折口信夫全集第四巻、950圓、1966.2.25発行
 
口譯萬葉集のはじめに
 
この書物のはじめに、凡十个條ばかりの、挨拶、並びに、斷りを書きつけて置かねはならぬ。それは、讀者諸君の爲でもあるが、二つには亦、作者自身の爲でもある。
わたしが、はじめて、「ま―んね―ふし―ふ」といふ三綴音に觸れ、同時に、權威ある語として、感じる樣になりかけたのは、中學一年級に這入つた時で、わたしが、かうした道に蹈み入る、第一歩を導いて下さつた上に、今尚、其一つ/\が、力強くわたしの心に生きてゐる語を以て、わたしを教へて下さつた、堺戎島蛭子(ノ)社の舊神職で、今も、大阪府立天王寺中學教諭でゐられる、龜島三千丸《カメジマミチマル》先生の口からであつた。先生は、明治での國學者、敷田年治翁の子飼ひの門人で、國學といふものに對して、確かにある自覺を掴んでゐられたので、實際、かいなでの國語漢文の先生とは、違ふ處があつた。二年級になつた年、學校の圖書室に、『古義』のあつたのを知つて、早速、借り出して讀んだが、其時はじめて目に這入つたのは、卷十四の東歌であつた、と覺えてゐる。三年になつて、やつと、大阪刷りの誤植だらけの、『略解』を買うて貰ふことが出來た。其時の嬉しさは、忘れることが出來ない。而も、自ら量ることを知らない、生利《ナマイ》きな、ひねこびれたこわつぱゝ、千蔭の説に對して、ある反抗心を抱くだけではすまなかつた。卷一の雄略天皇の御製からはじめて、何でも、罫紙四五枚に、自身の考案を書いた事を記憶してゐる。最振うてゐるのは、「とりよろふ天(ノ)香具山」は、とりよる天(ノ)香具山で、大和には澤山な山はあるが、其山々が中心として、寄り集る所の天(ノ)香具山、といふやうな、異説を書いて、得々としてゐたことである。一體、わたしの祖父は、大和飛鳥の神南備の飛鳥(ニ)坐(ス)神社の神主の末子であつたのが、養はれて大阪の商人の子になつたので、其家は、天(ノ)事代主(ノ)命の後で、飛鳥(ノ)直というた家筋である。今も、飛鳥氏を名のつて、其家の祖神たる、飛鳥四座の神を、氏子といふ、經済上の責任を分擔する者もなく、唯一軒の手で、支へ祀つてゐる。此事が、如何に、わたしの萬葉に對する、執著を深からしめてゐるか、知れないのである。
その後、國學院大學に這入つて、五年ゐる中に、二人の先生から、萬葉の講義を聽いた。一人は木村博士で、一の卷だけを講ぜられた。今一人は畠山翁で、一部を通じて、飛び/\に釋いて行かれた。が、晩年の木村博士の講義は、『美夫久志』以上に出ることがなかつたので、わたしの若い研究欲を唆るやうな、暗示に富んだ講義は、寧、「學商」の名を負うてゐられた、畠山翁にあつた。而も、二人とも、今では、亡くなつてしまはれた。萬葉に就て、疑問が起つた時、教へを請ふべき先生は、もう、何處にもゐられないのである。わたしは、勝手に、自身の道を、すこしづゝでも墾いて行かねばならぬやうになつた。力強い授けもなく、此|※[石+角]地《ソネヂ》に、かうして、わびしう延びて行つた芽は、この書物である。わたしは、いとほしいこの草を、更に、培ひ養うて行かねばならぬ。
この書物に、若し、採るべき處があつたら、まづ龜島先生、次には、畠山翁の賚物として、謝せねばならぬ。又、この口譯が、多少、先達《センタツ》諸家の註釋書と、類を異にした點があれば、其は、萬葉びとの生活についての直觀力と、語部が物語り・權威者の記録の上に、高等批評を下す態度とを授けられた、柳田國男先生の賚物だ、といはねばならぬ。又此書物を出すに就て、心を盡して下さつた、三矢重松先生に、御禮を申さねばならぬ。更に、自分自身の叢書をいつくしむ、といふ心から來る、潔癖もあられように、このまづしい書物に對して、而も、これまで、見ず知らずであつたわたしに、非常な好意と、便宜とを與へて下さつた、芳賀博士に謝せねばならぬ。尚一つ、わたしの十八年來の親友、武田祐吉君が、この著述について、動もすれば弛み勝ちの、わたしを励した上、異本に就ての、貴重な知識を分けてくれたことゝ、同窓、宮内省式部職掌典補羽田清光・香川縣觀音寺中學校教諭小原準三・逓信博物館員土持榮夫の三君が、此まはりくどい口譯を、筆記して下さつた勞を忘れてはならぬ。
□この書物には、最初、萬葉集の時代、詳しくいへば、飛鳥朝から藤原・奈良時代にかけての、われ/\の祖先の生活の、各方面を綜合した、著者の觀察を添へて、この本を讀んで頂く前に、まづ、具體的に、萬葉びとの「心身」を知つておいて貰ひたい、と思うたが、芳賀博士が、序文で、あらかた述べて下さつた所もあるので、煩しさを避けて、下卷の末に、添へることゝきめた。
□更に、訓詁・解釋の上に就て、著者自身の考へを、多分に入れておいたが、其根據なり、考證なりを、一々、譯文の中に書き籠んでおく、といふことは、普通の讀者にとつて、可なり迷惑な事であらう、と思うたので、其は、一切省くことにして、出來るだけは、萬葉辭書の中で、説明することにしたが、尚、單純な燭斷や、權威ない早合點から捏ねあげたものでない事を、明らかにせねばならぬ、といふ必要の上から、『國學院雜誌』並びに、根岸派の機關雜誌『アララギ』の誌上で、わりあひに、くはしく論じることにした。
□考證文を添へる事の出來なかつたのと、おなじ理由で、一語々々の詳らかな解説をすることは、避けねばならなかつた。それで、爲方なく、卷末に、名物・作者・語格索引を兼ねた、萬葉辭書をつけることにしたが、これにも、萬葉辭書として、獨立の價値が持たせたい、といふはかない欲望から、下卷の末の百五十頁ばかりに、纏めて出すことにした。此は、是非、參照して頂かねば、隈ない理會は得られまいと思ふ。
□評釋は、はじめは、閑却せられ勝ちであつたが、卷が進んで來るに從うて、律文解釋の要素として、どういふ處に、どういふ興味が潜んでゐるかも知らず、態度の深淺をも、覺らせないではならぬ、と考へたので、鑑賞の手引きとして、處々、短評を加へ、佳作・傑作などゝいふ評語を下して行つたが、上卷では、思ふ樣に評する、手順には行かなかつたので、羊頭狗肉の嫌ひがある、とうしろめたく感じてゐる次第である。これは、再版の時に、今すこし、完全な物にするつもりでゐる。中卷・下卷には、稍丁寧な批評をしておいた、と信じてゐる。
□何しろ、これまでの萬葉集は、普通讀者の通讀には、不便至極な物であつた。萬葉假名の傍に、平假名で訓み方がつけてあるのでは、よく/\熱心な人の外には、通讀の興味を、途中で、はぐらかし勝ちであつた。この書物が、學界に寄與する效果は、或は、通讀する人が殖えた、といふ位の、はかない程度に止るかも知れぬ。しかし、單に、其ばかりでも、わたしにとつては、望外の滿足である。處が、通讀に便ならしめる爲、といふ立ち場から、著者自身の良心を損はぬ範圍で、音標文字を、なるだけ尠くして、見た目の感じの鋭い、漢字を宛てねばならなかつた。すると、其に伴うて起る、難問題がある。譬へば、肥人といふ種族の名、又、其から出た人名に、わたしはくまびと〔四字傍点〕ゝ傍訓をつけたが、これ迄多くは、うまびと〔四字傍点〕ゝ訓んでゐた處から、うまびとの誤植でなからうか、と思はれたり、家一字にも、いへ・へ・やなど、時時、ふり假名をかへねばならなんだ場合に、讀者に、ある疑惑を起させはすまいか、といふ懸念が、始中終、頭の中を往來した。而も、一々の場合に、其説明をする事の出來ぬのが、氣がかりで爲樣がない。けれども、校正の中にも、とりわけ、上段の本文には、全身の感觸を、只目二つに蒐めて見たから、ほゞ誤りはない、と信じてゐる。但、下段の譯文の方には、送り假名・句讀の一致せぬ點が、をり/\、神經質になつた、わたしの目を劫す樣に、顔を顯した。しかし、植字の人の勞苦を思ふと、さまでに、なほすことが出來なかつた。其でなくても、なほしの多かつた此書物の校正刷りに、どれ程憤らしめたことであらう、と思ふと、氣の毒でならぬのである。
□評釋に用ゐた用語は、大體、標準語によつた積りであるが、散文と違うて、律文では、情調を完全に表す爲には、千篇一律に、である〔三字傍点〕・でない〔三字傍点〕で、おし通すことが出來ない。さうした間隙にもつて來て、わたし自身の語なる、大阪ことばの、割り込んで來たのも、隨分あつたと思ふ。譬へば言つて・しまつてを、言うて・しまうて、知らない・取らないを、知らぬ・取らぬといふ類であるが、かういふ風に、この譯文に採り入れた、方言的の性質を帶びた語も、まんざら反省なしに用ゐた訣でもないのである。
□今一つ、通讀の煩ひになり相に思はれたので、骨《カバネ》や、敬稱は省くことにした。一首々々の序文なども、大抵意譯しておいたが、唯、卷五だけは、其卷の性質上、その必要を感じたので、すべて直譯して、本來の面目を、何處までも止めることにした。但、奈良朝の訓讀法について、知識のないわたしは、略、平安朝中葉の訓み方を施して見た。前輩の人々にも、徹底した研究のない官位の訓み方も、同樣である。
□とにかく、本文・譯文・辭書の三つは、始中終、對照して見て貰はねばならぬ。なほ、望めるならば、前に述べた二つの雜誌に、九月以後、連載するはずの、考證文を讀んで頂きたい。
□わたしは、國學院大學を出てから、足かけ三年、大阪府立今宮中學校の嘱託教師となつて、其處の第四期生を、三年級の中途から、卒業させる迄教へてゐた。わたしは、其八十人ばかりの子どもに接して、はじめて小さな世間に觸れたので、雲雀のやうなおしやべりも、栗鼠に似たとびあがりも、時々、わたしの心を曇した惡太郎も、其から又、白眼して、額ごしに、人をぬすみ見た、河豚の如き醜い子も、皆懐しい。この書の口譯は、すべて、其子どもらに、理會が出来たらう、と思ふ位の程度にして置いた。いはゞ、萬葉集遠鏡なのである。
   大正五年八月廿九日
               槐の夏陰にかくれて      著    者
 
     萬葉集 卷第一
 
   雜《ザフ》 の 歌
 
  天皇御製
 
1 籠《コ》もよ、み籠《コ》持ち、掘串《フグシ》もよ、み掘串《フクシ》持ち、この岡に菜つます子。家《イヘ》宣《ノ》らへ。名|宣《ノ》らさね。空《ソラ》見《ミ》つ大和の國は、おしなべて吾《ワ》こそ居れ。しきなべて吾こそ坐《マ》せ。吾こそは宣らめ、家をも名をも
 
1 籠や、箆《ヘラ》や。その籠や、箆を持つて、この岡で、菜を摘んでゐなさる娘さんよ。家を仰つしやい。名をおつしやい。此大和の國は、すつかり天子とLて、私が治めて居る。一體に治めて私が居る。どれ私から言ひ出さうかね。わたしの家も、名も。(上代に於て、如何に皇室が簡易生活をしてゐられたかゞ、此御製で拜することが出來る。殊に素朴放膽で入らせられた、雄略帝の御性格は、吾人の胸に生きた力を齎す。)
 
   舒明天皇の御代
 
  天皇が、香具山《カグヤマ》に登らせられて、國見せられた時の御製
 
2 大和には群山《ムラヤマ》あれど、とりよろふ天《アメ》の香具山《カグヤマ》、登り立ち國見をすれば、國原《クニハラ》は煙立ち立つ。海原《ウナバラ》は鴎《カマメ》立ち立つ。可怜《ウマシ》國ぞ。蜻蛉洲《アキツシマ》大和の國は
 
2 大和の國には、澤山な山はあるが、その中で天の香具山、その山に登り込んで、領分を見はらすと、人の住んでゐる平野には、靄が立ちこめてゐる。それから、(海の様な)埴安《ハニヤス》の池では鴎が群れをなして、あちらでも立ち、こちらでも立ちしてゐる。立派な國だよ。朕《ワシ》が治める蜻蛉洲と稱する、この大和の國は。
 
  天皇、宇智野《ウチヌ》に狩に出でさせられた時、中皇命《ナカツスメラミコト》(後に、皇極天皇)間人《ハシビト》(ノ)老《オユ》をやつて、献上おさせになつた御歌
 
3 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の、朝《アシタ》には取り撫で給ひ、夕《ユフベ》にはいよし立たしゝ御執《ミトラ》しの、梓《アヅサ》の弓の長弭《ナガハズ》の音すなり。朝獵《アサカリ》(13)に今たゝすらし。夕獵に今たゝすらし。御執しの梓の弓の、長弭の音すなり
 
3 此国を安らかに治め給ふ天皇陛下が、終日大事に持つてゐられる、即、朝には手に執つて撫でなされ、夜になると、御傍に立てゝおかれるといふ風に、大事になさる、梓でこしらへた弓の、長い弓弭が、弦の響で鳴る音がする。朝|猟《レフ》(13下)として、今擧行なされるのであらうと思ひ、又日暮れになると、夕獵として、今擧行なされるのであらうと思ふ。お別れ申して都にゐると、朝晩お弓の長弭の音が、どうかすると、耳に幻覚として聞えて來る。
 
  反 歌
 
4 たまきはる宇智の大|野《ヌ》に、馬|竝《ナ》めて朝蹈ますらむ。その草|深野《フカヌ》
 
4 宇智の地の廣い原に、馬を並べて、朝歩きまはつてゐられることであらう。あの草の深い野を。(一絲紊れない修辭は、感佩すべきことである。併し、既に漢文脈を引いた様な、變化に乏しい、といふ難は免れない。)
 
  讃岐の國|安益《アヤ》(ノ)郡に行幸せられた時、軍《イクサ》(ノ)王《オホキミ》山を見て作られた歌
 
5 霞立つ永き春日の暮れにける判別《ワキ》も知らず、群肝《ムラギモ》の心を痛み、※[空+鳥]子鳥《ヌエコドリ》うら嘆《ナキ》をれば、たまだすきかけの宜しく、遠《トホ》つ神《ガミ》吾《ワゴ》大君の行幸《イデマシ》の山越しの風の、獨りをる我が衣手に朝夕《アサヨヒ》にかへらひぬれば、健男《マスラヲ》と思へる我も、くさまくら旅にしあれば、思ひやるたづきを知らに、綱《ツナ》の浦の海人處女《アマヲトメ》らが燒く鹽の、思ひぞ燒くる我が下《シタ》ごゝろ
 
5 永い春の日が暮れ遅くて、暮れたのやら暮れぬのやら區別も訣らない、さういふ時に、心痛《、シンツウ》して心の中で嘆いてゐると、貴い我が天皇陛下の行幸先の、行宮のほとりにある山を越して吹く風が、戻るといふ詞だけは辻占よく、妻に離れて獨りゐる自分の袂に、朝晩に幾度も繰りかへして吹いて來るので、其都度、自分は立派な男だとは思つてゐながら、旅にゐるのであるから、其悲しい心をうつちやる手だてもつかないので、譬へて云へば、近くの綱《ツナ》の浦で、蜑女たちが燒いてゐる鹽の樣に、表面には現さないが、燒き付く樣な氣のする、底の心持ちだ。
 
 反 歌
 
6 山越しの風を常《トキ》じみ、寢《ヌ》る夜落ちず、家なる妹をかけて慕《シヌ》びつ
 
6 山越しに吹く風が、始終吹いてゐるので、寢る晩毎に、何時でも、家にゐるいとしい人のことを、心に思ひ浮べて、焦れてゐる。(一體に長歌は、外界の描寫は、極めて微力なものとしか現されてゐない。此長歌に於て、客觀事象が明らかに深い印象を與へるのは、注意すべきことである。)
 
   皇極天皇の御代
 
  額田女王《ヌカタノヒメオホキミ》の歌
 
7 秋の野のみ草刈り葺き、宿れりし宇治《ウヂ》の都の假廬《カリホ》し思ほゆ
 
7 以前、野の薄を刈つて、屋根をこさへて宿つた事のある、宇治の行宮の假小屋の容子が思ひ出される。
 
   齊明《サイメイ》天皇の御代
 
  額田(ノ)女王の歌
 
8 熟田津《ニギタヅ》に船乘《フナノ》りせむと月待てば、潮《シホ》も適《カナ》ひぬ。今は漕ぎ出《イ》でな
 
8 伊豫の熟田津で、舟遊びをせう、と月の出を待つてゐる中に、月も昇り、潮もいゝ加減になつて來た。さあもう漕いで出ようよ。
 
紀伊の温泉《イデユ》に行幸の時、額田(ノ)女王の作られた歌
 
9 三栖山《ミスヤマ》の檀《マユミ》弦《ツラ》はけ、わが夫子《セコ》が射部《イメ》立たすもな。吾か偲《シヌ》ばむ
 
9 紀伊の國の三栖山の檀でこさへた、弓に弦をかけて、あの御方は、今頃張り番をつけておいて、獣狩りをしてゐられることだ。其にわたしは、かうして焦れてゐねばならぬか。(この歌は、萬葉第一の難訓の歌とせられてゐるもので、これも亦、一説と見て貰ひたい。萬葉辭書の中「三栖山」参照。)
 
  中皇命《ナカツスメラミコト》(倭姫皇后)、紀伊の温泉に行かれた時の御歌
 
10 君が齡《ヲ》も我が齡《ヨ》も知らむ岩白《イハシロ》の、岡の草根《クサネ》をいざ結びてな
 
10 岩白の岡の草を結んで無難を祈るといふが、わが夫《セ》なる天子の御命も、亦私の命も、お護り下さる岩白の神のゐられる岡の草をば、どりや、結んで行きませうよ。
 
11 我が夫《セコ》子は假廬《カリホ》つくらす。草《カヤ》なくば、小松が下《シタ》の草《カヤ》を刈らさね
 
11 あなたは今假小屋を作つていらつしやるが、屋根に茸く草がなければ、わたしのゐるこの小松の下の草をお刈り下さい。
 
12 我が欲《ホ》りし野島《ヌジマ》は見しを、底深き阿胡根《アコネ》の浦の珠ぞ拾はぬ
 
12 都に居る時分から、見たい/\と思うてゐた、野島はやつとの思ひで見たが、底の深いよい景色の阿胡根の浦は、まだ其地に臨まないので、下りて珠を拾ふことも、えせずにゐる。
 
  中大兄《ナカチオヒネ》(天智天皇)の三山《サンザン》の御歌。一首竝びに短歌。二首
 
13 香具《カク》山は畝傍《ウネビ》男々《ヲヽ》しと、耳梨と相|諍《アラソ》ひき。神代よりかくなるらし。古《イニシヘ》も然《シカ》なれこそ、うつそみも、妻を爭ふらしき
 
13 昔女山なる香具山が、同じ女山なる耳梨山と、畝傍山を男らしい山だ、と奪ひ合ひをしたと云ふが、戀ひの道にかけては、神代からさうだつたのに違ひない。(その後、人の世となつて、幾千年經つてゐるが)昔の神々も、さうであつた所からして、肉身の人間も、配逑《ツレアヒ》を取りあひするのに違ひない。(この御製を以て、額田(ノ)女王を爭はれた、自己辯護の如く解する古來の學者の考へは、恐らくは誤解で、天皇にはさうしたお考へもなく、唯三山の妻爭ひの傳説から、一般社會の事を述べられたものと見るがよからう。)
 
  反 歌
 
14 香具山と耳梨《ミヽナシ》山と爭《ア》ひし時、立ちて見に來《コ》し印南國原《イナミクニハラ》
 
14 香具山と耳梨山とが、夫《ツマ》爭ひに對抗して居つた時分に、それをわける爲に、わざ/\、出雲から阿菩《アホノ》大神が出て來られたといふ、此處がその印南の平原である。
 
15 わたつみの豐旗雲《トヨハタグモ》に入日《イリヒ》さし、今宵の月夜《ツクヨ》明らけくこそ
 
15 海の上に、大きな雲が擴つてゐる。その雲に落日がさす位の天氣になつて、今夜の月は、明らかであつてくれ。(この二首は、後世の或人、たとへば高市黒人《タケチノクロヒト》の樣な人が、播州の旅行中に作つた歌を、三山歌の縁で、※[手偏+讒の旁]入したものであらう。)
 
   天智天皇の御代
 
  天皇、内大臣藤原(ノ)鎌足に詔し給うて、春の花と秋の紅葉との美しさを、群臣に爭はしめさせられた時、額田(ノ)女王が、歌でその意見を述べられた歌
 
16 冬籠《フユゴモ》り春さり來れば、鳴かざりし鳥も來嶋きぬ。咲かざりし花も咲けれど、山を茂《シ》み入りても採らず。草深みとりても見ず。秋山の木の葉を見ては、もみづをばとりてぞしぬぶ。青きをばおきてぞ歎く。そこし恨《メヅラ》し。秋山われは
 
16 春がやつて來ると、これまで鳴かなかつた鳥も鳴き出す。咲かなかつた花も咲いてはゐるけれど、山は木が茂り過ぎてゐるので、わざ/\入り込んでまでも採らない。草が深いので、手にとつても見ないけれども、秋の山にある、木の葉を見る時には、何も彼も忘れて、紅葉した葉をば手にとり上げて慕ふことだ。青い葉は其まゝうつちやつておいて、秋の美しさにみとれて歎息するばかりである。さあそれが、秋山に、心が引かれる處だ。わたしは、秋山をとります。(大して勝れたものでもないが、支那風の空虚な觀念的の遊戯が、唐化主義の時代をよく現してゐる。)
 
  井戸《ヰトノ》王、近江の國へ下られた時の歌
 
17 うまざけ三輪《ミワ》の山。あをによし奈良の山の山の際《マ》にい隱《カク》るまで、道の隈《クマ》い距《サカ》るまでに、つばらにも見つゝ行かむを、しば/\も見放《サ》けむ山を、心なく雲の隱《カク》さふべしや
 
17 旅の初めに出て來た三輪山も、最早奈良山の山の端《サキ》に隱れてしまつて、見えなくなつてしまふまで、道の辻々が幾つも/\曲つて遠くなる迄に、ぢつと目を放さないで、幾度もふりかへつて、遙かに眺望しようと思つてゐる山をば、思ひやりもなく、雲が隱すことだ。山にも心があらば、隱せない筈だのに。
 
  反歌
 
18 三輪山をしかも隠すか。雲だにも心あらなむ。かくさふべしや
 
18 壞しい三輪山をば、あんなに隱しくさることよ。せめて雲にでも、思ひやりがあつてくれゝばいゝ。隱されぬ筈だのに、それに隱すことだ。(故京に對する執著が、唯一抹の三輪山の、遠山眉に集中してゐる。山について思ふ所の淺い今人の、感情との相違を見る必要がある。)
 
  額田女王《ぬかたのひめおほきみ》の和《アハ》せられた歌
 
19 三輪山の林の崎のさ王孫《ヌハリ》の、衣《キヌ》につくなす。目につく。我《ワ》が夫《セ》
 
19 あなたは、三輪のことばかりおつしやる。併し、私は三輪山のつき出た崎の、森のあるあたりの野に生えてゐる、王孫《ツチバリ》の色が、衣によく染まりつく様に、あなたが目にちらついてなりませぬ。
 
  天皇|蒲生野《カマフノ》に遊獵せられた時、額田(ノ)女王の作られた歌
 
20 あかねさす紫野《ムラサキヌ》ゆき、標野《シメヌ》ゆき、野守は見ずや。君が袖ふる
 
20 紫草の花の咲いてゐる野即、天子の御料の野を通つて、我がなつかしい君が袖を振つて、私に思ふ心を示してゐられる。あの優美な御姿を、心なき野守も見てはどうだ。(野守を天智天皇にたとへたのだ、といふ説もあるが、こじつけである。單純に客觀的の歌と見れば、愈、すぐれて見える歌である。皇太子の御歌は、寧、此歌の内容に深く交渉をもつたもの、と見ないがよい。)
 
  皇太子(後に天武天皇)の答へられた御歌
 
21 むらさきのにほへる妹《イモ》を、にくゝあらば人|妻《ヅマ》ゆゑにわれ戀ひめやも
 
21 ほれ/”\とするやうな、いとしい人だ。そのお前が憎いくらゐなら、既に人妻であるのに、そのお前の爲に、どうして私が、こんなに焦れてゐるものか。
 
   天武天皇の御代
 
  十市皇女《トヲチノヒメミコ》、伊勢神宮に齋宮《イツキノミヤ》として下らせられた時、波多《ハタ》の横山《ヨコヤマ》の巖を見て、吹黄刀自《フキノトジ》の作つた歌
 
22 河の上《へ》の五百《ユ》つ磐《イハ》むらに草|生《ム》さず、常《ツネ》にもがもな。常處女《トコヲトメ》にて
 
22 この河のほとりに在る、澤山かたまり合うた巖の上には、一本の草も生えてゐない。何時迄も古めかず、新しう見える。その樣に、我が皇女も、齋宮となつてお下りだから、いつまでも年とらず、處女で入らせられることでありたいものだ。(齋宮は、天子の代がはり迄は、童貞の生活をおくられるのであるから、この歌の含むところは多いので、殊に大倭媛(ノ)命などの、齋宮の驚くべき長壽を信じてゐた、時代なることを思うて見ねばならぬ。)
 
  麻績王《ヲミノオホキミ》、伊勢(ノ)國|伊良胡《イラコ》の島に流されなされた時、その頃の人が、いとしがつて作つた歌
 
23 うつそを麻績(ノ)王、海人《アマ》なれや。伊良胡の島の玉藻刈ります
 
23 あの麻績王は、海人になつてしまはれたと見えて、伊良胡の島の藻をかつてござる。
 
  麻績(ノ)王この歌を聞いて、悲しんで作られた歌
 
24 現身《ウツソミ》の命を惜しみ、浪に濡れ、伊良胡の島の玉藻刈り食む
 
24 こんな身の上になつてゐても、まだ生きてゐる。此肉身の命を大事がつて、をめ/\浪に濡れながら、自分は伊良胡の島の藻を刈つて、其を食べて命をつないでゐる。
 
  天皇御製
25 み吉野《ヨシヌ》の御金《ミカネ》の嶽《タケ》に、時なくぞ雪は降りける。間《マ》なくぞ雨は降りける。その雪の時なきがごと、その雨の間なきがごと、隈《クマ》も落ちず、偲《シヌ》びつゝぞ來《コ》し。その山道《ヤマミチ》を
 
25 吉野の金峰山には、何時といふことなく、雪が降つてゐることだ。やむ間もなく、雨が降つてゐることだ。その雪が時をきめず降る樣に、その雨が間斷なく降つてゐる樣に、その山道をば、どの辻でも、この辻でも、きつとふりかへつては、お前のことを思ひながら、やつて來たことだ。私は今さういふ處に來てゐる。
 
  天皇、吉野の行宮に行幸せられた時の御製
 
27 よき人のよしとよく見て、よしといひし吉野よく見よ。よき人よく見つ
 
27 昔偉い人が、吉野をつく/”\と見て、いゝ處だというて、吉野と名をつけた此吉野を、其方等も、よく見るがよいぞ。昔の偉い人も、よくみたことである。(これは恐らく、昔から吉野に仙人がゐたといふ傳説があるから、それらの人が、其景色を愛でゝ棲んでゐた、といふことを根柢として、作られたものであらう。同音同義の語を頭韻風に用ゐてゐるが、其幼稚な技巧が、簡素な内容に適當してゐてよい。)
 
   持統天皇の御代
 
  天皇御製
 
28 春過ぎて夏來たるらし。白|栲《タヘ》の衣乾したり。天《アメ》の香具山《カグヤマ》
 
28 春がすんで、今夏が來ついたに違ひない。眞白な栲の衣を乾してあるのが見える。天の香具山の邊で。
 
  柿(ノ)本(ノ)人麻呂が、近江の都の荒れた趾を見て過つた時作つた歌。竝びに短歌。二首
 
29 玉だすき畝傍の山の、橿原《カシハラ》の聖《ヒジリ》の御代ゆ、あれましゝ神のこと/”\、樛《ツガ》の木の彌《イヤ》つぎ/\に、天の下知ろしめしゝを、空見つ大和をおきて、青丹よし奈良山を越え、いかさまに思ほしけめか、あまさかる鄙《ヒナ》にはあれど、いはゞしる近江《アフミ》の國の、漣《サヾナミ》の大津の宮に、天の下知ろし召しけむ、皇祖《スメロギ》の神の尊《ミコト》の大宮は、こゝと聞けども、大殿《オホトノ》はこゝといへども、春草の茂く生ひたる、霞立つ春日《ハルビ》のきれる、もゝしきの大宮どころ、見れば悲しも
 
29 畝傍山の橿原の都に居られた、天子の御代から、だん/”\に現れてござつた、神の如く尊い天子方は、どの方もこの方も、代々大和の國で、天下を治めてござつたのに、其國を捨てゝ、奈良山をさへ越えて、どういふ御心であつたのか、それまでは田舍であつたが、此近江の國の、漣の郷の大津の宮で、天下をお治めなされたといふ、御先祖の神さまの天子の御所は、この邊だと聞いてゐるが、天皇陛下の寢起き遊ばした御殿は、この邊だといひ傳へてゐるが、來て拜して見ると、春の草が一ぱいに生えて居、春の天氣がぼうと霞んでゐる御所の跡を見ると、悲しいことだ。
 
  反 歌
 
30 漣の滋賀《シガ》の辛崎《カラサキ》、さきくあれど、大宮人《オホミヤビト》の船待ちかねつ
 
30 漣の郷の滋賀の辛崎は、變りなく、人でいへば達者でゐるけれど、いくら待つても、宮仕への官人衆の船が出て來ない。船を待ちをふせることが出來ないで居る。
 
31 漣の滋賀の大曲《オホワダ》淀むとも、昔の人に復も逢はめやも
 
31 滋賀の浦の大きな※[さんずい+彎]が、いつまで靜かに淀んでゐようとも、其處へ遊びに來た昔の人に、逢ふことの出來ようはずがあるものか。(長歌は、堂々たるものである。しかも、懷古の幽愁が沁み出てゐる。短歌には、悲しんで傷らずといふ長者の博大な心が見えてゐる。但、其だけ黒人の作には、劣つてゐる。)
 
  高市黒人《タケチノクロヒト》、近江の舊都を悲しんで作つた歌
 
32 古《イニシヘ》の人にわれあれや、漣の古き都を見れば悲しも
 
32 自分は、今の世の人間である。それに、昔の漣の縣《アガタ》の古い都の跡を見ると、悲しくなつて來る。ひよつとすれば、自分が、昔近江の朝廷に仕へてをつた人なのであらうか。なんだか、昔の人の樣な氣がする。(此歌は、時代錯誤に興味がある。)
 
33 漣の國つ御神《ミカミ》の心荒《ウラサ》びて、荒れたる都見れば悲しも
 
33 漣の郷の土地を領してゐられる、神の御意志に違うて、斯うした處に都を造られた爲に、神の御心にかなはず、御不興によつて、かういふ樣に荒れ果てた、都を見ると悲しくなる。(二首ながら、前の人麻呂の歌よりも、更に傑れてゐる。人麻呂のにはまだ/\虚僞が見えてゐるが、此には、人の胸を波だゝせる眞實が籠つてゐる。)
 
  紀伊の國行幸の時、川島皇子《カハシマノミコ》の御歌
 
34 白良《シラヽ》の濱松が枝《エ》の手向《タム》けぐさ、幾世までにか歳《トシ》の經ぬらむ
 
34 白良の濱に來ると、濱松の枝を結んで、道の神へ御供へとして奉つてある。(この近くの岩白では、わが友有間(ノ)皇子もせられた。)いつの時代まで、なし傳へるつもりで、今までも續いて來てゐるのだらうね。
 
  背《セ》の山を越ゆる時、阿閉皇女《アベノヒメミコ》の作られた御歌
 
35 これやこの、大和にしては、わが戀ふる紀路《キヂ》にありとふ、名に負ふ背の山
 
35 これがその、即大和の國でいうて見れば、私がこがれてる夫の君の、夫《セ》といふ名を持つた、それでゐて、紀州に在るといふ、背の山であるのだ。
 
  吉野に行事せられた時、柿本(ノ)人麻呂が作つた歌
 
36 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の、聞《キコ》し治《ヲ》す天《アメ》の下に、國はしも多《サハ》にあれども、山川の清き河内《カフチ》と、御心を吉野《ヨシヌ》の國の、花|散《チ》らふ秋津の野邊に、宮柱|太敷《フトシ》きませば、百敷の大宮人は、船|竝《ナ》めて朝川渡り、舟競《フナキホ》ひ夕川渡る。此川の絶ゆることなく、この山のいや高からし。澄みたぎつ湍の都は、見れど飽かぬかも
 
36 我が天皇陛下が御治めになる天下に、國といへば澤山あるが、その中で、山や川の景色の爽かな川の流域だ、と大御心をおよせになつてゐる、吉野郡の秋津野に、離宮の柱を太くお据ゑになつたので、御所仕への官人衆は、船を竝べて朝の川を渡り、又舟の競漕をして、日暮れの川を渡るといふ風に、遊んでゐる。この川が、水はなくなることなく、聳えてゐる此邊の山は、何時迄經つても低くならずに、永久に高くあるにちがひない。澄んで激しく流れる、急流のほとりに在る都は、いくら見ても飽かぬことだ。
 
  反 歌
 
37 見れど飽かぬ吉野の川の、常滑《トコナメ》の、絶ゆることなく複かへりみむ
 
37 見ても見あかぬ吉野の川の、始終滑らかな水苔のなくならない樣に、いつまでもやまずに、幾度も見にやつて來よう。(長短歌共に、簡素に出來てゐる。殊に反歌は、單純化の巧みに行はれた者といふべきである。長歌は、稍お座なりの宮ぼめに傾いて、無内容に近い。)
 
  ○
 
38 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の、神《カム》ながら神《カム》さびせすと、吉野川|湍《タギ》つ河内《カフチ》に、高殿を高著《タカシ》りまして、登り立ち國見せすれば、たゝなづく青垣山《アヲガキヤマ》の、山祇《ヤマツミ》の奉《マツ》る御調《ミツキ》と、春べは花かざしもち、秋立てば紅葉《モミヂ》かざり、遊副川《ユフカハ》の神も、大御饌《オホミケ》に仕へ奉ると、上《カミ》つ瀬に鵜川《ウカハ》を設《タ》て、下《シモ》つ瀬にさでさし渡し、山川もよりて仕ふる、神の御代かも
 
38 わが天皇陛下が、神樣通りに尊い行ひをなさる爲、吉野川の急流の流域に、高殿を高く目につくやうにお建てになり、それに登つて、御領内を御覧なさると、むく/\と續いた青い垣の樣な山の神が、天皇陛下の御心をお慰め申す爲の獻上の心づくしと見えて、春の頃は、山が花を頭飾りにし、秋になると、紅葉をば飾りつけ、それから川の方でいふと、遊副川の神も、天子の御膳部に供へ奉らうと、上流の方には鵜川を設け、下流の方にはさで網をさし渡して(人々の魚をとることが出來るやうにしてゐる。)魚をとる。かういふ風に、山川の神迄が、一處になつてお仕へ申してゐる、貴い御代であることだ。
 
  反 歌
 
39 山川もよりて仕ふる、神《カム》ながら、湍《タギ》つかふちに船出《フナデ》せすかも
 
39 山や川も寄り合うて、天皇陛下にお仕へ申してゐるその急流の流域に、神樣その儘に、見るも貴く、舟を出して入らせられることである。(形は前の歌よりは整うてはゐないが、内容は空疎でない。唯登り立ち云々以上の句の、全體の上に齎す勢力は、極めて微妙であると云はねばならぬ。)
 
  伊勢行幸の時、柿本(ノ)人麻呂京に留つて作つた歌
 
40 英虞《アゴ》の浦に船乘《フナノ》りすらむ處女らが、玉裳《タマモ》の裾に、潮滿つらむか
 
40 志摩の國の英虞の浦に、處女らが舟遊びしてゐるだらう。其美しい袴の裾に、擧げても/\、潮が滿ち寄せて來てゐるだらうよ。
 
41 くしろつく答志《タブシ》の崎に、今もかも、大宮人の玉藻刈るらむ
 
41 志摩の國の答志の崎のあたりで、今日今頃は、お伴に行つた御所づとめの人々が、藻を刈つてゐることだらう。
 
42 潮騷《シホサヰ》に伊良胡《イラゴ》の島|邊《ベ》漕ぐ船に、妹乘るらむか。荒き島囘を
 
42 伊良朗の島のあたりの、寄せて來る潮騷に乘つて、漕いでゐる其あぶない舟に、いとしい人は乘つてゐるのだらうよ。あの荒い島の入りこみを。
 
  當麻麻呂《タギマノマロ》の妻の作つた歌
 
43 吾が夫子《セコ》はいづく行くらむ。おきつもの名張《ナバリ》の山を今日か越ゆらむ
 
43 自分の夫は、今頃、どこらを通つてゐられるだらう。大方、名張の山を、今日あたりは、越えてゐられるのだらうよ。
 
  石上《イソノカミノ》大臣行幸に從うて作つた歌
 
44 吾妹子《ワギモコ》をいざみの山を高みかも、大和の見えぬ。國遠みかも
 
44 大和が見えない。どれ、思ふ人を見ようと思はせる名の、いざみの山が高い爲か、それとも、國が遥かに隔つてゐる爲か。(かも〔二字傍点〕といふ語が、押韻とおなじ效果を持つてゐる形の傑れた音楽的な歌。)
 
  珂瑠皇子《カルノミコ》(文武天皇)安騎野《アキヌ》に宿られた時、柿(ノ)本(ノ)人麻呂の作った歌。竝びに短歌。四首
 
45 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君、高ひかる日の御子、神ながら神さびせすと、太敷《フトシ》かす都をおきて、隠國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の山は、眞木《マキ》立つ荒山|道《ミチ》を、岩がねのしもとおしなべ、さかどりの朝越えまして、たまかげる夕さり來れば、み雪ふる安騎の大野に、はた薄篠を押《オ》しなべ、くさまくら旅宿りせす。古《イニシへ》おもひて
 
45 我が仕へ申す皇子なる、日の御|裔《スヱ》の尊い皇子は、神様その儘の神わざをばせられる爲に、御所のある京を後にして、泊瀬山は、檜木の立つてゐる険しい山道だのに、潅木を押し別けて、朝越えておいでになり、日暮れになった時分、安騎《アキ》の平野に、穗薄や篠などを押し別けて、其處で旅の宿りをなされることだ。以前、日竝知《ヒナメシ》(ノ)尊《ミコト》が、度々此處へ狩りに來られた時分の事を思ひながら。(日竝知皇子は、珂瑠皇子の父宮である。)
 
  反 歌
 
46 安鯨の野に宿る旅人。うち靡き寝《イ》も寝《ヌ》らめやも。古《イニシヘ》おもふに
 
46 安騎野で宿る、旅人なる珂瑠の皇子さまよ。其《ソノ》方《カタ》は、此處が昔、父皇子の、常に遊ばれた處だから、昔のことを思ふと、のび/\と、寝るにも寝てゐられないことであらう。
 
47 み草刈る荒野《アラヌ》はあれど、もみちばの過ぎにし君がかたみとぞ來し
 
47 荒れはてた野は荒野として、御承知の上で此處へ來られたのは、おかくれになった方が、よくお出でになった、其記念だと思うて、尋ねて來られたことだ。
 
48 東《ヒムガシ》の野《ヌ》に陽光《カギロヒ》の立つ見えて、かへりみすれば、月傾きぬ
 
48 東の野を見ると、朝日のほのめきのさすのが見えてゐるので、ふりかへって見ると、月は最早、西の方に傾いてしまつた。(これは、朝猟の後の歌と見ればよい。)
 
49 日竝知《ヒナメシ》(ノ)皇子《ミコ》の尊《ミコト》の、馬竝めて御獵《ミカリ》たたしゝ時は來むかふ
 
49 お懐しい日竝知(ノ)皇子様が、此處まで馬を竝べて來て、御猟を挙行遊ばした時節は、ちようどこれからで、さういふ時候が、今來かゝつてゐる。お懐しいことだ。
 
  藤原《フヂハラ》(ノ)宮の役民《エダチノタミ》の作つた歌
 
50 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君、高ひかる日の御子、あらたへの藤原が上《ヘ》に、治國《ヲスクニ》を治《メ》し給はむと、御殿《ミアラカ》は高著《タカシラ》さむと、神ながら思はすなべに、天地もよりてあれこそ、いはゞしる淡海《アフミ》の國のころもでの田上山《タナカミヤマ》の、眞木《マキ》割《サ》く檜《ヒ》の※[木+爪]手《ツマデ》を、ものゝふのやそ宇治河《ウヂガハ》に玉藻なす浮べ流せれ、其《ソ》を取ると騒ぐ御民も、家忘れ身もたなしらに、鴨じもの水に浮きゐて、わが作る日《ヒ》の御門《ミカド》に、知らぬ國、よりこし路《ヂ》より我が國は常世《トコヨ》に瞻《モ》らむ、書《フミ》負へる靈《アヤシキ》亀《カメ》も新世《アラタヲ》と、泉の川に持ち越せる眞木《マキ》の※[木+爪]手《ツマデ》を、もゝたらず筏に作り上《ノボ》すらむ、勤《イソ》はく見れば、神ながらならし
 
50 我が天皇陛下、貴い日の御裔の御子孫なる御方が、藤原のほとりで、此日本国をお治めなさらうとて、又御殿をば高くお建てにならうとて、神様の御心その儘お思ひ立ちになると同時に、天地の神も、心を一つにお助け申し上げるつもりか、近江の國の田上山《タナカミヤマ》の檜の切りはしを、宇治川へまるで水に浮く藻のやうに、浮して流し出したといふと、それを取り集めるとて、一所懸命に騒いでゐる人民たちも、家のことを忘れ、一身上のことも考へ浮ばず、鴨見た様に水に浮んでゐて、それを泉川まで持って來て、筏に作って京の方へやって來る爲であらう。一心に働いてゐるのを見ると、神業としか思はれない。〔我が作る日の御門から新世とまでは、泉川を起す爲の序歌である。意味は、今我々が作ってゐる御所に、知らぬ外國、即|唐土《コシ》(よって來るにかけて)地方などから、此日本の國をば、世に云ふ、仙人の住む島であらうといふので、目をつける事になるだらうし、又、其蓬莱山を負うてゐる靈龜も、現れ出《デ》るべき結構な御代といふことを、出づとひつかけたのである。此歌は、恐らく、柿本人麿の作で、朝廷から、役民に謡はせたものと思はれる。〕
 
  飛鳥《アスカノ》宮から藤原(ノ)宮へ移られて後、志貴皇子《シキノミコ》の作られた御歌
 
51 采女《ウネメ》の袖吹きかへす飛鳥風、都を遠み、いたづらに吹く
 
51 此頃までは、宮仕への采女達の袖を吹き返してゐた、飛鳥の里を吹く凰よ。都が遠くなったので、吹くには吹いても、詮《カヒ》なく吹いてることだ。
 
  藤原(ノ)宮の御井の歌。竝びに短歌。一首
 
52 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君、高光る日の皇子、あらたへの藤井が原に大御門《オホミカド》はじめ給ひて、埴安《ハニヤス》の堤の上にあり立たし見《ミ》し給へば、大倭《ヤマト》の青香具《アヲカグ》山は、日の経《タテ》の大御門に春山と茂《シ》みさび立てり。畝傍《ウネビ》のこの端山《ミヅヤマ》は、日の緯《ヨコ》の大御門に瑞山《ミヅヤマ》と山さびいます。耳梨《ミヽナシ》の青菅山《アヲスガヤマ》は、北《ソトモ》の大御門に、宜《ヨロ》しなべ神《カム》さび立てり。なぐはし吉野《ヨシヌ》の山は、南《カゲトモ》の大御門ゆ、雲居にぞ遠くありける。高|著《シ》るや天の御蔭《ミカゲ》、天著《アメシ》るや日《ヒ》の御蔭の水こそは、常住《トコシヘ》ならめ。御井《ミヰ》の眞清水
 
52 尊い我が天皇、日の御裔の陛下が、藤井が原のほとりに、御所を初めてお造りになって、その御所の容子を、東の埴安の池の堤の上に立ってござって、御覧なさると、昔の大倭の郷の故地なる、機械《シキ》部の青々とした香具山は、東の御門に、なるほど、春の山らしく深く茂って立ってゐる。目の前の瑞々した畝膀山は、西の御門に、なるほど、瑞々した山と思はれる様に、神々しい山として立って入らつしやる。青々として心持ちのいゝ耳梨山は、北の御門に、配合よく古めいて立ってゐる。又吉野山は、南の御門から遠く地平線の空に見えてゐる。斯ういふ立派な御所であるが、宮地に在る水、即天を覆ひ日をかくす、立派な御殿の傍の水は何時までも絶えないにきまってゐる。立派な、藤井の原の御井の清水よ。
 
  反 歌
 
53 藤原の大宮|仕《ヅカ》へあれっがむ處女《ヲトメ》が輩《トモ》は、羨《トモ》しきろかも
 
53 藤原の御所にお宮仕へとして、将来も、後から/\とあらはれ出て來る、虞女達は羨しいことだ。(この歌も、恐らく柿本人麿のであらう。此歌を讀む時には、宮殿の新に出来あがった藤原の宮で、大歌所の官人たちが、新宮を讃美する歌として、此を歌うたものであらう、といふ想像を浮べながら、見るのが必要である。)
 
   文武天皇の御代
 
  大寶元年九月、太上(持統)天皇紀伊御幸の時の歌。二首
 
54 巨勢山《コセヤマ》のつら/\椿、つら/\に見つゝ偲《シヌ》ぶな。巨勢の春野《ハルヌ》を(坂門人足《サカトノヒトタリ》)
 
54 巨勢山に、続いて立ってゐる椿の木立ちよ。それをつくづく見入りながら、此あたりの、春頃の野の景色を思ふことだ。
 
55 あさもよし紀人《キビト》羨《トモ》しも。眞土《マツチ》山|行《ユ》き來《ク》と見らむ紀人羨しも(調淡海《ツキノアフミ》)
 
55 眞土山に来ると、非常にいゝ景色だ。私は、紀伊の國人が羨しい。この眞土山の景色を、行くというては見、歸って来るというては見乍ら、往來してるはずの紀伊の國人が羨しい。
 
  異本の歌
 
56 河の扁《ヘ》のつら/\椿、つら/\に見れども飽かず、巨勢《コセ》の春野《ハルヌ》は
 
  二年、太上(持統)天皇參河御幸の時の歌
 
57 引馬野《ヒクマヌ》に匂ふ榛原《ハリハラ》、入り亂《ミダ》り、衣にほはせ。族のしるしに(長意吉麿《オナガノキマロ》)
 
57 引馬野に來て見ると、榛《ハリ》の花が群つて、ほの/”\と咲いてゐる。その中へやたらに這入って行って、その色を、衣に著けたらどうだ。旅をした記念に。
 
58 いづくにか船泊《フナハ》てすらむ。安禮《アレ》の崎《サキ》漕ぎたみゆきし棚《タナ》なし小船《ヲフネ》(高市黒人《タケチノクロヒト)
 
58 日が暮れて来た。さきほど、安禮《アレ》の崎を漕ぎ廻るつて行った舟は、今時分、どこで舟泊りをしてゐるだらう。
 
59 ながらふる雪吹く風の寒き夜に、我が夫《セ》の君は獨《ヒト》りか寝《ヌ》らむ(譽謝《ヨサノ》女王)
 
59 降って来る雪を吹く風が、冷い今晩、我が思ふお方は、たつた一人で、おやすみになってゐるだらう。
 
60 宵にあひて朝|面目《オモ》なみ、名張《ナパリ》にか、けながき妹がいほりせりけむ(長皇子《ナガノミコ》)
 
60 夜逢うて、朝の面目なさに、なばる(隠)といふ名の、名張の邊に、長くあはぬいとしい人は、今頃は假小屋を作って、泊ってゐることだらう。あの人が旅に出てから、日数が経ったことだ。
 
61 健男《マスラヲ》がさつ矢たはさみ立ち向ひ、射る的形《マトカタ》は、見るにさやけし(舎人娘女《トネリノヲトメ》)
 
61 達者な男が、獵突を腋挟んで、其方へ向うて射るといふ、的に縁のある、的形浦は、見たところ、さっぱりしたよい景色である。
 
  三野《ミヌノ》岡麿唐に使した時、春日(ノ)老《イユ》の作つた歌
 
62 ありねよし對馬の渡り、洋中《ワタナカ》に幣《ヌサ》とりむけて、早《ハヤ》還り來《コ》ね
 
62 あなたが、唐へお渡りになる道の、對馬海峡の海路の途中で、綿津見の神へ手向けの幣をさし上げることを忘れずに、そのお護りで、早く歸つて入らつしやいよ。
 
  山上憶良《ヤマノヘノオクラ》大唐《ダイタウ》に居た時、本國を思うて作つた歌
 
63 いざ子ども、早《ハヤ》も大和へ。大伴の三津《ミツ》の濱松、待ち戀ひぬらむ
 
63 さあ部下の人等よ。早く日本へ歸らうではないか。あの難波の大伴の郷の三津の濱松ではないが、待ちこがれて、家の人はゐるだらう。(長い旅路と、畏い任務とを遂げて、愈妻子の待つてゐる郷に向ふ歡喜が、一二句のすこし迫つた音律に溢れてゐる。)
 
  慶雲《キヤウウン》三年、難波《ナニハノ》宮行幸の時の歌
 
64 葦べゆく鴨の羽交《ハガヒ》に霜ふりて寒き夕は、大和し思ほゆ(志貴《シキノ》皇子の御歌)
 
64 今夜は寒い夜だ。葦の茂つてゐる海岸を泳いでゐる、鴨の羽の合せ目に、霜が降るといふ樣な冷い晩だ。今夜は、大和のことが思ひ出されてならぬ。(傑作)
 
65 霰打つあられ松原、住吉《スミノエ》の弟日《オトヒ》をとめと、見れど飽かぬかも(長(ノ)皇子の御歌)
 
65 あられ松原の景色は、ひとり見ても面白い。それに、住吉の弟日《オトヒ》をとめと一處であるから、いくら見ても飽かない心地がすることよ。(佳作)
 
  太上(持統)天皇難波(ノ)宮御幸の時の歌
 
66 大伴《オホトモ》の高師《タカシ》の濱の松が根を枕《マ》きてしぬれど、家し偲ばゆ(置始東人《オキソメノアヅマビト》)
 
66 大伴の郷の高師の濱の景色は、非常にいゝ。其景色のいゝ處の松の根を、枕にして寢てゐるけれども、尚、家のことが思はれてならぬ。
 
67 旅にしてもの戀しきに、家言《イヘゴト》も聞えざりせば戀ひて死なまし(高安大島《タカヤスノオホシマ》)
 
67 旅に出て居て、故郷のことが氣にかゝる時分に、家からのたよりが來た。若しこんな時に、家からの消息さへも聞えて來なかつたなら、何の慰めることもなく、ひたすら戀しさに、焦れ死んでしまふことであらう。
 
68 大伴の三津《ミツ》の濱なる忘れ貝、家なる妹を忘れておもへや (身入部王《ムトベノオホキミ》)
 
68 大伴の三津の濱邊には、物忘れをするといふ忘れ貝があるが、家にゐる戀しい人を、どうしても思ひ忘れることがあるものか。
 
69 くさまくら旅ゆく君と知らませば、岸の埴原《ハニフ》に匂はさましを(住江處女《スミノエノヲトメ》、長(ノ)皇子に獻つた歌)
 
69 旅にお出かけになるあなたゞ、とわかつてゐましたら、お著物を住吉の岸の赤土原の土で摺つて、色づけを致して置きましたものを。
 
  太上(持統)天皇吉野御幸の時、高市(ノ)黒人の歌
 
70 大和には鳴きてか行《ク》らむ。呼兒鳥《ヨブコドリ》、象《キサ》の中山《ナカヤマ》よびぞ越ゆなる
 
70 呼兒鳥が、象の中山を鳴きながら越えて行くことだ。あれは大方、今時分(家のある)大和の地をば、鳴いて行つてるであらう。
 
 大行《タイカウ》(文武)天皇難波行幸の時の歌
 
71 大和戀ひ、寢《イ》の寢《ネ》らえぬに、心なく、この洲《ス》の崎に鶴《タヅ》鳴くべしや(忍坂部乙麻呂《オサカベノオトマロ》)
 
71 大和の國に焦れて、寢ることも出來ないでゐるのに、思ひやりなく、此處の砂濱の崎に、鶴が鳴いてゐることだ。心があれば、あんなに鳴けないはずだがなあ。
 
72 玉藻刈る沖邊は漕がじ。しきたへの枕のあたり忘れかねつも(式部卿藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》)
 
72 沖の方へ漕ぎ出て、この地を去つてしまふといふことはしたくない。枕を結んで寢た、このあたりの容子は、忘れかねてゐるのだから。
 
  長(ノ)皇子の御歌
 
73 吾妹子《ワギモコ》を早見《ハヤミ》濱風、大和なるわが山の木に吹かず、たゆたへ
 
78 大和にゐる戀しい人をば、早く見たいと思うてゐる、この早見の濱を吹く風よ。家にはいとしい人が私を待つてゐる、其庭の植ゑ木に荒く吹きつけないで、中途で滯つて居てくれ。(木はよいとしても、自分を待つあの人に、變事があつてはならない。)
 
  大行(文武)天皇吉野行幸の時の歌
 
74 み吉野の山のあらしの寒けくに、はたや、今宵も、我がひとり寢む(文武天皇御製か)
 
74 日が暮れて、吉野山には、山颪が寒く吹き出した。此寒いのに、またもや今晩も、自分ひとり寢ることかなあ。
 
75 宇治問《ウヂマ》山朝風寒し。旅にして、衣かすべき妹もあらなくに(長屋王《ナガヤノオホキミ》)
 
75 吉野の行宮にゐると、宇治間山から吹きおろす、朝風が冷いことだ。自分は旅に居るから、此を著よというて、著物を貸してくれる人とてもないのだ。
 
   寧樂《ナラノ》宮の御代
 
  和銅元年、元明天皇御製
 
76 健男《マスラヲ》の鞆《トモ》の音《オト》すなり。物部《モノヽフ》の大臣《オホマヘツギミ》楯立つらしも
 
76 達者な人々が、弓をひく手の鞆の音が、(復もや)して來る。また戰ひの大將軍が楯を設けて、武術の練習をしてゐる樣だ。(此御歌の中には、女帝であるだけに、人民の勞苦を思はれる以上に、戰ひを厭はれる御心持ちが拜せられる。)
 
  御名部皇女《ミナベノヒメミコ》の和《アハ》せ奉られた御歌
 
77 吾大君、物なおもほし。皇神《スメガミ》のつぎてたまへるわれなけなくに
 
77 我が天皇陛下、そんなに御心配遊ばしますな。御先祖の神神が、若しも何かあつた時には、妹としてお生み下さつた私が居ない訣《ワケ》ではありません。私が居るからは、御相談あひてになりませう。
 
  和銅三年藤原(ノ)宮から寧樂(ノ)宮に、遷られた時に、御乘り物を長屋(ノ)原にお立てになつて、天皇(元明)の詠ませられた御製
 
78 飛ぶ鳥のあすかの里をおきて往《イ》なば、君があたりは見えずかもあらむ
 
78 住み慣れた飛鳥の里を、後にして行つてしまつたら、戀しい人の住む家のあたりも、見えなくなつてしまふであらう。(この歌は、右の如く、藤原の宮から、寧樂の宮へ遷都せられた時のもので、飛鳥というたところで、別に今の飛鳥村附近ばかりをいうたのではなく、廣く藤原あたりをもこめていうたのである。)
 
  藤原(ノ)宮から、寧樂(ノ)宮へ遷都せられた時の歌
 
79 大君のみこと畏み、にぎびにし家をさかりて、隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の川に船浮けて、我がゆく川の、川|隅《クマ》の八十|隈《クマ》落ちず、萬度《ヨロヅタビ》かへりみしつゝたまぼこの道ゆき暮し、あをによし寧樂の都の佐保川にい行き至りて、我が寢たる衣の上ゆ、朝月夜《アサヅクヨ》さやかに見ゆれば、栲《タヘ》のほに夜の霜降り、磐床《イハドコ》に川の氷《ヒ》こほりさゆる夜をいこふことなく、通ひつゝ作れる家に、千代までにいまさむ君と、われも通はむ
 
79 天皇陛下の御命令の恐れ多さに、賑うてをつた家を離れて、泊瀬川に舟を浮けて、我々が下つてゆく、その川のいくつもある曲り角毎に、きつと、幾度もふりかへりながらやつて行く中に、日を暮してしまつて、寧樂の都の佐保川に著いて、寢てゐる著物の上をば、まるで朝の樣にはつきりした月が照してゐるので、氣がつくと、夜の霜が眞白に降つてゐるし、川床の磐の上には、川の氷が凍つてゐる。さういふ夜でもやすむことなく、出かけて行つて作つた御殿に、千年までもおいでなさるあなたゞと信じて、自分も常に、其處へ通はうと思ふ。(つじつまのあはぬ處のある歌であるが、ともかくも、要所々々は確かに捉へてゐる。)
 
  反 歌
 
80 青丹よし寧樂《ナラ》の家には、萬代にわれも通はむ。忘ると思ふな(作者知れず)
 
80 寧樂に建てた御殿へは、何時までも變ることなく、我々も通はうと思うてゐる。何時までたつても、われ/\を忘れようとして下さるな。
 
  和銅五年四月、長田王《ナガタノオホキミ》を伊勢(ノ)齋宮《イツキノミヤ》に遣はされた時に、山邊(ノ)御井で人々の謠うた歌
 
81 山邊《ヤマノベ》の御井《ミヰ》を見がてり、神風《カムカゼ》の伊勢の處女《ヲトメ》と相見つるかも
 
81 山の邊の御井の清水を、見物にやつて來て、旁、(そのあたりの)伊勢の處女と逢うて、親しんだことだ。(王化に浴しきつてゐた土地を、豐かな奈良の宮人たちの旅行して、のどかな樂しみを、恣にしてゐる心地が、音律の上に宿つてゐる。)
 
  その際に、謠うた宴席の古歌
 
82 うらさぶる心さまねし。ひさかたの天《アメ》の時雨《シグレ》のながらふ、見れば
 
82 心寂しいやうな氣分が、一ぱいにひろがつて來る。今、天から落ちる時雨が降つてゐる。それを見ると。(傑作)
 
83 海《ワタ》の底《ソコ》沖つ白浪立田山、いつか越えなむ。妹があたり見む
 
83 立田山を、何時越えることが出來るだらう。其處を越えれば、いとしい人の住家の邊も、見えるところの(立田山をば)。
 
  長皇子《ナガノミコガ》が志貴王《シキノオホギミ》と、佐紀《サキ》の宮で、酒宴せられた時の御歌
 
84 秋さらば、今も見るごと妻戀《ツマゴ》ひに、鹿《カ》鳴かむ山ぞ。高野原《タカヌハラ》の上《ウヘ》(長(ノ)皇子)
 
84 今、鹿の聲が聞えてゐるが、やがて秋になつたら、今經驗してゐると同じ樣に、妻に焦れて、始中終、鹿が鳴くはずの山です。此高野の原のあたりの此山で。(だからまた、秋にも此處へ來ようではありませんか。)
 
 
 萬葉集 卷第二
 
    相聞の歌
 
   仁徳天皇の御代
 
  磐之媛《イハノヒメ》皇后、天皇を慕はせられた御歌。四首
 
85 君が行《ユ》きけ長くなりぬ。山たづね迎へか行かむ。待ちにか待たむ
 
85 我が夫は、御出かけになつた儘、久しう御歸りにならぬ。山道を探しながら、此方から迎へに出掛けようか。それとも、耐《コラ》へてぢつと待つて居ようか。(山たづねとある方が、境地ははつきりとはして來るが、山路を尋ねて行くといふことは、稍妥當を失うてゐる。寧、單に枕詞と思はれる、山たづのといふ、古事記の歌の方が勝つてゐる。)
 
86 かく許り戀ひつゝあらずは、高山の磐ねし枕《マ》きて死なましものを
 
86 こんなに焦れて居る位なら、いつそ高い山の岩を枕にして死んだ方が好いのに。(此時代は未、高塚時代の遺風を存して居たので、亡骸を塚穴に横へよう、といふ意味を、かう歌はれたのである。)
 
87 ありつゝも君をば待たむ。うち靡《ナビ》く我が黒髪に、霜の置くまでに
 
87 今夜はひどく、我が夫のおこしが遲い。併し、ぢつと起きて居て、わたしの髪に霜が降るまで待つて居よう。(此時代は勿論、男から女の方に通うたから。)
 
88 秋の田の穂の上《ヘ》に霧《キラ》ふ朝霞、何方《イツベ》の方に我が戀ひやまむ
 
88 秋の田に實つた稻穂の上に、ぼうと懸つてゐる朝霞が、何方かへ消えてなくなるやうに、自分の慕ふ心も、どちらへでも消散させたいが、到底、何方へも散すわけにはいかない。
 
  古事記に、輕《カルノ》皇太子同母妹輕大郎女《カルノオホイラツメ》に通ぜられた爲、伊豫の温泉に流された時、輕(ノ)大郎女が大和に居て、戀ひ慕はれた歌と傳へてゐるもの
 
90 君が行《ユ》きけ長くなりぬ。山たづの迎へを行かむ。待つには待たじ
 
90 あなたの他行が日數長くなつた。迎へに行かう。とても、待たうとても待つて居られまい。(歸られる迄に、死ぬかも知れぬといふ意。)
 
   天智天皇の御代
 
  天皇、鏡(ノ)女王《ヒメオホキミ》に下された御製
 
91 妹が家も不斷《ツギテ》見ましを。大和なる大島の嶺《ネ》に家もあらましを
 
91 いとしい人の家をば、何時も/\見て居たいものだが、此家が、大和の大島山にあつてほしいものだ。さすれば、大和の額田の家は、目の下によく見えることであらう。
 
  鏡女王《カヾミノヒメオホキミ》の和《アハ》せられた歌
 
92 秋山の木《コ》の下《シタ》がくり行く水の、我こそ益《マ》さめ。御《ミ》思ひよりは
 
92 秋の山の木の下陰を流れ行く水が、木の葉に埋れて、表面には表れないやうに、私の心は、外《ソト》からは見えますまいが、あなたの御心持ちよりも、ずつと深いでありませう。(序歌として用ゐられた上の句は、あざやかに效果を生じない難はあるが、優に一首を美化してある。)
 
  内大臣藤原(ノ)鎌足卿、鏡(ノ)女王の許に通うた頃、女王から鎌足に贈られた歌
 
93 たまくしげ蔽《オホ》ふを易《ヤス》み、あけて行《イ》なば、わが名はあれど、君が名はをしも
 
93 二人の間を内證にして置くのは、易いことだと安心して、その爲に、そんなにぐづ/”\して、明け放れてから歸つたら、人が氣づく。わたしの評判は第二として、あなたの評判の出るのが、大事ですよ。(玉櫛笥は、蔽ふ、あくをおこす枕詞。)
 
  鎌足、鏡(ノ)女王に答へた歌
 
94 たまくしげ三室の山のさな葛《カヅラ》、さ寢《ネ》ずば、つひにあり敢《カ》つましゞ
 
94 あなたは、そんなに早く歸れと仰つしやいますが、寢ないで歸ることが出來ませうか。どうしても、それでは辛抱しきれず、生きてゐられますまいと思ひます。(上句は、さねを起す序歌。)
 
  藤原(ノ)鎌足卿、采女安見兒《ウネメヤスミコ》の許に通うた頃の歌
 
95 我はもや安見見得たり。皆人《ミナヒト》の得がてにすとふ安見兒得たり
 
95 どうだ。俺はねい、安見兒を手に入れたぞ。それ、誰も彼も、皆手に入れにくがつて居るといふ評判の、安見兒をば手に入れたぞ。(素朴な放膽な歌で、殊に唐化主義の張本とも見える人から、儒教などの束縛を受けてゐない、本然の聲を聞くのはおもしろい。)
 
  久米禅師《クメノゼンジ》、石川(ノ)郎女《イラツメ》の許に通うた時分の歌。五首
 
96 眞篶《ミスヾ》刈る信濃《シナヌ》の檀弓《マユミ》、我が引かば、貴人《ウマビト》さびて、否《イナ》と云はむかも(禅師)
 
96 信濃の檀《マユミ》でこさへた弓をひく樣に、私はお前さんの袖を引きたいが、さうしたら(おまへさんは、身分の高い人だから)きつと、上品ぶつて、知らないよ、と言ふでせうね。
 
97 眞篶《ミスヾ》刈る信濃の檀弓、引かずして弦《ヲ》はくるわざを知ると云はなくに(郎女)
 
97 信濃の檀の弓も、引かないで居ては、弦を掛ける方法は訣りません。そのやうに、あなたもわたしに言ひ込んでも見ないでは、わたしが承知するか、しないか、訣らんではありませんか。
 
98 あづさゆみ引かばまに/\寄らめども、後《ノチ》の心を知りがてぬかも(同じ人)
 
98 あなたが引きさへなされば、御意の通り、あなたの方へ靡きはしませうけれど、此交情が、何時迄續くか。あなたの將來の心の程が訣りませんね。
 
99 あづさゆみ弦緒《ツラヲ》とりはけ引く人は、後の心を知る人ぞ引く(禅師)
 
99 梓弓に弦をひつ掛けるのでないが、袖を引く人はどんな人だといふと、後々までも心變りがしない、といふ自信のある人が引くのです。私は決して、心變りがしないから、安心して下さい。
 
100 東人《アヅマド》の荷前《ノザキ》の篋《ハコ》の荷《ニ》の緒にも。妹が、心に乘りにけるかも(同じ人)
 
100 そら御存じでせう。あの田舍者が擔いで來る、初穗の貢の篋の上の紐でゞも、あなたがありませうか、あなたは始中終《シヨツチユウ》、私の心の上にどつさりと乘り掛かつて居られて、忘れようと思うても、忘れられません。
 
  大伴安麻《オホトモノヤス》呂卿、巨勢郎女《コセノイラツメ》
に通うた頃の歌
 
101 たまかづら實ならぬ木には、ちはやぶる神ぞつくとふ。ならぬ木ごとに
 
101 御注意迄に申しますが、あなたはその樣にぴんしやんとして居ますが、實の成らぬ木には、神樣が憑《ツ》いて、其所有にするといふ事ですが、御存じですか。あなたもさう人の心を退けて居ますと、どんな祟りがあるかも知れませんよ。實のならぬ葉許りの木には、どれにも、神がつくのですからね。(玉蔓は、實を起す詞。)
 
  巨勢(ノ)郎女の返歌
 
102 たまかづら花のみ咲きてならざるは、誰《タ》が戀ひならめ。我《ワ》は戀ひ思《モ》ふを
 
102 あなたは、なか/\口が御上手だ。花許り咲いて實はならぬと仰つしやいましたが、其は誰の戀ひでせうね。わたしは決して、表面だけ心があるやうに見せかけて、うち解けないといふやうな者ではなく、あなたを慕うて居りますのに、お言葉は、生憎ながらあなたのことでせう。
 
   天武天皇の御代
 
  藤原夫人《フヂハラノフジン》に下された御製
 
l03 我が里《サト》に大雪降れり。大原の古りにし里に降らまくは、後《ノチ》
 
103 お前は羨しからうね。私の住んで居る里には、こんなに大雪が降つたぞ。その大原の、さびれてしまうた里に降るのは、大方後のことだらう。
 
  藤原(ノ)夫人の返歌
 
104 我が岡の※[雨/龍]《オカミ》に祈《コ》ひて降らせたる、雪の碎片《クダケ》し、そこに散りけむ
 
104 大變御自慢ですが、あなた樣の處へ降つたのは、わたしが住んで居ます岡の雨龍《アマリヨウ》に頼んで、わたしの慰みに降らした雪の碎片《カケラ》が、其處まで散つて行つたのでありませう。(夫人のゐられた大原の地は、飛鳥(ノ)岡の上にあつて、當時の都飛鳥淨見原宮は、岡つゞきを半里ばかり南の、麓にあつた事を知ると興味がある。)
 
   藤原(ノ)宮〔持統・文武〕の御代
 
  大津(ノ)皇子、忍んで伊勢(ノ)神宮に參られて、都へ戻られる時、姉君|大伯《オホクノ》皇女の作られた御歌
 
105 吾が兄子《セコ》を大和へやると、さ夜更けて、曉露《アカトキツユ》にわが立ち濡れし
 
105 大事のあなたを、大和へ立たすといふので、夜更けてから外へ出て、明方近い露の爲に、立つてゐて濡れたことだ。
 
106 二人行けど、行き過ぎ難き阿騎《アキ》山を、いかにか、君が一人越えなむ
 
106 あなたが大和へ歸る途中にある、あの阿騎山は、わたしも知つてゐる。二人連れて歩いて居ても、寂しくて通りにくい所であつた。それに如何して、あなたが獨りで、越えてお行きなさるだらう。
 
  大津皇子《オホツノミコ》、石川郎女《イシカハノイラツメ》に贈られた御歌
 
107 あしびきの山の雫《シヅク》に、妹待つと、われ立ち濡れぬ。山の雫に
 
107 いとしいお前の來るのを待つ爲に、山から垂れる雫に、自分は、こんなに立つて居て濡れたよ。その山の雫の爲に。
 
  石川(ノ)郎女の返歌
 
108 我《ワ》を待つと、君が濡れけむあしびきの山の雫にならましものを
 
108 私を待つ爲に、あなたがお濡れなさつた相な、その山の雫にわたしはなつたらよかつたのに。(老獪な口ぶりで、人を悩殺する歌と云ふべきだ。贈答の歌としては、皇子の歌も勝れてはゐるが、この方が一段、巧みである。)
 
  大津(ノ)皇子、石川(ノ)郎女に會はれたのを、津守通《ツモリノトホル》が占うて、顯した時の御歌
 
109 おほぶねの津守が占《ウラ》に宜《ノ》らむとは、まさしに知りて、我が二人寢し
 
109 津守の奴が、甚《ヒド》いことをした。併し俺は、津守の占ひの面《オモテ》に出《デ》るだらうといふことは、まざ/\と、はつきり知りながら、二人一處になつたのであつた。敢て驚かない。
 
  日並知皇子尊《ヒナメシノミコノミコト》、石川(ノ)郎女に下された御歌
 
110 大名兒《オホナコヲ》を遠方野邊《ヲカタヌベ》に刈る草《カヤ》の、束の間《アヒグ》も、我忘れめや
 
110 可愛い大事の大名兒。お前をば向うの野で刈る草ではないが、その束の間でも、自分は忘れようか。忘れはしない。(この御歌を促した、石川郎女の贈つた歌が思はれる。こせつかぬよみ口ののんびりした處を、前三首を見た上で讀むと、皇子の御氣象も思はれる。)
 
  吉野(ノ)宮行幸の時、弓削《ユゲノ》皇子、額田女王《ヌカタノヒメオホキミ》に贈られた御歌
 
111 古《イニシヘ》に戀ふる鳥かも。楪《ユヅルハ》のみ井の上より、鳴き渡り行く
 
111 あの鳥は、自分とおなじく昔のことに焦れて、鳴く鳥だらう。其鳥が、父君天武天皇の御遊びになつた、楪の泉の上をば鳴いて通つて行きます。
 
  額田(ノ)女王の和《アハ》せられた歌
 
112 古に戀ふらむ鳥は時鳥。蓋しや鳴きし。我が戀ふるごと
 
112 あなたの仰つしやる、その昔を戀しがつて、鳴いてゐます鳥は時鳥です。わたしが、先天子の事を慕うてゐる樣に、もしや、鳴きはいたしませんでしたか。
 
  吉野から、蘿《コケ》の生えた古い松の枝を折つて、額田(ノ)女王に遣はされたのを受け取つて奉つた歌
 
113 み吉野の山松が枝《エ》は愛《ハ》しきかも。君が御言《ミコト》を持ちて通《カヨ》はく
 
113 此吉野の松の枝は、可愛いものよ。わたしの大事の御方の御言葉を持つて、やつて來るのが可愛いぢやないか。(贈答の歌に溢るゝ如き才能を持つて、高貴の方々に愛せられた女王の風貌の思はれる歌。併し、何處となく男性的なよみ口である。)
 
  但馬《タジマノ》皇女、高市《タケチノ》皇子の御所に居られた時に、穂積《ホヅミノ》皇子を思うて作られた御歌
 
114 秋の田の穂向《ホム》きのよする片寄《カタヨ》りに、君に寄りなゝ。言痛《コチタ》かりとも
 
114 よしや、人が彼此やかましくいうても、私は稔《ミノ》り田の穂の向きが向いてゐる樣に、片一方へ偏して、あなたの方に許り、お頼り申して居ませう。
 
  穂積皇子、近江の滋賀山寺《シガノヤマデラ》にお遣されになつた時、但馬(ノ)皇女の作られた御歌
 
115 おくれ居《ヰ》て戀ひつゝあらずは、追《オ》ひ及《シ》かむ。道の隈囘《クマワ》に標結《シメユ》へ。我が夫《セ》
 
115 後に殘つて居て、こんなに焦れて居るよりは、追ひついて行きたいと思ふ。どうかあなた、行く道の辻々に、標《シルシ》を結びつけて置いて下さい。それを便りに、追ひついて參りませう。
 
  但馬(ノ)皇女、高市(ノ)皇子の御所に居て、穂積(ノ)皇子に忍び會はれたことが、露《アラハ》れた時に作られた御歌
 
116 人言《ヒトゴト》を繁み、こちたみ、己《オノ》が世にいまだ渡らぬ淺川《アサカハ》渡る
 
116 人の噂がうるさくやかましく立つて、其爲に、自分が生れてまだ經驗しない、哀しみに袖を濡らして居る。(深い川なら舟で渡るが、淺い川故、かち渉りして、濡れたのに譬へたのである。)
 
  舍人《トネリノ》皇子、舍人處女《トネリノヲトメ》に與へられた御歌
 
117 健男《マスラヲ》や片戀ひせむと嘆けども、醜《シコ》の健男、尚戀ひにけり
 
117 立派な男が、ぐづ/”\と、思はぬ人を慕うたりすべきものではないと悲しい乍ら、決心はして見るものゝ、此|業《ゴフ》さらしの意氣地なしの男は、まだ戀しがつて居る。我乍ら情ない。(健男を繰りかへした處に、戀ひを賤しむ心と共に執著する心とが、力強く見えてゐる。答への歌は遙かに劣つてゐる。)
 
  舍人(ノ)處女《ヲトメ》の和《アハ》せた歌
 
118 嘆きつゝ健男子《マスラヲノコ》の戀《コ》ふれこそ、我が結ふ髪の潰《ヒ》ぢて滑《ヌ》れけれ
 
118 ほんに、自分のことを誰かゞ思うて居る時に、髪が濕つてぬら/\とずり脱けて來ると云ふが、なるほど嘆息する程、立派な男の方が、わたしのことを思うて入らつしやつたから、その道りになつたのであります。
 
  弓削(ノ)皇子、紀皇女《キノヒメミコ》を慕はれた御歌。四首
 
119 吉野《ヨシヌ》川行く瀬を速み、暫《シマシ》くも淀《ヨド》むことなく、ありこせぬかも
 
119 吉野川の流れて行く瀬が速くて、ちよつとの間も、水の滯ることがないやうに、二人の間が、中絶えして逢はれぬ、と云ふやうなことが、ないやうにありたいものだ。
 
120 吾妹子《ワギモコ》に戀ひつゝあらずは、秋萩の咲きて散りぬる花ならましを
 
120 いとしいあなたのことを、こんなに戀しがつて居る程ならば、いつそあのぱつと咲いて、ぱつと散つて行く習ひの、萩の花であつたらよかつたのに。
 
121 夕さらば汐《シホ》滿ち來なむ。住吉《スミノエ》の淺香《アサカ》の浦に玉藻刈りてな
 
121 日暮れになつたら、汐がさして來て、どうも出來なくなりませう。今の中に、此住吉の淺香の浦の、玉藻を苅りませう。(躊躇して居たら、障りが出て來るから、今の中に會はうといふのである。)
 
122 大舟の泊つる泊《トマ》りの動搖《タユタヒ》に、物|思《モ》ひ痩せぬ。人の子故に
 
122 大きな舟が、到著して泊る港に、浪が立つて、動搖するが如く、煩悶する爲に、こんなに痩せて居る。縁のないあかの他人であるのに、その人の爲に。
 
  三方沙彌《ミカタノシヤミ》、園生羽《ソノノイクハ》の處女《ムスメ》を妻として、間もなく病ひになつた時の歌。三首
 
123 たけばぬれ、たかねば長き妹が髪、此頃見ぬにみだりつらむか
 
123 取り上げて結ふと、ぬる/\とほどけ、取り上げないと、長過ぎるあの、いとしい人の立派な髪は、此頃、自分と會はないから、刷《ツクロ》ひもせずに、亂れてゐることだらう。
 
  園ノ處女の歌
124 人皆は、今は長みと、たけと云へど、君が見し髪、亂りたりとも
 
124 誰も彼も、最早そんなに垂して居たら、長過ぎるから、取り上げて結《ユ》へ、とすゝめますが、この髪の形は、あなたと逢うた時、見て頂いたのだから、亂れても、此儘にして置きませう。
 
  三方(ノ)沙彌
 
125 橘の蔭蹈む道の八衢《ヤチマタ》に、物をぞ思ふ。妹に會はずして
125 此頃病氣で、お前さんに會はないで居るので、まるで、橘の木蔭をとほる市の道が、澤山に分れてゐる樣に、あれこれと、種々雜多な方面に、心を使うて煩悶してゐる。
 
  石川(ノ)郎女《イラツメ》、大伴(ノ)田主《タヌシ》に贈つた歌
 
126 風流男《ミヤビヲ》と我は聞けるを、宿貸さず、われをかへせり。おぞの風流男
 
126 人の噂は、あてにならぬものだ。粹な人だと聞いて居たのに、泊めてもくれないで、わたしを追ひ歸した。氣の利かぬ男だ。粹な人が聞いてあきれる。ぼんやりの粹人め。
 
  大伴(ノ)田主の返歌
 
127 風流男に我はありけり。宿貸さずかへせる我ぞ風流男にはある
 
127 粹人とは、私のやうな人を云ふのだ。お前さんの術《テ》にのらないで、宿を貸さずに追ひ歸した私は、ほんとに粹な人なのだ。
 
大伴(ノ)田主は、字を中部《ナカチコ》と云うた。容貌も、とりなりも、人に優れて居た。石川(ノ)郎女が、どうかして一處に居たいと思うて居たが、言ひよる手段がないので、穢い婆さんに化けて、土鍋《ユキヒラ》をさげて、田主の座敷の側に行つて、老女の聲色《コワイロ》を使ひ、腰の屈んだ風で、私は東隣りの貧乏婆です。火を頂きに參りました、と云うて近寄らうとしたが、田主はそんな計略のあることゝは知らず、火を與へて歸らした。翌朝、石川郎女は、自分のあられもない行ひを恥ぢ、且、自分の思ひ通りに行かなかつた怨みを洩して作つたものだ、と傳へて居る。
 
  石川(ノ)郎女、又大伴(ノ)田主に贈つた歌
 
128 我が聞きし耳によく似ば、葦芽《アシカビ》の足|萎《ナ》え我が夫《セ》、努《ツト》めたぶべし
 
128 私の耳に聞いた噂の通りなら、あなたは足萎えだといふことですが、足萎えさん、どうぞお大事になさつて下さいませ。(これは、田主が郎女のもとへ、どうしても、通はなかつたので、輕くからかふやうな風で、怨みを述べたのであらう。)
 
  大津(ノ)皇子の侍女《マカタチ》であつた頃、石川(ノ)郎女が大伴(ノ)宿奈《スクナ》麻呂に贈つた歌
 
129 古りにし嫗《オムナ》にしてや、かくばかり戀ひに沈まむ。たわらはのごと
 
129 こんなに年をとつた婆さんの身として、これ程迄に、まるで子どものやうに、訣《ワケ》もなく、戀ひに没頭して居るのは、どうしたことでせう。(年上の女の、若い男に同情を求めた心持ち。)
 
  長《ナガノ》皇子、弟弓削皇子に贈られた御歌
 
130 丹壬《ニフ》の川、瀬は渡らずて、ゆく/\と戀ひたし。我弟《ワオト》、いで通ひ來《コ》ね
 
130 丹生川が急流な爲に、渡り瀬を渡る人もなく、躊躇してゐる樣に、どうかすると、心が動搖して非常に戀しい。さあ弟よ。ちやつと來て下さい。
 
  柿(ノ)本(ノ)人麻呂、石見の國から京へ上るので、妻に別れた時の歌。二首並びに短歌。六首
 
131 石見の海《ウミ》津濃《ツヌ》の浦曲《ウラワ》を、浦なしと人こそ見らめ。瀉《カタ》なしと人こそ見らめ。よしゑやし、浦はなけども、よしゑやし、瀉はなけども、いさなとり海邊《ウナビ》をさして、渡津《ワタツ》の荒磯《アリソ》の上に、か青《アヲ》なる玉藻沖つ藻、朝はふる風こそ寄せめ。夕はふる浪こそ來寄れ。浪の共《ムタ》、かよりかくより、玉藻なすより寢《ネ》し妹を、つゆじもの置きてし來れば、此道の八十隈毎に、萬度《ヨロヅタビ》顧みすれど、禰遠《イヤトホ》に里は離《サカ》りぬ。禰高《イヤタカ》に山も越え來ぬ。夏草の思ひしなえて偲《シヌ》ぶらむ妹が門《カド》見む靡け。此山
 
131 石見の海岸の津濃の※[さんずい+彎]をば、岩濱許りで、舟の寄れる浦はないと、人は思うて居るかも知れぬ。又|直《スグ》深海で、遠淺の瀉がないと思うてゐるかも知れぬが、浦はないが、又瀉はないがかまはない。自分には、それで滿足なのだ、其處には、譬へて云はうならば、沖の方から海岸、即、渡津の岩濱の方へ向けて、眞青《マツサヲ》な美しい藻や、深海の藻をば、朝動搖する風、日暮れにゆらぐ浪がうち上げる。其浪と一處にうち上る美しい藻が、絡み合ふやうにして寢たいとしい人を、後に殘して置いて、やつて來たので、自分の行く道の、澤山な辻を曲る毎に、幾度もふりかへつて見るが、其中、段段里は遠のいて來た。山道も段々高く越えて來た。津濃の里では、夏の日に當つた草のやうに萎《シヲ》れて、自分を戀ひ慕うて居るだらう、そのいとしい人の家も見えなくなつた。前に立ち塞つて居る山よ。あの門が見たいから、低くなつて何方かへ片寄つてくれ。
 
  反歌
 
132 石見のや高津濃《タカツヌ》山の木《コ》の間《マ》より、我が振る袖を妹見つらむか
 
132 私が今振つて屏る袖を、石見なる高津濃山の木立ちの間から、いとしい人が、其と認めて見て居るだらうよ。
 
133 笹の葉はみ山もさやにさやげども、我は妹|思《オモ》ふ。別れ來ぬれば 
 
133 自分が越えて行く山一面生えた笹が、山もとよむ許りに、やかましく騷いで居るが、その音にも紛れないで、私はいとしい人のこと許り思うて居る。哀しい別れをして來たので。
 
135 つぬさはふ石見の海の、言《コト》さへぐ辛《カラ》の崎なる、梅石《イクリ》にぞ深海松《フカミル》生《オ》ふる。荒磯《アリソ》にぞ玉藻は生ふる。玉藻なす靡き寢し子を、深海松の深めて思へど、さ寢《ヌ》る夜は幾だもあらず。はふつたの別れし來れば、きもむかふ心を痛み、思ひつゝ顧みすれど、おほぶねの渡《ワタリ》の山の紅葉《モミヂバ》の散りのまがひに、妹が袖|爽《サヤ》にも見えに、つまごもる屋上《ヤガミ》の山の雲間より渡らふ月の、惜しけども隱ろひ來れば、天傳ふ入日さしぬれ、健男《マスラヲ》と思へる我も、敷妙の衣の袖は通りて濡れぬ
 
135 石見の海の辛の崎にある石には、深海松が生え、岩濱には玉藻が生えて居る。其玉藻のやうに、絡み合うて寢たあの人を、深海松ではないが、心に深く思ひ込んでは居るが、一つに寢る夜が幾らもとてはなく、滿足してゐない中に、もう別れる時が來たので、其人と別れてやつて來ると、心が非常に辛《ツラ》いので其人のことを思ひ乍ら、ふりかへつて見ても、越えて行く渡《ワタリ》山の紅葉の散り亂れてゐるのに紛れて、あの人の振る袖も明瞭《ハツキリ》とは見えないで、屋上山の雲の中をば通つて行く月ではないが、其袖さへも、殘念乍ら段段隱れて見えなくなつて來るといふと、軈て夕方の入日さへさして來たので、立派な男だと思うて居る自分乍ら、悲しくてこぼす涙に、著物の袖は、裏迄も濡れてしまつた。
 
  反歌
 
136 あを駒の足掻《アガキ》を速み、雲居にぞ、妹があたりを過ぎて來にける
 
136 いとしい人の家の邊《アタリ》も、見えなくなつて來た。乘つて居るあを馬の足なみが速い爲に、あの人の家は、最早地平線に隱れて、空と一つになつてしまつた位にやつて來た。
 
137 秋山に落つる紅葉《モミヂハ》、暫《シマシ》くは勿《ナ》散り亂りそ。妹があたり見む
 
137 此山を越えれば、もうあの人の家は見えなくなるのだが、秋の山路に落ち散つて、我が眼界を妨げる紅葉よ。暫くは散り亂れないで居てくれ。
 
  依羅《ヨサミノ》郎女(人麻呂の妻)夫と別れた時の歌
 
140 勿《ナ》思ひと君は云へども、逢はむ時何時《イツ》と知りてか、我が戀ひざらむ
 
140 あなたは、そんなに思ふなと云はれますが、今別れても、何時會へると訣つて居れば嘆かないのですが、それが訣らないのですから、焦れないで居られませうか。(石見の妹といふのは、この人でない。)
 
    挽歌
 
   齊明《サイメイ》天皇の御代
 
  有問皇子《アリマノミコ》御自身の身の上を哀しんで、松の枝を結んで置かれた時の歌。二首
 
141 岩白《イハシロ》の濱松が杖《エ》を引き結び、まさきくあらば、復歸り見む
 
141 自分は今、此岩白の濱を通るが、とても再引き返して、茲を過ぎることは出來まい。今、世の人がするやうに、濱の松の枝を結び合せて、命や、旅路の無難を祈つて行くが、萬一達者で居たならば、再此松を見よう。
 
142 家にあれば、笥《ケ》に盛る飯《イヒ》を、くさまくら旅にしあれば、椎《シヒ》の葉に盛る
 
142 家に居る時には、容れ物に盛つて食べるのを常としてゐるが、今は旅であるから、椎の葉に飯を盛つて食べることである。
 
  長意吉麻呂《ナガノオキマロ》、結び松を見哀しんだ歌
 
143 岩白の岸の松が枝結びけむ人は、歸りて復見けむかも
 
143 この岩白の岸に生えて居る、松の枝を結んで、自分の命や旅路の無事を願つた人は、其後戻つて、まう一度見たか知らん。見なかつたつけ。(これは漢詩の影響を受けた、詠史の歌である。有間(ノ)皇子に關したものなることは勿論である。)
 
144 岩白の野中《ヌナカ》に立てる結び松、心も解けずいにしへ思ほゆ
 
144 岩代の野邊に立つてゐる結び松よ。それを見ると、自分も心が結ぼれて鬱して來て、昔のことが思ひ出されてならぬ。
 
  山上(ノ)憶良、後に意吉麻呂《オキマロ》の歌に和《アハ》せた歌
145 翼《ツバサ》なすあり通《ガヨ》ひつゝ見らめども、人こそ知らね。松は知るらむ
 
145 有間(ノ)皇子の再見ようと誓はれた岩白の松をば、御魂は幾度も、空を通つて御覧になつてるだらうけれども、人には見えないのだ。しかし、松は定めて知つて居るだらう。
 
  大寶元年、紀伊國行幸の時、結び松を見て、或人の作つた歌
 
146 後《ノチ》見むと君が結べる、岩白の小松が梢《ウレ》を、復見けむかも
 
146 後再見よう、と有問(ノ)皇子が結んで置かれた、岩白の小松の結んだその枝さきを、再顧みて、お解きになつたことか知らん。
 
   天智天皇の御代
 
  天皇不豫の時、皇后(倭姫)の奉られた御歌
 
147 天《アマ》の原ふりさけ見れば、大君の御壽《ミイノチ》は長く天足《アマタ》らしたり
 
147 天皇陛下、どうぞ御心地安らかに御いで遊ばされませ。神を祈るとて、空を仰ぎ見ると、空は目の限り、廣々と擴つて居ます。其空が限りなく擴つて居るやうに、あなたの御壽命も、豐かに、長く、十分に御ありなさるに違ひは御座いません。(縁起を祝うて作られたもの。)
 
  天皇崩御せられた時、皇后の作られた御歌
 
148 青幡《アヲハタ》の木幡《コハタ》の上を通ふとは、目には見れども、直《タヾ》に合はぬかも
 
148 天皇陛下の御姿が、目のあたりにあるやうに思はれます。あの殯宮の青葉をさして作つた幡の靡くのを見ると。併し逢うて御話を交すことも出來ない。どうか直接に御會ひ申したいもんだが。
 
149 人は不知《イサ》、思ひやむとも、たまかづら影に見えつゝ忘らえぬかも
 
149 外の人はどうか訣らない。或はお慕ひ申す心が止《ヤ》まつてゐるかも知れぬ。併し私には、始終幻影に見えて忘れることが出來ない。
 
  天皇崩御の時、或女官の作つた歌
 
150 現身《ウツソミ》し神に堪《タ》へねば、離《サカ》り居て朝嘆く君、離《サカ》り居て夜《ヨル》戀ふる君。玉ならば手に纏《マ》き持ちて、衣《キヌ》ならば脱《ヌ》ぐ時もなく、我が戀ひむ君ぞ、昨日《キゾ》の夜の夢に見えつる
 
150 肉體を離れることの出來ない人間は、神樣と御一處にゐることは出來ませんから、致し方なしに御別れ申して、遠くから朝晩に、私がお慕ひ申して居ります天皇陛下。私の心を譬へて申しますれば、いつそ玉であつたら、手に纏き付けて、離さないやうに、又著物であつたら、いつも脱がずに身に著けて居ようと迄、おもうて居ます天皇陛下。その方にお逢ひ申すことが出來なかつた所が、昨日の晩の夢に、偶然、お逢ひ下されたことです。
 
  天皇を殯宮《アラキノミヤ》に移し奉つた時の歌。二首
 
151 かゝらむと豫《カネ》て知りせば、大御舟果てし泊《トマ》りに、標《シメ》結はましを(額田(ノ)女王)
 
151 こんなことゝ前から訣つて居たならば、天皇陛下の御乘りになつて居る御舟の泊つた港に、標を附けて、それから先へは、御出でにならぬやうにして置いたものを、殘念なことをした。
 
152 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君の大御舟、持ちか戀ふらむ。滋賀の辛崎(舍人|吉年《キネ》)
 
152 天皇陛下の行幸も、もはや望まれない。御在世の時は、よく滋賀の辛崎で舟遊びをせられたものだが、今では心ない滋賀の辛崎も、御舟を待ち焦れて居ることだらう。
 
  皇后の御歌
 
153 いさなとり淡海《アフミ》の海を、沖|離《サ》けて漕ぎ來る舟、岸《ヘ》つきて漕ぎ來る舟。沖つ楫《カイ》いたくな刎《ハ》ねそ。岸《ヘ》つ楫いたくな刎ねそ。わかくさの夫《ツマ》の尊《ミコト》の思ふ鳥たつ
 
153 近江の湖水を、沖の方へ離れて漕ぐ舟も、岸近うよつて漕ぐ舟も、※[楫+戈]を無暗に刎ねてくれな。湖水には、一面に、亡くなられたわが夫なる天皇陛下の、遣愛の水鳥が浮いて居るが、それが驚いて立つから。
 
  石川夫人《いしかはのふじん》の歌
 
154 漣《サヾナミ》の大山守は、誰《タ》が爲か山に標《シメ》結《ユ》ふ。君もあらなくに
 
154 あの漣山の御料林の山守は、誰の爲に、標を結ひつけて守つてゐるのだ。肝腎の天子も、御いでにならないのに。
 
  山科御陵《ヤマシナノミハカ》の奉仕果てゝ退散する時、額田女王の作られた歌
 
155 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君の、畏《カシコ》きや御陵《ミハカ》仕《ツカ》ふる山科の鏡の山に、夜《ヨル》はも夜《ヨ》のこと/”\、晝はも晝《ヒ》のこと/”\、哭《ネ》のみを泣きつゝありてや、もゝしきの大宮人は行き別れなむ
 
155 尊い天皇陛下の御陵をば御造り申した、山科の鏡山で、夜は夜通し、晝は一日中、毎日毎晩泣きに泣いた末、御所の役人達は、散り/\ばら/”\に、別れてしまはねばならぬか。それを思ふと、寂しくてならない。
 
   天武天皇の御代
 
  十市《トヲチノ》皇女の薨ぜられた時、高市《タケチノ》皇子(ノ)尊が作られた御歌。三首
 
156 神籬《ミモロ》の神の神杉過ぐる惜しみ、影《カゲ》に見つゝぞ寢《イ》ねぬ夜ぞ多き
 
156 死んで過ぎ去つて了ふ人の餘波《ナゴリ》惜しさに、幻影に許りその人を見て、寢られない晩が多い。
 
157 三輪山の山邊眞麻木綿短木綿《ヤマベマソユフミジカユフ》、かくのみからに、長しと思ひき
 
157 三輪山の邊で出來る眞麻の幣帛、その短い幣帛のやうに、僅かこれ許りしかない、我々の短い契りだつたのに、何時迄も長く續くものだ、と安心して居た。其が殘念だ。
 
158 山吹の立ち儀《ヨソ》ひたる山清水、汲みに行かめど道の知らなく
 
158 十市(ノ)皇女の葬つてあるみ墓の邊には、山吹のとり圍んだ山の清水がある。それを汲む爲に、御靈は通うてゐられようが、人間の自分には、その道を知ることが出來ないから逢はれない。
 
  天皇崩御の時、皇后(持統)の御歌
 
159 安《ヤスミ》治しゝわご大君の、夕されは見《メ》し給ふらし。明け來れば間ひ給ふらし。神|岳《ヲカ》の山の紅葉を、今日もかも問ひ給はまし。明日もかも見《メ》し給はまし。その山をふりさけ見つゝ、夕さればあやに悲しみ、明け來ればうら寂びくらし荒栲《アラタヘ》の衣の袖は干る時もなし
 
159 今頃居られゝば、天皇陛下が朝晩に、御覧なされ、御尋ねなされるに違ひない。その神岳に色づく紅葉を、紅葉は如何だと御問ひなされてゐる樣な氣がする。明日位は見に御出かけなされさうな氣のするあの山をば、はるかに見乍ら、日が暮れて來ると、無上に哀しくなり、夜が明けて來ると、心寂しくなつて泣く爲に、喪服のあら/\しい著物の袖は乾く暇もない。
 
  天皇(天武)崩御の時、皇后(持統)の御歌
 
160 燃ゆる火もとりて包みて、袋には入ると言はずや。會はなくもあやし
 
160 燃ゆる火さへも、燈籠に包み込むことが、出來るといふではないか。さすれば、死んだ人の魂も、留めて置かれない筈はないのに、會はれないのは、どうも不思議だ。
 
161 神南備《カムナビ》に天霧ひつゝ、青雲の星|離《サカ》り行き、月も離りて
 
161 神南備山に、眞黒に霧が棚引いて、その爲に、星も散り散りに、見えなくなり、月も遠く見えなくなつてしまつた。(何ととりとめたことのない悲しみを、天體に託して歌はれたのである。)
 
  天皇崩ぜられた後、八年經て九月九日に御齋會のあつた晩に、夢の中に口吟《クチズサ》みなされた持統天皇の御製
 
162 飛鳥《アスカ》の淨見原《キヨミハラ》の宮に、天の下しろしめしゝ安治《ヤスミ》しゝわご大君、たかひかる日の御子。いかさまに思ほし召せか、かむかぜの伊勢の國は、沖つ藻も靡きたる浪に、鹽氣《シホケ》のみ馨れる國に、うまごりあやにともしき高光る日の御子
 
162 (これは夢の中の御歌であるし、殊には、神秘的な傳説を伴うたものであるから、幾分普通人の文章法と違うて、暗示的に出來てゐる爲、難解な點がないではない。)飛鳥の淨見个原の宮で天下を治めていらつしやつた天子即、日の神の御|裔《スエ》の我が天皇陛下は、どう御思ひなさつたのか、伊勢の國でいふと、大洋の藻が絡み合うて、寄せて來る浪の上に、汐の馨りの立つてゐる、さうした國へ出掛けた儘、御歸りにならない。無性に御會ひ申したい、立派な天皇陛下よ。
 
   藤原(ノ)宮〔持統・文武〕の御代
 
  大津皇子《オホツノミコ》薨ぜられて後、大伯皇女《オホクノヒメミコ》伊勢の齋宮《イツキノミヤ》から、都へ上られた時の御歌
 
163 かむかぜの伊勢の國にもあらましを。何しか來けむ。君もあらなくに
 
163 こんなことなら、伊勢の國に居たはずだのに、どうして來たのであらう。壞しい弟の君も居られないのに。
 
164 見まく欲《ホ》り我がする君もあらなくに、何しか來けむ。馬疲るゝに
 
164 折角逢はうと思うてやつて來た方も、御いでゞないのにどうして、わざ/”\馬が疲れるのにやつて來たのであらう。
 
  大津(ノ)皇子の亡骸《ナキガラ》を、葛城の二上山《フタカミヤマ》に移葬し奉つた時、大|伯《クノ》皇女の御歌。二首
 
165 うつそみの人なる我や、明日よりは、二上《フタカミ》山を阿弟《イロセ》と我が見む
 
165 肉體を持つた人間である私として、大事の弟を葬つた山だから、明日からは、二上山をば兄弟《キヤウダイ》と見ねばならぬのだらうか。(山嶽信仰に根ざしてゐる。)
 
166 石《イソ》の上《ウヘ》に生ふる馬醉木《アシビ》を手折らめど、見すべき君がありと云はなくに
 
166 岩の邊に生えて居る馬醉木を折つても見ようが、併し見せたいと思ふ方は、生きてゐると云ふではなし、詰らぬことだ。
 
  日竝知皇子尊《ヒナメシノミコノミコト》を殯宮《アラキノミヤ》に移し奉つた時、柿本(ノ)人麻呂が作つた歌、並びに短歌。二首
 
167 天地《アメツチ》の始めの時し、ひさかたの天《アマ》の川原《ガハラ》に、八百萬千萬神《ヤホヨロヅチヨリヅガミノ》の、神集《カムツド》ひ集《つど》ひいまして、神謀《カムハカ》り計りし時に、天照す日〓女《ひるめ》の尊、天《アメ》をば知《シロ》しめすと、蘆原の瑞穗《ミヅホ》の國を、天地の寄り合ひの極み、知ろしめす神の尊と、天雲《アマグモ》の八|重《ヘ》掻き分けて神下《カムクダ》り坐《イマ》せ奉《マツ》りし、たかひかる日の御子は、飛鳥《アスカ》の淨見《キヨミ》个原に神ながら太敷《フトシ》き坐《マ》して、皇祖《スメロギ》の敷きます國と、天《アマ》の原《ハラ》磐戸《イハト》を開き、神|上《アガ》り上《アガ》り坐《イマ》しぬ。我《ワゴ》大君|皇子《ミコ》の尊の、天《アメ》の下|知《シロ》し召しせば、春花《ハルバナ》の尊《タフト》からむと、望月《モチヅキ》の圓滿《タヽハ》はしけむと、天の下|四方《ヨモ》の人のおほぶねの思ひ憑《タノ》みて、あまつみづ仰ぎて待つに、如何樣《イカサマ》に思ほしめせか、つれもなき檀《マユミ》の岡に、宮柱|太敷《フトシ》き坐《イマ》し、御家《ミアラカ》を高著《タカシ》りまして、朝毎に御言《ミコト》問はさず、月日の多《マネ》くなりぬる、其故《ソコユヱ》に皇子の宮人行|方《ヘ》知らずも
 
167 神代に歸つて考へるに、かの天地の始つた時、天の河原に、ある限りの神が集つて、それ/”\座に著かれて、評議のあつた時分に、天照皇大神が、御自身は、高天原を御治めになることを定め、日本の國をば、天と地との境目迄も、すつかり、治められる尊い方と御定めになつて、幾重にも重なり合うた雲を、かき分けて下しておよこしになつた、其日の神の御|裔《スヱ》なる天皇陛下は、飛鳥の淨見《キヨミ》个|原《ハラ》に、神樣其儘の御心で、御所を御建てになつて、其後、高天个原は、皇祖天照大神の、治めて入らつしやる國だから、といふので、高天个原へ通ふ岩戸を押し開けて、神樣としてお上りになつた。其で其御世嗣なる、私どもがお仕へ申して居る皇子《ミコ》樣が、世の中をお治めになる樣になれば、春咲く花のやうに、立派にあらうと思ひ、十五夜の月のやうに、十分であらう、と世の中の凡ての人たちが、大舟に乘つたやうな氣で、たよりにし、旱魃《ヒデリ》に雨を待つやうに、早く御位に即いて下さるやうに、と待つて居るのに、どんな風に御考へなさつたのか、あの寂しい檀《マユミ》の岡に御所の太い柱を御立てになり、御殿を高く御造りになつて、其處におちつき遊ばされ、以前は朝になれば、御側つきの者に、物を抑つしやつたが、此御所に御出でになつてからは、何も仰つしやらずに、日數が澤山たつたことのその爲に、御側仕への人は、用もなくなつて、皆何處へ行つてよいか、訣らずに迷うてゐることだ。
 
  反 歌
 
168 ひさかたの天《アメ》見る如く、仰ぎ見し皇子《ミコ》の御門《ミカド》の荒れまく惜しも
 
168 御在世の時は、天を見るやうに尊み、ふり仰いで見た、皇子の御所の、荒れて行くのが殘り多いことだ。
 
169 あかねさす日は照せれど、ぬばたまの夜渡る月の隱《カク》らく惜しも
 
169 太陽にも譬へるべき天子は御出でになるが、其代りにおなりなさる皇子樣が、月のやうに隱れておしまひなさつたのが、殘り多いことだ。
 
  異本の歌
 
170 島の宮、勾《マガリ》の池の放《ハナ》ち鳥、人目に戀ひて池にかづかず
 
170 皇子の居られた時分には、勾《マガリ》の池に水鳥を放つて御覧になつたが、今では誰も見る人がない。今自分が見てゐると、水鳥は、人の見るのを懷しがつて、池にも潜《モグ》らずに、悲し氣に浮いて居る。
 
  曰並知皇子尊《ヒナメシノミコノミコト》の宮の舍人《トネリ》等の悲しんで作つた歌。廿三首
 
171 たかひかる我が日の皇子《ミコ》の、萬代に、國知らさまし島の宮はも
 
171 我が仕へ奉る皇子《ミコ》が、何時々々迄も國をお治めになる筈の島の御所よ。あゝ、殘念なことをした。
 
172 島の宮、上《ウヘ》の池なる放ち鳥、荒びな行きそ。君まさずとも
172 島の宮の、上の方に在る池に放つた水鳥よ。たとひ皇子は御いでにならずとも、此儘で居つて、人慣れない樣に、なつてしまつてくれな。
 
173 たかひかる我が日の皇子のいましせば、島の御門《ミカド》は荒れざらましを
 
173 私が御仕へ申す皇子が、御いでになりさへしたならば、島の御所は、こんなに荒れはしまいのに。
 
174 外《ヨソ》に見し檀《マユミ》の岡も、君|在《マ》せば、常《トコ》つ御門《ミカド》と侍宿《トノヰ》するかも
 
174 これ迄は、何とも思はず過してゐた檀の岡だが、皇子が御いでになつてからは、何時迄も變らない御所と思うて、宿直をすることだ。
 
175 夢にだに見ざりしものを、おぼゝしく、宮出《ミヤデ》もするか。佐田《サダ》の隈曲《クマワ》を
 
175 こんなことにならうとは、夢にさへも見もしなかつたのに、今、佐田の岡の曲り角の邊の御墓の門を退出することだ。あゝ、夢か幻か訣らぬやうな、漠然《ボンヤリ》した心持ちになる。
 
176 天地と共《トモ》に終《ヲ》へむと思ひつゝ、仕へまつりし心|違《タガ》ひぬ
 
176 天地のなくなる迄、お仕へ申さうと思ひ乍ら、宮仕へをしてゐた豫期に、はづれたことだ。あゝ。
 
177 朝日照る佐田《サダ》の岡邊《ヲカベ》に群《ム》れ居《ヰ》つゝ、我が泣く涙やむ時もなし
 
177 我々皇子の近臣が、朝日のさす佐田の岡の邊《ホトリ》に集つてゐて、泣く涙が、何時迄も絶えずに落ちて來る。
 
178 御立《ミタヽ》しの島を見る時、にはたづみ流るゝ涙|留《ト》めぞかねつる
 
178 御在世の時分には、始終御立ちになつた所の御池の築山の景色を眺めると、水たまりの樣に、流れる涙が止めてゐられないことだ。
 
179 橘《タチバナ》の島《シマ》の宮には飽かねかも、佐田の岡邊に侍宿《トノヰ》しに行く
 
179 舍人達は、橘の里の島の御所には滿足出來ないからか、佐田の丘のあたりへ、宿直しに行くことだ。
 
180 御立《ミタヽ》しの島をも家と棲む鳥も、荒びなゆきそ。年かはるまで
 
180 始終御立ちになつた所の島さへも、今では自分の家顔に住んで居る水鳥も、せめてわれ/\とおなじく、一年の間は、人慣れた性を失つていかない様にしてくれ。
 
181 御立《ミタヽ》しの島の荒磯《アリソ》を今日見れば、生ひざりし草生ひにけるかも
 
181 始終御立ちになつてゐた所の、お池の島の岩濱を、今日見ると、これ迄は生えたことのない草が、生え出したことだ。
 
182 塒《トクラ》たて飼ひし雁《カリ》の子、巣立ちなば、檀《マユミ》の岡に飛び歸り來《コ》ね
 
182 塒を拵へて育てゝ置いた、鴨《カモ》の子が飛び立つことが出來るやうになつたら、皇子のゐられる檀の岡に飛び移つて來て、皇子の御心を慰めてくれ。
 
183 我が御門《ミカド》千代|永久《トコトハ》に榮えむと、思ひてありし、われし悲しも
 
183 何も知らないで、何時迄も變りなく、此御所は榮えて行くことゝ思うてゐたことが悲しくてならぬ。
 
184 東《ヒムガシ》の激湍《タギ》の御門《ミカド》に侍《サモ》らへど、昨日も今日も召すこともなし
 
184 いつもと變りなく、自分は東の水の落ち口の激湍《タギ》の御門《ゴモン》の詰所に詰めて居るが、とんと御召しにならない。昨日もさうだ。今日もさうだ。思へば、君はもう此御殿には、御いでにならぬのだ。
 
185 水傳《ミヅツタ》ふ石《イソ》の浦曲《ウラワ》の岩躑躅《イハツヽジ》、繁《モ》く咲く道を、後見なむかも
 
185 此後、島の宮の石の多く立つてゐる水の入り込みの邊にある、岩躑躅の一杯に咲いてゐる道を、も一度見ることが出來ようか知らん。
 
186 一日《ヒトヒ》には千度《チタビ》參りし、東《ヒムガシ》の激湍《タギ》の御門を入りがてぬかも
 
186 以前は一日の中に、千返《センベン》も出入りした、水の落ち口にある東御門を、今は這入りかねることだ。
 
187 つれもなき佐田の丘邊にうつり居ば、島の御階《ミハシ》に誰か住まはむ
 
187 私が今御留守居役をやめて、あの寂しい佐田の岡の方に移つて行つてしまうたら、此島の御殿の階段《キザハシ》の下には、誰がぢつと殘つて番をすることだらう。
 
188 たな曇《グモ》り日の入り行けば、御立しの島に下《オ》り居て嘆きつるかも
 
188 天がかき曇つて、日が這入つていつて、日暮れになつたので、何時もお立ちになつた、島の御所のお庭に出向いて嘆いてゐることだ。
 
189 朝日照る島の御門に、おぼゝしく、人音《ヒトオト》もせねばまうら悲しも
 
189 朝日が靜かにさして居る島の御所に、人のけはひもせないので、何だかぼうとして、悲しくなつて來ることだ。
 
190 まきばしら太き心はありしかど、この我が心鎭めかねつも
 
190 自分は、檜柱のやうな、どつしりとした心を、曾ては持つて居たのであるが、今ではそれも詮なく、この悲しみの心を、制《オサ》へつけることが、むつかしくなつた。
 
191 けごろもを春冬かたまけて、出でましゝ宇陀《ウダの大|野《ヌ》は、思ほえむかも
 
191 冬から春にかけて、度々御獵にお出でになつた所の、宇陀の大原のことは、何時々々までも思ひ出されることだらう。(裘衣、はるの枕詞。)
 
192 朝日照る佐田の岡邊に鳴く鳥の、夜鳴《ヨナ》き變《カハ》らふ。この年頃を
 
192 皇子の御陵の出來ない時分の、佐田の岡に鳴いてゐた鳥も、此頃では、其夜鳴きの聲が變つてゐる。(即、御墓に奉侍する侍臣が、夜泣くのを云うたのである。)
 
193 奴婢《ヤツコ》等が、夜晝と云はず行く道を、我はこと/”\宮道《ミヤヂ》にぞする
 
193 橘の島の御所から、佐田の岡へ行く道には、所謂橘の守部《モリベ》の里といふ賤民の部落がある。その賤民の、朝晩の分ちなく通ふ、穢らはしい道を、此頃ではすつかり、昇殿の道として、佐田の岡へ通ふことだ。(この廿三首は、恐らく柿本(ノ)人麻呂のやうな、名家の代作であらうと思はれる。すべて傑作である。)
 
  河島皇子《カハシマノミコ》を殯(ノ)宮にお据ゑ申した頃、柿本(ノ)人麻呂が、泊瀬部《ハツセベノ》皇女|忍坂部《オサカベノ》皇子に獻つた歌。竝びに短歌。一首
 
194 飛ぶ鳥の飛鳥《アスカ》の川の、上つ瀬に生ふる玉藻は、下《シモ》つ瀬に流れ觸らへ、玉藻なすかよりかくより靡かひし夫《ツマ》の尊《ミコト》の、たゝなづく柔肌《ヤハハダ》すらを、つるぎたち身に副へ寢《ネ》ねば、ぬばたまの夜床も荒るらむ。其故《ソコユヱ》に慰めかねて、蓋《ケダ》しくも君もあふやと、たまだれの越智《ヲチ》の大|野《ヌ》の、朝露に玉|裳《モ》は漬《ヒヅ》ち、夕霧に衣は濡れて、くさまくら旅寢かもする。會《ア》はぬ君故
 
 
194 譬へて云ひますれば、飛鳥川の上の瀬の方に生えてゐる美しい藻が、川下の瀬に流れあたる、其美しい藻のやうに、彼方へより此所へより、絡み合うて寢た夫《セ》の君の、其むつくりとした柔かい肌さへも、體に引きつけて、此頃はお寢《ヤス》みになりませんから、御寢床も殺風景なことでありませう。それで、お心の結ぼれが散らないので、ひよつとすれば、君が出逢つて下さるかと思つて、越智の野原を歩き廻つて、美しい袴は朝露にぐつしよりと濡れ、著物は夕霧にぼと/\になつて、宮に歸らずに、餘處で寢てお了ひになることがありませう。どうしても逢ひに入らつしやらないお方であるのに。その方の爲に。
 
  反歌
 
(195) しきたへの袖|交《カ》へし君、たまだれの越智野《ヲチヌ》に過ぎぬ。復あはめやも
 
195 そんなに尋ねてお歩きになつても、袖をさし交して寢られたお方は、越智の野原で、消えておしまひになつた。また二度とあはれませうか。
 
  明日香《アスカノ》皇女を城上《キノヘ》の殯《アラキノ》宮にお据ゑ申してあつた時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。並びに短歌。二首
 
196 飛ぶ鳥の飛鳥の川の、上つ瀬に岩橋渡し、下つ瀬にうち橋渡す。岩橋に生《オ》ひ靡ける玉藻もぞ、絶ゆれば生《オ》ふる。うち橋に生ひをゝれる川藻もぞ、枯るれば生《ハ》ゆる。何しかも我《ワゴ》大君の、立たすれば、玉藻の如く、ころ伏《ブ》せば川藻の如く靡かひし宜しき君が、朝宮を忘れ給ふや。夕宮を背《ソム》き給ふや。うつそみと思ひし時に、春べは花折り簪し、秋立てば紅葉《モミヂバ》簪し、しきたへの袖|携《タヅサ》はり、鏡なす見れども飽かに、望月の彌《イヤ》めづらしみ思ほしし君と時々《トキ/”\》出でまして、遊び給ひし、みけむかふ城上《キノヘ》の宮を、常宮《トコミヤ》と定め給ひて、あぢさはふ交事《メゴト》も絶えぬ。然《シカ》れかもあやに悲しみ、※[空+鳥]鳥《ヌエドリノ》の片戀ひしつゝ、あさどりの通ひし君が、なつぐさの思ひ萎《シナ》えて、ゆふつゞのか行きかく行き、大船の動搖《タユタ》ふ見れば、慰《ナグサ》もる心もあらず、其故《ソコユヱ》に術《スベ》知らましや。音《オト》のみも名のみも絶えず、天地《アメツチ》のいや遠長く、偲《シヌ》び行かむ。御《ミ》名にかゝせる飛鳥川、萬代迄に、はしきやしわご大君のかたみに、ここを
 
196 飛鳥川の川上の淺瀕には、石の橋を渡し、川下の深瀬には、造りつけの橋を渡してある。其石橋に生えて絡んでゐる所の玉藻も、きれると後から又生える。打橋に房々と生えてゐる川藻も、枯れると又生える。處がその玉藻の樣に、御立ちになつた姿はなよ/\として居、ころりとお寢みになると、川藻の樣になよ/\として夫の君に絡んでゐられた皇女が、何故枯れた後からすぐ生える藻の樣にはならずに、さうした立派なお方が、其儘お歸りにならないのだ。朝になつても、御殿の事をお忘れになりましたのか。晩になつても、御殿にお歸りにならぬのは、もう御捨てになりましたのか。生きて入らつしやると信じて居た時に、春頃は花を折つて頭に插し、秋が來ると紅葉を簪して袖を觸れ何時迄御顔を見合うても飽かず、見事だと愛し合うて居られた夫《セ》の君と、時候々々に遊びに入らつしやつた、城(ノ)上の御所を、何時迄も止り給ふべき處とお定めになつて、夫婦の御談ひも絶え果てた。其爲か無上に可愛く、心の中で、自分許り思うても、お歸りにならぬ皇女を慕うて、何時も何時も、通うてゐられた夫の君は衰へて了つて、彼方へ歩き、此方へ歩き、ぶら/\と心が始終煩悶してゐられるのを見ると、慰め奉るのもお氣の毒なやうになる。かういふ訣《ワケ》でどうしてよいか訣りませぬ。此上はせめてお聲なりと、お名なりとを、いつ迄もお慕ひ申して行きませう。それには、お名前につけてゐられる飛鳥川をば、幾萬年迄も、可愛いあなた樣の記念とそれを致しませう。これ即、飛鳥川を。(人麻呂の長歌も、長い傳承の間には、訛傳せられたものと見えて、修辭法が非常に紊れてゐる。)
 
  反歌
 
197 飛鳥川|柵《シガラミ》渡し塞《セ》かませば、流るゝ水も徐《ノド》にかあらまし
 
197 飛鳥川も、柵をかけ渡して、水を堰きとめたならば、流れる水も少しはゆつくりと流れたかも知れないのだが、あゝさうせないで殘念だつた。(表面には、飛鳥川のことをいうて、實は皇女の死を、まう少し延して置きたかつた、といふ心持ちを歌うたのである。)
 
198 飛鳥川明日だに見むと思へやも、我が大君《オホキミ》の御名忘れせめ
 
198 懷しい皇女の御名は、忘れようとしても忘れられない。飛鳥川といふ語の縁の、せめて明日になつたら逢へるといふ心頼みがあつたならば、皇女の御名を忘れて了ふことが出來るかも知れないが。
 
  高市皇子尊《タケチノミコノミコト》を城上《キノヘ》の殯宮《アラキノミヤ》にお据ゑ申してあつた頃、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。竝びに短歌。二首
 
199 かけまくもゆゝしきかも。云はまくもあやに畏《カシコ》き、飛鳥の眞神《マカミ》个原に、ひさかたの天《アマ》つ御門《ミカド》を畏くも定め給ひて、神さぶと岩|隱《ガク》ります、安治《ヤスミ》ししわご大君の、聞《キコ》しめす外方《ソトモ》の國の、眞木《マキ》立つ不破山《フハヤマ》越えて、狛劍《コマツルギ》和※[斬/足]《ワザミ》个原の行宮《カリミヤ》に天降《アモ》り坐《イマ》して、天の下|治《ヲサ》め給ひ、食《ヲス》國を定め給ふと、鳥が鳴く東《アヅマ》の國の御|軍勢《イクサ》を召し給ひ、ちはやぶる人を和《ヤハ》せと、從服《マツロ》はぬ國を治《ヲサ》めと、皇子《ミコ》ながら任《マ》け給へば、大御身《オホミミ》に大刀《タチ》とり佩《オ》ばし、大御手に弓とり持たし、御|軍勢《イクサ》をあともひ給ひ、整《トヽノ》ふる鼓《ツヾミ》の音《オト》は、雷《イカヅチ》の聲《コヱ》と聞くまで、吹き鳴《ナ》せる小角笛《クダ》の音《オト》も、あだみたる虎か哮《ホ》ゆると、諸人《モロビト》の怖《オビ》ゆるまでに、捧げたる旗の靡《ナビ》きは、ふゆごもり春さり來れば、野邊《ヌベ》毎につきてある火の、風の共《ムタ》靡ける如く、取りもてる弓弭《ユハズ》の騷《サヤ》ぎ、み雪降る冬の林に、嵐かもい捲《マ》き渡ると思ふまで、聞きの恐《カシコ》く、引き放つ矢の繁《シゲ》けく、おほゆきの亂れて來《キ》たれ、奉仕《マツロ》はず立向ひしも、つゆじもの消《ケ》なば消《ケ》ぬべく、ゆくとりの爭ふ時《ハシ》に、渡會《ワタラヒ》の齋宮《イツキノミヤ》ゆ、神風《カムカゼ》にい吹《ブ》き惑《マド》はし、天雲《アマグモ》を日の目も見せず、常暗《トコヤミ》に蔽《オホ》ひ給ひて、定めてし瑞穂の國を、神ながら太敷《フトシ》き坐《マ》して安治《ヤスミ》しゝあご大君の、天の下まをし給へば、萬代に然《シカ》しもあらむと、木綿花《ユフバナ》の榮ゆる時に、わご大君|皇子《ミコ》の御門《ミカド》を、神宮《カムミヤ》に装《ヨソ》ひ奉《マツ》りて、使《ツカ》はしゝ御門《ミカド》の人も、白栲《シロタヘ》の麻衣《アサゴロモ》著て、埴安《ハニヤス》の御門《ミカド》が原に、あかねさす日のこと/”\、しゝじものい這《ハ》ひ伏しつゝ、ぬばたまの夕《ユフベ》になれば、大殿をふりさけ見つゝ、うづらなすい這ひ徘徊《モトホ》り、侍《サモ》らへど侍らひかねて、はるとりの呻吟《サマヨ》ひぬれば、嘆きも未《イマダ》過ぎぬに、思ひも未《イマダ》盡きねば、ことさへぐ百済の原ゆ、神葬《カムハフ》り葬《ハフ》りいまして、あさもよし城上《キノヘ》の宮を、常宮《トコミヤ》と高く奉《マツ》りて、神ながら鎭《シヅマ》りましぬ。然れどもわご大君の、萬代と思ほし召して、造らしゝ香具山の宮、萬代に過ぎむと思へや。天《アメ》の如《ゴト》ふりさけ見つゝ、たまだすきかけて偲《シヌ》ばむ。畏かれども
 
199 口の端《ハ》にかけて申すも勿體ないことだ。云ふのも無上《ムシヤウ》に恐れ多い、天皇陛下即飛鳥の眞神原に、お崩《カク》れになつた後の御所を、恐れ多くもお拵へになつて、神樣になつておしまひなさるとて、岩の中に籠つてお出でなさる、天武天皇陛下が、治めて入らつしやつた、北の方の國の、檜の生えてゐる不破の山を越えて、美濃の國の和※[斬/足]《ワザミ》が原の行宮に、一時おちつき遊ばされて、この日本の國を鎭めよう、とお思ひなされて、そこで高市ノ皇子は、尊い皇子の御身分であるが、『東國の軍勢を召集遊ばされて、亂暴なことをする者を懷柔せよ』と仰つしやり、又『附き從はぬ國をば、整へて來い』と御任命遊ばされたので、皇子は御體に大刀をおつけなされ、御手には弓をお持ち遊ばし、官軍の軍勢を引き連れなされて、お出かけになつて、其兵士たちを整頓させる陣太鼓の音は、雷の聲かと思はれる程だし、その上吹き鳴してゐる笛の音は、荒れ狂ふ虎が吼えて居るのであるか、と誰でもびく/\する程だし、おし立てた旗が、風に靡いてゐる容子は、春がやつて來て、どの野にもこの野にも、點けてある火が、風に從うて靡いてゐるやうに見えるし、皆の人の手に持つて居る弓の先の音は、雪の降つてゐる冬の林に、山颪がずつと吹き卷いて行くかと思ふ程、耳に怖しく聞えるし、引き離す矢が澤山で、まるで大雪が降るやうに、滅多矢鱈に飛んで來るので、從はないで抵抗した者も、どうやら水霜の樣に消えて了ひさうに思はれたが、さうした爭うてゐる最中に、伊勢の神宮の方から吹く風が、神風として吹きつけて、かき廻し、雲を群立《ムラダ》たして、日の顔さへも見られないやうにして、世間一體、眞暗《マツクラ》な夜の世界にしておしまひなされて、その御威徳で鎭めなされた、この日本の國を、神と心を一つに、しつかりと根抵を据ゑてお治めなされた、天子(天武持統)の御治世に、政治を攝政して入らつしやつた時分に、此容子では何時迄も變りなく、かういふ風であらう、と人々が信じてゐる御繁昌の最中に、俄かに自分のお仕へ申す尊い皇子の御所をば、神樣の入らつしやる宮の風に、お爲立て申し上げ、これ迄お使ひなされた、御所の中の人々も眞白な麻の喪服を著て、御所の埴安の池に向いた方の、門外の原は、日中は鹿のやうに這ひ廻つてゐ、日暮れになると、御殿を遙かに見乍ら、御側へもよれずに、鶉のやうにうろ/\と這ひ廻りなどして、ぢつと伺候してゐるにもゐられなくなつて、呻吟《ウメ》いてゐるので、悲しい心も未なくならない中に、又憂ひ事もまだ消えて了はない中に、もう、百済の原を通つて、尊いお葬式をお行ひになり、この城上《キノヘ》の離宮をば、何時迄も入らつしやる御所と、高く造り上げて、神樣其儘の尊い御容子に、お落ち著き遊ばされた。あゝ併し、我が尊い皇子が、いつ/\までもと思うておつくりなされた、香具山の御所は、幾萬年たつても、なくならうと思はれようか。思はれない。せめては、その御所を、天を見るやうに、遠くからでも眺めて、恐れ多いことだが、皇子のことを心に思ひ浮べては、お慕ひ申してゐることにしよう。(中段、壬申の亂を敍するあたりは、非常に油がのつてゐて、痛快であるが、前後は、多少まはりくどい修辞法が用ゐられてゐる。しかし、短歌と長歌と、或は他の詩或は文とは、文章法に大分違うた處のあることも、承知してかゝらねばならぬ。)
 
  反歌
 
200 ひさかたの天知らしぬる君故に、月日も知らに戀ひわたるかも
 
200 もう、天に昇つてお了ひなされた方であるのに、それに、月日の過ぎて行くのも訣らずに、戀ひ慕うてゐることだ。
 
201 埴安《ハニヤス》の池の堤の隱沼《コモリヌ》の、行|方《ヘ》を知らに、舍人《トネリ》は惑ふ
 
201 埴安の池の堤にある、隱れた沼ではないが、御所を出て、どちらへ別れて行つてよいか訣らないで、舍人たちは、呆然としてゐる。
 
  異本の反歌(檜隈《ヒノクマノ》女王の歌ともいふ。)
 
202 哭澤《ナキサワ》の杜《モリ》に神甕《ミワ》据ゑ祈れども、わご大君は高日知らしぬ
 
202 哭澤の杜の神に、酒甕《サカガメ》を据ゑ奉つて、御病氣平癒を所つたが、わたしの焦れてゐる皇子は、とう/\天を治めにお昇りになつた。
 
  但馬《タジマノ》皇女の薨ぜられた後、雪の日、穂積(ノ)皇子が、御墓を眺めて作られた御歌
 
203 降る雪はあはにな降りそ。吉隱《ヨナバリ》の猪養《ヰカヒノ》岡の寒からまくに
 
203 雪は降つても、甚く降つてくれるな。あの吉隱の猪養の岡がつめたからうから。(土に蒲團も著せられずというた、其角の句などよりも、幼稚ではあるが、眞摯である。それだけ價値も大きい訣だ。)
 
  弓削《ユゲノ》皇子が薨ぜられた時、置始東人《オキソメノアヅマビト》の作つた歌。竝びに短歌
 
204 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君、たかひかる日の御子《ミコ》、ひさかたの天《アマ》つ宮《ミヤ》に神ながら神といませば、其《ソコ》をしもあやに畏み、晝はも晝《ヒ》の盡《コト/”\》、夜《ヨル》はも夜のことごと、臥し居《ヰ》嘆けど飽き足らぬかも
 
204 尊い我が君、尊い御|裔《スエ》なる皇子が、天の宮に、固《モト》より神で入らつしやる御身が、其儘神となつておいでなさることになつた。そのことをば非常に尊く恐れ入つて、晝は終日、夜は終夜、寢たり坐つたりして嘆息《タメイキ》をついて居ても、この悲しい心は、どこ迄も満足することがない程悲しい。
 
  反歌
 
205 大君は神にしませば、天雲《アマグモ》の五百重《イホヘ》が下《シタ》に隱《カク》り給ひぬ
 
205 皇子は尊い神様であるから、雲の幾重にも幾重にも立つてゐる底に、隱れて行つておしまひになった。
 
  その後、復作つた歌
 
206 漣《サヾナミ》の滋賀《シガ》小波《サヾレナミ》、しく/\に常にと、君が思ほせりける
 
206 わが君は、こんなに早くおかくれにならうとは、御自身でもお思ひにならなかつた。漣の縣の滋賀の湖の小波が、しきりなく立つ樣に、彌《イヤ》が上にも何時迄も、とお思ひになって居たことだ。
 
  柿(ノ)本(ノ)人麻呂、妻を失うて悲しんだ歌。二首並びに短歌。四首
 
207 あまとぶや輕《カル》の道は、吾妹《ワギモ」》子が里にしあれば、懇《ネモゴ》ろに見まく欲《ホ》しけど、やまず行かば人目を多《オホ》み、多《マネ》く行かば人知りぬべみ、さねかづら後もあはむとおほぶねの思ひ憑《タノ》みて、玉かぎる岩垣淵《イハガキブチ》の隱《コモ》りのみ戀ひつゝあるに、渡る日の暮れぬるがごと、照る月の雲隱るごと、おきつもの靡きし妹は、紅葉《モミヂバ》の過ぎていにきと、たまづさの使の云へば、あづさゆみ音《オト》のみ聞きて、云はむ術《スベ》せむ術知らに、音《オト》のみを聞きてあり得ねば、我が戀ふる千重《チヘ》の一重《ヒトヘ》も慰《ナグサ》もる心あれやと、吾妹子が絶《ヤ》まず出で見し、輕の市《イチ》にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍《ウネビ》の山に鳴く鳥の聲も聞えず。たまぼこの道行く人も、一人だに似るが行かねば、術《スベ》をなみ、妹が名呼びて、袖ぞ振りつる
 
207 いとしい人の住んでゐる里だからといふので、輕の街道をば通うて、よく/\あの人に逢ひたいけれども、始終行つたら、人目が多くて目につき安いし、度々行つたら人が知りさうなので、今は此位で辛抱して、將來思ふ通りに出逢はうと、心に頼《タヨ》りにして、表に現さないで、心の底で許り焦れてゐた所が、空を行く日が、暮れて昏くなつて行くやうに、又照る月が雲に隱れるやうに、なよ/\と絡み合うてゐたあの人は、亡くなつてしまうた、と使ひの人がいうて來たので、知らせを聞いた許りで、どうしてよいやら悲しくて、物もいはれず、とるべき處置も訣らないで居たが、そんな報知だけを聞いて、それを信じて、ぢつとして居ることが出來ないので、自分の慕うてゐる心の千分の一でも和《ヤハラ》げることにならうかと思うて、あの人が始終出て見て居た、輕の市場に自分が立つて、せめて聲でも聞えるか、と耳を澄すと、畝傍山に鳴く鳥ではないが、其聲さへも聞えない。道を歩いて通る人も、一人も似た人が通らないので、何とも爲方がなく、亡き人の名前を呼んで、あてなく袖を振つてゐることだ。
 
  反歌
 
208 秋山の紅葉を繁《シゲ》み、迷《マド》はせる妹を求めむ、山路知らずも
 
208 秋の山に、紅葉の木が一杯に繁つてゐる爲に、道が訣らないで、迷うて歸つて來ぬいとしい人を、探し出したい。併し、其山路が訣らないことだ。
 
209 紅葉《モミヂバ》の散《チ》りゆくなべに、たまづさの使を見れば、逢ひし日思ほゆ
 
209 黄葉の散つて行くのは、只さへ悲しいものである。その上死んだ知らせの使ひを見ると、會ひに行つた日が思ひ出される。
 
  ○
 
210 現身《ウツソミ》と思ひし時に、とり持ちて我が二人見し、走り出《デ》の堤に立てる、槻《ツキ》の木の方々《コチ/”\》の枝の、春の葉の繁きが如く、思へりし妹にはあれど、憑《タノ》めりし子等にはあれど、世の中をそむきし得ねば、陽炎《カギロヒ》のもゆる荒野《アラヌ》に、白栲《シロタヘ》の天領巾隱《アマヒレカク》し、とりじもの朝立ちいまして、入日なす隱れにしかば、吾妹子のかたみに置ける緑子《ミドリコ》の戀ひ泣く毎《ゴト》に、取り與《アタ》ふ物しなければ、男《ヲトコ》じもの腋挾《ワキバサ》み持ち、吾妹子と二人わが寢しまくらづく閨房《ツマヤ》の中《ウチ》に、晝はもうらさび暮し、夜《ヨル》はも息づき明し、嘆けどもせむすべ知らに、戀ふれども會ふよしをなみ、おほとりの羽交《ハガヒ》の山に、我が戀ふる妹は坐《イマ》すと人のいへば、岩ねさくみてなづみ來《コ》し、よけくもぞなき。現身《ウツソミ》と思ひし妹が、玉かぎる仄《ホノ》かにだにも見えなく、思へば
 
210 いまだ、肉體を持つた生きた人間であると思うて居た時分に、自分等二人が手にとり上げて見た、門前の堤の上に立つてゐる、槻の木の彼方此方にさし出て居る枝に著いてゐる、春の若葉が繁つてゐるやうに、繁く心一杯に思うてゐた、あの人ではあるが、又心がはりするやうな人ではない、と思うてゐたあの人ではあるが、人間世界の理法と云ふものはそむくことが出來ない爲に、陽炎がちら/\立つ荒野原の方へ、旗を白栲の布でこさへて圍んで、朝出かけて行かれて、夕日のやうに隱れてしまうたから、せめては、あの人の身代りに殘して置いた、子どもが、母親を戀しがつて泣く度毎に、やるものがないから、自分は男乍ら、子どもを腋に挾んで、抱《カヽ》へたりして、いとしい人と二人が寢た部屋の中に、晝はしよんぼりと暮し、夜は嘆息《タメイキ》をついて明し、いくら嘆いても爲方なく、いくら慕うても爲方がないので、人がいふのを信じて、あの羽交の山には、自分の焦れてゐる妹が入らつしやると云ふ儘に、岩を蹈み分けて、どん/”\とやつて來たことは詰らんことであつた。茲へ來れば生きて居ると思うて來た、あの人は、影さへも見せないのを思ふと、馬鹿らしいことであつた。
 
  反歌
 
211 昨年《コゾ》見てし秋の月夜《ツクヨ》はてらせれど、あひ見し妹は、いや年さかる
 
211 昨年一處に見た、秋の月は照してゐるけれども、逢うてゐたあの人は、年に連れて、遠ざかつて行くばかりだ。
 
212 衾道《フスマヂ》を、列毛《ハガヒ》の山に妹を置きて、山路を行けば生《イケ》るともなし
 
212 羽交の山に、いとしい人を殘して置いて、山路を歸つて來ると、生きてゐる元氣もない。
 
  異本の歌。一首
 
216 家に來て我が家《ヤ》を見れば、魂床《タマドコ》のほかに向きけり。妹が木枕《コマクラ》
 
216 外から戻つて來て、自分の家の中を見ると、死人の爲にその儘においた魂床に、在世のをりとは違ふことは、妹の木枕が、他《ワキ》の方を向いてころがつてあることだ。
 
  志我津采女《シガツノウネメ》の死んだ時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。並びに短歌。二首
 
217 あきやまのしたべる妹、なよたけのとをよる子らは、いか樣に思ひをれか、たくづなの長き命を、露こそは朝《アシタ》に置きて、夕《ユフベ》には消ゆといへ。霧こそは夕に立ちて、朝には失《ウ》すといへ。あづさゆみ音聞く我も、仄《ホノ》に見しこと悔《クヤ》しきを、しきたへの手枕《タマクラ》枕《マ》きて、つるぎたち身に副へ寢けむ、わかくさのその夫《ツマ》の子は、寂しみか思ひて寢《ヌ》らむ。時ならず過ぎにし子等が、朝霧の如《ゴト》、夕霧の如《ゴト》や
 
217 嫋《シナヤ》かな、かあゆい女、嫋《タヨ》々とした娘はどう思うて居たのでか、露は朝置いて晩消えるが慣ひだといひ、霧は晩に立つて朝なくなつてしまふ習ひといふが、長い命をば短く死んでしまうたのか。お前さんの噂を聞いてゐる關係のない私ですらも、こんなことなら、あんなにぼんやり見て置くだけにはして置かなかつたのに、殘念なことであると思ふ程だに、況《マ》して手枕を枕として寄り添うて寢た、配逑《ツレアヒ》の人は嘸寂しう思うて寢てゐるだらう。突然思ひがけなく、なくなつた人が、朝霧や夕霧のやうに思はれることよ。
 
  反歌
 
218 漣《サヾナミ》の志我津の子らが罷《マカ》り路《ヂ》の、川瀬の道を見れば寂《サブ》しも
 
218 志我津の采女が冥途へ行く道なる、川瀬を越えて行く道を見ると、葬列が通つた道だな、と思ひ出されて淋しくなることだ。
 
219 そらかぞふ大津の子等があひし日を、おほに見しかば今ぞ悔しき
 
219 大津の里の處女と逢うたあの日に、好い加減に思うてゐた爲に、それが今となつては、殘念である。(此長歌山竝びに短歌は、人麻呂が、志我津(ノ)采女の情人から頼まれて作つた歌であらう。主として、頼んだ人の心持ちを思ひやる風に作つてゐるが、時々その心持ちに同化してゐる點がある。最後の歌の如きは、殊にさうである。)
 
  讃岐の狹岑《サミノ》島で、磯端《イソバタ》に死人を見て、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。並びに短歌。二首
 
220 たまもよし讃岐の園は、國からか見れども飽かぬ。神からか甚《ココダ》尊き、天地《アメツチ》曰月《ヒツキ》と共に、足りゆかむ神のみ面《オモ》と、つぎて來る那珂《ナカ》の港に舟|浮《ウ》けて、我が漕ぎ來れは、時つ風雲居に吹くに、沖見ればしき波立ち、岸《ヘ》見れば白波騷ぐ。いさなとり海を畏み、行く舟の※[楫+戈]《カヂ》引き折《ヲ》りて、遠近《チチコチ》の島は多けど、なぐはし狹岑《サミ》の島の荒磯《アリソ》囘に庵りて見れば、浪の音《オト》の繁き濱邊を、しきたへの枕に寢《ナ》して、荒床《アラドコ》にころ伏《フ》す君が、家知らば行きても告げむ。妻知らば來ても問はまし。たまぼこの道だに知らず、おぼゝしく待ちか戀ふらむ。はしき妻らは
 
 
220 一體讃岐の國は、國がさうした性《タチ》なので、いくら見ても飽かないのか。神樣の所爲《セヰ》で非常に尊く見えるのか。此國は昔神代の時に出來た、伊豫の二名の島の四つある中の一つの顔で、飯依比古《イヒヨーリヒコ》といふ神樣だといひ傳へてゐて、空間時間永遠に愈調ひ榮えて行く國のことゝて、絶間《タエマ》なく人々が渡る那珂の港をば、舟を浮けて漕いで來ると、潮時の風が空に吹き上げるので、遙かな沖を見ると、後から/\波が立つてゐ、海岸を見ると、白く碎ける波が騷いでゐる。それで、海上を行くのが恐しくて、舟の※[舟+虜]を強く引き曲げて漕いで、彼方此方の島も澤山あるが、狹岑《サミ》の島の岩濱の入り込みに、小屋掛けをして泊りこんで、氣がついて見ると、浪の音の始終してゐる濱邊を、枕にして寢られ、床でもない荒々しい石の上の寢床に、轉《ゴロ》寢をしてゐるお前さんの、家を知つてゐたら出かけて行つて、こんな處にゐるといふことを告げても來よう。お前さんの妻が、こんな處にゐるといふことを知つたら、尋ねにやつても來ように、茲へ來る道さへも知らず、覺束なく思ひ乍ら、お前さんの愛《イト》しがつてゐる女房は、待ち焦れてゐることだらうよ。
 
  反歌
 
221 妻《ツマ》もあらばとりてたけまし。狹岑《サミ》の山|野《ヌ》の邊《ヘ》の蒿菜《ウハギ》すぎにけらずや
 
221 女房でもゐたら、手にとり上げて世話をせうのに、ゐなかつた爲に、狹岑の山の野邊の嫁菜は、とう/\たけてしまつた。(あゝ此男も、只獨り淋しく旅で死んだことだ。)
 
222 沖つ浪來寄る荒磯を、しきたへの枕と枕《マ》きて、寢《ナ》せる君かも
 
222 遙かな海上の浪の寄せて來るといふ樣な、枕でもない岩濱をば枕として、いつまでも寢てゐなさる人よ。(此種の行路病死人を憐んだ歌は、單に氣の毒に思うて歌うたものと解するのはよろしくない。觸穢を厭ふ當時の風習に、更に病死人の靈魂の祟りを恐れて、慰める心もあつたのだといふことを忘れてはならぬ。)
 
  柿本(ノ)人麻呂、岩見の國で今死なうといふ時、自ら悲しんで作つた歌
 
223 鴨山《カモヤマ》の岩ねし枕《マ》ける我をかも、知らにと妹が待ちつゝあらむ
 
223 鴨山の岩を枕として寢てゐる自分だのに、其自分をば、いとしい人は知らないでゐて、歸りを待つてゐることだらうよ。(當時、人麻呂の本妻は、大和にゐたのである。)
 
  柿本(ノ)人麻呂の死んだ時、其妻|依羅郎女《ヨサミノイラツメ》の作つた歌
 
224 今日々々《ケフ/\》と我が待つ君は、石川の峽《カヒ》に交《マジ》りてありといはずやも
 
224 今日歸るか、今日歸るか、と毎日わたしが待つてゐた人は、石川の谷|間《アヒ》に紛れこんでゐるといふことではないか。あゝ無駄に逢ふ日を待つてゐたことだ。
 
225 直《タヾ》の逢《ア》ひは逢ひがてざらむ。石川に雲立ち渡れ。見つゝ偲《シヌ》ばむ
 
225 死んだ人は、なる程|直接《ヂカ》の面會には、逢ふことは出來ないだらうが、石川の邊に雲がずつと立つてかゝつてくれ。それを夫のかたみと見て、慕うて居よう。
 
  丹比《タヂヒノ》某が、人麻呂の心持ちで答へた歌
 
226 荒浪により來る玉を枕に置き、我ここにありと、誰か告げなむ
 
226 荒浪におし流されて依つて來る、玉を枕|下《モト》に置いて、私が死んで此處にゐる、と誰も家人に知らせてくれる者がなからう。
 
  異本の歌(作者知れず)
 
227 あまさかる邊陬《ヒナ》の荒野《アラヌ》に君を置きて、思ひつゝあれば、生けりともなし
 
227 遠い邊土に、戀しい君をうつちやつて置いて、都で君のことを慕うてゐるので、生きてゐる元氣もない。
 
   寧樂《ナラノ》宮の時代
 
  和銅四年、河邊宮人《カハベノミヤヒト》が、姫島《ヒメシマ》の松原で、處女の死體を見て、悲しんで作つた歌
 
228 妹が名は千代《チヨ》に流れむ。姫島《ヒメシマ》の小松が梢《ウレ》に蘿苔《コケ》生《ム》すまでに
 
228 いとしいお前さんは、今茲に死んでゐるが、何も悲しむには當らない。お前の名はいつ/\迄も、續いて行くだらう。此姫島の此小松の梢が、高く延びて、其先に蘿《カゲ》や苔が生えて來るほどの長い間を。
 
229 難波《ナニハ》瀉、汐干《シホヒ》なありそね。沈みにし妹が姿を見まく苦しも
 
229 難波瀉で、汐の引くやうなことがあつてくれるな。海の底へはまつて行つてる、いとしい人の姿が現れて見えるだらう。其が堪へられぬ程苦しい。
 
  靈龜元年九月、志貴(ノ)親王の薨ぜられた時の歌。並びに短歌。二首
 
230 梓弓《アヅサユミ》手にとり持ちて健男《マスラヲ》が獵矢《サツヤ》手挾《タバサ》み立ち向ふ高圓山《タカマドヤマ》に、春野《ハルヌ》燒く野火《ヌビ》と見る迄燃ゆる火を如何《イカ》にと問へば、玉鉾の道來る人の、泣く涙|豪雨《ヒサメ》に降れば、白栲《シロタヘ》の衣|漬《ヒヅ》ちて立ち留《ドマ》り、我に語らく、何しかも、もとな云へる。聞けば哭《ネ》のみし泣かゆ。心ぞ痛き。皇祖《スメロギ》の神の御子の、出御《イデマシ》の手火《タビ》の光ぞ、夥多《コヽダ》照りたる
 
230 眺めてゐると、あの高圓山には、春の野燒きをする野火と思はれる程、澤山な火のともつてゐるのを、一體あれはどうしたのです、と問ひかけると、道をやつて來る人が、泣く涙が大雨のやうに流れてる爲に、栲で拵へた眞白な衣が、ぼと/\に濡れてゐるのが、立ち止つて私にいふには、何故さう心ないことを問うてくれるのだ。もうそれに關した事を耳にすると、泣かれて/\爲方がない。話をするにも、胸が痛む許りだ。あれは、天子の尊い御子樣のお出ましの先を照す、葬りの松明の光りが、あんなに澤山、照つてゐるといふ訣《ワケ》である。(笠(ノ)金村歌集に見えたものである。短歌ではとても現すことの出來ないものを、十分に述べてゐる。情景竝び到つたものといふことが出來る。)
 
  反歌。二首
 
231 高圓《タカマド》の野《ヌ》邊の秋萩、いたづらに咲きか散るらむ。見る人なしに
 
231 高圓山の野の萩の花は、見る人もなく、無駄に散つてゐることであらうよ。見る筈の人が居なくて。
 
232 三笠山。野邊行く道は、こきだくも繁《シヾ》に荒れたるか。久《ヒサ》にあらなくに
 
232 三笠山、その邊の野を通る道は、皇子の御所の官人が通はなくなつて、そんなに長くもたゝないのに、草がみつしり生え繁つて、荒れ果てたことだ。
 
萬葉葉 卷第三
 
     雜《ザフ》の歌
 
    持統天皇の御代
 
  天皇|雷岳《カミヲカ》に行幸せられた時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌
 
235 大君は神にしませは、天雲《アマグモ》の雷《イカヅチ》が上《ウヘ》に庵《イホ》らせるかも
 
235 天皇陛下は神樣でいらつしやるから、あの恐しい雷の上に、假小屋を建てゝお出でなさる事だ。(地名の雷岳《カミヲカ》から、鳴る雷《カミ》にとりなし、誇張して言つた處に、面白味があるのだ。傑作。)
 
  天皇|志斐嫗《シヒノオムナ》に下された御製
 
236 いなと言へど強ふる志斐のが誣《シヒ》語り、此頃聞かずて、我戀ひにけり
 
236 嫌だ。聞きたくないと言うても、聞かせる志斐の附會語《コジツケバナシ》も、此頃聞かないので、わしは戀しう思うてゐる事だ。
 
  志斐(ノ)嫗の返し奉つた歌
 
237 いなと言《イ》へど、語れ/\と宜《ノ》らせこそ、志斐いは申せ。誣言《シヒゴト》と宜る
 
237 御免なさいと申し上げても、話せ/\と仰つしやいますからこそ、志斐めは申すのに、こじつけ話だと抑つしやる。では、これから申しますまい。(志斐(ノ)嫗は、語部の一人であつたものと思はれる。其が天皇の御幼少の頃から、荒唐無稽な昔物語をしてゐたものと見える。上代の宮廷生活が思はれる歌。)
 
  長意吉麻呂《ナガノオキマロ》、天皇の仰せに應じて作つて奉つた歌
238 大宮の内迄聞ゆ。網引《アビ》きする網子《アゴ》整ふる、蜑の呼び聲
 
238 この御所は海濱の事とて、網引きをする人々を命令して、一樣に働いて居る蜑の呼び聲が、御所の内迄、手に取る樣に聞えて來ます。
 
  長皇子《ナガノミコ》、獵路《カリヂ》の池に遊獵せられた時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。並びに短歌
 
239 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君、高光る日の御子の、馬並めて御獵|立《タ》たせる、若菰《ウカゴモ》を獵路の小野に、鹿《シヽ》こそはい這ひをろがめ。鶉こそい這ひ徘徊《モトホ》れ。鹿《シヽ》じものい這ひをろがみ、鶉なすい這ひもとほり、畏《カシコ》みと仕へまつりて、久方の天《アメ》見る如く、まそ鏡仰ぎて見れば、春草のいやめづらしき吾大君かも
 
239 日の神の御末なる我が仕へ奉る皇子が、人々と馬を竝べて、御獵を擧行遊ばす獵路の野では、鹿は皇子の尊さに這うて拜み奉り、鶉は這うた儘うろ/\してゐる。我々も其鹿の樣に、這うては拜み、鶉の樣に這うてはうろつき、恐れ多い事だと思ひながら、お仕へ申し上げて、恰も天を見る樣に、仰ぎ見奉るけれども、何時も結構に拜せられる、我が仕へる皇子の御有樣よ。
 
  反歌
 
240 ひさかたの天《アメ》ゆく月を綱《ツナ》にさし、吾大君は蓋《キヌガサ》にせり
 
240 我が仕へまつる皇子の御威光は、盛んなものだ。空を渡る月をば綱で通して、お側の人に引かせながら、翳《サシパ》にさして入らつしやる。
 
  異本の反歌
 
241 大君は神にしませば、眞木《マキ》の立つ荒山中に、海をなすかも
 
241 私の仕へ奉る皇子は、神樣でいらつしやるから、其御威光で、檜の生えてゐる、恐しい山の中に、海をおこしらへなさる事だ。(獵路の池の穿れた時の歌が、混じたのであらう。)
 
  弓削《ユゲノ》皇子、吉野に遊ばれた時の御歌
 
242 激瑞《タギ》の上の御船《ミフネ》の山にゐる雲の、常《ツネ》にあらむと我が思はなくに
 
242 吉野の激流の側に聳えた、御船の山に懸つてゐる雲の樣に、ぢつとして居ない身も、何時も生きてゐられる程なら、此景色を存分味はうが、人間はさう生きられようとは思はれない。
 
  春日《カスガノ》王の和《アハ》せられた歌
 
243 大君は千年にまきむ。白雲も、御船の山に絶ゆる日あらめや
 
243 あなたは、雲のはかない事を言はれましたが、其白雲も御船の山には、始終懸つて、絶える日がございませうか。だからあなたは、千年迄も生きてお出でになりませう。(不快な御心地を、頓智で和げ奉つたといふので傳つたらしい歌。)
 
  長田(ノ)王筑紫に遣はされた時、水島《ミヅシマ》に渡つて作られた歌
 
245 聞《キ》きし如《ゴト》、まこと尊く靈《アヤ》しくも、神さび居《ヲ》るか。これの水島
 
245 ほんに聞いた通り、こゝの水島は、尊く神聖に、神々しう古びてゐる事だ。(深い讃美を、僅かな語で充實させてゐる。傑作。)
 
246 葦北《アシキタ》の野坂《ヌザカ》の浦|從《ユ》船出《フナデ》して、水島に行かむ。波立つなゆめ
 
246 葦北郡野坂浦を出發して、水島に渡らうと思ふ。波よ、きつと立つて呉れるな。
 
  石川(ノ)宮麻呂大夫の答へた歌
 
247 沖つ波、岸波《ヘナミ》立つとも、吾が夫《セ》子が御船の泊《トマ》り波立ためやも
 
247 沖の波、海岸の波は、立つてゐても、あなたの御船の泊り場所には、波がどうして立ちませうか。
 
  又、長田(ノ)王の作られた歌
 
248 隼人《ハヤヒト》の薩摩の迫門《セト》を、雲居なす遠くも、我は今日見つるかも
 
248 隼人の住む國なる薩摩海峽を、空か海か訣らぬ樣な、水平線の邊に、遙かに、今日初めて見た事だ。
 
  柿本(ノ)人麻呂の旅の歌八首
 
249 三津の崎、波を畏み、隱江《コモリエ》の船漕ぐ君が行くか、野島《ヌジマ》に
 
249 三津の崎で立つ波の恐しさに、入り込んだ江の船を漕いでゐる君は、何時野鳥に漕ぎ寄せる事であらう。
 
250 玉藻刈る敏馬《ミヌメ》を過ぎて、夏草の野島个崎に、船近づきぬ
 
250 蜑が藻を刈る敏馬の浦を通り過ぎて、自分の船は、淡路の野島の崎に近よつてゐる。
 
251 淡路の野島个崎の濱風に、妹が結びし紐吹きかへす
 
251 淡路の野島の崎の濱風で、家を出る時に、いとしい人が結んでくれた紐を、吹き返させてゐる。(これは、當時旅行者の發途に當つて、無事を祈る爲に、妻が其紐を結ぶ習慣があつたのであるが、それを心なしの風が、吹き離すと云ふ處に、一味の哀愁が籠つてゐる。)
 
252 荒栲《アラタヘ》の藤江《フヂエ》が浦に鱸釣る、蜑とか見らむ。旅行く吾を
 
252 旅路の船に乘つて、旅行してゐる自分を、知らぬ人は、鱸を釣つてゐる蜑と思うてゐる事だらうよ。(土著の蜑と、旅人との對照に、旅愁を動かされるのである。)
 
253 印南野《イナビヌ》も行き過ぎがてに、偲べれば、心戀しき加古《カコ》の湊見ゆ
 
253 印南野の海岸を、船が通つて行く。其野に心惹かれて、通り過ぎにくう思うてる中に、戀しく思うてゐた加古の湊が、何時か見えだした。
 
254 燈火《トモシビ》の明石大海峽《アカシオホド》に入らむ日や、漕ぎ分れなむ。家のあたり見ず
 
254 かうして行くが、段々と大和には遠のいてくる。そして此船が、明石の海峽に這入る日には、もう、あの邊が家のある大和邊だ、と云ふ事も見えない樣に、別れてしまはなければなるまい。
 
255 天離《アマサカ》る鄙《ヒナ》の長路《ナガヂ》從《ユ》戀ひ來れば、明石の海峽《ト》より大和|洲《シマ》見ゆ
 
255 石見のはてから、長い邊土の旅路を續けて、大和が早く見たいと焦れながら來たが、明石海峡から大和の國が見えた。嬉しい事だ。
 
256 飼飯《ケヒ》の海の水面《ニハ》よくあらし。苅菰の亂れ出づ見ゆ。蜑の釣り船
 
256 飼飯の海の海面が、船を漕ぐによいに違ひない。何故かなれば、蜑の釣り船が亂れて出る。それが見える。
 
  鴨足人《カモノタルヒト》の香具山の歌。竝びに短歌。二首
 
257 天降《アモ》り着く天《アメ》の香具山、霞立つ春に至れば、松風に池波立ちて、櫻花|木蔭《コノクレ》繁《シゲ》に、沖邊には鴎《カモメ》妻呼び、岸《ヘ》つ邊には鴨群《アヂムラ》騷ぎ、百敷の大宮人の罷り出でゝ遊ぶ船には、※[楫+戈]《カヂ》棹《サヲ》もなくて不興《サブ》しも。漕ぐ人なしに
 
257 昔から言ひ傳へのある、天から降つて來た、と云ふ天の香具山が、春になると、松吹く風に、池に波が立ち、そして櫻の花が、木下暗に一杯に咲き、池の眞中の方では、鴎が連《ツ》れを呼んで居、岸の方では、あぢ鴨の群れが騷いでるが、御所に仕へてゐる人々の、御前を下つて遊ぶ船には、漕ぐべき※[楫+戈]も、竿もついて居らんで、殺風景な有樣で、漕ぐ人もなく浮いてゐる。(これは藤原の都が、奈良に遷つた後の歌。)
 
258 人漕がずあらくもしるし。潜《カヅ》きする鴛鴦《ヲシ》と※[爾+鳥]《タカベ》と船の上《ウヘ》に棲む
 
258 人が漕がないで、其儘になつてゐるのも、これを見れば、はつきりと想像がつく。水に潜る鴛鴦や、※[爾+鳥]などが、船の上にぢつと止つてゐる。
 
259 何時《イツ》の間も神さびけるか。香具山の鉾杉《ホコスギ》がもとに苔|生《ム》す迄に
 
259 何時の間にやら、此樣に神々しい樣な氣がする程、古びたことよ。香具山の眞直な、杉の根方に、苔が生える程。
 
  柿本(ノ)人麻呂、新田部《ニヒタベノ》皇子に奉つた歌。竝びに短歌
 
261 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君、高光る日の御子のしきます大殿《オホトノ》のうへに、ひさかたの天傳《アマヅタ》ひ來る、雪じもの行きかよひつつ常世《トコヨ》いや續《シ》け
 
261 日の神の御末なる我が皇子が、領してゐられるこの御別邸の上へ、空から降つて來る雪ではないが、行き來をして、益、御盛んで、不老不死でいらつしやいませ。
 
  反歌
 
262 八釣山《ヤツリヤマ》木立も見えず、降り亂《ミダ》る雪はだらなる朝《アシタ》樂《タヌ》しも
 
262 御所の近くにある、八釣山の木立も見えない程、亂れて降る雪の朝は、愉快なものだ。
 
  近江の國から都に上る時、刑部垂麻呂《オサカベノタルマロ》の作つた歌
 
263 馬|莫《ナ》いたく打ちのみ行きそ。日《ケ》竝べて見ても我が行く、滋賀にあらなくに
 
263 常ならば、幾日も逗留して見たいものだが、今度の旅では、幾日も見て行ける滋賀の景色でないのだから、馬を其樣に激しく打つて、急いでばかり行くな。
 
  柿本(ノ)人麻呂、近江の國から都へ上る時、宇治川に來て作つた歌
 
264 物部《モノヽフ》の八十《ヤソ》宇治川の網代木《アジロキ》に、いさよふ波の行方《ユクヘ》知らずも
 
264 川上からどん/\流れて來て、暫く宇治の網代木の處に來て、淀んで居つた波が、何時か又、遙かに行方知れず消えてしまふことだ。(此歌に、人生觀を寓した樣に説くのは、誤りだ。此頃の近江から大和への通路は、田上の谿谷を通つて、宇治へ出たので、湖水・瀬田川・田上川・宇治川と變移して行く容子を見ながらやつて來た宇治での歌として、殊に趣味が深い。)
 
  長《ナガノ》意吉麻呂の歌
 
265 苦しくも降り來る雨か。三輪が崎|狹野《サヌ》のわたりに家もあらなくに
 
265 困つた事に降つて來た雨だよ。三輪山の突き出た崎の狹野の邊には、家と云うては、一軒もないのだ。それに。
 
  柿本(ノ)人麻呂の歌
 
266 近江《アフミ》の湖《ウミ》、夕波千鳥、汝《ナ》が鳴けば、心も萎《シヌ》に古思ほゆ
 
266 近江の湖水。その夕波に鳴く千鳥よ。公樣《キサマ》が鳴くと云ふと、自分は、意氣が※[金+肖]沈して、昔の事が思はれてならぬ。(傑作)
 
  志貴《シキノ》皇子の御歌
 
267 ※[鼠+吾]《ムサヽピ》は梢《コヌレ》もとむと、あしびきの山の獵夫《サツヲ》に逢ひにけるかも
 
267 此※[鼠+吾]はきつと、彼方此方自分の棲むのに、適當な梢を探さうとして、うろついてゐる中に、山の獵師に出遇したのだらう。(※[鼠+吾]の捕へられたのを見て、詠まれた宴席の歌。)
 
  長屋《ナガヤノ》王が舊都を思はれた歌
 
268 吾が夫子《セコ》が故家《フルヘ》の里の飛鳥には、千鳥鳴くなり。君待ちかねて
 
268 あなたのもと住んで入らつしやつた里なる、あの飛鳥には、何時になつても、あなたが容易に歸つてお出でにならぬので、千鳥が鳴いて居ります。あなたを待ちをふせることが出來ないので。(これは恐らく、王が文武天皇に奉られた歌だらう。)
 
  阿部(ノ)郎女《イラツメ》、屋部坂《ヤベザカ》で作つた歌
 
269 人|覓《マ》がば、吾が袖もちて隱《ナマ》らむを。燃えつゝかあらむ。眠《ネ》ずて來にけり
 
269 わたしは、此頃は一向寢ないでゐます。かうして焦れてゐねばなりますまいか。人がわたしに戀ひをいひ入れたら、恥しさに、袖で隱れてゐるだらうに。其くせに焦れてゐる。(屋部坂で作つた歌といふ序は、屋部王に贈つた歌の誤りであらう。)
 
  高市黒人《タケチノクロヒト》の旅の歌。八首
 
270 旅にして物戀しきに、やましたの朱《アケ》のそほ船、沖に漕ぐ見ゆ
 
270 旅に出て居て、故郷が戀しく思はれる時分に、都風の朱塗りの立派な船が、沖の方を漕いで行くのが見える。
 
271 作良田《サクラダ》へ鶴《タヅ》鳴き渡る。愛知潟《アユチガタ》潮干《シホヒ》にけらし。鶴鳴き渡る
 
271 見て居ると、作良の田の方へ、鶴が鳴いて飛んで行く。きつと愛知潟では、潮がひいてしまうたので、あの邊に水を求めて行くのに違ひない。あれ、鶴がずつと鳴いてゆく。
 
272 磯齒津《シハツ》山うち越え見れば、笠縫《カサヌヒ》の島漕ぎ隱《カク》る、※[木+世]《タナ》なし小船
 
272 磯齒津山を越えて見ると、向うに見える笠經の鳥に、漕ぎ隱れて行く※[木+世]なし小舟がある。
 
273 いその崎漕ぎ囘《タ》み行けば、近江の湖《ウミ》八十《ヤソ》の港に、鶴《タヅ》さはに鳴く
 
273 岩の突き出た岬を、漕ぎ囘つて行くと、其度毎に、近江の湖水の中の、澤山の港へ出るが、何《ド》の港にも、鶴が澤山に鳴いてゐる事である。
 
274 我が船は比良の港に漕ぎ果てむ。沖邊《ベ》な離《サカ》り。さ夜更けにけり
 
274 夜が更けた。沖の方へ遠く漕ぎ離れるな。今夜は、此船は比良の港に泊らう。
 
275 何處《イヅク》にか我は宿らむ。高島の勝野《カチヌ》の原《ハラ》に此日暮れなば
 
275 此高島の勝野の原の中で、今日の日が暮れてしまうたら、何處で私は泊らうか。家も見えないが。
 
276 妹も我もひとつなれかも、三河なる二見の道ゆ別れかねつる
 
276 いとしい人も、日分も一體であるかして、別れかねてゐることだ。處は、三河國の二見の里の道の邊で。(これは、一二三と云ふ數詞を詠み込む事に、興味を待つた歌である。)
 
277 夙《ト》く來ても、見てましものを。山背《ヤマシロ》の高槻《タカツキ》の村《ムラ》散りにけるかも
 
277 早く來て見て置いたらよかつたものを、山城の國の高槻の村の、村の名になつた槻の紅葉は、散つてしまうた事だ。(黒人程に、客觀の動搖しない、描寫の確實な人はない。人麻呂も、此點では及ばない。敍景の歌に傑れたものゝ多いのは、この爲嫡である。)
 
  石川(ノ)郎女の歌
 
278 志珂《シカ》の蜑は、海布《メ》苅り、鹽燒き、暇なみ、櫛笥《クシゲ》のを櫛とりも見なくに
 
278 志珂島の蜑は、いとしい事だ。海布を苅つたり、鹽を燒いたり、暇がないので、槨筥の櫛さへ取り上げても、見ない事だ。
 
  高市(ノ)黒人の歌。二首
 
279 吾妹子に猪名野《ヰナヌ》は見せつ。名次《ナスキ》山|角《ツヌ》の松原何時かしめさむ
 
279 やれ/\これで、猪名野の景色は、いとしい人に見せてやつたことだ。次は、名次山の角の松原の景色だが、それは何時見せようか。
 
280 いざ子ども、大和へ早く、白須賀《シラスガ》の眞野《マヌ》の榛原《ハリハラ》手折《タヲ》りて行かむ
 
280 白須賀の眞野の榛原の榛を、土産に折つて、さあ早くお前方、大和へ歸らうぢやないか。
 
  黒人の妻の答へた歌
 
281 白須賀の眞野の榛原。行くさ來《ク》さ、君こそ見らめ眞野の榛原
281 白須賀の眞野の榛原を、行きしな歸りしなに、あなたはよく見て入らつしやる事だらうが、私等は見たことがない。羨しいことだ。
 
  春日(ノ)老《オユ》の歌《ウタ》
 
282 つぬさはふ磐余《イハレ》も過ぎず。泊瀬《ハツセ》山何時しか越えむ。夜は更けにつゝ
 
282 まだ磐余の村さへも通らない。泊瀬山は何時越えるのだらう。夜は段々更けて行くばかりだ。
 
  高市(ノ)黒人の歌
 
283 住の江の榎名津《エナツ》に立ちて見渡せば、武庫《ムコ》の泊《トマリ》從《ユ》出づる船人《フナビト》
 
283 住の江の榎名津に立つて、ずつと眺めると、武庫の港から、船頭が船を漕ぎ出すのが、遙かに見える。
 
  春日(ノ)老の歌
 
284 燒津邊《ヤキツベ》に吾が行きしかば、駿河なる安部の市路《イチヂ》に會ひし兒等はも
 
284 燒津地方へ行つた時分に、駿河の安部の市の路ばたで會うた、あの處女が忘れられぬ。
 
  丹比笠《タヂヒノカサ》麻呂が、紀伊の國へ行く時、脊《セ》の山を越えて作つた歌
 
285 たくひれのかけまくほしき妹が名を、この脊の山にかけば如何《イカ》にあらむ
 
285 口に出して言ひたくてならぬ、いとしい人の妹と言ふ名を、此脊の山に付けて、妹山と名前を替へたら、どんなにおもしろいだらう。(輕く戯れた歌。)
 
  春日(ノ)老が、即座にそれに和《アハ》せた歌
 
286 よろしなべ吾が兄《セ》の君の負《オ》ひ來にし、此脊の山を妹とは呼ばじ
 
286 あなたにさへも、此山の名即|夫《セ》といふ名が、おもしろいので、夫《セ》とつけてあります。其脊の山の夫といふ適當な名を、今更改めて、妹とはいひますまい。
 
  滋賀行幸の時、石(ノ)上麻呂卿の作つた歌
 
287 こゝにして家やも何處《イヅク》。白雲のたなびく山を越えて來にけり
 
287 此處まで來てみると、家はどこら邊であらうか。あの白雲の懸つてる山をば、越えて來たのだ。
 
  穂積老《ホヅミノオユ》の歌
 
288 我命《ワギノチ》のまさきくあらば、またも見む。滋賀の大津によする白浪
 
288 私の命が達者で、生きて居たなら、此滋賀の大津に寄せて、白く碎ける波の景色を、再、見たいものだ。
 
  間人《ハシビトノ》大浦の新月の歌
 
289 天《アマ》の原ふりさけ見れば、しらまゆみ張りて懸けたり。夜路《ヨミチ》はよけむ
 
289 大空を遙かに眺めて見ると、白木の弓を張つて釣つた樣に、三日月が出てゐる。これを眺めながら歩くのは、面白い事だらう。
 
290 椋橋《クラハシ》の山を高みか、夜ごもりに出で來る、月の光ともしき
 
290 あ、月が出て來た。椋橋山が高いからか、夜更け渡つてから、出て來る月の光が、ほんとに見事なことだ。
 
 小田(ノ)事主《コトヌシ》の脊の山の歌
 
291 眞木の葉の萎《シナフ》ふ脊の山、忍《シヌ》ばずて我が越えゆけば、木の葉知りけむ
 
291 檜の実の萎れてゐる脊の山よ。大和に置いた妹の事が思ひ出されて、辛抱が出來ないで私が越えて行くので、私の心に感應して、この樣に萎れたのであらう。
 
  ※[角の一画、及び二画目の半分ないもの]兄《ロクノエ》麻呂の歌四首
 
292 久方の天《アメ》の探女《サグメ》が岩船の、はてし高津は、あせにけるかも
 
292 昔からの傳へに、朝鮮から其夫の手を逃れて、我が國にやつて來た、あの天の探女の岩船が到著した、と云ふ浪速の高津は、水が淺くなつてしまつて、その頃の俤も殘つてゐないことよ。
 
292 潮干《シホヒ》の三津の蜑女《アマメ》のくゞつ持ち、玉藻苅るらむ。いざ行きて見む
 
292 潮のひいた浪速の三津の蜑をんなが、手に藁籠を持つて、玉藻を苅つてる事だらう。その容子をばどりや見に行かう。
 
294 風をいたみ、沖つ白波高からし。蜑の釣り船濱に歸りぬ
 
294 風が激しいので、沖の方には、波が高く立つてるに違ひない。蜑の釣り船が、皆濱に歸つて來た。
 
295 住の江の岸の松原、遠つがみ我が大君の行幸處《イデマシドコロ》
 
295 住の江の岸の松原よ。其處は、尊い我が大君の行幸の行在處である。
 
  田口益人《タグチノマスヒト》大夫、上野(ノ)國司に赴任する時、駿河清見个崎で作つた歌。二首
 
296 庵原《イホバラ》の清見《キヨミ》个崎の三保の浦の、ゆたけき見つゝ、物思《モノモ》ひもなし
 
296 庵原郡の清見个崎の邊、三保浦のゆつたりとした海の景色を見ながら、何事もすつかり忘れて、物思ひもなく、只眺め入つてるばかりである。
 
297 晝見れど飽かぬ田子の浦、大君のみ言《コト》畏み、夜見つるかも
297 晝見てさへ十分だと滿足しない、田子の浦の景色。天皇陛下の仰せ付け故、かしこまつて急いで通つたから、夜見た事だ。
 
  春日(ノ)老が僧辨基といつた頃の歌
 
298 眞土山夕越え行きて、庵崎《イホザキ》の角太《スミダ》川原に、獨りかも寢む
 
298 大和から紀州にかゝると、日暮れになつた。眞土山を、かうして越えて行つて、今夜は、あの庵崎の角大川原で、獨り寢るのであらうか。
 
  大納言大伴(ノ)旅人《タビト》卿の歌
 
299 奥山の菅《スガ》の葉しぬぎ降る雪の、消《ケ》なば惜しけむ。雨な降りそね
 
299 深山の麥門冬《ヤマスゲ》の葉の上におし積る雪が、雨の爲に消えて終うては、よい景色が、駄目になるのが殘念だから、雨よ、降るな。
 
  長屋(ノ)王、奈良山で作られた歌
 
300 佐保過ぎて、奈良のたむけに置く幣《ヌサ》は、妹が目かれずあひ見しめとぞ
 
300 奈良の都を出て、佐保を通つた、奈良山の峠に奉る幣は、これから旅に行きますが、どうか間のあく事なく、妹の顔をお見せ下さい、と願ふ心でするのである。
 
301 岩が根のこゞしき山を越えかねて、哭《ネ》にはなくとも、色に出《イ》でめやも
 
301 岩のごつ/”\としてゐる山を越えかねて、あまりつらさに、ひどく泣き入る事があつても、妹を思うてゐる事を、色に出すものか。
 
  中納言阿倍(ノ)廣庭脚の歌
 
302 子等が家道《イヘヂ》やゝま遠きを、ぬばたまの夜渡る月に競《キホ》ひあへむかも
 
302 あの人の家へ行く道程は、大分遠いが、夜行く月に負けぬ樣に、行く事が出來ようかしらん。何卒して、夜の明けない前に著きたいものだ。
 
  柿本(ノ)人麻呂、筑紫の國に下る時、海路で作つた歌。二首
 
303 和《ナグ》はしき印南《イナミ》の海の沖つ波、千重《チヘ》に隱りぬ。大和島ねは
 
303 氣持ちのよい印南の海の邊から見ると、其海の沖の方の波が、幾重にも立つてゐて、其下に、大和の國は隱れてしまうてゐる。
 
304 大君の遠《トホ》の領土《ミカド》と、あり通《ガヨ》ふ島門《シマド》を見れば、神代し思ほゆ
 
304 天皇陛下の遠方の御領分(九州)へと、あまたの人が度々行き通ふ、瀬戸内の海峡を見ると、此島々が作られた太古の事が思はれる。
 
  高市(ノ)黒人の近江の舊都の歌
 
305 かく故《ユヱ》に見じと言ふものを、漣の舊き都を見せつゝ、もとな
 
305 かう云ふ風だから、見ずに置かうと言うたのに、心なく、漣の里の古い都の跡を見せてからに、人を嘆かす事だ。
 
  伊勢行幸の時、安貴《アキノ》王の作られた歌
 
306 伊勢の海の沖つ白波花にもが。包みて妹が家づとにせむ
 
306 伊勢の海の沖の方から寄せて來て、碎ける波の容子がおもしろい。これが花であつてくれたら、物に包んで歸つて、いとしい人への土産にしようものを。
 
  博通法師《ハクヅウホフシ》が紀伊(ノ)國に行つて、三穂の石窟《イハヤ》を見て作つた歌。三首
 
307 はた薄《ズヽキ》久米の若子《ワクゴ》がいましけむ三穂の石窟《イハヤ》は、荒れにけるかも
 
307 顯宗天皇が、まだ久米の若子と申した時分に、雄略天皇に捕はれるのを避けて、隱れていらつしやつたさうな、三穂の石窟は、荒れはてた事だ。
 
308 ときはなる石窟は今もありけれど、住みける人ぞ、常なかりける
 
308 何時迄もかはらずにゐる石窟は、今も幾つてゐるのだけれど、此處に住んでゐた人は、常住不變でゐると云ふ訣にはいかないのだ。
 
309 石窟戸《イハヤド》に立てる松の木、汝《ナ》を見れば、昔の人を逢ひ見る如し
 
309 石窟の入口に立つてゐる松の木よ。お前の姿を見ると、懷しくて、何となう、昔の人と出逢うて見る樣だ。
 
  門部《カドベノ》王、東の市《イチ》の植ゑ樹を詠まれた歌
 
310 東《ヒムガシ》の市の植ゑ木の木《コ》だるまで、逢はず久しみ、うべ戀ひにけり
 
310 東の市の植ゑられた竝木を見ると、木が古くなつて、枝が垂れる迄になつたが、殆、其程の間、長くいとしい人に逢はないので、此頃戀しくてならぬが、成程、戀しいのも尤であることだ。
 
  ※[木+安]作益人《クラツクリノマスヒト》、豐後(ノ)國から都に上る時作つた歌
 
311 あづさゆみひき豐國《トヨクニ》の鏡山、見ず久《ヒサ》ならば、戀しけむかも
 
311 豐國の鏡山で、思ひ出した。鏡は見る物だが、此儘此山や、此國を見る事が出來ず、長く經《タ》つたなら、さぞ戀しく思はれる事であらう。(鏡山を見て、興を起した歌。)
 
  式部卿藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》卿、難波《ナニハ》の離宮の改造を仰せつかつた時に作つた歌
 
312 昔こそ難波田舍と言はれけめ。今は都とそなはりにけり
 
312 これ迄は、難波の田舍と蔑んで言はれもしたらうが、今では、最早昔の事になつて、何の不足もなく、都らしく整うた事だ。
 
  刀利宣令《トリノセンリヤウ》の歌
 
313 みよしぬの激湍《タギ》の白浪、知らねども、語りしつげば、古《イニシヘ》おもほゆ
 
313 芳野の激湍に立つてゐる、白波の景色を見てゐると、自分が實際生きて居つて、知つて居たと云ふ訣ではないが、昔から此芳野で、樣々の事のあつたのが思ひ出される。
 
  波多(ノ)少足《ヲタリ》の歌
 
314 小波《サヾレナミ》石巨勢路《イソコセヂ》なる能登瀬《ノトセ》川、音のさやけさ。たぎつ瀬毎に
 
314 巨勢地方にある、能登瀬川の岸の岩を、小波が越す程の急流の音が、さつぱりと、氣持ちよく聞える事だ。激してゐる瀬毎に。
 
  暮春吉野離宮行幸の時、中納言大伴(ノ)旅人卿勅を承つて作つた歌。並びに短歌(此歌は、奏上せられずにしまうた。)
 
315 みよしぬの吉野の宮は、山からしたふとくあらし。川からしさやけくあらし。天地と長く久しく、萬世にかはらずあらむ、出でましの宮
 
315 吉野の宮は山の所爲《セヰ》で、尊く見えるのであらうか。川の所爲で、さつぱりとした景色に見えるのであらうか。天地同樣、何時迄も變らずあらう、と思はれる離宮である。
 
  反歌
 
316 昔見し象《キサ》の小川を今見れば、いよゝさやけくなりにけるかも
 
316 昔來て見た、此象の小川を、今來て見ると、昔よりも、益さつぱりとした、景色になつて見える事だ。
 
  山部(ノ)赤人、富士山を眺望して作つた歌。並びに短歌
 
317 天地《アメツチ》の分れし時|從《ユ》、神さびて高く尊き、駿河なる富士の高嶺《タカネ》を、天《アマ》の原ふりさけ見れば、渡る日の影も隱《カクロ》ひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはゞかり、ときじくぞ雪は降りける。語り續ぎ、言ひ續ぎ行かむ。富士の高嶺《タカネ》は
 
317 神代の頃に澄んだものが天となり、濁つた物が地となつて分れた時分から、尊く高く奪えてゐる、駿河國の富士の山を、廣々とした空遙かに見やると、運行する太陽の姿も隱れてしまふし、照してゐる月の光も、山のあちらに囘ると見えないし、山の爲に、雲さへも思ひ切つては、え行かないで遠慮し、其上、何時でも/\雪が降つてゐる事だ。一度見たからは、此富士の山の事は、時間空間に亙つて、遠方の人及び子々孫々迄も言ひ續ぎ、語り續ぎして傳へねばならない。
 
  反歌
 
318 田子の浦|從《ユ》うちいでゝ見れば、眞白にぞ、富士の高嶺《タカネ》に雪は降りける
 
318 田子の浦をば歩きながら、ずつと端迄出て行つて見ると、高い富士の山に、眞白に雪が降つてる事だ。
 
  富士山をよんだ歌。並びに短歌。二首(作者知れず)
 
319 なまよみの甲斐の國、うちよする駿河の國と、方々《コチ/”\》の國の眞中《ミナカ》從《ユ》出で立てる富士の高嶺《タカネ》は、天雲《アマグモ》もい行きはばかり、飛ぶ鳥も飛びも上らず、燃ゆる火を雪もて消《ケ》ち、降る雪を火もて消ちつゝ、言ひも得に、名付けもしらに、靈《アヤ》しくも在《イマ》す神かも。石花海《セノウミ》と名づけてあるも、其山の包める海ぞ。富士川と人の渡るも、其山の水の激湍《タギチ》ぞ。日の本の大倭《ヤマト》の國の鎭《シヅ》めとも在《イマ》す神かも。寶ともなれる山かも。駿河なる富士の高嶺は見れど飽かぬかも
 
319 甲斐國と、駿河國と、彼方と此方と、兩方の國の眞中から、現れ出た富士の山は、空行く雲も、行く事を遠慮し、飛ぶ鳥も、山の頂上にはとても飛んで上りもえせない。山の中から噴き出す火を、降る雪で消し、降り積る雪を、山の噴火で消したりして、何と形容してよいか、言ひ表しも、形容する事も出來ぬ程、不思議な容子で入らつしやる、神樣である事だ。石花海と名の付いてゐる湖も、其山が抱へ込んでゐる湖水なのだ。富士川と云うて人の渡る川も、其山から流れて出る水の、激しい流れなのだ。此日本の國の動かない爲の守りとして、お出でになる神様である事だ。寶となつてゐる山だ。ほんに駿河の富士山は、いくら見ても見飽かない事だ。
 
  反歌
 
320 富士の嶺《ネ》に降り置ける雪は、六月《ミナヅキ》の望日《モチ》に消《ケ》ぬれば、其夜降りけり
 
320 富士の山に降り積つてゐる雪は、それでもさすがに、一等暑い最中の六月の十五日に、一旦消えるが、消えると、すぐ其夜、降つて積る事だ。
 
321 富士の嶺を高みかしこみ、天雲《アマグモ》もい行きはゞかり、たなびくものを
 
321 富士の山が餘り高いので、それに恐れて、空行く雲も行く事を遠慮して、山に横に懸つて居る訣だもの。人間が尊ばないで居られようか。(この歌は、高橋連麻呂集に見えてゐるので、佐々木信綱氏は、蟲麻呂の作だらうといはれたが、一説である。ともかくも、單純化といふ點においては、赤人の歌に劣つてゐるが、構想の複雜な點、格調の古風な處、觀照の精細な具合、この方が勝れてゐる。人麻呂のものであるかも知れない。)
 
  山部(ノ)赤人、伊豫の温泉に行つた時に作つた歌。竝びに短歌
 
322 皇祖《スメロギ》の神の尊《ミコト》のしきます國のことごと、温泉《ユ》はしも多《サハ》にあれども、島山のよろしき國と、こゞしかも伊豫の高嶺《タカネ》の伊佐爾波《イサニハ》の岡に立たして、歌|偲《シヌ》び、事偲びせし、み温泉《ユ》の上の木群《コムレ》を見れば、樅《オミ》の木も生ひつぎにけり。鳴く鳥の聲も變らず。遠き世に神さびゆかむ出でまし處
 
322 代々の皇祖の方々の治めていらつしやる、此日本の國中には、温泉と言へば澤山あるが、島や山の容子の勝れた國だと仰つしやつて、古の天皇陛下が、岩のごつ/”\としてゐる、伊豫の高山の伊佐爾波山にお立ちなされて、昔からの此温泉に關する歌を思ひ出し、古い言ひ傳へを思ひ出しなされた、温泉の邊の木のかたまりを見ると、其頃から生えて居た樅の木は、後へ/\と生えて來た。鳴いて居る鳥の聲も、昔のまゝである。かうして、永遠に神々しく古びて行くだらう。昔の天子の行幸になつた此温泉よ。
 
 反歌
 
323 もゝしきの大宮人の、熟田津《ニギタヅ》に船乘りしけむ年の知らなく
 
323 昔天皇陛下のお側に仕へて居た人達が、伊豫の温泉から、熟田津迄出て來て、船遊びをしたさうな。其年は幾年前であつたか訣らない程、年數が經つた。
 
  神岳《カミヲカ》に登つて、山部(ノ)赤人の作つた歌。並びに短歌
324 神籬《ミモロ》の神南備《カムナビ》山に五百枝《イホエ》さし、繁《シヾ》に生ひたる樛《ツガ》の木の、いやつぎ/\に、たまかづら絶ゆる事なく、ありつゝも、常に通はむ飛鳥《アスカ》の古き都は、山高み、川|遠著《トホシロ》し。春の日は山し見がほし。秋の夜は川しさやけし。朝雲に鶴《タヅ》は亂り、夕霧に河蝦《カハヅ》はさわぐ。見る毎に哭《ネ》のみしなかゆ。古思へば
 
324 神樣をお祭り申してゐる神名備山に、澤山の枝をさし出して、一杯に生え繁つてゐる樛《ツガ》の木の、言葉通りに此上次々何時迄も、絶える事なく、此儘生きて居て、何時も出て來て遊ばうと思ふ古い都なる飛鳥は、山へ登つて見ると、山が高いので、川が遙かにはつきり見える。其山は春の日には、何時迄も見てゐたい樣な好い景色だし、川の方は、秋の夜などは、ほんとうにさつぱりとしてよい事だ。朝になると、雲の上に鶴が亂れて飛んでゐるし、日が暮れると、霧の底から河鹿の騷ぐ聲が聞えて來る。見る物毎に、此樣によい景色が、今では段々とさびれてゆくばかりだ。都のあつた頃を思ひ出して、唯泣きに泣くばかりだ。
 
  反歌
 
325 飛鳥川、川|淀《ヨド》去らず立つ霧の、思ひ過ぐべき戀ひにあらなくに
 
325 飛鳥の古い都の事を思うて、私の焦れてる心は、飛鳥川の淀んでゐる邊に、何時もぢつとして立つてゐる霧の樣に、どんなにしても、何時迄もなくしてしまへる樣なものではない。
 
  門部王《カドベノオホキミ》、難波で漁火《イサリビ》を見て作られた歌
 
326 見渡せば、明石《アカシ》の浦にともす火の、ほにぞ出でぬる。妹に戀ふらく
 
326 浪速の浦からずつと見やると、明石の浦の邊に、蜑がともしてる漁火が見えるが、自分の思ひはあの火ではないが、隱しきれずして、表面にあらはれたことだ。いとしい人に焦れてゐると云ふ事が。
 
  處女等が貰うた干鰒を、戯れに通觀《ツウグワン》法師の處へ遣つて、これが甦る祈りをしてくれ、と言うた時、法師の作つた歌
 
327 わたつみの沖に持ち行きて放つとも、うれむぞ、これが甦りなむ
 
327 折角のお頼みですが、此樣なものは、大海の遙かな沖に持ち出して逃した所で、何うして生きかへりませう。
 
  太宰少貳小野老《ダザイノセウニヲヌノオユ》の歌
 
328 あをによし奈良の都は、咲く花の匂ふが如く、今盛りなり
 
328 奈良の都は、非常に立派な處で、まるで咲いてる花が、はでやかに見える樣に、今や繁昌の極點である。(寧樂の都の讃美としては、此歌以上に適當なものはない。單に寫した爲でなく、憧憬が深かつたからである。)
 
  防人司祐《サキモリノツカサノスケ》大伴(ノ)四繩《ヨツナ》の歌。二首
 
329 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君のしきませる、國の中《ナカ》には、都しおもほゆ
 
329 天皇陛下のお治めなさる國の中では、何處が一番好きだと云へば、都が第一に思ひ出される。
 
330 藤波《フヂナミ》の花は盛りになりにけり。奈良の都をおもほすや、君
 
330 波の樣に咲いては搖れてゐる、あの藤の花は、ちようど今が眞盛りになつた事だ。嘸、あなたは、奈良の都を思ひ出して入らつしやるでせうね。(大伴(ノ)旅人に與へた歌、と見るべきである。)
 
  太宰(ノ)帥《ソチ》大伴(ノ)旅人卿の歌。五首
 
331 我がさかりまた復《ヲ》ちめやも。ほとほとに、奈良の都を見ずかなりぬる
 
331 私の花の時代は、もう二度と復《カヘ》つて來るものか。どうやら奈良の都を、歸つて見る事が出來なくなりさうだ。危いものだ。
 
332 我命《ワギノチ》も常《ツネ》にあらぬか。昔見し象《キサ》の小川を、行きて見むため
 
332 どうぞ私の命も、何時迄もあつてほしいものだ。昔見に出かけた、あの吉野の象の小川に出掛けて見ようために。
 
333 淺茅原《アサヂハラ》つばら/\に物|思《モ》へば、古《フ》りにし里の思ほゆるかも
 
333 つく/\と考へてゐると、もと住んで居たさびれた里の事が、思ひ出される事だ。
 
334 萱草《ワスレグサ》我が紐につく。香具山の古りにし里を忘れぬがため
 
334 私の住んで居た、香具山の邊の故郷を忘れないので、萱草をば、自分の著物の紐にとりつけて、どうかして忘れようとつとめて居る。
 
335 我が行きは久《ヒサ》にはあらじ。夢《イメ》の曲《ワダ》、瀬とはならずて淵にありこそ
 
335 私の旅は、長くはかゝるまい。私が歸つたならば、吉野のあの夢の曲は、そんな僅かな間に、淵が瀬に變る事なく、やつぱり淵の儘であつてくれ。
 
  沙彌(ノ)滿誓が綿を詠んだ歌
 
336 不知火《シラヌヒ》の筑紫《ツクシ》の綿は、身につけて未《イマダ》は著ねど、暖《アタヽ》けく見ゆ
 
336 筑紫から出る綿は、未《マダ》身につけて著ない内から、温さうに見える。茲に積んだこの綿よ。
 
  山上憶良《ヤマノヘノオクラ》、宴席を中座する時に作つた歌
 
337 憶艮らは今は退《マ》からむ。子なくらむ。そも、其母も我《ワ》を待つらむぞ
 
337 私はもう、お暇して引き退りませう。『君はなぜそんなに早く歸るのだ。『手前の餓鬼どもが泣いてませう。『うまく言つてるね。其おつかさんに會ひたいんだらう。『さあ、其おつかさんも、私を待つてゐませうで。(歌の出來た時と場處とを、明らかに人の頭に浮ばせる歌。)
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の作つた酒を讃《タヽ》へた歌。十三首
338 しるしなく物思はずは、一杯《ヒトツキ》の濁れる酒を飲むべかるらし
 
338 役に立たないのに、色々考へ込んでゐるよりは、一層の事、一盃の濁つた酒を飲む万が、ましであるに違ひない。
 
339 酒の名を、聖《ヒジリ》とおふせし、古《イニシヘ》の大《オホキ》聖《ヒジリ》の言の宜《ヨロ》しさ
 
339 濁酒を賢人、清酒を聖人と名をつけた、其古の偉い聖人の言は、ほんとうに、よく當つて面白い事だ。聖人もなかなか隅へおけない。
 
340 古の七《ナヽ》の賢《カシコ》き人たちも、ほりせしものは、酒にしあるらし
 
340 昔居つた、竹林の七賢人と云はれた、無欲のすぐれた人達でも、ほしがつて居つた物は、酒だといふが、其に違ひない。其筈だよ。
 
341 賢しと物言ふよりは、酒飲みて酔《ヱ》ひなきするし、勝《マサ》りたるらし
 
341 自分が賢いと云ふ風に、物を言うてゐるよりは、酒を飲んで、くだ〔二字傍点〕をまいてる方が、一層ましであるに違ひない。
 
342 言はむ術《スベ》せむ術しらに、きはまりて尊き物は、酒にしあるらし
 
343 言うたり、爲方をしたりする事が出來ない程、此上なく尊い物は、酒であらう。それに相違ない。
 
343 なか/\に人とあらずは、酒壺《サカツボ》になりにてしがも。酒にしみなむ
 
343 一層人として生きてゐるよりは、酒壺になりたいもんだね。さうしたら、思ふ存分、酒につかつてゐられるだらう。
 
344 あな醜《ミニク》。さかしらをすと、酒のまぬ人をよく見ば、猿《サル》にかも似む
 
344 へん、ざまを見ろ。其ざまはなんだ。ほんとに賢ぶつた眞似をせうとして、酒を飲まない人間を、よく/\見たら、猿に似てゐるだらうよ。
 
345 價《アタヒ》なき寶と云ふとも、一杯《ヒトツキ》の濁れる酒に 、あに勝《マサ》らめや
 
345 價《ネ》ぶみの出來ない程、尊い寶と云うた所で、たか/”\この一盃の濁酒に、勝つ事がどうして出來るものか。
 
346 夜《ヨル》光る玉と云ふとも、酒飲みて心を遣《ヤ》るに、あにしかめやも
 
346 夜光の珠が尊い、何が尊いと云うた所で、そんな寶を持つた樂しみは、酒を飲んで、心の憂さをはらすのに、どうして及ぶものか。
 
347 世の中の遊びの道にたぬしきは、醉ひなきするにあるべかるらし
 
347 世界の様々の遊びの方法の中で、一等おもしろいのは、醉うて、管をまく事にきまつてる。
 
348 現世《コノヨ》にし樂《タヌ》しくあらば、來世《コムヨ》には、蟲にも鳥にも、我《ワレ》はなりなむ
 
348 今生で遊び戯れて居たら、來世は、人間には生れられないと云ふが、今生さへ面白く暮したら、來世は畜生道へ落ちて、蟲になり、鳥になり、なつても、自分は甘んじてゐよう。
 
349 生けるもの竟《ツヒ》にも死ぬるものにあれば、此世なる間《マ》は樂《タヌ》しくをあらな
 
349 生者必滅と云ふ通り、生きて居るものは、何時か死ぬるものであるから、此世にある間は、おもしろをかしく暮して居ようよ。
 
350 黙《モダ》居りてさかしらするは、酒飲みて醉ひなきするになほ如かずけり
 
350 賢ぶつて黙《ダマ》つて居て、色々な事をするのは、酒飲んでくだまくのにも、なか/\及ばない事だよ。(旅人の此享樂的の態度には、一點の曇りもない。不平家の悶えを遣る爲の糊塗、近代人のする、廢頽的傾向のものとは、全然別種のものである處に、目を開いて見ねばならぬ。)
 
  沙彌滿誓《シヤミノマンセイ》の歌
 
351 世の中を何に譬へむ。朝發《アサビラ》き、漕ぎにし船の痕《アト》なきがごとし
 
351 世の中を如何《ドウ》云ふ物に譬へようか。言うて見れば、ちようど朝の船出に漕いで行つた船が、其漕いだ痕さへもつかない樣なものだ。(死んだ後は、この世に居たといふ、記念さへ殘らないのだ。)
 
  若湯座王《ワカユヱノオホキミ》の歌
 
352 蘆べには鶴《タヅ》がね鳴きて、港風寒く吹くらむ、津乎《ツヲ》の崎はも
 
352 昔行つた事のある、津乎の崎が思はれる。今頃は、蘆の生えた岸には、鶴が鳴いて、港口から吹き込む風が、寒い事であらう。その津乎の崎よ。
 
  釋通觀《シヤクツウグワン》の歌《ウタ》
 
353 み吉野の高城《タカキ》の山に、白雲は行きはばかりてたなびけり、見ゆ
 
353 吉野の高城山に、空を通る白雲も行くのを遠慮して、横に懸つてゐる。それが、此處から見える。
 
  日置少老《ヘキノコオユ》の歌
 
354 繩《ナハ》の浦に鹽燒く煙、夕されば、行きすぎかねて、山にたなびく
 
354 繩の浦で鹽を燒いてゐる煙が、日暮れになると、立ち上つてしまふ訣《ワケ》にもなりかねて、山に、横に長く懸つてゐる。
 
  生石眞人《オフシノマビト》の歌
 
355 大汝少彦名《オホナムチスクナヒコナ》のいましけむ、志都《シヅ》の石窟《イハヤ》は、幾世へぬらむ
 
355 昔大汝命・少彦名神のお二方がお出でになつた相な、この志都の石窟は、それから何代經てる事だらう。
 
  上古《カミノフル》麻呂の歌
 
356 今日もかも、飛鳥の川の夕さらず河蝦《カハヅ》なく瀬の、さやけかるらむ
 
356 今日らあたりは、毎晩河鹿の鳴く、あの飛鳥川の川の瀬の景色が、さつぱりして好い事であらうよ。
 
  山部(ノ)赤人の歌。六首
 
357 繩《ナハ》の浦|從《ユ》そがひに見ゆる沖つ島、漕ぎ廻《タ》む船は釣りせすらしも
 
357 繩の浦から見ると、向うの方に見える、沖の方の島を、漕ぎ廻つて行く、あの船の漁夫は、釣りをしてゐるのに違ひない。(せす〔二字傍線〕は、勞働者につける習慣の敬語。)
 
358 武庫《ムコ》の浦を漕ぎ廻《タ》む小舟《ヲブネ》。粟島《アハシマ》をそがひに見つゝ、羨《トモ》しき小舟
 
358 武庫の浦を漕ぎ廻つて行く小舟、あゝその舟よ。粟島をば向うに眺め乍ら、好い景色を恣に眺めてゐる羨しい小舟よ。
 
359 阿倍《アベ》の島、鵜《ウ》の住む岩《イハ》に寄する波、間なくこの頃大和しおもほゆ
 
359 この阿倍島の岩に鵜が始終止つてゐる、其處に寄せて來る波が、間斷なくうつてゐる樣に、間斷なく、此頃、大和が思はれてならぬ。
 
360 潮干なば玉藻苅り積《ツ》め。家の妹が濱|土産《ヅト》乞はゞ、何を示さむ
 
360 潮がひいたら、玉藻をば苅り貯めて置け。若し歸つて、家にゐる妹が、濱の土産をくれ、と云うたら何を見せよう。ほかに何もないから。
 
361 秋風の塞き朝けを、狹野《サヌ》の岡越ゆらむ君に、衣《キヌ》かさましを
 
361 秋風のつめたく吹く、明け方の狹野の岡を、今頃は、あのお方が、越えて入らつしやるだらうが、さぞ寒いだらうから、著物をお貸し申したいがね。
 
362 海※[骨+鳥]《ミサゴ》ゐる荒磯《アリソ》に生《オ》ふる莫告藻《ナノリソ》の、名は宜《ノラ》してよ。親は知るとも
 
362 海※[骨+鳥]の下りてゐる、荒い岩濱に生えた、莫告藻ではないが、私の爲に思ひ切つて名告《ナノ》つて、心を許してお了ひなさい。其爲に、親達が二人の間を知つても、かまはないではありませんか。
 
  笠(ノ)金村、鹽津山で作つた歌
 
364 健兒《マスラヲ》が弓末《ユズヱ》振り起し、射つる失を。後《ノチ》見む人は、語りつぐがね
 
364 此鹽津山を越えて來ると、昔住んでゐた、強弓の人の傳説が思ひ起される。其壯士が弓筈を振り立てゝ、放つた所の、後々見る人が語り續ぐ程に、立派に射た矢よ。(自分も此から任地に赴いて、若しもの事があつたら、立派に弓を射ねばならぬ。)
 
365 鹽津山《シホツヤマ》うち越えゆけば、我が乘れる馬ぞつまづく。家戀ふらしも
 
365 鹽津山を越えて行くと、自分の乘つてゐる馬が、立ち止つて躊躇してゐる。これは諺に言ふ通り、家で、私の事を焦れてゐるに違ひない。
 
  角鹿《ツヌガ》の津で舟遊びした時、笠(ノ)金村の作つた歌。並びに短歌
 
366 越の海の角鹿《ツヌガ》の濱|從《ユ》、大船に眞※[楫+戈]《マカヂ》貫《ヌ》き下《オロ》し、いさなとり海路《ウミヂ》に出でゝ、喘《アヘ》ぎつゝ我が漕ぎ行けば、健男《マスラヲ》の田結《タユヒ》个浦に、蜑少女鹽燒く煙、くさまくら旅にしあれば、獨りして見る效《シルシ》なみ、海神《ワタツミ》の手に纏《マ》かしたる、たまだすきかけて偲びつ。大和島根を
 
366 越の國の海にある、角鹿の濱をば、大きな船に※[楫+戈]をさし下して、海上に出て、一所懸命に苦しい息をつき乍ら、漕いでゆくと、手結个浦に、蜑の少女の鹽を燒く煙は見えるが、自分は旅に居るのであるから、たつた獨りで見てゐても、詮なく思はれる。それにつけても、心に浮べて大和の國の事を思ひ出す事だ。(海神の云々。海の事を述べた續きから、海神の手にまき付けたと起して、更に其を玉襷とかけたのである。そして、又次のかく〔二字傍線〕と云ふ語を起したのだ。)
 
  反歌
367 越の海の田結个浦を、旅にして見ればともしみ、大和|偲《シヌ》びつ
 
367 越の國の海にある、田結の浦の景色を、旅に出てゐて見ると、見飽かぬよい景色だ。それにつけても、思ひ出されるのは、大和の事である。
 
  石上(ノ)乙麻呂大夫の歌
 
268 大船にま※[楫+戈]《カヂ》繁《シヾ》ぬき、大君のみ言《コト》かしこみ、あさりするかも
 
268 天皇陛下の仰せを畏まつて、大きな船に、※[楫+戈]を一杯さして、海に漁りに出る事よ。(と暗に、自分の流罪について、不平を洩したのである。)
 
  某の和せた歌
 
369 武士《モノヽフ》の臣《オミ》の男《ヲトコ》は、大君の任《マケ》のまにまに、聞くと云ふものぞ
 
369 天子の御殿を守る御大身の立波な男は、何事も、天子の御命令の通りに從ふ、と云うて居りますぞ。(と云うて、配流の悲しみを慰めたのである。)
 
  阿倍(ノ)廣庭《ヒロニハ》卿の歌
 
370 雨降らでとの曇《グモ》る夜の、濡れひづと戀ひつゝ居りき。君待ちがてり
 
370 雨が降りさうで降らない、空一帶に曇つた晩には、露が降りる樣に、著物もぼと/\に濡れて、焦れてゐた事です。あなたを待ちがてらに。
 
  出雲(ノ)守|門部《カドベノ》王都を思はれた歌
 
371 意宇《オウ》の海の河原の千鳥、汝《ナ》が鳴けば、我が佐保川の思ほゆらくに
 
371 意宇の海の岸の砂地にゐる千鳥よ。お前が鳴くと、自分の故郷の佐保川の事が、思はれて爲方がないことだ。
 
  山部(ノ)赤人、春日《カスガ》野の高みに登つて作つた歌。並びに短歌
 
ハルビカスガタカクラミカサ
372 春日《》を春日《》の山の、高座《》の御笠《》の山に、朝さらず雲居たなびき、貌鳥《カホドリ》の間《マ》なく屡《シバ》鳴く、雲居なす心いさよひ、其鳥の片戀ひのみに、晝はも日のこと/”\、夜《ヨル》はも夜《ヨ》のこと/”\、立ちて居て思ひぞ我がする。會はぬ子故に
 
372 春日の山の御笠山には、毎朝落ちもなく雲がぢつと懸つてゐて、貌鳥が隙き間なしに、始終鳴いてゐる。其懸つてゐる雲の樣に、心がためらひ、其鳥が焦れてゐる樣に、片思ひばかりして、晝は一日中、夜になると、夜通し、立つたり坐つたりして、色々と物思ひをする事だ。會うてくれない人であるのに、其人の爲に。
 
  反歌
 
373 高座《タカクラ》の御笠の山に鳴く鳥の、止《ヤ》めばつがるゝ戀ひもするかも
 
373 御笠山に鳴いてゐる鳥が、鳴き止んだと思へば、すぐ後から鳴き續ける樣に、思ひきつた後から續いて、どうも出來ない戀ひをする事だ。
 
  石上乙麻呂《イソノカミノオトマロ》大夫の歌
 
374 雨降らば、著むと思へる笠の山、人にな著せそ。濡れはひづとも
 
374 雨が降つたら、自分が著ようと思うてゐる、笠の山よ。人には、たとひ、濡れてぼと/\になつて居ても、著せてやるな。(たとひ他の人が、泣き焦れてゐても、其人の言ふ事を聽いて、遇うてはいけない。山の譬喩。)
 
  湯原《ユハラノ》王の吉野の歌
 
375 吉野なる夏箕《ナツミ》の川の川淀に、鴨ぞ鳴くなる。山陰にして
 
375 吉野の夏箕川の川の淀んでゐる處に、鴨が鳴いてゐる事だ。其山陰の川淀で。
 
  湯原(ノ)王の宴席の歌。二首
 
376 あきつばの袖振る妹を。たまくしげおくに思ふを。見たまへ我君《ギミ》
376 蜻蛉《トンボ》の羽《ハネ》の樣な、薄絹の袖を振つて舞ふ、いとしい人を見て下さい。此女を私は、心底から思うてゐるのです。此女を見て下さい。あなた。(と美人を、客に誇つた歌。)
 
377 青山の峯の白雲、朝に日《ケ》に、常《ツネ》に見れどもめづらし。我君《ワギミ》
 
377 お客樣方、御紹介致しますが、此女は、青山の峯に懸つてゐる白雲の樣に、毎日毎朝見てゐても、何時も珍しい心持ちのする女なんです。諸君。
 
  山部(ノ)赤人、故太政大臣藤原(ノ)不比等公の家の庭の池を見て作つた歌
 
378 昔見し古き堤は、年深み、池の渚《ナギサ》に水草《ミクサ》生《オ》ひにけり
 
378 故太政大臣のおいでになつた時分に、拜見したお庭の池の昔の堤は、其後、年が多く經つて、手入れの行き屆いて居た池の水ぎはにさへ、水草が生えた事だ。
 
  大伴坂上郎女《オホトモノサカノヘノイラツメ》、神を祭つた歌。並びに短歌
 
379 久方の天《アマ》の原《ハラ》よりあれ來たる神の尊《ミコト》。奥山の榊が枝に、しらがづく木綿《ユフ》取り付けて、齋瓮《イハヒベ》を齋《イハ》ひ掘り据ゑ、竹玉《タカダマ》を繁《シヾ》に貫《ヌ》き垂《タ》り、鹿《シヽ》じもの膝折り臥《フ》せ、嫋女《タワヤメ》の襲衣《オスヒ》取りかけ、かくだにも我はこひ祈《ナ》む。君に遇はぬかも
 
379 高天原から此地へ現れてお出でになる、尊い神樣よ。私はあなたを祭る爲に、人の行かぬ奥山の榊の枝に、眞白な木綿を取り付けて、地面には齋瓮の瓮を、謹み清めて掘つて裾ゑ置き、首には、竹玉を一杯に糸に通して垂れて、鹿の樣に膝を折つてすわりこみ、女の著るうちかけの著物を、頭から著こんで、此樣にまでして、私はお願ひ致します。何卒いとしいお方に遇ひたいものです。遇はして下さい。
 
  反歌
 
380 木綿《ユフ》だゝみ手に取り持ちて、かくだにも我《ワレ》はこひ祈《ナ》む。君に逢はぬかもも
  右の歌、天平五年十一月、大伴宗家で、氏神を祭つた時に作つたもの。
 
380 木綿でこさへた疊を手に持つて、神を此樣に迄して、願ひ祈つて居ります。戀しい人に遇ひたいものであります。(當時の貴族の家に行はれた信仰と、傳習の脈搏をうつて現れてゐる歌。しかし、歌はくだ/”\しい。)
 
 
  筑紫處女《ツクシノヲトメ》、餞別に贈つた歌
 
381 家|思《モ》ふと心すゝむな。風《カザ》まもりよくしていませ。荒き其道
 
381 いくら大和の家が戀しいからと云うて、むやみにいらだつて、お出かけになつてはいけません。風の容子をよく待ちうけて、其上で出かける事になさいませ。危險な其道中をば。
 
  筑波《ツクバ》山に上つて丹比國人《タヂヒノクニビト》の作つた歌。竝びに短歌
 
382 鷄がなく吾妻の國に、高山はさはにあれども、二上《フタガミ》の尊き山の、竝立《ナミタ》ちの見がほし山と、神代より人の言ひ繼ぎ、國見する筑波の山を、冬籠《フユゴモ》りときじく時と、見ずて去《イ》なばまして戀しみ、雪|消《ゲ》する山道《ヤマミチ》すらをなづみぞ我が來《コ》し
 
382 東の方の國では、高い山は澤山あるが、男體女體のお二方の入らつしやる尊い山で、二つの山の竝んでゐる容子が、見ても見あかない山である、と昔から人の語り繼いで、國見をする事になつてゐる、筑波山をば、今は時候はづれの時だ、と云ふので、見ないで歸つたならば、一向知らなかつた時よりも、戀しさがつのる事だらうと思うて、雪消の水の流れてゐる山道さへも、苦しみ乍ら、私が越えて來た事だ。
 
  反歌
 
383 筑《ツク》波嶺を餘處《ヨソ》のみ見つゝありかねて、雪|消《ゲ》の道をなづみ來《ケ》るかも
 
383 筑波の山を、側《ワキ》の方からばかり、見てゐる事は出來なくなつて、雪融けの山道を、難儀してやつて來た事だ。
 
  山部(ノ)赤人の歌
 
384 我が宿に韓藍《カラアヰ》蒔きおふし、枯れぬれど、懲りずて復《マタ》も蒔かむとぞ思ふ
 
384 自分の屋敷内に、紅《ベニ》の花を蒔いて生やして、其は枯れて了うたけれども、性懲りもなく、再蒔かうと思うてゐる。(これは戀ひに失敗して、又改めて、戀ひをしようと云ふのである。)
 
  柘枝《ツミノエ》の仙女《センニヨ》の歌。三首
 
385 あられふり吉志美《キシミ》个|嶽《ダケ》をさかしみと、草とりかねて、妹が手をとる
 
385 連れて登つて貰ふ、吉志美嶽が險阻だと云ふので、たよりの草さへもつかみかねて、いとしい人の手をとる事だ。(味稻の心持ちを、歌うたもの。)
 
386 この夕《ユフベ》、柘《ツミ》のさ枝《エダ》の流れ來《コ》ば、簗《ヤナ》は打たずて、取らずかもあらむ
 
386 昔味蹈と云ふ老人は、此川の邊で、柘の枝の流れ寄つたのを拾うて、やがて、其枝の人間の形に化生した、仙女と契つたと云ふが、此日暮れに、柘の小枝が流れて來たならば、簗をかけずに、其枝をとらずに居られようか。
 
387 いにしへに簗うつ人のなかりせば、こゝもあらまし、柘の枝はも
 
387 昔簗うつた人が、其枝を取らなかつたならば、今此處にでも流れて來てゐるべき筈の、柘の木の枝よ。残念な事をした。
 
  旅の歌。並びに短歌
 
388 海神《ワタツミ》は靈《アヤ》しきものか。淡路島|中《ナカ》に立て置きて、白波を伊豫にめぐらし、居待ち月明石の海峽《ト》從《ユ》は、夕されば汐を滿たしめ、明けゆけば潮を干しむ。潮騷《シホサヰ》の波をかしこみ、淡路島磯|隱《ガク》りゐて、何時しかも此夜明けむとさもらふに、寢《イ》の寢《ネ》がてねば、激湍《タギ》の上の朝野の雉子《キヾシ》、明けぬとし立ちとよむらし。いざ子ども、あへて漕ぎ出《デ》む。海面《ニハ》も靜けし
 
388 海の神と云ふものは、不思議な力を持つてゐるものだ。眞中に淡路島を立てゝ置いて、此明石からぐるりと伊豫の二名《フタナ》の島即四國の方までも、波を取り卷かせて、明石の海峽からは、日暮れになると、潮を一杯にさゝせ、夜が明けると云ふと、潮をひかせてゐる。それ故に潮流のみなぎつて鳴り響く、潮|騷《サヰ》の高く立つ波を恐れて、淡路島の岩濱の蔭に隱れて、早く今晩が明けてくれゝばよい、と待つて居るので、寢るにも寢られないでゐると、激湍の邊にある朝の野を立つ雉子が、夜が明けたと云うて、大きな聲を立てゝ飛びだす容子だ。さあ船頭どもよ、もう、思ひ切つて漕ぎ出ようではないか。水面も靜かである。
 
  反歌
 
389 島傳ひ敏馬《ミヌメ》の崎を漕ぎ廻《タ》めば、大和戀しく、鶴《タヅ》さはに鳴く
 右一首、若宮(ノ)年魚麻呂が諳誦してゐた歌。
 
389 島傳ひに船を遣つて、敏馬岬を漕ぎ廻ると、段々と大和が見えなくなる。其大和を戀しく思はせる樣に、鶴が、澤山鳴いてゐる事だ。
 
  譬喩の歌
 
  紀皇女《キノヒメミコ》の御歌
 
390 輕《カル》の池の浦曲《ウラワ》もとほる鴨すらに、玉藻の上に獨り寢なくに
 
390 輕の池の入り込みを、泳ぎ廻るあの鴨を御覧なさい。あんなものでも、藻の上で妻と一處に寢て、獨りは寢ません。それに、私は何うした事でせう。
 
  造筑紫觀世音寺(ノ)別當|沙彌滿誓《シヤミノマンセイ》の歌
 
391 とぶさ立て足柄《アシガラ》山に舟木伐《フナギキ》り、木に伐りゆきつ。あたら丹木を
 
391 あゝ惜しい木であつたが、足柄山で舟木を伐つて、それを舟材にする爲に、他人が持つて行つてしまうた。惜しい舟木をば。(女が他人に縁づいたのを、隱して述べてゐる。)
 
  太宰大監《ダザイノダイケン》大伴百代《オホトモノモヽヨ》の歌
 
392 ぬばたまの其夜の梅を、た忘れて折らで來にけり。思ひしものを
 
392 あの晩見た梅の花を、折ればよかつたのに、ふと忘れて、折らないで戻つて來た。美しい梅だと、懷しう思うてゐながら。(これも、女を梅に譬へたのだ。)
 
  沙彌(ノ)滿誓の月の歌
 
393 見えずとも、誰戀ひざらめ。山の端にいさよふ月を、よそに見てしが
 
393 月が見えないからと云うて、月の事を思ふ心を斷念する人がありませうか。せめて、山の上を出かねて、ぐづ/”\してゐる月の影を、一目傍からでも見たいものだ。(逢へないでも、よそ乍ら戀ひ人を見たい。)
 
  金明軍《コンノミヤウグン》の歌
 
394 標《シメ》結《ユ》ひて我が定めてし、住の江の濱の小松は、後も我が松
 
394 標《シルシ》を付けて、私の物ときめて置いた、住吉の濱にある小松は、立派に私の物で、將來とても、私の松である。(これは、幼い戀ひ人を隱して歌うてゐる。)
 
  笠(ノ)郎女が、大伴(ノ)家持に贈つた歌。三首
 
395 筑摩野《ツクマヌ》に生《オ》ふる紫、衣《キヌ》に染《シ》め、未《イマダ》著ずして色に出でにけり
 
395 筑摩野に生えてゐる紫は、著物に染めたが未《マダ》著てもみない先、即思ひこんでる爲に、契りもせないのに、顔色に出て、人に悟られました。
 
396 陸奥《ミチノク》の眞野《マヌ》の茅原《カヤハラ》、遠けども、面影にして見ゆとふものを
 
396 何事も思ひ込んで居れば、其姿が幻で見えると云ふ。あなたは、わたしの夢さへも見ないと仰つしやる。陸奥の眞野茅原は、遠い事は遠いが、心さへ深ければ、見る事も出來ると申します、其は、御心のない證據です。
 
397 奥山の岩下菅《イハモトスゲ》を根深めて、結びし心忘れかねつも
 
397 奥山の岩の下に生えてゐる麥門冬ではないが、根深くも、即底深く結んで置いた(約束して置いた)心は、忘るゝ事が出來ませんことよ。
 
  藤原(ノ)八束《ヤツカ》の梅の歌。二首
 
398 妹が家《イヘ》に咲きたる梅の、何時《イツ》も/\、なりなむ時に事は定めむ
 
398 いとしい人の家に咲いてゐる梅ではないが、何時でもよろしい。都合よく思ひが叶うた節には、明らかな約束をしよう。
 
399 妹が家に咲きたる花の梅の花、實《ミ》にしなりなば、かもかくもせむ
 
399 お前さんの家に咲いてゐる、梅の花ではないが、いふことを聞いてくれた曉は、何とでもお前の言ふ通りにしよう。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の梅の歌
 
400 梅の花咲きて散りぬと、人は言へど、我が標《シメ》結《ユ》ひし枝ならめやも
 
400 梅の花は、最早散つて了つた、と人は噂をするけれど、それは、私の標を付けて置いた枝である筈はない。(咲きて散ると云ふのは、心の變つた事である。此は女に與へた皮肉であらう。まさか心がはりはすまいね。人の噂は嘘だと信じる、と反語的にいうたのである。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、親族を集めて宴會した日、即席に歌うた歌
 
401 山守《ヤマモリ》のありける知らに、其山に標結ひ立てゝ、結《ユ》ひの恥ぢしつ
 
401 この山には、ちやんと山守りが居たんだ。其を知らないで、又私が、わざ/”\標を結び設けて、其山に標を結《ユ》うた爲の耻をかきました。(駿河麻呂に、戯れた歌である。)
 
  大伴(ノ)駿河麻呂が、即座に和《アハ》せた歌
 
402 山守はけだしありとも、我妹子《ワギモコ》が結ひけむ標《シメ》を、人解かめやも
 
402 若し山守り即妻があつても、あなたが標を結び付けたなら、人が解きませうか。それに、結びつけもなさらないで入らつしやる。それは、あなたの臆病です。
 
  大伴家持大伴(ノ)坂上(ノ)大孃に贈つた歌
 
403 朝に日《ケ》に見まくほりする其玉を、如何にしてかも、手|從《ユ》離《カ》れざらむ
 
403 毎日毎朝見てゐたいと思ふ其玉をば、どうすれば暫くでも、手から離さずにゐられようか。(おまへさんを、始終側において置きたい。)
 
  某(ノ)處女、佐伯《サヘキノ》赤麻呂に贈つた歌
 
404 ちはやぶる神の社しなかりせば、春日の野邊に粟蒔かましを
 
404 神の社さへなかつたならば、春日の野に、粟を蒔かうと思ふのに、社が邪魔で爲方がない。(赤麻呂が、女に言ひ贈つた其返事なので、あなたには奥樣があるから、駄目だと云うたのである。)
 
  佐伯(ノ)赤麻呂の和せた歌
 
405 春日野に粟まけりせば、何時しかに續ぎてゆかましを。社とむとも
  復《マタ》、處女の答へた歌
 
405 たとひ社で引止めても、春日野に粟さへ蒔いて置いたなら、其内には、絶えず通ふ樣に致しませうが、さうしてくれないぢやありませんか。
 
406 吾が祀る神にはあらず、健男《マスラヲ》にとめたる神ぞ。よく祭るべき
 
406 其社の神と仰つしやるのは、私が祀る神でありません。わたしには、關係がありません。あなたゞけに限つて守つてゐられる神であります。念を入れて、お祀りになるがよいでせう。(あなたはかれこれと仰つしやるが、奥さんが恐しくて、え入らつしやらないんだから、精々大事になさい。)
 
  大伴(ノ)駿河麻呂、坂上《サカノヘ》家の二番目の孃《イラツメ》に思ひを寄せた歌
 
407 春霞春日の里の植ゑ小水葱《コナギ》、苗《ナヘ》なりと言ひし、枝《エ》はさしにけむ
 
407 春日の里に植ゑた水葱《ナギ》は、未苗だと言うて居た水葱だが、何時の間に、枝を發したのか、立派になつた。(もう一人前の女となつた事だ。わたしの意に從うて下さい。)
 
  大伴(ノ)家持、坂上《サカノヘ》家の大孃《オホイラツメ》に贈つた歌
 
408 撫子の其花にもが。朝に日《ケ》に、手に取り持ちて、戀ひぬ日なけむ
 
408 あなたはちようど撫子の樣な人であるから、いつそ、其花でゞもあつて下さつたら、焦れてゐるにしても、毎日毎朝、手に取らないで、焦れて居る曰はなからう。手にとつて焦れて居れば、心が慰まるのに。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌
 
409 一日《ヒトヒ》には千重《チヘ》波|頻《シキ》に思へども、なぞ其玉の手に纏《マ》き難き
 
409 一日の内には、波が千遍もよせるやうに續け樣に思うてゐるが、どうして、あの玉が自分のものとして、手に纏き付けにくいのだらう。(波の縁で、玉、頻など云ふ語を出したのである。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の橘の歌
 
410 橘を宿に植ゑ生《オ》ふせ。立ちてゐて後《ノチ》に悔ゆとも、しるしあらめやも
 
410 橘の木を、早くあなたの前栽に植ゑて、お育てなさい。後で立つたり、坐つたり煩悶して、殘念がりなさつても、效能がありますまいよ。(早く我が娘を迎へて、妻とせなければ、後悔しても爲方がない。)
 
  大伴(ノ)家持の和《アハ》せた歌
 
411 吾妹子《ワギモコ》が宿の橘、いと近く植ゑてし故に、ならずば止まじ
 
411 あなたの屋敷の橘は、私の家に、非常に近く植ゑてあるんだから、實がならないでは、斷念は致しません。(あなたの娘御は、私と此樣に縁が深いのだから、どうしても、夫婦にならなければおかない。)
 
  市原《イチハラノ》王の歌
 
412 頂《イナダキ》に著統《キス》める玉は二つなし。かにもかくにも君がまに/\
 
412 頭に付けてくゝつてゐる、つないだ玉は、只一つである。其樣に、私はあなたに、二心は持つてゐない。あなたの心任せに、どうとでもしませう。
 
  大網人主《オホアミノヒトヌシ》が、宴席で朗吟した歌
 
413 須磨の蜑の鹽燒衣《シホヤキギヌ》の葛衣《フヂロロモ》、間遠《マドホ》くしあれば、未《イマダ》來なれず
 
413 須磨の蜑が鹽を燒く時に著てゐる、葛の著物の隙き間が多い樣に、遠く離れてゐますので、未餘り參り馴れた事は御座いません、今日初めて參つて、丁重な扱ひを受けました。(本來は戀ひ歌で、時々しか逢はないので、うちとけないといふこと。著に來をかけてゐる。)
 
  大伴(ノ)家持の歌
 
414 あしびきの岩ねこゞしみ、菅の根を引かば難みと、標《シメ》のみぞ結《ユ》ふ
 
414 山の岩がごつ/”\としてゐるので、寄りつけない邊に生えてゐる麥門冬の根が、引かうとすると、引きにくからうといふので、只自分の物だ、と云ふしるし許りを付けて置く事だ。(障碍多くて、言ひ入れて見ないが、只他人に奪はれぬ樣にしておく。)
 
    挽歌
 
  上宮(ノ)聖徳太子|竹原井《タカハラノヰ》に遊ばれた時、龍田山で死人を見て、悲しまれたと云ふ傳説のある歌
 
415 家ならば、妹が手|枕《マ》かむ。くさまくら旅に臥《コヤ》せるこの旅人《タビト》あはれ
 
415 此人も家に居たなら、妻の手を枕としてゐるのであらうが、旅に出て、病ひで寢てゐなさる、此旅人が氣の毒だ。(偉人の博大な心が、傳説的な色彩と相俟つて、懷しみを湧かせる歌。)
 
  大津《オホツノ》皇子死罪になられた時、磐余《イハレノ》池の堤で、泣く泣く作られた御歌
 
416 もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲隱《クモガク》りなむ
 
416 これ迄は、度々磐余の池に來て遊んだが、其池の鴨も、今日で見納めだ。これを限りとして、自分は死んで行く事であらう。
 
  河内《カフチノ》王を、豐前(ノ)國鏡山に葬つた時、手持女王《タモチノヒメオホキミ》の作られた歌。三首
 
417 王《オホキミ》の陸魂《ムツタマ》あへや、豐國《トヨクニ》の鏡の山を、宮と定むる
 
417 河内(ノ)王がなつかしまれ御心に叶うてゐるためか、豐の國の鏡山をば、御所と定めて、お這入りなさつたのであらう。
 
418 豐國の鏡の山の岩門《イハト》立て、籠《コモ》りにけらし。待てど來まさず
 
418 いくら待つても、お出でにならない。豐國の鏡山の岩戸を閉めきつて、岩窟の中にお籠りになつたに違ひない。
 
419 岩門破る手力もがも。嫋《タワヤ》き女《メ》にしあれば、術《スベ》のしらなく
 
419 王が籠つておいでになる、岩窟の戸を叩きわる力があればよいのだが、なよ/\とした女の事だから、何うしてよいか訣らない。殘念な事だ。(この三首は、自ら嫋き女にしあればといはれてゐるが、女性として能ふだけの情熱と遒勁とが表れてゐる。)
 
  石田《イハタノ》女王卒せられた時、丹生《ニフノ》王の作られた歌。並びに短歌。二首
 
420 嫋《ナユ》竹のとをよるみ子《コ》、さにづらふ我が王《オホキミ》は、隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の山に、神さびにいつきゐますと、玉梓《タマヅサ》の人ぞ言ひつる。およづれか吾が聞きつる。曲《マガ》事か吾が聞きつるも。天地《アメツチ》に悔《クヤ》しき事の、世の中のくやしき事は、天雲《アマグモ》のそくへのきはみ、天地の至れる迄に、杖つきも、つかずも行きて、夕占《ユフケ》とひ、石占《イシウラ》持ちて、我が宿に神籬《ミモロ》を立てゝ、枕邊に齋瓮《イハヒベ》を据ゑ、竹玉《タカダマ》を間なく貫《ヌ》き垂り、木綿襷《ユフダスキ》かひなにかけて、天《アメ》なるさゝらの小野《ヲヌ》の七編菅《ナヽフスゲ》手に取り持ちて、ひさかたの天《アマ》の川原に、出で立ちてみそぎてましを。高山の巌の上にいませつるかも
 
420 女竹の樣に嫋《シナ》やかな女王で、あか/\とした美しい顔の我が石田(ノ)女王よ。其|方《カタ》は泊瀬山に神々しう祀られておいでになる、と使ひの者がいうた。それは人の心を惑はす流言を、自分が聽いたのか、禍を降す語を耳にした事か。天地間で一等殘念な事で、而も世界中で一番殘念な事は、雲のはての限り、天と地の屆いてゐる果て迄も、行ける處迄、杖をつくべき處はつき、つかぬ處はつかずに出かけて行つて、日暮れの辻に辻占を聞いて見たり、石の占ひをしたりしても訣らない。そこで、自分の家の庭に、神樣を祀る場所をこしらへて、其人の寢た枕許には、清らかな祭りの瓮をほり据ゑ、首には竹の玉を隙き間なく通して垂れ、ゆふ〔二字傍点〕でこしらへた、襷をかひなにかけて、天上の讃艮《サヽラ》野に生えた、長い菅を手に取つて、天の川の川原に出て行つて、みそぎをして身を清めてゞも、天迄もさがしに行きたい、と思うてゐたが、つく/”\と考へて見れば、高い山の岩床の上に、お据ゑ申したとの事であつた。(理智の世界の外に、神學化せない敬虔な宗教の世界を考へることの出來た、祖先の素朴な生活が窺はれる。)
 
  反歌
 
421 およづれの曲言《マガゴト》とかも。高山の巌の上に、君がこやせる
 
421 此樣な噂の聞えて來るのは、恐らく惡い言ひ觸しの、呪ひの言葉と思ふべきであらう。高山の岩の上に、君が寢て入らつしやると云ふ事だ。
 
422 石上《イソノカミ》布留《フル》の山なる杉群《スギムラ》の、思ひ過ぐべき君ならなくに
 
  同じく、石田《イハタノ》女王の卒せられた時、山前《ヤマザキノ》王の悲しんで作られた歌
 
422 布留の山にある杉林でないが、思ひ過ぎさす即、思ひなくしてしまふ事の出來る、あなたではない。いよ/\戀しい。
 
423 つぬさはふ磐余《イハレ》の道を、朝さらず行きけむ人の思ひつゝ通ひけましは、時鳥鳴く五月には、あやめ草花橘を玉に貫《ヌ》き※[草冠/縵]《カヅラ》にせむと、九月《ナガツキ》の時雨の時は、もみぢ葉を折りかざゝむと、はふ蔓《ツタ》のいや遠長く、萬代に絶えじと思ひて、通ひけむ君をば、明日|從《ユ》よそにかも見む
 
423 おかくれになつた、石田ノ女王の住まはれた磐余の道をば、毎朝落ちなく通つて行つた人が、思ひ乍ら通つて行つた其心は、時鳥の鳴く五月になると、あやめや、花橘を、藥玉の緒にさして、共に遊ばうと思ひ、秋の末の時雨の降る時分には、紅葉を共にかざして遊ばうと思ひ、何時々々迄もずつと長くとぎれる事なく、樂しまうと思うてゐられた所の其肝腎のあなたをば、明日からは側へも寄れずに、居らねばならぬ事となるでせう。
 
  異本の反歌
 
424 隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》少女が手に纏《マ》ける玉は、亂りてありと言はずやも
 
424 泊瀬の里の處女が手に纏き付けてゐる玉は、緒が切れて亂れてゐると人が云ふではないか。果して事實だらうか。(これは、泊瀬山に墓があつた處から泊瀬處女を出して、玉が亂れてゐるとて、大事の人が亡くなられた事を述べたのである。)
 
425 川風のさむき泊瀬を、嘆きつゝ君があるくに、似る人もあへや
 
425 泊瀬川の風がさむく吹く泊瀬の里を、ため息つきつゝ、あなたが歩きなさる時に、せめては亡くなつた方に似てる人でも、出逢うてくれゝばよいが。(死んだ人に逢ひたいといふのは、平凡である。眞につきつめた心からは、せめて面ざしの似た人にでも逢はゞと願ふ切な情が起る。傑作。)
 
  柿本(ノ)人麻呂、香具山で人の死骸を見て悲しんだ歌
 
426 くさまくら旅の宿りに、誰《タ》が夫《ツマ》か、國忘れたる。家待たまくに
 
426 旅の泊りに寢て、家を忘れてゐる人は、誰の夫であるのか。家では、嘸待つてゐるであらうに。(人麻呂には、神の心が見える。單なる同情ではない。)
 
   田口廣麻呂《タグチノヒロマロ》が死んだ時、刑部垂《オサカベノタル》麻呂の作つた歌
 
427 もゝたらず八十《ヤソ》の隅曲《クマワ》に手向《タム》けせば、過ぎにし人に、けだし逢はむかも
 
427 澤山の道の辻々にゐられる、神に捧げ物をしたら、道祖《フナド》の神も死んでしまうた人の行くのを止めて下さつて、ひよつとすれば、逢ふ事が出來るだらうか知らん。
 
  土形處女《ヒヂカタノヲトメ》を、泊瀬山で火葬した時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌
 
428 隱國《コモリク》の泊瀬の山の山の問《マ》に、いさよふ雲は、殊にかもあらむ
 
428 泊瀬山の山あひに、動きもきらずに懸つてゐる雲は、死んだいとしい人の煙であるのだらうよ。(詠嘆せず、悲傷してゐない此歌に、却て眞情の流露せるを見るのだ。次の山の間の歌は、遙かに劣つてゐる。)
 
  水に溺れて死んだ出雲(ノ)處女を、吉野で火葬した時、柿本(ノ)人麻呂の作つた歌。二首
429 山の間《ユ》從《ユ》出雲の子等は、霧なれや、吉野の山の峰にたなびく
 
429 出雲の處女は、霧になつて了うたのかして、吉野山の峰に、長く懸つてゐる。(火葬の煙をいふのだ。)
 
430 やくもさす出雲の子らが黒髪は、吉野の川のおきになづさふ
 
430 出雲の處女の黒々とした髪は、吉野川の川の眞中につかつて、藻の樣に靡いてゐる。
 
  葛飾《カツシカ》の眞間處女《マヽノヲトメ》の墓を訪うて、山部赤人《ヤマベノアカヒト》の作つた歌。並びに短歌。二首
 
431 古《イニシヘ》にありけむ人の、倭文《シヅ》はたの帶解き交《カ》へて、伏屋《フセヤ》立て、妻訪《ツマド》ひしけむ、葛飾の眞間の手兒奈《テコナ》が、奥《オク》つ城《キ》を此處とは聞けど、眞木《マキ》の葉や繁りたるらむ。松が根の遠く久しき、言《コト》のみも、名のみも、我は忘らえなくに
 
431 昔居つたといふ人が、倭文はたの帶を解いて、女と交換して、其女を手に入れる爲に、假屋を立てゝ居たさうな、あの葛飾の眞間の里の手兒奈の墓をば、此邊とは聞いてはゐるけれども、尋ねて來て見ると、まあ其墓では、檜の葉が一杯に生え繁つてゐる事であるよ。其墓に延びてゐる松の根の樣に、今からは遠い長い以前になつて終うた事だ。併し其物語や、手兒奈の名さへも、自分には、深く記憶に止つて忘れられないが、墓はそれとも訣らない。(らむ〔二字傍線〕は、恍惚たる心持ちを、和かに述べたのだ。)
 
  反歌
 
432 吾も見つ。人にも告げむ。葛飾の眞間の手兒奈が奥《オク》つ城處《キドコロ》
 
432 名高い葛飾の眞間の手兒奈の墓處を、私も見る事が出來た。未《マダ》知らぬ人にも、語り傳へてやらう。
 
433 葛飾の眞間の入江に、うち靡く玉藻刈りけむ、手兒奈しおもほゆ
 
433 波にもまれて、長々と搖られてゐる玉藻をば、生きてゐる時分は、葛飾の眞間の入り海で、定めて刈つた事であらう。其手兒名の美しい容子が、思ひ浮べられる事だ。
 
  美保窟《ミホノイハヤ》懷古の歌
 
434 風早《カザハヤ》の美保《ミホ》の浦曲《ウラワ》の白躑躅《シラツヽジ》、見れどもさぶし。なき人思へば
 
434 美保の浦の入り込みの邊に、咲いてゐる白い躑躅の花を見ても、何やらはかない。今はゐない、昔此岩窟に籠つてゐた人の事を考へると。
 
435 みつみつし久米の若子《ワクゴ》が、い觸《フ》りけむ石《イソ》の草根《カヤネ》の、枯れまく惜しも
 
435 此邊は總て此岩窟に籠つてゐられた、久米の若子の記憶を呼び起すものばかりである。岩石に生えてゐる草さへも、若子の手にさはつた物だ、と思ふと、枯れるのが惜しい事だ。
 
  ※[手偏+讒の旁]入した歌。二首
 
436 人言の繁き此頃、玉ならば、手に纏《マ》き持ちて、戀ひざらましを
 
436 人の評判のうるさい此頃、遠慮して逢はずにゐると、戀しくてならぬ。いつそ彼の人が玉であつたら、手に卷きつけて、膚身を離さず、焦れないで居ようのに。
 
437 妹も我も淨見《キヨミ》の川の川岸の、妹がくゆべき心は持たじ
 
437 お前も私も、淨くさつぱりした心で、よくくえる淨見川の川岸でないが、お前さんが悔いる樣な、心をば持たぬ樣にしませうね。
 
  神龜《ジンキ》五年、大伴旅人《オホトモタビト》亡き人を戀うて作つた歌。三首
 
438 うるはしき人の枕《マ》きてし、しきたへの吾が手枕を枕《マ》く人あらめや
  右一首、死に別れて數十日の後に作つた歌。
 
438 可愛い人の生きて居つた時分に、枕として居つた自分の此手枕は、此後も枕として寢る人があらうか。決して他の女には許さない。
 
439 歸るべき時にはなり來《ク》。都にて、誰が手《タ》もとをか、吾が枕《マクラ》かむ
 
439 段々任期が滿ちて、歸る時になつて來たけれど、歸つた處で、誰の手をば枕にして、共に寢ようか。あゝ妻は死んでしまうた。
 
440 都なる荒れたる家に獨り寢ば、旅にまさりて苦しかるべし
 
440 奈良の都にある、荒れ果てた家に歸つて、たつた濁り寢てゐたら、今の旅寢以上につらい事だらう。(旅人は、苦勞知らずに育つた人と觀察せられてゐる。しかも熱情は、萬葉歌人中にも多く類を見ない。不平の爲に、貧苦の爲に、詩人になつた人でないことは考へねばならぬ。)
 
  右二首、都へ歸る期の近づいた頃の歌。
 
  神龜六年、左大臣|長屋《ナガヤノ》王が死を賜つて後《ノチ》、倉橋部《クラハシベノ》女王の作られた歌
 
441 大君の命かしこみ、大殯《オホアラキ》の時にはあらねど、雲|隱《ガク》ります
 
441 天皇陛下の仰せをかしこまつて、殯(ノ)宮にお這入りになる時でないけれど、雲の奥に隱れておしまひになることだ。
 
  膳部《カシハデベノ》王を悼んだ歌
 
442 世の中は、空しきものとあらむとぞ、此照る月は盈《ミ》ち缺けしける
 
442 此世界は、總て實體のない影の樣なものとして存《ア》るのだと云ふ訣か、此照してゐる月は、盈ちたり缺けたりする事だ。(おちつき拂うたよみぶりである。歌は、佛説に囚はれてゐるが、概念に墮してはゐない。)
 
  天平元年、攝津(ノ)國の班田(ノ)
史生|丈部龍麻呂《ハセツカベノタツマロ》縊れて自殺した時、班田(ノ)判官大伴(ノ)三中《ミナカ》の作つた歌。並びに短歌。二首
 
443 天雲《アマグモ》の向臥《ムカブ》す國の、武士《モノヽフ》と言はれし人は、皇祖《スメロギ》の神の御門《ミカド》に、外《ト》の邊《ヘ》に立ち侍《サモラ》ひ、内《ウチ》の邊《へ》に仕へまつりて、たまかづらいや遠長く、親の名も續ぎゆくものと、母父《オモチヽ》に、妻に、子どもに、語ひて立ちにし日より、たらちねの母の命《ミコト》は、齋瓮《イハヒベ》を前に据ゑ置きて、片手には木綿《ユフ》取り持たし、片手には和栲布奉《ニキタヘマツ》り、平けくまさきくませと、天地の神にこひ祈《ノ》み、如何ならむ年月日《トシツキヒ》にか、つゝじばな匂へる君が、黒鳥のなづさひ來むと、立ちてゐて待ちけむ人は、大君のみことかしこみ、おしてる難波の國に、あらたまの年|經《フ》る迄に、白妙の衣手乾さず、朝宵にありつる君は、如何樣に思ひませか、現身《ウツソミ》の惜しき此世を、露霜《ツユジモ》の置きて去《イ》にけむ。時ならずして
 
443 遠い國迄、名題の剛の者と言はれた所の武士は、皆、天子の尊い御所で、その表に立つて番をし、内の方で御奉公申し上げたりして、何時迄も長く、先祖の名迄も、絶えぬ樣に遺してゆくべきものだ。だから自分は任地に行く、と父母にも、妻子にも、元氣を付けて言ひながら、出發した日から、其母さんは、清らかな※[次/瓦]宝《カメ》を、座席の前に裾ゑて置いて、片方の手には、捧げ物の木綿を取り、片方の手には、やはらかな栲《タヘ》の布を捧げ申して、無事に、達者に居られるやうにと、天地間の神に祈つて、かうして何時になれば、美しい龍麻呂の君が、念力に引つぱられてやつて來ようか、と起つたり坐つたりして待つてゐた、その人即龍麻呂は、天子の御命令をかしこまつて、難波の國に年が經《タ》つまで、著物が泣いて濡れ通しに、朝晩暮して居つた其龍麻呂さんは、何う云ふ風に思ひなさつてか、肉體を持つて生きてゐる、此世の中を後にして、死ぬ時でもないのに、逝つて終うたのであらう。(部下の者に對する、情愛の濃やかさを思はないで、卒然と、此歌を讀んではならぬ。)
 
  反歌
444 昨日こそ君はありしか。思はぬに、濱松が上《ウヘ》の雲にたなびく
 
444 ほんに、昨日は龍麻呂さんは生きて居たのだ。それに思ひがけなくも、今日は火葬せられて、海岸の松原の上の、雲として懸つてゐる事だ。
 
445 何時しかと待つらむ妹に、たまづさの言《コト》だに告げず、去《イ》にし君かも
 
445 何時歸つて來る事か、早く/\と、國で待つてゐるだらうと思はれる細君に、たよりの言葉も告げないで、逝つて了うた人よ。
 
  天平二年十二月、大宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人都に向うて出向いた時、作つた歌。五首
 
446 吾妹子が見し鞆《トモノ》浦の※[木+聖]《ムロ》の木は、常世《トコヨ》にあれど、見し人ぞなき
 
446 死んだ我が妻が見た、鞆の浦の※[木+聖]の木は、變りなく不老不死であるけれど、見た人は、最早ゐない。
 
447 鞆(ノ)浦の磯の※[木+聖]《ムロ》の木、見む毎《ゴト》に、相見し妹は忘らえめやも
 
447 鞆の浦の岩濱に生えてゐる※[木+聖]の木を、これから後も見る度毎に、一處に眺めた妻をば、忘れる事は出來はすまい。
 
448 石《イソ》の上に根はふ※[木+聖]の木、見し人を何處《イカ》なりと問はゞ、語り告げむか
 
448 磯の岩の上に根を延してゐる※[木+聖]の木よ。此木を見た人を、今何處にゐるかと問うたならば、此木が知つてゐて、容子を話して聞かしてくれるかも知れない。
 
  右三首、鞆(ノ)浦を通る日に作つた歌。
 
449 妹と來し敏馬《ミヌメノ》崎を、歸るさに一人して見れば、涙ぐましも
 
449 來る時は、妻と一處に通つた、敏馬の崎をば、一人で見ると、涙ぐまれる事である。
 
450 行くさには、二人吾が見し此崎を、一人過ぐれば、見もさかず來《キ》ぬ
 
450 行きしなには、二人で私が見た、此敏馬の崎を、今一人で通るので、餘りの悲しさに、眺望もしないで通つて來た。(第一首は、漢詩文の影響が見える。第三首は、傑作である。木と人間との世界の交渉を感じることの出來たのは、旅人の歌の大きなものだ、といふことを暗示してゐる。)
 
  右二首、敏馬(ノ)崎を通つた日に、作つたもの。
 
  奈良の家に歸り著いた時、即座に作つた歌。三首
 
451 人もなき空しき家は、草枕旅にまさりて苦しかりけり
 
451 人も居ないがらんどうになつた家は、旅より以上に、居るに堪へ難いものだ。
 
452 妹として二人造りし吾が山齋《ヤマ》は、木高《コダカ》く繁くなりにけるかも
 
452 妻と二人で、造つた自分の前栽は、木が高く、みつしりと枝が延びた事であるよ。
 
453 吾妹子が植ゑし梅の木見る毎に、心むせつゝ涙し流る
 
453 死んだ妻が植ゑた、梅の木を見る度毎に、壓へてゐようと思うても、辛抱が出來ないで、心底からむせかへつて、涙が出る事だ。(第一首は、旅人の客觀力が思はれる。同樣なつきつめた感じを、かう平氣に歌ふことの出來る人はあるまい。)
 
  天平三年七月、大納言大伴旅人《オホトモノタビト》卿の薨じた時の歌。六首
 
  資人《トネリ》金明軍《コンノミヤウグン》、主人の懷しさに堪へないで、作つた歌。五首
 
454 はしきやし榮えし君のいましせば、昨日も今日も、吾《ワ》を召さましを
 
454 お懷しい盛んで入らつしやつた、御主人がお出でになつたら、此樣に、昨日も、今日も、自分を呼んで、用事をお言ひ付けにならぬ、と云ふ樣な事はなく、お召しになつてるであらうのに。
 
455 かくのみにありけるものを、萩が花咲きてありやと、問ひし君はも
 
455 今日は、こんなに萩が咲いた。それに此間、花はもう咲いてゐるか、とお問ひになつた御主人よ。(その方は、最早入らつしやらない。)
 
456 君に戀ひいたもすべなみ、あしたづの哭《ネ》のみし鳴かゆ。朝宵にして
 
456 御主人にお焦れ申して、餘りの遣る瀬なさに、唯泣きに泣くばかりである。朝にも晩にも。
 
457 遠長く仕へむものと、思へりし君しまさねば、心どもなし
 
457 何時々々迄も、永久にお仕へ申し上げよう、と思うてゐた御主人がお出でなさらんので、元氣もなくなつてしまうた。
 
458 みどりごのはひたもとほり、朝宵に哭《ネ》にぞ吾が泣く。君なしにして
 
458 小さな子どもの樣に、うろ/\とはひ廻つて、朝晩に、聲をあげて泣くばかりである。御主人がお亡《ナ》くなりなさつてしまうてから。(既に挽歌の型に這入りすぎてゐる。萬葉あたりでも、此邊になれば、形・用語の問題ばかりで、感情は、勘定の外になつてゐるのだ。但し第二首は弱々しいが、佳作だ。)
 
  内禮正《ナイレイノカミ》縣犬養人上《アガタノイヌカヒノヒトガミ》が、勅を受けて、卿の病を看護してゐたが、醫藥の效がなく亡《ナ》くなつたので、悲しんで作つた歌
 
459 見れど飽かずいましゝ君が、もみぢばのうつろひぬれば、悲しくもあるか
 
459 いくら見ても見飽かぬ程、懷しい方で入らつしやつたお方が、衰へて、かくれて行つておしまひになつたのが、悲しい事である。
 
  天平七年、大伴(ノ)坂上郎女、尼|理願《リグワン》の死んだのを悲しんで作つた歌。並びに短歌
 
460 たくづぬの新羅の國|從《ユ》、人言をよしときかして、問ひさくるうからはらからなき國に渡り來まして、大君のしきます國に、うちひさす都しみゝに、坊家《サトイヘ》はさはにあれども、如何樣《イカサマ》に思ひけめかも、つれもなき佐保の山邊に、なく兒《コ》なす慕ひ來まして、しきたへの家をも造り、あらたまの年のを長く、住《スマ》ひつゝいましゝものを、生ける者死ぬとふことにまぬかれぬものにしあれば、憑めりし人のこと/”\くさまくら旅なる程に、佐保川を朝川《アサガハ》渡り、春日野をそがひに見つゝ、あしびきの山邊をさして、くら闇《ヤミ》と隱《カク》りましぬれ、言はむ術《スベ》せむ術しらにたもとほり、唯ひとりして白栲《シロタヘ》の衣手干さず、嘆きつゝ吾が泣く涙、有馬山雲ゐたなびき、雨に降りきや
 
460 新羅の國から、わざ/\、人の言ふ話を聞いてよいと思うて、互に慰め合うて憂ひを晴しあふ、一族兄弟のない此國へ渡つて入らつしやつて、我が日本の天皇陛下のお治めになる國の内で、都は、みつしりと町通りや、家は澤山あるけれど、其處には住まないで、どう云ふ風に思はれたのか、淋しい佐保山の邊へ、山の容子を無上に慕うて入らつしやつて、家もこしらへ、年數も長く住み乍ら入らつしやつたのに、人間世界は、生きてゐるものは死なねばならぬと云ふ、道理から脱する事が出來ないものであるので、頼りに思うてゐた人が、誰も彼も、皆旅に出てゐる内に、佐保川を朝越えて行つて、春日野を後に見ながら、山の方を向いて、痕《アト》も訣らず、暗闇の樣に姿を隱してしまはれたので、言ふにも言へず、何うしてよいか訣らず、わたし一人、著てゐる白栲の著物の袖が、濡れても干す暇のない程嘆きながら、自分の泣いてゐる涙が、お母さんの入らつしやる、有馬の山に雲となつて懸り、雨となつて降つた事だらうか。(と石川命婦に、知らせて遣つたのである。)
 
  反歌
 
461 止《トヾ》め得ぬものにしあれば、しきたへの家|從《ユ》は出でゝ、雲|隱《ガク》りにき
 
461 いくら戀ひ慕うても、止める事の出來ない壽命であつたものだから、家から出て雲に隱れられた。(坂上(ノ)郎女の温い心が、少しの誇張もなく現れてゐるのは懷しい。此歌、當時の豪族の家庭の生活や、外人に對する當時の尊敬心などが窺はれる。)
 
  これは、新(ノ)ノ國の尼の理願《リグワン》と云うた者が、天子の徳を慕うて、我が國へ來て、数年問、大伴(ノ)旅人の家にかゝつてゐたが、天平七年、流行の熱病に罹つて死んで了うた。處が、旅人・坂上(ノ)郎女の母なる、石川(ノ)命婦が、有馬温泉に入湯に出てゐた留守の間だつたので、坂上(ノ)郎女が葬送して、其後、母に宛てゝ送つた歌である。
 
  同じく十一年六月、大伴(ノ)家持死んだ妾を悼んで作つた歌
 
462 今よりは秋風さむく吹きなむを、如何にか、獨り長き夜を寢む
 
462 これからは、秋の風が冷く吹いて來るだらうのに、只獨り何《ド》うして、長い夜を寢ようか。
 
  弟の大伴(ノ)書持《フミモチ》が、それに和《アハ》せた歌
 
463 長き夜を獨りか寢むと君が言へば、過ぎにし人のおもほゆらくに
 
463 秋の長い夜を獨り寢なければならぬか、とあなたが仰つしやるにつけて、亡くなつた人が、思はれる事です。(嘸死んだ人も、淋しく思うてゐるでせう。)
 
  其後、家持|雨落《アマオ》ち石《イシ》の邊に咲いてゐる、撫子《ナデシコ》の花を見て作つた歌
 
464 秋さらば見つゝ偲べと妹が植ゑし、宿の撫子咲きにけるかも
 
464 秋が來たら、これを見て大事に可愛がつて下さい、といとしい人が植ゑて置いた、屋敷内の撫子が咲いた事だ。(それが、今では、ほんとにかたみになつてしまうた。)
 
  七月朔日になつて、秋風の吹くのを悲しんで、家持が作つた歌
 
465 現身《ウツソミ》の世は、常《ツネ》なしと知るものを。秋風さむみ、偲《シヌ》びつるかも
 
465 人間の世間は、何物もぢつとしてゐない、不變なものでない、と云ふ事は、訣つてゐるのだが、秋風の冷さに、死んだ人の事を思ひ出して焦れる事だ。
 
  復《マタ》、家持の作つた歌。並びに短歌。三首
 
466 我が宿に花ぞ咲きたる。其《ソ》を見れど、心もゆかず。はしきやし妹がありせば、水鴨《ミカモ》なす二人竝び居《ヰ》、手折《タヲ》りても見せましものを。現身《ウツソミ》の假《カ》れる身なれば、露霜《ツユジモ》の消《ケ》ぬるが如く、足引きの山路《ヤマヂ》を指して、入日なす隱りにしかば、其《ソコ》思《モ》ふに胸こそ痛め。言ひも得《エ》に名づけも知らに、跡もなき世の中なれば、せむ術《スベ》もなし
 
466 自分の屋敷内に花が咲いた。それを見てゐるが心も晴れない。可愛いあの人が生きて居たなら、水に住む鴨の樣に、二人竝んで居て、其花を折つて見せようものを。人間の肉身と云ふものは、ほんの假りの身體《カラダ》であるから、秋の末の水霜が消えてしまふ樣に、墓場のある山の方へ向いて行つて、まるで入り日の樣に隱れてしまうたので、其事を思ふと、胸が痛くなる。言ひ表はさうと思うても、言ふ事も出來ず、名状するにも、名状する事が出來ない程、何の痕跡も殘らない、はかない世の中であるから、何とも爲方がない。
 
  反歌
 
467 時はしも何時《イツ》もあらむを。心|憂《ウ》くい行く吾妹《ワギモ》か。若兒《ワクゴ》を置きて
 
467 死なうと思へば、何も今に限つた事はないのに、悲しくも、可愛い子どもをうつちやつておいて、逝つて了うた人である事よ。
 
468 出でゝ行く道知らませば、あらかじめ妹を止めむ關もおかましを
 
468 いとしい人の出向いて行く道が訣つてゐたら、前々からその人を引き止める關所でも据ゑて置いたのに。
 
469 妹が見し宿に、花咲き、時は經《ヘ》ぬ。我が泣く涙|未《イマダ》干《ヒ》なくに
 
469 死んだいとしい人が眺めてゐた、自分の屋敷内に花は咲いて、あゝ死んで後、時が經つた。自分の泣いて、こぼす涙は、未干かないでゐる。
 
  其後、未悲しみの心が止まなかつたので作つた歌。五首
 
470 かくのみにありけるものを。妹も我も、千年《チトセ》の如く憑みたりけり
 
470 僅かこればかりの果敢ない命であつたのに、あの人も、自分も、千年も生きてゐるものゝ樣に信じてゐた事だ。
 
471 家|離《サカ》りいます吾妹《ワギモ》を、止《トヾ》めえに山|籠《ゴモ》りつれ、心どもなし
 
471 家を遠のいてお行きになる、いとしい人よ。自分が止める事の出來なかつた爲に、山の中に籠つて、出て入らつしやらないので、元氣もなくなつた。
 
472 世の中し常《ツネ》かくのみと、かつ知れど、痛き心は忍びかねつも
 
472 人間世界は、何時もかう云ふ風になるに、きまつてゐるとは、うすく知つてゐるが、其でもつらい心は、辛抱しかねる事だ。
 
473 佐保山にたなびく霞、見る毎に妹《イモ》を思《モ》ひ出で、泣かぬ日はなし
 
473 佐保山にかゝつてゐる霞、それを見る度毎に、其處に埋めてあるいとしい人を思ひ出して、泣かない日はない。
 
474 昔こそ餘所《ヨソ》にも見しか。吾妹子が奥つ城と思《モ》へば、愛《ハ》しき佐保山
 
474 以前は何とも思はず、餘處の樣に思うて眺めてゐた事だつた。併し今では、其處が可愛い人の墓場だと思ふと、懷しい佐保山よ。
 
  同じ十六年二月、安積皇子《アサカノミコ》の薨ぜられた時、内舍人《ウチトネリ》大伴(ノ)家持の作つた歌。二首竝びに短歌。四首
 
475 かけまくもあやに畏し。言はまくもゆゝしきかも。吾《ワゴ》大君|皇子《ミコ》の尊《ミコト》、萬代に見《メ》し給はまし、大倭《オホヤマト》恭仁《クニ》の都は、うち靡き春さりぬれば、山邊には花咲きをゝり、川瀬には香魚子《アユコ》さばしり、いや日けに榮ゆる時に、およづれの曲言《マガゴト》とかも、白栲《シロタヘ》に舍人《トネリ》粧《ヨソ》ひて、和束山《ワヅカヤマ》御輿《ミコシ》たゝして、久方の天しらしぬれ、臥《コ》いまろびひづち哭《ナ》けども、せむ術もなし
 
475 口の端にかけるのも無上に畏れ多く、言うてみるのも勿體ない事だが、私が仕へる天子の皇子《ミコ》樣が千萬年もお治めなさるべき筈の、此畿内の恭仁の都は、春が來ると、山の邊には、枝もぶら/”\に、花が咲き、川の淺瀬には、香魚《アユ》の子が走る樣に泳いでゐる。一日は一日と、段々繁昌してゆく最中に、惡い言ひふらしの呪《ノロヒ》の言葉とも思はれる樣な、評判が聞えて來た。それは御身近う隨身申し上げてゐる舍人達が、白い栲の著物に著替へて、和束山をば輿に乘つて御出發なされて、天を治めにお登りなされたので、舍人達は倒れころげて、づく/”\に濡れて泣いて居るが、何とも爲方がないことだ。
 
  反歌
 
476 吾《ワゴ》大君、天《アメ》しらさむと思はねば、おほにぞ見つる。和束杣山《ワヅカソマヤマ》
 
476 我が仕へ申す皇子が、其山に這入つて、天をお治めなさらう、とは豫期せなかつたので、何時でも見られると思うて、木を伐り出す和束山を、よい加減におろそかに見てゐた事だ。
 
477 あしびきの山さへ光り咲く花の、散りぬる如き吾《ワゴ》大君かも
 
477 山さへも輝くばかりに咲いてゐた、立派な花が散つて了つた樣になられた、私の仕へてゐた御子樣よ。
 
  右の歌は、二月三日に作つたもの。
 
478 かけまくもあやに畏し。吾王《ワゴオホギミ》御子《ミコ》の尊《ミコト》、武士《モノヽフ》の八十伴《ヤソトモ》の緒《ヲ》を召しつどへ、あともひ給ひ、朝狩りに鹿猪《シヽ》蹈み起し、夕狩りに鳥蹈み立《タ》て、大御馬《オホミマ》の口おし止《トヾ》め、御心《ミコゝロ》をみしあきらめし、活道山《イクヂヤマ》木立の繁《シヾ》に、咲く花もうつろひにけり。世の中はかくのみならし。健男《マスラヲ》の心ふり起し、劍太刀腰に取り佩き、梓弓|靭《ユキ》取り負ひて、天地《アメツチ》と禰遠長《イヤトホナガ》に、萬代にかくしもがもと、憑《タノ》めりし皇子《ミコ》の御所《ミカド》の五月蠅《サバヘ》なす騷ぐ舍人《トネリ》は、白栲《シロタヘ》に衣《コロモ》とり着て、常なりしゑまひ、ふるまひ、いや日けにかはらふ見れば、悲しきろかも
 
478 口に出して申し上げるのも畏れ多い事だが、我が仕へ奉る皇子《ミコ》樣が、大勢の御側仕への家來をお召し連れになつて、朝の狩りには獣をお蹈みたてになり、日暮れの狩りには鳥を蹈みたゝしたりして、お召しになる馬の口を押へ止めて、あたりを御見物なされ、御心をからりとお開きになつた、活道山は、木立ちがみつしりと繁つてゐて、春の末とて花も衰へて了うた。併し皇子は、御盛んに、始終かうしてお出でになるものだ。世の中は、何時もかうなのに相違はないと思うて、男らしい心を振り起して、刀を腰にさげ、弓を持ち、靭を背負うて、天地と共に、非常に長く何時々々迄も、此樣にありたいものだ、と頼りに思うてゐた所の皇子《ミコ》の御所に仕へてゐる、蠅の樣に澤山騷いでゐる隨身達は、著物をば白栲にして、喪に服してゐるので、何時も盛んに笑うたり、賑やかにした擧動などが、日毎々々に段々變つて行つて、しんみりとなつてゆくのを見ると悲しい事だ。
 
  反歌
 
479 はしきかも。皇子の尊のありがよひ見《ミ》しゝ、活道《イクヂ》の道は荒れにけり
 
479 立派で入らつしやつた事だ。あの皇子樣が御在世の砌、始終往來遊ばされた、活道山の道は、おかくれになつてから、荒れ果てゝ了うた事だ。
 
480 大伴の名に負《オ》ふ靭《ユキ》帶《オ》びて、萬代に頼みし心|何處《イヅク》かよせむ
 
480 皇子御在世の砌は、自分は大伴氏の祖先からの、評判通りの武術を以て、何時々々迄も、お仕へ申さうと御信頼申して居た心が、斯うなつては、持つて行き處がなくなつて了《シマ》うた。
 
  右の歌は、三月二十四日に出來たもの。
 
  高橋(ノ)某、死んだ妻を悼んだ歌
 
481 白栲《シロタヘ》の袖さし交《カ》へて、靡き寢し我が黒髪の、眞白髪《マシラガ》にならむきはみ、あらた世に共にあらむと、玉《タマ》の緒《ヲ》の絶えじい妹と、結びてし言《コト》は果さず、思へりし心は遂げず、白栲の手《タ》もとを別れ、にぎびにし家をも出でゝ、緑兒《ミドリゴ》の泣くをも置きて、朝霧のほのになりつゝ、山背《ヤマシロ》の相樂山《サガラカヤマ》の、山の間に行き過ぎぬれば、言はむすべ、せむすべ知らに、吾妹子とさ寢し閨房《ツマヤ》に、朝《アシタ》には出で立ち偲《シヌ》び、夕《ユフベ》には入り居嘆かひ、腋挾《ワキバサ》む兒の泣く毎に、男《ヲトコ》じもの、負ひみ、抱きみ、朝鳥の哭《ネ》のみなきつゝ、戀ふれどもしるしをなみと、言《コト》とはぬものにはあれど、吾妹子《ワギモコ》が入りにし山を、よすがとぞ思ふ
 
481 白栲の著物の袖を互にさし交《カハ》し合うて、からみついて寢て、自分の髪が、白髪になる迄、此結構な世の中に、一處に居ようと思ひ、二人の仲は切れる事でないぞ、お前よ、と約束して置いた事は、果さないで、思うてゐた心は、爲遂げない内に、私の身の近くを離れて、賑やかであつた家から出て、小さな子どもの泣いてゐるのさへ、後に殘して、ぼんやりと遠くなつて行つて、山城の國の相樂山の山間へ通つて行つて了《シマ》うたので、口にも言へず、物に手もつかないで、亡き妻と共に寢た寢屋に、朝になると、その表迄出かけて行つて、思ひ出し、日の暮れには中に這入つて、坐つて嘆息《タメイキ》を吐《ツ》き、抱きかゝへてる子どもが泣く度毎に、男ながら負うたり抱いたりして、泣いたが上に泣いてばかり焦れてゐても、その詮のないことの爲に、何の心もなく、ものも言はない者だけれども、亡くなつた妻が這入つて行つた山を、自分の心の遣り場にしてゐる。
 
  反歌
 
482 現身《ウツソミ》の世の事なれば、餘所《ヨソ》に見し山をや、今はよすがに思はむ
 
482 肉身の人間世界の事であるから、無常なのも無理はない。今では爲方がないから、没交渉に思うて、氣にも止めずにゐた山をば、心の遣り場としよう。
 
483 朝鳥の哭《ネ》のみやなかむ、吾妹子に今また更に逢ふよしをなみ
 
483 かうなつた上は、もはや、又再逢ふてだてがないから、聲をあげて、泣いてばかりゐねばならないだらうか。
 
右三首は、七月二十日、高橋(ノ)某が作つたものである。
 
(この長歌・短歌ともに、萬葉後期のものとしては、群を拔いてゐるといはねばならぬ。胸を破る樣な悲哀が、しなやかな、ほのかな言葉に包まれてゐるのも哀れが深い。高橋朝臣とあるのは、家持の最忸近な人であつたから、名を書かなかつたものと見える。)
 
 
 萬葉葉 卷第四
 
   相聞
 
  孝徳天皇の皇妹、難波|長柄《ナガラノ》宮から、大和に居られる兄天皇に奉られた御歌
 
484 一日《ヒトヒ》こそ人も待ちつげ。長き月日《ケ》をかく待たるれば、ありがてなくも
 
484 一日だけならば、人を待ちをふせる心持ちにもなれるが、こんなに長い月日の間を、待つて居なければならぬとなると、生きてゐる氣がしない。辛抱出來ないことだ。
 
  皇極天皇の御歌。並びに短歌。二首
 
485 神代よりあれ嗣ぎ來れば、人さはに國には滿ちて、鴨群《アヂムラ》の通ひは行けど、我が戀ふる君にしあらねば、畫は日の暮るゝ迄、夜《ヨル》は夜《ヨ》の明くるきはみ、思ひつゝ寢《イ》の寢《ネ》がてにと、あかしつらくも。長きこの夜を
 
485 此世界には、神代からどん/”\と、人が後から/\現れ出て來るから、國中一杯に澤山人が居て、彼方へ歩き、此方へ行き、歩き廻つてゐるけれども、其中のどれもこれも、私が慕うてゐるお方ではないから、晝は日の暮れる迄、又夜になると、夜の明ける迄、思うてゐてえう睡ないので、起き明したことよ。長い夜をば。
 
  反歌
 
486 山の端に鴨群《アヂムラ》騷ぎ行くなれど、我は寂《サブ》しゑ。君はあらねば
 
486 向うの山際には、鴨の一かたまりが鳴きたてゝ行くが、併し自分の逢ひたい人はゐられないから、少しも氣を慰めず、淋しいことよ。
 
487 淡海路《アフミヂ》の鳥籠《トコ》の山なるいさや川、日《ケ》の此頃は戀ひつゝもあらむ
 
487 近江の鳥籠の山の邊には、いさや川といふ川が流れてるといふが、その川の名のいさやといふやうに、さあ此日頃は、私のことを思うてゐて下さるだらうか。どうか訣らない。
 
  額田女王《ヌカタノヒメオホキミ》、天智天皇を偲び奉つた歌
 
488 君待つと我が戀ひ居れば、我が宿の簾《スダレ》動し、秋の風吹く
 
488 今にもあの御方がお出でになるか、と待ちこがれて居ると、人の來るさきぶれの樣に、秋の風許りが、自分の家の簾を動して吹きこんで來た。
 
  鏡女王《カヾミノヒメオホキミ》の歌
 
489 風をだに戀ふるは羨《トモ》し。風をだに、來《コ》むとし待たば、何か嘆かむ
 
489 あなたは風に誑されたと仰つしやるが、あなたの方にはお見えになるといふたよりがあるから、風にさへ欺かれて入らつしやるので、風にも、それかと思はれるのは羨しい。私の方を御覧下さい。もうどうしたつて、人はやつて來ません。せめて風の音にでも、あの人が來たのか知らん、と待つことが出來れば、何を嘆きませうか。
 
  吹黄刀自《フキノトジ》の歌。二首
 
490 眞野《マヌ》の浦の淀の繼橋《ツギハシ》、心|從《ユ》も思へや。君が夢にし見ゆる
 
490 眞野の浦の淀みに架けた繼橋の心(眞中)ではないが、あなたは、私を心の底から思うて下さるのでせう。其でこの、私の夢にお現れになつたのでせう。
 
491 川《カハ》の邊《ベ》のいつ藻の花の、いつも/\來ませ。わが夫子《セコ》。ときじけめやも
 
491 我が慕ふお方よ。ちよつとの間もあけず、入らつしやつて下さい。そんなに時を定めず、忘れた時分にやつて來る、といふことがありますものか。
 
  田部櫟子《タベノイチヒコ》、太宰府赴任の時の歌。四首
 
492 衣手にとりとゞこほり泣く子にも、まされる我《ワレ》を置きて、如何にせむ
             (舍人千年《トネリチトセ》)
 
492 親の袖に取り縋つて、泣き慕ふ子ども以上に、あなたを戀しく思うてゐます。この私を捨てゝおいて、如何なさるお積りですか。
 
493 置きて行かば、妹戀ひむかも。しきたへの黒髪敷きて。長き此夜を                    (田部(ノ)櫟子)
 
493 共に寢た時は、あの人の黒髪を、私の下に敷いて寢たことであつたが、今殘して行つたら、只一人、淋しく自分の髪を、妹が自分の身の下敷きにして寢て、私にさぞ焦れるであらう、此頃の長い夜を。
 
494 吾妹子を相知らしめし人をこそ、戀ひの益《マサ》れば怨《ウラメ》しみ思へ  (同じ人)
 
494 あの人と、私をば知り合ひにしてくれた人は、感謝すべき筈であるのに、焦れる心が深くなると、その恩人が、却て怨しく思はれる。
 
495 旭かげ匂へる山に照る月の、飽かざる君を、山越しに置きて (同じ人)
 
495 美しい山に照つてゐる月ではないが、何時迄見ても、飽かない君をば捨てゝ置いて、山を距てゝ旅に出た。
 
  柿本(ノ)人麻呂の歌。四首
 
496 み熊野《クマヌ》の浦の濱木綿《ハマユフ》、百重《モヽヘ》なす心は思《モ》へど、直接《タヾ》に逢はぬかも
 
496 熊野の浦に生えてゐる濱木綿の莖が、幾重にも重り合うてゐるやうに、深く心の中には、思うては居るけれども、直《ヂカ》に會うたことはない。どうぞ逢ひたいものだ。
 
497 古《イニシヘ》にありけむ人も、我が如《ゴト》か、妹に戀ひつゝ寢《イ》ねがてずけむ
 
497 あゝ眠られない。けれども、昔から戀ひをしたと云はれてゐる人々も、私の樣にやはりいとしい人に焦れて、寢つくことをえうせなかつたゞらう。
 
498 今のみのわざにはあらず。古の人ぞ勝りて、哭《ネ》にさへ泣きし
 
498 思ふ人に戀ひ焦れるといふことは、今私がしてゐるだけではない。昔の人は、もつと/\甚《ヒド》くて、戀しさに、泣きに泣いた位だ。
 
499 百重にも來《キ》しかぬかもと思へかも、君が使ひの見れど飽かざらむ
 
499 待つてゐたあの人からの使ひがやつと來たのに、其でも何だか不滿な氣がする。大方幾度も/\機を織るやうに、やつて來てくれゝばいゝ、と自分が思うてゐるからだらうよ。
 
  碁《ゴ》の檀越《ダンヲチ》、伊勢の國に行つた時、家にゐた妻の作つた歌
 
500 かむかぜの伊勢の濱荻《ハマヲギ》折り伏せて、旅寢やすらむ。荒き濱邊に
 
500 今頃は伊勢の濱邊に生え繁つてゐる、荻を折り倒して、その上に、旅寢をして居られるであらう。荒れ果てた濱邊で。
 
  柿本(ノ)人麻呂の歌。三首
 
501 處女《ヲトメ》等が袖|布留山《フルヤマ》の瑞垣《ミヅガキ》の、久しき時ゆ思ひき。われは
 
501 あの布留の山の社の玉垣が、社と共に古いやうに、長い間をば、私は、あなたを思ひつめてゐた。
 
502 夏野行く小鹿《ヲシカ》の角《ツヌ》の束《ツカ》の間も、妹《イモ》が心を忘れて思へや
 
502 お前さんは、私を疑うてゐるが、私は決して、疎《オロソ》かには考へてゐない。ちよつとの間でも、お前のうれしい心を忘れてゐたことがあらうか。
 
503 ありぎぬの騷々鎭《サヰ/\シヅ》み、家の妹に物言はず來て、思ひかねつも
 
503 騷がしく嘆く人を鎭める爲に、物も云はずに、故郷の妻に別れて來て、あの時あんなに、氣強くしなかつたらよかつた、と辛抱出來ない程に、戀しくなつて來る。
 
  柿本(ノ)人麻呂の妻の歌
 
504 君が家《イヘ》に我《ワ》が墨坂《スミザカ》の家路をも、我《ワレ》は忘れじ。命死なずば
 
504 私が行き通つたことのある、墨坂にある家への道も、命のある限り、決して忘れはしないことだらう。それは初めて、私があなたの家に住みついた處であるから。(離別の後の歌であらう。)
 
  安倍郎女《アベノイラツメ》の歌。二首
 
505 今更に何か思はむ。うちなびき、心は君に寄りにしものを
 
505 今頃改めて、他に心を移すやうなことがありませうか。初手から、わたしの心は、あなたに頼つて居ますので。
 
506 吾夫子《ワガセコ》はものな思ほし。事しあらば、火にも水にも、我なけなくに
 
506 あなたはお獨りで、そんなに御心配なさることは、ないではありませんか。何か事件が起つたら、火へでも、水へでも一處に飛びこみませう。そのわたしがあるではありませんか。
 
  駿河(ノ)采女《ウネメ》の歌
 
507 しきたへの枕ゆくゞる涙にぞ、浮き寢をしける。戀ひのしげきに
 
507 寢てから泣くので、枕をくゞつて、床の上へ流れて出る涙の爲に、殆、水の上に浮いて寢てゐるやうに、落ち著かずに寢てゐることです。焦れる心の甚《ヒド》さに。
 
  三方沙彌《ミカタノシヤミ》の歌
 
508 衣手のわかるゝ今宵ゆ、妹も、我《ワレ》も、甚《イタ》く戀ひむ哉《ナ》。逢ふよしをなみ
 
508 今夜別れるが、これ迄は、そんなに思はなかつたが、歸る迄は、逢ふ手段がないから、私も、いとしい人も、二人共非常に焦れることであらうよ。
 
  丹比笠麻呂《タヂヒノカサマロ》、筑紫(ノ)國へ下る時の歌。並びに短歌
 
509 嫋女《タヲヤメ》の櫛笥《クシゲ》に乘れる鏡なす、三津《ミツ》の渡邊《ハマベ》に、さにづらふ紐|解《ト》きさけず、吾妹子に戀ひつゝをれば、明昏《アケグ》れの朝霧|隱《ガク》り、鳴く鶴《タヅ》の哭《ネ》のみし嶋かゆ。我《ワ》が戀ふる千重《チヘ》の一重《ヒトヘ》も慰《ナグサ》もる心もあれやと、家のあたり我が立ち見れば、青旗の葛城《カヅラキ》山にたなびける白雲|隱《ガク》り、天|離《サカ》る邊陬《ヒナ》の國邊《クニベ》に、たゞ向ふ淡路を過ぎ、粟島をそがひに見つつ、朝凪に、水手《カコ》の聲呼び、夕凪に※[楫+戈]《カヂ》の音《オ卜》しつゝ、浪の上をい行きさぐくみ、岩の間をい行きもとほり、印南都麻《イナビツマ》浦みを過ぎて、鳥じものなづさひ行けば、家《イヘ》の島|荒磯《アリソ》の上に、うち靡き繁《シヾ》に生ひたる莫告藻《ナノリソ》の、などかも妹に宣《ノ》らず來にけむ
 
509 大和を離れて、難波の三津の濱邊に、暫く舟出の時を待つて、紐も解き放たずに、いとしい妻に焦れて居ると、仄暗い朝まだきの、朝霧の中を鳴いて行く、鶴のやうに、泣かずに居られない。此戀しさの千分の一でも、和げる氣分も起つて來るかと、立ち上つて國の方を見ると、大和境の葛城山に、かゝつてゐる白雲に、隱れて了うてゐる。それから又、いよ/\地方の國の方へと出かけて、淡路を通り、粟島をば、向うに見やりながら、段々やつて行くうちに、朝の靜かな海面に、舟乘りが大聲で呼びあひ、日の暮れの靜かな海に、※[楫+戈]の音が聞えたりして、だん/”\波の上を分けて行つて、岩の間をまはつて、印南《イナビ》の都麻の浦を通つて、波の上に浮く鳥のやうに、水につかつて漂うて來ると、播州の家の島のま近に來た。その岩濱の岩の上に絡み合うて一杯に生えてゐる、莫告藻《ナノリソ》を見ると思ひ出す。何故あの人に、莫告藻ではないが、詳しく宣《ノ》らずに、(物も云はず)やつて來たのであらうか。
 
  反歌
 
510 白妙の袖解きかへて、歸り來む程を數へて、行きて來ましを
 
510 別れる時、互に記念の爲に、解《ホド》いてとり代へて來た著物の袖を、大事に持つてゐて、都へ歸る日數を、今日か明日かと數へながら、早く行つて戻つて來よう。(長歌も、短歌も、形式に囚れた愚作に過ぎない。)
 
  伊勢行幸の時、當麻《タギマノ》麻呂大夫の妻が作つた歌
 
511 我が夫子《セコ》は何處《イヅク》行くらむ。沖つ藻の名張《ナバリ》の山を、今日か越ゆらむ
 
511 我が夫は、今頃は、何處らを通つて居られるだらう。大方今頃は、伊賀境の名張邊の山を越えて入らつしやるだらう。(音律の上から、勝れた情操を窺ふことが出來る。)
 
  ある遊行女婦《ウカレメ》の歌
 
512 秋の田の穗田の刈りばか、かよりあはゞ、其故《ソコ》もか、人の我《ワ》を言《コト》なさむ
 
512 秋の末の、穗の實つた田を刈るやうに、てんでにそのうけ持ちの分を守つてゐればよいが、乘り越えてなじみ合ふ樣になつたら、その爲に人が我々の間を、かれこれ評判するであらう。
 
  志貴《シキノ》皇子の御歌
 
513 大原のこの櫟葉《イチシバ》の、何時《イツ》しかと我が思《モ》へる妹に、今宵逢へるかも
 
513 あゝ非常な滿足だ。いつさうなるか、早う逢ひたいと思うてゐたいとしい人に、今夜初めて、うちとけて逢うたことだ。
 
  阿倍(ノ)郎女《イラツメ》の歌
 
514 我が夫子《セコ》が著《ケ》せる衣《コロモ》の針目《ハリメ》おちず、入りにけらしな。我が心さへ
 
514 私は心迄も、すつかりうちこみました。ちようどあなたが著て入らつしやる、著物の針目のやうに、少しの隙き間のおちもなく、すつかりと思ひ込んでゐます。
 
  中臣(ノ)東人《アヅマビト》が、阿倍(ノ)郎女に贈つた歌
 
515 獨り寢て絶えにし紐を、ゆゝしみと、せむ術《スベ》知らに、哭《ネ》のみしぞ泣く
 
515 此頃は只獨り寢てゐる所が、おまへの結んだ紐が切れた、其袴の紐が大變だと、思うて泣くばかりである。決して、他の人に心を移したのではない。疑はないで許してくれ。
 
516 我が持《モ》たる三合《ミツア》ひに縒《ヨ》れる絲以ちて、著けてましもの。今ぞ悔しき
 
516 私が持つてゐます、三合《ミコ》に縒り合せた糸で、その切れた紐を、著けて上げたいものですが、今では殘念乍ら、さうは出來ません。お生憎樣。
 
  大納言兼大將軍大伴(ノ)旅人《タビト》卿の歌
 
517 榊にも手は觸るとふを、うつたへに、人妻と云へば觸れぬものかも
 
517 神樣の御料の榊にさへも、手を觸《サ》へることがあるのに、人の女房といふと、全然觸らないでゐねばならぬものかねい。(人妻に送つた歌。)
 
    
  石川郎女《イシカハノイラツメ》の歌
 
518 春日野の山邊の道を、よそりなく、通ひし君が見えぬ頃かも
 
518 山の麓の春日野の道を通うて、私の所へ來たあの方が、何のわけもないのに、此頃はちつとも、見えないことだ。
 
  大伴(ノ)郎女の歌
 
519 雨《アマ》づゝみ常する君は、ひさかたのきのふの雨に懲《コ》りにけむかも
 
519 あなたは雨が降ると、なか/\出て入らつしやらぬ方だから、昨夜の雨で濡れたので、それで懲りて、今日は入らつしやらぬのでせう。(と輕く、男を揶揄した歌。)
 
  後で、或人の和《アハ》せた歌
 
520 ひさかたの雨も降らぬか。雨《アマ》づゝみ、君にたぐひて、この日暮さむ
 
520 雨が降つて來てくれゝばいゝ。雨だから、今日はもう歸りますまいと云うて、あなたと竝んで、一處に今日は暮さうものを。(此は、旅人の若い頃の歌。)
 
  藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》大夫、常陸の國から、遷任して都に上らうとした時、常陸處女の贈つた歌
 
521 庭に立つ麻《アサ》を刈り干し、しき偲ぶ東女《アヅマヲミナ》を忘れ給ふな
 
521 私は、かういふ卑しい、都風流を知らぬ、東國女です。庭に生えてゐる麻を刈つて、それを干すといふやうな、淺ましい生活をして、さうして其麻を敷いて干す樣に、しきりに、あなたのことを思ひつゞけてゐます。この田舍女を、どうぞ忘れて下さいますな。
 
  京職大夫《キヤウシキノカミ》藤原(ノ)宇合大夫、大伴(ノ)坂上(ノ)郎女に贈つた歌。三首
 
522 處女らが玉櫛笥なる玉櫛の、神さびけむも。妹に逢はずあれば
 
522 處女たちの美しい櫛笥の中につき込まれてある、玉櫛のやうに、古びて、人からは見えるでせう。こんなになつたのも、あなたに逢はずに、久しくゐるからだ。
 
523 よく渡る人は年にもありとふを、何時の間にぞも、わが戀ひにける
 
523 長い間辛抱する人は、一年でも耐へてゐると云ふことだのに、かれこれいふ人の噂がうるさいから、辛抱してゐようと思ひ乍ら、何時の間にやら、又逢ひたくなつて來た。
 
524 むし衾《ブスマ》柔《ナゴ》やが下《シタ》に伏せれども、妹とし寢《ネ》ねば、肌し寒しも
 
524 私は苧《ムシ》でこさへた蒲團の、柔かな中で寢てゐますが、いとしい人と一處でないから、からだが冷《ツメ》たくてならぬことです。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の答へた歌。四首
 
525 さほ川の小石《サヾレ》蹈み渡り、ぬばたまの黒駒《コマ》の來る夜は、年にもあらぬか
 
525 あなたのめした馬が、佐保川の小石を蹈み越えて、わたしの方へやつて來る晩は、譬ひ、年に一度でもよいから、あつて欲《ホ》しいものです。
 
526 千鳥鳴く佐保の川原のさゞれ浪、止む時もなし。我が戀ふらくは
 
526 千鳥の鳴いてゐる、佐保の川原に立つ小波の樣に、わたしは、あなたをちつとの間も、止まず思ひ續けてゐます。
 
527 來むといふも來ぬ時あるを。來じといふを來むとは待たじ。來じといふものを
 
527 あなたは來ようと仰つしやつても、入らつしやらない時があるのですもの。來まいと仰つしやつてゐられるのに、お出でにならうといふ頼みがないから、待たずにゐませう。來まいと仰つしやつて居ますのですもの。(これは必しも、宇合が來ぬと云うたのではなく、よく渡るの歌などに對する、怨言であらう。)
 
528 千鳥鳴く佐保の川門《カハト》の瀬を廣み、うち橋渡す。汝《ナ》が來《ク》と思《モ》へば
 
528 さほ川の川の渡り場所の瀬が、あまり廣いので、造りつけの橋を渡すことだ。あなたが、來られようと思ふので。
 
  再、宇合に與へた、坂上《サカノヘノ》郎女の歌
 
529 佐保川の岸のつかさの柴な刈りそね。ありつゝも、春し來たらば、立ち隱るがね
 
529 佐保川の岸の高みに生え繁つてゐる、柴は刈らずに、その儘で置け。その儘にして置いて、春がやつて來たら、繁つた木の中で、君と二人が隱れこむやうに。(旋頭歌《セドウカ》である。)
 
  聖武天皇、海上女王《ウナカミノヒメオホキミ》に下された御製
 
530 赤駒の越ゆる馬柵《ウマセ》の、標《シメ》結ひし妹が心は疑ひもなし
 
530 馬が乘りこえようとするのを防ぐ、垣をまはす樣に、自分が、これは我が思ふ人だ、と標《シルシ》をして置いた、いとしい人の心が變りのないことは、疑うてよいものか。
 
  海上(ノ)女王が和せ奉つた歌
 
531 梓弓|爪弾《ツマビ》く夜音《ヨト》の遠音《トホト》にも、君が行幸《ミユキ》を聞くがよろしも
 
531 我が君が、私の家へお越しになつた夜は、宿直の人たちが、弓弦を爪で鳴してゐる音が、遙かに、寢間の外に聞えます。只それだけでさへ、あなたがおこしの晩に聞いてゐるのが、心の愉快なものです。
 
  大伴(ノ)宿奈麻呂《スクナマロ》の歌。二首
 
532 うち日さす宮に行く子をま愛《ガナ》しみ、止《ト》むれば苦し。やれば術《スベ》なし
 
532 御所へ宮仕へに行く娘さんを、可愛いからとて、留めて置くのは、却て苦の種になるが、さうかというてやつて了へば、最早、自分の心通りにならないから、やる瀬ないことだ。
 
533 難波潟汐干の餘波《ナゴリ》、飽くまでも、人の見る子を我《ワレ》し羨《トモ》しも
 
533 今では、他の人の心に從うて、その人が思ふ存分逢ひ見てゐる、その女に私も逢ひたくて、羨しくてならぬ。(此二首は、恐らく宿奈麻呂の情人が、宮中へ召されたのを悲しんだので、始めのは、宮中へ這入るのを惜しみ、後のは、高貴の御身の上を、羨んでゐるのである。悲痛な戀ひ歌である。第一首傑作。第二首佳作。)
 
  安貴《アキノ》王、不敬罪で安藝の國に遣された時、因幡の八上采女《ヤガミノウネメ》を思うて作られた歌。竝びに短歌
 
534 遠妻《トホヅマ》の茲《コヽ》にあらねば、玉梓《タマヅサ》の道をた遠《ドホ》み、思ふ心《ソラ》安からなくに、嘆く心《ソラ》安からぬものを。み空行く雲にもがも。高飛ぶや鳥にもがも。明日行きて妹に言《コト》とひ、我が爲に妹もことなく、妹が爲我もことなく、今も、見し如《ゴト》たぐひてもがも
 
534 遠くに置いて來て、いとしい人が茲に居ないので、道を遥かに離れてゐるだけ、思ふ心中安くなく、嘆いてゐる心中靜かでないのに、いつそ自分の體が、空を行く雲か、空を飛ぶ鳥かにでもなつて、今日立つて明日著いて、あの人と話をし、お互の爲に、二人乍ら何事もない容子を見合ひたいものだ。わかれる前に、二人竝んでゐたやうに、今が今、二人で竝んでゐたいものだが。
 
  反歌
 
535 しきたへの手枕|枕《マ》かず、間《アヒダ》置きて年ぞ經《ヘ》にける。逢はなく思へば
 
535 あの人に會はないことを考へて見ると、あの人の手を枕として寢ないで、遠い所へ殘して置いて、もう一年も立つた。(王の境遇は、極めて同情すべきものであるが、歌は、一向振うてゐない。心が熱してゐないからである。それでも、「我が爲に妹もことなく云々」の二句は、獨創の尊さと、感情の集中とが見える。)
 
  門部(ノ)王出雲(ノ)守であつた時、部下の官吏の娘の許に通はれたが、暫くとだえた後、復逢はうと思うて、その女に贈られた歌
 
536 意宇《オウ》の海の汐干《シホヒ》の潟《カタ》の片思《カタモ》ひに、思ひや行かむ。道の長てを
 
536 私の心は、意宇の海の潮の引いた潟で、片思ひだが、お前に焦れ乍らも、長い道|程《ノリ》を通うて行かうよ。
 
  高田(ノ)女王、今城《イマキノ》王に贈られた歌
 
537 言潔《コトキヨ》くいたくも言はじ。一日だに、君いしなくば痛き胸ぞも
 
537 口で許り、立派に思うて居らぬなどゝ、思ひきつて申しますまい。只一日でも、あなたが入らつしやらなければ、悲しくてなりません心ですものを。
 
538 人言《ヒトゴト》を繁み、こちたみ、逢はざりき。心ある如《ゴト》勿《ナ》思ひ。我が夫《セ》
 
538 人の噂がうるさく、辛《ツラ》さに、えうお逢ひ申しませんでした。外に訣《ワケ》があるやうに思うて下さるな。あなたよ。
 
539 我が夫子《セコ》し途《ト》げむと云はゞ、人言は繁くありとも、出でゝ逢はましを
 
539 譬ひ人の評判は、うるさい程でも、あなたさへ此戀ひをしをふせようと仰つしやるなら、あなたが御出での時に、お斷りするといふことなく、立ち出て、お逢ひ申しませうが。(これは、前の歌についで歌うたものである。)
 
540 我が夫子《セコ》に復は逢はじかと思へばか、今朝の別れのすべなかりつる
 
540 あなたに、もう再、逢はれまいかと思うたからか存じませんが、今朝お別れ申す時の、その心の遣る瀬なかつたことを、お察し下さいませ。
 
541 此世には人言繁み、來む世にも逢はむ。我が夫子《セコ》今ならずとも
 
541 今生は、人の評判がうるさくて、爲方がありませんから、來世には、十分逢ひませう。今逢はれなくても。あなたよ。
 
542 常やまず通ひし君が使ひ來ず。今は逢はじとたゆたひぬらし
 
542 前には、絶え間なくお通ひなされたあなたが、今ではお使ひも下さいません。もう私には逢ふまいと、それで使ひをよこすのを、躊躇して入らつしやるのでせう。
 
  神龜元年十月、紀伊(ノ)國行幸に從うた人に贈る爲、或女に頼まれて、笠(ノ)金村が作つた歌。竝びに短歌。二首
 
543 大君の出でましのまに、武夫《モノヽフ》の八十件緒《ヤソトモノヲ》と出で行きしうつくし夫《ヅマ》は、あまとぶや輕《カル》の道より、たまだすき畝傍《ウネビ》を見つゝ、あさもよし紀路《キヂ》に入り立つ、眞土山越ゆらむ君は、もみぢ葉の散り交《カ》ふ見つゝ、親しくは我《ワ》をば思はず、くさまくら旅を宜《ヨロ》しと、思ひつゝ君はあらむと、淺々《アソヽ》にはかつは知れども、しかすがに黙《モダ》もえあらねば、わが夫子《セコ》が行きのまに/\追はむとは千度思へど、幼女《タヲヤメ》の我《ワ》が身にしあれば、道守《ミチモ》りの問はむ答へを云ひやらむ術《スベ》を不知《シラニ》と、立ちてつまづく
 
543 天皇陛下の行幸なさるにつけて、お附きの澤山の部下の一人として、出て行つた懷しいあなた、輕の街道を通つて、畝傍山を見乍ら、いよ/\それを越せば、紀州の方へ這入る眞土山を、越えて入らつしやるあなたは、山の紅葉の散り亂れるのを、面白さうに眺め乍ら、わたしのことは、しみ/”\とも思うても下さらないで、旅に出てゐる方がよいと思ひ乍ら、あなたは入らつしやる、と薄々はかうした心の中にも訣つてはゐますが、それだと云うてその儘に、ぢつとしてることもえいたしませぬから、あなたがお出でなさる通りに、わたしも後から追ひついて行かう、と幾度も幾度も思ひはしましたが、わたしはか弱い女の身ですから、街道を番してゐる關守が何處へ行く、と問うた時の答へを、どう云ひ遁れませうか。手段が訣らない、と思ひあたると、立ち上つても行きどまります。
 
  反歌
 
544 おくれゐて戀ひつゝあらずは、紀の國の妹脊の山にあらましものを
 
544 後に殘つて、こんなに焦れてゐる位なら、いつそ山になつて、紀州の妹山背山と現れてゐた方が、ましだつたのに。
 
545 吾が夫子《セコ》が足痕《アト》蹈み求め、追ひ行かば、紀《キ》の關守《セキモ》りい留《トヾ》めてむかも
 
545 あの方の行かれた道の足痕を、尾《ツ》けて行つたなら、紀州眞土山にある、紀伊の關の番人が、留めませうよ。(短歌には、才氣が迸つてゐるに係らず、長歌はくだ/\しく、のろ/\したものである。笠(ノ)金村すら、この通りである。既にこの時代の人が、長歌的情調を失うてゐたことを示してゐる。)
 
  神龜二年三月、甕《ミカノ》原離宮に行幸の時、笠(ノ)金村、思ふ女を得て作つた歌。並びに短歌。二首
 
546 甕《ミカ》の原旅の宿りに、たまぼこの道の行きあひに、あまぐものよそのみ見つゝ、言《コト》とはむよしのなければ、心のみ咽《ム》せつゝあるに、天地《アメツチ》の神こと寄せて、敷妙の衣手かへて、己妻《オノヅマ》と頼める今宵、秋の夜の百夜の、長くありこせぬかも
 
546 甕の原で、旅の宿りをしてゐる時に、道で行き逢うた時分に、もの云ひかける手段《テダテ》もなく、戀ひ人を外《ワキ》から見乍ら、心の中では咽せ返つて悲しんでゐた所が、天地の神のお恵みでお授け下され、袖をさしかはして、やつと此人を自分の妻と思ひ、二人で寢てゐる今夜は、譬へば長い秋の夜が、百晩も重つたやうに、長くあつてくれゝばよいが。
 
  反歌
 
547 あまぐものよそに見しより、吾妹子に、心も、身さへよりにしものを
 
547 遙かに側《ワキ》から見てゐた時から、已にいとしいお前に、心も身も、凡て慕ひよつてゐたのだ。
 
548 この宵の早《ハヤ》明けぬれば、すべをなみ、秋の百夜を願ひつるかも
 
548 折角逢うた今夜が、早明けて來たから、そのやる瀬なさに、私は夜の百晩も重《カサナ》る程の、夜長さを願うてゐることだ。(長歌に歌はるべき古めかしい、なつかしい情調が流れてゐる。家持などは、既に短歌を祝詞の形式にあてはめた樣なものとなつてしまうてゐる、といはねばならぬ。)
 
  神龜五年、太宰(ノ)少貮石川(ノ)足人《タルヒト》遷任して、都へ上る時、筑前の國|蘆城《アシキ》の驛家《ハユマヤ》で送別をした時、某の作つた歌。三首
 
549 天地の神も助けよ。くさまくら旅行く君が家に至るまで
 
549 天地間に入らつしやるあらゆる神樣も、どうぞお力添へを願ひます。これから、旅へ出かけられます此御方が、家へ著かれるまで。
 
550 大舟の思ひ憑《タノ》みし君がいなば、われは戀ひむな。直接《タヾ》にあふまでに
 
550 大舟に乘つたやうな心持ちで、頼りにしてゐたあなたが、茲をお立ちになつたなら、直《ヂカ》にお逢ひ申す迄、嘸わたしは、焦れてゐることでせうよ。
 
551 大和|路《ヂ》の嶋の浦囘《ウラワ》に寄る浪の、間《ァヒダ》もなけむ。我が戀ひまくは
 
551 あなたがお歸りなさる大和への道中の、島々の入り込みに寄せて來る浪のやうに、聊《チツト》の暇もないことでありませう。この先、私の焦れようとする心は。(恐らくは、旅人の歌であらう。)
 
  大伴(ノ)三依《ミヨリ》の歌
 
552 我が君は我奴《ワケ》をば死ねと思へかも。逢ふ夜、逢はぬ夜|竝行《フタユ》きぬらむ
 
552 あなたは、この私見たやうな奴は、死ねばよいと思うて入らつしやるので、それで逢ふ夜があれば、翌る夜は逢はぬといふやうに、兩方をかけて入らつしやるのでせう。いつそ逢うて下さらぬなら、却て、心の安まることもありませうのに。
 
  丹生《ニフノ》女王、太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人卿に贈られた歌。二首
 
553 天雲のそきへの極み遠けども、心し行けば、戀ふるものかも
 
553 あなたは、雲の果ての遠い處に入らつしやいますが、かういふ風に私が焦れてゐるのは、大方此心が、其處迄行くからでありませう。
 
554 古の人の食《メ》させる吉備の酒、疾《ヤ》めば術《スベ》なし。貫簀《ヌキス》賜《タバ》らむ
 
554 あなたは、私に贈り物だと云うて、昔の豪《エラ》い人たちが飲まれた、といふ吉備の酒を下さつたが、そんな結構な酒でも、此頃は、病氣で戴きやうがありません。いつそ下さるなら、御心盡し序に、貫簀をも頂戴したいものです。さうすれば、此酒を頂いて醉うても、吐く事が出來ますから。
 
  大伴(ノ)旅人卿、太宰(ノ)大貮|丹比《タヂヒノ》縣守卿が、民部卿に遷任するのに、贈つた歌
 
555 君が爲|釀《カ》みし待《マ》ち酒《ザケ》、夜須《ヤス》の野に、獨りや飲まむ。友なしにして
 
555 あなたと一處に飲まう、と思うて作つた酒を、あなたが大和へ行つた後では、夜須の野原で、寂しく一人飲んでゐねばなりませんか。
 
  賀茂(ノ)女王、大伴(ノ)三依に贈られた歌
 
556 筑紫舟《ツクシブネ》いまだも來ねば、豫《アラカジ》め、荒ぶる君を見るが悲しさ
 
556 筑紫舟には、人の間を裂くやうな魔物を乘せて來るといふが、未其がやつて來ない先から、こんなに心の荒《スサ》んでゐるあなたのことを考へるのは、悲しいことだ。
 
  土師水通《ハジノミヅミチ》、筑紫から都へ上る海路で作つた歌。二首
 
557 大舟を漕ぎの進《スヽ》みに岩に觸《フ》り、覆《カヘ》らば覆《カヘ》れ。妹によりては
 
557 海が非常に荒れる。いとしい人の爲ならば、この舟を漕いで行くにつけて、岩に觸《サハ》つて、覆るなら覆つても、關《カマ》はないけれど。
 
558 ちはやぶる神の社に我が懸けし、幣《ヌサ》は賜《タバ》らむ。妹に逢はなくに
 
  太宰(ノ)大監《ダイケン》大伴(ノ)百代の戀歌。四首
 
558 前々から、どうぞ海上恙なく、大和へ歸つて、いとしい人に逢へますやうに、と神々の社に捧げ物をして置いたが、これでは、どうも逢はない中に、魚腹に葬られさうだ。こんなことなら、いつそ捧げ物を返して下さい。
 
559 事もなくあり來《コ》しものを。老《オ》いなみに、かゝる戀ひにも、我は遇へるかも
 
559 これ迄は、何事もなく過して來たのに、年よりになつてから、こんなひどい戀ひに出くはしたことだ。
 
560 戀ひ死なむ後は何せむ。生ける日の爲こそ、妹を見まく欲りすれ
 
560 來世を頼むとか何とかいふが、死んで了うた後は、何《ド》うなるものか。役にたゝない。生きてゐるこの現世の爲に、いとしい人に逢ひたいと思うてゐるばかりだ。
 
561 思はぬを思ふと云はゞ、大野《オホヌ》なる御笠《ミカサ》の杜《モリ》の神し知らさむ
 
561 お前さんは、私を思うてゐるといふが、それは嘘だ。人を欺《ダマ》したなら、大野の郷の御笠の森に入らつしやる神樣が、罰をおあてにならう。
 
562 暇《イトマ》なく、人の眉根《マユネ》を徒《イタヅラ》に掻かしめつゝも、逢はぬ妹かも
 
562 誰かゞ自分を思うてゐる時は、眉毛の根が痒いといふことだが、始終私に思うてゐるやうに見せかけて、無駄に眉毛をかゝせ乍ら、少しも逢うてくれないお前だ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌。二首
 
563 黒髪に白髪交り老ゆるまで、かゝる戀ひには、いまだ逢はなくに
 
563 わたしも隨分|老《フ》けて、頭も胡麻鹽になつた。こんなに年のゆく迄、隨分戀ひもして來たが、こんなにひどい戀ひには、まだ出逢うたことがない。
 
564 麥門冬《ヤマスゲ》の實ならぬ言《コト》を、我《ワレ》に寄せ、言はれし君は、誰とか寢《ヌ》らむ
 
564 二人の中には、何の訣もなかつたのであるが、訣ありさうに、評判を立てられた、相手のあの人は、流石に今思うて見れば、戀しい。誰と仲よくしてゐるか、と思ふと羨しい。
 
  賀茂(ノ)女王の歌
 
565 大伴の見《ミ》つとは云はじ。茜さす照れる月夜《ツクヨ》に、直接《々ヾ》に逢へりとも
 
565 この月の良い晩に、只二人|直《ヂカ》に逢うてゐるけれども、かうして逢うても、誰にもこの媾會したことは云ふまい。
 
  太宰(ノ)大監大伴(ノ)百代等、驛使《ハユマヅカヒ》に贈つた歌。二首
 
566 くさまくら旅行く君を愛《ウルハ》しみ、たぐひてぞ來し。志珂《シカ》の濱邊を(大伴(ノ)百代)
 
566 旅に出かけなさるあなたと、お別れ申すのが惜しさに、お伴して、志珂の濱邊を知らず/\、竝んでやつて來たことである。
 
567 周防《スハウ》なる岩國山を越えむ日は、手向《タム》け善くせよ。荒き其道(太宰(ノ)少典山口(ノ)若麻呂)
 
 
567 あなたが、この九州を去つて、お出でになる道には、周防の岩國山といふ險《ケハ》しい山があります。其山は危《アブ》ない山ですから、峠の神に捧げ物をして、手落ちなくお祀りをして、お越えなされませ。その險しい山道をば。
 
  此二首は、天平二年六月、太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人が瘡脚に罹つて、危篤だといふので、使ひを大和朝廷に遣して、庶弟|稻公《イナギミ》・甥の胡《エミシ》麻呂をば、九州へ下して頂いて、遺言をせうと思うたが、朝廷では、此二人を驛使《ハユマヅカヒ》として、旅人の看病に遣された。所が都合よく、數十日立つと同復したので、二人は都へ歸ることになつた。それで此歌を作つた二人、並びに旅人の子の家持が、稻公等を送つて、夷守《ヒナモリ》の驛家まで行つて、其處で愈別れる際、悲しんで作つたものなのである。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人卿大納言に任ぜられて、上京の間際になつて、太宰府の役人たちが、卿を筑前(ノ)國|蘆城《アシキ》の驛家《ハユマヤ》で送別した時の歌。四首
 
568 三崎曲《ミサキワ》の荒磯《アリソ》に寄する五百重浪《イホヘナミ》、立ちても居ても、我が思《モ》へる君(筑前(ノ)掾門部(ノ)石足《イハタリ》)
 
568 御覧なさい。あの三崎の入り込みの荒い岩濱に、高くなつたり、低くなつたりして、幾重とも知れぬ程に、寄せてゐるあの浪のやうに、立つても坐つても、暫くの間も、心から離さずに、思うてゐるあなたです。その御方と別れるのが惜しい。
 
569 韓人《カラビト》の衣|染《シ》むとふ紫の、心に染《シ》みて思ほゆるかも(太宰(ノ)大典|麻田陽春《アサダノヤス》)
 
569 御存じの三韓から來た人が染める、上等の紫の染め草で染めたやうに、心に浸みこんで、あなたのことが思はれてなりません。
 
570 大和べに君が立つ日の近づけば、野に立つ鹿も、とよみてぞ鳴く(同じ人)
 
570 あなたが彌、大和へお立ちになる日が、近づいて參りましたので、野邊に立つてゐる鹿さへもわれ/\の樣に、大きな聲を上げて鳴いてをります。
 
571 月夜《ツクヨ》よし。川の音《ト》清し。いざこゝに、行くも、行かぬも遊びて行かな(防人佑《サキモリノスケ》大伴(ノ)四綱《ヨツナ》)
 
571 今夜は月がよろしい。さあこれから、此地を立つ人も、此地に止《トヾマ》つてゐる人も、茲で遊んで行かうではありませんか。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人卿上京した後、沙彌(ノ)滿誓《マンセイ》が卿に贈つた歌。二首
 
572 まそかゞみ見飽かぬ君に、おくれてや、朝夕《アシタユフベ》にさびつゝをらむ
 
572 何時お逢ひ申しても、飽くといふことのなかつたあなたにとり殘されて、これからは、朝夕殺風景な日を、續けてゐねばなりますまいか。
 
573 ぬばたまの黒髪白く變りても、いたき戀ひには遭ふ時ありけり
 
573 こんな苦しいことが、あらうとは思はなかつた。私はこんなに年が寄つて、髪さへも白くなつて了うた。それに思ひがけなく、こんなひどい戀ひに出くはす時があつたことだ。
 
  大納言大伴(ノ)旅人の和せた歌。二首
 
574 茲《コヽ》にありて、筑紫や何處《イヅク》。白雲のたなびく山の方にしあるらし
 
574 茲から見ると、あなたの入らつしやる筑紫の方は、何《ド》の邊にあたつてゐるでせう。あの白い雲の、長く懸つてゐる方であるに違ひない。
 
575 日下江《クサカエ》の入り江にあさる丹頂鶴《アシタヅ》の、あなたづ/”\し。伴《トモ》なしにして
 
575 筑紫にゐる時分は、あなたとよくお話をして樂しんだものでした。所が、大和へ歸つてからといふものは、近くにある、日下江の入り江に餌をさがしてゐる、丹頂の鶴ではありませんが、たど/”\しい、たよりない日を暮してゐます。話し相手がなくて。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人が、京へ立つてから、筑後(ノ)守|葛井大成《フヂヰノヒロナリ》が悲しんで作つた歌
 
576 今よりは、城《キ》の山道は寂《サブ》しけむ。我が通はむと思ひしものを
 
576 あなたが入らつしやる間、何時迄も通うて、お逢ひ申さうと思うてゐた、城の山道も、あなたがお歸りになつてからは、その山道を行くのが寂しく、せいがないことでせう。
 
  攝津(ノ)大夫《カミ》高安(ノ)王、大納言大伴(ノ)旅人に新しい袍《ウヘノキヌ》を贈られた歌
 
577 我が衣《キヌ》を人にな著せそ。網引《アビ》きする難波男《ナニハヲトコ》の手には髄觸とも
 
577 私の此著物は、心を籠めた贈り物ですから、どうか譬ひ、難波邊の網引きをする、荒くれ男の樣な私の手にさはつた物で、穢いものでも、此著物だけは、他人にやつて下さつてはお恨みです。
 
  大伴(ノ)三依が別れを悲しんだ歌
 
578 天地と共に久しく住はむと、思ひてありし家の庭はも
 
578 自分は此太宰府の官舍に、何時迄も天地のあらむ限り、居ようと思うてゐた。その家の庭に、今別れて行くことだ。
 
  金明軍《コンノミヤウグン》、大伴(ノ)家持《ヤカモチ》に贈つた歌。二首
 
579 見|奉《マツ》りて、未《イマダ》時だに變らねば、年月の如《ゴト》思ほゆる君
 
579 お逢ひ申してから、まだ時節も移り變りません。それに、最早、年月を經過したやうな心持ちのする戀しい君よ。
 
580 あしびきの山に生《オ》ひたる菅《スガ》の根《ネ》の、懇《ネモゴ》ろ見まくほしき君かも
 
580 つく/”\と、見飽きのする程、見たいあなたでありますが、見られない悲しさよ。
 
   大伴(ノ)坂上家(ノ)大孃、大伴(ノ)家持に答へた歌。四首
 
581 生きてあらば見まくもしらに、何しかも死なむよ、妹と、夢《イメ》に見えつる
 
581 あなたが夢に出て來て、かう仰つしやつた。「おまへは逢へない位なら、死なうと思つてゐなさるが、何の死ぬる必要がありませう。生きて居たら、逢はないとも限らないのにねい。お前よ」と云ひなさつた。それで、夢が覺めた。
 
582 健男《マスララ》もかく戀ひけるか。嫋女《タワヤメ》の戀ふる心にたぐひあらめやも
 
582 なる程それは、あなたの仰つしやる通り、男でも戀ひはしませうが、こんなに迄ではありますまい。女の焦れる心に、比べることが出來ますものか。
 
583 鴨頭草《ツキグサ》のうつろひ易く思へかも、我が思《モ》ふ人の、言も告げ來《コ》ぬ
 
583 褪せ易い露草の樣な心持ちで、私を思うてゐたものと見えて、私の思うてゐた人は、此頃、物も云うておこさない。
 
584 春日山朝立つ雲の居ぬ日なく、見まくの欲しき君にもある哉
 
584 春日山をば、朝出る雲が、峯にかゝつてゐぬ日がないやうに、毎日々々見てゐたいあなたでありますことよ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
585 出でゝ去《イ》なむ時しはあらむを。故《コトサ》らに妻戀《ツマゴ》ひしつゝ、立ちて行くべしや
 
585 旅に出るのに、外《ホカ》に出て行く時もあらうのに、何も態《ワザ/”\》、妻を非常に慕うてゐる最中に、行く必要がないのに、立つて行くことよ。
 
  大伴(ノ)稻公《イナギミ》、田村(ノ)大孃《オホイラツメ》に贈つた歌
 
586 相見ずば戀ひざらましを。妹を見て、もとな、かくのみ戀ひば、如何にせむ
 
586 いつそ逢はないで居たら、こんなに焦れることはなかつたらうに。逢うた爲に、これから先も、どうなる事やら覺束ないが、何時までもこんなに戀しかつたら、どうせうか。
 
  笠《カサノ》郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌。廿四首
 
587 我がかたみ見つゝ偲《シヌ》ばせ。あらたまの年のを長く、われも思はむ
 
587 今此品を記念にさし上げます。どうか此を見乍ら、わたしの事を思ひ出して下さい。わたしの方でも、何時迄も、あなたのことを思うてゐませう。
 
588 白鳥の鳥羽山松の待ちつゝぞ、我が戀ひ渡る。此月頃を
 
588 あなたがお歸りにならないので、此年月以來、ずつと焦れ續けてゐます。どうか、早くお歸り下さい。
 
589 衣手をうち多武《タム》の里にあるわれを、知らずぞ、人は待てど來ずける
 
589 わたしが、著物をうちたむといふ其多武の里に住んでゐるのを知らないで、あの人は、待つても/\、來ないでゐることだ。
 
590 あらたまの年の經《ヘ》行けば、今しはと、ゆめよ、吾が夫子《セコ》。我が名|宜《ノ》らすな
 
590 二人の間も、大分長くなつた。それでもう、大丈夫といふので、うつかりわたしの名を仰つしやるな。きつとですよ。あなた。
 
591 我が思《モ》ひを人に知らせや、玉櫛笥《タマクシゲ》開《ヒラ》き明《ア》けつと、夢《イメ》にし見えつ
 
591 あなたは、きつとわたしの心を、人にお洩しなさつたに違ひないでせう。だから、夢に、櫛笥の蓋をあけて、さらけ出したと見えました。
 
592 暗き夜に鳴くなる鶴《タヅ》の外《ヨソ》にのみ、聞きつゝかあらむ。逢ふとはなしに
 
592 わたしとあなたとの仲は、暗夜に鳴いてゐる鶴のやうに、互ひの噂許りを聞いてゐるべきでせうか。逢ふといふことはせないで。
 
593 常に戀ひ、いたも術《スベ》なみ、奈良山の小松が下《モト》に、立ち嘆きつる
 
593 あなたに焦れて、遣る瀬なさに、あの奈良山の小松の下に、ぼんやり立つて、嘆息《タメイキ》を吐《ツ》いてゐました。(境遇をあざやかに知ることの出來る佳作。)
 
594 我が宿の夕かげ草の白露の、消《ケ》ぬかに、もとな、思ほゆるかも
 
594 日暮れ方の仄かな光のさしてゐる、我が家の庭の草に置く、白露のやうに、自分の體も、今にも消えさうに、心細く思はれることです。
 
595 我命《ワギノチ》の全《マタ》けむ限り忘れめや。いや日《ヒ》に日《ケ》には思ひ益《マ》すとも
 
595 あなたのことは、私の命のあります限りは、忘れませうか。かうして段々、深く思うて行くにしても。
 
596 八百日《ヤホカ》行く濱のまなごも、我が戀ひに、豈|勝《マサ》らめや。沖つ島守
 
596 何百日もかゝらねば通られぬ濱の、限りない砂の數も、わたしの焦れる心のひどさに、(即、數の多さ)上《ウヘ》越しませうか。さびしい獨りぼつちなるわたしの戀ひに。
 
597 現身《ウツソミ》の人目を繁み、岩橋のま近き君を戀ひ渡るかも
 
597 人目のうるさゝに、近間に入らつしやるあなたに逢はれないで、心を掛けて焦れてをります。
 
598 戀ひにもぞ人は死にする。水無瀬川《ミナセガハ》下從《シタユ》我《ワレ》痩《ヤ》す。月に日《ヒ》にけに
 
598 こんなものだとは思うてゐませんでしたが、戀ひの爲に人は死ぬらしう御座います。表には現れませんが、月日につけて彌《イヨ/\》人目に立たないで、焦れてわたしは痩せて行きます。
 
599 朝霧のおぼに相見し人|故《ユヱ》に、命死ぬべく戀ひ渡るかも
 
599 ほんの少し許り出逢うた人だのに、其人の爲に、命がなくなる程、焦れ續けてゐることだ。
 
600 伊勢の海の磯も轟《トヾ》ろに寄する波、畏《カシコ》き人に戀ひわたるかも
 
600 伊勢の海の岩濱をゆすつて、寄せ來る波ではないが、畏《オソ》れ多い人に思ひを寄せて、焦れてゐることだ。
 
601 心|從《ユ》も吾《ワ》は思《モ》はざりき。山川も隔らなくに、かく戀ひむとは
 
601 あなたとわたしとの間は、そんなに遠く隔つてゐる訣でもないのに、こんなに焦れませうとは、しんそこ思ひもかけなんだことです。
 
602 夕されば物|思《モ》ひまさる。見し人の言《コト》とふ姿、面影にして
 
602 其でも、日中はそんなにもありませんが、日が暮れると、物思ひが段々ひどくなつて參ります。其人が、私に物を云ひかけられる姿が、幻に現れて。
 
603 思ふにし死にするものにあらませば、千度《チタビ》ぞ我は死にかへらまし
 
603 ひどく思ひ込めば死ぬといふが、果してその語の通りならば、こんなにひどく思うてゐるのだから、千度迄死にかはることでせう。
 
604 劔犬刀身にとり副《ソ》ふと夢に見つ。何の兆《サガ》ぞも。君にあはむ爲
 
604 今寢た夢に、わたしの體に劔をとり添へてゐたと見ました。これは何の兆《シルシ》でせうか。あなたと逢ふを願ふ身にとつて。(此は恐らく戀人に逢ふ夢は見ないで、劔と添ひ寢をしたといふので、死なねばならぬ凶兆であらうといふのであらう。)
 
605 天地の神しことわりなくばこそ、我が思《モ》ふ君に逢はず、死にせめ
 
605 若し天地にありとある神樣が、この心持ちを聞き分けて下さらないとすれば、我が思うてゐるあの人に逢はずに、焦れ死ぬこともあるだらうが、さういふ心配はないと信じてゐる。
 
606 我が思ふ人もな忘れ。おほなはに、浦吹く風の止む時なかれ
 
606 身分が違ひますから、深く思うて下さいとは願ひませんが、それならそれ相應に、浦吹く風が、吹き止む時がないやうに、わたしとの間も、切れる時がないやうにして下さい。
 
607 皆人を寢よとの鐘はうつなれど、君をし思《モ》へば、寢《イ》ねがてぬかも
 
607 最早亥の刻になつて、誰も皆寐よ、といふ鐘は打つてゐますが、あなたを思うて寢つかれません。
 
608 相思はぬ人を思ふは、大寺の餓鬼《ガキ》の後《シリ》へに額《ヌカ》づくがごとし
 
608 大寺には餓鬼の形がありますが、元より、人間の感じがあらうとは思はれません。ちようど思うて居らぬ人に焦れてゐるのは、あの餓鬼の前にでも行くことか、後に廻つて、辭儀をして居るやうなもので、とんと手答へがなく、じれつたいものです。
 
609 心|從《ユ》も我《ワ》は思《モ》はざりき。又更に、我が故郷《フルサト》に歸り來むとは
 
609 二度と、自分のもとの家に歸つて來ようとは、眞實わたしは、思うてゐませんでした。あなたに迎へ取られて、あなたの家に許り、居著くことゝ思うてゐたのに。
 
610 近くあらば、見ずともあらむを。禰《イヤ》遠《トホ》に君がいませば、ありがつましゞ
 
610 あなたの近くに居りますなら、一日や二日お逢ひ申さずとも、辛抱出來ませうが、こんなに非常に遠く、あなたがおいでなさるので、わたしは、生きてゐられますまい。
  右二首、別れた後に、更めておくつた歌。
 
  大伴(ノ)家持の和せた歌。二首
 
611 今更に妹に會はめやと思へかも、甚《コヽダ》我が胸おぼゝしからむ
 
611 二度と再、お前さんに逢はれまい、と思うてゐるから、こんなに甚《ヒド》く、自分の胸がぼんやりしてゐるのであらう。
 
612 なか/\に黙《モダ》もあらましを。何すとか、相見|初《ソ》めけむ。遂げざらまくに
 
612 こんなことならば、あの時に、いつそものも云はず、手出しもせず、その儘で居たらよかつたのに。何の爲に、遂げられるといふ訣でもないのに、逢ひ始めたのであらうか。
 
  山口(ノ)女王《ヒメオホキミ》、大伴(ノ)家持に贈られた歌。五首
 
613 物|思《モ》ふと人に見えじと、憖《ナマジヒ》に、常に思へど、ありぞかねつる
 
613 始中終《ショツチユウ》戀ひをしてゐると悟られまい、と何時も押し隱してゐるけれども、もう辛抱してゐることが出來なくなつた。
 
614 相思はぬ人をや、もとな、白栲の袖ひづ迄に哭《ネ》のみし泣かも
 
614 相思の間柄でない人を思うて、袖がぼと/”\になる迄、聲を上げて、よしない嘆きをするのは、馬鹿なことだが爲方がない。
 
615 我が夫子《セコ》子は相|思《モ》はずとも、しきたへの君が枕は、夢に見えこそ
 
615 譬ひあのお方は、わたしが思うてゐるやうに、思うてゐては下さらないでも、せめて私の夢には、あの方の手枕をしてゐると見えてくれ。
 
616 劔大刀名の惜しけくも我《ワレ》はなし。君に逢はずて年の經ぬれば
 
616 昔はうき名が立つのをば大事に思うてゐたが、今では名位は何ともない。あなたに逢はないで、こんなに、長くなつてゐるのだから、人に知られても、逢ひたいと思ふ心が耐《タマ》らなくなつた。
 
617 蘆べより滿ち來る潮の、いやましに思へか、君が忘れかねつる
 
617 海の潮が、蘆の生えてゐるあたりに、ずつとさして來るやうに、昨日よりは今日と、段々深く思うてゆく爲か、月日が經つ程、あなたのことが忘れられません。
 
  大神《オホミワノ》郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌
 
618 さ夜中に友呼ぶ千鳥。物|思《モ》ふとわび居《ヲ》る時に、鳴きつゝ。もとな
 
618 眞夜中に、鳴いて伴《ツレ》を呼ぶ千鳥よ。私が物思ひをし乍ら、しよんぼりとしてゐる時分に、心もとなく鳴いてゐることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の男を恨んだ歌。竝びに短歌
 
619 おしてる難波の菅《スゲ》の懇《ネモゴ》ろに、君がきこして、年深く長くし云へば、まそかゞみ磨《ト》ぎし心をゆるしてし其日の極み、波の共《ムタ》靡く玉藻の、かにかくに心は持たず、大舟の憑める時に、ちはやぶる神や離《サ》けゝむ。現身《ウツソミ》の人か障《サ》ふらむ。通はせる君も來まさず。たまづさの使ひも見えずなりぬれば、いたも術《スベ》なみ、ぬばたまの夜《ヨル》はすがらに、あからひく日暮るゝ迄、嘆けども效《シルシ》をなみ、思へども便《タドキ》を知らに、嫋女《タワヤメ》と云はくもしるく、た童《ワラハ》の哭《ネ》のみ泣きつゝたもとほり、君が使ひを待ちやかねてむ
 
619 しみ/”\とあなたが仰つしやつて、何時迄も長く、間を續けて行かうと云ひなさつたから、しつかりとしてゐた心を、あなたの爲に緩《ユル》めた其日以來、波と一處に絡み合ふ藻のやうに、彼人此人と移り行く心はもたず、あなたに頼《タヨ》つてゐる最中に、ちようど神樣が、二人の間を引き裂かれたのか。それとも、世間の人が、邪魔をしてゐるのか、通うて入らつしやつたあなたも、お越しにならず、使ひさへも姿が見えなくなつたので、非常に遣る瀬なくて、夜は夜通し、晝は日の暮れる迄、嘆いてゐても、何の詮《カヒ》もなく、思うてゐても、何の手段も訣らず、人が弱い女と云うてゐる通りに、まるで赤ん坊のやうに泣くばかりで、うろ/\と立つたり、居たり、かうしてあなたの使ひを待ちかねて居らねばなりませんか。
 
  反歌
 
620 始めより長く云ひつゝ憑めずば、かかる思ひにあはましものか
 
620 初手から、あなたが何時迄もというて、頼《タヨ》らせておいでにならなかつたら、こんなひどい物思ひに出くはしたものでせうか。
 
  西海道(ノ)節度使(ノ)判官|佐伯東人《サヘキノアヅマビト》の妻が、夫に贈つた歌
 
621 間《アヒダ》なく戀ふれにかあらむ。くさまくら旅なる君が、夢にし見ゆる
 
621 旅に出て入らつしやる夫が、間斷なく私のことを思ひつめて入らつしやるからか、夢にお逢ひ申すことだ。
 
  佐伯(ノ)東人の和《アハ》せた歌
 
622 くさまくら旅に久しくなりぬれば、尚こそ思へ。な戀ひそ吾妹《ワギモ》
 
622 私こそ、旅に出て長くなるから、お前を思ふのだ。お前は私のことを、くよ/\焦れて心配してはいけない。
 
  池邊(ノ)王が、宴席に吟ぜられた歌
 
623 松の葉に月は移《ユツ》りぬ。紅葉《モミヂバ》の過ぎぬや。君が逢はぬ夜|多《オホ》み
 
623 嗚呼今晩も月がこんなに松の葉の邊迄移つて來て、夜が更けた。あの人は、此頃一向見えない晩が多い。これを思うて見ると、或は死なれたのではあるまいか。(これは宴會に出なかつた人を、揶揄して贈られたものと見える。)
 
  聖武天皇、酒人《サカヒトノ》女王を思はれた御製
 
624 道に會ひて笑ましゝからに、降る雪の消《ケ》なば消《ケ》ぬかに、戀ひ思《モ》ふ吾妹《ワギモ》
 
624 道の行きすがりに、につこりとせられたゞけで、降る雪の樣に、身さへ消え入りさうに、私が焦れてゐるいとしい人よ。
 
  高安(ノ)王、裹《ツト》に入れた鮒を、或處女に贈られた時の歌
 
625 沖邊行き岸《ヘ》に行き、忙《イソ》や、妹が爲我が漁《スナド》れる藻伏《モフ》し束鮒《ツカフナ》
 
625 川の岸に行つたり、眞中へ行つたりして、一所懸命になつて、お前さんの爲に、とつた藻の中に棲んでゐた一握みもある此鮒だ。よく昧うてください。
 
  八代《ヤシロノ》女王、聖武天皇に奉られた歌
 
626 君により、言《コト》の繁きを、故郷の飛鳥《アスカ》の川に、禊《ミソ》ぎしに行く
 
626 わたしが何處へ行く、とお尋ねになるのですか。あなたの爲に、彼此と評判を立てられましたのをば、洗ひ淨める爲に、さびれた都、飛鳥川へ出掛けて行くのです。
 
  其の處女《ヲトメ》、佐伯(ノ)赤麻呂に答へた歌
 
627 我が手もと枕《マ》かむと思《モ》はむ健男《マスラヲ》は、涙に沈み、白髪《シラガ》生ひにたり
 
627 わたしの手を枕にして、共に寢ようと思ふお方は、かう云ふことを、豫め承知してゐて貰ひたい。わたしは戀ひにしみついて了うて、其爲に、白髪がこんなに生えてまゐりました。
 
  佐伯(ノ)赤麻呂の和《アハ》せた歌
 
628 白髪生ふることは思はず。涙をば、かにもかくにも、求めて行かむ
  大伴(ノ)四綱、宴席で詠んだ歌
 
628 あなたは白髪が生えた、と云うてゐられまするが、白髪の生えた位は、念頭に置いてはゐません。只私の爲に、零して下さる涙をば、つき止めて參りませう。
 
629 何すとか使ひの來つる。君をこそ、かにもかくにも待ちがてにすれ
 
629 御都合がつかうが、つくまいが、ともかくも此方《コチラ》は、一心に待つてゐますのです。それに何の爲に、使ひがやつて來たのですか。使ひなどは待つてはゐません。(宴會に出席出來ぬよしの使ひをよこした人に、返事した歌。古い戀ひ歌であらう。)
 
  佐伯(ノ)赤麻呂の歌
 
630 初花の散るべきものを。人|言《ゴト》の繋きによりて、滯《ヨド》む頃かも
 
630 人の評判のうるさゝに、はか/”\しうも逢はないで、躊躇してゐる此頃だ。いつそ此位ならば、のつけに死んで了うた方が、ましだつたのに。
 
  湯原(ノ)王《オホキミ》、某(ノ)處女と贈答せられた歌
 
631 うはへなきものかも。人は。然《シカ》ばかり遠き家路を歸す、思へば(湯原(ノ)王)
 
631 愛相のないことだね。こんなに遠い家への道を、又出戻りしなさるのを考へて見ると。この人は。
 
632 目には見て、手には取られぬ、月の中《ウチ》の桂の如き妹を如何にせむ(同じ王)
 
632 ちようど、いとしい人は月の中に生えてゐるといふ、桂の樹のやうなものだ。目には見えてゐても、手には入れられぬのだから、如何したら宜からう。
 
  その處女の答へた歌
 
633 如何許り思ひけめかも、しきたへの枕かたさる夢に見え來《コ》し(某ノ處女)
 
633 自身でも、そんなに思うてゐませんでしたが、考へると、餘程深く思ひこんでゐたものと見えます。お逢ひ申さないで寢た夜の夢に、お見えになりました。
 
634 家にして見れど飽かぬを。くさまくら旅にも妻のあるが羨《トモ》しさ(某ノ處女)
 
634 家の中でお逢ひ申しても、滿足しない位だのに、戀しいあなたは、旅にお出かけだといふのが、物足りませぬ。
 
  湯原(ノ)王が再、贈られた歌。二首
 
635 くさまくら旅にも妻は率《ヰ》たらめど、櫛笥《クシゲ》のうちの珠とこそ思へ
 
635 旅も、なるほど、女は連れて來られようが、お前さんを連れて來なかつたのは、お前さんは、大事な人で、箱の中の珠とも思うてゐるからだ。
 
636 我が衣《キヌ》をかたみに奉《マダ》す。しきたへの枕|離《カ》れずて、枕《マ》きてさ寢ませ
 
636 私の著物を、身代りに差し上げて置きます。どうか枕の邊から、何時も離さずに、わたしの代りに、かゝへておやすみ下さい。
 
  處女が又答へた歌
 
637 吾が夫子《セコ》がかたみの衣《コロモ》、つまどひに、わが身は離《サ》けじ。言《コト》とはずとも
 
637 あなたの身代りのお著物は、わたしのからだをば離しはしますまい。著物では、物は云はないにしましても、あなたにお逢ひ申してゐると思うてゐませう。
 
  又、湯原(ノ)王から
 
638 唯一夜|距《ヘダ》てしからに、あらたまの月か經ぬると、思ほゆるかも
 
638 只の一晩、お前と離れてゐたゞけだのに、一月も立つたか、と思はれることだ。
 
  又、處女から
 
639 我が夫子がかく戀ふれこそ、ぬばたまの夢に見えつゝ寢《イ》ねらえずけれ
 
639 それで訣りました。あなたがそんなに、わたしのことを思うてゐて下さつたので、その晩は夢にお見えなされて、眠られなかつたのです。
 
  再、湯原(ノ)王から
 
640 はしけやし、ま近き里を、雲居にや戀ひつゝをらむ。月も經なくに
  再、處女から
 
640 懷しいことだ。別れてからまだ一月も立たないし、里程《ミチノリ》と云つても、そんなに遠くもない里をば、まるで、及びもつかぬ空の邊にあるやうに、焦れて居らねばならんのですか。
 
641 絶ゆと云はゞ、わびしみせむと、燒大刀《ヤキダチ》のへつかふことは、からしや。吾君《ワギミ》
 
641 若し切れて了ふと云うたら、わたしが悲觀して愚痴をいふだらうと、當り障りのないことを仰つしやるのは、そりや甚《ヒド》う御座います。あなたよ。
 
  重ねて、湯原(ノ)王の歌
 
642 吾妹子に戀ひて亂れば、くるべきにかけて縒《ヨ》らむと、我が戀ひそめし
 
642 自分の心が、お前の爲に焦れて、絲のやうに亂れたら、かのくるべき〔四字傍点〕にでもかけて、縒り合す方法もある。まあ焦れるだけ焦れよう、と覺悟してかゝつたのである。
 
  紀(ノ)郎女、人を恨んで作つた歌。三首
 
643 世の中の女《メ》にしあらば、我が渡る妹夫《イモセ》の川を渡りかねめや
 
643 わたしの身を、川に譬へて見れば、妹夫《イモセ》の川を渡りかねる、即夫婦の間が圓滿に行きかねてゐるが、世間普通の女ならば、そんなに苦しまないものを、とつく/”\喞《カコ》たずにゐられませぬ。
 
644 今は吾《ワ》は詫びぞしにける。いきのをに思ひし君をゆるさく、思へば
 
644 あなたは、わたしが命懸けで思ひ込んでゐたお方ですのに、他の女に奪はれたのは、全くこちらの油斷です。その氣を許してゐたことを思うて、今になつて悲觀してゐることです。
 
645 白栲《シロタヘ》の袖わかるべき日を近み、心に咽び、哭《ネ》のみし泣かゆ
 
645 互に袖を分つて、別れねばならぬ日が近寄つて來たので、表に出さないが、心中に咽んで、泣かずにはゐられません。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌。一首
 
646 健男《マスラヲ》の思ひ詫びつゝ、度多《タビマネ》く嘆く嘆きを負はぬものかも
 
646 そんなに、つれなうするものではありません。男がこんなに悲觀して、幾度も/\嘆息《タメイキ》を吐《ツ》いて悲しんでゐる。その因果應報が、あなたの身にかゝらないとも限らないのですよ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
647 心には忘るゝ日なく思へども、人の言こそ繁き君にあれ
 
647 怨言では恐れ入ります。わたしは心中では、一日も忘れる日がない程、あなたのことを思うてゐますが、かれこれと、人の評判が、うるさく立つたあなたでありますから、辛抱してゐるのです。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌。一首
 
648 あひ見ずてけ長くなりぬ。此頃は如何に、よけくや。いぶかし。吾妹
 
648 お逢ひ申さずに、日數が長くなりました。此頃はどうですか。障りなく入らつしやいますか。氣懸りです。あなたよ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
649 夏|葛《クズ》の絶えぬ使ひのよどめれば、事しもあるごと思ひつるかも
 
649 先頃は、一日の絶え間もなく、やつて來た使ひが、此頃は、一向躊躇して出て來ないので、これは何かあるだらうといふ樣に感じてゐたことです。
 
  大伴(ノ)三依、女に別れて、復逢うた時の歌
 
650 吾妹子は常世《トココ》の國に住みけらし。昔見しより若《ワカ》えましにけり
 
650 我が愛する人は、あの仙人の住む、常世の國に住んで居たのに違ひない。今日逢うて見ると、昔見たよりは、ずつと若返つて入らつしやることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌。二首
 
651 ひさかたの天の露霜《ツユジモ》置きにけり。家なる人も、待ち戀ひぬらむ
 
651 天から降る水霜も、最早おりてゐることだ。今頃は、故郷の家の人は、約束の時が來た、といふので、歸りを待ち焦れてゐるだらう。
 
652 玉主《タマヌシ》に玉は授けて、かつ/”\も、枕と我は、いざ二人寢む
 
652 大事にした玉のやうな娘ですが、れつきとしたあなたといふ持ち主が出來た以上はお手渡しゝて、これからは淋しいが、ひつそりとわたしは一人寢をして、其代り、枕を相手に寢《ヤス》みませう。どうか、娘を大事にしてやつて下さい。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌。三首
 
653 心には忘れぬものを、たま/\も見ざる日|多《マネ》く、月ぞ經にける
 
653 眞實忘れてゐないのだが、思ひ寄らず逢はれぬ訣があつて、出逢はない日が、澤山經たのである。
 
654 逢ひ見てば月も經なくに、戀ふといはゞ、虚言《ヲソ》ろと、我を思ほさむかも
 
654 お逢ひ申してからは、まだ一月も經たないのに、逢ひたくて、焦れてゐる、と申したら、例の嘘だとお思ひになるかも知れませんわ。
 
655 思はぬを思ふと云はゞ、天地の神し知らさむ。疑ふな。ゆめ
 
655 私は決して、嘘は云ひません。愛してもゐない人に焦れてゐるというたならば、天地に滿ちて入らつしやる神のお見通しで、罰をお當てになりませう。疑うて下さるな。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌。六首
 
656 吾のみぞ君には戀ふる。我が夫子《セコ》が戀ふとふことは、言《コト》のなぐさぞ
 
656 あなたはそんな事を仰つしやるが、やつぱり嘘です。戀ひに焦れてゐるのは、わたし許りです。あなたが戀しいと仰つしやるのは、ほんの冗談に過ぎません。
 
657 思はじと云ひてしものを、唐棣《ハネズ》色の移ろひ易き我が心かも
 
657 あなたの心の變り易い樣に、わたしの心も變り易い。それだから、あなたのことを思ふまいと云うて居乍ら、又變つて、あなたを思うてゐる。同じ變り易くても、あなたの變るのと違ひませう。
 
658 思へれど驗《シルシ》もなしと知るものを。なぞ多《コヽダ》くも我が戀ひ渡る
 
658 思うた所で、その詮《カヒ》もなからうとは、知つてゐて、何故こんなに、甚く、あなたのことを、焦れ續けてゐるのでありませうか。
 
659 豫め人言繁し。かくしあらば、しゑや、我が夫子《セコ》。將來《オク》は如何にあらめ
 
659 まだろく/\逢ひもしない先から、うるさく評判が立つてゐます。ほんに、あなた、こんな事だつたら、將來どうで御座いませうか、案ぜられます。
 
660 汝《ナ》をと吾《ア》を、人ぞさくなる。いで吾君《ワギミ》。人の間言《ナカゴト》聞きこすな。ゆめ
 
660 あなたと、わたしとを、人が離間しようとしてゐます。どりや、確《シツ》かりして、人の離間の言に、決して耳をお貸しなさるな。あなたよ。
 
661 戀ひ/\て逢へる時だに、うるはしき事盡してよ。長くと思《モ》はゞ
 
661 何時迄も二人の仲を續けようとお思ひなさるならば、せめてかうして、焦れ/\て、やつと逢うた時だけにでも、どうぞ、ありだけの愛情をお注ぎ下さい。
 
  市原(ノ)王の歌
 
662 英虞《アゴ》の山五百重隱せる志※[氏/一]《シデ》の崎、さで延《ハ》へし子の、夢にし見ゆる
 
662 此處から見れば、志摩の英虞《アゴ》の山が、幾重にも幾重にも立つて隱してゐる、あの志※[氏/一]の崎に行つた時に、狹手網をさして居たあの蜑處女の姿が、夢によく現れる。
 
   安倍年足《アベノトシタリ》の歌
 
663 佐保渡り、吾家《ワギヘ》の上に鳴く鳥の、聲懷しき愛《ハ》しき妻《ツマ》の子
 
663 佐保山を越えて、ずつと自分の家の上迄やつて來て、鳴いて通る鳥の聲のやうに、懷しい我が愛する妻なる人よ。
 
  大伴(ノ)像見《カタミ》の歌
 
664 石《イゾ》の上《カミ》降るとも雨に障《サヤ》らめや。妹に逢はむと云ひてしものを
 
664 先日、あの人に、今日は逢はうと云うて置いたのに、譬ひ雨が降つたとて、雨に邪魔せられて行かないでゐようか。
 
  安倍(ノ)蟲麻呂の歌
 
665 向ひ居て見れども飽かぬ吾妹子《ワギモコ》に、立ち別れ行かむたづき知らずも
 
665 向ひ合うて坐つてゐて、見ても見飽かぬいとしい人に別れて、旅に出かけて行くのは、あてもつかないことだ。
 
  大伴坂上(ノ)郎女の歌。二首
 
666 逢ひ見ぬは、幾何久《イクバクヒサ》もあらなくに、甚《コヽダ》く我は戀ひつゝもあるか
 
666 逢はないことは、そんなに長くもならないのに、非常にわたしは焦れてゐることだ。
 
667 戀ひ/\て逢ひたるものを。月しあれば、夜はこもるらむ。暫《シマ》しはあり待て
 
667 そんなに急ぎなさるな。焦れて、やつと逢うたのです。空には月が殘つてゐますから、まだ明けるには、間もありませう。まう暫く、その儘でおいでなさい。
 
  右は、蟲麻呂と、郎女とが、母方の從兄妹である所から、互に戀ひ人の心持ちで、戯れに贈答したものである。
 
  厚見《アツミノ》王の歌
 
668 朝にけに色づく山の白雲の、思ひ過ぐべき君ならなくに
 
668 朝毎に愈、紅葉の色深くなつた、山にかゝつてゐる白雲ではないが、此儘、焦れる心をうつちやつて了ふことの、出來るあなたではありません。
 
  春日(ノ)王の歌
 
669 あしびきの山橘の色に出でゝ、談らひ續ぎてば、逢ふこともあらむ
  湯原(ノ)王の歌
 
669 あのやぶかうじの實が、山の中で目に著くやうに、今は譬ひ、逢へないでも、思うてゐるよしを、顔色に出して、此關係を續けて居たなら、逢へることもあるだらう。
 
670 月讀《ツキヨミ》の光に來ませ。あしびきの山を隔てゝ遠からなくに
 
670 あなたと私と、山を越えて遠くない處に住んでゐます。夜になつたからとて、月の光があるではありませんか。それをたよりに入らつしやい。(此は、戀ひ歌ではなからう。)
 
  其の和《アハ》せた歌
 
671 月讀の光はさやに照せれど、惑《マド》ふ心は堪へじとぞ思ふ
 
671 あなたは月の光を頼つて來い、と仰つしやるが、なるほど月は鮮かに照してゐますが、私のこの思ひに亂れて、方角もつかぬ心では、とても、歩いて行くことが出來ません。(此も戀ひ人の心持ちで、男の作つた歌。)
 
  安倍(ノ)蟲麻呂の歌
 
672 しづたまき數にもあらぬ命もち、何しか甚《コヽダ》、我が戀ひわたる
 
672 數へる程もない、短い命を持ち乍ら、その短い壽命の間に、どうしてこんなに、あなたのことを思ひ續けてゐるのでせう。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌。二首
 
673 まそ鏡《カヾミ》磨《ト》ぎし心を緩《ユル》してば、後《ノチ》に云ふとも、效《シルシ》あらめやも
 
673 一所懸命に磨きをかけて、思ひ込んでゐた心を緩めたなら、いくら後から、殘念がつてかれこれいうても、效能があらうか。
 
674 またまつく遠近《ヲチコチ》かねて言《コト》は云へど、逢ひて後こそ悔いにはありと云《イ》へ
 
674 男といふものは、目《マ》の當りのことも、後のことも、變りはないと云うて、頼りになるやうな顔はするけれど、うつかり逢うた後は、後悔の種であるといふから逢はれません。
 
  中臣《ナカトミノ》郎女、大伴家持に贈つた歌。五首
 
675 女郎花《ヲミナヘシ》咲澤《サキサハ》に生ふる花がつみ、曾ても知らぬ戀ひもするかも
 
675 わたしはあなたに逢ひましてから、これ迄一度も經驗のない、戀ひ焦れ方を致してゐることです。
 
676 洋《ワタ》の底|奥《オキ》を深めて、我が思《モ》へる君には逢はむ。年は經ぬとも
 
676 海の底のずつと先の方迄、深くわたしが思ひ込んでゐるあなたに、今逢へなければ、何時迄も辛抱してゐて、逢へる時を待ちませう。
 
677 春日山朝ゐる雲の、おぼゝしく、知らぬ人にも戀ふるものかも
 
677 春日の山に、朝懸つてゐる雲ではないが、よくも知らぬ、ぼんやりとした人に、わたしは焦れてゐることだ。
 
678 直接《タヾ》に逢ひて、見てばのみこそ、たまきはる命に對《ムカ》ふ我が戀ひ止まめ
 
678 わたしの戀ひをなくするには、外に方法はありません。直接に、あの方に逢うて見たら、命とつりがへの戀ひが止みませうが、外には方法はありません。
 
679 否と云はゞ強ひめや。我が夫《セ》。菅《スガ》の根の思ひ亂りて戀ひつゝもあらむ
 
679 そんなに思はせ振りは、やめて下さい。いつそいやだと云つて下されさへすれば、無理にもとは云ひますまい。わたしは、自分だけで心亂れて、焦れてをりませう。
 
  大伴(ノ)家持、仲の善かつた人と、久しく逢はなかつた頃の歌
 
680 蓋しくも人の間言《ナカゴト》聽《キ》けるかも。多《コヽダ》待てども、君が來まさぬ
 
680 こんなにひどく待つてゐますが、あなたが入らつしやらないのは、大方、人の離間する辭に、耳を傾けなさつたのでせう。
 
681 なか/\に絶えむと云はゞ、かく許り、いきのをにして我が戀ひめやも
 
681 一層切れようと云つて下さつたら、却てこんなに、命懸けでわたしが焦れませうか。
 
682 相思ふ人にあらなくに、懇《ネモゴ》ろに心盡して戀ふるわれかも
 
682 別に、相思の間がらでもないのに、一心になつて焦れてゐることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌。七首
 
683 云ふ言《コト》の畏《カシコ》き國ぞ。紅《クレナヰ》の色にな出でそ。思ひ死ぬとも
 
683 うつかり言《モノ》を云へば、恐しい目に合ふ世界だ。だから、うつかり顔色に出してはいけません。譬ひ焦れて死んでも。
 
684 今は吾《ワ》は、死なむよ。我が夫。生けりとも、我に寄るべしと、云ふといはなくに
 
684 もうわたしは、覺悟して死にませう。譬ひ生きて居た所で、あなたの心が、わたしの方へ向いて下さる訣といふでもないのに。
 
685 人言《ゴト》を繁みや、君を、ふたさやの、家を隔てゝ戀ひつゝをらむ
 
685 人の言のうるさゝに、思ふあなたを、わたしの家へお呼び申さずに、別々に居て、焦れて居ねばならんものでせうか。
 
686 此頃に千年や行きも過ぎぬると、我や然《シカ》思ふ。見まく欲《ホ》れかも
 
686 近來僅かの間に、千年も過ぎて了うた樣に思ふのは、わたしが逢ひたう思ふ爲に、さう考へるのでせうか。
 
687 愛《ウルハ》しと我が思《モ》ふ心、早川の堰《セ》きと堰くとも、尚や崩《ク》えなむ
 
687 愛《イト》しいとわたしが思ふ心は、流れの急な川が、堤を破る樣に幾何《イクラ》喰ひとめても、それでも崩れて戀しくなることでせう。
 
688 青山を横切る雲の著《イチジル》く、自《ワレ》と笑《ヱ》まして、人に知らゆな
 
688 青い山の上を、白い雲が横切つて通ると、はつきり見えますが、さうした風に、人目につき易く、思ひ出し笑ひなどして、人に悟られぬやうにして下さい。
 
689 海山も隔たらなくに、何しかも、媾事《メゴト》をだにも甚《コヽダ》乏《トモ》しき
 
689 あなたと、わたしとの間は、海と山とを隔てゝゐるといふ訣ではありません。それに何故お出逢ひ申すことさへ、甚《ヒド》く尠いのでせうか。
 
  大伴(ノ)三依、別れを悲しんだ歌
 
690 照れる日を暗に見なして泣く涙、衣濡しつ。干す人なしに
 
690 赫々と照つてゐる日さへも、暗の夜のやうに、光も見えない程、泣く涙が、慰めて乾す人がないので、著物を濡してゐる。
 
  大伴(ノ)家持、ある處女に贈つた歌。二首
 
691 もゝしきの大宮人は多かれど、心にのりて思ほゆる妹
 
691 宮中に仕へてゐる、女官たちは澤山あるけれど、自分の心中に、のしかゝつて離れずに、思はれるいとしい人よ。
 
692 うはへなき妹にもあるかも。斯く許り人の心を盡さく、思へば
 
692 変相のない無情な人であることだ。こんなに迄、人に苦勞さすのを考へると。
  大伴(ノ)千宝《チムロ》の歌
 
693 かくしのみ戀ひや渡らむ。秋津野にたなびく雲の、過ぐとはなしに
 
693 こんなに許りして、ずつと焦れ續けねばならぬか。秋津野に懸つてゐる雲なら、直《スグ》消えるが、何時迄たつても、此心持ちは、消えるといふことはないのだ。
 
  廣河(ノ)女王の歌。二首
 
694 戀ひ草を、力車に七車《ナヽグルマ》積みて戀ふらく。我が心から
 
694 これも自分の心から求めてしたことで、何とも爲方はないが、此頃は戀ひ草を荷積車に七臺分も積んで、それを曳いて苦しむやうに、戀ひに苦しんでゐることだ。
 
695 戀ひは、今はあらじと我は思へるを、何處《イヅク》に、戀ひぞ、握み懸れる
 
695 すつかり戀ひを對治して了つて、もう戀ひは殘つてゐないと思うてゐたのに、何《ド》の邊に戀ひの奴が、ひつ著いて、振り落されずに、掛つてゐたのであらうか。     
 
  石川(ノ)廣成《ヒロナリ》の歌
 
696 家人に戀ひ過ぎめやも。河蝦《カハヅ》鳴く泉の里に、年の經行《ヘユ》けば
 
696 奈良の都を捨てゝ、恭仁《クニ》の都のある、河鹿の鳴いてゐる泉の里に住んでから、月日が立つた。それにつけても、彌、家人を思ふ心が、うつちやることが出來さうもない。
 
  大伴(ノ)像見《カタミ》の歌。三首
 
697 我が聞きにかけてな言ひそ。刈薦《カリゴモ》の亂りて思ふ。君がたゞかを
 
697 自分の耳へさういふことは、決して聞かせてくれな。減多無上に思ひ込んでゐる、戀ひ人の容子をば。
 
698 番日野に朝居る雲のしく/\に、我は戀ひます。月に日《ヒ》にけに
 
698 春日野に朝ぢつと懸つてゐる雲が、何時も/\あるやうに、何時も/\自分は、深く思ひこんで行く許りである。月日が經つ毎に、いやましに。
 
699 一瀬には千度|障《サヤ》らひ行く水の、後も逢ひなむ。今にあらずとも
 
699 二人の中は、ちようど一瀬を過ぎるのに、幾度となく邪魔物に出會うて、流れる水のやうなものであるが、將來は屹度逢はうよ。今は樂に逢へないでも、辛抱して居よう。
 
  家持、處女の家の門迄行つた時の歌
 
700 かくしてやなほや歸らむ。近からぬ、道の間《アヒダ》をなづみ參來《マヰキ》て
 
700 私の家から、茲迄は、隨分近くない里程《ミチノリ》です。其里程に難澀し乍ら、參上して居ながら、そんなに迄し乍ら、無駄に歸らねばならんのでせうか。
 
  河内(ノ)百枝處女《モヽエノヲトメ》、家持に贈つた歌。二首
 
701 はつ/\に人を相見て、いかならむ何《イヅ》れの日にか、又よそに見む
 
701 苦心した結果、やつとの思ひで、戀しい人にお出逢ひ申しておき乍ら、又どうした具合で、何時か縁が切れて、他人として見るやうになりませうか。なりさうな氣がします。
 
702 ぬば玉のその夜の月夜《ツクヨ》、今日迄に我は忘れず。間《マ》なくし思《モ》へば
 
702 私は、間斷なくあなたのことを思うてゐますので、お逢ひ申した、あの晩の月の容子を、今日になるまで、忘れはいたしません。
 
  巫部麻蘇處女《カムコベノマソノヲトメ》の歌。二首
 
703 我が夫子《セコ》をあひ見しその日、今日迄に、我が衣手は乾《ヒ》る時もなし
 
703 あなたにお逢ひ申したその日から、今日になる迄、戀しさに泣いてゐますので、袖の乾く間もありません。
 
704 栲繩《タクナハ》の長き命を欲《ホ》らくは、絶えずて人を見まほしめこそ
 
704 何時迄も生きてゐたい。長い命が欲しい、と思ふのは、何時迄も、その人を見たいと思へばこそであります。
 
  大伴(ノ)家持、童女《ウナヰ》に贈つた歌
 
705 はね蔓《カヅラ》今する妹を夢《イメ》に見て、心の中《ウチ》に戀ひわたるかも
 
705 新しく男を知り初める、お前さんを、夢に見てから、表には現さないで、心の中で、焦れ續けてゐることだ。
  童女《ウナヰ》の答へた歌
 
706 はね蔓いまする妹はなかりしを。如何なる妹ぞ、甚《コヽダ》戀ひたる
 
706 あなたは、いまする妹をと仰つしやつたが、其はわたしの方ではなかつたので、他のどういふお方を、そんなに夢に見る迄、焦れて入らつしやつたのでせうかね。
 
  粟田《アハタノ》處女、大伴家持に贈つた歌。二首
 
707 思ひやる術《スベ》の知らねば、かたもひの底にぞ、われは戀ひなりにける
 
707 焦れる心をうつちやる手段が訣りませんので、とう/\、わたしはどん底迄、焦れて參りました。
 
708 又も逢はむよしもあらぬか。白栲《シロタヘ》の我が衣手にいはひ留めむ
 
708 あの時は、うつかり別れて了ひました。まう一度、逢ふ方法がなからうか。さうしたら此度こそは、自分の著物に、あなたの魂を、結び留めて置く、禁厭をしませう。
 
  豐前(ノ)國の處女《ヲトメ》大宅女《オホヤカメ》の歌
 
709 夕闇は道たづ/\し。月待ちていませ。我が夫子《セコ》。その間《マ》にも見む
 
709 月が出る迄の暗がりの道は、とぼ/”\と訣りにくいものです。どうか月が出る迄待つて、その上で、お出かけ下さい。その間にでも、見てゐたう御座います。あなたよ。(佳作)
 
  安都扉《アトノトビラノ》處女の歌
 
710 み空行く月の光に、只一目相見し人の、夢にし見ゆる
 
710 空を渡る月の光に、僅か一目だけ見かはしたやうな儚ない契りの人が、夢に見えて心を悩すことよ。
 
  丹波大女處女《タニハノオホメノヲトメ》の歌。三首
 
711 鴨鳥《カモドリ》の遊ぶ此池に、木《コ》の葉落ちて、浮べる心我が思はなくに
 
711 あなたは、そんなにわたしを疑ひなさるが、わたしは、そんな鴨の泳いでる池に、木の葉が浮いてゐる樣な、うはついた心を、起したことはありません。
 
712 美酒《ウマザケ》を、三輪の祝部《ハフリ》が齋《イハ》ふ杉、手觸《テフ》りし罪か。君に逢ひ難き
 
712 三輪の神主が、大事に清めて仕へてゐる、神木の杉の樣な、勿體ないあなたに觸つた罪と見えまして、あなたに逢はれないことよ。
 
713 垣《カキホ》なす人言《ヒトゴト》聞きて、吾夫子が心たゆたひ、あはぬ此《コノ》頃
 
713 垣のやうに、我々の身を繞る、澤山の人の評判を恐れて、あなたの心が、それで躊躇して、此頃は、逢はないでゐることよ。
 
  大伴(ノ)家持、處女に贈つた歌
 
714 心には思ひわたれど、よしをなみ、外《ヨソ》にのみして、嘆きぞわがする
 
714 心には、ずつと思ひ續けてゐるが、云ひ寄る方がなくて、側から見てゐるばかりで、嘆息を吐《ツ》く許りである。
 
715 千鳥鳴く佐保の川門《カハト》の清き瀬を、馬うち渡し、何時か通はむ
 
715 佐保川の渡り瀬の、清らかな瀬をば、馬を渡して何時、自分が、あの人のもとへ通はうか。
 
716 夜畫《ヨルヒル》といふ辨別《ワキ》知らず、我が戀ふる心は、蓋し夢《イメ》に見えきや
 
716 夜晝といふ差別もなく、自分が戀ひ慕うてゐる心は、あの人の夢にあらはれたゞらうか。
 
717 つれもなくあるらむ人を。片|思《モ》ひに我は思へば、わびしくもあるか
 
717 同情のない人を、自分だけが片思ひしてゐるのは、情ないものだ。
 
718 思はずに、妹が笑《ヱマ》ひを夢に見て、心の中に燃えつゝぞをる
 
718 思ひがけなく、夢にいとしい人の笑顔を見て、心の中で、獨り、こがれてゐることだ。
719 健男《マスラヲ》と思へる我を。かく許り憔悴《ミツ》れに憔悴《ミヅ》れ、片|思《モ》ひをせむ
 
719 自分は、立派な一人前の男だと思うてゐる。それだのに、こんなに迄、衰へた上に衰へて、片思ひをしてゐるのが、腑|詮《ガヒ》ないことだ。
 
720 むらぎもの心碎けて、かく許り我が戀ふらくを、知らずかあるらむ
 
720 心配に心を碎いて、こんなに迄、わたしがこがれてゐるのを、あの人は、知らずにゐるのだらうか。
 
  某が、聖武天皇に奉つた歌
 
721 足びきの山にしをれば、風流《ミヤビ》なみ、我《ワ》がするわざを。咎め給ふな
 
721 ほんの心許りのしるしに、こんなものを奉りますが、山に住んで居ますので、都風な、上品なことは出來ません。こんな鄙びた、つまらぬ捧げ物をお咎め下さいますな。(坂上郎女が、佐保の家で作つたものだ、といふ異本の傳へは、眞であらう。)
 
  大伴(ノ)家持の歌
 
722 かく許り戀ひつゝあらずは、石木《イハキ》にもならましものを。物|思《モ》はずして
 
722 こんなに色々物を思ふ位ならば、一層物を思はないで、石や木になつて了うたら、ましであつたらう。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、跡見莊園《トミノナリドコロ》から、家に殘つてゐる娘の大嬢《オホイラツメ》に贈つた歌。竝びに短歌
 
723 常世《トコヨ》にと我が行かなくに、小金門《ヲカナド》にもの悲しらに思へりし吾《ワ》が子の刀自《トジ》を、ぬば玉の夜晝《ヨルヒル》と云はず、思ふにし我が身は痩せぬ。嘆くにし袖さへ濡れぬ。かく許りもとなし戀ひば、故郷に此月頃をありかつましゞ
 
723 遠い、仙人のゐるやうな外國へ、わたしが行くのではないのに、門に出て悲しく思ひ乍ら、わたしを見送つてゐた、我が娘なる御寮人を、夜晝の分ちなく思うてゐる爲に、自分の體は痩せた。嘆く爲に袖迄も、何時も濡れてゐる。こんなに、心細く焦れてゐるのならば、これから先、幾月か、この寂れ果てた跡見《トミ》の里に、辛抱してえう居るだらうか。
 
  反 歌
 
724 朝髪の思ひ亂りて、かく許り汝姉《ナネ》が戀ふれぞ、夢《イメ》に見えける
  右の歌は、大孃への返歌である。
 
724 こんなに迄心亂れて、無上にわたしのことを、お前さんが思うてゐるからか、夢に逢うたことだ。
 
  聖武天皇に奉つた坂上(ノ)郎女《イラツメ》の歌。二首
 
725 鳩《ニホ》鳥の潜《カヅ》く池水、心あらば、君に、我が戀ふる心しめさね
 
725 にほ鳥が潜《ムグ》つてゐる池よ。池の眞中を池の心といふが、お前にもその心があつて、思ひやつてくれるならば、我が君に、わたしの焦れてゐる心をば、お見せ申してくれ。(とわたしの心は、池の心のやうに深い、と間接に示した歌。)
 
726 外《ヨソ》にゐて戀ひつゝあらずは、君が家《イヘ》の池に住むとふ鴨にあらましを
 
726 脇から焦れてゐる位なら、あなたのおいでになる御殿の、池に住んでゐるとか聞いてゐます、その鴨になつた方が、宜かつたのでした。
 
  大伴(ノ)家持、坂上家の大孃《オホイラツメ》に贈つた歌
 
727 萱草《ワスレグサ》我が下紐《シタヒモ》に着けたれど、醜《シコ》の醜《シコ》草、言《コト》にしありけり
 
727 萱草を下衣の紐に著けたならば、物忘れをするといふから、著けたのであるが、一向忘れはしない。此上なく詰らない草だ。萱草なんて、語だけであつた。
 
728 人も無き國もあらぬか。吾妹子と携はり行きて、たぐひてをらむ
 
728 他に誰も住んでゐない、國があつてくれゝば宜いが、お前さんと手をつないで行つて、遠慮なく始中終わり竝んで暮してゐよう。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)家(ノ)大孃、大伴(ノ)家持に贈つた歌。三首
 
729 玉ならは手にも纏《マ》かむを。うつそみの世の人なれば、手にまき難し
 
729 玉であつたら、手に纏きつけて、大事にしてゐようのに、人間世界であるので、手に纏きつけて、體を離さずゐる、といふことが出來ません。
 
730 逢はむ夜は、いつもあらむを。何すとか、その宵逢ひて言《コト》の繁きも
 
730 あんな日に、わざ/”\逢ふ必要はなかつたのだ。他に逢ふべき夜は、幾らでもあつたのだ。あんな晩に逢うたものだから、人の評判が、やかましくなつたのだが、何故逢うたのでせう。
 
731 我が名はも、千名《チナ》の五百名《イホナ》に立ちぬとも、君が名立たば惜しみこそ泣け
 
731 あなたはわたしが泣くのを、不思議がつて居なさるが、あたり前ではありませんか。わたし等の名前は、譬ひどの位に評判せられても、千通りが五百通りでもかまひませぬ。が、只あなたの名の出るのが、大事さに泣くのであります。
 
  大伴(ノ)家持の和せた歌。三首
 
732 今しはし、名の情しけくも我《ワレ》はなし。妹によりてば、千重《チヘ》に立つとも
 
732 もう今では、名が大事でも何でもない。いとしい人の爲にならば、幾重に惡い評判が立つてもかまひません。
 
733 うつそみの世やも竝行く《フタユ》。何すとか、妹に逢はずて、我《ワ》が獨《ヒト》り寢む
 
733 人問の世の中は、一度過ぎても、又一度あるといふやうに、二途かけることが出來ませうか。それにどうして、戀しい人に逢はないで、辛抱して獨り寢を致しませう。
 
734 我が思ひかくてあらずは、玉にもが。まことも、妹が手に纏かれなむ
 
734 こんな風に自分が思うてゐる位ならば、一層玉にでもなりたいものだ。ほんとにおまへさんのいうた通り、いとしいおまへの手に纏かれることが出來よう。
 
  再、坂上(ノ)家(ノ)大孃、家持に贈つた歌
 
735 春曰山霞たなびき、心ぐゝ照れる月夜《ツクヨ》に、獨りかも寢む
 
735 春日山に霞がかゝつて、氣の詰つて來るやうに、照つてゐる月を見乍ら、今夜は獨り寢ることか。
 
  又、家持、坂上(ノ)家(ノ)大孃に和《アハ》せた歌
 
736 月夜《ツクヨ》には門に出で立ち、夕占《ユフケ》とひ、足占《アウラ》をぞせし。行かまくを欲《ホ》り
 
736 月の照つてゐる晩には、表へ出て行つて、夕まぐれの道行く人の、言を聞いて辻占をしたり、又足占をして見たりして、今夜行けば逢へようかなどゝ考へて見た。あなたの處へ行きたさに。
 
  又、大孃、家持に贈つた歌。二首
 
737 かにかくに人は云ふとも、若狹|路《ヂ》の後瀬《ノチセ》の山の、後《ノチ》も逢はむ。君
 
737 彼此と、色々人は評判を立てゝもかまひません。今は遠慮しておいて、若狹地方にあるといふ、後瀬山ではないが、將來あひませうよ。あなたよ。
 
738 世の中《ナカ》し苦しきものにありけらく。戀ひに堪へずて死ぬべく、思へば
 
738 世界と云ふものは、苦しいものであつたことだ。戀ひに辛抱し切れないで、自分が死なうとしてゐるのを、考へて見れば。
 
  再、家持、坂上(ノ)家(ノ)大孃に和《アハ》せた歌。二首
 
739 後瀬山後も逢はむと思へこそ、死ぬべきものを、今日迄も生けれ
 
739 あなたの仰つしやる通り、後々に逢ふこともあらうと思へばこそ、死ぬ筈を、今日迄生きてゐたのです。
 
740 言《コト》のみを後も逢はむと、懇《ネモゴ》ろに我《ワレ》を馮《タノ》めて、逢はぬ妹かも
 
740 口で許り、將來逢はう、とくれ/”\もわたしに頼りにさせて置いて、逢うてくれない、つれない人だこと。
 
  その後更に、大伴(ノ)家持から、坂上(ノ)家(ノ)大孃に贈つた歌。十五首
 
741 夢の會《ア》ひは苦しかりけり。驚きて、掻き探れども、手にも觸れねば
 
741 夢に出逢うたのは術ないものです。目が醒めて、あなたが居なさるか、と探つて見ても、手にもさはりませんから。
 
742 一重のみ妹が結びし帶をすら、三重結ぶべく、我が身はなりぬ
 
742 あなたが結んでくれた時分は、只一重廻りであつた帶が、三重廻りになる程、私は痩せました。
 
743 我が戀ひは千引《チビ》きの岩を七《ナヽ》許り、首に懸けむも。心のかたき
 
743 私の焦れる心は、千人がゝりで曳く岩を、七つ程も、首に引きかけたやうです。それで、心が堪へ難く、苦しうあります。
 
744 夕さらば、宿あけ設《マ》けて我《ワレ》待たむ。夢に逢ひ見に來むとふ人を
 
744 日暮れになつたら、宿を明けて用意して待つて居ませう。實際逢へないでも、深く思うて居る時には、夢にあひに來るといふから、その逢ひに來る人を待つてゐませう。
 
745 朝|夕《ヨヒ》に見む時さへや、吾妹子が見とも見ぬ如《ゴト》、尚戀しけむ
 
745 今は逢はれないで、こんなに苦しんでゐるが、若し、晴れて朝晩に見ることが出來るやうになつても、(始終あの人を見て居乍ら)少しも逢はないやうに、愈戀しうなるでせう。
 
746 生ける世に吾は未見ず。言絶《コトタ》えて、かくおもしろく縫へる袋は
 
746 隨分長く、暮して來ましたが、これ迄には、こんなに形容出來ない程、旨く縫うた袋は、見たことがありません。(此は恐らく、大孃が、自分は情も、血もない、皮でこさへた袋のやうな女だ、と云うて來たのに答へたのであらう。)
 
747 吾妹兒がかたみの衣|下《シタ》に著て、直接《タヾ》に逢ふまで、我が脱がめやも
 
747 あなたが別れる時に、記念に下さつた衣を、下に重ね著して、直接に會ふ車の出來る迄、どんなことがあつても、脱ぎますものか。
 
748 戀ひ死なむそれも同じぞ。何せむに、人目、人|言《ゴト》こちたみ、吾《ワ》がせむ
 
748 何れ、焦れて死ぬのであつて見れば、人目や、人の評判がうるさいというた所で、それも同じことだ。どうして、それに負けて思ひ止つて了はうか。
 
749 夢《イメ》にだに見えばこそあらめ。かく許り見えずてあるは、戀ひて死ねとか
 
749 せめて夢にでも、逢うて下さるのなら訣つてゐますが、こんなに迄、會うて下さらずに、入らつしやるのは、大方死ねといふお心でせう。
 
750 思ひ絶えわびにしものを。なか/\に、何か苦しくあひ見|初《ソ》めけむ
 
750 思ひ斷念《アキラ》めて、悲觀し乍らも、それで済んでゐたのに、憖《ナマ》じこんな苦しい思ひをする爲に、何故逢ひかけたのであらう。
 
752 かく許り面影にのみ思ほえば、如何にかもせむ。人目繁くて
 
752 人目のうるさゝに逢はないで居て、こんなに幻に許り見て、慕はれるやうなことであつたら、終には、どうなることであらう。
 
753 あひ見ては、暫《シマ》しも戀ひはなぎむかと、思へど、いとゞ戀ひまさりけり
 
753 いつそのこと、逢うたなら、暫くの間でも、焦れる心は靜まるだらうか、と思うてゐたが、逢うて見たら、愈非常に焦れて來た。
 
754 夜《ヨ》のほどろ、我が出でゝ來れば、吾妹子が忍へりしくし、面影に見ゆ
 
754 夜の中に、あなたの家を出て來たので、わたしが出た後で、あなたがわたしの事を、思うて入らつしやつた樣子が、幻に見えます。
 
755 夜のほどろ出でつゝ來らく、度|多《マネ》くなれば、我が胸切り燒くが如し
 
755 あなたに逢うても、夜の中に出て來ることが度重るので、一層戀しくなつて、胸が切つたり燒いたりするやうに、悲しく感ぜられる。
 
  大伴(ノ)田村(ノ)家(ノ)大孃、妹坂上(ノ)家(ノ)大孃に贈つた歌。四首
 
756 外《ヨソ》に居て戀ふれば苦し。吾妹子をつぎてあひ見む、こと謀《ハカ》りせよ
 
756 側《ワキ》に居て、焦れてゐるのは、術ないものである。お前さんと續け樣に逢うてゐられる、謀を其方《ソチラ》でも考へて下さい。(これは男女の贈答に準へて、戀ひ人の心持ちになつて作つたもの。)
 
757 遠からばわびてもあらむを。里近くありと聞きつゝ、見ぬがすべなさ
 
757 遠く距つてをれば、悲觀し乍らでも、辛抱してゐませうが、極近くに住んでゐられる、と聞いて逢はないのは、遣る瀬ないことです。
 
758 白雲のたなびく山の、高々に我が思ふ妹を、見むよしもがも
 
758 早く會ひたい、と待ち焦れてゐるお前さんに、どうぞ、逢ふ手段《テダテ》がないものでせうか。
 
759 如何ならむ時にか、妹を、葎生《ムグラフ》の賤しき宿に入りまさせなむ
 
759 何時になつたら、お前さんはおこし下さるでせうか。(といふ意味を、裏から、どういふをりに、葎の原のきたない家に、お入れ申さうかというたのである。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、竹田(ノ)荘園《ナリドコロ》から、娘の大孃《オホイラツメ》に贈つた歌。二首
 
760 うち渡す竹田の原に鳴く鶴《タヅ》の、間なく時なし。我が戀ふらくは
 
760 ずつと見渡す、竹田の原に鳴く鶴のやうに、ちつとも止む間もなく、何時と限つてゐないことだ。わたしの焦れてゐるのは。
 
761 早川の瀬にゐる鳥のよしをなみ、思ひてあらし、我子《アコ》はも。あはれ
 
761 急流の川の瀬に住んでゐる鳥が頼り處がない樣に、わたしがこんな遠方にゐるので、たよりなさに、戀しく思うてゐるに違ひない、其子たちがいとしうてならぬ。
 
  紀(ノ)郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌
 
762 神さぶと、否には非ず。はたやはた、かくして後《ノチ》にさぶしけむかも
 
762 あなたの云ふことが嫌だ、といふ訣ではありません。自分は古めかしうなつてゐますが、それはそれとして、あなたに許した上で、わたしがこんなに、老《フ》けてゐては、嘸殺風景なことでありはすまいかと思ひます。
 
763 玉の緒を泡緒《アワヲ》に縒《ヨ》りて結べれば、ありての後も逢はざらめやも
 
763 わたしは、禁厭に玉を貫く緒をば、淡路《アハヂ》結びに縒つて結んでゐますから、それでかういふ風にして辛抱して、今だけでなく、後にも逢へない、といふことはありますまい。
 
  大伴(ノ)家持の和せた歌
 
764 百年に老《オ》い舌《ジタ》出でゝよゝむとも、我は厭はじ。戀ひは増すとも
 
764 あなたが、百歳にもなつて、ものいふ聲さへも、齒を洩れ勝ちに、はつきりしない樣になつても、嫌はずに何時迄も、愛して焦れてゐよう。愈、戀ひが募つて來ることはあるかも知れぬが、どうして、捨てる氣遣ひはない。
 
  恭仁《クニ》の都にゐて、奈良の坂上(ノ)家(ノ)大孃を思うて、大伴(ノ)家持の作つた歌
 
765 一重《ヒトヘ》山へなれるものを。月夜《ツクヨ》良《ヨ》み、門に出で立ち、妹か待つらむ
 
765 自分は遠方に來てゐるのであるが、彼《ア》の人は、山一重隔つてゐるとも考へないで、月の良さに、門へ出て、私が來るかと待つてるだらう。
 
  藤原(ノ)郎女、此歌を聞いて、坂上(ノ)大孃に代つて和《アハ》せた歌
 
766 道遠み來じとは知れるものからに、しかぞ待つらむ。君が目を欲《ホ》り
 
766 道が遠いから、來まいとは大孃も知つてゐるのだけれども、あなたの仰つしやるやうに、待つてゐるのだらう。あなたの顔が見たくて。
 
  大伴(ノ)家持、又、大孃に贈つた歌。二首
 
767 都路を遠みや、妹が、此頃は誓《ウケ》ひて寝《ヌ》れど、夢《イメ》に見え來ぬ
 
767 都の方の遠いからか、毎晩夢に見るやうにと禁厭をして寝るけれども、此頃は一向、お前が夢に出て來なさらぬ。
 
768 今しらす恭仁の都に、妹に逢はず久しくなりぬ。行きてはや見な
 
768 新しく建てゝ領し給へる恭仁《クニ》の都にゐて、いとしい人に逢はないで、長くなつた。早く行つて見よう。
 
  大伴(ノ)家持、紀(ノ)郎女に答へた歌
 
769 ひさかたの雨の降る日を、只一人山邊にをれば、いぶせかりけり
 
769 私のゐる恭仁の都は、山の中です。其山の邊《アタリ》に、只一人ゐると、雨の降る日は、ほんとうに陰氣です。
 
  大伴(ノ)家持、恭仁の都から、坂上(ノ)大孃に贈つた歌
 
770 人目|多《オホ》み逢はざるのみぞ。心さへ、妹を忘れて我が思はなくに
 
770 監視してゐる人が澤山あるので、逢はない許りです。逢はないからと云うて、お前さんを思ひ忘れたりはいたしません。
 
771 詐《イツハ》りも似付きてぞする。現《ウツ》しくも、まこと吾妹子我に戀ひめや
 
771 あなたは嘘までもほんとらしうなさる。まざ/”\とした僞りだ。實際はどうして、私に焦れてゐるなどゝいふことがありませうか。
 
772 夢にだに見えむと、我は欲《ホ》しけれども、あひし思《モ》はねば、宜《ウベ》見えざらむ
 
772 譬ひ逢ふことが出來ないでも、せめて夢になりと逢ひたいものだ、と私は願うてゐるけれども、なるほど片思ひだから、夢にも見えないのも、無理はなからう。
 
773 言《コト》とはぬ木すら紫陽花《アヂサヰ》。諸茅等《モロチラ》が練《ネリ》の村人《ムラト》に欺《アザム》かえけり
 
773 もの言はぬ木でさへも、紫陽花のやうな、移り氣なものがあるのに、用心もしないで、自分はあの諸茅《モロヂ》といふ絹織の村人に、うつかり欺《ダマ》されたことであつた。その諸茅の村人は、あなたなんですよ。
 
774 百千度戀ふといふとも、諸茅等が練《ネリ》の言《コトバ》し、吾は憑《タノ》まじ
 
774 諸茅の里人が、練絹を賣り附ける樣な嘘の口上を、譬ひ幾度繰りかへされても、私は決して、信頼は出來ません。
 
  大伴家持、紀(ノ)郎女に贈つた歌
 
775 鶉鳴く古りにし里ゆ思へども、何《ナニ》ぞも妹に逢ふよしもなき
 
775 昔居た里即、奈良の都の時分から、お前さんを慕うてゐたが、如何してこんなに、あふ手段がないのだらう。
 
776 言出《コトデ》しは誰が言《コト》なるか。小山田《ヲヤマダ》の苗代《ナハシロ》水の中淀《ナカヨド》にして
 
776 言ひ出したのは、抑、誰が云ひ出したのですか。それに逢ふよしもなきなどゝ、口前のよいことを云うて、中途で飽いて、好い加減に寄りつきもなさらないで、口許りは、御立派なことです。
 
  大伴(ノ)家持、再、紀(ノ)郎女に贈つた歌。五首
 
777 吾妹子が宿の籬《マガキ》を見に行かば、蓋《ケダ》し、門《カド》より歸しなむかも
 
777 お前さんの住んでゐる、閨房《ネヤ》の前の垣を見ようとして行つたら、大方門から追ひ歸しなさるだらうね。
 
778 うつたへに籬の姿見まく欲《ホ》り、行かむと云へや。君を見にこそ
 
778 垣根を見に行つたら、追ひ歸しなさらうといふと、又心ないあなただから、ほんとうに、てつきり垣を見に來ると思ひなさるかも知れないが、私が行きたいと云ふのは、垣が見たい許りで云ひませうか。あなたを見る爲なんですよ。
 
779 板葺《イタブキ》の黒木《クロキ》の屋根は、山近し、明日伐り採りて、持ちて參《マヰコ》來む
 
779 あなたのお住みになる、家の屋根の木材は、こんなに山が近いのだから、明日でも取つて參りませう。
 
780 黒木取り、茅《カヤ》も刈りつゝ仕へめど、勤《イソ》しき汝《ワケ》と、褒めむともあらず
 
780 私はあなたの爲なら、一所懸命に、山に這入つて荒木を採つて來たり、屋根を葺く茅も刈つて來ませうが、忠實なお前だ、と褒めて下されさうにもありませんことよ。
 
781 ぬばたまの昨夜《ヨベ》は歸しつ。今宵さへ、我を歸すな。道の長てを
 
781 あなたは昨夜、私を其儘戻しなさつた。今晩迄も又追ひ歸すやうなことをしては下さるな。遠い距離の道を行くのですもの。
 
  紀(ノ)郎女、裹物《ツトモノ》を友に贈つた歌
 
782 風高み岸《ヘ》には吹けども、妹《イモ》が爲、袖さへ濡れて苅れる玉藻ぞ
 
782 海岸には風が高く吹いてゐたけれども、それに貪著《トンヂヤク》なく、立つ波に袖迄も濡れて、お前さんの爲に摘んだ、これは、お土産の玉藻です。
 
  大伴(ノ)家持、某處女に贈つた歌。三首
 
783 一昨年《ヲトヽシ》の先《サキ》つ年より今年迄戀ふれど、なぞも、妹にあひ難き
 
783 私がお前に焦れてゐる心は、今年や去年のことではない。一昨年の、も一つ先の年から今年迄、ずつと焦れ續けてゐるのだが、どうして、お前に逢はれないのだらう。
 
784 現《ウツヽ》には更にもえ云はじ。夢にだに、妹が手《タ》もとを枕《マ》き寝《ヌ》とし見ば
 
784 かうなつた上は、もう繰りかへしては、現實に逢うてくれ。どうのかうのとは、えう申しません。せめて夢にでも、お前さんと一つになつて、手を枕に寝てゐるとさへ見たら、それで滿足だ。
 
785 我が宿の草の上《へ》白く置く露の、命も惜しからず。妹に逢はずあれば
 
785 一向お前に逢ふことが出來ないから、もう今では、自分の屋敷の草の上に白く置いてゐる露のやうに、命がなくなつても、大事ないと思ふ。
 
  大伴(ノ)家持、藤原(ノ)久須麻呂《クスマロ》に贈つた歌。三首
 
786 春の雨|彌頻《イヤシキ》降るに、梅の花|未《イマダ》咲かなく、いと若みかも
 
786 春雨はどん/”\と降り續けてゐますが、梅の花はまだ咲きません。大方非常に若樹であるからでせう。(これは、久須麻呂の家にゐた、年若い女の許へやつたのだといはれてゐるが、久須麻呂は、家持が同性の愛人であつたものと見える。そして後の二首の歌は、決して久須麻呂が、他人に代つて作つたものではなく、自分の心を敍べたものであらう。)
 
787 夢の如思ほゆるかも、はしきやし君が使ひの多《マネ》く通へば
 
787 可愛いあなたの使ひが、度々やつて參りますので、あまりの嬉しさに、夢のやうに思はれます。
 
788 うら若み、花咲き難き梅を植ゑて、人の言《コト》繁《シゲ》み、思ひぞ我《ワ》がする
 
788 あまり若々として、容易に花の咲かぬ梅を、自分のもとに植ゑこんで、評判がうるさくて、自分は物思ひをしてゐる。
 
  再、家持、久須麻呂に贈つた歌。二首
 
789 心ぐゝ思ほゆるかも。春霞たなびく時に、言《コト》の通へば
 
789 春霞のかゝつてゐる、人の心を感傷せしめる時分に、便りがやつて來ると、氣がつまるやうに思はれることだ。(傑作)
 
790 春風の音にし出なは、ありさりて、今ならずとも、君がまに/\
 
790 春風ではないが、私を愛してゐるとさへ、あなたが言に出して下さつたならば、此儘にして居つて、今逢はなくても宜しい。あなたの心任せに待つてゐませう。
 
  藤原(ノ)久須麻呂の答へた歌
 
791 奥山の岩かげに生ふる菅《スガ》の根の、懇《ネモゴ》ろ、我《ワレ》も相思はざれや
 
791 奥山の岩かげに生える、麥門冬の根ではないが、私の方でも、懇ろに、思はないでゐませうか。
 
792 春雨を待つとにしあらし。我が宿の若木の梅も、未《イマダ》ふゝめり
 
792 春雨が降つてゐると云はれますが、一向降らんぢやありませんか。あなたの云はれた、私の屋敷の若木の梅も、降つて來るのを待つてゐるといふ訣でもありませうか。未つぼんでゐます。(あなたは一向來て下さらぬ。あなたのお出でを、待ちかねてゐるといふ意。若木の梅は、久須麻呂自身である。)
 
 萬葉集 卷第五
 
    雜 の 歌
 
  □太宰(ノ)帥《ソチ》大伴(ノ)旅人《タビト》卿、凶問《キヨウモン》に報《コタ》へたる歌。一首並びに序
 
  過故《クワコ》重疊し、凶問|累《シキ》りに集《ツド》へば、永《ヒタス》らに崩心の悲しみを懷き、獨り斷腸の位《ナミダ》を流しぬ。但、兩君の大助に依りて、傾命《ケイメイ》纔かに繼げるのみ。筆言を盡さゞるは、古今歎く所なり。
 
793 世の中《ナカ》は空しきものと知る時し、いよゝます/\悲しかりけり
 
793 佛法では、凡て存在してゐる物質は、同時に空だと説いてゐるが、悲しいことに出あうて、はじめて此世界が何物も皆假りの形で、空しい事だと思ひ當つた時は、悟りがひらけたのだから、安心出來相なものだが、何も考へてゐなかつた時分よりも、更に痛切に悲しみを感じることだ。(これは大和から共に來た、妻女が死んだ時に、自分も病氣になつたが、癒えて後、府の政を代つて行うてくれた人々に贈つたものらしい。)
 
  神龜五年六月二十三日
  蓋し聞けらく、四生《シシヤウ》の起滅することは、方《マサ》に夢の如《ゴト》くにして皆空しく、三界《サンガイ》の漂流することは、環《タマキ》の息《ヤ》まざるに喩ふてへり。所以《ユヱ》に維摩大士《ユヰマダイシ》、方丈に在《イマ》しても、染疾《ゼンシツ》の患を懷《イダ》くことあり、釋迦|能仁《ノウニン》雙林《サウリン》に坐《イマ》しても、泥?《ナイヲム》の苦しみを免るゝこと無かりき。故に、二聖の至極なるさへ、力負の尋ぎて至るを拂ふこと能はざりしを知りぬ。三千世界、誰か能く黒闇《コクアン》の捜り來るを逃れむ。二鼠競ひ走りて、而《シカ》も目を渡《ワタ》る鳥は旦《アシタ》に飛び、四蛇爭ひ侵して、而《シカ》も隙《ヒマ》を過ぐる駒は夕に走りぬ。嗟乎痛しい哉。紅顔、三從《サンシヨウ》と共に、長く逝き、素質、四徳と與《トモ》に永《トコシナ》へに滅びぬ。何ぞ圖りきや、偕老、要期に違ひ、獨飛、半路に生ぜむとは。蘭室《ランシツ》の屍風《ヘイフウ》徒らに張りて、斷腸の哀しみ彌|痛《ハナハダ》し。枕頭の明鏡空しく懸りて、染※[竹/均]の涙は愈落つ。泉門一たび掩へば、再見るに由《ヨシ》なし。嗚呼哀しい哉。
 
愛河(ノ)波浪(ハ)已(ニ)先滅(ビ)苦海(ノ)煩悩(ハ)亦無(シ)v結(ブコト)。從來厭2離(シツ)此賤土(ヲ)1本願(ハ)託(スニアリ)2生(ヲ)彼淨刹(ニ)1。
 
  日本挽歌《ヤマトバンカ》。並びに短歌。五首
 
794 大君の遠《トホ》の領土《ミカド》と、しらぬひ筑紫《ツクシ》の國に、泣く子なす慕ひ來まして、息だにも未《イマダ》やすめず、年月も幾許《イクダ》もあらねば、心ゆも思はぬ間《アヒダ》に、打靡き臥《コヤ》しぬれ、言はむすべせむすべ知らに、草木をもとひさけ知らず、家ならば形《カタチ》はあらむを、うらめしき妹の尊《ミコト》の、吾《アレ》をばもいかにせよとか、鳰鳥《ニホトリ》の二人並び居、かたらひし心そむきて、家離《イヘサカ》りいます
 
794 天皇陛下の遠い邊鄙の領土とせられてゐる、筑紫の國まで、赤ん坊が親を慕ふ樣に、自分を戀しがつてついて來られて、永の旅路に疲れた息もまだ休めないで、歳月もまだいくらにもならないので、こんなことにならうとは、心底から思うてをらなかつた最中に、起き上ることが出來ずに、病み臥してしまはれたから、何とも彼とも爲方もなく、苦しみをいひ表す術もわからず、せめて物いはぬ草や木にも物を云うて、憂さはらしをせうと思うても、その術がわからず、答へてもくれない。苦しんで居たが、それでも家にさへゐて下されば、姿は目の前にあつたらうものを、うらめしい無情な、私の大事にしてゐる細君が、この私をどうなつてもかまはぬと思うでか、あの水に浮く鳩鳥のやうに、始終二人竝んでゐて、契りを交してゐた心を捨てゝ、家から離れて入らつしやることだ。
 
  反 歌
 
795 家にゆきていかに吾《ア》がせむ。枕づく閨房《ツマヤ》さぶしく思ほゆべしも
 
795 家に歸つたところで、どうせうか。何にもならないことだ。歸れば、閨房が寂しう思はれることだらうよ。
 
796 はしきよし。かくのみからに、慕ひ來《コ》し妹が心のすべもすべなさ
 
796 斯樣な風になつてしまふだけに過ぎなかつたのに、其爲に、わざ/”\自分を慕うてやつて來た、可愛い妻の心の中を思ふと、どう考へても遣る瀬なくてやる瀬なくて、しかたがない。
 
797 悔《クヤ》しかも。斯く知らませば、青丹《アヲニ》よし國中《クヌチ》こと/”\見せましものを
 
797 殘念なことだ。斯ういふ風邪になると、わかつてゐたら、せめて奈良の都中を、すつかり見物させておいたのに。
 
798 妹が見し樗《アフチ》の花は散りぬべし。わが泣く涙いまだ干《ヒ》なくに
 
798 いとしい人が病中に見てゐた樗の花は、もうそろ/\散り初めてゐるだらう。自分の泣いてゐる涙が、まだ乾かない中に。
 
799 大野山《オホヌヤマ》霧立ち渡る。わがなげくおきその風に、霧立ち渡る
 
799 大野山にはずつと霧が立つてゐる。あれは自分が吐息つく息の風に、霧が立ち渡つて居るのだ。(此序賦及び日本挽歌は、旅人を慰める爲に、憶良が作つたのである。)
 
  神龜五年七月二十一日
    筑前(ノ)國守山(ノ)上(ノ)憶良上
 
  □惑へる情《コヽロ》を反さしむる歌。并びに序
 
  或《アル》人、父母を敬ふことを知らず、侍《カシヅ》き養ふことを忘れ、妻子を顧みざること、脱履よりも輕くして、自らは畏俗先生と稱して、意氣青雲の上に揚れりと雖も、身體は猶塵俗の中にありて、未修行得道の聖を驗《シ》らず。蓋し是、山澤に亡命する民なり。所以《ユヱ》に、三綱を指し示し、五教を更め開きて、遺《オ》くるに歌を以てして、其惑ひを反さしめぬ。歌に曰はく、
 
800 父母を見れば尊し。妻子《メコ》見れば憐《メグ》し愛《ウツク》し。世の中は斯くぞ、ことわり。もちどりのかゝらはしもよ。行方知らねば。』穿沓《ウケグツ》を脱ぎ捨《ツ》る如く、蹈み脱ぎてゆくちふ人は、石木《イハキ》より生《ナ》り出《デ》し人か。汝が名|宣《ノ》らさね。』天《アメ》へ行かば、汝《ナ》がまに/\。地《ツチ》ならば大君います。この照す日月の下《シタ》は、天雲の向臥《ムカブ》す極み、蝦蟇《タニグヽ》のさ渡る極み、聞《キコ》し治《ヲ》す國のまほらぞ。かにかくに欲しきまに/\、然《シカ》にはあらじか
 
800 兩親を見る時は、尊いといふ心が起り、妻子を見ると、いたはしく可愛い。成程人間は、黐にかゝつた鳥の樣に、はなれ難いことだ。けれども、世の中は斯ういふ風なのが、道理なのだ。我々は世界をはなれてどこへも行く先がないのだから。處が、履物を脱いでうつちゃる樣に、蹈み脱いで行く人は、一體どういふ人だらう。石や木から生れて出た人か。お前は、一體どうした人間だ。禽獣ではあるまいか。お前の所屬してゐる、部類の名を抑つしやい。ともかくも、天へ昇つて行つたら、成程お前の勝手だ。併し地上にゐる以上は、お前より偉い天皇陛下が入らつしやる。此月日の照してゐる天の下は、空の雲が遙かに連つてゐるだけの廣さ、蝦蟇が水や陸を歩いて行けるだけの廣さ、天があり、地があるだけは、天皇陛下が治めて入らつしやる國の、おつ開いた結構な處である。まあ何しろ、あれこれとしたい三昧にやるといふことは、それは然るべきことではあるまいよ。
 
  反 歌
 
801 ひさかたの天路《アマヂ》は遠し。なほ/\に家に歸りて、業《ナリ》をしまさに
 
801 空へ昇る道は、非常に遠い。まあ/\、そんなにひねくれないで、すなほに、家に歸つて、爲事をなさいよ。
 
  □釋迦如來の金口《ゴンク》、正《マサ》に説き給へらく、等しく衆生を思ふこと、羅※[目+侯]羅《ラゴラ》の如くすと宜《ノタマ》ひ、又|愛《イツクシ》むことは、子に過ぎたるは無しと説き給へり。至極の大聖すら、尚子を愛む心あり。況めや、世間の蒼生、誰か子を愛まざらむ。
 
802 瓜|喰《ハ》めは子ども思ほゆ。栗食めばましてしぬばゆ。いづくより來たりしものぞ。まなかひに、もとな、かゝりて、安寢《イ》し寢《ナ》さぬ
 
802 甜瓜を食ふと、子どもが思ひ出される。栗を食ふと尚更思ひ出される。さうした風に、何につけても、思ひ出される子どもといふ者は、一體如何いふ處から、如何してやつて來たものであるか知らぬが、目の間に、心もとないばかりに、始終ちらついてゐて、安眠をばさせないことだ。
 
  反 歌
 
803 銀《シロガネ》も、黄金《コガネ》も、玉も、なにせむに優《マサ》れる寶。子に如《シ》かめやも
 
803 銀も、黄金も、あらゆる寶も、どうして一等の寶なものか。子に及ぶ寶があらうか。
 
  □世間《ヨノナカ》の住《トヾマ》り難きを哀しめる歌。一首並びに序
 
  集《ツド》へ易く排《ハラ》ひ難きは、八大辛苦にして、遂《ト》げ難く盡し易きは、百年の賞樂なり。古人の歎きし所、今亦|之《コヽ》に及びぬ。所以《ユヱ》に因りて、一章の歌を作りて、二毛の歎きを撥ひぬ。其歌に曰はく、
 
804 世の中《ナカ》の術《スベ》なきものは、年月の流るる如し。取りつゞき追ひ來《ク》るものは、百種《モヽクサ》に迫《セ》めより來《キ》たる。』處女《ヲトメ》等が處女さびすと、韓玉《カラタマ》を手《タ》もとに纏《マ》かし、白栲《シロタヘ》の袖振りかはし、紅《クレナヰ》の赤裳《アカモ》裾曳《スソビ》き、よち子らと手たづさはりて、遊びけむ時のさかりを、止《トヾ》みかね過ぐしやりつれ、みなのわたか黒《グロ》き髪にいつの間《マ》か霜の降りけむ。丹《ニ》のほなす面《オモテ》の上に、いづくゆか皺かき垂《タ》りし。常《ツネ》なりしゑまひ、眉《マヨ》びき、咲く花の移《ウツ》ろひにけり。世の中は、かくのみならし。』健男《マスラヲ》の男《ヲトコ》さびすと、劔大刀腰にとり佩き、獵弓《サツユミ》を手握《タニギ》り持ちて、赤駒《アカゴマ》に倭又鞍《シヅクラ》うちおき、はひ乘りて遊び歩《アル》きし世の中や、常にありける。處女等がさ鳴《ナ》す板戸を、押し開きい辿り寄りて、ま玉手の玉手さし交《か》へ、さ寢し夜のいくだもあらねば、手束杖《タツカヅヱ》腰にたがねて、かゆけば人にいとはえ、かく行けば人に惡まえ、およしよは、かくのみならし。たまきはる命惜しけどせむ術もなし
 
804 世の中のやるせないことは、年月が流れる樣であることだ。後から/\と績いて追かけて來る生老病死の苦は、樣樣な風になつて、せめ寄せ屆いて來る。其で、若い者は總て年が寄つてしまふ。處女達が處女らしいわざをするとて、美しい韓國の玉を腕に捲きつけ、白栲の著物の袖を互に振りながら、紅で染めた、赤い袴の裾を曳き、おない年位の娘等と、手をつなぎ合うて、遊んで居た若い頂上の時代を、引き止めておくことが出來ないので、取り逃してしまうた爲に、眞黒な髪に、いつの間に霜が降つたのか、眞赤な顔の上に、どこから皺が出て來たのか知らないが、何時も變らなかつた笑顔も、薄く引いた眉毛の曲線も、衰へてしまうたことだ。世の中といふものは、斯ういふ風になるのに極つてゐるのだ。男の方でいふと、丈夫な男が、男らしいことをしようとして、刀をば腰に纏ひ、狩りの弓を手に握つて持ち、赤毛の馬に倭文の布の泥障を置いて、それに這ひ上つて乘つて、あちらこちらと遊び廻つた、其時代が、何時迄も變らずにあつたらうか。其男がたゝいて鳴す板戸を、處女が出て來て、押し開けて、さぐり寄つて、玉の樣な美しい手をさし交し、寢た晩がそんなに澤山にもならない中に、とつくの間に、杖を腰のあたりで萎ふ程によりかゝつて、あちらへ行けば、人に嫌はれ、こちらへゆけば、人に惡まれたりするといふ風で、大體世の中は、斯ういふ風になるのに極つてゐるのだ。勿論命は惜しいけれども、何とも爲方がない。
 
  反 歌
 
805 常磐なすかくしもがもと思へども、世のことなれば止《トヾ》みかねつも
 
805 堅い磐の様に、さういふ風に老いもせず、變りもせずに居たい、とは思ふものゝ、此はかない人間世界のことであるから、喰ひ止めることが出來ないでゐることよ。
 
 
  神龜五年七月二十一日、喜摩《力マノ》郡に於て撰《ツク》り定《サダ》めつ。筑前(ノ)國守山(ノ)上(ノ)憶艮
 
  □伏して來書を辱くし、具《ツバ》らに芳旨を承《ウ》けて、忽、漢《カン》を隔つる戀ひを成し、復《マタ》梁《リヤウ》を抱く意《コヽロ》を傷《イタ》みぬ。唯冀はくは、去留恙なくして、遂に披雲せむことを待つのみ。(大伴(ノ)淡等《タビト》謹状)
 
  歌詞。兩首
 
806 龍《タツ》の馬《マ》も、今も得てしが。青丹《アヲニ》よし寧樂《ナラ》の京《ミヤコ》に往きて來《コ》むため
 
806 昔の人は、龍の馬に乘つて、千里を※[馬+史]けたといひますが、今、私も、龍の馬なりとも欲しいものです。奈良の都へ、始中終往つて歸つてくる爲に。
 
807 現《ウツヽ》には逢ふよしもなし。ぬばたまの夜《ヨル》の夢《イメ》にを、つぎて見えこそ
 
807 正氣で起きてゐる間は、逢ふ手だてもない。だから、夜見る夢に、絶えず逢うて下さい。
 
  答へたる歌。二首
 
808 龍の馬を、吾《アレ》は求めむ。青丹よし寧樂の京に來む人のたに
 
808 龍の馬を、私は探しておきませう。奈良の都へやつて來よう人の、お役にたてる爲に。
 
809 たゞに逢はずあらくもおほし。しきたへの枕去らずて、夢《イメ》にし見えむ
 
809 直接にお逢ひ申さずにゐることも、月日が度重つてまゐりました。ですから、おやすみの枕元を離れないで、何時も夢でお目にかゝりませう。
 
  梧桐《キリ》の日本琴《ヤマトゴト》一面(對馬|結石山《ユフシヤマ》の梧桐の孫枝《ヒコバエ》なり。)
  此琴、夢に娘子《ヲトメ》に化《ナ》りて曰はく、余《ワレ》は根を遙かなる島の崇《タカ》き轡《ミネ》に託《ヨ》せ、※[朝の左+誇の旁]《カラ》を九陽の休《ヨ》き光に※[日+希]《サラ》し、長く煙霞を帶びて、山川の阿《クマ》に逍遙し、遠く風波を望みて、雁と木との間に出入しぬ。唯、百年の後、空しく清壑に朽ちむことを恐れにしが、偶、良匠に遭ひて、散じて小琴となりぬ。質の麁く、音の少《ヒク》きを顧みずして、恒に君子が左琴とならむことを希ふてへり。
 
  即歌ひて曰はく、
 
810 いかにあらむ日の時にかも、聲知らむ人の膝の上《ヘ》、吾が枕《マクラ》かむ
 
810 どういふ時の、どういふ日になつたなら、自分の音を聞き別けてくれる人の、膝の上を枕として据ゑられて、彈かれるやうになれようか。
 
  僕、詩詠に報いて曰はく
 
811 言《コト》とはぬ木にはありとも、うるはしき君が手馴《タナ》れの琴にしあるべし
 
811 ものを云はない木であつても、立派な方の手で彈き馴される琴と、おまへさんはなれるでせう。
 
  琴の娘子《ヲトメ》答へて曰はく、敬しみて徳音を奉《ウ》けつ。幸甚々々てへり。片時にして覺め、即夢の言に感じ、慨然として默止《モダ》あることを得ず。故に公の使に附して、聊か以て進御するのみ。謹状不具。
 
  天平元年十月七日、使に附けて進上して、謹しみて中衛|高明閣下《カウメイカフカ》に通じぬ。謹空《キンクウ》
 
  □跪いて芳音を承《ウ》けて、嘉懽|交《コモ/”\》深し。龍門の恩、復蓬身の上にも厚かるを知りて、戀ひ望み殊に念ふこと常の心に百倍しつ。謹しみて白雲の什に和せて、以て野鄙の歌を奏しぬ。房前謹状
 
812 言とはぬ木にもありとも、吾が兄《セ》子が手《タ》馴れの御琴、地《ツチ》に置かめやも
 
812 ものをいはない木ではあつても、あなたのお使ひつけの御琴をば、地べたにおいてよいものですか。(これは大伴旅人が、當時中衛(ノ)大將であつた藤原房前に、對馬の結石山の梧桐の樹でこさへた和琴を、太宰府から都へ使した、太宰(ノ)大監大伴(ノ)百代《モヽヨ》に預けて、持參させた時に、當時流行の支那神仙譚に擬して、琴の精靈が、房前の處へ行きたいと云うたから差し上げるという趣向で、贈つたのである。だから前の二首は、勿論旅人の作つたものである筈である。)
 
  十一月八日、使の大監に附け還して、謹しみて尊門の記室に通じぬ。
 
  □鎭懷石の歌。一首並びに短歌(山(ノ)上(ノ)憶良)
 
筑前(ノ)國|怡土《イトノ》郡深江(ノ)村|子負《コフノ》原に、海に、臨める丘の上に、二つの石あり。大なる者は、長さ一尺二寸六分、圍《メグ》り一尺八寸六分、重さ四十八斤五兩にして、小なる者は長さ一尺一寸、圍り一尺八寸、重さ四十六斤十兩なり。竝びに皆楕圓状にして、鷄子《トリノコ》の如し。其美しく好きこと、勝《ア》へて論ふ可からず。所謂徑尺の璧なり。(或人云はく、此二石は、肥前(ノ)國|彼杵《ソノキノ》郡平數の石なり。占ふに當りて、手に取るてへり)深江(ノ)驛家《ハユマヤ》を去ること、二十里|許《バカリ》にして、近く路頭に在り。公私の往來に、馬を下りて跪拜せざること莫し。古老相傳へて曰はく、往昔《イニシヘ》息長足日女《オキナガタラシヒメノ》命、新羅の國を征討したまひし時、茲《コノ》兩石を用《モ》ちて御袖の中に插み著けて、以て鎭懷《チンクワイ》(實は是御裳の中にありき)と爲したまひきてへり。所以《ユヱ》に、行人此石を敬拜すてへり。乃歌を作りて曰はく、
 
813 かけまくはあやに畏し、足日女《タラシヒメ》神の命、韓國《カラクニ》をむけ平げて、御心を鎭め給ふと、い取らして齋《イハ》ひ給ひし、ま玉なす二つの石を、世の人に示し給ひて、萬代に言ひ繼ぐがねと、海《ワタ》の底沖つ深江《フカエ》の海上《ウナカミ》の子負《コフ》の原に、御手づから置かし給ひて、神《カム》ながら神さびいます、奇《クシ》み靈《タマ》、今のをつゝに、尊きろかも
 
813 口に申し上げるのは、無|上《シヤウ》に恐れ多いことだが、神功皇后と申し上げた、あの貴い御方が、朝鮮の國を從へ平げるために、御心持ちをおちつけなさる爲に、お取りなされて、祀らせられた、玉の樣な立派な二つの石を、其後、世間の人にも、お見せ遊して、幾萬年後迄も、云ひ繼ぐ樣にと、深江の里の海岸の、子負の原に、御自身のお手で、お置きなされて以來、神のお心通りに、物古りて、神々しく入らつしやる、食い神のくしみ靈である、この二つの石よ。樣樣不思議なことの行はれた大昔から、現在に傳つて、尊いことであるよ。
 
  反 歌
 
814 天地の共に、久しく云ひ繼げと、この寄《クシ》み靈《タマ》敷かしけらしも
  右の事傳へ云へるは、那珂(ノ)郡伊知(ノ)郷|蓑島《ミノシマ》の人建部《タケベノ》年麻呂、是なり。
 
814 天地と一處に永く語り繼いで行く樣に、と神功皇后が、この靈妙不思議な石を、お据ゑになつたのにちがひない。
 
  梅花の歌。三十二首並びに序
 
  天平二年正月十三日、帥老の宅に萃《アツマ》り、宴會を申《ノ》べつ。時に初春の令月《ヨキツキ》にして、氣|淑《キヨ》く風|和《ナゴ》やかに、梅は鏡前の粉《ヨソホ》ひを披き、蘭は珮後の香を薫《カヲ》しぬ。加以、《シカノミナラズ》曙の嶺は雲を移し、松は蘿を掛けて蓋《キヌガサ》を傾け、夕の岫は霧を結びて、鳥は※[穀の禾が糸]《トナミ》に封《フウ》ぜられて林に迷ふ。庭には新喋舞ひ、空には故雁歸れり。於是《コヽニ》天を蓋《キヌガサ》にし、地を座にして、膝を促《チカヅ》けて、觴《サカヅキ》を飛し、言《イフコト》を一室の裏《ウチ》に忘れて、衿《エリ》を煙霞の外に開き、淡然として自ら放ち、快然として自ら足れり。若《ケダ》し翰苑に非るよりは、何を以て情を※[手偏+慮]《ノ》べむ。請はくは、落梅の篇を紀《シル》さむことを請ふ。古今夫何ぞ異ならめや。宜しく園の梅を賦して、聊か短詠を成すべしてへり。     (大伴(ノ)旅人)
 
  大貮紀(ノ)卿
 
815 むつき立ち春の來らば、斯くしこそ、梅を折りつゝ、樂しき終へめ
 
815 (今日に限らず、この後も)、毎年正月になつて、春が來著したら、斯ういふ風に、何時も梅を折つてかざして、樂しさの限りを盡して遊ばうよ。
 
  少貮小野(ノ)(老)大夫
 
816 梅の花今咲ける如《ゴト》、散りすぎず、吾《ワ》が家《ヘ》の園にありこせぬかも
 
816 梅の花が今咲いてゐる通りに、いつまでも散つてしまはずに、自分の家の庭にもあつてくれゝばよいが。
 
  少貮栗田(ノ)大夫(人上)
 
817 梅の花咲きたる園の青柳《アヲヤギ》は、※[草冠/縵]《カヅラ》にすべくなりにけらずや
 
817 かうして、樂しく遊んでゐるが、この梅の花の咲いてゐる庭の青柳は、もう頭に纏きつけて、いゝやうになつてゐるぢやないか。(梅をかざした上に、青柳も※[草冠/縵]にせう。)
 
  筑前(ノ)守山(ノ)上(ノ)大夫(憶良)
 
818 春さればまづ咲く宿の梅の花、ひとり見つゝや、春日《ハルヒ》暮さむ
 
818 このお邸の梅の花は、春がくると、第一番に咲く花だ。それを自分ひとりだけが見て、永い春の日をば、樂しんでゐてもしやうがない。人と共に樂しまう。
 
  豐後(ノ)守大伴(ノ)大夫(三依?)
 
819 世の中は戀しけ。しゑや。斯くしあらば、梅の花にもならましものを
 
819 世の中といふものは、どうしても執著の續がれる戀しいものだ。鳴呼かうして、梅に焦れてゐて、死ぬやうなことがあつたら、梅の花になりと、なつて見たいものだ。
 
  筑後(ノ)守葛井(ノ)大夫(大成)
 
820 梅の花今盛りなり。思ふどち挿頭《カザシ》にしてむ。今盛りなり
 
820 梅の花は、今が頂上である。仲よし同士、頭にさして遊ばうよ。今眞盛りである。
 
  笠(ノ)沙彌(滿誓)
 
821 青やなぎ梅との花を折りかざし、飲みての後は、散りぬともよし
 
821 青柳と、梅と兩方の花を折つて、頭に插して、酒を飲んで樂しんだ後は、散つてもかまはない。
 
  主人(太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人)
822 我が園に梅の花散る。ひさかたの天より、雪の流れ來るかも
 
822 自分の家の庭に、梅の花が散る。或は空から、雪が降つて來るのではなからうか、とも思ふ。
 
  大監大伴氏(ノ)百代
 
823 梅の花散らくはいづく。しかすがに、この城《キ》の山に雪は降りつゝ
 
823 梅の花が散つてゐるといふのは、一體どこだらう。(とその自分のゐる場所の梅をば、とぼけて指して)まだなか/\散らない。それはさうとして、まう一方、目の前に在る城の山には、雪がまだ、降つた上に降つてゐる。
 
  少監阿(部?)氏(ノ)奥島《オキシマ》
 
824 梅の花散らまく惜しみ、わが園の竹の林に、鶯鳴くも
 
824 自分の庭の竹の林では、梅の花の散るのを惜しがつて、鶯が鳴いてゐることだ。
 
  少監|土《ハ》(師《ジ》)氏(ノ)百村
 
825 梅の花咲きたる園の青柳を、※[草冠/縵]《カヅラ》にしつゝ遊び暮さな
 
825 梅の花の咲いてる庭に、のびた青柳をば、※[草冠/縵]として纏き附けて、今日は一日遊び暮さうよ。
 
  大典|史《フビト》(部《ベ》)氏(ノ)大原
 
826 うちなびく春の柳と、わが宿の梅の花とを、いかにか判《ワ》かむ
 
826 自分の庭にさいてゐる、梅の花と、春の青柳とをば、どちらがいゝと、判斷をしようか。
 
  少典山(口)氏(ノ)若麻呂
 
827 春されは、梢隠《コヌレガク》りて、鶯の嶋きて寢《イ》ぬなる。梅が下枝《シヅエ》に
 
827 春になると、木蔭に隠れて、鶯が鳴き乍ら寢ることだ。その梅の下枝の方で。
 
  大判事|舟《フネ》(?丹比《タヂヒ》?)氏(ノ)麻呂
 
828 人毎に折りかざしつゝ遊べども、いやめづらしき梅の花かも
 
828 だれもかれも、折つて頭に插して、遊んでゐるが、それならば、珍しくも何ともないかといふと、見れば見るほど、めづらしい梅の花だ。
 
  藥師《クスリシ》張《チヤウ》(?)氏(ノ)福子《サキコ》
 
829 梅の花咲きて散りなば、櫻花つぎて咲くべくなりにてあらずや
 
 
829 梅の花が散つてしまうたならば、その後に續いて、もう櫻が咲きさうになつてゐるではないか。
 
  筑前(ノ)介佐《サ》(伯《ヘキ》?)氏(ノ)子首《コブト》
 
830 萬代に年は來經《キフ》とも、梅の花、絶ゆることなく咲きわたるべし
 
830 何時までも、年は立ちかはりやつて來ても、梅の花は、いつの年も、絶えてしまふことなく、咲き續くことだらう。
 
  壹岐(ノ)守|板《イタ》(持《モチ》?)氏(ノ)安麻呂
 
831 春なれば、うべも咲きたる梅の花。君を思ふと、夜寢《ヨイ》も寢《ネ》なくに
 
831 春になつたので、道理こそ、成程梅の花が咲いたことだ。この頃は、此梅の花なる君を、待ち焦れる鶯に、夜寢ることもしないでゐる。
 
  神司荒(?)氏(ノ)稻布《イナシク》
 
832 梅の花折りてかざせる諸人《モロビト》は、今日の間は娯しくあるべし
 
832 梅の花をば、折つて頭に插してゐる澤山の人たちは、今日中は、嘸愉快であるだらう。
 
  大令史(小《ヲ》?)野《ヌ》氏(ノ)宿奈麻呂
 
833 毎年《トシノハ》に春の來らば、斯くしこそ、梅をかざして、樂《タノ》しく飲まめ
 
833 毎年春が來たら、その度毎に、梅を頭に插して、斯ういふ風に、樂しく酒を飲むことにせう。
 
  小令奥田(?)氏(ノ)肥八《クマビト》
 
834 梅の花今盛りなり。百鳥《モヽトサ》の聲の戀《コ》ほしき春來たるらし
 
834 梅の花は、今眞盛りである。待ち焦れて居た、いろ/\の鳥の聲のする春が、いよ/\、やつて來たに違ひない。
 
  藥師《クスリシ》高《カウ》(?)氏(ノ)義通《ギツウ》
 
835 春さらばあはむと思《モ》ひし梅の花、今日の遊びに逢ひ見つるかも
 
835 春になつたら逢ひたいもんだ(梅を愛して、人扱ひにしてゐる。)と思うてゐた梅の花に、今日この宴會に、逢うて見たことだ。
 
  陰陽師《ウラノシ》磯(部)氏(ノ)法《ノり》麻呂
 
836 梅の花手折りかざして遊べども、あきたらぬ日は、今日にしありけり
 
836 梅の花を折つて、頭に插していくら遊んでも、滿足しない日は、今日の日である。
 
  ※[竹/卞]師《カゾヘノシ》志(紀?)氏(ノ)大道《オホヂ》
 
837 春の野《ヌ》に鳴くや鶯。なつけむと、我《ワ》が家《ヤ》の園に梅が花咲く
 
837 春の野に鳴いてゐる鶯をば、なつけ寄せようと思うて、我が庭には、梅の花が咲いてゐる。
 
  大隅(ノ)目榎(本?)氏(ノ)椀《モヒ》麻呂
 
838 梅の花散りまがひたる岡びには、鶯鳴くも。春かたまけて
 
838 梅の花が、あたりをかきくらまして散つてゐる岡の邊には、一心に春を待ちうけて、鶯が鳴いてゐることだ。
 
  筑前(ノ)目田(?)氏(ノ)眞人
 
839 春の野《ヌ》に霧立ち渡り降る雪と、人の見るまで、梅の花散る
 
839 春の野に雨氣がずつとかゝつて、雪が降つてゐると知らない人が思ふほどに、梅の花が散つてゐる。
 
  壹岐(ノ)目村(?)氏(ノ)彼方《ヲチカタ》
 
840 春柳※[草冠/縵]に折りし、梅の花。誰か浮べし。酒杯《サカヅキ》の上《ウヘ》に
 
840 ※[草冠/縵]に折つて纏きつけた梅の花をば、盃の上へ誰が浮べたのであるか。(自然に散つたのを、かういうたのである。)
 
  對馬(ノ)目高(橋?)氏(ノ)老《オユ》
 
841 鶯の音《オト》聞くなべに、梅の花、我家《ワギヘ》の園に咲きて散る、見ゆ
 
841 鶯の聲をば聞いてゐると、同時に、梅の花が、我が家の園に散る。それが見える。
 
  薩摩(ノ)目高(橋?」氏(ノ)海人《アマ》
 
842 我が宿の梅の下枝《シヅエ》に遊びつゝ、鶯なくも。散らまく惜しみ
 
842 自分の家の梅の下枝に、鶯が花の散るのを惜しんで、鳴いてゐることだ。
 
  土師氏(ノ)御通《ミミチ》
 
843 梅の花折りかざしつゝ、諸人の遊ぶを見れば、都しぞ思《モ》ふ
 
843 晦の花を折つて、頭に插しながら、澤山な人の遊んでゐるのを見ると、都のことを思ひ出す。
                 
  小野氏(ノ)國堅《クニカタ》
 
844 妹が家《ヘ》に雪かも降ると見るまでに、甚《コヽダ》もまがふ梅の花かも
 
844 いとしい人の家に、雪が降つてゐるのか、と思はれるほど、ひどくまぎらはして咲く梅の花であることよ。
 
  筑前(ノ)掾門(部)氏|石足《イハタリ》
 
845 鶯の待ちがてにせし梅が花。散らずありこそ。思ふ子が爲
 
845 鶯が待ちかねてゐた梅の花が、やつと咲いたのだから、自分のいとしう思ふ人が見るまでは、其人の爲に、散らずに殘つてゐてくれ。
 
  小野氏(ノ)淡理《アハマサ》
 
846 霞立つ永き春日をかざせれど、いや懷しき梅の花かも
 
846 霞が立つて、のどかな永い春の日に、頭にかざしていくら遊んでも、ちつとも厭かないで、益、なつかしく思はれる梅の花だこと。
 
  員外《ヰングワイ》、故郷を思ふ歌。兩首(大伴(ノ)旅人)
 
847 我がさかりいたく降《クダ》ちぬ。雲に飛ぶ藥|食《ハ》むとも、また復《ヲ》ちめやも
 
847 自分の壯年の時期は、非常にふけてしまつた。此では、雲に飛んで昇れる、仙人になる藥を飲んだとて、も一度、もとの若さに戻ることがあるものか。
 
848 雲に飛ぶ藥食む從《ヨ》は、都見ば、いやしき吾身《アガミ》またをちぬべし
 
848 雲に昇つて、飛行自在を得る藥をのむよりも、戀しい都さへ見れば、その尊さによつて、此賤しい老爺のからだも、若返ることだらう。(この歌は、右の觀梅の宴に、大伴旅人が別につくつて、皆に示したものと見える。)
 
  後より追つて、梅の歌に和《アハ》せて作りたる歌。四首(大伴(ノ)旅人)
 
849 殘りたる雪に雜れる梅の花、早くな散りそ。雪は消《ケ》ぬとも
 
849 殘つてゐる春の雪に雜つて、咲いてゐる梅の花よ。片方の雪は、消えてしまつても、急には散らないで居てくれ。
 
850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花、今盛りなり。見む人もがも
 
850 雪の白い色をうばうて、それにうち勝つて、眞白に咲いてゐる梅の花は、今が頂上である。誰か見る人がないかしらん。
 
851 わが宿に盛りに咲ける梅の花、散るべくなりぬ。見む人もがも
 
851 自分の屋敷うちに、眞盛りに咲いてゐる梅の花が、散りさうになつて來た。誰か見る人があればよいが。
 
852 梅の花|夢《イメ》に語《カタ》らく、みやびたる花と吾《アレ》思《モ》ふ。酒に浮べこそ
 
852 わたしの見た夢に、梅の花が現れて話すことには、私自身、上品な雅趣のある花だと思ひます。どうぞ、酒に浮べて下さいというた。(これは、前の梧桐日本琴の歌と、同じ趣向である。)
 
  □松浦《マツラ》河に遊びて、贈答したる歌。八首並びに序(大伴(ノ)旅人)
 
  余暫く松浦(ノ)縣《アガタ》に往きて、逍遥したるを以て、聊《イサヽ》めに、玉島の潭に臨みて遊覧しつ。忽に、魚を釣る女子《ヲトメ》等に値《ア》ひぬ。花容雙びなく、光儀《ヨソホヒ》匹《タグヒ》なし。柳葉を眉の中に開き、桃花を頬の上に發く。意氣は雲を凌ぎ、風流は世に絶えたり。僕問ひて曰へらく、誰が郷の誰が家の兒等ぞ。けだし疑はくは、神仙とふ者かと。娘《ヲトメ》等皆|咲《ワラ》ひて答へて曰へらく、兒等は漁夫の舍《ヤド》の兒、草菴の微《イヤ》しき者にして、郷もなく、家もなし。何ぞ稱して云ふに足らめや。唯、性水に便《カナ》ひ、復、心山を樂《コノ》む。或は洛浦に臨みて、徒らに玉女を羨み、乍ち巫峽《フカフ》に臥して、以て空しく烟霞を望めり。今|邂逅《ワクラハ》に貴客に相遇ひて、感應するに勝《タ》へず。輙、款曲を陳べむ。而今以後《イマヨリノチ》豈偕に老いざるべけめやてへり。下官對へて曰へらく、唯唯《サリ/\》、敬《ツヽ》しみて芳命を奉《ウ》けつと。時に、日は山の西に落ち、驪馬は去らむとす。遂に懷抱を申《ノ》べ、因りて詠歌を贈りて曰はく、
 
853 あさりする海人の子どもと人は云へど、見るに知らえぬ。貴人《ウマビト》の子と
 
853 魚や貝をせゝり歩く、海士の兒だと、この人々は云うてゐられるが、見たゞけで、身分のある人の娘さんだ、といふことが訣つてゐる。
 
  答《コタ》へ詩《ウタ》に曰はく
 
854 玉島のこの川上《カハカミ》に、家はあれど、君をやさしみ、あらはさずありき
 
854 私の家は、この玉島川の川の上に在りますが、あなたが恥しさに、身分は明らかにせず、匿《カク》してゐたのでございます。
 
  蓬客《タビヾト》等、更に贈れる歌。三首
 
855 松浦《マツラ》川。川の瀬光り、鮎釣ると、立たせる妹が裳の裾濡れぬ
 
855 鮎を釣らうとして、松浦川の川の瀬が光るほど、美しい姿で、立つていらつしやる、いとしい人の袴の裾が濡れたことだ。
 
856 松浦なる玉島川に、鮎釣ると立たせる子等が家路知らずも
 
856 松浦の玉島川で、鮎を釣らうと立つていらつしやる、いとしい人の家は、どう行くのやら、其路がわからない。
 
857 遠つ人松浦の川に、若鮎《ワカユ》釣る妹が手《タ》もとを、我《ワレ》こそ枕《マ》かめ
 
857 松浦の川べりで、若い鮎を釣つてゐる、いとしい人の手を枕としたいものだ。誰よりも自分が。
 
  娘《ヲトメ》等更に報へたる歌。三首
 
858 若鮎《ワカユ》釣る松浦の川の川波の、なみにし思《モ》はゞ、我《ワレ》戀ひめやも
 
858 若點を釣る、松浦川の川波ではないが、なみ/\に、あなたの事を思うてゐる位ならば、こんなに焦れませうか。
 
859 春されば、我家《ワギヘ》の里の川門《カハト》には、鮎子さ走《バシ》る。君持ちがてに
 
859 春になると、私の在所の川の渡り場には、あなたを待ちかねて、鮎の子が走つてをります。だから來て見て下さい。
 
860 松浦川|七瀬《ナヽセ》の淀は淀むとも、われはよどまず。君をし待たむ
 
860 松浦川の澤山の淀む瀬は、淀んでぢつとしてゐるにしても、私はあなたの爲には、たるんだりしませずに、一途にあなたをお待ち申しませう。
 
  □後に、人の追つて和せたる詩。三首(大伴(ノ)旅人)
 
861 松浦川川の瀬疾み、くれなゐの裳の裾濡れて、鮎か釣るらむ
 
861 松浦川の川の瀬が早いので、赤い袴の裾を濡して、其處女は、鮎を釣つてゐるんでせうよ。(この三首は、この行に加らなかつた人の心持ちで作つたのである。)
 
862 人皆の見らむ松浦の玉島を、見ずてや、吾はこひつゝ居らむ
 
862 誰も彼も、皆の人が見てゐる筈の、松浦の郡の玉島を、私は見ないで、こんなに焦れてをらねばならぬのか。
 
863 松浦川玉島(ノ)浦に、若鮎《ワカユ》つる妹らを見らむ、人の羨《トモ》しさ
 
863 松浦川の玉島の浦で、若鮎を釣つてゐる所の、娘たちを見てゐる筈の人が、羨しいことだ。
 
  吉田(ノ)宜《ヨロシ》の答へて和せたる歌
 
宜、啓《マヲ》す。伏して四月六日の賜書を奉《ウ》け、跪いて封函を開きて、芳藻を拜讀し、心神開朗として、泰初の月を懷にするに似て、鄙懷|除※[衣+去]《ノゾコ》りて、樂廣が天を披くが若くなりき。邊城に覊〔馬が奇〕旅すれば、古舊を懷《オモ》ひて、志を傷《イタ》ましめ、年矢停らざれば、平生を憶ひて、涙を落すが若きに至りては、但達人は安んじて排《ウツ》り、君子は悶ゆることなしてへり。伏して冀はくは、朝には懷※[擢の旁]の化を宣《ノ》べ、暮には放龜の術を存《タモ》ち、張趙を百代に架け、松喬を千齡に追はむのみ。兼ねて垂示を奉《ウ》くるに、梅花の芳席には、群英藻を擒《ノ》べ、松浦の玉潭には、仙媛贈答し、杏檀に各言べたる作に類《タグヒ》せり。衡皐が税駕の篇かと疑ひ、耽讃吟諷して、感謝し歡怡しぬ。宜が主を戀ふる誠は、誠に犬馬を逾え、徳を仰ぐ心は、心葵霍に同じからむ。而《シカ》るに碧海は地を分ち、白雲は天を隔て、徒らに傾延を積めり。何《イヅク》に勞緒を慰めむ。孟秋節に膺《アタ》り、伏して願はくは、萬祐日に新ならむことを願ふ。今相撲(ノ)部領使《コトリヅカヒ》に因りて、護しみて片紙を付しぬ。
 宜、謹啓不次。
 
  諸人の梅花の歌に和し奉る歌。一首
 
864 後れゐて長戀《ナガコヒ》せずは、御園生《ミソノフ》の梅の花にもならましものを
 
864 こちらに殘つてゐて、何時迄もこがれてゐるよりは、あなたの御庭の、梅の花にでもなりたいものです。
 
  松浦の仙境の歌に和《アハ》せたる歌。一首
 
865 君を待つ松浦《マツラノ》浦の處女《ヲトメ》等は、常世《トコヨ》の國の蜑|處女《ヲトメノ》かも
 
865 あなたのお越しを待つてゐる、その松浦の浦の娘たちは、常世の國の娘の蜑でせうよ。
 
  君を懷ふこと未盡きず、重ねて題したる。二首
 
866 はろ/”\に思ほゆるかも。白雲の千重に隔《ヘダ》てる筑紫の國は
 
866 白雲が幾重にもかゝつて、間を隔てゝゐる筑紫の國は、遠方から、非常に遠く思ひやられることです。
 
 
867 君が行き日《ケ》長くなりぬ。奈良路なる島の木立も神さびにけり
 
867 あなたの御旅は、よほど日が長くなりました。出られた跡の、奈良地方のあなたの屋敷の、お庭の泉水の山の木立ちも、神々しいばかりに、古びてまゐりました。
 
  天平二年七月十日
 
  □山上(ノ)憶良の松浦の歌
          憶良 誠惶頓首謹啓
  憶良聞けらく、方岳諸侯、都督刺史は、竝《トモ》に典法に依りて、部下を巡行し、其風俗を察すてへり。意《コヽロ》の内多端にして、口外に出し難し。三首の鄙歌を以て、五臓の鬱結を寫さむと欲す。歌に曰はく、
 
868 松浦|縣《ガタ》佐用《サヨ》媛の子が、領巾《ヒレ》振りし山の名のみや、聞きつゝをらむ
 
868 松浦の縣の佐用媛といふ娘が、領巾を振つたといふ、領巾振山の名ばかりをば、聞いて居ねばなりませぬか。その地に臨まないで。
 
869 帶姫《タラシヒメ》神の命の、魚《ナ》釣らすと、み立たしせりし石を、誰《タレ》見き
 
869 神功皇后様といふ尊い御方が、魚をお釣りなさるとて、立つて入らつしやつた、といふ石を見たのは、誰だらう。私ではなかつたのだ。見たあなた方が羨しいことだ。
 
870 百日《モヽカ》しも行かぬ松浦路。今日行きて、明日は來《キ》なむを。何かさやれる
 
870 百日とはかゝらない松浦地方は、今日出掛けて行つて、明日はもう歸つて來られる筈だのに、何に邪魔をせられて、自分は行けないのだらう。
 
  天平二年七月十一日
 
      筑前(ノ)國司山上(ノ)憶良謹上
 
  □領巾麾嶺《ヒレフルミネ》を詠める歌。一首
 
  大伴(ノ)佐提比古《サデヒコノ》郎子《イラツコ》、特に朝命を被りて、使を藩國に奉じ、艤《フナヨソホ》ひし棹して言《コヽ》に歸《ユ》き、稍《ヤウヤ》く蒼波に趣けば妾なる松浦|佐用嬪面《サヨヒメ》此別れの易きを嗟き、彼會ふことの難きを歎き、即高山の嶺に登り、遙かに離れ去る船を望み、悵然として、肝を斷ち、默然として魂を※[金+肖]《ケ》し、遂に領巾《ヒレ》を脱《ト》りて麾《フ》る。傍なる者涕を流さゞるはなかりき。因りて此山を號けて、領巾|麾《フル》嶺と曰ふてへり。乃歌を作りて曰はく、
 
 
871 遠つびと松浦佐用媛、つま戀《ゴ》ひに領巾《ヒレ》振りLより、負《オ》へる山の名
 
871 松浦佐用媛が、つれあひにこがれて、領巾をふつてから、ついた山の名の、領巾麾嶺よ。
 
  後に人の追つて和《アハ》せたる歌
 
872 山の名と言ひ繼げとかも、佐用媛がこの山の上《ヘ》に、領巾をふりけむ(大伴(ノ)旅人)
 
872 山の名として、後々までもいひ繼いでゆく樣に、といふ心であつたのか、あの松浦佐用媛が、この山の上で、領巾を麾つたのだらう。
 
  最《イト》後《オク》れて、追つて人の和《アハ》せたる
 
873 萬代に語り梢げとし、この岳《ヲカ》に領巾ふりけらし。松浦佐用媛(同じ人)
 
873 幾萬年後迄も、語りつげといふ心で、この山で、領巾をふつたものに違ひない。あの松浦佐用媛よ。
 
  最々《イト/\》後れて、追つて和せたる。二首
 
874 海原の沖行く船を歸れとか、領巾ふらしけむ。松浦佐用媛(同じ人)
 
874 海上の沖の方を行く舟を、歸れといふ心でか、領巾を麾つた相な、あの松浦佐用媛よ。
 
875 行く船をふりとゞみかね、いかばかりこほしくありけむ。松浦佐用媛(同じ人)
 
875 去つて行く舟を、領巾ふつて、止めることが出來ないので、どの位、戀しく思うたことであらう。松浦佐用媛が。
 
  書殿《フミドノ》に餞酒したる日の倭歌。四首
 
876 天飛ぶや鳥にもがもや。都までおくりまをして、飛びかへるもの
 
876 自分が、空を飛ぶ鳥にでもなれたらよいが、さうすれば、ひとり都へおかへし申さずに、都までお送り申して、飛び返つて來るのに。
 
877 獨身嶺《ヒトモネ》のうらぶれをるに、立田山|御馬《ミマ》近づかば、忘らしなむか
 
877 筑前豐後の境に在る獨身山と云ふ山が、しよんぼりと寂しく、君に別れて立つてゐるのに、あなたの御馬が、立田山へ近寄つて行つたら、九州の山などは、忘れておしまひになるでせうよ。
 
 
878 いひつゝも後こそ知らめ。殿《トノ》しくも寂《サブ》しけめやも。君坐《イマ》さずして
 
878 あなたがお出かけになつたとて、寂しい筈がありますものかなど云ひながらも、後には彌思ひ知つてわかることであらう。あなたがお出でにならないで、長いお別れになるのだから。
 
 
879 萬代にいまし給ひて、天の下まをし給はね。禁中《ミカド》去らずて (山(ノ)上(ノ)憶良)
 
879 いつ/\迄も、朝廷をおひきなさらずに、いらつしやつて、天下の政を、天皇陛下に代つて、お治めなさいませ。
 
  □聊か私懷を布《ノ》べたる歌。三首
 
880 あまさかるひなに五年|住《ス》まひつゝ、都の手《テ》ぶり忘らえにけり
 
880 田舍に五年も住んでゐて、とう/\優美な都の風俗が、自分で知らぬ間にいつとなく、忘れられてしまつたことだ。
 
881 斯くのみや息づきをらむ。あらたまの來經《キヘ》ゆく年の限り知らずて
 
881 こんなにばかり、溜め息をついてゐねばならぬかしらん。どん/”\と來ては經つてゆく年の、いつになればといふ程も訣らないで。
 
882 吾主《アガヌシ》の恩賚《ミタマ》給ひて、春さらば、寧樂の京に召上《メサ》げたまはね
 
882 あなた樣の御心添へをもちまして、春になつたら、奈良の都へお召し上せ下さいませ。
 
  天平二年十二月六日
        筑前國司山上(ノ)憶良謹上
 
  □三島(ノ)王《オホギミ》、後れて追つて、松浦佐用|嬪面《ヒメ》の歌に和せられた歌。一首
 
883 音に聞き、目には未《イマダ》見《ミ》ず。佐用媛が領巾ふりきとふ、君まつら山
 
883 評判には聞いてゐて、實際にはまだ見ないことだ。佐用媛が領巾をふつた、と傳へる所の、君を待つといふ、その松浦山よ。
 
  □大典|麻田陽春《アサダノヤス》、大伴(ノ)君《キミ》熊凝《クマゴリ》の爲に、志を述べたる歌。二首
 
884 國遠き道の長てを、おぼゝしく、戀《コ》ふや過ぎなむ。言問《コトト》ひもなく
 
884 故郷遙かな道の長い距離を、家の人にもの云ふこともしないで、たよりなく思うて、焦れながら、通つて行かねばならぬだらうか。
 
885 朝露の消《ケ》易きわが身、他國《ヒトクニ》に過ぎがてぬかも。親の目を欲《ホ》り
 
885 朝露のやうに、消え易い自分の此からだ乍ら、知らぬ他國で、親の顔を見たく思ひながら、死んで行きにくいことだ。
 
  □筑前(ノ)圖守山(ノ)上憶良|敬《ツヽ》しみて、「熊凝《クマゴリ》の爲に、其志を述ぶる歌」に和《アハ》せたる歌。六首並びに序
 
  大伴(ノ)君熊凝は、肥前の國|益城《マシキノ》郡の人にて、年十八歳なり。天平三年六月十七日を以て、相撲(ノ)使某國司官位姓名の從人《トモビト》と爲りて、京都に參向《マヰムカ》ひつ。天なるかな。不幸にして路に在りて、疾ひを獲て、安藝(ノ)國佐伯(ノ)郡高庭の驛家《ハユマヤ》にて身故《ミマカ》りぬ。臨終の時、長歎息して曰へらく、傳へ聞く、假合《ケガフ》の身は滅ぶること易く、泡沫の命は駐まること難してへり。所以《ユヱ》に千聖已に去り百賢留らず。況めや凡愚の微者《イヤシキ》何ぞ能く逃れ避《ヨ》かむ。但我老親|竝《トモ》に菴室に在り。我を待ちて日を過し自《オノヅカ》ら傷心の恨有らむ。我を望むに時を違へば、必喪明の泣《ナミダ》を致さむ。哀しき哉、我が父。痛しき哉、我が母。一身死に向ふ途にあるを患へず。唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れて、何《イツ》の世か覲《ミ》ることを得むといひ乃、歌六首を作りて死にたり。其歌に曰はく、
 
886 うちひさす都《ミヤ》へのぼると、たらちねの母が手|離《ハナ》れ、常知《ツネシ》らぬ國の奥處《オクガ》を、百重山越えて過ぎゆき、何時しかも都を見むと、思ひつゝ語らひをれど、己が身しいたはしければ、玉桙の道の隈《クマ》みに、草手折り柴うちしきて、とこじものうちこいふして、思ひつつ歎き臥せらく、國にあらは、父とり見まし。家に在らば、母とり見まし。世の中は斯くのみならし。犬じもの道に臥してや、命すぎなむ〔わが齡《ヨ》すぎなむ〕
 
886 お召しに因つて、都へ上る爲に、お母さんの手許をはなれ、これ迄一向知らなかつた、國の奥の方へ/\と行つて、幾重にも重つた山をこえて通つてゆき、そして早く都を見よう、と人々と話し合うてゐた處が、自分のからだが苦しいので、道の曲り角の、草を折り、芝を下に敷いて、それを床のやうにして、たふれて寢て、ため息ついて、樣々と寢乍ら考へたことには、國にゐたら、父が看病して呉れようのに。家にゐたら、母が看病してくれようのに。世の中は斯ういふ風に、思ふ樣には行かないものにちがひない。かうして犬のやうに、道端に寢て、自分の命がなくなつてしまふことであらう。
 
  反 歌
887 たらちしの母が目見ずて、おぼゝしく、何方《イヅチ》向きてか、吾《ア》が別るらむ。わが齡《ヨ》すぎなむ
 
887 お母さんの顔も見ないで、たよりなく出かけて行くのだが、どちら向いて別れて行くのか。又どちら向いてこの世を去るのか。それさへ訣らない。
 
888 常知《ツネシ》らぬ道の長手を、くれ/”\と、如何にか行かむ。かりてはなしに。餉《カレヒ》はなしに
 
888 平生は一向知らない、遠い距離の道をば、あてどもわからず、おさきまつ暗に、どうして行けばよからうか。旅籠賃とてはなく、辨當にする乾飯もなくて。
 
889 家に在りて母がとり見ば、慰むる心あらまし。死なば死ぬとも。後は死ぬとも
 
889 家に居て、お母さんが看護してくれたら、譬ひ苦しいにしても、慰まる心持ちもするだらう。譬ひ死ぬにしても。どの道後々は、死なねばならぬにしても。
 
890 出でゝ往にし日を數へつゝ、今日今日と吾《ア》を待たすらむ、父母らはも。母が悲しさ
 
890 出かけて行つた日を數へて幾日たつたから、今日らは歸るだらう、今日らは、と自分を今頃待つていらつしやる筈の、お父さんや、お母さんよ。あゝお母さんのお心がおいとしい。
 
891 一世《ヒトヨ》には、再見えぬ父母を、おきてや、永く吾《ア》が別れなむ。相別れなむ
 
891 人》間の一生に、二度と遇はれない、お父さんやお母さんを、後へ殘して、いつまでも永く別れて、旅に行くのであらうか。雙方別れねばならぬのか。(此等の反歌は、六句三十八文字の、言はゞ一種の旋尾歌ともいふべき形で、奈良の藥師寺の佛足石の歌と同じ體である。)
 
  貧窮問答の歌。一首並びに短歌
 
892 風交り雨降る夜の、雨交り雪ふる夜は、すべもなく寒くしあれば、固鹽《カタシホ》をとりつゞしろひ、糟湯酒うちすゝろひて、しはぶかひ、はなびしびしに、しかとあらぬ髯かき撫でゝ、吾をおきて人はあらじとほころへど、寒くしあれば、麻衾引き被《カヾ》ふり、布肩ぎぬありのこと/”\、著そへども寒き夜すらを、吾よりも貧しき人の、父母はうべ寒からむ。妻子《メコ》どもは乞ひて泣くらむ。この時はいかにしつつか、汝《ナ》が世は渡る。』天地は廣しといへど、吾《ア》が爲は狹くやなりぬる。日月は明しといへど、吾《ア》が爲は照りや給はぬ。人皆か、吾《アレ》のみや然る。わくらはに人とはあるを、人並みに吾《アレ》もなれるを、綿もなき布肩衣《ヌノカタギヌ》の、海松《ミル》の如わゝけ下《サガ》れるかゞふのみ肩にうちかけ、伏《フ》せ廬《イホ》の曲げ廬《イホ》の中に、ひた土《ツチ》に藁とき敷きて、父母は枕の方に、妻子《メコ》どもはあとべの方に、圍《カク》みゐて憂ひさまよひ、竈《カマド》には煙ふき立てず、甑《コシキ》には蜘蛛《クモ》の巣《ス》かけて、飯《イヒ》炊《カシ》ぐ事も忘れて、ぬえどりののどよひをるに、いとのきて短きものを、端きるといへるが如く、笞《シモト》とる里長《サトヲサ》が聲は、閨房戸《ネヤド》まで來たち喚《ヨバ》ひぬ。斯くばかりすべなきものか。世の中の道
 
892 風交りに雨の降る夜で、そして又其雨に雪が交つて降つて來る晩は、實に、遣る瀬がないほど寒いので、固めた鹽をつゝいては食ひ、つゝいては食ひ、酒の糟を溶いた湯を、すゝつてはすゝしりして、咳をし、くさめを間斷なくして、しつかりとも生えて居ぬ鬚をば撫でながら、自分をさし措いては、偉い人間はあるまいといふ風に、自慢をしてはゐるけれど、それでもやはり寒いことは寒いので、麻布團を引き被り、布の袖なしを、ありたけ重ね著しても、こんなに迄寒い晩だのに、自分より貧乏な人の親達は、腹がへつて寒くあらう。女房兒は、物を食べさせてくれというて、せがんで泣いてゐるであらう。斯ういふ時には、どうして、お前の生活を續けて行くのか。天地の間は、廣いとはいふものゝ、私の爲には狹くなつてゐるのでせうか。日や月は、明らかに照つてゐるといふものゝ、私等の爲には、照つては下さらないのでせうか。世間の人が、皆すべて斯うなのでせうか。それとも、私ばかりがさうなのでせうか。我々は、やつとの思ひで人間と生れて居ますのに、人間竝に、私も出來ましたのに、其に此有樣は、どうしたことでせう。綿も這入つてゐない布の袖なしの、海松の樣にぼろ/”\に裂けて了つたぼろばかりをば、肩に引掛けて著、掘立小屋の蒲鉾小屋の中に、地べたに直《ヂカ》に藁をといて敷いて、お父さんや、お母さんは、自分の枕の方に寢させ、女房子などは、足許の方に寢かして、ぐるりと圓くなつて、悲しんだり呻いたりしてゐます。又一方、食物の方をいふと、竈では烟も吹き出さしたこともなく、御飯を蒸す甑には、蜘蛛が巣をかけてゐるといふ樣な鹽梅で、御飯を炊くことすら忘れたといふ樣な風で、うん/\呻いてゐる程で、それでなくてさへ、ひどいのに、非常に短いものは、又其上に、端を切ることがあると世間の諺に申す通りで、鞭を持つた里長がわめきにくる聲が閨房房《ネヤ》の入口までやつて來て、大聲でわめきます。人間世界の生活方便といふものは、こんなにまで、遣る瀬ないものですことよ。
 
  反歌
 
893 世の中を憂しと、やさしと思へども、飛び立ちかねつ。鳥にしあらねば
 
893 この世界は、いやなものだと思ひ、又肩身の狹い恥しいものだと、思うてはゐますが、さて飛び立つて、餘處へも行つてしまふことが出來ないでゐます。鳥でございませんから。
 
         山(ノ)上(ノ)憶良 頓首謹上
 
  □好去好來《カウキヨカウライ》の歌。一首並びに反歌。二首
 
894 神代よりいひ傳《ツ》てけらく、空見つ大和の國は、すめろぎのいつくしき國、言靈の幸《サキ》はふ國と語りつぎ、いひつがひつゝ、今の世の人もこと/”\、目に前に見たり、知りたり。人|多《サハ》にみちてはあれども、高光る日の御門《ミカド》には、神ながらめでの盛りに、天の下まをし給ひし、家の子と選び給ひて、大命《オホミコト》戴きもちて、唐土《モロコシ》の遠きさかひに、遣《ツカハ》されまかりいませ、海原の岸《へ》にも、沖にも、神づまりうしはきいます、諸の大御神たち、舟の舳《へ》に導き申《マヲ》し、天地の大御神たち、大和の大國御魂《オホクニミタマ》、ひさかたの天つみ空ゆ、天翔り見渡し給ひ、事終へて歸らむ日には、又更に大御神たち、船の舳《へ》に御手うち掛けて、墨繩をはへたる如く、あてかをし値嘉《チカノ》崎より、大伴(ノ)三津《ミツノ》濱びに、たゞ泊《ハ》てにみ船は泊てむ。つゝみなく、さきくいまして、早かへりませ
 
894 大昔から、云ひ傳へて來たことには、此日本の國は、御先祖の神樣達のおこしらへになつた、立派な國であり、それから、語には不思議な作用があつて、靈妙な結果を現す國だ、と語り傳へ、云ひ傳へしてまゐりました。それで、其實例は、現代の人も、皆實際に見ても居るし、知つても居ます。處が、人が澤山に此日本には充滿してゐますが、貴い禁裡では、神樣の御意志通りに、御寵愛の頂上として、天下の政を代つて治めていらつしやつた、お方の後とて、このお方をお擇びなされて、(其が爲に)仰せを奉戴して、遠い唐土のはてまで、御派遣になつたので、御所を下つて、お出かけになると、海上では、海岸でも、沖の方でも、お寄り集りになつて、自分達のものとして領してゐられる、澤山の神樣達が、舟のみよしに立つて、御案内を申し上げ、其から、其外の天地間の神々樣、其から、大和の國の總|地主《ヂヌシ》の神が、空をばお飛びになり、ずつとお見渡しなされて、お守りになる。それから、又御用事を果して、歸つて來られる時には、復改めて、神樣達が舟のみよしに、手を持ちかけて、まるで墨繩を引いたやうに、値嘉の島の崎からして、難波の大伴の郷の、三津の濱邊迄、外には近寄りもしないで、眞直に舟が參つて止りませう。慎まねばならぬ樣な障り事もなく、達者においでなされて、早くお歸りなさいませ。(わたしが、かうして語に出して祈る言靈の力で。)
 
  反歌
 
895 大伴(ノ)三津(ノ)松原かきはきて、我立ち待たむ。はや歸りませ
 
895 大伴の郷の三津の松原をば、掃き清めて、私は出かけて待つてゐませうから、早くお歸り遊ばせ。
 
896 難波津にみ船泊てぬと、きこえ來ば、紐解きさけて、立ちはしりせむ
 
896 難波の舟つきに、お舟が到著した、と都へ聞えて來たら、これまで禁厭に結んで解かなかつた袴の紐を、解きあけて、出かけて走りまはつて、うろたへることでせう。(此は、丹比廣成の愛人の心になつて、歌つたものと見るがよい。)
 
  天平五年三月一日(良が宅に對面して獻りたるは、三日なりき。)
           山(ノ)上(ノ)憶良
  謹しみて、大唐大使卿の記室に上る
 
  □痾《ヤマヒ》に沈みて、自ら哀しめる文
           山(ノ)上(ノ)憶良作りぬ
 
竊かに以《オモ》ふに、朝夕山野に佃食する者も、猶災害無くして、世を渡ることを得、晝夜河海に釣漁する者も、尚慶福有りて、經俗《ケイゾク》を全《マタ》くしぬ。況めや、我胎生してより今日に至る迄、自ら修善の志有りて、曾て作惡《サアク》の心無かりき。所以《ユヱ》に、三寶を禮拜《ライハイ》して、日毎に勤めざること無く、百神を敬重して、夜毎に闕くること有ること鮮《スクナ》し。嗟乎《アヽ》※[女+鬼]《ハヅカ》しき哉《カナ》。我|如何《イヵ》なる罪を犯せばか、此重き疾ひに遭へる。初めて痾に沈みてより已來《イライ》、年月|稍《ヤヽ》に多し。是年《コトシ》七十有四にして、鬢髪斑白に、筋力※[兀+王]羸なり。但《タヾ》に年の老いたるのみならず、斯《コノ》病を加へつ。諺に曰はく、痛き瘡には鹽を灌ぎ、短き材は端を載るてへるは此|謂《イハレ》なり。四支動かず、百節皆疼き、身體|太《ハナハダ》重くして、鈞石を負へるが如し。布を懸けて立たむと欲すれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて、且《マサ》に歩まむとすれば、跛足の驢に比《タグ》へり。吾|以《オモ》ふに身の己に穿俗《センゾク》にして、心亦塵を重ねぬ。禍の伏す所、崇《タヽリ》の隱るゝ所を知らむと欲して、龜卜の門に、巫祝の室に、往きて問はざること無し。若しくは實に、若しくは妄りに、其教ふる所に隨ひて、幣帛を奉り、祈祷せざること無かりき。然も彌、苦しみを増すことはあれど、曾て減《ノゾコ》り差《イ》ゆることなかりき。吾聞く、前代に多々《シバ/”\》良醫有りて、蒼生の病患を救ひ療じきと。楡柎《ユフ》・扁鵲《ヘンジヤク》・華他《クワタ》・秦の和緩《クワクワン》と、葛稚川《カツチセン》と、陶隱居《タウインキヨ》と、張仲景《チヤウチユウケイ》との若《ゴト》きに至りては、皆是、世に在りし良醫にして、除き愈《イヤ》さゞるはなかりき。件の醫を追望することは、敢て及ぶ所にあらねど、若し聖醫・神藥とふ者に逢ひて、仰ぎ願はくは、五臓を割き刳り、百病を抄《ト》り探り、尋ねて膏肓の※[こざと+奥]處に達して、二豎の逃げ匿るゝ處を顯《アラハ》さむと欲しぬ。』命根既に盡きて、其天年を終へても、尚哀しみと爲せるに、何ぞ況めや、生禄未半ならずて、鬼の爲に※[手偏+王]げ殺され、顔色壯年にして、病の爲に横はり、困しむ者に於いてをや。世に在りての大なる患は孰《イヅ》れか此より甚しからむ。〔任徴君の曰へらく、病は口より入る。故に君子は其飲食を節すといへり。斯に由りて、之を思へは、人の疾病に遇ふことは、必しも妖鬼のわざにあらず。夫、醫方諸家の廣説、飲食禁忌の厚訓、知ること易くして、行ふこと難き鈍情、三者の目に盈ち、耳に滿つこと由來久しかり。抱朴子の曰へらく、人は但、其死ぬるに當れる日をだに知らぬが故に、憂へざるのみ。若し誠に羽※[隔の旁+羽]して期を延ばすことを得べきを知らば、必將に之を爲さむとすといへり。此を以て觀れば、乃知る。我が病ひは、蓋し斯、飲食の招く所にして、自ら治すること能はざる者か。〕帛公略説に曰はく、伏して思ふに、自ら勵みて、斯《コノ》長生を以《オモ》ふに、生は貪るべく、死は畏る可し。天地の大徳は、生と曰ふ。故に死にたる人は、生ける鼠にだに及《シ》かず。王侯なりといふとも、一旦にして氣絶えば、金を積むこと山の如くなりとも、誰か富めりと爲さむ。威勢海の如くなりとも、誰れか貴しと爲さむてへり。遊仙窟に曰はく、九泉の下の人は、一錢も値《アタヒ》あらずてへり。孔子の曰はく、之を天に受けつ。變易す可からざる者は、形なり。之を命に受けつ。請ひて志す可からざる者は、壽なりてへり。故に生の極めて貴く、命の至りて重きを知りぬ。言はまく欲すとも、言窮らば、何を以てか言はむ。慮らむと欲すとも、慮り絶えば、何に由りてか慮らむ。惟《オモ》ふに、人賢愚となく、世古今となく咸《ミナ》悉く嗟歎しぬ。歳月は競ひ流れて、晝夜に息はず。老疾は相催して、朝夕に侵し勤し、一代の歡樂は、未《イマダ》席の前に盡きざるに、千年の愁苦は、更に座の後《シリヘ》に繼ぐてへり。若し夫、群生の品類《ホンルヰ》、皆盡くること看る身を以ちて、竝《トモ》に窮《キハマ》ることなき命を求めざるは莫し。所以《ユヱ》に道人・方士の自ら丹經を負ひて、名山に入りて、而《シカ》も藥を合するは、性を養ひ神を怡《ヨロコバ》し、以て長生を求むるなり。抱朴子の曰へらく、神農の云はく、病癒えずして、安《イヅク》に長生することを得むてへり。帛公文曰はく、生は好《ヨ》き物なり。死は惡《ニク》き物なり。若し不幸に、長生することを得ずとせば、猶生涯に病患なきを以て、福大なりと爲さむてへり。今、吾、病ひの爲に悩まされ、臥《フ》しも居《ヰ》も得ず、東に向ひ西に向ひて、爲す所を知ること莫し。福無きこと至りて甚しく、總て我に集へり。人願ひて天從ふとふこと、若し實《マコト》有《ア》らば仰ぎ願はくは、頓に此病を除き、頼《サキハヒ》に平《ツネ》の如くなるを得む。鼠を以て喩と爲すこと、豈愧ぢざらめや
 
  □俗道の假合即離《ケガフソクリ》して、去ること易く、留ること難きを悲歎したる詩。一首拉びに序
 
竊かに以《オモ》ふに、釋慈の示教は、先、三歸五戒を開きて、法界《ホフカイ》を化《ケ》し、周孔の垂訓は、前に三鋼・五教を張りて、以て郡國を齊しく済《スク》ひぬ。故に引導二つなりと雖、悟りを得ることは一つなるを知りつ。但以ふに、世には恒の質|旡《ナ》し。所以《ユヱ》に陵谷更り變りぬ。人には定れる期《トキ》旡し。所以に壽夭は同じからず。撃目《マタヽキ》の間に、百齡已に盡き、臂を申ばす頃《ヒマ》に、千代亦空し。旦には席上の主と作《ナ》り、夕には泉下の客となりぬ。白馬走せ來らば、黄泉何ぞ及ばむ。隴上の青松には、空しく信劔懸り、野中の白楊には、但《タヾ》悲風吹く。是《コヽ》に世俗本隱遁の室無く、原野唯長夜の臺あり。先聖は已に去りて、後賢は留らず。如《モ》し贖ひて免さる可くあらば、古人誰か、價《カ》ふ金無けむ。未獨り存して、遂に世の終るを見し者有るを聞かず。所以《ユヱ》に維摩大士は、玉體を方丈に疾み、釋迦能仁は、金容を雙樹に掩ひぬ。内教に曰へらく、黒闇の後より來ることを欲せずば、徳天の先に至るに入ることなかれてへり。故に生るれば必死ぬることあり。死ぬること若し欲せずば、生れざるに如かざるを知る。況めや縱《タトヒ》、始終の恒教を覺れりとも、何ぞ存亡の大期《ダイゴ》を慮らむ
 
俗道(ノ)變化(ハ)猶(ク)v撃《シバタヽク》v目(ヲ) 人事(ノ)經紀(ハ)如(シ)v申(ブル)v臂(ヲ)
空(シク)與(ニ)2浮雲(ト)行(カバ)2大虚(ヲ)1 心(ト)力(ト)共(ニ)盡(キテ)無(ケム)v所v寄(スル)
 
  □老身の重病年を經て、辛苦し、及《マタ》兒等を思ふ歌。五首
 
897 たまきはるうちの限りは、平けく安くもあらむ。事もなく凶《モ》なくもあらむを。世の中の憂《ウ》けく、つらけく、いとのきて痛き疵には、辛鹽《カラシホ》を灌《ソヽ》ぐちふ如く、益々《マス/\》も重き馬荷《ウマニ》に、上荷《ウハニ》うつといふことの如、老《オ》いにてある我が身の上に、病をら加へてあれば、晝はも歎かひ暮し、夜《ヨル》はも息づき明し、年長く疾みしわたれは、月|累《カサ》ね患ひさまよひ、こと/”\は死なゝと思へど、五月蝿《サバヘ》なす騷ぐ兒等《コドモ》を、捨《ウツ》てゝは死には知らず。見つゝあれば心は燃えぬ。かにかくに思ひわづらひ、哭《ネ》のみしなかゆ
 
897 せめて命のある間だけは、無事に安心して、生きてゐたいものだ。又何事もなく、いやな事もなく、生きてゐたいのに、世の中のいやなつらいことには、譬へに云ふ通り、非常に痛む疵には、辛い鹽をかけるといふが、其通りに、又非常に重い馬の荷に、上荷をばつけ添へるといふが、其通りに、只さへ、年のよつてゐる自分の體のうへにもつて來て、病氣迄つけ添へてゐるので、晝は日が暮れるまで、歎いて居、夜は夜が明けるまで、溜め息をついて起きて居、永年の間、病氣し續けてゐるので、幾月も/\、心配したり呻いたりして、こんな事ならば、死んでしまはうとは思ふけれど、蠅がたかる樣に、騷いでゐる子どもをばうつちやつて置いては、死ね相にもない。それかというて、眺めてゐると、心は煩悶して燒ける樣に思はれる。それで、あれやこれやと思案を決しかねて、泣かずにゐられないで、唯泣くばかりである。
 
  反歌
 
898 慰むる心はなしに、雲|隱《ガク》りなき行く鳥の、哭《ネ》のみし泣かゆ
 
898 どうして見ても、慰まる樣な心持ちはせないで、雲の中を鳴いてゆく鳥ではないが、泣かずにゐられないで、泣くばかりである。
 
899 すべもなく苦しくあれば、出で走り、往《イ》なゝと思《モ》へど、兒らにさやりぬ
 
899 遣瀬なく、苦しいので、いつそ家を出奔して、遠くへ行つてしまはう、とは思ふものゝ、可愛い子どもらが邪魔になつて、それも、えうせないでゐることだ。
 
902 水泡《ミナワ》なす脆き命も、栲繩《タクナハ》の千尋《チヒロ》にもがと、願ひ暮しつ
 
902 水面に浮ぶ泡の樣に脆い命だが、それをば、栲で編んだ繩が、幾百尋もある樣に、長くあればよい、と始終思ひ通《ドホ》しに思うてゐることだ。
 
903 倭文《シヅ》たまき數にもあらぬ身にはあれど、千歳にもがと思ほゆるかも
 
903 自分の身は、人らしい仲間にも這入らない者ではあるが、千年迄も、と思はれることだ。
 
  去りぬる神龜二年作りき。但、類を以て、故らに更めて、茲に載せぬ。
 
  天平五年六月、丙申(ノ)朔《ツイタチ》の三日戊戌の日作りぬ。
 
  男子名は古日《フルヒ》と云へるを戀ふる歌。三首
 
904 世の人の貴み願ふ、七種《ナヽクナ》の寶も吾は何せむに。わがなかの生れ出でたる、白玉の我が子古日は、明星《アカボシ》の明くる且《アシタ》は、しきたへの床のべ去らず、立てれども居《ヲ》れども、共に戯《タハブ》れ、夕星《ユフツヾ》の夕になれば、いざ寢よと手を携《タヅサ》はり、父母もうへはなさかり、さきくさの中にを臥《ネ》むと、うつくしく其《シ》が語らへば、いつしかも人と成り出でて、惡しけくも善けくも見むと、大船の思ひたのむに、思はぬに、横しま風の被《オホ》ひ來ぬれば、せむすべのたどきを知らに、白栲《シロタヘ》の襷をかけ、まそ鏡手にとりもちて、天つ神仰ぎ祈《コ》ひ請《(ノ)》み、國つ神伏して額《ヌカ》づき、かゝらずも、かゝりも、神のまにまと、立ちあざり、我が祈《コ》ひ請《ノ》めど、しましくもよけくはなしに、稍々《ヤヽ/\》に形くづほり、朝な/\言ふ言《コト》やみ、たまきはる命絶えぬれ、立ち躍り、足ずり叫び、伏し仰ぎ、胸うち歎き、手にもたる吾《ア》が兒《コ》とばしつ。世の中の道
 
904 世間の人が、大事がつて欲しく思うてゐる、あの色いろの寶物も、私にとつては何になりませう。生れて出て來た、私らの間の大事の子古日といふ子は、明の明星の出る朝には、必床のほとりについてゐて、立つにつけすわるにつけ、凡て自分と一處にふざけて遊び、宵の明星の出る晩になると、さあ寢なさいというて、手を持つて纏ひついて、お父さんも、お母さんも、私の傍をば離れてはいけません、眞中に寢るんだ、と可愛らしうあれが云ふにつけては、早く一人前の人間と成長して、惡くなるか、善くなるか、ともかくも行末が見たいもんだ、と將來のことを心頼みにしてゐた處が、思ひがけなくも、横あひから吹いて來た暴風の爲に、どうしてよいか、其|日的《メド》もつかずに、只此上は、かなはぬ時の神だのみだ、と白い栲《タヘ》でこしらへた襷をかけ、澄みきつた鏡をば手に持つて、天の神を頼み祈り、土地の神をば禮拜して、助かるものか、助からないものか、ともかくも神樣任せに致します。お助け下さい、とうろ/\と騷ぎ廻つて祈つてゐるけれど、ちつとの間も、よいといふ車はなく、段々と容子が變つて、げつそりと痩せて肉が落ち、一日は一日と、餘計に、辭さへ出なくなつて、命がなくなつてしまうたので、躍り上つて悲しみ、ぢだんだ蹈んで、大聲あげて上を向いたり、下を向いたりして、自分の胸をたゝいて、嗚呼とう/\自分の大事の子どもをば、手から飛す樣に失うてしまうたことだ。斯ういふなさけないことが、人間世界の道理なのだ。(多少散文的の冗長な敍述はあるが、流石に急處々々は外れてゐない。この長歌は、脱落のあることは疑ひがない。)
 
  反歌
 
905 若ければ道行き知らじ。賂《マヒ》はせむ。下邊《シタペ》の使ひ。負ひて通らせ
 
905 今死んでゆく子は、まだ頑是ないのだから、道をどう行つていゝのか訣るまい。お禮をばせうから、下の方の國の使はし者よ。負うて通らしてやつてください。
 
906 布施《フセ》おきて、我は祈《コ》ひ請《ノ》む。あざむかず、たゞに率行《ヰユ》きて、天路《アマヂ》知らしめ
 
906 お布施をば供へて、私は願ひ祈ります。どうぞ、意地惡く、だましたりなんかしないで、眞すぐに近道をつれて行つて、天へ昇る道を知らせてやつて下さい。(これは、或は憶良の歌を見て、旅人などが與へた、弔問の歌ではなからうかと思はれる。)
 
  右一首、作者|詳《ツバ》らならず。但、其歌の體を思ふに、山(ノ)上の操に似たれは、此|次《ツイデ》に載す。
 
 
  萬葉葉 卷第六
     
   雜《ザフ》の歌
 
  □養老七年五月、吉野行幸の時の歌
 
  笠金村《カサノカナムラ》の作つた歌。並びに短歌。二首
 
907 激湍《タギ》の上《ウヘ》の御舟の山に、瑞枝《ミヅエ》さし繁《シヾ》に生ひたる樛《トガ》の木の、いや繼ぎ/\に萬代にかくし知らさむ、み吉野の秋津の宮は、神からか尊かるらむ。國からか見が欲しかるらむ。山川を清み、さやけみ、うべし、神世ゆ定めけらしも
 
907吉野の激湍の邊に聳えてゐる、御舟山で若々とした枝をさし出して、生えてゐる樛《トガ》の木で、此上繼ぎ/\に、何時々々迄も天皇陛下が、かうして領して入らつしやるべき、吉野の秋津野の御所は、神樣の所爲で、こんなに尊く見えるのであらうか。それとも、土地の所爲で、こんなに見ても飽かないのであらうか。山や川の景色が清らかで、さつぱりとして、成程これでこそ、大昔から、茲を離宮の場所と定められたのに違ひないのだ。
 
  反歌
 
908 毎年《トシノハ》に、かくも見てしが。み吉野の清き河内《カフチ》の激《タギ》つ白波
 
908 かういふ風にして、毎年見てゐたいものだ。吉野の清らかな川の流域の、激してゐる波の容子をば。
 
909 山高み、白木綿花《シラユフバナ》に落ち激《タギ》つ、激湍《タギ》の河内《カフチ》は、見れど飽かぬかも
 
909 山が高くて、勾配の急な爲に、激《ゲキ》して落ちて、白い木綿でこさへた花のやうに、泡の立つ激流の流域の景色は、見ても見ても、見飽かないことだ。
 
  車持千年《クラモチノチトセ》の作つた歌。並びに短歌
 
913 うまごりあやにともしく、鳴る神の音のみ聞きし、み吉野の眞木《マキ》立つ山ゆ見下《クダ》せば、川の瀬毎に、明け來れば朝霧立ち、夕されは河蝦《カハヅ》鳴くなり。紐解かぬ旅にしあれば、吾《ワ》のみして清き川原を見らくし惜しも
 
913 無上《ムシヤウ》に景色が見たく、雷のやうに音に聞いて、未知らなかつた、吉野へ來て、檜の生えてゐる山から見下すと、下を流れる川の瀬々に、夜明けになると朝霧が立ち、晩が來ると河鹿が鳴いてゐる。旅のことゝて、妻を家に置いて來たから、自分ばかりが、このさつぱりした川原の景色を、見るのが惜しいことだ。
 
  反歌
 
914 激湍《タギ》の上《ウヘ》の御船の山は畏《カシコ》けど、思ひ忘るゝ時も日もなし
 
914 激流の傍に聳えてゐる御舟山は、恐しい山だけれども、其|邊《アタリ》の景色は、一日一時間たりとも、すこしも忘れる暇もない。
 
  (異本の歌。二首)
 
915 千鳥鳴くみ吉野川の川|音《ト》なす、止む時なしに思ほゆる君
 
915 千鳥の鳴く、吉野川の川の流れの音のやうに、休む間もなく、思はれるあなたよ。
 
916 茜さす日竝《ケナラ》べなくに、我《ワ》が戀ひは、吉野の川の霧に立ちつゝ
 
916 幾日も日がたつたといふ訣ではないが、故郷に妻が置いてあるので、自分の慕ふ心の爲に、吉野川の川霧となつて立つ程に、ため息をつき/\してゐることだ。
 
  □神龜元年十月五日、紀伊行幸の時、山部(ノ)赤人の作つた歌。並びに短歌。二首
 
917 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君の、常《トコ》宮と仕へ奉《マツ》れる、雜賀野《サヒカヌ》ゆ背《ソガヒ》に見ゆる沖つ島、清き汀《ナギサ》に風吹けば白波騷ぎ、潮干れば玉藻刈りつゝ、神代より、しかぞ尊き。玉津島山
 
917 天皇陛下の變りなくお通ひになる御所と思うて、お仕へ申してゐる、海中の島、即、雜賀野から向うの方に見える沖の島よ。其島のさつぱりした波うち際に、風が吹くと波が騷ぎ、潮が引くと、人々が出て玉藻を刈つてゐる。大昔から、かういふ風に尊い景色であつたのだ。この玉津島は。
 
  反歌
 
918 沖つ島|荒磯《アリソ》の玉藻、潮|干《ヒ》滿《ミ》ち、い隱ろひなば、思ほえむかも
 
918 沖の島の荒い岩濱に生えてゐる、玉藻よ。あの潮のひいてゐる所へ、滿潮がさして來て、隱れて了うたら、嘸干潟の逍遥が思はれるであらうよ。
 
919 和歌(ノ)浦に潮滿ち來れば、潟《カタ》をなみ、蘆べをさして、鶴《タヅ》鳴き渡る
 
919 和歌の浦に潮がさして來ると、だん/”\遠淺がなくなるので、蘆の繁つてゐる岸をさして、鶴が鳴きつれて、ずつと飛んで來る。
 
  □神龜二年五月、吉野行幸の時の歌
  笠(ノ)金村の作つた歌。並びに短歌。二首
 
920 あしびきのみ山もさやに、落ち激《タギ》つ吉野の川の、川の瀬の清きを見れば、上邊《カミベ》には千鳥|頻《シバ》鳴《ナ》き、下邊《シモベ》には河蝦《カハヅ》妻呼ぶ。もゝしきの大宮人も、遠近《ヲチコチ》に繁《シヾ》にしあれば、見る毎にあやに賞《トモ》しみ、たまかづら絶ゆることなく、萬代にかくしもがもと、天地の神をぞ祈る。畏《カシコ》かれども
 
920 山の景色も、さつぱりと見える許り、落ちて激する吉野川の激湍の、清らかな景色を見ると、上の方には、千鳥が始終鳴いてゐる。下の方には、河鹿が伴《ツレ》を呼んでゐる。其で御所に仕へてゐる人たちも、彼方此方に、一杯出てゐるので、見る物毎に、無上《ムシヤウ》に捨て難く思はれて、何時迄もかうして、絶えずに、お伴をして來たいものだ、と勿體ない事だが、天地の神を祈ることだ。
 
  反歌
 
921 萬代に、兄《ミ》とも飽かめや。み吉野の激《タギ》つ河内《カフチ》の大宮處《オホミヤドコロ》
 
921 幾萬年迄見てゐたとて、飽かうか。この吉野の激流の流域にある、天子の御所よ。
 
922 人皆の命も、我も、み吉野の激湍《タギ》の常磐《トコハ》の、常《ツネ》あらぬかも
 
922 吉野の激湍にある、大きな固い岩のやうに、同行の人々の命も、我が命も、常住不斷あつて欲しいものだ。
 
  山部(ノ)赤人の歌。二首、竝びに短歌。三首
 
923 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君の、高|治《シ》らす吉野(ノ)宮はたゝなづく青垣|籠《ゴモ》り、川波の清き河内《カフチ》ぞ。春べは花咲きをゝり、秋されば霧立ち渡る。其山の彌《イヤ》益々《マス/\》に、此川の絶ゆることなく、もゝしきの大宮人は、常《ツネ》に通はむ
 
923 我が天皇陛下が領して入らつしやる吉野の御所は、むくむくと續いてゐる青垣のやうな、山に籠つて居る所の、川波のさつぱりとしてゐる流域である。春頃は、枝もぶら/”\に花が咲き、秋になると、霧がずつと立つ。其山が變らないやうに、此川がとぎれないやうに、御所に仕へてゐる人人は、何時迄もかはらずに、通うて遊ぶことだらう。
 
  反歌
 
924 み吉野の象山際《キサヤマギハ》の梢《コヌレ》には、
多《コヽダ》も、騷ぐ鳥の聲かも
 
924 吉野の象山の上の梢では、まあほんとに、澤山鳴き騷いでゐる、鳥の聲であることよ。
 
925 ぬば玉の夜の更け行けば、楸《ヒサギ》生ふる清き川原に、千鳥|頻《シバ》鳴く
 
925 夜がだん/”\更けて行くと、楸の生えてゐる、清らかな川原に、千鳥がしつきりなしに鳴く。(かういふ、靜寂な境地に興趣を持つことが出來たのは、赤人の優れた歌人なることを示すもので、今日存してゐる彼の歌では、これが第一の傑作だ。)
 
  ○
 
926 安治《アスミ》しゝ我《ワゴ》大君は、み吉野の秋津の小野の、野《ヌ》の上《ヘ》には、鳥見《トミ》据ゑ置きて、み山には、射部《イメ》立てわたし、朝狩りに鹿《シヽ》蹈み起し、夕狩りに鳥蹈み立《タ》てゝ、馬|並《ナ》めてみ狩りぞたゝす。春の茂野《シゲヌ》に
 
926 我が天皇陛下は、吉野の秋津野の邊に、鳥獣の足跡を探す人を居させて置かれ、山にはずつと獣を待ち伏せて、弓を射る人を設けて置かれ、朝狩りには、寢てゐる鹿を暗み立たし、夕狩りには塒の鳥を蹈み立たしたりして、馬を竝べて、大勢狩りを擧行遊ばすことだ。草木の茂つた春の野に。
 
  反歌
 
927 あしびきの山にも、野にも、御狩人《ミカリビト》、獵矢《サツヤ》たはさみ亂りたり、見ゆ
 
927 遙かに見渡すと、山にも野にも一杯に、天子の御狩りの狩人《カリウド》が、獵の矢を腋に狹んで、彼處此處に亂れ込んでゐる。それが茲から見える。(廣い空間に錯雜した物象を、かう單純化したのは偉い。佳作。)
 
  □同十月、難波行幸の時、笠(ノ)金村の作つた歌。並びに短歌
 
928 おして照る難波(ノ)國は、あしがきの舊りぬる里と、人皆の思ひいこひて、つれもなくありし間に、うみをなす長柄《ナガラノ》宮に、眞木柱|太高《フトタカ》しきて食國《ヲスクニ》を治《ヲサ》め給へば、沖つ鳥|味原原《アヂフノハラ》に、物部《モノヽフ》の八十件緒《ヤソトモノヲ》は廬《イホリ》して都なしたり。旅にはあれども
 
928 世間の人の凡てが、難波の國は荒れ果てた里であると思うて、其所に行くことを躊躇して居た爲に淋しかつたが、長柄の宮に檜の柱を太く高く据ゑられて、此日本國をお治めなさるので、味原の原では、澤山の御家來衆は、小屋掛けをして都を作つた。故郷離れた旅ではあるけれども。
 
  反歌
 
929 荒野《アラヌ》らに里はあれども、大君の領《シ》きます時は都となりぬ
 
929 里は荒れはてた野原だけれども、我が天子の居所と定めて住まれた時は、ちやんと、都となつてしまうてることだ。
 
930 蜑處女《アマヲトメ》、※[木+世]《タナ》なし小《ヲ》舟漕ぎ出《ヅ》らし。旅の宿りに※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》聞ゆ
 
930 蜑の處女が、小さな舟を漕ぎ出してゐるに違ひない。宿つてゐる旅の假小屋に、※[舟+虜]の音が聞えて來る。
 
  車持千年《クラモチノチトセ》の歌。竝びに短歌
 
931 いさなとり海邊を清み、うち靡き生ふる玉藻に、朝凪に千|重《ヘ》波より、夕凪に五百重《イホヘ》波よる。岸《ヘ》つ波の彌《イヤ》しくしくに、月に日《ケ》に、日々《ヒヾ》に見れども、今のみに飽き足らめやも。白波のい咲き囘《メグ》れる住(ノ)江の濱
 
931 此住(ノ)江の濱は、海岸がさつぱりして、其處に絡み合うて生えて居る玉藻に、朝凪の時分にも、夕凪の頃にも、幾重とも知れぬ程、浪が寄せかけて來る。其寄せて來る海岸の波のやうに、幾度も/\、毎月毎日、何時も/\見ても飽かない。それに今見るだけで滿足が出來ようか。白波が碎けて、花のやうに立ちながら、取り卷いて居るこの住(ノ)江の濱よ。
 
  反歌
932 白波の千|重《ヘ》に來よする、住吉《スミノエ》の岸の埴原《ハニフ》に、にほひて行かな
 
932 波が、幾度も/\打ちかけて來る。此住(ノ)江の岸の赤土原で、著物に色を著けて行かうよ。
 
  山部(ノ)赤人の歌。竝びに短歌。一首
 
933 天地の遠きが如く、日月の長きが如く、おしてる難波(ノ)宮に、吾《ワゴ》大君國知らすらし。御饌《ミケ》つ國日の御調《ミツキ》と、淡路の野嶋《ヌシマ》の蜑《アマ》の、海《ワタ》の底|奥《オキ》ついくりに、鰒珠《アハビタマ》さはにかづき出《デ》、舟|竝《ナ》めて仕へ奉《マツ》るが尊し、見れば
 
933 天地が遙かに隔つてゐるやうに、光陰が永久に續いてゐるやうに、長く久しくと、我が天子が、國をお治めになるに違ひない。御食料を奉る國のことゝて、淡路の野島の海人が、毎日の獻り物として、沖の方の海の底の石にひつついてゐる、鰒の眞珠を澤山、潜《ムグ》つて取つて來て、天子に奉り物として、幾艘もの舟を竝べて、運んで來るのを見てゐると、尊い天子のありがたさが、しみ/”\と思はれる。
 
  反歌
 
934 朝凪に※[楫+戈]の音《ト》聞ゆ。御饌《ミケ》の國野島の海人の舟にしあるらし
 
934 朝凪いだ海に、※[舟+虜]の音が聞える。御食料を奉る國なる、あの野島から來る、海人の舟に違ひない。
 
  □三年九月十五日、播磨(ノ)國印南野《イナミヌ》に行幸せられた時、笠(ノ)金村の作つた歌。竝びに短歌。二首
 
935 名寸隅《ナキズミ》の舟瀬《フナセ》ゆ見れば、淡路島|松帆《マツホノ》浦に、朝凪に玉藻苅りつゝ、夕凪に藻鹽燒きつゝ、蜑處女在りとは聞けど、見に行かむよしのなければ、健男《マスラヲ》の心はなしに、幼女《タワヤメ》の思ひたわみて、徘徊《タモトホ》り、我はぞ戀ふる。舟《フネ》、※[楫+戈]《カヂ》をなみ
 
935 名寸隅の里の波止場から見える、淡路の松帆の浦には、朝凪の時分には玉藻を刈つたり、夕凪の時分には藻鹽木を燒いたりして、評判の美しい海人の處女がゐる、といふことを聞いてはゐるけれども、見に行く方法がないので、男らしい確《シツカリ》した心持ちはなくして了うて、女のやうに屈託して、濱邊を徘徊《ウロ/\》しながら、渡る舟や※[舟+虜]がない爲に、只焦れてゐる許りである。(金村の古風に優れてゐたことは、此を見ても知れる。飛鳥藤原朝以前の人の、感情が生きてゐる。)
 
  反歌
 
936 玉藻刈る蜑處女らを見に行かむ。舟《フネ》、※[楫+戈]《カヂ》もがも。波高くとも
 
936 玉藻を刈つてゐる、松帆(ノ)浦の蜑處女を見に行かう。波が高くても見に行かう。舟や※[舟+虜]があつてくれゝばよいが。
 
937 行き周《メグ》り見《ミ》とも飽かめや。名寸隅《ナキズミ》の舟瀬の濱に、頻《シキ》る白浪
 
937 彼處から見、此處から見ても、滿足することがあらうか。此名寸隅の村の波止場の濱に、始終うち寄せて來る、波の景色は。
 
  山部(ノ)赤人の歌。竝びに短歌。三首
 
938 安治《ヤスミ》しゝ我《ワゴ》大君の、神ながら高知らせる、印南野《イナミヌ》の大海《オホウミ》の原《ハラ》の、荒栲《アラタヘ》の藤江《フヂエノ》浦に、鮪《シビ》釣ると蜑舟《アマブネ》騷ぎ、鹽燒くと人ぞさはなる。浦を吉《ヨ》み宜《ウベ》も釣《ツ》りはす。濱を好《ヨ》み宜《ウベ》も鹽燒く。あり通ひ見せすもしるし。清き白濱
 
938 我が天皇陛下が神の御意志どほりに、領して入らつしやる、印南野の中で、廣々とした海面に向うた藤江の浦に、鮪を釣らうと、海人が騷いでゐる。鹽を燒くというて、人が澤山たかつてゐる。成程浦がよいから、釣りをするのも尤だ。濱がよいから、鹽を燒くのも尤だ。これでは、度々お通ひになつて御覧になるのも、その筈の事だと思はれる。清らかなよい景色の、白砂の濱よ。
 
  反歌
 
939 沖つ波|岸《ヘ》波靜けみ、あさりすと、藤江の浦に舟ぞ騷《サヤ》げる
 
939 沖の方の波も、海岸の方の波も、靜かであるので、漁《レフ》をするとて、藤江の浦に、舟がやかましく騷いでゐる。
 
940 印南野《イナミヌ》の淺茅《アサヂ》おしなべさ寢《ヌ》る夜の、け長くしあれば、家し偲《シヌ》ばゆ
 
940 印南野の淺茅を押し伏せて、寢る夜が長く、幾日にもなるので、家の事が思ひ出されてならぬ。
 
941 明石潟。潮干の道を、明日よりは、した笑《ヱ》ましけむ。家近づけば
 
941 明日からは、明石潟の潮の引いた道を歩き乍ら、心中では、何となしに心勇みがせられることであらう。家がだん/\近づいて來てるから。(單に敍景詩人としてばかりでなく、かく抒情にも、侮るべからざる手腕を示してゐる。傑作。)
 
  辛荷《カラニノ》島を過ぎた時、山部(ノ)赤人の作つた歌。竝びに短歌。三首
 
942 あぢさはふ妹が目離れて、しきたへの手《タ》もとも枕《マ》かず、樺皮纏《カニハマ》き作れる舟に、ま※[楫+戈]《カヂ》貫《ヌ》き、我が漕ぎ來れば、淡路の野島《ヌジマ》も過ぎ、印南都麻《イナミツマ》辛荷(ノ)島の島の間|從《ユ》、我家《ワギヘ》を見れば、青山の其處とも見えず、白雲も干重になり來ぬ。漕ぎ廻《タ》むる浦の盡《コト/”\》行き隱《カク》る島の崎々、隈《クマ》もおかず思ひぞ我が來《ケ》る。旅の日《ケ》長み
 
942 いとしい人にも無沙汰をして、其手も枕とせず、樺《カバ》の皮を蔽うた舟に、棹をさして、自分が漕いで來ると、淡路の野島を過ぎて了うた。それから又、印南の郡の都麻の里の辛荷の島を通つて、其間から、自分の家のある方を見ると、青い山の連つてゐる、あの邊《アタリ》ともはつきり訣らない。白雲さへも、幾重にも隔てゝ了うた。漕ぎ廻つて行くどの浦でも、行く内に、だん/”\隱れる島のどの崎でも、その行く道の曲り目毎に、家のことを思ひ乍ら、ふりかへり乍らやつて來た。旅の日數が長くなつたので。
 
  反歌
 
943 玉藻刈る辛荷《カラニノ》島にあさりする、鵜《ウ》にしもあれや、家思はざらむ
 
943 家のことを思ふまいとしても氣にかゝる。玉藻を刈る辛荷の島に餌をせゝつてゐる鵜でゞもあれば、家を思はないでゐられようが、人間の私はさうした訣にはいかぬ。
 
944 島|隱《ガク》り我が漕ぎ來れば、羨《トモ》しかも。大和へ上る。ま熊野《クマヌ》の舟
 
944 島々の間を自分が漕いで來ると、ふと出會うたのは、熊野の舟が、大和の方へ上つて行くのであつた。羨しいことよ。(旅愁の漲つた歌。傑作。)
 
945 風吹けば、波か立たむと、さもらひに、都多《ツタ》の細江に浦隱りをり
 
945 風が吹き出して來たから、多分波も立つだらうと思うて、待つ爲に、都多の細江に隱れて居ることだ。(平凡な事件を、かくまで、人の胸に沁ませることが出來たのは、赤人の、詩人としての價値を語つてゐる。佳作。)
 
  敏馬《ミヌメノ》浦を過ぎた時、山部(ノ)赤人の作つた歌。竝びに短歌
 
946 みけむかふ淡路の島に、直《タヾ》向ふ敏馬《ミヌメノ》浦の、沖邊には深|梅松《ミル》とり、浦|囘《ワ》には莫告藻《ナノリソ》苅り、深海松の見まく欲しけど、莫告藻《ナノリソ》の己《オノ》が名惜しみ、間使《マヅカヒ》も遣《ヤ》らずて、我は生けるともなし
 
946 茲は淡路の島に直《ヂカ》に面してゐる所の、敏馬《ミヌメ》の浦である。この沖の方では、深海松が採れる。岸の方では、莫告藻が採れる。深海松ではないが、見たいことは見たいが、莫告藻の名の評判が立つては大事であるから、時折りの使ひさへ遣らないので、自分は、生きてゐる元氣もない。
 
  反歌
 
947 須磨の蜑の鹽燒き衣《ギヌ》の、なれなばか、一日も、君を忘れて思はむ
 
947 須磨の海人の著てゐる鹽燒き衣の、なれ/\によごれてゐるやうに、自分も旅にゐないで、あの人の傍になれて近附いてゐるのならば、一日だけでも忘れることが出來るであらう。
 
  四年正月、諸王及び群臣等を授刀寮に禁足せしめられた時、某の作つた歌
 
948 眞葛はふ春日の山は、うち靡き春さり行くと、山|下《シタ》に霞たなびき、高圓《タカマド》に鶯鳴きぬ。物部《モノヽフ》の八十|伴《トモノ》緒は雁《カリガネ》の來繼ぐ此頃、かく繼ぎて常にありせば、友|竝《ナ》出めて遊ばむものを。馬竝めて行かまし里を。待ちがてに我がせし春を、かけまくもあやに畏く、云はまくもゆゝしからむと、豫めかねて知りせば、千鳥鳴くその佐保川に、石《イソ》に生ふる菅の根とりて、忍草《シヌフグサ》祓へてましを、行く水に禊《ミソ》ぎてましを。大君の命《ミコト》かしこみ、もゝしきの大宮人の、玉桙の道にも出でず、戀ふるこの頃
 
948 春日の山では、春がやつて來るといふので、山の麓には霞がかゝつてゐるし、頂上の高圓山では、鶯が鳴いてゐる。所が宮中を守つてゐる澤山の役人たちは、雁が後から/\とやつて來る此頃、此樣な愉快な曰がいつも續いてあつたら、友人と一處に遊びに出かけよう、馬を連ねて行きたいと思ふ里だのに。所がさういふ風に待ちかねて、私達がゐた春になつたに關《カヽハ》らず、とんだ事が起つたのだ。かういふ風に口に出していふのも、非常に畏多く又慎しまねばならぬ事になると、前から豫期することが出來たならば、佐保川の石に生えてゐる、菅の根をとつて、それを裂いて、忍草に取り雜へて、祓へをして置いたのに、又其川の水に禊ぎをしておいたらよかつたのに、さうせなかつた爲に、とんでもない目に遭うて、御所の役人たちが、御所の中に閉ぢ籠つた儘、表通りへも出ないで、外の春景色に焦れてゐる。幾日かの間をば。
 
  反歌
 
949 梅柳すぐらく惜しみ、佐保のうちに遊びしことを、宮もとゞろに
 
949 梅や柳が、なくなつて了ふことのなごりをしさに、佐保山の中で遊んだことをば、御所も響く許りに、評判を立てられたことだ。(此歌は恐らく、當時卅七八歳で、葛城(ノ)王というてゐた頃の橘諸兄卿などの作つて、不平を洩したものに違ひない。名は顯すのを憚つたのだ。)
 
  これは、神龜四年の正月に、王や群臣の子ども數人が、春日野で毬打《ギチャウ》遊びをしてゐた所が、驟かに雨が降つて、雷鳴があつたが、宮中では鳴弦護衛に與《アヅカ》る侍衛の人々が、一人も居なかつた。乃《ソコ》で、それ等の公達を、授刀寮に禁足せしめて、外に出されなかつた時、或人の作つたものである。
 
  □五年、難波行幸の時の歌。四首
 
950 大君の境《サカ》ひ給ふと、山守り据ゑ守《モ》るとふ山に、入らずば、止まじ
 
950 天子が他の人々のゐる折から、區劃を立てゝ人を入れない爲にと、山番を設けて守つて入らつしやる相な山に、這入らないでおかうか。(此は平常、宮中では、男女の區別が嚴重であるが、行幸の時は、比較的寛大な所から、今こそといふ、意氣込みを陳べたものである。)
 
951 見渡せば近きものから、石隱《イソガク》り、輝《カヾヨ》ふ玉を取らずば、止まじ
 
951 ずつと見渡すと、近くではあるが、行き難い岩陰に輝いてゐる、あの玉を手に入れないでは、思ひ止るまい。(これも、宮中で目に見乍ら、自由にならぬ宮女たちを、思うた歌である。)
 
952 韓《カラ》衣|著奈良《キナラ》の里の島松に、玉をしつけむよき人もがも
 
952 昔物語にある、仙人が思ふ心を傳へる爲に、故郷の家の木に、玉を懸けたといふが、自分が家の人を思うてゐる心を示す爲に、奈良の里にある庭の前栽の松に、玉をつけてくれる仙人のやうな人がないか知らん。
 
953 さ雄鹿の鳴くなる山を、越え行かむ日だにや、君にはた逢はざらむ
 
953 都を離れて、鹿の鳴く淋しい山を越えて旅する日でも、あの人に逢はないで、辛抱して居られようか。
 
 右四首、笠(ノ)金村集に見えてゐる。或人は車持《クラモチノ》千年の歌だといふ。
 
  膳王《カシハデノオホキミ》の歌
 
954 朝には海岸《ウナビ》にあさりし、夕されば大和へ超ゆる雁し、羨《トモ》しも
 
954 自分は大和を離れて來て居るが、あの雁は、朝は海岸で餌を探してゐるが、晩になると、大和へ越えて行く。あの雁が羨しいことだ。
 
  太宰(ノ)少貮石川(ノ)足人《タルヒト》の歌
 
955 さすたけの大宮人の家と住む、佐保の山をば思ふやも。君
 
955 あなたは御所の役人たちが、家として住んでゐる佐保山に、焦れて入らつしやいませうね。如何です。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の答へた歌
 
956 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の食《ヲス》國は、大和も、茲も、おやじとぞ思ふ
 
956 安らかに治め給ふ、我が天皇陛下の御領の國は、都のある大和も、又此筑紫も、同じであると思うてゐる。
 
  同年十一月、太宰府の役人たちが、香椎(ノ)宮に參つて歸る時に、馬を香椎(ノ)浦に止めて、てんでに感想を敍べた歌(三首)
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の歌
 
957 いざ子ども。香椎(ノ)潟に、白拷《シロタヘ》の袖さへ濡れて、朝菜摘みてむ
 
957 さあ家來共よ。此香椎潟におり立つて、波のしぶきに白栲の衣の袖を濡しても、朝食《アサゲ》のさい〔二字傍点〕の菜を摘まうではないか。
 
  大貮小野(ノ)老《オユ》の歌
 
958 時つ風吹くべくなりぬ。香椎潟潮干の浦に、王藻刈りてな
 
958 どうやら、潮時の風が吹き出しさうになつて來た。今の間に、香椎潟の潮の引いてゐる浦で、藻を刈らうではないか。
 
  豐前(ノ)守|宇努男人《ウヌノヲヒト》の歌
 
959 行き歸り、常に我が見し香椎潟、明日《アス》ゆ後には、見むよしもなし
 
959 茲を往復して、何時も眺めてゐた、香椎潟の景色も、明日から後は、見る方便もあるまい。
 
  大伴(ノ)旅人、遙かに吉野の離宮を思うて作つた歌
 
960 隼人《ハヤヒト》の迫門《セト》の巖も、鮎走《アユバシ》る吉野の激湍《タギ》に、なほ如《シ》かずけり
 
960 隼人の住んでゐる、薩摩の海峽の聳えた巖の勝れた容子も、どうして/\、年魚の走つてゐる、吉野の激湍に及ぶことではない。
 
  大伴(ノ)旅人、次田《スキタ》の温泉《イデユ》に泊つて鶴の聲を聞いて作つた歌
 
961 温泉《ユ》の原に鳴く丹頂鶴《アシタヅ》は、我が如く、妹に戀ふれや、時|分《ワ》かず鳴く
 
961 此温泉の湧く原中に、鳴いてゐる鶴は、やはり自分のやうに、いとしい人を戀しがつてゐるからかして、時の區別もなく、始終鳴いてゐる。
 
  天平二年、勅《ミコトノリ》に依つて、擢駿馬使《チヤクシユンメシ》大伴(ノ)道足が、太宰府に來た時の歌
 
962 奥山の岩に寄|生《ム》し、畏くも問ひ給ふかも。思ひあへなくに
 
962 これは、恐れ多くも、歌はどうだとのお問ひで御座いますが、まだよくも考へついてゐませんのです。(古歌を吟じたのである。)
 
  これは、勅使大伴(ノ)道足が、太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の家に招待せられて行つた時に、驛使《ハユマヅカヒ》葛井《フヂヰノ》廣成に歌を詠むやうに勸めたので、廣成が即座に吟じたものであるといふ。
  同年十一月、大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、旅人の官舍から、都へ旅立つた時、筑前(ノ)國|宗像《ムナカタノ》郡名兒(ノ)山を越えて作つた歌
 
963 大汝《オホナムチ》少彦名《スクナヒコナ》の神こそは、命《ナヅ》けそめけめ。名のみを名兒《ナゴノ》山と負ひて、我が戀ひの千重《チヘ》の一重も慰めなくに
 
963 此山は、昔大汝(ノ)命、少彦名(ノ)神が名をつけ始められたのであらうが、それにしては、名兒山といふから、心が穩かになるかと思ふと、名許りが名兒山で、自分の焦れる心の千分の一も、慰めてくれないことだ。(これは、途中から、兄旅人に贈つたものであらう。)
 
  同じく、坂上(ノ)郎女《イラツメ》、海路で岸の貝殻を見て作つた歌
 
964 我が兄子《セコ》に戀ふるは苦し。暇あらば、拾ひて行かむ。戀ひ忘れ貝
 
964 あなたに焦れてゐるのは、術ないものだ。暇さへあれば、ゆつくりと物忘れをするといふ、忘れ貝を拾うて行つて、戀ひを忘れようのに。
 
  同年十二月、大伴(ノ)旅人、大納言となつて、都に上る時、某(ノ)處女の作つた歌。二首
 
965 凡《オホ》ならば、かもかくもせむを。畏《カシコ》みと、振りたき袖を忍びたるかも
 
965 これがよい加減な身分の人であつたら、お別れ際にあゝもし、かうもせうものを。尊い方であるので、畏れ多いと思うて、別れを惜しんで、振りたい袖さへも、辛抱してゐることです。
 
966 大和路は雲隱りたり。然れども、吾が振る袖を、無禮《ナメ》くと思ふな
 
966 大和の國の方は、雲に隱れてゐる程遠い。それほど、あなたと私との身分は離れてゐます。けれども、戀しさに私が袖を振るのを、無禮にも此樣なことをする、とお思ひ下さいますな。
 
  これは、旅人が都へ上る門出に、馬を水城《ミヅキ》に駐めて、太宰府の官舍を顧みて別れを惜しんだ時に、送つて來た役人の中に遊行女婦《ウカレメ》の兒島といふ女が雜つてゐたが、餘波《ナゴリ》を惜しんで作つたもの
 
  大納言大伴(ノ)旅人の答へた歌。二首
 
967 大和路の吉備《キビ》の兒島を過ぎて行かば、筑紫の兒島思ほえむかも
 
967 これから大和へ行く道の、吉備の兒島を通つて行つたならば、此筑紫の兒島のことが、思ひ出されることであらうよ。
 
968 健男《マスラヲ》と思へる我や、みづくきの水城《ミヅキ》のうへに、涙のごはむ
 
968 自分は立派な男だ、と自任してゐるのだ。その自分であり乍ら、この水城の堤防の邊で、別れが惜しいからというて、涙を拭ふべきではないのに、不覺の涙を零した。(悲哀を男性的に表してゐる。佳作。)
 
  三年、大納言大伴(ノ)旅人、奈良の家で、故郷を思うた歌
 
969 暫《シマ》しくも行きて見てしが。神南備《カムナビ》の淵はあせにて、瀬にかなるらむ
 
969 我が故郷の、飛鳥の神南備山の下の淵は、久しく行かぬ間に、あせて了つて、瀬になつてゐるだらう。一寸でも行つて見たいものだ。
 
970 うつそみの栗栖《クルス》の小野の萩が花、散らむ時にし、行きて手向《タム》けむ
 
970 あの栗林のある野の萩の花が、散つてゐる時分即、今行つて、故郷の飛鳥の神南備の社の神に、幣を手向けたいものだ。
 
  四年、藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》西海道(ノ)節度使として遣された時、高橋(ノ)蟲麻呂の作つた歌。竝びに短歌
 
971 白雲の龍田の山の、露|霜《ジモ》に色づく時にうち越えて旅行く君は、五百重《イホヘ》山い行きさくみ、仇守る筑紫に至り、山の極《ソキ》野の極《ソキ》見よと、伴部《トモノベ》を分《ワカ》ち遣し、山彦の答へむ極み、蝦蟆《タニグヽ》のさ渡る極み、國形《カニガタ》を見し給ひて、冬籠り春さり行かば、飛ぶ鳥の早く來まさね。龍田|路《ヂ》の岡邊の道に、丹躑躅《ニツヽジ》のにほはむ時の、櫻花咲きなむ時に、やまたづの迎へ參出《マヰデ》む。君が來まさば
 
971 龍田山の木の葉が、秋の末の水霜の爲、色著く時分に、あなたは茲を越えてお出でなさるが、これから、幾重にも重つた山を蹈み分けて行つて、筑紫の國に到著して、山の極、野の極迄も、殘りなく見聞して來い、と從ふ部下の人を分け遣して、あの地で山のこだまが答へるだけの地の限り、又蝦蟆の歩いて行くだけの地の果迄も見聞なされて、春になつたら、空飛ぶ鳥のやうに、早く歸つて入らつしやいませ。龍田越えの山中の道に、赤い躑躅が、ほんのりと咲き出す時分で、それから又、櫻の花の咲いてゐる時分に、茲迄出迎へに參りませう。あなたが歸つて入らつしやつたら。
 
  反歌
 
972 千萬の軍勢《イクサ》なりとも、言擧《コトア》げせず、捕《ト》りて來《キ》ぬべき壯夫《ヲトコ》とぞ思ふ
 
972 敵は譬ひ、澤山の軍勢であつても、いざこざなく、俘にして歸つて來相な頼もしい大丈夫だ、とあなたをば信じます。
 
  聖武天皇、酒を節度使等に與へられた時の御製。竝びに短歌
 
973 食國《ヲスクニ》の遠《トホ》の御門《ミカド》に、汝《イマシ》等しかくまかりなば、平らけく我は遊ばむ。手抱《タムダ》きて我は在《イマ》さむ。皇《スメラ》我《ワ》が嚴《ウヅ》の御手もち、掻き撫でぞ犒《ネ》ぎ給ひ、うち撫でぞねぎ給ひ、歸らむ日相飲まむ酒《サケ》ぞ。この豐御酒は
 
973 此日本國の遙かな領土へ、此樣にして、汝達が朕《ワシ》の處から出かけて行つて、治めてくれゝば、朕は安心して遊んでゐることが出來よう。又手を拱いた儘で、何もしないでゐることが出來よう。汝等が歸つて來た時には、天皇なる自分の此尊い手でもつて、汝等の身を撫で/\して、其心勞を犒ひ遊して呑む酒だぞ。此立派な酒は。其節又、一處に飲まうぞ。
 
  反歌
 
974 健男《マスラヲ》の行くとふ道ぞ。おほろかに思ひて行くな。健男《マスラヲ》の伴《トモ》
 
974 立派な男の、名譽として勇んで行くべき道だ。決しておろそかに思うて行くな。立派な男たちよ。
 
  右の歌、一説に太上(元正)天皇の御製だとも傳へてゐる。
 
  中納言阿部(ノ)廣庭の歌
 
975 かくしつゝあらくをよみぞ。たまきはる短き命を、長く欲りする
 
 975 かういふ愉快な心持ちで暮してゐることが嬉しさに、短い命が長くあるやうに、と願うてゐる。
 
  五年、日下《クサカ》山を越えて、神社老《カムコソノオユ》麻呂の作つた歌。二首
 
976 難波潟潮干の餘波《ナゴリ》、よく見てな。家なる妹が持ちとはむ爲
 
976 難波の遠淺の海の、潮の引いた處に立つ餘波の、心地好い有樣を、詳しう見て置かう。家にゐる妻が、私を待ちうけて、問ふ時の用意に。
 
977 直越《夕ヾゴエ》の此道にして、おしてるや難波の海と、名づけゝらしも
 
977 昔神武天皇が、浪速《ナニハ》の海と名をおつけになつたといふが、大方此|直越《タヾゴエ》の道でおつけになつたのであらう。其に違ひない。(當時浪速の國の説明傳説を、かういふ風に訛傳してゐたものと考へるがよい。)
 
  山上憶良《ヤマノヘノオクラ》大病の時の歌
 
978 壯夫《ヲトコ》やも空しかるべき。萬代に語り繼ぐべき名は立たずして
 
978 男として、無駄に一生を終つてよからうか。後々迄、人が語り繼ぐやうな、名をば立てないで。
 
  右一首、憶良が大病の時、藤原(ノ)八束が、河邊(ノ)東人をやつて見舞はせた處が、禮を述べた後に、涙を拭うて、吟じたものである。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、姪《ヲヒ》の家持と、佐保の家から、西の家へ歸る途中の歌
 
979 我が兄子《セコ》が着《ケ》る衣《キヌ》薄し。佐保風はいたくな吹きそ。家に到るまで
 
979 あなたが著てゐる著物は薄い。佐保山から吹き下す風は、家に著く迄、ひどく吹いてくれな。
 
  安倍(ノ)蟲麻呂の月の歌
 
980 あまごもり三笠の山を高みかも、月の出で來《コ》ぬ。夜はくだちつゝ
 
980 三笠山が高い爲に、月は出て來ないのか知らん。夜は、こんなに更けてゐるのに。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の月の歌。三首
 
981 雁高《カリタカ》の高圓《タカマド》山を高みかも、出で來る月の、遲く照るらむ
 
981 雁高の里の高圓山が高いからか、それでさし上る月が、こんなに遲く出て、照してゐるのであらう。
 
982 ぬばたまの夜霧の立ちて、おぼゝしく照れる月夜の見れば、悲しさ
 
982 夜の霧が立つてゐる爲に、ぼんやりと照つてゐる月を見てゐると、悲しいことだ。
 
983 山の端のさゝら美壯夫《エヲトコ》、天の原とわたる光見らくし、よしも
 
983 山上に出た小さな美《ヨ》い男のお月樣が、廣々とした空を通つて行くのを見てゐると、よい心持ちだ。
 
  豐前(ノ)國の處女《ヲトメ》大宅女《オホヤカメ》の月の歌
 
984 雲|隱《ガク》りゆくへをなみと、我が戀ふる月をや、君が見まく欲《ホ》りする
 
984 雲に隱れて、何處へ行つたかわからなくなつた爲に、わたしが焦れてゐる月を、あの方は、見たいと思うて入らつしやるだらうか。そんなことはなからう。(失うた戀ひを、思うた歌である。)
 
  湯原(ノ)王の月の歌。二首
 
985 天に在《マ》す月讀壯夫《ツクヨミヲトコ》。賄《マヒ》はせむ。今宵《コヨヒ》の長さ五百夜《イホヨ》つぎこそ
 
985 天に御座るお月樣よ。お禮を致しませう。どうか今晩の長夜を、更に幾百といふ程續けて出てゐて下さい。
 
986 はしきやし、ま近き里の君來むと、大野邊《オホノビ》にかも、月の照りたる
 
 
986 近い里に任んでゐる、懷しいあなたが來るといふので、それでこんなに、廣い野原に、月が照つてゐるのだらう。(宴席に人を招いた歌。)
 
  藤原(ノ)八束《ヤツカ》の月の歌
 
987 待ちがてに我がする月は、妹が著《ケ》る三笠の山に、こもりてありけり
 
987 自分が待ちかねてゐる月は、あのいとしい人が著る、笠といふ名の、三笠山に隱れて居ることだ。
 
  市原(ノ)王《オホキミ》の宴會に、父君|安貴《アキノ》王の長壽を祝福せられた歌
 
988 春草は後はうつろふ。巖《イハホ》なす常磐《トキハ》にいませ。貫き吾君《ワギミ》
 
988 春草のやうに、御盛んにと祝ひたいが、後には衰へるものでありますから、いつそ、岩のやうに、何時迄も、固くおいで遊ばせ。尊いあなた樣よ。(思想に曲折がある。佳作。)
 
  湯原《ユハラノ》王の祈酒《サカホガヒ》の歌
 
989 燒大刀《ヤキタチ》の稜《カド》打ち放ち、健男《マスラヲ》の祝《ホ》ぐ豐|御酒《ミキ》に、われ醉ひにけり
 
989 刀の脊を削る迄撃つて、切り火をして、立派な男が祝ひ清めて、釀した立派な酒に、自分は醉うたことだ。
 
  紀(ノ)鹿人《カヒト》、跡見《トミノ》茂《シゲ》岡の松を詠んだ歌
 
990 茂《シゲ》岡に神さび立ちて榮えたる、千代松の木の年の知らなく
 
990 此茂岡山に、神々しい迄古びて、元氣で立つてゐる千代を待つとも見える、松の木の年の程がわからないことだ。
 
  同人、泊瀬川の邊《ホトリ》に行つて作つた歌
 
991 岩走り激《タギ》ち流るゝ泊瀬川、絶ゆることなく、復も來て見む
 
991 岩の上を走つて、激しく流れる、此泊瀬川よ。川の水の絶えないやうに、途絶えることなく、又幾度も來て見よう。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、元興寺《グウンゴウジ》の里を詠んだ歌
 
992 故里《フルサト》の飛鳥《アスカ》はあれど、あをによし奈良の飛鳥を見らくし、よしも
 
992 昔住んでゐた飛鳥は、勿論よい所だが、奈良の飛鳥も、なか/\見るのに、愉快な處だ。
 
  同じ人の三日月の歌
 
993 月立ちて唯三日月の、眉根掻き、け長く戀ひし君に逢へるかも
 
993 三日月のやうな眉毛の根を、痒いので掻き乍ら、あなたが入らつしやるか、と欺され乍ら長く焦れて待つて居た、其あなたにやつと逢うたことだ。
 
  大伴(ノ)家持の三日月の歌
 
994 ふりさけて三日月見れば、一目見し人の眉引《マヨビキ》児ほゆるかも
 
994 天をば遙かに振り仰いで、三日月を見ると、只一目逢うたことのある人の、眉毛の容子が思ひ出されることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、親戚を集めて宴會した時の歌
 
995 かくしつゝ遊び飲みこそ。草木すら、春は生ひつゝ、秋は散りぬる
 
995 いろんなことを考へずに、かうして面白く遊んで酒をお飲みなさい。人間も生きてゐる間は、暫くだ。草木でも、春には芽が生えて來乍ら、秋には散るのが、常ではないか。
 
  六年、海犬養《アマノイヌカヒノ》岡麻呂、詔に應じて奉つた歌
 
996 み民われ、生《イ》ける効驗《シルシ》あり。天地の榮ゆる時にあへらく、思へば
 
996 天子樣の人民なる、私のやうな身分の低い者でも、生きてゐる詮《カヒ》が御座います。天地の萬物が、御威徳で榮えてゐる、御代にあうてゐることを思ひますといふと。(放膽な頌徳歌。傑作。)
 
  同三月、難波(ノ)宮行幸の時の歌。六首
 
997 住吉《スミノエ》の粉濱の蜆、あけも見ず、籠りてのみや、戀ひわたりなむ
 
997 住吉の粉濱で採れる蜆ではないが、うち明けて、人に逢ひもしないで、心中に隱して、戀ひ續けてゐるべきであらうか。
 
  右一首、作者知れず。
 
998 眉の如、雲居に見ゆる阿波の山、かけて漕ぐ舟、とまり知らずも
 
998 茲からは、眉毛のやうに、水平線の空の邊に見えてゐる、阿波の國の山を目がけて、漕いで行く舟よ。その泊り場所は何處なのだらうか。
 
  右一首、船《フネノ》王の歌。
 
999 茅渟囘《チヌワ》より雨ぞふり來る。磯齒津《シハヅ》の蜑綱手乾したり。濡れあへむかも
 
 
999 茅渟の里の入り江の邊から、雨が降つて來る。磯齒津の蜑が引き綱を乾してゐるが、濡れないで其儘で、あられようか。うまくとり入れゝばよい。
 
  右一首、住(ノ)吉の濱遊覧の時、守部(ノ)王詔に應じて奉られた歌。
 
1000 子らがあらば、二人聞かむを。沖つ洲《ス》に鳴くなる鶴《タヅ》の曉の聲
 
1000 あの沖の方の洲に鳴いてゐる、鶴の曉の鳴き聲よ。茲に思ふ人が一處にゐたなら、二人で聞かうものを。惜しいものだ。
 
  右一首、同じく、守部(ノ)王の歌。
 
1001 健男《マスラヲ》はみ狩りに立たし、處女らは赤裳裾びく。清き濱びを
 
1001 若い男等は狩りに出かけて行き、處女たちはさつぱりとした美しい濱を、赤い袴の裾を曳いて歩いてゐる。
 
  右一首、山部(ノ)赤人の歌。
 
1002 馬の歩みおさへ留めよ。住(ノ)江の岸《キシ》の丹土原《ハニフ》に、にほひて行かむ
 
1002 そんなにせくことはない。馬の足を制して、止めさせよ。これから、住吉の岸にある赤土原で、著物に色を著けて行かうではないか。
 
  右一首、安倍(ノ)豐繼の歌。
 
  筑後(ノ)守外從五位下|葛井《フヂヰノ》大成、蜑蟹の釣舟を眺めて作つた歌
 
1003 蜑處女玉求むらし。沖つ波|恐《カシコ》き海に舟出《フナデ》せり、見ゆ
 
1003 蜑人の娘が、沖の波の恐しう立つてゐる海に、舟を出してゐるのが見える。あれは、玉を探し求めてゐるのだらう。
 
  ※[木+安]作益人《クラツクリノマスヒト》の歌
 
1004 思ほえず來ませる君を、佐保川の河蝦《カハヅ》聞かせず、歸しつるかも
 これは、當時|内匠《タクミ》寮の大屬であつた作者が、知人を集めて宴會した時、來られた内匠(ノ)頭《カミ》佐爲《サヰノノ王が、日の傾かない中に歸られたので、餘波惜しさに作つて奉つた歌である。
 
1004 思ひがけなくお出で下さつたあなたですのに、佐保川の河鹿の聲も、お聞かせ申さずにお歸し申したことです。殘念に存じます。
 
  八年六月、吉野離宮行幸の時、山部(ノ)赤人詔に應じて作つた歌。並びに短歌
 
1005 安治《ヤスミ》しゝ吾大君の見《ミ》し給ふ吉野(ノ)宮は、山高み雲ぞたなびく。川速み瀬の音《ト》ぞ清き。神さびて見れば尊く、よろしなべ見れば清《サヤ》けし。此山の盡きばのみこそ、此川の絶えばのみこそ、もゝしきの大宮處|止《ヤ》む時もあらめ
 
1005 我が天皇陛下が、御覧なされる吉野の御所は、山が高くて、雲が懸つてゐるし、川が急流で、瀬の鳴る音が爽やかに聞える。神々しう古びて、尊く見える。山と川との配合が宜しくて、見てゐても心持ちがよい。此御所は何時迄も絶えないで、續くに違ひない。譬へて云へば、此山がなくなつて了ふ時があつたら、此川の水がなくなる時があつたら、此御所もなくなるだらうが、さういふ氣遣ひはない。
 
  反歌
 
1006 神代より吉野(ノ)宮にあり通《ガヨ》ひ、高知らせるは、山川をよみ
 
1006 大昔から、此吉野の御所へ、度々お通ひなされて其所を天子のものとして、御覧なされたのは、山や川の景色が、よいからである。
 
  市原(ノ)王、唯お一方しか、お子のないのを悲しまれた歌
 
1007 言《コト》とはぬ木すら、女《イモ》と男《セ》ありとふを、只|獨子《ヒトリゴ》にあるが苦しさ
 
1007 ものを言はぬ木でも、配人《ツレアヒ》があつて、雄木雌木などゝいふ風だのに、自分の子は兄弟もなく、只獨りであるのが、頼りなく心苦しいことだ。
 
  忌部《イムベノ》黒麻呂、約束した友の來ないのを恨んだ歌
 
1008 山の端《ハ》にいさよふ月の出でむかと、我が待つ君が、夜はくだちつゝ
 
1008 山の上にぐづ/”\としてゐて、出ぬ月と同じく、今にもお出でにならうか、と待つてゐるあなたは、夜が段々更けて行くのに係らず、お出でにならない。
 
  十一月、左大辨葛城(ノ)王以下に、橘氏を賜うて、臣列に加へられた時の太上天皇(元明)の御製
 
1009 橘は、實さへ、花さへ、その葉さへ、枝に霜降れど、彌《イヤ》常葉《トコハ》の木
 
1009 橘の木は、實も、花も、其葉も、それから、其枝迄も、霜が降り積んでも、益《マス/\》びくともしない。何時までも葉のおちない木だこと。(四句の曲折が、音樂的でよい。帝王的な大づかみな處があつて妙だ。佳作。)
 
  これは、天平八年十一月九日、正三位葛城(ノ)王・從四位上佐爲(ノ)王等を臣下に列して、橘氏を賜うた。その時、太上天皇、天皇(聖武)御同座で、皇后宮で酒宴を催されて、同時に、御酒と、宿禰《スクネ》の骨《カバネ》を下された時の御製である。
 
  橘(ノ)奈良麻呂、詔に應じて奉つた歌
 
1010 奥山の眞木の葉|凌《シヌ》ぎ降る雪の、古りは益《マ》すとも、地《ツチ》に落ちめやも
 
1010 奥山の檜の葉を降り埋める雪が、幾何《イクラ》降り積んでも地べたに落ちない樣に、幾年が經つて古びて行つても、我々は尊い天子の御|裔《スエ》なのだから、賤しい土民のやうな者には、なり下りは致しません。
 
  十二月十二日、歌※[人偏+舞]所《ウタマヒドゴロ》詰《ヅ》めの諸王・群臣等が、葛《フヂ》井(ノ)廣成の家に集つて、宴會した時の歌。二首
 
  此來《コノゴロ》古※[人偏+舞]盛りに興り、古歳の者漸く晩《オ》いぬ。理《マサ》に宜しく共に古情を盡し、同《トモ》に此歌を唱ふべし。故らに此趣に擬《ナゾラ》へて、古曲二節を獻る。風流意氣の士、儻《モ》し此|集《ヅド》ひの中に在らば、爭《イカ》で念ひを發して、心々古體に和せよ。
 
1011 我が宿の梅咲きたりと告げやれば、來《ク》とふに似たり。散りぬともよし
 
1011 自分の前栽の梅が咲いた、と人の處へ告げてやつた後で、未、返事も來ない先から、何だか來さうな心持ちがする。此上は、梅がもう散つても、來て下されさへすれば、それで滿足だ。(四句がよい。)
 
1012 春されば、をゝりにをゝり、鶯の鳴く我《ワ》が島ぞ。止まず通はせ
 
1012 春が來たので、木の枝がぶら/”\になる程、花が咲いて、鶯が鳴いてゐるといふ前栽の景色である。絶えずやつて來て下さい。
 
  九年正月、橘(ノ)少卿(佐爲)竝びに諸大夫等《マヘツギミタチ》、彈正尹《ダンジヤウノカミ》門部(ノ)王の家に集つて、宴會した時の歌
 
1013 あらかじめ君來まさむと知らませば、門にも、宿にも、玉敷かましを
 
1013 前々からあなたがお出でにならうと知つてゐたら、門にも、屋敷の中にも、玉を敷いて飾つて置きましたのに。(佳作)
 
  右一首、門部(ノ)王
 
1014 一昨日《ヲトヽヒ》も、昨日も、今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも
 
1014 あなたはほんとに、お懷しい方だ。一昨日も、昨日も、それから今日も見たけれど、其上明日迄も見たいお方だ。(すなほである。唯かういふ歌はどうかすれば、嫌味を伴ひ易いものだが、其がない。一つは、先取特權といふのであらう。佳作。)
               
  右一首、橘|文成《アヤナリ》
 
   榎井王《ヱノヰノオホキミ》、後に作つて、主人に和《アハ》せられた歌
 
1015 玉敷きて待たましよりは、たけそかに來たる今宵し、樂《タヌ》しく思ほゆ
 
1015 あなたは、玉を敷いて置いたらよかつた、と仰つしやるが、それよりも、づか/”\と、突然やつて參りました今夜は、用意して待つて下さつたよりも、愉快に思はれます。
 
  二月、諸大夫等《マヘツギミタチ》、左少辨|巨勢宿奈《コセノスクナ》麻呂の家に集つて、宴會した時の歌
 
1016 海原《ウナバラ》の遠きわたりを、風流男の遊ぶを見むと、なづさひぞ來し
 
1016 わたしは常世《トコヨ》の國から、海上の遠い渡航をして、この風流な方々の遊んで入らつしやるのを、見ようと心を引かれて、やつて參りました。
 
  右一首は、その時白紙に害いて、壁に吊り下げてあつた歌である。その文句に、蓬莱仙媛|焉《コレ》を作りぬ。漫《スヾロ》に風流秀才の士の爲にす。斯《コ》れ、凡客望み見る所にあらざる哉《カ》とあつた。
 
  四月、大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、賀茂(ノ)神社に參つた時、序に、逢坂山に登つて、近江の湖水を眺望して、日の暮れに歸つた時の歌
 
1017 ゆふだゝみ手向《タム》けの山を、今日越えて、何れの野邊《ヌベ》にいほりせむ。子等
 
1017 今日、道祖神《フナドノカミ》に手向けをする山を越えて來たが、家來共よ。今晩は何の邊の野邊で、假小屋を建てゝ泊らうか。(逢坂を出れば、畿内の外である。所が、其日頂上迄行つて、引き返して來たのであるから、山を越えたのと同じことになるので、輕い滑稽味を以て、旅愁を歌ふものである。)
 
  十年、元興寺《グワンゴウジ》の僧が、嘆いて作つた旋頭歌《セドウカ》
 
1018 白玉は人に知らえず。知らずともよし。知らずとも、我《ワレ》し知れらば、知らずともよし
 
1018 立派な白玉が、人に知られないでゐる。併し知られないでもかまはない。詰らぬ人が知つてくれないでも、自分さへ値《ネウチ》のあることを知つてゐたら、人は知らないでもかまはない。(此歌は、或は純粹の旋頭歌でなく、575・777或は57・57・77となる音脚かも知れない。)
 
  右一首、或人の云ふには、元興寺の僧で、智慧が秀れて居乍ら、世に知られず、人に侮られてゐたのが、作つたのだ相である。
 
  石上《イソノカミノ》乙麻呂、土佐の國に流罪にせられた時の歌。三首並びに短歌。二首
 
1019 石《イソ》の上《カミ》布留《フル》の命《ミコト》は、嫋女《クワヤメ》の惑《まど》ひによりて、馬じもの繩とりつけ、鹿《シヽ》じもの弓矢|圍《カク》みて、大君の命畏み、天|離《サカ》る鄙邊《ヒナベ》に退《マカ》る。ふるごろも眞土《マツチ》の山ゆ歸り來《コ》ぬかも
 
1019 石(ノ)上のあの布留の御前《ゴゼン》は、女の間違ひで、馬のやうに繩をつけ、鹿のやうに弓矢で圍まれて、警護嚴しく田舍の方へ、天子の命令を畏まつて、退去せられることだ。けれども眞土山の邊から、歸つて下さればよいが。
 
1020 1021 大君の命畏み、さしなみの國にいでます、はしきやし我が夫《セ》の君を、かけまくもゆゝし畏し、住吉《スミノエ》の現人神《アラヒトガミ》の、舟の舳《ヘ》にうしはき給ひ、著き給はむ島の崎々、より給はむ磯の崎々、荒き波、風に遭はせず、つゝみなく、病《ヤマヒ》あらせず、速《スムヤ》けく返し給はね。本つ國べに
 
  (右二首、乙麻呂の近親の歌か。)
 
1020 1021 天子の御言を畏まつて、このお社に向ひあうた國迄、お行きなさる戀しい夫を、口にかけて申すも勿體ない、恐れ多いことだが、住吉の御威光のあらたかな神樣が、舟の舳先に自分で鎭座して、お守り下さつて、乙麻呂卿の乘つてゐられる舟が、著きなされる何の島の崎でも、寄りなされるどの岩濱の崎でも、荒い波や風に逢はせないやうに、神の祟りなく、病ひにとり著かれさせにならずに、一刻も早く、故郷の國の方へお戻し下さいませ。
 
1022 父君に我は愛子《マナゴ》ぞ、母刀自《ハヽトジ》に我は寵子《メヅコ》子ぞ。參上《マヰノボ》る八十氏人の手向《タム》けする懼《カシコノ》坂に、幣《ヌサ》奉《マツ》り我はぞ退《マカ》る。遠き土佐路《トサヂ》を
 
1022 自分はお父樣には可愛がられた子であり、母上にはいとしがられる子として育つて來たのだ。其父母に別れて、京都へ上つて參る澤山の人々の、お供へ物をして通る懼坂に、幣を奉つて、旅路の平安を祈り、反對に愈自分は、遠い土佐への道を、都から下つて行くことだ。
 
  反歌
 
1023 大崎の神の小濱《ヲハマ》は狹けれど、百舟人《モヽフナビト》も過ぐといはなくに
 
1023 大崎の神が入らつしやる濱は狹いが、其處を通る舟人は、參らないで通り過ぎるといふことはない。自分は、其處にさへ、立ちよらずに行く。
 
  右二首、乙麻呂の歌。
 
  八月廿日、右大臣橘(ノ)諸兄の家で宴會した時の歌。四首
 
1024 長門《ナガト》なる沖つ借島《カリシマ》、奥まへて我が思ふ君は、千年にもがも
 
1024 自分が治めてゐる、長門の沖中にある、借島ではないが、奥深う私が思ひ込んでゐますあなたは、千年迄もゐて下さい。
 
  右一首、長門(ノ)守|巨曾倍《コソベノ》對馬の歌。
 
1025 奥まへて我を思へる吾が兄子《セコ》は、千年|五百年《イホトセ》ありこせぬかも
 
1025 心の床迄、私のことを思うてゐて下さる、お前さんは、同樣に千年も、五百年も、生きてゐて下されたいものだ。
 
  右一首、諸兄の和《アハ》せた歌。
 
1026 もゝしきの大宮人は、今日もかも、暇をなみと、里に行かざらむ
 
1026 御所に仕へてゐるお役人達は暇がないから、其で、今日も亦、私宅の方へ歸らずに、勤めてゐられることなのでせうよ。
 
  右一首、右大臣が、故|豐島采女《テシマノウネメ》の歌だといはれたもの。
 
1027 橘の下《モト》に道蹈み、八|衢《チマタ》にものをぞ思ふ。人に知らえず
 
1027 橘の木蔭の道を歩いて、市場の四通八達の辻に立つやうに、樣々に物思ひすることです。思ふ人には通ぜないで。(百敷のゝ歌は、諸兄が、豐島の采女の歌として、覺えてゐたのである。橘の歌は、右大辨高橋安麻呂が、豐島(ノ)采女が作つたものと覺えてゐたのだが、二つながら、古歌を少しかへたもので、後の歌は、卷の二に見えた三方沙彌の歌に、よく似てゐる。)
 
  右一首、右大辨高橋(ノ)安麻呂が故豐島采女の作つた歌だというたもの。
 
  十一年、天皇(聖武)高圓《タカマド》野に遊獵せられた時、里の中に逃げ込んだ獣が、勇士に出くはして捕はれた。そこで、其獣を、天皇の御狩り屋に獻上するとて、添へた歌。一首
 
1028 健男《マスラヲ》が、高圓山にせめたれば、里におり來《ケ》る※[鼠+吾]鼠《ムサヽビ》ぞ。これ
 
1028 これは達者な若者達が、高圓山で追ひつめた爲に、都の坊《サト》中へ下りて來た※[鼠+吾]鼠で御座います。
 
  右一首、大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌であるが、その※[鼠+吾]鼠は奉らない中に死んだので、沙汰やみになつた。
 
  十二年十月、太宰(ノ)少貮藤原廣繼、謀反して、軍勢を都へ發したので、天皇伊勢へ行幸せられた時、河口(ノ)行宮で内舍人《ウチトネリ》大伴(ノ)家持の作つた歌
 
1029 河口の野べにいほりて、夜の經れば、妹が手《タ》もとし思ほゆるかも
 
1029 河口の野の中に假小屋を建てゝ宿つて、幾夜にもなるので、枕として寢た、いとしい人のかひなが、思ひ出されることだ。
 
  天皇(聖武)の御製
 
1030 妹に戀ひ我が松原ゆ、見渡せば、潮干の潟に、鶴《タヅ》鳴き渡る
 
1030 いとしい人に焦れて、自分が逢ふことを待つてゐる、といふ名の松原を見渡すと、潮の引いた遠淺の海に、鴨が鳴いて、ずつと飛んで行くことだ。
 
  丹比(ノ)家主《イヘヌシ》の歌。一首
 
1031 おくれにし人を偲ばく、志※[氏/一]《シデノ》崎|木綿《ユフ》とりしでゝ、行かむとぞ思ふ
 
1031 都へ殘して置いた人が、思ひ出されることだ。こゝは志※[氏/一]の崎といふから、此志※[氏/一]の崎の神に、木綿を吊し下げて、其人の無事を祈つて通らうと思ふ。
 
  狹殘《ササムノ》行宮で、大伴(ノ)家持の作つた歌。二首
 
1032 大君の出でましのまに、吾妹兒が手枕|枕《マ》かず、月ぞ經にける
 
1032 天子が行幸《ミユキ》なされるにつけて、從うて來て、戀しい人の手枕もせないで、一月も立つた。
 
1033 御饌《ミケ》つ國志摩の蜑ならし。眞熊野《マクマヌ》の小舟《ヲブネ》に乘りて、沖邊漕ぐ見ゆ
 
1033 あの熊野の舟に乘つて、沖の方を漕いでゐるのは、御食料を奉る國なる、志摩の國の蜑に違ひない。
 
  美濃(ノ)國|多藝《タギノ》行宮で、大伴(ノ)東人《アヅマビト》の作つた歌
 
1034 古ゆ人の云ひ來《ケ》る老人《オイビト》の復《ヲ》つとふ水ぞ。名におふ激瑞《タギ》の瀬
 
1034 古から云ひ傳へてゐる評判通りの、激流の速瀬である。如何にも茲に來て見ると、年とつた人も、若返る水だと思はれる。(養老元年、元正天皇が美濃に行幸せられた時、多度山の清水を見て、此清水を飲む者は、白髪が黒くなり、脱けた毛が又生え、盲ひた目があき、色々の病氣が治る、と云はれた其お言に依つたのであるが、其時の清水と、此激湍の瀬とは、別物でなければならぬ。)
 
     *
 
  大伴(ノ)家持の歌
 
1035 多度《タド》川の激瑞《タギ》を清みか、古ゆ、宮つかへけむ。激湍の野《ヌ》の邊《ベ》に
 
1035 昔から此激湍の野の邊に、宮を拵へたのは、此多度川の激湍の景色が、さつぱりしてゐるからに違ひない。其筈だ。
 
  不破(ノ)行宮で、大伴(ノ)家持の作つた歌
 
1036 關なけば、かへりにだにもうち行きて、妹が手枕|枕《マ》きて寢ましを
 
1036 人の止める關さへなくば、ちよつとがへりに歸つて、あの人の手枕を枕として、寢て來ように、不都合にも、茲は不破の關だ。
 
  十五年八月十六日、内舍人大伴(ノ)家持、恭仁《クニノ》都を讃美して作つた歌
 
1037 今造る恭仁(ノ)都は、山川の清きを見れば、宜《ウベ》、領《シ》らすらし
 
1037 今新しく拵へた恭仁の都は、山川の景色が爽やかである。それを見ると、成程此爲に、そこを占めて、都を建てられた筈だ、と合點の行くことだ。
 
  高丘河内《タカラヲカノカフチ》の歌。二首
 
1038 故郷は遠くもあらず。一重山越ゆるがゝらに、思ひぞ我がせし
 
1038 もと住んでゐた奈良の都は、茲から遠くもない。茲に來て見れば、山一重越えて來るだけであるのに、其爲に、色々と、心配を自分がしたのが馬鹿らしい。
 
1039 我が兄子《セコ》と、二人しをれば、山高み、里には、月は照らずともよし
 
1039 恭仁の都は、山が高く聳えてゐるので、月が照つて來ない。けれども、あなたと二人でさへ居れば、月ぐらゐ照らなくてもかまはない。
 
  安積親王《アサカノミコ》、少辨藤原(ノ)八束の家で、宴會せられた日、内舍人大伴(ノ)家持の作つた歌
 
1040 ひさかたの雨は降り頻《シ》け。思ふ子が宿に、今宵は明して行かむ
 
1040 雨は、降り通しに降つてもよい。今宵は仲のよい此人の内で、夜を明して參りませう。(戀ひに寄せて、主人の接待振りを悦んだものである。)
 
  十六年正月五日、諸卿大夫《マヘツギミタチ》安倍(ノ)蟲麻呂の家に集つて宴會した時の歌
  (作者知れず。但、主人蟲麻呂の歌らしい。)
 
1041 我が宿の君松の木に降る雪の、行きは行かずて、待ちにし待たむ
 
1041 自分は君を待つてゐる。自分の屋敷の松の木に、雪が降り積つてゐる。その雪といふ語の、行くといふことは、まあまあせないで、何時迄も松で、待つて居ませうよ。
 
  同月十二日、活道《イクヂ》の岡に登つて、一本の松の蔭に集つて酒を飲んだ時の歌。二首
 
1042 一《ヒトツ》松。幾世か經ぬる。吹く風の声の清きは、年深みかも
 
1042 この一本松よ。幾百年立つたことであらうか。松の上を吹く風の、聲の爽やかなので見れば、隨分年がふけてゐるのであらう。
 
  右一首、市原(ノ)王の歌
 
1043 たまきはる命は知らず。松が枝を結ぶ心は、長くとぞ思ふ
 
1043 自分は今、此松の枝を結んで、我が齡を長く守つてくれと、ともかく約束をして置く。併し此先、幾年生きてゐるか、其壽命の程はわからないけれど。
 
  右一首、大伴(ノ)家持の歌
 
  寧樂《ナラノ》都の荒れた址を悲しんだ歌。三首(作者知れず)
 
1044 紅《クレナヰ》に深く染みにし心かも。寧樂(ノ)都に、年の經ぬべき
 
1044 自分のこの心は、深く/\紅に浸み込んだ樣だと見えて、新しい恭仁の都に行かないで、年の立つ迄、此處に暮して行く事だらう。
 
1045 世の中を常なきものと、今ぞ知る。寧樂《ナラノ》都のうつらふ、見れば
 
1045 世の中の凡てのものは、始終ぢつとせず、變るものだといふことが、今明らかに訣つた。あの盛んであつた寧樂の都が、こんなに衰へたのを見ると。
 
1046 石蔦《イハツナ》のまた復《ヲ》ち返り、あをによし 寧樂(ノ)都を見むよしもがも
 
1046 も一度若い昔に返つて、盛んであつた、都としての平城京を見る術がなからうか。
 
  さびれた寧樂(ノ)都を悲しんだ歌。並びに短歌。二首
 
1047 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の、高しかす大和の國は、皇祖《スメロギ》の神の御代より、しきませる國にしあれば、あれまさむ御子の繼々、天の下知らしまさむと、八百萬《ヤホヨロヅ》千年《チトセ》をかねて奠《サダ》めけむ奈良(ノ)都は、陽炎《カギロヒ》の春にしなれば、春日山三笠の野邊《ヌベ》に、櫻花|木陰《コノクレ》隱り、貌《カホ》鳥は間なく頻《シバ》鳴《ナ》き、露霜の秋さり來れば、八釣山|烽火《トブヒノ》岡に萩の枝《エ》をしがらみ散らし、さ雄鹿は妻呼びとよめ、山見れば山も見がほし、里見れば里も住みよし。物部《モノヽフ》の八十|件緒《トモノヲ》のうちはへて里なみしけば、天地のよりあひの極み、萬代に榮え行かむと、思ひにし大宮すらを、頼めりし奈良の都を、あらた世のことにしあれば、大君のひきのまに/\、春花の移ろひ易《カハ》り、群鳥《ムラトリ》の朝立ち行けば、さすたけの大宮人の蹈み鳴し通ひし道は、馬も行かず、人も行かねば、荒れにけるかも
 
1047 我が天皇陛下が政を下して、治めてゐられる大和の國は、御先祖の神樣の御代から、定めて都の地としてゐられる國であるから、後へ/\現れてお出でなさる、神の御裔の天子は、此國で、何時迄も、天下を治めておいでなさらうといふので、幾百萬年の後の事迄も豫期して奠められた奈良の都は、非常によい所で、春になると、春日山の三笠の野に、櫻花が木蔭に隱れて咲くし、貌鳥《カホドリ》は絶間《タエマ》なく鳴きしきつて居るし、冷い水霜の降る秋がやつて來ると、春日の八釣山の邊烽火(ノ)岡に、萩の枝をば足に纏ひつけて蹈み散しながら、鹿が雌を呼んで、あたりを振動させて鳴く、といふ樣な有樣で、山を見ると、何時迄も見てゐたい山だし、里はといふと、住み心地のよい里である。御所を守る澤山の御家來衆が、長々と町通りが出來る樣に、家を建て續けてゐるので、天地の果てる所、時間の續く限り、何時迄も繁昌することであらうと思うてゐた内裏だのに、その信じて疑はなかつた奈良の都が、此無常なる世界のことであるから、天子のお氣のむく通りに、移つて行つて、人々がそこを出發して了うたので、これ迄は御所に仕へる役人衆が、蹈み慣れて通うてゐた道には、馬も通はなければ、人も通はずなつて、荒れたことだ。
 
  反歌
 
1048 立ちかはり古き都となりぬれば、道の芝草長く生《お》ひにけり
 
1048 榮えてゐた都も、一變して舊都となつて了うたので、道の兩側に植ゑてあつた芝草が、道を蔽ひ隱す許りに延びたことよ。
 
1049 なつきにし奈良の都の荒れ行けば、出で立つごとに、嘆きしまさる
 
1049 これ迄馴染んでゐた奈良の都が、だん/”\荒れるので、おもてへ出て見る度に、變つたのが愈目について來て、嘆息が彌《イヨ/\》ひどくなつて來る。
 
  新しい恭仁の都を讃美した歌。二首並びに短歌。七首
 
1050 現神《アキツカミ》吾《ワゴ》大君の、天の下|八洲《ヤシマ》の中《ウチ》に、國はしも多くあれども、里はしもさはにあれども、山並みの宜しき國と、川並みの立ち合ふ里と、山|城《シロ》の鹿背《カセ》山の間《マ》に、宮柱|太敷《フトシ》き立てゝ、高知らす布當《フタギノ》宮は、川近み瀬の音《ト》ぞ清き。山近み鳥が音《ネ》とよむ。秋されば、山も轟ろに、さ雄鹿は妻呼びとよめ、春されば、岡べも茂《シヾ》に、巖には花咲きをゝり、あなともし。布當(ノ)原。いと尊《タフト》。大宮處。宜《ウベ》しこそ、我《ワゴ》大君は、神のまに聞《キコ》し給ひて、刺竹《サスタケ》の大宮こゝと奠《サダ》めけらしも
 
1050 生き神樣なる我が天皇陛下の御領地の大八洲の中に、國はなる程澤山あり、里はなる程澤山あるが、山續きの具合のよい國で、又幾筋もの川の竝びが配合がよくなつてゐる、便利な里であるといふので、山城の鹿脊《カセ》山の處に、御所の柱を太くお据ゑになつて、初めて入らつしやる布當の原の御所は川が近いので、瀬の音が爽やかに聞えて來るし、山が近いので、鳥の声があたりを響すやうに聞えて來る。さて秋になると山も動す許りに、雄鹿が雌鹿を呼び立てゝ鳴くし、春になると、岡一杯に木の葉が繁り、岩の上には、花がぶら/”\に咲くといふやうな、こんなに迄見ごとな布當の原よ。こんなに迄尊い内裏の在り場所よ。なる程此でこそ、天皇陛下が、神樣の御心の通りにお從ひなされて、御所を茲にと定められた筈だと思はれる。
 
  反歌
 
1051 甕《ミカノ》原|布當《フタギノ》原を清みこそ、大宮處|標《シメ》さすらしも
 
1051 甕の原なる、布當の原がさつぱりしてゐる。なる程、これでこそ、内裏を建てる場所と標をつけられた筈である。
 
1052 山高く川の瀬清し。百代《モヽヨ》まで神しみ行かむ、大宮處
 
1052 布當の野邊の景色は、山が高く聳えてゐ、川の瀬の容子がさつぱりとしてゐる。何百年後迄も、彌物古りて、神々しくなつて行くべき、大内裏の場所である。
 
  ○
 
1053 吾《ワゴ》大君神の尊《ミコト》の、高知らす布當《フタギノ》宮は、百樹《モヽキ》茂《モ》る山は木高し。落ち激《タギ》つ瀬の音《ト》も清し。鶯の來鳴く春べは、巖《イハホ》には、山|下《シタ》光り錦なす花咲きをゝり、さ雄鹿《ヲシカ》の妾呼ぶ秋は、雨|霧《ギラ》ひ時雨《シグレ》をいたみ、さにづらふ紅葉散りつつ、八千年にあれ繼がしつゝ、天の下|治《シロ》し召さむと、百代《モヽヨ》にもうつろふまじき大宮處
 
1053 我が天皇陛下が、領して入らつしやる、布當の宮のまはりの、數限りなく、樹の生えてゐる山には、木が高く茂つてゐるし、落ちて激する瀬の吾も、爽やかである。それで鶯の來て鳴く春の時分は、山陰も燿《カヾヤ》く許りに、岩の上には花がぶら/”\に咲いてゐるし、雄鹿が伴《ツレ》を呼ぶ秋には、空が雨氣に曇つて、時雨が甚《ヒド》く降るので、紅葉が始終散つてゐる。かういふ有樣であるから、幾千年たつても、此儘で、後から/\天子が出て來られて、お繼ぎになつて、天下をお治めになつたにしても、何時々々迄も、衰へ相もない大内裏よ。
 
  反歌
 
1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ、大宮處うつろひ行かめ
 
1054 此内裏の邊を流れて行く、泉川の川瀬の水が、絶えない樣に、此内裏も何時迄も衰へて行くことではない。若し此川の水が絶えたら、内裏も衰へるかも知れないが、そんな氣遣ひはない。
 
1055 布當《フタギノ》山。山|竝《ナ》み見れば、百代にもうつろふまじき大宮處
 
1055 布當山の山續きの具合を見ると、如何にも都の周圍をとり卷いてゐて、頼もしげに見える。譬ひ何百年經つても、衰へさうには思はれない大内裏の地よ。
 
1056 處女《ヲトメ》らが績麻《ウミヲ》かくとふ鹿脊《カセ》の山、時の行ければ、都となりぬ
 
1056 娘達が績み合せた麻糸をかけて紡《ツム》ぐ、道具の※[手偏+峠の旁]《カセ》といふ名を持つた、鄙びた鹿背山も、時が來たので、都となつた。(佳作)
 
1057 鹿脊《カセ》の山木立を繁み、朝さらず來鳴きとよもす、鶯の聲
 
1057 鹿背山は木竝びが繁つてゐるので、毎朝おちもなく來て、あたりを響して鳴く鶯の聲よ。
 
1058 狛《コマ》山に鳴く時鳥、泉川わたりを遠み、こゝに通はず
 
1058 こゝから程遠からぬ、狛の里の山に鳴いてゐる時鳥は、泉川の川の渡り場所が遠いので、茲へは通はないので、聲が聞えない。
 
  春の日に、甕《ミカノ》原の舊都の荒れた趾を見て、悲しんだ歌。竝びに短歌。二首
 
1059 甕(ノ)原|恭仁《クニノ》都は、山高く川の瀬清し。ありよしと人は云へれど、ありよしと我は思へど、古りにし里にしあれば、國見れど人も通はず。里見れば家も荒れたり。はしけやし。斯くありけるか。神籬《ミモロ》つく鹿脊《カセ》山の間《マ》に、咲く花の色珍らしく、百鳥の聲懷しく、ありが欲《ホ》し住みよき里の、荒るらく惜しも
 
1059 甕の原の恭仁の都は、あたりの山が高く、川の瀬の景 爽やかである。それで住むのに適當だ、と人もいひ、自分も思うてゐるのだが、最早さびれた里であるから、あたりの土地の容子を見ても、人も通はない。町通りの有樣を見ても、家も荒れ果てゝ了うてゐる。いとしや、こんなに迄なつてゐたことよ。あの立派な鹿背山の處に、咲いてゐる花の色が見事で、囀る澤山の鳥の聲が懷しくて、何時迄も此儘にゐたいと思うた、その任むのに適當な里が、荒れて行くのが惜しいことだ。
 
  反歌
 
1060 甕《ミカノ》原|恭仁《クニノ》都は荒れにけり。大宮人のうつろひぬれば
 
1060 甕の原の恭仁の都は、荒れ果てゝ了うたことだ。御所に宮仕へをする人たちが、移つて行つて了うたので。
 
1061 咲く花の色は變らず。もゝしきの大宮人ぞ、立ち變りぬる
 
1061 咲いてゐる花の色は、昔の儘で變らないが、こゝにゐた御所に仕へた人たちが、變動して了うたことだ。
 
  難波(ノ)宮で作つた歌。竝びに短歌。二首
 
1062 安治《ヤスミ》しゝ吾《ワゴ》大君の、あり通《ガヨ》ふ難波(ノ)宮は、いさなとり海|傍附《カタツ》きて、玉拾ふ濱邊を近み、朝はふる波の音《卜》騷ぎ、夕凪に※[楫+戈]の音《ト》聞ゆ。曉《アカトキ》の寢覺《ネザ》めに聞けば、わたつみの潮干のむた、浦洲《ウラス》には千鳥妻呼び、葦べには鶴《タヅ》鳴きとよみ、見る人の語《カタ》りにすれば、聞く人の見まく欲《ホ》りする、みけむかふ味原《アヂフノ》宮は、見れど飽かぬかも
 
1062 我が天皇陛下が、常に往來|遊《アソバ》す、難波の御所は、海のすぐ側《ソバ》に近よつてゐて、それで、玉を拾ふ海邊が近くて、朝動搖する波の音が、騷しく聞え、夕凪の時分には、※[舟+虜]の音が聞える。それで明け方の床の中で、目覺めて聞いてゐると、潮の引いてゐる海の海岸の淺瀬には、千鳥が配偶《トモ》を呼んで居るし、葦の生え茂つた岸には、鶴があたりを振動させて鳴いてゐて、非常に面白い所だ。それで、茲へ來て見た人が、話の種にするので、それを聞いた人が、又見たがつてゐる。此難波の味原の宮は、いくら見ても、飽かぬ程よい處である。
 
  反歌
 
1063 あり通ふ難波(ノ)宮は海近み、蜑處女らが乘れる舟見ゆ
 
1063 始終往來する難波の御所は、海が近いので、蜑の處女どもの乘つてゐる舟が、手にとる樣に見える。
 
1064 潮干れば葦べに騷ぐ丹頂鶴《アシタヅ》の、妻呼ぶ聲は、宮もとゞろに
 
1064 潮が引いて行くと、葦の生えた岸に、騷しく鳴いてゐる丹頂鶴の、連れを呼ぶ聲は、御所をゆり動す程である。
 
  敏馬《ミヌヌノ》浦を通つて作つた歌。並びに短歌。二首
 
1065 八千矛《ヤチホコ》の神の御代より、百舟の泊《ハツ》る港と、八洲國《ヤシマグニ》百舟人《モヽフナビト》の定めてし敏馬(ノ)浦は、朝風に浦波騷ぎ、夕波に玉藻は來よる。白眞砂《シラマナゴ》清き濱べは、行き歸り見れども飽かず。宜《ウベ》しこそ、見る人毎に、談りつぎ偲《シヌ》びけらしき。百代經て偲《シヌ》ばえ行かむ、清き白濱
 
1065 八千矛の神と云はれた大國主命《オホクニヌシノミコト》の居られた時分から、澤山の舟の泊る港と、日本國中の多くの舟人たちがきめてゐた、敏馬の浦は朝夙に海岸の波が騷ぐし、日暮れの波には、美しい藻がよつて來る。眞白な砂のある、さつぱりとした濱邊は、いくら行つたり來たりして、見ても見飽かぬことだ。なる程これでこそ、茲に來て見た人は、誰でも人から人へ話し傳へて、此景色をば慕うたものと思はれる。これから後も、幾百年經つても、人に慕はれることであらう。このさつぱりした景色の白砂の濱よ。
 
  反歌
1066 そかゞみ敏馬《ミヌメノ》浦は、百舟の過ぎて行くべき濱ならなくに
 
1066 敏馬の浦は、こゝを通る舟は、どの舟も寄らずには、行き過ぎることの出來る濱ではない。非常に景色のよい處だ。
 
1067 濱清み、浦うるはしみ、神代より千舟《チフネ》の泊《ハ》つる大和田の濱
 
1067 濱がさつぱりとしてゐるし、入り込みの樣子が美しいので、大昔から、澤山の舟が泊る所の、大和田の濱よ。
 
  右二十一首、田邊福麻呂《タナベノサキマロ》集に見えてゐる。
 
               (2008年1月2日(水)午前8時50分、巻6入力終了)
 
 萬葉葉 巻第七
 
      雜《ザフ》の歌
 
    ○天
 
1068 天《アメ》の海に雲の波立ち、月の船星の林に漕ぎ隱《カク》る、見ゆ
 
1068 譬へて見れば、天は海だ。其海に雲の波が立つてゐる。さうして其處に、月の船が浮んでゐて、林とも見える程、澤山竝んでゐる星の林の中に、漕ぎ隱れて行く。それが此處から見える。(極めて幼稚な趣向に、興味を持つた歌である。併し此時代には、ともかくも、珍しいものであつたのだ。)
 
  右一首、人麻呂集に見えてゐる。
 
    ○月
 
1069 常《ツネ》はかつて思はぬものを。この月の過ぎ隱《カク》らまく、惜しき宵かも
 
1069 これ迄は、一度もこれほどに思うた事がないのに、今夜の月の隱れてしまはうとするのが、非常に惜しまれる晩だ。非常に良い月だこと。
 
1070 健男《マスラヲ》の弓末《ユズヱ》振り起し、雁高《カリタカ》の野《ヌ》べさへ清く、照る月夜《ツクヨ》かも
 
1070 立派な男が弓の先を振り立てゝ狩りをするといふ名の雁高野に、今夜さす月は、非常にさやかな月で、野原までも、さつぱりと見える事だ。
 
1071 山の端に躊躇《イサヨ》ふ月を、出《イ》でむかと待ちつゝ居《ヲ》るに、夜ぞ降《クダ》ちける
 
1071 いくら待つても、山ぎはを離れて來ないで、ぐづ/”\してゐる月を、今に出るか/\と、待つてゐる内に、夜が更けてしまうたことだ。
 
1072 明日《アス》の夜《ヨヒ》照らむ月夜《ツクヨ》は、偏寄《カタヨ》りに、今宵によりて、夜長からなむ
 
1072 今夜は、非常に月の良い晩だ。一層の事、明日照す筈の分《ブン》も、今夜に集つて出て、何時までも/\、月の出てゐる間が、長くあつてほしいものだ。
 
1073 玉簾《タマダレ》の小簾《ヲス》の間《マ》通《トホ》し、獨《ヒトリ》居《ヰ》て見る效驗《シルシ》なき、夕月夜《ユフヅクヨ》かも
 
1073 今夜は、非常に淋しい晩だ。思ふ人が來ないもの。獨り起きて居るのでは、簾越しに見てゐても、見る詮《カヒ》のない宵月だ。
 
1074 春日山《カスガヤマ》。遍《オ》して照らせる此月は、妹が庭にもさやけかりけり
 
1074 春日山から此邊へかけて、ずつと照してる今夜の月に照されて、やつて來て見ると、月はいとしい人の家の庭にも、あざやかに照つてゐたことだつた。
 
1075 海原《ウナバラ》の道《ミチ》遠みかも、月讀《ツクヨミ》の光り少《スクナ》き。夜は降《クダ》ちつゝ
 
1075 やつとの思ひで、月が出て來た。併し此處までは、海上餘程距離が遠いかして、月の光が薄くしかさゝない。夜が段段更けて行つてゐる。
 
1076 もゝしきの大宮人の、罷り出でゝ遊ぶ今宵の、月のさやけさ
 
1076 宮中に仕へて居る人達が、御所を退《サガ》つて、樂しげに遊んでゐる、今夜の月の鮮かなことよ。
 
1077 ぬばたまの夜渡る月を止《トヾ》めむに、西の山邊に、關もあらぬかも
 
1077 夜の空を運《メグ》り行く月をば、這入らせない樣にしたいもんだが、西の山の方に、月を止める關所が、あつてくれゝばよいんだがな。
 
1078 この月のこゝに來たれば、今とかも、妹が出で立ち、待ちつゝあらむ
 
1078 おやもう、今夜の月が、こんなに上まで昇つて來たから、私が來るのは今だと云ふので、いとしい人が立ち上つて、外へ出て、待ち/\してるだらう。
 
1079 まそかゞみ照るべき月を、白栲《シロタヘ》の雲か隱せる。天《アマ》つ霧かも
 
1079 月が出てるのだから、もつと明るく、照らさねばならん筈だが、白栲の布の樣に擴つた雲が、隱して見せないのか。其とも空に立つ霧が、隱してるのかしら。
 
1080 久方《ヒサカタ》の天照《アマテ》る月は、神代にか出でかへるらむ。年は經《へ》につゝ
 
1080 天に照つてゐる月は、何萬年も經つてゐながら、何時も鮮かだ。恐らくは、月の生れた神代の時の光に、何時も立ち戻つて、老いぬからだらう。
 
1081 ぬばたまの夜渡《ヨワタ》る月をおもしろみ、我が居《ヲ》る袖に、露ぞおきにける
 
1081 夜空を運り行く月が、あまり風情があるので、何時迄も忘れて、坐つたまゝ眺めて居た自分の袖に、氣がつくと、露がしつとりと置いたことだ。
 
1082 水底《ミナゾコ》の玉さへ鮮《サヤ》に見ゆべくも、照る月夜《ツクヨ》かも。夜の更けぬれば
 
1082 宵の中は落ち著かなかつたが、夜が更けて來たので、あたりも森《シン》として、月の光も澄みきつて、水の底に沈んだ玉があり相な氣のする、其までも、はつきりと見えさうな心持ちになる。(月の夜の、神秘な感じを述べたもの。)
 
1083 霜曇《シモグモ》りすとにかあらむ。久方の夜渡《ヨワタ》る月の見えなく、思へば
 
1083 空を行く月が、見えなくなつた。恐らくは、此空の曇つてゐるのも、今夜は霜が降る爲であらう。
 
1084 山の端に躊躇《イサヨ》ふ月を、何時とかも、我が待ち居らむ。夜は更けにつゝ
 
1084 山ぎはに出きらないで、ぐづ/”\してゐる月をば、何時迄待つて居たなら、出るのであらう。夜はだん/”\、更けて行くのに。
 
1085 妹が邊《アタリ》我が袖振らむ。木の間より出で來る月に、雲|勿《ナ》靡《タナビ》き
 
1085 此峰を越えれば、もう愛する人の家も見えない。今此いとしい人に知らせる爲に、その家の方へ袖を振つて心をなぐさめようと思ふ。木立ちからさして來る月に、雲がかゝるといふと、自分の振る袖が見えないから、雲よ懸るな。
 
1086 靱《ユキ》かくる伴緒《トモノヲ》廣き大伴《オホトモ》に、國榮えむと、月は照るらし
 
1086 靱を負ふ武士の家柄の、其一家一門の廣い大伴家の宴會だ。その月見の場に、一杯に月が照して來た。見よ/\、大伴氏一族の守護に依つて、日本の國は、榮えるに違ひない。めでたい月の光だ。(酒宴に歌うた讃《タヽ》へ歌《ウタ》。)
 
   ○雲
 
1087 穴師川《アナシガハ》。川波立ちぬ。卷向《マキムク》の弓月《ユヅキ》个|岳《タケ》に、雲居《クモヰ》立つらし
 
1087 穴師川に波が立ちだした。川上の卷向山の中の高峰の弓月个岳には、風氣《カザケ》が起つて、雨雲が出かけてるに違ひない。
 
1088 あしびきの山川《ヤマガハ》の瀬の鳴るなべに、弓月《ユヅキ》个|嶽《タケ》に、雲立ち渡る
 
1088 谷川の淺瀬に、波の音がひどくしだしたと同時に、弓月个岳に、雲が一帶に出て來た。
 
  右二首、人麻呂集に見えてゐる。
 
1089 大海に島もあらなくに、海原《ウナバラ》の動搖《タユタ》ふ波に、立てる白雲
 
1089 廣々とした海上に出て見ると、大きな波がのたり/\と立つてゐる。其末の方に、白雲が出てゐるが、何方を見ても廣い海に、島さへも見えない。頼《タヨリ》ないことだ。(佳作)
 
  右一首、伊勢行幸に陪從した人の歌。
 
   ○雨
 
1090 我妹子《ワギモコ》が赤裳《アカモ》の、裾の濕《ヒヅ》つらむ、今日の小雨に、我さへ濡れ哉《ナ》
 
1090 いとしい人が道を歩いて、赤い袴の裾が、ぼと/”\になつてゐる、と思はれるこの雨に、あの人ばかり濡れさせては置かない。濡れないでもすむわたしまでも、濡れて見ようよ。
 
1091 徹《トホ》るべく、雨はな降りそ。我妹子《ワギモコ》子が形見《カタミ》の衣、我《ワレ》下に著《ケ》り
 
1091 下までとほる程、ひどく降つてくれるな。いとしい人の身がはりにくれた著物を、私は、下に著てゐるのだ。
 
   ○山
 
1092 なるかみの音《オト》のみ聞きし、卷向《マキムク》の檜原《ヒバラ》の山を、今日見つるかも
 
1092 評判にばかり聞いてゐた、卷向山脈の中の、檜林のある檜原山をば、やつとの思ひで、今日初めて見たことだ。
 
1093 神籬《ミモロ》の其|山竝《ヤマナミ》に、子等が手を卷向山は、配合《ツキ》のよろしも
 
1093 神を祀つてある三輪山の、其山續きに、美しい山が見える。其があの、可愛い人の手を枕くといふ名の、卷向山であるが、ほんに、兩方の配合が適當だこと。
 
1094 我が衣色に染《シ》みなむ。美酒《ウマザケ》を神籬《ミモロ》の山は、紅葉しにけり
 
1094 神籬《ミモロ》の山は、すつかり紅葉してしまうたことだ。あの山に這入つて行つたら、自分の著物までも、眞赤になるだらう。
 
  右三首、人麻呂集に見えてゐる。
 
1095 みもろつく三輪山見れば、隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の檜原《ヒバラ》思ほゆるかも
 
1095 神さまを祭る場所を設けてある、あの三輪の山を見ると、其山續きにある泊瀬の里の檜原山が、聯憩せられることだ。
 
1096 古《イニシヘ》の事は知らぬを。我見ても久しくなりぬ。天香具山《アメノカグヤマ》
 
1096 (天地は悠遠である。語部《カタリベ》の物語や、歴史の書物はほんの一部分しか教へない。)自分等は、此長い時間に對して、何の知識を持つて居ないと云うてもよい。此太古からの天の香具山よ。私が見始めてからでも、隨分長くなつたものだ。(傑作)
 
1097 吾《ワ》が夫《セコ》を此方《コチ》巨勢山《コセヤマ》と、人は言へど、君も來まさず。山の名ならし
 
1097 此山は、巨勢山だ/\と人が云ふ。其名の通りに、自分の大事のお方を、此方へ來させさうなもんだに、あの方はお出でにもならない。ほんの山の名に過ぎないのだ。つまらない。
 
1098 紀路《キヂ》にこそ、妹山《イモヤマ》あり言《ト》へ。たまくしげ二上山《フタカミヤマ》も、妹こそありけれ
 
1098 紀州地方には、妹山と云ふ名高い山がある、といふ人の噂だが、何、大和の二上山にも、男山《セヤマ》女山《イモヤマ》と竝んでゐて、女山はあるのだ。
 
1099 傍岡《カタヲカ》の此|向《ムカ》つ峯《ヲ》に稚蒔かば、今年の夏の蔭に※[山/疑]《ソヽ》らむ
 
1099 此里の向ひ合せにある峰なる、この傍岡山に、今から椎を蒔いて置く。かうしておけば、今年の夏には、涼しい木蔭として、高く聳えるだらう。
 
   ○河
 
1100 郵卷向《マキムク》の穴師《アナシ》の川《カハ》從《ユ》行く水の、絶ゆる事なく、また顧みむ
 
1100 卷向山から流れて出る、穴師川の景色は、非常によい。だから其川を流れて行く水が、とぎれないやうに、自分もこれきりではなく、復見に來よう。
 
1101 ぬばたまの夜來《ヨルサ》り來れば、卷向の川音《カハト》高しも。嵐かも疾《ト》き
 
1101 夜になつて來た處が、卷向川の川の音が高くなつて來た。山颪が激しくなつたのか知らん。
 
  右二首、人麻呂集に見えてゐる。
 
1102 おほきみの三笠《ミカサ》の山の帶《オビ》にせる、細谷川の音のさやけさ
 
1102 三笠山が、ひきまはしにしてゐる、細い谷川の音が、鮮かに聞えて來ることよ。(音律の美を極めた歌で、内容の單調なのも、問題にはならぬ。傑作。)
 
1103 今しきは見めやと思ひし、み吉野《ヨシヌ》の大川淀を、今日見つるかも
 
1103 幾度も/\、吉野川の景色を見たが、老年になつたから、もう見られることはないと思うてゐた吉野川の大淀の景色をば、今日、見る事が出來た。
 
1104 馬|竝《ナ》めて、み吉野川を見まく欲《ホ》り、うち越え來てぞ、激湍《タギ》に遊びつる
 
1104 吉野川をば見たく思うて、同志の人々と、馬を竝べて、山を越えて來て、急勾配を激して流れる早瀬の景色を見て、遊んでゐることだ。
 
1105 音に聞き、目にはまだ見ぬ、吉野《ヨシヌ》川|六田《ムツタ》の淀を、今日見つるかも
 
1105 評判に聞いて、見たい/\と思ひながら、まだ直接に見たことのなかつた、吉野川の絶景、六田の淀をば、今日初めて、やつとの思ひで見てることだ。
 
1106 河蝦《カハヅ》鳴く清き川原を、今日見ては、何時か越え來て、見つゝ偲ばむ
 
1106 河鹿の鳴いてゐるさつぱりとした、美しい川原の景色を、今日かうして見た上で、此後何時になつたら、山越えをして、此景色を再見ながら、今の事を思ひ出す樣な事があるだらうか。
 
1107 泊瀬《ハツセ》川。白木綿花《シラユフバナ》に落ち激《タギ》つ瀬を鮮《サヤ》けみと、見に來し。我《ワレ》を
 
1107 少女達が、頭や、著物の装飾に付けるゆふでこさへた花の樣に、眞白に早瀬を流れ落ちて激する、泊瀬川の川の瀬の景色がよいと云ふので、見にやつて來た私だもの。よい加減では歸れない。
 
1108 泊瀬川。流るゝ水脈《ミヲ》の瀬をはやみ、堰堤《ヰデ》越す波の音の鮮《サヤ》けく
 
1108 泊瀬川を眺めると、流れる水の水脈にある、淺瀬の水の勢が激しいので、堰堤を越して、流れ落ちる波の音が、はつきりと愉快に聞えてくることだ。
 
1109 さひのくま檜隈《ヒノクマ》川の瀬をはやみ、君が手取らば、寄《∃》しいはむかも
 
1109 檜隈川を渡るのに、其瀬が早いからとて、あなたの手を、助けに取つたならば、人が何とかこじつけて、訣ありさうに噂を立てるだらうよ。
 
1110 齋種《ユタネ》蒔《マ》く新墾《アラキ》の小田《ヲダ》を求めむと、脚結《アユ》ひ出で濡れぬ。此川の瀬に
 
1110 足固めをして家を出て、彼方此方さがし廻つて、新規に開墾する地を求める爲に、此川の水に、ぼと/”\に濡れてしまうた。(これは恐らく、裏に戀人を求める苦心をいうたものだらう。王朝の頃には、開墾すればそれだけ、自分の所有地になるので、此歌も、其時代を知らねば訣らぬ。)
 
    *
                   *
 
1111 古《イニシヘ》も、斯《カ》く聞きつゝや偲びけむ、此|古川《フルカハ》の清き瀬の音《ト》を
 
1111 此川は太古からの名高い古い川である。私が今來て見ると聞いたに違はず、さわやかな瀬の音がして居る。昔の人も評判を聞いて、私が兼々此音を聽きたいとて思ひ懸けて居た樣に、此川の瀬の音が聽きたい、景色が見たい、と思うてゐた事であらう。
 
    *
                   *
 
1112 はね※[草冠/縵]《カヅラ》今する妹をうら若み、いざ、率川《イザガハ》の音のさやけさ
 
1112 今初めて自分と交會《アヒビキ》する愛人が、若くなよ/\として居る。さあ早く會はうと心がいらつ。それに又率川の音が、さわやかに聞えて來て、心持ちのよい晩だ。
 
1113 この小川《ヲガハ》。みなぎらひつゝたぎち行く。走井《ハシリヰ》の上《ウヘ》に言擧《コトア》げせずとも
 
1113 噴き出してゐる泉の邊の神に、願立てをして雨を降してくれと願うてゐるが、御覧なさい。今此小川に來て見ると、非常な勢ひで流れる水のしぶきが、霧の樣に立ち乍ら激して走つて行く。此を見れば口に出して祈る迄もなく、神は嘉納せられたのだ。(戀ひ人の我に心のあるのを悟つた歌。)
 
    *
 
1114 吾が紐を妹が手持ちて、結八《ユフヤ》川、又顧みむ。萬代迄《ヨロヅヨマデ》に
 
1114 結八川に臨んで見ると、非常に景色が良い。何時迄も/\長生きして幾度も/\此景色を見にやつて來よう。
 
1115 妹が袖|結八川内《ユフヤカフチ》を、古の淑人《ヨキヒト》見つと。此《コ》を誰知らむ
 
1115 昔名高い徳の勝れた仙人の樣な人が、此結八川の景色を褒めたと云ふ事であるが、其は優れた人の事なればこそ、傳つて居るのである。今私が此處に來て、此景色を賞美したといふ事が、後世に傳りさうもない。
 
  露
 
1116 ぬばたまの我が黒髪に、降《フ》りなづむ天の露霜《ツユジモ》、とれば消えつゝ
 
1116 外に立つて居ると、自分の髪の上に降りたまる秋の末の、冷やかな水霜は、手に取らうとすると、消えてしまふが、又すぐ髪にかゝる。
 
  花
 
1117 あさりすと磯に見し花、風吹きて浪は寄るとも、取らずばやまじ
 
1117 あちこちと獲物を探して歩いて、岩濱に咲いて居る花を見つけた。其花はたとひ風が吹いて、浪が其處にうちかけ來ようとも、取らずには居られない。(やつとの思ひで見つけ出した戀ひ人を、たとひ障礙が多くとも、うつちやつて置けようか。)
 
  葉
 
1118 古にありけむ人も、吾《ワガ》如《ゴト》か、三輪の檜《ヒ》原に插頭《カザシ》折りけむ
 
1118 三輪山の檜林を通つて、私は標《シルシ》の檜の枝を折つてかざす。昔の三輪へ參つた人も、私の樣に檜原を通ると、檜を折つて頭に插したものであらう。(と見ぬ世の人を偲ぶ歌。)
 
1119 行く川の過ぎぬる人の手折《タヲ》らねば、うらぶれたてり。三輪の檜原は
 
1119 死んだあの人は共に來ず、自分ひとり、檜原で、檜の葉をかざす。この悲しい心で見ると、何だか檜林も、しよんぼりとしてゐる樣に見える。(悲哀を通じて、博大な心が見える佳作。)
 
  苔
 
1120 み吉野の青根が峰の苔むしろ。誰か織るらむ。經緯《タテヌキ》なくに
 
1120 吉野の青根が峯に來て見ると、蓆の樣に一面に苔が生え擴つてゐる。これは如何云ふ人が織つてるのであらうか。見た所、經《タテ》絲も緯《ョコ》絲もないのに。
 
  草
 
1121 妹許《イモガリ》と、我が通《カヨ》ひ路《ヂ》の嫋薄《シヌスヽキ》。我し通へば、靡け。篠原《シヌハラ》
 
1121 戀ひ人の家へ行くとて、自分の通ふ路にある、なよ/\と立つてゐる薄よ。私が行く路を妨げるな。私が行くのだから、靡いて通して呉れ。
 
  鳥
 
1122 山の端に渡る秋沙《アキサ》の、行きてゐむ其川の瀬に、波立つな。ゆめ
 
1122 見渡すと、秋沙が群れをなして、遠方の山ぎはにすれ/\に飛んでゆく。あれは、彼方の川に行くのであらうが、其川の瀬に、何卒波が立つて、鳥を苦しめてやつてくれるな。
 
1123 佐保川の清き川原に鳴く、千鳥、河蝦《カハヅ》と二つ、忘れかねつも
 
1123 どうかすると、奈良の佐保川の、さつぱりとした景色の川原に鳴いて居た、千鳥と、それから河鹿と、此二つの聲が忘れられず、思ひ出され勝ちである。
 
1124 佐保川に騷立《サワダ》つ千鳥。さ夜更けて其聲聞けば、寢ねがてなくに
 
1124 あゝ又佐保の川原では、千鳥がぢつと寢てゐないで騷いで居る。あの聲を聞くと、どうしてもねられないことだ。
 
  故郷を偲ぶ歌
 
1125 清き瀬に千鳥妻呼び、山の端《ハ》に霞立つらむ。神南備《カムナビ》の里《サト》
 
1125 飛鳥の都の邊の、飛鳥の神を祀つた、神南備山の麓の里の景色が思はれる。定めて、飛鳥川の清い淺瀬には、千鳥が相手を呼んで鳴いてるだらうし、山の上には、ほんのり霞が立つてるだらう。(佳作)
 
1126 年月《トシツキ》も未《イマダ》經《ヘ》なくに、飛鳥川《アスカヾハ》、瀬々《セヾ》從《ユ》渡しゝ石橋《イハヽシ》もなし
 
1126 飛鳥藤原の都が奈良に遷つてから、まだ歳月もたゝないのに、もう飛鳥川の淺瀬々々に掛け渡した、石橋もなくなつて居る。
 
  井
 
1127 落ちたぎつ走井《ハシリヰ》の水の清くあれば、渡りは、我は行きがてぬかも
 
1127 どう/”\と噴き出して湧いてゐる、清水の激して流れてゐる、小川が清らかであるから、それを濁してまで、渡つては、如何しても行かれないね。
 
1128 馬醉木《アシビ》なす榮えし君が、穿《ホ》りし井の岩井の水は、飲めど飽かぬかも
 
1128 馬醉木の花が、此清水の掘り拔きの上に、眞白に咲いて居る。此井戸を掘つたお方も、あの花の樣に栄えて居られたのだ。其人の遺して置かれた岩の中から噴き出る清水をば、何程飲んでも、飽かない事だ。
 
  和琴
 
1129 琴とれば嘆息《ナゲキ》さきだつ。蓋しくも、琴の下樋《シタビ》に、妻やこもれる
 
1129 どうも不思議だ。琴を弾きかけると、弾かない先から、何だか悲しく嘆息が出てくる。ひよつとしたら、琴の胴の中に、戀ひ人が隱れて居て、それがこんなに、悲しますのではないかしらん。(情痴の極、幼稚化した感情は貴いものだ。傑作。)
 
  吉野の歌
 
1130 神《カム》さぶる岩根《イハネ》こゞしき、み吉野《ヨシヌ》の水分山《ミクマリヤマ》を見れば、かなしも
 
1130 ほんに立派な莊嚴な事だ。神々《カウ/”\》しい岩が角々しう立つて居る、吉野の水分の神のおいでになる山を眺めると。
 
1131 皆人《ミナヒト》の戀ふるみ吉野、今日見れば、宜《ウベ》も戀ひけり。山川清み
 
1131 誰も彼も、皆吉野山が見たい/\と云うてゐた。其吉野山を今日見て、成程皆が見たがつたのも無理がない、と合點がいつた。其は山や川の景色のさつぱりしてる爲であると。
 
1132 夢《イメ》の曲《ワダ》。言《コト》にしありけり。現《ウツヽ》にも見て來《コ》しものを。思ひし思《モ》へば
 
1132 思ひ思うた結果、吉野川の中で最、景色のよいと云はれてゐる夢の曲と云ふ、入り込みの景色をば、正氣で自分は見て來たんだもの。夢の曲と云ふ名前は、あれは語だけだつたのだ。自分は實地に、よい景色の夢の曲を見て來た。
 
    *
 
1133 皇祖神《スメガミ》の神《カミ》の宮人《ミヤビト》の冬薯《トコロヅラ》、いやときじくに、我がかへりみむ
 
1133 吉野山にお祀り申してある、尊い神のお社に仕へる人の、冠にかけてゐる冬薯で、私もとこしへ即何時迄も、幾度も幾度も、吉野を見にやつて來よう。
 
1134 吉野川|岩門《イハト》かしはと、常磐なす我は通はむ。萬代迄に
 
1134 吉野川の岩と岩との間にある、堅い石の樣に、何時迄も變りなく、長生きして千年も萬年も、此吉野川の景色を見に來たい。
 
  山城國の歌
 
1135 宇治川は淀瀬《ヨドセ》なからし。網代人《アジロビト》船呼ばふ聲、遠方近方《ヲチコチ》聞ゆ
 
1135 宇治川に行つて見ると、網代をかけて魚を取る人が、急流な爲に、水の淀んでゐる樣な瀬がなく、かけようとする中に流される。その邊は、よいかなどゝ、船にとひかける聲が方々で聞える。(佳作)
 
1136 宇治川に生ふる美藻《スガモ》を、川|疾《ハヤ》み、採らず來にけり。つとにせましを
 
1136 宇治川に生えてゐる美しい藻をば、土産に持つて家に歸りたいのに、流れが急な爲、採らずに戻つて來てしまうたことだ。
 
1137 宇治人の避《ヨ》き行《ユ》行く網代《アジロ》、我ならば、今はよらまし。こづみならずとも
 
1137 宇治の人は、網代に觸れぬ樣に舟を漕ぐ。その網代に川の木屑が寄つてくる樣に、かの人と私とが、ふりかはつてあつたならば、こんなにまで慕はれたなら、言に從うて、あの人にたよるものを。(人間と木屑とは、別だけれども。)
 
1138 宇治川を船渡せ、をと呼ばへども、聞えざるらし。※[楫+戈]《カヂ》の音《オト》もせず
 
1138 宇治川をば舟を渡してくれ。「をうい」と大きな聲で呼んでも、此方へ漕いで來る※[楫+戈]の音もせない所から見れば、聞えぬのだらう。(運動の、著しく顯れた歌。)
 
1139 ちはや人宇治川浪を清みかも、旅行く人の立ちがてにする
 
1139 旅路を行く人が、宇治をば立ち去り難く、ぐづ/”\と誰もする。其は宇治川の流れの景色が、よいからであらうか。
 
  攝津國の歌
 
1140 しなが鳥|猪名野《ヰナヌ》を來れば、有馬山夕霧立ちぬ。宿《ヤド》りはなしに
 
1140 廣々とした猪名野を通つて行くと、彼方に見える有馬山には、最早夕霧が立つてゐる。自分はまだ泊るべき宿もわからないで居る。(佳作)
 
1141 武庫川《ムコガハ》の水を疾みか、赤駒の足掻《アガ》くそゝぎに、濡れにけるかも
 
1141 武庫川を渡つて、衣がぼと/”\になつた。それは水が早い爲か、又は、私の乘つた赤駒の水を、掻き分ける足のしぶきに、濡れたのであらうか。
 
1142 命のさきくあらむと、岩走る垂水《タルミ》の水を、掬《ムス》びて飲みつ
 
1142 命が健康に長くある樣にするには、垂水村に流れてゐる、瀧即垂水を飲めばよいと云ふ通り、手で汲んで飲んだ事だ。
 
1143 さ夜更《ヨフ》けて堀江《ホリエ》漕ぐなる松浦船《マツラブネ》。※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》高《タカ》し。水脈《ミヲ》疾《ハヤ》みかも
 
1143 夜が更けてから、難波の疏水を漕ぐ所の船がある。あれは、九州松浦から來た大きな船である。其船の※[楫+戈]の音が、非常に高く聞える。それは、水脈が早く流れるので、一所懸命に漕いでるからであらうか。
 
1144 くやしくも滿ちぬる潮《シホ》か。住(ノ)江の岸の浦曲《ウラワ》從《ユ》行かましものを
 
1144 住吉の入り江の景色が非常に良いから、入り込んだ海岸傳ひに行きたいのに、生憎《アイニク》に、潮の奴《ヤツ》めがさして來た。
 
1145 妹が爲貝を拾ふと、茅渟《チヌノ》海に濡れにし袖は、干せど乾かず
 
1145 戀ひ人よ。お前さんの爲に、貝を拾はうとて、著物がぐしよ/”\になつてしまうた。御覧、干しても乾かない。此著物は、お前さんの爲に、一所懸命になつたお蔭だよ。
 
1146 めづらしき人を、我家《ワギヘ》に住(ノ)江の岸の、埴原《ハニフ》を見むよしもがな
 
1146 可愛い大事の人を、我が家に住み込ませるといふ語に縁のある、其住(ノ)江の岸の赭土《アカツチ》を採る原を、どうかして見に行く方法がないかしらん。(住(ノ)江の景色を見たいと云ふ意味。)
 
1147 暇《イトマ》あらば拾ひに行かむ。住(ノ)江の岸に寄るとふ、戀ひ忘れ貝
 
1147 忘貝《ワスレガヒ》と云ふ名にあやかつて、戀ひを忘れる忘貝が、住(ノ)江の濱を探せば落ちてあらう。暇があつたら、拾ひに行きたいものだが、行く問がないので、こんなに戀ひをするのだ。
 
1148 馬|竝《ナ》めて、今日|我《ワ》が見《ミ》つる、住(ノ)江の岸の埴原《ハニフ》を、萬代に見む
 
1148 住(ノ)江の岸の赭土《アカツチ》原を見たい/\と思うてゐたが、今日人人と馬に乘つて見に行つたが、眞に絶景だ。長生きをして何時迄も、見に來たいもんだ。
 
1149 住(ノ)江に行くといふ道に、昨日《キノフ》見し戀《コ》ひ忘《ワス》れ貝、言《コト》にしありけり
 
1149 諺《コトワザ》に忘貝を見つけたら物忘れをすると云ふが、昨日自分は住吉へ行く途中の海濱で、忘貝を見つけたが、忘貝と云ふのは、ほんの名前だけで、今日になつても、まだ戀ひを忘れてゐない。駄目だな。
 
1150 住(ノ)江の岸に家もが。沖《オキ》に、岸《ヘ》に、寄する白波、見つゝしぬばむ
 
1150 住(ノ)江の景色は、非常に良い。此心持ちを何時迄も忘れない爲に、沖の方に立ち、海岸に寄せて來る白波を見る爲に、住(ノ)江の岸に、家があつてくれゝばよいが。
 
1151 大伴(ノ)三津《ミツノ》濱邊をうちさらし、寄り來る波の、行方《ユクヘ》知らずも
 
1151 攝津の國大伴の郷三津の濱邊を洗うて、寄せて來る波は見てゐると、だん/”\遠くへ行つて、行き方が知れなくなつてしまふ。
 
1152 ※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》ぞほのかにすなる。蜑處女《アマヲトメ》沖《オキ》つ藻《モ》苅《モ》りに、船出《フナデ》すらしも
 
1152 海に遙かにほんのりと※[楫+戈]の音がする。あれは、大方蜑の娘どもが、沖の方に生えてる藻を刈りに、船を出してゐるに違ひない。
 
1153 住(ノ)江の名呉《ナゴノ》濱邊に、馬立てゝ玉拾ひしく、常《ツネ》忘《ワス》らえず
 
1153 住(ノ)江の名呉の濱邊に馬を止めて、玉を拾うた事は、何時も何時も思ひ出されて忘れられない。
 
1154 雨は降る。假廬《カリホ》はつくる。何時の間に、名呉《ナゴ》の潮干に、玉は拾はむ
 
1154 住(ノ)江の浦へ行つたら、玉を拾うて遊ばう、と樂しんで來た所が、著くとすぐ、此雨だ。雨は降るし、假小屋は建てねばならぬし、現在住(ノ)江の浦に來てゐながら、何時になつたら、名呉の濱の潮の退いた所に下り立つて、玉を拾ふ事が出來るのだらう。
 
    *
                 *
 
1155 名呉《ナゴノ》海の朝明《アサケ》の餘波《ナゴリ》、今日もかも、磯の浦曲《ウラワ》に亂りてあらむ
 
1155 此間中は、名呉の海邊で遊んだが、あの夜の引き明けの潮の退いた、潟に立つてゐる餘波が、何だか目に殘つて居るが、大方今日らあたりも、岩の多い、あの入り込んだ海岸に、立ち騷いでゐるのであらう。
 
    *
 
1156 住(ノ)江(ノ)遠里小野《トホザトヲヌ》の眞榛《マハリ》もち、摺れる衣の、盛り過ぎゆく
 
1156 住(ノ)江へ行つた時分に、あの近所の遠里小野の榛の木で、摺つた模樣の著物を著て、その派手な容子を誇つてゐたが、もう其著物の色が頂上過ぎて、段々褪せて來た。
 
1157 ときつ風吹かまく知らに、名呉《ナゴノ》海の朝明《アサケ》の潮に、玉藻刈りてな
 
1157 潮時を知らす風が、何時吹いて來るかわからないから、此名呉の海邊の、夜の引き明けの潮加減の時分に、玉藻を刈りませうよ。
 
1158 住(ノ)江の沖つ白波、風吹けば來寄する濱を、見れば清しも
 
1158 住(ノ)江の濱の景色を見てゐると、風が吹く爲、沖の方の泡立つた浪が、寄せて來る。其濱邊の景色を見ると、心がさつぱりすることだ。
 
1159 住(ノ)江の岸の松が根うちさらし、寄り來る波の音の清しも
 
1159 住(ノ)江の海岸に生えて居る、松の根を洗ひ晒す其波の、寄せて來る音のさわやかなことよ。
 
1160 難波《ナニハ》潟。潮干に立ちて見渡せば、淡路(ノ)島に鶴《タヅ》渡る、見ゆ
 
1160 潮の退いた遠淺な難波の海に下り立つて、ずつと遠くを見ると、淡路の方へかけて、鶴が連ねて飛んでゆくのが見える。
 
  旅の歌
 
1161 家|離《サカ》り、旅にしあれば、秋風の寒き夕《ユフベ》に、雁《カリ》鳴き渡る
 
1161 自分は今家から遠く離れて、旅に出て居る。ちようど秋風が身に沁む樣な、日の暮れに、雁が空をば鳴き連ねて渡る。(此時代には、既に雁に就ては、支那風の聯想を持つてゐたので、其つもりで見るがよい。)
 
1162 圓形《マトカタ》の水門《ミナト》の洲鳥《スドリ》、波立つや、妻呼びたてゝ、岸《ヘ》に近づくも
 
1162 伊勢の國に旅をして、圓形の港に泊つてゐると、沖の遠淺の洲に宿る鳥が、波が起つて寢就かれないのかして、自分の連れをやかましく呼びながら、段々岸邊に近づいてくる。
 
1163 愛知《アユチ》潟潮干にけらし。知多《チタノ》浦に、朝漕ぐ船も、沖に寄る、見ゆ
 
1163 尾張の知多の浦へ來て、朝の海を見ると、漕いでゐる船も、岸に寄らずに、沖の方に出てゐるのが見える。大方愛知潟の潮が退いた爲に、海岸は漕がれないからだらう。
 
1164 潮干れば、その潟に出でゝ鳴く鶴の、聲遠ざかる。あさりすらしも
 
1164 汐がひくと、その遠淺の海に下り立つて鳴いて居る、鶴の聲が段々遠く沖の方へやつてゆく。大方先へ/\、餌をせせつて歩いて居るのだらう。
 
1165 夕なぎにあさりする鶴《タヅ》、潮滿てば、沖波高み、己《オノ》が妻喚ぶ
 
1165 日暮れの風の止んでゐる時分に、海に出て餌をせゝつてゐる鶴が、ずん/”\先へ行つて、沖の波が高く起ちだした爲に、慌てゝ自分の連れを大きな聲で呼んでゐるのが聞える。
 
1166 古にありけむ人の、求めつゝ、衣《キヌ》に摺りけむ、眞野《マヌ》の榛原《ハリハラ》
 
1166 昔居た人達も、私の樣に眞野の榛原に、榛を採りにはひつて、それで衣に摺り付けたに違ひない。
 
1167 あさりすと、磯に我が見し莫告藻《ナノリソ》を、いづれの島の海士か刈るらむ
 
1167 磯端に獲物はないかと、さがして歩いて、私が見付けて置いた、あの莫告藻をば、何處の島の海士が、今頃は刈り採つてゐるだらう。(藻ならば、いくら先んじられてもかまはないが、實は美しい女だから、殘念だ。)
 
1168 今日もかも、沖つ玉藻は、白波の八重折るが上《ウヘ》に、亂りてあらむ
 
1168 大分風のはげしい海の方では、沖の方に白波が幾重にも幾重にも、うね/\と立つてゐる。あの邊にある玉藻は、今頃は、波の上に亂れて漂うてゐるだらう。(何とない歌ではあるが、暗示的で佳い。)
 
1169 近江の湖《ウミ》、水門《ミナト》は八十《ヤソヂ》。何處《イヅク》にか、君が船泊て、草結びけむ
 
1169 知つた人の曾遊を思ふ。今近江の湖水に來て見ると、港が何十ともしれぬ程あるので、あの人が船を止めて、草を結んで枕として寢たと云ふ處は、何處だかわからない。
 
    *
 
1170 漣《サヾナミ》の連庫山に雲居れば、雨ぞ降るちふ。歸り來《コ》。我が兄《セ》
 
1170 漣郡の連庫山に、雲が懸つた時は、雨が降ると人が言うてゐる。それ、雨が降りさうだ。旦那が早くお歸りになればよい。
 
1171 大み船|泊《ハ》てゝ候《サモラ》ふ、高島の三尾《ミヲ》の勝野《カチヌ》の渚《ナギサ》し思ほゆ
 
1171 波が高いので、天子の御船が、泊つて船を出す時分を考へてゐる所の、あの高島郡の三尾の、勝野の波うちぎはが思はれる。私も行つて見たい。
 
1172 何處にか船乘《フナノ》りしけむ。高島の香取《カトリノ》浦|從《ユ》漕ぎかよふ船
 
1172 香取の浦をば、あちこちと漕いでゐるあの船は、何處から出發したものだらう。
 
1173 飛騨人の眞木《マキ》流すといふ丹生《ニフノ》川、言《コト》は通へど、船ぞ通はぬ
 
1173 自分とあの人との間柄は、飛騨の國の人が檜の材木を流すと云ふ、あの丹生川で、語だけは、取り交す事は出來るが、船が通はぬ樣に、出かける事が出來ない。
 
1174 あられふり鹿島(ノ)崎を波高み、過ぎてや行かむ。戀しきものを
 
1174 鹿島の崎は、最非寄つて行きたいとなつかしく思ふけれど、其處は波が高い爲に、通り過ぎて行かねばならぬ事か。
 
1175 足柄《アシガラ》の箱嶺《ハコネ》飛び越え行く鶴《タヅ》の、ともしき見れば、大和し思ほゆ
 
1175 足柄山脈の中の箱根の山を見てゐると、其上を時々鶴が飛んで行く。其羨しい容子を見てゐると、大和の事が思はれる。
 
1176 夏麻《ナツソ》ひく海上潟《ウナガミガタ》の沖つ洲《ス》に、鳥は聚《スダ》けど、君は音《オト》もせぬ
 
1176 海上潟の沖の方の州では、夜になると、鳥が聚つて騷いでゐるが、あの方は騷ぐどころか、一言の音信もない。
 
1177 若狹なる三方《ミカタノ》海の濱清み、い行きかへらひ、見れど飽かぬかも
 
1177 若狹の三方の海の砂濱の景色が、さつぱりしてゐるので、行つたり來たりしても、飽かない事だ。
 
1178 印南野《イナミヌ》は行き過ぎぬらし。あまづたふ日笠《ヒカサノ》浦に波立てり、見ゆ
 
1178 段々漕いで來る中に、日笠の浦が見えて來て、其處に波の立つてゐるのも見え出した。ではもう、印南野の沖は、通り過ぎたに違ひない。(佳作)
 
1179 家にして我は戀ひむな。印南野の淺茅《アサヂ》が上を照りし月夜《ツクヨ》は
 
1179 今印南野に居て、淺茅の生えた上に照つて居る月を眺めて居るが、家に歸つて、此事が過去になつたならば、定めて今夜の事が、戀しいだらうね。
 
1180 荒磯《アリソ》越す波を恐《カシコ》み、淡路島見ずや過ぎなむ。甚《コヽダ》近きを
 
1180 岩濱の險阻な處を、うち越える波の恐しさに、船を寄せないから、上陸して、淡路島の容子も見ないで、通り過ぎて了はねばならぬのか。此樣にまで、近い處に來てゐ乍ら。
 
1181 朝霞やまずたなびく龍田山。船出《フナデ》せむ日は、我戀ひむかも
 
1181 此難波の浦から見てゐると、大和の龍田山は、朝の霞が何時でもかゝつてゐる。愈出發してしまうたら、せめても大和を偲ぶ物にしてゐた、龍田山も見えなくなるから、定めて、戀しくてたまらなくなるだらう。
 
1182 蜑が船帆かも張れると見るまでに、鞆《トモノ》浦|曲《ワ》に波立たり、見ゆ
 
1182 非常な高い波が立つて、まるで蜑の船が帆を張つてゐる、と見える程に、鞆の浦の入り込みに波が立つてゐる。それが、此方から見える。
 
1183 さきく行きて、又顧みむ。健男《マスラヲ》の手に纏《マ》きもたる、鞆(ノ)浦曲を
 
1183 立派な男が手に鞆を卷き付けてゐる、此鞆といふ浦の入り込みをば、達者で旅をして來て、見に戻らう。
 
1184 鳥じもの海に浮きゐて、沖つ波騷ぐをきけば、あまた悲しも
 
1184 船に乘つて、鵜か鴨の樣に海に浮んでゐながら、大洋の波の騷ぐのを聞くと、非常に悲しくなつてくる事だ。(哀愁が胸にせまる。傑作。)
 
1185 朝凪に、眞※[楫+戈]漕ぎ出でゝ見つゝ來し、三津(ノ)松原波越しに見ゆ
 
1185 朝海の凪いでゐる間に、※[楫+戈]を漕いで其景色を見ながらやつて來た所の、三津の松原が、今は波の立つてゐる間に見える。
 
1186 あさりする蜑處女らが、袖とほり濡れにし衣、干せどかわかず
 
1186 海に獲物をさがし廻る、蜑の少女どもの、袖まで通つて、ぼと/”\になつた著物は、干しても乾かない。
 
1187 網引《アビキ》する蜑とや見らむ。飽浦《アクラ》の海、清き荒磯を見に來《コ》し我を
 
1187 飽浦の海の荒磯のさつぱりした景色をば、見に來た自分であるのに、人は海岸をうろ/\してゐるから、網引きをする蜑だと思うてゐるかもしれぬ。
 
  右一首、人麻呂集に見えてゐる。
 
1188 山越えて遠津の濱の岩躑躅。我が來たるまで、含《フヽ》みてあり待て
 
1188 遠津の濱の、岩の隙々にある、躑躅の花の蕾よ。今度私が茲に到著するまで、蕾の儘、其まゝで待つて居れ。(遠津處女に與へた歌で、決して、他人に許すなとの意。)
 
1189 大海にあらしな吹きそ。しながどり猪名《ヰナ》の水門《ミナト》に、船はつるまで
 
1189 猪名の川口に船が著くまで、何卒大海原を漕ぐ間は、大風よ。吹いてくれるな。(西國から京都へ上る時、海中で詠んだ歌。)
 
1190 船はてゝ、※[牀の木が戈]《カシ》ふり立てゝ廬《イホリ》せむ。名呉江《ナゴエノ》濱邊過ぎがてぬかも
 
1190 名呉の入り海の濱邊の景色がよいので、通り過ぎるのが出來ない事だ。船は、これで泊りにして、かし杭を打ちこんで、假小屋を建てゝ泊らう。
 
1191 妹が門《力ド》泉の川の瀬を疾《ハヤ》み、我が馬つまづく。家《イヘ》、思《モ》ふらしも
 
1191 泉川の瀬の疾さに、馬が爪先を立てゝ、躊躇してゐる。諺に人が噂をしてゐれば、馬がつまづくと云ふが、これは家で、私の事を思うてるに違ひない。
 
1192 白栲《シロタヘ》に匂ふ眞土《マツチ》の山|川《ガハ》に、我が馬|拘泥《ナヅ》む。家戀ふらしも
 
1192 大和を出て、紀州へ越える眞土山にかゝつて來ると、山の赭土に、眞白に映じ合うて、山の川が流れてゐる。其邊に來た時に、自分の馬は一向前へ進まない。これは大方、家で自分に焦れてゐるからだらう。
 
    *
 
1193 脊の山に直《タヾ》に對《ムカ》へる妹の山。言許せやも。打橋《ウチハシ》渡す
 
1193 紀州の脊山に、直接に向ひ合うて居る妹山よ。吉野川が間を隔てゝ居るが、此頃は造り付けの橋を渡して居るが、大方脊山の心をば、取り入れたからだらう。
 
1208 妹に戀ひ、我が越えゆけば、脊の山の、妹に戀ひずてあるが、ともしさ
 
1208 大和を離れて紀州にかゝると、早、いとしい人の上にばかり、心が懸つて爲方がない。思ひつゞけて越えて來ると、其脊山は、妹山と離れてゐても、何とも思はないで、立つてゐる容子が、羨しい事だ。
 
1209 人ならば母が愛子《マナゴ》ぞ。あさもよし紀の川の邊《ベ》の妹《イモ》と脊《セ》の山
 
1209 まるで、夫婦が仲よく竝んでゐる樣な、紀の川の邊の妹脊山を見ると、かう云ふ風な想像が起る。圓滿な家庭に、母を大事にし、又母に可愛がられてゐる夫婦だとも思はれる。
 
  右七首、藤原(ノ)房前《フサヾキ》の歌。年月知れず。
 
1210 吾妹子に我が戀ひゆけば、ともしくも、竝び居《ヲ》るかも。妹と脊の山
 
1210 いとしい人に心牽かれて、思ひつゝ行くと、羨しい事に、ちやんと夫婦《イモセ》の山が竝んで立つてゐることよ。
 
1211 妹があたり、今ぞ我が行く。目のみだに、吾に見えこそ。言とはずとも
 
1211 いとしい人の家の邊を、私は今通つてゐる。せめて、語は交さないでも、顔ばかりは見せてくれ。
 
1212 阿提《アデ》過ぎて絲我《イトガ》の山の櫻花。散らずあらなむ。歸り來むまで
 
1212 紀の國の阿提の里を通つてかゝる、絲我山に咲いてゐる此櫻の花よ。これから南方に行つて歸つて來るまで、散らずに居てくれ。
 
1213 名草《ナグサ》山|言《コト》にしありけり。我が戀ひの千重《チヘ》の一重《ヒトヘ》もなぐさめなくに
 
1213 國を出て、紀伊の國に來ると、名草山がある。大和の人を思ふ心も、其山へ來れば、慰《ナクサ》まり相なものだが、名前ばかりで、自分の思ひの千分の一も和《ナダ》めてくれない。
 
1214 英多《アダ》へ行く小爲手《ヲステ》の山の眞木の葉も、久しく見ねば、苔|生《ム》しにけり
 
1214 英多地方へ行くのに、通る小爲手山は、以前は通つた事もあるのだが、此頃は久しく行かないので、其山の檜の葉や、枝にも、日蔭の蘰などが、今日來て見ると、生えさがる樣な事になつてゐた。
 
1215 玉津島。よく見ていませ。青丹《アヲニ》によし奈良なる人の待ち問はゞ、如何に
 
1215 玉津島の景色をよく觀察してお出でなさい。お歸りになつて、奈良にゐられる方が、待ち受けて、此景色を、お問ひなさつたら、如何なさいます。
 
1216 潮滿たば如何にせむとか。わたつみの神が手《テ》渡る蜑少女ども
 
1216 蜑の少女達よ。遙かな沖へ出て、海の神の手許を通る程遠くへ行つてるが、潮がさして來たら、如何せうといふ積りか。早く戻つて來るが宜からう。
 
1217 玉津島。見のよろしくも我はなし。都に在りて戀ひまく、思へば
 
1217 玉津島の景色がよい/\と、人は皆騷ぐが、私は景色がよいとも思はれない。都に殘つてる人が、私の事を思うてゐるだらうといふことを考へ出すと、如何して獨り樂しめるものか。
 
1218 黒牛の海、紅《クレナヰ》匂ふ。もゝしきの大宮人し、漁《アサ》りすらしも
 
1218 黒牛潟の海邊に、今日は常に見ぬ美しい眞紅な色が、ちらちらとしてゐる。朝廷の官女たちが、海邊に獲物をさがしてゐるからに違ひない。
 
1219 和歌の浦に白波立ちて、沖つ風寒き夕は、大和しおもほゆ
 
1219 沖の方から吹いて來る風が寒くて、和歌ノ浦に眞白な波が立つ日の暮れと今日もなつた。私は家のある、大和の事が思はれてならぬ。
 
1220 妹が爲玉を拾ふと、紀の國の由良のみ崎に、此日暮しつ
 
1220 いとしい人の土産に、玉を拾はうと思うて、紀伊の國の由良の岬で、今日は一日さがしまはつて、日を暮してしまうた。
 
1221 我が船の※[楫+戈]《カヂ》は勿《ナ》引《ヒ》きそ。大和より、戀ひ來《コ》し心いまだ飽かなくに
 
1221 此海岸の景色は、見たくて/\、大和を出るから、思ひつづけて來たのだから、乘つてゐる船の※[楫+戈]を動かさないで、もつと眺めさせてくれ。未十分滿足と云ふまでは、見てゐないのだから。
 
1222 玉津島。見れどもあかず。如何にして、包みもて行かむ。見ぬ人の爲
 
1222 玉津島の景色は、見ても/\滿足しない。如何かして、容れ物に容れて、大和まで持つて行きたいものだ。見ないで家に居る人に、見せたいから。
 
1194 紀の國の雜賀《サヒカノ》浦に出で見れば、蜑のともし火、波間より見ゆ
 
1194 紀州の雜賀の浦に出て見ると、波の間に、蜑の漁り火が見える。
 
1195 麻衣《アサゴロモ》著《ケ》ればなつかし。紀の國の妹脊の山に、麻蒔く我妹
 
1195 姉さん。お前をば、私は人事の樣には思はないよ。お前が今蒔いてゐる麻の著物を、私は著て居るから。(紀州の妹山脊山の邊で、麻蒔く女に詠みかけた歌。)
 
1196 つともがと、乞はゞ取らせむ、貝拾ふ我を濡らすな。沖つ白波
 
1196 國に歸つて、家人が土産でも欲しい、と云うたら遣るのだ。其貝を拾うてる、私を濡してくれるな。沖の方から寄つて來る波よ。
 
1197 手に取るがゝらに、忘ると、蜑の言ひし戀ひ忘れ貝、言《コト》にしありけり
 
1197 手に持つと、其場で憂へをば忘れてしまふ、と蜑が教へてくれた、忘れ貝は名前だけであつて、實際は、戀を忘れる貝ではなかつたのだ。
 
1198 あさりすと磯に棲《ス》む鶴《タヅ》。明けゆけば、濱風寒み、己妻《オノヅマ》呼ぶも
 
1198 磯から飛び立たずに、ぢつとして、餌をせゝつてゐる鶴が、夜が明けると云ふと、濱の風が寒いので、大きな聲で連れを呼んでゐる。
 
1199 藻刈り船沖漕ぎ來《ク》らし。妹个島|形見《カタミ》个浦に鶴かける、見ゆ
 
1199 此海岸の景色を見てゐると、向うに妹个島が見える。そして此邊一帶の形見个浦に、鶴が飛び廻つてゐるのが見える。それは大方、藻刈り船が沖から漕いで來るので、鶴が逃げるのに違ひない。
 
1200 我が船は沖べな離《サカ》り。迎へ船かた待ちがてり、浦ゆ漕ぎあはむ
 
1200 自分の乘つてゐる船の船人よ。あまり船をば沖遠くはなれて、漕いでくれるな。迎へに來る船を待ちがてら、海岸を行つて會ふ樣にせうと思ふ。
 
1201 大海の水底《ミナソコ》とよみ立つ波の、寄らむと思《モ》へる磯のさやけさ
 
1201 ひどい波が立つて、大洋の底の方迄も、動搖させてうち寄せて來る、其海岸は、又譬へ方なく、さつばりとした景色である。
 
1202 荒磯《アリソ》從《ユ》もまして思へや、玉(ノ)浦の離れ小島《コジマ》の、夢《イメ》にし見ゆる
 
1202 今自分は、こんな荒磯に居るが、紀州の玉の浦に只一つ立つてゐる小島が、夢に見える事だ。恐らくこんな景色よりも以上に、思うてゐるからだらう。(妻ある男が、他の意中の女が、でも、奥樣は大切でせうと云うたのに答へた歌。)
 
    *
                    *
 
1203 磯の上《ヘ》に※[木+爪]木《ツマギ》折《ヲ》り焚《タ》き、汝《ナ》が爲と、我が潜《カヅ》き來し。沖つ白玉
 
1203 此土産は粗末に思うてくれるな。お前の爲だからといふので、寒い體をあぶる爲に、磯の邊に木の端くれを折つては焚き、折つては焚きして、温めては潜り込み、温めては潜り込みして、やつと手に入れて來た、沖の眞珠の玉だぜ。
 
1204 濱清み、磯に我が居れば、見む人は、蜑とか見らむ。釣りもせなくに
 
1204 濱の景色が美しいので、磯にぢつとしやがんでゐると、傍觀する人は、蜑だと思ふかも知れぬ。別に釣りもしてゐないんだが。
 
1205 沖つ※[楫+戈]《カイ》いそしむものか。見まく欲《ホ》り、我がする里の隱らく、惜しも
 
1205 餘波《ナゴリ》が惜しい。もつと見たいと思ふ海邊の里が、隱れてゆくのが惜しい事だ。まあほんとに、一所懸命に、沖の方を漕ぐのに努めることよ。も少し怠けてくれてもよいのに。
 
1206 沖つ波|岸《ヘ》つ藻卷き持ち、寄り來《ク》とも、君にまされる玉寄らめやも
 
1206 沖から打つてくる波が、海岸に生えてゐる藻までも、卷き込んで來る。何程《イクラ》よい玉がうち上げて來るとしても、あの方以上の、美しい玉があるものか。
 
1207 粟島に漕ぎ渡らむと思へども、明石の門波《トナミ》いまだ騷げり
 
1207 早く粟島に渡りたいと思うてゐるのに、生憎にも明石海峽の波がまだ荒れて、高くて行かれない。あの人を乘せた船は、遙かな沖へ出てしまうた。
 
1223 わたの底沖漕ぐ船を、岸《ヘ》に寄せむ風も吹かぬか。波立たずして
 
1223 波が立つては困るが、どうぞ其儘に、船を海岸へ寄せてくれる、風がないかしらん。如何にも餘波をしい。
 
1224 大葉《オホバ》山。霞たなびきさ夜更けて、わが船はてむ泊《トマリ》知らずも
 
1224 海岸の方を見ると、遙かに大葉山には、霧が懸つてゐて、夜はもう更けてゐるけれども、自分の乘つた船は、何處へ著くのか、其港がわからない。
 
1225 さ夜更けて海峡中《トナカ》の方《カタ》に、おぼゝしく呼びし船人、はてにけむかも
 
1225 夜眼さめてゐると、遙かな海峽の方面で、しかも深夜に、大きな聲でやかましく云うて居たが、一體如何した事だらう、と心許なく思うてゐるうちに、聲も聞えなくなつた。大方船來りたちが泊りに著いて、もう落付いてしまうたのだらうよ。(佳作)
 
    *
 
1226 三輪个崎|荒磯《アリソ》も見えず、波立ちぬ。何處《イヅク》從《ユ》行かむ。避《ヨ》き路《ヂ》はなしに
 
1226 三輪个崎の岩濱の荒い海岸さへも、被ふばかりに激しい波が立つてゐる。避けて通る路はないんだが、何處を通つて彼方へ行かうかしらん。
 
1227 磯に立ち沖邊を見れば、藻刈り船蜑漕ぎ出《ヅ》らし。鴨かける、見ゆ
 
1227 岩濱に立つて沖の方を見ると、鴨が飛びまはつてゐる、其有樣が見える。それは、藻刈り船に蜑が乘つて、あの邊に漕ぎ出たからであらう。
 
1228 風早《カザハヤ》の美穂《ミホ》の浦|曲《ワ》を漕ぐ船の、船人騷ぐ。波立つらしも
 
1228 風の激しい美穂の入り海をば漕いでゐる船の船人が騷いでゐるのが、手に取る樣に聞える。波が立つてるに違ひない。
 
1229 我が船は明石の濱に漕ぎはてむ。沖べな離《サカ》り。さ夜更けにけり
 
1229 もう夜も更けた。船人どもよ、今夜は此船を明石の濱へ漕ぎ著けようではないか。そんなに沖遠く漕いでゆくな。
 
1230 ちはやぶる鐘《カネ》个|岬《ミサキ》を過ぎぬとも、我は忘れじ。志珂《シカ》の皇神《スメガミ》
 
1230 長らく筑前の國に住んでゐたが、自分も愈都に歸る事になつた。もう此鐘个岬を漕ぎ過ぎれば、お別れだが、私の居た時分に、能くお參りした、志珂の社の尊い神樣よ。私は此後も決して、お忘れ申しますまい。何卒海上をお守り下さいませ。(海峽の荒ぶる神に、手向けた歌。)
 
    *
 
1231 天霧《アマギラ》ひ西南風《ヒカタ》吹くらし。水莖の遠賀《ヲカ》の水門《ミナト》に、波立ち渡る
 
1231 空はおぼろに、霞が立ちこめてゐる。遠賀の港に波が一杯に立つてゐるのを見れば、大方また、西南風が吹き出したのだらう。
 
1232 大海の波は恐《カシコ》し。然れども、神を齋《イハ》ひて船出《フナデ》せば、如何に
 
1232 大洋の波は、それは恐しい。併しながら齋戒沐浴して、神樣にお願ひして、船を出しさへすればよからうと思ふ。さうしてはどうですか。
 
1233 處女らが織るはたの上を眞櫛もちかかげ、栲《タク》島波間より見ゆ
 
1233 はた織りの處女が織る機絲の上をば、梭でかきあげて、たくる、其栲島が、立つ波の中に見える。
 
1234 潮はやみ、磯|曲《ワ》に居れば、潜《カヅ》きする蜑とや見らむ。旅ゆく我を
 
1234 あまりさし潮の勢ひが激しいので、入り江にぢつとして居ると、人は海に潜《ムグ》る蜑と思うてゐるかもしれぬ。旅行してゐる自分だが。
 
1235 波高し。如何に、※[楫+戈]取《カヂト》り。水鳥の浮き寢やすべき。なほや漕ぐべき
 
1235 おい船頭さん。大分波が高くなつた樣だが、もう此邊で船を止めて、泊つたらよいだらうか。それとも、もつと先まで漕いでゆくか。(變化に富んだ歌。技巧も優れてゐる。傑作。)
 
1236 夢にのみつぎて見ゆれば、笹島の磯越す波の、頻々《シク/\》おもほゆ
 
1236 笹島の岩濱を、上までうちあげる波ではないが、故郷の事が夢の中でばかり、後から/\見えるので、しつきりなしに思はれてならぬ。
 
1237 靜けくも、岸には波は寄りけるか。此|家《イヘ》通《トホ》し聞きつゝ居れば
 
1237 ぢつと聞いてゐると、森として海岸には波がうち寄せて來てゐるらしく、此家の中から耳をすましてゐると、ずつと波の音が聞えて來る。
 
1238 高島の阿渡《アト》白波は騷げども、我は家思ふ。いほり悲しみ
 
1238 高島の阿渡の川に近く、假小屋を建てゝ泊つてゐると、波の音が高く聞えるが、それにもまぎれないで、自分は家の事を思ひ出す。こんな假小屋住ひが、沁み/”\と悲しくなつてくるので。
 
1239 大海の磯|下《モト》搖《ユス》り立つ波の、寄らむと思《モ》へる濱のさやけく
 
1239 岩濱の岩の根本まで搖つて、立つ波ではないが、自分が寄らうと思うてゐる、濱邊のさわやかなことよ。
 
1240 玉くしげ三諸戸山《ミモロドヤマ》を行きしかば、おもしろくして、古《イニシヘ》おもほゆ
 
1240 備中の國に來て、昔から名高い三諸戸山の山路を歩いてゐる時分に、あまり趣の深い景色であるにつけて、自分らの見ぬ昔の事までも偲ばれる。
 
1241 ぬば玉の黒髪山を朝越えて、山下露に濡れにけるかも
 
1241 黒髪山の朝越えをして、山陰に落ちて來る露の爲に濡れた事だ。(此歌は黒髪と露との配合に、中心興味があるのである。)
 
1242 足引きの山ゆき暮し、宿からば、妹立ち待ちて、宿かさむかも
 
1242 山路を行く中に、日が暮れて宿を借らうとしたら、知らぬ處女の可愛いのが、門に出て、此自分をとめてくれるだらう。何卒そんな處に宿りたいものだ。
 
1243 見渡しの近き里曲《サトワ》を徘徊《タモトホ》り、今ぞ我が來《コ》し。領巾《ヒレ》振りし野に
 
1243 見渡す距離の近い野に、處女が立つて、領巾を振つて私を招いてゐた。早く其處へ行きたい、と思ひながら、村里の邊をぐる/”\廻つてゐたもんだから、やつと來る事が出來た。(歳久しくて、辛うじて成就した戀ひの歌。)
 
1244 處女らが放髪《ハナリノカミ》を、由布山《ユフヤマ》の雲はたなびき。家のあたり見む
 
1244 少女達のおかつぱさんに垂《サ》げた髪ではないが、あの結ふと云ふ名の、由布嶽《ユフダケ》から出た雲よ。家の邊を見てゐたいのだから、横に延びてかゝつてくれるな。
 
1245 志珂《シカ》の蜑の釣り船の綱の堪へがてに心に思ひて、出でゝ來にけり
 
1245 志珂の浦の蜑の釣り船の纜ならば、切れずに持ち堪へてゐようが、自分はこらへきれないで、會ひにやつて來た。
 
1246 志珂の蜑の鹽燒く煙、風をいたみ、立ちは昇らず、山にたなびく
 
1246 志珂の浦の蜑の、里を燒く煙が、山颪の激しさに、空まで昇らずに、山の中腹に、横に懸つてゐる。
 
1247 大汝《オホナムチ》少彦名御神《スクナミカミ》のつくらしゝ、妹脊の山は、見らくし、よしも
 
1247 妹山脊山と、かう云ふ風に竝んでゐるのが面白い。大汝(ノ)神、少彦名(ノ)神が、寄つて造られたと云ふ事だが、實に人間では出來ぬ奇蹟だ。
 
1248 吾妹子の見つゝ偲《シヌ》びし沖つ藻の、花の咲けらば、我に告げこそ
 
1248 沖つ藻の花が咲いて居るならば、早く私に告げて來い。せめて其花を見て、遠方に居るいとしい人を思うて慰まう。いとしい人は沖つ藻の花が嗜きで、其を見て大事にしてゐた。
 
1249 君が爲、浮沼《ウキヌ》の池の菱《ヒシ》採《ト》ると、我が染《シ》めし袖濡れにけるかも
 
1249 家に居る人の爲に、菱を採つてあげようと思うて、浮沼の池で、わたしの美しい染色の著物が濡れてしまうたことだ。
 
1250 妹が爲、菅《スガ》の實《ミ》取りにゆく我を。山路|惑《マド》ひて、此日暮しつ
 
1250 愛する人の爲、麥門冬《ヤマスゲ》の實を取らうと出かけて行つた私だ。其私が、山路に迷うて、今日一日歩いてゐた。あゝもう日も暮れた。
 
  右四首、人麻呂集に見えてゐる。
 
    *
 
  問答
 
1251 佐保川に鳴くなる千鳥。何しかも、川原を偲《シヌ》び、いや川のぼる
 
1251 佐保川に鳴いてゐる千鳥よ。一體何故そんなに、川原を慕うて、川上の方へ/\と上つて行くのだ。此邊でも同じ事でないか。
 
1252 人こそは大概《オホ》にも言はめ。我が甚《コヽダ》偲ぶ川原を、標《シメ》結《ユ》ふな。ゆめ
 
1252 他の人は知らぬ事。はゞかりながら、此千鳥は、そんなよい加減な事では、滿足出來ない。非常に慕うて求めてゐる川原であるのだ。私の這入れない樣な、繩張りを付けてくれるな。(問ひの歌は、或男が妻をさし置いて、色々な女を訪問して歩くのを、揶揄した歌。答へは、諌めだてして邪魔してくれるな、とこれも輕く反抗したもの。)
 
  右二首、鳥を詠んだもの。
 
    *
 
1253 漣《サヾナミ》の滋賀津《シガツ》の蜑は、我なしに潜《カヅ》きはなせそ。波立たずとも
 
1253 漣の縣《アガタ》の滋賀津の蜑は、自分の居る時でなくては水潜りはするな。何程波が立たないでも。
 
    *
 
1254 大船に※[楫+戈]《カヂ》しもあらなむ。君なしに潜《カヅ》きせめやも。波立たずとも
 
1254 成程仰せの通りあなたのいらつしやらぬ處で、水潜りは決して致しますまい。たとひ波はなくとも。併しあなたのお越しも、隨分手間どるではありませんか。あなたのお乘りになる、大船に※[楫+戈]をつけて來て下さつたら、よいと思ひますが。(問ひは男より女へ、私の外の人には逢うてくれるなと、久しく訪れないで贈つた歌。答へは女より男へ。)
 
  右二首、白水郎《アマ》を詠んだもの。
 
    *
 
  臨時
 
1255 鴨頭草《ツキクサ》に衣ぞ染《シ》める。君が爲、斑《マダラ》の衣|摺《ス》らむと思ひて
 
1255 此著物は、あなたの爲に、色々な色に摺り混ぜようとて摺つた處が、つひ露草の色が、私の著物にもしみついてしまひました。(女より男へ。始は唯、親切にしてゐたのが、戀愛に移つて行つたのをいふ。)
 
1256 はるがすみ井《ヰ》の上《ヘ》從《ユ》直《タヾ》に道はあれど、君に會はむと、徘徊《タモトホ》り來《ク》も
 
1256 用水の傍を通つて、眞直に行く近道はあるけれど、近道を行かないで、わざ/\廻り道をして來たことだ。あなたに會ひたいばかりに。
 
1257 道の邊《べ》の草深百合《クサフカユり》の、花|笑《ヱ》みに笑ますがゝらに、妻と云ふべしや
 
1257 道端の草藪の中に、笑んでゐる百合の花ではないが、あなたは私の顔を見て、花やかに、にこりなさつたからというて、我が妻と言うてよいものだらうか。
 
1258 沈黙《モダ》あらじと、言《コト》の慰種《ナグサ》に言ふ事を、聽き知れらくは、からくぞありける
 
1258 ぢつと黙つてもゐられまいといふので、わたしは、ほんのじようだんに、あの人の噂をしたのだが、其をさきで、聽いて悟つたとは、困つたことだ。
 
1259 佐伯《サヘキ》山卯の花持ちし悲しきが、手をし取りてば、花は散るとも
 
1259 佐伯山でつんだ、卯の花を持つてゐるかあゆい人よ。さう手を取つては花が散る、と怒るものではありませんよ。花位散つてもよいではありませんか。私はあなたの手さへ執れば、十分なんだから。
 
1260 ときじくに、斑《マダラ》の衣|著欲《キホ》しかも。島の榛原《ハリハラ》、時ならずとも
 
1260 斑の衣は、何時著ても差し支へがない。だから何時でも著たくなる。それで榛の生えてゐる川島へ、何時這入つて榛を取つては惡い、と決つた訣ではない。(裏面は、今は時でないと斷つた女を誘ふ歌。)
 
    *
 
1261 山守りの里へ通ひし山|路《ミチ》ぞ、繁くなりける。忘れけらしも
 
1261 山守りが始終里へ通つて行つた山路が、草木が生え繁つてしまうた。來る路を忘れて來なくなつたからに違ひない。(訪はぬ男を、山守りに譬へたもの。)
 
    *
 
1262 あしびきの山椿咲く八峯《ヤツヲ》越え、鹿《シヽ》》つ君がいはひ妻かも
 
1262 山椿の花の咲いてゐる、多くの峯を越えて、鹿の來るのを待ちうけて、ぢつと隱れて、大事をとつてゐる樣に、大事のお神さんですね。(男の細君を大切にするをからかつたもの。)
 
1263 曉《アカトキ》と夜烏《ヨガラス》鳴けど、此《コノ》峯《ミネ》の梢《コヌレ》が上は、未しづけし
 
1263 あなたはそんなに歸りたいのですか。成程夜烏は、朝だと鳴いてます。併し前の山の木の梢は靜かではありませんか。あれは月夜烏が鳴いたんですよ。
 
1264 西の市に唯一人|出《デ》て、目竝《メナラ》べず買へりし衣《キヌ》の、商《アキ》じこりかも
 
1264 西の市へ、唯一人出かけて行つて、人の考へも聞かず、比較もせずに、買うた著物が、非常な買ひ被りであつた。(見處のない女に、懲りた男の歌。)
 
    *
 
1265 今年行く新防人《ニヒサキモリ》が麻衣《アサゴロモ》、誰かとり見む肩の紕《マヨヒ》は、
 
1265 今年|下《クダ》つて行く、新しい防人の麻衣よ。其麻衣の肩の邊のぬけて來たのは、誰が世話をしてよくしてやらうか。(防人の母妻或は、其心持ちを奈良の都人が、防人の西下を見て、同情を催して作つた歌と見える。孤獨と不自由な生活に深く同情した歌。傑作。)
 
1266 大船を荒海《アルミ》に漕ぎ出で、彌船《ヤフネ》たけ、我が見し子等がまみは著《シル》しも
 
1266 大きな船を荒海に漕ぎ出して、一所懸命に※[楫+戈]《カヂ》をかく樣に、命がけで會うた可愛い人の面貌《オモザシ》は、忘れられぬ事だ。
 
    *
 
  所に就いて、思ひを發《ノ》べた歌
 
1267 もゝしきの大宮人の、蹈みし趾《アト》どころ
 沖つ波來よらざりせば、失《ウ》せざらましを』
 
1267 こゝは百官が歩いた舊址である。沖の方からやつて來る波が、此處までうち寄せなかつたら、こんなに迄、其趾がなくなりはすまいのに。(恐らくは、滋賀の都の歌であらう。沖つ波は、天武天皇の軍を暗示したものと見てもさしつかへがない。)
 
  右十七首、古歌集に見えてゐる。
 
1268 子等が手を卷向《マキムク》山は、常《ツネ》あれど、過ぎにし人に行き覓《マ》がめやも
 
1268 少女の手をば枕とする、と云ふ名の、卷向山は常住不變だが、亡くなつてしまうた人には、行つてまぐ即|媾會《デア》ふ事が出來ようや。
 
1269 卷向《マキムク》の山邊とよみて、行く水の泡沫《ミナワ》の如し。世人《ヨヒト》我等は
 
1269 卷向山の麓を鳴り響して流れてゆく水は、成程激しい勢ひだが、さてその泡沫は、何時の間にか消えてあともなくなつてしまふ。我等人間世界に生れ出たものは、總てこんな風になるのだ。
 
  右二首、人麻呂集に見えてゐる。
 
    *
 
  物に寄せて、思ひを發《ノ》べた歌
 
1270 籠國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の山に照る月は、盈《ミ》ち虧《カ》けすといふ。人の常なき
 
1270 泊瀬の山に照つてゐる月は、滿ちたり缺けたりするが、本體は常住不變である。然るに人は、常住不變では居られない。
 
  右一首、古歌集に見えてゐる。
 
  旋頭歌《セドウカ》
 
1272 太刀の後《シリ》鞘に、入野《イリヌ》に葛《クズ》引く我妹《ワギモ》。
  ま袖もち、着せてむとかも。夏葛引くも』
 
1272 刀の先と鞘との關係ではないが、入るといふ名の入野で葛を引いてゐるいとしい人よ。それを織つて、わたしに著せようといふので、袖に絡ませて、其樣に、夏葛を引いてゐなさるのか。
 
1273 住(ノ)江の花づま君が、馬乘りごろも。
  さにづらふ漢女《アヤメ》をすゑて、縫へる衣ぞ』
 
1273 只今此著物を差し上げます。住吉の里の美しい我が夫《セ》即あなたの馬乘りの著物にして下さい。此は特別に、漢服《アヤハトリ》が縫女を家に呼び寄せて、縫うた著物です。
 
1274 住(ノ)江の出見《イデミ》の濱の柴な刈りそね。
  處女等が赤裳の裾の、濡れて行かむ見む』
 
1274 草刈り男よ。此住の江の出見の濱に生えて居る、灌木を其樣に刈らずに殘して置け。若い女たちが、赤い裳裾を濡しながら、濱邊を歩く姿をば隱れて見たいと思ふから。
 
    *
 
1275 住(ノ)江の小田を刈らす子。奴《ヤツコ》かもなき。
  奴あれど、妹がみ爲と、秋の田を刈る』
 
1275 此住吉の田を刈つてゐなさるお方よ。見うける所が、お前さんの家には、奴隷がないから、さうなさるのか。いえ私の家には奴隷はゐますけれども、いとしい人の御爲に刈るのだから、人任せには出來ないで、自分で稔つた田を刈つてゐるのです。
 
1276 池の邊の小槻《ヲツキ》がもとの篠《シヌ》な刈りそね。
  それをだに、君がかたみに、見つゝ偲ばむ』
 
1276 此池の邊の槻の下の笹原の蔭で、あの方とよく出會うた事がある。あの方は今居られない。此篠もあの方の記念物である。それを見ながら、あの方の事を思ひ出す種にするのだ。刈らずに置いてくれ。
 
    *
 
1277 天なる姫菅原の茅な刈りそね。
  みなのわたか黒《グロ》き髪に、芥《アクタ》し著くも』
 
1277 此姫といふ處にある、菅原に生える草を刈らずに置きなさい。お前さんの其眞黒な髭に、ごみが附きますから。
 
1278 夏蔭の閨の下びに、衣裁つ我妹《ワギモ》。
  心設《ウラマ》けて、我がため裁たば、やゝ寛《オホ》に裁て』
 
1278 大分精が出るね。夏の涼しい木蔭の下の、部屋の中で、著物を裁つてゐるいとしい人よ。私の爲に、こしらへる心づもりで裁つのならば、幾分か寛う裁つて置いてくれ。
 
    *
 
1279 あづさゆみ引津の岸《ヘ》なる、莫告藻《ナノリソ》の花。
  摘む迄に會はざらめやも。莫告藻の花』
 
1279 引津の海岸に生えてゐる莫告藻の花が咲いて、摘む事の出來る迄、會ひに行かずには居らないから、安心していらつしやい。其樣に喧しく言つて、人に洩してはなりませんぞ。それ、花の名も言ふなと云ふ、莫告藻ではないか。
 
1280 うちひさす宮路を行くに、我が裳は破《や》れぬ。
  たまのをの思ひしなへて、家にあらましを』
 
1280 お前さんに會ふ爲、朱雀大路に行きかひするのが、あまり度々で、袴は破れてしまうた。それでも駄目なのだ。これ位ならば、家に居て意氣※[金+肖]沈して籠つて居る方がまだましだつた。
 
1281 君が爲、手力《タヂカラ》疲れ織れる衣服料《キヌガネ》。
  春さらば、如何なる色に摺りてばよけむ』
 
1281 こんなに一所懸命に、手がだるくなる程力を入れて織つた、著物の材料になる布をば、春になつて草木の葉や花が出る時分になつたら、どんな色に摺つたら宜しいだらうか。
 
    *
 
1282 はしだての椋橋《クラハシ》山に、立てる白雲。
  見まくほり、我がするなべに、立てる白雲』
 
1282 椋橋山に白雲が立つてゐる。山を見ようとすればする程、從うて、白雲が立つて邪魔をする。
 
1283 はしだての椋橋川の石《イハ》の橋はも。
  榮えにし君が渡しゝ石の橋はも』
 
1283 この椋橋川にかゝつてゐる石の橋よ。あの名高い方が御壯んでゐられた頃、かけられた石の橋よ。
 
1284 はしだての椋橋川の、川の沈菅《シヅスゲ》。
  我が刈りて、笠にも編まず。川の沈菅』
 
1284 椋橋川の底にある管。私はそれを刈つたのだ。併しまだ、笠にも編まずにある。(十中八九成就しながら、女の解けぬを嘆いた歌。)
 
1285 春日すら、田に立ち疲る君は悲しも。
  わかぐさの妻なき君は、田に立ち疲る
 
1285 唯一人春の田に立つて、一所懸命に働いてゐるお前さんはいとしい人だ。お前さんは、妻もなしに、この長閑な春の日を、田で働いてゐる。
 
1286 山|城《シロ》の久世《クゼ》の社に、革な手折《タヲ》りそ。
  其《シ》が時と、立ち榮ゆとも、草な手折りそ』
 
1286 久世の社に參る人は、咲いた花を折つて、神に手向ける。此處に今が自分の時だ、と咲き誇つてる草がある。それにしても此草だけは、折りとる事は出來まいぞ。(他人の妻に、心移す男を戒めた歌。)
 
1287 あをみづら依網《ヨサミノ》原に、人も會はぬかも。
  いはゞしる近江縣《アフミアガタ》の物語りせむ』
 
1287 此廣々とした依網の原で、誰か自分に行き逢うてくれぬかしらん。近江の縣の古い歴史を知つて話せる樣な人が來て、此邊の話をしてくれたらよいが。
 
1288 水門《ミナト》なる蘆の末葉《ウラハ》は、誰か手《タ》折りし。
  我が夫子《セコ》が振る袖見むと、我ぞ手折りし』
 
1288 入り江の口に生えてゐる、蘆の幹の端を折つたのは誰だ。それは私が折つたのです。此蘆が邪魔で、あのお方の振る袖が見えぬから、其で折りました。
 
1289 垣越ゆる犬を呼びこせ、鳥狩《トガ》りする君。
  青山の葉《ハ》茂《シゲ》き山邊、馬休め。君』
 
1289 犬共を呼んで來させて、狩りに出かける、元氣なあなた樣。少しは馬も休めてやるが宜しいでせう。青く若葉の茂つた山の邊では。
 
 
1290 わたの底沖つ玉藻の莫告藻《ナノリソ》の花。
  妹と我と、此處にしありと、莫告藻の花』
 
1290 自分と、愛人と、此海岸で出會うてゐるが、海の底から打ち上げられた、美しい莫告藻と云ふ藻の花よ。お前の名が莫告藻だから、私と愛人とが、こんな處にゐると云うてはいけないよ。
 
1291 此間に草刈る童《ヲグナ》、然《シカ》な刈りそね。
  ありつゝも、君が來まさむ、み秣《マクサ》にせむ』
 
1291 此處の岡で、草を刈つてゐる子どもよ。其樣に刈るな。其儘にして置いて、あの方がお出でになつた時の、馬の秣にせうから。
 
1292 江林《エバヤシ》に宿る鹿《シヽ》やも、覓《マ》ぐによろしき。
  白栲《シロタヘ》の袖捲きあげて、鹿《シヽ》まつ我が夫《セ》』
 
1292 白栲の著物をまくり上げて、矢をつがへて、江の邊の林に泊りに鹿の來るのを、待つてゐる我が愛する君よ。其樣に一所懸命にならなくつてもよいぢやありませんか。今夜は、宿つてお出でなさい。其樣にした處で、さうとれる訣はないんだから。
 
1293 あられふり遠江《トホツアフミ》の阿渡《アド》川柳。
  刈れゝども、またも生《オ》ふとふ、阿渡川柳』
 
1293 此近江の國の遠江の里の、阿渡川にある柳よ。それは、刈つても刈つても生えて來ると云ふ事だが、その阿渡川柳の樣に、一時會はずに居ても、又會ふ樣になる。其樣に心配すな。
 
1294 朝づく日向ひの山に、月|立《タ》たり、見ゆ。
  遠妻しもたらむ人は、見つゝ偲《シヌ》ばむ』
 
1294 あゝ前の山に月が現れた。それが見える。自分は何とも思はないが、遠方に居る妻のある人は、この月を見ては、定めて妻の事を、思ひ出すことであらう。
 
1295 春日なる三笠の山に、月の船出づ。
  みやびをが飲む盃に、影に見えつゝ』
 
1295 おや春日の三笠山から、お月樣が、船に召して出て來られた。上品な人たちの手にしてゐる盃の中に、影としてうつりながら。(月の宴の即興の歌。)
 
  右一首、古歌集に見えてゐる。
 
    譬喩の歌
 
  衣に寄せた歌
 
1296 今つくる斑《マダラ》の衣、目につきて、我におもほゆ。いまだ著ねども
 
 
1296 今裁つてゐるだんだら染めの著物は、どうも目がひかれる樣に、わたしには思はれる。そして體にはつけて見ないけれども、自分にはどうも配合が宜さ相に思はれる。(まだわが心は遂げないが、其姿が目に沁みついて、忘れることが出來ぬとの意。)
 
1297 紅に、衣|染《シ》めまく欲しけども、著て匂はゞや、人の知るべき
 
1297 紅色に、著物をば染めたいが、著てそれが目立つた節には、人が自分の著てゐる著物に、氣がつくだらう。(戀ひ人と思ふ儘に會ひたいけれど、さうすれば、人に悟られる恐れがある。)
 
1298 千名《チナ》に、人は言ふとも、織り續《ツ》がむ。我が機物《ハタモノ》の白麻衣
 
1298 樣々に人は取り立てゝ言ふだらうが、私は自分の機にかけて、織り出した白い麻即戀ひをば、何處までも織り續けて行かう。人の語を恐れはせぬ。
 
  右三首、柿本人麻呂集に見えてゐる。
 
  玉に寄せた歌
 
1299 ※[有+鳥]群《アヂムラ》の婉《トヲ》よる海に船浮けて、白玉とらむ。人に知らゆな
 
1299 群れてゐるあぢ鴨が波に連れて、彼方により此方によりしてゐる海上に、船を浮けて、自分たちは白玉を探し出さう。人はあぢ鴨の群れの樣に澤山居るのだから、我々のする事に、氣の付かない樣にせなければならぬ。
 
1300 遠近《ヲチコチ》の石《イソ》の中なる白玉を、人に知らえず、見むよしもがも
 
1300 あちこちの岩の中にある白玉、即澤山な處女等に、世間の人の目に觸れないで、會ふ方法はない物か。
 
1301 海神《ワタツミ》の手に纏持《マキモ》たる玉ゆゑに、磯の浦|曲《ワ》に潜《カヅ》きするかも
 
1301 海の神の環《タマキ》にしてゐる玉の樣に、父母に大事にせられてゐる、其人を得ようとして、一所懸命に荒い岩濱の海に潜るやうな、苦心をしてゐることだ。
 
1302 海神の持《モ》たる白玉見欲しけば、千度あり繼げ。潜きする蜑
 
1302 得難い人を手に入れようとして、幾度も/\海に潜る蜑の樣に、度々自分は名をなのる事だ。
 
1303 潜きする蜑は繼ぐとも、海神の心し得ずば、見ゆといはなくに
 
1303 成程あなたが、私の爲に苦心していひ入れてゐなさるのは、訣つてゐますが、自分を守つてゐるわたつみの神とも言ふべき、父母の心持ちが訣りませんから、あなたに會うて戴く、と申す事は出來ません。(女の返歌。)
 
  右五首、人麻呂集に見えて居る。
 
  木に寄せた歌
 
1304 天雲のたな引く山に籠りたる、我が下心木の葉知るらむ
 
1304 雲の懸つて居る樣な、高い山の奥に隱れて居る、私の心の底は、誰にも訣るまいが、山の木の葉は知つてゐるだらう。さて/\知らず顔をしてゐる人だ。
 
1305 見れど飽かぬ、人國《ヒトクニ》山の木の葉をし、我が心から、懷しみ思ふ
 
1305 見ても/\滿足しない、人國山の木の葉ではないが、人の妻なるお前を、心の所爲で、懷しまずにはゐられない。
 
  右二首、人麻呂集に見えて居る。
 
  花に寄せた歌
 
1306 此山の紅葉の下の花を、わがはつかに見つゝ、歸らく戀し
 
1306 紅葉の木の下に咲いてゐる花を、ほんの一目見たゞけで、手にも取らずに歸るのは、心を牽かれるものだ。あの人は、僅かに見たゞけで、其まゝになつてゐる。
 
  右一首、人麻呂集に見えて居る。
 
  川に寄せた歌
 
1307 此川|從《ユ》、船は行くべくありと言へど、渡り瀬毎に守《モ》る人あるを
 
1307 此川をば船は行けさうだが、渡る場所々々に、番人が付いてゐるので、どうも爲方がない。(此人は、わが心通りになり相だが、親や兄が、許しさうもない。)
 
  海に寄せた歌
 
1308 大海をさもらふ水門《ミナト》、事しあらば、何處《イヴク》ゆ、君が我《ワ》を率《ヰ》隱さむ
 
1308 大洋に波が立つてゐるので、其風間を考へてゐる川口に、又波が起ると云ふ樣な事があつたならば、何處をどう逃げて、私を連れて隱して下さるだらうか。(安心だと思うてゐるのに、一難免れて又一難、障礙が起りさうな、不安を感じた歌。)
 
1309 風吹きて海の荒れぬれ、明日と言はば、久しかるべし。君がまに/\
 
1309 風が吹いた爲に、海が荒れてゐる如く、今日は障りがある、明日の事になさい、と言うたなら、さぞ待ち遠しくお思ひなさらう。あなたのお望みなさるやうに、何時でも逢ひませう。
 
1310 雲隱る小《コ》島の神の、畏《カシコ》けば、目は隔つれど、心隔てや
 
1310 遙かな小島にゐる神の恐しさに、隔てゝゐて其處に渡らない如く、お前の親の守りを恐れて、會ふ事は隔つてゐるが、心はどうして隔てゝゐようか。變りはないから、安心してくれ。
 
  右三首、人麻呂集に見えて居る。
 
  衣に寄せた歌
 
1311 橡《ツルバミ》の衣著る人は事なしと、言ひし時より、著ほしくおもほゆ
 
1311 身分のない人は、鈍色の著物を著てゐるので障りがない、と話した人がある。戀ひに障りのない樣に、身分をおとしてゞも、鈍色の著物が著たいと何時も思ふ。
 
1312 おほよそに我し思はゞ、下に著てなれにし衣《キヌ》を、とりて著めやも
 
1312 又其樣に人の心を疑うてゐる。下に著込んで、著心地のよい程に、なれた著物の樣な、馴染深い人を捨てゝ、お前についた私ぢやないか。よい加減に思うてゐる位ならば、取り更へはしない筈だ。
 
1313 紅《クレナヰ》の濃染《コゾ》めの衣を下に著て、上にとり著ば、言なさむかも
 
1313 紅の色濃く染めた衣の樣な、馴染深い君を隱して下に著てゐる樣にして、上を取りつくろうてゐても、人は噂を立てるだらう。
 
1314 橡《ツルバミ》の解《ト》き洗ひ衣《ギヌ》、怪しくも、ことに著ほしき此夕かも
 
1314 著れば障りがないと云ふ橡染めの鈍色の衣が、今日はとりわけ著たくてたまらない心持ちになる。此頃の二人の間に、障礙の多い事よ。
 
1315 橘の島にし居れば、川遠み、晒《サラ》さず縫ひし、我が下衣
 
1315 橘の里の島の地に住んでゐる人は、川まで遠いので、洗濯をせぬさうだ。私も、あの人とうき名を立てられたが、それを濯《スヽ》ぐ事はしないで、其儘夫婦になつてゐる。
 
  絲に寄せた歌
 
1316 河内女《カフチメ》の手染《テゾ》めの絲を繰りかへし、片絲にあれど、絶えむと思へや
 
1316 河内の女が、自分の染めた片絲を、繰り返し/\する樣に、はかない仲だが、何時迄も、仲は續けて行つて、切れようとは、夢にも思うてゐない。
 
  玉に寄せた歌
 
1317 海《ワタ》の底|沈透《シヅ》く白玉。風吹きて、海は荒るとも、取らずば止まじ
 
1317 海の底にすいて、上から見える白玉よ。譬ひ海上には、風が吹き荒れて居ても、取らないで置かうか。どんな困難をしても、此戀ひは成就して見せる。
 
1318 底清み、沈透《シヅ》ける玉を見まく欲《ホ》り、千度ぞ宣《ノ》りし。潜《カヅ》きする蜑
 
1318 海の底が清らかなので、沈んでゐる玉が透いて見えるのが見たさに、即美しい處女を得たさに、自分と云ふ蜑は、幾度も/\名のりをした事だ。
 
1319 大海の水底《ミナゾコ》照し沈透《シヅ》く玉。いはひてとらむ。風な吹きそね
 
1319 海の底が照るまでに、光り輝いて沈んでゐる玉を、齋戒して神に祈つて取らう。風よ吹くな。(美しい君を、用心して我が手に入れようとするのに、邪魔が這入るな。)
 
    *
 
1320 水底に沈透《シヅ》く白玉。誰故に、心盡して我が思はなくに
 
1320 自分が此樣に、精力を消耗するまで思ひつめてゐるのは、お前さんならぬ他の人の爲でせうか。水の底に沈んで見える玉の樣な、美しいお前さんの爲です。
 
1321世の中は常かくのみか。結びてし白玉の緒の、絶ゆらく思へば
 
1321 玉の散らない樣に貫いて置く、緒の切れることがある。其事を思うて見ると、世の中はすべて、此道理に過ぎないものだ。合せ物は離れ物だ。
 
1322 伊勢の海の蜑の採りつる鰒玉《アハビタマ》。採りて後もか、戀ひのしげゝむ
 
1322 伊勢の蜑が玉を採る樣に、苦心して女を手に入れた後も、戀ひは止むと云ふ事なく、更に激しく盛んになる事だらう。
 
1323 海《ワタ》の底沖つ白玉。よしをなみ、常かくのみや、戀ひ渡りなむ
 
1323 海の底に沈んで居る、深海の玉の採る術のない樣に、此君を手に入れる方便なしに、何時も/\此樣に、ずつと戀しく思うてゐなければならぬことか。
 
    *
 
1324 蘆の根の懇《ネモゴ》ろ思《モ》ひて結びてし、玉の緒と言はゞ、人解かめやも
 
1324 我々の仲は、どちらからも深く/\思ひつめて約束したので、ちようどしつかり結び合せた、玉の紐の樣なものだから、信じてゐさへすれば、誰が妨げても、仲が切れる事があらうか。
 
1325 白玉を手には纏《マ》かずに、箱のみに置けりし人ぞ、玉おぼらする
 
1325 白玉を手に卷き付けて見ないで、箱の中に大事にしまうて置く人が、玉を曇す樣に、美しい女を手に入れながら、大事に箱の中にしまうて、人に見せなかつた人が、其女を中途半端なものにしてしまふのだ。
 
1326 海神《ワタツミ》が手に纏《マ》き古《フル》す玉もがも。其緒はかへて、我が玉にせむ
 
1326 海神が手に卷いてゐる玉の樣に、恐しい守人に長く添うて來た女が手に入れたい。人の持ち古した玉ならば、緒を替へて付けるやうに、新しく私の妻にせう。
 
1327 秋風はつぎてな吹きそ。海《ワタ》の底沖なる玉を、手に纏《マ》くまでに
 
1327 秋風よ。お前は其樣に續け樣に吹くな。海の底遙かな沖にある玉を手に入れて、自分の持ち物なる環とする迄の間は、即女を手に入れるまでは、障りがない樣に。
      
  日本琴《ヤマトゴト》に寄せた歌
 
1328 膝に伏す玉の緒琴《ヲゴト》の、ことなけば、甚《イト》許多《コヽバク》も我が戀ひめやも
 
1328 膝に置かれてゐる、緒のかゝつた美しい琴ではないが、異つた點、即勝れたとりえのないお前さんならば、此樣に迄激しく、私が戀しがりませうか。
 
  弓に寄せた歌
 
1329 陸奥《ミチノク》の安達太郎檀《アダタラマユミ》弦《ツラ》はけて、引かばか、人の我《ワ》を言《コト》なさむ
 
1329 奥州の安達太郎山に生えた檀を弓として、弦をかけて引く樣に、思ふ人を自分の方へ靡した時には、世の人が、かれこれ噂を立てるだらう。其もよいとして、わたしの方はさうでないのに、評判がひどく立つたことだ。
 
1330 南淵《ミナブチ》の細川山に立つ檀《マユミ》、弓束《ユツカ》卷くまで、人に知らえじ
 
1330 弓に伐り出す細川山に立つてる檀よ。それを弓にこさへて、愈、籐を柄《ツカ》に卷き付ける迄、即愈、自分の物となる迄、人に悟られぬ樣にせう。
 
  山に寄せた歌
 
1331 岩だゝみ畏き山と知りつゝも、我は戀ふるか。なみならなくに
 
1331 地盤のすべての岩から出來上つてゐると云ふ、恐しい山の樣に、竝々の身分でない人だ、と自分でも思うてゐながら、私はあの人を思うてゐる事だ。
 
1332 岩が根のこゞしき山に入り初《ソ》めて、山懷しみ、出でかてぬかも
 
1332 岩のごつ/”\と立つてゐる山の樣な、困難な戀ひを知りそめてからは、山になじんで、出て來られぬ樣に、自分はえう戀ひを捨てない事だ。
 
1333 佐保山を大概《オホ》に見しかど、今見れば、山懷しも。風吹くなゆめ
 
1333 何時も見てゐる山だと云ふので、佐保山をおろそかに眺めてゐたが、今になつて見ると、非常になつかしく、心が惹かれる。風よ、めつたに吹くな。(其樣に、常は何とも思はなかつた人が、非常に、此頃は懷しく思はれる。是非自分の物にしたい。他の邪魔が這入らぬ樣に。)
 
 
1334 奥山の岩に苔蒸し、畏けど、思ふ心を如何にかもせむ
 
1334 人跡到らぬ奥山に、苔の生えてゐる岩の、神さびて恐しい樣に、よりつきにくい人だが、思ふ心は、なくなす事も、どうも出來ない。
 
1335 思ひかね甚《イタ》もすべなみ、たまだすき畝火の山に、我は標《シメ》結《ユ》ふ
 
1335 戀しさに堪へかねて、あまりのやるせなさに、おそろしい神の領せられる畝火山に標を結ぶ樣な、即恐しい人の守る妻に對して、戀ひに蹈み入つたことだ。
 
  草に寄せた歌
 
1336 冬ごもり春の大|野《ヌ》を燒く人は、燒き飽かねかも、我が心燒く
 
1336 春になると野原は燒くが、私の胸も此頃は、思ひに燃える樣だ。これはあの野火を付ける人が、野を燒くだけでは、滿足せないで、此私の心迄燒くのであらうか。(譬喩といふ境を出て、殆象徴の城に這入つてゐる。傑作。)
 
1337 葛城《カヅラキ》の高間《タカマ》の茅野《カヤヌ》、夙《ト》く知りて標《シメ》ささましを。今ぞくやしき
 
1337 葛城山中の高間山の上にある茅原ではないが、一等先に標をつけた人の物となる樣に、自分もあの人を早く知つて、手に入れて置いたらよかつたが、もう取り返しがつかぬ。
 
1338 我が宿に生《オ》ふる王孫《ツチバリ》。心|從《ユ》も思はぬ人の衣《キヌ》にすらゆな
 
1338 自分の屋敷に生えてゐる王孫よ。しんそこから思うてもゐない、人の衣に摺られるな。(これは、娘妹などに與へた歌と見るべきである。)
 
1339 鴨頭草《ツキクサ》に衣|彩《イロド》り摺らめども、うつらふ色と言ふが苦しさ
 
1339 露草で著物を摺つて色を著けたいが、あれは色の變りやすい物だ、と言はれてゐるのが、氣懸りだ。(あの女を、自分の戀ひ人としたいが、浮氣だと云ふ評判だ。)
 
1340 紫の絲ぞ、我が縒《ヨ》る。足引きの山橘を貫《ヌ》かむと思ひて
 
1340 山橘を絲に通さうと思うて、紫の絲を自分は縒つてゐる。君を我が手に入れよう、と樣々に用意をしてゐる。(紫草と誤つたので、草に寄せた歌でない。)
 
1341 またまつく越智《ヲチ》の菅原。我が刈らず、人の刈らまく、惜しき菅原
 
1341 越智野の菅原よ。自分は刈らないでゐる中に、人に刈らすのは、殘念な樣な氣がする。
 
    *
 
1342 山高み夕日|隱《カク》りぬ。淺茅《アサヂ》原|後《ノチ》見む爲に、標《シメ》ゆはましを
 
1342 山が高い爲に、はや夕日が隱れた。もう歸らねばならぬから、其處の淺茅原をば、此後又來るをりの爲に、標を付けて置かう。(此人を他人に取られるのは、殘念だから、約束をして置かう。)
 
1343 こちたけばかもかくもせむ。岩白の野邊の下草、我し刈りてば
 
1343 岩白の野の淺く生えた草を、刈つてしまうた後は、人がやかましくいうたら、どうなりとせう。(我が戀ひを遂げた後は、かれこれ人が言うてもかまはない。)
 
1344 眞鳥《マトリ》棲む雲梯《ウナテ》の森の菅《スガ》の實を、衣《キヌ》にかきつけ著せむ子もがも
 
1344 雲梯の森に生える菅の實を、著物に摺り付けて著せてくれる樣な、戀ひ人がほしい。(これは、譬喩歌ではない。)
 
1345 常知らぬ人國山の秋津野の杜若《カキツバタ》をし、夢に見しかも
 
1345 これまで見たこともない、人國山の邊の、秋津野の杜若を夢に見た事だ。(知らぬ人妻を焦れる爲に、夢に見た。)
 
1346 女郎花|佐紀澤《サキサハ》の邊《ベ》の眞葛原。何時かも繰《ク》りて、我が衣に著む
 
1346 眞葛の原の葛を絲にくつて衣服にする樣に、何時になつたら、自分の手もとにたぐり寄せて、自分の物とせうか。
 
    *
 
1347 君に似る草と見しょり我が標《シ》めし、野山の淺茅《アサヂ》、人な刈りそね
 
1347 草花のなよ/\した有樣が、如何にも戀ひ人を思はせる樣な懷しい姿なので、自分が標をつけて置いた、野山のあの淺茅を、人よ刈るな。(此歌は譬喩と見れば、戀ひ人に似た女を、人に奪はれぬやうにと取れるが、草其物を詠んだと見る方が、勝れてゐる。)
 
1348 三島江の玉江の薦《コモ》を標《シ》めしより、己《オノ》がとぞ思ふ。末《イマダ》刈らねど
 
1348 三島江の中の玉江の薦に、標を付けてからは、未刈らないが、自分のだと思うてゐる。(あの人と約束してからは、未一つにはならないが、自分の妻だと思うてゐる。)
 
1349 斯くしてや、なほや老いなむ。み雪降る大荒木野《オホアラキヌ》の篠《シヌ》ならなくに
 
1349 自分は、雪の降る大荒木野の篠竹ではないのに、此儘戀ひを遂げないで、無駄に朽ち果てるのは殘念である。
 
1350 近江のや、失走《ヤバセ》の篠を矢矧《ヤハ》かずて、まことありえめや。戀しきものを
 
1350 近江の其矢走の里の篠は、矢につけるが習ひである。其樣に、あの人を妻と身につけずに、戀しいのをこらへて、如何してゐられようか。
 
1351 鴨頭草《ツキグサ》に衣《コロモ》は摺らむ。朝露に濡れてむ後《のち》は、うつろひぬとも
 
1351 色の褪せ易い露草の花でも宜しい。著物に摺り付けよう。朝露に濡れてからは、色が褪せてもかまはない。(あの女は浮氣者であつても、一つになつた後は、どうでもよい。)
 
1352 我が心ゆたにたゆたに、浮き蓴《ヌナハ》、岸《ヘ》にも沖にも寄りかてましゞ
 
1352 自分の心は、動搖し始めた。水の上に浮く蓴が、岸とも、川中とも、何方にも定つて浮かないやうに、あの人にも、この人にも、よりきることが出來ないやうに思ふ。
 
    *
 
  稻に寄せた歌
 
1353 石上《イソノカミ》布留《フル》早稻田《ワサダ》を、秀《ヒ》でずとも、繩だに曳《ハ》へよ。守《モ》りつゝ居らむ
 
1353 石上の布留の里の早稻田に繩張をする樣に、未穂の出ない子どもでも、今から、占有の標《シルシ》の繩だけは、曳いておいてくれ。大きくなる迄、ぢつと監督して居よう。(女の親が男に與へた歌。)
 
  木に寄せた歌
 
1354 白須賀《シラスガ》の眞野《マヌ》の榛原《ハリハラ》心|從《ユ》も思はぬ君が衣《キヌ》に摺らえぬ
 
1354 眞野の榛原の榛で、衣を摺るのではないが、心底から思うてもゐないあの人に、自分の心を許して、其人の物となつた。
 
1355 眞木柱つくる杣人。暫時《イサヽメ》に假廬《カリホ》の爲と、造りけめやも
 
1355 杣人が山に這入つて、檜を伐つて柱とする事は、ほんの暫く居るばかりの仮小屋をこしらへる爲にではない。私の心も、一時の出來心で、お前を愛したのでありますものか。
 
1356 向峰《ムカツヲ》に立てる桃の木。なりぬやと、人ぞ耳語《サヽ》きし。汝《ナ》が心ゆめ
 
1356 前の山に立つて居る桃の木ではないが、私とお前との間が成り立つたか、と人が私に耳打ちをした。かうなつた以上は、お前も心をしめて、動かない樣にして貰はなければならぬ。
 
    *
 
1357 たらちねの母が手《テ》わざの桑子《クハコ》すら、願へば、衣《キヌ》に著すと云ふものを
 
1357 母さんが手しほにかけた蠶から引いた大事の絲でも、懇願すれば、衣に爲立てゝ著せてくれるのが普通だ。それにあなたは、私に許してくれない。
 
1358 はしきやし我家《ワギヘ》の毛桃《ケモヽ》、本《モト》繁く花のみ咲きて、ならざらめやも
 
1358 我が家の可愛ゆい毛桃は、根もとに繁く花が咲いた。花ばかりが咲いて、實がならないと云ふ事がない樣に、私とあなたとの間も、うはべばかりよくして、夫帰にならぬといふ話はない。
 
1359 向峰《ムカツヲ》の若|楓《カツラ》の木。下枝《シヅエ》とり、花待つ間《イマ》になげきつるかも
 
1359 前の山の若い楓の木の、手のとゞく下の枝を折り取つて、花の咲くのを待つ如く、此美しい幼い處女を、未來の妻と心に定めてゐながら、一人前になる間が待ち遠しくて、つひ嘆息《タメイキ》が出てくることだ。(傑作)
 
  花に寄せた歌
 
1360 いきのをに思へる我を。山ちさの花にか、君がうつろひぬらむ
 
1360 あの方は、山ちさの花とでもいはうか、心が褪せて了うた。私は命懸けで思ひ込んでゐるのに。
 
1361 住(ノ)江の淺澤|小野《ヲヌ》の杜若《カキツバタ》、衣《キヌ》に摺りつけ著む日知らずも
 
1361 住の江の淺澤小野の杜若を、著物に摺りつける樣に、美しいあの人を自分の物として、自分の自由に出來る日は、何時になつたら來るかしらん。
 
1362 秋さらば移しもせむと、我が蒔きし、韓藍《カラアキ》の花を、誰か摘みけむ
 
1362 秋が來たら、其色を著物に移し付けようと思うて、自分が蒔いて置いた、紅の花をば、知らぬ間に、誰かゞ摘み取つてしまうた。(即、妙齡になつたら、自分の愛人にせうと思うた女を、知らぬ間に、人に先んぜられた。)
 
1363 春日野に咲きたる萩は、片つ枝は未|莟《ツヽ》めり。言《コト》な絶えそね
 
1363 春日野に咲いてる萩は、まだ十分咲かずに、半分莟んでゐる。其樣にわたしの娘も、一人前の女とはなつてゐないが、音信だけは、絶して下さるな。
 
1364 見まくほり、戀ひつゝ待ちし秋萩は、花のみ咲きて、ならずかもあらむ
 
1364 花の咲くのが見たくて、思ひつめて待つてゐた萩の花は、花は咲いても、實とならないでしまふのかしらん。(妙齡の女になつたら、と思うて待ちうけた女が、其年になつたら、他の人の妻となつてしまうた。)
 
1365 吾妹子が宿の秋萩。花よりは、實《ミ》になりてこそ、戀ひまさりけれ
 
1365 いとしい人の家の、庭の萩の花ではないが、花のうちよりは、實になつてから、即二人の戀ひが成立してからの方が、愈戀しくなつた。
 
  鳥に寄せた歌
 
1366 飛鳥《アスカ》川|七瀬《ナヽセ》の淀に棲む烏も、心あれこそ、波立てざらめ
 
1366 飛鳥川の澤山の淀んだ瀬に、ぢつと休んでゐる鳥も、心があるからこそ、波を立てないのであらう。(あの人も、私に心があればこそ、表面にあらはさずに、底に思うてゐるのであらう。)
 
  獣に寄せた歌
 
1367 三國山《ミクニヤマ》梢《コヌレ》に棲《ス》まふ※[鼠+吾]鼠《ムサヽビ》の、鳥待つ如く、我待ち痩せむ
 
1367 三國山の木の上にぢつと止つてゐる※[鼠+吾]鼠が、近寄つて來る鳥を待つてゐる樣に、自分の戀ひの叶ふまで待つ、其待ち遠さに、私は痩せる事であらう。
 
  雲に寄せた歌
 
1368 岩倉の小野《ヲヌ》從《ユ》秋津に立ち渡る、雲にしもあれや、時をし待たむ
 
1368 岩倉の野から、秋津の地までずつと立つ雲は、遠方へも自由に行くが、自分たちも其雲であつたら、時の來るのばかりを待つてゐるものか。
 
  雷に寄せた歌
 
1369 天雲に近く光りて鳴る神の、見ればかしこし。見ねば愛《カナ》しも
 
1369 雲に接近して光るか、と思ふと轟く雷の樣に、身分の高い人を見る即會ふのは、怖しいが、逢はないで居るのは、又戀しうてならぬ。
 
  雨に寄せた歌
 
1370 甚《ハナハダ》も降らぬ雨ゆゑ、潦《ニハタヅミ》いたくな行きそ。人の知るべく
 
1370 そんなに澤山降らない雨だのに、即其樣に好遇もしてくれないのに、雨水の溜りの樣な激しい勢ひで、人に知られる迄、度々通ふ事は、止めなさい。(忠告した歌。)
 
1371 ひさかたの雨には著ぬを、あやしかも、我が衣手は干る時なきか
 
1371 自分の著物は、雨降りには著て出ないのに、干く時がない事よ。如何した事だらう。(即戀の爲に、泣き續けてゐる。)
 
  月に寄せた歌
 
1372 み空ゆく月讀壯夫《ツクヨミヲトコ》。夕さらず、目には見れども、よるよしもなし
 
1372 空を渡るお月樣の樣に、一晩でも見ない事なしに、目では見てゐるが、身分が違ふので、思ひをいひよる爲方も訣らない。
 
1373 春日山。山高からし。岩の上の菅の實《ミ》見むに、月待ち難き
 
1373 岩の上に生えてゐる麥門冬《ヤマスゲ》の實を求める爲に、峰の高い春日山故、遲く登つてくる月を待ちかねてゐる。(即愛人と會ふのに、早くよい時機の來るのを待ちかねてゐる。)
 
1374 闇の夜は苦しきものを、何時しかと我が待つ月も、早も照らぬか
 
1374 闇の晩は、氣のつまるものだのに、どうか早く出てくれ、と私が待つてゐる月よ。早く照してくれ。(君よ、待ち遠しいから、早く會ひに來て下さい。)
 
1375 朝霜の消《ケ》やすき命、誰《タ》が爲に、千年もがもと、我が思はなくに
 
1375 人間の命は、朝の霜の樣に何時消えるか訣らぬ物だ。そんなはかない命と知りながら、何時迄も生きてゐたいと思ふのは、誰の爲でもない。お前故だ。
 
    *
 
  赤土《ハニ》に寄せた歌
 
1376 大和の宇陀《ウダ》のま埴《ハニ》のさ丹《ニ》つかば、其故《ソコ》もか、人の、吾《ワ》を言《コト》なさむ
 
1376 宇陀の里の赤土原の土が、著物に付いたら、即二人が戀ひ仲になつたならば、其爲に人が、私の事をかれこれと噂するだらう。
 
  神に寄せた歌
 
1377 木綿《ユフ》かけて祀《マツ》る神籬《ミモロ》の、神《カム》さびて齋《イ》むにはあらず。人目多みこそ
 
1377 榊の枝にゆふ懸けて神樣を祀る齋場が、神々しく齋まれてゐる樣に、私はあなたを忌み嫌ふのではない。人目の澤山あるのが、うるさいから避けてゐます。
 
1378 木綿《ユフ》かけて齋《イハ》ふこの杜《モリ》、越えぬべく思ほゆるかも。戀ひの繁きに
 
1378 柳に木綿をかけて、齋み清めて祀る社の杜に近づかれぬ樣に、我々が手出しも出來ぬ樣になつてゐる制限さへ、乘り越えてしまひさうに思はれる。あまりに戀ひの激しさに。
 
  川に寄せた歌
 
1379 絶えず行く飛鳥《アスカ》の川の淀めらば、故しもある如《ゴト》、人の見まくに
 
1379 間斷なく流れてゐる飛鳥川が、ふと止つたなら、訣あり相に人が見ることだらう。その樣に、何時も通ふいとしい人は、今日行かなければ、さぞ氣を廻すだらう。
 
    *
 
1380 飛鳥川。瀬々に玉藻は生ひたれど、柵《シガラミ》あれば、靡きあはなくに
 
1380 飛鳥川の瀬毎に、玉藻が生えてゐるけれども、柵のあるために、止められて靡きあうて、一つになれぬ樣に、二人の仲も、妨げる人があつて、一つになれない。
 
1381 廣瀬川。袖つくばかり淺きをや、心深めて我が思へらむ
 
1381 廣瀬川は徒渉する程淺い。其樣に淺いあの人の心だものを、自分の心の底まで、何故こんなに、思ひ込んでるのであらう。(佳作)
 
1382 泊瀬《ハツセ》川。流るゝ水脈《ミヲ》の絶えばこそ、我が思ふ心遂げじと思はめ
 
1382 泊瀬川に水脈がとぎれる樣なことがあつたら、其處で愈、自分の思ふ心は、成功しないと斷念もせうが、さういふ氣遣ひは決してないのだが。
 
1383 なげきせば人知りぬべみ、山|川《ガハ》の激《タギ》つ心を塞《セ》き敢《ア》へたるかも
 
1383 山川の樣に、激しく興奮してゐる心を、ひよつと忘れて、吐息などついたら、人が知るかも知れぬ、とぢつとこらへてとめてゐる事だ。
 
1384 水隱《ミゴモ》りに息づきあまり、早川の瀬には立つとも、人に言はめやも
 
1384 譬へば、急流の瀬に立つて苦しむ樣に、水につかつた如く、憂へにとざゝれて、嘆息してゐても、人には何うして洩らさうか。
 
  埋れ木に寄せた歌
 
1385 まがなもち弓削《ユゲ》の川原の埋れ木の、顯るまじき事ならなくに
 
1385 弓削の磧にある、埋れ木ではないが、何事も隱しきれないで顯れる。我々の間も、顯れまいものではないと云ふ事は、よく知つてゐる。
 
  海に寄せた歌
 
1386 大船にま※[楫+戈]《カヂ》繁貫《シヾヌ》き漕ぎ出《デ》にし、沖は深けむ。潮は干ぬとも
 
1386 大きな船に※[楫+戈]を澤山さして、漕ぎ出た所の沖は、潮が退いたとしても、深いだらう。其樣に我々の間は、たとひどんな變事が起つても、淺くなる氣遣ひはない。
 
1387 伏越《フシゴエ》從《ユ》行かましものを。間《ヒマ》守《モ》るに、うち濡らさえぬ。波よまずして
 
1387 こんな事なら、けはしい伏越の山路を行つたらよかつたのだ。波のよらぬ間を考へて行くのに、行きそこなうて、濡されてしまうた。波の間を見はからはなかつた爲に。其樣に、人目の多い危險な處を行つて、うつかりして見つけられた。
 
    *
 
1388 岩|濯《ソヽ》ぐ岸《キシ》の浦|曲《ワ》に寄する波。岸《ヘ》に來よらばか。言《コト》の繁けむ
 
1388 此波が沖に居ればよいのに、こんな海岸に寄せて來るから、人の噂がかれこれとやかましいのだらう。岸の入り込みに寄せる波よ。
 
1389 磯《イソ》の浦に來寄る白波。かへりつゝ過ぎかてなくは、岸にたゆたへ
 
1389 岩濱に打ち寄せる波よ。通り過ぎて、沖へ戻つて行きにくければ、岸でうろついて居たらよからう。(即、今は暫く、歸らずに、其邊で待つて居てくれ。)
 
1390 近江の湖《ウミ》。波畏しと風|守《マモ》り、年はや經《へ》なむ。漕ぐとはなしに
 
1390 近江の湖水に立つ波の恐しい爲に、風を窺うてゐる間に、漕ぎもどうもしないで居て、時間が經つ樣に、人目を恐れて、猶豫してゐる中に、會ふ事もなしに、年月が經つてしまふであらう。
 
1391 朝|凪《ナギ》に來寄る白波見まく欲《ホ》り、我はすれども、風こそ寄せね
 
1391 海岸に寄せくる、白波を見たく思うて居るけれど、朝凪の海に、風が吹かない爲に、波が寄つて來ない樣に、邪魔をする者がある爲に、あの人は、えう來ない。
 
  浦砂《マナゴ》に寄せた歌
 
1392 紫の名高《ナタカノ》浦の眞砂路《マナゴヂ》に、袖のみ觸りて、寢ずかなりなむ
 
1392 紀伊の國の名高の浦にある眞砂の道に遊んで、砂に袖がさはる、それではないが、いとしい人に會うて、袖を觸れて、心やすくしてはゐるが、終に夫婦の契りをせないでしまひさうだ。
 
1393 豐國《トヨクニ》の企救《キク》の濱邊の眞砂路《マナゴヂ》の、まなほにしあらば、何か歎かむ
 
1393 豐の國に在る企救の濱邊の、眞砂路ではないが、まなほ即まともで、あの語があつたならば、何の嘆かうか。
 
  藻に寄せた歌
 
1394 潮滿てば入りぬる石《イソ》の草なれや、見らく少く、戀ふらくの多き
 
1394 潮がさして來ると、水中に隱れてしまふが常の、岩の上に生えた草に譬へて見ようか。見る事即出會ふことは稀であつて、焦れることが、甚しい。
 
1395 沖つ波寄する荒磯《アリソ》の莫告藻《ナノリソ》は、心のうちに宣《ノ》るとなりけり
 
1395 沖の方から波の寄せて來る、荒い岩濱にある莫告藻は、名前は言ふなと云ふのであるが、心の中では、言はうとしてゐるのだ。即恥しさに打ち解けて、思ふ心を言はないが、實は承知の旨が答へたいのだ。
 
    *
 
1396 紫の名高(ノ)浦の莫告藻の、磯に靡かむ時待つ我を
 
1396 名高の浦の莫告藻が、磯端で波に從うて靡くやうに、自分に靡き從うて來る時を待つて居るのだ。
 
1397 荒磯《アリソ》越す波は畏し。しかすがに、海の玉藻のにくゝはあらぬを
 
1397 荒磯をうち越える樣な、浪の勢ひは恐しい。迚も近づけないが、それはさうでも、海にある美しい藻が、可愛くて思ひ切れない。(戀ひを遂げる事は恐しいが、戀ひ人のいとしさに堪へられぬ。)
 
  舟に寄せた歌
 
1398 漣《サヾナミ》の滋賀津《シガツ》の浦の船乘《フナノ》りに、のりにし心、常忘らえず
 
1398 滋賀津の浦の船遊びに船に乘る、それではないが、思ふ人が、自分の心の上に乘り懸つた、即常に惹かれて居る心は、何時も忘れる事が出來ぬ。
 
1399 もゝつたふ八十《ヤソ》の島曲《シマワ》を漕ぐ船に、のりにし心忘れかねつも
 
1399 澤山の島の入り込んだ間を、漕いで行く船ではないが、あの人の自分の心に乘りかゝつたのは、忘れる事が出來ない。
 
1400 島傳ふ足早《アバヤ》の小舟、風|守《マモ》り、年はや經なむ。逢ふとはなしに
 
1400 島から島に傳うて行く、早舟が、風の間を考へてゐる中に、時間がたつ樣に、逢はないで、年は經つてしまふだらう。
 
1401 水霧《ミナギラ》ふ沖つ小《コ》島に、風を痛み、船寄せかねつ。心は思《モ》へど
 
1401 波の泡沫が、あたりが見えぬ位に立つてゐる。海中の小島に、心では寄りたい/\と思ひながら、風の烈しさに寄りかねてゐる。自分も心中では慕うて居るが、あの人の心を量りかねて、言ひ寄らずに居る。
 
1402 ことさかば、沖|從《ユ》さけなむ。水門《ミナト》より岸《ヘ》つかふ時に、さくべきものか
 
1402 一層離れてしまふ位ならば、沖を漕いでゐる時分に離れてしまうてくれゝば、よかつたのだ。川口で、もうすぐ、岸に近づくと云ふ時に、離れる事が出來る訣でないのに、離れることだ。(今此樣に深くなつてから、別れ話を持ち出すとは。)
 
    *
            *
 
  (旋頭歌《セドウカ》)
 
1403 み幣《ヌサ》取り神の祝《ハフリ》が齋《イハ》ふ杉原。
  薪《タキヾ》樵《キ》り、ほと/\しくに、手斧とらえぬ』
 
1403 神樣に捧げ物をする事を司る、神主達が、齋み清めてゐる杉の原よ。其原に薪を伐りに這入つて、あぶなく、手斧を取り上げられてしまふところだつた。(父母の守る、娘に通うた男の歌。)
 
    挽歌
 
  雜《クサ/”\》の挽歌
 
1404 鏡なす我が見し君を、阿婆《アハ》の野の花橘の、玉に拾ひつ
 
1404 鏡の樣に何時も見て居た君であるのに、比阿婆の野の花橘を藥玉に貫く爲に拾ふやうに、手に拾うた。即火葬して、骨を拾うた。
 
1405 秋津野を人のかくれば、朝|撒《マ》きし君が思ほえて、嘆きはやまず
 
1405 秋津野の話を人が爲出すと、あの朝、灰を撒いて風葬した、あの人の事が思はれて、嘆息が止まない。
 
1406 秋津野に朝ゐる雲の失《ウ》せぬれば、昨日も、今日も、亡き人思ほゆ
 
1406 秋津野に朝懸つてゐる雲は、火葬の煙である。其煙が消えてしまふと共に、此世の形は失はれてしまふのだ。あゝ昨日も今日も、止む間なしに、死んだ人の事が思ひ出される。
 
1407 隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の山に霞み立ち、たなびく雲は、妹にかもあらむ
 
1407 火葬場なる泊瀬山に、ぼんやりと立つて、横に長く懸つてゐる雲は、なくなつたいとしい人の煙であるのだらうよ。
 
1408 禍言《マガゴト》か妖言《オヨヅレゴト》か。隱國《コモリク》の泊瀬《ハツセ》の山に、いほらせりとふ
 
1408 人がお前の戀ひ人は、墓場の泊瀬の山に住んでゐると言ふが、それは恐らく、不吉な人の心をまどはす僞言に相違ない。其樣な事があるものか。
 
1409 秋山の紅葉あはれみ、うらぶれて、入りにし妹は、待てど來まさず
 
1409 秋の山の紅葉に心とられて、這入つて行つたいとしい人は、自分がしよんぼりと待つてゐても、歸つて來て下さらない。(山に墓があるから言うたのだ。)
 
1410 世の中は、誠《マコト》、二世《フタヨ》は行かざらし。過ぎにし妹に逢はなく、思へば
 
1410 此世界と云ふものは、二度生れて來られぬもんだと言ふが、死んだいとしい人に逢はない事を思うて見ると、實際さうに違ひない。
 
1411 幸福《サキハヒ》の如何なる人か。黒髪の白くなる迄妹が聲聞く
 
1411 自分は唯一人だ。それに此世には、さうでない人がある。さういふ人は、どうした幸福な人なんだらう。髪が眞白になる迄、いとしい人と話をする事が出來るといふのは。(傑作)
 
1412 吾が夫子《セコ》を何處《イヅク》行かめと、割竹《サキタケ》のそがひに寢しく、今しくやしも
 
1412 あの晩腹立ちまぎれに、背中合せに寢て、あの人が出て行くと言うたのを、何處へえう行くものか、と侮つて、其儘寢てゐた事が、死んで了うた今では、取り返しがつかない。殘念な事だ。(佳作)
 
1413 庭つ鳥|鷄《カケ》の垂り尾の亂尾《ミダリヲ》の、長き心も思ほえぬかも
 
1413 庭に飼ふ鷄の尾の樣に、長く何時迄も、身を持ちこたへられさうな心がせぬ。かういふ風では。
 
1414 こもまくら相|枕《マ》きし子もあらばこそ、齡《ヨ》の老《フ》くらくも、我惜しみせめ
 
1414 手枕を交して寢た、あのいとしい人が、生きて居てこそ、年の行くのも、自分は惜むだらうが、此樣な獨り身では、早く年寄つた方がよい。
 
1415 たまづさの妹は玉かも。あしびきの清き山邊に撒《マ》けば、散りぬる
 
1415 いとしい人は、玉になつて了うたのか、このさつぱりした景色の山の邊に撒いたら、散つてなくなつて了うた。(これも、「秋津野を人のかくれば」と同じ風俗に基いてゐる。悲哀な調子を具へた佳作。)
 
  旅の歌
 
1417 名呉《ナゴノ》浦を朝漕ぎ來れば、海中《ワタナカ》に、舟人《カコ》ぞよぶなる。あはれ其|舟人《カコ》
 
1417 朝、名呉の浦を漕いで行くと、廣々とした海の眞中で大きな聲をあげて、船頭が物をいうてゐる。其船頭に、心が惹かれる。
 
 
 萬葉集 卷第八
 
    春《ハル》の雜《ザフ》の歌《ウタ》
 
  志貴皇《シキノミコ》子、身祝ひに作られた御歌
 
1418 いはゞしる垂水《タルミ》の上のさ蕨《ワラビ》の、萌《も》え出づる春になりにけるかも
 
1418 岩の上を激して流れる、瀧の邊《ホトリ》の蕨が、生え出す春になつたことだ。その樣に自分の運も、これからおひ/\開けて來る。(春の即興の歌として、單純化の行はれた傑作である。)
 
  鏡(ノ)女王《ヒメオホキミ》の歌
 
1419 かむなびの磐瀬杜《イハセノモリ》の喚子鳥《ヨブコトリ》。いたくな鳴きそ。我が戀ひまさる
 
1419 神奈備山の邊《ホトリ》の磐瀬の森で鳴いてゐる呼子鳥よ。唯さへ感じ易くなつてゐるのだもの。どうか、そんなにひどく鳴いてくれるな。自分の焦れる心が彌深くなるから。
 
  駿河(ノ)采女《ウネメ》の歌。一首
 
1420 泡雪《アワユキ》かはだれに降ると見るまでに、ながらへ散るは、何の花ぞも
 
1420 春の雪が、まだら雪となつて、降つてゐるのか、と見誤るばかりに降つて散つて來るのは、何の花だらう。
 
  尾張《ヲハリノ》某の歌。二首
 
1421 春山の崎のたをりに、春菜《ハルナ》摘む妹が白紐。見らくしよしも
 
1421 春の山の突き出た崎の、頂上の窪んだ處で、若菜を摘んで遊んでゐる、娘たちの結び下げた白い紐、それを見るのは愉快なものだ。
 
1422 うちなびき春|來《キ》たるらし。山のまの遠き木末《コヌレ》の咲き行く、見れば
 
1422 どうやら春がやつて來たに違ひない。あの山ぎはの遙かな梢が、先へ/\とずん/”\咲いて行くのを見ると。
 
  中納言阿部(ノ)廣庭の歌
 
1423 去年《コゾ》の春いこじて植ゑし、我が宿の若木の梅は、花咲きにけり
 
1423 去年の春、こじ起して來て、移し植ゑた自分の屋敷内の梅の若木は、もう花が咲いたことだ。
 
  山部(ノ)赤人の歌。四首
 
1424 春の野に菫《スミレ》摘みにと、來《コ》し我ぞ、野を懷しみ、一夜《ヒトヨ》寢にける
 
1424 春の野へ蓮華草を摘む爲にやつて來た自分が、捨てゝ歸る氣がせない程、野の懷しさに、そこで一晩泊つたことだ。
 
1425 あしびきの山櫻花、日《ケ》竝《ナラ》べてかく咲きたらば、いたも戀ひめやも
 
1425 山の櫻の花が、幾日も續いて、かういふ風に咲いてゐてくれるのなら、そんなに甚く、櫻の花に焦れはするものか。(早く散るから、焦れるのだ。)
 
1426 我が夫子《セコ》に見せむと思ひし梅の花。それとも見えず。雪の降れゝば
 
1426 あなたに見せようと思うた梅の花は、雪が、こんなに降つてゐるので、あれが梅だとも、はつきり訣らない。
 
1427 明日《アス》よりは、春菜摘まむと標《シ》めし野に、昨日も、今日も、雪は降りつゝ
 
1427 明日からは愈、若菜を摘まうと標《シルシ》を附けておいた野に、昨日も今日も、雪がどん/\降つてゐる。
 
  日下山《クサカヤマ》の歌
 
1428 おしてる難波《ナニハ》を過ぎて、うちなびく 日下《クサカノ》山を、夕暮れに我が越え來れば、山も狹《セ》に咲ける馬醉木《アシビ》の、あしからぬ君を、いつしか、行きて早見む
 
1428 大和の方へ歸つて來るのに、難波を通り過ぎて、日下山を日暮れに自分が越えて來ると、山も狹い程、一杯に咲いてゐる馬醉木の花ではないが、惡しくない美しい君をば、早く行つて見たいものだ。
 
  右一首、作者が微《イヤ》しい身分なので、名を出さないでおく。
 
  櫻の花の歌。並びに短歌
 
1429 處女《ヲトメ》等がかざしの爲に、風流男《ミヤビヲ》が※[草冠/縵]《カヅラ》の爲と、敷きませる國のはたてに、咲きにける櫻の花のにほひはも。あなに
 
1429 娘たちの插す簪の料にと、又風流な男の頭へ卷く※[草冠/縵]の料にといふので、天子が治めて入らつしやる國中の果て迄も咲いた、櫻の花の容子よ。何とも云ひ樣のない程、美しい。
 
  反歌
 
1430 昨年《コゾ》の春逢へりし君に、戀ひにてし櫻の花は、向ひ來《ク》らしも
 
1430 去年の春、櫻の花の咲いてる時分に、逢うたあなたの爲に焦れてゐた。その櫻の花時分になつて、そろ/\花時が、こちらへ向いてやつて來さうだ。
 
  右二首、若宮年魚麻呂《ワカミヤノアユマロ》の諳誦して居たもの。
 
  山部(ノ)赤人の歌
 
1431 百済野《クダラヌ》の萩の古|枝《エ》に、春待つと來居《キヰ》し鶯、鳴きにけむかも
 
1431 百済野の萩の枯れ枝に、春の來るのを待つとて、去年から泊つてゐた鶯が、もう此二三日來、鳴き出したことだらうよ。
 
  大伴坂上郎女《オホトモノサカノヘノイラツメ》の柳の歌。二首
 
1432 我が夫子《セコ》が見らむ佐保路《サホヂ》の青柳を、手《タ》折りてだにも、見むよしもがも
 
1432 あのお方が、何時も見て居なさる筈の、佐保通りの並み樹の青柳の枝だけでも、せめて折つて見る手段がなからうか。あの方には逢ふことが出來ないから。
 
1433 うちのぼる佐保の川原の青柳は、今は、春べとなりにけるかも
 
1433 佐保川原に生えてゐる柳は、もう今時分は青々として、芽を出す時分となつてることか知らん。(これは坂上(ノ)郎女が、太宰府に居る時分に、奈良なる人に贈つたものである。)
 
  大伴(ノ)三依《ミヨリ》の梅の歌
 
1434 霜雪もいまだ過ぎねば、思はぬに、春日の里に、梅の花見つ
 
1434 霜も雪も未なくならないのだが、思ひがけなくも、ふと春日の里で、梅の花を見つけた。
 
  厚見《アツミノ》王の歌
 
1435 河蝦《カハヅ》く神南備《カムナビ》川に、影見えて、今か咲くらむ。山吹の花
 
1435 河鹿のなく神南備山の裾を流れる川に、影がうつるほど、今頃はちようど、山吹の花が咲いてゐることだらうよ。(佳作)
 
  大伴(ノ)村上《ムラカミ》の梅の歌。二首
 
1436 含《フヽ》めりと云ひし梅が枝《エ》、今日降りし泡雪《アワユキ》に逢ひて、咲きぬらむかも
 
1436 此間尋ねたら、未つぼんでゐると、あの人が云うた梅の枝は、今日降つた此春の雪に遭うて、咲いてゐるだらうよ。
 
1437 かすみたつ春日《カスガ》の里の梅の花、嵐《アラシ》の風に散りこすな。ゆめ
 
1437 春日の里に咲いてゐる梅の花よ。山おろしの風の爲に、決して散つてくれるな。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌
 
1438 かすみたつ春日の里の梅の花。はなに訪《ト》はむと、我が思はなくに
 
1438 春日の里の梅の花ではないが、うはべばかりを華やかに、實意なくして、訪ねようと思うて、來たのではないのだ。
 
  中臣武良自《ナカトミノムラジ》の歌
 
1439 時は、今は春になりぬと、み雪降る遠き山邊に、霞たなびく
 
1439 時候はもう、春になつたと知らせ顔に、雪の積つてゐる遠方の山の邊には、霞が長く懸つてゐる。(類想の尠かつた頃のものとして、佳作である。音調も優れてゐる。)
 
  河邊東人《カハベノアヅマビト》の歌
 
1440 春雨《ハルサメ》の頻々《シク/\》降るに、高圓《タカマド》の山の櫻は、如何にあるらむ
 
1440 春雨がしきりなく降つてゐるが、あの高圓山の櫻は、どうなつてるだらう。咲いたか知らん。
 
  大伴(ノ)家持の鶯の歌
 
1441 うち霧《キ》らし雪は降りつゝ、しかすがに、吾家《ワギヘ》の園《ソノ》に、鶯鳴くも
 
1441 一面に空を曇して、雪はどん/”\と降り/\してゐる。それはさうだが、一方また、自分の家の園では、春の鳥なる鶯が鳴いてゐることだ。(平安朝の人々の尊んだ優美といふことが、この邊に兆してゐる。對照も強ひてこさへた痕がなく、曲折があり、複雜がある。傑作。)
 
  大藏少輔《オホクラノセフ》丹比屋主《タヂヒノイヘヌシ》の歌
 
1442 難波べに人の行《ユ》ければ、おくれ居て、春菜摘む子を見るが、かなしさ
 
1442 天皇陛下の行幸で、男は難波の方へと行つたので、後に殘つて、淋しく若菜を摘んでゐる娘を見ると、何ともなく寂しくて、感傷的になることだ。(佳作)
 
  丹比乙麻呂《タヂヒノオトマロ》の歌
 
1443 霞立つ野《ヌ》の邊《ヘ》の方に行きしかば、鶯鳴きつ。春になるらし
 
1443 都の町を浮れ出て、霞のかゝつてゐる、野の方へ出かけて行つた所が、今、鶯が思ひがけなく鳴いた。あゝもう春になつてゐるのに違ひない。
 
  高田女王《タカタノヒメオホキミ》の歌
 
1444 山吹の咲きたる野邊のつぼ菫、この春の雨に、盛りなりけり
 
1444 春の末の山吹の咲いてゐる、野中の菫の花よ。此春の雨の山中で、眞盛りに咲いてゐることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1445 風|雜《マジ》り雪は降るとも、實《ミ》にならむ吾家《ワギヘ》の梅は、花に散すな
 
1445 梅の花が咲いてゐる所へ、風雜りに雪が降つて來ても、これは未實にさへもならない、自分の家の大事の梅だ。それを、花の中に散してくれるな。(或男から、坂(ノ)上(ノ)郎女の娘のことを、樣々いひ入れて來たのに答へて、よい加減な口まへばかりでなく、夫婦になつてくれなければ困るとの譬喩である。)
 
  大伴(ノ)家持の春の雉の歌
 
1446 春の野にあさる雉《キヾシ》の、つま戀《ゴ》ひに、己《オノ》があたりを人に知れつゝ
 
1446 春の野に餌を探してゐる雉が、連れあひに焦れて、呼び立てる爲に、自分の居る處を人に知られ勝ちだ。(自分も人に焦れて、つひ色に顯れる。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1447 おほかたに聞けば苦しき喚子鳥《ヨブコドリ》。聲懷しき時にはなりぬ
 
1447 一寸聞けば、人の悲しい心を動すやうで、つらい呼子鳥の聲だが、春は悠《ユツク》りしてゐるので、その聲も懷しい時分になつたことだ。
 
  右一首、天平四年三月一日、佐保の家で作つた歌。
 
    春《ハル》の相聞《サウモン》
 
  大伴(ノ)家持、坂(ノ)上(ノ)大孃《オホイラツメ》に贈つた歌
 
1448 我が宿に蒔きしなでしこ。いつしかも花に咲かなむ。なぞへつゝ見む
 
1448 自分の屋敷に蒔いて置いたなでしこよ。早く花となつて咲き出してくれ、せめて戀ひ人に擬して、慰んで見てゐよう。
 
  大伴(ノ)田村(ノ)家の大孃、妹坂(ノ)上(ノ)大孃に贈つた歌
 
1449 茅花《ツバナ》ぬく淺茅が原のつぼ菫、今盛りなり、我が戀ふらくは
 
1449 淺茅の原の菫ではないが、私がお前に焦れてゐることは、今が頂上である。
 
  大伴(ノ)家持、坂上(ノ)郎女に贈つた歌
 
1450 心ぐきものにぞありける。春霞たなびく時に、戀ひのしげきは
 
1450 春霞がかゝつてゐる時分に、焦れる心が、一杯なのは、屈托の多いものですよ。
 
  笠郎女《カサノイラツメ》、大伴(ノ)家持に贈つた歌
 
1451 みづどりの鴨の羽《ハ》の色の春山の、おぼつかなくも、思ほゆるかも
 
1451 鴨の羽の色のやうに、青々とした春の山が、霞がかゝつてぼんやりしてゐるやうに、自分のこの戀ひも、頼りなく思はれる。
 
  紀郎女《キノイラツメ》の歌
 
1452 闇《ヤミ》ならば、宜《ウベ》も來まさじ。梅の花咲ける月夜《ツクヨ》に、出でまさじとや
 
1452 それは成程闇の夜ならば、來なさるまいのも道理です。だが、こんなに梅の花の咲いてゐる、月の照つてゐる時に、やつてお出でになるまいとなさるのですか。
 
  天平五年閏三月、笠金村《カサノカナムラ》、入唐使に贈つた歌。並びに短歌。二首
 
1453 たまだすきかけぬ時なく、いきのをに我が思《モ》ふ君は、現身《ウツソミ》の世の人なれば、大君の命《ミコト》かしこみ、夕されば鶴《タヅ》が妻呼ぶ難波潟《ナニハガタ》、三津(ノ)崎より、大舟にま※[楫+戈]《カヂ》繁貫《シヾヌ》き、白波の高き荒海《アルミ》を、島傳ひい別れ行かば、留まれる我は、幣《ヌサ》とり、齋《イハ》ひつゝ君をば待たむ。早歸りませ
 
1453 心に思ひ浮べぬ時なく、命がけで自分が慕うてゐる人は、此人間界に生《シヤウ》を享けた身であるから、天子の仰せに反くことが出來ないで、かしこまつて出かけて、日暮れになると、鶴が伴《ツレ》を呼ぶ難波の遠淺の海の、三津の崎から大きな舟に※[楫+戈]を澤山さして、浪の高く立つてゐる荒海に漕ぎ出して、段々島傳ひに、遠く/\別れてあなたが行つてお了ひなされたら、後に殘つてゐる私は、神に捧げる幣を手にとつて、身を清め、神に祈りながら、お待ち申して居ませう。早くお歸り下さい。
 
  反歌
 
1454 浪の上《ウヘ》ゆ見ゆる兒島《コジマ》の、雲|隱《ガク》り、あな、息づかし。あひ別れぬれば
 
1454 浪の上に見えてゐる、備前の兒島ではないが、あゝ止めようと思うても、溜め息が出て來ることよ。居られる處が雲にかくれて見えないから。
 
1455 たまきはる命にむかひ、戀ひむ從《ユ》は、君がみ舟の※[楫+戈]柄《カヂカラ》にもが
 
1455 命懸けで焦れてゐるよりは、一層あなたが乘つて入らつしやる、舟の※[楫+戈]の柄にでもなりたいものだ。
 
  藤原(ノ)廣嗣《ヒロツグ》、櫻の花を處女に贈るのに添へた歌
 
1456 此花の一瓣《ヒトヨ》の中《ウチ》に、百種《モヽクサ》の言《コト》ぞ籠れる。おほろかにすな
 
1456 此花の一|瓣《ヒラ》の中に、百通りからの語が籠つてゐる。口では何も云はないが、其語を、よく考へて疎かに見てくれるな。(廣嗣の悲劇的な半生と、悲痛な性格を思ふと、此歌の上にも、強い力が沁み出てゐるのを覺える。傑作。)
 
  處女の答へた歌
 
1457 此花の一瓣の中《ウチ》は、百|種《クサ》の言《コト》保《モ》ちかねて、折らえけらずや
 
1457 此花の一|瓣《ヒラ》の中には、百通りもの語が籠つてゐる爲に、それに持ちこたへかねて、とう/\折られて了うたといふ訣ではありませんか。(と廣嗣の「言ぞこもれる」というたに對して、輕く揶揄したのである。)
 
  厚見《アツミノ》王、久米《クメノ》郎女に贈られた歌
 
1458 宿《ヤド》にある櫻の花は、今もかも、松風はやみ、地《ツチ》に散るらむ
 
1458 おまへの屋敷にある櫻の花は、今頃はちようど松風が烈しいので、地べたに散つてゐることであらう。(そのやうにおまへの心も、外へ散つたであらう。)
 
  久米(ノ)郎女の答へた歌
 
1459 世の中も常にしあらねば、宿にある櫻の花の、うつろふ頃かも
 
1459 世界といふものよ。それは無常なはかないものでありますから、わたしの屋敷の櫻の花は、その道理で、此頃散りましたことです。(これも厚見(ノ)王の意表に出て、櫻の事ばかり述べたのである。)
 
  紀(ノ)郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌。二首
 
1460 我奴《ワケ》が爲、我が、手もすまに、春の野に摘める茅花《ツバナ》ぞ。食《メ》して肥えませ
 
1460 あなたに生きて頂きたいと願うてゐる、わたし自身の欲望の爲に、ちつとも手を休めないで、春の野に出て、穂を拔いた茅花でありますから、お上りなされて、お肥えなされませ。
 
1461 晝《ヒル》は咲き、夜は戀ひ寢《ヌ》る合歡《ネム》の花、君のみ見めや。我奴《ワケ》さへに見て
 
1461 此合歡の花は、晝は咲いて、夜は焦れて寢る花です。あなた許りが焦れて寢なさる訣ではありません。わたしまでも、矢張焦れてゐます。(合歡を見るのを、戀ひ寢るによそへていふのである。これは、合歡の花と茅花とを折つて、贈るのに添へたのである。)
 
    *
 
  大伴(ノ)家持の答へた歌
 
1462 我が君に、我奴《ワケ》は戀ふらし。賜《タバ》りたる茅花《ツバナ》を食《ク》へど、いや痩せに痩す
 
1462 あなたに對して、私は焦れてゐるに違ひ御座いません。あなたの下さつた、茅花を頂きましても、段々痩せた上に痩せて行くばかりです。
 
1463 吾妹子がかたみの合歡は、花のみに咲きて、蓋《ケダ》しく、實《ミ》にならじかも
 
1463 あなたの身代りに下さつた、あの合歡は、花と許り咲いて、實とはならんでせうよ。(うはべばかりで、實際、心は許さないのでせう。)
 
  大伴(ノ)家持、坂上(ノ)大孃に贈つた歌
 
1464 春霞たなびく山の隔《ヘナ》れゝば、妹に逢はずて、月ぞ經にける
 
1464 春霞のかゝつてゐる山が、間を隔てゝゐるので、いとしい人に逢はないで、一月もたつたことだ。
 
  右、恭仁《クニノ》都から平城《ナラノ》家に贈つたもの。
 
    夏《ナツ》の雜《ザフ》の歌《ウタ》
 
  藤原夫人《フヂハラノフジン》の歌
 
1465 時鳥《ホトヽギス》。いたくな鳴きそ。汝《ナ》が聲を、五月《サツキ》の玉にあへ貫《ヌ》く迄に
 
1465 子規よ。そんなにひどく鳴くな。五月に吊る藥玉に、お前の好い聲も、一處に合せて通して置きたく思ふのだから、それ迄は餘り甚く鳴いて、鳴き盡してくれな。
 
  志貴皇子《シキノミコ》の御歌
 
1466 神南備《カムナビ》の岩瀬杜《イハセノモリ》の時鳥、ならしの岡に、何時か來鳴かむ
 
1466 神南備の岩瀬の森で鳴いてゐる子規よ。自分の住んでゐる、ならしの岡には、一向聲が聞えぬが、何時になれば、來て鳴いてくれるであらう。
 
  弓削皇子《ユゲノミコ》の御歌
 
1467 子規《ホトヽギス》無かる國にも行きてしが。その鳴く聲を聞けば、苦しも
 
1467 子規の居らない國へでも行きたいものだ。その聲を聞くと、術なくてならぬことだ。
 
  小治田《ヲハリダノ》廣瀬(ノ)王《オホキミ》の子規の歌
 
1468 子規聲聞く小野《ヲヌ》の秋風に、萩咲きぬれや、聲の乏《トモ》しき
 
1468 子規の聲を聞きに來た野には、秋風が吹いて、もう萩が咲いてゐるから、餘り聲が聞えないことだ。
 
  某(ノ)沙彌の子規の歌
 
1469 あしびきの山子規。汝《ナ》が鳴けば、家なる妹し常に思ほゆ
 
1469 山子規よ。お前が鳴くと、何時でも、家に居るいとしい人のことが思ひ出される。
 
  刀理宜令《トリノセムリヤウ》の歌
 
1470 ものゝふの岩瀬(ノ)杜《モリ》の子規。今も鳴かぬか。山の外陰《トカゲ》に
 
1470 子規の名所の岩瀬の森に來た。子規よ。今鳴いてくれ。山のあちらこちらで。
 
  山部(ノ)赤人の歌
 
1471 戀ひしけば、かたみにせむと、我が宿に植ゑし藤波、今咲きにけり
 
1471 あの人が戀しくなつたら、其代りに見てゐようと自分の屋敷に植ゑた、藤の花が、今咲いたことだ。
 
  式部大輔石上堅魚《シキブノタイフイソノカミノカツヲ》の歌
 
1472 子規|來《キ》鳴きとよもす卯の花の、むたやなりしと、問はましものを
 
1472 子規の來て近邊《アタリ》を響して鳴いて散す卯の花と、一つになつて、何處かへ行つておしまひになつたか、と跡を追うても、探したいものだが。
 
  右、神龜五年。太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の妻、大伴(ノ)郎女が、病ひの爲に死んだので、勅使として、石(ノ)上(ノ)堅魚《カツヲ》が、太宰府に弔問に來た時に、太宰府の役人等と、記夷《キイ》の城に登つて、眺望して遊んだ日、作つたもの。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の合《アハ》せた歌
 
1473 橘の花散る里の子規、片戀ひしつゝ、なく日しぞ多き
 
 
1473 此里では、橘の花が散つてゐます。子規がそこで鳴くやうに、自分許りで焦れて泣く日が、幾日にもなります。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、筑紫の大|城《キノ》山を懷しがつて作つた歌
 
1474 今もかも、大城(ノ)山に、子規鳴きとよむらむ。我なけれども
 
1474 今頃は、筑前の大城の山で、子規が近傍《アタリ》を響して鳴いてゐるだらう。聞く自分は、居ないけれども。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の子規の歌
 
1475 何しかも、こゝだく戀ふる。子規鳴く聲聞けば、戀ひこそまされ
 
1475 私は何故、こんなに子規を聞きたく思ふのだらう。あの鳥が鳴く聲を聞くと、焦れる心が彌、烈しくなるのだ。それに。
 
  小治田廣耳《ヲハリダノヒロミヽ》の歌
 
1476 獨り居て、もの思ふ宵に、子規|此《コ》從《ユ》鳴き渡る。心しあるらし
 
1476 人に逢はないで、淋しく獨り物を考へてゐる晩に、子規が茲を鳴いて通つて行く。あの鳥にも、心があつて慰めてくれるに違ひない。
 
  大伴(ノ)家持の子規の歌
 
1477 卯の花もいまだ咲かねば、子規、佐保(ノ)山邊に來鳴きとよもす
 
1477 卯の花も未咲いて居ないのに、子規がちやんとやつて來て、佐保山の邊を響して鳴いて居る。
 
  大伴(ノ)家持の橘の歌
 
1478 我が宿の花橘の、何時しかも、玉に貫《ヌ》くべく、その實はなりなむ
 
1478 自分の屋敷に咲いて居る橘の花の、あの實が大きくなるだらう。何時になつたら、藥玉に通して見ることが出來るやうに。
 
  大伴(ノ)家持の蜩《ヒグラシ》の歌
 
1479 こもりのみをればいぶせみ、慰むと、出で立ち聞けば、來鳴く蜩
 
1479 家に許り引き籠つてゐるので、こんなに憂鬱になるのだ。それをのんびりさせようと表へ出ると、物の聲がする。それは、蜩の來て鳴く聲であつた。
 
  大伴(ノ)書《フミ》持の歌。二首
 
1480 我が宿に月おし照れり。子規心あり。今宵來鳴きとよもす
 
1480 自分の屋敷に、月が一杯に照つてゐる。あゝ子規が鳴く。あいつも物のわかつた鳥だ。月のよい今晩やつて來て、あたりを響して鳴くので見ると。
 
1481 我が宿の花橘に、子規今こそ鳴かめ。友に逢へる時
 
1481 やつとの思ひで、逢ひたいと思うてゐた友に逢ふことが出來た、扨、自分の屋敷に咲いてゐる橘の花の木に來て、子規も、今は鳴くだらう。
 
  大伴(ノ)清繩《キヨナハ》の歌
 
1482 皆人の待ちし、卯の花散りぬとも、鳴く子規、われ忘れめや
 
1482 人々が、待ちに待つてゐた、卯の花も散り、子規も鳴かなくなつた。けれども私は、何時迄も子規の聲を忘れようか。忘れはしない。
 
  庵諸立《イホリノモロタチ》の歌
 
1483 吾が兄子《セコ》が宿の橘、花をよみ、鳴く子規見にぞ、我が來し
 
 
1483 あなたの屋敷の橘の花が、よく咲いてゐるので、其を嗜《ス》いて、子規も來て鳴きます。それを私が見に參りました。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1484 子規。いたくな鳴きそ。獨り居て、寢《イ》のねらえぬに聞けば、苦しも
 
1484 そんなにひどく、子規よ、鳴いてくれるな。獨り起きてゐて、眠ることも出來ないのに、聞くのは術ないものだ。
 
  大伴(ノ)家持の唐棣《ハネズ》の花の歌
 
1485 夏まけて咲きたる唐棣《ハネズ》、ひさかたの雨うち降らば、うつろひなむか
 
1485 春から夏へかけて、咲いてゐる唐棣花よ。今ひよつと雨が降つたら、色が褪せて了ふだらうよ。
 
  大伴(ノ)家持、子規の來ることの遲いのを恨む意味を詠んだ歌
 
1486 我が宿の花橘を、子規、來鳴かず地《ツチ》に散しなむとか
 
1486 子規よ。わたしの屋敷の花橘が落ちて了ふ迄、來て鳴かない積りか。聲を聞かせないで地面に散さうといふのか。
 
1487 子規、思はずありき。木《コ》の闇《クレ》のかくなる迄に、などか、來鳴かぬ
 
1487 子規よ。木が繁つてこんなに暗くなる迄、何故來て鳴かないのだ。自分の心を知つてゐてくれると思うたが、時鳥には思ひやりがなかつたのだ。
 
  大伴(ノ)家持、子規の聲を聞いて悦んだ歌
 
1488 いづくには鳴きもしにけむ。子規、吾家《ワギヘ》の里に、今日のみぞ鳴く
 
1488 他處《ヨソ》外處《ホカ》では、子規は鳴きもしたかも知れぬがかまはない。自分の里では、今日といふ今日、はじめて鳴いてゐる。
 
  大伴(ノ)家持、橘の花を惜しんだ歌
 
1489 我が宿の花橘は散り過ぎて、玉に貫《ヌ》くべく、實《ミ》になりにけり
 
1489 自分の屋敷の橘の花は、散つて了うて、藥玉として緒にさすことが出來る程に、實となつたことだ。
 
  大伴(ノ)家持の子規の歌
 
1490 子規、待てど來鳴かず。菖蒲草《アヤメグサ》玉に貫《ヌ》く日を、いまだ遠みか
 
1490 子規は、幾ら待つても來て鳴かない。菖蒲《アヤメ》を藥玉として絲にさす、五月がまだ遠いからであらうか。
 
  家持、雨の日子規を聞いて作つた歌
 
1491 卯の花の過ぎば惜しみか、子規|雨間《アマヽ》もおかず、此《コ》從《ユ》鳴き渡る
 
1491 卯の花が散り失せて了うたら、惜しいといふ心でか、子規が雨の降つてる間もあけずに、此邊を鳴いて通ることだ。
 
  橘の花の歌  遊行女婦《ウカレメ》某
 
1492 君が家《ヤ》の花橘はなりにけり。花のある時に、逢はましものを
 
1492 約束しておいた時が過ぎて了うた。それで、あなたの家の橘も、實となつて了うた。あゝ花のあつた中に、逢うたらよかつたのに。
 
  大伴(ノ)村上の橘の歌
 
1493 我が宿の花橘を、子規、來鳴きとよめて、木下《モト》に散らしつ
 
1493 自分の屋敷の橘の花をば、子規がやつて來て、邊を搖り動して鳴いて、木の下に散して了つた。
 
  大伴(ノ)家持の子規の歌。二首
 
1494 夏山の木末《コヌレ》の繁《シヾ》に、子規鳴きとよむなる、聲のはるけさ
 
1494 夏山の梢が、繁茂してゐる其爲に、子規が鳴き震動させる聲が、遠くに聞えることよ。
 
1495 あしびきの木の間《マ》立ち潜《グ》く子規。かく聞きそめて、後《ノチ》戀ひむかも
 
1495 山の木の間を潜つて鳴く子規よ。今かうして聞きかけて嬉しく思ふが、後々は、定めて焦れることだらうよ。
 
  大伴(ノ)家持の撫子《ナデシコ》の歌
 
1496 我が宿のなでしこの花盛りなり。手折《タヲ》りて、一目見せむ子もがも
 
1496 自分の屋敷の撫子の花は、ちようど今頂上である。此を折つて、ちよつとでも見せて上げたいと思ふ人が、來てくれればよいが。
 
  筑波山に登らないで、殘念がつた歌
 
1497 筑波嶺《ツクバネ》に我が行けりせば、子規、山彦《ヤマビコ》とよめ、嶋かましや。そも
 
1497 筑波の峯に自分があの時登つたら、全體子規がそんなに木魂を響してまで、鳴いたゞらうか。鳴きはしなかつたのに違ひない。(君たちは、子規を聞いたと自慢するが、其は※[言+虚]で、私が行つたら、鳴かないことが知れるのだ、と自分の聞きたいのを反對に、負け惜しみを述べた歌。)
 
  右、高橋蟲麻呂集に見えてゐる。
 
    夏《ナツ》の相聞《サウモン》
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1498 暇なみ來まさぬ君に、子規。我かく戀ふと、行きて告げこそ
 
1498 私の家の庭では、子規がよく鳴きますから、入らつしやいと云うてやつたのに、暇がないとて御出でにならぬ、あの方の所へ、子規よ、お前が行つて、私がこんなに焦れてゐると告げよ。
 
  大伴(ノ)四繩《ヨナハ》、宴會に吟じた歌
 
1499 言《コト》繁《シゲ》み、君は來まきず。子規。汝《ナレ》だに來鳴け。朝戸開かむ
 
1499 昨夜もとう/\待ちぼうけだ。人の評判のうるさゝに、あの方は一向入らつしやらない。子規よ。お前だけでもせめては來て鳴いてくれ。朝の戸を明けることにせう。さなくば、戸をあける元氣もない。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1500 夏の野の茂《シゲ》みに咲ける姫|百合《ユリ》の、知らえぬ戀ひは、苦しきものを
 
1500 夏の野の草の茂つてゐる中に、咲いてゐる姫百合ではないが、思ふ人に知られないで、焦れて居るのは、苦しいものだ。
 
  小治田廣耳《ヲハリダノヒロミヽ》の歌
 
1501 子規鳴く峯《ヲ》の上《ウヘ》の卯の花の、憂《ウ》き事あれや、君が來まさぬ
 
1501 子規が鳴いてゐる、峯の上の卯の花ではないが、心憂い心配事があるからか、思ふお方が、お出でにならないのは。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1502 五月《サツキ》の花橘を、君がため、玉にこそ貫《ヌ》け。散らまく惜しみ
 
1502 散ることの惜しさに、橘の花をば、思ふ方の爲に、藥玉《クスダマ》の緒に通して、お見せ申さうと思うてゐる。
 
  紀(ノ)豐河の歌
 
1503 吾妹子が家の垣内《カキツ》のさ百合花《ユリバナ》、ゆりと云へるは、ゆるさぬに似る
 
1503 いとしい人の家の屋敷内に咲いてゐる、百合の花ではないが、あの人はゆり即、後に逢はうというた。考へて見ると、ほんとうにうち解ける氣なら、常に逢ひたいと云ひさうなものだ。後に逢はうといふ所から見れば、どうやら自分に心をゆるさないらしい。
 
  高安(王?某?)の歌
 
1504 暇無み、五月をすらに、吾妹子が花橘を、見ずか、過ぎなむ
 
1504 此頃は閑がないので、いとしい人の家にある橘の花をば、見ないで、この儘散して了ふことだらう。(即、妹の家を訪はないといふこと。)
 
  大神《オホミワノ》郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌
 
1505 子規鳴きしすなはち、君《キミ》が家《ヤ》に行けと、追ひしは、至りけむかも
 
1505 わたしの内で、子親が鳴きました、と直ぐ樣、あなたの御内へ行つて鳴け、と追ひやりましたあの鳥は、あなたの所へ、もう著いて鳴きましたか。
 
  大伴(ノ)田村(ノ)大孃、妹の坂上(ノ)大孃に贈つた歌
 
1506 故郷のならしの丘《ヲカ》の子規、言《コト》告《ツ》げやりし。如何に告げきや
 
1506 此さびれた在所のならしの岡で鳴いてゐる、子規に云ひつけて、言傳てをさせたが、お前さんの處へは屆いたか。どういふ風に言傳てを申しましたか。(返事がなかつたので、更に再、送つたもの。)
 
  大伴(ノ)家持、橘の花を折つて、坂(ノ)上(ノ)大孃に贈るのに添へた歌。並びに短歌。二首
 
1507 如何《イカ》と如何《イカ》と、待つ我が宿に、百枝《モヽエ》さし生ふる橘、玉に貫《ヌ》く五月を近み、落《ア》えぬがに花咲きにけり。朝に日《ケ》に出で見る毎に、いきのをに我が思《モ》ふ妹に、まそ鏡活き月夜《ツクヨ》に、唯一目見せむ迄には、散りこすな。ゆめと云ひつゝ、こゝだくも我《ワ》が守《モ》るものを。うれたきや、醜《シコ》子規。曉《アカトキ》のうら悲しきに、追へど/\、尚し來鳴きて、徒らに、地《ツチ》に散せば、すべをなみ、攀《ヨ》ぢて手折《タヲ》りつ。見ませ。吾妹子
 
1507 花がもう如何だらう、今日咲くか、明日咲くか、と待つてゐる自分の屋敷に、澤山の枝をさし出して生えてゐる橘は、藥玉の緒に通す五月が近くて、どうやらこぼれ落ちさうに、一杯に花が咲いたことだ。毎日朝毎に、何時も出て見ると、命懸けで自分が思ひ込んでゐるお前さんに、澄みきつたよい月の晩に、ほんの一目でも見せる迄は、決して散るなと、云ひ乍ら目を離さないで居るのに、情ないことだなあ。憎らしい子規めが、明方の何となく、悲しい時分に、追うても追うても、それでも來て鳴いて、花をば無駄に散すから、爲方がなく、枝を引き寄せて折りました。どうか御覧下さい。おまへさんよ。
 
  反歌
 
1508 十五日《モチ》下《クダ》つ清き月夜《ツクヨ》に、吾妹子に見せむと思ひし、宿の橘
 
1508 十五日過ぎの澄みきつた月の下で、あなたに見せようと思うた、我が宿の橘よ。即これが其です。
 
1509 妹が見て、後も鳴かなむ。子規、花橘を地《ツチ》に散しつ
 
1509 橘は子規の聲で散る。だからせめていとしい人が見てから、後々でも鳴いてくれゝばよいのに、子規が、鳴いて花橘を地べたに散して了うた。
 
  大伴家持、紀(ノ)郎女に贈つた歌
 
1510撫子《ナデシコ》は咲きて散りぬと、人は云へど、我が標《シ》めし野の花にあらめやも
 
1510 人の評判で聞きますと、撫子の花は、咲いてゐたが、とうとう散つたといふことですが、私が自分の物の標を著けて置いた花に限つて、さういふ氣遣ひはない。(あなたが他の人に許しなさつたといふ評判が高いが、わたしは、安心してゐる。)
 
    秋《アキ》の雜《ザフ》の歌《ウタ》
 
  舒明天皇の御製
 
1511 夕されば、小《ヲ》倉の山に鳴く鹿《シカ》は、今宵は鳴かず。寢《イ》ねにけらしも
 
1511 何時も日暮れになると、小倉山で鳴く鹿は、今夜は鳴かない。もう寢て了うたのに違ひない。
 
  大津皇子《オホツノミコ》の御歌
 
1512 經《タテ》もなく、緯《ヌキ》もさだめず、處女らが織れる紅葉に、霜な降りそね
 
1512 經絲もなく、緯絲も拵へずに、娘たちが織つた錦のやうな、この紅葉に、霜よ、降るな。
 
  穂積《ホヅミノ》皇子の御歌。二首
 
1513 今朝の朝明《アサケ》。雁《カリ》が音《ネ》聞きつ。春日山もみぢにけらし。我が心痛し
 
1513 今日の夜明け方に、雁の聲を聞いたぞ。だから春日山は、もう紅葉したに違ひない。秋といふので、自分の心は、感じ易くなつて、悲しくなつて來た。
 
1514 秋萩は咲きぬべからし。我が宿の淺茅《アサヂ》が花の散りぬる、見れば
 
1514 自分の屋敷内に生えてゐた茅花《ツバナ》が、ほゝけて散つて了うた。それを見ると、野山の萩の花は、もう追つゝけ咲くのだらう。
 
  但馬《タジマノ》皇女の御歌(一説に子部《コベノ》女王の歌といふ。)
 
1515 言しげき里に住まずは、今朝鳴きし雁にたぐひて、行かましものを
 
1515 人の評判のうるさい里に住んでゐる位ならば、いつそ今朝方鳴いた雁と、一處に竝んで常世の國へ行つたらよかつた。(此歌は、雁が、當時の理想郷である、常世の國から來て、常世の國へ歸ると考へてゐたことを、知つてゐなければおもしろくない。)
 
  山部(ノ)王《オホキミ》、紅葉を惜しまれた歌
 
1516 秋山にもみづ木《コ》の葉の、うつりなば、更にや、秋を見まく欲《ホ》りせむ
 
1516 秋の山で紅葉してゐる、木の葉の色が褪せて行つたら、未その上にもつと、秋が見たいと思ふであらうが、それは出來ないことだ。(だから、紅葉よ、散つてくれるな。)
 
  長屋《ナガヤノ》王の歌
 
1517 うまざけを三輪の神籬《ミモロ》の山光る、秋の紅葉の散らまく、惜しも
 
1517 三輪のみもろ山が照り輝く迄、美しい秋の紅葉が、散つて了はうとするのが、惜しいことだ。
 
  山上憶良《ヤマノヘノオクラ》の七夕の歌。十二首
 
1518 天の川。相向き立ちて、我が戀ひし君來ますなり。紐解きまけな
 
1518 天の川の傍《ホトリ》で、川を隔てゝ向き合うて立つて、私の焦れて居たお方は、今夜お出でになるのだ。袴の紐を解いて、待ちうける用意をしてゐよう。(織女星の心持ちになつて、歌うたもの。)
 
  右、養老七年七月七日、皇太子(聖武)の令《オフセ》によつて奉つたもの。
 
1519 ひさかたの天《アマ》の川瀬に舟浮けて、今宵か、君が、我許《ワガリ》來まさむ
 
1519 天の川の瀬に舟を浮べて、今夜こそ、戀しいお方が、自分の處へ、お出でなさるだらうよ。
 
  右、神龜元年七月七日の夜、左大臣(長屋(ノ)王)の家で作つたもの。
 
  おなじく。七夕の歌。並びに短歌。二首
 
1520 彦星《ヒコボシ》は、織女《タナバタツメ》と、天地のわかれし時ゆ、いなむしろ川に向き立ち、思ふ心《ソラ》やすけなくに、なげく心やすけなくに、青波に望みは絶えぬ。白雲に涙は盡きぬ。かくのみや息づきをらむ。かくのみや戀ひつゝあらむ。さ丹塗《ニヌリ》の小《ヲ》舟もがも。玉纏《タマヽ》きのま※[楫+戈]《カイ》もがも。朝凪ぎにいかき渡り、夕汐にい漕ぎ渡り、久方の天の川原に、あまとぶや領巾《ヒレ》片敷き、眞玉手の玉手さし交《カ》へ、あまた夜も寢《イ》もねてしがも。秋にあらずとも
 
1520 男星なる牽牛は、織女星と、天と地とがわかれた最初から、天の川を隔てゝ向き合うて立つてゐて、どちらも思うてゐる心持ちが落ちつかず、嘆いてゐる氣分が落ちつかず、逢はうと思うても、天の川には青々とした浪が立つてゐるので、逢ふといふ望みは切れて了うてゐる。中を白雲が隔てて居るのを見ても、其遙けさに涙を零すので、涙もなくなつて了うた程だ。こんな風に嘆息を吐いたり、焦れたりしてゐなければならないか。どうかして、丹で塗つた舟が欲しいものだ。玉を纏きつけた※[楫+戈]が欲しいものだ。さうすれば、毎日々々、朝凪の時分には、※[楫+戈]で漕いで渡り、夕汐のさす時分には、※[舟+虜]で漕いで渡つて、天の川の川原で、飛行自由《ヒギヤウジザイ》の力のある、領布《ヒレ》を半分づゝ下敷きにして、美しい手をばさし交して、枕にし、一年中、始終さうして寢てゐようものを。(秋に限らないで。)
 
  反歌
 
1521 風《カゼ》、雲《クモ》は二つの岸に通へども、我が遠妻《トホヅマ》の言《コト》ぞ通はぬ
 
1521 風や雲は、天の川の兩岸を往來してゐるけれど、自分の遠方にゐる夫の便りは、一向此方へやつて來ないことだ。
 
1522 たぶてにも、なげこしつべき天の川、隔《ヘダ》てればかも、あまたすべなき
 
1522 手投げにでも、石をば投げ越させることの出來さうな天の川だが、其が間に隔つてゐる爲か、こんなに迄ひどく遣るせなく思うてゐねばならぬ。よく/\無力なことだ。
 
  右、天平元年七月七日の夜、天の川をふり仰いで作つた歌。或は太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の家で作つたのだともいふ。
 
  おなじく、七夕の歌。四首
 
1523 秋風の吹きにし日より、いつしかと、我が待ち戀ひし君ぞ、來ませる
 
1523 秋風が吹き始めた時分から、早くやつて來ればよいに、と私が待ちこがれて居た人が、やつと入らつしやつたことだ。(織女星の心。)
 
1524 天の川。いと、川波は立たねども、伺《サモ》らひ難し。近き此瀬を
 
1524 此岸から向うの岸迄は、非常に近い。其近い間の瀬であるのに、又天の川はそんなにひどく川波は立つて居ないのに、その波の間を待つてゐねばならぬ爲、渡ることが出來ないで居る。波の間が待ちきれぬ。(七夕でなくては逢へぬ、二星の心。)
 
1525 袖振らば、見《ミ》も交《カハ》しつべく近けれど、渡るすべなし。秋にしあらねば
 
1525 こちらから袖を振つて注意すれば、互に顔を見合ふことの出來る程、近くにゐるのだけれども、渡る手段がないことだ。逢ふ秋でないから。
 
1526 たまかぎる仄かに見えてわかれなば、もとなや戀ひむ。逢ふ時までは
 
1526 つひちよつと、お逢ひ申したばかりで、わかれて行つたなら、今度逢ふ時迄に、定めて心もとなく、焦れてゐることであらう。
 
  右、天平二年七月八日の夜、太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の家に集つた時のもの。
 
  おなじく、七夕の歌
 
1527 彦星《ヒコボシ》の妻迎へ舟漕ぎ出《ヅ》らし。天の川原に霧し立てれば
 
1527 男星の、妻を迎へに行く舟が、出てゐるに違ひない。あの天の川の川原に、霧が立つてゐるから、渡り瀬がわからないので。
 
1528 霞立つ天の川原に、君待つと、い通《カヨ》ふ程に、裳《モ》の裾濡れぬ
 
1528 水氣のかゝつてゐる天の川原をば、行つたり來たりして、やつて來る人を待つて居る中に、袴の裾が濡れて了うた。
 
1529 天の川|沖《ウキ》つ波の音《ト》騷ぐなり。我が待つ君し、舟出《フナデ》すらしも
 
1529 天の川の川の眞中の方で、波の音がひどく騷しい。私の待つてゐるあの方が、今舟を出して居られるに違ひない。
 
  太宰府の諸卿大夫《マヘツギミタチ》、並びに其以下の役人等、筑前の國|蘆城《アシキ》の驛家《ハユマヤ》に宴會した時の歌。二首
 
1530 女郎花《ヲミナヘシ》秋萩まじる蘆城野《アシキヌ》は、今日をはじめて、萬代に見む
 
1530 女郎花と秋萩とが、入り雜つて咲いてゐる、蘆城の野原をば、今日を見始めとして、何時々々迄も見よう。
 
1531 たまくしげ蘆城(ノ)川を、今日見れば、萬代迄に忘らえめやも
 
1531 蘆城の川の景色を、今日見たから、此後、幾年經つても、忘れる事は出來まいよ。
 
  右二首、作者知れず。
 
  笠(ノ)金村、伊香具《イカゴ》山を通つて作つた歌
 
1532 くさまくら旅行く人も、行き觸《フ》らば、にほひぬべくも、咲ける萩かも
 
1532 通りすがりの旅人も、此山に澤山咲いてゐる、萩の花に觸つて行くと、著物に美しい色がつきさうに、咲いてゐる花だこと。
 
1533 伊香具《イカゴ》山。野邊に咲きたる萩見れば、君が家なる尾花し思ほゆ
 
1533 伊香具山に來て、其山の野原に咲いてゐる萩を見ると、あなたのお宅の薄の尾花も、穂に出てゐよう、と懷しう思はれます。
 
  石川ノ老夫《オキナ》の歌
 
1534 女郎花・秋萩|手《タ》折れ。たまぼこの道行きづとゝ、乞はむ子のため
 
1534 女郎花や、秋萩を折りためてくれ。旅をした土産をくれ、と乞ふだらう所の、いとしい人の爲に。
 
  藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》の歌
 
1535 我が夫子を、何時ぞ、今かと、待つなべに、容貌《オモヤ》は見えむ。秋の風吹く
 
1535 懷しいあなたを、何時お出でなさる、もう今にもお出でなさるか、と待つて居る時分に、ちようど秋風が吹き出した。風は來訪する人のさきぶれだといふが、おつゝけやつて來てお顔を見せて下さるだらう。あゝ秋風が吹く。(曲折の妙を極めた傑作。)
 
  縁達師《エンダチシ》の歌
 
1536 宵にあひて朝《アシタ》面目《オモ》なみ、名張野《ナバリヌ》の萩は散りにき。紅葉はやつげ
 
1536 晩に逢うて朝恥しさに、なばる(隱)といふ、名張野の萩は、散つて了うた。紅葉よ。早く後を續いで輝《テ》つてくれ。
 
  山(ノ)上(ノ)憶良、秋の野の花を詠んだ歌
 
1537 秋の野に咲きたる花を、指《オヨビ》折り、かき數ふれば、七|種《クサ》の花  (其一)
 
1537 秋の野に咲いてゐる目につく花を、指折つて數へて見ると、ちようど、七種類の花がある。
 
1538 萩の花、尾花、葛花《クズバナ》、撫子の花
   女郎花《ヲミナヘシ》、また、藤袴、朝貌の花  (其二)
 
1538 その七種の花といふのは、萩の花・尾花・葛の花・撫子の花と、女郎花、それから、藤袴・朝貌の花、これだけである。
 
  聖武天皇の御製。二首
 
1539 秋の田の穂田《ホタ》をかりがね、暗《クラ》けくに、夜のほどろにも、鳴き渡るかも
 
1539 秋の穂を出した田を刈る時分に鳴く雁が、未暗い時分に、即、夜の間に鳴いて通ることだ。(闊達な音律。王者の歌だけある。佳作。)
 
1540 今朝の朝明《アサケ》。かりがね寒く聞きしなべ、野邊の淺茅《アサヂ》ぞ色づきにける
 
1540 今朝の夜のひきあけ方に、鳴く雁の聲を身に浸むやうにつめたく感じて聞いた所が、氣がつくと、もう野の淺茅が色づいて、紅葉したことだ。
 
  太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人の歌
 
1541 吾が岡にさ雄鹿來鳴く。初《サキ》萩の花、つまどひに來鳴く、さ雄鹿
 
1541 自分の休んでゐる岡に、雄鹿が來て鳴くことだ。さいばりの花を親しんで、妻を訪ねるやうに、訪ねて來て、鳴く雄鹿よ。
 
1542 我が岡の秋萩の花。風をいたみ、散るべくなりぬ。見む人もがも
 
1542 自分が住んでゐる、家の邊の岡の萩の花が、秋風の烈しさに、もう散りさうになつて來た。見る人があればよいが。(人に來てくれ、といひ送つた歌と見える。)
 
  三原(ノ)王の歌
 
1543 秋の露はうつしなりけり。みづどりの青葉の山の、色づく見れば
 
1543 秋の露は、染め紙のやうなものである。まつさをな木の茂つてゐた山が、色づいて來るのを見ると、合點がゆく。
 
  湯原(ノ)王の七夕の歌。二首
 
1544 牽牛《ヒコボシ》の思ひますらむ心ゆも、見る我苦し。夜の更けぬれば
 
1544 牽牛星が焦れて居られる心持ちよりも、見て居る私の方が、ずつとつらい氣持ちがする。夜が段々更けて行くのにつけて。
 
1545 織女《タナバタ》の袖|枕《マ》く夜の曉は、川瀬の鶴《タヅ》は鳴かずともよし
 
1545 織女星の袖を枕にして寢る夜の明け方には、川の瀬に宿つてゐる鶴は、鳴かないでゐればよいのだ。それに鳴くことだ。(牽牛星等の心持ちを、歌うた歌。)
 
  市原《イチハラノ》王の七夕の歌
 
1546 妹|許《ガリ》と、我が行く道に川しあれば、脚結《アユヒ》なたすと、夜ぞ更けにける
 
1546 思ふ人の家へ行くといふので、自分が通ふ道に、川があるので、脚結をし直さうとしてゐると、夜の更けたことが感ぜられる。(牽牛の心持ち。)
 
  藤原(ノ)八束の歌
 
1547 さ雄鹿の萩に貫《ヌ》き置ける露の白玉。あふさわに、何《ナ》ぞの人かも、手に纏《マ》かむちふ
 
1547 鹿がやつて來て、萩の枝にさして通して置いた、白露の白玉よ。こんな美しい玉を、どんな人か知らぬが、無雜作に手にまきつけようなどゝいふのだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女のおくての萩の歌
 
1548 咲く花もうつろふは憂し。おくてなる長き心に、尚如かずけり
 
1548 早く咲く花でも、褪せて了ふのは嫌だ。此遲咲きの萩のやうに、長持ちのする、情の深いものには、及ばないことだ。
 
  典鑄正《イモノシノカミ》紀(ノ)鹿人《カビト》、衛門(ノ)大尉大伴(ノ)稻公《イナギミ》の跡見《トミ》の莊《ナリドコロ》に遊びに行つた時作つた歌
 
1549 射部《イメ》立てゝ跡見《トミノ》岡邊のなでしこの花。ふさ手折《タヲ》り、我《ワ》は持ちいなむ。奈良人の爲
 
1549 跡見の岡の邊に咲いてゐる撫子の花よ。ふつさりと、澤山折つて歸らうよ。奈良の家に居る人の爲に。
 
  湯原(ノ)王の鳴く鹿の歌
 
1550 秋萩の散りの紛《マガ》ひに、呼び立てゝ鳴くなる鹿の、聲の遙《ハル》けさ
 
1550 萩の花が邊をかき暗まして散る中で、鳴いてゐる所の鹿の聲が、遥かに聞えることよ。(鹿の鳴いて居る山を、想像した歌。)
 
  市原(ノ)王の歌
 
1551 時待ちて落つる時雨の、降り止《ヤ》みて、淺香(ノ)山し、もみだひぬらむ
 
1551 冬になつたので、待ちつけ顏に降つで來た時雨が、降りやんだが、淺香山は大方、紅葉してゐるだらう。
 
  湯原(ノ)王の蟋蟀《コホロギ》の歌
 
1552 夕月夜《ユフヅクヨ》。心も萎《シヌ》に、白露のおくこの庭に、蟋蟀鳴くも
 
1552 夕月が照つて、心に元氣がなく、眺めると、白露のおりてゐる我家《ウチ》の庭に、蟋蟀が鳴いてゐることだ。
 
  大伴(ノ)稻|公《ギミ》の歌
 
1553 しぐれの雨|間《マ》なくし降れば、三笠山|木末《コヌレ》あまねく色づきにけり
 
1553 時雨がしきりなく降るので、三笠山は、木末がすつかり色づいたことだ。
 
  大伴(ノ)家持の和せた歌
 
1554 大君の三笠(ノ)山のもみぢ葉は、今日の時雨に、散りか過ぎなむ
 
1554 三笠山の紅葉は、今日降る時雨の爲に、散つて了ふことだらう。
 
  安貴《アキノ》王の歌
 
1555 秋立ちて幾|日《カ》もあらねば、この寢《ネ》ぬる朝|明《ケ》の風は、袂寒しも
 
1555 秋が來て、まだ幾日にもならないのに、目が覺めた今朝の風は、袂につめたくあたることだ。
 
  忌部(ノ)黒麻呂の歌
 
1556 秋田刈る假廬《カリホ》も未|壞《コボ》たねば、雁が音《ネ》寒し。霜もおきぬがに
 
1556 秋の田を刈つた假小屋も、壞たないのに、もう雁の聲が、寒さうに聞えて來る。霜も降るほどに。
 
  舊都飛鳥の、豐浦《トヨラ》寺の尼が、自分の房で、宴會した時の歌。三首
 
1557 飛鳥川行きたむ岡の秋萩は、今日降る雨に、散りか過ぎなむ
 
1557 飛鳥川が流れて裾を廻つて行く岡に、咲いてゐる萩の花は、今日降つてゐる雨の爲に、散り失せはすまいか。
 
  右、丹比《タヂヒノ》國人。
 
1558 鶉鳴く古りにし里の秋萩を、思ふ人どち相見つるかも
 
1558 寂れ果てた古都の萩の花をば、今日、氣のあうた人同志よつて眺め合うたことだ。
 
1559 秋萩は盛り過ぐるを。徒らにかざしに挿さず、歸りなむとや
 
1559 彼此する中に、萩の花は盛りを過ぎて了ふのに、頭に簪として、插しもせず、無用の物にして、歸つて了はうと仰つしやるのですか。もつとお遊びなさい。
 
  右二首、同寺の尼どもの作つたものである。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、跡見《トミ》の荘《ナリドコロ》で作つた歌
 
1560 妹《イモ》が目を、跡見のみ崎の秋萩は、此月頃は、散りこすな。ゆめ
 
1560 跡見の崎に咲いてゐる萩の花は、どうぞ一月程の間は散つてくれな。
 
1561 吉隱《ヨナバリ》の猪養《ヰカヒノ》山に伏す鹿の、妻呼ぶ聲を聞くが、ともしさ
 
1561 吉隱の里の猪養山に寢てゐる鹿が、妻を呼んでゐる聲を聞くのが、珍しい心持ちである。
 
  巫部麻蘇處女《カムコベノマソノヲトメ》の雁の歌
 
1562 誰《タレ》聞きつ。茲《コ》ゆ鳴き渡る雁が音《ネ》の、妻呼ぶ聲のともしくもあるか
 
1562 もう誰かゞ聞いたか、訣らないが、茲をば鳴いて通る雁の聲が、私には珍しう思はれる。
 
   大伴(ノ)家持の和《アハ》せた歌
 
1563 聞きつやと、妹がとはせる雁が音は、誠も、遠く雲|隱《ガク》るなり
 
1563 お前さんが、私に聞いたか、とお問ひになつた雁の聲は、聞いたことは實際聞きましたが、爭へないもので、お前さん同樣、顔も見せず、遙かに雲の陰から洩れて來るのを聞きました。
 
  日置長枝處女《ヘキノナガエノヲトメ》の歌
 
1564 秋づけば尾花が上《ウヘ》に置く露の、消《ケ》ぬべくも、吾《ワ》は思ほゆるかも
 
1564 段々秋らしくなるので、尾花の上に置いてゐる露ではないが、私は戀ひの爲に、消えて行つて了ひさうに思はれます事よ。
 
  大伴(ノ)家持の答へた歌
 
1565 我が宿の一群《ムラ》萩を、思ふ子に見せず、ほと/\散しつるかも
 
1565 自分の屋敷にある一|群《カタマリ》の萩の花を、可愛い人に見せない中に、あぶなく散して了はうとしたことだ。おこしが遲いので。(此歌は、次の頁の終りの「我が宿の(一五七二)」の歌と、入りかはつてゐるのであらう。)
 
    *
 
  大伴(ノ)家持の秋の歌。四首
 
1566 久方の雨間《アマゝ》もおかず、雲|隱《ガク》り、鳴きぞ行くなる。早稻田《ワサダ》かりがね
 
1566 雨の降つてゐる間も、ちつとも間をあけずに、雲に隱れて鳴いて行くことだ。早稻の田を刈る時分に、田を刈るといふ名のかりが。
 
1567 雲|隱《ガク》りり鳴くなる雁《カリ》の、行きてゐむ秋田の穂立《ホダ》ち、繁くし思ほゆ
 
1567 雲に隱れて鳴いて行く所の雁が、飛んで行つて落ちる、秋の田の穂立ちではないが、此頃しげ/”\と彼の人のことが思はれる。
 
1568 雨《アマ》づゝみ心|鬱《イブ》せみ、出でゝ見れば、春日(ノ)山は色づきにけり
 
1568 雨で引込んでゐて、心の退屈さに、外に出て見ると、春日山は、もうちやんと紅葉して色づいてゐた。
 
1569 雨霽れて、清く照りたる此|月夜《ツクヨ》、又更にして、雲なたなびき
 
1569 折角雨が晴れて、さつぱりと照して居る月だのに、又改めて、雲よ。棚引くやうなことをすな。
 
  右四首、天平八年九月に作つたものである。
 
  藤原(ノ)八束の歌。二首
 
1570 茲に在りて、春日や何處《イヅク》。雨づゝみ出でゝ行かねば、戀ひつゝぞをる
 
1570 茲に居て見ると、春日はどの邊になつて居るのだらう。雨が降るので、出て行かないで焦れて焦れて許りゐる。
 
1571 春日野に時雨降る、見ゆ。明日よりは、紅葉簪さむ。高圓の山
 
1571 春日野には、時雨の降つてゐるのが見える。だから明日からは、高圓山は頂上の木立が色づくから、紅葉を簪にさしたやうになるだらう。
 
  大件(ノ)家持の白露の歌
 
1572 我が宿の尾花が上の白露を、消《ケ》たずて、玉に貫《ヌ》くものにもが
 
1572 自分の屋敷内の尾花の上に置いてゐる白露を、消えさせて了はないで、玉の緒に貫くことの出來るものであつたらよいが。(此歌は、八首前(一五六五)の日置(ノ)長枝の處女の歌の返歌で、一群萩の歌と轉倒したのである。)
 
  大伴(ノ)村上の歌
 
1573 秋の雨に濡れつゝをれば、賤《イヤ》しけど、吾妹が宿し思ほゆるかも
 
1573 私は秋の雨に濡れて居ますので、むさくろしい場處ではありますが、せめて呼び入れて雨宿りをさせてくれる戀ひ人の家が、此邊にあつたらよいが、と思はれることです。
 
  右大臣橘(ノ)諸兄《モロエ》の家の宴會の歌。七首。
 
  大伴(ノ)家持の歌。二首
 
1574 雲の上に鳴くなる雁の、遠《トホ》けども、君に逢はむと、たもとほり來つ
 
1574 雲の上に鳴いてゐる所の雁ではないが、あなたに逢はうとて、遠いのに、うろ/\とやつて參りました。
 
1575 雲の上に鳴きつる雁の、寒きなべ、萩の下葉はもみぢつるかも
 
1575 雲の上に鳴いてゐる雁の聲が、冷さうに聞えると思ふと、今一方、萩の下葉も、紅葉したことです。
 
  長門(ノ)守|巨曾倍《コソベノ》津島の歌
 
1576 此岡に小《ヲ》鹿蹈み起し、うか狙《ネラ》ひ、かもかくもすらく、君故にこそ
 
1576 此岡で鹿を蹈み立てゝ、狙ひを定めるやうに、あれ此と迷うて、色々のことをしますのも、あなたの爲です。
 
  安倍(ノ)蟲麻呂の歌。二首
 
1577 秋の野の尾花が末《ウレ》をおし靡《ナ》べて、來《コ》しくも驗《シル》く、逢へる君かも
 
1577 秋の野に亂れてゐる尾花の穂先をば、押し伏せて野を分けてやつて來たのも、その效《カヒ》があつて逢うて下さつた君よ。
 
1578 今朝鳴きて行きし雁《カリ》が音《ネ》寒みかも、此野の淺茅《アサヂ》色づきにける
 
1578 今朝鳴いて行つた雁の聲が冷かつたからか、此野邊の淺茅は色づいたことだ。(成程冷い聲だと思うたが、其筈だ。)
 
  文馬養《フミノウマカヒ》の歌。二首
 
1579 朝戸|開《ア》けて物思ふ時に、白露の置ける秋萩、見えつゝ、もとな
 
1579 朝の戸を開けて、物思ひに沈んで居る時分に、自然と目に、露の置いてゐる萩が映つて來勝ちなのも、何だか心もとない。(傑作)
 
1580 さ雄鹿の來立ち鳴く野の秋萩は、露霜《ツユジモ》おひて散りにしものを
 
1580 雄鹿が來て鳴く野の萩の花は、秋の末の冷い露を受けて、散つて行つて了うたことだ。
 
  右、天平十年八月廿日に作つたもの。
 
  □橘(ノ)奈良麻呂の家の宴會の歌。十一首
 
  橘(ノ)奈良麻呂の歌。二首
 
1581 手《タ》折らずて、散らば惜しみと、我が思《モ》ひし秋の紅葉をかざしつるかも
 
1581 折らない先に散つて了へば、惜しいことだと思うて、ひやひやして居た秋の紅葉をば、今日簪して遊ぶことが出來たことだ。
 
1582 めづらしき人に見せむと、もみぢ葉を手折りぞ我が來し。雨の降らくに
 
1582 此雨の降るのに、紅葉を手折つて參りました。珍客にお見せ申さうと思うて。
 
  久米(ノ)女王の歌
 
1583 もみぢ葉を散す時雨に、濡れて來て、君が紅葉をかざしつるかな
 
1583 紅葉を散して降る時雨の中を、濡れながらやつて來まして、あなたのお庭の紅葉を、頭に插して遊ぶことです。(即興の歌として、傑作である。)
 
  長《ナガノ》某の女の歌
 
1584 めづらしと、我が思ふ君は、秋山の初もみぢ葉に似てこそありけれ
 
1584 めざましい立派なお方だ、と私の思ふあなたは、ほんとうに秋山に初めて色著きかけた、紅葉のやうで入らつしやいますことよ。(此は、奈良麻呂の家に仕へてゐたものが、客に向うて詠んだのであらう。)
 
  内舍人《ウチトネリ》縣《アガタノ》犬養(ノ)吉男《ヨシヲ》の歌
 
1585 奈良山の峰のもみぢ葉、とれば散る。しぐれの雨の、間《マ》なく降るらし
 
1585 奈良山の峰の紅葉を手にとつて見ると、散つて了ふ。此は時雨が、頻りに降つてゐるからだらう。
 
  縣(ノ)犬養(ノ)持男《モチヲ》の歌
 
1586 もみぢ葉を、散らまく惜しみ、手折り來て、今宵かざしつ。何か思はむ
 
1586 紅葉の散るのが惜しさに、折つて來て、今夜頭に插したことだ。此上は、何の氣がゝりもない。
 
  大伴(ノ)書《フミ》持の歌
 
1587 足引きの山のもみぢ葉、今宵もか、浮び去《イ》ぬらむ。山川《ヤマガハ》の瀬に
 
1587 山の紅葉は、今夜あたりは、山の谷川の淺瀬に浮いて、流れて行つて了うてるだらう。
 
  三手代人名《ミテシロノヒトナ》の歌
 
1588 奈良山を匂《ニホ》すもみぢ葉、手折り來て、今宵簪しつ。散らば散るとも
 
1588 奈良山を美しく見せる、紅葉を折つて來て、今夜の宴會に頭に插した。此上は、散るなら散つてもかまはない。
 
  秦許遍《ハタノコベ》麻呂の歌
 
1589 露霜《ツユジモ》に遭へる紅葉を手折り來て、妹にかざしつ。後は散るとも
 
1589 冷《ツメタ》い露に出遭うて、色の變つた紅葉を折つて來て、可愛い人の頭に插したから、此から後は、もう散つてもかまはない。
 
  大伴(ノ)池主の歌
 
1590 神無月、時雨に遭へるもみぢ葉の、吹かば散りなむ。風のまに/\
 
1590 十月頃の時雨に遭うた紅葉は、風が吹いたら、風の吹くに從うて、散ることだらう。
 
  内舍人大伴(ノ)家持の歌
 
1591 もみぢ葉の過ぎまく惜しみ、思ふどち遊ぶ今宵は、明けずもあらぬか
 
1591 紅葉がなくなつて了ふのが惜しさに、氣の合うた同志が遊ぶ、樂しい今夜は、明けずに居つてくれゝばよいが。
 
  右、天平十年十月十七日、右大臣橘(ノ)諸兄の舊宅で、宴會した時の歌。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、竹田(ノ)荘《ナリドコロ》で作つた歌。二首
 
1592 しかとあらぬ五百代小田《イホシロヲダ》を刈り亂り、田廬《タブセ》にをれば、都し思ほゆ
 
1592 此田舍の田の中の假小屋に居ると、代數《シロカズ》のしつかりと澤山ない、自分の田をば無暗に刈るやうに、思ひ亂れて都のことが思はれる。
 
1593 隱國《コモリク》の泊瀬の山は色づきぬ。しぐれの雨は降りにけらしも
 
1593 泊漸の山は紅葉した。もうあの邊では時雨が降つたに違ひない。
 
  右、天平十一年九月に作つたもの。
 
  佛前の唱歌
 
1594 しぐれの雨《アメ》。間《マ》なくな降りそ。紅に匂へる山の散らまく、惜しも
 
1594 時雨の雨よ。そんなに降り通しに降るな。眞赤に美しうなつてゐる、山の紅葉の散るのが惜しいことだ。
 
  右、同年十月、皇后宮であつた維摩《ユヰマ》講に、終日、供養として、唐・高麗などの音樂のあつた後、此歌を唱うたのである。琴を彈いたのは、市原(ノ)王と忍坂《オサカノ》王とで、唱うたのは、田口(ノ)家守《ヤカモリ》・河邊(ノ)東人《アヅマビト》・置始長谷《オキゾメノハツセ》など、十人餘りの人々であつた。
 
  大伴(ノ)像見《カタミ》の歌
 
1595 秋萩の枝もとをゝに置く露の、消《ケ》なば消《ケ》ぬとも、色に出でめやも
 
1595 萩の枝さへも、ぶら/”\に撓む程置いてゐる露ではないが、我が身も消え失せるやうに衰へても、滅多に色に出して、人には悟られようか。
 
  大伴(ノ)家持、或處女の家の門に行つて作つた歌
 
1596 妹が家《イヘ》の門田《カドタ》を見むと、うち出《デ》來《コ》し心も驗《シル》く、照る月夜《ツクヨ》かも
 
1596 お前さんの家の表の、田を見ようと思うて、やつて來た心も、其かひあつて、よく照つてゐる月だこと。(女が内に入れなかつたに對する、皮肉なのである。)
 
  大伴(ノ)家持の萩の歌。三首
 
1597 秋の野に咲ける秋萩。秋風に靡ける上に、秋の露置けり
 
1597 秋の野に咲いてゐる萩。其が、秋風に吹かれて、伏し片寄つてゐる。その枝の上に、秋の露が置いてゐる。(秋といふ語を重ねることに興味を持つた歌。)
 
1598 さ雄鹿の朝立つ野邊の秋萩に、玉と見る迄置ける白露
 
1598 雄鹿が朝立つてゐる野の萩の上に、玉かと思はれる程に、置いてゐる白露よ。
 
1599 さ雄鹿《ヲシカ》の胸分《ムネワ》きにかも、秋萩の散り過ぎにける。盛りかも去《イ》ぬる
 
1599 萩が散つて了うたのは、雄鹿が胸で分けて通つた爲であるか。それとも、盛りが去つて了うた爲なのであるか。
 
  右、天平十五年八月に、物のけはひの移り變るのを見て作つた歌。
 
  内舍人《ウチトネリ》石川(ノ)廣成の歌。二首
 
1600 妻|戀《ゴ》ひに鹿《カ》鳴く山邊の秋萩は、露|霜《ジモ》寒み、盛り過ぎ行く
 
1600 妻に焦れて鹿の鳴く山の萩は、秋の末の露の冷さに、盛りが通り去つて行くことだ。
 
1601 めづらしく、君が家なる花|薄《ズヽキ》、穗に出づる秋の、過ぐらく惜しも
 
1601 あなたの家の花薄が、目に立つ程に穗の出た、此秋が過ぎて、ほゝけて行くのが惜しいことです。
 
  大伴(ノ)家持の鹿の聲の歌。二首
 
1602 山彦の相《アヒ》とよむ迄、妻|戀《ゴ》ひに鹿《カ》鳴く山邊に、獨りのみして
 
1602 木魂《コダマ》が一處に答へて響く程に、大きな聲で、妻に焦れて、鹿の鳴く山の傍に、只獨りでゐることだ。
 
1603 此頃の朝|明《ケ》に聞けば、足引きの山をとよもし、さ雄鹿鳴くも
 
1603 幾日か此方、夜の引き明け方に、いつも聞くと、山を振動させる程に、雄鹿が鳴くことだ。
 
  右二首、天平十五年八月十六日に作つたもの。
 
  大原(ノ)今城《イマキ》、奈良の舊都を悲しんだ歌
 
1604 秋されば、春日(ノ)山の紅葉散る、寧樂《ナラノ》都の荒るらく、惜しも
 
1604 秋が來ると、寧樂《ナラ》の都全體に、春日山の紅葉が散り敷く、其都の荒れるのが惜しいことだ。
 
  同じく、大伴(ノ)家持の歌
 
1605 高|圓《マド》の野邊の秋萩。此頃の曉露《アカトキヅユ》に、咲きにけむかも
 
1605 あの奈良の舊都の、郊外の高圓の野の萩の花が、此幾日か以來、置き出した明け方の露に、もはや咲いたことだらう。
 
    秋《アキ》の相聞《サウモン》
 
  額田(ノ)女王、天智天皇を偲ばれた歌
 
1606 君待つと、わが戀ひをれば、我が宿の簾動し、秋の風吹く
 
1606 此歌と次の歌とは、第四の始にも出てゐるから、茲には解釋はしない。
 
  鏡(ノ)女王の歌
 
1607 風をだに戀ふればともし。風をだに、來むとし待たば、如何イカヾ》嘆かむ
 
1607 卷の四には、五句が何か嘆かむとなつてゐる。意味は同じである。
 
  弓削皇子《ユゲノミコ》の御歌
 
1608 秋萩の上に置きたる白露の、消《ケ》かも死なまし。戀ひつゝあらずは
 
1608 焦れて居る位ならば、一層萩の上に置いてゐる露のやうに、消えて死んで了はうか知らん。
 
  丹比《タヂヒノ》某の歌
 
1609 宇陀《ウダノ》野の秋萩凌ぎ鳴く鹿も、妻に戀ふらく、我にはまさじ
 
1609 宇陀の野の萩を蹈み分け/\、その上に出て、妻戀しさに鳴いてゐる鹿も、妻に焦れてゐることにかけては、自分には勝つことは出來まい。
 
  丹生女王《ニフノヒメオホキミ》、太宰(ノ)帥大伴(ノ)旅人に贈られた歌
 
1610 高圓《タカマド》の秋の野《ヌ》の邊《ヘ》の撫子《ナデシコ》の花。うら若み、人のかざしゝ撫子の花
 
1610 高圓の野の中に咲いてゐる撫子の花よ。昔は若々としてゐるので、人が折つて頭に插したり何かした、撫子の花よ。(年をとつて後、昔の關係が思ひ出されて、稍恨み交りに、作られたものと見える。)
 
  笠縫(ノ)女王の歌
 
1611 足引きの山下とよみ鳴く鹿の、言《コト》乏《トモ》しかも。我が心づま
 
1611 山の麓の方で、あたりを振動させて鳴く鹿の聲が、珍しく聞えて來たやうに、珍しく便《タヨリ》を下さつた、わたしの思うてゐるお方よ。
 
  石川(ノ)賀係郎女《カケノイラツメ》の歌
 
1612 神《カミ》さぶと、いなには非ず。秋草の結びし紐を解かば、かなしみ
 
1612 わたしは誠に年がいつて、古びてゐますが、年が寄つたからとて、あなたの仰せを聞かぬといふ訣ではありませぬ。只解くまいと結んだ紐を解くのが、悲しいからであります。(此人は恐らく、後世の内侍所あたりに奉仕した女官で、年老ける迄、童貞の生活を續けた人であらう。)
 
  賀茂(ノ)女王の歌
 
1613 秋の野を朝行く鹿の、跡《アト》もなく、思ひし君に逢へる今宵《コヨヒ》か
 
1613 秋の野を通つて行く鹿の足跡ではないが、後に間柄を續けることはなからう、と思うてゐたあなたに、思ひがけなく逢ふことが出來た、今夜の嬉しさよ。
 
  右の歌、一説には、椋橋部《クラハシベノ》女王のだとも、笠縫(ノ)女王のだともいふ。遠江(ノ)守櫻井(ノ)王、天皇に奉られた歌
 
1614 長月のその初雁の使《ツカヒ》にも、思ふ心は聞え來《コ》ぬかも
 
1614 雁といふものは、人の文の使ひをするといふことですが、私はこんな遠方の、遠江に來てゐますが、九月になると、雁がやつて來ます。その初雁が御使ひであつてくれて、あなたの思うて入らつしやるお心持ちが、聞えて參りますれば宜しいが、おたよりのないことです。(佳作)
 
  天皇(聖武)の下された御製
 
1615 大《オホノ》浦。その長濱に寄する波。ゆたけく君を思ふ。このごろ
 
1615 お前のゐなさる遠江の大の浦の、長い海岸に寄せて來る波ではないが、お前のことを思うて、此頃は、心が動搖してならぬ。
 
  笠(ノ)郎女、大伴(ノ)家持に贈つた歌
 
1616 朝毎に我が見る宿の撫子の、花にも、君がありこせぬかも
 
1616 毎朝見る屋敷内の撫子の花でゞも、あなたが、あればよいが。(さうすれば、始終逢うてゐるやうに思うて居ように。)
 
  山口(ノ)女王、大伴(ノ)家持に贈られた歌
 
1617 秋萩に置きたる露の風吹きて、落つる涙は、止《トヾ》めかねつも
 
1617 萩の花の上に置いてゐる露が、風の吹く爲に落ちるのではないが、はら/\と零れて來る涙は、止めようとしても、止めることが出來ないで居る。
 
  湯原(ノ)王、某(ノ)處女に與へられた歌
 
1618 玉に貫《ヌ》き消《ケ》たず賜《タバ》らむ。秋萩の木末《ウレ》わゝらばに、置ける白露
 
1618 萩の先の方に、一杯に亂れて置いてゐる白露を、玉の緒に通して、消えさせないで、私に下さい。
 
  大伴(ノ)家持、姑《ヲバ》坂上(ノ)郎女の竹田の莊《ナリドコロ》に行つて作つた歌
 
1619 玉桙の道は遠《トホ》けど、はしきやし妹を逢ひ見に、出でゝぞ、我が來し
 
1619 道|程《ノリ》は非常に遠くはありますが、可愛いゝと思ふ人に逢うて見たいと、出かけて參りました。(此時、坂上(ノ)郎女の娘大孃が、郎女と一處に、竹田に居たものであらう。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の和せた歌
 
1620 あらたまの月立つ迄に、來まさねば、夢《イメ》にし見つゝ、思ひぞ我がせし
 
1620 月日がたつ迄もお出でなさらんので、夢にあなたのことを見て、物思ひをしてゐました。(娘の大孃に代つて作つたもの。)
 
  右二首、天平十一年八月に出來たもの。
 
  巫部麻蘇《カムコベノマソノ》處女の歌
 
1621 我が宿の萩が花咲けり。見に來ませ。今二日ばかりあらば、散りなむ
 
1621 私の屋敷内の、萩の花が咲きました。まう二日ばかりその儘にしておいたら、散つて了ひませう。
 
  大伴(ノ)田村(ノ)大孃、妹坂上(ノ)大孃に與へた歌。二首
 
1622 我が宿の秋の萩咲く夕かげに、今も見てしが。妹が姿を
 
1622 私の屋敷内の萩の花が咲いてゐる、此夕明りの時分に、ちようど、今見たいことだ。お前さんの姿をば。
 
1623 我が宿にもみづ楓《カヘルデ》見る毎に、妹をかけつゝ戀ひぬ日はなし
 
1623 私の屋敷に紅葉してゐる楓を見る毎に、いとしいお前のことを思ひ浮べて焦れてゐない日はない。
 
  坂上(ノ)大孃、稻でこさへた※[草冠/縵]《カヅラ》を、大伴(ノ)家持に贈るのに添へた歌
 
1624 我が蒔ける早稻田《ワサダ》の穂立《ホダ》ち、作りたる※[草冠/縵]《カヅラ》ぞ。見つゝ偲《シヌ》ばせ。吾が夫《セ》
 
1624 これは即、わたしの蒔いておいた、早稻の田の穂の立つたのを以て作つた、※[草冠/縵]で御座います。どうぞこれを見乍ら、わたしのことを思ひ出して下さい。
 
  大伴(ノ)家持の和せた歌
 
1625 吾妹子が産業《ナリ》と作りし、秋の田の早稻穂《ワサボ》の※[草冠/縵]《カヅラ》。見れど飽かぬかも
 
1625 いとしい人が手爲事に、拵へてくれた、早稻の穂の※[草冠/縵]は、いくら見ても見飽かぬ。私の身に著けてゐよう。
 
  又、著物を贈つた時、家持の答へた歌
 
1626 秋風の寒きこのごろ、下に著む。妹がかたみと、かつも偲《シヌ》ばむ
 
1626 秋風の冷い今日此頃であるから、此著物を下に著て居よう。只風を防ぐばかりでなく、さうしてその上に、いとしい人の身代りと思うて、お前のことを思うてゐよう。
 
  右三首、天平十一年九月に出來たもの。
 
  大伴(ノ)家持、藤の花の時候外れに咲いたのと、萩の紅葉とを、坂上(ノ)大孃に贈る時添へた歌
 
1627 我が宿の時じく藤のめづらしく、今も見てしが。妹がゑまひを
 
1627 私の屋敷の、しゆんはづれの藤の花が、珍しいやうに、今あなたの笑顔をば、目ざましく鮮かに見たいものだ。
 
1628 我が宿の萩の下葉は、秋風もいまだ吹かねば、かくぞもみでる
 
1628 私の屋敷内の萩の下葉は、秋風さへも未吹いてゐないのに、こんなに紅葉してゐます。(自分の焦れてゐることを示したのである。)
 
  大伴(ノ)家持、坂上(ノ)大孃に贈つた歌。並びに短歌
 
1629 懇《ネモゴ》ろにものを思へば、云はむすべ、せむすべもなし。妹と我と手携《タヅサ》はりて、朝には庭に出で立ち、夕には床うち拂ひ、白栲《シロタヘ》の袖さし交《カ》へて、さ寢し夜や、常にありける。あしびきの山鳥こそは、峰向《ヲムカ》ひに妻《ツマ》どひすとへ。現身《ウツソミ》の人なるわれや、何すとか、一日一夜《ヒトヒヒトヨ》も離《サカ》り居て嘆き戀ふらむ。こゝ思《モ》へば胸こそ痛《イタ》め。そこ故に心|和《ナ》ぐやと、高圓の山にも、野にも、うち行きて遊び行けど、花のみにほひてあれば、見る毎にまして思ほゆ。如何にして忘れむものぞ。戀ひとふものを
 
1629 つく/”\と思ひに沈んでゐるので、其|辛《ツラ》さは云ひ表すことも出來ず、遣る瀬もない。お前さんと私とが手を引き合うて、朝には庭に出て歩き、日暮れには床を掃除して、袖をさし交して、寢た夜は、いつ迄も始中終《シヨツチユウ》かはりなくあつたらうか。さうは行かない。あの山鳥は、山を隔てゝ棲んでゐて、つれあひを尋ねに出るといふことであるが、肉身を持つ私はさういふ訣にはいかない。どうして、一日一夜でも、一處にをれずに、離れてゐて、溜息《タメイキ》を吐《ツ》いて焦れてゐなければならないのだらうか。此事を考へると、胸が傷《イタ》むやうに思ふ。それで表を歩いて來れば、此思ひが鎭るかと考へて、高圓山の、山や野へ出かけて行くけれど、お前さんには、逢はないで、花許りが時を得顔に咲いて居るので、その花を見れば見る程、愈お前さんのことが考へ出される。どうしたら忘れることが出來ようか。戀ひといふものをば。
 
  反歌
1630 高圓の野邊《ヌベ》のかほ花。面影《オモカゲ》に見えつつ、妹は忘れかねつも
 
1630 高圓の野中に咲いてゐるかほ花よ。それを見ると、幻にお前さんの貌が見えて來て、忘れかねてゐることだ。(佳作)
 
  大伴(ノ)家持、安倍(ノ)郎女に贈つた歌
 
1631 今造る恭仁《クニノ》都に、秋の夜の長きに、獨り寢《ヌ》るが苦しさ
 
1631 新しう出來た、恭仁《クニ》の都で、秋の夜の長い時分に、獨り寢するのがつらいことだ。
 
  大伴(ノ)家持、恭仁《クニノ》都から、平城《ナラ》の家に殘して來た、坂上(ノ)大孃の許へ贈つた歌
 
1632 あしびきの山邊にをりて、秋風の日に日《ケ》に吹けば、妹をしぞ思ふ
 
1632 山の邊に居て、秋風が日毎に吹き募る時分に、家に殘しておいた、いとしい人のことを思うてゐる。
 
  某(ノ)尼に贈つた或人の歌。二首
 
1633 手もすまに植ゑし萩にや、かへりては、見れども飽かに、心盡さむ
 
1633 此萩は、わたしが手を休めずに、丹精をして植ゑた萩である。それをいくら見ても、飽かないで、却て、此萩の爲に、自分は心を苦しめてゐねばならぬか。(この作者は、家持であらう。)
 
1634 衣手《コロモデ》に水澀《ミシブ》著く迄植ゑし田を、引板《ヒキタ》われ延《ハ》へ、守《マモ》れる苦し
  〔連歌〕某(ノ)尼、上の句を作り、その下の句を、家持がつけた歌
 
1634 袖に水澀が著く程迄、田に這入りこんで、植ゑた田をば、外の者にとられまい、と鳴子の繩をずつとつけて、張り番してゐるのは、氣がゝりなものだ。
 
1635 佐保川の水|堰《セ》き上げて植ゑし田を、(尼)
 刈れる早飯《サイヒ》は、獨り業《ナ》るべし(家持)
 
1635 佐保川の水をば堰いて、田に引き入れて、苦心して植ゑつけた田をば(と、自分の娘と交渉のあつた、家持に戯れて咎めると)刈り上げて、食べる早稻の飯は、獨りで自分の産業の收入として食べるのが常でありませう。(そのやうに親が苦心して育てた娘を、他人の男が獨りで、我が物とするのも、不思議はないでせう。)
 
    冬《フユ》の雜《ザフ》の歌《ウタ》
 
  舍人處女《トネリノヲトメ》の雪の歌
 
1636 大内《オホウチ》の眞神《マガミ》个原に降る雪は、甚《イタ》くな降りそ。家もあらなくに
 
1636 大内の里の眞神个原で降り出した雪は、そんなにひどく降つてくれるな。あたりには、家もないのである。
 
  太上(元正)天皇の御製
 
1637 はた薄《ズヽキ》尾花|逆葺《サカフ》き、黒木もち造れる宿は、萬代迄に
 
1637 この家は、急ごしらへで、薄の尾花をば逆樣に葺いて、削らない荒木で作つてゐる家だ。しかし、すが/”\した心持ちから見れば、何時々々迄も榮えて行くに違ひない。
 
  天皇(聖武)御製
 
1638 あをによし奈良の山なる黒木もち、造れる宿は、ませど飽かぬかも
 
1638 奈良山に生えた樹の荒木その儘で、造つた此家は、朕《ワシ》が幾ら居ても飽くことがないことだ。
 
  右二首、傳説によると、太上天皇、天皇と御一處で、左大臣長屋(ノ)王の佐保の家にみゆきになつて、酒宴の時に作られたものだといふ。
 
  太宰(ノ)帥大伴旅人、冬の日、雪を眺めて都を慕うた歌
 
1639 泡《アワ》雪のほどろ/\に降りしけば、奈良(ノ)都し思ほゆるかも
 
1639 春の雪が斑《マダラ》に地面に降るのを見ると、奈良の都の容子が思ひ出される。
 
  おなじ人の梅の歌
 
1640 我が岡に盛りに咲ける梅の花。残れる雪を紛《マガ》へつるかも
 
1640 自分の住んでゐる家の邊の岡に、眞盛りに咲いた梅の花が、春になつて消え殘つたユキに、見違へさせることだ。
 
  ※[角の頭がノ]廣辯《ロクノクワウベン》の雪中の梅の歌
 
1641 泡雪に降らえて咲ける梅の花。君|許《ガリ》やらば、よそへてむかも
 
1641 泡雪に降られた爲に、誘はれて咲き出した梅の花よ。その花を、あの人の所へやつたら、花を私に思ひ準へて、眺めて下さることであらう。(梅をやるのに添へた歌。)
 
  安倍(ノ)奥道《オキミチ》の雪の歌
 
1642 たなぎらひ雪も降らぬか。梅の花咲かぬがしろに、よそへてだに見む
 
1642 一杯に空がかき曇つて、雪でも降つてくれゝはよい。梅の花が未咲かない其代用に、梅の花に準へて眺めて居よう。
 
  若櫻部君足《ワカサクラベノキミタリ》の雪の歌
 
1643 天霧《アマギラ》し雪も降らぬか。いちじろく、此|櫟葉《イツシバ》に降らまくを見む
 
1643 空かき曇して雪が降つてくれゝばよい。鮮かに目立つて、此|櫟《イチシ》の葉の上に降るだらう。其を見たいものだ。(いちじろくのいちと、いつしばのいつとが、頭韻をなして居る。)
 
  三野石守《ミヌノイハモリ》の梅の歌
1644 引き攀《ヨ》ぢて折らば散るべみ、梅の花袖に扱《コ》き入《レ》つ。染《シ》まば、染《シ》むとも
 
1644 枝を引き寄せて折つたら、散りさうなので、袖に花をしごいて入れた。其を入れた爲に、色が袖に染んでも構はない。
 
  巨勢宿奈麻呂《コセノスクナマロ》の雪の歌
 
1645 我が宿の冬木の上に降る雪を、梅の花かと、うち見つるかも
 
1645 自分の屋敷の冬木の梢に降つてゐる雪を、梅の花かと見たことだ。
 
  小治田東《ヲハリダノアヅマ》麻呂の雪の歌
 
1646 ぬばたまの今宵の雪に、いざ濡れな。明けむ朝に消えば、惜しけむ
 
1646 今夜降つてゐる雪に、どれ、濡れておかう。明日見ようと思うて、夜が明けて朝になつて、消えてゐたら、惜しからう。
 
  忌部《イムベノ》黒麻呂の雪の歌
 
1647 梅の花枝にか散ると、見るまでに、風に亂りて、雪ぞ散り來る
 
1647 梅の花が散つて、枝にかゝるのだと思はれる程、風の爲に亂れて、雪が散つてくることだ。
 
  紀(ノ)少鹿《ヲシカノ》郎女の梅の歌
 
1648 師走《シハス》には泡雪降ると知らじかも、梅の花咲く。ふゝめらずして
 
1648 春にならぬ十二月の中に、春降る泡雪が降らうとは、よもや思ひがけまい。それでやら、つぼんでゐないで、梅の花が咲いたことだ。
 
  大伴(ノ)家持の雪中の梅の歌
 
1649 今日降りし雪に競《キホ》ひて、我が宿の冬木の梅は、花咲きにけり
 
1649 最前降つた今日の雪にまけない氣で、自分の屋敷内の、枯れ木のやうになつてゐた冬の梅は、花が咲いたことだ。
 
  天皇(聖武)西池の邊に行幸せられて、酒宴せられた時の歌
 
1650 池の邊《ベ》の松の末葉《ウラハ》に降る雪は、五百重《イホヘ》降りしけ。明日さへも見む
 
1650 池の側の松の梢の葉に降つてゐる雪は、幾重にも降り頻《シキ》れ。又明日も見たい。
 
  右一首、作者は訣らない。但、豎子《チヒサワラハ》安倍(ノ)蟲麻呂が、其時吟じたものである。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1651 泡雪の、この頃つぎてかく降れば、梅の初花散りか過ぎなむ
 
1651 春の泡雪が、此頃中かういふ風に、始終降るから、梅の初花が、散つて了ふことだらう。
 
  池田(ノ)廣津(ノ)處女の梅の歌
 
1652 梅の花。折りも、折らずも見つれども、今宵の花に尚しかずけり
 
1652 梅の花は、折つて見たり、木の儘で折らずに見たり致しましたが、今夜見る花には、どうして、及ばぬことであります。(梅見の宴の歌。)
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の雪の歌
 
1654 松陰の淺茅《アサヂ》が上《ウヘ》の白雪を、消《ケ》たずておかむ、よしはかもなき
 
1654 松の陰に生えてゐる、淺茅の上に積つてゐる雪をば、消さないでおく方法もないことだらうか。
 
    冬《フユ》の相聞《サウモン》
 
  三國人足《ミクニノヒトタリ》の歌
 
1655 高山の菅《スガ》の葉|凌《シヌ》ぎ降る雪の、消《ケ》ぬとか言《イ》はも。戀ひの繁《シゲ》けく
 
1655 高い山に生えてゐる麥門冬《ヤマスゲ》の葉の上に、降り積つてゐる雪のやうに、(もし人が問うたなら、)意氣※[金+肖]沈して、死んだ樣になつてゐるとでも答へようか。焦れる心が、しつきりなしに起ることだ。
 
  大伴(ノ)坂上(ノ)郎女の歌
 
1656 酒杯《サカヅキ》に梅の花うけて、思ふどち飲みての後は、散りぬともよし
 
1656 今日の爲に咲いた梅です。だから、盃に、散つた梅の花をば浮して、酒を飲んで了うた後は、花が散つてもかまひません。
 
  某が和《アハ》せた歌
 
1657 官《ツカサ》にも許し給へり。今宵のみ飲まむ酒かも。散りこすな。ゆめ
 
1657 あなたは、酒を呑んだ後には、散つてもよいと云はれたが、今日だけ飲むといふ訣の酒ではない。梅の咲いてゐる限りは呑みたいと思ふ。お上でも、親類の者が、酒盛りをするのは、大目で見てゐて下される。それに、あなたの口振りでは、今夜限り、酒を呑むまいといふ風に聞える。梅さへ咲いてゐれば、何時迄も、酒は呑めるのです。是非散つてくれるな、梅よ。
 
  右、此頃、京中の町々で、酒宴をする事を禁じるといふ法度が出たが、近親の者一二人寄つて呑むことは、許されてゐたので、和歌の一二句があるのである。
 
  藤原(ノ)(光明)皇后、天皇(聖武)に奉られた御歌
 
1658 わが夫子《セコ》と二人見ませば、いくばくか、この降る雪の※[立心偏+呉]《タヌ》しからまし
 
1658 あなたと二人見てゐるのでしたら、どれ位、今降つてゐる雪が、嬉しう見られることでせう。
 
  池田廣津《イケダノヒロツノ》處女の歌
 
1659 眞木の上に降りおける雪の、しくしくも、思ほゆるかも。さ夜訪《ヨト》へ。我《ワ》が夫《セ》
 
1659 檜の梢に降り積んで居る雪ではないが、しきりなく、あなたのことが思はれます。今夜|直《スグ》に尋ねて來て下さい。あなたよ。
 
  大伴(ノ)駿河麻呂の歌
 
1660 梅の花散す嵐の音にのみ、聞きし吾妹《ワギモ》を見らくし、よしも
 
1660 梅の花を散す山颪ではないが、音即評判に許り聞いてゐたいとしいおまへさんを、初めて逢うて見たのは、嬉しいことだ。
 
  紀(ノ)少鹿《ヲシカノ》郎女の歌
 
1661 ひさかたの月夜《ツクヨ》を清み、梅の花心開けて、我が思《モ》へる君
 
1661 月が清らかなので、梅の花ではないが、心も愉快に開けて私が思うてゐるあなたよ。(月清く梅の咲いた晩に、男の來た時の、即興の歌であらう。)
 
  大伴(ノ)田村(ノ)大孃、妹坂上(ノ)大孃に與へた歌
 
1662 泡雪《アワユキ》の消《ケ》ぬべきものを、今迄にながらへぬるは、妹に逢はむとぞ
 
1662 これ迄も嫌なことの爲に、泡雪ではないが、死んで了はうと思うてゐたのが、今迄生き長らへてゐるのは、お前さんに逢ひたいと思ふからです。
 
  大伴(ノ)家持の歌
 
1663 泡雪の庭に降りしき寒き夜を、手枕|枕《マ》かず、獨りかも寢む
 
1663 春の雪が庭一杯に降つて、寒い今夜の樣な晩に、いとしい人の手枕もしないで、獨り寢ねばならんか。あゝつらいことだ。
 
萬葉集 卷第九
 
    雜《ザフ》の歌
 
  雄略天皇御製
    (歌おちてゐる)
 
  舒明天皇御製
 
1664 夕されば小倉(ノ)山に臥《フ》す鹿《シカ》の、今宵は鳴かず。い寢《ネ》にけらしも
 
1664 小倉山で晩になると寢る鹿が、何時も鳴くのであるが、今夜は鳴かない。もう寢たに違ひない。(此歌、從來泊瀬朝倉宮御宇天皇御製歌とあつて、又左註に、右或本云、崗本天皇御製不v審2正指1因以累載とあるが、これは必、雄略天皇の御製を脱して、次の崗本宮御宇天皇代とあつた中の一首を入れ替へたものと思はれる。)
 
  舒明天皇紀伊行幸の時の歌。二首
 
1665 妹がためわれ玉拾ふ。沖邊なる玉寄せもち來《コ》。沖つ白波
 
1665 家にゐるいとしい人の爲に、自分は玉を拾うてゐる。沖の波よ。沖の方にある玉を、岸へ持つて寄せて來い。
 
1666 朝霧に濡れにし衣|干《ホ》さずして、獨りや、君が、山路越ゆらむ
 
1666 朝霧で濡れた著物を、其儘に著て、連もなく只一人、我が夫は山路を、今時分越えていらつしやる事だらう。
 
  右二首、作者知れず。
 
  大寶元年十月、太上(持統)天皇紀伊行幸の時の歌。十三首
 
1667 妹がためわれ玉もとむ。沖邊なる白玉寄せ來《コ》。沖つ白波
 
1667 可愛《イトシ》い人の爲に、私は玉を探してゐる。沖の方の白玉を海岸へ寄せて來てくれ。沖の波よ。(これは多分、異本の歌とあつたのを、茲に插入したのであらう。)
 
1668 白崎《シラサキ》は、さきくあり待て。大船にま※[楫+戈]|繁貫《シヾヌ》き、またかへりみむ
 
1668 この白崎は、此次來る迄變りなく、無事で此儘待つてゐてくれ。大きな船に※[楫+戈]を一杯にさして、又戻つて來て見よう。
 
1669 南部《ミナベノ》浦。潮な滿ちそね。鹿島なる、釣りする蜑を、見て歸り來む
 
1669 南部の浦。其處へ潮よさして來るな。鹿島の釣りをしてゐる蜑を、干潟を行つて、見て來たいと思ふから。
 
1670 朝開《アサビラ》き漕ぎ出でゝ、われは、由良(ノ)崎、釣りする蜑を、見て歸りこむ
 
1670 朝の出發に漕いで出て、自分は、由良の崎で釣りをしてゐる蜑を見て來よう。
 
1671 由良(ノ)崎。潮干にけらし。白神《シラカミ》の磯の浦みを、喘《ア》へて漕ぎとよむ
 
1671 由良の崎の邊では、潮が退いて了うてるのだらう。船が其方へは行かずに、荒い白神の岩濱の入り込みをば、あへぎあへぎ騷しう漕いでゐる。
 
1672 黒牛潟《クロウシガタ》。潮干の浦を、紅《クレナヰ》の玉裳《タマモ》裾引き行くは、誰《タ》が妻
 
1672 黒牛潟の潮のひいた砂濱を、紅の美しい上袴の裾を引きずりながら行くのは、誰の妻であらうか。
 
1673 風早《カザハヤノ》濱の白波。徒らに此邊《コヽ》に寄り來《ク》も。見る人なくに
 
1673 風早の濱の波が、自分の足許へ寄つて來るが、實に美しい景色だ。併し見る人がなくて、何の效《カヒ》もない。
 
  右一首、類聚歌林には、長(ノ)意吉麻呂の歌だとある。
 
1674 わが背子《セコ》がつかひ來むかと、出《イ》で立《タ》ちのこの松原を、今日か過ぎなむ
 
1674 自分が頼んでゐる夫の使ひが來るか、と出で立つと云ふ名の、この出立の松原を、今日は愈通り過ぎようとしてゐる事だ。
 
1675 藤白《フヂシロ》のみ坂を越ゆと、白栲《シロタヘ》の我《ワ》が衣手は、濡れにけるかも
 
1675 藤白の坂を越えようとして、有馬皇子の縊り殺されなされた事などを思ひ出して、自分の袖は濡れた事だ。
 
1676 背(ノ)山に紅葉散り頻《シ》く。雷岳《カミヲカ》の山の紅葉は、今日か散るらむ
 
1676 紀州の背の山には、紅葉がどし/”\と、地面に後から/\と散つてゐる。都近くの飛鳥の雷岳の山の紅葉は、今日あたりは散つてるだらう。
 
1677 大和には、聞えも行くか。大家野《オホヤヌ》の笹葉刈りしき、廬《イホリ》せりとは
 
1677 大屋个原で笹の葉を刈つて敷いて、假小屋住ひをしてゐると云ふ事が、大和の方へ聞えて行つてるだらうか。
 
1678 紀(ノ)國の昔弓雄の、鳴る矢もち、鹿《カ》獵《ト》りなべにし、坂の上《へ》にぞある
 
1678 此坂は、昔或弓の上手な男が、鳴り響く矢で、澤山の鹿を取り押へた、紀の國の坂の上であるのだ。
 
1679 紀(ノ)國にやまず通はむ。都麻杜《ツマノモリ》。妻よし來《コ》せね。妻と云ふながら
 
1679 紀の國へ始終往來をしよう。其處には都麻の杜と云ふ神樣の入らつしやる森がある。お名前の通りなら、定めて妻を下さるだらう。何卒私にも一人、妻を寄附して下さい。つまといふお名だけに。
 
  右一首、坂上(ノ)人長の作つた歌だと云ふ説がある。
 
  都に殘つてゐた人の歌。二首
1680 あさもよし紀《キ》へ行く君が、眞土《マツチ》山越ゆらむ今日ぞ。雨な降りそね
 
1680 紀の國地方へお出でになつた方が、今頃は眞土山を越えて入らつしやらうと云ふ今日だ。雨よ降つてくれるな。
 
1681 おくれゐてわが戀ひをれば、白雲のたなびく山を、今日か越ゆらむ
 
1681 後に殘つて、私が焦れてゐる時分に、白雲の懸つてゐる山を、あの人は、今日らは越えてるだらう。
 
  仙人の繪を詠じて忍壁《オサカベノ》皇子に奉つた歌
 
1682 とこしへに夏冬ゆけや、裘《カハゴロモ》・扇放たず。山に住む人
 
1682 此仙人の居る山は、永久に、夏と冬とが同時にやつて來てゐるからか、皮衣を著ながら、扇を手から放さないよ。山に住んでゐる仙人は。(此は其繪姿が、裘を著て扇を持つて居たのであらう。)
 
  舍人《トネリノ》皇子に奉つた歌。二首
 
1683 妹が手を、取りて引きよぢ、うちたをり、吾がかざすべき花咲けるかも
 
1683 取つて引き寄せて、それを折つてかざしにさゝうと思ふ花が咲いた事だ。
 
1684 春日山散り過ぎぬとも、三輪山はまだふゝむらし。君待ちがてに
 
1684 春日山の櫻は散つて了ひましたが、あなたがこれから入らつしやらうと云ふ三輪山は、櫻がまだ莟んでゐるに違ひはありません。あなたを待ちかねて。
 
  泉河の邊で間人《ハシヒトノ》某の作つた歌。二首
 
1685 川の瀬の激《タギ》つを見れば、玉もかも散り亂りたる。この川|門《ト》かも
 
1685 川の淺瀬の激しく流れるのを見ると、美しい玉でも、散り亂れてゐるかと思はれる、この川の渡り場所よ。
 
1686 彦星のかざしの玉の、妻戀ひに亂りにけらし。この川の瀬に
 
1686 それとも、牽牛星と云ふ男星の頭にさしてゐる玉が、此天の川でない泉河の淺瀬に、妻に焦れた爲に、亂れて流れてゐるのであらうか。美しい事である。
 
  驚坂の歌(作者知れず。)
 
1687 白鳥の鷺坂山の松蔭に、宿りて行かな。夜も更けゆくを
 
1687 鷺坂山の松の蔭に泊つて行かうよ。夜も段々更けて行くから。
 
  那紀《ナキ》川の歌(作者知れず。)
 
1688 あぶり干《ホ》す人もあれやも、濡衣を、家にはやらな。旅のしるしに
 
1688 此川の名前が那紀川と云ふので、自分の著物も思はず濡れた事だ。其著物を旅の記念に、家に送つてやらう。旅ではあぶつて干して呉れる人もあらう、とは思はれない。
 
  土地並びに作者知れぬ歌
 
1689 荒磯邊《アリソベ》につきて漕ぐ蜑、からもゝの濱を過ぐれば、こほしくあるなり
 
1689 荒い岩濱に添うて漕いでゐる蜑よ。この杏《カラモヽ》の濱の景色をよく見てゆけ。此處を通り過ぎると、後に戀しく思はれるのだ。
 
  高島の歌。二首(作者知れず。)
 
1690 高島の阿渡《アト》川波は騷げども、われは家思ふ。宿り悲しみ
 
1690 今宿つてゐる、高島の郡の阿渡川の波は、騷しく音を立ててゐるけれども、それにもまぎれず、自分は家の事を思うてゐる。旅の宿りの物悲しさに。
 
1691 旅なれば、よなかをさして照る月の、高島山に隱《カク》らく、惜しも
 
1691 旅に出てゐると、何時又見られるか知れぬので、夜中(ノ)潟へかけて照る月が、高島山に隱れて行かうとするのが、惜しまれる事だ。
 
  紀伊(ノ)國の歌。二首(作者知れず。)
 
1692 わが戀ふる妹はあはさず。玉(ノ)浦に、衣かた敷き、一人かも寢む
 
1692 此頃旅に居るので、自分の焦れてゐるいとしい人は逢うてくれないで、玉の浦に著物を敷いて、一人淋しう寢ねばならぬか。
 
1693 玉くしげあけまく惜しきあたら夜を、衣手かれて、獨りかも寢む
 
1693 明けようとするのが、殘り惜しい程良い夜に、いとしい人に離れて、獨り寢る事か。
 
  鷺坂の歌(作者知れず。)
1694 栲領巾《タクヒレ》の鷺坂山の白躑躅。われに匂はね。妹に示さむ
 
1694 鷺坂山に咲いてゐる白躑躅よ。自分の著てゐる著物に、色が著いてくれ。さうしたら、家にゐるいとしい人に見せようと思ふ。
 
  泉河の歌(作者知れず。)
 
1695 妹が門《カド》入り泉河の床滑《トコナメ》に、み雪殘れり。いまだ冬かも
 
1695 泉河の河床の水苔に、雪が殘つてゐる。まだ冬であるのか。
 
  那紀《ナキ》川の歌。三首(作者知れず。)
1696 衣手の那紀(ノ)川邊を、春雨《ハルサメ》に、われ立ち濡ると、家|思《モ》ふらむか
 
1696 那紀川の岸の春雨に、袖を濡して、悄然と立つてゐる旅の身であるとは、家では思うてゐるだらうか。
 
1697 家人の使なるらし。春雨の避《ヨ》くれど、われを濡らさく、思へば
 
1697 雨に濡されない樣に、いくら避《ヨ》けても、春雨が自分を濡す事から考へてみると、春雨は大方、自分を悲しませる、家に居る人の使ひであらう。
 
1698 炙《アブ》り干《ホ》す人もあれやも。家人の、春雨すらを、間使《マヅカヒ》にする
 
1698 この邊では、著物を炙つて干して呉れる人がありさうでもない。家に居る人が、春雨迄も使ひにして、私の袂を濡す事だ。
 
  宇治川の歌。二首(作者知れず。)
 
1699 巨椋《オホクラ》の入江とよむなり。射部人《イメビト》の伏見个|田居《タヰ》に、雁渡るらし
 
1699 巨椋の入り江に激《ヒド》い音がする。あれは大方、伏見の田圃に、雁が渡つて行くのに違ひない。
 
1700 秋風に、山吹の瀬のとよむなべ、天雲翔《アマグモガケ》り、雁渡るかも
 
1700 秋風が吹いて、宇治川の山吹の瀬が、騷しく鳴ると同時に、雲の上を飛んで雁が渡つて行く事だ。
 
  弓削《ユゲノ》皇子に奉つた歌。三首(作者知れず。)
 
1701 さ夜中と、夜は更けぬらし。雁《カリ》がねの聞ゆる里に、月渡る、見ゆ
 
1701 時刻もはや、眞夜中といふ刻限で、夜も更けたらしい。雁の聲が聞えてゐる此里をば、月の通るのが見える。
 
1702 妹が邊《アタリ》、繁き雁がね、夕霧に、來なきて過ぎぬ。ともしきまでに
 
1702 お前さんの家の邊には、澤山鳴いてゐる雁が、夕霧の立つてゐる時分に、極稀に來て、鳴き過ぎたばかりで、此方《コチラ》では一向聞えない。
 
1703 雲|隱《ガク》り雁なく時は、秋山の紅葉かた待つ。時は過ぎぬと
 
1703 雲の陰に隱れて、雁が鳴いて行く時分になると、紅葉をば、ひたすら待つ事だ。時はもう、過ぎるにと思ひながら。
 
  舍人皇子《トネリノミコ》子に奉つた歌。二首(作者知れず。)
 
1704 うち手折り多武《タム》の山霧繁みかも。細川の瀬に、波の騷げる
 
1704 多武《タフ》の峰の山霧が、みつしりと一杯に立つてゐるから、細川山を流れて出る細川に、水量《ミヅガサ》が増して、其瀬には、波が騷いでゐる事だ。
 
1705 冬ごもり春べを戀ひて、植ゑし木の實《ミ》になる時を、片待つわれぞ
 
1705 春になるのを待ち焦れて、冬の中から植ゑて置いた木の、實になるのをひたすら待つてゐる、私であります。(この二首は、恐らく高向玄理《タカムクノクロマサ》など云ふ學者で、皇子の教育に當つた人が、皇子の天子とならるゝ時の、早く來るのを願つた歌らしく見える。)
 
  舍人(ノ)皇子の御歌
 
1706 ぬばたまの夜霧ぞ立てる。衣手を高屋《タカヤ》が上《ウヘ》に、棚引く迄に
 
1706 夜霧が立つてゐる、高い屋根の上に、横に長く懸る程に、立つてゐる事だ。
 
  鷺坂の歌(作者知れず。)
 
1707 山城の久世《クゼ》の鷺坂。神代より、春は發《ハ》りつゝ、秋は散りけり
 
1707 山城の久世の郡の鷺坂よ。大昔から人の往來繁く、名高い山道であるが、山の木立ちは其頃から、春は芽が出て、秋になると、散ると云ふ樣にして來た事だ。
 
  泉川の邊の歌(作者知れず。)
 
1708 春草を馬咋山《ウマクヒヤマ》從《ユ》越え來《ク》なる雁の使は、宿り過ぐなり
 
1708 咋山をば越えて、自分の方へ雁が鳴いて來るので、あれは思ふ人の使ひだ、と待つてゐる中に、自分の泊つてゐる邊を鳴いて過ぎて行く事だ。
 
  弓削《ユゲノ》皇子に奉つた歌
 
1709 御饌《ミケ》向《ムカ》ふ南淵《ミナブチ》山の巖《イハホ》には、降り斑雪《ハダレ》か、散り殘りたる
 
1709 あなたの入らつしやる南淵山の岩の上には、以前降つた斑の雪が、まだ消え殘つてゐる事ですか。
 
  右一首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  旅の歌(作者知れず。)
 
1710 吾妹子が赤裳ひづちて、植ゑし田を、刈りて納めむ倉無《クラナシノ》濱
 
1710 この倉無の濱よ。ほんとに面白い名だ。あのいとしい女の赤い下袴が濡れる程に、植ゑた田の稻を刈つて、收めようにも納められぬ倉無の濱である。
 
1711 百傳《モヽツタフ》ふ八十《ヤソ》の島曲《シマワ》を漕ぎ來れど、粟(ノ)小島は、見れど、飽かぬかも
 
1711 澤山の島の入り込みを漕いでやつて來たが、此粟島といふ小島の景色だけは、見飽きがしない事だ。
 
  右二首、一説に人麻呂の歌だといふ。
 
  筑波山に登つて、月を見た時の歌(作者知れず。)
 
1712 天の原雲なき宵に、ぬばたまの夜渡る月の、入らまく、惜しも
 
1712 空に雲のない夜に、夜空を渡つて行く月の隱れようとするのが、なごり惜しい事だ。
 
  吉野(ノ)離宮行幸の歌(作者知れず。)
 
1713 激湍《タギ》の上《ウヘ》の御船の山|從《ユ》、秋津《アキツ》邊《ベ》に來なき渡るは、誰|呼子鳥《ヨブコドリ》
 
1713 吉野川の激湍の邊に聳えてゐる御船山から、秋津野にかけて鳴き渡つて來るのは、誰を呼び立てようとして鳴く呼子鳥であるか。
 
1714 落ち激《タギ》ち流るゝ水の、岩に觸《フ》り、澱《ヨド》める淀に、月の影見ゆ
 
1714 勾配を落ちて激して流れる水が、岩に觸つて支へられ、淀んでゐる淀瀬に、月の影が寫つて見える。(長い時間と、廣い空間と、多樣な運動を含んだ傑作。)
 
  槐下《ヱニスノモトノ》某の歌
 
1715 漣《サヾナミ》の比良《ヒラ》山風の海吹けば、釣りする蜑の袖かへる、見ゆ
 
1715 漣の里の上に聳えてゐる比良の山颪が、湖水の面を吹くと、釣りをしてゐる蜑の袖のひるがへるのが、よく見える。
 
  山上(ノ)憶良の歌
 
1716 白波の濱松の木の手向けぐさ、幾代迄にか、年は經ぬらむ
 
1716 白波の打ち寄せて來る濱松の、根もとに捧げる道祖《フナド》の神の手向け草よ。それは計算すれば幾代程迄も、年を經て變らぬ習慣なのであらう。(これは、卷一の歌の誤傳であらうと思はれる。有馬(ノ)皇子を悼んだ歌である事は勿論である。)
 
  右一首、一説に、河島(ノ)皇子の御歌だ、というてゐる。
 
  春日(ノ)老《オユ》の歌
 
1717 三川《ミツガハ》の淵瀬もおちず、さでさすに、衣手濡れぬ。干《ホ》す兒《コ》はなくに
 
1717 三川のどの淵にも、瀬にも、落ちもなく、さでをさすので、袖は濡れて了《シマ》うた。併し干してくれる人はないのに。
 
  高市黒人《タケチノクロヒト》の歌
 
1718 あともひて漕ぎ行く船は、高島の阿渡水門《アトノミナト》に、泊《ハ》てにけむかも
 
1718 澤山引き連れて漕いで行つた船は、もうちやんと、高島の郡の阿渡の港に泊つて了うた事だらうか。
 
  春日(ノ)老の歌
 
1719 照る月を雲な隱しそ。島陰にわが船はてむ泊り知らずも
 
1719 照つてゐる月を、雲よ隱してくれな。何處《ドコ》か島の蔭に、自分は船を止めようと思ふのだが、泊りが訣らないで弱つてゐる事だ。
 
  某氏(ノ)元仁の歌。三首
 
1720 馬|竝《ナ》めてうち群れ越え來《キ》、今日見つる、吉野(ノ)川を、何時顧みむ
 
1720 知つた人達と、馬を竝べて越えて來て、今日初めて見た吉野川の景色を、何時|復《マタ》、も一度見る事だらうか。
 
1721 苦しくも暮れゆく日かも。吉野川、清き川原を、見れど、飽かなくに
 
1721 折角だのに、生憎にも暮れてゆく日だ事。吉野川の清らかな川原は、いくら見ても滿足しないのに。
 
1722 吉野川。川波高み、激湍《タギ》の浦を見ずかなりなむ。戀しけまくに
 
1722 吉野川に川波が高く立ち出したので、激流の入り込みの景色は、見られなくなるであらう。見ずに歸つては、後に戀しくあらうのに。
 
  某氏(ノ)絹の歌
 
1723 河蝦《カハヅ》なく六田《ムツタ》の川の川柳《カハヤギ》の、ねもごろ見れど、飽かぬ君かも
 
1723 河鹿の鳴く六田邊を流れる、吉野川に生えてゐる川柳ではないが、ねもごろ(沁み/”\と)逢うて見てゐても、滿足する事のない、戀しいお方よ。
 
  某氏(ノ)島足の歌
 
1724 見まく欲《ホ》り來《コ》しくも著《シル》し。吉野川、川門《カハト》さやけさ。見るにともしく
 
1724 見物したく思うて遣つて來たのも、其效があつて、吉野川の川の兩岸の狹まつた處の、さつぱりとしてゐる景色が、珍しい程である。
 
  某氏(ノ)麻呂の歌
 
1725 古の賢《カシコ》き人の、遊びけむ吉野(ノ)川原、見れど飽かぬかも
 
1725 昔の賢い仙人等が、遊んで居つたさうな吉野の川原は、いくら見ても見飽かぬ事だ。
 
  右一首、人麻呂集に出てゐる。
 
  丹比《タヂヒノ》某の歌
 
1726 難波《ナニハ》潟。潮干に出でゝ、玉藻刈る蜑處女ども。汝《ナ》が名|告《ノ》らさね
 
1726 難波の遠淺の海の、潮の退いた處に出て、藻を刈つてゐる蜑處女達よ。お前の家を私に仰つしやい。どうだ。私の妻にはならないか。
 
  答への歌
 
1727 漁《アサリ》する蜑とを見ませ。草枕旅行く人に、妻とは告《ノ》らじ
 
1727 得物を漁る蜑とだけ御覧下さつて居れば宜しい。旅に出てゐる人に、妻として名告りは致しますまい。
 
  石川(ノ)某卿の歌
 
1728 慰めて、今宵は寢なむ。明日よりは、戀ひかも行かむ。此《コ》從《ユ》別れなば
 
1728 今晩は私を慰めて寢て呉れ。明日からは、焦れて旅を續けるだらう。此處を別れて立つたならば。
 
  藤原(ノ)宇合《ウマカヒ》の歌。三首
 
1729 あかときの夢に見えつゝ、梶島の磯越す波の、頻《シ》きてし思《オモ》ほゆ
 
1729 丹後の國の梶島の岩濱に打ち上げる波ではないが、明け方の夢に、何時も戀しい人の姿が見えて、思ひ通しに思はれてならぬ。
 
1730 山科《ヤマシナ》の石田《イハタ》の小野《ヲヌ》の柞《ハヽソ》原見つゝや、君が、山路越ゆらむ
 
1730 君は今時分は、山科の石田野の柞の原を見おろしながら、山道を越えて居られる事だらう。
 
1731 山科の石田(ノ)杜に手向《タム》けせば、けだし、吾妹《ワギモ》にたゞに逢はむかも
 
1731 山科の石田の森の神に、お供へをして行つたなら、ひよつとすると、いとしい人に直接に逢ふことが出來るかもしれぬ。
 
  碁師《ゴシ》の歌。二首
 
1732 大葉《オホハ》山。霞たなびく。さ夜更けて、わが船はてむ泊《トマ》り知らずも
 
1732 大葉山には霞が懸つてゐる。夜が更けてゐるのに、未自分の船の泊るべき場所が訣らない。
 
1733 偲《シヌ》びつゝ來れど、來かてに、水尾《ミヲ》个崎。眞長《マナガノ》浦を、また顧みつ
 
1733 戀ひ人の事を思ひながら、やつて來ると、いくら行つても行きにくゝて、あの人のゐる、水尾个崎の邊、眞長の浦をまたふり返つて見た事だ。
 
  小辨某氏名の歌
 
1734 高島の阿渡水門《アトノミナト》を漕ぎ過ぎて、潮津《シホツ》、菅浦《スガウラ》、今は漕ぐらむ
 
1734 高島の阿渡の港を漕ぎ通つて來たから、今は我が船は、潮津や菅浦の邊を漕いでるのだらう。
 
  伊保(ノ)麻呂の歌
 
1735 わかたゝみ三重《ミヘ》の川原の石《イソ》の浦に、かくしもがもと、鳴く河蝦《カハヅ》かも
 
1735 伊勢國の三重川の川原の、入り込んだ石濱に、どうだ。こんなに良い景色だ、と云ひ顔に鳴いてゐる河鹿だ事。
 
  式部大倭(ノ)某の吉野の歌
 
1736 山高み白木綿《シラユフ》花に落ち激《タギ》つ、夏見の川|門《ト》。見れど飽かぬかも
 
1736 山が高いので、白い木綿でこさへた花の樣に、落ちて激する夏見川の景色は、見ても見飽かない事だ。
 
  兵部川原(ノ)某歌
 
1737 大瀧を過ぎて、夏見にかたつきて、清み川瀬を見るが、さやけさ
 
1737 吉野川の大瀧を通り過ぎて、夏見の邊に近よつた方に來て、さつぱりした川の瀬の景色を見てゐる事は、氣が晴れ/”\する事だ。
 
  上總(ノ)國の周淮珠名《スエノタマナノ》處女を詠んだ歌。竝びに短歌
 
1738 しなが鳥安房につぎたる、梓弓周淮の珠名は、胸分《ムナワキ》の廣き吾妹、腰細《コシボソ》の※[虫+果]※[虫+贏]《スガル》處女の、其顏のいつくしけくに、花の如《ゴト》笑《ヱ》みて立てれば、玉桙の道行く人は、己《オノ》が行く道は行かずて、呼ばなくに門に至りぬ。さしなみの隣の君は、豫め、己妻《オノヅマ》離《カ》れて、乞はなくに、鍵さへ奉《マ》だす。人皆のかく惑へれば、とをゝに寄りてぞ、妹はたはれたりける
 
1738 上總(ノ)國の安房郡に續いてゐる、周淮の郡季の里の、珠名と云ふ娘は、胸から脇へかけて幅廣い可愛い女で、腰の細い、似我蜂の樣な好い姿の娘で、其顔の整うて美しいのに、咲いてる花の樣に愛敬たつぷりで門に立つてゐると、道を歩いてる人は、自分の行くべき道は行かずに、呼びもしないのに、表にやつて來るといふ風だ。又、隣りに住んでゐる主人さんは、前からちやんと自分の家内を離縁して、呉れとも言はないのに、藏の鍵までも贈り物として持たしてよこした。誰も彼も、皆この樣に珠名の色香に迷うたので、此娘は、あちらへもこちらへも、嫋々《ナヨ/\》とふざけて暮した事だ。
 
  反歌
 
1739 かな門《ド》にし人の來立てば、夜中にも、身はたな知らず、出でゝぞ逢ひける
 
1739 柴折り門に、人が來て立ちさへすれば、夜中にでも、珠名は、自分の身の事は、少しも考へないで、出て逢うた事だ。
 
  水江《ミヅノエノ》浦島(ノ)子を詠んだ歌。並びに短歌
 
1740 春の日の霞める時に、澄《スミノ》江の岸に出でゐて、釣船のとをらふ見れば、古の辭《コト》ぞ思《オモ》ほゆる。水(ノ)江の浦島(ノ)子が、鰹釣り、鯛釣りほこり、七日迄家にも來ずて、海坂《ウナサカ》を過ぎて漕ぎ行くに、海神《ワタツミノ》神の處女に、偶然《ワクラハ》に、漕ぎ向ひ相語らひ、言《コト》なりしかば、かき結び常世《トコヨ》に至り、海神《ワタツミノ》神の宮の、内邊《ウチノヘ》の美妙《タヘ》なる殿《トノ》に、携《タヅサハ》り二人入りゐて、老いもせず、死にもせずして、永久《トコシヘ》にありけるものを、世の中のうるけき人の、吾妹子に告《ノ》りて語らく、暫《シマ》らくは家に歸りて、父母に言《コト》をも告《ノ》らひ、明日迄に吾は來なむと言ひければ、妹が言《イ》へらく、常世邊《トコヨベ》に復《マタ》歸り來て、今の如《ゴト》逢はむとならば、此櫛笥開くな、ゆめと、そこらくに固めし言を。澄(ノ)江に歸り來たりて、家見れど家も見かねて、里見れど里も見かねて、怪しと其處に思はく、家|從《ユ》出でゝ三年がゝらに、垣もなく家|失《ウ》せめやも。此|筥《ハコ》を開きて見れば、元の如《ゴト》家はあらむと、玉櫛笥すこし開くに、白雲の筥より出でゝ、常世邊に棚引き行けば、立ち走り叫び袖振り臥《コ》いまろび足|摺《ズ》りしつゝ、忽に心|消失《ケウ》せぬ。若かりし肌《ハダ》も皺《シワ》みぬ。黒かりし髪も白けぬ。ゆり/\は息さへ絶えて、後逸に命死にける。水(ノ)江(ノ)浦島(ノ)子が家所《イヘドコロ》見ゆ
 
1740 春の日のずつと霞み渡つてゐる時分に、澄ノ江の岸に出てゐて、沖を釣り船が通るのを見ると、昔の事が思ひ出される。この土地に昔ゐた浦島の子と云うた男が、鰹や鯛を釣つて、漁があるにつけて心が勇んで、七日になる迄家へも歸つて行かずに、水平線遙かに通り過ぎて漕いで行つた處が、ひよつくり海の神の娘に漕ぎ合せて、互に夫婦約束をして、關係が成り立つたので、手に手を執つて、常世の國に出かけて行つて、海神の御殿の奥の方にある、言ふに言はれぬ立派な御殿で纏《マツ》はり合うて、二人其處に這入つて住んで、年も寄りもしなければ、死にもしないで、何時迄も長く生きて居つた處が、人間世界に生を受けた愚さに、自分の妻に話して言うた事には、暫くの間家へ歸つて心配してゐる父や母に訣を話して、直《ス》ぐ明日にでも歸つて來ようと言うた處が、その妻なる人が言うた言葉には、あなたがひよつと、も一度此常世の國に歸つて來て、今の通りに逢はう、と仰つしやるのなら、此お渡し申す筥を、氣にかけて、お開《ア》けなさるなと、非常に堅く約束して置いた事だつたよ。處が故郷の澄ノ江の濱に歸り著いて、家を探しても家も見出す事が出來ないので、其では、せめて住んで居た村でもあるかと思へば、村も見出す事が出來ないので、不思議だと思うて、其處で考へた事には、家を離れてから、僅か三年になる位だのに、其間に垣もなくなる迄に、家が潰れて了ふ訣がないと考へ、果ては、一層見るなと云うた此筥を開けて見たら、元通り家が出て來るのだらう、と其美しい筥を開けた處が、白い雲が筥から出て、常世の方へ棚引いて行くので、走り廻り大聲をあげて、其雲を止めよう、と袖を振つてころげ廻つたり、ぢだんだを蹈んだりして、其場で氣を取り落して了うた。そして若々しかつた肌も皺が寄つたし、眞黒であつた髪も、白くなつて來た。時時は息が切れて死んだかと思ふと、また甦つて來る樣な事があつたが、果てはとう/\死んで了《シマ》うた、あの水の江の浦島の子の、家の在つた邊が、海岸に出てゐると見える。
 
  反歌
 
1741 常世邊《トコヨベ》に住むべきものを。劔大刀、しが心から、おぞや、此君
 
1741 結構な常世の國で住んでゐられるのに、自分の心から歸つて來て此樣《コンナ》愚かな事をするに至つた、此浦島さんの鈍《ドン》な事よ。
 
     河内(ノ)大橋を獨り行く處女を見て、作つた歌。並びに短歌
 
1742 しなてる堅鹽《カタシハ》川の、さ丹塗《ニヌ》りの大橋の邊《ヘ》從《ユ》、紅《クレナヰ》の赤裳《アカモ》裾引き、山藍《ヤマヰ》もて摺れる衣《キヌ》着て、たゞ一人い渡らす子は、若草の妻かあるらむ。樫の實の一人か寢《ヌ》らむ。問はまくのほしき、吾妹《ワギモ》が家の知らなく
 
1742 この堅鹽川に架けた丹塗りの橋の邊をば、赤い上袴の裾を引いて、山藍で摺つた著物を著て、たつた一人渡つて行く人は、連れ合ひがあるのであらうか。其とも獨り寢をしてゐるのであらうか。問ひたいと思ふいとしい人の、家がわからない事だ。
 
  反歌
 
1743 大橋のつめに家あらば、まがなしく、獨り行く子に、宿貸さましを
 
1743 大橋の橋詰めに、自分の家があつたなら、あの悲しさうに獨り橋を渡つて行くいとしい人に、宿を貸してやらうのに。
 
  武藏の小崎沼《ヲザキヌ》の鴨を見て作つた歌
 
1744 埼玉《サキタマ》の小崎(ノ)沼《ヌマ》に、鴨ぞはねきる。己《オノ》が尾に降り置ける霜を、はらふとならし
 
1744 埼玉郡の小崎の沼に鴨が羽《ハネ》を度々振うてゐる。其はきつと、自分の尾に置いてゐる霜をば、拂はうとてするのに違ひない。(旋頭歌である。)
 
  那賀郡の曝《サラ》し井《ヰ》の歌
 
1745 みつぐりの那賀に向へる曝し井の、絶えず通《カヨ》はむ。そこに妻もが
 
1745 那賀の郡の郡家の眞向うに見えてゐる、布を曝す曝井の邊に、思ふ人が居つたならば、其川水の絶えない樣に、始終通はうものを。
 
  手綱(ノ)濱の歌
 
1746 遠妻《トホヅマ》し、多珂《タカ》にありせば、知らずとも、手綱(ノ)濱の、尋ね來なまし
 
1746 遠くに居る妻が、せめて此多珂の里の附近にでも居つたならば、道はよく訣らないでも、手綱(ノ)濱で、尋ねて來ようものを。
 
  某年三月、官人たち難波へ下つた時の歌。二首並びに短歌。二首
 
1747 白雲の龍田(ノ)山の、激湍《タギ》の上の小倉(ノ)峰に、咲きをゝる櫻の花は、山高み、風し止まねば、春雨のつぎて降れゝば、ほつ枝《エ》は散り過ぎにけり。しづ枝《エ》に殘れる花は、暫《シマ》らくは、散りな亂りそ。草枕旅行く君が歸り來《ク》までに
 
1747 龍田山の激湍の邊《ホトリ》の小倉山に、枝もぶら/”\になるばかりに咲いてゐる櫻の花は、山が高くて風が止まないので、春雨が續け樣に降るので、櫻の先の方の枝は、もう散つてなくなつてしまうた。下枝に、散り殘つてゐる花は、せめてまう暫くの間、ばら/”\に散つて了うて呉れるな。せめて難波への旅に、出向かれたお方が、歸つていらつしやるまで
 
  反歌
 
1748 君が行きは、七日は過ぎじ。龍田彦。ゆめ、この花を、風に散すな
 
1748 陛下のお出向きになる間は、七日を越す事はない。龍田彦よ。氣をつけて、あなたが風の神ならば、風をして散させぬ樣にして下さい。
 
1749 白雲の龍田(ノ)山を、夕暮にうち越え行けば、激湍《タギ》の上の櫻の花は、咲きたるは散り過ぎにけり。含《フヽ》めるは咲き續《ツ》ぎぬべし。こち/”\−の花の盛りに、逢はずともかへり見む迄、散りこすな。君が行幸《ミユキ》は、今にしあるべし
 
1749 龍田山をば、日の暮れに越えて行くと、激湍の邊の櫻の花は、既に咲いたものは散つて了《シマ》うた。今莟んでゐるものは、咲き續く車であらう。彼方此方《アチラコチラ》總《スベ》ての花の盛りは見られないでも、また歸つて來る時迄、散つて呉れな。天皇陛下の御還幸も、もう直《ス》ぐ近くにあるであらう。
 
  反歌
 
1750 暇あらばなづさひ渡り、向つ尾の櫻の花も、折らましものを
 
1750 池樣に急ぎの旅でなく、暇があるのであつたら、水の中を彼方《アチラ》へ、水につかつて渡つて行つて、向う側の山に咲いてゐる花も、折つて見たいのに。(此歌は、聖武天皇が難波の宮に居られたのを、お迎へに行つた人々の、作つたものと見える。)
 
  難波(ノ)宮から、大和へ戻る歌。竝びに短歌
 
1751 島山をい行き廻れる、川添ひの岡邊の道|從《ユ》、昨日こそ吾が越え來しか。一夜のみ寢たるがゝらに、峰上《ヲノヘ》の櫻の花は、激湍《タギ》の瀬|從《ユ》激《タギ》ちて流る。君が見む其日迄には、山颪の風な吹きそと、うち越えて、名に負へる杜に、風祭《カザマツ》りせな
 
1751 島の樣になつてゐる山を、取り廻して流れてゐる川添ひの岡の邊の道をば、昨日自分が越えて行つた事である。難波へ行つて、一夜泊つたばかりであるのに、其間に櫻の花は、激湍の瀬をば激して流れて行つた。天皇陛下が御歸りに御覧なさる其折り迄、山颪の凰が吹いて呉れるな、と龍田山を越えて行つて、龍田彦の社があると云ふ評判通りの、風の神の杜に、風の吹かない祈りをしようと思ふ。
 
  反歌
 
1752 い行きあひの坂の麓に、吹きをゝる櫻の花を、見せむ子もがも
 
1752 彼方からの道と、此方からの道の出合ふ坂の麓に、枝もぶらぶらになる迄、咲いてゐる櫻の花を、誰かに見せたいものだ。
 
  検税使大伴(ノ)安麻呂が筑波山に登つた時、其の作つた歌。竝びに短歌
 
1573 衣手の常陸の國の雙並《フタナミ》の筑波(ノ)山を見まく欲《ホ》り、君來ませりと、暑けくに汗かき嘆き、木《コ》の根取り嘯《ウソム》き登り、峯上《ヲノヘ》を君に見すれば、男《ヲ》の神も許し給ひ、女《メ》の神も幸《チハ》ひ給ひて、時となく、雲居、雨降る筑波|嶺《ネ》を、さやに照して、いぶかりし國のまほらを、詳《ツバ》らかに示し給へば、嬉しみと、紐の緒解きて、家の如《ゴト》解けてぞ遊ぶ。うち靡き春見まし從《ユ》は、夏草の繁くはあれど、今日の樂《タヌ》しさ
 
1753 常陸の國の二つ竝んだ筑波の山が見たさに、此君はお出でなさつたといふので、暑いので汗をかいては嘆息《タメイキ》を吐《ツ》き、木の根に取り付いては嘆息を吐き、頂上の有樣を、此方にお見せ申した處、筑波山の二つの峰に入らつしやる、男體の神もお許し下され、女體の神も、我々に都合よく計はれて、時を定めず雨が降つたり、雲が懸つたりする筑波山をば、はつきりとお照し下されて、此迄もや/\と見えなかつた美しい國原を、細《コマ》やかにお見せ下さつたので、嬉しい事だ、と著物の紐を解きゆるめて、家に居る樣に打ち解けて遊ぶ事だ。筑波山は、ほんに春見ようよりは、成程夏草が一杯に生えてゐるけれど、今日の方が、愉快である事よ。
 
  反歌
 
1574 今日の日に、いかゞ及《シ》かめや。筑波|嶺《ネ》に、昔の人の來けむ其日も
 
1754 昔、偉《エラ》い人々が、筑波嶺に登りに來られた、と云ふ其昔の日も、どうして今日にかなひませうか。
 
  霍公鳥《ホトヽギス》を詠んだ歌。並びに短歌
 
1755 鶯の卵《カヒコ》の中《ナカ》に、霍公鳥獨り生れて、斯《シ》が父に似ては鳴かず、斯《シ》が母に似ては鳴かず。卯の花の咲きたる野邊|從《ユ》、飛びかけり來鳴きとよもし、橘の花を居散《ヰチラ》し、日ねもすに嶋けど聞きよし。賄《マヒ》はせむ。遠くな行きそ。わが宿の花橘に住み渡り鳴け
 
1755 鶯の卵の中で、郭公がたつた一疋生れて、其父親に似た聲でも鳴かず。其母親に似た聲でも鳴かず。全く別の聲で鳴き、卯の花の咲いてゐる野の中を邊《アタリ》を動す迄に、大きな聲で鳴いて、橘の花をば、止つた爲に散して了うて、一日の間鳴いてはゐるが、聽いてゐるのに心持ちがよい。お前に駄賃をしようから、そんなに遠く行かないで居て呉れ。そして、自分の屋敷内の橘の花に、住み續けて鳴いてくれ。
 
  反歌
 
1756 かき霧《キラ》し雨の降る夜を、霍公鳥《ホトヽギス》鳴きて行くなり。あはれ、その鳥
 
1756 あたり濛々と霧で覆うて雨が降る夜に、郭公《ホトヽギス》が鳴いて行く事だ。あゝ趣味が深い。あの鳥よ。
 
  筑波山に登つて作つた歌。竝びに短歌
 
1757 草枕旅の憂《ウレヒ》を慰もる事もあらむと、筑波|嶺《ネ》に登りて見れば、尾花散る信筑《シヅク》の田居《タヰ》に、雁《カリ》がねも寒く來鳴きぬ。新治《ニヒバリ》の騰波《トバ》の淡海《フフミ》に、秋風に白波立ちぬ。筑波嶺のよけくを見れば、長き曰《ケ》に思ひ積《ツ》み來《コ》し憂は止みぬ
 
1757 旅の悲しい心持ちをば、なだめる方法もあらうかと思うて、筑波山に登つて見ると、尾花の散つて飛んでゐる信筑の里の田圃には、雁もやつて來て、冷い聲で鳴いてゐる。新治郡の騰波の湖水でも、秋風の爲に白い波が立つてゐる。此筑波嶺の良い景色を見ると、長い間鬱積して居つた、悲しい心持ちは鎭つた事だ。
 
  反歌
 
1758 筑波嶺の裾曲《スソワ》の田居に、秋田刈る妹がり遣らむ。紅葉|手折《タラ》らな
 
1758 筑波山の麓の邊の田圃に、稔つた田を刈つてゐるいとしい人に、遣らうと思ふ紅葉をば折らう。
 
  筑波|嶺《ネ》に登つて、※[女+濯の旁]歌會《カヾヒ》をした日に作つた歌。並びに短歌
 
1759 鷲の住む筑波の山の、もはき峯《ヲ》のその峯《ヲ》の上《ウヘ》に、誘《イザナ》ひて、處女男の行き集《ツド》ひ、かゞふかゞひに、人妻に吾も交《マジ》らむ。わが妻に人も言《コト》問へ。此山をうしはく神の、昔よりいさめぬ業《ワザ》ぞ。今日のみは、目ぐしも莫《ナ》見《ミ》そ。言《コト》も咎むな
 
1759 鷲の住んでゐる筑波嶺の、もはき山のその峰の上に、引き連れ誘ひ合うて、娘や若い男が行き集り、歌うたひ舞ふ※[女+濯の旁]歌の場では、人の女房と一處になつて、自分も遊ばう。又自分の女房に、他人も物を言ふが宜い。かう云ふ事をするのは、此山を領してゐられる神樣が昔からお止めにならぬ事なのである。だから誰も、今日だけは、目にも見ない顔をし、言葉とがめもしないで居れ。
 
  反歌
 
1760 男《ヲ》の神《カミ》に雲立ちのぼり、時雨降り、濡れとほるとも、われ歸らめや
 
1760 男體山に雲が立ち上つて、そして時雨が降り出して、著物がぼと/”\に、下まで通る程濡れても、面白いから何《ド》うして歸らうか。
 
  右一首、高橋(ノ)蟲麻呂集に見えてゐる。
 
  鳴く鹿を詠んだ歌。竝びに短歌
 
1761 神籬《ミモロ》の神南備山《カムナビヤマ》に立ち向ふ御垣《ミカキ》の山に、秋萩の妻を覓《マ》かむと、朝づく夜明けまく惜しみ、足引きの山彦とよめ、呼び立て鳴くも
 
1761 神をお祀りしてある、神南備山に向ひ合うて立つてゐる三垣の山で、連れ合ひなる萩の花を探しに歩く鹿が、明かな月が出てゐるのに、夜が明けようとするのを惜しんで、山彦を震ひ動して、大きな聲を出して鳴いてゐる事だ。
 
  反歌
 
1762 明日《アス》の宵逢はざらめやも。足引きの、山彦とよめ、呼び立て鳴くも
 
1762 鹿よ。其樣《ソンナ》に鳴かなくとも、明日の夜には逢はないと云ふ事があらうか。共に木魂《コダマ》を震ひ勤して、大きな聲で鳴いてゐる事だ。(此長歌も、反歌も鹿を言はないで、自然それと悟らした處に、技巧があるのだ。)
 
  右一首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  沙彌《サミノ》女王の歌
 
1763 椋《クラ》橋の山を高みか、夜ごもりに出で來る月の、かた待ち難き
 
1763 椋橋山が高いからか、夜更けて出て來る月が、非常に待つてゐるのに、待ちつけられない事だ。
 
  七夕の歌。竝びに短歌
 
1764 久方の天の川原に、上つ瀬に玉橋渡し、下つ瀬に船|浮《ウ》け据ゑ、雨降りて風吹かずとも、風吹きて雨降らずとも、裳《モ》濡さず止まず來ませと、玉橋渡す
 
1764 天の川原で、上の瀬の方に玉橋を架け、下の瀬の方には船を浮けて置いて、風が吹かないで雨が降る樣な夜があつても、其は船で行けば、水が多くとも大丈夫だし、雨が降らないでも、風が吹く樣な夜があつても、其は、橋を渡つて行けば大丈夫だから、著物の裾も濡さないで、始終お出でなさい、と玉の橋を架けて居る事だ。
 
  反歌
 
1765 天の川霧立ち渡る。今日々々と、吾が待つ君が、船出すらしも
 
1765 天の川には、ずつと霧が懸つてゐる。今日はお出でになるだらう。今日は御出でになるだらう、と自分が待つてゐるあの方は、今頃船を出していらつしやる事だらう。
 
  右一首、藤原(ノ)房前の歌。
 
    相聞《サウモン》
 
  布留田向《フルノタムケ》筑紫へ下る時の歌
 
1766 吾妹子は釧《クシロ》にあらなむ。左手の吾が奥の手に、纏《マ》きていなましを
 
1766 いとしい人が釧であつて呉れゝばよい。さうすれば自分の左手の二の腕に纏き付けて、連れて行かうのに。人間だから、さうはゆかない。
 
  拔氣大首《ヌケノオホヒレ》筑紫に赴任した時、豐前(ノ)國の處女紐(ノ)兒に娶《ア》うて作つた歌。三首
 
1767 豐國《トヨクニ》の香春《カハル》は吾家《ワギヘ》。紐《ヒモノ》兒にいつがり居《ヲ》れば。香春は吾家
 
1767 豐(ノ)國の香春の里は、自分の住ふべき處だ。其處の處女の紐(ノ)兒の名前の紐で、縁の續がつてゐる處だから、香春は我が住み場所とも言ふべき、懷しい里だ。
 
1768 石《イソノ》上布留の早稻田《ワサダ》の、ほには出でず、心の中《ウチ》に戀ふる。この頃
 
1768 石上《イソノカミ》の近くにある布留の里の、早稻の田ではないが、穂にも出さないで、心の中で、何日か以來、焦れてゐる事である。
 
1769 かくのみし、戀ひし渡れば、たまきはる命も、われは惜しけくもなし
 
1769 こんな風にばかり焦れ續けてゐるので、もはや、命も一向に惜しく思はない事だ。
 
  大神高市麻呂《オホミワノタケチマロ》長門(ノ)守に任ぜられた時、三輪川の邊で宴會した時の歌。二首
 
1770 神籬《ミモロ》の神の佩《オ》ばせる泊瀬《ハツセ》川。水脈《ミヲ》し絶えずば、われ忘れめや
 
1770 かうして、遠方に旅行に出かけますが、三輪の神籬に入らつしやる神樣が、帶の樣に腰に纏うて入らつしやる初潮川が、水脈が絶えて水が切れてしまふ樣になれば知らぬ事、さもない限りは何《ド》うして、此處の事を忘れませうか。(これは大神大夫の歌であらう。)
 
1771 おくれゐて、われはや戀ひむ。春霞たなびく山を、君が越え去《イ》なば
 
1771 後に殘つて居つて、私は焦れる事でありませう。あの春霞の懸つてゐる山を、あなたが越えて行つて了《シマ》はれたら。
 
  高市麻呂、筑紫國に赴任した時、阿部(ノ)廣庭の作つた歌
 
1772 おくれゐて、われはや戀ひむ。印南野《イナミヌ》の秋萩見つゝ、去なむ兒故に
 
1772 後に殘つてゐて、定めて自分は焦れる事であらう。印南野の萩を樂しんで見ながら、遠くへ行つて了《シマ》ふ人であるのに。其人の爲に。
 
  弓削(ノ)皇子に奉つた歌
 
1773 神南備《カムナビ》の神より板にする杉の、思ひも過ぎず。戀ひの繁きに
 
1773 神南備の社で、神を呼び寄せる板に造る、杉の木でないが、思ひ過ぎさせる、即考へなくして了へない事だ。焦れる心の激《ヒド》さに。
 
  舍人皇子《トネリノミコ》に奉つた歌。二首
 
1774 垂乳根《タラチネ》の母の命《ミコト》の言《コト》なれば、年のを長く、たのみ過ぎむや
 
1774 阿母《オツカ》さんが行く末は夫婦にして遣ると言はれた事でありますから、斯うして歳月長く待つてゐても、其語が空頼みになりませうか。
 
1775 泊瀬川。夕渡り來て、吾妹子《ワギモコ》が宿の邊《アタリ》に、近づきにけり
 
1775 泊瀬川を晩に越えて來て、いとしい人の家の屋敷に、近づいて來た事だ。
  (右の三首は、柿本人麻呂が、此等の皇子達の爲に代作したものと考へるのが、適當であるらしい。)
 
  右三首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  石河(ノ)君子遷任せられて、都に上つた時、播磨(ノ)處女の贈つた歌。二首
 
1776 たゆらぎの山の峯《ヲ》の上の櫻花、咲かむ春べは、君を偲ばむ
 
1776 たゆらぎ山の峰の上にある、櫻の花の咲く春頃になつたら、定めてあなたの事が思ひ出される事でせう。
 
1777 君なくば、なぞ、身|装《ヨソ》はむ。櫛笥《クシゲ》なる、楊黄《ツゲ》の小《ヲ》櫛も取らむとも思《モ》はず
 
1777 あなたがいらつしやらなければ、何故《ナゼ》に身體《カラダ》をば身じまひしませうか。櫛笥の中の楊黄の櫛も、手にとらうとも思はない事です。
 
  葛井《フヂヰノ》廣成遷任せられて、都に上つた時、某(ノ)處女の贈つた歌
 
1778 明日《アス》よりは、われは戀ひむな。直入山《ナホリヤマ》。岩蹈みならし、君が越え去《イ》なば
 
1778 明日からは、定めし私が焦れる事でせうよ。直入山の岩を蹈み均《ナラ》しながら、いとしい方が越えて行つて了《シマ》はれたら。
 
  廣成の答へた歌
 
1779 命をしまそけくもがな。直入山。岩蹈みならし、後《ノチ》またも來《コ》む
 
1779 何卒《ドウゾ》私の命がね、長くあつてくれゝばよいが。さうしたら、直入山の岩を蹈み均して、將來また再越えて來よう。
 
  鹿島郡|苅野《カルヌノ》橋に、大伴(ノ)安麻呂を送つた時の歌。並びに短歌
 
1780 ことひ牛の三宅《ミヤケノ》坂に、さし向ふ鹿島(ノ)崎に、さ丹塗《ニヌ》りの小舟を設《マ》けて、 玉|纏《マ》きの小※[楫+戈]《ヲカヂ》繁貫《シヾヌ》き夕潮の滿《ミ》ちのとどみに、御船子《ミフナコ》をあともひ立てゝ、呼び立てゝ、み船出でなば、濱も狹《セ》に後《オク》れ竝《ナ》みゐて、こい轉《マロ》び戀ひかも居らむ。足摺りし哭《ネ》のみや泣かむ。海上《サナカミ》の其津にさして、君が漕ぎ去《イ》なば
 
1780 三宅の坂に向ひ合うてゐる鹿島の崎に、丹塗りの船を用意して、玉を卷き付けた美しい※[舟+虜]や※[楫+戈]を一杯にさして、日暮れの潮のさして騷しく鳴つてゐる時分に、御船の船頭共を引き連れ呼び立てゝ、御船が出て行つたら、濱も狹い程に一杯ゐる人々は、倒れころんで焦れて居ることでせう。或はぢだんだを蹈んで泣いてばかりゐる事でせう。あなたが海上《ウナカミ》郡の海上の港をさして漕いでお出かけになつた後では。
 
  反歌
 
1781 海《ウミ》つ路《ヂ》の凪《ナ》ぎなむ時も、渡らなむ。かく立つ波に船出《フナデ》すべしや
 
1781 舟出をなさるならば、いつそ海上の航路の凪《ナ》いでゐる時分に、渡つて下さればよい。此樣《コンナ》に波の立つてゐる時に、船出が出來ますものか。其に船を出しなさる事よ。
 
  右、蟲麻呂集に見えてゐる。
 
  妻に與へた歌
 
1782 雪こそは春日消ゆらめ。心さへ消えうせたれや、言《コト》も通《カヨ》はぬ
 
1782 成程雪ならば其は春の日に消えるのも尤だらう。處が、心迄も消え去つて了《シマ》うたのかして、便りさへも自分の方へ遣《ヤ》つて來《コ》ない事だ。
 
  妻の答へた歌
 
1783 待つがへり、しびにてあれやも、みつ栗の中絶え來《マ》さぬ。待つとはいはじ。
 
1783 あなたの此頃お出でにならぬのは、待てば却て意地わるく澀るといふ諺どはり、其で、間とぎれて入らつしやらぬと見える。此からは、もう待つとは申しますまい。かう決心したので、お便りもせないのです。
 
  右二首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  入唐使《ニツタウシ》に贈つた歌
 
1784 海神《ワタツミ》の何《イヅ》鶴れの神をいはゝばか、行くさも來《ク》さも、船の早けむ
 
1784 海上の何處に在《イラ》つしやる神を、謹んで勸請してお祭りしたら、船の行きしなも、歸りしなも、早い事であらうか。
 
  神龜五年八月に作つた歌。竝びに短歌
 
1785 人となる事は難きを、わくらはになれるわが身は、死にも生きも、君がまにまと、思ひつゝありし間に、現身《ウツソミ》の世の人なれば、大君の命《ミコト》畏《カシコ》み、天さかる鄙《ヒナ》治めにと、朝鳥の朝立たしつゝ、群鳥《ムラトリ》の群れ立ち行けば、止《トマ》りゐてわれは戀ひむな。見ず久《ヒサ》ならば
 
1785 人となつて、此世に生れ出るのは難《ムツカ》しいのに、偶然にも都合よく人となつて生れた自分は、生きるにも死ぬるにも、何につけてもあなたの心任せに從はうと思つてゐた處が、人間世界の人であるから、天皇陛下の仰せ言を畏つて、邊鄙な處を治める爲にと、塒を朝立つ鳥の樣に、朝出發して、お供の衆に取り卷かれて、澤山の鳥の樣に群り立つて、出て行かれたが、これが若しも會ふ事が出來ないで長くなつたら、自分は定めて焦れる事でせうよ。
 
  反歌
 
1786 み越《コシ》路の雪降る山を越えむ日は、とまれるわれを、かけて偲《シヌ》ばせ
 
1786 越の國地方の雪の降つてゐる山を、お越えになる時分には、都に座つてゐる私の事をば、心に浮べて思ひ出して下さいまし。(此は、大伴(ノ)家持が、越中に赴任した時に、笠の金村が送つたものと思はれる。)
 
  天平元年十二月の歌。並びに短歌。二首
 
1787 現身《ウツソミ》の世の人なれば、大君の命《ミコト》畏《カシコ》み、磯城島の大倭(ノ)國の石上《イソノカミ》布留《フルノ》里に、紐解かずまろ寢をすれば、吾が著たる衣は穢《ナ》れぬ。見る毎に戀ひは勝《マサ》れど、色に出でば人知りぬべみ、冬の夜の明《ア》けもかねつゝ、寢《イ》もねずに我はぞ戀ふる。妹がたゞかに
 
1787 自分は人間世界の者であるから、其處をお治めになる天皇陛下の仰せを畏つて、家を離《ハナ》れて大倭の里にある石(ノ)上の邊布留の村へ出かけて行つて、只一人下袴の紐も解かないで、ごろ寢をしてゐる爲に、自分の著てゐる衣は、よれ/\に萎えて了うた。見る物觸る物總てにつけて、家に居る人に焦れる心はつのつてゆくけれども、顔色に表したら、人が悟るだらうと思うて、冬の夜が明《ア》けない樣にうちあけずに、寢る事もせないで、自分はいとしい人の側ばかりを焦れてゐる。
 
  反歌
 
1788 布留山|從《ユ》たゞに見渡す都にぞ、寢《イ》も寢《ネ》ず戀ふる。遠からなくに
 
1788 自分のゐる山から、直接《ヂカ》に見渡す都を、寢もしないで焦れてゐる事だ。遠い處でもないのに。
 
1789 吾妹子が結《ユ》ひてし紐を解かめやも。絶えば絶ゆとも。たゞに逢ふ迄に
 
1789 いとしい人の結んで呉れた紐を解くものか。直接に逢ふ迄は、切れるならば切れてもかまはぬ。其儘にして置かう。
 
  右五首、笠(ノ)金村集に見えてゐる。
 
  天平五年、遣唐使の船が難波を出て海路につく時に、其の母が其子に與へた歌。並びに短歌
 
1790秋萩を妻間ふ鹿《カ》こそ、獨《ヒト》り兒に子|持《モ》たりと言へ。鹿兒《かこ》じもの吾が一人子の、草枕旅にし行けば、竹玉《タカタマ》を繁《シヾ》に貫《ヌ》き垂り、齋瓮《イハヒベ》に木綿《ユフ》取り垂《シ》でゝ、粛ひつゝ吾が思《モ》ふ吾子《アゴ》。まさきくありこそ
 
1790 妻として馴れ睦じくしてゐる秋萩をば、問ひ寄る鹿は、一疋孕みにしか兒を持たないと云ふが、其鹿の樣に、私のたつた一人兒が、旅に出て行くので、竹の玉をば一杯にさして首に懸け、神を祀る瓮《カメ》に木綿の布を垂れ下げて、清め謹んで自分が祈る。自分の兒が達者であつて呉れる樣に。
 
  反歌
 
1791 旅人の宿《ヤド》りせむ野に、霜降らば、吾が子はぐゝめ。天《アメ》の鶴群《タヅムラ》
 
1791 旅人が泊る野に、霜が降つて寒い夜には、其旅人の中に居る、自分のいとしい子をば、羽《ハネ》の中に入れて、暖《アタヽ》めて遣つてくれ。空を飛ぶ鶴たちよ。(純潔な愛情に、一脈の哀愁を包んでゐる傑作。)
 
  處女を思うて作つた歌。並びに短歌
 
1792 白玉の人の其名を、なか/\にことのをはへず逢はぬ日の數多《アマタ》過ぐれば、戀ふる日の重り行けば、思ひやるたどきを知《シ》らに、肝向ふ心碎けて、玉|襷《ダスキ》かけぬ時なく、口《クチ》やまず吾が戀ふる子を王釧《タマクシロ》手に取り持ちて、まそ鏡|直目《タヾメ》に見ねば、下冰《シタビ》山下行く水の、表《ウヘ》に出でず、吾が思ふ心安き頃かも
 
1792 美しい人の其名前をば、戀しいので一層、語には出して言ふ事が出來ないで、其爲に、逢はないでゐる日が澤山過ぎて行くにつけて、段々焦れる日が重つて行くので、心を晴す方法も訣らないで心を勞して、其人の事を心に浮べて思はぬ時はなく、いとしい人の名を口に出し通しにしてゐる、いとしい人をば、手に持つ樣にして、始終|直接《ヂカ》に顔を見てゐる事が出來ないので、紅葉した山の下を流れて行く水ではないが、表面《ウハベ》には出さずに、自分の思ひ込んでゐる心が、此頃安らかであり得ようか。
 
  反歌
 
1793 かきほなす人の横言《ヨコゴト》繁みかも。逢はぬ日まねく、月の經《ヘ》ぬらむ
 
1793 自分等を取りまいて、垣の樣に立つた、ない事まで言ふ人の評判が煩《ウルサ》いによつて、其で此樣《コンナ》に逢うて下さらぬ日が數重つて、一月も經つたのであらう。
 
1794 たちかはる月重りて、逢はざれど、さね、忘らえず、面影にして
 
1794 どん/”\變つてゆく月が、幾月にもなるが、逢はないでゐるけれど、決して忘れられはしない。幻《マボロシ》に浮べて見てゐる事だ。
 
  右の歌、田邊(ノ)福麻呂《サキマロ》集に見えてゐる。
 
    挽歌
 
  宇治(ノ)若郎子《ワキイラツコ》の宮趾の歌
 
1795 妹ら許《ガリ》今來《イマキノ》峰に、竝《ナ》み立てる妻松の木は、古人《フルビト》見けむ
 
1795 今來の峯に竝んで植つてゐる、いとしい人を待つと云ふ名の松の木は、此處に居られた昔のお方が、見て居られた物であらう。
 
  紀伊(ノ)國で作つた歌。四首
 
1796 もみぢ葉の過ぎにし子等と、たづさはり、遊びし磯曲《イソマ》、見れば悲しも
 
1796 紅葉が散る樣に、亡《ナクナ》つて了つた、あのいとしい人と、手を繋いで遊んだ事のある、岩濱の入り込みを見ると、悲しい事だ。
 
1797 潮氣《シホケ》立つ荒磯《アリソ》にはあれど、行く水の過ぎにし妹がかたみとぞ來《コ》し
 
1797 海の水氣が、始終立つてゐる荒い岩濱ではあるが、其處もいとしい人と一處に來た處だから、亡《ナクナ》つた人の遺して置いた記念だ、としたはしう思うてやつて來た事だ。
 
1798 いにしへに、妹と吾が見し、ぬば玉の黒牛潟《クロウシガタ》を見れば、寂《サブ》しも
 
1798 昔いとしい人と一處に私が見たこの黒牛潟を、今眺めると淋しい氣がする。
 
1799 玉津島。磯の浦曲《ウラマ》の眞砂《マナゴ》にも、匂ひて行かな。妹が觸《フ》りけむ
 
1799 玉津島の岩の多い浦の入り江にある砂でゞも、著物に色を付けて行かう。此等も皆、いとしい人が觸《サハ》つたものだつたのであらうと思はれる。
 
  右五首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  足柄(ノ)坂で死人を見て作つた歌
 
1800 小垣内《ヲカキツ》の麻を引き干《ホ》し、妹なねが作り著せけむ、白栲《シロタヘ》の紐をも解かず、一重|結《ユ》ふ帶を三重|結《ユ》ひ、苦しきに仕へまつりて、今だにも國に罷りて、父母も、妻をも見むと思ひつゝ行きけむ君は、鳥が鳴く東《アヅマ》の國の畏《カシコ》きや神の御坂《ミサカ》に、にぎたへの衣《コロモ》寒らに、ぬばたまの髪《カミ》は亂《ミダ》りて、國とへど國をも告《ノ》らず、家問へど家をも告らず、健男《マスラヲ》の行きの進みに、此處に臥《コヤ》れる
 
1800 屋敷内の麻をば引いて乾して、いとしい妻が作つて著せた、下袴の紐さへも解いて寢ず、一重廻りの帶をば三重廻りに結ぶ程痩せる迄、忙しく苦しい務めに從事し奉つて、さあ此からは、國に下つて行つて、兩親をも、いとしい人をも見よう、と思ひながらやつて來た此人は、東の國の恐しい處の、足柄の神の居られる足柄の山の坂道で(倒れて)和栲《ニキタヘ》の著物も寒さうに見えるし、髪《カミ》も亂れてゐるが、國を問うても、國も言はなければ、家を問うても、家も言はずに倒れて寢てゐるが、これも達者な男の元氣に任せて、行きたいと心が進むまゝに無理をした爲に、此處で此樣《コンナ》にして倒れてゐるのだ。(これは都の宮中の雜仕、或は九州の防人等に召された者が、行く時は團隊となつて行くが、歸りは散り/”\になつて、官の保護もなく歸るので、中には行路病者として死ぬ者が多かつたのであるが、他郷の人を遇する事、仇敵に對する樣であつた昔の里人は、是等の哀れな人々を見捨てゝ、死ねば穢れがあるとして、愈打ち捨てゝ其を見てさへ、祓《ハラヘ》をした位であつた。集中に此類の歌は、到る處に見えてゐる。)
 
  葦屋《アシヤノ》處女の墓を通つて作つた歌。竝びに短歌。二首
 
1801 古の健男壯夫《マスラヲノコ》の相|競《キホ》ひ妻問ひしけむ、葦(ノ)屋の菟原《ウナヒ》處女の奥《オク》つ城《キ》を、吾が立ち見れば、長き世の語りにしつつ、後人《ノチビト》の偲びにせむと、玉桙の道の邊《ベ》近く岩構へ造れる塚を、天雲のそきへのきはみ、此道を行く人毎に、行き寄りてい立ち歎かひ、里人は哭《ネ》にも泣きつゝ、語り續ぎ偲《シヌ》び續ぎ來《コ》し、處女らが奥つ城處。我さへに見れば悲しも。古思へば
 
1801 昔居た立派な男達が、一處に競爭し合うて、妻とする爲に、訪問したさうな葦屋の里の菟原の村の娘の墓をば、自分が來て見ると、長い時代の傳説として語り傳へながら、後世の人の思ひ出す種《タネ》にしようと思うて、道の側に近く岩を圍《カコ》うて造つた塚をば、近い處はもとより、遠方迄も此道を通つて行く人は、誰も彼も寄つて行つて、立つて見ては歎息《タメイキ》吐き、其土地の人は、非常に泣きなどして、遠く雲が續いてゐる涯《ハテ》の、遠い處迄も話し傳へ、代々順繰りに、心の中で其容子を思ひ浮べて居つた、娘の墓所をば見ると、自分迄も、昔の事が思はれるので、悲しくなつて來る事だ。
 
  反歌
 
1802 古の信田壯大《シヌダヲトコ》の、妻問《ツマド》ひし菟原《ゥナヒ》處女の奥津城ぞ。これ
 
1802 昔居たあの和泉の信田の男が、妻にしようと思うて通うた莵原處女の墓は、即これだ。
 
1803 語り續ぐからにも、こゝだ戀しきを、直目《タヾメ》に見けむ、古壯夫《イニシヘヲトコ》
 
1803 語り續いでゐるだけなのに、其爲だけでもひどく戀しいのに、直接《ヂカ》に顔を見た其男達は、どんなに戀しかつた事だらう。無理はない。
 
  弟の死んだのを悲しんだ歌。竝びに短歌。二首
 
1804 父母がなしのまに/\、箸向ふ弟《オト》の命《ミコト》は、朝露の消《ケ》易き命《イノチ》、神のむた爭ひかねて、葦原の瑞穂(ノ)國に家無みや、また歸り來《コ》ぬ。遠つ國|黄泉《ヨミ》の境に、這ふ蔦のおのも/\に、天雲の別れし行けば、闇夜なす思ひ惑はひ、射ゆ鹿《シヽ》の心を傷《イタ》み、あしがきの思ひ亂《ミダ》りて、春鳥の哭《ネ》のみ泣きつゝ、あぢさはふ夜《ヨル》晝と言はず、かぎろひの心燃えつゝ歎く。別れを
 
1804 父母が生んで下された通りに、箸が二本ある樣に、向ひあうてゐた可愛い我が弟なる君は、人間の果敢ない朝露の樣に消え易い命を掌る神樣の意思とほりに、抵抗が出來ないので、此日本の國には、其住む家が無くなつたのか、二度と歸つても來ずに、遙かな黄泉の國の邊に、我々と別々に違つた方向へ自分の氣に向いた通りに、別れて行つて了うたので、後は闇夜に迷ふ樣に、心迷ひをして、矢で射られた鹿ではないが、心が傷むので、色々と煩悶して、激しく泣きながら、夜と言はず畫と言はず、心が燒ける樣に歎いてゐる、この別れよ。
 
  反歌
 
1805 別れても、またも逢ふべく思《オモ》ほえば、心亂りて吾が戀ひめやも
 
1805 譬ひ別れても、また逢ふ事の出來さうに思はれる別れであつたら、此樣に煩悶して、私が焦れはしないのに。
 
1806 足引きの荒山中《アラヤマナヵ》に造り置きてかへらふ、見れば、心苦しも
 
1806 荒い恐しげな山の中に、送り屆けて置いて、人々が歸つて行くのを見てゐると、心が術なくなつて來る事だ。
 
  右七首、田邊(ノ)福麻呂集に見えてゐる。
 
  葛飾眞間《カツシカノマヽ》の處女を詠んだ歌。竝びに短歌
 
1807 鳥が鳴く東の國に古にありける辭《コト》と、今迄に絶えず言ひ來《ク》る、葛飾《カツシカノ》眞間手兒名《ママノテコナ》が、麻衣《アサギヌ》に青衿《アヲエリ》つけ、濃青《ヒタサヲ》を裳《モ》には織り著て、髪だにも掻きは梳《ケヅ》らず、沓《クツ》をだにはかず行けども、錦綾《ニシキアヤ》の中に包めるいはひ子も、妹に如《シ》かめや。望月のたゝへる面《オモ》わに花の如《ゴト》笑《ヱ》みて立てれば、夏蟲の火に入るが如、水門《ミナト》入りに船漕ぐ如く、よりかぐれ人の言ふ時、幾何《イクバク》も生けらぬものを、何すとか身をたな知りて、波の音《ト》の騷ぐ水門《ミナト》の奥つ城に、妹がこやせる、遠き世にありける辭《コト》を、昨日しも見けむが如《ゴト》も、思ほゆるかも
 
1807 坂東の國に昔あつた物語りだ、と今迄も始終言ひ傳へて來てゐる、あの葛飾の眞間の手兒名が、麻の著物に青い襟をつけた著物を着て、眞青な布を上裳に織つて著て、髪さへも櫛の目を入れず、又沓さへもはきもしないで出歩いてゐたが、其でも錦や綾の布の中に包まれてる大事に育てられた良家の娘達も、此いとしい娘には、何《ド》うして及びつかうか。滿月の樣に圓滿な面をして、花の樣に莞爾《ニツコリ》笑うて門口に立つてゐると、まるで夏の蟲が火に飛び込む樣に、川口へ這入るのに澤山の船が漕ぎ連れて來る樣に、諸方から寄つて來て、色々の人が、樣々といどみかゝつて、言ひ入れて來た。さういふ時分に、手兒名は、人間と云ふ者は、何時迄も生きてゐられないのに、人の騷ぐのは何の役に立たうか、と自分の身の事をよくわきまへ知つて、波の音が騷しう響いてゐる川口の海に入つて、其處の水底の死んでからの居り場所に、いとしい娘が永久に寢てゐる事だ、此事は、今からずつと以前の時代にあつた事だのに、ほんの昨日見たと云ふ風に、思はれる事だ。
 
  反歌
 
1808 葛飾の眞間(ノ)井見れば、立ちならし、水を汲みけむ手兒名しおもほゆ
 
1808 葛飾の眞間の水溜りを眺めるにつけても、其處へ始終行きつけて、水を汲んでゐたと云ふ、あの手兒名が思はれる事だ。
 
  菟原處女《ウナヒヲトメ》の墓を見た時の歌。並びに短歌。二首
 
1809 葦(ノ)屋の菟原處女が、八歳兒《ヤトセゴ》の片生《カタオ》ひの時|從《ユ》、をばなりの髪《カミ》たぐ迄に、竝び居《ヲ》る家にも見えず、うつゆふの籠りてませば、見てしがといぶせむ時の、垣ほなす人の訪《ト》ふ時、茅渟壯夫《チヌヲトコ》、菟原壯夫の、臥《フ》せ家《ヤ》たきすゝし競《キホ》ひて、相よばひしける時は、燒大刀《ヤキタチ》の手上《タガミ》おしねり、白檀弓《シラマユミ》靭《ユキ》取り負ひて、水に入り、火にも入らむと、立ち向ひ競《キホ》へる時に、吾妹子し母に語らく、倭文手纏《シヅタマキ》賤しきわが故《ユヱ》、健男《マスラヲ》の爭ふ見れば、生けりとも媾《ア》ふべくあれや。しゝくしろ黄泉《ヨミ》に待たむと、隱沼《コモリヌ》の下ばへ置きて、うち歎き妹が去《イ》ぬれば、茅渟壯夫その夜夢に見、とりつづき追ひ行きければ、後《オク》れたる菟原壯夫は、天《アメ》を仰ぎ、叫びをらび、足摺りし、牙《キ》がみたけびて、もころ男に負けてはあらじと、かけはきの小大刀とり佩き、ところづらとめ行きければ、族《ウカラ》どちい行きつどひて、長き世に標《シルシ》にせむと、遠き世に語りつがむと、處女塚中に築《ツ》き置き、壯夫《ヲトコ》塚|此方《コナタ》彼方《カナタ》に築き置ける故由《ユヱヨシ》聞きて、知らねども、新喪《ニヒモ》の如も、哭泣《ネナ》きつるかも
 
1809 葦の屋の里の菟原の村のあの處女が、八(ツ)位の小兒《コドモ》で、まだ一人前になつて居ない時分からして、おかつぱさんに垂した髪をば、結ひあげる頃迄、近所に竝んでゐる家々の人たちにも、目にかゝらないで、家にぢつと隱れてゐるので見たいもんだと思うて、皆が屈託《クツタク》してゐる最中で人達がまるで垣の樣に取り卷いて、求婚に來る最中に、茅渟壯夫と菟原壯夫と二人が一所懸命になつて、競爭して求婚した時分には、刀の鞘を激しい力でおしひねつて、白い檀の木で造つた弓を持ち、靭を負うて、娘の爲なら火にも這入らう、水にも這入らうと對抗して競爭してゐる時分に、いとしい娘が、阿母さんに言うた事には、賤しい私の樣な者だのに、其爲に立派なお方達が爭うていらつしやるのを見ると、譬ひ此世に生きてゐても、思ふ人と一處になれさうにありませうか。一層の事、あの世へ行つて待つてゐませう、と心の中に思ひを長く殘して、いとしい娘が、とう/\死にに行つてしまふと、茅渟壯夫が、其夜其事を夢に見て、後から死んで了《シマ》うたので、後にとり殘された菟原壯夫が、天を仰いで大聲をあげ、喚いてぢだんだ蹈み、齒噛みをして、激しい元氣を出して同輩に負けては居るものかと言うて、つりさげてゐる刀を腰に佩びて、其二人の死んだ跡を突き止めて、追つかけて行つたので、そこで一族の者は、寄り集つて、何時迄も、人の目につく標にしよう、何時迄も傳説にして話し傳へて行かう、と相談して、處女塚を眞中に築いて置いて、壯夫塚を彼方と此方とに造《コシラ》へて置いた、と云ふ來歴を聞いて、実際其時分の事は經驗はしたのでもなく、知つた人と云ふ訣でもないが、まるで今死んだ親族の人の喪に逢うた樣に、泣きに泣いた事だ。
 
  反歌
 
1810 葦(ノ)屋の菟原《ウナヒ》處女が奥つ城を、行き來《ク》と見れば、哭《ネ》のみし好かゆ
 
1810 葦屋の菟原の村の娘の墓を行くにつけては見、歸るにつけては見、いくら見ても、泣くばかりで、泣かずにゐられない。
 
1811 塚の上の木枝《コノエ》靡けり。聞けるが如《ゴト》、茅渟壯夫にし、よそへけらしも
 
1811 處女塚の上にある木の葉が、茅渟壯夫の墓の方に向いて延びてゐる。此でみると、話に聽いてゐる樣に、實際娘は、茅渟壯夫に心を寄せてゐたのに違ひがない事だ。
 
  右二組五首の歌、蟲麻呂集に見えてゐる。
 
 
 萬葉集 卷第十
 
    春《ハル》の雜《ザフ》の歌《ウタ》
 
  霞
 
1812 久方の天香具《アメノカグ》山。此ゆふべ、霞たなびく。春立つらしも
 
1812 向うに見える天の香具山よ。今夜見渡すと、あの山に霞が長くかゝつてゐる。それで見れば、どうやら、今春が到來したらしい。
 
1813 卷向《マキムク》の檜原《ヒバラ》に立てる春霞、おほにし思はゞ、泥《ナヅ》み來《コ》めやも
 
1813 卷向の檜原よ。その檜原に立つてゐる春霞ではないが、ぼんやり好い加減に見てゐる位なら、わざ/\檜原までやつては來ない。(此歌は、相聞の歌ともとれない事はない。)
 
1814 古の人の植ゑけむ杉が枝《エ》に、霞たなびく。春は來ぬらし
 
1814 昔居た名高い人が植ゑておいたさうな、此杉林の杉の枝に、霞が長くかゝつてゐる。大方春がやつて來たことだらう。
 
1815 子等が手を卷向《マキムク》山に、春されば、木《コ》の葉|凌《シヌ》ぎて、霞たなびく
 
1815 卷向山に春が來たので、木の葉の上にかぶさつて、霞が長く懸つてゐることだ。
 
1816 玉かぎる夕さり來れば、獵人《サツビト》の弓月《ユヅキ》个嶽に、霞たなびく
 
1816 日暮れになると、春のことゝて、弓月个嶽に霞が長く懸ることだ。
 
1817 今朝行きて明日は來なむと云ふ子かに、朝妻山に霞たなびく
 
1817 朝になると、早く、又明日來ませうと云うて出かける女とも云ふべき名の、朝妻山に霞が懸つてゐる。
 
1818 子等が名に懸けの宜しき朝妻の、傍《カタ》山岸に霞たなびく
 
1818 朝妻と云ふ名は好い名だ。思ふ人に名付けたら好い。妻と云ふに縁のある、其朝妻山の崖の邊に、霞が懸つてゐる。
 
  右七首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  鳥
 
1819 うち靡き春立ちぬらし。我が門の柳の梢《ウレ》に、鶯鳴きつ
 
1819 春になつた容子だ。自分の家の表の柳の立ち木の梢に、鶯が今鳴いた。
 
1820 梅の花咲ける岡邊に、家居《イヘヲ》れば、乏《トモ》しくもあらず。鶯の聲
 
1820 梅の花の咲いてゐる岡の邊《ホトリ》に住ひしてゐるので、此頃は鶯がよく來て鳴くから、其聲に不自由もしない。
 
1821 春霞流るゝなべに、青柳の枝|喙《ク》ひ持ちて、鶯鳴くも
 
1821 春霞が流れるやうに降つてゐる所へ、又青柳の枝を口に喙《クハ》へて、鶯が鳴いてゐる事だ。
 
1822 わが夫《セコ》子を莫巨勢《ナコセ》の山の呼子《ヨブコ》鳥。君呼び返せ。夜の更けぬとに
 
1822 思ふ方は今歸られた。そして、今頃は、巨勢山にかゝつてゐられるだらう。其山の名は巨勢でも、實は越すなと願ふ山である。其山に居る呼子鳥よ。夜が更けたから戻れとて、君を鳴いて呼び返してくれ。
 
1823 朝|堰《ヰデ》に來鳴く貌《カホ》鳥。汝《ナレ》だにも、君に戀ふれや、時|終《ヲ》へず鳴く
 
1823 自分はあの人を思うてゐる。處が毎朝目が醒めると、近くの堰の邊に來て、貌鳥が鳴く。お前も私のやうに、あのお方に焦れてゐる爲に、そんなに鳴き止む時もなく、鳴くのであるか。
 
1824 冬籠り春さり來《ク》らし。是びきの山にも、野にも、鶯鳴くも
 
1824 山にも野にも鶯が鳴く事だ。春が來たのに違ひない。
 
1825 紫の根|延《ハ》ふ横野の春野には、君をかけつゝ、鶯鳴くも
 
1825 蔓草が根を延す河内の横野の春の野邊には、鶯が鳴いて居る。其樣に私もあの方の名を、口に出して泣いてゐる事だ。
 
1826 春されば、妻を覓《モト》むと鶯の、木末《コヌレ》を傳ひ鳴きつゝ。もとな
 
1826 春になると、鶯が自分の妻の在《アリ》家を探さうとて、梢を傳うて鳴く。それが心なく、自分等に悲しい心を動す。
 
1827 春日なる羽交《ハガヒ》の山ゆ、佐保の内へ、鳴き行くなるは、誰《タレ》呼子鳥
 
1827 春日の羽交の山を出て、佐保の地内へ鳴いて行くのは、誰を呼ばうとて鳴く呼子鳥であるか。
 
1828 答へぬに、勿《ナ》呼びとよめそ。呼子鳥。佐保の山邊を登り降りに
 
1828 佐保の山の邊を登つたり下つたりして、そんなに甚く鳴く必要はない。鳴いたとて答へる人ではないのに。呼子鳥よ。
 
1829 梓弓春山近く家をれば、續《ツ》ぎて聞くらむ。鶯の聲
 
1829 あなたは春の山近くに住居して入らつしやるから、鶯の聲を間斷なく聞いて入らつしやるでせうね。
 
1830 うち靡き春さり來れば、篠梢《シヌノウレ》に尾羽うち觸りて、鶯鳴くも
 
1830 春がやつて來ると、笹の上に尾や羽を觸れ乍ら、鶯が鳴くことだ。
 
1831 朝霧にしぬゝに濡れて、呼子鳥。御船《ミフネノ》山ゆ鳴き渡る、見ゆ
 
1831 朝霧にづぶ濡れになつて、呼子鳥が御船山をばずつと鳴き渡つて行く。それが見える。
 
  春の雪
 
1832 うち靡き春さり來れば、しかすがに、天雲《アマグモ》きらひ雪は降りつゝ
 
1832 春がやつて來た時分に、春は春として、一方又一杯に空が曇つて、雪が降つてゐることだ。
 
1833 梅の花降り覆ふ雪を包み持ち、君に見せむと、とれば消《ケ》につゝ
 
1833 梅の花を降り隱してゐる雪の儘に、ものに包み込んで、あの方に見せようとゝると、その後から直ぐ消える。
 
1834 梅の花咲き散り過ぎぬ。しかすがに、白雪庭に降り頻《シ》きにつゝ
 
1834 もう春になつて、梅の花は散つて了うた。處が又一方、雪が庭一面に降つてゐることだ。
 
1835 今更に雪降らめやも、陽炎《カギロヒ》の燃ゆる春べとなりにしものを
 
1835 今頃から又繰り返して雪の降る筈がないのに、降つて來た。もう陽炎の立ち昇る春と、とつくになつてゐるのに。
 
1836 風難り雪は降りつゝ、しかすがに、霞たなびき、春さりにけり
 
 
1836 雪は風雜りに降つてゐるのに、同時に霞がかゝつて、春がやつて來たことだ。
 
1837 山の際《マ》に鶯鳴きて、うち靡き春と思へど、雪降り頻《シ》きぬ
 
1837 山の間《アヒ》に鶯が鳴いて居るので、春だと思うてゐるのに、雪がどし/”\と降つてゐることだ。
 
1838 峯《ヲ》の上《ウヘ》に降り置ける雪し、風の共《ムタ》、茲に散るらし。春にはあれども
 
1838 山の上に降り積つてゐた雪が、風と一處に散つて來たに違ひない。それで春だけれども、雪が降つたのだ。
 
  右一首、筑波山の歌。
 
1839 君が爲、山田の澤にゑぐ摘むと、雪|消《ケ》の水に、裳の裾濡れぬ
 
1839 思ふお方の爲に、山の田を作つたあとの深みで、ゑぐの若芽を摘まうとして、雪消の水で、下袴の据が濡れた。
 
1840 梅が枝に鳴きてうつらふ鶯の、羽《ハネ》白|栲《タヘ》に、泡雪ぞ降る
 
1840 梅の枝から梅の枝へ鳴き渡る鶯の羽が、白栲の衣を著たやうに、泡雪が降りかゝつてゐることだ。
 
1841 山高み、降り來る雪を、梅の花咲きかも散ると、思ひつるかも
 
1841 山が高いので、春になつても降つて來る雪をば、梅の花が散るのか、と思うたことだ。
 
1842 雪をおきて梅をな戀ひそ。足びきの山|傍《カタ》つきて、廬《イホ》らせる君
 
1842 あなたは梅が戀しいので、山から降つて來る雪が、梅のやうに思はれる、と仰つしやるが、山にくつゝいて住んで入らつしやるあなたよ。そんなに雪をさしおいて、梅許り焦れることはないではありませんか。
 
  右二首、問答歌である。
 
  霞
 
1843 昨日こそ年は果てしか。春霞春日(ノ)山に、はや立ちにけり
 
1843 昨日舊年が暮れた許りである。それにもう、春日山に春霞が立つたことだ。
 
1844 冬過ぎて春來たるらし。朝日さす春日(ノ)山に、霞棚引く
 
1844 もう冬が過ぎ去つて、春がやつて來たに違ひない。朝日のさしてゐる春日山に、霞が長く懸つてゐることだ。
 
1845 鶯の春來たるらし。春日山霞たなびく。夜目《ヨメ》に見れども
 
1845 春日山に霞の懸つてゐる容子が、夜目に見てもよく見える。春になつたのに違ひない。
 
  柳
 
1846 霜枯れの冬の柳は、よき人の※[草冠/縵]《カヅラ》すべくも、萌《モ》えにけるかも
 
1846 此迄霜を受けて、枯れてゐた冬の柳は、美しい人の卷きつける※[草冠/縵]に出來る程に、芽を萌《フ》いて來たことだ。
 
1847 淺|緑《ミドリ》染めかけたりと見る迄に、春の柳は萌えにけるかも
 
1847 淺緑の布を染めて、懸けて干してある、と思はれる程に、春の柳は、芽を出したことだ。
 
1849 山の際《マ》の雪は消《ケ》ざるを、みなぎらふ川の柳は萌《モ》えにけるかも
 
1849 山間の雪はまだ消えないが、水の煙つて流れる川の柳は、もう萌え出したことだ。
 
1850 朝な朝《サ》な我が見る柳。鶯の來居て鳴くべく、もりに早なれ
 
1850 朝毎に自分の見て居る柳よ。早く大きくなつて、鶯が其處に來て棲んで鳴くやうに、早く森のやうになれ。
 
1851 青柳《アヲヤギ》の緑の絲の、春風に亂れぬい間《マ》に、見せむ子もがも
 
1851 青柳の緑の絲が、春風の爲にもつれない中に、見せる人がゐないか知らん。君よ早く入らつしやい。
 
1852 もゝしきの大宮人の※[草冠/縵]《カヅラ》けるしだり柳は、見れど飽かぬかも
 
1852 御所に宮仕へする人達が、頭に卷きつけてゐるしだり柳は、見ても見飽きないことだ。
 
1853 梅の花とり持ち見れば、我が宿の柳の眉し思ほゆるかも
 
1853 梅の花を手にとつて見てゐると、自分の家の眉のやうに開く柳の、新芽が思ひ出されることだ。
 
  花
 
1854 鶯の木傳《コヅタ》ふ梅のうつろへば、櫻の花の時かたまけむ
 
1854 鶯が枝傳ひして鳴いた梅が、衰へて散つて了ふと、櫻の花が、自分の咲く時分を、一心に待つてることだらう。
 
1855 櫻花時は過ぎねど、見る人の戀ひの盛りと、今し散るらむ
 
1855 櫻の花は、未盛りの時は過ぎないが、見て居る人の、花に焦れて居る頂上だから、散るのに好い時だ。今こそと、それで散るのであらう。
 
1856 我が插《サ》せる柳の絲を、吹き亂る風にか、妹が梅の散るらむ
 
1856 自分が插しておいて育てた柳の、絲のやうな枝を吹き亂す風は面白いが、此風の爲に、いとしい人の家の梅は、散つてゐることだらう。
 
1857 年の毎《ハ》に梅は咲けども、うつそみの世の人われし、春なかりけり
 
1857 毎年々々、梅は時が來て花は咲くが、人間の世界に生れた自分には、一度済んだ春は、もう來ないことだ。
 
1858 うつたへに鳥は喫《ハ》まねど、標繩《シメ》はへて瞻《モ》らまく欲しき、梅の花かも
 
1858 鳥は一向食べはしないが、何だか氣懸りで、繩を曳いて、番をして居たいやうな、梅の花であることだ。
 
1859 おしなべて高き山邊を、白栲《タヘ》ににほはしたるは、梅の花かも
 
1859 高い山を全體に、白栲の衣のやうに、眞白に美しう見せてゐるのは、梅の花であらうか。
 
1860 花咲きて實《ミ》はならねども、長き日《ケ》に思ほゆるかも。山吹の花
 
1860 花が咲く許りで、實《ミ》はならないが、長い間咲き續いて懷しいことだ。山吹の花は。
 
1861 能登《ノト》川の水底《ミナツコ》さへに照る迄に、春日(ノ)山は咲きにけるかも
 
1861 春日野に流れて出る能登川の、川の底さへも燿いて見える程、三笠山の花が咲いたことだ。
 
1862 雪見れば未冬なり。しかすがに、春霞立ち、梅は散りつゝ
 
1862 雪の降つてゐるのを見ると、成程まだ冬だ。處がそれと同時に、春霞が立つて、梅が咲いては散り、咲いては散りして居る。
 
1863 昨年《コゾ》咲きし冬木今咲く。徒らに地《ツチ》にや散らむ。見る人なしに
 
1863 昨年咲いてゐて、此迄冬枯れた木となつた木が、今や花が咲いてゐる。見る人もなく、地べたに散り落ちようか。
 
1864 足引きの山の際《マ》照す櫻花、此春雨に、散りぬらむかも
 
1864 山|間《アヒ》を光らして、美しく咲いた櫻の花が、今降つてゐる春雨に、散つて居ることだらう。
 
1865 うち靡き春さり來らし。山の際の遠き木末《コヌレ》の咲き行く、見れば
 
1865 春が來たに違ひない。山|間《アヒ》の遙かな木の梢の花が、段々咲いて行くのを見ると知れる。
 
1866 雉子《キヾシ》鳴く高圓の邊《ヘ》に、櫻花散りて流らふ、見る人もがも
 
1866 雉子の鳴いてゐる高圓山の櫻の花が、雨のやうに散つて降つて來るのを、外に誰か自分と一處に見る人が、あつてくれゝば好い。
 
1867 阿保山の櫻の花は、今日もかも、散り亂るらむ。見る人なしに
 
1867 伊賀の國の阿保山の櫻の花は、今日あたりは、亂れて散つてゐるであらうよ。見る人もなく。
 
1868 河蛙《カハヅ》鳴く吉野(ノ)川の、激湍《タギ》の邊《ヘ》の馬醉木《アシビ》の花ぞ。※[草冠/縵]《カヅラ》くな。ゆめ
 
1868 河鹿の鳴く吉野川の激湍の邊《ホトリ》の、馬醉木の花をば、地べたに散してくれるな、どうぞ。
 
1869 春雨に爭ひかねて、我が宿の櫻の花は、咲き初めにけり
 
1869 春雨が花を咲かさうとするのにぢつと堪《コラ》へて、咲くまいとして居た自分の屋敷の櫻は、とう/\對抗し切れなくなつて、花が咲き出したことだ。
 
1870 春雨は甚《イタ》くな降りそ。櫻花いまだ見なくに散らまく、惜しも
 
1870 春雨はそんなに甚《ヒド》く降るな。櫻の花をまだ見ない中に散るのは、惜しいことだ。
 
1871 春されば散らまく惜しき櫻花。暫《シマ》しは咲かず、ふゝみてもがも
 
1871 春が來ると、散つて了ふのが惜しい櫻の花よ。だから暫くは咲かないで、つぼんでゐてくれゝば好いが。
 
1872 見渡せば、春日の野邊に霞立ち、咲き匂へるは、櫻花かも
 
1872 ずつと眺めると、春日の野には霞が立つて、その中にほんのりと咲いて居るのは、櫻花であらうか。
 
1873 いつしかも、此夜の明けむ。鶯の木傳ひ散す梅の花見む
 
1873 早く今夜が明けてくれゝば好い。さうすれば、今此匂うてゐる梅の木を、朝の光線の中で見て、鶯の木から木へ渡つて、散す容子を見よう。
 
  月
 
1874 春霞たなびく今日の夕|月夜《ヅクヨ》、清く照るらむ。高圓野《タカマドノヌ》に
 
1874 春霞のかゝつてゐる今夜の夕月が、高圓の野を清らかに照してゐるだらう。
 
1875 春されば木《キ》の木《コ》の陰《クレ》の、夕月夜、おぼつかなしも。山|陰《カゲ》にして
 
1875 春になつたので、木の木陰の夕月が、山の陰なので、木の枝に遮られて、ぼんやりとしか見えない。
 
1876 朝|霞《ガスミ》春日《カスガ》の暮れは、木の間よりうつらふ月を、何時とか待たむ
 
1876 春日山の日暮れには、木の間からさして來る月を、何時出ることか、と待つてゐようか。なか/\、木が茂つてゐるから、急には出て來ない。
 
  雨
 
1877 春の雨にありけるものを、立ち籠り妹が家路に、此日暮しつ
 
1877 終日降つてゐる春雨だのに、つひ止むものと思うて、いとしい人の家へ行く路で、一寸雨宿りをして居て、いつ迄たつても止まないので、今日を暮して了うた。
 
  川
 
1878 今行きて聞くものにもが。飛鳥川。春雨降りて激《タキ》つ瀬の音《ト》を
 
1878 飛鳥川では春雨が降つた爲に、烈しく流れてゐるであらう。その昔を、此から行つて聞けるものならよいが。(明日《アス》といふ川の名だから、どうしたものだらう、とおどけたものらしい。)
 
  煙
 
1879 春日野に煙立つ見ゆ。處女らし、春|野《ヌ》の莪蒿《ウハギ》摘みて煮《ニ》らしも
 
1879 春日山には煙が立つてゐるのが見える。娘達が春の野に生える嫁菜を摘んで、煮て居るのに違ひない。
 
  野遊び
 
1880 春日野の淺茅《アサヂ》が上に、思ふどち遊べる今日は、忘らえめやも
 
1880 春日野の淺茅の生えた野の上で、親しい同志が遊んでゐる今日の樂しみは、何時迄たつても忘れられないに違ひない。
 
1881 春霞立つ春日野を、往き還り、我はあひ見む。いや年の毎《ハ》に
 
1881 此後毎年々々、春霞の立つてゐる時分に、春日野をば往つたり來たりして、あなたと逢ひませうね。
 
1882 春の野《ヌ》に心やらむと、思ふどち、來たりし今日は、暮れずもあらぬか
 
1882 春の野に出て心を晴さう、と親しい同志が出かけて來た、今日の日は、暮れずにをつてくれたら好いが。
 
1883 もゝしきの大宮人は、暇あれや、梅をかざして、茲に集《ツド》へる
 
1883 御所に宮仕へしてゐる御役人達は、今日はお暇と見えて、梅を頭に插して、茲に集つて入らつしやる。(此は傍《ワキ》から詠んだものでなく、大宮人自身が詠んだものであらう。)
 
1884 冬過ぎて春し來ぬれば、年月はあらたまれども、人は舊《フ》り行く
 
1884 冬が済んで春が來たので、年月は又新しくなるけれども、人は段々年が寄つて、古くなつて行く。
 
  舊くなるのを嘆いた歌。
 
1885 物皆はあらたまりたり。よしゑ、唯、人は、舊りにし宜しかるべし
 
1885 何ものも皆新しくなつてしまうた。それはさうだが、其中で、只人だけは、古くなつたのがよい、といはなければならないやうだ。
 
1886 住吉《スミノエ》の里を行きしかば、春花のいや珍しき君が、あへるかも
 
1886 住吉の里へ來た所が、久し振りで、珍しいお方に出逢うたことだ。
 
  偶《タマ》に逢うたのを悦んだ歌。
 
  旋頭歌
 
1887 春日なる三笠(ノ)山に、月も出でぬかも。
  佐紀《サキ》山に咲ける櫻の、花の見ゆべく』
 
1887 春日の三笠山に、月が出てくれゝばよい、佐紀山に咲いてゐる花が見えるやうに。
 
1888 白雪の常《ツネ》頻《シ》く冬は、過ぎにけらしも。春霞たなびく野邊の鶯鳴くも』
 
1888 雪がじやうべつたりある冬は、済んで了うたに違ひない。春霞の懸つてゐる野に居る鶯が、鳴いてゐることだ。
 
1889 我が宿の毛桃《ケモヽ》の下《シタ》に、月夜《ツクヨ》さし、下《シヅ》心ぐし。うたて、此頃
 
1889 自分の屋敷の毛桃の根もとに月がさして、判然《ハツキり》せず薄暗いやうに、自分も表には表さないが、心中に屈托の多い、嫌な今日此頃である。
 
  譬喩
 
    春の相聞
 
1890 春日野にとも鶯のなき別れ、歸ります間《マ》も思はせ。われを
 
1890 春日野で、件《ツレ》鶯が互に別れて鳴くやうに、泣き別れをしてお出かけになつて、又歸つてお出でになる間も、忘れないで思うてゐて下さい。
 
1891 冬籠り春咲く花を、手折《タヲ》り持ち、千度の限り戀ひ渡るかも
 
1891 咲く花の戀しさに、木に咲いてゐるだけでは※[厭/食]らず、折つて千度まで眺める程、あなたに思ひをかけてゐることです。
 
1892 春山の霧に惑へる鶯も、我にまさりて、もの思はめや
 
1892 春の山に立つてゐる霧の中に迷うてゐる鶯も、私以上に思ひ迷うて、ものを考へこんでゐませうか。
 
1893 出でゝ見る向ひの岡に、本《モト》繁く咲きたる桃の、ならずば、やまじ
 
1893 二人の間が成功しなければ、思ひ切るといふことはしない。ちようど門の出口の向うにある岡に、幹澤山に茂つて、花の咲いてゐる毛桃ではないが、事が成らなければ思ひ止らない。
 
1894 霞立つ春の長日《ナガヒ》を戀ひ暮し、夜の更けぬれば、妹が逢へるかも
 
1894 春の長い日を、一日戀ひ暮して、夜が更けてから、やつと思ふ人が逢ひに來たことだ。
 
1895 春さればまづ三枝草《サキグサ》の、幸《サキ》くあらば後にも逢はむ。な戀ひそ。我妹《ワギモ》
 
1895 春が來たら、眞先に咲く三枝草ではないが、さきく(達者で)をつて、將來きつと逢はうから、そんなに焦れずに、辛抱してゐなさい。いとしい人よ。
 
1896 春さればしだり柳の、とをゝなる妹が、心に乘りにけるかも
 
1896 春が來ると、芽の出るしだり柳のやうに、たよ/\としたいとしい人が、自分の心に乘りかゝつて來て、離れない。
 
  右七首、人麻呂集に見えてゐる。
 
  鳥に寄せた歌
 
1897 春されば、百舌鳥《モズ》のくさくき、見えねども、我は見やらむ。君が邊《アタリ》は
 
1897 百舌鳥の草にさして置く、くさくきが、春になると芽延び、枝さすので、見えなくなるが、あの方の家の邊は、私は始終眺めてゐよう。(此歌は決して、譬喩の歌とすべきものでなく即興の歌である。)
 
1898 貌《カホ》鳥の間なくしばなく春の野の、草根《カヤネ》の繁き戀ひもするかも
 
1898 貌鳥が鳴きやむ時もなく、始終鳴いてゐる春野に、萌え出た草の根のやうに、胸一杯に瀰漫《ハビコ》つた思ひを、我がすることである。
 
  花に寄せた戀
 
1899 春されば卯の花くたし我が越えし、妹が垣|間《マ》は、荒れにけるかも
 
1899 春になると、卯の花を蹈み蹂つて、自分が越えて行つた、妹の家の垣根は、荒れて了うたことだ。
 
1900 梅の花咲き散る園に、我《ワレ》行かむ。君が使を片待ちがてり
 
1900 梅の花の咲いてゐる庭に、自分が出かけて行かう。さうしてゐる中には、使ひも來ようから、其使ひを待ちがてら、出て見よう。
 
1901 藤波の咲ける春野に這ふ蔦《ツタ》の、下|從《ユ》し戀ひば、久しくもあらむ
 
1901 藤の花の咲いてゐる春の野に、這ひ擴つてゐる蔦ではないが、心の底で焦れて居た丈では、嘸成功が、待ち遠しいことだらう。
 
1902 春の野に霞たなびき咲く花の、かくなる迄に、逢はぬ君かも
 
1902 春の野に霞が棚引いて居る所に咲いてゐる花が、こんなに實になる程、時がたつても逢うて下さらぬ。情ない君だ。
 
1903 わが夫子《セコ》に我が戀ふらくは、奥山の馬醉木《アシビ》の花の、今盛りなり
 
1903 あの御方に私が焦れて居ることは、奥山に咲く馬醉木のやうに、今眞盛りの頂上である。
 
1904 梅の花しだり柳に折り雜《マジ》へ、花に手《タ》向けば、君に逢はむかも
 
1904 梅の花としだり柳とをば折り雜ぜて、神に手向ける花として、神に手向けたら、其御利益で、逢ふことが出來るだらう。
 
1905 女郎花《ヲミナヘシ》佐紀野《サキヌ》に生ふる白躑躅。知らぬことをも云はれし。我が夫《セ》
 
1905 佐紀野の野原に生えてゐる白躑躅で、知らぬこと迄も、私は人に評判を立てられました。あなたよ。
 
1906 梅の花、吾は散さじ。青によし奈良なる人の來つゝ見るがね
 
1906 自分は梅の花を散すまい。此花がある爲に、奈良に居る人が出て來ては見る爲に。
 
1907 ことならば、何か植ゑけむ。山吹の止《ヤ》む時もなく、戀ふらく思へば
 
1907 山吹を植ゑれば、思ひ事が増すと人がいふが、そのやうに止む間もなしに、物を思ひ込んでゐる。こんな位なら、何故、山吹を植ゑたのであらう。
 
  霜に寄せた歌
 
1908 春さればみ草の上におく霜の、消《ケ》つつも、われは戀ひ渡るかも
 
1908 春が來ると、草の上に置いてゐる霜が消えるやうに、自分は消え入る程、意氣※[金+肖]沈して、思ひを人にかけてゐることだ。
 
  霞に寄せた歌
 
1909 春霞山にたなびき、おぼゝしく妹をあひ見て、後戀ひむかも
 
1909 春霞が山に懸つてゐるやうに、ぼんやりといゝ加減に、いとしい人と出會うて別れたならば、此後焦れるであらう。
 
1910 春霞立ちにし日より、今日迄に、我が戀ひ止まず。もとの茂《シげ》けく
 
1910 春霞が立ち始めた日から、此頃はもう木の下の方まで茂つてゐるのに、自分の戀ひは此頃になつても止まない。
 
1911 さにづらふ妹を思ふと、霞立つ春日《ハルビ》も昏冥《クレ》に、戀ひ渡るかも
 
1911 美しい顏をした、あの人を思ひこんでゐる爲に、霞のたつてゐる長閑《ノンビリ》とした春の日すらも、まるで暗くなつたやうに、煩悶して、焦れ續けてゐることだ。
 
1912 たまきはる我が山の上《ウヘ》に立つ霞、立つとも坐《ウ》とも、君がまに/\
 
1912 自分の住んでゐる家の邊に、立つ霞のやうに、あなたの御心任せに、立てといはゞ立つ、坐《スワ》れと仰つしやつたら、坐りませう。
 
1913 見渡せば春日《カスガノ》野べに立つ霞、見まくの欲しき君が姿か
 
1913 ずつと見ると、春日野一體に霞が立つてゐて、非常に景色が好い。そのやうに、何時も/\見たいあなたのお姿よ。
 
1914 戀ひつゝも今日は暮しつ。霞立つ明日の春日《ハルビ》を、いかゞ暮さむ
 
1914 焦れ乍らも、今日はやつと日の暮れになつた。明日も亦長い春の日だ。其一日をどうして暮さうか。
 
  雨に寄せた歌
 
1915 我が夫子《セコ》に戀ひて術《スベ》なみ、春雨の降るわき知らに、出でゝ來しかも
 
1915 戀しいお方に焦れて、遣る瀬なさに、春雨の降つてゐるか居ないか、其區別も出來ないで、出て來たことだ。
 
1916 今更に我はい行かじ。春雨の、心を人の知らざらなくに
 
1916 こんなに春雨が降つて來た。こんな日に行かなくとも、心變りをしたなどゝ怨む程、私の心を人が知らない訣でないから。(春雨は濘《シ》るを起す。)
 
1917 春雨に衣はいたく徹《トホ》らめや。七日し降らば、七日來じとや
 
1917 春雨位で、そんなに衣が下迄通つて濡れませうか。あなたは雨が降つたので、えう來なんだと仰つしやるが、七日も續いて降つたら、七日も來ないといふ積りですか。
 
1918 梅の花散す春雨まねく降る。旅にや君が廬《イホ》らせるらむ
 
1918 梅の花を散す春雨が、非常に降つてゐる時に、旅で、あなたが假小屋を建てゝ、宿つて入らつしやるのですか。(春雨の爲に來ない上に、大方旅に出かけてゐるので來られない、といふ程の口實とする積りだらう、と揶揄した歌。)
 
  草に寄せた歌
 
1919 國栖《クニス》等が若菜摘まむと司馬野《シメノヌ》の、しま/\君を思ふ、此頃
 
1919 吉野の土人達が、若菜を摘まうと標をつけておいた司馬の野ではないが、屡(しきりなく)あなたを思うてゐる、今日此頃よ。
 
1920 春草の繁き我が戀ひ、大海の岸《ヘ》に寄る浪の、千重に積りぬ
 
1920 春の草の生え茂つたやうに、胸一面に戀ひがはびこつて、まるで大海の浪のやうに、幾重にも積つたことだ。
 
1921 おぼゝしく君をあひ見て、菅の根の長き春日《ハルビ》を戀ひ渡るかも
 
1921 仄かにあの人に出逢うて見て、その爲に、長い春の曰を焦れ續けてゐることだ。
 
  松に寄せた歌
 
1922 梅の花咲きて散りなば、吾妹子を來《コ》むか來じかと、我が松の木ぞ
 
1922 梅の花が散つて了うたら、今かうして來てゐる人も、もう來なくなつて了ふだらうか。それでも來るだらうか、などと待つてゐる自分の庭には、あの人の目を引く木はなく、只私の心で、松がある許りである。
 
  雲に寄せた歌
 
1923 白檀弓《シラマユミ》、今、春山に行く雲の、行きや分れむ。戀しきものを
 
1923 春の山に向うて、空を渡つて行く雲のやうに、今別れて行かれようか。戀しいのに。
 
  ※[草冠/縵]《カヅラ》を贈るに添へた歌
 
1924 健男《マスラヲ》の伏居《フシヰ》嘆きて、作りたるしだり柳の※[草冠/縵]《カヅラ》せ。吾妹
 
1924 立派な男である自分が、一所懸命になつて拵へたしだれ柳の此※[草冠/縵]を、お前さんの頭につけて下さい。いとしい人よ。
 
  別れを悲しんだ歌
 
1925 朝|戸出《トデ》の君が姿をよく見ずて、長き春日《ハルビ》を戀ひや暮さむ
 
1925 朝歸る時に、門を出て行つたあの方の姿を、好く見送つておかなかつた爲に、長い春の日を焦れ暮さねばならないか。かうして。
 
  問答歌
 
1926 春山の馬醉木《アシビ》の花の、にくからぬ君には、よしゑ、よそるとも、よし
 
1926 春山に咲く馬醉木の花ではないが、憎くは思つてゐないあなたのことだから、あなたにつけて私の評判をせられてもかまはない。
 
1927 石《イソノ》上|布留《フル》の神杉、神さびて、吾《ワレ》やさら/\戀ひに遭ひにける
 
1927 石の上の神の、神木なる杉ではないが、こんなに古びて了うてから、又改めて戀ひに出くはしたことだ。
 
1928 狹野縣《サヌガタ》は實《ミ》にならずとも、花のみも、咲きて見えこそ。戀ひのなぐさに
 
1928 狹野縣の野の桃ではないが、ならなくてもなつても、何方《ドチラ》でもともかく、せめて、花だけでも咲いて、自分に姿を見せてくれ。此焦れる心の慰めに。
 
1929 狹野縣は實になりにしを。今更に春雨降りて、花咲かめやも
 
1929 狹野縣の桃は實となつた。今改めて春雨が降つても花が咲かない。もう既に人の妻となつてゐる自分が、どういふ機會があつても、人の機嫌をとるやうなことをしませうか。
 
1930 梓弓|引津《ヒキッ》の岸《ヘ》なる莫告藻《ナノリソ》の、花咲く迄に、逢はぬ君かも
 
1930 引津《ヒキツ》の海岸に出來てゐる莫告藻のやうに、表面だけの花、即上皮許りは心地よく交際《ツキア》うて、内心は一向打ち解けて逢うて下さらぬあなたよ。
 
1931 川の上《へ》のいつ藻の花の、いつも/\來ませ。吾夫子。時じけめやも
 
1931 川の岸に咲いてゐるいつ藻の花で、いつも/\入らつしやつて下さい。そんなに思ひがけない時に許り、ひよつこり來るものではありません。
 
1932 春雨の歇《ヤ》まず降りつゝ、我が戀ふる人の面《メ》すらを、あひ見せざらむ
 
1932 春雨がちつとも止まないで、降りに降つて、自分の焦れてゐる人の顔だけでも、見せまいとするのか。
 
1933 吾妹兒に戀ひつゝをれば、春雨の、其《ソ》も知る如《ゴト》く、止まず降りつゝ
 
1933 春雨といふものは恐しいもので、あなたの抑つしやる通り、私もお前さんに焦れてゐると、そのことも訣つてゐるといふ風で、自分も同情した顔で止む時もなく降つて居ます。
 
1934 あひ思はぬ妹をや、もとな、菅の根の長き春日《ハルビ》を思ひ暮さむ
 
1934 自分許りが片戀ひの、いとしい人に埒もなく焦れて、長い春の日を思ひ暮してをるべきであらうか。馬鹿なことだ。
 
1935 春されば先づ鳴く鳥の鶯の、言《コト》先だちし君をし待たむ
 
1935 春が來ると第一番に鳴く鳥なる鶯のやうに、一等先に言ひこんで下さつたあなたに、お逢ひ申すことにして待つてをりませう。
 
1936 あひ思はずあるらむ子故、玉の緒の長き春日《ハルビ》を思ひ暮さむ
 
1936 私許りが片戀ひでゐるらしいその人の爲に、長い春の日を思ひ暮してゐることよ。
 
    夏の雜の歌
 
  鳥
 
1937 多武嶺《タムノネ》に出で立ち向ふ、舊里《フルサト》の神南備《カムナビ》山に、明け來れば柘《ツミ》の小《サ》枝に、夕されば小松が梢《ウレ》に、里人の聞き戀ふる迄、山彦の答へする迄、霍公鳥《ホトヽギス》妻|戀《ゴ》ひすらし。さ夜中に鳴く
 
1937 門へ出て見ると、正面《マトモ》に多武(ノ)峯の見える、古い都の神名備山で、夜明けには柘の木の枝で、日が暮れると小松の梢で、里人がもう鳴くか、もう鳴くかと待ち焦れる程、それから山の木魂が答へをする程、大きい好い聲で鳴く子規が、雌鳥に焦れてゐる爲であらうか。眞夜中に迄鳴いてゐる。
 
  反歌
 
1938 旅にして妻戀ひすらし。霍公鳥《ホトヽギス》、神南備山にさ夜更けて鳴く
 
1938 自分が旅に出て妻に焦れてゐるやうに、あの子規もやはり旅人で、妻に焦れてゐるに違ひない。それで、あんなに眞夜中に、神名備山で鳴くのだ。
 
1939 霍公鳥《ホトヽギス》。汝《ナ》が初聲は、我にもが。五月《サツキ》の玉に交《マジ》へて貫《ヌ》かむ
 
1939 子規よ、お前が鳴く初音は、私に欲しいものだ。さうすれば、五月の藥玉を拵へるのに、交ぜて通さうと思ふ。(子供の心持ちになつて作つた傑作。)
 
1940 朝霞たなびく野邊に、足引きの山霍公鳥何時か來鳴かむ
 
1940 朝霞のかゝつてゐる野に、立つて見ると思はれる。山子規が、何時になつたら來て鳴くだらうと。
 
1941 朝霞八重山越えて、呼子鳥。鳴《ナ》きや汝が來る。宿もあらなくに
 
1941 朝霞のかゝつてゐる、幾重にも重つた山を越えて來る呼子鳥よ。お前の宿と云うてはないのに、わざ/”\そんなに鳴いて來るのか。
 
1942 霍公鳥。鳴く聲聞くや。卯の花の咲き散る岡に、葛引く處女
 
1942 子規の鳴いてゐる聲を聞いたか。卯の花が散つては散る岡の、葛を引いてゐる處女達よ。
 
1943 月夜《ツクヨ》よみ鳴く霍公鳥、見まく欲り、我草とれり。見む人もがも
 
1943 餘り月が好いので、自分は子規を泊らす木を立てた。誰かやつて來て、共に月を見、子規を聞く相手にはならないか知らん。
 
1944 藤浪の散らまく惜しみ、霍公鳥|今城《イマキノ》岡を鳴きて越ゆなり
 
1944 藤の花の散るのが惜しさに、子規がその花の咲いてゐる今城の岡をば、鳴いて越えて行くことだ。
 
1945 朝霞八重山越えて、霍公鳥、卯の花|邊《ベ》から鳴きて越ゆらし
 
1945 朝霞のかゝつてゐる重り合うた山を越えて、子規が卯の花の咲いてゐる邊をば、鳴いて渡つて行く容子だ。
 
1946 木高くは、かつて木植ゑじ。霍公鳥來鳴きとよめて、戀ひまさらしむ
 
1946 此からは一切、梢高く(即、背の高い木を)植ゑまい。子規が來て、邊を震動さして、愈、焦れる心をつのらせることだ。
 
1947 逢《ア》ひ難き君に逢へる夜。霍公鳥。外《アダ》し時ゆは、今こそ鳴かめ
 
1947 逢ふことの出來ない方と、今夜はやつとの思ひで逢ふことが出來た。子規よ。外の晩に鳴く位ならば、今鳴いてくれ。
 
1948 木《コ》の陰《クレ》の夕闇なるに、霍公鳥、何處《イヅク》を家と、鳴き渡るらむ
 
1948 木陰は、日暮れのちようど夕闇時分に、子規が鳴いて通ることだ。あれは、どの邊に家があつて、それへ歸る爲に鳴いて行くのだらうか。
 
1949 霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは、君聞きけむか。朝|寢《イ》か寢《ヌ》らむ
 
1949 子規が今朝の夜の引き明け方に鳴いたのは、あなたはお聞きなさつたでせうか。それとも、今頃未朝寢をして入らつしやるのでせうか。
 
1950 霍公鳥花橘の枝に居て、鳴きとよもせば、花は散りつゝ
 
1950 子規が、花の咲いた橘に止つて、邊を震動さすやうに、大聲で鳴くと、花が散つては散りすることだ。
 
1951 うれたきや。醜《シコ》霍公鳥。今こそは、聲の嗄《カ》るがに、來《キ》鳴きとよまめ
 
1951 あゝ悲しいことだ。常は子規の聲を聞くと、悲しくなつて嘆いたが、その馬鹿な子規よ。こんな氣を落して了うた今では、聲の嗄れる迄來て鳴くがよからう。(と捨鉢の心持ちを敍べたので、愈鳴いて愈悲しませよといふ意。)
 
1952 此|夜《ヨ》らのおぼつかなきに、霍公鳥鳴くなる聲の音《オト》の、はるけさ
 
1952 今夜はなんだか漠然《ボンヤリ》と曇つた晩だが、子規の鳴いて居る聲の響きが、遙かに遠く聞えてゐることだ。
 
1953 五月《サツキ》山、卯の花|月夜《ヅクヨ》、霍公鳥。聞けども飽かに、又鳴かぬかも
 
1953 五月の山の景色は好いものだ。卯の花が咲いてゐる月の晩に、子規が鳴くのを幾ら聞いても飽かない。此上幾度も繰り返して、鳴いてくれたら好いが。
 
1954 霍公鳥|來坐《キヰ》ても鳴くか。我が宿の花橘の地《ツチ》に散らむ、見む
 
1954 子現がやつて來て、ぢつと居こんで鳴くことだ。その子規の聲の中に、自分の屋敷の花橘が、地に落ちて了ふのを、注意して見よう。
 
1955 霍公鳥厭ふ時なし。菖蒲草《アヤメグサ》蓮《カヅラ》にせむ日、茲《コ》ゆ鳴き渡れ
 
1955 子規は、何時でも聞くに心持ちの好いものだが、その中にもとり分け、菖蒲《アヤメ》をば頭に纏ひつけて遊ぶ、五月節供の日に、茲《コヽ》即我が家を鳴いて通れ。
 
1956 大和には鳴きてか來らむ。霍公鳥汝が鳴く毎に、亡《ナ》き人思ほゆ
 
1956 子規よ。お前は大和へ鳴いて行くのだらう。お前が鳴く度毎に、大和に居た、死んだ人のことが思ひ出される。
 
1957 卯の花の散らまく惜しみ、霍公鳥、野山にかよひ、來鳴きとよもす
 
1957 卯の花の散るのが惜しさに、子規が野や山の間を出没往來して、あちこちで鳴いて、あたりを響かして居る。
 
1958 橘の林を植ゑつ。霍公鳥、常に、冬まで棲み渡るがね
 
1958 子規は橘の花が好きだといふので、橘を林程植ゑた事だ。夏ぎりでなく、何時の年も、冬迄ぢつとして棲み續けるやうに。
 
1959 雨晴れし雲にたぐひて、霍公鳥、春日《カスガ》をさして、茲《コ》ゆ鳴き渡る
 
1959 雨が晴れたので、山の方へ歸る雲と竝んで、子規が春日山をさして、此邊を鳴いて通ることだ。
 
1960 物思ふと寢ねぬ朝明《アサケ》に、霍公鳥、鳴きてさ渡る。すべなき迄に
 
1960 物を考へこんで、寢もしない夜の引き明け方に、子規が鳴いて空を通つて行く。それを聞いてゐると、やる瀬なくて爲方がない程に。
 
1961 吾が衣君に著せよと、霍公鳥、我が干す衣《キヌ》の袖に來|坐《ヰ》つゝ
 
1961 自分が干して居る著物を、早くあの方にお上げなさい、と其著物の袖の邊に來乍ら、催促して鳴いてゐるやうだ。(思へばもう、衣更への時期にもなつて來た。)
 
1962 舊《モト》つ人《ビト》霍公鳥をや稀に見む。今や汝《ナ》は來し。戀ひつゝをれば
 
1962 古馴染の子規よ。お前をば客人として待遇《アシラ》はう。私が焦れてゐたので、今お前が來てくれたのか。
 
1963 かくばかり雨の降《フ》らくに、霍公鳥、卯の花山に尚か鳴くらむ
 
1963 こんなに迄雨が降つてゐるのに、子規が卯の花の咲いてゐる山に、今日らでも、鳴いてゐるであらうか。
 
  蝉
 
1964 黙《モダ》もあらむ時も來鳴かむ。蜩《ヒグラシ》の、もの思《モ》ふ時に、鳴きつゝ。もとな
 
1964 今はいけない。何事もない普通の時にでも、來て鳴いてくれ。心ない蜩が、もの思ふ時分に鳴くので、愈頼りなく、心細くなつてくる。
 
  榛《ハリ》
 
1965 思ふ子が衣|摺《ス》らむに、匂ひこそ。島の榛原。秋立たずとも
 
1965 いとしい人の著物に摺らうと思ふのだから、咲き出してくれ。此島の榛の原の榛よ、今は末秋になつてはゐないけれども。
 
  花
 
1966 風に散る花橘を袖にうけて、君が御爲《タメ》と思ひつるかも
 
1966 風に散る橘の花をば、袖にうけとめて、戀しいお方の著物を匂はせる爲に、使はうと思うたことだ。
 
1967 香《カグ》はしき花橘を玉に貫《ヌ》き、贈らむ妹は、みつれてもあるか
 
1967 好い匂ひの橘の花を、藥玉に通して、邪氣拂ひに贈らうと思ふいとしい人は、ひどく病み衰へてゐることよ。
 
1968 霍公鳥來鳴きとよもす橘の、花散る庭を見む人や。誰
 
1968 子規が來て、鳴き響かせる橘の花の散る庭を、見に來てくれる人は誰だらう。さういふ心ある人は、あなたより外はない。
 
1969 我が宿の花橘は散りにけり。悔《クヤ》しき時に、逢へる君かも
 
1969 私の屋敷内の橘の花は、散つて了うたことです。殘念な時分に逢ひに來て下さつたあなたですこと。も少し早かつたらよかつたのに。
 
1970 見渡せば、向ひの野邊の撫子の、散らまく惜しも。雨な降りそね
 
1970 見渡すと、向うの野にある撫子の花が、散りさうである。それがどうも殘り惜しい。雨よ降つてくれるな。
 
1971 雨間《アマヽ》あけて、國見もせむを。舊里《フルサト》の花橘は、散りにけむかも
 
1971 雨の晴れ間に登つて、野原を眺めようと思ふのに、さびれた在所なる飛鳥の橘の花は、もう散つて了うたことだらうか。
 
1972 野邊見れば、撫子の花咲きにけり。我が待つ秋は近づくらしも
 
1972 野を見ると、もう撫子の花が咲いたことだ。私の待ちうけた秋は、近寄つて來てるに違ひない。
 
1973 吾妹子に樗《アフチ》の花は、散り過ぎぬ。今咲けるごと、ありこせぬかも
 
1973 いとしい人に逢ふといふ名の樗の花は、何時迄も散つて了はずに居て、あの人の逢ひに來る時分には、まるで今咲いたやうにあつてくれゝば好いが。
 
1974 春日野の藤は散りにて、何をかも、み狩りの人の折りてかざゝむ
 
1974 春日野の藤は散つて了つてゐるので、狩りに出た人々は、何をば簪しに折りとることであらう。
 
1975 時ならず玉をぞ貫《ヌ》ける。卯の花の、五月を待たば久しかるべみ
 
1975 卯の花が雨を帶びて、玉を貫いてゐる。それが宛《アタカ》も五月の藥玉を拵へたやうに見える。ほんとうに卯の花が時ならぬ玉を通してゐることだ。
 
1976 卯の花の咲き散る岡に、霍公鳥鳴きてさ渡る。君は聞きつや
 
1976 卯の花の散つてゐる岡を、子規が鳴いて通ります。その聲を、あなたはお聞きなさいましたか。
 
1977 聞きつやと、君が問はせる霍公鳥。しぬゝに濡れて、茲《コ》從《ユ》鳴き渡る  〔問答〕
 
1977 あなたの聞いたか、とお問ひになつた子規が、ぼと/”\に濡れて、今私の家の邊を鳴いて通つてをります。
 
1978 橘の花散る里に通ひなば、山霍公鳥とよもさむかも 〔譬喩〕
 
1978 橘の花の散つてゐる里に、始終出かけて行つたら、子規がやかましく鳴き立てることであらう。(といふ風に、おせつかいな人々が、騷しく評判を立てることであらう。)
 
    夏の相聞
 
  鳥に寄せた歌
 
1979 春されば螺※[虫+羸]《スガル》鳴く野の霍公鳥。ほとほと、妹に逢はず來にけり
 
1979 家を立つて來る時に、いとしい人に公然別れるといふことも出來ないで、あぶなく逢はずに來る所であつた。
 
1890 五月《サツキ》山。花橘に、霍公鳥《ホトヽギス》籠らふ時に、逢へる君かも
 
1980 五月頃の山の花橘の陰に、子規が籠つて鳴く時分に、嬉しく君に逢ふことが出來た。
 
1981 霍公鳥來鳴く五月の短夜も、獨りし寢れば、明しかねつも
 
1981 子規が來て鳴く五月頃の、夜の短い晩も、獨り寢するので、いつも夜明けを待ちかねることだ。
 
  蝉に寄せた歌
 
1982 蜩は時と鳴けども、君戀ふる嫋女《タワヤメ》我は、時分かず泣く
 
1982 蜩は今が鳴くべき時だ、といふ風に鳴いてゐるけれども、君に焦れてゐる弱い女であるわたしは、何時といふわかちもなく、泣いてゐます。
 
  草に寄せた歌
 
1983 人言は、野の夏草の繁くとも。妹と我としたづさはり寢《ネ》ば
 
1983 人の評判は、譬ひ夏野の草のやうに、うるさく立つても、いとしい人と自分とが、寄り添うて寢ることさへ出來れば、何でもない。
 
1984 此頃の戀ひの繁けく、夏草の刈りはらへども生《オ》ひ頻《シ》くがごと
 
1984 此頃の焦れる心が、一杯になることは、ちようど夏草が刈り拂ふと、後からどん/”\と續け樣に生えついで來るやうである。
 
1985 眞葛《マクズ》這ふ夏野の茂く、かく戀ひば、眞實《サネ》、吾命《ワギノチ》の常ならめやも
 
1985 葛が這ひ廻つてゐる夏の野のやうに、胸一杯に、こんなに焦れてゐたら、ほんとうに自分の命が、何時迄持ちこたへることが、出來るものか。
 
1986 我のみやかく戀すらむ。杜若《カキツバタ》にづらふ妹は、いかゞあるらむ
 
1986 私許りが、こんなに焦れてゐるのだらうか。あの美しい、いとしい人は、どう思うてゐるだらうか。
 
  花に寄せた歌
 
1987 片縒りに絲をぞ我が縒《ヨ》る。吾が夫子《セコ》が花橘を貫《ヌ》かむと思ひて
 
1987 あなたに上げる花橘を通さうと思うて、絲を片方|縒《ヨ》りに縒つてゐることだ。(かの人を思うて、片思ひに焦れてゐる。)
 
1988 鶯の通ふ垣根の卯の花の、うきことあれや、君が來まさぬ
 
1988 鶯が始終往來する、垣に咲いてゐる卯の花で、うるさい心配事でも起つたので、あの方が一向入らつしやらないのか。
 
1989 卯の花の、咲くとはなしにある人に、戀ひや渡らむ。片|思《モ》ひにして
 
1989 卯の花ではないが、莞爾ともせずにゐる人に、片思ひでゐて、焦れ續けて居ようか。いつそ思ひきつて了はう。
 
1990 われこそは憎くもあらめ。我が宿の花橘を、見には來じとや
 
1990 成程私は憎う御座いませうけれども、私の屋敷の橘の花迄も、見に來まいといふお積りですか。
 
1991 霍公鳥來鳴きとよもす岡邊なる、藤液見には、君は來じとや
 
1991 子規が來て邊を響かして鳴く、岡の邊の藤の花見には、あなたは來まいと仰つしやるのですか。
 
1992 籠りのみ戀ふれば苦し。撫子の花に咲き出でよ。朝な朝《サ》な見む
 
1992 心中に籠《コ》めて焦れて居るのは、苦しいことだ。撫子の花ではないが、表面に表してさへ下されば、それで好いのだ。さうすれば、毎日々々見てゐように。
 
1993 外《ヨソ》にのみ見つゝや戀ひむ。紅《クレナヰ》の末摘む花の、色に出でずとも
 
1993 あの紅草《クレナヰ》の花、即先を摘んで取るあの花のやうに、彼の人が色に出さないでも、側《ワキ》から見て居るだけで戀ひ續けてをらねばならぬか。
 
  露に寄せた歌
 
1994 夏草の露分け衣|著《ケ》らなくに、我が衣手の干《ヒ》る時もなき
 
1994 夏草の露を分けた、著物を著てるといふ訣ではないのに、自分の袖は、乾く間もないことだ。
 
  日に寄せた歌
 
1995 水無月の地《ツチ》さへ裂けて照る日にも、我が袖干めや。君に逢はずして
 
1995 六月の地さへも裂けて了ふ迄に、照つてゐる暑い日光にも、自分の袖は乾きさうではない。戀しい方に逢はずに、泣いてゐるので。
 
    秋の雜の歌
 
  七夕
 
1996 天の川。水底《ミナソコ》さへに照る舟の、泊《は》てて、舟人、妹と見えきや
 
1996 天の川の水底迄も輝くやうな立派な舟が、向う岸に著いて、その舟の舟頭なる牽牛が、織女と逢うたであらう。
 
1997 久方の天の川原に、ぬえ鳥のうらなげましつ。ともしきまでに
 
1997 天の川原で、眞底から、歎いて入らつしやる。他に比類のない程にひどく。
 
1998 我が戀ふる妻は、いや遠く、行く舟の過ぎて來べしや。言も告げなく
 
1998 自分の焦れてゐる妻は、ちようど段々遠くへ行く舟のやうに、過ぎ去つて了うた後は、歸つて來る氣づかひはない。何の便りの言も、此頃はおこさない。
 
1999 あからひく敷栲《シキタヘ》の子を屡《シバ》見れば、人妻故に、我戀ひぬべし
 
1999 あの美しい織姫さんを、私が度々見るやうだつたら、人の妻だとわかつてゐるが、その人の妻なる人の爲に、焦れることであらう。美しい人に。
 
2000 天の川。安のわたりに舟|浮《ウ》けて、秋立つ待つと、妹に告げこそ
 
2000 自分は、天の川即天の安川のわたり場に、舟を浮べて、秋の來るのを待つてゐる、といとしい人に告げてくれ。(牽牛の心持ちを歌うた歌。)
 
2001 大空ゆ通ふ我すら、汝《ナ》が故に、天の川路《カハヂ》をなづみてぞ來し
 
2001 自分は星だから、空を往來することが出來るのだ。その自分でさへも戀しいお前の爲に、天の川の渡り瀬を、難澀しながらやつて來た事だ。
 
2002 八千桙《ヤチホコ》の神の御世より、ともし妻《ヅマ》人知りにけり。つぎてし思《モ》へば
 
2002 大昔の八千桙の神の居られた時代から、しきりなく思ひ續けてゐるので、たまにしか逢はない妻をば、人が悟つて知つたことだ。(此歌一首では、牽牛の歌とも、七夕に詠んだ歌とも思はれないが、多くの聯作の中の一首と見れば、意味は明らかである。)
 
2003 我が戀ふる丹《ニ》のほの面《オモ》わ、今宵もか、天の川原に岩枕|枕《マ》く
 
2003 自分が焦れてゐる織女星の美しい顔が、今夜あたりは、私(牽牛)を待ちかねて、天の川原で、石を枕として寢ることであらう。
 
2004 己《オノ》妻のともしき子等は、はてし津の荒磯《アリソ》枕《マ》きて寢《ヌ》。我待ちがてに
 
2004 自分の妻に逢ふこと稀々な懷しいいとしい人、即あの織女星は、今夜舟の著いた川口の荒い石濱を枕として、寢てゐることだらう。この私(牽牛)を待ちかねて。
 
2005 天地《アメツチ》と分れし時ゆ、己《オノ》夫《ヅマ》と、しかぞ手にある。我が待つ君は
 
2005 渾沌とした物質が、天と地とに分れた時分から、牽牛星をば、自分の夫として、ちやんと自分の手の中の物としてゐる。その私が待つてゐる所のお方(牽牛)は。
 
2006 牽牛《ヒコボシ》の嘆かす妻が、言《コト》だにも告げにぞ來つる。見れば苦しも
 
2006 男星なる牽牛星が、思ひこんで嘆《タメ》息をついて居られる、相手の妻なる織女星は、只語だけをば、人に言《コト》づけておこせた。あへば却て苦しいので。
 
2007 久方の天つ標《シルシ》と、水無《ミナシ》川隔てゝおきし、神代しうらめし
 
2007 天の區劃《クギリ》として、水のない天の川を隔てとして据ゑ置かれた、神代のことが恨しい。
 
2008 ぬば玉の夜霧|籠《コモ》りて遠くとも、妹が傳言《ツテゴト》早く告げこそ
 
2008 夜霧に籠められて、間は遠く隔つて居ても、織女《オリヒメ》からの逢はうといふ傳言が、早くやつて來てくれ。
 
2009 汝《ナ》が戀ふる妹の命《ミコト》は、飽き足らに袖振る見えつ。雲|隱《ガク》る迄
 
2009 お前さんの焦れてゐる奥さんなる織女は、只一夜逢うただけでは滿足出來ないで、雲に隱れて、段々見えなくなる迄、袖を振つてゐるのが見える。
 
2010 夕星《ユフツヾ》も通ふ天路《アマヂ》を、何時迄か仰ぎて待たむ。月人壯夫《ツキビトヲトコ》
 
2010 宵の明星が往つたり來たりする天上の路をば、いつ迄振り仰いで、妻に逢ふ日を、空しく待つてゐようとするのか。月の中の男なる彦星は。
 
2011 天の川い向ひ立ちて戀ふるとに、言《コト》だに告げむ。妻といふ迄は
 
2011 天の川を隔てゝ、此方から向うて立つてゐるのだから、せめて、ものなりと云うて下さい。妻とまで呼ぶことはともかくとして。
 
2012 白玉の五百箇《イホツ》つどひを解きも見ず、我《ワレ》は乾し得《カ》たぬ。逢はむ日待つに
 
2012 白玉を澤山通した玉の緒を、解いても見ないで、自分は逢ふ日を待つてゐるが、涙が干し難いことだ。
 
2013 天の川。水陰草《ミヅカグクサ》の、秋風に靡くを見れば、時來たるらし
 
2013 天の川の水の中に生えてゐる草が、秋風の爲に、片寄つて靡いてゐるのを見ると、逢ふ時がやつて來たやうだ。
 
2014 わが待ちし秋萩咲きぬ。今だにも匂ひて行かな。遠方人《ヲチカタビト》に
 
2014 いつ咲くことか、と待つてゐた萩の花は咲いた。遠方から逢ひに來たいとしい人の方へ、その萩に著物の色をつけて逢ひに行かう。
 
2015 我が夫子《セコ》にうら戀ひをれば、天の川。夜舟漕ぎとよむ※[楫+戈]《カヂ》の音聞ゆ
 
2015 戀しい我が夫を、心中に焦れてゐると、天の川のあたりを響かせて、夜の舟を漕いでゐる艫の音が聞える。
 
2016 ま日《ヶ》長く戀ふる心ゆ、秋風に妹が音《オト》聞ゆ。紐解き行かな
 
2016 日數長く心に焦れてゐる内に、どうやら、いとしい人の來るやうな容子がする。下裳の紐を解いて行かう。
 
2017 戀しくは日《ケ》長きものを、今だにもともしむべしや。逢はむ夜とだに
 
2017 焦れてゐることは、隨分長い日數の間であるのに、今夜は逢ふことが出來る夜だというた所で、その逢ふことの出來る今でも、さのみ珍しがることが出來ようか。長い間かゝつて、僅か一夜だもの。
 
     *
                   *
 
2018 天の川。去年《コゾ》の渡り處《ハ》うつろへば、川瀬を蹈むに、夜ぞ更けにける
 
2018 天の川の去年渡つた場所が、瀬の變つた爲、訣らなくなつたので、あちらこちら、淺瀬を蹈み渡つてゐる中に、夜が更けて了うたことだ。
 
2019 昔よりあげてし機《ハタ》を顧みず、天の川津《カハヅ》に年ぞ經にける
 
2019 織女星は、昔から毎日機を織つて、幾らあがつたかわからぬ程、織つたよい布のことも考へずに、幾年となく、天の川のとまりに入らつしやつたことだ。
 
2020 天の川。夜舟を漕ぎて明けぬとも、逢はむと思へや。袖|易《カ》へずあらむ
 
2020 天の川に夜の舟を漕いで、たとひ時が立つて、夜明けになつても、逢ひにきつと來ようと思うてゐるのならば、著物を著代へずに、起きても居ようが。
 
2021 遠妻《トホヅマ》と手枕《タマクラ》かへて寢たる夜は、鷄《トリ》が音《ネ》な鳴き。明《ア》けは明《ア》くとも
 
2021 遙かな所にゐる妻と、袖をかはして寢る晩をば、鷄よ鳴いてくれるな。夜が明けることは明けても。
 
2022 あひ見らくあき足らねども、いなのめの明け行きにけり。舟出せむ。妹
 
2022 互に顔を見合ふことのなごりはつきないが、夜が明けて來た。さあ舟出をしよう。いとしい人よ。
 
2023 さ寢《ネ》そめて幾許《イクタ》もあらねば、白栲《タヘ》の帶乞ふべしや。戀もつきねば
 
2023 寢かけてから、未そんなにもならないのに、早くも帶を渡せと仰つしやることよ。私は焦れてゐた心が、まだやみは致しませぬのに、心強いお方よ。
 
2024 萬代にたづさはりゐて、あひ見とも、思ひ過ぐべき戀ひならなくに
 
2024 幾百年の間、纏ひついて居て、見合うてゐても、思ひをなくして了へる、私の戀ひではありません。
 
2025 萬代に照るべき月も、雲隱り苦しきものぞ。逢はむと思へど
 
2025 此月は、萬年照る月だ。其月でも、雲に隱れて行くのはつらいものだ。我々も、雲に隱れて、互に隔つてゐるのは、逢へるとは思ひ乍ら辛《ツラ》い。
 
2026 白雲の五百重隱《イホヘガク》りて遠けども、宵さらず見む。妹があたりは
 
2026 白雲が幾重にも/\立ち隱して、遠くはあるけれども、毎晩きつと、お前さんの居る邊を眺めてゐようよ。
 
2027 我が爲と、棚機津女《タナバタツメ》の、其宿に織る白|栲《タヘ》は、織りてけむかも
 
2027 棚機さんが、自分の屋敷で織つてゐるその白拷の衣は、此牽牛の爲といふので、前々から織つてゐたのであらう。
 
2028 君に逢はず。久しき時ゆ織る機の白栲衣、垢づく迄に
 
2028 長い間織つてゐる機にかけた白栲の衣が、垢づく程、長く君に會はない。
 
2029 天の川。※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》聞ゆ。牽牛《ヒコボシ》と棚機津女と今宵逢ふらしも
 
2029 天の川に※[舟+虜]《ロ》の音が聞える。男星の牽牛と、女星の織女星と、今夜逢ふに違ひない。
 
2030 秋されば川霧渡る。天の川。川に向き居て、戀ふる夜ぞ多き
 
2030 秋になると、霧がかゝつてゐる天の川よ。その川に向うて、焦れて居る夜が、澤山重つたことだ。
 
2031 よしゑやし。直《タヾ》ならずとも、ぬえ鳥のうらなきをりと、告げむ子もがも
 
2031 直に會うて、話すことが出來ないでもかまはない。せめて心中で歎いてゐる、と告げておこす人があればよい。(織女に、牽牛の心を、仄めかしたやうに云ひなした歌。)
 
2032 一年《ヒトヽセ》に七日《ナノカ》の夜のみ逢ふ人の、戀ひもつきねば、夜ぞ明けにける
 
2032 一年に僅か一度、七日の晩許りに逢ふ人同志の、焦れた心も、はれきつて了はない中に、夜が明けて了うたことだ。
 
2033 天の川安(ノ)川原に、定めにし神の集《ツド》ひは、時待たなくに
 
2033 昔から、天の川に寄り合うて相談なさるときまつて居る神さまのお寄り合ひは、いつときめた訣でもなく、臨時に開かれるのに、此牽牛と、織女とはきまつた時にしか逢はれない。
 
  右一首は、天智天皇の白鳳九年の頃に出來たものだ、と傳へられて居る歌である。
 
  右三十八首、人麻呂集に見えてゐる。
 
2034 棚機の五百機《イホハタ》立てゝ織る布の、秋|來《サ》り衣、誰かとり見む
 
2034 棚機が澤山の機を立てゝ織つた布で拵へた、秋に著る著物は、牽牛が著ても、その後は、誰が世話をしてやらうか。
 
2035 年にありて、今日か枕《マ》くらむ。ぬば玉の夜霧|隱《ガク》りし遠妻の手を
 
2035 一年目で、初めて此夜手枕をすることであらう。長い間天の川を隔てゝ、振つてゐても、夜霧に隱れて見えなかつた、遠い所に居る妻の手を。
 
2036 我が待ちし秋は來たりぬ。妹と我《ワ》と、何事あれぞ、紐解かざらむ
 
2036 長く待ち設けてゐた、秋がやつて來た。自分といとしい人とは、どんなことがあつても、下袴の紐を解いて、寢ないでゐられようか。
 
2037 年《トシ》の戀ひ今宵盡して、明日よりは、常の如くや、我が戀ひをらむ
 
2037 一年間焦れて居た心を、今晩霽らして了うた。明日から又、常と同じく、焦れてをらねばならぬか。
 
2038 逢はなくは日《ケ》長きものを、天の川隔てゝ、今や、我が戀ひをらむ
 
2038 此迄も逢はないで居たことは、長い間であつたのに、天の川を隔てゝ、又今日からは、焦れてをらねばならぬのか知らん。
 
2039 戀ひしけく日《ケ》長きものを、逢ふべかる宵だに、君が來まさゞるらむ
 
2039 焦れて居たことは、長い間であつたのに、やつと逢ふことの出來る今夜さへ、何故君がお出なさらないのだらう。
 
2040 牽牛《ヒコボシ》と棚機津女《タナバタツメ》と、今宵逢ふ天の川|門《卜》に、浪立つな。ゆめ
 
2040 牽牛と織姫とが今夜出逢ふ、天の川の渡り場所に、浪よ、立つなどうぞ。
 
2041 秋風の吹き漂《タヾヨハ》す白雲は、棚機津女の天つ領巾《ヒレ》かも
 
2041 秋風が吹いて、大空に吹き漂はしてゐるあの白雲は、織姫が、牽牛との別れに振る領布であらうか。
 
2042 屡々《シバ/\》も相見ぬ君を、天の川。舟出《フナデ》早せよ。夜の更けぬ間に
 
2042 度々というては、お逢ひ申すことも出來ないお方だのに、早く、夜の更けぬ間に、舟を出してくれ。
 
2043 秋風のさやけき夕。天の川。舟漕ぎ渡る月人壯夫《ツキビトヲトコ》
 
2043 秋風が爽やかに吹く晩に、天の川に舟を漕いで渡る月の中にゐる、男なる彦星よ。
 
2044 天の川霧立ち渡り、牽牛の※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》聞ゆ。夜の更け行けば
 
2044 天の川に、霧がずつと立つてゐる。夜が更けて行くにつれて、牽牛の漕ぐ※[舟+虜]の音が聞える。
 
2045 君が舟今漕ぎ來らし。天の川。霧立ち渡る。此川の瀬に
 
2045 戀しい君が乘つてゐる舟は、今漕いで來てゐるに違ひない。天の川の瀬に霧が立ち渡つてゐる。(あれは、其雫だ。)
 
2046 秋風に川浪|起《タ》ちぬ。暫《シマラ》くは、八十《ヤソ》の舟津《フナヅ》にみ舟|止《トヾ》めよ
 
2046 吹く秋風の爲に、浪の立つてゐる彼所此所《アチコチ》の舟泊りに、暫くの間、舟を留めながら、逢ひに來て下さい。
 
2047 天の川。川の音《ト》清し。牽牛の秋漕ぐ舟の、浪のさやぐか
 
2047 天の川の音が、爽やかに聞えて來る。あれは牽牛が、秋に漕いで入らつしやる舟が立てる浪の、ざわつく音か。
 
2048 天の川。川門《カハト》に立ちて我が戀ひし、君來たるなり。紐解き待たむ
 
2048 天の川の渡り場に立つて、待ち焦れてゐたあのお方は、お出でなさるのだ。どれ、紐を解いて待つてゐませう。
 
2049 天の川。川門に居りて、年月を戀ひ來し君に、今宵逢へるかも
 
2049 天の川の渡り場に立つて、長い間焦れてゐたあのお方に、今夜逢うたことだ。
 
2050 明日よりは、我が、玉床をうち掃ひ、君と寢《イ》ねずて、獨りかも寢《ネ》む
 
2050 明日からは、自分の寢る床を掃除して、戀しいお方と寢ることもなく、只獨り寢るのだらう。
 
2051 天の原行きや別ると、白檀弓《シラマユミ》引きて隱《コモ》れる月人|壯夫《ヲトコ》
 
2051 これから、大空に別れて行かねばならんか、と引き籠つて憂へて、出て來ない月の中の、男の牽牛星よ。
 
2052 此夕降り來る雨は、牽牛の早《ハヤ》漕《コ》ぐ舟の、櫂《カイ》の散りかも
 
2052 今宵降つて來る雨は、牽牛が急いで漕ぐ舟の、彦星よ。櫂の飛沫《トバシリ》でもあらうか。
 
2054 風吹きて川浪立ちぬ。引き舟に渡りも來ませ。夜くだゝぬ間に
 
2054 風が吹いて、川の浪が立つてゐる。それで、引き舟で渡つて、早くやつて入らつしやい。そんなに夜の更けて了はない中に。
 
2055 天の川遠き渡りはなけれども、君が舟出は、年にこそ待て
 
2055 天の川。その渡り場所は遠い所ではないが、戀しい人の舟出をなさるのは、一年に只一度、お待ち申すだけである。
 
2056 天の川うち橋渡し、妹が家やまず通はむ。時待たずとも
 
2056 天の川に橋を懸けて、いとしい人の家へ行く道を、何時も何時も通ふことにしよう。いよ/\逢へるときまつた時を、何時迄も、待つにも及ぶまい。
 
2057 月重ね我が思ふ妹に逢ふ宵は、今し七夜《ナヽヨ》を繼ぎこせぬかも
 
2057 幾月以來自分の焦れてゐた、いとしい人に逢ふ今夜は、まう七晩も續いてくれたらよいが。
 
2058 年に艤《ヨソ》ひ、我が、舟漕がむ。天の川。風は吹くとも、浪立つな。ゆめ
 
2058 毎年一度拵へをする自分の舟を、今年も此から漕ぎ出さう。天の川に風は吹いても、決して浪は立つてくれるな。
 
2059 天の川浪は立つとも、我が舟はいざ漕ぎ出でむ、夜の更けぬ間に
 
2059 天の川に浪は立つても、自分の乘つてゐる舟は、夜の更けない中に、早く漕ぎ出して、あの人に逢はう。
 
2060 只今宵逢ひたる子らに、言問《コトヽ》ひもいまだせずして、さ夜ぞ明けにける
 
2060 ほんのつひ今夜、逢うたばかりのいとしい人に、物語りもよくせない中に、夜が明けて了うた。
 
2062 機物《ハタモノ》の蹈木《フミキ》持ち行きて、天の川うち橋渡す。君が來むため
 
2062 今夜は戀しいお方が入らつしやる。君をお迎へする爲に、機の蹈み木を持つて行つて、天の川に橋を渡すことだ。
 
2063 天の川。霧立ち上る。棚機の雲の衣のかへる袖かも
 
2063 天の川に霧が立ち上つてゐる。あれは織姫の、雲のやうな衣の袖が翻つて、さう見えるのだらう。
 
2064 古ゆ織りてし機を、此夕、衣に縫ひて、君待つ。われを
 
2064 昔から織りためておいたよい布を、著物に縫うて今夜戀しいお方を待つてゐる私よ。
 
2065 足玉《アシダマ》も手玉《タヾマ》もゆらに、織る機《ハタ》を、君が御衣《ミケシ》に縫ひあへむかも
 
2065 足に著けた玉、手に著けた玉などが、手を勤し足を動すので、好い音を立てる迄に一所懸命になつて織つた上等の布を、愈お越しになる日迄に縫うて、間に合はせることが出來ようか知らん。
 
2066 月日|選《エ》り逢ひてしあれば、別れまく惜しかる君は、明日さへもがも
 
2066 月日は澤山あるが、今日一日と定めて逢ふのだから、別れることの惜しいあのお方は、明日迄も居て下さればよいが。
 
2067 天の川渡り瀬深み、舟浮けて漕ぎ來る君が※[楫+戈]《カヂ》の音《ト》聞ゆ
 
2067 天の川の渡る瀬が深い爲に、舟を浮べて漕いで入らつしやるあのお方の、※[舟+虜]の音が聞える。
 
2068 天の原ふりさけ見れば、天の川霧立ち渡る。君來たるらし
 
2068 大空を遥かに見ると、天の川の方に霧がずつと立つてゐる。戀しいお方は、今頃こちらへ向いて入らつしやるのだらう。
 
2069 天の川。川の瀬毎に幣《ヌサ》奉《マツ》る心は、君をさきくまさせと
 
2069 天の川の渡り瀬毎に、私は道の神への捧げ物の布を獻上することだ。その心は、戀しい方を無事におよこし申して下さい、と云ふのである。
 
2070 久方の天の川津に舟浮けて、君待つ夜らは、明けずもあらぬか
 
2070 天の川の泊りに、舟を浮けて入らつしやるお方を、待ちうけてゐる今夜は、明けないでくれゝばよいが。
 
2071 天の川。足濡れ渡り、君が手もいまだ枕《マ》かねば、夜の更けぬらく
 
2071 天の川をば足を濡して渡つて、いとしいお方の手も、未枕とせない中に、夜が更けたことだ。
 
2072 渡り守《モリ》。舟渡せ。をと呼ぶ聲の至らねばかも、※[楫+戈]《カヂ》の音《オト》せぬ
 
2072 渡り守よ。舟を渡してくれ。をゝいと呼び立てる聲が、彼方へ屆かないからか、※[舟+虜]を漕いで來る音も聞えない。
 
2073 ま日《ケ》長く川に向き立ちありし袖、今宵|枕《マ》きなむと思ふがよさ
 
2073 長い間川に向うて、立つて待つてゐた戀しい君の袖を、今夜枕に出來ると思ふと、嬉しいことだ。
 
2074 天の川。渡り瀬毎に思ひつゝ、來《コ》しくも驗《シル》く、逢へらく思へば
 
2074 天の川の渡り場毎に、焦れてやつて來たのも、效《カヒ》があつたことだ。かうして逢うたのを考へると。
 
2075 人さへや、見繼がずあらむ。牽牛の妻呼ぶ舟の近づき行くを
 
2075 牽牛が棚機を迎へに行く舟が、段々近づいて行くのを同情して、人間界の人々も、何時々々迄も、順ぐりに、見屆けないでをらうか。
 
2076 天の川。瀬を速みかも。ぬば玉の夜は更けにつゝ、逢はぬ牽牛《ヒコボシ》
 
2076 天の川の瀬が速いからか、夜はもう更けて居るのに、織女に逢はない牽牛よ。
 
2077 渡り守。舟早渡せ。一年に再び通ふ君ならなくに
 
2077 渡り守よ。舟を早く渡せ。一年の中に二度迄、往き來する牽牛さまではない。
 
2078 玉※[草冠/縵]絶えぬものから、さ寢《ヌ》らくは年の渡りに、只一夜のみ
 
2078 織女と牽牛との間は、一向切れないで居て、それで共に寢ることは、年毎の川渡りに、僅か一夜だけである。
 
2079 戀ふる日は日《ケ》長きものを、今宵だに乏《トモシ》むべしや。逢ふべきものを
 
2079 焦れて居る間は長いのに、せめて今夜だけでも、珍しく悦んでをらねばなりますまい。やつと逢ふことが出來たのですもの。
 
2080 織女《タナバタ》の今宵逢ひなば、常のごと、明日を隔てゝ、年は長けむ
 
2080 織女が今夜出逢うたならば、その後、明日から先は、一年の間、長いことであらう。
 
2081 天の川。棚橋渡せ。織女《タナバタ》のい渡らさむに、棚橋渡せ
 
2081 天の川に棚橋を渡せ。織女が渡りなさる爲に、棚橋を渡せ。
 
2082 天の川|川門《カハト》八十《ヤソ》あり。何處《イヅク》にか、君がみ舟を、我が待ちをらむ
 
2082 天の川の舟の渡り場は澤山ある。その何處で、あの方の乘つて入らつしやる舟を、待ちうけてゐようか。
 
2083 秋風の吹きにし日より、天の川。瀬に出で立ちて、待つと告げこそ
 
2083 秋風が吹きかけた日から、天の川の淺瀬に立ち出て、待つてゐると、彦星さまに告げてくれ。
 
2084 天の川。去年《コゾ》の渡り瀬荒れにけり。君が來まさむ道の知らなく
 
2084 天の川の、去年牽牛の渡られた瀬が、荒れて了うたことだ。牽牛の來られる道が、何處と訣らない迄に。
 
2085 天の川瀬々に白波高けども、直《タヾ》渡り來ぬ。待たば苦しみ
 
2085 天の川よ。どの瀬にも白波は高く立つて居るけれども、滅多無上に渡つて來た。待つてゐれば辛いだらうと思うて。
 
2086 牽牛《ヒコボシ》の妻呼ぶ舟の、引き綱の絶えむと、君を、わが思はなくに
 
2086 牽牛が織女を迎へる舟の曳き綱ではないが、あなたから切れて了はうとは、私は思うて居ない。
 
2087 渡り守《モリ》。舟出《フナデ》しいなむ。今宵のみ逢ひ見て後は、逢はじものかも
 
2087 渡り守よ。もう出發して歸らうよ。今夜許り逢うて後は、逢はないものでもないのに。
 
2088 我が隱せる※[楫+戈]棹《カヂサヲ》なくて、渡り守《モリ》舟|繋《カ》さめやも。暫《シマ》しあり待て
 
2088 私が隱しておいた、※[舟+虜]や※[楫+戈]がなくては、舟頭達も舟を繋ぎ止めておくことが出來ませうか。渡守が※[舟+虜]櫂をとつて來る迄、此儘待つて下さい。(織女が牽牛にいうた心持ち。此歌と前の歌とは、問答歌である。)
 
  七夕の歌。竝びに短歌。二首
 
2089 天|地《ツチ》の始めの時ゆ、天の川い向ひをりて、一年に再逢はず、妻戀ひに物思ふ人。天の川安(ノ)川原のあり通ふ年の渡りに、そほ舟の艫《トモ》にも舳《ヘ》にも、舟|艤《ヨソ》ひ、ま※[楫+戈]《カヂ》繁貫《シヾヌ》き、はた薄《スヽキ》下葉《モトハ》もそよに、秋風の吹き來る宵に、天の川白波|凌《シヌ》ぎ落ち激《タギ》つ急《ハヤ》瀬を渡り、若草の妻が手|枕《マ》かむと、大舟の思ひ憑《タノ》みて、漕ぎ來らむその夫《ツマ》の子が、あらたまの年の緒長く、思ひ來し戀ひ盡すらむ。文月の七日の宵は、我も悲しも
 
2089 天地の始つた時分から、天の川を隔てゝ、互に向き合うて居て、それで一年に二度とは逢はず、妻に焦れて物案じをする人なる牽牛は、天の安川の川原の、始終往來する一年に一度の舟渡りに、赤く塗つた舟の艫も舳《ミヨシ》も、出發の用意をして、櫂を澤山に插して、穂|薄《スヽキ》の根元の葉をそよ/\と勤して、秋風が吹いて來る晩に、天の川に立つ波の上に、舟を漕ぎ出して、落ちて激する急瀬を越えて、妻の手を枕にしようと、頼みに思うて漕いで來る、その夫なる人が、一年中長く思ひ續けて來た戀ひを、一晩で晴す七月七日の晩は、人間なる私も、同情せずには居られない。
 
  反歌
 
2090 高麗《コマ》錦紐解き交《カハ》し、天人《アメヒト》の妻どふ宵ぞ。我も偲《シヌ》はむ
 
2090 美しい下裳の紐を、解き放つて、天人が思ふ人と逢ふ晩で、今夜はある。私もそれを見乍ら、戀しい人のことを思うて居よう。
 
2091 牽牛《ヒコボシ》の、川瀬を渡るさ小《ヲ》舟の、疾《ト》行きてはてむ川津し、思ほゆ
 
2091 彦星《ヲトコボシ》が川瀬を渡る雁をさして行く、舟の早く漕いで止る、その川の泊りが、思ひやられる。
 
  七夕の歌。并びに短歌
 
2092 天地《アメツチ》の分れし時ゆ、久方の天つ標《シルシ》と定めてし、天の川原に、あらたまの月を重ねて、妹に會ふ時をし待つと、立ち待つに、吾が衣手に秋風の吹きかへらへば、立ちて居てたどきを知らに、群肝《ムラギモ》の心覺えず、解き衣《ギヌ》の思ひ亂りて、何時しかと我が待つ今宵、此河のゆくら/\にありがてぬかも
 
2092 天と地とが分れた時から、天の境界の標だと定めて、裾ゑられた天の川の川原に、幾日も/\いとしい人に逢ふ時を、待ち受けようとして立つて待つてゐる中に、自分の著物に秋風が吹きかへるので、立つたり居たりしても、どうしてよいやらわからず、生きた心もなく、樣々に煩悶して、早く會ひたいことだと待つて居た今夜だ。此川の流れのやうに、ゆる/\と一處に居ることが出來ないか知らん。
 
  反歌
 
2093 妹に逢ふ時片待つと、久方の天の川原に、月ぞ經にける
 
2093 いとしい人に逢へる時を、一心に待ちうけようとして、天の川原に、幾月も/\長くをつたことだ。
 
  花
 
2094 さ雄鹿の心あひ思ふ秋萩の、時雨の降るに、散らくし、惜しも
 
2094 雄鹿が仲好く思ひ合うて居る萩の花が、時雨の爲に散つて了ふのが惜しいことだ。
 
2095 夕されば、野邊の秋萩うら若み、露に濡れつゝ、秋待ちがたし
 
2095 日暮れになると、野中の萩が若々として、露に濡れながらも、秋を待ちかねて、たまらぬ容子で居る。
 
  右二首、人麻呂集に見えて居る。
 
2096 眞葛原。靡く秋風吹く毎に、阿陀《アダ》の大野の萩が花散る
 
2096 原一杯生えた葛の片寄る、秋風が吹く度毎に、廣い阿陀の野原の萩の花が散ることだ。
 
2097 雁《カリ》がねの來鳴かむ日まで、見つゝあらむこの萩原に、雨な降りそね
 
2097 萩の花がしまひになつて、雁が來て鳴く其頃迄、眺めようと思ふ此萩の原に、早く散して了ふやうな雨よ。降つてくれるな。
 
2098 奥山に棲むとふ鹿《シカ》の、宵さらず妻どふ萩の、散らまく惜しも
 
2098 奥山に棲んで居るさうな其鹿が、毎晩會ひに來る萩の散るのが、惜しいことだ。
 
2099 白露の置かまく惜しみ、秋萩を折りのみ折りて、おきや枯さむ
 
2099 露が置いて色の變るのが惜しさに、萩の花を折つたが上にも折つて眺めようよ。その儘で枯すといふやうなことをしようか。
 
2100 秋田刈る假廬《カリホ》の宿り匂ふまで、咲ける秋萩、見れど飽かぬかも
 
2100 秋の田を刈る假小屋の、寢泊りする廬が美しく見える程、咲いて居る萩は、幾ら見ても見飽かない。
 
2101 吾が衣、摺れるにはあらず。高圓《タカマド》の野邊行きしかは、萩の摺れるぞ
 
2101 綺麗な摺り模樣だ。どうしたのだと問ひなさるが、私の此著物は、人が摺つたのではありません、高圓の野を通りましたら、萩が摺つてくれたのです。
 
2102 此夕。秋風吹きぬ。白露に爭ふ萩の、明日《アス》咲かむ、見む
 
2102 今晩秋風が吹いて居る。明日あたりは、露と咲かせまい、いや咲くと爭うてゐる萩の、咲くのが見られるだらう。
 
2103 秋風はすゞしくなりぬ。馬|竝《ナ》めていざ野に行かな。萩が花見に
 
2103 秋風は、冷々として參りました。馬を竝べて、どりやこれから、萩の花を見に行きませう。
 
2104 朝顔は朝露負ひて咲くといへど、夕陰にこそ咲きまさりけれ
 
2104 朝顔は朝の露を受けて咲くものだけれど、夕の日ざしに、益立派に咲くことである。(觀察の緻密な佳作。)
 
2105 春されば霞|隱《ガク》りて見えざりし秋萩咲けり。折りてかざゝむ
 
2105 春になると霞に隱れて見えなかつた萩が、秋になつて、目立つて咲き出した。折つて頭に插さう。
 
2106 狹野縣《サヌガタ》の野邊の秋萩。時なれは今盛りなり。折りてかざゝむ
 
2106 狹野縣の野の萩が、今がその時期が來たので、眞盛りである。折りとつて頭に插さう。
 
2107 こと更に衣は摺《ス》らじ。女郎花《ヲミナヘシ》佐紀野《サキヌ》の萩に、匂ひてをらむ
 
2107 わざ/”\著物を摺ることはせないでゐよう。そして佐紀野の萩に、美しう染ませてゐよう。
 
2108 秋風は既《ハヤ》く吹き來ぬ。萩が花散らまく惜しみ、競《キホ》ひ立ちて見む
 
2108 早秋風は吹いて來た。おつゝけ萩の花が散るだらう、とそれが惜しさに、我一番に、と見に出懸けよう。
 
2109 我が宿の萩の末《ウレ》長し。秋風の吹きなむ時に、咲かむと思ひて
 
2109 我が屋敷の萩の先が、長く延びたことだ。秋風が吹き出す時分に、咲かうと思うてゐると見えて。
 
2110 人皆は萩を秋と云ふ。よし、われは、尾花が末《ウレ》を、秋とはいはむ
 
2110 誰も皆、秋は萩だ。萩に限ると言うてゐる。人はどうでも、自分は尾花の先のほゝけて靡く、それが秋の極致だと主張しよう。
 
2111 たまづさの君が使ひの、手折り來《ケ》る此秋萩は、見れど飽かぬかも
 
2111 あのお方の使ひが折つて來た此萩の花は、見ても見飽かないことだ。(此は、萩の枝に手紙を著けてよこしたのである。)
 
2112 我が宿に咲ける秋萩。常ならば、我が待つ君に見せましものを
 
2112 私の屋敷内に咲いてる萩が、いつも變らないものなら、自分の待つて居るお方がお出でになる時分に、折つてお見せ申すのに、その時分迄、もつか知らん。
 
2113 手もすまに植ゑしもしるく、出《イ》で見れば、宿の早萩《ワサハギ》咲きにけるかも
 
2113 手をあける間もなく面倒を見て、植ゑておいた其|效カヒ》があつて、今日出て見ると、屋敷の早咲きの萩が咲いたことだ。
 
2114 我が宿に植ゑおふしたる秋萩を、誰か標《シメ》さす。我に知らえず
 
2114 自分の屋敷内に植ゑて、育て上げた萩の花を、私に知れないやうに、誰が自分のものゝ標をつけたのであらうか。(此は、自分の心懸けて居た女を、人が先に云ひ入れたのに與へた譬喩歌。)
 
2115 手にとれば、袖さへ句ふ女郎花。此白露に散らまく惜しも
 
2115 取り上げて見ると、袖迄も華やかに見える女郎花の花が、此露の爲に、散るのは惜しいことだ。
 
2116 白露に爭ひかねて咲ける萩、散らば惜しけむ。雨な降りそね
 
2116 咲いて居る萩が、散さうとする露に、抵抗しかねて散つては惜しいから、此上雨よ降つてくれるな。
 
2117 處女らが、行きあひの早稻を刈る時になりにけらしも。萩が花咲く
 
2117 娘たちが、夏と秋との交叉する時分の、早稻をば刈る時分になつたらしい容子だ。其で、萩の花が咲いて居る。
 
2118 朝霧のたなびく小野《ヲヌ》の萩が花。今か散るらむ。いまだ飽かなくに
 
2118 霧のかゝつて居る野に咲く萩の花が、今頃は、散つて居ることだらう。あゝもつと見たいのに。
 
2119 戀しくばかたみにせよと、吾が夫子《セコ》が植ゑし秋萩、花咲きにけり
 
2119 戀しい時には、自分の身代りに見てをれと云うて、あの方が植ゑられた、萩の花は咲いたことだ。
 
2120 秋萩に戀ひつくさじと思へども、しゑや、惜《アタラ》し。また會はめやも
 
2120 萩の花許りに焦れて、苦勞せまいとは思ひ乍ら、やれ/\やはり惜しいことだ。今年も一度花の盛りに會ふことが出來るものか。
 
2121 秋風は日《ヒ》に日《ケ》に吹きぬ。高圓《タカマド》の野邊の秋萩、散らまく惜しも
 
2121 秋風が一日益しに、吹き募つてゐる高圓の野中に、咲いて居る萩の散るのが、惜しいことだ。
 
2122 健男《マスラヲ》の心はなしに、秋萩の戀ひにのみやも、なづみてありなむ
 
2122 立派な男らしい心がなく、萩の花の戀しさに許り、囚はれて居てよいものか。馬鹿々々しい。(と思ひながら、執著が捨てられない。)
 
2123 我が待ちし秋は來たりぬ。然れども、萩が花ぞも、いまだ咲かずける
 
2123 自分の待ちうけて居た秋は、やつて來たけれども、肝腎の萩の花が、まだ咲かないで居ることだ。
 
2124 見まく欲《ホ》り、我が待ち戀ひし秋萩は、枝もしみゝに、花咲きにけり
 
2124 早く見たさに、自分が待ち焦れて居た萩は、枝にみつしりと、花が咲いたことだ。
 
2125 春日野の萩も散りなば、朝|東風《ゴチ》の風にたぐひて、茲に散り來《コ》ね
 
2125 春日野の萩が、朝吹く東風の爲に散るやうなことがあつたら、その風と一處に、私の所へ散つて來てくれ。
 
2126 秋萩は雁《カリ》に會はじと云へればか、聲を聞きては、はなに散りぬる
 
2126 萩の花は、雁と約束して會ふまい、と云うておいたものか。雁の聲を聞くと云ふと、脆く散つて了ふことだ。
 
2127 秋さらば、妹に見せむと植ゑし萩。露霜《ツユジモ》負ひて、散りにけるかも
 
2127 秋が來たら、いとしい人に見せようと植ゑた萩が、冷い露を身に受けて、散つたことだ。
 
2128 秋風に大和へ越ゆる雁《カリ》がねは、いや遠ざかり、雲|隱《ガク》りつゝ
 
2128 秋の風に從うて、大和へ越えて行く雁は、段々遠のいて行くことだ。雲の陰に隱れて、さうして。
 
2129 朝闇《アケグレ》の朝霧隱り、鳴きて行く雁は、我が戀ふる妹に昔げこそ
 
2129 仄暗い明け方の霧の陰を鳴いて行く雁は、國に居るいとしい人に、私の容子を告げてくれ。
 
2130 我が宿に鳴きし雁《カリ》がね。雲の上に今宵鳴くなり。國へかも行く
 
2130 自分が家に居た時分鳴いて居た雁が、雲の上に、今夜鳴いて居る。あれは、自分の國の方へ歸つて行くのか知らん。
 
2131 さ雄鹿の妻どふ時に、月をよみ、雁がね聞ゆ。今し來らしも
 
2131 鹿が妻に會ひに行く時分に月がよくて、雁の聲が聞える。あゝちようど今雁がやつて來るに違ひない。
 
2132 天雲の外《ヨソ》に雁がね鳴きしより、斑霜《ハダレシモ》降り、寒し。此夜は
 
2132 此間空高く外《ヨソ》を鳴いて通る、雁の聲が聞え出してから、此頃の夜は、薄霜が斑に降つて寒いことだ。
 
2133 秋の田の我が刈りばかの過ぎぬれば、雁がね聞ゆ。多かたまけて
 
2133 實つた田の自分の刈る分の區域が、もう刈りをさめられた時分に、冬かけて鳴く雁の聲が聞え出した。
 
2134 葦邊なる荻《ヲギ》の葉さやぎ、秋風の吹き來る野邊に、雁鳴き渡る
 
2134 蘆の生えてゐる岸の荻の葉をそよめかして、秋風が吹いて來ると同時に、雁が鳴いて、此方へやつて來る。
 
2135 おしてる難波堀江の蘆邊には、鴨寢たるかも。霜の降らくに
 
2135 難波堀江の蘆の生えた岸には、此霜の降るのに、雁は寢てゐるのであらうか。
 
2136 秋風に山飛び越ゆる、雁がねの聲遠ざかる。雲|隱《ガク》るらし
 
2136 秋風につれて、山を飛び越えて行く雁の聲は、雲に隱れるので其で、遠のいて行くに違ひない。
 
2137 夙《ツト》に行く雁が鳴く音《ネ》は、吾が如く物思へかも。聲の悲しき
 
2137 朝夙く鳴いて行く雁の聲は、やはり自分のやうに、物思ひをして居るからか、悲しく聞えることだ。
 
2138 鶴《タヅ》が音の今朝鳴くなべに、雁がねは、何處をさして雲隱るらむ
 
2138 鶴が今朝鳴き出したと共に、どうやら鳴きさうな雁は、何處をさして飛んで行つて居るのか。姿が見えなく聲も聞えない。
 
2139 ぬば玉の夜渡る雁は、おぼゝしく、幾夜を經てか、己が名を告《ノ》る
 
2139 夜空をずつと飛んで行く雁は、幾晩たつても、こんなに陰鬱な聲で、自分の名前の、かり/\、と鳴いて飛んで行くのだらう。
 
2140 あらたまの年の經行けば、あともふと、夜渡る我を問ふ人や、誰
 
2140 段々月日がたつたので、自分の仲間の者共を引率《ヒキツ》れて、常世《トコヨ》へ歸らうと、夜鳴いて通る自分を、何故さう鳴くかと問ふ人がある。其は誰だ。
 
  鹿の聲
 
2141 此頃の秋の朝明《アサケ》に、霧隱り、妻呼ぶ鹿の聲の爽《サヤ》けさ
 
2141 近頃の秋の朝の引き明けに、霧の陰をば、配偶《ツレ》を呼んで行く鹿の聲が、鮮かに聞える。
 
2142 さ雄鹿の妻とゝのふと、鳴く聲の到らむ極み、靡け。萩原
 
2142 鹿が妻を呼び寄せようとして鳴いて居る聲が、屆く限りの廣さの野原の萩は、其聲につれて靡け。
 
2143 君に戀ひ、うらぶれをれば、磯城《シキノ》野の秋萩|凌《シヌ》ぎ、さ雄鹿鳴くも
 
2143 あの人に焦れて、しよんぼりとして居る時分に、磯城野の萩の中から、鹿の聲が立ち顯れて聞えることだ。
 
2144 雁來たり萩は散りぬと、さ雄鹿の鳴くなる聲も、うらぶれにけり
 
2144 もう雁が來て萩が散つた、と鹿の鳴く聲も、どこやら、しよんぼりと、物淋しく聞える。
 
2145 秋萩の戀ひも盡きねば、さ雄鹿の聲いつぎ/”\、戀ひこそまされ
 
2145 萩に焦れてゐる心も、未なくなつて了はないのに、鹿の聲が、續けさまに聞えて來て、愈焦れる心が深くなることだ。
 
2146 山近く家《イヘ》やをるべき。さ雄鹿の聲を聞きつゝ、寢《イ》ねがてぬかも
 
2146 山近くに家を構へてをることは、止めようか知らん。鹿の聲を聞いてるといふと、寢ることが出來ないことだ。
 
2147 山の邊にい行く獵夫《サツヲ》は多かれど、山にも、野にも、さ雄鹿鳴くも
 
2147 山の方へ出かける獵師は澤山あるが、それにも係らず、鹿が澤山に、野にも山にも鳴いてゐることだ。
 
2148 足引きの山より來《キ》せば、さ雄鹿の妻呼ぶ聲を、聞かましものを
 
2148 此處へ來るのに、山を越えて來たなら、鹿が配偶《ツレ》を呼ぶ聲を聞くことが出來るだらうに。
 
2149 山邊には、獵夫《サツヲ》の狙ひ畏《カシコ》けど、雄鹿鳴くなり。妻が面《メ》を欲《ホ》り
 
2149 山では、獵師が矢をつがへて狙うてゐるのが、恐しいに係《カヽハ》らず、鹿が配偶の顔を見たさに、堪《タマ》らなく鳴いてゐることだ。
 
2150 秋萩の散り行くを見て、いぶかしみ、妻戀ひすらし。さ雄鹿鳴くも
 
2150 萩の散るのを見て、陰氣な心持ちになつて、妻に焦れて居るに違ひない。それで、あんなに鹿が鳴くことだ。
 
2151 山遠き都にもあれば、さ雄鹿の妻呼ぶ聲は、乏しくもあるか
 
2151 茲は山を遠く離れた都であるから、今夜あの鳴く鹿の聲は、ほんとうに珍しいことだ。
 
2152 秋萩の散り過ぎ行かば、さ雄鹿はわび鳴きせむな。見ねばともしみ
 
2152 萩が散つて行つて了つたならば、萩の咲いて居る時分には、妻どひに鳴いた鹿が、今度は見えないので、淋しさに悲觀して鳴くだらうよ。
 
2153 秋萩の咲きたる野邊は、さ雄鹿ぞ、露を分けつゝ妻どひしける
 
2153 萩の咲いて居る野は、鹿が露を分けながら、妻を尋ねてゐる處だ。
 
2154 など、鹿のわび鳴きすなる。蓋《ケダ》しくも、秋野の萩や、しゞに散るらむ
 
2154 何故鹿があんなに悲しさうに鳴くのであらう。大方秋の野の萩が、どし/\と散つてゐるからだらう。
 
2155 秋萩の咲きたる野邊に、さ雄鹿は散らまく惜しみ、鳴きぬるものを
 
2155 萩が咲いて居る野に、その散るのを惜しんで、鹿が鳴いて居ることだ。
 
2156 足引きの山の陰陽《トカゲ》に、鳴く鹿の聲聞かずやも。山田|守《モ》らす子
 
2156 山の北側南側で、山の田を番して居る人達は、鹿の鳴き聲を聞くまいとて、聞かずに居られようか。
 
  蝉
 
2157 夕陰に來鳴く蜩。甚《コヽダ》くも、日毎に鳴けど、飽かぬ聲かも
 
2157 夕日のさす時分にやつて來て、鳴く蜩よ。何時も/\非常に鳴くけれども、幾ら聞いても、聞き飽かない聲だこと。
 
  蟋蟀《コホロギ》
 
2158 秋風の寒く吹くなべ、我が宿の淺茅がもとに、蟋蟀鳴くも
 
2158 秋風が冷く吹く時分に、それと同時に、自分の屋敷の淺茅の根もとで、蟋蟀が鳴いて居ることだ。
 
2159 陰草の生ひたる宿の夕かげに、鳴く蟋蟀は、聞けど飽かぬかも
 
2159 羊齒《シダ》などの生えて居る屋敷内の、夕日のさす時分に鳴く蟋蟀は、幾ら聞いても、聞き飽きがせないことだ。
 
2160 庭草にむら雨《サメ》降りて、蟋蟀の鳴く聲聞けば、秋づきにけり
 
2160 庭の草にばら/”\と雨がかゝつて來て、蟋蟀が鳴く聲を聞くと、秋が近づいたことだ。(風情のある歌。佳作。)
 
  河蝦《カハヅ》
 
2161 み吉野の岩もとさらず鳴く河蝦《カハヅ》。宜《ウベ》も鳴きけり。川を爽《サヤ》けみ
 
2161 吉野川の岩の下に、鳴き通しに鳴いて居る河鹿よ。なる程鳴く筈だ。川の容子が、こんなにさつぱりして居るのだから。
 
2162 神南備《カムナビ》の山下《ヤマシタ》とよみ行く水に、河蝦《カハヅ》鳴くなり。秋といはむとや
 
2162 神南備山の麓を、音立てゝ流れて居る川に、河鹿が鳴いて居る。もう秋だ、と教へようとするのか。
 
2163 草枕旅に物|思《モ》ひ、我が聞けば、夕片まけて鳴く河蝦かも
 
2163 家を離れて、旅に出て物思ひをしながら、自分が聞いて居ると、日の暮れを待ちうけて、河鹿が鳴いて居ることだ。
 
2164 瀬を速み、落ち激《タギ》ちたる白波に、河蝦鳴くなり。朝宵毎に
 
2164 瀬が速くて、落ちて激して居る波に、朝晩毎に、河鹿が鳴いて居る。
 
2165 上つ瀬に河蝦妻呼ぶ。夕されば衣手寒み、妻|枕《マ》かむとか
 
2165 上の方の瀬で、河鹿が妻を呼んで居る。日が暮れたので、あれも人間と同樣、袖が冷々とするから、妻の袖を枕としようといふのか。
 
  鳥
 
2166 妹が手を取石《トロシ》の池の波間より、鳥が音《ネ》異《ケ》に鳴く。秋過ぎぬらし
 
2166 取石地の波の上をば、鳥の鳴く聲が聞えてやつて來ることだ。もう秋が過ぎて行くのだらう。
 
2167 秋の野の尾花が末《ウレ》に鳴く百舌鳥《モズ》の、聲聞くらむか。かた待つ吾妹
 
2167 自分は旅に出て、久しく歸らない。家では嘸、いとしい人が待つて居よう。もう秋になつて、此野の薄尾花の先には、百舌鳥《モズ》の聲が聞えるが、家の方でも、やはりいとしい人が、一心に自分を待ち乍ら、百舌鳥の聲を聞いて居るだらうか。
 
  露
 
2168 秋萩に置ける白露。朝な朝《サ》な玉とぞ見ゆる。置ける白露
 
2168 萩の上に置いて居る露よ。朝毎に美しく玉と見えることだ。その置いて居る露が。
 
2169 夕立の雨うち降れば、春日野の尾花が上の白露思ほゆ
 
2169 夕立が降つて來ると、其度毎に、春日野の尾花の上に置いて居る露が、どんなであらうと、常に秋の野の景色が思はれることだ。
 
2170 秋萩の枝もとをゝに、露霜置き、寒くも、時はなりにけるかも
 
2170 萩の枝さへぶら/”\になるほどに、水霜が置いて、時候もほんに冷くなつたことだ。
 
2171 白露と秋の萩とは、戀ひ亂り、辨《ワ》くこと難き。我が心かも
 
2171 自分の心は、露にも、萩にも焦れて混亂して、何方《ドチラ》を好いて居るか、判別することが出來ないことだ。
 
2172 我が宿の尾花おしなべ置く露に、手觸れ。吾妹子。散らまくも見む
 
2172 自分の屋數内に、あゝして美しく、尾花をばなよ/\と片寄らして、露が掛つて居る。あれに、いとしい人よ。手を掛けて見なさい。そして、其散るのを見て樂しまう。
 
2173 白露を取らば消ゆべし。いざ子ども。露にきほひて、萩の遊びせむ
 
2173 萩の上に置いて居る露をば、手に取り上げたら、消えて了ふだらう。さあ人達よ。露に負けないやうに、萩の原へ這入りこんで、萩を見乍ら、遊びをしようぢやないか。
 
2174 秋田刈る假廬《カリホ》を作り、我がをれば、衣手寒く、露ぞ置きにける
 
2174 稔《ミノ》つた田を刈る爲の假小屋を立てゝ、自分が其中に居ると、袖に冷く露が置いたことだ。
 
2175 此頃の秋風寒し。萩が花散す白露、置きにけらしも
 
2175 此頃吹く秋風が冷い。萩の花をば散す露が、もう置いて居ることだらう。
 
2176 秋田刈る苫《トマ》手動くなり。白露は置く穂田《ホダ》なしと、告げに來《キ》ぬらし
 
2176 秋田を刈る小屋の屋根の、苫が動いて居る。此は風が吹いて、白露の降り置いて、ぢつとして居られる、穩の出た田がない、と告げに來たのに違ひない。
 
  山
 
2177 春は萌え、夏は緑に、紅《クレナヰ》の錦に見ゆる秋の山かも
 
2177 春になると、草が生え、夏には緑になり、其が又、紅染めの錦に見える秋の山だこと。
 
  黄葉
 
2178 妻《ツマ》籠《ゴモ》る矢野の神山。露霜《ツユジモ》に匂ひそめたり。散らまくの惜し
 
2178 矢野の神山は、冷い露の爲に、もう美しく色づき始めた。散るのが惜しいことだ。
 
2179 朝露に染《シ》み始めたる秋山に、時雨な降りそ。あり渡るがね
 
2179 朝置く露の爲に、色の染まりかけた秋山に、もう時雨は降つてくれるな。此儘ずつと、何時迄もあるやうに。
 
  右二首、人麻呂集に出てゐる。
 
2180 長月の時雨の雨に濡れ通り、春日(ノ)山は色づきにけり
 
2180 九月に降る時雨に、山の心《シシ》まで濡れ通つて、春日山はもう色著いたことだ。
 
2181 雁がねの寒き朝|明《ケ》の露ならし。春日(ノ)山を匂はすものは
 
2181 雁の聲の冷い夜の引き明けに、降る露に違ひない。あゝして、春日の山を美しう色著けたものは。
 
2182 この頃の曉《アカツキ》露に、我が宿の萩の下葉は、色著きにけり
 
2182 此頃降る朝露の爲に、我が屋敷の萩の根元の方の葉は、色がついたことだ。
 
2183 雁《カリ》がねは今は來鳴きぬ。我が待ちし黄葉早|續《ツ》げ。待てば苦しも
 
2183 雁はもうやつて來て鳴いて居る。自分が前々から、待つて居た紅葉よ。早く續いて色著けよ。待つて居ると辛《ツラ》いことだ。
 
2184 秋山を、ゆめ、人かくな。忘れにしそのもみぢ葉の思ほゆらくに
 
2184 秋山のことを、氣をつけて、誰も口に出すな。忘れて居た、紅葉が思ひ出されるから。
 
2185 大坂を我が越え來れば、二上《フタカミ》にもみぢ葉《バ》流る。時雨降りつゝ
 
2185 大阪峠をば、自分が越して來ると、二上山に時雨が降り通しに降つて、紅葉が時雨に雜つて、降りに降る。
 
2186 秋されば置く白露に、我が門の淺茅が末《ウラ》葉、色著きにけり
 
2186 秋になると、おりる露の爲に、家の表の淺茅の葉の先が、黄葉したことだ。
 
2187 妹が袖|捲來《マキヽノ》山の朝露に、匂ふもみぢの散らまく、惜しも
 
2187 捲來《マキヽ》山の朝露の爲に、美しく色の變つた、山の紅葉が散つて了ふのが、惜しいことだ。
 
2188 もみぢ葉の匂ひは繁し。然れども、妻梨の木を手折《タヲ》りかざゝむ
 
2188 どの木も、この木も、皆紅葉して、一體に紅葉が澤山色づいて居ることだ。それにしてもその中で、懷しい妻と云ふ名を持つた、妻梨の木を持つて、頭に插さう。
 
2189 露霜も寒き夕の秋風に、もみぢにけりな。妻梨の木は
 
2189 露も冷く降つて居る、晩方の秋風の中で、紅葉したことだ。あの妻梨の木は。
 
2190 我が門の淺茅色著く。吉隱《ヨナバリ》の浪柴《ナミシバノ》野のもみぢ散るらし
 
2190 自分の表の淺茅が色著いた。あの吉隱の浪柴の原の黄葉は、今頃は散つて居るだらう。
 
2191 雁がねを聞きつるなべに、高圓《タカマド》の野《ヌ》の邊《ヘ》の草ぞ、色著きにける
 
2191 雁の聲を聞いたと共に、高圓の野の野中の草が、紅葉したことだ。
 
2192 吾が夫子《セコ》が自栲衣行き觸らば、匂ひぬべくも、もみづ山かも
 
2192 あなたの著て入らつしやる、白栲の衣が、あの邊へ行つてお觸りになつたら、色が著きさうな程に、紅葉した山ですこと。
 
2193 秋風の日に日《ケ》に吹けば、水莖の岡の木の葉も、色著きにけり
 
2193 秋風が段々日増しに吹いてくるので、岡の木の葉も、紅葉したことだ。
 
2194 雁《カリ》がねの來鳴くがゝらに、韓衣《カラゴロモ》立田(ノ)山は、もみぢ初めたり
 
2194 雁が來て鳴くと共に、立田の山は、黄葉しかけたことだ。
 
2195 雁《カリ》がねの聲聞くなべに、明日よりは、春日(ノ)山はもみぢ初めなむ
 
2195 雁の聲を聞いた。それと共に、明日からは、春日の山は、紅葉が見えかけるであらう。
 
2196 時雨《シグレ》の雨。間なくし降れば、眞木の葉も爭ひかねて、色著きにけり
 
2196 時雨が、降り歇む時もなく降るので、常磐木の檜も、抵抗しかねて、紅葉したことだ。
 
2197 いちじろくしぐれの雨は降らなくに、大域《オホキノ》山は、色著きにけり
 
2197 時雨が、目立つて降つたでもないのに、大城山は色づいたことだ。
 
2198 風吹けば黄葉散りつゝ、ともしくも、あが松原は、清からまくに
 
2198 風が吹くので、紅葉が、後から/\散つて來て、あがの松原の景色は、嘸さつばりして居ることだらう。あゝ見に行きたいものだ。
 
2199 もの思《モ》ふと、籠《コモ》らひをりて、今日見れば、春日(ノ)山は色著きにけり
 
2199 物思はしいことだと云ふので、籠つて居て、今日初めて見ると、春日山は色づいたことだ。
 
2200 長月の白露負ひて、足引きの山のもみぢむ、見まくしも、よけむ
 
2200 九月に降る露を受けて、追つゝけ山が紅葉するだらうが、嘸見た景色が好からうな。
 
2201 妹|許《ガリ》と馬に鞍置きて、生駒山うち越え來れば、黄葉散りつゝ
 
2201 いとしい人の家に行くとて、生駒山を越えて來る、と紅葉がどん/\散つて居る。
 
2202 黄葉する時になるらし。月人の桂の枝の色著く、見れば
 
2202 お月樣の中にある、桂の枝が色著いて、月の色も變つて來たのを見ると、もう紅葉をする時分になつたに違ひない。
 
2203 里もけに霜は置くらし。高圓《タカマドノ》山のつかさの色づく、見れば
 
2203 奈良の都の坊《マチ》の方でも、著しく霜が降つて居るに違ひない。高圓山の小高い所の木立ちが、色著いたのを見るとわかる。
 
2204 秋の風日に日《ケ》に吹けば、露を重《オモ》み、萩の下葉は色著きにけり
 
2204 秋風が一日々々と吹き募るので、露の重さに、萩の根元の葉は、色づいたことだ。
 
2205 秋萩の下葉もみぢぬ。あら玉の月の經ぬれば、風いたみかも
 
2205 萩の根もとの葉が、紅葉したことだ。もう大分月が立つたので、風が烈しうなつたからであらう。
 
2206 まそ鏡|南淵《ミナブチ》山に、今日もかも、白露置きて、黄葉散るらむ
 
2206 南淵山《ミナブチヤマ》では、今日らあたりは、露が降て、紅葉が散つて居るだらう。
 
2207 我が宿の淺茅色著く。吉隱《ヨナバリ》のなつみが上に、しぐるらむかも
 
2207 自分の屋敷内の淺茅が、紅葉した。大方あの吉隱《ヨナバリ》のなつみの山の頂では、時雨が降つてるだらう。
 
2208 雁がねの寒く鳴きし從《ユ》、水莖の岡の若葉は、色著きにけり
 
2208 雁が寒さうに鳴いた時分から、岡に這うて居た葛の葉は、紅葉し始めたことだ。
 
2209 秋萩の下葉の黄葉、花につぎ、時過ぎ行かば、後《ノチ》戀ひむかも
 
2209 萩の花の散つた後は、引き續いて根元の葉の紅葉が色づき始めて行くが、かうしてうつかりして居る中に、美しい時が過ぎ去つて了うたならば、後で殘念がることであらう。
 
2210 飛鳥川。もみぢ葉流る。葛城《カツラギノ》山の木の葉は、今し散るかも
 
2210 此飛鳥川では紅葉が流れてゐる。向うの葛城山の楓の木の葉は、今散つてゐるやうだ。(此を葛城山に散つた葉が、飛鳥川に流れて來たやうに説いて、葛城の地を、飛鳥近くに求める説もあるが、よろしくない。)
 
2211 妹が紐解くと、結ぶと、立田山。今こそ、もみぢ初めてありけれ
 
2211 立田山は今見ると、成程今日から、紅葉し出したんだはい。
 
2212 雁がねの鳴きにし日より、春日なる三笠(ノ)山は、色著きにけり
 
2212 雁が鳴きかけた日から、春日の三笠山は、黄葉し出したことだ。
 
2213 此頃の曉《アカトキ》露に、我が宿の秋の萩原、色づきにけり
 
2213 幾日か以來の、夜明けの露の爲に、自分の屋敷内の萩の原は、色がついたことだ。
 
2214 夕されば雁の越え行く立田山、時雨に競《キホ》ひ、色著きにけり
 
2214 日が暮れると、雁が飛び越えて行くあの立田山は、時雨の降るのと同時に、敗けない氣で、紅葉したことだ。
 
2215 小夜《サヨ》更けて時雨な降りそ。秋萩の下《モト》葉の黄葉散らまく、惜しも
 
2215 夜が更けて、時雨が降り出した。そんなに降つてくれな。萩の下葉の紅葉の散るのが、惜しいから。
 
2216 舊里《フルサト》の初もみぢ葉を手折り持ちて、今日ぞ我が來《ケ》る。見ぬ人の爲
 
2216 寂びれた里の初紅葉の葉を折り携へて、今日私が參りました。見ない人に見せようとて。(此は飛鳥の都の紅葉を詠んだものだ。)
 
2217 君が家のもみぢ葉《バ》早く散りにしは、しぐれの雨に濡れにけらしも
 
2217 あなたの御宅の紅葉が、もう散つたといふことですが、其は時雨の爲に、濡れたからに違ひありません。
 
2218 一年に再行かぬ秋山を、心に飽かず、過《スグ》しつるかも
 
2218 一年中に二度と來ない秋の、その山の景色をば、心に十分と思ふ程、見ないで過して了うたことだ。
 
  水田
 
2219 足引きの山田作る子。ひでずとも、繩だに延へよ。守ると知るがね
 
2219 山の田を作つて居る人よ。まだ穂が出ないでも、番人がついてゐるとわかるやうに、繩だけでも引いておくがよからう。(此女に主がある、といふことを知らせる爲に、表さないでも、せめて人に悟らせるだけの、用意はしておいてくれといふ意。)
 
2220 さ雄鹿の妻呼ぶ山の、岡べなる早稻田《ワサダ》は刈らじ。霜は降るとも
 
2220 鹿が妻を呼ぶ山の邊《アタリ》の早稻田は、刈らないでおかう。露が降つても、鹿の隱れ家を與へる爲に。
 
2221 我が門に守《モ》る田を見れば、佐保の内の秋萩、薄思ほゆるかも
 
2221 自分の表に稔つたので、嚴重に番をして居る田を見ると、佐保山の中の里の、萩や薄が見たく思はれることだ。
 
  川
 
2222 夕さらず河蝦《カハヅ》鳴くなる三輪川の、清き瀬の音《ト》を聞かくし、よしも
 
2222 毎夜々々落ちなく、河鹿が鳴いて居る所の三輪川の、さつぱりしたその音を聞くのは、愉快だ。
 
  月
 
2223 天の海に月の舟浮け、桂※[楫+戈]《カツラカヂ》かけて漕ぐ見ゆ。月人壯夫《ツキビトヲトコ》
 
2223 空の海に、月の船を浮べて、月の中に生えるといふ桂の※[舟+虜]をかけて、漕いで居るのが見える。あの月の男が。
 
2224 此夜らはさ夜更けぬらし。雁がねの聞ゆる空に、月立ち渡る
 
2224 今夜はもう夜が更けたに相違ない。雁の音が聞える空には、月が出てずつと行つた。
 
2225 我が夫子《セコ》がかざしの萩に置く露を、さやかに見よと、月は照るらし
 
2225 あのお方の頭に插した萩の上に降つた露をば、さつぱりと眺めるやうに、と此空の月は照つて居るに違ひない。
 
2226 心なき秋の月夜《ツクヨ》の物|思《モ》ふと、寢《イ》の眠《ネ》らえぬに照りつゝ。もとな
 
2226 思ひやりのない秋の月が、物思ひをする爲に寢られないのに、心細く月は照りに照つてゐるに違ひない。
 
2227 思はぬに、しぐれの雨は降りたれど、雨雲晴れて、月夜《ツクヨ》さやけし
 
2227 時雨は降つてゐたけれど、思ひがけなく、今では雲が晴れて、月がさつぱりと照つてゐる。
 
2228 萩が花咲きのをゝりを見よとかも、月夜の清き。戀ひまさらくに
 
2228 萩の花が咲いて、ぶら/”\になつて居るのを見よといふので、月がこんなに鮮かに照して居るのか。それが却て戀ひを募らすのに。
 
2229 白露を玉になしたる、長月の有明の月夜、見れど飽かぬかも
 
2229 露をば玉として居る、九月の明け方に殘つて居る月は、幾ら見ても、飽かないことだ。
 
  風
 
2230 戀ひつゝも。稻葉かき分け、家居《イヘヲ》れば、乏しくもあらず。秋の夕風
 
2230 稻の葉をかき分けて、其處に小屋を拵へて、家に焦れて住んで居ると、何時も秋風が吹いて來るので、別に珍しくも思はない。
 
2231 萩が花咲きたる野邊に、蜩の鳴くなるなべに、秋の風吹く
 
2231 萩の花の咲いて居る野に、蜩が鳴くかと思ふと、一方秋風が吹いて居る。
 
2232 秋山の木の葉も、いまだもみぢねば、今朝吹く風は、霜も置くべし
 
2232 秋山の木の葉も、未黄葉せないのに、もう今朝吹いて居る風は、霜も降りさうに寒い。
 
  茸《キノコ》
 
2233 高圓《タカマド》のこの峯も狹《セ》に、笠立ちて、充ち盛りなる、秋の香《カ》のよさ
 
2233 高圓山の此所の峰も狹い位に、一杯笠を立てゝ、今が十分盛りである所の、茸の秋の香の好いことよ。
 
  雨
 
2234 一日には千重《チヘ》しく/\に、我が戀ふる妹が邊《アタリ》に、時雨降れ。見む
 
2234 一日の中に、幾度も重ね/\思ひ焦れて居るいとしい人の家の邊に、時雨が降れば好い。さうすればそれを見る、といふ口實で、妹の家を眺めよう。
 
2235 秋田刈る宿のいほりに、時雨降り、我が袖濡れぬ。干す人なしに
 
2235 家を離れて外《ヨソ》で寢て居る秋の田を刈る假小屋に、時雨が降つて漏つた爲に、自分の袖が濡れたけれど、誰もそれを乾してくれる人もない。
 
2236 玉襷かけぬ時なき我が戀ひを。時雨し降らば、濡れつゝも行かむ
 
2236 心中に思はぬ間のない私の此戀ひである。時雨がふつた所で、そんなこと位、構はない。降れば濡れ乍ら行くだけだ。
 
2237 もみぢ葉《バ》を散す時雨の降るなべに、夜さへぞ寒き。獨りし寢れば
 
2237 黄葉を散す時雨が降る片方には、夜迄が冷くなつた。私が獨り寢て居る頃に。
 
  霜
 
2238 天《アマ》飛ぶや雁の翼の覆ひ羽の、何處《イヅク》洩りてか、霜の降りけむ
 
2238 天を飛んでゐる所の雁の擴げた羽の、何處から洩つて、こんなに霜が降つたのであらうか。(此は一見不合理のやうであるが、作者が注意を、飛ぶ雁一つに集注して、それと地上の霜とを結びつけて考へたので、誇張も割合に自然に出來て、反感を起させない。)
 
    秋の相聞
 
2239 秋山のしたびが下に鳴く鳥の、聲だに聞かば、何か嘆かむ
 
2239 秋の山の紅葉の下に鳴いて居る鳥ではないが、せめてその聲だけでも聞けば、何をこんなに嘆かうか。
 
2240 誰そゝもと、我をな問ひそ。長月の露に濡れつゝ、君待つ我を
 
2240 一體誰だ、と自分を怪しんで咎めてくれな。いとしいお方を待つ爲に、九月の時雨に濡れて、待つて居る私だ。
 
2241 秋の夜の霧立ち渡り、おぼゝしく夢にぞ見つる。妹が姿を
 
2241 秋の夜の霧が、近邊《アタリ》一杯に立つて居るやうに、とりとめたこともなく、ぼんやりと夢にいとしい人の姿を見たことだ。
 
2242 秋の野の尾花が末《ウレ》の、おひ靡き、心は、妹に寄りにけるかも
 
2242 秋の野の尾花が穂に出て靡いて居るやうに、自分の心は、いとしい人の方へ片寄つて居ることだ。
 
2243 秋山に霜降り蔽ひ、木の葉散り、年は行けども、我忘るれや
 
2243 秋の山一杯に霜が降りかゝつて、それへ木の葉が散つて、さうして今年も大分立つたやうに、自分は幾ら年がたつても、いとしい人のことを忘れて居られようか。
 
  右一首、人麻呂集に出て居る。
 
  水田に寄せた歌
 
2244 住吉《スミノエ》の岸を田に墾《ハ》り、蒔きし稻、秀《ヒ》でゝ刈る迄、逢はぬ君かも
 
2244 あの方が會ひに入らつしやらないのも、隨分長くなつた。住吉の岸の荒地を田に開いて、蒔いた稻が、穂に出て刈り入れて了ふ迄、時は立つたが、其でも一向入らつしやらない。
 
2245 大刀《タチ》の後《シリ》玉|望《マク》田居《タヰ》に、何時迄か、妹を相見ず、家戀ひをらむ
 
2245 刀の鞘の端に玉を卷きつけるではなうて、此|望多《マクタ》の田圃にいつ迄離れて居て、いとしい人にも會はないで、家に焦れて居ねばならないのか。(村を離れて、出作りに行つて居る人の歌と見ればよい。)
 
2246 秋の田の穂の上《ヘ》に競ける白露の、消《ケ》ぬべくも、我は思ほゆるかも
 
2246 秋田の稻穂の上に置いて居る露ではないが、消え入りさうに、私は意氣銷沈して、物を考へてゐます。
 
2247 秋の田の穂向《ホム》きの寄れる片よりに、我は物思ふ。つれなきものを
 
2247 秋の田の穂の向きの寄つて居るやうに、片方に寄つて一途に、自分は物を思ひ込んで居る。相手はつれないのに。
 
2248 秋田刈り、假廬《カリホ》を作り、廬りしてあるらむ君を、見むよしもがも
 
2248 秋田を刈つて、假小屋を掛けて、其處に假り住ひをして入らつしやるあの方に、どうか早く會ひたいものだ。
 
2249 鶴《タヅ》が音《ネ》の聞ゆる田居に廬りして、我旅なりと、妹に告げこそ
 
2249 自分は家を離れて、鶴の鳴く聲の聞えて來る田圃に、小屋住ひして家に歸らないで居る。その爲に、お前さんにも會はれない、といとしい人に告げてくれ。
 
2250 春霞棚引く田居に廬りして、秋田刈る迄、思はしむらく
 
2250 春霞が棚引いてをつた時分(苗を植ゑつけた)田圃に、小屋掛けをして、稔つた田を刈り入れる時分まで、こんなに思ひ續けさすことよ。
 
2251 橘の守《モ》り部《ベ》の里の門田《カドタ》早稻。刈る時過ぎぬ。來じとすらしも
 
2251 橘のあの守部の住んで居る里の家の表に作つた早稻が、もう刈る時が通り越して了うた。そのやうに、約束の時が過ぎた。あなたは私が來まい、と思うて入らつしやるに違ひない。
 
  露に寄せた歌
 
2252 秋萩の咲き散る野邊の夕霧に、濡れつゝ來ませ。夜は更けぬとも
 
2252 萩の散つて居る野中の晩の露に滯れ乍ら、夜は更けて居ても、やつて入らつしやい。
 
2253 色|著《ヅ》かふ秋の露霜《ツユジモ》な降りそね。妹が手本《タモト》を枕かぬ今宵は
 
2253 草木の黄葉する秋の冷い、水霜が降つてくれるな。いとしい人の袖を枕として、寢ない今夜は、冷くてならぬから。
 
2254 秋萩の上に置きたる白露の、消《ケ》かも死なまし。戀ひつゝあらずは
 
2254 萩の上に降つて居る露ではないが、消え入つて死んで了ふか、どうかしたいものだ。こんなに焦れて居る程なら。
 
2255 我が宿の秋萩が上に置く露の、いちじろくしも、我が戀ひめやも
 
2255 私の屋敷の萩の上に、降つて居る露ではないが、人に目立つて、私は焦れませうか。そんなことはすまい。
 
2256 秋の穂を、しぬにおしなべ、置く露の消《ケ》かも死なまし。戀ひつゝあらずは
 
2256 稔つた穂を、しな/\に押し伏せて、降つて居る露ではないが、一層消え入つて死んで了うた方が、よいと思ふ。こんなに焦れて居る位ならば。
 
2257 露霜に袖うち濡れて、今だにも妹|許《ガリ》行かな。夜は更けぬとも
 
2257 冷い露に袖を濡して、さて譬ひ夜が更けて居ても、今からでも、いとしい人の所へ行かう。
 
2258 秋萩の枝も、とをゝに置く露の、消かも死なまし。戀ひつゝあらずは
 
2258 萩の枝まで、ぶら/”\になる程降つて居る露ではないが、こんなに焦れて居る位なら、一層消えて死んで了うた方が良さゝうだ。
 
2259 秋萩の上に白露置く毎に、見つゝぞ偲《シヌ》ぶ。君が姿を
 
2259 萩の上に置いて居る、露を見る度毎に、その美しいのから思ひ寄せて、あなたのお姿をば思ひ出します。
 
  風に寄せた歌
 
2260 吾妹子は衣《キヌ》にあらなむ。秋風の寒き此頃、下に著ましを
 
2260 いとしい人が、著物であつてほしいものだ。秋風の冷い今日此頃、肌身につけて居ようものを。
 
2261 泊瀬《ハツセ》風かく吹く夜は、いつ迄か、衣片敷き我《ア》が獨り寢む
 
2261 泊瀬山から吹き下す凰が、こんなに冷い晩をば、一體何時何時迄、自分だけの衣を敷いて、私獨り寢ねばならぬのか。
 
2262 秋萩を散す長雨《ナガメ》の降る頃は、獨り起き居て、戀ふる夜ぞ多き
 
2262 長雨が降り續いて、萩の花を散す、今日此頃、たつた一人起きて、坐つて焦れて居る晩が多いことだ。
 
2263 長月のしぐれの雨の山霧の、いぶせき我が胸。誰を見ば止《ヤ》まむ
 
2263 九月に降る時雨が、山の霧となつて降るやうに、陰氣な自分の胸は、一體誰を見たらをさまるのであらうか。
 
  蟋蟀《コホロギ》に寄せた歌
 
2264 蟋蟀の待ち悦べる秋の夜を、寢《ヌ》る驗《シルシ》なし。枕と我は
 
2264 蟋蟀が待ちつけて、悦んで鳴く秋の晩であるが、こちらは、枕と自分とだけでは寢て居る效《カヒ》がないことだ。
 
  河蝦《カハヅ》に寄せた歌
 
2265 朝霞|鹿火屋《カビヤ》が下に鳴く河蝦。聲だに聞かば、我が戀ひめやも
 
2265 山の鹿火屋の下で鳴いて居る、河鹿ではないが、せめてその人の聲だけでも聞いたら、こんなに焦れませうか。
 
  雁に寄せた歌
 
2266 出でゝ去《イ》なば、天飛ぶ雁のなきぬべみ、今日々々とふに、年ぞ經にける
 
2266 空飛ぶ雁ではないが、自分が旅に出かけて行つたら、いとしい人は、嘆き焦れるだらうと思うて、今日は出よう、今日は立たうと思うて居る中に、一年も立つて了うた。
 
  鹿に寄せた歌
 
2267 さ雄鹿の朝伏す小野の草若み、隱《コモ》らひかねて、人に知らゆな
 
2267 鹿が朝寢て居る野の、草が若い爲に、隱れて居ることが出來ないやうに、胸に思ひを包み切れずに、人に悟られぬやうにせねばならん。
 
2268 さ雄鹿の小野の草伏し、いちじろく、我が訪はなくに、人の知れらく
 
2268 鹿が野で寢て居るやうに、目立つてはいとしい人の家を尋ねて行つたことはないのだけれども、他人がちやんと知つて居ることだ。
 
  鶴に寄せた歌
 
2269 此宵の明時《アカトキ》くだち鳴く鶴《タヅ》の、思ひは過ぎず、戀ひこそまされ
 
2269 夜明け近くなつて、今鳴いて居る鶴の聲が、段々ふえて行くやうに、思ひが無くなるどころか、愈焦れる心が深くなることだ。
 
  草に寄せた歌
 
2270 道の邊の尾花が下《モト》の思ひ草。今さらに、かと何を思はむ
 
2270 道|傍《バタ》に穂の延びた、尾花の下に咲いて居る、思ひ草ではないが、今となつて、又何をかれこれと思はうか。こんなに離れた間柄だのに。
 
  花に寄せた歌
 
2271 草深み蟋蟀《コホロギ》さはに鳴く宿の、萩見に、君は、いつか來まさむ
 
2271 草が深いので、蟋蟀が澤山鳴いて居る、屋敷中の萩を見に、あの方は何時入らつしやるだらう。
 
2272 秋づけばみ草の花のあえぬがに、思へど知らず。直《タヾ》に逢はざれば
 
2272 秋が近づくと、草の花がほろ/\と零れるやうに、相手は、自分の手に直ぐにも落ちさうに思はれるけれど、直に會うたことがないから、はつきり訣らない。
 
2273 何ごとか君を厭《イト》はむ。秋萩のその初花は、嬉しきものを
 
2273 何の爲に、あなたを嫌ふ訣がありませうか。あなたに會ふことは、萩の初花を見た時のやうに、嬉しう思うて居ますのに。
 
2274 こい轉《マロ》び、戀ひは死ぬとも、いちじろく色には出でじ。朝顔の花
 
2274 譬ひ戀の爲に倒れころんで、のたうつて苦しみ焦れ、死ぬやうなことがあつても、人に目立つやうに、表には表すまい。朝顔の花ではないが。
 
2275 言《コト》に出でゝ言へばゆゝしみ、朝顔のほには吹き出ず。戀ひもするかも
 
2275 語に出して云ふと、大事件だから、朝顔の花ではないが、上べには氣《ケ》にも表さずに、焦れて居ることだ。
 
2276 雁がねの初聲聞きて咲き出たる、宿の秋萩。見に來《コ》。我が夫子《セコ》
 
2276 雁の初聲を聞いて咲き出した、私の屋敷の萩の花を見に來て下さい。あなたよ。
 
2277 さ雄鹿の入野《イリヌ》の薄、初尾花。いつしか、妹が手枕をせむ
 
2277 鹿が出入りする入り野の薄の、初めて咲き出した尾花のやうに、いつ初めて、いとしい人の手を枕として寢よう。
 
2278 戀ふる日の日《ケ》長くしあれば、み園生《ソノフ》の韓藍《カラアヰ》の花の、色に出でにけり
 
2278 人を焦れて居る日數が、餘りにたつて、ぢれつたさに、庭園に植ゑた紅《ベニ》の花ではないが、表に表して、人に悟られたことだ。
 
2279 我が里に今咲く花の女郎花。あへぬ心に、尚匂ひけり
 
2279 自分の住んで居る里に、今花の咲いてゐる女郎花ではないが、今咲いた許りの若々しい人が、辛抱しきれない心持ちで、人を焦れさせておいて、愈美しく見えることだ。
 
2280 萩が花咲けるを見れば、君に逢はず、誠も、久になりにけるかな
 
2280 萩の花の咲いてゐるのを見ると、あの人に會はないで、久しくなつたことだ。
 
2281 朝露に咲き荒《スサ》びたる鴨頭草《ツキグサ》の、日|長《タ》くるなべに、消《ケ》ぬべく思ほゆ
 
2281 朝露の置いて居る所に、盛りが過ぎて、一杯に咲いて居る鴨頭草ではないが、日が夕方になるにつれて、消え入りさうに、意氣銷沈して思ひこまれることだ。
 
2282 長き夜を、君に戀ひつゝ生けらずは、咲きて散りにし花ならましを
 
2282 こんなに長い秋の夜を、君に焦れて生きて居る位ならば、一層この中から散つて了うた萩の花になつた方がましであつた。
 
2283 吾妹子に逢坂山のはた薄。ほには咲き出《デ》ず、戀ひ渡るかも
 
2283 いとしい人に、自分の心は逢坂山で、その山に生えてゐる穂に出た薄のやうに、表面に表さずに、逢ふ日を戀ひ續けて居ることだ。
 
2284 いさゝめに今も見が欲し。秋萩の萎《シナ》ひてあらむ、妹が姿を
 
2284 ほんの一寸の間でも好いから、今見たいものだ。咲いて居る萩のやうに、しなやかにあるだらう所の、いとしい人の姿をば。(女の許へ、萩の枝へつけて贈つた歌。)
 
2285 秋萩の花野の薄。穂には出でず、我が戀ひ渡る隱《コモ》り妻はも
 
2285 秋萩の咲いて居る野中に、交つて居る薄ではないが、ほにも表さずに、自分が戀ひ續けて居る内證の情人は、可愛いことだ。
 
2287 我が宿の萩咲きにけり。散らぬ間に、早來て見ませ。奈良の坊人《サトビト》
 
2287 私の屋敷の萩は咲いた。どうか、散らぬ間に早く來て御覧なさい。奈良の里人よ。
 
2288 石橋《イハヽシ》の間々《マヽ》に生ひたる貌《カホ》花の、花にしありけり。ありつゝ見れば
 
2288 別れてゐる間は、いとしいの戀しいのと云うておこすが、實際目の前に始終一處にをつて、會うてゐると、石橋の隙間隙間に、生えて居る貌花ではないが、ほんに花許りで、實のない人だ。以前の言は、嬉しがらせに過ぎない。
 
2289 藤原の古りにし里の秋萩は、咲きて散りにき。君待ちかねて
 
2289 此さびれた藤原の里の萩は、あなたをば待ちをふせることが出來ないで、もう散りました。(と逢ひに來ぬ男を、怨んだ歌。)
 
2290 秋萩を散りすぎぬべみ、手折り持ち、見れども寂《サブ》し。君にしあらねば
 
2290 萩の花が散つて了ひさうなので、折つて手にもつて、いくら見て居ても、興味がない。それはその筈だ。いとしい方ではないから。
 
2291 朝《アシタ》咲き夕《ユフベ》は消ゆる鴨頭草《ツキグサ》の、消《ケ》ぬべき戀ひも、我はするかも
 
2291 朝咲いて、夕方には消えて萎れて了ふ鴨頭草の花ではないが、消え入りさうに、自分は人に焦れて居ることだ。
 
2292 秋津野の尾花刈り添へ、秋萩の花を葺《フ》かさね。君が假廬に
 
2292 此吉野の秋津野に咲いて居る萩の花に、尾花を刈り添へて、あなたの假小屋の屋根にお葺きなさい。
 
2293 咲きぬとも知らずしあらば、黙《モダ》もあらむ。この秋萩を見せつゝ、もとな
 
2293 萩の花が咲いたことも知らなければ、その儘でも済んで了ふものを。態《ワザ/”\》、此萩の花を思ひやりなく、見せびらかしなさることだ。(此は全體が、隱喩で、一層顔を見なければ、諦められるのに、時々顔を見せて、それで居て、うち解けてくれない情ない人よとの意。)
 
  山に寄せた歌
 
2294 秋されば雁飛び越ゆる龍田山。立ちても、居ても、君をしぞ思ふ
 
2294 私の心は、あの、秋になつたら、雁が飛び越えて行く龍田山で、立つても坐つても、何かにつけて、あのお方のことを思ひ出す。
 
  黄葉に寄せた歌
 
2295 我が宿の葛は日《ヒ》に日《ケ》に色著きぬ。在《イマ》さぬ君は、何心ぞも
 
2295 我が屋敷内に這うてゐる葛は、曰益しに黄葉して來た。それに入らつしやらないあのお方は、どうした訣だらう。
 
2296 足引きの山さな蔓《カヅラ》もみづ迄、妹に會はずや、我が戀ひをらむ
 
2296 山のさね蔓が、黄葉する時分まで、いとしい人に會はないで、焦れてをられるものか。
 
2297 もみぢ葉の過ぎかてぬ子を、人妻と見つゝやあらむ。戀しきものを
 
2297 黄葉が散り過ぎて了ふやうに、他所ごとに見過して了ふことの出來ない人をば、只人妻として指を啣へて居られようか。こんなに戀しいのに。
 
  月に寄せた歌
 
2298 君に戀ひ、萎《シナ》えうらぶれ、吾がをれば、秋風吹きて月|傾《カタブ》きぬ
 
2298 あの方に焦れて、元氣がなくしよんぼりとして、自分が居る時分に、秋風が吹いて、人はとう/\來ない中に、月は傾いて了うた。
 
2299 秋の夜の月かも、君は。雲隱り暫《シマラ》く見ねば、甚《コヽダ》戀しき
 
2299 あの方は、一體秋の夜の月であるのか。雲に隱れて了うたやうに、一寸の間會はないと、もう直に、非常に戀しくなる。
 
2300 長月の有明の月夜《ツクヨ》ありつゝも、君が來まさば、吾戀ひめやも
 
2300 今出て居る晩秋の有明の月ではないが、かうして待つて居る中にも、あの方が來て下さるなら、私はこんなに焦れようか。
 
  夜に寄せた歌
 
2301 よしゑやし、戀ひじとすれど、秋風の寒く吹く夜は、君をしぞ思ふ
 
2301 もうどうでも好い、焦れはすまいと思うて居ながら、秋風が寒う吹く頃は、あの方のことを思ふことだ。
 
2302 坊《サト》人の、あな心なと思ふらむ。秋の長夜を、寢《イネ》ずしあれば
 
2302 自分が人に焦れて、長い秋の夜を寢ずにをると、近所の里人は、一體どうしたんだ、心配なことだ、と思ふだらう。
 
2303 秋の夜を長しといへど、積りにし戀ひをつくせば、短かりけり
 
2303 秋の夜をば、長いと世間ではいふが、積り積つた戀ひの思ひをはらす時、今は、短く思はれることだ。
 
  衣に寄せた歌
 
2304 蜻蛉羽《アキツバ》に匂へる衣、我は著じ。君に奉《マダ》さば、夜も著るがね
 
2304 蜻蛉の羽の樣に、薄い美しい著物も自分は著まい。そしてあのお方に、差し上げものとして持たせてやつたら、あの方の氣に入つて、夜までも著て下さるやうに、と思うて著ずにおくことだ。
 
  問答
 
2305 旅にすら紐解くものを。言《コト》繁《シゲ》み、まろ寢《ネ》我がする。長き此夜を
 
2305 人は旅に出ても、下袴の紐を解いて、女と共に寢るのに、自分は現在近くに居乍ら、長い夜をば著物も脱がずに、ごろ寢をして居る。
 
2306 時雨降る明時月夜《アカトキヅクヨ》、紐解かず戀しき君と、をらましものを
 
2306 時雨が降つて、淋しい明け方の月の照つて居る所で、下袴の紐も解かずに、私の待つ戀しいお方と居たいものだ。
 
    ○
 
2307 もみぢ葉に置く白露の、色にはも出でじと思へば、ことの繋けく
 
2307 黄葉した葉に置いて色が映る白露ではないが、思ふ心を色にも表すまいと思うてゐるのに、生憎評判のうるさいことよ。
 
2308 雨降れば激《タギ》つ山川。岩に觸り、君が摧《クダ》かむ心は持たず
 
2308 雨が降ると、激しく流れる山川の水が、石に觸れて碎けるやうに、あなたが心を碎いて心配しなさるやうな、そんな薄情な心は持つて居ません。
 
    譬喩の歌
 
2309 祝部等《ハフリラ》が齋《イハ》ふ社のもみぢ葉も、標繩《シメナハ》越えて、散るとふものを
 
2309 神主達が、人を近附けずに、祀つて居る社の神木の黄葉も、引き廻した、標繩の制限する範圍を越えて、散つて來るといふぢやないか。(此は隱喩で、親達が大事に男を近寄らせまいとしてゐる處女に、その無情を怨んで贈つた歌。多分女から親の目が嚴重だから、とでもいうて斷つて來たのだらう。)
 
  旋頭歌。二首
 
2310 蟋蟀の、我が床の邊に鳴きつゝ。もとな。
   起き居つゝ、君に戀ふるに、寢《イネ》かてなくに』
 
2310 蟋蟀が、私の寢床の邊で始終鳴いて居るのは、人の心も知らない爲方だ。私はあの方に焦れて、寢られないでをるのに。
 
2311 はた薄ほにはさき出でぬ戀ひを、我がする。
   玉かぎる只一目のみ、見し人故に』
 
2311 穂の出た薄のやうに、上べには表さないで、自分は戀ひをして居ることだ。其ならよく知つた人かといふと、たつた一目會うた人だのに、其人の爲に。
 
    冬の雜の歌
 
  雪
 
2312 我が袖に霰たばしる。まき隱し、消《ケ》たずてあらむ。妹が見む爲
 
2312 自分の袖に、霰がほとばしつて來た。其を袖でまとうて隱して消さずにおかう。いとしい人が見るやうに。
 
2313 足引きの山かも高き。卷向の岸の小松に、み雪降りけり
 
2313 此山は一體高いからか、もう卷向山の崖の小松には、雪が降つたことだ。
 
2314 卷向の檜原《ヒバラ》もいまだ雲居ねば、小松が末《ウレ》ゆ、泡《アワ》雪ながる
 
2314 卷向山の檜原にも、まだ雲がかゝつても居ないのに、もう小松の梢に、泡雪が降つて居ることだ。
 
2315 足引きの山路も知らず。白橿《シラカシ》の枝もとをゝに、雪の降れゝば
 
2315 白橿の木の枝が、ぶら/”\になる迄に、雪が降つて居るので、山路も訣らなくなつて了うた。(此は、人麻呂集に出て居るが、又一説に、三方ノ沙彌の歌とも傳へて居る。)
 
  雪
 
2316 奈良山の峰なほきらふ。宜《ウベ》しこそ、ま垣の下《モト》の雪は消《ケ》ずけれ
 
2316 奈良山の上が、まだ曇つて居る。成程これでは、家の垣の下の雪も、消えないでをる筈だ。
 
2317 こと降らば、袖さへ濡れて透《トホ》るべく、降らなむ雪の、空に消《ケ》につゝ
 
2317 こんなに降る位ならば、袖迄濡れて透る程に迄、降ればよい筈の雪が、地べたにもたまらないで、消え/\することだ。
 
2218 夜を寒み、朝戸を開き、出でゝ見れば、庭も斑《ハダラ》に、み雪降りたり
 
2318 昨夜は寒かつたので、朝戸を開いて表へ出て見ると、庭には、現に雪が降つて居た。
 
2319 夕されば衣手寒し。高圓《タカマド》の山の木毎に、雪ぞ降りたる
 
2319 日暮れになると、風が袖を通して、冷く吹きこむ。それで氣がつくと、あの高圓山の木は、どの木も/\雪が降つて居る。
 
2320 我が袖に降りつる雪も流れきて、妹が袂に行きて觸らぬか
 
2320 我が袖に此降つた雪が、せめてまう一度降つて、戀しい人の手のあたりに行つて、觸《サハ》つてくれゝばよいが。
 
2321 泡雪は今日はな降りそ。白栲《タヘ》の袖|纏《マ》き干さむ人もあらぬを
 
2321 泡雪は今日は降らずにおいてくれ。濡れた白栲の衣の袖を卷いて干してくれる人も、ないのだから。
 
2322 甚《ハナハダ》も降らぬ雪ゆゑ、甚《コチタ》くも、天つみ空は曇らひにつゝ
 
2322 そんなに降らぬ雪だのに、その雪の爲に、空は仰山に、曇りに曇つてゐることだ。
 
2323 吾が夫子《セコ》を、今か/\と出で見れば、泡雪降れり。庭もほどろに
 
2323 待つて居る戀しい方は、もう來られるか/\と出て見る毎に、その人は見えずに、雪は庭をかき亂したやうに降つて居る。
 
2324 足引きの山に白きは、我が宿に、昨日の夕降りし雪かも
 
2324 あの山に白く見えて居るのは、我が屋敷に、昨晩降つて來たのと、同じ雪ではなからうか。
 
  梅
 
2325 誰が園の梅の花かも。久方の清き月夜《ツクヨ》に、甚《コヽダ》、散り來る
 
2325 誰の庭の梅の花だらう。澄み切つた月の照つて居る所へ、こんなに澤山に散つて來るのは。
 
2326 梅の花先づ咲く枝を、手折《タヲ》りてば、土産《ツト》と名づけて、よそへてむかも
 
2326 梅の花の、一等先に咲き出した、此枝を折つてやつたならば、いとしい人は、定めて私から貰うた土産だというて、私に準へて、愛してくれるだらうよ。(此は、梅の枝をやるにつけた歌。)
 
2327 誰が園の梅にかありけむ。甚《コヽダ》くも咲きにたるかも。見が欲しき迄に
 
2327 此梅は一體、何處の庭に咲いて居たのだらう。こんなに澤山、幾らでも見て居たい程、咲いたんだらうか。
 
2328 來て見べき人もあらなくに。我が家《ヤ》なる梅の初花、散りぬともよし
 
2328 來て見る筈の人もないのだから、自分の家の梅の初花は、散つてもかまはない。(來ぬ人に與へた歌。)
 
2329 雪寒み、咲きは開かず。梅の花、よし、此頃はさてもあるがね
 
2329 雪が冷いので、咲き出しもせない梅の花よ。なる程、待ち遠しいことは待ち遠しいが、まあそれもかまはない。茲《コヽ》暫くは、雪が降つたりして居るのだから、咲いても直に散るだらう。それならばもうその儘で、ありたいやうにしてをれば好い。
 
  露
 
2330 妹が爲、秀枝《ホツユ》の梅を手折るとは、下《シヅ》枝の露に濡れにけるかも
 
2330 いとしい人の爲に、上の枝の梅の花を折つてやらうとしては、下の枝の露に濡れたことだ。
 
  黄葉
 
2331 八田《ヤタ》の野の淺茅色づく。愛發《アラチ》山、峰の泡《アワ》雪、寒く降るらし
 
2331 此大和では、八田の野邊の淺茅が黄葉して居る。あなたの入らつしやる越前の愛發山では、峯の泡雪が冷く降つてゐることでせう。(傑作)
 
  月
 
2332 小夜更けば出で來む月を、高山の峰の白雪かくすらむかも
 
2332 夜が更けたので、出て來る筈の月をば、高山に積んで居る雪が、降り埋めて隱してゐるのだらう。
 
    冬の相聞
 
2333 降る雪の、空に消《ケ》ぬべく戀ふれども、會ふよしをなみ、月ぞ經にける
 
2333 降る雪が土につかない中に、消えて了ふやうに、自分もどうやら消え入りさうに焦れて居るけれど、會ふ手段がなくて、一月にもなつた。
 
2334 泡雪は千重に降り頻《シ》け。戀ひしくの日《ケ》長き吾や、見つゝ偲《シヌ》ばむ
 
2334 雪は幾重にも/\に降り積んでくれ。長い間戀しく思うて居た自分は、あの人のことを思ひ出してをらう。
 
  右一首、人麻呂集に出て居る。
 
2335 咲きみてる梅の下枝《シヅエ》に置く露の、消《ケ》ぬべく妹に戀ふる。此頃
 
2335 咲き出して立派な梅の、下枝に降りてゐる露ではないが、消え入りさうに、いとしい人に焦れてゐる、此頃よ。
 
2336 甚《ハナハダ》も夜更けてな行き。道の邊の齋笹《ユザヽ》が上に、霜の降る夜を
 
2336 こんなに甚《ヒド》く夜更けてから、歸つてお行きなさるな。道傍の神事の笹の上に、霜が降つてをります夜ですのに。(女性の優艶な情操を歌うた傑作。)
 
  雪に寄せた歌
 
2337 笹の葉にはだれ降り蔽ひ、消《ケ》なばかも、忘れむと云へば、まして思ほゆ
 
2337 笹の葉の上に、斑の薄雪が降り蔽うてゐるのが、消えるやうに、消えてなくなつたら、あなたのことを忘れることもありませうと、いとしい人が盟うたので、彌戀しく思はれることだ。
 
2338 霰降り、板間風吹き、寒き夜や、波多野《ハタヌ》に、今宵我が獨り寢む
 
2338 霞が降つて板の隙き間を吹き通す、こんなに冷い波多野で、此夜を私一人寢てゐられるものか。
 
2339 吉隱《ヨナバリ》の野木に降り蔽ふ白雪の、いちじろくしも戀ひむ、われかも
 
2339 私の居る、この吉隱の里の野原に立つて居る木に、一杯降り隱してゐる今夜の雪ではないが、幾ら焦れて居ても、人目に立つ焦れ方をする私ではありません。
 
2340 一目見し人に戀ふらく、天《アマ》ぎらし降り來る雪の、消《ケ》ぬべく思ほゆ
 
2340 只一目見たゞけの人に焦れて居るのは、はかないもので、空一杯に曇らして降つて來る雪ではないが、どうやら、消えてなくなつて了ひさうに思はれる。
 
2341 思ひ出づる時は、術《スベ》なみ、豐國の由布《ユフ》山雪の、消《ケ》ぬべく思ほゆ
 
2341 強ひて忘れようとして居ても、思ひ出す時には、せむ方なく、此豐前の國の由布山に積つて居る雪ではないが、消え入りさうに思はれる。
 
2342 夢の如君を相見て、天《アマ》ぎらし降り來る雪の、消ぬべく思ほゆ
 
2342 會うたとはいへ、確な記憶も殘つて居ない、ほんの夢の樣にあの人にお逢ひ申して、その人の爲に、空をかきくらして降つて來る雪のやうに今も消え入りさうに、思はれることだ。
 
2343 我が夫《セコ》子の言《コト》愛《ウル》はしみ、出でいなば、裳引きしるけむ。雪な降りそね
 
2343 あの方の仰つしやる語を、心地よく嬉しく思うて、會ひに表迄行つたら、上裳の裾を引いた跡がはつきりつくだらう。雪よ降るな。
 
2344 梅の花。それとも見えず、降る雪のいちじろけむな。間《マ》使やらば
 
2344 咲いて居る梅の花が、それだと辨別もつかない程、ひどく降る雪のやうに、こちらから使ひをやつたら、定めて、人に目立つことだらうよ。
 
2345 天ぎらひ降り來る雪の、消《ケ》なめども、君に會はむと、ながらへ渡る
 
2345 空が曇つて、降り來る雪ではないが、此戀ひの爲に、恐らく衰へて死ぬだらうとは思ひ乍ら、それでもあの人に逢はうと思うて、雪ではないが、生き長らへて居ることだ。
 
2346 うかねらふ跡見《トミ》山雪の、いちじろく戀ひば、妹が名。人知らむかも
 
2346 此跡見の山に積つてゐる雪のやうな、戀ひをしたならば、いとしい人の名をば、人が知り出すだらう。
 
2347 海人《アマ》小舟|泊瀬《ハツセ》の山に降る雪の、日《ケ》長く戀ひし君が音《オト》ぞする
 
2347 泊瀬の山に降つて居る雪が、何時迄も消えぬ樣に、前々から長く焦れて居たお方が、來られさうな容子である。
 
2348 和※[斬/足]《ワザミ》山峰行き過ぎて、ふる雪のつゝみもなしと申せ。その子に
 
2348 この美濃の和※[斬/足]山を通り過ぎたが、山に降つてる雪の爲に、何の障りもなく健康で居る、といとしい方に申し上げてくれ。
 
  花に寄せた歌
 
2349 我が宿に咲きたる梅を、月夜よみ、宵々、見せむ君をこそ待て
 
2349 我が屋敷に咲き出した梅をば、月が好いので見せたいと思うて、お見せ申す君を、毎晩待つて居ることだ。
 
  夜に寄せた歌
 
2350 足引きの山の嵐は吹かねども、君なき宵は、かねて寒しも
 
2350 山から吹き下す山颪は、まだ吹いては居ないが、吹かない先から、あなたがお出でにならぬ晩は、山颪に遭うたやうに冷いことだ。
 
 
 萬葉集 卷第十一
 
    相聞
 
  □旋頭歌
 
2351 新室《ニヒムロ》の壁《カキ》草苅りに、いましたまはね。
   草の如寄り合ふ處女は、君がまにまに』
 
2351 今度新しく立てた此家の祝ひに、臨席して下さい。そして外圍ひの草を刈るのを、お手傳ひ下さい。こちらには、澤山の處女達が、草のやうになよ/\としてをりますが、どれでも、あなたのお心任せになさることが出來るのですよ。(新築の祝ひに、主人から客へ寄せた招待のやうにして、その席で歌うたものだらう。次の歌も亦。)
 
2352 新室を蹈む鎭《シヅ》め子が、手玉《タヾマ》鳴らすも。
   玉の如照りたる君を。うちにと、まをせ』
 
2352 此新築の家では、災難のないやうに、蹈んで鎭める巫女《ミコ》達が、手につけた玉を鳴し乍ら、躍りまはつて居ることだ。その玉のやうに、光り輝いた立派なお客が入らつしやつた。どうか内へお這入り下さい、と申し上げよ。
 
2353 泊瀬《ハツセ》の齋槻《ユツキ》が下《シタ》に、吾が隱せる妻。
   茜さす照れる月夜に、人見てむかも』
 
2353 あの泊瀬の山にある神木の槻の木の下に、自分の行くまで待たせて、隱れさせてあるいとしい人を、ひよつとすると今頃、月の光りで、人が見つけては居まいか。
 
2354 健男《マスラヲ》の思ひ猛《タケ》びて、隱せるその妻。
   天地に照り透るとも、顯れめやも』
 
2354 立派な男が、一心不亂に決心して隱して、盗み出しておいたそのいとしい女は、譬ひ美しくて、天地間に透き通る程であつても、隱れ場處が、人に知れる氣遣ひはあるものか。
 
2355 息の緒に吾が思ふ妹は、早も死ねとや。
   生けりとも、我に寄すべく、人の言はなくに』
 
2355 命懸けで自分が思ひこんでるいとしい人は、私を早く死んで了へ、と思うてゐられるのか知らん。生きて居た所で、私に靡かうとは、あの方はいうてもくれないから、しやうがない。
 
2356 狛《コマ》錦紐の片へぞ、床に落ちにける。
   明日《アス》の夜し來なむといはゞ、取りおきて、待たむ』
 
2356 舶來の錦の下裳の紐の片方が、寢床の傍に落ちたことだ。(ありはせなんだか、と男がいふに答へて、女が)さあそんなに返して欲しくば、明晩來る約束をなさい。さうすりや、しまうておいて、待つてをります。
 
2357 朝戸出の君が足結《アユヒ》を濡す露原。
   夙《ト》く起きて、出でつゝ我も、裳の裾濡れな』
 
2357 朝歸りに、表へ出たあの方の足結ひの紐を濡す、その露の一杯降つた原に、どれ、早く起きて出て行つて、君の歩いた跡を歩いて、上裳の裾を濡して見よう。
 
2358 何せむに、命を、もとな、長く欲りせむ。
   生けり雖《トモ》、吾が思ふ妹が、易く逢はなくに』
 
2358 何の爲に長生きがしたい、と理もないことを思はうか。いつまで生きてゐた所で、竝み大抵で、いとしい人と會へないのに。
 
2359 息の緒に我は思へど、人目多みこそ。
   吹く風にあらば、數々《シマ、、》會ふべきものを』
 
2359 一所懸命で、自分は思ひこんでゐるが、會ひに出かけないのは、人目が多いからだ。一層吹く風であつたら、逢ふことが出來ようのに。(會ふ時の尠いのを怨んだ女に、與へた歌。)
 
2360 人の親の處女子|坐《ス》ゑて、神籬山邊《モルヤマベ》から。
   朝な/\、通ひし君が來ねば、悲しも』
 
2360 親達が娘を居させて、ぢつと守つて居るといふではないが、神籬山の邊《アタリ》の道を、朝々毎に通つて歸つたあの方が、あの朝、歸つたきり來ないので、悲しいことだ。
 
2361 天《アメ》なる一つ棚橋。いかで、行かむを。
   若草の妻|許《ガリ》と言はゞ、足結《アユヒ》固めむ』
 
2361 いとしい人の所へ行くのなら、足結ひの紐を固めて、しつかり準備して行かう。道に危い只一本の棚橋がある。それも褄の許へ行く爲だといふなら、是非とも越えて行かうよ。
 
2362 山城の久世《クゼ》の若子《ワクゴ》が愛《ヲ》しといふ。吾《ア》を。
  あふさわに、吾《ア》を欲しといふ。山城の久世』
 
2362 あの山城の久世から通はれる、久世の若殿さんが、自分を手に入れたい、と仰つしやるのだけれども、一體久世は、曲つた人間が多いから、若殿の言も、つひ好い加減に、自分を手に入れたい、というて居られるのだ。其に違ひない。
 
  右十二首、人麻呂集に見えて居る。
 
2363 岡崎の囘《タ》みたる道を、人な墾《は》りそね。
   ありつゝも、君が來《キ》まさむ避《ヲ》き道《ミチ》にせむ』
 
2363 此岡の崎のぐるつと廻る道を、遠いからとて、近道をつけるな。その儘にしておいて、あの方が入らつしやる間道にしよう、と思ふから。
 
2364 玉簾《タマダレ》の小簾《ヲス》の隙《スケ》きに、入り通ひ來ね。
   たらちねの母が問はさば、風と申さむ』
 
2364 玉を雜ぜて拵へた廉の隙き間からでも、戀しい人は這入つて入らつしやればよい。お母さんが、若しも、今、音のしたのは誰だ、と聞き咎めなさつたら、あれは風ですよ、とお答へしませう。
 
2365 うちひさす宮路に會ひし人妻故に。
   玉の緒の、思ひ亂れて寢《ヌ》る夜しぞ多き』
 
2365 御所の表門通りで行き會うたあの人は、人妻であつた。それでその人の爲に、あれこれと煩悶して、床に就く晩が多い。
 
2366 まそ鏡見しがと、思ひし妹に逢へるかも。
   玉の緒の絶えたる戀ひの繁き此頃』
 
2366 (見たい/\と思うて居たいとしい人に、やつとの思ひで會うたことだ。其爲に。)一時中絶して居た煩悶が、此頃は又絶えず起つて來ることになつた。
 
2367 海原《ウナバラ》の道に乘れゝや、我は戀ひをり。
   大舟のゆたにあるらむ、人の子故に』
 
2367 自分は焦れて居るが、ちようど自分の體はまるで、海上の航路に乘りかゝつて居るからか、こんなに、心持ちが動搖して居るのだらう。他人なる人の爲に。
 
  右五首、古歌集に見えて居る。
 
  □正《マサ》しく心緒を述べた歌
 
2368 垂乳根の母が手|離《サカ》り、かく許りすべなきことは、いまだせなくに
 
2368 お母さんの手許を離れてから、こんなにやる瀬ないことは、まだ一度も經驗がない。戀ひは苦しいものだ。(幼稚な心持ちを發揮した傑作。)
 
2369 人の寢《ヌ》る熟寢《ウマイ》は寢ずて、はしきやし君が面《メ》すらを、欲《ホ》りし嘆くも
 
2369 衆人の寢る熟睡はせずに、可愛いゝあの方の顔だけでも見たい、と思うて嘆《タメ》息をついて、起きて居ることだ。
 
2370 戀ひ死なば、戀ひも死ねとや。玉桙の道行く人の、言《コト》も告げなく
 
2370 こんなに焦れて居るのに、焦れ死ぬなら勝手に焦れ死ね、といふお積りかして、まるで通りすがりの路傍の人のやうに、ものも言つておこして下さらない。
 
2371 心には千重に思へど、人に言はず、吾が戀ふる妻を、見むよしもがも
 
2371 心中では、繰り返し/\幾重にも思うて居るが、人には話さずに、自分の焦れて居る人に、どうぞ逢ふ手段があれば好いが。
 
2373 いつとはも戀ひぬ時とはあらねども、夕方まけて戀ひは、術《スベ》なし
 
2373 何時と言うて、焦れて苦しくない、と言ふ時はないけれども、その中でも、日暮れ方に焦れて居るのは、やる瀬ないものだ。
 
2374 かくしのみ戀ひや渡らむ。玉きはる命も知らず、年は經につゝ
 
2374 こんなに許り焦れ續けて居ようか。命が、今日明日も知れない程になつた。戀ひはじめて、年がたち/\した。
 
2375 我ゆ後、生れむ人は、我が如く戀ひする道に會ひこすな。ゆめ
 
2375 自分は、戀ひをする道に迷ひこんで、こんなに苦しんで居る。自分より後に、世の中に生れて出る人は、自分のやうに、そんな道に、決して出くはしてくれな。(佳作。)
 
2376 健男《マスラヲ》の現《ウツシ》心も吾はなし。夜晝と言はず、戀ひし渡れば
 
2376 立派な一人前の男らしい正氣を、自分はなくして了うた。夜晝と言ふ區別もなく、焦れ續けて居るので。
 
2377 何せむに、命續ぐらむ。吾妹子に戀ひざる先に、死なましものを
 
2377 何の爲に、命を續けて居るのだらう。一層あの人に逢はない先に、死んだ方がましだつたのに。
 
2378 よしゑやし、來まさぬ君を何せむに、飽かずてわれは、戀ひつゝをらむ
 
2378 入らつしやらなければ、お出でにならずともかまはぬ。其に何の爲に、何時迄飽きもせず、私は焦れて居ることだらう。
 
2379 うち渡す近きわたりを徘徊《タモトホ》り、今や來ますと、戀ひつゝぞをる
 
2379 あの方は、今頃は、きつと、此近邊を徘徊《ウロツ》いて入らつしやつて、もうかれこれ、入らつしやるだらう、と焦れて居る。
 
2380 はしきやし誰《タ》が障《サフ》れかも、玉桙の道に忘れて、君は來まさぬ
 
2380 一體誰が、邪魔をして居る爲であるか。こちらへ來る道を忘れて了うて、それで、やつてお出でにならんのだらう。
 
2381 君が面《メ》を見まく欲りして、此二夜、千年の如く、我が戀ふるかも
 
2381 あの方のお顔を見たく思うて、此二晩といふものは、まるで千年も經つたやうに思はれる程、一所懸命に思ひつめて居ることだ。
 
2382 うちひさす宮路に、人は充ち行けど、吾が思ふ人は、只獨りのみ
 
2382 御所へ通ふ大通りを見ると、人が一杯通つて居るけれど、たゞ獨り自分が思つて居る人の外には、心を移すやうな人も通つて行かない。
 
2383 世の中は、常かくのみと思へども、かつ忘らえず。尚戀ひにけり
 
2383 世界といふものは、かういふ風に悲しいものとは諦めて居るけれども、又片方に、忘れて了ふことが出來ないで、思ひ出されて諦め切れずに、焦れて居ることだ。
 
2384 吾が夫子《セコ》は幸《サキ》く在《イマ》すと、偶《タマヽヽ》も我に告ぐなる人の、來ぬかも
 
2384 あのお方からは、お便りは望まれない。せめて時折りでも、あの方は達者で入らつしやる、と私に告げる所の、使ひでもやつて來てくれゝば好いが。(便りせぬ男にやつた歌。)
 
2385 あら玉の五年經れど、我が戀ふるしるしなき戀ひの、止まず怪しも
 
2385 焦れ始めてから、五年もたつたけれど、何の效果も現れて居ぬ。戀ひの止まず續いて居るのが、不思議なことだ。
 
2386 巖すらゆき徹《トホ》すべき健男《マスラヲ》も、戀ひとふことは、後《ノチ》悔《ク》いにけり
 
2386 岩が前に立ち塞つても、その岩を突き貫いても、通つて行く立派な男でも、戀ひと云ふことには、始終思ひ切り惡く、後悔して許り居ることだ。
 
2387 日《ケ》竝べば、人知りぬべみ、今日の日の、千年の如くありこせぬかも
 
2387 幾日も/\重ねて出逢うてゐる中に、人に悟られるだらうから、都合よく逢うた此時が延びて、千年程の長さになつてくれゝば好い。さうすれば、ゆつくりと逢うて居ることが出來るのに。
 
    *
 
2388 立ち居する業《ワザ》も知らえず思へども、妹に告げねば、間《マ》使ひも來ず
 
2388 呆《ボン》やりとして、樣々な爲事も訣らなく忘れて了ふ程、思ひこんで居るけれども、いとしい人に告げないから、使ひもやつて來ないことだ。
 
2389 ぬば玉の此夜な明けそ。あからひく朝行く君を、やれば苦しも
 
2389 今夜の晩が、何時迄も明けずに居てくれ。朝出かけて行く方を、行かして了へは、後が、辛くてかなはないから。
 
2390 戀するに、死にするものにあらませば、我が身は、千度死にかへらまし
 
2390 戀した爲に、人は死ぬものであつたならば、今頃自分は、千遍許りも、生き代り死に代りしたことだらう。
 
2391 たまさかに昨日の夕《ユフベ》見しものを。今日の朝《アシタ》に、戀ふべきものか
 
2391 やつとの思ひで、幾日振りに、昨晩會ふことが出來たのに、今朝はもうこんなに、焦れてをらねばならんのか。
 
2392 なか/\に見ざりしよりも、相見ては、戀しき心まして思ほゆ
 
2392 會はないで居た時分よりは、却つて會うてから、戀しい心が募つて、思ひこまれることだ。
 
2393 玉桙の道行かずしてあらませば、懇《ネモゴ》ろ、かゝる戀ひには遇はじ
 
2393 あの時に、あの道を歩いて、あの人に出|會《クハ》した爲に、こんなしみ/”\と辛《ツラ》い戀ひに出會したんだが、若し、あの時行かなかつたら、こんな戀ひにも遭はなかつたであらうのに。
 
2394 朝影に我が身はなりぬ。玉かぎる仄かに見えて去《イ》にし子故に
 
2394 自分の姿は痩せて、しよんぼりとして了うた。僅か逢うた許りで、行つて了うた人だのに、其人の爲に。
 
2395 行けど/\逢はぬ妹故、久方の天の露霜に、濡れにけるかも
 
2395 幾ら逢ひに行つても、逢うてくれない人だのに、其人の爲に、空から降つて來る、冷い秋の水霜に、濡れしほたれたことだ。
 
2396 たまさかに吾が見し人を、如何ならむよしを持ちてか、又一目見む
 
2396 偶、自分が出逢うた人に、どんな手段を以てすれば、まう一目會ふことが出來るだらうか。
 
2397 暫しくも見ねば戀しき吾妹子を、日《ヒ》に日《ケ》に來れば、言《コト》の繁くに
 
2397 一寸の間でも逢はないでゐると、戀しい愛する人であるが、それかと言うて、毎日々々逢ひに行けば、人の評判がうるさいことだらう。
 
2398 玉きはる世迄定めて、頼《タノ》めたる君によりてぞ、言《コト》の繁けく
 
2398 何時々々迄もと約束をして、私に信頼さして居たあの人の爲に、こんなに評判がうるさく立つて居ることだ。
 
2399 あから引く肌も觸れずて、寢たれども、心|異《ケ》にしも、我が思はなくに
 
2399 此頃は互ひに肌も觸れずに、寢てるけれども、心で別に、お前のことを思ひかへてゐない。
 
2400 いで如何に、ねもころ/”\に、利《ト》心の失《ウ》する迄思ふ。戀ふらくの故
 
2400 さあなぜこんなに甚く、しみ/”\と、しつかりした心さへもなくなる迄に、思ひこんでゐるのだらう。それは戀ひの爲だ。
 
2401 戀ひ死なば戀ひも死ねとや、吾妹子が、吾家《ワギヘ》の門を過ぎて行くらむ
 
2401 いとしい人が、自分の門を行き過ぎて行く。あれは、焦れて死ぬならば勝手に焦れて死ね、といふ積りなんだらう。
 
2402 妹があたり遠くし見れば、あやしくも我はぞ戀ふる。逢ふよしをなみ
 
2402 いとしい人の家の邊を、遠くから見て居ると、不思議な程、戀しくなる。逢ふ手段がないので。
 
2403 玉|久世《クゼ》の清き川原に、禊《ミソ》ぎして齋《イハ》ふ命も、妹が爲こそ
 
2403 玉のやうに美しい久世川の、さつぱりした川原で、禊ぎをして、體を清めて、災難のないやうに祈るのも、誰《タレ》の爲か。偏にいとしいお前の爲である。
 
2404 思ふより、見るより、人はあるものを、一日隔てゝ忘れて思へや
 
2404 思へば直樣《スグサマ》、會ふと言ふやうな訣ならば、一日離れてをつても、辛抱をしてをらうのに、さうでなければ、怎うして忘れる所か。
 
2405 垣ほなす人は言へども、狛錦紐解き開《ア》けし、君なけなくに
 
2405 人の評判は、垣のやうに自身の身の周圍をとり卷いて居るが、下袴の紐を解いて、打ち解けて、逢つたお方がおいでに(ならぬ、といふ訣でない。)なるんだから、案じることはない。
 
    *
 
2406 狛錦紐解き開けて、夕だに知らざる命戀ひつゝあらむ
 
2406 日暮れ迄、保つか保たないかの命を持ち乍ら、舶來の美しい下袴の紐を開けて、焦れて居ねばならぬか。
 
2407 百《モゝ》さかの舟漕ぎ入るゝ、や占《ウラ》さし、母は間ふとも、その名は言はじ
 
2407 手を變へ、品を更へ、占ひを立てゝ見て、男の名をあれか此か、と母が問うて見ても、ほんとうの名は、決して言ふまい。
 
2408 眉根掻き、はなひ、紐解け、待てりやも。何時しか見むと思へる吾君《ワギミ》
 
2408 早く自分に逢ひたいと思うて、あなたは、眉根が痒くなつて掻き、嚔をしたり、下裳の紐が自然と解けたりして、此は自分に逢ふ前兆だ、と待つて入らつしやるか知らん。あなたよ。
 
    *
 
2409 君を戀ひうらぶれ居れば、くやしかも。我が下紐を結ぶ手も、たゞに
 
2409 あの方に焦れて、悲觀して居るにつけ、自分が結ぶ下袴の紐も、實際、かの人に逢うたのではなく、たゞ空解けして、逢へると思うた心も、無駄になつたのは、殘念だ。
 
2410 あら玉の年は果つれど、敷栲の袖|交《カ》へし子を、忘れて思へや
 
2410 年は、段々死ぬるに近づいて來たが、袖を交して寢た人を、夢にも忘れようか。
 
2411 白栲の袖をはつ/\見てしから、かかる戀ひをも、我はするかも
 
2411 白栲の著物の袖を、僅か許り見たゞけだのに、その爲に、かういふ戀ひを、自分はすることだ。
 
2412 吾妹子に戀ひてすべなし。夢に見むと我は思へど、ねむらえなくに
 
2412 いとしい人に焦れて、遣る瀬ない。せめては、夢にでも見ようと思ふが、寢つかれない。
 
2413 故もなく、我が下紐ぞ解けしむる。人に知らゆな。直接《タヾ》に逢ふまで
 
2413 何と云ふ根據もなく、自分の下裳の紐が解けて來る。これはあの人が、自然と解けさすのである。きつとあの人も、私のことを思うてゐるに違ひない。併し直接出會ふまで、人に知られるな。
 
2414 戀ふること慰めかねて、出でゝ行けば、山をも、川をも知らず來にけり
 
2414 焦れてゐる胸の中を、宥め靜めることが出來ないで、家を出て、ぶら/”\やつて來たが、その間、山を越えたり、川を越えたりするのも訣らないで、やつて來たことだ。
 
  □物に寄せて思ひを陳べた歌
 
2415 處女らが領巾布留《ヒレフル》山の瑞垣《ミヅガキ》の、久しき時ゆ思《モ》ひ來《コ》し。我は
 
2415 娘達の袖ではないが、布留の山の神の玉垣が、昔からあるやうに、長い間を、私は思うて居たことだ。
 
2416 千早振る神の持たせる命をし、誰が爲にか、長く欲りせむ
 
2416 神樣が司つて入らつしやる我々の命をば、どうぞ長くあるやうに、と祈つて願ふのは、誰の爲であらうか。他《ホカ》の人の爲ではない。皆あなたの爲だ。
 
2417 石(ノ)上布留の神杉神さびて、戀ひをも、我は更にするかも
 
2417 石(ノ)上の布留の社の、神の木の杉ではないが、神さび、年寄つて、又改めて、戀ひをすることだ。
 
2418 如何ならむ名に負ふ神に手向けせば、我が思ふ妹を、夢にだに見む
 
2418 評判通り徳の高い、どういふ神樣に、捧げ物をして祈つたら、せめて夢にでも、焦れて居る人に逢ふことが出來るであらうか。
 
2419 天地といふ名の絶えてあらばこそ、汝《イマシ》と、我と逢ふことやまめ
 
2419 天地は元より、天地間にあらゆる名の附いてゐる、樣々のものがなくなつた時には、自分と、お前との二人の出會ふことも、やめることになるだらうが、そんなことのない限りは、人が何と言うても會はう。
 
2420 月見れば、國は同じく、山へなり、愛《ウル》はし妹がへなりたるかも
 
2420 月を見ると思ふが、此月を同じ國で見て居乍ら、たゞ山が隔つてゐる許りで、可愛いゝ人が隔つて、逢はれないことだ。(傑作。)
 
2421 來る道は、石《イハ》蹈む山のなくもがも。吾が待つ君が馬|躓《ツマヅ》くに
 
2421 私の待つて居る、あの方の入らつしやる道には、岩の上を通る山がなければ好い。さうでなければ、あの方の馬が躓くから。
 
2422 石《イハ》根蹈み重る山はあらねども、逢はぬ日まねみ、戀ひ渡るかも
 
2422 岩の上を通らねばならぬ、重り合うた山はないけれども、逢はない日が多くて、焦れ續けて居ることだ。
 
2423 道の後《シリ》深津《フカツ》島山。暫《シマ》しくも君が面《メ》見ねば、苦しかりけり
 
2423 遙かの地方の果てなる、深津の島山ではないが、暫らくでもあの方の顔を見ないので、辛《ツラ》いことだ。
 
2424 紐鏡、能登香《ノトカ》の山は誰が故ぞ、君來ませるに、紐あけず寢む
 
2424 能登香山ののとか〔三字傍点〕といふ語《コトバ》は、解くなといふ意と通じるが、それは、誰に向つて言うたのだ。此方は、戀しい方が入らつしやつたのに、どうして、下裳の紐を解き廣げないで寢ませうか。
 
2425 山|科《シナ》の木幡《コハタ》の山を、馬はあれど、徒歩《カチ》より、我が來《ク》。汝《ナ》思ひかねて
 
2425 自分は馬は持つて居るが、お前を思ふ心が辛抱し切れないで、馬に乘れは、人に悟られるから、そつと地べたを歩いて來た。山科の木幡の山道をば。
 
2426 遠山に霞棚引き彌《イヤ》遠に、妹が面《メ》見ずて、我が戀ふらくも
 
2426 遙かの山に、霞が懸つて居るやうに、いとしい人とかけ離れて、非常に遠くに居る爲に、戀しい人の顔も見えないで、焦れて居ることだ。
 
2427 此川の瀬々のしき浪、しく/\に、妹が、心に乘りにけるかも
 
2427 此川の瀬毎に、間斷《シキリ》なく打つ波のやうに、始終いとしい人が、自分の心に乘りかゝつて居て、物を思はせることだ。
 
2428 千早人宇治の渡りの速き瀬に、逢はずありとも、後《ノチ》も我が妻
 
2428 今は、激しい危險な場合だ。かういふ場合は、會はずとをつて、將來は必、會ふことにしよう。我が妻よ。
 
2429 はしきやし逢はぬ子故に、徒らに、此川の瀬に其の裾濡れぬ
 
2429 可愛い、逢うてくれない人なのに、其人の爲に、わざ/”\川を渡つて會ひに出かけて、無駄に、下裳の裾を濡したことだ。
 
2430 此川の水泡《ミナワ》逆《サカ》捲き行く水の、言《コト》は反《カヘ》さじ。思《モ》ひ染めたれば
 
2430 此川に水の泡を逆捲いて、流れて逝く水が飜るやうに、語をば飜しはすまい。自分はお前に、深く思ひついて居るんだから。
 
2431 賀茂川の後瀬《ノチセ》靜けく、後も會はむ。妹には我よ。今ならずとも
 
2431 賀茂川の下の瀬が靜かなやうに、人目のうるさい今は避けておくが、將來會ふことにしようと思ふ。今會はないでも、いとしい人には、自分ときまつて居る。
 
2432 日に出でゝ言はゞゆゝしみ、山川の激《タギ》つ心を堰《セ》き敢《ア》へてけり
 
2432 口に出して言うたら慰まらうが、言ふのは、憚りがあるので、山の川のやうに、激して興奮してゐる心をば、堰き止めて、もちこたへて居ることだ。
 
2433 水の上に敷かく如き我が命、妹に會はむと、うけひつるかも
 
2433 水の上に文字を書くやうな、はかない自分の命をば、神に盟ひを立てゝ、戀しい人に會はうとて、神に祈りをして居ることだ。
 
2434 荒磯《アリソ》越え、外《ホカ》行く浪の外心《ホカゴヽロ》、我は思はじ。戀ひて死ぬとも
 
2434 岩演を越えて、遠く外海に出て行く浪ではないが、外の方へ向いた心を、私は持ちますまい。たとひ焦れて死んでも。
 
2435 近江(ノ)海。沖つ白波知らねども、妹|許《ガリ》とはゞ、直《タヾ》に越え來む
 
2435 いとしい人の家はよく訣らないが、此道を行けば好いと聞いたので、やたらに、眞一文字に越えて來たことだ。
 
2436 大舟の香取の海に碇下し、如何なる人か物思はざらむ
 
2436 戀ひをして、物思ひをするのを、人は笑ふが、香取の海に碇をおろすのではないが、一體如何なる人が、物を思はないで居るんだらうか。戀してゐて。
 
2437 沖つ藻を隱さふ波の五百重波、千重しく/\に、戀ひ渡るかも
 
2437 沖の方の海底に生えて居る藻を隱す波のやうに、幾重にも幾重にも、繰り返し/\、焦れて居ることだ。
 
2438 人言は暫《シマ》しぞ。吾妹。綱手引く海より益《マ》して、深くし思へば
 
2438 人の噂は七十五日だ。いとしい人よ、そんなことに貪著せずに、棹の長さが足りないで、引き舟する海よりも、もつと深く、思ひこんでをれば好からう。
 
2439 近江(ノ)海。沖津島山おくまへて、吾が思ふ妹が言の繁けく
 
2439 近江の湖水にある沖津島ではないが、心の奥かけて、深く自分の思ひこんで居る、いとしい人についての自分の評判が、うるさい程立つたことだ。
 
2440 近江(ノ)海。沖漕ぐ舟に碇下し、隱るる君が言《コト》待つ。我ぞ
 
2440 近江の湖水の、沖の方を漕ぐ舟が、碇を下して、風隱れをして居るやうに、評判を恐れて、姿を見せないあなたのお便りを、私は待つて居ます。
 
2441 隱《コモ》り沼《ヌ》の下ゆ戀ふれば、術《スベ》をなみ、妹がな告《ノ》りそ。忌むべきものを
 
2441 心の底で焦れて居るのが、遣瀬ないと言うて、いとしい人よ。私の名を言ふことをはするな。それは、慎まねばならぬことだ。
 
2442 大土《オホツチ》も採れば盡くれど、世の中に盡きせぬものは、戀ひにしありけり
 
2442 此大地の土も、段々採つて行けば、終にはなくなるが、幾らしてもなくならないのは、此戀ひといふ感情である。
 
2443 隱《コモ》り所《ド》の澤の泉の、岩根ゆも通して思ふ。我が戀ふらくは
 
2443 籠つた所の澤に、湧き出す泉のやうに、岩をもつき通す位に、自分は思うて居ることだ。此焦れ心は。
 
2444 白檀《シラマユミ》磯邊の山の常磐《トキハ》なる、命なれやも。戀ひつゝをらむ
 
2444 岩濱のいつ迄も變らぬ、石のやうな命でありたいものだ。さうして何時迄も、戀ひ續けてをらう。
 
2445 近江(ノ)海。沈透《シヅ》く白玉知らずして、戀ひつるよりは、今ぞまされる
 
2445 近江の湖水に、沈んで透いて見える白玉ではないが、知らないで、見ぬ戀ひに憧憬れて居た時分とくらべて見ると、會うた今の方が、ひどくなつてゐる。
 
2446 白玉を纏《マ》きてぞ持たる。今よりは、我が玉にせむ。知れる時だに
 
2446 自分は、白玉を手に卷きつけて持つてゐる。此からは、其玉を自分の物にしよう。そのやうに、せめていとしい人と、初めて顔を見あうた時でも、すぐ。
 
2447 白玉を手に纏《マ》きしより、忘れじと思ひしことは、いつかやむべき
 
2447 白玉は、手に卷きつけることが出來たからというて(妻にしたからというて)、その後は、前々から忘れまい、と思うてをつた人をば、忘れて了ふやうなことがあらうか。
 
2448 白玉の間|開《ア》けつゝ貫《ヌ》ける緒も、括《クヽ》り寄すれば、後あふものか
 
2448 間隔をおいて緒に貫いてある白玉も、括り寄せて見れば、ぴつたりと一つに會ふやうに、自分と戀ひ人も、離れてをつても、後には會ふことが出來ることだ。
 
2449 香具山に雲居たな引き、おぼゝしくあひ見し子らを。後戀ひむかも
 
2449 香具山に、雲が長くかゝつて居る樣に、漠然ととりとめずに、遇うたいとしい人であるのに。何時迄も焦れてることだらう。
 
2450 雲間よりさ渡る月の、おぼゝしくあひ見し子らを、見むよしもがも
 
2450 雲の間を通つて行く月のやうに、ぼんやりと、とりとめなく出會うた、いとしい人に、會ふ手段があれば好いが。
 
2451 天雲の寄合《ヨリア》ひ遠み、逢はずとも、あだし手枕、我《ア》は枕《マ》かめやも
 
2451 君と私とは、空の雲が一つに歸する、遠い地の果てに、距《ハナ》れて遠くをる爲に、會はないでをつても、他の人の手枕を枕としようか。
 
2452 雲だにもしるくし立たば、慰めに見つゝしをらむ。直接《夕ヾ》に會ふまで
 
2452 遙かに離れて居ても、せめて雲だけでも、はつきりと立つて居るのが見えたら、それを心宥めの種にして、あの邊に、お前がをるのだと眺めて居よう。直接に出會ふ迄。(此歌と前の歌とは、問答歌である。)
 
2453 青柳葛城山に立つ雲の、立ちても坐《ヰ》ても、妹をしぞ思ふ
 
2453 葛城山に立つて居る雲ではないが、何かにつけて、いとしい人のことが思ひ出される。
 
2454 春日山雲居隱りて、遠けども、家は思はず。君をしぞ思ふ
 
2454 私は、遠くやつて來た。春日山は雲に隱れて了うて居る程遠いが、家のことは考へずに、たゞ、あなたのこと許り考へてゐる。
 
2455 我故に言はれし妹は、高山の峯の朝霧、過ぎにけむかも
 
2455 自分の爲に、彼是と評判せられたいとしい人は、高い山の、峯の朝霧のやうに、なくなつて了うたことだらう。
 
2456 ぬば玉の黒髪山の山草に、小雨《コサメ》降り頻《シ》き、しく/\思ほゆ
 
2456 黒髪山の山の上の草に、雨が降りしきるやうに、後から後から間斷《しきり》なしに、いとしい人のことが思はれる。
 
2457 大野らに小雨降り頻《シ》き、木の下《モト》によりより寄り來《コ》。我が思ふ人
 
2457 廣い野原に雨が降り通しに降る爲に、木の陰に人が寄るやうに、より/\(折り/\)は、私の所へ立ち寄つて下さい。私の思うてゐる人よ。
 
2458 朝霜の消《ケ》なば消ぬべく思ひつゝ、いかで、此夜を明しなむかも
 
2458 朝霜のやうに消え入りさうに思ひ乍ら、どうして今晩は、明すことが出來ようか。
 
2459 吾が夫子が濱行く風の彌速に、早|言《コト》なさば、彌《イヤ》逢はざらむ
 
2459 濱邊を吹いて通る風の、非常に速いやうに、そんなに周章《アワ》てゝ、あなたが、私との間の關係をつけよう、となさつたら、一層會へなくなりませう。
 
2460 遠妻のふりさけ見つゝ偲ぶらむ、此月の面《オモ》に、雲な棚引き
 
2460 遠方に居るいとしい人が、ずつと遙かに見やつて、自分のことを思うて居るだらう、と思はれる此月の面に、雲よ、かゝるな。
 
2461 山の端《ハ》にさし出づる月のはつ/\に、妹をぞ見つる。後戀ひむかも
 
2461 山の上にさし上つて來る月ではないが、極、僅か許り、いとしい人を見たことだ。此から後、定めて焦れることだらう。
 
2462 吾妹子し吾を思はゞ、まそ鏡照り出づる月の、影に見え來ね
 
2462 いとしい人が、私を思うてゐてくれるならば、照つて出て來る月の樣に、幻にでも、會ひに來てくれゝば好いが、其容子も見えぬ。
 
2463 久方の天照る月の隱れ行く、何に準《ナゾ》へて、妹を偲ばむ
 
2463 空に照つて居る月に準へて、いとしい人を思ひ浮べて居たのであるが、其月さへも隱れて了うた。何を戀しい人に擬して、心を慰めませうか。
 
2464 三日月の爽《サヤ》かに見えず、雲|隱《ガク》り見まくぞ欲しき。うたて、此頃
 
2464 三日月の樣に、はつきりとも顔を見ることも出來ないで、其が雲に隱れたやうに、見たくてならんことだ。嫌なことだ。幾日以來。
 
2465 我が夫子《セコ》に我が戀ひをれば、我が宿の草さへ、思ひうら枯れにけり
 
2465 戀しいお方に、自分が焦れて居ると、ちようど秋の頃で、自分の屋敷の草迄が、主人の思ひ患うてゐるのに倣うて、疲れて了うたことだ。(佳作。)
 
2466 淺茅原《アサヂフ》の小野に標《シメ》さす空言《ムナゴト》を。如何なる日にか、君をし待たむ
 
2466 茅花《ツバナ》の生えた荒れ果てた野に、標を引いて自分のものとした所で、何もないのだ。そのやうにあなたの言も、根も葉もない、出たらめの御語なのだ。何時になつたら、ほんとうにあなたをば、お待ち受けすることが出來ませうか。
 
    *
 
2467 道の邊《ベ》の、草深百合の、後《ユリ》とへば、妹が命を吾《ア》は知らめやも
 
2467 道|傍《バタ》の生え茂つた草の中に、咲いて居る百合の花ではないが、ゆり即、將來逢ふことにしようと言うて入らつしやるが、それ迄、お前の命がもつだらうか。恐らく生きて入らつしやる中に、逢ふといふ時機があるとは、私は考へられません。
 
    *
 
2468 水門《ミナト》にまじれる草の、藺草《シリクサ》の人皆知りぬ。我が下思ひ
 
2468 川口の草中に雜つて生えて居る藺《シリ》草ではないが、世間の人が皆、もう知つて了うたことだ。自分の心の底で、思うて居ることを。
 
2469 山ちさの白露重み、うらぶるゝ心を深み、我が戀ひやまず
 
2469 山ちさの花にかゝつて居る露の重さに、萎れて、しよんぼりして居るやうに、自分の心の底迄も、悲しい心が滿ち渡つて、焦れる心が、とまらないことだ。
 
2470 水門にさ根這ふ小菅、忍ばずて、君に戀ひつゝ、ありかてぬかも
 
2470 川口に根を張つてる菅が、土の下迄這入りこんで居るやうに、自分も心の底に隱してることが出來ないで、いとしい人に焦れて、生きて居られさうにも思はれないことだ。
 
2471 山城の泉の小|菅《スゲ》、おしなみに、妹が心は、我が思はなくに
 
2471 私を思うてくれる、いとしいお前の心持ちは、並み一通りには、思うてゐない。
 
2472 うち渡す神籬《ミモロ》の山の岩菅《イハホスゲ》。ねもごろ、我は片思ひぞする
 
2472 遠くに見える神籬山の岩に、生えた麥門冬ではないが、懃即、くよ/\と自分は、片恩ひをして居ることだ。
 
2473 菅の根の懇ろ君が結びたる、我が紐の緒を解く人はあらじ
 
2473 管の根ではないが、しんみりとあなたが結んで下さつた、私の下裳の紐は、あなたの外に、誰も解く人がありますまい。誰にも、許すことではありません。
 
2474 山菅の亂り戀ひのみせしめつゝ、逢はぬ妹かも。年は經《へ》につゝ
 
2474 自分に、こんなに心をかき亂すやうな、戀ひ許りをさせて置いて、逢うてくれない人であるよ。長い間、立ち/\して。
 
2475 我が宿の軒に羊齒《シダ》草生ふれども、戀ひ萱《ワスレ》草、見れど、まだ生ひず
 
2475 自分の屋敷の軒には、羊齒が生えて居るけれども、戀ひを忘れるといふ萱草は、幾ら見ても、生えて居ない。
 
2476 内田《ウツタ》にも稗は許多《アマt》にありと云へど、選《エ》らえし我ぞ、夜獨り寢る
 
2476 村の中の田には、稗が澤山植わつて居るが、其中で、拔き捨てられた稗のやうに、いとしい人の心にかなはなかつた自分が、晩に獨り寢ることだ。
 
2477 足引きの名に負ふ山菅おし伏せて、君し結ばゞ、會はざらめやも
 
2477 此山の麥門冬は、評判通りの立派なものだ。それを伏せて結んでおくやうに、あの方が私を、自分の物とおきめになつたならば、逢はずに居ませうか。
 
2478 秋|柏《カシハ》潤和《ウルワ》川邊の小竹叢《シヌノメ》の、人には逢はぬ君にたへなく
 
2478 潤和川の川べりに生えて居る、篠竹ではないが、さつぱりと會うてくれない、人のことを思うて居ると、たまらない。
 
2479 さね蔓《カヅラ》後も逢はむと、夢にのみ誓《ウケ》ひ渡りて、年は經にけり
 
2479 今は會へないでも、將來必逢ひたいものだ、と思ひながら、せめて夢だけでは會はせて下さい、と神に祈り續けて、年月はたつたことだ。
 
2480 道の邊の※[木+諸]《イチシ》の花の、いちじろく、人皆知りぬ。我が戀ひ妻は
 
2480 道傍に咲く、※[木+諸]の花ではないが、著く目立つて、私の焦れて居る戀ひ人を、人が悟つたことだ。
 
2481 大野らのたづきも知らに、標《シメ》結《ユ》ひてありかてましゞ。我が戀ふらくは
 
2481 大きい野原の、方角もつかねやうな廣い所に、標をつけてゐるやうな、取りとめのない思ひに、焦れて居る私の戀ひを思へば、堪へられないことだ。
 
2482 水底《ミナソコ》に生ふる玉藻の、うち靡き心を寄せて戀ふる。此頃
 
2482 水の底に生えて居る藻ではないが、そちらの方へ心が向いて、片寄つて、幾月以來焦れて居ることだ。
 
2483 敷栲の衣手かれて、玉藻なす靡きか寢《ヌ》らむ。吾《ワ》を待ちかねて
 
2483 自分と袂を分つて別れてから、いとしい人は、自分を待ちかねて、玉藻の樣に、なよ/\として、寢て居ることだらう。
 
2484 君來ずば、かたみにせむと、我が二人植ゑし松の木。君を待ち出でね
 
2484 若しあのお方が、歸つて來られぬやうになつたら、身代りに眺めてをらうと思ひ乍ら、あの方と二人で、自分が植ゑた松の木よ。名も松といふからは、戀しい方を待ち屆けて呼び出してくれ。
 
2485 袖振るが見ゆべき限り、我はあれど、その松が枝に隱りたりけり
 
2485 私があなたを呼んで振つて居る袖が、見えるだけの所にをりますのですが、その松の木が、邪魔をして枝に隱れて、見えないのでせう。(此は、前の歌と、問答歌である。)
 
2486 茅渟《チヌノ》海の濱邊の小松、根深めて、我が戀ひ渡る。人の子故に
 
2486 茅渟の海の海岸に、生えて居る小松ではないが、根深く心の奥から、私は焦れ續けて居るその人も、思へば他人であるのに、その人の爲に。
 
2487 奈良山の小松の末《ウレ》の、うれむぞは、我が思ふ妹にあはずやみなむ
 
2487 奈良山に生えて居る、小松のうれ(即、梢)ではないが、うれむぞ(どうして)、心に思うて居るいとしい人に、會はないで思ひとまらうか。
 
2488 石《イソ》の上《ウヘ》にもとほる※[木+聖]《ムロ》の、心いたく、何に深めて思ひそめけむ
 
2488 石の上に、ぐる/”\と根を這はしてゐる、※[木+聖]の木ではないが、こんなに迄、深く心を痛めて、考へにしみついて居ることだらうか。
 
2489 橘の下《モト》に我立ち、下《シヅ》枝とり、なりぬや。君と、問ひし子等はも
 
2489 橘の木の下に自分は立つて、下枝をとつて、手に持ちながら、さあ、此枝に實がなつて居るやうに、お前さんと私との間柄も、なり立つでせうか、と問ひかけて見たいとしい人は、どうして居ることだらう。
 
2490 天《アマ》雲に羽うちつけて飛ぶ鶴《タヅ》の、たづたづしかも。君しまさねば
 
2490 雲に密接して、羽をうち乍ら飛ぶ鶴ではないが、(たづ/”\しく)いとしいことだ。あなたがお越し下さらないので。
 
2491 妹に戀ひ、いねぬ朝明《アサケ》に、鴛鴦《ヲシ》鳥の此《コ》從《ユ》飛び渡る。妹が使ひか
 
2491 いとしい人に焦れて、眠られなかつた明け方に、鴛鴦が、自分の家の邊をば、ずつと飛んで行く。これは、いとしい人の使ひであらうか。
 
2492 思ふにし餘りにしかば、鳰《ニホ》鳥の足《ア》濡し來しを、人見けむかも
 
2492 自分の心に思ひ餘つて、辛抱し切れなくなつたので、鳰のやうに、足を濡して、川を渡つて來たのであるが、人が見つけたゞらうか。
 
2493 高山の峯行く鹿《シヽ》の友多み、袖振らず來ぬ。忘ると思ふな
 
2493 あの時、あなたが入らつしやつたのは知つて居ますが、高い山の峯を通つて行く鹿が、伴を澤山つれて居るやうに、伴《ツレ》が多かつたので、見咎められてはと思うて、合圖の袖振ることもしないで、やつて參りました。決して、忘れて居るとは思うて下さるな。
 
    *
 
2494 大舟に眞※[楫+戈]|繁貫《シヾヌ》き漕ぐ程に、甚《コヽダ》戀しも。年にあらば、如何に
 
2494 海路の族へ出るとて、大きな舟に櫂を澤山插して漕いで行く中にも、非常に戀しくて爲方がない。此が若しも、一年逢へなかつたらどうしよう。
 
2495 垂乳根の母が養《カ》ふ蠶《コ》の繭籠《マユゴモ》り、隱《コモ》れる妹を見むよしもがも
 
2495 お母さんが餌をやつて、育てゝ入らつしやる蠶が、繭の中に籠つて居るやうに、家に籠つて、少しも顔を見せないいとしい人を、見る手段もないか知らん。(序歌の母が、單に蠶許りに留らず、自然に、母の懷子である、といふ心地を表して居るのが、面白い。佳作。)
 
    *
 
2496 肥人《クマビト》の額髪《ヌカヾミ》結へる染木綿《シメユフ》の、染《シ》めし心は、我忘れめや
 
2496 肥の國にをる土人の、額の髪を結んで居る、染めた布《キレ》ではないが、深く浸みこんだ心持ちをば、私が落しはしようか。
 
2497 隼人《ハヤヒト》の名に負ふ夜聲、いちじろく、君が名告《ノ》らせ。夫《ツマ》と頼まむ
 
2497 薩摩隼人の評判通りの、御所の御門で、夜犬吠えの聲を出して、宮中を警戒して居る、そのやうに、はつきりと、あなたの名を仰つしやい。さすれば、私の夫と信頼しよう。
 
2498 劔大刀|兩刃《モロハ》の鋭《ト》きに、足蹈みて、死にも死になむ。君によりては
 
2498 刀の兩刀のついた、鋭い刀の上を蹈んで、死ぬことも厭はずにしよう。戀しい人の言ひつけならば。
 
2499 吾妹子に戀ひし渡れば、劔大刀名の惜しけくも、思ほえぬかも
 
2499 いとしい人に焦れ續けて居るので、自分の評判がどうならうと、名譽を惜しうも思はないことだ。
 
2500 朝鏡向ふ黄楊櫛《ツゲグシ》古りぬれど、何しか、君が見るに、飽かざらむ
 
2500 二人かういふ關係になつてから、古くなつて居るが、其にどうして、あの方は幾ら見ても、見飽きがしないのだらう。
 
2501 里遠み、うらぶれにけり。まそ鏡床の邊さらず、夢に見えこそ
 
2501 いとしい人の住んで居る里の遠さに、逢はれないで、自分は、しょんぼりと衰へて居る。どうぞ夢にでも、寢床の邊に始終會ひに來てくれ。
 
2502 まそ鏡手にとり持ちて、朝な/\見れども、君は飽くこともなし
 
2502 鏡を手にとり上げて見る樣に、毎朝、あの方を見て居乍ら、十分だと滿足して、見たことがない。
 
2503 夕されば、床の邊さらぬ黄楊《ツゲ》枕、何しか、汝《ナレ》が主《ヌシ》待ち難き
 
2503 日の暮れになると、寢床の邊を離れないで、並べて置く黄楊の枕よ。どうして、お前を枕としなさるお前の主なるあの人を、待ちをふせることが出來ないのであらう。
 
2504 解《ト》き衣《ギヌ》の戀ひ亂りつゝ、浮き草のうきても、我は戀ひ渡るかも
 
2504 ほどいた著物のやうに、心亂れて焦れつゝ、その上、心は定らず動搖し乍ら、自分は、焦れ續けて居る。
 
2505 梓弓引きて緩《ユル》さず、あらませば、かかる戀ひには遇はざらましを
 
2505 梓弓を引くやうに、心を引き締めて緩めないで居たら、人を思ふといふやうなこともなく、こんな戀ひに、出くはす氣遣ひもなかつたのだ。油斷して居たから、こんなことになつたのだ。
 
2506 言靈《コトダマ》の八十《ヤソ》の衢《チマタ》に夕|占《ケ》とふ。占、まさに告《ノ》れ。妹に逢はむよし
 
2506 四通八達の辻に出て、行人の詞に潜んだ、不思議な力をば、夕占によつて、自分は問はうと思ふ。どうぞ、占ひが實際通り、どうか託宣を下して下さい。いとしい人に會へるということを。(あへるかあへないか、判斷する占ひを、更にあへるやうに、告げてくれというたのが、眞情だ。)
 
   *
 
2507 玉桙の道行き占《ウラ》に占《ウラナ》へば、妹に會はむと、我に告《ノ》りつる
 
2507 往來の人の言で、占ふ辻占によつて、占うて見た所が、いとしい人に會へよう、と私にお告げがあつた。
 
    ○間答
 
2508 皇祖《スメロギ》の神の御門を畏みと、侍《サモラ》ふ時に逢へる君かも
 
2508 御先祖代々の神樣をお祀りしてある、宮の畏れ多さに慎んで、お附き添ひ申してゐた時に、出會うて契り交した、お方であることよ。(此は、齋宮或は、賢所などに仕へて居られる、高貴の女性の歌と思はれる。)
 
2509 まそ鏡見ともいはめや。玉かぎる岩垣淵の隱《コモ》りたる妹(右二首)
 
2509 その宮にお祀りしてある、眞澄の鏡ではないが、どんなことがあつても、會うたことがあると言はうか。心中に深くこめて、思うてゐるいとしい人を。
 
2510 赤駒の足掻《アガキ》速けば、雲居にも隱れ行かむぞ。袖振れ。吾妹
 
2510 自分の乘つて居る赤駒の足どりが速いから、今の間に、遙かに遠く見えない空と、地の果て迄も隱れて行くであらう。袖を振つて居てくれ。いとしい人よ。
 
2511 隱國《コモリク》の豐|泊瀬路《ハツセヂ》は、常滑《トコナメ》のかしこき路ぞ。戀ふらくは、ゆめ
 
2511 泊瀬へ通ふ道は、何時もすべ/”\した危い道であります。焦れて會ふ爲に、此道を來るといふことは、決してなさいますな。
 
2512 美酒《ウマザケ》の神籬《ミモロ》の山に立つ月の、見が欲《ホ》し君が馬の、足音《アト》ぞする(右三首)
 
2512 神籬山に出る月のやうに、見たく思ふ御方の、馬の足音が聞えて來る。
 
    ○
 
2513 鳴神《ナルカミ》の光りとよみてさし曇り、雨さへ降れや。君は留らむ
 
2513 雷が光つて、邊《アタリ》を動すやうな響きがして、雨迄が降つてくれたら好い。さうすれば、いとしいお方は、おとまり下さらう。
 
2514 鳴神の光りとよみて降らずとも、我は止らむ。妹し止めてば(右二首)
 
2514 そんなに雷が、騷しく鳴つたり、光つたりせなくても、いとしいお前が、止めてくれさへすれば、止《トマ》らうに。
 
    ○
 
2515 敷栲《シキタヘ》の枕とよみて、夜をも寢ず思ふ人には、後も會ふもの
 
2515 夜も寢入らずにゐる此枕が、こんなに音がするのは、焦れて居る人に、將來會へる證據だ。
 
2516 敷妙の枕は、人に言《コト》とへや、その枕には苔|生《ム》しにたり(右二首)
 
2516 お前の方の枕は、お前にものを言ひかけたかも知れません。其枕は古い枕で、苔が生えてゐる位だから。(女が枕に寄せて、怨み言を述べたに對して、男は、只枕のことを噂するやうに詠んだのである。)
 
  右、百四十九首、人麻呂集に見えて居る。
 
  □正《マサ》しく心緒を述べた歌
 
2517 垂乳根《タラチネ》の母に障《サハ》らは、徒らに、汝《イマシ》も、我も、事《コト》なすべしや
 
2517 お母さんに邪魔をせられたならば、二人の間も、無駄なものとなつて了うて、お前さんと私の間のことも、續けて行くことは出來まい。
 
2518 吾妹子が我を送ると、白栲の袖|漬《ヒ》づ迄に泣きし、思ほゆ
 
2518 いとしい人が、自分を送り出すとて、白栲の衣の袖が、ぼとぼとになる程、泣いたことが思はれる。
 
2519 奥山の眞木の板戸を押し開き、しゑや、出で來《コ》ね。後《ノチ》は何せむ
 
2519 奥山の檜の板で拵へた戸を、押し開いて出て來て、開けて下さい。あゝ今、門に私が來て待つてゐる、この好い時を外《ハヅ》しては、後になつて、役に立たんではありませんか。
 
2520 苅り薦《コモ》の一重を敷きてさ寢《ヌ》れども、君とし寢《ヌ》れば、寒けくもなし
 
2520 只一重の蓆を敷いて、寢ては居るのだが、いとしい方と寢てゐるから、冷《ツメタ》いとも思はない。
 
2521 杜若《カキツバタ》匂へる君を、いさゝめに思ひ出でつゝ、嘆きつるかも
 
2521 美しいお方を、どうかすれば、一寸した間にも、不圖思ひ出して、溜め息つくことである。
 
2522 怨みむと思ひて、夫《セ》なはありしかば、外《ヨソ》にのみ見し。心は思《モ》へど
 
2522 今度會うたら怨みを言はうと、いとしい方をば、恨んで思うて居たので、心には、戀しく思ひながら、會うた時には、知らぬ顔に見過したことだ。
 
2523 さにづらふ色には出でず、尠くも、心の中に我が思はなくに
 
2523 竝みや大抵には、心の中に思うて居るのではありませんが、顔色には表さないのです。
 
2524 我が夫子に直接《タゞ》に會はゞこそ、名は立ため。言の通ふに、なぞ、そこ故《ユヱ》に
 
2524 いとしい方に、直接に出會うたなら、名が立つのも、評判になるのも、當り前だ。併し、音信を通はすことに依つて、評判が立たうとは思はなかつたが、何故そんなことの爲に、評判が立つたのであらうか。
 
2525 懇ろに片思ひすれか、此頃の我が心どの、生けりともなき
 
2525 しみ/”\と物思ひをする爲か、今日此頃の自分の心持ちが、生きて居るやうにも思はれない。
 
2526 待つらむに至らば、妹が嬉しみと、笑まむ姿を行きて早見む
 
2526 待つて居るだらう頃に、向うへ行き著いたら、いとしい人は、嬉しいことだと嫣乎《ニツコリ》するだらう。その姿を出掛けて行つて、早く見たいものだ。
 
2527 誰《タレ》ぞ、この我が宿に來呼ぶ。たらちねの母にころばえ、物|思《モ》ふ我を
 
2527 自分の屋敷の表へ來て、我が名を呼ぶ人がある。それは誰方か。(此は、その男を知り乍ら、故意《ワザ》とさう言うたのである。)母さんに誰々と逢うてはいけない、と叱られて物思ひをして居るわたしを、呼び立てに來るのは、誰樣《ドナタ》です。
 
2528 さ寢《ネ》ぬ夜は、千夜もありとも、吾が夫子《セコ》が思ひ悔ゆべき心は持たじ
 
2528 一つに寢ない晩は、幾晩と重つても、あなたが殘念がられるやうな、薄情な心は起しますものか。安心して下さい。
 
2529 家人は道もしみゝに通へども、我が待つ妹の使ひ來ぬかも
 
2529 家にをる人達の道をば、しげ/”\と、數々往來して居るけれども、それはどうでも好い。自分の待つてゐるいとしい人の使ひが、早く來れば好いが。
 
2530 ※[鹿が三つ]玉《アラタマ》の岐部《キベ》が竹垣《タカヾキ》、編み間《メ》ゆも、妹し見えなば、我が戀ひめやも
 
2530 ※[鹿が三つ]玉郡の岐部の里の家々の、門に編んだ竹垣の編み目からでも、いとしい人が顔を見せたら、それだけでも滿足して、こんなに焦れはしようか。
 
2531 我が夫子がその名|告《ノ》らじと、たまきはる命は捨てつ。忘れ給ふな
 
2531 あなたの其名前をば、人にはいふまいと思うて、命は捨ててかゝつて居ます。どうぞ、私の心持ちを忘れて下さるな。
 
2532 おほならば誰《タ》が見むとかも、ぬばたまの我が黒髪を靡けて居《ヲ》らむ
 
2532 竝み大抵な思ひなら、誰が見てくれる、といふ心積りで、此髪を解いて、ばら/”\にしてをりませうか。あなたに見せたい許りであります。
 
2533 面《オモ》忘れ、如何なる人のするものぞ。我はしかねつ。續《ツ》ぎてし思《モ》へば
 
2533 よく、餘り思ひこんで居ると、ふと顔を忘れるといふが、それは、どんな人がするのであらうか。自分は、續け樣に思うてゐるので、面忘れすることもない。
 
2534 あひ思はぬ人の故にか、あらたまの年の緒長く、我が戀ひ居《ヲ》らむ
 
2534 思ひ合うても居ない、片思ひの戀ひ人であるのに、その人の爲に、年來長く、自分が焦れて居らねばならんのか。
 
2535 おほかたのわざとは思はず、我が故に、人にこちたく言はれしものを
 
2535 お前の心は、並み大抵のことゝは輕くは思はない。自分の爲に、うるさく評判せられた身だから。
 
2536 息の緒に妹をし思へば、年月の行くらむ判別《ワキ》も思ほえぬかも
 
2536 命懸けで、いとしい人を思ひこんで居るので、年月の經つて行く別ちさへも、訣らないことだ。
 
2537 たらちねの母に知らえず、我が持てる心は、よしゑ、君がまに/\
 
2537 お母さんには悟られないで、自分が隱して持つてゐる心は、表れてもかまはない。只あなたのお心任せに、どうでもしませう。
 
2538 獨り寢《ヌ》と、薦《コモ》朽ちめやも。綾蓆緒になる迄に、君をし待たむ
 
2538 獨り寢た所で、疊の心《シン》の薦迄は、腐つて了はないだらうけれど、綾に織つた蓆が、藺がなくなつて、緒許りになつて了ふ迄も、獨り待つてをらねばならんか。
 
2539 あひ見ては千年やいぬる。否諾《イナヲ》かも、我か然《シカ》思ふ。君待ちかてに
 
2539 出會うて一晩居る間は、千年も過ぎ去つて了ふやうな心持ちがするが、さうだらうか。さうではなからう。寶際はさうではなくて、私だけがさう思ふのだらう。いとしい方を待ちかねて居る爲に。
 
2540 振り分けの髪を短み、若草を髪に手擧《タグ》らむ、妹をしぞ思ふ
 
2540 振り分けた髪が短いので、若草をば添へ毛として、取り擧げて居る所の、幼い戀ひ人が思はれる。
 
2541 たもとほり往《ユ》き多武《タム》の里に、妹を置きて、心空なり。土は蹈めども
 
2541 多武の里に、いとしい人を殘して置いて來たので、土を蹈んで歩き乍ら、心は上の空になつて居る。
 
2542 若草の新《ニヒ》手枕を枕《マ》き初めて、夜をや隔てむ。憎くあらなくに
 
2542 初めて共に寢た人の手枕をし始めて、その後可愛いのに、幾晩も會はずにをることが出來ようか。
 
2543 我が戀ひしことも語らひ、なぐさめむ。君が使ひを待ちやかねてむ
 
2543 いとしい方からも、自分に逢ひたいといふ知らせが來るだらう。それよりも先に、自分が焦れて居たことを話して、あの人の心を慰めようか。それとも、あの人の使ひの來るのを待つて居ようか。
 
2544 現《ウツヽ》には逢ふよしもなし。夢にだに間なく見えこそ。戀ひに死ぬべし
 
2544 正氣では會ふ手段がない。せめて夢になりと、會ひに來て下さい。さうでなければ、焦れて死んで了ひませう。
 
2545 誰《タ》そ彼《カレ》と、問はゞ答へむ術をなみ、君が使ひを歸しつるかも
 
2545 あれは誰だ、と人が見咎めて問うたら、答へる手段がないといふので、待ちに待つた使ひが來たのをば、知らない振りをして、歸して了うたことだ。
 
2546 不意《オモハヌ》に至らば、妹が嬉しみと笑まむ眉引《マヨビ》き、思ほゆるかも
 
2546 此から思ひがけなくやつて行つたら、いとしい人が嬉しいことだ、と莞爾《ニコヽヽ》する顔の容子が、思はれることだ。
 
2547 かく許り戀ひむものぞと思はねば、妹が手《タ》もとを枕《マ》かぬ夜もありき
 
2547 こんなに迄會はれないで焦れる、とは思つて居なかつたので、合うて居る時分には、戀しい人の手をさへ、枕として寢ない晩もあつたことだ。
 
2548 かく迄も我は戀ひなむ。玉づさの君が使ひを、待ちやかねてむ
 
2548 こんなに迄、自分は焦れて居ねばならんのか。いとしいお方の使ひを、待ちかねてをらねばならんのか。
 
2549 妹に戀ひ我が泣く涙、敷栲の枕とほりて、袖さへ濡れぬ
 
2549 戀しい人に焦れて、自分の泣いて居る涙が、餘り甚《ヒド》いので、枕さへ濡れ通つて、袖さへも、ぼと/\になつた。
 
2550 立ちて思ひ、坐《ヰ》てもぞ思ふ。紅の赤裳裾曳きいにし姿を
 
2550 何事をするにつけても、思ひ出される。あのいとしい人が、赤い下袴の裾を曳いて、歸つて行つた姿が。
 
2551 思ふにし餘りにしかば、術《スベ》をなみ、出でゝぞ行きし。其門を見に
 
2551 思うて堪《コラ》へて居ることが出來なくて、やる瀬なさに、せめては其門だけでも見よう、と思うて出かけて行つたことだ。
 
2552 心には、千|重《ヘ》にしく/\思へども、使ひをやらむすべの知らなく
 
2552 心には幾重にも/\間斷《シキリ》なしに思うて居るのだが、使ひをやりたいにも、やる手段が訣らないことだ。
 
2553 夢のみに見てすら、甚《コヽダ》戀ふる吾《ワ》は、現に見てば、まして如何にあらむ
 
2553 夢に見て居る許りでも、こんなに甚《ヒド》く焦れて居る自分が、若し正氣で居る間に會うたならば、どんなに焦れるだらう。
 
2554 あひ見れば、面隱《オモカク》さるゝものからに、つぎて見まくの欲しき君かも
 
2554 實際會うて見ると、恥しくて、自然と顔を隱したくなつて來るのに、それに、續け樣に見たい、と思ふ戀しいお方よ。
 
2555 朝戸を遣《ヤ》り早くな開《ア》けそ。あぢさはふ見が欲《ホ》し君が、今宵來ませる
 
2555 夜が明けても、朝戸を早く繰らないやうに、注意してくれ。幾ら見ても見飽かぬ君が、今夜、お出でになつたのだから。
 
2556 玉|簾《ダレ》の小簾《ヲス》の垂簾《タリス》をもちかゝげ、寢《イ》は寢《ナ》さずとも、君は通はせ
 
2556 自分の寢屋にかけた、玉を貫き交へた簾の、垂した簾を持ち上げて這入つて來て、譬ひ寢ることはせなくても、通ふことは是非して下さい。
 
2557 たらちねの母に申さば、君も吾も、會ふとはなしに、年ぞ經ぬべき
 
2557 あなたは、お母さんに話して、二人の間をば明ら樣に承認を得ようと仰つしやるが、若しお母さんに言うて御覧なさい。あなたと私とは、逢ふといふことなしに、何時迄も居なければならんでせう。
 
2558 愛《ウル》はしと思へりけらし。忘るなと、結びし紐の、解くらく思へば
 
2558 人が自分のことを思うて居る時には、下袴の紐が解けるといふが、今紐の解けたのを考へると、今あの人が自分のことを忘れな、というて結んだ紐が解けたのを見ると、きつと自分をいとしいと思うてゐるに違ひない。
 
    *
 
2559 昨日見て今日こそ間《アヒダ》。吾妹子が多《コヽダ》く續ぎて見まく欲しきも
 
2559 昨日出會うて、今日は間日である。どうか、續け樣にあひたいことだ。
 
2560 人もなき古りにし里にある人を、愛《メグ》くや、君が戀ひに死なせむ
 
2560 あの人は、こんなに、人も住まなくなつた寂れた里に、住んで居るのだが、可愛くも自分に焦れる爲に、死にはせられないか知らん。
 
2561 人言の繁き間《マ》洩りて、會へりとも、八重に我が上に言の繁けむ
 
2561 人の噂のうるさいその隙き間を考へて、會うても何れ見つけられて、幾重にも/\自分の上に、評判がうるさくかゝることだらう。
 
2562 坊《サト》人のことあげする妻を、荒垣の外《ヨソ》には我が見む。憎からなくに
 
2562 近邊の人が、彼此と自分に云ひ寄せて、噂をするいとしい人を、單に噂だけとして、知らない顔で通らうか。可愛ゆく思うてゐるのに。
 
2563 人目|守《モ》る君がまに/\我さへに夙《ハヤ》く起きつゝ、裳の裾濡れぬ
 
2563 人の知らない間を窺うて、歸るあの方の通りにして、自分迄が、早く寢間を出て、送り/\して露の爲に、下袴の裾がいつも濡れてることだ。
 
2564 ぬば玉の妹が黒髪。今宵もか、我なき床に靡きて寢《ヌ》らむ
 
2564 いとしい人の眞黒な髪が、今夜自分の居ない獨り寐の寢床に、いとしい人の體が、なよ/\して居るのと、同じやうに、絡み合うて寢ることだらう。
 
2565 花|匂《グハ》し、蘆垣越しに只一目あひ見し子故、千重に嘆きつ
 
2565 蘆垣をしてある家に住んで居る、花のやうに美しい、只一目見たゞけの人であるのに、その爲に、繰り返し/\、ため息をつくことだ。
 
2566 色に出でゝ戀ひば、人見て知りぬべみ、心の中の隱《コモ》り妻はも
 
2566 色に出して焦れたならば、人が知りさうなので、心の中に隱して居る、戀しい人よ。
 
2567 あひ見てば、戀ひ慰むと、人は言へど、見て後にぞも戀ひまさりける
 
2567 會うて見たら、少しは焦れる心が、のんぴりすると人はいふが、會うた後に、自分の方は焦れる心が、激しくなつたのである。
 
2568 大方に吾し思はゞ、かく許りかたき御門《ミカド》を、退《マカ》り出でめやも
 
2568 好い加減に思うて居る位なことなら、こんなに出難い御所の御門を退出して、お前さんに會ひに來ようか。(此は、宮中に宿直して居る人の、作つたものと見える。)
 
2569 思ふらむ其《ソノ》人なれや、ぬば玉の夜毎に、君が夢にし見ゆる
 
2569 此頃毎晩、あの方が夢に會ひに入らつしやる。自分を思つて居る人でありさうもないのに、そして益、自分の心を苦しめられることだ。
 
2570 かくしのみ戀ひば死ぬべみ、たらちねの母にも告げず、止《や》まず通はせ
 
2570 こんな風に許り焦れて居たら、死にさうに思はれるから、どうぞ、お母さんにも告げないで、私の方へ通うて下さい。(此は、男から女に與へたもの。)
 
2571 健男《マスラヲ》は、ともの騷ぎに慰むる心もあらむを。我ぞ苦しき
 
2571 立派な男の方といふものは、仲間の交際の騷しさに紛れて、心の安まる氣分のする時もあらうに、女は、さうは行かぬから、術ないものだ。
 
2572 欺《イツハリ》も似つきてぞする。何時よりか、見ぬ人戀ひに、人の死にせし
 
2572 あなたの仰つしやることは嘘だ。併しその嘘もほんとうらしう言はれる。昔から何時どんな人が、逢はれない人に焦れて死んだ、といふことがありますか。嘘を仰つしやい。(此は、前の歌と、問答歌らしい。)
 
    *
                  *
 
2573 心さへ奉《マダ》せる君に、何しかも、言はぬを言ひしと、我が盗まはむ
 
2573 私は私の心迄も、差し上げて居ますあなたに、どうしてあなたが、言ひもなさらないことを仰つしやつた、と好い加減な、ごまかしを致しませうか。(言はぬを言ひしとは、男が女に約束したのを、後に男が、それは嘘だというたのに對して、あなたは仰つしやつたに違ひありません。どうして、あなたの言を盗むやうなことをしようか、と答へたのである。)
 
2574 面《オモ》忘れだにもえすやと、手《タ》握りて打てどさはらず。戀ひの奴は
 
2574 こんなに思ふのは、此憎い戀ひといふ野郎の爲業だ。せめて懲しめに殴つてやれば、顔だけでも忘れるだらう、と握り拳で殴つても、そんなこと位では妨げられずに、どしどし詰めかけて來ることだ。戀ひといふ野郎は。
 
2575 めづらしき人を見むとぞ、左手の弓取る方の、眉根播きつれ
 
2575 久しく會へなかつた、あの方に會へるか、と思ふ。弓持つ方の手、即左手の方の眉の根が、痒くなつて掻いたから。
 
2576 人間《ヒトマ》洩り、蘆垣越しに吾妹子をあひ見しからに、言ぞ、さね多き
 
2576 人の、心を許して居る間を窺うて、蘆垣を隔てゝいとしい人を見た、と言ふだけだのに、その爲に人の評判が、實際うるさい程、ひどく立つた。
 
2577 今だにも面《メ》な乏しめそ。あひ見ずて戀ひむ年月久しけまくに
 
2577 やつと此頃、屡、會ふことが出來るのだ。せめて今だけでも、稀々にしか、顔を見ることが出來ない、といふ風にはならないやうにありたいものだ。自分が遠くへ行つたら、此後會はないで、焦れて居る月日が、久しくあるであらうのに。
 
    *
 
2578 朝寢髪我は梳《ケヅ》らじ。愛《ウヅク》しき君が手枕觸りてしものを
 
2578 朝寢床から起き出でた儘の髪を、私は何時迄も櫛の目入れずにおかう。あのいとしいお方の手枕が觸つた髪だのに、解いて了うては殘念だ。
 
2579 夙《ト》く行きて、いつしか君をあひ見むと、思ひし心今ぞなぎぬる
 
2579 早く出掛けて行つて、どうか早くあの方に出會うて、顔を見ようと思うて居た心持ちも、かうして會うた今、穩やかに靜まつて來たことだ。
 
2580 面形《オモカタ》の忘るとならば、あぢきなく男じものや、戀ひつゝをらむ
 
2580 あきらめようと思へば、顔の形も忘れて了ふことが出來る位なら、こんなにつまらなく、男たるものが焦れて居ようか。
 
2581 言にいへば耳にた易し。尠くも、心の中に我が思はなくに
 
2581 口に言うて見れば、何でもなく耳に聞えるが、併し心の中では、一寸やそつと、思うて居るのではない。深く思ひこんで居るのだ。
 
2582 あぢきなく、何のしれごと。今更に童《ワラハ》ごとする。老い人にして
 
2582 自分があの人を思うてゐるのが、つまらない馬鹿なことだ。こんなに老人になつて居乍ら、今更改めて、子どものするやうな、戀ひなどをしようか。
 
2583 あひ見ては、幾何《イクバク》にしもあらなくに、年月の如、思ほゆるかも
 
2583 お會ひ申さなくなつてから、まだどれ程にもならないのに、もう歳月が、長く立つたやうに思はれる。
 
2584 健男《マスラヲ》と思へる我を、かく許り戀せしむるは、辛《カラ》くはありけり
 
2584 立派な男だと思うて居る自分を、こんなに迄焦れさゝうといふのは、むごい爲方だこと。
 
2585 斯くしつゝ、我が待つ效《シルシ》あらぬかも。世の人皆の常ならなくに
 
2585 かうして辛抱して、待つて居るかひがあつてくれゝば好いが、世間の人凡てが、始終變らずにをる、といふ訣でないから、あの人の心も、變りはすまいか。
 
2586 人言の繁けき君に、玉|梓《ヅサ》の使ひはやらず。忘ると思ふな
 
2586 人の評判が、かれこれとうるさいあなたの所へ、又使ひをやれば、評判になると思うて、やらずにをるのです。忘れて居ると思うて下さるな。
 
2587 大原の古りにし里に、妹をおきて、我はい眠《ネ》かねつ。夢に見えこそ
 
2587 寂れ果てた大原の里に、いとしい人を殘して來たので、自分は眠るにも眠られないでゐる。せめて、夢に見えてくれ。(此は、藤原宮に移つて後の歌だ。)
 
2588 夕されば、君來まさむと待ちし夜のなごりぞ。今も寢ねかてにする
 
2588 もう逢はれない、といふことは訣つて居るのだが、それでも、夜は眠ることが出來ない。これは日暮れになると、何時もあの方が、お出でになると待つて居た、その影響で、今でも眠つかれないのだ。
 
2589 あひ思はず君はあるらし。ぬは玉の夢にも見えず。うけひて寢《ヌ》れど
 
2589 私が思ふやうに、あの方は思うて居て下さらないに違ひない。夢になりと見せてくれと祈つて寢ても、夢にさへ會うて下さらない。
 
2590 岩根蹈む夜道は行かじと思へれど、妹によりては、忍《シヌ》びかねつも
 
2590 岩の上を通つて行く夜道を歩いて行くまい、と思ひ乍ら、いとしい人の爲には、辛抱し切れなくなることだ。
 
2591 人言の繁き間《マ》洩ると、會はずあらば、終には子等が面忘れなむ
 
2591 人の評判のうるさい其隙き間を待たう、と會はないでをつたら、その間にとう/\、いとしい人が、自分の顔を忘れて了ふかも知れない。
 
2592 戀ひ死なむ後は何せむ。吾命《ワギノチ》の生ける日にこそ、見まく欲りすれ
 
2592 死んで了うた後では、何の役に立たうか。自分の命が存して居る間にこそ、會ひたく思ふのだ。(遺憾なく單純化が出來て、強烈な熱情が表れてゐる。傑作。)
 
2593 敷栲の枕|動《トヨ》みてい寢《ネ》らえず、物|思《モ》ふ今宵、早も明けぬかも
 
2593 逢はれないで、寢て居るのに、枕は音を立てゝ鳴つて居る。それは、會へるといふ知らせなのである。それで心が迷うて、眠られない。今晩は早う、夜が明ければ好い。
 
2594 行かぬ吾《ワ》を來むとか、夜も門さゝず、あはれ、吾妹子待ちつゝあらむ
 
2594 行くことの出來ない自分を、來るだらうと思うて、可愛やいとしい人は、門も閉《シ》めずに、待つて居るであらう。
 
2595 夢にだになどかも見えぬ。見ゆれども吾かも惑ふ。戀ひの繁きに
 
2595 何故夢にさへ姿を現さないのだらう。それとも、餘り甚く焦れて居る爲に、私の目がちら/\して、その姿が見えないのか知らん。
 
2596 慰もる心はなしに、かくしのみ戀ひや渡らむ。月に日《ヒ》に日《ケ》に
 
2596 靜まつた心持ちも無く、月日を經る毎に、彌《イヨヽヽ》深く、こんなに焦れ續けねばならんのか。
 
2597 如何にして忘るゝものぞ。吾妹子に戀ひはまされど、忘らえなくに
 
2597 どうしたら、忘れられるであらうか。いとしい人に焦れる心は、募つて行くが、忘れるといふことはない。
 
2598 遠かれど君をぞ戀ふる。玉桙の坊《サト》人皆に、吾戀ひめやも
 
2598 戀ひに遠近の區別はない。それで遠いけれども、自分はあの人に焦れて居る。幾ら近くても、近いあたりの、近所の人達のどれにも、自分が焦れようか。
 
2599 效《シルシ》なき戀ひをもするか。夕されば、人の手《マ》枕きて寢なむ子ゆゑに
 
2599 あれは人妻だ。それに自分は、かひのないことに焦れて居る。日暮れになると、他人の手を枕として寢る人であるのに、その人の爲に、焦れて居る。馬鹿なことだ。(情熱を包藏して、曲折のある表現をしてゐる。傑作。)
 
2600 百代しも千代しも生きてあらめやも。我が思ふ妹をおきて嘆かむ
 
2600 人間は、千年も萬年も生きて居る筈はない。それに、自分の焦れて居る人に會ひもしないで、其儘にさし置いて、嘆息《タメイキ》をついて、辛抱して居るべきであらう。
 
2601 現にも、夢にも吾は思《モ》はざりき。古りたる人に茲に會はむとは
 
2601 正氣には固より、夢にさへ思ひがけなんだことだ。今になつて、古く別れたお前さんに、再撚りを戻して、又會ふことにならうとは。
 
2602 黒髪の白髪迄と、結びてし心一つを、今解かめやも
 
2602 黒髪が白くなる迄變るまい、と誓ひをかけた私の此心一つをば、どうして今になつて、反古にしませうか。
 
2603 心をし君に奉《マダ》すと思へれば、よし、此頃は戀ひつゝをあらむ
 
2603 自分の心をば、すつかりいとしい人に差し上げた、と自分は思ひこんで居るのだから、譬ひ逢へないでも、不足には思はないで、會へる時迄、待つてをらう。
 
2604 思ひ出でゝ哭《ネ》には泣くとも、著《イチジロ》く人の知るべく、嘆きすな。ゆめ
 
2604 思ひ出して聲を出して、泣くことは泣いても、目立つて、嘆《タメ》息などは、決してせないやうにしてくれ。
 
2605 玉桙の道行きぶりに、思はぬに、妹をあひ見て戀ふる頃かも
 
2605 道を歩く出會ひがしらに、思ひがけなく、いとしい人に會うて見て、幾日以來焦れて居ることだ。
 
2606 人目多み、常かくのみし候《サモラ》はゞ、何れの時か、我が戀ひざらむ
 
2606 人目が多いので、何時もこんな風に、その隙き間を窺うて待つて居たら、何時になつたら、出會ふことが出來て、焦れないやうになるんだらう。
 
2607 敷栲の衣手|離《カ》れて、吾《ア》を待つとあるらむ子等は、面影に見ゆ
 
2607 此頃は離れて會はないので、自分を待ちに待つとて、いとしい人が焦れてをるだらう。それが幻に見える。
 
2608 妹が袖別れし日より、白栲の衣片敷き、戀ひつゝぞ寢る
 
2608 いとしい人と袖を分つて來た日から、自分の著物を敷いて許り寢て、焦れ通しに、焦れて居ることだ。
 
2609 白栲の袖はまよひぬ。吾妹子が家のあたりを、息《ヤ》まず振りしに
 
2609 白栲で拵へた自分の著物が、此頃は綻《ホツ》れて來た。いとしい人の家の邊へ向けて、始終振つて居た爲に。
 
2610 ぬば玉の我が黒髪を引きぬらし、亂りかへりて、戀ひ渡るかも
 
2610 自分の黒々とした髪を、ぬる/\ともどける儘にしておいたのと同樣に、自分の心が非常に亂れて、焦れ續けて居ることだ。
 
2611 今更に君が枕を枕《マ》き寢めや。我が紐の緒の解けつゝ。もとな
 
2611 今となつては、改めて、あのいとしい方の手枕を枕として、寢ることが出來ようか。出來ないのにきまつて居るのに、自分の下袴の紐が、思ひやりなく解けることだ。
 
2612 白栲の袖觸りてより、吾が夫子に我が戀ふらくは、止む時もなし
 
2612 白妙の著物の袖を觸れ合うてからといふものは、自分のあの人に焦れる心は、息む間もないことだ。
 
2613 夕|占《ケ》にも占《ウラ》にも宣《ノ》れる今宵だに、來まさぬ君を、何時とか待たむ
 
2613 辻占に問うて見ても、今夜會へると出、占ひにもさうお告げがあつた、その今夜さへも、逢ひに來てくれない人を、何時來て下さる、と待つて居ようか。
 
2614 眉根掻き、したいぶかしみ思へるに、古《イニシヘ》人をあひ見つるかも
 
2614 世間でいふやうに、眉根が痒くなつて、人にあふやうな氣持ちがしたので、眉根掻き乍ら、あやふやに心の底で、逢はぬのを思ひ煩うて、心ならず暮して居た所が、果して、昔心ならず別れた人に、會ふことが出來た。嬉しいことだ。(此迄、眉の根が痒くなるので、此は誰に逢ふ兆《キザシ》だらう、と思ひ/\して、長い間待つてゐた、其は、このいとしい人に逢ふことであつたのだ。)
 
  右の歌、異本には、「眉根掻き、誰をか見むと思ひつゝ、け長く戀ひし。妹にあへるかも」とある。
 
2615 敷栲の枕を枕《マ》きて、妹と吾が寢る夜はなくて、年ぞ經にける
 
2615 互ひに枕を交して、いとしい人と寢ることもなくて、もう、歳月が經つたことだ。
 
2616 奥山の眞木の板戸を音|激《ハヤ》み、妹があたりの霜の上に寢ぬ
 
2616 奥山の松で拵へた板戸が、烈しい音を立てるので、遠慮して待つて、いとしい人の家あたりの、霜の降る地上で寢たことだ。
 
2617 足引きの山櫻戸を開けおきて、我が待つ君を、誰かとゞむる
 
2617 あなたはそんなにいはれますが、山櫻の扉を開け放して、待つて居るあなたを、誰が邪魔をしますものですか。(此二首は、問答歌である。)
 
2618 月夜よみ、妹に逢はむと、捷徑《タヾチ》から我は來つれど、夜ぞ更けにける
 
2618 いとしい人に會はう、と餘り月が好いので、近道からやつて來たのだが、夜が更けて了うたことだ。(此は、來ることの遲かつたのを恨んだ、女に與へたもの、と見れば好い。)
 
  □物に寄せて思ひを陳べた歌
 
2619 朝陰に我が身はなりぬ。唐《カラ》衣|襴《スソ》の合はずて、久しくなれば
 
2619 唐衣の裾ではないが、會はないで長くなつた爲に、朝の日に映る影のやうに、しょんぼりと痩せ細つたことだ。
 
2620 解衣《トキヾヌ》の思ひ亂りて、戀ふれども、なぞ誰が爲と、問ふ人もなし
 
2620 解いた著物ではないが、心亂れて思ひ焦れて居るけれど、あなたは何故か、誰の爲に、そんなに焦れて居るんだ、と慰めてくれる人もありません。
 
2621 摺衣《スリゴロモ》著ると夢見つ。現には、何れの人の言か繁けむ
 
2621 あなたが、摺衣《スリゴロモ》を著て逢ひに來て下さつた、と今私が夢に見ました。目が覺めて考へれば、其人と評判がやかましい。誰についてうるさく立つて居るのか、お考へ下さい。(此は男の許へ、起きてはあなたとの評判をせられる。寢るとあなたを夢に見る。併しあなたは、相變らずつれない。その私と、評判を立てられて居るのは、誰だらう、と女の拗ねた言。)
 
    *
            *
 
2622 志珂の海人の鹽燒衣。なるといへど、戀ひとふものは、忘れかねつも
 
2622 志珂の浦の海人の鹽を燒く衣ではないが、もう焦れなれたといふものゝ、忘れられぬ。
 
2623 紅のやしほの衣。朝な/\、なるとはすれど、彌《イヤ》めづらしも
 
2623 紅の色の深い著物ではないが、朝々毎に出會うて、段々慣れて行くと言ふものゝ、何とも思はなくなるか、といふとさうでなく、益あの人が可愛く、目立つて來ることだ。
 
2624 紅の濃《コ》染めの衣。心深く染《シ》みにしかばと、忘れかねつる
 
2624 紅の色濃く染めた著物のやうに、深く心に浸みこんで思うて居る爲に、どうしても、忘れられんことだ。
 
2625 逢はなくに、夕|占《ケ》を問ふと、幣《ヌサ》に置く我が衣手は、又ぞつぐべき
 
2625 あの人は逢ひに來てくれないので、辻占に伺ひを立てるとて、その供へ物として、据ゑ奉る自分の著物は、幾度しても會へないから、又、供へついで行かねはならんか。(此は、男を怨んで贈つた、と見るが好い。)
 
2626 古衣|捨《ウツ》てし人は、秋風の立ち來る時に、物思ふものぞ
 
2626 古い著物を捨てるやうに、あなたがお捨てになつた人間は、秋風の吹き出す時分になると、深く悲しみに沈むことでございます。
 
2627 はね※[草冠/縵]今|爲《ス》る妹がうら若み、笑みゝ、怒りみ、つけし紐解く
 
2627 今初めて媾會するいとしい人が、世馴れないで、或は笑うて見たり、或は怒つて見たりしながら、はては、結んであつた紐を解いて、うちとけることだ。
 
2628 古の倭文上布《シヅハタ》帶を結び垂る、誰とふ人も、君には優《マ》さじ
 
2628 昔の倭文《シヅ》織りの美布の帶を結び垂してゐた、あの何とかいふ美人も、あなたには勝つことは出來ますまい。(此は、山部赤人の歌にある、葛飾の眞間の手古奈を下に思はせたのである。)
 
2629 會はずとも、我は怨みじ。此枕吾と思ひて、枕《マ》きてさ寢ませ
 
2629 譬ひ會ひに來て下さらずとも、お怨み申しますまい。此枕をば私と思うて、枕にしてやすんで入らつしやいませ。
 
2630 結べる紐解きし日遠み、敷栲の吾が木《コ》枕に苔生ひにけり
 
2630 此結んである紐は、それを解いた日が、ずつと古いことになつたので、私の木の枕に、苔が生える程になつて居る。
 
2631 ぬばまの黒髪敷きて、長き夜を手枕の上に、妹待つらむか
 
2631 いとしい人は、眞黒な髪を下に敷いて、此長い夜に、自分の手枕の上に頭を載せて、自分を待つて居るだらうか。
 
2632 まそ鏡|直接《タヾ》にし妹を逢ひ見ずば、吾が戀ひやまじ。年は經ぬとも
 
2632 手紙なんかで、遣り取りして居るのでは駄目だ。直接にいとしい人に逢はなければ、幾ら年月が立つても、やまることではない。
 
2633 まそ鏡手にとり持ちて、朝な/\見る時さへや、戀ひの繁けむ
 
2633 鏡を手に取り上げて、朝毎に見る時でも、こんなに焦れる心が烈しいのは、一體どうしたのだらう。
 
2634 里遠み戀ひ侘びにけり。まそ鏡面影去らず、夢に見え來そ
 
2634 いとしい人の住んで居る里が遠いので、行くにも行かれず、焦れて悲觀許りして居る。せめてはその幻でも、始終夢に現れてくれ。
 
2635 劔大刀身に佩《ハ》き添ふる健男《マスラヲ》や、戀ひとふものを忍びかねてむ
 
2635 刀をば身に添へてつけて居る立派な男が、戀ひといふことを辛抱しかねる筈があらうか。それに怎うしたことであらう。わたしとしたことが。
 
2636 劔大刀|兩刃《モロハ》の上に行き觸りて、殺《シ》せかも死なむ。戀ひつゝあらずは
 
2636 こんなに焦れて居る位ならば、澤山の刀の刃の上を歩いて、刃にあたつて、殺されて死んだ方がましだ。
 
2637 しはぶかひ鼻をぞひつる。劔大刀身に添ふ妹が、思ひけらしも
 
2637 偶然咳ばらひをして、嚔が出て來た。世間で、自分を思ふ人があれば、嚔をするといふが、此は身に引きつけて、大事にして居るいとしい人が、自分のことを思うて居るからだらう。
 
2638 梓弓|陶《スヱ》の原野に鳥狩《トカリ》する、君が弓弦《ユヅル》の絶えむと思へや
 
2638 陶の星の野原で、狩りをなさるあなたの弓の弦ではないが、二人の中を切つて了はう、とは思ひませうか。思ひませぬ。
 
2639 葛城の襲津彦《ソツヒコ》眞弓、荒木にも、寄るとや、君が、我が名|告《ノ》りけむ
 
2639 葛城の襲津彦が弓に拵へた檀の木の、荒木のやうに、自分も君を頼りにして、妻となると思うてか、自分の名を、人に告げなさつたのであらう。
 
2640 梓弓引きみ、弛《ユル》べみ、來ずば來ず、來《コ》ば來るを、など、來ずば來ばとふ
 
2640 あなたのなされ方は、まるで、弓を強く引きしめて見たり、又緩めて見たりするやうで、やつて來たり、やつて來なかつたりなさいます。一層來なければ來ない、來れば來る、とせねばならんのを、何故其樣になさるのですか。來なければどう、來ればどう、ときめれば好いのに、それに。
 
    *
 
2641 時守りの打ち鳴《ナ》す鼓《ツヾミ》、數《ヨ》み見れば、時にはなりぬ。會はなくもあやし
 
2641 時の鼓を打つ、番人が鳴《ナラ》す鼓を數へて見ると、もうあの人の來る、というた刻限になつた。それに、逢ひに來ないのは妙だ。
 
2642 燈の影にかゞよふ、うつそみの妹が笑《ヱマ》ひし、面影に見ゆ
 
2642 火の影で耀くやうに美しい、正身正銘のいとしい人が、莞爾として居た容子が、今幻に目について來る。
 
2643 玉桙の道行き疲れ、稻席《イナムシロ》敷きても、君を見むよしもがも
 
2643 道を歩き疲れて、筵を敷いて休むやうに、と切れることなく續いて、いとしい方を見る方法があるまいか。
 
2644 小|墾《ハリ》田の坂田の橋の崩れなば、桁《ケタ》より行かむ。な戀ひそ。吾妹
 
2644 小墾田の里の坂田の村に懸つて居る橋が、崩れたならば、自分は橋桁を通つて行かうから、心配して焦れることはない。いとしい人よ。
 
2645 宮木引く泉が杣に立つ民の、止む時もなく、戀ひ渡るかも
 
2645 宮殿を造營する木を曳き出す、泉の杣山に出掛けて行つて居る役民が、休む時もなく、急いで動いて居るやうに、自分もちつとの暇《ヒマ》もなく、焦れ續けて居ることだ。
 
2646 住吉の津守|網曳《アビ》きの泛子《ウケ》の緒の、うかれか行かむ。戀ひつゝあらずは
 
2646 こんなに焦れて居る位ならば、住吉の津守の浦の網曳き達の、網について居る泛子の緒ではないが、いつそ家を離れて、任所不定に、漂浪し歩いた方がましだ。
 
2647 横雲の空ゆ引きはへ、遠みこそ、めごと離《カ》るらめ。絡ゆと隔つや
 
2647 成程《ナルホド》横雲が、空にずつと懸つて居る程遠ければこそ、會ふことの間があくのも、尤だけれども、こんなに近くに居て、お出でなさらんのは、自分で切れようと思うて、間をあけなさるのであらう。
 
2648 かにかくに物は思はず、飛騨人の打つ墨繩の、只一筋に
 
2648 あれ此と考へ事をしないで、私は只、あなた一圖に思うて居ます。
 
2649 足引きの山田守る老人《ヲヂ》、置く鹿火《カヒ》の下焦れのみ、我《ワ》は戀ひをらく
 
2649 山の田を番して居る老人が、燃《モヤ》し据ゑて置く、鹿をば脅す火ではないが、内心で焦れて、自分はをることだ。
 
2650 削《ソ》ぎ板もて葺《フ》ける板目のあはざらば、如何にせむとか、我が寢そめけむ
 
2650 あの時は、うつかりいとしい人と共寢をしたが、一體その後、人が會うてくれないやうになつたら、どうしようといふ考へで居たのだらう。考へのないことだつた。
 
2651 難波人蘆火焚く屋の煤《ス》したれど、己《オノ》が妻こそ常《トコ》めづらしき
 
2651 難波人が蘆を燃して、火をたく家ではないが、煤けて古びてはをるが、いつ迄たつても、自分の妻は、目立つて可愛いことだ。
 
2652 妹が髪あげ竹葉野《タカハヌ》の放ち駒、荒びにけらし。逢はなく、思へば
 
2652 竹葉野に放ち飼ひをした馬ではないが、心が荒けて、殺風景になつたのに違ひない。會ひに來てくれないのを考へて見れば。
 
2653 馬の音のとゞともすれば、松陰に出でゝぞ見つる。蓋し君かと
 
2653 馬の足音がどん/”\として來ると、表の松の陰に、何時も出て見ることだ。ひよつとすると、あの方がやつて來られたか、と思うて。
 
2654 君に戀ひ眠《イ》ねぬ朝|明《ケ》に、誰が乘れる馬の足音《アノト》ぞ、我に聞かする
 
2654 いとしい方に焦れて、寢もしないで居た夜の引き明けに、思ひやりなく、誰が乘つて居る馬の足音か知らぬが、自分に聞かせることだ。
 
2655 紅の裾つく川を中に置きて、我や通はむ。待ちにか待たむ
 
2655 徒《カチ》渡りすれば、紅染めの上裳の裾が、つかる位の淺い川をば、中に隔てゝ、別れて居るので、戀しくて爲方がない。私の方から出かけて行かうか、それとも、何時迄も待つて居ようか。
 
    *
 
2656 天飛ぶや輕《カル》の社の齋槻《イハヒツキ》。幾世迄あらむ、隱《コモ》り妻ぞも
 
2656 輕の社にある神木として祀つてある槻の木が、幾年たつたか訣らないが、其樣に、何時迄かうして、隱してをらねばならないことだらうか。自分の内證の戀ひ人は。
 
2657 神南備《カミナビ》にひもろぎ立てゝ齋《イハ》へども、人の心は守《モ》りあへぬかも
 
2657 神を配つてある山に、神を下し奉る場を建てゝ、齋み清めてお祀りして、何卒《ドウゾ》心變りのないやうに、と祈りはするものゝ、人の心といふものは、何時迄も外へ散らないやうに、番は出來ないものだねい。
 
2658 天《アマ》雲の八重雲隱り、鳴《ナ》る神の音にのみやも、聞き渡りなむ
 
2658 いとしい人と會ひもせないでゐて、幾重にも重つた雲の上で、遠く鳴つて居る雷のやうに、音許りを聞いて、實際には逢はないで、續けてをらねばならんか。
 
2659 爭へば神も惡《ニク》ます。よしゑやし、装《ヨソ》ふも君が憎からなくに
 
2659 お前は、あの人と怪しいなどゝ、人が自分に、由ありげな噂を立てる。かのお方は、可愛いと思うて居るのに、知らない顔をして、さうぢやないなどゝ反抗して、知らない振りをすれば、神樣はお憎みになる。どうなりとなれ是々だ、と打ち明けて言はう。實は知らぬ風をしてるのも、あなたが可愛いからです。
 
    *
 
2660  夜竝て君を來ませと、千早振る神の社を祈《ノ》まぬ日はなし
 
2660 こんなに隙き間なく、毎晩いとしいお方を寄《ヨコ》して下さい、と神樣の社に祈らぬ日はない。
 
2661 靈《タマ》ちはふ神も、我をば捨《ウツ》てこそ。しゑや、命の惜しけくもなし
 
2661 靈驗あらたかな神樣も、私をはもう守らないで、うつちやつて下さい。あゝもう、命なんかは惜しくも御座いません。一層死んだ方がましです。
 
2662 吾妹子に又も會はむと、ちはやぶる神の社を祈《ノ》まぬ日はなし
 
2662 いとしい人に、も一度出會ひたいと言うて、一日とて、神の御社にお願ひせん日はない。
 
2663 ちはやぶる神の齋《イ》垣も越えぬべし。今は我が名の惜しけくもなし
 
2663 もうこんなになつた上は、自分の評判位はどうなつても、殘念なとは思はない。どんな人も、行くことを許されない所へも、やつて行かう。人の蹈みこむことを許されて居ない、神樣の齋垣でも、蹈み越えて行かうと思ふ位である。
 
2664 夕月夜|明《アカ》時闇の朝陰に、我が身はなりぬ。汝《ナ》思ひかねて
 
2664 私は、しよんぼりと痩せ細つた體になつて了うたことだ。お前を思うて、辛抱し切れないので。
 
2665 月しあれば、明くらむ判別《ワキ》も知らずして、寢て吾が來しを、人見けむかも
 
2665 夜が明けたけれども、月があつたので、夜が明けて居るかまだ晩か、といふ區別も訣らないで、寢こんで、朝歸つて來たのを、人が見たさうな。それで、こんなに評判が立つた。
 
2666 妹が目を見まく惜しけく、夕闇の木の葉|隱《ゴモ》れる月を待つ如
 
2666 いとしい人の顔が見たいことだ。ちようど夕闇の時分に、木の葉に隱れて居る、月の出るのが待たれるやうに。
 
2667 ま袖|持《モ》ち、床打ち掃《ハラ》ひ、君待つとをりし間に、月傾きぬ
 
2667 袖で寢床を掃除して、あの方をお待ち申すと、寢もしないで起きて居た間に、もう月が傾いて了うた。
 
2668 二上《フタカミ》に隱《カク》らふ月の惜しけども、妹が手本《タモト》をかるゝ。此頃
 
2668 あの二上山に隱れて行つて了ふ月のやうに、殘り惜しいことは惜しいが、評判がうるさゝに、いとしい人の手を離れて、手枕もしない此頃よ。
 
2669 吾が夫《セ》子が振り離《サ》け見つゝ嘆くらむ、清き月夜に、雲な棚引き
 
2669 あのお方が遙かに空を見やり乍ら、自分を思うて、嘆息《タメイキ》をついて入らつしやるだらう。その月に、せめては、雲なりと懸らずに居てくれ。
 
2670 まそ鏡清き月夜の移《ユツ》りいなば、思ひは止まじ。戀ひこそまされ
 
2670 今見て居る此清らかな月が、段々空を廻つて去つて了うなら、月で幾分慰まつて居た焦れる心は、彌深くなりもしようが、思ふ心の止む氣遣ひはなからう。
 
2671 此夜らの有明月夜、ありつゝも君をおきては、待つ人もなし
 
2671 今夜の明け殘つて照る、月の影ではないが、かうして起きてゐ乍ら、待つて居る人というては、あなたの外には、誰があらうか。
 
2672 此山の峰に近しと、我が見つる月の、空なる戀ひもするかも
 
2672 目の前にある、此山の峰近く懸つて居る、と見て居た月が、もう中空に昇つて了うた。それとは別だが、自分の焦れて居る心も、上の空になつて居ることだ。
 
2673 ぬば玉の夜渡る月の移《ユツ》りいなば、更にや、妹に我が戀ひをらむ
 
2673 夜の空を通つて行く此月が、遠くへ運行して行つて了うたら、今よりももつと、いとしい人に焦れて居ることだらう。
 
2674 朽網《クタミ》山。夕居る雲の薄《ウス》れいなば、我は戀ひむな。君が面《メ》を欲り
 
2674 朽網山に、日の暮れに、懸つて居る雲のやうに、段々私との間が、疎々《ウトヽヽ》しう薄くなつて行つたら、私は、あなたのお顔が見たさに、焦れることでせうよ。
 
2675 君が著《ケ》る三笠の山に居る雲の、立てば續がるゝ戀ひもするかも
 
2675 いとしい方が、著て居られるともいふべき、三笠山に立つて居る雲が、立ち上る後から、又次いで立ち上るやうに、後からずん/”\出て來て、どうも出來ない戀ひを、自分はすることだ。
 
2676 久方の天《アマ》飛ぶ雲にありてしが。君と逢ひ見む。落つる日なしに
 
2676 空を飛ぶ雲であれば好いが。毎日落ちもなく出て居るやうに、いとしい方と毎日、落ちもなく逢はう。
 
2677 佐保の内ゆ嵐吹ければ、歸時《カヘサ》には、せむ術《スベ》知らに、嘆く夜ぞ多き
 
2677 佐保の地内を山風が吹いて居るので、いとしい人と別れて歸りしなには、何時も寒くて爲方がないので、困つて嘆息《タメイキ》をつくことが多い。
 
2678 はしきやし吹かぬ風故、玉櫛笥|開《ヒラ》きてさ寢し我ぞ、悔しき
 
2678 吹きもせない風だのに、吹いたかと思うて(即、吹かない風で、戸が明く訣がないのに)、戸が開いたやうに、お出でにもならぬあなたの爲に、二人の中を公開して了うた後で、わたしは、殘念なことであります。
 
2679 窓越しに月おし照りて、足引きのあらし吹く夜は、君をしぞ思ふ
 
2679 窓越しに、月が一杯に照つて、山颪の吹きつける夜は、あなたのこと許り思うてることです。
 
2680 河千鳥棲む澤の邊に立つ霧の、著《イチジロ》けむな、語らひそめてば
 
2680 河千鳥がぢつとして居る、澤の邊《アタリ》に立つ深い霧ではないが、定めて、目に立つことであらうよ。あの人と關係を結んだら。
 
2681 吾が夫《セ》子が使ひを待つと、笠も着ず出でつゝぞ見し。雨の降らくに
 
2681 お歸りになつたあなたの使ひが、今に來るか/\、と表へ出て、雨の降るのに、待つて居たことです。
 
2682 唐衣君にうつけて見まく欲り、戀ひぞ暮しゝ。雨の降る曰を
 
2682 いとしい方の爲に、心も空《カラ》に、馬鹿のやうになつて、此雨の降る日を、焦れ暮して居たことだ。(と夜に這入つて、男に與へた歌。)
 
2683 遠方《ヲチカタ》の赤土《ハニフ》の小屋に、小雨降り床さへ濡れぬ。身に副へ。吾妹
 
2683 掘り立て小屋に寢て居ると、霧雨が降つて來て、寢床迄が濡れて了うた。もつとぴつたりと、自分の體にひつ著いて居なさい。いとしい人よ。
 
2684 笠なしと人には言ひて、雨づゝみ留りし君が、姿し思ほゆ
 
2684 あの日澤山、人があの方も伴れて出かけようとした。所が笠がないから、と他の人には言うて、雨籠りをして、後に殘つて居たあの方の姿が、思ひ出されることだ。
 
2685 妹が門行き過ぎかねつ。久方の雨も降らぬか。そをよしにせむ
 
2685 いとしい人の表を素通りするのは、爲|難《ニク》いことだ。一層雨が降つてくれないだらうか。そしたら、それを理由として立ち寄らうに。
 
2686 夕|占《ケ》とふ我が袖に置く白露を、君に見せむと、とれば消《ケ》につゝ
 
2686 辻占を窺はうと思うて、門に立つて居た爲に、自分の袖に露が置いた。其をばあの方にお見せ申さうと、取り上げて見ると、後から/\消えて行くことだ。
 
2687 櫻|麻《ヲ》の苧生《ヲフ》の下草。露しあれば、明してい行け。母は知るとも
 
2687 あなたのお歸り道の、櫻麻の植ゑ込みの、麻の畑の下生えの草には、まだ露が置いて居るから、著物が濡れませう。夜が明けてから、お歸りなさい。お母さんが見附けても、好いぢやありませんか。
 
    *
 
2688 待ちかねて、内には入らじ。白栲の我が衣手に露は置きぬとも
 
2688 譬ひ表で待つて居る自分の袖に、露が置いて來ても、待ちとゞけることが出來ないで、内へ這入るといふやうなことはすまいよ。
 
2689 朝露の消《ケ》易き我が身、老いぬとも、又をち返り君をし待たむ
 
2689 朝露のやうに、脆い自分の體は、譬ひ年が寄つても、又若返つて、あなたをお待ち申しませう。どうぞ、お出で下さい。(別れて久しくなつた男が、又訪ねよう、と言うたのに答へた歌。)
 
2690 白栲の我が衣手に、露は置きぬ。妹には逢はず。たゆたひにして
 
2690 いとしい人に會はないで、ぐづ/”\して居る中に、自分の白栲の袖に、露が置いたことだ。
 
2691 かにかくに物は思はず。朝露の我が身一つは、君がまに/\
 
2691 彼此と、色々のことは考へないで、朝露のやうな果敢ない自分の體一つは、あなたの御心任せに、怎うとも致しませう。
 
2692 夕|凝《ゴ》りの霜置きにけり。朝戸出に、その上蹈みて人に知らゆな
 
2692 夜の中に降り結んだ霜が、一面に置いて居ます。その霜の上を蹈んで通つて、跡をつけて歸つて、人に知られぬやうになさい。
 
2693 かく許り戀ひつゝあらずは、朝に日《ケ》に、妹が蹈むらむ土ならましを
 
2693 こんなに迄焦れて居る位ならば、一層いとしい人が、何時も蹈んで歩く、土になつた方がましだ。
 
2694 足引きの山鳥の尾の一峰《ヒトヲ》越え、一目見し子に戀ふべきものか
 
2694 かの山鳥の雄は、雌と一つの峰を隔てゝ棲んで居るといふが、自分は一峰所か、僅か一目だけ見た人に、焦れて居ることだ。そんなことがあるべき筈だらうか。
 
2695 吾妹子に會ふよしをなみ、駿河なる富士(ノ)高|嶺《ネ》の燃えつゝかあらむ
 
2695 いとしい人に出會ふ手段が無いので、獨り胸を燃して、焦れてをらねばならぬか。此駿河の國の富士の山が、火を噴いて居るやうに。
 
2696 荒熊の棲むとふ山の、しはせ山。せめて問ふとも、汝が名は告らじ
 
2696 あの荒熊が棲んで居る、と人のいふ山なる、しはせ山ではないが、屡人が、言へ/\と迫つても、お前さんの名は言ひますまい。
 
2697 殊が名も我が名も立たば惜しみこそ、富士(ノ)高嶺の燃えつゝ渡れ
 
2697 いとしい方の名も、自分の名も、評判が立つたら、殘念だから、駿河の富士の山ではないが、下に焦れ續けて、上べに表さずに居る。
 
2698 行きて見て居れば戀しき朝香妻《アサカヅマ》。山越しに置きて、寢《イ》ねかてぬかも
 
2698 出掛けて行つて、逢うて歸つて來ると、戀しくてならぬ、朝香の里のいとしい人を、茲から山一つ隔てゝをらせて、寢るにも寢られなく、戀しいことだ。
 
2699 阿陀《アダ》人の簗《ヤナ》うち渡す瀬を速み、心は思へど、直接《タヾ》に會はぬかも
 
2699 阿陀の里人が、簗をずつと懸け渡しておく瀬が激しい爲、渡つてもえう行かぬ程に、評判のはげしさに、心には思うて居乍ら、えう會はないことだ。
 
2700 玉かぎる岩垣淵の籠りつゝ、こやり死ぬとも、汝《ナ》が名は告《ノ》らじ
 
2700 二人の間のことは、胸の中に籠めて居て、譬ひ病氣になつて死んでも、お前の名をば言ひはすまい。
 
2701 飛鳥川。明日も渡らむ。岩橋の遠き心は思ほえぬかも
 
2701 飛鳥川をば、明日にも渡つて、あの人の所へ出かけよう。何時迄も、待つて居る心持ちはせないことだから。
 
2702 飛鳥川。水行きまさりいや日《ヒ》日《ケ》に、戀ひの増さらば、ありかてましゞ
 
2702 飛鳥川に流れる水ではないが、其川が流れて行くにつれて、水量がふえるやうに、一日々々と戀ひが募つて來たら、生きて居られなくなるだらう。
 
2703 眞|薦《コモ》苅る大野河原の水隱《ミコモ》りに、戀ひ來し妹が紐解く。われは
 
2703 大野河原の水の中に隱れて居るやうに、心の底で焦れてをつた、いとしい人の下裳の紐を、やつと解いて、自分は共に寢ることだ。
 
2704 足引きの山下とよみ行く水の、時ともなくも、戀ひ渡るかも
 
2704 山の麓をば、甚《ヒド》い音で流れて行く水ではないが、時を限らず、何時でも、焦れ續けて居ることだ。
 
2705 はしきやし逢はぬ君故、徒らに此川の瀬に、玉裳濡しつ
 
2705 幾ら行つても、逢うてくれない、可愛いあの方の爲に、此川の淺瀬を越えて、無駄に上裳の裾を濡したことだ。
 
2706 泊瀬《ハツセ》川|跡見《トミ》の速瀬を掬《ムス》び上げて、飽かずや、妹と、問ひし君はも
 
2706 此泊瀬川に流れ入る、跡見の川の速瀬の水は、手に掬《スク》ひ上げて、幾ら飲んでも飽かないとは別で、怎うだ、私にもう飽いたか、と問はれたあの方は、とう/\彼方から飽いて、心變りせられた。
 
2707 青山の岩垣沼の水隱《ミゴモ》りに、戀ひや渡らむ。逢ふよしをなみ
 
2707 青い山で取り圍んだ、岩の圍んでる沼の底が、水に隱れてゐるのではないが、心の底深く、焦れてをらねばならぬか。會ふ手段がない爲に。
 
2708 しなが鳥猪名山とよみ逝く水の、名にのみ寄せし隱《コモ》り妻はも
 
2708 猪名山を搖り動して行く水のやうに、騷しく評判許りに、わけありさうに言はれて、何の關係もない、我が心の内に思ひこんで居る人よ。怎うすれば、其人に逢へよう。
 
2709 我妹子に我が戀ふらくは、水ならば柵《シガラミ》越えて、行かまくぞ思ふ
 
2709 いとしい人に、自分の焦れて居ることは、非常に激しいものである。水であつたら、此位の勢ひならば、水流を防げる柵を越えて行きさうに思はれる。それに、一重の垣も越えて、えう會はずにゐる。
 
2710 犬上《イヌガミ》の鳥籠《トコ》の山なるいさや川。不知《イサ》とをきこせ。吾が名|宣《(ノ)》らすな
 
2710 犬上郡の鳥籠の山の邊にある、いさや川ではないが、不知《イサ》(さあ)一向知らない、と抑つしやい。そして私の名をば、言ひなさるな。
 
2711 奥山の木の葉|隱《ガク》りて行く水の、音に聞きしゆ、常忘らえず
 
2711 奥山の落ち葉の下に隱れて流れる水が、音許りするやうに、評判に聞いてから、何時も忘れられない。
 
2712 言《コト》疾《ト》くば中は淀ませ。水無《ミナシ》川絶ゆとふことを、ありこすな。ゆめ
 
2712 餘り評判が激しかつたら、中途では一寸中休みをして、川が淀むやうになさい。併し決して、水無川の、水が切れて了うた樣に、とぎれるといふことがないやうに、氣をつけて下さい。
 
2713 飛鳥川。行く瀬を速み、早見むと待つらむ妹を。此日暮しつ
 
2713 飛鳥川の流れて居る瀬が速くある如く、いとしい人が、早く逢ひたい、と待つて居るだらうに、今日も無駄に、日が暮れて了うた。
 
2714 物部《モノヽフ》の八十宇治《ヤソウヂ》川の速き瀬の、立ち得ぬ戀ひも、我はするかも
 
2714 宇治川の激しい流れの瀬に、抵抗して立つて居ることが出來ないやうに、すつかり沈んで了うて、脱することの出來ないやうな焦れ方を、自分はして居ることだ。
 
2715 神南備《カムナビ》の行きたむ隈の、岩淵の隱《コモ》りてのみや、我が戀ひをらむ
 
2715 神南備山を廻つて流れる川の入りこみの、岩の圍んだ淵ではないが、心の底に籠めて許り、焦れてをらなければならんか。
 
2716 高山ゆ出で來る水の、岩に觸り、割れてぞ思ふ。妹に逢はぬ夜は
 
2716 高い山から流れ出て來る水が、岩に行き當つたやうに、心を碎いて居ることだ。いとしい人に逢はない夜は。
 
2717 朝|東風《コチ》に堰《ヰデ》越す波の、瀬とふにも、逢はぬもの故、瀧もとゞろに
 
2717 朝の東風が吹くので、川の堰《ヰデ》を越えて激して流れる浪が、瀬に出くはすやうに、會ふことの出來る時にも、出會ひはせないのに、まるで瀧が響いて落ちるやうに、甚《ヒド》い評判を立てられたことだ。
 
2718 高山の岩本|激《タギ》ち行く水の、音には立たじ。戀ひて死ぬとも
 
2718 高い山の岩の、根本を激して行く水ではないが、譬ひ焦れ死んでも、評判には立てまいと思ふ。
 
2719 隱沼《コモリヌ》の下に戀ふれは、※[厭/食]《アキタ》らず人に語りつ。忌むべきものを
 
2719 隱沼のやうに、心の底で焦れて居るのでは、滿足出來ないで、人に話したことだ。慎まねばならんことだのに。
 
2720 水鳥の鴨が棲む池の下樋《シタビ》なみ、鬱《イブ》せき君を、今日見つるかも
 
2720 水に浮く鴨が棲んで居る池の、伏せた樋がなくて、何處へも水の通ずることが出來ないで、鬱積して居るやうに、見ると心がふさいで來るやうな御方に、今日出會うたことだ。(此は、戀ひ人が陰鬱な人だ、といふのではない。その人を見ると、自分の心が陰氣になるのである。)
 
    *
 
2721 玉藻苅る堰《ヰデ》の柵《シガラミ》薄みかも、戀ひの淀める。我が心かも
 
2721 自分達の評判が非常に立つた。此は、あの藻を刈る堰に打ちこんだ柵に、水が洩れるのであらうか。それとも、もともと柵が薄く打つてあつたから、その名が洩れ出たのか、それとも、戀ひが淀んで、湛へて居た自分の心から、洩れて出たのであらうか。
 
    *
 
2722 吾妹子が笠のかり手の和※[斬/足]野《ワザミヌ》に、吾は入りぬと、妹に告げこそ
 
2722 いとしいお前の笠につけたかり手の輪でないが、和※[斬/足]野へも、早自分はかゝつて來た、といとしい、家にをる人に告げてくれ。
 
2723 數多《アマタ》あらぬ名をしも惜しみ、埋れ木の下ゆぞ戀ふる。行く方《へ》知らずて
 
2723 そんなに甚《ヒド》く立つたといふのではないが、評判の大事さに、埋れ木ではないが、心の底で焦れて居ることだ。その戀ひの因つて來る所を知らないで。
 
2724 秋風の千江浦曲《チエノウラワ》の木積《コヅミ》なす、心は寄りぬ。後は知らねど
 
2724 秋風の吹く千江の浦の入り込みに、寄つて來る木屑のやうに、自分の心は、將來はと問はれると、答へかねるが、心が君に、片寄つて居ることだ。
 
2725 白砂《しらまなご》三津の植原《ハニフ》の色に出でゝ、言はざるのみぞ。我が戀ふらくは
 
2725 白い砂の一杯にある、三津の浦の赤土原ではないが、顔色に表して言はない許りである。心はお前さんを、思ひつゞけて居るのだ。私の焦れ續けて居る心は。
 
2726 風吹かぬ浦に浪立ち、無き名をも、我は負へるか。會ふとはなしに
 
2726 風の吹いて居ない浦に、波が立つやうに、あるべき筈でない評判を、自分は受けたことだ。あの人と逢うた、といふ訣ではなく。
 
2727 菅島の夏身(ノ)浦に寄る波の、間も置きて、我が思はなくに
 
2727 管島の夏身の浦に寄せて來る波が、間をおいて打ち寄せるやうに、私とお前との間に、隔てを置いて考へたことはない。
 
2728 近江(ノ)海。沖つ鳥山|奥《オク》まへて、我が思ふ妹が言《コト》の繁けむ
 
2728 近江の湖水の、沖の万にある島ではないが、奥深く心の底に焦れて居る、いとしい人の評判が、かうして居ては、甚く立つだらう。
 
2729 霰降り遠津大浦に寄する波。寄《ヨ》しと寄すとも、憎からなくに
 
2729 大きな遠津の浦に寄せて來る波ではないが、あの人の評判が、私に幾ら寄せかゝつて來ても、あの人は憎く思はれない。
 
2730 紀(ノ)海の名高(ノ)浦に寄る波の、音高きかも。會はぬ子故に
 
2730 紀州の海岸の名高の浦に寄せて來る波が、音が高いやうに、會うたことのない人だのに、その人の爲に、評判が高くなつたことだ。
 
2731 牛窓(ノ)浦の潮騷《シホサヰ》島とよみ、寄せてし君に、會はずかもあらむ
 
2731 備前の牛窓の浦の、潮流の爲に、島も動くやうにひどい音がして、潮がよつて來るやうに、甚い評判を立てゝ、自分とわけありさうに、人の言うたいとしい方に、逢はずにをらねばならぬだらうか。
 
2732 沖つ波|岸《ヘ》波の來寄る佐多(ノ)浦の、此さだ過ぎて後《ノチ》戀ひむかも
 
2732 沖の浪や、海岸の波が來て打ち寄せる、佐多の浦ではないが、此時《サダ》を過ぎて、將來、焦れることであらう。
 
2733 白波の來寄する島の荒磯にも、あらましものを。戀ひつゝあらずは
 
2733 こんなに焦れて居る位なら、波の寄せて來る島の、荒い岩濱にでも行つて居た方がましである。
 
2734 潮滿てば水泡に浮ぶ眞砂《マナゴ》とも、我はも生ける。戀ひは死なずて
 
2734 潮がさして來ると、海岸に碎ける水の泡に浮く砂のやうに、漂うて生きて居ることだ。焦れ死にもえうしないで。
 
2735 住吉《スミノエ》の岸の浦|曲《ワ》に頻《シ》く波の、屡《シマヽヽ》、妹を見るよしもがも
 
2735 住吉の岸の浦邊に、間斷《シキリ》なく寄つて來る波ではないが、繰り返し/\、幾度も、いとしい人を見る方法があればよいが。
 
2736 風をいたみ、いたぶる波の間なく、吾が思ふ君は、あひ思ふらむか
 
2736 風が甚《ヒド》いので、甚く搖《ユ》つて立つ波のやうに、始終思ひ續けて居るいとしいお方は、自分だけが片思ひでなく、彼方でも、思うて居て下さるであらうか。
 
2737 大伴の三津の白波間なく、我が戀ふらくを、人の知らなく
 
2737 大伴の里の、三津の海岸に寄せる波ではないが、隙き間もなく、自分が焦れて居るのを、あの人は知らないで居ることだ。
 
2738 大舟のたゆたふ海に、碇《イカリ》下し、如何にしてかも、我が戀ひ止《ヤ》まむ
 
2738 大きな舟が動搖して居る海に、下す碇で、如何にすれば、自分の焦れる心は止まらうか。
 
2739 雎鳩《みさご》居る沖つ荒磯に寄る波の、行く方《へ》も知らず。わが戀ふらくは
 
2739 雎鳩が下りて休む、沖の方の荒い岩に寄せる波ではないが、行方即、將來|如何《ドウ》なるかもわからないことだ。
 
2740 大舟の艫《トモ》にも舳《ヘ》にも寄する波。寄すともわれは、君がまに/\
 
2740 大きな舟の艫にも、舳にも、寄せて來る波のやうに、色々な人に、訣ありさうに言はれても、私はあなた任せで、外に心は無いのです。
 
2741 大海に立つらむ波は、間あらむ君に戀ふらく、止む時もなし
 
2741 大海に立つて居る波は、それでも立たぬ間があらうけれど、私があなたに焦れて居る心は、止《ヤ》まる時とてはありません。
 
2742 志珂《シカ》の海人の、烟|焚《タ》き立て燒《ヤ》く鹽の、辛き戀ひをもわれはするかも
 
2742 あの志珂島の海人が鹽木を焚いて煙を立て乍ら、燒いて採る鹽ではないが、辛《ツラ》い戀ひをば、自分はすることだ。
 
  右、一説に石川(ノ)大夫の歌だと言うて居る
 
2743 なか/\に君に戀ひずは、牧《マキノ》浦の海人ならましを。玉藻苅る/\
 
2743 こんなにして、君に焦れて居るよりは、一層却つて、牧の浦の海人となりたいものだ。玉藻を刈り乍らをる所の。
 
2744 鱸《スヽキ》採る海人のともし火、よそにだに見ぬ人故に戀ふる。此頃
 
2744 沖の方へ出て、鱸を釣つて居る海人の燈ではないが、遠くわきからでも見るならばよいが、其位にも、會ふことの出來ない人であるのに、その人の爲に、焦れて居る此頃だ。
 
2745 水門《ミナト》入りの蘆分け小舟|障《サハ》り多み、我が思ふ君に會はね頃かも
 
2745 川口へ漕ぎ入る所の、蘆を分けて來る舟ではないが、邪魔が多くて、思うて居るお方に會ふことの出來ない、今日今頃だこと。
 
2746 海面《ニハ》清み、沖邊漕ぎ出づる海人舟の、※[楫+戈]《カヂ》とる間なき戀ひもするかも
 
2746 海面がさつぱりと凪いでをるので、沖の方さして、漕いで行く海人の舟が、殆※[舟+虜]をとる間がないやうに、隙き間のない焦れ方をして居ることだ。
 
2747 味釜《アヂカマ》の潮津《シホツ》を斥《サ》して漕ぐ舟の、名は告《ノ》りてしを。會はずあらめやも
 
2747 味釜の里の潮津の方へ向いて、漕いで行く舟の繩ではないが、名はあの人が、私に明したのだのに、會はないでをる訣はない。
 
2748 大舟に水草《ミクサ》苅り積み、しみゝにも、妹が心に乘りにけるかも
 
2748 大きな舟に、水に生えて居る草を刈り積んで、みつしりと据ゑたやうに、みっしり茂々《シゲヽヾ》と、いとしい人が何時も、自分の心に乘り掛つて、心から離れないことだ。
 
2749 驛路《ハユマヂ》に引舟《ヒキフネ》渡《ワタ》し、直乘《タヾノ》りに、妹が心に乘りにけるかも
 
2749 國道の交通に、道のない川などでは、綱曳きの舟を渡して、眞直《マツスグ》に乘り續けて行くやうに、いとしい人が自分の心へ、馬乘りに乘り掛つて、心から離れないことだ。
 
2750 吾妹子に逢はなく久し。うましものあへ橘に苔の生《ム》す迄
 
2750 いとしい人に、會はないで居ることが長くなつた。あの旨い橘の木に、苔が生えるやうになる迄。
 
2751 鴨《アヂ》の棲む須佐(ノ)入江の荒磯松。吾《ア》を待つ子らは只一人のみ
 
2751 あぢ鴨の下りて居る、須佐の入り江にある岩濱の松ではないが、自分を待つて居るいとしい人をば、唯待つだけだ。お前の外に何處へ行かうか。
 
2752 吾妹子を聞《キ》き那賀《ツガ》野邊の靡合歡《シヌネム》の、我は偲《シヌ》ばず。間なく思へば
 
2752 いとしい人のことを、始終聞き續いで居るといふ語に似た、都賀野の中に撃等居る、萎々《シナヽヽ》とした合歡の木ではないが、自分はいつも思ひ通しであるから、心の下で思うて居る、即、偲ぶといふやうなことは出來ない。
 
2753 波間より見ゆる小《コ》島の濱|楸《ヒサギ》、久しくなりぬ。君に會はずして
 
2753 波の上に見えて居る、あの小島の海岸の楸の木ではないが、久しうなったことだ。あの方に會はなくなつてから。
 
2754 朝|柏《カシハ》潤和《ウルワ》川邊の篠《シヌ》の間《メ》の、忍びて寢《ヌ》れば、夢に見えけり
 
2754 潤和《ウルワ》川の川べりに生えた、篠の叢ではないが、心の下に思ひこんで寢たので、夢にあの人の姿が見えたことだ。
 
2755 淺|茅《ヂ》苅る原に標《シメ》さし、空言《ムナ》も寄せてし君が、言《コト》をし待たむ
 
2755 廣々とした茅花《ツバナ》を刈る原に、標を附けて、自分のものだといふやうな、根のない空言でも、訣《ワケ》ありさうに言はれたあの方が、此頃は、戀しくなつた。どうぞあの方から、お便りが來ればよい。
 
2756 鴨頭草《ツキグサ》の假《カ》れる命にある人を、如何に知りてか。後も逢はむとふ
 
2756 あなたは今は會はないでも、將來逢はうと仰つしやいますが、我々はあつてないやうな、假りの命を持つたものですのに、どうして何時迄、生きて居るといふことが、おわかりになつてか、將來には會はう、と仰つしやるのですか。
 
2757 大君の御《ミ》笠に縫へる有馬《アリマ》菅。ありつつ見れど、言《コト》なき吾妹
 
2757 大君の御笠に縫ふ所の、有馬の菅ではないが、ぢつと辛抱して居つても、音信もしてくれない無情な、いとしい人よ。
 
2758 菅の根のねもごろ妹に戀ふるにし、健男《マスラヲ》心思ほえぬかも
 
2758 しみ/”\といとしい人を思うて居るので、一人前の男子としての心持ちも、無くなつたことだ。
 
2759 我が宿の穗蓼《ホタデ》古幹《フルカラ》苅り生《オフ》し、實になる迄に、君をし待たむ
 
2759 自分の屋敷内に生えた、蓼の枯れた古い幹を、さし木にして切つて、插して生《ハヤ》して、それが實となる迄、あなたのお出でを待つて居ませう。どうか、この秋には、必、御歸り下さい。
 
2760 足引きの山澤ゑぐを摘みに行かむ日だにも、會はむ。母は責むとも
 
2760 お母さんが幾ら私を叱つて、あなたに會はせないやうにせられても、山の澤に生えた、ゑぐを摘みに行く日には、目を竊んで、あなたに會ふことに致しませう。
 
2761 奥山の岩|下《モト》菅の、根深くも思ほゆるかも。吾が思ふ妻は
 
2761 自分のいとしく思うて居る人のことは、奥山の岩の下に生えて居る麥門冬ではないが、根深く、心の底から思はれてならない。いとしい妻は。
 
2762 蘆垣の中の柔《ニコ》草にこよかに、我と笑まして、人に知らゆな
 
2762 蘆で拵へた、垣の内側に咲いて居る柔《ニコ》草ではないが、につこりと、思はず知らず笑ひなさつて、人に知られぬやうにして下さい。(戀ひ人のある者は、どうかしたはずみに、その人と會うた時の容子などを思ひ浮べて、思ひ出し笑ひなどをすることがある所から言うたのだ。)
 
    *
 
2763 紅の淺羽《アサハ》の野らに苅る草の、束の間も我忘らすな
 
2763 淺羽野に刈る草ではないが、一寸した(草の一束程の短さにかけて、束の間を起したのである。)間でも、私を忘れて下さるな。
 
2764 妹が爲命殘せり。苅る蘆の思ひ亂りて、死ぬべきものを
 
2764 刈り取つた葭が、亂雜に積まれて居るやうに、心が掻き亂れて、煩悶した結果、死なねばならぬ筈であつたが、戀しい人の爲に、その命を殘しておいて、死なずに居たことだ。
 
2765 吾妹子に戀ひつゝあらずは、苅る蘆の思ひ亂りて、死ぬべきものを
 
2765 いとしい人に焦れて居る位なら、煩悶してその爲に、死んだ方がましだのに。
 
2766 三島江の入り江の蘆《アシ》を、かりにこそ、我をば君は思ひたりけれ
 
2766 あの三島江に生えた、葭を刈るのではないが、苟且《カリソメ》に慰め半分、あの方は、わたしを愛して入らつしやつたのだ。
 
2767 足引きの山橘の色に出でゝ、我が戀ひなむを、人も難《カタ》みすな
 
2767 山橘の實ではないが、色に表して焦れるやうに、しまひにはなるであらうが、どうぞ、外の人も非難してくれるな。
 
2768 丹頂鶴《アシタヅ》の騷ぐ入江の白菅の、知らぬことすら、こちたかるかも
 
2768 丹頂の鶴のやかましく鳴いて居る、入り江に生えて居る白管ではないが、知りも覺えもせぬ事迄も、甚く評判に立つたことだ。
 
2769 我が夫《セ》子に我が戀ふらくは、夏草の苅り掃へども、生ひしくが如
 
2769 戀しいお方に焦れて居ることは、ちようど夏草が、刈つてとり掃うても、後から續いて生えて來るやうに、幾らでも續いて出て來る。
 
2770 道の邊の※[木+諸]柴原《イチシバヽラ》の、いつも/\、人のゆるさむことをし待たむ
 
2770 道傍の※[木+諸]の生えた場所ではないが、いつ/\までも、他の人々の油斷するのを待つてをらう。
 
2771 吾妹子が袖を頼《タノ》みて、眞野《マヌノ》浦の小菅の笠を著ずて來にけり
 
2771 (あなたは怎うして、そんなに濡れたのです。)笠を持たない男「そんなに言うてくれな。お前の袖を貸して貰はう、とそれをば頼りにして、眞野の浦の管で拵へた笠も著ないで、やつて來たのだ。」
 
2772 眞野(ノ)池の小菅を笠に縫はずして、人の、遠名《トホナ》を立つべきものか
 
2772 眞野の池に生えた菅を笠に縫うて、自分のものともしないで居て、いとしい人に就いての僞《イツハリ》の評判を、立てるべき筈ではないのに、人が立てる。
 
2773 さす竹の葉|隱《ゴモ》りてある我が夫子《セコ》が、われ許《ガリ》來ずば、我が戀ひめやも
 
2773 立ち延びて居る、竹の葉がこんもりとして居るやうに、此頃隱れて出て來ないあのお方が、最初に私の所へ、來て下さらなければ、こんなに、私が焦れはすまいのに。
 
2774 神南備の淺篠原《アサシヌハラ》の女郎花《ヲミナヘシ》、忍べる君が聲のしるけく
 
2774 神南備山の麓の、うつすりと篠の生えた原に、咲き交つて居る女郎花のやうに、此頃隱れて會はない人の評判が、はつきりと、耳に聞えて來ることだ。
 
2775 山高み谷邊に延《ハ》へる玉|葛《カヅラ》、絶ゆる時なく見むよしもがも
 
2775 山が高いので、生え延びずに、谷に廣がつて居る美しい蔓ではないが、とぎれることなく、何時迄も、逢ふ方法があれば好いが。
 
2776 道の邊の草を多野に蹈み枯し、我立ち待つと、妹に告げこそ
 
2776 道傍の草をば餘り通ふ爲に、冬の野の草のやうに、蹈み枯して了ふ迄、あなたの出て來るのを立つて待つて居る、といとしい人に告げてくれ。
 
2777 疊薦《タヽミゴモ》隔編《ヘア》み、しま/\通はさば、道の芝草生ひざらましを
 
2777 幾度も槌《ツチ》の子《コ》を繰り返し薦疊を編むやうに、間斷なくあなたが通うて下さったら、道にはこんなに、芝が生えなかったでせうに。
 
2778 水底に生ふる玉藻の、生ひ出でず、よし、此頃はかくて通はむ
 
2778 水の底に生えて居る玉藻が、水の表へ生え出さないやうに、公然とは、交通することが出来ないでも、かまはない。まあ暫らくは、かうして忍んで通うて居よう。
 
2779 海《ウナ》原の沖つ繩|海苔《ノリ》うち靡き、心もしぬに、思ほゆるかも
 
2779 海上遙かな沖の方に出來る繩海苔ではないが、なよ/\と、そちらへ靡いて、心さへも萎れて、いとしい人のことが思はれることだ。
 
2780 紫《ムラサキ》の名高(ノ)浦の靡き藻の、心は妹に寄りにしものを
 
2780 名高の浦に靡いて居る藻ではないが、自分の心はいとしい人に、片寄つて居たことだ。
 
2781 海《ワタ》の底|奥《オキ》を深めて生ふる藻の、もとも今こそ、戀ひは便《スベ》なき
 
2781 海の底の奥に、深く生えて居る藻ではないが、今が一等、戀ひのやる瀬ない頂上だ。
 
2782 さ寢《ヌ》かには、誰とも寢《ネ》めど、奥《オキ》つ藻の靡きし君が言《コト》待つ。吾を
 
2782 寢る程のことならば、誰とでも寢《ヤス》みませうが、併し眞實、私の心が向いて居るあなたのお便りを、私は待つて居ます。(此は男が、今頃は私が便りせないから、多分誰かと寢て入らつしやらう、と言うて來たのを、辯解はしないで、嵩《カサ》に出て、女が答へたのである。)
 
    *
 
2783 吾妹子が如何《イカ》とも我を思はねば、含《フヽ》める花のほに咲きぬべし
 
2783 いとしい人が、何うも自分のことを考へてくれないので、此迄は黙つて居たが、辛抱が出來ないから、莟んで居た花が、表面に咲き出したやうに、外に、自然と顯れ相である。
 
2784 忍《シヌ》びには戀ひて死ぬとも、み園生の韓藍《カラアヰ》の花の、色に出でめやも
 
2784 心の下で思うて居て焦れて死んでも、庭の韓藍の花のやうに、色に現しますまい。
 
2785 咲く花は過ぐる時あれど、吾が戀ふる心の内は、止む時もなし
 
2785 咲いて居る花は、散って了ふ時があるけれど、自分の焦れて居る心の中は、何時迄立つても、戀ひの止まる氣遣ひはない。
 
2786 山吹の匂へる妹が、はねず色の赤裳の姿、夢に見えつゝ
 
2786 山吹ではないが、ほんのりと美しいあのいとしい人が、はねず色の赤い上裳を著けた姿が、始終夢に見え/\する。
 
2787 天地のより合ひの極み、玉の緒の絶えじと思ふ、妹が邊見つ
 
2787 何時迄も切れまい、と思うて居るいとしい人の、家の邊を、遙かな地平線の邊に眺めた。
 
2788 生きの緒に思へば苦し。玉の緒の絶えて亂れな。知らば知るとも
 
2788 命懸けで思うて居るのは、術ないものだ。人が悟つても關《カマ》はない。ちようど玉を通した緒が、切れた時のやうに、亂れ狂ひたいと思ふ。
 
2789 玉の緒の絶えたる戀ひの亂りには、死なまくのみぞ。又も會はずして
 
2789 二人の間が斷れて了うた。戀ひの爲に、心が狂うて居るのだから、もう死ぬより外に道はない。又と再、逢はれないで居て。
 
2790 玉の緒の括《クヽ》り寄せつゝ、末終に行きは分れず。同《オヤ》じ緒にあらむ
 
2790 二人の間をば、ちようど玉をさす緒のやうに、括り寄せて、とう/\しまひ迄、兩方へ分れて了はないで、同じ緒にささつてをるやうに、ありたいものだ。
 
2791 片絲もち貫《ヌ》きたる玉の緒を弱み、亂りやしなむ。人の知るべく
 
2791 自分の心は、撚り合さぬ先の細い絲で通した玉の緒が、弱くて、ばら/”\に亂れるやうに、人があの人に焦れて居ると悟る程に、心が狂ひはすまいか。
 
2792 玉の緒の現《ウツ》し心や、年月の行きわかる迄、妹に會はざらむ
 
2792 正氣でをつては、年月が移り變つて行く迄、何時迄待つても、いとしい人には會はれまい。
 
2793 玉の緒の間《アヒダ》も置《オ》かず見まく欲《ホ》り、我が思ふ妹は、家遠くありて
 
2793 時間の間隔もなく、いつも/\、會うて居たいと思うて居る、いとしい人は、家が遠いので會はれないことだ。
 
2794 隱沼《コモリヅ》の澤の泉の岩ねゆも、通して思ふ。君に逢はまくは
 
2794 隱れ沼になつた澤に湧く水が、岩をば通して湧き出るやうに、あの方に會へるといふならば、どんな障碍も、押し除けて、遂げようと考へて居る。
 
2795 紀(ノ)國の飽浦《アクラノ》浦の忘れ貝。我は忘れじ。年は經ぬとも
 
2795 紀州のあくらの浦に落ちて居る忘れ貝ではないが、譬ひ幾年たつても、自分は、いとしい人を忘れはすまい。
 
2796 水|潜《クヾ》る玉に雜れる磯貝の、片戀ひのみに、年は經につゝ
 
2796 水を潜つて採つて來る、玉に雜つて居る磯の貝が、皆片方許りになつて居る、それではないが、自分許り片戀ひ續けて、歳月が立つたことだ。
 
2797 住吉《スミノエ》の濱に寄るとふうつせ貝。實《ミ》なき言《コト》故、我戀ひめやも
 
2797 住吉の濱に打ち寄せられる空《カラ》の貝ではないが、實《ミ》のない、即、實意のないあの人の言だのに、その言に釣られて居るべき筈でないのに、焦れて居ることだ。
 
2798 伊勢の海人の朝な夕なに潜《カヅ》くとふ鰒《アハビ》の貝の、片思ひにして
 
2798 伊勢の海人が、毎日朝晩の菜として、水に潜つて採つて來る、鰒の貝ではないが、自分は片思ひで居て、それで、こんなに、焦れて居ることだ。
 
2799 人言を繁みと、君を、鶉鳴く人の古家《フルヘ》に、語らひてやりつ
 
2799 人の評判がうるさいといふので、いとしい人を、鶉の鳴いて居るやうな、荒れ果てた他所《ヨソ》の空屋に、相談して行かしたことだ。
 
2800 明時《アカトキ》と鷄《カケ》は鳴くなり。よしゑやし、一人寢る夜は、明けば明けぬとも
 
2800 もう朝だ、と鷄が鳴いて居る。鳴きたければ勝手に鳴け。自分獨り寢て居る夜は、明ければ明けてもかまはない。
 
2801 大海の荒磯の棲《ス》鳥。朝な/\見まく欲しきを。見えぬ君かも
 
2801 海の磯|傍《バタ》に棲む鳥ではないが、お泊め申して、毎朝お顔を見たいのに、やつて來て下さらぬお方だこと。
 
2802 思へども思ひもかねつ。足引きの山鳥の尾の、長き此夜か
 
2802 幾ら思うても、辛抱し切れないやうな氣がする。山鳥の尾ではないが、長い今夜の間は。
 
  異本に、「足引きの山鳥の尾のしだり尾の、長々し夜を獨りかも寢む」とある。
 
2803 坊《サト》中に鳴くなる鷄《カケ》の、呼び立てゝ、いたくは鳴かぬ、隱《コモ》り妻はも
 
2803 里の中に鳴いて居る鷄ではないが、評判高く噂立てられて、それ程も自分に、思ひを寄せて居るのではない、我が隱し妻よ。
 
2804 高山に※[爾+鳥]《タカベ》さ渡り、高々に我が待つ君を、待ち得なむかも
 
2804 高い山を、たかべが連れて越えて行くのではないが、高々と待ち焦れて居た、いとしい方をば、待ちをふせたいものだ。
 
2805 伊勢の海ゆ鳴き來る鶴《タヅ》の、轟《トヾ》ろにも君が聞えば、我が戀ひめやも
 
2805 あなたの入らつしやる伊勢の海の方から、大和へ鳴いて來る鶴の聲の甚い樣に、あなたの方から私を驚す程、音信《オトヅレ》を下さつたら、私は焦れてゐませうか。
 
2806 我妹子に戀ふれにかあらむ。沖に棲む鴨の、浮き寢の安けくもなし
 
2806 自分は、沖にぢつと宿つて居る鴨が、水上に浮いて寢るやうに、安らかな心持ちもしない。これは、いとしい人に焦れて居るからだらう。
 
2807 明けぬべく千鳥しば鳴く。敷栲《シキタヘ》の君が手枕いまだ飽かなくに
 
2807 夜が明けさうに、千鳥が間斷なく、鳴いて居ることだ。いとしいお方の手枕は、まだ滿足する程もして居ない中に。(此は、川原近くに家のある、女の作つた歌であらう。)
 
  □問答
 
2808 眉根掻き、はなび、紐解け待てりやも、何時かも見むと、戀ひ來し我を
 
2808 あなたの方では、何時になつたら逢へようか、とお待ち申してゐるわたしのことを思うて、此わたしのやうに、眉毛の根を掻いたり、嚔をしたり、紐がほどけたりして、待つて入らつしやるでせうか、どうか、知れたものではない。
 
2809 今日なれば、はなびしびしに、眉根掻き、思ひし事は、君にしありけり
 
2809 今日あなたに、お會ひ申すことが出來た。思へば嚔を續け樣にし、眉の根を痒がつて、誰に會へるのだと思うて居たのは、果して、あなたに會へるしるしだつた。
 
    ○
 
2810 音のみを聞きてや戀ひむ。まそ鏡目に直接《タヾ》に見て、戀ひまくも多く
 
2810 評判許りを聞いて、焦れてをりませうか。直接に目で見ては、焦れる心も深いだらうから。
 
2811 此|言《コト》を聞きなむとかも、まそ鏡照れる月夜も、闇にのみ見つ
 
2811 あなたの此お便りを開かう、と思うて居たからか、照つて居るお月樣さへ、目に著かず、闇と見做して、暮して居ました。
 
    ○
 
2812 吾妹子に戀ひて術なみ、白栲の袖反し夜の夢に見えきや
 
2812 いとしいお前に焦れて、やる瀬ないので、著物の袖を裏返して、禁厭して寢たが、お前の夢に、私が現れたか。
 
2813 吾が夫子が袖かへす夜の夢ならし。誠も、君に會へりしが如《ゴト》
 
2813 ほんに、あなたがその袖を裏返して、お寢《ヤス》みになつた其晩に、それで見たのに違ひない。實際、あなたに會うたやうでした。
 
    ○
 
2814 吾が戀ひは慰めかねつ。ま日《ケ》長く夢に見えずて、年の經ぬれば
 
2814 自分の此焦れる心は、慰《ナダ》めようにも、慰めかねてをります。長い間、夢にもあなたが、現れて下さらなくて、年がたちましたので。
 
2815 ま日《ケ》長く夢にも見えず、絶えぬとも、我が片戀ひは、止む時もあらむ
 
2815 日數長く、夢にも現れて下さらずに、二人の間が止つても、私だけがして居る片思ひの心は、止る時もありますまい。
 
    ○
 
2816 うらぶれて物な思ひそ。天《アマ》雲のたゆたふ心、我が思はなくに
 
2816 そんなにしよんぼりと萎れて、心配して下さるな。あなたをば焦れる心が、怠るやうな氣持ちは、私は、少しもしてゐません。
 
2817 うらぶれて物は思はじ。水無《ミナシ》川、ありても、水は行くとふものを
 
2817 あなたの仰つしやる通り、悲觀して心配はせずにをりませう。水の流れない水無川でも、さうして居る中には、水が流れるやうになる、といふことですから。
 
    ○
 
2818 杜若《カキツバタ》佐紀野《サキヌ》の菅《スゲ》を笠に縫ひ、著む日を待つに、年ぞ經にける
 
2818 菖蒲の咲いて居る佐紀|沼《ヌマ》の菅をば、笠に縫うて著られるやうになる日を、待ち受けて居る中に、年が立つて了うた。(此は、思ひを掛けた女が、まだ子どもだと思うて居る中に、年月が立つて、立派な女になつた。今こそ自分と會うてくれ、と云ひ込んだ歌。)
 
2819 おしてる難波|菅《スガ》笠。おき古《フル》し、後《ノチ》は誰著む笠ならなくに
 
2819 あなたは、此難波の名物の菅笠をうつちやつておいて、古くして了うて入らつしやる。一體怎うしたお心か知りませんが、將來もあなたの外に、誰が著ることの出來る笠ではないのに。(今迄、自分を捨てゝおいた怨みに、更に、將來を願ふ意味を添へたのである。)
 
    ○
 
2820 かくだにも妹を待ちなむ。さ夜更けて出で來し月の、傾《カタブ》く迄に
 
2820 こんなに迄いとしいお前を、待ち焦れて居なければならないのか。夜更けて出て來た月さへも、傾いて了ふ迄。
 
2821 木の間より移ろふ月の影を惜しみ、立ちもとほるに、さ夜更けにけり
 
2821 木の間を運行して行く、月の影が惜しさに、うろ/\歩いてゐる中に、夜が更けたのです。
 
    ○
 
2822 栲領巾《タクヒレ》の白濱波の寄りもあへず、荒ぶる妹に戀ひつゝぞをる
 
2822 白濱に立つ波が、岸に寄ることもし切らない中に、荒れ騷ぐやうに、自分に心を寄せもしないで、怨み遠のいて行く、自分に寄りつきもしない、いとしい人に焦れて居ることだ。
 
2823 かへらまに、君こそ、我に栲領巾《たくひれ》の白濱波の寄る時もなし
 
2823 白濱に寄せる波ではないが、そんなに仰つしやるあなたの方が、却つて私にお寄りつきなさる時とては、ないではありませんか。
 
    ○
 
2824 思ふ人來むと知りせば、八重葎|覆《オホ》へる庭に、玉敷かましを
 
2824 戀しい人が、御出でになると知つて居たら、汚い、幾重にも葎の生えて居る庭へ、玉を敷いて、お迎へ致しませうのに。
 
2825 玉敷ける家も何せむ、八重葎覆へる小家《コヤ》も、妹とをりてば
 
2825 玉を布いた家も、何の比べ物にならうか。譬ひ葎が、一杯生え茂つて居る小屋でも、いとしい人と二人をつたら、それに、何物が勝つことが出來ようか。
 
    ○
 
2826 かくしつゝあり慰めて、玉の緒の絶えて別れは、術《スベ》無かるべし
 
2826 こんなにして心を慰めて居乍ら、間が切れて、別れて了うたら、嘸、遣る瀬ないことであらう。
 
2827 紅の花にしあらば、衣手に染め著け持ちて、いぬべく思ほゆ
 
2827 私は遠い旅に行くが、いとしい人が、紅の花でゞもあつてくれたら、袖に染め著けて、それを持つて、旅へ行きたいと思はれる。
 
  □譬喩の歌
 
2828 紅の濃染《コゾ》めの衣《キヌ》を下に著ば、人の見らくに、匂ひ出でむかも
 
2828 紅で濃く染めた著物を下に著てをつたなら、人が見るのに、色がほんのりと移り出るだらう。(そのやうに、心の底に戀ひ人を持つて居たら、自然と、人に悟られるであらう。)
 
2829 衣しも多くあらなむ。取り換へて著なばや、君が面《オモ》忘れたらむ
 
2829 自分に著物が、澤山あつてくれゝば好い。さうすれば、それを取り換へて著たら、その面白さに氣が紛れて、いとしい人のことは、忘れて居るだらう。
 
2830 梓弓|弓束《ユツカ》卷き換へ、あて見てば、更に引くとも、君がまに/\
 
2830 矢を的に中《ア》て試みた後で、又梓弓の握り場所を卷き換へて、改めて又引きなされても、それはあなたの御心任せです。(今は人の妻である女が、氣に入つたら、自分を、元の男から離縁させて、娶つてくれても好い、と述べたのである)
 
    *
 
2831 雎鳩《ミサゴ》居る洲にをる舟の、夕汐を待つらむよりは、われこそまさめ
 
2831 潮が干たので、雎鳩の下りて居る海の洲に舟を泊めて、潮のさして來るのを、舟が待つて居るよりも、自分のあなたを待つて居る心の方が、優つてをりませう。
 
2832 山川に筌《ウヘ》を伏せ置きて、守《モ》りあへず、年の八|年《トセ》を我が盗まひし
 
2832 山川の流れに、筌《ウヘ》を伏せて置いて、魚の這入るのを見て居るやうに、いとしい人の親達が、大事にして居た人を、守り切れない間に目を盗んで、八年の長い間を自分が、人目忍んで通うて居たことだ。
 
    *
 
2833 葦鴨のすだく池水、溢《アフ》るとも、設《マ》け溝《ミゾ》の上に、我越えめやも
 
2833 葦の中に棲む鴨のたかる、池の水が溢れても、外には、その水を流す用意の溝がある。そのやうに、自分は如何に思ひ餘つても、人目に附くやうに、世の制限を乘り越えて行つたりはすまい。
 
2834 大和の室生《ムロフ》の毛桃、本《モト》繁く言ひてしものを。ならずばやまじ
 
2834 大和の室生《ムロフ》にある毛桃の木が、根元で茂つて居るやうに、人がうるさく、評判を立てたのだから、どんなことがあつても、二人の關係が、成立しないでは斷念はすまい。
 
2835 眞葛《マクズ》延《ハ》ふ小野の淺茅《アサヂ》を、心ゆも人引かめやも。我ならなくに
 
2835 葛の這うて居る野の茅花《ツバナ》を、誰が引くといふことがあらうか。その茅花には、ちやんと持ち主がある。その持ち主なる自分が、をらないではないのに。
 
2836 三島|菅《スゲ》。未《イマダ》苗なり。時待たば、著ずやなりなむ。三島|菅《スガ》笠
 
2836 三島の菅はまだ苗である。併しそれだからというて、待つて居る中に、自分が著られぬやうになるかも知れない。三島の菅笠をば。(未若いと思うて脂斷してゐる中に、他の男が、少女を奪うて了ふかも知れない。)
 
    *
 
2837 み吉野の水隈《ミクマ》が菅を編まなくに、苅りのみ苅りて、亂りなむとや
 
2837 吉野川の水の入りこんだ隈に、生えてゐる菅をば、編みもしないで居て、それで刈つたが上に刈ること許りをして、とう/\果てには亂して了はうといふのか。いとしい人を手にもえう入れないで、一所懸命に心許りを勞して、果ては、心が亂れても關はない、と自分が思うて居るのか。(自嘲の歌。傑作。)
 
    *
 
2838 川上に洗ふ若菜の、流れ來て、妹が邊《アタリ》の瀬にこそ寄らめ
 
2838 上流で洗うた若菜が流れて來て、いとしい人の家の邊の川の瀬に寄るやうに、自分の身をもなしたいと思ふ。
 
2839 かくしてや、なほやなりなむ。大荒木《オホアラキ》の浮田《ウキタノ》杜の標《シメ》ならなくに
 
2839 こんなにして、果ては、大荒木の浮田の社の杜に著けた標ではないが、とう/\無駄なものとなつて了ふであらう。(焦れ/\て、幾度も言ひ入れて見たが、驗がない。大荒木の杜に標をさした所で、それは神の領有地で、無駄な努力になるやうに、無駄骨折りになるであらう。)
 
    *
 
2840 幾ばくも降らぬ雨故、吾が夫子《セコ》が御《ミ》名の甚《コヽダ》く、激湍《タギ》も轟《トヾ》ろに
 
2840 そんなに甚《ヒド》くも降らない兩だのに、其雨の爲に、早瀬が盛んに流れるやうに、そんなに度々逢うた、といふ訣でもないのに、いとしい方の評判が、世間に傳へられたことだ。
 
 萬葉葉 巻第十二
 
  □正《マサ》しく心緒を述べた歌
 
2841 我が夫子が朝|明《ケ》の姿、よく見ずて、今日の間を戀ひ暮すかも
 
2841 いとしい人が、夜の引き明け方に、お歸りなさるお姿を、好く/\見ておかなかつた爲に、今日一日、焦れ暮して居ることだ。(單純に、優艶に、而も彈力に富んだ歌。)
 
2842 我が心すべなく思《モ》へば、あらた夜の一夜も落ちず、夢にし見ゆる
 
2842 自分の心でやる瀬なく思うて居る爲に、毎晩々々一晩の落ちもなく、いとしい人の姿が、夢に見えることだ。
 
2843 うるはしと吾《ワ》が思《モ》ふ妹を。人皆の行く如見めや。手に枕《マ》かずして
 
2843 可愛いと思うて居る、いとしい人を、世間一般の行路の人の如く、その手に、手枕をもしもせずに、空しく見過してよいものか。
 
2844 此頃の寢《イ》の眠《ネ》らえぬに、敷栲の手枕枕きて、寢まく欲りこそ
 
2844 此頃の晩の、寢るに眠られないのにつけて、いとしい人の手枕を、枕として寢たいことだ、と思うて居る。
 
2845 忘るやと物語りして、心やり過ぐせど過ぎず。何ぞ戀しき
 
2845 あゝもすれば、かうもすれば忘れるだらうか、と色々話をしたり、冗談を言うたりして、心配をなくしようと思うても、なくならないで、一層戀しいことだ。
 
2846 夜も寢ねじ。安くも坐《ア》らじ。白栲の衣も脱がじ。直接《タヾ》にあふ迄
 
2846 夜寢もすまい。又安閑とも坐つても居まい。それから著物も脱がずにをらう。直接にお目にかゝる迄。
 
2847 後も逢はむ。我をな戀ひそと、妹は言へど、戀ふる間に年は經につゝ
 
2847 將來きつと會はうから、私にお焦れなさるな、といとしい人は言うて居るが、焦れて居る中に、こんなに年が立つたのだから、この後、何時逢へるか、頼りない次第だ。
 
2848 直接《タヾ》に會はず、あるは宜《ウベ》なり。夢にだに、何しか、人の言《コト》の繁けむ
 
2848 直《ヂカ》に逢はないのは、尤だ。二人の間は、夢で見ても、どうしてこんなに、人の口がうるさいのだらう。
 
2849 ぬば玉の其夢にだに見え續げや、袖乾す日なく、我が戀ふらくを
 
2849 せめては夢にだけなりと、途切れないで、續けて出て來てくれゝばよい。涙の爲に、袖を干す時さへもなく、私が焦れて居るのに。
 
2850 現には直接《タヾ》にも逢はず。夢にだに逢ふとは見えよ。我が戀ふらくに
 
2850 正氣で居ては、直接に逢ふことはない。せめて夢にだけでも、いとしい人に、逢ふといふ風であつてくれゝば好い。自分は、こんなに焦れて居るのだから。
 
  □物に寄せて思ひを陳べた歌
 
2851 人見れば上を結びて、人見ねば下紐|開《ア》けて、戀ふる日ぞ多き
 
2851 人が見ると、上表《ウハベ》だけを嚴重に見せかけておいて、人が見ないと、下裳の紐を解《ホド》いて、いとしい人を待つて居る日が、數重つたことだ。
 
2852 人言の繁けき時に、吾妹子が衣《キヌ》にありせば、下に著ましを
 
2852 人の評判がうるさい時分に、いとしいあの人が、著物であつたら、目に附かないやうに、内らに著ように。
 
2853 眞玉つく遠《チチ》をしかねて思へれば、一重の衣獨り著て寢む
 
2853 離れて居て、遠方迄かけて思ひ込んで居るので、夜になれば、爲方なく、二人著るべき筈の一重の衣を、一人著て寢て居ることだ。
 
2854 白栲の我が紐の緒の絶えぬ間に、戀ひ結びせむ。逢はむ日迄に
 
2854 うつかりすれば、人との中が切れて了ふかも知れない。それで其前兆として、下裳の紐の緒が切れるだらうが、其切れない中に、今度は、此戀ひ結びの禁厭をしておかう。再逢へる日迄の間。
 
2855 新墾《ニヒバ》りの今作る道。爽かにも聞えけるかも。妹が上のこと
 
2855 新しう野をば切り開いて、近頃拵へた新開の道路ではないが、いとしい人の身に關することをば、聞くさへ心持ちよく聞かれたことだ。
 
2856 山城の石《イハ》田(ノ)杜に、心|鈍《オゾ》く手向けしたれや、妹に逢ひ難く
 
2856 山城の國の石田の杜の神に、鈍なことにも、手後れして、幣《ヌサ》を獻上した爲にか、いとしい人に逢はれないことよ。
 
2857 菅の根のねもころ/”\に照る日にも、干《ヒ》めや我が袖。妹に逢はずして
 
2857 しみ/”\と照つて居る日の光りにも、自分の袖は乾かうか。いとしい人にも、逢はないで居るのに。
 
2858 妹に戀ひ寢《イ》ねぬ朝に吹く風し、妹に觸りなば、我が共《ムタ》觸れね
 
2858 いとしい人に焦れて、寢ないで居た朝に吹く風が、今私に觸《サハ》つて居るやうに、觸ることが出來れば、いとしい人にも吹き當つてくれ。
 
2859 飛鳥川。高川|避《ヨ》かし越えて來つ。まこと、今宵は、明けず行かめや
 
2859 水の高く出た飛鳥川をば、馬に除《ヨ》け/\させ乍ら、越えて、やつとの思ひで、會ひに來たことだ。そんなにして、折角來たのだから、今夜は實際、夜の明けない中には、歸りともない。歸りはしない。
 
2860 八釣《ヤツリ》川。水底絶えず逝く水の、續ぎてぞ戀ふる。此年頃は
 
2860 八釣川の水が切れて、水の底が出て了ふといふことがなく、始終水が流れて居るやうに、續け樣に、此幾年以來、焦れて居ることだ。
 
2861 磯《イソ》の上に生ふる小松の名を惜しみ、人に知らえず、戀ひ渡るかも
 
2861 石の上に生えて居る小松ではないが、名(根)即、評判の立つのが嫌《イヤ》さに、人には訣らないやうに、焦れ續けて居ることだ。
 
2862 山川の水陰《ミヅカゲ》に生ふる山|茅《カヤ》の、止《ヤ》まずも妹が思ほゆるかも
 
2862 山の中の流れの中に生えて居る、山の茅ではないが、止《ヤ》まる時もなく、いとしい人が思ひ出されることだ。
 
2863 竹葉野《タカハヌ》に立ち、神寂《カムサ》ぶる菅の根の、懃《ネモゴ》ろ誰《タ》故、我が戀《コ》ひなくに
 
2863 竹葉野に生えて、古めかしく、神々しく擴つて居る菅の根ではないが、外の誰の爲だとて、私がこんなに、焦れて居るのではない。あなたの爲だ。
 
  右、二十三首は、人麻呂集に見えて居る。
 
  □正しく心緒を述べた歌
 
2864 我が夫子《セコ》を今か/\と待ちをるに、夜の更け行けば、嘆きつるかも
 
2864 いとしいお方が、今にもお越しなさるか。今にも見えるか、と待つて居る中に、夜が更けて行くので、嘆息《タメイキ》をついたことだ。
 
2865 玉|釧《クシロ》枕《マ》き寢《ヌ》る妹もあらばこそ、夜の長けきも、嬉しかるべき
 
2865 その手を枕として、共に寢るいとしい人がをつたら、それは成程《ナルホド》、此長い夜も、嬉しくあるだらう。
 
2866 人妻に言ふは誰《タ》が言。さ衣の此紐解けと、言ふは誰が言
 
2866 私は、人の妻たるものです。その私に、彼此と言ふは、誰が言うて居る言だ。一體、著物の此紐を解いて、打ち解けよと言ふのは、一體誰の語ですか。(熱情の燃燒と、音律の明快とを兼ねた傑作。)
 
2867 かく許り戀ひむものぞと、知らませば、その夜はゆたにあらましものを
 
2867 こんなに迄、焦れてをらねばならぬものと訣つてたら、あの會うた時は、もつと餘裕を持つて、冷淡にしてをればよかつたのだが。
 
2868 戀ひつゝも、後に會はむと思へこそ、己《オノ》が命を長く欲《ホ》りすれ
 
2868 焦れて居乍らも、今は會へないで居ても、後には會へようと思うて居るから、こんな辛い中にも、自分の命をば長くあるやうに、望んで居るのだ。
 
2869 今は我《ワ》は、死なむよ。吾妹。會はずして思ひ渡れば、安けくもなし
 
2869 最早自分は死にませうよ。いとしい人よ。お前に會はないで、思ひ續けて居ると、心が休まることはちつともない。
 
2870 我が夫子《セコ》が來むと語りし夜は過ぎぬ。しゑや、更々しこり來めやも
 
2870 いとしい方がやつて來よう、と仰つしやつた約束の夜は、過ぎて了うたことだ。あゝ/\これからは、元々通り、しつ切りなしに、始終行かうと言うて居られたのも、駄目なことで、こんなことでは、元々通り盛んにやつて來られる氣遣ひがあるものか。
 
    *
 
2871 人言の讒《ヨコ》すを聞きて、玉桙の道にも逢はじと、言へる吾妹子
 
2871 人の評判で惡口いふのをば聞いて、態々《ワザヽヾ》と會ふのは固より、道で會うても物も言ふまい、と言うて來た、いとしい人よ。
 
2872 會はなくも憂《ウ》しと思へば、彌益しに、人言繁く聞え來るかも
 
2872 會ふことの出來ないのが殘念だ、と思うて居る所へ持つて來て、彌《イヨヽヽ》甚《ヒド》く、人の評判がうるさく聞えて來ることだ。(佳作。)
 
2873 坊《サト》人も語り續ぐがね、。よしゑやし、戀ひても死なむ。誰が名ならめや
 
2873 えゝ儘よ。處の人々も語り傳へるやうに、焦れて死なう。そして何の爲に死んだ、といふことになれば、外の人の評判ではなく、あなたの冷淡な爲に死んだ、といふ評判が立つだらう。幾らなりと冷淡にして下さい。
 
2874 確かなる使ひをなみと、心をぞ使ひに遣りし。夢に見えきや
 
2874 確かな信頼するに足る使ひがないので、それで心をば使ひとして、あなたの方へやつた。夢にお目にかゝつたでせうか。
 
    *
 
2875 天地に少し至らぬ健男《マスラヲ》と、思ひし我や、雄心も無き
 
2875 天地の間に、大方行き屆く程の立涯な男だ、と自信して居た自分が、此頃一向男らしい心持ちもないことだ。戀ひの爲に、こんなことでよいのだらうか。(男性の悲哀を直敍してゐる。傑作。)
 
2876 里近く家やをるべき。水無月の祓《ハラヘ》もしつゝ、戀ひの繁けく
 
2876 いとしい人の住んでゐる里に近く、家を構へるものではないのだ。そんな所に住んで居る爲、そんな思ひをなくする爲に、六月の禊ぎ迄し乍ら、まだ非常に戀しい心が、止まないことだ。
 
2877 何時はなも、戀ひずありとはあらねども、うたて、此頃、戀ひの繁きも
 
2877 何時というて、焦れて居ない、といふことはないが、情ないことだ。此頃は取り分けて、焦れる心が募つて來たことだ。
 
2878 ぬば玉の寢ての夕の物思ひに、割れにし胸は、止む時もなし
 
2878 あの一つに寢た晩以來の物思ひで、煩悶して痛んで居る此胸は、何時になつても、治る時はない。
 
2879 み空行く名の惜しけくも、我はなし。會はぬ日|多《マネ》く、年の經ぬれば
 
2879 評判は、幾ら空迄立つ程であつても、殘念とは自分は思はない。こんなに思ふことの出來ない日許りが、重つて年が立つたのだからして。
 
2880 現にも今も見てしが。夢にのみ、手本《タモト》枕き寢《ヌ》と見れば、苦しも
 
2880 正氣でをつて、つひ今の間に逢ひたいことだ。夢中で許り、いとしい人の手を枕にして、寢て居ると見てゐるだけでは、辛抱出來ないことだ。
 
2881 立ちて居るすべの便《タドキ》も、今はなし。妹に會はずて月の經《ヘ》行けば
 
2881 立つたり坐つたり、爲方方便も、今はなくなつて了うた。いとしい人に會はないで、段々年が立つて行くので。
 
2882 會はずして戀ひ渡るとも、忘れめや。いや日に日《ケ》には、思ひ益すとも
 
2882 會はないで居て、焦れ續けて居ても、日毎々々に焦れ募つて來ても、忘れる氣遣ひはなからう。
 
2883 外《ヨソ》目にも君が姿を見てばこそ、我が戀ひやまめ。命死なずば
 
2883 ちつとも、いとしい人の顔が見られない。せめて側《ワキ》からでも、あの人の姿を見たならば、そしてその時迄、幸ひに命があつて、生きてをつたら、自分の戀ひは、それで滿足して、止むであらうけれども、それ迄、命があるかどうか、覺束ない。
 
2884 戀ひつゝも、今日はあらめど、玉櫛笥明けなむ明日は、いかで暮さむ
 
2884 焦れ乍らも、今日はまあかうして、辛抱してゐるにしても、又明日夜が明けて、その一日も、かうして居なければならんと思ふと、どうして明日が、暮せようか、と思ふことだ。
 
2885 さ夜更けて、妹を思ひ出で、敷栲の枕もそよに、嘆きつるかも
 
2885 夜が更けて、いとしい人を思ひ出して、枕さへも鳴る許りに、寢がへりして、起きてゐることだ。
 
2886 人言は、まことこちたくなりぬとも、其故《ソコ》に觸《サハ》らむ我ならなくに
 
2886 實際他人の言は、どんなに甚くなつても、その爲に邪魔せられる、私ではない。
 
2887 立ちて居る便《タドキ》も知らに、我が心天つ空なり。地《ツチ》は蹈めども
 
2887 立つたり坐つたりする積りもないやうな、氣が致します。自分の心は、地は蹈み乍ら、うか/\と空を行くやうに、上の空になつてをります。
 
2888 世の中の人の言葉と思ほすな。誠ぞ、戀ひし。會はぬ日多み
 
2888 世間の人のいふ、並み/\の平凡な言だ、と思うて下さるな。會はない日が重つたので、ほんとうに焦れてをりました。
 
2889 いで如何に、我がかく戀ふる、吾妹子が、會はじと言へることもあらなくに
 
2889 どうしてまあ、こんなに迄焦れるのだらう。いとしい人が會ふまい、といふ言を發した訣でもないのに。
 
2890 ぬば玉の夜を長みかも、我が夫子が夢に夢にし、見え囘《カヘ》るらむ
 
2890 いとしいお方が、夢を見れば見るほど、繰り返し/\して見えるのは、夜が長いからだらう。
 
2891 あら玉の年の緒長く、かく戀ひば、誠、我命《ワギノチ》全《マタ》からめやも
 
2891 此通りにして、歳月長く焦れ續けて行くやうだつたら、實際自分の命が、無事で居よう筈がない。
 
2892 思ひやる術《スベ》の便《タドキ》も我はなし。會はずて多《マネ》く月の經行けば
 
2892 悲しい心持ちを捨てゝ了ふ方法の、便りも訣らない。會はないで居て、月日が澤山立つて行くのにつけて。
 
2893 朝行きて夕は來ます君故に、ゆゝしくも、吾《ア》は、嘆きつるかも
 
2893 あなたはお出かけになつても、直ぐ戻つて入らつしやる。朝出て夕戻る、といふ暫らくの別れだのに、それに縁起でもなく、嘆いて居ることだ。
 
2894 聞きしより物を思へば、我が胸は割れて碎けて、鋭《ト》心もなし
 
2894 會はないで、評判を聞いたゞけで、物を思うて居た程であるから、此頃、自分の胸は破れ碎けて、しつかりとした、生きて居るやうな心持ちもせない。
 
2895 人言を繁みこちたみ、吾妹子に、いにし月より、いまだ會はぬかも
 
2895 人の評判がうるさく甚いので、いとしい人に、先月以來、まだ會はないことだ。
 
2896 うたかたも言ひつゝもあるか。我しあれば、地《ツチ》には落ちじ。空に消《ケ》ぬとも
 
2896 危さうに、二人の間のことをいうて居ることだね。そんなに心配することはない。自分がをる以上は、二人の間は、譬ひ死んでも見捨てはすまい、と思うて居るのだ。
 
2897 如何《イカ》ならむ日の時にかも、吾妹子が裳曳《モヒ》きの姿、朝に日《ケ》に見む
 
2897 どういふ日の、どういふ時になつたら、いとしい人が、上裳の裾を曳いて、歩いて居る容子を、誰憚ることなしに、毎日毎朝、見ることが出來るであらうか。
 
2898 獨り居て戀ふるは苦し、玉襷かけず、忘れむ事謀りもが
 
2898 獨りかうやつて居て、焦れて居るのは、術ないことだ。一層のこと、心にも浮べても見ず、忘れて了ふ手段が欲しいもんだ。
 
2899 なか/\に黙《モダ》もあらましを。あぢきなく相見初めても、我は戀ふるか
 
2899 にんなことなら、一層何もしないでをつたら好かつたのに、詰《ツマ》らなくも會ひかけて、それから自分は、焦れて居ることだ。
 
2900 吾妹子が笑める眉引き、面影に掛《カヽ》りてもとな。思ほゆるかも
 
2900 いとしい人の莞爾《ニツコリ》してゐる、眉の邊の容子が、幻に浮んで來て、氣掛りに思はれることだ。
 
2901 茜さす日の昏《ク》れ行けば、術《スベ》をなみ、千重《チヘ》に嘆きて戀ひつゝぞをる
 
2901 日が段々暮れて行くと、遣る瀬なさに、幾重にも/\、繰り返して嘆いて居ることだ。
 
2902 我が戀ひは夜晝分かず、百重《モヽヘ》なす心し思《モ》へば、いとも術なし
 
2902 自分の戀ひは、夜晝の辨別もなく、心で幾重にも/\、思うて居るので、非常に遣る瀬ないことである。
 
2903 いとのきて薄き眉根を、徒らに掻かしめつゝも、會はぬ人かも
 
2903 それでなくてさへ、餘り待つて掻くので、非常に薄くなつて居る眉の根をば、やつて來るやうな心持ちを起させて、掻かせておき乍ら、それを無駄にさせて、會うてくれない人だこと。
 
2904 戀ひ/\て、後も會はむと、慰もる心しなくば、生きてあらめやも
 
2904 焦れ/\ても、將來は會はう、と宥める心持ちがなければ、夙《トク》に死んで居る筈で、今迄生きて居ようか。
 
2905 幾《イク》ばくも生けらじ命を。戀ひつゝぞ、我は息|吐《ヅ》く、人に知らえず
 
2905 さうでなくても、どれ程も生きて居られない筈の命だのに、思ふ人には、その心を知られないで、嘆息《タメイキ》許り吐《ツ》いて居ることだ。
 
2906 人國に求婚《ヨバヒ》に行きて、大刀の緒もいまだ解かねば、さ夜ぞ明けにける
 
2906 見ず知らぬ外《ヨソ》の國へ出かけて、妻を訪問して、まだうち解けて、大刀の緒さへも解かない中に、夜があけたことだ。
 
2907 健男《マスラヲ》の鋭《サト》き心も今はなし。戀ひの奴に、我は死ぬべし
 
2907 立派な男の、しつかりした心持ちも、もうなくなつて了うた。戀ひの野郎の爲に、自分は死んで了ひさうだ。
 
2908 つねにかく戀ふれば苦し。暫《シマシ》くも心安めむ、事計りせよ
 
2908 何時もこんなに焦れて居るのは、辛《ツラ》いことだ。暫らくでも、心を安めてゐる計畫を立てゝくれ。
 
2909 おほよそに我し思はゞ、人妻にありとふ妹に、戀ひつゝあらめや
 
2909 好い加減に、お前さんのことを思うて居る位ならば、元々他人の愛人であるあなたに、こんなに焦れたりなどしませうか。
 
2910 心には千重に百《モヽ》重に思へれど、人目を多み、妹に合はぬかも
 
2910 そんなに怨んで下さるな。心中では形容の出來ない程、幾重にも思ひこんで居るのですが、人の見る目がうるさいので、お前さんに會はないで居ることです。
 
2911 人目多み、目こそ忍《シヌ》ぶれ。尠くも、心の中に我が思はなくに
 
2911 人目がうるさゝに、會ふことは辛抱して居るのだ。併し心中では、淺くは思うて居ないのだ。
 
2912 人の見て言咎《コトトガ》めせぬ夢に、我、今宵至らむ。宿さすな。ゆめ
 
2912 人が見ても、咎めて呼び止めるといふことのない夢で、今夜私は參りませう。どうぞ氣をつけて、表をさゝずにおいて下さい。
 
2913 何時迄に生きむ命ぞ。おほよそは戀ひつゝあらずは、死ぬる優れり
 
2913 何時迄、生きて居る人間の生命だ。好い加減に焦れて居る位ならば、死んだ方がましである。
 
2914 うつくしと思ふ吾妹を、夢に見て、起きて探《サグ》るに、無きが寂《サブ》しさ
 
2914 可愛いと思うて居るいとしい人をば、夢で見て、目が覺めてから、幾ら枕元を探つて見ても、居ないのが悲しいことだ。
 
2915 妹と言へば無禮《ナメ》し畏《カシコ》し。しかすがに、かけまく欲しき言《コト》にもあるかも
 
2915 あなたと私とは、身分が違ふ。其あなたに向つて、妹と言ふのは、禮儀に反いたことだし、畏れ多いことだ。併し乍ら、それはさうだが、あなたにつけて、呼びたい名前ですこと。
 
2916 玉|筺《ガツマ》會はむといふは、誰なるか。會へる時さへ、面隱《オモガク》しする
 
2916 一體會はうと言うて入らつしやつたのは、誰方《ドナタ》です。(まさか、あなたではありますまいね。實際、面と向つて居る時分でも、顔を隱して入らつしやることよ。(音律と情緒と相伴うて、柔かな境地を物語つて居る。佳作。)
 
    *
 
2917 現にか妹が來ませる。夢にかも、我か惑へる。戀ひの繁きに
 
2917 正氣で居て、いとしい人がやつて入らつしやつたのか、それとも此は夢で、私が寢ぼけて、と惑ひをして居るのでせうか。餘り甚く、焦れて居る爲に。(女から尋ねて來たのを、男が夢か現か、と狂喜して居る歌。)
 
2918 大方はなどかも戀ひむ。言擧《コトア》げせず、妹に寄り寢む年は近きを
 
2918 やつとの思ひで、いざこざなく許されて、いとしい人と絡み合うて寢る時は、近づいて來て居るのに、好い加減なことで、何を彼此と焦れようか。
 
2919 二人して結びし紐を、一人して、我は解き見じ。直接《タヾ》に逢ふ迄は
 
2919 二人寄つて結んだ袴の紐を、獨りで、自分は解いても見ますまい。直接に、あなたに會ふ迄は。
 
2920 死なむ命こゝは思はず、直《タヾ》にしも妹に會はざる事をしぞ思ふ
 
2920 衰へて、死んで了ふだらう命、そんなことは、氣にも懸けない。只いとしい人に會はないことをば、殘念に思ふ。
 
2921 處女《ヲトメ》子は、同じ心に暫《シマ》しくも止む時もなく、見なむとぞ思ふ
 
2921 可愛い娘をば、何時迄も變らない心持ちで、ちつとの間でも、止《ヤ》まる時なく會ひたいと思ふ。
 
2922 夕されば君に會はむと思へこそ、日の暮るらくも、嬉しかりけれ
 
2922 日暮れになつたら、いとしいお方に會はうと思うて居るからこそ、日の暮れて行くのさへも、嫌と思はず、嬉しいことである。
 
2923 直接《タヾ》今日も君には會はめど、人言を繁み、會はずて、戀ひ渡るかも
 
2923 今日も直《ヂカ》に會はうと思へば、會ふことが出來るだらうが、人の評判がうるさゝに、會はないで焦れて居ることだ。
 
2924 世の中に戀ひ茂けむと思はねば、君が手本《タモト》を枕《マ》かぬ夜もありき
 
2924 實際二人の間でこんなに、非常にいとしい人が戀しくなる、といふことを考へなかつた爲に、いとしい方の手を枕とせずに、寢た晩もあつた。此位であつたら、よく共寢しておくのに。
 
2925 緑兒《ミドリゴ》の爲こそ、乳母《オモ》は求むとへ。乳《チ》飲めや。君が乳母《オモ》求むらむ
 
2925 一體赤ん坊の爲にこそ、乳母をば探し求めると申しますが、あなたが乳をお飲みなさるのか。其で此頃、お乳母さんを探して入らつしやるのでせう。(此作者は、若い男に挑《イド》まれたので、それに對して、自分を乳母に譬へて、男を嘲笑したもの。)
 
  *
 
2926 悔《クヤ》しくも老いにけるかも。吾が夫子《セコ》が求むる乳母《オモ》に、行かましものを
 
2926 まああなたが、御親切に仰つしやつて下さつたが、殘念にも、甚く年が寄つたことですね。さうでなくば、あなたの探して入らつしやる、お乳母さんに行きたいのだのに。(此も、先の女の歌。)
 
  *
 
2927 うらぶれてかれにし袖を、又|枕《マ》かば、過ぎにし戀ひや、亂り來むかも
 
2927 焦れて居ることの苦しさに、悲觀して別れて了うた人の袖を、又枕としたら、以前通りに失《ナ》くなつた戀ひが、心を亂して、やつて來るだらう。
 
2928 おのがじゝ人死にすらし。妹に戀ひ、日《ヒ》に日《ケ》に痩せぬ。人に知らえず
 
2928 人は銘々、思ひ/\に死んで行くに違ひない。いとしい人に焦れて、その思ふ人にも知つて貰はないで、一日々々と、痩せ衰へて行くことだ。
 
2929 宵々に我が立ち待つに、蓋しくも、君來まさずば、苦しかるべし
 
2929 毎晩私は、立つて待つて居るが、若しもお出でにならないやうになつたら、定めし、術ないことであらうよ。
 
2930 生ける世に、戀ひとふものをあひ見ねば、戀ひの中にも、我ぞ苦しき
 
2930 どう考へて見ても、自分の今生きて居る間には、二人とも戀ひといふものを、經驗すると言ふことがないから、戀ひをし乍らも、自分だけが苦しいことだ。
 
2932 心には燃えて思へど、うつそみの人目を忍び、妹に會はぬかも
 
2932 心中では、燃え立つ許り、熱して思ひこんではゐるが、人目のうるさゝに、いとしい人に會はないで居ることだ。
 
2933 あひ思はず、君は在《マサ》めど、片戀ひに我はぞ戀ふる。君が姿を
 
2933 いとしいお方は、思ひ合うても居て下さるまいけれど、自分だけは、片戀ひにいとしい方の姿を、思ひ焦れて居る。
 
2934 あぢさはふ目には飽けども、たづさはり言問はなくも、苦しかりけり
 
2934 何時も、目には滿足する程、顔を見て居るが、自分の身に近くをつて、物を言ひかけないことが、心を悩すことである。
 
2935 あら玉の年の緒長く、何時迄か、吾が戀ひをらむ。命知らずて
 
2935 何時迄、壽命があることかも訣らないで居て、それで年月長く、かうして何時迄も、長く焦れてをらねばならんか。
 
2936 今は吾《ア》は死なむよ。我が夫。戀ひすれば、一夜一日も安けくもなし
 
2936 もうかうなつては、私は死にませうよ。焦れて居ると、一日一晩たりとも、安らかな心持ちのすることは御座いません。
 
2937 白栲の袖折り返し、戀ふればか、妹が姿の夢にし見ゆる
 
2937 白栲の著物の袖をば、裏返して焦れて寢る爲に、いとしい人の姿が、夢に現れるのであらうか。
 
2938 人言を繁み、こちたみ、我が夫子を目には見れども、會ふよしもなし
 
2938 人の評判がうるさく甚《ヒド》いので、いとしいお方を、目には見て居乍ら、會ふ方法もなく、暮して居ることだ。
 
2939 戀ひと言へは、薄きことなり。然れども、我は忘れじ。戀ひは死ぬとも
 
2939 成程《ナルホド》戀ひといふと、詰らないことだ。併し自分は、其詰らん戀ひの爲に、焦れ死んでも、いとしい人のことは忘れまいよ。
 
2940 なか/\に死なば易けむ。出づる日の入るわき知らに、吾し苦しも
 
2940 こんなにして生きて居るよりは、一層死んだら、心がゆつたりするだらう。出た日が這入つたか、といふ區別も訣らずに、日中も晩も、同じに暮して居る自分は、術ないことだ。(誇張だが、誠實味の漲つた誇張で、讀者に深い不安を懷かせない。傑作。)
 
  *
 
2941 思ひやる便《タドキ》も、我は今はなし。妹に會はずて年の經行けば
 
2941 煩悶をうつちやる手段も、今はもう、訣らなくなつて了うた。いとしい人に會はないで、年が立つたので。
 
2942 吾が夫子に戀ふとにしあらし。幼兒《ミドリゴ》の夜泣きをしつゝ、眠《イ》ね敢《カ》てなくは
 
2942 私が、こんなに赤ん坊のやうに、夜になると泣いて、寢ることも出來ませんのは、戀しいあなたに焦れて居るとて、さうなるのでありませう。
 
2943 吾命《ワギノチ》の長く欲しけく。詐《イツハリ》をよく爲《ス》る人を、報ゆ許りを
 
2943 私の命が、長くあることが願はしいことだ。何故かと言へば、人を誑して詐ることの上手な人に、爲返しをしてやりたい許りで、さう思ふ。
 
2944 人言を繁みと、妹に會はずして、心の中に戀ふる。此頃
 
2944 人の評判が、うるさいからといふので、いとしい人に會はないで居て、幾日以來、焦れて居ることだ。
 
2945 玉づさの君が使ひを待ちし夜の、餘波《ナゴリ》ぞ。今も寢ねぬ夜の多き
 
2945 もう今では、あの人と交通しなくなつて焦れてるのだが、あの人から來る使ひを、待ち焦れて居た、あの時分の夜の影響が、まだ殘つて居て、未に眠らないことが多くあることだ。
 
2946 玉桙の道に行き會ひて、外目《ヨソメ》にも見れど、よき子を、何時しか待たむ
 
2946 道で行き合うて、傍《ワキ》から見ても、美しう思はれる位のあの人を、何時になれば、自分の家へ待ちをふせて、來さすことが出來ようか。
 
2947 門に出でゝ我がこい伏すを、人見けむかも。
 術《スベ》なくも出で歩きてぞ、家の邊《アタリ》見し』
 
2947 表に出て、自分が倒れて寢てゐるのを、人が見附けておいたことだらう。遣る瀬なさに、出歩いて、あの人の家のある邊を見たことであつた。
 
2948 明《ア》けむ日はその門行かむ。出でゝ見よ。戀ひたる姿あまたしるけむ
 
2948 幾ら待つても、入らつしやらない。夜が明けたら、あなたの表を通りませうから、御覧下さい。一夜焦れて居た容子が、非常に、はつきりと訣ることでせう。
 
2949 うたてある心いぶせし。事計りよくせ。吾が夫子《セコ》。會へる時だに
 
2949 あなたの御心は、嫌な陰鬱なお心です。せめて會うた時だけでも、そんなにしてをらずに、よく此から先のことを、考へて下さいませ。あなたよ。
 
2950 我妹子が夜戸出の姿見てしより、心空なり。地《ツチ》は蹈めども
 
2950 いとしい人が、夜表へ出て歸つて行く姿を見てからといふものは、體は、地を暗んで居るが、心は、上《ウハ》の空になつて居る。
 
2951 海石榴市《ツバイチ》の八十《ヤソ》の衢《チマタ》に立ち馴《ナラ》し、結びし紐を解かまく、惜しも
 
2951 あの椿市の里の、道の澤山會ふ辻で、彼方此方と歩き廻つて、その時會うた人が、結んでくれた紐を解くのは、餘り惜しいことだ。(此歌を、椿市の歌垣の時に、會うた女を思うたのだ、といふのは、根據のないことだ。)
 
2952 我が齡《ヨハヒ》し衰へぬれば、白|栲《タヘ》の袖のなれにし君をもぞ思ふ
 
2952 自分が段々、年が老年に衰へかゝつて行くにつれて、著て居る白栲の衣ではないが、此迄馴れ合うて來た、あの人のことをば思ふ。
 
2953 君戀ふと我が泣く涙、白|栲《タヘ》の袖さへ漬《ヒ》ぢて、せむ術もなし
 
2953 あの方に焦れるので、自分の泣く涙が、白栲の著物さへ、ぼと/
\に濡して、何とも爲方がない。
 
2954 今よりは逢はじとすれや、白栲《タヘ》の我が衣手の、乾《ヒ》る時もなき
 
2954 もう今後は會ふまい、と思うて居る爲か知らんが、自分の白栲の袖が、乾く間もなく、涙で濡れて居る。
 
2955 夢とかも思ひ分かぬや。月|多《マネ》く離《カ》れにし君が、言《コト》の通へは
 
2955 夢か現かと區別して、考へることが出來ぬことよ。幾月も長い間、と絶えて居つた人の便りが、やつて來たので。
 
2956 あら玉の年月かねて、ぬば玉の夢にぞ見ゆる。君が姿を
 
2956 年月を幾つもかけて、いとしい方の夢が、幾つも續いて現れることだ。
 
2957 今よりは、戀ふとも妹に會はめやも。床の邊去らず、夢に見えこそ
 
2957 是からは、幾ら焦れても、いとしい人に會はれる氣遣ひはない。毎晩、寢床の邊を離れることなく、始終、夢に現れてくれ。
 
2958 人の見て、言《コト》咎めせぬ夢にだに、止まず見えこそ。我が戀ひ止まむ
 
2958 人が見ても、見咎めて、呼び止めたりすることのない、その夢にでも、現れてくれ。さうすれば、自分の焦れる心が休まらう。
 
2959 現には言は絶えたり。夢にだに、續ぎて見えこそ。直接《タヾ》に會ふ迄に
 
2959 起きて正氣で居る間は、便りもとぎれて交通しないで居るが、せめて夢にだけは、直接に會ふことの出來る迄は、とぎれることなく、續けて會うてくれ。
 
2960 うつそみの現《ウツ》し心も、我はなし。妹をあひ見ずて、年の經ぬれば
 
2960 此頃では、正氣も、自分にはもうない。いとしい人をば見もしないで、年が段々立つたので。
 
2961 うつそみの常の言《コトバ》と思へども、續ぎてし聞けば、心は和《ナ》ぎぬ
 
2961 此人間世界のありふれた言だとは思ひ乍ら、いとしい人の便りをば、絶えることなく、始終聞くので、心は慰まつたことである。
 
2962 白栲の袖|枕《マ》かず寢《ヌ》る、ぬば玉の今宵は、早も明けば明けなむ
 
2962 いとしい人の白栲の袖を、枕とせずに寢る今晩は、常なら惜しむのであるが、明けるなら、早く明けても好い。
 
2963 白栲の袂ゆたけく、人の寢《ヌ》る熟睡《ウマイ》は眠《ネ》ずや、戀ひ渡りなむ
 
2963 白栲の袂が、ゆつたりして居るやうに、落ち著いて、他の人がするやうな、熟睡して眠ることがなく、何時迄もかうして、續けなければならんか。
 
  □物に寄せて思ひを陳べた歌
 
2964 かくしのみありける君を。衣《キヌ》にあらば、下にを著むと、我が思《モ》へりける
 
2964 こんな風に、つれない人だつたのに、其人の爲に、若しも著物だつたら、下に重ねて、身を離さずに著て居よう、と思うたことだ。馬鹿なことだつた。
 
2965 橡《ツルバミ》のあはせの衣の裏にせば、我強ひめやも。君が來まさぬ
 
2965 橡染めの袷の著物ではないが、あなたを好い加減に(裏にせば)思うて居たら、無理に入らつしやいと言ひませうか。思うて居ればこそ、強ひて來て下さいといふのです。それに、あなたが來て下さらないのです。
 
2966 紅の薄染《アサゾメ》衣、淺はかにあひ見し人に、戀ふる頃かも
 
2966 紅の薄色染めの著物ではないが、つひ一寸見たゞけの人の爲に淺はかにも、焦れて居る此頃だ。
 
2967 年の經ば見つゝ忍べと、妹が言ひし衣の縫ひ目、見れば哀しも
 
2967 別れる時、此儘長く會へなければ、之を見乍らわたしのことを思ひ出してくれ、といとしい人のいうた、その著物の縫ひ目を見ると、悲しいことだ。
 
2968 橡《ツルバミ》の單衣《ヒトヘゴロモ》のうらもなく、あらむ子故に、戀ひ渡るかも
 
2968 橡染めの單衣ではないが、何の隔てもなくをる人の爲に、焦れ續けて居ることだ。
 
2969 解衣《トキヾヌ》の思び亂りて、戀ふれども、何の故ぞと問ふ人もなし
 
2969 解《ホド》いた著物ではないが、思ひ亂れて焦れて居ても、何の爲に、怎うしてさうだ、と問うてくれる人もない。
 
2970 あら染めのあさらの衣、淺はかに思ひて、妹が會はぬものかも
 
2970 あら染めに染めた、薄色の著物ではないが、自分の心を淺はかなものと思うて、いとしい人が、自分に會うてくれないことだ。
 
2971 大君の鹽燒く海人《アマ》の葛《フヂ》衣、穢《ナ》れはすれども、彌《イヤ》珍しき
 
2971 天子に奉る御料の、鹽を燒く海人の葛衣の、なれてよれよれになつてをるのではないが、あの方と自分は、馴れて近付き過ぎて居るが、それでも飽かず、益、珍しいやうな心持ちがすることだ。
 
2972 赤|衣《ギヌ》の直裏衣《ヒタウラゴロモ》著まく欲り、我が思ふ君が、見えぬ頃かも
 
2972 赤布で拵へた、無双の著物をば著たく思ふやうに、自分の物としたく思うてゐる、いとしいお方が、お見えにならぬ此頃である。
 
2973 眞玉つく遠近《チチコチ》かねて結びつる、我が下紐の、解くる日あらめや
 
2973 近いことは元より、遠い將來迄かけて解くまい、というて結んだ、自分の下裳の紐が、何時迄たつても、解かれる時が來るものか。あなた以外には、誰にも許しは致しません。
 
2974 紫の帶の結びも解きも見ず、もとなや、妹に戀ひ渡りなむ
 
2974 自分がして居る紫色の帶の結び目も、解いても見ないで、いとしい人の爲に、心もとなく、焦れ續けてをらねばならんか。
 
2975 狛錦《コマニシキ》紐の結びも解きさけず、齋《イハ》ひて待てど、驗《シルシ》なきかも
 
2975 自分の狛錦の下裳の紐も、人の爲には解き放さずに、他の者は近寄せずに、慎んで、戀しい人を待つて焦れるけれど、そのかひがないことだ。
 
2976 紫の我が下紐の色に出でず、戀ひかも痩せむ。逢ふよしをなみ
 
2976 紫染めの自分の下裳の紐ではないが、色にも出さないで、會ふ手段がないので、焦れて痩せてをらねばならんか。
 
2977 何故か思はずあらむ。紐の緒の心に入りて、戀しきものを
 
2977 紐として通した緒が、縫ひ目に入りこんで了うたやうに、深く浸みこんで、戀しいのに、どうして思はずに居られませうか。
 
2978 まそ鏡見ませ、吾が夫子《セコ》。我がかたみ持たらむ時に、會はざらめかも
 
2978 今、わたしの身代りとしてさし上げます、此磨ぎ上げた鏡を御覧下さい。此身代りを取り出して、御覧なさる時分には、別れて居ても、顔を見合せない、といふことがありませうか。見れば今見るやうに、わたしの顔が映るだらう。
 
2979 まそ鏡|直《タヾ》目に君を見てばこそ、命に向ふ我が戀ひ止《ヤ》まめ
 
2979 直《ヂカ》にあなたを見ることが出來たならば、さうしたら此命懸けの、自分の戀ひも止《ヤ》まりませう。
 
2980 まそ鏡見飽かぬ妹に逢はずして、月の經行けば、生けるともなし
 
2980 見ても見飽かぬ、いとしい人に會はないで、一月も立つて行くので、生きて居るやうな氣もせない。
 
2981 祝等《ハフリラガ》が齋《イハ》ふ神籬《ミモロ》のまそ鏡、掛けて偲《シヌ》びつ。會ふ人毎に
 
2981 神主達が、謹んで仕へて居る、神の下《オ》りられる場所に、据ゑる鏡ではないが、誰を見ても、人に會ふ度に、心にかけて浮べる、いとしい人のことを思ひ出して居ることだ。
 
2982 針はあれど、妹しなければ、著《ツ》かめやと、我を悩《ナヤマ》し絶ゆる、紐の緒
 
2982 縫ふべき針はあつても、いとしい人が居ないのに、縫ひ著けることが出來るか、といふ風に、自分を苦しめて、紐が切れたことだ。
 
2983 狛劔《コマツルギ》我が心ゆゑ、外にのみ見つゝや、君を戀ひ渡りなむ
 
2983 自分の心であるのに、それがどうとも出來ないで、その心の爲に、いとしい人を外から見て、焦れ續けてをらねばならんか。
 
2984 劔大刀名の惜しけくも、我はなし。此頃の程の戀ひの繁きに
 
2984 最早自分は、自分の名が、どんなに出ても、殘念と思はない。此頃の焦れる心の、甚いのには叶はないから。
 
2985 梓弓末はし知らず。然れども、まさかは、君に寄りにしものを
 
2985 將來かけては、好く訣らない。併し目前、今迄あなたに片寄つて、思うてをりましたのに。
 
2986 梓弓引きみ緩《ユル》べみ、思ひ見て、已《スデ》に心は寄りにしものを
 
2986 或時は強く思ひつめ、或は稍緩めて思うては居たが、心では、夙《トク》の昔から、あなたに片寄つて焦れてゐたのに。
 
2987 梓弓引きて緩《ユル》べぬ健男《マスラヲ》や、戀ひとふものを、忍《シヌ》びかねてむ
 
2987 梓弓を引いて、緩めないやうに、心に油斷のない、立派な男であり乍ら、戀ひといふものを、堪へかねる筈がないのに、自分は意氣地なくも、戀ひの爲に、屈託して居る。
 
2988 梓弓末の中頃|弛《タユ》めりし君には會ひぬ。嘆きは止《ヤ》めむ
 
2988 末かけて約束したその中途で、弛《ダル》んでやつて來なかつたあの方に會ふことが出來た。もう嘆くことを止《ヤ》めませう。
 
2989 今更に何か思はむ。梓弓引きみ、緩べみ、寄りにしものを
 
2989 間には思ひつめた時も、又幾らか、弛んだ時もあつたが、ともかく、あなた一人に、心をば傾けてをつたものでありますのに、今頃になつて、あなたは何を案じて、私の心を疑うて、入らつしやるのですか。
 
2990 處女等が生麻《ウミヲ》の線柱《タヽリ》うちかけて、績《ウ》む時なしに、戀ひ渡るかも
 
2990 娘達が、絲に績み合せる、麻をかけたたゝりに、麻をかけた儘で、績み合せずに、捨てゝあるやうに、私とあの人とは、一つになる時も訣らないで、焦れ續けて居ることだ。
 
2991 たらちねの母が養《カ》ふ蠶《コ》の繭|籠《ゴモ》り、いぶせくもあるか。妹に會はずして
 
2991 お母さんの養うて居る蠶が、繭に籠つて居るのではないが、いとしい人に會はないで、心が屈託することだ。
 
2992 玉だすきかけねば苦し。かけたれば、繼ぎて見まくの欲しき君かも
 
2992 心に思ふまいとするのは、苦しいことだ。私は常日頃、心の中に思うてゐるので、絶えることなく、見たい所のいとしいお方よ。
 
2993 紫に染《シ》めてし※[草冠/縵]《カヅラ》。華やかに今日見る人に、後戀ひむかも
 
2993 紫色に染めた頭飾りではないが、華やかな人だ、と今眺めて居る此人に、將來、焦れることになるだらうよ。
 
2994 玉※[草冠/縵]かけぬ時なく、戀ふれども、何ぞも、妹に會ふ時もなき
 
2994 心に思ひ浮べない時もない程、いとしい人に焦れて居るが、どうしたことだか、いとしい人に會ふ折りもないことだ。
 
2995 逢ふよしの出で來む迄は、疊|薦《ゴモ》隔編《ヘア》み數々《シマヽヽ》、夢にし見てむ
 
2995 會へる訣が出來る迄は、疊をば幾度も/\編み返すやうに、繰り返して、會ふことを夢に見てゐよう。
 
2996 白髪《シラガ》づく木綿《ユフ》は花もの。言《コト》こそは嚴《イツ》の榊の、本忘らえね
 
2996 あなたは、御上手だ。言だけでは、神樣にさし上げる尊い榊ではないが、本(以前)のことが、忘れられないと仰つしやいますが、よく考へて下さい。その榊の枝に附いてゐるあの木綿は、飾り物ですからね。
 
2997 石上《イソノカミ》布留の高橋、高々に、妹が待つらむ。夜ぞ更けにける
 
2997 いとしい人の住んで居る、あの石の上の邊の布留の川に懸けた、高い橋ではないが、高々と、いとしい人が待ち焦れて居るだらうよ。あゝ夜が更けたことだ。
 
2998 水門《ミナト》入りの葦分け小舟。障《サハ》り多き今來む我を。たゆむと思ふな
 
2998 川口へ這入つて來る、葦を分ける舟ではないが、邪魔が多いので、暫らく用心して、今にやつて行かう、と思うて居る自分を、中だゆみをして居る、と思うてくれな。
 
2999 水を多み、上《ア》げ田に種蒔き、稗を多み、選《エラ》えしからぞ。我が獨り寢《ヌ》る
 
2999 窪田には水が多いので、上田に種を蒔いた所が、稗が澤山雜つて居たので、選つて捨てられるやうに、いとしい人に捨てられたので、自分は、獨り寢てゐることだ。
 
3000 魂《タマ》あはゞあひ寢むものを。小山田の鹿田《シヽダ》守《モ》る如、母し守らすも
 
3000 心さへあうたら、共に寢ようと思ふのに、まるで山の田の、獣がついた田を番するやうに、いとしい人の母親が番して、逢はして下さらないことだ。
 
3001 春日野に照れる夕日の、よそにのみ、君をあひ見て、今ぞ悔しき
 
3001 春日野に照つて居る夕日ではないが、直《ヂカ》に言ひ容れても見ないで、側《ワキ》から眺めて居たのが、今から思へば、殘念なことだ。
 
3002 足引きの山より出づる月待つと、人には言ひて、妹待つ。我を
 
3002 山から出て來る月を見る爲に、待つて居るのだ、と人が咎めると言ひなして、實は自分は、やつて來るいとしい人を待つてることだ。
 
3003 夕月夜、明時《アカトキ》闇の、仄かにも見し人故に、戀ひ渡るかも
 
3003 日暮れの月や、明け方の日の出る迄の薄闇のやうに、ほんのりと少し許り、會うて見たことのある人、と云ふに過ぎないのに、其人に、焦れ續けて居ることだ。
 
3004 久方の天つみ空に照れる日の、失《ウ》せなむ日こそ、我が戀ひ止まめ
 
3004 空に照つて居る太陽が、なくなつて了ふ日が來たら、自分の此戀ひも止《ヤ》まるだらうが、さういふことがないと同じく、戀ひの止む時もあるまい。
 
3005 望《モチ》の日に出でにし月の、高々に、君を在《イマ》せし。何か思はむ
 
3005 十五日の晩にさし昇る月ではないが、高々と鶴首して、待ち焦れて居たお方をば待ちつけて、自分の家に居させておいて、此上、何を思ふことがあらうか。(此は久し振りで來た男が、女の浮かない顔を見て、どうしたのか、と問うたのに答へた歌と見える。)
 
    *
 
3006 月夜よみ、門に出で立ち、足占《アウラ》して行く時さへや、妹は會はざらむ
 
3006 月が好いので、表へ出て、足占を蹈んで見て、會へるといふので、出かけて行く今日でさへも、いとしい人に會へない、といふことがあるまい。今日は會へるに違ひない。
 
3007 ぬば玉の夜渡る月の爽けくは、よく見てましを。君が姿を
 
3007 夜空を運行する月のやうに、はつきりといとしいお方の姿を、よく見ておいたらよかつたのに、殘念なことをした。
 
3008 足引きの山をを高み、夕月をいつとか、君を待つが苦しさ
 
3008 山に木がよく茂つて居るので、出て來る日暮れの月を、何時出ることか、と待つやうに、待ち焦れて居るのが、術ないことだ。
 
3009 橡《ツルバミ》の解き洗ひ衣《ギヌ》、眞土《マツチ》山もとつ人には、尚|如《シ》かずけり
 
3009 橡染めの、解いて洗うた著物を打つ、眞土山ではないが、その同じ音の、本つ人即、昔馴染の戀ひ人には、どんな人も、怎うして/\、及ぶことではない。(女が、他に通ふ所のある男に、怨んだのに對して、宥《ナダ》めた歌。)
 
    *
 
3010 佐保川の川波立たず、靜けくも、君にたぐひて、明日さへもがも
 
3010 此近くを流れて居る、佐保川ではないが、我々二人の間にも、波のやうな邪魔者が起らないで、いとしい方と一處に、明日又、かうして居たいことだ。
 
3011 吾妹子に衣春日《コロモカスガ》の吉木《ヨシキ》川。よしもあらぬか。妹が面《メ》を見む
 
3011 いとしい人に、著物をば貸して上げるではないが、その春日の吉木川で、いとしい人の顔を見る由があるまいか。
 
3012 との曇り雨布留川の小波《サヾレナミ》、間なくも、君は思ほゆるかも
 
3012 空一杯に曇つて來て、雨が降るといふ語に縁のある、布留の川の漣が、隙き間もなく立つて居るやうに、隙き間もなしに、いとしい人のことを思うて居ることだ。
 
3014 神南備《カムナビ》の山下とよみ逝く水の、水脈《ミヲ》し絶えずば、後も我が妻
 
3014 神南備山の麓をば、音高く流れて行く水の、水脈が切れないやうに、何時迄も、二人の仲も切れないで、將來必會はうよ。いとしい人よ。
 
3015 雷《カミ》の如聞ゆる激湍《タギ》の白波の、面《オモ》知る君が見えぬ、此頃
 
3015 雷のやうに、甚《ヒド》い音の聞える激湍に立つ、波の容子の面白いやうに、面白いといふ語に縁のある、面知る(好く顔を見せて下さつた)あなたが、お見えにならぬ此頃よ。
 
3016 山川の激湍《タギ》にまされる戀すとぞ、人知りにける。間なく思へば
 
3016 山川の激湍よりも、激しい戀ひをして居る、と人に悟られたことだ。始終、思ひ詰めて居るので。
 
3017 足引きの山川水の、音に出です、人の子故に、戀ひ渡るかも
 
3017 山川の水が、音を立てゝ流れるのとは反對に、聲にも出さないで、そつと、他人である人だのに、其人の爲に、焦れ續けて居ることだ。
 
3018 巨勢《コセ》なる能登瀬《ノトセ》の川の、渡り逢はむ。妹には、我は。今ならずとも
 
3018 いとしい人とは、今會へなければ、今でなくても、巨勢の能登瀬川で、後に自分は逢はうと思ふ。
 
3019 洗ひ衣《ギヌ》とりかへ川の川淀の、淀まむ心思ひかねつも
 
3019 洗ひ衣をば、取り換へて著るといふ、とりかへ川の淀む瀬ではないが、自分はさうした淀んだ心持ちにはなりかねて、焦れて居ることだ。
 
3020 斑鳩《イカルガ》のよるかの地の宜しくも、君が言はねば、思ひぞ、我がする
 
3020 斑鳩の里にある、よるかの池ではないが、いとしい方が、此方の氣に嵌るやうな、返答をしてくれないので、思ひ事を私はして居る。
 
3021 隱沼《コモリヌ》の下ゆは戀ひむ。著《イチジロ》く人の知るべく、嘆きせめやも
 
3021 幾ら戀しくても、心の底で焦れて居よう。目立つて人が知りさうに、嘆《タメ》息をついたり何ぞは、決してすまい。
 
3022 行くへ無み、隱《コモ》れる小沼《ヲヌ》の下思ひに、我ぞ物|思《モ》ふ。此頃の間《マ》は
 
3022 流れて出て了ふ所がなくて、隱つて居る池ではないが、上べに出さないで、心に隱して焦れて、此頃中は、物思ひをして居ることだ。
 
3023 隱沼《コモリヌ》の下|從《ユ》戀ひ餘り、白波の著《イチジロ》く出でぬ。人の知るべく
 
3023 隱れ沼のやうに、心の底で、思うて居切れなくなつて、波が上るやうに目立つて、表に人の氣附く程に、顯したことだ。
 
3024 妹が目を見まく堀江の漣《サヽレ》波、頻《シ》きて戀ひつゝありと、告げこそ
 
3024 いとしい人の顔を見たく欲りする、といふ語に縁ある堀江、即、疏水の川に立つ漣波ではないが、しきりなく焦れて居る、といとしい人に告げてくれ。
 
3025 岩走る垂水《タルミ》の水の、はしきやし、君に戀ふらく、我が心から
 
3025 岩の上を激して流れる、瀧の水のやうに、激しくいとしい方に、焦れて居ることだ。自分の心の所爲で。
 
3026 君は來ず、われは故なく立つ波の、數々《シマヽヽ》わびし。かくて來じとや
 
8026 お待ち申しても、いとしい人はお出でにならない。女の身のわたしは、行くといふ手段がなくて、川に立つ波のやうに、しきりなく、悲觀せられることだ。かうして、何時迄も來まい、といふお心でせうか。
 
3027 近江湖《アフミノウミ》。へたは人知る。沖つ波君をおきては、知る人もなし
 
3027 あなたと私との間は、淡海の湖水の波で、譬へることが出來ます。岩邊に打つものは、人が知つて居るが、沖の方で立つて居る波のやうに、心の底で思ひ合うて居る二人の仲は、誰も知つた人がありません。
 
3028 大海の底を深めて、結びてし妹が心は、疑ひもなし
 
3028 大洋の底が深いやうに、深く約束したいとしい人の心は、疑ふ所もない。
 
3029 佐田(ノ)浦に寄する白波、間なく思ふを、何ぞ、妹に會ひ難き
 
3029 佐田の浦に寄せ來る波が、寄せぬ間がないやうに、隙き間もなく思ひ續けて居るのに、怎うして、いとしい人に會ふのが、むつかしいのだらう。
 
3030 思ひ出でゝ術《スベ》なき時は、天雲の奥所《オクカ》も知らず、戀ひ渡るかも
 
3030 いとしい人のことを思ひ出して、遣る瀬ない心持ちのする時分には、今は元より、將來どうなることやら、的もなく、焦れ續けて居ることだ。
 
3031 天雲のたゆたひ易き心あらば、吾《ア》をな頼めそ。待てば苦しも
 
3031 あなたの心中に、空行く雲ではないが、中|緩《ダル》みのしさうな心持ちならば、そんな頼りありさうな言を言うて、私に信頼させて下さるな。お出でになるか、と思うて待つて居るのは辛《ツラ》いことです。
 
    *
 
3032 君が邊《アタリ》見つゝもあらむ。膽駒《イゴマ》山雲な棚引き、雨は降るとも
 
3032 いとしい人の住んでる邊は、あの邊だと跳めても居よう。どうか雨が降つても、あの生駒山に雲が懸つてくれな。
 
3033 なか/\に何か知りけむ。我が山に燃ゆるけぶりの、外《ホカ》に見ましを
 
3033 こんなことなら、一層知らなかつたらよかつたのに、中途半端に、何故知り合ひになつたことだらう。自分の住んで居る邊の、山や樹に燃えて居る煙のやうに、外《ワキ》から見てをれば、好かつたのに。
 
3035 明時の朝霧|隱《ガク》り、咲く花の、如何《イカ》でか、戀ひの色に出でけむ
 
3035 どうして自分の焦れて居る心が、夜の明け方の霧の中に、咲いてゐる花ではないが、色に表れたのであらう。
 
3036 思ひ出づる時は術《スベ》なみ、佐保山に立てる霞の、消《ケ》ぬべく思ほゆ
 
3036 いとしい人のことを思ひ出す時は、遣る瀬なさに、佐保山に立つて居る霞ではないが、消え入りさうに思はれる。
 
3037 切目《キリメ》山行きかふ道の、朝霞仄かにだにや、妹に會はざらむ
 
3037 あの切目山の、人の往來する道に立つて居る、朝霞ではないが、只ほんのりとだけでも、いとしい人に會ふことが出來ないだらうか。
 
3038 斯く戀ひむものと知りせば、夕《ユフベ》置きて朝は消えむ露ならましを
 
3038 こんなに焦れねばならんことだ、と訣つて居たら、日暮れに降つて、朝になれば、消えて了ふ露であつたら、よかつたのだ。
 
3039 夕《ユフベ》置きて、朝《アシタ》は消ゆる白露の、消《ケ》ぬべき戀ひも、我はするかも
 
3039 日暮れに降つて、朝になれは消える露ではないが、身も消え入りさうな戀ひをば、自分がして居ることだ。
 
3040 後終に妹に會はむと、朝露の命は生けり。戀ひは繁《シゲ》けど
 
3040 將來何時かは、きつと、いとしい人と一處にならう、と焦れる心は甚いが、脆い朝露のやうな命をば、續けて居ることだ。
 
3041 朝な/\草の上白く置く露の、消《ケ》なば共にと、言ひし君はも
 
3041 毎朝々々、草の上に、眞白に降つて居る露ではないが、消えて死んで了ふなら、一處に死なうと言うた方は。(心變りをせられたことだ。あゝ。)
 
3042 朝日さす春日《カスガ》の小野《ヲヌ》に置く露の、消《ケ》ぬべき我が身惜しけくもなし
 
3042 春日の野に降つて居る露ではないが、自分の身は死んで了ひさうだが、それも更々、戀ひの爲には、殘念だとも思はない。
 
3043 露霜の消《ケ》易き我が身老いぬとも、又をち歸り、君をし待たむ
 
3043 秋に降る冷い露のやうに、消えて死んでも差し支へのない我が身だが、それで居て、こんなに年をとつて居るけれども、も一度若返つて、いとしい人の通うて來るのを、待つて居よう。
 
3044 君待つと庭にしをれば、うち靡く我が黒髪に、霜ぞ置きにける
 
3044 いとしい方を、お待ち申さうと思うて、庭に出て居た所が、自分の髪の毛に、霜が降りかゝつたことだ。
 
3045 朝霜の消《ケ》ぬべくのみや、時なしに思ひ渡らむ。生きの緒にして
 
3045 朝の霜のやうに、身も消え入りさうに許り、何時といふことなしに、命懸けで、思ひ續けてをらねばならんか。
 
3046 漣《サヽナミ》の波越《ナコシ》のあぜに降る小雨《コサメ》、間も置きて我が思はなくに
 
3046 漣の里の波越《ナコシ》の崩岸《アゼ》に降る小雨が、晴れたと思へば降るやうに、間をおかないで、私はあなたのことを思うてゐるのです。
 
3047 神古《カムサ》びて巖に生ふる松が根の、君が心は忘れかねつも
 
3047 古びて神々しく、岩の上に生えて居る松の根のやうに、古くから思うて居た、あなたのお心は、忘れることが出來ないで居ます。
 
3048 御《ミ》狩りする獵場《カリバ》の小野の、楢柴の馴れはまさらず。戀ひこそまされ
 
3048 天子の御獵を行はれる獵場の野に生えて居る、楢の柴ではないが、幾ら近しうしても、彌馴れるといふことはなく、焦れる心が彌深くなつて行く許りだ。
 
3049 櫻麻《サクラソ》の麻生《ヲフ》の下草、とく生ひば、妹が下紐解かざらましを
 
3049 櫻|麻《ソ》を植ゑた畑の下草が生えるのではないが、いとしい人が、もつと以前に、一人前に成長して居たら、人の物となつて了うて、自分が下裳の紐を解くことが出來なかつたのだかも知れないのだが、今迄子どもでをつてくれたことがありがたいことだ。
 
  *
 
3050 春日野に淺茅|標《シメ》結ひ、絶えめやと我が思ふ人は、彌《イヤ》遠長《トホナガ》に
 
3050 春日野で、茅《ツ》花の原に標《シルシ》を著けて、自分のものだとして、何時迄も仲が切れるものか、と思うて居るいとしい人は、何時々々迄も、變らずに居て欲しいものだ。
 
3051 足引きの山|菅《スガ》の根のねもごろに、我はぞ戀ふる。君が姿を
 
3051 麥門冬の根が張つて居るやうに、深く沁々《シミヾヽ》といとしい人の姿を見たい、と焦れて居ることだ。
 
3052 杜若《カキツバタ》佐紀沼《サキヌ》に生ふる菅《スガ》の根の、絶ゆとや、君が見えぬ、此頃
 
3052 佐紀沼に生えて居る、菅の根ではないが、自分に切れて了はうと思うてか、いとしい人が、姿を見せられない今日此頃よ。
 
3053 足引きの山菅の根のねもごろに、止まず思はゞ、妹に會はむかも
 
3053 麥門冬の根ではないが、沁々《シミヾヽ》と深く、絶え間なく思ひ續けてをつたら、いとしい人に會へるだらうか知らん。
 
3054 あひ思はずあるものにかも。菅の根のねもころ/”\に、我が思《モ》へるらむ
 
3054 いとしい人は、自分と一處に思ひ合うて居ては下さらないのに、その人をば沁々と、自分が思うて居る、といふ訣ではあるまいか。
 
3055 山菅の止まずて君を思へかも、我が魂の、此頃はなき
 
3055 止む時なく、思ひ通しに、思ひ續けて居るからか、自分の性根は、まるでないやうである。
 
3056 妹が門行き過ぎかねて草結ぶ。風吹き解くな。直接《タヾ》に會ふ迄に
 
3056 いとしい人に今日は會へないが、通り過ぎることが出來ないから、來た標《シルシ》に草を結んでおく。今度一處に會ふ迄は、風よ、草を吹き解いてくれな。
 
3057 淺茅|原《フ》の茅生《チフ》に足蹈み、心ぐみ、我が思ふ子らが家の邊《アタリ》見つ
 
3057 茅《ツ》花の生えた原に蹈み込んで、いとしい人の住居の邊を眺めて居ることだ。心が屈託するので。(情景竝び到つた傑作。)
 
3058 うちひさす宮にはあれど、鴨頭草《ヅキグサ》の移ろふ心我が思はなくに
 
3058 私は宮中に宮仕へして、立派な人達を澤山見て居ますが、外の人に移るやうな、浮氣な心は、起しはしません。
 
3059 百《モヽ》に千《チ》に人は言ふとも、鴨頭《ツキ》草の移ろふ心我《ワ》が持ためやも
 
3059 あれ此と、樣々に人が噂を立てましても、決して移り氣を、私が持つて好いものですか。
 
3060 萱《ワスレ》草我が紐につく。時となく思ひ渡れば、生けるともなし
 
3060 こんなに、何時といふ定《キマ》りなしに、じやうべつたり思ひ續けて居ると、生きて居る元氣も出ない。それで此萱草を、自分の裳の紐に著けて、いとしい人のことを忘れようと思ふ。
 
3061 明時《アカトキ》の目|覺《サマ》しぐさと、これをだに、見つゝ在《イマ》して、我と偲《シヌ》ばせ
 
3061 只今、此品物を差し上げますが、夜の明け方の目を覺す種として、せめて此をでも、私だと思うて、眺め乍ら入らつしやつて、思ひ出して下さい。
 
3062 萱《ワスレ》草垣もしみゝに植ゑたれど、醜《シコ》の醜草。尚戀ひにけり
 
3062 物忘れをする爲に、垣根に一杯になる迄、萱草を植ゑたけれど、鈍な莫迦な草|奴《メ》だ。自分はまだ、いとしい人に焦れて居ることだ。
 
3063 淺茅原《アサヂフ》の小野に標《シメ》結ひ、空言《ムナゴト》も會はむと聞《キコ》せ。戀ひの和《ナグ》さに
 
3063 何にもならない好い加減の、冗談にでも會うてやらう、と言うて下さい。焦れる心の紛らしに。(「淺茅原の小野に標結ひ」は、空を起す爲である。)
 
3064 皆人の笠に縫ふとふ有馬菅。ありての後も、逢はむとぞ思ふ
 
3064 凡ての人が、笠に縫ふさうな、有馬の菅ではないが、ありて即、かうして、行つた末に、又會はうと思ふ。
 
3065 み吉野の秋津の小野に苅る萱《カヤ》の、思ひ亂りて寢《ヌ》る夜しぞ多き
 
3065 吉野の秋津野で刈り採る萱ではないが、心が亂れて煩悶して、眠らないで居る夜が多いことだ。
 
3066 妹待つと三笠(ノ)山の山菅の、止まずや戀ひむ。命死なずば
 
3066 三笠の山菅ではないが、いとしい人の來るのを待ち焦れるとて、何時迄も止む時なく、焦れて居ることであらう。命のなくならない中は。
 
3067 谷|狹《セバ》み峯邊に延《ハ》へる石蔦《イハツタ》の、延へてしあらば、年に來ずとも
 
3067 谷が狹いので、擴ることが出來ないで、峯の方へ這うて來てゐる葛ではないが、心の中に何時迄も、自分を思ふ心が絶えないで居るのなれば、一年間に一遍だけで、後は來なくても、辛抱してをらう。
 
3068 水莖の岡の葛葉を吹きかへし、面《オモ》知る子らが見えぬ頃かも
 
3068 風が吹いて岡に生えて居る葛の葉を吹き反して、目に著く葉の裏ではないが、顔を好く見慣れてゐるいとしい人が、此頃一向やつて來ないことだ。
 
3069 赤駒のい行きはゞかる眞葛原。何の傳言《ツテゴト》。たゞにし吉《エ》けむ
 
3069 赤駒さへも、通つて行くことを躊躇する葛原よ。其やうに人の評判を怖れて、えう來ないで、そんな人に、傳言《コトヅテ》に便り許りしなさる。一體、どうしたお積りですか。そんなに遠慮せずに、直接に會ひに入らつしやればよからうのに。(此歌は、天智天皇の御代に、世間に流布してゐた童話《ワザウタ》である。天武天皇の出世の前兆となつたものだ、と日本書紀に傳へるものであるが、茲には相聞の譬喩として、取り入れたものと思はれる。)
 
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3070 木綿《ユフ》疊|田上《タナカミ》山のさな蔓《カヅラ》。ありさりしがも。今ならずとも
 
3070 田上山に生えて居るさね蔓が切れないやうに、此|儘《マヽ》で、續いて行きさへしてくれゝばよいが。譬ひ今は逢へないでも。
 
3071 丹波路《タニハヂ》の大江(ノ)山のさな蔓。絶えむの心、我は思はず
 
3071 丹波地方にある、大江山のさね蔓でないが、切れようといふ心持ちは、私は更々、考へたこともありません。
 
3072 大崎の荒磯《アリソ》のわたり延《ハ》ふ葛の、行くへもなくや、戀ひ渡りなむ
 
3072 大崎の岩濱の邊に擴つて居る葛の、何處迄も擴つて居る如く、遣る瀬もなく、焦れ續けて居ねばならぬか。
 
3073 木綿《ユフ》疊|田上《タナカミ》山のさな蔓。後も必、逢はむとぞ思ふ
 
3073 田上山のさね蔓ではないが、將來にはきつと、一處にならうと思ふ。
 
3074 唐棣《ハネズ》色の移ろひ易き心あらば、年をぞ來經《キフ》る。言は絶えずて
 
3074 あなたは上べは美しいが、移り氣な心を持つて入らつしやるから、音信は成程、た易くなさるが、會はないで年月が、どん/”\と立つて行くことだ。
 
3075 斯くしてぞ、人の死ぬとふ。藤波の只一目のみ見し人故に
 
3075 こんなに焦れて、果ては、死んで行くのであるといふことである。その人は、只一目見た許りの人だのに、其人の爲に。
 
3076 住吉の敷津《シキツノ》浦の名告藻《ナノリソ》の、名はのりてしを。逢はなくもあやし
 
3076 住吉の敷津の浦に生えて居る、名告藻ではないが、あの人は、私の言ひ入れたのに對して、自分の名をば打ちあけて、言うて聞したのに、逢うてくれないのも、不思議だ。
 
3077 雎鳩《ミサゴ》居る荒磯《アリソ》に生ふる名告藻《ナノリソ》の、よし、名は告《ノ》らむ。親は知るとも
 
3077 みさごが住んで居る、岩濱に生えて居る、名告藻ではないが、儘よ、名を打ち明けて了はう。譬ひ親が知つて、叱られても。
 
3078 波のむた靡く玉藻の、片寄りに、我が思ふ人の、言《コト》の繁けく
 
3078 波に連れて、なよ/\と寄つて居る玉藻ではないが、ひたすらに、心を向けて居る人に就いての評判が、うるさく立つて居ることだ。
 
3079 わたつみの沖つ玉藻の靡き寢む。早來ませ、君。待てば苦しも
 
3079 大洋の沖の方に生えて居る玉藻ではないが、絡み合うて寢よう。あなた早く入らつしやい。待つて居るのは、術ないことであります。
 
3080 わたつみの沖に生ひたる繩|海苔《ノリ》の、名は曾て告らじ。戀ひは死ぬとも
 
3080 大洋の沖の方に生えて居る繩海苔ではないが、いとしい人の名前は、どんなことがあつても、滅多に打ち明けはすまい。譬ひ焦れ死んだとて。
 
3081 玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み、亂らむ時に、戀ひざらめやも
 
3081 譬へば玉を通す緒をば、組み合せないで、一條の絲で編んだ緒に縒つて、其爲に、緒が弱くて亂れるやうに、二人の仲が亂れて、離れ/”\になる時になつた今、焦れないで居られようか。
 
3082 君に會はず久しくなりぬ。玉の緒の長き命の惜しけくもなし
 
3082 いとしい人に逢はずに、長くなつた。其爲に焦れ死んで、長い命を縮めても、惜しいとも思はない。
 
3083 戀ふることまされば、今は玉の緒の絶えて、亂りて、死ぬべく思ほゆ
 
3083 焦れることがもう、非常に募つて來たので、玉の緒のきれたのではないが、心が亂れて、死にさうに思はれる。
 
3084 海入處女|潜《カヅ》き採るとふわすれ貝。よにも忘れじ。妹が姿は
 
3084 海人の處女が、海底に潜つて採るさうな、あの忘れ貝ではないが、實際怎うしても、いとしい人の姿は忘れはすまい。
 
3085 朝影に我が身はなりぬ。玉かぎる仄かに見えて、去《イ》にし子故に
 
3085 旭にさすひよろ長い影のやうに、痩せ衰へて了うたことだ。ほんのりと、姿を見せて、其儘行つたに過ぎない、人の爲に焦れて。
 
3086 なか/\に人とあらずは、桑|蠶《コ》にもならましものを。玉の緒許り
 
3086 一|層《ソ》人としてをるよりも、ほんの暫らくでも、蠶にでもなつて、死にたいものだ。(此は、田舍女の作つたもの、と見れば、興味が深い。)
 
3087 眞菅《マスゲ》よし宗我《ソガノ》川原に鳴く千鳥。間なし。我が夫《セ》子。我が戀ふらくは
 
3087 あの宗我《ソガ》の川原に鳴いて居る千鳥ではないが、私の焦れて居る心は、一寸の休む間もありません。我が懷しいお方よ。
 
3088 古衣|著奈良《キナラ》の山に鳴く鳥の、間なく時なし。我が戀ふらくは
 
3088 古衣を著慣れたといふ語に縁のある、奈良山に鳴いて居る鳥の聲のやうに、ちつとの隙き間もなく、又、じやうべつたりであります。私の焦れて居るのは。
 
3089 遠つ人|獵路《カリヂノ》池に棲む鳥の、立ちても居ても、君をしぞ思ふ
 
3089 あの獵路の池に棲んで居る鳥ではないが、立つにつけ居るにつけ、凡て造次顛沛、いとしい人のことを思ふ。
 
3090 葦|岸《ベ》行く鴨の羽音の、音のみに聞きつゝ、もとな、戀ひ渡るかも
 
3090 葦の生えて居る岸を泳いで行く鴨が、立つ羽音ではないが、音即、便りに許り聞いて居て、實際逢はないで、心もとなく、焦れ續けて居ることだ。
 
3091 鴨すらも、己がつまどちあさりしておくるゝ程に、戀ふとふものを
 
3091 無心の鴨でさへも、自分の配偶《ツレアヒ》同士、餌を求めて居る後へ、とり殘されて了うた時は、焦れて鳴くといふ位であるのに、況して人間である自分が、逢へないで居る苦しさよ。
 
3092 白檀《シラマユミ》飛騨(ノ)細江のつゝ鳥の、妹に戀ふれや、寢《イ》を眠《ネ》かねつる
 
3092 飛騨川の細い入り込みに居るつゝ鳥が、夜通し眠ないで、鳴いて居るやうに、自分も、いとしい人に焦れて居る爲か、えう寢ないで居ることだ。
 
3093 笹の上に來居て鳴く鳥。目を安《ヤス》み、人妻故に、我戀ひにけり
 
3093 笹の葉の上に來て鳴く鳥が、ありふれて居るやうに、ありふれて逢ふことが、し易い人だといふので、他人の愛人だのに、其人の爲に、自分がこんなに、焦れようか。
 
3094 物思ふと眠《イ》ねず起きたる朝明《アサケ》には、佗びて鳴くなり。庭つ鳥さへ
 
3094 物を考へこんで、寢ないで起きた夜の引き明けには、鶏さへも何だか、悲觀して鳴いて居る。
 
3095 朝鳥の早くな鳴きそ。我が夫子《セコ》が朝|明《ケ》の姿見れば、かなしも
 
3095 朝鳥よ。そんなに早くから、鳴いてくれな。戀しい人の、朝早くお歸りになるのを、見るのは悲しいことだ。
 
3096 馬柵《サス》越しに麥|食《ハ》む駒の、詈《ノ》らゆれど、尚し戀しく、忍びかねつも
 
3096 厩の、馬の前に入れた貫木《クワンヌキ》越しに、麥を食ふ馬ではないが、兩親からは、甚く叱られては居るけれど、それでも戀しく、辛抱の出來ないことよ。
 
3097 さひの隈《クマ》檜隈《ヒノクマ》川に駒止めて、馬に水|養《カ》へ。我|外《ヨソ》に見む
 
3097 檜(ノ)隈よ。その檜(ノ)隈の川に馬を留めて、暫らくは、馬に水を飲ませておやりなさい。私は、脇の方から、あなたを見て居ませう。(そんなに早く馬を馳せて歸つては、お顔が見られないではありませんか。朝歸る男に、女の與へた歌である。)
 
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3098 己《オノレ》から詈《ノラ》えてをれば、※[馬+怱]毛馬《アシゲウマ》の面《オモ》たかく、夫《セ》だに、乘りて來べしや
 右の歌、平群文屋益人《ヘグリノフヤノマスヒト》の話に依ると、昔紀(ノ)皇女が、高安(ノ)王に通ぜられて責められ給うた時に、作られたものだといふ。
 
3098 自分の所爲で、自分だけが叱られて居るならばかまはないが、あなた迄も叱られて、あなたの乘つて入らつしやる※[馬+怱]毛馬ではないが、顔を上げてゞも、やつて來られるのならば好いが、さうもせないで、面目なさゝうに、乘つて來られることだ。(此歌は、傳承の久しい間に、誤つた所が多いと思はれる。試みに、訓んで見たに過ぎない。)
 
3099 紫草《ムラサキ》を草とわく/\、伏す鹿の、野は異にして、心はおやじ
 
3099 大事の紫草をば、外の草と區別し乍ら、さがして其上で、寢る鹿ではないが、外の女をさがしてゐなさるあなたも、やはり心ない鹿のやうなものだ。成程、私と野とは別だけれども、あなたの心は同じことだ。
 
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3100 思はぬを思ふと言はゞ、眞鳥棲む雲梯杜《ウナデノモリ》の神し、知らさむ
 
3100 あなたは私の心をお疑ひなさるが、嘘は申しません。愛して居ないのに、愛して居るやうに言へば、あの鷲の棲んでゐる、雲梯の森の神樣がよく御存じで、罰を與へられませう。(誓言の歌として、情癡の中に、一種の莊嚴を含んで居る。傑作。)
 
  □問答
 
3101 紫草《ムラサキ》は灰さすものぞ。海石榴市《ツバイチ》の八十《ヤソ》の衢《チマタ》に會へる子や。誰
 
3101 紫草の汁には、椿の灰の汁を注《サ》して染めるといふ、其名を持つた椿市の、人の澤山行き交ふ、四通八達の辻で出會うたお前さんは、一體誰だ。名を名告つて聞かせなさい。
 
3102 たらちねの母が呼ぶ名を申さめど、道行く人を、誰と知りてか
 
3102 なる程名を言へと仰つしやれば、お母さんがわたしを呼び寄せる時に言はれる名を申しもしませうが、一體さう仰つしやるあなたは、何處の誰ですか。道で行き合うたあなたを誰だ、とも知らないで、申し上げる訣には行きません。(此歌は、傳説的の興味と、時代の背景の心を引く歌で、二つ乍ら傑作である。萬葉註釋を試みた先輩は、此歌を、飛鳥時代以前のものと觀察して居る。)
 
    ○
 
3103 逢はなくは、然もありなむ。玉づさの使ひをだにも、待ちやかねてむ
 
3103 逢うて下さらないのならば、それでもまあ辛抱してゐませうが、せめてはお使ひだけでも、待ちに待つて居ませう。どうか、便りだけはして下さい。
 
3104 逢はむとは、千重に思へど、あり通ふ人目を多《オホ》み、戀ひつゝぞをる
 
3104 逢ひたいとは、幾重にも思うてゐますが、往來の人の目がうるさゝに、焦れて辛抱して居ます。
 
    ○
 
3105 人目多み直接《タヾ》に逢はずて、蓋しくも、我が戀ひ死なば、誰が名にかあらも
 
3105 人目がうるさくて、直《ヂカ》に逢はないで、ひよつと私が、焦れ死んだ節には、世間の人が、私の死ぬ原因になつた人を、誰彼と考へるでせう。其時に言はれるのは、一體誰の名でせう。それはあなたの名に違ひない。其時になつて冷酷な人と言はれなさるだらう。
 
3106 あひ見まく、欲しけくすれば、君よりも、我ぞまさりて、いぶかしみする
 
3106 あなたはそんなことを仰つしやるが、私は逢うて見たく、思うて居ますのですから、あなたよりも以上に、此頃逢はれないので、私は屈託して居ることです。
 
    ○
 
3107 うつそみの人目を繁み、逢はずして、年の經ぬれば、生けるともなし
 
3107 人の目がうるさいので、逢はないで歳月が立つたので、生きて居る元氣も御座いません。
 
3108 うつそみの人目繁くば、ぬば玉の夜の夢にを、續ぎて見えこそ
 
3108 そんなに人目がうるさければ逢ふことは、辛抱して、夜の夢に絶え間なく續いて、姿を現しなさい。
 
    ○
 
3109 ねもごろに思ふ吾妹を。人言の繁きによりて、よどむ頃かも
 
3109 しみ/”\と思ひこんで居る、いとしい人だのに。人の評判のうるさい爲に、逢はないで、躊躇して居る此頃よ。
 
3110 人言の繁くしもあれば、君も我も、絶えむと言ひて、逢ひしものかも
 
3110 あなたは、そんなに辛抱のないお方だ。此間、何と言はれました。人の評判がうるさいことだから、あなたも私も切れて居よう、とさう仰つしやつて、此間逢うたことですのに。
 
    ○
 
3111 術もなく片戀ひをすと、此頃に我が死ぬべきは、夢に見えきや
 
3111 遣る瀬なく、片思ひに焦れて居る爲に、近い中に、自分が死んで了ひさうなといふことは、定めてあなた