林宗甫、和州舊跡幽考(国書データベース)〔?のある行は確定ではない、改めた場合は後日修正する、引用和歌の部分は間違いと思われるものがしばしばある、〈~か〉としたのもあるが、煩雑な場合はそのままにした〕
(262コマ)和州舊跡幽考目録
第十一卷芳野郡
吉野《よしの》山
金御嶽《かねのみだけ》
青垣《あをかき》山
耳我嶺《みゝかのみね》
芳野《よしの》川
大臺原《おほだいがはら》
宮《みや》川
投地蔵堂《なげじざうだう》
南帝王《なんていわうの》社
蜻蛉小野《かげろふのをの》
蜻小野《かたちのをの》
秋津野《あきつの》
吉野皇居《よしのくはうきよ》
瀧御門《たきのみかど》
玉水瀧宮古《たまみづたきのみやこ》
瀧浦《たきのうら》
(263コマ)多藝津河内《たきつかうち》
遊副《ゆふ》川
三舩《みふね》山
西川瀧《にじかうのたき》
夏箕《なつみ》川
吉魚張《ふなはり》
浪柴野《なみしばの》
司馬野《しばの》
宮瀧《みやだき》 付 岩飛《いはとびの》事
清川原《きよかはら》
日晩野《ひぐらしの》
妹背《いもさえ》山
象小川《きさのをがは》
桜木宮《さくらぎのみや》
象《きさ》山
猪養《ゐがひ》山
本善寺《ほんせんじ》
六田淀《むつだのよど》
雙墓《ふたつつか》
今|來《き》寺 付 一|木桜《きのさくら》
四手掛《しでかけの》社
水|分《わけ》山
比蘓《ひそ》寺 付 再興《さいこうの》事
松山御|茶屋《ちやや》
千本桜 付 桜|苗賣《なへうりの》事○山(の)花|園《その》○谷《たにの》桜田○隱松《かくれまつ》○山(の)井(の)事
藤尾坂《ふぢおざか》
金(の)鳥居《とりゐ》
藏王堂《ざうわうだう》
四本《よもとの》桜
威徳天神《いとくてんじんの》社 付 狛犬《こまいぬ》啖合《かみあふ》事○塔成就《たうじやうじゆの》事
金御嶽《かねのみだけ》
實城寺《じつじやうじ》 付 茶入《ちやいれの》事
朝原《あさはら》
吉水《よしみづ》院
左抛《さなぎ》明神(の)社
勝手《かつて》明神(の)社
(264コマ)袖振《そでふり》山
如意輪寺《によいりんじ》
後醍醐《ごたいごの》天皇(の)陵《みさゞき》
椿山寺《ちんせんじ》
布引桜《ぬのびきざくら》
夢違《ゆめちがひの》觀音
瀧桜《たきざくら》
雲井桜《くもゐざくら》
中院谷
世尊寺《せそんじ》 付 樟木像《くすのきのざう》○鐘銘《かねのめい》○霊鷲山《れうじゆせん》○人丸(の)墳《つかの》事
子守《こもり》明神(の)社
御子守《みこもりの》神
高筭《かうざん》上人|遺像堂《ゆいざうだう》 付 花供懺法《はなくせんぼうの》事
高|城《き》山
躑躅岡《つつじのをか》
遙《はるかの》谷
岩倉《いはくらの》谷
金情《きんしやう》大明神
安禅寺《あんぜんじ》
青根我峯《あをねがみね》
苔清水《こけしみづ》 付 西行桜(の)事
薊嶽《あざみのだけ》 付 良筭《れうざん》上人(の)事
海峯寺《かいほうじ》 付 廣恩法師《くはうをんほうしの》事
堂源寺《だうげんじ》
蟻門渡《ありのとわたり》
天《あまの》川
率都婆《そとは》
山上《さんじやう》 付 鐘銘《かねのめいの》事
小篠《をさゝ》
篠宿《さゝのしゆく》
小池(の)宿《しゆく》
へいぢの宿《しゆく》
古屋宿《ふるやのしゆく》
姨捨峯《おばすてのみね》
(265コマ)千種嶽《ちくさのだけ》
東屋峯《あづまやのみね》
屏風立《びやうぶたて》
行者歸《ぎやうじやかへり》
児留《ちうごどまり》
三|重瀧《じうのたき》
轉法輪嵩《てんぼうりんのだけ》
釈迦嶽《しやかのだけ》
神仙《じんせん》
笙窟《しやうのいはや》 付 日藏《にちざう》上人
大峯《おほみね》
天野《てんの》川|白飯寺《はくはんじ》 付 業平朝臣入定《なりひらのあそんにうでうの》事
丹生《にう》山
丹生《にふの》社
天野丹生《あまのにうの》神
國樔《くず》 付 國樔翁《くずのおきなの》事
賀名生《かなふ》
銀嵩《かねがだけ》
十津《とつ》川 付 温泉《いでゆの》事
湯原《ゆはら》
泉杣《いつみのそま》
龍門寺《りうもんじ》
弓弦葉三井《ゆづるはのみゐ》
安騎野《あきのの》
東野《あづまの》
御垣原《みかきのはら》
大峯開基《おほみねかいき》 付 役小角《えんのせうかくの》事
延喜式神名帳《えんぎしきじんみやうちやう》
(265コマ)和州舊跡幽考第十一卷
吉野《よしの》郡
西南は紀伊《きいの》國をさかひとし東《ひかし》は伊勢《いせの》國につゝく凡大和一ケ國は三つが二つ此郡なり
吉野《よしの》山
芳野《よしの》山は七|高《かう》山の其一つなり【拾芥抄】あるひは金御嶽《かねがみだけ》又は金峯山《きんぶせん》又は国軸《こくぢく》山ともいへり抑《そも/\》吉野《よしの》山は日藏《にちざう》上人の傳《でん》には天竺《てんぢく》佛生國《ぶつしやうこく》のたつみ闕《かけ》ながら飛《とび》來りて此山となる《袖中抄》又もろこしの五|臺《だい》山の岸《きし》の端《はし》かけて雲にのりて飛《とび》來るともいへり江《えの》中|納言《なごん》のみだけの御塔《みだう》の御|願文《ぐはんもん》にもかくとこそ記《しる》され(267コマ)たれ又|貞崇禅師《ていしゆぜんし》はもろこしに金峯山《きんぶせん》とて金剛藏王菩薩《こんがうざうわうぼさつ》の住《すみ》おはせし山あり其山|日本國《につほんごく》に飛《とび》來りて金峯山《きんぶせん》となるといへり【袖中抄】
▲貞觀《ぢやうぐはん》元年の秋|螟螣《おほゐむし》といふ虫《むし》五穀《ごこく》をくひやぶる事たとへていふにもたらずしかあれば藤原朝臣山蔭《ふぢはらのあそんやまがけ》滋岳朝臣川人《しげをかのあそんかはうど》等《とう》宣旨《せんじ》をうけ給りてかの虫《むし》をはらひやるまつりをなすかの祭礼《さいれい》は清浄《しやうじやう》の地《ち》をえらぶの旧例《きうれい》なれば芳野郡《よしのこほり》の高山《かうざん》にして是ををこなへり同五年二月にも芳野郡《よしののこほり》高山《かうざん》にして祭《まつる》よし三代|実録《じつろく》に見えたり
万葉 三芳野《みよしの》の山下風の|寒《さむ》けくに爲當《はた》や今宵《こよひ》も我|獨《ひとり》ねん
信明歌集 行年《ゆくとし》の越《こえ》ては過《すぎ》ぬ吉埜山いく万代《よろづよ》のつもりなるらん
忠見歌集 霞たつ吉野の山を越くれば麓《ふもと》は春のとまり也けり
堀川二郎 花と見て尋きつれば吉野山人ばかりなる峯のしら雲 大進
同 みつきもの君が御代には吉野山よし心見よ絶やしけると 忠房
遠嶋御歌合 山城のみづ野のまこもかり初《そめ》に御吉埜の山を戀わたる哉 基家
建仁元年八月十五夜哥合 芳野山すゝ〔篠《すず》か〕吹みだる秋風にたれしのべとて有明の月 宮内卿
新撰和歌集 冬の夜は消《きゆ》るにしるしみよしのゝ山の初《はつ》雪今ぞふるらし 御製
後京極百番歌合 春は皆同し桜に成|果《はて》て雲こそなけれみよしのゝ山
拾玉 いかにして二《ふた》つの山に家居《いゑゐ》せむ春は三吉野秋はをばすて 慈鎭
同 人のすむやまとは花の国なれや三吉埜の山をはつせの山
壬二 ふじのねも匂ひはあらし吉野山花の盛《さかり》につもるしら雪
山家 木の下のたびねをすれば吉野山はなのふすまをきする春風 西行
寂然集 吉野山花咲ぬれはあちきなく心にかゝる峯のしら雲
(268コマ)北院御室御集 吉野山うき世の外にのがれ來て中/\花に心とめつる
金御嶽《かねのみたけ》
御《み》かねが嵩《だけ》又こかねの峯《みね》又|御《み》たけなどともよめり源氏《けんじ》物かたりにみだけさうしともかけり
金峯山《きんぶせん》は皆《みな》黄金《わうごん》なり慈尊出世《じそんしゆつせ》の時|閻浮提《えんぶだい》の地《ち》にのへ敷《しき》なんとて藏王權現《ざうわうごんげん》のまもらせ給ふと也【拾介抄】むかし宮古《みやこ》の七|条《でう》にはくうちありみたけにまうでゝかなくづれを行《ゆき》て見れは金《こかね》のやうにてありけりいとうれしくて袖《そで》につゝみて家《いゑ》にかへりはくにうちぬる程《ほど》に七八千まひにぞなりける其|比《ころ》検非違使《けびいし》なる人東大寺の佛つくらむとておほくのはくをもとめけるありそれがもとに行《ゆき》てかのはくを賣《うり》けりかぞへなんとてひろげぬれば細字《さいじ》にて金嶽《かねがだけ》/\とこと/”\くにかきつけたりいかなる事にかあなるとて帝《みかど》に奏《そう》しけれははくうちをめしてせめごうしてとはせ給へばしか/\とこたふわづかに十日ばかりありてぞ死《し》ける薄《はく》は金峯《きんぶ》山にぞ返《かへ》し給ひけりとなり【宇治拾遺】されば又|聖武《しやうむ》天皇の御宇に良弁僧正《らうべんそうじやう》此山の金《こがね》を得なんと金剛藏王《こんがうざわう》にいのられしかども神《かみ》是をゆるし給はずと釈書《しやくしよ》に見えたり
万葉 三吉野《みよしの》の御金嵩《みかねがだけ》にひまなくぞ雨はふるといふ時なくぞ雪はふるといふ 末畧
方与集 朝もよひ紀《き》の川上を見渡《みわた》せば金御嶽《かねがみだけ》に雪ふりにけり 顕昭
(269コマ)夫木 神のますこがねの峯はのりときし鷲《わし》のみやまの跡《あと》とこそきけ 信實
青垣《あをかき》山
さして所をいふへきにあらず或《ある》人よし埜山の異名《いみやう》ともいへりとなん
万葉 安見知之《やすみしし》我《わが》大君の神ながら神さびせすと芳野《よしの》川|瀧津河内《たきつかうち》に高殿《たかどの》をたがしりましてのぼりたち國見《くにみ》をすればたゝなはる青垣《あをかき》山の山神のまつる御調《みつき》と春べには花かざしもち秋たてば紅葉《もみぢ》かざせりゆふかわの神も大御食《おほみけ》につかへまつると上瀬《かみつせ》に鵜《う》川をたてゝ下瀬《しもつせ》に小網《さで》さしわたし山川もよりてつかふる神の御代《みよ》かも
反歌
同 山川もよりてつかふる神ながら瀧津河内《たきつかうち》に舩出《ふなで》するかも
同 たゝ名つく青垣《あをかき》山のへだつればしば/\君をこととはぬかも
同 吉野の宮は立名《たゝな》つく青垣《あをかき》隱《こもり》河《かは》なみの清《きよ》き河内《かうち》ぞ
耳我嶺《みゝかのみね》
或《ある》人(の)曰(く)芳野《よしの》の山の異名《いみやう》也|八雲御抄《やくもみせう》に吉野《よしの》にちかきと云もしほ草に又中山ともいふとあり
同 三芳野《みよしの》の耳我嶺《みゝかのみね》に時なくぞ雪はふりけるひまなくぞ 清見原天皇
吉野川
同 八雲刺《やくもたつ》出雲《いつも》の子|等《ら》が黒《くろ》かみは芳野《よしの》の川の沖《おき》になづそふ
?同 我せこが犢鼻《たうさき》にするつぶれ石の吉埜の川に氷魚《ひを》そかゝれるは
?元真家集 吉野川おろす筏《いかだ》の折こどに思ひもよらず波の心を
芳野川の河上は大臺《おほだい》が原といふ所也(207コマ)北山に越行《こえゆく》道の姨《をば》が峯《みね》といふなる所のはるかの左の方にして見《み》わたしにもおよぶ所にあらずまして人の通《かよ》ふ所にもあらず只《たゞ》いとひろく葎《むぐら》荻《おぎ》などの高くしげり藤かづらはひおほひて浅沢《あささは》などやうの水ありその中にいとふかくて巴《ともゑ》か渕《ふち》などといふ所ありとかや風だにふけばそのしげりの露《つゆ》落つもりて川の水累《みかさ》をなし北よりふけば熊埜《くまの》川の水をまし西よりふけば伊勢《いせ》の宮《みや》川のなかれをそへ東よりふけば芳野《よしの》川の水かさめりとなり
大臺原《おほだいがはら》
未勘 吉野川その水上《みなかみ》を尋《たづ》ぬればむぐらの雫《しづく》荻《おぎ》の下露
宮《みや》川
山家集 瀧《たき》おつる吉野の奥の宮《みや》川のむかしを見けん跡《あと》したはばや 西行
吉野《よしの》川はみなもと大臺原《おほだいがはら》より出て|塩《しほ》の葉《は》村にきたりてはながれいとほそし此ゆへに俗《ぞく》かの兩村を芳野《よしの》川のみなもとゝいへりあやまりなるべし塩《しほ》の葉《は》村より西にながれ西川《にしかう》の瀧《たき》にて北にまがり宮瀧《みやたき》より猶西に落《おち》て末《すゑ》は紀伊《きい》の海《うみ》に入るなり
和田《わだ》村より東《ひがし》の川の北に川上の投地藏《なげぢざう》といふあり
投地藏堂《なげぢざうだう》
(271コマ)抑《そも/\》投地藏尊《なげぢざうそん》は役優婆塞《えんのうばそく》濟度利生《さいどりしやう》のために金峯山《きんぶせん》に一千日|籠《こも》りて生身《しやうじん》の薩埵《さつた》をいのり給ひしにまづ地藏菩薩《じざうぼさつ》の形《かたち》にて地より涌出《ゆじゆつ》し給ひたりしを優婆塞《うばそく》の心に柔和《にうわ》忍辱《にんにく》の御かたちにてすゑの世の衆生《しゆじやう》いかでか利益《りやく》かなふべしやとて菩薩《じざう》を掌《たなごゝろ》にとりてなげられければ此所にとゞまらせ給ふと所につたへていへり又の説《せつ》あり此時|涌出《ゆじゆつ》の地藏尊《じざうそん》は優婆塞《うばそく》の心にかなはざれば伯耆《ほうきの》國大山へ飛《とび》さり給ふよし太平記に見えたり
此南に菊《きく》の岩屋《いはや》あり古詠《こゑい》をもとめえず聖天《しやうでん》の岩屋《いはや》あり投地藏堂《なげぢざうだう》のほとりに南帝王《なんていわう》の社《やしろ》あり
南帝王《なんていわう》の社
當社《たうしや》は後醍醐《ごだいこの》天皇第七(の)宮にぞおはします芳野《よしの》小瀬《こせ》村といふなる所にて崩御《ほうぎよ》なり給ふそこの龍川寺《りうせんじ》に御|位牌《ゐはい》あり白天王正聖佛《はくてんわうしやうじやうぶつ》とえりたり崩御《ほうぎよ》の時の御|製《せい》とて此寺にいひたつへたり
のがれきて身《み》を奥《おく》山の柴《しば》の戸に月も心にあはせてぞすむ
此ほとりに清明《せいめい》が瀧《たき》といふあり是は蜻蛉《せいれい》が瀧《たき》といふなるべきをあやまれるとおぼえ侍る猶おもふに蜻螟《せいめい》もおなじ虫《むし》なれば文字《もんじ》をたがへきたりて清明《せいめい》が瀧《たき》とかけるにや蜻蛉《かげろふ》の小野《をの》は大和国と類字名(272コマ)所集《るいじめいしよしう》にあり
?新後撰 しられじを霞にこめてかげろふの小野《をの》の若草《わかくさ》下にもゆとも 爲家
?草庵集 をとにたてゝはやふけにけりかげろふの小野の秋津の秋の初風 頓阿
かけろふの小野《をの》又かたちの岡《をか》又かたちの小野又あきつの野辺《のべ》などゝもよめり
蜻小野《かたちのをの》
万葉 三芳野《みよしの》の蜻《かたち》の小野にかるかやのおもひみたれてぬるよしもかな
堀川太郎 三芳野のかたちの岡《をか》の女郎花《をみなへし》たはれて露に心をかる哉 俊頼
顕昭《けんせうの》曰(く)蜻《かげろふ》をばあきつと讀《よむ》なり然るにあきつの小野《をの》とよみぬべきをかたちの小野とはかた/\そのいはれなしあきつとは蜻《とんばう》なり
秋津野《あきつの》
芳野《よしの》の宮《みや》に行幸《みゆき》の時|柿本朝臣《かきのもとのあそん》人|麿《まろ》
万葉 吉野の国の花|散相《ちらふ》秋津《あきつ》の野邊《のべ》に宮《みや》ばしらふとしきませば百敷《もゝしき》の大宮《おほみや》人は舟なべて朝川わたり舩きほひ夕川わたり此川の絶《たゆ》る事なく此山の弥《いや》髙良之《たかからし》珠水《たまみづ》の激瀧《たき》の宮古《みやこ》は見れどあかぬかも
万葉 芳野の飽津《あきつ》の小野《をの》の野上には 畧
同 三芳野の秋津の《あきつ》川の万世《よろづよ》にたゆる事なく又かへり見ん
詞林採葉《しりんさいえうに》曰(く)蜻《かけろふ》の小野《をの》かげろふの小野《をの》かたちの小野《をの》三|訓《くん》なり然而|秋津《あきつ》の小野《をの》といふべき歟其|拠《しやう》は日本紀にありと見えたり
抑《そも/\》秋津《あきつ》の小野《をの》は雄畧《ゆうりやく》天皇四年よし野の宮(273コマ)に行幸《みゆき》なり給ひて川上の小野にして狩人《かりうど》にからしめ給ひみづからも射《い》給ひなんと待給ふに虻《あぶ》飛《とび》來りて天皇の臂《たゞむき》をくらひしかばたち所に蜻蛉《あきつ》飛《とび》來りて虻《あぶ》をくらひて飛さりき天皇いとよろこばせおはしまして群臣《くんしん》に勅《ちよく》して蜻蛉《あきつ》をほめてうたよめとおほせ給ひしかどもよみて奉る人なし天皇御口すさびに
さはまつと【狹猪待也】わがたゝせる【我立也】たくふらに【竹原也】あぶかきつく【虻來來也】そのあぶを【其虻也】あきつ羽《は》のくひ【蜻蛉囓也】はふむしも【昆虫也】おほきみに【大君也】まつらふ【謂v仕也】ながかたち【名形也】をかん【置也】あきつやまと【秋津嶋大和也】よみ給ひて蜻蛉《あきつ》をほめさせ給ひてより爰の地を蜻蛉《あきつ》とぞ名《な》づけける
此|歌《うた》おほく前畧《ぜんりやく》してあらはす日本紀にくはしくあり細字《さいじ》は釈《しやく》日本紀によれるものなり
吉野皇居《よしのゝくはうきよ》
此|跡《あと》秋津《あきつ》の小野のほとりなるべし秋津の宮とよめり
芳野《よしの》の宮《みや》いづれの御|代《よ》に立給ひしにやしらず神武《じんむ》天皇|芦原中津國《あしはらなかつくに》をたいらげ給ひ河内《かはちの》国より射駒《いこま》山を越《こえ》なんとせさせ給ふに長髓彦《ながすねひこ》といふありけり櫛玉速日命《くしたまはやひのみこと》を君とたとへて天皇をふせぎ奉りしかば葛城《かづらき》を越《こし》紀(274コマ)伊伊《きいの》國を經《へ》て吉野に出させ給ひて御軍《みいくさ》をととのへ給ひし程《ほど》に行宮《かりみや》の定《さため》てありけるにや其後|代々《よよ》の御門《みかど》の皇居《くはうきよ》の有無《うむ》あきらかならず然《しかる》に應神《おうじん》天皇|芳野《よしの》の宮《みや》に行幸《みゆき》なり給ふには國栖《くず》人|三才《みき》を奉るとあり應神《おうじん》天皇|已前《いぜん》に吉野《よしの》の宮《みや》とてありける事|勿論《もちろん》なり又|大泊瀬《おほはつせの》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》あり又|皇極《くはうぎよく》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》なりて肆宴《とよのあかり》きこしめす又|清見原《きよみばらの》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》おはしまして
万葉 よき人の芳野《よしの》のよくみてよしといひし吉野よくみてよき人と君 御製
又|元正《げんじやう》天皇|養老《やうらう》七年五月b吉野の離宮《りきう》に行幸《みゆき》の時|笠朝臣金村《かさのあそんかねむら》
同 美吉野《みよしの》の秋津《あきつ》の宮《みや》は神からや貴《たうと》からん国からか見まほしからん山川をさやけくすめりうへし神世《かみよ》ゆさだめけらしも
反歌
同 山高み白木綿《しらゆふ》花におち瀧津《たきつ》瀧《たき》の川内《かうち》は見れどあかぬかも
万葉 神代より吉野の宮のありかよひたかくしれるは山川を
此両|首《しゆ》神世よりとよめり爰《こゝに》知《しり》ぬ神武《じんむ》天皇|畝火《うねひ》の柏原《かしはばらの》宮におはしゝ時かの吉野に離宮《りきう》をかまへて臨幸《りんかう》ありけるにより御代よりとは神武《じんむ》の御宇をさすなるべし葺不合尊《ふきあはせずのみこと》の第四の御子なれば神代とよめるもことはり(275コマ)にや【詞林採葉】
瀧御門《たきのみかど》
もし秋津《あきつ》の宮《みや》をよめるにやおもふに宮瀧《みやたき》は西にあり蜻螟《せいめい》が瀧《たき》は東にありかさねてあきらかにせらるへし
万葉 東《ひんかし》の瀧の御門《みかと》にさもらへど昨日《きのふ》もけふも召《めす》事もなし 舍人哥
同 一日には千度《ちたび》まいりし東《ひんかし》の瀧のみかどを入かてぬと(かか)も 同
玉水(の)瀧宮古《たきのみやこ》
名寄歌《なよせうた》枕に大和是も秋津《あきつ》の宮にや
万葉 秋|津《つ》の野邊《のべの》宮ばしらふとしくませば 中畧 此山のいやたかからし玉水の瀧の宮古《みやこ》は見れどあかぬかも 人丸
?夫木 今ははや冰も解《とけ》ぬ玉《たま》水の瀧《たき》の宮古は春めきぬらん 光朝
瀧浦《たきのうら》
万葉 吉野川|河波《かはなみ》高《たか》し多寸能浦乎不視歟成嘗戀布真國《たきのうらをみずかなりなめこひしきまくに》
もしほ草曰瀧の浦と宗祇《そうぎ》法師|注《ちう》たるものにあり名《めい》人のしたる事なれば不《ず》v及2是非《ぜひに》1從又無2不審《ふしん》1にもあらずもしは瀧の裏《うら》と云心歟と云々
多藝津河内《たきつかうち》
歌枕《うたまくら》に大和國と云々
万葉 吉野川|瀧津河内《たきつかうち》に高殿《たかどの》を高知《たかしり》ましてのぼりたち 人丸
夫木 三芳野の瀧津河内の春風に神代も聞《きか》ぬ色《いろ》ぞみなぎる 前中納言宰相
遊副《ゆふ》河
仙覺《せんがく》抄にいはくゆふ川吉野にある川の名《な》なりかし古には遊《ゆ》川といふ是同事か
(276コマ)万葉 山神のたつる御調《みつき》と春べには花かざしもち秋たてば紅葉《もみぢ》かざせり遊《ゆふ》川の神も大みけに仕《つか》へまつると上津瀬《かみつせ》に鵜《う》川をたてゝ下津瀬《しもつせ》には小網《さで》さしわたし山河もよりてつかふる神の御代かも
三舩《みふね》山
藏王堂《ざうわうだう》の鳥居《とりゐ》の東《ひかし》にみえたり
芳野の離宮《りきう》に行幸《みゆき》ありし時
万葉 瀧のうへの三舩《みふね》山より秋津邊《あきつへ》にきなくわたるは誰喚児鳥《たれよぶこどり》
同 瀧のうへの三舩の山に居《ゐる》雲のつねにあらんとわがおもはなくに
西川瀧《にじかうのたき》 付大川
大瀧《おほたき》ともいふ万葉集におほく瀧の歌《うた》あり又大川などゝよめるも此ほとりにや顕注密勘《けんちうみつかん》にいはく大川のべとは芳野《よしの》川はおほきなればおほ川のべとよめるなり
万葉 大|瀧《たき》を過てなつみにそひてゐて清《きよき》河瀬《かはせ》を見るかさやけき
同 今敷はみめやとおもひし三芳野《みよしの》の大川|余杼《よど》をけふ見つるかも
千五百番歌合 三芳野の大川|野邊《のべ》の藤波《ふぢなみ》春もふかしと色に見すらん 家隆
西川《にしかう》の瀧より佛《ほとけ》が峯《みね》といふ坂を過ぬればふもとに蝉《せみ》が瀧《たき》ながれ猶|行《ゆき》て樫尾《かしお》の茶屋《ちやや》それより三町ばかり過ぬれば夏箕《なつみ》川なり
夏箕《なつみ》川
万葉 吉野なる夏實《なつみ》の川の河淀《かはよど》に鴨《かも》ぞ鳴《なく》なる山|陰《かけ》にして 湯原王
吉魚張《ふなはり》
同 我宿《わがやど》の淺茅《あさぢ》色付《いろづく》吉魚張《ふなはり》の夏箕《なつみ》の上に時雨《しくれ》ふるらし
(277コマ)万葉 吉魚張《ふなばり》の夏身《なつみ》のうへの山を出て西《にし》をさしける月の影見ゆ 家持
浪柴野《なみしばの》
万葉 我門《わがかど》の淺茅《あさぢ》色づく吉魚張《ふなはり》の波柴《なみしは》の埜《の》の紅葉《もみぢ》ちるらし
夫木 ふなはりの浪柴野《なみしばのの》の秋風にはやくよ渡《わた》る月のさやけさ 定嗣
司馬野《しばの》
八雲《やくも》の御抄《みせう》藻塩《もしほ》草大和國と云々波柴野《なみしはの》同所なるべきか
万葉 國栖等《くにすら》が若菜《わかな》つむらん司馬《しば》の野《の》のしば/\君を思ふ比かな
宮瀧《みやたき》
りうもんにまいるとて
後撰集 宮の瀧むべも名《な》におひて聞《きこ》えけりおつる白淡《しらあは》の玉とひゞけば 法王御製
山家集 瀧をはやみ宮瀧《みやたき》川を渡《わた》り行《ゆけ》ば心の底《そこ》のすむ心地《こゝち》する 西行
新六帖 なにかその波はかくれど宮瀧や鵜《う》のゐる石のうへぞかくれぬ 行家
爰に屏風|岩《いは》とていと高くそばだてるいはほあり銅錢《とうせん》百文をあたへぬればこの巖《いはほ》の頂上《ちやうじやう》よりそこしらぬ芳野《よしの》川に飛《とび》入なり吉野の岩飛《いはとび》といふは是にぞ侍る清河原《きよきかはら》此ほとりにや
清川原《きよきかはら》
澄月歌枕《てうげつうたまくらに》曰(く)清川原《きよきかはら》古詠《こゑい》不《す》v限《かきら》2芳野《よしのに》1不定《ふでう》一所の名《な》歟|先達歌枕《せんだつうたまくら》に以久木生《いくきおふ》清河原《きよきかはら》の歌(を)立(て)名所(と)いひ未勘國《みかんこく》と云々|今按《こんあん》是|就《つきて》2万葉集第九(の)歌(に)1吉野(ノ)篇《へん》に入v之とあり
万葉集第九 くるしくも暮行《くれゆく》日かも吉野川|清河原《きよきかはら》を見れとあかなくに
同 毎年《としのはに》かくもみてしが三吉野の清河内の瀧つしら波
(278コマ) 日晩野《ひぐらしの》
亭子院《ていじゐん》宮瀧《みやだき》を御|覽《らん》じにおはしませる御ともにつかうまつりて日ぐらし野といふ所をよめる
新勅撰 ひぐらし野|行《ゆき》過ぬともかひもあらじひもとく妹《いも》も待《まち(たか)》しと思へば 大納言昇
妹背《いもせ》山
宮瀧《みやだき》の西《にし》上市《かみいち》村の東にあり吉野郡に詠《ゑい》し合する古歌《こか》をもとめえず河海《かかい》抄にいはくいもせ山は紀伊《きいの》國に妹《いも》山|背《せ》の山とて吉野川をへだてゝさしむかへる二の山あり又|顕注密勘《けんちうみつかん》八雲御抄《やくもみせう》其外の文どもにも紀伊《きいの》國とあり
萬治二年の春|飛鳥井雅章卿《あすかゐたゞあきらきやう》吉野まうてにいもせ山をながめやりて
うき中のたが泪《なみだ》より芳野川いもせの山をながれ出らん
象小《きさのを》川
宮瀧《みやだき》よりさくら木の宮にまうづれば外象《とぎさ》の橋をうちわたり象《きさ》の小《を》川は桜木の宮の前になかれ象《きさ》山は髙瀧《たかだき》の上にそばたてり
万葉 むかし見し象《きさ》の小《を》河を今見ればいよ/\きよくなりにけるかも
夫木 芳野山|青根《あをね》が嶺《みね》に月すめば象《きさ》の小川に玉ぞしづめる 知海
桜木《さくらぎの》宮
花のにしきも瀧《たき》のいともて織出《をりいだ》したりやと艶《えん》におほえ侍りて
瀧《たき》の糸《いと》を花にうちはへて芳野山|錦《にしき》織《をり》なす桜木の宮 雅章
(279コマ) 象《きさ》山
八雲御抄《やくもみせう》にいはく象《きさ》山|象《きさの》中山きさはちかき山ともいふみよし野に近《ちか》きといふ心なりきさは名所《めいしよ》にあらずと云々|勅撰名所《ちよくせんめいしよ》芳野《よしの》郡と云々|仙覺抄《せんかくせう》吉野の山中に象《きさ》山ありと云々
万葉 倭には鳴《なき》てか來《こ》らん呼児鳥《よぶことり》象《きさ》の中山よびぞこゆなる 高市黒人
夫木 大和路《やまとぢ》に越ゆべき道《みち》は絶《たえ》にけり象《きさ》の中山雪ふかくして 行家
猪養《ゐがひ》山
飯貝《いひがひ》ともいふにや上市《かみいち》村の川むかひにありふなはり山は本善寺《ほんぜんじ》の近《ちか》き所にあり
万葉 ふなはりのゐがひの山にふす鹿の妻《つま》よぶこゑを聞《きく》かともしき 良女
同 ふるい雪はあはになふりそ吉隱《よごもり》の猪養《ゐがひ》の岡《をか》の寒《さむく》なるまゝに 穗皇子
本善寺《ほんぜんじ》
本善寺《ほんぜんじ》は親鸞《しんらん》上人八世|蓮如《れんによ》上人の建立《こんりう》なり
芳野《よしの》山心とまれる川づらにすみてもみばや爰に飯貝《いひがひ》 蓮如上人
六田淀《むつだのよど》
万葉 音に聞《きゝ》目にはまだ見ぬ吉野川|六田《むつだ》の淀《よど》をけふ見つるかも
續後拾遺集 桜咲水分山に風吹ば六田の淀《よど》に雪つもりけり 大宰大貳重家
六田《むつだ》のわたしの事にやありけんむかし吉野郡に藤太主《とうだぬし》源太主《げんだぬし》とて二仙あり一とせ吉野川|洪水《こうずい》にして舩だにうかべえざりければ淨藏貴所《じやうざうきしよ》いかでかわたりえなんと杖《つえ》をひき河のほとりにさまよひ給ひしが二仙|來《きた》りてたやすくわたしまいらせんとしばらく咒《しゆ》をとなふれば神人《じんじん》大木をきりうかべたり仙《せん》と共に棹《さほ》さして貴(280コマ)所《きしよ》を渡しける【釈書】淨藏貴所《じやうざうきしよ》は三善清行《みよしきよゆき》か第八の子|母《はゝ》は嵯峨《さが》天皇の孫女《そんによ》なり【三國傳記】又吉野川の渡し舩は聖寶《しやうぼう》僧正のはじめてをき給ひしよりなかくつたはりて絶《たえ》ず【釈書】
雙墓《ふたつづか》
仲範《なかのり》のいはく今木野《いまきの》滑谷岡《なめはざまのをか》吉野川の北|古勢《こせ》の里の南にあり【玉林抄】
雙墓《ふたつつか》は入鹿《いるかの》大臣|今來《いまき》に雙墓《ふたつづか》をつくりて一は父大臣の墓《つか》として大陵《おほみさゞき》とあがめ一は我|墓《はか》として小陵《こみさゝき》といふ我なくなれる後人を労《らう》させる事をいとふおもひありぬるよりかくするにぞあるといひながらその墓《はか》をきづく歩役《ぶやく》に上宮《かみのみや》の民《たみ》をつかひぬれば上宮大娘姫王《かみのみやのおほいらつめのひめみこ》いとなげきおはしまして蘓我臣《そがのしん》國の政《まつりごと》をほしゐまゝにしいかで心のまゝに封民《ほうみん》の労《らう》をいとはずつかひけるぞや是よりうらみをむすび終《つゐ》にかれをほろぼし給ひなんの御心あり【日本紀】
今來《いまき》寺
つたへ聞《きく》今來寺《いまきてら》又は石光寺《せきくはうじ》といふなり此寺かすかに殘《のこ》りけるとなん
今來《いまき》寺は蓮入《れんにう》法師|伯耆《ほうきの》國|大山寺《たいさんし》につとめ居《ゐ》られしが寛弘《くはんこう》年中|長谷寺《はせてらに》まうでて誓願《せいぐはん》を立て我《わが》來世《らいせ》の生所《しやうしよ》をしめし給へとこもりゐたり七夜の曉《あかつき》ひとりの比丘《ひく》ま見えさせ給ひて是より西南九里さりて勝地《しやうち》ありそこにしてをこなひたらんにはかならず兜率内(281コマ)宮《とそつないくう》に生をうけん夢さめていとうれしくて則かしこに行《ゆき》けり山高く地形《ぢぎやう》ふかく人|蹤《せき》絶《たえて》寺もなし只夢の事をたのみて樹《き》の下《もと》にゐたりけるが其夜西方より光《ひかり》來りたりあやしやと翌《あくる》日行て見るに大巖《たいかん》の上に石板《せきばん》ありて落葉《らくえう》埋《うつみ》苔蘚《たいせん》猶上《いやかうへ》に生《おひ》たりかの石面《せきめん》の散葉《さんえう》を拂《はら》ひ苔《こけ》をのごひぬれば弥勒《みろく》三尊(の)像《ざう》をえりつけたり人工《じんこう》のわざにあらず則|精舎《しやうじや》を建《たて》て年《とし》久しくをこなひて終《つゐ》に祥瑞《じやうずい》ありてをはりをとりけり【釈書】
一坂《いちのさか》といふ所の桜一木道の行手《ゆくて》にさかりなれば
三芳野や桜一木に先見せて山口しるく匂ふ春風 雅章
四手掛《しでかけの》社
四手《しで》かけの明神をおがみて
芳野《よしの》山花のゆふしでかけまくもかしこき神の心をぞしる 雅章
四手《しで》かけより左《ひだり》四五町を經《へ》て水分山の跡あり
水分《みつわけ》山
いつの代にやありけむ洪水《こうずい》にながれて當世は砂原《すなはら》なり
万葉 神さぶる岩ね巳疑敷《ここしき》三芳野の水分山を見ればかなし
新後撰 三芳野の水分山の瀧津瀬も末はひとつの流也けり 寿證法師
比蘓《ひそ》寺
毗蘓《ひそ》寺【釈日本紀】比蘓《ひそ》寺【釈書】とかけり
比蘓《ひそ》寺又|現光寺《げんくはうじ》といへり額《がく》は栗天八一《りつてんはちいち》(282コマ)【玉林抄】當代たづねしに此|額《がく》なくなりし時代《じだい》をしらずとなり推古《すいこ》天皇三年四月|沈水香《ちんずいかう》淡路嶋《あはぢしま》にうかみよれりその大さ一|圍《いだき》あり浦人|沈水香《ぢんずいかう》をしらず只|薪《たきゞ》にまじへてくゆらかすそのけふりいと遠くかほりける程にいとあやしみて御みかどに奉りけり【日本紀】聖徳太子是は沈水香木《ぢんずいかうぼく》にてその實《み》は※〔鷄の鳥が隹〕舌《けいぜつ》のごとくその花は丁子そのあぶらは薫陸《くんろく》なり水に沈《しづ》みて久しきを沈水《ぢんずい》といひ水に入て久しからぬを淺香《せんかう》と申と奏《そう》し給ひしかば御門《みかど》よろこびおぼしめして觀音の像《ざう》をつくらせ吉野の比蘓《ひそ》寺にすへ給ふに時々|光明《くはうみやう》をはなち給ふとなり【釈書】それより現光寺《げんくはうじ》の名《な》あり【玉林抄】
▲再興《さいこう》は弘安《こうあん》二年金峯山より聖人來りて再興あり西大寺の興正《こうしやう》菩薩戒法をすゝめて律《りつ》院となりたり【太子傳抄】やう/\繁昌《はんしやう》せしが又破|壊《ゑ》して當代かすかにのこれり
四手掛《しでかけ》より並木《なみき》桜つゞきて長|岑《みね》を經て丈六山一《じやうろくさんいちの》藏王堂又長岑の藥師堂あり
松山御茶屋
文禄《ぶんろく》三年二月廿五日豊臣幕下《とよどみばつか》花の御ながめにたて給ひし御茶屋の跡《あと》なり此時の御詠歌世にのこりて一卷あり
是より多武《たふの》峯に行|通路《つうろ》あり
(283コマ)
千本桜
千本のさくらとてあまたあり
吹まぜてふかきやいづれ吉埜山千本に匂ふ花の春風 雅章
日本が花|七曲《まゝまがり》の坂などを過行にもろ人桜|苗《なへ》をもとめ爰にうへて権現《ごんげん》に奉る桜三十本をうへさせて
いつか又十といひつゝ三芳野の我《わが》植置《うへをき》し花を來て見ん 大納言雅章
山の花|薗《ぞの》谷の桜田ひたりにかくれ松右に山(の)井などといふあり
新勅撰 三芳野の山井のつらゝ結《むす》べばや花の下ひもをそくとくらん 藤原基俊
玉葉集 三芳埜の峯の花|薗《ぞの》風吹は麓《ふもと》につもる春の夜の月 入道大政大臣
吉埜山|誰《たれ》か植《うへ》けん桜田のところ/\の花のはしり穗 道助内親王
さかりなる花にかくれて名もしるくたてるやいづこ三吉野の松 雅章
藤尾坂《ふぢおさか》
俗《ぞく》に藤井坂《ふぢゐざか》といふ
文治《ぶんぢ》元年十一月十七日|源義經《みなもとのよしつね》の妻しづかか藤尾坂をくだり藏王堂《ざうわうだう》に來りしを衆徒等《しゆとら》見とがめてとらへけるよし東鑑《あづまかゝみ》に見えたり
関屋《せきや》の花|桜嶽《さくらがだけ》などといふ所あり
金鳥居《かねのとりゐ》
金鳥居《かねのとりゐ》【高二丈五尺一圍】 二王門
かねの鳥居に書《かき》付ける
千載集 夢さめむ其|曉《あかつき》を待《まつ》程《ほど》の闇《やみ》をも照《てら》す法《のり》の灯《ともしび》 敦光(家か)
藏王堂《さうわうだう》
藏王堂南向なり本尊藏王【貳丈六尺】挾侍《わきだち》の千手《せんじゆ》觀音【貳丈四尺】弥勒【貳丈貳尺】なるをすへ(284コマ)たり役行者《えんのきやずじや》の遺像《ゆいざう》あり
四本桜
四本《よもと》も桜に蹴鞠《しゆうきく》の興《けう》をおもひいでゝ
まりの場《には》にうつしうへなん三吉埜の四本《よもと》の桜おもかげにして 飛鳥井雅章
威徳《いとく》天神(の)社《やしろ》
威徳《いとく》天神は菅丞相《かんしようじやう》の霊《れい》なり日藏上人社をたてゝうつし奉られき抑《そも/\》當社の濫觴《らんしやう》は日藏上人天|慶《げい》四年八月一日金峯山の岩屋にして頓死《とんし》せられしが威徳太政天《いとくたいしやうてん》の臨幸《りんかう》にあひ奉り神勅《しんちよく》にしたがひてかの御|住《すみ》所にそいたられける種《くさ》/\の神語《じんご》ありての後《のち》汝本国にかへりてあまねく流布《るふ》せよもし人|我像《わかざう》をつくり我名を唱《とな》へて慇懃《いんぎん》に尊重《そんじう》せは我かならず擁護《おうご》せずはあらじ上人金峯山にかへりて藏王権現《ざうわうこんげん》にありし事ともかたり奉らる爰に滿徳《まんとく》天いまして上人につけらるゝかの太政《だいじやう》天八十六萬八千の眷屬《けんそく》ありかれらが毒害《どくがい》はなはだしきは天下の善神もそれをとゞめえすと神語《しんご》まし/\きくはしくは釈書《しやくしよ》に見えたり是よりして此社を建立せられけるとなり天慶四年より延寶七年まて凡七百卅九年か
▲貞和《ちやうわ》五年正月十四日|越後《ゑちごの》守|師泰《もろやす》武藏《むさしの》守|師直《もろなふ》寄來《よせき》たる所に帝《みかど》は天(の)川の奥《おく》賀名生《かなふ》の邊《へん》に落させ給ひしかばさらば燒拂《やきはら》へとて皇后《くはうこう》卿相雲客《げいしやううんかく》の宿所に火をかけし(285コマ)程に貮五尺の金(の)鳥居金剛力士の二|階《かい》の門北野大神(の)社七十二間の廻廊《くはいろう》三十八所ならびに藏王堂一時のけふりとなる【太平記】
▲堀《ほり》川(の)院|寛治《くはんち》七年九月廿日金峯山の寶殿《ほうでん》炎上《えんしやう》【帝王編年】再興《さいこう》あり
▲藏王|権現《ごんげん》に定朝《てうちよう》が造進《ざうしん》せし狛犬《こまいぬ》社殿《しやてん》の上に啖合《かみあひ》て大|床《ゆか》より落たりと盛衰記《せいすいき》に見えたり
▲金峯山《きんぶせん》の塔《たう》成就《じやうじゆ》の供養《くやう》承暦《しやうりやく》三年十一月と釈書にあり
金御嶽《かねがみたけ》
金の御嶽《みだけ》は芳野《よしの》山の異名《いみやう》にしてわかちては爰をこそいふならめ飛鳥井雅章卿《あすかゐたゝあきらきやう》爰にして
しばしなを夕べをのこせ入相のかねの御嶽《みたけ》の花のひかりに
藏王堂より西に實城寺《じつじやうじ》あり
實城寺《じつじやうじ》
實城寺又は金輪寺《きんりんじ》ともいふ後醍醐《ごだいごの》天皇の皇居《くはうきよ》にさだめられ此|御代《みよ》にこそ北京と南朝とわかたれて年号なども別にぞ侍る爰にして新葉和歌集《しんえうわかしう》なとをえらび給ひ又天皇御手すから茶入十二をきざませ給ふ或《あるひ》は廿一ともいふそのかたち薬器《やくき》にひとし世に金輪寺といふこれなり漆器《しつき》といひなから勅作にて侍れは臺にのせ金輪寺《きんりんじ》あひしらひとて茶湯前もありとかや
藏王堂より一町ばかりを過て駄天《だてん》山其(286コマ)東のかたに朝原あり
朝原《あしたのはら》
續後拾遺集 芳野山霞立ぬるけふよりや朝の原はわかなつむらん
吉水《よしみづ》院
吉水院は源義經《みなみとのよしつね》落人《おちうと》とならせ此院に入給ひしが衆徒《しゆと》心がはりせし程《ほど》にしのひ出て中院谷に御身をかくし給ふそれもかなひがたうして佐藤忠信《さとうたゞのぶ》をのこしをかれ静《しづか》も捨をき多武峯《たふのみね》藤室十字坊《ふぢむろじうじぼう》にそ入給ひける此院は豊臣幕下《とよとみばつか》の花の御ながめにも旅館《りよくはん》とさだめ給ひてけしきことなる寺のかまへにて侍るむかし後醍醐《ごだいご》天皇爰に行幸《みゆき》なりて御|枕《まくら》ながら
花にねてよしや吉野のよし水の枕の下《もと》に石はしる音《をと》
吉水院《よしみづゐん》の西《にし》に行て右の方に五臺寺《ごだいじ》又|桜本《さくらもと》とて當山の先達《せんだち》大|峯修行《みねしゆぎやう》の宿坊《しゆくばう》あり
佐抛《さなぎの》明神社
さなき明神の山を|御影《みかげ》山といふは天人の影《かげ》うつりしよりいふとかたり侍りしかば
さなきだにさなぎの神の御影《みかげ》山うつろふ花に風もこそふけ 飛鳥井雅章
勝手社《かつてのやしろ》
勝手明神《かつてみやうじん》は愛蘰命《うけのりかみのみこと》也|天孫臨降《あめみまりんかう》の時卅二神相そひてあまくだります次に護國《ごこく》後見《こうけん》にくださるゝ卅二神と云云|愛蘰命《うけのりかみのみこと》は勝手《かつて》大明神也【六十四神式】又|文治《ぶんぢ》元年|静《しづか》法楽《ほうらく》の舞《まひ》をまひし装束《しやうぞく》ならびに源義經《みなみとのよしつね》の鎧《よろひ》など寶藏《ほうざう》に(287コマ)おさまれり又|後醍醐《ごだいごの》天皇賀名生《かなふ》の辺《へん》へ落《おち》させ給ふに勝手《かつて》の宮《みや》の前《まへ》を過《すぎ》おはしまさせけるが御馬よりおりさせ給ひて
太平記 憑《たのむ》かひなきにつけてもちかひてし勝手《かつて》の神の名こそおしけれ
師兼千首 三芳野やかつての宮の山|烏《がらす》神につかふる身もふりぬめり
袖振《そでふる》山
右に御影《みかげ》山左に袖振《そでふる》山此山の頂上《ちやうじやう》を那良志《なたし》山となんいふ天女《てんによ》舞《まひ》しより袖振山の名《な》あり然《しかれ》ども袖振《そでふる》山に付てはふるき文どもに説くぞ侍る
先《まづ》範兼卿類聚《のりかねきやうるいじゆ》にいはく未勘國《みかんこく》或《あるひ》は對馬《つしま》の国にあり或《あるひ》は大和国|布留《ふる》山なりと云々|詞林採葉《しりんさいえう》抄にいはくをとめらが袖ふる山とよめり此山のあり所分明ならず先達《せんだつ》石上|布留《ふる》山を申なり