帝国主義、幸徳秋水、岩波文庫、182頁、500円、2004.6.16
 
(5)   例言三則
 
一、東洋の風雲日に急にして天下功名のために熱狂す、世のいわゆる志士愛国者皆な髪竪ち眦裂くるの時において、独り冷然として理義を講じ道徳を説く、その崖山舟中の大学をもって嘲けらるるは、我れこれを知れり。しかも甘じてこれを為すゆえんは、実に百年斯道のために※[立心偏+中]々自ら禁ぜざる者あればなり。ああ我を知る者はそれただこの篇か、而して我を罪する者またただこの篇か。
一、全篇の説、欧米識者の夙に苦言し痛語せるところ。而して現時においてトルストイや、ゾーラや、ヂョン・モルレーや、ベーベルや、ブライアンやその最となす、その他極めて進歩せる道義を有し、極めて高潔の理想を抱くの諸氏、皆なこれがために切偲せざるなし。故に我れ敢て僭して『著』といわずして『述』と書す。
一、眇たる小冊子固より卑見の詳細を早さずといえども、しかもまたその綱要を提し得たりと信ず。世間※[耳+貴]々の徒をしてこれによって多少覚醒の機を感知せしめて、もって(6)真理と正義のために糸毫の貢献するところあるを得ば、すなわち我が願い足れり。
  明治三十四年四月桜花爛慢の候、朝報社編輯局において
                           秋水生識
 
(7)   目次
 
 『帝国主義』に序す(内村鑑三)…………………………………………三
 例言三則………………………………………………………………………五
 
第一章 緒言……………………………………………………………………一五
  帝国主義は燎原の火なり――何の徳あり何の力ある――国家経営の目的――科学的智識と文明的福利――天使か悪魔か――焦頭爛額の急務
 
第二章 愛国心を論ず…………………………………………………………一九
  《その一》 帝国主義者《イムペリアリスト》の喊声――愛国心を経とし軍国主義を緯とす――愛国心とは何物ぞ
(8)  《その二》 愛国心と惻隠同情――望郷心――他郷に対する憎悪――天下の可憐虫――虚誇虚栄
  《その三》 羅馬の愛国心――羅馬の貧民――何らの痴呆ぞ――希臘の奴隷――迷信的愛国心――愛憎の両念――好戦の心は動物的天性《アニマル・インスチンクト》――適者生存の法則――自由競争――動物的天性の挑撥
  《その四》 洋人夷狄の憎悪――野心を達するの利器――明治聖代の愛国心――英国の愛国心――英仏戦争――いわゆる挙国一致――罪悪の最高潮――戦後の英国――ペートルロー――虚偽なるかな
  《その五》 眼を独逸に一転せよ――ビスマーク公――日耳曼《ゲルマン》統一――無用の戦争――普魯西《オウロイセン》という一物――中古時代の理想――普仏戦争――愛国的ブランデー――柔ら術家と力士――独逸現皇帝――近世社会主義――哲学的国民
  《その六》 日本の皇帝――故後藤伯――征清の役――獣力の卓越――砂礫を混ずるの鑵詰――日本の軍人――我皇上のため――孝子的娼婦――軍人と従軍記者――眼中国民なし――愛国心発揚の結果
(9)  《その七》 愛国心の物たるかくの如し――人類の進歩あるゆえん――進歩の大道――文明の正義人道
 
第三章 軍国主義を論ず………………………………………………………五一
  《その一》 軍国主義《ミリタリズム》の勢力――軍備拡張の因由――五月人形三月雛――モルトケ将軍――蛮人の社会学――小モルトケの輩出
  《その二》 マハン大佐――軍備と徴兵の功徳――戦争と疾病――権力衰微と紀綱の弛廃――革命思想の伝播者――疾病の発生――徴兵制と戦争の数――戦争減少の理由
  《その三》 戦争と文芸――欧洲諸国の文芸学術――日本の文芸――武器の改良――軍人の政治的材能――アレキサンドル、ハンニバル、シーザー――義経、正成、幸村――項羽と諸葛亮――フレデリッキと奈勃翁《ナポレオン》――ワシントン――米国の政治家――グラントとリンコルン――ネルソンとウェルリントン――山県、樺山、高島――軍人の智者賢者
  《その四》 軍国主義の弊毒――古代文明――アゼンとスパルタ――(10)ペロボンネシアン戦後の腐敗――タシヂヂスの大史筆――羅馬に見よ――ドレフューの大疑獄――ゾーラ蹶然として起てり――堂々たる軍人と市井の一文士――キッチェネル将軍――露国軍隊の暴虐――土耳其の政治――独逸と一代道徳の源泉――麟鳳は荊棘に栖まず――独逸皇帝と不敬罪
  《その五》 決闘と戦争――猾智を較するの術――戦争発達の歩一歩――愛々たる田舎の壮丁――餓鬼道の苦――軍備を誇揚するを止めよ
  《その六》 何ぞ長く相挑むや――平和会議の決議――僅かに一転歩のみ――猛獣毒蛇の区
 
第四章 帝国主義を論ず………………………………………八五
  《その一》 野獣肉餌を求む――領土の拡張――大帝国の建設は切取強盗なり――武力的帝国の興亡――零落《ルーイン》は国旗に次ぐ
  《その二》 国民の膨脹か――少数の軍人政治家資本家――トランスワールの征討――驚くべき犠牲――数万人の鮮血の価十億万円――(11)独逸の政策――独逸社会党の決議――米国の帝国主義――比律賓の併呑――独立の檄文と建国の憲法を奈何――米国の危険――米国隆盛の原因――デモクラット党の決議 《その三》 移民の必要――人口増加と貧民――貧民増加の原因――英国移民の統計――移民と領土――大なる謬見
  《その四》 新市場の必要――暗黒時代の経済――生産の過剰――今日の経済問題――社会主義的制度の確立――破産のみ堕落のみ――遊牧的経済――英独の貿易――華主の殺戮――日本の経済――その愚及ぶべからず
  《その五》 英国殖民地の結合――不利と危険――小英国当時の武力――英国繁栄の原由――英帝国の存在はタイムの問題――キップリングとヘンレー――帝国主義は猟夫の生計
  《その六》 帝国主義の現在将来――国民の尊栄幸福――独逸国大にして独逸人小なり――一時の泡沫――日本の帝国主義――その結果
 
(12)第五章 結論………………………………………………一一五
  新天地の経営――二十世紀の危険――ペストの流行――愛国的病菌――大清潔法大革命――黒闇々の地獄
 
(13) 帝国主義
                     幸徳秋水述
 
〔欄外の小見出しは〇の前に移したのがある。入力者注〕 
(15) 第一章 緒言
 
 帝国主義は燎原の火なり
〇盛なるかないわゆる帝国主義の流行や、勢い燎原の火の如く然り。世界万邦皆なその膝下に慴伏し、これを賛美し崇拝し奉持せざるなし。
〇見よ英国の朝野は挙げてこれが信徒たり、独逸の好戦皇帝は熾にこれを鼓
吹せり、露国は固よりこれをもってその伝来の政策と称せらる、而して仏や澳や伊や、また頗るこれを喜ぶ、かの米国の如きすら近来甚だこれを学ばん
とするに似たり。而して我日本に至っても、日清戦役の大捷以来、上下これに向って熱狂する、※[獣偏+旱]馬の軛を脱するが如し。
 何の徳あり何の力ある
〇昔者平時忠誇て曰く、平氏にあらざる者は人にして人にあらずと、今の時において帝国主義を奉持せざる者は、殆ど政事家にして政事家にあらず、国家にして国家にあらざるの観あり。彼れそれ果して何の徳あり、何の力あり、何の貴重すべきあって、その流行の能くかくの如きを致せるや。
(16) 国家経営の目的
〇けだし国家経営の目的は、社会永遠の進歩にあり、人類全般の福利にあり。然り単に現在の繁栄にあらずして永遠の進歩にあり、単に小数階級の権勢にあらずして全般の福利にあり。而して今の国家と政事家が奉持せる帝国主義なる者は、吾人のためにいくばくか這箇の進歩に資せんとするか、いくばくか這箇の福利を与えんとするか。
 科学的智識と文明的福利
〇我は信ず、社会の進歩は、その基礎必ずや真正科学的智識に待たざるべからず、人類の福利は、その源泉必ずや真正文明的道徳に帰せざるべからず。而してその理想は必ずや自由と正義にあらざるべからず、その極致は必ずや博愛と平等にあらざるべからず。それ古今東西、能くこれに順う者は栄う、松拍の凋に後るるが如く、これに逆う者は亡ぶ、春の夜の夢の如し。かの帝国主義の政策にして、果してこの基礎源泉を有して、而してこの理想極致に向って進む者ならしめんか、この主義や実に社会人類のために天国の福音なり、我は喜んでこれがために執鞭の士たるを甘んぜん。
〇しかれどももし不幸にして、帝国主義の勃興流行するゆえんの者は、科学的智識にあらずして迷信なり、文明的道義にあらずして狂熱なり、自由、正(17)義、博愛、平等にあらずして、圧制、邪曲、頑陋、争闘なりしとせよ。而して仮にこれらの劣情悪徳が、精神的に物質的に、世界万邦を支配することかくの如きにしてやまずとせよ、その害毒の横流するところ、深く寒心すべきにあらずや。
 天使か悪魔か
 焦頭爛額の急務
〇ああ帝国主義、汝が流行の勢力は、我二十世紀の天地をもって、寂光の浄土を現ぜんとするか、無間の地獄に堕せんとするか。進歩か、腐敗か、福利か、災禍か、天使か、悪魔か。その真相実質の如何を研究するは、我二十世紀の経営に任ずる士人にあって、焦頭爛額の急務にあらずや。これ後進の不才自ら揣らず、敢て呶々のやむなきゆえんなり。
 
(19) 第二章 愛国心を論ず
 
    その一
 
 帝国主義者《イムペリアリスト》の喊声
○我国民を膨脹せしめよ、我版図を拡張せよ、大帝国《グレーターエムパイア》を建設せよ、我国威を発揚せよ、我国旗をして光栄あらしめよ、これいわゆる帝国主義者《イムペリアリスト》の喊声なり。彼らが自家の国家を愛するや深し。
〇英国は南阿を伐てり、米国は比律賓を討てり、独逸は膠州を取れり、露国は満洲を奪えり、仏国はファショダを征せり、伊太利はアビシニアに戦えり。これ近時の帝国主義を行うゆえんの較著なる現象なり。帝国主義の向うところ、軍備、もしくば軍備を後援とせる外交のこれに伴わざるなし。
 愛国心を経とし軍国主義を緯とす
〇然りその発展の迹に見よ、帝国主義はいわゆる愛国心を経となし、いわゆる軍国主義《ミリタリズム》を緯となして、もって織り成せるの政策にあらずや。少くとも愛国心と軍国主義は、列国現時の帝国主義が通有の条件たるにあらずや。故に(20)我はいわんとす、帝国主義の是非と利害を断ぜんと要せば、先ずいわゆる愛国心といわゆる軍国主義に向って、一番の検覈なかるべからずと。
 る愛国心とは何物ぞ
〇しからば則ち、今のいわゆる愛国心、もしくば愛国主義とは何物ぞ、いわゆるパトリオチズムとは何物ぞ。吾人は何故に我国家、もしくば国土を愛するや、愛せざるべからざるや。
 
    その二
 
 愛国心と惻隠同情
〇けだし孩児の井に墜ちんとするを見ば、何人も走ってこれを救うに躊躇せざるべきは、子輿氏我を欺かず。もし愛国の心をして真にこの孩児を救う底のシムパシー、惻隠の念、慈善の心と一般ならしめば、美なるかな愛国心や、醇乎として一点の私なきなり。
〇しかれども思え、真個高潔なる惻隠の心と慈善の念は、決して自家との遠近親疎を問わざること、なお人の孩児の急を救うに方って、その我の子たると他の子たるを問わざるが如し。これ故に世界万邦の仁人義士は、ツランスワールのためにその勝利と復活を祈り、比律賓のためにその成功と独立を祈(21)れり、その敵国たる英人にして然る者あり。その敵国たる米人にして然る者あり。いわゆる愛国心は果して能くかくの如くなるを得るか。
〇今の愛国者や国家主義者は、必ずやツランスワールのために祈るの英人をもって、愛国の心なしと罵らん、比律賓のために祈るの米人をもって、愛国の心なしと罵らん。然り彼らあるいは愛国の心なかるべし、しかれども高潔なる同情、惻隠、慈善の心は確にこれあり。しからば即ち愛国心は、かの孩児を救う底の人心と一致せざるに似たり。
〇然り我はいわゆる愛国心が、醇平たる同情惻隠の心にあらざるを悲しむ。何となれば愛国心の愛するところは、自家の国土に限ればなり。自家の国人に限ればなり。他国を愛せずしてただ自国を愛する者は、他人を愛せずしてただ自家一身を愛する者なり。浮華なる名誉を愛するなり、利益の壟断を愛するなり。公というべけんや。私ならずというべけんや。
 望郷心
〇愛国心はまた故郷を愛するの心に似たり。故郷を愛するの心は貴ぶべし。しかれどもまた甚だ卑しむべき者あり。
 他郷に対する憎悪
〇誰か垂髫の時、竹馬に鞭つの時、真に故郷の某山某水の愛すべきを解する(22)か。彼らが懐土望郷の念を生ずるは、実に異郷他国なる者あるを解するの以後にあらずや。それ東西飄蓬、壮心幾たびか蹉※[足+它]して転た人情の冷酷を覚るの時、人は少年青春の愉快を想起して旧知の故園を慕うこと切なり。彼の風土甚だ身に適せず、食味甚だ口に適せず、知己の志を談ずるなく、父母妻子の憂を慰するなくして、人は故園を思うこと切なり。彼らは故郷の愛すべく尊うべきがために思念するよりは、むしろただその他郷の忌むべく嫌うべきがためなるなり。故郷に対する醇乎たる同情惻隠にあらずして、他郷に対する憎悪なり。失意逆境の人多く皆な然り、彼ら他郷を憎悪せずんば、未だかつて特に故郷を思慕せざるなり。
〇彼らは曰く、望郷の念は独り失意逆境の人のみならず、得意順境の人もまたこれあるにあらずやと。然り洵とにこれあり。得意の人の故郷を思慕するは、その心ことさらに卑しむべきあり。彼らは即ち郷里の父老知人に向ってその得意を示さんと欲するのみ。郷里に対する同情惻隠にあらずして、一身の虚栄なり、虚誇なり、競争心なり。古人曰く、『富貴にして故郷に還らずんば錦を衣て夜行くが如し』と、これこの一語、彼らが卑しむべき胸底の秘(23)密を道破して燭照するが如きを見ずや。
〇日く大学を我地方に置かん、曰く鉄道を我地方に敷かん、これなお可なり。甚しきは即ち曰く、総務委員を我県より出さん、大臣を我州より出さん。彼らは一身の利益もしくば虚栄を外にして、真にその郷里に対する同情慈愍の念によって然るあるか。有識の人や高潔の士や、これに対して果して一毫侮蔑の念なきことを得るか。
 天下の可憐虫
〇然り愛国心が望郷の念とその因由動機を一にすとせば、彼の虞※[草がんむり/内]の争いは愛国者の好標本なるかな、彼の触蛮の戦いは愛国者の好譬諭なるかな。天下の可憐虫なるかな。
〇ここにおいてか思う、岩谷某が国益の親玉と揚言するを笑うことなかれ、彼が東宮大婚の紀念美術館に千円の寄附を約してその約を履まざるを笑うことなかれ。天下のいわゆる愛国者、及び愛国心、岩谷某においてただ五十歩百歩の差のみ。愛国心の広告はただ一身の利益のためのみ、虚誇のためのみ、虚栄のためのみ。
 
(24)    その三
 
 羅馬の愛国心
〇『党派あることなし、ただ国家あるのみ』
 “Then none was for a party,
  Then all were for the State.”
とは、古羅馬の詩人が誇揚し賛美せるところなり。しかも何ぞ知らん、これ党派を利用するの智なかりしがためのみ、国家あるが故にあらずして敵国敵人ありしがためのみ。敵国敵人憎むべしという迷信ありしがためのみ。
 羅馬の貧民
〇我は見る、当時羅馬の貧困なる多数の農夫が、少数の富人と共に、あるいは富人に従って、いわゆる国家のために戦に赴けることを。而して我は見る、彼らが敵人と戦うや、勇猛奮進矢右を冒して身を顧みず、その忠義真に感ずるに堪えたることを。而して更に我は見る、彼らが幸いに戦捷ち身を全くして帰るの時は、即ち彼らが従軍の間に負える債務のために、直ちに奴隷の域に陥らしめらるるの時なることを。見よ彼の戦役の間、富者の田畝は常にその臣属奴僕の耕耘灌漑するところとなるも、貧者の田は全く荒廃靡蕪に委す(25)るのやむなかりしにあらずや、而して債務は生ず、而して買れて奴隷となる。果して誰の咎ぞや。
〇彼らは羅馬のいわゆる敵国敵人を憎悪せり。しかれども敵人が彼らに向って為すところの禍害ありとせば、これ決してその同胞たる富者が彼らに向って為す以上には出でざるべし。彼らは敵人のためにその自由を奪わるべし、その財産を奪わるべし、奴隷と為さるべし。しかも彼らは現にその同胞のために爾く為されつつありしにあらずや。彼ら想うてこれに及ばざるなり。
 何らの痴呆ぞ
〇富者の戦うや、富益す多きを加え、奴隷臣従益す多きを加うるなり。而して貧者は何の加うるところあらず、ただ曰く、国家のために戦えりと。彼らは国家のために戦うて奴隷の境に沈淪するも、しかもなお敵人を討伐せりという過去の虚栄を追想して、甘心し満足し誇揚せる者、ああこれ何らの痴呆ぞや。古羅馬の愛国心は実にかくの如くなりき。
 希臘の奴隷
〇古希臘におけるいわゆるヘロットなる奴隷を見よ。事あれば兵たり、事なければ奴隷たり、而してあるいは彼らの強健度に過ぎ、彼らの人口増殖の度に過ぐるや、常にその主のために殺戮せられたりき。しかも彼らがその主の(26)ために戦うや、忠義実に比なかりき、勇敢実に比なかりき、かつて一たび戈を倒まにしてその自由を得んと欲するなかりき。
 迷信的愛国心
〇彼らの然るゆえんは何ぞや。ただその外国外人たる者、即ち彼らのいわゆる敵国敵人を憎悪し討伐するをもって、無上の名誉と信ずればなり、無上の光栄と信ずればなり。その虚誇たるを知らざればなり、その虚栄たるを悟らざればなり。ああこの迷信、彼らがいわゆる愛国心という虚誇的虚栄的迷信の固きは、実に腐敗せる神水を飲むの天理教徒に過ぐる者あるなり。而してその害毒もまたこれに過ぐるあり。
 愛憎の両念
〇怪しむなかれ彼らが敵人を憎悪するの甚しきを。けだし欠陥なる人生、野獣に近き人生は、甚だ同仁なること能わず、博愛なること能わず。原始以来、愛憎の両念は常に※[糸+斗]縄の如く相纏い、鎖環の如く相連れるなり。彼の野獣を見よ、彼らは猜々として同類相喰めり、しかも一朝未だ相知らざる者に逢えば忽ち畏懼恐慌し、畏懼恐慌は即ち猜忌憎悪となり、猜忌憎悪は即ち咆哮となり、攻撃となり、前に相喰めるの同類はかえって相結びてその公共の敵に抗争す。彼らの公共の敵に当るや、同類相互の親睦の状、掬すべきあり。彼(27)ら野獣は実に愛国心あるやあらずや。古代人類が蛮野の生活豈にこれと遠からんかな。
〇蛮人は実に同類相結んで、自然と戦えり、異種族と戦えり、彼らはいわゆる愛国心あるなり。しかれども知らざるべからず、彼らの団結や親睦や同情や、ただその敵を同じくせるに由れることを、ただその敵人に対する憎悪の反動なることを。病を同じくして始めて相憐の心ある者なることを。
 好戦の心は動物的天性《アニマル・インスチンクト》
〇かくの如くんば、いわゆる愛国心は、即ち外国外人の討伐をもって栄誉とする好戦の心なり、好戦の心は即ち動物的天性《アニマル・インスチンクト》なり。而してこの動物的天性や、好戦的愛国心なり、これ実に釈迦基督の排するところ、文明の理想目的の相容れざるところにあらずや。
〇しかも哀いかな、世界人民はなおこの動物的天性の競争場裡に十九世紀を送過し、更に依然たる境涯をもって二十世紀の新天地に処せんとはするなり。
 適者生存の法則
〇社会が適者生存の法則に従って、漸く進化し発達し、その統一の境域とその交通の範囲もまたしたがって拡大するに至るや、その公共の敵とせる異種族、異部落なる者、漸く減じて、彼らが憎悪の目的また失わる。憎悪の目的(28)既に失うや、その親睦結合せるゆえんの目的また失わる。ここにおいてか、彼らが一国、一社会、一部落を愛するの心は、変じてただ一身、一家、一党を愛するの心となる。かつて種族間、部落間における蛮野なる好戦的天性は、即ち変じて個人間の争闘となれり、朋党間の軋轢となれり、階級間の戦闘となれり。ああ純潔なる理想と高尚なる道徳の盛行せざるの間は、動物的天性のなお除却し能わざるの間は、世界人民は遂に敵を有せざる能わず、憎悪せざる能わず、戦争せざる能わず。而してこれを名けて愛国心といい、これを称して名誉の行となせるなり。
 自由競争
 動物的天性の挑撥
〇ああ欧米十九世紀の文明よ、一面には激烈なる自由競争の、人心をして益す冷酷無情ならしむるあり、一面には高尚正義なる理想と信仰滔として地を掃う。我文明の前途洵とに寒心すべからずや。而して姑息なる政治家や、功名を好むの冒険家や、奇利を趁うの資本家は、これを見て即ち絶叫して日く、四境の外を見よ大敵は迫れり、国民はその個人間の争闘を止めて、国家のために結合せざるべからずと、彼らは実に個人間における憎悪の心を外敵に転向せしめて、もって各々ためにするところあらんとするなり。而してこ(29)れに応ぜざるあれば即ち責めて日く、非愛国者なり、国賊なりと。知らずやいわゆる帝国主義の流行は実に這箇の手段に濫觴せることを、いわゆる国民の愛国心、換言すれば動物的天性の挑撥に出でたることを。
 
    その四
 
 洋人夷狄の憎悪
○自家愛すべし、他人憎むべし、同郷人愛すべし、他郷人憎むべし、神国や中華や愛すべし、洋人や夷狄や憎むべし、愛すべき者のために憎むべき者を討つ、これを名けて愛国心という。
 野心を達するの利器
〇しからば即ち愛国主義は、憐れむべきの迷信にあらずや、迷信にあらざれば好戦の心なり、好戦の心にあらざれば虚誇虚栄の広告なり、売品なり。而してこの主義や常に専制政治家が自家の名誉と野心を達するの利器と手段に供せらる。
〇これをもって独り希臘羅馬の旧夢となすことなかれ。愛国主義の近代に流行し利用せらるることは、上古中古よりも更に甚しきなり。
 明治聖代の愛国心
〇想起す、故森田思軒氏が一文を艸して、黄海のいわゆる霊鷹は霊にあらず(30)と説くや、天下皆な彼を責るに国賊をもってしたりき、久米邦武氏が神道は祭天の古俗なりと論ずるや、その教授の職を免ぜられたりき、西園寺侯がいわゆる世界主義的教育を行わんとするや、その文相の地位を殆うくしたりき、内村鑑三氏が勅語の礼拝を拒むや、その教授の職を免ぜられたりき、尾崎行雄氏が共和の二字を口にするや、その大臣の職を免ぜられたりき。彼ら皆な大不敬をもって罵られき、非愛国者をもって罪せられき。これ明治聖代における日本国民の愛国心の発現なり。
〇国民の愛国心は、一旦その好むところに忤うや、人の口を箝するなり、人の肘を掣するなり、人の思想をすらも束縛するなり、人の信仰にすらも干渉するなり、歴史の論評をも禁じ得るなり、聖書の講究をも妨げ得るなり、総ての科学をも砕破することを得るなり。文明の道義はこれを耻辱とす。しかも愛国心はこれをもって栄誉とし功名とするなり。
 英国の愛国心
〇独り日本の愛国心のみならんや。英国は近代において極めて自由の国と称す、博愛の国と称す、平和の国と称す。かくの如きの英国すらも、かつてその愛国心の激越せるの時においてや、自由を唱うる者、改革を請願する者、(31)普通選挙を主張する者、皆な叛逆をもって問われしにあらずや、国賊をもって責められしにあらずや。
 英仏戦争
〇英国人が愛国心の大に発揚せる最近の事例は、彼らが仏国との戦争当時に如くはなし。この戦争や一千七百九十三年大革命の際に初めて、爾後多少の断続ありしといえども、延て一千八百十五年奈勃翁の覆没に至って大段落を成す。彼らはその時の近きと共にその思想もまた今日の思想と相距る遠からず、彼らのいわゆる愛国心も今日の愛国主義と、その流行の事情と方法において、甚だ異なるところなきなり。
 いわゆる挙国一致
〇仏国との戦争。ただこの一事、この一語あるのみ。その原因の如何を問うことなかれ、その結果の如何を議することなかれ、これが利害を言うことなかれ、これが是非を言うことなかれ、言えば必ず非愛国者をもって責められん。改革の精神や、抗争の心や、批評の念や一時全く休止して、否な休止せしめられて、而して国内の党争は殆ど消滅に帰せり。彼コルリッヂその人の如きすら、戦争の初年これを非議せしにかかわらず、遂に戦争が国民を一致結合せしめたるを神に謝するに至れり。而して彼フォックスの一輩が、その平和と自由の大義を支持すること渝らず、議会の大勢回すべからざるを知て場に列するなかりしが如きは、即ちこれありといえども、しかも議場は一の党派的討論を見ざるに至れり。ああ当時の英国や実に挙国一致、我日本の政治家策士が喜んで口にするところの『挙国一致』、羅馬詩人のいわゆる『ただ国家あるのみ』盛なるかな。
〇しかれども思え、この時英国民を挙げて、その胸中何の理想あるか、何の
道義あるか、何の同情あるか、何の『国家』あるか。
〇彼れ英国民を挙げて、狂せる英国民を挙げて、あるところの者は、ただ仏国に対する憎悪のみ、ただ革命に対する憎悪のみ、ただ奈勃翁に対する憎悪のみ。いやしくも一毫革命的精神、もしくは仏人の理想に関聯するの思想あらんか、彼らはただにこれを嫌忌するのみならずして、競うてこれを侮辱せるにあらずや、ただにこれを侮辱するのみならず、群起してこれを攻撃し、これが処罰に全力を注げるにあらずや。
 罪悪の最高潮
〇ここにおいてか知る、外国に対する愛国主義の最高潮は、内治における罪悪の最高潮を意味することを、而して彼ら愛国狂は即ち戦争の間大に発越せ(33)る愛国心が、戦後において何の状を現ずるやを見んと要す。
 戦後の英国
〇戦後における英国や、仏国に対する憎悪の狂熱やや冷却し来ると共に、軍費の支出は停止せり、大陸諸国が戦役中、その工業界の撹乱せるがために特に英国に仰げるの需用は停止せり、英国の工業及び農業は、忽焉として一大不景気に襲われたり、次で来る者は下層大多数人民の窮乏なりき飢餓なりき。この時において彼れ富豪資本家や、果して一点の愛国心なお存せしか、彼らは果して一片の慈愍同情の念なお存せしか、挙国一致的結合親睦の心なお存せしか。彼らはその同胞の窮乏飢餓して溝壑に転ずるを見ること、あたかも仇敵の如くなりしにあらずや、彼らが下層の貧民を憎悪するは、夐かに仏国革命及び奈勃翁を憎むに勝りしにあらずや。
 ペートルロー
〇彼ペートルローの事に至っては、切歯に堪えたり。彼らは奈勃翁の軍をウォートルローに覆えして未だ久しきを経ざるに、議院改革を要求してペートルフィールドに集合せる多数の労働者を、蹂躙し虐殺せるにあらずや。時人ウォートルローの戦に比して冷語してペートルローと呼ぶ者これなり。ウォートルローに敵軍を破れるの愛国者は、今や一転してペートルローにその同(34)胞を虐殺す。愛国心という者は真にその同胞を愛する心なるや。いわゆる一致せる愛国心、結合せる愛国心は、征戦一たび了れば、国家国民に向って何の利益をか与うるや。見よ敵人の首を砕ける鋭鋒は、直ちに同胞の血を甞めんとす。
 虚偽なるかな
〇コルリッヂは戦争のために、国民の一致を神に謝せり、しかれどもここに至って一致なる者果して何処にありや。憎悪の心は憎悪を生むのみ、敵国を憎むの心は直ちに国人を憎むの動物的天性のみ、ウォートルローの心は直ちにペートルの心のみ。虚偽なるかな、愛国心の結合や。
 
    その五
 
 眼を独逸に一転せよ
〇姑らく英国を去て眼を独逸に一転せよ。故ビスマーク公は実に愛国心の権化なり、独逸帝国は実に愛国神垂迹の霊場なり。愛国宗の霊験が、如何に赫然灼然たるかを知らんと欲せば、一たびこの霊場に詣ぜざるべからず。
〇我日本の貴族軍人学者を初めとして、およそ世界万国の愛国主義者、帝国主義者が随喜渇仰して措かざる独逸の愛国心は、古代希臘や羅馬や、及び近
(35)代英国の愛国心に比して、果して迷信ならざるか、虚誇虚栄ならざるか。
 ビスマーク公
〇故ビスマーク公は寔とに圧伏の人豪なり。彼の未だ起たざるに当ってや、紛々として分立せる北部日耳曼の諸邦は、同一言語の国民は必ず結合せざるべからずとせる帝国主義者の眼光よりこれを見ば、実に憫れむに堪たる者なりき。而して能くこれら諸邦を打て一丸とせるビスマーク公の大業は、その光輝を千載に放てり。しかれども知らざるべからず、彼ら帝国主義者が諸邦を結合統一するの目的は、必しもこれによって実際に諸邦の平和と利益を冀うにあらずして、ただその武備の必要より生じ来れる者なるを。
〇彼の早く自由平等の理義を咀嚼して、仏国革命の壮観を羨望せるの人士にあっては、その触蛮の争いを止めて協同平和の福利を亨け、かつ外敵の侵寇に備うるがために、日耳曼の結合統一を企望するものありしや明かなり、これ甚だ可なり。しかれども実際の歴史は決してこの種の企望に副わしめざりしを奈何せん。
〇もし日耳曼統一が、真に北部日耳曼諸邦の利益のために成されたりと言わば、彼らは何ぞその多数が独逸語を話するの澳太利と結合するを為さざるや。(36)これを為さざるゆえんは他なし、ビスマーク公一輩の理想は決して一般独逸人のプラザー・フードにあらざればなり、諸邦共同の平和の福利にあらざればなり、ただ普魯西彼れ自身の権勢と栄光にありたればなり。
 無用の戦争
〇それ徹頭徹尾好戦の心を満足するの手段として結合提携を求むるは、これ人の常性なり。甲の朋友たるは乙の仇敵たるが故なり、彼を愛するはこれを憎むがためなり、彼の外国ということのために念慮を労するは、その安寧を欲するが故にあらずして、その覇権を誇揚せんと欲してなり。俊才ビスマーク公は能く這個の人情に暁通せり。彼は実にこの国民の動物的天性を利用して、その手腕を揮い来れるなり。換言すれば彼は国民の愛国心を煽揚せんがために敵国と戦えるなり、自家に反対する諸種の理義評論を庄伏して、その希望せる愛国宗を創建せんがために、無用の戦争を挑発したるなり。
〇然り彼れ日耳鼻の統一者、獣力のアポストル、鉄血政策の祖師は、その深諜遠計の第一着手として、恣まに最弱の隣邦と戦えり。而してこれに捷つや、国民中、迷信、虚栄、獣力を喜ぶの徒は、競うて彼れの党与となれり。これ実に新独逸帝国の結合、新独逸愛国主義の発程なりき。
(37)〇第二に彼は他の隣邦に向って挑戦せり。この隣邦や前の隣邦よりも強かりき、しかれども彼は敵の備えの完たからざるに乗ぜしなり。而していわゆる愛国心といわゆる結合の精神は油然として、この新戦場より隆興せり。而してその運動は一にビスマーク公自身の国なる普魯西と及び同国王の膨脹のために、巧みに利用せられ妙に指揮せられたりしなり。
 普魯西という一物
〇彼は決して純乎たる正義の意味において、北日耳曼の統一を企てし者にあらず。彼は決して普魯西という一物を結合の中に溶化し湮滅するを許さざるなり。彼の許すところはただ普魯西王国を盟主と為すの統一のみ、普魯西王をして独逸皇帝《カイゼル》の栄光を冠せしむるの統一のみ。誰か言う、北日耳曼の統一は国民的運動なりと、彼ら国民が虚誇と迷信の結果なる愛国心は、全く一人の野心功名のために利用されたるにあらずや。
 中古時代の理想
〇ビスマークの理想や、実に中古時代未開人の理想たるを免れず。而して彼がその陳腐野蛮の計画にして能く成功するを得たるゆえんの者は、社会の多数が道徳的に心理的に、未だ中古時代の境域を脱出すること能わざるに由るのみ。然り多数国民の道徳はなお中古の道徳なり、彼らの心性はなお未開の(38)心性なり、ただ彼ら自ら欺き人を欺かんがために、近世科学の外皮をもって掩蔽するに過ぎざるのみ。
 普仏戦争
〇彼や既に無用の師を起すこと二回、能く成功せり。而して第三回の師を起さんがために、孜々として鋭を養い耽々としてその機を待てり。機は到れり、彼は再び他の強国の備えの完たからざるに乗ぜり。ああ普仏の大戦争。この戦や危道の尤も危なる者、兇器の尤も兇なる者、しかも彼れビスマークにあっては大成功。
〇普仏戦争は、北日耳曼諸邦をして普魯西の足下に拝跪せしめたり、彼ら諸邦をして一斉に普魯西国王独逸皇帝を奉祝せしめたり。ただ普魯西国王のためなり、ビスマークの眼中これあるのみ、豈に同盟国民の福利あらんや。
〇故に我は断ず、独逸の結合は正義なる好意同情に由るにあらざるなり。独逸国民が屍の山を踰え血の流を渉ると、鷙鳥の如く野獣の如く、もってその統一の業を挙げたるは、ただ敵国に対する憎悪の心の扇揚されしに由るのみ、戦勝の虚栄に酔えるに由るのみ。これ大人君子の与するところなるか。
〇しかも彼ら国民の多数は自ら誇って以為らく、我独逸国民が天の寵霊を享
(39)くる、世界各国孰か能く企及する者あらんやと。世界各国民の多数もまた驚歎して曰く、偉なるかな、国を為す者宜しく如くなるべきなりと。日本の大勲位侯爵もまた随喜して曰く、我もまた東洋のビスマーク公たらんと。従来英国の立憲政治が世界に有せし光栄は、忽焉として去て普魯西軍隊の剣※[木+覇]に移れり。
 愛国的ブランデー
〇国民が国威国光の虚栄に酔うは、なお個人のブランデーに酔うが如し。彼れ既に酔う、耳熱し眼昧みて気徒らに揚る、屍山を踰えてその惨なるを見ざるなり、血河を渉りてその穢なるを知らざるなり。而して昂々然として得意たるなり。
 柔術家と力士
〇国民が武力優れて戦闘に長ずという名声を得るは、なお柔術家の免許皆伝を得たるが如し。力士の横綱を張れるが如し。柔術家や力士やただその敵手を殪すのみ、技これに止るのみ、もし敵手なくんば、何の利益あるか、何の名誉あるか。独逸国民の誇りはただ敵国を敗るのみ、もし敵国なくんば何の利益あるか、何の名誉あるか。
〇柔術家と力士がブランデーに酔て、その技能と力量を誇るを見て、人は更(40)に彼らの才智、学識、徳行を信ずるを得べきか。国民が戦争の虚栄に酔てその名誉と功績を誇るを見て、他の国民は更に彼らの政治、経済、教育における文明的福利を与うるを信じ得べきか。独逸の哲学は尊崇すべし、独逸の文学は専崇すべし、しかも我は決して独逸のいわゆる愛国心を賛美する能わず。
 独逸現皇帝
〇今やビスマーク公の輔佐せる皇帝や、ビスマーク公彼自身や、皆な既に過去の人となれり。しかれども鉄血の主義はなお現皇帝の頭上に宿れり、愛国的ブランデーはなお現皇帝を酔しめつつあり。現皇帝の戦争を好み、圧制を好み、虚名を好むや、夐かに奈勃翁一世に過ぐ、更に夐かに奈勃翁三世に過ぐ、尨然たる大国民は今において、なお血をもって購える結合統一という美名の下に、この年少圧制家の駆使に甘じつつあるなり。而していわゆる愛国心はなお甚だ熾んなり。しかれどもこれ豈に永遠の現象ならんかな。
 近世社会主義
〇見よ愛国心の弊毒は既に絶頂に達せり、マクベスの暴虐極まるの時に、森林の撼きて迫り来れるが如く、恐るべき強敵は既に土を捲て来れるにあらずや。この強敵や迷信的にあらず理義的なり、中古的にあらず近世的なり、狂熱的にあらず組織的なり、而してその目的や彼愛国宗及び愛国宗の為せる事(41)業を尽く破壊するにあり。これを名けて近世社会主義という。
〇古代の蛮野的にしてかつ狂顛的なる愛国主義が、近代文明の高遠なる道義と理想を圧伏し去ること、今後もなおビスマーク公当時の如くなるを得るやは、現世紀の中葉を待て決すべし。しかも独逸の社会主義が隆然として勃興し、愛国主義に向って激烈なる抵抗を為せるを見ば、いかに戦勝の虚栄と敵国の憎悪より生ぜる愛国心が、一毫も国民相互の同情博愛の心に益するところなきを知るべからずや。
 哲学的国民
〇ああ極めて哲学的《フイロソヒツク》なる国民をして、各種の政治的理想中、極めて非哲学的《アンフイロソヒツク》なる事態を演ぜしめたるはビスマーク公の大罪なり。ビスマーク公もし微りせば、独り独逸のみならず、独逸を宗とせる欧洲列国の文学、美術、哲学、道徳は、如何に進歩し如何に高尚なるべかりしぞ、曷んぞ※[獣偏+言]々相喰む豺狼の態を、二十世紀の今日に存せんや。
 
    その六
 
 日本の皇帝
〇日本の皇帝は独逸の年少皇帝と異り。戦争を好まずして平和を重んじ給う、(42)圧制を好まずして自由を重んじ給う、一国のために野蛮なる虚栄を喜ばずして、世界のために文明の福利を希い給う。決して今のいわゆる愛国主義者、帝国主義者にあらせられざるに似たり。しかれども我日本国民に至っては、いわゆる愛国者ならざる者寥々として晨星なり。
〇我は断じて古今東西の愛国主義、ただ敵人を憎悪し討伐するの時においてのみ発揚するところの愛国心を賛美すること能わざるが故に、また日本人民の愛国心を排せざる能わず。
 故後藤伯
〇故後藤伯は、かつて一たび日本国民の愛国心の煽揚を試みて、国家の『危急存亡』の秋なることを呼号せり。天下の愛国の士翕然としてこれに趨る、草の風に偃すが如くなりき。而して伯は突如として廟廊に曳裾せり、大同団結は消て春夢と一般なり。当時における日本人の愛国心という者は、その実愛伯心にあらざりしやあらずや。
〇否な後藤伯を愛するにあらざるなり、藩閥政府を憎みたればなり。彼らの愛国の心は憎悪の心なり、同舟風に遭えば呉越も兄弟たり、この兄弟や豈に賛歎を値いする者あるか。
(43) 征清の役
〇日本人の愛国心は、征清の役に至りてその発越※[分/土]湧を極むる振古かつてあらざりき。彼らが清人を侮蔑し嫉視し憎悪する、言の形容すべきなし、白髪の翁媼より三尺の嬰孩に至るまで、殆ど清国四億の生霊を殺し殲して後甘心せんとするの慨ありき。虚心にして想い見よ、むしろ狂に類せずや、むしろ餓虎の心に似たらずや、然り野獣に類せずや。
 獣力の卓越
〇彼ら果して日本の国家及び国民全体の利益幸福を希うという、真個同情相憐の念あって然りしか。否なただ敵人を殺すの多きを快とせしのみ、敵の財を奪い敵の地を割くの多きを快とせしのみ、我獣力の卓越せるを世界に誇らんと欲せしのみ。
〇我皇上の師を出し給いしは、洵に古人のいわゆる荊舒これ膺ち戎狄これ懲さんがためなりしならん、真に世界の平和のため、人道のため、正義のためなりしならん。しかも如何せん、これがため煽起されたる愛国心の本質は憎悪なり、侮蔑なり、虚誇なり。征清役の功果をもって如何に国民全般の有形無形を利すべきかに至っては、一毫想い及ばざりしところにあらずや。
 砂礫を混ずるの鑵詰
〇それ一面において五百金千金を恤兵部に献ぜるの富豪は、一面において兵(44)士に販るに砂礫を混ずるの鑵詰をもってす、一面において死を期せりと称するの軍人は、一面において商人の賄賂を収むること算なし、これを名けて愛国心という。怪しむなきなり、野獣的殺伐の天性がその熱狂を極むるの時、多くの罪悪の行わるるは必至の勢いなればなり。これ豈に皇上の大御心ならんかな。
 日本の軍人
〇日本の軍人が尊王忠義の情に富めるは真に掬すべきあり。しかれども彼らの尊王忠義の情が、文明の進歩と福利の増加において、いくばくの貢献するところあるやは問題なり。
 我皇上のため
〇団匪の乱、大沽《タークー》より天津に至るの道路険悪にして我軍甚だ艱む、一兵卒泣て曰く、我皇上のためにあらずんば、この艱苦に堪えんよりはむしろ死するに如かずと。聞く者涙を堕さざるなし。我またこれがために泣く。
〇可憐の兵士、我は彼が皇上のためと言うて、正義のために、人道のために、同胞国民のためにと言わざるを責めざるべし。彼れは平生その家庭に学校に兵営において、彼の一身がただ皇上に捧ぐべきことを教訓せられ命令せられてその他を知らざればなり。スパルタの奴隷は自由あるを知らず、権利ある(45)を知らず、幸福あるを知らず、その主のために駆使され鞭撻され、而して戦に赴て死す、戦に死せずんば即ちその主に殺戮さる、自ら誇て以為らく国家のためなりと。我は史を読んで常に彼らのために泣けり、今この心をもってまた我兵士のために泣く。
〇しかれども今はスパルタの時代にあらず、我皇上は自由と平和と人道を重んじ給う、豈にその臣子をしてヘロットたらしむるを希い給わんや。我は信ず、我兵士をして、皇上のためと言うよりは、むしろ進んで人道のため正義のためと言わしめば、これ皇上の嘉納し給うところなるを、これ真に勤王忠義の目的に合する者なるを。
 孝子的娼婦
〇父母兄弟の困厄を救わんがために、あるいは盗を為す者あり、あるいは娼婦となる者あり、身を危し名を汚し、延てその父母兄弟家門を累するに至る、中古以前においてはこれを賛美せり、文明の道徳は、ただその心事を悲しみその愚を憫れむも、決してその非行を恕せざるなり。忠義の心や善し、皇上のためや善し、しかも正義と人道は我知るところにあらずと言わば、これ野蛮的愛国心なり、迷信的忠義なり、何ぞ彼孝子的娼婦盗賊と異ならん。
(46)〇我は哀しむ、我軍人の忠義の情と愛国の心が、未だ甚だ文明高尚の理想と合せざるあるを、なお甚だ中古以前の思想を脱せざる者あるを。
 軍人と従軍記者
〇彼ら軍人がその忠義の情、愛国の心の旺なるに反して、同胞人類のためという同情の絶てこれなきは、新聞記者待遇の一事に見るべし。北清の役、彼らが従軍の記者を遇するや、その冷酷を極めたりき。彼らは記者の食なきを省みざりき、記者の宿するに地なきを省みざりき、記者の病めるを省みざりき、その生命の危険なるを省みざりき、曰くこれ我関するところにあらずと、而してこれを嘲罵しこれを叱斥する、あたかも奴僕の如くなりき、あたかも敵人の如くなりき。
〇軍人は国家のために戦うという。従軍記者もまた我国家の一人にあらずや、同胞の一人にあらずや、しかもこれを愛護するの念なき何ぞかくの如く甚しきや。彼らのいわゆる国家とは、ただ皇上あるのみ、軍人自身あるのみ、その他を知らざればなり。
〇我四千万衆は領を引て我軍の安危如何を知らんと要し、足を翹て我軍の勝敗如何を聞かんと望む、従軍の記者が矢右を冒し死生の途に出入する者、豈(47)にただその新紙部数の加倍するのみにあらんや、彼らは実に我四千万衆の渇想の情を満足せしめんと欲すればなり。しかも軍人はこれをもって無用となせり、その四千万国民に対する一点の同情なきを知るべからずや。
 眼中国民なし
〇封建時代の武士は、国家をもって武士の国家なりとせり、政治をもって武士の政治なりとせり、農工商人民はこれに与かるの権利なくまた義務なしと思惟せり。今の軍人もまた国家をもって、皇上及び軍人の国家なりと為せるなり、彼らは国家を愛すというといえども、その眼中軍人以外の国民あらんや。故に知る愛国心の発揚は、その敵人に対する憎悪を加うるも、決して同胞に対する愛情を加うる者にあらざることを。
 愛国心発揚の結果
〇国民の膏血を絞りて軍備を拡張し、生産的資本を散じて不生産的に消糜せしめ、物価の騰昂を激成して輸入の超果を来さしむ、曰く国家のためなりと。愛国心発揚の結果は頼母しきかな。
〇多く敵人の生命を絶ち、多く敵人の地と財とを利して、而して政府の歳計はかえってこれがために二倍し三倍す、曰く国家のためなりと、愛国心発揚の結果は頼母しきかな。
 
(48)    その七
 
 愛国心の物たるかくの如し
我は以上説くところによって、いわゆるパトリオチズム即ち愛国主義もしくば愛寧心の何物たるかを、略ぼ解し得たりと信ず。彼は野獣的天性なり、迷信なり、狂熱なり、虚誇なり、好戦の心なり、実にかくの如きなり。
 人類の進歩あるゆえん
〇言うことなかれ、これ人間自然の性情にしてこれある遂にやむをえざるなりと。思え自然より発生し来れる諸種の弊毒を防遏するはこれ正に人類の進歩あるゆえんにあらずや。
〇水は停滞して動かざる久しければ即ち腐敗す、これ自然なり、もしこれを流動せしめ疏通せしめてもってその腐敗を防がば、これ自然に件うとなして咎むべきか。人の老衰して疾病に罹るは自然なり、これに薬を投ずるは自然に件うとなして責むべきか。禽獣や魚介や草木や、その生るるや自然に委す、その死するや自然に委す、その進化しもしくば退歩するまた自らこれを為すにあらずして自然に委するのみ。もし人自然に随うをもって能事畢ると為さば、直ちに禽獣、魚介、草木のみ、人たるにあらんや。
(49)〇人は自ら奮って自然の弊害を矯正するが故に進歩あるなり。尤も多く自然の慾情を制圧するの人民は、これ尤も多く道徳の進歩せる人民なり、天然物に向って尤も多くの人工を加えたるの人民は、これ物質的に尤も多く進歩せるの人民なり。文明の福利を享けんとする者は、実に自然に盲従せざるを要す。〇故に知れ、迷信を去て智識に就き、狂熱を去て理義に就き、虚誇を去て真実《トルース》に就き、好戦の念を去て博愛の心に就く、これ人類進歩の大道なることを。
〇故に知れ、彼野獣的天性を逸脱すること能わずして、今のいわゆる愛国心に駆使せらるるの国民は、その品性の汚下陋劣なる、まして高尚なる文明国民をもって称すべからざる者なることを。
 進歩の大道
〇故に知れ政治をもって愛国心の犠牲となし、教育をもって愛国心の犠牲となし、商工業をもって愛国心の犠牲となさんと努むる者は、これ文明の賊、進歩の敵、而して世界人類の罪人たることを。彼らは十九世紀中葉において一たび奴隷の域より脱出せる多数の人類を謬妄なる愛国心の名の下に、再び(50)奴隷の域に沈淪せしむるのみならず、更に野獣の境にまでも陥※[手偏+齊]せんとする者なるを。
 文明の正義人道
〇故に我は断ず、文明世界の正義人道は、決して愛国心の跋扈を許すべからず、必ずやこれを苅除し尽さざるべからずと。しかも如何せん、この卑しむべき愛国心は、今や発して軍国主義《ミリタリズム》となり、帝国主義となって、全世界に流行するを。我は以下更に進んで、軍国主義が如何に世界の文明を※[牀の木が戈]賊し人類の幸福を阻害せるかを見ん。
 
(51) 第三章 軍国主義を論ず
 
    その一
 
 軍国主義《ミリタリズム》の勢力
〇今や軍国主義《ミリタリズム》の勢力盛んなる前古比なく、殆どその極に達せり。列国が軍備拡張のために竭尽するところの精力や、消糜するところの財力や、勝て計量すべからず。それ軍備をもってただ尋常の外患もしくば内乱を防禦するの具と為すに止まらんか、何ぞ必しもかくの如く甚しきを要せんや。彼らが有形的に無形的に一国を挙げて軍備拡張の犠牲と為し尽してしかもなお省みざらんとする、その原因と目的は、けだし防禦以外にあらざるべからず、保護以外にあらざるべからず。
 軍備拡張の因由
〇然り軍備拡張を促進するの因由は、実に別にあるあり。他なし一種の狂熱のみ、虚誇の心のみ、好戦的愛国心のみ。但だ武人の好事にして多く韜略を弄するがためにするもまたこれあり、武器糧食その他の軍需を供するの資本(52)家が一掴万金の巨利を博せんがためにするもまたこれあり、英独諸国の軍備拡張にあってはこれら殊に与って力ありき。しかれども武人や資本家や、能くその野心を逞くするを得るゆえんの者は、実に多数人民の虚誇的好戦的愛国心の発越の機に投じたればなり。
〇甲国民は曰く、我は平和を希うしかも乙国民が侵攻の非望を有するを如何と、乙国民もまた曰く、我は平和を希うしかも甲国民が侵攻の非望を有するを如何と。世界各国皆な同一の辞を成さざるはなし、噴飯の極なり。
 五月人形三月雛
〇かくの如くにして各国民は、童男童女が五月人形、三月雛の美なるを誇り多きを競うが如く、その武装の精鋭とその兵艦の多きを競いつつあり。それただ相競うのみ、必しも敵国の来襲急なるを信ずるにあらざるなり、必しも外征を急要とするにあらざるに似たり。事は児戯に類す、しかも恐るべき惨害はこの裡に胚胎するを奈何せん。
 モルトケ将軍
〇故モルトケ将軍は謂らく、『世界平和の希望は夢想のみ、しかもこの夢や甚だ美ならず』と。然り平和の夢は将軍にあっては醜ならん、将軍は実に美しき夢想者なりき。将軍が仏国に捷て五十億フランの償金とアルザス、ロー(53)レンの二州を割取せるにもかかわらず、しかも仏国の商工のかえって駸々として繁栄し、独逸の市場の俄に一大困頓挫敗を招けるを見て、怫然赫然として怒れるの一事は、これ将軍が美しき夢の結果なりき。美しき夢の結果は甚だ醜ならずや。
 蛮人の社会学
〇而してモルトケ将軍は再び美しき武力をもって仏国に向って大打撃を加え、彼をして衰敗起つ能わざるに至らしめんと企図せることしばしばなりき。これ一に武力の捷利をもって国民の富盛を期せんとするモルトケ将軍の政治的手腕なり。もし這様の心術をもって、二十世紀国民の理想として崇拝せざるべからずとせば、吾人何の時か能く蛮人の倫理学、蛮人の社会学以上に出るを得んや。
 小モルトケの輩出
〇しかも軍国主義全盛の結果として、モルトケ将軍は現代の理想となれり、摸型となれり。小モルトケは世界到るところに輩出せること雨後の春艸と一般なり。東洋の一小国にも小モルトケは揚々として濶歩せり。
〇彼らは軍備制限を主唱せるニコラス二世皇帝陛下を夢想者《ドリーマー》なりと嘲れり、平和会議を滑稽なりと罵れり。彼らは常に平和を希図すと説くの舌をもて、(54)一面においては即ち軍備は美事なり、戦争は必要なりと唱道す。我はその矛盾を責めざるべし、姑く社会が軍備と戦争を要すというの故を聴かん。
 
    その二
 
 マハン大佐
〇近日軍国の事に通ずるをもって称せらるる者、マハン大佐に若くはなし。彼の大著作は英米諸国の軍国主義者、帝国主義者のオーソリチーとして、洛陽紙価ために貴きを致す、而して我国士人のまたこれを愛読する者多きは、その訳書の広告の頻繁なるを見て知るべし。故に軍国主義を論ずる者、先ず彼の意見を徴するは、便益にしてしかも義務なるを信ず。
 軍備と徴兵の功徳
〇マハン大佐が軍備と徴兵の功徳を説くや甚だ巧なり。曰く
 軍備が経済上においては生産を萎靡せしめ、人の生命と時間とに課税する等の不利もしくば害毒については、日々吾人の耳朶を聾せしむるところにして、新に説くの要なし。
 しかれども一方よりこれを見れば、その利益はその弊害を償うて余あらざ
るか。彼長上権力の衰微し紀綱の弛廃する甚しきの時に方って、年少の国(55)|組織的《システマチカリー》に発達され、克己や勇気や人格が、軍人の要素として養成せられんことは何の用なきか。多数の年少がその閭里市街を去りて一団となり、高等の智識ある先輩に混じて、その精神を結合しその働作を共同にすべきを教えられ、憲章法規の権力に対する尊敬の念を養われてその家に帰らんことは、今日の如き宗教壊頽の時において何の用なきか。見よ、初めて教練せらるる新兵の態度働作をもって、既に教練を経たる兵士が街上に群がれる時の容貌体格に比較し見よ、如何にその優劣の甚しきかを知るに足らん。軍人的教練は、他年活溌なる生計を営むにおいて決して有害なる者にあらず、少くとも大学における年月の費消よりも有害なる者にあらず。而して各国民が相互にその武力を尊敬《レスペクト》するがために、平和は益す確保され戦争はその数を減じ、偶ま衝動《コンワルション》の事あるもその経過は極めて急速にしてその鎮定は極めて容易なる、これ何の用なしとするか。けだし戦争は百年以前にあっては慢性症の疾病たりしも、今日においてはその起る極めて稀にしてむしろ急性の発作たり。故に急性的戦争の発作に応ずるの準備、(56)即ち善良なる原因のために戦うの心は、元より善美の事たるを失わずして、而してこの心や兵士が傭兵たりし当時よりも、夐かに広大旺盛なるを見るなり、何となれば今や国民即ち兵士にして、単に一君主の奴隷たる者にあらざればなり。
マハン大佐の言巧ならざるにあらず、しかも我はその甚だ論理に違えるを見る。
 戦争と疾病
〇マハン大佐の所論を剖析すれば、曰く、戦闘を習うて秩序と尊敬と服従の徳を養うは、今日の如く権力衰微し紀綱弛廃するの時に当って尤も急要なり。曰く、しかれども戦争は疾病なり、百年前においては慢性症疾病なりき、今日は国民皆兵にして戦争は減少せり、偶まこれあるも急性なり、この健康の時において常に急性の発作に応ずるの準備及注意は必要なりと。しからば則ちマハン大佐は、国民が戦争という慢性病に罹れるの時代は、これ秩序あり紀綱張るの時代にして、健康の時代は即『綱紀弛廃し』『宗教壊頽』するの時代と為す者なり。奇ならずや。
 権力衰微と紀綱の弛廃
〇マハン大佐が権力の衰微、紀綱の弛廃という者は、けだし社会主義の発生(57)を指す者なり。その妄なるや言を須たず。しかれども仮に現時をもって百年以前に比して紀綱弛廃せりとせよ、仮に社会主義者が現社会のいわゆる秩序と権力を破壊せんと試むるをもって、紀綱弛廃し宗教壊頽の結果なりとせよ、徴兵の制と軍人的教練は果してこれを防遏することを得べきか。乞う事実を見よ。
 革命思想の伝播者
〇米国独立の戦に赴援せる仏国軍人は、大革命における秩序破壊に与って有力なる動機たりしにあらずや、巴里に侵入せる独逸軍人は、独逸諸邦における革命思想の有力なる伝播者たりしにあらずや、現時欧洲大陸の徴兵制を採用せる諸国の兵営が、常に社会主義の一大学校として現社会に対する不平の養成所たるは、較著なる現象にあらずや。我は社会主義的思想の隆興を希う、而してこれを養成すというの故をもって、決して兵営を排斥する者にあらず。しかもマハン大佐の言の如く、兵士の教練は長上に対する服従と尊敬の美徳を養い得べしというの謬妄なるを知るべからずや。
〇然り、シーザーの軍隊は、いくばくかその国家の秩序に向って尊敬の心を有せしや、クロムエルの軍は、初め彼らが国会のために抜けるの剣を揮て、(58)かえってその国会を覆えせしにあらずや。彼らはただシーザー、クロムエルあるを知れるのみ、国家の秩序紀綱あるを知らぎるなり。
 疾病の発生
〇人の軍人的教練を受くる、単に善良の目的に向って戦うがためか、即ちいわゆる急性疾病の治療に応ずるがためか。もし果してかくの如くなりとするも、彼らは百年この治療の期を得ずんば、悠然として長くその教練をもって始め教練をもって終うるに堪うべきや、否な必ずや自らこの疾病を発生せしめてもって甘心せんとするなり。
 徴兵制と戦争の数
〇故に国民皆兵にして王侯の奴にあらざるは洵に然り。しかれどもこれをもって各国民相互にその武力を専敬《レスベクト》するがために戦争を減少すというに至っては妄も甚し。古代希臘及び伊太利においては国民皆兵にして、必しも王侯の奴にあらざりき、しかも戦争はいわゆる慢性症なりしにあらずや。彼傭兵が弱国を征伐するに方って、純然たる徴兵よりも便利なることはこれあり、しかれども国民皆兵の徴兵制は、決して戦争を未発に防禦しもしくは減少する者にあらず。奈勃翁《ナポレオン》の戦も徴兵なりき、近代欧洲の澳仏戦争、クリミヤ戦争、澳普戦争、普仏戦争、露土戦争、頻紛として徴兵制の下にその惨を極め(59)しにあらずや。
 戦争減少の理由
〇もし近時の相匹敵すべき両国間の戦争が、その終局速かなりとせば、これ国民の軍人的教練の完全なるがためにあらずして、戦争の惨害極めて大なるに由るのみ、もしくは人の道理を反省するの更に速なるがためのみ。
〇もしそれ一千八百八十年以来、相匹敵すべき強国問の戦争殆ど迹を絶てるは、これ両国民が相互の尊敬にあらずして、ただその結果の恐怖すべきを洞見し、その狂愚なるを悟れるによるのみ。独仏はその戦争の共倒れに終うべきを知る、露帝は一等国と戦うの結果が破産と零落なることを知る。
〇彼ら強国の相戦わざるはこれがためのみ、徴兵の教練が尊敬心を養成せるの功果にあらざるなり。見よ彼らは今や大にその武を亜細亜、阿非利加に用いんとするにあらずや。然り彼らが虚栄の心、好戦の心、野獣的天性は、かえって軍人的教練によって熾に煽揚せられつつあるなり。
 
    その三
 
 戦争と文芸
〇軍国主義者は曰く、鉄が水火の鍛練を経て犀利の剣となるが如く、人は一(60)たび戦争の鍛練を経ずんば決して偉大の国民たるを得ず。美術や科学や製造工業や、戦争の鼓舞刺激なくして能く高尚なる発達を為すは稀なり、古来文芸の大に隆興せるの時代は、多くはこれ戦役後の時代に属す。ペリクレスの時代は如何、ダンテの時代は如何、エリザベスの時代は如何と。我は平和会議の主唱せられし当時、英国の軍国主義者の有力なる一人がこの説を為せるを見たり。
〇然りペリクレスやダンテやエリザベスの時代の人民は皆な戦争を知れり。しかれども古代の歴史は殆ど戦争をもって充填す、戦争を経たるは特りこれらの時代のみにあらざるなり、その他の時代もまたこれを経たるなり、豈に彼らの文学が一に戦争の余沢というを得べけんや。故に彼らの文学が戦後急速に隆興せるか、もしくは彼らが戦争に関聯せる一貫の特徴あるを証するにあらずんば、未だ牽強附会たるを免れざるなり。
〇古代希臘の諸邦中、戦を好み戦に長ぜるはスパルタに如くはなし。而して彼れスパルタや、果して一の技術や文学や哲理の伝うべき者あるや。英国ヘンリー七世及びヘンリー八世の朝はこれ猛烈なる内乱相踵げるの後なりき、(61)しかも文芸の発達毫も見るべきなきにあらずや。エリザベス時代の文学復興は遠くアルマダ戦争の以前に兆せる者にして而してスペンサーやセークスピアやベーコンは決してこの戦争のために出ずるというを得ざるなり。
 欧洲諸国の文学芸術
○三十年戦争は独逸の文学科学をして、一たび消沈萎靡せしめ了りしなり。ルイ十四世即位当時に盛なりし仏国の文学科学は、彼の黷武によって衰微を極め、更にその晩年に至って復興し来れるなり、而して仏国の文学はその戦勝の時代よりもその困敗の時代において常に盛なりしを見ずや。近代英国のテニソン、サッカレーの文学、ダルウィンの科学をもってクリミヤ戦争の勝利に皈すとせば、誰かこれを笑わざらん。近代露国のトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲネフの文学をもってクリミヤ戦争の敗北に皈すとせば、誰かこれを笑わざらん。独逸の諸大家は、普仏戦争の後に出でずして前に出ず、米国文学の全盛期は内乱の後にあらずして前にあり。
 日本の文芸
〇我日本の文芸も、また奈良平安に盛にして保元平治に衰え、北条氏の小康を得て僅かに復興の運に向えるも、元弘以後南北朝より応仁の乱を経て元亀天正に至るの間、殆ど湮滅に帰し、ただ五山の僧徒によって一縷の命脉を持(62)したることは、少しく史を読む者の首肯するところなり。
〇故に文芸が戦争以後に盛なることもしこれありとせば、これただ戦争の間、ために圧伏され阻礙されたる文芸が、僅に太平の時を得てその頭を擡ぐる者にして、決して戦争のために促進さるるにあらざるなり。紫式部や赤染衛門や清少納言や、戦争のために何の感化を被れるや、山陽や馬琴や風来や巣林や、戦争のために何の鼓吹を受けたるや、鴎外や逍遥や露伴や紅葉や、戦争と何の関係を有するや。
〇我は戦争が社会文芸の進歩を阻礙するを見たり、未だこれが発達を助くるを見ず。日清戦争より発生せる『膺てや懲せや清国を』という軍歌をもって、我は大文学と名くるを得ざるなり。
 武器の改良
〇彼の刀槍艦砲の改造進歩してその堅牢と精鋭を加うるは、あるいは戦争の力あるに似たり、しかもこれ皆な科学的工芸進歩の結果にして、実に平和の賜にあらずや。仮にこれをもって戦争その物の功果なりとするも、しかもこれらの発明改造が、国民をして高尚偉大ならしむるゆえんの智識と道徳において、いくばくの貢献するところあるや。
(63) 軍人の政治的材能
〇然り軍国主義は、決して社会の改善と文明の進歩に資するを得る者にあらず、戦闘の習熟と軍人的生活は、決して政治的社会的に人の智徳を増進し得る者にあらず。我はこの点において更に適当の証左を得んがために、古来の武功赫々たる軍陣的英雄が、その政治家としての材能と、文治的成蹟の、如何に憫れむべきかを示さん。
 アレキサンドル、ハンニバル、シーザー
〇古代にあってアレキサンドル、ハンニバル、シーザーの三者は豪傑中の豪傑として、三尺の童子も能くその名を記せり。しかも彼らはその能く破壊するに比して、毫も建設の力あらざりき。アレキサンドルの帝国《エンパイア》や、政治学的眼光よりこれを観る、実にあり得べからざるの現象なり、彼れただ一時征服のコン※[ワに濁点]ルションのみ、これをもってその分崩の踵を旋さざりしは自然の理なり。ハンニバルの武略智謀は伊太利を圧倒する十五年、その威勢は羅馬人をして敢て仰視すること能わざらしめたり、しかもカルセーヂの腐敗の膏肓に入れるを救う能わざりき。シーザーの陣に臨むや餓虎の如きも、その政治の壇上に立つや盲蛇の如し、ただ羅馬民政を堕落せしめしのみ、ただ万人の怨府となりしのみ。
(64) 義経、正成、幸村
〇源義経は戦争に巧なりき、楠正成や真田幸村や、また戦争に巧なりき、しかも誰か能く彼らの政治的手腕を信ずることを得るか。彼らの完全なる軍人的資質をもって政治壇上に立たしめば、果して北条氏九代、足利氏十三代、徳川氏十五代の基を開き得べしとするか。
 項羽と諸葛亮
〇大小七十四戦に勝てるの項羽は、法を三章に約せるの高祖に及ばざりき、諸葛亮が八門遁甲は、遂に武帝の孟徳新書に及ばざりき。社会の人心を繋ぎて天下の太平を致すゆえんの道は、※[蹇の足が手]旗斫将の力にあらずしてけだし別にあるあればなり。
 フレデリッキと奈勃翁
〇近代武人の尤も政治的功績を奏せるは、フレデリッキと奈勃翁の二者なり。しかれどもフレデリッキは初めより武人の生活を憎むこと甚しくして、戦闘を習うはその極めて苦痛とせしところなりき、彼はいわゆる軍国主義的理想の適当なる代表者にあらざるなり。而して彼すらもなお未だ牢固なる建設をその死後に遺すこと能わざりき。奈勃翁の帝国が両国橋上の煙花と一般、忽ち輝きて忽ち消しは言を須たず。
 ワシントン
〇ワシントンは賢者なり、彼やいわゆる出ては将たり入ては相たる者なりき。(65)しかも彼は決して純然たる武人をもって目すべからず、彼の戦うや偶然やむなきの時運に迫られし者にして、兵馬を喜ぶ者にあらざりき。
 米国の政治家
〇米国において軍人的素養ある者が、かつて上乗の政治家に列せざりしは、特に注意すべきの値いあり。武人にして初めて米国大統領たる者、アンドリウ・ヂャクソンにあらずや、而して官職争奪の事は実に彼の時より初まれるにあらずや。
〇グラント将軍は、近時の武人中尤も専敬すべきの人物となす、しかもその大統領としての成績甚だ良からざりしは、彼の党員すらも争う能わざるの事実にあらずや。彼の忍耐なるも彼の正直なるも、戦争における技能手腕の、文事に応用すべからざるを如何せん。
 グラントとリンコルン
〇我はリンコルンが能く軍事に通暁して、その劃策するところは諸将校の決して企及し得ざりしを見る、しかれどもこれ偶まもって、真個の大政事家は能く軍国の事をも料理し得るを証するのみ、軍人的教練が大政治家を作るという愚論の証左たる者にあらざるなり。けだし孔子言えるあり、文事ある者は必ず武備ありと、ワシントンやリンコルンや即ちこれなり、しかれども武(66)備ある者必しも文事あることを得ず、グラント将軍の如きこれなり。
 ネルソンとウェルリントン
〇英国近代にあって功名世界に照燿し、軍人の理想たり軍国主義者の崇拝の焼点たる者、陸にはウェルリントンあり、海にはネルソンあり。ウェルリントンが政治的手腕は、少しく凡庸政治家の上に抜く者ありき、しかも決して一代を経営し万民の指導たるの材にあらざりき。彼は鉄道の下等乗客に与うる便利をもって、『下層人民をして無用に国中を遊行せしむる者』として、これに反対せるにあらずや。而してネルソンの事に至ては、殆ど言うべきなし、彼は海軍軍人としての外は寸毫の価値なき人物なりしなり。
 山県、樺山、高島
〇飜て我国に見よ、如何に彼ら軍人が政治的手腕の賞賛すべき者あるか。東洋のモルトケ、ネルソン、ウェルリントンをもって擬せられ崇拝さるるの山県侯や、樺山伯や、高島子や、明治の政治史、社会史において果して何事の特筆すべき者あるか。選挙干渉議員買収の俑を作って、我社会人心を腐敗堕落の極点に陥らしめたる罪悪は、彼ら実にその張本たるにあらずや。
〇我をもって漫に軍人軍隊を罵る者となすなかれ。我は農工商中に智者賢者あるが如く、軍人中にもまた智者賢者あることを知る。我はこれを尊敬する(67)に躊躇せじ。
 軍人の智者賢者
〇但だこの智者や賢者や、軍隊的教練を経てもしくは戦争を経て後初め生ずる者にあらず。手に銃剣なく肩にエボレットなく胸に勲章なしといえども、智者賢者は能く智者賢者たるなり。而して彼らは如何に智にして如何に賢なるも、その軍人たる職務としては、その軍人的教育の功果としては、社会全般に向って何の利益をも与うることなし。
〇統一を習うと言うことなかれ、人を殺すの統一は何の尊ぶべきか、規律に服すと言うことなかれ、財を糜するの規律は何の敬すべきか、勇気を生ずと言うことなかれ、文明を破壊するの勇気は何の希うべきか。否なこの規律、統一、勇気すらも、彼ら兵営を出る一歩なれば、茫としてその痕を止めざるなり。※[瀛の旁]すところは、ただ強者に盲従して弱者を凌虐するの悪風のみ。
 
    その四
 
 軍国主義の弊毒
〇軍国主義と戦争はただに社会文明の進歩に利せざるのみならず、これを※[牀の木が戈]賊しこれを残害するの弊毒実に恐るべき者あり。改行
(68) 古代文明
〇軍国主義者は曰く、古代文明が歴史に現出せるの時は、皆な兵商一致の社会にあらずやと。彼らは即ち古代埃及、古代希臘の事を挙げて、もって軍備が文明を進むるの証左と為さんとす、しかれども誤れり。我は信ず、埃及をして能く武力的征服、軍備的生活の国に堕落することなからしめば、その繁栄は更に幾百年を持続し、その命脉は更に幾千年を保存せしやも知るべからずと。もしそれ希臘は別に一考の価いあり。
 アゼンとスパルタ
〇古代希臘の武を事とする、諸邦自ら同じからず。スパルタは徹頭徹尾軍国主義を持したりき、その生活は調練なりき、その事業は戦争なりき、他あることなし、而してその文明の事物において一個の見るべきなきは、前に既にこれをいえり。アゼンに至ては未だかくの如く甚しからず。ペリクレスは曰く、吾人は彼の調練をもって労々自ら苦しむことを為さずといえども、しかも一朝事あるに当っては吾人の勇気は沮喪せざるなり、吾人は彼戦争に応ずるの準備に汲々としてその生涯を調練のために送尽する者に比して、決して劣るところなきを得べし、これ大なる利益にあらずやと。近世の軍国主義者は果してスパルタを撰まんとするや、アゼンを取らんとするや。
(69)〇彼ら如何に頑愚とするも、豊富なるアゼンの文明を棄てて、スパルタの野獣的軍国主義を賛ずることを敢てせじ。しかも軍国主義者の持説に照すに、スパルタは正に彼らの最大理想に合する者にあらずや。
 ペロポンネシアン戦後の腐敗
 〇軍国主義あるいは曰わん、吾人はスパルタの甚しきを希わず、ただ善くアゼンの軍国主義に倣わばもって善美なるを得んと。然りスパルタに比すればなお可なり。しかれども思え、アゼンといえども、その軍備は彼が政治の改良に与って何の功ありしか、その社会的品性の上進に与って何の功ありしか、彼らの市民をして戦争を煽起せしむる外は果して何の利害ありしか。彼らはペロポンネシアン戦争に従事すること三十年、軍国主義の利益と功果はこの時において当さに極点に発揮さるべきはずにあらずや、しかも結果はこれに反せり、ただ腐敗と堕落ありしのみ。
 タシヂデスの大史筆
〇ペロポンネシアン戦争が、全く希臘人民の道徳を一掃し信仰を破壊し、理義を湮滅して、如何に悽惨の状を極めしかを見んと要せば、乞うタシヂデスの千古の大史筆を倩わんかな。タシヂデスは描て曰く
 諸市府の騒擾一たび起るや、革命的精神の流行は置郵して命を伝うる如く、(70)悉く従来の物件を破壊し尽さずんばやまず、その計図はいよいよ出でていよいよ暴に、その復讐はいよいよ出でていよいよ惨なり。言語の意味は最早や実際の事物と同一の関係を有せずして、ただ彼らが適当と思惟するが如くに変更せられたりき。暴虎馮河は義勇をもって称せられき、思慮慎密は怯者の口実と称せられき、温和は軟弱の仮面と称せられき、万事を知るは一事を成さざる者となりき。狂顛的精力は真個男子の本性となりき。……狂暴を愛する者は信任され、これに反する者は嫌疑されたりき……初めより徒党の隠謀に与かるを好まざる者は、離間者をもって目せられ、敵を怖るるの怯者とせられたりき、……悪事をもって他を陥※[手偏+齊]する者は感歎せられ、良民を煽動して罪悪に誘う者も更に感歎されたりき、……復仇は自全よりも尊かりき、各党派間の一致結合はただその勢力なくしてやむをえざるの間のみ、彼らの他党を圧倒するに方てや奸策暴行為さざるところなく、而して恐怖すべき復讎はまた次で至る。……かくの如くにして革命は希臘人の一切の悪徳を醸生せり。高尚なる天性の一大要素なる質朴という一事は、一笑に付せられて迹を絶てり、醜陋なる争鬩戦闘の心は到とこ(71)ろに熾んにして、一語のもって彼らを和するに足る者なく、一の宣誓のもって彼らに信奉せしむるに足る者なかりき。……卑劣なる才智は一般に最も成功する者なりき。
ああこれ古代の最大文明国而して一切の市民が皆な軍隊的教練を経たるの地において、軍国主義者が賛美する戦争の養成したる結果にあらずや。我日本の軍国主義者も、また日清戦後の社会人心の状態がややこれに髣髴たるを見て、定めて満足を表するならん。
 羅馬に見よ
〇下って羅馬に見よ、彼らの勇戦奮闘して伊太利諸州の自由を奪うの結果は、羅馬市民に如何の品性を養い得しや、如何の美徳を長じ得しや。内国は遂に惨憺たる屠殺の場となれり、マリアスは出たり、シルラは出たり、民政共和の国は変じて貴族専制の国となれり、自主の市民は蠢爾たる奴隷となれるにあらずや。
 ドレフューの大疑獄
〇近時世界の耳目を聳動せる仏国ドレフューの大疑獄は、軍政が社会人心を腐敗せしむる較著なる例証なり。
〇見よその裁判の曖昧なる、その処分の乱暴なる、その間に起れる流説の、(72)奇怪にして醜辱なる、世人をして殆ど仏国の陸軍部内はただ悪人と痴漢とをもって充満せらるるかを疑わしめたり。怪しむなきなり、軍隊の組織は悪人をしてその兇暴を逞しくせしむること、他の社会よりも容易にして正義の人物をして痴漢と同様ならしむるの害や、また他の社会に比して更に大なり。何となれば陸軍部内は圧制の世界なればなり、威権の世界なればなり、階級の世界なればなり、服従の世界なればなり、道理や徳義やこの門内に入るを許さざればなり。
〇けだし司法権の独立完全ならざる東洋諸国を除くの外は、かくの如きの暴横なる裁判、暴横なる宣告は、陸軍郡内にあらざるよりは、軍法会議にあらざるよりは、決して見ることを得ざるところなり。然りこれ実に普通法衙のいやしくも為さざるところなり、普通民法刑法のいやしくも許さざるところなり。
 ゾーラ蹶然として起てり
〇しかも赳々たる幾万の※[獣偏+比]※[豸+休]、一個の進んでドレフューのために、その冤を鳴してもって再審を促す者あらざりき、皆曰く、むしろ一人の無辜を殺すも陸軍の醜辱を掩蔽するに如かずと。而してエミール・ゾーラは蹶然として起(73)てり、彼が火の如く花の如き大文字は、淋漓たる熱血を仏国四千万の驀頭に注ぎ来れるなり。
〇当時もしゾーラをして黙してやましめんか、彼れ仏国の軍人は遂に一語を出すなくして、ドレフューの再審は永遠に行われ得ざりしや必せり。彼らの耻なく義なく勇なきは、実に市井の一文士に如かざりき。彼軍人的教練なる者ここにおいて一毫の価値あるや。
 堂々たる軍人と市井の一文士
〇孟子曰く、自ら反して直くんば千万人といえども我れ往かんと、この意気精神、ただ一文士ゾーラに見て、堂々たる軍人に見ざるは何ぞや。
〇あるいは曰く、長上に抗するは軍人の為すべからざるの事、かつ為すを得ざるの事なり、ドレフュー事件の際における仏国軍人の盲従は、未だもって彼らの道心欠乏を証するに足らずと。果して然るか、しからば即ち更に著大の例を見ん。
 キッチェネル将軍
〇現下トランスワールに転戦せるキッチェネル将軍は、英国の軍国主義者、帝国主義者が鬼神の如く崇敬せるの人にあらずや。而して見よ、彼や嚮に蘇丹を征して、マーヂの墳墓を発掘してもって甘心せるの人その人にあらず(74)や。呉子胥が父仇を報ぜんがために平王の屍を鞭てるは、二千年の以前にあって既に識者の唾罵するところ、いわんや十九世紀末葉の文明時代において、公然大英国国旗の下に、蛮人の聖者と呼び救世主と称せる偉人の墳墓を発掘するは、マハン大佐のいわゆる克己忍耐勇気を養成せるの軍人にして、初めて忍び得るのことならん。天下の人を挙げて、早く軍国宗の信徒となし、マーヂの墳墓発掘の心をもって理想となし、一国の政治をもってこの残忍の手に委ねらるるとせば、豈また恐るべからずや。
 露国軍隊の暴虐
〇近く北清における露国軍隊の暴虐を見よ、通州の一地方のみにして、彼らのために脅かされ、水に赴て死するの婦女七百余人、ただこの一事、人をして酸鼻し髪指せしむるにあらずや。軍人的教練と戦争の準備が能く人格を高くし道義を養成すとせば、彼の十三、四世紀以来戦闘に生れ戦闘に死するのコサックは、人格高く道義盛なるべきの理なり、しかも事実は正にこれと相反するを如何。
〇もし軍国主義が、真に国民の智徳を扶植しその地位を上進せしむるの功果ありとせば、土耳其は欧洲第一の高地位にあらざるべからず。
(75) 土耳其の政治
〇土耳其の政治は軍国の政治なり、土耳其の予算は軍資の予算なり。その武力より見れば彼は決して弱国にあらず、彼の覇権は十九世紀において全く地に墜つといえども、しかも善くナワリノに戦えり、善くクリミヤに戦えり、善くプレヴナに戦えり、善くテッサリーに戦えり、彼は決して弱国にあらず。
〇しかもこれ実に彼れの誇りとするところなるか、誇りとするに足る者なるか。その腐敗、その兇暴、その貧困、その無識、凡そ総ての文明的地歩において欧洲中の最下位に居る者は、実に彼れにあらずや。その国家的運命はまさに絶えなんとする縷の如く、ニコラス一世のいわゆる病人《シツクマン》をもって遇せらるる者は彼れにあらずや。
〇独逸は概してこれを言う、なお高等の教育ある国民たるを失わず、多くの文芸や科学やなお燦然として存せり。しかも鉄血主義軍国主義が彼の上下を一掃して後ち、当年の高遠なる倫理的思想今安くにあるや。
 独逸と一代道徳の源泉
〇彼国民やかつて欧洲における一代道徳の源泉たりき。カント、シルレル、ヘルデル、ゴエテ、リヒテル、フィヒテ、ブルンチュリー、マークス、ラサール、ワグネル、ハイネ等の名は、文明諸国の仰でもって宗とするところに(76)して、その感化の勢力や実に広大無辺なることを得たりき、しかも今安くにあるや。今や吾人は、多くの芸術、多くの科学を独逸に学べり、しかも哲学において、倫理において、正義人道の大問題において、一個の大に今の独逸の文学に学ばんとする者あるか、一個の大に今の独逸人の教示を渇望する者あるか。社会主義という理想のなお中流の砥柱たるを除くの外は、欧洲諸国の仰でもって宗とするに足る者あるか。
 麟鳳は荊棘に栖まず
〇怪しむなきなり、麟鳳は荊棘に栖まず、ビスマーク公、モルトケ将軍を理想とせるの世界には、ゴエテ、シルレルの再生望み易からざるなり。可憐なる軍国主義者よ、汝はただウィルヘルム、ビューロー、ワルデルシーをもって、いくばくの文明を進歩し得べしとするか。
 独逸皇帝と不敬罪
〇故に我はいう、軍国政治の行わるる一日なれば、国民の道義は一日腐敗するなり、暴力の行わるる一日なるは、理論の滅絶一日なるを意味するなり。独逸がビスマーク公の独逸となって以後、その欧洲における倫理的|勢力《インフルエンス》を失せるは自然の理なり。現時のウィルヘルム二世皇帝がその即位後十年間に、不敬罪をもって罰せらるる者幾千人なりしを見ずや、而してこの罪人中(77)多数の丁年未満者ありしを見ずや、これ我忠良なる日本臣民の夢想だも得為ざるところならん。軍国主義者はなおこれをしも希うべしとするか、かくの如きにしてなお軍国政治を名誉なりとするか。
 
    その五
 
 決闘と戦争
〇軍国主義者は更に戦争を賛して曰く、国家の歴史は戦争の歴史なり、個人
間の紛議が決闘《ヂユーエル》によって最後の判定を得るが如く、国際間の紛議に最後の判定を与うる者は戦争なり、坤輿に国家という区別存するの間は、即ち戦争はやむべからず、戦争あるの間は、即ち軍備の必要はやむべからず。かつそれ戦争は実に吾人が強壮の力、堅忍の心、剛毅の性を相較して、真個丈夫児の意気精神を発揚するゆえんなり。もしこれなくんば天下は変じて懦弱なる巾幗の天下となり了らんと。豈にそれ然らんかな。
〇我はここに個人間における決闘の是非利害を言うの余地なし。しかれども戦争をもって決闘に比するは不倫の極なることを断言す。西洋のいわゆる決闘や、日本のいわゆる果合いや、その目的一名誉あるのみ、一面目ある(78)のみ、その力を較するや、極めて平等の地歩を占め極めて公明の闘いを為す、而して一人傷きもしくは死せば即ち事これに了りて、他日また一毫の心に介するなし、真に丈夫のためたるを失わざるなり。而して戦争に至っては全くこれと相反す、その目的の卑汚、手段の陋劣至らざるところなきなり。
〇古のいわゆる名乗を揚げて一騎打の勝負を為せるの戦争は、やや決闘と似たるあり、しかれどもこれ戦争にあっては尤も迂濶として嘲笑するところにあらずや。戦争はただ狡獪なるを要す、ただ譎詐なるを要す。その地歩の平等と方法の公明を重ずるが如きは、宋襄の仁として千古の笑柄たるにあらずや。
 猾智を較するの術
〇然り戦争はただ猾智を較するの術なり、その発達は猾智の発達なり。未開の蛮人が猾智を弄するや、大抵敵の不意に出るにあり、伏兵にあり、夜襲にあり、糧道を絶つにあり、陥※[こざと+井]を設くるにありき。而してその猾智の及ばざる者は、その身は亡されその財は掠められその地は奪われ、優者適者即ち狡獪譎詐に長ずる者独り存するのみ。ここにおいてか尋常の智術その用を為さずして、更に幾多の教習調練を要するに至る、而してこれらの教習調練のま(79)た甚だその用を為さざるに至るや、更に大に武器の技巧を相競うに至る。これ古来戦争の技術が発達進歩せる大体の順序なり。
 戦争発達の歩一歩
〇戦争発達の歩一歩は、ただいかにして敵人を陥※[手偏+齊]せんかを講ぜるにあり、その目的の如何に卑汚にしてその方法の如何に陋劣なるも、肯て問うところにあらざりき。これ豈に個人の決闘と日を同じくして語るべけんや、これ豈に男子の美徳なる強壮、堅忍、剛毅を相較する者というべけんや。宜なり、個人の決闘はその勝敗をもって最後の判決となすにもかかわらず、戦争に至っては、常に復讎をもって復讎に次ぐの惨事を演出することや。
〇所詮戦争は隠謀なり、詭計なり、女性的行動なり、狐狸的智術なり、公明正大の争いにあらざるなり。社会が戦争を快としてこれを重んじこれを必要とするの間は、人類の道義は遂に女性的狐狸的を脱出すること能わざるなり。
〇而して今や世界各国民は、この卑劣なる罪悪を行わんがために、多数の年少を拉して兵営という地獄に投じつつあるなり、野獣の性を養わしめつつあるなり。
 愛々たる田舎の壮丁
〇見よ、愛々たる田舎の壮丁が、泣てその父母兄弟姉妹に別れ、泣てその牛(80)馬※[奚+隹]犬に別れ、泣てその明媚なる山水、長閑なる田園を辞して兵舎に入る。日夕聞く者は長官の厳格なる叱咤の声なり、見る者は古参兵の残忍なる凌獅フ色なり、重きを負うて東に駆られ西に逐わる、疲を忍んで左に向い右に走る、ただかくの如き者三年、単調なるかな、苦痛なるかな。
 餓鬼道の苦
〇彼ら一日給するところ僅に三銭、これ殆ど乞丐の境遇にあらずや。而して煙草喫せざるべからず、郵税払わざるべからず、甚しきは即ち常に古参兵の虐遇を免れんがために、その酒食の資を賂わざるべからず、その小使金を供せざるべからず。富める者はなお可なり、身少しく貧なる者に至ては、三年の長き実に餓鬼道の苦みなり、牛頭馬頭の呵責なり。しかも富者は高等の教育あるをもって免れ、身体羸弱なるをもって免るべし、貧民の子は常にこの酷虐と苦痛とに忍ばざるべからず、公なりということを得んや。我は彼らが徴兵の検査を忌避し、舎営を脱走し、自暴自棄の極、往々耻ずべきの死を為すを憎まずして、かえってその心事の甚だ哀しむべき者あるを見るなり。
〇それかくの如き者三年、帰来|※[瀛の旁]《あま》すところは何物ぞや、ただ父母の老衰あるのみ、田園の荒蕪あるのみ、而して自身の行状の堕落あるのみ。これをしも(81)閤家のために必要というか、義務というべきか。
 軍備を誇揚するを止めよ
〇軍備を誇揚することを休めよ、徴兵の制を崇拝することを止めよ。我は兵営が多数無頼の遊民を産出することを見たり、多くの生産力を消糜することを見たり、多くの有為の青年を蹉跌せしむることを見たり、兵営所在の地方の風俗が多く壊乱せらるることを見たり、行軍沿道の良民が常に彼らに苦しめらるるを見たり。未だ軍備と徴兵が国民のために一粒の米、一片の金をだも産ずるを見ざるなり、いわんや科学をや、文芸をや、宗教道徳の高遠なる理想をや、否なただこれを得ざるのみならず、かえってこれを破壊し尽さんとするにあらずや。
 
    その六
 
 何ぞ長く相挑むや
〇ああ世界各国の政治家や国民や、何ぞ爾く多数の軍人、兵器、戦艦を擁して、長く相挑まんとするや。何ぞ速かにその相欺くこと野狐の如く相喰むこと病犬の如きの境を脱出して、更に高遠なる文明道徳の域に進入するを努めざるや。
(82)〇彼らは、戦争の罪悪にしてかつ害毒なることを知れり、彼らは可及的これを避けんと希わざるはなし、彼らは平和と博愛の、正義にしてかつ福利なることを知れり、彼らは可及的速にこれが実現を望まざるはなし。しかも何ぞ断々乎としてその戦争に対する準備を廃して、もって平和と博愛の福利を享けざるや。
〇彼らは生産の廉価にしてかつ饒多ならんことを希えり、通商貿易の繁栄隆盛ならんことを希えり、而して軍借が莫大の資本を消糜し生産力を損耗することを知れり、戦争が通商貿易を阻礙し困頓せしむるの太甚なることを知れり。しかも何ぞ直ちに軍備の費用と戦争の力を節省して、これを商工の業に投ぜざるや。
 平和会議の決議
〇見よ、一昨年露国皇帝が軍備制限の会議を主唱するや、列国はこれに対して、決して一の違言あること能わずして、英、米、独、仏、露、澳、白、伊、土、日、清等二十余国の全権委員は明かに『現今世界の重累たる軍備の負担を制限することをもって、人類の有形的及び無形的福利を増進せんがため、大に望むべきものたることを認む』(平和会議最終決議書)と決議せるにあら(83)ずや。而して彼らは『一般の平和を維持することに協力せんことを切に希望し、全力を竭して国際紛争を平和的に処理することを幇助するに決し……国際的正義の感を鞏固ならしめんことを欲し、……国安民福の基礎たる公平正理の原則を国際的協商によって定立するの須要なるを認め』(国際紛争平和的処理条約)てもって仲裁裁判に関する規定を為せるにあらずや。しかも何ぞ更にこの意志観念を推拡して、決然としてその水陸の軍備を撤去することを為さざるや。 僅かに一転歩のみ
〇言うことなかれ、今の軍備は即ち平和を確保するゆえんなりと。彼の功名の念熾に虚栄の心盛なるの政治家や軍人や、大抵その銃砲を徒らに※[金+肅]渋せしめ、その戦艦を徒らに朽廃せしむるに堪えずして、必ずや一日機を見てこれを実地に試みんと願わぎるはなき、あたかも酔漢の剣を持して睥睨するが如し。岌乎として殆いかな、その平和の確保より平和の撹乱となるは僅かに一転歩のみ。然り両々相持して力相当るの欧洲列国の間にあっては、勢力均衡主義の名において、姑く平和の確保者たらん、しかも少しく人少なく力弱き亜細亜、阿布利加の如きに遇えば、忽ち変じていわゆる帝国主義の名におい(84)て、平和の攪乱者となる。現時の清国や南阿やもって見るべし。彼の武装に汲々として僅かに消極の平和を支持するは、何ぞ軍備を撤去して積極の平和を享くるに如かんや。
〇而して彼らがなおその軍備を撤去すること能わざるのみならず、かえって役々労々としてこれが拡張のために、その国力を竭尽して省みざらんとするは何ぞや。他なし彼らの良心が一にその功名利慾のために掩わるればなり、その正義と道徳の念は、動物的天性たる好戦心のために圧せらるればなり、博愛の心は虚誇のために滅せらるればなり、理義は迷信のために昧まさるればなり。
 猛獣毒蛇の区
〇ああ個人既に武装を解て、国家独り然ること能わず、個人既に暴力の決闘を禁じて、国家独り然ること能わず、二十世紀の文明はなお弱肉強食の域を脱せず、世界各国民はあたかも猛獣毒蛇の区にあるが如く、一日も枕を高くすること能わず、恥辱にあらずや、苦楚にあらずや。而してこれ社会先覚の士が漫然看過すべきのところなるか。
 
(85) 第四章 帝国主義を論ず
 
    その一
 
 野獣肉餌を求む
〇野獣がその牙を磨しその爪を琢きて咆哮するは、その肉餌を求むればなり。野獣的天性を脱する能わざるの彼ら愛国者が、その武力を養いその軍備を拡張するは、一に自家の迷信、虚誇、好戦の心を満足せんがために、その犠牲を求むればなり。故に愛国心と軍国主義の狂熱がその頂点に達するの時においてや、領土拡張の政策が全盛を極むるに至るは、固より怪しむに足らず。今のいわゆる帝国主義なる政策の流行は即ちこれのみ。
 領土の拡張
〇然り、いわゆる帝国主義とは、即ち大帝国《グレーターエムパイア》の建設を意味す、大帝国の建設は直ちに領属版図の大拡張を意味す。而して我は悲しむ、領属版図の大拡張は、多くの不正非義を意味することを、多くの腐敗堕落を意味することを、而して遂に零落亡滅を意味することを。何をもってかこれを言う。
(86)〇それ大帝国の建設が、ただ主人なく住民なき草莱荒蕪の山野を拓開して、これに移植するに止まらしめば、これ甚だ佳なるべし、しかれども智術の日に巧にして交通の日に便なる、今や渾円球上何のところにかこの無主無人の地を発見することを得るか。世界到るところ既に主人あり住民ありとせば、彼らの果て暴力を用いず、戦争を為さず、もしくば譎詐を行わずして、能く尺寸の地を占取することを得るか。欧洲列国の亜細亜、阿布利加における、米国の南洋における版図拡張の政策は、皆なこれを行るに軍国主義をもってせるにあらずや、武力をもってせるにあらずや。
〇而して彼ら皆なこの政策のために、日に千万の金を費し、月に数百の人命を損じて、期年を越えてその終局するところを知らず、役々労々として永遠に自ら苦しむ甚しきを致す者、洵に彼らが動物的愛国心の勃々禁ずる能わざるがためにあらずや。
 大帝国の建設は切取強盗なり
〇思えただその武威を張らんがために、ただその私慾を満さんがために、恣まに他の国土を侵略し、他の財貨を掠奪し、他の民人を殺戮しもしくば臣妾奴僕として、而して揚々として曰く、これ大帝国の建設なりと。しから(87)ば即ち大帝国の建設は直ちに切取強盗の所行にあらざるや。
 武力的帝国の興亡
〇切取強盗は武士の習いと思惟せる非義不正の帝王政治家は、これを為してもって快となす、前世紀以前のいわゆる英雄豪傑の事業は多くこれなりき。しかれども見よ、天は決してこの不正非義を恕せざるなり、古来彼らが武力的膨脹の帝国にして能くその終を克くせる者あるか。彼ら帝王政治家は、初めやその功名利慾のために、もしくば国内の結合安寧を持せんがために、頻に国民の獣性を煽揚してもって外国を征するなり、而してこれに勝てその領土を拡張するなり、大帝国は一たび建設せらるるなり、而して国民は虚栄に眩じ、軍人は権勢を長ずるなり、新附の領土は圧制せられ酷虐せられ、その貢租は重くせられ、その財貨は奪わるるなり、次で至る者は領土の荒廃、困竭、不平、坂乱なり、.本国の奢侈、腐敗、堕落なり、而してその邦家は更に他の新興の帝国に征服せらるるに至る、古来の武力的帝国の興亡殆どその揆を一にせざるなし。
〇在昔シピオ、カルセーヂの廃跡を見て歎じて曰く、羅馬もまた一日かくの如くならんと、然り真に一日かくの如くなりき。成吉士汗の帝国今安くにあ(88)るか、奈勃翁の帝国今安くにあるか、神功の版属今安くにあるか、豊公の雄図今安くにあるか、ただ朝露の消て痕なきが如きにあらずや。言うことなかれ、基督教国の帝国は決して亡滅することなしと、羅馬帝国の末年は基督教化されざりしか。言うことなかれ、蓄奴解放以後の帝国は決して衰頽することなしと、西班牙大帝国の本土は蓄奴の制を廃しおりたるにあらざるか。言うことなかれ、工業的帝国は決して零落することなしと、ムーア人及びフロレンタインは頗る工業的国民にあらざりしか。
〇国家の繁栄は決して切取強盗によって得べからず、国民の偉大は決して掠
奪侵略によって得べからず、文明の進歩は一帝王の専制にあらず、社会の福利は一国旗の統一にあらず、ただ平和なるにあり、ただ自由なるにあり、博愛なるにあり、平等なるにあり。思え、我国北条氏治下の人民は、忽必烈の士卒に比して如何にその生を遂げ得たるよ、現時白耳義の人民は、独露諸国の人民に比して如何にその太平を楽しめるよ。
 零落は国旗に次ぐ
〇誰か言う、『貿易《ツレード》は国旗に次ぐ』と、歴史は明らかに零落《ルーイン》の国旗に次ぐことを示せり。しかも前車覆えりて後車その軌を次ぐ、走馬燈の廻転究極する(89)ところなきが如し。我はシピオをしてまた今白の欧米諸国の末路を嘆ぜしむるを恐るるなり。
 
    その二
 
 国民の膨脹か
〇帝国主義者は曰く、古の大帝国建設が帝王政治家の功名利慾のためにせるは洵とに然り、しかれども今の領土拡張はその国民の膨脹やむをえざればなり。古の帝国主義は個人的《パーソナル》帝国主義なりき、今の帝国主義は名けて国民的《ナシヨナル》帝国主義と称すべし。古の非義と害悪とをもって決して今を律すべからずと。
〇真に然るか。今の帝国主義は国民の膨脹なるか。これ少数政治家軍人の功名心の膨脹にあらざるか、これ少数資本家、少数投機師の利慾の膨脹にあらざるか。見よ、彼らがいわゆる『国民の膨脹』せる一面においては、その国民の多数が生活の戦闘《ストラツグル》は日に激甚に赴けるにあらずや、貧富は益す懸隔しつつあるにあらずや、貧窮と飢餓と無政府党《アナーキスト》と、及び諸般の罪悪は、益す増加しつつあるにあらずや、かくの如きにして彼ら多数の国民は何の遑あって、能く無限の膨脹をなすことを得んや。
(90) 少数の軍人政治家資本家
〇しかも彼少数の軍人、政治家、資本家は、憐れむべき国民多数の生産を妨害し、その財貨を消糜し、その生命をすら奪うてもって大帝国の建設を試みつつぁるなり。多数の自国国民の進歩と福利を犠牲として、而して彼の貧弱なる亜細亜人、阿布利加人及び比律賓人を脅嚇凌虐しつつあるなり。而して名けて国民の膨脹という、妄もまた甚しというべきなり。仮に国民の多数がこの政策に与みせりとするも、豈にこれ真個の膨脹ならんや、ただ彼らが野獣的好戦心の巧みに煽起せられたるがためのみ、愛国的虚栄と迷信と狂熱との一時の発越に過ぎざるのみ。その非義と害毒は決して古帝王の帝国主義に譲るところなきを見るなり。
 トランスワールの征討
 驚くべき犠牲
〇英国のトランスワールを征するや、ボーア人の独立を奪い自由を奪い、その有利なる金礦を奪い、英国国旗の下に阿布利加を統一して、その鉄道を縦貫せしめ、もって少数資本家、工業者、投機師の利慾を満足せしめんがためなりき、セシル・ロードの野心とチャンバーレーンの功名を満足せしめんがためなりき。而して彼らはこの無用なる目的のために、如何に恐るべく驚くべき犠牲を供しつつあるかを見よ。
(91)○一千八百九十九年十月、トランスワール戦争の開始以来、我がこの稿を艸するの時に至るまで殆ど五百日、その間英兵の死者既に一万三千に達す、負傷者は更にこれよりも多し。而して別に不具者となって兵役を免じて家に帰る者三万人、土人の死者に至ってはその数を知らずというにあらずや。
 数万人の鮮血の価十億万円
〇更に彼らが財政的犠牲を見よ、その二十万の兵士を二千里の外に曝すがために、多数の船舶の徃返のために、一日の費実に二百万円を算す、彼らは既に十億円の富をもって両国民の鮮血に代えしにあらずや。而してこの間金礦採掘の停止は、殆ど二億円の金の産出を減ぜりというにあらずや。独り両国の不幸のみならず、その世界の福利に影響するところ尠少なりというべけんや。
〇土人の惨状に至っては特に憫むべし。彼らが英人のために虜囚となって、既にシントヘレナに竄せらるる者六千人、錫蘭嶋に流さるる者二千四百人、今やキッチェネル将軍は更に一万二千人を印度に送らんとす。而して両共和国の壮丁は殆ど尽き、田園は全く荒廃し、兵馬過ぐるところ野に青艸なしという。ああ彼ら果して何の咎あるか、何の責あるか。
(92)〇かくの如きにしてなお、今の帝国主義は非義不正ならずというか、暴横害毒ならずというか。高尚なる道義を有する国民の容るべきところなるか、二十世紀文明の天地に容るべきところなるか。
 独逸の政策
〇自由を尊び平和を愛すと称するの英国すらもなお然り、我は彼独逸国、軍国主義の化身たる独逸国が、その陸海軍備の大拡張のために常に多数の貴重なる犠牲を供するを怪しまず。去年北清の乱、独逸皇帝が復讎の語を絶叫してワルデルシー将軍を東亜に派するに至るや、同年九月同国社会党大会の決議は、独逸帝国主義の真相を喝破し得て余りあり。
 独逸社会党の決議
〇マインツに開ける独逸社会党の総会は決議して曰く、
 独逸帝国政府が取りたる支那戦争政策は、資本家の利益狂心と、大帝国建設という軍事的栄誉心と、掠奪的情慾に出たるものにして、この政略は外国の土地を強制的に領有し、その住民を抑圧するをもって主義とする者なり。この主義の結果は掠奪者をして獣力を振い破壊を逞くせしむるに帰すべく、強暴非義の手段によって呑噬の慾を充し、ために虐待を受けたる者は、断ず掠奪者に向って反抗を試むるに至らん。しかのみならず海外の掠(93)奪政策及び征服政策は、必ず列国の嫉視と競争とを喚起し、ために海陸軍備の負担に堪えざらしむるに至らん。これ実に危険なる国際上の葛藤を招き、世界一般の大混乱を惹起するに至るべし。
 我社会民主党は、人間が人間を抑圧し滅燼するの主義に反対するが故に、断乎として掠奪政策、征服政策に反対す。人民の権利、自由、独立を尊重し保護し、近世文明の教義によりて、世界各国の文化の関係、交通の関係を保持するは、これ我党の希図するところなり。現今各国の中流社会及び軍事上の勢力を有する者が応用するところの教則は、これ文明に対する大々的侮辱なり、云々。
何ぞその言の公明にして高尚なるや、いわゆる炳乎として日星と光を争う者あるにあらずや。
〇然り掠奪、征服によって領土の拡張を図れる欧洲諸国の帝国主義は、実に文明人道に対する大々的侮辱たるなり。而して我は米国の帝国主義においても、また多くの不正と非義とを認めざるを得ず。
 米国の帝国主義
 比律賓の併呑
〇米国が初めキュバの叛徒を助けて西班牙と戦うや、自由のために人道のた(94)めにその虐政を除くと称す、真にかくの如くんば義甚だ高しとするに足る者あり。而してもしキュバの民その恩に感じ徳を慕うて、もって米国治下の民たらんことを希わば、これを併すもまた可ならずとせず。我は必しも米国が百方策を講じてキュバ島民を煽動教唆せるの迩を摘発せざるべし。しかれども彼比律賓群嶋の併呑征服の事に至ては、断じて恕すべからず。
 独立の檄文と建国の憲法を奈何
〇米国にして真にキュバ叛徒の自由のために戦えるか、何ぞ比律賓人民の自由を束縛するの甚しきや。真にキュバの自主独立のために戦えるか、何ぞ比律賓の自主独立を侵害するの甚しきや。それ他の人民の意思に反して、武力暴力をもって強圧し、その地を奪い富を掠めんとす。これ実に文明と自由の光彩燦爛たる米国建国以来の歴史を汚辱するの甚しき者にあらずや。それ比律實の地と富とを併すは、米国のために固より多少の利益なるべし、しかれども利益なるが故に為すを得べしとせば、古武士の切取強盗もまた利益の故に為し得べしというか。彼らは果して、彼らの祖先が独立の檄文、建国の憲法、モンローの宣言を何の地に置かんとするや。
〇言うことなかれ、領土の拡張は国家生存の必要やむことをえずと。彼らの(95)出師や初め自由と人道とを呼号し、忽ち変じて国家生存の必要に藉口す、何ぞその堕落するの甚だ急なるや。
〇仮に彼らの言の如く、領土の拡張するにあらずんば、米国が経済的の生存危険なることありとせんや、彼れ縦令比律賓を併すも、その得るところの富と利益や知るべきのみ、能くその危険を救うに足らんや、ただその生存のもって一日を緩くするに過ぎざるのみ、然りその衰亡はただ時間の問題ならんのみ。彼らが土地と人口と、彼らが資本と企業的勢力の無限なるをもってして、敢てこの悲観的口実を設くる、我はその杞憂に過ぐるを笑わざらんと欲するも得ざるなり。
 米国の危険
〇我は信ず、将来米国が国家生存の危険ということ、万一これありとせば、その危険は決して領土の狭きにあらずして、領土拡張の究極なきにあり、対外勢力の張らざるにあらずして、社会内部の腐敗堕落にあり、市場の少きにあらずして、富の分配の不公なるにあり、自由と平等の滅亡にあり、侵略主義と帝国主義の流行跋扈にありと。
 米国隆盛の原因
〇一たび米国今日の隆盛繁栄を致せしゆえんを想い見よ。自由や、圧制や、(96)理義や、暴力や、資本的勢力や、軍備的威厳や、虚栄なる膨脹や、勤勉なる企業や、自由主義や、帝国主義や。今や彼ら、一種の功名利慾のために、愛国的狂熱のために、競うて邪径に入らんとす。我は彼らが前途の危険を恐るるのみならず、実に自由と正義と人道のために悲しむや深し。
 デモクラット党の決議
〇一昨年秋、米国アイオワ州のデモクラット党が決議の一節は、大に我心を得たるものあり、曰く
 吾人は比律賓の征服に反対す。何となれば帝国主義は軍国主義を意味すればなり、何となれば軍国主義は武断政治《ガバーメント・パイ・フオース》を意味すればなり、何となれば武断政治は合議政治の死亡を意味し、政治的及工業的の自由の破壊を意味し、権利平等の殺害と民主制度の破滅を意味すればなり。
然り、帝国主義は到るところに、かくの如きの不正と害毒を行わんとするなり。
 
    その三
 
 移民の必要
〇英独の帝国主義者が大帝国建設を必要とする第一の論拠は移民にあり。彼(97)らは揚言して曰く、今や我国の人口歳に繁殖して貧民日に増加す、版図の拡張は過剰の人口移住のためにやむべからずと。一見甚だ理あるに似たり。
 人口増加と貧民
〇英独の諸国が人口の増加は事実なり、貧民の増加もまた事実なり。しかれども貧民の増加せる因由は一に人口の増加に帰すべきや、これが救済は海外移住の外遂に策なきや、これ一考すべきのところなり。彼らの言の如くんば、その論理は即ち、人口多ければ財富乏しく、人口稀少なれば財富饒しというに帰着せん、笑うべきかな、これ実に社会進歩の大法を無視せるなり、ソシアル・サイエンスを無視せるなり、経済の学理を無視せるなり。
〇禽獣魚介は皆な自然の食物を食う、食う者益す多くして食物益す滅ずるは必至の理なり、しかれども人は生産的動物なり、天然力を利用して自らその衣食を生産し得るの智識と能力を有す。而してこの智識や能力や、一年は一年より、一時代は一時代より、駸々として改善し進歩し増加しつつあるなり。故に殖産的革命の行われて以来、世界の人口が幾倍すると同時に、その財富は確かに幾十百倍せるなり、而して英独の諸国は実にこの世界富財の大部を占取せる者にあらずや。
(98) 貧民増加の原因
〇それ富既に世界に冠たり、しかも貧民の日に増加する者、豈に人口充溢の罪ならんや、けだしその因由の別に在するなくんばあらず。然り彼らが貧民の増加は、実に現時の経済組織と社会組織の不良なるがためのみ、したがって資本家や地主や、法外の利益と土地を壟断するがためのみ、したがって富財の分配の公平を失せるがためのみ。故に我は信ず、真正文明的道義と科学的智識によってこの弊因を除去するにあらずんば、移民の如きは一時の姑息なる灌腸的治療に過ぎず、縦令全国の民を尽く移住し尽すも、貧民は決して迩を絶たざらんなり。
〇仮に一歩を譲って、移民は、人口充溢と貧民増加に対する唯一の救済策なりとせよ、しかも彼らは果して版図拡張の必要あるか、大帝国建設の必要あるか、彼らの人民は果して自国の国旗の下にあらざれば生活すること能わざるか。乞う事実を見よ。
 英国移民の統計
〇英国版図の広大なる、既に日没の時なしと称せらる、しかも一千八百五十三年より千八百九十七年に至るの間、英人及び愛蘭人の海外に移住する者約八百五十万人中、その自国の殖民地に赴けるは僅に二百万人に過ぎずして、(99)他の五百五十万人は皆な北米合衆国に向えるなり。一千八百九十五年における英国移民の統計は、吾人に示すに左表をもってせり。
 北米合衆国へ    一九五、六三二人
 濠州へ        一〇、八〇九人
 北米英領へ      二二、三五七人
その自国の領土に赴く者は、領土以外の国に赴く者に比して、六に対する一の割合に過ぎざるにあらずや。
〇彼ら移民は、自由のあるところこれ我郷のみ、必しもその移住地が母国の版図たると否とを問わざるなり。故に知る、帝国主義者が口を移民の必要に藉くの毫も理由なきものたるを。
 移民と領土
〇我は移民をもって悪事と為さず、少くともスパルタ人がその奴隷の人口増加を憎んでこれを殺戮せしに比すれば、頗る進歩せる方法たるを疑わず。しかれども世界領土の拡張し得べき者元と限りありて、人口増加は限りなからんとす、もし移民が自国の領土なるべきを必すとせばその困迫は坐して待つべきなり。
(100)〇思え、英独諸国は初めや亜細亜、阿布利加の無人の境に向ってその領土を求むべし、而してこれを分割すべし、而して移民は遂に分割せる領土に充満すべし、而して更に他の領土を求めて余地なきに至るべし、ここにおいてや彼ら諸国は互に相殺し相奪わざるべからず、而して遂に武力強大の一国が他の領土を取り得たりとせよ、その領土もまた若干年にして充溢すべし、而して次で来る者は自家の困迫零落ならざるべからず。かくの如き者が即ち帝国主義者の論理なり、目的なりとせば、甚しいかなその非科学的なることや。
〇而して一方に見る、仏国も現に熾にその領土の拡張を求めてやまず、しかれども彼の人口の決して増加せず、その貧民の比較的少きに見ば、豈に移民の必要より来れる者というべけんや。
〇今や米国もまた領土の拡張を求むるも、その移民の必要より生ずるにあらざるは明らかなり。米国領土の大、天富の饒、世界の移民これに就くこと百川の朝宗するが如し。独り英人のこれに赴く多数なるのみならず、独逸人が一千八百九十三年より一千八百九十七年に至るの間、海外移住者二十二万四千人中、その十九万五千人は米国に向えるなり。而して瑞西、和蘭、ス(101)カンヂナビア諸国の移民また皆な多くこれに往く。世界各国の移民を併せ呑むの米国、豈に自家の移民を奨励するの要あらんや。
〇伊太利もその財を糜し人を殺して、アビシニア広漠の野に殖民地を得んがために苦闘しつつあるにかかわらず、その移民は皆な南北両米の外国国旗の下に赴きつつあるなり。
 大なる謬見
〇故に我は断言す、帝国主義と名くる領土拡張政策が、真に移民の必要より起れりと為す者は、これ大なる謬見なり、もしそれ移民をもって単にその口実と為すが如きは、自ら欺き人を欺くの甚しき者、取るべからざるや論なきなり。
 
    その四
 
 新市場の必要
〇帝国主義者は万口一斉に叫で曰く、『貿易は国旗に次ぐ』、領土の拡張は、実に我商品のために市場を求むるの急に出ずと。
〇我は世界交通の益す利便ならんことを欲す、列国貿易の益す繁栄ならんことを欲す。しかれども英国物品の市場が必ず英国国旗の下にあらざるべから(102)ず、独逸物品の市場が必ず独逸国旗の下にあらざるべからずという理由、果して那辺にありや。吾人の貿易は武力暴力をもって強るにあらざれば行うを得ずという理由、果して那辺にありや。
 暗黒時代の経済
〇暗黒時代の英雄豪傑は、自国の富盛を希うがために、常に他国を侵掠し、その財富を劫掠し、その貢租を徴収せり。成吉士汗、帖木児《タメルラン》の経済はかくの如くなりき。もし帝国主義者にして、ただ他の蛮族を圧倒してその地を奪い、その人を臣僕としてこれに売買を強るをもってその経済の主義とせば、何ぞ暗黒時代の経済に異ならんや。これ文明の科学の決して許さざるところにあらずや。
 生産の過剰
〇彼らは何をもって新市場の開拓を必要とするや、曰く資本の饒多と生産の過剰に苦めばなりと。ああこれ何の言ぞ、彼ら資本家工業家が生産の過剰に苦しむと称する一面においては、見よ幾千万の下層人民は常にその衣食の足らざるを訴えて号泣しつつあるにあらずや。彼らが生産の過剰なるは、真にその需用なきがためにあらずして、多数人民の購買力の足らざるが故のみ、多数人民の構買力の乏しきは、富の分配公平を失して貧富の益す懸隔するの(103)故のみ。
 今日の経済問題
 社会主義的制度の確立
〇而して思え、欧米における貧富の益す懸隔して、富と資本が益す一部少数の手に堆積し、多数人民の購買力がその衰微を極むるに至れるは、実に現時の自由競争制度の結果として、彼ら資本家工業家がその資本に対する法外の利益を壟断するがためにあらずや。故に欧米今日の経済問題は、他の未開の人民を圧伏して、その商品の消費を強るよりも、先ず自国の多数人民の購買力を兀進せしむるにあらざるべからず、自国購買力を兀進せしむるは、資本に対する法外の利益を壟断するを禁じてもって、一般労働に対する利益の分配を公平にするにあらざるべからず、而して分配の公平を得せしむるは、現時の自由競争制度を根本的に改造して、社会主義的制度を確立するにあらざるべからず。
〇能くかくの如くなるを得ば、即ち資本家の競争なし、何ぞ利益の壟断を要せん、既に利益の聾断なし、多数の衣食公平に分配されん、多数の衣食既に足る、何ぞ過剰の生産を事とせん、既に生産の過剰を憂えず、何ぞ国旗の威厳を仮って帖木児的経済を行うの要あらんや。これ文明的なり、科学的なり、(104)而してまた実に道義的なり。
 破産のみ堕落のみ
〇しかも欧米の政事家や、商工家や、計これに出でずして、ただ一時の虚栄を誇り、永遠にその壟断を行わんがために、海外領土の拡張に向って莫大の資を抛って滔々底止するところを知らず。而してその結果は如何、政府の財政は益す膨脹せらるるなり、資本は益す吸収せらるるなり、商工家の利益に狂する益す急なるなり、分配は益す不公なるなり。かくの如くにして領土の拡張いよいよ大に、貿易の額いよいよ増進するに従って、国民多数の窮困は益す増加するに至らん、次で来る者は即ち破産のみ、堕落のみ。
 遊牧的経済
〇彼ら縦令、領土拡張の費用のために困竭し破産するに至らずとするも、列国の競争今日の如きに際して、いわゆる新市場の求むべき者将来果していくばくの余地を存するか。余地なきに至れば即ち坐して飢えざるべからず、否らずんば列国互に相闘い相奪わざるべからず。水艸を逐うて転ずるの遊牧は、水艸尽くれば即ち倒れざるべからず。否らざれば即ち相殺し相掠めざるべからず。帝国主義者の経済はそれ遊牧的経済や。
〇然り彼らはその求むべき新市場の余地乏しきがために、列国既に相掠むる(105)の兆を現せり。英人は曰く独逸は我市場の敵なり、撃破せざるべからずと、独逸人は曰く、英人は我競争者なり圧倒せざるべからずと、而して両々戦争の準備に日もまた足らず。奇なるかな、彼らの通商貿易は相互の福利にあらずして、他を損してもって僅かに利するにあるなり、平和の生産を競わずして、武力の争奪を事とするにあるなり。
 英独の貿易
 華主の殺戮
〇それ英国は現に独逸貿易の最大華主たる者にあらずや、独逸は現に英国貿易の華主として第三位以下に落ちざる者にあらずや。両国の貿易は最近十年の間において既に数千万の増加を致せり、英国の独逸に対する貿易額は、その壕洲に対するに比して甚だ遜色なく、而してその加拿太と南阿を合せる者に比して、夐かに大なり、而して独逸が英国の資本を輸入し利用せるまた甚だ尠少ならず。もし彼らにしてその他を撃破し圧倒するを快となさば、これ自らその貿易の大部を殺ぐを快とする者なり。その他列強の関係大抵かくの如し。もし天下の商人がその華主を殺戮し、その財貨を奪うをもって、貨殖の訣を得たりと言わば、孰かこれを笑わざらんや。彼欧米諸国が一に他を苦しめてもって自国の利を図らんとする、あたかもこれに類せずや。
(106)〇我は悲しむ、今のいわゆる市場拡張の競争はなお軍備拡張の競争の如くなるを、関税の戦争はなお武力の戦争の如くなるを。彼らは他を苦しめんがために先ず自ら苦しむなり、他の利益を殺がんがために先ず自家の利益を殺がざるべからず、而してその極多数の国民はこれがために困迫し飢餓し腐敗し亡滅するなり。我は故に曰く、帝国主義者の経済は蛮人的経済なり、帖木児的経済なり、不正なり、非義なり、非文明的なり、非科学的なり、政事家眼前の虚誉を逐い、投機師一時の奇利を博するがためなるのみと。
 日本の経済
〇翻って我日本の経済に見よ、更にこれよりも甚だし。我日本は武力を有せり、もって国旗を海外に建るを得べし、しかも我国民はこの国旗の下に投下すべきいくばくの資本を有せりや、この市場に出すべきいくばくの商品を製造するを得るや。領土一たび拡張す、武人は益す跋扈せん、政費は益す増加せん、資本は益す欠乏し生産は益す萎靡すべし。我日本にして帝国主義を持して進まんか、その結果やただかくの如くならんのみ。
 その愚及ぶべからず
〇欧米諸国の帝国主義者は、口を資本の饒多と生産の過剰に藉くも、日本の経済事情は全くこれと相反す。欧米諸国が大帝国の建設は、その腐敗と零落(107)に向って進むや論なしといえども、しかもなおあるいは若干年間、その国旗の虚栄を誇ることを得べし、我日本に至ってはその建設せる帝国を豈に能く一日だも維持することを得んや。しかも漫に多数の軍隊と戦艦とを擁して呼で曰く、帝国主義なるかなと。我日本帝国主義者の愚や、真に及ぶべからず。
 
    その五
 
 英国殖民地の結合
〇英国の帝国主義者はまた曰く、我武備を全くせんと欲せば、殖民地全体の鞏固なる統一結合を要すと。この説や彼の好戦的愛国者の尤も喜ぶところなり。しかも甚だ笑うべし。
 不利と危険
〇彼ら英国民をして、常にその防備の全たからざるを危懼せしむるゆえんの者は、実にその領土の大に過ぐるが故にあらずや。思え彼ら各殖民地の人民や、皆なその初め生を母国に聊んぜずして、その自由を得んがために、その衣食を求めんがために、千里の異郷に移住せる者なり。而して今や各々その繁栄幸福の生を遂ぐることを得たり。何を苦しんで更に大帝国統一の名の下に、母国の干渉桎梏を甘受せざるべからざるか、母国のために莫大の軍資と(108)兵役を負担せざるべからざるか、常にその母国と共に欧米列国紛争の渦中に入らざるべからざるか。その不利と危険とけだしこれより大なるはなけん。
 小英国当時の武力
〇それ武力の無用にして罪悪なるは前に既にこれを言えり、しかれども仮に自国の防備をもって必要欠くべからずとせよ。防備の周ねくして武威の熾なるを得るは、決して領土の広大なるにあらざるなり、大帝国の建設にあらざるなり。見よ、フィリップ二世の西班牙大帝国を撃破せし当時の英国は、なおいわゆる小英国《リツツル・イングランド》たりしにあらずや、ルイ十四世の仏国大帝国を撃破せし当時の英国も、なおいわゆる小英国たりしにあらずや。
 英国繁栄の原由
〇然り彼らが武力の燦爛なる光彩を放てるは、ただ小英国の当時にありしなり。彼ら帝国主義者にして、真にその防備の全たからざるを憂えば、何ぞ断々乎として各殖民地の独立を許さざるや。能くかくの如くなれば彼ら初めて枕を高くすることを得て、而して各殖民地もまたかえってその自由の福利を享るを歓喜せんなり。
〇而して思え、英国が従来の繁栄膨脹は、決してその武力によるにあらずして、その饒多なる鉄と石炭の膨脹によれるなり、武力の侵奪劫掠によるにあ(109)らずして、平和の製造工業なりしなり。その間彼ら一たび誤って野獣的天性を逞くし、古代の帝国主義の迹を逐うて、殖民地を遇するに、帖木児的経済の手段をもってせしことなきにあらず、しかも彼らはこれがために合衆国の離坂を来せるに懲り、飜然その図を改めて、各殖民地の自治を許せり。故に彼らが広大の領土や、事実において決して帝国主義者のいわゆる帝国《エンパイア》を形成せる者にあらず。ただその血脉、言語、文学を同じくして、真個の同情渝らざるあると、その貿易における相互の利益の違わざるがために、その聯合は能く永久の運命を持して、無限の繁栄を致せしなり。
 英帝国の存在はタイムの問題
〇然り英国にして、かつて武力的虚栄に酔うて常に大陸諸邦との縦横に汲々たらしめんか、豈に能く今日の大を致すを得んや。否な今日の大といえども、将来その国旗と武力の光栄のために、各殖民地をして不利と危険を冒さしめ、その同情を失うの挙に出でしめば、我は信ず大英帝国の存在は、実に時日《タイム》の問題たらんと。
〇而して今や彼れチャンバーレーンが勃々たる野心は、ピット、ヂスレリーの衣鉢を継ぎ将《うけ》て、この平和的大国民を率いて、軍国主義、帝国主義の悪酒(110)に沈湎し、古来の武力的帝国滅亡の轍を履ましめんとす、我は深くこの名誉ある国民のために惜まざるを得ず。
〇しかれども功名に急なるの軍人、政治家、奇利を逐うの投機師はなお恕すべし。彼の学術あり智識あり、もって国民の心霊的教育において無限の責任を有する文士詩人が胥《あい》率いて、武力の膨脹を唱道するに至っては、痛歎の極なり。英国においてキップリング、ヘンレーの如きその最となす。
〇彼らは野獣的愛国者がその肉餌を求むるを見て賛美して曰く、国旗の光栄なり、偉人の勲業なり、国民的思想の喚起なり、誰かセシル・ローヅの我英国に生ぜるを誇らざる、誰かキッチェネルの功績を崇ばざる、一は我帝国のために数千哩の版図を拡くせり、一はカーツームの国辱を雪ぎ、蛮野※[獣偏+廣]※[獣偏+旱]の俗に代うるに文明平和をもってせりと。帝国主義が果して蛮人を討伐し殲滅して、文明平和の治を布くにありとせば、帝国主義の由て立つゆえんの生命活力は、その持続するただ蛮人存在の期間のみ。猟夫の生計は、ただその附近の山野に鳥獣の蜚走するの間のみ。
〇南阿全く平定せば、ローヅは更に何のところにか他の南阿を求めんとする(111)か、スーダン既に征服す、キッチェネルは更に何のところにか他のスーダンを求めんとするか。もし討伐すべき蛮人なきに至らば、彼らは国旗の光栄を失うなり、国民的思想は消滅せんなり、偉人の勲業は求むべからざるなり。果敢なき者は帝国主義の前途にあらずや。
〇ただ大言壮語をもって、国民好戦の心を煽起するキップリング君、ヘンレー君の思想の、我は甚だ児戯に類するを見る、真個社会文明の進歩と福利をね希う者、宜しくかくの如くなるべからざるなり。
 
    その六
 
〇如上観じ来れば、いわゆる帝国主義の現在や将来や知り難からず。彼れや即ち卑しむべき愛国心を行るに、悪むべき軍国主義をもってするの一政策に命ずるの名のみ。而してその結果は即ち堕落と亡滅のみ。
〇彼らがいわゆる大帝国の建設や、必要にあらずして慾望なり、福利にあらずして災害なり、国民的膨脹にあらずして少数人の功名野心の膨脹なり、貿易にあらずして投機なり、生産にあらずして強奪なり、文明の扶殖にあらず(112)して他の文明の壊滅なり。これ豈に社会文明の目的なるや、国家経営の本旨なるや。
〇移民のためということなかれ、移民は領土の拡張を必要とせざるなり、貿易のためということなかれ、貿易は決して領土の拡張を必要とせざるなり。領土の拡張を必要とする者は、ただ軍人政治家の虚栄心のみ、金鉱及鉄道の利を趁う投機師のみ、軍需を供するの御用商人のみ。
 国民の尊栄幸福
〇それ国民の尊栄幸福は、決して領土の偉大にあらずして、その道徳の程度の高きにあり、その武力の強盛にあらずして、その理想の高尚なるにあり、その軍艦兵士の多きにあらずして、その衣食の生産の饒きにあり。英国従来の尊栄と幸福が彼尨大なる印度帝国を有するにあらずして、むしろ一個のセークスピアを有するにあるは、カーライル実に我を欺かざるにあらずや。
 独逸国大にして独逸人小なり
〇サア・ロバート・モリエル氏は、かつてビスマークを評して曰く、彼は独逸を大にせり、しかも独逸人を小にせりと。然り領土の偉大は多く国民の偉大と反比例す、何となれば彼らが大帝国の建設や、ただその武力の膨脹なればなり、野獣的天性の膨脹なればなり、彼らは実にその国を富まさんがた(113)めにその人民を貧しくし、その国を強くせんがためにその人民を弱からしめ、その国光国威を輝かさんがために、その人民を腐敗し堕落せしむるなり。故に曰く、帝国主義はその国を大にしてその人を小にすと。
 一時の泡沫
〇国民既に小なり、国家豈に能く大なるを得んや。その大なるが如きは即ち一時の泡沫のみ、空中の楼閣のみ、砂上の家のみ。大風一過すれば消えて迹なき雲霧と一般なるは、これ古来歴史の燭照するところなり。しかも哀いかな世界列国は競うて這箇の泡沫的膨脹を力めて、而してその亡滅に向って進むの危険なるを知らざるなり。
 日本の帝国主義
〇而して今や我日本もまたこの主義に熱狂して反らず。十三師団の陸軍、三十万噸の海軍は拡張されたり。台湾の領土は増大されたり、北清の事件には軍隊を派遣せり、国威と国光はこれがために揚れり、軍人の胸間には幾多の勲章を装飾せり、議会はこれを賛美せり、文士詩人はこれを謳歌せり。而してこれいくばくか我国民を大にせるか、いくばくの福利を我社会に与えたるか。
 その結果
〇八千万円の歳計は数年ならずして三倍せり、台湾の経営は占領以来一億六(114)千万の費を内地より奪い去れり、二億の償金は夢の如く消失せり、財政は益す紊乱せり、輸入は益す超過せり、政府は増税に次ぐに増税をもってせり、市場は益す困迫せり、風俗は益す頽廃し、罪悪は日に増加せり、しかも社会改革の説は嘲罵をもって迎えられ、教育普及の論は冷笑をもって遇せらる、国力日に竭き民命日に蹙る。もしかくの如くにして滔々底止することを知らざる数年ならしめば、我は信ず、東洋の君子国が二千五百年の歴史は、黄梁一炊の夢たらんのみ。ああこれ我日本における帝国主義の功果にあらずや。
〇故に我は断ず、帝国主義なる政策は、少数の慾望のために多数の福利を奪う者なり、野蛮的感情のために科学的進歩を沮礙する者なり、人類の自由平等を殲滅し、社会の正義道徳を※[牀の木が戈]賊し、世界の文明を破壊するの蠹賊なりと。
 
(115)  第五章 結論
 
 新天地の経営
〇ああ二十世紀の新天地、吾人はいかにしてこれが経営を完くせんか。吾人は世界の平和を欲す、而して帝国主義はこれを攪乱するなり。吾人は道徳の隆興を欲す、而して帝国主義はこれを残害するなり。吾人は自由と平等を欲す、而して帝国主義はこれを破壊するなり。吾人は生産分配の公平を欲す、而して帝国主義はこれが不公を激成するなり。文明の危険実にこれより大なるはなし。 二十世紀の危険
〇これ我が私言にあらず、去年『紐育ワールド』新聞が、『二十世紀の危険』という題下に、欧米諸名士の意見を徴するや、これに答うる者、軍備主義、帝国主義の恐るべぎをもってする者甚だ多し。フレデリック・ハリソンは曰く、将来政治上の危険は、欧洲列国が過甚の軍隊兵艦及び軍資を蓄積するにあり、その結果は即ち彼らの統治者及び人民を誘うて、主として亜細亜、阿布利加の野にその覇権を争わしめんとすればなりと、ザンギールは曰く、(116)二十世紀の危険は軍国主義という中古の思想の反動的興起なりと。カイル・ハルヂーは曰く、軍国主義より危険なるはなしと。カール・ブラインドは曰く、危険は帝国主義なりと。
 ペストの流行
〇然り帝国主義の忌むべく恐るべきは、なおペストの流行の如し、その触るるところは忽ち亡滅に至らずんばやまず。而して彼のいわゆる愛国心は実にこれが病菌たり、いわゆる軍国主義は実にこれが伝染の媒介たるなり。けだし十八世紀の末年仏国革命の大清潔法は欧洲の天地を掃除して、一たび湮滅に帰し、爾後英国三十二年改革や、仏国四十八年の革命や、伊太利の統一や、希臘の独立や、皆なこの時疫を防禦するゆえんにあらざるなしといえども、しかもその間、奈勃翁や、メテルニヒや、ビスマーク輩の交々この病菌を撒布するありしがために、更に今日の発生を来すに及べり。
 愛国的病菌
〇而して今やこの愛国的病菌は朝野上下に蔓延し、帝国主義的ペストは世界列国に伝染し、二十世紀の文明を破毀し尽さずんばやまざらんとす。社会改革の健児として国家の良医をもって任ずるの志士義人は、宜しく大に奮起すべきの時にあらずや。
(117) 大清潔法大革命
〇しからば即ち何の計かもって今日の急に応ずべき。他なし、更に社会国家に向って大清潔法を施行せよ、換言すれば世界的大革命の運動を開始せよ。少数の国家を変じて多数の国家たらしめよ、陸海軍人の国家を変じて農工商人の国家たらしめよ、貴族専制の社会を変じて平民自治の社会たらしめよ、資本家暴横の社会を変じて労働者共有の社会たらしめよ。而して後ち正義博愛の心は即ち偏僻なる愛国心を圧せんなり、科学的社会主義は即ち野蛮的軍国主義を亡さんなり、プラザー・フードの世界主義は即ち掠奪的帝国主義を掃蕩苅除することを得べけんなり。
 黒闇々の地獄
〇能くかくの如きにして、吾人は初めて不正、非義、非文明的、非科学的なる現時の天地を改造し得て、社会永遠の進歩もって期すべく、人類全般の福利もって全くすべきなり。もしそれ然らず、良く今日の趨勢に放任してもって省みるところなくんば、吾人の四囲はただ百鬼夜行あるのみ、吾人の前途はただ黒闇々たる地獄あるのみ。
 
 帝国主義終
          〔2021年8月17日(火)午前11時5分、入力終了〕