ》。神酒座奉《ミワスヱマツル》。神主部之《カムヌシノ》。雲聚玉蔭《ウズノヤマカゲ》。見者乏文《ミレバトモシモ》。
 
五十串《イクシ》は、齋串《イミクシ》なり、(串(ノ)字のこと、古事記傳(ニ)云(ク)、久志《クシ》は、もと〓(ノ)字にて、字書に、燔v肉(ヲ)器とあり、然るに此(ノ)方にては、古(ヘ)より串(ノ)字を用ひたり、串(ノ)字には、久志《クシ》の義は見えず、但(シ)物相貫也、と註し、字形も〓と似たる故に、まがひつるなるべし、漢國にても、此(ノ)二字まがへることあり、和名抄には、唐韻(ニ)云、〓(ハ)炙v肉(ヲ)〓也、和名|夜以久之《ヤイクシ》、とあり、是も古本には串と作り、)齋《イミ》をイ〔右○〕と云は、齋垣《イカキ》などの例なり、(今(ノ)世神を祭るに幣串五十本を立るとぞ、其はこの五十串を、五十本の串の義と意得たるより、起《ハジマ》れることにはあらざるか、)此は幣玉などをさしはさみて、神に供る串なり、神代紀一書に、五百箇眞坂樹八十玉籤《イホツマサカキノヤソタマクシ》、また五百箇野篶八十玉籤《イホツヌスヾノヤソタマクシ》、などあり、(夫木集に、卯月垣白木綿かけてみたらしや花のいぐしは神やうくらむ、)○神酒座奉《ミワスヱマツル》は、神酒《ミワ》を机に居《スヱ》て、神に供奉ると云なり、神酒は、倭名抄に日本紀私記(ニ)云(ク)、神酒、和語(ニ)云(ク)美和《ミワ》、とあり、既く二(ノ)卷に、哭澤之神社爾三輪須惠雖?祈《ナキサハノモリニミワスヱノマメドモ》云々、とある歌に具(ク)云り、(現存六帖に、道の邊の杉のした枝にひくしめは神(461)酒座奉《ミワスヱマツ》るしるしなるらし、○神主部は、神事をつかさどる人の部《トモベ》なり、部(ノ)字は書たれども、ここはたゞカムヌシ〔四字右○〕とよむべし、○雲聚玉蔭《ウズノヤマカゲ》は、雲聚《ウズ》は、推古天皇(ノ)紀に、十一年十二月戊辰朔壬申、始(テ)行2冠位(ヲ)1云々、唯元日(ニハ)著2髻華(ヲ)1、(髻華此云2于孺《ウヅト》1、)と見えたり、玉蔭は、本居氏、玉は山を誤れるなり、草書にては、山と玉とよく似たる故なり、山蔭は、髻華《ウズ》に垂たる日影※[草冠/縵]なり、と云り、猶委く、玉勝間十三に見えたり、○乏文《トモシモ》は、さてもめずらしや、とほめたるなり、文《モ》は、歎息を含める助辭なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
右三首《ミギミウタ》。
 
首の下、舊本には、但或書此短歌一首無有載之也、と大書せり、古寫一本には小書とす、拾穗本には、右三首、但或云々已下十三字、ともになし、此間に、拾穗本には一首、并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3230 帛※[口+立刀]《ヌサマツリ》。楢從出而《ナラヨリイデテ》。水蓼《ミヅタデ》。穗積至《ホヅミニイタリ》。鳥網張《トナミハル》。坂手乎過《サカテヲスギ》。石走《イハバシル》。甘南備山丹《カムナビヤマニ》。朝宮《アサミヤニ》。仕奉而《ツカヘマツリテ》。吉野部登《ヨシヌヘト》。入座見者《イリマスミレバ》。古所念《イニシヘオモホユ》。
 
帛※[口+立刀](※[口+立刀](ノ)字、拾穗本には叫、元暦本には川と作り、)は、誤字なるべし、(まづ契冲が、舊訓にミテグラヲ〔五字右○〕とあるに依て、みてぐらもて、ならより出るといふべきを、古歌には、ことばくはしからぬこと多し、と云るはいかゞ、古語には、言約《コトズクナ》にいへること、多くあれども、理《コトワリ》貫《トホ》りて、中々に後(ノ)世(462)よりは詳《クハ》しきを、大よそに見るときほ、省(キ)過たりと思ふ事もあれど、具に味ふる時は、必然らぬ事なり、古語におろそかなりと云べし、又岡部氏が、帛※[口+立刀]は、冠辭とすべし、續日本後紀、伊勢への詔に、大幣乎令2捧持1天奉出、とある如く、大内よりは出すといへば、冠辭におけりとすべし、と云るは、ひがことなり、また本居氏の、帛は、内日なるを下上に誤(リ)、つひに帛とかき、また※[口+立刀]は、刺の誤、猶は都の誤にて、ウチヒサス、ミヤコユイデヽ〔ウチ〜右○〕、ならむ、と云るは、甚じき強解なりけり、)故(レ)思ふに※[口+立刀]は、奉(ノ)字の草書の、下の二の畫滅たるより、つひにかく誤れるなるべし、さらばヌサマツリ〔五字右○〕と訓べし、三(ノ)卷に、佐保過而寧樂乃手祭爾置幣者《サホスギテナラノタムケニオクヌサハ》云々、とあるをも考(ヘ)合(ス)べし、奈良坂を過るには、古より必(ス)幣帛《ヌサ》奉《タテマツ》ることなればなり、(この旅は帛《ヌサ》も取あへず手向山、とよまれしも、奈良の手向山なり、)○水蓼は、ミヅタデ〔四字右○〕と四言に訓べし、枕詞なり、(十六には、八穗蓼乎穗積ヤホタデヲホツミ》、とあり、現存六帖に、水蓼の穗積にかよふ村鳥の立居につけて秋ぞ悲しき、これも水蓼をとこそ、あらまほしけれ、○穗積《ホツミ》は、十市(ノ)郡にあり、今蒲津村と云といへり、○鳥網張《トナミハル》は、枕詞なり、此は坂鳥の朝越ましてともよめる如く、山坂のあたりをば、鳥の群立て、飛越ることの多ければ、そこに鳥網《トナミ》張(リ)設て、獵師が鳥を獲(ル)故に、鳥之鋼《トリノアミ》張(ル)坂と云意に云かけたり、等奈美《トナミ》は、鳥之網《トノアミ》の締れるなり、ノア〔二字右○〕の切ナ〔右○〕)○坂手《サカテ》は、景行天皇(ノ)紀に、坂手(ノ)池をつくらせ賜ふよし見えたり、今城下郡に、坂手村あり、といへり、契冲、神名帳に、十市(ノ)郡坂門(ノ)神社、とあるを、引たれども、こ(463)は別なるべし、○石走《イハバシル》は、枕詞なり、○甘南備山《カムナビヤマ》(甘(ノ)字、校本に、水本、官本、作v神(ニ)、とあり、)は、高市(ノ)郡の飛鳥のなり、○朝宮仕奉而《アサミヤニツカヘマツリテ》は、朝の御饌《ミケ》を仕(ヘ)奉るを云なるべし、○古所念《イニシヘオモホユ》は、古(ヘ)の天皇等の行幸のことの、思慕はるゝなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此(ノ)歌は、天皇の、奈良より吉野へ行幸の時に、よめるなり、神南備山の離(ツ)宮に、御止宿まし/\て、その翌朝に、御饌仕へ奉りて、さて吉野へと入ますなり、かくて此(ノ)歌よめるは、其(ノ)神南備の離(ツ)宮を、出發せ給ふほどのことなるべし、反歌に、其離宮處をよめるは、其(ノ)故なり、此(ノ)時の天皇は、元明天皇なるべし、
 
3231 月日《ツキヒハ》。攝友《ユキカハレドモ》。久經流《ヒサニフル》。三諸之山《ミモロノヤマノ》。礪津宮地《トツミヤトコロ》。
 
攝友は、上に行(ノ)字か、立(ノ)字か脱たるなるべし、ユキカハレドモ〔七字右○〕とか、タチカハレドモ〔七字右○〕とかあるべし、字書に、攝(ハ)代也、と見えたり、(元暦本に、ウツリユケドモ〔七字右○〕、とよめるによらば、移去友などありけむを、誤れるにもあるべし、)持統天皇の時、此(ノ)山に、離(ツ)宮仕(ヘ)奉りてより、今元明天皇まで、三御代の間、多くの年月日の改り、移(リ)代れるを云、○礪津宮地《トツミヤトコロ》は、離宮處《トツミヤトコロ》なり、三(ノ)卷に、天皇御封2遊雷岳(ニ)1之時、柿本(ノ)朝臣人麻呂(ノ)作歌に、皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬爲流鴨《オホキミハカミニシマセバアマクモノイカツチノウヘニイホリセルカモ》、とありて、其(ノ)天皇は持統天皇にて、此(ノ)御時より始れる離(ツ)宮なりけむ、○歌(ノ)意は、多くの年月日は、改り移り代りぬれども、常《とこ》しなへに、長く久しく變らず、經たる、三諸山の離(ツ)宮處にてあるぞ、となり、〔頭註、【枕雙(460)紙に、月も日もかはりゆけども久にふるみむろの山の、といふふることを、ゆるるかにうちよみ出し給たまへる、いとをかしとおぼゆるを云々、袖中抄に、月も日もあらたまれども久にふるみむろの山のとつみや所、】〕○舊本、此間に、此歌入道殿讀出給、の八字あり、古寫本、拾穗本等にはなし、上にくはしく云り、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、首の下、舊本に、但或本歌曰故王都跡津宮地也、とあり、拾穗本には、但或本歌曰を、一云と作(キ)、也(ノ)字はなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3232 斧取而《ヲノトリテ》。丹生檜山《ニフノヒヤマノ》。木折來而《キコリキテ》。※[木+伐]爾作《イカダニツクリ》。二梶貫《マカヂヌキ》。礒※[手偏+旁]回乍《イソコギタミツヽ》。島傳《シマヅタヒ》。雖見不飽《ミレドモアカズ》。三吉野乃《ミヨシヌノ》。瀧動動《タギモトヾロニ》。落白浪《オツルシラナミ》。
 
斧取而《ヲノトリテ》は、木折《キコリ》へ係れることばなり、○丹生檜山《ニフノヒヤマ》は、丹生は、吉野(ノ)郡にあり、二(ノ)卷に、丹生乃河瀬者不渡而《ニフノカハセハワタラズテ》、由久遊久登戀痛吾弟乞通來禰《ユクユクトコヒタムアオトイデカヨヒコネ》、七(ノ)卷に、斐太人之眞木流云爾布乃河《ヒダヒトノマキナガスチフニフノカハ》、などある、同處なるべし、檜山は、檜の多く生たる山なれば云り、○※[木+伐]爾作(※[木+伐](ノ)字、舊本には機、古本には※[木+義]、古寫本には※[木+茂]、官本には※[竹/※[舟+伐]]、拾穂本には艤、阿野本には※[木+筏]、と作り、※[舟+筏]※[木+筏]は、※[舟+伐]※[木+伐]なるべし、字書に、※[舟+伐]、※[木+伐]は、ともに與v筏同(シ)、と見え、筏(ハ)※[木+孚]也、と註せり、彼此《コレカレ》を考(ヘ)合(セ)て、今改つ、機、※[木+義]、※[木+茂]、艤は、共によしなし、)は、イカダニツクリ〔七字右○〕と訓べし、一(ノ)卷に、眞木乃都麻手乎百不足五十日太爾作泝須良牟《マキノツマテヲモヽタラズイカダニツクリノボスラム》、とあり、十九に、漢人毛筏浮而遊云《カラヒトモイカダウカベテアソブチフ》、とあり、○二梶《マカヂ》(梶(ノ)字、拾穗本には※[木+堯]と作り、)は、左右の楫を云なり、○礒(465)※[手偏+旁]回乍《イソコギタミツヽ》(回(ノ)字古寫本、官本、水戸本、拾穗本等には、廻と作り、)は、礒を漕廻りつゝ、といふなり、礒は即(チ)吉野川の礒なり、○島傳《シマヅタヒ》は、島より島につきて、漕めぐるよしなり、河にも池にも島といふ事、古(ヘ)の常なり、○瀧動動《タギモトヾロニ》、六(ノ)卷に、宮動動爾《ミヤモトヾロニ》、また、山裳動響爾《ヤマモトヾロニ》、十一に、瀧毛響動二《タギモトヾロニ》、十四に、伊波毛等杼呂爾於都流美豆《イハモトドロニオツルミヅ》云々、など見えたり、瀧は、吉野の大瀧を云べし、
 
反歌《カヘシウタ》。【旋頭歌。】
 
此(ノ)五字、舊本には旋頭歌とのみ作(キ)、古寫本、拾穗本には、反歌とのみ作り、校本に、古寫本、水本、旋頭歌(ノ)三字、作2反歌(旋頭歌)五字1、とあり、是宜し、こは右の長歌の反歌と見えたり、反歌に旋頭歌をよめること、いとめづらし、
 
3233 三芳野《ミヨシヌノ》。瀧動動《タギモトヾロニ》。落白浪《オツルシラナミ》。留西《トヾメニシ》。妹見卷《イモニミセマク》。欲白浪《ホシキシラナミ》。
 
妹見卷(類聚抄に、見の下に、面(ノ)字、卷の下に、色(ノ)字あるは、いぶかし、)は、イモニミセマク〔七字右○〕とも、イモトミマクノ〔七字右○〕とも訓べし、○歌(ノ)意は、吉野川の瀧も、動々《トヾロ/\》と響き鳴て、激《タギ》り落る白浪の、おもしろき風景を、家に留め置し妹に、いかで見せまほしき事ぞ、となり、又は妹と二人して、見まくほしき事ぞ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
(466)3234 八隅知之《ヤスミシシ》。和期大皇《ワゴオホキミ》。高照《タカヒカル》。日之皇子之《ヒノミコノ》。聞食《キコシヲス》。御食都國《ミケツクニ》。神風之《カムカゼノ》。伊勢乃國者《イセノクニハ》。「國見者之毛」山見者《ヤマミレバ》。高貴之《タカクタフトシ》。河見者《カハミレバ》。左夜氣久清之《サヤケクキヨシ》。水門成《ミナトナス》。海毛廣之《ウミモヒロシ》。見渡《ミワタス》。島名高之《シマモナタカシ》。曾許乎志毛《ソコヲシモ》。浦細美香《ウラグハシミカ》〔九字各○で囲む〕。己許乎志毛《ココヲシモ》。間細美香母《マグハシミカモ》。挂卷毛《カケマクモ》。文爾恐《アヤニカシコキ》。山邊乃《ヤマヘノ》。五十師乃原爾《イシノハラニ》。内日刺《ウチヒサス》。大宮都可倍《オホミヤツカヘ》。朝日奈須《アサヒナス》。目細毛《マグハシモ》。暮日奈須《ユフヒナス》。浦細毛《ウラグハシモ》。春山之《ハルヤマノ》。四名比盛而《シナヒサカエテ》。秋山之《アキヤマノ》。色名付思吉《イロナツカシキ》。百磯城之《モヽシキノ》。大宮人者《オホミヤヒトハ》。天地與《アメツチト》。日月共《ヒツキトトモニ》。萬代爾母我《ヨロヅヨニモガ》。
 
初四句は、上に多く見えたり、○御食都國《ミケツクニ》(都(ノ)字、拾穗本には津と作り、)は、天皇の御贄獻る國を云ことなり、六(ノ)卷に、御食國志麻乃海部有之《ミケツクニシマノアマナラシ》、とある處に、具く云りき、御饌調國《ミケツククニ》と云なるべし、○神風之《カムカゼノ》は、枕詞なり、既く出つ、○國見者之毛は、(廿(ノ)卷に、夜麻美禮婆見能等母之久《ヤマミレバミノトモシク》、可波美禮婆見乃佐夜氣久《カハミレバミノサヤケク》云々、とあるを併(セ)思ふに、こゝも國見者見之乏毛《クニミレバミノトモシモ》、とありけむを、字を落したるものならむと、はじめ思ひしはあらざりけり、)決《キハメ》て衍文なり、さるは次に山と河とを對《ムカ》へ云て稱へたれば、初に國のことをいはむは、無用《イタヅラ》なればなり、さればこの五字は、上下の字どもに見混へて、入しなるべし、○高貴之《タカクタフトシ》、三(ノ)卷不盡(ノ)山をよめる長歌に、神左備手高貴寸《カムサビテタカクタフトキ》、とあり、○水門成《ミナトナス》は、入海にて島々埼々多ければ、水門の如く、と云ならむ、○海毛廣之は、ウミモヒロシ〔六字右○〕と訓べし、六言一句なり、(略解に、ウミモマヒロシ〔七字右○〕とよめれど、眞(ノ)字なければ、さはよむべから(467)ず、)毛《モ》は、山河のみならず、海までもとの意なり、山河を主とたてゝ、わざと海をかたわらとして云るが、おもしろし、○見渡は、ミワタス〔四字右○〕と四言に訓べし、此(ノ)下にも、見波爾妹等者立志《ミワタシニイモラハタヽシ》、とあり、○島名高之は、按(フ)に、名は毛(ノ)字の誤なるべし、十(ノ)卷にも、毛を名に誤れる例あり、名毛草書似たればなり、シマモタカシ〔六字右○〕と六言に訓て、上の海毛廣之《ウミモヒロシ》、に對へたり、(略解に、名高之とあるに依て、垂仁天皇(ノ)紀を引たれど、わろし、)毛《モ》の意は、上なるに同じ、○曾許乎志毛浦細美香《ソコヲシモウラグハシミカ》の九字は、決《キハメ》て有るべきを、寫し脱せることしるし、其(ノ)よしは、下の方に、朝日奈須目細毛《アサヒナスマグハシモ》、暮日奈須浦細毛《ユウヒナスウラグハシモ》、と目細《マグハシ》と浦細《ウラグハシ》と二(ツ)をいひて、上を應《ウケ》たりときこゆるに、その下に照《テラス》べき、目細《マグハシ》と浦細《ウラグハシ》との二(ツ)を云(ハ)ずしては、たちまちかけ合(ハ)ぬことなるを思ふべし、初に、目細《マグハ》しく心細《ウラグハ》しき故にか、この五十師《イシノ》原に、大宮造り仕(ヘ)奉りけむと、おしはかりたる如くにいひおきて、後に、今よくみれば、げにも目細《マグハ》しも、心細《ウラグハ》しもと治定《サダメ》て云る趣なるを、よく味ひ考(フ)べし、されば、右の二句を、姑(ク)補《クハ》へ入たるなり、さて曾許乎《ソコヲ》とは、其《ソレ》をと云むが如し、其《ソレ》とは、山河海島などをさして云り、志毛《シモ》とは、多かる物の中に、その一(ツ)をとり出ていふ辭なること、さきざきに云る如し、浦細《ウラグハシ》とは、此(ノ)上にも見えて、浦は借(リ)字|心《ウラ》にて、心に好愛《メデウツクシ》まるゝを云ば、此(ノ)二句の意は、其(ノ)山河海島などのたゝずまひを、とりわきて、心に好愛《メデウツクシ》まるゝ故にか、と謂なり、○己許乎志毛《ココヲシモ》は、己許乎《ココヲ》とは、此《コレ》をと云むが如し、此(レ)とは、山河海島をさして云ること、上の其(レ)に准(フ)べし、○間細美香母《マグハシミカモ》は、(468)日細《マグハシ》さ故にか、と云なり、間は借(リ)字にて、次に目細《マグハシ》と書ると同じく、見ることのよきを云詞なり、古事記崇神天皇(ノ)條に、遠津年魚目微比賣《トホツアユメマグハシヒメ》、と云あり、書紀には、眼妙媛《マグハシヒメ》と書り、母《モ》は、歎息を含める助辭なり、上には、浦細美香《ウラグハシミカ》とのみ云(ヒ)、下に、問細美香母《マグハシミカモ》、と母《モ》の辭をそへて云るは、心細と、目細との二(ツ)を帶て、歎きたるなり、さて此(ノ)句の下に、大宮造り奉仕《ツカヘマツ》りけむ、と云辭を、假に加へて意得べし、然らでは、香《カ》と云る疑辭の結(ヒ)、下になければなり、其(ノ)例は、さきにたび/”\出たり、○挂(ノ)字、拾穗本には掛と作り、○文爾恐は、アヤニカシコシ〔七字右○〕と訓て、暫(ク)此にて絶て意得べし、次の大宮仕《オホミヤツカヘ》といふにかゝればなり、(アヤニカシコキ〔七字右○〕と訓て、山邊乃《ヤマヘノ》と、直に續て心得るは、わろし、)○山邊乃五十師乃原《ヤマヘノイシノハラ》は、本居氏、伊勢(ノ)國鈴鹿(ノ)郡山邊村と云所なり、そこに山邊(ノ)赤人の、屋敷跡と云傳へたる地あり、又同じ人の硯水とて、古き井もあり、これ山邊(ノ)御井なり、赤人のことを云傳へたるは、此(ノ)地の名につきて、いひよせたるひがことなり、さて五十師乃原は、イシノハラ〔五字右○〕とよむべし、いしの原といふ名のよしは、今石藥師(ノ)驛に、石藥師とて寺有(リ)て、石(ノ)佛をまつれる、そは地の上に、おのづからに立る、大なる石のおもてに、藥師といふ佛のかたを、ゑりつけたるにて、此(ノ)石あやしき石なり、思ふに佛をゑりたるは、後のことにて、上つ代より、此(ノ)あやしき石の有しによりてを、石の原とは名に負たりけむ、かくて此(ノ)長歌は、持統天皇の、此(ノ)國に行幸ありしをりの、行宮のさまをよめりと聞えたれば、かの赤人の屋敷跡といふなる地(469)ぞ、その行宮の跡なるべき、山邊村は、まがり野といふ野の、東のはづれの、にはかにくだりたるきはの、ひきゝ所なる故に、東の方より見れば、小山の麓なり、されば反歌に、山とよめるなるべし、と云り、なほ玉勝間三(ノ)卷に、甚詳に論へるを、見て考ふべし、○内日刺《ウチヒサス》(刺(ノ)字、古寫本に判と作るは、刺の異體なり、)は、枕詞なり、既く出つ、○大宮都可倍《オホミヤツカヘ》は、大宮を造(リ)奉(ル)にて、持統天皇の行宮なり、○朝日奈須《アサヒナス》、暮日奈須《ユフヒナス》は、朝日の如く、暮日の如くといふなり、朝日暮日を、目細、心細しく、ほめたゝへたること、古語にはいと多し、○春山之《ハルヤマノ》、秋山之《アキヤマノ》は、共に枕詞なり、○四名比盛而《シナヒサカエテ》(盛(ノ)字、元暦本に、咸と作るは誤なり、)は、艶《シナ》やぎ榮《サカ》えて、といふなり、四名比《シナヒ》は、三(ノ)卷上、眞木葉乃之奈布勢能山《マキノハノシナフセノヤマ》、とある歌に、委(ク)云り、○色名付思吉《イロナツカシキ》(色(ノ)字、元暦本に、包と作るは誤なり、)は、面貌の色の馴着《ナツカ》しく愛《ウルハ》しきよしなり、○百磯城乃《モヽシキノ》(磯(ノ)字、元暦本、拾穗本には、礒と作り、)は、枕詞なり、既く出つ、○大宮人《オホミヤヒト》は、天皇に仕(ヘ)奉れる女官等なり、○天地與《アメツチト》は、二(ノ)卷に、天地與共將終登念乍《アメツチトトモニヲヘムトオモヒツヽ》云云、とあり、○月月共は、ヒツキトトモニ〔七字右○〕と訓べし、二(ノ)卷に、天地日月與共滿將行神乃御面跡《アメツチヒツキトトモニタリユカムカミノミオモト》云云、十九に、天地日月等登聞仁《アメツチヒツキトトモニ》、萬世仁記續牟曾《ヨロヅヨニシルシツガムソ》云々、などあるに同じ、比都奇《ヒツキ》といひ、都奇比《ツキヒ》といふことの分別は、既く五(ノ)卷上に、委(ク)説り、合(セ)考(フ)べし、○萬代爾母我《ヨロヅヨニモガ》は、萬代にもがなあれかし、との意なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
(470)3235 山邊乃《ヤマノヘノ》。五十師乃御井者《イシノミヰハ》。自然《オノヅカラ》。成錦乎《ナレルニシキヲ》。張流山可母《ハレルヤマカモ》。
 
成錦乎張流《ナレルニシキヲハレル》とは、本居氏云(ク)、かの持統天皇の行幸は、六年の三月なれば、櫻桃などの花を云るか、又は大寶二年十月にも、同じ天皇、參河(ノ)國に行幸有しかば、其(ノ)時にてもあらむか、もし然らば、行宮は、參河への道次《ミチナミ》の行宮にて、錦は紅葉なるべしと、これも玉勝間に見えたり、六(ノ》卷長歌に、巖者山下耀錦成花咲乎呼理《イハホニハヤマシタヒカリニシキナスハナサキヲヲリ》云々、八(ノ)卷に、經毛無緯毛不定未通女等之織黄葉爾霜莫零《タテモナクヌキモサダメズヲトメラガオレルモミチニシモナフリソネ》、などあり、思(ヒ)合(ス)べし、〔頭註、【和訓栞に、五十師乃御井者云々、夫木集に、いそしの清水とよめる、これなり、】〕○歌(ノ)意は、五十師の御井のあたりの山は、人力して縫たるには非ず、自然になれる錦を張(リ)設たり、さても、奇《アヤ》しく見事なること我、となり、○舊本此間に、此歌入道殿下令讀出給、の十字あり、此も古寫本、拾穗本等にはなし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、二首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3236 空見津《ソラミツ》。倭國《ヤマトノクニ》。青丹吉《アヲニヨシ》。寧樂〔一字○で囲む〕山越而《ナラヤマコエテ》。山代之《ヤマシロノ》。管木之原《ツヽキノハラ》。血速舊《チハヤブル》。于遲乃渡《ウヂノワタリ》。瀧屋之《タギノヤノ》。阿後尼之原尾《アゴネノハラヲ》。千歳爾《チトセニ》。闕事無《カクルコトナク》。萬歳爾《ヨロヅヨニ》。有通將得《アリカヨハムト》。山科之《ヤマシナノ》。石田之森之《イハタノモリノ》。須馬神爾《スメカミニ》。奴差取向而《ヌサトリムケテ》。吾者越往《アレハコエユク》。相坂山遠《アフサカヤマヲ》。
 
空見津《ソラミツ》、青丹吉《アヲニヨシ》は、共に枕詞なり、○寧樂《ナラ》(寧(ノ)字、元暦本、古寫本等に、常と作るはわろし、)樂(ノ)字、舊本(471)に無は、脱たるなり、○管木之原《ツヽキノハラ》(管(ノ)字、舊本に菅と作るは誤なり、拾穗本に從つ、)は、和名抄に、山城(ノ)國綴喜(ノ)郡|豆々木《ツヽキ》、仁徳天皇(ノ)紀に、皇后更(ニ)還2山背(ニ)1、興2宮室(ヲ)於箇城(ノ)岡(ノ)南(ニ)1而居之、とあり、(都豆紀《ツヅキ》と濁るは非なり、清て唱べし、)○血速舊《チハヤブル》(血(ノ)字、元暦本に※[一/血]と作るは、異體なるべし、速(ノ)字、拾穗本に遠と作るは、誤なり、)は、枕詞なり、○瀧屋之阿後尼之原《タギノヤノアゴネノハラ》は、何處にか未(ダ)知ず、(略解に、宇治(ノ)郡三室村にあり、蜻蛉野《カゲロフノ》の一名と、或人云り、とあり、)考(フ)べし、○有通將得《アリカヨハムト》は、ありつゝ行通はむとて、と云なり、將《ム》v通《カヨハ》と書べきを、かく書る例、往々に見ゆ、○石田之森《イハタノモリ》(森(ノ)字、官本、古寫本、拾穗本等には、社と作り、)は、神名帳に、久世(ノ)郡石田(ノ)神社(大、月次新甞、)と見えたる、是なり、(宇治(ノ)郡山科(ノ)神社二座、と見えたるにはあらず、混《マガ》ふべからず、)九(ノ)上に委(ク)云り、合(セ)考(フ)べし、○須馬神《スメカミ》は、皇神《スメカミ》なり、○奴左取向而《ヌサトリムケテ》は、幣帛を取て、向(ケ)奉りて、といふなり、○歌(ノ)意、かくれたるすぢなし、此(ノ)歌は、奈良(ノ)京より、近江の本屬の地へ、衣暇、田暇、歸寧などにて、通ふを云なるべし、と岡部氏云り、
 
右一首〔三字各□で囲む〕《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、こゝにあるべきを、左に云る如く、混ひたるより、失たるなるべし、○此(ノ)間に、舊本には、或本歌曰、とあれど、左の歌は、右の歌とは、意詞いと異《カハ》りて、別の歌なり、拾穗本に此(ノ)四字なき、宜し、
 
3237 緑青吉《アヲニヨシ》。平山過而《ナラヤマスギテ》。物部之《モノヽフノ》。氏川渡《ウヂカハワタリ》。未通女等爾《ヲトメラニ》。相坂山爾《アフサカヤマニ》。手向草《タムケグサ》。絲取置而《ヌサトリオキテ》。(472)我妹子爾《ワギモコニ》。相海之海之《アフミノウミノ》。奥浪《オキツナミ》。來因濱邊乎《キヨスハマヘヲ》。久禮久禮登《クレクレト》。獨曾我來《ヒトリソアガコシ》。妹之目乎欲《イモガメヲホリ》。
 
緑青吉《アヲニヨシ》(青(ノ)字、官本、拾穗本等には丹と作り、)は、枕詞なり、阿乎爾《アヲニ》を、緑青と書る事、既く一(ノ)卷に具(ク)説り、披(キ)見べし、古來此(ノ)枕詞の義を、解得たる人一人もなし、○未通女等爾《ヲトメラニ》も、枕詞なり、十(ノ)卷に、吾妹兒爾相坂山之《ワギモコニアフサカヤマノ》、十五に、和伎毛故爾安波治乃之麻波《ワギモコニアハヂノシマハ》、古今集にも、わぎも子に相坂山、とよめり、○手向草《タムケグサ》は、一(ノ)卷に、白浪乃濱松之枝乃手向草《シラナミノハママツガエノタムケグサ》、とあり、何にまれ、神に手向る具をいふ、契冲云(ク)、相坂は、畿内をこえて、東海道におもむく初の所なれば、手向をして、つゝがなからむことを祈るゆゑに、此(ノ)集第六に、ゆふたゝみたむけの山と、坂上(ノ)郎女がよめるも、此(ノ)山なり、古今集(ノ)序には、あふさか山に至りて、手向をいのり、と書り、○絲取置而、岡部氏、絲は麻の誤なり、と云り、ヌサトリオキテ〔七字右○〕と訓べし、○我妹子爾《ワギモコニ》は、枕詞なり、十二に、吾殊兒爾又毛相海之安河《ワギモコニマタモアフミノヤスノカハ》、とよめり、○來因濱邊乎は、キヨスハマヘヲ〔七字右○〕と訓べし、○久禮久禮登《クレクレト》は、五(ノ)卷に、都禰斯良農道乃長手袁久禮久禮等伊可爾可由迦牟可利弖波奈斯爾《ツネシラヌミチノナガテヲクレクレトイカニカユカムカリテハナシニ》、とあるに同じ、闇闇《クレクレ》にて、獨行道《ヒトリユクミチ》の、おぼつかなき意の詞なり、○妹之目乎欲《イモガメヲホリ》は、妹を相見ま欲《ホシ》くして、といふこゝろにて、集中に甚多き詞なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
(473)3238 相坂乎《アフサカヲ》。打出而見者《ウチデテミレバ》。淡海之海《アフミノミ》。白木綿花爾《シラユフハナニ》。浪立渡《ナミタチワタル》。
 
白木綿花の事、既く云り、○歌(ノ)意は、逢坂山を越て、濱の方に打出て見やれば、淡海の海づらに立渡る浪が、白木綿花を散したる如くに見ゆるよ、となり、○契冲云(ク)、或人云(ク)、近江に打出の濱といふは、此(ノ)歌よりいひならへり、
 
右三首《ミギミウタ》。
 
三(ノ)字、二に改むべし、此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首作者未詳、といふ六字あり、
 
3239 近江之海《アフミノミ》。泊八十有《トマリヤソアリ》。八十島之《ヤソシマノ》。島之埼邪伎《シマノサキザキ》。安利立有《アリタテル》。花橘乎《ハナタチバナヲ》。未枝爾《ホツエニ》。毛知引懸《モチヒキカケ》。仲枝爾《ナカツエニ》。伊加流我懸《イカルガカケ》。下枝爾《シヅエニ》。此米乎懸《シメヲカケ》。己之母乎《シガハヽヲ》。取久乎不知《トラクヲシラニ》。己之父乎《シガチヽヲ》。取久乎思良爾《トラクヲシラニ》。伊蘇婆比座與《イソバヒヲルヨ》。伊加流我等此米登《イカルガトシメト》。
 
泊八十有《トマリヤソアリ》は、七(ノ)卷に、近江之海湖有八十《アフミノミミナトヤソアリ》、とあり、三(ノ)卷に、近江海八十之港爾《アフミノミヤソノミナトニ》、ともよめり、八十《ヤソ》は敷多きを云り、(必(ズ)八十に限れるにはあらず、)十(ノ)卷に、天漢河門八十有《アマノガハカハトヤソアリ》、とも見えたり、○島之埼邪伎《シマノサキザキ》(埼(ノ)字、官本には崎と作り、)は、六(ノ)卷に、付將賜島之埼前《ツキタマハムシマノサキザキ》、十九に、佐之與良牟磯乃埼埼《サシヨラムイソノサキザキ》、などあり、島の埼毎《サキゴト》に、と云むが如し、○安利立有《アリタテル》は、安利《アリ》は、在通《アリガヨフ》など云、在《アリ》にて、在々《アリ/\》て立る意とせむは、事もなく穩なれど、(そは在立《アリタツ》、在通《アリガヨフ》など、人のする事のうへにのみつきて云たるを、こゝは(474)橘樹の自(ラ)植《タテ》る意なれば、いさゝかいかゞなり、)なほ思ふに、在(ノ)字の意にはあらで、あり/\と照《アカ》り植《タテ》る意にて、島山にあかる橘、などよめる如く、安利《アリ》は、橘(ノ)實の、照《テ》ることなるべし、さてその安利《アリ》てふ言は、本居氏(ノ)説に、集中に、安利伎奴《アリキヌ》とあるは、鮮《アザヤカ》なる衣なり、安利《アリ》とは、あざやかなるを云、あざやかと云も、すなはち、ありざやかなり、又俗言に、物のあざやかに見ゆるを、安利安利《アリアリ》とみゆるといふも、是(レ)なり、又月に有明と云も、夜の明方には、月の影の、殊にあざやかに見ゆる物なれば、あざやかにて明るよしにて云なり、書紀に※[〓+毛]※[登+毛]を、ありかもと訓るも鮮《アザヤカ》なるよしなり、と云る、その安利《アリ》なり、○毛知引懸《モチヒキカケ》は、黐を枝に引かくるを云なり、五(ノ)卷に、母智騰利乃可々良波志母與《モチオドリノカカラハシモヨ》、神樂歌に、みなと見田にくゞひやつをり、やつながらとろちなや云々、とろちは、取黐《トロモチ》なり、○伊加流我懸《イカルガカケ》は、斑鳩《イカルガ》を枝にかけ居《スウ》るなり、斑鳩は、品物解に具に云、○此米乎懸《シメヲカケ》は、※[旨+鳥]《シメ》を枝にかけ居《スウ》るなり、※[旨+鳥]も品物解に云、この二鳥を枝に懸居て、媒鳥《ヲトリ》とするなり、さて、この二鳥は、その形よく似て、つれだちあそぶものなり、一(ノ)卷古註に、舒明天皇、伊與(ノ)温湯(ノ)宮に幸時、斑鳩《イカルガ》此米《ガシメ》二鳥、大《イタ》く集りて、稻穗を掛て、養はしめ給へることも見えたり、○己之母乎、己之父乎は、シガハヽヲ、シガチヽヲ〔十字右○〕と訓べし、シガ〔二字右○〕は、其之《ソレガ》と云意なり、之我《シガ》の言は、既く具(ク)云り、己之と書るは、十二に、高麗劔己之景迹故《コマツルギシガコヽロユヱ》、此(ノ)下に、己之家尚乎《シガイヘスラヲ》などある、これなり、(本居氏は、己之は、ワガ〔二字右○〕と訓べし、之我《シガ》は其之《ソガ》と同じ、己之は皆字の如く、おのがと云意、我之《ワガ》と云意なれば、(475)之我とは、いさゝか意異なり、といへれど、これらは斑鳩※[旨+鳥]などの、自《ミヅカラ》己《オノ》が事を、他よりいふ言なれば、シガ〔二字右○〕と訓て、其之《ソレガ》己(カ)母を、其(カ)之己父をと云意になれば、シガ〔二字右○〕と訓に妨なし、此(ノ)外に准へてしるべし、これらは、ワガ〔二字右○〕と訓ては、いとわろし、)○取久乎不知《トラクヲシラニ》は、獲(ル)事を知(ラ)ずに、といふ意なり、取久《トラク》は、取《トル》の延りたるにて、とる事と云むが如し、有《アル》を阿良久《アラク》、零《フル》を布良久《フラク》などいふに同じ、○伊蘇婆比座與《イソバヒヲルヨ》は、伊《イ》は、そへ言《コトバ》にて、そばへ居るよといふ心なり、と云説の如し、(岡部氏は、伊《イ》は阿の誤にて、遊ばひをるよとあるべし、といへり、いかゞあらむ、)與《ヨ》は歎息(ノ)辭なり、枕册子に、つねにたもとをみ、人にくらべなど、えもいはず思ひたるを、蘇婆敝《ソバヘ》たる小舍人童《コトネリワラハ》などに、引留められて、なきなどするもをかし、とある、蘇婆敝《ソバヘ》に同じかるべし、○歌(ノ)意は、近江(ノ)海の、八十と數多くの島の、埼毎に植る、橘樹の上枝に、黐を引かけ置、仲(ツ)枝にも下(ツ)枝にも斑鳩《イカルガ》と、※[旨+鳥]《シメ》との媒鳥《ヲトリ》をかけ居(ヱ)て、その父母を獲むとする事を、夢にも知ずして、何心もなく、そばへ立て遊び居るよ、さてもあはれに、いとほしの斑鳩と※[旨+鳥]や、となり、此(ノ)歌は、中山(ノ)嚴水云、こは天武天皇の、吉野に入座し後、大友(ノ)皇子の、天武天皇を襲ひ賜はむとて、しのび/\に軍の設などせさせ賜ふほど、高市(ノ)皇子、大津(ノ)皇子は、其(ノ)事を知せ賜はずて、何心も無ておはすを見て、天武天皇に、志ある臣のよみて、二人の皇子等に、諷《サト》し奉りたる歌なるべし、といへり、信にさもありなむ、崇神天皇紀、式埴安彦の邪心を起せる表《シルシ》に、少女《ヲトメ》のうたへる歌に、彌磨紀異利寐胡播椰飫廼(476)鵝烏塢志齊務苫農殊末句志羅珥比賣那素寐殊望《ミマキイリビコハヤオノガヲヲシセムトヌスマクシラニヒメナソビスモ》、とあるに、譬へたる意相似たり、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3240 王《オホキミノ》。命恐《ミコトカシコミ》。雖見不飽《ミレドアカヌ》。楢山越而《ナラユアマコエテ》。眞木積《マキツム》。泉河乃《イヅミノカハノ》。速瀬《ハヤキセニ》。竿刺渡《サヲサシワタリ》。千早振《チハヤブル》。氏渡乃《ウヂノワタリノ》。多企都瀬乎《タギツセヲ》。見乍渡而《ミツヽワタリテ》。近江道乃《アフミヂノ》。相坂山丹《アフサカヤマニ》。手向爲《タムケシテ》。吾越往者《アガコエユケバ》。樂浪乃《サヽナミノ》。志我能韓埼《シガノカラサキ》。幸有者《サキクアラバ》。又反見《マタカヘリミム》。道前《ミチノクマ》。八十阿毎《ヤソクマゴトニ》。嗟乍《ナゲキツヽ》。吾過徃者《アガスギユケバ》。彌遠丹《イヤトホニ》。里離來奴《サトサカリキヌ》。彌高二《イヤタカニ》。山文越來奴《ヤマモコエキヌ》。劔刀《ツルギタチ》。鞘從拔出而《サヤユヌキデテ》。伊香胡山《イカコヤマ》。如何吾將爲《イカヾアガセム》。往邊不知而《ユクヘシラズテ》。
 
雖見不飽《ミレドアカヌ》は、七(ノ)卷にも、雖見不飽人國山《ミレドアカヌヒトクニヤマノ》云々、とあり、○眞木積《マキツム》は、眞木の杣木を積て、泉川を下せば、かく云るなり、一(ノ)卷に、泉乃河爾持越有眞木乃都麻手乎《イヅミノカハニモチコセルマキノツマテヲ》、十一に、宮材引泉之追馬喚犬二《ミヤキヒクイヅミノソマニ》云々、などあり、○多企都《タギツ》(企は、清音の字なるに、此に用たるは、取はづして書るならむ、瀧《タギ》の宜《ギ》は、古言に必(ズ)濁る字を用ひたればなり、)は、瀧《タギ》つなり、激《タギ》るといふに同じ、○手向爲《タムケスル》は、相坂山にては、常の旅にても必(ズ)然するを、まして此(ノ)度は、配流にあひて行なれば、ゆく未、身命の平安《サキ》からむ事を願ひて、いよ/\ねもごろに奉幣せるなり、○志我能韓埼《シガノカラサキ》(埼(ノ)字、拾穗本には崎と作り、校本にも、古寫本、官本、埼作v崎(ニ)、とあり、)は、其(ノ)地の勝景を、復還(リ)來て見む、とつゞく意なり、たゞ幸《サキ》を云むために、設(ケ)出たるのみには非ず、然れども、韓埼幸《カラサキサキ》と疊りたるは、古語の妙處なり、○(477)幸有者《サキアラバ》は、吾(ガ)身命の幸くあらで、といふなり、一(ノ)卷に、樂浪之思賀乃辛埼雖幸有大宮人之船麻知兼津《サヽナミノシガノカラサキサキクアレドオホミヤヒトノフネマチカネツ》、とあるは、をの辛崎の地の、全幸《サキク》てあれど、といふなり、此は下に云如く、穗積(ノ)朝臣|配流《ナガサレ》し時の歌にて、いかで身命の平安て、吾(カ)罪を宥められなば、又反(リ)來て見む、と云なるべし、○又反見《マタカヘリミム》(見(ノ)字、元暦本になきは、脱たるなり、)は、復還(リ)來て見む、と云なり、○八十阿毎《ヤソクマゴトニ》(阿(ノ)字、元暦本に河と作るはわろし、)は、二(ノ)卷に、此道乃八十隈毎《コノミチノヤソクマゴトニ》云々、とある處に云り、○彌遠丹《イヤトホニ》云々(四句)は、二(ノ)卷上に引る歌に、彌遠爾里者放奴《イヤトホニサトハサカリヌ》、益高爾山毛越來奴《イヤタカニヤマモコエキヌ》云々、廿(ノ)卷に、伊也等保爾國乎伎波奈例《イヤトホニクニヲキハナレ》、伊夜多可爾山乎故要須疑《イヤタカニヤマヲコエスギ》云々、などあり、○劔刀《ツルギタチ》云々(二句)は、伊香胡《イカコ》をいはむ料の序なり、かくつゞくる意は、刀を拔(キ)出て、伊撃《イカク》といふ謂なり、伊《イ》はそへ言にて、撃《カク》は、崇神天皇(ノ)紀に、八廻撃刀《ヤタビタチカキス》とあり、○伊香胡山《イカコヤマ》は和名抄に、近江(ノ)國伊香(ノ)郡伊香(ノ)郷、(伊加古《イカコ》)とあり、そこにある山なり、八(ノ)卷に、伊香山野邊爾開有《イカコヤマヌヘニサキタル》云々、さてかく云て、即(チ)次の如何《イカヾ》をいはむ料とせり、○往邊不知而《ユクヘシラズテ》は、身の安《ヤスム》じ留らむといふ、終の往方をも知ずして、いかゞ吾せむ、おぼつかなしや、との謂なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3241 天地乎《アメツチヲ》。歎乞?《ナゲキコヒノミ》。幸有者《サキクアラバ》。又反見《マタカヘリミム》。思我能韓埼《シガノカラサキ》。
 
天地《アメツチ》は、天(ツ)神地(ツ)祇なり、かく天(ツ)神地(ツ)祇を、天地とのみ云る由は、既く一(ノ)卷藤原(ノ)宮役民(ガ)歌に、天地毛縁而有許曾《アメツチモヨリテアレコソ》、とあるに付て、具く云り、○歎乞?(歎(ノ)字、舊本に難と作《カケ》るは誤なり、本居氏の説(478)に從て改めつ、)は、ナゲキコヒノミ〔七字右○〕と訓べし、○埼(ノ)字、校本に、古寫本作v崎、とあり、○歌(ノ)意は、身の凶事を歎き悲みて、天(ツ)神地(ツ)祇に、慇懃に乞願ひ、奉幣り祈禧りたる驗ありて、身命の平安て、遂に吾(カ)罪を宥められなば、この志賀の韓埼の風景を、又返り來て見むぞ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
舊本此に、但此(ノ)短歌者、(短(ノ)字、古寫一本にはなし、)或書(ニ)云、穗積(ノ)朝臣老、配2於佐渡(ニ)1之時作歌者也、と註せり、(拾穗本には、右二首(ノ)三字なくして、但此より下八字を、一云此一首、とありて、者也の者(ノ)字なし、)眞に然るべし、但し短歌のみ、老の作とせるは誤にて、なほ長歌反歌共に、同人の同時によめるなるべし、續紀に、養老六年正月癸卯朔壬戌、坐3正五位上穗積(ノ)朝臣老指2斥(ニ)乘輿(ヲ)1、處(セラル)2斬刊(ニ)1、而依2皇太子(ノ)奏(ニ)1、降2死一等(ヲ)1、配2流於佐渡(ノ)島(ニ)1、と見ゆ、今かく平安て、いかで又反見むことを祈願《コヒノミ》し誠心《マゴヽロ》を、神祇《アメツチ》もうづなひ給へればこそ、はたして天平十二年六月十五日、大2赦穗積(ノ)朝臣老等五人(ヲ)1、召(テ)令v入v京(ニ)、と續紀に見えたれ、また同十六年、難波(ノ)宮に幸し時、老等五人を、恭仁(ノ)宮(ノ)留守と爲給ふことも見えたれば、たゞしき人にてこそありけむを、讒などに依て、さきには配流《ナガサ》れたるにもやわらむ、三(ノ)卷同人(ノ)歌に、吾命之眞幸有者亦毛將見志賀乃大津爾縁流白浪《ワガイノチノマサキクアラバマタモミムシガノオホツニヨスルシラナミ》、これ同時に作る者ならねど、似たる歌なり、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3242 百岐年《モヽヅタフ》。三野之國之《ミヌノクニノ》。高北之《タカキタノ》。八十一隣之宮爾《ククリノミヤニ》。日向爾行靡闕矣《ツキニヒニユカマシサトヲ》。有登聞而《アリトキヽテ》。(479)吾通道之《ワガカヨヒヂノ》。奧十山《オキソヤマ》。三野之山《ミヌノヤマ》。靡得《ナビケト》。人雖跡《ヒトハフメドモ》。如此依等《カクヨレト》。人雖衝《ヒトハツケドモ》。無意山之《コヽロナキヤマノ》。奧礒山《オキソヤマ》。三野之山《ミヌノヤマ》。
 
百岐年《モヽヅタフ》は、もと百傳布《モヽヅタフ》とありけむを、傳布を岐年に誤れるなるべし、さてこれも、百と多くの處々を、經傳ひ行(ク)御野と云意にて、集中に、百傳布八十之島廻《モヽヅタフヤソノシマミ》といひ、古事記に、毛々豆多布都奴賀《モヽヅタフツヌガ》、書紀に、百傳度逢縣《モヽヅタフワタラヒガタ》、などあるに、同じかるべし、(冠辭考に、百岐年は、百詩年の誤、モモシネ〔四字右○〕にて、百小竹《モヽシヌ》の意なり、と云るは、誤なり、小竹をシネ〔二字右○〕と云ること、集中はさらにて、他の古書にも、見えたる事なきをや、)○高北《タカキタ》は、泳(ノ)宮のあたりの總名なるべし、○八十一隣之宮《クヽリノミヤ》は、景行天皇(ノ)紀に、四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸2美濃(ニ)1云々、居2于泳(ノ)宮(ニ)1泳宮此云2區玖利能彌椰《ククリノミヤト》1、とあり、谷川氏云(ク)、八十一隣(ハ)、即(チ)惠奈(ノ)郡(ノ)郷名、今猶名2於池鯉1云、夫木集に、いと妬し泳の宮の池に住鯉ゆゑ人に欺かれつゝ、又云、頼め但泳の池に住と聞(ク)鯉こそ常の知邊とはなれ、久々《クヽ》を八十一と書るは、之《シ》を二々、之々《シヽ》を十六と書るに同じ、○日向爾は、通難《キコエガタ》し、(古來の説は依がたし、)按(フ)に、日月爾とありLを、ゆくりなく書誤たるか、さらはツキニヒニ〔五字右○〕と訓べし、○行靡闕矣、これも通難きを、(説々あれども、依がたし、)強て思ふに、行麻死里矣とありしを、麻死の草書二字を、靡と見て誤り、里の草書を闕と見て誤れるならむか、さらばユカマシサトヲ〔七字右○〕と訓べし、六(ノ)卷に、眞葛延春日之山者《マクズハフカスガノヤマハ》云々、馬名目面往益里乎《ウマナメテユカマシサトヲ》云々、とあり、さて泳(ノ)宮に、行(カ)まし里を有と聞てと云こ(480)とは、少しいかゞなれど、泳(ノ)宮と云は、廣く其(ノ)地の名となれるなれば、其(ノ)宮地にある愛《メデ》たき里を、ありと聞けるよしなるべし、かくて里と云たるは、大かたに云るにて、實には、其(ノ)里に美麗人《ウルハシキヒト》のありと聞て、月に日に、行通はま欲くするなるべし、○吾通道之《ワガカヨヒヂノ》、七(ノ)卷に、妹所等我通路細竹爲酢寸我通靡細竹原《イモガリトワガカヨヒヂノシヌススキワレシカヨハヾナビケシヌハラ》、○奧十山《オキソヤマ》は、元慶三年に、美濃(ノ)國惠那郡の於吉蘇《オキソ》、小吉蘇《ヲキソ》二村を、信濃(ノ)國につけられしこと見ゆれば、即(チ)於吉蘇《オキソ》山なり、さて此(ノ)歌の比は、美濃なれば、かくよめるなり、かくてかの、意計《オケ》、弘計《ヲケ》の皇子の御名も、古事記には、於富計《オホケ》、弘計《ヲケ》と有て、於吉蘇《オキソ》は、大吉蘇《オホキソ》の略なり、と岡部氏云り、○三野之山《ミヌノヤマ》は、美濃の中山なるべし、と契冲云り、○靡得《ナビケト》云々(四句)は、契冲、足をもて山をふみ、手をもてつく心なり、第二に、人丸の長歌の結句に、妹が門見むなびけこの山、第十二に、あしき山梢こぞりてあすよりはなびきたりこそ妹があたり見む、といへり、人はふめども、人はつけどもといふ、人は、すなはち我なりといへり、○雖跡《フメドモ》は、跡は蹈の誤寫か、されど、此(ノ)下に、石椅跡《イハセフミ》と書たれば、古(ヘ)跡蹈通(ハシ)用けむも知べからず、(契冲、ふめば跡ある故に、もしは義をもて、跡(ノ)字をかけるにや、といへり、)○無意《コヽロナキ》(無(ノ)字、元暦本になきは、脱たるなり、)は、然《サ》りとは、山も意して靡くべきに、との意を、思はせたるなり、○山之《ヤマノ》は、三言一句なり、按に、之は曾(ノ)字の寫誤にて、ヤマソ〔三字右○〕ならむか、之曾、草書混(レ)易し、此(ノ)上に、三諸者人之守山《ミモロハヒトノモルヤマ》、云々|椿花開《ツバキハナサク》、浦妙山曾泣兒守山《ウラグハシヤマソナクコモルヤマ》、此(ノ)下に、隱來之長谷之山《コモリクノハツセノヤマ》、云々|出立之妙山叙《イデタチノクハシキヤマゾ》、惜山之荒卷惜毛《アタラシキヤマノアレマクヲシモ》、又、高山與(481)海社者《タカヤマトウミコソハ》云々、人者花物曾空蝉與人《ヒトハハナモノソウツセミノヨヒト》、などある語勢と、照(シ)考(フ)べし、○歌(ノ)意は、美濃(ノ)國の泳(ノ)宮地に、美麗人《ウルハシキヲトメ》の住里ありと聞て、月毎日毎に、行まほしくおもへども、その往來路《カヨヒヂ》の中に、大吉蘇山、美濃の中山など云、ふみこえがたき、さがしき山あれば、その山を靡けとて、足もて蹈、傍(ヘ)によれとて、手もて衝ども、大吉蘇山も、美濃(ノ)山も、なびかずよらず、わがために情なの山や、となり、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3243 處女等之《ヲトメラガ》。麻笥垂有《ヲケニタレタル》。續麻成《ウミヲナス》。長門之浦丹《ナガトノウラニ》。朝奈祇爾《アサナギニ》。滿來塩之《ミチクルシホノ》。夕奈祇爾《ユフナギニ》。依來波乃《ヨリクルナミノ》。彼塩乃《ソノシホノ》。伊夜益舛二《イヤマスマスニ》。彼浪乃《ソノナミノ》。伊夜敷布二《イヤシクシクニ》。吾妹子爾《ワギモコニ》。戀乍來者《コヒツヽクレバ》。阿胡之海之《アゴノウミノ》。荒礒之於丹《アリソノウヘニ》。濱菜採《ハマナツム》。海部處女等《アマヲトメドモ》。纓有《ウナガセル》。領巾文光蟹《ヒレモテルガニ》。手二卷流《テニマケル》。玉毛湯良羅爾《タマモユララニ》。白栲乃《シロタヘノ》。袖振所見津《ソデフルミエツ》。相思羅霜《アヒモフラシモ》。
 
初三句は、序なり、○麻笥《ヲケ》は、麻を績(ミ)垂て入る笥なり、神祇式風神祭(ノ)條に、麻笥一合、大神宮式神寶の中に、金銅(ノ)麻笥二合、(口徑各三寸六分、尻徑二寸八分、深二寸二分、)銀銅麻笥一合、齋宮式に、水※[肆の旁が瓦]麻笥六口、水麻笥十一口、大甞祭式に、大麻笥四口、小麻笥六口、内藏寮式に、水麻笥五口、主殿寮式に、持麻筍二十六口、龍田風神祭(ノ)祝詞に、金能麻笥《クガネノヲケ》、など見えたり、○續麻成《ウミヲナス》(續(ノ)字、拾穗本には績と作り、)は、績麻《ウミヲ》の如く長(ク)、と云係たるなり、六(ノ)卷に、續麻成長柄之宮爾《ウミヲナスナガラノミヤニ》、とよめり、○長門(482)之浦《ナガトノウラ》は、安藝(ノ)國なり、十五に、安藝(ノ)國、長門(ノ)嶋舶2泊礒邊(ニ)1作歌、和我伊能知乎奈我刀能之麻能《ワガイノチヲナガトノシマノ》云々、また從2長門(ノ)浦1舶出之夜、仰2觀月光1作歌、などあり、○彼塩乃、(彼(ノ)字、舊本に波に誤れり、)ソノシホノ〔五字右○〕なり、益々《マス/\》と云む料なり、○伊夜益舛二《イヤマスマスニ》、四(ノ)卷に、從蘆邊滿來塩乃彌益荷念歟君之忘金鶴《アシヘヨリミチクルシホノイヤマシニオモヘカキミガウスレカネツル》、十一に、湖轉爾滿來塩能彌益二戀者雖剰不所忘鴨《ミナトミニミチクルシホノイヤマシニコヒハマサレドワスラエヌカモ》、などあり、○彼浪乃、ソノナミノ〔五字右○〕なり、重々《シク/\》と云む料なり、○阿胡之海《アゴノウミ》(之字、拾穗本には乃と作り、)は、七(ノ)卷に、吾兒之塩于爾《アゴノシホヒニ》、又、阿胡乃海之《アゴノウミノ》、とよめり、かくて、其(ノ)前後に、名兒之濱邊爾《ナゴノハマヘニ》、また奈呉乃海之《ナゴノウミノ》、と云歌を並べ載たれば、此は、契冲も云し如く、名兒の海なり、名兒は、攝津(ノ)國住吉(ノ)郡にあり、〔頭註、【長門人の云、阿胡は、長門國にまさしくあれば、其地なるべし、といへり、げに安藝より住吉までを、はるかによめりとも見えざれば、さもあるべしと、閑田隨筆にいへり、】〕○濱菜《ハマナ》は、海藻の類を云なり、礒菜などよめるも、同じたぐひなり、○海部處女等は、アマヲトメドモ〔七字右○〕と訓べし、○纓有《ウナガセル》は、古事記上(ツ)卷歌に、宇那賀世流多麻能美須麻流《ウナガセルタマノミスマル》、此(ノ)集十六に、吾宇奈雅流珠乃七條《アガウナゲルタマノナヽツヲ》、ともありて、頸に懸るを云なり、○領巾文光蟹《ヒレモテルガニ》は、領巾も光輝くばかりに、と云なり、○玉毛湯良羅爾《タマモユララニ》は、袖を振につきて、手玉の※[金+將]々《ユラ/\》鳴を云り、湯良羅は、上にも見えたり、○相思羅霜《アヒモフラシモ》は、吾(ガ)京に留置し妹を、戀しく思ひつゞくるをりしも、名兒の礒邊に、濱菜つむ、海部の美女等が形儀の、いとうるはしく思はるゝに、彼等が袖ふりて、吾を慕ふやうに見ゆるは、吾を相思ふにやあるらし、さてもなつかしや、となり、(略解に、吾(ガ)故郷の妹をこひつゝくれば、此(ノ)海部處女も、吾妹を相思ふやらむ、袖をふると(483)いふなり、といへるは、いとわろし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3244 阿胡乃海之《アゴノウミノ》。荒礒之上之《アリソノウヘノ》。小浪《サヾレナミ》。吾戀者《アガコフラクハ》。息時毛無《ヤムトキモナシ》。
 
歌(ノ)意は、小浪の重々に依來て、何時も息ぬが如く、わが妹を戀しく思ふ心の、しばしも息(ム)時なし、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3245 天橋文《アマハシモ》。長雲鴨《ナガクモガモ》。高山文《タカヤマモ》。高雲鴨《タカクモガモ》。月夜見乃《ツクヨミノ》。持有越水《モタルヲチミヅ》。伊取來而《イトリキテ》。公奉而《キミニマツリテ》。越得之早物《ヲチエシムモノ》。
 
天橋《アマハシ》は、天浮橋《アメノウキハシ》、天梯立《アメノハシダテ》など云ものゝ類にて、天上へ昇る料の橋なり、○長雲鴨《ナガクモガモ》は、嗚呼《アハレ》いかでその天橋も、長くもがなあれかし、、と希ふなり、○高山文《タカヤマモ》は、山も天上へ昇るに、いと便あるものなれば、云るなり、○高雲鴨《タカクモガモ》は、嗚呼《アハレ》いかでその高山も、高くもがなあれかし、と望《ネガ》ふなり、○持有越水は、モタルヲチミヅ〔七字右○〕と訓べし、(持越有水として、モチコセルミヅ〔七字右○〕とよめるは、わろし、荒木田氏が、今の如くによめるぞよき、)此を得て飲ば、長生《トコシナヘ》に、不老不死の齡を持つといふ變若水《ヲチミヅ》を、月讀(ノ)命の、持賜へるといふ事のありしこと、此(ノ)歌にてしられたり、(契冲、月は水の精な(484)るがゆゑに、月のたもてる、といへり、世上の禮泉だに、壽命をのぶれば、まして月中の水を得ば、いよ/\久しきよはひを、たもちぬべし、密教の中には、月中に甘露ありととけり、と云り、此は儒佛の説を本として云る事なれど、その本は、中々に吾上(ツ)代の故事の流れ行て、出來たる説にもあらむか、その本末は辨(ヘ)知(リ)がたし、)越水《ヲチミヅ》と云るは、凡て遠知《ヲチ》と云詞は、既く五(ノ)卷に云るごとく、何にても初へ返るをいふ詞にて、これを飲ば、老人も若變《ワカガヘ》る水、と云謂にていへり、六(ノ)卷、美濃(ノ)國多藝(ノ)郡多度山(ノ)美泉をよめる歌に、從古人之言來流老人之變若云水曾名爾負瀧之瀕《イニシヘヨヒトノイヒケルオイヒトノヲツチフミヅソナニオフタギノセ》、○伊取來而《イトリキテ》は、伊《イ》はそへ言にて、酌(ミ)取(リ)來て、といふなり、○公奉而《キミニマツリテ》は、公にたてまつりて、といふなり、○越得之早物は、荒木田氏云(ク)、早は牟の誤なり、ヲチエシムモノ〔七字右○〕と訓べし、令《シメ》v得《エ》2變若《ヲチ》1む物を、との謂なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3246 天有哉《アマテルヤ》。日月如《ヒツキノゴトク》。吾思有《アガモヘル》。公之日異《キミガヒニケニ》。老落惜毛《オユラクオシモ》。
 
天有哉は、古事記上(ツ)卷(ノ)歌に、阿米那流夜淤登多那婆多能《アメルヤオトタナバタノ》云々、とあると、同詞にて、さもあるべきことながら、日月に係て謂(ハ)むには、今少し打つけ言のやうに聞えて、心ゆかず、故(レ)按(フ)に、有は、照の草書〓を、〓と見て寫し誤れるならむ、既く十(ノ)卷に、有を照に誤れる例もあればなり、さらばアマテルヤ〔五字右○〕と訓べし、七(ノ)卷に、久方乃天照月者《ヒサカタノアマテルツキハ》、などあるを、思(ヒ)合(ス)べし、哉《ヤ》は助辭なり、○月(485)日如は、日月如とありけむを、倒置《オキタガヘ》たるにやあらむ、さらばヒツキノゴトク〔七字右○〕と訓べし、その謂は、此(ノ)照す日月をいふ時には、いつも比都寄《ヒツキ》といひ、年月日時をいふときには、いつも都寄比《ツキヒ》といひ分てり、とおぼえたればなり、なほその義、委く五(ノ)卷上に云るを、併(セ)見て考(フ)べし、さて日月如思《ヒツキノゴトクオモフ》とは、日と月との如く、長く久しく不v老不v死て、いつもかはらずあれかし、と思ふとの謂なり、○公之日異《キミガヒニケニ》、(公(ノ)字、拾穗本には君と作り、)は、君が日に/\といはむが如し、○老落惜毛《オユラクヲシモ》(毛(ノ)字、類聚抄、古寫本、拾穗本等には文と作り、)は、老る事の、さても惜や、となり、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、老《オユ》るを延て老良久《オユラク》と云は、戀《コフ》るを許布良久《コフラク》、取《トル》を等良久《トラク》、爲《スル》を須良久《スラク》など云が如し、(然るを後に、唯老たるを、老良久《オイラク》と云と心得て、老らくの春、老らくの友、などよめる歌どもの聞ゆるは、いみじきひがことなり、元來|老《オユ》るを伸て老良久《オユラク》といふは、後に、老る事のといふ意なり、戀らくの多きなど云は、戀る事のといふ意なるに、いづれも准へて知べし、されば老る事の春、老る事の友などとは、云まじき道理なるにて、其(ノ)非《ヒガコト》を知べし、但し古今集に、老らくの來むと云なる、とよめるは、いさゝか心得かてなるやうなれど、しからず、此は老る事の來むといふなる、といふ意なれば、老らくの春などといふとは異なり、又後撰集に、わが老らくはくやしかりける、とあるも、わが老る事は悔しかりける、といふ意なれば、たゞ老とのみ云とはたがへることなり、彼(ノ)集等の頃までは、いさゝか、言格の亂れたることの、なべてあらざるを思ふ(486)べし、そのうへ、今はオイラク〔四字右○〕と唱ふることなれど、古(ヘ)は、於由良久《オユラケ》とこそ云たれ、)○歌(ノ)意は、天照す日と月との如く、長く久しく不v老不v死て、いつも變らずあれかし、と思ふ君が、日に/\老行事の、さてもをしや、いかで此(ノ)君に、月讀(ノ)命の持腸へる、變若《ヲチ》水を得て飲しめて、長生に老ず死ず、あらせまほしきものを、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、といふ六字あり、
 
3247 沼名河之《ヌナガハノ》。底奈流玉《ソコナルタマ》。求而《モトメテ》。得之玉可毛《エシタマカモ》。拾而《ヒリヒテ》。得之玉可毛《エシタマカモ》。安多良思吉《アタラシキ》。君之《キミガ》。老落惜毛《オユラクヲシモ》。
 
沼名河《ヌナカハ》は、天安河《アメノヤスガハ》の中にある渟名井《ヌナヰ》と、同じ處を云なるべし、さるは、神代紀に、天眞名井《アメノマナヰ》とありて、其(ノ)一書に、天渟名井《アメノヌナヰ》とあり、眞名井は、眞は美稱にて、即(チ)眞渟名井《マヌナヰ》の切《ツヾマ》れるにて、同じことなり、(ヌナ〔二字右○〕はヌ〔右○〕と切れり、)さて其(ノ)井は、安河の中に、しか云處のありと見ゆるは、古事記、書紀を考(ヘ)て知べし、さて渟名と書るは借(リ)字にて、瓊之井《ヌナヰ》(之(ノ)を名《ナ》と云ことは、古言に例多し、)といふなるべし、さるは、上古より、其(ノ)井(ノ)底に瓊ありしが故に、しか名に負るなるべし、(しかるを、本居氏(ノ)古事記(ノ)傳に、渟名井は、渟は凡て水の湛たる所を云、名は、之なり、されば、たゞ井を美て云るにて、一(ツ)の井の名には非ず、といへるは、たがへり、)かくて古(ヘ)井と云しものは、今常に、ことに掘ま(487)けしをのみ云とは、いさゝか異にて、河にても泉にても、人の飲料に汲用る處の水を、凡て云名にて、其は余が別に委き考あり、されば、かの渟名井も、安河の流の中にあれば、古(ヘ)瓊之《ヌノ》井とも、瓊之河《ヌノカハ》とも、云しならむとおもはるゝなり、かしこけれども、神沼河耳命《カムヌナカハミヽノミコト》と申す御名も、此(ノ)河に依て負せたまへるなるべし、天上の地をよめる例は、集中に、天なる日賣菅原《ヒメスガハラ》、天なるや佐々良《サヽラ》の小野、などよめる類なり、(しかるを、略解に、神功皇后(ノ)紀に、大津渟中倉之長峽《オホツノヌナクラノナガヲ》、と有をもておもへば、攝津(ノ)國住吉(ノ)郡なり、といへるは、臆度説なり、)さてかくあるが中にも、天上の井をしも取出て云るは、其(ノ)人をいたく愛みて、二(ツ)なきものに云むとてなり、○得之玉可毛は、エシタマカモ〔六字右○〕と六言に訓べし、○安多良思吉《アタラシキ》は、惜《アタラシ》きなり、雄略天皇(ノ)紀(ノ)歌に、婀※[手偏+施の旁]羅斯枳偉讎謎能陀倶彌《アタラシキヰナベノタクミ》、○君之《キミガ》、三言一句なり、○老落惜毛《オユラクヲシモ》は、老る事の、さても惜《ヲ》しや、といふ意なり、上に出たり、○歌(ノ)意は、君は沼名河の底なる玉を、拾(ヒ)求て得し玉にてあらむか、あはれこよなく世にすぐれて、愛《メテ》たくうるはしき君にてあれば、其(ノ)老なむことのいとゞ惜まるゝを、年月の來經ることはすべなきものにて、さる惜しき君が、年月に老ることのさても惜しや、となり、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、
 
相聞《シタシミウタ》。【此中長歌二十九首。】
 
(488)二(ノ)字、舊本一に誤れり、○小書の八字、古寫本、拾穗本等にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3248 式島之《シキシマノ》。山跡之土丹《ヤマトノクニニ》。人多《ヒトサハニ》。滿而雖有《ミチテアレドモ》。藤浪乃《フヂナミノ》。思纏《オモヒマツハリ》。若草乃《ワカクサノ》。思就西《オモヒツキニシ》。君目二《キミガメニ》。戀八將明《コヒヤアカサム》。長此夜乎《ナガキコノヨヲ》。
 
式島之山跡之土丹《シキシマノヤマトノクニニ》、(之字、二(ツ)ながら、拾穗本には乃と作り、)此は、天(ノ)下の總號《オホナ》を云る磯城島之倭《シキシマノヤマト》にて、即(チ)天(ノ)下にと云むが如し、(大和一國のうへを云る、磯城島(ノ)倭にはあらず、)此(ノ)下に、志貴島倭國者事靈之所佐國叙《シキシマノヤマトノクニハコトタマノタスクルクニソ》云々、廿(ノ)卷に、之奇志麻乃夜末等能久爾々安伎良氣伎名爾於布等毛能乎己許呂都刀米與《シキシマノヤマトノクニヽアキラケキナニオフトモノヲココロツトメヨ》、などあるに同じ、○人多滿而雖有《ヒトサハニミチテアレドモ》は、四(ノ)卷岡本(ノ)天皇(ノ)御製歌に、人多國爾波滿而《ヒトサハニクニニハミチテ》、味村乃去來者行跡《アヂムラノサワキハユケド》、吾戀流君爾之不有者《アガコフルキミニシアラネバ》、云々十一に、打日刺宮道人雖滿行吾念公正一人《ウチヒサスミヤヂヲヒトハミチユケドアガモフキミハタヾヒトリノミ》、などある類なり、○藤浪乃《フヂナミノ》は、纏《マツハリ》へ係る枕詞なり、古今集に、外《ヨソ》に見て歸らむ人に藤の花|蔓纏《ハヒマツハ》れよ枝は折とも、○思纏《オモヒマツハリ》、源氏物語帚木に、わづらはしげに、思ひまつはすけしき見えましかば、かくもあくがらさゞらまし、○若草乃《ワカクサノ》は、句を隔て、君と云(フ)へ係る枕詞なり、○君目二《キミガメニ》、(目(ノ)字、舊本に自と作るは誤なり、今は六帖に依て改つ、)君(ガ)目を、と云に同じ、(六帖には、即(チ)此を、君が目をといへり、)君を戀と云べきを、君に戀といふ例にて知べし、さて君が容儀《スガタ》を、と云むが如し、即(チ)目といふは、所見《ミエ》の縮れるにて、さて此方の目に所見《ミユ》るは、即《ヤガ》て其(ノ)容儀なれば、いへる(489)なり、○歌(ノ)意は、天(ノ)下に人多く滿々て、東西繁く行來すれども、他の人には目もとゞまらず、心(ノ)裏より思ひまつはり、思ひ染就にし君一人の容儀を、見まほしく戀しく思ひて、長き此(ノ)夜を寐《イ》もねずして、徒に明さむか、となり、此(ノ)歌、六帖小長歌の條に載て、しき島の山跡の國に、人は多くみちて有ども、藤浪の思ひまつはし、わか草の思ひなれにし、君が目を戀や明さむ此(ノ)長き夜を、とあり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3249 式島乃《シキシマノ》。山跡乃土丹《ヤマトノクニニ》。人二《ヒトフタリ》。有年念者《アリトシモハバ》。難可將嗟《ナニカナゲカム》。
 
難《ナニ》は、假字にて、何《ナニ》なり、此(ノ)下にも、吾哉難二加《アレヤナニニカ》、とあり、○歌(ノ)意は、天(ノ)下に、わがうつくしとおもふ人の、二人とだにある物ならば、かくばかり何か嘆かむ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3250 蜻島《アキヅシマ》。倭之國者《ヤマトノクニハ》。神柄跡《カミカラト》。言擧不爲國《コトアゲセヌクニ》。雖然《シカレドモ》。吾者事上爲《アハコトアゲス》。天地之《アメツチノ》。神毛甚《カミモハナハダ》。吾念《アガオモフ》。心不知哉《コヽロシラズヤ》。往影乃。月文經徃者《ツキモヘユケバ》。玉限《タマカギル》。日文累《ヒモカサナリテ》。念戸鴨《オモヘカモ》。※[匈/月]不安《ムネヤスカラズ》。戀列鴨《コフレカモ》。心痛《コヽロノイタミ》。未遂爾《スヱツヒニ》。君丹不會者《キミニアハズバ》。吾命乃《ワガイノチノ》。生極《イケラムキハミ》。戀乍文《コヒツヽモ》。吾者將度《アレハワタラム》。犬馬鏡《マソカヾミ》。正目君乎《タヾメニキミヲ》。相見天者社《アヒミテバコソ》。吾戀八鬼目《アガコヒヤマメ》。
 
(490)蜻島倭之國者《アキヅシマヤマトノクニハ》は、此も天(ノ)下の總號を云るにて、吾(ガ)天皇の知しめす、此(ノ)天(ノ)下皇朝は》、と云むが如し、○神柄跡《カミカラト》は、神故《カミユヱ》とゝ云に同じ、柄《カラ》を清て唱べし、(略解に、柄を濁りて、是は左に出せる人麻呂(ノ)家集に、同言を神在隨と書しにょるに、神ながらと云に同じく、皇御國《スメラミクニ》は即(チ)神にて在まゝにと云意なり、といへるは、いみじきひがことなり、神柄《カミカラ》と、神隨《カムナガラ》とは、元來別言なるをや、(六(ノ)卷初に、三芳野之蜻蛉乃宮者《ミヨシヌノアキヅノミヤハ》、神柄香貴將有《カミカラカタフトクアラム》、國柄鹿見欲將有《クニカラカミガホシカラム》、○言擧不爲國《コトアゲセヌクニ》は、まづ言擧とは、言語《コトノハ》に擧て、かにかく云たつるを云言なり、さて皇朝は、即(チ)神にて、座ますが故に、萬(ヅ)平穩《オタビ》にして、何の言擧をも爲ぬ國なるぞ、と云なり、○雖然吾者事上爲《シカレドモアハコトアゲス》とは、皇朝は萬(ツ)平穩にして、何の言擧をも爲ぬ國なり、然はあれども、吾は止事を得ずして、かにかくにいひ立て、言擧をするぞと、ことわれるなり、さてその言擧は、即(チ)此(ノ)下に云る條々、其(レ)なり、○神毛甚《カミモハナハダ》云々(毛(ノ)字、元暦本、拾穗本等には文と作り、)は、神も吾(ガ)甚《ハナハダ》しく念ふ心を知ずやの意なり、甚の言は、念(フ)へ屬て聞べし、吾(カ)甚しく念ふ心(ノ)底を、天地の神のしろしめしたらば、あはれみて、その驗もあるべきに、さもなきは、神も知賜はずやあるらむ、との意なり、○往影乃は、ユクカゲノ〔五字右○〕とては、通え難し、本居氏、こゝは必アラタマノ〔五字右○〕と有べき所なり、往影は誤字なるべし、其(ノ)字は考べし、といへり、○玉限《タマカギル》は、枕詞なり、別に委(キ)考(ヘ)あり、○念戸鴨《オモヘカモ》は、念へばかの意なり、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、○戀列鴨《コフレカモ》(列(ノ)字拾穗本には烈と作り、)は、戀しく思へばかの意なり、毛《モ》は上なるに同じ、○犬馬鏡《マソカヾミ》は、喚犬追馬(491)鏡を略(キ)書り、○正目君乎《タヾメニキミヲ》は、佛足石碑(ノ)御歌に、與伎比止乃麻佐米爾美祁牟《ヨキヒトノマサメニミケム》云々、とあれば、マサメニキミヲ〔七字右○〕とも訓べし、○相見天者社《アヒミテバコソ》は、相見たらばこその意なり、○吾戀八鬼目《アガコヒヤマメ》は、吾(カ)戀しく思ふ心の止(マ)め、となり、契冲、鬼を、まとよめるは、魔の心なるべし、と云り、今按(フ)に、こは魔の上畫の落たるにもあるべし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3251 大舟能《オホブネノ》。思憑《オモヒタノメル》。君故爾《キミユヱニ》。盡心者《ツクスコヽロハ》。惜雲梨《ヲシケクモナシ》。
 
君故爾《キミユヱニ》は、多くは、君なる物をといふ意に、心得ることなれど、此《コヽ》は尋常の如く、君なるが故にの意なり、(略解に、こゝなるをも、君なるものをの意とせるは、いみじきひがことなり、)○惜(ノ)字、舊本に情と作るは誤なり、今は古寫本、古寫小本、拾穗本等に從つ、元暦本には、〓と作り、○歌(ノ)意は、今こそ絶て得逢ざれども、末遂には、逢むものぞと、念ひ憑める君なるが故に、かにかくに念盡す心の、惜けくもあらず、となり、さて此(ノ)歌は、長歌に依に、故ありて中絶たる間によめるなり、さらずば、思憑とはいふべからず、
 
3252 久堅之《ヒサカタノ》。王都乎置而《ミヤコヲオキテ》。草枕《クサマクラ》。羈往君乎《タビユクキミヲ》。何時可將待《イツトカマタム》。
 
久竪之《ヒサカタノ》は、枕詞なり、王都《ミヤコ》と云に、此(ノ)詞を冠せたるは、皇都をば、高天(ノ)原になずらへて、やがて天とも云故に、(都人を天人《アメヒト》とも集中にいへり、)天といふに冠らせたるに同じ意なり、御國の古(492)名を、天御虚空豐秋津根別《アマノミソラトヨアキヅネワケ》、とも云て、やがて此(ノ)國を、天上になずらへたるを思(フ)べし、○歌(ノ)意は、皇都を、外にさし置見すてゝ、遠(キ)境に旅行君が、いつ歸り來まさむと思ひて、待居むぞ、となり、按(フ)に、此(ノ)歌は、旅行を送るときによめる歌にて、右の反歌にはあらず、亂れて此《コヽ》に入しものならむ、
 
柿本朝臣人麿歌集歌曰《カキノモトノアソミヒトマロガウタフミノウタニイハク》。
 
拾穗本には、一首并短歌柿本朝臣人麻呂、とあり、
 
3253 葦原《アシハラノ》、水穗國者《ミヅホノクニハ》。神在隨《カムナガラ》。事擧不爲國《コトアゲセヌクニ》。雖然《シカレドモ》。辭擧叙吾爲《コトアゲゾアガスル》。言幸《コトサキク》。眞福座跡《マサキクマセト》。恙無《ツヽミナク》。福座者《サキクイマサバ》。荒礒浪《アリソナミ》。有毛見登《アリテモミムト》。百重波《イホヘナミ》。千重浪敷爾《チヘナミシキニ》。言上爲吾《コトアゲゾアガスル》。
 
葦原水穗國者《アシハラノミヅホノクニハ》は、皇朝者と云むが如し、葦原(ノ)水穗(ノ)國は、吾(カ)天下を總(ヘ)云る古名なり、○神在隨《カムナガラ》は、水穗(ノ)國は、やがて神にて在《マシ》ます隨《マヽ》に、といふ意なり、○言幸《コトサキク》は、言は借(リ)字にて、事幸なり、○眞福座跡《マサキクマセト》にて暫く絶(リ)て、眞幸く座と言擧ぞ吾《ガ》する、と上へかへる意なり、○荒礒浪《アリソナミ》は、有をいはむ料なり、○有毛見登《アリテモミムト》は、有は有(リ)有(リ)にて、有ながらへて、久しく相見むとて、といふなり、○百重浪の上、五(ノ)字脱たるならむ、さらばイホヘナミ〔五字右○〕と訓べし、○千重浪敷爾《チヘナミシキニ》(敷爾の二字、舊本下上に誤れり、)は、三(ノ)卷に、一日爾波千重浪敷爾雖念《ヒトヒニハチヘナミシキニオモヘドモ》、とあり、敷《シキ》は重《シキリ》になり、書紀に、重浪《シキナミ》、重播種子《シキマキ》など見えたり、○言上爲吾は、(コトアゲスルワレ〔八字右○〕、とよみたれど、よろしからず、)按(フ)に、こは上の下叙(ノ)(493)字を脱し、さて吾爲とありしを、下上に誤れるにて、上の如く、コトアゲゾアガスル〔九字右○〕と有べきなり、○歌(ノ)意は、皇朝はやがて神にて座ますまゝに、萬(ヅ)平穩にして、何の言擧も爲ぬ國なり、然はあれども、君を思ふ心の堪がたくして、平安《サキ》くいませと言擧をぞする、其(ノ)君が恙なく平安くていまさば、在ながらへて、久しく相見むとてこそ、幾度といふかぎりもなく、重々にかくは言擧をするなれ、となり、此(ノ)歌は、相思ふ人の平安《サキカラ》むことをおもひてよめるなるべし、(略解に、老人をことぶく歌なるべし、と云るは、いさゝかたがへり、)十一に、我勢古波幸座遍來我告來人來鴨《ワガセコハサキクイマストタビマネクアレニツゲツヽヒトモコヌカモ》、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3254 志貴島《シキシマノ》。倭國者《ヤマトノクニハ》。事靈之《コトタマノ》。所佐國叙《タスクルクニゾ》。眞福在與具《マサキクアリコソ》。
 
事靈《コトタマ》は、事は借(リ)字にて、言靈なり、人の言語に、自(ラ)奇妙靈《クスシキタマ》のあるを云なり、既く此(ノ)言は、五(ノ)卷にも見えて、具(ク)云り、○佐(ノ)字、一本には佑と作り、○眞福在與具《マサキクアリコソ》は、いかで眞福くてがなあれかし、と願ふなり、己曾《コソ》に、與具と書るは、未(タ)其(ノ)意を詳に知ず、十(ノ)卷にも、妹告與具《イモニツゲコソ》、とあり、○歌(ノ)意は、皇朝は、言語の神靈の佐くる國なるぞ、わが言擧するまゝに、わがおもふ人の、いかで眞福くてがな在(レ)かし、となり、
 
右五首《ミギイツウタ》。
 
(494)五(ノ)字、古寫本には二と作り、此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3255 從古《イニシヘヨ》。言續來口《イヒツギクラク》。戀爲者《コヒスレバ》。不安物登《ヤスカラヌモノト》。玉緒之《タマノヲノ》。繼而者雖云《ツギテハイヘド》。處女等之《ヲトメラガ》。心乎胡粉《コヽロヲシラニ》。其將知《ソヲシラム》。因之無者《ヨシノナケレバ》。夏麻引《ナツソビク》。命號貯《オモヒナヅミ》。借薦之《カリコモノ》。心文小竹荷《コヽロモシヌニ》。人不知《ヒトシレズ》。本名曾戀流《モトナソコフル》。氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》。
 
言續來口《イヒツギクラク》は、言續傳へて來るやうは、と云が如し、○玉緒之《タマノヲノ》は、枕詞なり、○胡粉《シラニ》は、不知《シラ》にの借(リ)字なり、集中に、白土《シラニ》と書るに同じ、十一に、佐保乃内從《サホノウチヨ》云々|爲便胡粉歎夜衣大寸《セムスベシラニナゲクヨソオホキ》、とあり、○夏麻引《ナツソビク》は、借(リ)字にて、魚釣※[糸+昏]挽《ナツソビク》なり、七(ノ)卷上に、委(ク)説るを合(セ)見て考(フ)べし、さて此は海の枕詞にて、七(ノ)卷に一首、十四に二首出たるに、皆、海とのみ續きたるを思へば、此(ノ)歌も海某とありけむを、此間に、二句ばかり落たるにや有(ラ)む、されどもとのまゝにて、強て説ば、まづ魚釣※[糸+昏]《ナツソ》とは、かの釣(リ)繩とて、いと長き繩に、あまたの枝※[糸+昏]《エダソ》をつけ、その※[糸+昏]へ鉤をつけて、遠く海面《ウミヅラ》にうち延《ハヘ》おきて、鉤をくひたる魚を獲《トル》をいひて、さてその繩をひきよせあぐるを、挽《ヒク》といふことなれば、あまたの枝※[糸+昏]の鉤に、魚のくひ付たるは、挽よするに、急速により來がたきよしにて、なづむといふに、つゞけたるにもやあらむ、○命號貯は、(舊訓に、ミコトヲツミテ〔七字右○〕とあるは、よしなし、又冠辭考の説は論に足す、契冲が、いのちなづみて、とよめるも、心ゆかず、)命(ノ)字は、拾穗本には兮、異(495)本には方と作り、共に念の誤なるべし、貯は、玉篇に積也、とあれば、ツム〔二字右○〕と訓に論なければ、オモヒナヅミ〔六字右○〕と訓べし、思ひわづらひ、と云むが如し、○借薦之《カリコモノ》は、枕詞なり、靡《シヌ》といふに係れり、○心文小竹荷《コヽロモシヌニ》は、心も靡《シナ》やぎて、といふ意なり、三(ノ)卷に、淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努爾古所念《アフミノミユフナミチドリナガナケバコヽロモシヌニイニシヘオモホユ》とあり、○人不知《ヒトシレズ》は、世(ノ)人に知(ラ)れず、しのび/\にといふなり、(略解に、人しれずは、戀る人にもしれぬを云、と云るはわろし、)○本名曾戀流《モトナソコフル》は、むざ/\と戀しく思ふよしなり、本名《モトナ》の言は、既く云つ、○氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》は、命に懸てと云意なり、氣之緒爾本名《イキノヲニモトナ》ぞ戀るの謂なり、氣之緒《イキノヲ》は、既く云つ、四天《シテ》は、輕く添たる言なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3256 數數丹《シバシバニ》。不思人者《オモハズヒトハ》。雖有《アラメドモ》。暫文吾者《シマシクモアハ》。忘枝沼鴨《ワスラエヌカモ》。
 
數數舟は、シバ/\ニ〔五字右○〕と訓べし、(略解に、數々は、敷々の誤かといへるは、いかにぞや、さて古今集に、かず/\に思ひ思はず問がたみ、とあるをはじめて、かず/\に思ふと云る事の多きは、もとこの數々を、かず/\と訓誤れるより、出たる言にやわらむ、)○人者《ヒトハ》は、(者(ノ)字、古寫本に〓と作るは、※[匡の王が口]なるべし、字彙に、※[匡の王が口](ハ)普火切、音頗、と註せり、拾穗本に、匹と作るはいかゞ、)女はと云むが如し、○暫文吾者(暫(ノ)字、古寫本には※[斬/足]と作り、)は、シマシクモアハ〔七字右○〕と訓べし、暫を、古言にシマシク〔四字右○〕と云る例、既く具く云り、○忘枝沼鴨《ワスラエヌカモ》は、怠られぬ哉なり、○歌(ノ)意は、女は吾(カ)事を、數々(496)に心にかけて思はずあるらむ、されど吾は、暫がほども、女のことをば、さても得忘られぬ事哉、となり、(略解に、世(ノ)間の人の中には、かく重々《シク/\》に、物思はで在もあるらめどもなり、と云るはわろし、
 
3257 直不來《タヾニコズ》。自此巨勢道柄《コヨコセヂカラ》。石椅跡《イハバシフミ》。名積序吾來《ナヅミゾアガコシ》。戀天窮見《コヒテスベナミ》。
 
直不來《タヾニコズ》は、猶道を來ずして、廻道を來るを云り、○自此巨勢道柄《コヨコセヂカラ》は、此處《コヽ》より越といふ意に、云かけたるにて、此處より、山岡などを越て、巨勢道よりと謂《イヘ》るなり、柄《カラ》は從《ヨリ》といふに同じ、十(ノ)卷に、霍公鳥宇能光邊柄鳴越來《ホトヽギスウノハナヘカラナキテコユナリ》、十一に、守山邊柄《モルヤマヘカラ》、また直道柄《タヾチカラ》、此(ノ)下に、此山邊柄《コノヤマヘカラ》、十四に、安受倍可良《アズヘカラ》、十七に、乎可備可良《ヲカビカラ》、古今集物(ノ)名(ノ)部に、浪(ノ)花おきからさきてちり來めり云々、○石椅跡《イハバシフミ》は、石椅《イハバシ》は、石橋《イシバシ》なり、跡は、蹈と通(ハシ)用たること、上に見えたり、(椅を、橋に通(ハシ)用ひたることは、既く云り、)但し此(ノ)歌、下に再(ヒ)出たるには、石瀬蹈《イハセフミ》とあり、これに依ば、椅は、矢橋をヤバセ〔三字右○〕と訓ごとく、ハセ〔二字右○〕と訓て、さて石椅《イハハセ》は、イハセ〔三字右○〕と縮《ツヾマ》れば、石瀬の借(リ)字とせるならむ、さらば能登瀬河などの石瀬なるべし、石橋《イシバシ》にても、また同じ、○歌(ノ)意は、思ふ心のすべなさのあまりに、早く來らむとは思へども、その直に通ふ道は、人目のいみはゞからしきが故に、廻り道をして、山岡などを越て、巨勢道より、河道にわたせる石椅を蹈(ミ)、艱難《カラク》してぞ來りし、となり、長歌には、人しれず、命にかけて戀しく思ふよしを云て、其(ノ)思のあまりにすべなさに、遂に人目をしのびて、艱難して來(497)りし、と云るなり、七(ノ)卷に、春霞井上從直爾道者雖有君爾將相登他回來毛《ハルカスミヰノヘユタヾニミチハアレドキミニアハムトタモトホリクモ》、○拾穗本には、此(ノ)一首、及(ビ)下の或本以下、四十八字なし、
〔或本以2此歌一首1。爲2之紀伊國之濱爾縁云鰒珠拾爾登謂而往之君何時到來歌之反歌1也、具見v下也。但依2古本1亦累載v茲。〕○校本に、古寫本(ニ)、而(ノ)下有2妹乃山勢能山越而(ノ)八字1、と云り、○但依已下八字、古寫本にはなし、
ミギフタウタ
右二首《》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3258 荒玉之《アラタマノ》。年者來去而《トシハキサリテ》。玉梓之《タマヅサノ》。使之不來者《ツカヒノコネバ》。霞立《カスミタツ》。長春日乎《ナガキハルヒヲ》。天地丹《アメツチニ》。思足椅《オモヒタラハシ》。帶乳根笶《タラチネノ》。母之養蚕之《ハヽノカフコノ》。眉隱《マヨゴモリ》。氣衝渡《イキヅキワタリ》。吾戀《アガコフル》。心中少《コヽロノウチヲ》。人丹言《ヒトニイハム》。物西不有者《モノニシアラネバ》。松根《マツガネノ》。松事遠《マツコトトホミ》。天傳《アマヅタフ》。日之闇者《ヒノクレヌレバ》。白木綿之《シロタヘノ》。吾衣袖裳《ワガコロモテモ》。通手沾沼《トホリテヌレヌ》。
 
荒玉之《アラタマノ》は、枕詞なり、○年者來去而は、トシハキサリテ〔七字右○〕と訓べし、(キユキテ〔四字右○〕とよめるはわろし、略解に、來ゆきは、年の行過るを云て、古事記に、年はきへゆくとあるに同じ、と云るは、あらず、)去《サリ》は、春去者《ハルサレバ》、夕去者《ユフサレバ》、又、有去而《アリサリテ》など云|去《サリ》にて、年月日時の經行を云なり、さてもとは、春去者《ハルサレバ》は、春し有者《アレバ》、夕去者《ユフサレバ》は、夕し有者《アレバ》と云ことの縮りたるなれど、既く云なれて後は、即《ヤガテ》年月日時の經行を、いふ稱となれるなり、されば來さりとも云べきことなり、(又去(ノ)字は、在の草書を誤り(498)たるにて、トシハキタリテ〔七字右○〕ならむかとも、おもひしかども、さにはあらず、)○玉梓之《タマヅサノ》(梓(ノ)字、元暦本に〓と作るほ誤なり、)は、二(ノ)卷下に委(ク)云り、○天地丹思定椅《アメツチニオモヒタラハシ》は、天地の極なく廣き間にも、滿足はして、戀しく思ふ意にて、思の甚じきを云なり、古今集に、吾戀は空しき虚に滿ぬらし、とよめると、同じこゝろばえなり、○帶乳根笶《タラチネノ》は、枕詞なり、○母之養蚕之眉隱《ハヽノカフコノマヨゴモリ》(養(ノ)字、元暦本には〓と作り、蚕(ノ)字、拾穗本には蠶と作り、)は、蚕の眉に隱れるごとく、欝《イブセ》く氣《イキ》づき思ふよしなり、十二に、垂乳根之母我養蚕乃眉隱馬聲峰音石花蜘※[虫+厨]荒鹿異母二不相而《タラチネノハヽガカフコノマヨゴモリイフセクモアルカイモニアハズテ》、とあり、今は、このいぶせくと云意を、もたせて云るな一り、十一に、足常母養子眉隱《タラチネノハヽガカフコノマヨゴモリ》、隱在妹見依鴨《コモレルイモヲミムヨシモガモ》、これは、女の奥深く隱れるを云るにて、いさゝか異なり、○心中少《コヽロノウチヲ》、(少(ノ)字、拾穗本には乎と作り、)少は乎《ヲ》の借(リ)字なり、(略解に、少は乎の誤かと、云れど、他處にも例あり、)○松根《マツガネノ》は、待をいはむ料なり、○松事遠《マツコトトホミ》は、待事の待遠なるが故にの意なり、松は、待の借(リ)字なり、○天傳《アマヅタフ》は、枕詞なり、○白木綿之は、木綿は、幣の誤にやと云り、シロタヘノ〔五字右○〕と訓べし、○通手沾沼《トホリテヌレヌ》は、裏《シタ》に着《キ》たる衣まで、通りて沾ぬ、となり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3259 加是耳師《カクノミシ》。相不思有者《アヒモハザラバ》。天雲之《アマクモノ》。外衣君者《ヨソニソキミハ》。可有有來《アルベクアリケル》。
 
如是耳師《カクノミシ》は、如是許《カクバカリ》といはむが如し、師《シ》はその一(ト)すぢなる事を、おもく思はする辭なり、耳師《ノミシ》(499)と連けたるは、九(ノ)卷に、是如耳志《カクノミシ》、十一に、常如是耳志《ツネカクノミシ》、などあるに同じ、○天雲之《アマクモノ》は、外《ヨソ》といはむための枕詞なり、○歌(ノ)意は、かくばかり相思はずして、吾獨にすべなく、一(ト)すぢに戀しく思はせむとならば、中々にはじめより相知ず、よそ人にて、あるべかりけるものを、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3260 小沼田之《ヲハリタノ》。年魚道之水乎《アユチノミヅヲ》。間無曾《マナクゾ》。人者※[手偏+邑]云《ヒトハクムチフ》。時自久曾《トキジクソ》。人者飲云《ヒトハノムチフ》。※[手偏+邑]人之《クムヒトノ》。無間之如《マナキガゴト》。飲人之《ノムヒトノ》。不時之如《トキジクガゴト》。吾妹子爾《ワギモコニ》。吾戀良久波《アガコフラクハ》。已時毛無《ヤムトキモナシ》。
 
小沼田之《ヲハリタノ》、略解に、續紀に、尾張(ノ)國山田(ノ)郡、小治田(ノ)連藥師等、賜2姓尾張(ノ)宿禰(ヲ)1、と有(リ)、山田愛智二郡は隣なれば、小治田の愛智ともいふべし、されば、沼は、治の誤なるべし、こゝにことなる冷水《マシミヅ》の有しなるべし、と云り、(現存六帖に、さきだてる沼田のわせを刈はてゝ年魚道の水はあらはれにけり、とあるは、字の誤れるをしらで、よめるなるべければ、證とするに足ず、)今按(フ)に、小治田(ノ)連は、地名を氏とせる人なるべければ、小治田は、山田(ノ)郡にあることしられたり、さてその小治田といふは、もと廣き地にて、愛智(ノ)郡の冷水の有しあたりまで亙《カケ》て、呼るにぞありけらし、されば、この歌に、かくはよめるならむ、(略解はいさゝか言足はぬ故に、今按をそへいへり、)○時自久曾《トキジクソ》は、時ならずそにて、何時もの意なり、○吾戀良久波《アガコフラクハ》は、吾(ガ)戀しく思ふ心はと云む(500)が如し、○歌(ノ)意は、小治田の愛智に出る、ことなる冷水を愛て、何時といふ定りもなく、常に間もなく人の掬飲が如くに、わが妹を戀しく思ふ心は、しばしも息(ム)時はさらになし、となり、此(ノ)歌・は、此(ノ)下に載たる、三吉野之御金高爾《ミヨシヌノミガネノタケニ》云々、の長歌と、全《モハラ》同體なり、又一(ノ)卷なる、天武天皇の、三吉野之耳我嶺爾《ミヨシヌノミガネノタケニ》云々の、大御歌も同じ、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3261 思遣《オモヒヤル》。爲便乃田付毛《スベノタヅキモ》。今者無《イマハナシ》。於君不相而《キミニアハズテ》。年之歴去者《トシノヘヌレバ》。
 
歌(ノ)意は、妹に得逢ずして年の經ぬれば、思を遣(リ)失ふべき爲方《シカタ》の便も、今はさらになし、となり、○舊本こゝに、今按、此反歌、謂2之於君不相1者、於理不v合也、宜v言2於妹不相1也、と註せり、(拾穗本には、君(ノ)字當v作v妹と註せり、)これ後人の註ながら宜し、但女をさして君と云ことも、むげに其(ノ)理なしとには非ざれども、いかさまにも、此(ノ)歌にては、妹とあるべくおぼゆ、十二に、第三句已下を、吾者無不相數多月之經去者《アレハナシアハズテマネクツキノヘヌレバ》、とて載たり、思ふに、この歌、右の反歌にはあらざるべきを、混てこゝに入しにや、
 
或本反歌曰《アルマキノカヘシウタニイハク》。
 
此(ノ)五字、拾穗本にはなし、
 
3262 ※[木+若]垣《ミヅカキノ》。久時從《ヒサシキトキヨ》。戀爲者《コヒスレバ》。吾帶緩《アガオビユルブ》。朝夕毎《アサヨヒゴトニ》。
 
(501)※[木+若]垣《ミヅカキノ》(※[木+若](ノ)字、拾穗本に、※[木+爰]と作るは,いかゞ、)は、枕詞なり、既く四(ノ)卷に具(ク)註せり、○吾帶緩《アガオビユルブ》(緩(ノ)字、舊本に綾と作るは誤なり、今は古寫本、古寫小本、拾穗本、活本等に從つ、)は、戀痩(ス)る容を云るなり、四(ノ)卷に、一重耳妹之將結帶乎尚三重可結吾身者成《ヒトヘノミイモガムスバムオビヲスラミヘムスブベクアガミハナリヌ》、九(ノ)卷に、一重結帶矣三重結《ヒトヘユフオビヲミヘユヒ》、苦侍伎爾仕奉而《クルシキニツカヘマツリテ》云々、などある類なり、(遊仙窟に、日々衣寛朝々帶緩、とあるも、同じこゝろなり、)此(ノ)下にも、此(ノ)意の歌見えたり、○歌(ノ)意は、久しき時より戀しく思へば、その思ひに疲れて、漸痩細り行まゝに、朝々夕々に、結べる帶の緩びまさる、となり、
 
右三首《ミギミウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3263 己母理久乃《コモリクノ》。泊瀕之河之《ハツセノカハノ》。上瀬爾《カミツセニ》。伊※[木+兀]乎打《イグヒヲウチ》。下瀬爾《シモツセニ》。眞※[木+兀]乎挌《マクヒヲウチ》。伊※[木+兀]爾波《イクヒニハ》。鏡乎懸《カヾミヲカケ》。眞※[木+兀]爾波《マクヒニハ》。眞玉乎懸《マタマヲカケ》。眞珠奈須《マタマナス》。我念妹毛《アガモフイモモ》。鏡成《カヾミナス》。我念妹毛《ワガモフイモモ》。有跡《アリト》。謂者社《イハバコソ》。國爾毛《クニニモ》。家爾毛由可米《イヘニモユカメ》。誰故可將行《タガユヱカユカム》。
 
※[木+兀](ノ)字、拾穗本には※[木+厥]と作り、下なるもみな同じ、(説文に、※[木+厥](ハ)杙《クヒ》也、と云、爾雅釋宮に、※[木+織の旁]謂2之杙(ト)1、註(ニ)※[厥/木]也、と見え、玉篇に、※[木+兀](ハ)木無v枝也、とありて、杙《クヒ》とは別なれど、此方の古書には、通(ハシ)用ひしと見えたり、)○この歌は、左註に云るごとく、古事記允恭天皇(ノ)條に、木梨之|輕太子《カルノミコノミコト》、其(ノ)伊呂妹|輕大郎女《カルノオホイラツメ》に※[(女/女)+干]《タハケ》給ひしによりて、後遂に伊余(ノ)湯に流《ハナタ》れまし、其(ノ)後に、其(ノ)伊呂妹追到りまして、即(チ)共に自《ミラ》死《ウセ》た(502)まはむとして、よみませる御歌なり、彼(ノ)記には、末(ツ)方を、麻多麻那須阿賀母布伊毛《マタマナスアガモフイモ》、加賀美那阿賀母布都麻《カガミナスアガモフツマ》、阿理登伊波婆許曾爾《アリトイハバコソニ》、伊弊爾母由加米久爾袁母斯怒波米《イハニモユカメクニヲモシヌハメ》、とあり、此(ノ)歌の註釋は、本居氏(ノ)彼(ノ)記(ノ)傳に具《クハシ》く見えたれば、今略きつ、彼(ノ)傳を見べし、さて今は、彼(ノ)記なるを、誤り傳へたるなるべし、いたく劣れり、と彼(ノ)傳に云り、
〔※[手偏+僉]2古事記1曰。件(ノ)歌(ハ)者。木梨之輕太子自死之時所v作者也。〕
件(ノ)歌者、(件(ノ)字、舊本伴に誤れり、古寫本に從つ、)拾穗本には、此一首と作り、○此(ノ)註は、此(ノ)集を編たる人の書たるか、または彼(ノ)仙覺などが、註せるにもあるべし、今姑(ク)本のまゝに載つるなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
こは右の反歌には非るを、後に誤りて書加へたるなるべし、右の御長歌には、もとより御反歌はなければなり、
 
3264 年渡《トシワタル》。麻弖爾毛人者《マテニモヒトハ》。有云乎《アリチフヲ》。何時之間曾母《イツノアヒダソモ》。吾戀爾來《アレコヒニケル》。
 
年渡《トシワタル》とは、一年を經渡るを云、○歌(ノ)意は、一年の久しき間をも、よく堪忍びて經渡る人は、世にありといふを、吾は妹に逢ざるは、いつばかりの間ぞや、差近き間なるを、それにも得堪ずして、戀しくのみ思ふ、となり、此は四(ノ)卷に、好渡人者年母有云乎《ヨクワタルヒトハトシニモアリチフヲ》、何時間曾毛吾戀爾來《イツノアヒダソモアガコヒニケル》、とあると、全(ラ)同(シ)歌なり、
 
(503)或書反歌曰《アルフミノカヘシウタニイハク》。
 
曰(ノ)字、古寫本にはなし、拾穗本には、此(ノ)五字なし、これも右の反歌に非ず、混れて入たるなり、歌の風も、かの御歌よりは、はるかに後のさまなるをや、
 
3265 世間乎《ヨノナカヲ》。倦跡思而《ウシトオモヒテ》。家出爲《イヘデセル》。吾哉難二加《アレヤナニニカ》。還而將成《カヘリテナラム》。
 
跡(ノ)字、元暦本、拾穗本には、迹と作り、○家出爲《イヘデセル》、書紀に、出家、出俗、度など書て、イヘデ〔三字右○〕とよめり、○吾哉難二加《アレヤナニニカ》は、難は何《ナニ》の假字なり、さて我《ヤ》と云(ヒ)加《カ》と云て、疑の詞重りたるは、一(ツ)の哉《ヤ》の言輕く見る例にて、其(ノ)證二(ノ)卷下に、委(ク)辨たるが如し、○歌(ノ)意は、世(ノ)間を倦厭《アキイト》ひて、一(ト)度出家せる吾なるものを、又再び還俗して、遂には何物にかならむ、と云るにや、契冲、此(ノ)歌は、もし出家したる人の、還俗する時によめるにや、歌のやう、さぞきこゆる、それをあやまりて、右の長歌につゞけて書るなるべし、と云り、其(ノ)意にてもあるべけれど、又思ふに、或は人の、還俗せよとすゝめけるにこたへて、世(ノ)間を倦厭《アキイト》ひて、一(ト)度出家せる吾なるものを、又再びおもひかへして、還俗したりとも、何にかはならむ、さればいな、還俗せむ心はさらになし、といへるにもあるべし、
 
右三首《ミギミウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3266 春去者《ハルサレバ》。花咲乎呼里《ハナサキヲヲリ》。秋付者《アキヅケバ》。丹之穗爾黄色《ニノホニモミヅ》。味酒乎《ウマサケヲ》。神名火山之《カムナビヤマノ》。帶丹爲留《オビニセル》。(504)明日香之河乃《アスカノカハノ》。速瀬爾《ハヤキセニ》。生玉藻之《オフルタマモノ》。打靡《ウチナビキ》。情者因而《コヽロハヨリテ》。朝露之《アサツユノ》。消者可消《ケナバケヌベク》。戀久毛《コフラクモ》。知久毛相《シルクモアヘル》。隱都麻鴨《コモリヅマカモ》。
 
花咲乎呼理《ハナサキヲヲリ》は、繁く咲たる容を云、既く出(テ)つ、○丹之穗爾黄色《ニノホニモミツ》(色(ノ)字、元暦本に、包と作るはいかが、)は、丹色にあらはれて、深く染たるをいふ、○味酒乎《ウマサケヲ》は、枕詞なり、○生玉藻之《オフルタマモノ》までは、打靡をいはむ料の序なり、○戀久毛《コフラクモ》は、戀しく思ふ事もといふ意なり、○知久毛相《シルクモアヘル》は、その益《シルシ》の有て、相有《アヘル》と云意なり、身も消失ぬべきばかり、甚《イタ》く戀しく思ひたる、其(ノ)益のありしよしなり、○隱都麻鴨《コモリヅマカモ》は、隱都麻《コモリヅマ》とは、十一に、足常母養子眉隱隱在妹《タラチネノハヽガカフコノマヨゴモリコモレルイモ》、云々、とよめる如く、母が守隱せる嬬をいふ、鴨《カモ》は歎息(ノ)辭なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3267 明日香河《アスカガハ》。瀬湍之珠藻之《セセノタマモノ》。打靡《ウチナビキ》。情者妹爾《コヽロハイモニ》。因來鴨《ヨリニケルカモ》。
 
歌(ノ)意は、他の事は思はず、ひた向に靡きて、心は妹によりにける哉、さてもなつかしや、となり、これも序歌なり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3268 三諸之《ミモロノ》。神奈備山從《カムナビヤマユ》。登能陰《トノグモリ》。雨者落來奴《アメハフリキヌ》。雨霧相《アマギラヒ》。風左倍吹奴《カゼサヘフキヌ》。大口乃《オホクチノ》。眞神(505)之原從《マカミノハラユ》。思管《シヌヒツヽ》。還爾之人《カヘリニシヒト》。家爾到伎也《イヘニイタリキヤ》。
 
登能陰《トノグモリ》は、棚曇《タナグモリ》なり、登能《トノ》と棚《タナ》と通ふことは、既く云り、集中に、棚引《タナビク》を登能引《トノビク》とも云へり、○雨霧相《アマギラヒ》は、雨霧の立覆ひ陰りたるを云、霧相《キラヒ》は、伎理《キリ》の延りたる言にて、その伎流《キル》樣《サマ》の、引つゞきて絶ざる容なり、抑々|伎理《キリ》は、薫《カホリ》なり、(カヲ〔二字右○〕の切はコ〔右○〕なるを、キ〔右○〕と轉し云り、)神代紀に、唯|有朝霧薫滿之哉《アサギリノミカヲリミテルカモ》、此(ノ)集二(ノ)卷に、塩氣能味香乎禮流國爾《シホケノミカヲレルクニニ》、などあるがごとし、(略解に、きりは即くもりなり、と云るはたがへり、きると、くもるとは、もとより別言なり、)○風左倍吹奴《カゼサヘフキヌ》は、雨の降來るのみならず、風まで吹ぬるよしなり、○大口乃《オホクチノ》は、枕詞なり、○眞神之原《マカミノハラ》は、飛鳥の岡の西北、今は五條野と云處なりとぞ、○思管は、シヌヒツヽ〔五字右○〕とよむべし、思(ノ)字、集中に、シヌフ〔三字右○〕と訓例、既く云たるが如し、本居氏(ノ)説に、斯怒布《シヌフ》は、斯那布《シナフ》と通ひて、しなへうらぶれて思ふ意の言なるべし、と云り、今按(フ)に、集中に、心毛志努爾《コヽロモシヌニ》、とよめる、志努《シヌ》を活して、志努布《シヌフ》と云るなるべし、志努《シヌ》は、興《タツ》の反《ウラ》にて、靡《シナ》やぎ軟《ナヨヽ》かに、うなだれたるさまを云ことにて、こゝも男の物思(ヒ)に、しなやぎうなだれて、歸にしさまを云るなり、(略解に、思管は、哭管の誤にて、ねなきつゝならむか、と云るは、いみじき強解なり、)○家爾到伎也《イヘニイタリキヤ》は、己(ガ)家に到り着けるにや、いかにと云るなり、○歌(ノ)意は、女に逢たる男の、眞神が原の彼方《カナタ》へ歸るを、女は岡本(ノ)宮のあたりに留りてよめるにて、家もなき眞神が原を通りて、かへる道に、雨のみならず、風まで吹來て、いとわびしきに、からうして、し(506)なへうらぶれつゝ、歸り給ひにし男は、平安くて、そが家に着けるにやいかに、おぼつかなし、となり、八(ノ)卷に、大口能眞神之原爾零雪者甚莫零家母不有國《オホクチノマカミノハラニフルユキハイタクナフリソイヘモアラナクニ》、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3269 還爾之《カヘリニシ》。人乎念等《ヒトヲオモフト》。野于玉之《ヌバタマノ》。彼夜者吾毛《ソノヨハアレモ》。宿毛寢金手寸《イモネカネテキ》。
 
念等《オモフト》は、念ふとての意なり、○彼夜《ソノヨ》は相別れにし其(ノ)夜なり、○歌(ノ)意は、還(リ)給ひにし男を、とにかく思ふとて、相別にし、其(ノ)夜は、吾も寐入ことを得せざりけり、男はさぞ吾(ガ)事を思ひて、寐られざりけむ、とおもひやれるさまを、吾毛《アレモ》の言にて、きかせたり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と九字あり、
 
3270 刺將燒《サシヤカム》。少屋之四忌屋爾《ヲヤノシキヤニ》。掻將棄《カキウテム》。破薦乎敷而《ヤレコモヲシキテ》。所〔□で囲む〕挌將折《ウチヲラム》。鬼之四忌手乎《シコノシキテヲ》。指易而《サシカヘテ》。將宿君故《ヌラムキミユヱ》。赤根刺《アカネサス》。畫者終爾《ヒルハシミラニ》。野干玉之《ヌバタマノ》。夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》。此床乃《コノトコノ》。比師跡鳴左右《ヒシトナルマデ》。嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》。
 
刺將燒は、サシヤカム〔五字右○〕と訓べし、火さしつけて、かりそめに、燒すつべきばかりの賤しき小屋《ヲヤ》、と云なり、(岡部氏が、將は所の誤にて、さすたけると訓て、是は小竹を燒ことにて、小竹を燒は、山邊の賤屋のさまなり、さすとは、淺篠を約めたる言なり、と云るは、中々の誤なり、こは次に(507)掻將棄破薦《カキウテムヤレコモ》、挌將折四忌手《ウチヲラムシキテ》、など云るに、對へたれば、必(ズ)刺將燒《サシヤカム》となくては叶はず、又或人の考もあれど、叶はざればこゝに載ず、○小屋之四忌屋《ヲヤノシキヤ》、(少(ノ)字、元暦本、拾穗本等には、小と作り、)少屋《ヲヤ》は埴生《ハニフ》の小屋《ヲヤ》などよめる小屋なり、四忌屋《シキヤ》は、醜屋《シキヤ》なり、四忌手《シキテ》の四忌《シキ》も同じ、○掻將棄《カキウテム》は、掻やり棄べきばかりの破薦と、甚《イタク》いやしめて云るなり、○所挌將祈、は本居氏、所は、衍字なるべしと云る、眞に然り、挌は舊本には掻と作り、掻將折《カキサラム》にても、難はなけれども、今按(フ)に、元暦本に挌と作《カケ》る、是然るべし、(字書に、挌(ハ)撃也、とあり、)ウチヲラム〔五字右○〕と訓べし、初に刺燒《サシヤク》と云、中に掻棄《カキウツ》と云、終に挌折《ウチヲル》と、いさゝか詞をかへていへるものなるべし、さて挌將折《ウチヲラム》は、打(チ)折(ル)べきばかりに、痩衰へたる醜手《シキテ》と、甚く賤めて云るなり、○鬼之四忌手《シコノシキテ》は、醜之醜手《シコノシキテ》にて、集中に、鬼乃志許草《シコノシコクサ》、と云る如く、醜の言を疊(ミ)たるなり、○指易而《サシカヘテ》は、互に手を指交(ハ)して宿るよしなり、集中に、玉手指易《タマテサシカヘ》とも、袖指易兩《ソテサシカヘテ》ともよめり、○將宿君故(將(ノ)字元暦本にはなし、)は、ヌラムキミユヱ〔七字右○〕と訓べし、(路解に、ねなむきみゆゑ、とよみたれども、さては歌(ノ)意たがへり、)宿らむ君なるものをの意なり、十」に、驗無戀毛爲鹿暮去者人之手枕而將寐兒故《シルシナキコヒチモスルカユフレバヒトノテマキテヌラムコユヱニ》、○赤根刺《アカネサス》は、枕詞なり、○晝者終爾は、此(ノ)下に、赤根刺日者之彌良爾《アカネサスヒルハシミラニ》、とあるによりて、ヒルハシミラニ〔七字右○〕と訓べし、又シメラニ〔四字右○〕とも訓べし、十七に、今日毛之賣良爾《ケフモシメラニ》、十九に、晝波之賣良爾《ヒルハシメラニ》、など見えたり、シミラ〔三字右○〕とは終日《ヒネモス》のことなり、言(ノ)本義は、未(ダ)考(ヘ)得ず、○夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》は、夜は終夜《ヨスガラ》になり、○比師跡鳴左右《ヒシトナルマデ》は、比師《ヒシ》は、鳴(ル)音なり、(508)源氏物語夕貌に、物の足音|比師比師《ヒシヒシ》と蹈鳴しつゝ、又總角に、はかなきさまなるしとみなどは、比師比師《ヒシヒシ》とまぎるゝ音に、などあり、嘆息(ノ)聲の響に應へて、床の鳴るを云、十二に、左夜深而妹乎念出布妙之枕毛衣世二嘆鶴鴨《サヨフケテイモヲオモヒテシキタヘノマクラモソヨニナゲキツルカモ》、二十に、波呂汝呂爾伊弊乎於毛比※[泥/土]於比曾箭乃曾與等奈流麻※[泥/土]奈氣吉都流香母《ハロバロニイヘヲオモヒデオヒソヤノソヨトナルマデナゲキツルカモ》、などある類なり、さて大殿祭詞に、御床都比乃佐夜伎旡《ミユカツヒノサヤギナク》、とありて、上(ツ)代には、床を葛《ツナ》して結しと見ゆれば、物音に應へては鳴しなり、まして賤者の家などはさらなり、等許《トコ》と云は、全體の、稱《ナ》、由可《ユカ》と云は、その結構につきて云|稱《ナ》ときこえたり、○歌(ノ)意は、甚賤しき小屋に、きたなき破薦をしきて、見どころなく痩衰へたるしづの女の手をまきて、宿らむ君なれば、今は、思ひはなちて、さらに心をかよはすまじき理なるに、さてもあやしや、その男の、なほわすられがたくて、吾(ガ)家の床の比師比師《ヒシヒシ》と鳴(リ)響くま、で、嘆きつる哉、となり、此は女の自《ミ》ら持たる夫の、賤の女などを思ひて、かよひけるをうらみて、且|自《ミヅカラ》さる男を戀したふことを、あやしみ嘆くなり、と谷(ノ)眞潮(ノ)翁云り、さもあるべし、(契冲は、よき女の、賤の男もたるを戀て、よめるなりと云れど、いはれたりともおもほえず、)
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3271 我情《ワガコヽロ》。燒毛吾有《ヤクモアレナリ》。愛八師《ハシキヤシ》。君爾戀毛《キミニコフルモ》。我之心柄《アガコヽロカラ》。
 
燒毛吾有《ヤクモアレナリ》は、吾(カ)心を燒も、吾心故ぞとなり、(俗諺に、心の鬼が身を責ると云と同(シ)心ばえなり、)一(ノ)(509)卷に、燒鹽乃念曾所燒吾下情《ヤクシホノオモヒソヤクルワガシタゴヽロ》、○我之心柄《ワガコヽロカラ》は、我之心故《ワガコヽロユヱ》、といふに同じ、○歌(ノ)意は、思ひの火にて我心を燒も、人のしわざにあらず、よしや君を戀しく思ふも、君が方より、戀しく念はしむるに非ず、我心故のことなれば、思に燒(ケ)は死とも恨みじ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3272 打延而《ウチハヘテ》。思之小野者《オモヒシヲヌハ》。不遠《トホカラヌ》。其里人之《ソノサトビトノ》。標結等《シメユフト》。聞手師日從《キヽテシヒヨリ》。立良久乃《タヽマクノ》。田付毛不知《タヅキモシラズ》。居久乃《ヲラマクノ》。於久鴨不知《オクカモシラズ》。親親《ニキビニシ》。己之家尚乎《ワガイヘスラヲ》。草枕《クサマクラ》。客宿之如久《タビネノゴトク》。思空《オモフソラ》。不安物乎《ヤスカラヌモノヲ》。嗟空《ナゲクソラ》。過之不得物乎《スグシエヌモノヲ》。天雲之《アマクモノ》。行莫莫《ユクラユクラニ》。蘆垣乃《アシカキノ》。思亂而《オモヒミダレテ》。亂麻乃《ミダレヲノ》。麻笥乎無登《ヲケヲナシト》。吾戀流《アガコフル》。千重乃一重母《チヘノヒトヘモ》。人不令知《ヒトシレズ》。本名也戀牟《モトナヤコヒム》。氣之絹爾爲而《シノヲニシテ》。
 
打延而《ウチハヘテ》は、吾(カ)居る處より、差《ヤヽ》遠き方に、心を打延て、いかで吾(ガ)物に領《セ》むと、豫(ジメ)思ひし意なり、○思之小野《オモヒシヲヌ》とは、懸想《オモヒカケ》し女を、譬へて云るなり、○不遠《トホカラヌ》云々は、其(ノ)女を、隣なる男の得たるを比(ヘ)て、其(ノ)事を聞てし日より、思の亂るゝをいへり、○立良久乃は、(良久《ラク》は、留《ル》と切れば、立良久《タツラク》は、立《タツ》るの延りたるなり、立るは他(ノ)物を立ることなれば、こゝに叶はず、)今按(フ)に、良(ノ)字は、麻か万の誤なるべし、さらば、タヽマクノ〔五字右○〕と訓べし、タヽマクノ〔五字右○〕は、(マク〔二字右○〕の切はム〔右○〕にて、)立む事の、と云が如し、(然るを今までの註者等、いかでかこゝにこゝろのつかざりけむ、いぶかし、)○田付毛不知《タヅキモシラズ》は、便り(510)て寄(リ)着べきすぢをも知ず、との意なり、○居久乃は、ヲラマクノ〔五字右○〕と訓べし、これも居《ヲラ》む事の、と云が如し、〈居の下、麻か万かの字、落たるにや、)○於久鴨不知《オクカモシラズ》は、奥處《オクカ》も、不v知なり、奥處《オクカ》とは、行はての處を云言にて、こゝは、取とゞめなき意なるべし、立居に付て、心の迷ふよしなり、○親親は、親之とありしを、親々と見て、誤りしにて、ムツバヒシ〔五字右○〕とよまむか、ムツバヒ〔四字右○〕は、ムツビ〔三字右○〕を延いふなり、又ニキビニシ〔五字右○〕ともよまむか、と略解に云り、○己之家尚乎《ワガイヘスラヲ》は、吾(ガ)家さへを、といふが如し、○客宿之如久《タビネノゴトク》は、心のうちつかぬより、旅宿の如く思ふよしなり、○思空《オモフソラ》は、思ふ心ち、と云意なり、○嗟空《ナゲクソラ》は、嗟く心ち、と云意なり、空《ソラ》といふ言の例、既く具く云り、○過之不得物乎《スグシエヌモノヲ》は、思をやり、過し得ぬものを、と云なり、○天雲之《アマクモノ》は、枕詞なり、○行莫莫《ユクラユクラ》は、行莫行莫《ユクラユクラ》と有しが、字の落たるなり、莫は暮に同じければ、久良《クラ》の詞に借(リ)しなり、と略解に云り、物を思に、心の動きさわぐを云なり、○蘆垣乃《アシカキノ》は、枕詞なり、九(ノ)卷に、葦垣之思亂而春鳥能啻耳鳴乍《アシカキノオモヒミダレテハルトリノネノミナキツヽ》、とあり、○亂麻乃《ミダレヲノ》は、思(ヒ)亂れたる心を譬(ヘ)云り、○麻笥乎無等《ヲケヲナミト》(麻の下、拾穗本ば乃(ノ)字あるはわろし、)は、麻笥が無(キ)故に、と云意なり、麻笥は上に見えたり、麻は續て、麻笥に納るゝものなるを、いとゞみだれあひたる麻に、麻笥さへなき故に、つひにいよ/\みだれはつるごとく、吾(ガ)思を誰にいひて、はらすべきよしのなければ、つひにをさまることなきよしなり、○吾戀流《アガコフル》云々は、二(ノ)卷に、吾戀千重之一重裳《アガコフルチヘノヒトヘモ》、遣悶流情毛有八等《ナグサムルコヽロモアリヤト》、云々六(ノ)卷に、吾戀之千重之一重裳奈具佐末七國《アガコヒシチヘノヒトヘモナグサマナクニ》、七(ノ)卷に、名(511)草山事西在來吾戀千重一重名草目名國《ナグサヤマコトニシアリケリアガコフルチヘノヒトヘモナグサメナクニ》、などよめり、○人不令知《ヒトシレズ》は、わが思ひのほどをも思ふ人に得知せずしての意なり、○本名也戀牟《モトナヤコヒム》云々は、命にかけて、むざ/\と戀しく思はむことか、となり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3273 二無《フタツナキ》。戀乎思爲者《コヒヲシスレバ》。常帶乎《ツネノオビヲ》。三重可結《ミヘムスブベク》。我身者成《ワガミハナリヌ》。
 
二無《フタツナキ》は、無《ナキ》v双《ナラビ》、無《ナキ》v匹《タグヒ》など云むがごとし、三(ノ)卷に、伊奈太吉爾伎須賣流玉者無二《イナダキニキスメルタマハフタツナシ》、とあるも同じ、○歌(ノ)意は、又たぐひなく、一(ト)すぢに戀しく思へば、その思ひに痩衰へて、この頃は、常に一重結びし帶を、三重結ふべくなりぬ、となり、四(ノ)卷、九(ノ)卷等に、此(ノ)意の歌ありて、上(ノ)※[木+若]垣《ミヅカキノ》云々の歌の註に引り、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり。
 
3274 「爲須部乃田付呼不知石根乃興凝敷道乎石床笶根延門呼朝庭丹出居而嘆夕庭入居而思。」白栲乃《シロタヘノ》。吾衣袖呼《ワガコロモデヲ》。折反《ヲリカヘシ》。獨之寢者《ヒトリシヌレバ》。野干玉《ヌバタマノ》。里髪布而《クロカミシキテ》。人寢《ヒトノヌル》。味眠不睡而《ウマイハネズテ》。大舟乃《オホブネノ》。往良行羅二《ユクラユクラニ》。思乍《オモヒツヽ》。吾睡夜等呼《アガヌルヨラヲ》。續文將敢鴨《ヨミモアヘムカモ》。
 
付の下呼(ノ)字、元暦本、拾穗本等には叫、古寫本には※[口+立刀]と作り、下なるも同じ、○朝庭丹は、丹は衍(512)字にて、アシタニハ〔五字右○〕なり、下に出たるに、此(ノ)字なきよろし、○之の下寢(ノ)字、拾穗本には、寐と作り、○人の下寢(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、寐と作り、○續文將敢鴨は、契冲も云し如く、續は讀の誤にて、ヨミモアヘムカモ〔八字右○〕と訓べし、下の挽歌に、數物不敢鴨《ヨミモアヘヌカモ》、とあり、讀《ヨム》とは數ふることなり、○此歌、初句より、入居而思、と云ふまで十句は、此(ノ)下挽歌、白雲之棚曳國之《シラクモノタナビククニノ》云々、の長歌の中の詞なるが、亂れてこゝに入しなり、かくて今の歌は、初(ツ)方の詞は、落失しものと見ゆ、故(レ)この十句の詞(ノ)意は、下に註して、こゝには略きつ、さてまた野干玉《ヌバタマノ》より、終句まで九句も、かの挽歌の末(ツ)方の詞なれど、この九句の詞は必(ズ)戀なり、猶下に云べし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3275 一眼《ヒトリヌル》。夜※[竹/弄]跡《ヨヲカゾヘムト》。雖思《オモヘドモ》。戀茂二《コヒノシゲキニ》。情利文梨《コヽロトモナシ》。
 
夜※[竹/弄]跡(※[竹/弄](ノ)字、古寫本には※[竹/卞]と作り、)は、ヨヲカゾヘムト〔七字右○〕と訓べし、(略解に、ヨヒヲヨマムト〔七字右○〕とよめるは、わろし、カゾフ〔三字右○〕と云も古言なり、八(ノ)卷に、可伎數者七種花《カゾフレバナヽクサノハナ》、五(ノ)卷に、出弖由伎斯日乎可俗閇都々《イデテユキシヒヲカゾヘツヽ》、などあり、○情利文梨《コヽロトモナシ》は、心神も無(シ)なり、既く出(ツ)、○歌(ノ)意は、獨宿をする夜を、幾夜幾夜とかぞへ見むとは思へども、思(ヒ)の繁きによりて、心神も失て身にそはざれば、さる事もえせず、となり、
 
右二首《ミギフタ》。
 
(513)此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3276 百不足《アシヒキノ》。山田道乎《ヤマダノミチヲ》。浪雲乃《シキタヘノ》。愛妻跡《ウツクシツマト》。不語《モノイハズ》。別之來者《ワカレシクレバ》。速川之《ハヤカハノ》。往文不知《ユクヘモシラズ》。衣袂笶《コロモテノ》。反裳不知《カヘルモシラニ》。馬自物《ウマジモノ》。立而爪衝《タチテツマヅキ》。
 
百不足は、齋田(ノ)清繩云(ク)、足日木《アシヒキ》と有しが、日を百に、木を不に誤れるを、百不足を誤れる物と心得て、遂に足(ノ)字を、下に移したるなり、と云るぞ宜しき、(古事記(ノ)傳に見ゆ、)○山田《ヤマダ》は、契冲、地(ノ)名なるべし、山田(ノ)史といふ氏あり、居所をもて氏とせるか、第二十に、山田(ノ)御母とあるは、孝徳天皇の御乳母也、と云り、今按(フ)に、和名抄に、山城(ノ)國葛野(ノ)郡山田、河内(ノ)國交野(ノ)郡山田、など見ゆ、これらの内にもあるべし、又或人、高市(ノ)郡に山田村有といへり、と略解に云り、○浪雲乃は、(契冲が、よく晴たる日、白雪の浪のごとくたてるを、浪雲といふなるべし、といへるは非ず、又冠辭考に、靡藻之《ナビクモノ》なり、といへるも、叶はず、)甚|解難《トキカテ》なるを、今余が竊(カ)に考(ヘ)たる趣(キ)をいふべし、浪は、常に敷浪《シキナミ》と云て、敷々に來依《キヨス》るものなれば、義を得て、シキ〔二字右○〕と訓べし、哭をモ〔右○〕と訓(ミ)、雪をタヘ〔二字右○〕と訓などの類なり、さて雲は、雪の寫し誤とすべし、雪はタヘ〔二字右○〕と訓べし、此(ノ)下にも、雪穗麻衣服者《タヘノホノアサキヌケルハ》、とあり、さて此(ノ)一句はシキタヘノ〔五字右○〕にて、そは、十(ノ)卷に、朱羅引色妙子《アカラビクシキタヘノコヲ》、又此(ノ)下に、黄楊乃小櫛乎抑刺刺細子《ツゲノヲクシヲオサヘサスシキタヘノコハ》、などある如く、容貌のうるはしきを云なり、○愛妻跡は、ウツクシツマト〔七字右○〕と訓べし、孝徳天皇(ノ)紀に、于都倶之伊母我《ウツクシイモガ》、この集廿(ノ)卷に、有都久之波々爾《ウツクシハヽニ》、などあり、○不語は、モノイハズ〔五字右○〕と訓(514)べし、十四に、安利伎奴乃佐惠佐惠之豆美伊敝能伊母爾毛乃伊波受伎爾※[氏/一]於毛比具流之母《アリキヌノサヱサヱシヅミイヘノイモニモノイハズキニテオモヒグルシモ》、とあり、又カタラハズ〔五字右○〕ともよむべし、思ふ女のもとに行たれども、さはる事などありて、得物云(ヒ)語らはずして、いたづらに別れて、かへり來るよしなり、○速川之《ハヤカハノ》は、枕詞なり、こは契冲も云る如く、かへり來る道に、川のあるによせていへるなり、○往文不知は、舊訓に、ユクヘモシラズ〔七字右○〕とある宜し、按(フ)に、往の下に、方(ノ)字を脱せるなるべし、物をもおぼえぬばかりなれば、道の行へも知(ラ)ぬよしなり、○衣袂笶《コロモテノ》は、枕詞なり、衣の袂《ソテ》を、風の吹返すより、わが歸るにいひ係たり、○反裳不知《カヘルモシラニ》(知の下元暦本に衣(ノ)字あるは、いかゞ、)は、わが歸る道をも、おぼえぬよしなり、○馬自物《ウマジモノ》は、枕詞なり、○立而爪衝《タチテツマヅキ》は、四(ノ)卷に、道守之將問答乎言將道爲便乎不知跡立而瓜衝《ミチモリノトハムコタヘヲイヒヤラムスベヲシラニトタチテツマヅク》、とよめり、心も空にて歸りくる故に、物に爪づくなり、さて此(ノ)歌は、これまでは、男の女の許に行て、歸る道にてよめる歌なるを、此(ノ)已下は、數多句の落失たるものなり、次の爲須部乃《セムスベノ》云々より下は、女の男を待(ツ)歌にて、こはもとより、別歌なり、しかるを互に上下の句の、落失たるより、後に詞のつゞきをも、よく辨へざる人の、一首(ノ)歌なりと思ひて、漫(リ)に取合せたるものと見えたり、
 
爲須部乃《セムスベノ》。田付乎白粉《タヅキヲシラニ》。物部乃《モノヽフノ》。八十乃心呼《ヤソノコヽロヲ》。天地二《アメツチニ》。念足橋《オモヒタラハシ》。玉相者《タマアハバ》。君來益八跡《キミキマスヤト》。吾嗟《アナゲク》。八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》。玉桙乃《タマホコノ》。道來人之《ミチクルヒトノ》。立留《タチドマリ》。何當問者《イカニトトハバ》。答遣《イヒヤラム》。田付乎不知《タヅキヲシラニ》。散(515)鈎相《サニヅラフ》。君名曰者《キミガナイハバ》。色出《イロニデテ》。人可知《ヒトシリヌベミ》。足日木能《アシビキノ》。山從出《ヤマヨリイヅル》。月待跡《ツキマツト》。人者云而《ヒトニハイヒテ》。君待吾乎《キミマツワレヲ》。
 
こは、上に云る如く、女の男を待(ツ)歌なるを、上に句の落失たるなり、○物部乃《モノヽフノ》は、枕詞なり、八十氏《ヤソウヂ》といふつゞけより轉りて、たゞ八十とのみも、云係たるなり、○八十乃心呼《ヤソノコヽロヲ》(呼(ノ)字、官本、拾穗本等には叫と作(キ)、古寫本には※[口+立刀]と作り、)は、八衢に、物をぞ思ふなどいへる類にて、數多く、種々《クサ/”\》に思ふ心をのよしなり、○天地二《アメツチニ》云々二句は、上に出たり、○玉相者《タマアハバ》は、魂相《タマアハ》ばにて、互に魂の相叶はゞ、と云なり、十二に、靈合者相宿物乎《タマシアヘバアヒネシモノヲ》、○八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》は彌尺之嗟《ヤサカノナゲキ》にて、歎息の長大《ハナハダナガ》きよしなり、尺《サカ》とは、丈尺《ツヱサカ》の尺《サカ》なり、(略解に、八尺は、彌十量《ヤソハカリ》といふを略轉して、ヤサカ〔三字右○〕といへり、と云るは非ず、)此(ノ)一句は、此(ノ)下にも見えたり、又十四には、鴨を八尺鳥《ヤサカドリ》とよめり、(これも鴨の息をつくことの長きをいへり、)○玉桙乃《タマホコノ》(桙(ノ)字、給穗本には鉾と作り、)は、枕詞なり、二(ノ)卷に、玉桙乃道來人乃《タマホコノミチクルヒトノ》云々、立留吾爾語久《タチドマリアレニカタラク》、○人の下之(ノ)字、校本に、官本、古寫本作v乃、とあり、○何常問者《イカニトトハバ》は、如何なる故にて、しか八尺の嗟はするぞと、不審《イブカ》りて問ば、と云なり、○答遣は、イヒヤラム〔五字右○〕と訓べし、(コタヘヤル〔五字右○〕とよみては、問者《トハバ》の詞に應はず、)四(ノ)卷に、道守之將問答乎《ミチモリノトハムコタヘヲ》、言將遣爲便乎不知跡《イヒヤラムスベヲシラニト》云々、とあるを、考(ヘ)合(ス)べし、答(ノ)字、イヒ〔二字右○〕と訓は、九(ノ)卷にも、妹之答久《イモガイヘラク》、とあり、○散鈎相《サニヅラフ》は、枕詞なり、既く出つ、○色出《イロニデヽ》、(色(ノ)字、元暦本に包と作るは誤なり、)九(ノ)卷に、毎見戀者雖益色二山上復有山者一可知美《ミルゴトニコヒハマサレドイロニイデバヒトシリヌベミ》云々、○月待跡《ツキマツト》は、月を待といふを託言《カゴト》にて、男を待(ツ)なり、○君待吾乎《キミマツワレヲ》、君を待(ツ)吾なるものを、(516)いかでいとほしとは、思はざるらむ、との謂なり、十二に、足日木乃從山出流月待登人爾波言而妹待吾乎《アシヒキノヤマヨリイヅルツキマツトヒトニハイヒテイモマツワレヲ》、(この歌は、今の長歌より古き歌なるを取て、長歌によめるならむ、)
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3277 眠不唾《イヲモネズ》。吾思君者《アガモフキミハ》。何處邊《イヅクヘニ》。今身誰與可《コヨヒイマセカ》。雖待不來《マテドキマサヌ》。
 
處(ノ)字、拾穗本には所と作り、○今身誰與可は、今宵座世可《コヨヒイマセカ》とありしを、草書にて寫(シ)誤れるか、座世可《イマセカ》は、座《イマ》せばにやの意なり、座《イマ》せは、俗に、御出被v成といふに同じ、(略解には、身誰は、夜訪の誤にて、コヨヒトフトカ〔七字右○〕とよむべし、といへり、)○歌(ノ)意は、夜一(ト)夜寐もやらずして、吾(ガ)思ふ君は、吾(カ)事をば、何とも思はで、何方に今宵おはしませばにや、待ど來座ずあるらむ、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此(ノ)間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり。
 
3278 赤駒《アカゴマノ》。厩立《ウマヤタテ》。黒駒《クロゴマノ》。厩立而《ウマヤタテテ》。彼乎飼《ソヲカヒ》。吾往如《アガユクゴトク》。思妻《オモヒヅマ》。心乘而《コヽロニノリテ》。高山《タカヤマノ》。峯之手折丹《ミネノタヲリニ》。射目立《イメタテヽ》。十六待如《シヽマツゴトク》。床敷而《トコシクニ》。吾待公《アガマツキミヲ》。犬莫吠行年《イヌナホエソネ》。
 
初句より、第六句までは、乘をいはむ料の序なり、赤駒黒駒を飼置て、物へ行ときに、其に乘て行(ク)意にいひて、思妻の、吾(ガ)心に乘ることを、いひおこせるなり、○心乘而《コヽロニノリテ》は、わが心の上に、思ふ人ののるなり、契冲が、俗に、一(ト)すぢに、その事をのみおもふを、心だまにのるといへる、これな(517)り、と云り、此(ノ)詞、上に多く出たり、○峯之手折《ミネノタヲリ》とは、山頂の折曲《ヲリマガ》れる處なり、これも上に出つ、○射目立《イメタテヽ》は、射部《イベ》を令v立てなり、○十六待如《シヽマツゴトク》は、猪鹿《シヽ》を待如くになり、○床敷而は、本居氏、而は爾の誤にて、とこしくにならむ、と云り、常《トコ》しなへにの意なり、○公(ノ)字、拾穗本には、君と作り、○犬莫吠行年は、イヌナホエソネ〔七字右○〕と訓べし、行は所の誤なりと、これも本居氏云り、○岡部氏云(ク)、此(ノ)歌、上は男の歌、下は女の歌なり、さて上下言意も通らず、二首の、句ども落たるが、一首となりしものなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3279 葦垣之《アシカキノ》。末掻別而《スヱカキワケテ》。君越跡《キミコユト》。人丹勿告《ヒトニナツゲソ》。事者棚知《コトハタナシレ》。
 
人丹勿告《ヒトニナツケソ》は、長歌に、犬莫吠行年《イヌナホエソネ》といへるを、打反して云るにて、葦垣をかき分て、君が通ひ來るを、汝が聲立て、人に告しらするが、よからねば、吾(カ)云教るを、よく心御うけ引て、人に告知すな、となり、枕册子に、にくき物、しのびて來る人見しりて、吠る犬は、うちもころしつべし、○事者棚知は(知(ノ)字、拾穗本(イ)に利とあり、又類聚抄に梨と作り、共にわろし、)は、コトハタナシレ〔七字右○〕と訓て、さやうに心得よ、といふ意なり、棚知の言は、既く本居氏(ノ)説を擧て、具(ク)云り、○歌(ノ)意は、葦垣の末を掻分て、君が通ひ來座すことを、聲立て、人にしらする事なかれ、よく/\さやうに心得よ、と犬に云教へたるなり、契冲云(ク)、催馬樂に、葦垣まがきかき分て、てふこすとたれかこのこ(518)とを、おやにまうよこしけらしも、とうたふは、此(ノ)歌よりうたふなるべし、あし垣ならば、未掻分てのことば、まことに面白きなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3280 妾背兒者《ワガセコハ》。雖待不來益《マテドキマサズ》。天原《アマノハラ》。振左氣見者《フリサケミレバ》。には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、黒玉之《ヌバタマノ》。夜毛深去來《ヨモフケニケリ》。左夜深而《サヨフケテ》。荒風乃吹者《アラシノフケバ》。立待爾《タチマツニ》。吾袖爾《ワガコロモテニ》。零雪者《フルユキハ》。凍渡奴《コホリワタリヌ》。今更《イマサラニ》。公來座哉《キミキマサメヤ》。左奈葛《サナカヅラ》。後毛相得《ノチモアハムト》。名草武類《ナグサムル》。心乎持而《コヽロヲモチテ》。三袖持《ミソテモチ》。床打拂《トコウチハラヒ》。卯管庭《ウツヽニハ》。君爾波不相《キミニハアハジ》。夢谷《イメニダニ》。相跡所見社《アフトミエコソ》。天之足夜于《アマノタリヨニ》。
 
妾は、女(ノ)歌なるが故に、かく書て、ワガ〔二字右○〕とよませたり、○不來益、姶穗本には、來不益と作り、○立待爾、舊本に、立留待とあるは誤なり、校本に、留待、異本作2待爾1、とあり、是宜し、左の或本の歌をも合せ見べし、○吾袖、校本に、異本作2吾衣袖1、と云り、○將座の將(ノ)字、舊本にはなし、古本に從つ、○左奈葛《サナカヅラ》は、枕詞なり、○三袖《ミソテ》は、眞袖《マソテ》と云に同じくて、左右の袖をいへり、○床打拂《トコウチハラヒ》は、夢に相見むことを齋て寐る故に、既《ハヤ》く打拂ひたる床を、又更に拂(ヒ)清むるなり、○相跡所見社《アフトミエコソ》は、相(フ)と見えよかし、と願ふなり、○天之足夜于(于(ノ)字、古本には乎と作り、いづれにもあるべし、)は、岡部氏、云(ク)アマノタリヨニ〔七字右○〕と訓べし、全夜の意なり、足夜《タリヨ》は、足日《タリヒ》、足國《タリクニ》など云類にて、古言なり、
 
(519)或本歌曰《アルマキノウタニイハク》。
 
此(ノ)四字、拾穗本には一云と作り、
 
3281 吾背子者《ワガセコハ》。待跡不來《マテドキマサズ》。鴈音文《カリガネモ》。動而寒《トヨミテサムシ》。烏玉乃《ヌバタマノ》。宵毛深去來《ヨモフケニケリ》。左夜深跡《サヨフクト》。阿下乃吹者《アラシノフケバ》。立待爾《タチマツニ》。吾衣袖爾《ワガコロモテニ》。置霜文《オクシモモ》。氷爾左叡渡《ヒニサエワタリ》。落雪母《フルユキモ》。凍渡奴《コホリワタリヌ》。今更《イマサラニ》。君來目八《キミキマサメヤ》。左奈葛《サナカヅラ》。後文將會常《ノチモアハムト》。大舟乃《オホブネノ》。思憑迹《オモヒタノメド》。現庭《ウツヽニハ》。君者不相《キミニハアハジ》。夢谷《イメニダニ》。相所見欲《アフトミエコソ》。天之足夜爾《アメノタリヨニ》。
 
音の下文(ノ)字、拾穗本には毛と作り、校本にも、官本文作v毛、古寫本同、とあり、○動而寒《トヨミテサムシ》九(ノ)卷に、尾花落師付之田井爾《ヲバナチルシヅクノタヰニ》、鴈泣毛寒來喧奴《カリガネモサムクキナキヌ》、云々○宵(ノ)毛、(宵字元暦本に、※[雨/月]と作るは誤なるべし、)毛(ノ)字、拾穗本には文と作り、)○左夜深跡《サヨフクト》は、左夜深(ク)るととての意なり、(略解に、跡は而の誤なるべし、といへるは、強説なり、)○阿下《アラシ》は、岡部氏云(ク)、山阿出風てふを略(キ)て、山阿とのみ書し所ありしとおぼゆ、阿は此(ノ)意にて書(ク)、下は、あらしを下風とも書しを、むかへ見れば、山より吹下す故にて、しか書(キ)けむ、集中|追馬喚犬《ソマ》と書しを略て、ソマ〔二字右○〕といふ所に、馬犬とのみ書し類なるべし、○霜の下文(ノ》字、校本に、官本作v毛、古寫本同、とあり、○君來の下、校本に、官本有2座字1、と云り、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3282 衣袖丹《コロモテニ》。山下吹而《アラシノフキテ》。寒夜乎《サムキヨヲ》。君不來者《キミキマサズハ》。獨鴨寢《ヒトリカモネム》。
 
(520)山下《アラシ》も、山下出風を略て、かく書り、○不(ノ)字、元暦本に乎と作るは誤なり、○寢(ノ)字、古寫本には〓、拾穗本には寐と作り、〔頭註、【干禄字書、〓〓寐(上俗中通下正)】〕○歌(ノ)意は、もし君來まさずば、かく嵐の吹て寒き夜を、獨(リ)宿て明さむか、さてもわびしや、となり、此(ノ)反歌は、長歌の中間の意にあたれり、
 
3283 今更《イマサラニ》。戀友君爾《コフトモキミニ》。相目八毛《アハメヤモ》。眠夜乎不落《ヌルヨヲオチズ》。夢所見欲《イメニミエコソ》。
 
歌(ノ)意は、今夜來ますべき時の過ぬれば、今更に、來座むことをばたのまじ、寐る夜ごとを欠《カヽ》ず、夢に見えよかし、となり、此(ノ)歌は、長歌の末(ツ)方の意にあたれり、
 
右四首《ミギヨウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、四首は、或本の歌を合て四首なり、すべて此(ノ)歌數は、後に書るものなればなり、此(ノ)前後なるも、皆然り、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3284 菅根之《スガノネノ》。根毛一伏三向凝呂爾《ネモコロゴロニ》。吾念有《アガモヘル》。妹爾縁而者《イモニヨリテバ》。言之禁毛《コトノイミモ》。無在乞常《ナクアリコソト》。齊戸乎《イハヒヘヲ》。石相穿居《イハヒホリスヱ》。竹珠乎《タカタマヲ》。無間貰垂《マナクヌキタリ》。天地之《アメツチノ》。神祇乎曾吾祈《カミヲソアガノム》。甚毛爲便無見《イタモスベナミ》。
 
管根之《スガノネノ》は、枕詞なり、○一伏三向を、コロ〔二字右○〕と訓ることは、其(ノ)義を詳《サダカ》に知ず、三伏一向を、ツク〔二字右○〕とよめると同類なるべし、(東齋隨筆と云ものに、嵯峨(ノ)帝、一伏三仰不來人待暮暗雨降戀筒寢、とかかせ玉ひて、是をよめとて、野(ノ)相公に給はせけり、つきよにはこぬひとまたるかきくもりあめもふらなむこひつゝもねむ、とよめり、云々、わらべのうつむきさいと云物、一(ツ)ふして三あ(521)ふげるを、月夜といふなり、と云り、このこと十訓抄にも見えたり、これはいと後のことにして、おぼつかなきことながら、古(ヘ)少童の玩物に、さる物ありしなるべし、さて一(ツ)ふして三(ツ)あふぐを、月夜と云とあるは、かたがたまがひたるものならむ、三たびふして、一たび仰ぐものにこそありけめ、さらば三伏一仰とあるべきを、おほしたがはせて、一伏三仰とは、かゝせ給はせしなるべし、さてをを月夜といふとあるも、又誤れるにて、古(ヘ)に考(ヘ)合するに、都久《ツク》といひしにぞあらむ、さて又その類に、一たびふして、三たび仰ぐものありて、其は、ころばすものなれば、許呂《コロ》と呼けむなるべし、故(レ)ころと云に、三伏一向と書るにやあらむ、)※[土+蓋]嚢抄、小兒の翫物を多く擧たる中に、肚《コロ》といふ物見えたり、この肚と云もの、一たびふして、三たび仰ぐものにて、かく書るにもあらむか、猶考べし、(既く十(ノ)上に云るを、合(セ)見べし、)○妹爾縁而者《イモニヨリテハ》、(拾穗本には、此(ノ)句(ノ)下に、妹(ノ)字、當v作v君と註して、下の今按云々の註なし、)舊本、歌の左に、今按、不v可v言2之因v妹者(ト)1、應v謂2之縁1v君也、何則反歌云2公之隨意1焉、と註せり、眞にさることなり、すべてのさまも、女の歌と見ゆればなり、次に載たる或本(ノ)歌どもゝ、みな君とあり、(又もとより妹とありとせば、反歌は、長歌につきたる歌にはあらず、とすべし、されどさにはあらじ、)○言之禁毛《コトノイミモ》は、わがこひねぐ詞を、禁《イサメ》給ふなと、神に申すよしなるべし、○齊戸乎《イハヒヘヲ》、(齊(ノ)字、拾穗本には齋と作り、)齊は齋と通はし書るよし、既く云り、已下四句は、三(ノ)卷に、全(ラ)同じき歌あり、○石相《イハヒ》は、齋《イハヒ》の借(リ)字なり、○神祇乎(522)曾吾祈(曾(ノ)字、元暦本に、管と作るは誤なり、)は、カミヲソアガノ〔八字右○〕と訓べし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3285 足千根乃《タラチネノ》。母爾毛不謂《ハヽニモイハズ》。※[果/衣]有之《ツヽメリシ》。心者縱《コヽロハヨシヱ》。公之隨意《キミガマニマニ》。
 
※[果/衣]有之《ツヽメリシ》は、隱せりしといはむが如し、○心者縦は、コヽロハヨシヱ〔七字右○〕と訓べし、(略解に、舊本に依(リ)て、コヽロハユルス〔七字右○〕と訓るは、いみじきひがことなり、)十一に、葦千根乃母爾不所知吾持留心者吉惠君之隨意《タラチネノハヽニシラセズアガモタルコヽロハヨシヱキミガマニ/\》、これ全(ラ)同じ歌なり、○公(ノ)字、拾穗本には、君と作り、○歌(ノ)意は、母にも露もらさず、隱しつゝめりし心なれど、君にはそむくべきにあらざれば、よしやよし、君にまかせ申さむとなり、
アルマキノウタニイハク
或本歌曰《》。
 
此(ノ)四字、拾穗本には、一云と作て、上の菅根之《スガノネノ》云々の歌の次にあり、
 
3286 玉手次《タマタスキ》。不懸時無《》カケヌトキナク。吾念有《アガモヘル》。君爾依者《キミニヨリテバ》。倭女幣乎《シヅヌサヲ》。手取持而《テニトリモチテ》。竹珠乎《タカタマヲ》。之自二貫垂《シジニヌキタリ》。天地之《アメツチノ》。神呼曾吾乞《カミヲソアガコフ》。痛毛須部奈見《イタモスベナミ》。
 
玉手次《タマタスキ》は、枕詞なり、○文幣、舊本に父弊に誤れり、文は今改め、幣は、古寫小本、拾穗本等に從つ、○呼(ノ)字、古寫本には※[口+立刀]、拾穗本には叫と作り、下なるも同じ、○神乎曾吾乞《カミヲソアガコフ》、十五に、安米都知能可未乎許比都都安禮麻多武《アメツチノカミヲコヒツツアレマタム》云々、○岡部氏(ノ)云(ク)、此歌は、前後の同歌もて思ふに、中間《ナカラ》に數句落(523)しなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3287 乾地乃《アメツチノ》。神乎?而《カミヲイノリテ》。吾戀《アガコフル》。公以必《キミニカナラズ》。不相在目八方《アハザラメヤモ》。
 
地(ノ)字、類聚抄、古寫本、拾穗本等には、坤と作り、○以(ノ)字、契冲云(ク)、似の誤なるべし、○歌(ノ)意は、天(ツ)神地(ツ)祇を慇懃に?りて、願奉りしからは、吾(ガ)戀しく思ふ君に、相見ずしてあるべしやは、嗚呼《アハレ》必(ズ)相見むぞ、となり、
 
或本歌曰《アルマキノウタニイハク》。
 
舊本に、歌の上、反(ノ)字あるは誤なり、今は古寫本、古寫小本等に、反(ノ)字なきに從つ、拾穗本には、此(ノ)四字、一云と作て、上の玉手次《タマタスキ》云々の歌の次に載たり、
 
3288 大船之《オホブネノ》。思憑而《オモヒタノミテ》。木始己《マツガネノ》。彌遠長《イヤトホナガク》。我念有《アガモヘル》。君爾依而者《キミニヨリテバ》。言之故毛《コトノユヱモ》。無有欲得《ナクアリコソト》。木綿手次《ユフタスキ》。肩荷取懸《カタニトリカケ》。忌戸乎《イハヒヘヲ》。齊穿居《イハヒホリスヱ》。玄黄之《アメツチノ》。神祇二衣吾祈《カミニソアガノム》。甚毛爲便無見《イタモスベナミ》。
 
木始己〈始(ノ)字、元暦本には妨と作り、)は、(舊訓に、コシオノレ〔五字右○〕とあるは、論にたらず、)誤字あるべし、(岡部氏は、延絡石とありしを誤れるにて、ハフツタノ〔五字右○〕と訓べし、此(ノ)中に、木を延の誤とせむは遠ければ、なほあるべし、ハフツタノ〔五字右○〕か、サナカヅラ〔五字右○〕か、マサキヅラ〔五字右○〕かの内なるべし、其(ノ)字は、なほ考べし、といへり、又略解に、或人の説に、木始は義訓にて、根なり、己の上如(ノ)字を脱せるなり、(524)卷(ノ)九、卷(ノ)十四に、如己を、モコロ〔三字右○〕と訓り、しかればネモゴロニ〔五字右○〕とよまむ、と云へり、又又按(フ)に、木は本の誤、始は如の誤にて、本如己とありしか、これもネモゴロニ〔五字右○〕と訓べし、と云れど、如己を、モコロ〔三字右○〕と訓は、知己男と連(リ)たる上にて、己が如き男と云意もて、モコロヲ〔四字右○〕と訓ことにこそあれ、たゞに如己の字を、モコロ〔三字右○〕とは、いかでかよむべき、あなかたはらいたしや、)故(レ)強て考(フ)るに、こはもと松根之とありけむを、松(ノ)字の公の畫を脱し、根の草書を、始に、之の草書を己に誤れるにやあらむ、さらば、マツガネノ〔五字右○〕と訓べし、三(ノ)卷|眞間娘子墓《ママヲトメノハカ》をよめる歌に、松之根也遠久寸《マツガネヤトホクヒサシキ》、とあり、考(ヘ)合(ス)べし、又大神(ノ)景井(カ)考あり、其(ノ)説(ニ)云、始は、防(ノ)字を、草體にて、寫し誤れるものにて木防己は、アヲツヾラ〔五字右○〕なるべし、木防己を、字鏡には、佐奈葛《サナカヅラ》とせれど、和名抄に、防己、和名|阿乎加豆羅(カアヲカヅラ)、とあるは、阿乎都豆羅《アヲツヾラ》とありしを、後に寫誤れるものか、さらずとも青加豆羅《アヲカヅラ》は、青都豆羅《アヲツヾラ》のことなるべし、青つゞらは、古今集などにも見えたり、さて葛の遠長く蔓(ヒ)わたる意に、つゞきたるならむ、(始は妨とある本もあれば、防(ノ)字とせむはさることなり、)○彌遠長《イヤトホナガク》は、行末いよ/\遠長く、いつまでも、ちぎりし事の絶じ、と思へるよしなるべし、○者(ノ)字、舊本に有と作るは誤なり、拾穗本に從つ、校本にも、異本、活字本、有作v者、とあり、○言之故毛《コトノユヱモ》は、事の障もといふなるべし、○木綿手次《ユフタスキ》は、木綿もて造れる手襁《タスキ》なり、幣を棒などするわざするときに、かくることなり、○齊(ノ)字(拾穗本には齋と作り、)は、齋に通(ハシ)用(ヒ)たること、既く云るが如し、(略解に、ことごとく、齋(525)に改めたるは、非ず、)
 
右五首《ミギイツウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、
 
萬葉集古義十三卷之上 終
 
(526)萬葉集古義十三卷之下
 
 ○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3289 御佩乎《ミハカシヲ》。劔池之《ツルギノイケノ》。蓮葉爾《ハチスバニ》。渟有水之《タマレルミヅノ》。往方無《ユクヘナク》。我爲時爾《アガセシトキニ》。應相登《アフベシト》。相有君乎《ウラヘルキミヲ》。莫寢等《ナイネソト》。母寸巨勢友《ハヽキコセドモ》。吾情《ワガコヽロ》。清隅之池之《キヨスミノイケノ》。池底《イケノソコ》。吾者不忍《アレハワスレジ》。正相左右二《タヾニアフマデニ》。
 
御佩乎《ミハカシヲ》は、枕詞なり、御佩之《ミハカシノ》といふに同じ、乎《ヲ》と能《ノ》と、通はし云たる例、既く具(ク)註せるごとし、御佩は、書紀景行天皇(ノ)卷に、御刀此云2彌波迦志《ミハカシト》1、と見え、またやがて劔(ノ)字をも、ミハカシ〔四字右○〕とよめる處もあり、衣を御着《ミゲシ》、弓を御執《ミトラシ》などいふ類なり、○劔池《ツルギノイケノ》は、大和(ノ)國高市(ノ)郡石川村にありと云り、應神天皇(ノ)紀に、十一年冬十月、作2劔(ノ)池、輕(ノ)池、鹿垣(ノ)池、厩坂(ノ)池(ヲ)1、舒明天皇(ノ)紀に、七年秋七月、瑞蓮生2劔(ノ)池(ニ)1、一莖二花《クキハヒトツニシテハナフタツアリ》、皇極天皇(ノ)紀に、三年夏六月癸卯朔戊申、於2劔(ノ)池(ノ)蓮(ノ)中1、有2一莖二萼者1、(蓮の名所なること、これらにて知らる、)諸陵寮式に、劔(ノ)池嶋上(ノ)陵、(輕(ノ)境原(ノ)宮(ニ)御宇孝元天皇、在2大和(ノ)國高市(ノ)郡(ニ)1云々、)○渟有水之《タマレルミヅノ》は蓮葉に渟りたる水は、風などの吹過れば、あるが中にも、はかなくこぼれやすくて、跡方もなきものなれば、往方無《ユクヘナク》の序とせり、十六に、久堅之雨毛落奴可蓮葉爾渟(527)有水乃玉爾似將有見《ヒサカタノアメモフラヌカハチスバニタマレルミヅノタマニニタルミム》、○往方無は、ユクヘナクと訓べし、但し無(ノ)字、元暦本に連と作るは無《ナミ》の借(リ)字にや、(七(ノ)卷に、連庫山《ナミクラヤマ》とあり、)さらばナミ〔二字右○〕とも訓べし、ナミ〔二字右○〕は無《ナミ》と云むが如し、○應相登は、アフベシト〔五字右○〕と訓べし、○相有君乎は、もとのまゝに、アヒタルキミヲ〔七字右○〕とよむ時は、吾がよるべなくせし時に、汝に逢べしとて、逢たる君なるを、と云意なり、又本居氏(ノ)説に、相有君乎は、ウラヘルキミヲ〔七字右○〕と訓べきにや、さらば卜(ノ)字落たるか、さらずとも、しか相《サウ》する意にて、ウラヘル〔四字右○〕と訓べし、と云り、○莫寢等《ナイネソト》、(寢(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、寐と作り、)相宿することなかれ、との意なり、○母寸巨勢友《ハヽキコセドモ》は、母宣《ハヽノタマ》へどもと云が如し、君に相宿することなかれと、母は云付給へれどもの意なり、○吾情《ワガコヽロ》は、清《キヨ》といひ屬《ツヾケ》て、君がため心の清淨なるからは、異心はもたず、と云なり、三(ノ)卷に、妹毛吾毛清之河之《イモモアレモキヨミノカハノ》云々、○清隅之池《キヨスミノイケ》は、大和(ノ)國添上(ノ)郡高樋村にありて、其(ノ)水|甚《イト》清潔《キヨ》しとぞ、堀河(ノ)院後百首に、顯仲、みぎはには立もよられぬ山賤の影はづかしき清すみの池、按(フ)に、清隅は、元(ト)はキヨス〔三字右○〕と唱(ヘ)しにもあらむか、隅(ノ)字ス〔右○〕と訓例は、書紀に、天(ノ)日隅(ノ)宮とあるを、出雲風土記には、天(ノ)日栖《ヒスノ》宮と書(キ)、姓氏録に、吾田片隅(ノ)命とあるを、舊事紀には、阿田賀田須《アタカタスノ》命とかけり、されど清隅は、もとよりキヨスミにてもあらむか、其は定めては云がたし、驚ろかしおくのみなり、○池底《イケノソコ》と云に、心を奥深めて思ふ意を、こめたるなり、○吾者不忍、忍(ノ)字、元暦本に志と作り、これによるに、志は忘の誤なるべし、アレハワスレジ〔七字右○〕と訓べし、
 
(528)反歌《カヘシウタ》。
 
3290 古之《イニシヘノ》。神乃時從《カミノトキヨリ》。會計良思《アヒケラシ》。今心文《イマコヽロニモ》。常不所忘《ツネワスラエズ》。
 
常不所忘、(忘(ノ)字、舊本に念と作るは誤なり、今は拾穗本に從つ、)ツネワスラエズ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、わが前身、神の御代にありし時より、夫婦となりて、逢けるならし、今現在に、常々心に得忘られずと、佛説にいはゆる、過去の因縁を云るなるべし、(岡部氏は、本は、男女の必(ズ)相あふことをいひ、末は、吾(ガ)今も此(ノ)事をわすれず、と云なり、本は卷(ノ)一三山(ノ)御歌など、御代より、しかにあれこそなど、古今同じき、男女の中のことを、のたまふはひとし、と云れど、さる意とはきこえず、神乃御代從《カミノミヨヨリ》といはずして、時從《トキヨリ》といへるも、前世の意ときこえたるをや、)
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3291 三芳野之《ミヨシヌノ》。眞木立山爾《マキタツヤマニ》。青生《シヾニオフル》。山菅之根之《ヤマスガノネノ》。慇懃《ネモコロニ》。吾念君者《アガモフキミハ》。天皇之《オホキミノ》。遣之萬萬《マケノマニマニ》。夷離《ヒナザカル》。國治爾登《クニヲサメニト》。群鳥之《ムラトリノ》。朝立行者《アサタチユケバ》。後有《オクレタル》。我可將戀奈《アレカコヒナム》。客有者《タビナレバ》。君可將思《キミカシヌハム》。言牟爲便《イハムスベ》。將爲須便不知《セムスベシラニ》。足日木《アシヒキノ》。山之木末爾《ヤマノコヌレニ》。延津田乃《ハフツタノ》。別之數《ワカレノアマタ》。惜物可聞《ヲシクモアルカモ》。
 
青生は、重生の誤なりと云り、シヾニオフル〔六字右○〕と訓べし、○天皇之は、天(ノ)字は、大の誤なり、オホキミノ〔五字右○〕と訓べし、○遣之萬萬(舊本に、或本云、王命恐、と註せり、何れにてもあるべし、)は、マケノマ(529)ニマニ〔七字右○〕と訓べし、十七に、大王能麻氣乃麻爾末爾《オホキミノマケノマニマニ》、又十八に、於保伎見能末伎能末爾末爾《オホキミノマキノマニマニ》、ともあり、○夷離國治爾登《ヒナザカルクニヲサメニト》、舊本に、或本云|天疎夷治爾等《アマザカルヒナヲサメニト》、と註せり、此は何れにてもあるべし、夷離《ヒナザカル》國を治めにとて、と謂なり、夷離《ヒナザカル》とは、夷《ヒナ》に離《サカ》る、と云意なり、十九に、天皇之命恐夷放國乎治等《オホキミノミコトカシコミヒナザカルクニヲヲサムト》云々、○群鳥之《ムラトリノ》は、枕詞なり、○我可將戀奈は、アレカコヒナム〔七字右○〕と訓べし、奈(ノ)字を添たるは、いさゝか心得がたき書法《カキザマ》なれども、かゝる例集中にあり、將戀にてはコフラム〔四字右○〕とも、コヒケム〔四字右○〕ともよまるれば、こゝはコヒナム〔四字右○〕とよむべきナ〔右○〕の言を知さむために、かく書るなり、十(ノ)卷に、吾《アレ》可《ベシ》2戀奴《コヒヌ》1、十六に、將《ム》2若異《ワカケ1、などあるも、此(ノ)例なり、○足日木《アシヒキノ》云々の二句、舊本にはなくして、此間に、或書(ニ)有2足日木山之木末爾(ノ)句1也、と註せり、此は必(ズ)あるべき句なれば、今本章に書連つ、○延津田乃《ハフツタノ》は、枕詞なり、舊本此(ノ)下に、歸之(ノ)二字ありて、或本無2歸之句1也、と註せり、此(ノ)字無ぞ宜き、○別之數《ワカレノアマタ》は、數《アマタ》は、惜へ屬れる詞なり、すぐれて甚じき謂なり、七(ノ)卷に、敷悲哭《アマタカナシモ》、八(ノ)卷に、安麻多須辨奈吉《アマタスベナキ》、十三に、安萬田悔毛《アマタクヤシモ》、などあり、○惜物可聞は、物の下に、有(ノ)字を落せるなり、ヲシクモアルカモ〔八字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此は夫の任國などへ、まかれるときに、女のよめるなるべし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3292 打蝉之《ウツセミノ》。命乎長《イノチヲナガク》。有社等《アリコソト》。留吾者《トマレルアレハ》。五十羽旱將待《イハヒテマタム》。
 
(530)五十羽旱將待は、旱は日手(ノ)二字の誤なるべし、(校本に、官本旱作2日于二字1、とあり、日手の誤なること、いちじるし、)さらばイハヒテマタム〔七字右○〕と訓べし、(イハヒマチナム〔七字右○〕にては、調わろし、)○歌(ノ)意は、夫(ノ)君に後れて留まれる吾は、夫(ノ)君の歸り來て相見む日まで、身命|平安《サキ》く長らへてあれ、と神を齋ひ祈りて待居む、となり、
ミギフタウタ
右二首《》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3293 三吉野之《ミヨシヌノ》。御金高爾《ミガネノタケニ》。間無序《マナクゾ》。雨者落云《アメハフルチフ》。不時曾《トキジクソ》。雪者落云《ユキハフルチフ》。其雨《ソノアメノ》。無間如《マナキガゴト》。彼雪《ソノユキノ》。不時如《トキジクガゴト》。間不落《マモオチズ》。吾者曾戀《アレハソコフル》。妹之正香爾《イモガタヾカニ》。
 
御金高《ミガネノタケ》は、吉野の、金峯山にて、いはゆる金の御嶽是なり、(しかるを岡部氏が、金は缶の誤にてミヽガノタケ〔六字右○〕と訓べし、といへるは、無證の論《サダ》にて、いみじき人まどへなり、抑々かの岡部氏は、近(キ)世の古學|新開《ニヒバリ》の人とて、人皆したひ仰ぐものから、又かゝる謾説をも、多く云る人なりけり、よく心して、彼(ノ)人の説に泥て、勿《ナ》まどはされそ、)猶一(ノ)卷に具(ク)註るを見て考(フ)べし、○間無序は、マナクゾ〔四字右○〕と訓べし、(間をヒマ〔二字右○〕とよむは、古言に非じ、次なるも同じ、)○不時曾は、トキジクソ〔五字右○〕と訓べし、○此(ノ)歌は、一(ノ)卷なる天武天皇の大御歌と、全(ラ)同じき歌なるを、末(ノ)句少しかはれるは、後に歌ひ違へたるなり、
 
(531)反歌《カヘシウタ》。
 
右に云如く、長歌は、天武天皇の大御歌にて、もとは反歌はなかりしなるべきを、後に少し歌ひ違へて傳へたるより、この短歌を取合せて反歌とせるなるべし、
 
3294 三雪落《ミユキフル》。吉野之高二《ヨシヌノタケニ》。居雲之《ヰルクモノ》。外丹見子爾《ヨソニミシコニ》。戀度可聞《コヒワタルカモ》。
 
歌(ノ)意は、他目《ヨソメ》にのみ見し女なれば、かばかりは思ふまじき理なるに、猶忍びあへずして、戀しく思ひて、月日を經度る事哉、さても堪かたしや、となり、本(ノ)句は、外丹見《ヨソニミシ》といはむ料の序なり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3295 打久津《ウチヒサツ》。三宅乃原從《ミヤケノハラユ》。常土《ヒタツチニ》。足迹貫《アシフミツラネ》。夏草乎《ナツクサヲ》。腰爾莫積《コシニナヅミ》。如何有哉《イカナルヤ》。人子故曾《ヒトノコユヱソ》。通簀文吾子《カヨハスモアゴ》。諾諾名《ウベナウベナ》。母者不知《ハヽハシラズ》。諾諾名《ウベナウベナ》。父者不知《チヽハシラズ》。蜷腸《ミナノワタ》。香黒髪丹《カグロキカミニ》。眞木綿持《マユフモチ》。阿邪左結垂《アザネユヒタリ》。日本之《ヤマトノ》。黄楊乃小櫛乎《ツゲノヲグシヲ》。抑刺《オサヘサス》。刺細子《シキタヘノコハ》。彼曾吾※[女+麗]《ソレソアガツマ》。
 
打久津は、ウチヒサツ〔五字右○〕と訓べし、打日刺《ウチヒサス》といふに同じ、都《ツ》と須《ス》と同韻にて、通し云る例多し、十四に、宇知比佐都美夜能瀬河泊能《ウチヒサツミヤノセガハノ》云々、とあり、○三宅乃原《ミヤケノハラ》は、契冲、景行天皇(ノ)紀に、五十七年冬十月、令2諸國(ニ)1興2田部|屯倉《ミヤケヲ》1、かゝればみやけの原、いづくとも知がたし、今も三宅といふ村の名、河内にあり、その外あまたきこゆ、と云り、○常土《ヒタツチ》(常(ノ)字、舊本に、當と作るは誤なるべし、今は古(532)寫本に從つ、契冲も、當は常の誤なるべし、と云り、土(ノ)字、元暦本に、士と作るはわろし、)は、俗にいふ平地《ヒラチ》なり、五(ノ)卷に、直土爾稾解敷而《ヒタツチニワラトキシキテ》云々、○足迹貫(迹(ノ)字、拾穗本には跡と作り、)は、アシフミツラネ〔七字右○〕と訓べし、歩行を云なるべし、さて此は、馬にも籠にも乘ずて、直に土(ノ)上を歩き行よしなり、○腰爾莫積《コシニニナヅミ》(莫(ノ)字、元暦本には魚と作り、)は、十九に、落雪乎腰爾奈都美※[氏/一]參來之《フルユキヲコシニナヅミテマヰリコシ》、古事記上(ツ)卷に、堅庭者《カタニハハ》於《ニ》2向股《ムカモヽ》1蹈那豆美《フミナヅミ》、また中卷倭建(ノ)命(ノ)后、及御子等の、うたはせる御歌に、阿佐士怒波良許斯那豆牟《アサジヌハラコシナヅム》云々、又入2其(ノ)海塩(ニ)1而|那豆美《ナヅミ》行(ク)時歌曰、宇美賀由氣婆許斯那豆牟《ウミガユケバコシナヅム》、書紀仁徳天皇(ノ)大御歌に、邪珥波譬苔須儒赴泥苔羅齋《ナニハヒトスズフネトラセ》、許辭那豆瀰曾能赴泥苔羅齋《コシナヅミソノフネトラセ》云々、などあり、今は夏草の腰まで障《サヤ》るを、泥《ナヅミ》て行よしなり、○如何有哉《イカナルヤ》云々は、いかなる愛しき女の故にや、かくまで煩はしき路を、通ひて行賜ふぞ、となり、○通簀文吾子《カヨハスモアゴ》は、通ひ賜ふぞ吾子《アゴ》よ、となり、此(レ)まで問なり、吾子《アゴ》は、十九に、藤原(ノ)清河唐に遣(ハ)さるゝ時、光明皇后の御歌に、清河のことを、此(ノ)吾子《アゴ》とよめり、親て呼ぶ稱なり、さて已上二句、七言を二(ツ)重ねたるは、問答躰の格なり、○諾諾名《ウベナウべナ》は、諾名諾名とありしが、今一(ツ)の名(ノ)字の落たるなるべし、次なるも同じ、さて此(レ)より下は、答(ヘ)なり、○母者不知は、ハヽハシラズ〔六字右○〕と訓べし、○父者不知も上に准ふべし、已上四句は、わが隱《シヌビ》て通ふ處の女なれば、父母の知ぬは諾《ウベ》なることぞ、と云なり、○蜷腸《ミナノワタ》は、枕詞なり、既く出つ、○香黒髪丹《カグロキカミニ》は、香《カ》はそへ言にて、黒(キ)髪になり、○眞木綿持《マユフモチ》は、眞《マ》は美稱なり、木綿をもて髪を結なり、十一に、肥(533)人朝髪結在染木綿《ウマヒトノヌカカミユヘルシメユフノ》云々、○阿邪左結垂(邪左(ノ)二字、古寫小本には、左邪と下上にかけり、)は、(契冲が、髪を結たるさまを、※[草がんむり/行]菜《アサヽ》の葉の形にたとへて、アサヽユヒタレ〔七字右○〕とはいふなるべし、と云れど、※[草がんむり/行]菜の形を、頭に結しと云こと、例なし、且邪の濁音の字をさへに書たれば、※[草がんむり/行]菜に非ること決《ウツナ》し、)岡部氏、阿邪左は、何邪志の誤にて、カザシユヒタレ〔七字右○〕なるべし、と云り、又本居氏、或人(ノ)説に、左は尼の誤にて、交《アザネ》なるべし、髪に木綿を交《マジ》へゆひたるなり、これかの白髪つく木綿、とつづくと同じことにて、白髪のごとくに、木綿をつくるよしなり、と云り、此(ノ)説さもあるべし、○日本之は、ヤマトノ〔四字右○〕と訓べし、大和(ノ)國なり、契冲、筑紫櫛など云るごとく、昔大和(ノ)國より、よき櫛を出せるなるべし、と云り、(略解に、此は大和(ノ)國山邊(ノ)郡大和(ノ)郷のことにて、そこに都氣《ツケ》と云所の有を、黄楊に冠らせたるなり、と云るは、強たる説なるべし、○抑刺《オサヘサス》とは、髪の垂(レ)懸《サガ》るを、抑へて刺(ス)、と云なり、和名抄に、百刺櫛は、佐之久之《サシクシ》、○刺細子は、刺は、敷の誤なりと云り、シキタヘノコハ〔七字右○〕と訓べし、重妙子《シキタヘノコハ》は、美女を稱て云るなり、十(ノ)中に、既く云り、○歌(ノ)意は、上は、隱妻ありて、男のしのび/\に通ふを、父母(ノ)列《ツラ》なる人のほのしりて、問さまなり、下は、その男の答(ヘ)にて、わがしのびしのびに通ふことなれば、父母のしらぬは、諾なることなり、實には、しか/”\のうるはしき女ぞ、わが隱妻にて、そこに通ふなる、と云るなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
(534)3296 父母爾《チヽハヽニ》。不令知子故《シラセヌコユヱ》。三宅道乃《ミヤケチノ》。夏野草乎《ナツヌノクサヲ》。菜積來鴨《ナヅミケルカモ》。
 
父母爾《チヽハヽニ》、古本には、母父爾と件り、其に從ば、オモチヽニ〔五字右○〕と訓べし、(略解に、母父とある方古例なり、ハヽチヽニ〔五字右○〕と訓べし、と云るは、例の甚偏りたる論なり、父母《チヽハヽ》と云ること、古言にいと多かるをや、又ハヽチヽ〔四字右○〕と云る言ぞ、例もなきことなる、母父とあるをば、オモチヽ〔四字右○〕とこそいひたれ、)○不令知子故《シラセヌコユヱ》は、知せぬ子なるが故になり、(略解に、子故は、子なるものをの意なり、と云るはわろし、)○菜積來鴨は、ナヅミケルカモ〔七字右○〕と訓べし、(かく訓ずては、長歌の意に叶はず、)ケル〔二字右○〕は、來《キ》ケル〔二字右○〕の縮れる言なり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本には、なし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3297 玉田次《タマタスキ》。不懸時無《カケヌトキナク》。吾念《アガモヘル》。妹西不會波《イモニシアハネバ》。赤根刺《アカネサス》。日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》。烏玉之《ヌバタマノ》。夜者酢辛二《ヨルハスガラニ》。眠不睡爾《イモネズニ》。妹戀丹《イモニコフルニ》。生流爲便無《イケルスベナシ》。
 
赤根刺《アカネサス》云々の四句は、此(ノ)上にもあり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3298 縱惠八師《ヨシヱヤシ》。二二火四吾妹《シナムヨワギモ》。生友《イケリトモ》。各鑿社吾《カクノミコソアガ》。戀度七目《コヒワタリナメ》。
 
二二火四は、火は去の誤にてシナムヨ〔四字右○〕なり、と岡部氏云り、○各鑿《カクノミ》は、借(リ)字にて、如是耳《カクノミ》なり、○(535)目(ノ)字、舊本に日と作るは誤なり、今は古寫本、拾穗本等に從つ。歌(ノ)意は、たとひ生ながらへてありとも、あふべきよしなくて、かくばかりに戀しく思ひて、苦しく月日を經度るべきなれば、生てあるかひなし、よしやよし、今は死失むぞ、吾妹子よ、といへるなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3299 見渡爾《ミワタシニ》。妹等者立志《イモラハタヽシ》。是方爾《コノカタニ》。吾者立而《アレハタチテ》。思虚《オモフソラ》。不安國《ヤスカラナクニ》。嘆虚《ナゲクソラ》。不安國《ヤスカラナクニ》。左丹漆之《サニヌリノ》。小舟毛鴨《ヲブネモガモ》。玉纒之《タママキノ》。小※[楫+戈]毛鴨《ヲカジモガモ》。※[手偏+旁]渡乍毛《コギワタリツヽモ》。相語妻遠《カタラハマシヲ》。
 
妹等者立志《イモラハタヽシ》は、妹等《イモラ》は立賜ひの意なり、妹等の等は、添たる辭なり、五(ノ)卷に、伊毛良遠美良牟《イモラヲミラム》、とあり、立志《タヽシ》は、立《タチ》の延りたる言にて、立賜ひと云むが如し、上に多く見えたり、○左舟漆之云々(漆(ノ)字、舊本に〓と作るは誤なり、元暦本、拾穗本等に從つ、)は、八(ノ)卷七夕(ノ)長歌に、佐丹塗之小船毛賀茂《サニヌリノヲブネモガモ》、玉纏之眞可伊毛我母《タママキノマカイモガモ》、朝奈義爾伊可伎渡《アサナギニイカキワタリ》、夕塩爾伊許藝渡《ユフシホニイコギワタリ》云々、とあるに似たり、○相語妻遠は、妻は益の誤にて、カタラハマシヲ〔七字右○〕なるべし、と略解に云り、相語と書て、カタラフ〔四字右○〕と訓る例、集中に多し、相爭《アラソフ》なども書り、
〔或本歌頭句云。己母理久乃《コモリクノ》。波都世乃加波乃《ハツセノカハノ》。乎知可多爾《ヲチカタニ》。伊母良波多多志《イモラハタタシ》。己乃加多爾《コノカタニ》。和禮波多知※[氏/一]《ワレハタチテ》。〕
(536)或本歌頭句云の六字、拾穗本には一と作て、本章、吾者立而の下に分註せり、この或本歌の、初二句の詞なくてハ、言足はぬやうなり、此(レ)に從べし、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3300 忍照《オシテル》。難波乃埼爾《ナニハノサキニ》。引登《ヒキノボル》。赤曾朋舟《アケノソホブネ》。曾朋舟爾《ソホブネニ》。綱取繋《ツナトリカケ》。引豆良比《ヒコヅラヒ》。有雙雖爲《アリナミスレド》。曰豆良賓《イヒヅラヒ》。者雙雖爲《アリナミスレド》。有雙不得叙《アリナミエズゾ》。所言西我身《イハレニシワガミ》。
 
埼(ノ)字、拾穗本には崎と作り、○赤曾朋舟《アケノソホブネ》は、三(ノ)卷に見えたり、○曾朋舟爾(ノ)四字、古寫本になきはわろし、○綱取繋《ツナトリカケ》までは序なり、綱は、舟の網手繩《ツナデナハ》なり、連《ツヅケ》の意は、下にいふ、○引豆良比《ヒコヅラヒ》は、引《ヒキ》にて、豆良比《ヅラヒ》は、その形容をいふ辭なり、次の曰豆良賓《イヒヅラヒ》も同じ、(略解に、ヒコヅラヒ〔五字右○〕は、ヒコヅリ〔四字右○〕を延いへるにて、ツリ〔二字右○〕は、連の意なり、と云るは、いさゝかあたらず、)丹都良布《ニツラフ》、擧都良布《アゲツラフ》、邊都良布《ヘツラフ》などの都良布《ツラフ》も、これと同じかるべし、さて引豆良比《ヒコヅラヒ》と云るは、古事記上(ツ)卷、八千矛(ノ)神(ノ)御歌に、遠登賣能那須夜伊多斗遠《ヲトメノナスヤイタトヲ》云々、比許豆良比《ヒコヅラヒ》、三善(ノ)爲康が童蒙頌韻に、※[如/手]《ヒコヅラフ》、文選西京(ノ)賦に、※[如/手]攫《ヒコヅラヒ》、など見ゆ、今(ノ)俗に、引豆流《ヒコヅル》と云も、豆流《ヅル》は、豆良布《ヅラフ》の約りたるにて同じ、又源氏物語紅葉(ノ)賀に、中將の、帶をひきときてぬがせ給へば、ぬがじとすまふを、とかくひきじろふほどに、ほころびて、ほろほろとたえぬ、朝貌に、鎖《ジヤウ》のいといたくさびにければ、あかずとうれふるを云々、やゝ(537)久しくひこじろひ、あけていり給ふ、若菜に、猫はまだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付たりけるを、物に引かけ、まつはれにけるを、逃むとひこじろふほどに、夕霧に、惜みがほにひこじろひ賜はねば云々、とかくいひじろひて、この御文はひきかくし給へれば云々、ちひさきちご、はひかゝりひきじろへば、寄生は、けしきばみ、かへしなどひこじろふべきにもあらねば、紫式部日記に、權中納言、すみのまのはしらもとによりて、兵部のおもとひこじろひ、今昔物語、雅通中將家在同形乳母二人語に、左手の手足をとりてひきじろふ云々、うばはれじと引じろひたるに、などもあり、按(フ)に、これらの引じろふ、云じろふは、古言の引づちふ、云づらふと、同じ云樣なり、さて此《コヽ》は人の彼《ソレ》なりといふを、否《イナ》さにあらず、是なりとあらそひいふを、引(ク)と云るなり、○有雙雖爲《アリナミスレド》は、(岡部氏は、雙はなびけなり、いひ/\なびくれど、引つゝなびくれどなり、といへれど、いかゞ、)有(リ)は、有(リ)有(リ)て絶ず物するをいふ言にて、舟の石《イシ》葦《アシ》などに觸て、否(ナ)來らじとするを、猶たゆまず、有(リ)有(リ)て絶ず強て引登ずる言に、いひつゞけたるなるべし、さて本居氏、有雙《アリナミ》は、ありいなみにて、人のいひたつるを、否《イナ》と云て爭ふ事なり、いなといひて、あらそひつれども、いなみ得ずして、人にいひ立られしとなり、右の如く見ざれば、いはれにしといふ詞、又上の序も、かなはず、と云り、是に從(ル)べし、○得字、元暦本に待と作るはわろし、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
(538)此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3301 神風之《カムカゼノ》。伊勢乃海之《イセノウミノ》。朝奈伎爾《アサナギニ》。來依深海松《キヨルフカミル》。暮奈藝爾《ユフナギニ》。來因俟海松《キヨルマタミル》。深海松乃《フカミルノ》。深目師吾乎《フカメシアレヲ》。俟海松乃《マタミルノ》。復去反《マタユキカヘリ》。都麻等《ツマト》。不言登可聞《イハジトカモ》。思保世流君《オモホセルキミ》。
 
勢の下乃(ノ)字、拾穗本には之と作り、○深海松《フカミル》は、二(ノ)卷に、伊久里爾曾深海松生《イクリニソフカミルオフル》云々深海松乃深目手思騰《フカミルノフカメテモヘド》、六(ノ)卷に、奥部庭深海松採《オキヘニハフカミルツミ》云々|深見流乃見卷欲跡《フカミルノミマクホシケド》、など見えたり、海底に生たるを、深海松《フカミル》と云ならむ、猶品物解に云り、さて深目師《フカメシ》をいはむとて、先かく云なり、○深目師吾乎《フカメシアレヲ》は、深めて君を思ひ入たる、吾なるをの意なり、○來困俣海松《キヨルマタミル》(因(ノ)字、拾穗本には依と作り、俣(ノ)字二(ツ)ながら、舊本に俟と作るは誤なり、俣(ノ)字も、字書には見えねど、股と通(ハシ)用たる例、古典に例多し、)は、海松の枝に股あるを云、復去反《マタユキカヘリ》をいはむとて、先(ツ)かく云なり、○復去反《マタユキカヘリ》は、又年月日の行反、と云なり、○都麻等《ツマト》は、妻となり、三言一句なり、○歌(ノ)意は、故ありて、しばらく中絶たるほどによめるにて、年月日の行反りなば、又もとの如くに、夫婦となるべしと、深く思ひ入たる吾なるものを、君はさはおもほさずや、となり、(略解に、旅の別に臨て、女のおぼつかなくおもふを、慰めてよめるなるべし、と云るは、あらず、旅別の意は見えず、)
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
(539)3302 紀伊國之《キノクニノ》。室之江邊爾《ムロノエノベニ》。千年爾《チトセニ》。障事無《ツヽムコトナク》。萬世爾《ヨロヅヨニ》。如是將有登《カクシモアラムト》。大舟乃《オホブネノ》。思恃而《オモヒタノミテ》。出立之《イデタチノ》。清瀲爾《キヨキナギサニ》。朝名寸二《アサナギニ》。來依深海松《キヨルフカミル》。夕難伎爾《ユフナギニ》。來依繩法《キヨルナハノリ》。深海松之《フカミルノ》。深目思子等遠《フカメシコラヲ》。繩法之《ハナノリノ》。引者絶登夜《ヒカバタユトヤ》。散度人之《サドヒトノ》。行之屯爾《ユキノツドヒニ》。鳴兒成《ナクコナス》。行取左具利《ユキトリサグリ》。梓弓《アヅサユミ》。弓腹振起《ユハラフリオコシ》。志之岐羽矣《シシキハヲ》。二手挾《フタツタバサミ》。離兼《ハナチケム》。人斯悔《ヒトシクヤシモ》。戀思者《コフラクモヘバ》。
 
室之江《ムロノエ》は、和名抄に、紀伊(ノ)國牟婁(ノ)郡牟婁(ハ)、無呂《ムロ》、とある處の江なるべし、○障事無は、ツヽムコトナク〔七字右○〕と訓べし、ツヽム〔三字右○〕は、字(ノ)意の如し、四(ノ)卷大伴(ノ)女郎(ノ)歌に、爾障常爲公者《アマヅヽミツネスルキミハ》、とあり、○如是將有登は、カクシモアラムト〔七字右○〕と、訓べし、二(ノ)卷高市(ノ)皇子(ノ)尊(ノ)殯宮之時、人麻呂(ノ)作歌に、萬代然之毛將有登《ヨロヅヨニシカシモアラムト》、(一云、如是毛安色無等《カクシモフラムト》、)○大舟乃《オホブネノ》(乃(ノ)字、拾穗本には之と作り、)は、枕詞なり、○思侍而《オモヒタノミテ》は、深目思子等遠《フカメシコラヲ》と云へ.屬《ツヾ》けて心得べし、○出立之は、イデタチノ〔五字右○〕と訓べし、契冲、出立の清きなぎさにとは、海邊のなり出たる地形をほめたるなり、下に、泊瀬山、忍坂山を、走出の宜しき山、出立のくはしき山とよめるに同じ、と云り、雄略天皇(ノ)紀大御歌に、擧暮利矩能播都制能野磨播《コモリクノハツセノヤマハ》、伊底※[手偏+施の旁]智能與慮斯企夜磨《イデタチノヨロシキヤマ》、和斯里底能與慮斯企夜磨能《ワシリデノヨロシキヤマノ》云々、とあるも、山の成出たる體勢《サマ》を、出立《イデタチ》とも走出《ワシリデ》とも詔へるにて、今と同じ、九(ノ)卷に、出立之此松原乎《イデタチノコノマツバラヲ》、とあるは、走出の堤など云類に、出立て向ふ處を云るにて、其(ノ)意いさゝか、異るべきか、さて此(ノ)句より已下七句は、其(ノ)地の形容をもて云る、句中の序なり、○伎(ノ)字、拾穗本には岐と作り、○繩法《ナハノリ》は、繩苔なり、十二、十五にもよめり、(540)品物解に云り、○深目思子等遠《フカメジコラヲ》は、深く思ひ恃みし子なるものをの意なり、○繩法之《ナハノリノ》は、引絶を、いはむ料なり、繩苔は、いと弱きものなれば、海人の其を採むとて引ば、切絶るものなれば、かく屬けたり、○引者絶登夜《ヒカバタユトヤ》は、引(カ)ば吾(カ)中も絶るとてや、との意なり、○散度日と《サドヒト》は、里人なり、散登妣等《サトビト》と云べきを、妣《ビ》の濁音を上へ轉して、散度比等《サドヒト》と云るなり、集中に、馬多藝《ウマタギ》を馬太吉《ウマダキ》、夜降《ヨクダチ》を夜具多知《ヨグタチ》と云る類にて、古言の一(ノ)格なり、このことは、既く本居氏(ノ)説を引て具(ク)云り、九(ノ)卷に、惑人《サドヒト》、十(ノ)卷に、惑者《サドヒト》、なども見えたり、○行之屯爾《ユキノツドヒニ》(屯(ノ)字、舊本に長と作るは誤なり、今は、一本に從つ、校本にも、中本、宮本古寫本長作v屯、とあり、)は、多くの里人等の行(キ)聚《ツド》ふよしなり、○鳴兒成《ナクコナス》は、枕詞なり、(契冲が、鳴は嗚にて、ヲノコナス〔五字右○〕にや、と云るは、非ず、)○行取左具利《ユキトリサグリ》、左具制《サグリ》は、探にて、小兒の這行て、物を採り取る如く、女を誂《カタラ》ふとて、取付すがるを云り、(契冲が、行を靱と見たるは非なり、)○梓弓より已下四句は、句中の序なり、○弓腹振起《ユハラフリオコシ》は、古事記に、弓腹振立《ユハラフリタテ》と見えたり、本居氏彼(ノ)記(ノ)傳に、弓(ノ)末に、腹《ハラ》と稱(ヅ)くる處の有よし、委(ク)云り、三(ノ)卷に、大夫之弓上振起射都流矢乎《マスラヲノユスエフリオコシイツルヤヲ》、十九に、梓弓須惠布理於許之《アヅサユミスヱフリオコシ》、投矢毛知千尋射和多之《ナゲヤモチチヒロイワタシ》、なども見ゆ、○志之岐羽(之(ノ)字、拾穗本には乃と作り、)は、未(タ)詳ならず、(契冲、舊訓にシノギハ〔四字右○〕とあるに依て、凌羽は、矢のことなり、凌は侵すこゝろなり、矢は敵をしのぐ器なり、と云り、岡部氏も舊訓によりて、シノギ〔三字右○〕羽は、風切羽をいへば、征矢に專(ラ)用ふべきことなり、と云り、されど、此處の書樣にては、之(ノ)字をノ〔右○〕の假字(541)に用ひしものとも思はれず、又或説に、シヽキハ〔四字右○〕は、しわのある羽の矢なり、といへれど、矢羽にしわのあらむこと如何なり、猶考べし、夫木集に、しきりはのやさしきものはあやめ草けふ引すつる眞弓なりけり、とあるは、こゝの志之岐羽《シシキハ》と同じきか、いかでしきり羽とはいひけむ、)古(ヘ)かく云矢羽の稱ありしならむ、○人斯悔梅《ヒトシクヤシモ》は、人は、我の誤にはあらざるか、人にても自《ミ》のことなり、○戀思者は、コフラクモヘバ〔七字右○〕と訓べし、○歌(ノ)意は、まづ室之江(ノ)邊は、其女の住處なり、さて其(ノ)處に、男の親く通ひ住るにて、その女と、千年萬歳にことゆゑなく、共にかくて語はむ、と奥を深めて、おもひたのみたるものを、いで其(ノ)中をも、引ば絶なむものをとてや、多くの思人等の行つどひて、爭ひつゝ、取すがりいざなひて、吾(カ)中を引離ちけむ、その時に、ともかうもすべきやうあるべきに、尋常ならず、安からぬさまなれば、後難を恐れて、よしやと思ひ切て、放ちやりしことの、今はたかく堪がたきまで、戀しく思はるゝにておもへば、さても悔しや、となり、(此(ノ)歌(ノ)意、今まで解得たる人なし、)
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3303 里人之《サトビトノ》。吾丹告樂《アレニツグラク》。汝戀《ナガコフル》。愛妻者《ウツクシツマハ》。黄葉之《モミチバノ》。散亂有《チリミダリタル》。神名火之《カムナビノ》。彼山邊柄《ソノヤマヘカラ》。烏玉之《ヌバタマノ》。黒馬爾乘而《クロマニノリテ》。河瀬乎《カハノセヲ》。七湍渡而《ナヽセワタリテ》。裏觸而《ウラブレテ》。妻者會登《ツマハアヘリト》。人曾告鶴《ヒトソツゲツル》。
 
(542)告樂《ツグラク》は、告るやうは、と云むが如し、○妻《ツマ》は、借て書るにて、夫《ツマ》なり、四(ノ)卷に、出去之愛夫者《イデユキシウツクシツマハ》、○神名火《カムナビ》は、高市(ノ)郡飛鳥のなるべし、○彼山邊柄《ソノヤマヘカラ》は、舊本に、彼(ノ)字を此と作て、或本云彼山邊、と註せるに從つ、柄《カラ》は從《ヨリ》といふに同じ、○黒馬爾乘而は、クロマニノリテ〔七字右○〕と訓べし、四(ノ)卷に、夜干玉之黒馬之來夜者《ヌバタマノクロマノクヨハ》、とあり、此(ノ)下にも、同詞見えたり、○河瀬《カハノセ》は、明日香河なるべし、○七湍《ナヽセ》、は湍《セ》の多くあるを云なり五(ノ)卷に、麻都良我波奈奈勢能與騰波《マツラガハナナセノヨドハ》、七(ノ)卷に、明日香河七瀬之不行爾《アスカガハナヽセノヨドニ》、などよめり、○裏觸而《ウラブレテ》は、物思ひ愁憐《カナシ》みたるを云、集中に甚多き詞なり、○歌(ノ)意は、本居氏、女の戀したふ男に、或人の道にて逢たることを、其(ノ)女に語るを聞て、女のよめるなり、と云る如し、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3304 不聞而《キカズシテ》。黙然有益乎《モダアラマシヲ》。何如文《ナニシカモ》。公之正香乎《キミガタヾカヲ》。人之告鶴《ヒトノツゲツル》。
 
黙然、舊本下上に誤れり、今は古寫本、官本、拾穗本、活字本等に從つ、○公人正香乎《キミガタダカヲ》は、君がありさまを、と云むが如し、正香《タゞカ》とは、すべて他處にある人のありさまを、とりもなほさず、直に此方にていふ言なり、(後(ノ)世、正香《タヾカ》と眞坂《マサカ》と混れたるよし、玉勝間八(ノ)卷に委(ク)辨(ヘ)たり、合(セ)見て考べし、なほ四(ノ)下にも既く云り、)○歌(ノ)意は、君がありさまを、あやにくに、何しに人の告つるぞ、はじめより聞ずして、たゞなほあらましかば、かゝる物思(ヒ)は、すまじきものを、となり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
(543)此(ノ)三字、拾穗本にはなし、
 
問答《トヒコタヘノウタ》。
 
答の下、拾穗本には、歌十八首(ノ)四字あり、又並次に、二首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3305 物不念《モノモハズ》。道行去毛《ミチユキナムモ》。青山乎《アヲヤマヲ》。振放見者《フリサケミレバ》。茵花《ツヽジハナ》。香未通女《ニホヒヲトメ》。櫻花《サクラハナ》。盛未通女《サカエヲトメ》。汝乎曾母《ナヲソモ》。吾丹依云《アニヨスチフ》。吾※[口+立刀]曾毛《アヲソモ》。汝丹依云《ナニヨスチフ》。荒山毛《アラヤマモ》。人師依者《ヒトシヨスレバ》。余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》。汝心勤《ナガコヽロユメ》。
 
道行去毛《ミチユキナムモ》は、道行なまし物をの意なり、又按ふに、毛は、乎(ノ)字の誤にてもあるべし、○青山乎は、ハルヤマヲ〔五字右○〕と訓べし、五色を四時に配るとき、青は春に當れば、かくは書り、十一にも、青草《ハルクサ》とあり、集中、秋と云に白(ノ)字を書るも、(白風《アキカゼ》、白芽子《アキハギ》など書り、)白は秋に當れば書るにて、同じ意味なり、○振放見者《フリサケミレバ》は、道行觸《ミチコキブリ》に、茵、櫻花を見て、花の如く艶へる妹を、思ふ事の彌増れるなり、○茵花《ツヽジハナ》、(茵字、古寫本に※[草がんむり/固]と作るは、いかゞなり、)三(ノ)卷に、菌花香君之《ツヽジハナニホヘルキミガ》、○香未通女は、ニホヒヲトメ〔六字右○〕と訓べし、(ニホヘル〔四字右○〕とよめるはわろし、)左に載る人麻呂集(ノ)歌に、爾太遙越賣《ニホエヲトメ》、とあるに、同じければなり、なほ次にも云べし、但し十八に、加都良賀氣香具波之君乎《カヅラカケカグハシキミヲ》、とあれば、こゝもカグハシヲトメ〔七字右○〕と訓べくもおもへど、なほニホヒ〔三字右○〕と訓べし、○盛は、サカエ〔三字右○〕と訓べし、これも左に載たるには、佐可遙《サカエ》とあるに同じ、(サカユル〔四字右○〕とよむはわろし、)○汝乎曾母は、ナヲソモ〔四字右○〕と訓べし、母《モ》は、歎息を含める助辭なり、○吾丹依云《アニヨスチフ》云々は、世の人の、吾は汝に依(ル)と云、汝は吾に依(ル)とい(544)ひなすよしなり、されば其(ノ)人言のまに/\、相依むぞ、となり、○吾※[口+立刀]曾毛《アヲソモ》、(※[口+立刀](ノ)字、拾穗本には叫と作り、)曾毛の二字、舊本には下上に誤れり、今は拾穗本に從つ、○荒山毛《アラヤマモ》云々は、上に、加此依等人雖衝無意山之奥礒山《カクヨレトヒトハツケドモコヽロナキヤマノオキソヤマ》、とよめるとは、表裏の意にて、人の如v此《カク》依(レ)とて衝(キ)依(ス)れば、情無(キ)荒山すらも、依とぞ云なると、云なしたるにて、有v情人として、いかでか、それにさかふべきぞ、と云意を含めり、(略解に、疎き山も、人のいひよすれば、さるかたに、山の心もよせとゞむる、と云諺の有て云るか、今の諺に、云(ヘ)ば云出すなど云に似たり、と云るは、聞とりがたし、)○余所留跡序云は、ヨソルトゾイ〔七字右○〕と、本居氏の訓るに從べし、○汝心勤《ナガコヽロユメ》は、かくまで人にも云依られたる上は、汝が心にも、勤々《ユメ/\》たがふことなくして、遂に相依(リ)親みせよ、となり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3306 何爲而《イカニシテ》。戀止物序《コヒヤムモノゾ》。天地乃《アメツチノ》。神乎?迹《カミヲイノレド》。吾八思益《アハオモヒマス》。
 
歌(ノ)意は、戀情を止賜へと、天(ツ)神地(ツ)祇に?白せども、其(ノ)驗なくして、彌増に物思をすれば、今はいか樣にして、思の止べき物ぞ、となり、契冲が、古今集に、戀爲じと御たらし川にせし身祓神は受ずぞ成にけらしも、とあるを、此(ノ)歌の註に引り、○略解に、右の長歌は、古代の歌なるを、此(ノ)短歌は、長歌より見れば後なり、こゝも亂たるなるべし、と云るは、推當なり、何處か後めきたる、
 
3307 然有社《シカレコソ》。歳乃八歳※[口+立刀]《トシノヤトセヲ》。鑽髪乃《キルカミノ》。吾同子※[口+立刀]過《ワガカタヲスギ》。橘《タチバナノ》。末枝乎過而《ホツエヲスギテ》。此河能《コノカハノ》。下文長《シタニモナガク》。汝(545)情待《ナガコヽロマテ》。
 
然有社《シカレコソ》は、然有《シカアレ》ばこその意なり、然有者《シカレバ》と云べきを、者《バ》をいはざるは、古言の常なり、上件の歌に、汝心勤《ナガコヽロユメ》とあるに答て、少女のよめるなり、故(レ)その歌の詞を受て、我もしか思ひてあればこそ、と云なり、かくてこの社《コソ》の言を結めたる詞、下になし、然ればこそ、吾も云々してあるなれ、と、云意なれば、姑く言を加(ヘ)て心得べし、下の汝情待《ナガコヽロマテ》にて、結めたるには非ず、○歳乃八歳※[口+立刀]《トシノヤトセヲ》(上の歳(ノ)字、古寫本、拾穗本等には年と作り、※[口+立刀](ノ)字、拾穗本には叫と作り、下なるも同じ、)は、十一に、年之八歳乎吾竊舞師《トシノヤトセヲアヲヌスマヒシ》、伊勢物語に、あら玉の年の三歳を待わびて、などある、これ年の幾歳といへる語例なり、八歳といへる事の謂は、次にいふ、○鑽髪乃《キルカミノ》(鑽(ノ)字、古寫本に讃と作るは誤なり、文選左太冲(ガ)魏都(ノ)賦に、或※[鬼+隹]v髻(ヲ)而左言、或鏤v膚(ヲ)而鑽v髪(ヲ)、とある、此(ノ)字によりて書るなるべし、)は、子生れて三四歳の比、はじめて髪の未を切る、これを深そぎと云、さてのび行にしたがひて、肩のあたりまでのばして、末を切を、放髪《ハナリノカミ》とも、振分髪《フリワケガミ》とも云、八歳よりは切ずて、のばして後、男は元服、女は髪上するまでを童《ワラハ》と云、髪をわゝらかしてあればなり、さて今は、八歳までに切たる髪の、やゝ延て、肩過て垂るよしなり、○吾同子※[口+立刀]過《ワガカタヲスギ》は、(子(ノ)字古本には千と作る、此も誤にて、)同子は、肩の誤なるべし、伊勢物語に、比べ來し振舟髪も肩過ぬ、とよめり、(過をスグレ〔三字右○〕とよみて、上の然有社《シカアレコソ》を、結びたりとするは、わろし、)○橘末枝乎過而《タチバナノホツエヲスギテ》とは、身(ノ)丈《タケ》のやゝ長《ノビ》て、橘の(546)上枝よりも、なほ長くなるよしなり、さて此間に、假に詞を加へて心得べし、身(ノ)丈《タケ》のやゝ長《ノビ》て、橘の上枝を過て、よきほどの年比にな上りなむ時に、遂に夫婦となりて、にこやかに相宿むものぞ、と云意なり、○此河能《コノカハノ》と云るは、此(ノ)女の住家のあたりの河を、さして云るなり、○下文長《シタニモナガク》とは、心(ノ)裏にも長く、と云なり、下《シタ》は裏《ウチ》と云むが如し、心(ノ)裏なり、○汝情待《ナガコヽロマテ》は、あふ時あらむを、汝が情に待賜ひてよ、となり、汝とは、男をさして云るなり、○以上舊本のまゝに依て註釋しつ、しかれどもなほ心行ず、いかさまにも、初句の上と、橘未枝乎過而《タチバナノホツエヲスギテ》の句の上下とに、脱句あるなるべし、古本範政(ノ)卿の書入にも、此(ノ)あたり、昔より混亂《ミダレ》たりしよし見えたり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3308 天地之《アメツチノ》。神尾母吾者《カミヲモアレハ》。?而寸《イノリテキ》。戀云物者《コヒチフモノハ》。都不止來《カツテヤマズケリ》。
 
歌(ノ)意は、吾(ガ)心に制禁《イサ》むるのみならず、天(ツ)神地(ツ)祇をも?白して、いかで戀情を止賜へと願ひつれども、戀といふえせ物は、かたく止ざりけり、となり、○此(ノ)歌、右の長歌の反歌には、似つかはしからず、上の何爲而《イカニシテ》云々の歌の、轉りたるものなどにやからむ、
 
柿本朝臣人麿之集歌云《カキノモトノアソミヒトマロガウタフミノウタニイハク》。
 
集(ノ)字、拾穗本にはなし、○云(ノ)字、舊本にはなし、拾穗本に從つ、
 
3309 物不念《モノモハズ》。路行去裳《ミチユキナムモ》。青山乎《ハルヤマヲ》。振酒見者《フリサケミレバ》。都追慈花《ツツジハナ》。爾太遙越賣《ニホエヲトメ》。作樂花《サクラハナ》。佐可遙(547)越賣《サカエヲトメ》。汝乎叙母《ナヲゾモ》。吾爾依云《アニヨスチフ》。吾乎叙物《アヲゾモ》。汝爾依云《ナニヨスチフ》。汝者如何念也《ナハイカニモフヤ》。念社《オモヘコソ》。歳八年乎《トシノヤトセヲ》。斬髪乃《キルカミノ》。和子乎過《アガコヲスギ》。橘之《タチバナノ》。末枝乎須具里《ホツエヲスグリ》。此川之《コノカハノ》。下母長久《シタニモナガク》。汝心待《ナガコヽロマテ》。
 
爾太遙越賣は、ニホエヲトメ〔六字右○〕と訓べし、香少女《ニホエヲトメ》なり、爾太遙《ニホエ》は、にほひと云に、全同じ、香は、にほひなるを、轉りては、にほへとも、にほえとも、活く詞なり、十九にも、春花乃爾太要盛《ハルハナノニホエサカエ》而云々、とあり、この例は、萎は、しなひなるを、しなへとも、しなえとも活して云が如し、さて太(ノ)字を保《ホ》に用たる例は、古事記に、御大之御前《ミホノミサキ》、(出雲風土記に、美保《ミホノ》埼、神名帳に、美保《ミホノ》神社などある、是なり、大は太と通(ハシ)書り、下同じ、)また穴大部《アナホベ》書紀には、穴穗部《アナホベ》とあり、)など見ゆ、天武天皇(ノ)紀に、迹太川《トホガハ》、繼體天皇(ノ)紀に、男太迹《ヲホトノ》天皇、續紀卅九に、穴大村主《アナホノスクリ》などあり、遙(ノ)字は、呉音エ〔右○〕なり、(略解に、遙は逕の誤なり、として、ニホヘル〔四字右○〕と訓《よめ》るは、甚じき誤なり、その由は、逕(ノ)字は、ヘル〔二字右○〕とよむべき理なければなり、逕は、へ〔右○〕とかフル〔二字右○〕とか、訓べきことなるをや、)○佐可遙越賣《サカエヲトメ》(佐(ノ)字、舊本に在と作るは誤なり、今は元暦本、拾穗本等に從つ、校本にも、阿本在作v佐、とあり、)は、盛少女《サカエヲトメ》なり、○念社《オモヘコソ》は、念(ヘ)ばこその意なり、○斬髪乃《キルカミノ》の乃(ノ)字、舊本に與と作るは、之の誤なり、〓〓草書混(ヒ)易し、今は眞恒校本に、與一本作v乃、とあるに從つ、○和子は、我肩の誤にて、アガカタ〔四字右○〕なるべし、○須具里《スグリ》(里(ノ)字、拾穗本には利と作り、)は、須藝《スギ》の延りたる言なり、○此(ノ)歌は上の問答二首を、一首に合(セ)て、歌ひ傳へたるなり、汝者如何念也《ナハイカニモフヤ》、と云まで問(ヒ)にて、念社《オモヘコソ》と云より答(ヘ)なり、かく一首に問答をよめ(548)るは、上の、打久津三宅乃原從《ウチヒサツミヤケノハラユ》云々、の歌の類なり、
ミギイツウタ
右五首《》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、二首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3310 隱口乃《コモリクノ》。泊瀬乃國爾《ハツセノクニニ》。左結婚丹《サヨバヒニ》。吾來者《アガクレバ》。棚雲利《タナグモリ》。雪者零來奴《ユキハフリキヌ》。左雲理《サグモリ》。雨者落來《アメハフリキヌ》。野鳥《ヌツトリ》。雉動《キヾシハトヨム》。家鳥《イヘツトリ》。可鷄毛鳴《カケモナク》。左夜者明《サヨハアケ》。此夜者旭奴《コノヨハアケヌ》。入而且將眠《イリテアガネム》。此戸開爲《コノトヒラカセ》。
 
左結婚《サヨバヒ》は、眞結婚《マヨバヒ》といはむが如し、○棚雲利《タナグモリ》(棚(ノ)字、古寫本に櫻と作るは誤なり、)は、雨雲の棚引合て陰《クモ》るをいふ、殿雲入《トノグモリ》といふに同じ、○零來奴《フリキヌ》の奴(ノ)字、一本にはなし、下にも落來とのみあれば、其も然るべし、○左雲理《サグモリ》は、眞陰《マクモリ》と云むが如し、(略解に、左は淺の略か、と云るは、いみじき非なり、)○落來の下に、上の例によらば、奴(ノ)字あるべし、○野鳥《ヌツトリ》(野(ノ)下、拾穗本には津(ノ)字あり、)は、枕詞なり、十六竹取(ノ)翁(ノ)歌に、狹野津鳥來鳴翔續《サヌツトリキナキカケラフ》、とよめり、○家鳥《イヘツトリ》も枕詞なり、○可鷄毛鳴《カケモナク》は、雉のみならず、鷄までも鳴、といふなり、毛《モ》の言に心を付べし、○旭(ノ)字、古寫本には※[永+日]と作り、校本にも、官本旭、作v※[永+日]とあり、○且將眠は、且は吾(ノ)字の誤にや、アガネム〔四字右○〕とあるべければなり、且を旦と見て、アサネム〔四字右○〕と訓るはわろし、○開爲は、ヒラカセ〔四字右○〕と訓べし、ひらけを延云るにて、開き賜へ、といふが如し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此は遠き道路に、雨雪さへ降來りて、からくして女の許へ至れるほど、夜の明たるによめるなり、古事記上(ツ)卷に、八千矛(ノ)神、將v婚2高志(ノ)國之沼河(549)比賣(ヲ)1幸行之時、到2其沼河比賣之家(ニ)1歌曰、夜知富許能迦微能美許登波《ヤチホコノカミノミコトハ》、云々|佐用婆比爾阿理多多斯《サヨバヒニアリタタシ》、用婆比邇阿理加用婆勢《ヨバヒニアリカヨハセ》、多知賀遠母伊麻陀登加受※[氏/一]《タチガヲモイマダトカズテ》、淤須比遠母伊麻陀登加泥婆《オスヒヲモイマダトカネバ》、云々|佐怒都登理岐藝斯波登與牟《サヌツトリキギシハトヨム》、爾波都登理迦祁波那久《ニハツトリカケハナク》云々、とある御歌によりてよめるなり、又書紀繼體天皇(ノ)卷、勾(ノ)大兄(ノ)皇子、親聘2春日(ノ)皇女(ヲ)1御歌に、云々|矢自矩之盧于魔伊禰矢度※[人偏+爾]《シジクシロウマイネシドニ》、※[人偏+爾]播都等※[口+利]柯稽播儺倶儺梨《ニハツトリカケハナクナリ》、奴都等※[口+利]枳蟻矢播等余武《ヌツトリキギシハトヨム》云々、とあり、又十二に、地國爾結婚爾行而太刀之緒毛未解者左夜曾明家流《ヒトクニニヨバヒニユキテタチガヲモイマダトカネバサヨソアケニケル》、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3311 隱來乃《コモリクノ》。泊瀬少國爾《ハツセヲクニニ》。妻有者《ツマシアレバ》。石者履友《イシハフメドモ》。猶來來《ナホソキニケル》。
 
少國爾《ヲクニニ》、(少(ノ)字、拾穗本には小、校本にも、官本少作v小、とあり、爾(ノ)字、拾穗本には丹と作り、)少《ヲ》は、眞《マ》と云むが如し、小里《ヲサト》、小野《ヲヌ》、小峯《ヲミネ》、小谷《ヲタニ》、小床《ヲトコ》、小林《ヲハヤシ》などいふ小《ヲ》に同じ、(小《チヒサ》き謂には非ず、)○歌(ノ)意は、泊瀬の國に妻のあれば、其を一(ト)すぢに戀しく思ひて、石を履て、嶮しき道はあれども、其(レ)をも猶厭はずしてぞ、來にける、となり、長歌反歌共に、こよなくあはれなり、○右長短二首、男の問(ヘ)る意なり、
 
3312 隱口乃《コモリクノ》。長谷小國《ハツセヲクニニ》。夜延爲《ヨバヒセス》。吾大皇寸與《ワガセノキミヨ》。奧床仁《オクトコニ》。母者睡有《ハヽハネタリ》。外床丹《トトコニ》。父者寢有《チヽハネタリ》。起立者《オキタヽバ》。母可知《ハヽシリヌベシ》。出行者《イデユカバ》。父可知《チヽシリヌベシ》。野干玉之《ヌバタマノ》。夜者昶去奴《ヨハアケユキヌ》。幾許雲《コヽダクモ》。不念如《オモハヌゴトク》。隱※[女+麗](550)香聞《シヌフツマカモ》。
 
長谷小國《ハツセヲクニ》、拾穗本には、泊瀬小國丹、と作り、○夜延爲は、ヨバヒセス〔五字右○〕と訓べし、夜延と書るは借(リ)字にて、上の歌に、結婚と書る字(ノ)意なり、抑々|與婆比《ヨバヒ》と云言の意は、呼《ヨブ》なり、今俗に、婦を娶をよぶと云も、即(チ)是(レ)なり、(しかるを、略解に、夜延とは、夜密に通ふを云なり、と云は、字に泥みて云る誤なり、又竹取物語に、やみの夜にも、こゝかしこより、垣間見まどひあへり、さる時よりなむ、よばひとは云ける、と云るは、滑稽《タハブレ》なり、)靈異記に、※[人偏+抗の旁]儷(ハ)與波不《ヨバフ》、とあり、なほ既く、十二、他國爾《ヒトクニニ》云々の歌の下に云るを、見て考べし、○吾夫皇寸與(夫(ノ)字、舊本に大と作るは誤なり、今は古寫本、拾穗本等に從つ、又皇(ノ)字、校本に、古寫本作v王、とあり、)は、皇寸は、王寸とある本につさておもへば、寸三とありしを、下上に誤り、(君を寸三《キミ》と書ること、十六にも見えたり、)又三を、王に誤れるにて、ワガセノキミヨ〔七字右○〕なるべし、(平(ノ)春海(カ)説に、皇寸は、尊(ノ)一字の誤にて、ワガセノミコトヨ〔八字右○〕なるべし、と云れど、よからず、)與《ヨ》は、呼かけたる詞なり、○奥床《オクトコ》は、母の寢處なり、○睡有(睡(ノ)字、古寫本には眠と作り、)は、ネタリ〔三字右○〕と訓べし、○外床丹は、トトコニ〔四字右○〕と訓べし、父の寢處なり、常には奥と口と對へいひ、内と外と對(ヘ)云を、又奥と外と、むかへいへることもあり、後撰集に、いざやまた人の心も白露の奥《オク》にも外にも袖のみぞひづ、枕册子に、奥《オク》にも外《ト》にも、物打なりなどして、おそろしければ云々、など見えたり、○寢(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、寐と作り、○昶(ノ)字、拾穗本には旭(551)と作り、校本にも、阿本昶作v旭、とみゆ、○幾許雲《コヽダクモ》は、隱《シヌブ》へ係て心得べし、○不念如《オモハヌゴトク》は・相思はぬ人の如くにの意なり、○隱※[女+麗]香聞《シヌフツマカモ》は、父母に知せじとて、密《シノ》び隱《カク》す夫《ツマ》哉なり、※[女+麗]は借(リ)字にて夫《ツマ》なり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3313 川瀬之《カハノセノ》。石迹渡《イシフミワタリ》。野干玉之《ヌバタマノ》。黒馬之來夜者《クロマノクヨハ》。常二有沼鴨《ツネニアラヌカモ》。
 
石迹渡は、イシフミワタリ〔七字右○〕と訓べし、○黒馬之來夜者(馬(ノ)字、古寫小本に駒と作るはわろし、)は、クロマノクヨハ〔七字右○〕と訓べし、四(ノ)卷大伴(ノ)郎女(ノ)歌に、狹穗河乃小石踐渡野干玉之黒馬之來夜者年爾母有糠《サホガハノサヾレフミワタリヌバタマノクロマノクヨハトシニモアラヌカ》、○歌(ノ)意は、泊瀬川の石蹈渡りて、吾(ガ)夫の黒馬の通ひ來座夜は、常に絶ずもがなあれかし、となり、○右長短二首、女の答(ヘ)たる意なり、
 
右四首《ミギヨウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3314 次嶺經《ツギネフ》。山背道乎《ヤマシロヂヲ》。人都末乃《ヒトヅマノ》。馬從行爾《ウマヨリユクニ》。己夫之《オノヅマノ》。歩從行者《カチヨリユケバ》。毎見《ミルゴトニ》。哭耳之所泣《ネノミシナカユ》。曾許思爾《ソコモフニ》。心之痛之《コヽロシイタシ》。垂乳根乃《タラチネノ》。母之形見跡《ハヽガカタミト》。吾持有《アガモタル》。眞十見鏡爾《マソミカヾミニ》。蜻蛉巾《アキツヒレ》。負並持而《オヒナメモチテ》。馬替吾背《ウマカヘワガセ》。
 
次嶺經《ツギネフ》は、枕詞なり、古事記、仁徳天皇(ノ)大后(ノ)御歌に、都藝泥布夜夜麻志呂賀波袁《ツギネフヤヤマシロガハヲ》、とあり、抑々次嶺(552)經と書るハ、借(リ)字にて、續木根生《ツギキネフ》といふにや、都藝伎《ツギキ》は、都藝《ツギ》と縮れり、續《ツギ》とは、續《ツヅ》き連れるよしなり、連續《ツヾキ》を都藝《ツギ》と云るは、崇神天皇(ノ)紀(ノ)歌に、飫朋佐介珥菟藝廼煩例屡伊辭務邏塢《オホサカニツギノボレルイシムラヲ》云々、(大坂に、連續《ツヾ》き登れる、石群《イシムラ》をのよしなり、)とある、是なり、木根《キネ》とは、祝詞に、磐根木根立《イハネキネタチ》、倭姫(ノ)命(ノ)世紀に、五十鈴原乃荒草木根苅掃比《イスヾノハラノアラクサキネカリハラヒ》云々、古今集神樂歌に、神の木根かも、などある木根にて、やゞ木のことなり、生《フ》は、淺茅生《アサチフ》、蓬生《ヨモギフ》、麻生《ヲフ》、粟田《アハフ》、豆田《マメフ》、などいふ生《フ》にて、原《ハラ》といふに同じ、さて山代とは、代は、苗代《ナハシロ》、網代《アジロ》の代《シロ》にて、樹林の疆ありて、一(ト)構(ヘ)取圍みたるをいふ言なり、されば、連續《ツヾ》きたる木原の山代とは、云るにやあらむ、○山背《ヤマシロ》の下、拾穗本に、乃(ノ)字あるはわろし、○馬從《ウマヨリ》、歩從《カチヨリ》は、馬にて、歩にてと云むが如し、○曾許思爾《ソコモフニ》は、其(レ)を思ふにの意なり、○蜻領巾《アキヅヒレ》は、蜻蛉羽《アキヅハ》の如くなる領巾《ヒレ》を云なるべし、蜻蛉羽の袖など云る類なり、領巾のことは、既く五(ノ)卷に具(ク)云り、(略解に、類聚雜要、又雅亮装束抄などに載たる、鏡の具の比禮《ヒレ》なるべし、と云るは非ず、)○負並持而《オヒナメモチテ》、宮地(ノ)春樹翁、此(ノ)負は、價のことなるべし、俗に、おひを出すと云事あるは、譬は直拾匁ほどの物を買ふに、七匁ほどにあたる物を、此方より渡して、殘(リ)三匁たらざる所を、添てわたすを、三匁のおひを出すと云り、此(ノ)歌も、その意ならば、鏡にては、馬のあたひに足ざるゆゑに、その負に、領巾を添て出す意なるべし、と云り、此(ノ)説に付て、本居氏、今(ノ)俗に云は、轉々したるものにて、古(ヘ)負と云しは、唯直の事にても有べし、その時は、鏡と領巾とを並べて、馬の價に出す意なるべ(553)し、價を負と云むこと、義よくあたれり、名に負など云負も、相直りて過不及なきを云(ヒ)、おふなりと云事も、分限相應にと云意なれば、直の義にあたれり、と云り、○馬替吾背《ウマカヘワガセ》は、馬を買たまへ吾背よ、と云なり、鏡と領巾とを價に出して、馬を買たまへ、と云なり、さて買《カフ》と云も、價と物を取替す由の稱にて、本は替と同言なれば、こゝに替(ノ)字を書り、買はカヒ〔二字右○〕、替はカヘ〔二字右○〕と云て、別ることなりと思ふは、あらず、十二に、浣衣取替河之《アラヒキヌトリカヒガハノ》、と、あるをも思(フ)べし、○歌(ノ)意は、山城路を、他夫の馬に騎て、安らかに、行を、己夫の歩にて、艱難《カラウ》して行賜ふを見るに、いとほしく堪がたければ、己が母の寄物《カタミ》とて、待傳てある、この眞澄鏡に、蜻領巾を並持行て、價に出して、馬を買て、騎て行たまへ、となるべし、此(ノ)歌、反歌に、泉河をよめるによりて思ふに、大和に住人の、山城へ行ことあるほど、よめるなるべし、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3315 泉河《イヅミガハ》。渡瀬深見《ワタリセフカミ》。吾世古我《ワガセコガ》。旅行衣《タビユキゴロモ》。蒙沾鴨《モヌラサムカモ》。
 
渡瀬深見《ワタリセフカミ》、雜式に、凡山城(ノ)國泉川樺井(ノ)渡瀬者、官(ノ)長率2東大寺工等(ヲ)1、毎年九月上旬、造2假橋(ヲ)1、來年三月下旬(ニ)壞収(ヨ)、其(ノ)用度、以2除帳得度田(ノ)地子稻一百束1充之、とあり、その深さ思ひやるべし、○蒙治鴨は、モヌラサムカモ〔七字右○〕と訓べし、蒙は裳《モ》の假字なり、(又裳(ノ)字の誤にてもあるべし、但し略解に、裳に改めて、スソヌレムカモ〔七字右○〕とよめるはわろし、)九(ノ)卷に、雨不落等物裳不令濕《アメハフレドモモヌラサズ》とあるを思(フ)べ(554)し、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、
 
或本反歌曰《アルマキノカヘシウタニイハク》。
 
曰(ノ)字、古寫本にはなし、拾穗本には、右の五字なし、此は泉河《イヅミガハ》云々の一首の或本歌なり、
 
3316 清鏡《マソカヾミ》。雖持吾者《モテレドアレハ》。記無《シルシナシ》。君之歩行《キミガカチヨリ》。名積去見者《ナヅミユクミレバ》。
 
記無《シルシナシ》は、無v益といはむが如し、○歌(ノ)意は、君が歩にて、艱難して行賜ふを見れば、母の寄物《カタミ》と、眞澄鏡を、己が持傳(ヘ)たる益なし、いでこの鏡を進らせむ、此を持行て、直に出して馬を買て、騎て行たまへ、となり、○右長短三首女の問たる意なり、○次の短歌は男の一首にて答(ヘ)たるなり、
 
3317 馬替者《ウマカハバ》。妹歩行將有《イモカチナラム》。縱惠八子《ヨシヱヤシ》。石者雖履《イシハフモトモ》。吾二行《アハフタリユカム》。
 
馬替者、舊本によりて、ウマカハヾ〔五字右○〕と訓べし、(契冲已來、ウマカヘバ〔五字右○〕と訓るは、非なり、カヘバ〔三字右○〕と云て、かへなばの意とするは、俗言の常なり、こゝは未(タ)替ざるほどに云言なればなり、侍を、さもらはゞと云とさもらへばと云と、にて、未來と過去の差別あるを准へ知べし、)替買、同言なるよしは、上に云るが如し、○歌(ノ)意は、上の長歌短歌に、男の答へたるにて、妹を具《トモナ》ひて行べきに、我(ガ)馬を買ば、我は馬に乘てよけれども、妹歩行ならば、苦しかるべきによりて、よしや石は蹈ともいとはじ、我もなほ歩行にて、二人相具ひて、相※[手偏+雋](ヒ)たすけて、道のほどを徐《シヅカ》に往むど、されば馬を買ことはせじ、母君の寄物《カタミ》なれば、なほ其(ノ)物を大切にして、持傳へてあれ、と云意を(555)おもはせたるなるべし、(契冲が、妹にかはりて、我(カ)馬に乘ば、妹はかちにて、女の足なれば行じ、よし/\我石をふみてなづむとも、妹を馬にのせて、ふたり相具してこそゆかめとなり、と云るは、いかゞ、)
 
右四首《ミギヨウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、と云九字あり、
 
3318 木國之《キノクニノ》。濱因云《ハマニヨルチフ》。鰒珠《アハビタマ》。將拾跡云而《ヒリハムトイヒテ》。妹乃山《イモノヤマ》。勢能山越而《セノヤマコエテ》。行之君《ユキシキミ》。何時來座跡《イツキマサムト》。玉桙之《タマホコノ》。道爾出立《ミチニイデタチ》。夕卜乎《ユフウラヲ》。吾問之可婆《アガトヒシカバ》。夕卜之《ユフウラノ》。吾爾告良久《アレニノラク》。吾味兒哉《ワギモコヤ》。汝待君者《ナガマツキミハ》。奧浪《オキツナミ》。來因白珠《キヨスシラタマ》。邊浪之《ヘツナミノ》。縁流白珠《ヨスルシラタマ》。求跡曾《モトムトソ》。君之不來益《キミガキマサヌ》。拾登曾《ヒリフトソ》。公者不來益《キミハキマサヌ》。久有《ヒサナラバ》。今七日許《イマナヌカバカリ》。早有者《ハヤカラバ》。今二日許《イマフツカバカリ》。將有等曾《アラムトソ》。君者聞之二二《キミハキコシシ》。勿戀吾妹《ナコヒソワギモ》。
 
妹乃山《イモノヤマ》、勢能山《セノヤマ》は、既く出つ、○桙(ノ)字、拾穗本には鉾と作り、○夕卜《ユフウラ》とは、夕つ方になす卜なれば、かくいへり、○吾爾告良久は、アレニノラク〔六字右○〕と訓べし、(ツグラク〔四字右○〕と訓れど、卜《ウラ》には、のると云ぞ、常格《ツネノサダマリ》なる、)これは他人の物語して、道を過去を聞て、我(カ)身の上の事にとりなす占なれば、即(チ)其を、吾に告る語とするなり、○吾殊兒哉《ワギモコヤ》は、吾妹子《ワギモコ》よと云が如し、此(レ)より尾句まで、即(チ)夕卜《ユフウラ》の告る語なり、○來因は、キヨス〔三字右○〕と訓べし、奥浪の令《シムル》2來縁《キヨラ》1白珠の意なればなり、(キヨル〔三字右○〕と訓ては、令むることにならず、)次に縁流白珠《ヨスルシラタマ》とあるも、令《スル》v縁《ヨ》白珠の意なるに、相對へて意得べし、二(ノ)卷(556)に、和多豆乃荒磯乃上爾《ワタヅノアリソノウヘニ》、香青生玉藻息津藻《カアヲナルタマモオキツモ》、朝羽振風社依米《アサハフルカゼコソキヨセ》、(來依の誤、)夕羽振浪社來縁《ユフハフルナミコソキヨセ》、○久有の下、者(ノ)字落たるなるべし、○今七日許《イマナヌカバカリ》云々、十七に、知加久安良波伊麻布都可太未《チカクアラバイマフツカダミ》、等保久安良婆奈奴可乃宇知波《トホクアラバナヌカノウチハ》、須疑米也母《スギメヤモ》、九(ノ)卷に、吾去者七日者不過龍田彦勤此花乎風爾莫落《アガユキハナヌカハスギジタツタヒコユメコノハナヲカゼニナチラシ》、(本朝世記に、正暦五年三月廿三日、大神此(ノ)状を間食(シ)天、今日(ヨリ)以後《ノチ》、近は七日、遠は三月之間爾、件(ノ)放火乃輩を、令(メ)2發露(サ)1給(ヒ)天云々、)○今二日許《イマフツカバカリ》は、八(ノ)卷に、今二日許有者將落《イマフツカバカリアラバチリナム》、○君者聞之二二は、キミハキコシヽ〔七字右○〕と訓べし、君はのたまひし、といふに同じ、君とは、夫(ノ)君なり、夫(ノ)君の言を傳へて、夕卜の告よしなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此は官事などありて、假に紀伊(ノ)國へ行し人の、彼(ノ)國は、玉の名産地《ナグハシキトユロ》なれば、拾ひて還り來むぞ、と云て、別しをもて、妻のかくいへるなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3319 枚衝毛《ツヱツキモ》。不衝毛吾者《ツカズモアレハ》。行目友《ユカメドモ》。公之將來《キミガキマサム》。道之不知苦《ミチノシラナク》。
 
杖衝毛《ツヱツキモ》は、杖を衝てもの意なり、三(ノ)卷に、天地乃至流左右二《アメツチノイタレルマデニ》、杖策毛不衝毛去而《ツヱツキモツカズモユキテ》、夕衢占問《ユフケトヒ》、云々、○歌(ノ)意は、杖をつきてなりとも、つかずになりとも、夫(ノ)君を慕ひ尋ねて、行べきなれども、夫(ノ)君が、歸來まさむ道と吾行道と、違はむほどの、しられぬ事、となり、
 
3320 直不往《タゞニユカズ》。此從巨勢道柄《コユコセヂカラ》。石瀬蹈《イハセフミ》。求曾吾來《モトメソアガコシ》。戀而爲便奈見《コヒテスベナミ》。
 
直不往《タヾニユカズ》は、直道を經ず、廻(リ)道をして來りし謂なり、○求《モトメ》は、尋《タヅネ》と云に同じ、○歌(ノ)意は、君を戀しく(557)思ふ心のすべなさのあまりに、早く來らむとは思へども、直道を來らば、君と道路《ミチナミ》の違ひやせむ、と思ふが故に、君が通りに、歸來まさむとおぼしき方へ廻(リ)道をして、艱難《カラク》して尋ねてぞ來し、となるべし、本居氏云、上に道の知なくとみつれども、なほ思ひかねて、出立行てよめるなるべし、(岡部氏は、上の長歌と、杖衝毛云々の反歌まで、女の贈る歌なり、此(ノ)次に、男の答の長歌は落て、直不往云々の反歌のみ殘りしものなり、さて次の左夜深而云々より二首は、別の贈答なりと云り、)此(ノ)歌、上に出たるには、意|少《イサヽカ》異《カカハ》れり、彼處に委(ク)註り、○右長短三首は、女の問たる意なり、○此間に、男の答(ヘ)たる、長歌短歌などのあるべきが、脱たるにや、
 
3321 左夜深而《サヨフケテ》。今者明奴登《イマハアケヌト》。開戸手《トヒラキテ》。木部行君乎《キヘユクキミヲ》。何時可將待《イツトカマタム》。
 
何時可將待《イツトカマタム》、拾穗本に、將待を得待と作るに從(ラ)ば、イツカマチエム〔七字右○〕と訓べきか、○歌(ノ)意は、夜更行て曉になりぬ、さらば今はとて、戸を開き立出て、紀伊へ行君を、いつかへり來まさむとて待て居むぞ、となり、今按(フ)に、此(ノ)歌は、右の男の紀伊(ノ)國へ出立時す、女の作《ヨメ》るなるべし、然れば、右の長歌より前にあるべきを、反歌に並載たるは、混ひたるなるべし、(契冲が、夜にいりてもかへるやと、待ふかして明ぬれば、いとゞはやく戸を開て、待こゝろなり、といへるは、非ず、)○右一首は、女の問たる意なり、○次(ノ)歌は男の答(ヘ)たるなり、
 
3322 門座《カドニヲル》。郎子内爾《ヲトメハウチニ》。雖至《イタルトモ》。痛之戀者《イタクシコヒバ》。今還金《イマカヘリコム》。
 
(558)門座《カドニヲル》は、男を見送るとてなり、○郎子は、娘子の誤なり、○今還金《イマカヘリコム》は、今は、俗に追付、と云意なり、源氏物語末採花に、今心のどかにを、紅葉(ノ)賀に、いまきこえむ思ひながらぞや、野分に、いまこの頃のほどにまゐらせむ、寄生に、よろづは今さぶらひてなむ、などあるに同じ、金は將v來《コム》の二合假字なり、○歌(ノ)意は、我を見送るとて、をとめの門に立出て居しが、我(ガ)立出て、道の間遠く隔りて、見えずなりなば、娘子もまた内にかへり入べし、たとひ内に入とも、安き心もなく、いたく吾を戀慕ふとならば、追付我も立歸りこむとなるべし、末(ノ)句は、行平(ノ)朝臣の、まつとしきかば今歸り來む、といふに似たり、○略解に、門まで送れる女の、わが屋の内へ歸り入ほどの暫の間なりとも、といふ意か、と云るは、いかゞ、
 
右五首《ミギイツウタ》。
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、
 
譬喩歌《タトヘウタ》。
 
此(ノ)間に、拾穗本には、一首作者未詳、といふ六字あり、
 
3323 師名立《シナタツ》。都久麻左野方《ツクマサヌカタ》。息長之《オキナガノ》。遠智能小菅《ヲチノコスゲ》。不連爾《アマナクニ》。伊苅持來《イカリモチキ》。不敷爾《シカナクニ》。伊苅持來而《イカリモチキテ》。置而《オキテ》。吾乎令偲《アレヲシヌハス》。息長之《オキナガノ》。遠智能子菅《ヲチノコスゲ》。
 
師名立は、シナタツ〔四字右○〕と訓べし、自《オラ》此(ノ)地形の、階立たるをいふべし、(級照《シナテル》といふとは別なり、思ひ
(559)混ふべからず、)○都久麻左野方《ツクマサヌカタ》は、近江(ノ)國坂田(ノ)郡筑摩の地の狹額田《サヌカタ》なり、三(ノ)卷に、託馬野爾生流紫《ツクマヌニオフルムラサキ》云々、十(ノ)卷に、狹野方波實爾雖不成《サヌカタハミニナラズトモ》云々、又、沙額田乃野邊乃秋芽子《サヌカタノヌヘノアキハギ》云々、○息長《オキナガ》は、諸陵式に、息長(ノ)墓、(舒明天皇之祖母、名(ヲ)曰2廣姫(ト)1、在2近江(ノ)國坂田(ノ)郡(ニ)1、)廿(ノ)卷に、爾保杼里乃於吉奈我河波半《ニホドリノオキナガガハハ》云云、天武天皇(ノ)紀に、息長(ノ)横河、(續紀十三に、坂田(ノ)郡横河(ノ)頓宮、)更科日記に、不破(ノ)關、あつみ山などこえて、近江(ノ)國おきながと云人の家にやどり、云々、東大寺古文書に、近江(ノ)國坂田(ノ)莊息長(ノ)莊、○遠智能小菅《ヲチノコスゲ》は、遠智は、息長の内にある地(ノ)名なり、七(ノ)卷に、眞珠付越能管原吾不苅人之苅卷惜菅原《マタマツクヲチノスガハラアガカラズヒトノカラマクヲシキスガハラ》、とよめると、同所なるべし、菅の名あるところなり、小菅は、女を譬へたるなり、女を菅に譬へたること、集中には、右に引る七(ノ)卷なると、又三(ノ)卷に、足日木能石根許其思美菅根乎引者難三等標耳曾結焉《アシヒキノイハネコゴシミスガノネヲヒカバカタミトシメノミソユフ》、又七(ノ)卷に、橋立倉橋川河靜菅余苅笠裳不編川靜管《ハシタテノクラハシガハノカハノシヅスゲアガカリテカサニモアマズカハノシヅスゲ》、十一に、眞野池之小菅乎笠爾不縫爲而人之遠名乎可立物可《マヌノイケノコスゲヲカサニヌハズシテヒトノトホナヲタツベキモノカ》、又、垣津旗開沼之菅乎笠爾縫將着日乎待爾年曾經二來《カキツハタサキヌノスゲヲカサニヌヒキムヒヲマツニトシソヘニケル》、又、臨照難波菅笠置古之後者誰將著笠有魚國《オシテルナニハスガカサオキフルシノチハタガキムカサナラナクニ》、又、三島菅未苗在時待者不著也將成三島菅笠《ミシマスゲイマダナヘナリトキマタバキズヤナリナムミシマスガカサ》、又、三吉野之水具麻我菅乎不編爾苅耳刈而將亂跡也《ミヨシヌノミグマガスゲヲアマナクニカリノミカリテミダリナムトヤ》、十四に、宇奈波良乃根夜波良古須氣安麻多阿禮婆伎美波和須良酒和禮和須流禮夜《マウナハラノネヤハラコスゲアマタアレバキミハワスラスワレワスルレヤ》、など見ゆ、こは古事記仁徳天皇(ノ)大御歌に、夜多能比登母登須宜波《ヤタノヒトモトスゲハ》、古母多受多知迦阿禮那牟阿多良須賀波良《コモタズタチカアレナムアタラスガハラ》、許登袁許曾須宜波良登伊波米阿多良須賀志賣《コトヲコソスゲハラトイハメアタラスガシメ》、とあるは、八田(ノ)若郎女を、比(へ)賜へるに本づきて、ひろく女を譬ふる事にな(560)れるなるべし、○不連爾《アマナクニ》は、笠に編ぬことなるを、といふなり、さて此(ノ)一句は、次の伊苅持來《イカリモチキ》の句の下に、めぐらしてきくべし、○伊苅《イカリ》の伊《イ》は、二(ツ)ながらをへ言《コトバ》なり、○不敷爾《シカナクニ》は、薦に編て敷(カ)ぬことなるを、といふなり、此(ノ)一句も、次の伊苅持來而《イカリモチキテ》の句の下に、めぐらしてきくべし、○伊苅持來而《イカリモチキテ》、以上四句は、伊苅持來不連爾《イカリモチキアマナクニ》、伊苅持來而不敷爾《イカリモチキテシカナクニ》、といふ意なるを、故《コトサラ》に句を倒置《オキカヘ》て、調《シラベ》をとゝのへたるなり、(さらずば、連なくに苅持來、敷なくに苅持來、と云こと、いかゞなればなり、)○置而《オキテ》、(谷(ノ)眞潮翁云(ク)、置の上に、東(ノ)字脱たるなるべし、シカネオキテ〔六字右○〕とあるべし、と云り、余もさきには、さることゝ思へりしかども、あらず、猶もとのまゝにて宜し、)三言一句なり、例多し、○息高之《オキナガノ》云々、と未に二(タ)たび云るは、其(ノ)ことを深く歎くにつきて、反復《ウチカヘ》したるなり、○子菅、拾穗本には、小菅と作り、○歌(ノ)意は、未(タ)よごゝろつかざるほどの幼き女を、小菅にたとへたりときこえたり、さてその小菅の生さき、いかにうるはしからむとは思へども、未(タ)刈持來て笠に編(ミ)薦に編て、敷べきほどにいたらざれば、そのまゝ置て、生たたむほどをまちをるに、もし他人に刈(ラ)れなどしては、安からぬことゝ思ふに、かにかくに吾(ガ)心を煩はす小菅ぞ、と云るなるべし、不連爾《アマナクニ》、不敷爾《シカナクニ》も、己妻となして、未(タ)相宿する時にも至らぬ、幼女なるを、と云意を、たとへたるなり、(略解に、此(ノ)女の我に隨ふさまながら、逢事もなきをなげくなり、と云るはわろし、)
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
(561)此(ノ)三字、拾穗本にはなし、
 
挽歌《カナシミウタ》。
 
此間に、拾穗本には、一首井短歌作者未許、といふ九字あり、契冲云、此(ノ)歌以下三首は、高市(ノ)皇子(ノ)尊薨賜ひて後、よみて傷奉る歌なり、第二に、人麻呂のいたみ奉れる歌あり、たがひに見べし、
 
3324 挂纏毛《カケマクモ》。文恐《アヤニカシコシ》。藤原《フヂハラノ》。王都志彌美爾《ミヤコシミミニ》。人下《ヒトハシモ》。滿雖有《ミチテアレドモ》。君下《キミハシモ》。大座常《オホクイマセド》。往向《ユキカハル》。年緒長《トシノヲナガク》。仕來《ツカヘコシ》。君之御門乎《ミキガミカドヲ》。如天《アメノゴト》。仰而見乍《アフギテミツヽ》。雖畏《カシコケド》。思憑而《オモヒタノミテ》。何時可聞《イツシカモ》。吾王之〔三字各右○〕《ワガオホキミノ》。天下〔二字各右○〕《アメノシタ》。曰足座而《シロシイマシテ》。十五月之《モチヅキノ》。多田波思家武登《タタハシケムト》。吾思《アガモヘル》。皇子命者《ミコノミコトハ》。春避者《ハルサレバ》。殖槻於之《ウヱツキガウヘノ》。遠人《トホツヒト》。待之下道湯《マツノシタヂユ》。登之而《ノボラシテ》。國見所遊《クニミアソバシ》。九月之《ナガツキノ》。四具禮之秋者《シグレノアキハ》。大殿之《オホトノノ》。砌志美彌爾《ミギリシミミニ》。露負而《ツユオヒテ》。靡芽子乎《ナビケルハギヲ》。珠手次《タマタスキ》。懸而所偲《カケテシヌハシ》。三雪零《ミユキフル》。冬朝者《フユノアシタハ》。刺楊《サシヤナギ》。根張梓矣《ネバリアヅサヲ》。御手二《オホミテニ》。所取賜而《トラシタマヒテ》。所遊《アソバシヽ》。我王矣《ワガオホキミヲ》。煙立《ケブリタツ》。春日暮《ハルノヒクラシ》。喚犬追馬鏡《マソカヾミ》。雖見不飽者《ミレドアカネバ》。萬歳《ヨロヅヨニ》。如是霜欲得常《カクシモガモト》。大船之《オホブネノ》。憑有時爾《タノメルトキニ》。涙言《アガナミダ》。目鴨迷《メカモマドハス》。大殿矣《オホトノヲ》。振放見者《フリサケミレバ》。白細布《シロタヘニ》。飾奉而《カザリマツリテ》。内日刺《ウチヒサス》。宮舍人方《ミヤノトネリハ》。雪穗《タヘノホノ》。麻衣服者《アサキヌケルハ》。夢鴨《イメカモ》。現前鴨跡《ウツツカモト》。雲入夜之《クモリヨノ》。迷間《マドヘルホトニ》。朝裳吉《アサモヨシ》。城於道從《キノヘノミチユ》。角障經《ツヌサハフ》。石村乎見乍《イハレヲミツヽ》。神葬《カムハフリ》。葬奉者《ハフリマツレバ》。往道之《ユクミチノ》。田付※[口+立刀]不知《タヅキヲシラニ》。雖思《オモヘドモ》。印乎無見《シルシヲナミ》。雖嘆《ナゲケドモ》。奧香乎無見《オクカヲナミ》。御袖往《ミソデモチ》。觸之松矣《フリシマツヲ》。言不問《コトトハヌ》。木雖在《キニハアレドモ》。荒玉之《アラタマノ》。立月毎《タツツキゴトニ》。天原《アマノハラ》。振放見管《フリサケミツヽ》。珠手次《タマタスキ》。懸而思名《カケテシヌハナ》。雖恐有《カシコカレドモ》。
 
(562)挂(ノ)字、拾穗本には掛と作り、○王都志彌美爾《ミヤコシミミニ》は、主都《ミヤコ》も繁森《シミモリ》に、といふなり、(志彌美《シミミ》は、繁々《シミ/\》の略なり、と云説は、いさゝかわろし、)繁く透間なき、といふ言なり、十二に、萱草垣毛繁森雖殖《ワスレグサカキモシミミニウヱタレド》、とあり、十一に、家人者路毛四美三荷雖往來《イヘヒトハミチモシミミニカヨヘドモ》云々、なほ委く、三(ノ)卷大伴(ノ)坂上(ノ)女郎(ガ)悲2歎尼理願(ガ)死去(ヲ)1歌に、内日刺京思美彌爾里家者左波爾雖在《ウチヒサスミヤコシミミニサトイヘハサハニアレドモ》、云々とあるにつきて云り、披(キ)見べし、○人下《ヒトハシモ》は、下《シモ》は借(リ)字、之毛《シモ》は、數ある物の中を取出て云辭なり、次の君下《キミハシモ》も同じ、○滿雖有《ミチテアレドモ》、廿(ノ)卷に、比等波佐爾美知弖波安禮杼《ヒトサハニミチテハアレド》、四(ノ)卷に、人多爾國爾波滿而《ヒトサハニクニニハミチテ》云々、○大座常は、オホクイマセド〔七字右○〕と訓たるに從べし、(岡部氏が、オホマシマセド〔七字右○〕と訓て、おはしますと云は、大ましますの略なり、と云るはわろし、)此(ノ)時、皇子等は、多く、其(ノ)外にも座(シ)ませども、と云なり、○徃向は、いと心得がたきにつきて考(フ)るに、向は、易の誤寫にぞあるべき、草書にて、向易混ぬべし、さらば、ユキカハル〔五字右○〕と訓べし、十八に、徃更年能波其登爾《ユキカハルトシノハゴトニ》、十九に、去更年緒奈我久《ユキカハルトシノヲナガク》、などあるを思ふべし、(今一(ツ)には、向は回の誤にもあるべし、さらばユキカヘル〔五字右○〕と訓べし、六(ノ)卷に、往回雖見將飽八《ユキカヘリミトモアカメヤ》、とみゆ、さて年に回《カヘル》と云るは、十七に、荒璞能登之由吉我弊利《アラタマノトシユキガヘリ》、十八に、安良多末能等之由吉我弊理《アラタマノトシユキガヘリ》、廿(ノ)卷に、安良多末能等之由伎我敝理《アラタマノトシユキガヘリ》、など見えたり、但しこれらの年往回《トシユキカヘリ》は、一年の暮て、又の年に立回るを云て、數年のうへにては、往更《ユキカハル》と云ぞ定(リ)と見えたれば、猶初の説によるべきなり、(略解に、往向を、ユキムカヒ〔五字右○〕と訓て、外にも君はませども、わきて此(ノ)君に心よせて、仕(ヘ)奉るよしなりと、本居氏の(563)説るよし云れど、いとわろし、)○仕來は、ツカヘコシ〔五字右○〕と訓べし、(ツカヘキテ〔五字右○〕と訓るは、甚よろしからず、)○如天《アメノゴト》は、二(ノ)卷、高市(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)歌に、天之如振放見乍《アメノゴトフリサケミツヽ》、○何時可聞《イツシカモ》は、五卷、戀2男子名(ハ)古日(ヲ)1歌に、何時可毛比等等奈理伊弖《イツシカモヒトトナリイデテ》、天安志家口毛與家久母見牟登《アシケクモヨケクモミムト》、大船乃於毛比多能無爾《オホブネノオモヒタノムニ》、とあると、同じ語勢なり、○吾王之天下《ワガオホキミノアメノシタ》の二句は、必(ズ)あるべきが、舊本には落たるなるべし、故(レ)此(ノ)五字を、姑(ク)補加へたり、猶次に云を見て、必(ス)無ては叶はぬことを知るべし、○曰足座而は、(舊訓に、イヒタラマシテ〔七字右○〕とあるにつきて、契冲が、皇子(ノ)尊とは申せども、いまだみかどにおはしまさねば、いつか高みくらにのぼらせ賜ひて、天子といひたらはさむ、と思ひしを云り、と云るは、論(フ)に足(ラ)ず、又岡部氏が、曰は日の誤として、ヒタラシマシテ〔七字右○〕と訓るにつきて、世の萬葉學者も、皆うべなひ居る由なれど、甘心《ウケ》がたし、但し日足と云ことは、古事記、本牟智和氣《ホムチワケノ》御子生れませる時の詔に、何爲日足奉《イカニシテヒタシマツラム》、答白、取2御母(ヲ)1、定(テ)2大湯座若湯座(ヲ)1、宜(シ)2日足奉《ヒタシマツル》1云々、とありて、生(ル)子の日を足すを云ことなれば、何かは彼(ノ)説にもとるべき、とおもふ人も、あるべければ、なほ云べし、抑此(ノ)歌、上には既く年緒長仕來《トシノヲナガクツカヘコシ》と云(ヒ)、下に根張梓矣御手爾所取賜而《ネハリアヅサヲオホミテニトラシタマヒテ》云々、と云るなど、いと稚くまします時の事として、通《キコ》ゆべき理のあるべしやは、かへすがへすも、前後のおもむきを熟(ク)考(ヘ)見べし、其(ノ)上(ヘ)高市(ノ)皇子(ノ)尊とする時は、御年四十餘歳にして薨給へる趣なるをや、故(レ)つら/\思ひめぐらすに、以前の二句は、舊本に必(ズ》脱しこと著し、)曰足は、白之の誤寫にぞあ(564)るべき、草書にて、白之と作るを、曰足と見誤りしものならむ、さらばシロシイマシテ〔七字右○〕と訓べし、六(ノ)卷に、阿禮座御子之嗣繼《アレマシヽミコノツギツギアメノシタシロシマサムト》、天下所知座跡《》云々、とあり、さて白を知の借(リ)字にせるは、二(ノ)卷に、無知《シラナク》を白鳴《シラナク》と書たる此なり、なほ餘にもあり、かくて今の意は、此(ノ)吾(ガ)王皇子(ノ)尊の、何時しかも天津日嗣の高御座に登らせ賜ひ、天下所知座して、大御惠の、四方八方に滿湛しからむと、思憑み仰待奉れるよしなり、二(ノ)卷日並(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)歌に、吾王皇子之命之《ワガオホキミミコノミコトノ》、天下所知食世者《アメノシタシロシメシセバ》、春花之貴在等《ハルハナノタフトカラムト》、望月乃滿波之計武跡《モチツキノタヽハシケムト》、天下四方之人乃《アメノシタヨモノヒトノ》、大船之思憑而《オホブネノオモヒタノミテ》、天水仰而待爾《アマツミヅアフギテマツニ》云々、とあるに、いとよく似たり、○十五月之《モチツキノ》は、枕詞なり、五の下に、夜(ノ)字あるべきを、略て書り、(略解に、夜の字落しか、と云れど、本より略けるならむ、)○多田波思家武登《タタハシケムト》は、二(ノ)卷に、滿波之計武跡《タヽハシケムト》、と書るに同じ、○殖槻於《ウヱツキガウヘ》は、今昔物語に、敷下(ノ)郡植槻寺とあり、(今郡山に、植槻八幡宮ありとぞ、其は此(ノ)植槻より勸請せる神社には非ぬにや、尋べし、)神樂歌小前張に、植槻や田中の杜や、とあるも、同處なり、於《ウヘ》は、藤原之上《フヂハラノウヘ》など云(フ)上《ウヘ》に同じ、○遠人《トホツヒト》は、枕詞なり、既く五(ノ)卷に出つ、○待之下道湯《マツノシタヂユ》は、待《マツ》は借(リ)字にて、松なり、枕詞よりの屬には、待(ツ)意にとれり、下道《シタヂ》は、松の並生る其(ノ)下を行道なり、湯《ユ》は從《ユ》にて、乎《ヲ》と云が如し、○登之而《ノボラシテ》は、登而《ノボリテ》を延言(フ)なり、登賜而《ノボリタマヒテ》といふが如し、○國見所遊《クニミアソバシ》は、望國《クニミ》して、遊興《アソバ》したまひし、となり、國見は、一(ノ)卷に見えてより巳來、往々によめり、高(キ)處より國内を見放るを云(フ)古言なり、○四具禮之秋者《シグレノアキハ》は、※[雨/衆]雨《シグレ》の降(ル)秋者の意なり、露霜の降秋と云べき(565)を即(チ)露霜之秋と云ると同じ語例なり、○懸而所偲《カケテシヌハシ》は、御心にかけて賞愛《メデウツクシ》み賜ひし、と云なり、○刺楊《サシヤナギ》は、枕詞なり、刺木にしたる楊より、根の出來て張と云意に、張梓と云へ、云(ヒ)係たるなり、○根張梓《ネハリアヅサ》は、根《ネ》は、上の枕詞よりの屬に、云たるのみにて、張梓とは、即(チ)弓のことなり、梓(ノ)木は、弓の良材なるが故に、やがて弓を張梓とはいふなり、○御手二、契冲、此(ノ)上に大(ノ)字落たるにや、さらずとも、オホミテニ〔五字右○〕と訓べし、第二に、人丸の、此(ノ)皇子(ノ)尊をいたみたてまつらるゝ歌にも、大御手爾弓取持之《オホミテニユミトリモタシ》とよめり、と云り、○所遊《アソパシヽ》は、遊獵し給ひしを云(ヘ)り、凡て遊《アソブ》とは、廣く云稱なるが、其(ノ)中に、獵の方に云るは、古事記中(ツ)卷、雄略天皇(ノ)大御歌に、夜須美斯志和賀意富岐美能《ヤスミシシワガオホキミノ》、阿蘇婆志斯志斯能夜美斯志能《アソバシシシシノヤミシシノ》云々、同記上(ツ)卷に、鳥遊《トリノアソビ》とあるも、鳥を狩ることなり、又うつぼ物語に、夕射る事を、あそばすと云ることも見ゆ、(又宇律保物語萬歳樂に、これに御手ひとつあそばして、鬼にかませ給へときこえたまへば云々、源氏物語若紫に、僧都|琴《キム》をみづからもてまゐりて、これたゞ御手ひとつあそばして、おなじくは山の鳥も、おどろかし侍らむと、せちにきこえたまへば云々、これらは琴を彈ことを、あそばすと云り、又大和物語に、みかど、立田川紅葉みだれてながるめりわたらばにしき中やたえなむ、とぞあそばしたりける、とあるは、御歌よみし給ふことをいへり、いづれも遊興のすぢを、尊者の爲給ふことを、阿蘇婆須《アソバス》といへり、今(ノ)俗に、何事にても、尊者の爲給ふことを遊婆須《アソバス》と云も、此(レ)より轉れることながら、ひろ(566)く何事にも云ることは、古(ヘ)にはきこえず、)○王の下矣(ノ)字、拾穗本には乎と作り、○煙立《ケブリタツ》(煙(ノ)字、古寫本、拾穗本等には烟と作り、)は、霞立といふに同じ、霞を煙と云る例あり、源氏物語若紫に、後(ロ)の山に立出て、京の方を見たまふに、遙に霞みわたりて、四方の梢、そこはかとなうけぶり渡れるほど云々、とあるも、霞渡れると云に同じ、(熊孺登(カ)詩に、山頭水色薄籠v煙(ヲ)、とあれば、漢國にても、霞を烟と云りときこゆ、)○春日暮は、ハルノヒクラシ〔七字右○〕と訓べし、(略解に、ハルヒノクレニ〔七字右○〕と訓たるは、いとわろし、)長き春日の暮るまで、見奉れども飽ぬよしなり、○喚大追馬鏡《マソカヾミ》は、枕詞なり、二(ノ)卷明日香(ノ)皇女(ノ)殯宮之時(ノ)歌に、鏡成雖見不厭《カゞミナスミレドモアカニ》、○萬歳《ヨロヅヨニ》云々、二(ノ)卷高市(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)歌に、萬代然之毛將有登《ヨロヅヨニシカシモアラムト》、木綿花乃榮時爾《ユフハナノサカユルトキニ》云々、○涙言、(涙(ノ)字、古寫本に度と作るは誤なり、又言の下、一本に可(ノ)字あるもわろし、)は、本居氏、言涙の下上になれるなり、と云り、アガナミダ〔五字右○〕と訓べし、わがなみだが、目を迷はすにや、と云るなり、(岡部氏は、此(ノ)二字は、流言《オヨヅレ》か妖言《マガコト》かの誤なり、およづれことにて有か、又吾(ガ)目の見まどひにやといふなり、言(ノ)下に、歟(ノ)一字落しならむ、と云り、されどなほ上の説によるべし、)言(ノ)字、アガ〔二字右○〕と訓ること、集中に往々見ゆ、欽明天皇(ノ)紀に、言《アレ》念(フ)(詩傳に、言(ハ)我也、)○目鴨迷は、メカモマドハス〔七字右○〕と訓べし、吾(カ)哭(ク)涙が、目を迷はすにや、と云意なり、(メカモマヨヘル〔七字右○〕とよみては、よろしからず、)○白細布飾奉而《シロタヘニカザリマツリテ》は、白布して殯宮を飾れるを云なるべし、二(ノ)卷高市(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)歌に、吾王皇子之御門乎《ワガオホキミミコノミカドヲ》、神宮爾装束奉而《カムミヤニヨソヒマツリテ》、遣使御門之人(567)毛《ツカハシヽミカドノヒトモ》、白妙之麻衣著《シロタヘノアサコロモケシ》、○宮舍人方《ミヤノトネリハ》の下、舊本に、一云者 と註せり、○雪穗《タヘノホ》は、一(ノ)卷に、栲乃穗爾夜之霜落《タヘノホニヨルノシモフリ》、とあり、多閇《タヘ》とは、本(ト)白布の名にて、やがて白き物をば、何にても多閇《タヘ》と云より、十一には、しきたへと云に、敷白とも書り、故(レ)今も雪(ノ)字を書て、義を借れり、穗《ホ》とは、目に立ことをいふ、○麻衣服者は、アサキヌケルハ〔七字右○〕と訓べし、古(ヘ)喪服には、白麻衣《シロアサキヌ》を用ひしこと、既く二(ノ)卷に、書紀を引て具(ク)云り、○雲入夜之《クモリヨノ》は、枕詞なり、くもり夜には、行さき見えずして、道を蹈(ミ)迷ふ故に、かく屬けたり、○迷間は、マドヘルホトニ〔七字右○〕と訓べし、(間をハシ〔二字右○〕と訓むは、こゝにてはわろし、)○朝裳吉《アサモヨシ》は、枕詞なり、既く具(ク)云り、二(ノ)卷に、朝毛吉木上宮乎《アサモヨシキノヘノミヤヲ》、常宮等高之奉而《トコミヤトサダメマツリテ》、○城於道從は、キノヘノミチユ〔七字右○〕と訓べし、二(ノ)卷に、高市(ノ)皇子(ノ)尊城上(ノ)殯宮とある、即(チ)是なり、諸陵式に、三立《ミタチ)》岡、(高市(ノ)皇子、在2大和(ノ)國廣瀬(ノ)郡1、兆域東西六町南北四町、無2守戸1、)と見えて、城(ノ)上は、其(ノ)地の大名なるべし、かくて城(ノ)於《ヘ》に葬(リ)奉れるなるに、此《コヽ》に城於道從角障經石村乎見乍《キノヘノミチユツヌサハフイハレヲミツヽ》、とあるは、いかにぞやおもはるれども、しからず、此は城(ノ)於の方へ行道を、城於(ノ)道と云(ヘ)ば、其(ノ)道より、と云なり、京の方へ行道を京道《ミヤコヂ》、東の方へ行道を東道《アヅマヂ》と云にて、心得べし、○田付※[口+立刀]不知《タヅキヲシラニ》(※[口+立刀](ノ)字、拾穗本には呼と作り、)は、寄(リ)著べき便をしらずに、といふなり、○印乎無見《シルシヲナミ》は、益《シルシ》の無(キ)故にの意なり、○嘆(ノ)字、拾穗本には歎と作り、○奥香乎無見《オクカヲナミ》は、奥底の無(キ)故にの意なり、嘆息の至極なきよしなり、○御袖往は、往は持の寫誤なるべし、さらば、ミソテモチ〔五字右○〕と訓べし、○觸之松矣は、フリテシマツヲ〔七字右○〕と訓べし、上に、遠(568)人待之下道湯《トホツヒトマツノシタヂユ》、とある、其(ノ)松なり、○言不問木雖在《コトトハヌキニハアレドモ》、(言の下、一本に可(ノ)字あるはわろし、木(ノ)字、校本に、官本作v松、とあり、こはいとわろし、)五(ノ)卷梧桐(ノ)日本琴をよめる歌に、許等等波奴樹爾汝安里等母宇流波之吉伎美我多奈禮能許等爾之安流倍志《コトトハヌキニハアリトモウルハシキキミガタナレノコトニシアルベシ》、○立月毎《タツツキゴトニ》は、今より後のなり、十五に、伎美乎於毛比安我古非万久波安良多麻乃多都追奇其等爾與久流日毛安良自《キミヲオモヒアガコヒマクハアラタマノタツツキゴトニヨクルヒモアラジ》、と見ゆ、月毎とは云れど、實には年々月々日々ごとになり、○天原《アマノハラ》は、天(ノ)原を仰(キ)見る如くに、といふなり、○振放見管《フリサケミツヽ》は、右の松を、皇子(ノ)尊を見奉るやうに、仰(ギ)見るよしなり、三(ノ)卷博通法師(ガ)歌に、石室戸爾立在松樹汝乎見者昔人乎相見如之《イハヤトニタテルマツノキナヲミレバムカシノヒトヲアヒミルゴトシ》、○珠手次《タマタスキ》云々は、二(ノ)卷に、作良志之香來山之宮《ツクラシシカグヤマノミヤ》、萬代爾過牟登念哉《ヨロヅヨニスギムトモヘヤ》、天之如振放見乍《アメノゴトフリサケミツヽ》、玉手次懸而將偲恐有騰文《タマタスキカケテシヌハムカシコカレドモ》、とあるに同じ、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3325 角障經《ツヌサハフ》。。石村山丹《イハレノヤマニ》。白栲《シロタヘニ》。懸有雲者《カヽレルクモハ》。皇可聞《オホキミロカモ》。
 
石村山《イハレノヤマ》は、葬(リ)奉れる山には非ねども、城(ノ)於に隣りたる地の、高き山なれば、雲の懸れるまゝ、やがて其を見てよめるなり、○皇可聞は、皇の下に、呂(ノ)字脱たるなるべし、オホキミロカモ〔七字右○〕と訓べし、古事記仁徳天皇(ノ)大后(ノ)御歌に、比呂理伊麻須波淤富岐美呂迦母《ヒロリイマスハオホキミロカモ》、岡部氏は、皇は、吾王の二字を、一字に誤れるなるべし、一本には、星に誤しもあれば、本より亂れしなり、と云り、○歌(ノ)意は、石村(ノ)山に、眞白くかゝりたる雲は、彼や即(チ)吾(ガ)皇、皇子(ノ)命にておはしますらむ、さてもいたは(569)しや、となり、皇極天皇(ノ)紀に、皇孫建王の薨給へるを、かなしみたまへる大御歌に、伊磨紀那屡乎武例我禹杯爾倶謀娜尼母《イマキナルヲムレガウヘニクモダニモ》、旨屡倶之多々婆那爾柯那皚柯武《シルクシタヽバナニカナゲカム》、とあり、今(ノ)歌は、其の立る雲を見て、やがて、皇子(ノ)尊ならむ、と云り、又三(ノ)卷に、隱口能泊瀬山之山際爾伊佐夜歴雲者妹鴨有牟《コモリクノハツセノヤマノヤマノマニイサヨフクモハイモニカモアラム》、ともよめり、(但しこれは、士形(ノ)娘子を、泊瀬山に火葬せる時の歌なれば、火葬の煙を云るなり、今(ノ)歌は、直に雲を見て、よめるなるべし、)
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、といふ六字あり、
 
3326 磯城島之《シキシマノ》。日本國爾《ヤマトノクニニ》。何方《イカサマニ》。御念食可《オモホシメセカ》。津禮毛無《ツレモナキ》。城上宮爾《キノヘノミヤニ》。大殿乎《オホトノヲ》。都可倍奉而《ツカヘマツリテ》。殿隱《トノゴモリ》。隱在者《コモリイマセバ》。朝者《アシタニハ》。召而使《メシテツカハシ》。夕者《ユフヘニハ》。召而使《メシテツカハシ》。遣之《ツカハシシ》。舍人之子等者《トネリノコラハ》。行鳥之《ユクトリノ》。群而待《ムレテサモアヒ》。有雖待《アリマテド》。不召賜者《メシタマハネバ》。劔刀《ツルギタチ》。磨之心乎《トギシコヽロヲ》。天雲爾《アマクモニ》。念散之《オモヒハフラシ》。展轉《コイマロビ》。土打哭杼母《ヒヅチナケドモ》。飽不足可聞《アキタラヌカモ》。
 
磯城島之《シキシマノ》(磯(ノ)字、拾穗本には、礒と作り、)は、日本《ヤマト》の枕詞の如し、既く九(ノ)卷(ノ)下に委(ク)云るを、披(キ)見て合(セ)考(フ)べし、○日本國爾《ヤマトノクニニ》は、大和一國になり、(天(ノ)下の惣名を云(フ)日本にはあらず、)さてこゝは、大和(ノ)國なるに、と云意に云るか、何一(ツ)足《アカ》ぬことなき大和(ノ)國なるに、いかさまに、おもほしめしたまへばにや、と云意に、つゞきたればなり、思ふに、爾は、もしは乎(ノ)字にてもありしならむか、日本國(570)乎《ヤマトノクニヲ》とあるときは、大和(ノ)國なるものを、と云意にて、理さだかなり、○何方御念食可《イカサマニオモホシメセカ》、此(ノ)下に、云々ありけむと云詞を、假に加(ヘ)てきくべし、さらでは、可《カ》の詞の結なくて、いかゞなり、いかさまにおもほしめしたまへばにや、云々ありけむ、と云意なればなり、その云々は、津禮毛無《ツレモナキ》云々、と云る、即(チ)それなり、一(ノ)卷人麻呂の、近江(ノ)舊都を過る時の歌にも、何方御念食可《イカサマニオモホシメセカ》、天離夷者雖不有《アマザカルヒナニハフラネド》、とあり、此も大和(ノ)國にて、何を足《アカ》ず、いかさまにおもほしめしたまへばにや、云々ありけむ、といふ意につゞきたり、なほ彼處に、委(ク)説り、○津禮毛無《ツレモナキ》、三(ノ)卷坂上(ノ)郎女が、新羅(ノ)尼理願を悲める歌に、何方爾念鷄目鴨《イカサマニオモヒケメカモ》、都禮毛奈吉佐保乃山邊爾《ツレモナキサホノヤマヘニ》、哭兒成慕來座而《ナクコナスシタヒキマシテ》、六(ノ)卷に、忍照難波乃國者《オシテルナニハノクニハアシ》、葦垣乃古郷跡《アシカキノフリニシサトヽ》、人皆之念息而《ヒトミナノオモヒヤスミテ》、都禮母爲有之間爾《ツレモナクアリシアヒダニ》、此(ノ)下に、家人乃將待物矣津煎裳無荒礒矣卷而偃有公鴨《イヘヒトノマツラムモノヲツレモナキアリソヲマキテフセルキミカモ》などあり、言の意は、連《ツレ》も無(キ)といふにて、ともなひよる人もなき謂なり、○城上宮《キノヘノミヤ》は、二(ノ)卷高市(ノ)皇子(ノ)尊城(ノ)上(ノ)殯(ノ)宮、とあるに同じくて、此も同皇子(ノ)尊の殯(ノ)宮のとき、舍人の中によみたる歌なること、契冲考の如し、○大殿乎都可倍奉而《オホトノヲツカヘマツリテ》は、殯(ノ)宮を造り仕(ヘ)奉りて、といふなり、(略解に、陵を造ることゝせるは、いみじきひがことなり、陵を、大殿とは、いかでか云べき、)○隱在者《コモリイマセバ》、(在(ノ)字、拾穗本には座と作り、)隱りおはしませば、といふなり、(去座《イニマセ》ばといふにはあらず、)○朝者《アシタニハ》云々は、皇子(ノ)尊の御在世のほど、朝夕左右に召て、遣(ハ)しゝを云り、○遣之《ツカハシヽ》は、二(ノ)卷(ノ)歌に、遣使御門之人毛《ツカハシヽミカドノヒトモ》、とあり、遣ひ賜ひし、と云なり、○行鳥之《ユクトリノ》は、群《ムレ》の枕詞なり、○群而待は、待は侍(ノ)字の誤(571)なりと云り、ムレテサモラヒ〔七字右○〕と訓べし、○有雖待《アリマテド》は、有(リ)々て絶ず待どの意なり、○不召賜者《メシタマハネバ》は、二(ノ)卷、日並(ノ)皇子(ノ)尊(ノ)舍人(ガ)歌に、東乃多藝能御門爾雖伺侍昨日毛今日毛召言毛無《ヒムカシノタギノミカドニサモラヘドキノモケフモメスコトモナシ》、○劔刀《ツルギタチ》は、枕詞なり、○磨之心乎《トギシコヽロヲ》は、年の緒長く仕(ヘ)奉(リ)て、忠を盡さむと磨清めたる赤心を、と云なり、二十に、都流藝多知伊與餘刀具倍之《ツルギタチイヨヽトグベシ》、四(ノ)卷に、眞十鏡磨師志乎《マソカヾミトギシコヽロヲ》、○天雲爾念散之《アマクモニオモヒハブラシ》は、心を磨たてたるかひなければ、天雲の如くに、念ひ放ち散すなり、散《ハフル》は、源氏物語夕顔に、かゝる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ、赤石に、かくながら、身をはふらかしつるにや、と心ぼそうおほせど、などある、はふるに同じ、○展轉土打哭杼母《コイマロビヒヅチナケドモ》、三(ノ)卷安積(ノ)皇子の薨たまへる時、家持(ノ)卿(ノ)歌に、展轉泥土打雖泣將爲須便毛奈思《コイマロビヒヅチナケドモセムスベモナシ》、○飽不足可聞《アキタラヌカモ》、二(ノ)卷弓削(ノ)皇子の薨賜へる時、置始(ノ)東人(カ)歌に、臥居雖嘆飽不足香裳《フシヰナゲケドアキタラヌカモ》、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、又此間に、元暦本に、挽歌(ノ)二字一行あるは衍《アヤマ》れり、
 
3327 百小竹之《モヽシヌノ》。三野王《ミヌノオホキミ》。金厩《ニシノウマヤ》。立而飼駒《タテテカフコマ》。角厩《ヒムカシノウマヤ》。立而飼駒《タテテカフコマ》。草社者《クサコソハ》。取而飼旱《トリテカヒナメ》。水社者《ミヅコソハ》。※[手偏+邑]而飼旱《クミテカヒナメ》。何然《ナニシカモ》。大分青馬之《アシゲノウマノ》。鳴立鶴《イバエタチツル》。
 
百小竹之《モヽシヌノ》は、枕詞にて、百と多くの小竹の生る眞野《ミヌ》とかゝれるなるべし、小竹は必(ス)野に多く(572)生るものなればなり、白浪之濱《シラナミノハマ》と云て、白浪のよする濱てふ意に聞え、白管之眞野《シラスゲノマヌ》と云て、白管の生る眞野てふ意に聞ゆると、同(シ)類なり、猶此(ノ)事は既く一(ノ)卷に具く云り、披(キ)見て考べし、(冠辭考に、こは百と多くの、しなへたる草の蓑《ミヌ》とつゞきたり、小竹は、訓を借たるのみ、と云るは、いかにぞや、たヾ草を志奴《シヌ》といへる例もなく、小竹は字の如く、小き竹を云なるをや、又蓑は、美乃《ミノ》とも、爾乃《ニノ》ともいへれど、美奴《ミヌ》と云る事なし、)○三野王《ミヌノオホキミ》は、契冲云る如く、栗隈(ノ)王の子にて、諸兄公の父なり、書紀に、天武天皇元年六月辛酉朔壬午、詔2村國(ノ)連男依、和珥部(ノ)臣君手、身毛(ノ)君廣(ニ)1曰、今聞近江(ノ)朝廷之臣等、爲v朕(カ)謀(ル)v害(ヲ)、是以汝等三人、急(ニ)往2美濃(ノ)國(ニ)1云々、朕今|發路《ミチタヽム》、甲申、將v入v東(ニ)云云、遣2佐伯(ノ)連男(ヲ)於筑紫(ニ)1、遣2樟(ノ)使主磐手(ヲ)於吉備(ノ)國(ニ)1並令v興v兵(ヲ)云々、男至2筑紫1、時(ニ)栗隈(ノ)王承(ケ)v符(ヲ)對曰、云々、時(ニ)栗隈(ノ)王之二子、三野(ノ)王、武家(ノ)王、佩v劔(ヲ)立2于側(ニ)1而無v退(コト)、於是男|按《トリシバリ》v劔(ヲ)欲v進(ムト)、還恐v見v亡(サ)、故不v能v成(コト)v事(ヲ)而空還(リヌ)之、十年三月庚子朔丙戌、詔2云々三野(ノ)王云々(ニ)1、令v記2定帝紀及上古(ノ)諸事(ヲ)1、十一年三月甲午朔、命2小紫三野(ノ)王(ニ)1、遣2于新城(ニ)1今v見2其(ノ)地(ノ)形《アリカタヲ》1、仍將v都(ツクラムト)矣、十三年二月癸丑朔庚辰、是日遣2三野(ノ)王云々等(ヲ)於信濃(ニ)1、令v看2地(ノ)形《アリカタヲ》1、將v都2是地(ニ)1歟、閏四月壬午朔壬辰、三野(ノ)王等進2信濃(ノ)國之圖(ヲ)1、十四年九月甲辰朔甲寅、遣2云々彌努(ノ)王(ヲ)於京及畿内(ニ)1、各令v※[手偏+交]2人夫之兵(ヲ)1、持統天皇、八年九月壬午朔癸卯、以2淨廣肆三野(ノ)王(ヲ)1、拜2筑紫(ノ)太宰率(ニ)1、(天武天皇(ノ)紀に、美濃(ノ)王といふも見ゆ、これ同名異人なり、混べからず、)續記に、文武天皇、大寶元年十一月丙子、始任2造太幣司(ヲ)1、以2從五位下彌努(ノ)王云々(ヲ)1爲2長(573)官(ト)1、二年正月乙酉、正五位下美努(ノ)王爲2左京(ノ)大夫(ト)1、慶雲二年八月戊午、從四位下美努(ノ)王爲2攝津(ノ)大夫(ト)1、元明天皇、和銅元年三月丙午、從四位下彌努(ノ)王爲2治部(ノ)卿(ト)1、五月辛酉、從四位下美努(ノ)王卒(ス)、孝謙天皇、天平寶字元年正月庚戌朔乙卯、前(ノ)左大臣正一位橘(ノ)朝臣諸兄薨(ス)云々、大臣贈從二位栗隈(ノ)王之孫、從四位下美弩(ノ)王之子也、と見えたり、○金厩《ニシノウマヤ》は、西(ノ)厩なり、五行を四方に配るときは、金は西に當れば、借て書り、十五に、家布毛可母美也故奈里世婆見麻久保里爾之能御馬屋之刀爾多弖良麻之《ケフモカモミヤコナリセバミマクホリニシノミマヤノトニタテラマシ》、これは右(ノ)馬寮を云るなり、○角厩《ヒムカシノウマヤ》は、東(ノ)厩なり、五聲を四方に配るときは、角は東にあたれば、借て書り、(左傳杜預(ガ)註に、青聲(ハ)角《ヒムカシ》、)○取而飼旱は、旱は甞の誤にて、トリテカヒナメ〔七字右○〕なるべし、と本居氏の云るぞよき、次なるも同じ、神樂歌に、そのこまや我に草こふ、草は取飼、水は取飼む、○大分青馬之は、アシゲノウマノ〔七字右○〕と訓り、(略解に、ヒタヲノコマ〔六字右○〕と訓るは、論(フ)に足ず、)和名抄に、毛詩註(ニ)云、騅(ハ)蒼白雜毛(ノ)馬也、漢語抄(ニ)云、騅馬(ハ)鼠毛也、爾雅註(ニ)云、※[草がんむり/炎]騅(ハ)青白如2※[草がんむり/炎]色(ノ)1也、今按(ニ)、※[草がんむり/炎](ハ)者蘆初(メテ)生也、俗云|葦毛《アシゲ》是(ナリ)、また説文(ニ)云、※[馬+怱](ハ)青白雜毛(ノ)馬也、漢語抄(ニ)云、※[馬+怱](ハ)青馬也、黄※[馬+怱]馬(ハ)葦花毛馬《アシノハナゲノウマ》也、日本紀私記(ニ)云、美太良乎之宇万《ミダラヲノウマ》、と見えたり、葦毛と云も、葦(ノ)花毛と云も同じことにて、青白雜毛なるを云なるべし、(拾遺集に、難波江の葦の花毛のまじれるは津(ノ)國飼の駒にやあるらむ、)さて其(ノ)青白の雜《マジ》れる中に、今少し青き方にかちたるよしにて、今は大分青馬と書たるにやあらむ、○鳴立鶴《イバエタチツル》、(鶴(ノ)字、古寫本に、鴨と作るは誤なり、)和名抄に、玉篇(ニ)云、嘶(ハ)馬(ノ)鳴也、訓2(574)以波由《イバユト》1、俗(ニ)云|以奈奈久《イナナク》、○歌(ノ)意は、三野(ノ)王の東西の厩を立て飼給ひし駒よ、今こそ己が主(ノ)君は、うせ賜ひたれども、草をほしくおもはゞ取て飼(ヒ)、水をほしく思はゞ汲て飼なむものを、何故に然のみ嘶立ぞと云て、いかさま草水をほしく思ふには非で、馬も主(ノ)君の失賜へる悲みに堪ずして、かく殊に嘶立ならむ、となり、馬は飲食のほしき時は、人を見て嘶え鳴ものなれば、かく云り、さて東西(ノ)厩を云るは、多くの馬の鳴立るよしなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3328 衣袖《コロモテヲ》。大分青馬之《アシゲノウマノ》。嘶音《イバエコヱ》。情有鳧《コヽロアレカモ》。常從異鳴《ツネユケニナク》。
 
衣袖は、枕詞なり、コロモテヲ〔五字右○〕と訓べし、阿志氣《アシゲ》と係れるは、(契冲、衣手の色の葦毛、とつゞけたるこゝろなり、と云るは、迂曲《モノドホ》きことにて、)衣袖を襲著《オソケ》と云るなるべし、(十四に、子等《コラ》が於曾伎《オソキ》とあるも、襲著《オソキ》なり、さて其は、表衣《ウハギ》を體に於曾伎《オソキ》といひ、今は襲《オソ》ひ著るといふ意に、用《ハタラ》かして云るなり、)於《オ》と阿《ア》と通ふは、集中に、母を於母《オモ》とも阿母《アモ》とも云るをはじめて、其(ノ)例なほ多かり、さてその於志《オシ》は、於曾比《オソヒ》と云に同じ、曾比《ソヒノ》切|志《シ》なり、又著を氣《ケ》と云は、集中に、蓋世流衣《ケセルコロモ》、とよめるをはじめて、例多し、さて衣手《ソテ》、衣袖《コロモテ》を、著ると云るは、古事記雄略天皇(ノ)大御歌に、斯漏多閇能蘇弖岐蘇那布《シロタヘノソテキソナフ》、とある是なり、〇情有鳧《コヽロアレカモ》(鳧(ノ)字、拾穗本に鴨と作り、)は、情有《コヽロアレ》ばにやの意なり、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、○常從異鳴《ツネユケニナク》は、常に異りて殊に鳴、となり、異なるを氣《ケ》と云ること多し、續紀廿六(575)詔にも、然此多比賜位冠方《サテコノタビタマフクラヰカヽフリハ》、常與利方異仁在《ツネヨリハケニアリ》、とあり、(新古今集に、曾根好忠、おきて見むと思ひしほどに枯にけり露よりけなる朝貌の花、とあるも、今の異《ケ》の言と、同じことゝはきこゆれど、いひざまいさゝか轉(ロ)ひたり、)○歌(ノ)意は、心あるまじき大分青馬《アシゲノウマ》も、主(ノ)君の別を、したひ奉る心のあればにや、常に異りて、殊に甚く鳴ならむ、さても悲しく憐なる聲や、となり、(荒木田氏(ノ)考あり、めづらしければ擧ぐ、金角厩と書て、ニシヒガシ〔五字右○〕とよめる、書ざまをおもふに、大分青馬の青も、ひがしの意に假れる字ならむ、しからば大分の二字も、泰の一字を誤れるものにて、泰は、爾雅に、西風を泰風といふ、と見えたれば、泰は、にしの意に假たる字にて、にしは右、ひがしは左なれば、ミキノウマヤ、ヒダリノウマヤ〔十三字右○〕云々、衣袖ノミギヒダノウマノ〔八字右○〕云々と訓べし、ひだりを、ひだとのみいふは、みぎりをみぎと云に同じ、と云り、しかれども、右はもとよりみぎとのみ云て、みぎりと云ることなく、左はひだりとのみ云て、ひだと云る例なし、されば此(ノ)説を、打きくにはめづらしくおもしろけれども、強解なるべし、)
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首作者未詳、と云六字あり、
 
3329 白雲之《シラクモノ》。棚曳國之《タナビククニノ》。青雲之《アヲクモノ》。向伏國乃《ムカブスクニノ》。天雲《アマクモノ》。下有人者《シタナルヒトハ》。妾耳鴨《アノミカモ》。君爾戀濫《キミニコフラム》。吾耳鴨《アレノミシ》。夫君爾戀禮薄《キミニコフレバ》。
 
(576)白雲之《シラクモノ》云々、向伏國乃《ムカブスクニノ》は、まづ白雲之棚曳國《シラクモノタナビククニ》とは、國あるかぎり、天《ソラ》に雲のたなびくよしにて云、青雲之向伏國《アヲグモノムカブスクニ》とは、青雲は即(チ)蒼天を云て、遙《ハルカ》に遠く望《ミヤ》れば、蒼天の、大地に向ひ伏たる如く見ゆるを云、古語にて、以上四句、落るところは、天(ノ)下國土の極と謂なり、さて青き雲はなければ、青雲は天のことなれど、雲といへるに因て、祝詞等には、たなびくとも云るなり、三(ノ)卷に、天雲乃向伏國《アマクモノムカブスクニノ》、五(ノ)卷に、阿麻久毛能牟迦夫須伎波美《アマクモノムカブスキハミ》、祈年祭成詞に、青雲能靄極《アヲクモノタナビクキハミ》、白雲乃墜坐向伏限《シラクモノオリヰムカブスカギリ》、など見ゆ、○天雲下有人者《アマクモノシタナルヒトハ》は、たゞ天(ノ)下に有(リ)とある人は、と云意なり、五(ノ)卷に、此照《コノテラ》す日月《ヒツキ》の下《シタ》はともよめり、○妾耳鴨君爾戀濫《アノミカモキミニコフラム》は、吾ばかり、かく君を戀しく思ふらむか、餘の人は、かくはあらじ、さても苦しや、との意なり、○吾耳鴨は、鴨は、師(ノ)字などにて有けむを、上の妾耳鴨に、ふと見まがへて、ゆくりなく寫し誤れるなるべし、鴨《カモ》とありては、下に禮薄《レバとあるに、たちまち叶はざればなり、さらばアレノミシ〔五字右○〕と訓べし、○此(ノ)歌、甚錯簡ありと見ゆるにつきて、よく考(フ)るに、以上十句は、全(ラ)相聞の詞なり、混れて此に入しなり、天地滿足《アメツチニミチタラハシテ》と云に連續《ツヾ》かず、故(レ)按(フ)に、天地《アメツチニ》と云より、入座戀乍《イリヰコヒツヽ》と云まで、三十四句は、挽歌なりしが、前後の句の落失たるより、まぎれ入たるなり、故(レ)次の三十四句をおきて、烏玉之黒髪敷而《ヌバタマノクロカミシキテ》云々、とつゞけて心得べし、
 
天地《アメツチニ》。滿言《ミチタラハシテ》。戀鴨《コフレカモ》。※[匈/月]之病有《ムネノヤメル》。念鴨《オモヘカモ》。意之痛《コヽロノイタキ》。妾戀叙《アガコヒゾ》。日爾異爾益《ヒニケニマサル》。何時橋物《イツハシモ》。不戀時等者《コヒヌトキトハ》。不有友《アラネドモ》。是九月乎《コノナガツキヲ》。吾背子之《ワガセコガ》。偲丹爲與得《シヌヒニセヨト》。千世爾物《チヨニモ》。偲渡登《シヌヒワタレト》。萬代爾《ヨロヅヨニ》。(577)語都我部等《カタリツガヘト》。始而之《ハジメテシ》。此九月之《コノナガツキノ》。過莫乎《スギマクヲ》。伊多母爲使無見《イタモスベナミ》。荒玉之《アラタマノ》。月乃易者《ツキノカハレバ》。將爲須部乃《セムスベノ》。田度伎乎不知《タドキヲシラニ》。石根之《イハガネノ》。許凝敷道之《コゴシキミチノ》。石床之《イハトコノ》。根延門爾《ネハヘルカドニ》。朝庭《アシタニハ》。出居而嘆《イデヰテナゲキ》。夕庭《ユフベニハ》。入座戀乍《イリヰコヒツツ》。
 
滿言は、本居氏、言は足の誤にて、ミチタラハシテ〔七字右○〕ならむ、といへり、上にも、物部乃八十乃心呼天地二念足橋《モノヽフノヤソノコヽロヲアメツチニオモヒタラハシ》、とあり、○戀鴨《コフレカモ》は、戀ればにやの意なり、毛《モ》は歎息(ノ)辭なり、○念鴨《オモヘカモ》は、念へばにやの意なり、毛《モ》は、上なるに同じ、○何時橋物《イツハシモ》は、橋は借(リ)字、何時者《イツハ》にて、之毛《シモ》は、數ある物の中を取(リ)出ていふ辭なり、十二に、何時奈毛不戀有登者雖不有得田直比來戀之繁母《イツハシモコヒズアリトハアラネドモウタテコノゴロコヒノシゲキモ》、(奈は志の誤なり、)十一に、何時不戀時雖不有夕方枉戀無乏《イツハシモコヒヌトキトハアラネドモユフカタマケテコフハスベナシ》、古今集に、いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事の限なりける、いつとても戀しからずはあらねども秋の夕はあやしかりけり、○是九月乎《コノナガツキヲ》云々は、此(ノ)歌、九月に、みまかれる人を悲めるにて、何時はと時はわかねども、此(ノ)後もことに、此(ノ)九月をば、常より殊(グ)れて、おもひ出にせよとて、と云なり、○語都我部等《カタリツガヘト》は、絶ず語繼(ゲ)よとて、となり、都我部《ツガヘ》は、都宜《ツゲ》の延りたるにて、(ガヘ〔三字右○〕の切ゲ〔右○〕、)引つゞきて、絶ず物せよ、といふ意なり、○始而之《ハジメテシ》とは、今より後々、語繼始にせよと、はじめたるよしにて、死たる月を云なり、○過莫乎《スギマクヲ》は、過去《スギ》む事を、と云が如し、○月乃易者《ツキノカハレバ》は、この新喪の九月の易り去ば、便るべきすべなく悲しさに、と云なり、○將爲須部乃《セムスベノ》より、入座戀乍《イリヰコヒツヽ》まで十句は、既く上(ノ)相聞(ノ)條(ノ)歌に出たり、其も(578)甚(ク)混れて、そこに出たるものなり、なほ彼處に云るを、引合(セ)て考(フ)べし、○石根之《イハガネノ》云々、古(ヘ)死人を葬りて、一周の間は、親族共、其(ノ)墓所にてやどれりしなり、さて古(ヘ)の墓の形は、まづ死骸をよきほどに埋めて、其(ノ)上に磐石を、疊(ミ)並て、其(ノ)奥方は、もとより岸などのある所をば、やがて其(ノ)岸にかたより、さもなき所は、別に磐石などかまへ、兩傍へは、別にまた磐石を構へ立(テ)、さてその兩傍に構へ立たる磐にもたせて、上には大石を掛わたして、いさゝかも、雨露の漏れざるやうにして、口の方は、人の出入の安さために明おきて、其(ノ)内に籠り居て、其(ノ)墓を守るやうに、したるものなり、今(ノ)世、諸國邊境に、塚穴《ツカアナ》とてあるもの、皆このさまにて、古(ヘ)の墓所なり、今昔物語に美濃(ノ)國へゆきける下衆男の、近江(ノ)國篠原と云所の野中にて、墓穴にやどれりしと云語のあるも、即(チ)この形したるものと見えたり、故(レ)こゝに、石床之根延門《イハトコノネハヘルカド》、とよめるなり、○出居而嘆《イデヰテナゲキ》(居(ノ)字、拾穗本には座と作り、校本に、官本居作v座、阿本同、とあり、)は、墓穴の内を出居て、嘆息《ナゲク》なり、○人座戀乍《イリヰコヒツヽ》は、墓穴の内に入居て、死《スギ》にし人を、戀しく思ひつゝ、となり、さて以上三十四句は、前に云如く、夫の墓所へ、妻などのやどり居るほど、悲(ミ)よめる歌なるが、句の多く落たるなり、故(レ)次の烏玉之《ヌバタマノ》云々へは、つゞくべからず、上に委(ク)云るが如し、
 
烏玉之《ヌバタマノ》。黒髪敷而《クロカミシキテ》。人寢《ヒトノヌル》。味寢者不宿爾《ウマイハネズニ》。大船之《オホブネノ》。行良行良爾《ユクラユクラニ》。思乍《オモヒツヽ》。吾寢夜等者《アガヌルヨラハ》。數物不敢鴨《ヨミモアヘヌカモ》。
 
(579)寢(ノ)字、元暦本には〓、拾穗本には寐と作り、下同じ、○數物不敢鴨《ヨミモアヘヌカモ》、(鴨(ノ)字、舊本に鳴と作るは誤なり、今は活字本に從つ、)上に出たるは、讀文將敢鴨《ヨミモアヘムカモ》、とあり、○以上九句は、上相聞條(ノ)歌に出たり、上に云る如く、烏玉之《ヌバタマノ》已下は、夫君爾戀禮薄《キミニコフレバ》の句に續くべし、
 
右一首《ミギヒトウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に拾穗本には、三首作者未詳、といふ六字あり、
 
3330 隱來之《コモリク》。長谷之川之《ハツセノカハノ》。上瀬爾《カミツセニ》。鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》。下瀬爾《シモツセニ》。鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》。上瀬之《カミツセノ》。年魚矣令咋《アユヲクハシメ》。下瀬之《シモツセノ》。鮎矣令咋《アユヲクハシメ》。麗妹爾《クハシイモニ》。鮎遠惜《アユヲオシミ》。投左乃《ナグルサノ》。遠離居而《トホザカリヰテ》。思空《オモフソラ》。不安國《ヤスカラナクニ》。嘆空《ナゲクソラ》。不安國《ヤスカラナクニ》。衣社薄《キヌコソハ》。其破者《ソレヤレヌレバ》。縫乍物《ヌヒツヽモ》。又母相登言《マタモアフトイヘ》。玉社者《タマコソハ》。緒之絶薄《ヲノタエヌレバ》。八十一里喚※[奚+隹]《ククリツツ》。又物逢登曰《マタモアフトイヘ》。又毛不相物者《マタモアハヌモノハ》。※[女+麗]爾志有來《イモニシアリケリ》。
 
鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》、十九に、毎年爾鮎之走婆左伎多河※[麗+鳥]八頭可頭氣※[氏/一]河瀬多頭禰牟《トシノハニアユシハシラバサキタガハウヲヤツカヅケテカハセタヅネム》、八頭と書るは、漢國にて、鳥獣をかぞふるに、一頭二面など云(ヘ)ば書るなり、十六乞食者(ノ)歌に、韓國乃虎云神乎生取爾八頭取持來《カラクニノトラチフカミヲイケドリニヤツトリモチキ》、(史記三皇本紀に、天地初立、有2天皇氏十二頭1、註に、然言2十二頭1者、非v謂3一人之身有2十二頭1、蓋右質比2之鳥獣數1故也、)○鮎矣令咋《アユヲクハシメ》、これまで十句は序にて、麗妹《クハシイモ》をいはむ料なり、○麗妹爾は、クハシイモニ〔六字右○〕と訓べし、古事記八千矛(ノ)神(ノ)御歌に久波志賣遠阿理登伎許志※[氏/一]《クハシメヲアリトキコシテ》、とよみ給へるも麗女《クハシメ》なり、書紀繼體天皇(ノ)御歌にも、播屡比能可須我能倶※[人偏+爾]々倶婆施謎嗚(580)阿※[口+利]等枳々底《ハルヒノカスガノクニヽクハシメヲアリトキヽテ》、古事記崇神天皇(ノ)條に、目微比賣《メグハシヒメ》と云人(ノ)名もあり、○鮎遠惜は、決《キハメ》て字の誤れるものなり、(岡部氏は、難逢鴨《アヒガタキカモ》か、辭遠借《コトトホザカリ》かの誤ならむ、と云れど非ず、〉故考(フ)めるに、副猿緒とありしを誤れるなどにや、さらばタグヒテマシヲ〔七字右○〕と訓べし、麗妹に、常に副居てましものをの意なり、○投左乃《ナグルサノ》は、枕詞なり、投左《ナグルサ》は、契冲、下に、なぐやとよめるに同じ、第十九にも、なぐやもてちひろいわたし、とよめり、なぐるは、射るなり、さは、やと同韻にて通ぜり、第十四の東歌に、阿良之乎《アラシヲ》のいほさだはさみ、とよめるは、あらちをの五百矢《イホサ》だはさみなり、と云り、今按(フ)に、なぐるは、射るなりと云(ハ)むに、大むねはたがふまじけれど、細にいふときは、常の矢は、弓にかけて發《ハナツ》を、投箭《ナグヤ》は、弓にかけず、箭のみ投(ゲ)發つ故に、投(ク)とは云るなるべし、遠射《トホナゲ》、投壺《ツボナゲ》などいふも、投發つ故の稱なるを思ふべし、此(レ)投と射との差別なり、さてその投發つをも、大よそには、射るともいふ故に、千尋射度しなども云るなるべし、夜《ヤ》を佐《サ》と云るは、神武天皇(ノ)紀に、射2手研耳(ノ)命(ヲ)1、一發《ヒトサニ》中v※[匈/月]、再發《フタサニ》中v背、天武天皇(ノ)紀に、射(テ)中2一箭《ヒトサヲ1、など見え、また後に、矢間《サマノ》板など云も同じ、さてこゝは投(ゲ)發つ矢の、遠ざかるよしに云つゞけたるなり、○遠離居而《トホザカリヰテ》は、葬りたれば、家より遠く離て居るよしなり、(略解に、遠き所に住る、おもひつまの死たる歎なるべし、と云るは、甚(ジ)き非なり、)五(ノ)卷、山上(ノ)憶良(ノ)臣の、妻のみまかれるをかなしめる歌に、阿禮乎婆母伊可爾世與等可《アレヲバモイカニセヨトカ》、爾保鳥能布多利那良※[田+比]爲《ニホドリノフタリナラビヰ》、加多良比斯許許呂曾牟企弖伊弊社可利伊摩須《カタラヒシココロソムキテイヘザカリイマス》、○衣社者《キヌコソハ》云々、玉社者《タマコソハ》云(581)云、社《コソ》は、他にむかへて、その物をとりわきて、たしかにしかりといふ詞なり、衣《キヌ》こそは然れ、玉《タマ》こそは然れ、他はしからず、との意なり、されば此《コヽ》は破(レ)たる衣こそは、なほ縫あはすればあひ、緒絶して亂れたる玉こそは、ふたゝびくゝればあふものなるを、又も逢よしのなきものは、みまかれりし妻にしありけり、と歎くなり、○縫乍物《ヌヒツヽモ》は、縫(ノ)字、元暦本には継と作り、其(レ)に從ば、ツギツヽモ〔五字右○〕と訓べし、○八十一里喚※[奚+隹]《ククリツツ》は、縛《クヽ》り乍《ツヽ》なり、○※[女+麗]爾志有來《イモニシフリケリ》、(爾(ノ)字、舊本に山と作るは誤なり、今は古寫本、拾穗本、活字本等に從つ、)爾志《ニシ》は、さだかにしかりとする意の處におく詞なり、重く歎きたる意、此一言にてあらはなり、心を付てきくべし、
 
3331 隱來之《コモリクノ》。長谷之山《ハツセノヤマ》。青幡之《アヲハタノ》。忍坂山者《オサカノヤマハ》。走出之《ハシリデノ》。宜山之《ヨロシキヤマノ》。出立之《イデタチノ》。妙山叙《クハシキヤマゾ》。惜《アタラシキ》。山之《ヤマノ》。荒卷惜毛《アレマクヲシモ》。
 
青幡之《アヲハタノ》は、枕詞なり、かく屬けたる謂は、まづ幡とかけるは借(リ)字にて、陸田《ハタ》なるべし、青《アヲ》とは、青青《アヲアヲ》と繁り榮えたるを云べし、さて於佐加《オサカ》の於《オ》は、阿乎《アヲ》の約り、加《カ》は久佐《クサ》の約りたる言、佐《サ》は眞《マ》に通ふ美稱にて、草とはひろく云中に、此《コヽ》はもはら菜蔬の類をいふべし、されば青青《アヲアヲ》と繁り榮えたる陸田《ハタ》の青眞草《アヲマクサ》と云意に、つゞきたるならむ、出雲(ノ)國(ノ)風土記に、神須佐乎(ノ)命(ノ)御子青蟠佐草昭(ノ)命、とあるも青陸田眞草《アヲハタマクサ》と云稱の義なるべきを、思(ヒ)合(ス)べし、(契冲は、此(ノ)山、草木しげりて青き旗を立たるに似たる意なるべし、と云り、岡部氏の、推古紀に、旗に畫《ヱガキ》給ふと有は、他の國(582)の青旗の如くて、且|襲《オシ》をもつけたるか、さらば、青旗の襲《オシ》とつゞけたるにや、と云り、共にいかが、)○忍坂山《オサカノヤマ》は、和名抄に、城上(ノ)郡長谷、(波都勢《ハツセ》、)忍坂、(於佐加《オサカ》)と見えて、並びたる山なり、○走出之宜山之《ハシリデノヨロシキヤマノ》とは、長谷山へかゝれる言にて、長谷山は、山の尾前の、穴磯山まで引つゞけるを、走(リ)出といふべしと云り、山の自(ラ)成出たる形を、ほめたるなり、次の出立《イデタチ》も同じ、(此方の走(リ)出てむかひ、出立て向ふにも、見どころ多くて、宜しき山と云には非ず、)二(ノ)卷に、※[走+多]出之堤爾立有《ワシリデノツヽミニタテル》、とあるは、人の※[走+多](リ)出にて、今とは異れり、○出立之妙山奴《イデタチノクハシキヤマゾ》とは、忍坂山へかゝれる言にて、忍坂山の、自(ラ)出立たる形の、細しく妙なるよしなり、次に引(ク)雄略天皇(ノ)大御歌には、出立《イデタチ》も、走出《ワシリデ》も長谷山のうへに詔ひ、今は二山をかけて云るなり、○惜《アタラシキ》は、雄略天皇(ノ)紀(ノ)歌に、婀※[手偏+施の旁]羅斯枳偉儺謎能※[こざと+施の旁]倶瀰《アタラシキヰナベノタクミ》、とあり、○山之《ヤマノ》は、三言一句とすべし、○荒卷惜毛《アレマクオシモ》は、荒む事の、さても惜や、との意なり、○歌(ノ)意は、雄略天皇(ノ)紀(ノ)大御歌に、擧暮利矩能播都制能野磨播《コモリクノハツセノヤマハ》、伊底※[手偏+施の旁]智能與盧斯企于磨《イデタチノヨロシキヤマ》、和斯利底能與盧斯企野磨能《ワシリデノヨロシキヤマノ》、據暮利矩能播都制能夜麻播《コモリクノハツセノヤマハ》、阿野※[人偏+爾]于羅虞波斯《アヤニウラグハシ》、阿野※[人偏+爾]于羅虞波志《アヤニウラグハシ》、とある、その御詞をとりて、世に貴み重みせられて、可惜《フタラ》しき人の死れるを譬へて、惜めるにて、今此(ノ)二山もて云るは、其(ノ)人の徳業の一(ツ)ならず、左《カレ》にも右《コレ》にも、くさ/”\世にめでたくすぐれたりしを、いふなるべし、さて其(ノ)人|存命《ナガラヘ》てあらましかば彌々世にもてはやされて、さま/”\其(ノ)徳業の立なむものを、かくはかなくなりて、遂に今までの功績も、荒行むことの、さても惜や、と(583)云なるべし、
 
3332 高山與《タカヤマト》。海社者《ウミコソハ》。山隨《ヤマナガラ》。如此毛現《カクモウツシク》。海隨《ウミナガラ》。然毛直有目《シカモタヾナラメ》。人者《ヒトハ》。花物曾《ハナモノソ》。空蝉與人《ウツセミノヨヒト》。
 
山隨、海隨は、本居氏の、ヤマナガラウミナガラ〔十字右○〕とよめるぞ宜しき、○如此毛現《カクモウツシク》は、かやうにも現然として、常に變(ラ)ず有なめ、となり、○然毛直有目《シカモタヾナラメ》(毛(ノ)字、舊本には無、古本に從つ、)は、さやうにも直在《タヾアリ》にありて、常に變(ラ)ず有なめとなり、○人者《ヒトハ》、花物曾《ハナモノソ》(花(ノ)字、舊本に充と作るは誤ならむ、今は古寫本、拾穗本等に從つ、校本にも、官本充作v花、とあり、)は、一句は三言、一句は五言なり、人はたのみかひなき、あだなる花物ぞ、と云意なり、花物とは、物のはかなく咲かと見れば、やがて散失るやうなることを云(フ)、古(ヘ)の稱なり、十二に白香付木綿者花物事社者何時之眞坂毛常不所忘《シラガツクユフハハナモノコトコソハイツノマサカモツネワスラエネ》、源氏物語寄生に、中納言殿も、いといとはしきわざかなときゝ給ふに、花心におはする宮なれば、哀とはおぼすとも、いまめかしき方に、かならず御心うつろひなむかし、とある、花心の花も全(ラ)同じ、○歌(ノ)意は、海山こそは、現然として、直在にいつも變らずて有なめ、人はたのみがひなく、はかなきあだ物にてあるぞ、となり、十六に、鯨魚取海哉死爲流山哉死爲流死許曾海者潮干而山者枯爲禮《イサナトリウミヤシニスルヤマヤシニスルシネコソウミハシホヒテヤマハカレスレ》、と作ると、今(ノ)歌は表裏の意なり、
 
右三首《ミギミウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に、拾穗本には、一首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
(584)3333 王之《オホキミノ》。御命恐《ミコトカシコミ》。秋津島《アキヅシマ》。倭雄過而《ヤマトヲスギテ》。大伴之《オホトモノ》。御津之濱邊從《ミツノハマヘユ》。大舟爾《オホブネニ》。眞梶繁貫《マカヂシヾヌキ》。旦名伎爾《アサナギニ》。水手之音爲乍《カコノコヱヨビ》。夕名寸爾《ユフナギニ》。梶音爲乍《カヂノトシツヽ》。行師君《ユキシキミ》。何時來座登《イツキマサムト》。大夕卜置而《ヌサオキテ》。齋度爾《イハヒワタルニ》。枉言哉《タハコトヤ》。人之言釣《ヒトノイヒツル》。我心《ワガコヽロ》。盡之山之《ツクシノヤマノ》。黄葉之《モミチバノ》。散過去常《チリスギニキト》。公之正香乎《キミガタヾカヲ》。
 
梶(ノ)字、拾穗本には※[木+堯]と作り、下同(シ)、○水手之音爲乍は、(カコノトシツヽ〔七字右○〕とよめるによりて、略解に、コヱ、オト〔四字右○〕通はし云り、と云るは、いかゞ、水手《カコ》のおとゝ云る例、あることなし、)今按(フ)に、爲乍は、喚(ノ)の字などにて有けむを、梶音爲乍《カヂノトシツヽ》とあるに、ふと見まがへて、寫し誤れるものななべし、必(ス)カコノコヱヨビ〔七字右○〕とあるべきなり、四(ノ)卷にも、朝名寸二水等之音喚暮名寸二梶之聲爲乍《アサナギニカコノコヱヨビユフナギニカヂノトシツヽ》云々、とあるを、思(ヒ)合すべし、十五に、月余美乃比可里乎伎欲美由布奈藝爾加古能古惠欲妣宇良未許具可母《ツクヨミノヒカリヲキヨミユフナギニカコノコヱヨビウラミコグカモ》、○大夕卜置而(夕(ノ)字、元暦本にはなし、卜(ノ)字、校本に、古寫本作v下とあり、)は、大夕卜(ノ)三字は、幣か帛かの誤にて、ヌサオキテ〔五字右○〕なるべし、(本居氏は、大(ノ)字の下に、二句脱たるにて、大ぶねの思ひたのみて夕卜置而《ユフケオキテ》などありしにや、と云り、又岡部氏は、大夕(ノ)二字は、夜(ノ)一字の誤にて、ゆふうらを、夜卜とも書しと覺ゆれば、ユフケオキテ〔六字右○〕と訓べし、と云り、されど、卜には、多く夕占問《ユフケトフ》と云て、問(フ)とのみに云りとおぼゆるに、こゝには置(ク)とあれば、なほ帛なるべきにや、帛は多く置(ク)と云り、)○齋度爾《イハヒワタルニ》は、神祇を拜祭ひて月日を經度るに、といふなり、○枉言哉、枉は、狂の誤なりといへるぞよき、タハコトヤ〔五字右○〕と訓べし、○釣(ノ)字、舊本に鉤と作るは誤なり、今は拾穗本に從つ、(585)○我心《ワガコヽロ》は、夫(ノ)君を待わびて、我(ガ)心を盡す、といふこゝろに、筑紫に云係たるなり、○盡之山《ツクシノヤマ》は、筑紫の山なり、○黄葉之《モミチバノ》は、散過と云む料なり、○散過去常《チリスギニシト》は、死《スギ》にしとゝ云なり、散て去《スキ》にしと、公が正香を、狂言にや人の言つると、立返りて心得る語の格なり、○正香《タヾカ》は、彼方にある人のうへのことを、此方にて、思ひやりていふ言にて、既く云り、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、此は筑紫のつかさに任られて行し人の、任の中にて死れるよしを、京にある妻の聞て、悲みよめるなり、
 
反歌《カヘシウタ》。
 
3334 枉言哉《タハコトヤ》。人之言鶴《ヒトノイヒツル》。玉緒乃《タマノヲノ》。長登君者《ナガクトキミハ》。言手師物乎《イヒテシモノヲ》。
 
枉、これも狂の誤なり、○歌(ノ)意は、夫(ノ)君の、長くながらへて、語らはむものぞと、慰め言て別れしものを、よも吾を棄て、失賜ふ事はあらじ、いかさま死《ミマカ》れりと云は、人の狂言にいひつるにやあらむ、となり、いとあはれなり、
 
右二首《ミギフタウタ》。
 
此(ノ)三字、拾穗本にはなし、○此間に拾穗本には、二首并短歌作者未詳、といふ九字あり、
 
3335 玉桙之《タマホコノ》。道去人者《ミチユクヒトハ》。足檜木之《アシヒキノ》。山行野往《ヤマユキヌユキ》。直海《タヾワタリ》。川往渡《カハユキワタリ》。不知魚取《イサナトリ》。海道荷出而《ウミヂニイデテ》。惶八《カシコキヤ》。神之渡者《カミノワタリハ》。吹風母《フクカゼモ》。和音不吹《ノドニハフカズ》。立浪母《タツナミモ》。踈不立《オホニハタヽズ》。跡座浪之《シキナミノ》。立塞道麻《タチサフミチヲ》。誰心《タガコヽロ》。(586)勞跡鴨《イトホシトカモ》。直渡異六《タヾワタリケム》。
 
桙(ノ)字、拾穗本には鉾と作り、○直海は、海は、渡か渉かの誤なるべし、タヾワタリ〔五字右○〕と訓べし、○神之渡《カミノワタリ》は、次に載る、或本の題詞に、備後(ノ)國神島(ノ)濱とある所なり、なほそこに云べし、○和者不吹《ノドニハフカズ》は、のどかに和《ヤハラカ》には吹ずて、荒く吹よしなり、○踈不立《オホニハタヽズ》(踈の下、者(ノ)字落たるか、)は、凡に靜には立ずて、高く立よしなり、○跡座浪之は岡部氏の、シキナミノと訓るよろし、二(ノ)卷に、奧見者跡位浪立《オキミレバシキナミタチ》とあり、跡座、跡位は、座も位も同じ意にて、座位を敷(キ)踐(ム)義にて、シキ〔二字右○〕に借(リ)て書り、さてシキナミ〔四字右○〕は、重浪《シキナミ》なり、○立塞道麻は、タチサフミチヲ〔七字右○〕と訓べし、立障る道をの謂にて、神(ノ)渡の浪風の高く荒き形を云り、土佐日記に、若(シ)海邊にてよまゝしかば、浪立塞て入ずもあらなむ、とよみてましや、○誰心勞跡鴨《タガコヽロイトホシトカモ》云々は、誰人の心を勞《イトホシ》とてか、此(ノ)重浪の立障る道を、歩渉《カチワタリ》しけむ、いかさま故郷人の待わぶらむを、いとほしみて、急《イソ》ぐまゝに直渡けむよ、さてもあはれに、かなしきことぞ、となり、勞《イトホシ》は、十九に、大夫之語勞美父母爾啓別而《マスラヲノコトイトホシミチヽハヽニマヲシワカレテ》云々ともあり、又續紀三(ノ)卷詔に、朕乎助奉仕奉事乃《アレヲタスケマツリツカヘマツルコトノ》、重支勞支事乎《イカシキイトホシキコトヲ》、所念坐御意坐爾依而《オモホシマスミコヽロマスニヨリテ》云々、廿四詔に、愧自彌伊等保自彌奈母念須ハヅカシミイトホシミナモオモホス》云々、などあり、後の物語書などにも、甚多き詞なり、さて溺死したる由は、反歌にてしられたり、かくてこれは、屍の海へ流れ出て、磯際へ打あげられたるを見て、作者の、ありけむやうを思ひやりて、かくはよめるなり、○歌(ノ)意かくれたるすぢなし、(略解に、末に出せる蘆(587)檜木乃《アシヒキノ》云々の歌、家人乃《イヘヒトノ》云々の歌、※[さんずい+内]潭《ウラスニ》云々の歌三首、右の長歌の反歌にして、こゝに入べきよし、翁の考に云り、とあれど、非なり、下に云べし、
 
3336 鳥音《トリガネモ》。之所聞海爾《キコエヌウミニ》。高山麻《タカヤマヲ》。障所爲而《ヘダテニナシテ》。奧藻麻《オキツモヲ》。枕所爲《マクラニナシテ》。蛾葉之《アキヅハノ》。衣浴不服爾《キヌダニキズニ》。不知魚取《イサナトリ》。海之濱邊爾《ウミノハマヘニ》。浦裳無《ウラモナク》。所宿有人者《イネタルヒトハ》。母父爾《オモチヽニ》。眞名子爾可有六《マナゴニカアラム》。若芻之《ワカクサノ》。妻香有異六《ツマカアルラム》。思布《オモホシキ》。言傳八跡《コトツテムヤト》。家問者《イヘトヘバ》。家乎母不告《イヘヲモノラズ》。名問跡《ナヲトヘド》。名谷母不告《ナダニモノラズ》。哭兒如《ナクコナス》。言谷不語《コトダニトハズ》。思鞆《オモヘドモ》。悲物者《カナシキモノハ》。世間有《ヨノナカニアリ》。
 
初二句は、之(ノ)字は不の誤にて、トリガネモ、キコエヌウミニ〔十二字右○〕なり、と岡部氏の云るぞよき、古今集にも、飛鳥の聲も聞えぬ奥山の、とあり、○枕所爲(爲(ノ)下、拾穗本には而(ノ)字あり、)は、マクラシテ〔五字右○〕と訓ぺし、所爲をナシ〔二字右○〕と訓は、上に障所爲而《ヘダテニナシテ》とあればなり、されど此は、次の或本に、枕舟卷而《マクラニマキテ》とあるぞ、語を得たる、○蛾葉之(蛾(ノ)字、古寫本、拾穗本等には、我と作り」は、甚心得難なるにつきて、今熟(ク)考(フ)るに、蛾は蜻(ノ)字なりけむを、草書にて誤りしものなり、さらばアキヅハノ〔五字右○〕と訓べし、蜻葉《アキヅハ》の衣《キヌ》とは、蜻蛉《アキヅ》の羽の如き、薄ら衣を云なり、三(ノ)卷に秋津羽之袖振妹乎《アキヅハノソテフルイモヲ》云々、と見えて、既く彼處に具(ク)云りき、(此(ノ)上にも、蜻領巾《アキヅヒレ》見えたり、)○衣浴不服爾は、浴(ノ)は、谷(ノ)字の誤なること決《ウツナ》し、(こは中昔、萬葉を解得ざる人の、さかしらに、谷は浴の誤ぞとて、改めつらむ、)故(レ)キヌダニキズニ〔七字右○〕と訓べし、さて不服而《キズテ》とあるべきが如くなれども・かくざまに不爾《ズニ》と云ることも、例(588)あり、七(ノ)卷に、白玉乎手者不纏爾《シラタマヲテニハマカズニ》、十二に、安寢毛不宿爾《ヤスイモネズニ》、此(ノ)上に、眠不睡爾《イモネズニ》など有(リ)、かくて今如此云は、溺死(タル)人の屍の、磯打浪に打曝れて、蜻蛉羽《アキヅハ》の薄衣の一重をだに身に著《ツケ》たらぬあさましさを、悲み憐みて云るなり、抑々此(ノ)二句は、字の誤れるまにまに、昔より、註者等、きよく解得たる人一人だになかりしを、余(レ)やう/\に考(ヘ)得たるなりけり、(其(ノ)中に、蛾葉を、舊訓にカハ〔二字右○〕とあるにつきて、岡部氏が、革之衣《カハノキヌ》なるべし、と云るは、論ふ限にあらず、又略解に、或人(ノ)考とて蛾葉之衣は、マユノキヌ〔五字右○〕と訓べしとて、十四の、つくばねのにひくはまよの衣はあれど、と云歌を、引たれども、あたらず、十四なるは、新桑※[爾/虫]《ニヒクハマヨ》にて製れる衣とて、新衣のいと上品なるよしもて云る、歌にこそあれ、たゞに※[爾/虫]《マユ》の衣とはいかでか云べき、ことに欲不服《スヽギキズ》と云ことこそ心得ね、山野にて、死れる人を見て云