(187) 萬葉集評釋 巻第九
 
(188)萬葉集 巻第九概説
 
     一
 
 本巻は『国歌大観』(一六六四)より(一八一一)に至る一四八首を収めた巻である。
 これを雑歌、相聞、挽歌の三部立に分類してある。これは巻第一、二両巻のもっている基本的部立にあたるもので、集中この名においての部立を一巻としてもっているのは本巻のみである。巻第三と巻第七とは同じ部立ながら相聞が譬喩歌となっており、また巻第十三は三部立以外に、譬喩歌に加うるに問答歌という分類になっているのである。これは言いかえると古い名称を伝えようとしているということである。
 歌体も長歌、旋頭歌、短歌がある。ここにも古い形があるといえる。その割合は、長歌二二首、旋頭歌はただ一首で、他は短歌である。
 また、これを各部立の割合から見ると、雑歌一〇二首、相聞二九首、挽歌一七首である。
 本巻には作者名の示されている歌が四〇首ばかりある。この作者名は、同時に歌の制作年代を示しているものである。最も古いものは、巻首の「泊瀬朝倉宮御宇天皇御製歌一首」と題するものである。これは異伝のあるもので、編集者自身左注でそのことを言っているものである。それにもかかわらずこのようなことをしているのは、巻第一の巻首にならおうとする心あってのこととみえる。第二首目よりの二首は舒明天皇の時代のものとなっている。それより一躍藤原朝に下り、最後は奈良朝中期まで及んでいるのであるが、中心はむしろこの後の期間にあるとみえる。
 
     二
 
 本巻の歌でその出所の知れているものは、柿本人麿歌集、笠金村歌集、高橋蟲麿歌集、田辺福麿歌集所収のものだけで、その他はわからない。これは言いかえると、これらの歌集は編集者の資料の中にあったが、これらは本巻の歌の一部で、他の大部分の歌の出所となった書名はわからないのである。その中には古歌集、類聚歌林などの名は見えるが、これらは参考書にすぎないもので、そこには書名の知れない、あるいは書名のない写本の多くがあったのである。編集者のそれら無名の写本に対する態度は、きわめて良心的で、題詞、氏名の書き方なども原本のままにして置き、いささかも改めようとしなかったとみえる。本巻の作者名には略称で、他には例のないものの混じているのも、一にそのためと思われる。「大宝元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇の紀伊の国に幸せる時の歌十三首」のごときは、行幸の際の歌として特にそれだけが独立した写本となっていたことを思わせるもので、資料の状態を思わせる適例である。
 
(189)     三
 
 本巻で最も目を惹く歌は、柿本人麿歌集と高橋蟲麿歌集の歌である。人麿歌集の歌はすでにしばしば触れて言っているので繰り返さないが、蟲麿歌集についてはいささか言うべきであろう。蟲麿の歌は本巻に初めて出たのではないが、伝説に取材したいわゆる伝説歌は、本巻のものが初出である。
 伝説歌は、庶民の間に伝わっている、庶民の興味を引く伝説の歌である。上代からすでにあった古事記、日本書紀所載の国土開発の物語、また祝詞式に収められている信仰上の物語の、謡い物とさして距離のない形をもって伝えられているものの庶民化したもので、時代の推移とともに当然生まれ来たるべきものだったのである。さらにまた、奈良朝時代は復古精神の高まっていた時代であった上に、一方には歌の形式をもって叙事的表現を行なおうと試みていた時代でもあるので、庶民の共同の興味であった伝説は、まさに長歌化されるべき機運になっていたのである。しかしそれを捉えて文芸化し、これを優れた作品となし得たのはひとり高橋蟲麿だけであった。稀有の天分というべきである。
 蟲麿の伝説歌のおもなるものは、「水江の浦島の子を詠める歌」「菟原処女の墓を見る歌」「勝鹿の真間娘子を詠める歌」などで、その取材の異なるに従ってその色合いが著しく異なり、自在に変化しうる才分のほどを思わせられるのであるが、基本的には一貫したところをもっている。これはそれらの事蹟のあった地に行き、形見となるべき何ものかを親しく見ることによって感を発したとすること、ついでその事蹟を言うに、事蹟そのものをのみ取り上げてこれを細叙することをせず、事蹟の与える気分を主とし、その気分を通して事境を言おうとすることである。したがってその結果としての作品は、一方では現実性をもったものとなるとともに、作者の気分を濃厚にあらわしたものとなるのである。すなわち、事は印象描写的な簡潔なものとなり、その印象は著しく感覚的な、華やかに生趣豊かなものとなっているのである。名は伝説歌であるが、その伝説は蟲麿に感じられ、また生かされた、蟲麿の伝説歌となっているのである。ここにその魅力があるのである。現実と気分を渾融させるこの詠み方は、ひとり蟲麿のみのものではなく、奈良朝時代の共通な詠み方で、蟲麿はそれを高度にもち得たのである。
 蟲麿の伝説歌は、興味よりのもので、他に思う所があってのものではない。この興味は眼前矚目の事象に展開してゆき、「筑波嶺に登りて※[女+燿の旁]歌会をする日作れる歌」「上総の末の珠名娘子を詠める歌」などとなって、その魅力よりいえば伝説歌に勝るものとなっている。さらにまた、自身の直接抒情である「河内の大橋を独り去く娘子を見る歌」のごときは、その味わいの純粋に清新な点で、長歌という形式の持ち易く離れ難いものにしている古典臭を全く払拭し、蟲麿自身のものとして生み出した長歌ともいうべき趣をもっている。このことは同時にまた、蟲麿の長歌全体にわたっても言いうることなのである。
 蟲麿についての詳しいことは本文に譲り、ここには、本巻の(190)双璧は柿本人麿歌集の歌と高橋蟲麿歌集の歌であり、これがやがて本巻の生命であることを言うにとどめる。
 
 萬葉葉巻第九 目次
〔省略〕
 
(196) 雑歌《ざふか》
 
     泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇《はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめししおほはつせわかたけのすめらみこと》の御製歌《おほみうた》一首
 
【題意】 「大泊瀬稚武天皇」は、雄略天皇。宮号の下に天皇の御名を入れることは、巻二にあり、大体巻一、二にならったものである。
 
1664 暮《ゆふ》されば 小椋《をぐら》の山《やま》に 臥《ふ》す鹿《しか》の 今夜《こよひ》は鳴《な》かず 寐《い》ねにけらしも
    暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
 
【語釈】 この題は、巻八(一五一一)「岡本天皇の御製歌」と、第三句が異なっているのみであるから、略す。そちらの第三句は「鳴く鹿は」である。
【釈】 夜が来ると、小椋の山に寝るところの鹿の、今夜は鳴かない。寝てしまったらしい。
【評】 この御製の歌には左注が添っていて、撰者自身、岡本天皇の御製歌と同歌異伝であると認め、「その正指を審にせず」といっているのである。この巻の原拠とした本には、まさしくここに見るごとくになっていたからである。この二首の御製歌は、形としては第三句がいささか異なっているのみであるが、心としてはかなりな距離があるといえる。岡本天皇の御製は、「鳴く鹿は」と、親しくその悲しげな鳴き声を聞いて憐れまれ、そこに力点を置いたものである。「は」と、強めの意の助詞を用いているのもそのためである。この御製の「臥す鹿の」は、小椋の山を寝どころとしている鹿のという意で、臥すということに力点を置いたものである。すなわち感覚をとおしての感と、心をもって推量した事という相違があって、その間に相応な距離があるのである。岡本天皇の御製は古僕を極めたものであるが、この御製はある程度の新しさがある。岡本天皇の御製が伝承されて、いつか変化をきたした際に記録されたのがこの御製で、作者を雄略天皇としたのは、古の尊い方に結びつけようとする要求からのことであろう。こうした御製を伝承したということ自体が、鹿に妻恋いを連想することを好んだ人々であって、その意味からは、岡本天皇の御製も同じく伝説の範囲のものであったかもしれぬのである。
 
(197)     右は、或本に云ふ、岡本天皇の御製なりと云へり。正指を審にせず。因りて以ちて累《かさ》ね載す。
      右、或本云、崗本天皇御製。不v審2正指1。因以累載。
 
【解】 「或本」というのは、巻八の原拠とした本である。「正指」は、正しさ。
 
     岡本宮御宇《をかもとのみやにあめのしたしらしめしし》天皇の紀伊国に幸《いでま》せる時の歌二首
 
【題意】 「岡本宮御宇天皇」は、舒明天皇の飛鳥岡本宮と、斉明天皇の後の岡本宮との二代にわたっての称である。舒明天皇の紀伊国への行幸のことは、日本書紀に見えない。斉明天皇の紀伊国への行幸は、天皇の四年十月十五日、紀の温湯に幸し、五年正月三日に還幸されたことが日本書紀に出ている。巻二(一四一)「有間皇子」の歌の事件はその間のことであった。
 
1665 妹《いも》が為《ため》 吾《われ》玉《たま》拾《ひり》ふ 奥《おき》べなる 玉《たま》寄《よ》せ持《も》ち来《こ》 奥《おき》つ白浪《しらなみ》
    爲妹 吾玉拾 奧邊有 玉縁持來 奧津白浪
 
【語釈】 ○妹が為吾玉拾ふ 「妹が為」は、京に置いて来た妻に、苞《つと》とするために。「玉」は、海岸にある美しい小石や貝。「拾ふ」は、「ひりふ」と「ひろふ」仮名書きがあり、「ひりふ」のほうが多い。○奥べなる玉寄せ持ち来 「奥べなる」は、沖のほうにある。「玉寄せ持ち来」は、下の「白浪」に命じた語。○奥つ白浪 沖の白浪よと、呼びかけたもの。
【釈】 妻の苞のために、吾は玉を拾っている。沖のほうにある玉を、寄せてここへ持って来よ。沖の白浪よ。
【評】 行幸に従駕して、平生の憧れである海辺へ行き、妹を思って、その愛玩する玉を拾うということは、当時の宮人としては理想的なたのしさであったろう。心は裕《ゆた》かに暢びやかで、調べもそれにふさわしいゆったりしたものである。「玉寄せ持ち来」という注文が不自然なものではなくなっている。謡い物とされる条件を具備している歌である。
 
1666 朝霧《あさぎり》に 濡《ぬ》れにし衣《ころも》 干《ほ》さずして ひとりや君《きみ》が 山道《やまぢ》越《こ》ゆらむ
    朝霧尓 沾尓之衣 不干而一哉君之 山道將越
 
(198)【語釈】 ○朝霧に濡れにし衣 これは従駕の宮人の妻が、その夫の旅を思いやっての心で、当時の旅は、朝はきわめて早かったので、このような想像は自然だったのである。「朝霧」といっているのは、行幸の季節が十月だったからである。「干さずして」は、衣を干すのは妻のすることなので、妻がいないので干さずに着て。○ひとりや君が山道越ゆらむ 「ひとり」は、従駕としては事に合わない。妻が自身の立場から、我を離れて旅にいるの意でいっているもの。「や」は、疑問の係。「山道」は、大和から紀伊への途中の山で、道の難儀を思いやってのもの。
【釈】 朝霧に濡れた衣を、干す妻がいないので、そのままに着て、我を離れて一人で、君は山路の難儀な路を越すことであろうか。
【評】 従駕の夫を旅立たせた後の妻の心である。妻の立場に立って、従駕ということには触れず、「朝霧に濡れにし衣」と、夫の衣のことを思いやり、「山道越ゆらむ」といたわって思いやっているところ、実際に即した、行き届いた心であるが、全体としてはおおらかで、おちついて、艶を帯びている歌である。
 
     右の二首は、作者《つくれるひと》未だ詳ならず。
      右二首、作者未v詳。
 
     大宝元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇の紀伊の国に幸《いでま》せる時の歌十三首
 
【題意】 「大宝」は、文武天皇の御代の年号。「太上天皇」は、御譲位後の天皇の尊称で、ここは持統天皇。「大行天皇」は、天皇崩御の後、いまだ謚号《しごう》を奉らない間の尊称で、ここは文武天皇である。この言い方は、元明天皇の朝の記録によったからであろう。なお持統、文武の両朝は、宮は同じく藤原宮であるから、宮号によっては言い難いので、このような言い方をしたのであろう。この行幸のことは、続日本紀、文武紀に、「大宝元年九月丁亥(十八日)、天皇幸2紀伊国1。冬十月丁未(八日)、車駕至2武漏温泉1。戊午、車駕自2紀伊1至」とある。なお巻一(五四)「大宝元年辛丑の秋九月 太上天皇紀伊国に幸しし時の歌」がある。また、巻二(一四六)「大宝元年辛丑 紀伊国に幸しし時 結び松を見る歌一首」があり、それは柿本人麿歌集の歌である。人麿も従駕したことが知られる。
 
1667 妹《いも》が為《ため》 我《われ》玉《》たま求《もと》む おきべなる 白玉《しらたま》寄《よ》せ来《こ》 おきつ白浪《しらなみ》
    爲妹 我玉求 於伎邊有 白玉依來 於伎都白浪
 
【語釈】 ○我玉求む (一六六五)の「玉拾ふ」と異なっている部分。「拾ふ」のほうが直接で、「求む」は、知性的である。○白玉寄せ来 同じ(199)く上の「玉寄せ持ち来」と異なる部分。「白玉」は、鰒《あわび》玉。岸辺の小石の連想としての「玉」よりも、知性的である。「よせ来」は、「寄せ持ち来」の細かさと具象性とのないものである。
【釈】 京にいる妻の苞のために、我は玉を求めている。沖のほうにある鰒玉を寄せて来よ。沖の白浪よ。
【評】 上の歌の別伝である。上の歌は実際に即しつつ、情感に浸ってゆるやかにいっているのに、これは知性をまじえ、誇張を加えて、忙しくいっている。取材は同じであるが、一首の感味はかなり距離のあるものである。時代の差と、伝承者の気分の相違からくるのである。
 
     右の一首は、上に見ゆること既に畢りぬ。但し歌の辞|小《すこ》しく換り、年代相違へり。因りて以ちて累ね載す。
       右一首、上見既畢。但謌辞小換、年代相違。因以累載。
 
1668 白埼《しらさき》は 幸《さき》く在《あ》り待《ま》て 大船《おほふね》に 真梶《まかぢ》繁貫《しじぬ》き 又《また》かへり見《み》む
    白埼者 幸在待 大船尓 眞梶繁貫 又將顧
 
【語釈】 白埼は幸く在り待て 「白埼」は、和歌山県日高郡由良町大引由良港の西北の岬である。「幸く」は、変わることなく、「在り待て」は、熟語で、待ち続けていよ。白埼を生あるものとして呼びかけてのもの。擬人ではなく、土地を生あるものとした上代信仰の脈を引いてのこと。○大船に真梶繁貫き 「真梶繁貫き」は、左右の艪を繁く取付けてで、官船を讃えていったもの。○又かへり見む 成句で、見飽(200)かない心をいったもの。
【釈】 白埼は変わらずに待ち続けていよ。大船に左右の艪を繁く取付けて、また立ち帰り見よう。
【評】 行幸に従駕した人の、白埼を遊覧して、帰りしなに詠んだ形のものである。「白埼は幸く在り待て」は、白崎に対しての賀である。「大船に真梶繁貫き」は、その人のその時に乗っていた官船の叙述で、自身よりも船のほうを重視し、こういう船に乗った人に訪われることは、白埼もさぞ光栄に感ずることだろうとの心からいっているもので、これまた白埼に対する賀である。「又かへり見む」は、自身の白埼に対する愛着で、かねて上の賀の心を総収したものでもある。一首、含蓄の多い心であるが、余裕をもって、さりげなくさわやかに詠んであるもので、高手を思わせる。「白埼は幸く」と畳音を用いているところなど、ことに巻一(三〇)人麿の「楽浪の志賀の辛崎幸くあれど」を思わせる。一首全体の心も、その歌に通うところがある。この歌を初めとして以下数首、作者が明らかではなく、それ以下との関係から推して、人麿歌集の歌ではないかといわれているものである。問題となりうる作である。
 
1669 三名部《みなべ》の浦《うら》 潮《しほ》な満《み》ちそね 鹿島《かしま》なる 釣《つり》する海人《あま》を 見《み》てかへり来《こ》む
    三名部乃浦 塩莫滿 鹿嶋在 釣爲海人乎 見變來六
 
【語釈】 ○三名部の浦潮な満ちそね 「三名部の浦」は、和歌山県日高郡|南部《みなべ》町の海一帯の称。岩代より東南一里半である。なお、下の「鹿島」は、南部町|埴田《はねた》に属し、海上八町余の所にあり、郡中の勝地である。「潮な満ちそね」は、潮よ満ちるなよで、舟で鹿島へ渡ろうとして、満潮をおそれる心よりの呼びかけ。「ね」は、他に対しての願望の助詞。○鹿島なる釣する海人を見てかへり来む 鹿島にいる、釣をしている海人のさまを見て帰って来よう。
【釈】 三名部の浦は、潮が満ちてくれるな。鹿島にいる、釣をしている海人のさまを見て帰って来よう。
【評】 大和京の大宮人の海を珍しみ、海上近く見える鹿島へ渡り、海人の釣をするさまを見たいとの好奇心を起こしたが、さすがに海を怖れる心をもっての歌である。「潮な満ちそね」と、三名部の浦に訴え、「見てかへり来む」と、限度を付していっている点に、実際に即しての細かい心がある。軽い憧れであるが、その心躍りが調べとなって現われているために、立体感をもった、さわやかな歌となっている。軽くして満ちた、力量のある作である。
 
1670 朝開《あさびら》き 榜《こ》ぎ出《い》でて我《われ》は 湯羅《ゆら》の埼《さき》 釣《つり》する海人《あま》を 見《み》てかへり来《こ》む
(201)    朝開 滂出而我者 湯羅前 釣爲海人乎 見反將來
 
【語釈】 ○朝開き榜ぎ出でて我は 「朝開き」は、朝に船出する意の語。○湯羅の埼 和歌山県日高郡由良町の西十町余に由良港があり、その港の西北方に突出している岬。今、神谷崎《かんやざき》という。
【釈】 朝の船出をし、榜ぎ出して行って我は、湯羅の埼で釣をしている海人のさまを、見て帰って来よう。
【評】 海と海人の生活とに対する好奇心は、上の歌と同様で、行こうとする場所が異なっているだけである。「朝開き榜ぎ出でて我は」という続きは、相応に緊張した言い方であるが、その対象は、「釣する海人を見て」であって、好奇の心のいかに強かったかを具象化するためのものである。余裕ある心から自然に生み出した、特殊な技巧である。上の歌もこれも、「見てかへり来む」といっているのは、従駕の官人という意識から離れ得ないことを示しているもので、あくまで実際に即した心である。
 
1671 湯羅《ゆら》の前《さき》 潮《しほ》干《ひ》にけらし 白神《しらかみ》の 礒《いそ》の浦《うら》みを 敢《あ》へて榜《こ》ぐなり
    湯羅乃前 塩乾尓祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而滂動
 
【語釈】 ○潮干にけらし 干潮となったのであろうで、下の「敢へて榜ぐなり」を照応させたもの。○白神の礒の浦みを 「白神」は、和歌山県有田郡湯浅町栖原にある栖原山を、白神山ともいうので、その山裾が自神の礒であるという。「礒」は、岩石より成る海岸。「浦み」は、「み」はあたり。○敢へて榜ぐなり 「敢へて」は、押しきってで、できないことを強いてする意。「榜ぐなり」は旧訓以来「榜ぎとよむ」とよまれてきていたが、佐竹昭広氏の訓により改められた。「動神」(巻七、一〇九二)を「なるかみ」と訓むことなどによっている。今はこれにしたがう。押しきって漕ぐことであるよ。これは、海岸寄りを漕ぐことになっている舟が、潮が引いて漕ぎにくくなったからである。
【釈】 湯羅の埼は、干潮になったのであろう。今、白神の礒の浦を漕ぎ進んでいるわが舟の舟人は、漕ぎにくいのを押しきって漕ぐことであるよ。
【評】 この歌は、不明なところをもったものである。一つは、「白神の礒」と「湯羅の埼」との地理的関係の不明であり、いま一つは、作者は白神の磯近い陸上にいて、榜ぐ舟を見ているのか、または自身その舟中にいるのかが不明なことである。これはいずれでも通ずるからである。いずれにもせよ「敢へて榜ぐなり」が一首の中心で、これは第三者として傍観して興味を感じるという性質のものではなく、また声調も緊迫しているところから、作者が実感として感じているものと思われる。それだと作者は舟中の人で、「白神の礒の浦み」は、発船地から湯羅の埼へ行く途中の地であることになる。そのように解すると、上(202)の歌と連作になっているものと思われ、事自体としてはさしたるものでもないのに、力を入れて詠んでいるのが自然なものとなってくる。力量の見える作で、前の二首と別手より出たものとはみえない。
 
1672 黒牛潟《くろうしがた》 潮干《しほひ》の浦《うら》を 紅《くれなゐ》の 玉裳《たまも》すそひき 行《ゆ》くは誰《た》が妻《つま》
    黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裙須蘇延 徃者誰妻
 
【語釈】 ○黒牛潟潮干の浦を 「黒牛潟」は、和歌山県海南市黒江船尾にある潟。「潮干の浦」は、大宮人の海草や魚介などを獲って遊ぶ格好の場所。○紅の玉裳すそひき 紅の裳の裾を曳いてで、女子の歩くさまをいう成句に近いもの。「玉」は美称。ここは従駕の女官である。○行くは誰が妻 歩いて行くのは誰の妻であろうぞと、その夫である人を羨《うらや》む心を通して、女官の美しさを讃えたものである。
【釈】 黒牛潟の潮干の浦を、紅の裳の裾を曳いて歩いて行くのは、誰の妻であろう。
【評】 潮干の浦へ出て遊んでいる従駕の女官を、同じく従駕の官人として、やや距離を置いて眺めていての心である。黒牛潟は和歌浦湾の一部で、海のきわめて美しい所で、それを背景としての女官の姿は画のごとく印象的であったろうと想像されるが、この歌はそれを「黒牛潟」の「黒」と「紅」との対照によって、それにも劣らずきわやかに鮮明に印象づけている。「行くは誰が妻」と、羨望《せんぼう》をとおして官能的にその美を暗示しているのは、きわめて巧妙である。一首全体として相応に官能的であるが、余裕をもって自然にいっているので、そうした歌に伴いやすい厭味がいささかもない、手腕ある作である。
 
1673 風莫《かぜなし》の 浜《はま》の白浪《しらなみ》 徒《いたづら》に ここに寄《よ》りくる 見《み》る人《ひと》なしに
    風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無
 
【語釈】 ○風莫の浜の白浪 「風莫の浜」は、所在が不明である。西牟婁郡瀬戸鉛山村(現、白浜町綱不知)とする説もあるが、訓は諸説があって定まらない上に、「莫」は誤写であろうとして、「暴」を当て、また「早」だともして、「かざはや」を主張している。舟人の地勢より名づけた称とすれば、「風早」と同じく、ありうる称である。○ここに寄りくる 「くる」は連体形で、係がなくて終止としているもので、例のあるものである。
【釈】 風莫の浜の白浪は、むだにここへ寄せて来ることであるよ。見て愛でる人もないのに。
【評】 風莫の浜の白浪の美観をたたえたものである。浜というので砂浜で、したがって浪の広く寄せて来る所であったろうと(203)思われる。「徒に見る人なしに」というのは、浪に対しては誇張にすぎるようであるが、いう人も聞く人も、いずれも海のない大和国の人々であるから、それが実感であったろう。自然の美観を愛で惜しむ心を、「見る人なしに」という語であらわしている歌は、集中に相応に多く、成句に近いものである。人間中心の心の意識的な現われと見られるものである。
 
     一に云ふ、ここに寄り来も
      一云、於斯依來藻
 
【解】 一本には、第四句が、このようになっているというのである。終止形で結び、詠歎を添えたもので、このほうが古風である。原形ではなかったか。
 
     右の一首は、山上臣憶良の顆聚歌林に曰はく、長忌寸意吉麿《ながのいみきおきまろ》、詔に応《こた》へてこの歌を作るといへり。
      右一首、山上臣憶良類聚謌林曰、長忌寸意吉麿、應v詔作2此謌1。
 
【解】 「類聚歌林」は、巻一(六)の左注に出た。「意吉麿」は、藤原宮時代の人で、歌才のすぐれた人である。「詔に応へて」は、たぶん持統天皇の詔があったので、天皇が風莫の浜を遊覧され、従駕の意吉麿に詔を下されたのであろう。上の「一に云ふ」は、類聚歌林をさしたものと思われる。
 
1674 我《わ》が背子《せこ》が 使《つかひ》来《こ》むかと 出《い》で立《た》ちし この松原《まつばら》を 今日《けふ》か過《す》ぎなむ
    我背兒我 使將來歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
 
【語釈】 ○我が背子が使来むかと わが夫よりの使が来ようかと思って。○出で立ちしこの松原を 家を出て立って待ったこの松原を。○今日か過ぎなむ 「か」は、疑問の係。「過ぎなむ」は、通り過ぎるのだろうで、別れ去る意。
【釈】 わが夫からの使が来ようかと思って、家を出て立って待っていたこの松原を、今日は通り過ぎて行くのであろうか。
【評】 行宮《あんぐう》が移されるか、あるいは還幸になられるかで、思い出のまつわっている松原と別れをする日、ある女官が心の中で、ひそかに思ったことを詠んだ形の歌である。女官の宿っていた所は松原に接した所で、「出で立ちし」は他の女官の目を忍(204)ぶためのことであったろう。筋のとおっているという程度の歌  である。
 
1675 藤白《ふぢしろ》の み坂《さか》を越《こ》ゆと 白栲《しろたへ》の 我《わ》が衣手《ころもで》は 濡《ぬ》れにけるかも
    藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾清香裳
 
【語釈】 ○藤白のみ坂を越ゆと 「藤白のみ坂」は、海南市藤白から海草郡下津町へ越える山。旧熊野街道にあたっている。「み」は接頭語で坂を尊んで添えたもの。ここは、有間皇子の絞殺された名高い地である。○白栲の我が衣手は濡れにけるかも 「白栲の」は、枕詞。わが袖は濡れたことであるよを強くいったもの。
【釈】 藤白のみ坂を越すとて、わが袖は濡れたことであったことよ。
【評】 藤白の坂を越える時、旅情を詠んだ形のものである。衣や袖の濡れるのを甚しいことに感じ、「濡れにけるかも」という強い言葉をもってあらわしている歌は、集中に何首もある。この言葉が侘びしさをあらわすに最も適切なものと思われていたかにみえる。この歌も大体その範囲のもので、少なくともその形のものである。藤白の坂は有間皇子の絞殺された地である。事はこの時よりは四十余年前であるが、京からこの地に来た人は、感を新たにして、皇子を悲しむ歌を詠んでいる。この歌の作者もそれが胸に浮かんだことだろうと想像することは、むしろ自然である。この歌はその心をもって見れば、それとも取れるものである。一首の取材があまりにも単純で、しかも相応に強い感を詠んだものとみえるからである。表面は単なる旅情の形にし、皇子を悲しむ心をその旅情の中に溶かし込んでいるものと思われる。
 
1676 勢《せ》の山《やま》に 黄葉《もみち》常敷《つねし》く 神岳《かみをか》の 山《やま》の黄葉《もみち》は 今日《けふ》か散《ち》るらむ
    勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
 
【語釈】 ○勢の山に黄葉常敷く 「勢の山」は、巻一(三五)に出た。和歌山県伊都郡かつらぎ町背の山にある。紀の川の右岸にある山で、大和国より紀伊国に行く要路にあたっている。「常敷く」は、絶えず散り敷いている。○神岳の山の黄葉は 「神岳の山」は、飛鳥の雷岳《いかずちのおか》で、飛鳥の神南備山《かむなびやま》であり、神岳の山とも呼んだ。この山は藤原京に近く、また信仰上きわめて尊まれてもいたので、当時の宮人には感銘の深い山である。○今日か散るらむ 「か」は、疑問の係。「らむ」は、現在の推量。
【釈】 背の山には黄葉が絶えず散り敷いている。神岳の山の黄葉は、今日頃は散っていることであろうか。
(205)【評】 背の山を越えながら、そこにたえず散っている黄葉を見 て、心を別れてきた京に寄せ、散るに間のないものと見てきたた神岳の山の黄葉も、今はこのように散っていようかと思いやったのである。旅愁であるが、妻には触れず、美しい自然の風物に寄せたもので、この時代としては文芸性の目立つ歌である。新しい風であったろうと思われる。
 
1677 大和《やまと》には 聞《きこ》えゆかぬか 大我野《おほがの》の 竹葉《たかば》刈《か》り敷《し》き 廬《いほり》せりとは
    山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬爲有跡者
 
【語釈】 ○大和には聞えゆかぬか 「大和」は妻のいる家。旅愁をいうために、わざと遠くたよりない称に言いかえたもの。「聞えゆかぬか」は、 原文「聞徃歟」。何らかの語を補わないと一首が通じないものとなる。その点からいうと、打消の助動詞「ぬ」を補うのが最も自然である。このことは例の多いものである。聞こえてゆかないのかなあというのであって、聞こえてくれよと希望する意をもつもの。○大我野の竹葉刈り敷き 「大我野」は、和歌山県橋本市の東家《とうけ》、市脇あたりだったという。いわゆる相賀台《おうがだい》の地。「竹葉刈り敷き」は、下の「廬」の状態で、床《ゆか》の代わりに竹の葉を刈って敷いていることをいったもの。○廬せりとは 仮小屋を作って、寝るとはで、上代の旅として、従駕の人でも身分の低い者には普通のことであった。
【釈】 大和の妻に、この有様が聞こえていってくれぬかなあ。大我野の竹の葉を刈って敷いて、廬をしているということは。
【評】 行幸の従駕とはいっても、身分高い少数の人は別格、その他の者は行く先々で、夜は小屋がけをして寝たのである。この作者は大我野で一夜それをし、竹あるいは笹の葉を床代わりに敷いて円寝をし、その佗びしさから京の妻を思い出しての心である。場合がら何とも言いようもないところから、せめてこの侘びしさを妻から知ってもらいたいものだと思ったのである。「竹葉刈り敷き」は、作者としては侘びしさの具体化としていっているのであるが、実際に即しているところから、新味のあるものとなっている。一首としても、訴えの気分のよくまとまった、味わいのあるものである。
 
1678 紀《き》の国《くに》の 昔弓雄《むかしゆみを》の 響矢《なりや》用《も》ち 鹿《しか》取《と》り靡《な》べし 坂《さか》の上《うへ》にぞある
    木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曾安留
 
【語釈】 ○紀の国の昔弓雄の 「紀の国」は、下の「弓雄」の住地としていっているものであるが、紀の国にも聞こえしの意で、讃えの意をもたせ、そのほうを主としているもの。「昔」は、昔のの意。「弓雄」は、ここよりほかには用例のない語である。文字によって見れば、弓取の意と取れる。(206)昔の猟は、弓矢をもってしたのであるから、猟夫ということを具象的にいった語と解される。○響矢用ち 音響を発するかぶら矢をもって。巻十六(三八八五)鹿を狩る状態を叙した歌に、「ひめ鏑《かぷら》八つ手挟《たばさ》み」とあり、鹿を射るには鏑矢《かぶらや》を用いたものとみえる。○鹿取り靡べし坂の上にぞある 「取り靡べし」は、獲《と》り靡《なび》かせたで、さかんに獲ったというにあたる。「坂の上にぞある」は、ここはその坂の上であるの意で、その土地に伝わる話を聞き、その境に立つての感歎である。
【釈】 紀の国の昔の猟夫が、鏑矢をもって鹿を獲り靡かせた、ここはその坂の上であることよ。
【評】 従駕の一人が、いずれかの山地の部落で、昔その地に甚だすぐれた猟夫があり、一人で多くの鹿を獲りつくしたことがあったと聞かされ、ここがその場所だという坂の上に立っての心である。この種の武勇談は一般的興味の強いもので、その土地では土地の誇りとして語り継ぐのが普通で、これもそれであろう。取材としては珍しいものであるが、実際に即する心をもっていた当時であるから、旅の歌としてこういうもののあるのはむしろ当然といえる。
 
1679 紀《き》の国《くに》に 止《や》まず通《かよ》はむ 妻《つま》の社《もり》 妻《つま》寄《よ》し来《こ》せね 妻《つま》といひながら
    城國尓 不止將徃來 妻社 妻依來西尼 妻常言長柄
 
【語釈】 ○紀の国に止まず通はむ この紀の国に、大和から絶えず通って来ようで、その理由を下でいっている。○妻の社 妻という地にある森。妻は、和歌山県橋本市妻にある森。また、海草郡西山東村平尾(現在、和歌山市に入る)は、『和名類聚抄』の郷名に「都麻《つま》」とある地で、そこかともいう。妻という地名は諸所にあるものである。「社」は森で、神霊の宿る所として、森がすなわち社だったのである。呼びかけ。○妻寄し来せね 「寄し」は、寄せる。「来せ」は、他動詞下二段活用「来す」の未然形。「ね」は希望をあらわす助詞。○妻といひながら 「ながら」は、巻二(一九九)「皇子《みこ》ながら任《よさ》したまへば」と同じ。妻というその名のままに。物は名のとおりの力を有しているという信仰があった。
【釈】 紀伊国へ止まずに通おう。妻の森よ、妻を寄せて下されよ。妻というのであるから。
【評】 紀伊国へ旅をして、妻の森のあたりを通行する時、妻の森という地名に興味を感じ、物の名はその名のとおりの力をもっているものだといわれているところから、明るい戯れ心で詠んだ歌であろう。同行の者があって、謡って聞かせて共に明るく笑ったというような歌と思われる。三、四、五句とも、妻という語を入れて繰り返していることがそれを思わせる。物の名に対する信仰の上に立っての歌で、それによって一首が成り立っているのであるから、全然戯れとはいえないものであるが、その信仰が力あるものであったら、こうした詠み方は同時にできないものである。戯れに近いものというべきである。
 
(207)     一に云ふ、妻賜はにも 妻と云ひながら
      一云、嬬賜尓毛 嬬云長良
 
【解】 妻を賜わりたいものだ、妻という名のままに、「にも」は「なも」に同じ。「に」は願望の助詞。
 
     右の一首は、或は云ふ、坂上|忌寸人長《いみきひとをさ》が作れりと。
      右一首、或云、坂上忌寸人長作。
 
【解】 「人長」は、伝未詳。
 
     後《おく》れたる人の歌二首
 
【題意】 「後れたる人」は、従駕の夫に残されて、京にいる人で、すなわちその妻である。
 
1680 麻裳《あさも》よし 紀《き》べ行《ゆ》く君《きみ》が 信士山《まつちやま》 越《こ》ゆらむ今日《けふ》ぞ 雨《あめ》な零《ふ》りそね
    朝裳吉 木方徃君我 信士山 越濫今日曾 雨莫零根
 
【語釈】 ○麻裳よし紀べ行く君が 「麻裳よし」は、紀の枕詞。「紀べ」は、紀の国の方面。「君」は、夫。○信士山越ゆらむ今日ぞ 「信土山」は、大和国と紀伊国の国境の山で、巻一(五五)、巻三(二九八)、巻四(五四三)に既出。「ぞ」は終助詞。○雨な零りそね 雨よ降ってはくれるなで、「ね」は、他に対する願望。
【釈】 紀伊の方面へ行く君が、信土山を越えるだろう今日であるよ。雨よ降ってはくれるな。
【評】 行幸は九月下旬であるから、「雨」を憂うるのは、実際に即してのことである。純情のおおらかに現われている歌である。
 
1681 後《おく》れ居《ゐ》て 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》れば 白雲《しらくも》の 棚引《たなび》く山《やま》を 今日《けふ》か越《こ》ゆらむ
    後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
 
(208)【語釈】 ○後れ居て我が恋ひ居れば 「居れば」は、居るにと同意のもの。○白雲の棚引く山を 雲の靡きわかっているところの山をで、「山」は、上と同じく信土山と取れる。夫との隔たりを感じる心からの言い方である。○今日か越ゆらむ 今日は夫が越すであろうかで、上の意を強めたもの。
【釈】 後に残って、我は恋うているに、夫は白雲の靡きかかっている高い山を、今日は越えるのであろうか。
【評】 上の歌は夫の上だけを思っているものであるが、これはむしろ、自身のほうを主としているものである。信土山を「白雲の棚引く山」と感じるのも、その心ざみしさからであり、「今日か越ゆらむ」もそれである。前の歌には老成した妻の心が現われているのに、これには若々しい妻の心が現われている。純情のものであることは同じである。
 
     忍壁皇子《おさかべのみこ》に献《たてまつ》れる歌一首 仙人《やまびと》の形《かた》を詠める
 
【題意】 この歌を初めとして、以下二十八首の歌に対し、左注として、「右柿本朝臣人麿の歌集に出づる所」と断わってある。そのうち三首だけは作者の名があるが、他はすべてないのである。「右」という語は、それについで歌数があれば、事はきわめて明瞭であるが、ないので、「右」は、右の一首であるか、あるいは全体であるかを疑わせる余地のあるものである。この語の用例から見ると、一首の場合は、上の歌のごとく、「右の一首は」というようにいっているのであるから、全体に対して用いたものと解せる。加えて、この巻は、上の行幸の従駕の歌のごとき、事の性質の特別なものだけは例外として、その他はすべて、作者の明らかな歌を集めることを建前としている巻であり、その確かめ難いものは「某の歌集に出づ」として、その出所を明らかにしている。ここもそれであるが、編者は人麿の歌と認めていたと見え、この一連に続く(一七一〇−一一)に対しては、「右の二首、或は云ふ、柿本朝臣人麿の作」というがごとく、「或は云ふ」を添えてその間の差別を明らかにしているのである。すなわち二十八首のうち三首を除いての二十五首は、編者は人麿の歌と認め、左注によって、そのことを明らかにしたとしているものに思われる。さらにまた、編者は人麿歌集の歌に対しては特別の扱いをし、その原形を変えまいとする用意をもっていたとみえる。そのことは巻七所載の人麿歌集の歌に対してもすでに見えていて、他人の歌には施している分類をせず、原形のままに載せていたのであるが、ここにも同様の用意をもって臨み、人麿歌集中にある人麿以外の人の作をも、その歌集にあるがままに載せ、また、同じ題詞の歌で、二か所に分けてあるものも、そのままに載せるという慎重な態度を取っているのである。ここにある題詞は、人麿歌集のものと思われる。さらにまた、人麿歌集の歌は他人の作をもまじえたものとされているが、他人の作はここに見るごとく一々断わっているのであるから、作者名のない歌は人麿の歌と見るべきであることを示しているといえる。「忍壁皇子」は、巻二(一九四)に出た。天武天皇の第九皇子で、慶雲二年五月に薨じた。国史の編纂、大宝律令の制定にも関係されている人で(209)ある。「仙人の形」は、「仙人」は、道教でいう仙術を得て山に住む人。「形」は、絵である。皇子の殿にそうした絵があり、それに題する意で詠んで、興として献じたものとみえる。
 
1682 常《とこ》しへに 夏冬《》なつふゆ行《ゆ》けや 裘《かはごろも》 扇《あふぎ》放《はな》たぬ 山《やま》に住《す》む人《ひと》
    常之倍尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人
 
【語釈】 ○常しへに夏冬行けや 「常しへに」は、永久に。「夏冬行けや」は、「夏冬」は、夏と冬とが。「行けや」は、進行するのであろうかで、疑問条件法。永久に夏と冬とが進行している国なのかと、四季のうち二季のみの国なのかと訝かったもの。○裘扇放たぬ 仙人の服装をいったもので、身には裘を着、手には扇を持って、どちらも放さずにいる意。これは今も天狗の絵などに見る形である。「裘」は冬の物、扇は夏の物である。○山に住む人 仙人は山に住むとされているところからのもの。
【釈】 永久に夏と冬とが進行しているのであろうか。冬の裘と夏の扇とを放さない。この山に住む人は。
【評】 神仙道は持統天皇の御製にも出ていて、この時代には、上流の知識階級にはかなりなまでに浸潤していたと思われる。学問に長《た》けていた皇子の殿に、仙人の絵があったというのも、その間の消息を語るものであろう。人麿のこの作は、皇子の興を買おうとしての即興で、それ以上のものではない。しかしこの歌には仙人を尊ぶ心は全くなく、訝かしい人として見ている心のみである。のみならず山に繞らされている大和の地形は、夏冬は凌ぎにくい厭わしい季節で、春と秋とによって救われていたのである。その地にあって、裘と扇とを離さずに持っている仙人の生活は、けっして羨むべきものではない。この歌はその点だけを捉えていっているもので、むしろ仙人を斥けている心のものである。そこに人麿の神仙道に対する態度がみえるのであるが、こうした歌を皇子に献じるということは、人麿の皇子に対する態度をも示しているものといえる。
 
     舎人皇子に献《たてまつ》れる歌二首
 
【題意】 「舎人皇子」は、巻二(一一七)に出た。天武天皇の第三皇子。養老四年知太政官事。天平七年十一月薨じ、太政大臣を贈られた。淳仁天皇の御父である。皇子の知遇をこうむったのも、忍壁皇子と同じ事情よりとみえる。
 
1683 妹《いも》が手《て》を 取《と》りて引《ひ》きよぢ ふさ手折《たを》り 吾《あ》が挿《かざ》すべき 花《はな》咲《さ》けるかも
(210)    妹手 取而引与治 ※[手偏+求]手折 吾刺可 花開鴨
 
【語釈】 ○妹が手を取りて引きよぢ 「妹が手を取りて」は、引き寄せると続き、同意の「引きよぢ」に転じて、その序詞としたもの。「引きよぢ」は、引き寄せる意で、既出。○ふさ手折り 原文「※[手偏+求]手折」は古くから「うち手折り」と訓まれてきたが、『寧楽遺文』に「腕」のことを「手※[手偏+求]」としているものがあり、「腕」は「たぶさ」と訓めるので、「※[手偏+求]」を「ふさ」と訓むべきであるとした竹岡正夫氏の説に従う。「ふさ」はふさふさとの意。巻十七(三九四三)に「布佐多乎里家流」の仮名書き例、巻八(一五四九)に「総手折」の用例がある。○吾が挿すべき花咲けるかも 「挿すべき花」は、かざしとするべき花で、何の花ともわからないが、眼前の花を挿したものと取れる。
【釈】 妹の手を取って引き寄せる、それに因《ちな》みのある、引き寄せてふさふさと手折って、わがかざしとするべき花が咲いたことである。
【評】 歌から見て、宴席の興として詠んだものだろうと思われる。宴席の装飾として、その時の花を挿花とする風があり、また宴席の風として花をかざしにしたのであるが、その席上の花を折って用いることも許されていたのである。この歌は、そうした宴席にある花をかざしとしようとして詠んだものとみえる。それとしては儀礼の心のあらわでないものであり、加えて「妹が手を取りて」の序詞によって、その場合にふさわしい興を添えようともしているものである。卑下せず、興にすぎず、ある地歩を占めて喜びの心をあらわしているという、宴歌としてはむしろ珍しいものである。人麿という人を思わせるところがある。
 
1684 春山《はるやま》は 散《ち》り過《す》ぎぬとも 三輪山《みわやま》は 未《いま》だ含《ふふ》めり 君《きみ》待《ま》ちかてに
    春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君待勝尓
 
【語釈】 ○春山は散り過ぎぬとも 「春山は」は、下の三輪山に対させたもので、花の咲く春の山のすべては。「散り過ぎぬとも」は、花が散りおわったとしても。○三輪山は未だ含めり 「三輪山」は、しばしば出た。「含めり」は、蕾んでいる。○君待ちかてに 「かて」は、可能の意の動詞。「に」は、打消の助動詞「ず」の連用形。君を待ち得ずして。
【釈】 春山はすべて散り過ぎたにしても、三輪山の花は、まだ蕾んでいる。君を待ち得ずして。
【評】 皇子に三輪山の花の遊覧をお勧め申した心のものである。三輪山は皇室守護の畏い神の山で、その山の花が、皇子の御来覧を待って咲かずにいるという心でいっているのである。これは人麿の平常の心で、いわゆる常の心をもっていっているものと思われる。
 
(211)     泉河《いづみがは》の辺《ほとり》にて間人《はしひとの》宿禰の作れる歌二首
 
【題意】 「泉河」は、木津川であり、しばしば出た。「間人宿禰」は、名は略されている。伝は未詳である。人麿の筆録してあった歌であるが、その意は知れない。
 
1685 河《かは》の瀬《せ》の 激《たぎ》つを見《み》れば 玉《たま》もかも 散《ち》り乱《みだ》れたる 川《かは》の常《つわ》かも
    河瀬 激乎見者 玉鴨 散乱而在 河常鴨
 
【語釈】 ○河の瀬の激つを見れば 河の瀬の泡立って流れるさまを見れば。○玉もかも散り乱れたる 旧訓「たまもかもちりみだれてある」。『全註釈』の訓。次の歌の連作と見ての訓である。「かも」は、疑問。○川の常かも この河の平常のさまなのか、の意。
【釈】 河の瀬の泡立って流れるさまを見ると、玉が散り乱れているのであろうか。それとも、これがこの河の平常なのであろうか。
【評】 木津川の豊かな水流が、山河のさまをあらわし泡立って流れているのに対して、驚歎しての心である。「常かも」と疑っているのは、その川を初めて見たからの感で、強い感動はそのためのものである。
 
1686 彦星《ひこぼし》の 頭挿《かざし》の玉《たま》の 嬬恋《つまごひ》に 乱《みだ》れにけらし この河《かは》の瀬《せ》に
    孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此河瀬尓
 
【語釈】 ○彦星の頭挿の玉の 「彦星」は、七夕の牽牛星。「頭挿の玉」は、天人のこととて、玉の着いた頭挿をしていると想像してのこと。○嬬(212)恋に乱れにけらし 「嬬恋」は、棚機つ女を、その逢い難さから恋うる意。「乱れにけらし」は、「に」は、完了で、乱れ散ったのであろう。
【釈】 彦星の頭挿の玉が、嬬恋の嘆きのために、乱れて散り落ちたのであろう。この河の瀬に。
【評】 上の歌と連作となっているもので、水の泡立ち流れるのを玉と見ただけでは心足らず、玉としても地上の物ではなく天上の物であるとし、彦星の嬬恋の嘆きを連想したのである。その時が秋で、七月七日に近い時であったためであろう。こうした空想は人麿の歌にも多く、その時代の風だったのである。
 
     鷺坂にて作れる歌一首
 
【題意】 「鷺坂」は、京都府久世郡城陽町久世で、久世神社のある坂の名。大和から近江へ行く街道にあたる。
 
1687 白鳥《しらとり》の 鷺坂山《さぎさかやま》の 松影《まつかげ》に 宿《やど》りて行《ゆ》かな 夜《よ》も深《ふ》けゆくを
    白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
 
【語釈】 ○白鳥の 意味で鷺にかかる枕詞。○宿りて行かな 「な」は、自身に対する希望。旅の途中として、行く先を念頭に置いての語。○夜も深けゆくを 「も」は、詠歎。夜が更けてゆくものをで、夜道をしてのこと。
【釈】 この鷺坂山の松の下陰に宿って行くとしようよ。夜が更けて行くものを。
【評】 大和と近江との間の街道を、夜道をしていた時の心である。きわめて平静な態度でいっているのと、「白鳥の鷺坂山の松影」という、語感の清らかなものを言い続けているので、その語感に心惹かれて、夜道を続けようと思っていたのを、ふとそこで宿る気になったとみえる。「行かな」といい、「夜も深けゆくを」と弁明するごとくいっているのも、明らかにその心動きを示している。人麿の心の機微をうかがわしめる作である。目立たないが、優れた作である。
 
     名木河《なぎがは》にて作れる歌二首
 
【題意】 「名木河」は、『和名類聚抄』に、「山城国久世郡那紀」とある地であり、今の宇治市伊勢田町の辺かという。
 
1688 ※[火三つ]《あぶ》り干《ほ》す 人《ひと》もあれやも 濡衣《ぬれぎぬ》を 家《いへ》にはやらな 旅《たぴ》のしるしに
(213)    ※[火三つ]干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印
 
【語釈】 ○※[火三つ]り干す人もあれやも 「※[火三つ]り干す」は、火にあぶって乾かすで、下の「濡衣」である。「人」は、そうしたことをするのは妻であるから、その意でいっているもの。「あれやも」は、「やも」は反語で、あろうか、ありはしないと強くいったもの。濡衣をあぶって干してくれる人がいようか、いはしない。○濡衣を家にはやらな 「濡衣」は、雨に濡れた衣。「家にはやらな」は、妻の許へやりたい。○旅のしるしに 旅の佗びしさのしるLとしての意。
【釈】 火にあぶって乾かしてくれる者があろうか、ありはしない。雨に濡れた衣を妻の許に届けてやりたい。旅の侘びしさのしるしとして。
【評】 旅中、雨にあって、着ている衣の濡れた時、その侘びしさから妻を恋しく思い、甘え訴える心から、この侘びしさを示すために、この濡衣をこのまま家に届けてやりたいと思ったのである。事としてはどれほどでもない、いささかなものであるが、粘り強く、心をこめて、情痴に近いまでの言い方をしているものである。人麿という人を思わせる。なお題詞には、「二首」とあるが、次の歌は「名木河」での作ではなく、ここに何らかの錯誤がある。しかるに、(一六九六)の題詞には、「名木河にて作れる歌三首」とあり、取材はこの歌と明らかに繋《つな》がりがあり、しかも連作となっているものである。編者は資料としての人麿歌集には手を加えていないとみえるから、人麿歌集がすでにこのようになっていたものと思われる。
 
1689 ありそ辺《べ》に 著《つ》きて榜《こ》がさね 杏人《からひと》の 浜《はま》を過《す》ぐれば 恋《こほ》しくありなり
    在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
 
【語釈】 ○ありそ辺に著きて榜がさね 「ありそ辺」は、荒磯辺で、岩石の現われている海岸。「著きて榜がさね」は、接近して榜ぎなさいで、「榜がさね」の「さ」は敬語、「ね」はあつらえの助詞である。○杏人の浜を過ぐれば 「杏人」は、他に用例のない語で、旧訓。諸注、誤写説を立て、また改訓を試みてもいる。杏は「からもも」で、その下略としての旧訓である。旧訓に従う。○恋しくありなり 助動詞「なり」は、古くは動詞の終止形を受けた。
【釈】 荒磯辺に接近させて舟をお榜ぎなさい。杏人の浜を榜ぎ過ぎて行くので、恋しい気がする。
【評】 たぶん、琵琶湖を舟行している時の作で、舟子にいった言葉を歌の形にしたものである。「杏人の浜」が不明であるために、一首がはっきりしない。『考』は、「杏」を、「唐」の誤写ではないかとしている。誤写はとにかく、意としてはそれで、(214)帰化人の称ではないかと思われる。それだと、そうした人の住んでいる浜を、「杏人の浜」と呼ぶことは自然なことで、また当時の帰化人は、学問伎芸をもっている者が多く、公からも尊重されていたので、人麿がそうした人の住んでいた地に対して漠然たる憧れを抱き、「恋しく」といったとすれば、これまたありうることに思える。舟子に対して敬語を用いるのは、その舟が身分ある人の物であれば、ありうることである。人麿が解し難い歌を詠むはずはないが、旅の歌で、その土地の人事的事情の実際に即していっているために難解となったのだと思われる。
 
     高島にて作れる歌二首
 
【題意》 「高島」は、近江国の郡名(現在の滋賀県高島郡)。琵琶湖の西岸である。
 
1690 高島《たかしま》の 阿渡川波《あとかはなみ》は 騒《さわ》けども 吾《われ》は家《いへ》思《おも》ふ 宿《やどり》かなしみ
    高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥
 
【語釈》 ○阿渡川渡は 「阿渡川」は、今の安曇《あずみ》川で、東流して琵琶湖に入る。阿渡川の波は。○宿かなしみ 「宿」は、宿っているところ。「かなしみ」は、悲しんで。旅寝の佗びしさに感傷して。
【釈】 高島の阿渡川の川波は、騒いでいるけれども、われは妻のいる家を思っている。旅の宿りを悲しんで。
【評】 周囲の騒がしさに刺激されて、かえって心中にさみしさを深めるという、心理の微妙な境を捉えたものである。巻二(一三三)「小竹《ささ》の葉はみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別れ来ぬれば」と、心理を同じゅうしている。それに較べると沈痛な味がないのは年齢の若さのさせることである。しかし優れた調べである。
 
1691 客《たび》なれば 三更《よなか》を指《さ》して 照《て》る月《つき》の 高島山《たかしまやま》に 隠《かく》らく惜《を》しも
    客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隱惜毛
 
【語釈】 ○三更を指して照る月の 「三更」は、夜半。「指して」は、向かってで、月光のますます光を増してくる時としていっているもの。「三更《よなか》」を地名とする説もある。○高島山に隠らく惜しも 「高島山」は、その名が伝わっていないので、今の何山かわからない。「高島」の地の西方、(215)岳山を主峰とする連山とする説がある。「隠らく」は、隠るの名詞形で、隠れること。中天になろうとする月の、山に隠れるということは、見る人の位置によって起こることで、山裾に接したところにいれば、起こりうることである。実際に即して詠んでいるのである。
【釈】 侘びしい旅であるので、夜半に向かってますます照らしてくる月の、高島山に隠れることの惜しさよ。
【評】 侘びしい旅の夜では月がせめてもの慰めであるのに、それの早くも隠れるのを嘆いた心である。夜中になろうとする月が、山に隠れるということは、月を中心とすれば不自然なことになるが、見る人を中心とすればありうることで、ここはそれである。自身の実際に即していっている歌である。調べが張って、感となっている。
 
     紀伊の国にて作れる歌二首
 
1692 吾《わ》が恋《こ》ふる 妹《いも》はあはさず 玉《たま》の浦《うら》に 衣《ころも》片敷《かたし》き ひとりかも寐《ね》む
    吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨將寐
 
【語釈】 ○妹はあはさず 「あはさず」は、逢わずの敬語。女に対しての慣用のもの。○玉の浦に衣片敷き 「玉の浦」は、和歌山県東牟婁郡、那智山の下の粉白浦より、十町ばかり西南にある地といい、また、下里町の浦神湾ともいい、不明である。「衣片敷き」は、自身の片袖を下に敷く意で、独寐《ひとりね》を具象的にいったもの。○ひとりかも寐む 「かも」の「か」は疑問、「も」は詠歎。
【釈】 わが恋うている妹は、逢っては下さらない。この玉の浦に、わが片袖を下に敷いて、独寐をすることであろうか。
【評】 「吾が恋ふる妹はあはさず」という言い方は、以前に関係があって、その地に行ったらば逢おうと予期していた女とみえる。その予期に反した嘆きを、直写したものである。語が美しく艶があり、調べも張っているので、魅力のあるものとなっている。すぐれた手腕である。
 
1693 玉匣《たまくしげ》 あけまく惜《を》しき あたら夜《よ》を 袖《ころもで》離《か》れて ひとりかも寐《ね》む
    玉匣 開卷惜 ※[立心偏+(メ/広)]夜矣 袖可礼而 一鴨將寐
 
【語釈】 ○玉匣あけまく惜しき 「玉匣」は、しばしば出た。「玉」は、美称。「匣」は、櫛笥。開けと続いて、明けの枕詞。「あけまく」は、「明けむ」の名詞形。夜の明けること。○あたら夜を 惜しい夜を。○袖離れて 妹が袖を離れてで、共寐をせずして。
(216)【釈】 夜の明けることの惜しい、このあたら夜を、妹が手枕をせずして独寐をすることであろうか。
【評】 上の歌と連作である。初句より三句までの美しさは、上の歌と同様である。後年の人麿のこの種の歌にまつわりがちな暗さがなく、嘆きをも楽しんでいるかのごとき趣がある。年齢の若かったためと思われる。
 
     鷺坂にて作れる歌一首
 
1694 細領巾《たくひれ》の 鷺坂山《さぎさかやま》の 白《しら》つつじ 吾《われ》ににほはね 妹《いも》に示《しめ》さむ
    細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示
 
【語釈】 ○細領巾の 「細」は、栲《たく》に当てた字。栲の領巾の意で、その白く細いところが、鷺の頭にある白く長い毛に似ているので、その意で、鷺の枕詞。○吾ににほはね 「にほふ」は、色に現われる意で、ここは、花と開く意。「ね」は、他に対しての願望で、わがために咲き出てくれよ。○妹に示さむ 「妹」は、家にいる妹で、苞として持ち帰って示そう。
【釈】 栲の領巾をしているごとき鷺坂山の白つつじは、花と咲き出てくれよ。そしたら苞として妹に示そう。
【評】 京への帰路、鷺坂山で、咲くに間のない白つつじを見て、家に待っている妹につながりをつけた心である。何ほどでもないことが、人麿の情感によって生かされ、じつに豊かな美しい歌となっている。「吾ににほはね」というのは、事としては無理なものであるが、この歌にあっては自然な、しかも魅力あるものとなっている。高手というべきである。
 
     泉河にて作れる歌一首
 
1695 妹《いも》が門《かど》 入《い》り泉河《いづみがは》の 床《とこ》なめに み雪《ゆき》残《のこ》れり 未《いま》だ冬《ふゆ》かも
    妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遺 未冬鴨
 
【語釈】 ○妹が門入り泉河の 「妹が門入り」は、「出づ」と続き、「出づ」を「泉河」の「いづ」に転じての七音の序詞。「泉河」は、上に出た。○床なめに 「床なめ」は、巻一(三七)に出た。「床」は、上面の平らな床《とこ》のような大岩。「なめ」は、滑らかになっている。○み雪残れり 雪が消え残っているで、そうした所の雪は、いつまでも残っているのが常である。「み」は、接頭語。○未だ冬かも まだ冬なのであろうかと、春(217)にあって訝《いぶ》かって見た意。
【釈】 妹が門を入り出でするに因みある、泉河の床なめには、雪が消えずに残っている。まだ冬なのであろうか。
【評】 泉河の床なめにあるいささかの残雪に対する感である。「妹が門入り」という七音の序詞は、旅にあって妹を思う心を絡ませたもので、旅愁を隠微にあらわしているものである。一首全体としても、いささかの景が詠み生かされて、豊かなものとなっている。
 
     名木河にて作れる歌三首
 
【題意】 「名木河」は、上に出た。この三首の歌は、連作という中でも、きわめて緊密な連絡をもっているもので、一首の独立性を軽く見、三首によって一つの心をいおうとするがごときものと思われる。なおこの三首は、上の(一六八八)「※[火三つ]り干す人もあれやも」につながっている。
 
1696 衣手《ころもで》の 名木《なぎ》の川辺《かはべ》を 春雨《はるさめ》に 吾《われ》立《た》ち濡《ぬ》ると家《いへ》念《おも》ふらむか》
    衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可
 
【語釈】 ○衣手の名木の川辺を 「衣手の」は、枕詞であるが、続きは定解がない。袖が穢《な》えて和《な》ぐ意の和《な》ぎを、同音で名木に続けたという解が穏やかである。○家念ふらむか 家の者は思っているだろうかで、「か」は、疑問。
【釈】 衣手の和ぎという名木川の川辺を、春雨に自分が立ち濡れていると、家の者は思っているであろうか。
(218)【評】 適当な雨着のなかった時代とて、雨にあうことを甚しくも佗びしいこととしていた歌は集中に多い。これは旅であり、ことに春雨であるから、さらに侘びしく感じたことであろう。その佗びしさをせめて妻から察してもらいたいと思い、どうであろう、知っていてくれるだろうかと思った心である。若い心よりの感傷である。単純に直叙したものであるが、一首の調べがしみじみとしていて、その感をあらわしている。「衣手の」という枕詞は、続きには多少の不安があるが、「吾立ち濡ると」につながりがあって、これも感を強めるものとなっている。
 
1697 家人《いへびと》の 使《つかひ》なるらし 春雨《はるさめ》の よくれど吾《われ》を 濡《ぬ》らす念《おも》へば
    家人 使在之 春雨乃 与久列杼吾等乎 沾念者
 
【語釈】 ○家人の使なるらし 「家人」は妻で、妻よりの使であるらしいと、春雨を推量したのである。自然界の鳥をはじめ、風や雲に使を想像した時代なので、その範囲のものであるが、しかし春雨は珍しいものである。○よくれど吾を濡らす念へば 「よく」は避《よ》くで、現在も口語に用いる。避けるけれども我にまつわって濡らすことを思うと。
【釈】 家の妻の使であるらしい。この春雨の、避けるけれども、我にまつわって濡らすことを思うと。
【評】 上の歌の連作で、独立させては通じ難いおそれのある歌である。上の歌で、「家念ふらむか」と思いやって歌っているのであるが、その線に沿っての飛躍をし、春雨を家人の使であるらしいと推量したのである。その推量の土台となるのは、「よくれど吾を濡らす」で、目にも留まらない細かい雨のまつわり着くがごとく、避けるけれどいつかわが身を濡らしていることによってである。無論感傷の昂じたうえでの空想であるが、明るく、相応にしつこいところのある人麿の情感は、それを当然な、常凡なこととして、安易な、軽い態度でいっているのである。理としてはついて行きがたいものであるにもかかわらず、一首の歌として読むと、そうは思わせない、自然な心理のごとく感じさせるところのある歌である。連作であるためにとおる心である。
 
1698 ※[火三つ]《あぶ》り干《ほ》す 人《ひと》もあれやも 家人《いへびと》の 春雨《はるさめ》すらを 間使《まづかひ》にする
    ※[火三つ]干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使尓爲
 
【語釈】 ○※[火三つ]り干す人もあれやも 濡れた衣をあぶって干す人がいるのだろうか、いはしないで、「やも」は、反語。○春雨すらを間使にする(219)「春雨すらを」は、春雨のようなものまでもの意で、本来、心のないものとしての言。「間使」は、双方の間に立つ使。
【釈】 わが濡れた旅衣を、火にあぶって乾す人もいようか、いはしない。それをわが家の妻は、春雨のようなものまでも使としてよこして、われを濡らすことであるよ。
【評】 上の二首は、春雨を確かに妻よりの使だと解し、懐かしんでいる心をいったものであるが、ここでは恨みをまじえてきて、その春雨に濡れたあとの佗びしさをいっているのである。しかしこの侘びしさは、甘え訴える心よりいっているもので、旅愁の範囲のものである。三首全く内面的な、気分のものであるが、実際に即してのものであるために、その気分も境も伝え得ているものである。人麿の抒情的な傾向と、その関係においての立体的な詠み方とが春雨という微細なものを取材として、繊細にあらわされているもので、その面を濃厚に示している連作である。人麿の連作は、そのあるものは、どの程度まで意識して試みているかを疑わせるものもあるが、この三首は、その意識のいかに徹底していたかをも示しているものである。なお上の(一六八八)は、この歌に接して結尾をなす関係のものである。
 
     宇治河にて作れる歌二首
 
1699 巨椋《おほくら》の 入江《いりえ》響《とよ》むなり いめ人《びと》の 伏見《ふしみ》が田井《たゐ》に 雁《かり》渡《わた》るらし
    巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈渡良之
 
【語釈】 ○巨椋の入江響むなり 「巨椋の入江」は、山城国久世郡の北部(現在、京都府宇治市)にあった東西五十町、南北四十町にわたる池で、平日は「巨椋の池」と呼んでいたが、霖雨の際は、宇治河の水と連なって江湾となるので、「入江」とも称せられた。近年干拓され、宇治市に小倉町の名をとどめている。「響むなり」は、続きで、入江に下りていた雁の群れが一度に舞い立った響である。○いめ人の伏見が田井に 「いめ人」は射部《いめ》人で、狩猟の時、跡見部《とみべ》によって狩り立てられる猪鹿を、待伏せしていて射る団体の称。その人々は、伏していて射るので、「伏し」と続けて、その枕詞。「伏見」は、京都市の伏見で、桂川と宇治河とが合流する地。「田井」は、田のある所の称で田圃《たんぼ》というにあたる。○雁渡るらし 上の「響む」についての推量。
【釈】 巨椋の入江の水面が動《とよ》むことであるよ。これはそこから伏見の田圃にと、雁の群れが一時に舞い立って飛び渡るのであろう。
【評】 巨椋の入江のほとりにいて、そこに起こった状態を見るがままにいっているものである。大景をさわやかに詠んだ歌である。事を単純に、地名を二つ用いて印象を鮮明にし、高い調べをもってこの大景を十分に支配しきり、自身の気分に化し、(220)立体的に詠んでいるものである。平面的に詠みながらも立体感をもたせているのは、人麿の手腕である。上の春雨を対象とした作と較べると、別人であるかのように見えて、人麿の心の振幅を思わせられる。
 
1700 秋風《あきかぜ》の 山吹《やまふ》き瀬《せぜ》々の 響《とよ》むなへ 天雲《あまぐも》翔《かけ》る 雁《かり》を見《み》るかも
    金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 雁相鴨
 
【語釈】 ○秋風の山吹き瀬々の響むなへ この二、三句の訓は、諸説があって定まらない。これは定本の訓である。定まらないのは、このように訓むと二句は句割れとなって、ほとんど例のみえないものとなるからである。しかしそれを避けると「山吹の瀬の」という固有名詞となり、意の通じかねるものとなるからである。この訓に従うと、秋風が山を吹いて、山川の瀬々が響をあげるに伴って。 ○天雲翔る雁を見るかも 原文は「翔」の下に、「雁」のある本とない本とがある。ある本のほうが多い。ないほうによると補読をしなければならない。今はある本に従う。それだと、天雲を翔り飛ぶ雁を見ることよである。
【釈】 秋風が山を吹き、山川の瀬々が響をあげるに伴って、天雲を翔り飛ぶ雁を見ることよ。
【評】 疑問の多い歌であるが、作意だけは知られる。人麿がどこかの山にいた折、にわかに荒い秋風が吹き立って、そのいる山を吹き、山川の瀬々は響をあげ、それに伴って天上では、乱れ立つ雲の中を雁が翔って行くのを見たというので、自然界の大きな力をもって動乱するさまを、子細に見やって、その力を身に感じている心である。人麿には他に似た作があり、また人麿ならでは捉えていわない境でもある。今は作意以上には知り難い。
 
     弓削《ゆげ》皇子に献《たてまつ》れる歌三首
 
【題意】 「弓削皇子」は、巻二(一一一)に出た。天武天皇の第六皇子。文武天皇三年に薨じた。歌を献じた事情は、他の皇子達に対すると同様の事情からと思われる。
 
1701 さ夜中《よなか》と 夜《よ》は深《ふ》けぬらし 雁《かり》が音《ね》の 聞《きこ》ゆる空《そら》ゆ 月《つき》渡《わた》る見《み》ゆ
    佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見
 
【語釈】 ○さ夜中と夜は深けぬらし 夜中と、夜は更けたらしい。「さ」は、接頭語。○雁が音の聞ゆる空ゆ 雁の音の聞こえる空を通ってで、(221)「ゆ」は、経過点を示すもの。○月渡る見ゆ 月の移っているのが見えるで、初二句の推量は、その月の位置よりのもの。
【釈】 夜中と夜は更けたらしい。雁の声の聞こえる空を過ぎて、月の移っているのが見える。
【評】 ここの三首は、すべて雁を対象としたものである。秋の月の夜、人麿が皇子に侍している時、おりから雁が鳴き過ぎたので、皇子の命があってか、あるいは人麿が進んでか、眼前の景を捉えて作ったものと思える。歌柄がすべておちついた静かなもので、他意なく作ったものだからである。この歌は、雁の声が聞こえたので空を見上げると、月の中空に移っていることに心づき、ただそれだけをいったものである。取材が単純である上に、調べがしめやかに澄んでいるので、秋の夜中のそうした折の気分が、調べによって生かされている歌である。情景が一般性をもっているところから、後に類歌が詠まれている。
 
1702 妹《いも》があたり 茂《しげ》き雁《かり》が音《ね 夕霧《ゆふぎり》に 来鳴《きな》きて過《す》ぎぬ ともしきまでに
    妹當 茂苅音 夕霧 來鳴而過去 及乏
 
【語釈】 ○妹があたり茂き雁が音 「妹があたり」は、妹が家のあたりに。「茂き雁が音」は、数多くの雁が。○夕霧に来鳴きて過ぎぬ 夕霧の籠めている空へ鳴いて来て、鳴き去った。○ともしきまでに 「ともし」は、ここは羨ましいで、羨ましいまでに。雁の音を十分に聞きうるのを羨む意である。
【釈】 妹の家のあたりに、数多くの雁が、夕霧の中を鳴いて来て、鳴き去った。羨ましいまでに。
【評】 夕霧の籠めている空を、やや距離遠く、数多《あまた》の雁の鳴き連れて過ぎたのに、快いあわれを感じた心である。「妹があたり」といっているのは、その距離を具象化するためで、それ以上のものではない。また、このようにいっているために、結句の「ともしきまでに」が、身に近いものとなり、感深くなるのである。「妹」といい「雁が音」といっているが、情趣だけのもので、恋の心の絡んでいないのは、この歌は皇子に献るためのもので、いわんとしているところは情趣だけだからである。事としては、夕霧の中を雁が鳴き過ぎたというだけであるが、柔らかく豊かに、味わいあるものとしている。
 
1703 雲隠《くもがく》り 雁《かり》鳴《な》く時《とき》に 秋山《あきやま》の 黄葉《もみち》片待《かたま》つ 時《とき》は過《す》ぎねど
    雲隱 鴈鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過
 
(222)【語釈】 ○黄葉片待つ 「片待つ」は、ひたすら待つ。○時は過ぎねど 原文「時者雖過」。『略解』で本居宣長は、「過」の上に「不」の脱したものとし、「すぎねど」と訓み、『新訓』は、それに従っている。黄葉する季節は過ぎない、すなわち来ないけれども。
【釈】 雲に隠れて雁の鳴く声のする時に、秋山の黄葉するのをひたすらに待つ。その季節は来ないけれども。
【評】 順序を追って現われてくる美しい風物に憧れ心を寄せている歌である。雁と黄葉との間に人事的気分を介入させて喜ぶ奈良朝的のものとはなっていず、自然をあるがままに大きく受け入れている心である。結句は説明的で、なくてもさしつかえないものである。自然を大きく感じているがゆえに、おのづからに出たものと見れば、そうも見られるが、それにしても意識的にすぎているといえるところのあるものである。人麿に何らかの心あってのものではないかと思わせる余地がある。あるいは秋を叙任の期とし、その取りなしを哀訴する心よりのものではないかと思われるのである。
 
     舎人皇子に献れる歌二首
 
1704 ふさ手折《たを》り 多武《たむ》の山霧《やまぎり》 茂《しげ》みかも 細川《はそかは》の瀬《せ》に 波《なみ》のさわける
    ※[手偏+求]手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留
 
【語釈】 ○ふさ手折り多武の山霧 「ふさ手折り」は、(一六八三)に既出。ふさふさと手折って撓《たわ》むの意で、「たむ」と続けた枕詞。「多武」は、奈良県桜井市の南方、飛鳥《あすか》の東方の高峰、多武峯。○茂みかも 茂きゆえであろうかで、茂みは深みの意。○細川の瀬に波のさわける 「細川」は、多武の峰から発する谷川で、多武の山の西南を流れて稲淵川に入り、飛鳥川となる小川である。「波のさわける」の、「る」は、「か」の結で完了の助動詞「り」の連体形。騒いでいることよ。瀬の音の高いのを、波の状態でいったもの。
【釈】 多武の峰の山霧が深いゆえであろうか、細川の瀬に立つ波が騒いで音の高いことであるよ。
【評】 皇子に献った歌で、捉えていっていることは、多武の山と細川の、その目立った秋霧の状態という、微細なものである(223)から、これは皇子が目にしていられるものでなくては意味をなさない。皇子の少なくともその日の御座所がその辺りにあって、そこへ伺候した人麿が挨拶代わりに詠んだという関係のものと思われる。歌は、細川のその日の瀬の音が、平常より高いということに心を寄せ、それは多武の山に立つ山霧にこもって聞こえるからであろうといっているので、感覚の微細に働いた歌である。こうしたことは、そこの状態を見馴れている者でないと興味を感じないことで、二人の間にのみ通じる心である。一首の調べが張っていて、心をこめて詠んだものである点から見て、皇子と人麿の関係が思わせられる。瀬の音のやや高いということを捉えて、相応に大きい光景を鮮明にあらわし、沈静な趣のある歌としているのは、人麿の手腕である。
 
1705 冬《ふゆ》ごもり 春《はる》べを恋《こ》ひて 植《う》ゑし木《き》の 実《み》になる時《とき》を 片待《かたま》つ吾等《われ》ぞ
    冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等叙
 
【語釈】 ○冬ごもり春べを恋ひて 「冬ごもり」は、巻一(一六)に既出。春の枕詞。「春べ」は、春頃。春頃の成行きを待ち望んで。これは下の「木」の状態についてである。○植ゑし木の 移植した木ので、今は秋で、秋の季節にしたこと。○実になる時を片待つ吾等ぞ 「実になる」は、その木は実を目的とする木。「片待つ」は、ひたすら待つ。「吾等」は、文字どおり複数で、その意を文字であらわしたもので、これは他にも用例がある。実を結ぶ時をひたすら待っているわれらであります、の意。
【釈】 春の頃を待ち望んで、移植したところの木の、実になる時をひたすらに待っているわれらであります。
【評】 これは、その時は秋で、木を移植して、その木が春になって、花が咲き実を結ぶことを、ひた心待ち望んでいる一同であるといっているので、いっていることは明らかである。しかしこれは何事かを譬喩的にいっているもので、その本義の何であるかは、皇子と人麿以外にはわからないことである。舎人皇子は皇子の中でも勢力のある人であり、人麿はきわめて身分が低かったらしく、また、「吾」を「吾等」といっているので、代弁者という形である。秋、移植した木の、春、花が咲き実の結ぶのを片待つということは、常識的に考えると、春を定期の叙任の時とし、その時の推挙支持を皇子に乞いたいとの心をほのめかしたものではないかと思われる。上の弓削皇子に献った歌の最後のものである「雲隠り雁鳴く時に」も、そうした心が絡んでいるようにみえるので、これもそうしたものではないかと思われるのである。身分低い官人は、一に有力なる人の庇護によっていたとみえ、山上憶良でさえもそうした歌を詠んでいるのであるから、人麿がしかるべき機会にこうしたことをほのめかしてもあやしむには足りず、むしろ儀礼に近いものとしていたかもしれぬ。この歌を歌集の中にとどめていたことから見ても一般性のあったことと思われる。
 
(224)     舎人皇子の御歌一首
 
1706 ぬばたまの 夜霧《よぎり》は立《た》ちぬ 衣手《ころもで》の 高屋《たかや》のうへに 棚引《たなび》くまでに
    黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏※[雨/微]麻天尓
 
【語釈】 ○衣手の 「た」にかかる枕詞。巻一(五〇)「衣手の田上山の」がある。○高屋のうへに 「高屋」は、地名説もあるが、ここは高い屋の意で、多武の山の辺りにある皇子の邸をさしたものと取れる。「うへ」は、辺り。
【釈】 夜霧が立った。この高屋の辺りになびくまでに。
【評】 人麿の、上の「多武の山霧」に応じて作られたものとみえる。人麿歌集に収めてある点から見てのことである。眼前を捉えてきわめておおらかに詠まれたもので、挨拶程度のものである。
 
     鷺坂にて作れる歌一首
 
1707 山代《やましろ》の 久世《くせ》の鷺坂《さぎさか》 神代《かみよ》より 春《はる》は張《は》りつつ 秋《あき》は散《ち》りけり
    山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散來
 
【語釈】 ○神代より 古よりという意を具象的にいったものであるが、この国土は神の所生だとする意を関係させてのもの。○春は張りつつ秋は散りけり 「張り」は、木草の芽を出すこと。「つつ」は、継続で、神代より今までのこと。「散り」は「張り」に対照させたもので、木の葉。「けり」は、詠歎。
【釈】 この山城の久世の鷺坂は、神代の古から今に至るまで、春は芽を出しつつ、秋はこのように散ったことである。
【評】 秋、木の葉の散る頃、鷺坂へ立っての感である。「山代の久世の鷺坂」は、鷺坂としては最上の重い言い方であって、讃えの心よりのことである。「神代より」以下は、鷺坂を永遠の時の上に泛《う》かべて見、鷺坂そのものに永遠を感じて、その意味で、同じく讃えていっているものである。人麿は根本的には、世上の一切を時の上に泛かべて見る傾向の強い人であるが、この歌はそれの直接に現われているものである。後世になるとこれが無常観となり、悲哀感となってくるのであるが、人麿にはそれがなく、自身の生命に対して強い執着をもっていた人で、その執着をとおして、時の推移を痛感していたのである。いわ(225)ば執着の裏書ともいうべきものである。これは時代的関係というよりも人麿の個人性によるものである。この歌は、その心の閃《ひらめ》きで、熱意をもってのものである。
 
     泉河の辺《ほとり》にて作れる歌一首
 
1708 春草《はるくさ》を 馬咋山《うまくひやま》ゆ 越《こ》え来《く》なる 雁《かり》の使《つかひ》は 宿《やどり》過《す》ぐなり
    春草 馬咋山自 越來奈流 鴈使者 宿過奈利
 
【語釈】 ○春草を馬咋山ゆ 春の草を馬が咋うと続け、その「咋ひ」を、咋山の咋に転じて、七音の序詞としたもの。「咋山」は、神名式に「山城国綴喜郡咋岡神社」とあるところで、今の京都府綴喜郡(現、田辺町)字飯岡にある小山である。「ゆ」は、経過地点を示すもの。○雁の使は宿過ぐなり 「雁の使」は、雁に使を連想したもので、今旅にいるところから、使といえば京にいる妻よりのものである。「宿」は、宿っているところ。「なり」は、指定の助動詞。
【釈】 春草を馬が食う、その食うに因みある咋山の上を越えて来る雁の使は、わが宿を通り過ぎて行く。
【評】 泉河で雁を見て、旅愁に触れたという程度のものであるが、具象が巧みである。「春草を馬咋山」と続けた序詞は奇抜なものにみえるが、当時の旅行には馬は離されぬ付き物であったから、連想しやすかったとみえる。
 
     弓削皇子に献れる歌一首
 
1709 御食向《みけむか》ふ 南淵山《みなぶちやま》の 巌《いはほ》には 落《ち》りしはだれか 削《けづ》り残《のこ》れる
    御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有
 
【語釈】 ○御食向ふ南淵山の 「御食向ふ」は、御食として供えるで、御肴《みな》か、あるいは蜷《みな》と続けての「南」の枕詞。「南淵山」は奈良県高市郡明日香村にある山で、今は稲淵という。皇子の殿より近く見える山。○落りしはだれか 「はだれ」は、巻八(一四二〇)に出た。はだれの雪。薄く降る雪。○削り残れる 「削り」は、原文「削」で、諸本同様であるが、『考』は、「消」の誤写としている。削り成したような巌の襞《ひだ》に消え残っている雪を、このようにいったもの。「る」は、「か」の結。
(226)【釈】 南淵山の巌には、降ったはだれ雪が、削り残されているのであろうか。
【評】 皇子の殿から望んで、近い南淵山の巌の壁に消え残っている雪を、巌との関係で「削り残れる」といったので、その巧みさで生かされている歌である。「御食向ふ」という枕詞も、たぶん殿との関係をあらわしているもので、ここにも巧みさがある。微細な物を生かして拡がりをもたせている。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づるところ。
      右、柿本朝臣人麿之謌集所v出。
 
【解】 「右は」とあるだけで、歌数を挙げていないから、どの歌からということが不明である。その中には他人の作もあるところからこのような言い方をしたものであろう。仙人の形を詠んだ歌以下は論なく人麿である。大宝元年の紀伊国の行幸の歌も、その作風から見て人麿かと思われるが、問題となる点もある。
 
1710 吾妹児《わぎもこ》が 赤裳《あかも》ひづちて 植《う》ゑし田《た》を 刈《か》りて蔵《をさ》めむ 倉無《くらなし》の浜《はま》
    吾妹兒之 赤裳※[泥/土]塗而 殖之田乎 苅將藏 倉無之濱
 
【語釈】 ○赤裳ひづちて 「赤裳」は、田植の服装としては不自然のごとく感じられるものであるが、田植は農事の上では最も重大なものであり、斎《いわ》って行なったもので、神事に准じて礼装としての物と取れる。これは他にも例のあるものである。「ひづち」は、泥によごれて。語義をあらわした用字である。○刈りて蔵めむ 「蔵めむ」は、保存するところの意。上代は稲は、刈ったままに保存したのである。以上四句は、「倉」と続き、(227)その序詞となっているものである。○倉無の浜 所在未詳。『和爾雅』には大分県中津市竜王町にある竜王浜だという。
【釈】 吾妹子が、赤裳を泥に汚して植えた田を、刈って保存する倉に因む名の倉無の浜よ。
【評】 倉無の浜にあって詠んだ形の歌である。初句より四句まで序詞という特殊なものである。序詞は本来謡い物時代の修辞法で、一語二義の変化の際やかさを興味とするものである。この歌は結句に至ってその転廻を示すという、形から見ると序詞の興味を典型的に発揮させようとしているものである。これを歌として見ると、こうした歌は倉無の浜の者にだけ興味のあるもので、その地に無関係の者にはさして興味のないものである。したがって倉無の浜の謡い物であったろうと思われる。謡い物は作者の不明を立前とするものであるから、これが人麿の作ということは疑わしいことである。左注もそれに触れていっている。作歌技巧を問題とする時代、この歌の序詞を巧妙だと見、その意味で人麿の作ではないかということが言い出されたという関係のものかと思われる。
 
1711 百伝《ももづた》ふ 八十《やそ》の島廻《しまみ》を 榜《こ》ぎ来《く》れど 粟《あは》の小島《こじま》し 見《み》れどあかぬかも
    百傳 八十之嶋廻乎 榜雖來 粟小嶋志 雖見不足可聞
 
【語釈】 ○百伝ふ八十の島廻を 「百伝ふ」は、百と伝う八十の意で、「八十」の枕詞。「八十」は多くということを具象化していった語。「島廻」は、島の辺り。○来れど 向かって行く意で、ここは難波へ向かって。○粟の小島し この島の名は、巻十五(三六三一)天平八年遣新羅の使人の歌に、「何時しかも見むと思ひしあはしまを」とあり、周防国(山口県)玖珂郡麻里布の浦を行った時の歌であるから、そこにある島と知れ、また勝地とも知れるが、今の何島であるかは不明である。「し」は強意の助詞。
【釈】 八十と限りない島の辺りを榜いで来たが、粟の小島は、見ても飽かないことであるなあ。
【評】 類型的な歌であって、人麿を思わせる点の見えない歌である。
 
     右の二首は、或は云ふ、柿本朝臣人麿の作れる。
      右二首、或云、柿本朝臣人麿作。
 
【解】 人麿作という言い伝えがあったというので載せた歌で、歌集のものではなかったのである。
 
(228)     筑波山に登りて月を詠める一首
 
1712 天《あま》の原《はら》 雲《くも》なき夕《よひ》に ぬばたまの 宵渡《よわた》る月《つき》の 入《い》らまく惜《を》しも
    天原 雲無夕尓 烏玉乃 宵度月乃 入卷※[立心偏+(メ/広)]毛
 
【語釈】 ○雲なき夕に 「夕」は、夜。○宵渡る月の入らまく惜しも 「宵渡る」は、夜の空を過ぎてゆく。「入らまく」は、「入らむ」の名詞形。隠れ入ることの惜しさよ。
【釈】 天の原に雲のない夜に、夜空を過ぎてゆく月の、入ろうとすることの惜しさよ。
【評】 大景を単純に捉えて、充実したものとしている。「天の原雲なき夕に」は、あるがままをいっているごとき句であるが、これほど要を得て、さわやかにいったものは稀れである。「入らまく惜しも」も、平凡には似ているが、その山をいっていないのは、山の遠い茫漠たる関東の平野をあらわし得ているもので、これまた要を得た、気分を伴わしめ得たものである。感動の足りない憾《うら》みはあるが、安らかに詠んで大景をこれほどに支配し得ている手腕は、非凡というべきである。編者はこの巻では、行幸の際の歌を除いては、作者の詳《つまびら》かでない歌は収めてはいないのであるが、ここに初めてそれを見せているのである。歌風で大体時代が知られるので、捨てるに忍びなかったものとみえる。
 
     芳野の離宮に幸《いでま》せる時の歌二首
 
1713 滝《たぎ》の上《うへ》の 三船《みふね》の山《やま》ゆ 秋津辺《あきつべ》に 来鳴《きな》きわたるは 誰喚子鳥《たれよぶこどり》
    瀧上乃 三船山從 秋津邊 來鳴度者 誰喚兒鳥
 
【語釈】 ○滝の上の三船の山ゆ 「滝」は、激流。「三船の山」は、吉野の離宮の上流のほう(吉野町菜摘の東南)にある山。「ゆ」は、通って。○秋津辺に来鳴きわたるは 「秋津辺」は、離宮のある秋津野の辺《あた》り。従駕の者はそこに宿っていた。「来鳴きわたる」は、来て鳴いて渡るのは。○誰喚子鳥 誰を呼ぶ喚子鳥かで、喚子鳥は、今のかっこう鳥。「喚」は、掛詞となっている。
【釈】 滝の上の三船の山をとおって、秋津辺りへ来て鳴いて渡るのは、誰を喚ぶ喚子鳥なのか。
(229)【評】 秋津辺は従駕の人々の居た所である。呼子鳥には恋愛を連想し、妻が呼ぶのだということはすでに常識になっていたとみえる。淡い旅愁を感じている人々の上へ、山のほうから呼子鳥が鳴いて飛んで来たので、あれは誰を喚ぶ呼子鳥なのかと、明るい微笑《ほほえ》みをもって顔を見合ったことであろう。明るく、浅く、柔らかな歌風が、時代を思わせる。
 
1714 落《お》ちたぎち 流《なが》るる水《みづ》の 磐《いは》に触《ふ》れ よどめるよどに 月《つき》の影《かげ》見《み》ゆ
    落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
 
【語釈】 ○落ちたぎち流るる水の 高きより低きに向かって落ちて、たぎり立つ水ので、激湍《げきたん》を具象的にいったもの。○磐に触れよどめるよどに 流れが大岩にぶつかって、その根もとによどんでいる澱《よど》にで、山河の常態を具象したもの。
【釈】 高きより落ちて、たぎり立って流れる水が、大岩に触れて、その裾によどんでいる澱の水に、月が見える。
【評】 落ちたぎつ水と、よどめる澱とを対照して、それによって澱の静かさをあらわした上に、さらにその澱に映じている夜の月を加えて、静けさを極度に強調した歌である。あらわそうとしている吉野の山中の夜の静寂であるが、言い方は、実際に即して、素朴に、平淡にいっているので、ここにも一種の対照があって、対照をとおしてねらっている気分があざやかに浮かび上がっている。人麿のただちに自身の気分の奥所に強く食い入ろうとしたのとは対蹠的に、事象と自身の気分とを繋ぎ合わせ、柔らかに融かし合おうとする、客観的傾向のものとなっている。主観より客観へ、波打つ感動より柔らかな気分へと、移行しようとする傾向を見せている作風である。上の二首も同傾向のものである。
 
(230)     右の三首は、作者いまだ詳ならず。
      右三首、作者未v詳。
 
     槐本《ゑにすのもと》の歌一首
 
【題意】 「槐本」は、訓も定まらず、誰とも知られない。ただ、氏と思われるだけである。この略称は、資料とした古記のもので、編者は、それに拠《よ》ったのである。これについては左注を添えている。
 
1715 楽浪《ささなみ》の 比良山風《ひらやまかぜ》の 海《うみ》吹《ふ》けば 釣《つり》する海人《あま》の 袂《そで》かへる見《み》ゆ
    楽浪之 平山風之 海吹者 釣爲海人之 袂變所見
 
【語釈】 ○楽浪の比良山風の 「楽浪」は、琵琶湖の南方の総地名。「比良山」は、京都府と滋賀県との境に立つ山で、伊吹山と相対している。「比良山風」は、比良山から吹き下ろす風。湖岸から見て、いっているのである。○海吹けば 「海」は、琵琶湖。○袂かへる見ゆ 「かへる」は、ひるがえる。
【釈】 楽浪の比良山の山風が吹き下ろして海を吹くと、海に釣をしている海人の袖のひるがえるのが見える。
【評】 「比良山風の海吹けば」という大きく漠然としたものを捉え、それを「釣する海人の袂」という、湖上に見るものとしては一点景にすぎない小さい物につないで、そのひるがえるのによって、風を具象しているのである。上の「よどめるよどに月の影見ゆ」と同じく、対照によって感を生かそうとしているものである。巻三(二五一)人麿の「粟路の野島が前の浜風に妹が結びし紐吹きかへす」と、構想は似ているが、人麿の主観的なものとは異なって、客観的事象を主として、興味を生かそうとしているものである。むしろ、上の歌に似通うものである。
 
     山上の歌一首
 
【題意】 「山上」は、山上臣憶良の略称である。そのことは左注によって明らかである。
 
1716 白波《しらなみ》の 浜松《はままつ》の木《き》の 手向草《たむけぐさ》 幾世《いくよ》までにか 年《とし》は経《へ》ぬらむ
(231)    白那弥乃 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
【語釈】 ○白波の浜松の木の 「白波の」は、白波の寄せる意で、「浜」へ続くもの。叙述を枕詞風にしたもの。「浜松」は、浜べに立つ松。○手向草 手向の祭をした材料で、すなわち幣である。麻布の類である。○幾世までにか年は経ぬらむ 幾世まで年は経過したことであろうかで、その幣の古びたことをいったもの。
【釈】 白波の寄せる浜の松の木の上にある手向の幣は、幾代まで年は経たことであろうか。
【評】 この歌は、左注にあるように、巻一(三四)に出、それは紀伊国に行幸のあった際、従駕していられた川島皇子の作となっており、「或は云ふ、山上臣憶良の作れる」とあるものである。それには、「一に云ふ、年は経にけむ」とある。その「或は」は、すなわちこの本なのである。もっともそちらは、これとの異なるところは、句が、「浜松が枝の」とあるのに、これは「木」となっているだけである。
 
     右の一首は、或は云ふ、川島の皇子の作りませる歌。
      右一首、或云、川嶋皇子御作謌。
 
     春日の歌一首
 
【題意】 「春日」は、「春日蔵首老《かすがのくらびとおゆ》」で、巻一(五六)に出た。
 
1717 三川《みつかは》の 淵瀬《ふちせ》も落《お》ちず さで刺《さ》すに 衣手《ころもで》湿《ぬ》れぬ 干《ほ》す児《こ》は無《な》しに
    三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手潮 干兒波無尓
 
【語釈】 ○三川の淵瀬も落ちず 「三川」は、諸説あり、所在が不明である。「落ちず」は、漏らさず。○さで刺すに 「さで」は、漁用の小網で、現在も行なわれている。「刺す」は、さでは挿し込んで使うからの称で、使う意。○干す児は無しに 「児」は女の愛称。妻も含めた広い意のもの。濡れた衣を干すのは女のすることとなっていた。
【釈】 三川の、淵も瀬も漏らさずにさでを使うので、わが袖は濡れた。干すべき児は無いのに。
【評】 旅先で、興として川狩をした時の歌と取れる。三川の不明なのは、そうした地の川だからである。淡い旅愁を、素朴に(232)詠んだにすぎないものである。
 
     高市《たけち》の歌一首
 
【題意】 「高市」は、高市連黒人と取れる。巻一(三二)(七〇) に出た。
 
1718 率《あども》ひて 榜《こ》ぎ行《ゆ》く舟《ふね》は 高島《たかしま》の 阿渡《あと》の水門《みなと》に 泊《は》てにけむかも
    足利思代 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門尓 極尓監鴨
 
【語釈】 ○率ひて 連れ立って。船を連ねて。巻二(一九九)「御軍士《みいくさ》をあどもひたまひ」とあり、他にもある。○高島の阿渡の水門に 「高島の阿渡」は、上の(一六九〇)に出た。安曇川の河口付近、船木浜か。「水門」は、河口。○泊てにけむかも 停泊しただろうなあで、「かも」は、詠歎。
【釈】 連れ立って榜いで行く舟は、高島の阿渡河の河口に停泊しただろうなあ。
【評】 旅人として琵琶湖の湖岸に立って、湖上を眺めていると、幾艘か連れ立って榜いで行った船が、阿渡河の河口の辺でふと見えなくなったので、あの河口に停泊したのだろうと思いやった時の感である。軽い安定感を覚えるとともに、その感は一方では、旅人としての自身にある寂寥感《せきりようかん》を起こさせて、黙っては過ごせなかったものとみえる。それは黒人には、巻一(五八)に「いづくにか船泊てすらむ安礼《あれ》の崎こぎたみ行きし棚無し小舟」があり、それと似通うところがあるからである。この歌のほうは、不安と寂寥の高潮したもので、今の歌はこれに較ぶべくもない、明るく軽いものであるが、しかし一脈の寂寥感のある点は通っている。
 
     春日蔵の歌一首
 
【題意】 「春日蔵」は、「蔵」は蔵首《くらびと》の略で、姓の一字だけを記したのである。
 
1719 照《て》る月《つき》を 雲《くも》な隠《かく》しそ 島《しま》かげに 吾《わ》が船《ふね》泊《は》てむ 泊《とまり》知《し》らずも
    照月遠 雲莫隱 嶋陰尓 吾船將極 留不知毛
 
【語釈】 ○島かげに吾が船泊てむ 「島かげに」は、船を繋ぐのは風波の凌《しの》ぎやすい地を選ぶのであるから、その意のもの。「泊てむ」は、上の歌(233)と同じく、「む」は連体形で、下へつづく。○泊知らずも 「泊」は、停泊地。「知らず」は、月光がなければ知られない意で、「も」は、詠歎。
【釈】 照っている月を、雲よ隠すな。島のかげにわが船を停泊させようとする、その停泊地が知られない。
【評】 月光に乗じて、船をやり、ある島で停泊地を得ようとしている時、頼りとする月光の隠れようとするのを見た心である。風波に対する抵抗力の乏しい船を安全地域に繋ぐということは、航海上重大なことだったのである。したがってこの歌には類歌が少なくない。
 
     右の一首は、或本に云ふ、小弁の作なりと云へり。或は姓氏を記し、名字を記すことなく、或は名号を※[人偏+稱の旁]《い》ひて、姓氏を※[人偏+稱の旁]はず。然れども古記に依りて、便《すなは》ち次《ついで》を以ちて載す。およそかくの如き類、下皆これに放《なら》へ。
      右一首、或本云、小辨作也。或記2姓氏1無v記2名字1、或※[人偏+稱の旁]2名号1不v※[人偏+稱の旁]2姓氏1。然依2古記1便以v次載。凡如v此類、下皆放v焉。
 
【解】 「小弁」は、伝が知られない。「姓氏を記し」は、「春日蔵」のごときは、「春日」は氏、「蔵」は姓の略記である。「名字を記すことなく」は、以上の歌はすべてそれである。「名号を※[人偏+稱の旁]ひて、姓氏を※[人偏+稱の旁]はず」は、以下の歌がそれである。「古記に依りて便ち次を以ちて載す」は、古記にあるままの順序をもって載せて行くというのである。この古記の記し方は、その当時はこれでわかるものとしたもので、狭い範囲を対象としてのものか、あるいは採録者の備忘のためのものであったろうと思われる。「下皆これに放へ」は、以下も同様である。
 
     元仁《ぐわんにん》の歌三首
 
【題意】 「元仁」は、いかなる人か知られない。漢風の字ではないかともいう。以下六首は、吉野へ遊んだ歌のみを採録したものである。
 
1720 馬《うま》竝《な》めて 打群《うちむ》れ越《こ》え来《き》 今《いま》見《み》つる 芳野《よしの》の川《かは》を 何時《いつ》かへり見《み》む
    馬屯而 打集越來 今見鶴 芳野之川乎 何時將顧
 
(234)【語釈】 ○馬竝めて打群れ越え来 「馬竝めて」は、友と乗馬を列ねて。「越え来」は、京から吉野へと山を越えて来て。○今見つる 今見たで、第一印象をいったもの。
【釈】 乗馬を列ねて、打群れて山を越えて来て、今見たところの吉野の川を、いつまた見ることだろうか。
【評】 集中を欠いて、平面的な叙事が多くなっているので、感の乏しい歌となっている。そのために、「今」という言葉が生かしきれないものとなっている。
 
1721 苦《くる》しくも 晩《く》れゆく日《ひ》かも 吉野川《よしのがは》 清《きよ》き河原《かはら》を 見《み》れど飽《あ》かなくに
    辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君
 
【語釈】 ○晩れゆく日かも 旧訓。
【釈】 苦しくも暮れて行く日であるよ。吉野川の清い河原を、見ても見飽かないことであるのに。
【評】 初二句は、類型がなくはないが、感動をあらわし得ているので、三句以下の類型的の語が、そのために生気を帯びたものとなっている。
 
1722 吉野川《よしのがは》 河浪《かはなみ》高《たか》み たぎの浦《うら》を 見《み》ずかなりなむ 恋《こほ》しけまくに
    吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成甞 戀布眞國
 
【語釈】 ○河浪高み 「高み」は、高いゆえに。○たぎの浦を 「たぎ」は、激流。「浦」は、激流が彎曲して、海の浦のごとき形をしているところの称。当時の人は、池や河に対して、海の名を流用して喜んでいた。これもそれである。○見ずかなりなむ 見ずに終わるのであろうかで、川浪が高いと見られないというのは、舟を泛《う》かべなくてはよく見られない意と取れる。○恋しけまくに 「恋しけ」は、形容詞「恋し」の未然形。「まく」は、推量の助動詞「む」の名詞形。「に」は、詠歎で、恋しく思うことであろうにと、未来を推量したもの。
【釈】 吉野川の河浪が高いゆえに、激流の彎曲している辺りを見ずに終わることであろうか。あとで恋しく思うことであろうに。
【評】 佳景を十分に鑑賞し得ない嘆きであるが、事情を尽くしていおうとしたために、叙述になりすぎ、それも徹しないものとなって、感の乏しいものとなっている。
 
(235)     絹の歌一首
 
【題意】 「絹」は、略称で、何びととも知れない。
 
1723 河蝦《かはづ》鳴《な》く 六田《むつた》の河《かは》の 川楊《かはやぎ》の ねもころ見《み》れど 飽《あ》かぬ河《かは》かも
    河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨
 
【語釈】 ○河蝦鳴く六田の河の川楊の 「河蝦」は、河鹿《かじか》。「六田の河」は、巻七(一一〇五)に出た。吉野川が奈良県吉野郡吉野町上市の西、六田と同郡大淀町北六田の地を流れている時の称。六田は下市町の下流である。「川楊」は、川岸の柳。以上は根と続き、「ねもころ」の「ね」の序詞。実景を序詞の形にしたもの。○ねもころ見れど飽かぬ河かも 懇《ねんご》ろに、よくよく見るけれども、見飽かない河であるよ。
【釈】 河鹿の鳴いている六田の川の川柳の、その根に因みある、懇ろによくよく見るけれども見飽くことのない河であるよ。
【評】 吉野川そのものの感じよりも、吉野川から受けた自身の感をいおうとし、それをあらわす方法として序詞を設けている。序詞としては実景を捉えたものであるが、一首の上からはそれが主となって、肝腎の川のほうはむしろ従となっているのはそのためである。実感をいおうとしつつ遊離を示している歌である。
 
     島足《しまたり》の歌一首
 
【題意】 「島足」は、いかなる人とも知られない。
 
1724 見《み》まく欲《ほ》り 来《こ》しくもしるく 吉野川《よしのがは》 音《おと》の清《さや》けさ 見《み》るにともしく
    欲見 來之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷
 
【語釈】 ○見まく欲り来しくもしるく 「見まく欲り」は、見たいことと思い。「来しくもしるく」は「来しく」は「来し」の名詞形。「しるく」は、甲斐があって。巻八(一五七七)に出た。○吉野川音の清けさ 「清けさ」は、清かなことよで、川を音によった讃えることは当時の風である。○見るにともしく 「ともしく」は、珍しくしてで、下に「あり」の意がある。
【釈】 見たいことに思って来たことの甲斐があって、吉野川の川音の清かなことよ、見るに珍しくて。
(236)【評】 上の歌よりもさらに、自身の気分だけをいおうとして、その気分を分解し、説明しているものである。「来しくもしるく」「見るにともしく」と、同音の語を重ねているのは、謡い物系統の語呂を喜ぶ心からのもので、意識してのものとみえる。
 
     麿の歌一首
 
【題意】 左注によって人麿歌集の歌と知れる。最後に載せてあり、また詠み口も似ているので、人麿の略称かと思われる。
 
1725 古《いにしへ》の 賢《さか》しき人《ひと》の 遊《あそ》びけむ 吉野《よしの》の河原《かはら》 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨
 
【語釈】 ○古の賢しき人の遊びけむ 「賢しき人」は、賢い人ということをあらわす当時の成語で、既出。神仙道が重んじられていた時代で、吉野山は神仙の棲む所だということが信じられていたので、古、その道を休し得た人の居た所というごとき言い伝えがあってのことと思われる。
【釈】 古の賢い人が遊んだというこの吉野川の河原は、見ても見飽かないことであるよ。
【評】 吉野川の河原を見て、言い伝えとなっている古の賢い人の遊んだ所だと思ってなつかしむというのは、この当時としては深みのある心で、上の五首とは類を異にしている。人麿の詠み口ではあるが、それとしては凡作である。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
【解】 以上六首は、人麿の歌集にあったものだというのである。人麿はこの一行とともに吉野に遊び、その時に人々の詠んだ歌を心覚えのために歌集に記入していたのである。略称を用いているのもそれゆえのことである。人麿当時の身分低い人の歌が大体どのようなものであったかを示しているといえる。
 
     丹比《たぢひ》真人の歌一首
 
【題意】 「丹比真人」は、氏と姓とだけで、名は記していない。誰とも知れない。
 
(237)1726 難波《なには》がた 潮干《しほひ》に出《い》でて 玉藻《たまも》刈《か》る 海《あま》の未通女《をとめ》ら 汝《な》が名《な》告《の》らさね
    難波方 塩干尓出而 玉藻苅 海未通等 汝名告左祢
 
【語釈】 ○海の未通女ら 旧訓。『考』は「あまをとめども」。呼びかけて求婚する場合であるから、単数であるべきだとし、「ら」は接尾語としてである。○汝が名告らさね 「告らす」は、敬語。「ね」は、願望で、名をいって下さい。これは求婚して承諾を乞う意。
【釈】 難波潟の潮干の海へ出て、藻を刈っている海人の娘よ、われに名をお聞かせなさい。
【評】 大和の宮人の、はなはだ海を珍しく思う心の延長として、海人の娘に魅力を感じ、求婚をするというのは、宮人の側からは心理の自然のあることであったとみえ、他にも同想の歌がある。求婚とはいえ、旅の慰みで、軽い心よりのものだったのである。詠み方の素朴なことも、心理の自然を裏書しているといえる。
 
     和《こた》ふる歌一首
 
1727 あさりする 人《ひと》とを見《み》ませ 草枕《くさまくら》 旅行《たびゆ》く人《ひと》に 妾《われ》は及《し》かなく
    朝入爲流 人跡乎見座 草枕 客去人尓 妾者不敷
 
【語釈】 ○あさりする人とを見ませ 「あさりする人」は、海人の自身を説明したもの。「人とを」の「を」は詠歎。○妾は及かなく 原文「妾者不敷」。諸注、訓が定まらない。『略解』は、「妾」を「妻」とある本に従い、「敷」は「教」の誤写とし、「妻とは教《の》らじ」としてい、『新考』は「妾《わ》が名は教らじ」としている。『全註釈』は、「妾」を女の謙譲の称とし、「敷」は「及《し》く」に用いている例があるとして、今のごとくに訓み、わが身分は及ばないことよの意で、拒んだものとしている。『略解』の旅人であるがゆえに拒むというのは、意としては通じやすいが、そのために誤写説を設けた迎えての解である。旅人を貴い人として、拒んだのだとする『全註釈』の解に従う。
【釈】 漁りをしている人と見給えよ。旅をしている人に、妾は及ばない身分であることよ。
【評】 女が旅人から求婚されて拒むのは、型となっていることなので、結句は拒む意のものであることは明らかである。男の感情一点張りなのに対して、女は「あさりする人とを見ませ」と理知的な、屈折のある言い方をして拒んでいるのであるから、結句の屈折ある言い方も妥当なものに思える。「妾」という卑称を示す用字も、それを支持するといえる。
 
(238)     石川卿の歌一首
 
【題意】 「石川卿」も、「卿」ではあるが、氏のみなので、誰とも知れない。「宇合」の前に置いている点から見て、天平宝字六年、七十五で薨じた石川年足かという。宇合よりは六年の年長である。
 
1728 慰《なぐさ》めて 今夜《こよひ》は寐《ね》なむ 明日《あす》よりは 恋《こ》ひかも行《ゆ》かむ 此間《こ》ゆ別《わか》れなば
    名草目而 今夜者寐南 從明日波 戀鴨行武 從此間別者
 
【語釈】 ○慰めて今夜は寐なむ 心を慰めて今夜は共寝をしようで、別れの前夜。○恋ひかも行かむ 「かも」は疑問。恋いつつ旅を続けることであろうか。○此間ゆ別れなば 「此間ゆ」は、ここからで、旅中のある場所。
【釈】 心を慰めて今夜は寝よう。明日からは、恋いつつ旅を続けることであろうか。ここから別れたならば。
【評】 宮人として旅をして、ある地で契った女と別れを惜しむ心のものである。別れの歌としては心の淡いものであるが、これは双方の身分に関係してのことであろう。歌としては相聞の範囲のものであるが、雑の中に収めているのは、古記にある順を追ったからと取れる。
 
     宇合《うまかひ》卿の歌三首
 
【題意】 「宇合」は、藤原宇合である。巻一(七二)、巻六(九七一)に既出。不比等の三男、藤原式家の祖。二首目は女の歌であり、詠んだ場所も、海浜と石田というようにかけ離れている。藍紙本には、「飯女歌三首」とある。
 
1729 暁《あかとき》の 夢《いめ》に見《み》えつつ 梶島《かぢしま》の 石《いそ》越《こ》す浪《なみ》の しきてし念《おも》ほゆ
    曉之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 數弖志所念
 
【語釈】 ○暁の夢に見えつつ 明け方の夢に見え見えして。「暁」と限っているのは、明け方は眠りが浅く、夢を記憶している時であるから、感となるのである。実際に即した語である。「夢」に見える人は、旅にあって思う京の妻で、いうに及ばないとしてである。○梶島の石越す浪の 「梶島」は、所在不明。「石越す浪」は、海べの岩を越す浪で、「敷き」と続き、二句序詞。この序詞は眼前の実景。○しきてし念ほゆ 「しき」(239)は、重ね野ねで、しきりに。「し」は、強意。「念ほゆ」は、夢の中の人。
【釈】 暁の夢に妻は見え見えして、梶島の岩を越す浪のしきるのに因みある、しきりにも恋しく思われる。
【評】 旅にあって京の妻を恋うという、ほとんど内容の定まったものであるが、この歌は、「暁の夢に見えつつ」とあくまで実際に即しているとともに、一方では妹ということをいわず暗示にとどめる言い方をしている。したがって一首、実感としておちついた味わいをもちながら、その実感が柔らかく、情趣のあるものとなっている。この風は新風で、それに向かって移りつつあることを示しているものである。
 
1730 山科《やましな》の 石田《いはた》の小野《をの》の 柞原《ははそはら》 見《み》つつや公《きみ》が 山道《やまぢ》越《こ》ゆらむ
    山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
 
【語釈】 ○山科の石田の小野の 「山科の石田」は、京郡市伏見区石田町辺り。「小野」は、野。○柞原 「柞」は、ぶな科の落葉喬木で、小楢《こなら》。紅葉が美しいものである。○山道越ゆらむ 「山道」は、大和京から東国へ下るには、山科から逢坂山へかかるのであるから、その上り道。「らむ」は、「や」の結。
【釈】 山科の石田の野の、おりから紅葉の美しい柞原を見つつ、君は山道を越していることであろうか。
【評】 これは「公」という人の旅立った後、女がその公の旅中のさまを思いやった歌である。石田の柞原を見ることを羨んでいる明るい心で、何の不安も感じているものではない。これは男に対する関係の深くないことを示していることで、遊行婦の類ではないかと思われる。しかしそれにしては、歌がおちついて、品のあるものである。この程度の歌を詠む遊行婦もありうることと思える。
 
1731 山科《やましな》の 石田《いはた》の社《もり》に 手向《たむけ》せば 蓋《けだ》し吾妹《わぎも》に 直《ただ》にあはむかも
    山科乃 石田社尓 布麻越者 蓋吾妹尓 直相鴨
 
【語釈】 ○山科の石田の社に 「石田の社」は、「神名式」に、「久世郡石田神社」がある。「社」は、森がすなわち社だったのである。○手向せば この用字と訓には諸説がある。原文「布麻」は藍紙本などの古本によったものであるが、西本願寺本以後「布靡」としている。『考』は、「布靡」(240)は、幣は布や麻であったから、布なびかすと書き幣に当てたもので、幣は手向の料であるから、義訓で「たむけ」と訓むべきであり、「越」は「勢」の誤写で、「たむけせば」だとしているのである。『全註釈』は、「越」は、その布麻を森に打越すのでこの字を用いたとみえるといい、原文のまま同じく「たむけせば」と訓んでいる。手向は、道中にあって、身の障《さわ》りのないことを祈る行事である。○蓋し吾妹に直にあはむかも 「蓋し」は、おそらく、たぶん。「直に」は、直接にで、再びというにあたる。
【釈】 山科の石田の社に手向をしたならば、たぶん吾味に直接に逢えることであろうかなあ。
【評】 仮設していっている歌である。旅人として石田の社の前を過ぎる時であれば、そこは逢坂山に近く、国境を越える時であるから、むろん手向をするものと思われる。これは道中の無事を祈るのが主ではなく、無事で妹に逢えることが主であり、また軽い心でいっているものであるから、「吾妹」は、上の歌に出た男を「公」と呼んでいる女で、その女に対していっているものと思われる。「直に」は、夢に対させたもので、直接に、再びという意のもので、その女がかりそめの関係のものだということを思わせる。明るい気分でいっている歌である。
 
     碁師《ごし》の歌二首
 
【題意】 「碁師」は、どういう人であるか不明である。『代匠記』は、「師」は法師の略称であるとし、巻四(五〇〇)の「碁檀越《ごのだんをち》」を称したのではないかという。『新考』は碁打ちの意だとしている。『全註釈』は、「碁」は、元暦校本、藍紙本には碁であるが、類聚古集、伝壬生隆祐本などには「基」とある。正倉院文書には、現にこの称がある。法号の一字に師を添えての略称であるとして、「基師」と改めている。
 
1732 大葉山《おほばやま》 霞《かすみ》たなびき さ夜《よ》ふけて 吾《わ》が舟《ふね》泊《は》てむ 泊《とまり》知《し》らずも
    母山 霞棚引 左夜深而 吾舟將泊 等万里不知母
 
【語釈】 ○大葉山霞たなびき 巻七(一二二四)の重出。「大葉山」は、紀伊国の山と知られるだけで、所在は知れない。海近い山で、航海の目標となるものである。和歌山市境の大旗山及び、有田郡広川町西広の大場山が擬せられている。近江国の説もある。「霞」は、ここは霧で、古くは通じて呼んだ。
【釈】 大葉山に霧が懸り、夜が更けて、わが舟を碇泊させるべき碇泊地が知られないことよ。
(241)【評】 旅行は、つとめて海路によろうとし、また夜は、舟を安全な地に着けて、上陸して寝ることとしていたところから、この歌にあるような場合は、きわめて多かった。したがってこの歌は、流用される範囲が広かったのである。巻七の歌は作者不明となっており、ここでは碁師となっている。碁師が古歌を誦し、それが記録されたとすれば、事は最も単純であるが、しかし定められないことである。
 
1733 思《おも》ひつつ 来《く》れど来《き》かねて 水尾《みを》が崎《さき》 真長《まなが》の浦《うら》を 又《また》かへり見《み》つ
    思乍 雖來々不勝而 水尾埼 眞長乃浦乎 又顧津
 
【語釈】 ○思ひつつ来れど来かねて 「思ひつつ」は、下の真長の浦の風景の愛でたさを思いつつ。「来れど来かねて」は、目的地のほうへ進んで来たが、心残りから来かねて。「来」というのは、舟行と取れる。○水尾が崎真長の浦を 「水尾が崎」は、滋賀県滋賀郡の北端にある、琵琶湖に突出している岬で、今は明神崎と呼んでいる。「真長の浦」は、その北方にある浦で、舟行して来て、水尾が崎を繞《めく》ると、その浦は視界から隠れるのである。○又かへり見つ 再び真長の浦を振返って見た。
【釈】 そこの風景の愛でたさを思いつつ来たが、心が引かれて行きかねて、水尾が崎を繞ろうとして、真長の浦を再び振返って見た。
【評】 琵琶湖を舟行した際の歌である。当時の航海法として岸寄りを航行したので、船中から陸上の眺めを楽しみ、特に真長の浦に心が引かれ、水尾が崎を繞ると、そこが見えなくなるので、見収めとして顧みた心である。奈良の人にとっては、海はもとより、湖も珍しい、好奇の対象となっていたものである。明るい、気分本位の歌である。
 
     小弁の歌一首
 
【題意】 「小弁」は、名か官名か不明である。『古義』は官名で、太政官の左右の弁官で、左右の小弁のそれではないかという。それだと「すなきおほともひ」である。巻三(三〇五)、上の(一七一九)の左注に出た。
 
1734 高島《たかしま》の 阿渡《あと》の湖《みなと》を 榜《こ》ぎ過《す》ぎて 塩津《しほつ》菅浦《すがうら》今《いま》か榜《こ》ぐらむ
    高嶋之 足利湖乎 滂過而 塩津菅涌 今香將滂
 
(242)【語釈】 ○高島の阿渡の湖を (一六九〇)(一七一八)などに既出。高島郡の安曇川の河口を。○塩津菅浦 「塩津」は、滋賀県伊香郡西浅井村塩津。琵琶湖の北端にある。越前に越える道の塩津山のある地である。「菅浦」は、同じく琵琶湖の北部にある浦である。西浅井村菅浦の地。
【釈】 高島の安曇川の河口を榜ぎ過ぎて、塩津、菅浦の辺りを今は榜いでいるのであろうか。
【評】 知人が琵琶湖を舟で、南方から北方へ向かって榜ぎ出して行った、その行程を思いやっている心である。時刻からいって、今はちょうど北端を榜いでいる頃だろうと想像したのである。三つの地名は、作者に印象深い土地なので、それを思い浮かべつついっているのである。旅立った人かと思われる。
 
     伊保麿《いほまろ》の歌一首
 
【題意】 「伊保麿」も、氏が知れず、したがって誰ともわからぬ。
 
1735 吾《わ》が畳《たたみ》 三重《みへ》の河原《かはら》の 礒《いそ》のうらに かくしもがもと 鳴《な》く河蝦《かはづ》かも
    吾疊 三重乃河原之 礒裏尓 如是鴨跡 鳴河蝦可物
 
【語釈】 ○吾が畳三重の河原の 「吾が畳」は、重ねて敷く意で「三重」にかかる枕詞。「三重の河原」は、三重県三重郡(現、四日市市)にあって、今の内部《うつべ》川の河原。○礒のうらに 石のかげにの意。○かくしもがもと 「かくしもがもと」は、「しも」は、強意、「がも」は、陥望の助詞。「と」は、とて。このようにばかりあってほしいといって。これは河鹿の鳴き声を、迎えてそのように聞きなしたのである。河鹿が、現状を喜んでいるとしてである。○鳴く河蝦かも 鳴いている河鹿であることよ。
【釈】 三重の河原の石のかげに、いつもこのようにばかりありたいものといって、鳴いている河鹿であることよ。
【評】 旅びととして三重の河原に立ち、そこに鳴いている河鹿の声を愛でての心である。河鹿は清流でないと棲まないものであるから、河原の清らかさが思われる。また、河鹿の鳴くのは、初夏より秋へかけてであるから、季節も快適な時でもある。奈良時代の人は、楽器の音はもとより、自然界の禽獣の鳴き声、水の音などに異常なまでに愛着をもち、その意の歌を多く詠んでいる。この作者はその愛着を河鹿の音につなぎ、単に愛でて聞いているというだけではなく、その声を、河鹿自身が、その生存を喜んでいる声と聞きなしたのである。これは珍しく、例の少ないものである。言いあらわしも、その心にふさわしいもので、「吾が畳三重の河原」というのも、気分としては自分と河鹿とにつながりをつけたものである。「かくしもがもと鳴く」(243)というのは、河鹿を擬人化したという程度のものでなく、むしろ作者の生活気分を反映したものとみえる。安らかに人生の深所に触れ得ている歌である。
 
     式部大倭《しきぷおほやまと》の芳野にて作れる歌一首
 
【題意】 「式部大倭」の「式部」は、次の歌の「兵部」と同じく、官省を略記したもの。「大倭」は、氏であろう。
 
1736 山《やま》高《たか》み 白木綿花《しらゆふはな》に 落《お》ちたぎつ 夏身《なつみ》の川門《かはと》 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    山高見 白木綿花尓 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香聞
 
【語釈】 ○山高み白木綿花に落ちたぎつ 「山高み」は、山が高いゆえに。「白木綿花に」は、「白木綿花」は、白い楮をもって造った造花。「に」は、ごとくに。「落ちたきつ」は、水が高きより低きに落ちて激するで、「たぎつ」は、連体形。○夏身の川門 「夏身」は奈良県吉野郡吉野町菜摘、離宮より上流の地点。「川門」は、両岸が迫って川幅の狭くなっている所の称。
【釈】 山が高いので、水が白木綿花のごとくに、落ちて激するこの夏身の川門は、見ても見飽かないことよ。
【評】 夏身の辺りは、吉野川が高岩を繞って彎屈している所で、水勢がはげしくて最も渓流の趣をあらわしている所である。巻六(九〇九)笠金村の作「山高み白木綿花に落ちたぎつ滝の河内は見れど飽かぬかも」があり、それとの繋がりの深いものである。どちらが先後ともわからない。金村の歌が先にあれば、夏身を見てこのような歌にすることは、きわめてありやすいことである。
 
(244)     兵部川原《ひやうぶかはら》の歌一首
 
【題意】 兵部省の官人の川原氏と取れる。
 
1737 大滝《おほたぎ》を 過《す》ぎて夏箕《なつみ》に 傍《そ》ひてゐて 浄《きよ》き川瀬《かはせ》を 見《み》るが明《さや》けさ
    大瀧乎 過而夏箕尓 傍爲而 淨川瀬 見何明沙
 
【語釈】 ○大滝を過ぎて 「大滝」は、離宮の所より上流で、吉野川が落下する状態になっていた地点の称。この滝は、後に崩壊してなくなったという。○夏箕に傍ひてゐて 「夏箕」は、大滝よりもさらに下流である。「傍ひてゐて」は、河に添ってとどまっていて。○浄き川瀬を見るが明けさ 「浄き川瀬」は、夏箕川の急湍。「明けさ」は、心のさわやかなことよで、ここは詠歎をあらわす。
【釈】 大滝を通り過ぎて、さらに夏箕の川門に添ってとどまっていて、清い河瀬を見ると、心さわやかなことであるよ。
【評】 古風な詠み方で、叙事を主として大まかにいい、さらに「見るが明けさ」と大まかな抒情をしているが、この詠み方が吉野川の佳景を全面的に思わせるものとなっていて、甚だ効果的である。古風の歌の長所を発揮し得ている作である。
 
     上総《かみつふさ》の末《すゑ》の殊名《たまな》の娘子《をとめ》を詠める歌一首 并に短歌
 
【題意】 「末」は周淮で、本来は郡名。この郡は、今は君津郡の一部となっている。「珠名」は、娘子の名。人名の後に添う「な」は、愛称の例が多く、これもそれとみえる。作者は、以下左注によって高橋蟲麿である。蟲麿が上総《かずさ》の歌を詠んでいるのは、常陸《ひたち》の国庁の官人となっていて、養老三年、常陸の国司藤原宇合が按察使として、安房《あわ》・上総・下総《しもうさ》を管したことがあるので、それに関係してこの地に往来したためかという。蟲麿は巻三(三二一)、巻六(九七一)に出た。奈良朝初期の代表的歌人の一人である。以下二十三首はその作である。
 
1738 水長鳥《しながどり》 安房《あは》に継《つ》ぎたる 梓弓《あづさゆみ》末《すゑ》の珠名《たまな》は 胸別《むなわけ》の 広《ひろ》き吾妹《わぎも》 腰細《こしぼそ》の すがる娘子《をとめ》の その姿《かほ》の 端正《きらきら》しきに 花《はな》の如《ごと》 咲《ゑ》みて立《た》てれば 玉桙《たまぼこ》の 道行《みちゆ》く人《ひと》は 己《おの》が行《ゆ》く 道《みち》は行《ゆ》かずて 召《よ》ばなくに 門《かど》に至《いた》りぬ 指並《さしなら》ぶ 隣《となり》の君《きみ》は あらかじめ 己妻《おのづま》離《か》れて 乞《こ》は(245)なくに 鎰《かぎ》さへ奉《まつ》る 人皆《ひとみな》の かく迷《まと》へれば 容艶《かはにほ》ひ 縁《よ》りてぞ妹《いも》は たはれてありける
    水長鳥 安房尓繼有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須輕娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道徃人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 預 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 客艶 緑而曾妹者 多波礼弖有家留
 
【語釈】 ○水長鳥安房に継ぎたる 「水長鳥」は、未詳である。鳰鳥《におどり》かという。枕詞で、安房にかかるのは、水中に長くいて、浮かび出ると「あ」と長き息をする意かといっている。「安房に継ぎたる」は、安房に続いていると「末」の位置をいったもの。養老二年、上総国の平群、安房、朝夷、長狭の四郡を割いて、安房国としたが、天平十三年上総国にあわせ、天平宝字元年、また旧に復した。ここはおおまかにいったもので、安房方面より末に向かって行くとと、道行き風に叙しているのである。○梓弓末の珠名は 「梓弓」は、本末《もとすえ》ある意で、「末」にかけた枕詞。○胸別の広き吾妹 「胸別」は、ここは胸で、胸で物を押し分けるところから出た称であろう。「吾妹」は三人称の愛称。胸幅の広いことを、女の美貌の第一条件としていっているのは、ここにあるのみである。○腰細のすがる娘子の 「腰細」は、腰の細い意で、漢籍には、細腰、柳腰などの語がある。「すがる」は、蜂の一種で、じがばちといい、地中に巣を営む。今は「すがれ」とも呼ぶ。長さ八分ばかり、色が黒く、腰がきわめて細い。「すがる娘子」という語は、二句の続きから見て、そういう語が行なわれていたのであろうと『新考』はいっている。微小な虫が、取立てていわれているのは、現在もしているように、その幼虫が食料とされたからではなかろうか。「の」は、にしての意で、下へ続く。○その姿の端正しきに 「姿《かほ》」は、本来容貌全体の称であったのが、顔をその代表的の部分とするところから、転じて顔の意となった語で、ここは顔の意のもの。「端正しきに」は、旧訓「うつくしけさに」。『童蒙抄』の訓。日本霊異記、日本書紀に例のある語。きわめて美しい意。○花の如咲みて立てれば 「立てれば」は、門《かど》に立っていると。○玉桙の道行く人は 「玉桙の」は、道の枕詞。「道行く人」は、旅びとの意で、女の家が街道筋に近くあったことをあらわしたもの。「は」は、下の「隣の君は」に対させたもの。○己が行く道は行かずて 自身の向かうべき道は行かずしてで、旅の身ということも忘れて。○召ばなくに門に至りぬ 「召ばなくに」は、「なく」は、打消の助動詞「ず」の名詞形。娘子が招きもしないのに、その門に来てしまう。○指並ぶ隣の君は 「指並ぶ」は、「さし」は接頭語。「並ぶ」は、家の並ぶ意で、意味で「隣」へかかる枕詞。「君」は、主人を貴んでいったもの。○あらかじめ己妻離れて 娘子と約束のない以前から、自分の妻と関係を絶って。○鎰さへ奉る 「鎰」は、門、櫃などのそれで、その家の最も大切な物。「さへ」は、までも。「奉る」は、与うの敬語で、女に対しての慣用。○容艶ひ縁りてぞ妹は 「容艶ひ」は、訓が定まらない。「艶」は「にほふ」に当てた用例が集中に多い。色の美しい意で、ここは、顔に愛嬌を湛えての意。「縁りて」は、靡いて。○たはれてありける 「たはれ」は、婬れで、色情をほしいままにして。「ける」は「ぞ」の結。
【釈】 安房に続いている末の珠名は、胸部の広い女で、腰の細いすがる娘子であって、その顔がきらきらと輝くようなのに、花のごとく笑んで門に立っていると、旅をしている人は、自分の行くべき道は行かずに、招きもしないのに、娘子の門に来てしま(246)う。軒並びの隣の主人の君は、その約束もない前から自分の妻と遠ざかって、乞いもしないのに、その家の鎰《かぎ》までも捧げる。すべての人がこのように心を迷わせているので、顔に愛嬌を湛えて靡いて、娘子は色情をほしいままにしていたことである。
【評】 この歌は、民間の美貌の一婬婦の、その日常生活を捉えて詠んだもので、作者との関係は、漠然とした噂話と、一|瞥見《べつけん》という程度のものであって、そこには事件と称しうるほどのものはないのである。このような庶民生活の小事相を捉え、それを純叙事的に扱った長歌は、長歌の歴史の上にかつてなかったことで、全く蟲麿によって創始されたことである。長歌は歴史的に見ると、しだいに短歌に圧倒されて衰運に向かっていたのであるが、奈良初期、復古気分の擡頭するのに伴って、山上憶良は盛んに作り、その一傾向として、大伴旅人の短歌の連作によって試みようとしたのと同じく、叙事的というよりはむしろ物語的情景をあらわそうとしたのであった。しかしそれは抒情的な歌を連結することによって、結果としてはそのようなものになる作をしたというにすぎず、しかもその例も「貧窮問答」があるにすぎないのであった。しかるに蟲麿は、一躍、直接な、純叙事的なこのような作を試み、しかもこのような題材を扱ったということは、長歌の歴史からいうと全く劃期的なものなのである。この試みは蟲麿からいえば、一に興味によってのことで、その以外には何の企画もない、純粋な詩的衝動によってのことと思われる。それは作そのものの直接に感じさせることである。この歌は、道行き風の言い方で末の珠名を捉え、「胸別の広き吾妹 腰細のすがる娘子」という、文献にはかつて見ない、全くその土地から生まれた語をもって、一美女を簡潔に、具体的に浮かび上がらせ、「花の如咲みて立てれば」というきわめて魅力的な語で、その娘子の行動のほとんど全部としようとしているのである。これは比類のない描写力である。以下に続く男の状態も、「乞はなくに鎰さへ奉る」は、要を得た簡潔な描写である。結尾の、「たはれてありける」は、やや蛇足の感のあるものであるが、これは起首に照応させ、物語風の趣をもたせようとした要求よりのもので、余儀ないことというべきであろう。蟲麿は伝記の伝わらない、身分の低い人であったとみえるが、とにかく支配階級の人である。そうした人が、実際においては、じつに典型的な誇るべき民間歌人の業をしたのである。
 
     反歌
 
1739 金門《かなと》にし 人《ひと》の来立《きた》てば 夜中《よなか》にも 身《み》はたな知《し》らず 出《い》でてぞあひける
    金門尓之 人乃來立者 夜中母 身者田菜不知 出曾相來
 
【語釈】 ○金門にし人の来立てば 「金門」は、門。上代の門は金具を用いていたからの称という。「人」は、男。「来立てば」は、婚《よば》いをすると。○身はたな知らず 「たな知らず」は、全く知らずで、何事も忘れての意。○出でてぞあひける 「あひ」は、男女相逢う意のもの。「ける」は、(247)「ぞ」の結。
【釈】 門に男が来て婚《よば》いをすると、夜中でも、何事も忘れて、出て相逢ったことである。
【評】 長歌の結句の「たはれてありける」を承けて、それを採り返す形において具体的にしたものである。結句の形を長歌に近からしめたのもそのためである。この反歌によって、珠名の平凡な一女子であることを明らかにし、作意を徹底させているのである。
 
     水江の浦島の子を詠める一首 并に短歌
 
【題意】 「水江の浦島の子」は、「水江」はもと地名、「浦島」は名、「子」は、男にも添える風があり、他にも例のあるもので、愛称と取れる。浦島の子の事の最初に文献に現われたのは、日本書紀、雄略紀、二十二年七月であり、ついでは丹後国風土記である。雄略紀では丹波の人となっているが、和銅六年丹波国の五郡を割いて丹後国を置かれたため国が異なったのである。伝説の骨子は、この歌にあるごときものであるが、物語そのものの興味よりしだいに展開し、道家、仏家の思想が加わって、しだいに複雑なものとなっている。その点については、『代匠記』『古義』が委《くわ》しく考証している。なおこの歌では、浦島の子の生地は、丹波でも丹後でもなく、住吉となっている。伝説の常として、その主人公の生地、人となりのごときは、いかにも流動するものであり、同じく海岸である住吉が、その生地とされたのは、奈良時代、住吉が段盛《いんせい》であった関係上当然のことといえる。蟲麿の時代、住吉説は有力なものであったとみえる。なお、浦島の子というごとき古伝説が、事新しく取上げられているのは、奈良朝時代は神仙思想が流布して一般化した時代とて、その上での絶好の話題とて、浦島の子のことは人の口に上り、勢力ある民間伝説となっていたがためと思われる。蟲麿は、浦島の子の生地となっている住吉に行き、その家のあったという跡を目にして、現存しているものである民間伝説を取上げているのである。
 
1740 春《はる》の日《ひ》の 霞《かす》める時《とき》に 墨吉《すみのえ》の 岸《きし》に出《い》でゐて 釣船《つりふね》の とをらふ見《み》れば 古《いにしへ》の 事《こと》ぞ念《おも》ほゆる 水《みづ》の江《え》の 浦島《うらしま》の児《こ》が 堅魚《かつを》釣《つ》り 鯛《たひ》釣《つ》り衿《ほこ》り 七日《なぬか》まで 家《いへ》にも来《こ》ずて 海界《うなさか》を 過《す》ぎて榜《こ》ぎ行《ゆ》くに 海若《わたつみ》の 神《かみ》の女《をみな》に 邂《たまさか》に い榜《こ》ぎ向《むか》ひ 相《あひ》あとらひ こと成《な》りしかば かき結《むす》び 常世《とこよ》に至《いた》り 海若《わたつみ》の 神《かみ》の宮《みや》の 内《うち》の重《へ》の たへなる殿《との》に 携《たづさは》り 二人《ふたり》(248)入《い》り居《ゐ》て 老《お》いもせず 死《し》にもせずして 永《なが》き世《よ》に ありけるものを 世間《よのなか》の 愚人《おろかびと》の 吾妹子《わぎもこ》に 告《の》りて語《かた》らく 須臾《しましく》は 家《いへ》に帰《かへ》りて 父母《ちちはは》に 事《こと》も告《の》らひ 明日《あす》の如《ごと》 吾《われ》は来《き》なむと 言《い》ひければ 妹《いも》がいへらく 常世辺《とこよべ》に 復《また》帰《かへ》り来《き》て 今《いま》の如《ごと》 逢《あ》はむとならば この篋《くしげ》 開《ひら》くな勤《ゆめ》と そこらくに 堅《かた》めしことを 墨吉《すみのえ》に 還《かへ》り来《きた》りて 家《いへ》見《み》れど 家《いへ》も見《み》かねて 里《さと》見《み》れど 里《さと》も見《み》かねて 恠《あや》しと そこに念《おも》はく 家《いへ》ゆ出《い》でて 三歳《みとせ》の間《ほど》に 垣《かき》も無《な》く 家《いへ》滅《う》せめやと この筥《はこ》を 開《ひら》きて見《み》てば 本《もと》の如《ごと》 家《いへ》はあらむと 玉篋《たまくしげ》 少《すこ》し開《ひら》くに 白雲《しらくも》の 箱《はこ》より出《い》でて 常世方《とこよべ》に たなびきぬれば 立《た》ち走《はし》り 叫《さけ》び袖《そで》振《ふ》り 反側《こいまろ》び 足《あし》ずりしつつ 頓《たちまち》に 情《こころ》消失《けう》せぬ 若《わか》かりし 膚《はだ》も皺《しわ》みぬ 黒《くろ》かりし 髪《かみ》も白《しら》けぬ ゆなゆなは 気《いき》さへ絶《た》えて 後《のち》つひに 寿《いのち》死《し》にける 水《みづ》の江《え》の 浦島《うらしま》の子《こ》が 家地見《いへどころみ》ゆ
    春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曾所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不來而 海界乎 過而傍行尓 海若 神之女尓 逅尓 伊許藝〓 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不爲 死不爲而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者來南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變來而 如今 將相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曾己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還來而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 從家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手齒 如本 家者將有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叫袖振 反側 足受利四管 頓 悟消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶(249)而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見
 
【語釈】 ○春の日の霞める時に これは結末に照応させてあり、作者が住吉に行っていた時の眼前の景である。心楽しく、人を空想に誘う季節としてもいっていることが、下の続きで思われる。○墨吉の岸に出でゐて 「墨吉」は、今の大阪市住吉であるが、ここは浦島の子が生地としてのもの。「岸」は、同じく浦島の子が漁夫として出入りしたところ。○釣船のとをらふ見れば 「釣船」も、実景ではあるが、浦島の子の関係においてもいっているもの。「とをらふ」は、他に用例の見えない語で、語義が明らかでない。「撓《とを》む」という動詞の語幹を活用したもので、進行せず、一つ所に動揺している状態をあらわす語かという解に心を引かれる。上からの続きで、その範囲の語と思われる。○古の事ぞ念ほゆる 「古の事」は、以下の浦島の子のこと。「念ほゆる」は、思われてくるで、自然の順序をもって重くいっているものである。「ゆる」は、上の「ぞ」の結、連体形。以上、第一段。○水の江の浦島の児が 上にいった。○堅魚釣り鯛釣り衿り 「堅魚」は、今と同じ。鯛と並ぶ代表的な海魚としていたものである。「鯛釣り矜り」は、「矜り」は、みずから得意となる意で、上の堅魚をもこめてのもの。漁夫としての喜びをいったもの。○七日まで家にも来ずて 「七日」は久しい間の意であるが、この語はこの種の伝説に共通のものである。上の「釣り矜り」を具象化し、それとともに海を遠く行ったこともあらわしているもので、細かい心理を含んでいる。○海界を過ぎて榜ぎ行くに 「海界」は、ここは、海の限界の意で、古くは海岸より望んで、遠く横たわる水平線を海の果てとし、その彼方は神秘の世界と信じていたと思われる。「過ぎて榜ぎ行くに」は、神秘の世界へ、得意なままに、それとも心づかずに榜ぎ進んで行くと。○海若の神の女に 「海若」は、本来は海を領する神の名であるが、転じて海の称となったもの。上代信仰では、海も海の神も同一であるから、転じやすいものである。ここは海の意。○邂にい榜ぎ向ひ 「邂に」は、偶然に。「い榜ぎ」は、「い」は接頭語。「向ひ」は、旧訓「わしらひ」。『略解』の訓。『新考』は、「〓」は趨の俗字で、「むかひ」と訓みうる字だといっている。「榜ぎ向ひ」は、浦島の子の舟と神の娘の舟と相向かい合いになって。○相あとらひこと成りしかば 「相あとらひ」は、旧訓「あひかたらひ」。『古義』の訓。相誘い合って。「こと成りしかば」は、「こと」は、婚事で、「成りしかば」は、成立したので。○かき結び常世に至り 「かき結び」は、「かき」は、接頭語。「結び」は、同伴して。「常世」は常住不変の国。これは古くは、人が死後に往く国の称であったが、後、転じて、不老不死の仙郷となり、海の彼方にあるものとされていた。ここはそれである。○海若の神の宮の内の重のたへなる殿に 「重」は障壁で皇居には内の重、中の重、外《と》の重と幾重もの障壁があるとした。ここはそれで、奥の囲い。「たへなる」は、結構なるで、この意味で用いたのはこれが初めである。○老いもせず死にもせずして 不老不死の状態にあっての意で、これは仙郷の特色である。本来、神は永生の存在であるから、海若の神の国と仙郷とは結合しやすい性質のものである。○世間の愚人の 「愚人」は、『新訓』の訓。世にも愚かなる人ので、浦島の子を言いかえたもの。これは作者が仙郷に憧れるところから発している批評の語である。○吾妹子に告りて語らく 「吾妹子」は三人称。「語らく」は、「語る」の名詞形。語ることには。○父母に事も告らひ 「事」は、現在の状態。○明日の如吾は来なむと 「明日の如」は、明日というようにすぐにで、現在の口語の、明日にもというにあたる。「来なむ」は、きっと帰って来ようと。○常世辺に復帰り来て 「常世辺」の「辺」は、この常世の方に。「帰り」は、再び帰って来て。○今の如逢はむとならば 現在の状態のように逢って、すなわち連れ添っていようと思うならば。○この篋開くな勤と 「筐」は、『考』の訓。「くしげ」は、櫛笥で、櫛を容れる箱。櫛は女の霊魂のこもっている物で、それを容れてある箱であるが、ここは仙郷の呪術をこめてある箱である。「開くな勤と」は、開くと呪術が破れるとして禁止したので、「勤」は、けっしてと強くいった副詞。神仙道で(250)も、人間が神仙となるには仙術を得なければならないとしていたので、この箱はその仙術を具象化したものなのである。この当時の人の神仙道に対する信仰と、上代からの禁忌の信仰とを反映させたものである。○そこらくに堅めしことを 「そこらく」は、そこばくと同義の語で、数の多いこと。ここは幾たびも、くれぐれもというにあたる。「堅めしことを」は、「こと」は、言で、堅く禁じた言を。○怪しとそこに念はく 「そこに」は、その点についてで、用例の多いもの。それで。「念はく」は、思うことには。○家ゆ出でて三歳の間に 「三歳」は、上の「七日」と同じくこの種の伝説に共通の時。三年のあいだに。○垣も無く家滅せめやと 「滅せめや」は、「や」は、反語。失せてしまおうか、そうしたはずはない。「と」は、と思っての意のもの。この「と」は、下の「家はあらむと」の「と」と重なるので問題とされているが、事としては、「念はく」以下、下の「家はあらむと」まで一続きのもので、事が長いので、中間に「と」によって休止を置き、さらに思い続けて、同じ形をもって重ねたもので、古典に例のあるものである。○玉篋少し開くに 「玉筐」は、「玉」は、美称。「筐」は、上に出た。○白雲の箱より出でて 「白雲」は、霊力そのものの形である。上代の人は雲に神秘性を感じており、その例は古典に多い。ここもそれである。○常世辺にたなびきぬれば 常世の国のほうへ靡いて行ったのでというので、それを見て浦島の子は、神の娘にいわれた禁忌を思い出したのである。○立ち走り叫び袖振り 「立ち走り」は、後を追う意。「叫び」は、呼び留める意。「袖振り」は、男女間で意志を通じるしぐさで、ここは同じく招き寄せようとする意のものである。○反側び足ずりしつつ 「こい」は、寐ること、転がることの古語「こゆ」の連用形で、ここは転がる意。「反側《こいまろ》び」は、同意語を畳んで強めたもの。「足ずりし」は、地団太を踏むというにあたる語。いずれも甚しく口惜しいことをあらわすしぐさ。「つつ」は、継続。○頓に情消失せぬ たちまちに正気を失ってぼんやりしてしまったで、あまり激動してのこと。○若かりし膚も皺みぬ 若かつた皮膚に皺が寄ってしまったで、常世の国の霊力の、身を離れたこと。○ゆなゆなは気さへ絶えて 「ゆなゆな」は、ここにあるのみで、他には見えない語である。『全註釈』は、「ゆ」は、「ゆり」(後)に同じく、それに朝な夕ななどの「な」を接尾語として添えた語で、それを重ねたもの。後々は、の意としている。「気さへ絶えて」は、気息まで絶えてで、上を承けて、老衰の極に陥った意。○後つひに寿死にける 「寿死にける」は、死をあらわす上代の語法のもの。連体形で、下へ続く。○浦島の子が家地見ゆ 「家地」は、家のあった所、すなわち家跡。「見ゆ」は、見られるで、住吉の海岸近い所に、その時代、そうした言い伝えの所があって、作者はそれを見ているのである。
【釈】 春の日のいちめんに霞んでいる時に、住吉の海岸に出ていて、釣船の波に揺られ揺られしているのを見ると、古にあったことの思い出させられることであるよ。水の江の浦島の子が、堅魚を釣り、鯛を釣って、その釣れるのに得意となり、七日間という永い間を家には帰らずに、海の境界をも越えて榜ぎ進んで行くと、海の神の娘に、偶然にも榜ぎ向かって、互いに婚事を話し合い、事が成立したので、同伴して常世の国に行き、海の神の宮の、奥の囲いの結構な殿の内に、連れ合って二人で入っていて、老いもせず死にもしないで、常世の国に住んでいたのであったのに、世にも愚かなる人の、その愛する妻に告げて語ることには、しばらくの間をわが家に帰って、父母に現在の事態を話し、明日というくらいにも早く吾は帰って来ようといったので、妻のいうことには、この常世の国へまた帰って来て、現在のように連れ添っていようと思うならば、この箱をけっして聞くなといって、くれぐれも禁じた言葉であるのに、住吉に帰って来て、家を見るが家も見ることができないので、里を見るが、里も見(251)ることができないので、恠《あや》しいことだとそれで思うことには、家から出て三年のあいだに、垣もなくなり、家も失せてしまうということがあろうか、そういうはずはないと思い、それはこの箱がさせていることであろう、これを少し開けて見たならば、以前のように家はあることだろうと思って、箱を少し開けると、白雲が籍の中から出て、常世の国のほうへ靡《なび》いて行ったので、禁じられたことを思い出し、それを取り戻そうと、走って追い、叫んで呼び留め、袖を振って招き、口惜しさに転がり転がりし、地団太を踏みつづけて、たちまちに、正気を失ってぼんやりとしてしまった。若かった膚も皺が寄ってしまった、黒かった髪も白くなってしまった。後々は気息《いき》までも絶えて、後ついに死んでしまったところの、水の江の浦島の子の家のあった跡が見える。
【評】 わが国の伝説の中の代表的な一つである浦島伝説を捉えて、その時代の形をそのままに叙した、珍しい歌である。それを取上げる動機として、蟲麿自身住吉に遊び、海岸より釣船を見、また、浦島の家の跡どころを見て、昔のことを思い出したという形にしているが、歌として見ればこれは、伝説に真実性をもたせようとしたことで、技巧といえるものである。浦島の伝説は、これを内容からいっても、大本は同じであるが、部分的には流動を続け、またその住地も変化を続けていたとみえる。内容の根本は、人間が常に人生的に不如意不満足を感じ、どこかにもっと幸福な地があろう、どうかすれば得られようとする憧憬の情より生み出した想像で、人間の根本性情に根ざしたものである。それが漢土より渡来した神仙道と絡み合い、融化して出来上がった伝説である。道教のわが国に渡来したのは仏教よりも早かったろうともいわれているので、その伝説として一応の形を備えた時は古いことと思われる。その甚しく伝播したのは、人間の根本性情に触れるものだったからで、部分的の変化は、その時代時代の生活感情に親しいものとしようとする要求からである。現にここにある形にしても、丹後風土記とは異なっている。そちらでは魚が獲られずに亀を獲、それを船中に置くと美人と化して結婚したというので、これは神婚説話の系統のものである。風土記の撰進された時期とこの時期とは幾何《いくばく》の距離もないのであるが、古い信仰の神婚ということは消えて、神仙道のみのものとなったのである。しかし同じく信仰の禁忌ということのほうは守られて、禁止されていた箱の蓋を開いたということが、最後の破滅にはなっている。その櫛笥も、後には単なる玉手箱となったもので、これらはすべてその時代の信仰を反映しているものである。ここにある伝説も、庶民的な素朴さをもったものである。仙郷に三年を過ごすと、浦島は両親が恋しくなったのである。仙郷でいかに充足した幸福な生活を送っていても、個人的な生活だけではあき足らず、親を思う情に駆り立てられるというのは、これは当時の庶民の一般感情の反映である。漢土の神仙とは一致しない、いわば国民性ともいえるものである。さらにまた、住吉に帰ってみて、あの常世の国のさまは、この櫛笥のもつ呪力のさせていることで、真実のものではない。今もそれを身にしているのでこのようなさまが見えるのだということが、無意識に本能的に働いて、以前の真実のさまが見たく、その恋しさから開けるのである。これは言いかえると、常世の国の幸福に神性を感じ、おちつきかねるものとし、それよりもむしろ平凡な真実のさまに幸福があるとする心があってさせたことである。これは神仙郷の幸福も比較上(252)のもので、絶対なものではないとする心である。さらにいえば、佗びしさのある現実生活が、否定しきれないものであるとする庶民生活の反映であって、庶民からいうと、櫛笥の蓋を開けることが、心理的に自然なこととする心理を反映したものと思われる。蟲麿はこれら庶民の心を肯定しつつ、同時に一方では知識人としての自身の感情を加えて、浦島を「世のなかの愚人」と評しているのだと思われる。この歌を作る時の蟲麿の態度は、古事を伝える物語の形に従って、平坦に、明晰《めいせき》に、静かに委曲を尽くしていて、上の珠名のことをいう時の花やかな態度は忘れたごとくにしている。しかしそこには批評の精神が働いていて、それを取材の扱い方の上に示している。浦島には仙郷を慕う精神などはいささかもなく、海界を越えたのは「鯛釣り矜り」で、調子に乗って夢中になっていたからの成行きにすぎない。仙郷の歓楽は描いてはいない。力点を置いているのは、「恠しとそこに念はく」以下、「立ち走り叫び袖振り 反側び足ずりしつつ」であるが、これは禁忌とそれを破る咎ということは、この時代も厳存していたわが国の信仰だったからと思われる。要するに仙郷というものを軽視しているごとき角度から扱っているのである。口では重視するごとくいっているが、実情としては軽視している心がこのような扱い方をしているので、そこに蟲麿の批評がある。このことは丹後風土記と対照すると明らかで、単にその当時の伝説を叙したというのではなく、批評的精神の伴ってのものだと思われる。
 
     反歌
 
1741 常世辺《とこよべ》に 住《す》むべきものを 剣刀《つるぎたち》 己《な》が行《こころ》から おそやこの君《きみ》
    常世邊 可住物乎 釼刀 己之行柄 於曾也是君
 
【語釈】 ○常世辺に住むべきものを 「常世辺」は、上に出た。不老不死の国のほうに。○剣刀己が行から 「剣刀」は、剣の刀の意で、鋭利な刀。刃《な》の意から「な」にかかる枕詞。巻四(六一六)に出た。「己が行から」は、原文は古本の多くは「己之行柄」であり、西本願寺本以後は「行」が「心」となっている。「己」は大己貴《おおなむち》神などの例で「な」と訓め、「行」も『類聚名義抄』に「こころ」とあるのにより、「ながこころから」と訓む説に従う。自分の心からで、箱を開けたこと。ここに句切があり、「なり」の意が略されている。○おそやこの君 「おそ」は巻二(一二六)に出た。鈍の字を当てる。愚かな意。「や」は、感動の助詞。「この君」は、尊んでの称で、愚かなことや、その君は。
【釈】 不老不死の国に住んでいるべきであるものを。自分の心からのことである。愚かなことや、その君は。
【評】 浦島の子を、好意をもって罵った心である。「世間の愚人」といつたのを、語をかえて繰り返した意のもので、まさに奈良朝の心である。飛躍があって、独立させては解しかねるほどのものである。
 
(253)     河内《かふち》の大橋を独り去《ゆ》く娘子《をとめ》を見る歌一首 井に短歌
 
【題意】 「河内の大橋」は、歌にいう「片足羽《かたしは》河」の橋で、その大きなところから、このような名をもって呼ばれたのである。片足羽河は、石川であるともいい、また大和川であるともいって、定まらない。石川は河内国の南方から発し、北流して大和川に濺《そそ》ぐ川で、それに架かっている橋とすると、河内の国府へ通う橋であるが、歌で見ると立派すぎる。当時の大和川は、河内に入ると北流しているから、奈良から難波へ通う街道として、竜田山を越えてこの河を渡るとすると、華麗な橋が架かっていても不自然ではない。大和川の橋だろうという。
 
1742 級照《しなて》る 片足羽河《かたしはがは》の さ丹塗《にぬり》の 大橋《おほはし》の上《うへ》ゆ 紅《くれなゐ》の 赤裳《あかも》すそ引《ひ》き 山藍《やまあゐ》用《も》ち 摺《す》れる衣《きぬ》服《き》て ただ独《ひと》り い渡《わた》らす児《こ》は 若草《わかくさ》の 夫《つま》かあるらむ 橿《かし》の実《み》の 独《ひと》りか宿《ぬ》らむ 問《と》はまくの 欲《ほ》しき我妹《わぎも》が 家《いへ》の知《し》らなく
    級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上從 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡爲兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟將宿 問卷乃 欲我妹之 家乃不知久
 
【語釈】 ○級照る片足羽河の 「級照る」は、階段をなして日が照るで、日本書紀、推古紀の聖徳太子の歌に「しなてる片岡山に」とあるのにより、ここは「片」にかけた枕詞。○さ丹塗の大橋の上ゆ 「さ丹塗」は、「さ」は接頭語。「丹」は、ここは赤色。赤色の塗料をもって塗った。官船を丹塗にしたと同じで、防腐料であるとともに美観を添える意もあったろう。「上ゆ」は、上を通って。「ゆ」は、経過の点をあらわす語で、「を」というにあたる。○山藍用ち摺れる衣服て 「山藍」は、たかとうだい科の多年生草木で、山の陰地に生える。その葉を青色の染料とした。青色に物の形を摺った、白色の衣。○ただ独りい渡らす児は 「い渡らす」は、「い」は、接頭語。「渡らす」は、「渡る」の敬語。女子に対しての慣用。「児」は、女子の愛称。○若草の夫かあるらむ 「若草の」は、「つま」の枕詞。「らむ」は、現在の推量。現に夫を持っているだろうか。○橿の実の独りか宿引む 「橿の実の」は、一球一個の物であるから、意で「独り」にかかる枕詞。一人寝をしていようか。○問はまくの欲しき我妹が 「問はまく」は、「問はむ」の名詞形。「我妹」は、三人称で、親しんでの称。○家の知らなく 「知らなく」は、「知らぬ」の名詞形で、ここは下に詠歎を含んでいる。女の家を尋ねるのは求婚の意であるから、その心を軽く絡ませていっているもの。
【釈】 この片足羽河の丹塗の大橋の上を通って、紅の赤裳の裾をひいて、山藍の摺り染めの衣を着て、ただ独りで渡って行かれる可愛ゆい女は、夫を持っているのであろうか。独身で一人寝をしていようか。尋ねてみたい気のする可愛ゆい女の、家を知ら(254)ないことであるよ。
【評】 長歌としてはきわめて軽いものであるが、しかし一首の歌として見ると、優れた作と称しうるものである。これを単に取材の上から見れば、あるいは短歌の一首をもって詠みうるものであり、連作として二首とすれば優に詠まれる量である。それをこのような長歌としているのである。長歌としたのは、気分をあらわそうとしたからのことである。蟲麿の時代には、事よりも気分をあらわそうとする傾向に向かってきていたが、そのために、ある作は事象が空疎になり、またある作は事象をも尽くそうとするところから冗漫に陥って、かえって感の稀薄になる傾きがあった。この作は事象と気分が一致していて、簡潔に安らかにその双方をあらわしている。奈良朝中期の特徴を典型的に示し得ている作である。蟲麿の手腕を思わせるに足りる。
 
     反歌
 
1743 大橋《おほはし》の 頭《つめ》に家《いへ》あらば 心悲《うらがな》しく 独《ひと》り去《ゆ》く児《こ》に やど借《か》さましを
    大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
 
【語釈】 ○大橋の頭に家あらば 『略解』の訓。「頭」は詰で、橋のたもと。「家あらば」は、わが家がもしあったならばで、仮設しての言。作者も旅だったのである。○心悲しく独り去く児に 「心悲しく」は、『代匠記』の訓。たよりなく悲しげにして。○やど借さましを 今宵の宿りを借そうものをで、「まし」は、上の「あらば」の帰結。その時刻の、夜の宿りを思わせる時であったことを暗示しているもの。
【釈】 大橋の詰に、もしもわが家があるのであったら、たよりなく悲しげにして独りで行く可愛ゆい女に、今夜の宿を借そうものを。
【評】 反歌に至って、その女のたよりなく悲しげにしているさまと、時刻の夕方近いことをあらわし、「やど借さましを」と、隣れみの情を起こしたことにまで展開させている。長歌には幾分か男女関係が絡んでいたが、反歌は単に人としての立場からの隣れみの情になっている。やや年の長《た》けた男の、若い女に対しての心理を、暗然のうちに示しているものといえる。長歌から切り放し難い反歌で、相俟って一つの境をあらわしているものである。
 
     武蔵《むざし》の小埼《をざき》の沼《ぬま》の鴨を見て作れる歌一首
 
【題意】 歌にある「埼玉」は、行田市埼玉を中心に熊谷市、羽生市とにわたる。「小埼の沼」は行田市にあったのである。
 
(255)1744 埼玉《さきたま》の 小埼《をざき》の沼《ぬま》に 鴨《かも》ぞ翼《はね》きる 己《おの》が尾《を》に 零《ふ》り置《お》ける霜《しも》を 掃《はら》ふとにあらし
    前玉之 小埼乃沼尓 鴨曾翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
 
【語釈】 ○鴨ぞ翼きる 「翼きる」は、羽根を強く羽ばたきさせることで、水分を払う時にする。「きる」は、「ぞ」の結で、連体形。○己が尾に零り置ける霜を 自分の尾羽の上に、降って置いている霜を。○掃ふとにあらし 「にあらし」は、旧訓。
【釈】 埼玉の小埼の沼に、鴨が強く羽ばたきをしていることであるよ。自分の尾羽の上に降ってたまっている霜を、掃い落とそうとするのであろう。
【評】 旋頭歌という静かなおちついた形式を用い、前半では、「鴨ぞ翼きる」と、はっきりと事象をいい、後半では、その結末に「あらし」という詞を用いて、それによって一首全部を推量にしているのである。それによって作者は、晩秋の夜寒の頃、埼玉の小埼の沼のほとりに宿り、明け方のことに寒さの加わる頃、床の上に目をあいていて、鴨の翼きる音に、自身も身に沁む寒さを感じている気分をあらわしているのである。事象と気分とのつながりをじつに巧妙に扱っている。また、旋頭歌という、大体としては単調に陥りやすい歌形を、変化の多いものにしているのも、同じく巧妙である。すぐれた手腕である。
 
     那賀《なか》郡の曝井《さらしゐ》の歌一首
 
【題意】 「那賀郡」は、武蔵国にも常陸国にもあるが、ここは常陸である。常陸国風土記の那賀郡の条に、「自v郡東北挾2粟河1而置2駅家1。当2其以南1、泉出2坂中1。水多流尤清。謂2之曝井1。縁v泉所v居村落婦女、夏月会集、浣v布曝乾」とあって、今の水戸市愛宕町滝坂の清泉のある所だという。「曝井」は衣をさらすところからの称、井は泉である。
 
1745 三栗《みつぐり》の 中《なか》に向《むか》へる 曝井《さらしゐ》の 絶《た》えず通《かよ》はむ 彼所《そこ》に妻《つま》もが
    三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶將通 彼所尓妻毛我
 
【語釈】 ○三栗の中に向へる曝井の 「三栗の」は、一毬に三個入っている栗で、その中の栗の意で、「中」にかかる枕詞。「中」は、那賀郡(現在、那珂郡那珂町)で、ここは、その郡の役所の称で、それに向かい合いになっている曝井で、眼前の景。「曝井」は、絶えず水の湧く井で、「絶えず」に続け、初句より三句までを序詞の形にしたもの。○絶えず通はむ彼所に妻もが 「絶えず通はむ」は、絶えず通って来よう。「彼所」は、(256)古くは「此所」を通じて用い、これもそれである。「妻もが」は、「もが」は、願望の助詞で、この地に妻を欲しいものだ。
【釈】 那賀に向かっている曝井の水の絶えないのに因《ちな》みある、絶えず我も通って来よう。この地に妻を欲しいものだ。
【評】 旅びととして曝井を見、その佳景に心が引かれて、その地に関係をつけたい心を起こし、この地に気に入った妻を欲しいものだというのである。那賀の地のなつかしい気分をいおうとしたもので、「妻もが」はその具象化である。全体として旅の歌らしい、軽く明るいものである。
 
     手綱の浜の歌一首
 
【題意】 「手綱の浜」は、常陸国多賀郡松岡村(現在の茨城高萩市)の中に手綱の字が存している。常陸国の北端である。
 
1746 遠妻《とほづま》し 高《たか》にありせば 知《し》らずとも 手綱《たづな》の浜《はま》の 尋《たづ》ね来《き》なまし
   遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋來名益
 
【語釈】 ○遠妻し高にありせば 「遠妻」は、遠方に住む妻。上代の結婚にあっては、例の多いこと。「し」は、強意の助詞。「高」は、「題意」でいった多賀郡であるが、『和名類聚抄』に、「多珂郡多珂」とある。ここはその多珂で、郡の役所があったとみえる。「ありせば」は、仮設。○知らずとも 妻の家へ行く道を知らなかろうとも。○手綱の浜の尋ね来なまし 「手綱の浜の」は、同音反復で、「尋ね」にかかる序詞。「尋ね来なまし」は、尋ねて来ようものをで、「来」といっているのは、妻の家を中心としての言い方である。「まし」は、「せば」の帰結。
【釈】 わが遠妻が、この多賀の地にあったならば、ここへの道は知らなかろうとも、手綱の浜の名に因む、尋ねて来ようものを。
【評】 旅びととして、上の歌と同じく多賀の地になつかしみを感じ、この地にわが遠妻があったならば、どのようにでもして通って来ようというのである。手綱の浜の序詞は巧みである。軽く明るい心のもので二首とも挨拶の歌の類であろう。
 
     春|三月《やよひ》、諸卿大夫等《まへつぎみたち》の難波に下りし時の歌二首 并に短歌
 
【題意】 「春三月」は、いつの年であるか不明である。蟲麿の歌集にこのようにあったとみえる。『全註釈』は、下の(一七四九)に「君がみ幸」とあるところから推して、聖武天皇の天平六年三月十日の行幸に関係あることとし、それに先立って下検分ないし準備のために下ったのではないかといっている。諸卿大夫は等しくまえつぎみである。蟲麿は下官として随行したのであろう。
 
(257)1747 白雲《しらくも》の 竜田《たつた》の山《やま》の 滝《たぎ》の上《うへ》の 小※[木+安]《をぐら》の嶺《みね》に 咲《さ》きををる 桜《さくら》の花《はな》は 山高《やまたか》み 風《かぜ》し息《や》まねば 春雨《はるさめ》の 継《つ》ぎてし零《ふ》れば 秀《ほ》つ枝《え》は 散《ち》り過《す》ぎにけり 下枝《しづえ》に 残《のこ》れる花《はな》は 須臾《しましく》は 散《ち》りな乱《みだ》れそ 草枕《くさまくら》 旅行《たびゆ》く君《きみ》が 還《かへ》り来《く》るまで
    白雲之 龍田山之 瀧上之 小※[木+安]嶺尓 開乎爲流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 繼而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 通有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還來
 
【語釈】 ○白雲の竜田の山の 「白雲の」は、立つと続き、同音「竜」の枕詞。「竜田の山」は、奈良県生駒郡三郷村立野の西方の竜田山で、大和京より難波へ出る要路で、いわゆる竜田越え。○滝の上の小※[木+安]の嶺に 「滝」は、上代は山川の激流の、水のたぎり立つ所の称であって、ここもそれである。川は竜田川で、路に沿って上ると、亀が瀬と呼ぶ所があるが、その辺りであろうという。「小※[木+安]の嶺」は、今はその名は伝わっていない。竜田山中の一蜂で、亀が瀬に近い辺りのものである。○咲きををる桜の花は 「ををる」は、巻二(一九六)に既出。「咲きををる」は、花の咲き撓《たわ》む意で、満開の花の豊かなさまをいったもの。○山高み風し息まねば 山が高いゆえに、風が吹きやまないので。「し」は強意の助詞。高山は風の多いものとし、風は花を散らすものとしてである。○継ぎてし零れば 「継ぎてし」は、「し」は、強意。続いて降っているので。これも、雨は花を散らすものとしてである。○秀つ枝は散り過ぎにけり 「秀つ枝」は、上の枝で、花の速く咲く部分。下の「下枝」に対させている。「散り過ぎにけり」は、散り尽くしてしまったことよで、「けり」は、詠歎。○下枝に残れる花は 「下枝」は、花の遅い部分。「残れる」は、散り残っている花は。○須臾は散りな乱れそ 「須臾」は、「しばらく」の古語。「散りな乱れそ」は、散り乱れるなで、命令した形。○草枕旅行く君が 「草枕」は、旅の枕詞。「旅行く君」は、京より難波へ下る諸卿大夫。○還り来るまで 難波での任務を果たして、京へ還るとて、ここへ来る時までは。
【釈】 竜田の山の、この滝の上方に立つ小※[木+安]の嶺に、咲き撓んでいる桜の花は、ここは山が高いゆえに、風が吹きやむ時がないので、また、春雨が続いて降っているので、咲くに速い上枝の花は、散りつくしてしまったことであるよ。下枝のほうに咲き残っている花は、しばらくの間は、散り乱れるな。任務を帯びて旅へ行く君の、事が終えて還って来る時までは。
【評】 難波に下る諸卿大夫一行に、随員として添っていた蟲麿が、竜田越えをする時、山に咲き残っている花を、いま一度諸卿大夫に見せたいというのであって、上官に対しての挨拶程度の歌である。いかに蟲麿にしても対象がきまりきっていて、格別にいうことがないところから、事を精細にいって、それによって心を尽くしたことにしようと思ったとみえる。対象が山桜であるから、そのことが厭味なくできたのである。才人の歌というにとどまる作である。
 
(258)     反歌
 
1748 吾《わ》が行《ゆき》は 七日《なぬか》は過《す》ぎじ 竜田彦《たつたひこ》 ゆめこの花《はな》を 風《かぜ》にな散《ち》らし
    吾去者 七日者不遇 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落
 
【語釈】 ○吾が行は七日は過ぎじ 「行」は、旅行きで、難波にある間。わが旅行きは、七日以上になることはあるまいで、任務の予定に即したものと思われる。○竜田彦 「彦」は、男性の尊称で、姫に対する語。竜田の風の神で、祈ろうとして呼びかけたもの。竜田の立野の小野に祀られている竜田神社。○ゆめこの花を風にな散らし 「ゆめ」は、強い禁止で、けっしてこの花を風に散らすなで、「な」の助詞のみで禁止にする古形。
【釈】 わが旅行きの間は、七日間を越すことはあるまい。竜田の神よ、けっしてこの花を、風には散らすな。
【評】 長歌の結末で、「須臾は散りな乱れそ」といったのを承けて、所がら竜田の神にそのことを祈った、合理的な心利いた反歌である。これによって、長歌も生かされてくる感がある。叙述より抒事へと、気分の流動の自在であったことが思われる。
 
1749 白雲《しらくも》の 立田《たつた》の山《やま》を 夕暮《ゆふぐれ》に 打越《うちこ》え行《ゆ》けば 滝《たぎ》の上《うへ》の 桜《さくら》の花《はな》は 咲《さ》きたるは 散《ち》り過《す》ぎにけり 含《ふふ》めるは 咲《さ》き継《つ》ぎぬべし こちごちの 花《はな》の盛《さかり》に 見《み》ざれども かにかくに 君《きみ》がみ幸《ゆき》は 今《いま》にしあるべし
    白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開繼 許知期智乃 花之盛尓 雖不見 左右 君之三行者 今西應有
 
【釈】 ○夕暮に打越え行けば 夕暮れに、難波の方へと越えて行けばで、前の歌と同じ場所であるが、時間は異なって、休憩と遊覧より、旅行へ移っている。○含めるは咲き継ぎぬべし 「含めるは」は、蕾んでいるものは。「咲き継ぎぬべし」は、続いて咲くであろうで、「べし」は、推量。○こちごちの花の盛に 「こちごち」は、後世の「をちこち」にあたる語で、「をち」という語が成立しなかった時代の古語で、巻二(二一〇)、巻三(三一九)に既出。そちこちで、全面の意。○見ざれども 見ないけれども。ここは、この五音の一句のみで、長歌の定型である七音の句の接していないものである。すなわち破調である。意識的に行なったものであるか、または筆録の際落としたものであるかはわからない。この前後の歌の詠み口から見て、落としたのではないかと思われる。このことのため、ここの訓みには古くから諸説がある。○かにかくに君がみ幸は と(259)にかくに天皇の行幸はで、行幸は難波宮へである。○今にしあるべし 「し」は、強意。「べし」は、適当の意の助動詞。
【釈】 白雲の立田の山を、夕暮れに難波の方へ越えて行くと、激流のほとりの桜の花は、咲いたものは散ってしまったことであるよ。蕾んでいるのは、続いて咲くことであろう。そちこちの全面の盛りに花は見ないけれども、とにかく、天皇の難波宮への行幸は、今こそその時期というべきである。
【評】 前の歌と連作である。前の歌は、自分たちを中心として見た竜田山の桜であるが、この歌は、天皇に御覧に入れたいということを中心としての桜である。対象は同一であるが、角度は全く異なっている。あくまで実際に即した心で、天皇に御覧に入れるとしては、「こちごちの花の盛」が望ましいものであるが、それはすでに過ぎ去っているので、諦めて、「かにかくに君がみ幸は今にしあるべし」と、桜の美感に対する執着を強くいっているのである。語は渋いが、心のとおった歌である。長歌の連作は、本集では柿本人麿がしているのみである。蟲麿のこの作は軽いものではあるが、その意味では珍しいものである。
 
     反歌
 
1750 暇《いとま》あらば なづさひ渡《わた》り 向《むか》つ峰《を》の 桜《さくら》の花《はな》も 折《を》らましものを
    暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒
 
【語釈】 ○暇あらばなづさひ渡り 「暇あらば」は、仮設で、下の「まし」と照応させたもの。「なづさひ」は、巻三(四三〇)に出た。水に浸って行って。○向つ峰の桜の花も 「向つ峰」は、向かいの蜂で、ここは川の向こうにある、前の歌の小※[木+安]の嶺。
【釈】 暇があるならば、この谷川を渡って行って、川向こうの峰の桜の花を折り取って愛でようのに。
【評】 再び桜花に対する鑑賞に帰ったのであるが、行手を急ぐ忙しい間の願望とし、それにとどめているものである。長歌との関係の緊密なものである。この反歌は、この長歌に属してのものであるが、「なづさひ渡り」「向つ峰」は、上の長歌にもわたっているものである。連作関係からでもある。
 
     難波に経宿《やど》りて明る日還り来る時の歌一首 并に短歌
 
【題意】 「経宿」は、一夜を宿る意の語。「七日は過ぎじ」という予定であったのが、何らかの都合で慌しく還ることとなったとみえる。
 
(260)1751 島山《しまやま》を い往《ゆ》き廻《めぐ》れる 河副《かはぞひ》の 丘辺《をかべ》の道《みち》ゆ 昨日《きのふ》こそ 吾《わ》が越《こ》え来《こ》しか 一夜《ひとよ》のみ 宿《ね》たりしからに 峰《を》の上《うへ》の 桜の花《さくらはな》は 滝《たぎ》の瀬《せ》ゆ 落《お》ちて流《なが》る 君《きみ》が見《み》む その日《ひ》までには 山下《あらし》の 風《かぜ》な吹《ふ》きそと 打越《うちこ》えて 名《な》に負《お》へる社《もり》に 風祭《かざまつり》せな
    嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道從 昨日己曾 吾超來牡鹿 一夜耳 宿有之柄二 峯上之 櫻花者 瀧之瀬從 落墮而流 君之將見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭爲奈
 
【語釈】 ○島山をい往き廻れる 「島山」は、島にある山、また、山をなしている島の称。大和京の官人は、海をなつかしむ心から、いささかの水にも海での称を移して用いていたことは、すでに例の多いものである。ここもそれで、竜田川を隔てて見る山を、川を海に擬《なぞ》らえて「島山」と呼んでいるのである。「い往き廻れる」は、「い」は接頭語。水が流れ廻っているで、水は竜田川で、今の大和川。○河副の丘辺の道ゆ 河の北岸に添っての丘の辺の道で、その道は竜田越えの道である。「ゆ」は、を通って。○昨日こそ吾が越え来しか 「越え来しか」は、難波へ向かって越えて行ったで、難波を目的地としての言い方。「しか」は、「こそ」の結、過去の助動詞「き」の已然形。これで切れず、「ば」「ど」の助詞が添って前提法を成す余意がある。つい昨日、われは越えて行つたが。○一夜のみ宿たりしからに 「から」は、ゆえ。ただ一夜寝てあったがゆえにで、その間に。○峰の上の 「峰」は、小※[木+安]の嶺と取れる。その頂の。○滝の瀬ゆ落ちて流る 「滝の瀬」は、激流の瀬で、大和川の亀が瀬の辺り。「ゆ」は、から。「落ちて流る」は、散り落ちて流れて行く。以上、桜花の推移の慌しさをいったもので、一段。以下、終わりまで二段。○君が見むその日までには 「君が見む」は、上の「君のみ幸」と繋がりをもったもので、天皇の御覧になられようその日までのうちには。○山下の風な吹きそと 「山下」は、旧訓「やまおろし」。『古義』の訓。古くは用例の見えない語だというのである。「風な吹きそと」は、風よ吹くなとてで、風を花を散らすものとしていっている。○打越えて名に負へる社に 「打越えて」は、上に出た。「名に負へる社」は、風を掌る神と名を負っている神の社にで、神は竜田の神、社は竜田山の東麓立野にある。この神は崇神天皇が祀られ、天武天皇がさらに厳かに崇められて、毎年四月七月の両度風祭を行なわれていた。五穀成就のために風の適度ならんことを祈らせられるのである。○風祭せな この「風祭」は、花を散らさぬようにする祭である。「な」は自身の願望をあらわす助詞。必ずしようというほどの意。
【釈】 島山を行き廻っている河の、その河添いの丘の辺りの道を通って、つい昨日われは難波へと越えて行ったのであったが、ただ一夜そこに寝たがゆえに、この峰の上の桜の花は、激流の瀬から、散り落ちて流れて行く。天皇の御覧になられるであろうその日までのうちには、花を散らす嵐の風よ吹くなと、ここの山を越して、風の神と名を負うている社で、風の吹かぬことを祈る祭をしよう。
(261)【評】 取材としては、上の二首の長歌と同じく竜田山の桜の花の散るのを惜しむことであるが、心としては、この歌ではそれを惜しむのは、天皇の御覧になるまで散らせたくないとしてであって、作因は全く異なっている。取材そのものはすでに繰り返しいっているもので、新たに加うべきものもなく、また散らせたくないということも念願にすぎないことであるから、これを事として見れば前二首よりもはるかに単純なもので、短歌一首でも足りるほどのものである。しかるに結果から見ると、前二首よりも事としても華やかであり、調べとしても張って、全体としてはるかに充実した作となっている。これは作因によることで、天皇にどうでもこの愛でたい花を御覧に入れたいという熱意に駆られてのことで、すなわち気分が内容をなしているのである。しかし手腕のすぐれた蟲麿は、気分をそのままに露出するようなことはせず、これをあくまで具象化してあらわしている。第一段は、早咲きの花の散るのを惜しむ心であるが、それはすでにいっていることなので、ここでは竜田越えの道に添った大和川の激流に散り込んで、流れ去る花をいうことによってそれをあらわしている。竜田越えの道の状態までもつぶさにいっているのは、細かい気分の具象化としてのことであって、単に興味をねらっての叙景ではない。第二段は一首の眼目で、第一段はこのためのもので、天皇の御覧になるまで、この花を散らす風の吹かないように、竜田の神に風祭をしようというのである。竜田の神に対する信仰は深いものであったから、これは今日からは想像しやすくなく強い実感をもってのものであったろうと思われる。年々両度の風祭は、天皇が庶民のために行なわれる祭である。蟲麿が今しようとするのは、庶民に近い卑官の者が、天皇に山桜の美観を御覧に入れたいとの心よりのもので、そこに蟲麿の心もあるが、時代の推移も思わせられる。
 
     反歌
 
1752 い行《ゆ》きあひの 坂《さか》の麓《ふもと》に 咲《さ》きををる 桜《さくら》の花《はな》を 見《み》せむ児《こ》もがも
    射行相乃 坂之蹈本尓 開乎爲流 櫻花乎 令見兒毛欲得
 
【語釈】 ○い行きあひの坂の麓に 「い行きあひ」は、「い」は、接頭語。「行きあひ」は、あちこちから来る人の行き逢う意で、名詞。「坂の麓」の修飾。竜田越えについてである。○咲きををる 咲いて撓《たわ》んでいる。○見せむ児もがも 「児」は、女を親しんでの称で、京にいる妻と取れる。「もが」は願望の助詞。
【釈】 あちこちの人の行き逢う坂の麓に咲き撓んでいるこの桜の花を、見せるあの女がいればよいがなあ。
【評】 佳景にあって、愛する者に見せてやりたいという念を起こすのは共通の人情で、これもそれである。長歌と場所の続きも自然である。初二句は実景であろうが巧みで、一首全体としても、安らかで、豊かで、華やかである。
 
(262)     検税使大伴卿の筑波山に登りし時の歌一首 并に短歌
 
【題意】 「検税使」は、その国の正倉に、正税の租稲として蔵めてある稲と、正税帳と符合するか否かを検する臨時の使である。「大伴卿」は、旅人であろうかといわれている。それはこの歌の作者蟲麿は、養老年中藤原宇合が常陸守であった時代に、その下僚として常陸の国庁にあって、案内役をしたとみえるからである。この時代「卿」をもって称すべき大伴氏は旅人であるが、旅人が検税使に任ぜられたことは記録にはない。
 
1753 衣手《ころもで》 常陸《ひたち》の国《くに》 二竝《ふたなら》ぶ 筑波《つくば》の山《やま》を 見《み》まく欲《ほ》り 君《きみ》が来《き》ますと 熱《あつ》けくに 汗《あせ》かきなけ 木《こ》の根《ね》とり 嘯《うそぶ》き登《のぼ》り 峰《を》の上《うへ》を 君《きみ》に見《み》すれば 男神《をのかみ》も 許《ゆる》し賜《たま》ひ 女神《めのかみ》も 幸《ちは》ひ賜《たま》ひて 時《とき》となく 雲居《くもゐ》雨零《あめふ》る 筑波根《つくばね》を 清《さや》に照《てら》して いふかりし 国《くに》のまほらを 委曲《つばらか》に 示《しめ》し賜《たま》へば 歓《うれ》しみと 紐《ひも》の緒《を》解《と》きて 家《いへ》の如《ごと》 解《と》けてぞ遊《あそ》ぶ 打靡《うちなび》く 春《はる》見《み》ましゆは 夏草《なつくさ》の 茂《しげ》くはあれど 今日《けふ》の楽《たの》しさ
    衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君來座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之眞保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曾遊 打靡 春見麻之從者 夏草之 茂者離在 今日之樂者
 
【語釈】 ○衣手常陸の国 「衣手」は、襞《ひだ》と続いて、常陸の枕詞。○二竝ぶ筑波の山を 「二竝ぶ」は、二つの峰が並ぶ。上代信仰では、山そのものがすなわち神で、二つ並んでおれば男女二柱の神、小さいのが添えば御子神としたのである。ここは男女二神の並ぶ意である。○見まく欲り君が来ますと 見たいことと思って君がいらせられたとて。「君」は、大伴卿で、そう呼んでいる者は蟲麿で、国守より命じられて案内役をしたとみえる。○熱けくに汗かきなけ 「熱けく」は、「熱し」の名詞形で、「寒けくに」と同類の語。熱さにの意。その時は夏であったことが、下の続きで明らかである。「汗かき」は、今もいう。「なけ」は、原文「奈気」で、諸本同一である。『代匠記』は、「気」の下に「伎」の脱したのではないかといっている。下二段連用形で、自然に長い息をつく意。すなわち脱字はないと考えられる。熱さと、嶮しさに悩み、嘆きの出る意を、具象的にいったもの。○木の根とり嘯き登り 「木の根とり」は、地上にあらわれている木の根に取りすがりで、険しい山を登る時のさま。「嘯き」は、(263)「うそ」は、太息の古語。「ふき」は、口を細めて吐き出す意で、息苦しい時にすること。「なけ」と同意語である。上の二句を繰り返したもの。○男神も許し賜ひ 「男神」は、筑波山の西の峰。「許し賜ひ」は、登臨をお許しになり。この男神女神の称は風土記にあるもので、また、男神には登臨を許さないこともある。○女神も幸ひ賜ひて 「女神」は、東の峰の称。「幸ひ賜ひ」は、「ち」は霊力で、「ちはひ」は霊力を発揮すること。幸いを与え給いて。○時となく雲居雨零る 「時となく」は、いつという定まりなく。「雲居」は、「居」は動詞で、雲がかかり。「雨零る」は、連体形。高山の常である天候の変動を、神威の現われとして怖れていっているもの。○筑波根を清に照して 「清に照して」は、晴天であるのを、男女の神が清《さや》かに照らし給うたとしているのである。○いふかりし国のまほらを 「いふかりし」の「ふ」は清音、いぶかしくありしで、それまで明らかでなかった。「まほら」は、「ま」は真で、美称。「ほ」は秀で、すぐれたところ。「ら」は接尾語。国の最上の処。○委曲に示し賜へば 「委曲に」は、詳細に。「示し賜へば」は、男女の二神が大伴卿にお示しになれば。○歓しみと紐の緒解きて 「歓しみ」は、形容詞から転成した動詞で、うれしいこと。「と」は、として。「紐の緒解きて」は、衣の紐を解いて、打寛いで。○家の如解けてぞ遊ぶ 「家の如」は、自分の家にいる時のごとくに。「解けて」は、心うち解けて。「遊ぶ」は、「ぞ」の結、連体形。○打靡く春見ましゆは 「打靡く」は、春の枕詞。「春見ましゆは」は、「春」は、秋とともに登山の好季としているところからいっているもの。「見まし」の「まし」は、仮設。「ゆ」は、よりで、春との比較を示すもの。○夏草の茂くはあれど今日の楽しさ 「夏草の茂くはあれど」は、夏草が茂っているという難点はあるけれども。「今日の楽しさ」は、「さ」は、詠歎、今日の楽しいことよで、夏のために視界を遮る霞がなく、展望のかなう楽しさをいったもの。
【釈】 常陸国の、男女並び立っている筑波の山を、見たいと思って君がいらしたとて、熱さに汗をかき太息をつき、嶮しさに木の根に取りすがり太息をついて登って、山の上を君に見せると、男神もその事をお許しになられ、女神も霊力をおあらわしになって、いつと定まりなく雲がかかり雨が降るところの筑波の山を、今清かに照らして、明らかでなかったこの国の最上の所を詳細にお示しになられたので、うれしいこととして衣の紐を解いて打寛ぎ、わが家にいるがように心うち解けて遊ぶことであるよ。登山の好季とする春見るよりは、夏草が茂っているけれども、今日のこの楽しさよ。
【評】 構成が整然として、事と心との委曲を尽くした作である。第一は、大伴卿の筑波登山の希望。第二は、蟲麿の案内役として、夏の熱い日の労苦。第三は、山頂の喜び。第四は、苦しかった夏季の、かえって眺望としては好季節であった喜びとし、第三の山頂に力点を置いての構成である。事としては単純であるが、その事とともにあり、事を支配している心は注意されるものである。それは蟲麿の上代信仰を深く身に体していることである。この歌にみえる筑波山はまさに神霊であり、その登山のかなったことも神霊の許しであり、展望のかなったことは特別なる加護であったとして、一切が神霊の手中にあって行ない得たことであったと、それに対して深き歓びを感じている心である。この歓びは、それと対蹠的な怖れをも感じているところよりきているもので、信仰によって初めて感じられるものなのである。奈良朝時代に入っては、その作歌から見て、上代の信仰はやや弛緩したかに見え、特別な場合は格別、平生にあっては潜在の形となろうとしていたようである。これは遷都以前にあってもすでにその傾向を見せていたことで、その間にあって柿本人麿のもっていた信仰が際立っていたのである。その人麿(264)に似たものを、この時代の蟲麿がもっていたのである。二人とも有識者であり、身分は低い人であったとみえるが、そうした人の問に上代信仰はさながらに護持されていたようである。山上憶良も、その身分は二人よりはやや高いが、出身は同じく低かった人で、二人と同じく上代信仰の信奉者だったのである。このことは注意されるべきものに思われる。この一首、精細ではあるが冗句なく、不足なく渾然とした趣をもっているのは、この信仰が主体となって事を支配しているがためであろう。表現の素朴に、一脈の暖かさを帯びているのも、この心の致すところであろうと思われる。
 
     反歌
 
1754 今日《けふ》の日《ひ》に いかにか及《し》かむ 筑波嶺《つくばね》に 昔の人《むかしひと》の 来《き》けむその日《ひ》も
    今日尓 何如將及 筑波嶺 昔人之 將來其日毛
 
【語釈】 ○今日の日にいかにか及かむ 「いかにか及かむ」は、旧訓「いかがおよばむ」。『新考』の訓。どうしてかなおうかで、「か」は疑問の係。○昔の人の たれとさす人がなくいっているので、広く「昔の人」を貴しとしていっているものと取れる。
【釈】 今日の登山に、どうして及ぼうか。この筑波嶺に、昔の貴い人の登ったであろうその日とても。
【評】 これは大伴卿に対して、案内役としての蟲麿が、挨拶の心より詠んだものである。「今日の日にいかにか及かむ」が作為で、以下はその説明で、筑波嶺に今日のような晴天はなかったということを、大伴卿その人の徳として、男女の神が卿を嘉《よ》みしてこのような晴天を与え賜うたとしたのである。「昔の人」は貴い人で、大伴卿はそれにもまさる加護を受けられたというのである。じつに婉曲な、巧妙な挨拶である。
 
     霍公鳥《ほととぎす》を詠める一首 并に短歌
 
1755 鶯《うぐひす》の 生卵《かひこ》の中《なか》に 霍公鳥《ほととぎす》 独《ひと》り生《うま》れて 己《な》が父《ちち》に 似《に》ては鳴《な》かず 己《な》が母《はは》に 似《に》ては鳴《な》かず うの花《はな》の 咲《さ》きたる野《の》べゆ 飛《と》び翻《かけ》り 来鳴《きな》き響《とよ》もし 橘《たちばな》の 花《はな》を居散《ゐち》らし 終日《ひねもす》に 喧《な》けど聞《き》きよし 幣《まひ》はせむ 遠《とほ》くな行《ゆ》きそ 吾《わ》が屋戸《やど》の 花橘《はなたちばな》に 住《す》みわたれ鳥《とり》
(265)    ※[(貝+貝)/鳥]之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊從 飛翻 來鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者將爲 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥
 
【語釈】 ○鶯の生卵の中に 「生卵」は、『和名類聚抄』の訓で、古くして後まで続いた語。鶯の巣のその卵の中にの意。これは、以下に続いているものであるが、霍公鳥はその習性として、自分の卵を鶯の中へ交じえ生んで置き、鶯をして孵化せしめるのである。この事は家持の歌にもあり、古くより言い伝えられていることだとの意をいっている。『新考』は漢籍によって教えられたのではないかといい、これに関係のある杜甫の杜鵑の詩を挙げている。○霍公鳥独り生れて 霍公鳥が自分一羽だけ生まれてで、他は皆鶯だからである。○己が父に似ては鳴かず 「己」は、訓が種々あるが、上の(一七四〇)と同じく「な」と訓む。「己が父」は、その巣に生まれた関係からは鶯であるが、その父に似た声では鳴かない。○野べゆ 野辺を通って。○飛び翻り来鳴き響もし 飛びかけって来て、鳴き響かせ。○橘の花を居散らし 橘は家の庭木で、鑑賞用の物。「居散らし」は、とまっていて、散らして。○終日に喧けど聞きよ」 一日じゆうを鳴いているが、それでも聞きよい。以上一段。以下終わりまで。○幣はせむ遠くな行きそ 「幣はせむ」は、贈物はしようで、機嫌を取る意。呼びかけで、終わりまで続く。「遠くな行きそ」は、遠い所へは飛び去るなよ。○吾が屋戸の花橘に わが庭の、花の咲いている橘の木に。○住みわたれ鳥 住み続けていよ、鳥よ。
【釈】 鶯の巣のその卵の中にまじって、霍公鳥はただ一羽だけ生まれて、自分の父に似た声では鳴かず、自分の母に似た声では鳴かない。卯の花の咲いている野べを通って、飛びかけって来て鳴き響かせ、橘の花にとまって散らして、一日じゆうを鳴いてはいるけれども、聞き好い。贈物をしよう。遠くへは飛んで行くなよ、わが庭の花さく橘に、住み続けていよ、鳥よ。
【評】 霍公鳥の歌としてはきわめて特色の濃いものであるとともに、作者蟲麿の気分もあらわしている歌である。それは主として第一段の 「喧けど聞きよし」までである。ここでいっていることは、語は単純であるが、心持は単純とはいえない。「鶯の生卵の中に霍公鳥独り生れて 己が父に似ては鳴かず」は、これは愛していっているのでもなく、興じていっているのでもなく、明らかに訝かっていっているものである。作者には霍公鳥に親しみ難い心があるのである。「橘の花を居散らし」も、「喧けど聞きよし」との対照において行なっている点もあるが、むしろ訝かりの延長としての憎しみの情をもっているものである。すなわち第一段は、作者の個性的気分をあらわしているものである。しかしその結末の、「終日に喧けど聞きよし」は、声に対する特別な愛好で、これは時代的気分である。第二段は、この結果の延長であるが、これはまた相応に強烈なもので、「幣はせむ 住みわたれ鳥」とまでいっているのであって、ここにも個性的気分があるといえる。大体は気分本位の歌であるのに、同時に他方では、簡潔ながら精細に叙事化しているために、充実した、立体味のある作となっている。軽い作ではあるが、手腕の思われるものである。
 
(266)     反歌
 
1756 かき霧《き》らし 雨《あめ》の降《ふ》る夜《よ》を 霍公鳥《ほととぎす》 鳴《な》きて行《ゆ》くなり ※[立心偏+可]怜《あはれ》その鳥
    掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 ※[立心偏+可]怜其鳥
 
【語釈】 ○かき霧らし雨の降る夜を 「かき霧らし」は、「かき」は、接頭語。「霧らし」は、霧が覆って。「雨の降る夜を」は、霍公鳥がそうした時にも鳴くのは、この地にとどまっている時が尽きようとしているので、時を惜しんでのことだとし、あわれを感じていた。ここもそれがある。○霍公鳥鳴きて行くなり 「鳴きて行く」は、ここより他へ行く意で、長歌の結末とは反対のこと。「なり」は、詠歎。○※[立心偏+可]怜その鳥 「※[立心偏+可]怜」は、感に堪えない意の感動詞。「その鳥」は、詠歎をもっての繰り返し。
【釈】 霧が覆って来て雨のふっている夜を、霍公鳥は、ここからどこぞへ鳴いて行くことである。ああ、その鳥よ。
【評】 雨の降る夜を、どこかよそへと鳴いてゆく霍公鳥に、その季節が過ぎて、別れて行くあわれさを感じ、それとはいわず、語に感動をこめることによってその感をあらわしているものである。長歌の結末の「住みわたれ鳥」といった希望とは反対の状態である。「※[立心偏+可]怜その鳥」は、長歌の結句と形を通わせたもので、意図をもってのものである。
 
     筑波山に登る歌一首 并に短歌
 
1757 草枕《くさまくら》 旅《たび》の憂《うれへ》を なぐさもる 事《こと》もありやと 筑波嶺《つくばね》に 登《のば》りて見《み》れば 尾花《をばな》ちる師付《しづく》の田井《たゐ》に 雁《かり》がねも 寒《さむ》く来鳴《きな》きぬ 新治《にひはり》の 鳥羽《とば》の淡海《あふみ》も 秋風《あきかぜ》に 白浪《しらなみ》立《た》ちぬ 筑波嶺《つくばね》の よけくを見《み》れば 長《なが》きけに 念《おも》ひ積《つ》み来《こ》し 憂《うれへ》は息《や》みぬ
    草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒來喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積來之 憂者息沼
 
【語釈】 ○草枕旅の憂を 「旅」は、常陸の国庁に長く仕えていること。○なぐさもる事もありゃと 「なぐさもる」は、「なぐさむる」と並び行(267)なわれていた語。○尾花ちる師付の田井に 「尾花ちる」は、薄《すすき》の穂の飛び散る意で、眼前をいったものではあるが、珍しいものである。「師付」は、筑波山の東麓の地で、新治郡志筑村。現在、石岡市の西南恋瀬川(もと信筑《しずく》川)流域の地。「田井」は、田。○新治の鳥羽の淡海も 「新治」は、今の新治郡ではない。この郡は文禄年中、茨城郡の一部を割いて立てたもので、その以前の郡である。今の真壁郡、下妻市の中。「鳥羽の淡海」は、『大日本地名辞書』は、真壁郡明野町のうち旧上野府、鳥羽村と、同郡関城町のうち旧黒子村、下妻市のうち旧騰波江村、大宝村にわたる間の卑湿の地がそれだといっている。「淡海」は、ここは沼。筑波山の西方にあたる。○筑波嶺のよけくを見れば 「よけく」は、名詞形で、よいこと。○長きけに念ひ積み来し 「長きけ」は、「け」は時で、長い間に。「念ひ積み来し」は、思い積もらせてきた。○憂は息みぬ 「憂」は、起首に応じさせたもの。「息みぬ」は、失せた。
【釈】 旅の憂えが慰むこともあろうかと思って、筑波嶺に登って見ると、尾花が飛び散る師付の田には、雁が声寒く鳴いて来た、新治の鳥羽の淡海には、秋風に白浪が立った。筑波嶺の好いことを見ると、長い間に思い積もらせてきた憂えは失せた。
【評】 軽い心をもって詠んだ明るい歌である。中心は山上よりの展望に置いているが、「尾花ちる師付の田井に 雁がねも寒く来鳴きぬ 新治の鳥羽の淡海も 秋風に白浪立ちぬ」は、山上より見下ろした東と西との代表的の景で、物としては雁の声と秋風という形のないものであるが、それが作者の感情によってはっきりと捉えられ、溶かし生かされて、清新な、魅力ある特殊な景物であるかのようになっている。大景としてのものであるが、小さく捉えているところに作者の好みがあるといえる。この作者のものとしては、平面的な、散文的なものであるが、そこに軽い一種の美を発揮している。
 
(268)     反歌
 
1758 筑波嶺《つくばね》の 裾廻《すそみ》の田井《たゐ》に 秋田《あきた》刈《か》る 妹《いも》がり遣《や》らむ 黄葉《もみち》手折《たを》らな
    筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許將遣 黄葉手折奈
 
【語釈】 ○裾廻の田井に 「廻」は、まわり、あたりの意。裾のまわりの田に。○妹がり遣らむ 「妹」は、女の三人称で、愛称。妹の許に。○黄葉手折らな 「な」は、自身に対しての希望。
【釈】 筑波嶺の裾の田に秋の稲を刈っている、あの女のもとにやる黄葉を折ろうよ。
【評】 「秋田刈る妹」を景物の一つとして認め、下山をしようとした時の心として詠んだものである。長歌の展開となっており、同じく軽く明るい心よりのものである。
 
     筑波嶺に登りて※[女+燿の旁]歌会《かがひ》をする日に作れる歌一首 并に短歌
 
【題意】 「※[女+燿の旁]歌会」は、常陸国風土記にも出ており、その注に「俗云2宇太我岐1又云2加我※[田+比]1也」とあって、「俗」とは国語の意であり、京の方面で「歌垣」と称しているものと同じなのである。歌垣の古文献に出ている代表的なものは、古事記では清寧天皇の巻、日本書紀では武烈紀にあるもので、これは一事二伝であり、最も具体的なものである。しかしこれは二男一女を争う形のもので、やや特殊なものである。古事記、神武天皇の巻のものは尋常のもので、その面影がうかがわれる。要するに多数の男女が一所に集まり、男は歌をもって女を挑み、女も同じく歌をもって応答をすることである。結婚に対しての意思表示を、歌をもって行ない合うのは普通のこととなっていたので、歌垣の特色は、多数の男女が一しょに集まってその事をするという一点にあったのである。「※[女+燿の旁]歌」の文字については『代匠記』は、文選の左太沖が魏都賦に、「或(ハ)明発而※[女+燿の旁]歌《アケボノマデニシテテウカス》」とあり、夜を徹して行なったのであり、「※[女+燿の旁]」は、『玉篇』に「往来の貌」とあって、「※[女+燿の旁]歌」は男女互いに唱和する歌の意だとしている。なお李善の注には、「※[女+燿の旁]歌は巴の土人の歌也」とあるのも引いていて、要するにわが「かがひ」は、かの※[女+燿の旁]歌に形の上で通うところがありとし、それに「会」の文字を添えて借用したのである。「筑波嶺に登りて」は、単に山としてではなく、神である山としてであり、またその時は、歌で見ると、「しぐれ降《ふ》り」という秋であり、さらに、「今日のみは」とあって一日と定まっていたのである。他の歌垣に触れている記録によると、時は春秋、場所は山でなければ市《いち》であるが、市は社のある所である。神に関係ある地を選み、(269)春秋二季日を定めて、男女多数の者が相|集《つど》って事を行なうということは、神事でなくてはならない。筑波嶺のものも同じくその範囲の事と思われる。歌で見るとその夜は性の解放が行なわれて、平日の夫婦関係が認められなかったことが知られる。風土記はそのことに触れて、「世の諺に曰はく、筑波峰の会に娉《つまどひ》の財を得ざる者は、児女とせずといへり」とある。信仰の伴った神事であったことがうかがわれる。上代のわが民は全部農業を営んでおり、したがって守護神の加護の第一は五穀の豊穣であった。豊穣とは穀物が穀物を生むことである。物を生む上で最も明瞭な生殖作用が、豊穣の呪術となり、神事化されて神前の乱婚となったということは、見やすい推移である。これは全国的に行なわれていたことで、筑波嶺のものはたまたま蟲麿によって伝えられたのである。
 
1759 鷲《わし》の住《す》む 筑波《つくば》の山《やま》の 裳羽服津《もはきつ》の その津《つ》の上《うへ》に 率《あども》ひて 未通女《をとめ》壮士《をとこ》の 往《ゆ》き集《つど》ひ かがふ※[女+燿の旁]歌《かがひ》に 他妻《ひとづま》に 吾《われ》も交《あ》はむ 吾《わ》が妻《つま》に 人《ひと》も言問《ことど》へ この山《やま》を うしはく神《かみ》の 昔《むかし》より 禁《いさ》めぬ行事《わざ》ぞ 今日《けふ》のみは 目《め》ぐしもな見《み》そ ことも咎《とが》むな 【※[女+燿の旁]歌は東《あづま》の俗語にかがひと曰ふ】
    鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女壯士之 徃集 加賀布※[女+燿の旁]謌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 從來 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 【※[女+燿の旁]謌者東俗語曰2賀我比1】
 
【語釈】 ○鷲の住む 事実を捉えて、枕詞風に修飾したもの。○裳羽服津のその津の上に 「裳羽服津」は、地名ではあるが、その名は伝わらず、どことも明らかではない。「かがひ」をする場所であるから、山上で、それにふさわしい場所でなくてはならぬ。西の蜂の男神は登らせないのであるから、東の峰の女神の一部とは知れる。また、「津」という称を繰り返しているので、そこは津と称すべき地形であったと知られる。津は本来は海の船の発着地の称であるが、この時代は海以外の水にもその称を流用していたから、水辺であったと知られる。女神の山上に水の湧いて湛えている凹地があり、それが裳羽服津と称されており、その津の上方に。○率ひて 誘い合って。○かがふ※[女+燿の旁]歌に 「かがふ」は、『代匠記』は掛け合いの約だとしている。歌垣に関する他の記事から見ると、男は歌をもって女を挑む、女は同じく歌をもってそれに答えるので、歌をもってする結婚交渉であり、したがって屈折のあるものである。歌とはいっても事の範囲が決まっているので、簡単なもので足り、既成のものでも足りたであろう。『全註釈』は、本巻(一八〇七)「ゆきかぐれ」と関係のある語だろうといっている。『代匠記』に従うと、掛け合う掛け合い歌で。○他妻に吾も交はむ 「交はむ」は『古義』の訓。交接しよう。神事としていっているのである。○吾が妻に人も言問へ 「言問へ」は、物をいえよというので、求婚である。○この山をうしはく神の 「うしはく」は、領する意で、これは天皇の民を治《し》らすに対する語である。この筑波の山を領する(270)神の。○昔より禁めぬ行事ぞ 古来、禁じない事であるぞで、神の許している事ぞの意。消極的な言い方であるが、神事ということをあらわしている語である。○今日のみは目ぐしもな見そ 「今日のみは」は、今日だけはで、神事ということをあらわしたもの。「目ぐし」は、ここは見る目苦しい意の形容詞で、見る目苦しいとは、見るなと、夫である男が、人妻を挑むについて、そこにいる妻の心をはばかっていったもの。○ことも咎むな 「こと」は、言で、人妻に対しての挑みの歌も咎めるなよと、上を承けて、繰り返して懇ろに諭したもの。○東の俗語 「東」は、広い範囲である。ここは常陸国をそのようにいったものか、広い範囲でいったものか不明である。「俗語」は、ここは地方語。この語は文語に対して口語、また漢語に対して国語をもいう。
【釈】 鷲の住んでいる筑波の山の、裳羽服津のその津の上へ、誘い合って若い女若い男の行き集《つど》ってかがう※[女+燿の旁]歌で、人妻にわれも交接しよう、わが妻に他の男もつまどいをせよ。この山を領する神の、昔から禁じない行事であるぞ。今日だけはわが振舞いを、見る目苦しいとも見るなよ。わがいう歌をも咎めるなよ。
【評】 この歌は、その取材の特殊な点においても、また※[女+燿の旁]歌会の中心まで入って、その実相を捉えていっている点でも、他に例のない珍しいものである。実際生活に即して、それを代弁することが、上代の歌謡の根本性格であった上から見て、地方の庶民生活の中の主立ったものであるこうした事は、歌材として取上げられていてしかるべきであるが、それが無かったのは、こうした事はその地方の人でなければ知らないことであるのに、そこにはこれを扱いうる人がなかったからである。その点からいうと、常陸の国庁に高橋蟲麿がいたということは、幸福なことであった。この人は庶民生活に興味をもち、上代信仰をも護持しており、また神事とはいえ、事が男女生活に関係しているところからこうした事に心が寄って、こうした歌を残すに至っ
 
たのである。歌は簡潔な、短いものであるが、手腕は冴えており、「かがふ※[女+燿の旁]歌に」までで、事の輪郭を明らかに叙し、一転して、その※[女+燿の旁]歌に加わっている一人の夫の抒情に託して、※[女+燿の旁]歌の真相を写しているのである。「この山をうしはく神の 昔より禁めぬ行事ぞ」といいながらも、同時に他方では自身の振舞いを妻に対してはばかって、「目ぐしもな見そ ことも咎むな」といっているところ、情味があって、厭わしく感じられないものとしている。この事柄は、たとい蟲麿と同じ心があったにもせよ、その手腕のない人は、扱えないもので、扱っても厭わしいものになるであろう。そのきわどい取材を、気品を失わせず、簡潔に含蓄をもたせて詠み生かしているのは、一に蟲麿の手腕である。
 
     反歌
 
1760 男神《をのかみ》に 雲《くも》立《た》ち登《のぼ》り しぐれ降《ふ》り 沾《ぬ》れ通《とほ》るとも 吾《われ》還《かへ》らめや
    男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾將反哉
 
(271)【語釈】 ○男神に雲立ち登りしぐれ降り 「男神」は、雄蜂であり、登るを許されぬ峰。「雲立ち登りしぐれ降り」は、秋の季節として、ありうべき天候の変をいっているもの。○沾れ通るとも吾還らめや 「沾れ通るとも」は、わが衣が濡れとおろうともで、侘びしい想像。身に沁むのとを一つにしたもの。「吾還らめや」は、「や」は反語で、われはいたずらに帰ろうか、帰りはしないで、神事としての熱意の伴っているものと取れる。
【釈】 男神に、雲が立ち登って時雨《しぐれ》がふって、たといわが衣が濡れとおろうとも、われはいたずらに帰ろうか帰りはしない。
【評】 長歌の結末の「目ぐしもな見そ ことも咎むな」を承けて、その夜のさまをいっているもので、妻にそのようにはいったが、相手になる女が得られずにいる心である。長歌の蠱惑的《こわくてき》なのに対して、陰鬱な趣があって、それを緩和しているものである。昼の※[女+燿の旁]歌を夜にし、登るを許されない男神をいっているのも技巧である。
 
     右の件の歌は、高橋連蟲麿の歌集の中に出づ。
      右件謌者、高橋連蟲麿謌集中出。
 
【解】 「右の件の歌」というのは、上の「上総の末の珠名娘子を詠める歌」(一七三八)以下、長歌十首、短歌十三首にわたっていっているものと取れる。これは歌風より見ても明らかである。
 
     鳴鹿《しか》を詠める歌一首 并に短歌
 
1761 三諸《みもろ》の 神南備山《かむなびやま》に 立《た》ち向《むか》ふ 三垣《みかき》の山《やま》に 秋芽子《あきはぎ》の 妻《つま》をまかむと 朝月夜《あさづくよ》 明《あ》けま(272)く惜《を》しみ あしひきの 山響《やまびこ》勤《とよ》め 喚《よ》び立《た》て鳴《な》くも
    三諸之 神邊山尓 立向 三垣乃山尓 秋芽子之 妻卷六跡 朝月夜 明卷鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛
 
【語釈】○三諸の神南備山に 御室である神の降り給う森のある山で、いずれも普通名詞であるが、ここは明日香の雷の岡である。○立ち向ふ三垣の山に 「立ち向ふ」は、向かって立っている。「三垣の山」は、皇居の垣をなしている山で、皇居は明日香の清見原宮である。○秋芽子の妻をまかむと 秋萩であるその妻を巻こうと思って。「まく」は、手で巻くこと。これは牡鹿が萩の花を妻としているという心からいっているのである。この情趣的連想は、この時代まで溯りうるものなのである。○朝月夜明けまく惜しみ 「朝月夜」は、明け方の月夜で、「明けまく惜しみ」は、夜の明けることを惜しんで。夜が明けると、妻と逢うことができないとしてである。○あしひきの山響動め 反響を起こさしめてで、その鳴き声の思い迫って高い意。○喚び立て鳴くも 「喚び立て」は、その妻すなわち秋萩を喚び立て。「も」は、詠歎。
【釈】 御室の神南備山に向かって立っている皇居の御垣をなしている山に、秋萩の花であるその妻と共寐をしようとて、朝月夜の明けることを惜しんで、山彦を響かせて、その妻を喚び立てて鳴くことよ。
【評】 秋の夜明けのもの思わしい頃、丘の上で牡鹿の高く鳴く声を聞いて、牡鹿が妻である萩の花を訪うて来て、夜の明けるのを惜しんで、その妻を喚び立てているのだと聞きなしたのである。甚しい感情移入である。起首に地名があり、全体もおおらかなので、古風な歌とは思わせるが、一首を貫いている気分は奈良朝時代と異ならないものである。奈良朝の情趣的歌風の淵源が思わせられる。謡い物風な一本調子なものでありながら、主格となるべき鹿をいっていないという詠み方のものである。
 
     反歌
 
1762 明日《あす》の夕《よひ》 あはざらめやも あしひきの 山彦《やまびこ》動《とよ》め 呼《よ》び立《た》て鳴《な》くも
    明日之夕 不相有八方 足日木乃 山彦令動 呼立哭毛
 
【語釈】 ○明日の夕あはざらめやも 明日の夜逢わないことがあろうか、逢えよう。
【釈】 明日の夜は逢わなかろうか、逢えよう。それを山彦を響かせて、その妻を呼び立てて鳴くことよ。
(273)【評】 長歌の結末を承けて繰り返しているもので、三句以下は形が全く同じである。謡い物の形である。この歌にも鹿はない。
 
     右の件の歌は、或は云ふ、柿本朝臣人麿の作なりと。
      右件謌、或云、柿本朝臣人麿作。
 
【解】 そうした伝があるので記したものとみえる。歌風は人麿とは異なって、調べが弱く、姿が痩せ、気分のみのものである。なぜにそうした伝があったかと怪《あや》しまれる。
 
     沙彌女王の歌一首
 
【題意】 「沙彌女王」は、伝未詳。歌もこれのみである。
 
1763 倉橋《くらはし》の 山《やま》を高《たか》みか 夜《よ》ごもりに 出《い》で来《く》る月《つき》の 片待《かたま》ち難《がた》き
    倉橋之 山乎高歟 夜※[穴/牛]尓 出來月之 片待難
 
【語釈】 ○倉橋の山を高みか 「倉橋の山」は、奈良県桜井市倉橋東南の音羽山とも、多武峯とも、その北方の山ともいわれている。「高みか」は、高いゆえなのか。○夜ごもりに 夜中過ぎに。○片待ち難き 待ち遠いことである。「片待つ」はひたすらに待つ意。
【釈】 倉橋の山が高いゆえであろうか。夜中過ぎに出てくる月の、待ち遠しいことであるよ。
【評】 この歌は、左注にあるように、結句の異なったものが、巻三(二九〇)に出ており、作者が異なっている。この歌のほうが、意が明らかである。なお、第三句を巻三では「夜隠《よなばり》に」と訓んでおいた。
 
     右の一首は、間人《はしひとの》宿禰|大浦《おほうら》の歌の中に既に見えたり。但し末の一句相換り、また作歌の両主、正指に敢へず。因りて以ちて累《かさ》ね載す。
      右一首、間人宿祢大浦謌中既見。但末一句相換、亦作謌兩圭不v敢2正指1。因以累載。
 
【解】 「正指に敢へず」は、正しく指すことができず、定め難い。
 
(274)     七夕の歌一首并に短歌
 
1764 久堅《ひさかた》の 天《あま》の河瀬《かはせ》に 上《かみ》つ瀬《せ》に 珠橋《たまはし》渡《わた》し 下《しも》つ瀬《せ》に 船《ふね》浮《う》け居《す》ゑ 雨《あめ》降《ふ》りて 風《かぜ》吹《ふ》かずとも 風《かぜ》吹《ふ》きて 雨《あめ》降《ふ》らずとも 裳《も》湿《ぬ》らさず 息《や》まず来《き》ませと 玉橋《たまはし》渡《わた》す
    久堅乃 天漢尓 上瀬尓 珠橋渡之 下湍尓 船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息來益常 玉橋渡須
 
【語釈】 ○天の河瀬に 従来「あまのがはらに」と訓んだのを、『全註釈』は今のごとくに改めた。事としても、下の続きとしてもそのほうが自然だとしてである。○珠橋渡し 「珠橋」は、美しく飾った橋。○雨降りて風吹かずとも 「雨降りて」だけが主で、「風吹かずとも」は、軽く添えた形である。『略解』で本居宣長は、「風吹かず」の原文「風不吹」の「不」は、「者」の誤写とし、「風は吹くとも」としている。○風吹きて雨降らずとも 上と同じく、「風吹きて」の意のもの。『略解』は、上と同じく「雨は降るとも」としている。○裳湿らさず息まず来ませと 「裳」は、ここは彦星の物である。本来女子の物であるから、不自然である。「湿らさず」は、天の河を徒渉せずに。「息まず来ませ」は、たえず通い来たまえよとで、七夕の一夜ということを無視したもの。
【釈】 天の河の河瀬の、上の瀬には、美しく飾った橋を渡し、下の瀬には、船を浮かべ据えて、雨が降って、風が吹かなかろうとも、風が吹いて、雨が降らなかろうとも、裳を濡らさずに、絶えず通って来たまえと思って、美しく飾った橋を渡す。
【評】 棚機つ女に代わって詠んだ形の歌である。内容はきわめて単純で、これに添っている反歌にも劣っている。いっていることも類想的で、何らの新味もないものである。詠み方は、この短い歌に対句を二回まで用い、平坦に叙してあって、まさに典型的な謡い物である。
 
     反歌
 
1765 天漢《あまのがは》 霧《きり》立《た》ち渡《わた》る 今日今日《けふけふ》と 吾《わ》が待《ま》つ君《きみ》し 船出《ふなで》すらしも
    天漢 霧立渡 且今日々々々 吾待君之 船出爲等霜
 
【語釈】 ○霧立ち渡る 「霧」は、船の進行に伴う水煙。○今日今日と吾が待つ君し 「今日今日と」は、七月七日の夜。「し」は、強意の助詞。(275)ここは七夕の一夜の制を守っている、普通のものである。○船出すらしも 霧によっての推量。
【釈】 天の河に霧が立ち渡っている。今日は今日はとわが待っている君が、船出をしたのであろう。
【評】 長歌の内容とは調和のない、船で天の河を渡るという普通のものである。類歌の少なくないものである。
 
     右の件の歌は、或は云ふ、中衛大将藤原北卿の宅にて作れるなりと。
      右件謌、或云、中衛大將藤原北卿宅作也。
 
【解】 「中衛」は、巻五(八一一左注)に出た。神亀五年に初めて置かれ、大同二年に右近衛となった。「大将」は、その長官としての称である。「藤原北卿」は、藤原|房前《ふささき》で、彼が大将になった時は、『公卿補任』によれば天平二年十月一日とあるが、くわしいことは明らかでない。この歌は、その家での七夕の宴に作られた歌だと伝えられていたのである。しかし作者はたれとも伝わらなかったのである。
 
 相聞
 
     振田向《ふるのたむけ》宿禰の筑紫の国に退《まか》る時の歌一首
 
【題意】 「振田向宿禰」は、伝未詳。「振」は、氏で、「田向」は名である。「退る」は、筑紫に向かって退出するで、その地の官に任ぜられたのである。
 
1766 吾妹子《わぎもこ》は 釧《くしろ》にあらなむ 左手《ひだりて》の 吾《わ》が奥《おく》の手《て》に 纏《ま》きて去《い》なましを
    吾妹兒者 久志呂尓有奈武 左手乃 吾奧手二 纏而去麻師乎
 
【語釈】 ○釧にあらなむ 「釧」は、ひじまきとも呼び、腕輪で、手首や臂《ひじ》の辺りに巻いた物である。玉、貝、石、銅などを材料とした。玉や貝は、緒に貫いたのである。「なむ」は、願望の助詞。○左手の吾が奥の手に 「の」は、ここは、同意語を重ねる意のもの。「奥の手」という語は、ここに出ているのみである。左手を右手よりも尊んでの称と取れる。上代の信仰の一つで、左手は右手よりも不浄に触れることが少ないとしてのこ(276)とかと思われる。この風習は現に欧州に残っているという。○纏きて去なましを 巻いて伴って行こうものをで、「まし」は、仮設の「あらなむ」の帰結。
【釈】 吾妹子は釧であってほしいものだ。それだと、わが左手である奥の手に巻いて、共に行こうものを。
【評】 愛する人と別れなければならない時、その人を身に着けうる品にして伴って行きたいということは、思い寄りやすいことで、類想の多いものである。しかし釧にしたいということは初めてである。釧はこの時代にはすでに古風の物となっていて、大体、記憶の世界の物であったろうと思われる。奥の手ということも、他に用例のないところから、同じ範囲のものであったろう。相聞の歌にこうしたことをいっているのは田向の人柄よりのことである。この当時にあっても、古くしてかえって目新しい歌であったろう。
 
     抜気大首《ぬきけのおほびと》の筑紫に任《まけ》らえし時、豊前の国の娘子《をとめ》紐児《ひものこ》を娶りて作れる歌三首
 
【題意】 「抜気大首」は、伝未詳。「抜気」は氏であろうが、『姓氏録』に見えない。「大首」も姓か、名か不明である。
 
1737 豊国《とよくに》の 香春《かはる》は吾宅《わぎへ》 紐児《ひものこ》に いつがり居《を》れば 香春《かはる》は吾家《わぎへ》
    豐國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家
 
【語釈】 ○豊国の香春は吾宅 「豊国」は、今は豊前国。「香春」は、福岡県田川郡|香春《かわら》町。ここは豊前国から大宰府へ通ずる要路にあたっている。「吾宅」は、わが家の約。最も楽しい所としていっているもので、詠歎を含んでいる。○紐児にいつがり居れば 「紐児」は、題詞にある娘子の名。「いつがり」は、「い」は、接頭語。「つがる」は、一つに繋がっている意で、夫婦関係を具象化していったもの。「つがる」は現在も口語として用いており、同じ意である。
【釈】 豊国のこの香春はわが家であるよ。紐児とつがり合っていると、香春はわが家であるよ。
【評】 「豊国の香春は吾宅」といい、それを繰り返して、香春という地を特に重くいっているところから、その地が筑紫の任地ではなく、公務を帯びての旅先であったろうと思われる。それだと紐児は当時の風として、しかるべき人の旅情を慰める相手をしていた、その土地の女であったとみえる。そう解すると以下の二首も自然なものとなってくる。歌は、謡い物の風を濃厚にもったものであるから酒宴の席などに謡ったものではないかと思われる。歓喜の情を、躍動をもってあらわしている、古風な歌である。
 
(277)1768 石上《いそのかみ》 ふるの早田《わさだ》の 穂《ほ》には出《い》でず 心《こころ》の中《うち》に 恋《こ》ふるこの頃《ごろ》
    石上 振乃早田乃 穗尓波不出 心中尓 戀流比日
 
【語釈】 ○石上ふるの早田の 「石上ふるの早田の」は、穂の序詞。「石上ふる」は、大和国山辺郡の地名で、石上の中の地。今の石上神宮のある地である。現在の天理市に、石上町、布留町がある。「早田」は、早稲田で、わせの稲を作ってある田。○穂には出でず 「穂」は、「秀《ほ》」の意で、表面。「出でず」は、あらわさずしてで、「ず」は、連用形。○心の中に恋ふるこの頃 心の中でのみ恋うているこの頃であるよの意。
【釈】 石上の布留の早稲田の穂、すなわち表面にはあらわさずに、心の中で恋うているこの頃であるよ。
【評】 歌で見ると、誰を恋うているともわからない。序詞が繋がりをもったものとすれば、故郷の妻であるが、それとしては婉曲にすぎるともいえる。題詞にある通り紐児を恋うたものとするべきであろう。それだと序詞は、言い慣れているままに気やすく用いたものである。旅先でかりそめに逢った紐児に、深く心を引かれるが、身分の関係上、いかんともすることができず、ひそかに悶々《もんもん》の情を漏らしたものとみえる。
 
1769 かくのみし 恋《こ》ひし渡《わた》れば たまきはる 命《いのち》も吾《われ》は 惜《を》しけくもなし
    如是耳志 戀思度者 靈剋 命毛吾波 惜雲奈師
 
【語釈】 ○かくのみし恋ひし渡れば 「し」は、二つながら強め。このようにばかり恋い続けていればで、自身の状態を総括していったもの。○たまきはる命も 「たまきはる」は、「命」の枕詞。既出。○惜しけくもなし 「惜しけく」は、「惜し」の名詞形。
【釈】 このようにばかり恋いつづけておれば、命も我は惜しいこともない。
【評】 前の歌と連作の形のもので、ますます募ってきた恋情に対しての嘆きである。「命も吾は惜しけくもなし」は成句に近いもので、類想の多い歌である。
 
     大神《おほみわ》大夫の長門守に任《まけ》らえし時、三輪河の辺《ほとり》に集《つど》ひて宴《うたげ》する歌二首
 
【題意】 「大神大夫」は、三輪朝臣|高市《たけち》麿で、高市麿が長門守となったのは、大宝二年正月である。この人は壬申の乱の功臣であ(278)り、硬骨の忠臣と称せられた人である。卒後従三位を贈られている。懐風藻に詩が一首載っており、「年五十」とある。巻一(四四)の左注に出ている。「三輪河」は、初瀬河の三輪山の辺りを流れる時の称。
 
1770 三諸《みもろ》の 神《かみ》の帯《お》ばせる 泊瀬河《はつせがは》 水尾《みを》し絶《た》えずは 吾《われ》忘《わす》れめや
    三諸乃 神能於姿勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也
 
【語釈】 ○三諸の神の帯ばせる泊瀬河 「三諸の神」は、ここは三輪山で、神がすなわち山なのである。「帯ばせる」は、「帯ぶ」の敬語に完了の助動詞「り」の連体形が接続したもの。○水尾し絶えずは 「水尾」は、水脈で、水の盛り上がって流れる部分の称。ここは水流というと同じ。「し」は、強意。「絶えずは」は、絶えずにあらばの意。初句よりこれまでは、永久にということを、現在いるところの不変のものによって具象化して、強く言いあらわしたもの。○吾忘れめや 「や」は、反語。われ、諸君を忘れようか忘れはしないの意で、別宴にあって、客高市麿の、主人としての会衆に対しての挨拶。
【釈】 三諸の神が帯びたまう泊瀬河の、この水流が絶えないならば、われ諸君を忘れようか、忘れはしない。
【評】 三輪河のほとりまで見送って来た人々が、いよいよ別れる時として別宴を張った時、客の高市麿が挨拶として詠んだ歌である。こうした際には不吉なことをいわないのが礼になっている。高市麿のいっていることは、同僚としての誠実の永久に渝《かわ》るまいということで、初句より四句まではその永久を眼前の景に即させていったものである。「三諸の神の帯ばせる」は、神かけてという心のもので、誓ってというに同じである。一首の調べが重く、太く、その心にふさわしいものである。
 
1771 おくれ居《ゐ》て 吾《われ》はや恋《こ》ひむ 春霞《はるがすみ》 たなびく山《やま》を 君《きみ》が越《こ》えいなば
    於久礼居而 吾波也將戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
 
(279)【語釈】 ○おくれ居て吾はや恋ひむ 「おくれ居て」は、後に残っていて。「吾はや」の「や」は詠歎の強い疑問。係助詞。吾は君を恋うることであろうか。○春霞たなびく山を 「春霞たなびく」は、時は正月で、眼前の景。「山」は、大和より難波へ向かう途中の連山。
【釈】 後に残っていて、吾は恋うることであろうか。春霞のかかっている山を、君が越えて行ったならば。
【評】 主人側の送別の歌で、同じく儀礼のものである。一首として、歌柄が大きく、余裕があり、美しさももっていて、品位をもっているものである。初二句は慣用されているものであるが、三句以下は、それとなく旅の無事を祈る心、嘆きを包んだ心のみえるものである。
 
     右の二首は、古集の中に出づ。
      右二首、古集中出。
 
【解】 古集は巻七(一二四六)に既出。
 
     大神《おほみわ》大夫の筑紫の国に任《まけ》らえし時、阿倍《あべ》大夫の作れる歌一首
 
【題意】 「大神大夫」は、上の歌と同じく、高市麿であろう。しかし高市麿が筑紫へ赴任したことは史に見えない。「阿倍大夫」は、時代的に見て、阿倍広庭と思われる。広庭は、巻三(三〇二)に出た。御主人《みうし》の子で、神亀元年従三位となっており、天平四年七十四歳で薨じた。高市麿より二歳年少である。
 
1772 おくれ居《ゐ》て 吾《われ》はや恋《こ》ひむ 稲見野《いなみの》の 秋芽子《あきはぎ》見《み》つつ 去《い》なむ子《こ》故《ゆゑ》に
    於久礼居而 吾者哉將戀 稻見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
 
【語釈】 ○稲見野の秋芽子見つつ 「稲見野」は、播磨国|印南《いなみ》郡の野(現在、兵庫県印南郡、高砂市から明石市へかけての平野)で、しばしば出た。「秋芽子見つつ」は、おりからの萩の花を見ながらで、京より筑紫方面の旅を、秋の季節にしたことが知られる。○去なむ子故に 「子」は、女に対しての愛称で、高市麿の妻が、広庭からいうとそういう称を用うべき関係であったとみえる。
【釈】 後に残っていて、吾は恋うることであろうか。稲見野の萩の花を見ながら、旅して行くだろう子のゆえに。
【評】 題詞によると、広庭に「子」と呼ばれる女は、高市麿の妻であり、広庭は親しい縁者であったとみえる。また高市麿の(280)長門へ下ったのは正月であるのに、この女のそちらへ向かっての旅をするのは萩の花の咲く秋だったのである。妻が夫の任地に後から行くということは特別なことではなかったから、この場合もそれであったろうと思われる。「稲見野の秋芽子見つつ」は、陸路を取っての旅をすることにはなりかねる。当時の航海は海岸に接して漕いだのであるから、船上からも必ずしも見られなくはなく、また、夜は上陸して寝たのであるから、日程の定めのない女の旅であれば、名高い稲見野の萩を見ようと思えば、心のままに見られたことであろう。とにかくこれは推量としていっていることで、「吾はや恋ひむ」との対照として、たのしい心をもって旅をする子であろうのにと、送別の歌の型に従っていっているものである。情味のみえる歌である。
 
     弓削皇子に献れる歌一首
 
【題意】 この題詞は、上の(一七〇一)に出ており、それと同じく、ここも柿本朝臣人麿歌集にあるもので、以下三首同様である。
 
1773 神奈備《かむなび》の 神依板《かみよりいた》に する杉《すぎ》の 念《おも》ひも過《す》ぎず 恋《こひ》のしげきに
    神南備 神依板尓 爲杉乃 念母不過 戀之茂尓
 
【語釈】 ○神奈備の 神霊の降る杜で、明日香か三輪かである。○神依板にする杉の 「神依板」は、神霊の依りつく板で、神事を行なう前、神霊を招請しようとして、板を叩いて祈ると、その板に依られるとする信仰があったのである。本居宣長は『略解』で、杉を神依板にするということは、琴の板といって、杉の板を叩いて神を請招することがある。今も伊勢の祭礼にはこのことをする。琴頭《ことがみ》に神の御影が降り給うのであるといっている。「する杉の」は、作る杉ので、同音反復で、「過ぎず」の序詞。○念ひも過ぎず 「念ひ」は、嘆き。「過ぎず」は、過ぎ去らないで消えないの意。
【釈】 神霊の降る杜の、神の依りつく板につくるところの杉の、その杉に因みある、嘆きの過ぎ去らず消えない。わが恋の繁くあるので。
【評】 恋の嘆きをいっているものであるが、「命も吾は惜しけくもなし」という類の感傷とは異なって、あくまでも熱意と執着をもっての嘆きである。「神奈備の神依板にする杉の」という、「過ぎず」に対しての序詞は、きわめて飛躍の大きいもので、単に謡い物風に見ても特殊なものであるが、この歌にあってはそれは副次的なものとなって、嘆きとの繋がりを覘《ねら》いとしたものである。それは上代の信仰では、男女関係は一々神意によって定まるものとしていたので、神事の上では重いものである神依(281)板は、その嘆きは神の喜び給わぬことだということを暗示するものとなるからである。すなわちこの序詞は、単に序詞にとどまらず、一首の気分に重い役をしているのである。四、五句もこの重い序詞に圧倒されず、一首重く暗く、盛り上がる力をもったものとなっているのである。弓削皇子に献ったのは、皇子の興を誘いうるとの自信をもってのことであったかと思われる。
 
     舎人皇子に献れる歌二首
 
1774 たらちねの 母《はは》の命《みこと》の 言《こと》にあれば 年《とし》の緒《を》長《なが》く 憑《たの》め過《す》ぎむや
    垂乳根乃 母之命乃 言尓有者 年緒長 〓過武也
 
【語釈】 ○たらちねの母の命の 「たらちねの」は、母の枕詞。「母の命」の「命」は、最も尊んでの称。ここは娘が、夫婦関係を結んでいる男に対して、自分の母のことをいうに用いているもので、今日から見ると不自然の感があるが、上代は夫婦別居していたので、子からいえば、親というは母親のみのごとく思われ、また娘には結婚について母は絶対の権力をもっていたのである。それは結婚そのことについては、あらかじめ親の承認を受ける要はなかったが、結婚後も娘は母のもとに居て、そこへ夫を通わせたのであるから、結婚後、事後承認がなければそれができなかったのである。したがってその時になって、男の身分人柄などについて、母子の間に問題が起こりがちだったのである。○言にあれば 『新訓』の訓。娘が事後承認を得ようとしたのに対して、母のいった語をさしているもので、下の続きから見て、母は、しばらく時期を待てと、条件つきで承認したのである。○年の緒長く憑め過ぎむや 「年の緒」は年で、「緒」は長く続くものの意で添えた語。「憑め過ぎむや」は、「や」は反語で、頼みにさせて過ごすようなことがあろうか、ありはしないで、むだ頼みなどさせようかと、強くいったもの。
【釈】 垂乳根の母の命がいわれることなので、何年も長く憑みにさせて過ごすようなことがあろうか、ありはしない。
【評】 じつに複雑した事象を扱った歌である。娘が当時の習慣に従って、母に知らせずに男と結婚し、夫をその家へ通わせようとして、承認を得るために打明けると、母は自身としては承認するが、父を初め周囲の者に対して打明けることはしばらく時機を待ってのことにしようといったのである。それを娘は、その夫である男に話したところ、男はある不安を感じ、その時機というのはいつのことであろうか、ひどく先の事ではなかろうかと危んだのに対して娘は、わが母のいうことである、何年も先などということがあろうかと打消した、その打消しの語《ことば》だけを歌としたのがすなわちこれである。これは上代生活では普通のことであるが、今日から見るとじつに複雑な心情を複雑そのままに捉え、機微な一点だけをいうことによって全体をあらわしているものである。のみならず、「たらちねの母の命」という尊称で、娘がその母を憑みぬいている態度をあらわし、「憑め過ぎむや」と男がある不安を感じて駄目を押したのに対して、言下に強く打消しているところに、女の純真な、疑いを知らぬ面影を思い浮かべさせるに足るものがある。前の歌の抒情的なのに較べて、叙事的な面を十分に発揮している歌である。
 
(282)1775 泊瀬河《はつせがは》 夕渡《ゆふわた》り来《き》て 我妹子《わぎもこ》が 家《いへ》の金門《かなと》に 近《ちか》づきにけり
    泊瀬河 夕渡來而 我妹兒何 家門 近舂二家里
 
【語釈】 ○家の金門に 原文「家門」。訓が定まらない。『略解』の訓。用例の多いのと、三音に訓もうとするところからのものである。金門は金属を用いてある門の意。
【釈】 泊瀬河を夕べに徒渉して来て、妹が門に近づいたことであるよ。
【評】 夕べ、妻のもとへ通う男の、途中の悩みと喜びとを叙したものである。印象がはっきりし、調べが躍動していて、明るくさわやかな感じを与える。また趣が一変している。
 
     右の三首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右三首、柿本朝臣人麿之歌集出。
 
     石川大夫の任を遷さえて京《みやこ》に上る時、播磨娘子《はりまのをとめ》の贈れる歌二首
 
【題意】 「石川大夫」は、石川朝臣|君子《きみこ》かといふ。巻三(二四七)、同(二七八)に出た。霊亀元年播磨守となっているので、この歌はその時代のものとみえる。「播磨娘子」は、その地に居た遊行婦の類であろう。
 
1776 絶等寸《たゆらき》の 山《やま》の峰《を》の上《へ》の 桜花《さくらばな》 咲《さ》かむ春《はる》べは 君《きみ》し思《しの》はむ
    絶等寸笶 山之峯上乃 櫻花 將開春部者 君之將思
 
【語釈】 ○絶等寸の山の峰の上の 「絶等寸の山」は、今はその名が伝わらず、したがって明らかではない。『新考』は、国府は今の姫路の東方にあったので、そこに近い山とすれば、今の姫山、播磨風土記でいう日女道《ひめじ》丘であろうかという。○君し思はむ 原文は、仙覚系統の本は「君乎将思」とあるが、古本の藍紙本、元暦校本などは「君之」となっているので、『全註釈』はそれに従っている。君がこの地を思い出すだろうといい、あるいは我をも思ってくれようとの心を寄せているのである。
【釈】 絶等寸の山の上の桜花が咲くであろう春の頃には、君はそれを思い出されることであろう。
(283)【評】 今は別れれば、それきり思い出してももらえなかろうという嘆きを、きわめて婉曲に訴えているものである。これは国守と自分との身分の距離を意識してのことである。共に愛《め》でたことのある国府付近の山の、春の桜に寄せていっているのは心細かく、気の利いていて、遊行婦にふさわしい。
 
1777 君《きみ》なくは 何《な》ぞ身《み》装飾《よそ》はむ 匣《くしげ》なる 黄楊《つげ》の小梳《をぐし》も 取《と》らむとも念《おも》はず
    君無者 奈何身將装餝 匣有 黄楊之小梳毛 將取跡毛不念
 
【語釈】 ○君なくは何ぞ身装餝はむ 「君なくは」は、君が居ないのであれば。「身装餝はむ」は、わが身を美しくしようと思って装おうで、それは君に見られようためのことだとの意。○匣なる黄楊の小梳も 「匣なる」は、櫛笥の中にある。「黄楊の小梳」は、「小」は、美称。黄楊の櫛は、すぐれた品とした物で、用例の多いもの。「も」は、さえも。○取らむとも念はず 手にして梳ろうとさえも思わないで、三句以下、装おいとしては最も簡単なこととしていったもの。
【釈】 君がいなかったならば、何で身を装おうことをしようか。櫛笥の中にある黄楊の櫛さえも、手に取ろうとも思わない。
【評】 一般性をもった心で、三句以下の実際に即しての具象に味わいのある歌である。たれの胸にも訴えるところのあるものであるが、今の別れの際には最も適切なものである。遊行婦の歌としては含蓄のある優れたものである。
 
     藤井連《ふぢゐのむらじ》の任を遷さえて京《みやこ》に上る時、娘子《をとめ》の贈れる歌一首
 
【題意】 「藤井連」は、藤井大成と広成とあって、そのどちらであるか不明である。国司もいずれの国とも知れない。「娘子」は前の歌のそれと同性質の者であろう。
 
1778 明日《あす》よりは 吾《われ》は恋《こ》ひむな 名欲山《なほりやま》 石《いは》踏《ふ》み平《なら》し 君《きみ》が越《こ》え去《い》なば
    從明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踐平之 君我越去者
 
【語釈】 ○恋ひむな 「な」は、感動の助詞。○名欲山 所在不明である。大分県|直入《なおり》郡の山とし、現在の竹田市の木原山、あるいは三宅山を当てる説がある。○石踏み平し 踏んで平らにしてで、踏みつけての意を強調したもの。
(284)【釈】 明日からは、我は恋しく思うことであろうよ。名欲山の岩を踏み平して、君が越えて行ったならば。
【評】 送別の宴での挨拶の歌であろう。「名欲山」は、京への道の、第一に越えるべき山とみえる。「踏み平し」は、一行の多いことと、勢のあることとを尊んでいっているものである。儀礼の心の勝ったものである。
 
     藤井連の和ふる歌一首
 
1779 命《いのち》をし まさきくもがも 名欲山《なほりやま》 石《いは》践《ふ》み平《なら》し またまたも来《こ》む
    命乎志 麻幸久母願、名欲山 石踐平之 復亦毛來武
 
【語釈】 ○命をしまさきくもがも 原文「命乎志麻勢久可願」。訓はこれに従えば「いのちをしませひさしくもがも」と訓むほかなく、初句七音となり、しかも意が通じかねる。諸注誤写説を立てている。『古義』は、「勢」は「幸」の誤りで、「幸」は「勢」の旁《つくり》の消えたものとして後より改めた字で、「麻幸《まさきく》」であったろうとしている。「可」は、「母」の誤写であろうとしている。これは『代匠記』『考』も等しくいっていることである。『新訓』も『古義』に従っている。もとより問題の残る説であるが、原文のままでは通じ難いので、今はこれに従うこととする。「もが」は、「も」を伴っての願望の助詞。わが命を無事であらせたいことであるよで、「し」は、強意。「もがも」は、願望の助詞。○名欲山石践み平し 贈歌の語をそのままに取ったもので、和え歌としての体。○またまたも来む 旧訓。
【釈】 わが命を無事であらせたいことであるよ。名欲山の岩を踏み平して、またもまたも来よう。
【評】 初二句に問題があるが、大意としては異なるまいと思われる。和え歌の型に従って詠んだだけのもので、特殊なところのない歌である。
 
     鹿島《かしま》郡|苅野《かるの》橋にて大伴卿に別るる歌一首 并に短歌
 
【題意】 「鹿島郡苅野橋」は、常陸国鹿島郡軽野郷にあったもの。この郷は近年まで軽野村と称して、神《ごう》の池の南方にあった。現在、茨城県鹿島郡|神栖《かみす》村の一部。ここは利根川を隔てて下総国に面している。「大伴卿」は、上の(一七五三)の「検税使大伴卿」で、常陸国の検税の事を終えて、軽野橋から船出をし、下総の海上《うなかみ》の津をさして、海路を取った際のことである。作者は、左注によって、筑波登山の案内をした高橋蟲麿で、見送りに来たのである。
 
(285)1780 牡牛《ことひうし》の 三宅《みやけ》の滷《かた》に さし向《むか》ふ 鹿島《かしま》の埼《さき》に さ丹塗《にぬり》の 小船《をぶね》を設《ま》け 玉纏《たままき》の 小梶《をかぢ》繁貫《しじぬ》き 夕潮《ゆふしほ》の 満《みち》のとどみに み船子《ふなこ》を あどもひ立《た》てて 喚《よ》び立《た》てて み船《ふね》出《い》でなば 浜《はま》もせに 後《おく》れな居《を》りて 反側《こいまろ》び 恋《こ》ひかも居《を》らむ 足摩《あしずり》し 哭《ね》のみや泣《な》かむ 海上《うなかみ》の その津《つ》を指《さ》して 君《きみ》がこぎ行《ゆ》かば
    牡牛乃 三宅之滷尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纏之 小梶繁貫 夕塩之 滿乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈居而 反側 戀香裳將居 足垂之 泣耳八將哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者
 
【語釈】 ○牡牛の三宅の滷に 「牡牛《ことひうし》」は、特に大きな牛で、「三宅」にかかる枕詞。「三宅」は、地名であるが、本来は屯倉すなわち貢物を蔵しておく倉の意で、それがあるところから地名となったものとみえる。牡牛はその貢物を運ぶためのもので、その関係から枕詞にしたのであろう。この作者の始めたものであろう。「三宅の滷」の「滷」は、原文諸本「酒」。誤写説が多く訓もさまざまである。字形から「滷」の誤写とする説に従う。「※[さんずい+内]《うら》」の誤りとする説もある。「三宅」は、古くは下総国海上郡三宅郷があり、今も海上村にその地名がある。銚子市三宅町一帯の地。○さし向ふ鹿島の埼に 「さし向ふ」は、「さし」は接頭語で、向き合っている。「鹿島の埼」は、題詞の苅野橋のある軽野村を含んでいる一帯の地。鹿島郡南端の岬で、銚子市三宅町と利根川をはさんで相対している。○さ丹塗の小船を設け 「さ丹塗」は、「さ」は接頭語。「丹塗」は、赤い塗料をもって塗った意で、官船の特色であった。「小船」は、「小」は美称。「設《ま》け」は、準備して。大伴卿一行の乗船である。○玉纏の小梶繁貫き 「玉纏」は、玉を飾りとして付けた。「小梶」の「小」は、美称。「梶」は、艪。「繁貫き」は、船の左右に多く取付け。「玉纏」は、その船を貴む心からの形容である。○夕潮の満のとどみに 夕方の満潮時の満潮の極点に。航海には最も安全な時である。「満」も「とどみ」も名詞で、簡潔な続け方である。○み船子をあどもひ立てて 「み」は尊んでの接頭語。「あどもひ」は、誘い。○喚び立てて 船子たちを喚び立ててで、その位置に着かせて。○浜も世に後れな居りて 「浜もせに」は、「せ」は狭《せ》で、いっぱいに。「後れな居りて」は、「な居りて」は、原文「奈居而」。旧訓「なをりて」。『略解』は、「奈」の次に「美」の脱したものとして、「なみ」すなわち「竝み」であるとしている。『全註釈』は旧訓に復し、「な」は助詞で、後に現われる「なむ」の「な」で例のあるものである、本集には「なむ」の係助詞はないが、「なも」はあって、「なむ」の前身ではないか、上にある語を提示する義であろうといっている。これに従う。後に残っていて。○反側び恋ひかも居らむ 「反《こい》」は終止形「こゆ」で、伏す意の古語、「こいまろび」は、伏し転びであり、激情に堪えかねてすること。○足摩し哭のみや泣かむ 「足摩」の「摩」は、諸本「垂」。旧訓「あしずり」。『略解』は、「垂」は、「摩」の誤写としている。従うべきである。「足摩し」は、地だんだを踏むことで、口惜しさの意を具象したもの。「泣《ね》」は、泣くこと。泣きにのみ泣くであろうか。○海上のその津を指して 海上の津すなわち港を力強くいったもの。
(286)【釈】 下総の三宅の潟に、向かい合いになっているこの常陸の鹿島の埼に、丹塗のみ船を準備し、愛でたい艪を左右に繋くも取付けて、夕潮の、満潮の極点に、み船子を誘い立てて、喚び立てて持場に着かせて君のみ船が出たならば、この苅野橋のある浜いっぱいに、われらは後に残っていて、伏し転《まろ》んで恋い続けていることであろうか。地だんだを踏んで、泣きにのみ泣くであろうか。下総の海上の津をさして、君のみ船が榜いで行ったならば。
【評】 検税使大伴卿が、常陸の国庁における任務を果たし、海路、隣国の下総国へ向かおうとするのを、高橋蟲麿は国庁の官人として、他の多くの者とともに、卿の船の出る鹿島の埼の苅野橋の辺まで見送りに来て、儀礼としての惜別の歌を、一同に代わって詠んだ形のものである。この歌について注意されることは、作者がこうした詠み方をするについての用意のほどである。惜別の情とはいうが、大伴卿と作者とは、身分の相違があまりにも甚しいので、一般的な、対等に近いような物言いは許されず、深い尊敬をもって抒《の》べなくてはならない。また、惜別の情は、相別れる時が最も強い時で、その時の情を抒べるべきであるが、行く人は海路であり、送る人は陸上にいるので、その時の情を抒べても、これを呈する方法がない。あるとしても不自然なものとなってくる。加えて、それらの情は、実際に即した形において抒べないと、その心を徹せしめることができないものである。蟲麿は少なくとも、以上の条件を心において、この歌を詠んでいるのである。起首、卿の現におられ、自分らもいる「鹿島の埼」をいうに、「牡牛の三宅の滷に」と、下総国の地を先にしていっているのは、卿を主とし、卿の向かわれる地を重んじていっているので、結末の「海上のその津を指して」と照応させているのである。卿に対する敬意よりである。「さ丹塗の小船」「玉纏の小梶繋貫き」は、「玉纏」は単なる修飾であるが、そうまでしているのは、卿の乗船を讃えようがためで、同じく敬意からである。転じて、「夕潮の満のとどみに……喚び立ててみ船出でなば」に至ると、中心が異なってきて、「夕潮の満のとどみ」は、航海に最も安全な時間という上では、敬意に繋がりをもつものであるが、その時は今、目前に迫っている時であり、またその時が来ればそれがすなわち卿と別れる時で、その時の迫っている今は、作者としては惜別の情を抒べる上で、許されている最高潮の時なのである。「み船出でなば」と、推量の形にしているのは異様にみえるのであるが、じつはこれは作者からいうと合理的なことなのである。続いて、「反側び」といい、「足摩し」といって、その思慕の限りなさと、思慕の遂げ難い悲しみとを連ねて、それをもってただちに惜別の情としているのは、大伴卿に対しては最も適当な方法なのである。一首の形が甚だ精細でかつ華やかなのは、大伴胸に対する敬意とこの作者の持ち味の一つになったためである。また調べは、この作者としては粘り強いものであり、同時にしかも屈折の少ない一本調子のものであるのは、以上の用意をもっての作であることに伴う必然的なことと思われる。儀礼の作ではあるが、それを思わせない熱意と情味をもった歌である。
 
     反歌
 
(287)1781 海《うみ》つ路《ぢ》の なぎなむ時《とき》も 渡《わた》らなむ かく立《た》つ波《なみ》に 船出《ふなで》すべしや
    海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可爲八
 
【語釈】 ○海つ路のなぎなむ時も 「海つ路」は、海の路。ここは今、内水路の方にいて、外海を見やっていっているのである。「なぎなむ時も」は、凪ぎなむ時にも。「なむ」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」のついたもの。○渡らなむ 「なむ」は、願望の助詞。○船出すべしや 「や」は、反語。
【釈】 海の航路の、凪ぐであろう時にでも渡っていただきたい。このように波の立つ時に、船出をすべきであろうか、すべきではない。
【評】 反歌は長歌とは趣の異なったものである。旅立つ人を送る時には不安な情はいわないのが型となっている。無事を祈るべき時だからである。鹿島の埼と海上の津とはいくぱくの距離もなく、利根川の河口を横切りさえすれば海岸沿いの航路で、危険の惧れなどはなかったろうと思われる。それにもかかわらずこのように不安を感ずる情を抒べているのは、旅人に対する尊敬の情と、自身の実情とに駆られてのことと思われる。歌の形も、長歌とは異なって、技巧を外にしたものである。
 
     右の二首は、高橋連蟲麿の歌の中に出づ。
      右二首、高橋連蟲麿之謌中出。
 
     妻に与ふる歌一首
 
【題意】 左注によって、作者は人麿である。「妻」は、たれとも知れぬ。
 
1782 雪《ゆき》こそは 春日《はるび》消《き》ゆらめ 心《こころ》さへ 消《き》え失《う》せたれや 言《こと》も通《かよ》はぬ
    雪己曾波 春日消良米 心佐閇 消失多列夜 言母不徃來
 
【語釈】 ○雪こそは春日消ゆらめ 「雪こそ」は、今の春の日ざしに消えているであろうと推量したもの。妻の里を思いやつてのもので、大和に居た妻とすると、旅にあっての推量と取れる。○心さへ消え失せたれや 「心さへ」は、心までも。「消え失せたれや」は、後世の「消え失せたれば(288)にやあらむ」にあたるもので、疑問条件法で、「や」は、強い疑問である。消え失せたのであろうか、そうしたことはなかろうに。○言も通はぬ 便りも通って来ないことであるで、「ぬ」は、連体形。
【釈】 雪こそは春の日に消えていることでもあろうが、心までも消え失せたのであろうか、そんなことはなかろうに、便りも通ってこないことである。
【評】 人麿が春、山の雪が解ける頃、旅にあって、大和にいる妻に贈ったものとみえる。夫婦間で軽く心をかわし合う歌であるから、背後の事情は知る由がない。一首の口気から見て、大和以外の地すなわち旅からのものと察しるだけである。いっていることは、妻の無沙汰をしている恨みで、それをいうに、妻のいる地の山の雪の春日に消えているだろうことを想像し、それを前提として、まさか心までも消え失せたのではなかろうにといって無沙汰を恨んでいるのである。この歌は人麿の相聞の歌としては類を絶したものである。相聞の歌といえば、いつも熱意を打込んで、盛り上がるような歌を詠んでいるのに、この歌はそれらとは反対に、微笑をふくんであっさりと皮肉をいっているような歌である。皮肉というよりもむしろ、駄々をこねているというべきかもしれぬ。人麿にもこうした面があったのである。もっとも物言いは、相手次第で決定させられることであるから、この事はこうした物言いで、十分心の通じる人だったのである。
 
     妻の和《こた》ふる歌一首
 
1783 松反《まつがへ》り しひてあれやは 三栗《みつぐり》の 中《なか》ゆ上《のば》り来《こ》ず 麿《まろ》と云《い》ふ奴《やつこ》
    松反 四臂而有八羽 三栗 中上不來 麿等言八子
 
【語釈】 ○松反りしひてあれやは 難解な句として、諸注解き悩んでいる。唯一の参考になるのは、巻十七(四〇一四)の「松反りしひにてあれかもさ山田の翁《をぢ》がその日に求め逢はずけむ」で、作者は大伴家持で、明らかに人麿の歌の影響を受けて正しく使用していたろうと思われるものである。この歌は、「放逸せる鷹を思ひ、夢に見て感悦して作れる歌」と題する長歌の反歌で、大意は、家持の鷹飼の山田の翁というが、鷹を扱う方法を誤って逃がしてしまい、鷹のこととて待っていればひとりでに帰って来るかとも思ったが、とにかく山田の翁は捜しに出かけて、終日捜したが見つけられなかったことをいっている歌である。この歌から推して「松反り」は鷹狩の語で、鷹は待っていると帰って来るという意の語であろうと『全註釈』は解している。「しひてあれやは」の「しひて」につき、橋本進吉は、これは「強ひて」ではなく、「目しひ」「耳しひ」の「しひ」ではないかといったのに従い、『全註釈』は、渋っての意だとしている。「あれやは」は、「や」は反語で、いるのであるか、そんなはずはないのにの意。帰りを待っているのに、渋っているのか、そんなはずはないのに。○三栗の中ゆ上り来ず 「三栗の」は「中」の枕詞。「中ゆ上り来ず」は、(289)原文「中上不来」。諸注、訓はそれぞれで、誤写説もある。『新訓』は「なかにのぼりこず」と「に」を読み添えているが、『全註釈』は「ゆ」を読み添えている。「中」を時と見ず、所と見てのことである。人麿のその時行っていた土地の名と思われる。所在は不明であるが、諸所にありうる名である。○麿といふ奴 諸注、訓がさまざまである。『新訓』の訓。「麿」は人麿の略称。「奴」は、当時奴隷階級があって、奴婢はその家の所有物になっていたので、卑しんでいう称であるが、ここは格別の親しさから戯れて用いているものである。巻八(一四六〇)紀女郎が大伴家持を「戯奴《わけ》」と呼んでいるのと同じである。
【釈】 帰りを待っているのに、帰り渋っているのであるか、そういうはずもなかろうに。中から京へ上って来ない、麿という奴は。
【評】 集中での難解な歌の一つで、諸注明らかにしかねている。『全註釈』の解は、問題となるところもあると思うが、比較的解しやすいものとなっているので、大体それに従った。甘え心の、訴えに近いものをもっていながら、それは内に包んで、わざとそっけのない言い方をしている歌である。いわゆる気の合った仲の物言いで、人麿の夫婦生活を思わせられる。
 
     右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集の中に出づ。
      右二首、柿本朝臣人麿之謌集中出。
 
     入唐使《にふたうし》に贈れる歌一首
 
【題意】 「入唐使」は、遣唐使で、そう称すべきであるが、唐を主とした語が古くから行なわれていたのである。
 
1784 海若《わにつみ》の 何《いづ》れの神《かみ》を 斎祈《いの》らばか 往《ゆ》くさも来《く》さも 船《ふね》の早《はや》けむ
    海若之 何神乎 齋祈者歟 徃方毛來方毛 舶之早兼
 
【語釈】 ○海若の何れの神を 海を掌る神は種類が多く、阿曇氏の祭っている綿津見の神、津守氏の祭っている住吉の神などである。いずれの神が最も神威が強いかと、不安のために惑うのである。○斎祈らばか 訓が定まらない。神を祈るといい、まつるとはいわなかった。○往くさも来さも 「さ」は方向で、往路も帰路も。○船の早けむ 「早け」は形容詞の未然形。「む」は助動詞。海上が平穏であろう。
【釈】 海を掌るいずれの神を祈ったならば、往く路も帰る路も、海上が平穏で、君の船は早いのであろうか。
(290)【評】 遣唐使に直接関係をもった人の歌で、おそらく女性の歌と思われる。それは相手と対等な地歩を占め、圏内にあっての不安をいったものであり、心弱いものだからである。
 
     右の一首は、渡海の年記未だ詳ならず。
      右一首、渡海年記未v詳。
 
     神亀五年戊辰秋八月の歌一首 并に短歌
 
【題意】 左注により、作者は笠金村で、その歌集中にあった歌と知られる。題詞は、歌集にあったものである。歌は越の国へ行く夫を送った女の歌で、頼まれて代作したものとみえる。
 
1785 人《ひと》と成《な》る 事《こと》は難《かた》きを わくらばに 成《な》れる吾《わ》が身《み》は 死《しに》も生《いき》も 君《きみ》がまにまと 念《おも》ひつつ ありし間《あひだ》に うつせみの 世《よ》の人《ひと》なれば 大王《おほきみ》の 御命《みこと》恐《かしこ》み 天離《あまさか》る 夷《ひな》治《をさ》めにと 朝鳥《あさどり》の 朝立《あさだち》しつつ 群島《むらどり》の 群立《むらだ》ち行《ゆ》けば 留《とま》り居《ゐ》て 吾《われ》は恋《こ》ひむな 見《み》ず久《ひさ》ならば
    人跡成 事者難乎 和久良婆尓 成吾身者 死毛生毛 公之隨意常 念乍 有之間尓 虚蝉乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治尓登 朝鳥之 朝立爲管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者將戀奈 不見久有者
 
【語釈】 ○人と成る事は難きを 人身を享けて生まれてくる事は、難いことであるのに。これは仏説をそのままにいっているもので、山上憶良「貧窮問答」(巻五、八九二)にも出ているものである。○わくらばに成れる吾が身は 「わくらばに」は、偶然に。「成れる吾が身は」は、人と成って生まれてきているわが身はで、自身を重んずる意識をもっていっているもの。○死も生も君がまにまと 「まにま」は、旧訓「ままにと」。まにま、まにまに、まま、はいずれも同意語で、訓は調べによって決定されるのである。死も生も、君が心次第とで、妻として夫に対する心。○うつせみの世の人なれば 「うつせみの」は、「世」の枕詞。世の中の人であるので。これは天皇の治下の者で、夫をさしていっている。○大王の御命恐み 勅命を受けてで、慣用句。○天離る夷治めにと 「天離る」は、天と離れていて遠いで、「夷」の枕詞。夷は、地方の総称。ここは越の国をいっていることが反歌で知られる。「と」は、とて。○朝鳥の朝立しつつ 「朝鳥の」は、朝の鳥のごとくで、鳥は習性として朝の目覚めが(291)早いところから、早くの譬喩として「朝立」の枕詞となったもの。「朝立」は、朝の旅立ち。「つつ」は、継続で、眼前の状態。○群鳥の群立ち行けば 「群鳥の」は、鳥の群れて飛ぶごとくで、これも鳥の習性を譬喩としての「群立ち」の枕詞。「群立ち行けば」は、一行が群れて旅立って行くので。「行けば」は「行くに」と同じ。○留り居て吾は恋ひむな 「留り居て」は、後に京にとどまっていて。「恋ひむな」の「な」は、詠歎。○見ず久ならば 相見ないで久しかったならば。
【釈】 人の身と生まれることは難いことであるのに、偶然にも人と成ったわが身は、死ぬも生きるも君が心のままだと思い続けていた中に、この世の人のことなので、君は天皇の詔をこうむって、遠い地方の国を治めるとて、朝鳥のごとく早く朝立ちをして、群鳥のごとく一行と群れて立って行くので、後にとどまっていて、我は君を恋うることであろうよ。見ないで久しかったならば。
【評】 この歌は、夫が地方官に任ぜられて、赴任するのを送る妻の歌で、金村は何らかの関係からその妻に頼まれて代作したものである。この歌のごとく儀礼の範囲に属する歌の代作は、頼む者も頼まれる者も怪《あや》しまないことになっていたのは、集中の歌の題詞や左注でうかがわれる。歌が社交上の実用品であったことの脈を引いている風で、非難すべきことではなかったのである。金村の長歌は、時には統制力を欠き、熱情をそのままに抒べる傾向が勝つために、具象化の伴わないものになり、したがって調べは、実情から遊離して単に語そのものの調子になろうとする弱所がある。この歌はそれの際立っているものである。前半の仏説によっていっていることは、後半とは密接にはつながり得ないものである。また後半の旅立ちのさまは、類想の多いもので、ことに「朝鳥の」「群鳥の」といっている辺りは、当時謡い物として行なわれていたであろうと思われる古事記神代の巻の、八千矛の神の歌の影響を受けているものであることは明らかである。ほとんど創意のない作である。
 
     反歌
 
1786 み越路《こしぢ》の 雪《ゆき》降《ふ》る山《やま》を 越《こ》えむ日《ひ》は 留《とま》れる吾《われ》を 懸《か》けてしのはせ
    三越道之 雪零山乎 將越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背
 
【語釈】 ○み越路の雪降る山を 「み越路」は、「み」は、接頭語。「越路」は、越の国へ行く路で、北陸道へ行く路。「雪降る山」は、その途中の山で、近江国から愛知《あらち》山を越えて越前国へ出るのである。歌を詠んでいるのは「八月」であるから、概念でいっているものである。○懸けてしのはせ 「懸けて」は、心にかけて。「しのはせ」は、「しのへ」の敬語で、命令形。
【釈】 越の国へ行く街道で、雪の降っている山を越える日には、京にとどまっている我を心にかけて、思い給えよ。
(292)【評】 長歌の結末をうけて、直接夫に訴えたものである。「雪 降る山」は越の国というよりの概念で、この歌全体の弱所を最も明瞭にあらわしているものである。
 
     天平元年己巳冬十二月の歌一首 并に短歌
 
【題意】 歌は、金村が官命を帯びて布留の里に滞在していることをいっているものである。それにつき『考』は、続日本紀、天平元年十一月、京及び畿内の班田司を任ずる記事があるので、金村もその班田司に加わっていたのだろうといっている。
 
1787 うつせみの 世《よ》の人《ひと》なれば 大王《おほきみ》の 御命《みこと》恐《かしこ》み 礒城島《しきしま》の 大和《やまと》の国《くに》の 石上《いそのかみ》 布留《みふる》の里《さと》に 紐《ひも》解《と》かず 丸寐《まろね》をすれば 吾《わ》が著《き》たる 衣《ころも》は穢《な》れぬ 見《み》る毎《ごと》に 恋《こひ》はまされど 色《いろ》に出《い》でば 人《ひと》知《し》りぬべみ 冬《ふゆ》の夜《よ》の 明《あか》しも得《え》ぬを 寐《い》も宿《ね》ずに 吾《われ》はぞ恋《こ》ふる 妹《いも》が直香《ただか》に
    虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎爲者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾齒曾戀流 妹之直香仁
 
【語釈】 ○礒城島の大和の国の 「礒城島の」は、崇神天皇の礒城の瑞籬宮と欽明天皇の礒城島の金刺宮とがあった関係から、大和を讃えた意でかかる枕詞。礒城島は泊瀬渓谷へ入ろうとする一帯の地で、泊瀬川に臨み、三輪山に対しているので、礒城のある島の意の地名だという。○石上布留の里に 「石上」は、大和国山辺郡(奈良県天理市)。布留はその中の一つの里。地名を三つまで重ねて鄭重にいっているのは、官命を重んじてのことである。○紐解かず丸寐をすれば 「紐解かず」は、衣の上紐を解かずして。「丸寐」は、昼の衣のままに寝ることで、この語は今日も行なわれている。○吾が著たる衣は穢れぬ 「穢《な》れ」は、着古して、萎え、皺み、汚れること。○見る毎に恋はまされど 「見る毎に」は、穢れた衣を見るごとに。「恋はまされど」は、妻を恋うる心が増してくるけれどもで、衣の手入れをするのは妻の役であるから、その連想よりのこと。○色に出でば 「出で」は、原文「山上復有山」で、これを今のごとく訓んだのは『代匠記』である。これは『王台新詠』にある句で、「出」を山を二つ重ねたものとし、その隠語として用いているもので、金村はその意で用いたのである。○冬の夜の明しも得ぬを 冬の夜の、寒く長くして明かしかねるのに。その寒さと長さを、気分としていったもの。○寐も宿ずに吾はぞ恋ふる 「寐」は、睡眠で、名詞。寝ても睡眠せずに、吾は恋う(293)ていることであるで、「ぞ」は係。○妹が直香に 「直香」は、本体で、恋うる対象。
【釈】 この世の人なので、天皇の勅命をこうむって、大和国の石上の布留の里に、衣の上紐も解かずに丸寝をしているので、わが着ている衣は穢れた。それを見るたびに、手入れをしてくれるべき妻の恋しさが増さってくるが、顔に出せば周囲の人に知れそうなので、冬の夜の寒く長くて明かしかねるのに、寝ても睡眠もせずに、吾は恋うていることである、妹の本体に。
【評】 金村は身分が低くて、その職が記録に値せぬものであったとみえて、残っているものがない。ここも冬の十二月、京より近い布留の里へ行って、同僚とともに「紐解かず丸寐をすれば」という劇務にあたっているところをみれば、班田に関係した公務であったかと思われる。一首の作意は、「寐も宿ずに吾はぞ恋ふる妹が直香に」という旅愁であるが、これは甘い感傷よりのものではなく、合理的なもっともなものである。この歌の前半、「吾が著たる衣は穢れぬ」までは、公務に打込んで、他念なき金村である。軽い公務であるにもかかわらず、「うつせみの世の人なれば大王の御命恐み」と、一官人としての自身をはっきり意識し、また公務を執る場所の「布留の里」をいうにも、「礒城島の」以下四句を用いて荘重にいって、その職務を重んじていることをいい、その成行きとして最後に、劇務のために「衣は穢れぬ」といっているのである。後半も、「見る毎に」という経過において、初めて思ってくる妹であり、それも場合柄として周囲に包んでいたのであるが、最後に、冬の夜の寒くして長く、眠れないのに圧倒されて、「吾はぞ恋ふる妹が直香に」というに至ったのである。金村の責任観念の強さのあらわれている歌で、その人となりを思わせるものである。歌としては、その時の事情を重視し、自身を軽視したものなので、勢い叙述が主となって、散文的な趣のあるものとなっているが、これは余儀ないことである。しかし一首の統一感にある程度の薄弱が感じられるが、これは金村の弱所である。前の作とは比較にならぬよいものである。
 
     反歌
 
1788 布留山《ふるやま》ゆ 直《ただ》に見渡《みわた》す 京《みやこ》にぞ 寐《い》も宿《ね》ず恋《こ》ふる 遠《とほ》からなくに
(294)    振山從 直見渡 京二曾 寐不宿戀流 遠不有尓
 
【語釈】 ○布留山ゆ直に見渡す京にぞ 「布留山」は、布留にある山で、石上神宮の東方の山。「ゆ」は、より。「直に見渡す」は、直接に、遮る物もなくで、距離は一里余りである。「京」は、奈良京。「に」は、意は「を」と同じ。○遠からなくに 遠くはないことであるのにで、第二句「直に見渡す」を繰り返したほどのもの。
【釈】 布留の山の上から、直接に見渡す京を、寝ても眠れずに恋うていることであるよ。遠くはないことであるのに。
【評】 「寐も宿ず恋ふる」と、長歌の結末につながりをつけていっているが、心としては長歌の後半全体を総括し、個人的な感情に重点を置いていっているものである。そのため長歌に較べると動きがあって、明るく伸びやかである。
 
1789 吾妹子《わぎもこ》が 結《ゆ》ひてし紐《ひも》を 解《と》かめやも 絶《た》えば絶《た》ゆとも 直《ただ》に逢《あ》ふまでに
    吾妹兒之 結手師紐乎 將解八方 絶者絶十方 直二相左右二
 
【語釈】 ○吾妹子が結ひてし紐を 妻が結んだ衣の上紐をで、「て」は完了。夫妻の別れる時に、妻が、夫の紐を結ぶのは風となっていたことで、これは妻の霊を結びこめる咒《ましな》いである。○解かめやも 「や」は、反語。解こうか、解きはしないと強くいったもの。解けば妻の霊力が身から離れるのである。○絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに 紐が切れるならば切れようとも、直接に相逢う時までは。
【釈】 吾妹子が、旅立ちの際、わがために結んだ衣の紐を解こうか解きはしない。切れるならば切れようとも、直接に逢う時までは。
【評】 妻が結んだ衣の紐を解くということは、妻の霊力から離れるということとともに、他の女と親しむという意をもったことであった。ここも、冬の夜の旅寝の続く侘びしさから、他の女と親しもうかという念の起こらないではないが、それを強く自制した心である。長歌の結末の、「吾はぞ恋ふる妹が直香に」の延長で、それに続く欲望の自制である。反歌としては要を得た、味わいのあるものである。
 
     右の件の五首は、笠朝臣金村の歌の中に出づ。
      右件五首、笠朝臣金村之謌中出。
 
(295)【解】 「歌」の次に「集」の字が脱したのであろうと、諸注いっている。諸本ともない。
 
     天平五年癸酉、遣唐使の舶《ふね》、難波を発《た》ちて海に入る時、親母《はは》の子に贈れる歌一首 并に短歌
 
【題意】 天平五年の遣唐使は、天平四年八月、従四位上多治比真人広成を遣唐大使とし、従五位下中臣朝臣名代を副使として、判官四人、録事四人が定められた。五年閏三月、節刀を授けられ、夏四月、難波津を進発したので、この歌はその時のものである。「親母」も「子」も誰とも知られない。この際の歌は、巻五(八九四)、巻八(一四五三)、巻十五(四二四五)にも見える。
 
1790 秋芽子《あきはぎ》を 妻問《つまど》ふ鹿《か》こそ 一子《ひとりご》に 子《こ》持《も》てりといへ 鹿児《かこ》じもの 吾《わ》が独子《ひとりご》の 草枕《くさまくら》 旅《たび》にし行《ゆ》けば 竹珠《たかだま》を 繁《しじ》に貫《ぬ》き垂《た》り 斎戸《いはひべ》に 木綿《ゆふ》取《と》り垂《し》でて 斎《いは》ひつつ 吾《わ》が思《おも》ふ吾子《わこ》 真幸《まさき》くありこそ
    秋芽子乎 妻問鹿許曾 一子二 子持有跡五十戸 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齋戸尓 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 眞好去有欲得
 
【語釈】 ○秋芽子を妻問ふ鹿こそ 「妻問ふ」は意味が広く、求婚する、結婚する、男女相語らうなどの意がある。ここは求婚するで、秋萩を懸想《けそう》して鳴く鹿は。○一子に子持てりといへ 独子という状態で子を持っているという。これは事実で、鹿は一回に一頭よりは生まないのである。「いへ」は已然形で、条件法である。○鹿児じもの吾が独子の 「鹿児じもの」は「鹿児」は鹿の児。「じもの」は、名詞に続いて、その名詞に形容詞の働きをもたせるもので、鹿の児のごとく。これは同系の語が多く、いずれも枕詞であるが、これは譬喩の意の濃厚なものである。○草枕旅にし行けば 「旅」は、唐。「し」は、強意。○竹珠を繁に貫き垂り 「竹珠」は竹を短く輪に切ったもので、「繁に貫き垂り」は、それを繁く緒に貫いて、頸にかけることで、祭典をする時の古来よりの式である。○斎戸に木綿取り垂でて 「斎戸」は、浄めた神酒《みき》を入れた甕。「木綿」は、楮《こうぞ》、麻の繊維。「取り垂で」は、結び垂らしで、これは祭典に神に供える物で、古来よりの式である。○斎ひつつ吾が思ふ吾子 「斎ひつつ」は、物忌みを続けて。「吾子」は、呼びかけ。○真幸くありこそ 訓は、『略解』で、本居宣長の試みたものである。「好去」は、巻四(六四八)に「奈何好去哉《イカニサキクヤ》」、巻十三(三二二七)に「好去通牟《サキクカヨハム》」とあり、それに「真」を添えて「まさきく」に当て、「欲得」は、「がも」に慣用しているので、同じく願望の「こそ」に当てたのである。十分に無事であってくれよ。
【釈】 萩の花を懸想して鳴く鹿は、独子の状態で子を持っているという。その鹿の児のごときわが独子が、遠い旅に行くのでわ(296)れは竹珠を繁く緒に貫いて頸に垂れ、浄めた神酒《みき》を盛った甕《かめ》に木綿を結び垂らして、物忌みをしながら思っている吾子よ。無事であってくれよ。
【評】 どういう人か知らぬが、身分のあり教養のある母性を思わせられる歌である。前半は、「草枕旅にし行けば」までで、そこでいっていることは、一に子の可愛ゆさである。遣唐使の一行に加わっているので、子とはいってもある年輩に達していることは明らかであるのに、さながら幼い子に対うがごとき心をもっている。可愛ゆさは「独子」という一語にこめて、他には何事もいわないのであるが、その独子をいうに、世に子の少ないものといわれている鹿を捉え、それとの対照において「吾が独子の」といって、語少なくその可愛ゆさを深化させている。「旅にし行けば」を繋《つな》ぎにして、後半に移り、「真幸くありこそ」を重点とし結尾ともしているのであるが、ここでは祭典のさまを具《つぶ》さに叙して、「斎ひつつ吾が思ふ吾子」と呼びかけて、最後の祈りに近い語に続けているのである。遣唐使の一行に加わりうることは、この時代にあっては甚だ名誉のことであったが、この母親はそのようなことは問題ともせず、また旅立ちの場合であるから、不安の情は訴えられないので、ただ母親という狭い立場に立って、母としての切情を述べているのである。それを語少なに、しかも声低く、それでいて幾分の余裕のあるがごとくいっているので、おのずから気品のある歌となっているのである。
 
     反歌
 
1791 旅人《たびびと》の 宿《やど》りせむ野《の》に 霜《しも》降《ふ》らば 吾《わ》が子《こ》羽《は》ぐくめ 天《あめ》の鶴群《たづむら》
    客人之 宿將爲野尓 霜降者 吾子羽※[果/衣] 天乃鶴群
 
【語釈】 ○旅人の宿りせむ野に 「旅人」は、ここはわが子をさしたもの。「宿りせむ野」は、唐の野を思いやっていっているもの。旅といえばいかなる身分の人も、いかなる場合でも野宿するものとしていっているのである。○霜降らば これは夏の四月に、晩秋初冬を思いやっての語である。また、野に蔽う物なく、身を露出させて寝ることとしていっているのである。○吾が子羽ぐくめ天の鶴群 「吾が子羽ぐくめ」は、下の鶴に対しての命令で、わが子を、その翼をもって覆えよで、寒い目にあうのを憐れんでの心である。「天の鶴群」は、「天の」は天を飛ぶ物なので冠した語。「鶴群」は、見て知っていたものと思われる。
【釈】 旅びとである一行が宿りをしよう野に霜が降ったならば、わが子を翼をもって覆うてくれよ、天を翔《か》ける鶴の群れよ。
【評】 夏四月に難波津を進発する、遣唐使に加わっているわが子が、晩秋初冬の頃、唐の野に旅人として野宿をし、直接に霜(297)に打たれることを想像している心である。教養をもっているとはいえ、当時の女性の常識がいかに狭く限られたものであったかが思われる。こうした心からいうと、「吾が子羽ぐくめ天の鶴群」は、詩情などというものとは繋がりのない、想像しうる唯一の切情だったのである。
 
     娘子《をとめ》を思ひて作れる歌一首 并に短歌
【題意】 作者は、左注によって、田辺福麿《たなべのさきまろ》である。「娘子」は、何びととも知れぬ。
 
1792 白玉《しらたま》の 人《ひと》のその名《な》を 中々《なかなか》に 辞《こと》の緒《を》下延《したば》へ 逢《あ》はぬ日《ひ》の 数多《まね》く過《す》ぐれば 恋《こ》ふる日《ひ》の 累《かさな》り行《ゆ》けば 思《おも》ひ遣《や》る たどきを知《し》らに 肝《きも》向《むか》ふ 心《こころ》摧《くだ》けて 珠《たま》だすき 懸《か》けぬ時《とき》なく 口《くち》息《や》まず 吾《わ》が恋《こ》ふる児《こ》を 玉釧《たまくしろ》 手《て》に取《と》り持《も》ちて まそ鏡《かがみ》 直目《ただめ》に見《み》ねば 下檜山《したひやま》 下《した》逝《ゆ》く水《みづ》の 上《うへ》に出《い》でず 吾《わ》が念《も》ふ情《こころ》 安《やす》からぬかも
    白玉之 人乃其名矣 中々二 辞緒下延 不遇日之 数多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手尓取持而 眞十鏡 直目尓不視者 下檜山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛
 
【語釈】○白玉の人のその名を「白玉の」は、白玉のごときで、「人」の譬喩。巻五(九〇四)山上憶良の歌に「白玉の吾が児|古日《ふるひ》」に似ている。「人」は、題詞の娘子《おとめ》。「名」は、その身の代わりとしてのものであるが、ここは娘子の本体に対させていっているもので、面影というに近い。白玉のごとき娘子のその名を。この二句は、十句を隔てて「珠だすき懸けぬ時なく」に続く。○中々に辞の緒下延へ 「中々に」は、なまなかにというにあたる。「辞の緒」は、熟語。「緒」は、長く続く物なので、辞の状態として添えたもの。娘子を懇ろにいう語。「下延へ」は、「下」は、心のうち。「延へ」は、根を張る意で、心の中に深く思う意。なまなかに懇ろな語で、心深く思っているといって。○思ひ遣るたどきを知らに 思いを晴らす方法が知られずに。○肝向ふ心摧けて 「肝向ふ」は、臓腑の向かい合っているで、その所在として「心」にかかる枕詞。「心摧け」は、心乱れて、分別も失せての意。○珠だすき懸けぬ時なく 「殊だすき」は、「懸く」の枕詞。「懸けぬ時なく」は、心にかけない時はなく。○口息まず吾が恋ふる児を 「口息まず」は、口にその名をやまずいって。他に用例のある語。「吾が恋ふる児」の「児」は、娘子の愛称。○玉釧手に取り持ちて 「玉釧」は、玉の釧で、臂に巻くところから、「手」にかかる枕詞。「手に取り持ち」は、娘子を親しく手の中に持つ物とする意。○ま(298)そ鏡直目に見ねば 「まそ鏡」は、「見」の枕詞。「直目に見ねば」は、直接にわが目に見なければ。○下檜山下逝く水の 「下檜山」は、黄葉の色づいた山。「したひ」は四段動詞「したふ」の連用形。巻二(二一七)「秋山の下へる妹」とあるに同じ。従来下樋のある山、すなわち山上の水を山下に導くために、樋を地下に伏せてある山とし、普通名詞あるいは、摂津国風土記、能勢郡にある下樋山とされていたが、「檜」のヒは甲類。「樋」は乙類のヒであることから、下樋山ではなく前記の解によるべきとした木下正俊氏の説に従う。「下逝く水の」は、黄葉の山の下を流れる水のごとくで、二句、意味で「上に出でず」にかかる序詞。○上に出でず吾が念ふ情 表面にあらわさずして、わが思っている心で、「ず」は連用形。○安からぬかも 訓が定まらず、諸注さまざまである。『古義』の訓で、『新訓』の従っているもの。「虚」は「から」で、「ぬ」の打消を読み添えたものだと、『全註釈』はしている。
【釈】 白玉のごとき娘子の、その名をなまなかに懇ろな語で心深く思っているといって、逢わない日が多く過ぎたので、わが恋うる日が累《かさ》なって行くので、思いを晴らす方法が知られずに、心が乱れて分別も失せ、心にかけて思わない時はなく、その名を口に絶やさずにわが恋うている児を、親しくこの手の中に持つものとし、直接に見るものとしなければ、下樋山の下を流れ行く水のごとく、表面にあらわさずにわが思うている心は安からぬことであるよ。
【評】 相逢おうと許し、その約束もした娘子が何らかの事情で、実際には逢おうとしないのに対して、煩悩《ぼんのう》をきわめている心を詠んだものである。この時代の男女関係にあっては、きわめてありふれたことで、短歌で足りるほどの事柄であるのに、そうした気分をあらわそうとして、語を尽くして言い続けているものである。起首、「白玉の人のその名を」といって、深く愛する女と、その女と距離をもっている関係とを、まず客観的にいい、それに続く十句を挿句の形にして、愛するが逢えずにいる苦しい気分の叙述としているのである。それをするに、「逢はぬ日の」以下、二句対を二回までも続けていっているのである。その上でようやく「珠だすき懸けぬ時なく」によって、起首の一、二句に続いて行くのであるが、ここでも「玉釧」以下の二句対があり、続いて「下檜山下逝く水の」の序詞があって、一首さながら、語そのものによって懊悩の気分を具象しようとしているものにみえる。枕詞の多いことも異常なまでで、この感を強めている。福麿は家持と同時代の人であり、相応に手腕をもっている人と思われるのに、このように弱所ばかりを示した作をしているのは、当時の新傾向であった、歌は気分の具象だということを表面的に解し、具象は一に語を尽くすことにあるとして、古典的な語句、修辞法を濫用したのだと思われる。大体新傾向の気分の歌は、実情の中核を個性的にあらわすところにあるのを、福麿はその逆をいったのである。
 
     反歌
 
1793 垣《かき》ほなす 人《ひと》の横言《よこごと》 繁《しげ》みかも 逢《あ》はぬ日《ひ》数多《まね》く 月《つき》の経《へ》ぬらむ
(299)    垣保成 人之横辞 繁香裳 不遭日数多 月乃經良武
 
【語釈】 ○垣ほなす人の横言 「垣ほなす」は、「ほ」は秀《ほ》で、茅などの頂で、その数の多いところから、そのごとくと、人の横言の譬喩とした枕詞。「横言」は、横あいからの差し出口。○繁みかも 多いゆえであろうか。「かも」は、疑問の係。
【釈】 垣の秀のごとく、人の横あいからの差し出口が多いゆえであろうか。娘子のわれに逢わぬ日が多く、月も経てしまったことであろう。
【評】 長歌の心を総括して繰り返したもので、反歌としては古い形のものである。真率ではあるが、平坦で、長歌と調和しかねるものである。独立した歌ともみえる。
 
1794 立易《たちかは》り 月《つき》重《かさ》なりて 逢《あ》はねども さね忘《わす》らえず 面影《おもかげ》にして
    立易 月重而 雖不遇 核不所忘 面影思天
 
【語釈】 ○立ち易り月重なりて 月が変わって、重なって。○さね忘らえず 「さね」は、真実にで、副詞。「忘らえず」は、忘れられず。○面影にして 面影に見えて。
【釈】 月が変わって重なって、長く逢わないけれども、まことに忘れられない。面影に見えて。
【評】 上の歌と同じく、長歌全体に対しての繰り返しである。措辞の上に細かい用意が見えて、おのずからに新味を帯び得ている。
 
     右の三首は、田辺福麿の歌集に出づ。
      右三首、田邊福麿之謌集出。
 
【解】 「福麿」は、巻六(一〇六七)にも出、上の(一八〇六)にも出た。
 
(300)挽歌
 
     宇治若郎子《うぢのわきいらつこ》の宮所《みやどころ》の歌一首
 
【題意】 「宇治若郎子」は、応神天皇の皇太子で、宮は宇治にあった。「宮所」は、ここは古く宮のあった址《あと》としての称。その址は今は不明である。皇子のことは記紀に委しく出ている。歌は以下五首、人麿歌集のものである。
 
1795 妹《いも》ら許《がり》 今木《いまき》の嶺《みね》に 茂《しげ》り立《た》つ 嬬松《つままつ》の木は 古人《ふるひと》見《み》けむ
    妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟
 
【釈】 ○妹ら許今木の嶺に 「妹ら許」は、「ら」は接尾語で、妹のもとへ今来るの意で、「今木」の枕詞。ただし「木」のキは乙類、「来」は甲類で音韻は異なるが、類音の関係でつづくのであろうという。「今木の嶺」は、『山城志』には、宇治|彼方《をちかた》町の東南、今離宮山というといっているが、『代匠記』『古事記伝』は、これは古書には見えないもので、後のものであろうといっている。『新考』は新説を立て、山城国風土記に、宇治は、「本名曰2許之国1矣」とあるが、「許」は「杵《き》」の誤りであろう。それは、杵《き》の名は今も郡名に残っており、和名抄、山城国郡名に、「紀伊 岐」とあるのがすなわちそれだといい、宇治は今は久世郡に属しているが、古くは紀伊郡に属していて、宇治を中心とする一区城の地を「きの国」と称し、宇治の山を「きの嶺」と称したのであろう。したがってここは、「妹ら許今」までの七音が、「木」の序詞であろうというのである。要するに不明とするほかはない。○嬬松の木は 「嬬松」は嬬を待つで、「嬬」は「松」の序詞。○古人見けむ 「古人」は、若郎子を尊んで間接にいったもの。「見けむ」は、見たであろう。
【釈】 妹のもとへ今来たというに因みある今木の嶺に茂り立っている、嬬を待つというに因むこの松の木は、古の人が見たことであろう。
【評】 若郎子の宮所であった今木の嶺の松の木を、皇子が見たものであろうと推量することによって由縁を感じ、皇子の形見になぞらえてなつかしんだ心である。上代の心からいうと、それほどの由縁でも形見とするに足りたのである。皇子の在世の時代からははるかに下つての代であるが、対象は齢《とし》長い松であるから、その上でも自然である。「妹ら許」という枕詞、「嬬」という序詞は、事柄に合わせては不自然に感じられるが、皇子をなつかしむ気分をまつわらせるために、自身の最もなつかしく思っているこうした語を、修飾として用いたと見ると、気分の繋がりのあるものにはなる。一首の調べが張って、作意を生(301)かしているので、こうした語がそのわりには目立たないものとなっている。人麿的な歌である。
 
     紀伊國にて作れる歌四首
 
【題意】 紀伊国へ行って、亡妻を思った歌である。それはその地に亡妻の思い出がまつわっているためで、第三首目は黒牛潟、第四首目は玉津島の地名が出ている。人麿歌集には大宝元年十月、持統天皇と文武天皇との紀伊国へ行幸の時の歌(巻二、一四六)があるから、その時随行した女官の一人が、人麿と夫婦関係を結んでいたと見れば、事情は最も自然である。ここの歌の対象となっている人は、そうした人であったろう。
 
1796 黄葉《もみちば》の 過《す》ぎにし子《こ》らと 携《たづさは》り 遊《あそ》びし礒《いそ》を 見《み》れば悲《かな》しも
    黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳
 
【語釈】 ○黄葉の過ぎにし子らと 「黄葉の」は、木の葉の黄変を、盛りの過ぎたこととし、「過ぎ」と続けた枕詞。「過ぎにし」は、この世を過ぎたで、死んだ意。「に」は完了、「し」は過去の助動詞。「子ら」の「ら」は、接尾語で、「子」は、ここは妹の愛称。○携り 手を携えて。
【釈】 世を去った可愛ゆい妹と手を携えて、遊んだことのあった磯を見ると、悲しいことであるよ。
【評】 妹とともに、楽しい思い出を残している磯に、妹のない後、再び一人立っての心である。最初に胸に衝き上げてきた感だけを捉え、他の何ものをもまじえさせず、直線的に詠んでいるもので、調べもそれにふさわしい強いものである。人事の推移の悲しみがおのずからに現われてきて、愴然《そうぜん》として磯に立っていた面影まで浮かびくる感がある。
 
(302)1797 潮気《しほけ》立《た》つ 荒礒《ありそ》にはあれど 行《ゆ》く水《みづ》の 過《す》ぎにし妹《いも》が 形見《かたみ》とぞ来《こ》し
    塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曾來
 
【語釈】 ○潮気立つ荒礒にはあれど 「潮気立つ」は、潮の気の立つで、海気の立つ。「荒礒」は、岩石の高く現われている海岸。○行く水の過ぎにし妹が 「行く水の」は、意味で「過ぎ」にかかる枕詞。○形見とぞ来し 「形見」は、既出。「ぞ」は係。「来し」は、「し」は、結で、連体形。
【釈】 潮の気の立っている岩石高い海岸ではあるが、死んだ妹の形見であるとして来たことである。
【評】 前の歌を前進させたものである。この歌には前の歌の「見れば悲しも」という感傷の直写はなく、その代わりに「荒礒にはあれど」というやや知性的な面が現われているが、そのために重量感が加わって、感慨の深さを湛えたものとなっている。この歌では注意させられることは、巻一(四七)「真草苅る荒野にはあれど黄葉《もみちは》の過ぎにし君が形見とぞ来し」に、心も形も酷似していることである。人麿の手腕をもってしても、おのずから型ともいうべきものができようとしていたことを示すものである。短歌の性格を語っているものといえる。
 
1798 古《いにしへ》に 妹《いも》と吾《わ》が見《み》し ぬばたまの 黒牛潟《くろうしがた》を 見《み》ればさぶしも
    古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下
 
【語釈】 ○古に妹と吾が見し 「古」は、下の続きから見て、大宝元年の行幸の時のことと取れる。○ぬばたまの黒牛潟を 「ぬばたまの」は、「黒」の枕詞。「黒牛潟」は、紀伊国海草郡黒江(和歌山県海南市(303)黒江、舟尾《ふのお》)で、既出。○見ればさぶしも 「さぶし」は、楽しまぬ意。「も」は、詠歎。
【釈】 以前に、妹とわれとともに見た黒牛潟を見ると、心慰まぬことよ。
【評】 第一首目の歌と同じく思い出の綜合感を、「見ればさぶしも」という詠歎を中心にして詠んでいる。前の磯とは異なった境なので、感が新たになったためであろう。「ぬばたまの黒牛潟を」という印象的な地名が、さして目立たないものとなっているのは、調べの力である。
 
1799 玉津島《たまつしま》 礒《いそ》の浦《うら》みの 真砂《まなご》にも にほひて行《ゆ》かな 妹《いも》が触《ふ》れけむ
    玉津嶋 礒之裏未之 眞名仁文 尓保比去名 妹觸險
 
【語釈】 ○玉津島礒の浦みの 「玉津島」は、和歌山市和歌の浦の島で、巻七(一二一五)に既出。「浦み」の「み」はあたり、めぐりの意。○真砂にもにほひて行かな 「真砂」は、砂。「も」は、詠歎。「にほひて」は、美しい色にしてで、衣を好い色にしての意。砂では染まらないが、衣に着けることをそのようにいったもの。「行かな」の「な」は、自身に対しての願望。○妹が触れけむ 妹が身に触れたであろうで、砂を妹の形見と見てのこと。
【釈】 玉津島の磯の、浦にある真砂で、わが衣を美しい色にして行こうよ。この砂に、妹が触れたことであったろう。
【評】 磯の浦の砂に、妹が身を触れたであろうと推量し、その砂を妹の形見と見て、わが衣に着け、ここを去ろうというのである。形のある物を通さないと魂は通わないとする上代の信仰からのことであるが、浦の砂を形見と見ることは、人麿の濃情からのことで、歌としても感覚的で立体感をもった、特殊なものである。
 
     右の五首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右五首、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
     足柄《あしがら》の坂を過ぎて、死《みまか》れる人を見て作れる歌一首
 
【題意】 「足柄の坂」は、足柄の嶺を神奈川県足柄上郡南足柄町矢倉沢から、地蔵堂を経て静岡県駿東郡小山町竹の下へ越える坂で、東海道の道路である。「死れる人」は、行路病者で、上代は死の穢れを忌むことが甚しかったところから、取収める者がな(304)かったのである。作者は以下七首、田辺福麿である。
 
1800 小垣内《をかきつ》の 麻《あさ》を引《ひ》き干《ほ》し 妹《いも》なねが 作《つく》り著《き》せけむ 白妙《しろたへ》の 紐《ひも》をも解《と》かず 一重《ひとへ》結《ゆ》ふ 帯《おび》を三重《みへ》結《ゆ》ひ 苦《くる》しきに 仕《つか》へ奉《まつ》りて 今《いま》だにも 国《くに》に退《まか》りて 父母《ちちはは》も 妻《つま》をも見《み》むと 思《おも》ひつつ 行《ゆ》きけむ君《きみ》は 鳥《とり》が鳴《な》く 東《あづま》の国《くに》の 恐《かしこ》きや 神《かみ》のみ坂《さか》に 和細布《にぎたへ》の 衣《ころも》寒《さむ》らに ぬばたまの 髪《かみ》は乱《みだ》れて 国《くに》問《と》へど 国《くに》をも告《の》らず 家《いへ》問《と》へど 家《いへ》をも云《い》はず 益荒夫《ますらを》の 行《ゆき》の進《すす》みに 此処《ここ》に臥《こや》せる
    小垣内之 麻葉引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帯矣三重結 苦伎尓 仕奉而 今谷裳 國尓退而 父妣毛 妻矣毛將見跡 思乍 徃祁矣君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂尓 和靈乃 服寒等丹 鳥玉乃 髪者乱而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進尓 此間偃有
 
【語釈】 ○小垣内の麻を引き干し 「小垣内」は、「小」は、美称の接頭語。「垣内」は、家を繞《めぐ》らしている垣の内で、囲いの内というにあたる。「麻」は、作った物。「引き干し」は、茎を引き抜いて、日に干して。織物の材料としての繊維を作る順序。○妹なねが作り著せけむ 「妹なね」は、「なね」は、女性に対しての愛称。「作り著せけむ」は、衣に作って着せたであろうで、「けむ」は、連体形で下へ続く。夫の衣服を作るのは妻の役で、その労苦がやがて情愛であったので、情愛を具象するために言いつらねたもの。○白妙の紐をも解かず 「白妙の」は、上をうけて、白妙の衣の意。麻織の白布の衣で、身分の低い者の常服。「紐をも解かず」は、「紐」は、その衣の上紐で、「解かず」は夜も丸寝をしてで、劇務にあたることを具象的にいったもの。○一重結ふ帯を三重結ひ 本来、一廻りに結ぶべき帯を、三重廻して結ぶで、甚しくも痩せ衰えたことを具象的にいったもの。これは他にも用例があって、成句に近いものである。この二句は、上をうけて、劇務をあらわしたものである。○苦しきに仕へ奉りて 「苦しぎに」は、苦しき職に。「仕へ奉りて」は、公に対して御奉仕をして。この二句は、上を総括して、推量よりいっているものである。その職というのは、当時庶民中から、いささか身分才幹のある者は公に召して、兵士、役丁に使っていたので、その類の者と見なしたのである。○今だにも国に退りて 「今だにも」は、せめて今の間でもで、しばらくの暇を賜わった者と見たのである。「退り」は、貴い所より賤しい所へ行く意で、京より郷里へ行って。○父母も妻をも見むと 国へ退る目的。○思ひつつ行きけむ君は 「行きけむ」は、向かって行く国を中心としての言い方。「君」は、相手が死者であるよりの敬称。○鳥が鳴く東の国の 「鳥が鳴く」は、「東」の枕詞。○恐きや神のみ坂に 「恐きや」の「や」は、(305)感動で、神の修飾。「神のみ坂」は、神霊のいます坂で、「み」は美称。これは坂に対しての一般的信仰で、足柄の坂に限ったものではない。○和細布の衣寒らに 「和細布の」は、原文「和霊乃」で、諸本異同のないものである。旧訓「にぎたまの」である。「にぎたま」は荒み霊に対するにぎみ霊で、霊魂の温和な方面をあらわす称である。ここは「衣」の性質をあらわす語として用いているもので、強いていえば温和なる死者の衣と続けるべきであるが、この一首中には、死者を尊む心から、死という語は用いていない。ここに突然、死を超えての「和霊」という語を用いたのは不自然である。『考』は、「霊」は「細布」の誤写だとして、「にぎたへの」としている。和細布は荒妙に対する語で、繊維の細く柔らかい布の称で、この場合、事実としては妥当とはいえないが、死者を尊む心からいったものとすれば通る。誤写説は迎えてのものであるが、比較的無難であるから、これに従っておく。○ぬばたまの髪は乱れて 「ぬばたまの」は、「黒」の枕詞であるのを、黒そのものとして、髪へ続けたもの。○益荒夫の行の進みに 「益荒夫」は、勇気あり思慮ある男子の称で、ここは死者を尊んでいっているもの。「行の進み」は、前進する進行中にで、旅の途中でということを、死者を尊む心から、大夫的なように言いかえたもの。○此処に臥せる 「臥せる」は、臥すの古語「こゆ」の敬語で、これも死者を尊んでのもの。「る」は、完了の助動詞「り」の連体形で、終止形の代わりに用いて詠歎をあらわしたもの。
【釈】 家の囲い内の麻を引いて干し、可愛ゆい妻が仕立てて着せたであろうところの白妙の衣の、その紐をも解くことをせずに、一重廻して結ぶべき帯を、三重廻して結ぶまでに痩せ衰えて、苦しい職に御奉仕申上げて、今の間だけでも生国に下って、父母をも妻をも見ようと、思いつづけて来たであろう君は、東の国の、畏き神のみ坂で、和妙の衣は寒そうに、黒髪は乱れて、生国を尋ねるけれども生国をもいわず、家の所在を問うけれども家をもいわず、益荒夫の前進する進行中に、ここに臥していられることであるよ。
【評】 福麿が東海道を下ったのは、何らかの公務を帯びてのことであったろう。足柄峠の険を越えようとする時、同じ方向をとって先立って来た旅人の、その坂道に行倒れとなって死んでいるのを見たのであるから、場合がら感傷を起こしたのは当然のことである。上代に溯るほど、死者に対する恐怖と、それより発する畏敬の念は深かつた。福麿のこの歌は、その畏敬の念で一貫しているものである。彼はこの死者を、東国より召されて公に仕えている兵士、役丁の類と定め、今は公よりしばらくの暇を賜わって帰省する途上の者としたのである。これは当時にあっては、庶民に対する最上の敬意である。また死者が極度に衰えていたのは、事実としては日数を経過したためであろうが、それをはげしい公務よりの過労のためと見なしたのである。これは一段の畏敬である。それを前半とし、後半は、死者に対する哀れみから、国を問い家を問うことにしているが、結末は、「益荒夫の行の進みに此処に臥せる」と、行倒れになっていることを、当時の理想的の男子とした益荒夫の、積極的精神の、やむにやまれぬ成行きと見なしたのである。これは前半に照応させて、それを高調したものである。一首、実際には即しているが、死者に対する畏敬の念という、一種の解釈で一貫したものである。これは福麿自身、官人ではあったが、身分が低く、また同じく旅人であったところから、いわゆる身につまされるものがあったためにこのような解釈をしたので、その意味では個(306)性的なものである。これを一首の歌として見ると、事実よりも解釈に重点を置いたものであるために、一首が散文的・平面的なものとなり、勢い哀隣の情の足りないものとなっているのは、余儀ない成行きである。実際、路上の死人を対象とした歌は、集中何首かがあるが、この歌は直接訴えてくる悲哀感の比較的少ないものである。語句の葦麗なのも、悲哀感を削ぐことであるが、一方の畏敬の情を徹しさせようとしてのことであって、これまた余儀ないことである。
 
     葦屋《あしのや》の処女《をとめ》の墓を過ぐる時、作れる歌一首 并に短歌
 
【題意】「葦屋の処女の墓」については、『大日本地名辞書』『新考』に詳しい。葦屋は、今神戸市の東方にある芦屋市で、葦屋の処女はそこに住んでいたからの称である。そこはもと菟原《うない》郡であったから、菟原の処女ともいう。この葦屋の処女に関しての伝説があった。伝説は下の(一八〇九)高橋蟲麿の歌に詳しいが、要は、処女が美女であったところから思いを寄せる男が多かったが、最も熱烈なのは菟原壮士《うないおとこ》と血沼《ちぬ》壮士で、争って譲らないところから、処女は入水して死んだという。二男が一女を争ういわゆる三角関係で、伝説としては典型的なものである。処女が死ぬと、二人の男も後を追って死んだので、人々が憐れんで三人の墓を造ったというので、その中の処女の墓がすなわち題詞となっているものである。墓は今は武庫郡の内の、住吉川の西から生田川の東にわたって、各十余町を距てている。一つは神戸市東灘区住吉町|呉田《ごでん》、一つは神戸市東灘区御影町|東明《とうみよう》、いま一つは神戸市灘区|味泥《みどろ》にあったが、味泥のものは明治年間に削られて民宅となった。東明にあるものが処女の墓、呉田にあるものは信太男《しのだおとこ》(血沼壮士)の塚、味泥にあったものは菟原男の塚とされていた。東明の処女の墓は南面し、東の呉田、西の味泥のものは、いずれも中央の墓に向かっていた。そこはいずれも旧西海道に近く、人の往来の多いところから、いつかそうした伝説が生まれたものとみえる。墓はいずれも前方後円の瓢形《ひさごがた》のもので、上代この地を領していた豪族のものとみえるという。
 
1801 古《いにしへ》の ますら壮士《をとこ》の 相競《あひきほ》ひ 妻問《つまど》ひしげむ 葦屋《あしのや》の 菟原処女《うなひをとめ》の 奥津城《おくつき》を 吾《わ》が立《た》ち見《み》れば 永《なが》き世《よ》の 語《かたり》にしつつ 後人《のちびと》の 偲《しのひ》にせむと 玉桙《たまほこ》の 道《みち》の辺《べ》近《ちか》く 磐《いは》構《かま》へ 作《つく》れる塚《つか》を 天雲《あまぐも》の 退部《そきへ》の限《かぎり》 この道《みち》を 行《ゆ》く人《ひと》毎《ごと》に 行《ゆ》きよりて い立《た》ち嘆《なげ》かひ 或人《わびびと》は 啼《ね》にも哭《な》きつつ 語《かた》り継《つ》ぎ 偲《しの》ひ継《つ》ぎ来《こ》し 処女《をとめ》らが 奥津城《おくつき》どころ 吾《われ》さへに 見《み》れば悲《かな》しも 古《いにしへ》思《おも》へば
(307)    古之 益荒丁子 各競 妻問爲祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奧城矣 吾立見者 永世乃 語尓爲乍 後人 偲尓世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人毎 行因 射立嘆日 或人者 啼尓毛哭乍 語嗣 偲繼來 處女等賀 奧城所 吾并 見者悲喪 古思者
 
【語釈】 ○古のますら壮士の 猛き若盛りの男で、菟原壮士と血沼壮士とである。原文「丁子」は、二十一歳に達した男の称。○相競ひ妻問ひしけむ 「競《きほ》ひ」は、きそい、争って。「妻問ひ」は、求婚。上代は娘に直接に求婚したので二人同時にするのは格別のことではなかった。○葦屋の菟原処女の 「葦屋」は、古くは摂津国菟原郡の葦屋で、葦屋は郷名で、菟原郡は今は武庫郡に属しているが、六甲山の南麓一帯の地で広範囲の称である。「菟原」は古くは「うなひ」といい、後「うはら」と転じたのである。処女は、広い地名によって「菟原処女」とも呼ばれ、葦屋に住んでいたところから、「葦臣の処女」とも呼ばれていたのである。○奥津城を吾が立ち見れば 「奥津城」は、墓を具体的にいった語。「奥」は、遠い所で、ここは地下をそういったもの。「つ」は、の。「城」は、建造物の称。○永き世の語にしつつ 「永き世」は、永久。「語」は、言い伝え。尊いこと、あわれなこと、おもしろいことなど、記憶すべき事を伝える唯一の方法。「つつ」は、継続。○後人の偲にせむと 後の人の思慕にしようと思ってで、上の二句の繰り返し。「語」「偲」は、いずれも名詞形。○玉桙の道の辺近く 「玉桙の」は、「道」の枕詞。「道の辺近く」は、旧西海道近く。○磐横へ作れる塚を 「磐構へ」は、大石をもって構えてで、大きな墳墓の構造を叙したものである。「塚」は、墓で、土を盛り上げた墓の称。大石を構えて作ってあるところの塚をで、これをした動機は上にいう「語にしつつ」「偲にせむと」であるが、墓は本来そうした性質のものではない。上代人は、人は死後にも別種の生活があると信じ、その生活の場所として大きな墓を営んだものである。文武天皇の時代、仏教の影響から、死者を火葬することが行なわれると、それが上代の信仰に影響して、大きい墓は必要のないものと思われてきたのである。この二句は火葬以後に生まれた伝説ということを示しているのである。○天雲の退部の限 「退部」は、彼方に退いている辺りで、空の雲の果てまで。これは「天雲の向伏す極」と同意の成句で、全国土ということを具象的にいったもの。○行きよりてい立ち嘆かひ 「行きよりて」は、歩み寄って。「い立ち」は、「い」は接頭語。「嘆かひ」は、嘆きの継続。○或人は啼にも哭きつつ 「或」は「惑」と通じて用いられた字。巻五(八〇〇)の題詞「令v反2或情1」はその例である。「或人」は侘びしい心を抱いている人で、感傷的になっている人。○処女らが 「ら」は、接尾語。○吾さへに 現在の吾までも。
【釈】 昔の勇ましい若盛りの男が、相争って求婚をしたという、その葦屋の処女の墓を吾が見ると、永い世にわたっての言い伝えに続け、後の世の人の思慕にしようと思って、街道の辺り近く、大石を構えて作ってある塚を、天雲の遠退いている果てまでのわが全国土の人で、この海道を通る人ごとに、その塚まで歩み寄って嘆きつづげ、佗びしい心を抱いている人は泣きに泣きつづけて、そのあわれさを話し伝え、慕い続けてきたところの、この処女の墓を、今の世の自分までも、見ると悲しいことであるよ。昔を思うので。
【評】 この歌は、葦屋の処女の伝説を扱ったものであるが、伝説そのものには触れようとせず、伝説の表象となっている処女(308)の墓に対しての感動だけを叙したものである。感動とは、その事件のもっているあわれさである。そのあわれさは、まずその事件のあった当時の人を感動させ、これを後の世に伝えようと思って墓を作ると、世にありとある人のうち、その海道を通るほどの人は、その当時の人と同じくことごとく感動し、さらに今の世に至っても、われも同じく感動するといって、事件のもつあわれさの、時代を超えて感動させていることをいっているもので、純抒情的のものである。事件そのものに触れようとしていないのは、そのことは周知のことで、その必要はないものとしたのであろう。しかし抒情の上では、人事のあわれさの限りない力をもったものであることを、具象的にいおうとしているもので、一つの見地に立っているものである。この態度は、巻三(四三一)山部赤人の真間の手児名の墓を見ての歌と同系のものである。
 
     反歌
 
1802 古《いにしへ》の 小竹田壮士《しのだをとこ》の 妻問《つまど》ひし 菟原処女《うなひをとめ》の 奥津城《おくつき》ぞこれ
    古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奧城叙此
 
【語釈】 ○小竹田壮士の 「小竹田」は、和泉国の地名で、信太郷(現、大阪府泉北郡|信太《しのだ》村)。血沼壮士のことで、血沼は大地名である。○菟原処女の奥津城ぞこれ 「菟原」は大地名で、葦屋はその一部である。「奥津城ぞこれ」は、墓であるぞ、これは、と強く提示したもの。
【釈】 古の小竹田壮士が求婚をした、その菟原処女の墓であるぞ、これは。
【評】 長歌の結末の「古思へば」をうけて、その思った古の状態を眼前に思い浮かべて、そのあわれさをいま一度|反芻《はんすう》した心のものである。小竹田壮士のほうだけをいっているのは、後の高橋蟲麿の歌で、処女はこの壮士のほうに心を引かれていたことをいっているので、それを心に置いてのことであろう。長歌にふさわしい反歌である。
 
1803 語《かた》り継《つ》ぐ からにも幾許《ここだ》 恋《こほ》しきを 直目《ただめ》に見《み》けむ 古壮士《いにしへをとこ》
    語繼 可良仁文幾許 戀布矣 直自尓見兼 古丁子
 
【語釈】 ○語り継ぐからにも幾許 「語り継ぐからにも」は、人が語り継いでいるゆえにもで、「から」は、ゆえ。昔話として聞くのでも、というにあたる。「幾許」は、甚しくで、下に続く。○恋しきを 処女が恋しいのにで、処女に憧れ心を起こすのに。○直目に見けむ古壮士 直接に処(309)女を目に見たであろう古の壮士はで、ましてどんなであったろうの余意を含んだもの。
【釈】 語り継ぐのを聞くゆえにも、甚しくも処女の恋しいのに、直接に目に見たであろう、古の壮士は。
【評】 長歌の「語り継ぎ」をうけた形にしてあるが、心としては、心に思い浮かべた伝説の、魅力ある一点を自身につないで詠歎したもので、これも長歌にふさわしい反歌である。
 
     弟《おと》の死去《みまか》れるを哀《かなし》みて作れる歌一首 并に短歌
 
1804 父母《ちちはは》が 成《な》しのまにまに 箸向《はしむか》ふ 弟《おと》の命《みこと》は 朝露《あさつゆ》の 消易《けやす》き寿《いのち》 神《かみ》の共 《むた》争《あらそ》ひかねて 葦原《あしはら》の 瑞穂《みづは》の国《くに》に 家《いへ》なみや 又《また》還《かへ》り来《こ》ぬ 遠《とほ》つ国《くに》 黄泉《よみ》の界《さかひ》に 蔓《は》ふ蔦《つた》の 各《おの》が向向《むきむき》 天雲《あまぐも》の 別《わか》れし行《ゆ》けば 闇夜《やみよ》なす 思《おも》《あぢ》ひ迷《まと》はひ 射《い》ゆししの 意《こころ》を痛《いた》み 葦垣《あしがき》の 思《おも》ひ乱《みだ》れて 春鳥《はるとり》の 啼《ね》のみ鳴《な》きつつ 味《あぢ》さはふ 夜昼《よるひる》知《し》らず 蜻※[虫+廷]火《かぎろひ》の 心《こころ》燎《も》えつつ 悲悽《なげ》く 別《わかれ》を
    父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穏之國尓 家無哉 又還不來 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各々向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不知 蜻※[虫+廷]火之 心所燎管 悲悽別焉
 
【語釈】 ○父母が成しのまにまに 「成しのまにまに」は、生むがままに、兄と弟になって。○箸向ふ弟の命は 「箸向ふ」は、ここよりほか用例のない語である。二本の箸の離れず向かうごとくと、譬喩として「弟」にかかる枕詞かと思われる。形としては「御食向ふ」と同類である。「弟の命」は、「弟」は、旧訓「なせ」。『代匠記』の訓。巻十七(三九五七)「な弟《おと》のみこと」その他がある。「命」は敬称で、死者に対してだからである。○朝露の消易き寿 「朝露の」は、意味で「消え」にかかる枕詞。「消易き寿」は、失せやすい寿命を。仏説を思わせる語である。○神の共争ひかねて 「神」は、人の死生を支配するものとしていっている。巻十一(二四一六)「ちはやぶる神の持たせる命」とある思想で、わが国古来の信仰である。「共」は、「共に」の古語で、上に続いて、神意の発動と共にの意であるが、転じて、神意のままにの意でも用いられていた語であ(310)って、ここはそれである。「争ひかねて」は、人として神意に争うことはできなくて。神意のままのもので、人としては争うことができなくて。○葦原の瑞穂の国に これはわが国の古名で、讃えての称である。ここは、この愛でたい国土に。○家なみや又還り来ぬ 「家なみや」は、「や」は疑問の係であるが、強い詠歎の意をあらわすもので、家がないのであろうかあるのに、再び還っては来ないことだの意で、「ぬ」は連体形。これは死後のある時間、喪をまもって、心に蘇生を期していたが、そのことのないのを悲しんでの心である。以上一段で、以下二段。○遠つ国黄泉の界に 「遠つ国」は、意味で「黄泉」にかかる枕詞。「界」は、地域。○蔓ふ蔦の各が向向 「草ふ蔦」は、這う蔦で、蔦は、本《もと》は一つであるが、枝は向き向きに別れてゆく意で、「向向」にかかる枕詞。「各《おの》が向向」は、銘々の向かうべき方向に。○天雲の別れし行けば 「天雲の」は、ちりぢりになる意で、「別れ」の枕詞。「別れし」の「し」は強意。別れて黄泉に行ったので。○闇夜なす思ひ迷はひ 「闇夜なす」は、闇夜のごとくにで、「迷ひ」にかかる枕詞。「思ひ迷はひ」は、「思ひ」は、嘆き。「迷はひ」は、『代匠記』の訓。「迷はひ」は、迷《まと》ふに「ふ」をつけて、その継続をあらわしたもの。惑い続け。○射ゆししの意を痛み 「射ゆ」は、射らるる意の古語。連体形と見られる。「しし」は、猪鹿の総称で、矢で射られた猪鹿の痛みの意で、「痛み」にかかる枕詞。用例のある語である。「意を痛み」は、甚だ悲しく。○葦垣の思ひ乱れて 「葦垣の」は、葦を編んで作った垣の、乱れやすい意で「乱る」の枕詞。「思ひ乱れて」は、嘆き乱れて。○春鳥の啼のみ鳴きつつ 「春鳥の」は、春の鳥は鳴き声が高いところから、意味で「鳴き」にかかる枕詞。「啼のみ鳴きつつ」は、泣きに泣きつづけて。○味さはふ夜昼知らず 「味さはふ」は、語義が不明で、諸説があって定まらない。「目」の枕詞となっている。ここは続きも異なっていて、例のないものである。「夜昼知らず」は、夜昼の差別も知られずに。○蜻※[虫+廷]火の心燎えつつ 「蜻※[虫+廷]火の」は、陽炎《かげろう》で、意味で「燎え」にかかる枕詞。「心燎えつつ」は、甚しい悲しみのため、胸が燃えるように感じることで、その継続。○悲悽く別を 旧訓で、「天雲の別れし行けば」といったのを、いま一度繰り返したもの。
【釈】 父母が生んだがままに、箸のごとく相向かって離れぬ弟の君は、本来失せやすい寿命を、神意のままの死生で、争うことができなくて、この愛でたい全国土に、宿るべき家がないのでか、再び還って来ないことである。遠い国の黄泉《よみ》の国に、銘々の向かうべき所として、別れて行くので、闇夜のごとく嘆き惑いつづけ、矢に射られた猪鹿のごとくに悲しみに心が痛く、葦垣のごとくに咲き乱れて、春鳥のごとくに泣きにのみ泣きつづけ、夜と昼の差別も知られず、心が燃えつづけて嘆いてはいる、この別れを。
【評】 弟の死を悲しんでの歌で、心を尽くして詠んでいるものである。挽歌は死者の霊魂を慰めることを目的とするもので、深く悲しむことがすなわち慰めることだからである。一首二段とし、第一段は、「家なみや又還り来ぬ」までで、それが前半である。「又還り来ぬ」は、死者を叙したものであるが、歌で見ると、それ以後は心が転じて、極悲を叙したものとなっている関係上、埋葬以前のことで、「還り」には「甦り」の意があったものと思われる。上代の葬儀は、身分は低かろうとも、ある期間は地上に留めて置いたからである。「父母の成しのまにまに 箸向ふ弟の命は」という言い方は、事としては当然であるが、この本質に立入っての言い方は、精神の緊張をもたなければいえないものである。「神の共争ひかねて」ということも、上代の深い信仰とはいえ、たやすからぬもので、さればこそ「黄泉の界」に対しての現《うつ》し世を、「葦原の瑞穂の国」というご(311)とき、事に合わせては不自然と思われる大きく麗わしい称を用い、現し世に対する執着をあらわしているのである。「又還り来ぬ」は、これをうけてのもので、死の余儀なさを思いながらも、諦めかねる心をいっているもので、実情のこもった悲しみである。第二段「遠つ国黄泉の界」以下は、死者として埋葬するに際しての心を、できうる限り鄭重な語をもって述べたものである。五、七、二句をつらねるごとに、その一句には必ず枕詞を据えて、九回まで繰り返している。意識し用意してのこととみえるが、これは他に例の見えないものである。一首の歌として見て、深い悲哀を湛えながらも、同時に華麗な趣をもったもので、この時代には著しく少なくなっている挽歌の代表的なものである。なおこの歌には、歌の性質上、この時代の信仰状態が絡みついている。大体は上代信仰をそのままに継承しているが、それに仏説が介入し、生命の短さを嘆く心、黄泉に対する観念には、明らかにそれがみえる。
 
     反歌
 
1805 別《わか》れても またも逢《あ》ふべく 念《おも》ほえば 心《こころ》乱《みだ》れて 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    別而裳 復毛可遭 所念者 心乱 吾戀目八方
 
【語釈】 ○念ほえば 「念ほえ」は、「念ほゆ」の未然形で、思われるならば。○吾恋ひめやも 「や」は、反語。「も」は、詠歎。
【釈】 別れてもまた逢えることと思われるならば、心が乱れて恋いようか、恋いはしない。
【評】 前半の「又還り来ぬ」を承けたもので、喪の期間は、死者ではあるが、生者に近い心をもって扱っていたので、「別れてもまたも逢ふべく」という言い方をしているのである。死者と見て絶望を意識した嘆きである。
 
     一に云ふ、意《こころ》尽《つく》して
      一云、意盡而
 
【解】 第四句の別伝である。心をあれこれと使つてである。「乱れて」の綜合的なほうが感が深い。
 
1806 あしひきの 荒山中《あらやまなか》に 送《おく》り置《お》きて 還《かへ》らふ見《み》れば 情《こころ》苦《くる》しも
(312)    蘆檜木笶 荒山中尓 送置而 還良布見者 情苦喪
 
【語釈】 ○荒山中に 「荒山中」は、「荒山」は、人跡の至らない山で、その山の中に。これは墓所をいったもので、古代の墓所は、山地を選んだのである。○送り置きて 「送り」はいわゆる野辺送りで、葬っての意。「置きて」は、後に残して。○還らふ見れば惰苦しも 「還らふ」は、還るの継続。埋葬の事をした人々の還ってゆく意。「見れば」は、作者がその状態を見ているので、すなわち最後に残っていてのこと。「情苦し」は、死者をあわれむ心から、心苦しさを感じる意。
【釈】 人跡の至らない山の中に、死者を送って後に残して、人々の還るのを見ると、心苦しいことである。
【評】 これは後半をうけて、さらに時を延長させ、埋葬後の悲しみをいっているものである。死者を荒山中に葬って、場所柄のあわれさから立ち去りかねていると、会葬した人々の続いて帰ってゆくのを見て、それに刺激されて悲しみの加わってきた心で、実感のこもった歌である。反歌は二首とも、長歌とは異なって、素朴に率直に詠んでいるので、しみじみしたあわれがある。
 
     右の七首は、田辺福麿の歌集に出づ。
      右七首、田邊福麿之謌集出。
 
     勝鹿《かつしか》の真間娘子《ままのをとめ》を詠める歌一首 并に短歌
 
【題意】 「勝鹿の真間娘子」は、巻三(四三一〜四三三)山部赤人の長歌に出たもので、他にも出ている。「勝鹿の真間」は、今は市川市に属している。「娘子」は呼名を手児奈といった。「手児」は東国で若い女を呼ぶ普通名詞で、「奈」は愛称である。上代の伝説中の人である。作者は高橋蟲麿である。
 
1807 鶏《とり》が鳴《な》く 吾妻《あづま》の国《くに》に 古《いにしへ》に ありける事《こと》と 今《いま》までに 絶《ナい》えず言《し》ひ来《く》る 勝鹿《かつしか》の 真間《まま》の手児奈《てこな》が 麻衣《あさぎぬ》も 青衿《あをくび》著《つ》け 直《ひた》さ麻《を》を 裳《も》には織《お》り著《き》て 髪《かみ》だにも 掻《か》きは梳《けづ》らず 履《くつ》をだに 穿《は》かず行《ゆ》けども 錦綾《にしきあや》の 中《なか》に裹《つつ》める 斎児《いはひご》も 妹《いも》に及《し》かめや 望月《もちづき》の 満《た》れる面《おも》わに 花《はな》の如《ごと》 咲《ゑ》みて立《た》てれば 夏虫《なつむし》の 火《ひ》に入《い》るが如《ごと》 水門入《みなといり》に 船《ふね》漕《こ》ぐ如《ごと》く 行《ゆ》(313)きかぐれ 人《ひと》の言《い》ふ時《とき》 幾許《いくばく》も 生《い》けらじものを 何《なに》すとか 身《み》をたな知《し》りて 波《なみ》の音《と》の 騒《さわ》く湊《みなと》の 奥津城《おくつき》に 妹《いも》が臥《こや》せる 遠《とほ》き代《よ》に ありける事《こと》を 昨日《きのふ》しも 見《み》けむが如《ごと》も 念《おも》ほゆるかも
    鷄鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言來 勝壯鹿乃 眞間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹裹有 齋兒毛 妹尓將及哉 望月之 滿有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物呼 何爲跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奧津城尓 妹之臥勢流 速代尓 有家類事乎 昨日霜 將見我其登毛 所念可聞
 
【語釈】 ○鶏が鳴く吾妻の国に 「鶏が鳴く」は、「あづま」の枕詞。「吾妻の国」は、大和の人の東国に対しての称で、大体は足柄山以東の称で、時には広く伊勢以東をも称し、狭く関東をも称した。ここは、その狭いものである。上の(一八〇〇)に出た。○古にありける事と 「古」は、山部赤人もすでにそういっていることで、広い意味でいっているもの。「事と」は、事として。美人の結婚に関しての物語というだけのものなので、時代を想像する必要がなかったとみえる。○今までに絶えず言ひ来る 「言ひ来る」は、語り継いで来ているで、その事の真実を裏書するもの。○麻衣に青衿著け 「麻衣」は、麻の繊維を織った衣で、庶民の服であった。それ以上は絹で、これは貴族の物であった。「青衿《あをくぴ》」は、『代匠記』精撰本の訓。「くび」は襟の古名で、『和名類聚鈔』に「衣のくび」とある。青い襟を着け。○直さ麻を裳には織り著て 「直さ麻」は、ここにあるのみの語。「直」は、純粋で、他の物をまじえぬ意。「さ」は接頭語。「麻《を》」は、麻を糸としたもの。「裳」は女の腰に着ける衣裳。○髪だにも掻きは梳らず 髪さえも、掻き梳らずに。「は」は、強調したもの。○履をだに穿かず行けども 履さえも穿《は》かずに出歩くけれどもで、すなわち裸足で歩くこと。以上、身なりをかまわぬことを列挙しているが、これは庶民としては普通のことが、蟲麿の見た時代も同様であったろうと思われる。それを特にいっているのは、手児奈の美貌を引き立てるために対照としていったのである。○錦綾の中に裹める 「錦綾」は、衣類として代表的に貴い物。「中に裹める」は、着せてあるということを、包んであると言いかえたもの。○斎児も妹に及かめや 「斎児」は、大切にして人に触れさせなくして可愛ゆがっている娘で、豪家の秘蔵娘というにあたる。「妹に及かめや」は、「妹」は三人称の愛称で、手児奈。「及かめや」は、反語で、及ぼうか、及びはしないで、その美しきの比較。○望月の満れる面わに 「望月の」は、望月のごとくで、譬喩の意で、「満る」の枕詞。「満《た》れる」は、充足して欠けたところのない。「面わ」は、「わ」は、接尾語で、顔の円形であるところからのもの。面というに同じ。○花の如咲みて立てれば 上の(一七三八)「末の珠名娘子」に出た句。○夏虫の火に入るが如 「夏虫」は、燭蛾。物を獲ようとして夢中になることの(314)譬喩で、その代表とされているもの。○水門入に船漕ぐ如く 「水門入」は、港口、河口へ船を漕ぎ入れる意で、名詞。これは夕方のことで、多くの船が一時に集まって来るように。以上の対句は、手児奈に言い寄る男の多い譬喩。○行きかぐれ人の言ふ時 「行きかぐれ」は、「行き」は、男が手児奈のもとへ目ざして来る意。「かぐれ」は、ここにだけある語で語義は明らかでない。本居宣長は『古事記伝』四十三で、「かぐれ」は、妻をよばうことを、このようにいう古語があったのであろうと説いている。前後の関係から見て、その意のものと取れる。「かがひ」が東国の語であると同じく、「かぐれ」も東国の語で、求婚を意味する語であったろう。「人の言ふ時」は、男が手児奈にいう時。○幾許も生けらじものを 「幾許」は、『代匠記』の訓。用例の多い語である。どれほどの間も。「生けらじものを」は、『古義』の訓。生きてはいられなかろうものをで、「を」は詠歎。この二句は、作者蟲麿が、人間の命そのものの短いことを嘆いていっているもので、そうした命を、手児奈はさらに我と縮めた意で、下へ続く。○何すとか どうするとしてかで、「か」は疑問の係で、四句をへだてて「妹が臥せる」に続く。これは蟲麿が、手児奈の所行を解し難いこととして、訝《いぶ》かった形でいっているのである。手児奈の所行は、物語として人々が周知なことなので、わざと触れずにいるが、要は、多くの男から同時に求婚されて、当惑のあまり入水して死んだということで、蟲麿はそれに深く感動しているのであるが、憐れみの心と、故人のことなので、わざと訝かりの形にしたのである。○身をたな知りて 「たな知り」は、「たな」は動詞に付いて、全く、すっかりという意をもった語で、巻一(五〇)「身もたな知らず」、その他の用例がある。わが身を見とおしてというにあたる。さらにいえば、生存の価値に見きわめをつけてという意である。○波の音の騒く湊の 「湊」は、ここは真間川の河口で、川と海の浪の音の騒がしい湊ので、下の奥津城の所在。その湊が手児奈の入水した場所とみえる。○奥津城に妹が臥せる 「奥津城」は墓で、既出。「妹」は三人称で、愛称。手児奈をさす。「臥せる」は、臥すの古語「こゆ」の敬語で、上の「か」の結で、連体形。「何すとか」以下は、どうしようとして、自分の身に見きわめをつけて、浪の音の騒がしい湊の墓に、手児奈は臥せることになられたのか、と入水して死んだのを憐れむあまり、その心の解せられないかのように、訝かりの形で、婉曲にやさしくいっているのである。○昨日しも見けむが如も 「し」は、強意。「も」は、詠歎。つい昨日見たことのようにも。○念ほゆるかも 思われることであるよで、起首に照応させたもの。
【釈】 東の国に古にあった事だとして、今に至るまで絶えず言い継いで来ている、葛飾《かつしか》の真間の手児奈が、麻をもって織った衣に、青い衿《えり》をつけ、麻ばかりで織った裳を着て、髪さえも梳《くしけず》らずに、履《くつ》さえも穿《は》かずに出歩いているけれども、錦や綾の中に包んでいる秘蔵娘も、この女に及ぼうか及びはしない。望月のように整いつくしている顔に、花のように笑みを湛えて立っていると、夏の蛾の火に飛び入って来るがように、湊入りに船を漕ぎ入れるように、多くの男が言い寄って来る時に、どれほどの間も生きていられそうもない人の命であろうものを、どうするとしてのことか、その身を見きわめて、波の音の騒がしい湊の、墓の中に臥していられることである。遠い昔にあった事を、さながら昨日目に見たことのように思われることである。
【評】 この歌は高橋蟲麿が常陸の国庁にあった時、何らかの場合下総の葛飾の真間へ行き、その土地の伝説となっている手児奈の墓を見、伝説に心を動かして詠んだものである。伝説そのものは大体この歌でわかる。その頂点をなしている所は、手児奈が多くの男から同時に言い寄られ、思案に余り、途方にくれて、入水して自殺したことで、伝説が魅力あるものとなってい(315)たのは、その点のあわれさであったとみえる。これは上の葦屋の娘子と全く性質を同じゅうしているもので、この当時の一つの型となっていたものとみえる。蟲麿がこの点についてはわざと触れようとせず、ただ主観的批評をして、一方ではそれを憐れみ感動しつつも、同時に他方ではそれを訝かしく不可解に思う心をほのめかしているのは、そこに蟲麿の生活的態度があり、それがおそらくこの歌の作因の重いものとなっていたろうと思われる。それは一と口にいうと、真間の辺りの人々の手児奈を憐れむのは、彼女は集団生活の犠牲になったものと見、それを余儀ない、しかし悲しいことと見てのことであろう。地方の部落といううち、ことに真間というような舟着き場で、手児奈が属していた庶民階級にあっては、集団生活の気分がよほど濃厚なものであったろうと思われる。手児奈に言い寄る多くの男は、すべてその土地の者で、彼女はそのすべてを知っていたことであろう。その中の一人に応じ、他のすべてを拒むということは、手児奈にはきわめて困難なことであったが、しかしそれはしなくてはならないことだったのである。彼女はその困難に堪えられず、ついに死を決するに至ったので、その点葦屋の娘子と全く同様である。当時の奈良京はすでに集団生活の気分から離れて、個人生活の気分に入っていたことは、この時代の歌風によっても明らかなことである。その奈良京の知識人である蟲麿には、手児奈の生活態度が、不可解というよりはむしろ誤ったものに感じられたのである。「何すとか身をたな知りて 波の音の騒く湊の 奥津城に妹が臥せる」というのは、故人に対する敬意として、入水ということを直接にいわなかったばかりではなく、その生活態度の相違からいわずにはいられなかった重大なことだったのである。これが手児奈を憐れむ心に大きく繋がり、作因の刺激となったとみえる。一首の構成の上にも、蟲麿の特色が見える。起首、「古にありける事」と明らかに時の距離をつけ、結尾にも「遠き代にありける事を」と照応させているが、一転して手児奈の身なりに入り、「麻衣に青衿著け」以下、つぶさにその粗末なことを叙し、「錦綾の中に裹める 斎児も妹に及かめや」と豪家の娘との比較をしているのである。手児(316)奈の衣裳は、おそらく蟲麿がその時真間の辺りで親しく見たものの写生で、庶民としては普通なものであろう。これを豪家の娘の錦綾と比較するのは単に、手児奈の美を引き立てる対照法とはいいきれないもので、蟲麿の心に貧民に対する特別の同情があってしていることと思われる。手児奈の衣裳の描写は、これをそれだけ切り離して見れば、異色のある目立つものである。一首全体の上から見ると、統一感を欠く趣のあるもので、ここにも蟲麿の個人的な生活感情がまじっているといえるものである。結末の「何すとか」以下は一首の頂点であるが、これは上にいったがごとくである。蟲麿は伝説を扱っている歌人であるが、その扱い方は、伝説そのものを生かそうとするところにはなく、伝説に取材して、それに個人的批評を加えて再現したもので、一種の抒情歌というべきである。そこに蟲麿の面目がある。なお赤人の扱っている手児奈とこれとは、伝説そのものの内容にすでにある流動と推移が認められる。
 
     反歌
 
1808 勝鹿《かつしか》の 真間《まま》の井《ゐ》を見《み》れば 立《た》ち平《なら》し 水《みづ》汲《く》ましけむ 手児奈《てこな》し念《おも》ほゆ
    勝壯鹿之 眞間之井乎見者 立平之 水※[手偏+邑]家武 手兒名之所念
 
【語釈】 ○勝鹿の真間の井を見れば 「莫間の井」は、古の井は、飲用に堪える良水を湛えたところの称で、多くは流れ川、しからざれば山下水で、堀井は稀れである。ここも部落全体の物で、水量の多い物であったろう。○立ち平し 「平し」は、踏んで。○水汲ましけむ手児奈し念ほゆ 「汲まし」は、「汲む」の敬語。女性であり故人であるゆえのこと。飲用水を汲むことは、女の役となっていたのである。
【釈】 葛飾の真間の井を見ると、そこを踏んで、飲用水を汲まれたであろう手児奈が思われる。
【評】 長歌の結尾の「昨日しも見けむが如も」をうけて、眼前に手児奈のさまを思い浮かべた心である。有効な反歌である。
 
(317)     菟原処女《うなひをとめ》の墓を見る歌一首 并に短歌
1809) 葦屋《あしのや》の 菟原処子《うなひをとめ》の 八年児《やとせご》の 片生《かたおひ》の時《とき》ゆ 小放《をはなり》に 髪《かみ》たくまでに 並《なら》び居《ゐ》る 家《いへ》にも 見《み》えず 虚木綿《うつゆふ》の こもりて坐《を》れば 見《み》てしかと 悒憤《いぶせ》む時《とき》の 垣《かき》ほなす 人《ひと》の誂《と》ふ時《とき》 血沼壮士《ちぬをとこ》 菟原壮士《うなひをとこ》の 廬屋《ふせや》焼《た》く 進《すす》し競《きほ》ひ 相結婚《あひよば》ひ しける時《とき》は 焼大刀《やきだち》の 手頭《たがみ》おし撚《ね》り 白檀弓《しらまゆみ》 靱《ゆき》取負《とりお》ひて 水《みづ》に入《い》り 火《ひ》にも入《い》らむと 立向《たちむか》ひ 競《きほ》ひし時《とき》に 吾妹子《わぎもこ》が 母《はは》に語《かた》らく 倭文手纏《しづたまき》 賤《いや》しき吾《わ》が故《ゆゑ》 大夫《ますらを》の 争《》ふ見《あらそみ》れば 生《い》けりとも 逢《あ》ふべくあれや ししくしろ 黄泉《よみ》に待《ま》たむと 隠沼《こもりぬ》の 下延《したば》へ置《お》きて 打嘆《うちなげ》き 妹《いも》が去《い》ぬれば 血沼壮士《ちぬをとこ》 その夜《よ》夢《いめ》に見《み》 取《と》り続《つづ》き 追《お》ひ行《ゆ》きければ 後《おく》れたる 菟原壮士《うなひをとこ》い 天《あめ》仰《あふ》ぎ 叫《さけ》びおらび 地《つち》をふみ 牙喫《きか》み建《たけ》びて 如己男《もころを》に 負《ま》けてはあらじと 懸佩《かきはき》の 小剣《をだち》取《と》り佩《は》き 冬薯蕷葛《ところづら》 尋《と》め行《ゆ》きければ 親族共《やからどち》 い行《ゆ》き集《つど》ひ 永《なが》き代《よ》に 標《しるし》にせむと  遠《とは》き代《よ》に 語《かた》り継《つ》がむと 処女墓《をとめづか》中《なか》に造《つく》り置《お》き 壮士墓 《をとこづか》 此方彼方《こなたかなた》に 造《つく》り置《お》ける 故縁《ゆゑよし》聞《き》きて 知《し》らねども 新喪《にひも》の如《ごと》も 哭泣《ねな》きつるかも
    葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生乃時從 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 ※[穴/牛]而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智努壯士 宇奈比壯士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 爲家類時者 燒大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛將入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纏 賤吾之故 大夫之 荒爭見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓將待跡 隱沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壯士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼(318)婆 後有 菟原壯士伊 仰天 ※[口+立刀]於良妣 ※[足+昆]地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小釼取佩 冬※[草がんむり/叙]蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標將爲跡 遐代尓 語將繼常 處女墓 中尓造置 壯士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨
 
【語釈】 ○八年児の片生の時ゆ 「八年児」は、八歳ぐらいの児の意。八年は古くは多くの年の意であったが、しだいに文字どおりの意になった語。「片生」は、「片」は、「真」すなわち十分に対する語で、不十分の意。「生」は、発育で、未成年というにあたる。この語はここにあるのみである。「ゆ」は、から。○小放に髪たくまでに 「小放」は、「小」は接頭語。「放」は、放り髪ともいい、放るは結ぶに対する語で、髪を垂らしている称。後世の振分髪と称するものである。「髪たく」は「たく」は「束ねる」の古語で、長く伸びた髪を束に結うことである。巻二(一二三)「たけばぬれたかねば長き妹が髪」に出た。一人前の女となろうとする頃、放髪を束ねて結うことで、男子の元服にあたる女子の成女式だったのである。以上は、童女の成女に至るまでということを、その髪によって具象的にあらわしたものである。○並び居る家にも見えず 並んでいる隣家の者にも見られずにで、深窓に育って。○虚木綿のこもりて坐れば 「虚木綿の」は、ここと、日本書紀、神武紀の国見をされる条に、「雖2内木綿之真※[しんにょう+乍]国1」とにある語で、「こもり」「真狭《まさ》き」にかかる枕詞であるが、語義は諸説があって定まらない。『古義』は、苧手巻《おだまき》の、内方《うちへ》を虚《うつ》ろに巻いた物をいうかといっている。それだと、楮などの繊維の糸を整理するために、竹の管《くだ》などに巻いた物の称で、内部は虚ろでもあるから「こもり」の譬喩となり、また真狭きの譬喩ともなり得て、一応意味は通じる。今はこれに従う。「こもりて坐れば」は、家の内にこもっているので。○見てしかと悒憤む時の 「てしか」は、願望。「悒憤む」は、心が結ぼれて晴れない意。「の」は、ここは、同意の語を重ねいう時、接続の意で用いる助詞で、「にして」「とともに」にあたる意のもの。男が処女を見たいものだと思って、心結ぼれて晴れぬ時にして。○垣ほなす人の誂ふ時 「垣ほ」は上の(一七九三)に出た。垣のごとく取り囲んで。「人」は、若い男。「誂ふ」は、妻問いで、求婚をする時に。○血沼壮士菟原壮士の この二人は、上の(一八〇一)の題詞でいった。求婚者の中の代表的の者。「血沼壮士」は和泉国の者、「血沼」は今の大阪府堺市から岸和田市にわたっての地。「菟原壮士」は処女と同郷の者。○廬屋焼く進し競ひ 「廬屋」は、伏星。「焼《た》く」は、『定本』の訓。伏星でたく火の煤《すす》となる意で、「すす」に続けた枕詞。「すすし」は他に用例を見ない語である。「すす」は、進む意の体言で、「し」はそれを動詞化するために添えたものと取れる。意は進んでであろう。進んで競争して。○相結婚ひしける時は 求婚をした時はで、「時は」は、上の「人の誂ふ時」を進展させ強めたもの。○焼大刀の手頭おし撚り 「焼大刀」は、焼いて鍛えた大刀で、鋭利な大刀、「手頭」は、柄。この語は古事記、日本書紀に用例のあるもの。「おし撚《ね》り」は、「おし」は強意の接頭語。「撚り」は、撚《ひね》りの転音。まさに切り合おうとするさま。○白檀弓靭取負ひて 「白檀弓」は、檀を材として作った弓で、塗ってない物。「靱」は、矢を入れる具で、後世の箙《えびら》。「取負ひ」は、「取」は接頭語。「負ひ」は背に負いで、これは矢を射合わせようとしての準備。以上四句、求婚の二男子が処女を争う上で、互いに死を賭している心を具象的にあらわしているもの。○吾妹子が母に語らく 「吾妹子」は、三人称で、愛称。「語らく」は、「語る」の名詞形で、語ることには。○倭文手纏賤しき吾が故 「倭文手纏」は、縞に織った布で作った手纏すなわち腕輪。これは上代は貴い物であったが、当時は賤しい物とされていたので、「賤しき」の枕詞。「賤しき吾が故」は、「賤しき」は、卑下しての語。賤しい自分のために。○逢ふべくあれや 「逢ふべく」は、結婚すべく。「あれや」は、反語法。○ししくしろ黄泉に待たむと(319)「ししくしろ」は、「しし」は宍で、肉。「くし」は串で、「ろ」は接尾語。肉の串に挿した物で、よい味の意で黄泉に続く枕詞。「黄泉に待たむと」は、黄泉の国で男を待とうと。「待たむと」の対象は、血沼壮士だったことが、下の続きで知られる。他国の人で、この場合結婚し難いとしたのであろう。○隠沼の下延へ置きて 「隠沼の」は、草木に蔽われている沼で、水の出口のわからない沼。水が下を這って出る意で、「下延へ」の枕詞。「下延へ」は、「下」は心。「延へ」は思いを通わすことで、心の中で血沼壮士に思い通わしておいて。○妹が去ぬれば 「妹」は処女。「去ぬれば」は、この世を去ったので。水死したので。そのことは巻十九(四二一一)大伴家持の歌に出ている。○血沼壮士その夜夢に見 「夢」は魂の通うゆえに見るものだと信じられていた。血沼壮士がその夜夢に見てで、処女は明らかに血沼壮士を思っていたのである。○取り続き追ひ行きければ 続いて、処女の後を追って死んだので。○菟原壮士い 「い」は主語に接して、音調を強める助詞で、接尾語と同じ働きをするものである。○天仰ぎ叫びおらび 「おらび」は泣き叫ぶこと。深く嘆くさま。○地をふみ牙喫み建びて 「地をふみ」は、原文「※[足+昆]地」。訓は諸注さまざまで定まらない。『全註釈』は、「※[足+昆]」は、『新撰字鏡』に、「足のうら」「くひひす」とあり、足の裏、踵の義の字であるから、ここは地を強く踏む意で使用されていると解される、といっている。これに従う。地団太を踏む意。「牙喫み」は、歯噛みをし。「建びて」は、どなって。甚しく怒ったさま。○如己男に 字のように自分と同じ程度の男に。○懸佩の小剣取り佩き 「懸佩の」は、「懸」は接頭語、「佩の」は、腰に帯びることで、佩き物の。「小剣取り佩き」は「小」は美称。「取り」は接頭語。大刀を帯びて。○冬薯蕷葛尋め去きければ 「冬薯蕷葛」は、『略解』の訓。「ところ」は、野老で、ところ芋。「つら」は、蔓で、冬、蔓を探って根を尋ねる意で「尋め」に続く枕詞。「尋め行きければ」は、処女の屍を尋ねて死んで行ったのでで、同じく水死したので。○親族共い行き集ひ 「親族共」は、処女と、二人の壮士の親戚。「い行き」の「い」は接頭語。○知らねども新喪の如も哭泣きつるかも 「知らねども」は、我は知らない人々であるが。「新喪」は新たに人を喪った時のように。「哭泣きつるかも」は、はげしく泣いたことであるよ。
【釈】 葦屋の菟原処女は、八歳くらいの未発育の時から、振分髪に髪を束ねる時に至るまでを、並んでいる隣家の者にも顔を見られずに、家の内に籠もっていたので、若い男が見たいものだと思ってもどかしがっている時で、垣のように取り囲んで求婚をする時、血沼壮士と菟原壮士とが、心はずんで競争して求婚をした時には、焼大刀の柄をひねり、白檀弓を手に、箙を背に負って、このためには水にも入ろうと、立ち向かって競争をした時に、愛すべき処女のその母に語ることには、つまらないわが身のために、大夫の争うのを見ると、生きていたからとて結婚をすることができようかできはしない、黄泉の国へ行って待っていようといって、心のうちで血沼壮士に思いを通わしておいて、嘆いて死んで行ったので、血沼壮士はその夜そのことを夢に見て、続いて後を追って死んだので、後に残った菟原壮士は、天を仰いで叫び、泣き叫び、地団太踏んで歯噛みをし、どなって、自分と同じ程度の男に負けてはいまいと、佩き物の大刀を帯びて、処女の跡を尋ねて死んで行ったので、三人の親族どもが寄り集まって、後の世の証拠にしようとて、遠い世に語り継ぐ料にしようとて、処女塚をまん中に造って残し、壮士塚をこちらとあちらとに造って残しておいた、その理由と由緒とを聞いて、我は誰も知らない者ではあるが、新たに喪った人の喪の時のように泣きに泣いたことであるよ。
(320)【評】 この歌は題詞のごとく、蟲麿が処女の墓を見、また結末のごとく、初めてその墓の「故縁」を聞いて、深くも感動して詠んだ形のもので、その事のあわれさがおのずからに古の物語を伝うるに至らしめた形のものである。全体が事件そのものの紹介で、上の勝鹿の真間の娘子の場合のように、自己の感想を加えるものとなっていないのは、事のあわれさがそれをさせる余地のないものだとしているとともに、蟲麿自身の心も、深くその事にひきつけられて、それができなかったことを示しているのである。すなわち蟲麿は、心の全幅をもってこの伝説を伝えているのである。この伝説は、その性格においては真間の手児奈のそれと酷似しているものではあるが、事態はそれとは異なって、明瞭に、また微細に伝えられていたものである。伝説の構成からいうと、第一段は、「見てしかと悒憤む時の 垣ほなす人の誂ふ時」までである。この段で注意をされることは、「小放に髪たくまでに 並び居る家にも見えず」ということである。貴族の娘ならば知らず、庶民の娘としてはこの態度は異常にみえる。これは男の好奇心を煽ろうがためのことで、「垣ほなす人の誂ふ時」を、合現化しようがためのものとみえる。すなわち伝説の彩《あや》である。もとより作者の設けたものではなく、伝説のもっていたもので、このことは伝説の後世的のものであることを示しているものといえる。第二段は、「立向ひ競ひし時に」までで、血沼壮士と菟原壮士とが、互いに生を賭して処女を争うことをいっているものである。この二男一女を争うことは伝説に多いもので、型ともなっているもので、真間の手児奈の場合も、漠然とはしているが同様である。実際に多かったための反映とみえる。ここで注意されることは、二壮士のこのような烈しい態度は、根本は処女を得ようとしての熱意からであるが、純粋にそればかりではなく、二人の壮士各自の、競争者に負けまい、引けを取るまいとする面目を重んずる心が伴って、それが大きく働いていることである。その点は続きの「如己男に負けてはあらじ」というのでも明らかである。すなわち恋のために死のうとするよりも、面目のために死のうとする心なのである。それほどまでに面目を重んずる心は、集団生活を重んずるがゆえに起こってくるのであって、個人生活を重んずる心からは、これほどせっぱっまった心は起こってはこなかろう。しかしこの面目は、集団生活の中における個人生活というものが意識されて、それとこれと一つになることによって強化されたところから、初めて起こってくるものとみえる。言いかえると、集団生活とはいえ、原始的なものではなく、やや後世的なものとなり、個人生活へ移りつつある時代のものである。これを男女の社会的位置に関係させると、男子の地位が高まり、女子の地位が低くなった時代のものといえるのである。これはこの伝説の成立時期を語るものであって、処女は、この時期の社会的生活情調の犠牲とならざるを得なかったのである。第三段は、「打嘆き妹が去ぬれば」までで、処女が自害によって事を解決することである。処女が自害するよりほかに途《みち》がないとし、これを母に語り、母もそれを斥けなかった理由については上にいった。これは主としては、集団生活を背後に置いての男子の面目を重んじての争いは、妥協のないこと、また女子の社会的地位の薄弱さは、進んで犠牲となるよりほかはないとする心からのことで、伝説はそれについては何の説明もしていないのであるが、これは伝説の成立時代には説明を要さないこととし、女性の事の真相を真覚する力の深さが、おのずからにさせたこととして、伝説の持続者は、そこに最も深いあわれを感じていたこととみえる。しかし伝説は、死の理由をそれだけにとどめず、女性の深い信仰心を取込んでいる。「黄泉に待たむと」がそれである。処女にとっては黄泉の国における別種の存在は、疑うべくもない事実であって、そこに救いを認めていたのである。「下延へ置きて」も、同じく信仰であって、黄泉の国での同棲を信じてのものである。この信仰は、血沼壮士は処女に近いものをもち得たが、菟原壮士はもち得なかったことによっても、女性特有のものであったことが知られるのである。第四段は、「冬薯蕷葛尋め行きければ」までである。ここでは血沼壮士は、信仰に助けられて恋の上の救いを得たが、菟原壮士は、面目そのもののために殉じた形となっており、伝説はまた、その点に重きを置き、これを強調している跡が見えて、そこに伝説成立の時代を示しているものがある。さらにいえば、伝説は、古風な血沼壮士を軽く扱い、新風の菟原壮士を重く扱っているのであり、そこに別種のあわれを認めているかのようである。第五段は、それ以下で、蟲麿自身の伝説に対する感激をいっている形のものであるが、ここで蟲麿はその作歌態度をも示している。蟲麿はこの時初めて処女の墓を見、その放縁を聞いたこととしているが、見たのは初めてでも、聞いたのはおそらく以前からであろう。初めてのこととしているのは、その感激の強さをあらわそうがためと思われる。感激は事実によって具象化するよりほかあらわす方法はないのであるが、しかしここにあらわしている事象は、蟲麿が耳によって聞いた事実ではなく、全円的に心の中に描き、築き上げている事象であって、蟲麿にょって存在させられているものなのである。骨子は伝説と異なっていなかろうが、この伝説のもつ生趣は、一に蟲麿のものなのである。それを耳によって聞いたままのごとく言いなしているのは、歌は実際に即すべきものとするこの時代の歌風のいわせていることにすぎないのである。事実この歌における蟲麿の具象化の手腕は非凡なもので、一方には強い熱意をもつとともに、他方には微細な用意を保っているものである。例せば、第一、二段で、「時」という一語を襲用して、それによって立体的に事を進めてきている点は、巧妙なものである。「悒憤む時の人の誂ふ時」「相結婚ひしける時は」「立向ひ競ひし時に」といっているごとき、それである。また第三、四段の「隠沼の下延へ置きて」「血沼壮士その夜夢に見」の続きのごときも、同じくそれである。「処女墓造り置き、壮士墓造り置ける」の「置き」のごときも、用意ある措辞である。これらの技巧は、全体は抒情的に、したがって立体的にいおうとしつつ、部分的には、叙事的に、したがって平面的にいおうとしている態度からきているもので、語句の圧搾、簡浄化は、その結果としてのものである。言いかえれば気分の具象化で、当時の新風に従ったにすぎないものであるが、その手腕の高さは、全篇を絢爛《けんらん》なものとし、一見、その手法を捕捉せしめないもののごとくにしているのである。魅力ある作である。
 
(322)     反歌
 
1810 葦屋《あしのや》の 菟原処女《うなひをとめ》が 奥津城《おくつき》を 往《ゆ》き来《く》と見《み》れば 哭《ね》のみし泣《な》かゆ
    葦屋之 宇奈比處女之 奧槨乎 徃來跡見者 哭耳之所泣
 
【語釈】 ○往き来と見れば 西海道を往復するごとに見ると。
【釈】 葦屋の菟原処女の墓を、その道を往復するごとに見ると、泣きにのみ泣かれる。
【評】 長歌の結末を操り返したもので、その実際に即したものであることを強めるとともに、あわれの限りないことをいって、そこに力点を置いたもの。長歌の熱意は失せた作である。
 
1811 墓《つか》の上《うへ》の 木《こ》の枝《え》靡《なび》けり 聞《き》くが如《ごと》 血沼壮士《ちぬをとこ》にし 依《よ》りにけらしも
    墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壯士尓之 依家良信母
 
【語釈】 ○墓の上の木の枝靡けり 「墓」は、題詞の処女の墓。「木の枝」は、上に引いた家持の追加の歌によると、黄楊《つげ》の木と知れる。その枝で、それが一方に靡いている。○聞くが如 話に聞くごとくにで、話というのは長歌の「隠沼の下延へ置きて」ということである。○血沼壮士にし依りにけらしも 血沼壮士のほうに処女の心は寄っていたのであろう。「し」は強意。「に」は完了。「らし」は強い推量。
【釈】 処女の墓の上の木の枝は、一方に向かって靡いている。話に聞くごとくに、これで見ると処女の心は、血沼壮士のほうに寄っていたのであろう。
【評】 上にいったように「下延へ置きて」に、あわれの中心があるとして、その点を進めていっているものである。墓の上の木の枝の靡き方は、死者の霊力によるものだとするのは、家持の歌では、木は黄楊で、処女の黄楊の櫛《くし》から生えた木だとしていたものであるから、いわゆる形見の木で、もっともな連想である。蟲麿の聞いた伝説も異なったものではなかったろうが、わざとおおらかな言い方をしたものとみえる。淡いながら味わいのある反歌である。
 
     右の五首は、高橋連蟲麿の歌集の中に出づ。
      右五首、高橋連蟲麿之謌集中出。
 
(323)   萬葉集評釋 卷第十
 
(324)   萬葉集 巻第十概説
 
     一
 
 本巻は『国歌大観』(一八一二)より(二三五〇)に至る五三九首を収めた巻である。歌体は、長歌三首、旋頭歌四首を除くと他はすべて短歌で、歌体の上でも新時代の集ということを示しているものである。
 編纂方針の上からいうと、巻第八と全く同一で、全部を四季分けにし、さらに各季を雑歌と相聞に分けたもので、その割合は、春雑歌七八首、同相聞四七首、夏雑歌四二首、同相聞一七首、秋雑歌二四三首、同相聞七三首、冬雑歌二一首、同相聞一八首であって、秋が断然多く、春がこれにつぎ、夏、冬という順序になっている。ここにも秋季に心を寄せているという特色を見せている。
 本巻と巻第八とを区別している点は、作者の明不明ということである。巻第八は作者の明らかな作を収め、本巻には不明なものばかり集めてある。その不明な中に、柿本朝臣人麿歌集の歌を収めて、これを不明扱いをしているのは、編集者としては意見のあったことであろうが、現在から見ると解し難いことである。
 
     二
 
 本巻の資料となっているものは、柿本朝臣人麿歌集と、古歌集または古集と称しているもので、これはすでにしばしば出た。この二資料の物は全体から見ると僅少の部分であって、他は大体、奈良時代に入って蒐集されていた書によったものとみえる。それというが、歌に折々左注が添って、別伝を注記したものがあるからである。その中のある物は、作者自身の別案であったとみえるが、多くは異本があったからのこととみえる。すなわち比較的新しい歌であるにもかかわらず、伝える者の異なるにつれて部分的に異なっており、筆録者はその異なるままに筆録したからである。作者の不明なのは、それを伝える者が、作者には多くの関心をもたず、歌そのものにのみ関心をもっていたところから、早くも忘れ去っていたためであろう。これは歌に対する時代の関心の反映であって、聞く者も強いて作者を知ろうとはしなかったゆえと思われる。
 奈良朝時代は、これを歌の上から観ても、相応に個性の尊重され出していた時代で、特殊な作風が、それのゆえに愛好されていたかにみえる。それにもかかわらず、作者不明の歌が本巻のように多かったことは一見異様に感じられるのであるが、これはやがて当時の歌の、社会的位置を示していることであろう。奈良時代は、生活が一応の安定を得ると、知識階級は生活気分(325)が変わってきて、著しく享楽気分、耽美気分が加わってきた。歌はその時代の生活気分に親しいものでなければおもしろくなく、また必ず親しいものを生み出してくる。奈良朝時代は歌風の相応にはげしく変わった時代である。一方またこの時代は社交が重んじられ、社交には宴遊が伴い、宴遊には宴歌が伴った。知識階級の人々は、新歌風の歌を詠まざるを得なくなり、その参考書は必要欠くべからざるものとなったろうと思われる。この需要を充たそうとしたものがすなわち新歌風の歌の蒐録書だったのである。需要者の態度はおそらくその点に集中されており、位置高い人の作、または特殊の事情の伴っている作は別として、その作が作歌の参考になるものであれば、作者が誰であるかは強いて問題ともしない心があったろう。あるいは参考とする上では、不明なもののほうがかえって有利だとする心があったのかもしれぬ。その時代の作の一半が、作者不明となっているのは、たぶんこうした理由からではなかったかと想像される。
 とにかく本巻の主体となっている歌は、奈良朝に入ってのもので、編集者は作者の不明なものをも、明らかなものと同等の価値を認めて、本巻のごとき存在を与えているのである。本巻の編集者の態度も、多くの蒐集筆録者と同様のもので、その集大成者だったともいえよう。
 
     三
 
 本巻が、その歌の取材から見て、自然詠の多いことは、巻第八と同様であって、必ずしも本巻の特色とはいえないことであるが、その扱い方、すなわち歌風との関係において、触れていわずにはいられないことである。
 自然詠の多くなったということは、奈良朝時代の生活気分の反映である。享楽気分、耽美気分の濃厚な生活は、その環境である自然を美化して、享楽の対象としようとするのは当然なことである。前代の生活にあっても無論自然詠はあった。しかしそれは奈良朝の自然詠とは明らかに異なったものである。前代の自然は時には美しい面を見せるものであったが、多くの場合には侘びしい面をも見せるものであって、人間とはある距離をもち、人力ではいかんともし難い威力をもった存在であった。奈良朝の時代はそうしたものではなくなった。この時代の自然は人間とは距離がなくなり、同時に威力もなくなって、常に人間に接近し、交流をもっているものとなってきた。例せば奈良京の人にとっては、春日野、高円が最も親しい地となり、飛鳥地方はすでに旅扱いされる地となっていた。それよりも親しいのはわが屋の庭にある花木となってきて、取材の大部分を占めるものとなっている。これは奈良朝時代になって初めて現われてきたことで、自然そのものよりいえば、自然は甚しく小規模のものとなったのであるが、人間を主としていえば、人間が初(326)めて自然を親しい、愛すべきものと見るようになってきたことである。
 そうした自然を歌の上で扱う扱い方に至っては、じつにきわやかに奈良朝時代の特色を見せている。それはすでに巻第八に現われていることであるが、四季の風物の中で、そのやや目立つ、魅力的なものは、すべて男女的関係をもっているものとされているのである。雪や雨は梅の花を開かせようとするものであり、梅は拒んで開くまいとするが、つい力及ばずに開くのである。秋の時雨と黄葉も同様である。これも男女関係である。また咲いた梅に来る鶯も同様である。橘や卯の花の咲く時に来る霍公鳥も同様である。秋萩の花と牡鹿の関係は代表的な男女関係である。また萩の花は雁が来ると散って、時代を黄葉に譲らなければならないのである。要するに四季の美しくあわれな風物は、すべて男女関係をもっていて、一年はその間断なき連続なのである。
 こうした気分をもって自然を扱うようになったのは、これでないと奈良朝時代の人々にはおもしろくなかったのである。これは一二、二三の歌風を学んでの風というごとき、歌風の新奇を慕っての変化ではなく、もっと根本的な、したがって一般的なもので、時代の生活気分の反映として生まれたものだったのである。さらにいえば、自然を擬人して喜ぶというごとき小規模のものではなく、時代の人々のもっていた享楽気分、耽美気分を、その環境としての自然界へ延長させ、投入させて、そこに醸し出される文芸的気分に陶酔しようとしたのである。そのいかに徹底し、一般化していたかは、本文に譲ることとする。
 しかしこの気分の歌の上にいかに具象されているかについては一言したい。この時代の詠み方は大体において一致していて、前代とは明らかに異なっている。これを自然詠についていえば、前代にはその捉えて詠もうとする対象に感興の全部がありとして、極力それのみをあらわそうとした。その際作者の主観はあらわには出すまいとし、それは調べの形によってあらわすのを型のごとくとしていたからである。しかるにこの時代になると、対象そのものを直接にあらわそうとはせず、対象の醸し出した感興をあらわすことを目標とするように変わってきたのである。しかしこの感興は、主観の説明ではなく、具象されたところの感興でなくてはならなかった。具象された感興とは、感興を醸し出させた対象にほかならない。しかしその対象は、主観を濾過したところの対象で、眼に見たままのそれではないのである。このようにいえば、いたずらに語を弄するがようであるが、しかしこれは事実であって、この時代の人々は、感興はそれを惹き起こさせた客観そのものでもなく、また客観より遊離した主観でもなく、まさにその中間に即不即の形で独立している一つの境で、その表現がすなわち歌だとしているのである。手腕ある作者によってこれが行なわれている際には、出来上がった歌は、譬喩という知性的の匂いを帯びず、また、情熱的という単純に陥らず、明不明の中間的の、厚みあり陰影ある流動の形において表現されているのである。現在いう象徴詩というものと同じ趣のものとなっているのである。
(327) これが奈良朝時代の人々には最も親しさと楽しさを与える形体であって、そしてそれがまた、その時代の人々の生活気分の反映でもあったのである。奈良朝中期以後は、和歌史上では頽廃期ということが定評のごとくになっているが、如上の意味において、その前にも、また後にもない特色ある和歌を生んでいたのである。また和歌に文化史的の眼を向けて観たならば、一概に頽廃期と断定はできない時代でもあったのである。
 なお柿本人麿歌集の歌を、作者不明の巻に収めている点については、ここでは触れないこととする。
 
(334) 春雑歌《はるのざふか》
 
【題意】 本巻の歌は、すべて小題を立てて分類しているのに、以下七首の歌に限ってそれがない。本巻のような編集法をしている巻では、編者は人麿歌集の歌に限って、特別な扱いをしている。本巻もそれと同じにしたのである。ここの歌はすべて霞の歌で、後にこれと同じく「霞を詠める」という題を立ててあるのを見ても、このことは明らかである。人麿歌集に題がなかったので、原形を変えまいとしたのかもしれぬ。
 
1812 ひさかたの 天《あめ》の香具山《かぐやま》 この夕《ゆふべ》 霞《かすみ》たなびく 春立《はるた》つらしも
    久万之 天芳山 此夕 霞霏※[雨/微] 春立下
 
【語釈】 ○ひさかたの天の香具山 「ひさかたの」は、「天」の枕詞。「天の」は、香具山を讃えて添える語で、慣用されているもの。「香具山」は、三山の一で、人麿のいた藤原京のほとりの山。既出。○この夕霞たなびく 初春の薄霞で、昼は紛れて目につかないほどのものも、夕方、山を背景にしているために薄白く見えるのを、夕方になってにわかに立ったもののごとくいっているのである。○春立つらしも 「春立つ」は、暦の上の立春という語からきているものと取れる。「らしも」は、推量に詠歎の添ったもの。
【釈】 ひさかたの天の香具山に、この夕方、霞がたなびいている。春が立つらしい。
【評】 藤原京に住んでいる人麿が、初春の夕方、京近い香具山に、ほの白く霞のかかっているのを発見して、その来るのを待(335)っていた春の、ゆくりなく身近かに来ていることを示された感がして、喜んだ心である。京近く三山のあるうち、特に香具山を捉えて、「ひさかたの天の香具山」と重い言い方をし、「この夕霞たなびく」と、今にわかに立ったもののごとく感覚的な言い方をして、「春立つらしも」と、その喜びを言外に置いている詠み方は、単に実景をいっただけのものではなく、その形がすでに気分となっているものである。調べの暢びやかに豊かなところは、さらに気分そのものの具象である。若い人暦を思わせるに足りる歌である。
 
1813 巻向《まきむく》の 檜原《ひはら》に立《た》てる 春霞《はるがすみ》 おほにし思《おも》はば なづみ来《こ》めやも
    卷向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方
 
【語釈】 ○巻向の檜原に立てる春雪 「巻向の檜原」は、巻向山中の檜原で、三輪山に続く地。奈良県磯城郡大三輪町穴師(旧纏向村)。巻七(一〇九二)に出た。人麿の妻のいた地である。「春霞」は、古くは霞と霧の差別がなかったので、特に断わった称。以上三句、霞のはっきりしない状態から「おほ」につづけて、その序詞。○おほにし思はば 「おほに」は、漠然と、おおよそに。「し」は、強意の助詞。おおよそに思うのであったらで、思う対象は妻。○なづみ来めやも 「なづみ」は、骨を折って。「や」は、反語。「も」は詠歎。
【釈】 巻向の檜原にかかっている霞のはっきりとしていない、それに因みある、おおよそに妹を思うのであったならば、このように骨を折って訪うて来ようか、来はしないことよ。
【評】 巻向の檜原に霞が深くかかっている頃、その地にいる妻を訪うて、そうした時、自分の真実を示すために、労苦してきたことをいうのが型となっている、その範囲での歌である。互いに眼前に見ている檜原の霞を捉え、それを一方ならず思う意の「おほに」の序にしているのが技巧であるが、それが重みをもったものであるにかかわらず、こうした際の歌に伴いやすい誇張のない「おほに」としっくり溶け合って、一首をおちついた、しかも艶のあるものにしている。これは相聞の範囲の歌である。
 
(336)1814 古《いにしへ》の 人《ひと》の植《う》ゑけむ 杉《すぎ》が枝《え》に 霞《かすみ》たなびく 春《はる》は来《き》ぬらし
    古 人之殖兼 杉枝 霞霏※[雨/微] 春者來良芝
 
【語釈】 ○古の人の植ゑけむ 「古の人」は、広く漠然といったもの。「植ゑけむ」は、植えたであろうと推量しているので、「けむ」は連体形。これは眼に見ている老杉をこのように推量しているのである。○杉が枝に 「枝」は、杉の四方に張った枝で、意味としては杉というのと同じであるが、それを感覚的に言いかえたもの。○春は来ぬらし 「ぬ」は完了で、春は来たらしい。
【釈】 古の人が植えたであろう杉の木の枝に、霞がかかっている。春は来たらしい。
【評】 心としては、霞を見て春の来たことを推量するもので、類型的なものである。しかしそれをいうに、対照法を用いて感覚的に、同時に深みある言い方をしているところに、人麿の特色がある。特に杉の木を捉えているのは、その暗縁と、霞のほの白さを対照させてきわだたせようがためで、杉といえば足りることを、杉が枝といっているのも、その心よりのことである。また、事実としては老杉であるのを、「古の人の植ゑけむ」と、人事的に、しかも遠い古にまでも溯りうるものに言いかえ、それと今年の春のしるしとして新たに現われてきた霞とを結び合わせているのは、これまた対照法を用いて悠久な時の気分を絡ませようとしたのである。普通の人であれば一首の取材ともなりかねるほどのものを捉え、人麿の気分に溶かして詠み生かした歌で、目には立たないが、人麿独自の、いわゆる渋い歌である。
 
1815 子《こ》らが手《て》を 巻向山《まきむくやま》に 春《はる》されば 木《こ》の葉《は》凌《しの》ぎて 霞《かすみ》たなびく
    子等我手乎 卷向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏※[雨/微]
 
【語釈】 ○子らが手を巻向山に 「子ら」は、「ら」は接尾語で、「子」はここは、女に対しての愛称。その手を纏《ま》く、すなわち枕とする意で、「巻」にかかる枕詞。「巻向山に」は、巻向山全体にの意。○春されば 春が来たので。○木の葉凌ぎて 「凌ぎて」は、ここは押し分けてで、霞のいちめんに蔽っているのを、強めて、くぐり入ってとしたもの。
【釈】 可愛ゆい女の手を巻くに因《ちな》みある巻向山に、春が来たので、木の葉を押し分けくぐり入って、霞が靡いている。
【評】 春が深くなって、巻向山に全面的に霞のかかっているのを、快く眺めやっての心である。「木の葉凌ぎて」は、霞の深(337)さよりの推量で、深さの具象化である。「子らが手を」は、そこに妻をもっているところより浮かんだ枕詞で、「木の葉凌ぎて」と気分の上で溶け合って、相俟って一首を渾然としたものにしている。
 
1816 玉《たま》かぎる 夕《ゆふ》さり来《く》れば さつ人《ひと》の 弓月《ゆつき》が嶽《たけ》に 霞《かすみ》たなびく
    玉蜻 夕去來者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏※[雨/微]
 
【語釈】 ○玉かぎる夕さり来れば 「玉かぎる」は、玉のもつ光がほのかで、夕方の光に似ているところから、意味で「夕」にかかる枕詞。「夕さり来れば」は、夕方と時が移って来ればで、夕さればと同じ。二句、巻一(四五)に出た。○さつ人の弓月が嶽に 「さつ人の」は、猟人の持つ弓の意で、「弓月」にかか枕詞。
【釈】 光ほのかな夕方となると、猟人の弓という弓月が嶽に霞がたなびく。
【評】 巻向の妻の家に、春の日、昼から夕方へかけていて、夕暮れ、その山中の最高峰である弓月が嶽の霞が目に立ってきたのに興を感じての歌である。捉え方は第一首目の香具山の夕霞と同じで、異なるのは、これは春が深くなって、霞が高い峰に及んでいる点である。「玉かぎる夕さり来れば」と、夕方の微光の美しさをいうために枕詞を用いて強くいい、また、弓月が嶽も「さつ人の」と枕詞を添えて重く言っているのは、調べによって、感覚を通しての気分を具象するためである。きわめて単純な取材が、充足した一首となっている。
 
(338)1817 今朝《けさ》行《ゆ》きて 明日《あした》は来《こ》ねと 言《ゝ》ひしがに 朝妻山《あさつまやま》に 霞《かすみ》たなびく
    今朝去而 明日者來年等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏※[雨/微]
 
【語釈】 ○今朝行きて 下の続きで、朝、夫が妻の家から帰ろうとする時、妻のいった語で、今朝は帰って行って。○明日は来ねと云ひしがに 原文「明日者来年等云子鹿丹」。「年」は、定本ほか大方の諸本「牟」となっているが、『全註釈』は、元暦校本、類聚古集は「年」となっているとして、それらに従ったものである。この二句は、諸注訓み難くしている。古く「子鹿丹」を「しかすがに」と訓み、それを動かし難いものに見、それでは意の通じないところから誤写説が出て、とどまるところを知らない形である。『全註釈』のこの訓は、比較的すなおなもので、現在のところ最も進んだものである。「明日は来ねと」は、上をうけて、妻のいった語。「云ひしがに」は、「がに」は、ばかりに、ほどにの意の助詞で、いったほどにで、全体では、今朝は帰って、明日はいらっしゃいといったほどにで、朝の妻の状態で、「朝妻」の序詞。「がに」より「朝妻」への続きに曖昧さがあるが、今はこれに従う。○朝妻山に 奈良県南葛城郡葛城村字朝妻(現、御所《ごせ》市朝妻の地)にある山で、金剛山に連なっている。
【釈】 今朝は帰って行って、明日はいらっしゃいといったほどに、その朝妻山に霞が靡《なび》いている。
【評】 霞のかかっている朝妻山を見、その名に興味をもち、朝妻の状態を想像して序詞としたものである。一首の興味は序詞にあるのであるが、暖味なところがあるのは残念である。明るい、謡い物の脈を引いた歌である。
 
1818 子《こ》らが名《な》に 懸《か》けの宜《よろ》しき 朝妻《あさつま》の 片山《かたやま》ぎしに 霞《かすみ》たなびく
    子等名丹 關之宜 朝妻之 片山木之尓 霞多奈引
 
【語釈】 ○子らが名に懸けの宜しき 「子らが名に」は、「子ら」は、妻の愛称で、「ら」は接尾語。「名に」は、名として。「懸けの宜しき」は、関係させていうに好いで、意味で「朝妻」にかかる序詞。○朝妻の片山ぎしに 「朝妻」は、上の歌と同じ。「片山ぎし」は、山の一方が断崖になっているところの称。
【釈】 可愛ゆい妻の名として、懸けていうに好い朝妻山の、こちらの断崖面に、霞がかかっている。
【評】 これは前の歌と連作関係になっており、朝妻山の裾の辺りを行きながら、こちらに向いた断崖面に、霞のかかっているのに興を起こしての歌である。断崖面はおそらく赤い粘土層で、それにほの白くかかっている霞が印象的だったのであろう。そ(339)れをいうにも朝妻という名に序詞を添えずにはいられないところに、人麿の風がある。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人麿謌集出。
 
     鳥を詠める
 
18189 打靡《うちなび》く 春《はる》立《た》ちぬらし 吾《わ》が門《かど》の 柳《やなぎ》のうれに 鶯《うぐひす》鳴《な》きつ
    打罪 春立奴良志 吾門之 柳乃宇礼尓 ※[(貝+貝)/鳥]鳴都
 
【語釈】 ○打靡く春立ちぬらし 「打靡く」は、「打」は、接頭語。「靡く」は、春は草木の柔らかく靡く意でかかる「春」の枕詞。○吾が門の柳のうれに 「門の柳」は、用例の多いもので、「柳」はしだれ柳。漢土より渡来した木で、鑑賞用の物だったのである。「うれ」は、枝の末端。
【釈】 草木のなびく春が来たのであろう。わが門の柳の枝の末に、鶯が鳴いた。
【評】 春の来たのを喜ぶ心であるが、静止的で、平面的であり、「柳のうれに」と特に「うれ」を捉えていっているのは、実際的というよりも、繊細味を好む気分のものである。また、「打靡く春立ちぬらし」と初二句でいった上で、春の景を叙しているのも、暦の意識が強く働いていることを示しているものである。奈良朝に入っての好尚を見せている歌である。
 
1820 梅《うめ》の花《はな》 咲《さ》ける岡辺《をかべ》に 家《いへ》居《を》れば 乏《とも》しくもあらず 鶯《うぐひす》の声《こゑ》
    梅花 開有岳邊尓 家居者 乏毛不有 ※[(貝+貝)/鳥]之音
 
【語釈】 ○家居れば 後世の、家居し居ればで、家居るは熟語。○乏しくもあらず 少なくはないの意。
【釈】 梅の花の咲いている岡の辺りに暮らしているので、少なくはないことだ。鶯の声は。
【評】 山寄りに住んでいる人の、その住地に対しての自足の心である。自身を小さく、自然を大きく、そしてその自然を美の(340)拡がりのごとく見て、そこに喜びを感じている心で、知識人の心である。歌も平面的に、平静で、おおらかさをもっている。梅と鶯がいや味ないものになっているのは、おおらかさのためである。奈良朝に入っての、身分高くない人の歌と思われる。
 
1821 春霞《はるがすみ》 流《なが》るるなへに 青柳《あをやぎ》の 枝《えだ》喙《く》ひ持《も》ちて 鶯《うぐひす》鳴《な》くも
    春霞 流共尓 青柳之 枝喙持而 ※[(貝+貝)/鳥]鳴毛
 
【語釈】 ○春霞流るるなへに 「春霞」は、上に出た。「流るる」は、水だけではなく、雨、雪の降る状態、風の吹く状態にもわたっていっている。横にも縦にも、継続して動くことをあらわす語。「なへに」は、共に。春霞の動いているのとともに。○青柳の枝喙ひ持ちて 「枝喙ひ持ちて」は、青柳の細い枝に縋って、とまっている状態を、鶯のほうを主としていったもの。これは正倉院の御物にある花喰い鳥の模様などを連想したものと思われる。実際には、枝をくわえては鳴けないからである。
【釈】 春の霞が動くとともに、若葉した柳の細い枝を嘴にくわえ持って、鶯が鳴いている。
【評】 霞のしろじろと移動している中に立っている青柳の枝に鶯がとまっていて、枝とともに揺れながら、その枝を口にくわえて身を保ちつつ鳴いているというのである。眼に見た景と、記憶にある模様とが絡み合い、一つの気分となったものを詠んだ歌である。軽い静かな歌で、画の静に動を与えたような歌である。題画の歌とするとふさわしいものである。
 
1822 吾《わ》が背子《せこ》を な巨勢《こせ》の山《やま》の 喚子鳥《よぷこどり》 君《きみ》喚《よ》びかへせ 夜《よ》の深《ふ》けぬとに
    吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
 
【語釈】 ○吾が背子をな巨勢の山の 「吾が背子」は、夫の愛称。「な巨勢の山」は、「な越し」すなわち越して行くなと続け、越しを巨勢に転じた(341)もので、「な越し」までは序詞である。事としては、夫は巨勢山を越して帰ってゆくので、それをやりたくない心で、実情を序詞の形にしたものである。「巨勢の山」は、奈良県南葛城郡の丘陵。○喚子鳥 今のかっこう鳥で、鳴き声が人を喚ぶようなところからの名。呼びかけ。○君喚びかへせ 「君」は、上のわが背子。「喚びかへせ」は、わがもとに呼び返せよ。○夜の深けぬとに 「とに」は、うちに、ほどに。
【釈】 わが背子が越しては行くなという名に因みある巨勢の山の喚子鳥よ。君を呼び返せよ。夜の更けないうちに。
【評】 巨勢に住む女の、山を越してかよって来る男の、夜の更けないうちに帰って行ったのに対し、心を残しての歌である。「巨勢」に、「来せ」「越せ」と懸けている用例は少なくなく、物の名はその名のごとき神秘力をもっているものだとする上代の信仰につながりのあるからのことである。「喚子鳥」も同様である。作者が女性であるので、この信仰はことに深かったろうと思わせる。「夜の深けぬとに」は、心残りからばかりではなく、夜道の山越えに対する不安も伴なってのものである。この歌は、謡い物の色彩のかなり濃厚なものである。巨勢の地に行なわれていた謡い物ではなかったか。雑歌ではなく相聞の範囲のものである。
 
1823 朝《あさ》ゐでに 来鳴《きな》く貌鳥《かほどり》 汝《なれ》だにも 君《きみ》に恋《こ》ふれや 時《とき》終《を》へず鳴《な》く
    朝井代尓 來鳴杲鳥 汝谷文 君丹戀八 時不終鳴
 
【語釈】 ○朝ゐでに 「ゐ」は井で、飲用水の総称。「ゐで」は「ゐぜき」に同じで、「せき」は、堰で、水の流れを堰きとめる物。流れ川を堰でとめて飲用水にしている所である。「朝」は、それを見た時刻をあらわしている。朝の井堰に。○来鳴く貌鳥 貌鳥は諸説があって定まらない。歌で見ると、間断なく鳴く習性をもった鳥なので、かっこう鳥ではないかという。それだと喚子鳥と同じになる。かっこう鳥は初夏の頃に渡って来る鳥で、春の鳥とは言い難いので、その点で疑問が残る。これは上の歌についてもいえることである。疑問を残しておく。呼びかけ。○汝だにも君に恋ふれや 「汝だにも」は、お前のごとき者さえも。「君に恋ふれや」は、已然条件法で、君を恋えばにや。「君」は夫で、作者はその妻。○時終へず鳴く 終える時なく、やまず鳴いているで、「鳴く」は「や」の結、連体形。この句も、貌鳥のかっこう鳥のごとく鳴くことを示している。
【釈】 朝の井堰の上に来て鳴いている貌鳥よ、お前のごとき者までも君を恋うるのであろうか、終わる時もなく鳴いている。
【評】 夫を待ち続けている女が、女の役として、朝、井である流れ川へ水を汲みに来ると、井堰の上に貌鳥が来て鳴きつづているので、やるせない心からそれをうれしく思い、お前のごとき者までも君を恋うて鳴くのかといったのである。極度に実際生活に即した、庶民的な歌である。素朴で、直截で、声の太さがある。
 
(342)1824 冬《ふゆ》ごもり 春《はる》さり来《く》らし あしひきの 山《やま》にも野《の》にも 鶯《うぐひす》鳴《な》くも
    冬隱 春去來之 足比木乃 山二文野二文 ※[(貝+貝)/鳥]鳴裳
 
【語釈】 ○冬ごもり春さり来らし 「冬ごもり」は、巻一(一六)に出た。「春」にかかる枕詞。「さり来らし」は、移って来るらしい。
【釈】 春が移って来るらしい。山にも、野にも、鶯が鳴いている。
【評】 春を楽しい時として、概念的に憧れを抱き、その春の現われを広く山野の鶯に認めて喜んでいる心である。平明をきわめた詠み方であるが、調べには繊細ながら張ったものがあって、憧れ気分を具象している。
 
1825 紫《むらさき》の 根延《ねは》ふ横野《よこの》の 春野《はるの》には 君《きみ》を懸《か》けつつ 鶯《うぐひす》鳴《な》くも
    紫之 根延横野之 春野庭 君乎懸管 ※[(貝+貝)/鳥]名雲
 
【語釈】 ○紫の根延ふ横野の 「紫」は、紫草で、その根を紫色の染料としたもの。「根延ふ」は、根を張っている。「横野」は、地名で、今の大阪市生野区巽大地町で、そこに『延喜式』神名帳に載っている横野神社がある。○春野には 春の野にはで、横野を季節的に言いかえたもの。○君を懸けつつ 「君」は、作者の夫。「懸けつつ」は、心に懸けつつで、恋しがりつつ。
【釈】 紫草の根を張っている横野の、この春野には、君を恋しがりつつ鶯が鳴いている。
【評】 横野に住んでいる人妻が、その逢い難い夫を恋しがっているおりから、その野に鳴きつづけている鶯の声を聞き、自分の心から迎え聞いて、鶯も君を恋しがっているのだと感じたので、上の貌鳥と同じく感情移入の歌である。これらは譬喩という対立的の心を超えて、物は即我であるとする心よりのものである。また、その住む横野を、「紫の根延ふ」という、貴い美しさを連想させるものをもって修飾し、我をも鶯という可隣なものによってあらわしているのは、作者の生活に対する気分をあらわしているものである。女性の歌で、一首、上代的の気分を伝えて保っているものである。
 
1826 春《はる》されば 妻《つま》を求《もと》むと 鶯《うぐひす》の 木末《こぬれ》を伝《つた》ひ 鳴《な》きつつもとな
(343)    春之在者 妻乎求等 ※[(貝+貝)/鳥]之 木末乎傳 鳴乍本名
 
【語釈】 ○春されば 原文「春之在者」。「在」は「去」とある古写本もあるが、元暦本その他は「在」なので、『全註釈』はそれに従い、「春しあれば」と訓んでいる。「春されば」はきわめて熟した語なので、「之在者」は「されば」に当てた用字とみておく。春となったので。○妻を求むと 鶯が一羽で鳴いているのを、妻を求める声と聞いたのである。これはしやすい連想である。○木ぬれを伝ひ鳴きつつもとな 「木ぬれを伝ひ」は、梢から梢へと枝移りして。「鳴きつつもとな」は、「もとな」は由《よし》なくで、由なくも鳴きつづけている。
【釈】 春となったので、妻を得ようとて鶯は、梢から梢へと枝移りして、由なくも鳴きつづけている。
【評】 妻のない男が、春になると妻欲しい心が動いているおりから、鶯がしきりに枝移りをしているのを見て、自身の心を移入して、鶯も妻を求めて、由もなく鳴きつづけているのだと、隣れんだのである。気分のほうが勝ちすぎて、巧みだとはいえない歌であるが、そこに個性的なところが見えて、奈良時代の新しい歌と思わせるものである。
 
1827 春日《かすが》なる 羽易《はがひ》の山《やま》ゆ 佐保《さほ》の内《うち》へ 鳴《な》き往《ゆ》くなるは 誰喚子鳥《たれよぶこどり》
    春日有 羽買之山從 狹帆之内敞 鳴往成者 孰喚子鳥
 
【語釈】 ○春日なる羽易の山ゆ 「羽易の山」は、巻二(二一〇)に出、人麿が死んだ妻が現われていると聞き、探しに行った山である。名が伝わらず、したがって所在不明で、諸説があるが、いずれも推測のものである。「ゆ」は、そこをとおって。○佐保の内へ 「佐保の内」は、佐保山と佐保川の間の(奈良市法蓮町辺り)一帯の地の称。○誰喚子鳥 「喚」は、掛詞になっており、誰を喚ぷ喚子鳥なのか。喚子鳥をかっこう鳥としても、鳴きながら飛ぶということは不自然である。
【釈】 春日にある羽易の山をとおって、佐保の内へ鳴いて飛んで行くのは、誰を喚ぶ喚子鳥なのか。
【評】 喚子鳥がかっこう鳥であるないは問題であるが、喚子鳥は片恋をする鳥だということは次の平安朝時代へも継承されたことで、ここもそれである。春日の羽易をとおって佐保の内へ鳴いて行くというのは、喚子鳥としては特殊の路で、その時に聞いた喚子鳥という狭い意味のものではなく、この歌の作者の感情の移入されている喚子鳥と取れる。さらにいえば、この喚子鳥は作者の片恋の嘆きを代弁して鳴いているのである。歌とすれば、作者の気分を具象している喚子鳥であるが、単なる感情的気分の具象ではなく、作者の知性の加わった複雑な感情を気分的に具象したものなのである。奈良時代の新しい傾向の歌である。
 
(344)1828 答《こた》へぬに な喚《よ》び響《とよ》めそ 喚子鳥 《よぶこどり》 佐保《さほ》の山辺《やまべ》を 上《のば》り下《くだ》りに
    不答尓 勿喚動曾 喚子鳥 佐保乃山邊乎 上下二
 
【語釈】 ○答へぬにな喚び響めそ 喚んでも答がないのに、高く喚び立てることはするなで、命令。○喚子鳥 呼びかけ。○佐保の山辺を上り下りに 「佐保の山辺」は、上の歌の佐保の内で、山寄りの高地。「上り下りに」は、喚子鳥が、その高地へ上るにつけ、下るにつけて。
【釈】 喚んでも答がないのに、高く喚び立てることはするなよ。喚子鳥よ。佐保の山辺を上り下りするにつけて。
【評】 『代匠記』は、この歌は上の歌と連作だといっている。従うべき解である。この歌では作者は、前の歌よりも一段と感情移入していて、この歌では喚子鳥はまさしく作者自身である。作者は佐保の山辺に懸想した人があり、そこへ往復しているが、甲斐がないので、片恋を嘆きつつその高地へ上りつ下りつしているのである。それで我とその苦しい恋をやめよと諌めている心を、喚子鳥に寄せていっているのである。この歌は暗示に終始しているもので、譬喩歌としてはその上乗なものである。
 
1829 梓弓《あづさゆみ》 春山《はるやま》近《ちか》く 家居《いへゐ》して 続《つ》ぎて聞《き》くらむ 鶯《うぐひす》の声《こゑ》
    梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 ※[(貝+貝)/鳥]之吾
 
【語釈】 ○梓弓春山近く 「梓弓」は、張ると続き、春に転じて、その枕詞。「春山近く」は、春の山に近い辺りにで、そこを鶯の多いところとしてのもの。○家居して 住んでいて。○続ぎて聞くらむ 絶えず聞いていよう。
【釈】 梓弓春山に近い辺りに住んでいて、絶えず聞くであろう。鶯鴛の声を。
【評】 京に住んでいる人が、山近く住んでいる人に贈った歌で、春山に近い家とて、京では稀れにしか聞かない鶯を、絶えず聞いているだろうと、憧れの心をいったものである。自然を美しく楽しいものとし、また重いものとしている心で、奈良朝の上流人の心である。
 
1830 うち靡《なび》く 春《はる》さり来《く》れば 小竹《しの》の末《うれ》に 尾羽《をは》うち触《ふ》れて 鶯《うぐひす》鳴《な》くも
(345)    打靡 春去來者 小竹之末丹 尾羽打觸而 ※[(貝+貝)/鳥]鳴毛
 
【語釈】 ○小竹の末に 小さい竹の先に。○尾羽うち触れて 「尾羽」は、尾の羽根。「触れ」は、使役で、下二段活用。鶯の小竹にとまっている格好を叙したもの。
【釈】 うち靡く春が来たので、小竹の先に尾羽を触れてとまって、鶯が鳴いている。
【評】 矚目したことを叙した形のものであるが、鶯の小竹の先にとまっている格好を甚だ可愛ゆいものに感じ、それを「尾羽うち触れて」といっているのである。「うち靡く春」と一体となって、印象的である。微細感を喜ぶ心よりの歌で、上の(一八一九)の「柳のうれに鶯鳴きつ」、(一八二一)の「枝喙ひ持ちて鶯鳴くも」と同系のものである。奈良朝時代の歌で、すでに時代的好尚となっていたとみえる。
 
1831 朝霧《あさぎり》に しののに濡《ぬ》れて 喚子鳥《よぶこどり》 三船《みふね》の山《やま》ゆ 鳴《な》き渡《わた》る見《み》ゆ
    朝霧尓 之努々尓所沾而 喚子鳥 三船山從 喧渡所見
 
【語釈】 ○朝霧にしののに濡れて 「しののに」は、今、しっぽりとというにあたる。朝霧のかかっている中を飛んでいるところから、推量しているものである。○三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ 「三船の山」は、今、吉野離宮の址近く、菜摘(奈良県吉野郡吉野町菜摘)の東南方にあり、御舟山と呼ばれている。「ゆ」は、とおって。「鳴き渡る」は、鳴いて飛んでゆくで、「渡る」は、終止形。
【釈】 朝霧にしっぽりと濡れて、喚子鳥が、三船の山をとおって鳴いて飛んでゆくのが見える。
【評】 吉野の離宮近い辺りに宿って、朝、霧の甚だ深い中を、喚子鳥の鳴きながら飛んでゆくのを見ての歌である。景そのものがすでに気分であるが、作者は「しののに濡れて」とさらに誇張した言い方をしている。この誇張は気分化である。喚子鳥は片恋をする鳥であり、「三船の山ゆ鳴き渡る」は、京の方角をさしてのこととみえる。それだと喚子鳥は作者自身であって、それをきわめて婉曲にあらわしているのである。一見、単なる叙景で、それが同時に気分の表現となっているという、奈良朝時代の歌である。その中でもこれは、品位のあるものである。
 
(346)     雪を詠める
 
1832 うち靡《なぴ》く 春《はる》さり来《く》れば しかすがに 天雲《あまぐも》霧《き》らひ 雪《ゆき》は降《ふ》りつつ
    打靡 春去來者 然爲蟹 天雲霧相 雪者零管
 
【語釈】 ○しかすがに それはそうではあるが、と打返す意の副詞で、したがって、しかし、という余意をもっている。
【釈】 うち靡く春となってくると、そうではあるが、雲が掻き曇って、雪が降り降りする。
【評】 季節そのものの中に含まれている矛盾性を痛感した心である。季節の移り目に、二つの季節が相交錯するのは、季節感の最も強く起こる時であるが、憧れの季節である春にはことにその感の強いもので、この歌はそれである。この感は、暦の知識によって強められている意味もあろう。類想の歌が多く、一般性をもったものとなっている。奈良朝時代の心である。
 
1833 梅《うめ》の花《はな》 降《ふ》り覆《おほ》ふ雪《ゆき》を 裹《つつ》み持《も》ち 君《きみ》に見《み》せむと 取《と》れば消《け》につつ
    梅花 零覆雪乎 裹持 君令見跡 取者消管
 
【語釈】 ○梅の花降り覆ふ雪を 梅の花の上に降り積もっている雪を。○裹み持ち 「裹み」は、物に包んで。「持ち」は、添えた語。○君に見せむと取れば消につつ 「君」は、作者は妻で、その夫。「取れば」は、手に取れば。「消に」は、「に」は完了、「つつ」は継続。
【釈】 梅の花を降り蔽っている雪を、物に包んで、君に見せようと思って手に取ると、消えつ消えつする。
【評】 事は明らかである。巻八(一六一八)「湯原王、娘子に贈れる歌」に、「玉に貫き消たず賜《たば》らむ秋萩のうれわわら葉に置ける白露」があり、物も男女の位置も異なってはいるが、清らかな、小さい、亡びやすい物に心を引かれる点は同じで、時代的好尚に近いものとなっていたかに見える。
 
1834 梅《うめ》の花《はな》 咲《さ》き散《ち》り過《す》ぎぬ しかすがに 白雪《しらゆき》庭《には》に 降《ふ》り重《し》きにつつ
(347)    梅花 咲落過奴 然爲蟹 白雪庭尓 零重管
 
【語釈】 ○咲き散り過ぎぬ 咲いて、散り去ったで、春の季節のまさしく現われていることをいったもの。○降り重きにつつ 「重き」は、敷きで、積もる意。
【釈】 梅の花は咲いて散り去った。それはそうであるが、白雪は庭に降り積もり降り積もりしている。
【評】 上の(一八三二)と同じく、季節の矛盾性に対する嘆きである。梅の花を春の物、白雪を冬の物としていっているのは、季節感の固定を示しているものである。
 
1835 今更《いまさら》に 雪《ゆき》降《ふ》らめやも かぎろひの 燃《も》ゆる春《はる》べと なりにしものを
    今更 雪零目八万 蜻火之 燎留春部常 成西物乎
 
【語釈】 ○今更に雪降らめやも 「今更に」は、今は新たに。「や」は、反語。○かぎろひの燃ゆる春べと 「かぎろひ」は、陽炎。「燃ゆる」は、「かぎろひ」の「ひ」に火を感じてである。「春べ」は、春の頃。○なりにしものを なったのにで、「に」は完了の助動詞。「し」は過去の助動詞。
【釈】 今になって新たに雪が降ろうか。陽炎の燃える春となったものを。
【評】 上の歌と同じく、季節の矛盾性に対しての感であるが、この歌では訝《いぶか》りや嘆きを超えて、憤りとなっているものである。憤りは、春に対する憧れの強さの反面である。純抒情の歌であるが、現に降っている春の雪に対しての感であるために、心はおのずからに単純で、形も直線的であり、調べも張っていて、空疎な感を起こさせない歌である。
 
1836 風《かぜ》交《まじ》り 雪《ゆき》は降《ふ》りつつ しかすがに 霞《かすみ》たなびき 春《はる》さりにけり
    風交 雪者零乍 然爲蟹 霞田菜引 春去尓來
 
【語釈】 ○風交り雪は降りつつ 風がまじって雪が降り降りしてで、今の吹雪である。巻五(八九二)山上憶良の歌に類似の句法が出たもの。○春さりにけり 「に」は、完了、「けり」は、詠歎。
(348)【釈】 風がまじって雪が降りつつ、そうではあるが、霞がたなびいて春が来たことである。
【評】 同じく季節の矛盾性を詠んでいる歌であるが、この作者は、冬の光景の中に春の光景を捉えて、その捉え得た春を喜んでいるのである。憧れではなく、現在の喜びで、その点が異なっている。上の数首の歌に較べると、古風な歌である。
 
1837 山《やま》の際《ま》に 鶯《うぐひす》鳴《な》きて うち靡《なび》く 春《はる》と念《おも》へど 雪《ゆき》降《ふ》り重《し》きぬ
    山際尓 ※[(貝+貝)/鳥]喧而 打靡 春跡雖念 雪落布沼
 
【語釈】 ○山の際に 山と山との間に。○雪降り重きぬ 「重きぬ」は、敷きぬで、地上に積もった。
【釈】 山と山との間には鶯が鳴いて、うち靡く春だと思うが、ここには雪が降り積もった。
【評】 同じく季節の矛盾性を扱ったものである。この作者は、矛盾している事象そのものをいうことが主になっていて、それに伴う感の動きを見せることが少ない。固定した季節感を持っていたためと思われる。
 
1838 峰《を》の上《うへ》に 降《ふ》り置《お》ける雪《ゆき》し 風《かぜ》の共《むた》 ここに散《ち》るらし 春《はる》にはあれども
    峯上尓 零置雪師 風之共 此間散良思 春者雖有
 
【語釈】 ○峰の上に降り置ける雪し 「峰の上」は、「峰」は、左注によって筑波山の山頂である。「降り置ける雪し」は、降り積もっている雪がで、山の他の部分の雪は消えて、山頂のものだけが残っているのをさしたもの。「し」は、強意の助詞。○風の共ここに散るらし 「風の共」は、山頂より吹き下ろして来る風とともに。「ここに」は、作者の今いる所で、峰を仰ぐ位置。「散るらし」は、飛び散ってくるのであろう。○春にはあれども 「は」は、強意のもの。今は雪の降るべくもない春ではあるけれども。
【釈】 山頂に降り積もっていた雪が、吹き下ろす風とともにここに飛び散ってくるのであろう。今は雪の降るべくもない春ではあるけれども。
【評】 高山に馴れない作者が、春、筑波山に登り、たまたまそこで見かけた雪の状態の珍しいのに興をもっての歌である。京の人で、その方面に旅していた人とみえる。
 
(349)     右の一首は、筑波山にて作れる。
      右一首、筑波山作。
 
1839 君《きみ》がため 山田《やまだ》の沢《さは》に 恵具《ゑぐ》採《つ》むと 雪消《ゆきげ》の水《みづ》に 裳《も》の裾《すそ》ぬれぬ
    爲君 山田之澤 惠具採跡 雪消之水尓 裳裾所沾
 
【語釈】 ○君がため 「君」は、妻より夫をさしての称。○山田の沢に恵具採むと 「山田」は、丘陵地帯にある田。「沢」は、浅く水の溜まっている地の称。これは山田のある部分が沢となっている所。「恵具」は、莎草《かやつりぐさ》科の多年生草本で、烏芋《くろくわい》という。池沼などの水中に生じる物で、その塊茎を食料とする。ここは、採むといい、また雪消の頃なので、その芽であったとみえる。○雪消の水に裳の裾ぬれぬ 「雪解の水」は、沢の水のその時の状態で、水が多くなっていた意のもの。「裳の裾ぬれぬ」は、沢に立入った結果で、侘びしさとしていったもの。
【釈】 君に差し上げるために、山田の沢の恵具を摘むとて、雪解けの水でわが裳の裾は濡れた。
【評】 これは妻が夫のもとへ、恵具を贈ってやるのに添えたもので、挨拶の歌である。品物を贈る際、贈り主の心のこもった物であることをいうのは、古来よりの風習となっていることで、「裳の裾ぬれぬ」は、儀礼としてその労苦をいったのである。相手を重んずる心より起こった風習である。
 
1840 梅《うめ》が枝《え》に 鳴《な》きて移《うつ》ろふ 鶯《うぐひす》の 羽《はね》白妙《しろたへ》に 沫雪《あわゆき》ぞ降《ふ》る
    梅枝尓 鳴而移徙 ※[(貝+貝)/鳥]之 翼白妙尓 沫雪曾落
 
【語釈】 ○梅が枝に鳴きて移ろふ 「梅が枝」は、梅の花の咲いている枝。「移ろふ」は、「移る」の継続。木伝いを続けている意。○羽白妙に沫雪ぞ降る 「白妙」は、ここは白色の意で、まっ白く。「沫雪」は、沫のごとき雪で、作の大きい柔らかな、消えやすい雪をいう。大体春の雪にいうが、冬の雪にもいう。「降る」は、「ぞ」の結で、連体形。
【釈】 梅の花の咲いている枝に、鳴いて木伝いを続けている鶯の、羽をまっ白にして沫雪の降っていることである。
(350)【評】 この歌も、事象としては季節の矛盾性であって、春のものの梅の花が咲き、鶯が来て鳴いているのに、冬のものの雪が降っているのである。しかるにこの作者は、その矛盾性を認めないのみならず、矛盾性そのものを溶合させて、かえって美観と感じているのである。作者は事象をいっているごとくであるが、じつは美観をいおうとしているもので、そのために相応な無理をしているのである。「羽白妙に沫雪ぞ降る」ということは、実際にはありうべからざることである。またそうした大雪の時には、「鳴きて移ろふ鶯」も眼に映じそうにも思われない。それを当然のことのように続けているのは気分のさせていることなのである。動的な事象をいいながら、静的な感を与えているのも、同じく作者の気分のさせることである。耽美気分の濃厚な作で、時代も関係していよう。手腕のある作者の歌である。
 
1841 山《やま》高《たか》み 降《ふ》り来《く》る雪《ゆき》を 梅《うめ》の花《はな》 散《ち》りかも来《く》ると 念《おも》ひつるかも
    山高三 零來雪乎 梅花 落鴨來跡 念鶴鴨
 
【語釈】 ○山高み降り来る雪を 「山高み」は、山が高いゆえにで、高山は降る雪の多いところ。「雪を」は、雪であるのにで、「を」は詠歎。○散りかも来ると 「かも」は、疑問の係。
【釈】 山が高いゆえに、降ってくる雪であるのに、梅の花が散ってくるのかと思ったことであるよ。
【評】 高山の裾に住んでいる人が、春に憧れる心から、降って来る雪を、梅の花の散ってくるのかと見まがえたと、嘆きをもっていっているものである。雪と梅の花とを、見まがえるのは、ほとんど常識化していたものである。京の友に贈った歌で、誇張しての愚痴である。
     一に云ふ、梅《うめ》の花《はな》 咲《さ》きかも散《ち》ると
      一云、 梅花 開香裳落跡
 
【解】 四句がちがうだけである。「咲きかも散る」は、散るを主としての語で、例の多いものである。
 
1842 雪《ゆき》を除《お》きて 梅《うめ》にな恋《こ》ひそ あしひきの 山片付《やまかたつ》きて 家居《いへゐ》せる君《きみ》
(351)    除雪而 梅莫戀 足曳之 山片就而 家居爲流君
 
【語釈】 ○雪を除きて梅にな恋ひそ 「雪を除きて」は、「除き」は、「置き」で、ここは、さしおいて。雪を愛《め》でたいものとしての心。○山片付きて 「片付き」は、片よって接してで、山に密着してというにあたる。「片付きて」は、山裾で、一方は山に付いている意。○家居せる君 「君」は、上の歌の作者で、呼びかけ。
【釈】 愛でたい雪をさしおいて、梅の花を恋うることはするな。山に一方を接して家居をしている君よ。
【評】 左注に、「右の二首は問答」とある。山辺の友から上の歌を贈られた人が、京から答えた形の歌である。上の歌も誇張しての愚痴であったが、これも春の季節に、冬のものである雪を愛でよというので、風流を強いたものである。奈良朝時代の知識人の、社交の歌で、どちらもある程度のいや味をもったものである。
 
     右の二首は問答。
      右二首問答
 
     霞を詠める
 
1843 昨日《きのふ》こそ 年《とし》は極《は》てしか 春霞《はるがすみ》 春日《かすが》の山《やま》に はや立《た》ちにけり
    昨日社 年者極之賀 春霞 春日山尓 速立尓來
 
【語釈】 ○年は極てしか 「極て」は、終わるで、昨日こそ旧年は終わったのだ。
【釈】 昨日こそ旧年は終わったのだ。春霞は春日の山に早くも立ったことである。
【評】 時の移りが速やかで、旧年が去ると同時に春のけはいが春日山に現われたと喜んでいるのである。喜びの心からではあるが、時の推移をこのように明るく迎えている歌は少ない。春日山をいっているので、明瞭に奈良京の歌である。時代色といえる。三句以下語つづきが軽く美しい。
 
(352)1844 寒《ふゆ》過《す》ぎて 暖《はる》来《きた》るらし 朝日《あさひ》さす 春日《かすが》の山《やま》に 霞《かすみ》たなびく
    寒過 暖來良思 朝烏指 滓鹿能山尓 霞輕引
 
【語釈】 ○寒過ぎて暖来るらし 「寒」は、冬、「暖」は春に当てた字。感覚を重んじる心からである。○朝日さす春日の山に 「朝日さす」は、その時の実際としていっているものである。下の霞を発見した時だからで、条件的なものである。原文「烏」は太陽の異名、漢籍に「金烏」という。
【釈】 冬が過ぎて春が来ているようである。朝日のさしている春日山に、霞がたなびいている。
【評】 上の歌と同じ心、同じ境である。この歌は朝日のさす時春日山を望んで、そこに微かにかかっている霞が、光線に照らし出されているのを認めて、まさしく春が来ているのだと思っての喜びである。同じ喜びではあるが実際に即して細かく深く感じた喜びである。「朝日さす」が、適切に、重く働いている。
 
1845 鶯《うぐひす》の 春《はる》になるらし 春日山《かすがやま》 霞《かすみ》たなびく 夜目《よめ》に見《み》れども
    ※[(貝+貝)/鳥]之 春成良思 春日山 霞棚引 夜目見侶
 
【語釈】 ○鶯の春になるらし 「鶯の春」は、鶯が時を得がおに盛んに囀る春の意で、春の盛り近い時ということを、具象的に言いかえた語である。○夜目に見れども 「夜目」は、現在も口語に用いている語で、よくは見えない時としていっているもの。
【釈】 鶯の時を得がおに鳴く春になることであろう。春日山に霞がたなびいている。夜目に見るけれども、それとわかるほどに。
【評】 春日山を夜望んで、山を背にたなびいている霞が、夜目にもそれと見えるほど深くなっているところから、鶯の盛んに囀る春になるだろうと思って喜んだ心である。夜目に霞を認めて、その濃度を思う感覚もさることながら、春の盛り近い季節を「鶯の春」という語であらわしているのはじつに巧みである。奈良朝時代の耽美気分が、単に憧れという幼稚なものではなく、すでに身についたものであることを証明しているごとき歌である。
 
     柳を詠める
 
(353)1846 霜枯《しもが》れし 冬《ふゆ》の柳《やなぎ》は 見《み》る人《ひと》の ※[草冠/縵]《かづら》にすべく 萌《も》えにけるかも
    霜干 冬柳者 見人之 ※[草冠/縵]可爲 目生來鴨
 
【語釈】 ○霜枯れし冬の柳は 落葉したしだれ柳はの意。○見る人の 見るほどの人ので、「人」は、大宮人階級である。○※[草冠/縵]にすべく萌えにけるかも 「※[草冠/縵]」は、しばしば出た。植物をわがねて頭に戴くようにした物で、魔除けに始まり、神事を行なう時の物、風流の遊びの時の物となった。ここは風流の遊びの時のもの。「萌え」は、旧訓。「めばえ」とも訓めるが、「もえ」の用例もある。「に」は、完了。「けるかも」は、過去の助動詞「ける」に、詠歎の「かも」の接したもの。
【釈】 霜枯れしていた冬の柳は、見るほどの人が、※[草冠/縵]にするように、若葉してきたことであるよ。
【評】 若葉して来た柳の美しさを讃えた心である。しだれ柳は鑑賞用の物であった上に、※[草冠/縵]にするには格好の物でもある。大宮人として風流の遊びの※[草冠/縵]を連想するのは自然である。初二句は重すぎ、三句は説明的で、巧みとはいえない歌である。
 
1847 浅緑《あさみどり》 染《そ》め懸《か》けたりと 見《み》るまでに 春《はる》の楊《やなざ》は 萌《も》えにけるかも
    淺緑 染懸有跡 見左右二 春楊者 目生來鴨
 
【語釈】 ○浅緑染め懸けたりと うす緑色に、染《そ》めて、懸けてあると。○春の楊は萌えにけるかも 「楊」は、河楊をあらわす字で、ここはそれである。
【釈】 うす縁の色に染めて懸けてあると見るほどに、春の河楊は若葉をしたことであるよ。
【評】 若葉した河楊を、やや遠くより眺めての感である。自然の美しさをいうに、「浅緑染め懸けたりと」と、人事を譬喩としていっているので、この連想がこころよかったのである。美しくして同時に親しかったのである。それだけが特色の歌である。
 
1848 山《やま》の際《ま》に 雪《ゆき》は降《ふ》りつつ しかすがに この河楊《かはやぎ》は もえにけるかも
    山際尓 雪者零管 然爲我二 此河楊波 毛延尓家留可聞
 
(354)【語釈】 ○山の際に雪は降りつつ 「山の際」は、山と山の間。山間には雪が降りながら。現状としていっているもの。○しかすがに そうではあるが。○この河楊は 「この」は、眼前をさしているもの。
【釈】 山と山との間には雪が降りながら、それであるが、この河楊は、芽ぶいたことであるよ。
【評】 山と山との間から河が流れ下っており、山のほうでは雪が降っているのに、眼前に立っている河楊の芽ぷいているのを見て、感を発した歌である。季節の矛盾性などということを超えて、眼前の春を喜んでいる心で、積極的な心である。素朴な、技巧を解さない、庶民的な歌であるが、おのずから味わいをもっている。
 
1849 山《やま》の際《ま》の 雪《ゆき》は消《け》ざるを みなひあふ 川《かは》の副《そ》へれば 萌《も》えにけるかも
    山際之 雪者不消有乎 水飯合 川之副者 目生來鴨
 
【語釈】 ○みなひあふ 原文は、諸本一様で、別伝はない。用例のないもので、諸注訓み難く、解し難いところから、誤写説を立て、それぞれ改字している。『全註釈』(旧版)は、このままに、「みなひあふ」と訓み、解を加えている。それは『類聚名義抄』に、「湾」その他二字に「みなあひ」の訓があり、これは水の合いの意で、水の寄り集まる所の意であろうといい、「みなひ」は、「みのあひ」の約音で、これは動詞であり、それにさらに「合ひ」を接しさせて、水の寄り集まる意を示した語だというのである。現在のところ最も妥当な解と思われる。『古義』は「水飯」は「激」の誤写とし、「たぎちあふ」と訓み、それが行なわれているが、この語の用例はないといっている。○川の副へれば 「副」を『古義』は「楊」の誤写とし、「川のやなぎは」と訓んでいる。この歌には主格がないところからの説であるが、佐伯梅友氏は、上の歌と連作であろう、それだとさしつかえなかろうといっている。
【釈】 山と山との間の雪は消えないのに、それであるが、水が寄り集まっている川が添っているので、芽ぷいたことであるよ。
【評】 上の歌と連作と見れば、自然な歌となる。上の歌では見たままの状態をいい、この歌はその状態に解を与えた形になるからである。「みなひあふ」という語は問題となるものであろうが、歌柄の庶民的なところから推して、庶民間にそうした語が行なわれていたと見ても無理のないものである。上の歌よりもさらにおちついた作である。
 
1850 朝旦《あさなさな》 吾《わ》が見《み》る柳《やなぎ》 鶯《うぐひす》の 来居《きゐ》て鳴《な》くべき 森《もり》に早《はや》なれ
    朝旦 吾見柳 ※[(貝+貝)/鳥]之 來居而應鳴 森尓早奈礼
 
(355)【語釈】 ○朝旦吾が見る柳 毎朝をわが見る柳で、家近くあるしだれ柳。鑑賞用のものである。呼びかけ。○鶯の来居て鳴くべき 鶯が来て、居ついて、鳴くような。○森に早なれ 「森」は、木の茂り。「なれ」は、変われで、命令形。
【釈】 朝々をわが見るものにしているこの柳よ。鶯が来て、居ついて、鳴くような森に早くなってゆけよ。
【評】 家の前とか庭に鑑賞用に植えてあるしだれ柳の、わずかに若葉してきたのに対して、朝々その葉のひろがるのを待って見やりつつ抱いた空想である。軽く明るい憧れであるが、連想としてのものなので、空疎ではない。
 
1851 青柳《あをやぎ》の 糸《いと》の細《くは》しさ 春風《はるかぜ》に 乱《みだ》れぬい間《ま》に 見《み》せむ子もがも
    青柳之 絲乃細紗 春風尓 不乱伊間尓 令視子裳欲得
 
【語釈】 ○糸の細しさ 「糸」は、しだれ柳の長く垂れた枝が糸に似ているところからの称。「細しさ」は、繊細な美しさで、詠歎がこもっている。○乱れぬい間に 「い間」は、「い」は接頭語で、間に。○見せむ子もがも 「子」は、女の愛称、「もが」は、「も」を伴っての願望の助詞。
【釈】 青柳の糸の繊細な美しさよ。春風に乱れない間に、見せてやる可愛ゆい女の欲しいことである。
【評】 愛でたい風物を見る時、愛する者とともに見たいという念を起こすのは共通の人情である。この作者は青柳の糸のくわしさを、可愛ゆい女に見せようというので、きわめて都市的で、しかも「乱れぬい間に」という条件までも付けているのである。子は青柳の糸から連想される空想の女であろう。理屈のない、さりとていや味もない、耽美気分のかすかな動きを捉えての歌である。奈良朝の歌である。
 
1852 ももしきの 大宮人《おほみやびと》の ※[草冠/縵]《かづら》ける 垂柳《しだりやなぎ》は 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    百礒城 大宮人之 ※[草冠/縵]有 垂柳者 雖見不飽鴨
 
【語釈】 ○ももしきの大宮人の 「ももしきの」は、「大宮」を讃えての枕詞。「大宮人」は、大宮に奉仕する百官の称。○※[草冠/縵]ける ※[草冠/縵]を動詞として、「※[草冠/縵]く」とし、完了の助動詞「り」の連体形「る」の接したもの。※[草冠/縵]としている。○垂柳は見れど飽かぬかも 「垂柳」は、※[草冠/縵]としている物で、「見れど飽かぬかも」は、垂柳を讃えているのである。
(356)【釈】 ももしきの大宮人の※[草冠/縵]としている垂柳は、見ても飽くことを知らないことであるよ。
【評】 大宮人が風流の遊びをする時、時の物としてしだり柳の※[草冠/縵]をしているのを見た人の、※[草冠/縵]の材料としているしだり柳を讃えたものである。讃えた人は、大宮人ではないが、無関係の庶民でもなく、たぶん遊びをしている家に仕えている人などであろう。しだり柳が大宮人の※[草冠/縵]にされているため、一段と美を加えていると見た心で、善意に満ちた明るい歌である。上の(一八四七)の「浅緑」と心は同じで、そのさらに深いものである。
 
1853 梅《うめ》の花《はな》 取《と》り持《も》ちて見《み》れば 吾《わ》が屋前《やど》の 柳《やなぎ》の眉《まよ》し 念《おも》ほゆるかも
    梅花 取持而見者 吾屋前之 柳乃眉師 所念可聞
 
【語釈】 ○梅の花取り持ちて見れば 梅の花を折って、手に持って見ればで、深く愛する時にすること。この「梅の花」は、下の「吾が屋前の柳」に対させたもので、旅で見るものである。○吾が屋前の柳の眉し 「柳の眉」は、柳の若葉の形が、眉墨で描いた女の眉の形に似ているところからの称。若葉の意。「し」は、強意の助詞。
【釈】 梅の花を折って手に持って見ていると、わが家の庭の柳の眉が思われることであるよ。
【評】 旅にあって、梅の花を手にしてしみじみと見ると、わが家の庭のしだれ柳の若葉が連想されるということは、きわめて自然なことである。しかし柳の葉を「柳の眉し」と言いかえているのは、単に葉というだけではなく、その葉のごとき眉をした妻ということを暗示しようがためである。それをするに柳眉《りゆうび》という漢語によって、さりげなくしているのは、奈良朝の知識人だからである。事として直接にいわず、気分としてかすかにいい、そうした言い方を喜ぶのは、奈良朝に入っての傾向である。ややわざとらしさはあるが、巧みである。
 
     花を詠める
 
1854 鶯《うぐひす》の 木伝《こづた》ふ梅《うめ》の 移《うつ》ろへば 桜《さくら》の花《はな》の 時《とき》片設《かたま》けぬ
    ※[(貝+貝)/鳥]之 木傳梅乃 移者 櫻花之 時片設奴
 
(357)【語釈】 ○木伝ふ梅の 枝移りをして鳴く梅の花が。○移ろへば 移るの継続で、散って行けば。○時片設けぬ 「時」は、咲く時。「片設けぬ」は、近づいてきた。巻二(一九一)に既出。
【釈】 鶯が枝移りをして鳴く梅の花が散ってゆけば、桜の花の咲く時が近づいてきた。
【評】 春の美しく楽しい光景が、つぎつぎに展開するのに浸って、陶酔している気分を詠んだものである。調べの柔らかなのは、憧れではなく、陶酔の具象化だからである。陶酔とはいえ、実際に即しているので、おのずから限度があり、おちついたものとなっている。
 
1855 桜花《さくらばな》 時《とき》は過《す》ぎねど 見《み》る人《ひと》の 恋《こひ》の盛《さか》りと 今《いま》し散《ち》るらむ
    櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之將落
 
【語釈】 ○時は過ぎねど 花の咲いている時節は過ぎないけれども。○恋の盛りと 愛で憧れる盛りであるとして。○今し散るらむ 「し」は、強意。
【釈】 桜花は、花の時節はまだ過ぎないけれども、見る人の愛で憧れる盛りの時であるとして、今を散るのであろう。
【評】 桜の花のまだ衰えず、盛りの美しさをもちながら散るのに同感している心である。同感したのは、恋の盛りに惜しまれつつ散る点である。感性的に美しいものの亡びるのを嘆かず、また知性的に物の推移などということをいわず、恋の盛りを慰めとして散るというのは、物の他とのつながりを最も重大視する、集団生活の中から生まれてきた心持で、後世でいうもののあわれの中核に触れている心持である。一つの解釈であるが、作者は解釈とも思わず、直感的にいっているものであろう。擬人に近い言い方であるが、そうした臭味もないものである。平凡に似て特色のある歌である。
 
1856 我《わ》が刺《さ》しし 柳《やなぎ》の糸《いと》を 吹《ふ》き乱《みだ》る 風《かぜ》にか妹《いも》が 梅《うめ》の散《ち》るらむ
    我刺 柳絲乎 吹乱 風尓加妹之 梅乃散覽
 
【語釈】 ○我が刺しし柳の糸を 「我が刺しし」は、「刺しし」は、諸注、解を異にしている。『略解』の挿木として地に刺した柳という解に従う。(358)柳は古くから挿木したのである。わが挿木にした柳の木の枝を。○吹き乱る風にか妹が 「乱る」は、四段活用、連体形。「か」は疑問の係。○梅の散るらむ 「梅」は、梅の花。「らむ」は、現在の推量で、結。
【釈】 わが挿木をした柳の木の枝を吹き乱しているこの風で、妹が家の梅の花は散っているのであろうか。
【評】上代の人は、人と人との間に魂の交流することを信じていた。夢を甚しく重んじたのもその現われである。この信仰は推移して、興味的色彩を帯びてきたかにみえるが、しかし軽いものではなかったろう。この歌はその心の絡んでいるもので、男がその家のしだれ柳の枝を吹き乱している春風に対し、この風は妹の家の梅の花を散らすだろうと思い入っているのである。対象となっているのは柳と梅の花という美しいものであるが、趣そのものに興じているのではなく、風が吹き通うということに感じているのである。趣はおのずからそれに付随してくるのである。奈良朝の気分本位の歌である。この気分は今に直接には感じられないものである。
 
1857 毎年《としのは》に 梅《うめ》は咲《さ》けども うつせみの 世《よ》の人《ひと》君《きみ》し 春《はる》なかりけり
    毎年 梅者開友 空蝉之 世人君羊蹄 春無有來
 
【語釈】 ○毎年に 「毎年」は、毎年の意で、「毎年、謂2之等之乃波1」と巻第十九(四一六八)に注のある語。○うつせみの世の人君し 「うつせみの」は、「世」の枕詞。「世の人」は、この世の中の人で、生きの身は常なきものとしていったもの。「君」は、敬称であるが、どういう人かわからぬ。「し」は、強意。原文「羊蹄」は和名抄に羊蹄菜を「し」と訓んでいるのによる。○春なかりけり 「春」は、梅の花に対させていっているもので、季節としての春である。楽しい時としていっている。「なかりけり」は、「けり」は詠歎で、君と呼ばれる人は、春以前に故人となったのを嘆いたもの。
【釈】 年々に梅の花は咲くけれども、うつしみのこの世の中の人である君は、春のなかったことであるよ。
【評】 春になり梅の花の咲くのを見て、春以前に故人となった尊敬していた人を思い出して、嘆いた形の歌である。事の性質上、大まかな言い方で十分心の尽くせるものである。しかし春という語も、君という称も、意味が広いので、迎えて解するといかような解も盛れる歌である。
 
1858 うつたへに 鳥《とり》は契《は》まねど 繩《しめ》延《は》へて 守《も》らまくほしき 梅《うめ》の花《はな》かも
(359)    打細尓 鳥者雖不喫 繩延 守卷欲寸 梅花鴨
 
【語釈】 ○うつたへに鳥は喫まねど 「うつたへに」は、ことさらに、特にの意の古語。「鳥は喫まねど」は、鳥はその花を食いはしないけれどもで、鳥は花を食うものという上に立っていっているもの。これは鳥が田畑の五穀などを食うことからの連想である。○繩延へて守らまくほしき 「繩延へて」は、標繩《しめなわ》を張ってで、それをすると他人の立入ることを禁じ得たからである。「守らまくほしき」は、守ることをしたいところの。
【釈】 ことさら鳥は食むものではないけれども、標繩を張って守ることをしたいところの梅の花であるよ。
【評】 梅の花を酷愛し珍重する心であるが、その方法が特別である。鳥はことさら梅の花を食みはしないと知りながら、それにしても不安を感じ、標繩を張って番をしたい気がするというのである。鳥が梅の花を食みそうに思うことも、標繩を張れば大丈夫だと思う信仰も、たぶん直接農業を営んでいる庶民の心であろう。梅は外来の木で、初めは貴族だけの鑑賞用のものであったが、しだいに庶民階級の者も植えることになり、初めて梅の木を植えて花を咲かせた庶民が、それを珍重するあまりに、扱い方に惑っての心と思われる。庶民としては本気であるが、貴族から見ると滑稽で、その意味で伝わった歌であろう。
 
1859 馬《うま》並《な》めて 高《たか》き山《やま》べを 白妙《しろたへ》に 艶《にほ》はしたるは 梅《うめ》の花《はな》かも
    馬並而 高山部乎 白妙丹 令艶色有者 梅花鴨
 
【語釈】 ○馬並めて高き山べを 「馬並めて」は、旧訓「うまなめて」。『略解』は、原文「馬並而」の「馬」は「忍」の誤写として、「おしなべて」と訓み、本居宣長も同説だといっているもの。「高き山べを」は、高い山のほうを。○白妙に艶はしたるは 「白妙に」は、ここは白色の意。「艶はしたるは」は、美しい色にしているのは。
【釈】 多くの人が乗馬を連ねて、遠い山のほうを、その衣の色の白い色で美しくしている、あれは梅の花なのか。
【評】 平地から高い山のほうを眺め、一と続きに白くなっているのを見て、ふと、白色の衣を着ている多くの人が、乗馬を連ねているさまに似ているのかと思ったが、心づいて、あれは梅の花なのかと思った心である。初句より四句までの想像は突飛な感のあるものであるが、この歌の作者は上の歌と同じく庶民で、貴族階級の人々の、そうした状態で旅行しているさまを見ているところから連想した想像と思われる。この歌も上の歌と同じく、その想像の滑稽味のある点で伝えられたものと思われる。
 
(360)1860 花《はな》咲《さ》きて 実《み》はならねども 長《なが》きけに 念《おも》ほゆるかも 山吹《やまぶき》の花《はな》
    花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花
 
【語釈】 ○花咲きて実はならねども 山吹の花の特性をいったものである。この「花」と「実」とは、恋の上にも用いられている語で、花は、求婚時代、実は、結婚の意となっている。『略解』は、その意でいっているものとしている。○長きけに念ほゆかも 「け」は、時の間という意をあらわす語で、長き時にわたっての花と思われることであるよで、その盛りの長いのを愛する意。
【釈】 花が咲いて実にはならないけれども、長い時にわたって美しい花と思われることであるよ。山吹の花は。
【評】 山吹の花に対して、その美しさと盛りの長さを愛でている形の歌である。それにしては、実のならないということを欠点のごとくいっているのが、ややわざとらしい感がある。『略解』の解しているごとく、花と実に恋の心をもたせ、女が求婚を否みはしないが、しかし実行もせずに長い時を過ごしているもどかしさをいったものとすれば、「花咲きて実はならねども」の説明が必要な、したがって自然なものとなってくる。気分を主として、かすかな詠み方を喜んだ歌とみえる。それだと完全な譬喩歌である。
 
1861 能登河《のとがは》の 水底《みなそこ》さへに 光《て》るまでに 三笠《みかさ》の山《やま》は 咲《さ》きにけるかも
    能登河之 水底并尓 光及尓 三笠之山者 咲來鴨
 
【語釈】 ○能登河の水底さへに光るまでに 「能登河」は、春日山中石切峠付近から発し、三笠山と高円山との間を西流して岩井川をあわせ、佐保川に注ぐ。「水底さへに」は、水底までも照るほどに。○三笠の山は咲きにけるかも 「三笠の山は」は、三笠の山の桜の花はの意で、主格としての桜を省略したものである。この省略は、前後の関係からこれで通じるとしてである。
【釈】 能登河の水底までも照るほどに、三笠の山の桜の花は咲いたことであるよ。
【評】 三笠山の桜の美を詠んだ歌である。著しく技巧的な歌であるが、しかしその技巧を没した形をもっているもので、その点がすなわち技巧なのである。技巧を没しているというのは、この歌は一見平面描写をしているがごとくである。それは三笠山の裾を流れる能登河の細い渓流を見ると、桜の花が映って水底までも照っているのを発見し、仰ぎ見ると三笠山の桜は満開(361)であるというので、自然の順序を追って桜の印象を叙しているがごとく見える点である。しかし他方からいうと、能登河という細い渓流に映った桜花によって、初めて三笠山の桜の花を見たごとくいうのも不自然であり、しかもそのような狭い範囲の花の影を、三句を費やして精叙することも、全体の振合いからいうと不自然である。しかしこれは意図をもってのもので、四、五句は一転して、「三笠の山は咲きにける」という、広い範囲を精描したものと対照し、その狭と精を、広と粗とに押し拡げようとしてである。これは平面描写というような細心なものではなく、気分本位に、立体感を盛り上がらせようとし、その具象法として平面描写を行なっているのである。その最も直接な現われは、「三笠の山は咲きにける」という続け方である。この歌の主格は桜の花で、ここで当然いうべきであるのを、省略しても通じるとしてわざと省略しているのであるが、これはそれにとどまらず、このようにいうことによって、三笠の山は全山さくら花であり、三笠の山自体が桜花であるかのごとき感を起こさせるものとしているのである。一首、気分本位で構成し、感覚的印象を盛り上げて立体感を出そうとし、放胆な詠み方をしているものである。奈良朝時代の気分本位の歌の、華やかな方面を、代表的に示している感のある歌である。
 
1862 雪《ゆき》見《み》れば いまだ冬《ふゆ》なり しかすがに 春霞《はるがすみ》立《みた》ち 梅《うめ》は散《ち》りつつ
    見雪者 未冬有 然爲蟹 春霞立 梅者散乍
 
【語釈】 略す。
【釈】 残雪のあるのを見ると、まだ冬である。そうではあるが、春の霞が立って、梅の花は散りつついる。
【評】 上に何首も出た季節の矛盾性を扱っている歌であるが、この歌は、矛盾を矛盾としてあるがままに認めているだけで、ほとんど何の感傷も示していない歌である。
 
1863 去年《こぞ》咲《さ》きし 久木《ひさぎ》今《いま》咲《さ》く 徒《いたづ》らに 土《つち》にやおちむ 見《み》る人《ひと》なしに
    去年咲之 久木今開 徒 土哉將墮 見人名四二
 
【語釈】 ○去年咲きし久木今咲く 去年咲いた久木の花が、今また咲いている。「久木」は、巻六(九二五)に出た。あかめがしわとも、きささげともいう。あかめがしわは、夏季、黄緑色の花が咲き、きささげは初夏、緑色の花が咲く。いずれも春の花ではないので、問題となる。○徒らに(362)土にやおちむ 甲斐なくも地に散ることであろうかで、「や」は疑問の係。○見る人なしに この花を見る人がなくして。
【釈】 去年咲いた久木の花が、今年また咲いている。咲いた甲斐なくも地に散ることであろうか。見る人もなくて。
【評】 この久木は、平常は人の立ち寄らない、目立たない所にあるもので、作者は何か特別のついでがあって、たまたま花の咲いているのを見かけたという関係のものである。今その花を見ると、去年も偶然にこの木の花の咲いているのを見かけたことを思い出し、今年もこのように、人にも見られずに、甲斐なく散ってゆくのだろうかと憐れんだ心である。人に見はやされないと、花もその甲斐がないとする、いわゆる、もののあわれに通ずる心よりの憐れみである。
 
1864 あしひきの 山《やま》の間《ま》照《て》らす 桜花 この春雨《はるさめ》に 散《ち》り去《ゆ》かむかも
    足日木之 山間照 櫻花 是春雨尓 散去鴨
 
【語釈】 ○あしひきの山の間照らす桜花 山と山との間の地を、全面的にかがやかして咲いている桜の花はで、作者の一たび目にしたもの。○この春雨に散り去かむかも 今降っている春雨で、散りゆくことであろうかと、想像して惜しんでのもの。
【釈】 あの、山と山との間をかがやかして咲いている桜花は、今降っている春雨で散ってゆくことであろうか。
【評】 春雨に桜の花の散るのを思いやって惜しむという、きわめて一般的な心で、またただ素直に詠んだものでもあるが、「山の間照らす桜花」は、作者が親しく目にしたことのあるもので、それを思い浮かべて惜しんでいるなど、事ではなく、気分となっている。調べもそれにふさわしい柔らかなものである。やはり奈良朝時代の歌である。
 
1865 うち靡《なび》く 春《はる》さり来《く》らし 山《やま》の際《ま》の 遠《とほ》き木末《こぬれ》の 咲《さ》きゆく見《み》れば
    打靡 春避來之 山際 最木末之 咲徃見者
 
【語釈】 ○うち靡く春さり来らし 「うち靡く」は、春の枕詞。「春さり来らし」は、春の季節と移ってくるのであろうで、これは山についていっているのである。○山の際の遠き木末の 山と山との間より見える、山深く遠いほうにある木末の。○咲きゆく見れば 山深いほうへ咲き進んで行くのを見ればで、山は気温が低く、山が高くなるに伴って低くなるので、低いほうから高いほうへとしだいに咲き進んでゆくのである。
(363)【釈】 春になってくるらしい。山と山との間から見える、山深く遠いほうにある木の梢が、しだいに花と咲いて、咲き進んでゆくのを見ると。
【評】 作者は山裾の、そこからは山峡を通して、山奥のほうが見えるところに住んでいるのであるが、春の遅いこうした所にも春が来るのであろうといって、その証として山峡を通して見られる奥山の木立の梢が花となり、その花がしだいに山深いほうへと咲き進んでゆくのをいっているのである。山桜の幾日かにわたってしだいに咲き登ってゆく状態を、体験として詠んでいる歌で、昂奮せず、静かな気分をもって、このように詠むということは、きわめて例の少ない、むしろ特殊なことである。「遠き木末の咲きゆく見れば」は、自然であって、同時に簡潔で、巧みな言い方である。
 
1866 春雉《きぎし》鳴《な》く 高円《たかまと》の辺《べ》に 桜花《さくらばな》 散《ち》りて流《なが》らふ 見《み》む人《ひと》もがも
    春※[矢+鳥]鳴 高圓邊丹 櫻花 散流歴 見人毛我母
 
【語釈】 ○春雉鳴く高円の辺に 「春雉鳴く」は、※[矢+鳥]子は春鳴くものなので、ここでは眼前を捉えての修飾である。「高円」は、地名で、山にも野にもいっている。ここは広く高円の辺りに。○散りて流らふ 「流らふ」は、「流る」の連続状態で、雨が降り、風が吹くにもいう。ここは、花が散って落ちつついる意。○見む人もがも 「がも」は、願望の助詞。共に見る人が欲しいで、ひとり見るには惜しい。
【釈】 雉子が鳴いている高円の辺りに、桜花が散って落ちつついる。共に見る人が欲しい。
【評】 高円の桜花の散るさまの美しさを独りで眺めて、その美しさを人にも見せたいと思った心である。気分をとおしての叙景で、美しく豊かである。「春雉鳴く」という修飾が、その境を力強く生かしている。
 
1867 阿保山《あほやま》の 桜《さくら》の花《はな》は 今日《けふ》もかも 散《ち》り乱《みだ》るらむ 見《み》る人《ひと》なしに
    阿保山之 佐宿木花者 今日毛鴨 散乱 見入無二
 
【語釈】 ○阿保山の 「阿保山」は、奈良市佐保田町の西不退寺の丘陵だと、『大日本地名辞書』はいっている。○桜の花は 原文、「佐宿木花者」。今のように訓むについては、「宿木」は鳥の宿る木、すなわちトクラと訓めるのをまたクラともいったという説。また神の宿る神座としての樹木の意から「宿木」と表記し、神座を意味するクラの語に当てて訓んだとする説などがある。○今日もかも散り乱るらむ 「かも」は疑問の係。
(364)【釈】 阿保山の桜の花は、今日は散り乱れているであろうか。見る人もなくて。
【評】 作者は阿保山の桜の盛りのさまを見た人で、「今日もかも」はその記憶からの推量である。作者としては心を尽くした歌であるが、客観化のあまりにも少ない作である。
 
1868 かはづ鳴《な》く 吉野《よしの》の河《かは》の 滝《たぎ》の上《うへ》の 馬酔木《あしび》の花《はな》ぞ 末《はし》に置《お》くなゆめ
    川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬醉之花曾 置末勿勤
 
【語釈】 ○かはづ鳴く吉野の河の 「かはづ」は、河鹿で、奈良時代にはその声が甚だ愛された。初夏から鳴くものであるから、ここは吉野川の修飾としてのものとみえる。○滝の上の馬酔木の花ぞ 「滝」は、激流の称であるが、ここは転じて地名となったもので、吉野の離宮のほとりである。「ぞ」は、指定の助詞で、強く指定したもの。○末に置くなゆめ 諸注、訓がさまざまである。これは『古義』は「末」は「士」の誤写としたのであるが、『全註釈』は、「末」は義をもって「地」に当てたのだろうとしている。『注釈』は玉篇に「末」は「端也」とあるを引き、「山末」をヤマノハと訓む例などをあげ、ハシと訓むべきことをいっている。これに従う。「末《はし》に置く」は粗末に扱う意で、それに「な」と「ゆめ」との禁止を続けて、強く命令したもの。
【釈】 かわずの鳴く吉野の川の滝の上の、馬酔木の花という特殊のものであるぞ。けっして粗末には扱うな。
【評】 吉野へ遊んだ人が、吉野川の第一の佳景とされている「滝の上の馬酔木の花」を苞《つと》として折って来て、それを友に贈る時に添えた歌である。贈物をする時には、その物の良い物であることか、あるいは労苦して得た物であるかをいうのが礼となっているので、これはその馬酔木のはなはだ特殊なものであることをいって、さらに「末に置くなゆめ」と、強く要望までしているのである。これはそうした物を尊むことを知っている人だと解してのことで、こういうのも礼の範囲になっていたからのことである。心合いの友だったのであろう。
 
1869 春雨《はるさめ》に 争《あらそ》ひかねて 吾《わ》が屋前《やど》の 桜《さくら》の花《はな》は 咲《さ》きそめにけり
    春雨尓 相爭不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始尓家里
 
【語釈】 ○春雨に争ひかねて 春雨と争ったが、争い得ずして。これは、春雨は桜を咲かせようとして降り、桜は咲くまいと争ったが、かなわな(365)くなってという意で、奈良朝時代には一般性をもった通念となっていたのである。男女関孫を移入しての心持である。
【釈】 春雨に争いかねて、負かされて、わが家の庭の桜の花は、咲きそめたことであるよ。
【評】 庭桜の咲きそめたのを眺めての心である。初二句は奈良朝時代には常識に近くなっていたものであるが、春雨のあと、咲きそめた桜を見ると、耽美気分から男女関係を連想させられて、いまさらのごとく新鮮味を感じさせられて、いわゆる、自然は人を模倣すの感を起こしたのであろう。
 
1870 春雨《はるさめ》は 甚《いた》くな降《ふ》りそ 桜花《さくらばな》 いまだ見《み》なくに 散《ち》らまく惜《を》しも
    春雨者 甚勿零 櫻花 未見尓 散卷惜裳
 
【語釈】 ○いまだ見なくに散らまく惜しも 「なく」は、打消の助動詞「ず」の未然形に、「く」の添った名詞形。見ないことなのに。「散らまく」も、「散らむ」の名詞形。
【釈】 春雨は甚しくは降るなよ。我は桜花をまだ見ないことなのに、散るであろうのは惜しいことだ。
【評】 降り続いている春雨に呼びかけてのもので、類歌の多いものである。謡い物の派を引いた歌で、明るく、軽く、四、五句など調子の好さを喜んだような歌である。
 
1871 春《はる》されば 散《ち》らまく惜《を》しき 梅《うめ》の花《はな》 片時《しまし》は咲《さ》かず 含《ふふ》みてもがも
    春去者 散卷悟 梅花 片時者不咲 含而毛欲得
 
【語釈】 ○春されば散らまく惜しき 「春されば」は、「され」は、已然形で、「ば」は、定まっている条件を示すもの。春が来れば。「散らまく惜しき」は、散るだろうことの惜しい。○梅の花 「梅」は、「桜」とある古写本もあるが、元暦校本、類聚古集、西本願寺などは「梅」。上よりの続きから、「梅」のほうが妥当である。○片時は咲かず含みてもがも 「片時は咲かず」は、しばらくの間は咲かずしてで、「ず」は連用形。「含みてもがも」は、蕾んでいて欲しいで、「もがも」は願望。
【釈】 春が来れば、散るだろうことの惜しい梅の花は、しばらくは咲かずして、蕾んでいてほしいものだ。
(366)【評】 春の近い頃、梅の花の蕾がふくらんで、まさに開こうとするのに対しての心である。春が来れば梅の花は散るものとし、咲くを待つよりも散ることのほうを惜しんでいる心で、さらにいえば、未来の楽しさを夢みるよりも、楽しくなくても現状に満足しようとする心である。「片時は」と合理的な条件を付けているのもそのためである。老人の心といえる。
 
1872 見渡《みわた》せば 春日《かすが》の野辺《のべ》に 霞《かすみ》立《た》ち 咲《さ》き艶《にほ》へるは 桜花《さくらばな》かも
    見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨
 
【語釈】 ○咲き艶へるは 咲いて、美しい色をしているものは。
【釈】 見渡すと、春日の野辺に霞が立って、咲いて美しい色をしているのは桜花であろうか。
【評】 春日野を遊楽の場所としてきた奈良京の人が、遠望しての第一印象をいったものである。単純に率直に讃美の心をいっているので、おのずから趣あるものとなっている。
 
1873 何時《いつ》しかも この夜《よ》の明《あ》けむ 鶯《うぐひす》の 木伝《こづた》ひ散《ち》らす 梅《うめ》の花《はな》見《み》む
    何時鴨 此夜之將明 ※[(貝+貝)/鳥]之 木傳落 梅花將見
 
【語釈】 ○何時しかも いつであるか、早く。「かも」は、疑問。○鶯の木伝ひ散らす 鶯が枝移りして、そのために散らすところの。
【釈】 早くこの夜の明ければよい。鶯が枝移りをして、そのために散らす梅の花の美しさを見よう。
【評】 まだ夜の明けない頃、屋内にいての想像である。この作者は、梅の花の散るのを惜しまないのみならず、鶯の木伝い散らすさまのおもしろさを想像して、夜明けを待っているのである。ものの趣には限界がない。こういわれると同感しうる心が誰にもある。梅の花が主で、鶯は副である。
 
     月を詠める
 
(367)1874 春霞《はるがすみ》 たなびく今日《けふ》の 夕月夜《ゆふづくよ》 きよく照《て》るらむ 高松《たかまつ》の野《の》に
    春霞 田菜引今日之 暮三伏一向夜 不穢照良武 高松之野尓
 
【語釈】 ○夕月夜 原文「暮三伏一向夜」。この用字の解は、『箋註和名抄』にあり、巻六(九四八)でいった。「三伏一向」は、当時行なわれた※[木+四]戯と称する遊戯の語で、四本の木片の一面は黒く、他面は白く塗った物を投げ、その三本が裏、一本が表の出た場合は「つく」と称したので、戯訓として「つく」に当てたのである。反対に「一伏三向」の時は「ころ」と称し、これも戯訓に用いている。「夕月夜」は、夕月と同意語である。呼びかけ。○高松の野に 「高松」は、「高円」を当時こうも呼んだので、『新考』が考証している。春日の高円で、高地であるがために、霞はかかっていない所としていっている。
【釈】 春霞のなびいている今日の夕月よ。さやかに照っていることであろう。高松の野には。
【評】 春の夕月が、霞の中におぼろに出ているのに対して、高地の高松の野には、さやかに照っているだろうと、遊覧場所として見なれている高松の野の空に想像してゆかしんだのである。後世は春のおぼろ月を愛するのであるが、奈良朝の人は、春の月でも澄んでいるもののほうを好んだのである。調べが気分を伝え得ていて、思い入つた心の感じられる歌である。
 
1875 春《はる》されば 樹《き》の木《こ》の暗《くれ》の 夕月夜《ゆふづくよ》 おぼつかなしも 山陰《やまかげ》にして
    春去者 紀之許能暮之 夕月夜 欝束無裳 山陰尓指天
 
【語釈】 ○春されば樹の木の暗の 「春されば」は、春となったので。「樹の木の暗」は、「樹」は、木立。木の枝葉が繁って、光がとおさなかったことで、木下闇というにあたる。春がきたので、樹が木下闇となったところの。○夕月夜 夕月で、呼びかけ。○おぼつかなしも 明白でないことよ。○山陰にして 山陰なので。
【釈】 春が来たので、樹立の枝葉の茂りで暗い夕月よ。明白でないことよ。山陰なので。
【評】 山陰にあって、春の夕月に対しての感である。「おぼつかなしも」は、事に関係させての感とも、単に気分としての語とも取れる。心がおちついて、細かく働いている歌であるから、気分としての語と見て、おぼつかなさを楽しんでいると解すべきであろう。上には朧月よりも晴れた月を好む歌があったが、これは反対に、木の暗のかすかな月光を好んでいるのである。
 
(368)     一に云ふ、春《はる》されば 木《こ》のかげ多《おほ》き 暮月夜《ゆふづくよ》
      一云、春去者 木陰多 暮月夜
 
【解】 上の歌の別伝で、二句、「樹の木の暗」が、「木のかげ多き」となっているのである。このほうが心は解しやすいが、それとともに、事に関係しての感という色合いが加わってくる。すなわち出歩いて、歩き難さの心と思われる。流動しての結果かと思われる。
 
1876 朝霞《あさがすみ》 春日《はるひ》の晩《く》れば 木《こ》の間《ま》より うつろふ月《つき》を 何時《いつ》とか待《ま》たむ
    朝霞 春日之晩者 從木間 移歴月乎 何時可將待
 
【語釈】 ○朝霞春日の晩れば 「朝霞」は朝霞のかかっているで、状態を叙したもの。「春日の晩れば」は、春の日が暮れたならば。○木の間より移ろふ月を 木の間をとおして移動してゆく月を。○何時とか待たむ いつなのかと待とうで、待ち遠なことだの意。
【釈】 朝霞のかかっている春の日が暮れたならば、木の間をとおって移動する夕月を見られようか、待ち遠なことだ。
【評】 春の景物のうち、木の間を渡る夕月を最も楽しいものとし、朝よりその時を待ち遠に感じているという、特殊な趣味の歌である。奈良朝時代の気分を尊重する風の中にあっての歌で、理屈はないのである。しかし、さすがに他を頷かせうるものをもっている。
 
     雨を詠める
 
1877 春《はる》の雨《あめ》に ありけるものを 立《た》ち隠《かく》り 妹《いも》が家道《いへぢ》に この日《ひ》暮《くら》しつ
    春之雨尓 有來物乎 立隱 妹之家道尓 此日晩都
 
【語釈】 ○春の雨にありけるものを 春の雨であったのにで、春雨は降り出すと長く続いてやまないものとしていったもの。○立ち隠り 「立ち」(369)は接頭語。「隠り」は、雨から隠れてで、雨宿りして。○妹が家道にこの日暮しつ 「妹が家道」は、妹の家へ行く道、すなわち、途中。
【釈】 すぐにはやまない春の雨であったのに、雨宿りをして、妹の家へ行く途中で、今日の日を暮らした。
【評】 雨宿りをして一日を過ごし、最後に、春雨であったのにと心づいて歎息した心である。事を事としてのみいっている古風な歌である。
 
     河を詠める
 
1878 今《いま》往《ゆ》きて 聞《き》くものにもが 明日香川《あすかがは》 春雨《はるさめ》零《ふ》りて たぎつ瀬《せ》の音《と》を
    今徃而 聞物尓毛我 明日香川 春雨零而 瀧津湍音乎
 
【語釈】 ○聞くものにもが 「が」は、「も」を伴つての願望の助詞。「がも」と同じ。○たぎつ瀬の音を 「たぎつ瀬の音」は、たぎり流れる瀬の音で、春雨で水嵩の増した流れ。
【釈】 今行って、聞きたいものである。明日香川の春雨が降って水嵩が増して、たぎり流れる瀬の音を。
【評】 奈良遷都直後の人は、故京の明日香に対しての郷愁は深いものであったとみえ、その意の歌が少なくない。またこの時代の人は、河瀬の音に深い愛好を感じていて、その意の歌も多い。山川の趣をもった明日香川は、雨でただちに瀬の音が高まったと見えるのに、その雨が春雨であるから、一段と郷愁をそそられるものがあったろう。気分の歌ではあるが、その気分の動きにはもっともなところがあって、この歌を軽くないのみならず、一種の深みあるものにしている。
 
     煙を詠める
 
1879 春日野《かすがの》に 煙《けぶり》立《た》つ見《み》ゆ ※[女+感]嬬《をとめ》らし 春野《はるの》の菟芽子《うはぎ》 採《つ》みて煮《に》らしも
    春日野尓 煙立所見 ※[女+感]嬬等四 春野之菟芽子 採両※[者/火]良思文
 
(370)【語釈】 ○※[女+感]嬬らし おとめを複数とし、「し」を添えて強めたもの。おとめが集団的に行ない、またおとめに限る事であったとみえる。○春野の菟芽子 「菟芽子」は、巻二(二二一)に出た。今の嫁菜の古名。これはいわゆる若菜の範囲のもので、若菜の羮は長寿を保たせる物として、後世でも重んじた。ここもその心のものである。○採みて煮らしも 野で採んで、煮るのであろうで、「煮らし」は、動詞「煮る」に、助動詞「らし」の接したもの。「らし」は終止形接続の助動詞、上一段活用動詞の終止形は古くは語幹だけで終わっていたらしいという(『古典大系』)。また上代では「らむ」「べし」などと同じく連用形に接続したともいわれている(『注釈』)。「も」は、詠歎。
【釈】 春日野に煙の立つのが見られる。あれはおとめたちが、春の野の嫁菜を摘んで、煮るのであろうよ。
【評】 春日野に煙の立つのを遠望して、おとめたちが嫁菜を摘んで煮ているのだろうと推量したのである。春の若莱を食べることは、それをすると長寿を保ちうるという信仰からのことで、これは根深いものであったと思われる。また若菜を摘むのは若い女のすることであった。この時代は神仙思想のかなり広く浸み渡っていた時代で、その方面からいうと、仙女は不老不死の仙薬として若菜を摘んで食べることが、巻十六、竹取の翁の歌に詳しくいわれている。作者の想像には、仙女のそうしたことが絡んでいたとみえる。もっともそれは気分のつながりとしてのもので、そうしたことは、それとなく幽かにいうことを好んだ詠み方において絡ませているものと思われる。現在から見るときわめて平凡な歌ではあるが、この当時としてはただちにそれと感じられる、相応に巧みな歌に見えたものであろう。
 
1880 春日野《かすがの》の 浅茅《あさぢ》が上《うへ》に 念《おも》ふどち 遊《あそ》ぶ今日《けふ》の日は 忘らえめやも
(371)    春日野之 淺茅之上尓 念共 遊今日 忘目八方
 
【語釈】 ○浅茅が上に 「茅」は茅草で、「浅」は丈の低い意。「上」は、その上でで、丈低いものである茅草を敷いて。○念ふどち 思い合う人たち。○遊ぶ今日の日は 諸注、訓はさまざまである。『定本』の訓。○忘らえめやも 「や」は反語。
【釈】 春日野の浅茅を敷いて、思い合う人たちが遊んでいる今日という日は、忘れられようか、忘られはしない。
【評】 上代人は好んで野遊びをしている。家が狭く室内の集会はできにくかつたからでもあろう。春日野は奈良京の人には絶好な野遊びの場所だったのである。この歌は、そういう際には、代表的な人が挨拶の意をもって詠むことになっていたので、これはそれであろう。要を得た歌である。
 
1881 春霞《はるがすみ》 立《た》つ春日野《かすがの》を 往《ゆ》き還《かへ》り 吾《われ》は相見《あひみ》む いや毎年《としのは》に
    春霞 立春日野乎 往還 吾者相見 弥年之黄土
 
【語釈】 ○往き還り 往き還りしてで、下の続きから見ると、長くということを具象的にいったもの。○吾は相見む 「相」は、接頭語で、見よう。○いや毎年に 一段と毎年にで、永久にの心。
【釈】 春霞の立つ春日野を、往き還りして吾は見よう。今後も毎年に。
【評】 春の春日野に遊んで、楽しく心満ち足りたところから、今後も永久にこのようにしようと、我とわが身を賀した心である。奈良京の宮人の心の、端的な現われである。
 
1882 春《はる》の野《の》に 心《こころ》のべむと 思《おも》ふ共《どち》 来《こ》し今日《けふ》の日《ひ》は 暮《く》れずもあらぬか
    春野尓 意將述跡 念共 來之今日者 不晩毛荒粳
 
【語釈】 ○春の野に心のべむと 「のべむと」は、『代匠記』精撰本の訓で、『新訓』も従っている。心を伸ばそうと。○来し今日の日は 『古義』の訓。○暮れずもあらぬか 暮れずにはいてくれぬかで、いてくれよとの願望。
(372)【釈】 春の野へ、心を伸ばそうと、思い合う人たちが来た今日は、暮れずにはいてくれないかなあ。
【評】 これも野遊びの時の挨拶の歌で、興は尽きないのに、日は暮れようとする時に詠んだものである。もし主客とがあれば、客方の歌である。
 
1883 ももしきの 大宮人《おほみやびと》は 暇《いとま》あれや 梅《うめ》を挿頭《かざ》して ここに集《つど》へる
    百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有
 
【語釈】 ○ももしきの大宮人は 「ももしきの」は、「大宮」の枕詞。大宮人は、男女百官の総称だが、ここは男だけであろう。○暇あれや 「や」は疑問の係助詞。○梅を挿頭して 宴会をする時には時の花を挿頭にするのが風となっていた。礼儀から興味に移ってきていた。○ここに集へる 「ここ」は、庶民の見る場所であるから、野辺である。「集へる」は、「や」の結、連体形。
【釈】 ももしきの大宮人は暇があるのであろうか。梅の花を挿頭《かざし》として、ここに集まっている。
【評】 大宮人の野遊びのさまを見かけた庶民の心で、感じたことは「暇あれや」と訝かったことである。これは庶民の多忙な営みに比較しての素朴な訝かりである。しかし直覚的な批評ともいえるものである。とにかく、距離をもって見ての語である。
 
     旧《ふ》りにしを歎く
 
1884 冬《ふゆ》過《す》ぎて 春《はる》し来《きた》れば 年月《としつき》は 新《あら》たなれども 人《ひと》は旧《ふ》りゆく
    寒過 暖來者 年月者 雖新有 人者舊去
 
【語釈】 ○冬過ぎて春し来れば 原文「寒」と「暖」を「冬」「春」と訓むのは前の(一八四四)に出た。○年月は新たなれども 年と月とは新しいものとなるけれども。
【釈】 冬が過ぎて春が来ると、年と月とは新しいものとなったけれども、人のほうは古くなってゆく。
【評】 老齢の人の新年に際して感じた心である。人間共通の感情で、時を超えたものである。四、五句、対照法で、全体が漢(373)文口調である。作者を思わせる。
 
1885 物《もの》皆《みな》は 新《あらた》しき良《よ》し ただ人《ひと》は 旧《ふ》りぬるのみし 宜《よろ》しかるべし
    物皆者 新吉 唯人者 舊之 應宜
 
【語釈】 ○ただ人は ひとり人間は。○旧りぬるのみし宜しかるべし 古くなった者だけが、よいようであるで、「べし」は推量の助動詞。
【釈】 すべての物は新しいものが良い。ひとり人は、古くなったものだけがよいようである。
【評】 老齢の人の、我と慰めた心である。この歌は上の歌よりも際立った対照法を用い、同じく漢文口調であるところから、前の歌の作者と同一人で、二首、『代匠記』のいうごとく連作と思われる。
 
     逢へるを懽《よろこ》ぶ
 
1886 住吉《すみのえ》の 里《さと》行《ゆ》きしかば 春花《はるばな》の いやめづらしき 君《きみ》にあへるかも
    住吉之 里行之鹿齒 春花乃 益希見 君相有香聞
 
【語釈】 ○住吉の里行きしかば 「里行きし」の原文は、諸本「里得之」。訓は、「里を得し」であるが、それでは意が通じないところから、『考』は、「得」は、「行」の草体を誤ったものだろうとして今のごとく改めたものである。以後の注はすべて従っている。住吉の里へ行った時で、「住吉」を旅先の、勝れた地としていったもの。○春花のいやめづらしき 「春花の」は、春の花のごとくで、譬喩の意で「めづらし」にかかる枕詞。「いやめづらしき」は、いよいよ愛でたいで、枕詞と続けて旧知の女と思われる。○君に逢へるかも 「君」は、女性であるがゆえの敬称。
【釈】 住吉の里へ行った時、春花のようにいよいよ愛でたい君に逢ったことであるよ。
【評】 奈良京にいる人が、住吉へ旅をして、偶然にも旧知の女に逢って、挨拶として贈った歌である。「春花のいやめづらしき君」は、もし男性だとすれば、よほど身分の高い人にいう語で、それだとすれば、所在も知らずにいたということは礼を失したことで、女性であって初めて妥当となる語だからである。喜んでの挨拶であるが、挨拶という感のあらわな歌である。「春花の」の枕詞によって、春雑歌に加えてある。
 
(374)     旋頭歌
 
1887 春日《かすが》なる 三笠《みかさ》の山《やま》に 月《つき》も出《い》でぬかも 佐紀山《さきやま》に 咲《さ》ける桜《さくら》の 花《はな》の見《み》ゆべく
    春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見
 
【語釈】 ○月も出でぬかも 月が出ないのかなあで、出てくれよと願望したもの。○佐紀山 「佐紀」は、平城宮の北方の地名。佐保山の西に続く低い山。○見ゆべく 見えるように。
【釈】 春日の三笠の山に、月が出ないのかなあ。佐紀山に咲いている桜の花の見えるように。
【評】 佐紀山に近い所で宴を張っていて、夕方うす暗くなった時に、宴歌として詠んだものと思われる。旋頭歌は短歌よりはるかに謡い物的で、また実際に謡う上でも、短歌より伸びやかなので、宴歌には適した形である。奈良朝は復古気分の興っていた時代であるから、一度は衰えた旋頭歌が、そうした場合には喜ばれたことと思われる。
 
1888 白雪《しらゆき》の 常敷《つねし》く冬《ふゆ》は 過《す》ぎにけらしも 春霞《はるがすみ》 たなびく野辺《のべ》の 鶯《うぐひす》鳴《な》くも
    白雪之 常敷冬者 過去家良霜 春霞 田菜引野邊之 ※[(貝+貝)/鳥]鳴焉
 
【語釈】 ○白雪の常敷く冬は 「常敷く」は、永く敷いているで、冬の特色をいったもの。
【釈】 白雪が絶えず地に敷いている冬は過ぎたらしい。春霞のたなびいている野べの鶯が鳴いている。
【評】 春の来た喜びをいったものである。それをいうに、本の三句は冬の特色をいい、その去ったことを添え、末の三句は春の特色をいい、その来たことをいって、対照法を利用して言い現わしている。これは旋頭歌の形式を利用しているためである。しかし全体として、一種の説明となっているのも同じく旋頭歌の形式のさせていることで、その得失は言い難いものである。
 
     譬喩歌
 
(375)1889 吾《わ》が屋前《やど》の 毛桃《けもも》の下《した》に 月夜《つくよ》さし 下心《したごころ》吉《よ》し うたてこの頃《ごろ》
    吾屋前之 毛桃之下尓 月夜指 下心吉 菟楯頃者
 
【語釈】 ○毛桃の下に月夜さし 「毛桃」は、桃の一種で、実の外皮に毛の多い物。これは最も普通なものであった。「下」は、木の下。「月夜さし」は、月光が枝葉を漏れてさして。○下心吉しうたてこの頃 「下心」は、内心というにあたる。「吉し」は、良しで、快い意。「うたて」は、以前とちがつての意の副詞。「この頃」は、この頃はで、以前と比較してのもの。
【釈】 わが家の庭の毛桃の木の下まで月がさして、内心気持がよい。以前とはちがってこの頃は。
【評】 「下心吉しうたてこの頃」が内容で、この頃は以前とはちがつて内心気持がよいというのが全体である。何で気分がよいのかについては全く語っていない。「吾が屋前の毛桃の下に月夜さし」は、その気分の前に展《ひら》けている景で、気分がよいので、それも同じく気分よく感じられるという範囲のものである。作者はたぶん永い間恋の悩みをしていたのが、この頃はそれが成立ちそうに思われての気持よさであろう。しかしこれは想像にすぎないものである。こうした気分そのものをいうのみの歌は、奈良朝時代の新風である。気分の原因をなす事件を暗示にとどめる歌を譬喩歌とすると、この種の歌はすでに何首かあった。
 
     春相聞
 
【解】 以下の七首は、左注があって、「柿本朝臣人麿の歌集に出づ」とあるものである。相聞の歌はすべて「……に寄す」として分類しているのに、この七首にはそれをしていない。人麿歌集の歌に限って、分類を加えず、原形のままにしているのである。
 
1890 春日野《かすがの》に 友鶯《ともうぐひす》の 鳴《な》き別《わか》れ かへります間《ま》も 思《おも》ほせ吾《われ》を
    春日野 友※[(貝+貝)/鳥] 鳴別 眷益間 思御吾
 
【語釈】 ○春日野に友鶯の 「友鶯」は、鶯の連れ立っているように見えるところから、友とみなしての称。詩的解釈の称である。春日野で、友鶯(376)が鳴いてと続き、「鳴き」にかかる序詞。眼前を捉えてのものである。○鳴き別れかへります間も 「鳴き別れ」は、男が別れを惜しんで泣いて別れてで、「別れ」は連用形で下へ続く。「帰ります」は、「帰る」の敬語。女が男に対して用いているものである。家に帰られるしばらくの間でもで、男が女の家を訪うたのである。○思ほせ吾を 「思ほせ」は、「思へ」の敬語で、命令形。思い給えよ吾を。
【釈】 春日野で、友鶯が鳴いている。それに因《ちな》みある、別れを惜しんで泣いて別れて、家へ帰られる間をも、思い給えよ吾を。
【評】 作者は春日野に住んでいる女で、男が訪れて、別れようとする時に、女が愛のかわらないようにと訴えた歌である。敬語を二つまで続けているのも異様であるし、一首の調べがたどたどしく、一貫しての力はもっていない。作歌に慣れない女の、その場での咄嗟の作という趣をもったものである。人麿歌集の歌なので、一応人麿の作ではないかとの感を起こさせるが、作風から見て、全く趣を異にしたものである。人麿歌集の中にも、全く無関係の人の作が記憶のために記されたものもありうることだが、あるいは人麿が関係した女の歌で、人麿に贈ったものであるかもしれぬ。それだとさらに可能性が多くなる。
 
1891 冬《ふゆ》ごもり 春《はる》咲《さ》く花《はな》を 手折《たを》りもち 千遍《ちたび》の限《かぎり》 恋《こ》ひ渡《わた》るかも
    冬隱 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨
 
【語釈】 ○冬ごもり春咲く花を 「冬ごもり」は、「春」の枕詞。「春咲く花」は、美しさのほうに重点を置き、梅とも桜とも限らないものである。これは思う女の譬喩としてのもので、その美しさを強くあらわそうとしてのものである。○千遍の限恋ひ渡るかも 「千遍」は、千度。「限」は、及びうる最後の点の意で、千度までも。「恋ひ渡るかも」は、恋いつづけることよ。
【釈】 冬ごもり春を咲く美しい花を折って持って、千度までも恋いつづけていることであるよ。
【評】 「春咲く花を手折りもち」は、美しい女で、距離をもった、つながりのない女を連想して、その関係においていっているもので、「千遍の限恋ひ渡る」も、漠然たる憧れの強さをいったものである。一首、自身の心やりの歌である。漠然たる気分をそのままに、他に通じると通じないとは問題にせず、強く言い放つ態度は、人麿以外には見られないものである。具象化は、おのずからに添ったというべきである。
 
1892 春山《はるやま》の 霧《きり》に惑《まと》へる 鶯《うぐひす》も 我《われ》にまさりて 物《もの》念《おも》はめや
(377)    春山 霧惑在 ※[(貝+貝)/鳥] 我益 物念哉
 
【語釈】 ○春山の霧に惑へる 「霧」は、上代は霞と通じて用いていて、その間に差別がなかった。ここは後世の霞の意のものである。春山の霞の中に、行くべき方角を失って惑っている。○物念はめや 「物念ふ」は嘆きで、「や」は反語。
【釈】 春山の霞の中に、その行くべき方角に惑っている鶯も、我にまして嘆きをしていようか、してはいない。
【評】 女に懸想をして、よる術《すべ》もなく当惑している折、春山の深い霞の中に鳴いている鶯の声を聞いて、捉えて自身の譬喩にしたものである。この歌の魅力は、譬喩の新鮮で美しい点にもあるが、それにも勝るのは、調べの強さで、その熱意と、もてあまして投げ出そうとするがごとき気息が、調べによって具象されている点にある。
 
1893 出《ゝ》でて見《み》る 向《むか》ひの岡《をか》に 本《もと》繁《しげ》く 咲《さ》きたる花《はな》の 成《な》らずは止《や》まじ
    出見 向岡 本繁 開在花 不成不止
 
【釈】 ○出でて見る向ひの岡に 家を出ると見るものになっている向かいの岡に。○本繁く咲きたる花の 「本」は、木の幹。「繁く」は、繁くしてで、幾本も群がり立っている木。「咲きたる花の」は、今咲いている花で、果樹である。以上四句は、花の実となる意で、「成る」の序詞。○成らずは止まじ 「成る」は、花の実と成るを、恋の成立する意の成るに転じさせたもので、わが恋を成立たせなければやめまい。
【釈】 家を出ると見るものになっている向かいの岡に、幹が繁く立っている木に、今咲いている花の実と成る、それに因みあるわが恋も成らせずにはやめまい。
【評】 この歌も、片恋の悩みに、眼前に見る繁く咲いている花に刺激されて、花に関係のある「成らずは止まじ」という慣用されている成句を思い起こし、我もその心をもとうと思った心のものである。初句より四句までを序詞としているのは、「成らずは」を力強いものとしようがためのもので、修辞的技巧のものではなく、必要よりのものである。一成句を生かそうための歌であるが、調べの力はそれを概念的なものにしていない。
 
1894 霞《かすみ》たつ 春《はる》の永日《ながひ》を 恋《こ》ひ暮《く》らし 夜《よ》の深《ふ》けゆけば 妹《いも》にあへるかも
(378)    霞發 春永日 戀暮 夜深去 妹相鴨
 
【語釈】 ○夜の深けゆけば妹にあへるかも 「夜の深けゆけば」は、旧訓。女と相逢う約束をしてあって、その時問が来て。「妹にあへるかも」は、初めて妹に逢ったことであるの意。
【釈】 霞の立つ春の永い日を恋い暮らして、夜が更けて、妹に逢ったことである。
【評】 初句より四句までは時間の推移をいったものである。これはいかにその時間の来るのを待ったかという気分をあらわしたもので、喜びの心からのものである。結句の「妹に逢へるかも」は、それによって初めて逢う妹であることをおのずからあらわすものとなっている。一首、喜びの気分の表現である。上の「冬隠り」の歌からこの歌までの四首は、一人の女との関係を連作にしたものとみえる。連作としてもすぐれたものである。
 
1895 春《はる》されば 先《ま》づ三枝《さきくさ》の 幸《さき》くあらば 後にもあはむ な恋《こ》ひそ吾妹《わぎも》
    春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
 
【語釈】 ○春されば先づ三枝の 「春されば」は、春が来れば。「先づ三枝の」は、「さき」は掛詞になっており、まず咲く三枝ので、二句、同音反覆で、「幸」の序詞。「三枝」は、『新撰姓氏録』『日本書紀』『和名類聚抄』などの古書に出ているもので、古くから名高い草木であるが、その名が伝わっていない。諸説があるが、一定しない。「三枝」は、枝の形状の特色であろうし、春早く花の咲くものであることは、この歌でも知られる。今は未定とするほかはない。
【釈】 春が来れば、まず花が咲く三枝に因みある、幸くつつがなくあったならば、後にも逢おう。我を恋うるなよ妹よ。
【評】 妻と別れようとする時の歌である。ある期間の別れで、おちついた詠み方をしているので、長途の旅に立った時などであろう。「後にも逢はむ」と慰め、「な恋ひそ吾味」と、妹の心を傷めて健康を損じることを気づかう、妹中心の歌である。序詞は眼前を捉えたものかと思われる。それだと春の初め三枝の咲いている頃である。
 
1896 春《はる》されば しだり柳《やなぎ》の とををにも 妹《いも》は心《こころ》に 乗《の》りにけるかも
(379)    春去 爲垂柳 十緒 妹心 乘在鴨
 
【語釈】 ○春さればしだり柳の 「しだり柳」は、その枝の長く撓《たわ》む意で、「とをを」にかかる序詞。○とををにも 「とををに」は、撓むまでにの意の副詞で、「乗り」に続く。○妹は心に乗りにけるかも 妹はわが心の上に乗っていることであるよ。
【釈】 春になるとしだり柳の枝が撓む、それに因みある、その重さで撓むまでに、妹はわが心に乗っていることであるよ。
【評】 眼前を捉えて序詞として、妹が心にかかって離れないことをいっているものである。四、五句は、巻二(一〇〇)「東人の荷向《のささき》の箱の荷の緒にも妹は情《こころ》に乗りにけるかも」があるが、人麿のこの歌は、その同じことを、眼前の自然を捉えて序詞にすることによって、美しく気分化しているのである。単純な歌であるが、感性と手腕とを思わせるものである。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人麿謌集出。
 
     鳥に寄す
 
1897 春《はる》されば 百舌鳥《もず》の草潜《くさぐき》 見《み》えずとも 吾《われ》は見遣《みや》らむ 君《きみ》があたりをば
    春之在者 伯勞鳥之草具吉 雖不所見 吾者見將遣 君之當乎婆
 
【語釈】 ○百舌鳥の草潜 「百舌鳥」は、今も親しまれている小鳥。「草潜」は、「潜」は、くぐるの意の古語で、上二段活用の語。「草潜」は、草に潜る意で、名詞。百舌鳥は、秋季にはよく活動するが、春季は人里近くは見えないところから、草の中に潜り入っていると解したのではないかという。「見えず」にかかる序詞。○見えずとも吾は見遣らむ 見えなかろうとも、我は見やろう。○君があたりをば 「君」は夫で、夫が住んでいる辺りをば。
【釈】 春になると百舌鳥が草潜りをしていて見えなくなる、それに因みある、たとい見えなかろうとも、我は見やろう。君が住む辺りをば。
【評】 妻が夫を恋うての歌である。特色は序詞にある。「春されば百舌鳥の草潜」は、眼前を捉えてのもので、春の野の実際に即したものである。親しく農耕をしている者の間にのみ通じるもので、この男女の身分を暗示しているものである。「見え(380)ずとも」以下も、抒情を通じてこの男女の住む辺りの状態をおのずから描き出しているもので、一首、庶民生活を暗示的に漂わしている。そこに趣がある。
 
1898 容鳥《かほどり》の 間《ま》なく数鳴《しばな》く 春《はる》の野《の》の 草根《くさね》の繁《しげ》き 恋《こひ》もするかも
    容鳥之 間無数鳴 春野之 草根乃繁 戀毛爲鴨
 
【語釈】 ○容鳥の間なく数鳴く 「容鳥」は、かっこう鳥かという。既出。「間なく数鳴く」は、間断なくしきりに鳴くで、「春の野」の修飾。○春の野の草根の繁き 「草根」は、草で、根は接尾語。意味で「繁き」と続き、初句から、これまではその序詞である。
【釈】 かっこう鳥が間断なくしきりに鳴く春の野に生えている草の、その繁きに因みある、繁く暇のない恋をしていることであるよ。
【評】 これは男の片恋の嘆きである。三句余りを序詞としている歌で、特色はそこにある。容鳥をかっこう鳥とすると、それは片恋をしている鳥である。とにかく問なく数鳴いているのである。その鳴いている春の野は、春草が繁く生えていて、それらが無理なく続けられて序詞となっているのである。序詞ではあるが気分の具象となっているもので、一首の主体となっている。新傾向の歌である。調べに冴えはないが、心を尽くし得ている歌である。
 
     花に寄す
 
1899 春《はる》されば 卯《う》の花《はな》ぐたし 吾《わ》が越《こ》えし 妹《いも》が垣間《かきま》は 荒《あ》れにけるかも
    春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒來鴨
 
【語釈】 ○春されば卯の花ぐたし 「ぐたし」は、本来は清音であるが、熟語のために濁音となっているもの。朽ちさせる意で、ここは下の続きで、卯の花を踏みしだいて朽ちさせる意である。卯の花は春の花ではないから誤写だという解がある。ここは「春されば」は、思い出として広くいっているものであるから、不自然とまではいえないものである。○吾が越えし妹が垣間は わが乗り越えた妹の家の垣間で、卯の花はその垣間に添っていたのである。これで忍んで通う関係だったと知られる。「垣間」は、垣の間をいう。
(381)【釈】 春になると、卯の花を踏みしだいて朽ちさせて、わが乗り越えた妹の家の垣根は、荒れたことであるよ。
【評】 何らかの事情で、やや久しく通うことのできなかった妹の家の垣根の、荒れてしまっているのを見ての感傷である。「春されば卯の花ぐたし」は、通っていた頃の記憶の中で、最も印象の深いもので、たぶんは通いはじめた当座の記憶でもあろう。
 
1900 梅《うめ》の花《はな》 咲《さ》き散《ち》る苑《その》に 吾《われ》ゆかむ 君《きみ》が使《つかひ》を 片待《かたま》ちがてり
    梅花 咲散苑尓 吾將去 君之使乎 片待香花光
 
【語釈】 ○咲き散る苑に 「咲き散る」は、咲いて散るであるが、散るに重点を置いての語。○片待ちがてリ 「片待ち」は、ひたすらに待つ意。「がてり」は、事を兼ねる意で、かたがたというにあたる。
【釈】 梅の花の散っている苑に我は行こう。君からの使いをひたすらに待つのを兼ねて。
【評】 ある程度身分ある家の娘の歌である。気分が少なく、画面を想像させる歌である。あるいは題画の歌ではないか。
 
1901 藤浪《ふぢなみ》の 咲《さ》ける春野《はるの》に 蔓《は》ふ葛《かづら》 下《した》よし恋《こ》ひば 久《ひさ》しくもあらむ
    藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在
 
【語釈】 ○藤浪の 「藤浪」は、藤が地に這い拡がっている状態からの称で、転じて藤の花の意となった。○蔓ふ葛 「葛」は、草生植物の総称で、ここは上の藤浪の蔓である。這っている蔓は、咲いている花に対しては下になっている意で、「下」にかかる序詞。○下よし恋ひば 「下」は、下ごころ。「よ」は、よりの意の助詞。「し」は、強意。心の中に恋うていたら。○久しくもあらむ 時間のかかることであろう。
【釈】 藤の花の咲いている春の野に這っているその蔓の、花の下となっているのに因みある、我も下ごころに恋うていたら、時間のかかることであろう。
【評】 懸想の心を抱きながら言い出せずいる男が、藤の花の下に這っている蔓を見て、自分の状態を連想し、それを序詞として、もどかしさを嘆いた歌である。序詞は気分の具象になっているものである。藤の花の下になっている蔓という特殊な点に(382)着目しているのが、もどかしさをあらわすものになっている。
 
1902 春《はる》の野《の》に 霞《かすみ》たなびき 咲《さ》く花《はな》の かくなるまでに 逢《あ》はぬ君《きみ》かも
    春野尓 霞棚引 咲花之 如是成二手尓 不逢君可母
 
【語釈】 ○咲く花のかくなるまでに 「かくなる」は、このように盛りになるまでも。
【釈】 春の野には霞がたなびいて、咲く花がこのように盛りになるまでも、来ない君であるよ。
【評】 男の足遠くしている嘆きである。春の野の状態を言いつづけているのは、女がたまたま野に出て、春の深くなっているのを感じたからで、そこに女の身分、生活が出て、淡いながら味わいとなっている。詠み方も暢びやかに静かで、貴族的である。
 
1903 吾《わ》が背子《せこ》に 吾《わ》が恋《こ》ふらくは 奥山《おくやま》の 馬酔木《あしぴ》の花《はな》の 今《いま》盛《さかり》なり
    吾瀬子尓 吾戀良久者 奧山之 馬醉花之 今盛有
 
【語釈】 ○吾が恋ふらくは 「恋ふらく」は、「恋ふ」の名詞形。○馬酔木の花の 「の」は、のごとくで、「盛」の譬喩。眼前を捉えていっているもの。
【釈】 わが背子にわが恋うていることは、この奥山の馬酔木の花のように、今盛りである。
【評】 この作者は、上の歌の作者とはちがって庶民である。「奥山の馬酔木の花」は、庶民でなくては捉えられない譬喩である。「吾が背子に吾が恋ふらく」は、じつに素朴で、直截で庶民の口吻である。そこに味わいがある。上の歌と対照して、貴族と庶民との距離が遠くなってきているのがみえる。
 
1904 梅《うめ》の花《はな》 しだり柳《やなぎ》に 折《を》りまじへ 花に供養《そな》へば 君《きみ》に逢《あ》はむかも
(383)    梅花 四垂柳尓 折雜 花尓供養者 君尓相可毛
 
【語釈】 ○梅の花しだり柳に 梅の花を、しだり柳の枝にで、いずれも早春の代表的に美しい物。○花に供養へば 「花に」は、供華《くげ》としてで、仏に供える花。「供養へば」は、用字によって仏に対してのものである。○君に逢はむかも 「かも」は、疑問。
【釈】 梅の花をしだり柳の枝に折りまぜて、供華として仏に供えて祈ったならば、君に逢えることであろうか。
【評】 仏に供華をしたならば、その功徳で足遠くしている夫に逢えようかと、心を動かした歌である。仏が神と同じく身近かなものになっていたが、ある距離をもっていたことがうかがわれる。身分ある女らしいことも関係しているといえよう。仏に恋を祈る歌として時代的に珍しいものである。
 
1905 をみなへし 咲《さ》く野《の》に生《お》ふる 白躑躅《しらつつじ》 知《し》らぬこともち 言《い》はれし吾《わ》が背《せ》
    姫部思 咲野尓生 白管自 不知事以 所言之吾背
 
【語釈】 ○をみなへし咲く野に生ふる白躑躅 「白」を「知ら」と同音反復で懸けたもので、初句よりこれまでは序詞。巻四(六七五)に類似の序詞がある。○知らぬこともち言はれし吾が背 「知らぬこともち」は、身に覚えのないことをもってで、この作者との関係をいったもの。実際に関係があるが、冷淡にしているので、恨みの心からわざと皮肉にいったもの。「言はれし吾が背」は、言い騒がれたわが夫よ。
【釈】 女郎花の咲く野に生えている白躑躅の、その白に因みある、知らない、覚えのないことのために人に言い騒がれた、わが背よ。
【評】 疎遠な夫に贈った歌である。恨みを皮肉にいったものであるが、婉曲に徹底させていて、じつに巧みである。その序詞も、花の名を二つまで重ねて美しくしているのは、皮肉を婉曲化する上に役立たせている。才女の口吻で、その才が夫を疎遠にさせていたのかもしれぬ。
 
1906 梅《うめ》の花《はな》 吾《われ》は散《ち》らさじ あをによし 平城《なら》なる人《ひと》の 来《き》つつ見《み》るがね
    梅花 吾者不令落 青丹吉 平城之人 來管見之根
 
(384)【語釈】 ○吾は散らさじ 吾は散らすまいで、心持としていっているもの。事実としては不可能なことである。○平城なる人の 原文「平城之人」。『略解』は、「之」は「在」の誤写としてこのように訓んでいる。誤写はとにかく、このように訓ませようとしての字と思える。奈良に住んでいる人で、指す人があつてのもの。○来つつ見るがね 「来つつ」は継続。「見るがね」は、見る料に、見るために。
【釈】 梅の花を吾は散らすまい。奈良に住んでいる人の来て見る料に。
【評】 奈良以外の人の、奈良に住んでいる人に、梅の頃、訪い来たまえと誘う心で贈った歌である。この当時は、梅はさして珍しい物ではなかったので、梅の花は誘う口実である。「散らさじ」は、訪問を切望する心、「来つつ」は、その花の好いことを暗に知らせたもので、風流を誇りとし合う間の歌である。
 
1907 かくしあらば 何《なに》か植《う》ゑけむ 山吹《やまぶき》の 止《や》む時《とき》もなく 恋《こ》ふらく念《おも》へば
    如是有者 何如殖兼 山振乃 止時喪哭 戀良苦念者
 
【語釈】 ○かくしあらば何か植ゑけむ 「かくしあらば」は、このようにあるのだったらで、四、五句の内容を指示したもの。「何か植ゑけむ」は、何だつて植えたのだったろうと、悔いての心。○山吹の止む時もなく 「山吹の」は、上の「植ゑけむ」とあるもので、今花の咲いているものであるが、同時にそれを、同音反復で「止む」の枕詞としているものである。「止む時もなく」は、絶えずで、山吹の花の盛りの久しいことを絡ませてある。○恋ふらく念へば 「恋ふらく」は、「恋ふ」の名詞形。恋うることを思うとで、山吹の花の美しさの連想から、恋ごころを刺激される意。
【釈】 このようにあるのだったら、何だって植えたのだったろう。山吹の花のそれに因みある、やむ時もなく恋うることを思うと。
【評】 女に贈った歌である。庭に植えた山吹の花の盛り久しいのを見ると、その花に刺激されて絶えず恋の苦しみをしているといい、植えたことをいたく悔いるというのは、無論誇張しての訴えである。それがさして誇張に見えないのは、事としていわず、気分としていっているがためで、この歌では重いものである山吹を、枕詞の形にして扱い、「恋ふらく」の対象をいわないのもそのためである。この気分は、意識して技巧として行なっているものである。
 
     霜に寄す
 
(385)1908 春《はる》されば 水草《みくさ》の上《うへ》に 置《お》く霜《しも》の 消《け》つつも我《われ》は 恋《こ》ひ渡《わた》るかも
    春去者 水草之上尓 置霜之 消乍毛我者 戀度鴨
 
【語釈】 ○水草の上に置く霜の 「水草」は、水中、水辺の草の総称。実景としてのものと取れる。「置く霜の」は、意味で「消」と続き、初句より三句までは序詞。○消つつも 「消つつも」は、消え失せつつで、死ぬほどにしつつも。
【釈】 春になると、水草の上に置く霜が消える、それに因みある、我も消え失せつつも恋い続けていることであるよ。
【評】 女に訴えた歌である。序詞は眼前を捉えたものとみえる。しかし類型によってのことである。意図をもってのもので、感動の伴わないものである。
 
     霞に寄す
 
1909 春霞《はるがすみ》 山《やま》にたなびき おほほしく 妹《いも》を相見《あひみ》て 後《のち》恋《こ》ひむかも
    春霞 山棚引 欝 妹乎相見 後戀毳
 
【語釈】 ○春霞山にたなびき 意味で「おほほしく」にかかる序詞。○おほほしく 巻二(一七五)以下しばしば出た。はっきりとせずで、わずかにの意。
【釈】 霞が山にたなびいておぼつかない、それと因みある、おぼつかなく妹と逢って、後になって恋うることであろうよ。
【評】 男が初めて相逢った女と別れしなに、女に贈った歌と思われる。序詞は眼前を捉えたものとみえる。「おほほしく」は、大体灯のない所で逢ったからで、当時にあっては普通のことであった。気分的な詠み方の歌である。
 
(386)1910 春霞《はるがすみ》 立《た》ちにし日《ひ》より 今日《けふ》までに 吾《わ》が恋《こひ》止《や》まず 本《もと》の繁《しげ》けば
    春霞 立尓之日從 至今日 吾戀不止 本之繁家波
 
【語釈】 ○春霞立ちにし日より 久しい間ということを具体的にいった形であるが、同時に、「立ちにし日」は、女と逢った日としていっているもの。○本の繁けば 「本」は、木の幹。「繁けば」は、「繋け」は、形容詞「繁し」の已然形。「ば」は助詞。幹が多いのでで、木立の繁っている状態。心の深いことを具象化していったもの。
【釈】 春霞の初めて立った日から、今日に至るまでの久しい間を、わが恋はやむ時もない。心が深いので。
【評】 女に贈った歌である。初句より三句まで、幾何《いくばく》でもない時の推移をいうに費やしているのは、当人同士の間にだけ意味のあるものだからである。「木の繁けば」は、春の眼前を捉えての譬喩であろうが、唐突である。非力な人の作である。
 
     一に云ふ、片念《かたもひ》にして
      一云、片念尓指天
 
【解】 五句の別伝である。このほうが訴えが直接になる。作者の別案である。
 
1911 さ丹《に》つらふ 妹《いも》を念《おも》ふと 霞《かすみ》立《た》つ 春日《はるひ》もくれに 恋《こ》ひわたるかも
    左丹頬經 妹乎念登 霞立 春日毛晩尓 戀度可母
 
【語釈】 ○さ丹つらふ 「さ丹つらふ」は巻三(四二〇)に既出。「さ」は接頭語。「丹つらふ」は、くれないに現われる意で、紅顔というにあたる。顔の美を讃えるの意で、「妹」にかかる枕詞。○霞立つ春日もくれに 「霞立つ」は、「春」の枕詞。「春日」は明るい春の日。「くれに」は暗いごとくにで、副詞。物思いのためにそのように覚える意。
【釈】 美しい顔いろをした妹を思うとて、霞の立つ春の日も、暗く覚えるまでに恋いつづけていることであるよ。
【評】 女に贈った歌と思われる。率直に、平明に眼前の景に寄せていっているが、一首、感覚的で、華やかで、調べも暢びやかである。「霞立つ春日もくれに」は、簡潔で、美しい。いい意味での貴族的な歌である。
 
(387)1912 たまきはる 吾《わ》が山《やま》の上《うへ》に 立《た》つ霞《かすみ》 立《た》つとも坐《う》とも 君《きみ》がまにまに
    靈寸春 吾山之於尓 立霞 雖立雖座 君之隨意
 
【語釈】 ○たまきはる吾が山の上に 「たまきはる」は、定解のない枕詞で、「霊来|経《ふ》る」の転で、霊がわが肉体に宿っているの意ではないか。内、命、幾世などにかかるのであるが、ここは「吾」にかかる。「吾が山」は、作者の家近い山。○立つ霞 下の「立つ」へ、同音反復で続き、初句よりこれまでは序詞。○立つとも坐とも 旧訓は「たちてもゐても」。『略解』の訓。「坐《う》」は、すわる意の古語で、終止形。立っていようとも、坐っていようともで、どのようになりともを、具象的にいったもの。○君がまにまに 「君」は、夫。「まにまに」は、心任せにで、下に、しようの意がある。
【釈】 わが家近くの山の上に立っている霞の、それに因みある、立っていようとも坐っていようとも、わが一切は君が心任せにしよう。
【評】 女が夫として持った男に対して、わが一切は君の心任せにしようと誓った語である。これは夫婦間の歌の最も基本的なものである。序詞は眼前を捉えたものであるが、「吾が」の枕詞として「たまきはる」を用いているのは、誓言の歌として適当な語としてであろう。
 
1913 見渡《みわた》せば 春日《かすが》の野辺《のべ》に 立《た》つ霞《かすみ》 見《み》まくのほしき 君《きみ》が容儀《すがた》か
    見渡者 春日之野邊 立霞 見卷之欲 君之容儀香
 
【語釈】 ○春日の野辺に立つ霞 「霞」の「み」を、同音反復で「見」に続け、初句からこれまでは序詞。○君が容儀か 「君」は、夫。「か」は、詠歎。
【釈】 見渡すと、春日の野辺に立っている霞、その霞に因みある、見たいと思うところの君がすがたであるよ。
【評】 女がたまたま霞の立っている春日野を見渡して、その好景の連想から夫の姿を見たくなったというので、自然な心理である。風景を序詞の形として、気分の上でのつながりのものとしたのも、自然な、無理のない技巧である。序詞と見ず、譬喩として見ると、事を主とした歌になって、気分を主としたこの作風からは、かえって間接なものになる。
 
(388)1914 恋《こ》ひつつも 今日《けふ》は暮《くら》しつ 霞《かすみ》立《た》つ 明日《あす》の春日《はるひ》を 如何《いか》にくらさむ
    戀乍毛 今日者暮都 霞立 明日之春日乎 如何將晩
 
【語釈】 ○霞立つ明日の春日を 「霞立つ」は、「春」の枕詞。意味でかかるものであるから叙述と異ならない。
【釈】 恋いながらも今日は暮らした。霞の立つ明日の春日をどうして暮らそうか。
【評】 素朴な抒情である。素朴に徹しているところにある程度の好さがある。
 
     雨に寄す
 
1915 吾《わ》が背子《せこ》に 恋《こ》ひて術《すぺ》なみ 春雨《はるさめ》の 降《ふ》る別《わき》知《し》らに 出《い》でて来《こ》しかも
    吾背子尓 戀而爲便莫 春雨之 零別不知 出而來可聞
 
【語釈】 ○恋ひて術なみ 恋うてやるせなさに。○降る別知らに 降っているかいないかの差別も知らずに。「に」は、打消の助動詞「ず」の古い時代の連用形。○出でて来しかも 家を出て来たことよ。
【釈】 わが背子を恋うてやるせなさに、春雨の降っているかいないかの見さかいもつかずに家を出て来たことよ。
【評】 女の歌で、春雨の降っている中を、濡れながら夫の家に来て、言いわけとしていっている歌である。庶民階級の男女で夫婦関係が公のものとなっている仲では、こうしたことも有りうることである。女の物言いの情熱的で、率直をきわめているのも、庶民を思わせる。味わいのある歌である。
 
1916 今更《いまさら》に 君《きみ》はい往《ゆ》かじ 春雨《はるさめ》の 情《こころ》を人《ひと》の 知《し》らざらなくに
    今更 君者伊不徃 春雨之 情乎人之 不知有名國
 
【語釈】 ○君はい往かじ 「君」は、妻より夫をいっているもの。「い往かじ」は、「い」は接頭語で、「往かじ」は、帰るまい。○春雨の情を人の(389) 「春雨の情」は、春雨というものの性質で、春雨は降り出すと容易にやまないものであることを。「人の」は第五句へ跨がっている語で、誰でもの意。○知らざらなくに 知らないことはないのにで、知っているという意を、否定を二つ重ねる語法で強くいったもの。
【釈】 いまさらに君はお帰りになるまい。春雨というものの性質を、誰でも知らないことはないのに。
【評】 夫が妻の家を訪うて、帰ろうとしていると春雨が降り出したので、夫はしばらく晴れ間を待っている時、妻が夫を引留めようとしていった歌である。心は明らかで、女の引留めようとする気分と、それを支持するために付ける理屈が、よくこなれて纏《まとま》っている。才女の少なくなかったことが知られる。
 
1917) 春雨《はるさめ》に 衣《ころも》はいたく 通《とほ》らめや 七日《なぬか》し降《ふ》らば 七日《なぬか》来《こ》じとや
    春雨尓 衣甚 將通哉 七日四零者 七日不來哉
 
【語釈】 ○衣はいたく通らめや 「通る」は、濡れとおる意。「や」は、反語で、濡れとおろうか、通りはしない。○七日し降らば七日来じとや 「七日」は、多くの日ということを具象的にいったもの。「し」は、強意。「来じとや」は、来まいというのであろうかで、下に、「いふ」が略されている。
【釈】 春雨で衣がひどく濡れとおることがあろうか、ありはしない。もし七日降り続いたならば、七日来まいというのであろうか。
【評】 これは夫から、今日は春雨が降るから行かれないと、断わりの使が来た時に、妻が返事として答えた歌である。あまえ心から昂奮して詠んだ形のものであるが、この妻は前の妻よりさらに一段と才が利き、情よりも理の勝った女である。「七日し降らば七日来じとや」は、皮肉に近いものにさえなっている。この時代の人は雨を甚しくいやがっている。雨具が幼稚で好ましからぬ物だったからでもあろう。
 
1918 梅《うめ》の花《はな》 散《ち》らす春雨《はるさめ》 多《さは》に降《ふ》る 旅《たび》にや君《きみ》が 廬《いほり》せるらむ
    梅花 令散春雨 多零 客尓也君之 廬入西留良武
 
【語釈】 ○梅の花散らす春雨多に降る 眼前の光景である。「梅の花散らす」は、春雨を憎む心よりのものである。○旅にや君が廬せるらむ 旅(390)にいる夫は、廬をしていることであろうかで、「や」は疑問の係。「廬」は、やや身分のある人だと、夜を宿るために設ける仮小屋。
【釈】 梅の花を散らす春雨が多量に降っている。旅にある君は廬をして籠もっているのであろうか。
【評】 心は明らかである。「廬せるらむ」という想像は、旅はそうしたものとする漠然たるものであろう。旅の侘びしさを思つてのものであるが、ある程度の安心をもち得ての想像である。時代がさせることである。この歌の詠み万は、取材としては詠歎になるべき性質のものであるが、著しく散文的で、口語的発想ともいえるものである。独詠ではあるが、こうした詠み方の起こっていたことを思わせるものである。
 
     草に寄す
 
1919 国栖等《くにすら》が 春菜《はるな》採《つ》むらむ 司馬《しば》の野《の》の しばしば君《きみ》を 思《おも》ふこのごろ
    國栖等之 春莱將採 司馬乃野之 數君麻 思比日
 
【語釈】 ○国栖等が春菜採むらむ 「国栖」は、古事記中巻、日本書紀巻十に出ており、古くは「くにす」といい、後「くず」となった。吉野離宮のやや上流に、国※[木+巣]《くず》村(現在吉野町の一部)がある。「春菜」は、若菜。○司馬の野の 所在未詳。国栖の付近の野かという。「司馬」を、同音反復で、「しばしば」の「しば」に続けて、初句よりこれまでその序詞。○しばしば君を思ふこのごろ 「君」は、夫。
【釈】 国栖らが春菜を摘むであろう司馬の野の、その名に因みある、しばしばも君を思うこの頃である。
【評】 春になって、今までよりもおりおり夫のことが思われるという独詠である。「国栖等が春菜採むらむ司馬の野」は、現在の想像で、やや特殊な場所であるだけに、当事者の間には親しい感のあるものであったろう。それだと君と称せられている人の住所が、その方面だったのであろう。熟した含蓄のある歌であるが、取材の関係上、第三者には淡い味わいのものである。
 
1920 春草《はるくさ》の 繁《しげ》き吾《わ》が恋《こひ》 大海《おほうみ》の 方《へ》にゆく浪《なみ》の 千重《ちへ》に積《つも》りぬ
    春草之 繁吾戀 大海 方徃浪之 千重積
 
【語釈】 ○春草の繁き吾が恋 「春草の繁き」は、「吾が恋」へ意味でかかる序。○大海の方にゆく浪の 「方にゆく」は、岸に寄るで、意味で「千(391)重」にかかる序詞。
【釈】 春草の繁っているごときわが恋は、大海の浪の岸に寄るごとく千重に積もった。
【評】 男の女に贈った歌であろう。意味で設けた序詞を二つ重ねて、大げさにその恋を訴えたものである。拙い歌である。
 
1921 おほほしく 公《きみ》を相見《あひみ》て 菅《すが》の根《ね》の 長《なが》き春日《はるひ》を 恋《こ》ひ渡《わた》るかも
    不明 公乎相見而 菅根乃 長春日乎 孤悲渡鴨
 
【語釈】 ○おほほしく公を相見て はっきりせぬさまで公と逢つてで、初めて逢った印象とみえる。上の(一九〇九)にも出た。
【釈】 はっきりしないさまで公と逢って、長い春の日を恋いつづけていることであるよ。
【評】 初めて男と相逢った女が、その翌日、男に贈った形の歌である。上の(一九〇九)と男女の相違があるだけである。実情を単純に、おおらかに詠んだもので、気分がとおっている。後世の後朝《きぬぎぬ》の歌との相違が思われる。
 
     松に寄す
 
1922 梅《うめ》の花《はな》 咲《さ》きて散《ち》りなば 吾妹子《わぎもこ》を 来《こ》むか来《こ》じかと 吾《わ》が松《まつ》の木《き》ぞ
    梅花 咲而落去者 吾妹乎 將來香不來香跡 吾待乃木曾
 
【語釈】 ○梅の花咲きて散りなば 「咲きて散りなば」は、眼前の景であるが、花を恋の上で、一時のできごころの譬喩として心を絡ませ、下の「松の木」に対させてある。○吾妹子を来むか来じかと 吾妹子がわが方に通って来るだろうか、来ないだろうかとて。これは、女のほうから男の家へ通って来るという仲だったのである。これは稀れにはあることで、必ずしも格別のことではなかったのである。○吾が松の木ぞ 吾は来るを待っている、その松の木であるぞで、松は掛詞になっており、「ぞ」は提示する意の助詞。この「松の木」につき『新考』は、この歌を松の木に結びつけて贈ったのだといい、巻二(一一三)額田王の「み吉野の玉松が枝ははしきかも」を例とし、文を木の枝に結びつけて贈るのは古くから行なわれていた風だといっている。なお松は、上の「梅の花」と対させ、恋の上でいう「実《み》」と同じく、永久に変わらぬものという意を絡ませたものである。
(392)【釈】 梅の花が咲いて散ったならば、あなたを、来るだろうか来ないだろうかと思い、来るを待っているその松の木であるよ。
【評】 男が自分の家へ女を来させて逢った翌日、上の歌と同じく、後朝の歌の心で贈ったものである。特別な事情に即してのものであり、また歌を松の枝に結びつけて贈るにつけ、その松に自身のかわらぬ心をもたせ、その関係で眼前の梅の花と対照させるなど、複雑な、技巧的な歌である。この類の歌は、相手に効果的に詠もうということを主とした、いわゆる実情のもので、純文芸のものとしてではない。技巧に達した歌である。
 
     雲に寄す
 
1923 白檀弓《しらまゆみ》 今《いま》春山《はるやま》に 行《ゆ》く雲《くも》の 行《ゆ》きや別《わか》れむ 恋《こひ》しきものを
    白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉將別 戀敷物乎
 
【語釈】 ○白檀弓今春山に 「白檀弓」は、白い、塗ってない檀の弓。「今」は、今弦を張ると続けて、「春」に転じた七音の序詞。「春山に」は、春山に向かって。○行く雲の 「行く」を同音反復で「行き」に続け、初句からこれまで序詞。○行きや別れむ 「行き」は、相手が旅に行く意。「や」は疑問の係。別れて行くのだろうか。○恋しきものを 我は恋しいのに。
【釈】 白檀弓に今弦を張るに因みある、その春山に向かって行く雲に因みある、君は別れて行くのだろうか。我は恋しいのに。
【評】 旅に行く人を送る歌で、別れを惜しむ情を主としているものである。送られる人と送る人との関係が明らかではないが、きわめて親しい間とみえる。序詞が主になっていて、序詞の中にまた序詞があるという特殊なもので、これを実際に即させたものである。「白檀弓」は、旅をするには護身のために弓を携えるのが普通になっていたから、この序詞では眼前を捉えたものである。続いて「春山に行く雲の」も、同じく眼前の景で、時は春であり、山は旅立つ人の越えるべき山で、これは気分を絡ませたものである。三句きわめて充実したもので、それを安らかに続けているのはすぐれた技巧である。「恋しきものを」は、慣用されているもので、成句といえるものであるが、一首に調和しうる重いものとなっている。いい歌である。
 
     ※[草冠/縵]《かづら》を贈る
 
(393)1924 大夫《ますらを》の 伏《ふ》し居《ゐ》嘆《なげ》きて 造《つく》りたる しだり柳《やなぎ》の ※[草冠/縵]《かづら》せ吾妹《わぎも》
    大夫之 伏居嘆而 造有 四垂柳之 ※[草冠/縵]爲吾妹
 
【語釈】 ○大夫の伏し居嘆きて 「大夫の」は、堂々たる男子と自尊しての語。「伏し居嘆きて」は、伏して嘆き、居て嘆きしてで、嘆くのは妹を思うての恋の嘆きで、上をうけて、それを心外としての意のもの。これは人に物を贈るには、苦労して得た物ということを言い添えるのが礼になっているので、それに託しての恋の訴えである。○しだり柳の※[草冠/縵]せ吾妹 「しだり柳」は、当時は鑑賞のための物で、ある程度貴かったもの。「※[草冠/縵]せ」は、※[草冠/縵]をせよで、命令形。
【釈】 堂々たる男子が、伏しては嗅き、居ては嘆きして造った、このしだり柳の※[草冠/縵]をせよ、吾味よ。
【評】 相手の吾妹に効果がありさえすればよいとして詠んだ歌で、文芸としての批評の埒外のものである。作者としては目的を果し得た歌であったろう。
 
     別を悲しむ
 
1925 朝戸出《あさとで》の 君《きみ》が容儀《すがた》を よく見《み》ずて 長《なが》き春日《はるひ》を 恋《こ》ひやくらさむ
    朝戸出乃 君之儀乎 曲不見而 長春日乎 戀八九良三
 
【語釈】 ○朝戸出の君が容儀を 「朝戸出」は、朝の戸を開けて外出する意で、ここは妻のもとへ通って来ていた夫の朝の帰りの意。「君」は、夫。○よく見ずて よく見ずして。人目に立たぬように、薄暗いうちに帰るのが習いとなっていたので、実際をいったものである。
【釈】 朝戸出の君の容儀をよくは見なくて、長い春の日を恋い暮らすことであろうか。
【評】 夫の帰る時か、または帰った直後に、夫に贈った歌である。「長き春日を恋ひやくらさむ」は、夜になれば必ず来るものと信じていっている語である。詠み方がおおらかなのでそう思わせる。婉曲にそのことを促したものと見るのは無理であろう。
 
(394)     問答
 
1926 春山《はるやま》の 馬酔木《あしぴ》の花《はな》の 悪《あ》しからぬ 公《きみ》にはしゑや よそるともよし
    春山之 馬醉花之 不惡 公尓波思惠也 所因有好
 
【語釈】 ○春山の馬酔木の花の 「馬酔木の花」は、当時重んじられていたことが集中の歌で知られる。二句、同音反復で、「悪し」にかかる序詞。○悪しからぬ公にはしゑや 「悪しからぬ公には」は、憎くはない君には。「しゑや」は、感動の語で、よし、ままよ、の意。間投詞。巻四(六五九)に既出。○よそるともよし 「よそる」は、訓は諸注それぞれで定まらない。『新訓』の訓。言い寄せられる。噂を立てられる意。
【釈】 春山の馬酔木の花の、そのあしに因みある、憎くはない君には、よしままよ、噂を立てられようとも好い。
【評】 女が男の求婚に対して承諾の意を詠んだ歌である。これに対する男の歌が次にあるので、この求婚は仲介者を立てて言い入れたものとみえる。問答としては問にあたる歌なのである。答歌によると男は、年老いた人であり、女も「公」という敬称を用いているので、身分の隔たりのある問と取れる。「悪しからぬ」も、「よそるともよし」も、内心に喜んでいるのではなく、思い諦めてという条件つきのものであろう。「しゑや」の間投詞は、ことにそれを思わせる。「春山の馬酔木の花の」は、他にも用例のあるものである。一首、当時としてはやや特殊な結婚方法を扱ったもので、女の微細な気分をそれとなくあらわして、客観味を帯びさせているところは、優れた男の作者が意図して作った歌ではないかと思わせる。
 
1927 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の神杉《かむすぎ》 神《かむ》びにし 吾《われ》や更更《さらさら》 恋《こひ》にあひにける
    石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留
 
【語釈】 ○石上布留の神杉 石上の布留の神社(石上神宮)の、神霊の憑《よ》ります神木としての杉。老杉であったとみえる。巻三(四二二)に既出。初二句、「神び」に同音でかかる序詞。○神びにし 神様風になったで、ここは年老いた意。「神び」は、宮び、鄙《ひな》びなどと同系の語。○吾や更更恋にあひにける 「吾や」の「や」は、詠歎の係。「更更」は、今更の意を重ね、強めたもの。「あひにける」の「ける」は「や」の結。
【釈】 石上の布留の神社の神杉に因みある、神様風に老いたわれが、いまさらに恋に逢ったことではあるよ。
(395)【評】 右の女の歌に対して男の答えたものである。女の歌に直接には触れず、老齢に入つての恋を我と怪しみ訝かる心をいっているだけで、これは間接には訴えになるものである。序詞としての布留の社の神杉を捉えているのは、男女ともこの神の庇護を受けている者であることと、その神の照覧の下でのことであるとして、誠実を誓う意を絡ませたものである。地歩を占めての答歌である。
 
     右の一首は、春の歌にあらざれども、猶和なるを以ちて、故この次《なみ》に載す。
      右一首、不v有2春謌1、而猶以v和、故載2於茲次1。
 
【解】 この歌は春季の歌ではないが、答歌であるから、この並びに載せるというのである。原拠にした本に従ったものだということを、編者として断わったのである。
 
1928 狭野方《さのかた》は 実《み》にならずとも 花《はな》のみに 咲《さ》きて見《み》えこそ 恋《こひ》の慰《なぐさ》に
    狭野方波 實尓雖不成 花耳 開而所見社 戀之名草尓
 
【語釈】 ○狭野方は 「狭野方」は地名として一か所巻十三(三三二三)に出ていて、近江国琵琶湖東岸の、坂田郡入江村にある野の名かといわれているが、植物の名としては所見のないものである。下の続きから見て、植物とすると通じるが、それでないと通じ難くなる。したがって誤写説が出ているが、臆測に終わるものばかりである。このままで強いて解すると、狭野方に産する特殊の植物で、そのように呼ばれるものがあって、今は不明になったと解するか、あるいは狭野方出身の女で、出身地名を呼び名とされていた者かとするほかはない。前者より後者のほうが自然に(396)思われる。○実に成らずとも ここの「実」は恋の上の譬喩語で、下の「花」と対したもので、実は恋の成立、花は口頭の承諾という意味のものである。結婚はできずとも。○花のみに咲きて見えこそ 「花」は上にいった。「こそ」は願望の助詞。口頭の承諾だけでも聞かせて呉れよ。○恋の慰に わが恋の気休めに。
【釈】 狭野方そなたは、結婚はできずとも、口頭の承諾だけでも聞かせてくれよ。わが恋の気休めに。
【評】 歌の物言いが、はなはだ直截で、露骨で、庶民的である。この歌の作者は、庶民の豪家の主人で、狭野方は、出身地名で呼ばれていた召使の女の名であろう。主人が召使の女に懸想《けそう》をして、このような言い方をしたものと見ると、意味は簡明に通じる。今はそう解しておく。問の歌である。
 
1929 狭野方《さのかた》は 実《み》になりにしを 今更《いまさら》に 春雨《はるさめ》降《ふ》りて 花《はな》咲《さ》かめやも
    狹野方波 實尓成西乎 今更 春雨零而 花將咲八方
 
【語釈】 ○実になりにしを 実になってしまっているものをで、妻となっていることをいったのである。妻は、人の妻で、夫持ちの意である。○春雨降りて 春雨は花を咲かせるものとしていっているので、他の男に言い寄られての意。○花咲かめやも 「や」は、反語。いわれる口頭の承諾などできようか、できはしない。
【釈】 狭野方は人妻となっているものを、いまさらに他の男に言い寄られて、口頭の承諾などできようか、できはしない。
【評】 右の歌の答歌で、右の歌は同じく直截露骨とはいっても、下手《したて》に出ているが、これはさらに直截露骨で、高飛車にすげなく断わっている。女の貞操観念のさせることで好感がもてる。しかしさすがに「狭野方は」と卑下した言い方をもってしている。二首、「花」という譬喩語があるので、春の歌としているのである。
 
1930 梓弓《あづさゆみ》 引津《ひきつ》の辺《べ》なる 莫告藻《なのりそ》の 花《はな》咲《さ》くまでに 逢《あ》はぬ君《きみ》かも
    梓弓 引津邊有 莫告藻之 花咲及二 不會君毳
 
【語釈】 ○梓弓引津の辺なる 「梓弓」は、「引き」の枕詞。「引津」は、福岡県糸島郡志摩村付近の海浜。船越から岐志にかけての湾入をいま引津浦と呼ぶ。○莫告藻の花咲くまでに 「莫告藻」は、海藻で、ほんだわら。「花咲くまでに」は、これは花の咲かない藻で、永久にないことの意で、(397)久しい間の意で用いているもの。○逢はぬ君かも 「君」は、ここは男より女をさしての称である。それは、この歌は問の歌で、次の答歌は女の歌になっているからである。
【釈】 梓弓を引くに因む引津のほとりの莫告藻の、花の咲くまでの久しい間を我に逢わない妹であるよ。
【評】 女が男を疎遠にして、避けて逢わないことを恨んだ歌である。この歌は巻七(一二七九)人麿歌集の旋頭歌「梓弓引津の辺なる莫告藻の花 採むまでに逢はざらめやも莫告藻の花」を短歌に詠みかえたものと思われる。また、次の答歌から見ると、明らかに謡い物となっていたものである。
 
1931 川《かは》の上《へ》の いつ藻《も》の花《はな》の 何時《いつ》も何時《いつ》も 来《き》ませ吾《わ》が背子《せこ》 時《とき》じけめやも
    川上之 伊都藻之花之 何時々々 來座吾背子 時自異目八方
 
【語釈】 この歌は巻四(四九一)に出ているもので、重出である。
【釈】 略す。
【評】 右の問歌は古歌の詠みかえ、この答歌は古歌そのままである。この二首で見ると、問答の本来は、人々が二つに別れていわゆるかけ合いで謡ったもので、それには古歌の人口に膾炙《かいしや》しているもののほうが謡いやすく、興味も深かったとみえる。文芸的なものはその進展したものなのである。
 
1932 春雨《はるさめ》の 止《や》まず降《ふ》る降《ふ》る 吾《わ》が恋《こ》ふる 人《ひと》の目《め》すらを 相見《あひみ》せなくに
    春雨之 不止零々 吾戀 人之目尚矣 不令相見
 
【語釈】 ○止まず降る降る 「降る降る」は、旧訓。原文「零々」は、訓が定まらない。「降り降り」と訓む説もある。○人の目すらを 「人」は夫。「目すら」は、顔だけをも。○相見せなくに 「なく」は、打消「ず」の名詞形。「に」は詠歎。見させないことよ。
【釈】 春雨はやまずに降り続いて、わが恋うている夫の顔だけをも見せないことであるよ。
【評】 雨をひどく厭った時代で、夫の来ないのは雨のせいだと、雨を恨んだ心である。当時の生活気分が出ている。
 
(398)1933 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひつつ居《を》れば 春雨《はるさめ》の 彼《そ》も知《し》る如《ごと》く 止《や》まず降《ふ》りつつ
    吾妹子尓 戀乍居者 春雨之 彼毛知如 不止零乍
 
【語釈】 ○彼も知る如く 諸注、訓が定まらない。『新訓』の訓。「彼《そ》」は其で、指示代名詞で、集中、他に二例ある。そも知っているようにであるが、何をさしているかというと、春雨か吾妹子かのどちらかである。吾妹子と見るべきである。春雨が、そなたも知っているように。
【釈】 吾妹子に恋いつづけているに、春雨が、そなたも知っているように、降りつづけている。
【評】 これも妻と同じく平和な、問題のない生活気分である。「恋ひつつ」と「降りつつ」と対照させているのみである。答歌であるが、問歌の繰り返しに近い。
 
1934 相念《あひおも》はぬ 妹《いも》をやもとな 菅《すが》の根《ね》の 長《なが》き春日《はるひ》を 念《おも》ひ暮《くら》さむ
    相不念 妹哉本名 菅根乃 長春日乎 念晩牟
 
【語釈】 ○妹をやもとな 「妹をや」は、「を」は、詠歎で、妹であるのに。「や」は、疑問の係。「もとな」は、由《よし》なく。○念ひ暮さむ 片思いをして過ごすのであろうか。
【釈】 相思わぬ妹であるのに、由なく長い春の日を思って過ごすのであろうか。
【評】 問の歌で、謡い物とすると、これでも心の足りる程度のものである。謡い物と文芸との中間的な歌である。
 
1935 春《はる》されば 先《ま》づ鳴《な》く鳥《とり》の鶯《うぐひす》の 言《こと》先立《さきだ》ちし 君《きみ》をし待《ま》たむ
    春去者 先鳴鳥乃 ※[(貝+貝)/鳥]之 事先立之 君乎之將待
 
【語釈】 ○春されば先づ鳴く鳥の鶯の 春になるとまず鳴く鳥の鶯のごとくにで、「言先立ちし」の譬喩。○言先立ちし 「言」は、言葉。「先立ちし」は先に言い出したで、先に言い寄った。○君をし待たむ 君を待っていよう。
(399)【釈】 春になるとまず鳴く鳥の鶯のように、言葉を先に言い出した君を待っていよう。
【評】 答歌であるが、問歌とはしっくりしないものである。男は女の愛の足りないのを恨んでいるのに、女はあくまで従順にしているからである。しかしありうる齟齬《そご》とはいえる。譬喩が巧みである。問歌と同じく眼前の春を捉えて、関係を結んだ最初の時にまで溯っていっているのは、要を得たものである。この問答は貴族的である。
 
1936 あひ念《おも》はず あるらむ児《こ》故《ゆゑ》 玉《たま》の緒《を》の 長《なが》き春日《はるひ》を 念《おも》ひ暮《くら》さく
    相不念 將有兒故 玉緒 長春日乎 念晩久
 
【語釈】 ○あるらむ児故 「児」は、女の愛称。「故」は、理由を示す語で、児であるのに。○玉の緒の長き春日を 「玉の緒の」は、意味で「長き」にかかる枕詞。○念ひ暮さく 「暮さく」は、「暮す」の名詞形。嘆き暮らすことよ。
【釈】 相思いはせずにいる児だのに、玉の緒の長い春の日を嘆き暮らすことよ。
【評】 問答二首を組合わせているのに、ここは三首で、この一首は遊離している。問歌と心は全く同じでもあるから、これを問歌としての組合わせもある意で、原拠とした本に載っていたのであろう。歌としてはこのほうが気分が豊かで、屈折ももっており、答歌に釣合うものである。
 
   夏雑歌
 
     鳥を詠める
 
1937 大夫《ますらを》の 出《い》で立《た》ち向《むか》ふ 故郷《ふるさと》の 神名備山《かむなびやま》に 明《あ》け来《く》れば 柘《つみ》のさ枝《えだ》に 夕《ゆふ》されば 小松《こまつ》が末《うれ》に 里人《さとびと》の 聞《き》き恋《こ》ふるまで 山彦《やまびこ》の 答《こた》ふるまでに 霍公鳥《ほととぎす》 妻《つま》恋《ご》ひすらし さ夜中《よなか》に鳴《な》く
(400)    大夫之 出立向 故郷之 神名備山尓 明來者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀爲良思 左夜中尓鳴
 
【語釈】 ○大夫の出で立ち向ふ 「大夫」は、立派な男子で自身をいっているもの。「出で立ち向ふ」は、その家を出て第一に向かうで、これは尊んですること。○故郷の神名備山に 「故郷」は、古京の意で、ここは飛鳥。「神名備山」は、飛鳥のそれで、雷の岳。土地の守護神である。○明け来れば柘のさ枝に 「明け来れば」は、次の「夕されば」に対させたもので、終日を具象的にいったもの。「柘」は、山桑で、山野に自生する物。「さ枝」は、小枝。○夕されば小松が末に 夕方になると小松の梢に。○里人の聞き恋ふるまでに 「里人」は、故郷の人。「聞き恋ふるまで」は、聞いて恋しく思うまで。「山彦の答ふるまでに」に対させたもの。○霍公鳥妻恋ひすらし 霍公鳥は妻恋いをして鳴くのだろうで、この推量は、霍公鳥は渡り鳥であるところから、故郷があり、故郷には妻があって、絶えず鳴き続けるのは妻恋しさのためだとしたのである。これは作者が現在旅にいて妻恋いをしているところからの推量で、この歌の眼目である。○さ夜中に鳴く 終日につづけて夜中に鳴いている。
【釈】 立派な男子が、家を出ると第一に向かう故里の神名備山に、夜が明けると山桑の木の小枝で、夕方になると小松の小枝で、里人が恋しく聞くまで、山彦が答をするまでに、霍公鳥はその故里に残している妻を恋うのであろう。夜中に鳴いている。
【評】 左注で古歌集の歌と知れ、また歌でも飛鳥を故郷としているところから、奈良朝初期の作と知られる。奈良京の官人が、初夏霍公鳥の鳴く頃、何らかの公務で飛鳥の里に逗留していて、家恋しい感を抱いているおりから、そこの雷の岳に、霍公鳥が朝から夜にかけて鳴きとおしているのを聞き、渡り鳥である霍公鳥だから、彼も自分と同様故郷に妻を残していて、その恋しさに鳴くのだろうと推量して、その心から霍公鳥を隣れんで詠んだ歌である。歌材とすると微妙な気分の動きで、時代的に見ると新しいものである。しかしこれは、叙事を主眼とする長歌に詠むには、事があまりにも単純で、叙事的興味の盛りようのないものである。この歌はそれを顧みずに扱っているものである。霍公鳥の鳴く場所を、信仰の対象である雷の岳としたのは、作者としては心あつてのことかもしれぬが、それは現われず、また霍公鳥が恋しさに堪えずしきりに鳴くことを、対句を設けて精叙しているが、これは語のみが大きく重くなって、主である感のほうを消し去る結果となっている。要するに取材と表現形式の調和しない、そのため失敗した作となっているのである。奈良朝初期は復古気分がしだいに強くなってきた時代で、長歌も再興してきた時代であるから、この作者もその機運の中にあって詠んだものであろう。それにしてもこの歌は、長歌としても古風なもので、作者の感じた微妙な気分とは、距離のありすぎるものである。
 
     反歌
 
(401)1938 旅《たび》にして 妻恋《つまご》ひすらし 霍公鳥《ほととぎす》 神名備山《かむなびやま》に さ夜《よ》ふけて鳴《な》く
    客尓爲而 妻戀爲良思 霍公鳥 神名備山尓 左夜深而鳴
 
【語釈】 ○旅にして妻恋ひすらし 霍公鳥を旅にある鳥だとしたもので、長歌の内容を要約して、進展させていったもの。
【釈】 旅にあって、故郷の妻を恋うているのであろう。霍公鳥は、神名備山に夜ふけて鳴いている。
【評】 長歌の内容全部を、要約して直截にいった感のあるものである。鳴き場所としての神名備山が、この歌で初めて多少なりとも生きてくる趣がある。
 
     右は、古歌集の中に出づ。
      右、古謌集中出。
 
【解】 古歌集の名は、巻二(八九)以下しばしば出た。この歌のごとく奈良朝初期の歌を集めたものとみえる。
 
1939 霍公鳥《ほととぎす》 汝《な》が初声《はつこゑ》は 吾《われ》にもが 五月《さつき》の珠《たま》に 交《まじ》へて貫《ぬ》かむ
    霍公鳥 汝始音者 於吾欲得 五月之珠尓 交而將貫
 
【語釈】 ○霍公鳥 呼びかけ。○汝が初声は吾にもが 「初声」は、珍重してのもの。「もが」は、願望の助詞。吾に得させよ。○五月の珠に交へて貫かむ 「五月の珠」は、五月五日の節供の日、身に着ける薬包に付ける珠で、「交へて貫かむ」は、初声を薬玉に交じえて貫こう。これは初声を愛する珠のごとく感じてのことである。
【釈】 霍公鳥よ、お前の初声は吾に得させよ。五月の薬玉に交じえて貫こう。
【評】 奈良朝時代の、情趣を重んずる生活から生まれた気分で、霍公鳥の初声を重んずる気分からさらに進んで、それを珠のごとく感じ、珠同様の扱いをしようというのである。「五月の珠に」と思うのは、理性を求める心も働いているのである。すべて時代の好尚である。
 
(402)1940 朝霞《あさがすみ》たなびく野辺《のべ》に あしひきの 山霍公鳥《やまほととぎす》 何時《いつ》か来鳴《きな》かむ
    朝霞 棚引野邊 足檜木乃 山霍公鳥 何時來將鳴
 
【語釈】 ○朝霞たなびく野辺に 「朝霞」は、春のもので、「朝」はその印象の強い時で、「野辺」も同様である。○あしひきの山霍公鳥 「山霍公鳥」は、霍公鳥は山から出て来るものとして、初ほととぎすの意でいっているもの。○何時か来鳴かむ 「何時か」は、いつになったらばで、早くの意。
【釈】 朝霞のたなびいている野辺に、山霍公鳥はいつ来て鳴くだろうか。
【評】 朝霞の濃くかかっている、春深い頃の野を見やって、初夏の初ほととぎすの声を待ち望んでいる心で、耽美気分よりの憧れである。実景より離れずに、誇張なく詠んでいるところに時代色がある。「春雑歌」の範囲の歌である。
 
1941 朝霞《あさがすみ》 八重山《やへやま》越《こ》えて 喚子鳥《よぶこどり》 吟《な》きや汝《な》が来《く》る 屋戸《やど》もあらなくに
    旦霞 八重山越而 喚孤鳥 吟八汝來 屋戸母不有九二
 
【語釈】 ○朝霞八重山越えて 「朝霞」は、深く立つ意で、八重の枕詞。「八重山」は、幾重も重なっている山。○喚子鳥吟きや汝が来る 「喚子鳥」は、呼びかけ。「吟きや汝が来る」は、「吟」は、呻吟と熟する字で、鳴きに当てたもの。「や」は疑問の係であるが、感動の意をもったもの。鳴いてお前は来るのであるかで、そのことに感動してのもの。○屋戸もあらなくに ここにはお前の宿もないことであるのに。
【釈】 朝霞の八重という、八重に重なる山を越えて、喚子鳥よ、お前は鳴いて来るのであるか。ここには宿もないことであるのに。
【評】 山裾の野にいて、山のほうから鳴いて来る喚子鳥を聞いての心である。人を喚ぶごとく鳴く声を聞くと、喚ぶべき相手があって、その相手を慕って遠く八重山を越えて苦労して来たのだろうと感じ、そしてここに相手のいそうな宿もないのにと深く隣れんだのである。喚子鳥の扱い方は、擬人の一歩手前で、それに出入りしているものである。純気分の歌であるが、喚子鳥の擬人はその鳴き声からのことで、合理性のあるものである。一首の歌として厚味があり、屈折もあって、純気分とはいえ手薄の感のない、豊かな歌である。これも喚子鳥は春の鳥で、「春雑歌」の範囲のものである。
 
(403)1942 霍公鳥《ほととぎす》 鳴《な》く声《こゑ》開《き》けや 卯《う》の花《はな》の 咲《さ》き散《ち》る岳《をか》に 田草《くさ》引《ひ》く※[女+感]嬬《をとめ》
    霍公鳥 鳴言聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田草引※[女+感]嬬
 
【語釈】 ○霍鳥鳴く声聞けや 「聞けや」は、従来「聞くや」と訓まれていたのを、『全註釈』が改めたものである。ここは已然条件法で、ほととぎすの鳴く声を聞いたのかで、それによって時節を知ったのかの意と解しているのである。時節を知るというのは、ここは農耕の時節で、このことは上代では常識となっていたようである。○卯の花の咲き散る岳に 「卯の花」はほとぎすの来る時に咲く花で、今は作者のいる所、また、下の続きで山田のある所である。大和には地形の関係で山田が多かつたのである。○田草引く※[女+感]嬬 「田草」は、従来「くず」と訓まれていた。『全註釈』は用字と即して「くさ」と改めている。田の草である。「引く」は取るで、今の「田の草とり」である。
【釈】 ほととぎすの鳴く声を聞いてか、卯の花の咲き散る岳で、田の草を取っている娘よ。
【評】 作者は卯の花の咲き散る岳へ、ほととぎすの声を聞こうと思って来たのであろう。するとそこの山田で、娘が田の草を取っているのを見かけて、ほととぎすの声でその時節だと知つてのことだろうと解したのである。歌は自身を後へ引き下げ、娘子を立てて詠んでいるもので、この方法はほとんど固定して型のごとくなっているものである。歌は歌材が珍しいばかりでなく、庶民と貴族との生活がおのずから対照されてきて、美しさとある深みのあるものとなっている。
 
1943 月夜《つくよ》よみ 鳴《な》く霍公鳥《ほととぎす》 見《み》まく欲《ほ》り 吾《われ》草《くさ》取《と》れり 見《み》む人《ひと》もがも
    月夜吉 鳴霍公鳥 欲見 吾草取有 見人毛欲得
 
【語釈】 ○月夜よみ 月がよいゆえに。○鳴く霍公鳥見まく欲リ 鳴く霍公鳥の姿を見たいと思って。○吾草取れリ 「草取れり」は、『代匠記』の訓。吾は草を取っているで、ほととぎすを見やすいためのことである。○見む人もがも 「見む人」は、吾とともに見る人。「もが」は願望で、ほととぎすを見る人がほしいものである。
【釈】 月がよいので鳴く霍公鳥の姿を見たいと思って、われは見やすいために草を取っている。見る人がほしいものである。
【評】 霍公鳥の声を愛する心から、その姿も見たく思い、見やすいために草を取っていると、さらに共にほととぎすの姿を見る人がほしくなった心である。耽美の心よりの憧れを実際に即していっているもので、時代的な手法である。四句がすでに飛(404)躍のある続け方であるのに、結句は一段と甚しいので、一首の心がたどり難い感のあるものとなっている。気分の表現の上で、統一がないと意を成さない性質のものである。作意はここにいったごときものと思われる。
 
1944 藤浪《ふぢなみ》の 散《ち》らまく惜《を》しみ 霍公鳥《ほととぎす》 今城《いまき》の岳《をか》を 鳴《な》きて越《こ》ゆなり
    藤浪之 散卷惜 霍公鳥 今城岳※[口+立刀] 鳴而越奈利
 
【語釈】 ○藤浪の散らまく惜しみ 「藤浪」は、藤の花。○今城の岳を 奈良県吉野郡大淀町に、この名の大字《おおあざ》があるので、そこの山かという。藤の多い岳であったとみえる。○鳴きて越ゆなり 「なり」は、詠歎。
【釈】 藤の花の散ることを惜しんで、霍公鳥は、今城の岳を鳴いて越えてゆくよ。
【評】 作者は今城の岳の藤の花の散るのを惜しんでいるおりから、霍公鳥がその岳の上を鳴いて越してゆくのを見ての感である。ほととぎすと藤の花にも情趣的のつながりを認めていたとみえる。
 
1945 朝霧《あさぎり》の 八里山《やへやま》越《こ》えて 霍公鳥《ほととぎす》 卯《う》の花辺《はなぺ》から 鳴《な》きて越《こ》えけり
    旦霧 八重山越而 霍公鳥 宇能花邊柄 鳴越來
 
【語釈】 ○朝霧の八重山越えて 上の(一九四一)に初句「朝霞」と出た。○卯の花辺から 卯の花の咲いている辺りを通って。そこは作者の居た位置。○鳴きて越えけり 「越えけり」は、『全註釈』の訓。鳴いて越えて行つたで、鳴くのは卯の花との別れを惜しむ意で、それをした上で越えて行ったので、二句の「越えて」の説明である。
【釈】 朝霧の八重という、八重に重なる山を越して、霍公鳥は卯の花の咲いている辺りを通って、鳴いて越えて行った。
【評】 渡り鳥であるほととぎすの、この土地を去らねばならぬ時のあわれをいった歌である。ほととぎすは八重山を越して遠く去るのであるが、その時には、深い縁をもっている卯の花の咲いている辺りを通って、名残りを惜しんで鳴いた上で、八重山を越えて去ったというのである。純気分の歌である。それをいうに、作者は卯の花の咲いている辺りにいて、ほととぎすの鳴くのを聞き、八重山を越え去ったのを親しく目にしたという、実際に即した言い方をし、しかも素朴な語つづきをもっていっているのである。この矛盾した二つのものを一つにして詠む手法が、いかに時代的なものになっていたかを、典型的に示して(405)いる作である。
 
1946 木高《こだか》くは 曾《かつ》て木《き》植《う》ゑじ 霍公鳥《ほととぎす》 来鳴《きな》き響《とよ》めて 恋《こひ》まさらしむ
    木高者 曾木不殖 霍公鳥 來鳴令響而 戀令益
 
【語釈】 ○木高くは曾て木植ゑじ 「木高くは」は、木を高くはで、作者の家の木の状態。「曾て」は、過去にあったことをいう語である、か、転じて、けっしてという意になったもの。下に否定が伴う。けっして木を植えまい。○霍公鳥来鳴き響めて 霍公鳥が高い木に来て、鳴きとよませて。○恋まさらしむ わが恋うる心を募らせる。
【釈】 高い木はけっして植えまい。霍公鳥がそうした木に来て鳴きとよませて、わが人に恋うる心を募らせる。
【評】 中心は、ほととぎすの鳴き声を聞いていると、恋ごころが募って来て堪えられないというのであるが、それをいうには実際に即して、強く率直にいっているので、叙事味の勝った、記述のようになっている。個性的であることが重んじられた奈良朝としては、これも当然な行き方である。
 
1947 あひ難《がた》き 君《きみ》にあへる夜《よ》 霍公鳥《ほととぎす》 他時《こととき》よりは 今《いま》こそ鳴《な》かめ
    難相 君尓逢有夜 霍公鳥 他時從者 今社鳴目
 
【語釈】 ○あひ難き君にあへる夜 珍しい人に逢っている今夜はで、「君」は客である。○霍公鳥 呼びかけ。○他時よりは今こそ鳴かめ 「他時より」は、平常の時の意で、「今」は、客のいる時。「今こそ鳴かめ」は巻八(一四八一)に出た。勧誘の意。今こそ鳴けばよいのに。
【釈】 珍しい君に逢っている今宵は、霍公鳥よ、ほかの時よりは今こそ鳴けばよいのに。
【評】 客が来て酒宴をしていた時、主人方が客をもてなすために詠んだ歌で、宴歌である。初夏の宴席であれば、この当時は当然の儀礼であったろう。
 
1948 木《こ》の晩《くれ》の 暮闇《ゆふやみ》なるに 【一に云ふ、なれば】 霍公鳥《ほととぎす》 何処《いづく》を家《いへ》と 鳴《な》き渡《わた》るらむ
(406)    木晩之 暮闇有尓 【一云、有者】 霍公鳥 何處乎家登 鳴渡良武
 
【語釈】 ○木の晩の暮闇なるに 「木の晩」は、木の茂って暗いこと。「暮闇なるに」は、夕闇であるのに。○一に云ふ、なれば 「なるに」の異伝であるが、同意語として並び行なわれたものである。○何処を家と鳴き渡るらむ どこをその家として、鳴いてゆくのであろう。
【釈】 木の茂って暗い夕闇であるのに、霍公鳥は、どこをその家として鳴いて行くのであろうか。
【評】 作者が木下闇の夕闇の路を通って、その家に帰る時に、霍公鳥の鳴いて飛んでゆく声を聞き、霍公鳥のほうを主として詠んだ歌である。気分を婉曲にあらわそうとする歌風に従っての歌である。
 
1949 霍公鳥《ほととぎす》 今朝《けさ》の朝明《あさけ》に 鳴《な》きつるは 君《きみ》聞《きみき》きけむか 朝宿《あさい》か寐《ね》けむ
    霍公鳥 今朝之旦明尓 鳴都流波 君將聞可 朝宿疑將寐
 
【語釈】 ○今朝の朝明に鳴きつるは 今朝の朝明けに鳴いた声は。この当時は朝起きるのが早かった。○君聞きけむか 「君」は、女より夫をさしてのもの。聞いたであろうか。○朝宿か寐けむ 「朝宿」は、朝の熟睡。朝の熟睡をして寝ていたろうか。
【釈】 霍公鳥が今朝の朝明けに鳴いた声は、君は聞いたであろうか。朝の熟睡をしていたろうか。
【評】 「今朝」というその日に、妻より夫に贈った歌である。「朝明」という時刻は、この時代には物思わしい時刻としていたことが他の歌で知られる。ここもそれで、妻は夫恋しい心を抱いてほととぎすを聞いたのである。「君聞きけむか」は、君にもその感があったかで、「朝宿か寐けむ」はわが上など思わずにいたのかというので、きわめて何気ない語に、夫の疎遠を恨む心をからませていったものである。才女を思わせる歌である。「相聞」に属させるべき歌である。この一首、古本系統の古写本では次の(一九五〇)の後にきている。今は『国歌大観』の番号順に従う。
 
1950 霍公鳥《ほととぎす》 花橘《はなたちばな》の 枝《えだ》に居《ゐ》て 鳴《な》き響《とよも》せば 花《はな》は散《ち》りつつ
    霍公鳥 花橘之 枝尓居而 鳴響者 花波散乍
 
【語釈】 ○鳴き響せば 高く鳴き立てるので、その響で。
(407)【釈】 霍公鳥が、花の咲いている橘の枝にとまっていて、高く鳴くので、花は散りつづけている。
【評】 光景そのものがすでに美しい気分である。作歌欲をそそられてすなおに叔した歌である。
 
1951 慨《うれた》きや 醜《しこ》ほととぎす 今《いま》こそは 声《こゑ》の嗄《か》るがに 来鳴《きな》き響《とよ》めめ
    慨哉 四去霍公鳥 今社者 音之干蟹 來喧響目
 
【語釈】 ○慨きや 「慨き」は、心痛きで、嘆かわしい意。連体形。「や」は感動の助詞。○醜ほととぎす 「醜」は、ものをさげすみ罵る意の語で、用例の多いもの。いやな霍公鳥だ。○今こそは声の嗄るがに 「今」は、その鳴くべき時。「こそ」は、その強調。「嗄るがに」は、嗄れるほどに。○来鳴き響めめ 来て高く鳴けばよいのに。「響む」は他動詞下二段活用、その未然形「響め」に推量の助動詞(勧誘)「む」の接続したもの。「こそ」の結で「め」となった。(一九四七)に既出。
【釈】 嘆かわしい、いやな霍公鳥だ。今こそ声の嗄れるほどに来て高く鳴けばよいのに。
【評】 霍公鳥の声を待ちこがれているのに、その季節が来ても来ないので、反動的に怒りを発して憎んだ心である。憎しみは愛の半面で、その強いほど快い。この歌はその意味でおもしろい。
 
1952 今夜《このよひ》の おぼつかなきに 霍公鳥《ほととぎす》 鳴《な》くなる声《こゑ》の 音《おと》の遙《はる》けさ
    今夜乃 於保束無荷 霍公鳥 喧奈流聲之 音乃遙左
 
【語釈】 ○今夜のおぼつかなきに 「今夜」は、『新訓』の訓。「おぼつかなき」は、はっきりしないことだのにで、暗い意。○鳴くなる声の音の遙けさ 「鳴くなる声」は、鳴いている声。「音」は、声を対させていう場合には、響というにあたる。ここはそれである。「遙けさ」は、遠いことだ。
【釈】 今夜の暗くはっきりしないことだのに、霍公鳥の鳴いている声の、その響の遠いことだ。
【評】 暗い夜の遠く微かな霍公鳥の声は、そのものが一種の気分であって、それだけで充足したものである。この歌は、それをそのままにあらわしたものである。作歌に熟した人の作ではない。
 
(408)1953 五月山《さつきやま》 卯《う》の花月夜《はなづくよ》 ほととぎす 聞《き》けども飽《あ》かず 又《また》鳴《な》かぬかも
    五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨
 
【語釈】 ○五月山卯の花月夜 「五月山」は、五月の山。「卯の花月夜」は、卯の花を照らしている月夜。○ほととぎす 上をうけて、そこに鳴いている霍公鳥。○又鳴かぬかも 旧訓「またなかむかも」。『略解』の訓。用例の多きによったものである。「鳴かぬか」は、鳴かないのか、鳴いてくれよの意で、反語によって願望の意をあらわすもの。「も」は、詠歎。
【釈】 五月の山の、卯の花を照らす月夜の霍公鳥は、聞いても飽かない。また鳴いてくれぬかなあ。
【評】 境は格別なものではないが、印象の鮮明なことは類のないものである。「五月山卯の花月夜ほととぎす」と、名詞だけを三つ続けて、一助詞をも用いていないのであるが、それがいささかの無理もなく、鮮明に印象されて来るのである。意識しての技巧ではあろうが、その跡を留めず、自然に、しかも余裕あるごとくみえるのは、この時代の風である感性を主として、気分を立体的にあらわそうとする手法のものだからである。知性が働けば説明的になってこうしたことはできないのであるが、この歌にあっては知性が表面にあらわれていないので、こうしたことが安らかにいえているのである。しかし実際を離れていないことは知性的ともいえる。目につく歌である。
 
1954 霍公鳥《ほととぎす》 来居《きゐ》も鳴《な》かぬか 吾《わ》が屋前《やど》の 花橘《はなたちばな》の 地《つち》に散《ち》らむ見《み》む
    霍公鳥 來居裳鳴香 吾屋前乃 花橘乃 地二落六見牟
 
【語釈】 ○来居も鳴かぬか 来てとまって、鳴いてくれぬか、鳴いてくれよ。○花橘の地に散らむ見む 「花橘」は、花の咲いている橘で、「地に散らむ見む」は、霍公鳥の響で、橘の花の散るであろうのを見よう。
【釈】 霍公鳥は、来てとまって鳴いてくれぬか、鳴いてくれよ。わが家の庭に咲いている橘の花が、声の響で地に散るだろうのを見よう。
【評】 上の(一九五〇)は、このことの事実となっているもので、この歌はそれを憧れとしているものである。賞すべき情景を眼前に見て、快い気分に浸ろうというのである。同様のことではあるが、事実としては見たのよりも、想像として描くほう(409)が一歩前進したものである。
 
1955 霍公鳥《ほととぎす》 厭《いと》ふ時《とき》なし 菖蒲《あやめぐさ》 ※[草冠/縵]《かづら》にせむ日《ひ》 こゆ鳴《な》き渡《わた》れ
    霍公鳥 厭時無 昌蒲 ※[草冠/縵]將爲日 從此鳴度礼
 
【語釈】 ○厭ふ時なし いつ聞いても、いやな時はない。しかしの意を含んで下へ続く。○菖蒲※[草冠/縵]にせむ日 菖蒲をもって造った※[草冠/縵]をする日で、これは五月五日の節供の日である。これは薬玉とともに邪気を払う咒《まじな》いとして行なったことである。この日は、代表的に楽しい日としたのである。○こゆ鳴き渡れ ここを通って鳴いて飛び行けよで、命令形。ほととぎすとしては初声の頃である。
【釈】 霍公鳥の声は厭う時とてはない。しかし菖蒲草を※[草冠/縵]にする日には必ず、ここをとおって鳴いて行けよ。
【評】 五月の節供を、菖蒲草を※[草冠/縵]にする日と言いかえているのは、すでに情趣である。その日ほととぎすの初声を聞きたいというのは、さらに情趣を添えようとするものである。しかしいずれも未来の想像である。情趣、気分を慕ってやまない心である。
 
1956 大和《やまと》には 啼《な》きてか来《く》らむ 霍公鳥《ほととぎす》 汝《な》が鳴《な》く毎《ごと》に 無《な》き人《ひと》念《おも》ほゆ
    山跡庭 啼而香將来 霍公鳥 汝鳴毎 無人所念
 
【語釈】 ○大和には啼きてか来らむ これは大和の人で、現在旅にいて、その旅先で妻などを喪つた人の、霍公鳥の鳴く頃の推量である。当時、人が死んで冥界の者となると、その霊魂は霍公鳥の形を取って、生前最も心を寄せていた地へ来るものだという信仰があって、その上に立っていっているものである。○霍公鳥 呼びかけ。○汝が鳴く毎に無き人念ほゆ お前の鳴くごとに、故人が思われる。「無き人」は妻と思われる。
【釈】 大和国には、故人の霊魂である霍公鳥が啼いて来ることであろうか。この地の霍公鳥よ、お前の鳴くごとに故人が思われる。
【評】 当時の信仰のからんでいる歌なので、やや間接な感のある歌である。ほととぎすに対しての信仰は、信仰上のこととて明らかにはし難いが、必ずしも察し難くはない。上代は死者は幽冥界に存在を続け、この世に交渉をもっているとし、また死者の霊魂は鳥の形を取って、地上に現われるとし、また霊魂の現われるのは夜間でもあるとしていた。このことは集中の歌で(410)も知られる。ほととぎすの遠くから来て遠くへ去る鳥である点、夜間に鳴く鳥である点などは、この信仰に結びつきやすいことから、そうした信仰が生まれたものかと思われる。この信仰のうち、霊魂が鳥の形をとることを除くと、他の点は現在も保たれていて、年々に営む孟蘭盆《うらぼん》の行事はすなわちそれである。この歌の作者を大宰帥時代の大伴旅人に擬すると、この心は察しやすい。
 
1957 卯《う》の花《はな》の 散《ち》らまく惜《を》しみ 霍公鳥《ほととぎす》 野《の》に出《い》で山《やま》に入《い》り 来鳴《きな》きとよもす
    宇能花乃 散卷惜 霍公島 野出山入 來鳴令動
 
【語釈】 ○卯の花の散らまく惜しみ 散ることが惜しいので。霍公鳥と卯の花とは深い関係のある間だとされていた。○野に出で山に入り 「野」も「山」も、卯の花の在り場所としていっている。○来鳴きとよもす 「来鳴き」の「来」は軽く添えたもの。高く鳴き立てる。
【釈】 卯の花の散ることが惜しいので、霍公鳥は、その花のある野に出て来、山に入って、高くも鳴き立てる。
【評】 卯の花の散る頃の霍公鳥に対する気分である。一般化してのものとみえる。「野に出で山に入り」は漢詩口調で、この当時は取入れやすいものであったろう。今でも新味がある。
 
1958 橘《たちばな》の 林《はやし》を植《う》ゑむ 霍公鳥《ほととぎす》 常《つね》に冬《ふゆ》まで 住《す》み渡《わた》るがね
    橘之 林乎殖 霍公鳥 常尓冬及 佳度金
 
【語釈】 ○橘の林を植ゑむ 橘の林を造ろうの意。○常に冬まで 「常に」は、永久、「冬まで」はその説明で、語をかえての繰り返し。○住み渡るがね 住み続ける料に。ほととぎすが好んで橘に来るところから、そこに男女関係のごときものを感じるのと、橘の常緑の木であることを理由としてのこと。
【釈】 橘の林を造ろう。その木を好む霍公鳥が、永久に、冬までも、住み続けている料に。
【評】 渡り鳥の霍公鳥を居つかせようとの思いつきである。渡り鳥であることに男の性分を認め、常緑の木であることに女の性分を認め、「住み渡る」という、男が妻としての女の家に居つく意の語を用いて、そのことを明らかにしている。気分化して、婉曲に上品にいっているため、さりげない、底を割らないものになっている。貴族的な歌である。
(411)1959 雨《あめ》霽《は》れし 雲《くも》に副《たぐ》ひて 霍公鳥《ほととぎす》 春日《かすが》をさして 此《こ》ゆ鳴《な》き渡《わた》る
    雨※[日+齊]之 雲尓副而 霍公鳥 指春日而 從此鳴度
 
【語釈】 〇雨霽れし雲に副ひて 雨があがった後の、移動する雲に伴って。○春日をさして此ゆ鳴き渡る 春日の山地をさして、ここをとおって鳴いて飛んでゆくで、「此」は、作者のいる所で、奈良京であろう。
【釈】 雨があがった後の、移動する雲に伴って、霍公鳥は、春日のほうをさして、ここをとおって鳴いて飛んで行く。
【評】 光景そのものの快さに満足して、ただ叙述だけをしている歌である。しかし感性は十分に働かせているものである。雨あがりの空に一羽の霍公鳥を捉えて、「春日をさして」といっているのは、特殊さがある。「雲に副ひて」も、霍公鳥の鮮明に、しかも低く飛んでいることをあらわしているもので、感性の鋭敏に働いた捉え方である。それも、実際を離れずにしていることなので、明るさを添えているだけで、いささかの厭味もない。快い作である。
 
1960 物《もの》念《も》ふと 宿《い》ねぬ朝明《あさけ》に 霍公鳥《ほととぎす》 鳴《な》きてさ渡《わた》る 術《すべ》なきまでに
    物念登 不宿旦開尓 霍公鳥 鳴而左度 爲便無左右二
 
【語釈】 ○物念ふと宿ねぬ朝明に 「物念ふと」は、嘆きがあるとてで、恋の上のこととみえる。「宿ねぬ朝明に」は、睡眠をしない夜の夜明けに。○霍公鳥鳴きてさ渡る 「さ」は、接頭語。霍公鳥が鳴いてわが家の空をゆくで、霍公鳥の声は感傷をそそるものとしてである。○術なきまでに やる瀬ないまでに。
【釈】 嘆きをするとて睡眠せずに夜を過ごした夜明けに、霍公鳥が鳴いてわが家の空をゆく。やるせないまでに。
【評】 霍公鳥の声に感傷気分を募らせられたことを説明した歌である。気分だけにとどめて、事には触れまいとしてはいる。心やりの独詠である。
 
1961 吾《わ》が衣《ころも》 君《きみ》に着《き》せよと 霍公鳥《ほととぎす》 吾《われ》を領《うしは》き 袖《そで》に来居《きゐ》つつ
(412)    吾衣 於君令服与登 霍公鳥 吾乎領 袖尓來居管
 
【語釈】 ○吾が衣君に着せよと 「吾が衣」は、『代匠記』の訓。「君」は、女よりその夫をさしての称。夫の衣を作るのは妻の役で、ここもそれである。○霍公鳥吾を領き 「吾を領き」は、原文「吾乎領」。「領」は、諸注、訓が定まらない。『新訓』の訓。『新考』は、「令」に通じる字で、日本書紀には「うながす」と訓んでいると考証している。用字のままに訓むのに従う。領有し、支配する意の語で、集中に用例の少なくないものである。霍公鳥が吾に命じてという意を、支配者の権威をもって命令してと、極度に誇張したもの。○袖に来居つつ わが袖に来てとまりつづけているの意。
【釈】 わが衣を君に着せよと、霍公鳥は吾に権威をもって命令して、わが袖に来てとまり続けている。
【評】 妻が夫に衣を贈る時に添えた歌である。そういう時にはしかるべき理由をつけるのが型になっていて、これもそれである。この場合の理由は特殊なもので、妻の恋の上の訴えを、婉曲に、したがって無理にこじつけた形でいっているのである。衣はむろん新しい物であるのに、「君が衣」といっているのは、男女衣を取り換えて着るのは、いわゆる形見で、相手の霊魂をわが身に添わせ合うことで、ここも暗にそれを要求しているのである。「吾を領き袖に来居つつ」は、霍公鳥は恋ごころを募らせる鳥である。その霍公鳥が、どうすることもできないまでにわが身にまつわりついていて離れないの意で、君を思う思いに、どうにも堪えられないとの意を、このようにこじつけていっているのである。気分を具象しようとして、おりからの霍公鳥によってしているものである。苦心しての具象とみえるが、巧みとはいえないものである。
 
1962 本《もと》つ人《ひと》 霍公鳥《ほととぎす》をや 希《めづら》しみ 今《いま》や汝《な》が来《く》る 恋《こ》ひつつ居《を》れば
    本人 霍公鳥乎八 希將見 今哉汝來 戀乍居者
 
【語釈】 ○本つ人霍公鳥をや 「本つ人」は、古なじみの人で、年々同じ鳥が来るのだとして、霍公鳥を修飾する語。「や」は、疑問の係。○希しみ 原文「希将見」。「希」は「稀」で、義をもって当てた字。珍しがって。○今や汝が来る 「や」は、上と同じく疑問の係。今にも汝は来るだろうか。○恋ひつつ居れば 汝を恋いつづけているので。
【釈】 古馴染の霍公鳥を珍しがってか、今にも汝は来ることだろうか。恋いながらいるので。
【評】 霍公鳥の季節に、年をした人が、年下の縁故ある人に、来訪を促した歌である。霍公鳥を珍しがって来るようなことがありはしないかと思ってといっているが、「本つ人霍公鳥」は、年をした人が自身を霍公鳥に擬したもので、疑問を二つまで用(413)いていっているのは、遠慮していっているのである。気分的な柔らかな言い方は時代的で、「恋ひつつ居れば」も同じくそれである。年をした人の気分のよく現われた歌である。
 
1963 かくばかり 雨《あめ》の降《ふ》らくに 霍公鳥《ほととぎす》 卯《う》の花山《はなやま》に 猶《なほ》か鳴《な》くらむ
    如是詐 雨之零尓 霍公鳥 宇乃花山尓 猶香將鳴
 
【語釈】 ○雨の降らくに 雨の降ることであるのに。○卯の花山に 卯の花の咲いている山に。○猶か鳴くらむ それでも鳴いているのであろうか。
【釈】 これほどに雨の降ることであるのに、霍公鳥は、卯の花の咲いている山に、それでも鳴いているのであろうか。
【評】 霍公鳥の、雨のひどく降るにもかかわらず、卯の花の咲く山に鳴いているのを、この土地を去らねばならぬ時が来たので、別れを惜しんで鳴いているのだと感じて、燐れんだ心である。気分の拡がりのある歌だといえる。
 
     蝉《ひぐらし》を詠める
 
1964 黙然《もだ》もあらむ 時《とき》も鳴《な》かなむ ひぐらしの 物念《ものも》ふ時《とき》に 鳴《な》きつつもとな
    黙然毛將有 時母鳴奈式 日晩乃 物念時尓 鳴管本名
 
【語釈】 ○黙然もあらむ時も鳴かなむ 「黙然」は、黙っている意であるが、転じて、何事もなくている意となったもの。「あらむ」の「む」は、連体形。「なむ」は、他に対する希望の終助詞。○ひぐらしの 夏の終わりから秋へかけて鳴く蝉。○物念ふ時に鳴きつつもとな 「物念ふ時」は嘆きのある時。「つつ」は、継続。「もとな」は、巻二(二三〇)、上の(一八二六)に既出。よしなく、いたずらにというにあたる。
【釈】 何事もなくている時に鳴いてほしい。蜩が、嘆きをしている時によしなく嶋きつづけて。
【評】 蜩の鳴き続ける声に感傷を募らせられた気分をいおうとしたものである。気分の出ているものである。
 
(414)     榛《はり》を詠める
 
1965 思《おも》ふ子《こ》が 衣《ころも》摺《す》らむに にほひこそ 島《しま》の榛原《はりはら》 秋《あき》立《た》たずとも
    思子之 衣將摺尓 々保比与 嶋之榛原 秋不立友
 
【語釈】 ○思ふ子が衣摺らむに 「思ふ子」は、下の続きで見ると、男である。「子」は男の愛称。○にほひこそ 「にほひ」は、美しい色に現われることで、ここは花の咲くこと。「こそ」は、願望の助詞。美しく花は咲いてくれよ。○島の榛原 「島」は、奈良県高市郡明日香村島の庄。地名とも、水に臨んだ地の総称とも取れる。ここは女の住地であるから地名と取れる。それだと巻七(一二六〇)に既出。「榛原」は「榛」は、はんの木とも、萩とも取れる字である。上に「にほひこそ」とあり、下に「秋立たずとも」とあるので、萩である。
【釈】 思う男の衣を摺ろうに、美しい色の花と咲いてくれよ。島の萩原は秋は立たなかろうとも。
【評】 島の榛原の辺りに住んでいる女の、男のためにと、夏の頃、秋の萩の花にあこがれている心である。原の美しさを思う明るい気分の歌である。
 
     花を詠める
 
1966 風《かぜ》に散《ち》る 花橘《はなたちばな》を 袖《そで》に受《う》けて 君《きみ》がみ跡《あと》と 思《しの》ひつるかも
    風散 花桶※[口+立刀] 袖受而 爲君御跡 思鶴鴨
 
【語釈】 ○君がみ跡と 原文「為君御跡」。諸注「跡」を誤写として、さまざまに訓んでいる。『新訓』の訓。跡に残したものとして、すなわち形見としての意。○思ひつるかも 君を偲んだことである。
【釈】 風に散る橘の花をわが袖に受け留めて、君がみ跡に残したものと思って、亡き君を偲んだことである。
【評】 心の明らかな歌である。君は亡き人で、作者は妻であろう。「風に散る花橘を袖に受けて」が、自然で、わざとらしさがないのみならず、美しく哀れである。感のとおった好い歌である。
 
(415)1967 かぐはしき 花橘《はなたちばな》を 玉《たま》に貫《ぬ》き 送《おく》らむ妹《いも》は 羸《みつ》れてもあるか
    香細寸 花橘乎 玉貫 將送妹者 三礼而毛有香
 
【語釈】 ○かぐはしき花橘を 香気のよい橘の花を。○羸れてもあるか 「羸れ」は、病み窶れで、巻四(七一九)に既出。「か」は、詠歎のこもった疑問の助詞。
【釈】 香気のよい橘の花を玉として緒に貫いて贈ろう妹は、病みやつれてもいることか。
【評】 五月五日の節日に、貴族階級の夫婦間では、橘の花を緒に貫いて贈答し合ったとみえ、これも夫が例によってそうした物を妻に贈ろうとして、おりから妻の病みやつれていることを眼に思い浮かべた心である。代表的に楽しい日に、それにはふさわしくない状態を思っての気分である。多くをいわず、気分をその一歩手前の状態をいうことにとどめたものである。貴族的な歌である。
 
1968 霍公鳥《ほととぎす》 来鳴《きな》きとよもす 橘《たちばな》の 花《はな》散《ち》る庭《には》を 見《み》む人《ひと》や誰《たれ》
    霍公鳥 來鳴響 橘之 花散庭乎 將見人八孰
 
【語釈】 ○来鳴きとよもす 来て高く鳴き立てるところので、「とよもす」は連体形。○見む人や誰 「や」は、疑問の係。見よう人は誰であるか、君であるの意で、君とともに見ようの意でいっているもの。
【釈】 霍公鳥が来て高く鳴き立てる橘の、花の散る庭のさまをともに見る人は誰であろうか、君をおいてはない。
【評】 風流を解していると思っている男が、その友人に、来訪を求める心で贈った歌である。霍公鳥が庭の橘に来てとまって、鳴き声でその花を散らす趣を共に見ようというので、事としては格別のものではないが、「見む人や誰」といって、君以外にはこの趣を解しうる者はないとそそのかしているのである。風流を競う者同士の社交の歌である。
 
1969 吾《わ》が屋前《やど》の 花橘《はなたちばな》は 散《ち》りにけり 悔《くや》しき時《とき》に 逢《あ》へる君《きみ》かも
(416)    吾屋前之 花橘者 落尓家里 悔時尓 相在君鴨
 
【語釈】 ○逢へる君かも 訪問された君であるよで、「君」は、友。
【釈】 わが家の庭の橘の花は、散ってしまったことだ。残念な時に訪問された君であるよ。
【評】 主人として、訪問した友に対して、挨拶の心をもって詠んだ歌である。社交上の歌である。
 
1970 見渡《みわた》せば 向《むか》ひの野辺《のべ》の 石竹《なでしこ》の 散《ち》らまく惜《を》しも 雨《あめ》な降《ふ》りそね
    見渡者 向野邊乃 石竹之 落卷惜毛 雨莫零行年
 
【語釈】 ○見渡せば向ひの野辺の 見渡すと向かいの野辺に見えるで、家の内にいてのこと。○散らまく惜しも 散ろうことが惜しい。○雨な降りそね 「そね」は、原文「行年」。「行」の用字が問題になっている。「ね」は、願望。
【釈】 家から見渡すと、向かいの野辺に見える石竹の、散るのが惜しい。雨よ降ってくれるな。
【評】 平凡な野趣を愛している心である。石竹が雨に散るというのはいかがである。気分の語である。
 
1971 雨間《あまま》あけて 国見《くにみ》もせむを 故郷《ふるさと》の 花橘《はなたちばな》は 散《ち》りにけむかも
    雨間開而 國見毛將爲乎 故郷之 花橘者 散家武可聞
 
【語釈】 ○雨間あけて 「雨間」は、雨の降っている間。巻八(一四九一)に既出。雨が晴れてというにあたる。○国見もせむを 「国見」は、高きに登って、広い展望を楽しむこと。「故郷」は、大体故京で、飛鳥とみえる。
【釈】 雨が晴れて国見をしようのに、故郷の橘の花は、この雨のために散ってしまったことであろうか。
【評】 故郷へ行って、なつかしさから遊覧をしようとしていた人の、長雨に降りこめられていての感である。おりからの見ものである橘の花が、この雨で散ってしまったろうかと推量しているのである。気分の歌であるが、実際を離れないために、気分が誇張されていない点が好い。
 
(417)1972 野辺《のべ》見《み》れば 瞿麦《なでしこ》の花《はな》 咲《さ》きにけり 吾《わ》が待《ま》つ秋《あき》は 近《ちか》づくらしも
    野邊見者 瞿麥之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母
 
【語釈】 ○瞿麦の花 夏の末より秋へかけて咲く花。
【釈】 野辺を見ると、瞿麦の花が咲いたことであるよ。われの待っている秋は、近づくらしいよ。
【評】 秋の近づくことを認めて喜んだ心である。奈良京の人は、一年のうち、春にもまして秋を喜んでいたようである。
 
1973 吾妹子《わぎもこ》に あふちの花《はな》は 散《ち》り過《す》ぎず 今《いま》咲《さ》ける如《ごと》 ありこせぬかも
    吾妹子尓 相市乃花波 落不過 今咲有如 有与奴香聞
 
【語釈】 ○吾妹子にあふちの花は 「吾妹子に」は、「逢ふ」と続き、「あふち」の枕詞。「あふち」は、棟科の落葉喬木。今はせんだんという。四、五月頃、淡紫色の花が咲く。○散り過ぎず 散り去らずしてで、「ず」は、連用形。○ありこせぬかも あってくれぬか、あってくれよで、反語の形の願望。
【釈】 吾妹子に逢うに因みある棟の花は、散り去らずして、今咲いているがようにあってくれぬか、あってくれよ。
【評】 棟の花を酷愛しての心である。紫の色を尊重した時代とて、その淡紫色は愛されるべきものであり、花の形も小さいので、あわれも伴っていたことであろう。「吾妹子に」という枕詞は、気分の上の繋《つな》がりをもちうるものである。溺愛している気分であるが、厭味のないものである。
 
1974 春日野《かすがの》の 藤《ふぢ》は散《ち》りにて 何《なに》をかも 御狩《みかり》の人《ひと》の 折《を》りて挿頭《かざ》さむ
    春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而將挿頭
 
【語釈】 ○春日野の藤は散りにて 「散りにて」は、「に」は「去ぬ」の連用形「いに」の約である。○御狩の人 「御狩」は、五月五日にする薬狩で、薬用として鹿の落角を拾う狩である。本来は神事で礼装をしてしたのであるが、後には一種の行楽となった。
(418)【釈】 春日野の藤は散ってしまって、何を御狩の人は挿頭《かざし》とするのであろうか。
【評】 大宮人の御狩の日の礼装を美しい物に見ている庶民の心である。この歌は、藤の花の挿頭を印象深く見ていた庶民の、その花の今年は散って無いところからの感である。美しさを慕う心よりの歌である。
 
1975 時《とき》ならず 玉《たま》をぞ貫《ぬ》ける 卯《う》の花《はな》の 五月《さつき》を待《ま》たば 久《ひさ》しかるべみ
    不時 玉乎曾連有 宇能花乃 五月乎待者 可久有
 
【語釈】 ○時ならず玉をぞ貫ける その時節ではなくして、玉を緒に貫いたことである。これは白い卯の花の枝に咲きつづいているのを見て、五月五日の節供の薬玉を連想していったのである。○卯の花の 「卯の花」は、四月頃に咲く。○五月を待たば久しかるべみ 「五月を待たば」は、五月五日の節供を待ったならば。「久しかるべみ」は、「べみ」は、理由を示すもので、待ち遠しいだろうから。
【釈】 その時ではなくて、玉を緒に貫いたことであるよ。卯の花が、五月五日の薬玉の時を待ったならば、待ち遠しいだろうから。
【評】 四月頃、卯の花の咲いたのを見ると、その花と枝の状態から、五月の薬玉を連想して、卯の花はその日が待ち遠いので、今からこのように咲いているのだとしたのである。五月の節供にあこがれる気分よりの連想である。
 
     問答
 
1976 卯《う》の花《はな》の 咲《さ》き散《ち》る岳《をか》ゆ 霍公鳥《ほととぎす》 鳴《な》きてさ渡《わた》る 公《きみ》は聞《き》きつや
    宇能花乃 咲落岳從 霍公鳥 鳴而沙度 公者聞津八
 
【語釈】 ○咲き散る岳ゆ 「咲き散る」は、散るを主とした語で、散っている。「岳ゆ」は、岳を通って。○鳴きてさ渡る 「さ」は、接頭語。卯の花が散ると霍公鳥はこの地を去らねばならぬので、悲しんで、鳴いてゆく。○公は聞きつや 「公」は、妻より夫をさしたもの。
【釈】 卯の花が散っている岡を通って、霍公鳥が悲しんで鳴いて渡って行く。公《きみ》は聞いたのか。
(419)【評】 卯の花が散ると、霍公鳥はこの地を去らねばならぬということは、常識となっていたとみえる。そのあわれ深い霍公鳥が、わが住んでいる岡を通って、そちらへ鳴いて行ったが、公は聞いたのかというので、夫のあわれを汲む心の有るか無いかを危ぶむ心をからませての問である。夫の自分に対する心の足りないのをかすめていったものである。
 
1977 聞《き》きつやと 君《きみ》が問《と》はせる 霍公鳥《ほととぎす》 しののに沾《ぬ》れて 此《こ》ゆ鳴《な》き渡《わた》る
    聞津八跡 君之問世流 霍公島 小竹野尓所沾而 從此鳴綿類
 
【語釈】 ○君が問はせる 「君」は、妻。「問はせる」は、「問ふ」の敬語「問はす」に、完了の助動詞「り」の連体形の添ったもの。○しののに沾れて 「しののに」は、「しとどに」の古語。しっとりと濡れて。雨か霧で濡れたのを、あわれを知るわが涙に濡れての意にしていつたもの。○此ゆ鳴き渡る ここを通って、そちらへ鳴いて行く。
【釈】 聞いたかと君がお尋ねになった霍公鳥は、わがあわれを知る涙にしっとりと濡れて、ここを通ってそちらへ鳴いて行く。
【評】 答の歌で、問よりも巧みである。二首、相応に手腕ある作者が、文芸的な意図の下に作った歌とみえる。気分を婉曲に、かすかに具象する技巧は、二首とも高度なものである。
 
     譬喩歌
 
1978 橘《たちばな》の 花《はな》散《ち》る里《さと》に 通《かよ》ひなば 山霍公鳥《やまほととぎす》 響《とよ》もさむかも
    橘 花落里尓 通名者 山霍公鳥 將令響鴨
 
【語釈】 ○橘の花散る里に 「橘の花散る」は、きわめて美しい女の譬喩で、「里」は、その女の家の譬喩。○通ひなば 女のもとへ通ったならば。○山霍公鳥響もさむかも 「山霍公鳥」は、山から出たばかりのほととぎすで、わが物と感じている男の譬喩。「響もさむかも」は、警戒の心から言い騒ぐであろうかの譬喩。
【釈】 橘の花の散っている里、すなわち美しい女のいる家へ通って行ったならば、その橘をわが物としている山霍公鳥、すなわち周囲の者が、警戒の心から言い騒ぐことであろうか。
(420)【評】 譬喩が美しく、無理のないものである。「里」は家としても、文字どおり里としても通じる。したがって「山霍公鳥」も、家族とも、その土地の者ともなるのである。歌が貴族的なものであるから、「家」と「家族」にすべきであろう。人間生活を自然の事項によって表現するということは、いわゆる文芸的には高度のものであろうが、それにも限度があって、この歌のように極度に近いところまでもってゆくと、感銘の上からはかえって浅いものとなり、底の見えたものとなってくる。問題となるものである。
 
 夏相聞
 
     鳥に寄す
 
1979 春《はる》されば
 
※[虫+果]※[贏の貝が虫]《すがる》なす野《の》の 霍公鳥《ほととぎす》 ほとほと妹《いも》に 逢《あ》はず来《き》にけり
    春之在者 酢輕成野之 霍公鳥 保等穗跡妹尓 不相來尓家里
 
【語釈】 ○春されば※[虫+果]※[贏の貝が虫]なす野の 「春されば」は、春となると。「※[虫+果]※[贏の貝が虫]」は、似我蜂で、現在のすがる。既出。「なす」は、「鳴らす」の古語で、巻十一(二六四一)「時守の打鳴《うちな》す鼓」、その他の用例がある。ここは羽を鳴らす意。春になると、すがるが羽を鳴らすで、春の野の状態。○霍公鳥 夏の状態で、眼前をいっているもの。「霍公鳥」は、同音反復で、「ほと」にかかり、以上三句序詞。○ほとほと妹に逢はず来にけり 「ほとほと」は、ほとんどの古形。あぶなくもで、「逢はず」に続く。逢うや逢わずに帰って来たことよ。
【釈】 春になるとすがるが羽を鳴らす野の霍公鳥の、ほとんど、妹に逢わずに帰って来たことであるよ。
【評】 妹の家へ通って行ったが、何らかの事情で、逢うか逢わないかのあっけない状態で帰って来ての嘆きである。上代の夫婦関係にあっては有りやすいことだったのである。序詞は同音関係でかかるものであるが、気分の繋がりをもっているものである。「野」は妹の家へ行く途中のもので、春はすがるの羽を鳴らす野の霍公鳥は、男が親しく見聞きしているものである。すなわち春から夏にかけて通い続けていた野で、霍公鳥はたぶんその夜に聞いたものであろう。間接ながら緊密につながっている働きのあるものである。
 
(421)1980 五月山《さつきやま》 花橘《はなたちばな》に 霍公鳥《ほととぎす》 隠《かく》らふ時《とき》に 逢《あ》へる君《きみ》かも
    五月山 花橘尓 霍公鳥 隱合時尓 逢有公鴨
 
【語釈】 ○五月山花橘に 五月の山の橘の花に。○隠らふ時に 「隠らふ」は、隠るの継続。
【釈】 五月の山の橘の花に、霍公鳥が隠れ続けている時に、逢っている君であるよ。
【評】 女が男に逢っている季節の好さを喜んだ心であるが、これはやがて逢い得た喜びを.強くいっているものである。初めて逢った時の心とみえる。「花橘に霍公鳥隠らふ」は、単に好季節というだけではなく、ほととぎすと橘の花とは関係の深いものとして、それを自分たちにも繋いでいたのである。「隠らふ」はその気分の深さをあらわすものである。「五月山」も、その逢った場所を暗示しているものとみえる。実際に即しつつ気分をあらわしている歌である。
 
1981 霍公鳥《ほととぎす》 来鳴《きな》く五月《さつき》の 短夜《みじかよ》も 独《ひとり》し宿《ぬ》れば 明《あ》かしかねつも
    霍公鳥 來鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛
 
【語釈】 ○明かしかねつも 明かし得られなかったで、眠れずに、夜の長さに侘びた意。
【釈】 霍公鳥が来て鳴く五月の短い夜も、独りで寝れば、眠れずに夜の明かしにくかったことであるよ。
【評】 「来鳴く五月」は、短か夜の状態であるとともに、その霍公鳥の鳴き声に恋ごころを刺激された気分をからませているものである。淡泊に詠んでいるが、気分を籠もらせ得ている歌である。
 
     蝉《ひぐらし》に寄す
 
1982 ひぐらしは 時《とき》と鳴《な》けども 恋《こ》ふるにし 手弱女《たわやめ》我《われ》は 時《とき》わかず泣《な》く
    日倉足者 時常雖鳴 於戀 手弱女我者 不定哭
 
(422)【語釈】 ○ひぐらしは時と鳴けども 「時と」は、鳴くべき時としてで、夏の終わりから秋へかけてのもの。○恋ふるにし 原文「於戀」は、元暦校本、類聚古集、紀州本による。諸注、訓が定まらない。『定本』の訓。巻十七(三九六二)「孤布流尓思情《こふるにしこころ》は燃えぬ」と仮名書きの用例がある。「し」は強意の助詞。西本願寺以後「於」は「我」とあるのを、「独」の誤写として「独恋《かたこひ》に」と訓む説(伊藤博氏)があり、『注釈』『古典大系本』は従っている。○手弱女 「手」は、接頭語。弱き者である女で、大夫に対する語。○時わかず泣く 「時わかず」は、これも諸注、訓が定まらない。『略解』の訓。上の「時と鳴けども」に対させた語で、時の見さかいなく泣く。
【釈】 ひぐらしは、鳴くべき時と鳴くのであるが、恋のなやみのために手弱女の我は、見さかいなく泣く。
【評】 恋の悩みをしている女が、蜩の鳴く声に刺激されて悲しみを深めた時の心である。「手弱女我は」という意識的な言い方は、その際の昂奮した心から、蜩に我を対照していっているものである。心理的自然はあるが、知性の働いた、説明的な歌である。
 
     草に寄す
 
 
1983 人言《ひとごと》は 夏野《なつの》の草《くさ》の 繁《しげ》くとも 妹《いも》と吾《われ》とし 携《たづさ》はり宿《ね》ば
    人言者 夏野乃草之 繁友 妖与吾師 携宿者
 
【語釈】 ○人言は 他人の噂は。○夏野の草の繁くとも 夏野の草のごとくに繁くあろうとも。○妹と吾とし携はり宿ば 「し」は、強意。「携はり宿ば」は、共に寝たならばで、下に嬉しかろうの意が省かれている。
【釈】 他人の噂は、夏の野の草のように繁くあろうとも、妹と我と共寝をしたならば。
【評】 他の噂の高いのに妨げられて、妹に逢えずにいる男の昂奮しての心である。集団的生活を重んじて、個人的行動の許されなかった部落生活から生まれた嘆きである。「夏野の草の」という譬喩も生活環境を示しているものである。
 
1984 このごろの 恋《こひ》の繁《しげ》けく 夏草《なつくさ》の 刈《か》り掃《はら》へども 生《お》ひしくが如《ごと》
    ※[しんにょう+西]者之 戀乃繁久 夏草乃 苅掃友 生布如
 
(423)【語釈】 ○恋の繁けく 「繁けく」は、繁しの名詞形で、繁きことは。○生ひしくが如 「しく」は続くで、続いて生えるがごとくである。
【釈】 この頃のわが恋の繁きことは、夏草の、刈り払うけれども、続いて生えるがごとくである。
【評】 心やりの歌である。「夏草の刈り掃へども生ひしくが如」は、生活実感として捉えたもので、適切な力あるものである。
 
1985 真田葛《まくず》延《は》ふ 夏野《なつの》の繁《しげ》く かく恋《こ》ひば まこと吾《わ》が命《いのち》 常《つね》ならめやも
    眞田葛延 夏野之繁 如是戀者 信吾命 常有目八面
 
【語釈】 ○真田葛延ふ夏野の繁く 「真田葛」の「真」は接頭語。「田葛」は山野に自生して、蔓の這いひろがる葛。葛の這いひろがっている夏野のごとく繁くで、「繁く」は、葛の状態。○かく恋ひば 「かく」は心の状態をさしたもので、このようにわが恋うたならば。○まこと吾が命常ならめやも 「常」は、不変、永続で、ほんとうにわが命は永続きをしようか、しはしない。
【釈】 葛の這い広がっている夏野のごとくに繁く、このように恋うたならば、ほんとうにわが命は永続きをしようか、しない。
【評】 素朴な古風の歌である。情熱的で、率直な詠み方をしているところ、庶民的である。譬喩も庶民のものである。
 
1986 吾《われ》のみや かく恋《こひ》すらむ 杜若《かきつばた》 丹《に》つらふ妹《いも》は 如何《いか》にかあらむ
    吾耳哉 如是戀爲良武 垣津旗 丹頬合妹者 如何將有
 
【語釈】 ○杜若丹つらふ妹は 「杜若」は、譬喩の意で「丹つらふ」にかかる枕詞。「丹つらふ」は、丹の色に出る意で、紅顔の意に用いられている語である。杜若の花は紫であるから、この承《う》け方は無理である。この語は本義から転じて、美しという意にも用いられていたとみえる。
【釈】 自分だけが妹に恋うているのであろうか。杜若のような美しい妹は、どう思っているのであろうか。
【評】 男が関係を結んだ女を、ひたすらに思うあまりに、ふと、こんなに思うのは自分だけで、女はそれほどではないのではなかろうかという、不安というよりは愚痴に近い心を起こしたのである。若い単純な心よりのものである。「杜若丹つらふ妹」は、杜若は当時は野草であって、また美しい花だったので、この男女の生活環境を暗示するものとなる。愛すべき歌である。
 
(424)     花に寄す
 
1987 片搓《かたよ》りに 糸《いと》をぞ吾《わ》が搓《よ》る 吾《わ》が背子《せこ》が 花橘《はなたちばな》を 貫《ぬ》かむと思《も》ひて
    片搓尓 絲※[口+立刀]曾吾搓 吾背兒之 花橘乎 將貫跡母日手
 
【語釈】 ○片搓りに糸をぞ吾が搓る 糸を搓るのは、下の花橘を貫く緒を作ろうとしてのことで、それをするには二筋の糸をそれぞれに搓つて強くした上で、さらにそれを搓り合わせて強い緒にするのである。「片搓り」は、その一筋の糸を搓る工作の称である。ここは、その片搓りをした時のことをいっているもので、嘆きをもって強くいっているのである。それは夫に対しての自分の状態は片思いで、合わせ搓り、すなわち相思いには較べられない弱いものであるとしてである。○吾が背子が花橘を貫かむと思ひて 「吾が背子が花橘」は、五月五日の節日に、吉例として夫に贈る薬玉に付ける物としての、橘の蕾を緒に貫いた物である。「貫かむと思ひて」は、橘の蕾を貫く緒としようと思って。
【釈】 片搓りに一筋の糸を吾《われ》は搓っていることである。わが背に贈る花橘を貫く緒にしようと思って。
【評】 これは妻が夫に、五月五日の節日に、橘の蕾を緒に貫いた物を贈るのに添えた歌である。貴族階級のこととて、自身花橘を緒に貫く工作をしたということで、労苦して得た物という儀礼に果たしたとしたのであろう。いわんとしていることは、「片搓りに糸をぞ吾が搓る」である。これは事としては、工作の一過程をいったもので、特殊のものではなく、したがって厭味にも皮肉にもならないものである。特殊さは、その点を捉えたということで、それによって夫の愛の足りないことを婉曲に訴えたのであり、後世ではこういうことも、儀礼の範囲に入り得たものであるから、貴族社会ではこの時代にも、あるいはその趣をもったものであったかもしれぬ。気分を婉曲に具象するという歌風の中にあっては、巧みな歌といえるものである。
 
1988 鶯《うぐひす》の 通《かよ》ふ垣根《かきね》の 卯《う》の花《はな》の 厭《う》き事《こと》あれや 君《きみ》が来《き》まさぬ
    ※[(貝+貝)/鳥]之 徃來垣根乃 宇能花之 厭事有哉 君之不來座
 
【語釈】 ○鶯の通ふ垣根の 鶯がその隙間を潜って出入りする垣根で、実際を捉えてのもの。○卯の花の 「卯の花」は、その垣根に添って今咲いている物。「卯」を、同音の「厭」と懸けたもので、初句よりこれまでは、その序詞。○厭き事あれや 「厭き事」は、おもしろからぬこと。「あれや」は、疑問の条件法で、あったであろうか。○君が来まさぬ 「君」は、夫。「来まさぬ」は、「来ぬ」の敬語。「ぬ」は「や」の結。連体形。
(425)【釈】 鶯のその際間を潜って出入りする垣根の卯の花に因みある、厭《う》いおもしろくないことがあったのであろうか。君の来給わぬことであるよ。
【評】 初句より三句までの序詞は、女の家の実景を捉えて、同音反復で懸けたものであるが、「鶯の通ふ垣根」は、春の頃、男自身そこより出入りしたことを絡ませたものであり、「卯の花」は、現在の夏の物で、それを「厭」に転じることによって、男と関係した時の推移、気分の推移を暗示したものである。この序詞は、巻八(一五〇一)「霍公鳥鳴く峯《を》の上のうの花の厭《う》きことあれや君が来まさぬ」と酷似しているが、この序詞のほうが、気分を絡ませている点で進んでいるものである。
 
1989 卯《う》の花《はな》の 咲《さ》くとはなしに ある人《ひと》に 恋《こ》ひや渡《わた》らむ 独念《かたもひ》にして
    宇能花之 開登波無二 有人尓 戀也將渡 獨念尓指天
 
【語釈】 ○卯の花の咲くとはなしに 「花の咲く」は、恋の上の譬喩語として「花」と「実」という、その「花」と同意語で、「卯の」は時の花として添えていっているもの。卯の花の咲くように、恋の好意を示すとはなく。○ある人に 「人」は女で、いる女に。○恋ひや渡らむ 「や」は、疑問の係。恋い続けることであろうか。
【釈】 卯の花の咲くように、我に恋の好意のあるともなくいる女に、恋い続けることであろうか。片思いの状態で。
【評】 片思いをしての男の独語である。「卯の花の咲くとはなしにある人に」は、いかにもかすかな言い方で、しかし心の明らかなもので、巧みである。「独念にして」は、それに合わせては底を割った説明である。
 
1990 吾《われ》こそは 憎《にく》くもあらめ 吾《わ》が屋前《やと》の 花橘《はなたちばな》を 見《み》には来《こ》じとや
    吾社葉 憎毛有自 吾屋前之 花橘乎 見尓波不來鳥屋
 
【語釈】 略す。
【釈】 吾のほうは憎くもあろう。わが家の庭の橘の花を見には来まいと思うのであろうか。
【評】 橘の花の咲いている頃、足を遠くしている夫に贈った歌である。「吾こそは憎くもあらめ」は、甘え心かわざと誇張し(426)ていったもので、「見には来じとや」は、見に来たまえというのを、わざと逆にいったものである。信じ合っている夫婦間の歌である。
 
1991 霍公鳥《ほととぎす》来鳴《きな》き動《とよ》もす 岡《をか》べなる 藤浪《ふぢなみ》見《み》には 君《きみ》は来《こ》じとや
    霍公鳥 來鳴動 岡邊有 藤浪見者 君者不來登夜
 
【語釈】 ○霍公鳥来鳴き動もす 霍公鳥が来て、高く鳴き立てているで、「藤浪」を対象としてである。○藤浪見には 「藤浪」は藤の花。
【釈】 霍公鳥が来て高く鳴き立てている、岡の辺に咲いている藤の花を見には、君は来まいとするのであろうか。
【評】 上の歌と作意は同じものであるが、このほうは、訴え方が婉曲である。「岡べなる藤浪」は、女の家の辺りのもので、それは霍公鳥も来て愛で騒いでいるものであるといって、それを「見には君は来じとや」といって、その折の佳景に託して婉曲に来訪を促しているのである。伝統のある古い訴え方であるが、一肢化するとともに、婉曲という点で進展を示している。
 
1992 隠《こも》りのみ 恋《こ》ふれば苦《くる》し 瞿麦《なでしこ》の 花《はな》に咲《さ》き出《い》でよ 朝旦《あさなさな》見《み》む
    隱耳 戀者苦 瞿麥之 花尓開出与 朝旦將見
 
【語釈】 ○隠りのみ恋ふれば苦し 「隠り」は、下の続きで、夫婦関係を結んでいる女が、そのことを母に秘密にしているのを、男の立場からいっているもので、母に秘密にばかりして恋うているのは苦しいで、男の語。○瞿麦の花に咲き出でよ 瞿麦の花のごとくに、咲き出でよで、「咲き出で」は、母に打明けよの譬喩。○朝旦見む 「朝旦」は、日々という意であるが、瞿麦の花は朝咲くものとして、その意味で言いかえたもの。「見む」も同じく「逢ふ」を、花の上のこととしていったもの。気安く日々逢おうの意。
【釈】 母に秘密にばかりして恋うているのは苦しい。瞿麦の花のごとくに咲き出でて母に打明けよ。その花を朝々見るごとくに日々に逢おう。
【評】 結婚後、ある期間を経た時、男が女に命じる心で詠んだものである。「瞿麦の」以下は、その時の花を譬喩にして、複雑な事相を単純に、美しくあらわしたものである。その事は当時としては自明な事柄であったので、これで十分通じたものとみえる。作意は実用性のものであるが、それとしてはじつに巧みである。日常生活と文芸とが融合して一体となっているとい(427)える。
 
1993 外《よそ》のみに 見《み》つつを恋《こ》ひむ 紅《くれなゐ》の 末《すゑ》採《つ》む花《はな》の 色《いろ》に出《い》でずとも
    外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花乃 色不出友
 
【語釈】 ○外のみに 『略解』の訓。よそながらの状態のみに。○見つつを恋ひむ 同じく『略解』の訓。「を」は、感動の助詞。「つつ」は、継続で、昂奮しての語。○紅の未採む花の 「紅の」は、紅色の。「末採む花」は、紅花。紅花は末の、すなわち先のほうに咲く花を摘んで、臙脂《えんじ》を製するので、その扱い方を説明した語。紅花の別名となったもの。紅花は菊科紅藍属の越年生草本。二句、その色の鮮やかなところから「色に出づ」の譬喩。○色に出でずとも 「色に出づ」は、表面にあらわすで、恋を打明けていわずとも。
【釈】 よそながらの状態でばかり女を見つつ恋うていよう。紅色の末を摘む花のように、色に出る、すなわち表面にあらわすことはせずとも。
【評】 男の歌である。女に恋しながら、打明けずにいつまでも心中の恋としていようと決心した心である。若い心からか、他に事情があってかはわからない。「紅の末採む花の」という譬喩が魅力をなしている。眼前に見ている物であるが、女の美しさに気分の上でつながりをもっているものである。臙脂を製することに関係している庶民階級の歌である。
 
     露に寄す
 
1994 夏草《なつくさ》の 露別衣《つゆわけごろも》 著《つ》けなくに 我《わ》が衣手《ころもで》の 干《ふ》る時《とき》もなき
    夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸
 
【語釈】 ○夏草の霧別衣 夏草の露を分ける衣で、朝の労働服とみえる。○著けなくに 着ないことなのに。○我が衣手の干る時もなき わが袖の涙の乾く時もないことだ。「干る」は奈良時代は上二段活用であった。
【釈】 夏草の露を分ける衣を着ているのではないことなのに、わが袖は涙で乾く時もないことだ。
【評】 恋の嘆きをしている男の歌である。露分衣という語は新しく美しいが、庶民的な粗《あら》さと誇張があり、謡い物を思わせる。
 
(428)     日に寄す
 
1995 六月《みなづき》の 地《つち》さへ割《さ》けて 照《て》る日《ひ》にも 吾《わ》が袖《そで》乾《ひ》めや 君《きみ》に逢《あ》はずして
    六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖將乾哉 於君不相四手
 
【語釈】 ○地さへ割けて 地までも干割れて。○吾が袖乾めや 「や」は、反語。
【釈】 六月の地までも干割れて照っている日にも、私の涙で濡れている袖は乾こうか、乾きはしない。君に逢わずにいるので。
【評】 「六月の地さへ割けて照る日にも」は、眼前を捉えたもので、その捉え方の大きく、言い方の直線的に、力のある点は、特色のあるものである。まさしく庶民的なものである。上の歌よりも謡い物の匂いの強いものである。
 
   秋雑歌
 
     七夕
 
【解】 以下三十八首は、左注に「柿本朝臣人麿歌集に出づ」とあるものである。
 
1996 天《あま》の河《がは》 水《みづ》さへに照《て》る 舟競《ふなぎほ》ひ 舟《ふね》こぐ人《ひと》に 妹《いも》ら見《み》えきや
    天漢 水左閇而照 舟競 舟人 妹等所見寸哉
 
【語釈】 ○水さへに照る 原文「水左閇而照」。諸注、訓が定まらない。西本願寺本の訓。『全註釈』は、下の(二〇〇五)に「然叙手而在《しかぞてにある》」の用例によって「に」に当てたものとしている。天の河の水までも照るで、天の河の岸に牽牛を待って立っている織女の美しさを、第三者として叙しているもの。○舟競ひ 舟を競い漕ぐ意であるが、ここは勢よく漕ぐ意に用いている。○舟こぐ人に 天の河を渡る牽牛。○妹ら見えきや 「妹ら」は、「ら」は接尾語。「妹」は織女。「や」は疑問。妹は見えたであろうか。
【釈】 天の河の水までも照って、織女は立って待っている。勢よく舟を漕いでいる人に、その妹は見えたであろうか。
(429)【評】 七月七日の天の河の状態を想像して目に描いた歌である。第三者として二星の逢うまでの状態を、努めて気分的・感覚的にあらわそうとしたもので、星の名をいわず、「水さへに照る」といい、「舟競ひ舟こぐ人」とだけいっているのはその意のもので、意図も技巧もすぐれている。そのわりに感の稀薄なのは、題材のためというべきである。
 
1997 久方《ひさかた》の 天漢原《あまのかはら》に ぬえ鳥《どり》の うら歎《な》けましつ ともしきまでに
    久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座都 乏諸手丹
 
【語釈】 ○ぬえ鳥のうら歎けましつ 「ぬえ鳥の」は、ぬえ烏は、今、とらつぐみと称する鳥で、細く悲しげな声で鳴くところから、意味で「うら歎け」にかかる枕詞。「うら歎けましつ」は、心中に泣いていられたで、忍び音に泣く意の敬語法。巻十七(三九七八)に「ぬえ鳥のうらなけしつつ下恋に」と、仮名書きの例がある。織女の状態としていっているもの。○ともしきまでに 「ともしき」は、羨ましいまでにで、上の歌と同じく、第三者として織女の状態を見て、男性として羨望をいったもの。
【釈】 久方の天の河原に、ぬえ鳥のように、忍び音に泣いていられた。見る目も羨ましいまでに。
【評】 前の歌の続きで、第三者として傍観して、目を織女に移して、その状態を精叙し、傍観者としての感を添えたものとみえる。二首連作とみえるからである。独立歌と見ると「ともしきまでに」は牽牛の心である。気分的に詠んでいるので、どちらとも取れる歌である。
 
1998 吾《わ》が恋《こひ》を 嬬《つま》は知《し》れるを 行《ゆ》く船《ふね》の 過《す》ぎて来《く》べしや 事《こと》も告《つ》げなむ
    吾戀 嬬者知遠 徃船乃 過而應來哉 事毛告火
 
【語釈】 ○吾が恋を嬬は知れるを 「嬬」は織女で、牽牛の心。○行く船の過ぎて来べしや 「行く船」は、天の河を漕ぐ船。「過ぎて来べしや」は、織女のいる辺りを通り過ぎて、黙って帰って来られようか、来られないで、「や」は反語。○事も告げなむ 「事」は、寄れない事情で、その日は許されている七月七日ではない意で、それを織女に告げ知らせようの意。その事情は織女も弁えているはずであるが、女性の常として、時には弁えもなくなる意でいっているもの。
【釈】 わが恋のほどは妻も知っているものを。わが船が向こう岸に寄らずに通り過ぎて帰れようか帰れない。寄らない事情を告(430)げ知らせよう。
【評】 この歌は、牽牛が織女と共寝することを許されているのは、七月七日の一夜のみであるが、平常、天の河に船を漕ぐことは自由であったと解して、その上に立ってのものである。こう解さないとわからない歌である。牽牛の船が織女のいる岸近くまで来て、そのまま行き過ぎるのを見ては、弁えているはずの織女も弁えを忘れて恨むだろうとの心で、牽牛としても特殊な心である。作者の体験の生んだ想像であろう。
 
1999 朱《あか》ら引《ひ》く 敷妙《しきたへ》の子《こ》を 屡見《しばみ》れば 人妻《ひとづま》ゆゑに 吾《われ》恋《こ》ひぬべし
    朱羅引 色妙子 數見者 人妻故 吾可戀奴
 
【語釈】 ○朱ら引く敷妙の子を 「朱ら引く」は、「ら」は接尾語。「朱」は紅色で、「引く」はいちめんに拡がる意。ここは紅顔の意で、子にかかる枕詞。「敷妙」は、織り目の細かい織物で、美しく柔らかい意で、「子」を讃えたもの。「子」は、女の愛称で、織女。○屡見れば たびたび見ると。○人妻ゆゑに吾恋ひぬべし 「人妻ゆゑに」は、「ゆゑ」は、原因をあらわす語で、人妻であるのにで、懸想などすべくもないのにの意。「恋ひぬべし」は、「ぬ」は、完了の助動詞で強意。恋をしそうである。
【釈】 紅顔の、敷妙のような美しいかわゆい女をたびたび見ると、人妻であるのに、吾は恋をしそうである。
【評】 最初の二首の歌と同じく、第三者として織女を見、その美しさに魅惑された心である。「人妻ゆゑに吾恋ひぬべし」は、地上の心より類推していっているものである。心理的で、統一力の強い、気分の濃い歌である。
 
2000 天漢《あまのがは》 安《やす》の渡《わたり》に 船《ふね》浮《う》けて 秋《あき》立《た》つ待《ま》つと 妹《いも》に《つ》告げこそ
    天漢 安渡丹 船浮而 秋立待等 妹告与具
 
【語釈】 ○天漢安の渡に 「安」は、記紀に出ている高天原にある河で、「渡」は、渡し場。天の河と安の河とを一つにしている言い方である。しやすい想像である。○船浮けて 「浮け」は、浮かべる意。下二段活用。彦星が船の準備をして。○秋立つ待つと 秋の立つのを待っていると。○妹に告げこそ 「こそ」は希求の助詞。原文「与具」、訓に諸説がある。与えよの意で、「与」で「こそ」をあらわした例は幾つもあり、それに「具へよ」の意で「具」を添えたものである。
(431)【釈】 天の河の安の渡し場に船を準備して、逢うを許されている秋の立つのを我は待っていると、妹に告げてくれよ。
【評】 歌としては平凡であるが、「天漢安の渡に」は、特色がある。漢土のものである七夕伝説を、完全にわがものとしていた語である。牽牛星、織女星という漢土では庶民的な星を、彦星、棚機つ女とおおらかなものにしたのも同様で、それを一段と徹底させたものである。模倣にとどめず、摂取して創造に近いものにしている趣がある。人麿にふさわしい解である。
 
2001 蒼天《おほぞら》ゆ 通《かよ》ふ吾《われ》すら 汝《な》がゆゑに 天《あま》の河路《かはぢ》を なづみてぞ来《こ》し
    從蒼天 徃來吾等須良 汝故 天漢道 名積而叙來
 
【語釈】 ○蒼天ゆ通ふ吾すら 大空を通って往来する吾でさえ。星の本来の性質をいったもの。○汝がゆゑに 「汝」は、織女をさしたもの。あなたのゆえには。○天の河路をなづみてぞ来し 天の河の河路を苦労して来たで、「し」は、「ぞ」の結。連体形。織女に逢う方法として定められていることに従っての意。
【釈】 大空を通って往来することのできる吾でさえ、そなたのゆえには、天の河の河路を苦労して来たことである。
【評】 地上の夫婦間にあって、夫がその妻のもとへ通って行った時、途を難渋して来たことをいって、その真心を示すのを、彦星も織女に向かってする形の歌である。この歌は、「蒼天ゆ通ふ吾」の、「天の河路」をなずんで来たと、彦星も恋のためには侘びしい制約を受けなければならないことをいっている点に特徴がある。柄の大きい、要を得たすぐれた想像である。
 
2002 八千戈《やちほこ》の 神《かみ》の御代《みよ》より ともし※[女+麗]《づま》 人《ひと》知《し》りにけり 継《つ》ぎてし思《おも》へば
    八千戈 神自御世 乏※[女+麗] 人知尓來 告思者
 
【語釈】 ○八千戈の神の御代より 「八千戈の神」は、大国主の神の一名で、国土開発の神である。遠い神代からの意で、七夕をわが国のものとしていったもの。○ともし※[女+麗] 類い稀れな美しい妻。○継ぎてし思へば 続けて思っているので、「し」は強意の助詞。
【釈】 八千戈の神の御世から類い稀れな美しい者として愛している妻は、人が知ってしまったことだ。続けて思っているので。
【評】 彦星の歌で、自分と棚機つ女との関係は、神代以来のもので、秘密にすべき夫婦も神代以来人に知られてしまったとして、それは、自分が妻を続けて思っているからだとしたのである。伝説の全体を客観的に捉え、それに「継ぎてし思へば」の(432)抒情を添え、それによって纏めた形の歌である。「八千戈の神の御代より」が、大きな働きをしている。わが国の伝説とするとともに、二星の特別な関係をもあらしているものである。「人知りにけり」は地上の類推であるが、ここでは一脈諧謔味を帯びた感のするものとなっている。
 
2003 吾《わ》が恋《こ》ふる にほへる面《おもわ》 今夕《こよひ》もか 天河原《あまのかはら》に 石枕《いはまくら》纏《ま》く
    吾等戀 丹穗面 今夕母可 天漢原 石枕卷
 
【語釈】 ○にほへる面 原文「丹穂面」。従来「にのほの面」と訓んでいたのを、『全註釈』は「にほへる」と動詞に改めた。「丹穂」を動詞に当てた用例が多いからである。美しい色をした顔で、織女。○今夕もか 「も」は、詠歎。「か」は、疑問の係。○石枕纏く 石の枕をすることであろうか。
【釈】 わが恋うている、美しい色をしている顔の人は、今宵も、天の河原で石の枕をしていることであろうか。
【評】 彦星が織女のもとへ通う途中での想像である。すでに久しく恋いこがれていたこととて、天の河原の石を枕として共寝をするであろうかと思ったのである。「吾が恋ふるにほへる面」「石枕纏く」は、顔と枕の続きが感覚的である。
 
2004 己《おの》が夫《つま》 乏《とも》しき子《こ》らは 泊《は》てむ津《つ》の 荒磯《ありそ》枕《ま》きて寐《ね》む 君《きみ》待《ま》ちかてに
    己※[女+麗] 乏子等者 竟津 荒磯卷而寐 君待難
 
【釈】 ○己が夫乏しき子らは 原文「※[女+麗]」は夫《つま》に当てたもの。「乏しき子ら」は、「乏しき」は、めずらしく思う。「子ら」は、「ら」は接尾語で、「子」は、女の愛称。第三者として女をいっているもの。○泊てむ津の 諸注、訓が定まらない。『古義』の訓。舟が着くであろう船着き場ので、船は彦星のもの。○荒礒枕きて寐む 「荒礒」は、河岸に現われている石。「枕きて寐む」は、枕として共寐をするであろう。○君待ちかてに 「君」は、織女の立場に立っての彦星。「待ちかてに」は、君を待ちかねて。「かてに」は巻二(九五)以下にたびたび出た。
【釈】 己が夫をめずらしく思うかわゆい女は、夫の船の着くであろう船着き場の石を枕として共寐をするであろう。夫を待ちかねていて。
【評】 これは、第三者の立場に立って、七日の夜の織女を思いやったものである。上の歌と同じく共寝ということを中心にし(433)て、ことに執拗《しつよう》に扱ったものである。こうした状態を女性の真実と解していったのであろう。
 
2005 天地《あめつち》と 別《わか》れし時《とき》ゆ おのが※[女+麗]《つま》 然《しか》ぞ手《て》に在《あ》る 秋《あき》待《ま》つ吾《われ》は
    天地等 別之時從 自※[女+麗] 然叙手而在 金待吾者
 
【語釈】 ○天地と別れし時ゆ 天地開闢の昔から。○おのが※[女+麗] わが妻はで、彦星の織女をいっているもの。○然ぞ手に在る 「然ぞ」は、「ぞ」は、係。「然」は、このように。「手に在る」は、原文「手而在」で、諸注、訓が定まらない。これは旧訓である。「而」を「に」に当てた例は、上の(一九九六)に出た。わが物として手に持っているで、漢籍の手中、掌中を訳したものと思われる。「在る」の「る」は、「ぞ」の結。○秋待つ吾は 「秋待つ」は、許されて相逢う時の秋を待っている、吾は。
【釈】 天地開闢の昔から、わが妻は、このようにわが年中のものとなっていることである。相逢う秋を待っている。我は。
【評】 天地開闢の時からの妻で、今もつゆ渝《かわ》らない仲だということは、夫婦関係としては絶対の誇りである。神仙思想が行なわれ、仙郷が憧憬の的となっていた時代であるが、これはそれをも遙かに越えたもので、この歌はその意味でも魅力の伴っていたものであろう。調べの張ったさわやかな歌である。
 
2006 彦星《ひこぼし》は 嘆《なげ》かす※[女+麗]《つま》に 言《こと》だにも 告《つ》げにぞ来《き》つる 見《み》れば苦《くる》しみ
    孫星 嘆須※[女+麗] 事谷毛 告尓叙來鶴 見者苦弥
 
【語釈】 ○嘆かす※[女+麗]に 「嘆かす」は、嘆くの敬語。恋しさの嘆きをされる妻に。○言だにも 慰めの語だけでも。○見れば苦しみ そのさまを見ると苦しいゆえに。
【釈】 彦星は、恋しさの嘆きをしていられる妻に、慰めの語だけでも告げに来たのだ。そのさまを見ると苦しいので。
【評】 第三者として、七月七日の夜以前のさまを叙したものである。共寝をすることは七日の夜一夜と限られているが、顔を見、ものをいうだけは、平常でも許されていたとしているのである。根本的なことは伝来のままであっても、枝葉的なことは、当時の男女間の風習を移して自由に付け加えていたとみえる。この歌は心やさしい想像である。
 
(434)2007 久方《ひさかた》の 天《あま》つ印《しるし》と 水無《みな》し川《がは》 隔《へだ》てて置《お》きし 神代《かみよ》し恨《うら》めし
    久方 天印等 水無川 隔而置之 神世之恨
 
【語釈】 ○久方の天つ印と 「印」は、意味の広い語であるが、ここは標の意である。地上の標《しめ》は大体、その地または物に繩を張って、人がそこに踏み入り、また触れることを禁じたしるしのものである。「天つ印」は、天上の標の意。「と」は、として。これは、彦星と織女とにとつて、天の川が天上の標となっている意でいったもの。○水無し川 水の無い川で、天の川を言いかえたもの。天上の川であるから水が無いといえるととともに、「天つ印」としていっている関係上、越そうと思えばたやすく越せる、水の無い川のほうが合理的だからでもある。後の意のほうが重い。○隔てて置きし神代し恨めし 「神代し」の「し」は強意の助詞。隔てておいた古の代が恨めしい。
【釈】 天上の、標《しめ》として、水の無い川を隔てとして置いた神代が恨めしい。
【評】 彦星の歌として詠んだものと思われる。天の川を標と解し、越そうと思えばたやすく越せる水無し川と言いかえ、標があるために神代以来越せないとして恨んでいるのである。これは渡来の七夕伝説には全く無いもので、完全に日本化したものである。そのことの定められたのを神代のこととしているのも同様である。人麿らしい解で、また人麿でないとできないものである。
 
2008 ぬばたまの 夜霧隠《よぎりがく》りに 遠《とほ》くとも 妹《いも》が伝《つた》へは 早《はや》く告《つ》げこそ
    黒玉 宵霧隱 遠鞆 妹傳 速皆与
 
【語釈】 ○夜霧隠りに遠くとも 夜霧に隠れての遠い路であろうとも。○妹が伝へは 訓は諸説がある。旧訓「いもしつたへば」。『考』の訓。織女が使に命じた語。○早く告げこそ 早く告げてくれ。「こそ」は(二〇〇〇)に出た。
【釈】 夜霧に隠れての道は遠かろうとも、妹よりの口状は、早く告げてくれ。
【評】 彦星が棚機つ女のもとへ使をやり、夜霧の籠めている空を見やりながら、その帰りを待ち遠しくしている心である。地上の延長である。
 
2009 汝《な》が恋《こ》ふる 妹《いも》の命《みこと》は 飽《あ》き足《た》りに 袖《そで》振《ふ》る見《み》えつ 雲隠《くもがく》るまで
(435)    汝戀 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隱
 
【語釈】○汝が恋ふる妹の命は 「汝」は、彦星に呼びかけてのもので、「妹の命」は、女を最高の敬称で呼んだもの。女性に対しての故であるが、この称は第三者としても身分の低い、彦星の従者ともいうべき者を想像してのものである。○飽き足りに袖振る見えつ「飽き足りに」は、十分満足するまでに。「袖振る」は、離れていて心を通じさせるしぐさとなったもので、ここは七日の夜が明けて、別れて帰って行く彦星を見送って、名残りを惜しんでしているものである。「見えつ」は、従者には見られたで、彦星は見返らなかったのである。○雲隠るまで 彦星が遠ざかって、その姿が雲に隠れるまで。
【釈】 あなたが恋うている妹の命は、十分に満足するほどに袖を振っているのが見られた。あなたの姿が雲に隠れるまで。
【評】 七日の夜が明けて、彦星がそのいるべき所へ帰る途中、彦星の従者格の者が、彦星に告げた語である。それは彦星があまりに女々しくはしまいとして振り返らずにいる心中を察して、慰めの心からいったものである。従者格の者の一語を通じて、全面の状態をあらわしている歌で、劇的手腕を思わせる作である。
 
2010 夕星《ゆふづつ》も 通《かよ》ふ天道《あまぢ》を 何時《いつ》までか 仰《あふ》ぎて待《ま》たむ 月人壮子《つきひとをとこ》
    夕星毛 徃來天道 及何時鹿 仰而將待 月人壯
 
【語釈】 ○夕星も通ふ天道を 「夕星」は、夕方の星で、金星。「も」は、それさえも。「通ふ天道を」は、金星は宵は東に現われ、夜明けには西に見えて、一夜に空を自由に渡るので、そうした天上の道であるのに。○何時までか仰ぎて待たむ 「か」は、疑問の係で、いつまで空を仰いで待っているのであろうか。○月人壮子 「月人」は、月を人と見てのもの。「壮子」は、若い男の称で、早い頃の月。
【釈】 金星でさえも自由に通う天の道であるのに、いつまで空を仰いでその出を待っていることであろうか、若い月の男を。
【評】 これは七夕の歌には直接のつながりのない、月の前を待っている歌である。月を夕づつと比較し、夕づつでさえも自由に通う天道なのにともどかしがっているのは、この種の歌としては珍しいものである。若い人麿のもっていた闘志ともいうべきものが思われる。
 
2011 天《あま》の河《がは》 い向《むか》ひ立《た》ちて 恋《こ》ふとにし 言《こと》だに告《つ》げむ ※[女+麗]《つま》といふまでは
(436)    天漢 已向立而 戀等尓 事谷將告 ※[女+麗]言及者
 
【語釈】 ○天の河い向ひ立ちて 「い向ひ」は、「い」は、接頭語。ここは、彦星の七日の夜以前の状態。○恋ふとにし 諸注訓み悩んでいる。『代匠記』精撰本は「恋ふるとに」と訓んでいるが、他は誤写説を立てている。『全註釈』は、「恋ふとにし」と訓んでいる。『代匠記』の訓だと、「と」が「時」の意となるが、「等」は、助詞と見るほかはない。それで「と」は上をうけたもの。「し」は読み添えるとして、このように訓んでいるのである。それとすると「に」が不用のものとなり、問題が残る。作意は前後の関係で、「恋ふと」であろう。今は訓み難いものとして、そう解しておく。○事だに告げむ 語だけでも伝えよう。○※[女+麗]といふまでは 逢って、妻と呼ぶまでは。
【釈】 天の河に向かって立って、恋うているという語だけでも伝えよう。逢って妻と呼ぶまでは。
【評】 七日の夜以前の、彦星の織女に対する心である。三句は 訓み難いが、作意は辿れる。人麿の作としては凡作である。
 
2012 白玉《しらたま》の 五百《いほ》つ集《つどひ》を 解《と》きも見《み》ず 吾《われ》は干《ほ》しかてぬ 逢《あ》はむ日《ひ》待《ま》つに
    水良玉 五百都集乎 解毛不見 吾者干可太奴 相日待尓
 
【語釈】 ○白玉の五百つ集を 「白玉」は、好い珠玉で、「五百つ集」は、その多くを緒に貫いて集めた物。これは手脚に礼装として着けた物である。わが国の神代の棚機つ女は、神の御衣を織る女で、そのような礼装をしていたことが記紀にあるので、織女をそれに擬しているのである。○解きも見ず 解きもせずで、夜も衣裳を脱いで寝ない意。○吾は干しかてぬ 「かてぬ」は巻二(九八)などしばしば出た。「ぬ」は打消の助動詞の終止形の古格。涙を干すことができない。○逢はむ日待つに 彦星に逢う日を待つので。
【釈】 白玉の五百つ集の手脚の礼装を解いて寝ることもせず、恋しさの涙を干すことができない。君に逢う日を待つので。
【評】 これは織女の七日の夜以前の心をいったものである。「白玉の五百つ集を解きも見ず」は、織女を神代の棚機の女としたもので、これも完全に日本化したものである。華麗な趣をもった歌である。
 
2013 天《あま》の河《がは》 水陰草《みづかげぐさ》の 秋風《あきかぜ》に 靡《なび》かふ見《み》れば 時《とき》は来《き》にけり
    天漢 水陰草 金風 靡見者 時來々
 
(437)【語釈】 ○天の河水陰草の 「水陰草」は、水辺に生えている草の総称。○秋風に靡かふ見れば 「靡かふ」は、靡くの継続。○時は来にけり 逢いうる時が来たことだで、「に」は、完了。「けり」は、詠歎。
【釈】 天の河の水辺に生えている草の、秋風に靡きつづけているさまを見ると、逢いうる時が来たことだ。
【評】 彦星の心となって詠んだものである。おおらかに喜びをいったものであるが、語つづきが充実しているので、趣の多いものとなっている。
 
2014 吾《わ》が待《ま》ちし 秋芽子《あきはぎ》咲《さ》きぬ 今《いま》だにも にほひに行《ゆ》かな 遠方人《をちかたびと》に
    吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比尓徃奈 越方人迩
 
【語釈】 ○吾が待ちし秋芽子咲きぬ 妻に逢える頃のものとして待っていた萩の花が咲いた。○今だにもにほひに行かな 「今だにも」は、今からでもで、七月七日以前ではあるがの意のもの。「にほひに」は、美しく色に出ることで、ここは妻どいということを表面にあらわして。「行かな」は、「な」は願望で、行きたいものだ。○遠方人に 遠方にいる人、織女のもとに。
【釈】 その時のものとしてわが待っていた萩の花が咲いた。今からでもそれと表面にあらわして行きたいものだ。遠方にいる人のもとに。
【評】 七月七日が近づいた頃の彦星の心である。「今だにもにほひに行かな」は、心理的にも、表現の上でも巧みである。「にほひに」は、逢うを許されている時だから憚りのない心と、萩の花に衣の染まる意もからみうるものだからである。美しい想像である。
 
2015 吾《わ》が背子《せこ》に うら恋《こ》ひ居《を》れば 天《あま》の河《がは》 夜船《よぶね》榜《こ》ぐなる 梶《かぢ》の音《おと》聞ゆ
    吾世子尓 裏戀居者 天漢 夜船滂動 梶音所聞
 
【語釈】 ○うら恋ひ居れば 内心恋しく思っていると。○夜船榜ぐなる 夜船を漕いでいる。
【釈】 わが背子を内心恋うていると、天の河に、夜船を漕いでいる音が聞こえる。
【評】 七月七日の夜の織女の心である。ここの織女は、地上の若妻と異ならないもので、上の歌の彦星と対をなしている。
 
(438)2016 ま気《け》長《なが》く 恋《こ》ふる心ゆ 秋風《あきかぜ》に 妹《いも》が音《おと》聞《きこ》ゆ 紐《ひも》解《と》き行《ゆ》かな
    眞氣長 戀心自 白風 妹音所聽 紐解徃名
 
【語釈】 ○ま気長く恋ふる心ゆ 「ま気」は、「ま」は接頭語。「気」は、時。「心ゆ」の「ゆ」は、よりであるが、下のことの理由をあらわしているもので、よって、というにあたる。長い時を恋うている心によって。○秋風に妹が音聞ゆ 「妹が音」は、妹が音信であるが、実際の声ではなく、心である。風は便りを伝えるものだとする意のものである。緊張している心に感じるものである。○紐解き行かな 「紐解き」は、衣の紐を解いてで、衣を装わずに、打解け姿のままで。「行かな」は、行きたいと自身にする願望。
【釈】 長い間を恋うている心であるによって、吹き変わる秋風に妹の音信が聞こえる。衣の紐を解いたままで行きたい。
【評】 七月七日近い頃の、彦星の恋に昂奮した心である。「秋風に妹が音聞ゆ」は、含蓄のある語である。「ま気長く恋ふる心」からのことで、それがさらに待望していた秋を知らせる秋風に刺激されてのものであり、加えて妹も同じ心を抱いているとしての結果であって、合理化の伴っているものである。一方、風の便りという語もあって、それも絡んでのものである。そうした語が、安らかに自然に一首の中にこなれているので、味わいとなっているのである。人麿のみがもちうる技巧である。
 
2017 恋《こひ》しくは 気《け》長《なが》きものを 今《いま》だにも 乏《とも》しむべしや 逢《あ》ふべき夜《よ》だに
    戀敷者 氣長物乎 今谷 乏之牟可哉 可相夜谷
 
【語釈】 ○恋しくは気長きものを 「恋しく」は、動詞「恋ふ」に過去の助動詞「し」と体言の「く」が接して名詞となったもの。恋していたことは。「気長き」は、上に出た。「を」は、詠歎。○今だにも乏しむべしや 「今だにも」は、相逢っている今だけでもで、七日の夜。「乏しむべしや」は、「乏しむ」は、不満足にさせる。「べしや」は、反語で、不満足にさせるべきであろうか、ありはしない。○逢ふべき夜だに 逢うべきことになっている今夜だけでもで、第三句「今だにも」を繰り返したもの。
【釈】 恋していたことは、時長く続いていたことであるものを。今だけでも不満足にさせるべきであろうか、ありはしない。逢うことを許されている夜だけでも。
【評】 彦星が織女と逢っている夜の語である。飽くことを知らないのが恋の心である。逢って歓びを尽くしながらも不足を感じての愚痴である。
 
(439)2018 天《あま》の河《がは》 去歳《こぞ》の渡《わたり》で 遷《うつ》ろへば 河瀬《かはせ》を踏《ふ》むに 夜《よ》ぞ深《ふ》けにける
    天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於蹈 夜深去來
 
【語釈】 ○去歳の渡で 「渡」は、渡り場。「で」は、接尾語。徒渉地点は、流れの浅い所を選ぶのであった。○遷ろへば 「遷ろふ」は、遷るの継続。傾斜地帯にある川は、流れの変化に伴って浅瀬も変化するのである。○河瀬を踏むに 新しい河瀬を踏み渡るのに。○夜ぞ深けにける そのために時間を要して夜が更けたことである。「ける」は、「ぞ」の結。
【釈】 天の河の去年の徒渉地点が変わったので、新しい河瀬を踏み渡るのに、夜の更けたことである。
【評】 彦星が棚機つ女を訪うて、その遅くなったことを弁明し、途中の苦労を訴えたものである。地上の男女と同様である。天の河も飛鳥地方の河の趣をそのままに移したものである。「去歳の渡で」があるので、天上のこととなっているのである。
 
2019 古《いにしへ》ゆ 挙《あ》げてし服《はた》も 顧《かへり》みず 天《あま》の河津《かはづ》に 年《とし》ぞ経《へ》にける
    自古 擧而之服 不顧 天河津尓 年序經去來
 
【語釈】 ○古ゆ挙げてし服も 「古ゆ」は、古から。「挙げてし服も」は、「挙ぐ」は、糸を機にかけて、織る設備にすること。「服」は、機物《はたもの》で、布の称。○顧みず 見返りもせずに。「ず」は、連用形。○天の河津に 天の河の津、すなわち船着き場に。
【釈】 古からしかけてある織るべき布も見返りもせずに、天の河の津に、年を経たことである。
【評】 棚機つ女の、永久に恋に心を奪われている嘆きである。七夕の伝説では、織女は天帝の衣を織るのを職とする女であるが、牽牛に逢い初めると、その職を忘れてしまったので、罰として逢うことを禁じられたというのであるが、ここではまた、夫の衣を織ることを忘れてしまっているのである。あわれとともに、おかし味のある歌である。
 
2020 天《あま》の河《がは》 夜船《よぶね》を榜《こ》ぎて 明《あ》けぬとも あはむと念《おも》ふ夜《よ》 袖《そで》易《か》へずあれや
    天漢 夜船滂而 雖明 將相等念夜 袖易受將有
 
(440)【語釈】 ○夜船を榜ぎて明けぬとも 夜船を漕いで、そのことで夜が明けようとも。漕ぐに手間取るもどかしさをいったもの。○あはむと念ふ夜 七日の夜。○袖易へずあれや 原文「袖易受将有」。これは諸本同じで、文字通りに訓むと、「袖易へずあらむ」で、袖を易えるは、袖を交わして共寝をすることで、共寝をしないであろうとなり、上と照応せず、意味の通じないものとなる。旧訓は「将有」を「あれや」としている。「や」は反語で、それだと共寝をせずにいようか、いないとなり、上のもどかしがる気分と調和し、昂奮の情をあらわした自然なものとなる。『代匠記』は「有」の下に「哉」があって脱したものとし、「あれや」にしている。旧訓を支持する形になる。脱字説はいかがであるが、この歌のように作意の明瞭なものを、それを臆測として否認することによつて、意の通じないものにするのもいかがである。旧訓と『代匠記』の説に従う。
【釈】 天の河を渡る夜船を漕いで、たとい夜が明けようとも、逢おうと思っている今夜は、袖を交わさずにいようか、いわしない。
【評】 想像の世界の彦星のこととて、ここでは天の河を船で渡る者となり、夜の更けるのに焦燥している者となっている。「袖易へずあれや」という昂奮は、その焦燥によって合理化されている。想像の形ではあるが、一首実感化されているのは地上の体験を移したものだからである。
 
2021 遠妻《とほづま》と 手枕《たまくら》交《か》へて 寝《ね》たる夜《よ》は 鶏《とり》が音《ね》な鳴き 明《あ》けば明《あ》くとも
    遙※[女+漢の旁]等 手枕易 寐夜 鷄音莫動 明者雖明
 
【語釈】 ○遠妻と手枕交へて 「遠妻」は、遠方に住んでいる妻で、逢い難い妻。ここは織女。「手枕交へて」は、手枕をさし交わして。○鶏が音な鳴き 鶏が音は鳴き立てるな。○明けば明くとも 夜が明けるなら明けてもで、下に「よし」の意が省かれている。
【釈】 遠く住んで逢い難い妻と手枕をさし交わして寝ている夜は、鶏が音は鳴き立てるな、夜が明けるなら明けたとて。
【評】 彦星の心として詠んだものである。地上の体験を、さながらに天上界に移したもので、遠妻の一語によって七夕となっている。夜明けを告げる鶏が音を憎むのは常套である。
 
2022 あひ見《み》らく 飽《あ》き足《た》らねども いなのめの 明《あ》け行《ゆ》きにけり 舟出《ふなで》せむ※[女+麗]《つま》
    相見久 ※[厭のがんだれなし]雖不足 稻目 明去來理 舟出爲牟※[女+麗]
 
(441)【語釈】 ○あひ見らく飽き足らねども 「見らく」は、見るの名詞形。「見る」は、ここは、男女相逢う意。○いなのめの明け行きにけり 「いなのめの」は、「明け」にかかる枕詞。語義は定説がない。「明け行きにけり」は、「けり」は、詠歎。すっかり明けてしまったことである。○舟出せむ※[女+麗] 「※[女+麗]」は呼びかけ。
【釈】 相逢っていることは、飽き足りないけれども、夜は明けてしまったことである。船出をしよう、妻よ。
【評】 七日の夜が明けて、別れねばならぬ前に、彦星が織女にいった語である。ありうべき境を想像したものである。
 
2023 さ宿《ね》そめて 幾何《いくだ》もあらねば 白妙《しろたへ》の 帯《おぼ》乞《こ》ふべしや 恋《こひ》も過《す》ぎねば
    左尼始而 何太毛不在者 白栲 帶可乞哉 戀毛不過者
 
【語釈】 ○さ宿そめて幾何もあらねば 「さ宿」は、「さ」は接頭語。「宿」は寝で、共寝。「幾何も」は、幾らもに同じ。何ほどの時も。○白妙の帯乞ふべしや 「白妙の帯」は、白い織物の帯で、彦星の物。「乞ふべしや」は、「や」は反語で、白妙の帯を請求すべきであろうか、ないの意。○恋も過ぎねば 「過ぎねば」は、過去のものとならない、すなわちやまないのに。
【釈】 共寝をし始めて、まだ幾らの時でもないのに、白妙の帯を請求すべきであろうか、ない。わが恋はやまないのに。
【評】 上の彦星の歌と問答の関係となっているものである。夫婦の恋情を対させていう場合には、人麿は女のほうを濃情に、露骨にしている。
 
2024 万世《よろづよ》に 携《たづさは》りゐて あひ見《み》とも 念《おも》ひ過《す》ぐべき 恋《こひ》にあらなくに
    万世 携手居而 相見鞆 念可過 戀尓有莫國
 
【語釈】 ○万世に携りゐて 永久に一緒にいて。○あひ見とも 動詞「見る」から、助詞「とも」に続く場合は連用形についた古格。あい見ていようとも。○念ひ過ぐべき 「過ぐ」は、過ぎ去るで、なくなる意。思いがなくなるような。○恋にあらなくに 恋ではないことだ。
【釈】 永久に一緒に居て相逢っていようとも、思いのなくなるような恋ではないことだ。
【評】 彦星の心となって詠んだものである。わが恋は万世にわたって一緒にいても尽きるものでないといって、年にただ一夜(442)しか逢えない恋の悲しみを言外に置いているもので、そこに力点を置いているものである。調べの強さもそれをあらわしている。単なる恋の心をいったものと見ても通るような心広い言い方をしているのは、一種の技巧というべきである。
 
2025 万世《よろづよ》に 照《て》るべき月《つき》も 雲隠《くもがく》り 苦《くる》しきものぞ 逢《あ》はむと念《おも》へど
    万世 可照月毛 雲隱 苦物叙 將相登雖念
 
【語釈】 ○万世に照るべき月も雲隠り 永久に照るべき月も、雲に隠れて。これは彦星が自身の心を、眼前の光景に寄せていった形のもので、気分の具象である。心としては、自分らの関係を万世にわたって照る楽しい月とし、それではあるが照り難い時があってというので、「雲隠り」は一年一夜という制限を嘆かわしいものとしていっているのである。○苦しきものぞ 彦星の心の直写。○逢はむと念へど 自由に逢おうと思うのだけれども。
【釈】 万世にわたって照るべき月も、雲に隠れることがあって、苦しいものであるよ。逢おうとは思うのだけれども。
【評】 上の歌に続けての彦星の歌で、これは明らかに椰機つ女に向かっていった形のものである。気分の歌であるために暗示的となり、語にも飛躍がある。自分たちの関係の永遠なのを喜ぶとともに、他面その制約を苦しく思う嘆きである。この歌も広い意味でいっているかのようで、その実狭い意のものである。上の歌とともにすぐれた技巧である。
 
2026 白雲《しらくも》の 五百重隠《いほへがく》りて 遠《とほ》けども 夜《よひ》去《さ》らず見《み》む 妹《いも》があたりは
    白雲 五百遍隱 雖逮 夜不去將見 妹當者
 
【語釈】 ○白雲の五百重隠りて 「五百重」は、幾重にもということを具象的にいったもの。白雲の幾重もの彼方に隠れてで、彦星より見る織女の居場所。○遠けども 後世の遠けれどもにあたる古格。○夜去らず見む 「夜《よひ》去らず」は、夜ごと欠かさずに。
【釈】 白雲の幾重もの彼方に隠れて遠いけれども、夜ごと欠かさずに見よう。妹の住んでいる辺りは。
【評】 彦星の平常の心をいったもの。「白雲の五百重隠りて」が自然なものとなっている点に特色があるが、要するに凡作である。
 
(443)2027 我《わ》が為《ため》と 織女《たなばたつめ》の その屋戸《やど》に 織《お》る白布《しろたへ》は 織《お》りてけむかも
    爲我登 織女之 其屋戸尓 織白布 織弖兼鴨
 
【語釈】 ○我が為と織女の 「我が為と」は、夫の我に着せるための物として。「織女」は、棚機で布を織る女で、職業名。○織りてけむかも 「て」は、完了、「けむ」は、過去の推量で、織り上げたであろうか。
【釈】 我に着せるためとして、織女のその家で織っている白布は、織りあげたであろうか。
【評】 彦星が七日の夜、織女に尋ねた形のものである。地上の生活よりの想像で、夫婦間の話題としては、衣服のことは軽からぬものだったのである。
 
2028 君《きみ》に逢《あ》はず 久《ひさ》しき時《とき》ゆ 織《お》る機《はた》の 白《しろ》たへ衣《ごろも》 垢《あか》づくまでに
    君不相 久時 織服 白栲衣 垢附麻弖尓
 
【語釈】 ○君に逢はず 「君」は、彦星で、君に逢わずにいるで、「ず」は連用形。○久しき時ゆ 『略解』の訓。「ゆ」は、よりで、ここは久しい間を。○織る機の白たへ衣 織る機の白たえの衣はで、この白たえ衣は、上の歌の白布を受けたものと取れる。彦星の衣である。○垢づくまでに 「垢づく」は、よごれる意のもので、体の垢がつくと限らないものと取れる。よごれるほどになったの意で、夫恋しい心から、手につかなかった意。
【釈】 君に逢わずにいる久しい間を、わが織る機の君の白たえの衣は、そのままでよごれるほどに。
【評】 上の彦星の問に対して、織女の答えた歌と取れる。作意は、そのままになっていて、汚れるほどになったといっているのであるが、それは君恋しい心から手につかなかったということを言外に置いていっているのである。「君に逢はず久しき時ゆ」は、機だけのことではなく、むしろ君恋しい心を主としてのことで、「垢づくまでに」と言いさしにしているのも、その照応である。媚態をもっていっているもので、彦星としては咎められない範囲のものであったろう。人麿の想像に浮かぶ織女である。
 
2029 天《あま》の河《がは》 梶《かぢ》の音《おと》聞《きこ》ゆ 彦星《ひこぼし》と 織女《たなばたつめ》と 今夕《こよひ》逢《あ》ふらしも
(444)    天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
 
【語釈】 ○天の河梶の音聞ゆ 天の河に近い所にいる第三者としていっているものである。
【釈】 天の河に梶の音が聞こえる。彦星と織女とは、今夜相逢うのであろうよ。
【評】 天の河に近くいる人で、二星の事情を熟知している人の、七月七日の夜の印象としていっているものである。単純きわまる歌であるが、不思議な魅力をもった歌である。魅力というのは気分と調べが微妙に調和して人に沁み入るものとなっていて、一読、地上にいる者にも、心を澄ますと、ここにいう梶の音が聞こえるような感を起こさせるからである。迎えていうのではなく、この歌にはそうした力があるのである。若い人麿の力の十分に出ている歌である。
 
2030 秋《あき》されば 川《かは》ぞ霧《き》らへる 天《あま》の川《がは》 川《かは》に向《むか》ひ居《ゐ》て 恋《こ》ふる夜《よ》多《おは》し
    秋去者 川霧 天川 河向居而 戀夜多
 
【語釈】 ○秋されば川ぞ霧らへる 「秋されば」は、秋になると。「川ぞ霧らへる」は、諸注、訓がまちまちで、脱字説が多い。『新訓』の訓。「霧らへる」は、霧らいあるの約で、「霧らふ」は「霧《き》る」の連続をあらわす語。「る」は完了の「り」の連体形。霧が立ちつづけている。○恋ふる夜多し 『新訓』の訓。彦星の心。
【釈】 秋になると、川には霧が立ちつづけていることである。その天の川に向かっていて、妹を恋うる夜が多い。
【評】 彦星の歌である。秋になって天の川に川霧が立つと、逢い得られる七日が近づいたと思って、恋が募るという上に立ってのものであるが、しかしこの歌は、こうしたことを背後にやり、感性と気分だけをあらわそうとした歌とみえる。「秋されば川ぞ霧らへる」が一首の基本で、それに続くことは、「川に向ひ居て恋ふる夜多し」で、天の川をおおい籠めている霧そのものによって恋を刺激されているのである。一切が霧のために朧ろになり、なんのけじめも見えないということが恋を募らせるのであって、思念は忘れ去っているのではないが、それよりも霧の与える感じの方がはるかに大きいのである。一首の構成から見て、作意としてはそうしたものであったろうとみえるのである。若い人麿の想像としていっていることで、作意に従うほかはない。味わいのある作である。川という字が三つまであるが、いずれも必要のものにみえる。
 
2031 よしゑやし 直《ただ》ならずとも ぬえ鳥《どり》の うら嘆《な》け居《を》りと 告《つ》げむ子《こ》もがも
(445)    吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨
 
【語釈】 ○よしゑやし直ならずとも 「よしゑやし」は、「よし」に、「ゑやし」の感動を付けたもの。「直ならずとも」は、直接には逢わなかろうともで、七日の夜以前の心。○ぬえ鳥のうら嘆け居りと 「ぬえ鳥の」は、枕詞。「うら嘆け」は、内心に嘆いている。上の(一九九七)に出た。○告げむ子もがも 告げに行く者をほしいことだで、「がも」は、願望の助詞。
【釈】 よしや直接に逢うことはできなかろうとも、わが内心嘆いていることを告げに行く者のほしいことだ。
【評】 七日の夜以前の織女の心を詠んだものである。心を通わすだけの慰めでもほしいというのである。
 
2032 一年《ひととせ》に 七夕《なぬかのよ》のみ 逢《あ》ふ人《ひと》の 恋《こひ》も過ぎねば 夜《よ》は深《ふ》けゆくも
    一年迩 七夕耳 相人之 戀毛不過者 夜深徃久毛
 
【語釈】 ○恋も過ぎねば 尽きないのに。「ねば」は、「ぬに」と同意語。
【釈】 一年の間に、七日の夜だけ逢う人の恋も尽きないのに、夜は更けてゆくよ。
【評】 第三者として、七日の夜の更けてゆくのを隣れむ心である。
 
     一に云ふ、尽《つ》きねば さ夜《よ》ぞ明《あ》けにける
      一云 不盡者 佐宵曾明尓來
 
【解】 別伝で、四句の半ばから異なっているのである。恋も尽きないのに、夜が明けたことであるよで、時刻を変えただけである。憐れみの心とすると、本文のほうが余意があってよい。
 
2033 天《あま》の河《がは》 安《やす》の川原《かはら》に 定《さだ》まりて 神《かみ》の競《きほ》ひは 年《とし》待《ま》たなくに
    天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
 
(446)【語釈】 ○天の河安の川原に 「天の河」は、わが国の神代の高天原にある河としたもの。「安の川原」は、高天原より天孫降臨の際、八百万の神が会議をして、一切の事を定めた所である。安の川のことは、上の(二〇〇〇)にも出た。○定まりて 彦星も織女も高天原の者であるから、一年に一夜だけ逢うを許すということは、その時の会議で定まって。○神の競ひは 諸注、訓が定まらず、じつにさまざまである。「神」は、彦星と織女とをさしての称。神代に高天原にいた人々はすべて神であったから、この称は妥当なものである。「競ひは」は、ここは、八百万の神の定めと、自分たちの限りなく逢いたいと思う心との争いは。○年待たなくに 諸注、訓が定まらない。「年」は原文「磨」。旧訓。年を待たないことであるのに。
【釈】 天の河の安の川原で、七月七日の夜に逢うことが定まって、彦星と織女のその定めと争う心は、年を待たないことであるのに。
【評】 二星の、一年に一夜という定めに従っている心を思いやって、どんなにか苦しく思ってのことだろうと、同情した心である。同情は、「年待たなくに」の余意として、その詠歎の中に籠め、それを重点とした歌である。一年に一夜という制限を、安の川原で八百万の神の立てたもの、二星がそれを守って永久に背かずにいるものという解は、上にも出たが、人麿という人を思わせるものである。しかもそれとともに、そこに起こる苦しみにも深く同情している点も、同じく人麿である。複雑したことを気分を通して捉えていっているので、四句はおのずから難解な趣をもったものとなっている。
 
     この歌一首は、庚辰の年之を作れり。
      此謌一首、庚辰年作之。
 
【解】 「庚辰の年」は、天武天皇の九年と推定される。人麿歌集の中で年代の記されている唯一の例である。奈良遷都に先立つこと三十年で、人麿の死を遷都前後、五十歳ぐらいとの推量からいうと、二十歳頃の作である。多分自注であろう。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
【解】 「右は」は、上の三十八首である。
 
2034 棚機《たなばた》の 五百機《いほはた》立《た》てて 織《お》る布《ぬの》の 秋《あき》さり衣《ごろも》 誰《たれ》か取《と》り見《み》む
(447)    棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 執取見
 
【語釈】 ○棚機の五百機立てて 「棚機」は、織女を棚機つ女という、その意でいっているもの。「五百機立てて」は、「機」は、布を織る機具のこともいい、また、布に織るようにした糸のことをもいう。ここは後のほうである。「立て」は、機具に糸をしかけることの称。多くの機糸を機具にしかけて。○秋さり衣 秋になると着る衣。○誰か取り見む 「取り見む」は、手に取って見るで、着る意。たれが着るだろうか。
【釈】 棚機つ女が多くの機糸を機具にしかけて織る布の、その秋になると着る衣は、たれが用いるのであろうか。
【評】 地上にいて棚機つ女を想像しての歌で、七日ということは問題としていないものである。ここでは織女は伝説の通りに機を織る女で、天上のこととて五百機を織るとし、それはすべて夫の彦星の秋さり衣であるとして、彦星を羨望する心をほのめかしている。人麿の歌とは異なって、天上の落ちついた心をもった主婦型の女となっている。距離をもって興趣的に感じているのである。
 
2035 年《とし》にありて 今《いま》かまくらむ ぬばたまの 夜霧隠《よぎりがく》りに 遠妻《とほづま》の手《て》を
    年有而 今香將卷 烏玉之 夜霧隱 遠妻手乎
 
【語釈】 ○年にありて今かまくらむ 「年にありて」は、一年の内にありてで、一年目というにあたる。用例のある語。「今かまくらむ」は、今枕としているであろうか。○夜霧隠りに 夜霧に隠れて。○遠妻の手を 遠く離れている妻の手を。
【釈】 一年目に、今、枕としているのであろうか。夜霧に隠れて、遠方にいる妻の手を。
【評】 七日の夜、天上の彦星を想像した歌である。「ぬばたまの夜霧障りに」は、その夜目撃した形のものであるが、それが作者の気分にはまって、親しい気分を起こさせたので捉えたものである。喜びの条件をいったもので、喜びそのものではない。
 
2036 吾《わ》が待《ま》ちし 秋《あき》は来《きた》りぬ 妹《いも》と吾《われ》 何事《なにごと》あれぞ 紐《ひも》解《と》かざらむ
    吾待之 秋者來沼 妹与吾 何事在曾 紐不解在牟
 
【語釈】 ○秋は来りぬ 「秋」は、七月七日を広く言いかえたもの。○何事あれぞ紐解かざらむ 「何事あれぞ」は、「何事あればぞ」で、何事が(448)あったらで、疑問の条件法である。未然形でいうべきを已然形でいっているもの。「紐解かざらむ」は、紐を解いて共寝をしないでやもうかで、強い、反語に近い言い方。
【釈】 わが待っていた秋が来た。妹とわれと、何事があったら、紐を解いて共寝をせずにやもうか。
【評】 彦星の心を想像しての歌である。強さがあるが、これは自身の地上の心を移入してのものである。
 
2037 年《とし》の恋《こひ》 今夜《こよひ》尽《つく》して 明日《あす》よりは 常《つね》の如《ごと》くや 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ
    年之戀 今夜盡而 明日從者 如常哉 吾戀居牟
 
【語釈】 ○年の恋今夜尽して 「年の恋」は、一年間の恋。「今夜尽して」は、七日の夜に晴らして。○常の如くや 「常」は、平常、「や」は疑問の係。
【釈】 一年間の恋を今夜晴らして、明日からは平常のようにわれは恋うて居ることであろうか。
【評】 七月七日の夜、彦星が織女と逢っている時、織女に対して訴えた形のものである。嘆きの言い方がおおらかで、外部的であるのは、そうした言い方が趣があるとしてのことであろう。
 
2038 逢《あ》はなくは け長《なが》きものを 天河《あまのがは》 隔《へだ》てて又《また》や 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ
    不合者 氣長物乎 天漢 隔又哉 吾戀將居
 
【語釈】 ○逢はなくはけ長きものを 「逢はなくは」は、逢わないことは。「け長きものを」は、時久しい気がするのにで、過ぎた一年間をいったもの。○隔てて又や 「又」は、また同じように。「や」は疑問の係。
【釈】 逢わないことは、時久しい気がするに、天の河を隔ててまた同じようにわれは恋うているのであろうか。
【評】 前の歌と同じ場合を想像してのもので、彦星の織女に対しての訴えである。題材によりかかっている態度の歌である。
 
2039 恋《こひ》しけく 気長《けなが》きものを 逢《あ》ふべくある 夕《よひ》だに君《きみ》が 来《き》まさざるらむ
(449)    戀家口 氣長物乎 可合有 夕谷君之 不來益有良武
 
【語釈】 ○恋しけく 形容詞「恋しけ」に「く」を接しての名詞。○逢ふべくある夕だに君が 「逢ふべくある」は、逢うことを許されている。「夕だに」は、七日の夜でも。○来まさざるらむ 「来ます」は、来るの敬語。いらせられないのであろうか。
【釈】 恋しいことは、時久しく思われることだのに、逢うことを許されている夜でも、君がいらせられないのであろうか。
【評】 七日の夜、織女が、彦星の来ることの遅いのを恨んでの心である。この歌では織女は、理屈まじりに愚痴をいう、地上の女の延長となっている。
 
2040 牽牛《ひこぼし》と 織女《たなばたつめ》と 今夜《こよひ》逢《あ》ふ 天河門《あまのかはと》に 波《なみ》立《た》つなゆめ
    牽牛 与織女 今夜相 天漢門尓 波立勿謹
 
【語釈】 ○天の河門に 「河門」は、河の流れが門のように狭くなっている所の称で、船で渡るに便利な地形。○波立つなゆめ 「ゆめ」は、強い禁止。安全に船を渡せよの意。
【釈】 彦星と織女と今夜逢う、その天の河の河門には、波よ、けっして立つな。
【評】 地上の人の、七日の夜の天上を想像して、二星の歓会を祝う心である。古風な快い歌である。
 
2041 秋風《あきかぜ》の 吹《ふ》きただよはす 白雲《しらくも》は 織女《たなはたつめ》の 天《あま》つ領巾《ひれ》かも
    秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳
 
【語釈】 ○天つ領巾かも 「天つ」は、天ので、天上の織女の物として添えたもの。「領巾」は、しばしば出た。女の装飾とした布で、頸にかけて、前方に二つにして垂らしていたもの。本来は呪力をもった、護身用のものだったとみえるが、後には礼装の一つとなり、装飾となった物。ここは装飾の意でいっているもの。「かも」は、疑問に詠歎の添ったもの。
【釈】 秋風が吹き漂わしている白雲は、織女の天の領巾であろうか。
【評】 七夕の前後、秋風に吹き漂わされている細くちぎれた白雲を見ての連想である。この織女は漢土の伝説そのままのもの(450)であり、また雲の連想も漢土的である。一方、美しく興趣的なところは奈良朝の気分である。奈良朝の歌風のあらわれている歌である。
 
2042 屡《しばしば》も 逢《あ》ひ見《み》ぬ君《きみ》を 天《あま》の河《がは》 舟出《ふなで》速《はや》せよ 夜《よ》の深《ふ》けぬ間《ま》に
    數裳 相不見君矣 天漢 舟出速爲 夜不深間
 
【語釈】 ○屡も逢ひ見ぬ君を 度々は逢わない君なのに。「君」は、織女より彦星を指してのもの。○舟出速せよ 「舟出」は、織女のもとへ来るためのことで、対岸の彦星への命令。
【釈】 たびたびは逢わない君だのに、天の河の舟出を速やかになさい。夜の更けないうちに。
【評】 七日の夜、彦星を待つ織女の心を詠んだもので、織女が対岸の彦星に早く舟出をせよと促しているのである。情熱的な織女が想像されている。
 
2043 秋風《あきかぜ》の 清《きよ》き夕《ゆふべ》に 天《あま》の河《がは》 舟《ふね》こぎ渡《わた》る 月人壮子《つきひとをとこ》
    秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人壯子
 
【語釈】 ○天の河舟こぎ渡る 「舟」は、弦月の形が、当時の小さい舟に似ているところから、月を譬えていったもの。「こぎ渡る」は、上を承けて、弦月が天の河を横ぎつて移る形を譬えたもの。「渡る」は終止形とも、連体形とも取れるが、ここは終止形。舟と月人とは同じものだから、一応切れていると取れる。○月人壮子 月を若い男に譬えたもの。(二〇一〇)に既出。下に詠歎がある。
【釈】 秋風の清い夕べに、天の河を舟でこぎ渡っている。月人壮子は。
【評】 上の(二〇一〇)の「夕星《ゆふづつ》も」と同じく、これは月の歌である。「天の河」を重く扱っているところから見て、七夕の宴などで詠んだ歌で、その関係からここに入れてあったのであろう。
 
2044 天《あま》の河《がは》 霧《きり》立《た》ち渡《わた》り 牽牛《ひこぼし》の 楫《かぢ》の音《おと》聞《きこ》ゆ 夜《よ》の深《ふ》けゆけば
(451)    天漢 霧立度 牽牛之 ※[楫+戈]音所聞 夜深徃
 
【語釈】 ○霧立ち渡り 「霧」は、下の楫を使うために立つ飛沫である。
【釈】 天の河に霧が立ち渡って、彦星の使う楫の音が聞こえる。夜が更けてゆくと。
【評】 七日の夜の夜更けに、天上を仰いで天の河に霧のかかったのを見て、彦星の船の楫からのものと思うと、それよりの連想で楫の音が聞こえるというのである。上の人麿の歌集の(二〇二九)では、「天の河楫の音聞ゆ」と、直覚的に、何の経路も経ずして聞こえたのであるが、この歌では細心の用意をしての上のこととなっている。時代の推移と、作者の人柄とより来ることである。
 
2045 君《きみ》が舟《ふね》 今《いま》こぎ来《く》らし 天《あま》の河《がは》 霧《きり》立《た》ち渡《わた》る この川《かは》の瀬《せ》に
    君舟 今滂來良之 天漢 霧立度 此川瀬
 
【語釈】 ○君が舟今こぎ来らし 「君が舟」は、織女が彦星の舟をさしたもの。「来らし」は、下の「霧」を証としての推量。○この川の瀬に 「この」は、織女の眼前の川の瀬で、「天の河」の繰り返し。
【釈】 わが君の舟は、今こいで来るのであろう。天の河に霧が立ち続いている。この天の河の川瀬に。
【評】 七日の夜、彦星を迎えようとし、天の河の河べに立っている織女の心である。「こぎ来らし」「霧立ち渡る」といって、舟は見えないものにしているのは、意識しての技巧であろう。
 
2046 秋風《あきかぜ》に 河浪《かはなみ》立《た》ちぬ しましくは 八十《やそ》の舟津《ふなつ》に み舟《ふね》とどめよ
    秋風尓 河浪起 ※[斬/足] 八十舟津 三舟停
 
【語釈】 ○しましくは しばらくの古形。原文「※[斬/足]」は「暫」と通用する文字。○八十の舟津に 「八十」は、多くということを具象的にいったもので、用例の少なくないもの。「舟津」は、舟の発着する所で、安全な場所。○み舟とどめよ 「み舟」は、織女より彦星の舟を尊んでいったもの。「とどめよ」は、危険を避けよとの命令。
(452)【釈】 秋風で河浪が立った。しばらくの間は、多くある津に君がみ舟をおとめなさい。
【評】 これも織女が天の河の岸に立って彦星の舟の着くのを待つ心である。「八十の舟津」は大陸的で、わが国で想像される河の趣ではない。二星を中国の伝説とし、中国の地形に絡ませたものである。人麿歌集の歌は国家的の立場から、七夕伝説を日本化したが、奈良朝では反対に、中国へ引戻すことに興味を持ったのである。文芸的の見地からである。奈良朝趣味の作である。
 
2047 天《あま》の河《がは》 河音《かはと》清《さや》けし 牽牛《ひこぼし》の 秋《あき》こぐ船《ふね》の 浪《なみ》のさわきか
    天漢 河聲清之 牽牛之 秋滂船之 浪※[足+參]香
 
【語釈】 ○河音清けし さやかに、はっきり聞こえる。○秋こぐ船の 「秋」は、七月七日の夜をわざと広く言いかえたもの。○浪のさわきか 船の立てる浪の騒ぐ音なのかで、「清けし」の説明。
【釈】 天の河の水音がさやかだ。彦星が秋に、漕ぐ船の立てる浪の騒ぎなのか。
【評】 「川音清けし」を事実としていい、「浪のさわきか」と疑問を添えて説明していて、構成は合理的であるが、一方捉え方も、語の続けも大げさで、結果から見ると纏まった気分も印象も与えない歌となっている。漢詩の手法を模倣したものとみえる。奈良朝に見られる一つの風である。
 
2048 天《あま》の河《がは》 河門《かはと》に立《た》ちて 吾《わ》が恋《こ》ひし 君《きみ》来《き》ますなり 紐《ひも》解《と》き待《ま》たむ
    天漢 河門立 吾戀之 君來奈里 紐解待
 
【語釈】 ○河門に立ちて 舟着き場に立って。○紐解き待たむ 「紐」は、下紐で、帯を解いて待とうというにあたる。
【釈】 天の河の舟着き場に立って、わが恋うていた君がいらせられることだ。下紐を解いて待とう。
【評】 巻八(一五一八)山上憶良の、「養老八年七月七日、令に応ず」と注のある、「天の河相向き立ちて吾が恋ひし君来ますなり紐解き設けな」と同じ歌で、いささかの流動の跡を示しているものである。平明と露骨を喜ぶ宴席などで誰かが謡ったのであろう。
 
(453)     一に云ふ、天の河 川に向き立ち
      一云、 天河 川向立
 
【解】 このほうが拙い。
 
2049 天《あま》の河《がは》 河門《かはと》に座《を》りて 年月《としつき》を 恋《こ》ひ来《こ》し君《きみ》に 今夜《こよひ》逢《あ》へるかも
    天漢 河門座而 年月 戀來君 今夜會可母
 
【語釈】 ○年月を恋ひ来し君に 「年月を」は、長い間をで、一年間を。「君」は、彦星。
【釈】 天の河の舟着き場に居て、一年間をわが恋うて来た君に、今夜は逢ったことであるよ。
【評】 織女の喜びを直写したものである。「河門に座りて年月を」と平明な語の強化が目立つ歌である。
 
2050 明日《あす》よりは 吾《わ》が玉床《たまどこ》を 打払《うちはら》ひ 君《きみ》と宿《い》ねずて 独《ひとり》かも寐む
    明日從者 吾玉床乎 打拂 公常不宿 孤可母寐
 
【語釈】 ○明日よりは 七日の夜にいっているもの。○吾が玉床を打払ひ 「玉床」の「玉」は美称。「床」は、共寝をした床で、それ故に尊んでいったもの。「打払ひ」は、床の塵を払う意で、浄めて大切にすること。○独かも寐む 「かも」は、疑問の係で、詠歎をもったもの。
【釈】 明日からは、わが玉床の塵を払って、君と共寝をせずに、独で寝ることであろうか。
【評】 七日の夜明け、彦星と別れる時に織女が訴えた形の歌である。夫の寝る床を浄めて大切にすることは上代からの風で、後世にも守られていたことである。「吾が玉床」は、共寝の床の意で、巧みである。地上の夫婦間のさまを、さながらに天上に移したものである。
 
2051 天《あま》の原《はら》 往《ゆ》きてを射《い》むと 白檀弓《しらまゆみ》 ひきて隠《かく》せり 月人壮子《つきひとをとこ》
(454)    天原 徃射跡 白檀 挽而隱在 月人壯士
 
【語釈】 ○天の原往きてを射むと 「天の原」は、天の原に。「往きてを射むと」は、諸注、訓がさまざまである。「新訓」の訓。「を」は感動の助詞。往つて射ようとて。○白檀弓 壇を材とした弓で、塗ってない物。○ひきて隠せり 「ひきて」は、弓を射ようとして引き絞って。「隠せり」は、隱している。初句よりこれまでは、弦月が、低く出て、雲に隠れ、そして空高く登ろうとしている状態の譬喩である。○月人壮子 月の異名で、上の白檀弓の言いかえ。
【釈】 天の原へ往つて射ようとて、白檀弓を引き絞って、隠している。月人壮子は。
【評】 弦月の歌である。秋の夜弦月の澄んだ色をして低く山上などに現われたのが、おりからの薄雲に蔽われたのを、月人壮子の白檀弓と見、空へ登って何か射ようとしているのだと見たのである。三日月を白檀弓に譬えた歌は、巻三(二八九)間人大浦にあるが、これはさらに細かく動き添えたもので、興味的なものである。平面的で、深みのないものであるが、その範囲では巧緻な歌である。七夕には関係のない歌である。
 
2052 この夕《ゆふべ》 零《ふ》り来《く》る雨《あめ》は 彦星《ひこぼし》の 早《はや》こぐ船《ふね》の 櫂《かい》の散沫《ちり》かも
    此夕 零來雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨
 
【語釈】 ○この夕 七日の夜。○早こぐ船の 急いでこぐ船の。○櫂の散沫かも 櫂の立てる水の飛沫であろうか。
【釈】 この七日の夜を降って来る雨は、彦星が天の河を急いでこぐ櫂の飛沫なのであろうか。
【評】 七日の夜をいささかこぼれて来る雨に対しての連想である。自然な、親しい、美しい連想である。伊勢物語の「我が上に露ぞ置くなる天の川と渡る船の櫂の雫か」は、これから出たものである。
 
2053 天《あま》の河《がは》 八十瀬《やそせ》霧《き》らへり 彦星《ひこぼし》の 時《とき》待《ま》つ船《ふね》は 今《いま》しこぐらし
    天漢 八十瀬霧合 男星之 時待船 今滂良之
 
【語釈】 ○八十瀬霧らへり 「八十瀬」は、多くの瀬々。「霧らへり」は、霧が立ち籠めている。○時待つ船は 逢いうる時、すなわち七月七日を待っている船は。○今しこぐらし 「今し」は、『略解』の訓。「し」は強意の助詞。「らし」は、上の「霧らへり」を証としての推量。
(455)【釈】 天の河の多くの瀬々に霧が立ち籠めている。彦星の、逢いうる時、すなわち七月七日の夜を待っている船は、今こいでいるのであろう。
【評】 七日の夜、天の河に全面的にかかって来た薄雲に対しての連想で、その薄雲を彦星の船の水けむりであろうと思つたものである。「八十瀬」は大げさな言い方であるが、語の興味で用いたのであろう。いかようにも言いかえうる場合だからである。
 
2054 風《かぜ》吹《ふ》きて 河浪《かはなみ》立《た》ちぬ 引船《ひきふね》に 渡《わた》りも来《き》ませ 夜《よ》のふけぬ間《ま》に
    風吹而 河浪起 引般丹 度裳來 夜不降間尓
 
【語釈】 ○引船に渡りも来ませ 「引船」は、船に綱を付け、陸上から引き寄せる船の称で、それだと安全である。「渡りも」の「も」は、詠歎。「来ませ」は、来よの敬語で、織女の彦星に対してのもの。
【釈】 風が吹いて、河浪が立って来た。引船で渡って入らせられませ。夜の更けないうちに。
【評】 織女の心となって詠んだものである。「風吹きて河浪立ちぬ」も、「引船」も、地上の河からの連想であるが、この場合新味のあるものである。
 
2055 天《あま》の河《がは》 遠《とほ》き渡《わたり》は 無《な》けれども 公《きみ》が舟出《ふなで》は 年《とし》にこそ待て
    天河 遠渡者 無友 公之舟出者 年尓社候
 
【語釈】 ○遠き渡は無けれども 「渡」は、渡り場で、「遠き渡」は、長い渡り場。天の河の河幅は広くないけれども。○年にこそ待て 「年に」は、一年にわたって。
【釈】 天の河は、長い渡り場はないけれども、公の舟出は、一年にわたって待っている。
【評】 織女の嘆きをいったものである。渡りやすい河を渡れないのは、一年一夜という掟があるためであるのをいっているのであるが、掟に対しての苦しみには触れず、ただすなおにしたがって、嘆いている心である。伝説が末期的に無力なものになっていたと思われる。
 
(456)2056 天《あま》の河《がは》 打橋《うちはし》渡《わた》し 妹《いも》が家道《いへぢ》 止《や》まず通《かよ》はむ 時《とき》待《ま》たずとも
    天漢 打橋度 妹之家道 不止通 時不待友
 
【語釈】 ○打橋渡し 「打橋」は、板を渡す橋で、自由に架け外しの出来る橋。天の河を小さい河としてのもの。○妹が家道 「家道」は、家に行く道。○時待たずとも 「時」は、逢いうる時で、七月七日の夜。
【釈】 天の河に打橋を渡して、妹の家への道を絶えず通おう。逢うを許されている七月七日の夜を待たないでも。
【評】 これは彦星の心である。掟に対して反逆を企てるという強い心のものではなく、掟というものを半ば忘れて、その力を認めないごとき安易な心である。恋の上でのことではあるが、奈良朝時代の生活気分にあるつながりをもっての心といえよう、人麿の掟を重んじた心に較べると、格段の相違である。
 
2057 月《つき》累《かさ》ね 吾《わ》が思《おも》ふ妹《いも》に 逢《あ》へる夜《よ》は 今《いま》し七夜《ななよ》を 続《つ》ぎこせぬかも
    月累 吾思妹 會夜者 今之七夕 續巨勢奴鴨
 
【語釈】 ○月累ね 一年ということを、感を強くしようとして言いかえたもの。○逢へる夜は 逢っている七日の夜は。○今し七夜を 「今」は、さらに。「し」は、強意。「七夜」は、多くの夜で、幾夜も。○続ぎこせぬかも 続いてくれないのかなあで、続いてくれよの意。「こせぬかも」は、巻二(一一九)以下しばしば出た。
【釈】 月を累ねてわが思っている妹に逢っている今夜は、さらに幾夜も続いてはくれぬものか、続いてくれよ。
【評】 彦星の相対している織女に訴えた形のものである。類想の多いものである。これも二星の特別の恋を普通の男女とほとんど異ならないものにしている。「七夜」が七夕の縁語になっている。
 
2058 年《とし》に艤《よそ》ふ 吾《わ》が舟《ふね》こがむ 天《あま》の河《がは》 風《かぜ》は吹《ふ》くとも 浪《なみ》立《た》つなゆめ
    年丹裝 吾舟滂 天河 風者吹友 浪立勿忌
 
(457)【語釈】 ○年に艤ふ吾が舟こがむ 一年目に装いをするわが舟をこごう。○風は吹くとも浪立つなゆめ 風は吹こうとも、波はけっして立つなと命じたもので、浪もわが心を汲めの意。
【釈】 一年目に装いをするわが舟をこごう。天の河は、たとえ風は吹こうとも、浪は立つな、けっして。
【評】 七日の夜、舟をこぎ出そうとする際の彦星の心で、祈りに近い心をもっているものである。「風は吹くとも浪立つなゆめ」がすなわちそれであるが、矛盾したことを対照させている技巧が、祈りの心を消している。奈良朝的である。
 
2059 天《あま》の河《がは》 浪《なみ》は立《た》つとも 吾《わ》が舟《ふね》は いざこぎ出《い》でむ 夜《よ》の深《ふ》けぬ間《ま》に
    天河 浪者立友 吾舟者 率滂出 夜之不深間尓
 
【語釈】 ○浪は立つとも たとえ浪は立とうともと推量したもの。秋の夜の習いとして、夜となると風が吹き浪が立つのをありがちなこととしての推量である。○いざこぎ出でむ 「いざ」は、ここは、我と我を励ましているもの。
【釈】 天の河にたとえ浪は立とうとも、わが舟は、いざこぎ出そう。夜の更けないうちに。
【評】 前の歌と連作の形をもったものである。形も調べも平坦にすぎて、心躍りがあらわれて来ない。
 
2060 直《ただ》今夜《こよひ》 逢《あ》ひたる児《こ》らに 言問《ことと》ひも いまだせずして さ夜《よ》ぞ明《あ》けにける
    直今夜 相有兒等尓 事問母 未爲而 左夜曾明二來
 
【語釈】 ○直今夜逢ひたる児らに 「直」は、まさにというにあたる副詞。「今夜」は、七日の夜。「逢ひたる児らに」は、「児」は、織女に対する愛称。「ら」は、接尾語。○言問ひもいまだせずして 「言問ひ」は、ものをいうこと。ここは、しみじみとした話。○さ夜ぞ明けにける 「さ」は、接頭語。「ける」は、「ぞ」の結、連体形。嘆きを籠めてのもの。
【釈】 まさに今夜逢った、かわゆい妻に、物言いもまだしなくているのに、早くも夜の明けたことであるよ。
【評】 早くして逢い得たのに、物言いをする間もなく別れねばならぬ悲しみをいっているもので、七夕の歌には適切でない想像である。しかし一首の歌として見ると、空想では得やすくない熱意をもったものである。作者の体験を天上に移そうとして、移しかねたものであろう。「直今夜逢ひたる児らに」と言い出している初二句は、特にそれを思わせる。
 
(458)2061 天《あま》の河《がは》 白浪《しらなみ》高《たか》し 吾《わ》が恋《こ》ふる 公《きみ》が舟出《ふなで》は 今《いま》し為《す》らしも
    天河 白浪高 吾戀 公之舟出者 今爲下
 
【語釈】 ○天の河白浪高し 織女の目より見た光景。○今し為らしも 「らし」は、証を挙げての推量となっているが、この歌には証にあたるものがない。このように用いられるようになったのである。
【釈】 天の河に白浪が高い。あれは、わが恋うている公が舟出を、今するのであろう。
【評】 七日の夜、織女の彦星を思っての不安で、連想の多い平凡な歌である。
 
2062 機《はたもの》の ※[足+搨の旁]木《ふみき》持《も》ち行《ゆ》きて 天《あま》の河《がは》 打橋《うちはし》渡《わた》す 公《きみ》が来《こ》む為《ため》
    機 ※[足+搨の旁]木持徃而 天漢 打橋度 公之來爲
 
【語釈】 ○機の※[足+搨の旁]木持ち行きて 「機」は、機具で、機織り機械。「※[足+搨の旁]木」は、足で踏むようになっている板で、それを踏むと、経糸に緯糸を織り込む動力が起こるのである。狭い板である。○天の河打橋渡す 「打橋」は、架け外ずしをする橋。天の河に打橋を架ける。
【釈】 機具の※[足+搨の旁]木を持って行って、天の河に打橋を架ける。公が渡って来るために。
【評】 機の※[足+搨の旁]木は、狭い、丈の短い板で、それが打橋になる天の河は、たやすく跨ぎ越せる溝川程度のものとなる。想像の世界のことではあるが、これでは打橋の要もないのである。明らかに戯咲歌の範囲のものである。宴歌として、笑いを目標に詠んだものであろう。ここでは七夕伝説は、すでに童話とされている。
 
2063 天《あま》の河《がは》 霧《きり》立《た》ち上《のぼ》る 棚機《たなばた》の 雲《くも》の衣《ころも》の 飄《かへ》る袖《そで》かも
    天漢 霧立上 棚幡乃 雲衣能 飄袖鴨
 
【語釈】 ○霧立ち上る 地上より天の河に雲がかかって来るのをいったもの。○雲の衣の飄る袖かも 「雲の衣」は、織女を神女として、仙女の連想からいったもの。「雲衣」は初唐詩にいくつか用例のある語で、その翻訳であろうと小島憲之氏は言っている。「飄る」は、翻る意。「か」は、(459)疑問。
【釈】 天の河に河霧が立ちのぼる。あれは神女である織女の、雲の衣の翻る袖なのであろうか。
【評】 天の河にかかって来た雲を仰いで、その雲を織女の柚かと思った心である。この織女は人間を超えた神女となっている。雲を河の関係から霧とし、その動きを霧の湧くこととし、さらに神女に関係させて、衣の中でも翻りうる袖としたのは、合理的に心を細かく働かせたのである。神仙を重んじた点と、漢詩風のこの言い方とに、奈良朝の風がある。
 
2064 いにしへに 織《お》りてし機《はた》を この暮《ゆふべ》 衣《ころも》に縫《ぬ》ひて 君《きみ》待《ま》つ吾《われ》を
    古 織義之八多乎 此暮 衣縫而 君待吾乎
 
【語釈】 ○いにしへに織りてし機を 「いにしへ」は、往きにし方で、広く過去をさす語。ここは以前にというにあたる。「織りてし機」は、織ってあった布で、「て」は、完了。原文「義之」を「てし」と訓むことは巻三(三九四)に既出。○君待つ吾を 「を」は、問投の助詞で、「ぞ」に近い。
【釈】 以前に織り上げてあった織物を、この夕方衣に縫って、君を待っている吾である。
【評】 この織女は、地上の心まめやかな妻となっている。夫の衣の世話をするのは妻としての責任で、重いものであった。「この暮衣に縫ひて」は初二句とともに、地上の主婦を思わせるものである。この織女は、主婦としての矜りを見せている。
 
2065 足玉《あしだま》も 手玉《ただま》もゆらに 織《お》る機《はた》を 公《きみ》が御衣《みけし》に 縫《ぬ》ひあへむかも
    足玉母 手珠毛由良尓 織旗乎 公之御衣尓 縫將堪可聞
 
【語釈】 ○足玉も手玉もゆらに 「足玉」は、緒に貫いた玉の、足に巻きつけてある物の称。「手玉」は、同じく手のもの。これは上代、身分のある女のしていた風俗である。「ゆらに」は、揺れる形容。○公が御衣に縫ひあへむかも 「公」は、彦星。「御衣」は、「御」は、美称。「衣」は、着るの古語「け」の敬語「けす」の名詞形で、お召し物というにあたる。「縫ひあへむかも」の「あへ」は、可能の意で、縫いおおせられようで、「か」は、疑問。縫いおおせられようか。
【釈】 足玉も手玉もゆらゆらと、わが織っているこの織物を、君のお召し物に縫いおおせられようか。
(460)【評】 この歌で想像されている織女は、上代の身分高い女である。妻が夫の衣を自身で織り、縫うということは、上代よりずっと続いていることで、織女は今、足玉手玉を揺らめかしつつ機を織っており、心の中で、これを七月七日夫の来られる時までに、縫い上げられようかと、いささか不安を感じている心である。心は地上の家刀自と異ならないのである。貴族的な華麗な生活振りで、おおらかではあるが、心敏い織女を思い浮かべての歌である。材料の扱い方も、詠み方も心利いた歌である。
 
2066 月日《つきひ》択《え》り 逢《あ》ひてしあれば 別《わか》れむの 惜《を》しかる君《きみ》は 明日《あす》さへもがも
    擇月日 逢義之有者 別乃 惜有君者 明日副裳欲得
 
【語釈】 ○月日択り逢ひてしあれば 「月日択り」は、七月七日を選んで。「逢ひてしあれば」は、「て」は、完了。「あれば」は、現に逢っているので。その日を二星の自由意志から選んだものとしていったもの。○別れむの惜しかる君は 「別れむの」は、『代匠記』は「別れの」と訓んでいるが、『全註釈』は、三句の四音は古歌に例が少ないからと、今のごとく訓んでいる。巻十四(三五〇七)「絶えむの心我が思はなくに」を用例としてである。これに従う。○明日さへもがも 明日までも居てほしい。
【釈】 月日を選んで逢っている今宵なので、別れることの惜しい君は、明日までも居ってほしい。
【評】 織女の七日の夜の訴えである。「月日択り」といっているので、いかなる訴えもできる訳である。伝説の本質は、個性的に、享楽気分を重んじる奈良朝時代に、早くも忘れられたのである。
 
2067 天《あま》の河《がは》 渡瀬《わたりせ》ふかみ 船《ふね》泛《う》けて こぎ来《く》る君《きみ》が ※[楫+戈]《かぢ》の音《おと》聞《きこ》ゆ
    天漢 渡瀬深弥 泛船而 棹來君之 ※[楫+戈]音所聞
 
【語釈】 ○渡瀬ふかみ 「渡瀬」は、徒渉して渡る瀬で、そこが今日は水が深いので。
【釈】 天の河の徒渉すべき瀬が水が深いので、船を泛《うか》べてこいで来る君の艪の音が聞こえる。
【評】 織女が七日の夜、天の河を近づいて来る彦星の艪の音に耳を澄ましている心である。捉え方が外面的で、日常の些事をいっているようである。
 
(461)2068 天《あま》の原《はら》 振《ふ》り放《さ》け見《み》れば 天《あま》の河《がは》 霧《きり》立《た》ち渡《わた》る 公《きみ》は来《き》ぬらし
    天原 振放見者 天漢 霧立渡 公者來良志
 
【語釈】 ○天の原振り放け見れば 天の原を身を反らして見るとで、地上から仰ぎ見る心。○霧立ち渡る 「霧」は、船の立てる水けむりで、しばしば出た。○公は来ぬらし 「公」は三人称としての敬称。「ぬ」は、完了で、君は来たらしい。
【釈】 天の原を身を反らして望むと、天の河には霧が立ち続いている。彦星の君の船が来たらしい。
【評】 地上より天の河を仰いでの推量と思われる。「公は来ぬらし」の推量は、織女の心と見ると、この句としては妥当であるが、初句より四句までの描写は、地上より見た光景としなければいかにも不自然であり、また結句の「らし」も、上を承けてのものであるから、地上よりの推量と見るほうが一首としては比較的妥当である。作意はそれであろう。類想の多いもので、詠み方も拙い。
 
2069 天《あま》の河《がは》 瀬毎《せごと》に幣《ぬさ》を 奉《たてまつ》る こころは君《きみ》を 幸《さき》く来《き》ませと
    天漢 瀬毎幣 奉 情者君乎 幸來座跡
 
【語釈】 ○瀬毎に幣を奉る 「瀬」は、上に出た渡瀬で、徒渉する浅瀬で、その瀬ごとに、天の河は河幅が広く、河原と渡瀬とが交互に連続していると想像してである。「幣を奉る」は、「幣」は、土地の神に祈りをする際捧げる麻布など。「奉る」は、それを捧げることが祭なのである。○こころは君を幸く来ませと 「こころ」は、祭をする心。「君を」は、彦星を。「幸く来ませと」は、土地の神の祟りなく、無事に来ませと思ってであるの意。
【釈】 天の河の渡瀬ごとに、我はその瀬の神に幣を奉って祭をする。その心は、君を無事にいらっしゃいと思ってである。
【評】 織女の歌である。地上では、境を異にした地に入るごとに、その地の神を祭って通行するので、これはそれを天の河に移し、織女が彦星に代わってするのである。夫婦としてのあわれのある歌である。
 
2070 久堅《ひさかた》の 天《あま》の河津《かはつ》に 舟《ふね》泛《う》けて 君《きみ》待《ま》つ夜《よ》らは 明《あ》けずもあらぬか
(462)    久堅之 天河津尓 舟泛而 君待夜等者 不明毛有寐鹿
 
【語釈】 ○天の河津に 「天の河津」は、天の河の河津で、舟着き場である。○舟泛けて 織女が舟で迎えに出ているのである。○君待つ夜らは 「夜ら」の「ら」は、接尾語。君の来るのを待っているこの夜はで、七月七日の夜。○明けずもあらぬか 明けずにはいてくれぬものか、いてくれよで、「あらぬか」の「ぬか」は願望をあらわす。巻二(一一九)、上の(二〇五七)などに既出。
【釈】 天の河の舟着き場に舟を泛《うか》べて、君の来るのを待っているこの夜は、明けずにはいてくれぬものか、いてくれよ。
【評】 織女が彦星を、その舟の着く天の河の舟着き場に舟を泛べて迎えに出て待っても来ないので、今夜は夜が明けずにいてくれぬかと焦躁の気分を詠もうとしているものであるが、事を尽くしていっているため、調べに、気分化せず、訴える力の足りない歌となっている。
 
2071 天《あま》の河《がは》 なづさひ渡《わた》り 君《きみ》が手《て》も いまだ枕《ま》かねば 夜《よ》の深《ふ》けぬらく
    天河 足沾渡 君之手毛 未枕者 夜之深去良久
 
【語釈】 ○なづさひ渡り 原文「足沾渡」。『代匠記』は「足ぬれ渡り」、『略解』は、「あぬらし渡り」であるが、『全註釈』は今のごとくに訓んでいる。巻十一(二四九二)「にほ鳥の足沾来《ナズサヒコシヲ》人見けむかも」の「足沾」の訓につき、巻十二(二九四七)「念ふにし余りにしかば」の左注として、「柿本人麿歌集に云ふ、にほ鳥のなづさひ来しを人見けむかも」といい、「足沾」の仮名書きを示しているのによってである。前後に調和する訓である。意は、足を沾《ぬ》らして渡って。○君が手もいまだ枕かねば 「君」は、彦星より織女をさしたもの。大体奈良時代に入っての称。「枕かねば」は、枕としないのに。○夜の深けぬらく 「深けぬらく」は、「深けぬ」の名詞形。感を強めるためのこと。
【釈】 天の河を足を沾らして渡って、まだ妹が手を枕として寝ないのに、夜の更けたことよ。
【評】 この歌は、彦星が織女と逢って、途中の労苦を訴え、兼ねて逢っていられる時の短さを嘆いたものである。「天の河」を地上の河の名に代えると、ただちに地上の恋となるものである。こうした場合の歌とすると複雑味のあるものである。
 
2072 渡守《わたりもり》 船《ふね》渡《わた》せをと 呼《よ》ぶ声《こゑ》の 至《いた》らねばかも 梶《かぢ》の音《おと》のせぬ
    渡守 船度世乎跡 呼音之 不至者疑 梶聲之不爲
 
(463)【語釈】 ○渡守船渡せをと 「渡守」は、渡《わたし》を守《も》る者の称。この渡は船によるもので、後世の渡守《わたしもり》である。呼びかけで、呼ぶのは彦星。「を」は詠歎の助詞で、「よ」と同じ。○呼ぶ声の至らねばかも 「至らねばかも」は、渡守《わたしもり》に届かないのであろうかで、「か」は、疑問の係。
【釈】 渡守よ、船を渡せよと呼ぶ声が届かないのであろうか、梶の音の聞こえぬことよ。
【評】 この天の河は渡し船で渡れるものであり、渡守もいるものとして想像されている。「至らねばかも」は、河の浪音に紛れて渡守の耳に入らぬとしているのである。巻七(一一三八)「うぢ河を船渡せをと喚《よ》ばへども聞えざるらし※[楫+戈]《かぢ》の音もせず」があり、その状態が酷似している。多分宇治河を天の河に移したのであろう。
 
2073 まけ長《なが》く 河《かは》に向《む》き立《た》ち 在《あ》りし袖《そで》 今夜《こよひ》纏《ま》かむと 念《おも》はくがよさ
    眞氣長 河向立 有之袖 今夜卷跡 念之吉沙
 
【語釈】 ○まけ長く河に向き立ち在りし袖 「まけ長く」は、「ま」は、接頭語。「け」は、時で、時長く。久しい時日を。「河に向き立ち」は、天の河に向かって立ちで、これは織女が彦星を恋うてのこと。「在りし」は、居た人の袖で、袖で織女を暗示したもの。○今夜纏かむと念はくがよさ 「今夜」は、七日の夜。「纏かむと」は、枕としようとするで、袖を纏くとは、手を枕とすること。「念はくがよさ」は、旧訓「おもへるがよさ」。「念はく」は、原文「念」。「思ふ」の名詞形で、「恋」を「恋ふらく」と訓むと同例である。「よさ」は、よくあることよ。
【釈】 久しい間を我を恋うて河に向かって立っていた人の袖を、今夜枕としようと思うことのよくあることよ。
【評】 七月七日の夜、織女に逢いに行こうとする時の彦星の心である。彦星に、事象として言うという従来の型から離れ、一に気分としていわせようとしているのである。すなわち事象の気分化という新法である。それをするにも全く事象を離れることはできないので、最少限にしているのである。「まけ長く河に向き立ち在りし袖」は、一年間を天の河の岸に立って彦星を恋い続けていた織女で、これ以上には事象を省けず、またかすかにもできない言い方である。袖で織女そのものを暗示し、同時にその袖を手枕の手ともして下へ関係させているのである。「今夜纏かむと念はくがよさ」も、共寝ということを恋の頂点とし、思っている織女と、思われている彦星との陶酔を想像している形にして気分化しているのである。事象の気分化を徹底的に行なおうとして、行ない得ている歌である。これは奈良朝時代の新風で、人麿以後初めてここに現われているものである。
 
2074 天《あま》の河《がは》 渡瀬《わたりせ》毎《ごと》に 思《おも》ひつつ 来《こ》しくもしるし 逢《あ》へらく念《おも》へば
(464)    天河 渡湍毎 思乍 來之雲知師 逢有久念者
 
【語釈】 ○渡瀬毎に 「渡瀬」は、徒渉する川筋で、天の河にはそれが幾つもあるとしてのもの。○思ひつつ来しくもしるし 「思ひつつ」は、妹を恋いながら。「来しくもしるし」は、「来しく」は、「来し」の名詞形。「しるし」は、効のある意の形容詞。○逢へらく念へば 「逢へらく」は、「蓬へり」の名詞形。「念へば」は、思うと。
【釈】 天の河の幾つもある渡瀬を渡って、妹を恋いながら来たことの甲斐がある。このように逢っていることを思うと。
【評】 彦星が織女に逢った時の喜びをいっているものである。途中の労苦はいっているが、この歌には訴えの心はなく、ただ喜びをあらわすだけの明るいものである。二星の七日の夜に逢えるのは当然のことで、「来しくもしるし逢へらく念へば」は不自然である。これでは地上の夫の、逢い難くしている妻に逢い得た喜びと異ならないものである。しばしば出た、七夕伝説の本質を忘れた歌である。
 
2075 人《ひと》さへや 見継《みつ》がずあらむ 牽星《ひこぼし》の 妻《つま》よぶ舟《ふね》の 近《ちか》づき往《ゆ》くを
    人佐倍也 見不繼將有 牽牛之 嬬喚舟之 近附徃乎
 
【語釈】 ○人さへや見継がずあらむ 「人さへ」は、天上の織女を主として、下界の人までもの意のもの。「や」は、反語。「見継がずあらむ」は、見続けずにいられようかで、見続けるのは下の彦星の舟のゆかしさからである。○牽牛の妻よぶ舟の 「妻よぶ」は、妻問いと同意語で、求婚する意。ここは妻のもとへ通う舟の。○近づき往くを 織女のいる対岸に近づいて行くのを。
【釈】 下界の人までも、見続けずにいられようか。彦星の求婚の舟の天の河を渡って、織女のいる岸に近づいて行くのを。
【評】 地上から、天の河を横切ろうとする牽牛星を眺めて、織女が喜んで見続けていようと思いやり、下界の自分までも見続けずにはいられないというのである。目に見る事象を主としての歌ではあるが、作者の気分も重く扱っているものである。気分に属する初二句から難解の趣をもっているが、これは当然のことといえる。取材の新よりも、個性的の感を重んじようとする歌風の歌である。
 
     一に云ふ、見つつあるらむ
      一云、見乍有良武
 
(465)【解】 第二句の別伝である。上の「や」の疑問をうけて、見つづけているであろうかで、こうすると初句の「人」は作者自身ではなく、広く下界の人ということになる。一首の意は通じやすくなるが、味わいは淡く劣って来る。通じやすくしようとして、他人が改めたのであろう。
 
2076 天《あま》の河《がは》 瀬《せ》を早《はや》みかも ぬばたまの 夜《よ》は闌《ふ》けにつつ 逢《あ》はぬ牽牛《ひこぼし》
    天漢 瀬乎早鴨 烏珠之 夜者闌尓乍 不合牽牛
 
【語釈】 ○瀬を早みかも 瀬が早いゆえであろうかで、彦星が天の河を徒渉するとしていっているもの。○夜は闌けにつつ 「闌けにつつ」は、「に」は完了で、夜がふけ行きつつ。瀬を渡りかねるためのものである。○逢はぬ牽牛 織女に逢わずにいる彦星であるよで、彦星の下に、「かも」の結の「なる」が省かれている。
【釈】 天の河の瀬が早くて渡りにくいゆえであろうか。夜がふけて行きつつ、まだ織女に逢わない牽牛である。
【評】 上の歌と同じく、地上から天の河を仰ぎ、牽牛星が天の河を渡り終わらずにいるのを認めて、「瀬を早みかも」と思いやって憐れんだ心である。事象で、詠み生かしにくいものである。
 
2077 渡守《わたりもり》 舟《ふね》はや渡《わた》せ 一年《ひととせ》に 二《ふた》たび通《かよ》ふ 君《きみ》にあらなくに
    渡守 舟早渡世 一年尓 二遍徃來 君尓有勿久尓
 
【語釈】 ○渡守舟はや渡せ 「渡守」は、上に出た。天の河に渡船があるとしてのもの。○君にあらなくに 「君」は、彦星。「あらなくに」は、ないことであるのに。
【釈】 渡守よ、君を早く船で渡せよ。一年に二度と通って来る君ではないことであるのに。
【評】 天の河を渡船で渡れる河と想像したのである。織女の語である。
 
2078 玉葛《たまかづら》 絶《た》えぬものから さ宿《ぬ》らくは 年《とし》のわたりに ただ一夜《ひとよ》のみ
(466)    玉葛 不絶物可良 佐宿者 年之度尓 直一夜耳
 
【語釈】 ○玉葛絶えぬものから 「玉葛」は、「玉」は、美称。葛は蔓草の総称で、意味で絶えぬの枕詞。「絶えぬものから」は、夫婦関係は絶えないものながら。○さ宿らくは 「さ」は、接頭語。「宿らく」は、「寝る」の名詞形。共寝をする意。○年のわたりに 「わたり」は、経過で、「年のわたり」は、一年を経過する間に。
【釈】 玉葛のように、夫婦関係は絶えないものながら、共寝をすることは、一年を経過する間にただ一夜だけである。
【評】 彦星の嘆きとして詠んだものであろう。満足もなく、しかし失望もないところから起こる憧れが、七夕に美しく具象化され、それが魅力となっているのである。彦星の嘆きの範囲でのものである。
 
2079 恋《こ》ふる日《ひ》は け長《なが》きものを 今夜《こよひ》だに 乏《とも》しむべしや あふべきものを
    戀日者 食長物乎 今夜谷 令乏應哉 可相物乎
 
【語釈】 ○恋ふる日はけ長きものを 恋うる日は、久しい間であるものを。○今夜だに乏しむべしや 今夜だけなりとも、物足りない思いをなすべきであろうか、ないで、「や」は反語。○あふべきものを 逢うべく定まっている日であるものを。
【釈】 恋うる日の、久しい間であるものを。今夜だけなりとも、物足りない思いをすべきであろうか、ない。逢うべき日であるものを。
【評】 彦星の、織女にいった形のものである。この心は上の(二〇一七)の人麿歌集の歌に出ており、それを拙く改めたものである。
 
2080 織女《たなばた》の 今夜《こよひ》逢《あ》ひなば 常《つね》の如《ごと》 明日《あす》を隔《へだ》てて 年《とし》は長《なが》けむ
    織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者將長
 
【語釈】 ○常の如明日を隔てて 「常の如」は、いつものようにで、例年の通りにというにあたる。「明日を隔てて」は、明日を境として。○年は長けむ 一年を待てば長いことであろう。
(467)【釈】 織女の、今夜彦星と逢ったならば、いつものように、明日を境として、また逢うまでの一年は長いことであろう。
【評】 地上にあって、特に織女を憐れんだ心のものである。恋の上のあわれは、妻のほうに多いものとしての歌か、または女の歌かであろう。
 
2081 天《あま》の河《がは》 棚橋《たなはし》渡《わた》せ 織女《たなばた》の い渡《わた》らさむに 棚橋《たなはし》渡《わた》せ
    天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟尓 棚橋渡
 
【語釈】 ○棚橋渡せ 「棚橋」は、板を渡した橋。「渡せ」は、渡せよで、織女の近くにいる第三者間の語。○織女のい渡らさむに 「い」は、接頭語。「渡らさむ」は、渡らむの敬語。女性に対してのゆえのもの。
【釈】 天の河に棚橋を渡せよ。織女がお渡りになろうに、棚橋を渡せよ。
【評】 天上にも、地上のように牽牛織女以外の人々がいて、織女の近くにいる人々が、七日の夜、織女が彦星のもとへ通うものとし、それには天の河に橋がないと困るだろうと察し、織女が渡られるために棚橋を渡せと、一人が他の一人に命令したのである。また、天の河は棚橋を渡すと越せる河ともしたのである。女から男のもとに通うことも、棚橋を渡すような狭い川も女には越せないことも、地上では珍しくないことである。それをさながらに天上に移しての想像である。第二句を第四句で繰り返す、謡い物に多い形の歌である。七夕の宴の席で、宴歌として謡ったものであろう。
 
2082 天《あま》の河《がは》 河門《かはと》八十《やそ》あり 何処《いづく》にか 君《きみ》がみ船《ふね》を 吾《わ》が待《ま》ち居《を》らむ
    天漢 河門八十有 何尓可 君之三船乎 吾待將居
 
【語釈】 ○天の河河門八十あり 「河門」は、河幅の狭くなっている所の称で、船の渡り場所としていっている。「八十」は、多く。○何処にか いずれの河門にか。
【釈】 天の河には、河門が多くある。いずれの河門に、君のみ船を我は待っていようか。
【評】 七月七日の夜、織女が天の河まで出迎えをしようとして、心惑いをした心である。天の河をこのような河と想像した歌は、上の(二〇四六)「八十の舟津」というのが出た。
 
(468)2083 秋風《あきかぜ》の 吹《ふ》きにし日《ひ》より 天《あま》の河《がは》 瀬《せ》に出《い》で立《た》ちて 待《ま》つと告《つ》げこそ
    秋風乃 吹西日從 天漢 瀬尓出立 待登告許曾
 
【語釈】 ○秋風の吹きにし日より 「秋風」は、七月一日立秋の日からの風の称で、「日より」は、立秋の日から。「に」は完了。○瀬に出で立ちて待つと告げこそ 「瀬」は、渡り瀬で、彦星が渡って来る瀕のある所。「告げこそ」は、「こそ」は願望の助詞で、彦星に告げてくれよと、他人に頼む意。
【釈】 秋風が吹いた日から天の河の渡り瀬の所に立ち出て待っていると告げてくれよ。
【評】 織女が、彦星のいるほうへ行く人に、伝言として頼んだ語と取れる形のものである。この作者に想像された織女は、地上の庶民の妻とほとんど異ならない者だったのである。物の言い方は、婉曲味はあるが情熱的で、賢い中年の女のようである。
 
2084 天《あま》の河《がは》 去年《こぞ》の渡瀬《わたりせ》 荒《あ》れにけり 君《きみ》が来《き》まさむ 道《みち》の知《し》らなく
    天漢 去年之渡湍 有二家里 君之將來 道乃不知久
 
【語釈】 ○去年の渡瀬荒れにけり 去年、彦星が徒渉して来た渡り瀬は、瀬が変わって荒れてしまった。○君が来まさむ道の知らなく 「君」は、彦星。「来まさむ」は、「来む」の敬語。「道」は、ここは渡り瀬。「知らなく」は、「知らず」の名詞形で、知られないことよ。
【釈】 天の河の、去年夫の徒渉して来た瀬は変わって、荒れてしまったことだよ。今夜いらっしゃる道の知られないことよ。
【評】 七月七日の夜、織女が去年のように、彦星の迎えに一年振りに天の河の徒渉する場所へ来て見たところ、去年とは瀬が変わってしまっているので、今年は何所を徒渉して来られるかわからずに、当惑している心である。ただちに中心へ飛び入り、織女の平常の生活振りまであらわしている、手に入った、巧みな詠み方である。余裕をもって詠んでいる。
 
2085 天《あま》の河《がは》 瀬瀬《せぜ》に白浪《しらなみ》 高《たか》けども 直《ただ》渡《わた》り来《き》ぬ 待《ま》たば苦《くる》しみ
    天漢 湍瀬尓白浪 雖高 直渡來沼 待者苦三
 
(469)【語釈】 ○高けども 後世の高けれどもにあたる古格。○直渡り来ぬ ひたすらに渡って来た。○待たば苦しみ 「待たば」は、訓が定まらない。「待てば」「待たば」いずれでも通じる。「待たば」は、仮名書きの例のあるもの。浪の鎮まるものを待ったならば。「苦しみ」は、苦しいゆえにで、彦星自身の心。
【釈】 天の河の渡瀬ごとに白浪が高かったけれども、ひたすらに渡って来た。浪の鎮まるのを待ったならば、苦しいゆえに。
【評】 彦星が織女に逢った時、道の労苦を訴えた形のものである。これは大体、夫としての誠意を示すためのもので、「待たば 苦しみ」はその意の頂点を示しているものである。地上の夫婦関係を濃厚に反映させているものである。
 
2086 牽牛《ひこぼし》の 嬬《つま》喚《よ》ぶ舟《ふね》の 引綱《ひきづな》の 絶《た》えむと君《きみ》を 吾《わ》が念《おも》はなくに
    牽牛之 嬬喚舟之 引綱乃 將絶跡君乎 吾念勿國
 
【語釈】 ○嬬喚ぶ舟の 彦星が妻問いをする舟ので、既出。○引綱の 舟を引き寄せるために着けた綱で、曳船の綱。曳船は安全を期してのことである。引綱の「絶え」と続けて、初句よりこれまでは「絶え」の序詞である。○絶えむと君を吾が念はなくに 「絶えむと君を」は、絶えを夫婦関係に転じて、関係を絶えようと君をで、君と関係を絶えようとの意。「君」は、男より女をさしたもの「念はなくに」は、思ってはいぬことであるよ。
【釈】 彦星が妻問いをする舟に着けてある引綱の、その絶えにちなみある、夫婦関係の絶えようと、君を我は思っていないことであるよ。
【評】 この歌は男が女に、その真ごころを誓っていっている形のものである。七夕は序詞として用いているにすぎない。この序詞は二星の永遠な関係を捉えたもので、気分として本義につながりのあるものである。奈良朝時代の序詞である。この歌は明らかに相聞である。巧みな歌である。
 
2087 渡守《わたりもり》 舟出《ふなで》し出《い》でむ 今夜《こよひ》のみ 逢《あ》ひ見《み》て後《のち》は 逢《あ》はじものかも
    渡守 舟出爲將出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛
 
【語釈】 ○渡守舟出し出でむ 「渡守」は、天の河の渡場の渡守。「舟出し出でむ」は、舟出をして出かけよう。○今夜のみ逢ひ見て後は 「今夜」(470)は、七日の夜で、今は彦星が織女に逢って別れて来た時。今夜だけ相逢って、今後は。○逢はじものかも 逢うまいというのであろうか、そうではないで、この「か」は反語を成しているものである。
【釈】 渡守よ、舟出をして此所を出かけよう。今夜だけ相逢って、今後は逢うまいという関係であろうか、そうではない。
【評】 七日の夜明け、織女に別れて天の河の渡場まで来た彦星が、今更に名残りが惜しまれて、躊躇をしていたが、思い切って舟出を命じ、我と我を慰め励ます心でいっているものである。単純な一首であるが、庶民的な彦星と、その場の劇的な気分の動きとを暗示するものがあって、それが趣を成している。物語に向こうとする傾向を示している歌ともいえる。
 
2088 吾《わ》が隠《かく》せる 楫《かぢ》棹《さを》なくて 渡守《わたりもり》 舟《ふね》貸《か》さめやも 須臾《しまし》はあり待《ま》て
    吾隱有 ※[楫+戈]棹無而 渡守 舟將借八方 須臾者有待
 
【語釈】 ○吾が隠せる楫棹なくて わが隠してある梶や棹がなくては。○渡守舟貸さめやも 「舟貸す」は、舟を使わせる、すなわち出す意でいっているもの。「や」は、反語。○須臾はあり待て 「新訓」の訓。「あり待て」は、このままに待ち給え。
【釈】 わが隠してある楫も棹もなくては、渡守が舟を出そうか、出しはしない。今しばらくこのままに待ちたまえ。
【評】 七日の夜が明けて、彦星は帰らなければならない時、織女が名残りを惜しんで引き留めようとしてのものである。地上の心というよりも、情痴に陥った所作であるが、それが興味あることとして迎えられたのであろう。前の歌と同じく、劇的とも、あるいは物語的傾向をもった歌ともいえるものである。奈良朝時代の好尚は、しだいにそちらへ向かって行ったのである。宴歌とみえる。
 
2089 天地《あめつち》の 初《はじ》めの時《とき》ゆ 天《あま》の河《がは》 い向《むか》ひ居《を》りて 一年《ひととせ》に ふたたび逢《あ》はぬ 妻恋《つまごひ》に 物念《ものおも》ふ 人《ひと》 天《あま》の河《がは》 安《やす》の川原《かはら》の あり通《がよ》ふ 出々《でで》の渡《わたり》に そほ船《ふね》の 艫《とも》にも舳《へ》にも 船《ふな》よそひ 真梶《、あかぢ》繁抜《しじぬ》き 旗芒《はたすすき》 本葉《もとは》もそよに 秋風《あきかぜ》の 吹《ふ》き来《く》る夕《よひ》に 天《あま》の河《がは》 白浪《しらなみ》凌《しの》ぎ 落《お》ちたぎつ 早瀬《はやせ》渉《わた》りて 若草《わかくさ》の 妻《つま》が手《て》枕《ま》かむと 大船《おほふね》の 思《おも》ひ憑《たの》みて こぎ来《く》らむ その夫《つま》の(471)子が あらたまの 年《とし》の緒《を》長《なが》く 思《おも》ひ来《こ》し 恋《こひ》を尽《つく》さむ 七月《ふみづき》の 七日《なぬか》の夕《よひ》は 吾《われ》も悲《かな》しも
    乾坤之 初時從 天漢 射向居而 一年丹 兩遍不遭 妻戀尓 物念人 天漢 安乃川原乃 有通  出々乃渡丹 具穗船乃 艫丹裳舳丹裳 船装 眞梶繁拔 旗荒 本葉裳具世丹 秋風乃 吹來夕丹 天河 白浪凌 落沸 速瑞渉 稚草乃 妻手枕迹 大船乃 思〓而 滂來等六 其夫乃子我 荒珠乃 年緒長 思來之 戀將盡 七月 七日之夕者 吾毛悲焉
 
【語釈】 ○一年にふたたび逢はぬ 一年に二度とは逢わないところの。○妻恋に物念ふ人 妻恋のために嘆きをする人。以上、彦星の全貌を叙したもの。○天の河安の川原の 天の河に、高天原の安の河があるとしてのもので、上に出た。○あり通ふ出々の渡に 「あり通ふ」は、継続して通う意。「出々の渡」は、他に用例のない語である。『童蒙抄』は、「世々」の誤写かとしている。『全註釈』は、古事記中巻、宇遅の和紀郎子の歌の句の、「渡りせに立てる梓弓真弓」、日本書紀の「渡りでに立てる」を語例として挙げ、また上の(二〇一八)「去年の渡で」も、語例となるといっている。「出」は「瀬」と同意語で、並用されていたのであろう。多くある渡り場所に。○そほ船の艫にも舳にも 「そほ船」は、赤土で塗った船で、良い船。既出。上代の船にあっては普通のことであった。「艫にも舳にも」は、船の全面に。○船よそひ真梶繁抜き 船を装って、梶を多く取り付けて。○旗芒本葉もそよに 「旗芒」は、穂を出した薄で、穂が旗に似たところからの称。既出。「本葉も」は、本のほうの葉までも。「そよに」は、そよそよと動揺する形容。○秋風の吹き来る夕に 七月七日の夜を、具象的にいったもの。○若草の妻が手枕かむと 「若草の」は、妻の枕詞。「妻が手枕かむと」は、諸注、訓が定まらない。『略解』の訓。妻の手を枕として寝ようと。○あらたまの年の緒長く 「あらたまの」は、年の枕詞。「年の緒」は、「緒」は、長く続く意で添えたもの。一年の長い間。○思ひ来し恋を尽さむ 嘆いて来た恋を霽《は》らそうとする。
【釈】 天地の開闢の時から、天の河に向かっていて、一年に二度とは逢わない妻を恋うて嘆きをしている人、その人は天の河の安の川原の、昔から継続して通う数多ある渡り場所に、丹塗《にぬり》の船の艫にも舳にも船飾りをして、多くの楫を取り付けて、穂薄の本のほうの葉までがそよそよと揺れて、秋風の吹いている夕べに、天の河の白浪を冒し、水の流れ落ちて激する早瀬を渡って、若草の妻の手枕をして寝ようと、大船のように頼み思って、漕いで行くであろうその夫である人が、一年の長い間を嘆いて来た恋を霽らすであろう七月の七日の夜は、吾もまた感傷されることであるよ。
【評】 七月七日の夜、天上の彦星を思いやり、その夜の歓会に同感した心のものである。この作者の想像に浮かんで来るのは、彦星に限られていて、その恋も陶酔的のものではなく「思ひ来し恋を尽さむ」という素朴なものである。彦星が、天地開闢の時からのものであり、天の河が安の河であるのは、先行の人麿歌集と同じである。また、彦星が身分高い人と想像されるのも、(472)同じく先行のあるもので、想像には創意はない。一首の構成ははっきりしており、叙述も想像に浮かんだ通りを剋明に行なっていて、心を尽くして詠んでいる歌である。しかし結果から見ると特別な感銘は与えず、長歌形式を用いる要のないもののごとくみえる。奈良朝時代に入って長歌が復興した機運のなかにあっての作であろう。
 
     反歌
 
2090 高麗錦《こまにしき》 紐《ひも》解《と》きかはし 天人《あめびと》の 妻《つま》問《と》ふ夕《よひ》ぞ 吾《われ》も偲《しの》はむ
    狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳將偲
 
【語釈】 ○高麗錦紐解きかはし 「高麗錦」は、高麗国より渡来した物で、上代は高貴な品で、貴族が紐にした程度だったのである。紐は衣の上紐である。「解きかはし」は、解き合って。○天人の妻問ふ夕ぞ 「天人」は、天上の人。ここは彦星である。「妻問ふ夕」は、結婚する夕べ。○吾も偲はむ 長歌の結句を言いかえたもの。
【釈】 高麗錦の紐を解き合って、天人の彦星が、結婚をする夜であるぞ。吾もゆかしんで思おう。
【評】 長歌の結末を語を換えて繰り返したもので、反歌としては型のごときものである。
 
2091 彦星《ひこぼし》の 川瀬《かはせ》を渡《わた》る さ小舟《をぶね》の 得《え》行《ゆ》きて泊《は》てむ 河津《かはつ》し念《おも》ほゆ
    彦星之 河瀬渡 左小舟乃 得行而將泊 河津石所念
 
【語釈】 ○さ小舟の 「さ」は、接頭語。小さい舟。○得行きて泊てむ 「得行きて」は、諸注、訓が定まらない。『代匠記』の訓。巻十一(二五七四)「面忘れだにも得すやと」の例がある。行き着き得て。○河津し念ほゆ 「河津」は、川の舟つき場。
【釈】 彦星の川瀬を渡る小舟が、行き着き得て止まるであろうところの河津が思われる。
【評】 反歌とすると、前の歌と順序が前後している。前の歌は長歌の結尾の繰り返しで、これはさかのぼって今一たび思い返した形のものである。しかし「さ小舟」といっているのは、長歌と矛盾するものである。
2092 天地《あめつち》と 別《わか》れし時《とき》ゆ 久方《ひさかた》の 天《あめ》つしるしと 定《さだ》めてし 天《あま》の河原《かはら》に あらたまの 月《つき》を(473)累《かさ》ねて 妹《いも》にあふ 時《とき》候《さもら》ふと 立《た》ち待《ま》つに 吾《わ》が衣手《ころもで》に 秋風《あきかぜ》の 吹《ふ》き反《かへ》らへば 立《た》ちて坐《ゐ》て たどきを知《し》らに 村肝《むらぎも》の 心《こころ》いさよひ 解衣《ときぎぬ》の 思《おも》ひ乱《みだ》れて 何時《いつ》しかと 吾《わ》が待《ま》つ今夜《こよひ》 この川《かは》の 行《ゆ》くごと長《なが》く あり得《え》てしかも
    天地跡 別之時從 久方乃 天驗常 定大王 天之河原尓 璞 月累而 妹尓相 時候跡 立待尓 吾衣手尓 秋風之 吹反者 立座 多土伎乎不知 村肝 心不欲 解衣 思乱而 何時跡 吾待今夜 此川 行長 有得鴨
 
【語釈】 ○久方の天つしるしと 「久方の」は、天の枕詞。「天つしるしと」は、天上の標、すなわち越ゆべからざる境として。上の(二〇〇七)に出た。○定めてし天の河原に 神が定めた天の河。○あらたまの月を累ねて 「あらたまの」は、年の枕詞を、「月」に転じてかけたもの。「月を累ねて」は、彦星が織女と逢うべき七月をいうために、年を言いかえたもの。○妹にあふ時候ふと 「妹」は、織女。「あふ時」は、七月七日。「候ふ」は、様子をうかがっていると。○秋風の吹き反らへば 「反らへ」は、反るの連続で、ひるがえる。秋風に吹きひるがえるので。○立ちて坐てたどきを知らに 立ったり坐ったりして、手のつけ所も知られなくて。○村肝の心いさよひ 「村肝の」は、心の枕詞。「心いさよひ」は、原文「心不欲」。『古義』は誤写として、「心不知欲比」と改めている。『全註釈』は、心が活動を欲しない義で、このままでそのように訓めるといっている。心がためらって、動かず。○何時しかと吾が待つ今夜 早くと待っている今夜で、すなわち七日の夜。○この川の 眼前の川で、天の河。○行くごと長くあり得てしかも 原文「行長有得鴨」。文字が省略されているので、読み添えをしなくてはならぬ。『代匠記』は原文に即して、「行くごと長くあり得てむかも」と訓んでいる。『代匠記』以後の注はすべて文字を改めている。『全註釈』(改造社版)は、「得鴨」を、「得てしかも」と訓んでいる。意はいずれも、あり得たいものだで、同じであるが、「得てむ」と未来にするよりも、「得てし」と過去にするほうが強い。これに従う。流れの長いごとく夜が長くあり得たいものだ。
【釈】 天と地とが別れた開闢の時から、天上の、越ゆべからざる標として定められた天の河原に、幾月か累ねて、妻に逢う季節をうかがうとして、立って待つわが袖に、秋風が吹きひるがえるので、立ったり居たりして、手のつけようも知られずに、心はためらって働かず、思い乱れて、早く来よと待っている今夜は、この天の河の流れのごとく長くあり得たいものだ。
【評】 上の長歌と同じく、七月七日の夜の彦星を取材としたものであるが、詠み方は全く異なって対蹠的である。上の歌は事象を主としたものであるのに、これは気分を主としたものだからである。上の歌の、第三者として彦星を想像したのとは違い、これは彦星そのものになって抒情をしているのである。この彦星は、天地の初めから、天上の標となっている天の河の岸に立(474)ち、標の禁忌の解かれた七月七日の夜を専念に待っており、その解かれる夜を待ち得た気分をいうにとどめているのである。重点を置いているのは、待つ意と待ち得た喜びとの対照で、事象は背後よりその気分にまつわる程度である。上の歌の古風なものに対し、これは奈良朝時代に生み出した新風である。
 
     反歌
 
2093 妹《いも》に逢《あ》ふ 時《とき》片待《かたま》つと ひさかたの 天《あま》の河原《かはら》に 月《つき》ぞ経にける
    妹尓相 時片待跡 久方乃 天之漢原尓 月叙經來
 
【語釈】 ○時片待つと 「時」は、七月七日の夜。「片待つと」は、ひたすらに待つとて。
【釈】 妹に逢う時をひたすら待つとて、天の河原に、幾月をも累ねたことであるよ。
【評】 長歌の前半を総括して繰り返したものである。七月七日が来て、その日を待った苦しさを思い返したもので、気分のつながりの微妙なものをもった反歌である。
 
     花を詠める
 
2094 さを鹿《しか》の 心《こころ》相念《あひおも》ふ 秋芽子《あきはぎ》の しぐれの零《ふ》るに 散《ち》らくし惜《を》しも
    竿志鹿之 心相念 秋芽子之 鍾礼零丹 落僧惜毛
 
【語釈】 ○さを鹿の心相念ふ 「さを鹿」は、「さ」は、接頭語で、牡鹿。「心相念ふ」は、心に念い合っているので、その相手は、下の秋芽子である。○秋芽子の 「秋」を添えて「芽子」をいっているのは、萩の花というのを、季節関係であらわした称。○しぐれの零るに散らくし惜しも 「散らくし」は、「散らく」は、「散る」の名詞形。「し」は、強意。「も」は、詠歎。
【釈】 牡鹿の心に思い合っている萩の花の、時雨の雨で散ることの惜しさよ。
【評】 牡鹿と萩の花とを「心相念ふ」というのは、秋の景物に人間的の解釈をしたものである。萩の花の咲く頃は、おりから(475)牡鹿は妻恋いをして、萩原を離れずにいるので、それを基本とし、さらに萩の花を秋の代表の花、妻恋いをする牡鹿も、秋のあわれを代表するものとして、双方の間に心の交流があると見てのことである。自然を人間的に解釈するのは上代の風で、それに耽美的解釈を取入れたもので、この耽美性は、文芸性への進展である。この歌は萩の花の散るのを惜しんでの心であるが、そのことを牡鹿が悲しむだろうとの心に絡ませているのである。この歌は人麿歌集のもので、こうした心の発生時期も思わせている歌である。
 
2095 夕《ゆふ》されば 野辺《のべ》の秋芽子《あきはぎ》 うら若《わか》み 露《つゆ》に枯《か》れつつ 秋《あき》待《ま》ち難《がた》し
    夕去 野邊秋芽子 末若 露枯 金待難
 
【語釈】 ○夕されば 夕方になるとで、四句「露に」に続く。○うら若み 「うら」は、枝や芽の末端。「若み」は、若いので。○露に枯れつつ 露にいためられつつで、憐れみの心から誇張していったもの。○秋待ち難し 花の咲くべき秋の季節を待つことができない。
【釈】 夕方になると、野辺の秋萩の枝先が若いので、置く露に痛められつつ、花の咲くべき秋を待つことができない。
【評】 夏の末ごろ、花にはまだ間のある頃の萩の若枝が、おりからの繁く置く夕梅雨に撓《しな》って、弱げに痛々しげに見えるのを憐れんだ心である。その撓っているのを衰えたと見、「枯れつつ」と誇張していっているのである。萩の若枝の露を帯びたさまは清らかなものであるから、それに引かれて感傷しての誇張である。この誇張が一首の中心で、気分の歌である。
 
     右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右二首、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
【解】 その作風から見て、若い時代の人麿の歌ということを、明瞭に思わせるものである。
 
2096 真葛原《まくずはら》 なびく秋風《あきかぜ》 吹《ふ》く毎《ごと》に 阿太《あだ》の大野《おほの》の 芽子《はぎ》の花《はな》散《ち》る
    眞葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散
 
【語釈】 ○真葛原なびく秋風 「真葛原」は、「真」は、接頭語。「葛原」は葛の生え続いている原。それが靡く秋風の。○阿大の大野 大和国宇(476)智郡(現、奈良県五条市東阿田、西阿田、南阿田付近)で、吉野川の右岸の野。
【釈】 葛原の靡く秋風が吹くたびごとに、阿太の大野の萩の花が散る。
【評】 真葛原と阿太の大野とは同じ野で、葛と萩の花との印象から、語を変えて繰り返したものである。真葛原を靡かして秋風が吹き渡ると、阿太の大野の萩の花が散るというのは、中心になっている萩の花という小さな静的な物が、大野と秋風という大きな動的なものと対照されることになって、そこに一種格別な気分を生み出して来る。「真葛原」「阿太の大野」も、この対照の感を強めるものである。また、「吹く毎に」というのも、風が鎮まり、吹き立つことを対照しているものである。作者は意識して行なっている対照であるが、少しも表面にはあらわさず、さりげないさまでいっているのである。これは、いっていることは事象であるが、あらわそうと意図していることは、事象が醸し出す一種の気分にあるからである。奈良朝時代の新風にしたがっての歌であるが、手腕の練達した、いわゆる渋い歌である。
 
2097 雁《かり》がねの 来喧《きな》かむ日《ひ》まで 見《み》つつあらむ この芽子原《はぎはら》に 雨《あめ》な零《ふ》りそね
    雁鳴之 來喧牟日及 見乍將有 此芽子原尓 雨勿零根
 
【釈】 ○雁がね 雁の意。○見つつあらむ 「む」は連体形。○雨な零りそね 雨は降ってくれるなと、願望したもの。雨が萩の花を散らすとしてである。
【釈】 雁が来て鳴くだろう日までは、見つづけていようと思う萩原に、雨は降ってくれるな。
【評】 秋の興趣の、絶え間のない状態で続くことを願う気分のものである。今は萩原の花に興じているのであるが、それが散り終わると、代わって新たなる興趣として雁が鳴いて来ることを予想し、これとそれとの間に、絶え間のなかれと願っている心である。奈良朝時代の心である。
 
2098 奥山《おくやま》に 住《す》むと云《い》ふ鹿《しLか》の 初夜《よひ》さらず 妻《つま》問《と》ふ芽子《はぎ》の 散《ち》らまく惜《を》しも
    奥山尓 住云男鹿之 初夜不去 妻問芽子乃 散久惜裳
 
【語釈】 ○初夜さらず妻問ふ芽子の 「初夜《よひ》さらず」は、宵ごとに。「妻問ふ」は、妻問いをするで、妻として通って来る。○散らまく惜しも 散(477)ることの惜しさよ。
【釈】 奥山に住んでいるといぅ鹿が、宵ごとに妻問いをする萩の花の、散ることの惜しさよ。
【評】 萩の花の散るのを惜しむ心ではあるが、その萩の花を、鹿が妻としている花と概念的なものにせず、奥山に住んでいる鹿が、遙々と、しかも宵ごとに通って来るものとして、そのあわれさを絡ませて惜しんでいる心である。概念からの進展しての事実で、気分の深化を求める心である。
                              
2099 白露《しらつゆ》の 置《お》かまく惜《を》しみ 秋芽子《あきはぎ》を 折《を》りのみ折《を》りて 置《お》きや枯《か》らさむ
    白露乃 置卷借 秋芽子乎 折耳折而 置哉枯
 
【語釈】 ○白露の置かまく惜しみ 白露が萩の花の上に重く置くことを、花のために惜しんで。○秋芽子を折りのみ折りて 折るだけは折ってで、白露から保護しようとのこと。
【釈】 白露の置くことを惜しんで、萩の花を折るだけ折って、そのまま置いて枯らすのであろうか。
【評】 萩の花が置く白露を、重げにして撓《たわ》んでいるのを憐れんで、保護する気で折ったが、さてどうすることもできず、枯らしそうになったのに心づいた時の心持である。人の気分とものの本質との齟齬ともいうべき心である。気分的であるとともに知性的であった奈良朝の心である。
 
2100 秋田《あきた》苅《か》る 仮廬《かりほ》の宿《やどり》 にほふまで 咲《さ》ける秋芽子《あきはぎ》 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    秋田苅 借廬之宿 丹穗經及 咲有秋芽子 雖見不飽香聞
 
【語釈】 ○秋田苅る仮廬の宿 秋の稲を刈るために設けた仮小屋の宿が。○にほふまで 美しい色に映えるまでに。○咲ける秋芽子 小屋のほと(478)りに咲いている萩の花は。
【釈】 秋の稲を刈り取るために設けた仮小屋の宿が美しい色に映えるまでに咲いている萩の花の、見ても見飽かないことであるよ。
【評】 実景を讃えた歌であるが、秋田のほとりに設けた仮廬が、秋萩の色でにおうという、特殊な美より発する気分をとおして讃えているのである。職業歌とも、庶民の歌ともいえないものである。
 
 
2101 吾《わ》が衣《ころも》 摺《す》れるにはあらず 高松《たかまつ》の 野辺《のべ》行《ゆ》きしかば 芽子《はぎ》の摺《す》れるぞ
    吾衣 揩有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之揩類曾
 
【語釈】 ○我が衣摺れるにはあらず わが衣は、花摺に摺ってあるのではない。○高松の野辺行きしかば 「高松」は、高円をこうも呼んだのである。春日山の南に続く地で、(一八七四)に既出。○芽子の摺れるぞ 萩の花のほうが摺ったのであるよ。
【釈】 わが衣は、我が摺ったのではない。高松の野を歩いたので、萩の花のほうが摺ったのであるよ。
【評】 萩の花の色が沁みている衣を着ていた人が、人に向かって断わった形の歌である。一般の人の常服は麻の衣で、摺っても鮮かには摺れなかったので、このようなことがいえたのである。「芽子の摺れるぞ」は、耽美の心から誇っていっているので、聞く者もなつかしかったのである。すべて萩の花に対する深い愛好が背後にあってのものである。
 
2102 この暮《ゆふべ》 秋風《あきかぜ》吹《ふ》きぬ 白露《しらつゆ》に 争《あらそ》ふ芽子《はぎ》の 明日《あす》咲《さ》かむ見む
    此暮 秋風吹奴 白露尓 荒爭芽子之 明日將咲見
 
【語釈】 ○この暮秋風吹きぬ 萩の花の咲く季節としていっているもの。○白露に争ふ芽子の 露は花を咲かせようとし、萩は咲くまいとして争う、その芽子の。これは当時一般にそう感じられていることで、おそらく露を男、萩を女と見、夫婦関係を連想しての心である。○明日咲かむ見む 争いかねて明日は咲くであろう花を見よう。
【釈】 この夕べ、秋風が吹いた。咲かせようとして置く白露に、咲くまいとして争う萩の、明日は咲くであろうのを見よう。
(479)【評】 「この暮秋風吹きぬ」は、知性的のものである。「白露に争ふ芽子の」以下は人間生活に自然現象を移入したもので、耽美気分の具象である。矛盾した二つの傾向が一首の歌の中に、安らかに、当然のことのように詠まれているのである。奈良朝に入って初めてあらわれた風である。
 
2103 秋風《あきかぜ》は 冷《すず》しくなりぬ 馬《うま》並《な》めて いざ野《の》に行《ゆ》かな 芽子《はぎ》の花《はな》見《み》に
    秋風 冷成奴 馬並而 去來於野行奈 芽子花見尓
 
【語釈】 ○いざ見に行かな 「いざ」は、我と誘う意。「な」は、自身への希望。
【釈】 秋風は涼しくなった。友と馬を連ねて、いざ野に行きたいものだ。萩の花を見に。
【評】 我と我にいった形の歌である。「秋風は冷しくなりぬ」が、一首の根抵となっている。大和国は山に囲まれた盆地で、夏は暑い国であるから、この語の中には、強い快さが籠められていたろう。
 
2104 朝顔《あさがほ》は 朝露《あさつゆ》負《お》ひて 咲《さ》くと云《い》へど 暮陰《ゆふかげ》にこそ 咲《さ》きまさりけれ
    朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
 
【語釈】 ○朝顔は 「朝顔」は、巻八(一五三八)山上憶良の歌の「朝貌の花」についていった。要するに未詳である。
【釈】 朝顔は、朝露を帯びて咲くといわれているが、夕方の光に一段と咲き益って見える。
【評】 朝顔は、朝咲く花としてそうした名を付けられているが、自分の見た所では、夕影の時のほうが一層美しく咲く花だというので、常識に抗議した形の歌である。抗議ということが、作者にも人にも興味があっての歌ではないかと思われる。朝顔という名に女の顔を連想し、朝の顔よりも夕べの顔のほうが魅力的だという心もからませてあろうか。
 
2105 春《はる》されば 霞隠《かすみがく》りて 見《み》えざりし 秋芽子《あきはぎ》咲《さ》けり 折《を》りて挿頭《かぎ》さむ
    春去者 霞隱 不所見有師 秋芽子咲 折而將插頭
 
(480)【語釈】 ○春されば霞隠りて 春になると霞に隠れて。萩は野のもので、春は霞が野に全面的に低く籠めるところからいっているもの。
【釈】 春になると霞に隠れて見えなかった、その秋萩が咲いている。折って挿頭としよう。
【評】 萩の花を愛して、「折りて挿頭さむ」といっているのであるが、愛するのには理由があることをいっている。「春されば霞隠りて見えざりし」がすなわちそれで、一年を興味の上から春と秋とし、春の霞に隠れてものの見えない時よりも、秋のはっきりと、目を遮るもののない時のほうを好いとし、この心を野の萩に集め、そうした野にある萩が、花が咲いているとして愛しているのである。春秋の争いにからむ心で、秋をよしとする心を、春をいうことによってあらわしている、さりげない言い方のものである。気分を重んずる心の歌で、あらわし方もそれに似合わしいものである。
 
2106 沙額田《さぬかた》の 野辺《のべ》の秋芽子《あきはぎ》 時《とき》なれば 今《いま》盛《きかり》なり 折《を》りて挿頭《かざ》さむ
    沙額田乃 野邊乃秋芽子 時有者 今盛有 折而將插頭
 
【語釈】 ○沙額田の野辺の秋芽子 「沙額田」は近江国(滋賀県)坂田郡にある筑摩《つくま》狭額田かとも、また大和国生駒郡の額田(大和郡山市の額田部北町、額田部南町、額田部寺町)に「さ」の接頭語を添えたものかともいう。どちらでも意は通じる。○時なれば今盛なり その季節なので、今花盛りである。
【釈】 沙額田の野の秋萩は、その季節なので、今花盛りである。折って挿頭としよう。
【評】 たまたま沙額田の野を過ぎた人の歌で、明るい歌である。譬喩の意などないものとみえる。
 
2107 殊更《ことさら》に 衣《ころも》は摺《す》らじ 女郎花《をみなへし》 佐紀野《さきの》の芽子《はぎ》に にほひて居《を》らむ
    事更尓 衣者不揩 佳人部爲 咲野之芽子尓 丹穗日而將居
 
【語釈】 ○女郎花佐紀野の芽子に 「女郎花」は、意味で咲きにかかる枕詞。「佐紀」は、奈良京の北方の地名。巻一(八四)題詞に既出。○にほひて居らむ 「にほひ」は、美しい色になって居よう。
【釈】 わざわざわが衣を摺ることはしまい。女郎花が咲くというにちなむ、この佐紀野の萩の花に包まれて美しい色になって居よう。
(481)【評】 佐紀野の萩の花の中にまじっていて、わが白い衣もその花に照らされて、美しい色になっていると感じ、その気分に満足している心である。気分尊重の濃厚な歌である。
 
2108 秋風《あきかぜ》は 急《と》く急《と》く吹《ふ》き来《こ》 芽子《はぎ》の花《はな》 散《ち》らまく惜《を》しみ 競《きほ》ひ立《た》つ見《み》む
    秋風者 急々吹來 芽子花 落卷惜三 競立見
 
【語釈】 ○秋風は急く急く吹き来 「急く急く」は『新訓』の訓。「急く」は、風速についていっているもので、強くというに同じ。「急く急く」は、畳んで強めたもの。「吹き来」は、命令。○芽子の花散らまく惜しみ 「散らまく」は、「散らむ」の名詞形。「惜しみ」は、惜しいゆえにで、惜しいので、にあたる。萩の花自身の意。○競ひ立つ見む 原文「競竟」。旧訓「おぼろおぼろに」。『考』は、「竟」は、「立見」の二字を、誤写によつて一字にしたものとし、「きそひたちみむ」と訓んだのを、『新訓』が今のごとく改めたのである。萩の花が秋風に張り合って立つで、これは萩の枝のおのずから垂れ伏しているのが、風にあおられて立ちあがるさまで、それを花が風に散らされるのを惜しんでのことと見たのである。
【釈】 秋風は強く強く吹いて来よ。萩の花が散ることが惜しいので、その風に散らされまいとして、張り合って立ちあがるさまを見よう。
【評】 萩の花を酷愛するところから、それに人間性を投入し、露が花を開かせようとするのに、萩はそれに抗争するのと同じく、ここでは、秋風は花を散らそうとするのに、萩はそれに抗争することとしている。これは当時一般に思われていたこととみえる。この歌はその上に立ち、萩の枝のおのずから撓《たわ》んで垂ふれ伏しているのが、風に吹き煽られて立ちあがるのを、花を散らされまいとして争ってのしぐさだと解し、そのさまをおもしろく感じ、見たいと思っている心である。感性が鋭敏に働き、心だけでなく目も一緒に働いている、めずらしい歌である。遙かに下っての時代の謡い物を思わせる作である。
 
2109 吾《わ》が屋前《やど》の 芽子《はぎ》の若末《うれ》長《なが》し 秋風《あきかぜ》の 吹きなむ時《とき》に 咲《さ》かむと思《おも》ひて
    我屋前之 芽子之若末長 秋風之 吹南時尓 將開跡思手
 
【語釈】 ○吾が屋前の芽子の若末長し 「若末《うれ》」は、この用字のごとく、茎の末の若い部分の称。○咲かむと思ひて 擬人している。
【釈】 わが庭前の萩の若末《うれ》は長く伸び立っている。秋風の吹くだろう時に咲こうと思って。
(482)【評】 庭の萩の茎が長く伸び立っているのを見ると、そのさまが、さも早く花を咲かせたいと思っているらしく見えるところからの心である。純気分の歌である。たれにも無理なく感じられる快い歌である。
 
2110 人《ひと》皆《みな》は 芽子《はぎ》を秋《あき》と云《い》ふ よし吾《われ》は 尾花《をばな》が末《うれ》を 秋《あき》とは言《い》はむ
    人皆者 芽子乎秋云 縱吾等者 乎花之末乎 秋跡者將言
 
【語釈】 ○人皆は芽子を秋と云ふ 「秋と云ふ」は、秋の興趣の代表物というの意。○よし吾は尾花が末を 「よし」は、ままよというにあたり、それはそれとしての意の副詞。「尾花」は薄の穂を出したものの称で、「末」はその穂先。穂先の若く蘇芳色をしたのを讃えていっているもの。
【釈】 人は皆萩の花を秋の代表物だという。ままよ、吾は尾花の穂先を、秋の代表物といおう。
【評】 自身の感性より好しとするものを主張して、他と争おうとする心で、上の(二一〇四)「朝顔は」と同系のものである。個人性を重んじる時代気分のあらわれといえる。「尾花が末」の美は、主張に値する特殊な美をもっているものである。しかしこのように強く主張するのは、作者のすぐれた感性のさせることである。「吾」は原文「吾等」で、必ずしも自分のみではない意を示している。
 
2111 玉梓《たまづさ》の 公《きみ》が使《つかひ》の 手折《たを》り来《け》る この秋芽子《あきはぎ》は 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    玉梓 公之使乃 手折來有 此秋芽子者 雖見不飽鹿裳
 
【語釈】 ○玉梓の公が使の 「玉梓の」は、使の枕詞。「公」は、夫。○手折り来る 「手折り」は、折り。「来《け》る」は、動詞「来」に完了の助動詞「り」の接続したもの。原文「来有」で、折って持って来ているで、途中で折ったのである。
【釈】 公の使が途中で折って持って来ているこの萩の花は、見ても飽かぬものであるよ。
【評】 使は途中で、美しい萩を見かけたままに折ったので、妻である女に贈物にしようとまでのものではないのであるが、女は、君の使の持って来たと物思う心から、特殊の美しさを感じたのである。使への返事に書き添えた歌であろう。相聞に近い歌である。
 
(483)2112 吾《わ》が屋前《やど》に 咲《さ》ける秋芽子《あきはぎ》 常《つね》ならば 我《わ》が待《ま》つ人《ひと》に 見《み》せましものを
    吾屋前尓 開有秋芽子 常有者 我待人尓 令見猿物乎
 
【語釈】 ○常ならば 「常」は、永く咲き続けているものであるならばと、仮設したもの。○我が待つ人に見せましものを 「我が待つ人」は、女の夫。「見せましものを」は、上の仮設に応じさせたもので、「を」は詠歎。
【釈】 わが庭前に咲いている萩の花が、いつまでも咲き続くものであるなら、わが待っている人に見せようものを。
【評】 足遠くしている夫を、庭の萩を見るにつけてなつかしんだ心で、相聞の範囲の歌である。
 
2113 たきそなひ 植《う》ゑしも著《しる》く 出《い》で見《み》れば 屋前《やど》の早芽子《はつはぎ》 咲《さ》きにけるかも
    手寸十名相 殖之毛知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
 
【語釈】 ○たきそなひ 原文「手寸十名相」。旧訓「手もすまに」であったのを、『仙覚抄』が今のごとくに改めたが、用例のない語で、語義は明らかにはしなかった。『全註釈』は、古事記下巻、雄略天皇御製の、「白妙の蘇弖岐蘇那布《ソデキソナフ》たこむらに虻《アム》かきつき」の岐蘇那布は、着具うで、ここの「きそなひ」はそれと同じ語だろうという。これは熟語の動詞で、「た」は接頭語であり、身を使いよく身支度する意で、ことに手を使うに便宜なようにしたのだろうという。苦労をしての意を具象的にいったもの。○植ゑしも著く 原文は諸本「殖之名知久」で、「名」は「毛」の誤りとした『略解』に従う。植えた甲斐があって。○早芽子 早咲きの萩。
【釈】 身支度までして植えた甲斐があって、戸外へ出て見ると、庭の早咲きの萩が咲いたことであるよ。
【評】 苦労して移植した庭の萩の、花の咲いているのを発見した喜びで、素朴に喜びを直写した歌である。気分とまでは思わず、調べも重く、古風な歌である。
 
2114 吾《わ》が屋外《やど》に 植《う》ゑ生《おふ》したる 秋芽子《あきはぎ》を 誰《たれ》か標《しめ》刺《さ》す 吾《われ》に知《し》らえず
    吾屋外尓 植生有 秋芽子乎 誰標刺 吾尓不所知
 
(484)【語釈】 ○植ゑ生したる秋芽子を 植えて育てて来た秋芽子を。○誰か標刺す 「か」は、疑問の係。「標刺す」は、わが物としてのしるしを立てるのか。○吾に知らえず 我に知れないように。
【釈】 わが屋外に植えて育てて来た秋萩を、たれがわが物としてのしるしを立てるのか。我に知れないように。
【評】 「秋芽子」は娘、「標刺す」は、男が言い寄って娘の承認を得たらしいことの譬喩で、したがって「吾」は娘の母である。上代の婚姻にあっては、これは最も普通のことで、母親の立場から見ていっているものである。譬喩歌に属するものが紛れて入ったのである。
 
2115 手《て》に取《と》れば 袖《そで》さへに揉ふ 女郎花《をみなへし》 この白露《しらつゆ》に 散《ち》らまく惜《を》しも
    手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散卷惜
 
【語釈】 ○手に取れば袖さへにほふ 「手に取れば」は、折って手に持てば。「袖さへにほふ」は、手はもとより袖までも美しい色となる。○この白露に散らまく惜しも 「この白露に」は、現に花の上に置いている白露で、「散らまく」は、「散らむ」の名詞形。
【釈】 折り取ると袖までも、美しい色になる女郎花の、今置いている白露で散ることの惜しさよ。
【評】 美しい女郎花の、朝露で散りそうに見えるのを惜しむ心である。「手に取れば袖さへにほふ」は、女郎花の色の美しさをあらわすために、想像を事実としていっているものである。感覚をとおして美しさを生かそうとする態度の明らかな歌である。
 
2116 白露《しらつゆ》に 争《あらそ》ひかねて 咲《さ》ける芽子《はぎ》 散《ち》らば惜《を》しけむ 雨《あめ》な降《ふ》りそね
    白露尓 荒爭金手 咲芽子 散惜兼 雨莫零根
 
【語釈】 ○白露に争ひかねて咲ける芽子 「白露に争ひかねて」は、白露の咲かせようとするのに対し、咲くまいと争ったが、争いかねて咲いた芽子ので、上の(二一〇二)の「白露に争ふ芽子の」というのと同意である。○雨な降りそね 雨は降ってくれるなよと頼む意で、雨は散らすものとしてである。
【釈】 咲かせようとする白露に、咲くまいと争うことができずして咲いた萩の、散ったらば惜しいだろう。雨は降ってくれるな。
(485)【評】 可隣な萩の花を、雨に散るものとして惜しんでいる心である。その可憐をいうに、「白露に争ひかねて咲ける」といったのであるが、自然で、わざとらしい感はないものとなっている。
 
2117 娘子《をとめ》らに 行相《ゆきあひ》の早稲《わせ》を 苅《か》る時《とき》に なりにけらしも 芽子《はぎ》の花《はな》咲《さ》く
    ※[女+感]嬬等尓 行相乃速稻乎 苅時 成來下 芽子花咲
 
【語釈】 ○娘子らに行相の早稲を 「娘子らに」は、行き逢うと続く意で、その枕詞。「行相」は、人の行き逢う所で、道を言いかえたもの。巻四(五四六)「珠桙の道の去きあひに」、その他の例がある。「行相の早稲を」は、往還ばたに作ってある早稲を。○苅る時になりにけらしも 刈り取る時節となってきたのだろう。○芽子の花咲く その時節を知らせる萩の花が咲くの意。
【釈】 娘子らに行き違うにちなむ、往還ばたに作ってある早稲を、刈る時になったのであろう。その頃のものである萩の花が咲いている。
【評】 これは庶民の歌で、年々、萩の花の咲くのを暦代わりにして、行相の早稲を刈っている人の、今年もその時となったと、ある感慨をもっていっているものである。農耕の上での時期を、自然界の現象によって知ることは、現在もある程度行なわれていることである。生活の実際に即した歌で、職業歌の範囲のものである。枕詞が美しい。
 
2118 朝霧《あさぎり》の たなびく小野《をの》の 芽子《はぎ》の花《はな》 今《いま》か散《ち》るらむ いまだ飽《あ》かなくに
    朝霧之 棚引小野之 芽子花 今哉散濫 未※[厭のがんだれなし]尓
 
【語釈】 ○朝霧のたなびく小野の 「朝霧」は、秋は常に立つもの。「小」は接頭語。○今か散るらむ 「か」は疑問の係。「散るらむ」は、現在の推量。
【釈】 朝霧のたなびいている野の萩の花は、今は散っているであろうか。まだ見飽かないことであるのに。
【評】 朝霧の籠めている中に萩の花の散っていることを想像して、愛情を寄せている歌である。気分を主とした作であるが、「いまだ飽かなくに」と実感を基礎としているので、空疎な感はない。
 
(486)2119 恋《こひ》しくは 形見《かたみ》にせよと 吾《わ》が背子《せこ》が 植《う》ゑし秋芽子《あきはぎ》 花《はな》咲《さ》きにけり
    戀之久者 形見尓爲与登 吾背子我 殖之秋芽子 花咲尓家里
 
【語釈】 ○恋しくは形見にせよと 我を恋しく思ったならば、身代わりとして見よといって。○花咲きにけり 花が咲いたことだで、「けり」は、詠歎。
【釈】 我を恋しく思ったらば、これを形見として見よといって、わが夫が植えた秋萩が、花が咲いたことである。
【評】 夫を遠い旅にやって、家に残っている妻の心である。夫が恋しかったら形見に見よといった萩が、花が咲いたといって、恋の極まりを暗示しているものである。相聞の歌である。
 
2120 秋芽子《あきはぎ》に 恋《こひ》尽《つく》さじと 念《おも》へども しゑや惜《あたら》し また逢《あ》はめやも
    秋芽子 戀不盡跡 雖念 恩惠也安多良思 又將相八方
 
【語釈】 ○秋芽子に恋尽さじと 萩のために、恋の悩みをしまいとで、そうしたことを恥と感じる心である。○しゑや惜し 「しゑや」は、間投詞で、巻四(六五九)、上の(一九二六)に出た。ああ。「惜し」は、惜しむべくあるの意。○また逢はめやも 再び今年のこの花に逢おうか、逢いはしないで、「や」は、反語。
【釈】 萩の花のために、恋の悩みはしまいと思うけれども、ああ、惜しいことだ。この花にまた逢おうか、違いはしない。
【評】 盛りの萩の花の美観に対して、限りなき愛惜を感じながら、同時にそれを心外に感じる、当時の大夫振りの心である。「恋尽さじと」と否定し、「しゑや惜し」と、愛惜を肯定し、「また逢はめやも」とさらにその心を支持しているのである。耽美気分を斥けようとして斥けられない心が、屈折をもち、熱意をもった強い調べでいわれているのである。奈良朝時代の気分と作者の個性とのもつれ合ったおもしろい作である。
 
2121 秋風《あきかぜ》は 日《ひ》にけに吹《ふ》きぬ 高円《たかまと》の 野辺《のべ》の秋芽子《あきはぎ》 散《ち》らまく惜《を》しも
    秋風者 日異吹奴 高圓之 野邊之秋芽子 散卷惜裳
 
(487)【語釈】 ○日にけに吹きぬ 「日にけに」は、日にことにで、日増しに強く。
【釈】 秋風は日増しに強く吹いた。高円の野の萩の花の散ることの惜しさよ。
【評】 高円の野は、代表的の遊楽の地であった。そこの萩の散っていることを思いやっての心で、実際に即しているので、淡いながら一応の味わいはある。
 
2122 大夫《ますらを》の 心《こころ》は無《な》くて 秋芽子《あきはぎ》の 恋《こひ》のみにやも なづみてありなむ
    大夫之 心者無而 秋芽子之 戀耳八方 奈積而有南
 
【語釈】 ○大夫の心は無くて 「大夫」は、思慮があり、勇気があって、実行を重んずる男子の称で、上代の理想。この作者もそれをもって任じているのである。大夫の心を失って。○秋芽子の恋のみにやも 「恋」は、上の「恋尽さじと」のそれと同じ。「や」は、疑問の係助詞で、反語。○なづみてありなむ 「なづむ」は、停滞するで、実行の反対。「ありなむ」は、「やも」の結びで、停滞しているべきであろうか、あるべきではない。
【釈】 大夫の心を失って、萩の花に対する恋にばかり停滞しているべきであろうか、いるべきではない。
【評】 萩の花に溺れている男が、あるとき自身の状態に反省を加えて、大夫である我がこんな状態であるべきではないと、自責した心である。しかし余意として、自責は自責のみに終わったことを示しているもので、それがこの歌の味わいとなっている。心は二首前の「秋芽子に恋尽さじ」と同じである。
 
2123 吾《わ》が待《ま》ちし 秋《あき》は来《きた》りぬ 然《しか》れども 芽子《はぎ》の花《はな》ぞも 未《いま》だ咲《さ》かずける
    吾待之 秋者來奴 雖然 芽子之花曾毛 未開家類
 
【語釈】 ○芽子の花ぞも 「ぞも」は、「ぞ」は係で、「も」は、詠歎。○未だ咲かずける 「咲かず」の「ず」は、連用形で、ただちに「けり」の助動詞に続くのは古格である。「ける」は結。
【釈】 わが待っていた秋は来た。けれども、萩の花はまだ咲かないことである。
(488)【評】 単純をきわめた歌である。詠み方も古風である。「然れども」は他にも用例のあるもので、特殊な語ではなかった。
 
2124 見《み》まく欲《ほ》り 吾《わ》が待《ま》ち恋《こ》ひし 秋芽子《あきはぎ》は 枝《えだ》もしみみに 花《はな》咲《さ》きにけり
    欲見 吾待戀之 秋芽子者 枝毛思美三荷 花開二家里
 
【語釈】 ○枝もしみみに 「枝も」の「も」は、詠歎。「しみみに」は、繁くの意の副詞。巻三(四六〇)に出た。
【釈】 見たいものに思って吾が待っていた秋萩は、枝に繁く花の咲いたことだ。
【評】 萩の花を初めて見い出だした時の喜びである。「見まく欲り」以下の叙述と調べは、一にその喜びの具象である。
 
2125 春日野《かすがの》の 芽子《はぎ》し散《ち》りなば 朝東風《あさごち》の 風《かぜ》に副《たぐ》ひて ここに散《ち》り来《こ》ね
    春日野之 芽子落者 朝東 風尓副而 此間尓落來根
 
【語釈】 ○朝東風の風に副ひて 「東風《こち》」は、東風の称。「朝東風」は、朝の東風。「風に副ひて」は、風に伴って一緒に。○ここに散り来ね 「ここ」は、春日野の西方にある地で、佐保辺りである。「ね」は、願望の助詞。
【釈】 春日野の萩が散ったならば、朝の東風に伴って、ここに散って来てくれよ。
【評】 佐保辺りに住んでいる人が、春日野の萩の散るのを思いやって惜しんだ心である。「朝東風の」以下は、その惜しむ心を気分化したもので、したがって誇張の伴っているものであるが、細かい用意と静かな明るい調べでいっているので、わざとらしさの目立たないものとなっている。気分より発した技巧だからである。
 
2126 秋芽子《あきはぎ》は 雁《かり》に逢《あ》はじと 言《い》へればか【一に云ふ、言へれかも】 声《こゑ》を聞《き》きては 花《はな》に散《ち》りぬる
    秋芽子者 於鴈不相常 言有者香【一云、言有可聞】 音乎聞而者 花尓散去流
 
【語釈】 ○雁に逢はじと言へればか 雁には逢うまいといっているからなのかで、「か」は疑問の係。一見、突飛にみえる語であるが、「逢ふ」は(489)男女相逢うをあらわす語で、雁を男、萩を女と見てのもので、雁の来る頃には萩は散るところからの例の情趣的な解である。○一に云ふ、言えれかも いえればかもで、「も」の詠歎の添っている点が異なっているだけである。○声を聞きては花に散りぬる 「声」は、雁の声。「花に」は、花として散ったことだで、「ぬる」は結。「花」は「実」に対する語で、実すなわち関係を結ばずしての意がある。
【釈】 萩は雁には逢うまいといっているからなのか、雁の声を聞くと、花として散って行く。
【評】 雁の鳴く頃に萩の花の散るのを、それに解を加えた歌である。重点を置いているのはその解で、相応に複雑したものであるが、言い方はじつにあっさりとしていて、ともすると見落としそうなまで微かな言い方である。これはいおうとする事自体が気分で、それに似合わしい敝かな言い方をしないと生きて来ない性質のものだからである。新傾向に徹した形をもった歌である。
 
2127 秋《あき》さらば 妹《いも》に見《み》せむと 植《う》ゑし芽子《はぎ》 露霜《つゆじも》負《お》ひて 散《ち》りにけるかも
    秋去者 妹令視跡 殖之芽子 露霜負而 散來毳
 
【語釈】 ○霧霜負ひて 「露霜」は、みずしもで、それを負つてで、萩の花を主とした言い方。
【釈】 秋になると、妹に見せようと思って植えた萩は、水霜を負って、散ってしまったことである。
【評】 事は明らかである。妹は萩の花を見ず、その萩の花は水霜を負って散ってしまったというので、この花は妹に気分のつながりのあるものとみえる。妹は故人となったのを、萩に寄せて気分として詠んだものとみえる。それだと新しい挽歌である。
 
     雁を詠める
 
2128 秋風《あきかぜ》に 大和《やまと》へ越《こ》ゆる 雁《かり》がねは いや遠《とほ》ざかる 雲隠《くもがく》りつつ
    秋風尓 山跡部越 雁鳴者 射失速放 雲隱筒
 
【語釈】 ○大和へ越ゆる 大和へ向かって山を越えるで、難波辺りなどにいてのこと。
【釈】 秋風の空を、大和国のほうへ山を越えてゆく雁は、ますます遠ざかってゆく。雲に隠れながら。
(490)【評】 大和のほうへ向かって、山を越えて飛んでゆく雁を、雲隠れの声になるまでも見送っているのである。旅愁のさせることであるが、それには直接には触れていっていない。素朴な形であるが、旅愁を気分としてあらわそうとしているものである。新風の範囲の歌である。
 
2129 明闇《あけぐれ》の 朝霧隠《あさぎりがく》り 鳴《な》きて行《ゆ》く 雁《かり》は吾《わ》が恋《こひ》 妹《いも》に告《つ》げこそ
    明闇之 朝霧隱 鳴而去 鴈者言戀 於妹告社
 
【語釈】 ○明闇の朝霧隠り 「明闇」は、明け方の暗さの称、夕暗に対する語。「隠り」は、隠れて。○雁は吾が恋 原文「鴈者言恋」の「言」は元暦校本に「吾」とあるが、「言」のままで「われ」と訓める字で、巻十一(二五三三・二五三四)などに用例がある。「雁」は、使をする鳥とされていた。「吾が恋」は、妹に対しての恋。○妹に告げこそ 「こそ」は、願望の助詞。
【釈】 明け方の闇い時の朝霧に隠れて飛んで行く雁は、吾が恋うていることを、妹に告げてくれ。
【評】 旅にあって、故郷の妻を恋うている心のものである。「明闇の朝霧隠り」は、実景としていっているものであるが、朝の目覚め時は、夕暮と並んで最も妻を思わせられる時であるのと相俟って、景そのものが気分となりうるものである。雁に伝言を頼むのも自然である。冴えた味わいはないが、行き届いた旅愁である。
 
2130 吾《わ》が屋戸《やど》に 鳴《な》きし雁《かり》がね 雲《くも》の上《うへ》に 今夜《こよひ》鳴《な》くなり 国《くに》へかも行《ゆ》く
    吾星戸尓 鳴之雁哭 雲上尓 今夜喧成 國方可聞遊群
 
【語釈】 ○国へかも行く 「国」は、作者の国と取れる。「かも」は、疑問の係。国を雁の棲息地とすると、春の帰雁で、「かも」は不自然となり、また途中で停滞していることも、同じく不自然だからである。
【釈】 わが家の辺りで鳴いた雁が、雲の上で今夜は鳴いている。わが故郷のほうへ行くのであろうか。
【評】 作者は遠い旅にいる人で、夜、空高く鳴いて飛ぶ雁を聞いた時の歌である。その雁を聞くと、あれは前に家の辺りに下りて鳴いていた雁と同じだと思い、その雁はわれに伝言でもありはしないかと寄って来た雁ででもあったかのように思い、そして今空高く、遠くへ飛ぶ態勢を取っている雁を、その延長から、わが故郷のほうへ行くのだろうかと思いやったとみえる。(491)穿ちすぎた解のようであるが、事として説明せず、事に伴う気分のみをいおうとする傾向の歌を詠む時代とて、このような心よりのものではないかと取れる。文字面からだけ見ると、取りとめのない感のする歌であるが、そうした歌ではなかろうかと思われるからである。
 
2131 さを鹿《》しかの 妻問《つまど》ふ時《とき》に 月《つき》をよみ 雁《かり》がね聞《きこ》ゆ 今《いま》し来《く》らしも
    左小壯鹿之 妻問時尓 月乎吉三 切木四之泣所聞 今時來等霜
 
【釈】 ○さを鹿の妻問ふ時に 「妻問ふ」は、男鹿の鳴き声によっているものと取れる。○月をよみ 「よみ」は、良いゆえにで、明るいので。○雁がね聞ゆ 「切木四」を「かり」と訓むことは巻六(九四八)に述べた。
【釈】 牡鹿が妻問いをする鳴き声の聞こえる時に、月が明るいので、雁の鳴くのが聞こえる。今来るのであろう。
【評】 秋の、月の明るい夜、地には牡鹿の鳴く声が聞こえ、空には遠く雁の声のするのを聞いて、初雁が来るのだろうと推量したのである。月光と声だけの世界で、その声はいずれも哀切味のあるものである。景そのものがすでに気分になっている。景を叙するだけで満足が出来たものと思われる。
 
2132 天雲《あまぐも》の 外《よそ》に雁《かりがね》 聞《き》きしより はだれ霜《じも》降《ふ》り 寒《さむ》しこの夜《よ》は
    天雲之 外鴈鳴 從聞之 薄垂霜零 寒此夜者
 
【語釈】 ○天雲の外に 「外に」は、遙かなところで、天雲の遙かな空に。○はだれ霜降り 「はだれ」は巻八(一四二〇)に既出。「はだれ霜」は、まだらに置く霜で、薄霜。「降り」は、置くを言いかえたもの。感としてである。
【釈】 天雲の遙かな空に雁の声を聞いてから、薄霜が降って、寒いことだ、今夜は。
【評】 秋の一夜、にわかに冷気の襲って来た感をいったものである。遠く鳴く雁の声に続いて、薄白く霜が見えて来て、寒さが迫って来るのを、感を主として叙したものである。感の伝わり来るところのある歌である。
 
     一に云ふ、いや益々《ますます》に 恋《こひ》こそ増《まさ》れ
(492)      一云、弥益々尓 戀許曾増焉
 
【解】 四、五句の別伝である。本文の緊張した感のないものである。他の人の作りかえたものとみえる。
 
2133 秋《あき》の田《た》の 吾《わ》が苅《か》りばかの 過《す》ぎぬれば 雁《かり》が音《ね》聞《きこ》ゆ 冬《ふゆ》片設《かたま》けて
    秋田 吾苅婆可能 過去者 鴈之喧所聞 冬方設而
 
【語釈】 ○吾が苅りばかの過ぎぬれば 「吾が苅りばか」は、稲刈りの、その受持と定められている土地の範囲で、言いかえると稲刈り仕事。「吾が」を添えているのは、部落で組合を作って仕事をしたところから、受持の範囲がきまっていたからのこととみえる。「過ぎぬれば」は、終わると。上代は稲はそのままに貯えていたので、稲刈は最終の仕事であった。○冬片設けて 「片設く」は巻二(一九一)、上の(一八五四)に既出。冬がどうやらそのさまをあらわして、冬が近づいてきての意。
【釈】 秋の田の刈り取りの、吾が受持の範囲のことが終わると、雁の鳴いて来る声が聞こえる。どうやら冬のさまになって。
【評】 農業をしている人の、一年間の仕事の最後のものである稲刈り仕事を終わった後の気分である。喜びとか安心とかいうまとまった気分ではなく、ほっとした気分になると、おりから雁の渡って来る鳴き声が聞こえ、辺りを見ると、どうやら冬のさまをあらわしているというのである。察しられる気分である。農民自身の歌ではなく、取材として扱ったものであろう。
 
2134 葦辺《あしべ》なる 荻《をぎ》の葉《は》さやぎ 秋風《あきかぜ》の 吹《ふ》き来《く》るなへに 雁《かり》鳴《な》き渡《わた》る
    葦邊在 荻之葉左夜藝 秋風之 吹來苗丹 鴈鳴渡
 
【語釈】 ○葦辺なる萩の葉さやぎ 葦の側にある荻の葉が、騒がしく鳴って。葦も荻も水辺のもので、難波辺りの景。○吹き来るなへに 「なへに」は巻一(五〇)、上の(一八二一)に出た。
【釈】 葦の側にある荻の葉が騒がしく鳴って、秋風が吹いて来るとともに、雁が鳴いて行く。
【評】 難波辺りの水辺の興趣を、そのままに詠んだ形のものである。「荻の葉さやぎ」は、葦の葉よりも荻の葉のほうが音が騒がしいからで、細かい感じ方である。「雁鳴き渡る」は、それとは反対に広い景で、対照によって全体をあらわしている。(493)気分を主にした歌である。
 
     一に云ふ、秋風《あきかぜ》に 鴈《かり》が音《ね》聞《きこ》ゆ 今《いま》し来《く》らしも
      一云、秋風尓 鴈音所聞 今四來霜
 
【解】三句以下の別伝である。「今し来らしも」は、初雁が今来たのであろうである。本文のほうは、一首の統一感が強く、それが味わいをなしているのであるが、別伝のものはその統一感がなく、散漫なものとなっている。平面的に羅列した趣のものだからである。甚しく劣っている。
 
2135 押照《おして》る 難波堀江《なにはほりえ》の 葦辺《あしべ》には 雁《かり》宿《ね》たるらむ 霜《しも》の降《ふ》らくに
    押照 難波穿江之 葦邊者 鴈宿有疑 霜乃零尓
 
【語釈】 ○押照る難波堀江の 「押照る」は、難波の枕詞。「難波堀江」は、難波にある堀江で、河水を海に疏通させる水路。今の天満川かという。○雁宿たるらむ 「らむ」は、原文「疑」。旧訓「かも」とあるのを『全註釈』は「らむ」と改めている。巻十二(三二一三)「君之|行疑《ユクラム》宿可|借疑《カルラム》」の用例によってである。○霜の降らくに 「降らく」は、降るの名詞形。意を強めたもの。「に」は、詠歎。
【釈】 難波の堀江の岸の葦の辺りには、雁が寐ていることであろう。霜が降ることなのに。
【評】 秋の夜寒の頃、難波に旅寝をしている奈良京の人の歌と取れる。侘びしい心から雁を想像して憐れんでいるのである。自身を詠み生かし得ている歌である。
 
2136 秋風《あきかぜ》に 山《やま》飛《と》び越《こ》ゆる 雁《かり》がねの 声《こゑ》遠《とほ》ざかる 雲隠《くもがく》るらし
    秋風尓 山飛越 鴈鳴之 聲遠離 雲隱良思
 
【語釈】○雲隠るらし 雲に隠れるのであろうで、この雲は、山の上の空にかかっているものである。
【釈】 秋風に山を飛び越えてゆく雁の、その声が遠ざかって行く。雲に隠れるのであろう。
(494)【評】 雁が山の上を飛んでゆくさまを見送り、耳を澄まして鳴き声を追って、その微かになったのを、雲に隠れたからであろうと推量した心である。このように雁に心を寄せているのは、郷愁の心からで、山は故郷の方角にあるものと取れる。事としていわず、気分としてあらわそうとしている歌である。
 
2137 朝《あさ》に行《ゆ》く 雁《かり》の鳴《な》く音《ね》は 吾《わ》が如《ごと》く 物《もの》念《おも》へかも 声《こゑ》の悲《かな》しき
    朝尓徃 鴈之鳴音者 如吾 物念可毛 聲之悲
 
【語釈】 ○朝に行く 用例のない語つづきである。朝を鳴き行くで、朝は恋の思いの多い時とされていた。○吾が如く物念へかも 「かも」は、疑問の条件法。われのごとく嘆きをしているからであろうか、そのために。
【釈】 朝を鳴いて行く雁は、われのように物思いをしているのであろうか。声の悲しいことであるよ。
【評】 旅にあって郷愁を感じている人の、朝の目覚めに雁の鳴いてゆく声を聞いての感である。朝は恋の思いの多い時だとして、それを背後に、自身の実感としていっているのである。物思いの内容を割っていわない所に作意がある。
 
2138 鶴《たづ》が音《ね》の 今朝《けさ》鳴《な》くなへに 雁《かり》がねは 何処《いづく》指《さ》してか 雲隠《くもがく》るらむ
    多頭我鳴乃 今朝鳴奈倍尓 鴈鳴者 何處指香 雲隱良武
 
【語釈】 ○鶴が昔の 鶴の音であるが、鶴の意でいっているもの。「雁がね」は、雁と同様である。
【釈】 鶴が今朝鳴くのに伴って、雁はどこを目ざして、雲に隠れて飛び行くのであろうか。
【評】 難波辺りの水辺の作で、光景のめずらしさから詠んだものであろう。鶴も雁も声だけである。朝凪ぎの海での近く遠い声は、一種の気分となって来たとみえる。
 
2139 ぬば玉《たま》の 夜《よ》渡《わた》る雁《かり》は おほほしく 幾夜《いくよ》を経《へ》てか 己《おの》が名《な》を告《の》る
    野干玉之 夜渡雁者 欝 幾夜乎歴而鹿 己名乎告
 
(495)【語釈】 ○ぬば玉の夜渡る雁は 「ぬば玉の」は、夜の枕詞。「夜渡る雁は」は、夜空を行く雁はで、これは姿は見えず、鳴き声によって所在の知れるもの。○おほほしく (一九〇九)に出た。はっきりしない意の形容詞で、上を承けてその感じをいったもの。○幾夜を経てか己が名を告る 「幾夜を経てか」は、幾夜を飛び続けたならばで、「か」は、疑問の係。「己が名を告る」は、雁は「かり、かり」と自分の名を名告る鳥だとされているので、自分の名を名告る、すなわちはっきりと鳴くのかの意。
【釈】 夜空を行く雁は、覚束なく、それともしれないのに、幾夜を飛び続けたら、自分の名を名告って鳴くのか。
【評】 人が夜空を声を立てずに飛ぶ雁に向かって、もどかしがって鳴けよと促した形の歌である。しかし作意は譬喩歌で、女が求婚する男に問いかけたものである。雁は男で、女の家の辺りへ幾夜か来て立っているが、名告りをしないので、誰ともしれないとして女が問うたのである。譬喩としては巧みである。
 
2140 あらたまの 年《とし》の経行《へゆ》けば あどもふと 夜渡《よわた》る吾を 問《と》ふ人《ひと》や誰《たれ》
    璞 年之經徃者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰
 
【語釈】 ○あらたまの年の経行けば 「あらたまの」は、年の枕詞。「年の経行けば」は、「行けば」は「行くに」と同意語で、並用されていたもの。幾年も住んでいるのにと、雁が自身をいったもの。○あどもふと 「あど」は、何とで、なんと思っているのかと。「あどもふ」は、率いる意もあるが、それとは別である。○夜渡る吾を 夜空を渡る吾をと、雁が自身をいっているもの。○問ふ人や誰 「や」は疑問の係。「誰」は、たれなのであるか。
【釈】 幾年もここに住んでいるのに、何と思ってのことかと、夜渡る吾を尋ねる人はたれなのであるか。
【評】 上の女の問に対して男の答えた歌である。雁としてであって、「あらたまの年の経行けば」は、多年の馴染であるから、雁すなわちわが心は知っているはずであるとしてで、「あらたまの」は、「ぬばたまの」に対させたもの。「夜渡る吾を」は、問の歌の語をそのまま取って、夜々ここへ来る吾をで、「問ふ人や誰」は、いまさらいぶかり尋ねるのは恨みであるの意である。これも雁として、問の歌に即しつつ、問われたのをただちに恨みかえしているという、譬喩としては巧みなものである。問答歌で、手腕ある作者の興味より作ったものである。
 
     鹿鳴《しか》を詠める
 
2141 この頃《ごろ》の 秋《あき》の朝明《あさけ》に 霧隠《きりがく》り 妻《つま》呼《よ》ぶ雄鹿《しか》の 声《こゑ》の亮《さや》けさ
(496)    比日之 秋朝開尓 霧隱 妻呼雄鹿之 音之亮左
 
【語釈】 ○声の亮けさ 「亮けさ」は、はっきりしていることよで、よく透る意。
【釈】 この頃の秋の朝明けに、霧に隠れて妻を呼んでいる牡鹿の声のよく透ることよ。
【評】 秋の野の、季節のものとして立つ朝霧の中から聞こえて来る牡鹿の鳴き声の、はっきりとよく透る声をいっているものである。そこにあるものは朝霧と鹿の声とだけで、それもある距離をもったものである。対象がおのずから気分となっているのである。「この頃の」と連続してのこととしているのも、気分におちつきを与えている。
 
2142 さを鹿《しか》の 妻《つま》整《ととの》ふと 鳴《な》く声《こゑ》の 至《いた》らむ極《きは》み 靡《なび》け芽子原《はぎはら》
    左男壯鹿之 妻整登 鳴音之 將至極 靡芽子原
 
【語釈】 ○妻整ふと 「妻」は、萩の花をさしている。「整ふ」は、散乱しているものを統一する意で、多くの妻を一つ心にならせること。多妻時代の心である。巻三(二三八)「網子調ふる」の用例がある。○鳴く声の至らむ極み 鳴く声が届く果てまで。○靡け芽子原 従え、萩原よとの命令。「芽子原」は、整えられる妻である。
【釈】 牡鹿が、心離れている妻を取り鎮めようとして鳴く声の届く限りはそれに従えよ、萩原よ。
【評】 萩原に鳴いている牡鹿の声を聞いて起こした気分である。萩は終わりに近く、しきりに花が散りこぼれているのと、多妻時代の心とから、その声を妻を整える声だと聞いたのであろう。「至らむ極み靡け芽子原」は、この気分を進展させたものである。萩原は気分化されて、美しいものとなって現われている。
 
2143 君《きみ》に恋《こ》ひ うらぶれ居《を》れば 敷《しき》の野《の》の 秋芽子《あきはぎ》凌《しの》ぎ さを鹿《しか》鳴《な》くも
    於君戀 裏觸居者 敷野之 秋芽子凌 左小壯鹿鳴裳
 
【語釈】 ○君に恋ひうらぶれ居れば 「君」は、女より男をさしての称。「うらぶれ」は、憂えしおれて。○敷の野の秋芽子凌ぎ 「敷の野」は、奈良県磯城郡の辺りの野かというが「敷」の「き」は甲類、「磯城」の「城」は乙類で疑問があるとされている。「凌ぎ」は、押分けて。○さを鹿鳴くも 牡鹿が妻を恋うて啼いているよで、女とは反対の状態。
(497)【釈】 君を恋うて憂えしおれていると、敷の野の萩の花を押し分けて、牡鹿はその妻恋いをして啼いているよ。
【評】 夫を恋うている女が、住んでいる敷の野を見ると、自分とは反対に、牡鹿がその妻を恋うてさまよい鳴いているというのである。無論女は感傷を深められたであろうが、それには触れず、目に見たことの叙述にとどめているのである。気分そのままをあらわそうとする態度からのことである。
 
2144 雁《かり》は来《き》ぬ 芽子《はぎ》は散《ち》りぬと さを鹿《しか》の 鳴《な》くなる声《こゑ》も うらぶれにけり
    鴈來 芽子者散跡 左小壯鹿之 鳴成音毛 裏觸丹來
 
【語釈】 ○雁は来ぬ芽子は散りぬと 雁が来ると萩は散るといわれているので、その関係で続けたもの。芽子は牡鹿の妻である。
【釈】 雁が来た、萩が散ったと牡鹿の鳴くところの声が、憂えしおれて来たことだ。
【評】 単純な形の歌であるが、恋のあわれを通じて、時の推移するさみしい気分が現われている。
 
2145 秋芽子《あきはぎ》の 恋《こひ》も尽《つ》きねば さを鹿《しか》の 声《こゑ》い継《つ》ぎい継《つ》ぎ 恋《こ》ひこそ益《まさ》れ
    秋芽子之 戀裳不盡者 左牡鹿之 聲伊續伊繼 戀許増益焉
 
【語釈】 ○秋芽子の恋も尽きねば 萩の花に対してのわが恋も尽きないのに。○さを鹿の声い継ぎい継ぎ 「い継ぎ」は、「い」は、接頭語で、牡鹿が鳴く声が続き続きして。牡鹿の鳴くのは、妻としての萩の花が失せたからである。○恋ひこそ益れ 牡鹿の声に刺激されてわが恋が増さって来る。
【釈】 萩の花に対するわが恋が尽きないのに、牡鹿もその妻である萩の散り失せたのを悲しんで、声を続け続け鳴くので、わが恋は増さって来ることだ。
【評】 萩の花の散り過ぎた頃の心である。自身の恋を主としたものであるが、牡鹿が妻として追慕して悲しみ鳴くと、それに刺激されてますます恋が増さるという、その気分のつながりに中心を置いた歌である。「声い継ぎい継ぎ恋ひこそ」という語続きは巧みである。
 
(498)2146 山《やま》近《ちか》く 家《いへ》や居《を》るべき さを鹿《しか》の 声《こゑ》を聞《き》きつつ 宿《い》ねかてぬかも
    山近 家哉可居 左小壯鹿乃 音乎聞乍 宿不勝鴨
 
【語釈】 ○家や居るべき 「家居る」は、熟語で、住む意。「や」は、係で、反語。○宿ねかてぬかも 「かてぬかも」は巻二(九八)に既出。
【釈】 山近くに住むべきであろうか、住むべきではない。牡鹿の妻恋いをする声を聞き続けて、夜も熟睡の出来かねることであるよ。
【評】 牡鹿の声に刺激されて、夜も眠れないというのである。詠み方が素朴なので、実感と思わせる歌である。
 
2147 山《やま》の辺《べ》に いゆく猟夫《さつを》は 多《おほ》かれど 山《やま》にも野《の》にも さを鹿《しか》鳴《な》くも
    山邊尓 射去薩雄者 雖大有 山尓文野尓文 沙小壯鹿鳴母
 
【語釈】 ○いゆく猟夫は多かれど 「いゆく」は、「い」は、接頭語。「猟夫」は、猟師。
【釈】 山のほうに入って行くと猟夫は多くあるけれども、山にも野にも、牡鹿は妻恋いをして鳴いている。
【評】 恋に鳴く牡鹿を隣れむ心であるが、そこまでは立ち入らず、広くその周辺だけを叙している歌である。広くいっているので、憐れみが生きている。
 
2148 あしひきの 山《やま》より来《き》せば さを鹿《しか》の 妻《つま》呼《よ》ぶ声《こゑ》を 聞《き》かましものを
    足日木笶 山從來世波 左小壯鹿之 妻呼音 聞益物乎
 
【語釈】 ○山より来せば 「山より」は、山の路から。「来せば」は、「せ」は、過去の助動詞「き」の未然形で、古くは存して今は行なわれないものである。来たならばの意。仮設で、下の「まし」に呼応する。作者はある平地から平地へと来たのであるが、そこへ来るには、平地続きの路と山越えの道とあって、作者は平地続きの路のほうを来たのである。
【釈】 山路のほうから来たならば、山で牡鹿の妻を呼ぶ声を聞いたであろうものを。
(499)【評】 極度に日常生活に即した歌で、詠み方も素朴単純である。いかにあわれを愛していたかの実情の窺われる歌である。軽いものながら味わいがある。
 
2149 山辺《やまべ》には 猟夫《さつを》のねらひ 恐《かしこ》けど 牡鹿《をじか》鳴《な》くなり 妻《つま》の眼《め》を欲《ほ》り
    山邊庭 薩雄乃祢良比 恐跡 小壯鹿鳴成 妻之眼乎欲焉
 
【語釈】 ○猟夫のねらひ恐けど 「ねらひ」は、射ち取ろうとしての狙い。「恐けど」は、恐いけれどの古格。恐ろしくあるけれども。○妻の眼を欲り 妻に逢いたくて。「妻」は牝鹿。「眼を欲り」は、相手の見てくれることが欲しくてで、逢いたいということを、相手の方を主としていう語。
【釈】 山辺では、猟師の射ち取ろうとしての狙いが恐ろしいけれども、牡鹿は鳴いていることだ。牝鹿が見たくて。
【評】 上の「山の辺に」の歌と同じく恋のあわれである。牡鹿に男性の心を移入して、広く拡がりをもたせた歌である。
 
2150 秋芽子《あきはぎ》の 散《ち》りゆく見《み》れば おほほしみ 妻恋《つまごひ》すらし さを鹿《しか》鳴《な》くも
    秋芽子之 散去見 欝三 妻戀爲良思 棹壯鹿鳴母
 
【語釈】 ○散りゆく見れば 「散りゆく」は、原文「散去」。訓はさまざまである。『古義』の訓。○おほほしみ 心が結ばれるので。
【釈】 萩の花の散ってゆくのを見ると、悲しさに心が結ぼれて、妻恋をするのであろう。牡鹿が鳴くことよ。
【評】 萩の花の散る頃、牡鹿の鳴くのを聞いての気分である。「おほほしみ妻恋すらし」は、作者の気分の移入であるが、悲しみが妻恋をさせるというので、妻恋の心理に触れているものである。妻恋を若い心よりの享楽と見ず、悲しい心より相寄り合おうとする心としているのである。これは個人的な心情ではなかったろうと思われる。
 
2151 山《やま》遠《とほ》き 京《みやこ》にしあれば さを鹿《しか》の 妻《つま》呼《よ》ぶ声《こゑ》は 乏《とも》しくもあるか
    山遠 京尓之有者 狭小壯鹿之 妻呼音者 乏毛有香
 
(500)【語釈】 ○京にしあれば 「京」は、皇居のある所。「し」は、強意。「あれば」は、居るので。○乏しくもあるか 「乏し」はここは少ない意。「か」は、詠歎。
【釈】 山に遠い京に住んでいるので、牡鹿が妻を呼ぶ声は、少ないことであるよ。
【評】 「山遠き京」は、難波宮であろう。「さを鹿の妻呼ぶ声」の少ないのをさみしく思う心である。こうしたあわれが、日常生活の必要物に近いもののごとくなっていたとみえる。
 
2152 秋芽子《あきはぎ》の 散《ち》り過《す》ぎゆかば さを鹿《しか》は わび鳴《なき》せむな 見《み》ねば乏《とも》しみ
    秋芽子之 散過去者 左小壯鹿者 和備鳴將爲名 不見者乏焉
 
【語釈】 ○わび鳴せむな 「わび鳴」は、熟語。わびしさに鳴く意で、「な」は、感動の助詞。○見ねば乏しみ 「見ねば」は、妻としての萩を見ないと。「乏しみ」は、乏しきにで、乏しいものは見たいところから、見たさにの意でいっているもの。
【釈】 萩の花が散り失せてしまったならば、牡鹿は侘びしさに鳴くのであろうよ。妻としての萩を見ないと、見たさに。
【評】 萩の花が散りつくしてしまった後の牡鹿の心を思いやった心である。その物が存在しなくなると、一段とその物を見たくなるという、人間の心理を移入しての憐れみである。作者自身の気分とつながりをもっての憐れみであろう。
 
2153 秋芽子《あきはぎ》の 咲《さ》きたる野辺《のべ》は さを鹿《しか》ぞ 露《つゆ》を別《わ》けつつ 嬬問《つまどひ》しける
    秋芽子之 咲有野邊者 左少壮鹿曾 露乎別乍 嬬問四家類
 
【語釈】 ○咲きたる野辺は 旧訓「さけるのべには」。『代匠記』の訓。咲いているこの野には。○露を別けつつ嬬問しける 露を踏み分け踏み分け、嬬問をしたことであるよで、「ける」は、上の「ぞ」の結。
【釈】 秋萩の花の咲いている野には、牡鹿が、露を踏み分けながら嬬問をしたことであるよ。
【評】 夕方、露の繁く置いている頃、牡鹿が、萩の花の咲いている野へ向かって歩いて行くのを見送っている心である。秋萩の花を牡鹿の妻とし、牡鹿は嬬問をしに行ったのだと見たのであるが、これは例の人間の気分の投入である。「咲きたる野辺は」と「は」で強調し、「露を別けつつ」と細かい描写をしているので、現実性が添い、それが同時に気分ともなっているので(501)ある。気分本位の歌であるが、現実性があるために厭味に陥らない。
 
2154 何《な》ぞ牡鹿《しか》の わび鳴《なき》すなる げだしくも 秋野《あきの》の芽子《はぎ》や 繁《しげ》く散《ち》るらむ
    奈何社鹿之 和備鳴爲成 蓋毛 秋野之芽子也 繁將落
 
【語釈】 ○何ぞ牡鹿のわび鳴すなる 「何ぞ」は、何とてで、「ぞ」は、係。「わび鳴」は、上に出た。「なる」は、「ぞ」の結。○けだしくも あるいはと推量する意。
【釈】 何だつて牡鹿はわび鳴をしているのであろうか。あるいは、秋の野の萩の花が繁く散っているのであろうか。
【評】 牡鹿の遠く鳴く鳴き声に哀音を感じての推量である。本来鹿の声は哀調を帯びているのを、周囲との関係から妻恋と聞き、わび鳴と聞きなすのであるが、それを事相そのもののごとく感じていたのが、こうした歌から感じられる。文芸的の心もまじってはいようが、きわめて少ない。時代相といえよう。
 
2155 秋芽子《あきはぎ》の 咲《さ》きたる野辺《のべ》に さを鹿《しか》は 散《ち》らまく惜《を》しみ 鳴《な》き行《ゆ》くものを
    秋芽子之 開有野邊 左壯鹿者 落卷惜見 鳴去物乎
 
【語釈】 ○散らまく惜しみ鳴き行くものを 「散らまく」は、「散らむ」の名詞形。「ものを」は、感動。
【釈】 萩の花の咲いている野辺に、牡鹿は、その散ることを惜しんで、鳴いて行くことだ。
【評】 萩の花の咲いている野の方へ、鳴きながら行く牡鹿を見ての心である。心とは、あの鳴くのは、萩の花の散る時のあることを思ってのことだろうというのである。これは理とすればきわめて平凡なことであるが、気分とすると、深い愛があって初めて生まれて来るものである。この歌は気分のもので、それであればこそ、このような単純な詠み方をしているのである。奈良朝時代の、気分そのものを表現しようとする歌風の根柢に、こうした愛があって、単に技巧よりりものではなく、また文芸的理念よりのものでもなかったことが思われる。
 
2156あしひきの 山《やま》の常陰《とかげ》に 鳴《な》く鹿《しか》の 声《こゑ》聞《き》かすやも 山田《》守《やまだも》らす児《こ》
(502)    足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞爲八方 山田守酢兒
 
【語釈】 ○山の常陰に 「常陰」は、巻八(一四七〇)に出た。山の陰になる所の称。○声聞かすやも 「聞かす」は、聞くの敬語。相手が女ゆえのこと。「やも」は、疑問の助詞。○山田守らす児 「守らす」は、守るの敬語。「児」はここは女を親しんでの称で、呼びかけ。
【釈】 この山の常陰に鳴く牡鹿の声をお聞きになりますか。山田の番をしていられる児よ。
【評】 稲の熱する頃の山田の番をしている若い女に対して、男が呼びかけて問うた歌である。問うことは、この山の常陰に、妻恋をして鳴く牡鹿の声をお聞きになるかというので、これは表面は、秋のあわれを代表する、興趣深いものをなつかしむ心のもので、たれにでも問いうる性質のものであるが、裏面には、妻恋をして鳴く牡鹿に、男自身を絡ませ、懸想の心をほのめかしたものである。それが一首の余情となっている。相聞に近い心のものである。
 
     蝉《せみ》を詠める
 
2157 暮影《ゆふかげ》に 来鳴《きな》く日《ひ》ぐらし 幾許《ここだく》も 日毎《ひごと》に聞《き》けど あかぬ声《こゑ》かも
    暮影 來鳴日晩之 幾許 毎日聞跡 不足音可聞
 
【語釈】 ○暮影に来鳴く日ぐらし 「暮影」は、夕方の光で、夕方を、光に力点を置いての称。「日ぐらし」は、かなかな。詠歎をもっていっている。○幾許も 旧訓「ここだくの」。『考』の訓。「幾許」は、数の多くで、ここは鳴き声の分量であるから、たくさんとか、随分にとかいうにあたる。
【釈】 夕方の光の時に来て鳴く蜩よ。たくさんに、日ごとに聞いているけれども、飽かない声であるよ。
【評】 蜩の声を愛している心である。夕影の涼しい声は、この時代の気分にかないそうなものに思える。
 
     蟋《こほろぎ》を詠める
 
【題意】 「蟋」は、蟋蟀と熟して用いられている。巻八(一五五二)に出た。今日のこおろぎと同じである。平安朝時代にはきりぎりすと称せられるようになった。
 
(503)2158 秋風《あきかぜ》の 寒《さむ》く吹《ふ》くなへ 吾《わ》が屋前《やど》の 浅茅《あさぢ》がもとに 蟋蟀《こほろぎ》鳴くも
    秋風之 寒吹奈倍 吾屋前之 淺茅之本尓 蟋蟀鳴毛
 
【語釈】 略す。
【釈】 秋風が寒く吹いて来るのにつれて、わが家の庭の浅茅のもとで蟋蟀が鳴くよ。
【評】 秋の季節感を、蟋蟀によってあらわしている歌である。蟋蟀を秋風に吹かれて鳴くものとし、また浅茅のもとのものとして、条件を付けることによって感じをはっきりさせている。おちついた、気分の細かく働いた歌である。
 
2159 影草《かげくさ》の 生《お》ひたる屋外《やど》の 暮陰《ゆふかげ》に 鳴《な》く蟋蟀《こほろぎ》は 聞《き》けど飽《あ》かぬかも
    影草乃 生有星外之 暮陰尓 鳴蟋蟀者 雖聞不足可聞
 
【語釈】 ○影草の生ひたる屋外の暮陰に 「影草」は、家の陰に生える雑草の称。「屋外」は、家の外、庭先。「暮陰」は、夕明り。
【釈】 影草が生えている庭先の夕明りに鳴いている蟋蟀は、聞いても飽かないことである。
【評】 これは蟋蟀の鳴いている場所へ立ち寄って、静かに聞き入っている心である。その居場所と時とを詳しくいっているのは、事相としてのものではなく、その環境が蟋蟀の声のもつ気分によく調和しているとしてであって、それがやがて蟋蟀の声の感じなのである。「聞けど飽かぬ」はその気分である。それにしても上の歌だけの気分はあらわれていない。
 
2160 庭草《にはくさ》に 村雨《むらさめ》ふりて 蟋蟀《こほろぎ》の 鳴《な》く声《こゑ》聞《き》けば 秋《あき》づきにけり
    庭草尓 村雨落而 蟋蟀之 鳴音聞者 秋付尓家里
 
【語釈】 ○庭草に村雨ふりて 「村雨」は、一しきりづつ降る俄雨。○秋づきにけり 「秋づき」は、「づく」は名詞に続き、その名詞の状態をあらわす語で、熟して用いられる。秋らしくなる意。
【釈】 庭草の上に村雨が降って、鳴く蟋蟀の声を聞くと、秋らしくなったことだ。
(504)【評】 庭の上が急に秋らしくなって来たという季節感である。 蟋蟀の鳴くのはその草のもとである。軽い驚きの歌である。庭草の村雨に濡れた色に、秋を感じるのは、鋭敏だといえる。
 
     蝦《かはづ》を詠める
 
2161 み吉野《よしの》の 石本《いはもと》さらず 鳴《な》く河蝦《かはづ》 うべも鳴きけり 河《かは》を清《さや》けみ
    三吉野乃 石本不避 鳴川津 諾文鳴來 河乎淨
 
【語釈】 ○み吉野の石本さらず 「み吉野」は、吉野川。下で説明している。「石本」は、石の裾で、石は河中の物。旧訓。「きらず」は、「朝さらず」「夕さらず」などのそれと同じく、石本ごとに。○鳴く河蝦 鳴く河鹿よで、詠歎したもの。○うべも鳴きけり 「うべ」は、諾《うへな》う意の副詞で、もっともである。「けり」は、詠歎。○河を清けみ 「清けみ」は、清かであるゆえに。河鹿は清流でないと棲まないものである。
【釈】 吉野川の河中の石の裾ごとに鳴いている河鹿よ。鳴いているのももっともであるよ。河が清かなので。
【評】 秋、吉野川に鳴いている河鹿を愛でた心である。「石本さらず」といい、「河を清けみ」といって、その繁く、声の清らかなことをあらわしている。四、五句のあらさに実感が出ている。気分としきらないところに、生動が見られる。
 
2162 神名火《かむなび》の 山下《やました》響《とよ》み 行《ゆ》く水《みづ》に 河蝦《かはづ》鳴《な》くなり 秋《あき》と云《い》はむとや
    神名火之 山下動 去水丹 川津鳴成 秋登將云鳥屋
 
【語釈】 ○神名火の山下響み 「神名火」は、どこであるか不明であるが、山裾を河の流れている関係から、飛鳥の神名火すなわち雷岳であろう。「山下響み」は、山の裾を響かせて。○行く水に 飛鳥川の流れに。○秋と云はむとや 秋が来たと告げ知らせようとしてであろうか。
【釈】 神名火の山の山裾を響かせて流れてゆく水に、河鹿が鳴いていることだ。秋が来たということを告げ知らせようとしてであろうか。
【評】 雷岳の裾で、飛鳥川の河鹿を聞いての感である。「秋と云はむとや」は、河鹿は秋のものだということが成立していたとみえる。河鹿は初夏から鳴くものであるが、そのさみしく澄んだ声から秋のものとしていたことは、この時代の季節感の根(505)拠を示しているものといえる。飛鳥川を神名火の裾で捉えているのも、結句に気分の絡みのあるものであろう。
 
2163 草枕《くさまくら》 旅《たび》に物念《ものも》ひ 吾《わ》が聞《き》けば 夕片設《ゆふかたま》けて 鳴《な》く河蝦《かはづ》かも
    草枕 客尓物念 吾聞者 夕片設而 鳴川津可聞
 
【語釈】 ○旅に物念ひ吾が聞けば 「物念ひ」は、家恋しい嘆き。「聞けば」は、嘆きをして耳を澄ましておればの意。○夕片設けて 夕べになろうとして。巻二(一九一)及び上の(一八五四)(二一三三) に既出。
【釈】 旅にあって、家恋しい嘆きをして耳を澄ましていると、夕べにならうとして、鳴く河鹿であるよ。
【評】 旅にいて、旅愁の募る夕方、おりからの河鹿の声で、さらに募らせられた心である。それをいうに、概念的にはしまいとして、実際に即する形で気分としていっているのである。「旅に物念ひ吾が聞けば」は、事としては語続きに飛躍があるが、気分としては自然に続くものである。「夕片設けて鳴く河蝦」も、事であるとともに、そのことがすでに感傷なのである。素朴な形でいっているが、新傾向の歌風である。
 
2164 瀬《せ》を速《はや》み 落《お》ち激《たぎ》ちたる 白浪《しらなみ》に 河蝦《かはづ》鳴《な》くなり 朝夕《あさよひ》毎《ごと》に
    瀬呼速見 落當知足 白浪尓 川津鳴奈里 朝夕毎
 
【語釈】 ○瀬を早み落ち激ちたる白浪に 瀬が速いので、流れ落ちて沸き立つ白浪の中に。
【釈】 瀬が速いので、流れ落ちて沸き立つ白浪の中に、河鹿が鳴いていることだ。朝夕ごとに。
【評】 渓流の白浪の騒ぐ中に、声の低い河鹿の音を聞きとめて、驚異の感を起こした心である。加えいうべき何事もないとして、見たままをいい、驚異の感は強い調べに託してあらわしているのである。「朝夕毎に」は、その地にとどまっていて、連続してその感を味わった意で、気分を実際から遊離させまいとしてである。
 
2165 上《かみ》つ瀬《せ》に 河蝦《かはづ》妻《つま》呼《よ》ぶ 夕《ゆふ》されば 衣手《ころもで》寒《さむ》み 妻《つま》まかむとか
(506)    上瀬尓 河津妻呼 暮去者 衣手寒三 妻將枕跡香
 
【語釈】 ○上つ瀬に河蝦妻呼ぶ 上の瀬のほうに、河鹿が妻を呼んでいるで、「上つ瀬」は作者の位置を示したもの。「妻呼ぶ」は、河鹿の声の哀調からの連想である。○夕されば衣手寒み 夕方になると衣が寒いので。「夕されば」は、作者が河鹿の音を聞いている現在。「衣手寒み」は、作者の現状でもある。○妻まかむとか 妻の手を枕としようとしてであろうか。
【釈】 上の瀬のほうに、河鹿が妻を呼んで鳴いている。夕方となって、衣が寒いので、妻の手を枕にしようとてであろうか。
【評】 旅人として夕方河のほとりで河鹿の声を聞いている感である。「上つ瀬に」と実際に即して言い出しているが、以下はすべて作者の感情移入で、河鹿を相手に「衣手寒み」というようなことまでいっているのである。一方ではこうしたことがかえっておもしろいとされていたかもしれぬ。歌を純文芸のものと限らない気分も、一方には存在していたからである。
 
     鳥を詠める
 
2166 妹《いも》が手《て》を 取石《とろし》の池《いけ》の 浪《なみ》の間《ま》ゆ 鳥《とり》が音《ね》異《け》に鳴《な》く 秋《あき》過《す》ぎぬらし
    妹手呼 取石池之 浪間從 鳥音異鳴 秋過良之
 
【語釈】 ○妹が手を取石の池の 「妹が手を」は、取ると続き、「取《とろ》」にかかる枕詞。「取石の池」は、大阪府泉北郡取石村(現在、高石町|土生《はぶ》に小池をのこしている)にあった池。『代匠記』は、続日本紀、聖武天皇の頓宮のあった地で、土地の人は今も登呂須《とろす》の池と呼んでいるといっている。○浪の間ゆ 浪の間を通して。○鳥が音異に鳴く 「鳥」は、水鳥。「異に鳴く」は、平常とはちがった声で鳴いている。○秋過ぎぬらし 「過ぎ」は、経過で、秋が経過したらしいで、ここは秋が終わって冬になったのではなく、秋そのものが深くなったらしいの意。
【釈】 妹が手を取るにちなみある取石の池の浪の間を通して、水鳥の声が平常とはちがった声で鳴いている。秋が深まったらしい。
【評】 作者は取石の池に馴れている人で、その池に棲んでいる水鳥の声を聞き馴れている人である。この歌は水鳥の鳴き声の変化から季節の推移を感じた心である。「鳥が音異に鳴く」は、気分としていっているもので、したがって迎えれば広く取れる。渡り鳥の水鳥の新たなのが来ての声とも取れるが、作意はそれではなく、平常棲み馴れている水鳥が、季節の推移に動かされて、平常とは異なった声で鳴くというのであろう。それであればこそ感となり、一首の中心ともなったのである。鳥の姿は見(507)えず、声だけ聞こえた心である。半ばは作者の解で、気分本位の歌である。
 
2167 秋《あき》の野《の》の 尾花《をばな》が末《うれ》に 鳴《な》く百舌鳥《もず》の 声《こゑ》聞《き》くらむか 片聞《かたき》く吾妹《わぎも》
    秋野之 草花我末 鳴百舌鳥 音聞濫香 片聞吾妹
 
【語釈】 ○尾花が末に鳴く百舌鳥の 尾花の穂先にとまって鳴いている百舌鳥の。○声聞くらむか 「らむ」は、現在推量の助動詞。「か」は、疑問の助詞。声を聞いているのだろうかと、その聞いている状態に対して疑っていったもの。百舌鳥の声は高く、むろん聞けば聞こえるものなので、これはわざといっているものである。○片聞く吾妹 「片聞く」は、原文「片聞」。本居宣長は『略解』で、「聞」は「待」の誤写だとし、以後の注も多く従っている。『全註釈』は以前に復させている。「片聞く」は、片思い、片敷くなどと同系の語で、動詞に接続して、その動作の不完全をあらわすもので、ろくに耳に入れないの意だとしている。吾がいうことをろくに耳に入れない吾妹は。
【釈】 秋の野の尾花の穂先にとまって鳴いている百舌鳥の声を、聞いているのであろうか。吾がいうことをろくに耳に入れない吾味は。
【評】 男が吾妹と呼ぶ愛人とともに秋の野にいる時、おりから百舌鳥が、近くの尾花の穂先にとまって鳴いているのを、女は聞き入った格好をしているのを見て、皮肉まじりにからかって詠んだ形の歌である。皮肉まじりというのは、「片聞く」は、男が求婚をした頃、女は女性の習いとして容易に男のいうことに応じなかったことを暗示しているもので、それを言い出したのは、そのことが記憶に新しいからであろう。しかしこれは、現在、隔てのない仲になっているからいえることで、むろんからかいなのである。じつに才の利いた歌である。
 
     露を詠める
 
2168 秋芽子《あきはぎ》に 置《お》ける白露《しらつゆ》 朝《あさ》な朝《さな》 珠《たま》としぞ見《み》る 置《お》ける白露《しらつゆ》
    冷芽子丹 置白露 朝々 珠年曾見流 置白露
 
【語釈】 略す。
【釈】 秋萩に置いている白露。朝々珠であると見ることである。置いている白露よ。
(508)【評】 心は類型的で、形は謡い物風であり、調子を張らせたものである。宴歌かと思われる歌である。
 
2169 夕立《ゆふだち》の雨《あめ》降《ふ》る毎《ごと》に【一に云ふ、打|零《ふ》れば】 春日野《かすがの》の 尾花《をばな》が上《うへ》の 白露《しらつゆ》念《おも》ほゆ
    暮立之 雨落毎【一云、打零者】 春日野之 尾花之上乃 白露所念
 
【語釈】 ○夕立の雨降る毎に 「夕立の雨」は、夕方俄に降る雨。○一に云ふ、打零れば 雨が降ると。
【釈】 夕立の雨が降るごとに(一に云う、雨が降ると)、春日野の尾花の上に宿る白露が念われる。
【評】 夕立の雨は、夕方の雨で、この称は東北地方には残って、それに対し朝立の称もある。これを、「春日野の尾花が上の」と限っているのは、奈良京の人の実際に即させたのである。夕暮の微光の中にきらめく、尾花の上の雫は、時代的気分を負いうるものである。「打零れば」の、その時に即したもののほうが、気分としても強くなる。
 
2170 秋芽子《あきはぎ》の 枝《えだ》もとををに 露霜《つゆじも》置《お》き 寒《さむ》くも時《とき》は なりにけるかも
    秋芽子之 枝毛十尾丹 露霜置 寒毛時者 成尓家類可聞
 
【語釈】 ○枝もとををに 巻八(一五九五)に既出。枝も撓《たわ》むまでに繁く。
【釈】 秋の萩の枝も撓むまでに繁く水霜が置いて、寒くも季節は変わって来たことであるよ。
【評】 「秋芽子の枝もとををに」は、萩の葉に置く露霜は印象的であり、また萩の枝は撓みやすい物なので、感としていうには要を得たものである。一首の語続きに屈折があり、調べにも強さがあって、秋深く肌寒くなった気分をあらわしている。
 
2171 白露《しらつゆ》と 秋《あき》の芽子《はぎ》とは 恋《こ》ひ乱《みだ》れ 別《わ》くこと難《かた》き 吾《わ》が情《こころ》かも
    白露与 秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞
 
【語釈】 ○白露と秋の芽子とは恋ひ乱れ 白露が萩の花の上に置くさまの印象的なのを見て、露は萩を恋うて置き、萩は露を恋うて宿すとし、その乱れ合っているのを「恋ひ乱れ」といっているのである。自然現象に人間性を移入して解する一つの現われである。○別くこと難き吾が情かも(509)何方がどうとも判別の出来ないわが心であるよで、恋い合うものの一つとなっているのを讃える意でいっているもの。
【釈】 白露と萩の花とは、互いに恋い乱れ合っていて、どちらがどうとも判別の出来ないわが心であるよ。
【評】 白露と秋の萩の花とのさまを見て、心あって恋い合い、恋い乱れている仲だと解したのである。他より来て置く白露が男性、受け身になっている萩の花は女性である。奈良朝時代には起こりやすい連想である。この解が中心となっている歌であるが、それを既定のことのごとくさりげなくいい、しかもそれを讃える心を、「別くこと難き吾が情」という言い方であらわしているのは、事としていわず、気分としていおうとする歌風によつてである。巧みな歌である。
 
2172 吾《わ》が屋戸《やど》の 尾花《をばな》おし靡《な》べ 置《お》く露《つゆ》に 手《て》触《ふ》れ吾妹子《わぎもこ》 散《ち》らまくも見《み》む
    吾屋戸之 麻花押靡 置露尓 手觸吾妹兒 落卷毛將見
 
【語釈】 ○尾花おし靡べ 「おし」は、接頭語。「靡べ」は、靡かせて。○手触れ吾妹子 手を触れよ吾妹子と命令したもの。○散らまくも見む 「散らまく」は、「散らむ」の名詞形。
【釈】 わが家の庭の尾花を靡かせて置いている露に、手を触れよ吾妹子よ、我はその零れ散るさまを見よう。
【評】 秋の朝、夫が妻とともに庭に出ていた折の歌である。尾花を撓《しな》わせて一ぱいに置いている露の美しさを見て、零れ散るさまを見ようという連想は自然なものである。それをするに、可憐な妹の手で、尾花を揺り動かさせようとするのも、これまた自然で、一脈の色気のあるものである。清らかな好みである。
 
2173 白露《しらつゆ》を 取《と》らば消《け》ぬべし いざ子《こ》ども 露《つゆ》に競《きほ》ひて 芽子《はぎ》の遊《あそび》せむ
    白露乎 取者可消 去來子等 露尓爭而 芽子之遊將爲
 
【語釈】 ○いざ子ども 「いざ」は、誘う意。「子ども」は、身分の下の者を親しんで呼ぶ称で、呼びかけ。○露に競ひて芽子の遊せむ 露と競って、萩の遊びをしようというので、露に競うのは、萩の花の上に置いている露と競って、我らも萩の花に親しんで、萩の遊すなわち萩の花の前で、それを鑑賞する宴を開こうの意。
【釈】 白露は手に取ったらば消えてしまうだろう。さあ皆の者どもよ、我らもこの露と競って萩の花に親しみ、鑑賞する宴を開(510)こう。
【評】 奈良朝時代は、さまざまの名を設けて宴を聞いた時代であるから、「芽子の遊」という名があっても恠《あや》しむには足りない。新しく思いついた名としても妥当なものである。歌は主人、あるいは長者が、目下の者に対して、「芽子の遊」をしようと命じる心のものである。芽子と露の関係を重くいっているのは、夕露で、夕べの時刻をあらわすためのものである。「露に競ひて」は、萩の花と露との間に男女関係のあることを認めてのものである。心の細かい歌である。
2174 秋田《あきた》苅《か》る 仮廬《かりほ》を作《つく》り 吾《わ》が居《を》れば 衣手《ころもで》寒《さむ》く 露《つゆ》ぞ置《お》きにける
    秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留
 
【語釈】 ○秋田苅る仮廬を作り 秋の田を刈るために寝起きする仮小足を作って。上代は住宅と耕作する田とは遠いのが普通であった。
【釈】 秋の田を刈るための仮小屋を作って、われがそこにいると、袖に寒く露が置いたことである。
【評】 田の畔に仮小屋を作って、そこに寝起きしている農民の歌である。「衣手寒く露ぞ置きにける」は、屋根が粗いので、露が漏れて落ちるのが実情である。素朴な、実感を直写した歌である。小倉百人一首の天智天皇の御製というのは、これが改作されて後撰和歌集へ収められていたものである。
 
2175 この頃《ごろ》の 秋風《あきかぜ》寒《さむ》し 芽子《はぎ》の花《はな》 散《ち》らす白露《しらつゆ》 置《お》きにけらしも
    日來之 秋風寒 芽子之花 令散白露 置尓來下
 
【語釈】 ○芽子の花散らす白露 萩の花を咲かしめるものとした露を、散らすものともしていたのである。風だとしないのは、心あってのことであろう。
【釈】 この頃の秋風は寒い。萩の花を散らす白露は、花の上に置いたらしい。
【評】 家の中にいて、朝か夕べかの風の寒さにつけての連想である。「芽子の花散らす白露」が一首の中心になっている。露と萩の花との関係に人事気分をからませて、そこに趣を感じていたとみえる。
 
(511)2176 秋田《あきた》苅《か》る 苫手《とまで》揺《うご》くなり 白露《しらつゆ》し 置《お》く穂田《ほだ》なしと 告《つ》げに来《き》ぬらし
    秋田苅 苫手搖奈利 白露志 置穂田無跡 告尓來良思
 
【語釈】 ○秋田苅る苫手揺くなり 「秋田苅る」は、下の続きで、秋田刈る仮廬の省略である。「苫手揺くなり」は、「苫」は、『倭名類聚鈔』によると、菅、茅を編んだ物で、屋を覆う物だとある。簾の類で、仮小尾の屋根はもとより、壁代にも用いたとみえる。「手」は、接尾語。「揺くなり」は、人が訪う時、簾を潜って入るのを連想して、何ものかが訪うたとしていっているもの。○白露し置く穂田なしと 白露が、身を置く穂田がないと。「穂田」は穂になった田で、秋田。「なしと」は、刈り取られてしまったからである。「し」は、強意の助詞。○告げに来ぬらし いいに来たらしいで、いうのは恨みである。
【釈】 秋の田を刈る小屋の苫が揺れている。白露が、わが身を置く穂田がないと恨みをいいに来たらしい。
【評】 農民の歌である。秋田刈りという最後の大仕事を終えて、夕方、長く寝起きした仮小屋を引き上げようとする直前の心である。「苫手揺くなり」といい、「白露し」といっているのは、夕風が立って、白露が置きそうな頃と思われる。「白露し置く穂田なしと」は、白露を隣れんでいっているごとくみえる語であるが、そうしたものではなく、農民として楽しく明るい心よりいっている戯言と取れる。そこにおもしろさがある。第三者の構えて詠んだ歌とは取れない。農民の歌とみえる。
 
     一に云ふ、告《つ》げに來《く》らしも
      一云、告尓來良思母
 
【解】 結句の別伝。告げに来るらしいというのであるが、本文の「来ぬらし」のほうが、率直で、事に似合わしく、感がある。
 
     山を詠める
 
2177 春《はる》は萌《も》え 夏《なつ》は緑《みどり》に 紅《くれなゐ》の 綵色《しみいろ》に見《み》ゆる 秋《あき》の山《やま》かも
    春者毛要 夏老緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞
 
(512)【語釈】 ○春は萌え 春は木々が芽を出し。○紅の綵色に 「綵色」は、染め色で、染めた色。集中に用例のある語。
【釈】 春は萌え色に、夏は縁に、今は紅の染め色に見える、秋の山ではあるよ。
【評】 山々を近く眺めて生活している大和の人にとって、春夏秋と変わる山の色は楽しいものであったとみえる。この歌はその中でも最も美しく鮮やかに見える秋の山を、綵色に譬えて讃えているのである。
 
     黄葉《もみち》を詠める
 
2178 妻隠《つまごも》る 矢野《やの》の神山《かみやま》 露霜《つゆじも》に にほひそめたり 散《ち》らまく惜《を》しも
    妻隱 矢野神山 露霜尓 々寶比始 散卷惜
 
【語釈】 ○妻隠る矢野の神山 「妻隠る」は、屋と続き、矢の枕詞。「矢野」は、諸国にある地名である。『全註釈』は「神山」とあるところから、島根県西簸川郡四纏村(現在の、出雲市矢野町)に矢野の字があり、そこには矢野神社がある。この神社は出雲国風土記にも、『延喜式』神名にも出ているので、そこではないかといっている。人麿歌集の歌ということも関係しての推量である。三重県度会郡玉城町矢野説もある。○露霜ににほひそめたり 「露霜」は、水霜。末の葉を黄変させるものとしていっている。「にほひ」は、美しい色になる意で、すなわち黄変すること。「そめたり」は、始めている。○散らまく惜しも 散ることの惜しさよで、既出。
【釈】 妻隠る屋にちなみある、矢野の神山は、水霜で美しい色になりはじめた。散るのは惜しいことだ。
【評】 「妻隠る矢野の神山」という語続きは、人麿らしい特色があるが、他は心としては普通のものである。調べが豊かで、重量をもっている点は、人麿独自のものである。
 
2179 朝露《あさつゆ》に にほひそめたる 秋山《あきやま》に しぐれな降《ふ》りそ 在《あ》り渡《わた》るがね
    朝露尓 染始 秋山尓 鍾礼莫零 在渡金
 
【語釈】 ○朝露ににほひそめたる 朝の露によって、美しい色になりはじめた。○しぐれな降りそ 「時雨」は、続き続きふる夕立で、黄葉を散らすものとしてである。命令。○在り渡るがね 存在し続けるがために。
(513)【釈】 朝露によって美しい色になりはじめた、秋の山に時雨は降るな。存在し続けるがために。
【評】 黄葉しはじめた秋山の美を、長く持続させたいと望む心で、普通のことを正面からまっすぐにいっているだけであるが、句々充実していて、調べが通っているため、「時雨な降りそ」という平凡な語が、調べによって生動して、力強いものとなっている。「在り渡るがね」も、説明の臭いのない、祈りに近い感のある語となっている。上の歌と内容は似ているが、味わいは異なって、変化を示している。
 
     右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右二首、柿本朝臣人麿之哥集出。
 
2180 九月《ながつき》の しぐれの雨《あめ》に 沾《ぬ》れとほり 春日《かすが》の山《やま》は 色《いろ》づきにけり
    九月乃 鍾礼乃雨丹 沾通 春日之山者 色付丹來
 
【語釈】 ○しぐれの雨に 感を強めようとして重語にしたものである。○沾れとほり 「とほり」は、山の木立全体を対象として、人の衣なぞのように強調したもの。
【釈】 九月の時雨の雨が、すっかり濡れとほって、春日山は色づいてしまったことだ。
【評】 秋の黄葉は、時雨に強いられてするものだという、双互の間に男女的気分を連想した上に立っていっているものである。「しぐれの雨」と単語を用い、また、「沾れとほり」という木立に対しては特殊な語を用いていっているのは、男の強く強いる気分をあらわそうとしてのもので、「色づきにけり」にも、女の靡き終わった当座の気分をあらわしているのである。調べの柔らかさも、その気分よりのことである。
 
2181 雁《かり》がねの 寒《さむ》き朝明《あさけ》の 露《つゆ》ならし 春日《かすが》の山《やま》を にほはすものは
    雁鳴之 寒朝開之 露有之 春日山乎 令黄物者
 
【語釈】 ○雁がねの 雁の鳴き声の。○にほはすものは 「にほはす」は、旧訓。「もみたす」という旧訓もある。黄葉するのを「にほはす」とい(514)う用例は多い。「もみたす」はありうる語であるが、他に用例のないものである。作者は「にほはす」に当てて用いた字と思われる。
【釈】 雁の声の寒く聞こえたこの朝明けの露なのであろう。春日の山を黄葉に染めたものは。
【評】 これも上の歌と同じく、春日山がいささか黄になったのを認めての歌である。この歌の作者は、黄葉させたものは露であるとしているが、そこには男女間の気分よりの連想はなく、その露は「雁がねの寒き朝明」のものであるとしている。これは秋の深くなったことをあらわしているもので、露の秋深い頃のものであることをいっているのである。その露で黄葉させたのは、季節の推移にしたがってのことである。「露ならし」と推量の形においてそれをいっているのである。春日山の黄葉を讃える心ではあるが、静かに思い入ってのもので、上の作者とは異なった態度からである。
 
2182 この頃《ごろ》の 暁露《あかときつゆ》に 吾《わ》が屋前《やど》の 芽子《はぎ》の下葉《したば》は 色《いろ》づきにけり
    比日之 曉露丹 吾屋前之 芽子乃下葉者 色付尓家里
 
【語釈】 ○暁露に 朝露の意であるが、暁は、夜のしらじら明けで、朝よりも早い頃。○芽子の下葉 下葉から黄葉するものとしていっている。
【釈】 この頃の暁露で、わが家の庭の萩の下葉は、色づいたことであるよ。
【評】 暁ごろ、庭の花のない萩を静かに眺めやっての心である。取材としては平凡のものであるが、それとしては充実した感をもっている作者の気分がさせているからのことである。「暁露」「芽子の下葉」はいずれも新しい語ではないが、作者の気分の細かさを示すものとなっている。
 
2183 雁《かり》がねは 今《いま》は来鳴《きな》きぬ 吾《わ》が待《ま》ちし 黄葉《もみち》はや継《つ》げ 待《ま》たば苦《くる》しも
    雁鳴者 今者來鳴沼 吾待之 黄葉早繼 待者辛苦母
 
【語釈】 ○黄葉はや継げ 「黄葉」は、呼びかけたもの。「はや継げ」は、早く続いて来よで、雁に続くのである。他より来るものとしていっている。
【釈】 雁は今は来て鳴いた。我が待っていた黄葉よ、早く雁に続いて来よ。待っていたならば苦しいことだ。
【評】 黄葉を待つ心である。「黄葉はや継げ」は、黄葉を雁と同じく他より来るものと見ていっているのである。それまでな(515)かった物の新たに現われるのであるから、気分の上から見れば言い得られることである。気分生活をしている作者が思わせられる。二句と四句で切って、すでに待ったとして「吾が待ちし」といい、この上待つのではと、「待たば」を繰り返しているのである。気分という中でも、しつこい気分の持主である。その意味では個性的な歌である。
 
2184 秋山《あきやま》を ゆめ人《ひと》懸《か》くな 忘《わす》れにし その黄葉《もみちば》の 思《おも》ほゆらくに
    秋山乎 謹人懸勿 忘西 其黄葉乃 所思君
 
【語釈】 ○ゆめ人懸くな 秋山のことを、けっして人よ口に出すなで、「ゆめ」は、強い禁止である。直接、人に対しての語と取れる。○忘れにしその黄葉の 忘れていた黄葉がで、去年の黄葉であろう。「その」は、強調させたもの。○思ほゆらくに 思い出されることだのに。
【釈】 秋山のことを、決して人よ口には出すな。忘れていたその黄葉が思い出されることだのに。
【評】 他人との対談の一節を歌にした形のものである。山に囲まれている大和国の人の歌であるから、「秋山をゆめ人懸くな」という禁止は、外出不可能な状態の時でなければいわない語と取れる。病中とか、余儀ない事情に捉われている人の語であろう。「忘れにしその黄葉の」は、病中の人であろう。それだと一種のあわれのある歌である。興趣へのあこがれとしては詠み方が単純にすぎる。
 
2185 大坂《おほさか》を 吾《わ》が越《こ》え来《く》れば 二上《ふたがみ》に黄葉《もみちば》流《なが》る しぐれ降《ふ》りつつ
 大坂乎 吾越來者 二上尓 黄葉流 志(516)具礼零乍
 
【語釈】 ○大坂を 「大坂」は、大和から河内へ越える坂で、二上山の北方に接している坂である。北葛城郡香芝町に大字逢坂の名が残り、同町穴虫に大坂山口神社がある。○二上に黄葉流る 「二上」は、二上山で、巻二(一六五)に既出。北葛城郡に属し、西葛城山脈中の一嶺。「流る」は、ここは、空を伝わって落ちる状態をいっているもの。
【釈】 大坂を吾が越えて来ると、二上山には黄葉が散って流れている。時雨が降りつづいていて。
【評】 時雨に打たれて散る黄葉の趣がある。山を背景にして散る黄葉を、ほどよい距離で大観している歌なので、印象が鮮明である。形の単純なのがこの歌を生かしているのであるが、それは地名を二つまで用いているからのことである。
 
2186 秋《あき》されば 置《お》く白露《しらつゆ》に 吾《わ》が門《かど》の 浅茅《あさぢ》がうら葉《は》 色《いろ》づきにけり
    秋去者 置白露尓 吾門乃 浅茅何浦葉 色付尓家里
 
【語釈】 略す。
【釈】 秋になると、置く白露で、わが門の浅茅の葉先のほうは、色づいたことであるよ。
【評】 季節感をいったものである。ちがやの葉先に白露が宿っていて、その対照からちがやの色づいたのを感じた心で、感性の細かさがある。実際に即しているので、平明ではあるが、空疎ではない。
 
2187 妹《いも》が袖《そで》 巻来《まきき》の山《やま》の 朝露《あさつゆ》に にほふ黄葉《もみち》の 散《ち》らまく惜《を》しも
    妹之袖 卷來乃山之 朝露尓 仁寶布黄葉之 散卷惜裳
 
【語釈】 ○妹が袖巻来の山の 「妹が袖」は、纏きと続いて、巻の枕詞。「巻来の山」は、所在不明である。誤写説がある。○朝露ににほふ黄葉 朝露で染められている黄葉。
【釈】 妹が袖を纏くにちなみある巻来の山の、朝露に染められている黄葉の散るであろうことの惜しさよ。
【評】 「巻来の山」は、この作者の妹の住地の山とすると、枕詞とのつながりもつき、「朝露ににほふ」も、「散らまく」も、(517)気分のあるものとなる。その意味のもで、恋の気分よりの歌と思われる。
 
2188 黄葉《もみちば》の にほひは繁《しげ》し 然《しか》れども 妻梨《つまなし》の木《き》を 手折《たを》りかざさむ
    黄葉之 丹穗日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒
 
【語釈】 ○にほひは繁し 「にほひ」は、美しい色合いで、名詞。「繁し」は、いろいろの種類がある。○妻梨の木を 「妻梨」は、「妻」は序詞で、梨の木。「君松の木」などと同じ言い方である。梨の木の黄葉で、このような語を用いているのは、作者が妻を喪った人だからとみえる。○手折りかざさむ 折って挿頭そうで、挿頭を挿す際のこと。
【釈】 黄葉の色合いはさまざまである。しかしながら妻無しという名をもった梨の木の黄葉を折って挿頭としよう。
【評】 人々が集まって宴を張り、庭の黄葉を好みにしたがって折って挿頭とする時、妻を喪った人の詠んだ形の歌である。場合柄、おもしろく思われた歌であろう。
 
2189 露霜《つゆじも》の 寒《さむ》き夕《ゆふべ》の 秋風《あきかぜ》に もみちにけりも 妻梨《つまなし》の木《き》は
    露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉尓來毛 妻梨之木者
 
【語釈】 ○もみちにけりも 「も」は、感動の助詞。○妻梨の木は 上の歌と同じ。
【釈】 水霜の置く寒い夕べの秋風で、もみじしたことであるよ。妻梨の木は。
【評】 秋風のひどく寒い夕べの風に、梨の木の黄にもみじしたのを見出だしての心である。「妻梨」に妻の無い心を絡ませ、初句から三句まで力を籠めて秋風のことをいっているのは、妻の無い身のわびしい気分を、それによってあらわしているのである。特殊な気分を、実景に即して具象しているもので、譬喩歌である。上の歌の作者と同じ人かもしれぬ。
 
2190 吾《わ》が門《かど》の 浅茅《あさぢ》色《いろ》づく 吉隠《よなばり》の 浪柴《なみしば》の野《の》の 黄葉《もみち》散《ち》るらし
    吾門之 淺茅色就 吉魚張能 浪柴乃野之 黄葉散良新
 
(518)【語釈】 ○吉隠の浪柴の野の 「吉隠」は、巻二(二〇三)、巻八(一五六一)に既出。奈良県磯城郡、今の桜井市初瀬町の内にある。「浪柴の野」は、さらにその地域内にあったのであるが、今は明らかでない。
【釈】 わが門の浅茅が色づいている。吉隠の浪柴の野の黄葉は、散っているらしい。
【評】 平地にある自分の家の浅茅の色づいたのを見て、高地の吉隠の秋の深さを思いやった心である。浪柴の野という、今はその名の伝わっていない野を特に思いやっているのは、深く記憶に残っているからである。季節の移り目に、曾遊の地の風物のさまを思いやるということは自然なことで、そのこと自体が一種の興味のあることである。この歌はそうした気分の表現である。作者と吉隠との関係は、この場合問題にならないものである。
 
2191 雁《かり》がねを 聞《き》きつるなへに 高松《たかまつ》の 野の上《へ》の草《くさ》ぞ 色《いろ》づきにける
    鴈之鳴乎 聞鶴奈倍尓 高松之 野上乃草曾 色付尓家留
 
【語釈】 ○高松の野の上の草ぞ 「高松」は、(一八七四)に出た。「高円」である。「野の上」は、「上」は、感を強めたもの。
【釈】 雁の音を聞いたとともに、高松の野の草は黄に色づいたことである。
【評】 季節の推移に思い入つた心である。地名によって生かされた歌である。
 
2192 吾《わ》が背子《せこ》が 白《しろ》たへ衣《ごろも》 往《ゆ》き触《ふ》れば 染《にほ》ひぬべくも もみつ山《やま》かも
    吾背兒我 白細衣 徃觸者 應染毛 黄變山可聞
 
【語釈】 ○白たへ衣 白い衣で、庶民の常服。○往き触れば 「往き触れば」は、旧訓。「触る」は下二段として用いられていた。○染ひぬべくももみつ山かも 「染ひぬべく」は、染まりそうなまでに。「もみつ」は、四段活用。終止形からも名詞に続いた。もみじしている山よ。
【釈】 わが背子の白い衣が、そこへ往って触れたならば、染まりそうにももみじしている山よ。
【評】 妻である女が、近くの黄葉した山に対して、その美しさを讃えたものである。「往き触れば染ひぬべくも」は、男はおそらく山の仕事もしようし、女は衣を染めるのは普通であるから、心理的の自然があり、感覚的でもあって、譬喩としてきわ(519)めて適切なものである。この歌は庶民のものと思われる。その率直で、生趣のあるところが、貴族の歌風とは異なっているからである。
 
2193 秋風《あきかぜ》の 日《ひ》にけに吹《ふ》けば 水茎《みづぐき》の 岡《をか》の木《こ》の葉《は》も 色《いろ》づきにけり
    秋風之 日異吹者 水莖能 岡之木葉毛 色付尓家里
 
【語釈】 ○日にけに 日に殊にで、日に増して。○水茎の岡の木の葉も 「水茎の」は、岡の枕詞として用いられているが、その関係は明らかでない。「岡」は、普通名詞で、今日と同じもの。
【釈】 秋風が日に増して吹くので、岡の木の葉も色づいたことである。
【評】 吹き続く秋風で、低い岡の木も黄葉したというので、高い山の黄葉を背後に置き、そのつながりを気分としての歌である。黄葉のあまねきことをあらわしている心である。
 
2194 雁《かり》がねの 来鳴《きな》きしなへに 韓衣《からころも》 立田《もたつた》の山《やま》は もみちそめたり
    鴈鳴乃 來鳴之共 韓衣 裁田之山者 黄始有
 
【語釈】 ○韓衣立田の山は 「韓衣」は、唐より渡来した形の衣で、愛用され、一般化したため、衣の意で用いられるに至ったもので、裁ち縫いの「たつ」と同音で、「立田」の枕詞。「立田の山」は、巻一(八三)以下しばしば出た。
【釈】 雁が来て鳴いたのに伴って、立田山の木は黄葉をし始めて来た。
【評】 雁と黄葉との間の関係を、名高い立田山に結びつけたものである。当時の人には立田山は、その名だけですでに魅力があったのであろう。したがって「韓衣」という枕詞も感のあったものと思われる。
 
2195 雁《かり》がねの 声《こゑ》聞《き》くなへに 明日《あす》よりは 春日《かすが》の山《やま》は もみち始《そ》めなむ
    鴈之鳴 聲聞苗荷 明日從者 借香能山者 黄始南
 
(520)【語釈】 ○明日よりは 雁の声を聞いた日の明日で、その関係は、季節感を超えたもののように緊密である。しだいに人事的になったことを暗示しているといえる。
【釈】 雁の鳴く声を聞くに伴って、明日からは、春日山は黄葉しはじめるだろう。
【評】 雁と黄葉の関係で常套的な心であるが、「明日よりは」に新意ありとしての作であろう。「声聞くなへに」と「明日よりは」の続きにも、多少の無理があって、そのことを思わせる。季節感だけでは満足できず、男女関係にまで発展させようとする心のあるものと思わせる。
 
2196 しぐれの雨《あめ》 間《ま》なくし降《ふ》れば 真木《まき》の葉《は》も 争《あらそ》ひかねて 色《いろ》づきにけり
    四具礼能雨 無間之零者 眞木葉毛 爭不勝而 色付尓家里
 
【語釈】 ○真木の葉も争ひかねて 「真木」は、杉・檜の類を讃めての称。「も」は、さえも。「争ひかねて」は、時雨は木の葉を染めようとし、木の葉は染められまいとして争う、その争いに堪え得ずして、すなわち負かされて。○色づきにけり 杉・檜は秋が深くなると褐色を帯びて来る。
【釈】 時雨が絶え間なく降るので、常磐木の杉・檜の葉も、染められまいと争うに堪えられなくて、色づいたことであるよ。
【評】 「真木の葉も争ひかねて」が作意である。実際に多少それに近いことがあるにもせよ、事としていっているのではなく、気分としていっているのである。男女関係の上では、黄葉しそうもない真木も、時雨が甚しく降れば堪えられないものであるとして、そこに人間性があるとしているのである。興味としていわず、真相としていっているので、ある重みがある。
 
2197 いちしろく しぐれの雨《あめ》は 降《ふ》らなくに 大城《おほき》の山《やま》は 色《いろ》づきにけり
    灼然 四具礼乃雨者 零勿國 大城山者 色付尓家里
 
【語釈】 ○いちしろく 目に立って。○大城の山は 福岡県筑紫郡大野町の東、大宰府の背後にある四王寺山脈の山で、注に詳しい。
【釈】 目に立っては時雨は降らないことだのに、大城の山は色づいたことである。
【評】 黄葉は時雨がさせるものだという概念が成り立っていて、その角度より見ての感動である。概念が感動を制しているので(521)はなく、反対に刺激しているのである。品のある詠み方である。
 
     大城の山と謂へるは、筑前の国|御笠《みかさ》の郡に在る大野《おほの》山の頂の号《な》を大城と曰へるものなり。
      謂2大城山者1、在2筑前國御笠郡1大野山頂號曰2大城1者也。
 
【解】 大城の山という名が広く知られているものではないところからの注で、多分作者自身付けたものであろう。作者は大宰府に居たことのある人である。「大野山」は、巻五(七九九)に出た。
 
2198 風《かぜ》吹《ふ》けば 黄葉《もみち》散《ち》りつつ 少《すくな》くも 吾《あが》の松原《まつばら》 清《きよ》からなくに
    風吹者 黄葉散乍 小雲 吾松原 清在莫國
 
【語釈】 ○少くも 原文、元暦校本は「少雲」で、『新訓』の訓。この語は、これに続く語の内容の少ないことをいう副詞で、最後に必ず打消しの語をもって受けるもので、定まった形をもったものである。ここは、「吾の松原清からなくに」と続き、吾の松原が、少なく清いのではないことだで、大いに清いということを、消極的な言い方をしたものである。相聞の歌には例が少なくなく、巻十一(二五二三)「少くも心のうちに吾が思はなくに」の言い方は三例あり、いずれも大いに思う意である。この解は、『全註釈』が明らかにしたものである。○吾の松原 三重県三重郡にあるという。
【釈】 風が吹くと、黄葉が散りつづけて、大いに吾の松原は清いことだ。
【評】 「少くも」以下の言い方は、型となっていた言い方のものであるが、集中の用例など見ると、叙景に用いているのはこれが初めてである。松原の中へ、秋風に散らされる黄葉が点じて来る美しさであるから、美観とはいえ、華麗なものではなくて、むしろ清らかさの勝った美観である。しかし感じからいうと大いに美しいので、これを気分的にあらわそうとすれば、適当な言い方というべきであろう。「吾の松原」は巻六(一〇三〇)に出ていて、参照すべきものに思われる。
 
2199 物念《ものも》ふと 隠《こも》らひをりて 今日《けふ》見《み》れば 春日《かすが》の山《やま》は 色《いろ》づきにけり
    物念 隱座而 今日見者 春日山者 色就尓家里
 
(522)【語釈】 ○物念ふと隠らひをりて 「物念ふと」は、原文「物念」で、「と」は、読み添え。物思いをするとて。「隠らひ」は、籠もるの連続で、家に龍もりつづけていて。
【釈】 嘆きがあるとて家に籠もり続けていて、今日屋外に出て見れば、春日山は色づいたことである。
【評】 見馴れている春日山に対して驚きを感じた気分で、その驚いた気分そのものをあらわそうとした歌である。奈良朝時代の人でなければ、こうした境を捉えて歌材とすることはあるまいと思われるものである。実際に即してはいるが、物思いも春日山も、この歌では方便にすぎないものである。生きた歌である。
 
2200 九月《ながつき》の 白露《しらつゆ》負《お》ひて あしひきの 山《やま》のもみたむ 見《み》まくしもよし
    九月 白露負而 足日木乃 山之將黄變 見幕下吉
 
【語釈】 ○九月の白露負ひて 九月の露を帯びて。○山のもみたむ 山の木のもみじしているだろうのを。「もみつ」は、四段に活用していた語である。○見まくしもよし 見ることは良い。
【釈】 九月の露を帯ひて、山のもみじしているだろうのを、見るのは良いことだ。
【評】 露の繁く置くころの黄葉の山を思いやって、憧れの心を寄せている歌である。「白露負ひて」といい、「山のもみたむ」といっている語続きは清らかで、憧れの心にふさわしい。
 
2201 妹許《いもがり》と 馬《うま》に鞍《くら》置《お》きて 射的山《いこまやま》 うち越《こ》え来《く》れば 紅葉《もみち》散《ち》りつつ
(523)    妹許跡 馬※[木+安]置而 射駒山 撃越來者 紅葉散筒
 
【語釈】 ○射駒山うち越え来れば 「射駒山」は、生駒山で、奈良県生駒郡と、大阪府枚岡市との間の、奈良から難波へ行く通路にあたる山。「来れば」は、妹の家を中心としての言い方で、奈良の方面にいる妻。
【釈】 妹のもとへ行こうとして、馬に鞍を置いて、生駒山を越えて来ると、紅葉が散りつついる。
【評】 難波に遣わされている官人が、奈良方面にいる妻のもとへ通う心を詠んだものである。楽しく明るい気分をあらわすために、自身の状態を描いているものである。妻問いのため遠距離を歩くことは、上代にはむしろ普通のことで、例の多いものである。
 
2202 黄葉《もみち》する 時《とき》になるらし 月人《つきひと》の 楓《かつら》の枝《えだ》の 色《いろ》づく見《み》れば
    黄葉爲 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
 
【語釈】 ○月人の楓の枝の 「月人」は、月を「月人|壮子《をとこ》」といったのと同じく、月を擬人したもの。「楓の枝」は、月の中に楓の木がありとする伝説によるもので、これは巻四(六三二)「月の内の楓の如き」に出た。楓はかつら科の落葉喬木で、かえでとは異なるものである。
【釈】 黄葉する時になるらしい。月人の物である楓の枝の黄葉するのを見ると。
【評】 秋の月の光の澄んで来るのを見て、地上でも黄葉する時になったらしいと推量した心である。「月人の楓の枝の色づく」という言い方は、奈良朝の知識人の間では常識に近いものになっていたろうと思われる。気分を重んじる人々には好まれそうな伝説であり、それをいうにもさり気ない言い方をしているからである。
 
2203 里《さと》もけに 霜《しも》は置《お》くらし 高松《たかまつ》の 野山司《のやまづかさ》の 色《いろ》づく見《み》れば
    里異 霜者置良之 高松 野山司之 色付見者
 
【語釈】 ○里もけに 「けに」は、格別に。○高松の野山司の 「高松」は、高円で、上の(二一九一)に既出。「野山司」は、その辺りでの小高い所で、周辺を支配するごとき形をなしている所の称。巻四(五二九)「佐保河の岸のつかさ」と出、他にもある。「野山司」は、その辺りの野や山を通じての小高い所。
(524)【釈】 里のほうも格別に霜が置いているだろう。この高松の野山司が黄葉するのを見ると。
【評】 高円に登って、そこの野山司の黄になっているのを見て、これでは里のほうも霜が深いだろうと想像した心である。季節感の歌であるが、「野山司」と、その認めた実際に即していっているもので、その感が生きて、しみじみしたものとなっている。
 
2204 秋風《あきかぜ》の 日《ひ》にけに吹《ふ》けば 露《つゆ》重《しげ》み 芽子《はぎ》の下葉《したば》は 色《いろ》づきにけり
    秋風之 日異吹者 霧重 芽子之下葉者 色付來
 
【語釈】 ○霧重み 「重み」は、繁く置いてで、状態としていったもの。
【釈】 秋風が日増しに寒く吹くので、露が繁く置いて、萩の下葉は黄葉したことだ。
【評】 季節感で、類歌のあるものだ(二一九三)。「秋風の日にけに吹けば」は、秋が深くなるのでの意をいったものであるが、成句を用いたために、「露重み」との続きが、かえって不自然に感じられるものとなった。
 
2205 秋芽子《あきはぎ》の 下葉《したば》もみちぬ あらたまの 月《つき》の経去《へゆ》けば 風《かぜ》を疾《はや》みかも
    秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨
 
【語釈】 ○あらたまの月の経去けば 「あらたまの」は、年より月に転じての枕詞。「月の経去けば」は、月が重なったことをいったもの。○風を疾みかも 「疾みかも」は、強くなったゆえかという意で、「かも」は、疑問。
【釈】 秋萩の下葉が赤らんで来た。月が過ぎて行ったので、風が強くなったゆえであろうか。
【評】 ここでは萩の下葉の赤くなったのを、秋風の強くなったためかとしている。紅葉の原因を求めようとする心が働いている跡が見える。気分化を喜ぶ心の一方には、こうした心も働きはじめていたのである。
 
2206 まそ鏡《かがみ》 南淵山《みなぶちやま》は 今日《けふ》もかも 白露《しらつゆ》置《お》きて 黄葉《もみち》散《ち》るらむ
    眞十鏡 見名淵山者 今日鴨 白露置而 黄葉將散
 
(525)【語釈】 ○まそ鏡南淵山は 「まそ鏡」は、「見」と続き、その枕詞。「南淵山」は、奈良県高市郡明日香村大字稲淵にあり、今は稲淵山という。飛鳥川の上流に臨んでいる山。○今日もかも 「も」は、詠歎。「かも」は、疑問の係助詞。
【釈】 まそ鏡を見るにちなむ南淵山は、今日は、白露が置いて黄葉が散っているであろうか。
【評】 南淵山をなつかしんで、その山の黄葉の静かに散るさまを眼に描いていっている心である。南淵山は飛鳥の故郷の山で、その意味から見馴れ親しんでいるからのことと思われる。「まそ鏡」の枕詞も、「白露置きて」も、気分を主としての語で、一首としても気分のまとまりのよいところから来る厚みのある歌である。
 
2207 吾《わ》が屋戸《やど》の 浅茅《あさぢ》色《いろ》づく 吉隠《よなばり》の 夏身《なつみ》の上《うへ》に 時雨《しぐれ》ふるらし
    吾屋戸之 淺茅色付 吉魚張之 夏身之上尓 四具礼零疑
 
【語釈】 ○吉隠の夏身の上に 「吉隠」は、上の(二一九〇)に出た。「夏身」は、吉隠の内の地名であるが、所在は不明である。「上」は、辺り。
【釈】 わが家の浅茅は色づいた。吉隠の夏身の辺りは、時雨が降っているだろう。
【評】 上の(二一九〇)「吾が門の浅茅色づく」と、作意も、構成も全く同一で、「浪柴の野」が「夏身」となり、「黄葉散るらし」が「時雨ふるらし」に変わっているのみである。多分作者は同じ人で、一つの気分を反芻して飽かなかったのであろう。作者からいうと連作の形になっていたのかもしれぬ。
 
2208 雁《かり》がねの 寒《さむ》く鳴《な》きしゆ 水茎《みづぐき》の 岡《をか》の葛葉《くずは》は 色《いろ》づきにけり
    雁鳴之 寒鳴從 水莖之 岡乃葛葉者 色付尓來
 
【語釈】 ○寒く鳴きしゆ 「鳴きしゆ」は、寒く鳴いた時から。○水茎の岡の葛葉は 「水茎の岡」は、(二一九三)に出た。「葛葉」は、葛の葉。
【釈】 雁が声寒く鳴いた時から、岡の葛の葉は色づいたことだ。
【評】 雁の鳴き声と葛の葉の黄葉との間に関係を認めたものである。気分の歌で、実際を離れないために、味わいあるものとなっている。
 
(526)2209 秋芽子《あきはぎ》の 下葉《したば》の黄葉《もみち》 花《はな》に継《つ》ぐ 時《とき》過《す》ぎ行《ゆ》かば 後《のち》恋《こ》ひむかも
    秋芽子之 下葉乃黄葉 於花繼 時過去者 後將戀鴨
 
【語釈】 ○花に継ぐ 花に続いて、その美しさを見せているで、下葉の黄葉を讃えたもの。○時過ぎ行かば 黄葉の期間が過ぎたならばで、すなわち散ってしまったならば。
【釈】 秋萩の下葉の黄葉の美しさが、その花の美しさに続いている。この黄葉の時期が過ぎて散ったならば、後になって恋うるであろうか。
【評】 花の過ぎた後、萩の下葉の黄葉したのを眺めて、それの散るであろう後を思いやっている心である。萩の下葉の黄葉の美しさは限度のあるもので、さして美しいとはいえないものである。それに対して愛着を感じているのは、耽美気分のさせることで、耽美とはいえ、しめやかな幽かなものである。実際に即していっているので、ようやく受け入れられるものである。
 
2210 明日香河《あすかがは》 黄葉《もみちば》流《なが》る 葛城《かづらき》の 山《やま》の木《こ》の葉《は》は 今《いま》し散《ち》るらし
    明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑
 
【語釈】 ○明日香河黄葉流る 「明日香河」は、下の続きで見ると、「葛城の山」の黄葉を流して来るものである。これは大和の明日香河 としては通じないことになる。山田孝雄氏が考証して、この「明日香河」は、二上山から流れ出し、河内国の石川に注ぐ飛鳥河だといっている。○葛城の山の木の葉は 葛城の山は大和と河内の国境にある山
(527)で、金剛、葛城、二上などの連嶺の総称である。○今し散るらし 「し」は、強意。「らし」は、原文「疑」。用例のある字で(二二〇七)にも出た。
【釈】 明日香河には黄葉が流れている。葛城山の木の葉が今散っているであろう。
【評】 河内国の明日香河に立ち、浮かんで流れて来る黄葉を見て、その河の水源である大和国の葛城山の黄葉であろうと思いやったのである。上代は国の異なるということは、距離の遠さを感じさせたのであるから、そういう気分も伴ってのものであろう。
 
2211 妹《いも》が紐《ひも》 解《と》くと結《むす》びて 立田山《たつたやま》 今《いま》こそ黄葉《もみち》 はじめたりけれ
    妹之紐 解登結而 立田山 今許曾黄葉 始而有家礼
 
【語釈】 ○妹が紐解くと結びて 妹が衣の紐を、また解こうとて、今結んでの意と取れる。上代の夫妻は、相逢った時は妻は夫の衣の紐を、夫は妻の紐を解き、別れる時にもまた同じように結んだ。結ぶのは、信仰よりのことで、わが魂を結び籠めて、相手の身とともにあらしめるためであった。ここは、結んでその家を立つの意で、初二句「立つ」にかかる序詞。この序詞は異説の多いものである。○立田山 しばしば出た。○今こそ黄葉はじめたりけれ 「黄葉」は、動詞とも名詞とも取れる。名詞として解す。もみじをし始めたことである。
【釈】 妹が衣の紐を、また解こうとて、今結んでその家を立つにちなむ立田山は、今こそは黄葉をしはじめたことである。
【評】 立田山の初もみじを目にした喜びをいったものである。立田越えをする旅人として、ゆくりなく発見したものとみえる。序詞はこの時代の男にとっては、妻に逢って別れるごとにしている普通のことであるが、この作者は立田越えをして旅に向かう際とて、妻を思うとともに、妻との別れの際のことが鮮かに心にあって、その意味でいっているものである。すなわち気分のつながりのあるものである。「今こそ黄葉はじめ」という、黄葉の美しさを讃える心にも、逢い難いことになったために魅力の増している妻を思う気分が絡んでいるものとうかがわれる。気分本位の歌である。
 
2212 雁《かり》がねの 来喧《きな》きにLより 春日《かすが》なる 三笠《みかさ》の山《やま》は 色《いろ》づきにけり
    鴈鳴之 喧之從 春日有 三笠山者 色付丹家里
 
【語釈】 ○雁がねの来喧きにしより 「雁がね」は、雁。「来喧きにしより」は、原文「喧之従」。読み添えの必要のある字であり、紀州本と、『代(528)匠記』精撰本とはこのように訓んである。例の多い語で妥当性が多い。来て鳴いた日から。
【釈】 雁が来て鳴いた時から、春日の三笠の山は黄葉したことである。
【評】 雁の声と黄葉との間に緊密な関係を認めた心のものである。男女関係である。そうした気分だけを主とした歌であるから、そうした解はまだ新味があったものとみえる。
 
2213 この頃《ごろ》の 暁露《あかときつゆ》に 吾《わ》が屋戸《やど》の 秋《あき》の芽子原《はぎはら》 色《いろ》づきにけり
    比者之 五更露尓 吾屋戸乃 秋之芽子原 色付尓家里
 
【語釈】 ○秋の芽子原 「芽子原」は、邸内に設けた萩の植込みの称。
【釈】 この頃の暁の露で、わが邸内の秋の萩原は色づいたことである。
【評】 邸内の萩原の色づいたのを、この頃の朝露のためだとしているので、黄葉の理由をいうことを主としているものである。朝露と萩の黄葉との関係を認めてのものではあるが、それだけではない心である。上にもこの傾向のものがあった。
 
2214 夕《ゆふ》されば 雁《かり》の越《こ》えゆく 竜田山《たつたやま》 時雨《しぐれ》に競《きほ》ひ 色《いろ》づきにけり
    夕去者 鴈之越徃 龍田山 四具礼尓競 色付尓家里
 
【語釈】 ○雁の越えゆく 「雁」は、黄葉させるものとしていっている。○時雨に競ひ 時雨と先を争って。時雨も黄葉させるものであるが、その催し立てるのに後れまいとして。
【釈】 夕べになると、雁が越えてゆく竜田山は、時雨と先を争って色づいたことである。
【評】 竜田山が全体に色づいて来たさまを叙した形の歌である。「雁の越えゆく」「時雨に競ひ」は、いずれもさりげなく竜田山の状態をいったもののごとくであるが、雁も時雨も木の葉を黄葉させるものとしてであって、雁の越えてゆくという、雁と関係を結んでいる竜田山は、時雨と競って、それを待たぬさまに黄葉したというので、作者にこの時代の気分を通していっているのである。複雑した気分を、きわめてさりげないさまでいっている歌である。
 
(529)2215 さ夜《よ》ふけて 時雨《しぐれ》な降《ふ》りそ 秋芽子《あきはぎ》の 本葉《もとは》の黄葉《もみち》 散《ち》らまく惜《を》しも
    左夜深而 四具礼勿零 秋芽子之 本葉之黄葉 落卷惜裳
 
【語釈】 ○本葉の黄葉 「本葉」は、本は末に対しての語で、根もとのほうの葉で、すなわち下葉である。
【釈】 夜ふけて、時雨よ降るな。秋萩の本葉の黄葉の散るのは惜しいことだ。
【評】 夜ふけて時雨の荒く降る音を聞いて、萩の下葉の黄葉の、そのために散らされるのを惜しんで、時雨に降るなと命じている心である。実際がおのずからに一種の気分になっている境である。実際と遊離しないところに味わいがある。
 
2216 故郷《ふるさと》の 初《はつ》もみちばを 手折《たを》りもち 今日《けふ》ぞ吾《わ》が来《こ》し 見《み》ぬ人《ひと》の為《ため》
    古郷之 始黄葉乎 手折以 今日曾吾來 不見人之爲
 
【語釈】 ○故郷の 奈良京から、飛鳥方面をさしての称。○見ぬ人の為 故京の黄葉を見ない人に見せようがために。
【釈】 故郷の飛鳥の初黄葉を折って、今日われは京へ来たことである。見ずにいる人のために。
【評】 奈良にいる人で、飛鳥へ行った人が、苞としてその地の初黄葉を折って来て、心合いの友へ贈る時に添えた歌である。奈良の人には飛鳥は故郷としてなつかしかったので、そこの初黄葉といえば、さらになつかしい物であったろう。儀礼を超えた心のあるものである。
 
2217 君《きみ》が家《いへ》の ともしき黄葉《もみち》 早《はや》く降《ふ》る 時雨《しぐれ》の雨《あめ》に 沾《ぬ》れにけらしも
    君之家乃 之黄葉 早者落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
 
【語釈】 ○ともしき黄葉 原文「之黄葉」。諸注、訓み難くして、さまざまに訓んでいる。『全註釈』は、「之」は、「乏」の誤写であろうとして、このように訓んでいる。誤写とすればありうべきものであるから、比較的妥当のものである。「ともしき」は、ここは珍しいで、賞美した意。○早く降る 時期早く降る。
(530)【釈】 君の家の美しい黄葉は、時早く降る時雨に濡れていることでしょう。
【評】 友の家を訪ねて、その家の黄葉の早いのをめずらしがって愛でて、挨拶として贈った形の歌である。二句には問題があるが、四、五句は挨拶以外の語とはみえないから、問題とはいえ小さいものである。風流の心を交わす範囲の心である。
 
2218 一年《ひととせ》に 二《ふた》たび行《ゆ》かぬ 秋山《あきやま》を 情《こころ》に飽《あ》かず 過《すぐ》しつるかも
    一年 二遍不行 秋山乎 情尓不飽 過之鶴鴨
 
【語釈】 ○一年に二たび行かぬ 「行かぬ」は、時の運行をいっているもので、下の「秋山」をいっているもの。一年に二度とは立ち帰って運行しないの意。巻四(七三三)「空蝉の代やも二行《ふたゆ》く」と出た。○秋山を 秋の山なのにで、「を」は、詠歎。○情に飽かず過しつるかも 心飽くまで見ずに、その時期を過ごしたことであるよ。
【釈】 一年に二度とは立ち帰り運行しない秋山であるのに、心飽くまで見ずに、その期間を過ごしたことであるよ。
【評】 黄葉の時期の過ぎた後の感慨である。大事件のごとく、思い入った形でいっていることは、耽美の気分の満たされなかった嘆きである。恋愛の上などで、ともすればもたされるような意識を、黄葉を対象としてもったのである。あの程度の誇張はあろうが、自然の美観に対して絶えざる飢えを抱いていたとみえる。
 
     水田《こなた》を詠める
 
【題意】 「水田《こなた》」は、『倭名類聚鈔』に「古奈太」とある訓である。また、熟田の称でもあるという。熟田は墾田の二年目よりの称で、転じて水田の称ともなったとみえる。
 
2219 あしひきの 山田《やまだ》作《つく》る子《こ》 秀《ひ》でずとも 繩《なは》だに延《は》へよ 守《も》ると知《し》るがね
    足曳之 山田佃子 不秀友 繩谷延与 守登知金
 
【語釈】 ○山田作る子 「子」は、その若者を親しんでの称。呼びかけ。○秀でずとも繩だに延へよ 「秀づ」は、穂を出すことで、まだ実らずと(531)も。「繩」は、所有をあらわす標で、繩だけでも張りなさい。○守ると知るがね 番をしていると人が知るために。
【釈】 山田を作っている若者よ。稲はまだ穂は出さなくても、繩だけでも張りなさい。番をしていると人が知るために。
【評】 実際としては不自然な感のある歌である。「山田作る子」は、夫となろうとする男、「秀でずとも」は、婚期以前の女で、今からその関係を顕わして置けよと勧めたのであろう。すなわち譬喩歌である。
 
2220 さを鹿《しか》の 妻《つま》喚《よ》ぶ山《やま》の 岡辺《をかべ》なる 早田《わさだ》は苅《か》らじ 霜《しも》は降《ふ》るとも
    左小壯鹿之 妻喚山之 岳邊在 早田者不苅 霜者雖零
 
【語釈】 ○早田は苅らじ 早稲の田は刈るまいで、刈る時は妻問の時。
【釈】 牡鹿が妻問をする山の、その岡のほとりにあるわが早稲の田は刈るまい。霜が降ろうとも。
【評】 「早田は苅らじ」は、妻問をする牡鹿を隣れんで驚かすまいとする心からであるが、これは農民の心ではなく、第三者の風流心である。実際に即した形でいっているので緩和されている。
 
2221 我《わ》が門《かど》に 禁《も》る田《た》を見《み》れば 佐保《さほ》の内《うち》の 秋芽子《あきはぎ》すすき 念《おも》ほゆるかも
    我門尓 禁田乎見者 沙穗内之 秋芽子爲酢寸 所念鴨
 
【語釈】 ○我が門に禁る田を見れば 「禁る田」は、猪鹿に荒らされまいと番をしている田で、番をするのは、稲が実った時のことである。○佐保の内の秋芽子 「佐保の内」は、佐保川を中心とした一帯の地域で、大伴氏の邸宅などのあった所。「秋芽子すすき」は、秋萩や薄で、秋の趣をあらわした物。
【釈】 わが門の、人が番をしている実って来た稲田を見ると、佐保の内の秋萩や薄のさまが思われることよ。
【評】 京からある距離をもった部落内に住んでいる人が、門田の稲の実って来たのを見ると、佐保の内の秋の景趣が連想されるというのである。大伴氏などに縁故のあるみやび心をもった人の歌で、その気分の察しられる作である。
 
(532)     河を詠める
 
2222 夕《ゆふ》さらず 河蝦《かはづ》鳴《な》くなる 三輪河《みわがは》の 清《きよ》き瀬《せ》の音《と》を 聞《き》かくし宜《よ》しも
    暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛
 
【語釈】 ○夕さらず河蝦鳴くなる 夕方ごとに河鹿が鳴くところの。○三輪河の清き瀬の音を 「三輪河」は、初瀬河の下流で、三輪山の付近を流れる時の称。○聞かくし宜しも 「聞かく」は、聞くの名詞形。「し」は、強意。「宜しも」は、快さよ。
【釈】 夕方ごとに河鹿が鳴くところの三輪河の、清い瀬の音を聞くことの快さよ。
【評】 三輪河のほとりに住んでいる人の、山河の瀬音を愛でての歌である。この時代の人は音に対して敏感であった。夕方の物音の際やかな時、河鹿の音のまじった山河の清い瀬の音に聞き入っている気分である。
 
     月を詠める
 
2223 天《あめ》の海《うみ》に 月《つき》の船《ふね》浮《う》け 桂楫《かつらかぢ》 かけて榜《こ》ぐ見《み》ゆ 月人壮子《つきひとをとこ》
    天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月入壯子
 
【語釈】 ○桂楫かけて榜ぐ見ゆ 「桂楫」は、月中にある桂の木で作った楫で、「かけて」は、船に取り着けて。○月人壮子 月を若い男に譬えた(533)語で、上の(二〇一〇)に既出。
【釈】 天の海に、月の船を浮かべて、桂の楫を取り着けて榜いでいるのが見える。その月人壯子は。
【評】 巻七(一〇六八)人麿歌集の歌に、「天の海に雲の波立ち月の船星の林に榜ぎ隠る見ゆ」があった。また、懐風藻文武天皇の御製に「楓※[楫+戈]泛2霞浜1」の句もある。この歌の語句は、奈良朝の知識人には一般化しているものだったとみえる。「榜ぐ見ゆ」と感覚的にしているところに多少の新味のあるものである。
 
2224 この夜《よ》らは さ夜《よ》深《ふ》けぬらし 雁《かり》がねの 聞《きこ》ゆる空《そら》ゆ 月《つき》立《た》ち渡《わた》る
    此夜等者 沙夜深去良之 鴈鳴乃 所聞空從 月立度
 
【語釈】 ○この夜らは 「夜ら」の「ら」は、接尾語。○聞ゆる空ゆ 「ゆ」は、聞こえる空をとおって。○月立ち渡る 「立ち」は、接頭語。
【釈】 この夜は夜更けたらしい。雁の鳴き声の聞こえる空をとおって、月がとおり過ぎて行く。
【評】 月の状態で、夜の更けたことを推量した心である。巻九(一七〇一)「さ夜中と夜は深けぬらし雁が音の聞ゆる空ゆ月渡る見ゆ」という人麿の歌を踏襲したものとみえる。人麿の歌の緊張と透徹とのない歌である。
 
2225 吾《わ》が背子《せこ》が 挿頭《かざし》の芽子《はぎ》に 置《お》く露《つゆ》を 清《さや》かに見《み》よと 月《つき》は照《て》るらし
    吾背子之 插頭之芽子尓 置露乎 清見世跡 月者照良思
 
【語釈】 ○吾が背子が挿頭の芽子に 「吾が背子」は、男同士で親しんでの称。「挿頭の芽子に」は、挿頭にしているところの萩の花にで、挿頭は、この時代には宴会の時にすることになっていた。○置く露を 宿る露をで、これはありうべからざることで、誇張した語。○清かに見よと月は照るらし はっきり見よとて月は照るらしいというので、月を心あるものとしていったもの。宴会は、月の宴か、または月下での宴であったとみえる。
【釈】 わが背子が挿頭にしている萩の花に宿る露を、はっきり見よというので、月は照っているらしい。
【評】 ある人が、多分月の宴を催して人々を招いていた時、客の一人が主人に対して、宴会の楽しいことを、挨拶の心をもっていった歌である。わが背子と呼ばれている人は主人とみえる。いわゆる宴歌で、儀礼の歌であるが、静かで、細心なものであ(534)る。「さやかに見よと」は、事としてはありうべくもないが、  月下の気分としては言いうるものである。
 
2226 心無《こころな》き 秋《あき》の月夜《つくよ》の もの念《おも》ふと 寐《い》の宿《ね》らえぬに 照《て》りつつもとな
    無心 秋月夜之 物念跡 寐不所宿 照乍本名
 
【語釈】 ○心無き秋の月夜の 察し心のない秋の月がで、「照りつつ」に続く。○もの念ふと寐の宿らえぬに 嘆きをするとて寝ても眠れないのに。○照りつつもとな 「もとな」は巻三(三〇五)及び上の(一九六四)などに既出。照りつづけて由ないことだ。
【釈】 察し心のない秋の月の、嘆きをするとて寝ても眠れないのに、照りつづけて由ないことだ。
【評】 秋、もの思いのある夜、月の照るのを憎んでいる心である。月に対してこのような感を抱くのは、従来には見られないことで、漢文学より来たものであろう。当時として新味あるものだったとみえる。
 
2227 念《おも》はぬに 時雨《しぐれ》の雨《あめ》は 降《ふ》りたれど 天雲《あまぐも》霽《は》れて 月夜《つくよ》清《さや》けし
    不念尓 四具礼乃雨者 零有跡 天雲霽而 月夜清焉
 
【語釈】 ○天雲霽れて月夜清けし 「月夜」は、月。たちまちに雲が霽れて、月がさやかである。
【釈】 思いがけず時雨は降ったけれども、たちまち雲が霽れて、月がさやかである。
【評】 秋の月夜に、卒然と時雨が襲って来、来るとともに移って行って、また、月が照って来た変化のおもしろさをいった歌である。気分の変化のおもしろさを通しての叙景で、説明的になっているのはそのためである。生趣がある。
 
2228 芽子《はぎ》が花《はな》 咲《さ》きのををりを 見《み》よとかも 月夜《つくよ》の清《きよ》き 恋《こひ》益《まさ》らくに
    芽子之花 開乃乎再入緒 見代跡可聞 月夜之清 戀益良國
 
【語釈】 ○咲きのををりを 「咲きのををり」は巻八(一四二一)に出た。咲き盛って、枝の撓《たわ》んでいるのを。「咲き」も「ををり」も、名詞形。(535)○見よとかも 「かも」は、疑問の係助詞で、条件。見よというのであろうか。○月夜の清き 「月夜」は、月。「清き」は、「かも」の結、連体形で、清きことよ。○恋益らくに 「恋」は、萩の花に対してのもの。「益らく」は、「増る」の名詞形。「に」は、詠歎。恋の増さることであるに。
【釈】 萩の花の咲き盛って枝の撓んでいるのを見よとてのことであろうか、月の清いことであるよ。恋が増さることであるのに。
【評】 月下の萩の花を見ての感じである。昼の光で見るよりもさらに魅力を感じさせられて、それに理由を求めて、「月夜の清き」といっているのは、時代の風である。さすがに「かも」の凝問を添えてはいる。「恋益らくに」は、重い句で、これがあるために、全体が実感で、深みのあるものとなって来ている。気分本位の歌で、力量のある作である。
 
2229 白露《しらつゆ》を 玉《たま》になしたる 長月《ながつき》の 在明《ありあけ》の月夜《つくよ》 見《み》れど飽《あ》かぬかも
    白露乎 玉作有 九月 在明之月夜 雖見不飽可聞
 
【語釈】 ○白露を玉になしたる 「玉になしたる」は、玉に変化させているで、露が月光でほのかに煌《きら》めいているの意。○在明の月夜 夜明けの月。
【釈】 白露を玉と変えている九月の在明の月は、見ても飽かないことであるよ。
【評】 季節感の歌である。陰暦九月の夜明けのほの暗い頃、地はかすかに煌めく露、空は細い在明月のみで、他にはもののない境に浸っている気分で、調べもその気分を活かそうとする、単純な静かなものである。気分を重んじる心がなければ詠もうともせず、詠めもされない範囲の歌である。
 
     風を詠める
 
2230 恋《こ》ひつつも 稲葉《いなば》掻《か》き別《わ》け 家《いへ》居《を》れば 乏《とも》しくもあらず 秋《あき》の夕風《ゆふかぜ》
    戀乍裳 稻葉掻別 家居者 乏不有 秋之暮風
 
【語釈】 ○恋ひつつも 恋うるのは風で、暑さからである。「つつ」の連続で強めている。○稲葉掻き別け 下の「家」の状態で、「掻き別け」は、稲葉と稲葉の間の狭い所で、田の畔を具象的にいったもの。秋田を守るための仮庵の周囲のさま。○家居れば 家居をすればで、「家」は、秋田の番小屋である。○乏しくもあらず 少ないことない。○秋の夕風 涼しい風としていっていっているもの。
(536)【釈】 恋いながらも、稲葉を掻き別けての家居をしていると、乏しくはない。秋の夕風は。
【評】 秋田の番小屋に過ごしている農民の歌である。労働については何事もいわず、夕風の涼しさに救われる喜びだけをいっているものである。「稲葉掻き別け家居れば」は、仮小屋の状態描写ではなく、そこの暑さをあらわそうとしてのものである。残暑の頃の青草の照り返しは堪え難いものである。田の畔に作った小屋であれば察しられる。「掻き別け」は誇張のある語であるが、堪え難い暑さを気分としてあらわしたものとすれば自然なものとなる。「恋ひつつも」からこの句へ続けているのはその心からである。農民でなければ知り難い境であるが、しかしそれとすれば手腕のありすぎる歌である。上の(一八二〇)「梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鶯の声」と酷似した形のものである。その歌にならっての作かもしれぬ。
 
2231 芽子《はぎ》が花《はな》 咲《さ》きたる野辺《のべ》に ひぐらしの 鳴《な》くなるなへに 秋《あき》の風《かぜ》吹《ふ》く
    芽子花 咲有野邊 日娩之乃 鳴奈流共 秋風吹
 
【語釈】 ○鳴くなるなへに ひぐらしの鳴くのは夕方であるから、夕方ということもあらわしている。
【釈】 萩の花が咲いている野辺に、ひぐらしが鳴くにつれて、秋の風が吹いて来る。
【評】 季節感の歌である。「秋の風」は、ひぐらしの鳴くにつれて吹く夕風の涼しいのを、秋の風といっているので、季節の移り目の感の際やかな時の心である。
 
2232 秋山《あきやま》の 木《こ》の葉《は》もいまだ もみたねば 今朝《けさ》吹《ふ》く風《かぜ》は 霜《しも》も置《お》きぬべく
    秋山之 木葉文未 赤者 今旦吹風者 霜毛置應久
 
【語釈】 ○もみたねば 「もみたぬに」と同意の古語で、並び行なわれた。○霜も置きぬべく 霜も置きそうにで、下に「あり」が省かれている。
【釈】 秋山の木の葉もまだ黄葉しないのに、今朝吹く風は、霜も置きそうである。
【評】 季節の移り目におりおりある、際立った変化に驚いたものである。
 
     芳《かをり》を詠める
 
(537)【題意】 「芳」は、大矢本などには「かをり」と訓があり、歌で見ると茸である。食料としていたとみえる。
 
2233 高松《たかまつ》の この峯《みね》もせに 笠《かさ》立《た》てて 盈《み》ち盛《さか》りたる 秋《あき》の香《か》の宜《よ》さ
    高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者
 
【語釈】 ○高松のこの峯もせに 「高松」は、高円で、上の(一八七四)に既出。「峯もせに」は、「せ」は狭《せ》で、峯も狭いとするほどに。○笠立てて盈ち盛りたる 「笠立てて」は、松茸の形。「盈ち盛りたる」は、一面に満ちて、盛んに生えている。○秋の香の宜さ 「秋の香」は、一語。松茸の特質をいったもの。「宜さ」は、宜いことだで、詠歎を籠めたもの。
【釈】 高松のこの峯も狭いほどに、笠と立てて、一面に、盛んに生えている秋の香の宜さよ。
【評】 上代の歌には食物を詠んだものが比較的多く、後には例のないまでである。しかし芳と詠んだものはこの一首のみである。作意は、高松の峯で発見した喜びで、松茸といわず、「笠立てて」といい、「秋の香」といって、その特色を描き出し、またその多さをいっているのは、すべて喜びの気分の具象化である。めずらしいのみならず、心の躍りのあらわれている快い作である。
 
     雨を詠める
 
2234 一日《ひとひ》には 千重《ちへ》しくしくに 我《わ》が恋《こ》ふる 妹《いも》があたりに 時雨《しぐれ》ふれ見《み》む
    一日 千重敷布 我戀 妹當 爲暮零礼見
 
【語釈】 〇一日には千重しくしくに 「一日には」は一日のうちには。「千重」は、幾重にもを強調したもの。「しくしくに」は、重ね重ねに。○妹があたりに時雨ふれ見む 妹が家の辺りに、時雨よ降れよ、それを見ようと、時雨を想像して命じたもの。
【釈】 一日のうちには、幾重にも重ね重ねに我が恋うている、妹の家のあたりに時雨よ降れ。それを見よう。
【評】 妹を恋うる気分そのものの表現である。捉えていることは「時雨ふれ見む」で、事としては、時雨を見たからとて何の詮もないことである。しかもその時雨も、想像よりいっているものである。一に気分よりのものである。それをいうに、「一日(538)には千重しくしくに」と、いかにもわざとらしい、成句に近い語をもって言い出しているのであるが、これがあるために「時雨ふれ見む」という純気分の語が生かされて来ているのである。奔放であるとともに統一があって、技巧としても超凡なものである。人麿以外の者には詠めない歌で、若き日の人麿を思わせるに足りる歌である。
 
     右の一首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右一首、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
2235 秋田《あきた》苅《か》る 旅《たぴ》の廬《いほり》に 時雨《しぐれ》ふり 我《わ》が袖《そで》沾《ぬ》れぬ 干《ほ》す人《ひと》無《な》しに
    秋田苅 客乃廬入尓 四具礼零 我袖沾 干人無二
 
【語釈】 ○秋田苅る旅の廬に 「旅」は、範囲の広い語で、家を離れた所だと、近い所でも用いた称で、用例のある語である。「廬」は、庵に入っていることで、ここは小屋住み。○干す人無しに 「干す人」は、衣のことを扱うのは妻の務めとしていたので、妻を言いかえたもの。妻が居ないのにの意。
【釈】 秋田を刈るための旅の小屋住みに時雨が降って、わが衣は濡れた。干す妻は居ないのに。
【評】 農民の歌である。秋田を刈る小屋住みの侘びしさをいつたものであるが、その侘びしさは妻が一緒にいないことなのである。小屋住みは、稲が実ると猪鹿の番をすることから始まるので、秋田を刈るまでには相当永い期間にわたったのである。実感を直截に述べた歌である。
 
2236 玉襷《たまだすき》 かけぬ時《とき》なし 吾《わ》が恋《こひ》は 時雨《しぐれ》しふらば 沾《ぬ》れつつも行《ゆ》かむ
    玉手次 不懸時無 吾戀 此具礼志零者 沾乍毛將行
 
【語釈】 ○玉襷かけぬ時なし 「玉襷」は、「かけ」の枕詞。「かけぬ時なし」は、心にかけない時はないで、思いとおしている。○吾が恋は 我の妹に対しての恋は。
【釈】 心にかけていない時はない、わが恋は。時雨が降ったら、濡れながら行こう。
(539)【評】 これは広い意味でいっているものではなく、例せば今夜というように限られた意味でいっているものである。「沾れつつも行かむ」は、適当な雨具のなかった時代とて、生やさしいことではなかったのである。この歌の形は目に着くものである。三句の「吾が恋は」は、意義からいうと初句の上にあるべきもので、このように三句にあっても、なおその心のあるものである。次の平安朝時代には、これは型のようになった形だからである。この時代として新味ある構成である。また、初二句は古い語であり、「わが恋」といって妹をいわずにいる新しさがあるなど、形としては特殊なものである。しかし心は、実感の直写で、平明である。
 
2237 黄葉《もみちば》を 散《ち》らす時雨《しぐれ》の 降《ふ》るなへに 夜《よ》さへぞ寒《さむ》き 独《ひとり》し寝《ぬ》れば
    黄葉乎 令落四具礼能 零苗尓 夜副衣寒 一之宿者
 
【語釈】 ○夜さへぞ寒き 「夜さへ」は、昼も時雨で寒いが、夜までも独寝で寒いで、「ぞ」の係、「寒き」は結で、連体形。
【釈】 黄葉を散らす時雨の降るに伴って、昼のみならず夜までも寒いことであるよ。独寝をしているので。
【評】 「夜さへぞ寒き」という語を中心とした歌である。「独し寝れば」の説明によって平凡なものになるが、とにかくその句に興味をもっての作である。この歌は、前の歌と同じく、語そのものの興味に動かされているものである。
 
     霜を詠める
 
2238 天《あま》飛《と》ぶや 雁《かり》のつばさの 覆羽《おほひば》の 何処《いづく》漏《も》りてか 霜《しも》の降《ふ》りけむ
    天飛也 鴈之翅乃 覆羽之 何處漏香 霜之零異牟
 
【語釈】 ○天飛ぶや 「天飛ぶや」は、天を飛ぶで、「や」は、感動の助詞。雁の枕詞ともするが、ここは状態描写である。○覆羽の 空を覆う羽根のの意。雁が列をつくり、羽根を連ねて飛ぶさまを誇張していった称である。○何処漏りてか どこの隙間を漏ってかで、「か」は疑問の係。○霜の降りけむ 霜が降ったことであろうか。
【釈】 天を飛ぶ雁のつばさの、あの空を覆う羽根の、どこを漏れて霜が降ったのであろうか。
(540)【評】 覆羽という語は、この歌の作者の造語ではなかろうか。雁の翼が空を覆うということは甚しい誇張で、感性というよりもむしろ気分から出たものに思われるからである。また、歌の中でこの語の意義の解せるように、説明に近い語を連ねていることも、それを思わせる。この歌はそれを中心とし、さらに「何処漏りてか」とその気分を伸展させることによって纏めた一首である。奈良朝時代は気分本位の歌を詠んだ時代であるが、その気分は、作者のものであるとともに、一方では事象より昇華したものの謂であって、事象と緊密に結び合っていて離れないものであった。しかるにこの作者の気分は、事象より遊離したもので、単に作者個人の気分にすぎないものになっているのである。すなわち客観性のない気分である。この歌はそうした気分よりの作である。一見おもしろそうで、その実味わいがなく、事実らしくみえながら、全くそれのないのは、一にそのためである。気分本位の歌風の陥りやすい弱所を示している歌である。
 
     秋相聞
 
【解】 以下の五首は、左注によって、柿本人麿歌集の歌で、例によって特別扱いをしているものである。
 
2239 秋山《あきやま》の したひが下《した》に 鳴《な》く鳥《とり》の 声《こゑ》だに聞《き》かば 何《なに》か嘆《なげ》かむ
    金山 舌日下 鳴鳥 音谷聞 何嘆
 
【語釈】 ○したひが下に 「したひ」は、木の葉の紅に染まる意の動詞の名詞形。巻二(二一七)「秋山の下へる妹」がある。紅に染まっている下に。○鳴く鳥の 「声」と続き、初句よりこれまではその序詞。○声だに聞かば 懸想をしている女の声だけでも聞けたら。
【釈】 秋山の紅に染まっている下に鳴いている鳥の声の、それにちなみある、思う人の声だけでも開けたなら、何で嘆こうか。
【評】 思っている女があるが、声を聞くだけの接近もできずに恋いつづけている人を、たまたま秋山の紅に染まっている下に鳴いている鳥の声を聞くと、それによって連想させられ、嘆きを深くした心である。序詞が大きな働きをしている。これがあるために、「声だに聞かば」という片恋が、実感味をもったものとなって来るとともに、すでにある期間連続して今に及んでいるものだという立体感を与えるものとなる。さらにまた、「秋山のしたひが下に鳴く鳥」は、その女の美しさと声とを、気分の上で連想させるものになり、これが最も重いものになって来るのである。序詞が語つづきの興味から離れて、一首全体に気(541)分の上のつながりをもつものになったのは、奈良朝時代に入っての新傾向であるが、人麿はそれ以前にその道を拓いていることを、この歌など明瞭に示している。この点が心を引く。
 
2240 誰《た》そ彼《かれ》と 我《われ》をな問《と》ひそ 九月《ながつき》の 露《つゆ》に沾《ぬ》れつつ 君《きみ》待《ま》つ吾《われ》を
    誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
 
【語釈】 ○誰そ彼と我をな問ひそ 「誰そ彼と」は、誰であるか、彼はと、その人の明らかにわからないのを訝かって問う場合の語。薄暗い中でのことである。この語は後には薄暮の称となったが、ここはその語源的なもの。「我をな問ひそ」は、我を訝かり問うなで、問うたのを恨んでの語。問うたのは、下の待っている君である。○九月の露に沾れつつ 「九月の露」は、肌寒い頃の夜露。「沾れつつ」は、濡れながら、戸外に立つことの久しい意。○君待つ吾を 「君」は、女より男をさしたもので、待っていた男。「吾を」は、吾ぞの意。
【釈】 あれはたれだと私を訝かって尋ねて下さいますな。九月の夜露に濡れながら、君を待っている私ですのに。
【評】 女が男の通って来るのを待って戸外に立っていると、男は来たが、暗い中の人影をたれともわからず、そうした折のこととて訝かってたれだと問うたのに対して、女の恨んでいった語である。こうしたことは上代の男女生活にはありがちな、むしろ普通のことであったろう。歌は形は単純だが、劇的な味わいのあるもので、また平明である。謡い物系統のもので、そうした興味から詠んだのであろう。
 
2241 秋《あき》の夜《よ》の 霧《きり》立《た》ち渡《わた》る 夜《よ》な夜《よ》なに 夢《いめ》にぞ見《み》つる 妹《いも》がすがたを
    秋夜 霧發渡 ※[穴/夕]々 夢見 妹形矣
 
【語釈】 ○夜な夜なに 原文、紀州本、西本願寺本など「夙」とあり、諸注、訓み難くして、さまざまな訓をしており、誤写説も出ている。『全註釈』は、類聚古集には、「風」とあり、これは「※[穴/夕]」の誤写であろうとしている。「※[穴/夕]」は長夜の義の字で、秋の夜だからこの字を使ったのだろうといっている。それだと意味が明らかに通じる。
【釈】 秋の夜の、霧の立ち渡る夜々に、夢に見たことであった。妹の姿を。
【評】 男が女に逢った夜、夜頃の侘びしさを訴えた心のものである。「霧立ち渡る夜な夜な」は、紛れるものもない佗びしい(542)気分をあらわしているもので、そうした場合の歌としては効果的なものである。
 
2242 秋《あき》の野《の》の 尾花《をばな》が末《うれ》の 生《お》ひ靡《なぴ》き 心《こころ》は妹《いも》に 依《よ》りにけるかも
    秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨
 
【語釈】 ○生ひ靡き 生い立って、靡いてで、「生ひ」は「靡き」を強めるためのもの。実際的である。初句からこれまでは、「依り」の譬喩である。○心は妹に依りにけるかも わが心は妹のほうに寄ってしまったことであるよ。
【釈】 秋の野の尾花の末が生い立って靡いているように、心は妹に寄ってしまっていることであるよ。
【評】 女と関係が結ばれた当座、女に対して自分の真実を誓った心の歌である。歌で誓いをするのは古くからの風だったのである。譬喩は眼前に見合っているもので、平凡なのがすなわち切実だったのである。その場合を生かしている歌である。
 
2243 秋山《あきやま》に 霜《しも》ふり覆《おほ》ひ 木《こ》の葉《は》散《ち》り 歳《とし》は行《ゆ》くとも 我《われ》忘《わす》れめや
    秋山 霜零覆 木葉落 歳雖行 我忘八
 
【語釈】 ○歳は行くとも 年が移って行こうともで、いつまでもの意でいっているもの。
【釈】 秋山に霜が一面に降り覆って、木の葉は散って、年は移って行こうとも、我は妹を忘れようか忘れはしない。
【評】 これも上の歌と同じく、女に真実を誓った歌である。初句より四句までは、いつまでもということを強くあらわそうとしてのものである。これをいった時は霜の降る以前で、実際に即した言い方である。上の歌の連作で、語を変えて繰り返したものとも取れる。このようにいうのが効果的な相手だったとみえる。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人磨之謌集出。
 
(543)     水田《こなた》に寄す
 
【題意】 「水田」を「こなた」と訓むことは上の(二二一九)に出た。
 
2244 住吉《すみのえ》の 岸《きし》を田《た》に墾《は》り 蒔《ま》きし稲《いね》の しが苅《か》るまでに 逢《あ》はぬ公《きみ》かも
    住吉之 岸乎田尓墾 蒔稻乃 而及苅 不相公鴨
 
【語釈】 ○住吉の岸を田に墾り 住吉の海岸(大阪市住吉区)を新たに田に開墾して。実際に即していっているものとみえる。奈良朝時代は、新たに開墾した田はある期間租を免じ、また私田ともさせたので、豪族は競ってそれをした。従来見捨てられている海岸の地が、この意から開墾されていわゆる墾田となったのである。○しが苅るまでに 旧訓「しかもかるまで」。『新訓』の訓。本居宣長が『略解』で誤写説を立て、後の注はそれにしたがっていたものである。「しか」は、このようにで、現に刈るさまになっているのをさしてのもの。
【釈】 住吉の岸を田に開墾して蒔いた稲が、このように刈るようになるまでも、逢わない君であることよ。
【評】 女の歌で、男の久しく逢いに来ないのを嘆いた心である。初句から四句までは、久しい間ということを、眼前に見ている稲につけていっているもので、その言い方に特色がある。男を「公」という字でいってるので、この女は、開墾をさせている豪族の娘で、男も同じくそうした身分の者であろう。
 
2245 釼《たち》の後《しり》 玉《たま》纏《ま》く田井《たゐ》に 何時《いつ》までか 妹《いも》を相見《あひみ》ず 家《いへ》恋《こ》ひ居《を》らむ
    釼後 玉纏田井尓 及何時可 妹乎不相見 家戀將居
 
【語釈】 ○釼の後 釼の尻鞘の意で、鞘の尻へ装飾として玉を纏いたので、その意味で「玉纏く」にかかる枕詞。○玉纏く田井に この語つづきは、語注、解し悩んで、さまざまの解をしている。『全註釈』は、玉を纏く手と続け、手を「田」に転じたもので、「釼の後玉纏く」は田にかかる序詞だとしている。「田井」は、「井」は、接尾語で、田は、後の続きで、秋の田圃で、作者は収穫期であるために、そこへ行っている身分ある人とみえる。
【釈】 釼の尻鞘を纏く、その玉を纏く手に因みある田圃に、いつまで、妹と逢わないで、家を恋うていることであろうか。
(544)【評】 ある身分をもっている人が、その領地へ、秋の収穫期に監督のために行き、暫く逗留する必要のあるところから家にいる妻を恋うている心である。序詞に特色がある。「玉纏く」は、「釼の後」にも意味でつながり、「田」にもつながっている。「田」は「手」に音が通い、妹に気分としてつながっているものであろう。「釼の後」はむろん自分のことで、玉という美しい物で双方を結びつけていると見られるものである。作者はその心で用いているのであろう。奈良朝時代の序詞である。
 
2246 秋《あき》の田《た》の 穂《ほ》の上《へ》に置《お》ける 白露《しらつゆ》の 消《け》ぬべく吾《われ》は 念《おも》ほゆるかも
    秋田之 穗上置 白露之 可消吾者 所念鴨
 
【語釈】 ○秋の田の穂の上に置ける白露の 「消」にかかる序詞で、成句のごとくなっていたもの。○消ぬべく吾は念ほゆるかも 死んでしまいそうにも吾は思われることである。
【釈】 秋の田の穂の上に置いている白露のように、消え失せてしまいそうにも吾は思われることである。
【評】 女の訴えである。心も形も平明で、謡い物と思われる歌である。序詞は成句に近く、また序詞が一首を決定している歌で、類歌の多いものである。部落生活をしている者の歌で、心も環境も一般性のあるところから、類歌も生まれ、謡い物ともなったことと思われる。
 
2247 秋《あき》の田《た》の 穂向《ほむき》のよれる 片《かた》よりに 吾《われ》は物念《ものおも》ふ つれなきものを
    秋田之 穗向之所依 片縁 吾者物念 都礼無物乎
 
【語釈】 ○秋の田の穂向のよれる 秋の実った稲は穂が重く、風の向きで一方に寄るので、譬喩の意で「片より」にかかる序詞。巻二(一一四)「秋の田の穂向のよれるかたよりに」がある。○片よりに 偏ってで、意は、ひたすらにである。○つれなきものを 相手は冷淡であるのに。
【釈】 秋の田の稲の穂向のように、ひたすらに吾はものを思っている。相手は冷淡であるのに。
【評】 これも心の広い歌で、男ならば結婚前、女ならば結婚後もする嘆きであろう。明らかに謡い物とみえる。
 
2248 秋《あき》の田《た》を 仮廬《かりいほ》つくり 慮《いほり》して あるらむ君《きみ》を 見《み》むよしもがも
(545)    秋田※[口+立刀] 借廬作 五百入爲而 有藍君※[口+立刀] 將見依毛欲得
 
【語釈】 ○秋の田を仮廬つくり 秋の田を刈る仮廬を作ってで、「仮」は掛詞となっている。○廬して 廬住みをして。○見むよしもがも 逢う方法が欲しいものだで、「もが」は、願望の助詞。
【釈】 秋の田を刈る仮小屋を作って小屋住みをしているだろう君に、逢う方法のほしいものだ。
【評】 農民の妻の歌である。妻とはいってもこの女は、男と関係を結んでいるという程度のものであることが、「あるらむ君を」というので知られる。また秋の仮小屋住みは相応長い期間のものであるから、こうした心も起こるのである。謡い物として行なわれうる性質の歌である。第二句の掛詞もそれだとすれば不自然ではない。
 
2249 鶴《たづ》がねの 聞《きこ》ゆる田井《たゐ》に 廬《いほり》して 吾《われ》旅《たび》なりと 妹《いも》に告《つ》げこそ
    鶴鳴之 所聞田井尓 五百入爲而 吾客有跡 於妹告社
 
【語釈】 ○鶴がねの聞ゆる田井に 「鶴」は渡鳥で、秋の終わりに渡って来る。「田井」は田圃で、鶴の関係から海寄りと取れる。○吾旅なりと妹に告げこそ 「旅なりと」は、家を離れているとで、「旅」は、上に出た。「告げこそ」は、「こそ」は、願望の助詞で、妻に告げてくれで、人に伝言を頼んだのである。
【釈】 鶴の声の聞こえる田圃に小屋住みをして、吾は旅にいると妻に知らしてくれよ。
【評】 この歌の妹も、離れて暮している関係上、長期の小屋住みということも知らせる機会がなく、人にそのことの伝言を頼んだのである。部落民の謡い物であったろう。
 
2250 春霞《はるがすみ》 たなびく田居《たゐ》に 廬《いほ》づきて 秋田《あきた》苅《か》るまで 思《おも》はしむらく
    春霞 多奈引田居尓 廬付而 秋田苅左右 令思良久
 
【語釈】 ○春霞たなびく田居に 「春霞たなびく田居」は、春、農耕の始まる頃から、田のほとりの仮小屋住まいをしたとみえる。上代は住地は山寄り、耕田は平地で、したがって距離の遠いところから、そのようにしたとみえる。農閑の時は無論家に帰ったことだろう。○廬づきて 小屋住(546)みをし始めて。○思はしむらく 「思はしむ」の名詞形で、妻を思わしめることよと、詠歎していったもの。
【釈】 春の霞のたなびいている田圃に、仮小屋住みをしはじめて、秋田を刈るまでの久しい間を、思いをさせることであるよ。
【評】 これは男の農民の歌である。職業歌といえるものであるが、広く全体にわたってその気分をいっているものである。「春霞たなびく田居に」といい、「思はしむらく」といっているのは、いずれも気分的な言い方である。気分的というだけではなく、それとしても一脈の余裕のみえる作であるから、多分は第三者の歌であろう。
 
2251 橘《たちばな》を 守部《もりべ》の里《さと》の 門田早稲《かどたわせ》 苅《か》る時《とき》過《す》ぎぬ 来《こ》じとすらしも
    橘乎 守部乃五十戸之 門田早稻 苅時過去 不來跡爲等霜
 
【語釈】 ○橘を守部の里の 「橘を」は、それを大切にして守る意で、「守り」へかかる枕詞。「守部の里」は、所在不明である。地名としては所々にある。○門田早稲 女の家の門田の早稲。○苅る時過ぎぬ 「苅る時」は、下の続きで、男が来ようと約束した時である。○来じとすらしも 男は釆まいとしているらしい。
【釈】 橘を守るという、守部の里の門田の早稲を刈る掛は過ぎ去った。来まいとしているらしい。
【評】 女が、男の約束してあるにもかかわらず、来そうもないのを恨んだ歌である。心細かい歌で、「橘を守部の里の」は、「門田早稲」を重くいおうとしてのもので、また「門田早稲」は、「苅る時過ぎぬ」をいおうがためである。このように心を籠めていっているのは、「苅る時」がすなわち男の来ようと約束していた時で、それを暗示的にあらわそうがためである。そのことを十分にあらわし得ているがために、「来じとすらしも」の「らし」という、一見相応に飛躍のある語が、自然な妥当の語となっているのである。全体としては気分を主とした作であるが、実際を離れまいとしているので、気分は華麗な、自在性をもった形になっているのである。手腕のある作で、男性の歌だろうと思わせるものである。
 
     露に寄す
 
2252 秋芽子《あきはぎ》の 咲《さ》き散《ち》る野辺《のべ》の 夕露《ゆふつゆ》に 沾《ぬ》れつつ来《き》ませ 夜《よ》は深《ふ》けぬから
    秋芽子之 開散野邊之 暮露尓 沾乍來益 夜者深去韓
 
(547)【語釈】 ○咲き散る野辺の夕霧に 「咲き散る」は、散るを主とした成句で、しばしば出た。「夕露」は、ここは夜の露で、これまた花とともに酷愛していたもので、趣は同じ。○沾れつつ来ませ 「沾れつつ」は、濡れながらで、本来は侘びしとしたことを、反対に楽しいことに言いかえたもの。「来ませ」は、来よの敬語。妻より夫にいっている。○夜は深けぬから 「から」は、夜が更けたゆえに。仙覚本には「鞆」とあるが、元暦校本、紀州本には「韓」とあるので、『全註釈』の改めたもの。
【釈】 萩の花の咲いて散る野辺の夕方の露に、濡れながらいらせたまえ。夜が更けたから。
【評】 妻よりその夫に、今宵は必ず来ませよと、使をもって贈った歌である。自分が逢いたいゆえにとはいわず、その越えて来るべき野の萩の花の露に濡れるのが夫にとっては快いことときめていっているものである。しかし「夕露」と「夜は深けぬから」とは調和のないものである。気分を重んずる階級の歌である。
 
2253 色《いろ》づかふ 秋《あき》の露霜《つゆじも》 な降《ふ》りそね 妹《いも》が袂《たもと》を 纏《ま》かぬ今夜《こよひ》は
    色付相 秋之盛霜 莫零根 妹之手本乎 不纏今夜者
 
【語釈】 ○色づかふ秋の霧霜 「色づかふ」は、色づくの連続で、草木の葉の色づかせる意。「露霜」の性質をいったもの。○妹が袂を纏かぬ今夜は 妹が手を枕としない今夜はで、独寝の意。
【釈】 草木を色づかせる秋の水霜は、降ってくれるなよ。妹が手を枕としない今夜は。
【評】 独寝をしている夜だ、この上に寒くあってくれるなというのである。それにしては詠み方がいかにも華やかで大げさだ。気分を重んじる詠風からのことであるが、そのために実際から遊離しようとしているのである。実際を生かすための詠風が、実際を忘れようとする境に近づいているのである。
 
2254 秋芽子《あきはぎ》の 上《うへ》に置《お》きたる 白露《しらつゆ》の 消《け》かもしなまし 恋《こ》ふるにあらずは
    秋芽子之 上尓置有 白露之 消鴨死猿 戀尓不有者
 
【語釈】 ○秋芽子の上に置きたる白露の 「消」の序詞で、既出。○恋ふるにあらずは 『全註釈』は今のごとく訓んでいる。恋うていずして。
(548)【釈】 萩の花の上に置いている白露の消えるように、我も消えて死ぬべきであったろうか。恋うていずに。
【評】 巻八(一六〇八)弓削皇子の歌に「秋芽子の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは」がある。結句の幾分の差は、謡い物として謡われていたところからの流動であろう。謡い物にふさわしい歌である。
 
2255 吾《わ》が屋前《やど》の 秋芽子《あきはぎ》の上《うへ》に 置《お》く露《つゆ》の いちしろくしも 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    吾屋前 秋芽子上 置露 市白霜 吾戀目八面
 
【語釈】 ○置く霧の 「の」は、のごとく。○いちしろくしも吾恋ひめやも 「いちしろく」は、いちじるしくの古形。「しも」は、強意。「や」は、反語。
【釈】 わが家の庭の萩の花の上に置いている露のように、著しく目立って吾は恋いようか、恋いはしない。
【評】 女の歌とみえる。上代の夫婦関係は、それを持続させてゆく上から、ある期間は秘密にしなければならなかった。これは庭の萩の花の上に置く白露の目立つのを眺め入って、表面にあらわれそうになる恋ごころを強く制した心である。平凡な譬喩であるが、実際に即しているために深みのあるものとなっている。
 
2256 秋《あき》の穂《ほ》を しのにおし靡《な》べ 置《お》く露《つゆ》の 消《け》かもしなまし 恋《こ》ひつつあらずは
    秋穂乎 之努尓押靡 置露 消鴨死益 戀乍不有者
 
【語釈】 ○秋の穂をしのにおし靡べ 「秋の穂」は、稲の穂。「しのに」は、しなうまでに。巻三(二六六)に既出。○置く露の 「消」と続き、初句より二句までその序詞。
【釈】 秋の稲の穂をしなわせるまでに、おし靡かせて置いている露の、その消えるように、我も消えて死ぬべきであったろうか。恋いつづけていずに。
【評】 二首前の歌と序詞の初二句が異なるだけである。謡い物は眼前の実際に合うように、原歌の一部を変えるのが普通となっていた。これもそれであろう。原歌が一般性をもったもので、これも一首として存在しうるものとなっている。
 
(549)2257 露霜《つゆじも》に 衣手《ころもで》濡《ぬ》れて 今《いま》だにも 妹許《いもがり》行《ゆ》かな 夜《よ》は深《ふ》けぬとも
    露霜尓 衣袖所沾而 今谷毛 妹許行名 夜者雖深
 
【語釈】 ○衣手濡れて 「衣手」は、袖であるが、衣の意でいったもの。○今だにも妹許行かな 「今だにも」は、今からでもで、時の遅さをいったもの。「行かな」の「な」は、自身に対しての願望。
【釈】 水霜に衣を濡らして、今からでも妹の所へ行こうよ。着けば、夜は更けようとも。
【評】 これも一般性をもったもので、詠み方も平明で、謡い物と思われる歌である。細かさはあるが、気分の作ではない。
 
2258 秋芽子《あきはぎ》の 枝《えだ》もとををに 置《お》く露《つゆ》の 消《け》かもしなまし 恋《こ》ひつつあらずは
    秋芽子之 枝毛十尾尓 置露之 消毳死猿 戀乍不有者
 
【語釈】 ○枝もとををに 「とををに」は、撓《たわ》み撓むまでにで、副詞。「とを」は「たわ」の古語。
【釈】 秋萩の枝も撓み撓みするまでに置いている露の、その消えるように、我も、消えて死ぬべきであったろうか。恋いつづけていずに。
【評】 これも(二二五六)の序詞の初二句を変えただけの歌である。流行歌の勢力と、その追随のさまが思われる。
 
2259 秋芽子《あきはぎ》の 上《うへ》に白露《しらつゆ》 置《お》く毎《ごと》に 見《み》つつぞしのふ 君《きみ》が光儀《すがた》を
    秋芽子之 上尓白露 毎置 見管曾思怒布 君之光儀呼
 
【語釈】 ○秋芽子の上に白露 「秋芽子」は、今野に見る紅色の花で、「白露」は、そのものとして清らかな上に、花の色を含んで艶を帯びたもの。○見つつぞしのふ 「しのふ」は、思慕するで、「ぞ」の結。連体形。○君が光儀を 「君」は、男。
【釈】 萩の花の上に、白露が置くごとに、見つつ思慕することである。君が姿を。
(550)【評】 女が男の姿の魅力的なのに、限りなく心を引かれているという歌である。男が女の美しきを讃える歌は多いが、女が男を讃える歌はきわめて少なく、これはその少ないものである。しかしその美しさは、萩の花の上に置く白い露から連想されるもので、清らかさを主体とし、それに一脈の艶を含んだもので、純気分よりのものであり、こうしたことに伴いやすい厭味のないものである。「置く毎に」は朝夕のことで、間断なくというに近い。こうしたことを女が取材するということは、そのこと自体が時代の生活気分を反映していることである。
 
     風に寄す
 
2260 吾妹子《わぎもこ》は 衣《きぬ》にあらなむ 秋風《あきかぜ》の 寒《さむ》きこのごろ 下《した》に著《き》ましを
    吾妹子者 衣丹有南 秋風之 寒比來 下著益乎
 
【語釈】 ○衣にあらなむ あってほしいで、仮設。○下に著ましを 「下に」は、人目を包む意より。「まし」は、上の仮設の帰結。「を」は、詠歎。
【釈】 吾妹子は、衣であってほしい。それだと、秋風の肌寒いこの頃、下に着て居ようものを。
【評】 その人の身に付いた物は形見として、その人同様に思い、また、下の衣は男女通わして着もしたので、この歌は当時にあっては、直接に感じられたものである。しかしこの歌には、形見という気分は見えず、「寒きこの頃」が目的となっている。形見には信仰が伴っているので、その衰えを示している感がある。
 
2261 泊瀬風《はつせかぜ》 かく吹《ふ》く三更《よは》は 何時《いつ》までか 衣《ころも》片敷《かたし》き 吾《わ》が独《ひとり》宿《ね》む
    泊瀬風 如是吹三更者 及何時 衣片教 吾一將宿
 
【語釈】 ○泊瀬風かく吹く三更は 「泊瀬風」は、泊瀬の地に吹く風で、泊瀬は泊瀬川に沿った寒い地である。「三更」は、夜中。○何時までか 「か」は、疑問の係。○衣片敷き 「片敷」は、自身の衣のだけを敷いて、重ねるべき相手の衣がなくて寝る意で、独寝の状態。
【釈】 泊瀬風のこのように寒く吹く夜中は、いつまで、わが衣だけを片敷いて、我は独寝をすることであろうか。
(551)【評】 泊瀬の渓谷に住んでいる男の、秋風の寒い夜、独寝をしていて、こうした状態がいつまで続くのであろうかと嘆いた心である。「何時までか」の一語によって、その妻の無いことを暗示し得ているのは、実際に即していっているからである。「三更は」の「は」が、よく利いている。
 
     雨に寄す
 
2262 秋芽子《あきはぎ》を 散《ち》らす長雨《ながめ》の 降《ふ》るころは 独《ひとり》起《お》き居《ゐ》て 恋《こ》ふる夜《よ》ぞおほき
    秋芽子乎 令落長雨之 零比者 一起居而 戀夜曾大寸
 
【語釈】 略す。
【釈】 萩の花を散らす長雨の降る頃は、一人で起きていて、夫を恋うる夜の多いことであるよ。
【評】 妻の、遠く離れて逢い難い夫を思う歌である。「長雨の降るころは」と、一年の中のさみしい季節を捉えていい、「恋ふる夜ぞおほき」と、平常は諦めているごとくいっているのが、その境涯をよくあらわしている。境涯から生まれる気分であるから、境涯を離れてはいえないものである。特殊な気分をいいつつ、その境涯を暗示し得ているのであるから、相応な歌というべきである。
 
2263 九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の雨《あめ》の 山霧《やまぎり》の いぶせき吾《わ》が胸《むね》 誰《たれ》を見《み》ば息《や》まむ
    九月 四具礼乃雨之 山霧 烟寸吾吉※[匈/月] 誰乎見者將息
 
【釈】 ○山霧の 雨に伴って起こるもので、意味で、「いぶせき」に続き、初句からこれまでその序詞。○いぶせき吾が胸 「いぶせき」は、心の晴れず、気のふさぐ意。「吾が」は、原文「吾吉」で、旧訓。諸注、問題としている字で、衍字説が有力であるが、『全註釈』は、「吉※[匈/月]」を自分の胸の意で書いたのだろうといっている。○誰を見ば息まむ 誰に逢ったらぽこの思いは息むだろうで、「誰」は、たれでもなく、君の意である。
【釈】 九月の時雨に伴って立つ山霧の気のふさぐ、それに似た、気のふさいでいるわが胸は、たれに逢ったら息むのであろう、たれでもない君である。
(552)【評】 女の歌である。この歌の序詞は、「山霧の」という特殊な語をもったもので、一首と気分のつながりのあるという程度のものではなく、譬喩として一首の中心である「いぶせき」にかかっているものである。のみならず、実景としての序詞が、一首の作因をなしているといえるものである。「誰を見ば息まむ」は、気の利きすぎたものである。初句から四句までが単調なので、これによって転回し得たといえるものである。
 
     一に云ふ、十月《かむなづき》 時雨《しぐれ》の雨《あめ》降《ふ》り
      一云、十月 四具礼乃雨降
 
【解】 初二句の別伝である。上の歌を十月に謡いなどする時改めたのであろう。三句との続きが鈍くなり、序詞の味が減って来る。
 
     蟻《こほろぎ》に寄す
 
2264 蟋蟀《こほろぎ》の 待《ま》ち歓《よろこ》ぶる 秋《あき》の夜《よ》を 寐《ぬ》るしるしなし 枕《》と吾《まくらわれ》は
    蟋蟀之 待歡 秋夜乎 寐驗無 枕与吾者
 
【語釈】 ○蟋蟀の待ち歓ぶる 蟋蟀が、わが時として待って、待ち得て歓んで鳴いている。「歓ぶ」は当時上二段活用の動詞、ここは連体形。○秋の夜を 秋の夜だのにで、「を」は、感動の助詞。○枕と吾は 独寝のさまを婉曲にいったもの。
【釈】 蟋蟀は、わが時として待ち、待ち得て歓んで鳴いている秋の夜だのに、吾は寝る甲斐もない。枕と吾とで。
【評】 夫の来るのを待って、待ち得ずして独寝をしている女が、閨近く、夜の来たのを歓ぶように蟋蟀の鳴いているのを聞いて、蟋蟀と自身とを対照して、彼を羨み、我を嘆く意をいったものである。気分を主として詠んだ歌で、実際とも離れずにいるので、一首が豊かで、また自在で、そこが味いとなっている歌である。「待ち歓ぶる」「枕と吾は」は、いずれも巧みな句である。
 
     蝦《かはづ》に寄す
 
(553)2265 朝霞《あさがすみ》 鹿火屋《かひや》が下《した》に 鳴《な》く河蝦《かはづ》 声《こゑ》だに聞《き》かば 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    朝霞 鹿火屋之下尓 鳴蝦 聲谷聞者 吾將戀八方
 
【語釈】 ○朝霞鹿火屋が下に 「朝霞」は、「霞」は、上代は霧と差別がなく、後世だと当然霧というべき場合にも用いている。ここもそれで、朝の霧の意であり、「鹿火星」に直接に関係しているものである。「鹿火屋」は、いかなる物であるかが定まらず、古来じつに説が多く、列挙に堪えないまでである。大体、家屋の称とする説と、家屋以外のものの称とする説とで、それすら定まらないのである。賀茂真淵は『冠辞考』で、稲田を荒らす猪鹿を追うために、引板を鳴らし、夜すがら榾《ほだ》を焚いている仮庵の称だとしている。鹿火星という用字ともつながりがあり、諸説中最も妥当なものに思える。それだと「朝霞」は、その鹿火星の上に立っている、夜すがら焚いていた火の煙と取れる。「下に」は、下の続きで、河鹿の鳴いているところであるから清流で、鹿火屋はその清流の上に作ってあったのである。○鳴く河蝦 鳴いている河鹿で、「声」と続き、初句からこれまではその序詞である。○声だに聞かば吾恋ひめやも 声だけでも聞けたならば、吾は恋いようか、恋いはしないで、「声」は片恋をしている女の声で、接近する機会さえもない深い悩みをいったもの。
【釈】 朝霧のかかっている鹿火屋の下で鳴いている河鹿の声の、その声にちなみある、思う女の声だけでも聞けるならば、吾は恋いようか恋いはしない。
【評】 男の片恋の嘆きで、「声だに聞かば吾恋ひめやも」が中心である。これは上の(二二三九)人麿歌集の「声だに聞かば何か嗅かむ」と異ならないもので、格別のものではない。「朝霞鹿火屋が下に鳴く河蝦」は、序詞として奇抜に感じられるものである。しかしこれも主となるのは「鳴く河暇」で、「鹿火屋」もその時代にあっては特殊なものではなかったろうから、奇抜さはむしろ河蝦の所在としていっている点にある。作意からいうと、この序詞は気分より捉えたもので、気分としては、「鳴く河蝦」に思う女を連想し、「朝霞鹿火屋が下に」に、その女の環境を連想したのであって、「声だに聞かば」という嘆きは、その環境のさせているものとしたのであろう。気分より捉えた序詞とはいうが、譬喩として捉えている点が濃厚であって、それとしては気分的だという程度のものである。要するに新奇で、厚みのある、魅力ある序詞である。
 
     雁に寄す
 
2266 出《い》でて去《い》なば 天飛《あまと》ぶ雁《かり》の 泣《な》きぬべみ 今日今日《けふけふ》といふに 年《とし》ぞ経《へ》にける
(554)    出去者 天飛雁之 可泣美 且今日々々々云二 年曾經去家類
 
【語釈】 ○出でて去なば 家を出て行つたならばで、旅の遠い所とみえる。○天飛ぶ雁の泣きぬべみ 空を飛ぶ雁のように泣きそうになる故にで、雁は譬喩。○今日今日といふに 今日は今日はといって、一日延ばしにしているうちに。○年ぞ経にける 一年を経たことである。「ける」は、「ぞ」の結。
【釈】 自分が家を出て旅へ行ったならば、妻は空を飛ぶ雁のように泣きそうなので、今日は今日はといっているうちに、年が過ぎたことである。
【評】 「出でて去なは」というのは、どういう事情であるかわからないが、延ばせば延ばせる性質のものであるから、旅へ出稼ぎをするというような、生活上の必要に迫られてのことであろう。それをしようと思いつつ、妻の心細げにしているのを見ると、振り切っては出られない嘆きとみえる。庶民が旅へ稼ぎに出て、久しく故郷へ帰れない嘆きをしている上代歌謡がある。この種のことは稀れではなかったとみえる。一般性をもった歌だったろうと思われる。
 
     鹿に寄す
 
2267 さを鹿《しか》の 朝《あさ》伏《ふ》す小野《をの》の 草《くさ》若《わか》み 隠《かく》ろひかねて 人《ひと》に知《し》らゆな
    左小牡鹿之 朝伏小野之 草若美 隱不得而 於人所知名
 
【語釈】 ○朝伏す小野の草苦み 「小野」は、「小」は接頭語。「草若み」は、草が若いゆえにで、春の丈の低い草。三句まで、意味で「隠ろひかねて」にかかる序詞。○隠ろひかねて 「隠ろひ」は、隠るの連続。隠れ得ずしてで、忍んで通って来る男が、その身を隠すことをいったもの。○人に知らゆな 人に見つかるなの意。
【釈】 牡鹿が朝を臥している野の草が若いので身が隠せない、そのように君も隠れることができずに、人にそれと知られるな。
【評】 女が、忍んで通って来る男に注意した歌である。序詞は、心としては譬喩に異ならないものである。こうした状態は上代はめずらしいものではなかったろう。「草若み」は春の若草で、季別けをすれば春であるが、牡鹿を秋の季のものとするところから、ここへ収めたのである。明るい可憐な歌で、実感からのものともみえない。謡い物ではなかったか。
 
(555)2268 さを鹿《しか》の 小野《をの》の草伏《くさぶし》 いちしろく 吾《わ》が問《と》はなくに 人《ひと》の知《し》れらく
    小壯鹿之 小野之草伏 灼然 吾不問尓 人乃知良久
 
【語釈】 ○小野の草伏 「小」は、接頭語。「草伏」は、草に臥すことで、それをした跡は草が荒らされてはっきりしている意で、「いちしろく」と続け、初二句はその序詞。○いちしろく吾が問はなくに 「いちしろく」は、目に立つほどには。「問はなくに」は、妻問いはしないことであるに。○人の知れらく 「人」は、世間の人。「知れらく」は、知れりの名詞形で、詠歎をもったもの。世間の人が知っていることよ。
【釈】 牡鹿が草に臥した跡の人目に立つ、そのように人目に立つほどには妻問いをしないことだのに、人が知っていることよ。
【評】 部落生活をしている男女の、秘密にしている関係の漏れやすいことを嘆いた歌は多い。これもそれである。「さを鹿の小野の草伏」という序詞は目新しいものである。上の歌の場合と同じく、こうしたことは特別なことではなかったとみえる。これも序詞によって生かされている歌で、男女の生活環境がこの歌に短い語であらわされている。上代としては一般性をもった歌である。
 
     鶴《たづ》に寄す
 
2269 この夜《よ》らの 暁《あかとき》降《くだ》ち 鳴《な》く鶴《たづ》の 念《おもひ》は過《す》ぎず 恋《こひ》こそまされ
    今夜乃 曉降 鳴鶴之 念不過 戀許増益也
 
【語釈】 ○この夜らの暁降ち 「この夜らの」は、旧訓。「ら」を読み添えたのである。四音にするほどの特殊な取材ではないから、これに従う。「ら」は接尾語。「暁降ち」は、「降ち」は、盛りの過ぎた意で、夜を主として、暁のほうへ降ちての意で、明け方近くなった意。○鳴く鶴の 鳴く鶴のごとく。鶴の鳴きつづけるのを譬喩としたもの。○念は過ぎず わが嘆きは過ぎ去らないで、やまないでの意。「ず」は連用形。嘆きは恋の上のもの。○恋こそまされ 妻に対する恋のみが募って来るで、旅にあって妻を思った心。
【釈】 この夜が味方になった時に鳴く鶴のように、嘆きは過ぎ去らずに恋が募ることである。
【評】 難波というような海べへ旅をして、京の妻を恋うて眠り難くしていた人が、夜明け近く、鶴の鳴き続ける声に刺激され(556)て、妻恋しい心を募らせられた心である。旅ということにも妻にも触れず、ただ鶴の声を聞いての気分だけをいい、他は暗示にとどめている歌である。気分本位の詠み方で、それによって厚みをもって自身の状態をあらわしているのである。鶴は秋来る渡り鳥なので、秋の李に入れてある。
 
     草に寄す
 
2270 道《みち》の辺《べ》の 尾花《をばな》が下《した》の 思草《おもひぐさ》 今更《いまさら》に何《な》ぞ 物《もの》か念《おも》はむ
    道邊之 乎花我下之 思草 今更尓何 物可將念
 
【語釈】 ○尾花が下の思草 「思草」は、集中ここにあるのみの草である。前田曙山(園芸文庫第三巻)によって明らかになった。これは今、なんばんぎせると呼んでいる草で、尾花の下にのみ生える草で、秋の頃淡紫色の花をつける。その花は横を向いて咲くので、人の物思いをするさまを連想しての名だろうという。なんばんぎせるは南蛮煙管で、これも花の形からの称である。「念はむ」に同音でかかり、初句からこれまで、その序詞。○今更に何ぞ物か念はむ 今更に何で嘆きなどしようかで、現にしている嘆きを押し返そうとする心。
【釈】 道のほとりの尾花が下に咲いている思草よ、今更になんで物思いなどしようか。
【評】 女の歌である。その夫とはすでに短くない関係をもっているのであるが、夫の態度から物思いをさせられているおりから、たまたま道の辺の思い草を見、その花のさまと名とから刺激され、現にもっている心を強く押し返そうとしたのである。この序詞は、この歌にとっては重いもので、花のさまからは一首の作因となり、名からは同音反復の序詞となっているのである。しかも結果から見ると、女が道に立って、思草の花に見入って、新しい覚悟をしているさまを浮かばせるものとなっている。気分と実際の状態とを十分にあらわし得ている歌である。
 
     花に寄す
 
2271 草《くさ》深《ふか》み こほろぎ多《さは》に 鳴《な》く屋前《やど》の 芽子《はぎ》見《み》に公《きみ》は 何時《いつ》か来《き》まさむ
    草深三 蟋多 鳴屋前 芽子見公者 何時來益牟
 
(557)【語釈】 ○草深みこほろぎ多に 「草深み」は、草が高いのでで、蟋蟀が集いやすく多くの意。
【釈】 草が高いので、こほろぎが多く鳴いているわが家の庭の萩の花を見に、公はいついらせられるであろうか。
【評】 妻が夫の来訪を促して贈った歌である。秋の景物といううち、草が高く立ち、こほろぎが繁く鳴いて、萩の花が咲いているという、しめやかな、哀れのある景物をもって誘うのが効果的になっていたとみえる。貴族間の一つの傾向となっていたらしい。
 
2272 秋《あき》づけば 水草《みくさ》の花《はな》の あえぬがに 思《おも》ふと知《し》らじ 直《ただ》に逢《あ》はざれば
    秋就者 水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者
 
【語釈】 ○秋づけば水草の花の 「秋づけば」は、秋めいて来ると。「水草の花」は、水草、あたは水辺の草の花で、何草ともしれぬ。「花」は夏を盛りとするものの意でいっている。○あえぬがに 「あえぬ」は、「あえ」は「あゆ」の連用形で、「ぬ」は完了。「あゆ」は、熟して落ちる意で、「がに」は、ほどに。巻八(一五〇七)に既出。○思ふと知らじ わが思っているとは君は知るまい。○直に逢はざれば じかに逢わずにいるので。
【釈】 秋めいて来ると、水草の花が咲き切って落ちそうにするほどに思っているとは知らないであろう。じかに逢わずにいるので。
【評】 久しく夫に逢えずにいる妻の、恋しさに堪え切れない心の訴えで、来訪を促した歌である。「水草の花」は、女の家の庭などの物で、男もよく知っている物であろう。「あえぬがに思ふと知らじ」は、じつに巧みな譬喩である。感覚的で、清新で、魅力のあるものである。したがって「思ふと知らじ」が力強い訴えとなるのである。「直に逢はざれば」は、総収しての繰り返しではあるが、心は口ではとてもいえないという意と、必ず違いに来たまえということを婉曲にいった二重の意味があって、働きのある句である。年若い人の歌ではない。濃情な、手管のある、歌才の豊かな、その人を思わせる範囲の歌である。
 
2273 何《なに》すとか 君《きみ》を厭《いと》はむ 秋芽子《あきはぎ》の その初花《はつはな》の 歓《うれ》しきものを
    何爲等加 君乎將※[厭のがんだれなし] 秋芽子乃 其始花之 歡寸物乎
 
【語釈】 ○何すとか君を厭はむ 「何すとか」は、何だってというにあたる。「か」は、疑問の係。○秋芽子のその初花の 咲くとうれしい萩のそ(558)の初花のようにで、響喩。
【釈】 なんだって君を厭いなどしようか。秋萩のその初花のようにうれしいのに。
【評】 初めて男と相逢った女が、男から、我を厭っているのではないのかと問われたのに対しての答である。言下に男の問を否定して、躍る心をもって詠んだものであることが、一首の調べで感じられる。「秋芽子のその初花」のという譬喩は眼前のもので、この場合に必ずしも適したものでないところにかえって魅力がある。もっとも「初花」は初めて男に逢ったことを暗示してはいる。
 
2274 展転《こいまろ》び 恋《こ》ひは死《し》ぬとも いちしろく 色《いろ》には出《し》でじ 朝《あさ》がほの花《はな》
    展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容※[白/ハ]之花
 
【語釈】 ○展転び恋ひは死ぬとも 「展転び」は、巻三(四七五)に出た。「こい」は上二段活用の動詞「こゆ」の連用形。横臥すること。「転び」は、転がることで、ころげ廻って。字は漢語の展転に当てたもの。○朝がほの花 巻八(一五三八)、上の(二一〇四)にも出た。桔梗の花で、その色の派手なところから、「いちしろく色には出でじ」の譬喩の心でいっているもの。
【釈】 ころげ廻って、恋い死にをしようとも、はっきりと表面に顕わすことはしまい。朝がおの花のように。
【評】 女の歌である。上代は夫婦関係は、ある期間、人に知られるとその関係が弛むという信仰があったので、その上に立っての歌である。結句の「朝がほの花」は、こうした苦悶をしている女が、たまたま朝がおの派手な色をしているのを見、それに刺激されて、その覚悟を思い返し、あの朝顔の花のようにはしまいと思ったのであり、その生活の実際に即しての心理の移りを示しているもので、結句のこの位置にあるのが自然である。しかし同じことでも、歌そのものに重点を置いていうと、朝がおの花のごとくいちしろく色には出でじという順序になるべき性質の語である。現に平安朝時代には、この歌のごとく、譬喩の語を名詞形とし、結句に据えてあるのが、甚しく新味あるものとして讃えられたのである。この集としてもこうした形はめずらしいものである。この歌ではそれを心理的に自然なものとして、無意識に行なっているとみえる。その意味でこの点が注意を引く。
 
2275 言《こと》に出《い》でて 云《い》はばゆゆしみ 朝《あさ》がほの 穂《ほ》には咲《さ》き出《い》でぬ 恋《こひ》もするかも
(559)    言出而 云者忌染 朝※[白/ハ]乃 穗庭開不出 戀爲鴨
 
【語釈】 ○云はばゆゆしみ いつたならば、憚りあるゆえに。○朝がほの穂には咲き出でぬ あらわには咲き出さないようなで、朝がおの莟を捉えて譬喩としたもの。花に穂というのは、巻十一(二七八三)「含《ふふ》める花の穂に咲きぬべし」があり、ここはその含める花である。
【釈】 口へ出していったならば憚りがあるので、朝がおのあらわには咲き出さない、すなわち蕾のような恋をすることである。
【評】 男の歌とみえる。恋を包んでいる嘆きの歌は多い。「朝がほの穂には咲き出でぬ」は新味ある撃喩である。この皆喩は朝がおのようにあらわには咲き出さないの意にも取りうるものであるが、作意はもっと消極的な、蕾のようなといぅのであろう。
 
2276 雁《かり》がねの 初声《はつこゑ》聞《き》きて 咲《さ》き出《い》でたる 屋前《やど》の秋芽子《あきはぎ》 見《み》に来《こ》吾が背子《せこ》
    鴈鳴之 始音聞而 開出有 屋前之秋芽子 見來吾世古
 
【語釈】 略す。
【釈】 雁の初声を聞いて咲き出した、わが家の庭の秋萩を見にいらっしゃい、わが背子よ。
【評》 庭の萩の花にことよせて、夫の来訪を促した歌である。雁の来る頃には、萩の花は終わるものとしている歌が幾らもあった。季節が合わない。雁に夫を、秋萩に自身をなぞらえようとする心からのことであろう。それにしても不備である。
 
2277 さを鹿《しか》の 入野《いりの》のすすき 初尾花《はつをばな》 何時《いつ》しか妹《いも》が 手《て》を枕《まくら》かむ
    左小壯鹿之 入野乃爲酢寸 初尾花 何時加妹之 手將枕
 
【語釈】 ○さを鹿の入野のすすき 「さを鹿の」は、その入る野とつづけて入野の枕詞。「入野」は、京都市右京区大原野町の、上羽、灰方付近で、そこに入野神社があるという。そこの薄。○初尾花 上に続いて、薄の初尾花で、最初に穂を出したもの。それを待つ意で、「何時しか」と続き、初句よりこれまでその序詞。○何時しか妹が手枕をかむ 諸注、訓み難くして誤写説を立てている。これは『万葉総索引』の訓である。「何時しか」は、いつであろうか、早くで、「か」は疑問の係。「手を枕かむ」は、手を枕にすることだろうで、いつ妹の手を枕にするのだろうかと、待ち(560)遠にする心。
【釈】 牡鹿の入る、入野の薄のその初尾花の、いつ見られるにちなむ、いつのことか早くと、妹の手を枕にするだろう時が待たれる。
【評】 妹と目ざしている女と、共寝のできる時期を待ち遠しくしている心である。序詞は主文に心のつながりをもっているもので、「入野」はこの男女の住地、またはそれに近いところ、「初尾花」は、その女を暗示しているもので、女がまだ少女で、婚期に違していないことを暗示しているものである。早婚時代とてこれに類似の歌は少なくない。特別な心ではなく、一般性をもっていたものと思われる。序詞は調子がよく、四、五句は露骨で、その地方の謡い物という形のものである。巻七(一二七二)人麿歌集の歌に、「釼大刀鞘ゆ納野に」というがある。何らかの理由で、取材されやすい地であったとみえる。
 
2278 恋《こ》ふる日《ひ》の け長《なが》くしあれば み苑園《そのふ》の 辛藍《からあゐ》の花《はな》の 色《いろ》に出《い》でにけり
    戀日之 氣長有者 三苑圃能 辛藍花之 色出尓來
 
【語釈】 ○け長くしあれば 「長く」は、日の重なる意で、恋うる時が久しいので。「し」は、強意の助詞。○み苑圃の辛藍の花の 「み苑圃」は、草花や蔬菜を作る所の称。「辛藍の花」は、鶏頭花で、それのごとくで、二句譬喩で、「色」の序詞。○色に出でにけり 「色に」は、面に。「けり」は、詠歎。
【釈】 恋うる時が久しいので、わが園の鶏頭の花のように面に出てしまったことである。
【評】 女の歌で、秘密にしている恋のあらわれた嘆きである。「み苑圃の辛藍の花の」の譬喩に、ある程度の新味のあるものである。
 
(561)2279 吾《わ》が郷《さと》に 今《いま》咲《さ》く花《はな》の 女郎花《をみなへし》 堪《あ》へぬ情《こころ》に なほ恋《こ》ひにけり
    吾郷尓 今咲花乃 娘部四 不堪情 尚戀二家里
 
【語釈】 ○今咲く花の女郎花 新たに咲き出した女郎花で、少女の一人前になったことを譬えたもの。○堪へぬ情に 「堪へぬ情」は、恋うまいとするが、しきれぬ心に。○なほ恋ひにけり やはり恋うてしまったで、「けり」は、詠歎。
【釈】 わが里に新たに咲き出した女郎花よ。恋うまいとするが、しきれない心に、やはり恋うてしまったことだ。
【評】 男の歌で、その住んでいる辺りの少女の、美しい一人前の女になって来たのを見て恋情を催し、それまでの心に較べて不似合に感じ、制しはしたが制しきれない心になったというのである。恋の歌とすると特色のあるもので、気分と実際の状態との無理なくあらわされている歌である。部落民の集団的生活をしている関係から、気がねともいうべきものがにじんでいる、細かい気分のある歌である。
 
2280 芽子《はぎ》が花《はな》 咲《さ》けるを見《み》れば 君《きみ》にあはず 真《まこと》も久《ひさ》に なりにけるかも
    芽子花 咲有乎見者 君不相 眞毛久二 成來鴨
 
【語釈】 ○君にあはず 君に逢わずしてで、連用形。
【釈】 萩の花の咲いているのを見ると、君に逢わずに、ほんとうに久しくなったことであるよ。
【評】 「真も久に」という語で生かされている歌である。夫に逢えずにいるのを恨んでいる心ではなく、ただ思い入っている心であるから、夫は遠い旅にでもいるものと思われる。一首の単純に、素直な詠み方であることもそれを思わせる。
 
2281 朝露《あさつゆ》に 咲《さ》きすさびたる 鴨頭草《つきくさ》の 日《ひ》斜《くだ》つなへに 消《け》ぬべく念《おも》ほゆ
    朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念
 
(562)【語釈】 ○朝露に咲きすさびたる 「朝露」は、花を咲かせるものとしていっている。「咲きすさびたる」は、盛んに咲いているで、花の数の多きよりいったもの。「すさぶ」は、集中ここにだけある語。勢が盛んになる意。○日斜つなへに 日が傾くにつれて。○消ぬべく念ほゆ 消えそうに思われるで、露草の花の萎《しぼ》むのを、感じとしていったものである。
【釈】 朝露に濡れて、盛んに咲き満ちている露草が日が傾くにつれて、萎んで消えそうに思われる。
【評】 恋の悩みをしている女の歌である。歌の形は、女が家の辺りにある露草の花を終日眺めくらして、朝は露に濡れて生き生きと咲き満ちている花が、夕方近く萎んでゆくのを見、おりから自身も、夕方のものさびしさに恋の悩みが募って死ぬような気がするところから、露草の花の状態をいうことによって、自身の気分を全面的にあらわそうとしたものである。恋ということには触れないのみならず、われということさえいわず、ただ露草の状態だけをいってそれをあらわしているので、譬喩ということは完全に超えたもので、いわゆる象徴の歌である。気分表現の傾向の限度にまで迫ろうとしている歌である。
 
2282 長《なが》き夜《よ》を 君《きみ》に恋《こ》ひつつ 生《い》けらずは 咲《さ》きて散《ち》りにし 花《はな》ならましを
    長夜乎 於君戀乍 不生者 開而落西 花有益乎
 
【語釈】 ○生けらずは 生きていないで。○花ならましを 花であったらよかったろうものをで、上に省いてある仮説の帰結。
【釈】 長夜を君に恋いつつ生きていないで、咲いて散って行った花であったらよかったろうものを。
【評】 女の歌で、類歌の多いものであり、平凡である。
 
2283 吾妹子《わぎもこ》に 相坂山《あふさかやま》の はだ薄《すすき》 穂《ほ》には咲《さ》き出《い》でず 恋《こ》ひ渡《わた》るかも
    吾妹兒尓 相坂山之 皮爲酢寸 穏庭開不出 戀度鴨
 
【語釈】 ○吾妹子に相坂山の 「吾妹子に」は、逢うと続き、相坂山の枕詞。「相坂山」は、山城(京都市)と近江(大津市)との境の山。○はだ薄 「はだ」は、原文「皮」。穂を孕んでいる時期の薄の称。「穂には咲き出でず」に、譬喩の意でかかり、初句よりこれまでその序詞。○穂には咲き出でず 表面にはあらわさないのを、序詞の関係で「咲き」といったもの。「出でず」は、連用形。
(563)【釈】 吾妹子に逢うという逢坂山のはだ薄のように、穂にはあらわさないで恋いつづけていることよ。
【評】 男の歌である。序詞ははだ薄の譬喩を主としたものであるが、その所在である「吾妹子に相坂山の」は、語意にすがって設けたもので、すべて理詰めである。こうした傾向もあったことを思わせる歌である。
 
2284 いささめに 今《いま》も見《み》が欲《ほ》し 秋芽子《あきはぎ》の しなひにあらむ 妹《いも》がすがたを
    率尓 今毛欲見 秋芽子之 四搓二將有 妹之光儀乎
 
【語釈】 ○いささめに今も見が欲し 「いささめに」は、ちょっとでも。「今も」の「も」は、夜に並べての意。「見が欲し」は、旧訓「見てしか」。これは、『考』の訓。見たい。○秋芽子のしなひにあらむ 秋芽子のようにしなやかだろうで、「しなひ」は「しなふ」の名詞形に「に」を添えた副詞。
【釈】 ちょっとでも今も見たいものである。秋萩のようにしなやかであろう妹の姿を。
【評】 男が庭に咲き撓《たわ》んでいる萩の枝振りから、妹の姿を連想しての心である。軽い気分の歌であるが、実際に即していっているので、魅力のあるものとなっている。
 
2285 秋芽子《あきはぎ》の 花野《はなの》の薄《すすき》 穂《ほ》には出《い》でず 吾《わ》が恋《こ》ひわたる 隠妻《こもりづま》はも
    秋芽子之 花野乃爲酢寸 穗庭不出 吾戀度 隱嬬波母
 
【語釈】 ○秋芽子の花野の薄 秋萩の花盛りの野にまじつている薄で、(564)「穂」の序詞。○隠妻はも 「隠妻」は、人に秘密にしている妻。「はも」は、詠歎。
【釈】 萩の花盛りの野にまじっている薄のごとく、我も穂には出さずに恋いつづけている隠妻は、ああ。
【評】 秋萩の花野の薄が作因をなしているとみえる。「花野」という美しい語が「隠妻」に気分のつながりを感じさせる。明るい恋である。
 
2286 吾《わ》が屋戸《やど》に 咲《さ》きし秋芽子《あきはぎ》 散《ち》り過《す》ぎて 実《み》になるまでに 君《きみ》に逢《あ》はぬかも
    吾屋戸尓 開秋芽子 散過而 實成及丹 於君不相鴨
 
【語釈】 略す。
【釈】 わが屋戸に咲いた秋萩が散ってしまって、実になるまでの久しい間を、君に逢わないことであるよ。
【評】 女の歌で、初句より四句まで丹念にいっていることが、すなわち嘆きの気分である。
 
2287 吾《わ》が屋前《やど》の 芽子《はぎ》咲《さ》きにけり 散《ち》らぬ間《ま》に 早《はや》来《き》て見《み》べし 平城《なら》の里人《さとびと》
    吾屋前之 芽子開二家里 不落間尓 早來可見 平城里人
 
【語釈】 ○早来て見べし 「見べし」は、「見」は、連用形で、連用形から助動詞「べし」に続けるのは古格である。「べし」は、希望の意のもの。○平城の里人 「里人」は、官人に対させた称。呼びかけ。
【釈】 わが庭の萩が咲いている。散らないうちに、早く来て御覧なさい。平城の里人よ。
【評】 萩の花を見に来てくれといぅ案内状である。「早来て見べし」は、親しい間だが疎遠にしている友に、逢いたさを主にしていっている形である。当人同士の関係がその言い方を決定させる範囲の歌である。
 
2288 石走《いはばし》の 間々《まま》に生《お》ひたる 貌花《かほばな》の 花《はな》にしありけり 在《あ》りつつ見《み》れば
(565)    石走 間々生有 ※[白/ハ]花乃 花西有來 在筒見者
【語釈】 ○石走の間々に生ひたる 「石走」は、川の中に橋の代わりに置いてある飛石の称。「間々に生ひたる」は、その飛石のあいだあいだに生えている。○貌花の 「貌花」は巻八(一六三〇)に出た。何の花か不明。昼顔の花かという。同音「花」に続き、初句よりこれまではその序詞。○花にしありけり 「花」は、ここは文字通り美しい意のもの。花は実に対させて、その真実とは反対に浮気の意にも用いるが、ここはそれではない。「し」は、強意。「けり」は、詠歎。○在りつつ見れば 「在り」は、現在の状態。「つつ」は、連続。夫婦関係を続けていて見ればの意。
【釈】 石橋のあいだあいだに生えている昼顔の、その花の美しさであることよ。夫婦関係を続けていて見れば。
【評】 男の、関係を結んだ女を讃えた心の歌である。懸想した時期に、美しいと思ったその感銘が、いつまでも続いているというので、それを得難いこととして讃えているのである。序詞は特色のあるものである。「石走の間々に生ひたる貌花」は、その河は多くの場合水が涸れていて河原の状態になっている河で、また貌花も、派手な花の少なかった上代には、特に目につく花であったろうと思われる。この序詞は、懸想時代の思い出を代表しているという、密接なつながりをもったものであろう。「花にしありけり」の強い詠歎がそれを思わせる。気分本位であるが、気分を印象的に扱ったというべきである。
 
2289 藤原《ふぢはら》の 古《ふ》りにし郷《さと》の 秋芽子《あきはぎ》は 咲《さ》きて散《ち》りにき 君《きみ》待《ま》ちかねて
    藤原 古郷之 秋芽子者 開所落去寸 君待不得而
 
【語釈】 ○藤原の古りにし郷の 藤原の古くなった里で、奈良へ遷都の後のこと。○君待ちかねて 「君」は、夫。「かねて」は、得ずしてで、君より見てもらおうとして待っていた萩が、待ち得ずしての意。
【釈】 藤原の古くなった里の秋萩は咲いて散ってしまった。君から見てもらおうと待っていたが、待ち得ずして。
【評】 奈良遷都とともに、夫は新京へ移ったが、妻は藤原の故京に残っていて、秋萩の季節の過ぎた頃、奈良にいる夫へ贈った歌である。君に見ていただこうと待っていた秋萩は、見られずに散りつくしたといって、夫の久しく無沙汰をしているのをそれとなく嘆いて訴えた心である。この訴へ方は型のごとくなっていたものであるが、詠み方がおおらかであるためにおのずから品が添い、あわれ深いものとなっている。
 
2290 秋芽子《あきはぎ》を 散《ち》り過《す》ぎぬべみ 手折《たを》り持《も》ち 見《み》れどもさぶし 君《きみ》にしあらねば
(566)    秋芽子乎 落過沼蛇 手折持 雖見不怜 君西不有者
 
【語釈】 ○秋芳子を散り過ぎぬべみ 秋萩が散り終わりそうなので。
【釈】 秋萩の花が、散り終わりそうなので、折って手にして見るけれども、楽しくはない。君ではないので。
【評】 女の、男に贈った歌である。萩の花に結びつけたものと思える。「秋芽子を散り過ぎぬべみ」は、夫が来訪したらともに見ようと待っていたが、来そうもないのでの心よりのもので、「君にしあらねば」は、せめてこれなりと見給えという代わりに、立ち入って、拗ねていっている形のものである。濃情にみえる歌であるが、むしろそれを超えた、しつこい、神経的な歌である。相聞の歌のこととて、おのずから個性的になっている。
 
2291 朝《あした》咲《さ》き 夕《ゆふべ》は消《け》ぬる 鴨頭草《つきくさ》の 消《け》ぬべき恋《こひ》も 吾《われ》はするかも
    朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者爲鴨
 
【語釈】 ○夕は消ぬる 夕方には萎《しぼ》んでしまうで、上に出た。○鴨頭草の 上の「消」を承けて、下の「消」に続けたもので、初句よりこれまでは、その序詞。
【釈】 朝咲いて、夕べは萎んで消えてゆく露草の、その消えて死にそうな恋を我はしていることであるよ。
【評】 序詞を生命としている歌であるが、その取材はすでに繰り返されて古くなっているところから、形を新しくしようとしたものである。しかしその変え方は、従来の感性的だったのを概念的にしたのである。ありうべきことであるが、それをすると次の時代の平安朝と異ならなくなるのである。その範囲のものである。
 
2292) 秋津野《あきつの》の 尾花苅《をばなか》り副《そ》へ 秋芽子《あきはぎ》の 花《はな》を葺《ふ》かさね 君《きみ》が仮廬《かりいほ》
    ※[虫+延]野之 尾花苅副 秋芽子之 花乎葺核 君之借廬
 
【語釈】 ○秋津野の 吉野離宮辺りの一帯の地の称。○花を葺かさね 「葺かさね」は、葺けの敬語に、「ね」の願望を添えたもの。お書きなさいませよ。○君が仮廬 「仮廬」は、旅宿りをするための仮小屋で、やや身分ある人は、行く先で作ったのである。ここは公務を帯びて逗留する人(567)の物と取れる。
【釈】 秋津野の尾花を刈り添えて、秋萩の花を刈って屋根をお葺きなさいませよ。君が仮小屋は。
【評】 官人で何らかの公務を帯びて秋津野へ行き、そこに逗留することになった夫に対し、その妻が別れる前に贈った形の歌である。京に近い吉野であるが、当時のこととて、そこへ行っている人は家恋しい歌を詠んでいる。その点は妻も同様であったろう。この歌はそうした点には全然触れず、旅の仮小屋の屋根の葺き代《しろ》として、おりからの萩の花と尾花とを想像し、夫もまたそれによって慰められるものとしていっているのである。自然美が距離を置いての鑑賞物ではなく、日常生活の中に融け入っていることを示している歌である。尾花で屋根を葺くおもしろさは、その歌もあって、すでに常識化していたことと思われるが、場合柄やはり注意を引く気分である。
 
2293 咲《さ》けりとも 知《し》らずしあらば 黙然《もだ》もあらむ この秋芽子《あきはぎ》を 見《み》せつつもとな
    咲友 不知師有者 黙然將有 此秋芽子乎 令視管本名
 
【語釈】 ○咲けりとも知らずしあらば 咲いていたであろうとも、それと知らずにいたならばで、「し」は、強意。○黙然もあらむ 「黙然」は、黙っていること。ここは、心が動いてものをいうとし、黙っているのは心の動かない、すなわち平気でいることとして、平気ということを具象化したものである。平気でいられよう。○見せつつもとな 「見せ」は、贈って来て見せる意。「つつ」は、連続であるが、ここは見せてを、語調でいったものと取れる。「もとな」は、由ないことだ。
【釈】 咲いていたからとて、それと知らずにいたならば、平気でいよう。この萩の花を我に見せて、由ないことだ。
【評】 病臥するか、あるいは何らかの事情で、久しく家に籠もっている人が、人より萩の花を贈られたのに対しての心である。表面は贈ってくれた人を恨む形であるが、心は自由に萩の花を見られない自身の愚痴である。言い方のくどいのが気分の表現になっている。
 
     山に寄す
 
2294 秋《あき》されば 雁《かり》飛《と》び越《こ》ゆる 竜田山《たつたやま》 立《た》ちても居《ゐ》ても 君《きみ》をしぞ念《おも》ふ
(568)    秋去者 鴈飛越 龍田山 立而毛居而毛 君乎思曾念
 
【語釈】 ○竜田山 同音で「立つ」に続き、初句から三句までその序詞。○立ちても居ても 行動の全部で、絶えずという意を具象的にいったもの。
【釈】 秋になると、雁が飛び越えてゆく竜田山。その立つという、我は立っても居ても、君を思うことである。
【評】 類歌のあるもので、一般性のある心を平明に詠んでいる点から見て、謡い物かと思われる。序詞に気分を籠もらせてあるとすれば、難波のほうに旅をして逗留している男の、夕方竜田山を越えて京のほうへゆく雁を見て旅愁をそそられ、妻を思っての歌とみえもするが、迎えての解であろう。
 
     黄葉に寄す
 
2295 我《わ》が屋戸《やど》の 田葛葉《くずは》日《ひ》にけに 色《いろ》づきぬ 来《き》まさぬ君《きみ》は 何情《なにごころ》ぞも
    我屋戸之 田葛葉日殊 色付奴 不來座君者 何情曾毛
 
【語釈】 ○田葛葉日にけに 「田葛」は、葛に当てた字。「日にけに」は、日増しに。○来まさぬ君は 「来まさぬ」は、来ぬの敬語。「君」は、夫。○何情ぞも どういう心。「ぞ」は、強意の助詞、「も」は、詠歎。
【釈】 わが家の葛の葉は、日増しに色が添って来た。見にいらせられない君は、どういうお心なのでしょう。
【評】 夫の来訪を、葛の黄葉に託して促した心である。それをいうに、「来まさぬ君は何情ぞも」と、叱責するごとき恨み方をしているのである。性格からのことであろう。
 
2296 あしひきの 山《やま》さなかづら もみつまで 妹《いも》にあはずや 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ
    足引乃 山佐奈葛 黄變及 妹尓不相哉 吾戀將居
 
【語釈】 ○山さなかづら 山にある美男かずらで、作者が今目にしている形でいっているもの。
(569)【釈】 山のさなかずらが黄葉するまで、妹に逢わずに、我は恋うているのであろうか。
【評】 山に行くことがあって、山のさなかずらの黄葉しているのを見ると、それが刺激となって、妹を恋いつつ逢わずにいる間の久しさを、今更のごとく思わせられたのである。類歌はあるが、実際に即して率直にいっているので、感のある歌となっているものである。
 
2297 もみち葉《ば》の 過《す》ぎかてぬ児《こ》を 人妻《ひとづま》と 見《み》つつやあらむ 恋《こほ》しきものを
    黄葉之 過不勝兒乎 人妻跡 見乍哉將有 戀敷物乎
 
【語釈】 ○もみち葉の過ぎかてぬ児を 「もみち葉の」は、散り去る意で、「過ぎ」の枕詞。「過ぎ」は、見過ごすこと。「かてぬ」は、堪えられない意。「児」は、女の愛称。見過ごすに堪えられないかわいい女を。○人妻と見つつやあらむ 「つつ」は連続。「や」は、疑問の係。
【釈】 見過ごすには堪えられないかわゆい女を、人妻として見つついることであろうか。恋しいのに。
【評】 人妻とはいっても、娘時代と同じくその母の家に住んで、かわらない状態を保っているので、以前から思いを寄せていた男には、こうした感は起こりやすいものであったろう。「もみち葉の過ぎかてぬ児を」という語は、新味のあるものである。
 
    月に寄す
 
2298 君《きみ》に恋《こ》ひ しなえうらぶれ 吾《わ》が居《を》れば 秋風《あきかぜ》吹《ふ》きて 月《つき》斜《かたぷ》きぬ
    於君戀 之奈要浦觸 吾居者 秋風吹而 月斜焉
 
【語釈】 ○しなえうらぶれ 「しなえ」は、萎えで、萎《しお》れる意。「うらぶれ」は、物思いにしおれる意で、ほぼ同意語を畳んで意を強めたもの。
【釈】 夫を恋うて、萎れて、物思いにしおれて吾がいると、秋の風が吹いて、月が傾いてしまった。
【評】 秋の夜、妻である女が夫の頼みなげに見えることを思い続けて夜を更かした心である。漠然としたことを大きく捉えていっている歌であるが、一首の歌として見ると、統一した感があり、落ちついた、しみじみした、味をもった歌となり、欠け(570)るところのないものとなっている。事実を詠もうとしたのではなく、事実より湧く気分を表現しようとしたもので、それを成し遂げているからである。「秋風吹きて月斜きぬ」は事実であるが、事実そのものではなく、気分を表現しようとして、その具象のためにいっている事実で、気分の範囲に属するものである。形には古さがあるが、奈良朝の新風の気分本位の態度で詠んでいる歌である。
 
2299 秋《あき》の夜《よ》の 月《つき》かも君《きみ》は 雲隠《くもがく》り しましも見《み》ねば 幾許《ここだ》恋《こほ》しき
    秋夜之 月疑意君者 雲隱 須臾不見者 幾許戀敷
 
【語釈】 ○月かも君は 月であるのか、君はで、「君」は、夫。
【釈】 秋の夜の月であるのか、夫は。月が雲に隠れ、暫くでも見えないと、甚しく恋しいことである。
【評】 秋の夜、月に対して、妻がその夫を思っている心である。月を見ていると楽しく、雲が動いて来て暫く隠れると、妙に恋しくなるというのである。月を見ると楽しく心足る気を、「秋の夜の月かも君は」といっているので、全気分をあらわし得ている語である。「雲隠り」以下も、「幾許恋しき」に同じく全気分が出ていて、前半と対し得ている。
 
2300 九月《ながつき》の 在明《ありあけ》の月夜《つくよ》 在《あ》りつつも 君《きみ》が来《き》まさば 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    九月之 在明能月夜 有乍毛 君之來座者 吾將戀八方
 
【語釈】 ○九月の在明の月夜 「月夜」は、月。初二句、同音で「在り」にかかる序詞。○在りつつも 自分が在り経つつで、生きながらえて。○吾恋ひめやも 「や」は、反語で、恋いようか、恋いはしない。
【釈】 九月の在明の月の、我も在り経つつ、君が通っていらっしゃるのであったら、吾は恋いようか、恋いはしない。
【評】 女がその夫から疎遠にされる悩みをしていての心である。「君が来まさば吾恋ひめやも」は普通の心であるが、それに加えていっている「在りつつも」は、深く思い入って、人生そのものにまでも思い到った匂いをもつ語である。「九月の在明の月夜」は、同音で下へかかる序詞であるが、それだけのものではなく、女が悩ましさのため眠られずに見ていたもので、眼前を(571)捉えたものと思われる。九月の在明月は、さみしさとともに清らかなもので、対かっているとものを思い入らせずにはやまないものである。それが「在りつつも」と思わせたのは、その語つづきが示している。すなわち一首は、女が九月の在明の月に眺め入っていての感なのである。恋の歌ではあるが、静かな、深みある気分の表現で、めずらしい歌である。
 
     夜に寄す
 
2301 よしゑやし 恋《こ》ひじとすれど 秋風《あきかぜ》の 寒《さむ》く吹《ふ》く夜《よ》は 君《きみ》をしぞ念《おも》ふ
    忍咲八師 不戀登爲跡 金風之 寒吹夜者 君乎之曾念
 
【語釈】 ○よしゑやし恋ひじとすれど 「よしゑやし」は、原文「忍咲八師」。『全註釈』は、元暦校本の訓「おしゑやし」に従い、精しく考察して、「よしゑやし」とは別な語だとし、堪え忍んでの意だとしている。今は「よしゑやし」に従うこととする。
【釈】 よしや、恋うまいとするが、秋風の寒く吹く夜は、君を思うことであるよ。
【評】 女の歌である。激しやすく、折れやすい、善良な庶民の心がそのままに詠まれている。謡い物ではなかったかと思われる。
 
2302 或者《わびびと》の あな情《こころ》なと 念《おも》ふらむ 秋《あき》の長夜《ながよ》を 寐《い》ね臥《ふ》してのみ
    或者之 痛情無跡 將念 秋之長夜乎 寐臥耳
 
【語釈】 ○或者の 旧訓。「或」は、惑に通じて用いている字で、巻九(一八〇一)「或人者《わびびとは》啼《ね》にも哭きつつ」と出た。また「惑」は、巻四(七一七)「独念《かたもひ》に吾は念へば惑《わび》しくもあるか」がある。多感な、風流を解する人。○あな情なと念ふらむ ああ心ないことだと思うだろう。○寐ね臥してのみ 寝てばかりいるで、作者自身の状態。
【釈】 多感な風流を解する人の、ああ心ないことだと思うだろう。秋の長い夜を寝てばかりいる。
【評】 男の歌と取れる。秋の長い一夜の楽しかるべき時を、人と離れてひとり寝てばかりいる人の、いわゆるわび人の思わくを気にしての歌である。こうした自己批評をするのは、作者も同じくわび人で、そしてそのような状態でいるのは何らかの理(572)由があってのことであろう。想像しやすいことは恋の悩みであるが、それを暗示する一語もないので、わかりかねる。編者の資料とした書には、多分相聞の中に加えてあったので、ここへ収めたのではなかろうか。
 
2303 秋《あき》の夜《よ》を 長《なが》しといへど 積《つも》りにし 恋《こひ》を尽《つく》せば 短《みじか》かりけり
    秋夜乎 長跡雖言 積西 戀盡者 短有家里
 
【語釈】 略す。
【釈】 秋の夜を長いものと人はいうけれども、積もっていた恋を尽くすと、短いものであったことだ。
【評】 男の歌で、久しぶりで逢った女に、夜が明けて帰ろうとする時に詠んだ形のものである。挨拶程度の歌だ。
 
     衣に寄す
 
2304 あきつはに にほへる衣《ころも》 吾《われ》は著《き》じ 君《きみ》に奉《まつ》らば 夜《よる》も著《き》るがね
    秋都葉尓 々寶敞流衣 吾者不服 於君奉者 夜毛著金
 
【語釈】 ○あきつはににほへる衣 「あきつは」は、巻三(三七六)湯原王の「秋津羽《あきづは》の袖振る妹を」とあったとは異なり、秋つ葉で、黄葉した葉で、「に」は、のように。「にほへる」は、色の美しい意。秋の葉のように美しく染まった衣。○吾は著じ 「吾」は、女で、女が自身のために染めた物だが、自分は着まい。○君に奉らば 君に差し上げたならば。○夜も著るがね 夜も着る料にで、昼は下着に、夜もまた君の身に添う料になるようにの意。「がね」は巻三(三六四)、上の(一九〇六)に既出。
【釈】 秋の葉のように美しく染まった衣を、吾は着まい。君に差し上げたならば、夜も着る物となるように。
【評】 女が美しく染めた衣を夫に贈る時に添えた歌である。「あきつはににほへる衣」は、物を贈る時に、心を籠めた物であることをいう習いにしたがっての語であるが、「夜も著るがね」は、わが形身となろうというので、恋の訴えである。この点を主とした歌で、それをいうまでの心理が情味があって、自然で、巧みである。
 
(573)     問答
 
2305 旅《たび》にすら 紐《ひも》解《と》くものを 言《こと》繁《しげ》み 丸寝《まるね》吾《わ》がする 長《なが》きこの夜《よ》を
    旅尚 襟解物乎 事繋三 丸宿吾爲 長此夜
 
【語釈】 ○旅にすら紐解くものを 「旅にすら」は、旅ででも寛いで寝るものなのにで、「を」は、詠歎。○言繁み 噂がうるさいので。○丸寝吾がする長きこの夜を 「丸寝」は、昼の衣のままで、ごろ寝をすること。「長きこの夜」は、この秋の長い夜を。
【釈】 旅ででも衣の紐を解いて寝るのに、噂がうるさいので、ごろ寝を我はしていることである。この秋の長い夜を。
【評】 妻のもとへ通って行き難い事情の下にあった男の、使をもって妻に贈ってやった歌で、行けない断わりをいう心のものである。実用の歌である。
 
2306 時雨《しぐれ》ふる 暁月夜《あかときづくよ》 紐《ひも》解《と》かず 恋《こ》ふらむ君《きみ》と 居《を》らましものを
    四具礼零 曉月夜 紐不解 戀君跡 居益物
 
【語釈】 ○時雨ふる暁月夜 時雨のおりおり降る、月のある明け方。○紐解かず恋ふらむ君と 紐を解いて寝ずに、物恋いをしているだろう君とで、これは広い意味でいっているもので、恋の相手はたれともわからない意である。○居らましものを 一緒に居たろうものをで、すでに明け方になって、仮想の帰結としていっているもの。
【釈】 時雨のおりおりに降る、月のあるこの明け方に、紐を解いて寝ずに物恋いをしているのだろう君と、それと知ったら、一緒に居たのであろうものを。
【評】 女の答で、男の事務的に率直にいって来たのに対し、「紐解かず」を、物思いのためであろうと逸らし、それだったら一緒に居て上げたろうにと、さすがにいたわって答えているのである。上手な歌である。
 
2307 もみち葉《ば》に 置《お》く白露《しらつゆ》の 色葉《いろは》にも 出《い》でじと念《おも》へば ことの繁《しげ》けく
(574)    於黄葉 置白露之 色葉二毛 不出跡念者 事之繁家口
 
【語釈】 ○色葉にも出でじと念へば 「色葉にも」は、原文「色葉二毛」、旧訓「いろはにも」。色葉という語は他に用例がないところから、『考』以下誤写だろうとしている。『全註釈』は色に染まった葉で、ありうる語であろうといい、巻七(一〇九四)「我が衣|色服《いろぎぬ》に染《し》めむ」を参考として挙げている。その解で通じる。色に染まった葉の色を映して、白露がその色を帯びる、それほどにもあらわすまいと思っていると。○ことの繁けく 「こと」は言で、人の物言い。「繁けく」は繁くの名詞形で、繁きことよ。
【釈】 もみじ葉に置いている白露が、色に染まった葉の色を映すほどもあらわすまいと思っていると、人の物言いが多いことである。
【評】 男が女に嘆いて贈った歌である。「色葉にも出でじ」は、感性の働いた巧みな譬喩で、この歌の眼目となっているものである。
 
2308 雨《あめ》降《ふ》れば 激《たぎ》つ山川《やまがは》 石《いは》に触《ふ》れ 君《きみ》が摧《くだ》かむ 情《こころ》は持《も》たじ
    雨零者 瀧都山川 於石觸 君之摧 情者不持
 
【語釈】 ○激つ山川石に触れ 激しく流れる山川の水が岩に触れて、「摧か」と続き、初句よりこれまでその序詞。○君が摧かむ情は持たじ 君が心を千々に砕くような心は、我はもつまいで、君をひどく悩ませるようなことはしまいの意。
【釈】 雨が降ると激しく流れる山川が、岩に触れて砕けるように、君が心を砕くような心は、我はもつまい。
【評】 上の歌に対しての女の答である。いかなることがあろうとも、君に背くまいという誓いの語である。これは上の歌に対して特に詠んだものではなく、以前からあって記憶に存していた古歌をもって答に代えたのであろう。恋の歌は大体心が広いので、このようなことがたやすく出来、一部を換えれば十分わがものともなるのであって、その例は少なくない。この歌もその範囲のもので、格別なものではない。
 
     右の一首、秋の歌に類《に》ざれども、和なるを以ちて之を戟す。
      右一首、不v類2秋謌1、而以v和載v之也。
 
(575)【解】 撰者の注である。歌の中に秋に関する語がないから、この部立には入れ難いものであるが、「和」すなわち答であって、前の歌と切り離し難いから載せるというのである。
 
     譬喩歌
 
2309 祝部等《はふりら》が 斎《いは》ふ社《やしろ》の もみち葉《ば》も 標繩《しめなは》越《こ》えて 散《ち》るといふものを
    祝部等之 齋經社之 黄葉毛 標繩越而 落云物乎
 
【釈】 ○祝部等が斎ふ社の 「祝部」は、神官の階級を示す称であるが、総称ともなっていた。ここは総称である。「斎ふ社」は、不浄を払っている社。○標繩越えて 「標繩」は、占有を示し、他人の侵入を禁じるしるしの繩で、ここは神域を示す神聖な物。○散るといふものを 神域から外に散るというのに。
【釈】 祝部等が不浄を払っている社の黄葉も、標繩を越して外へ散るというのに。
【評】 「黄葉」を娘に、「標繩」を、その娘を守っている母親などに譬えたもので、黄葉がそうした状態を示しているのに、我も娘と関係のつけられないことはなかろうとの心をもっていっているものである。「祝部等が斎ふ社の」と黄葉をきわめて重くいい、「散るといふものを」と、婉曲に、詠歎を添えて、言いさしにしているのは、娘に対する懸想の深さよりの心を置いているのである。神に対する信仰の絶対であった上代とて、この譬喩は容易ならぬものだったのである。品位あり、洗煉を経た詠み方で、男の身分を思わせる歌である。
 
     旋頭歌
 
2310 蟋蟀《こほろぎ》の 吾《わ》が床《とこ》の隔《へ》に 鳴《な》きつつもとな 起《お》き居《ゐ》つつ 君《きみ》に恋《こ》ふるに 寐《い》ねかてなくに
    蟋蟀之 吾床隔尓 鳴乍本名 起居管 君尓戀尓 宿不勝尓
 
【語釈】 ○吾が床の隔に 「床の隔」は、床の隔て、囲いである。「もとな」は、よしがない。○寐ねかてなくに 眠ることが出来ないことなのに。
(576)【釈】 蟋蟀が吾が床の隔てに、鳴きつづけていて、しようがない。起き続けていて君を恋うるので、眠ることのできないことなのに。
【評】 心が明らかで、むしろ明らかすぎる感がある。調べもそれとともに緩やかすぎる。すべて形式から来ることである。旋頭歌が一時代前の謡い物時代のものであることを明瞭に示している歌といえる。
 
2311 はだ薄《すすき》 穂《ほ》にはさき出《い》でぬ 恋《こひ》を吾《わ》がする 玉《たま》かぎる ただ一目《ひとめ》のみ 見《み》し人《ひと》ゆゑに
    皮爲酢寸 穗庭開不出 戀乎吾爲 玉蜻 直一目耳 視之人故尓
 
【語釈】 ○はだ薄穂にはさき出でぬ 「はだ薄」は、上の(二二八三)に出た。穂を孕んでいる薄で、「穂にはさき出でぬ」は、口へ出してはいわないで、二句譬喩。○玉かぎるただ一目のみ 「玉かぎる」は、玉が耀くで、意味で、「ほのか」にかかる枕詞。ここは、「ただ一目」を「ほのかに」の意として、それにかかっている。○見し人ゆゑに 「人」は、女。
【釈】 はだ薄の穂には出さないような恋をわれはしていることである。玉のかがやくような、ほのかにただ一目見た女のゆえに。
【評】 純抒情の歌で類想の多い歌である。形式から来る調べの緩やかさが、感のそのものをも微温的にしている。「はだ薄」という枕詞が秋につながっているのみである。
 
     冬雑歌
 
【解】 以下四首は、柿本人麿歌集の歌であり、他の場合と同じく、特別扱いをして、題を付けずにいるものである。
 
2312 我《わ》が袖《そで》に 霞《あられ》たばしる 巻《ま》き隠《かく》し 消《け》たずてあらね 妹《いも》が見《み》むため
    我袖尓 雹手走 卷隱 不消有 昧爲見
 
【語釈】 ○霰たばしる 「たばしる」は、「た」は、接頭語で、走っている。激しく落ちる状態。○巻き隠し 「巻き隠し」は、袖に巻いて、隠して。
(577)【釈】 わが袖に霰が走っている。巻いて隠して、消さずに置こう。妹が見るために。
【評】 妹のもとに通って行く途中霰に逢い、自身めずらしくおもしろく思うとともに、妹にもそれを見せようと思った心である。軽い心のものであるが、事の心の全体があらわれている。「たばしる」と状態を叙し、「巻き隠し」と詳しく叙し、「見むため」と三段に向かって事を明らかにし、その気分は張って躍った調べに託しているのである。若い人麿の何物もおもしろがり、心を躍らせるさまが断面的にみえる。この生趣は人麿のみのものである。
 
2313 あしひきの 山《やま》かも高《たか》き 巻向《まきむく》の 岸《きし》の小松《こまつ》に み雪《ゆき》ふりけり
    足曳之 山鴨高 卷向之 木志乃子松二 三雪落來
 
【語釈】 ○山かも高き 山が高いからだろうか。「山」は見馴れている巻向山であるが、その折の光景から怪しんでいったもの。○巻向の岸の小松に 「巻向の岸」は、巻向山の断崖。「小松」は、「小」は接頭語。○み雪ふりけり 「み」は、接頭語。「けり」は詠歎の助動詞。
【釈】 山が高いからだろうか。巻向山の断崖の松の上に、雪が降ったことだ。
【評】 冬の初めの頃、巻向山の断崖に立っている松の上に雪の白く積もっているのを認めて、山が高いからのことだろうかと訝かった心である。訝かりのほうからいっているのは、藤原京から来たので、それが強く感じられたからとみえる。断崖の松の上の雪は印象的で、その理由として山の高さを想像するのも機敏である。何というほどのこともない歌であるが、捉え方、感じ方ともに人麿的である。
 
2314 巻向《まきむく》の 檜原《ひばら》もいまだ 雲《くも》居《ゐ》ねば 小松《こまつ》が末《うれ》ゆ 沫雪《あわゆき》流《なが》る
    卷向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流
 
【語釈】 ○巻向の檜原もいまだ この名は巻七(一〇九二)などに出た。○雲居ねば 雲がかかっていないのに。○小松が末ゆ 「小松」は、松。「末ゆ」は、伸び立った枝先を通して。○沫雪流る 「沫雪」は、沫のような大形の雪。「流る」は降っている状態。
【釈】 巻向の檜原にもまだ雲はかかっていないのに、小松の伸び立った枝先を通して沫雪が流れている。
【評】 空が晴れていながら、沫雪の降っている状態をいった歌である。「巻向の檜原も」は、やや距離を置いて見ているもの(578)で、「いまだ雲居ねば」は、空の晴れていることを具象的にいったものである。「小松」は近い位置にあるもので、「末ゆ沫雪流る」は、その雪のいかに大降りであるかを具象したものである。いささかも説明せず、すべてを具象して感覚に訴えているものである。印象的に感じられるのはそのためである。
 
2315 あしひきの 山道《やまぢ》も知《し》らず 白樫《しらかし》の 枝《えだ》もとををに 雪《ゆき》の降《ふ》れれば
    足引 山道不知 白杜※[木+戈] 枝母等乎ミ尓 雪落者
 
【語釈】 ○山道も知らず 「山道」は、ここは、山の中の道。「知らず」は、知られず。山の中の道の、辿り行くべき道か知れないの意。○白樫の枝もとををに 「白樫」は、葉に鋸歯があり、葉の裏が灰白色の普通の樫。「とををに」は、撓《たわ》んでいるさまをあらわす副詞。
【釈】 辿り行くべき山路も知られない。白樫の枝も撓んで雪が降っているので。
【評】 雪の相応に深く積もってやんだ山に入り、実際に歩いている状態を通して、そうした境の感をいっている歌である。取材をきわめて少なくし、詠歎風に詠んでいるのは、その境のもつ特殊な気分をあらわそうとしたからのことである。清らかな拡がりをもった境が、調べに導かれて、ただちに気分となって浮かんで来る歌である。気分本位の詠風となった奈良朝時代の先縦をなしているとみえる歌であるが、それとは異なった趣がある。奈良朝時代には、気分によって材を捉えているのであるが、人麿は取材を通して気分にまで到らせているのである。実際に即し、それを単純に捉え、調べによって気分として行く態度を、この歌は明らかに示している。
 
     或は云ふ、枝《えだ》もたわたわ
(579)      或云、枝毛多和々々
 
【解】 第四句の別伝である。「たわ」は撓で、撓むさまで、それを畳んで強めた形。状態描写で、気分をあらわそうとした作意からは距離のあるものである。
 
     右は柿本朝臣人麿の歌集に出づ。但件の一首は、【或本に云ふ、三方沙彌の作。】
      右柿本朝臣人麿之謌集出也。但件一首【或本云、三方沙彌作。】
 
【解】 「件の一首」は、最後の歌をさしたのである。「三方沙彌」は、巻二(一二三)に出た。上の歌を伝唱して、その際、右のごとく誤ったのが異伝となったのであろう。
 
     雪を詠める
 
2316 奈良山《ならやま》の 峰《みね》なほ霧《きら》ふ うべしこそ 間垣《まがき》の下《もと》の 雪《ゆき》は消《け》ずけれ
    奈良山乃 峯尚霧合 宇倍志社 前垣之下乃 雪者不消家礼
 
【語釈】 ○峰なほ霧ふ 蜂はまだ曇っている。○うべしこそ 「うべ」は、もっともと諾《うべな》う意の副詞。「し」は強意、「こそ」は、係の助詞。○間垣の下の雪は消ずけれ 「間垣」は、籬で、「ま」は、接頭語。「消ずけれ」は、「ず」は、打消の「ず」の連用形。
【釈】 奈良山の峰はまだ曇っている。籬の下の雪の消えずにいるのはもっともである。
【評】 奈良山に近い佐保辺りに住んでいる人の、薄雪の後、家の内から戸外を見やっての即興である。軽い心のもので、口頭の語を歌の形にしたものである。
 
2317 こと降《ふ》らば 袖《そで》さへぬれて とほるべく 降《ふ》りなむ雪《ゆき》の 空《そら》に消《け》につつ
    殊落者 袖副沾而 可通 將落雪之 空尓消二管
 
(580)【語釈】 ○こと降らば 「こと」は、巻七(一四〇二)に出た。同じの意で、動詞に冠する副詞。同じ降るならば。
【釈】 同じ降るならば、袖までも濡れて、濡れ通るように降ればよいと思われる雪が、空で消えつついる。
【評】 雪がどんなに降り続くだろうと思つたが、たちまちにやんだことを気分的に詠んだ歌である。「こと降らば」以下四句までは、大降りの雪に逢ったときの連想によるもので、語の多いものは気分をいっているものである。「空に消につつ」は、すでにやんだのを、上との関係でこのようにいっているのである。味わいのある歌ではないが、作者としては一種の気分をあらわし得たとした歌であろう。
 
2318 夜《よ》を寒《さむ》み 朝戸《あさど》を聞《ひら》き 出《い》で見《み》れば 庭《には》もはだらに み雪《ゆき》降《ふ》りたり
    夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有
 
【語釈】 ○夜を寒み 「寒み」は、ここは状態で、寒くて。○庭もはだらに 「はだら」は、「はだれ」ともいい、うすく降っているさまをいう。
【釈】 夜が寒くて、朝の戸を開けて出て見ると、庭にうっすらと雪が降りつもっている。
【評】 夜の寒かつた朝、雪の降っているのを見て、その理由を知った際の気分である。気分としていっているので、空疎ではない。
 
     一に云ふ、庭《には》もほどろに 雪《ゆき》ぞ降《ふ》りたる
      一云、庭裳保杼呂尓 雪曾零而有
 
【解】 四、五句の別伝である。「ほどろに」は、うっすらと。理由を発見した意味が強くなり、気分は薄くなっている。
 
2319 夕《ゆふ》されば 衣手《ころもで》寒《さむ》し 高松《たかまつ》の 山《やま》の木毎《きごと》に 雪《ゆき》ぞ降《ふ》りたる
    暮去者 衣袖寒之 高松之 山木毎 雪曾零有
 
【語釈】 ○高松の山の木毎に 「高松」は、高円。「山の木毎に」は、高円山の木ごとに。
(581)【釈】 夕方になると、衣が寒い。高円の、山の木ごとに雪が降っていることだ。
【評】 高円山の裾の辺りに住んでいる人の歌で、夕方寒さに高円山のほうを仰ぐと、山には雪が降っていたというのである。「山の木毎に」という語は実際に即していっているもので、印象鮮明である。夕明りに認めた気分を思わせる。
 
2320 吾《わ》が袖《そで》に 降《ふ》りつる雪《ゆき》も 流《なが》れ去《ゆ》きて 妹《いも》がたもとに い行《ゆ》き触《ふ》れぬか
    吾袖尓 零鶴雪毛 流去而 妹之手本 伊行觸粳
 
【語釈】 ○降りつる雪も 降った雪も。○流れ去きて 「流れ」は、横ばかりでなく、縦にもいう語で、移動の意。移動して行って。○妹がたもとにい行き触れぬか 「たもと」は、手本で、袖。「い行き」は、「い」は、接頭語。「触れぬか」は、触れないか、触れてくれよで、「ぬか」は願望をあらわす語法。
【釈】 わが袖に降ったところの雪も、移動して行って、妹の袖に、行って触れないのか、触れてくれよ。
【評】 「君が袖に降りつる雪」は、すでに降った雪で、それに対して、「流れ去きて妹がたもとに」という希望は、事実としてはありうべからざることで、気分を述べたものである。しかし根拠のある気分で、上代から心と心とを交流させるには、何物か物を通して初めて可能になるものだと信じられていたので、ここは男の袖に降った雪を、さらに妹の袖に触れさせることによって、妹を思う心を通じさせようというのである。軽くいっているのは、そのことは常識となっていたことだからである。単なる興味よりのものではない。
 
2321 沫雪《あわゆき》は 今日《けふ》はな降《ふ》りそ 白妙《しろたへ》の 袖《そで》纏《ま》き干《ほ》さむ 人《ひと》もあらなくに
    沫雪者 今日者莫零 白妙之 袖纏將干 人毛不有君
 
【語釈】 ○白妙の袖纏き干さむ 「白妙の」は、袖の枕詞。「纏き干さむ」は、身に纏って干すであろうで、共寝の折の状態。○人もあらなくに 「人」は、上のごときことをする人は妻であって、妻も居ないことだのに。
【釈】 沫雪は、今日は降るな。白妙の袖を、身に纏って干すであろう人は居ないことだのに。
(582)【評】 旅に出ていて、沫雪の降るのに出違った時の心である。「今日はな降りそ」というので、明日は妻とともにいられる旅と知れる。「袖纏き干さむ人」はありうる状態ではあるが、憧れ気分より想像した状態と思われる。気分と感覚と一つになった巧みな語で、これを中心とした歌である。
 
2322 はなはだも 降《ふ》らぬ雪《ゆき》ゆゑ こちたくも 天《あま》つみ空《そら》は 陰《くも》りあひつつ
    甚多毛 不零雪放 言多毛 天三空者 陰相管
 
【語釈】 ○はなはだも降らぬ雪ゆゑ 甚しくは降らない雪のゆえにで、雪だのにの意。○こちたくも 言痛くで、人の口のうるさい意から転じて、甚しくの意に用いられたもの。○陰りあひつつ 曇りつついる。
【釈】 甚しくは降らない雪だのに、甚しく大空は曇りつづけている。
【評】 大雪の来そうな空模様を見て、懸念している気分である。「こちたくも天つみ空は陰りあひつつ」と、事としては平凡であるのに、極度に仰々しい言い方をしているのは、一枝の不安な気分をあらわそうとしてである。「はなはだも降らぬ雪ゆゑ」は、それに調和させるための言い方である。大降りの雪を思う歌は、上の(二三一七)「こと降らば袖さへぬれて」もあった。生活上の実感で、興味よりのものではない。
 
2323 吾《わ》が背子《せこ》を 今《いま》か今《いま》かと 出《い》で見《み》れば 深雪《あわゆき》ふれり 庭《には》もほどろに
    吾背子乎 且今々 出見者 沫雪零有 庭毛保杼呂尓
 
【語釈】 ○今か今かと 今は来るか、今は来るかと思って。○庭もほどろに 庭もうっすらと。
【釈】 わが背子を、今は来るか今は来るかと思って戸外に出て見ると、深雪が降った。庭もうっすらと。
【評】 想像を裏切る状態を見出した一瞬間の印象をいったものである。沫雪が降り出していては夫は来ないにきまっているのであるが、そこまではいわず、「庭もほどろに」と、夜の目に見るほの白い雪の印象をいうにとどめているのは、気分本位な詠み方である。感覚的にいって、背後に拡がりをもたせている、巧みな歌である。
 
(583)2324 あしひきの 山《やま》に白《しろ》きは 我《わ》が屋戸《やど》に 昨日《きのふ》の暮《ゆふべ》 ふりし雪《ゆき》かも
    足引 山尓白者 我屋戸尓 昨日暮 零之雪疑意
 
【語釈】 ○昨日の暮 昨夜ということを、重くいったもの。
【釈】 山に白く見えるのは、わが宿に、昨日の夜降った雪であろうか。
【評】 夜、山寄りの平地に雪の降った翌朝、山に白いもののあるのを見て、昨夜の雪なのかに心づいた時の気分をいったのである。「山に白きは」といっているので、その白さはいささかのものであり、山よりも雪の少ないわが宿のほうは消えていたこと、またその山は近いことなどを思わせる。技巧としていっている語ではなく、感覚的印象としていっているものである。気分をいおうとする詠風につながっているものである。
 
     花を詠める
 
2325 誰《た》が苑《その》の 梅《うめ》の花《はな》ぞも ひさかたの 清《きよ》き月夜《つくよ》に 幾許《ここだ》散《ち》り来《く》る
    誰苑之 梅花毛 久堅之 清月夜尓 幾許散來
 
【語釈】 ○ひさかたの清き月夜に 「ひさかたの」は、ここは、月にかかる枕詞。○幾許散り来る 「幾許」は、たくさんに。
【釈】 たれの苑の梅の色であろうぞ。清らかな月夜に、たくさんここに散って来る。
【評】 月夜に、わが家の庭に散って来る梅の色を見て、たれの苑の物だろうとゆかしんだ心である。事象そのものがすでに快い歌となっているのである。漢詩の影響を思わせる。
 
2326 梅《うめ》の花《はな》 先《ま》づ咲《さ》く枝《えだ》を 手折《たを》りては 裹《つと》と名《な》づけて よそへてむかも
    梅花 先開枝乎 手折而者 ※[果/衣]常名付所 与副手六香聞
 
(584)【語釈】 ○梅の花先づ咲く枝を 梅の花の最初に咲いている枝をで、めずらしく愛でたいものとしていっている。作者の現に見ているもの。○手折りては 折ってで、「手」は、接頭語。「は」は、強め。○裹と名づけて 「裹」は、土産物の意となった語。「名づけて」は、かりに称して。自分の家の梅の花ではあるが、土産物として贈られた物だとかりに称して。○よそへてむかも 「よそへ」は、なぞらえる意。「て」は、完了で、強め。その人になぞらえて見ようか。
【釈】 梅の花の最初に咲いた枝を折っては、その人よりの土産物だとかりに称して、その人になぞらえて見ようか。
【評】 その家の梅の最初に咲いた花をなつかしく見て、意中の人と通うところのあることを連想し、これをその人の土産物だということにして、折って傍らに置いてなぞらえて見ようかと想像したのである。児戯に類しているようではあるが、人を思うには、何らかの形あるものによって思うということが、上代からの風になっていたので、その心の伴ってのことである。意中の人は、心合いの友でも、女でも通じる心である。取材がすでに気分のものである。
 
2327 誰《た》が苑《その》の 梅《うめ》にかありけむ 幾許《ここだく》も 咲《さ》きにたるかも 見《み》が欲《ほ》しまでに
    誰苑之 梅尓可有家武 幾許毛 開有可毛 見我欲左右手二
 
【語釈】 ○誰が苑の梅にかありけむ たれの苑の梅の花であったろうかと、咲いていた邸は忘れて、思い出せず訝かっている意。○見が欲しまでに 「見が欲し」は、後世だと「見が欲しき」と連体形にするところであるが、終止形にしているのは古格である。
【釈】 たれの苑の梅の花であったろうか。たくさんに咲いていることだ。見たく思うまでに。
【評】 思い出となって眼に浮かんで来た梅の花を、いま一度愛でている心である。印象の強かった花その物だけを覚えていて、その在った場所ははっきりしないということは、推察しやすいことである。花よりも、花に伴って起こる気分のほうを重んじ、そこに力点を置いている心で、奈良朝時代の風である。実際に即しての機微を捉えている歌である。
 
2328 来《き》て見《み》べき 人《ひと》もあらなくに 吾家《わぎへ》なる 梅《うめ》の早花《はつはな》 散《ち》りぬともよし
    來可視 人毛不有尓 吾家有 梅之早花 落十方吉
 
【語釈】 ○来て見べき人もあらなくに 「見べき」は、「見」は連用形。この続きは古格で、上に出た。来て見るべき人もないのに。○梅の早花(585)「早花」は、上の歌と同じく、めずらしく愛すべきものとしていっている。
【釈】 来て見そうな人もないのに。わが家の梅の初花は、散ろうともかまわない。
【評】 梅の初花を愛でるあまり、風流を解する友とともに見たいと思い、そうした人の無いことを思って、歎息していっている心である。自身を風流の士と許している人である。
 
2329 雪《ゆき》寒《さむ》み 咲《さ》きには咲《さ》かず 梅《うめ》の花《はな》 よしこの頃《ごろ》は しかもあるがね
    雪寒三 咲者不開 梅花 縱比來者 然而毛有金
 
【語釈】 ○雪寒み咲きには咲かず 雪が寒いので、咲くのは咲かないで。「ず」は、連用形。○よしこの頃は 「よし」は、かりに許す意で、ままよ、この頃は。○しかもあるがね 「しか」は、旧訓。上を承けて、そのようにして。「あるがね」は、あるがよい。
【釈】 雪が寒いので、咲くのは咲かないで、梅の花は、ままよこの頃はこのままであってくれよ。
【評】 梅の咲くのを待つ心をもちながら、雪の寒いところから梅をいたわる心を起こして、当分は咲かずにいよといっている心である。いわゆるもののあわれの根本に触れている心である。心深さのある歌である。
 
     露を詠める
 
2330 妹《いも》がため 末枝《ほつえ》の梅《うめ》を 手折《たを》るとは 下枝《しづえ》の露《つゆ》に ぬれにけるかも
    爲妹 末枝梅乎 手折登波 下枝之露尓 沾家類可聞
 
【語釈】 ○末技の梅を手折るとは 「末枝の梅」は、伸び立った高いところにある梅で、初花ということを、その位置からいったもの。
【釈】 妹のために、初咲きの花のある末枝の梅を折るとしては、下枝の露に濡れたことであるよ。
【評】 妻のもとへ自分の梅の枝を贈るのに添えた歌である。「末枝」「下枝」は語の興味よりの対照であるが、「末枝」は理由があり、「下枝」はその関係よりのものであるから、軽薄なものではない。「露にぬれにけるかも」は、いうほどの苦労ではな(586)いが、強いて言い立てているもので、愛橋ともいえる。拙くは  ない歌である。
 
     黄葉を詠める
 
2331 八田《やた》の野《の》の 浅茅《あさぢ》色《いろ》づく 有乳山《あらちやま》 峯《みね》の沫雪《あわゆき》 寒《さむ》く降《ふ》るらし
    八田乃野之 淺茅色付 有乳山 峯之沫雪 寒零良之
 
【語釈】 ○八田の野の浅茅色づく 「八田」は、奈良県大和郡山市に矢田がある。○有乳山 滋賀県高島郡マキノ町から福井県敦賀市、山中へ越える所の山で、北国越えの要路にあたっている山である。当時|愛発《あらち》の関のあった山である。
【釈】 八田の野の浅茅が色づいた。有乳山の峰には、沫雪が寒く降るらしい。
【評】 八田の野の辺りに住んでいる人が、寒い北国へ向かって旅をしている人を思った歌である。官人としての夫を思いやった妻の歌であろう。類型のあるもので、これだけで気分が感じられる。
 
     月を詠める
 
2332 さ夜《よ》深《ふ》けば 出《》で来《こ》む月《つき》を 高山《たかやま》の 峰《みね》の白雲《しらくも》 隠《かく》しなむかも
    左夜深者 出來牟月乎 高山之 峯白雲 將隱鴨
 
【語釈】 ○隠しなむかも 「深けば」の未然条件法に応じさせた推量。
【釈】 夜がふけたならば出て来るであろう月を、高山の峰の白雲が隠すのであろうか。
【評】 夜ふけて出る月を待ち、その出る山の雲を気にしている心である。月を美観とせず、月光を利用しようとする心であろう。『代匠記』は、冬に関する一語もないので、なぜにここに入っているか不審だといっている。
 
(587)   冬相聞
 
【解】 次の二首は、左注によって柿本朝臣人麿歌集の歌である。特別扱いをしたものである。
 
2333 降《ふ》る雪《ゆき》の 空《そら》に消《け》ぬべく 恋《こ》ふれども 逢《あ》ふよしを無《な》み 月《つき》ぞ経《へ》にける
    零雪 虚空可消 雖戀 相依無 月經在
 
【語釈】 ○降る雪の空に消ぬべく 「空に」までの八音は、「消」と続き、その序詞。「消ぬべく」は、命死にそうに。○逢ふよしを無み 旧訓。逢う方法がなくて。
【釈】 降る雪が空で消える、それのように、我も命消え失せそうに恋うているけれども、逢う方法がなくて、月を経たことである。
【評】 人麿の作としては他愛のないものである。その調べの張り、真直に迫ろうとするところは、やはり人麿のみのものである。序詞は眼前を捉えたもので、譬喩の心の勝っているものである。これが作因であったとみえる。
 
2334 沫雪《あわゆき》は 千重《ちへ》に降《ふ》り敷《し》け 恋《こ》ひしくの け長《なが》き我《われ》は 見《み》つつ偲《しの》はむ
    阿和雪 千重零敷 戀爲來 食永我 見偲
 
【語釈】 ○沫雪は千重に降り敷け 「千重に」は、幾重となくで、深く降り重なれと命じたもの。○恋ひしくの 『全註釈』は、「し」は過去の助動詞、「く」は、この語を名詞形にしたもので、恋しかったことの意だといっている。○け長き我は 時の久しい我は。○見つつ偲はむ 「偲はむ」は、ここは、心を慰めようの意。
【釈】 沫雪は深く降り重なれ。恋しかつたことの時久しい我は、見つつ心慰めよう。
【評】 久しい恋に煩悩している折、春の沫雪が降り出すと、ただちにそれを捉え、それに縋って、わが心の慰めとしようと、呼びかけてものをいっているのである。何物にもおもしろみを見出だしうる人麿の感性のさせていることである。しかし単な(588)る沫雪ではなく、「千重に降り敷け」という沫雪で、盛んに降って来る動乱の姿に慰めを見出だそうとするのである。ここに一段の人麿の面目が見える。実際に即しての心であるが、歌としてはめずらしい取材である。
 
     右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
     露に寄す
 
2335 咲《さ》き出照《でて》る 梅《うめ》の下枝《しづえ》に 置《お》く露《つゆ》の 消《け》ぬべく妹《いも》に 恋《こ》ふるこの頃《ごろ》
    吹出照 梅之下枝尓 置露之 可消於妹 戀頃者
 
【語釈】 ○咲き出照る梅の下枝に 「咲き出照る」は、咲き出して美しく照るで、梅の花の状態。○置く露の 「消」と続き、初句よりこれまでは、その序詞。
【釈】 咲き出して美しく照っている梅の木の、下枝に置いている露のように命も消えそうに妹を恋うているこの頃であるよ。
【評】 序詞を設けて「消」にかける歌は、すでに数多くあり、ここにも三首まで出ている。譬喩の意でかかる序詞であるから、捉えやすく、したがって流行となっていたとみえる。この序詞も眼前を捉えたものとみえるが、事が細かく、感はそのわりに纏まらないもので、苦心して設けた跡の見えるものである。女に贈ったものである。
 
     霜に寄す
 
2336 甚《はなはだ》も 夜《よ》ふけてな行《ゆ》き 道《みち》の辺《べ》の ゆ小竹《ざさ》が上《うへ》に 露《しも》の降《ふ》る夜《よ》を
    甚毛 夜深勿行 道邊之 湯小竹之於尓 降霜夜焉
 
【語釈】 ○甚も夜ふけてな行き ひどく夜更けて帰って行くなと、女がその夫にいったもの。○ゆ小竹が上に 「ゆ」は、斎で、斎槻などと同じく清浄な笹。笹は神事に用いる物だからである。○霜の降る夜を 「を」は、詠歎で、夜だのに。
(589)【釈】 このように、ひどくも夜更けて帰って行くな。道の辺りの笹むらの上に霜の降る夜だのに。
【評】 女のもとへ通って来た男が、夜更けて帰ろうとするのを、女の引きとめていった歌である。「甚も夜ふけて」といい、「霜の降る夜を」と繰り返して強調していって、他にはわたっていないのは、年久しい、和熟した夫婦関係を思わせて、その余情が味わいとなっている歌である。実際がおのずから気分を生んでいるのである。
 
     雪に寄す
 
2337 小竹《ささ》の葉《は》に はだれ降《ふ》り覆《おほ》ひ 消《け》なばかも 忘《わす》れむと云《い》へば 益《ま》して念《おも》ほゆ
    小竹葉尓 薄太礼零覆 消名羽鴨 將忘云者 益所念
 
【語釈】 ○はだれ降り覆ひ 「はだれ」は、薄雪。消えやすい意で、初二句その序詞。○消なばかも忘れむと云へば 「消なば」は、死んだならば。「かも」は、「か」は、疑問の係助詞。「忘れむ」は、男が女を忘れる意でいったもの。死んだならば忘れもしようかというので。○益して念ほゆ 前にも増して男が思われる。
【釈】 笹の葉に薄雪が降り覆って消える、そのように我も命が消えたならば忘れもしようかとあなたがいうので、以前に増して思われる。
【評】 四句の「忘れむと」までは、男が女に逢っていた時、自分の真実を誓っていった語である。女はその語がうれしく、男の帰った後、その語を繰り返し独語して、愛の深まりを感じ、「益して念ほゆ」といっているのである。女の陶酔した気分でいう短い語によって、この男女の全幅の、かなり複雑したものをあらわしている。巧みな歌である。
 
2338 霰《あられ》ふり いたも風《かぜ》吹《ふ》き 寒《さむ》き夜《よ》や 旗野《はたの》に今夜《こよひ》 吾《わ》が独《ひとり》寐《ね》む
    霰落 板敢風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
 
【語釈】 ○いたも風吹き 原文「板敢風吹」。「板敢」は、諸注訓み難くして誤写説を立てている。『古義』は「敢」は、「聞」の誤写として、「いたも」に当てた字としている。「いたも」はいたくもで、甚しくもの意である。『新訓』はこれにしたがっている。『全註釈』は、「板」は、諸本同(590)じであるが、細井本は「枝」、紀州本は「坂」であるところから「坂」により、「敢」は巻七(一三八三)「たぎつ情を塞敢而有鴨《せかへてあるかも》」と、ハ行下二段動詞の連用形に用いられている。「坂敢」は、「さかへ」で、この語は日本書紀二十巻用明天皇の巻に、「三輪君逆」の「逆」に、北野神社本は「さかへ」の訓があるので、逆えの意で、「逆ふ」というハ行下二段動詞のあったことが知られるとし、「逆《さか》へ風」であり、向かい風の意であるとしている。誤写説の暗推には比すべくもない説であるが、意義とすると、向かい風は、昼、志すほうに向かって歩いていることで、夜、寝ようとしている折のこととしてはいかがの感がある。今は『新訓』の訓に従うこととする。○寒き夜や 「や」は疑問の係助詞であるが、詠歎の意の強いもの。○旗野に 奈良県高市郡に波多の野がある。今の高取町あるいは明日香村畑の地かという。
【釈】 霰がふり、甚しく風が吹いて寒い夜を、旗野に今夜独りで寝ることであろうか。
【評】 旅人として寒夜旗野に独寝をしようとする際の侘びしい感をいったものである。二句は不明であるが、霰の降る夜のことで、野宿ではなく、少なくとも屋根の下には寝たことだろうと思われる。「吾が独寐む」は、妻を思う感傷である。
 
2339 吉隠《よなばり》の 野木《のぎ》に降《ふ》りおほふ 白雪《しらゆき》の いちしろくしも 恋《こ》ひむ吾《われ》かも
    吉名張乃 野木尓零覆 白雪乃 市白霜 將戀吾鴨
 
【語釈】 ○吉隠の野木に降りおほふ 「吉隠」は、上の(二一九〇)に出た。桜井市初瀬町の東方にある地。「野木」は、野の立木。○白雪の 野木の上の白雪の目に立つ意で、「いちしろく」と続き、初句からこれまで、その序詞。○いちしろくしも恋ひむ吾かも 「いちしろく」は、人に知られるように。「しも」は、強意。「吾かも」は、「か」は、ここは反語をなすもの。吾だろうか、吾ではないの意。
【釈】 吉隠の野の木を降り覆っている白雪の目に立つ、そのように人に知られるような恋をする吾であろうか、吾ではない。
【評】 吉隠にいて、恋を秘めて悩んでいる男の、野の木に白雪が降って目に立つのに刺激されて、吾はあのように人に知られるような恋はしまいと決心した心である。詞は譬喩の意の濃厚なもので、「恋ひむ吾かも」と秘めるに堪えられないまでの心を示している。一首の調べも強く、その気分をあらわしている歌である。新味のあるものではないが、吉隠の謡い物とはみえない歌である。
 
2340 一眼《ひとめ》見《み》し 人《ひと》に恋《こ》ふらく 天霧《あまぎ》らし 降《ふ》り来《く》る雪《ゆき》の 消《け》ぬべく念《おも》ほゆ
    一眼見之 人尓戀良久 天霧之 零來雪之 可消所念
 
(591)【語釈】 ○一目見し人に恋ふらく 「一眼見し人」は、男より女をいったもの。「恋ふらく」は、恋うの名詞形。○天霧らし降り来る雪の 空を曇らして、降る雪ので、二句は「消」の序詞。
【釈】 一目見た人を恋うることで、われは、空が曇って降って来る雪の消える、それにちなみある、命消えてゆきそうにも思われる。
【評】 序詞を頼りにした表面的な歌で、謡い物に近いものである。
 
2341 思《おも》ひ出《い》づる 時《とき》は術《すぺ》なみ 豊国《とよくに》の 木綿山雪《ゆふやまゆき》の 消《け》ぬべく念《おも》ほゆ
    思出 時者爲便無 豊國之 木綿山雪之 可消所念
 
【語釈】 ○術なみ するすべがなくして。○豊国の木綿山雪の 「豊国」は、豊前豊後の総称。「木綿山」は、豊後国速見郡の由布山(現在、別府市と大分郡湯布院町との境の由布岳)。「雪の」を、「消」と続け、二句その序詞。
【釈】 妻を思い出す時には、する術がなくて、この豊国の木綿山の雪のそれのように、命も消えそうに思われる。
【評】 官人として京より豊国へ遣されている人の旅愁であろうが、その地の人の夫婦関係の上の悩みとしても通じるものである。その地の謡い物ともなっていたろうと思われる。
 
2342 夢《いめ》の如《ごと》 君《きみ》を相見《あひみ》て 天霧《あまぎら》し 降《ふ》り来《く》る雪《ゆき》の 消《け》ぬべく念《おも》はゆ
    如夢 君乎相見而 天霧之 落來雪之 可消所念
 
【語釈】 ○夢の如君を相見て 夢のような気分で君に逢つたで、女が逢い方のはかなかったことを嘆いたもの。
【釈】 夢のようにはかないさまに君と相逢って、空を曇らして降って来る雪のように命も消えゆきそうに思われる。
【評】 (二三四〇)とは初二句が異なるだけで、三句以下は同じである。一般的なことをいっている点も同様で、謡い物と思わせるものである。
 
(592)2343 吾《わ》が背子《せこ》が 言《こと》愛《うつく》しみ 出《い》でて行《ゆ》かば 裳引《もびき》知《し》らえむ 雪《ゆき》な降《ふ》りそね
    吾背子之 言愛美 出去者 裳引將知 雪勿零
 
【語釈】 ○言愛しみ 言葉を愛でて。○出でて行かば 男の許へと家を出て行ったならば。○裳引知らえむ 「裳引」は、裳の裾が地を曳くことの称。「知らえむ」は、『新訓』の訓。人に知られよう。○雪な降りそね 「ね」は願望。
【釈】 わが背子の語を愛でて、家を出て逢いに行ったならば、裳引の跡で、それと人に知られよう。雪よ降ってくれるな。
【評】 女が男のもとへ逢いに出かけようとして、おりから降り出した雪を見て、不安の感を起こした心である。女より男のもとへということはその時の事情によってはあることで、必ずしも稀れなことではなかった。「裳引知らえむ」は、やや身分のある女は長い裾をつけていたので、裳引の跡の雪に残り、人に知られる懸念も当然のことである。裳引をいってはいるが、出かけて行く理由は「言愛しみ」ということで、その語を喜んで、積極的な気分になっている女で、また「雪」も裳引につけて懸念しているので、雪を犯して行く心をもっている女である。女官階級の女が想像される。一首、余裕のあり、客観味の多いものである点から見て、その人自身の作ではなく、第三者のそうした境を想像しての作ではないかと思わせる歌である。これはありうることだからである。
 
2344 梅《うめ》の花《はな》 それとも見《み》えず 降《ふ》る雪《ゆき》の いちしろけむな 間使《まづかひ》遣《や》らば
    梅花 其跡毛不所見 零雪之 市白兼名 間使遣者
 
【語釈】 ○それとも見えず それと差別のつかないまでにで、「降る」の修飾。○降る雪の 降る雪のようにで、意味で「いちしろ」に続き、初句よりこれまでは、その序詞。○いちしろけむな 「いちしろけ」は、形容詞の未然形。それに「む」の助動詞、「な」の詠歎の助詞の続いたもの。いちしろくあるだろうな。○間使遣らば 「間使」は、双方の間を往復する使。
【釈】 梅の花がそれともわからないまでに降る雪のように、目に立つことであろうな。間便を遣ったならば。
【評】 男が女のもとへ使を遣ろうと思い、人目に立つかと躊躇した心である。序詞は眼前の実景で、常套的なものである。一首を努めて気分化しようとする要求よりのものではある。
 
(593)     一に云ふ、零《ふ》る雪《ゆき》に 間使《まづかひ》遣《や》らば それしるけむな
      一云 零雪尓 間使遣者 其將知奈
 
【解】 三句以下の別伝である。「零る雪に」は、雪の降っているのに。「間使遣らば」は、使を遣ったならば。「それしるけむな」は、「それ」は、使を遭ったこと。「しるけむな」は、はっきり人に知られようよで、「な」は、感動の助詞。本文のほうの序詞を実景として、「それ」に力点を置いて説明的にしたものである。本文のおおらかな気分を事柄として、細かく刻んだものとしたのである。別伝とはいうが、改作に近いものである。味わいを浅くしている。
 
2345 天霧《あまぎ》らひ 降《ふ》り来《く》る雪《ゆき》の 消《け》なめども 君《きみ》に逢《あ》はむと ながらへ渡《わた》る
    天霧相 零來雪之 消友 於君合常 流經度
 
【語釈】 ○天霧らひ降り来る雪の 空が曇って降って来る雪のようにで、初二句は「消」の序詞。○消なめども 『略解』の訓。命も消えそうであるが。○君に逢はむとながらへ渡る 「君」は、女より男をさしたもの。「ながらへ渡る」は、生き続けている。
【釈】 空が曇って降って来る雪のように、命も消えそうではあるが、君に逢おうと思って生き続けている。
【評】 男に甚しく疎遠にされている女の歌である。上代の夫婦関係にあっては例の多いことで、また女のこの嘆きは、女性としては共通の性情よりのものであろう。歌としての特色はないが、哀れのある歌である。
 
2346 窺覘《うかねら》ふ 跡見山雪《とみやまゆき》の いちしろく 恋《こ》ひば妹《いも》が名《な》 人《ひと》知《し》らむかも
    窺良布 跡見山雪之 灼然 戀者妹名 人將知可聞
 
【語釈】 ○窺覘ふ跡見山雪の 「窺覘ふ」は、『略解』の訓。巻八(一五七六)「小牡鹿《をじか》履《ふ》み起《お》こし窺狙ひ」と出た。狩をする時、野獣の容子を窺い狙う意で、それには野獣の足跡を見ることをし、その役をする狩人を跡見と称した意で、跡見にかかる枕詞。「跡見山」は、大和国磯城郡、今の桜井市の鳥見山かという。ここは、巻四(七二三)の題詞で、大伴氏の領地であったことが知られる。「雪」より、「いちしろく」と続き、初二句、その序詞。
(594)【釈】 野獣の跡を窺覘う、その名の跡見山の雪のように、目に立つほどに恋うたならば、妹が名を人が知るであろうか。
【評】 跡見の女に忍んで通っている男の、人目を憚って足遠くしている心を、女に訴えたものとみえる。「窺覘ふ跡見山雪の」は序詞であるが、その地に寄せて人目を忍ぶ心を訴える心からのもので、この歌にとっては重大な部分である。
 
2347 海小船《あまをぶね》 泊瀬《はつせ》の山《やま》に 降《ふ》る雪《ゆき》の け長《なが》く恋《こ》ひし 君《きみ》が音《おと》ぞする
    海小船 泊瀬乃山尓 落雪之 消長戀師 君之音曾爲流
 
【語釈】 ○海小船泊瀬の山に 「海小船」は、海人の小舟で、泊《は》つと続けて「泊瀬」の枕詞。○降る雪の 「消《け》」と続けて、初句よりこれまでは、その序詞。○君が音 君が来る物音で、乗馬の音であろう。
【釈】 海小船が泊てる、その泊瀬の山に降る雪の消に因む、時久しく恋うていた君の来る物音のすることである。
【評】 泊瀬の渓谷に住んでいる女が、長い間を疎遠にしていた男の来る乗馬の音などを聞きつけた時の、歓喜の心である。泊瀬の山に「海小舟」という枕詞は、語戯にみえるが、「海小船」は所定めぬものとしているので、この際の男にはその意味で気分のつながりが感じられる。「君が音ぞする」と、距離を置いて捉えた捉え方は巧みである。この一句に心躍りがあらわされている。
 
2348 和射美《わざみ》の 嶺《みね》行《ゆ》き過《す》ぎて 降《ふ》る雪《ゆき》の 厭《いと》ひもなしと 白《まを》せその児《こ》に
    和射美能 嶺徃過而 零雪乃 ※[厭のがんだれなし]毛無跡 白其兒尓
 
【語釈】 ○和射美の嶺行き過ぎて 「和射美」は、今の岐阜県不破郡閑が原町関が原南方の山。一説に、同郡赤坂町青野あたりともいう。巻二(一九九)「高麗剣和射見が原の」と出た地である。「嶺行き過ぎて」は、男がその女の許へ通うには越えるべき嶺で、越すのは楽ではない意でいったもの。○降る雪の 降る雪に逢ってで、これは一段の苦労をいったもの。○厭ひもなしと 諸注、訓がさまざまである。この訓は元暦校本にあるもので、『新訓』の取っているもの。その苦労の厭いもないわれだと。○白せその児に 「白せ」は、いえよの敬語で、相手が女だからのこと。「その児に」は、そのかわゆい女にで、仲介に立っている者に取次ぎを頼む語。
【釈】 和射美の嶺を通り過ぎて、降る雪に逢っての、その重ね重ねの苦労の厭いもないわれだと、申してくれ。そのかわゆい女に。
(595)【評】 和射美の山の此方に住んでいる男が、山の彼方に住んでいる女のもとへ、冬、雪の日に通って来て、仲介の女に取次ぎを頼んでいる口上である。女のもとへ来るために苦労をして来たことをいうのは、女に真実のほどを告げて愛をもとめる心よりのもので、例の少なくなかったものである。一つの儀礼となっていたとみえる。この歌もその心よりのものである。土地の関係からの新奇さがあり、また取次ぎによってものをいうのも珍しいが、これは双方ある程度の身分のある豪族同士というのでもあろう。和射美の歌で、京に伝わったものであろう。目に着く歌である。
 
     花に寄す
 
2349 吾《わ》が屋戸《やど》に 咲《さ》きたる梅《うめ》を 月夜《つくよ》よみ 夕々《よひよひ》見《み》せむ 君《きみ》をこそ待《ま》て
    吾屋戸尓 開有梅乎 月夜好美 夕々令見 君乎祚待也
 
【語釈】 ○月夜よみ 月がよいので。○夕々見せむ君をこそ待て 毎夜、見せようと君を待っていることです。「見せむ」は、連体形。
【釈】 私の庭に咲いている梅を、おりから月が良いので、毎夜見せようと君を待っていることです。
【評】 妻がその夫に梅と月との相俟ってよい頃、見に来よと誘った歌である。夫婦関係に立入らない明るい歌で、奈良朝時代の気分のものである。
 
     夜に寄す
 
2350 あしひきの 山《やま》の下風《あらし》は 吹《ふ》かねども 君《きみ》無《な》き夕《よひ》は 予《かね》て寒《さむ》しも
    足檜木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛
 
【語釈】 ○予て寒しも 「予て」は、前もってで、寝ない前から。
【釈】 山の嵐は吹かないけれども、君の通って来ない夜は、寝ない前から寒いことです。
【評】 冬の夜寒の頃、山裾に住んでいる女の、夜、その夫に贈った歌である。「君無き夕は予て」という言い方は、眼前を捉えて、さりげなくいった形で、巧みな訴え方である。
 
 
(6)萬葉集 巻第十一概説
 
     一
 
 本巻は、『国歌大観』(二三五一)より(二八四〇)に至る四九〇首を収めた巻である。歌体は、旋頭歌と短歌で、長歌は含んでいない。旋頭歌は一七首あるのみで、短歌は四七三首の多きに及んでいる。
 本巻の部立は相聞であり、その意味で巻首に「古今の相聞往来の歌の類の上」と題してある。この「上」は、巻第十二を「下」とするに対させての称で、この両巻は緊密なるつながりを持っているものである。
 作者は、巻頭の旋頭歌一二首、及びそれに続く短歌一四九首に対して、「柿本朝臣人麿の歌集に出づ」と左注の添っている物を除くと、他はすべて不明である。すなわち三二九首は作者不明の歌である。
 次に「古今」であるが、時代の先後は、作者と詠風によって決しられるものである。人麿歌集の歌は、大体その制作年代を推量することができるが、他はすべて不明であるので、詠風によって暗推するよりほかはないのである。その詠風であるが、これはある薄弱を伴っているものである。いずれも筆録をとおして残っているのであるが、制作と共に筆録されたのか、またはある流動を経ての後にされたのかは不明である。さらにまた同時代の制作であっても、京に在住する知識人で、新を追って息《や》まなかった人々の作と、部落生活を送って農耕に従っていた、古風以外は知らなかった人々の作とは、その詠風の上に相応な開きができるのである。したがって、古今という語は意味の広い漠然たるものであって、その時代の主流と目される歌の詠風を目標としての称である。古というのは大体人麿歌集の制作された時代、すなわち藤原朝時代で、今というのは奈良朝初期と見て大差がないであろう。年次とすると三、四十年間と思われる。
 以上の期間の相聞の歌を蒐集し、旋頭歌と短歌とに限って、整理を加えたのが本巻で、本巻をその「上」とし、巻第十二を「下」としているのである。なお、長歌は巻第十三として続けているので、この三巻はあらかじめ企画を立てて編んだものと見られる。
 
     二
 
 本巻の資料となった本は、書名のわかっているものは柿本朝臣人麿の歌集と古集とで、その他はすべて不明である。何本かの筆録本のあったことは、一首の歌で、「或本に云ふ」「或は云ふ」として、別伝の物を注記していることで知られる。別伝のあるものは、その歌が口誦され、流動を経た時に筆録したものであることを語っているが、これは少数で、他は原形を伝えた(7)ものとみえる。しかし本巻の相聞は、近親者、交友間の相聞は一首も含んでおらず、すべて男女間の恋情のもののみである点からみると、一般性のあるものということを標準として、少なくとも一度の選は受けている歌だと思われる。
 
     三
 
 編集者はそれらの多くの本を資料として、これに大小二個の分類を加えている。大分類は、修辞を標準としての「正《ただ》に心緒《おもひ》を述《の》ぶ」「物に寄せて思を陳ぶ」「譬喩歌」の三部、これに形を標準としての問答の四部である。小分類は、それら大分類したものに、更に取材を標準としての分類を加え、同類の歌を一緒に纏めたのである。この大分類の標目は、すでに巻第三と第四とで用いられているもので、新しいものではない。これについてはその際いっているのでここには繰り返さないが、要するに編集者のその時代として抱いていた文学意識よりのものである。 本巻のこの大分類は、巻第三・第四の短い時期の歌を対象としてのものであったのとは異なり、「古今」という比較的長い時期のものを対象としてのものである関係上、現在から観ると、その分類が、おのずからその時期の歌風の変遷を示すものとなっているという、編集者としてはおそらく意識しなかったろうと思われることを暗示しているものとなっている。ここにはそれに触れて概言することとする。
 「正《ただ》に心緒《おもひ》を述ぶ」「物に寄せて思を陳ぶ」「譬喩歌」の三大分類は、これを修辞上より観ると、まさに一線に沿つての三段階をなすもので、緊密なつながりをもっているものである。
 「正に心緒を述ぶ」は、古今和歌集の序にいうところのただごと歌で、譬喩を用いずに、その感動を直写した歌の称である。表現形式の美しきをきわめて重大なものとしている歌にあっては、これはその美しさを一応棄てている形のもので、その意味では原始的な、基本的な詠風である。このことは作歌態度についてのことであって、詠んだ歌の価値についていうのではない。「物に寄せて思を陳ぶ」は、古今和歌集の序にたとえ歌といっているもので、譬喩を用いての歌である。そういうと今一つの大分類「譬喩歌」と異ならないようであるが、その間には一線が劃されていて、「物に寄せて」というほうは一首の歌の中に部分的に譬喩を用いているもの、「譬喩歌」のほうは一首全部が譬喩になっているものである。これも大体にそうした傾向をもっているという程度のものである。
 「物に寄せて思を陳ぶ」として差別されている歌は、これを実際について見ると、枕詞あるいは序詞を用いた歌ということであって、大体としては序詞を用いた歌ということである。上に詠風の変遷といったのは、この序詞というものに対する態度が、次第に変遷しているということである。これを小さく観れば序詞の用い方の変遷ということであるが、その用い方は作歌態度が決定することであって、これを大きく観れば、序詞をいかに解釈していたかということは、歌そのものをいかに解釈していたかということと同義になることなのである。
 当時より溯っての時代の枕詞、その延長とも見られる序詞の(8)一半に近いほどのものは、掛詞すなわち一語二義の関係でその冠せられている詞に接続するのである。謡い物として耳に聴く場合、中途で一語がにわかに語義が転換するのは、著しく興味を強められることであったろう。しかしこのことは、一首の意義を中心として観ると軽いことであって、したがって序詞そのものの位置も軽かったのである。本巻の序詞には、この意味でのものは甚だ少なく、ほとんど例外として混じっている程度にすぎない。すなわち本巻では、そうした序詞は軽視するようになっていたのである。これは言いかえると、時代は耳を主とせず眼を主とするようになっていたということで、当然のことといえる。
 本巻の序詞はどういうものになっているかというと、その一半以上は譬喩である。歌は意味を重んずるところから、その意味を強く、また美しくしようとの要求から、知性的に譬喩を捉えて用いている。しかし、これを用いる場合には、譬喩の形においてはせず、一段の工夫をして、序詞の形において用いているのである。しかも譬喩を捉えるには、必ず眼前の実際に即して行なっているので、その譬喩はおのずから知性的の色が薄れ、感性的の匂いを帯びたものとなってくる。序詞という形も、同じく譬喩の知性を感性的に変えることである。標目としては「物に寄せて思を陳ぶ」といっているが、実際はそういうほど、物を重んじている詠風ではなく、物よりも遙かに心を重んじている詠風なのである。
 本巻の序詞は、この傾向のものにとどまってはいず、これを通り越して、さらに新しい傾向を示しているものが、相応に多い。新しい傾向というのは、眼前の実際を知性を働かすことによって譬喩として捉え、それに序詞の形を与えたという屈折を経たものではなく、眼前の実際を、最初から感性によって捉え、これをただちに序詞の形にしたものである。この本義との繋がりは、詞の上より観れば即不即、不即不離の微妙なものとなっているのであるが、一首の気分の上より観れば有磯的に融け合っているのである。まさしく感性によって捉えている序詞なのである。これを代表的にもっているのは、柿本朝臣人麿歌集の「物に寄せて思を陳ぶ」の歌で、じつに流通|無礙《むげ》にこれを行なっている。他のものはそれに追随しているにすぎないのであるが、しかしそれが風を成して、序詞の上に新生面を拓いているのである。
 この傾向の序詞を用いている歌を観ると、溯っての時代の事象物象を重んじた風から離れて、反対に作者自身の感性を重んじる風に移っているのであるが、しかしその感性は、眼前の実際を離れたものではないので、従前には見られなかった新歌境を、展開してきているのである。感性は統一感の上に立つもので、形としては単純であるが、実際に即してのそれであるので、実際を陰影として抱いた複雑味のあるものとなり、豊かな拡がりをもつ。また、感性は自在な動きをもつところから、その表現としての語続きもおのずから飛躍をもった自在なものとなるのであるが、しかもその中心を貫く感性その物は、統一された単純なもので、その線に沿ってのことであるから、飛躍をもっ(9)た語続きも、難解とはならず、多彩なものとなっているのである。この詠風のできの良い歌を見ると、実際に即しつつも感性を主とした「物に寄せて」の詠風こそ、最も真実な詠風と信じていたろうと思わせられる。
 「物に寄せて思を陳ぶ」の、譬喩的の序詞を感性的、あるいは気分的に推移せしめたことが、藤原朝時代より奈良朝初期へかけての歌風の変遷であると見られる。
 
       四
 
 「譬喩歌」は、一首全部を譬喩で成り立たせたものを目標としての称と思われる。譬喩を序詞としたもので、三句のものはむしろ普通であり、四句のものも時にはあるから、それを今一歩前進させれば成り立ちうるものだからである。しかしそうした歌は実際としてはきわめて少なく、それに近い程度にすぎないものである。
 目標としている譬喩歌が、はたして発展しうるかどうかということは問題である。譬喩は根本は感性気分に属したものであるが、五句のうち四句以上を譬喩としようとすれば、感性気分だけでは貫き切れず、勢い知性が介入してきて、大きく働くことになってくる。事実、そのできあがった歌を見ると、知性の勝ったものとなり、知性的に詞句をつなぎ合わせたごとき趣をもったものとなる。したがって結果としては興味の浅いものとなり終わるのである。
 「譬喩歌」が、「物に寄せて」の歌の、譬喩による序詞と同じ運命のものとなったのは、当然のこととすべきである。
 
       五
 
 「問答」という部立も、初出のものではなく、すでにあったもので、本巻ではそれを重く扱おうとしているところに特色があるのである。
 男女間の相聞が問答の形になることは、本来当然のことで、それを重い一つの部立にするということは、新たなる意義をもたせようとしてのこととみえる。今、本巻の問答についてみると、問答のいずれも同一人によって作られたもので、設けての作であるといえる。すなわち文芸的意図のもとにできたもので、実際生活からは離れたものである。
 柿本人麿によってなされた長歌、短歌の連作は、大伴旅人、山上憶良などによって継承され、奈良朝初期の一つの風となっている。これは歌によって叙事的展開を遂げさせようとの要求からのことである。本巻の「問答」はそれと同傾向のもので、短歌の二首を問答に組合わせることによって、小規模ながら物語的展開をもたせ、それを楽しもうとしたものとみえる。しかし本巻のものは軽い味わいの物ばかりで、すぐれた物はない。平安朝時代の歌物語の先蹤という程度のものである。
 
(10)萬葉集巻第十一 目次
 
古今の相聞往来の歌の類の上
 
 旋頭歌十七首(二三五一〜二三六七)            二
 正に心緒を述ぶる歌百四十九首(二三六八〜二四一四)   二一
               (二五一七〜二六一八)   九八
 物に寄せて思を陳ぶる歌三百二首(実数二百八十二首)
                 (二四一五〜二五〇七) 四五
                 (二六一九〜二八〇七)一四七
 問答歌二十九首(二五〇八〜二五一六)          九三
        (二八〇八〜二八二七)         二四四
 譬喩歌十三首(二八二八〜二八四〇)          二五五
 
(11)     古今の相聞往来の歌の類の上
 
【標目】 この標目は目録にのみあって、本文にはないが巻十二とともに加えた。これは他の巻の相聞にあたる語で、語を換えたにすぎないものである。「相聞往来」は、文選曹植の文に「往来数相聞」に拠った語で、同意語を繰り返したに近いものである。「古今」は、大体、飛鳥朝から奈良朝中期までを指している。また、「上」は、次の巻第十二を「下」としての称で、二巻一部の意でいっているものである。
 
     旋頭歌
 
【解】 以下十二首は、左注により柿本人麿の歌集のものである。
 
2351 新室《にひむろ》の 壁草《かべくさ》苅《か》りに 坐《いま》し給《たま》はね 草《くさ》の如《ごと》 寄《よ》り合《あ》ふ未通女《をとめ》は 公《きみ》がまにまに
    新室 壁草苅迩 御座給根 草如 依逢未通女者 公隨
 
【語釈】 ○新室の 新しく造った家。室は家の古語で、土を掘って屋根で蔽った時代の語。ここはそれではない。○壁草苅りに 「壁草」は、壁とするところの草で、草を編んだ物を壁としたのである。『延喜式』巻の七、践祚大嘗祭式に、「所v作八神殿一宇、(中略)並以2黒木及草1構葺。壁蔀以v草」とある。○坐し給はね 「坐し」は、(12)ここは来るの敬語。「ね」は、他に対する顕望の助詞。○草の如寄り合ふ未通女は その草のなびくようにしなやかに多く寄り集まっている娘は、○公がまにまに 「公」は、その部落の貴い人。「まにまに」は、思うままに靡こうの意。
【釈】 新室の壁草を刈りにいらしてくだされ。その草のなびくようにしなやかに多く寄り集まっている娘は、公のお心のままになりましょう。
【評】 村落の住民で、その家を新築する男が、部落の中の最も身分高い人にいった形の歌である。部落民で家を新築する者のある場合は、部落民は家ごとに手助けの者をやって協力するのが風習になっていたとみえる。このことは山村では最近まで保たれていたことである。手助けに未通女が集まったのは、新築の場合は、その家の長久を祈って神事を行なうのは今も続いていることで、未通女は神事に仕える者となっていたからである。「公」という人の手助けを乞うのも、神事は部落全体が一つになって行なうことを必要としていたからのことである。「公がまにまに」は、階級を重んじる心から、あり得べきこととしていっているものと思われる。家あるじの挨拶の語を通して、特殊な境を展開させているもので、謡い物に似てはいるが、室寿ぎとしてのものとは見えない。しかし前半は状態、後半は興を旨としたもので、壁草を「草の如」と承けて変化させている点は謡い物的であり、手腕の見える作である。
 
2352 新室《にひむろ》を 踏《ふ》むしづの子《こ》が 手玉《ただま》鳴《な》らすも 玉《たま》のごと 照《て》らせる公《きみ》を 内《うち》にと白《まを》せ
    新室 蹈靜子之 手玉鳴裳 玉如 所照公乎 内等白世
 
【語釈】 新室を踏むしづの子が 「踏むしづの子が」は、旧訓「ふむしづのこし」。『略解』の訓。「踏む」は、上代の庶民の家は、柱は礎石がなく、地を掘って立てたのであるから、その柱を堅固に動《ゆる》ぎのないようにと、その本《もと》を踏み固めることをした。これは神事としてのことである。「しづの子」は、「子」は、若い女の愛称で、「しづ」は、賤の意で、「公」に対していっているもの。踏み固めている賤の娘が。○手玉鳴らすも 「手玉」は、手に巻き着けてある玉で、上代の婦人の礼装である。今は神事を行なうために、礼装として着けている物。「鳴らす」は、踏むには一定の謡い物があって、謡に合わせて踊って鳴らしたのである。○玉のごと照らせる 「公」を修飾したもの。○内にと白せ 室の内へと、御案内を申せよで、主の命じた語。
【釈】 新室を踏み固める賤の娘が、手玉を鳴らしている。玉のごとく照り耀いている公を、内へと申して御案内をなさい。
【評】 上の歌と連作になっている。壁草刈りが室寿ぎとなり、招いた公が来たことになって、時間的に進展しているのである。前半の手玉が、後半の玉のごとくになっている関係も、上の歌と同じである。動的な状態を軽く捉えて、さらに動的な趣を添(13)えている技術は鮮やかである。
 
2353 長谷《はつせ》の 弓槻《ゆつき》が下《もと》に 吾《わ》が隠《かく》せる妻《つま》 茜《あかね》さし 照《て》れる月夜《つくよ》に 人《ひと》見《み》てむかも
    長谷 弓槻下 吾隱在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見點鴨
 
【語釈】 ○長谷の弓槻が下に 「長谷」は、泊瀬。奈良県桜井市初瀬町付近並びに同市旧朝倉村地域など初瀬川一帯の地。弓槻は、「弓槻」が嶽で、巻七(一〇八七)に既出。巻向にあって巻向の弓槻が嶽と呼ばれているのを、ここは泊瀬方面から見ての称である。「下に」は、麓の地に。○吾が隠せる妻 わが秘密にしている妻で、詠歎をもっていっている。○茜さし照れる月夜に 「茜さし」は、茜いろのまじってで、「照れる」の状態。○人見てむかも 「て」は、完了の助動詞で、人が見るであろうかなあと詠嘆したもの。
【釈】 長谷の弓槻が嶽の麓にわが隠し持っているこの妻、明るくも照っている月光で、人が見るであろうかなあ。
【評】 長谷の弓槻が嶽の麓にいる妻の許へ行っていた時、その妻に対《むか》って詠んだ形のものである。心は、その妻を愛する余り、他人にその関係を知られるようなことがありはしないかと不安を感じての心で、妻に真実を誓うという程度を超えての熱愛の心をいったものである。「長谷の弓親が下に」は、その妻を強く重くいおうとしてのもので、抒情である。「照れる月夜に」も、逢っている夜のさまで、昂揚している心の表現としてのもので、これまた抒情である。抒情がおのずから状態描写となって、単純にして複雑味を持ったものとなっている。上の二首は謡い物の味わいをもっていて、旋頭歌という形式を適当とするものであるが、この歌は個人的な抒情で、短歌形式を適当とするものである。しかし短歌形式ではこれだけの客観味を併せあらわすことは困難で、その意味では旋頭歌を必要としたのであろう。その点からいうと、旋頭歌という口誦時代の古い形が、人麿によって新味あるものに変えられているのである。巻七の旋頭歌にもこの傾向の物が多かった。
 
     一に云ふ、人《ひと》見《み》つらむか
      一云、人見豆良牟可
 
【解】 第六句の別伝である。人が見たであろうかで、こういうと、熱愛に伴う不安の情が甚しく稀薄になっている。伝承より起こったことで、作意を十分に解し得なかったからのことである。
 
(14)2354 健男《ますらを》の 念《おも》ひ乱《みだ》れて 隠《かく》せるその妻《つま》 天地《あめつち》に 徹《とほ》り照《て》るとも 顕《あらは》れめやも
    健男之 念乱而 隱在其妻 天地 通雖光 所顯目八方
 
【語釈】 ○健男の念ひ乱れて 「念ひ乱れて」は、さまざまに考えて。○天地に徹り照るとも 上の歌の「照れる月夜」を承け、月光が天地に徹って照ろうとも。○顕れめやも 「や」は、反語。顕われようか、願われはしない。
【釈】 大夫がさまざまに考えてここに隠してあるその妻、月光が天地に徹って照ろうとも顔われようか、顕われはしない。
【評】 上の男の歌に対して、女の答えた歌だと 『新考』は解している。そう見るとしっくりする。従うべきである。女の歌としては語も調べも強いものであるが、贈歌に従って詠むべき答歌であるから、不自然とはいえない。「天地に徹り照るとも」は、「茜さし照れる月夜に」を仮想として言いかえたものであるから、さしたるものではない。心は、男の心に感激し、あくまでも男に随おうとする誓いである。
 
     一に云ふ、大夫《ますらを》の 思《おも》ひたけびて
      一云、 大夫乃 思多鷄備弖
 
【解】 一、二句の別伝である。大夫が雄々しく考えて。伝承のうちに異なって来たとみえる。男の歌とみてよりのことである。
 
2355 恵《めぐ》しと 吾《わ》が念《おも》ふ妹《いも》は 早《はや》も死《し》ねやも 生《い》けりとも 吾《われ》に寄《よ》るべしと 人《ひと》の云《い》はなくに
    惠得 吾念妹者 早裳死耶 雖生 吾迩應依 人云名國
 
【語釈】 ○恵しと吾が念ふ妹は 「恵しと」は、旧訓「めぐまむと」。巻五(八〇〇)「妻子見ればめぐし愛《うつく》し」とあり、「愛し」とほぼ同意語である。いとおしいと。○早も死ねやも 「死ねやも」は、『古義』の訓で、読み添えをしたもの。○吾に寄るべしと 「寄る」は、妻として接する意で、妻になりそうだとは。○人の云はなくに 「人」は、恋の仲介に立った人。「なく」は、打消「ず」の名詞形。「に」は、詠嘆。
【釈】 いとおしいとわが思っている妹は、早く死なないのかなあ。生きていようとも、我に寄りそうだとは人のいわないことだ。
(15)【評】 懸想をしている女の応じそうもないことを、仲介の者の告げるのを聞いた時の激語である。「早も死ねやも」は、可愛ゆさの余りにいっているもので、悪意よりのものではないが、それにしてもほかには見えない語である。「恵しと」は、年少のものに対して抱く心であるから、相手が物の聞き分けのない心からいっているのであろう。一首、人麿歌集の歌としては珍しい素朴なもので、それもその場合の反動的な語ということを暗示するものである。
 
2356 高麗錦《こまにしき》 紐《ひも》の片方《かたへ》ぞ 床《とこ》に落《お》ちにける 明日《あす》の夜《よ》し 来《き》なむとし云《い》はば 取《と》り置《お》きて待《ま》たむ
    狛錦 紐片叙 床落迩祁留 明夜志 將來得云者 取置待
 
【語釈】 ○高麗錦紐の片方ぞ 「高麗錦」は、高麗国より渡来した錦で、珍重したもの。「紐」は、衣の上紐で、両方に着けてあって、胸元で結ぶ。その片方。○明日の夜し来なむとし云はば 「明日の夜」は、今夜に続いての次の夜で、これをいっている時は夜明けとみえるから、現在の言い方からいうと今夜である。「来なむとし云はば」は、来ようと約束をするのならばを、二つの「し」で強くいったもの。○取り置きて待たむ 手許に置いて待とう。
【釈】 高麗錦の紐の片方が、床の上に落ちていることです。今日の夜も、来ようというのでしたら、手許に置いて持ちましょう。
【評】 夜明け近く夫が帰ろうとする時、女のいった形の歌である。夫の身に付いた物が、夜の床の上に落ちていたということは、古物語にもあることで、思い寄りやすいことである。この場合は、夫の身に付いた紐が自然に落ちていたというのは、紐に心があって、夫と妻とを結びつけようとしているのだと妻は解し、その心をもって媚態を示しつついっているものである。後半の力を籠めてしつこい言い方をしているのは、その心をあらわしているものである。想像で描き出した情景と思われる。
 
2357 朝戸出《あさとで》の 公《きみ》が足結《あゆひ》を 濡《ぬ》らす露原《つゆはら》 早《はや》く起《お》き 出《い》でつつ吾《われ》も 裳《も》の裾《すそ》濡《ぬ》れな
    朝戸出 公足結乎 閏露原 早起 出乍吾毛 裳下閏奈
 
【語釈】 ○朝戸出の公が足結を 「朝戸出」は、朝戸をあけて出るで、夫の妻の家より帰る意。「足結」は、袴を引きあげて、膝の下で結わえる紐の称。歩行や行動を便利にするための物。○濡らす露原 「露原」は、露の置き渡している原で、妻の家よりの帰途。○裳の裾濡れな 「な」は、自身に対する願望。
(16)【釈】 朝戸出をする公の足結を濡らす露原、早く起きて、出て行って私も、裳の裾を濡らしましょう。
【評】 夜明け近く、夫が帰ろうとする前に女の詠んだ形の歌である。夫の帰る時には、平安朝の物語で見ると、女は寝ているのが普通であったとみえる。この時代も同様で、後半は、女がその常習を破って特に見送りをしようというので、作意もそこにあるとみえる。「足結を濡らす露原」は、女の家の環境を短く美しくあらわしている語である。露原という語は、格別には見えない語であるが、しかしほかに例の見えない語である。
 
2358 何《なに》せむに 命《いのち》をもとな 永《なが》く欲《ほ》りせむ 生《い》けりとも 吾《わ》が念《も》ふ妹《いも》に 易《やす》く逢《あ》はなくに
    何爲 命本名 永欲爲 雖生 吾念妹 安不相
 
【語釈】 ○何せむに命をもとな 「何せむに」は、何にしようとてか。「もとな」は、ここは、いたずらにというにあたる間投の副詞。○易く逢はなくに たやすく逢わないことであるのに。
【釈】 何にしようとてか、命をいたずらに永く願おう。生きていようとも、わが思う妹にたやすく逢わないことであるのに。
【評】 関係を結んでいる女の家へ行き、母親などの妨げに遭って、逢えずに帰った後の詠歎と取れる。たやすく死をいうのは、女に対する愛着の半面である。気分が調べとなっている。
 
2359 息《いき》の緒《を》に 吾《われ》は念《おも》へど 人目《ひとめ》多《おほ》みこそ 吹《ふ》く風《かぜ》に あらば屡《しばしば》 逢《あ》ふべきものを
    息緒 吾雖念 人目多社 吹風 有数々 應相物
 
【語釈】 ○息の緒に 呼吸の継続で、それがすなわち命であるとして、命がけにの意の副詞。○人目多みこそ 人目が多いことだで、下に「あれ」が省かれている。○吹く風にあらば わが身が吹く風であったならばで、人目に立たず、自由にどこへでも行ける意でいっているもの。
【釈】 命がけに我は妹を思っているが、人目が多いことだ。吹く風であったならば、しばしば逢えることであるのに。
【評】 上の歌の連作とも見られる歌で、人目の多い嘆きである。自由な風を羨む心は新しいものではないが、一首の調べが思い入った静かな嘆きをあらわしていて、その中に溶かし込まれているので、しみじみした感をもったものとなっている。「屡」(17)という語が、特に生きている。
 
2360 人《ひと》の親《おや》の 未通女児《をとめご》居《す》ゑて 守山辺《もるやまべ》から 朝《あさ》な朝《あさ》な 通《かよ》ひし公《きみ》が 来《こ》ねば哀《かな》しも
    人祖 未通女兒居 守山邊柄 朝々 通公 不來哀
 
【語釈】 ○人の親の未通女児居ゑて 「人の親」は、「人の」は、感を強めるために添えたもので、「人の子」と共に例の多いもの。「親」は、母親の意。子と同棲しているのは母のみだったからである。「居ゑて」は、居させて。「守る」と続け、二句はその序詞。○守山辺から 「守山」は、地名である。『代匠記』は、巻十三(三二二二)「みもろは人の守る山 本辺はあしび花さき 末辺は椿花さく うらぐはし山ぞ 泣く児守る山」とあるを証とし、飛鳥の雷丘の別名であろうといっている。「から」は、「ゆ」と同じく、そこを通って。○朝な朝な通ひし公が 「朝な朝な」は、日々の意のもの。「通ひし公」は、わが方に通って来た公。
【釈】 母親が娘を居させて番をする、その名の守山の辺りを通って、毎日わが方に来た公が、来ないので悲しいことだ。
【評】 娘の求婚を続けていた男の来なくなったのを悲しんだ心である。求婚にとどまっていたことは、「朝な朝な」という語であらわし、また女が心では許したかったが、できなかったことを、「人の親の未通女児居ゑて」という序詞であらわしている。この序詞の、第三者的な言い方をしているところに、女の心が暗示されているといえる。「守山」という地名、「公」という用字も、現実味を帯びさせるものである。ある身分ある家の娘ということを思わせる歌で、目立たないが技巧の多い歌である。
 
2361 天《あめ》なる 一《ひと》つ棚橋《たなはし》 いかにか行《ゆ》かむ 若草《わかくさ》の 妻《つま》がりといへば 足《あし》を壮厳《かざ》らむ
    天在一棚橋 何將行 穉草 妻所云 足壯嚴
 
【語釈】 ○天なる一つ棚橋 「天なる」は、天にあるで、「日」と続き、「一つ」の枕詞。「一つ棚橋」は、一枚板の棚橋。「棚橋」は、板を棚のように渡した簡単な橋。○いかにか行かむ どのように渡って行こうかと疑ったもの。疑うのは、それを渡るのは相応に危険なこととしていっているのである。○足を壮厳らむ 「壮厳」は、仏語で、よそい飾る意である。諸注「よそひ」「あゆひ」と訓んだのを、『全註釈』は今のごとく訓み、「かざる」というほうが普通であり、そのようにいった用例もあるといっている。足結などを美しい物にする意と取れる。
【釈】 天にある日に因む、あの一枚板の棚橋を、どのように渡ったものであろうか。若草の妻の許へ行くので、足を飾って行こ(18)う。
【評】 男が夜、新たに得たと見える妻の許に出かけようとする際の心である。前半は自問、後半は自答で、旋頭歌の古い形を用いているものである。前半は、妻の許へ通う路のさまを眼に思い浮かべた心である。浮かんで来るのは「一つ棚橋」で、夜の闇に渡るのは危険が予想されるので、「いかにか行かむ」と一応警戒された心である。後半は一転して、そうした心持はきれいに払いのけ、今度は「若草の妻」を眼に思い浮かべ、あの妻の許へ行くのだ、足結を美しい物にして、おしゃれをして行こうと、答える心で思い続けたのである。前半と後半との間に相応な飛躍があるが、しかし心理的には自然であって、推移、つながりの無理ならぬものがある。「天なる」の枕詞、「壮厳」という用字など、この際の気分を暗示しているといえる。「若草の」という枕詞は、ことに重く働いている。極度に気分的な、また技巧のすぐれた、人麿歌集にのみ見られる詠み方の歌である。
 
2362 山城《やましろ》の 久世《くせ》の若子《わくご》が 欲《ほ》しといふ余《われ》 あふさわに 吾《われ》を欲《ほ》しといふ 山城《やましろ》の久世《くせ》
    開木代 來背若子 欲云余 相狹丸 吾欲云 開木代來背
 
【語釈】 ○山城の久世の若子が 「久世」は、京都府久世郡|城陽《じようよう》町に、今も久世という字がある。「若子」は、若い人に対する敬称で、若様というにあたる。○欲しといふ余 妻に欲しという我を。○あふさわに吾を欲しといふ 「あふさわに」は、突然にの意の古語と取れる。巻八(一五四七)「あふさわに誰の人かも手に巻かむちふ」と出た。○山城の久世 上の「若子」を省いて繰り返したもの。
【釈】 山城の久世の若様が、欲しいという私を。突然に私を欲しいという、山城の久世の若様が。
【評】 久世の若子という身分ちがいの人から、突然に求婚された女の、それを耳にした瞬間の心である。ただ呆れただけで、何の心も起こって来る余裕のない一瞬間の気分をそのままにいっているもので、珍しい歌である。平凡といえばきわめて平凡(19)であるが、こうした境を取材として捉え、生気に満ちた作とすることは、人麿歌集の歌以外には決して見られないことで、そのこと自体がすでに超凡なものである。
 
     右の十二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      右十二首、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
2363 岡前《をかざき》の たみたる道《みち》を 人《ひと》な通《かよ》ひそ 在《あ》りつつも 公《きみ》が来《き》まさむ 避道《よきみち》にせむ
    岡前 多未足道乎 人莫通 在乍毛 公之來 曲道爲
 
【語釈】 ○岡前のたみたる道を 「岡前」は、岡の突き出た所の称。「たみたる道」は、曲がっている道。○人な通ひそ 世間の人は通うなと禁止したもの。○在りつつも 今のままでいつつで、人通りのないさまをいったもの。○避道にせむ 人目を避ける道にしよう。
【釈】 岡の突き出た所にある曲がった道を、人は通るな。今のままであって、公がいらっしゃる時の人目を避ける道としよう。
【評】 岡の裾に住んでいる女が、男がいつも通って来る道のある岡崎を見やって、男の人目を忍ぶ妨害になろうから、誰も通るなと念じている心である。「在りつつも」というので、おりから人は通らないが、公の姿も見えないことをあらわしている。冴えてはいないが、情景をあらわしている作である。
 
2364 玉垂《たまだれ》の 小簾《をす》の隙《すけき》に 入《い》り通《かよ》ひ来《こ》ね たらちねの 母《はは》が問《と》はさば 風《かぜ》と申《まを》さむ
    玉垂 小簾之寸鶴吉仁 入通來根 足乳根之 母我問者 風跡將申
 
【語釈】 ○玉垂の小簾の隙に 「玉垂」は、玉を緒に貫いて垂らした物とみえる。「を」と続き、その枕詞。巻二(一九四)、巻七(一〇七三)に既出。「小簾」は、「小」は、接頭語で、すだれ。「すけき」は、隙の意と解されるが、ほかに用例の見えない語である。名詞。○入り通ひ来ね 潜り入って、通って来よで、「ね」は、他に対しての願望。
【釈】 すだれの隙を入って、通って来てくれよ。母が訝かってお問いになったら、風だと申しましょう。
(20)【評】 母の監督がきびしく、男に逢い難くしている女の、男に贈った形のものである。風を羨む歌は上の(二三五九)に出、「吹く風にあらば屡逢ふべきものを」とあった。これはそれを作因としたごとき歌である。明るく、美しく、謡い物として詠んだ歌かと思われる。才の利いた、可憐な作である。
 
2365 うち日《ひ》さす 宮道《みやぢ》に逢《あ》ひし 人妻《ひとづま》ゆゑに 玉《たま》の緒《を》の 念《おも》ひ乱《みだ》れて 宿《ぬ》る夜《よ》しぞ多《おほ》き
    内日左須 宮道尓相之 人妻※[女+后] 玉緒之 念乱而 宿夜四曾多寸
 
【語釈】 ○うち日さす宮道に逢ひし 「うち日さす」は、宮の枕詞。巻三(四六〇)に既出。「宮道」は、大宮に通じる道。「逢ひし」は、出仕の途中で見かけた。○玉の緒の念ひ乱れて 「玉の緒の」は、乱れる物の意で、その枕詞。巻七(一二八〇)に既出。恋に乱れて。
【釈】 大宮へ出仕の途中で逢った人妻のゆえに、恋しさに思い乱れて寝る夜の多いことであるよ。
【評】 実際生活の気分に即して詠んでいる歌である。「宮道に逢ひし人妻」は、自身の身分、相手の人柄を意識しての語である。「念ひ乱れて宿る夜しぞ多き」は、恋の悩みそのもので、これを進展させようとまでの心のないものである。公人と私人との矛盾を意識している心のもので、奈良朝以前の心を思わせる作である。詠み方も撲実である。
 
2366 まそ鏡《かがみ》 見《み》しかと念《おも》ふ 妹《いも》も逢《あ》はぬかも 玉《たま》の緒《を》の 絶《た》えたる恋《こひ》の 繁《しげ》きこの頃《ごろ》
    眞十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者
 
【語釈】 ○まそ鏡見しかと念ふ 「まそ鏡」は、「見」の枕詞。「見しか」は、「しか」は、願望をあらわす。「て」が添った「てしか」の形のものが多い。見たいと思う。○妹も逢はぬかも 妹も逢わないのか(21)なあで、逢って欲しいの意。しばしば出た。○玉の緒の絶えたる恋の 「玉の緒の」は、「絶え」と続き、その枕詞。巻三(四八一)に既出。「絶えたる恋」は、以前は関係があって、今は絶えた恋で、上の「妹」との間のこと。○繁きこの頃 繁くあるこの頃よの意。
【釈】 見たいと思う妹も、逢わないのかなあ、逢いたいものだ。絶えた恋の繁くあるこの頃よ。
【評】 上代の夫婦関係においては、男にはこのような場合が多かったことと思われる。取材の関係上、一首が説明的となっていて、したがって感が直接に伝わらない。
 
2367 海原《うなばら》の 路《みち》に乗《の》りてや 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ 大船《おほふね》の ゆたにあるらむ 人《ひと》の児《こ》ゆゑに
    海原乃 路尓乘哉 吾戀居 大舟之 由多尓將有 人兒由惠尓
 
【語釈】 ○海原の路に乗りてや 「海原の路」は、海路。「乗りて」は、その路によつて進む意の語で、巻十七(三九七八)、古事記上巻などに用例のあるもの。「や」は、疑問の係助詞。○大船のゆたにあるらむ 「大船の」は、その動きのゆっくりしている意で、「ゆた」の枕詞。「ゆたにあるらむ」は、ゆったりとしているだろうで、あせろうとしない意。○人の児ゆゑに 「人の児」は、娘。
【釈】 われは海原の路によって進むように、われは恋うているのであろうか。大船のようにゆったりとしている娘のゆえに。
【評】 恋をしている男の、相手の娘がゆったりしていて、事が進まないのを嘆いた心である。船旅を譬喩に用いているが、上代の旅は可能の限り船によったのであるから、現在想像するよりは、直接感のあるものであったろう。それにしても相聞の歌には珍しいものである。結婚の場合、男のあせり、女の警戒心より躊躇するのは普通のことで、心としては一般性をもったものである。
 
     右の五首は、古歌集の中に出づ。
      右五首、古謌集中出。
 
   正《ただ》に心緒《こころ》を述ぶ
 
【標目】 「正に心緒を述ぶ」は、これにつぐ「物に寄せて思ひを陳ぶ」に対立している称で、他の事物に託さず、直接に心を述べる意である。平安朝時代の「たとへ歌」に対する「ただごと歌」である。なお以下百四十九首は、左注により柿本朝臣人麿歌集(22)のもので、例により特別扱いをしているものである。
 
2368 たらちねの 母《はは》が手《て》放《はな》れ かくばかり 術《すべ》なき事《こと》は いまだせなくに
    垂乳根乃 母之手放 如是許 無爲便事者 未爲國
 
【語釈】 ○母が手放れ 母が養育の手を放れてで、すなわち一人前となって。○かくばかり術なき事は このようにやるせない事は。○いまだせなくに まだしないことであるのに。
【釈】 たらちねの母の養育の手を放れてから、このようにやるせない事は、まだしないことであるのに。
【評】 初めて恋の苦しさを経験する女の、その苦しさを男に訴えたものである。「たらちねの母が手放れ」は、女としてこの世で、生まれてこの方初めてということを具体的にいったもので、深く思い入っての心である。実際に即しての心で、深いあわれのあるものである。この大観して感性的にいっている詠み方は、人麿歌集に限られるものである。
 
2369 人《ひと》の寐《ぬ》る 味宿《うまい》は寐《ね》ずて 愛《は》しきやし 公《きみ》が目《め》すらを 欲《ほ》りし嘆《なげ》かふ
    人所寐 味宿不寐 早敷八四 公目尚 欲嘆
 
【語釈】 ○人の寐る味宿は寐ずて すべての人の寐る熟睡はできずに。「味宿」は、安らかな眠りで、熟睡。「寐ずて」は、寐られずに。○愛しきやし公が目すらを 「愛しきやし」は、「愛しき」は愛すべき、「やし」は、詠嘆の助詞。「目すらを」は、「目」は、見られることで、言いかえると逢うこと、「すらを」は、だけを。○欲りし嘆かふ 願って嘆きつづけるで、「嘆かふ」は、嘆くの連続。
【釈】 すべての人の寐る熟睡はできずに、愛すべき君に逢うことだけを願って嘆きつづける。
【評】 若い女の夜ひそかに男を思っている心であるが、いちずで、直截で、いささかの厭味もなく、純粋無垢のものである。きわめて平凡な心であるが、力をもって生きている趣がある。
 
     或本の歌に云ふ、公《きみ》を思《おも》ふに 明《あ》けにけるかも
      或本歌云、公矣思尓 曉來鴨
 
【解】 四、五句の別伝である。公を思っていると夜が明けたことであるよ、というので、このほうは一夜を思い続けたことのほうに重点を置いたものである。本文のほうは、公を恋うることに重点を置き、その気分をあらわそうとしたものであるのに、このほうは、気分よりも事柄に重点を置いているので、本文のもつ厚みのないものとなっている。伝承の際、平明を求める心から改めたものと見られる。
 
2370 恋《こ》ひ死《し》なば 恋《こ》ひも死《し》ねとや 玉桙《たまほこ》の 路行人《みちゆきびと》の 言《こと》も告《つ》げなく
    戀死 戀死耶 玉桙 路行人 事告無
 
【語釈】 ○恋ひ死なば恋ひも死ねとや 「も」は、詠嘆。恋い死ぬならば恋死にをせよというのであろうかで、「や」は、疑問の係。○玉桙の路行人の 「玉桙の」は、路の枕詞。「路行人」は、路を歩く人で、男の家のあるほうから女の家のあるほうへ来る人。○言も告げなく 「言」は、男の伝言。「告げなく」は、告げないことであるよと嘆いたもの。
【釈】 恋い死ぬならば、恋死にをせよというのであろうか。夫の家のほうより来る路行人が、伝言を告げないことであるよ。
【評】 妻の夫を恨んだ心である。この男女は庶民で、その夫婦関係は人に明らかにしていたのである。交通の少ない時代とて、夫の部落から妻の部落のほうへ来る者があれば、それと知れないはずはなく、知れれば伝言をするのが当り前だと妻は決めているのに、夫はそれをしなかったと、妻は腹立ち嘆いているのである。部落生活の状態、女の情熱的で、赤裸々なところなど、当時にあっては親しい感のするものであったろう。民謡の趣をもった歌である。
 
2371 心《こころ》には 千遍《ちたび》念《おも》へど 人《ひと》に云《い》はぬ 吾《わ》が恋※[女+麗]《こひづま》を 見《み》むよしもがも
    心 千遍雖念 人不云 吾戀※[女+麗] 見依鴨
 
【語釈】 ○心には千遍念へど 心の中では限りなく思っているが。○見むよしもがも 「見む」は、逢ふ。「よし」は、方法。「もがも」は願望で、逢う方法がほしいものだ。
(24)【釈】 心の中では、限りなく思っているが、人にはいわずにわが恋うている妻に、逢う方法のほしいものだ。
【評】 周囲を憚って逢えずにいる恋妻に逢いたいと願う心で、類歌の多いものである。率直に強い調べでいっているので、そのために特色づけられている。
 
2372 かくばかり 恋《こ》ひむものとし 知《し》らませば 遠《とほ》く見《み》るべく ありけるものを
    是量 戀物 知者 遠可見 有物
 
【語釈】 ○遠く見るべくありけるものを 関係なく見ているべきであったのに。
【釈】 これほどまでに恋うるものと前もって知ったならば、無関係で見ているべきであったのに。
【評】 若い男が女に逢い初めて、妨げがあって逢えぬ苦しさから、関係を結んだことを後悔している心である。こうしたことは実際に多く、したがって類歌が多いのであるが、この歌はただちに事の中心を捉えて、詠歎で貫いてゐるところに特色がある。訓に問題はあるが、心はそのために不明になる性質の歌ではない。
 
2373 何時《いつ》はしも 恋《こ》ひぬ時《とき》とは あらわども 夕片《ゆふかた》まけて 恋《こひ》はすべなし
    何時 不戀時 雖不有 夕方任 戀無乏
 
【語釈】 ○何時はしも 『略解』の訓。「Lも」は、強意の助詞で、読み添え。いつといって特にというにあたる。○夕片まけて 「片まく」は、巻二(一九一)に既出。夕方に近くなって。夕方を恋うる人に逢える時刻としてである。○恋はすべなし 恋は、やるせがないで、堪えられない意。
【釈】 いつといって特に恋いない時といってはないが、夕べに近くなると恋は、やるせがない。
【評】 男の通って来るのを待つ女の心である。いつも恋いとおしているが、男の来る時刻の夕べになると恋の心は最も堪えがたいというのである。このあたりの歌は純抒情的なものであるが、中核を捉えて、直截な抒情をしているので、迫りうる感をもったものとなっている。
 
(25)2374 かくのみし 恋《こ》ひや渡《わた》らむ たまきはる 命《いのち》も知《し》らず 年《とし》は経《へ》につつ
    是耳 戀度 玉切 不知命 歳經管
 
【語釈】 ○かくのみし恋ひや渡らむ 「かくのみし」は、『代匠記』の訓。仮名書きの例によってである。「し」は、強意。○たまきはる命も知らず 「たまきはる」は、命の枕詞。「命も知らず」は、命の続くほども知れないのに。○年は経につつ 年は過ぎて行きつつ。
【釈】 このようにばかり恋い続けているのであろうか。わが命のほども知れないのに、年は過ぎて行きつつ。
【評】 片恋を少なくとも一年以上にわたってしている男の嗅きである。恋の執着を中心に、思い入って身世を大観して嘆いているのである。詠み方もその心にふさわしく直截で、調べも張っているので、おのずから暗さと深みが陰影となって添って来ている。
 
2375 吾《われ》ゆ後《のち》 生《うま》れむ人《ひと》は 我《わ》が如《ごと》く 恋《こひ》する道《みち》に 逢《あ》ひこすなゆめ
    吾以後 所生人 如我 戀爲道 相与勿湯目
 
【語釈】 ○吾ゆ後生れむ人は 『略解』の訓。われより以後に生まれるであろう人は。○恋する道に逢ひこすなゆめ 「恋する道」は、恋という道であるが、その道は漢語を取り入れたもので、広く用いられ、巻三(三四七)「世間《よのなか》の遊びの道に」、巻五(八九二)「術《すべ》なきものか世間の道」などある。抽象的な内容を示す語である。「逢ひこすな」は、「逢ひ」は、遭遇する。「こす」は、くれるというにあたる、希望をあらわす動詞で、下二段活用。逢ってくれるな、決して。
【釈】 われより後に生まれ出るであろう人は、われがしているように、恋という道には逢ってくれるな、決して。
【評】 これは若い日の人麿が、何らかの機会にその全心を挙げていった歌と思われる。人麿は恋を私生活の全部と認めていた人のようであるが、恋にそれほどの価値を置くと、楽しみよりも、苦しみのほうが多いことは当然である。求めるところが多ければ、不満も同時に多くなるのであるが、しかし満足を感じなければ楽しみはないからである。純真な心をもって、恋の楽しみを追求してゆけば、振幅は自然に大きくなり、最大の楽しみは単に夢となり、反対に最大の苦しみが現実となって来るの(26)は当然のことである。そうした苦しみをしている場合、失望している自身を客観視し、この苦しみはせめて人には味わわせたくはないとの念を発して来たのが、この歌の心である。一見激語であるかのようにみえるが、じつは思い入っていっている衷心よりの語で、人生愛を語っているものである。歌人としての人麿の根本につながっている歌である。
 
2376) 健男《ますらを》の 現《うつ》し心《ごころ》も 吾《われ》はなし 夜昼《よるひる》と云《い》はず 恋《こひ》しわたれば
    健男 現心 吾無 夜畫不云 戀度
 
【語釈】 ○健男の現し心も 「健男」は、分別あり、実行力ある男子の意で、上代人の自任していた者。「現し心」は、覚醒している心。○恋しわたれば 恋をし続けているので。
【釈】 大夫としての覚醒した心も、我は無い。夜昼の差別もなく、恋をし続けているので。
【評】 「健男の現し心も吾はなし」は、公人として当然もつべき矜持を失っていることを意識し、歎息をもって一気にいった形のものである。その理由は、「夜昼と云はず恋しわたれば」という、個人としての恋情に惑溺しているからのことであるとして、それを一段と嘆いているのである。精神的破産に瀕している自身を意識した心で、人生的な嘆きの歌である。
 
2377 何《なに》せむに 命《いのち》継《つ》ぎけむ 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こひ》せぬ前《さき》に 死《し》なましものを
    何爲 命繼 吾妹 不戀前 死物
 
【語釈】 ○何せむに命継ぎけむ どうしようとて命を生き続けたことだろうか。○死なましものを 「まし」は、仮設の帰結で、死ねばよかったものを。
【釈】 どうしようとて命を生き続けて来たのだろうか。吾妹子に恋をしない前に、死ねばよかったものを。
【評】 片恋の苦悩に堪えかねての独詠である。「吾妹子に恋せぬ前に」といっているので、吾妹子は片恋の相手に対する愛称である。「死なましものを」は成句となっていたものである。恋を生命以上に感じている心で、心としては深刻なものである。
 
(27)2378 よしゑやし 来《き》まさぬ公《きみ》を 何《なに》せむに 厭《いと》はず吾《われ》は 恋《こ》ひつつ居《を》らむ
    吉惠哉 不來座公 何爲 不※[厭のがんだれなし]吾 戀乍居
 
【語釈】 ○よしゑやし来まさめ公を 「よし」に、「ゑやし」の感動の助詞を添えて強めた語で、「よし」は、よしやとかりに許す意の副詞。ままよにあたる。「来まさぬ公を」は、「を」は、詠嘆で、通ってはいらっしゃらない公であるものを。上を承けて、どうせ通ってはいらっしゃらないと、諦めていっているもの。○何せむに厭はず吾は どうしようとていやにならずに吾は。「何」は、係。○恋ひつつ居らむ 恋いつづけていることであろうか。
【釈】 ままよ、どうせいらっしゃらない公であるものを。どうしようとていやにならずに吾は、恋いつづけているのであろうか。
【評】 男に疎遠にされている女の、自己批評の独詠である。初二句は、男はどうせ来ないものと、過去の仕打ちを思って諦めた心で、三句以下は、それにもかかわらず同時に一方では、懲りもせずに待ちつづけているのを、「何せむに」と我と訝かっている心である。この矛盾は恋の上ではありがちなもので、ことに女に多いものである。一般性のある心である。
 
2379 見渡《みわた》せば 近《ちか》き渡《わたり》を 徘徊《たもとほ》り 今《いま》や来《き》ますと 恋《こ》ひつつぞ居《を》る
    見度 近渡乎 廻 今哉來座 戀居
 
【語釈】 ○見渡せば近き渡りを 「渡り」は、二つの地点を横ぎる場所の称で、河にいうと共に野にもいった。ここは野である。「を」は、ものを。○徘徊り 「た」は、接頭語で、「もとほり」は、廻り道をして。既出。これは人目を避けるためである。○今や来ますと恋ひつつぞ居る 今はいらっしゃるかと恋いつついることだで、「や」は、疑問の係、「居る」は、結。
【釈】 見渡すと、近い渡り場所であるのに、廻り路をして、今にもいらっしゃろうかと、恋いながらいる。
【評】 野を越しての彼方《かなた》の部落から通って来る男を、こちらの部落の女の待っている心である。男は人目を避けて廻り道をして来るので、いつひょっくり現われるかわからないので、その目に見えない姿を想像して待っているのである。「恋ひつつぞ居る」は、その心をあらわしたもので、そこに重点がある。庶民生活の実際に即しての歌で、その実際が新味となり興味となっている作である。複雑した状態を単純に詠み生かしている歌で、夫、夕べなど事としては大切なものまでも省いている、気(28)分本位の歌である。
 
2380 愛《は》しきやし 誰《た》が障《さ》ふれかも 玉桙《たまほこ》の 路《みち》見忘《みわす》れて 公《きみ》が来《き》まさぬ
    早敷哉 誰障鴨 玉桙 路見遺 公不來座
 
【語釈】 ○愛しきやし 「愛しき」に「やし」の感動の助詞の添って強められたもので、心としては結句の「公」につづくものであるが、形としては独立句風に用いられているものである。例のある用い方である。なつかしい、というに近い。○誰が障ふれかも 誰が妨げをするのでかで、「かも」は、疑問の係助詞で、「来まさぬ」に続く。○路見忘れて 妨げられている中に、ここへの路を見忘れて。○公が来まさぬ 公がいらっしゃらないことです。
【釈】 なつかしい。誰が妨げをするのであろうか、ここへの路を見忘れて、公のいらっしゃらないことです。
【評】 疎遠にしている夫に贈った歌である。恨みを述べて訴えるのが普通であるのに、「誰が障ふれかも」と夫の周囲の者の責任とし、そうされているうちに君も、「路見忘れて」という状態になったものとして、夫にもある責任を負わせて恨むという、巧みな言い方のものである。二句から三句の間の飛躍は、気分本位の言い方よりのものである。「愛しきやし」が訴えとなり、よく利いている。気分の屈折があって、無理なく言いおおせている、上手な歌である。
 
2381 公《きみ》が目《め》の 見《み》まく欲《ほ》しけく この二夜《ふたよ》 千歳《ちとせ》の加《ごと》も 吾《わ》が恋《こ》ふるかも
    公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉
 
【語釈】 ○公が目の見まく欲しけく 巻十二(二六六六)「妹が目の見巻欲家口《みまくほしけく》」の用例によっての訓。「目」は、姿。「見まく欲しけく」は、どちらも名詞形。公が姿を見たいことを、極度に強めた言い方。○この二夜 「この」は、眼前を指したもの。「二夜」は、逢って後、またの逢いを待った二夜。○千歳の如も吾が恋ふるかも 千年の久しいような気がして、われは恋うていることよというので、来るのを待つての憧れである。
【釈】 君の姿を見たいことだと、この二夜を、千年の久しい間のように憧れていることであるよ。
【評】 夫の来るのを待つ心で、例の多いものである。「この二夜」がじつに働きをもっている。実際を捉えての語で、事とし(29)ては何事でもないが、実際であるがゆえに、異常の働きあるものとなっているのである。作者の手腕である。
 
2382 うち日《ひ》さす 宮道《みやぢ》を人《ひと》は 満《み》ち行《ゆ》けど 吾《わ》が思《おも》ふ公《きみ》は ただ一人《ひとり》のみ
    打日刺 宮道人 雖滿行 吾念公 正一人
 
【語釈】 略す。
【釈】 立派な宮廷へ行く路を、人はいっぱいになって行くけれども、わが思う公は、ただ一人だけである。
【評】 官人の妻の、その夫に貞実を誓った形の歌である。朝の出仕の宮路においてその夫を捉えていっているのは、上代にあっては夫に対する尊敬と信頼を示すことになり、また最も印象的な言い方でもある。魅力ある歌である。
 
2383 世《よ》の中《なか》は 常《つね》かくのみと 念《おも》へども 半手《かたて》忘《わす》れず 猶《なほ》恋《こ》ひにけり
    世中 常如 雖念 半手不忘 猶戀在
 
【語釈】 ○世の中は常かくのみと 『考』の訓。巻三(四七二)「世間之常如此耳跡《よのなかしつねかくのみと》」に従ったのである。世の中は通常このようにばかりあるものとの意で、男の最初は真実であるが、次第に疎遠になって行ったことをいったもの。○半手忘れず 「半手」は、『新訓』の訓。この語は集中ここのみである。『総釈』で春日政治氏は、源氏物語、紅葉の賀に、片一方の義で、「かたて」と用いていると考証している。ここも同じ意で、当時用いられていた語と思われる。「忘れず」は、忘れずして。
【釈】 世の中は通常このようにばかりあるものだと思うけれども、片一方では、忘れられずに、やはり恋うていることである。
【評】 男から疎遠にされている女の、諦めながらも忘れられずにいる心である。取材の関係上、説明的になっているが空疎の感はない歌である。「半手」は訓は問題となろうが、意味は用字から察しられる語である。
 
2384 我《わ》が夫子《せこ》は 幸《さき》く坐《いま》すと 遍《かへ》り来《き》て 我《われ》に告《つ》げ来《こ》む 人《ひと》も来《こ》ぬかも
(30)    我勢古波 幸座 遍來 我告來 人來鴨
 
【語釈】 ○遍り来て 旧訓。諸注、訓を問題にし諸説があるが、『新訓』『総釈』は旧訓に従い、『総釈』は「遍」は「かへる」と訓みうる文字だとしている。旅より帰って来てで、夫と同じ方面へ行っていた人をいっているもの。○人も来ぬかも 『古義』の訓。「ぬ」は、意味で読み添えをしたのである。人が来ないかなあで、来てくれよの意で、「ぬか」は、願望。
【釈】 わが背子は無事でいらっしゃると、その方面から帰って来て、我に告げに来る人も、来ないのかなあ、来てくれよ。
【評】 夫を遠い旅にやっている妻の、ひたすら幸便を待っている心である。「遍り来て」以下は、予想のできる人があるのではなく、そうした人を空想しているので、「来」を三たびまでも繰り返し、ことに結末は、「来ぬかも」と願望にしているのは、そのためのことである。素朴に、自然な形で詠んでいるもので、あわれのある歌である。
 
2385 あらたまの 五年《いつとせ》経《ふ》れど 吾《わ》が恋《こひ》の 跡《あと》なき恋《こひ》の 止《や》まず催《あや》しも
    麁玉 五年雖經 書戀 跡無戀 不止恠
 
【語釈】 ○あらたまの五年経れど 「あらたまの」は、「年」の枕詞。「五年経れど」は、夫との交渉の絶えた年数を、事実に即していったもの。○跡なき恋の 「跡なき」は、しかとしない意で、逢うこともない意。○止まず恠しも 『考』の訓。止まずして怪しいことよ。
【釈】 五年という間を経ているが、わが恋の、この逢うこともない恋の、やまずにいる恠しさよ。
【評】 男の歌である。五年という長い間、相手に逢えたこともなく片恋を続けている自身を、我と恠しんでいる心である。「吾が恋の跡なき恋の」と、自身の恋を客観視し、婉曲に美しい言い方をしているのは、男性にして初めてできることである。「あらたまの五年」も、その恋を客観視したもので、現実性を与えているものである。片恋の歌として、品位あり、貫録のある珍しい歌である。
 
2386 石《いはほ》すら 行《ゆ》き通《とほ》るべき 建男《ますらを》も 恋《こひ》といふ事《こと》は 後《のち》悔《く》いにけり
    石尚 行應通 建男 戀云事 後悔在
 
(31)【語釈】 ○石すら行き通るべき建男も 巌ですら破って通り行くべき大夫でも。○後悔いにけり 後悔をしたことであるで、「に」は完了で、強めたもの。その心弱くされたことを心外に感じての嘆き。
【釈】 巌でも破って通り行くべき大夫も、恋ということに対しては、後悔をしたことである。
【評】 恋の悩みに堪え難くなった時、自身を反省し、大夫としての矜持に立ちかえって、心外な悩みをしたものだと後悔した心である。「石すら行き通るべき」は、成句に近いもので、公人としての男子の抱負であり、「後悔いにけり」というのは私人としてである。公人の責任感のきわめて強かった上代には、公私の矛盾ということはほとんど意識されず、この嘆きは当然のものとなっていたとみえる。したがってこの嘆きは一般性をもったもので、官人のすべてに響くものだったのである。
 
2387 日《ひ》暮《く》れなば 人《ひと》知《し》りぬべみ 今日《けふ》の日《ひ》の 千歳《ちとせ》の如《ごと》く ありこせぬかも
    日※[人偏+弖] 人可知 今日 如千歳 有与鴨
 
【語釈】 ○日暮れなば人知りぬべみ 原文の「※[人偏+弖]」は「低」と同じで、日が低くなる意よりの訓。日が暮れたら、人が知るであろうからで、昼間、家人の外出している家で女と逢っており、日が暮れると家人の帰って来ることがわかっているゆえに言っているのである。異様であるが、実際に即していっているものと取れる。○千歳の如くありこせぬかも 千歳のように永くあってくれぬのか、あってくれよの意。
【釈】 日が暮れたなら、人が知るであろうから、今日の日が、千年のように永くもあってくれぬのか、あってくれよ。
【評】 男の歌で、心は明らかである。「日暮れなば人知りぬべみ」という簡単な語で、昼間、女の家で、家人の不在中に密会しているという複雑した事情をあらわしている歌である。三句以下も巧みで、一首やすらかに纏まって、気分をもった歌となっている。
 
2388 立《た》ちて坐《ゐ》て たどきも知《し》らず 念《おも》へども 妹《いも》に告《つ》げねば 間使《まづかひ》も来《こ》ず
    立座 態不知 雖念 妹不告 間使不來
 
【語釈】 ○立ちて坐てたどきも知らず 『古義』の訓。巻十二(二八八一)「立而居為便乃田時《たちてゐてすべのたどき》毛いまはなし」を証としてである。「立ちて坐て」(32)は、立ったり坐ったりして。「たどき」は、「たづき」と同じで、「ず」は、打消の助動詞の連用形で、手の出し所も知られずにで、恋に心を奪われている意。○間使も来ず 「間使」は、双方の間の使。
【釈】 立ちつ居つして、手の出し所も知られないさまに思うけれども、妹に告げないので、使も来ない。
【評】 男の歌で、女と関係は結んだが、その周囲の者から強く隔てられ、便りをすることさえできない状態になって、ひとり懊悩している歌である。事としていわず、気分としてあらわそうとしているもので、事に触れているのは、「妹に告げねば」だけであるが、これも事としては告げられないのである。事を、事に伴う気分をいうことによってあらわすのは、奈良朝時代のことであるが、人麿歌集は早くもそれを行なっているのである。
 
2389 ぬばたまの この夜《よ》な明《あ》けそ 朱《あか》らひく 朝《あさ》行《ゆ》く公《きみ》を 待《ま》たば苦《くる》しも
    烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
 
【語釈】 ○ぬばたまのこの夜な明けそ 「ぬばたまの」は、夜の枕詞。「この夜」は、今夜で、夫が来ている夜を、妻のいっているもの。○朱らひく朝行く公を 「朱らひく」は、「ら」は、接尾語。赤色を引くで、朝の光の状態。ここは「朝」の枕詞。「朝行く公を」は、朝帰って行く公を。○待たば苦しも 『代匠記』初稿本の訓。訓は諸説があるが、実際に即した、感性的な訓の意で従う。来るのを待つのは苦しい。
【釈】 この夜は明け行くな。朝になれば帰って行く公を、またと待ったならば苦しいことである。
【評】 妻の歌で、夫の来ている夜、夜明け近くに訴えていったものである。中心は「待たば苦しも」で、ほかに触れていないのは、身分ある女を思わせる。枕詞を二つ用いて、すなおな物言いをしている形も、それを思わせる。
 
2390 恋《こひ》するに 死《しに》するものに あらませば 我《わ》が身《み》は千遍《ちたび》 死《し》にかへらまし
    戀爲 死爲物 有者 我身千遍 死反
 
【語釈】 ○恋するに 恋は物思いするものとしていっているもので、恋の物思いのために。○死にかへらまし 「死にかへる」は、死を繰り返す意。「かへる」は、反復。
(33)【釈】 恋の物思いのために死ぬものであったならば、わが身は千回も死を繰り返していることであろう。
【評】 女が疎遠にしている夫に訴えた歌であろう。それとすると妥当性のあるものとなる。巻四(六〇三)笠女郎の大伴家持に贈った、「念《おも》ふにし死するものにあらませば千遍《たび》ぞ吾は死にかへらまし」という歌は、明らかにこれに倣《なら》ったもので、これもそうした関係のものと思われる。
 
2391 たまたまも 昨日《きのふ》の夕《ゆふべ》 見《み》しものを 今日《けふ》の朝《あした》に 恋《こ》ふべきものか
    玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
 
【語釈】 ○たまたまも 旧訓「たまゆらに」。この語は集中ここにあるのみで、したがって訓に諸説がある。荒木田久老は『信濃漫録』で、「たまさかに」の訓をしている。一首の心からいえば妥当であるが、迎えての訓で、拠りどころのないものである。『全註釈』は、用字から見て、玉の響くのは玉と玉とが触れることであるから、玉玉の義と取れるといい、巻四(六五三)「情《こころ》には忘れぬものをたまさかにも見ぬ日さ数多《まね》く月ぞ経にける」を用例としている。現在では最も妥当性のある訓である。偶然にも。○恋ふべきものか 恋うべきであろうかで、「か」は、反語。
【釈】 偶然にも、昨日の夕べ逢ったのであるのに、今日の朝に恋うべきであろうか、恋うべきではない。
【評】 男の歌である。関係を結んでいる女の身辺に、きびしい妨害があって、逢えないものと諦めていたのに、偶然にも機会を掴み得て逢うと、逢ったためにさらに心が募って来たのであるが、とても逢えそうもないと、強く自制している心である。心理の自然があるのと、複雑した事情を、「たまたまも」と、「恋ふべきものか」とで、十分にあらわし得ている、すぐれた技巧のある歌である。技巧とはいうが、事情を事としていわず、気分としていってるために、安らかにあらわし得ているのである。抒情の長所を示している歌である。
 
2392 なかなかに 見《み》ざりしよりは 相見《あひみ》ては 恋《こひ》しき心《こころ》 まして念《おも》ほゆ
    中々 不見有從 相見 戀心 益念
 
【語釈】 ○なかなかに かえって。副詞で、三句「相見て」に続く。○見ざりしよりは 「見る」は、男女相逢う意で、逢わずに憧れていた時よりは。
(34)【釈】 かえって逢わなかった時よりも、逢ってからは、恋しい心が増さって思われる。
【評】 男の歌で、相応に長い求婚を経て、初めて女に逢った後の心である。類想の多い歌であるが、単純にいっているのでかえって感がある。
 
2393 玉桙《たまほこ》の 道《みち》行《ゆ》かずして あらませば ねもころかかる 恋《こひ》に逢《あ》はざらむ
    玉桙 道不行爲 有者 惻隱此有 戀不相
 
【語釈】 ○ねもころ ここは、心深い意で、副詞。○恋に逢はざらむ 恋に出違わなかったろうで、恋の相手を見かけることはなかったろうの意。
【釈】 道を行かずにいたのだったら、心深く思いこむ、こうした恋には出逢わなかったろう。
【評】 男の歌である。偶然に路上で見かけた女に恋を感じ、思い入っての悩みをしているところから、自然その原因が顧みられ、あの時路を歩いていなかったならばと、しみじみと思った心である。実際に即した歌で、きわめてありうべきことである。 気分の歌である。「恋に逢はざらむ」は、事と気分とを一つにした言い方で、上手な語である。
 
2394 朝影《あさかげ》に 吾《わ》が身《み》はなりぬ 玉《たま》かぎる ほのかに見《み》えて 去《い》にし子《こ》故《ゆゑ》に
    朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故
 
【語釈】 ○朝影に吾が身はなりぬ 「朝影」は、朝の日光に映る影で、その細く長く映るのを、身の痩せた譬喩にしたものである。○玉かぎるほのかに見えて 「玉かぎる」は、玉がほのかに光を発する意で、「ほのか」の枕詞。「ほのかに見えて」は、ちょっと見えて。○去にし子故に 行ってしまった女のゆえにで、途の上で見かけた女の意。
【釈】 朝日に映る影のように痩せたわが身となった。玉の光のようにほのかに見えて、行ってしまった女のゆえに。
【評】 上の歌と取材は全く同じで、そちらは詠歎が主になっているところから、事象には触れていないのに、これは反対に、事象のほうを主としたものである。上の歌だけでは心が尽きず、角度を変えて繰り返した形のものである。連作というべきである。「朝影に吾が身はなりぬ」は巧みであると共に珍しい譬喩であり、それとともにしめやかな気分ももったものである。(35)「玉かぎるほのかに見えて」も、事象ではあるが、女の美しさを連想させる気分の濃厚なもので、「去にし子故に」も同様である。事象とはいっても気分を通してのもので、読後に残すものは気分だといえる詠み方である。この歌は巻十二に重出しており、愛誦されたことを思わせるものである。奈良朝時代の気分本位の詠風に通うところの多いものであるから、その意味で流布したのであろう。知性と感性の一つになって、安らかに流れ出している歌で、魅力のある作である。
 
2395 行《ゆ》けど行《ゆ》けど 逢《あ》はぬ妹《いも》ゆゑ ひさかたの 天《あめ》の露霜《つゆじも》に ぬれにけるかも
    行々 不相妹故 久方 天露霜 沾在哉
 
【語釈】 ○行けど行けど 逢おうと思って、行きに行くけれども。漠然とした訪ね方である。○天の露霜に 「露霜」は、水霜で、天より降るものではないが、関係のあるものとして「天の」を添えたもの。成語である。
【釈】 逢おうと思って行きに行くけれども、逢わない妹のゆえに、我は空の水霜に濡れたことであるよ。
【評】 極度に気分を主とした言い方であって、背後にある事象の明らかにはし難いものである。「行けど行けど逢はぬ妹」というのは、あらかじめ約束をして訪う妹とは見えず、初句「行けど行けど」も、何回もというごときはっきりした意味のものではなく、昂奮して、漠然と、宛てなく歩き続けているものと思われる。「ひさかたの天の露霜」という極度に誇張した語も、そのことを支持するものである。事象としては取りとめのないものであるが、気分は十分に充実しているので、一首の歌として見ると、空疎でないのみならず、一種の響をもったものともなっているのである。片恋の範囲の歌ではあるが、その相手が十分明らかになっていないという、特殊の恋にみえる。前の二首の歌につながりをもった歌と見ると、自然なものになって来る。そうした歌ではなかろうか。
 
2396 たまさかに 吾《わ》が見《み》し人《ひと》を 如何《いか》ならむ 縁《よし》を以《も》ちてか また一目《ひとめ》見《み》む
    玉坂 吾見人 何有 依以 亦一目見
 
【語釈】 ○たまさかに 偶然に。○如何ならむ縁を以ちてか 「縁」は、意味の広い語で、ここは方法。「以ちて」は、取ったら。「か」は、疑問の係助詞。
(36)【釈】 偶然にもわが見かけた女であるのを、どういう方法を取ったら、また一目見られようか。
【評】 これも取材としては、上の三首の歌と同じである。最初の「玉桙の道行かずして」の心の結末とすれば、自然なものとなって来る。感情の昂《たか》まっていたのが鎮まり、「如何ならむ縁を以ちてか」と、知的に考えるようになったものと思われる。以上四首、一首一首十分独立はしているので、連作を企図したものではない。しかし一つの事に対して起伏推移する感情を、時間を追って叙しているので、おのずから連作と同じ結果を生み出すに至ったのである。これは、言いかえると、抒情をもって叙事を遂行していることで、新しい傾向といえるものである。
 
2397 暫《しま》しくも 見《み》ねば恋《こひ》しき 吾妹子《わぎもこ》を 日《ひ》に日《ひ》に来《く》れば 言《こと》の繁《しげ》げく
    ※[斬/足] 不見戀 吾妹 日々來 事繁
 
【語釈】 ○吾妹子を 「を」は、ものをの意。○言の繁けく 噂の多いことだで、「繁けく」は、形容詞「繁し」の名詞形。
【釈】 しばらくの間でも、見ないと恋しい妹なのに、毎日来るので、噂の多いことだ。
【評】 この歌は、次の女の歌と贈答関係をもっているもので、女に贈ったものとみえる。二人の関係が盛んに言い立てられている頃、自分はそのためにいささかも動揺させられている者ではないということを、女に知らせようとして贈った歌と取れる。見ずにはいられない妹のために、噂の多いことだと、噂のほうはさりげなく、ほとんど第三者として聞き流しているようにいっているのは、妹の恋しさというよりむしろ可愛ゆさを強調しようがためである。表面から見ると、恋の上ではきわめて普通な心持を、説明的に平坦にいっている歌であるが、裏面の心は、女をしっかりと捉えていようとする心をもつもので、言外の心の多いものである。これは迎えての解ではなく、女の歌と対照すると、そう解さざるを得ない歌である。ある身分ある、教養ももっている人の物言いである。調べは抒情性をもっていて、それとなき訴えを支持している。
 
2398 年《とし》きはる 世《よ》まで定《さだ》めて 恃《たの》めたる 公《きみ》によりてし 言《こと》の繋《しげ》けく
    年切 及世定 恃 公依 事繁
 
【語釈】 ○年きはる 「年」は、年齢。「きはる」は、極まるで、極限のある意。年齢の極限ので、寿命というにあたる。人の命数は定まっている(37)とする意で、仏説の影響を受けた心である。○世まで定めて 「世」は、生涯で、生涯のこととまで心を定めて。○恃めたる 頼ませているで、自身の頼んでいるのを、相手を主と立てていったもの。○公によりてし言の繁けく 公について、噂の多いことであるで、「し」は、強意の助詞。
【釈】 年齢の尽きる極限の、生涯までもと心を定めて、信頼している公につけて、噂の多いことであるよ。
【評】 上の歌に対しての女の答歌と取れる。女は男のいわんとしていわずにいる心を敏感に感じ、「年きはる世まで定めて恃めたる」といっている。これが男の聞かんとしたことなのである。「公によりてし言の繁けく」は、贈歌によっていっているものである。一首の心としては、男と同じ心を、さらに押し進めて、一本気になっていっているもので、人の噂などには微動もしまいとの心である。二首を合わせると、繊細な心をもった知識人の、淡い歌物語となる。
 
2399 朱《あか》らひく 膚《はだ》にも触《ふ》れず 寐《ね》たれども 心《こころ》を異《け》しく 我《わ》が念《も》はなくに
    朱引 秦不經 雖寐 心異 我不念
 
【語釈】 ○朱らひく膚にも触れず 「朱らひく」は、赤味を帯びている。「膚にも触れず」は、旧訓「はだもふれずて」。『新訓』の訓。「触れず」は、夫の膚に触れずに。○寐たれども 寐ているけれども。○心を異しく我が念はなくに 心が変わって我が思っているのではないことよ。
【釈】 赤味を帯びている美しい君の膚に触れずに寝ているけれども、心が変わって私は思っているのではないことよ。
【評】 妻が、通って来た夫と共寐をしている時、夫に断わっていった形の歌である。上代には女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係から遠ざかることになっていた。夫婦関係を結んでいる間のことであるから大体その範囲のことであろう。「朱らひく膚にも触れず」は、そうした際の女の気分をあらわしているものである。
 
2400 いで如何《いか》に ここだ甚《はなはだ》 利心《とごころ》の 失《う》するまで念《おも》ふ 恋《こ》ふらくの故《ゆゑ》
    伊田何 極太甚 利心 及失念 戀故
 
【語釈】 ○いで如何に 「いで」は、発言する時の言いかけで、さあ。「如何に」は、どういうわけで。四句の「念ふ」につづく。○ここだ甚 「ここだ」は、多量に。「甚」は、はなはだしくで、いずれも副詞で、二つ重ねて、強めたのである。これも「念ふ」へかかる。○利心の失するまで(38)念ふ 「利心」は、鋭い心で、男子の心。「失するまで念ふ」は、無くなるまで物思いをするのかで、以上、我と我に自問した形のもの。○恋ふらくの故 「恋ふらく」は、恋うの名詞形。恋ということをしているがゆえであると、上の自問に対して自答したもの。
【釈】 さあ、どういうわけで、多量に甚しくも、男子の鋭い心も無くなるまでに物思いをするのであるか。恋ということをするがゆえである。
【評】 甚しく気力の衰えている自身に対して怪訝の眼を向け、なぜにこのような状態となっているのかと自問を発し、それに対して、これは恋という事のためであると自答したのである。鋭く、熱意ある調べが気分をあらわしている。恋に溺れている心ではなく、反撥しようとする心で、しばしば出た公人としての大夫が、私人を制そうとするものである。この自問自答の形は伝統のあるもので、技巧として効果をあげている。
 
2401 恋《こ》ひ死《し》なば 恋《こ》ひも死《し》ねとや 吾妹子《わぎもこ》が 吾家《わぎへ》の門《かど》を 過《す》ぎて行《ゆ》くらむ
    戀死 々々哉 我妹 吾家門 過行
 
【語釈】 ○恋ひ死なば恋ひも死ねとや 上の(二三七〇)に出た。
【釈】 恋い死にをするならば、恋うて死ねというのであろうか、吾妹子は、わが家の門を通り過ぎて行くのであろう。
【評】 取材は庶民的で、印象も明らかすぎるほどのものである。声調もそれに伴ったもので、謡い物として詠んだものとみえる。
いもとほみあやわれ
 
2402 妹《いも》があたり 遠《とほ》く見《み》ゆれば 恠《あや》しくも 吾はぞ恋《こ》ふる 逢《あ》ふ由《よし》を無《な》み
    妹當 遠見者 恠 吾戀 相依無
 
【語釈】 ○恠しくも 不思議なまでに。○逢ふ由を無み 逢う方法がないので。
【釈】 妹が家のあたりが遠く見えるので、不思議なまでに我は恋うることである。逢う方法がないので。
【評】 女に妨げがあって逢えず、ほとんど諦めた状態になっている男の歌であるの「遠く見ゆれば」に支持されて、「恠しくも」が生かされており、それが中心となっている歌である。心理が説明なしに現われている点は、上手な歌というべきである。
 
(39)2403 玉久世《たまくせ》の 清《きよ》き河原《かはら》に 身祓《みそぎ》して 斎《いは》ふ命《いのち》は 妹《いも》が為《ため》こそ
    玉久世 清河原 身※[禾+祓の旁]爲 齋命 妹爲
 
【語釈】 ○玉久世の清き河原に 「玉久世」は、ここにあるのみで、ほかに用例のない語である。「久世」は、京都府久世郡久津川村(現、城陽町)に久世の地名がある。「玉」は、美称で、その地と取れる。「清き河原に」は、その地を木津川が流れている。地名に因んで、久世川の清き河原に。『新考』は、山田孝雄氏の解を挙げている。それは『新撰字鏡』に、灘の字の注として、「加波良久世又和太利世又加太」とあるにより、久世は河原とは同義で、水石相交わるところだとするのである。それによると、「玉久世」は、石の玉のように清い河原で、「清き河原に」は、語を変えての繰り返しとなる。○身祓して斎ふ命は 「身祓して」は、流るる水で身を潔めて、不浄を除いて、災禍をまぬがれる行事。「斎ふ命は」は、無事を願うわが命は。○妹が為こそ 妹のためにすることであるで、「こそ」の下に「あれ」が省かれている。
【釈】 玉のごとき久世川の清い河原で禊《みそぎ》をして、身の不浄を除いて災禍を免れようと願うわが命は、妹のためのことである。
【評】 山城の久世の辺りを過ぎる旅人が、久世川の清らかな河原を見て、妹を思う心からわが身を無事に保とうと思い、その河原で身祓をする心をいった形の歌である。身祓は上代信仰の上では重い行事で、いつどこでしてもよいことであった。「玉久世の清き河原に」は、その地の清浄さをいったもので、心理の自然がある。
 
2404 思《おも》ひ依《よ》り 見《み》ては依《よ》りにし ものにあれば 一日《ひとひ》の間《ほど》も 忘《わす》れて念《おも》へや
    思依 見依 物有 一日間 忘念
 
【語釈】 ○思い依り見ては依りにしものにあれば 旧訓「おもふよりみるよりものはあるものを」。文字表示が不完全で、旧訓も解しやすくないところから、訓に諸説がある。誤写説をほかにし、読み添えによって意を通じさせたものでは、『総釈』の春日政治氏の訓が比較的妥当に思われる。今はそれに従う。「思ひ依り」は、相手に思いが寄って行き。「見ては依りにしものにあれば」は、関係を結んではさらに思いが寄って行った間であるので。○一日の間も忘れて念へや 一日の間でも忘れていようか、いはしない。「忘れて念へや」は、「念へ」は、添えていう古格。「や」は、反語で、忘れめやと同意語。
【釈】 思うので心が寄って行き、さらに逢って心が寄ってしまった間であるので、一日の間でも忘れていられようか、いられはしない。
(40)【評】 訓に動揺があるので、意も明らかとはいえない。男より女に贈った歌で、自身の真実を告げたものである。上のごとく訓むと、初句より三句までは、男がその貞実心の由って来たるところを告げたもので、相手の女にはすべて思い当たることであり、当時者の間では十分納得のできるものであったろう。こうした相聞の歌は本来当事者間のもので、第三者を予想したものではないから、ある程度の不明の伴うのは有りうることといえる。しかし人麿歌集の歌は、そうした歌を蒐集したものではなく、少なくとも一半は人麿の想像裡のものであろうから、一概にそれを言い立てるわけにはゆかない。しかしその手心の加わった歌だとは言いうることである。
 
2405 垣穂《かきほ》なす 人《ひと》は云《い》へども 高麗錦《こまにしき》 紐《ひも》解《と》き開《あ》けし 公《きみ》なけなくに
    垣廬鳴 人雖云 狛錦 紐解開 公無
 
【語釈】 ○垣穂なす人は云へども 「垣穂なす」は、垣の穂のように。垣は葦や柴で編んだもので、穂はその先端で、多い意の譬喩。「人」にかかる枕詞。「人は云へども」は、人は噂をするけれども。○高麗錦細解き開けし 「高麗錦」は、高麗より渡来した錦で、衣の紐とされたところより、その修飾。「紐解き開けし」は、衣の紐を解いて開けたで、身を許して関係を結んだということを具体的にいったもの。○公なけなくに 公が無いではないものを。
【釈】 垣の穂のように多く人が言い騒ぐけれども、高麗錦の紐を解き開けた、公が無いではないものを。
【評】 女が男にその衷情を訴えた歌である。男との関係を周囲の者からしきりに言い立てられると、苦しく心細く感じ、それとともに、男を頼む心がいっそう強くなり、取り縋るごとき心をもって訴えているものである。身分ある女で、相応の矜持をもっており、「高麗錦紐解き開けし」ということを、絶対のこととしていっているのである。「公なけなくに」も、同じく矜持をもって縋っている語である。
 
2406 《こまにしき》 紐《ひも》解《と》き開《あ》けて 夕《ゆふべ》だに 知《し》らざる命《いのち》 恋《こ》ひつつあらむ
    狛錦 紐解開 夕谷 不知有命 戀有
 
【語釈】 ○高鷲錦紐解き開けて 意は上の歌と同じ。これは結句「恋ひつつ」にかかる。○夕だに 原文は諸本「夕戸」。旧訓「夕とも」。『考』(41)は「戸」は「谷」の誤写として「夕べだに」と訓んでいる。これに従う。今日の夕べすら。○知らざる命 知られない命で、上の句を承けて、この夕べをも測り難い無常の命で、自身のことをいったもの。仏教思想である。○恋ひつつあらむ その我を恋いつつ居ようと、相手を推量したもの。
【釈】 高麗錦の紐を解いて開けて、今日の夕べすらも測れない命の我を、恋いつづけて居よう。
【評】 上の女の贈歌に対しての男の答歌である。女の一途に頼みとして取り縋ろうとするのに対して、憐れみの心でいっている形のものである。女の語をそのまま取って、「高麗錦紐解き開けて」と現在のことにし、それに対照させて「夕だに知らざる命」といっているので、その心はあらわされている形であるが、明らかに、気取りが見え、厭味である。仏教思想をこのように日常生活に取り入れているのは珍しいものであるから、当時はその珍しさを良いとしたのであろう。この二句が中心となっている歌である。
 
2407 百積《ももさか》の 船《ふね》こぎ入《い》るるや 占《うら》さして 母《はは》は問《と》ふとも その名《な》は謂《の》らじ
    百積 船潜納八 占刺 母雖問 其名不謂
 
【語釈】 ○百積の船こぎ入るるや 「百積」は、容積の単位の称で、「石」にあたり、百積は百石で、量の多いこと。「こぎ入るるや」の「や」は、ここにつける解と次の句につける解とがある。ここにつけて、感動の助詞と見る。浦と続け、初二句その序詞。○占さして 占いによってその人と指して。○母は問ふともその名は謂らじ 母は尋ねようとも、君の名はいいますまい。男女、相手の名を他人に漏らすと、その関係が不安なものとなるという信仰があって、互いに厳秘にしたのである。
【釈】 百石の積荷をした船を漕ぎ入れるところの浦、それに因みある占いをして、その人と指して、母は尋ねようとも、君の名はいいますまい。
【評】 女が夫婦関係を結んでいる男に、その貞実を誓った歌である。いっていることは仮想であるが、これは事実となりうるもので、なれば女にとっては最も苦痛なことなので、誓言には適当な事柄なのである。「百積の船こぎ入るるや」は、住地の実際より捉えたものと思われるが、それよりも神意の現われとしての占いの厳かさを気分としてあらわそうとしてのものである。その意味ですぐれたものである。類想の多い事柄であるが、序詞によって特色あるものとなっている。
 
2408 眉根《まよね》かき 鼻《はな》ひ紐《ひも》解《と》け 待《》つらむか 何時《いつ》しか見《み》むと 念《おも》へる吾《われ》を
(42)    眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾
 
【語釈】 ○眉根かき鼻ひ紐解け 「眉根」は、「根」は、接尾語。眉が痒くて掻き。「鼻ひ」は、嚔の出ることで、上一段の動詞、連用形。くしゃみをし。「紐解け」は、紐が自然に解けてで、以上いずれも、人に逢える前兆と信じられていたこと。○待つらむか 女がわれの行くのを待っているであろうか。○何時しか見むと念へる吾を 「何時しか」は、いつであるか、早くで、早くの意。「見む」は逢おう。「念へる吾を」は、思っているこのわれを。
【釈】 眉を掻いたり、くしゃみをしたり、下紐が自然に解けたりして、妹は待っているのだろうか。早く逢いたいと思っているこのわれを。
【評】 男が妻の状態を想像している心である。この想像は根拠のあるもので、上代は人の魂は交流するもので、こちらで思うことは相手の人に、何らかの形で現われるものだと信じていたのである。今も男が、自分の早く逢いたいと思う心は、妻にも通じているはずだとして、想像しているのである。上代には誰にも親しみのある歌だったろうと思われる。謡い物系統の歌である。
 
2409 君《きみ》に恋《こ》ひ うらぶれ居《を》れば 悔《くや》しくも 我《わ》が下紐《したひも》の 結《ゆ》ふ手《て》徒《いたづら》に
    君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒
 
【語釈】 ○うらぶれ居れば さびしい気持になっていると。○悔しくも 残念にも。○結ふ手徒に 旧訓「むすびてただに」。『新訓』の訓。「徒に」は、下紐の解けるのは人に恋いられるゆえであるが、その恋う人は来ないので、解ける下紐を結ぶのが無駄になるで、上の「悔しくも」に応じさせたもの。
【釈】 君を恋うて、さびしい気持でいると、残念にも、下紐が解けるだけで、それを結ぶ手数が無駄になる。
【評】 女の歌で、男を恋うる心が通じると見え、下紐は解けるが、しかし男は来ない嘆きである。「悔しくも我が下紐の結ふ手徒に」という言い方は、男も我を恋うていることを背後に置いての言い方で、語続きとしてはかなり飛躍のあるものである。上手な言い方である。
 
(43)2410 あらたまの 年《とし》は果《は》つれど 敷栲《しきたへ》の 袖《そで》交《か》へし子《こ》を 忘《わす》れて念《おも》へや
    璞之 年者竟杼 敷白之 袖易子少 忘而念哉
 
【語釈】 ○年は果つれど 年は終わるけれども。年の変わり目になる意。○敷栲の袖交へし子を 「敷栲の」は、袖の枕詞であるが、実際をいっているもので、織り方をたたえたもの。「袖交へし子」は、袖を交わして共寝をしたかわゆい女。○忘れて念へや 思い忘れようか、忘れはしない。
【釈】 年は終わって変わろうとするが、敷栲の袖を交わして共寝をした可愛ゆい女を、思い忘れようか、忘れはしない。
【評】 年末に女に贈った歌で、自身の誠実を示そうとした歌と取れる。詠み方の上で、関係している日が浅く、女も年若い、幼げの残っているような人であったことを思わせる。
 
2411 白細布《しろたへ》の 袖《そで》をはつはつ 見《み》しからに かかる恋《こひ》をも 吾《われ》はするかも
    白細布 袖小端 見柄 如是有戀 吾爲鴨
 
【語釈】 ○白細布の袖をはつはつ 「白綿布の」は、上の歌と同じく讃えの意のあるもの。「袖をはつはつ」は、『略解』の訓。「はつはつ」は、わずかにで、副詞。○見しからに 見たゆえに。
【釈】 白細布の袖をわずかに見たゆえに、このような恋をわれはすることであるよ。
【評】 男の歌で、袖は女の物。人間の遭逢の怪しさをいったもので、上にも力作のあったものである。「はつはつ見しからに」は、ほのかに一目見た意で、それが苦しい恋の原因となったとするのであるが、あるいはそのような見方であったがゆえに、空想化されて苦しい恋になったのかもしれぬ。しかしこれは拡がりとしてのことである。
 
2412 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひて術《すべ》なみ 夢《いめ》に見《み》むと 吾《われ》は念《おも》へど 寐《い》ねらえなくに
    我妹 戀無乏 夢見 吾離念 不所寐
 
(44)【語釈】 ○恋ひて術なみ 旧訓。恋しくて仕方がないので。
【釈】 吾妹子が恋しくて仕方がないので、夢に見ようと我は思うけれども、眠られないことであるよ。
【評】 心は明らかである。「恋ひて術なみ」と、逢うことを諦めての上の恋しさをいっており、一首の調べもひどく落ちついたところから見て、旅にあっての歌ではないかと思われる。気分をいうのみで、事には触れていないので、そのように取れるのである。とにかく、逢えないものと決めての上の恋しさである。
 
2413 故《ゆゑ》もなく 吾《わ》が下紐《したひも》を 解《と》かしめつ 人《ひと》にな知《し》らせ 直《ただ》に逢《あ》ふまでに
    故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢
 
【語釈】 ○故もなく 理由もなくてで、誰が来ようという心当たりもなくて。○解かしめつ 訓は諸注さまざまである。『新訓』の訓。自然に解かせた。これは上にも出たように、人に逢える前兆で、人が来ようと思っている心が通じて起こることとしていた。ここも、誰ともわからない男の心がそのようにさせたのである。○人にな知らせ 人には知らせるなと禁じたもの。誰に向かって禁じたのか不明にみえるが、これは下紐を解かせている男の心が、現に身に通って来ているとして、それを対象にしていっているのである。男女関係は他人に漏らすと、その関係を起こさせている力が失せるものだという信仰があったので、知らぬ男の自分に懸想していることを他人に漏らすのをおそれていっているのである。○直に逢ふまでに 直接に逢うまでは。
【釈】 その人と心当たりもなく、わが下紐を自然に解かせた。女は男に逢う前兆と解したのであるが、そうした男の心当たりはなかったのである。しかし現に誰か知らぬ男の霊力が自分の身に加わっていることと信じ、とにかく男に思われていることに喜びを感じ、その人との関係を成り立たせようと思う心から、それをさせている人よ、他人に我を思うことをいうな。直接に逢うまでは。
【評】 女が思いがけなくその下紐の自然に解けた時の心である。男の霊力を相手にして、我を思っていることを人にはいうな、直接に逢うまではと言いかけたのである。女が男に思われることを喜ぶ心と、女性の強く俗信を信ずる心の上に立った珍しい歌である。相応に複雑したことを、抒情の語を通してあらわしている、非凡な技巧である。
 
2414 恋《こ》ふること 意《こころ》遣《や》りかね 出《い》で行《ゆ》けば 山《やま》も川《かは》をも 知《し》らず来《き》にけり
(45)    戀事 意追不得 出行者 山川 不知來
 
【語釈】 ○恋ふること意遣りかね 恋うることの苦しさを紛らし得ずして。○出で行けば 家を出て、恋うる人のほうに向かって来れば。○山も川をも知らず来にけり 『考』の訓。「山も川をも」は、後世だと、山をも川をもであるが、上の「を」を省き、下にだけ添えるのは上代の語格である。「知らず来にけり」は、わからずに来たことであるよと、詠嘆をもっていっているもので、来たのは恋うる女の許である。
【釈】 恋うることを紛らすことができずして、家を出てこちらに向かって来ると、途中の山をも川をもわからずに来たことであるよ。
【評】 男が妻の許へ行き、訴えの心をもっていっているものである。感傷の心よりのものであるが、こうした際の歌の陥り易い、女を喜ばしめようとして、途中の困難を誇張していう跡がなく、「山も川をも知らず」とむしろ反対なことをいっているのは珍しい。結果としては同じであるが、その言い方のさっぱりしているのが魅力となっている。夫婦関係のやや久しい間ということが絡んでいよう。純気分の歌で、張った調べが即表現となっている作である。
 
     物に寄せて思を陳ぶ
 
【標目】 上の「正に心緒を述ぶ」に対する部立であって、外界の物象を媒として、それに寄せて恋の心をあらわしている歌である。最初の部分は、例のように、柿本人麿歌集のもので、(二五一六)まで百四十九首を収めてある。同部立の他の歌とは特別扱いをしているものである。
 
2415 処女《をとめ》らを 袖振山《そでふるやま》の 瑞垣《みづがき》の 久《ひさ》しき時《とき》ゆ 念《わも》ひけり吾《われ》は
(46)    處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念來吾等者
 
【語釈】 ○処女らを袖振山の 「処女等を」の「を」は、感動の助詞で、「よ」というと異ならない。処女らよ、その袖を振ると続け、振るを振山に懸けたもので、「袖」までの七音は序詞である。「振山」は、石上神宮の所在地(天理市布留)で、その言いかえ。○瑞垣の 神宮の垣を褒めての語。その久しい物であるところから「久しき」に続け、初句よりこれまではまた序詞である。○久しき時ゆ念ひけり吾は 久しい以前から、思っていたわれは。
【釈】 処女らよ、それが袖を振るに因みある振山の瑞垣の久しいように、久しい前から思っていたわれは。
【評】 この歌は、巻四(五〇一)に、「未通女等《をとめら》が袖振る山の水垣の久しき時ゆ憶《おも》ひき吾は」と出ていたものである。初句と結句にいささか変わりがあるが、この変わりは、今の歌のほうが語づかいが古いので原形で、巻四のものは、伝承中解りやすいように変えたものと取れる。
 
2416 ちはやぶる 神《かみ》の持《も》たせる 命《いのち》をば 誰《た》が為《ため》にかも 長《なが》く欲《ほ》りせむ
    千早振 神持在 命 誰爲 長欲爲
 
【語釈】 ○ちはやぶる神の持たせる 「ちはやぶる」は、いちはやぶるで、勢の激しい意で、神威を讃えたもの。枕詞として用いられているが、形式語ではない。「神の持たせる」は、神のお司りになっている。○命をば 『新訓』の訓。上句より続いて、神のお司りになっている命をばで、人力ではいかんともし難いわが命をば。○誰が為にかも 『新訓』の訓。妹を外にして誰のためにかで、「かも」は、疑問の係助詞で、ここは反語の意をもつ強いもの。○長く欲りせむ 『考』の訓。長かれと思おうか、思いはしない。
【釈】 勢猛き神のお司りになるわが命をば、妹をほかにしての誰のために、長くあれと思おうか、思いはしない。
【評】 妹に対して献身的な愛を誓った歌である。「神の持たせる命」と信じながら、それにもかかわらず長くと思うのは、一に妹のためであって、妹のためには非望の願いをもしているというのである。妹を絶対なものと思い詰めた心で、調べもそれにふさわしい強いものである。
 
2417 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の神杉《かむすぎ》 神《かむ》さびし 恋《こひ》をも我《われ》は 更《さら》にするかも
(47)    石上 振神杉 神成 戀我 更爲鴨
 
【語釈】 ○石上布留の神杉 「石上布留」は、ここは石上神宮の意のもの。「神杉」は、神社の境内にある神霊の宿り給う神木で、この社の物は杉だったのである。老木であるのが普通で、ここもその意で、譬喩として「神さびし」にかかる序詞。○神さびし恋をも我は 「神さびし」は、神々しくなったで、転じて、古くなったの意に用いる。ここはそれで、下の恋の性質をいったもの。「恋をも我は」は、そうした恋をも我はと、詠嘆していったもの。はるか以前の関係で、その後は絶えていた恋である。○更にするかも 新たにすることであるよ。
【釈】 石上の布留の社の神杉のように、ひどく古くなった恋を我は、新たにすることであるよ。
【評】 男の歌で、若い時に関係があったが、その後はずっと絶えてしまっていた女と、年を経て、何らかの機会から再び関係することになった人が、自身を客観視して、感慨をもつていった心である。「石上布留の神杉」は、その地が関係の復活に何らかのつながりのあってのものとみえる。
 
2418 如何《いか》ならむ 名《な》に負《お》ふ神《かみ》に 手向《たむけ》せば 吾《わ》が念《も》ふ妹《いも》を 夢《いめ》にだに見《み》む
    何 名負神 幣嚮奉者 吾念妹 夢谷見
 
【語釈】 ○如何ならむ名に負ふ神に どういう名で、また霊験あらたかだという評判を負い持っている神に。○手向せば 「手向」は、旅人が道路で祭をする称で、祭には物を捧げるところから、祭る意となったもの。祭をしたならば。○夢にだに見む 夢にだけでも見られようか。
【釈】 どういう名の神で、霊験があらたかだと評判を負い持っている神を祭ったならば、わが思っている妹を、夢にだけでも見られようか。
【評】 旅人が故郷の妹を思って、せめて夢にでも見たいと思い、土地不案内なところから、神々のうち、どういう神が、そうした方面で霊験があらたかなのだろうかと思っている心である。「如何ならむ名に負ふ神に」というのは旅の実際に即した心で、その点にあわれがある。全体としても昂奮していないところに実感がある。
 
2419 天地《あめつち》と いふ名《な》の絶《た》えて あらばこそ 汝《いまし》と吾《われ》と 逢《あ》ふこと止《や》まめ
(48)    天地 言名絶 有 汝吾 相事止
 
【語釈】 ○天地といふ名の絶えてあらばこそ 天地という名が無くなったならばの意。「名」は、物と名とは同一であるとして言いかえているもの。「絶えて」は、「名」の関係でいっている。「絶えてあらば」は、絶えたらば。○汝と吾と逢ふこと止まめ 「汝」は、女を指していっているもの。「め」は、「こそ」の結。
【釈】 天地という物が無くなったならば、その時は汝とわれと逢うことを止めよう。
【評】 男が女に、その夫婦関係の変わらないことを誓ったものである。天地が尽きたらば逢うことを止めようということは例の少なくないものであるのと、一気に、さわやかな調べをもっていっているのとで、実感の表現と思わせる。人麿歌集特有の歌である。
 
2420 月《つき》見《み》れば 国《くに》は同《おや》じを 山《やま》隔《へな》り 愛《うつく》し妹《いも》は 隔《へな》りたるかも
    月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨
 
【語釈】 ○月見れば国は同じを 「同じ」は、「おなじ」「おやじ」共に仮名書きのあるものである。月を見ると、同じ国土であるのをで、月光の与える感である。○山隔り 山が隔てていてで、山に対しては「隔り」というが普通になっていた。○愛し妹は隔りたるかも 可愛ゆい妻は隔たっていることであるよ。
【釈】 月を見ると、国は同じであるのを、山が二人を隔てていて、可愛ゆい妻は隔たっていることであるよ。
【評】 京からさして遠くない地に旅をして、滞在していての歌である。夜の月に対していると、妻のいる京がはなはだしく近い気がするが、しかし山が隔てとなっていて、隔たっていることであると、気分を主として詠んでいる歌である。事象にはほとんど触れず、ただちに事象の生む気分の中心に入り、それをいうことによって一切をあらわす、人麿歌集特有のものである。奈良朝時代の歌も同じ傾向となっているが、そちらは歌柄が小さく細くなっているのに、人麿歌集は柄が大きく豊かで、調べも暢び暢びとして、他の追随し得ぬものをもっている。
 
2421 木幡路《こはたぢ》は 石《いは》踏《ふ》む山《やま》の 無《な》くもがも 吾《わ》が待《ま》つ公《きみ》が 馬《うま》躓《つまづ》くを
(49)    ※[糸+參]路者 石蹈山 無鴨 吾待公 馬爪盡
 
【語釈】 ○木幡路は 『定本』の訓。この字は諸注訓み難くして、さまざまに訓んでいる。『代匠記』は、「※[糸+參]」は「繰」の誤字として「くる」と訓み、来るの意としている。『定本』は、字画により、この字は旗布の正幅をあらわす字だとし、巻二(一四八)「青旗の木旗《こはた》の上を」の木旗は正幅の意だろうとし、「木幡」に「※[糸+參]」を当てたのであろうとしている。意は木幡へ通ずる路で、木幡街道は。木幡は京都府の宇治市に近く、古くから名ある地である。○馬躓くを 公の乗馬が躓くのに、と途の不安をいったもの。
【釈】 木幡へ来る街道には、石を踏む山が無くてくれるといい。われが待っている公の乗馬が躓くのに。
【評】 木幡に住んでいる女が、遠くから山路を通って来る男を待ちつつ、その山越えの石の多い路を思って、男の乗馬のつまずくことから起こる不慮の災いを案じている心である。「石踏む山の無くもがも」というのは、その地に住んでいる女でないといわない語と思える。また「馬躓くを」も、様子を熟知している者のみのいう語であろうし、それにまた、不安を感じての語ではあるが、深く思い入っての語とは見えない。木幡は京より近江方面へ出る要路にあたる地で、古くから遊行婦の居た地である。以下にもそれを思わせる歌がある。この歌も、そうした女の立場に立って、代わって詠んだ歌かと思われる。
 
2422 石根踏み 隔《へな》れる山《やま》は あらねども 逢《あ》はぬ日《ひ》まねみ 恋《こ》ひわたるかも
    石根蹈 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨
 
【語釈】 ○石根踏み隔れる山は 「石根」は、「根」は、接尾語。「隔れる」は、『古義』の訓。山にはへなるというのが例である。岩を踏んで、隔たっている山は。○逢はぬ日まねみ 「まねみ」は、多くて。
【釈】 岩を踏んで隔たっている山はないけれど、逢わない日が多くて、恋をつづけることである。
【評】 心は明らかである。公務を帯びて京近い地へ出張している官人の嘆きである。
 
2423 道《みち》の後《しり》 深津島山《ふかつしまやま》 暫《しま》しくも 君《きみ》が目《め》見《み》ねば 苦《くる》しかりけり
    路後 深津嶋山 ※[斬/足] 君目不見 苦有
 
(50)【語釈】 ○道の後深津島山 「道の後」は、京を中心として地方へ通じる道の、その遠い所の称。ここは、吉備国の道の後で、備後国。「深津」は、備後国(広島県)の深津郡、今の深安郡にある郷名。福山市付近。「島山」は、普通は島にある山であるが、島でない広い地の山でも、海上から望む時にはこう呼んだ。この語から、この歌は、瀬戸内海の、船の上より見てのことと知れる。この二句、「島」を「暫し」に反復させての序詞。○君が目見ねば 君が姿を見ないと。「君」は、女より男を指しての称であるから、女の立場に立って詠んだものである。
【釈】 道の後の国の深津の島山に因みある、しばしの間でも、君の姿を見ないと苦しいことであった。
【評】 女が、男に逢った時の訴えである。「道の後深津島山」は、女の住地として捉えていっているものであろう。それとすると、そこの女が男に向かっていっているものであるが、「島山」という語は、明らかに矛盾して来るものである。その矛盾をなくするには、瀬戸内海を航行している男が、深津の地で想像で詠んだものとするか、または、そうした男が、深津の女からいわれた語を、女に代わって詠んだとするのかでなければならない。序詞はいかにも達者なものである。瀬戸内海を航行中の若い人麿が、多分は遊行婦などのいる深津の地を過ぎる折、想像で詠んだものではなかろうか。
                       
2424 紐鏡《ひもかがみ》 能登香《のとか》の山《やま》の 誰《たれ》ゆゑか 君《きみ》来《き》ませるに 紐《ひも》開《あ》けず寐《ね》む
    紐鏡 能登香山 誰故 君來座在 紐不開寐
 
【語釈】 ○紐鏡能登香の山の 「紐鏡」は、鏡の背面の鈕に紐の付いている物の称。紐は使う時に手に持つためのもの。「能登香の山」は、『大日本地名辞書』は、「美作名所栞」を引いて、岡山県津山市の東方にある二子山と呼ばれているのがそれで、山上に能等香神が祀ってあり、雨を掌る神だという。「紐鏡」は、その紐を解かない意で莫解きと続き、それと近似音の能登香の枕詞としたもの。「能登香の山の」は、莫解きの山のごとくの意で、下へ続く。○誰ゆゑか 誰に対してかで、「か」は、疑問の係助詞の、意の強いもので、反語をなしている。○君来ませるに紐開けず寐む 「君来ませるに」は、「君」は、夫で、夫がいらしたのに。「紐開けず寐む」は、下紐を解かずして寝ようかで、共寝をしなかろうか、するの意。
【釈】 紐鏡の紐の、莫解きというに因みある能登香の山のように、誰に遠慮して、君がいらしたのに下紐を解かずに寝ようか、そのようなことはしない。
【評】 能登香の山のほとりに住んでいる女が、夫の通って来た時に詠んだ形の歌である。能登香の山を、その名前から譬喩に捉え、「紐開けず寐む」と対照させていっているもので、その心も、その構成も、まさに民謡的なものである。しかしその詠み方は、細心に、屈折をもった、甚しく技巧的なもので、一首の声調も滑らかで、同じく民謡的である。若い日の人麿の興味よ(51)り詠んだ歌と思われる。「紐鏡能登香の山の」は、形は序詞であるが、心は譬喩であるばかりでなく、一首全体へ気分としてまつわっている。気分の表現が同時に事となっているという範囲の歌である。
 
2425 山科《やましな》の 木幡《こはた》の山《やま》を 馬《うま》はあれど 歩《かち》ゆ吾《わ》が来《こ》し 汝《な》を念《おも》ひかね
    山科 強田山 馬雖在 歩吾來 汝念不得
 
【語釈】 ○山科の木幡の山を 「山科」は、今は京都市の中。「木幡の山」は、伏見山の東南の山で、宇治市木幡の丘陵。上の(二四二一)に出た。○馬はあれど 乗馬はあるけれども。○歩ゆ吾が来し 徒歩で我は来た。○汝を念ひかね なれを思うに堪えかねて。
【釈】 山科の木幡の山を、乗馬はあるけれども、徒歩で我は来た。なれを思うに堪えかねて。
【評】 木幡の里に住んでいる女の許へ通って来た男の、訴えの心をもって詠んだ歌である。そうした歌は、普通、男が自身の誠実を女に示すために、途中の労苦を訴えるのであるが、この歌は、労苦をいうことを超えて、「汝を念ひかね」「馬はあれど歩ゆ吾が来し」というので、馬の支度をする間も、待っていられなかったというのである。これは筋の立たないことで、誇張というよりもむしろ媚びて、機嫌取りのためにいっていることの明らかなものである。一首の声調も明るく軽いもので、謡い物系統の調べを思わせるものである。普通の夫婦関係の歌とは思われない。上の(二四二一)でいったように、木幡の里にいる魅力多い遊行婦を相手にいったもののようである。その歌と繋がりのある歌と見ても不自然ではない。
 
2426 遠山《とほやま》に 霞《かすみ》たなびき いや遠《とほ》に 妹《いも》が目《め》見《み》ずて 吾《わ》が恋《こ》ふるかも
    遠山 霞被 益遐 妹目不見 吾戀
 
【語釈】 ○遠山に霞たなびき 遠山に霞がなびいて、遠山がいよいよ遠く見える意で、「いや遠」に譬喩としてかかる序詞。○いや遠に妹が目見ずて 「いや遠に」は、ひどく間遠に、すなわち久しく。「目」は、姿。
【釈】 遠山に霞がなびいて、いや遠く見えるように、久しく妹の姿を見なくて、我は恋うていることである。
【評】 官人として旅に滞在していて、妻を思う歌である。「遠山に霞たなびきいや遠に」は、巧みな語つづきである。季節の(52)変わり目の霞を目に見て、それがただちに時間の距離に転じて来るのは、一見平凡に似ているが、豊かな気分をもっていなければできないものである。これが一首の中心でもある。
 
2427 宇治川《うぢがは》の 瀬瀬《せぜ》のしき浪《なみ》 しくしくに 妹《いも》は心《こころ》に 乗《の》りにけるかも
    是川 瀬々敷浪 布々 妹心 乘在鴨
 
【語釈】 ○宇治川の瀬瀬のしき浪 「宇治」は、原文「是」。この用字につき『訓義弁証』は詳説している。『儀礼覲礼』に「大史是右」とある注に、「古文是為v氏也」とあり、また『後漢書李雲伝』の注に「是与v氏古字通」とあるというのである。人麿の学識に触れている用字である。「しき浪」は打続いて重なって来る浪で、意味で「しくしくに」にかかり、以上その序詞。○しくしくに 重ね重ねで、副詞。○妹は心に乗りにけるかも 妹は、わが心に乗ったことだなあ。
【釈】 宇治川の瀬々の、打続いて重なって来る浪のように、重ね重ね、妹はわが心に乗ったことだなあ。
【評】 旅人として宇治川のほとりに立っての歌である。しき浪のさまを見て妹を思う心を連想したもので、心は明らかである。調べがしめやかで、澄んでおり、思い入っている気分をあらわしている。調べによって生きている歌である。 
 
2428 千早人《ちはやびと》 宇治《うぢ》の渡《わたり》の 速《はや》き瀬《せ》に 逢《あ》はずありとも 後《のち》は我《わ》が妻《つま》
    千早人 宇治度 速瀬 不相有 後我※[女+麗]
 
【語釈】 ○千早人宇治の渡の 「千早人」は、ちはやぶる人で、勇猛なる人。「宇治」へ続くのは、ちはやぶるを、うちはやぶるともいうので、同意語を重ねる意で続けた枕詞。「宇治の渡」は、宇治川の渡津。○速き瀬に 水勢の早い瀬によってで、そうした所は渡り難い意でいっているもの。初句よりこれまでは、超え難い障りがあってということの譬喩の意のものであるが、譬喩の形とはせず、目に見る状態から直接に感じ取った形としたものである。○逢はずありとも後は我が妻 今は逢わずいようとも、後にはわが妻である。
【釈】 宇治川の渡りの早い瀬のために渡りかねて、今は逢えずいようとも、後にはわが妻である。
【評】 この歌は、宇治の辺りに住んでいる男の、同じくその辺りの女と関係を結んだが、強力な妨げが起こって違えずにいる(53)女に、後を誓う心をもって贈った歌である。初句より三句までは、女の周囲の者の譬喩であるが、それは女も知っているものなので、眼前をいうことによって暗示しているのである。初二句は序詞のごとき形にしているが、実は実境の描写で、それがただちに譬喩の暗示となっているのは、この場合そうせざるを得ないもので、そこにかえってすぐれた技巧がある。含蓄あり、力あるすぐれた歌である。
 
2429 愛《は》しきやし 逢《あ》はぬ子《こ》ゆゑに 徒《いたづら》に 宇治川《うぢがは》の瀬《せ》に 裳裾《モスソ》潤《ぬ》らしつ
    早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤
 
【語釈】 ○愛しきやし逢はぬ子ゆゑに 「愛しきやし」は、可愛ゆいで、「子」にかかる枕詞であるが、独立句のごとく用いている。「逢はぬ子ゆゑに」は、我に逢わない女のゆえに。○裳裾潤らしつ 裳の裾を濡らしたで、徒渉の侘びしさをいったもの。「裳」は女の物で、男の物ではない。男の歌であるから、いかがである。
【釈】 可愛ゆい、我に逢わない子のゆえに、いたずらに、宇治川の瀬の徒渉で、裳の裾を濡らした。
【評】 懸想している女の許へ、宇治川を徒渉して逢いに行き、逢えずに帰った夜の愚痴である。結句の「裳裾」は通じない。ふとした誤りともいうべきであろう。
 
2430 宇治川《うぢがは》の 水泡《みなわ》逆《さか》まき 行《ゆ》く水《みづ》の 事《こと》反《かへ》らずぞ 思《おも》ひ始《そ》めてし
    是川 水阿和逆纏 行水 事不反 思始爲
 
【語釈】 ○水泡逆まき行く水の 水泡が逆捲いて流れて行く水のようにで、三句まで「反らず」にかかる序詞。○事反らずぞ思ひ始めてし 「事反らず」は、この事は中途では引き返さないと決心して思い始めたことである。
【釈】 宇治川の水泡が逆捲いて流れてゆく水のように、決して中途では引き返すまいと決心して思い始めたことであった。
【評】 宇治川の辺りに住んでいる男の、その懸想した女が応じそうもなく、失望に終わろうとする時、我と我を励ましていった心のものである。初句より三句までは序詞の形になっているが、譬喩と異ならないもので、それが一首の重点ともなってい(54)る。昂奮した心と強い調べと相俟って、さわやかな歌となって  いる。
 
2431 鴨川《かもがは》の 後瀬《のちせ》静《しづ》けみ 後《のち》も逢《あ》はむ 妹《いも》には我《われ》は 今《いま》ならずとも
    鴨川 後瀬靜 後相 妹者我 雖不今
 
【語釈】 ○鴨川の後瀬静けみ 「鴨川」は、京都市を流れる賀茂川とする説もあるが、新村出氏は木津川の一部で京都府相楽郡加茂町付近を流れる時の称であるとされた。「後瀬」は、下流。「静けみ」は、静かにで、状態をいったもの。後瀬の「後」を、同音で「後」にかけて、二句までその序詞。○後も逢はむ 後にも逢おうで、夫婦関係の結ばれた上でいっているもの。
【釈】 鴨川の後瀬は静かである、その後にも逢おう。妹には我は、今でなくとも。
【評】 鴨川の渓流をなしている辺りに住んでいる男の、同じ地の女と関係を結び、女の周囲に妨害があって逢い難くしている時に、女を慰めて贈った形のものである。「鴨川の後瀬静けみ」は、上の(二四二八)「千早人宇治の渡の」と同じく、女の周囲の者を恨む語をいうまいとのもので、したがって、「静けみ」といわなければ意味をなさないものである。序詞としてのかかりは「瀬」だけであるが、この「静けみ」が気分の上で「後も逢はむ」に重く関係しているので、その点甚だ巧妙である。四、五句も、柔軟であるとともに屈折をもっていて、上に調和しうるものである。手腕のすぐれた歌である。
 
2432 言《こと》に出《い》でて 云《い》はばゆゆしみ 山川《やまかは》の 激《たぎ》つ心《こころ》を 塞《せ》きあへてあり
    言出 云忌々 山川之 當都心 塞耐在
 
【語釈】 ○言に出でて云はばゆゆしみ 「言に出でて云はば」は、口に出して人にいうのは憚りがあるので。○山川の激つ心を 山川のように激する心を。○塞きあへてあり 諸注、訓が異なっている。『総釈』の訓。「塞きあへ」は、強いて塞きとめる。「塞き」は、「激つ」の縁語。
【釈】 口に出していうのは憚りがあるので、山川の水のように激する心を、強いて塞きとめていることである。
【評】 片恋の苦しさであるか、あるいは女に妨げがあって逢い難いのか、とにかく恋の苦しさがきわまって胸に余り、口外したい衝動に駆られるが、決して口外しまいと堪えている気分である。周囲の事情には触れず、それより起こる気分だけをいお(55)うとしているもので、人麿歌集の特色をもった歌である。直線的な強い調べが気分の具象となっている。
 
2433 水《みづ》の上《うへ》に 数《かず》書《か》く如《ごと》き 吾《わ》が命《いのち》を 妹《いも》に逢《あ》はむと 誓約《うけ》ひつるかも
    水上 如數書 吾命 妹相 受日鶴鴨
 
【語釈】 ○水の上に数書く如き吾が命を 「水の上に数書く」は、『代匠記』は、『涅槃経』に「是身無常、念念不v住。猶如2電光暴水幻炎1、亦如2画v水随画随合1」から出ていて、その「画水」以下を取ったのだといっている。最も消えやすいものの譬喩である。「命を」は、命であるのに。○誓約ひつるかも 「誓約ひ」は、斎戒して神意を招じ、神力によって必ずかくあるべしと期することである。
【釈】 水の上に数を記すがごとく消えやすいわが命であるのに、それを、妹に逢おうと思って、神に祈って誓いを立てたことである。
【評】 妹のために長生きをしようとの心である。はかない生命と意識しながらも、妹のためには長生を祈ったという矛盾を感慨をもっていったのである。前半は仏説、後半は上代信仰という矛盾がある。時代相の反映である。仏説の引用は巧みである。
 
2434 荒磯《ありそ》越《こ》え 外《ほか》ゆく波《なみ》の 外《ほか》ごころ 吾《われ》は思《おも》はじ 恋《こ》ひて死《し》ぬとも
    荒礒越 外徃波乃 外心 吾者不思 戀而死鞆
 
【語釈】 ○荒磯越え外ゆく波の 「荒磯」は、旧訓「あらいそ」。『略解』の訓。海辺の現われている岩。荒磯を乗り越えて、海の外までもゆく波ので、同音反復で、下の「外」へかかる序詞。○外ごころ吾は思はじ 「外ごころ」は、他人を思う心。「吾は思はじ」は、われはもつまいで、当時の語法。
【釈】 荒磯を越して外までもゆく波の、その外ごころは我はもつまい。恋いて死のうとも。
【評】 夫婦関係にはなっているが、女の身辺に障りがあって逢い難くしている男の、女を安心させ、わが誠実を示そうとして贈った歌である。「荒磯越え外ゆく波の」は、住地の関係からいったものであるが、それよりも気分のほうを主としてのものである。そうした場合には、男は外ごころも起こしやすいもので、女の不安もそこにかかっているからである。序詞が主となっている歌といえる。以下七首は、海に寄せてのものである。
 
(56)2435 淡海《あふみ》の海《うみ》 おきつ白浪《しらなみ》 知《し》らねども 妹《いも》がりといへば 七日《なぬか》越《こ》え来《き》ぬ
    淡海々 奧白浪 雖不知 妹所云 七日越來
 
【語釈】 ○淡海の海おきつ白浪 近江の海の沖の白浪で、「白」を同音反復で、「知ら」にかけての序詞。○知らねども 妹の心は知られないけれどもで、逢うか逢わないか不明な意。○妹がりといへば七日越え来ぬ 妹の許へ行くと思うので、七日も海や山を越えて来た。
【釈】 淡海の海の沖の白浪の、その心は知られないけれども、妹の許へと思うので、七日も海や山を越えて来た。
【評】 近江の湖辺に住んでいる男が、同じく湖辺のやや遠い所に住む女に懸想して、七日を通って思いの遂げられない時に、訴えの心をもって詠んで、女に贈った形のものである。「淡海の海おきつ白浪知らねども」は、その通い路に見る湖を捉えてのもので、沖のほうの状態は知られない意であるが、それに寄せて女の心の知られないことをいっているものである。「妹がりといへば七日越え来ぬ」は、女がそのようであるにもかかわらず、女を深く思い、どうでもと思い詰めていることをあらわしているものである。求婚の歌としては、庶民に似合わしくないまで上品な、気分的なものである。
 
2436 大船《おほふね》の 香取《かとり》の海《うみ》に 碇《いかり》おろし 如何《いか》なる人《ひと》か 物《もの》念《おも》はざらむ
    大船 香取海 慍下 何有人 物不念有
 
【語釈】 ○大船の香取の海に 「大船の」は、楫取と続け、香取に転じての枕詞。「香取の海」は、巻七(一一七二)「何処にか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆこぎ出来し船」とあり、琵琶湖の中、高島郡に接している海の称で、今は伝わらない。○碇おろし 船を止めて。「碇」の「いか」を、同音反復で「如何」にかけ、初句よりこれまでその序詞。○如何なる人か物念はざらむ どういう人が物思いをしないでいるだろうか。
【釈】 大船の香取の海に碇をおろして、その碇というに因みのある、いかなる人が物思いをしないでいるだろうか。
【評】 香取の海に碇をおろした人が、その碇が縁となって、どういう人が物思いをしないでいられるだろうかと訝かっていった心である。それは、人は誰でも物思いをせずにはいられないものだとする心からの許かりである。これは言いかえると、人々は執着があり、執着は必ず物思いを伴うもので、異語同意だとする心である。「碇おろし如何なる人か」の続きは、同音反復とはいえ飛躍の大きいもので、語つづき自体が興味的なものである。本義の「如何なる人か物念はざらむ」も、心としては(57)沈痛なものであるが、一般的な心であり、一首全体として見ても、心は平明に、調べは滑らかで、むしろ明るい感じを与えるものである。謡い物として詠んだ歌と思われる。気分本位の歌で、口を衝いて出た趣のある、快い作である。
 
2437 沖《おき》つ藻《も》を 隠《かく》さふ浪《なみ》の 五百重浪《いほへなみ》 千重《ちへ》しくしくに 恋《こ》ひわたるかも
    奧藻 隱障浪 五百重浪 千重敷々 戀度鴨
 
【語釈】 ○沖つ藻を隠さふ浪の 「沖つ藻」は、沖に生えている藻。「隠さふ」は、「隠す」の連続で、隠し続けている浪の。○五首重浪 限りなく立ち続く浪を具象的にいったもの。「五百重」を、それに類する「千重」と続けて、初句よりこれまでは、その序詞。○千重しくしくに 「しくしくに」は、重ね重ねに。○恋ひわたるかも 恋い続けていることであるよ。
【釈】 沖に生えている藻を隠しつづけている五百重の浪のように、千重に重ね重ねに恋いつづけていることであるよ。
【評】 男の、妹を恋いつづけている気分を、海の浪に寄せていったもので、類想の多いものである。しかし沖の浪をいっているのは、ある程度の新味のあるものである。一首の語続きが重く緩やかで、沖の浪のうねるがような調子を帯びている。そこが技巧になっている歌である。謡い物に近い詠み方である。
 
2438 人言《ひとこと》は 暫《しま》しぞ吾妹《わぎも》 繩手《つなで》引《ひ》く 海《うみ》ゆ益《まさ》りて 深《ふか》くしぞ念《おも》ふ
    人事 ※[斬/足]吾味 繩手引 從海益 深念
 
【語釈】 ○人言は暫しぞ吾妹 人の噂はしばらくの間のものであるぞ、吾妹よ、と呼びかけてのもの。○繩手引く海ゆ益りて 「繩手引く」は、「繩手」は、船の引綱で、袖に着けて陸から引くもの。海の状態としていったもの。「海ゆ益りて」は、海よりも増さって。
【釈】 人の噂はしばらくの間のものであるぞ、吾妹よ。我は、繩手を引く海よりも増さって、深く思っていることである。
【評】 海近い辺りに住んでいる男女で、その関係が人の噂にのぼって、逢い難くしている時、男が女を慰めていったものである。人言はしばしのものであるから、辛抱して待てといい、逢えずにいてもわが心は、海よりも深いと力づけたのである。「繩手引く海ゆ益りて」は新味がある。落ちついた、情味ある歌である。
 
(58)2439 淡海《あふみ》の海《うみ》 奥《おき》つ島山《しまやま》 奥《おく》まけて 吾《わ》が念《も》ふ妹《いも》に 言《こと》の繁《しげ》けく
    淡海 奧嶋山 奧儲 吾念妹 事繁
 
【語釈】 ○奥つ島山 『延喜式』神名帳に奥津島神社とある。近江国蒲生郡島村(現在、滋賀県近江八幡市)の海岸から十余町の沖である。「島山」は、島にある山。「奥」へ同音反復でかかり、初二句その序。○奥まけて ここに見えるのみの語で、心深めて。巻六(一〇二四)の「奥まへて」と意味は同じ。○言の繁けく 人の噂の繁きことよと、詠嘆したもの。
【釈】 近江の海の奥つ島山、それに因みある、心深めてわが思っている妹に、人の噂の繁きことよ。
【評】 「淡海の海奥つ島山」は、この男女の住地に関係があるとして捉えているものであるが、男としては、奥つ島に祈って結んだ関係という意で捉えて、「奥まけて」に続けたものである。気分をもった序詞である。
 
2440 近江《あふみ》の海《うみ》 沖《おき》こぐ船《ふね》に 碇《いかり》おろし 蔵《をさ》めて公《きみ》が 言《こと》待《ま》つ吾《われ》ぞ
    近江海 奧滂船 重下 藏公之 事待吾序
 
【語釈】 ○近江の海 「近江」という用字は人麿歌集として初出のものである。従来「淡海」とのみ書いていたのを、この文字にしたのは、奈良朝の初期、諸国の地名に好字を選んで用いさせた時の字ではないかといわれている。○碇おろし 初句よりこれまでは、譬喩の意で「蔵め」にかかる序詞。○歳めて公が言待つ吾ぞ 「蔵めて」は、『新訓』の訓。心を静めてで、乱れての反対。努めてしている意である。心を静めて公の返事を待っているわれであるよ。この「公」は、一首の作意から見ると、男が女に対していっている敬称である。男が女を君と称するのは、奈良朝に近い頃から見え出したことだとされている。しかし人麿歌集には例のないもので、これが初めてであり、したがって問題になることである。男が女に対して敬語を使うのは古くからの慣習であり、ことにこの場合は、女は関係の結ばれていない、第三者的な存在であるから、心理的には不自然とはいえず、ありうべきことといえるものである。
【釈】 近江の海の沖を漕ぐ船が碇をおろしてその動揺を鎮めるように、今は思い鎮めて、公の返事を待っているわれであるよ。
【評】 この歌は、男が求婚をして、心を尽くして相応な間を過ごしたが、女が応じないので、絶望に近い気分で女に贈った歌である。「近江の海沖こぐ船に碇おろし」は、男女とも湖辺の人で、そうしたことを熟知しているところからの譬喩であって、男の動揺している心を強いて取り鎮める意のもので、訴えをもったものである。「公」は問題になる称であるが、一首の作意(59)から見ると、男の女をさしての敬称と見なければ通じなくなる。場合がら、訴えの気分をもっているものであるから、そう解すべきだと思う。「近江」という用字も、このことを支持するものである。そうした場合の歌とすると、適切で、余意をもった、品位ある歌である。
 
2441 隠沼《こもりぬ》の 下《した》ゆ恋《こ》ふれば すべを無《な》み 妹《いも》が名《な》告《の》りつ ゆゆしきものを
    隱沼 從裏戀者 無乏 妹名告 忌物矣
 
【語釈】 ○隠沼の下ゆ恋ふれば 「隠沼の」は、水草に蔽われて、水の出入り口も知れない沼で、水が表面に見えずに動いている意で、「下」へかかる枕詞。「下ゆ恋ふれば」は、心の中を通して、表面にあらわさずに恋うていると。○すべを無み 心を紛らす術が無いので。○ゆゆしきものを 旧訓。憚るべきことであるのに。
【釈】 隠沼の水のように、心の中でのみ恋うていると、やるせがないので、つい妹の名を口にしてしまった。憚るべきことだのに。
【評】 恋に陶酔している若い男の心である。厳秘にすべき妹の名を、衝動に駆られてつい口にしてしまい、心付いて悔いている心で、心理の自然が味わいをなしている。
 
2442 大土《おほつち》も 採《と》り尽《つく》さめど 世《よ》の中《なか》の 尽《つく》し得《え》ぬものは 恋《こひ》にしありけり
    大土 採雖盡 世中 盡不得物 戀在
 
【語釈】 ○大土も採り尽さめど 不可能のことを仮想していったもので、下との対照のためである。○恋にしありけり 「けり」は、詠嘆。
【釈】 大地の土も採り尽くすことができようが、世の中の、尽くすことのできないものは、恋というものであるよ。
【評】 嘆きをもっていっている語であるが、警句に近い味わいのものである。「大土も採り尽さめど」は、不可能を想像してのものであるが、大がかりである。仏典などに繋がりのある語であろう。
 
(60)2443 隠処《こもりど》の 沢泉《さはいづみ》なる 石根《いはね》ゆも 通《とほ》りてぞ念《も》ふ 吾《わ》が恋《こ》ふらくは
    隱處 澤泉在 石根 通念 吾戀者
 
【語釈】 ○隱処の沢泉なる 「隠処《こもりど》」は、『新考』の訓。籠もつたところで、物陰となっているところ。「沢泉」は、沢をなしている泉で、そこにある。○石根ゆも通りてぞ念ふ 「石根」は、岩。「根」は、接尾語。「通りて」は、貫き通りてで、上に「石すら行き通るべき」(二三八六)とあると同じな強い心。○吾が恋ふらくは わが恋うることは。
【釈】 物陰となっているところにある、沢をなしている泉の中にある岩を通って、貫き通るような心をもって思っていることであるよ。わが恋うることは。
【評】 男の、懸想している女に贈った歌である。「隠処の沢泉なる石根ゆも通りて」というのは、中心は、「石根ゆも通りて」にあってこれは「石すら行き通る」と同じ心であるが、その石根の所在である「隠処の沢泉なる」は特殊なものである。これは女の住地が溪谷で、そうした景観を見なれているからのことで、それとともに男としては、「沢泉なる石根」は、その泉の湧き出す物として、われもその泉のように「通りて」の意で、思いの強さをあらわしているのである。すなわち特殊な叙景は、男としてはいう必要のあるものなのである。特殊な実景に即して、気分を細かくあらわそうとしているものである。
 
2444 白檀弓《しらまゆみ》 石辺《いそべ》の山《やま》の 常磐《ときは》なる 命《いのち》なれやも 恋《こ》ひつつ居《を》らむ
    白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居
 
【語釈】 ○白檀弓石辺の山の 「白檀弓」は、射を「石」の「い」にかけた枕詞。「石辺の山」は、滋賀県甲賀郡石部町にある磯部山だという。譬喩として「常磐」にかかり、初二句その序詞。○常磐なる命なれやも 「常磐なる」は、永久に存在する。「命なれやも」は、「や」は、係助詞で、反語となっている。命であろうか、それではない。○恋ひつつ居らむ 「恋ひつつ」は、恋の状態を続けつつで、結婚前の心。「居らむ」の「む」は、「や」の結で、いられようか。
【釈】 白檀弓を射るに因む、石辺の山のように、永久に存在する命であろうか、恋いつづけてはいられない。
【評】 石辺の山の麓に住む男の、その地の女に求婚して、女が応じないのにじれて贈った歌である。物言いが直截で、荒く、(61)庶民的な点が特色である。
 
2445 淡海《あふみ》の海《うみ》 沈著《しづ》く白玉《しらたま》 知《し》らずして 恋《こひ》せしよりは 今《いま》こそ益《まさ》れ
    淡海ゝ 沈白玉 不知 從戀者 今益
 
【語釈】 ○沈著く白玉 海底に付いている白玉で、鰒玉、真珠。「白」を、同音反復で「知ら」へ懸け、初二句その序詞。○知らずして恋せしよりは 「知らずして」は、見ずにいて憧れていた時よりは。○今こそ益れ 関係を結んでの今のほうが恋が増さったことである。
【釈】 近江の海の海底に沈んでいる白玉というに因む、顔を見ずして憧れていた時よりも、相見ての今のほうが恋が増さったことである。
【評】 結婚後、男が女に贈った歌である。やや身分ある者は、結婚するまで顔を合わせることがなかった時代とて、この心は儀礼ではなく、実感の伴ったものだったのである。序詞は同音でかかっているものだが、気分のつながりが深く、譬喩以上のものである。すなおな歌である。
 
2446 白玉《しらたま》を 纏《ま》きてぞ持《も》てる 今《いま》よりは 吾《わ》が玉《たま》にせむ 知《し》れる時《とき》だに
    白玉 纏持 從今 吾玉爲 知時谷
 
【語釈】 ○纏きてぞ持てる 『略解』の訓。手に巻いて持っていることだ。○知れる時だに その存在を知った時からでも。
【釈】 われは白玉を手に巻いて持っていることだ。今からはわが玉としよう。その存在を知った時からでも。
【評】 白玉は女の譬喩で、男がその女の存在を知るとともに関係を結び、歓喜して歌った形の歌である。「知れる時だに」は、今までその存在を知らなかったのを遺憾に思い、知った今からなりともの意で、「今よりは吾が玉にせむ」と将来を約束する心を強めているものである。内容も詠み方も、宴席にあって、口を衝いて詠んだ形のものである。知ると同時に関係が結べ、昂奮した情に任せて手放しの物言いのできた女は、遊行婦ではなかったかと思われる。上よりずっと近江の湖辺関係の歌であるが、そこは東海方面、北陸方面の要路にあたっていたから自然、遊行婦もいたろうと想像される。
 
(62)2447 白玉《しらたま》を 手《て》に纏《ま》きしより 忘《わす》れじと 念《おも》ひしことは 何時《いつ》か畢《をは》らむ
    白玉 從手纏 不忘 念 何畢
 
【語釈】 ○忘れじと念ひしことは この歓びを忘れまいと、その時に思ったことは。○何時か畢らむ いつ終わることがあろうか、ありはしないの意で、「か」は、反語となっている。
【釈】 白玉を手に巻いた時から、この歓びは忘れまいと思ったことは、いつ終わりがあろうか、ありはしない。
【評】 前の歌と連作の形となっている。前の歌は女に逢った時、これは別れる時の歌であろう。連作と見ないと「何時か畢らむ」が唐突のものとなって据わらないからである。将来を約束する心を、地歩を占めていっている形である。
 
2448 ぬば玉《たま》の 間《あひだ》開《あ》けつつ 貫《ぬ》ける緒《を》も 縛《くく》り寄《よ》すれば 後《のち》逢《あ》ふものを
    烏玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物
 
【語釈】 ○ぬば玉の 「ぬば玉」は、「ひおうぎ」の実で、真黒な玉。普通枕詞として用いられているが、ここは実物で、玉として扱っているのである。○間開けつつ貫ける緒も 「間聞けつつ」は、玉と玉との間を離し離して貫いた緒も。白玉を緒に貫いた物を貴族の女が愛玩すると同じく、これは庶民の女の愛玩物であったとみえる。○縛り寄すれば 『考』の訓。玉と玉との間を括《くく》って合わせると。○後逢ふものを 後から玉と玉とが一つに合うのに。
【釈】 烏玉を、間を離し離して貫いてある緒も、その玉を括り寄せると、後から一つに合うのに。
【評】 これは男の女に贈ったものである。関係の結ばれている男女が、女のほうに妨げが起こって久しく逢えずにいる時に、何とか工夫をして逢えるようにせよとの心を、婉曲に女にいったものである。「ぬば玉」は自分たち、「間開けつつ」は現在の状態、「縛り寄すれば」は工夫、「逢ふ」は男女相逢う意で、「後逢ふものを」と、詠歎を籠めて訴えているのである。完全な譬喩歌である。「ぬば玉の緒」は、ほかに例のない珍しい取材である。
 
2449 香具山《かぐやま》に 雲居《くもゐ》たなびき おほほしく 相見《あひみ》し子《こ》らを 後《のち》恋《こ》ひむかも
(63)    香山尓 雲位桁曳 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨
 
【語釈】 ○香具山に雲居たなびき 「雲居」は、雲が居て。初二句「おほほし」に譬喩でかかる序詞。○おほほしく相見し子らを 「おほほしく」は、はっきしないで、ほのかに。「相見し子ら」は、相逢った可愛ゆい女で、「子ら」の「ら」は、接尾語。
【釈】 香具山に雲がなびいて、はっきりしない、そのようにほのかに見た可愛ゆい女を、後に恋うることであろうか。
【評】 藤原京の路上ででも見かけた女の可愛ゆさから、後から思い出して恋うることだろうと推量した心である。若い京の男のもちそうな心である。以下六首、雲に寄せてのもの。
 
2450 雲間《くもま》より さ渡《わた》る月《つき》の おほほしく 相見《あひみ》し子《こ》らを 見《み》むよしもがも
    雲間從 狭※[人偏+經の旁]月乃 於保々思久 相見子等乎 見因鴨
 
【語釈】 ○雲間よりさ渡る月の 「雲間より」は、雲の間を。「より」は、位置を示すもので、「を」の意。「さ渡る」は、「さ」は、接頭語で、移って行く月の。はっきりしない意で「おほほしく」と続き、初二句その序詞。○見むよしもがも 見る方法がないだろうかなあ、見たいものだで、「もがも」は、願望。
【釈】 雲の間を移ってゆく月のはっきりしない、それに因みのある、はっきりしない状態で逢った可愛ゆい女を、見る方法がないものだろうかなあ、見たいものだ。
【評】 心としては、上の歌に続いたがごときものである。二首とも、上に類想の歌があった。
 
2451 天雲《あまぐも》の 寄《よ》り合《あ》ひ遠《とほ》み 逢《あ》はねども 異手枕《ことたまくら》を 吾《われ》纏《ま》かめやも
    天雲 依相遠 雖不相 異手枕 吾纏哉
 
【語釈】 ○天雲の寄り合ひ遠み 天の雲と雲とが寄り合う所のように遠くて。「寄り合ひ」までの九音は、「遠み」の序詞である。この二句は、「天地の依り合ひの極み」の成句によったもので、その時間の距離をところの距離としたものである。○逢はねども 妹と逢わずにいるが。○異手枕を吾纏かめやも 妹と異なった手枕をわれは巻こうか巻きはしない。「や」は、反語。
(64)【釈】 天雲の寄り合っている所のように遠くて、逢わずにいるけれども、異なった手枕をわれは巻こうか巻きはしない。
【評】 旅に出ている男の、家にある妻にその誠実を誓って贈った形の歌である。「天雲の寄り合ひ遠み」は、「天地の依り合ひの極み」の連想される語で、永久にという気分を与える語である。「異手枕」は、感覚的で、簡潔で、他に用例のないものであって、妻にいう語としては適切な語である。手腕の非凡を思わせる歌である。
 
2452 雲《くも》だにも しるくし発《た》たば 意遣《こころや》り 見《み》つつもをらむ 直《ただ》に逢《あ》ふまでに
    雲谷 灼發 意追 見乍爲 及直相
 
【語釈】 ○雲だにもしるくし発たば せめて雲でも著しく立ったならば。○意遣り見つつもをらむ 「意遣り」は、苦しい心を遠くへやることで、心紛らしを。「見つつもをらむ」は、原文「見乍為」の為は『考』は「居」の誤りとしたが『全註釈』は「為」のままで「を」と訓めるといっている。雲を見つついよう。○直に逢ふまでに 直接に逢うまでは。
【釈】 せめて雲でも著しく立ったならば、心紛らしを、それを見つつしていよう。じかに逢うまでは。
【評】 旅に出ている男の、家の妻を思っての心である。物思わしい心から空を眺めていたが、雲も見えないので、せめて雲でも立っていれば、見て心紛らしをしようと思ったのである。「雲だにもしるくし発たば」は、慰めのまるきり無い境と、そうした境にも、慰めを求めている気分とが、微妙に具象されている。これが一首の中心である。
 
2453 春楊《はるやなぎ》 葛城山《かづらきやま》に 発《た》つ雲《くも》の 立《た》ちても坐《ゐ》ても 妹《いも》をしぞ念《おも》ふ
    春揚 葛山 發雲 立座 妹念
 
【語釈】 ○春楊葛城山に 「春楊」は、春の楊を蘰とする意で、葛城にかけた枕詞。「葛城山」は、奈良県北葛城郡から、御所市、五条市に及び、大和河内の国境をなす連山で、藤原京から見られる山。○発つ雲の 同音反復で、「立つ」にかかり、初句よりこれまでその序詞。
【釈】 春の楊をかずらとする、その葛城山に立つ雲のように、立っても居ても、妹を思うことである。
【評】 「春楊葛城山に発つ雲の」の序詞によって成り立っている歌で、四、五句は成句である。目に見る葛城山の景観が明る(65)く快く、それに刺激されての感であろう。
 
2454 春日山《かすがやま》 雲居《くもゐ》隠《かく》りて 遠《とほ》けども 家《いへ》は念《おも》はず 公《きみ》をしぞ念《おも》ふ
    春日山 雲座隱 雖遠 家不念 公念
 
【語釈】 ○春日山雲居隠りて 春日山が雲に隠れて。「春日山」は、旅にあって、大和国の目標としてのもの。「雲居」は、雲。○遠けども 遠いけれども。○家は念はず公をしぞ念ふ 自分の家は恋しいと思わず、夫のほうが恋しい。
【釈】 春日山が雲に隠れて遠いけれども、自分の家は思わずに、公のほうを思うことである。
【評】 何らかの事情で旅に出ている女が、その夫に贈った形の歌である。旅とはいっても、春日山の見える辺りであるから、奈良山を越して山城の地域に入った辺りであろう。女のこととて遠い感じがして、したがって故郷の空が思われるのであるが、思われるのは自分の家ではなく、夫の上だというのである。女性の本性に触れている心であるが、訴えの心も伴っているものであろう。
 
2455 我《われ》ゆゑに 云《い》はれし妹《いも》は 高山《たかやま》の 峯《みね》の朝霧《あさぎり》 過《す》ぎにけむかも
    我故 所云妹 高山 峯朝霧 過兼鴨
 
【語釈】 ○我ゆゑに云はれし妹は 我との関係のゆえに、人から噂をされた妹は。○高山の峯の朝霧 消える意の「過ぎ」に続き、この二句その序詞。○過ぎにけむかも 「過ぎ」は、過去のものとなる意で、死の意に慣用されている語。「に」は、完了。「けむ」は、過去の推量。「かも」は、疑問。
【釈】 我との関係のゆえに、人に噂をされたところの妹は、高山の峰にかかる朝霧のように、この世を過ぎて死んでしまったのであろうか。
【評】 旅にあって、故郷の妻の死をやや陵昧な形で聞いた男の感傷である。妻とはいっても、人目を忍んでの関係なので、正確な知らせはなかったものとみえる。関係がそうしたものなので、第一に思い出すのは、「我ゆゑに云はれし」だったのである。「峯の朝霧」は、序詞ではあるが、それを目にしていて、譬喩の心でいっているものである。「かも」の疑問と詠歎が、力強く(66)働いている。
 
2456 ぬばたまの 黒髪山《くろかみやま》の 山草《やまくさ》に 小雨《こさめ》零《ふ》りしき しくしく思《おも》ほゆ
    烏玉 黒髪山 々草 小雨零敷 益々所思
 
【語釈】 ○ぬばたまの黒髪山の 「ぬばたまの」は、黒にかかる枕詞。「黒髪山」は、奈良市法蓮町の北、佐保山の一部で、大和より山城へ越える間道にあたっている。○山草に小雨零りしき 「零りしき」は、降りしきりで、「しき」が類音の「しく」に反復の形でかかり、初句より四句までその序詞。○しくしく思ほゆ 重ね重ね妹が思われる。
【釈】 ぬばたまの黒髪山の山草に、小雨が降りしきっているように、重ね重ね妹が思われる。
【評】 大和から山城方面へ行く男が、黒髪山を小雨の中に越えつつ、別れて来た妻を思う心である。初句より四句までは序詞で、黒髪山そのものの叙景であり、本義は「しくしく思ほゆ」だけで、主格の省かれているものである。この歌は、叙景がただちに気分となっていて、言いかえると、気分の具象が叙景となっているものである。序詞の形を与えているのはそのためである。本義の「しくしく」も気分の表現で、気分の背後にある事実には全然触れていないものである。この詠み方は、相聞の歌でなくては詠めないもので、その傾向のものも往々あるが、それも大体奈良朝に入ってのことである。奈良朝以前にあって、こうした気分本位の歌を、これほどまでに徹底させた歌はないともいえよう。人麿にして初めて遂げうる、非凡な手腕を示した歌である。
 
2457 大野《おほの》らに 小雨《こさめ》降《ふ》りしく 木《こ》の下《もと》に 時《とき》と寄《よ》り来《こ》よ 我《わ》が念《おも》ふ人《ひと》
    大野 小雨被敷 木本 時依來 我念人
 
【語釈】 ○大野らに小雨降りしく 「大野ら」は、「ら」は、接尾語で、大野は広い野。耕作地帯であろう。「小雨降りしく」は、小雨が降りしきっているで、「しく」は、終止形。○木の下に時と寄り来よ 「木の下」は、木陰で、雨宿りをしている場所。「時と寄り来よ」は、旧訓。「時と」は、好い機会として、「寄り来よ」は、雨宿りに寄って来よ。○我が念ふ人 女が関係している男を呼びかけたもの。
【釈】 広い野に小雨が降りしきっている。この木陰に、好い機会として寄って来よ。わが思う人よ。
(67)【評】 庶民の女の歌である。広い耕作地帯へ、部落民が何人か出て耕作をしているおりから、小雨が降り出し、女は逸早く木陰へ雨宿りをして、関係している男が雨の中にいるのに呼びかけていった形の歌である。「時と寄り来よ」は、雨宿りという口実があるので、人目を憚る必要がない。好い機会として一緒にいようで、これが一首の中心である。人麿歌集の旋頭歌に多い、劇的な趣をもった歌である。
 
2458 朝霜《あさじも》の 消《け》なば消《け》ぬべく 念《おも》ひつつ 如何《いか》にこの夜《よ》を 明《あか》してむかも
    朝霜 消々 念乍 何此夜 明鴨
 
【語釈】 ○朝霜の消なば消ぬべく 「朝霜の」は、意味で消にかかる枕詞。「消なば消ぬべく」は、死ぬならば死にゆけと。
【釈】 朝霜のように、命が消えるならば消えてもゆけと思いつつ、どうして今夜を明したものであろうかなあ。
【評】 男の歌である。恋の感傷の甚しいのを、気分として表現しているもので、調べが主になっている歌である。
 
2459 吾《わ》が背子《せこ》が 浜《はま》行《ゆ》く風《かぜ》の いや急《はや》に 急事《はやごと》益《ま》して 逢《あ》はずかもあらむ
    吾背兒我 濱行風 弥急 々事益 不相有
 
【語釈】 ○吾が育子が 結句へ続く。○浜行く風のいや急に 浜を吹く風の甚だ急にで、「いや」は、ここは甚だの意。海から浜へ吹きあげる風は、障害物がないので急なものである。「急に」を「急事」に続けて、この二句その序詞。○急事益して 至急の用事が増して来て、その忙しさから。
【釈】 わが背子は、浜を吹く風の甚だ急なように、至急な用事が増して来て、逢いに来ないのであろうか。
【評】 海岸に生活している男女間の歌で、女は男の遣いに来るのを待っているが、来ないところから、海に関係しての職業をしている者は、臨時に忙しい用事の起こることとて、今もそうした事があって来ないのだろうと推量した心である。「浜行く風のいや急に」の序詞が、生活地帯も、職業状態をもあらわしているのである。庶民生活の実相を捉えている、技巧のすぐれた歌である。
 
(68)2460 遠妹《とほづま》の 振仰《ふりさ》け見《み》つつ 偲《しの》ふらむ この月《つき》の面《おも》に 雲《くも》なたなびき
    遠妹 振仰見 偲 是月面 雲勿棚引
 
【語釈】 ○偲ふらむこの月の面に 我を思って、見ているであろうこの月の面に。
【釈】 遠くにいる妻の、ふり仰いで見つつ、我を思っているだろうこの月の面に、雲よたなびくな。
【評】 月に対して遠くいる人を思うというのは、本能的な感情である。旅にいる男の月を仰いで、家にいる妻もこのようにしていようと思って見やっている心である。調べが美しい。以下五首、月に寄せてのもの。
 
2461 山《やま》の端《は》に さし出《い》づる月《つき》の はつはつに 妹《いも》をぞ見《み》つる 恋《こほ》しきまでに
    山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀
 
【語釈】 ○さし出づる月の わずかにの意の「はつはつ」に続き、初二句その序詞。○はつはつに ほのかに。○恋しきまでに 憧れ心を起こすほどに。
【釈】 山の端にさし出て来る月のように、ほのかに女を見たことである。あこがれ心となるほどに。
【評】 一目ほのかに見たゆえに、憧れ心となるというので、微妙な一点を捉えていっている歌である。「山の端にさし出づる月の」は、譬喩だけではなく、気分となって、女の美しさを暗示している。気分をいおうとしている歌である。
 
2462 吾妹子《わぎもこ》し 吾《われ》を念《おも》はば まそ鏡《かがみ》 照《て》り出《い》づる月《つき》の 影《かげ》に見《み》え来《こ》ね
    我妹 吾矣念者 眞鏡 照出月 影所見來
 
【語釈】 ○まそ鏡照り出づる月の 「まそ鏡」は、真澄みの鏡の意味で「照る」にかかる枕詞。「照り出づる月」は、照って出て来る月。「の」は、の中に。○影に見え来ね 面影になって見えてくれよ。「ね」は、願望。
(69)【釈】 吾妹子が、われを思うならば、真澄み鏡のように照って出て来る月の中に、面影となって見えてくれよ。
【評】 旅にあって、月に対して妻を思っている歌である。人の深く思う心は、何らかの形を取って相手の身に現われるという信仰があったので、真澄みの鏡に酷似している月の面に、妹の面影の見えて来るということは、連想しやすいことだったのである。「我を念はば、見え来ね」というのはその心のものである。「月の影に」という続きは、語続きとしては上手にすぎて無理のあるものであるが、これでよいとしたのは、周知の信仰に立っての事柄だからである。気分の歌で、したがって動きと飛躍のある、美しく厚みある歌である。
 
2463 久方《ひさかた》の 天光《あまて》る月《つき》の 隠《かく》りなば 何《なに》なぞへて 妹《いも》を偲《しの》はむ
    久方 天光月 隱去 何名副 妹偲
 
【語釈】 ○何になぞへて 何に擬してで、月以外には擬すべき物のない意。
【釈】 空に照っている月が隠れて行ったならば、何になぞらえて妹を思おうか。
【評】 ほとんど終夜、妹に擬して対していた月が、西に隠れようとする時の心である。気分の歌で、したがって拡がりのあるものである。
 
2464 若月《みかづき》の 清《さや》かに見《み》えず 雲隠《くもがく》り 見《み》まくぞほしき うたてこの頃《ごろ》
    若月 清不見 雲隱 見欲 宇多手比日
 
【語釈】 ○若月の清かに見えず雲隠り 三日月がはっきりとは見えないで、雲に隠れてで、譬喩の意で「見まく」に続き、初句よりこれまでその序詞。「見まく」以下は、女のことで、同語異義として、転じているからである。○見まくぞほしきうたてこの頃 「見まくぞほしき」は、「見まく」は、「見む」の名詞形で、見たいことであるよ。「うたて」は、いっそうにの意の副詞。さらにこの頃は。
【釈】 三日月がはっきりとは見えずして雲に隠れたように、妹を見たいことであるよ。さらにこの頃は。
【評】 序詞が、譬喩だけではなく、事態の全部を負うているような歌である。しかし同時にそれが気分になっている。人麿歌(70)集の手法である。
 
2465 我《わ》が背子《せこ》に 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》れば 吾《わ》が屋戸《やど》の 草《くさ》さへ思《おも》ひ うらぶれにけり
    我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾來
 
【語釈】 ○草さへ思ひうらぶれにけり 「草さへ」は、草までも。「思ひうらぶれ」は、嘆きに萎れる。「に」は、完了、「けり」は、詠嘆。
【釈】 わが背子をわれが恋うて過ごしていると、わが家の草までも嘆き萎れてしまったことです。
【評】 妻が疎遠にしている夫に訴えたものである。「草さへ思ひうらぶれ」は、類想のあるものであるが、ここは眼前の実景としてのもので、それに一首の語つづきが、素朴に、直線的に、口語と異ならないものであるために、それに支持されて、実感化されている。技巧の無いのが技巧になっている歌である。
 
2466 浅茅原《あさぢはら》 小野《をの》に標繩《しめ》結《ゆ》ふ 空言《むなごと》を いかなりと云《い》ひて 公《きみ》をし待《ま》たむ
    朝茅原 小野印 空事 何在云 公待
 
【語釈】 ○浅茅原小野に標繩結ふ 「浅茅原」は、低く茅の生え続いている原。「小野」は、「小」は、接頭語で、「野」は、上の原を繰り返して強めたもの。「標繩結ふ」は、他人の立ち入ることを禁じるしるしとして繩を続らすことで、これは価値ある物、または神聖な場所に対してすることである。浅茅原に標繩を結うということは、無意味な、ありうべくもないことなので、偽りの譬喩として「空言」に続け、この二句その序詞。○空言を 空しい、実の伴わない言葉をで、から約束を。○いかなりと云ひて どういう約束だと周囲の者にいってかで、あてにならないので、いいようもなく当惑する意。
【釈】 浅茅原の野に標繩を結うようなそら言を、どういう約束だと周囲の者にいって、公を待ったものでしょうか。
【評】 夫婦関係を周囲に披露している妻が、夫が来ようといって、から約束にすることがあるのを恨んで、来ようという案内があった時、駄目を押す心をもって答えた歌と取れる。「いかなりと云ひて」は、自身の守らなければならない面目の、守れないところの苦衷の語であるが、「浅茅原」の序詞は、相当強い皮肉である。ある程度身分のある階級の者の、周囲へ対しての体裁面目ということを主にした心のものである。それとして見ると、複雑な、屈折をもった気分を、単純に言いおおせた、巧(71)みな歌である。以下十九首、草に寄する歌である。
 
2467 路《みち》の辺《べ》の 草深百合《くさぶかゆり》の 後《ゆり》にと云《い》ふ 妹《いも》が命《いのち》を 我《われ》知《し》らめやも
    路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
 
【語釈】 ○路の辺の草深百合の 「草深百合」は、草の高く立った中に咲いている百合の花で、同音反復で「後」に続き、初二句その序詞。○後にと云ふ妹が命を 「ゆり」は、後の古語。いずれ後に逢おうというで、下に続く。
【釈】 路のほとりの草の高い中に咲いている百合の、いずれ後に逢おうという妹の命を、我は知ろうか知りはしない。
【評】 女に求婚して、いずれ後にと婉曲に拒まれた男の昂奮しての心である。「妹が命を」は、いつのことか知れたものではないという恨みを、昂奮の余り誇張していったものである。「路の辺の草深百合の」は、女の境遇と美しさを気分として感じさせる語で、「後」への続きも安らかである。上手な歌である。
 
2468 湖葦《みなとあし》に 交《まじ》れる草《くさ》の 知草《しりぐさ》の 人《ひと》みな知《し》りぬ 吾《わ》が下念《したおもひ》
    湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念
 
【語釈】 ○湖葦に交れる草の知草の 「湖葦」は、港に生えている葦。港は水門で、河口、江などの称。「知草」は、藺《い》であろうという。以上、同音反復で、「知り」にかかる序詞。○吾が下念 わが心中の思いで、秘密の夫婦関係。
【釈】 港の葦にまじっている知草のように、周囲の人が皆知った。わが秘密な夫婦関係は。
【評】 港に住んでいる女の、男との関係を秘密にしていたのが、いつか人に知れ渡ってしまったことをいっているものである。人に知れることは、信仰上では甚しく忌むべきことにしているのに、そうした感を起こさない点、また、「人みな知りぬ」といっている点は、その土地柄を示しているものである。序詞の知草も、その土地を現わすとともに、集団的生活の、噂好きな気分につながりをもっているものである。
 
(72)2469 山萵苣《やまちさ》の 白露《しらつゆ》しげみ うらぶれて 心《こころ》に深《ふか》く 吾《わ》が恋《こ》ひ止《や》まず
    山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止
 
【語釈】 ○山萵苣の 「山萵苣」は、萵苣は、ちしゃで、野菜で、その山地に自生するものとみえる。○白露しげみ 置く露の繁くて萎れる意で、「うらぶれ」と続き、初二句その序詞。○うらぶれて 萎れて。
【釈】 山萵苣が、置く白露が繁くてしなだれるように萎れて、心に深く我は恋うてやまない。
【評】 男に疎遠にされている女の嘆きである。山ちさの繁く置く露にしなだれているのを見て、その嘆きを強めた形の歌である。山ちさを山地の物とすると、女の住地をもあらわしている、例の手法の序詞である。上の港の女の心と比較すると、著しく陰気で、住地の気分をもあらわそうとしているように思われる。
 
2470 湖《みなと》に さ根延【ねは》ふ小菅《こすげ》 しのびずて 公《きみ》に恋《こ》ひつつ 在《あ》りかてぬかも
    湖 核延子菅 不竊隱 公戀乍 有不勝鴨
 
【語釈】 ○湖にさ根延ふ小菅 「湖」は、河口。「さ根延ふ」は、「さ」は、接頭語で、根を這わせている。「小菅」は、「小」は、愛称で、菅。その存在のあらわな意で「しのびず」に続け、初二句その序詞。○しのびずて公に恋ひつつ 隠さずして公に恋いつづけて。隠すべきを、隠すに堪えられなくなった意。○在りかてぬかも 生きているに堪えられないことよ。
【釈】 河口に根を這わせている菅のように、人目に隠さずして公に恋いつづけて、生きているに堪えられないことよ。
【評】 情熱の強い、烈しい気性の女が、恋に昂奮して、人目を憚れずに嘆きをあらわし、生きてもいられない気のすることをいっているものである。「湖にさ根延ふ小菅」は、住地をあらわすとともに、女の恋も嘆きも人目かまはずにあらわしている気分を絡ませているものである。
 
2471 山城《やましろ》の 泉《いづみ》の小菅《こすげ》 おしなみに 妹《いも》が心《こころ》を 吾《わ》が念《おも》はなくに
(73)    山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念
 
【語釈】 ○山城の泉の小菅 「泉」は、相楽郡にある郷名で、今の木津町、加茂町、和束町|瓶原《みかのはら》にわたる地。泉川が流れている。菅はその川の物である。菅の靡く意で、「おしなみ」に続け、初二句その序詞。○おしなみに妹が心を 「おしなみに」は、おしなべてと同意で、通り一ぺんにの意の副詞。この語はここにあるのみである。「妹が心を」は、妹の我に対する心を。○吾が念はなくに われは思わぬことよで、詠嘆してのもの。
【釈】 山城の泉の小菅のように、通り一べんに、妹のわれに対する心をわれは思っていないことであるよ。
【評】 旅びととして、山城の泉の女に関係をもった男の、女に贈った形の歌である。地歩を占めた物言いをしているのは、身分に隔たりを意識してのことと取れる。「山代の泉の小菅」は、女を菅によそえて、愛していっているものである。
 
2472 見渡《みわた》しの 三室《みむろ》の山《やま》の 石穂菅《いはほすげ》 ねもころ吾《われ》は 片思《かたおもひ》ぞする
    見渡 三室山 石穗菅 惻隱吾 片念爲
 
【語釈】 ○石穂菅 巌の上に生えている菅で、山菅。根と続き、以上その序詞。○ねもころ吾は 心の底からわれは。
【釈】 見渡す所にある三室の山の巌の上に生えている菅の、その根に因む、心の底からわれは片思いをしていることである。
【評】 本義は片思いの嘆きであるが、序詞は特殊なものなのである。三輪山の神聖なことはいうまでもなく、菅は神事に用いる物で、ことに石穂の上に生えている清浄な物である。これは相手の女を気分的にいったもので、女は神社に仕えている、身を清浄に保つべき人であったからと思われる。嘆きはそこから起こるのであろう。
 
     一に云ふ、三諸《みもろ》の山《やま》の 石小菅《いはこすげ》
      一云、三諸山之 石小菅
 
【解】 第二、三句の別伝である。「石小菅」は、岩に生えている愛すべき菅である。伝承の間の変化で、起こりやすい程度のものである。「石小菅」のほうがやさしさがある。作意からいうと、このほうが遠くなるのではないか。
 
(74)2473 菅《すが》の根《ね》の ねもころ君《きみ》が 結《むす》びてし 我《わ》が紐《ひも》の緒《を》を 解《と》く人《ひと》はあらじ
    菅根 惻隱君 結爲 我紐緒 解人不有
 
【語釈】 ○菅の根のねもころ 「菅の根の」は、同音で「ね」にかかる枕詞。「ねもころ」は、心の底から。○我が紐の緒を 「紐の緒」は、同意語を畳んで強めたもの。下紐。
【釈】 菅の根のねんごろに君が結んだわが下紐を、君をおいては解く人はあるまい。
【評】 男女逢って別れる時には、互いに下紐を結んでやり合い、逢うとまた解き合うのが習いとなっていて、これはしばしば出た。この歌は、女が男に別れる時、誓いの心をもっていったものである。この別れは当分逢えない別れであったとみえる。それでないとわざとらしいものとなるからである。
 
2474 山菅《やますげ》の 乱《みだ》れ恋《こひ》のみ せしめつつ 逢《あ》はぬ妹《いも》かも 年《とし》は経《へ》につつ
    山菅 乱戀耳 令爲乍 不相妹鴨 年經乍
 
【語釈】 ○山菅の乱れ恋のみ 「山菅の」は、その葉の乱れやすい意で、「乱れ」にかかる枕詞。「乱れ恋」は、思い乱れての恋で、名詞形。心を乱すところの恋で、甚しい恋。「のみ」は、ばかり。
【釈】 山菅のように思い乱れる恋ばかりさせつづけて、逢わない妹であるよ。年は過ぎて行きつつ。
【評】 男が、以前関係があって、ずっと絶えてしまっていた女に、ある時贈った形の歌である。「乱れ恋のみ」といっているのは、男に何らかの理由があったかのようにいおうとする誇張の語である。輪郭的に事を尽くしてはいるが、調子のない歌だからである。「つつ」を二つ重ねているのもわざとらしい。そうした歌とすると一種の技巧のあるものである。
 
2475 我《わ》が屋戸《やど》の 軒《のき》の子太草《しだぐさ》 生《お》ふれども 恋《こひ》忘《わす》れ草《ぐさ》 見《み》るに未《ま》だ生《お》ひず
    我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
 
(75)【語釈】 ○軒の子太草 軒に生える羊歯《しだ》の意であるが、そうした羊歯の種類があるのか、あるいは軒しのぶの類であるか、不明である。○恋忘れ草見るに未だ生ひず 「忘れ草」は、萱草で、身に付けていると物を忘れさせる力があるとして、「恋忘れ草」とも呼んでいた。萱草は軒に生える草ではない。
【釈】 わが宿の軒には羊歯が生えているけれども、恋忘れ草は、見るがまだ生えていない。
【評】 恋の悩みをするのを、我ながら似合わしくないと思う年齢の男が、その住んでいる古家の軒を仰ぎ見ながら、ある時に発した感慨である。「恋忘れ草」は不自然であるが、もともと思想的に、仮想としていっているものである。「見るに未だ生ひず」という物々しい言い方が、感慨の表現となっている。
 
2476 打《う》つ田《た》にも 稗《ひえ》は数多《あまた》に ありといへど 択《え》らえし我《われ》ぞ 夜《よる》一人《ひとり》宿《ぬ》る
    打田 稗数多 雖有 擇爲我 夜一人宿
 
【語釈】 ○打つ田にも稗は数多にありといへど 「打つ田にも」は、諸注、訓が定まらない。西本願寺本の訓。打って、耕作する田。「稗」は、稲にまじって生えるもので、これはその実が、稲の種籾に過ってまじっているからである。稲を害う物として抜き棄てるのであるが、この歌はそこまではいっていず、ただつまらない物としているだけである。その稗が多くあるというが。○択らえし我ぞ 稗として択り分けられた我は。
【釈】 打って耕作する田にも、稗はたくさんあるというが、稗のように択り分けられた我は、夜を独り寝していることだ。
【評】 部落生活をしている女の、男に疎まれている恨みである。自分を田の稗扱いにして、通っても来ないと、夜、独り寝をして恨んでいる心である。稗の譬喩は農民にとってはきわめて適(76)切なもので、ほかよりはうかがえないほどのものである。「夜一人宿る」も直截である。「稗は数多にありといへど」は、自分のごとき扱いを男から受ける女も多いようだがの意で、我と慰めている心である。謡い物を思わせる歌である。
 
2477 あしひきの 名《な》に負《お》ふ山菅《やますげ》 おし伏《ふ》せて 君《きみ》し結《むす》ばば 逢《あ》はざらめやも
    足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉
 
【語釈】 ○あしひきの名に負ふ山菅 「あしひきの」は、山の枕詞を山の意に転用したもの。「名に負ふ山菅」は、山の物という名を負いもっている山菅を。○おし伏せて君し結ばば 「おし伏せて」は、強いて伏せてで、下の結ぶことをする状態。「君し結ばば」は、君が山菅を結んだならばで、木の枝、草を結ぶのは、将来も変わらないことを祈っていることで、ここは男女関係。○逢はざらめやも 逢わなかろうか、逢う。
【釈】 山という名を負いもっている山菅を、強いて伏せて、君が結んで将来を誓うのであったら、我は逢わなかろうか、逢う。
【評】 女が、求婚をした男で、こちらが躊躇するさまをしていると、諦めて手を引こうとしている男に、進んで承諾を示す心で贈った歌である。「あしひきの名に負ふ山菅」は、女の住地が山地であるのと、いわゆる山家育ちという謙遜の心から、自身に譬えていっているもの。「おし伏せて」は、君が勇敢にという意をこめていっているものである。「君し結ばば」も、語少なく心を尽くしている語で、一首技巧のすぐれた歌である。
 
2478 秋柏《あきがしは》 潤和川《うるわがは》べの 細竹《しの》のめの 人《ひと》にしのべば 君《きみ》に勝《あ》へなく
    秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顔面 公無勝
 
【語釈】 ○秋拍潤和川べの 「秋柏」は、『新考』は、秋の柏の葉は、露にうるおって美しい意で、うるおう意で、「うる」にかかる枕詞だと解している。「潤和川べの」は、(二七五四)に「閏八川べの」とあるによったのである。播磨国明石郡伊川谷村の大字に潤和《じゆんな》(神戸市垂水区伊川谷町潤名)というがあり、そこかと『新考』はいい、また駿河国富士郡に潤川《うるいがわ》というがあり(静岡県、富士宮市北西に発し、吉原市、富士市の境を流れ、沼川と合して駿河湾に入る潤井川)、そこかともいうが、不明とすべきである。○細竹のめの 「め」は、『考』は、群《むれ》の約だとしている。「しの」を、同音反復で次の「しの」に続け、初句からこれまではその序詞。○人にしのべば 原文「人不顔面」。「不2願面1」は、義をもって当てた字で、諸注、訓がじつにさまざまである。『考』は「人にしのべば」と訓んでいる。他人に恠《あや》しまれまいとして、堪え忍んでおればで、すなわち何げな(77)いさまをしておれば。○君に勝へなく 君恋しさに堪えられないことよで、名詞形。詠歎をもってのもの。
【釈】 秋柏のうるおっている潤和川のほとりの篠の群れに因みのある、他人に怪しまれまいとして堪え忍んでいると、君恋しさに堪えられないことよ。
【評】 第四句が問題になっている歌であるが、『考』の訓に従えば一応明らかになる。初句より三句までも問題が残っているといえる。諸注によって上のごとく解すと、潤和川のほとりに住んでいる男女間のもので、女が夫婦関係の秘密を守りつついる悩みを男に訴えたもので、きわめて一般性をもった心の歌である。本義は四、五句であるが、「人にしのべば公に勝へなく」の対照は、ほかにも例があり、わかりやすく、調子のよい言い方で、その心にふさわしいものである。序詞も、豊かな感をもったものであるが、その豊かさは叙景であって、下へのかかりは同音反復であるから、実際は単純なものである。要するに形は派手で、心はおおまかで、調子のよい歌である。謡い物系統の歌といえるものである。その心をもって作ったものであろう。
 
2479 さね葛《かづら》 後《のち》も逢《あ》はむと 夢《いめ》のみに うけひぞわたる 年《とし》は経《へ》につつ
    核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍
 
【語釈】 ○さね葛 「さね葛」は、今の美男かずら。分かれた蔓が、後には合う意で、「逢ふ」にかかる枕詞。○夢のみに 夢でだけ逢おうとで、「逢はむ」は、上に譲った形。夢の中でだけ逢おうと。○うけひぞわたる 「うけひ」は、誓いをして祈る意で、それをしつづけていることだ。
【釈】 さね葛のように、後には逢おうと思って、今は夢にだけ逢おうと、誓っての祈りをしつづけていることだ。年は経て行きつつ。
(78)【評】 夫婦関係を結んでいる男女の逢い難い嘆きの歌は多い。この歌もそれであるが、嘆きを鎮めて、落ちついてゆっくりと後を待っている心である。落ちつくのは、その期間は長いものであるが、限りのあるものとしてのことらしい。それだと当時にあっては地方官でなくてはならない。国庁の高くない位置の人の心であろう。
 
2480 路《みち》の辺《べ》の 壱師《いちし》の花《はな》の いちしろく 人《ひと》皆《みな》知《し》りぬ 我《わ》が恋妻《こひづま》は
    路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀嬬
 
【語釈】 ○壱師の花 不明である。今、ぎしぎしと呼ぶ草ではないかという。それだと夏の初めに、淡録の小花を簇《むらが》らせて咲く。同音で「いちしろく」にかかり、初二句その序詞。
【釈】 路のほとりの壱師の花に因みあるいちじるしく、周囲の人は皆知ってしまった。わが恋うている妻は。
【評】 男の歌で、秘密にしていなければならない妻のことを、周囲の人に知られてしまったというのである。しかし嘆きはなく、明るい心でいっているものである。上の(二四六八)「湖葦に交れる草の」も同想の女の歌で、同じく嘆きが無い。夫婦関係に伴う信仰を、忘れかけているごとき心である。陶酔状態でいるためと見るべきであろう。
 
     或本の歌に曰く、いちしろく 人《ひと》知《し》りにけり 継《つ》ぎてし念《おも》へば
      或本詞曰、灼然 人知尓家里 繼而之念者
 
【解】 第四、五句が異なっている。はっきりと人が知ってしまったことだ。続けて思っているので、というのである。こちらには四句にある程度の嘆きがあって、結句は知られたことの説明で、常識化したものとなっている。原文の味わいはない。
 
2481 大野《おほの》らに たどきも知《し》らず 標繩《しめ》結《ゆ》ひて 在《あ》りもかねつつ 吾《わ》がかへり見《み》し
    大野 跡状不知 印結 有不得 吾眷
 
【語釈】 ○大野らにたどきも知らず 「大野らに」は、広い野に。「たどきも知らず」は、手がかりも知られずに。○標繩結ひて わが物のしるし(79)の繩を張って。○在りもかねつつ 在るにも在り得ない気がしつつで、どうにも安心のできない気がしつつ。○吾がかへり見し その場所をわれは顧みたことだ。
【釈】 広い野に、明らかな手がかりもわからずに標繩を張って、在るにも在り得ない気がして、われはそこを顧みたことだ。
【評】 これは純気分の歌で、一首譬喩から成っている歌である。中心は「標繩結ひて」で、これは女をわが物としようと期した意で、「在りもかねつつ吾がかへり見し」は、そうは期したが、何とも心許ない意を具象したものである。これは初二句に続かせたもので、「大野らにたどきも知らず」は、その女がどういう人であるか、まるきり見当も付けられないことの譬喩である。作因は、思いがけずも甚だ心引かれる女を見て、わが物としたいと思ったが、何の手がかりもない頼りない心と思われる。事実を措いて、そこから起こる気分だけをいうのが人麿歌集特有の詠風であるが、この歌はややそれがすぎて、事実に接しる面の少ないものである。しかしさすがにその境を想像させはするものである。
 
2482 水底《みなそこ》に 生《お》ふる玉藻《たまも》の うち靡《なび》き 心《こころ》は寄《よ》りて 恋《こ》ふるこのごろ
    水底 生玉藻 打靡 心依 戀比日
 
【語釈】 ○水底に生ふる玉藻の 「うち靡き」の序詞。
【釈】 水底に生えている藻のように、靡いて心は寄って、君を恋うているこの頃であるよ。
【評】 女の男に贈った歌で、誓いの心をもったものである。序詞は住地を示してもいる。すなおな歌である。
 
2483 敷栲《しきたへ》の 衣手《ころもで》離《か》れて 玉藻《たまも》なす 靡《なび》きか宿《ぬ》らむ 吾《わ》を待《ま》ちがてに
    敷栲之 衣手離而 玉藻成 靡可宿濫 和乎待難尓
 
【語釈】 ○敷栲の衣手離れて 「敷栲の」は、衣の枕詞。「衣手」は、袖。「離れて」は、はなれてで、できずに。○玉藻なす靡きか宿らむ 玉藻のように横たわって寝ているであろうかで、「らむ」は、現在の推量。○吾を待ちがてに 我を待つことができずに。
【釈】 わが手枕ができずに、玉藻のように横たわり寝ていることであろうか。我を待つことができずに。
(80)【評】 妻の許へ行くことのできなかった男が、夜、妻の床の上に寝ている状態を思いやった心である。妻を憐れむ心が主になっているが、自身の恋しさも伴ったものである。自身を抑えて相手のみをいうのは、定まった風で、自身もそれによって生かされているのである。この歌はそれをよく遂げている。
 
2484 君《きみ》来《こ》ずは 形見《かたみ》にせむと 我《わ》が二人《ふたり》 植《う》ゑし松《まつ》の木《き》 君《きみ》を待《ま》ち出《い》でむ
    君不來者 形見爲等 我二人 殖松木 君乎待出牟
 
【語釈】 ○形見にせむと 「形見」は、その人の代わりとして見る物の総称。○君を待ち出でむ 「待ち出でむ」は、待ちつけて逢うだろう。上代は、物の名には、その名にふさわしい実が伴っているものだとする信仰があったので、「松」は待ちつけ得るものとしていっているのである。
【釈】 君が来なかったならば、君の形見としようとて、二人して植えた松の木よ。その名の通りに、君を待ちつけて逢うことだろう。
【評】 男に疎遠にされている女の、男を思う心である。初めは夫の来ない日の慰めに、形見にしようと思った松の木が、そう思っているだけではおっつかず、松という名の通りに、君を待ちつける物になって、君をここへ来させる物になれというのである。当時としては甚だ気の利いた、いわゆる渋い歌であったろう。
 
2485 袖《そで》振《ふ》るが 見《み》ゆべきかぎり 吾《われ》はあれど その松《まつ》が枝《え》に 隠《かく》りたりけり
    袖振 可見限 吾雖有 其松枝 隱在
 
【語釈】 ○袖振るが見ゆべきかぎり 男の袖を振るのが見られうる限りをで、男の別れを惜しむしぐさを、女の見送っている意。○吾はあれど われは戸外に出ているが。○その松が枝に隠りたりけり あの松の枝に夫の姿は隠れてしまったことだ。
【釈】 夫の別れを惜しんで袖を振るのが、見られうる限りを戸外にいたが、夫の姿はあの松の枝に隠れてしまったことだ。
【評】 男女の朝の別れを、女が見送りをするという一点に捉え、それを時間的にあらわしたもので、事実を気分化する傾向の段階的なものである。女の目を通して男の状態をいうという、相手を主とした言い方であるが、現われて来るのは女の心情であ(81)る。抒情をとおして叙事をする、人麿歌集特有の詠み方の歌である。
 
2486 血沼《ちぬ》の海《うみ》の 浜辺《はまべ》の小松《こまつ》 根深《ねふか》めて 吾《わ》が恋《こ》ひわたる 人《ひと》の子《こ》ゆゑに
    珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子※[女+后]
 
【語釈】 ○血沼の海の浜辺の小松 「血沼の海」は、大阪府堺市から岸和田市にかけての海。古くは、摂津にわたってまでの海の称。「浜辺の小松」は、浜に生えている小松で、「根」と続き、初二句その序詞。○根深めて 心を深くしてで、すなわち思い入つて。○人の子ゆゑに 「人の子」は、「人の」は、「人の親」のそれと同じく軽く添えた語。「子」は、女の愛称。かわゆい女のゆえに。
【釈】 血沼の海の浜辺に生えている小松の根のように、思い入ってわれは恋い続けている。かわゆい女のゆえに。
【評】 一般的な心を、平明に詠んだもので、血沼の海べの謡い物を思わせる歌である。
 
     或本の歌に曰く、血沼《ちぬ》の海《うみ》の 潮干《しほひ》の小松《こまつ》 ねもころに 恋《こ》ひやわたらむ 人《ひと》の子《こ》故《ゆゑ》に
      或本謌曰、血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓
 
【語釈】 ○潮干の小松 干潮の潟に立っている松で、根が目に着く意で「ね」と続けた序詞。○ねもころに 心の底から。○恋ひやわたらむ 恋い続けるのであろうかで、「や」は、疑問の係。
【評】 伝承されている中に変わって来たとみえる。原文は平明なものではあるが、現に恋をして、喜びも苦しみも持っているものであるが、これは懸想の心だけのもので、楽しみを想像して追おうかというのである。このほうが一段と平明で、一段と謡い物的である。「潮干の小松」は、強いた趣がある。
 
2487 奈良山《ならやま》の 小松《こまつ》が未《うれ》の うれむぞは 我《わ》が思《おも》ふ妹《いも》に 逢《あ》はず止《や》みなむ
    平山 子松末 有廉叙波 我思妹 不相止者
 
(82)【語釈】 ○小松が末の 「末」は、梢の先の称で、同音で、「うれむぞ」の「うれ」にかかり、初二句その序詞。○うれむぞは 「うれむぞ」は、どうしての意の古語。巻三(三二七)「わたつみの奥《おき》に持ち行きて放つともうれむぞこれが死還生《よみがへ》りなむ」と出た。「は」は、強意の助詞。○我が思ふ妹に逢はず止みなむ わが思う妹に逢わずしてやもうかで、「止みなむ」は「うれむぞ」の結。
【釈】 奈良山の小松の末梢に因みある、どうしてわが思う妹に逢わずにやもうか。
【評】 片思いをして、男の昂奮して、我と我を励ます心のものである。「奈良山の小松」は、女の住む土地と女の状態を暗示しているものである。調べの強さが、その心の直接の現われとなっているものである。
 
2488 礒《いそ》の上《うへ》に 立《た》てる廻香樹《むろのき》 心《こころ》いたく 何《なに》に深《ふか》めて 念《おも》ひ始《そ》めけむ
    礒上 立廻香樹 心哀 何深目 念始
 
【語釈】 ○礒の上に立てる廻香樹 「礒」は、海岸の岩。「廻香樹」の「樹」は、原文「瀧」。『考』は、「瀧」を「樹」の誤写として、今のごとく訓んだ。巻三(四四六)「吾妹子が見し鞆浦《とものうら》の天木香樹《むろのき》は」があり、それと同じであろうとしての訓である。巻十六(三八三〇)に題としての「天木香」を「室の木」と詠んでいる。むろの木は今、ねず、または、ねずみさしと称する木で、漢名杜松。松杉科の常緑喬木で、山野に自生し、葉は針葉で輪生する。夏、小花を開き、実は杜松子といって薬用とする。在り場所の危うげなところから、気分で「心いたく」と続け、初二句、その序詞。○心いたく 「いたく」は痛くで、心の苦しくも。○何に深めて思ひ始めけむ どうして心の底から思い始めたのであったろうか。
【釈】 海岸の岩の上に生えているねずの木の、見るからに心苦しいように、心苦しくも、どうして心の底から思い始めたのであったろうか。
【評】 海岸の岩の上に、海に臨んで立っているねずの木を、多分船の上から眺めて、その頼りなく危うげなさまに胸を打たれると、ただちに、思い入っての苦しい恋をしている自身の状態が、そのねずの木のさまに通っていると客観視させられ、何だってこのような思いをするようになったのだろうかと詠歎したのである。序詞から本文への移りの気分であるように、一首、純気分の歌で、したがって調べが主体となっている歌である。「心いたく何に深めて」と序詞より続けて来る続きに、籠もった重い響がある。瀬戸内海の船旅をしている際の歌であったろう。
 
2489 橘《たちばな》の 下《もと》に我《われ》立《た》ち 下枝《しづえ》取《と》り 成《な》らむや君《きみ》と 問《と》ひし子《こ》らはも
(83)    橘 本我立 下枝取 成哉君 問子等
 
【語釈】 ○橘の下に我立ち下枝取り 橘の木の下に我が立って、下枝を手に取ってで、この枝には実が成るだろうかと思うの意で「成らむや」に続け、初句から三句までを序詞の形としたもの。○成らむや君と問ひし子らはも 「成らむや」は、同音異義で、恋が成り立つであろうかの意。「君と」は、女が男を指しての称で、君よといって。「問ひし子らはも」は、「子ら」は、「ら」は、接尾語で、尋ねたあの可愛ゆい女はよ。
【釈】 橘の木の下に我が立って、その下枝を取って、この実は成るだろうかという、それに因んで、わが恋は成るであろうか君よといって、我に尋ねた、あの可愛ゆい女はよ。
【評】 男の思い出としていっている歌である。この歌の境は特殊なもので、多分一人前になるかならない男女が、橘の木の下で遊んでいて、男は下枝を手に取って、この実は成るだろうかと女に問うと、女は間髪を入れず、成るを恋の成るの意に転じて、私の思いは成るでしょうか君と尋ねた、その時のさまを男は思い出して、あの可愛ゆかった女はよと詠歎しているのである。劇的な情景で、相応に複雑したものを一首の短歌にしている、嘆ずべき技巧のものである。「成らむや」は、歌では女の語となっているが、事としては男のいったことを、女が鸚鵡《おうむ》返しに、同音異義でいったので、序詞に三句を費やしているのもそれを暗示するためである。また、女の語はその年齢をも暗示しているものである。この取材は、人麿歌集に今一度長歌として詠んでいる。巻十三(三三〇九)「物念はず道行き去くも」がそれである。
 
2490 天雲《あまぐも》に 翼《はね》うちつけて 飛《と》ぶ鶴《たづ》の たづたづしかも 君《きみ》坐《いま》さねば
    天雲尓 翼打附而 飛鶴乃 多頭々々思鴨 君不座者
 
(84)【語釈】 ○翼うちつけて 「うちつけて」は、翼を付けてを強くいったもの。高くというを具象的にいったもの。 ○飛ぶ鶴の 「鶴の」は、次の「たづ」へ同音反復でかかり、初句よりこれまでその序詞。○たづたづしかも 「たづたづし」は、たどたどしの古語で、頼りなくおぼつかない意。
【釈】 空の雲に翼を付けて高く飛んでいる鶴に因みのある、たずたずしいことであるよ。君がいらっしゃらないので。
【評】 妻の夫に贈った歌で、夫のいない時は、頼りない感じのする訴えである。序詞は眼に見ての光景で、そのさまの頼もしげなところから捉えたもので、その意味で気分のつながりのあるものと取れる。
 
2491 妹《いも》に恋《こ》ひ 寐《い》ねぬ朝明《あさけ》に をし鳥《どり》の ここゆ渡《わた》るは 妹《いも》が使《つかひ》か
    妹戀 不寐朝明 男爲鳥 從是此度 妹使
 
【語釈】 ○をし鳥のここゆ渡るは 「をし烏」は、鴛鴦鳥で、雌雄最も親しくする鳥。「ここゆ渡る」は、ここを通って飛び渡るのは。○妹が使か 妹が我によこした使であろうかで、「か」は、疑問。
【釈】 妹を恋うて寝ねずに過ごした夜明けに、鴛鴦がここを通って飛び渡るのは、妹の使なのであろうか。
【評】 女に何らかの妨げがあって、逢えずに夜を明かした男の感傷である。「妹が使か」は、感傷よりの感であるが、相思う心は何らかの形で感応し合うという信仰があり、また、鳥に使を連想するのは伝統的な感情であるから、さして甚しいものではない。それよりも男は、雌雄むつまじい鴛鴦にそうした感をつないだことに慰みを感じたのである。鴛鴦は夜は樹上に宿る鳥である。
 
2492 念《おも》ふにし 余《あま》りにしかば 鳰鳥《にほどり》の 足沾《なづさ》ひ来《こ》しを 人《ひと》見《み》けむかも
    念 餘者 丹穗鳥 足沾來 人見鴨
 
【語釈】 ○鳰鳥の足沾ひ来しを 「鳰鳥の」は、かいつぶりのごとくで、枕詞。「足沾ひ来しを」は、巻十二(二九四七)の歌の左注に、この歌が引いてあり、ここは仮名書きで「奈津柴比来乎」と記してあるのによる。「足沾ひ」は、水を分ける意で、甚しく朝露に濡れて来たのを。
【釈】 恋しさを怺《こら》えるに余ったので、鳰鳥のように夜露に濡れて女の家のほうへと来たのを、人が見たであろうか。
(85)【評】 甚しく人目を忍んでいる関係で、男は慎んでいなくてはならないのだが、それがしきれなくて、家を出て来た気分である。逢う逢わないには触れず、人目をおそれることだけをいっている、苦しい気分の表現である。類歌は多いが、気分の具象という点で類を異にしているものである。
 
2493 高山《たかやま》の 峯《みね》行《ゆ》くししの 友《とも》を多《おほ》み 袖《そで》振《ふ》らず来《き》つ 忘《わす》ると念《おも》ふな
    高山 峯行宍 友衆 袖不振來 忘念勿
 
【語釈】 ○高山の峯行くししの 「しし」は、宍の字をあて、その肉を食用とする猪鹿などの総称。群行する習性があるので、譬喩の意で「友を多み」に続け、初二句その序詞。○友を多み 同行者が多いので。○袖振らず来つ 袖を振る別れもしなくて来た。○忘ると念ふな 妹を忘れてのこととは思うなと弁解した意。
【釈】 高山の峰を行く猪鹿のように、同行者が多いので、見る目を憚って袖も振らずに来た。忘れてのこととは思うな。
【評】 男が、多くの同行者とともにほかへ出かけた後、妻に贈った形の歌である。序詞が特殊であるが、女もそうしたことは熟知しているとして用いているものである。男が狩猟者であれば自然なものである。狩猟者でないまでも、そうしたこともする男として詠んだものであろう。
 
2494 大船《おほふね》に 真楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き 榜《こ》ぐ間《ほど》も 極太《ここだく》恋《こひ》し 年《とし》にあらば如何《いか》に
    大船 眞※[楫+戈]繁拔 榜間 極太戀 年在如何
 
(86)【語釈】 ○大船に真楫繁貫き 大きな船に、左右の櫓を多く取付けて。官人の海路の状態。○榜ぐ間も 榜いでいる短い間も。○極太恋し 「極太」は、多量より甚しくに転じた副詞。「恋し」は、妹が恋しい。○年にあらば如何に 一年にわたってのことならばどんなであろうかで、「如何に」の下に「あらむ」が略されている。
【釈】 大船に左右の櫓を繁く取付けて榜いでいる短い間さえも、甚しく妹が恋しい。これが一年にわたったならば、いかに恋しいことであろう。
【評】 官人の航海中の気分であるが、「榜ぐ間も」と「間」に中心を置いての気分で、「極太恋し」によって、妻の住地に向かっていることを暗示しているものである。「年にあらば如何に」も、それに伴っての想像で、この恋しさが一年も続くものであったならばというのである。官人の実感である。
 
2495 たらちねの 母《はは》が養《か》ふ蚕《こ》の 眉隠《まよごも》り 隠《こも》れる妹《いも》を 見《み》むよしもがも
    足常 母養子 眉隱 々在妹 見依鴨
 
【語釈】 ○たらちねの母が養ふ蚕の 「たらちねの」は、母の枕詞。「養ふ蚕」は、蚕。○眉隠リ 繭に当てた字。古くは「まよ」といった。「眉隠り」は、蚕が繭の中に籠もる意で、「隠れる」に反復でかかり、初句よりこれまでその序詞。○隠れる妹を見むよしもがも 「隠れる妹」は、家の中に籠もっている女で、女の常態。「見むよし」は、見る方法。「もがも」は願望。
【釈】 たらちねの母が飼っている蚕の繭隠りをするように、家の内に籠もっている娘を、目に見る方法のほしいものだなあ。
【評】 部落生活をしている者の歌である。男は女に心を寄せて、その家の辺りに立ち、女が家を出て来たら求婚の心を示そうとしているが、出て来ないのを嘆いた心である。序詞は、同音で懸けているものであるが譬喩の意のもので、女の出て来ないのは、母の監督が厳しいためと思い、その気分を絡ませたもので、序詞が生命になっている歌である。蚕は、女の貢物としての真綿を紡《つむ》ぐための業だったのである。
 
2496 肥人《ひびと》の 額髪《ぬかがみ》結《ゆ》へる 染木綿《しめゆふ》の 染《し》みにしこころ 我《われ》忘《わす》れめや
    肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉
 
(87)【語釈】 ○肥人の 「肥人」は、諸注、歴史家の問題としている語であるが、大体明らかになっている。いかなる人かというについては、『令集解』の夷人雑類の一つとして挙げられており、また、『本朝書籍目録』に、「肥人書、唐人書」と並び挙げられているので、わが民族にまじっていた異民族で、肥の国を本拠としていたところからの称である。風俗を異にしていたことが下の続きで知られる。○額髪結へる染木綿の 「額髪」は、『倭名類聚抄』に出ている語で、前髪。「染木綿」は、何らかの色に染めた繊維で、染め得られる点から楮であろうという。それを元結にして結っていたのである。藤原京にいて見てのことで、印象的のものであったろう。「染」を次の「染め」に反復させて、初句よりこれまでその序詞。○染みにしこころ我忘れめや 「染みにしこころ」は、相手に深く思い入った心。「我忘れめや」は、我は忘れようか忘れないで、誓いの心。
【釈】 肥人が額髪を結わえている染木綿のように、深くも思い入った心を我は忘れようか忘れはしない。
【評】 男が女に対してその誠実を誓った歌である。序詞はじつに奇警なものである。肥人は京にあって、何らかの宮廷関係の勤めをもっていたものであったろうか。とにかく、当時の京にあって異風俗を固守していたところから見て、頑強な種族だったとみえる。ここは、その染木綿の珍しさから捉えたもので、珍しくも深く染みにしという意を絡ませているものである。一首、取材は面白く、調べは強くさわやかで、才華を思わせる歌である。
 
     一に云ふ、忘《わす》らえめやも
      一云、所忘目八方
 
2497 隼人《はやひと》の 名《な》に負《お》ふ夜声《よごゑ》 いちしろく 吾《わ》が名《な》は告《の》りつ 妻《つま》と恃《たの》ませ
    早人 名負夜音 灼然 吾名謂 ※[女+麗]恃
 
【語釈】 ○隼人の 「隼人」は喜田貞吉の『隼人考』で考証されている。隼人は、九州南方の種族である。隼は、『唐書倭国伝』に「破邪」とある地で、隼人の名は日本書紀に出ている。薩摩には阿多の隼人が居り、大隅には大隅の隼人がいた。勇猛な種族なので、召されて宮廷の護衛にあたった。○名に負ふ夜声 評判となっている夜の声で、護衛のために、夜、高い声を発したのである。高い声は悪霊を撰う呪力のあるものとしていたのである。高い声の意で「いちしろく」と続け、初二句その序詞。○いちしろく吾が名は告りつ はっきりとわが名は告げたで、女が男に名を告げるのは求婚に応じる意である。○妻と恃ませ 「恃ませ」は、恃めの敬語で、妻として信頼なさいまし。
【釈】 隼人の評判になっている夜声のようにはっきりとわが名を申しました。妻として信頼なさいまし。
(88)【評】 上の男の歌に対して女の答えたもので、われも十分に君の信頼に堪える者だと、誓い返した心である。男が肥人を捉えて「染めにし」の序詞としたのに対し、女も隼人を捉えて「いちしろく」の序詞とし、われも力強くといっているので、技巧としてほとんど劣りを見せないものである。人麿の作か、妻の作かは不明である。並べて見ると、感性の細かさ、調べの冴えで、いささか劣っているようにみえるからである。
 
2498 剣刀《つるぎたち》 諸刃《もろは》の利《と》きに 足《あし》踏《ふ》みて 死《しに》にし死《し》なむ 公《きみ》に依《よ》りては
    釼刀 諸刃利 足蹈 死々 公依
 
【語釈】 ○剣刀諸刃の利きに 「剣刀」は、剣の刀で、剣。両刃になっているもの。「諸刃の利きに」は、その両刃の鋭利な物に。○足踏みて 足を踏んで。○死にし死なむ 死にに死のうで、死を強めていったもの。○公に依りては 公のためには。
【釈】 剣の刀のその両刃の鋭利なのを足に踏んで死にに死にましょう。公のためには。
【評】 妻が夫に対して、その貞実を誓った歌である。女の貞実を誓う歌は多いが、これはその程度のものではなく、まさに献身的なもので、しかも燃ゆるごとき情熱をもったものである。調べもそれにふさわしく、思い詰めた心の強さをあらわしている。その意味では例のない歌である。
 
2499 我妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひし渡《わた》れば 剣刀《つるぎたち》 名《な》の惜《を》しけくも 念《おも》ひかねつも
    我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
 
【語釈】 ○恋ひし渡れば 「し」は、強意。恋いつづけているのでで、恋は片恋である。○剣刀名の惜しけくも 「剣刀」は、名が付いているので、(89)名にかかる枕詞。「名の惜しけく」は、わが名の惜しいこともで、「惜しけく」は、名詞。○念ひかねつも 思うことができなくなった。
【釈】 我妹子に片恋を続けているので、剣刀の名のように、わが名の惜しいと思うこともできなくなった。
【評】 片恋の苦しさに堪えていたのも、大夫の面目を重んじてのことだが、それを思いきれなくなったと、心の推移の一段階を捉えていっている歌である。「剣刀名の惜しけく」が中心となっている歌である。藤原朝時代の心である。
 
2500 朝《あさ》づく日《ひ》 向《むか》ふ黄楊櫛《つげぐし》 旧《ふ》りぬれど 何《なに》しか公《きみ》が 見《み》れど飽《あ》かざらむ
    朝月日 向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽
 
【語釈】 ○朝づく日向ふ黄楊櫛 「朝づく日」は、朝になる日。喜んで向かう意で、向かうの枕詞。「向ふ黄楊櫛」は、「向ふ」は、それを相手にする意で、扱う黄楊の櫛。黄楊櫛は、現在も用いている物である。櫛は油に浸みて古びやすいところから譬喩の意で「旧り」にかかり、初二句その序詞。○旧りぬれど 夫婦関係が久しくなったが。○何しか公が見れど飽かざらむ どうして公は、見るに、見飽かないのでしょうかで、「か」は、疑問の係。
【釈】 朝の日に向かう、そのように向かって扱う黄楊の櫛の旧くなったように、久しい間柄となったが、どうして公は、見る目に見飽かないことでしょうか。
【評】 夫婦関係のすでに久しくなっている妻が、朝、黄楊の櫛を扱いながら、その夫に、楽しさにほほ笑んでいっている歌である。梳っているのは自分の髪ではなく、夫の寝乱れた髪であろう。夫に鏡を持たせて、背後からいっているものかもしれぬ。気分を主とした歌であるから、作意にそうした境があったかと思われる。枕詞をもった序詞が、複雑な気分を暗示している。巧みな歌である。
 
2501 里《さと》遠《とほ》み うらぶれにけり まそ鏡《かがみ》 床《とこ》のへ去《さ》らず 夢《いめ》に見《み》えこそ
    里遠眷 浦經 眞鏡 床重不去 夢所見与
 
【語釈】 ○里遠みうらぶれにけり 旧訓。「眷」を「み」に当てたのである。「里遠み」は、住んでいる里が夫のいる所から遠いので。「うらぶれ(90)にけり」は、夫の来ることが稀れで、心がさびれてしまったことだ。○まそ鏡 まそ鏡のごとくにの意で、「床のへ去らず」に枕詞としてかかる。○床のへ去らず夢に見えこそ 「床のへ去らず」は、床の上を去らずして、いつも。「夢に見えこそ」は、夫は夢に見えてくれよ。
【釈】 夫の里が遠いので、心がさびれてしまったことだ。まそ鏡のように床の上を去らずに、夫は夢に見えて下さい。
【評】 この歌は、事の一点より湧く気分をいう詠み方とは異なって、女が意識的に現状を捉えて説明し、それにつけての願望を述べるという、古風な詠み方である。人麿歌集にもこうした面があるのであるが、要するに取材を活かそうとしての変化である。
 
2502 まそ鏡《かがみ》 手《て》に取《と》りもちて 朝《あさ》な朝《あさ》な 見《み》れども君《きみ》は 飽《あ》くこともなし
    眞鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無
 
【語釈】 ○朝な朝な 「見れ」と続いて、初句より三句まではその序詞。○見れども君は飽くこともなし 見馴れたけれども君は、見飽きることがない。
【釈】 真そ鏡を手に取り持って朝々に見る、そのように見馴れているけれども、君は見飽くことがない。
【評】 単純な、若々しい歌である。序詞は、この夫婦は身分ある者で、初めから夫婦関係が承認されており、夫は毎夜妻の許に通っていることを暗示しているとみえる。さすがに陰影はもっている歌である。
 
2503 夕《ゆふ》されば 床《とこ》のへ去《さ》らぬ 黄楊枕《つげまくら》 いつしか汝主《きみ》を 待《ま》てば苦《くる》しも
    夕去 床重不去 黄楊枕 射然汝主 待困
 
【語釈】 ○夕されば床のへ去らぬ黄楊枕 夜となると床の上を去らずにいる黄楊枕よと呼びかけたもの。「黄楊枕」は、黄楊の木で作った木枕で、貴族的な物だった。○いつしか汝主を待てば苦しも 諸注、訓がさまざまで、誤写説のあるものである。『新訓』の訓。「汝主」を黄楊枕の関係から、「きみ」に当てた字としたのである。「いつしか」は、いつであろうか、早くと待望する意のもの。早くと君を待つと苦しい。
【釈】 夜になると床の上を去らずにいる黄楊枕よ。早くと君を待つと苦しい。
(91)【評】 女が夜、床にあって、その男の来るのを待ち、待ち遠しい苦しさから、自分とともにいる黄楊枕に呼びかけて、その苦しさを訴えたものである。「夕されば床のへ去らぬ黄楊枕」は、平常もそのようになっているものであるが、自身の気分を移入して、枕そのものも君を待っているようにいったので、それが眼目となっている歌である。
 
2504 解衣《ときぎぬ》の 恋《こ》ひ乱《みだ》れつつ 浮沙《うきまなご》 生《い》きても吾《われ》は あり渡《わた》るかも
    解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 有度鴨
 
【語釈】 ○解衣の恋ひ乱れつつ 「解衣の」は、解きほぐした衣で、意味で「乱れ」にかかる枕詞。「恋ひ乱れ」は、一語。恋うに心が乱れつつ。○浮沙生きても吾は 原文「浮沙生吾」。誤写説のある句である。『新訓』は「生」を「浮」の誤写として「浮きても」としているのを、『全註釈』は原文に従って今のように訓んでいる。「浮沙」は、乾いて軽くなった沙の、ある時間水面に浮かんでいる物の称で、ほかにも用例のある語。浮沙のごとくに生きてわれは。○あり渡るかも あり続けていることよ。
【釈】 解いた衣のように恋い乱れながら、水に浮かぶ沙のようにも生きて私は、あり続けていることだなあ。
【評】 男に忘れられた女の、諦められずに夫を思いつつ、生き甲斐もない生き方をしているのを客観視して、嘆いた心である。「浮沙生きても吾は」という譬喩は、新味とともに沈痛味を帯びたものである。じつに得難い続きである。「恋ひ乱れつつ」と融け合って、深さのあるものとなっている。
 
2505 梓弓《あづさゆみ》 引《ひ》きて縦《ゆる》さず あらませば かかる恋《こひ》には 遇《あ》はざらましを
    梓弓 引不許 有者 此有戀 不相
 
【語釈】 ○梓弓引きて縦さず 「引きて」は、弦を引き絞ってで、手放す意の縦すと続け、「引きて」までを序詞としたもの。「縦さず」は、男に心を許さずで、承知しない意。○かかる恋には遇はざらましを こうした苦しい恋には出逢わなかったろうものをで、「まし」は、「せば」の結。
【釈】 梓弓を引絞って手放さないように、男に承知をしなかったならば、こうした苦しい恋には遇わなかったろうものをなあ。
【評】 女の歌で、いったん関係を結ぶと、男は自然冷却し、女は反対に恋情がつのって不満足に感じるところから、それを「かかる恋」といって、関係したことを悔いている心である。「梓弓引きて」は、求婚されていた頃は、女の頑固に拒んでいた(92)ことを暗示するものがあり、陰影となっている。
 
2506 言霊《ことだま》の 八十《やそ》の衢《ちまた》に 夕占《ゆふけ》問《と》ふ 占《うら》正《まさ》に告《の》る 妹《いも》はあひ依《よ》らむ
    事靈 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
 
【語釈】 ○言霊の八十の衢に 「言霊」は、上代信仰のおもなる一つで、人が発する語には、語自体に霊力が宿っており、その語通りの働きを他人に及ぼすものだという信仰である。巻五(八九四)「言霊の幸《さき》はふ国と」とあり、巻十三(三二五四)「敷島の倭の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくありこそ」ともある。「八十の衢」は、「八十」は数多くということを具象していった語で、掛詞になっており、上からの続きは、言霊が多く集うで、下のほうは、その多くの衢である。「衢」は、道股で、十字路となっている所で、したがって人の往来の多いところ。○夕占問ふ 「夕占」は、夕方、道に立ち、往来の人の我には関係なく話して行く語の中に、今我がしようと思っている事の、成否吉凶を判断する占いである。「問ふ」は、尋ねる。○占正に告る 神意はまさしくも現われた。○妹はあひ依らむ 妹は我によるだろうと。
【釈】 言霊の八十と集う、八十の衢に立って、我は夕占を問う。占はまさしくも現われた。妹は我によるだろうと。
【評】 信仰として行なう事なので、それに伴う緊張と熱意をもち、重い心をもってあたっているさまが、詠み方、調べの上にさながらに現われている。一首を三段に切り、輪郭だけをいっているところ、現在法で強い調べでいっているのがすなわちそれである。占を問う心は今も根強く伝わり、形を異にしてさまざまに分かれて行なわれている。
 
2507 玉桙《たまほこ》の 路往占《みちゆきうら》に 占《うらな》へば 妹《いも》に逢《あ》はむと 我《われ》に告《の》りつる
    玉桙 路牲占 々相 妹逢 我謂
 
【語釈】 ○玉桙の路往占に 「玉桙の」は、路の枕詞。既出。「路往占」は、路を往く人の語によってする占いである。
【釈】 路を行ってする占いで占うと、妹に逢うだろうと、我に告げたことである。
【評】 この歌は、事としては上の歌と同じであるが、上の歌は占いの現われた瞬間の心、これはある時間を置いての心である。上の歌によって妹に求婚の交渉をしようと決心し、それを実行に移そうとする時、これは神意の伴っていることだと思って、我と我を励まそうとする心である。二首連作である。
 
(93)     問答
 
2508 皇祖《すめろぎ》の 神《かみ》の御門《みかど》を 懼《かしこ》みと 侍従《さもら》ふ時《とき》に 逢《あ》へる公《きみ》かも
    皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍從時尓 相流公鴨
 
【語釈】 ○皇祖の神の御門を 天皇の歴代の神霊を祀ってある宮をで、宮中にある皇霊殿を。○懼みと侍従ふ時に 「懼みと」は、畏しとしてで、副詞句。「侍従ふ時に」は、奉仕している折に。○逢へる公かも 「公」は、男を指しての称。
【釈】 皇祖の神霊をお祀りしている宮を、懼れ多しとして奉仕している時に、逢ったところの公であるよ。
【評】 宮中の皇霊殿に奉仕する女官が、奉仕しているおりから、夫婦関係を結んでいる男と顔を合わせた時の歌である。男も職務上、宮に参ったのであろう。場所がら、どちらも語をかわすこともできなかったものとみえる。歌はそのさりげなくよそよそしくすることの余儀なさに触れていっているものである。豊かな余裕をもちながら心を尽くしている、力量ある歌である。
 
2509 まそ鏡《かがみ》 見《み》とも言《い》はめや 玉《たま》かぎる 石垣淵《いはがきふち》の 隠《こも》りたる妻《つま》
    眞祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隱而在※[女+麗]
 
【語釈】 ○まそ鏡見とも言はめや 「まそ鏡」は、見の枕詞。神殿に因みがある。「見とも言はめや」は、顔を見るとも、それといおうか言いはしないで、「見とも」は、「見るとも」の古格。古くは連用形から「とも」に接したのである。顔を見ても、見たともいうまいの意。○玉かぎる石垣淵の 玉の光を発する岩の垣を成している淵で、それに籠もる意で、「隠り」にかかる序詞。巻二(二〇七)人麿の歌に出た。○隠りたる妻 秘密にしている妻は。
【釈】 顔を見たともいおうか、いいはしない。玉が光を発する石垣淵のように、秘密にしている妻は。
【評】 右の女の歌に対しての答である。女の職務上、心ならぬさまをしているというのをいさぎよく受け入れて、もとよりあ(94)くまでも秘密にするべきだと、対他的の心をもっていっているのである。おのずから、男女の差がある。枕詞と、枕詞をもった序詞とを用いて、美しく柔らかくいっている歌である。
 
     右二首
 
【解】 右の二首で問答となっている意である。以下も同様である。
 
2510 赤駒《あかごま》の 足掻《あがき》速《はや》けば 雲居《くもゐ》にも 隠《かく》り往《ゆ》かむぞ 袖《そで》巻《ま》け吾妹《わぎも》
    赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隱徃序 袖卷吾妹
 
【語釈】 ○足掻速けば 「足掻」は、馬の歩み。「速けば」は、後世の速ければにあたる古格。速いので。○雲居にも隠り往かむぞ 「雲居に」は、遙かに遠くということを、具象的にいったもの。「隠り往かむぞ」は、遠ざかり往かむぞを、同じく具象的にいったもの。○袖巻け吾妹 「袖巻け」は、袖振れと反対の語で、袖を巻き収めて、振ることをするなの意。上代の袖は、袖口の部分が長かったのである。「吾妹」は、命令。
【釈】 わが乗る赤駒は歩みが速いので、我はたちまち雲居にも隠れて往くことであろうぞ。袖を巻き収めて、振ることをするな吾妹よ。
【評】 男が別れ際に女にいった歌で、答歌で見ると、男は京から泊瀬渓谷へ通って来ての朝の別れである。「袖巻け吾味」が眼目であるが、男のそれをいうのは、別れを惜しんで袖を振る心持は十分に承知している。赤駒の足掻が早いので、それをしても甲斐がない。そのことはするなと、女をいたわっていっているものである。
 
2511 隠口《こもりく》の 豊泊瀬道《とよはつせぢ》は 常滑《とこなめ》の 恐《かしこ》き道《みち》ぞ 恋《こ》ふらくはゆめ
    隱口乃 豊泊瀬道者 常滑乃 恐道曾 戀由眼
 
【語釈】 ○隠口の豊泊瀬道は 「隠口の」は、泊瀬の枕詞。「豊」は、讃えての形容語で、豊葦原、豊旗雲などのそれと同じ。「泊瀬道」は、泊瀬に通じる道。○常滑の恐き道ぞ 「常滑」は、床のごとき大石の並んでいる所の称。巻一(三七)「吉野の河の常滑の絶ゆる事なく」と出た。「恐(95)き道」は、危険な道。○恋ふらくはゆめ 我を恋うることは、決してするなで、危険を冒してみだりに通うことはするなの意。
【釈】 立派な泊瀬道は、床のような大石の並んでいる危険な道ですぞ。私を恋うてみだりに通われることは決してなさいますな。
【評】 右の男の歌に対して、泊瀬の女の答えたものである。女も男の心を信頼して、自身のことは全く閑却し、男が自分を思うとて、泊瀬道の危険を冒して怪我でもすることがあっては大事だと思い、その心から、「恋ふらくはゆめ」といっているのである。「恋ふらく」はみだりに通う意を言いかえたものである。関係の久しい、信頼し合った、互いに相手の上ばかり思い合っている特殊な歌である。
 
2512 味酒《うまさけ》の 三諸《みもろ》の山《やま》に 立《た》つ月《つき》の 見《み》がほし君《きみ》が 馬《うま》の音《おと》ぞする
    味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之音曾爲
 
【語釈】 ○味酒の三諸の山に 「味酒の」は、異語同義で三輪にかかる枕詞であるが、ここは、三輪の山を三諸の山とも称したところから、今は三諸にかけたもの。○立つ月の 現われる月の意で、譬喩として「見がほし」と続け、初句から三句までその序詞。○見がほし君が 見たいと思う君が。○馬の音ぞする 乗馬の立てる音がする。
【釈】 三諸の山に現われる月のように、見たいと思う君の乗馬の音のすることである。
【評】 待っている夫の近づいて来たのを感じての心で、明るい心のものである。「味酒の三諸の山に立つ月の」は、眼前の景を捉えた形のもので、「馬の音」の背景をなすものである。
 
     右三首
 
(96)【解】 三首一|番《つが》いとなっている意の注である。これが原形であったとみえる。事に中心を置き、問答という部立をやや緩やかに見れば、不自然とはいえない歌である。
 
2513 雷神《なるかみ》の 少《すこ》し動《とよ》みて さしくもり 雨《あめ》も零《ふ》らぬか 君《きみ》を留《とど》めむ
    雷神 小動 刺雲 雨零耶 君將留
 
【語釈】 ○雷神の少し勤みて 雷鳴が少し鳴り響いて。○さしくもり雨も零らぬか 「さしくもり」は、「さし」は、接頭語。曇って。「雨も零らぬか」は、雨も降らないか、降ってくれよの意。
【釈】 雷が少し響いて、曇って、雨も降らないか、降ってくれ。君をとどめよう。
【評】 妻が、来ている夫をとどめようとする歌である。「少し動みて」と「少し」という条件を付けてあるのは、妻自身いたく動むのは怖しいからである。謡い物系統の明るい軽い歌である。
 
 
2514 雷神《なるかみ》の 少《すこ》し動《とよ》みて 零《ふ》らずとも 吾《われ》は留《とま》らむ 妹《いも》し留《とど》めば
    雷神 小動 雖不零 吾將留 妹留者
 
【語釈】 略す。
【釈】 雷が少し響いて、雨が降るというようなことはなかろうとも、われはとどまろう。妹がとどめるならば。
(97)【評】 こちらはさらに明るく軽いものである。まさに謡い物に  ふさわしいものである。
 
     右二首
 
2515 布細布《しきたへ》の 枕《まくら》動《うご》きて 夜《よる》も寐《ね》ず 思《おも》ふ人《ひと》には 後《のち》も逢《あ》はむもの
    布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物
 
【語釈】 ○布細布の枕動きて 「布細布の」は、枕の枕詞。「枕動きて」は、している枕が動いてで、しきりに寝返りをすることを客観的にいったもの。○夜も寐ず思ふ人には 夜も眠れずに思っている人には。「人」は、下の続きで、女を指している。○後も逢はむもの 後にも逢おうものを。
【釈】 柔らかい枕が動いて、夜も眠れずに思っている人には、後にも逢おうものを。
【評】 これは男より、その妻である女に贈ったものである。「布細布の枕動きて」という描写はそれにふさわしいものである。夫婦間でこのような誇張した言い方をしているのは、男が、妻に疎遠にしていた後のことと取れる。そのことは答歌が示している。それとすると相応に技巧のある、上手な歌である。
 
2516 しきたへの 枕《まくら》せし人《ひと》 言《こと》問《と》へや その枕《まくら》には 苔《こけ》生《む》しにたる
    敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負爲
 
【語釈】 ○しきたへの枕せし人 問歌を受けて繰り返していっているもので、「布綿布の枕動きて」という、そうした枕をした人がと、夫をよそよそしくいったもの。「人」は、「思ふ人には」を承けたもの。○言問へや 物を言いかけられるのであろうかで、「や」は、疑問。○その枕には苔生しにたる 「その枕」は、夫の枕で、これは妻の許にある物。同じく夫の枕ではあるが、所在が異なった別な物である。しかし枕という語で同じ物のような言い方をしたのである。「苔生しにたる」は、古くなったということを譬喩的にいったものであるが、その古いのは、用いたことのない意である。夫の疎遠にしていることを、枕に寄せて恨んだ意。
【釈】 しきたえの枕動きてという枕をした人が、私に物を言いかけるのであろうか、その人の枕は用いたことがないので、苔が生えたことである。
(98)【評】 女の答歌で、巧妙な歌である。枕に寄せて恨みをいおうとしているので、「枕せし人」という語、また「その枕には苔生し」というような続け方となっているのである。男の歌も気分本位の歌であるが、女の歌はさらにそれの進んだものなので、一見解しやすくないものとなっているのである。問の歌を離れては、全く解し難いものである。
 
     右二首
     以前の一百四十九首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
      以前一百四十九首、柿本朝臣人麿之謌集出。
 
【解】 「以前」は、今の「以上」にあたる語で、すでに用例のあったものである。(二三六八)「たらちねの」以下これまでの歌数と合っている。
 
     正に心緒を述ぶ
 
【標目】 上に同じ部立があるが、人麿歌集は特別の物として扱い、それ以外の歌について、改めて設けたのである。作者未詳の歌百二首を収めている。
 
2517 たらちねの 母《はは》に障《さは》らば いたづらに 汝《いまし》も吾《われ》も 事《こと》や成《な》るべき
    足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成
 
【語釈】 ○母に障らば 母から妨害を受けるならば。夫婦同棲しない習いから、子はすべて母とともにおり、子にとっては母は権力をもった者だったからである。娘の結婚の相手が気に入らない場合には、母(99)は仲を割こうとし、娘は敵しかねたのである。○いたづらに 無駄になっての意で、副詞。○汝も吾も事や成るべき 「汝」は、男が女を指していっているもの。「事や成るべき」は、結婚が遂げられようかで、「や」は、係助詞、反語をなすもの。
【釈】 たらちねの母の機嫌を損じたならば無駄になって、汝も我も結婚が遂げられようか、遂げられない。
【評】 関係は結んだが、女はまだ母に告げず、したがって逢うに不自由なところから、母を軽視するに似たこともしかねなく見えた時、男が戒めていった語である。女の感情一ぺんになっているのを、男は分別心をもっていて言っているのである。語調の強いのは、訓戒だからである。その場合の用向きをいうことだけに力点を置いた詠み方で、気分も抒情味もないもので、一と口にいうと、散文的である。人麿歌集との対照で、このことが著しく目立つ。
 
2518 吾妹子《わぎもこ》が 吾《われ》を送《おく》ると 白細布《しろたへ》の 袖《そで》漬《ひ》づまでに 哭《な》きし念《おも》ほゆ
    吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念
 
【語釈】 ○哭きし念ほゆ 「哭きし」は、泣いたことが。
【釈】 妻がわれを送るとて、白たえの袖の濡れるまで泣いたことが思われる。
【評】 男が旅へ出るなど、当分逢い難い別れをして来た妻を思い出した心である。思い出であるために、おのずから纏まって単純なものとなり、気分の歌となっている。
 
2519 奥山《おくやま》の 真木《まき》の板戸《いたど》を おし開《ひら》き しゑや出《い》で来《こ》ね 後《のち》は何《なに》せむ
    奥山之 眞木乃板戸乎 押開 思惠也出來根 後者何將爲
 
【語釈】 ○奥山の真木の板戸を 「奥山の」は、意味で真木にかかる枕詞。「真木」は、良木の称で、大体檜である。檜で作った板戸を。○おし開き 上代の戸は開き戸であったところからの言い方。○しゑや出で来ね 「しゑや」は、感動をあらわす詞で、ええっというにあたる。「出で来ね」は、出て来てくれ。女に命じたもの。「ね」は、願望の助詞。○後は何せむ 今でなく後に出るのでは何になろう。
【釈】 その檜の板戸をおし開けて、ええっ、出て来てくれよ。後に出るのでは何になろう。
(100)【評】 男が女の家の戸外に立って、女の戸外へ出て来るのを待っている心で、「後は何せむ」は、夜が明け方近く、人目につく怖れがあるので、あせっていっているのである。母の目を盗ん
 
で、戸外で逢おうとしているのである。庶民階級の歌で、上代の男女には珍しくない、むしろ普通のことだったのである。謡い物を思わせる歌である。
 
2520 苅薦《かりこも》の 一重《ひとへ》を敷《し》きて さ眠《ぬ》れども 君《きみ》とし宿《ぬ》れば 寒《さむ》けくもなし
    苅薦能 一重※[口+立刀]敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨
 
【語釈】 ○苅薦の一重を敷きて 「苅薦」は、苅った薦で、それを編んだ蓆の一重を敷いてで、床の薄い意。○さ眠れども 「さ」は、接頭語。○寒けくもなし 「寒けく」は、形容詞「寒し」の名詞形。
【釈】 薦蓆のただ一重を敷いて寝ているが、君と寝ているので、寒いこともない。
【評】 寒くなった頃の女の歌である。共寝の喜びを、その暖かさに置いている歌は、男女ともに多い。綿という物がなく、防寒の法がなかったのである。庶民の歌で、一般性の多いものである。
 
2521 杜若《かきつばた》 丹《に》つらふ君《きみ》を いささめに 思《おも》ひ出《い》でつつ 嘆《なげ》きつるかも
    垣幡 丹頬經君※[口+立刀] 率尓 思出乍 嘆鶴鴨
 
【語釈】 ○杜若丹つらふ君を 「杜若」は、その美しい意で、「丹つらふ」にかかる枕詞。「丹つらふ君」は、顔が紅に照りはえている美しい君。○いささめに思ひ出でつつ 「いささめ」は、率爾にで、端な
(101)く、ひょいひょいと思い出しつつ。○嘆きつるかも 溜め息をついたことであった。
【釈】 杜若の美しいように顔の紅に照りはえている君を、ひょいひょいと思い出しつつ、溜め息をついていたことである。
【評】 男と関係を結んで、ほどもない頃の若い女の、男に贈った形の歌である。恋に満足し、陶酔している気分の表現で、「いささめに思ひ出でつつ」はじつに好い続きである。「嘆きつるかも」の訴えも婉曲で、調和している。「杜若」の枕詞は、その花の頃の事であったろう。
 
2522 恨《うら》みむと 思《おも》ほさく汝《な》は ありしかば 外《よそ》のみぞ見《み》し 心《こころ》は念《おも》へど
    恨登 思狭名盤 在之者 外耳見之 心者雖念
 
【語釈】 ○恨みむと思ほさく汝はありしかば 「思ほさく」は、『代匠記』は、「思ひて背なは」と訓んだのを、『全註釈』は、「狭」は、「さく」にのみ当てる字で、また「背な」は、東国のみの語だとして、今のごとく改めている。「おもほす」の名詞形で、お思いになる。我を恨もうとお思いになってあなたはいたので。○外のみぞ見し よそ見ばかりをしていたことだで、顔をそらしていた意。
【釈】 私を恨もうとお思いになってあなたはいたので、よそ見ばかりしていたことでした。心は思っていますが。
【評】 女が、夫である男に、自分の素振りを怪しまれないために弁明をした歌である。「恨みむと思ほさく汝はありしかば」というのは、男が前夜通って来たが、女は何らかの事情があって逢わなかったというようなことがあり、男はそれを不満に思い、逢って恨もうと、女の許へ来たのである。女はそれと察して、わざと男から顔をそらしていたのであるが、帰った後、根本の心まで疑われるようなことがあってはと懸念して、男に贈った形の歌である。人目をかねることの多かった上代の夫婦生活にあっては、このようなことはありがちなことだったろうと思われる。やや立ち入っての実際に即した歌なので、解し難いものとして、誤写説のある歌である。
 
2523 さ丹《に》つらふ 色《いろ》には出《い》でず 少《すくな》くも 心《こころ》の中《うち》に 吾《わ》が念《も》はなくに
    散頬相 色者不出 小文 心中 吾念名君
 
【語釈】 ○さ丹つらふ色には出でず 「さ丹つらふ」は、上の「丹つらふ」に、「さ」の接頭語の添ったもので、顔に照りはえるで、意味で「色」(102)にかかる枕詞。「色には出でず」は、顔いろには出さずして。○少くも心の中に吾が念はなくに 少なくも心の中にわが思っていることではないで、大いに思っているの意の成句。こうした言い方は伝統のあるもので、魅力があったとみえる。
【釈】 表面には出さない。少なくも心の中にわが思っていることではないことだ。
【評】 男女いずれの心ともいえるものである。とにかく夫婦関係を結んでいる者の歌である。心の広さ、詠み方の平明は、謡い物的である。
 
2524 吾《わ》が背子《せこ》に 直《ただ》に逢《あ》はばこそ 名《な》は立《た》ため 言《こと》の通《かよひ》に 何《なに》ぞそこ故《ゆゑ》
    吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故
 
【語釈】 ○言の通に何ぞそこ故 「言の通」は、言葉を通わすだけに。「何ぞそこ故」は、「そこ」は、「その」の古語。何だってそのゆえにで、名が立つだろうの意を含めたもの。
【釈】 わが背子に、じかに逢ったならば評判も立とう。言葉を通わすにつけて、何だってそのゆえに。
【評】 部落生活にあっては、部落民の男女関係は好んで噂の種にされた。この歌は、女が言葉を通わすだけの関係なのに、早くも評判を立てられているのに対し、訝かり腹立っている心である。「何ぞそこ故」は、調べが一首の気分をあらわしているものである。
 
2525 ねもころに 片念《かたもひ》すれか このごろの 吾《わ》が心利《こころど》の 生《い》けるともなき
    懃 片念爲歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸
 
【語釈】 ○ねもころに片念すれか 心の底から片思いをするゆえであろうか。○吾が心利の 「心利」は、一語で、「利」は、働き。巻三(四五七)に既出。心の働きで、当然具わっているもの。○生けるともなき 「生けると」は、旧訓「いけりと」。『古義』は、本居宣長の説に従い、「いけると」と訓み、「と」は、助詞ではなく名詞だとしているのである。「と」は、上の「利」と同じで、生きている者の働きで、すなわち気働きも失せて、ぼんやりしていることだ。
(103)【釈】 心の奥から、片思いをしているせいであろうか、この頃は、わが本来の心の働きの、生きている者の気働きもないことだ。
【評】 片思いの悩みに心を奪われて、茫然と、死人同様の心になっていることを嘆いた心である。取材の関係もあるが、説明一点張りで、全く具象化のない歌である。
 
2526 待《ま》つらむに 到《いた》らば妹《いも》が 懽《うれ》しみと 咲《ゑ》まむ姿《すがた》を 往《ゆ》きて早《はや》見《み》む
    將待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見
 
【語釈】 ○懽しみと咲まむ姿を 「懽しみと」は、懽しいゆえにとで、うれしいのでとて。
【釈】 待っていように、行ったならば、妹はうれしいのでとほほ笑むだろう姿を、行って早く見よう。
【評】 妻の許へこれから行こうとする男の気分である。一首楽しい気分よりの想像で、その具象化である。語続きも、気分の動くままを口語的に続けたもので、型よりは離れている。心も形もその当時にあって新しいものであったろう。
 
2527 誰《たれ》ぞこの 吾《わ》が屋戸《やど》に来喚《きよ》ぶ たらちねの 母《はは》に嘖《ころ》はえ 物《もの》思《おも》ふ吾《われ》を
    誰此乃 吾屋戸來喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼
 
【語釈】 ○誰ぞこの吾が屋戸に来喚ぷ 誰であるぞ、このわが屋戸に来て喚んでいるのはで、女がその夫とする男であると知りながら、わざと知らぬさまを装って咎めているもの。○母に嘖はえ 「嘖はえ」は、『古義』の訓。日本書記の神代上に、「嘖譲、此云2挙廬毘《ころひ》1」とあり、烈しく叱る意の古語。母に烈しく叱られて。○物思ふ吾を 「を」は、詠嘆で、物思いをしているわれだのに、とそれとなく男に訴えたもの。
【釈】 誰であるぞ、このわが屋戸に来て喚んでいるのは。たらちねの母に烈しく叱られて、嘆きをしているわれだのに。
【評】 秘密で男に関係している女の、そのことで母から烈しく叱られているおりから、男は戸外に来て呼び出そうとしているので、女は母の手前を繕って、「誰ぞこの」と知らぬ男のさまにしつつ、男に出て行かれないことを暗示したが、男を思う心から、それだけでは男にいう語としては足りないと思い、「母に嘖はえ」といって、苦衷を訴えたのである。女の抒情の語を通して、叙事的というよりも、むしろ劇的な場面を展開させている。こうしたことは例の多い、一般性をもったことであったろう。(104)これと形の似た歌として、巻十四(三四六〇)「誰ぞこの屋の戸押そぶる新嘗にわが背を遣りていはふこの戸を」がある。どちらが先にできた歌かわからないが、はやった型と思われる。謡い物であったろう。庶民の生活である。
 
2528 さ宿《ね》ぬ夜《よ》は 千夜《ちよ》もありとも 我《わ》が背子《せこ》が 思《おも》ひ悔《く》ゆべき 心《こころ》は持《も》たじ
    左不宿夜者 千夜毛有十方 我背子之 思可悔 心者不持
 
【語釈】 ○さ宿ぬ夜は 「さ」は、接頭語で、共寝をしない夜は。○思ひ悔ゆべき心は持たじ 「思ひ悔ゆべき心」は、後悔するような心は我はもつまい。
【釈】 共寝をしない夜が千夜もあろうとも、わが背子が、後悔するような心は、我は持つまい。
【評】 男に何らかの事情があって、妻に逢い難くしている時、女が男に対して、貞節を誓った心のものである。「思ひ悔ゆべき」は、女が他に心を移し、男をして不貞な女を相手としたと後悔させる意をいったもので、一般に行なわれた語である。夫婦別居していた上に、その関係を秘密にもしていたので、貞節問題は起こりやすかったのである。相手のほうを主として、複雑なことを簡潔に、美しくあらわした語である。
 
2529 家人《いへびと》は 路《みち》もしみみに 往来《かよ》へども 吾《わ》が待《ま》つ妹《いも》が 使《つかひ》来《こ》ぬかも
    家人者 路毛四美三荷 雖徃來 吾待妹之 使不來鴨
 
【語釈】 ○家人は路もしみみに 「家人」は、下の続きで見ると家々の人で、里人というに近い。「しみみに」は、繁る意の古語「しむ」の連用形「しみ」を畳んで「しみみ」とし、「に」を添えて副詞としたもの。一ぱいに。○使来ぬかも 使が来ないかなあで、来てくれと待つ意のもの。
【釈】 家々の人は、路も一ぱいになって往来しているが、わが待っている妹の使が来ないかなあ、来てくれよ。
【評】 やや身分のある夫婦は、あらかじめ案内をした上で逢っていたようで、その意味で「妹が使」を待ち侘びているのである。一般性をもった歌だったのである。
 
(105)2530 あらたまの 寸戸《きへ》が竹垣《たかがき》 編目《あみめ》ゆも 妹《いも》し見《み》えなば 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    璞之 寸戸我竹垣 編目從毛 妹志所見者 吾戀目八方
 
【語釈】 ○あらたまの寸戸が竹垣 「あらたまの寸戸」は、『代匠記』と『古義』によって一つの解が下され、定解のごとくなったが、『全註釈』はそれを疑って新たなる解を下している。従来の解は、「あらたまの」は、遠江国麁玉郡(近年まで、静岡県引佐郡に麁玉村があったが最近、浜名郡浜北町となり、現在は浜北市にはいった)で、「きへ」は、柵戸であり、そこにある城柵を守る民戸の意であるが、後、転じて地名となったものだというのである。この解の根拠は巻十四、東歌の遠江国の相聞歌の、(三三五三)「あらたまの伎倍《きへ》の林に」、(三三五四)「伎倍人のまだら衾に」の二首にあるのである。『全註釈』は仮名遣法によると、寸戸、伎倍のキは甲類の韻であり、城、柵のキは乙類の韻であるから、その点から柵戸の解は成立しないというのである。またここに遠江国の歌があることも疑問になるというのである。「あらたまの」は、年に冠することから転じて、来経に冠した枕詞。「きへ」は、甲類に酒のキがあるから、明解ではないが、酒部の意ではないかといっている。酒部は酒を醸すことを職とする集団の名であるが、「きへ」と称した証は見えないようである。それだとすれば、その仕事の性質上、一定の期間、一定の場所に集まって事にあたっていたろうから、「竹垣」は、そうした場所の物である。○縞目ゆも妹し見えなば 編目をとおしてなりとも、妹の姿が見られたならば。
【釈】 寸戸の竹垣の編目をとおしてなりとも、妹の姿が見えたならば、われはこのように恋いようか恋いはしない。
【評】 『全註釈』の「寸戸」を酒部とする解は、問題が残るとはいえようが、ありうる語であり、またそれだと一首の意がよく通じる。「寸戸」「伎倍」という語をもった歌は集中三首あるので、語としては特殊なものにみえるが、寸戸そのものとしては当時特殊なものではなく、多くの人の目に見て知っていたものとみえる。酒の醸造は今日でも専門の仕事となっており、少なくとも何人かが、一定の期間一定の場所に集まって、注意深くあたっている事である。また不良酒のできることをおそれるところから、祈祷に近いことをして始めてもいる。上代の酒は、神に供える御酒を主とした物で、神社との繋がりもあったろうから、斎戒して事にあたるというようなこともあったかもしれぬ。この歌は、寸戸の竹垣の内に籠もって、近くいると見える妹にも逢えずにいる男の、妹を恋うての心であるから、寸戸を酒部として、その部に属する一人の男とすると、自然な、無理のない心となる。寸戸の解は『全註釈』の卓見とすべきであろう。また、寸戸を酒部とすると、京はもとより各地に居たはずの人々である。
 
2531 吾《わ》が背子《せこ》が その名《な》告《の》らじと たまきはる 命《いのち》は棄《す》てつ 忘《わす》れたまふな
(106)    吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名
 
【語釈】 ○その名告らじと 夫の名を口外すると、関係が絶えるという信仰からのこと。「その」は、強意。○たまきはる命は棄てつ 「棄てつ」は、完了形であるが、ここは、命も棄てる気でいるという意を強調したもの。○忘れたまふな 我を忘れたもうなと、訴えたもの。
【釈】 わが背子の名は決して口外しまいと、我は命を棄てました。我をお忘れ下さいますな。
【評】 結婚間もない女の、その秘密にしている相手を母から烈しく問われたことを、男に訴えた歌である。「命は棄てつ」と強調しているのは、男の愛の渝《かわ》らないようにと思うためで、それがすなわち「忘れたまふな」の訴えとなるのである。心は純真であるが、歌としては上手ではない。
 
2532 凡《おほよそ》は 誰《た》が見《み》むとかも ぬばたまの 我《わ》が黒髪《くろかみ》を 靡《なび》けて居《を》らむ
    凡者 誰將見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而將居
 
【語釈】 ○凡は誰が見むとかも 「凡は」は、大体はで、下のことを総括していう語。ここも結句までかかる。「誰が見むとかも」は、君以外の誰が見るだろうかと思ってで、君が見るものだと思えばこその意を、婉曲にいったもの。「かも」は、疑問の係。○ぬばたまの我が黒髪を 「ぬばたまの」は、黒の枕詞であるが、ここはその心を働かせて、美しい意でいっている。ぬば玉のような真黒なわが黒髪を。○靡けて居らむ 「靡け」は、下二段活用で、使役。靡かせていよう。
【釈】 大体は、君以外の誰が見るだろうと思って、真黒なわが黒髪を靡かせていようか、君に見せようがためである。
【評】 女が夫である男に贈ったもので、夫の来訪を婉曲に、上品に、しかし媚態をもって促している歌である。黒髪を、女自身最も美しいものとし、心して梳っているのは、ただ君に見せようがためだというので、これは漢籍に成語のごとくなっていることで、それを引いていっているのである。そのために当時者間には厭味のないものとなっていたのである。身分あり教養ある階級の歌である。
 
2533 面忘《おもわす》れ 如何《いか》なる人《ひと》の するものぞ われはしかねつ 継《つ》ぎてし念《も》へば
    面忘 何有人之 爲物焉 言者爲金津 繼手志念者
 
(107)【語釈】 ○面忘れ如何なる人のするものぞ 面忘れをするというのは、どういう人がすることであろうぞと、怪しんでのもの。○われはしかねつ 我はできずにいる。○継ぎてし念へば 絶えず恋うているのでで、「し」は、強意。
【釈】 面忘れをするというのは、どういう人のすることであろうぞ。我はできずにいる。絶えず恋うているので。
【評】 夫より疎遠にされている女の、夫に訴えて贈った歌である。「面忘れ如何なる人の」というのは、そうした意の謡い物か諺のようなものがあり、女も面忘れしても不思議ではないほどに疎遠にされているところから、それに縋っていっているものである。恨みをいわずに訴えているもので、その意味で巧みな歌である。
 
2534 相思《あひおも》はぬ 人《ひと》の故《ゆゑ》にか あらたまの 年《とし》の緒《を》長《なが》く わが恋《こ》ひ居《を》らむ
    不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀將居
 
【語釈】 ○相思はぬ人の故にか 相思わない、片恋のみをさせている人のためにかで、「人」は、女を指しているもの。「か」は、疑問の係助詞。○年の緒長くわが恋ひ居らむ 「年の緒」は、年で、「緒」は、その長く続いて行く意で添えた語。語感を強めるものである。「長く」は、何年も。「恋ひ居らむ」は、恋うているのであろうか。
【釈】 相思わない人のために、幾年も長く、われは恋うているのであろうか。
【評】 片恋を久しく続けている男の歌である。男と取るのは、関係の結ばれない相手を多年にわたって恋い続けて、このように静かな嘆き方をするのは、おそらく男のみのもつ心と思われるからである。しかしこの静かさは、知識人のもので、個性的なものである。
 
2535 凡《おほよそ》の 行《わざ》は念《おも》はじ 吾《われ》故《ゆゑ》に 人《ひと》に言痛《こちた》く 云《い》はれしものを
    凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎
 
【語釈】 ○凡の行は念はじ すべての所行にわたっては問題としまい。○吾故に人に言痛く このわれのために、人に甚しくも。○云はれしものを いわれたものだのに。
(108)【釈】 すべての所行にわたっては問題としまい。わがために、人に甚しくもいわれたものだのに。
【評】 夫である男が、その事に対してある時思ったことである。その時男は、女の何らかの振舞について不満を感じ、腹立たしく咎めようと思ったのだが、思い返して、女の所行のすべてにわたっては気にしまい。とにかく一時はわがために、人に甚しく非難された女なので、それに免じて勘弁しようと思った心である。夫婦の間に有りがちな、口へ出すまでに到らない衝突で、男の分別心から荒立てなかった心である。特殊な境を捉えていっている上では興味のあるものであるが、心持そのものが知性的なもので、したがって抒情味の少ない、散文的な歌である。しかしこういう境を古い時代に歌としていることは、注意を引くことである。
 
2536 気《いき》の緒《を》に 妹《いも》をし念《おも》へば 年月《としつき》の 往《ゆ》くらむ別《わき》も 念《おも》ほえぬかも
    氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覽別毛 不所念鳧
 
【語釈】 ○気の緒に 呼吸の続く限りで、絶え間なく。○年月の往くらむ別も 「年月」は時で、時の移ってゆくその差別で、今日を何月の幾日ということも。
【釈】 呼吸の続く限り、絶え間なく妹を思っているので、年月の移ってゆくその差別も思われないことである。
【評】 男の片恋の苦しい思いをいっているものである。事としていわず、気分としていおうとしているのであるが、気分が具象化されず、説明の形になっているので、漠然とした力のないものになっている。気分としての表現を求めて遂げられなかったのである。
 
2537 たらちねの 母《はは》に知《し》らえず 吾《わ》が持《も》てる 心《こころ》はよしゑ 君《きみ》がまにまに
    足千根乃 母尓不所知 吾持留 心者吉惠 君之隨意
 
【語釈】 ○母に知らえず 母に知られずに、秘密に。○吾が持てる心はよしゑ 「吾が持てる心」は、男を恋う心。「よしゑ」は、「よし」は、しばらく許す心、「ゑ」は、感動の助詞で、ああ、どうなりとというにあたる。○君がまにまに 君の心のままにで、任せようの意が含まれている。
(109)【釈】 なつかしい母にも知られずに私のもっている心は、ああ、どうなりと、君が随意に任せましょう。
【評】 女が関係を結んで間もなく、男にその全生命を任せようということを誓った歌である。娘からいえば、世に母ほど頼もしい者はないのであるが、その母をもさしおいてというのは、最大な誓いなのである。「母に知らえず吾が持てる心」という続きは、母に秘密に君に寄せている心というのであって、また、それが普通であったのだが、おのずから、母にも増して思う君ということの現われて来る続け方で、微妙な味わいがある。
 
2538 独《ひとり》寝《ぬ》と 薦《こも》朽《く》ちめやも 綾席《あやむしろ》 緒《を》になるまでに 君《きみ》をし待《ま》たむ
    獨寢等※[草がんむり/交]朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之將待
 
【語釈】 ○独寝と薦朽ちめやも 「独寝と」は、ひとりで寝ていようとも。「薦朽ちめやも」は、「薦」は、寝床としている薦。「朽ちめやも」は、朽ちようか朽ちはしないの意。○綾席緒になるまでに 「綾席」は、藺をさまざまの色に染めて織った席で、今の畳表のごとき物。これを薦の上へ上敷として敷いたのである。「緒になるまでに」は、藺のほうは磨り切れて、編み緒だけになるまでの意で、いつまでもということをいったのである。
【釈】 ひとりで寝ているとも、そのために寝床の薦が朽ちようか朽ちはしない。上敷の綾席が編み緒だけになるまでも、君の来るのを待とう。
【評】 夫に疎遠にされている女の、夜、独寝をしている時の心である。いっていることは、いついつまでも「君をし待たむ」というので、初句より四句までは、その、いついつまでもということを、気分を通して、実際に即させつついっているものである。「薦朽ちめやも」といい、「緒になるまでに」と、細かく刻んで執拗《しつよう》にいっているのは、気分を強くあらわそうとしたがためのものである。庶民的な、野趣のある歌である。
 
2539 相見《あひみ》ては 千歳《ちとせ》や去《い》ぬる 否《いな》をかも 我《われ》やしか念《も》ふ 君《きみ》待《ま》ちがてに
    相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
 
【語釈】 ○相見ては千歳や去ぬる 「相見ては」は、相逢ってから。千年が過ぎたのであろうかで、「や」は、疑問の係。○否をかも 「を」は、(110)感動の助詞、「かも」は、疑問で、いや、そうではないのか。○我やしか念ふ 「や」は、疑問。「しか」は、然で、上の千歳。我がそのように思うのであるのか。○君持ちがてに 「待ちがてに」は、待つに堪えずして。「がてに」は本来「かてに」であるが、混用されてもいたらしい。
【釈】 相逢ってから、千年が過ぎ去ったのであろうか。否、そうではないのか。我がそのように思うことであるか。君を待ち取り得ずして。
【評】 女の夫を恋うる心で昂奮しているさまを、抒情を通してあらわしている歌である。一首を四段に切り、「千歳や去ぬる」と疑い、「否をかも」と疑い、「しか念ふ」と疑いながらも理由を求め、最後に「待ちがてに」と、其の理由に到達しているという、心の躍動をそのままに、活殺自在にあらわしているものである。しかも一首としていささかの渋滞もなく、安定をもった姿のものとしている。非凡な手腕である。この歌は巻十四(三四七〇)に重出しており、左注に「柿本朝臣人麿歌集に出づ」とある。人麿の作と思われる。それが伝承されて、ここでは作者未詳の歌となっているのである。巻四(六八六)大伴坂上郎女の、「このごろに千歳や往きも過ぎぬると吾や然念ふ見まく欲れかも」は、この歌を摸したもので、その行なわれていたことが思われる。
 
2540 振分《ふりわけ》の 髪《かみ》を短《みじか》み 青草《あをくさ》を 髪《かみ》にたくらむ 妹《いも》をしぞおもふ
    振別之 髪乎短弥 青草乎 髪尓多久濫 妹乎師曾於母布
 
【語釈】 ○振分の髪を短み 「振分の髪」は、童女の髪の称で、髪を左右に分け、肩の辺りで末を切ったもの。「短み」は、短いゆえにで、短いというのは、一人前の女になると髪を上げて結うのであるが、それをするには、丈が足りず短い意である。○青草を髪にたくらむ 「髪にたくらむ」は、「たく」は、巻二(一二三)「たけばぬれたかねば長き妹が髪」とあり、束ねて上げる意の古語で、ここのは、童女が成女すなわち一人前の女となったことをあらわすことで、男をもてば必ずする習いになっていたのである。青草を髪に束ねて、長さを補っているだろうの意。○妹をしぞおもふ 「妹」は、妻の意のもの。
【釈】 振分の髪を上げるには短いので、青草を束ねて長さを補っているであろう妹を思うことである。
【評】 童女の域を脱したばかりの女を妻とした男が、男をもてば髪上げをせねばならず、それには髪の丈が足りないので、青草で丈を足している妻を思いやって、その状態に可愛ゆさを感じている心である。上代は早婚であったので、これに類したことが少なからずあり、上に引いた巻二の歌もそれである。少女離れしない幼い妻の髪のさまに、特殊の愛を感じているのであ(111)る。「青草を」というのは、何らかの意味があったかもしれぬが、ここは見た目の可愛ゆさとしていっているのであろう。
 
2541 たもとほり 往箕《ゆきみ》の里《さと》に 妹《いも》を置《お》きて 心《こころ》空《そら》なり 土《つち》は踏《ふ》めども
    ※[人偏+回]俳 徃箕之里尓 妹乎置而 心空在 土者蹈鞆
 
【語釈】 ○たもとほり往箕の里に 「たもとほり」は、「た」は、接頭語で、「もとほり」は、あちこち往きつ戻りつしてで、意味で「往き」にかかる枕詞。「往箕の里」は、所在不明である。○心空なり 心が空に飛んでいるで、上の空だというにあたる。○土は踏めども 土は踏んでいるけれども。
【釈】 さまよって行くという往箕の里に妻を置いて、わが心は上の空である。土は踏んでいるけれども。
【評】 往箕の里に新しく妻を得て、甚しく憧れている男の心である。「たもとほり往箕の里」という続きは、その気分にふさわしいものである。「心空なり土は踏めども」は、ほかにも用例があって、成句に近いものといえる。心は広く単純に、調べが明るく張っているので、著しく謡い物の感がする。
 
2542 若草《わかくさ》の 新手枕《にひたまくら》を 巻《ま》き初《そ》めて 夜《よ》をや隔《へだ》てむ 憎《にく》くあらなくに
    若草乃 新手枕乎 卷始而 夜哉將間 二八十一不在國
 
【語釈】 ○若草の新手枕を 「若草の」は、意味で「新」にかかる枕詞。「新手枕」は、新しい手枕で、新たに得た妻の手枕。○夜をや隔てむ 「夜を隔つ」は、夜に隔てをつける、逢わない夜をまじえる意。「や」は、疑問の係であるが、反語となっているもの。通う夜に隔てをつけようか、つけられない。○憎くあらなくに 原文の「八十一」は九九、八十一から「くく」の音に借りたもの。
【釈】 若草のような新しい手枕を枕とし始めて、通う夜に隔てを置こうか置けはしない。憎くはないことであるのに。
【評】 男が妻を得た当座の喜びで、心は明らかである。「若草の新手枕」は、ほかには用例を見ない新しい語であり、新しさがある。語感が明るく、肌理《きめ》が細かく、語続きに湿いがあって、気分の表現になろうとしている歌である。
 
(112)2543 吾《わ》が恋《こ》ひし 事《こと》も語《かた》らひ 慰《なぐさ》めむ 君《きみ》が使《つかひ》を 待《ま》ちやかねてむ
    吾戀之 事毛語 名草目六 君之使乎 待八金手六
 
【語釈】 ○吾が恋ひし事も語らひ わが恋うていた事のほうも語らいをしてで、「語らひ」は、語るの連続。○慰めむ君が使を わが慰めとしようと思うところの君が使で、「む」は、連体形。○待ちやかねてむ 「や」は、疑問の係。「かねてむ」は、得ぬのであろうで、「て」は、完了。待ち得ぬのであろうか。
【釈】 わが恋うていたことをも語らいをして、心慰めにしようと思う君からの使を、待ち得ないのであろうか。
【評】 夫を相応に遠い旅にやっている妻の心である。夫と直接逢う望みは全然ないので、それは諦め、せめて夫からの使が来ればと待ち、来れば夫のこちらを恋うていることも聞き、わが恋うていることも話して心やりにしたいと思うが、その使も駄目だろうというのである。事の外郭には触れず、ただ気分だけをいっている歌である。「吾が恋ひし事も」といって夫のほうの心も暗示し、「待ちやかねてむ」で、その遠いことをも暗示している。心の細かい歌である。
 
2544 寤《うつつ》には 逢《あ》ふよしもなし 夢《いめ》にだに 間《ま》なく見《み》む君《きみ》 恋《こひ》に死《し》ぬべし
    寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死
 
【語釈】 ○寤には逢ふよしもなし 現実には、逢うべき方法もない。○夢にだに間なく見む君 夢にでも絶え間なく見よう、君よと呼びかけた形。○恋に死ぬべし 我は恋死にをしそうです。
【釈】 現実には逢う方法がない。夢にでも絶え間なく見もしよう、君よ。恋死にをしそうです。
【評】 上の歌と同じく、夫を遠い旅にやっている妻が、遠い夫に対《むか》って訴えた歌である。これは上の歌とは異なって、事の全体をいい、事に即して情を述べているものである。伝統的な古い詠み方である。
 
2545 誰《た》そ彼《かれ》と 問《と》はば答《こた》へむ 術《すべ》を無《な》み 君《きみ》が使《つかひ》を 還《かへ》しつるかも
(113)    誰彼登 問者將答 爲便乎無 君之使乎 還鶴鴨
 
【語釈】 ○誰そ彼と問はば 誰であるぞ彼はと、家の者が問うたならば。○答へむ術を無み 答えようがないので。
【釈】 誰であるかあれはと、家の者が訝かって問うたならば、返事のしようがないので、君の使を空しく還してしまったことであった。
【評】 関係を家人に秘密にしている女の許へ、男から使が来たので、女は当惑してただ還した後で、男に弁解してやった歌である。初句から三句までの事情の細叙は、女が家の者に秘密にしていることを知らないからのこととしていっているものであろう。ありうべきことではあるが、不自然の感がある。使が秘密に用を弁じる注意が足りなかったとすれば、特殊にすぎる。実際に即しての歌ではないためのことだろう。
 
2546 念《おも》はぬに 到《いた》らば妹《いも》が 歓《うれ》しみと 咲《ゑ》まむ眉曳《まよびき》 思《おも》ほゆるかも
    不念丹 到者妹之 歡三跡 咲牟眉曳 所思鴨
 
【語釈】 ○念はぬに到らば妹が歓しみと 「念はぬに」は、思いがけずいるところへ。上の(二五二六)に「待つらむに到らば妹が懽しみと」と酷似している。○咲まむ眉曳思ほゆるかも 「眉曳」は、眉を黛《まゆずみ》をもって三日月形に描いたがゆえの称で、眉。顔を代表させた語。
【釈】 思いがけずいるところへ、行ったならば、妹がうれしいとて、ほほえむだろう眉の思われることであるよ。
【評】 上の(二五二六)と、境も心も同じもので、異伝ともみえるほどのものである。しかし、「待つらむに」を「念はぬに」とし、「姿」を「眉曳」とし、「往きて早見む」を「思ほゆるかも」としたのは、事よりも気分を主として一段と印象的にしようとしたもので、進展を期して改めたものであろう。意図としての進展だと思われる点が注意される。
 
2547 かくばかり 恋《こ》ひむものぞと 念《おも》はねば 妹《いも》が袂《たもと》を 纏《ま》かぬ夜《よ》もありき
    如是許 將戀物衣常 不念者 妹之手本乎 不纏夜裳有寸
 
【語釈】 ○妹が袂を纏かぬ夜もありき 「袂」は、手を言い換えたもの。「纏かぬ」は、枕とせぬ。「ありき」は、過去として思い出した意。
(114)【釈】 これほどまでに恋いようものだとは思わないので、妹が手を枕とせずに寝た夜もあった。
【評】 男が遠い旅に出、逢えないときまると、怪しく妹が恋しくなった心である。ひとり寝をしている夜の心であるが、事情には一切触れず、恋しい気分だけを、思い出に絡ませていっているものである。新風の歌で、その効果を示している作である。
 
2548 かくだにも 吾《われ》は恋《こ》ひなむ 玉梓《たまづさ》の 君《きみ》が使《つかひ》を 待《ま》ちやかねてむ
    如是谷裳 吾者戀南 玉梓之 君之使乎 待也金手武
 
【語釈】 ○かくだにも吾は恋ひなむ せめてこのようにだけでも、われは恋うていよう。○君が使を待ちやかねてむ 上の(二五四三)に出た。そう思う君の使を、待ち取り得ないのであろうか。
【釈】 せめてこのようにだけでもわれは恋うていようと思う。その君の使を、待ち取り得ないのであろうか。
【評】 上の(二五四三)「吾が恋ひし事も語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ」と、境も心も同じものであって、異なるところは、それを一歩後退させ、消極的に、暗くしただけの歌である。上の歌もこの歌も、別伝に近いほどに近似しているが、相聞の歌はおのずから範囲が定まっているので、別伝の生まれると同じ心理で、こうした歌を詠むのだとみえる。異なるのは、別伝には無意識でする場合もまじるが、これはすべて意識的だということである。
 
2549 妹《いも》に恋《こ》ひ 吾《わ》が哭《な》く涕《なみだ》 敷妙《しきたへ》の 木枕《こまくら》通《とほ》り 袖《そで》さへ沾《ぬ》れぬ
    妹戀 吾哭涕 敷妙 木枕通 袖副所沾
 
【語釈】 ○敷妙の木枕通り 「敷妙の」は、枕の枕詞。「木枕」は、薦枕とともに普通に用いた物。「通り」は、伝いということを誇張していったもの。
【釈】 妹を恋うてわが泣く涙は、木枕を通して、袖までも濡れた。
【評】 ひとり寝の床で、妹を恋うて流す涙の尽きないことをいったものである。一首ただ涙の多さだけで、それによって恋の深さをあらわそうとしているもので、言いかえると気分を出そうとしたのだが、気分とはならず、語の誇張に終わった感のあ(115)る歌である。気分本位の詠風の弱所を示した歌といえる。
 
     或本の歌に曰はく、枕《まくら》通《とほ》りて 巻《ま》けば寒《さむ》しも
      或本謌曰、枕通而 卷者寒母
 
【解】 四、五句の別伝である。涙が枕を通って、枕していると冷たいの意である。このほうが統一性がある。
 
2550 立《た》ちて念《おも》ひ 居《あ》てもぞ念《おも》ふ 紅《くれなゐ》の 赤裳《あかも》裾引《すそひ》き 去《い》にし姿《すがた》を
    立念 居毛曾念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
 
【語釈】 略す。
【釈】 立っても恋しく思い、坐っても恋しく思うことである。紅の赤い裳の裾を引いて去って行った後姿を。
【評】 男女初めて相逢った時、何らかの都合で、女が男の許へ来、別れて帰って行く時、その後姿を見送っての印象が、怪しく男の心に残り、それに憑かれているような気分をいったものである。ほかの何事にも触れず、ある瞬間的な印象だけを力強くいっているのは、気分本位の詠風で、この歌は、それを徹底的に行なっているものである。気分のこととて単純に印象的にいい、際やかに効果を収めている歌である。
 
2551 念《おも》ふにし 余《あま》りにしかば 術《すべ》を無《な》み 出《い》でてぞ行《ゆ》きし その門《かど》を見《み》に
    念之 餘者 爲便無三 出曾行之 其門乎見尓
 
【語釈】 ○念ふにし余りにしかば 「念ふにし」は、恋しく思うにで、「し」は、強意の助詞。「余りにしかば」は、余ったので。「に」は、完了。思い余ってしまったので。○その門を見に 「その」は、妹の意で、妹の家の門を見に。
【釈】 思い余ってしまったので、やるせ無くなって、出て行ったことであるよ。妹の家の門を見に。
(116)【評】 関係して後、女に妨げが起こって、逢い難くしている嘆きである。自身を説明している歌であるが、あくまで実際に即して、抒情的にいっているので、説明気分は消えて、叙事性のものとなっている。独詠ともみえるが、女に訴えて贈ったものであろう。実際感が清新味のあるものにしている。
                            
2552 情《こころ》には 千遍《ちへ》しくしくに 念《おも》へども 使《つかひ》を遣《や》らむ 術《すべ》の知《し》らなく
    情者 千遍敷及 雖念 使乎將遣 爲便之不知久
 
【語釈】 ○千遍しくしくに 何度となく、重ね重ねに。○術の知らなく 方法の知られないことよ。女が家人に秘密にしている関係からのこと。
【釈】 心には幾重となく重ね重ねに思っているけれど、使をやる方法の知られないことだ。
【評】 娘との夫婦関係が、その家の者には秘密になっているので、使をやる方法のないことを嘆いている心である。「千遍しくしくに」というような語を用いているが、一首が説明的なために感の少ない歌である。
 
2553 夢《いめ》のみに 見《み》てすら幾許《ここだ》 恋《こ》ふる吾《われ》は 寤《うつつ》に見《み》ては まして如何《いか》にあらむ
    夢耳 見尚幾許 戀吾者 寤見者 益而如何有
 
【語釈】 ○略す。
【釈】 夢に見るだけでさえも、甚しく恋うているわれは、現実に見たならば、ましてどんなであろうか。
【評】 女に懸想して言い寄っている男の、明るい心をもって描いている空想を詠んだ形の歌である。独詠に似ているが、それだと、このようにくわしくいう必要はないから、訴えの心をもって女に贈ったものと思われる。「寤に見てはまして如何にあらむ」は、恋の成立を信じられた場合の訴えとしては、相手を動かす効果の上からは、相応に有力なもので、最も巧みな訴えと言いうるものである。その意味で上手な歌である。
 
2554 相見《あひみ》ては 面隠《おもかく》さるる ものからに 継《つ》ぎて見《み》まくの 欲《ほ》しき公《きみ》かも
(117)    對面者 面隱流 物柄尓 繼而見卷能 欲公毳
 
【語釈】 ○相見ては面隠さるるものからに 「相見ては」は、『考』の訓。相見るとはずかしさから顔が隠されるものだのに。○継ぎて見まくの欲しき公かも 絶えず相見たく思われる公であるよで、「見まく」は、「見むこと」で、名詞。
【釈】 相見るとはずかしさに顔が隠されるものだのに、絶えず見たいと思うところの君であるよ。
【評】 結婚後間もない頃の若い妻の心である。このように言いあらわせば常凡に似るが、この常凡は、事よりも気分を重んじ、それを実際に即して具象しようとする新詠風によって、詠み生かされたところの常凡である。これは従来無かった境を拓いたものである。
 
2555 朝《あさ》の戸《と》を 早《はや》くな開《あ》けそ 味《あぢ》さはふ 目《め》がほる君《きみ》が 今夜《こよひ》来《き》ませる
    旦戸乎 速莫開 味澤相 目之乏流君 今夜來座有
 
【語釈】 ○味さはふ目がほる君が 「味さはふ」は、原文「味沢相」。巻二(一九六)に既出。『冠辞考』は、「味」を「あぢ」と訓み、『古義』は、「うま」と訓み、訓が定まらない。語義も未詳である。『冠辞考』の訓に従って置く。「め」にかかる枕詞。「目がほる」は、目が見たいと欲る意で、見まほしと同じである。
【釈】 朝の戸を早く開けるな。見たいと思っている君が、今夜は来ていらせられることだ。
【評】 身分ある女が、召使の女に命じている形の歌である。夫婦関係が公にされているのである。
 
2556 玉垂《たまだれ》の 小簾《をす》の垂簾《たれす》を 往《ゆ》きかちに 寐《い》はなさずとも 君《きみ》は通《かよ》はせ
    玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速爲
 
【語釈】 ○玉垂の小簾の垂簾を 「玉垂の」は、緒と続き、「を」にかかる枕詞。玉垂は、玉を緒に貫いて、簾に垂らした物かという。「小簾」の「小」は、接頭語。「垂簾」は、垂れている簾で、すだれ。上代は家の出入口にかけてあったものである。○往きかちに 『代匠記』は「ゆきかてに」と改めている。意義は、「往き」は「来」と通じる語。「かてに」は、得ずしてで、入り来たり得ずしてだとしている。その後の注は、それで(118)は意が通じないとして、誤写説を立てている。『全註釈』は旧訓に従い、「かち」は、可能の意味の助動詞「かつ」の名詞形であろうといい、巻十(二〇一二)「吾は干しかたぬ」そのほかを証に挙げ、この語は四段に活用していて、後、下二段に転じたようだといっている。「に」は打消で、往き得かねてだとしている。ここは下の続きで、君と呼ばれる人の面影を相手としていっているものである。面影は君の許から来、また君の許へ帰ってゆくものとし、「往き」は、君を中心としての言い方であるとして、帰って往くことはできずにの意である。『代匠記』とは逆になる。○寐はなさずとも 「なす」は、寝るの敬語で、「寐は」は、それを添えて強めたもの。おやすみにはならなくても。この語が、面影ということを暗示している。○君は通はせ 君は通っていらっしゃいませ。
【釈】 玉垂の小簾の垂簾をとおって、帰って往くことはできずに、おやすみにはなれずとも、君は通っていらっしゃいませ。
【評】 男と関係を結んでいる女が、自分の周囲に妨害が起こって、男に逢えずにいる頃、目に現われて来る男の面影に対していっている心である。女の厭うことは、そうした面影はいつも消えやすいところから、せめて消えずにいつまでも身に添っていてもらいたいということである。女は面影を、君その人のように感じて、「往きかちに」といい、「寐はなさずとも」といい、また「通はせ」ともいっているのである。面影をそのように感じるのは、夢の姿をその人同様に感じた心と同じで、覚めていて見る夢の姿と同様に感じたのである。当時としては、さして間接な幽かな言い方ではなかったろう。語続きが美しく、気分に調和している。
 
2557 たらちねの 母《はは》に白《まを》さば 公《きみ》も我《われ》も 逢《あ》ふとはなしに 年《とし》は経《へ》ぬべし
    垂乳根之 母白者 公毛余毛 相鳥羽梨丹 年可經
 
【語釈】 ○母に白さば 母にこの夫婦関係を打明けて申したならばで、女が男に願っていっていること。○逢ふとはなしに 逢うということはできなくなって。○年は経ぬべし 旧訓。年がたつことだろう。
【釈】 我が母に夫婦関係を打明けて申したならば、公も我も逢うということがなくて、年が経ることであろう。
【評】 男が女に、母に打明けて承認を得るようにせよといったのに対して、女が嘆いて答えたものである。女は母がこの男との結婚は不承認だということを十分に感じながら、それと男に感じさせず、男をしてこのような望みを起こさせたということは、女の苦衷の思われることである。「年は經ぬべし」という結句は、婉曲ではあるが心を尽くした、美しく巧みな言い方である。
 
(119)2558 愛《うつく》しと 思《おも》へりけらし 莫忘《なわす》れと 結《むす》びし紐《ひも》の 解《と》くらく念《おも》へば
    愛等 思篇來師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者
 
【語釈】 ○愛しと思へりけらし 可愛ゆいと思っているらしい。○莫忘れと結びし紐の 我を忘れるなと、結んだところの紐の。男女逢って別れる時には、互いに相手の衣の紐を結ぶのが風であった。これは我以外の者は解いてはならないと禁止の意よりのことで、信仰の伴っていたことである。「莫忘れと」は、それを柔らげての語である。○解くらく念へば 「解くらく」は、名詞で、解けることで、自然に解けたのである。下紐の自然に解けるのは、人に思われてのことだという信仰があってしばしば出た。ここもそれである。
【釈】 可愛ゆいと我を思っているらしい。忘れるなとその人の結んだわが下紐の、自然に解けることを思うと。
【評】 妻である女の、下紐が自然に解けた時に思った心である。下紐の解けるのは人に思われているしるしだとはしたが、その相手は誰ともわからないのが普通になっている。ここは、それを見ると、ただちにその人は夫だと思い、同時にその下紐は夫の結んだものであることを思い、夫は今我を「愛しと」思っているらしいと定めているのである。一筋に夫を思っている心で、喜びをもっていっているものである。
 
2559 昨日《きのふ》見《み》て 今日《けふ》こそへだて 吾妹子《わぎもこ》が 幾許《ここだく》継《つ》ぎて 見《み》まくし欲《ほ》しも
    昨日見而 今日杜間 吾妹兒之 幾許繼手 見卷欲毛
 
【語釈】 ○昨日見て今日こそへだて 昨夜逢って、今日はへだたっている。「へだて」は「へだつ」の已然形。○幾許継ぎて 甚しくも続けて。○見まくし欲しも 「見まく」は、「見む」の名詞形。「し」は、強意で、見たいことだ。
【釈】 昨夜逢って、今日はへだたっている。それだのに吾妹を、甚しくも続けて逢いたいことである。
【評】 一首、説明で終始しているが、「今日こそへだて」によって救われている。
 
2560 人《ひと》も無《な》き 古《ふ》りにし郷《さと》に ある人《ひと》を 愍《めぐ》くや君《きみ》が 恋《こひ》に死《し》なする
(120)    人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死
 
【語釈】 ○人も無き古りにし郷に 「人も無き」は、住む人もない。「古りにし郷」は、故京で、奈良遷都の後の藤原の称であろう。○ある人を 住んでいる人をで、自身のこと。さびしい気分から客観視しての称。○愍くや君が 「愍く」は、憐れむべくもで、むごくにあたる。「や」は、疑問の係助詞。「君」は、新京にいる夫。○恋に死なする 『新考』の訓。恋死にさせることであるかで、「死なする」は、結。
【釈】 人もいない、古くなってしまった里に住んでいる人を、むごくも君は、恋死にさせることであるか。
【評】 遷都とともに官人である夫は新京に移り、妻は故京に残っていたが、夫は事が多く、路も遠いので、自然足遠になるさびしさに堪えられなくなって、妻が訴えて贈った歌である。「恋に死なする」といっているが、理由は環境のさびしさで、愍くもそれを察しないためだとしているのは、老熟した心である。事を広く捉え、自身を客観視して、静かに、心を尽くしていっている歌で、教養の思われる作である。詠み方は古風であるが、その美を発揮している。
 
2561 人言《ひとごと》の 繁《しげ》き間《ま》守《も》りて あへりとも 八重《やへ》吾《わ》が上《うへ》に 言《こと》の繁《しげ》けむ
    人事之 繁間守而 相十方 八反吾上尓 事之將繁
 
【語釈】 ○繁き間守りて うるさい隙間をねらっていて。○あへりとも 逢おうとも。○八重吾が上に 「八重」は、旧訓。「八重」は、いやが上にも。
【釈】 人の噂のうるさい隙間をねらって逢っても、いやが上にもわが上に噂がうるさくなることだろう。
【評】 女の歌である。人の噂の高いのを気にしながらも、さすがに隙をねらって逢って、それにつけてまたさらに噂の高まるのをおそれている心である。身分が高いか、または部落生活をしている人には、こうした嘆きがあったろう。
 
2562 里人《さとびと》の 言縁妻《ことよせづま》を 荒垣《あらがき》の 外《よそ》にや吾《わ》が見《み》む 憎《にく》からなくに
    里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾將見 惡有名國
 
【語釈】 ○里人の言縁妻を 「里人」は、周囲の人。「言縁妻」は、言葉をもって寄せた妻で、媒介をした妻。○荒垣の外にや吾が見む 「荒垣の」(121)は、編目の粗い垣で、垣の外の意で、「外」にかかる枕詞。「外に」は、関係の遠い者に。「や」は、疑問の係。○憎からなくに 憎くはないことだのに。
【釈】 わが里の人が媒介をして逢わせた妻を、関係の遠い者に我は見ることであろうか。憎くはないことだのに。
【評】 言縁妻という語は、ここにあるだけでほかには見えないものである。言縁せをする「里人」は、同じ部落に住んでいる者で、老女であろう。老女の取り持ちによって妻を得る男は、いわゆるうぶで、自身ではその事をする気働きのない男であろう。したがって、妻とはしたものの、夫婦関係を続けてゆく気働きも足りず、心では「憎からなくに」と思いつつ、実際は「外にや吾が見む」という状態だったとみえる。この歌は当時にあっては、一読ただちに男の全部が感じられ、それと頷いて同感のできるものであったろう。今日では間接なものとなり、特殊にすぎる取材のごとく感じられるものとなったのである。しかしその心の辿れないものではない。
 
2563 他眼《ひとめ》守《も》る 君《きみ》がまにまに 吾《われ》さへに 夙《はや》く起《お》きつつ 裳《も》の裾《すそ》沾《ぬ》れぬ
    他眼守 君之隨尓 余共尓 夙興乍 裳裾所沾
 
【語釈】 ○他眼守る君がまにまに 人の目につくまいと覘ってで、人目を憚って、朝早く帰る意。「君がまにまに」は、君につれて。○吾さへに夙く起きつつ 『考』の訓。我までも早く起きつつ。○裳の裾沾れぬ 「沾れぬ」は、道の草に置く露に濡れたで、見送りをした意。
【釈】 人目につくまいと覘って帰る君につれて、我までも早く起きつつ、道の草の露に裳の裾が濡れた。
【評】 朝、帰ってゆく夫を送って来た妻の、別れ際に男に贈った歌である。夫はもとより自分も人目を憚るべきであるが、まだ人の外出しない時を利して、夫とともに路の朝露に濡れたのに、一種のうれしさを感じている心である。「裳の裾沾れぬ」という、普通としては侘びしいことにうれしさを感じているところに特殊さがある。気分をいっている歌である。
 
2564 ぬばたまの 妹《いも》が黒髪《くろかみ》 今夜《こよひ》もか 吾《われ》なき床《とこ》に 靡《なび》けて宿《ぬ》らむ
    夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武
 
(122)【語釈】 ○ぬばたまの妹が黒髪 「ぬばたまの」は、黒にかかる枕詞。○今夜もか 「も」は、詠嘆。「か」は、疑問の係助詞。
【釈】 ぬばたまの妹の黒髪を、今夜、われの居ない床の上に靡かして寝ているのだろうか。
【評】 妻の許へ行けなかった男が、夜、今頃はと思って、妻のさまを推量した心である。床の上へ黒髪を靡かせて寝ているさまを最も印象的に感じているところから、そのさまを思い浮かべたのである。気分の作で、「吾なき床に」で、その気分を鮮明にしている。
 
2565 花《はな》ぐはし 葦垣越《あしがきご》しに ただ一目《ひとめ》 相見《あひみ》し子《こ》ゆゑ 千遍《ちたび》嘆《なげ》きつ
    花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津
 
【語釈】 ○花ぐはし葦垣越しに 「花ぐはし」は、花がうるわしいで、葦の花をたたえる意で「葦」へかかる枕詞。「葦垣越しに」は、葦垣を隔てにして。○相見し子ゆゑ 見かけたかわゆい女のゆえにで、路を通りすがりに見かけた意。○千遍嘆きつ 千遍も嘆いたで、上の「一目」と対させてある。
【釈】 花のうるわしい葦の、その葦垣越しにただ一と目見かけたかわゆい女のゆえに、我は千たびも嘆いた。
【評】 往来を歩きながら、ある家の葦垣の内にいる美しい女を見かけて、強い恋ごころを起こした嘆きである。思いがけなく一と目見たので、好奇心をそそられるところも多かったのである。全体が気分であるために、詠み方が華やかになっているが、それが自然に感じられるのである。「花ぐはし」は、ここでは葦へかかっているが、その葦は葦垣のそれで、強いた感のあるものである。しかしそれは、「子」と愛称をもって呼ぶ女のいる家のものなので、気分としては女に絡むものとなっていて、無理のないものになっている。「一目」も「千遍」も、同じく気分とすると、わざとらしくないものになっている。年若い気分が現われている歌である。
 
2566 色《いろ》に出《い》でて 恋《こ》ひば人《ひと》見《み》て 知《し》りぬべし 情《こころ》の中《うち》の 隠妻《こもりづま》はも
    色出而 戀者人見而 應知 情中之 隱妻波母
 
【語釈】 ○知りぬべし 旧訓。○情の中の隠妻はも 「情の中の」は、周囲に対させていっているもので、わが心の中のものにしている。「隠妻は(123)も」は、人に秘している妻はなあ。
【釈】 表面にあらわして恋うたならば、人が知ってしまうことであろう。心の中のものにしている、人に秘している妻はなあ。
【評】 人目を包む関係であるゆえに、妻は単に心の中のものであると、自身を嘆き妻を憐れんでいる心である。これは当時としては普通のことで、改めていうには足りないことである。それを情熱を籠めた強い調べをもっていっているのは、妻を慰め、また疎遠にしていることを誤解されまいとして、妻に贈ったものと思われる。独詠とも見られる形の歌であるが、それは男が年若く、女との関係が新しかったからのことであろう。
 
2567 相見《あひみ》ては 恋慰《こひなぐさ》むと 人《ひと》は云《い》へど 見《み》て後《のち》にぞも 恋《こ》ひまさりける
    相見而者 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曾毛 戀益家類
 
【語釈】 ○見て後にぞも恋ひまさりける 「後にぞも」は、「ぞ」の係に、「も」の感動の添ったもの。
【釈】 逢うと恋が慰められるものだと人はいうが、逢った後のほうが恋い増さったことである。
【評】 実感を素朴に説明した歌である。慰むといい、増さると嘆くのも、飽くことを知らない本性の相である。夫婦とはいっても、絶えず恋人としての昂奮を続けていたのである。
 
2568 おほろかに 吾《われ》し念《おも》はば かくばかり 難《かた》き御門《みかど》を 退《まか》り出《で》めやも
    凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母
 
【語釈】 ○おほろかに吾し念はば 「おほろかに」は、なおざりに。「吾し念はば」は、「し」は、強意。「念はば」は、妹を思わばの意で、妹に対していっているもの。○かくばかり難き御門を 「かく」は、「しか」と通じて用いていて、ここは、あれほどまでに。「難き御門」は、出入りの厳重で、困難な宮廷の御門。○退り出めやも 「や」は、反語。
【釈】 なおざりにわれが思っているのであったら、あれほどまでに出入りの厳重で困難な御門を、退出して来ようか、来はしないことだ。
(124)【評】 宮廷内に夜も詰めているべき官人が、妹の許へ通って来て、訴えていったものである。ここへ来るに苦労をして来たといって、情愛の深さを示すのは型になっていたことで、これもそれである。言を構えて、辛くも官門を出たというのはおそらく真実であろう。これを憚りなくいうのは、奈良朝時代の心と思われる。歌としては力のあるものである。
 
2569 念《おも》ふらむ その人《ひと》なれや ぬばたまの 夜毎《よごと》に君《きみ》が 夢《いめ》にし見《み》ゆる
    將念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見
 
【語釈】 ○念ふらむその人なれや 「念ふらむ」は、我を思っているだろうところの。「その人なれや」は、その人なのであろうかで、「や」は、疑問の係助詞。○夜毎に君が 「君」は、上の「その人」で、男。○夢にし見ゆる 「し」は、強意。「見ゆる」は、結。
【釈】 我を思っているその人なのであろうか。ぬばたまの夜ごとに君が夢に見えて来ることである。
【評】 女が夜ごと、知らない一人の男を夢に見続けるところから、その人は我を思っているのであろうかと、「君」という敬称を用いて、思い入っていっているのである。夢は霊力の見せるもので、先方がこちらを思うと見えるというのは、根深い信仰で、ここもそれである。信仰的気分の歌で、当時にあっては実感として受け入れられた歌であろう。
 
     或本の歌に云ふ、夜昼《よるひる》と云《い》はず 吾《わ》が恋《こ》ひ渡《わた》る
      或本哥云、夜晝不云 吾戀渡
 
【解】 四、五句の別伝である。夜昼といわず絶え間なく、我は恋いつづけているというので、夢に見える知らない人に対して、我も憧れつづけているといっているのである。こちらは夢ということを略しているので、続きが曖昧になっている。本文の歌の「君」も同じ気分のものであるが、それを前進させたのである。このほうは、事を尽くそうとして感を散漫にし、無力なものにしている。
 
2570 かくのみし 恋《こ》ひば死《し》ぬべみ たらちねの 母《はは》にも告《つ》げつ 止《や》まず通《かよ》はせ
(125)    如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通爲
 
【語釈】 ○かくのみし恋ひば死ぬべみ このようにばかり恋うたならば、死ぬだろうから。「恋ひば」は、母を憚って逢い難くするからのこと。○母にも告げつ 「も」は、詠歎。「告げつ」は、打明けたで、許しを受けたことを余意としたもの。
【釈】 このようにばかり恋うたならば死ぬだろうから、母に打明けました。絶えずお通いなさいませ。
【評】 上代の結婚生活の生んだ歌で、類想の多いものである。複雑した実相が、単純な語で尽くされているために、気分化して、迫る力のあるものとなっている。
 
2571 大夫《ますらを》は 友《とも》の騒《さわき》に 慰《なぐさ》もる 心《こころ》もあらむ 我《われ》ぞ苦《くる》しき
    大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛將有 我衣苦寸
 
【語釈】 ○大夫は友の騒に 「大夫は」は、女より男を尊んでの称で、ここは夫を指している。「友の騒に」は、友達との交際で、笑いさざめくことで。○慰もる 「もる」は、原文「溢」とあるによって訓に諸説がある。『全註釈』は「なぐさふる」と訓んでいるが、今は『代匠記』の訓に従う。○心もあらむ こともあろうの意。○我ぞ苦しき 「我」は、女で、君以外に紛れることとてはなく、苦しいことであるで、「苦しき」は、「ぞ」の結。連体形で、詠嘆を籠めたもの。
【釈】 大夫は、友達との交際で、笑いさざめくことで、心の慰むこともあろう。女の我は苦しいことである。
【評】 疎遠がちにしている夫に対して、来訪をもとめての訴えである。女も相当な年齢となり、夫の疎遠に対しても理解をもち、他の女との関係などとはせず、「友の騒」に慰められて、さみしさなど感じないためであろうとして、女にはそうしたことはなく、君以外には慰めのないことを察してくれと訴えているのである。これは言いかえると、社会的な生活をする男性に較べて、家庭的生活ばかりしている女性の嘆きである。この男女の矛盾は、捉えやすいようにみえるが、他に例のないところから見ても捉えやすくはないのである。知性的にならなければできないことだからである。男に四句を用い、自身は一句にとどめているのも、対照してだからといえ、要を得ている。
 
2572 偽《いつはり》も 似《に》つきてぞする 何時《いつ》よりか 見《み》ぬ人《ひと》恋《こ》ふに 人《ひと》の死《しに》せし
(126)    僞毛 似付曾爲 何時從鹿 不見人戀尓 人之死爲
 
【語釈】 ○偽も似つきてぞする 「似つき」は、今、似つかわしいというと同じで、もっともらしくの意。偽りをいうにも、もっともらしくいうものである。○何時よりか 旧訓「いづくにか」。『代匠記』の訓。いつの時からか。「か」は、疑問の係。○人の死せし 人が死んだのか。
【釈】 嘘も似つかわしい言い方をするものです。いつの時から、見たことのない人を恋うのに、人が死んだのですか。
【評】 男が恋を訴えて、今は恋死にをしそうだといって来たのに対し、女が返事として答えた歌である。双方顔を見たことのないというのは、身分ある階級の者とみえる。「見ぬ人恋ふに人の死せし」は、恋の実相を掴んで簡潔に言い得た語である。嘲りに似た語ではあるが、女の真実というものを大切にしている心がいわしめた語で、悪意の感じられないものである。聡明な、若くない女の歌とみえる。魅力ある歌である。
 
2573 情《こころ》さへ 奉《まつ》れる君《きみ》に 何《なに》をかも 言《い》はず言《い》ひしと 吾《わ》が虚言《ぬすま》はむ
    情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾將竊食
 
【語釈】 ○情さへ奉れる君に 「情さへ」は、身はもとより、心までもで、身心の全部。「奉れる君に」は、差上げている君に。○何をかも 「か」は、疑問の係助詞で、反語となっている強いもの。○言はず言ひしと いわないことをいったとてで、何事か夫に不快なことをいったと咎められたのに対し、そのようなことはいわなかったの意。○吾が虚言はむ 「虚言ふ」は、ぬすむの連続をあらわす語で、偽る意。
【釈】 身はもとより、心までも捧げているあなたに対して、何だって、いわないことをいったなどと偽りましょう、そんなことはいたしません。
【評】 妻が夫に対して、「何をかも吾が虚言はむ」というにつけ、身心の全部を捧げている君であるのにと言い添えて、その誠実を誓った歌である。特殊な取材であるが、実際生活の上ではありうることで、また稀れなことでもない。これを取材としたことが特殊なのである。相聞の歌の実際に即しての拡がりを思わせられる歌である。「言はず言ひしと」は巧みな続けである。
 
2574 面忘《おもわす》れ だにも得《え》為《す》やと 手握《たにぎ》りて 打《う》てどもこりず 恋《こひ》といふ奴《やつこ》
    面忘 太尓毛得爲也登 手握而 雖打不寒 戀云奴
 
(127)【語釈】 ○面忘れだにも得為やと 面忘れだけでもなしうるかと思って。○手握りて打てどもこりず 「手握りて」は、拳を固めての意。「打てどもこりず」は、打つけれども懲りないで、打つのは、恋というものの宿っている自身の体。○恋といふ奴 「恋といふ」は、恋を擬人して、恋という名の。「奴」は、人の家に仕えている奴婢の総称で、賤しめての称。
【釈】 面忘れだけでもなし得るかと思って、拳を固めて打つけれども懲りない、恋という奴は。
【評】 片恋の悩みをしている男の、悩みの余り、悩ませる女よりもまず、悩みをする恋という、自身に宿っているものを憎み、少しでも忘れさせようとする心である。魂は身に宿っているものとしていたので、恋をそのようなものと見たのも不自然ではない。恋を賤しめて「奴」に譬えたのは、自然であるのみならず巧みである。奴はいわゆる賤民で、人格は認めず単に労働力と見做していたもので、命令をきかなければ打って懲らすのが普通だったとみえる。ここもそれである。「面忘れだに」といい、「打てどもこりず」といっているのは、そのことの思い余ってのことだということをあらわしている。熱意をもってすることのおのずから滑稽味を帯びているもので、正しい意味のユーモアに属するものである。恋を奴に譬えることは先例のあるもので、創意ではない。
 
2575 めづらしき 君《きみ》を見《み》むとぞ 左手《ひだりて》の 弓《ゆみ》執《と》る方《かた》の 眉根《まよね》掻《か》きつれ
    希將見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼
 
【語釈】 ○めづらしき 「希将見」の義訓。○君を見むとぞ 旧訓。「ぞ」は、係助詞で、結の結句の「つれ」は、已然形で、格に合わないところから、諸注問題として、誤写説がある。このような用法も稀れにはあったとすべきであろう。○左手の弓執る方の 左方ということを、男の身に即させていったもの。○眉根掻きつれ 「眉根」は、眉。「掻きつれ」は、痒くて掻いたことであった。当時、左のほうの眉だけ痒いのは、珍しい人に逢う前兆だという俗信が行なわれていたとみえる。
【釈】 珍しい君に逢おうというので、左手の弓を執るほうの眉を掻いたことでした。
【評】 女が、珍しくも来訪した夫を、喜び迎えての挨拶である。「左手の弓執る方の」という言い方が特殊であるが、これはその場合がら、わが左の眉ということを、男を主として言いかえたものである。前兆は相手の心の現われとしていたので、この言いかえは気分としても自然である。左の眉と特にいっているのは珍しいものである。
 
(128)2576 人間《ひとま》守《も》り 葦垣越《あしがきご》しに 吾妹子《わぎもこ》を 相見《あひみ》しからに 言《こと》ぞさだ多《おほ》き
    人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曾左太多寸
 
【語釈】 ○人間守り葦垣越しに 「人間守り」は、人目のない隙を窺って。「葦垣越しに」は、往来から、葦垣越しに邸内を見る意。○言ぞさだ多き 「さだ」は、原文「左太」。(二七三二)「左太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも」とあり、時の古語であるとされている。ここはそれでは通じないので、「定め」の語幹であって、噂の意だとされている。一語二義だとするのである。後世の沙汰は仏典から出た語であるが、これと繋がりのある語ではないか。「言ぞさだ」という続きは、「いねらえぬ」を、「いぞねらえぬ」というと同じ形である。噂が多いことであると、詠嘆を籠めたもの。
【釈】 人目のない隙を窺って、葦垣越しに、吾妹子を見たゆえで、噂が多いことであるよ。
【評】 友と一緒に往来を歩いていて、たまたま妹の門を通った時、友の見る目を避けて、葦垣越しに妹を見たのが原因で、噂が高くなった嘆きである。実際の事情に即させての歌である。一般性のない細かい事情に即させる風が、次第に行なわれていたことを示している歌である。
 
2577 今《いま》だにも 目《め》な乏《とも》しめそ 相見《あひみ》ずて 恋《こ》ひむ年月《としつき》 久《ひさ》しけまくに
    今谷毛 目莫令乏 不相見而 將戀年月 久家眞國
 
【語釈】 ○今だにも目な乏しめそ 「今だにも」は、せめて今だけでも。「目な乏しめそ」は、「目」は、逢うこと。「な乏しめそ」は、乏しからしめるな。○久しけまくに 「久しけ」は、形容詞の未然形で、それに推量の「む」と「く」が添って名詞形となったもの。「に」は、詠嘆で、久しいだろうことなのに。
【釈】 今だけでも逢うことを乏しくはするな。相逢わずに、わが恋うるだろう年月は、久しいであろうことなのに。
【評】 夫と久しい別れをしようとする前、その妻の嘆いて訴えた歌である。夫は地方官として赴任する人で、そうした際には準備に忙しくて、平常よりもかえって妻を訪うことのできないところからの訴えであろう。事情には触れず気分のみをいっているのは、当事者間ではこれで心が尽くせるからである。
 
(129)2578 朝寐髪《あさねがみ》 吾《われ》は梳《けづ》らじ 愛《うつく》しき 君《きみ》が手杭《たまくら》 触《ふ》れてしものを
    朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾
 
【語釈】 ○朝寐髪 「朝寐髪」は、朝の寝乱れ髪。○愛しき君が手枕 最愛の君の手枕で、女が男の手枕をした意。○触れてしものを 「てし」は、過去完了。
【釈】 朝の寝乱れ髪をわれは梳るまい。最愛の君が手枕の触れたものだのに。
【評】 年若い妻の、朝、夫と別れようとする時の歌である。夫の名残りを惜しむ心を、朝々の習いとしている朝寝髪を梳ることに集中させているもので、美しい歌である。
 
2579 早《はや》行《ゆ》きて 何時《いつ》しか君《きみ》を 相見《あひみ》むと 念《おも》ひし情《こころ》 今《いま》ぞ和《な》ぎぬる
    早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曾水葱少熱
 
【語釈】 ○早行きて 早く行き着いて。○何時しか君を 「何時しか」は、いつであろうか早く。「君」は、ここは、男が女を指したもので、敬称。○今ぞ和ぎぬる 今こそ和ぎ鎮まったことである。
【釈】 早く行き着いて、早く君を見ようと思った心が、今こそ鎮まったことであるよ。
【評】 久しく妻に逢えなかった男の、逢った喜びをその妻にいったものである。挨拶の範囲の歌であるが、つぶさに気分をあらわしている歌である。
 
2580 面形《おもがた》の 忘《わす》るとあらば あづきなく 男子《をのこ》じものや 恋《こ》ひつつ居《を》らむ
    面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍將居
 
【語釈】 ○面形の忘るとあらば 「面形」は、顔の形。「忘ると」の「と」は、原文「戸」。『全註釈』は、「戸」は訓仮字とすると甲類の音で、乙(130)類の助詞「と」ではないとして才覚の意の語としたが、かかる例は巻二(一五一)にもあったように、今は助詞とする見解に従う。○あづきなく あじきなくと同じで、道理の無い意の形容詞。○男子じものや 「男子じもの」は、男子たるものが。「や」は、疑問の係助詞で、反語となっている。
【釈】 顔の形の忘れていられるならば、道理なく、男子たるものが恋をつづけていようか、いはしない。
【評】 片恋をしている男が、その悩みに堪えぬ余りに、大夫としての自尊心を振い起こして、それによって恋から放れようとする心である。「面形の」と、相手の女を軽んずるような言い方をし、「あづきなく男子じものや」と畳みかけて自負しているという、力を籠めての語続けをしている。しかし面形という感覚的の語が、結局忘れられないことを暗示している歌で、陰影のある作である。
 
2581 言《こと》に云《い》へば 耳《みみ》に容易《たやす》し 少《すくな》くも 心《こころ》の中《うち》に 我《わ》が念《おも》はなくに
    言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二
 
【語釈】 ○言に云へば耳に容易し 言葉としていえば、耳に何事でもなく聞こえる。○少くも心の中に我が念はなくに 「少くも」は、下に「念はなく」の否定で受ける語法で、少なく心の中に思っていることではないで、甚だ思っているの意。
【釈】 言葉としていえば、耳に何ほどのことでもなく聞こえる。少なくは、心の中にわが思っていることではないのに。
【評】 女に懸想の心を打明けた男の歌で、地歩を占めての言い方である。語少なく、含蓄をもたせた歌である。初二句も、三句以下も先例のあるもので、その点では、少しの創意もないものである。それで十分心を尽くせたのである。
 
2582 あづきなく 何《なん》の狂言《たはごと》 今更《いまさら》に 小童言《わらはごと》する 老人《おいびと》にして
    小豆奈九 何狂言 今更 小童言爲流 老人二四手
 
【語釈】 ○あづきなく何の狂言 「あづきなく」は、道理もなく。「何の狂言」は、何というものに狂った言をかで、下へ続く。○今更に小童言する 「小童言」は、童の語で、道理なき言で、今さらに小童言するのであるかで、二句を結んだもの。無分別なことをいう意。「する」は、連体形で、嘆きをもっていったもの。○老人にして 分別ある老人であって。「老人」は、早くから老をいった時代なので、さしたる年齢ではない。
(131)【釈】 道理なく、何というものに狂った言の、今さらに小童のような言をいうのであるか。老人であって。
【評】 分別の熟した年齢の男が、若い者に似た恋をしつつ、我と我を咎めた心である。人としてはありうべきことであるが、世間的に見て有るまじきこととして咎めていることで、大夫は恋などすべきではないと自賛する心と通うものである。初二句、三、四句と、同じ心を語をかえて畳みかけて責めているところに、その気息が現われている。同時にそこに気弱さも窺われる。
 
2583 相見《あひみ》ては 幾久《いくひさ》さにも あらなくに 年月《としつき》の如《ごと》 思《おも》ほゆるかも
    相見而 幾久毛 不有尓 如年月 所思可聞
 
【語釈】 ○幾久さにも 巻四(六六六)に既出。どれほど久しくも。
【釈】 相逢ってからは、どれほど久しくもないことであるのに、年月と長い間のようにも思われることであるよ。
【評】 一般的な心を、説明的にいった歌である。
 
2584 大夫《ますらを》と 念《おも》へる吾《われ》を かくばかり 恋《こひ》せしむるは あしくはありけり
    大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在來
 
【語釈】 ○恋せしむるは 恋をさせるのは。○あしくはありけり 原文「小可者在来」。「小可」は、巻七(一二五八)「聞き知れらくは少可者有来」と出たその少可と同じである。良くないことであった。
【釈】 大夫と思っている我だのに、これほどまでに恋をさせるというのは、良くないことであった。
【評】 片恋のやや久しきにわたった頃、男が愚痴まじりに訴えて贈った歌である。「大夫と念へる吾を」は、大夫は恋などすべき者ではないとして、せずに来たわれであるのにで、それに「恋せしむるは」といって、責任を女に帰し、「あしくはありけり」と、道義的に責めた歌である。一首、気弱い愚痴で、その意味での気分の現われている歌である。
 
2585 かくしつつ 吾《わ》が待《ま》つしるし あらぬかも 世《よ》の人《ひと》皆《みな》の 常《つね》ならなくに
(132)    如是爲乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國
 
【語釈】 ○かくしつつ吾が待つしるし このようにしつづけて、待っている甲斐は。すなわち恋の成り立つことは。○あらぬかも 『略解』の訓。「ぬかも」は、願望をあらわす。(二三八四)ほかしばしば出た。あってくれないかなあ、あってくれよの意。○世の人皆の常ならなくに 世の中の人はすべて、永久の命はもっていないことだのに。
【釈】 このようにしつづけて、われが待っている甲斐があってくれないかなあ。世の中の人はすべて、永久の命はもっていないことだのに。
【評】 片恋を永く続けながら、諦めかねている男の、女に訴えて贈った歌である。独詠ともみえるような詠み方をしているのは、事情がそうせざるを得なかったからとみえる。心は常套的なものであるが、調べの低いところが、その気分を生かそうとしている。
 
2586 人言《ひとごと》を 繁《しげ》みと君《きみ》に 玉梓《たまづさ》の 使《つかひ》も遣《や》らず 忘《わす》ると思《おも》ふな
    人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名
 
【語釈】 ○繁みと君に 『古義』の訓。諸注さまざまに改訓している。人の口がうるさいゆえにと思って。「君」は、男より女を指しての敬称。
【釈】 人の口がうるさいからと思って君に使もやらずにいる。忘れてのこととは思うな。
【評】 男より女に贈ったものであろう。実用の歌で、それ以上のものではない。
 
2587 大原《おほはら》の 古《ふ》りにし郷《さと》に 妹《いも》を置《お》きて 吾《われ》寐《い》ねかねつ 夢《いめ》に見《み》えこそ
    大原 古郷 妹置 吾稻金津 夢所見乞
 
【語釈】 ○大原の古りにし郷に 「大原」は、奈良県高市郡明日香村の小原。「古りにし郷」は、故京をふる里という、その関係の称で、故京のほとりの里としていっているものである。奈良遷都の後、広く飛鳥地方をふる里と呼んでの称と思われる。○妹を置きて 妹を残して置いてで、奈良京にあっていっているもの。○夢に見えこそ 妹が夢に見えてくれよで、「こそ」は、願望の助詞。
(133)【釈】 大原の古くなってしまった里に妹を残して置いて、我は恋しさに眠り得ずにいる。夢に見えてくれよ。
【評】 遷都の直後には、こうした事はありがちで、むしろ一般的なことであったろう。事を素朴に詠んだものであるが、その事がすでに気分になっているものなので、おのずからに潤いを帯びた歌となっている。
 
2588 夕《ゆふ》されば 公《きみ》来《き》まさむと 待《ま》ちし夜《よ》の 名残《なごり》ぞ今《いま》も 寐《い》ねかてにする
    夕去者 公來座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝爲
 
【語釈】 ○名残ぞ 「ぞ」は、名残を指示するとともに、係助詞になっている。○今も寐ねかてにする 今も眠ることができずにいるで、「する」は、結。
【釈】 夕方になると、君がいらっしゃろうと思って待った夜の名残りで、今も眠りかねることであるよ。
【評】 何らかの事情で夫に別れた女の、夫を思う気分を詠んだ歌である。その事情には触れず、ただ夜も眠りかねることだけをいっているのである。眠れないのは夫を思ってからのことであるが、そうとはいわず、強いて理由をつけて、「待ちし夜の名残ぞ」といっているのである。貴族的な、気取った言い方をとおして、夫の恋しい気分をいっているのである。それを、一読もっともに、あわれに感じさせるのは、鋭敏な感性と、婉曲に物をいう教養との相俟ってさせていることである。無理なことをもっともに感じさせるという意味においては、すぐれた才を示している歌である。「夕されば」「夜の」という使い分けも、いささかのことではあるが行き届いた表現である。
 
2589 相思《あひおも》はず 公《きみ》はあるらし ぬばたまの 夢《いめ》にも見《み》えず 誓約《うけ》ひて寐《ぬ》れど
    不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡
 
【語釈】 ○ぬばたまの夢にも見えず 「ぬばたまの」は、夢の枕詞としている。夜のものという関係からである。○誓約ひて寐れど 「誓約ひ」は潔斎して神意を受ける行事であるが、転じて、祈念して事の行なわれることを期する意となった。ここはそれである。
【釈】 我を思わずに君はいるらしい。夜の夢にも見えない。「誓約ひ」をして寝たけれども。
(134)【評】 男より疎遠にされている女の嘆きである。先方がこちらを思えば、必ず夢に見えるという信仰の上に立ち、しかも「誓約ひ」をして寝たけれども見えなかったと嘆いているのである。朝、昨夜のことを思い返しての心である。
 
2590 石根《いはね》踏《ふ》み 夜道《よみち》往《ゆ》かじと 念《おも》へれど 妹《いも》によりては 忍《しの》びかねつも
    石根蹈 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛
 
【語釈】 ○石根踏み 「石根」は、岩。岩を踏むというのは、山越しをすることと思える。○忍びかねつも こらえかねることであった。
【釈】 岩を踏んでの夜道は往くまいと思ったが、妹によってのことはこらえ得られなかった。
【評】 女に逢った時の挨拶の歌である。山越しの夜道は危険だと思いつつ、妹に逢いたさに、つい出かけたというのである。実情を訴えたものである。
 
2591 人言《ひとごと》の しげき間《ま》守《も》ると 逢《あ》はずあらば 終《つひ》にや子《こ》らが 面《おも》忘《わす》れなむ
    人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南
 
【語釈】 ○人言のしげき間守ると 人の噂のうるさい隙を窺ってとで、躊躇している意。○終にや子らが 旧訓。「や」は、疑問の係助詞。「子ら」は、「ら」は、接尾語で、かわゆい女の。○面忘れなむ 面を見忘れるであろうか。
【釈】 人の口のうるさい隙を窺ってと思って、逢わずにいるならば、終には妹の顔を見忘れるであろうか。
【評】 男の独詠である。「子ら」は関係を結んでほどもない女で、人の口のうるさいのに躊躇させられていると、自然関係が絶えてしまいそうな不安を感じた心である。男の身分が高く、女との関係はかりそめな、思い入ったものではなかったろうと思わせる口吻である。当時の結婚にあってはありうべきものであったろう。
 
2592 恋《こ》ひ死《し》なむ 後《のち》は何《なに》せむ 吾《わ》が命《いのち》の 生《い》ける日《ひ》にこそ 見《み》まく欲《ほ》りすれ
(135)    戀死 後何爲 吾命 生日社 見幕欲爲礼
 
【釈】 ○恋ひ死なむ後は何せむ 「恋ひ死なむ後」は、片恋のために恋死にをした後。「何せむ」は、何にしようかで、何になろうか。
【釈】 恋死にをするだろう後には、何にしようか。わが命の生きている日にこそ、逢いたいことである。
【評】 片恋をしている男の、相手の女に訴えて贈ったものである。心は徹底した現実主義で、調べも高調子で、いずれも誇張を帯びたものである。訴えの歌だからである。巻四(五六〇)大伴百代の「こひ死なむ後は何せむ生ける日の為こそ妹を見まく欲りすれ」は、この歌を取ったもので、魅力ある歌だったとみえる。
 
2593 しきたへの 枕《まくら》動《うご》きて 寝《い》ねらえず 物《もの》念《おも》ふ此夕《こよひ》 早《はや》も明《あ》けぬかも
    敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨
 
【語釈】 ○しきたへの枕動きて寝ねらえず 「しきたへの」は、枕詞。「枕動きて」は、上の(二五一五)に出た。眠られずして寝返りを打つために動く枕を、反対に、枕が動くために眠られないと言いかえたもの。○早も明けぬかも 『略解』の訓。早く明けないのかなあ、明けてくれよ。
【釈】 しきたえの枕が動いて眠られない。物思いをする今夜は、早く明けないのかなあ。
【評】 男の歌で、物思いのために終夜眠れそうもない気分をいっているものである。何ゆえの物思いともいわず、物思いそのものの状態をいっているのである。「枕動きて寝ねらえず」は、気分よりの語であるが、これが一首を貫いているのである。重い姿をもった歌である。
 
2594 往《ゆ》かぬ吾《われ》 来《こ》むとか夜《よる》も 門《かど》閉《さ》さず あはれ吾妹子《わぎもこ》 待《ま》ちつつあらむ
    不徃吾 來跡可夜 門不閇 ※[立心偏+可]怜吾妹子 待筒在
 
【語釈】 ○往かぬ吾 旧訓。○来むとか夜も門閉さず 『略解』の訓。来ようかと、夜も門を閉ざさずして。○あはれ吾妹子 「あはれ」は、かわいそうに吾妹子は。
(136)【釈】 往かない我を、来ようかと思って、夜も門を閉ざさずして、かわいそうに吾妹子は待ち続けていよう。
【評】 妻の許へ行くと約束をして置いて、急に何らかの都合で行けなくなった男の心である。「夜も門閉さず」と細かく事を尽くしているところに隣れみがある。
 
2595 夢《いめ》にだに 何《なに》かも見《み》えぬ 見《み》ゆれども 吾《われ》かも迷《まと》ふ 恋《こひ》の繁《しげ》きに
    夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓
 
【語釈】 ○夢にだに何かも見えぬ 夢にだけなりとも、どうして見えないのであろうか。「かも」は、疑問の係。○見ゆれども吾かも迷ふ 「迷ふ」は、正しく認め得ない意で、見えるけれども、正しく認め得ないのか。○恋の繁きに 恋の繁くあるために。
【釈】 夢にだけなりとも、どうして見えないのであろうか。見えるけれども、正しく認め得ないのであろうか。恋の繁くあるために。
【評】 男の歌で、妻ではあるが、逢い難くしている女を恋うての心である。「夢にだに何かも見えぬ」は、直接には逢えなくても、夢にだけでもという心と、先方がこちらを思えば、必ず夢になって見えて来るということを背後にしていっているもので、その見えないことを訝かっての自問である。「見ゆれども吾かも迷ふ」は、先方の愛を訝かった心を押し返して、そういうはずはない、自分が見紛うのであろうかと、さらに訝かって自問を重ねたのである。「恋の繁きに」は、上の全部を否定し、一切を自分のせいにして、恋の繁さの心乱れに帰したのである。複雑した気分を単純な形にしてあらわしたものである。上の(二五三九)「相見ては千歳や去ぬる否をかも我やしか念ふ公待ちがてに」と酷似した構成である。この歌の影響を受けての作であろう。
 
2596 慰《なぐさ》もる 心《こころ》はなしに かくのみし 恋《こ》ひや渡《わた》らむ 月《つき》に日《ひ》にけに
    名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊
 
【語釈】 ○慰もる 慰むると並び行なわれた語。○月に日にけに 「け」は、日で、月に日に日にで、絶えずいつまでも。
(137)【釈】 心の慰むことはなく、このようにばかり恋い続けることであろうか。月に日に日に。
【評】 男の片恋の苦しさを嘆いた心である。我と心をやるための歌で、総括して詠嘆しているものである。心は平凡であるが、調べには、思い入った気分が現われている。
 
     或本の歌に曰はく、沖《おき》つ浪《なみ》 しきてのみやも 恋《こ》ひ渡《わた》りなむ
      或本哥曰、奧津浪 敷而耳八方 戀度奈牟
 
【解】 三句以下の別伝である。「沖つ浪」は、重ねて寄せる意で、「しき」の枕詞。「しきてのみやも」は、重ねてばかりにで、募るばかりに。「やも」は、疑問で、反語となる場合の多い語であるが、ここは疑問だけである。募るばかりに恋い続けることであろうか。別伝とはいうが、全く別な歌とみえるものである。このほうが形は豊かであるが、気分のとおっている上では、本文のほうがまさっている。
 
2597 いかにして 忘《わす》るるものぞ 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひは益《まさ》れど 忘《わす》らえなくに
    何爲而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二
 
【語釈】 ○忘るるものぞ 『古義』の訓。どうしたら忘れるものであろうか。○忘らえなくに 忘れられないことだ。
【釈】 どうしたら忘れるものであろうか。吾妹子に恋は募って行くが、忘れられないことだ。
【評】 素朴な歌である。二句の「忘るるものぞ」を、結句で「忘らえなくに」と繰り返しているところ、謡い物的である。
 
2598 遠《とほ》くあれど 公《きみ》にぞ恋《こ》ふる 玉桙《たまほこ》の 里人《さとびと》皆《みな》に 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方
 
【語釈】 ○遠くあれど公にぞ恋ふる 遠く逢い難い所にいるけれども、その公に我は恋うることである。○玉桙の里人皆に 「玉桙の」は、道の(138)枕詞であるが、ここは里にかけている。道と里との密接な関係から転じさせたものとみえる。「里人皆に」は、身近にいる誰にでもの意で、逢うを中心としての語。
【釈】 遠い所にいるけれども、その君を恋うていることである。里の人皆にわれは恋いようか恋いはしない。
【評】 遠い所へ往って住んでいる男に対して、女が真実を誓う心で贈った歌である。部落生活をしている庶民同士で、誓い方が特殊である。「遠くあれど」と「里人皆」とを対照させているのは、夫婦関係というよりむしろ相逢う機会の有無ということに力点を置いての言い方だからである。四、五句の強い言い方は、いかに実際的であったかを思わせるに足りる。
 
2599 験《しるし》なき 恋《こひ》をもするか 夕《ゆふ》されば 人《ひと》の手《て》枕《ま》きて 寐《ね》なむ児《こ》ゆゑに
    驗無 戀毛爲鹿 暮去者 人之手枕而 將寐兒故
 
【語釈】 ○験なき恋をもするか 甲斐の無い恋をしていることであるよで、「か」は、詠嘆。○人の手枕きて寐なむ児ゆゑに 他人の手を枕として寝るであろう可愛ゆい女のゆえに。「児」は、愛称。
【釈】 甲斐の無い恋をしていることであるよ。夜になると、他人の手を枕にして寝るであろう可愛ゆい女のゆえに。
【評】 人妻に懸想しての嘆きである。夫婦同棲していず、しかも関係を秘密にしていたので、人妻であることを知らずに懸想することが自然起こりやすかったのである。気分的に詠み生かしている。
 
2600 百世《ももよ》しも 千世《ちよ》しも生《い》きて あらめやも 吾《わ》が念《も》ふ妹《いも》を 置《お》きて嘆《なげ》かふ
    百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆
 
【語釈】 ○百世Lも干世しも生きてあらめやも 「世」は、年。「しも」は、強意の助詞。「や」は、反語。百年も千年も生きていようか、いはしない。下の条件法となっている。○置きて嘆かふ 「嘆かふ」は、『全註釈』の訓。「置きて」は、後に残して来て。「嘆かふ」は、嘆くの継続。
【釈】 百年も千年も生きていようか、いはしない。それだのに、わが思う妹を後に残して来て嘆きつづけている。
(139)【評】 地方官の、長い任地生活をしながら、家に置いて来た妻を思っている心であろう。初句から三句までは仏教の無常観であろう。「吾が念ふ妹を置きて嘆かふ」は、この種の嘆きとしては特殊な言い方で、知識人を思わせるものである。すぐれた歌とはいえないが、特色のあるものである。
 
2601) 現《うつつ》にも 夢《いめ》にも吾《われ》は 思《おも》はざりき 旧《ふ》りたる公《きみ》に ここに会《あ》はむとは
    現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間將會十羽
 
【語釈】 ○旧りたる公に 関係の古くなっている公にで、以前関係していた公に。○ここに会はむとは ここで、めぐり逢おうとは。
【釈】 現実にも夢にも私は思いませんでした。時久しくなっているあなたに、ここでお目にかかろうとは。
【評】 女が古く関係していた男と、思い寄らない所でめぐり逢った時の挨拶である。驚き喜んだ気分のさながらに現われている歌である。一脈の人世味の伝わり来るものがある。
 
2602 黒髪《くろかみ》の 白髪《しろかみ》までと 結《むす》びてし 心《こころ》一《ひと》つを 今《いま》解《と》かめやも
    黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方
 
【語釈】 ○黒髪の白髪までと 黒髪が白髪となるまでといって。これは生涯変わるまいとの意の譬喩で、ほかにも用例のあるもの。○結びてし心一つを 「結びてし」は、日本書紀に「約」を「むすぶ」と訓んでおり、約束をする意。上代は重い語だったのである。「て」は、完了。「心一つ」は、心で、「一つ」は、強調する意で添えた語。しかし「結びてし」に気分のつながりをもったものである。結んだところの心を。○今解かめやも 「今」は、その時ではない中間の今。「解かめやも」は、解くは結ぶの反対で、「や」は、反語。解こうか、解きはしないと強くいったもの。
【釈】 黒髪の白髪となるまで変わるまいといって結んだところの心を、今にして解こうか解きはしない。
【評】 結婚後さして時のたたない妻が、夫から不信の疑いを受けた時、それを弁明しようとして、詠んだ歌である。事柄には触れず、妻としてもっている真実の心持だけをいったものである。言い方は、女のこととて髪に絡ませて「黒髪」「白髪」「結ぶ」「解く」など多くを用いているので、やや華やかな趣をもつたものとなっているが、不自然とまではいえない。別居生活をしているので、こうした葛藤は少なくなかったろう。身分ある階級の者の言い方である。
 
(140)2603 心《こころ》をし 君《きみ》に奉《まつ》ると 念《おも》へれば よしこの頃《ごろ》は 恋《こ》ひつつをあらむ
    心乎之 君尓奉跡 念有者 縱比來者 戀乍乎將有
 
【語釈】 ○心をし君に奉ると わが心を君に差上げていると。「し」は、強意。○念へれば 念いあればで、念っているので。○よしこの頃は恋ひつつをあらむ 「よし」は、しばらく許す意の副詞。「を」は、感動の助詞。よしこの頃は、恋いつづけて居よう。
【釈】 心を、君に捧げていると思っているので、よし当分は恋いつづけて居よう。
【評】 足遠くしている夫を恨めしく思いながら、強いて抑えようとしている妻の、夫に贈った歌である。とやかく思うのは心のすることであるが、その心はすでに君に捧げているもので、勝手に動かすべきものではないというのは、強いて設けた儀礼的な語である。「よしこの頃は」と余意を残して訴えるのが本心である。才の利いた歌である。
 
2604 念《おも》ひ出《い》でて 哭《ね》には泣《な》くとも いちしろく 人《ひと》の知《し》るべく 嘆《なげ》かすなゆめ
    念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆爲勿謹
 
【語釈】 ○哭には泣くとも 声を立てて泣くことであるが、単に泣く意に用いられる場合が多い。ここもそれである。○嘆かすなゆめ 「嘆かす」は、敬語。「ゆめ」は、決しての意の禁止。
【釈】 我を思い出して泣くことがあろうとも、はっきりと、人の知りそうな嘆きはなさいますな、決して。
【評】 女から男に、答歌として贈ったものである。「念ひ出でて哭には泣くとも」は、贈歌を承けていっているものと取れる。「人の知るべく」は、関係そのものの上からも、世間体からも避けた意である。女のほうが世馴れている感のする歌である。
 
2605 玉桙《たまほこ》の 道行《みちゆ》きぶりに 思《おも》はぬに 妹《いも》を相見《あひみ》て 恋《こ》ふる頃《ころ》かも
    玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨
 
(141)【語釈】 ○道行きぶりに 道での擦れちがいにで、出違った意。○思はぬに妹を相見て 思いがけずに女を見て。
【釈】 往来での擦れちがいに、思いがけずも女を見て、憧れているこの頃であるよ。
【評】 実際に多かったことと見え、類想の歌が多い。これはその中でも素朴なものである。
 
2606 人目《ひとめ》多《おほ》み 常《つね》かくのみし 候《さも》らはば いづれの時《とき》か 吾《わ》が恋《こ》ひざらむ
    人目多 常如是耳志 候者 何時 吾不戀將有
 
【語釈】 ○人目多み 人目が多いゆえに。○候らはば 隙を窺っていたならば。
【釈】 人目が多くて、常にこのようにばかり隙を窺っているのであったら、いつの時とて我は恋いずにいられようか。
【評】 夫婦関係が秘密になっていることからの嘆きである。熱意をもって事を細叔しているので、おのずからに抒情味の強いものとなっている。
 
2607 敷細《しきたへ》の 衣手《ころもで》かれて 吾《わ》を待《ま》つと 在《あ》るらむ子《こ》らは 面影《おもかげ》に見《み》ゆ
    敷細之 衣手可礼天 吾乎待登 在濫子等者 面影尓見
 
【語釈】 ○衣手かれて 「衣手」は、袖。「かれて」は、離れてで、袖を分かって。別れてということを、具象的にいったもの。○吾を待つと在るらむ子らは われの往くのを待つとて、いるだろう子はで、「子ら」は、子で、妻の愛称。
【釈】 連ねていた袖を離れて、われが行くを待つとて、いるであろうかわゆい妻は、面影に立って見える。
【評】 妻を思う気分であるが、初句より四句までの語続きは、旅の別れをして、さしあたり逢う望みのない意のものであろう。気分をいっているもので、事情には触れないものである。
 
2608 妹《いも》が袖《そで》 別《わか》れし日《ひ》より 白妙《しろたへ》の 衣《ころも》片敷《かたし》き 恋《こ》ひつつぞ寐《ぬ》る
(142)    妹之袖 別之日從 白細乃 衣片敷 戀管曾寐留
 
【語釈】 ○妹が袖別れし日より 妹が袖と別れた日から。○衣片敷き わが衣だけを敷いて。ひとり寝をいう慣用句。
【釈】 妹が袖と別れた日から、わが衣だけを敷いて妹を恋いつつ寝ていることである。
【評】 旅にあっての歌で、女に贈った形のものである。「妹が袖」「衣片敷き」と、夜床に絡ませていっているものである。
 
2609 しろたへの 袖《そで》は紕《まゆ》ひぬ 我妹子《わぎもこ》が 家《いへ》のあたりを 止《や》まず振《ふ》りしに
    白細之 袖者問結奴 我妹子我 家當乎 不止振四二
 
【語釈】 ○袖は紕ひぬ 「紕ふ」は、織物が古びて、織糸の片寄った状態をいう語。巻七(一二六五)巻十四(三四五三)の「まよひ」に同じ。袖の織糸が片寄ってしまった。○家のあたりを止まず振りしに 「家のあたりを」は家のあたりに向かって。
【釈】 わが袖の織糸は片寄った。我妹子の家の辺りに向かって、やまずに振ったので。
【評】 妹との名残りを甚しく惜しんだ意を、妹に告げてやった歌である。これも旅に行く男の心で、誇張はそのゆえと取れる。
 
2610 ぬばたまの 吾《わ》が黒髪《くろかみ》を 引《ひ》きぬらし 乱《みだ》れて反《きら》に 恋《こ》ひわたるかも
    夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨
 
【語釈】 ○吾が黒髪を引きぬらし 「引きぬらし」は、「引き」は、接頭語。「ぬらし」の「ぬる」は、巻二(一一八)に既出。その他動詞。女が夫と共寝をする夜は、髪を解いて床の上に靡かすのが習いであり、その意の歌はすでに出た。ここもそれで、待つ夫を待ち得なかったことを背後に置いているもの。解いた髪は乱れる意で、「乱れ」と続き、初句よりこれまではその序詞。○乱れて反に 原文「乱而反」。「反」は、諸注訓み難くして、誤写説を立てているものである。これは『新訓』の訓で、「反」は、「更」で、「かはる」の意より「さらに」に当てたとしているのである。心が乱れてさらに。
(143)【釈】 黒髪を解き靡かして乱れるように、心が乱れてさらに恋い続けていることであるよ。
【評】 夫を待って待ち得ない妻の、恋の乱れた心をいったもので、夫に贈ったものである。一首、気分をいっているもので、「ぬばたまの吾が黒髪を引きぬらし」は、譬喩としての序詞であるが、夜床に夫を待つ意を暗示しているもので、気分の濃厚なものである。「乱れて反に恋ひわたるかも」も、心としては訴えであるが、形は独詠に似たもので、婉曲な言い方である。これも気分的である。身分ある階級の歌で、新風である。
 
2611 今更《いまさら》に 君《きみ》が手枕《たまくら》 纏《ま》き宿《ね》めや 吾《わ》が紐《ひも》の緒《を》の 解《と》けつつもとな
    今更 君之手枕 卷宿米也 吾紐緒乃 解都追本名
 
【語釈】 ○吾が紐の緒の解けつつもとな 「紐の緒」は、紐を強めていったもので、畳語。「紐」は下紐である。「解けつつ」は、連続。下紐のおのずから解けるのは、人から思われているためとも、また人に逢へる前兆ともした。「もとな」は、筋もたたないことだ。
【釈】 今さらに君の手枕をして寝ようか、そんなことは無い。それだのにわが下紐が解けつづけて、筋もたたないことだ。
【評】 固い決心をもって夫と絶縁した女の心である。「吾が紐の緒の解けつつ」という状態に対して、昂奮を新たにしている心である。極度に強いことをいいつつ、一脈心弱さがまじっていて、それが、陰影をなしている歌である。
 
2612 しろたへの 袖《そで》に触《ふ》れてよ 吾《わ》が背子《せこ》に 吾《わ》が恋《こ》ふらくは 止《や》む時《とき》もなし
    白細布乃 袖觸而夜 吾背子尓 吾戀落波 止時裳無
 
【語釈】 ○しろたへの袖に触れてよ 「よ」は、「ゆ」と同じく、君の袖に触れた時からで、共寝ということを、婉曲に美しくいったもの。
【釈】 しろたえの君が袖に触れてからは、わが背子を恋うることは、止む時もない。
【評】 夫婦関係を結んだばかりの若い女が、その夫に衷情を訴えたものである。「しろたへの袖に触れてよ」という言い方は、心つつましい言い方であるが、おのずから新味をなしているものである。
 
(144)2613 夕卜《ゆふけ》にも 占《うら》にも告《の》れる 今夜《こよひ》だに 来《き》まさぬ君《きみ》を 何時《いつ》とか待《ま》たむ
    夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不來君乎 何時將待
 
【語釈】 ○夕卜にも占にも告れる 「夕卜」は、上の(二五〇六)に「言霊の八十の衢に夕占問ふ」と出た。夕方、辻に立って、路行く人の語によってわが事を判ずる占い。「占」は、占い。「告れる」は、現われて告げた。○今夜だに その今夜でさえも。○何時とか待たむ いつ来ますと待とうかで、望みのない嘆き。
【釈】 夕卜にも、また占いにも、霊力が来ると告った今夜でさえもいらっしゃらない君を、いつと待とうか。
【評】 夫に疎遠にされている妻の嘆きで、類想の多いものである。重い調べをもって、思い入っていっているので嘆きが気分となって現われている趣がある。庶民的な歌で、上代の庶民の女性を思わせる。
 
2614 眉根《まよね》掻《か》き 下《した》いふかしみ 思《おも》へるに いにしへ人《びと》を 相見《あひみ》つるかも
    眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨
 
【語釈】 ○眉根掻き下いふかしみ思へるに 「眉根掻き」は、眉の痒いのは人に逢う前兆だとの信仰よりのもの。「下いふかしみ」は、「下」は、心の中。「いふかしみ」は、形容詞「いふかし」の動詞となった語。心の中で不思議に思っていると。そうした人の心当たりのないからの意。○いにしへ人を 以前に関係のあった人で、昔の夫。
【釈】 眉の痒いのを掻いて、心当たりもないので、心の中で訝かしく思っていると、昔の君に逢ったことであるよ。
【評】 関係の絶えてしまっていた以前の夫の、思いも寄らず訪い来たったのを迎えて、女の驚き喜んでの挨拶である。「眉根掻き」で、その逢ったことを神の引合わせのごとくにいい、「下いふかしみ」で、逢うべき人のないことを暗示している点など、この場合きわめて適切な語である。世馴れた女の歌である。
 
     或本の歌に曰はく、眉根《まよね》掻《か》き 誰《たれ》をか見《み》むと 思《おも》ひつつ け長《なが》く恋《こ》ひし 妹《いも》に逢《あ》へるかも
      或本哥曰、眉根掻 誰乎香將見跡 思乍 氣長戀之 妹尓相鴨
 
(145)【解】 眉のかゆいのを掻いて、誰に逢うのだろうかと思いつついて、年久しく恋うていた妹に逢ったことである。
【評】 これは男の歌で、別伝扱いはしているが、独立した歌で、類歌というべきである。境は似ているが、上の歌に見える細かい心の働きはない、むしろ平凡な歌である。
 
     一書の歌に曰はく、眉根《まよね》掻《か》き 下《した》いふかしみ 念《おも》へりし 妹《いも》が容儀《すがた》を 今日《けふ》見《み》つるかも
      一書歌曰、眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香裳
 
【解】 眉を掻いて、内心、どんな心持でいるだろうとわからずにいた妹の姿を、今日初めて見たことであるよ。
【評】 これは男が、懸想していた女と初めて逢った歓びをいっているもので、上の歌と同じく、これも別伝ではなく独立した歌である。二、三句の「下いふかしみ念へりし」は、本文と形は似ているが、内容は全く別で、本文の「下いふかしみ思へるに」は作者自身の心であるのに、この歌では、相手の女の心中の測り難さをいったものとなっているのである。本文の歌のようなことは、当時の夫婦関係にあっては必ずしも稀れなことではなく、一般性のあることであったろう。したがってその語つづきの巧妙さに魅せられた者は、謡い物時代の風によって、それを取り入れて自身の心を詠むのは平気だったろうと思われる。そうした歌を文芸的な角度から観て、語の類似のやや多いものは別伝と見做したのであろう。上の二首の歌は、口誦文学と記載文学との中間に立っての詠み方のものである。
 
2615 しきたへの 枕《まくら》を巻《ま》きて 妹《いも》と吾《われ》と 寐《ぬ》る夜《よ》はなくて 年《とし》ぞ経《へ》にける
    敷栲乃 枕卷而 妹与吾 寐夜者無而 年曾經來
 
【語釈】 略す。
【釈】 枕をして、妹とわれと共寝をすることはなくて、年を経たことである。
【評】 人に秘密にしている関係から、妻と逢い難くしていることを嘆いた歌である。「しきたへの枕を巻きて」と、特殊のことのように重くいっているのは、世の常のことのできないことをあらわそうとしてのことで、それが作意である。
 
(146)2616 奥山《おくやま》の 真木《まき》の板戸《いたど》を 音《おと》速《はや》み 妹《いも》があたりの 霜《しも》の上《うへ》に宿《ね》ぬ
    奧山之 眞木乃板戸乎 音速見 妹之當乃 霜上尓宿奴
 
【語釈】 ○奥山の真木の板戸を 「奥山の」は、真木の所在としてかかる枕詞。「真木」は、主として檜。それをもって造った板戸を。○音速み 「速み」は、鋭く烈しい意の形容詞で、そのゆえに。母などが眼を覚ますのを怖れて開け得ずしての意。○霜の上に宿ぬ 「宿ぬ」は、共寝をした。
【釈】 真木の板戸の音が烈しいので、妹の家のあたりの霜の上に共寝をした。
【評】 家人に関係を秘密にしているのと、家が狭いのとで、戸外で、夫婦相逢うことは、特別のことではなかった。「奥山の真木の板戸」と「霜の上」は、作為を思わせる語である。調べも整っていて、古い趣がある。謡い物として庶民の問に伝わっていたものではなかろうか。
 
2617 あしひきの 山桜戸《やまざくらと》を 開《あ》け置《お》きて 吾《わ》が待《ま》つ君《きみ》を 誰《たれ》か留《とど》むる
    足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流
 
【語釈】 ○あしひきの山桜戸を 「あしひきの」は、山の枕詞。「山桜戸」は、山桜の板をもって造った戸。○誰か留むる 誰が引き留めているのかで、来ないのを、留める者の責任にしたもの。
【釈】 山桜の戸を開けて置いて、我が待っている君を、誰が引き留めているのであるか。
【評】 これは上の歌と対をなしているごとくみえる歌である。こちらは女の歌で、「あしひきの山桜戸を開け置きて」と、華やかさと明るさのあるものとなり、また「誰か留むる」と、嫉妬とはいえ、柔らかみのあるものとなっている。この歌も作為の匂いのあるもので、上の歌よりも濃い。異なる点は、上の歌は古風な重い響をもっているのにこれは軽く滑らかで、新しさを思わせる点である。謡い物であったろうと思われる。
 
2618 月夜《つくよ》よみ 妹《いも》に逢《あ》はむと 直路《ただぢ》から 吾《われ》は来《き》つれど 夜《よ》ぞふけにける
(147)    月夜好三 昧二相跡 直通柄 吾者雖來 夜其深去來
 
【語釈】 ○月夜よみ 月が好いので。○直路から 「直路」は、直線的な道で、近道の意。すぐ路と同じ。「から」は、通って。
【釈】 月がよいので、妹に逢おうと思って、まっすぐな近道を通って来たけれども、夜の更けてしまったことだ。
【評】 妹の家への路に立っての心である。「月夜よみ」が、妹を訪う原因になっているのであるが、照明の得やすくなく、用いかねる事情の下では、夜道はできないものだったのである。また妹の家も近くはないことも関係している。「夜ぞふけにける」と嘆いているが、明るい気分をもった歌である。
 
     物に寄せて思を陳ぶ
 
【標目】 人麿歌集以外の物として、別に扱ったものである。
 
2619 朝影《あさかげ》に 吾《わ》が身《み》はなりぬ 韓衣《からころも》 裾《すそ》の逢《あ》はずて 久《ひさ》しくなれば
    朝影尓 吾身者成 辛衣 襴之不相而 久成者
 
【語釈】 ○朝影に吾が身はなりぬ 「朝影」は、朝日を受けて地に映る影法師で、細長いところから「痩せ」の譬喩。上の(二三九四)に出た。朝の影法師のようにわが身は痩せた。○韓衣裾の逢はずて 唐風の衣は、裾がはだけて合わないところから、合わずと続け、「裾の」までの八音を「逢はず」の序詞としたもの。「逢はずて」は、女と逢わずして。
【釈】 朝影のようにわが身は細って来た。韓衣の裾の合わないに因みある、妻に逢わずに久しくなったので。
【評】 「朝影に吾が身はなりぬ」は、人麿歌集のものである。「韓衣裾の逢はず」も出所のある語かもしれぬ。とにかく「なりぬ」「なれば」と、結果と原因とを繋ぎ合わせた歌で、語の興味に力点を置いた、謡い物風の歌である。以下八首、衣に寄せての歌。
 
2620 解衣《ときぎぬ》の 思《おも》ひ乱《みだ》れて 恋《こ》ふれども 何《な》ぞ汝《な》が故《ゆゑ》と 問《と》ふ人《ひと》もなき
(148)    解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無
 
【語釈】 ○解衣の思ひ乱れて 「解衣の」は、解いた衣で、意味で「乱れ」にかかる枕詞。「思ひ乱れて」は、嘆き乱れて。○何ぞ汝が故と 原文「何如汝之故跡」。「汝」の前後への続きが例のないものなので問題として、誤写説も出ている。「何ぞ」は、どうしてかで、結句へ続くもの。「汝が故と」は、汝は相手の男を指したもので、なれのゆえにかといって。この句は不自然な趣のあるものであるが、本歌があって、それによったものである。本歌は巻十二(二九六九)「解衣の念ひ乱れて恋ふれども何の故ぞと問ふ人もなき」で、それにこのような屈折を付けたことが興味だったとみえる。○問ふ人もなき 尋ねる人もないことだ。「なき」は「ぞ」の結。
【釈】 解衣のように嘆き乱れて恋うているけれども、どうしてであろうか、なれのゆえかといって尋ねる人もないことだ。
【評】 女の歌で、男に恋の悩みを訴えたものである。君のためにこのように悩んでいるのであるが、君は、われゆえにする悩みかといって尋ねてもくれないと恨んでいるのである。四、五句は男を対象としてのもので、「汝」も「問ふ人」も男である。本歌に縋って無理な言い方をして喜ぶところは、平安朝時代に通うものである。
 
2621 摺衣《すりごろも》 著《け》りと夢《いめ》見《み》つ うつつには 誰《たれ》しの人《ひと》の 言《こと》か繁《しげ》けむ
    摺衣 著有跡夢見津 寤者 孰人之 言可將繁
 
【語釈】 ○摺衣著りと夢見つ 「摺衣」は、植物の花、黄土などを摺って美しく染めた衣の称。「著り」は、動詞「著」に、完了の助動詞「り」の接続した形。仮名書きによっての訓。われは摺衣を着ていると夢見た。この夢は、人に言い寄られる前兆と信じられていたのである。○うつつには 現実にはで、「夢」に対させたもの。○誰しの人の言か繁けむ 「誰しの人」は、『古義』の訓。仮名書きによってである。「し」は、強意の助詞で語感を強めるためのもの。「言か繁けむ」は、噂がしげく立つだろうかで、「む」は、「誰」の結。
【釈】 我は摺衣を着ていると夢に見た。実際としては、どういう人との噂が多く立つのだろうか。
【評】 摺衣を着るという夢は、人に言い寄られる前兆だとする俗信があったとみえるが、ここに出ているのみである。「誰しの人」といっているところをみると、それがどういう人から言い寄られることかと気がかりに感じたこととみえる。若い、女の気分にふさわしく美しく安らかに詠まれている歌である。
 
2622 志賀《しか》の海人《あま》の 塩焼衣《しほやきごろも》 なれぬれど 恋《こひ》といふものは 忘《わす》れかねつも
(149)    志賀乃白水郎之 塩燒衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛
 
【語釈】 ○志賀の海人の塩焼衣 「志賀」は、筑前国の志賀島で、博多湾口にある。「塩焼衣」は、塩を焼く時の衣。仕事の性質上よごれやすい意で、その意の「穢れ」と続け、同音の「馴れ」に転じたもので、初二句序詞。○なれぬれど 馴れたけれどもで、夫婦関係の久しくなった意。
【釈】 志賀の海人の塩焼衣の穢《な》れている、それに因みある、わが夫婦関係も馴れて久しくなったが、恋というものは忘れられないものであった。
【評】 夫婦関係は、他の関係とは異なって、古くなっても飽くことを知らないものであったと、体験をとおして感慨をもっていっているものである。「志賀の海人の塩焼衣」は、実際を捉えての序詞で、海人の女の心ということを暗示しているのである。その土地の謡い物である。
 
2623 くれなゐの 八塩《やしほ》の衣《ころも》 朝《あさ》な朝《あさ》な なれはすれども いやめづらしも
    呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖爲 益希將見裳
 
【語釈】 ○くれなゐの八塩の衣 「くれなゐ」は、紅花の称で、色の名と転じたもの。「八塩」は幾度もの染汁で、幾たびも染汁に浸した、色の濃い衣。序詞で、穢るの意で、四句「なる」にかかる。○朝な朝ななれはすれども 「朝な朝な」は、毎朝。「なれ」は、馴れて、見馴れはするが。○いやめづらしも ますますかわゆいことよ。
(150)【釈】 くれないの幾たびも染汁に浸した色濃い衣の、穢れるに因みある、朝々見馴れはするが、ますますかわゆいことよ。
【評】 夫が同棲している妻を讃えた心である。見馴れると多くの物はつまらなくなるが、わが妻はその反対だというのである。「くれなゐの八塩の衣」は、序詞として「穢れ」と続けているのであるが、これは、不自然である。他方、妻の美しい譬喩とするときわめて適切なもので、それを主にしたものである。その点から見て、譬喩を序詞の形にし、気分によって譬喩の意を遂げようとしたもので、そのために不自然をも敢えてしているのである。巻十二(二九七一)「大王の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも」を原拠とした歌で、そのために無理をしたものとみえる。意義よりも気分を重んじる歌風によって詠んだもので、上手とは言い難い。
 
2624 紅《くれなゐ》の 濃染《こぞめ》の衣《ころも》 色《いろ》深《ふか》く 染《し》みにしかばか 忘《わす》れかねつる
    紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴
 
【語釈】 ○紅の濃染の衣 紅の濃く染めた衣で、「色深く」にかかる序詞。○色深く染みにしかばか かわゆさが深くわが身に染み入ったからかで、譬喩的にいったもの。「か」は、疑問の係。○忘れかねつる 忘れることのできないことであった。
【釈】 紅の濃く染めた衣のように、かわゆさが深く身に染み入ってしまったからか、忘れることのできないことであった。
【評】 これも男のその妻を誘えた歌である。序詞は譬喩の意のもので、辛くも、序詞の形を与えた程度のものである。思い入った心であるが、説明に終始しているので、単調の感がある。
 
2625 逢《あ》はなくに 夕卜《ゆふけ》を問《と》ふと 幣《ぬさ》に置《お》くに 吾《わ》が衣手《ころもで》は 又《また》ぞ続《つ》ぐべき
    不相尓 夕卜乎問常 幣尓置尓 吾衣手者 又曾可續
 
【語釈】 ○逢はなくに 逢わぬことであるに。○夕卜を問ふと幣に置くに 「夕卜」は、上の(二五〇六)(二六一三)にすでに出た。夕べの辻に出て、路行き人の語によって、わが事を占う意。「幣に置くに」は、占いはいかなる方法を取るにもせよ、要するに神意を窺うことなので、そのたびごとに神に幣を供えるのである。「置くに」は、供えるに。○吾が衣手は又ぞ続ぐべき 「衣手」は、袖で、幣には袖を切って供えることに定まっていたとみえる。「続ぐ」は、袖は窄袖で、手先の長くなっている部分を切るので、短くなると縫い足したと見える。ここは、またも縫い足(151)すべきであると、その短くなったのを見ていっているので、心は、幾たびそうした占いをしたことだろうと嘆いたのである。
【釈】 逢わない君であるのに、夕卜をして神意を窺うとて、幣として供えるのに、わが袖は、またも継ぎ足すようになったことだ。
【評】 来ない夫に対して、占いをして待つことを幾度となく繰り返して行なっている妻の嘆きである。この歌で見ると、夕卜を問う時の幣には袖口を切って供えたもののようである。そうした細部のことは、その信仰が衰えるとともに忘れられて、確かめる資料は得難いのである。大体こうした歌を資料とすべきであろう。庶民の歌である。
 
2626 古衣《ふるごろも》 打棄《うちつ》る人《ひと》は 秋風《あきかぜ》の 立《た》ち来《こ》む時《とき》に もの念《おも》ふものぞ
    古衣 打棄人者 秋風之 立來時尓 物念物其
 
【語釈】 ○古衣打棄る人は 「古衣」は、着古した衣で、古妻の譬喩。「打棄る」は、「打」は、接頭語。「つる」は、棄つの古語「うつ」連体形で、「うつる」であるが、「うちうつる」が、音の接続の関係で、「う」が消えたもの。巻五(八〇〇)「穿沓《うけぐつ》を脱ぎ棄《つ》る如く」がある。○秋風の立ち来む時に 肌寒くなる時にで、衣を必要とする時。○もの念ふものぞ 嘆きをすることであるぞで、「ぞ」は、提示して強めたもの。
【釈】 着古した衣を棄てる人は、秋風の寒く吹き出すだろう時には、侘びしい思いをするものだ。
【評】 古きを疎み、新しきを愛ずるは人情で、上代の多妻時代には、古妻の棄てられる例は多いことであったろう。これはそういう人に対して、世故に通じた第三者の警告している歌である。「秋風の立ち来む時」は、「古衣」の関係でいっているものであるが、心としては、たのしい時の遊び相手に対しての、困難な時の相談相手の意でいっているものである。知性の歌であるが、距離を置いて柔らかくいっているので、厭味が無い。
 
2627 はね蘰《かづら》 今《いま》する妹《いも》が うら若《わか》み 咲ゑ《》みみ 慍《いか》りみ 著《つ》けし紐《ひも》解《と》く
    波祢蘰 今爲妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解
 
【語釈】 ○はね蘰今する妹が 「はね蘰」は、巻四(七〇五−六)に出た。女の髪にする蘰とは知れるが、その物としてはわからない。少女が一人(152)前の女となった当座、儀式としてする物であったろうといわれている。「今する妹が」は、現在している妹が。○うら若み 心幼いのでで、男女関係を解さないのでの意。○咲みみ慍りみ ほほ笑んだり慍ったりして。○著けし紐解く 「紐」は、衣の紐で、寝るに先立ってすること。
【釈】 はね蘰を現にしている妹が、心が幼いゆえに、ほほ笑んだり慍ったりして、衣につけた紐を解く。
【評】 早婚時代のこととて、心幼い妻に特別の愛情を感じていたとみえ、その類の歌がある程度見える。この歌はその中でも程度の烈しいものである。愛情をもっていっているものではあるが、「咲みみ慍りみ」というごとき描写は、興味も伴っているものである。心身を一元に感じていた時代で、精神と肉体との間に差別を認めなかったので、こうした境も扱ったものとみえる。個人的抒情ではなく、一般の興味をねらった、題詠かと思われる。蘰に寄せた歌。
 
2628 いにしへの 倭文機帯《しつはたおび》を 結《むす》び垂《た》れ 誰《たれ》といふ人《ひと》も 君《きみ》には益《ま》さじ
    去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益
 
【語釈】 ○いにしへの倭文機帯を 「いにしへの」は、古風な。「倭文機帯」は、倭文織の帯。倭文織は、上代の織物の名で、緯としての繊維を赤、青に染めて交ぜ織りにした縞織物で、珍重された物である。それで作った帯。○結び垂れ 帯としての状態。「垂れ」を同音で「誰」に続け、初句よりこれまではその序詞。
【釈】 古風な倭文機の帯を結んで垂れている、その垂れに因む、誰という人も君にはまさるまい。
【評】 妻がその夫を讃えて、いかなる人よりもまさっているといっているのである。「いにしへの倭文機帯を結び垂れ」の序詞は、貴人の服飾であって、気分の上で「君」にからませているものである。日本書紀、武烈紀に、「大君の御帯の倭文機結び垂れたれやし人も相思はなくに」とあり、その系統の歌である。謡い物として行なわれていたとみえる。帯に寄せた歌。
 
     一書の歌に曰はく、古《いにしへ》の 狭織《さおり》の帯《おび》を 結《むす》び垂《た》れ 誰《たれ》しの人《ひと》も 君《きみ》には益《ま》さじ
      一書謌曰、古之 狭織之帶乎 結垂 誰之能人毛 君尓波不益
 
【解】 「狭織の帯」は、幅狭く織った帯で、どういう物かはわからないが、格別のものであったろうと思われる。「誰しの人」は、いかなる人も。この歌は上の歌の別伝というのではなく、上の歌がすでに古歌の謡い物として、流動した形のものであって、こ(153)れもその一つというべきである。すなわち同腹の兄弟のごときものである。ほかにも記録されない物があったかもしれぬ。
 
2629 逢《あ》はずとも 吾《われ》は怨《うら》みじ この枕《まくら》 吾《われ》と念《おも》ひて 枕《ま》きてさ宿《ね》ませ
    不相友 吾波不怨 此枕 吾等念而 枕手左宿座
 
【語釈】 ○この枕吾と念ひて 「この枕」は、この贈る枕。「吾と念ひて」は、わが身代わりと思っての意。○枚きてさ宿ませ 「枕きて」は、枕として。「さ」は、接頭語。
【釈】 逢わなかろうとも、我は怨むまい。この枕を、我と思って枕にしておやすみなさいませ。
【評】 疎遠にしている夫の許へ、枕を贈ってやる時に添えた歌である。夫の身のまわりの物を贈るのは、妻としては普通だったのである。歌は「怨みじ」といって、きわめて巧みに怨んでいるもので、枕という贈物は、そのものがすでに訴えとなつているものである。身分ある階級の女である。以下三首、枕に寄せた歌。
 
2630 結《ゆ》へる紐《ひも》 解《と》きし日《ひ》遠《とほ》み しきたへの 吾《わ》が木枕《こまくら》は 蘿《こけ》生《む》しにけり
    結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生來
 
【語釈】 ○結へる紐解きし日遠み 『略解』の訓。結んである下紐を解いた日が遠いので。下紐を結ぶのも解くのも夫のすることで、逢った日が遠いので、すなわち久しく逢わないので。○しきたへの吾が木枕は蘿生しにけり 「しきたへの」は、枕の枕詞。「蘿生し」は、久しく逢わないことを誇張していったもの。「けり」は、詠嘆。
【釈】 君の結んだ下紐を、君の解いた日が遠いので、わが木枕には蘿が生えたことであるよ。
【評】 夫の疎遠を怨んで訴えた歌である。「吾が木枕は蘿生しにけり」は、上の(二五一六)に類似しているもので、気分によっての誇張である。「結へる紐解きし日遠み」も、久しく逢わないとの意を、同じ気分によって誇張して具象化したもので、「蘿生し」とほぼ調和しうるものである。才の利いた歌である。
 
(154)2631 ぬばたまの 黒髪《くろかみ》しきて 長《なが》き夜《よ》を 手枕《たまくら》の上《うへ》に 妹《いも》待《ま》つらむか
    夜干玉之 黒髪色天 長夜※[口+立刀] 手枕之上尓 妹待覽蚊
 
【語釈】 ○ぬばたまの黒髪しきて ぬばたまのような黒髪を身に敷いて。○手枕の上に妹待つらむか 「手枕の上に」は、手枕をして寝ての意。傍らにある枕はせず、仮寝のさまでの意でいっているもの。
【釈】 ぬば玉のような黒髪を身に敷いて、この長い夜を、かりそめに手枕をして寝て、妹は待っているのだろうか。
【評】 妻の許へ行く約束をして、行けなかった男が、夜、その妻を思いやった心である。浮かんで来るのは見馴れている床の上の妻の寝姿で、「ぬばたまの黒髪しきて」が最も印象的のものであったとみえる。「手枕の上に」は、同じく感覚的な語ではあるが、それにとどまらず、妻のつつましい心持を思わせるもので、男にそうした妻と見えていることをあらわしているものである。この語によってこの歌を魅力的なものにしている。
 
2632 まそ鏡《かがみ》 直《ただ》にし妹《いも》を 相見《あひみ》ずは 我《わ》が恋《こひ》止《や》まじ 年《とし》は経《へ》ぬとも
    眞素鏡 直二四妹乎 不相見者 我戀不止 年者雖經
 
【語釈】 ○まそ鏡直にし妹を相見ずは 「まそ鏡」は、三句「見」にかかる枕詞。「直にし妹を相見ずは」は、直接に妹に逢うのでなければで、「し」は、強意。
【釈】 直接に妹に逢うのでなければ、わが恋はやまないだろう。たとえ幾年経ようとも。
【評】 片恋の苦しさを詠んだものである。心を抑えていっているために、力をもち得ている。以下三首、鏡に寄せての歌。
 
2633 まそ鏡《かがみ》 手《て》に取《と》り持《も》ちて 朝《あさ》な朝《あさ》な 見《み》む時《とき》さへや 恋《こひ》の繁《しげ》けむ
    眞十鏡 手取持手 朝旦 將見時禁屋 戀之將繁
 
(155)【語釈】 ○まそ鏡手に取り持ちて 意味で、「朝な朝な」にかかる序詞。○朝な朝な見む時さへや 「朝な朝な」は、日々という意を言い換えたもの。「見む時さへ」は、別居している妻を同居させて見る時で、そうなった時でさえも。「や」は、疑問の係助詞。○恋の繁けむ 恋は多いことであろうか。
【釈】 まそ鏡を手に取り持って朝々に見るように、同居して日々に逢うようになった時さえも、恋は多いことであろうか。
【評】 男の歌である。最初は夫婦別居していたのである。妻を自分の家へ迎え取って同居しようと思い、それとともに、そうなって日々一緒にいるようになっても、やはり今のように恋は多いだろうかと、現在の状態から推して想像したのである。取材関係から説明となっているが、「見む時さへや」は、簡潔に、複雑な心をあらわし得ている語である。上の(二五〇二)に上三句同一の類歌があった。
 
2634 里《さと》遠《とほ》み 恋《こ》ひ侘《わ》びにけり まそ鏡《かがみ》 面影《おもかげ》去《さ》らず 夢《いめ》に見《み》えこそ
    里遠 戀和備尓家里 眞十鏡 面影不去 夢所見社
 
【語釈】 ○恋ひ佗びにけり 恋い悩んでしまったことだ。○まそ鏡面影去らず 「まそ鏡」は、意味で「面影」にかかる枕詞。「面影去らず」は、面影が我より離れずに。○夢に見えこそ 夢に見えてくれで、「こそ」は、願望の助詞。
【釈】 妹の里が遠いので逢い難くして恋い悩んでしまったことだ。面影はわが身を離れずに、夢に見えてくれよ。
【評】 この歌は左注にあるように、上の(二五〇一)人麿歌集の「里遠みうらぶれにけりまそ鏡床のへ去らず夢に見えこそ」の変化したものである。この変化は口誦に伴っての流動で、四句、鏡に伴う信仰よりの叙事を抹殺して説明とし、二句も説明的にして、含蓄を平明化したものである。これは流動には普通のことである。
 
     右の一首は、上に柿本朝臣人麿の歌の中に見えたり。但し句々相|換《かは》れるを以《も》ちて、故《かれ》茲に載す。
      右一首、上見2柿本朝臣人麿之歌中1也。但以2句々相換1故載2於茲1。
 
2635 剣刀《つるぎたち》 身《み》に佩《は》き副《そ》ふる 大夫《ますらを》や 恋《こひ》とふものを 忍《しの》びかねてむ
(156)    釼刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武
 
【語釈】 ○剣刀身に佩き副ふる大夫や 「剣刀」は、剣の刀で、剣。「身に佩き副ふる大夫や」は、身に帯びて添えている大夫なる者がで、「や」は、疑問の係助詞で、反語をなすもの。○忍びかねてむ 耐え得ないことであろうか。そんなはずはない。
 【釈】 剣を身に帯び添えている大夫たる者が、恋というものを耐え得ないのであろうか、そういうはずはない。
【評】 片恋の悩みをしている男が、大夫としての意気を振い起こして、恋という女々しいものを攘い退けようとする心である。私人としての情を公人としての心をもって抑えようとする努力で、この態度は伝統的なものである。類想の歌が多い。以下三首剣に寄せての歌。
 
2636 剣刀《つるぎたち》 諸刃《もろは》の上《うへ》に 行《ゆ》き触《ふ》れて 死《し》にかも死《し》なむ 恋《こ》ひつつあらずは
    釼刀 諸刃之於荷 去觸而 所〓鴨將死 戀管不有者
 
【語釈】 ○剣刀諸刃の上に 剣の双方の刃の上に。○行き触れて 進んで触れて。○死にかも死なむ 「かも」は、疑問の係。死にに死のうかで、死を強めていったもの。○恋ひつつあらずは 恋いつつ居ずして。
【釈】 剣の諸刃の上に進んで触れて、死にに死のうか。恋いつつ居ずして。
【評】 片恋の悩みが募って、堪えきれなくなった時に、迸るように言い放ったという形の歌である。上の(二四九八)人麿歌集の歌に「剣刀諸刃の利きに足踏みて死にし死なむ公に依りては」によってのものである。その歌は誓言としてのもので、今の片恋の悩みとは性質を異にしてはいるが、その歌は調べによって生かしているものであるのに、この歌は事だけになってしまった、気息の通わないものとなっている。
 
2637 うちゑまひ 鼻《はな》をぞ嚔《ひ》つる 剣刀《つるぎたち》 身《み》に副《そ》ふ妹《いも》し 思《おも》ひけらしも
    晒 鼻乎曾嚔鶴 釼刀 身副妹之 思來下
 
【語釈】 ○うちゑまひ 原文「  晒」。諸注、問題として、誤写説のある字である。『考』は字注に微笑とある字だとして「うれしくも」と訓んだ。(157)『全註釈』は今のようにしている。ほほ笑んでで、うれしさからのことである。○剣刀 譬喩として「身に副ふ」にかかる枕詞。
【釈】 ほほ笑んで鼻嚔たことである。剣刀のように我に連れ添っている妹が、我を思ったのらしい。
【評】 男が思わずくしゃみが出たのを、妻が我を思ったらしいとして、うれしく感じた心である。その時の気分をいおうとした歌なので、事情には触れていないが、男がそうしたことを喜ぶのと、「剣刀身に副ふ妹し」と、永く連れ添っている妻のごとくいっているのは、現在旅にあって、妻を思わせられている時だったからであろう。軽い歌であるが、気分としていっているので、おのずから拡がりのあるものとなっている。
 
2638 梓弓《あづさゆみ》 末《すゑ》の腹野《はらの》に 鳥猟《とがり》する 君《きみ》が弓弦《ゆづる》の 絶《た》えむと念《おも》へや
    梓弓 末之腹野尓 鷹田爲 君之弓食之 將絶跡念甕屋
 
【語釈】 ○梓弓末の腹野に 「梓弓」は、「末」の枕詞。弓の下のほうを本、上のほうを末という意からである。「末」は、地名であるが、所在が明らかでない。諸所にある名だからである。大和国では添上郡の陶、和泉国では陶の邑、山城国では宇治郡の陶野があり、そのほかにもある。「腹野」は、野の名か、また、原野すなわち広い野に当てた字か不明である。いずれでも通じる。原の名であろうか。 ○鳥猟する君が弓弦の 「鳥猟」は、鷹狩。身分ある人の最上の慰みとしてのこと。「君が弓弦の」は、鳥猟を催している君の、手にしている弓弦のごとくで、「絶え」と続き、初句よりこれまではその序詞である。○絶えむと念へや 「絶え」は、男女関係の絶える意。「や」は、反語。
【釈】 梓弓の末の、その末の腹野で鷹狩をする君の、手にする弓の弓弦のように、我も君との関係を絶えようと思おうか、思いはしない。
【評】 本文は「絶えむと念へや」の一句で、他は序詞という、特殊な形をもった歌である。序詞が四句にわたっており、それがまた特殊な事柄なので、序詞という感じは薄れて、叙述という感じが濃厚になっている。こうした序詞は、実際を目撃しなければ生まれないものであるから、実況の叙述を序詞の形としたものと見るべきである。それだと、「君」と呼ばれる人の鷹狩をしているさまを望見している女の、その人と関係のあるところから、その状態の愛でたいのに感激しての心と見るべきである。「君が弓弦の絶えむ」という続け方は、自然というよりも構えてのものにみえる。また、その弓弦は「梓弓」と繋がりをもたせた、巧緻なものでもある。また一首の調べも、調子の張った華やかなもので、恋の上の訴えとしては自然なものでもない。鳥猟をする人は末の地の豪族の子などで、その地の若い女がその人にひそかに心を寄せているという状態だとすれば、こうし(158)た歌がその地の謡い物として生まれうる可能性がある。歌柄から見て、そうした歌ではなかろうかと推量される。
 
2639 葛城《かづらき》の 襲津彦真弓《そつひこまゆみ》 荒木《あらき》にも 憑《たの》めや君《きみ》が 吾《わ》が名《な》告《の》りけむ
    葛木之 其津彦眞弓 荒木尓毛 〓也君之 吾之名告兼
 
【語釈】 ○葛城の襲津彦真弓 「葛城の襲津彦」は、武内宿禰の子で、仁徳天皇の皇后磐之媛の父である。大和国の西部葛城地方の領主だったので、地名を冠して呼んだ。日本書紀、神功紀、応神紀に、新羅の征討に向かった人で、剛勇の名の聞こえた人である。「真弓」は、「真」は、美称で、弓。襲津彦の持った強い弓の意で、葛城地方で強弓のことを、このように称していたものと取れる。○荒木にも 「荒木」は、新木で、新木の弓。弓は上に譲ったのである。「にも」は、のごとくにもで、新木の弓はことに強いものとしていっているのである。○憑めや君が 「憑めや」は、信頼するのであろうかで、「や」は、疑問の係。「君」は、女が男を指したもの。○吾が名告りけむ 「吾が名」は、妻としての我の名を、他人にあらわしたことであろうと、詠歎していったもの。秘密にしていた妻の名を、他人に現わすのは、世間晴れて男が女を家に迎える意である。
【釈】 葛城の襲津彦真弓の、その新木の弓のごとくにも、強くも信頼してのことであろうか、君はわが名を人にあらわしたことであろう。
【評】 男が秘密にしていた妻の名を他人にあらわしたことを知り、その妻である女がひどく喜んだ心である。一夫多妻のこととて、妻とはいっても絶対に信頼していたのではなく、そのうちの特に信頼のできる妻を選んで、いわゆる嫡妻としてわが家に迎えたのである。これはその選ばれた女の喜びである。「葛城の襲津彦真弓荒木にも」という譬喩は、甚だ特殊なものであるが、葛城地方は山地のこととて狩猟が盛んで、弓に親しみをもっており、強弓のことを、その地方の唯一の矜りであった襲津彦に関係させて呼んでいたこともありうることである。したがって「荒木にも」という譬喩も、一般に通じやすいものだったろう。この歌は、心は素朴で、調べは強く、葛城地方に古くから伝わっていた謡い物であったろうと思われる。以下二首、弓。
 
2640 梓弓《あづさゆみ》 引《ひ》きみ弛《ゆる》べみ 来《こ》ずは来《こ》ず 来《こ》ばぞそを何《な》ぞ 来《こ》ずは来《こ》ばそを
    梓弓 引見弛見 不來者不來 々者其々乎奈何 不來者來者其乎
 
【語釈】 ○梓弓引きみ弛べみ 梓弓の弓弦を、引いたり弛べたりしてで、引けば弓弦が寄って来、弛べると離れる意で、譬喩として「来ば」「来ず(159)ば」にかかる序詞。○来ずは来ず 「来」は、男の女の許へ来る意で、来ない気ならば、来ないでいよ。○来ばぞそを何ぞ 来る気ならば、それを何でそのようにするぞ。○来ずは来ばそを 来ないならば来ないで、来るならば来るで、どちらとも定めよ。何でそのように。
【釈】 梓弓の弓弦を引いたり弛べたりするように、来ない気ならば来ないでいよ、来る気ならば、何でそのようにするぞ。来ないならば来ないで、来るならば来るで、はっきりさせよ。何でそのように。
【評】 女の男を怨んだ歌である。男がいつも、来るでもなく、来ないでもなく、こちらを思っているのか居ないのかもわからない暖昧な態度を続けているのを怨んで、来ないならばそれとはっきりさせよ、来るならばそれらしくせよ、何だってそのようなあやふやな態度を見せるのかと、昂奮していっている歌である。男を思いつついっているのである。昂奮の余り、同語を反復させ、息を切り切り言い続けている形であり、また男の態度の譬喩として用いている梓弓の関係から見ても、狩猟者の妻という趣をもった歌である。語続きが特殊なので難解のごとくにみえるが、意味は単純である。根本になっている心は、男は結婚後は次第に冷淡になって来るのに、妻は反対にますます情熱が募って来るところから起こる矛盾衝突で、その意味で一般性をもっている心である。
 
2641 時守《ときもり》の 打鳴《うちな》す鼓《つづみ》 数《よ》み見《み》れば 時《とき》にはなりぬ 逢《あ》はなくも怪《あや》し
    時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠
 
【語釈】 ○時守の打鳴す鼓 「時守」は、時刻を見守り、これを知らせる役人である。役所は陰陽寮に属しており、漏刻すなわち水時計によって時刻を知り、また知らせもする所で、漏刻博士があり、その下に「時守」、すなわち守辰丁という者があって事にあたっていたのである。時刻は一昼夜を十二時に分け、一時をさらに四刻に分けて、刻ごとに鐘鼓を鳴らして報じたのである。この漏刻の事は、日本書紀、斉明紀、また天智紀に出ており、天智天皇が皇太子時代に初めて造られ、即位の後は新築の台に置き、鐘鼓の数によってその時刻を知らしめたのである。「打|鳴《な》す鼓」は、「鳴す」は、鳴らすの古語。「鼓」は太鼓。また、鐘、太鼓の総称としても用いる。○時にはなりぬ 「時」は、男の訪い来ると約束した時。「は」は、強め。○逢はなくも恠し 「逢はなく」は、逢いに来ぬこと。「恠し」は、いぶかしいで、不安をあらわしたもの。
【釈】 時守が打鳴らす鐘鼓の数を数えて見ると、約束をした時になった。逢えないことはいぶかしい。
【評】 軽い心のものである。夫婦相逢うのを、大宮で鳴らす時刻によって約束するということは、時代の移りを思わせられることである。鼓に寄せての歌。
 
(160)2642 燈《ともしび》の かげにかがよふ うつせみの 妹《いも》が咲《ゑまひ》し 面影《おもかげ》に見《み》ゆ
    燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見
 
【語釈】 ○燈のかげにかがよふ 燈火の光に輝いている。○うつせみの妹が咲し 「うつせみの」は、現し身ので、「妹」の感を強めるために添えているもの。「咲し」は、「咲」は、「笑まふ」の名詞形。笑顔。「し」は、強意。○面影に見ゆ 面影に立って見える。
【釈】 燈火の光に燿いている現し身の妹の笑顔が面影に立って見える。
【評】 妹を思うとともに、ふと浮かんで来た面影を、そのまま歌としたものである。燈火の光に見た妹の面影というのは、通って行った夜の印象で、美しく感じた記憶であろう。燈火は貴かった時代とて、身分ある階級の者と思わせる。明るい気分そのものを、感覚的に具象した歌で、奈良朝時代の新風である。印象鮮明な、新味ある歌である。燈に寄せる歌。
 
2643 玉《たま》ほこの 道《みち》行《ゆ》き疲《つか》れ 稲筵《いなむしろ》 敷《し》きても君《きみ》を 見《み》むよしもがも
    玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 將見因母鴨
 
【語釈】 ○玉ほこの道行き疲れ 「玉ほこの」は、道の枕詞。「道行き疲れ」は、道を歩いて疲れて。○稲筵 稲藁で編んだ筵。「敷き」と続け、初句よりこれまではその序詞。○敷きても君を見むよしもがも 「敷きて」は、打|頻《しき》ってもで、しげしげと。「君」は、男より女を指しての敬称。「見むよしもがも」は、逢う方法のほしいものだなあ。
【釈】 旅の道を行き疲れて、稲筵を敷いて憩う、その敷きの、打頻ってもあの君に逢う方法のほしいものだなあ。
【評】 男が、逢いはじめた女を思う心であるが、序詞は実際に即していっているもので、旅をしながらの心ということを暗示しているものである。そのほうが感が自然である。軽い心よりのものである。莚に寄せる歌。
 
2644 小墾田《をはりだ》の 板田《いただ》の橋《はし》の 壊《こぼ》れなば 桁《けた》よりゆかむ な恋《こ》ひそ吾妹《わぎも》
    小墾田之 板田乃橋之 壞者 從桁將去 莫戀吾妹
 
(161)【語釈】 ○小墾田の板田の橋の 「小墾田」は、奈良県高市郡明日香村にある地。推古天皇の皇居のあった地である。飛鳥、豊浦、雷一帯の地の総称。「板田」は、所在不明。『考』は、坂田の誤写だとして、その名は、小墾田の金剛寺を坂田尼寺ともいつたのを証としている。○壊れなば 壊れたならばで、仮想としていっているもの。○桁よりゆかむ 桁を通って行こうで、橋板はなくなつても桁は残ろうとしていったもの。○な恋ひそ吾妹 我を恋うなよ妹よ。
【釈】 小墾田の板田の橋がもし壊れたならば、桁を通って行こう。我を恋うなよ妹よ。
【評】 妻に対して真実を誓って慰めた歌である。妻が恨みをいったのに対して答えた形のものである。大げさな語を派手に詠んだもので、その地方の謡い物と思われるものである。庶民的な歌である。橋に寄せての歌。
 
2645 宮木《みやき》引《ひ》く 泉《いづみ》の杣《そま》に 立《た》つ民《たみ》の 息《や》む時《とき》もなく 恋《こ》ひわたるかも
    宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀渡可聞
 
【語釈】 ○宮木引く泉の杣に 「宮木引く」は、「宮木」は、大宮造営の用材。「引く」は、山から引き出す。「泉の杣」は、「泉」は、山城国相楽郡の地名。泉河の流れている地である。「杣」は、「杣山」ともいい、用材を伐り出す山。「追馬喚犬」は馬を追うに「そ」、犬を喚ぶに「ま」といったゆえの戯書。○立つ民の 徴発されて人夫として働く民ので、譬喩として「息む時もなく」にかかる枕詞。○息む時もなく恋ひわたるかも 休む時もなく恋いつづけていることであるよ。
【釈】 宮木を引き出す泉の杣山に、官命で働いている民のように、休む間もなく恋い続けていることであるよ。
【評】 序詞に特色のある歌である。こうした序詞は、その光景を眼前に見ているか、あるいは自身その事にあたっているのでなければ捉えられないものである。「立つ民」の一人が、家を離れて苦しい労働をしているところから、妻を恋うての歌とすれば最も自然である。官命での労働なので、事を序詞の形にしていったとすれば、これまた自然である。それとすれば、苦しい気分を含ませた歌である。杣山での謡い物であったろう。杣に寄せての歌。
 
2646 住吉《すみのえ》の 津守網引《つもりあびき》の 泛子《うけ》の緒《を》の 浮《う》かれかゆかむ 恋《こ》ひつつあらずは
    住吉乃 津守網引之 浮笑緒乃 得干蚊將去 戀管不有者
 
(162)【語釈】 ○住吉の津守綱引の 「住吉」は、今の大阪市の住吉区を中心とする一帯の地。「津守」は、「津」は、港で、港の番人で、監視人。重要な港として監視の役人を置いたのである。「網引」は、上代の漁法で、海中に網を張り渡し、それを引いて魚を獲る法。ここは、網引をする網の意でいっているもの。○泛子の緒の 「泛子」は、今のうきで、網の一部を水面に出して置くために付けるうきの、その緒の。同音で「浮かれ」にかかり、以上三句その序詞。○浮かれかゆかむ 「浮かれ」は、その任地を離れて浮浪することで、「か」は、疑問の助詞。ここに居ずに、浮浪人となって他へ行こうか。○恋ひつつあらずは ここに恋いつづけていずして。
【釈】 住吉の津の監視人のする、網引の網に付いている泛子の緒の、水に浮いて漂っているように、我も浮浪人となってよそへ行こうか。ここに恋いつづけて居ずして。
【評】 この歌の序詞は、上の歌よりも特殊で、「泛子の緒の浮かれ」の続きは、奇抜を求めて構えたものという感のあるものである。浮かれすなわち本籍を離れて浮浪者となるということは、部落生活を重んじた当時にあってはきわめて重大なことで、泛子とは繋がるべくもないものだったからである。これは突飛な対照を興味とする謡い物系統の続け方といえる。しかし「恋ひつつあらずは」の理由づけは自然である。住吉地方に行なわれた、新しい謡い物であったろう。
 
2647 東細布《てつくり》の 空《そら》ゆ延《ひ》き越《こ》し 遠《とほ》みこそ 目言《めごと》疎《うと》からめ 絶《た》ゆと間《へだ》つや
    東細布 從空延越 遠見社 目言疎良米 絶跡間也
 
【語釈】 ○東細布の 旧訓「横雲の」。『全註釈』は理由のない訓だとして、今のごとく訓んでいる。東国の細布の意と見、巻十四(三三七三)「多麻河に曝す手作さらさらに」によったのである。手作は武蔵国から調として官に貢した麻布で、京に来ていたものである。試訓であるが、現在としては従うべきである。○空ゆ延き越し 難解の句である。構成から見ると、初二句は「遠み」にかかる序詞とみえる。また、初句との続きから見ると、京で貢物としての「てつくり」を見ての感と取れるから、遠く運んで来たということを、細布の関係から、空を通って引いて来たと、しゃれていったものではないかと思われる。今はそう解して置く。初二句、譬喩として「遠み」にかかる序詞。○遠みこそ目言疎からめ 道が遠いので、逢うことも少なくなるのであろうで、「目言」は逢ったり物をいったりすることで、逢うこと。○絶ゆと間つや それを、こちらが絶えるのだとして、隔てを付けるのであるか。
【釈】 東国の貢物のてつくりの空をとおって引いて来たように路が遠いので、逢うことも少なくなるであろう。それを私が絶えるのだとして、あなたも隔てを付けるのですか。
【評】 初二句の序詞に疑いがあるが、作意は明らかで、女が、男の足遠くしているのを恨み、絶えようと思っているのかと、(163)やや烈しい語で物をいって来たのに対し、疎遠になりがちなのは遠路のせいで余儀ないことだ。察しのないことだと恨み返した形の歌である。序詞は、てつくりが貢物として京へ届く頃で、眼前をいったものとすれば繋がりが付き、それだとその物としても女に関係のある物となる。布に寄せての歌。
 
2648 かにかくに 物《もの》は念《おも》はじ 飛騨人《ひだびと》の 打《う》つ墨繩《すみなは》の ただ一道《ひとみち》に
    云々 物者不念 斐太人乃 打墨繩之 直一道二
 
【語釈】 ○かにかくに物は念はじ とやかくと物思いはしますまい。○飛驛人の打つ墨繩の 「飛騨人」は、飛騨国の人で、古くから宮廷の造営木工となっていたところから、京では木工の別名となっていたのである。ここはそれである。「打つ墨繩の」は、墨繩は現在もその名で大工が使っており、材木の上に目じるしとして墨の直線を引く物。「打つ」は、その直線を引く動作の称で、現在用いている。譬喩として「一道」に続き、以上二句その序詞。○ただ一道に 「一道」は、宣命に用例のある語。一筋と同義で、ただ一筋に夫を頼もうの意。
【釈】 ああこうと物思いはしますまい。飛騨人の打つ墨繩のように、ただ一筋に夫を頼みましょう。
【評】 夫を恨むことのあった妻が、それをきれいに諦めて、ただ一筋に、夫を頼んで行こうと決心した時の心である。誓言に近いものである。匠に寄せての歌。
 
2649 あしひきの 山田《やまだ》守《も》る翁《をぢ》が 置《お》く蚊火《かび》の 下焦《したこが》れのみ わが恋《こ》ひ居《を》らく
    足日木之 山田守翁 置岐火之 下粉枯耳 余戀居久
 
【語釈】 ○山田守る翁が置く蚊火の 「山田守る翁」は、山の田を猪鹿などに荒らさせまいとして番をする老人。「置く蚊火」は、その番小屋に置く蚊遣り火。草をくすぶらせて焚く意で、「下焦れ」と続き、初句よりこれまではその序詞。○下焦れのみわが恋ひ居らく 「下焦れ」は、心の中でくすぶり燃えてばかり。「恋ひ居らく」は、恋うていることよで「居らく」は、詠嘆したもの。
【釈】 山田の番をしている老人が、その小屋に置く蚊遣の火のように、心の中でくすぶり燃えてばかり恋うていることであるよ。
【評】 部落生活をしている若者の、言い出せない恋の悩みをいったものである。序詞は譬喩で、譬喩というよりもむしろ、そ(164)れに誘発されて詠んだともいうべき歌である。明るい気分のある歌で、その意味で謡い物かと思われる。
 
2650 そき板《いた》もち 葺《ふ》ける板目《いため》の あはざらば 如何《いか》にせむとか 吾《わ》が宿始《ねそ》めけむ
    十寸板持 盖流板目乃 不合相者 如何爲跡可 吾宿始兼
 
【語釈】 ○そき板もち葺ける板目の 「そき板」は、木を薄く削いでつくった小坂で、今も用いている屋根板。「板目」は、板と板の合わせ目。合わせる意で、「あは」と続け、初二句その序詞。○あはざらば 旧訓。逢わないならば。○如何にせむとか吾が宿始めけむ どうしようと思って我は、共寝をし初めたのであろうか。
【釈】 そき板をもって葺いてある屋根の板目の合わない、そのように、君と逢わないならば、どうしようと思って、我は共寝をし初めたのであろうか。
【評】 関係を結んだ女が周囲に妨害が起こって、逢い難くなっているその悩ましさから、過去を顧みて、一体こうしたことが続く場合には、どうしようという覚悟をもって、関係を結びはじめたのだろうと思った心である。悩ましさが刺激となって思わせることで、今後どうしたらよかろうかということである。ありうる心持である。序詞は珍しいもので、この場合の気分にはきわめて適切なものである。板葺は萱葺よりも進んだもので、身分をも暗示しているものである。細かい、屈折した気分を盛った、個人的な歌である。
 
2651 難波人《なにはびと》 葦火《あしび》たく屋《や》の すしてあれど 己《おの》が妻《つま》こそ 常《つね》めづらしき
    難波人 葦火燎屋之 酢四手雖有 己妻許増 常目頼次吉
 
【語釈】 ○難波人葦火たく屋の 「難波人」は、難波地方に住んでいる人の総称。「葦火」は、葦を薪として焚く火。難波は葦の多いところであるから、自然のことである。葦火は煙が多く、したがって家の内が煤けるので、煤ける意の「す」と続き、初二句その序詞。○すしてあれど 「すし」は、煤けるの意の動詞。煤は、その終止形を名詞としたもの。上よりの続きは煤けるであるが、「すし」は、古びることの譬喩である。老いて古びているけれども。○己が妻こそ常めづらしき 「常」は、いつでも。「めづらしき」は、かわゆいことである。「めづらしき」は、「こそ」の結で、「こそ」を連体形をもって結ぶのは古格である。「常」は、用言に接しる場合は「つね」であると『全註釈』は注意している。
(165)【釈】 難波の人の葦火を焚いている家のように、煤け古びてはいるけれども、自分の妻こそは、いつでもかわゆいことである。
【評】 夫婦関係の久しくなった古妻に対しての夫の讃えである。新しい者がかわゆく、古い者は疎ましいのが普通だが、わが妻は馴染むとともに愛情が増して来て、それが古さを思わせないというのである。「難波人葦火たく屋の」という序詞がいかにも適切なもので、「常めづらしき」も強い感をもった語である。それがさわやかな調べで統一されて、気分化されているが、感のある歌である。火に寄せての歌。
 
2652 妹《いも》が髪《かみ》 上小竹葉野《あげたかばの》の 放《はな》ち駒《ごま》 荒《あ》らびにけらし 逢《あ》はなく思《おも》へば
    妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者
 
【語釈】 ○妹が髪上小竹葉野の 「妹が髪上」は、たかばと続き、「小竹葉」にかかる七音の序詞。妹が髪を上げて束《たか》ねる意で、少女が一人前の女となった時にする儀式。「小竹葉野」は、野の名とはわかるが、所在は不明。下の続きで、馬の放牧場である。○放ち駒 放ち飼いにしてある駒で、拘束のないところから荒れてゆく意で、「荒らび」にかかり、初句からこれまではその序詞。○荒らぴにけらし 「荒らぶ」は、心が荒れすさむことで、疎くなってゆく意。相手の心が疎くなって来たらしい。○逢はなく思へば 逢わないことを思うと。
【釈】 妹が髪を上げて束ねるに因みある小竹葉野の放ち駒の荒れてゆくように、我に疎くなって来たらしい。逢わないことを思うと。
【評】 小竹葉野の辺りに住んでいる庶民の歌で、男が関係を結んでいる女の許へ通って行くが、逢わないので、心変わりがしたらしいと、恨んで呟いている心である。序詞は、序詞の中に序詞を含んでいるという特殊なものである。放ち駒のほうは、譬喩としてのもので単純であるが、「妹が髪上」は気分のもので、複雑味がある。これは我が初めて髪上げをさせた妹であるのにというので、その繋がりの強かるべきことを暗示しているものだからである。この歌はその技巧から見ると、かなりの洗煉を経ているものである。一方、夫婦関係の中で、女のほうから背くことをいっている歌は少ないが、実際からいうと必ずしも少ないことではなかったろう。それから見て、その地方での謡い物となって謡われていたものだろうと思われる。以下三首、馬に寄せての歌。
 
2653 馬《うま》の音《おと》の とどともすれば 松陰《まつかげ》に 出《い》でてぞ見《み》つる 蓋《けだ》し君《きみ》かと
(166)    馬音之 跡杼登毛爲者 松陰尓 出曾見鶴 若君香跡
 
【語釈】 ○とどともすれば とどとでもするとで、「とど」は蹄の音。○蓋し もしや。
【釈】 馬の蹄の音がとどとでもすると、松陰に出て見たことである。もしや君かと思って。
【評】 男を迎え得た時、いかに待っていたかを訴えた歌である。明るくたのしい気分である。謡い物と思われる。
 
2654 君《きみ》に恋《こ》ひ 宿《い》ねぬ朝明《あさけ》に 誰《た》が乗《の》れる 馬《うま》の足音《あのと》ぞ 吾《われ》に聞《き》かする
    君戀 寝不宿朝明 誰乘流 馬足音 吾聞爲
 
【語釈】 ○誰が乗れる馬の足音ぞ 「誰が乗れる」は、誰が乗っているのかと疑った形でいって、誰でもない君の意をあらわした言い方。
【釈】 君に恋うて眠らない朝明けに、誰が乗っている馬の足音であろうぞ。我に聞かせるのは。
【評】 朝明けの蹄の音は、女の許から帰るもので、それをわが待つ男のよその女の許へ来ての帰りと感じて怨んだ心である。
 
「誰が乗れる」と「吾に聞かする」とが、その妬みと怨みとを、婉曲に、皮肉にいっているのである。
 
2655 紅《くれなゐ》の 裾《すそ》引《ひ》く道《みち》を 中《なか》に置《お》きて 妾《われ》や通《かよ》はむ 公《きみ》や来《き》まさむ
    紅之 襴引道乎 中置而 妾哉將通 公哉將來座
 
【語釈】 ○紅の裾引く道を 「紅の」は、赤裳を、美しくいったもの。○中に置きて 隔てにして。
(167)【釈】 紅の裳の裾を引いて行く道を隔てにして、我が通って行こうか、君がいらっしゃるだろうか。
【評】 女の抒情をとおして、気分的に男女の美しくたのしい面を描き出した歌である。取材も表現も、謡い物として作ったものとみえる。
 
     一に云ふ、裾《すそ》漬《つ》く河《かは》を。又曰はく、待《ま》ちにか待《ま》たむ
      一云、須蘇衝河乎、又曰、待香將待
 
【解】 一書には、第二句が「裾漬く河を」となっているというのである。裳の裾が水に漬かる河をで、道が河になっているのである。「又曰はく」は、同じくその書のものは、結句が「待ちにか待たむ」となっているというのである。待ちに待って居ようかというのである。本文の別伝で、謡い物として謡っているうちに変わって来たものとみえる。変わるのは、いつも相当の理由のあってのことであるが、この場合は、本文の歌が余りにも安易であるとして、ある程度の合理性をもたせようとして、道を河にし、また、女の恋に悩みをもたせようとしたと思われる。
 
2656 天飛《あまと》ぶや 軽《かる》の社《やしろ》の 斎槻《いはひつき》 幾世《いくよ》まであらむ 隠妻《こもりづま》ぞも
    天飛也 輕乃杜之 齋槻 幾世及將有 隱嬬其毛
 
【語釈】 ○天飛ぶや軽の社の 「天飛ぶや」は、天を飛ぶで、「や」は、(168)詠嘆。雁を古くは軽ともいったので、讃める意の枕詞。「軽の社」は、軽に祀られている社で、大和国高市郡、今は橿原市池尻である。『延喜式』神名にある神。○斎槻 神の憑り給う木として神職の斎み浄めている木。老木で、意味で「幾世」につづき、以上その序詞。○幾世まであらむ 「幾世」は、幾年で、いつまでそのままでいるだろう。○隠妻ぞも 「隠妻」は、人に秘密にしている妻で、披露しての妻にできないのを憐れんでいったもの。
【釈】 天飛ぶ軽の社の斎槻のように、いつまでこのようにしているわが隠妻であろうぞ。
【評】 男が久しい関係になっている隠妻に対《むか》って、憐れみ慰めていっている心である。序詞は、男女とも軽の神を守護神としている関係からである。以下八首、神に寄せての歌。
 
2657 神名火《かむなび》に 神籬《ひもろき》立《た》てて 斎《いは》へども 人《ひと》の心《こころ》は 守《まも》り敢《あ》へぬもの
    神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物
 
【語釈】 ○神名火に神籬立てて 「神名火」は、神の降り給うところの森で、普通名詞。「神籬」は、神霊の憑り給う木として、人の立てる常緑木で、神座。○斎へども 神を祭って穢れのないようにするけれども。○人の心は守り敢へぬもの 「人の心は」は、人の心というものは。「守り敢へぬ」は、守りきれないものであるよ。
【釈】 神の降り給う森に、神の憑り給う神籬を立てて、神を祭って穢れのないようにするけれども、人の心というものは、守り切れないものであるよ。
【評】 女の歌で、男の心が頼み難く見えるところから、神なびにひもろ木を立てて神を祀り、加護を祈ったが、それでも守りきれなかったと嘆いていっているのである。女の行なったことは、上代にあっては最高の努力であって、したがって嘆きも深いのである。夫の心を、「人の心は」と大きな言い方をしているのは、深い嘆きがさせていることである。
 
2658 天雲《あまぐも》の 八重雲隠《やへぐもがく》り 鳴《な》る神《かみ》の 音《おと》のみにやも 聞《き》きわたりなむ
    天雲之 八重雲隱 鳴神之 音耳尓八方 聞度南
 
(169)【語釈】 ○天空の八重雪隠り鳴る神の 天雲の幾重にも重なった雲に隠れて鳴る雷ので、意味で「音」にかかる序詞。○音のみにやも 「音のみに」は、噂だけを。「や」は、疑問の係助詞。「も」は、詠嘆。○聞きわたりなむ 聞いて過ごしてゆけようか、ゆけはしない。
【釈】 天雲の幾重もの雲に隠れて鳴る神のように、噂だけを聞いて過ごしてゆくことであろうか。
【評】 女の歌で、疎くして、全く来なくなってしまった男に対しての咲きである。「天雲の八重雲隠り鳴る神の」は、女性に関する噂の高さに絡むところのあるものと取れる。恨むべくして恨んではいないことが注意される。
 
2659 争《あらそ》へば 神《かみ》も憎《にく》ます よしゑやし よそふる君《きみ》が 憎《にく》からなくに
    爭者 神毛惡爲 縱咲八師 世副流君之 惡有莫君尓
 
【語釈】 ○争へば神も憎ます 争いをすると、神様もお憎みになるで、当時の信仰としていっているもの。○よしゑやし ままよの意で、しばしば出た。○よそふる君が 「よそふる」は、世間の人が噂をして、妻になぞらえる意、擬する意。○憎からなくに いやではないことだのに。
【釈】 争うと、神もお憎みになる。ままよ、世間の人がわたしを妻に噂する君が、いやではないことだのに。
【評】 男に求婚され、噂をされている娘が、若い女性のそうした際の通性として、早速には応じる気になれず、これというほどの理由もなくぐずぐずしていたが、それに応じようとした際の心である。内心、その男を憎くはなく思っているのであるが、それと決心するには「争へば神も憎ます」と、神を引合いに出さなければできなかったのである。おとめの心の現われている歌である。
 
2660 夜並《よなら》べて 君《きみ》を来《き》ませと ちはやぶる 神《かみ》の社《やしろ》を 祈《の》まぬ日《ひ》はなし
    夜並而 君乎來座跡 千石破 神社乎 不祈日者無
 
【語釈】 ○夜並べて 毎夜。○祈まぬ日はなし 「祈む」は、祈るの古語。
【釈】 毎夜君をいらっしゃいと、神威のあらたかな神の社を祈らない日はない。
(170)【評】 きわめて一般性の多い心を、素朴に詠んだものである。 謡い物であろう。
 
2661 霊《たま》ちはふ 神《かみ》も吾《われ》をば 打棄《うつ》てこそ しゑや命《いのち》の 惜《を》しけくもなし
    靈治波布 神毛吾者 打棄乞 四惠也壽之 〓無
 
【語釈】 ○霊ちはふ神も吾をば 「霊ちはふ」は、神霊の威力の働く意で、神を讃える語。ここにのみある語。○打棄てこそ 「打棄て」は、うちての約言で、「うち」は、接頭語。「うて」は、見棄てる意。連用形。巻五(八九七)「騒く児|等《ども》を棄《う》つてては」と出た。「こそ」は、願望の助詞。見棄ててくだされ。○しゑや命の惜しけくもなし 「しゑや」は、心を決しる時の感情をあらわす語。ええ、もうというにあたる。「惜しけく」は、惜しの名詞形。
【釈】 神霊の威力の働く神も、我を見棄ててくだされ。ええもう命の惜しいこともない。
【評】 恋の恨みがきわまって、自暴自棄になって、死を欲している男の心である。例の無いほどの烈しい心である。しかしそれにつけても、命は神の手にあるもので、神の許しがなければ死ねないとしているのである。信仰を保っていての自棄で、そこに上代の特色がある。
 
2662 吾妹子《わぎもこ》に 又《また》も逢《あ》はむと ちはやぶる 神《かみ》の社《やしろ》を 祈《の》まぬ日《ひ》はなし
    吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無
 
【語釈】 略す。
【釈】 吾妹子にまたも逢おうと思って、神威あらたかな神の社に祈らない日はない。
【評】 一首おいて前の歌と酷似していて、女が男になっているだけである。ことに四、五句は同じである。謡い物として謡われていたことを語っているといえる。別伝の範囲のものである。
 
2663 ちはやぶる 神《かみ》の斎垣《いがき》も 越《こ》えぬべし 今《いま》は吾《わ》が名《な》の 惜《を》しけくもなし
(171)    千葉破 神之伊垣毛 可越 今着吾名之 惜無
 
【語釈】 ○神の斎垣も越えぬべし 「斎垣」は、神域の周囲の垣で、神聖な物で、絶対に越えてはならないと、禁忌されているもの。「越えぬべし」は、越えてしまいそうだで、「ぬ」の完了で強めたもの。いかなる禁忌も犯しそうだという意の譬喩。○今は吾が名の惜しけくもなし 「吾が名」は、わが最も重いものの名も。「惜しけく」は、惜しいこと。
【釈】 神威のあらたかな神の斎垣の、絶対に越えてはならぬものも越えてしまいそうだ。今は、わが最も重んずる名も惜しいことはない。
【評】 この歌も、上の「霊ちはふ」の歌と同じく、思い迫った最後の気分を、吐き出すがごとくにいっているものである。恋の妨げに逢い、昂奮しての激情であることは、上の歌より明らかである。上の消極的なのとは反対にこれは積極的である点が違うのみである。「越えぬべし」と決心をいい、その説明として「惜しけくもなし」と同じ形をもって言い放っているところ、その気息をあらわしている。調べによって活かされている。
 
2664 夕月夜《ゆふづくよ》 暁闇《あかときやみ》の 朝影《あさかげ》に 吾《わ》が身《み》はなりぬ 汝《な》を念《も》ひかねに
    暮月夜 曉闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹
 
【語釈】 ○夕月夜暁闇の 「夕月夜」は、夕月のある夜で、その薄ぐらい意で暁闇にかかる枕詞。「暁闇」は、夜明けの時の闇で、意味で「朝」と続き、初二句その序詞。○朝影に吾が身はなりぬ 朝の影法師のように細長く、わが身は痩せて来た。○汝を念ひかねに あなたを思うに堪えなくして。「に」は、にしての意。
【釈】 夕月夜のような暁の闇の移ってゆく朝の、朝日に映る影法師のようにわが身は痩せて来た。あなたを思うに堪えずして。
【評】 女に片恋の苦しさを訴えた歌である。「朝影に」は慣用に近いものとなっていたかと思われる。「夕月夜暁闇の」という序詞は、夜を薄暗い面において捉えているもので、悩ましい気分を暗示しようとしたものとみえるが、理が勝ち、事が多くなりすぎているので、肝腎の気分のほうがかえって稀薄になり、散漫な感を起こさせるものとなっている。この序詞は巻十二(三〇〇三)にも用例のあるもので、一首創意のないものである。以下十首、月に寄せての歌。
 
(172)2665 月《つき》しあれば 明《あ》くらむ別《わき》も 知《し》らずして 寐《ね》て吾《わ》が来《こ》しを 人《ひと》見《み》けむかも
    月之有者 明覽別裳 不知而 寐吾來乎 人見兼鴨
 
【語釈】 ○明くらむ別も 夜の明けていよう見さかいもで、「別」は、差別。○寐て吾が来しを 寐過ごして、帰って来たのを。
【釈】 月があるので、夜が明けていよう見さかいも付かずに、寐過ごしてわが帰ったのを、人が見たであろうか。
【評】 例の多くありそうなことで、詠み方も平明なものである。不安をいったものではあるが、明るく楽しげな歌である。謡い物として謡われていたかと思われる。
 
2666 妹《いも》が目《め》の 見《み》まく欲《ほ》しけく 夕闇《ゆふやみ》の 木《こ》の葉隠《はごも》れる 月《つき》待《ま》つが如《ごと》
    妹目之 見卷欲家口 夕闇之 木葉隱有 月待如
 
【語釈】 ○妹が目の見まく欲しけく 「目」は、顔かたち。「見まく」は、見むの名詞形。「欲しけく」は、形容詞「欲しけ」に「く」の接して名詞形となったもの。
【釈】 妹の顔の見たく思われることは、夕闇に、木の葉に隠れている月を待つようだ。
【評】 男が女の許へ通おうと、夕闇の路を歩いている時の感と思われる。この場合の月は美観としてのものではなく、それを頼りとして歩く実用としての月で、その月が木の葉隠れになると歩けなくなるというそれである。実際に即しての譬喩で、当時にあってはきわめて適切に響くものであったろう。たのしく当惑している男の気分の感じられる歌である。
 
2667 真袖《まそで》もち 床《とこ》うち払《はら》ひ 君《きみ》待《ま》つと 居《を》りし間《あひだ》に 月《つき》傾《かたぶ》きぬ
    眞袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾
 
【語釈】 ○真袖もち床うち払ひ 「其袖」は、両方の袖。「床うち払ひ」は、床の塵を払って。床は部屋の一部に取りつけてあったので、塵が置き(173)やすかったのである。
【釈】 両袖をもって床の塵を払って、君を待っていた間に、月が傾きました。
【評】 夜明け近くになって訪れて来た夫に対して、妻の挨拶の形でいった歌である。待ち遠にしていたと、喜びに恨みをまじえての心のものである。一首、気分の具象で、「居りし間に」は、誇張のあるもので、巧みさもあるものである。物言いが婉曲で、上流階級を思わせるものである。月は実物で、寄せてのものではない。
 
2668 二上《ふたがみ》に 隠《かく》ろふ月《つき》の 惜《を》しけども 妹《いも》が手本《たもと》を 離《か》るるこの頃《ごろ》
    二上尓 隱經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比來
 
【語釈】 ○二上に隠ろふ月の 「二上」は、二上山で、奈良県北葛城郡当麻村。葛城山脈の中の嶺で、大和の平野から西にあたっている。「隠ろふ」は、隠るの連続で、隠れつついる月。譬喩として「惜し」と続き、以上その序詞。○惜しけども 惜しけれどもの古格。○妹が手本を離るるこの頃 「手本」は、腕で、手枕を言い換えたもの。「離るるこの頃」は、せずにいるこの頃であるよ。詠嘆をもつもの。
【釈】 二上山に隠れつついる月のように、惜しくはあるけれども、妹の手枕をせずにいるこの頃であるよ。
【評】 何らかの事情で妻に違えずにいる男であるが、事情には触れず、気分だけをいっているものである。「惜しけども」という説明的の語が、「二上に」の序詞によって生かされて、気分となし得ている歌である。淡泊な詠み方が特色となっている。
 
2669 吾《わ》が背子《せこ》が ふりさけ見《み》つつ 嘆《なげ》くらむ 清《きよ》き月夜《つくよ》に 雲《くも》な棚引《たなび》き
    背子之 振放見乍 將嘆 清月夜尓 雲莫田名引
 
【語釈】 ○吾が背子がふりさけ見つつ嘆くらむ わが背子がふり仰いで見つつ、我を思って嘆いているだろうで、「らむ」は、現在の推量。○清き月夜に雲な棚引き 「月夜」は、月で、清い月に、雲よ棚引いてくれるな。
【釈】 わが夫がふり仰いで見つつ、我を思って嘆いているだろうこの清い月に、雲よ棚引いてくれるな。
(174)【評】 月夜、月に対して、遠くいる夫を思い、夫もまた同じような嘆きをしていようと思って、月を思いを交わすものとしている心である。上の(二四六〇)人麿歌集の「遠妻の振仰け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき」を摸した歌である。
 
2670 まそ鏡《かがみ》 清《きよ》き月夜《つくよ》の 移《ゆつ》りなば 念《おも》ひは止《や》まず 恋《こひ》こそ益《ま》さめ
    眞素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益
 
【語釈】 ○まそ鏡清き月夜の 「まそ鏡」は、意味で「清き」にかかる枕詞。「月夜」は、月。○移りなば 「ゆつる」は、「うつる」で、巻四(六二三)「松の葉に月はゆつりぬ」とある。移って行ったならばで、隠れたならばの意。○念ひは止まず恋こそ益さめ 「念ひ」は、嘆きで、「止まず」は、紛れずに。「恋こそ益さめ」は、反対に恋が益して来よう。
【釈】 真澄みの鏡のようなこの清い月が隠れて行ったならば、妻を思うこの嘆きは紛れずに、恋の方が増して来ることであろう。
【評】 男が旅にあって、夜、清い月に対していると、妻を恋うる嘆きが慰められたにつけ、この月が沈んだならば、この心は失せて、恋の方が増さって来ようと思ったのである。月に慰められたのが重点で、慰められたがゆえにその失せた時が思いやられるという、心理の自然のある歌である。実感としてもった感そのものをあらわした歌である。個性的な作である。
 
2671 今夜《こよひ》の 在明月夜《ありあけづくよ》 在《あ》りつつも 公《きみ》を置《お》きては 待《ま》つ人《ひと》もなし
    今夜之 在開月夜 在乍文 公※[口+立刀]置者 待人無
 
【語釈】 ○今夜の在明月夜 「今夜」は、訓がさまざまである。集中の例によると、「今夜」は「こよひ」とのみ訓ませている。「在明月夜」は、夜が明けてもある月。同音で下の「あり」にかかり、以上その序詞。○在りつつも このようにありながら。○公を置きては待つ人もなし 公をほかにしては、待つ人とてはない。
【釈】 今夜の在明月夜のように、このようにありながら、公をほかにしては待つ人もない。
【評】 女の、夜夫の通って来るのを待ちつづけ、ついに待ち得なかった時の心である。夫を怨めしく思ったが、思い返して、やはりこうしてあの公を待つよりほかはないと諦めを付けた心である。「今夜の在明月夜」は、その時期を待っていたことを暗示したもので、叙述とすべきものを序詞の形にして気分化したもので、上手な序詞である。
 
(175)2672 この山《やま》の 嶺《みね》に近《ちか》しと 吾《わ》が見《み》つる 月《つき》の空《そら》なる 恋《こひ》もするかも
    此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛爲鴨
 
【語釈】 ○この山の嶺に近しと 「この山」は、眼前の山を指したもので、あの山の。「嶺に近しと」は、下の「月」の位置で、蜂に近い空にいると。○吾が見つる月の空なる 「吾が見つる月の」は、わが見たところの月のようにで、以上「空」にかかる序詞。「見つる」の「つる」は、完了。「空なる」は、心が空にあるで、落ちつかない意。○恋もするかも 恋をしていることであるよと、詠嘆したもの。
【釈】 あの山の峰に近いとわが見たところの月のように、心が上の空の恋をしていることであるよ。
【評】 片恋をしている男の、心が空になっている状態を意識して、深く嘆いた心である。「吾が見つる月の」まで三句以上を費やしている序詞は、「空なる」をいうためのものであるが、同時に叙事であって、「見つる月」が、物思いにとらわれている間に、いつか遠く移っていることを知り、それによって、「空なる」を意識したのである。これは「空なる」を説明にとどめず、事実であることをいい、序詞という形にして気分化したものである。細かい心をもった序詞で、巧みだとすべきである。
 
2673 ぬばたまの 夜《よ》渡《わた》る月《つき》の 移《ゆつ》りなば 更《さら》にや妹《いも》に 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ
    烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀將居
 
【語釈】 ○夜渡る月の移りなば 「夜渡る月」は、夜空を渡る月。「移りなば」は、移って隠れたならば。○更にや妹に吾が恋ひ居らむ さらに新たに、妹を恋い続けることであろうかで、「や」は、疑問の係。
【釈】 夜空を渡る月が隠れたならば、さらにまた妹を恋い続けることであろうか。
【評】 上の「まそ鏡」の歌と、作意は全く同じである。上の歌は思い入っていっているので、気分の集中が行なわれ、ある深みをもったものとなっているが、この歌は思い入りが少なく、ただちに感傷となってしまっているので、浅いものとなっている。境も作意も同じであるが、相応の距離をもったものとなっている。
 
2674 朽網山《くたみやま》 夕居《ゆふゐ》る雲《くも》の 薄《うす》れ往《ゆ》かば 我《われ》は恋《こ》ひむな 公《きみ》が目《め》を欲《ほ》り
(176)    朽網山 夕居雲 薄徃者 余者將戀名 公之目乎欲
 
【語釈】 ○朽網山夕居る雲の 「朽網山」は、大分県|直入《なおり》郡にある久住《くじゆう》山の古名だという。豊後国風土記、直入郡には、救※[譚の旁]《くたみ》峯とあり、この山の火山であることをいっている。「夕居る雲」は、夕方、山に下りて来てかかっている雲。○薄れ往かば 訓が問題となり、誤写説も出ている。上からの心の続きが、不明にみえるからである。薄れて行ったならばで、夕方、一旦濃くかかった雲が、時間が立つと次第に薄れてゆく意で、夜になることをあらわしたものと思われる。○我は恋ひむな公が目を欲り 我は恋うることだろうよ。君の顔を見たくてで、「な」は、感動の助詞。
【釈】 朽網山に夕方下りて来てかかっている雲が薄れて行ったならば、我は恋うることであろうよ。公の顔を見たくて。
【評】 朽網山に近く住んでいる女が、夕方、その山に下りている雲を眺めての心で、この雲が薄れる夜になったら、公に逢いたくて恋うることであろうというのである。山にかかる雲の状態の変化は、大体一定しているものなので、その土地の者には、「薄れ往かば」はただちに夜を思わせたのであろう。推量として「公が目を欲り」といっているのは、儀礼めいた語である。しかし女の神経は鋭敏に働いている歌である。その土地の謡い物か、あるいは遊行婦などの歌ではないかと思わせる。以下三首、雲に寄せる歌。
 
2675 君《きみ》が著《き》る 三笠《みかさ》の山《やま》に 居《ゐ》る雲《くも》の 立《た》てば継《つ》がるる 恋《こひ》もするかも
    君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者繼流 戀爲鴨
 
【語釈】 ○君が著る三笠の山に 「君が著る」は、「三笠」にかかる枕詞。古くは笠をかぶることを着るといった。○居る雲の 下りてい(177)雲で、夜の雲。○立てば継がるる 「立てば」は、朝、空に立ちのぼれば。「継がるる」は、後の雲も続いてのぼるで、事実、朝の雲の山を離れる状態は忙しいものである。以上は止む時もない譬喩である。序詞とすれば、「立てば」までがそれで、叙述と序詞の中間的なものである。
【釈】 君が着る三笠の山に夜を下りて居る雲の、朝空に立ち始めると、後から継がれるような、止む時もない恋をすることであるよ。
【評】 女が朝、三笠山を離れる夜の雲の、絶え間なく続く状態を見て、自分の恋を連想して嘆いた形の歌である。すなわち実際に即してはいるが、同時に一方では、物柔らかく、静かな調べをもっていっているので、それによって気分となり、結局、嘆きではあるが明るさをもったものとなっている。巻三(三七三)山部赤人の「高※[木+安]の三笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも」と交流するところのあるものである。
 
2676 ひさかたの 天飛《あまと》ぶ雲《くも》に ありてしか 君《きみ》を相見《あひみ》む おつる日《ひ》なしに
    久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死
 
【語釈】 ○ありてしか 「てしか」は、願望の意。巻三(三四三)に出た。○君を相見む 「君」は、ここは男より女を指したもの。○おつる日なしに 漏れる日なしに。
【釈】 身が空を飛ぶ雲であってほしい。それだと君に逢おう。漏れる日なしに。
【評】 空を自由に渡る風や雲を見て羨む心は、例の多いものである。雲を眺めて、その刺激でいっている形のものである。男の心である。
 
2677 佐保《さほ》の内《うち》ゆ 嵐《あらし》の風《かぜ》の 吹《ふ》きぬれば 還《かへ》りは知《し》らに 歎《なげ》く夜《よ》ぞ多《おほ》き
    佐保乃内從 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸
 
【語釈】 ○佐保の内ゆ 「佐保の内」は、佐保山と佐保川との間一帯の地名。「ゆ」は、を通って。○嵐の風の吹きぬれば 訓はさまざまである。『新訓』の訓。山おろしの風が吹いて来るので。○還りは知らに 原文「還者胡粉」。諸注、訓み悩んで、さまざまに訓んでいるが、『代匠記』は(178)「胡粉」は「白土」であるとして「しらに」と訓んだ。『新訓』の訓。帰りは知らずしてで、嵐の風の寒さに朝の帰りを懶《ものう》くしての意。○歎く夜ぞ多き 嘆く夜の多いことであるよ。
【釈】 佐保の内をとおって嵐の風が寒く吹いているので、朝の帰りを忘れたさまになって、嘆く夜の多いことであるよ。
【評】 佐保の内の妻の許へ通っている男の、冬の頃、嵐が吹くので、人目を思いながらも帰ることを懶くしている心である。実感をおおらかに、しかし心を尽くして詠んでいる歌で、身分ある人らしい気品をもっている。以下三首、風に寄せての歌。
 
2678 はしきやし 吹《ふ》かぬ風《かぜ》ゆゑ 玉匣《たまくしげ》 開《あ》けてさ宿《ね》にし 吾《われ》ぞ悔《くや》しき
    級寸八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸
 
【語釈】 ○はしきやし吹かぬ風ゆゑ 「はしきやし」は、愛すべきで、ここは風を讃えての枕詞。「吹かぬ風ゆゑ」は、夏の夜の涼しい風を迎えようとしたが、吹いて来ないのにの意。○玉匣開けてさ宿にし 「玉匣」は、「開け」の枕詞。
【釈】 愛すべき涼しい風の吹かないことなのに、戸を開けて寝てしまった我は悔しいことであるよ。吹いて来ない風のゆえにで、「開けて」は、風を迎えるために戸を開けて。「さ宿にし」は、「さ」は、接頭語。寝てしまった。○吾ぞ悔しき われは悔しいことであるよと、詠嘆したもの。
【評】 この歌は、女が、真実であろうと予想して関係を結んだ男が、真実でないことを知って、関係したことを後悔している心である。事を婉曲にいおうとして、一首全体を譬喩としているのである。譬喩は、男を夏の夜の涼風とし、それに対しての自身の態度を、涼風を迎えようとして、戸を開け放って寝たことにし、涼風は吹かないのに、不用意なことだったとしているのである。「はしきやし吹かぬ風ゆゑ」は、真実のない男であるのに、「玉匣開けてさ宿にし」は、心を許して共寝をしてしまったというのである。これを詠み方としていえば、事を気分としていおうとし、気分の具象化の方法として、隠喩にしたということである。心は無理なく通じる歌である。気分化のすぎた歌といえよう。
 
2679 窓越《まとご》しに 月《つき》おし照《て》りて あしひきの 嵐《あらし》吹《ふ》く夜《よ》は 公《きみ》をしぞ念《おも》ふ
    窓超尓 月臨照而 足檜乃 下風吹夜老 公乎之其念
 
(179)【語釈】 ○月おし照りて 強く照らして。○あしひきの嵐吹く夜は 山の嵐の寒く吹いて来る夜は。
【釈】 窓越しに月が強く照って、山の嵐の寒く吹く夜は、君のひたすらに思われることであるよ。
【評】 冬の夜の寒さに侘びて、女の夫を恋うる心である。初句より四句までは、寒さをそれといわずに描写しているもので、印象が鮮明なためにおのずから気分となっているものである。「公をしぞ念ふ」も、肌寒さよりのことであるが、それも気分としている。古風に似て新風の歌で、中間的なものである。
 
2680 河千鳥《かはちどり》 住《す》む沢《さは》の上《うへ》に 立《た》つ霧《きり》の いちしろけむな 相言《あひい》ひ始《そ》めてば
    河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而者
 
【語釈】 ○河千鳥住む沢の上に立つ霧の 河千鳥が住んでいる沢の上に立つ霧のようにで、水の上に立つ霧の濃い意で「いちしろ」に続け、以上その序詞。○いちしろけむな 「いちしろけ」は、形容詞、「む」は、推量の助動詞、「な」は、感動の助詞。人目に立つことであろうよ。○相言ひ始めてば 語らい始めたならばで、夫婦関係を結んだならばの意。
【釈】 河千鳥の住んでいる沢の上に立つ霧のように、人目に立つことであろうよ。語らい始めたならば。
【評】 女の歌で、男と夫婦関係を結ぼうとする直前、そうなったらさぞ人目に立つことだろうと惧れた心である。序詞は眼前を捉えたもので、譬喩の心の濃厚なものである。光景としても特色のあるものである。霧に寄せての歌。
 
(180)2681 吾《わ》が背子《せこ》が 使《つかひ》を待《ま》つと 笠《かさ》も著《き》ず 出《い》でつつぞ見《み》し 雨《あめ》のふらくに
    吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓
 
【語釈】 ○笠も看ず出でつつぞ見し 笠も被らずに外に、出て見い見いしたことであるよ。○雨のふらくに 「ふらく」は、「ふる」に「く」が接して名詞形となったもの。
【釈】 わが背子の使を待つとて、笠も被らずに外へ出て見い見いしたことであるよ。雨の降っていることなのに。
【評】 事と気分とが一つに融け合って、期待の明るさを平明にあらわしている歌である。民謡の条件を十分に備えたものである。巻十二(三一二一)に重出する。以下五首、雨に寄せての歌。
 
2682 韓衣《からころも》 君《きみ》にうち著《き》せ 見《み》まく欲《ほ》り 恋《こ》ひぞ暮《く》らしし 雨《あめ》のふる日《ひ》を
    辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎
 
【語釈】 ○韓衣君にうち著せ 「韓衣」は、唐風の衣服で、従来の物より裾の長い仕立て。その仕立てが、貴族より始まって庶民にまで及んだことと思われる。新風の衣服としてである。「うち著せ」は、「うち」は、接頭語で、着せて。○見まく欲り 「見まく」は、「見む」の名詞形。見たく思い。○雨のふる日を これを重く結句に置いていっているのは、雨の日には暇のある生活をしている者同士で、当然来るものとしてのことと取れる。晴れた日は農耕に忙しい庶民とみえる。
【釈】 唐衣を君に着せて見たく思い、待ち恋うて暮らしたことであるよ。雨の降る日を。
【評】 夫の着物は妻が責任として、一切その手でまかなったのである。晴着としての唐衣ができ、それを夫に着せ、そのさまを見たいというのは、妻としては特別な喜びで、夫としても喜びであったろう。農耕のできない雨の日を、当然来そうなものとして、一日中、待ち憧れていたというのは、庶民生活の実際に深く喰い入ったものである。この夫妻は世間晴れてのものと取れる。一些事を捉えて、当時の庶民としては、男女いずれも理想的な、明るく楽しい夫婦生活を示している歌である。上の歌と同じく謡い物で、やや年齢をした者に喜ばれたものと思われる。
 
(181)2683 彼方《をちかた》の 赤土《はにふ》の小屋《をや》に ひさめ零《ふ》り 床《とこ》さへ濡《ぬ》れぬ 身《み》にそへ吾妹《わぎも》
    彼方之 赤土少屋尓 ※[雨/脉]※[雨/沐]零 床共所沾 於身副我妹
 
【語釈】 ○彼方の赤土の小屋に 「彼方」は、あちらの意で、その住んでいる里を、標準としていったもの。その里から離れた所で、人目に着かない所としていっている。「はにふ」は、黄土にも赤土にもいい、その採れるところの称から、その物の称となったものである。ここは赤土。「小屋」は、古事記に仮名書きのあるもの。赤土をもって壁とした小さい屋。○ひさめ零り 「ひさめ」は、原文「※[雨/脉]※[雨/沐]」で、これは小雨であるが、歌意は続きで見ると大雨である。然るに紀州本には「※[雨/泳]※[雨/沐]」の文字があり、これは大雨で、和名「ひさめ」である。これだと歌意に合う。文字が似ているところから、誤字かまたは誤用ではないかとされている。○床さへ濡れぬ 床までも濡れたで、大雨が地を伝って流れ入ったものとみえる。○身にそへ吾妹 わが身に寄り添えよ吾妹。
【釈】 里より離れた、赤土で塗りめぐらした小屋に大雨が降って来て、床までも濡れた。わが身に寄り添えよ吾妹。
【評】 上代の男女は、人目のない所だと、いかなる所ででも密会することが一般に行なわれていて、身分ある人でも、場合によっては憚らなかった。この歌は庶民のもので、庶民階級ではむしろ普通のことであった。「彼方の赤土の小屋」は、多分耕作地に設けてあった、収穫物の一時の置き場とでもいったものであったろう。構造も、大和に多い赤土をもって塗り固めた、半永久的な物であったろう。耕作に来ていた男女が、そこで密会をしているおりから大雨が降り出し、雨は小屋の内へ流れ入ったので、男が女をいたわっていった形のものである。歌は、抒情をとおしてのものであるが、初句より四句までは客観的描写で、結句が抒情になっているものである。調べも線が太く強く、印象の鮮明を期しているものである。第三者の構えて作ったものということを明らかに思わせるものである。一般性の上に立ち、興味をねらいとして作った謡い物と思われる。健康な、明るい庶民を思わせる、厭味のない歌である。
 
2684 笠《かさ》無《な》みと 人《ひと》には言《い》ひて 雨《あま》つつみ 留《とま》りし君《きみ》が 容儀《すがた》し念《おも》ほゆ
    笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念
 
【語釈】 ○笠無みと人には言ひて 笠がないゆえにと、人にはいって。○雨つつみ留りし君が 「雨つつみ」は、巻四(五一九)に既出。雨を憚って、家に籠もっている意の名詞。「留りし君」は、わが家にとどまっていた君。
(182)【釈】 笠がないゆえにと人にはいって、雨籠りをしてわが許にとどまっていた、君の姿が思われる。
【評】 「人には言ひて」は、人は家の者で、夫婦関係が承認されていなかったからと取れる。「容儀し念ほゆ」は関係が古くはなく、昼間夫の姿を見ることはほとんど無かったところからの印象であろう。これらは実際に即していっているところからの、おのずからなる味わいである。睦まじい新夫婦が思われる。
 
2685 妹《いも》が門《かど》 行《ゆ》き過《す》ぎかねつ ひさかたの 雨《あめ》も零《ふ》らぬか 其《そ》を因《よし》にせむ
    妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因將爲
 
【語釈】 ○雨も零らぬか 「零らぬか」は降らないのか、降ってくれよの意で、願望をあらわす。○其を因にせむ 降ればそれを立ち寄る理由にしよう。
【釈】 妹が門を行き過ぎかねた。雨が降らないかなあ。それだと、それを立ち寄る理由にしよう。
【評】 この夫妻も、上の歌と同じような関係である。昼間、妹が家に立ち寄る口実として、雨を願っているところは、事情が上の歌と前後している。男の歌だけに単純である。
 
2686 夕占《ゆふけ》間《と》ふ 吾《わ》が袖《そで》に置《お》く 白露《しらつゆ》を 公《きみ》に見《み》せむと 取《と》れば消《け》につつ
    夜占間 吾袖尓置 白露乎 於公令視跡 取者消管
 
【語釈】 ○夕占間ふ 夕占によって神意を窺うで、窺うのは、下の「公」が来るか来ないかである。「夕占」は上の(二五〇六)に出た。○取れば消につつ 手に取れば、消えてしまいしまいする。
【釈】 路に立って夕占を窺っている、わが袖の上に置く白露を、君が来た時見せようと、手に取れば消えてしまいしまいする。
【評】 「夕占問ふ」と、「白露を公に見せむと」とは、事としては矛盾しているものである。しかし気分とすると、待っている公が今にも来るものとすれば自然になる。気分を主としての作であろう。「白露を取れば消につつ」は、例の少なくない語である。この歌では「消につつ」にあわれがある。以下六首、露に寄せての歌。
 
(183)2687 桜麻《さくらあさ》の 苧原《をふ》の下草《したくさ》 露《つゆ》しあれば 明《あ》かしてい行《ゆ》け 母《はは》は知《し》るとも
    櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知
 
【語釈】 ○桜麻の苧原の下草 「桜麻」は、麻の一種の名とは取れるが、いかなる特色の麻かは未詳である。「苧原」は、苧生で、苧を作ってある所。「下草」は、その苧の下草。○露しあれば 「し」は、強意。露があるので。○明かしてい行け 「明かして」は、夜を明かしてで、下草の朝露は、夜が明けると乾くとしていっているもので、男の露に濡れるのをいたわっての心である。「い行け」の「い」は、接頭語。○母は知るとも 「母」は、女の母で、夫婦関係は母に秘密にしてあり、したがってその事の知られるのは大きいことなのである。たとい母は知ろうともで、強い心からいっているもの。
【釈】 桜麻の苧を作ってある原の下草は、露があるので、夜を明かして帰りなさい。母はそれと知ろうとも。
【評】 女の後朝の別れを惜しんでの心である。男女の関係は、女の母には秘密なものとし、また女の家は麻畑に囲まれていて、出入りの細路は、朝露が深いものとしていっているものである。その家から見て庶民でもある。女のいうところは、男の朝露に濡れるのをいたわって、乾いてから帰れというので、そのためには母に知られてもかまわぬというので、事の軽重を忘れた情痴の語である。それがこの歌の魅力となっている。「桜麻」という語はここにだけあるもので、どういう物かはわからないが、語感の美しいもので、これも魅力の一部をなしている。一首の心としては、実際にはありうべくもなく、聞いて快いだけのものである。語続きも、華やかに美しく、明るいもので、謡い物の匂いの濃厚なものである。若い男の興味をもって謡ったものと思われる。
 
2688 待《ま》ちかねて 内《うち》には入《い》らじ しろたへの 吾《わ》が衣手《ころもで》に 露《つゆ》は置《お》きぬとも
(184)    待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆
 
【語釈】 ○待ちかねて内には入らじ 待ち受け得ずして、家の内へ入ることはしまいで、男の来るのを戸外に待っている心。
【釈】 待ち受け得ずして、家の内へ入ることはしまい。わがしろたえの袖に夜露が置こうとも。
【評】 夫の来るのを戸外に立って待っていて、待ちきれなくなった際の心である。どうしても待ち受けようと、我と我を励ました心である。「待ちかねて内には入らじ」と、卒然とその決意を言い出しているところに、その気息が現われている。生きた歌である。
 
2689 朝露《あさつゆ》の 消《け》やすき吾《わ》が身《み》 老《お》いぬとも 又《また》若《を》ちかへり 君《きみ》をし待《ま》たむ
    朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思將待
 
【語釈】 ○朝露の消やすき吾が身 「朝露の」は、消の枕詞。「消やすき吾が身」は、死にやすいわが身。○老いぬとも又若ちかへり 「老いぬとも」は、たとえ老いようともで、仮想。「若ちかへり」は、「若ち」は、もとへ立ち返る意。「かへり」は、繰り返して強めたもので、一語。これは巻三(三三一)、巻四(六五〇)などしばしば出た語で、藤原朝から奈良朝へかけて行なわれた道教の説くところで、仙薬を服すると若返り、不老不死の身となるという、その若返りである。いついつまでもという意でいっているもの。
【釈】 朝露のような死にやすい身であるが、老いてしまおうともまた若返って、君の来るのを待とう。
【評】 女の疎遠にしている夫に訴えた心である。君に限りなき思慕を寄せているというのであるが、それをいうに、「朝露の消やすき吾が身」といぅ仏教の語と、「老いぬとも又若ちかへり」という道教の語とを取合わせていっているものである。いずれもその時代の流行語で、当時としては気の利いた言い方であったろうと思われる。
 
2690 しろたへの 吾《わ》が衣手《ころもで》に 露《つゆ》は置《お》けど 妹《いも》は逢《あ》はさず たゆたひにして
    白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶豫四手
 
【語釈】 ○妹は逢はさず 『新訓』の訓。「逢はさず」は、逢わずの敬語で、女性に対しての慣用。○たゆたひにして 「たゆたひ」は、どっちつ(185)かずの状態をいう語で、ここは女が躊躇していて。
【釈】 しろたえのわが袖の上に露は置いたけれど、妹は逢ってくださらない。躊躇していて。
【評】 家人に忍んで逢う関係の妹の家の戸外に立ち、その出て来るのを待ちかねた男の心である。「たゆたひにして」の一句で成り立っている歌である。
 
2691 かにかくに 物《もの》は念《おも》はじ 朝露《あさつゆ》の 吾《わ》が身《み》一《ひと》つは 君《きみ》がまにまに
    云々 物者不念 朝霧之 吾身一者 君之隨意
 
【語釈】 ○かにかくに物は念はじ とやかくと物は考えまい。○朝露の吾が身−つは 「朝露の」は、消えやすい意で、「吾が身」にかかる枕詞。「一つ」は、「身」を強めていったもの。○君がまにまに 君が心のままに任せようの意。
【釈】 とやかくと物は考えまい。朝露のようなわが身一つは君の心のままに任せよう。
【評】 女が、夫である男の態度に不満を感じて、さまざまな物思いをした果てに、思い諦めて、わが身のことは思うまい、当初の心に立ちかえって、一切を君に任せようと決心した心である。例の多いものであったろう。
 
2692 夕凝《ゆふごり》の 霜《しも》置《お》きにけり 朝戸出《あさとで》に 甚《はなはだ》践《ふ》みて 人《ひと》に知《し》らゆな
    夕凝 霜置來 朝戸出尓 甚踐而 人尓所知名
 
【語釈】 ○夕凝の霜置きにけり 「夕凝」は、夜の間に凝る意で、名詞。「夕」は、夜である。○朝戸出に 朝の戸を出る意であるが、ここは、夫の朝帰る意でいっているもの。○甚践みて 『新訓』の訓。「甚」は、巻七(一三七〇)「甚も零らぬ雨故」そのほかにも用例がある。ひどく踏みつけて。○人に知らゆな 人に、君の来たことを知られるな。
【釈】 夜の間に凝った霜が、路に置いたことである。朝の帰りにひどく踏みつけて、人に君の来たことを知られるな。
【評】 夜明け方、帰って行こうとする夫に対して、妻の注意したものである。霜に跡をつけるなと注意するのは例の少ないもので、実際に即してのものである。「夕凝の霜置きにけり」と、妻が置き渡している深霜に初めて心付き、転じて夫に注意する(186)ところ、情景が鮮明である。霜に寄せての歌。
 
2693 かくばかり 恋《こ》ひつつあらずは 朝《あさ》に日《け》に 妹《いも》が履《ふ》むらむ 地《つち》にあらましを
    如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之將履 地尓有申尾
 
【語釈】 略す。
【釈】 このようにばかり恋い続けていずして、朝に昼に、妹が踏むであろう地であろうものを。
【評】 妹に逢い難くしている男の、その嘆きを素朴に詠嘆したものである。「妹が履むらむ地」は、実際に即した語で、最も有りやすいように思えて、実は無いものである。謡い物であったろう。地に寄せての歌。
 
2694 あしひきの 山鳥《やまどり》の尾《を》の 一峯《ひとを》越《こ》え 一目《ひとめ》見《み》し児《こ》に 恋《こ》ふべきものか
    足日木之 山鳥尾乃 一峯越 一目見之兒尓 應戀鬼香
 
【語釈】 ○あしひきの山鳥の尾の 「あしひきの」は、山の枕詞。「山鳥の尾の」は、「尾」は、山鳥の尾は長く印象的なところから、連ねて言い慣れているものである。尾を「峯」に同音で続け、以上その序詞。○一峯越え これは、この歌の作者の行動を叙したもので、その往地から一峯を越して行って。この句は上を承けて、山鳥の習性をいったものと解されてもいる。それは山鳥は夜を宿る時には、雌雄谷を隔てて宿るものだとされているところから、谷を隔てての意をこのように言いかえたものとしてである。それには語としても無理があり、一首の意も漠然とするから、上のように解する。○一目見し児に恋ふべきものか 一目見ただけの可愛ゆい女に、恋うべきであろうか、恋うべきではないで、「か」は、反語。
【釈】 あしひきの山鳥の尾の、その一峯を越して行って、一目見たかわゆい女に、恋うべきであろうか、恋うべきではない。
【評】 たまたま山一つを越した彼方の部落へ行った男が、そこで見かけた女に懸想をして、我とそのあるまじきことを反省して、抑制しようとする心である。懸想には結婚ということが付き物になっていて、当然それを思うべきであるが、他部落の女との結婚は、当時にあっては困難の伴うものであったから、それを思って強く抑制しようとしたのである。実際に即しての歌である。以下五首、山に寄せての歌。
 
(187)2695 吾妹子《わぎもこ》に あふ縁《よし》を無《な》み 駿河《するが》なる 不尽《ふじ》の高嶺《たかね》の 燃《も》えつつかあらむ
    吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 燒管香將有
 
【語釈】 ○駿河なる不尽の高嶺の 富士を火山とし、その燃えるのを譬喩として「燃え」につづけての序詞。○燃えつつかあらむ 「燃え」は、甚しく物を思うと、胸が熱して来るので、それを具象的にいった語。「か」は、疑問の係。
【釈】 吾妹子に逢う方法がないので、駿河国にある不尽の高嶺のように、我の胸も燃えつづけているのであろうか。
【評】 序詞が特色となっている歌である。富士の燃えることを譬喩にした謡い物があったとみえ、一首置いて次にもある。謡い物から取った序詞であろう。
 
2696 荒熊《あらくま》の 住《す》むといふ山《やま》の 師歯迫山《しはせやま》 責《し》ひて問《と》ふとも 汝《な》が名《な》は告《の》らじ
    荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告
 
【語釈】 ○師歯追山 所在不明である。初句よりこれまでは序詞と取れるが、下への続きが不明であるので、その点が問題となっている。○責ひて問ふとも 「責ひて」は、「せめて」と訓んで来た。『全註釈』は、「しひて」と訓み、師歯迫山の「師」と同音反復で続くとしている。これに従う。娘の秘密に関係している男を、人が強く尋ねようとも。尋ねるのは、多分その母である。○汝が名は告らじ 「汝」は、男を指したもので、あなたの名はいいますまい。
【釈】 荒熊が住んでいる山という師歯迫山の名に因みある、強いて問われようとも、あなたの名はいいますまい。
【評】 女が男に誓いの心をもって贈った形の歌である。娘が秘密にしている相手の男を、母などが強いて知ろうとするのは、家として身分の隔たりなく、また娘のためとして信頼できる男をと思ってのことであるが、娘としては、相手の名を漏らすことは禁忌を犯すことで、その関係を中絶させることとして応じなかったのである。一首は、母には背こうとも我慢する。我を思ってくれとの心である。師歯迫山付近に行なわれていた謡い物であったろう。
 
(188)2697 妹《いも》が名《な》も 吾《わ》が名《な》も立《た》たば 惜《を》しみこそ 布仕《ふじ》の高嶺《たかね》の 燃《も》えつつ渡《わた》れ
    妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡
 
【語釈】 ○惜しみこそ 惜しいので。○燃えつつ渡れ 「燃え」は、逢うことを忍んで、憧れに胸を焦がしている意。「渡れ」は、継続で、「つつ」を強くしているもの。
【釈】 妹の名もわが名も、立てば惜しいので、富士の高嶺のように、憧れに胸を燃やしつづけていることだ。
【評】 女に逢わずにいる男の、他意あってのことではないと、女に断わった歌である。実用性の、素朴な歌である。
 
     或る歌に曰はく、君《きみ》が名《な》も 妾《わ》が名《な》も立《た》たば 惜《を》しみこそ 不尽《ふじ》の高山《たかね》の 燃《も》えつつも居《を》れ
      或歌曰、君名毛 妾名毛立者 惜己曾 不盡乃高山之 燎乍毛居
 
【解】 「或る歌」は、ある本の歌で、「本」の脱したものと取れる。これは女の男に逢わずにいる断わりである。別伝としてあるが、実用の歌として、別歌として存在していたのである。形を主として見て、異伝としたのである。
 
2698 行《ゆ》きて見《み》て 来《き》てぞ恋《こひ》しき 朝香潟《あさかがた》 山越《やまご》しに置《お》きて 宿《い》ねかてぬかも
    徃而見而 來戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨
 
【語釈】 ○行きて見て来てぞ恋しき 行って逢って、帰って来てから恋しいことである。○朝香潟 巻二(一二一)「住吉の浅香の浦に」とあるので、そこであろう(大阪府堺市に今、浅香町がある)。女の住地、女の譬喩としたもの。○山越しに置きて 男の住地は朝香潟とは山が隔てていることをいい、それによって隔ての遠いことをあらわしたもの。○宿ねかてぬかも 眠りかねることであるよ。
【釈】 行って逢って、帰って来ると恋しいことである。朝香潟を山越しに置いて、眠られぬことであるよ。
【評】 男が夜、床の上にあって眠られずに思った心持である。女に逢って別れた直後の心である。客観的に、広い物言いのできるのはそうした時で、それがまた自然だからである。朝香潟という地名は諸所にありうるもので、住吉は問題になりうるも(189)のである。とにかく歌柄は庶民的のもので、その潟からさして遠くない地の男の歌であろう。「行きて見て来てぞ恋しき」は、平凡ではあるが、しかし的確無比な語で、感性を絶対なものとする心からのみ生まれるような語である。「朝香潟」もそれに近いものである。潟に寄せての歌。
 
2699 安大人《あだびと》の 魚梁《やな》うち渡《わた》す 瀬《せ》を速《はや》み 意《こころ》は念《おも》へど 直《ただ》に逢《あ》はぬかも
    安太人乃 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨
 
【語釈】 ○安大人の 安太の人の。「安太」は、大和国宇智郡で、吉野川の下流の北岸の地(現在五条市に阿田町の名がある)。上代から川の漁りをしている地で、神武天皇東征の際、阿陀(あだ)で鵜養をしている者に逢われた記事が日本書紀にある。○魚梁うち渡す 「魚梁」は、漁具で、川瀬を横切って簀を仕かけ、下りて来る魚を捕える物の称。主として落鮎を捕る。「うち渡す」は、「うち」は、接頭語で、「渡す」は、上にいった横に渡す。打つともいうが、これは簀を仕かける杙を打つ意。○瀬を速み 瀬が早いので。これは譬喩で、男女関係について、周囲の噂が烈しいのでの意。
【釈】 安太の人の魚梁を仕かけている瀬の早いように、周囲の噂が烈しいので、心では思っているが、直接には逢わないことであるよ。
【評】 男が周囲の噂の烈しいのを憚って、女に逢わずにいるのを、女が他意あってのことと疑おうかと思って、女に理由を諭した歌である。どちらも吉野川沿岸の安太に近い辺りの人であって、譬喩をもっていっても十分心は通じるとしての言い方と思われる。実用のための歌である。部落生活をしている者は、一様にこうした悩みをしたので、その地方の謡い物となっていたろう。以下十七首、河に寄せての歌。
 
2700 玉《たま》かぎる 岩垣淵《いはがきふち》の 隠《こもり》には 伏《ふ》して死《し》ぬとも 汝《な》が名《な》は告《の》らじ
    玉蜻 石垣淵之 隱庭 伏以死 汝名羽不謂
 
【語釈】 ○玉かぎる石垣淵の 上の(二五〇九)及び巻二(二〇七)に出た。「玉かぎる」は、石の枕詞。「石垣淵」は、岩をなして囲んでいる淵で、意味で、「隠」にかかり、以上その序詞。○隠には 「隠」は、『代匠記』の訓。隠は、夫婦関係を秘密にする意で、名詞形。秘密にするため(190)にはの意で、「は」は、強めの意のもの。秘密を守り切ろうとすれば、甚しく苦しい思いもするものとしていっている。○伏して死ぬとも 原文「伏以死」は「伏雖死」の誤りかと『考』にある。「伏して」は、悩みに堪えずしてうち伏してで、「死ぬ」の状態としてのもの。うち伏して死のうともで、仮想である。○汝が名は告らじ あなたの名はいうまいで、上に出た。
【釈】 玉のほのかにかがやく石垣淵のように、この関係を秘密にするためには、うち伏して死ぬ苦しさがあろうとも、あなたの名はいいますまい。
【評】 女が男に誓った形の歌である。心は、死をもってしても君との関係の秘密は守り遂げましょうというので、言いかえると、この心を汲んで、結んだ関係を永久に持続して下されと訴えているのである。「伏して死ぬとも」と、仮想ながらも強くいっているのは、秘密を破るのは禁忌を犯すことで、絶縁を意味していたことだからである。信仰の上に立ってのことである。
 
2701 明日香川《あすかがは》 明日《あす》も渡《わた》らむ 石走《いははし》の 遠《とほ》き心《こころ》は 思《おも》ほえぬかも
    明日香川 明日文將渡 石走 遠心者 不思鴨
 
【語釈】 ○明日香川明日も渡らむ 明日香川を明日もまた渡ろう。妹の家が、明日香川を隔てていたのである。○石走の 「石走」は、川の中にある踏石で、橋代わりの物。「遠き」にかかる枕詞。石と石との間を遠しとしての意である。反対に「間近き」にも続く。○遠き心は思ほえぬかも 「遠き心」は、距離を置いて逢う心はで、「思ほえぬかも」は、思われないことであるよ。
【釈】 明日香川を明日も渡ろう。この石走の間の遠いように、距離を置いて逢おうという心は思われないことである。
【評】 明日香川を渡って妹の許に通う男が、その喜びを、明日香川に寄せていっているものである。実際に即していってはいるが、喜びの気分が主となっているので、おのずから気分化され、躍動の趣をもったものとなっている。
 
2702 飛鳥川《あすかがは》 水《みづ》往《ゆ》き増《まさ》り いや日《ひ》けに 恋《こひ》の増《まさ》らば 在《あ》りかつましじ
    飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝申自
 
【語釈】 ○水往き増り 川水が流れ増さってで、譬喩の意で、四句「恋の増らば」へかかる序詞。○いや日けに恋の増らば ますます日増しに恋(191)が増さったならば。○在りかつましじ 「かつ」は、可能の意の助動詞。「ましじ」は、「まじ」の古形で、生きてはいられまい。巻二(九四)に出た。
【釈】 飛鳥川の水が流れ増さるように、ますます日増しに恋が増さったならば、生きていられまい。
【評】 片恋の悩みをしている男が、雨続きの頃、飛鳥川の水嵩の増さるのを見て、わが恋ももしこのようであったら生きてはいられまいと嘆いた心である。「飛鳥川水往き増り」は、実景を序詞の形にしたものであるが、譬喩の意が甚だ濃いので、序詞とも見えないもので、中間的なものである。「在りかつましじ」は古い語法である。人麿歌集以前の歌と思われる。
 
2703 真薦《まこも》刈《か》る 大野川原《おほのがはら》の 水隠《みごも》りに 恋《こ》ひ来《こ》し妹《いも》が 紐《ひも》解《と》く吾《われ》は
    眞薦刈 大野川原之 水隱 戀來之妹之 紐解吾者
 
【語釈】 ○真薦刈る大野川原の 「真薦」は、「真」は、美称で、薦。「大野川」は、大和国添下郡、法隆寺の傍を流れる富の小川(現、奈良県生駒郡の富雄川)の下流の名。「川原」は、川と陸とまじっている所。○水隠りに 「水隠り」は、水に隠れていることで、ひそかにの意の譬喩。○紐解く吾は 「紐解く」は、衣の下紐を解くで、共寝をする時に男のすること。「吾は」は、主語で、最後にこれを置くのは、全体の語気を強めるためのもので、例の多いものである。
【釈】 真薦を刈る大野川の川原の水に隠れているように、ひそかに恋うて来た妹の、その下紐を解くよ、われは。
【評】 ひそかに恋うていた妹と、思いがかなって、初めて共寝をする男の歓びの心である。「真薦刈る大野川原の水隠りに」は、ひそかにの譬喩であるが、それとともにこの男女の往地、階級をも暗示しているもので、気分的な言い方である。「妹が紐解く」は、当時の一般の風習で、当時にあっては強い響はない語であったろう。「吾は」も気分のものである。一首全体と(192)して、歓びの表現ではあるが、事に合わせては語続きが大仰《おおぎよう》で、印象的にしようとしたものであり、調べも張らせたものである。謡い物としてその地方に謡われていたものであろう。興味本位 の、それにふさわしい歌である。
 
2704 あしひきの 山下《やました》動《とよ》み 逝《ゆ》く水《みづ》の 時《とき》ともなくも 恋《こ》ひわたるかも
    惡氷木乃 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨
 
【語釈】 ○山下動み逝く水の 山の裾をひびきを立てて流れ行く水ので、その間断のない意で「時ともなく」に続き、以上その序詞。○時ともなくも 「も」は、二つとも詠嘆。いつという差別もなくで、すなわち、絶えずも。
【釈】 山の裾をひびきをたてて流れて行く水のように、いつという差別もなく恋いつづけていることである。
【評】 類歌の多いもので、慣用されている句を連ねたに近い歌である。しかし調べは整っている。謡い物であったろう。
 
2705 愛《は》しきやし 逢《あ》はぬ君《きみ》ゆゑ 徒《いたづら》に この河《かは》の瀬《せ》に 玉裳《たまも》ぬらしつ
    愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳沾津
 
【語釈】 ○愛しきやし 愛すべきで、ここは「君」の枕詞。○玉裳ぬらしつ 「玉裳」は、裳の美称で、自身の物。
【釈】 愛すべき、我に逢わない君のゆえに、いたずらに、こ(193)の河の瀬を渉るとてわが玉裳を濡らした。
【評】 この歌は、上の(二四二九)人麿歌集の「愛しきやし逢はぬ子ゆゑに徒に宇治川の瀬に裳裾潤らしつ」の異伝である。伝誦されて宇治以外の地に行なわれ、「宇治川」が「この川」となり、「裳裾」が「玉裳」となったのである。「玉裳」としたのは、女の歌としたのである。女より男の許に通うこともあったのである。この歌は、戯れの心からわざとこのように変えて謡っていたのを、偶然記録され、そうされたがゆえに、異伝とされたのであろう。
 
2706 泊瀬川《はつせがは》 速《はや》み早瀬《はやせ》を むすび上《あ》げて 飽《あ》かずや妹《いも》と 問《と》ひし公《きみ》はも
    泊湍川 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳
 
【語釈】 ○泊瀬川速み早瀬を 「速み」は、巻一(七三)に既出。「速き」というに同じ意。「速み早瀬」は、熟語で、急流。○むすび上げて 手に掬い上げてで、飲むためである。その水の旨さから「飽かず」と続けたので、初句よりこれまではその序詞。○飽かずや妹と 「飽かず」は、意味を転じて男女間の交情のものとし、我に飽きはしないのか妹よの意。○問ひし公はも 「はも」は、眼前に居ない人を思い嘆く意で、「は」と強くいい、「も」の詠歎を添えた助詞。我に問うたことのあったその君はなあ。
【釈】 泊瀬川の急流の水を手に掬い上げて飲み、我に飽かずにいるのか妹よと問うたことのあった、その君はなあ。
【評】 女が遠ざかってしまった男を思い出し、時を経ている関係上、悲しむというよりもむしろなつかしさを感じた心のものである。これはこの二人の間にのみあった特殊な事実で、当然叙述とすべきことを、技巧上序詞の形にしたものである。技巧というのは、「飽かずや」の一語に二義をもたせ、転換させ、屈折を付けようとしたのである。これが思い出の頂点となり、「問ひし公はも」の思い出が生きて来るのである。この結句は、古事記中巻、弟橘比売の入水直前の歌という「さねさし相模の小野にもゆる火のほ中に立ちて問ひし君はも」と同じであり、一首の構成も似ている。魅力多い歌である。
 
2707 青山《あをやま》の 石垣沼《いはがきぬま》の 水隠《みごも》りに 恋《こ》ひやわたらむ 逢《あ》ふ縁《よし》を無《な》み
    青山之 石垣沼間之 水隱尓 戀哉將度 相縁乎無
 
【語釈】 ○青山の石垣沼の 「青山」は、青い山。「石垣沼」は、岩が垣をなしている沼で、石垣淵と同系の語。○水隠りに 水に隠れているよう(194)にで、上の(二七〇三)に出た。以上、きわめて秘密にの譬喩。
【釈】 青山にある岩垣沼の水に隠れているように、きわめて秘密に恋い続けてゆくのであろうか。逢う方法が無いので。
【評】 譬喩に特色を付けているのであるが、「玉かぎる石垣淵の」という成句を山に移したにすぎないものである。その土地としてこのほうが適切だという関係からでもあろう。前後、川に寄せた歌である中に、この一首は沼である。
 
2708 しなが鳥《どり》 猪名山《ゐなやま》響《とよ》に 行《ゆ》く水《みづ》の 名《な》のみ縁《よ》そりし 内妻《こもりづま》はも
    四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母
 
【語釈】 ○しなが鳥猪名山響に 「しなが鳥」は、不明、鳰の一名かとも、尻長鳥かともいう。「ゐ」にかかる枕詞。「猪名山」は、摂津国河辺郡伊丹の南(現在の大阪府池田市北方の山地)にあり、猪名川の水源をなす山。「響に」は、響むの語幹に「に」を接しさせての副詞と取れる。ここにのみある語。猪名山を轟かして。○行く水の 猪名川の水ので、音の高いことより「名」とつづけ、以上三句その序詞。○名のみ縁そりし 「名のみ」は、評判にばかり。「縁そりし」は、寄せられたで、関係があるとされていた。○内妻はも 秘密の妻はなあ、と詠嘆したもの。
【釈】 猪名山を轟かして流れて行く川の水音のように、評判にばかり関係があるとされて来た、あの秘密の妻はなあ。
【評】 男の嘆いての歌で、周囲の人々からは関係があると盛んに噂されたが、その実、口約束にすぎず、逢うこともできずにいる妻を思っての心である。猪名川の水源地の辺りの住民の歌で、部落生活には多い事実とて、その地の謡い物となっていたものであろう。
 
     一に云ふ、名《な》のみ縁《よ》そりて 恋《こ》ひつつやあらむ
      一云 名耳所縁而 戀管哉將在
 
【解】 四、五句の別伝である。評判にばかり関係があると寄せられて、逢わずに恋いつづけていることであろうか。本文のほうが詠み方が古く、強い気分がある。時代的に改められたものとみえる。
 
2709 吾妹子《わぎもこ》に 吾《わ》が恋《こ》ふらくは 水《みづ》ならば 柵《しがらみ》越《こ》えて 行《ゆ》くべくぞ念《おも》ふ
(195)    吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三超而 應逝衣思
 
【語釈】 ○柵越えて 「柵」は、川の中に木や竹などで柵を作り、水を塞き止める装置。「越えて」は、乗り越えて。
【釈】 吾妹子にわが恋うることは、われが水であったならば、柵を乗り越えて行きそうに思われることだ。
【評】 自身の恋の心を、知性的に説明したものである。感のない詠み方である。後世これが流行して一つの型となったもので、その先行である。
 
     或本の歌の発句《ほく》に云ふ、あひ思《おも》はぬ 人《ひと》を念《おも》はく
      或本歌發句云、相不思 人乎念久
 
【解】 「発句」は、初句、または初二句の称である。これは初二句の別伝で、相思わない人をわが思うことはで、片思いの悩みの募る状態である。このほうは説明気分が薄くなっている。この別伝は、本文が謡い物となっていたことを示している。説明であるために、内容が掴みやすかったからとみえる。
 
2710 犬上《いぬがみ》の 鳥籠《とこ》の山《やま》なる いさや河《がは》 いさとを聞《き》こせ 我《わ》が名《な》告《の》らすな
    狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈
 
【語釈】 ○犬上の鳥籠の山なるいさや河 「犬上」は、滋賀県犬上郡。「鳥籠の山」は、今の彦根市の正法寺山だという。巻四(四八七)に出た。「いさや河」は、その山の南麓を流れる大堀川である。同音反復で、下の「いさ」にかかり、初句よりこれまでその序詞。 ○いさとを聞こせ 「いさ」は、知らないという意をあらわす間投詞で、慣用されていた語。「とを」の「を」は、感動の助詞。「聞こせ」は、いえの敬語。知らない、とおっしゃい。○我が名告らすな 私の名をおっしゃいますなで、「告らす」は、告るの敬語。
【釈】 犬上の鳥籠の山にあるいさや河の名に因みある、いさとばかり言い給えよ。わが名を告げ給うなよ。
【評】 序詞は、男女の住地を用いているもので、地名を三つまで重ね、きわめて懇ろにいっているものである。これはそのかかる語の「いさ」を気分として強めているものである。四、五句は、妻である女に対して敬語を二つまで重ね、警告をし、さ(196)らに念を押しているもので、これまたきわめて懇ろなる言い方である。男女互いに相手の名を漏らさなくするということは、上代では常識になっていて、警告などするに及ばないものである。それをこのようにいっているのは、その関係を大切に守ろうとする心からである。心は一般性をもったもので、語続きは美しく滑らかで、謡い物として磨き上げられていることを示している歌である。後世から愛された歌である。
 
2711 奥山《おくやま》の 木《こ》の葉《は》隠《がく》りて 行《ゆ》く水《みづ》の 音《おと》聞《き》きしより 常《つね》忘《わす》らえず
    奧山之 木葉隱而 行水乃 音聞從 常不所忘
 
【語釈】 ○行く水の 「音」と続き、以上三句その序詞。○音聞きしより常忘らえず 噂を聞いてから、いつも忘れられない。
【釈】 奥山の木の葉に隠れて流れてゆく水音のように、噂を聞いた時から、いつも忘れられない。
【評】 女の美しいという評判を聞いてから、憧れ心がやまないというので、類想の多いものである。序詞が気分を成している。
 
2712 言《こと》急《と》くは 中《なか》はよどませ 水無河《みなしがは》 絶《た》ゆといふことを ありこすなゆめ
    言急者 中波餘謄益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目
 
【語釈】 ○言急くは 人の噂が烈しかったならば。○中はよどませ 中間は澱んでいらっしゃいで、「よどむ」は、川の水の停滞する意で、「ませ」は、敬語。一時は通うことを中止なさいませ。○水無河絶ゆといふことを 「水無河」は、水の無い河で、意味で「絶ゆ」にかかる枕詞。「絶ゆといふことを」は、絶縁するということを。○ありこすなゆめ あってくれるな決して。
【釈】 人の噂が烈しかったならば、一時は通うことを中止していらっしゃい。しかし水無河のように、絶えるということをしてくださるな決して。
【評】 女より男に贈った歌で、女の警戒心と、我慢づよい心から、男に警告したものである。水無河以下も、その警戒心のいわせていることである。男女の天性の差が背後にあって、物語に近い感じを与える歌である。「急く」「よどむ」「水無河」「絶ゆ」など、すべて川の縁語で、それを目立たずに用いている。後の平安朝時代の歌に通うところがあって、その先行をしてい(197)る歌である。落ちついた、おおらかな趣は、後世にはないものである。
 
2713 明日香河《あすかがは》 行《ゆ》く瀬《せ》を早《はや》み 速《はや》けむと 待《ま》つらむ妹《いも》を この日《ひ》暮《く》らしつ
    明日香河 逝湍乎早見 將速登 待良武妹乎 此日晩津
 
【語釈】 ○行く瀬を早み 「早み」は、早くしてで、同音で、「速」に続き、以上その序詞、譬喩の意もあるもの。○速けむと 我の来るのが早いだろうと思って。○待つらむ妹を 「を」は、詠嘆で、ものを。○この日暮らしつ 行けずにこの日を暮らした。
【釈】 明日香河の瀬の水の早い、そのように我の来るのが早いだろうと待っている妹であろうものを、行けずにこの日を暮らした。
【評】 この歌は、昼間妹を訪うことになっていたのに、都合で行けずにしまったことを、妹を中心として隣れんでいるものである。昼間訪うということはありうることであり、あらかじめ告げてあったこととみえる。とにかく普通のこととしていっているものである。「明日香河行く瀬を早み」は、女の家がその河のほとりにあるところから捉えたものである。忙しい官人生活を思わせる歌である。
 
2714 もののふの 八十氏川《やそうぢがは》の 急《はや》き瀬《せ》に 立《た》ち得《え》ぬ恋《こひ》も 吾《われ》はするかも
    物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾爲鴨
 
【語釈】 ○もののふの八十氏川の 物部すなわち百官には、多くの氏がある意から、「宇治」にかかる序詞。巻一(五〇)に出た。○急き瀬に立ち得ぬ恋も 急流の中に立って、立っていられないような苦しい恋もで、「立ち得ぬ」までは、譬喩。これは宇治川を徒渉する苦しさを捉えたものである。
【釈】 百官には多くの氏がある、その宇治川の急流に立って、立ってはいられないような苦しい恋を、我はしていることだなあ。
【評】 男の恋の嘆きである。どういう事情よりの嘆きかには触れず、嘆きそのものの気分をいっているものである。譬喩は、その気分を具象しょうとしてのもので、実際に即していつている形である。宇治川には徒渉地点のあったことがほかの歌にも見えるが、そうした所も流れはきわめて急だったとみえる。序詞はその急な気分をあらわしているものである。気分の作にふ(198)さわしい調べをもっていて、苦しい気息を直接に感じさせる趣  がある。
 
     一に云ふ、立《た》ちても君《きみ》は 忘《わす》れかねつも
      一云、立而毛君者 忘金津藻
 
【解】 四、五句の別伝である。立って居ても君は、忘れ得なかったことだで、これは女の心である。本文の気分の歌を、ただちに事実としたものである。本文の歌が謡い物となっており、それを贈歌と見、答歌として謡ったとも見える形のものである。
 
2715 神名火《かむなび》の 打廻《うちみ》の埼《さき》の 石淵《いはぶち》の 隠《こも》りてのみや 吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》らむ
    神名火 打廻前乃 石淵 隱而耳八 吾戀居
 
【語釈】 ○神名火の打廻の埼の 「神名火」は、神の社で、下の続きから見て、飛鳥の雷の岳である。「打廻の埼」は、飛鳥川に向かって突出した埼の名。巻四(五八九)「衣手を打廻の里に」とあった地であろう。○石淵の 岩床になっている淵の。淵の人目に隠れている意で「隠り」にかかり、以上その序詞。○隠りてのみや吾が恋ひ居らむ 秘密にばかりして我は恋うていることであろうか。
【釈】 神名火の川に突出した埼の、この里にある石淵のように、思う人に知られずにのみ、われは恋うているのであろうか。
【評】 男の、懸想している女に打明けかねている悩みである。序詞が特色である。打廻の埼に近く住む男であろう。序詞によって実感としているのである。
 
2716 高山《たかやま》ゆ 出《い》で来《く》る水《みづ》の 石《いは》に触《ふ》れ 破《わ》れてぞ念《おも》ふ 妹《いも》にあはぬ夕《よ》は
    自高山 出來水 石觸 破衣念 妹不相夕者
 
【語釈】 ○高山ゆ出で来る水の 高山を通って出て来る水で、山川。○石に触れ 意味で「破れ」と続き、以上その序詞。○破れてぞ念ふ 心|推《くだ》けて嘆くことだ。
(199)【釈】 高山を通って流れ出て来る川水の、岩に触れて破《わ》れるように、我も心摧けて嘆きをすることだ。妹に逢わない夜は。
【評】 妹に逢わない夜の嘆きを事情には触れず、気分としていっているものである。序詞から「破れて」までの続きが、素朴にすぎてかえってわざとらしい感を与えるものとなっている。古風の歌の巧みならぬものである。
 
2717 朝東風《あさこち》に 井堤《ゐで》越《こ》す浪《なみ》の 世〓《せがき》にも 逢《あ》はぬもの故《ゆゑ》 滝《たぎ》もとどろに
    朝東風尓 井堤超浪之 世〓似裳 不相鬼故 瀧毛響動二
 
【語釈】 ○朝東風に井堤越す浪の 「朝東風」は、朝を吹く東風。強い風としていっている。「に」は、によっての意。「井堤」は、堰。川の水を塞き止める設備。「越す浪の」は、朝東風にあおられて堰を乗り越す浪の。○世〓にも 原文「世〓似裳」。この字は諸注訓み難くして、各々誤写説を立てている。『全註釈』は、「〓」は、諸本みな「蝶」であるが、『古葉略類聚鈔』は「〓」であり、これは「〓」の異体字で、「〓」は文選の注に、「城上短墻也」とあり、『倭名類聚抄』にも「城上小垣也」とある。また日本書紀の古訓にも〓に「ひめがき」の訓がある、云々といっている。ほかに例はないが、塞く垣で、木の小柵であろうと解している。それだと井堤の上に立て添えた物であろう。○逢はぬもの故 逢わないのでで、その設備がないので。○滝もとどろに 越してゆく激流も轟くまでである。
【釈】 朝東風に吹きあおられて井堰を乗り越す演が、世〓もないので、越して行く激流も轟くまでである。
【評】 一首全体が隠喩で、すなわち気分である。事情はわからないが、気分を実際に即させて具象する風から見ると、「朝東風に井堤越す浪の」は、浪は自身で、偶然に機会を掴み得て、妨害する者のない自分はの意で、「世〓にも逢はぬもの故」は、侍女のごとき者もいないのでで、「滝もとどろに」は、思うままに逢っているの意であろう。調べも、調子に乗った暢びやかなもので、気分を生かしているものである。自在な、上手な歌である。
 
2718 高山《たかやま》の 石本《いはもと》たぎち 逝《ゆ》く水《みづ》の 音《おと》には立《た》てじ 恋《こ》ひて死《し》ぬとも
    高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死
 
【語釈】 ○高山の石本たぎち逝く水の 高山の岩の根本に激して流れゆく水ので、譬喩として「音」にかかり、以上その序詞。 ○音には立てじ 世間の噂には立てまいで、口外しまいの意。
(200)【釈】 高山の岩の根本に激して流れて行く水のように、人の噂にはしまい。恋うて死のうとも。
【評】 男の歌である。世間の評判を怖れる心から、噂には立てまい、恋うて死のうともと、思い入っていっている歌である。双方の面目を重んじての心である。
 
2719 隠沼《こもりぬ》の 下《した》に恋《こ》ふれば 飽《あ》き足《た》らず 人《ひと》に語《かた》りつ 忌《い》むべきものを
    隱沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎
 
【語釈】 ○隠沼の下に恋ふれば 「隠沼の」は、水の出入り口のない沼で、水が下に通っている意で、「下」にかかる枕詞。「下」は、心の中。○忌むべきものを 憚るべきことであるのに。恋の相手を人に漏らすことは禁忌となっていた。
【釈】 心の中で恋うているので、飽き足らなくて、人に話した。憚るべきことであるのに。
【評】 年若い男の、恋に陶酔してのそぞろ心である。上の(二四四一)人麿歌集の「隠沼の下ゆ恋ふればすべを無み妹が名告りつゆゆしきものを」によった歌である。原歌には苦しさであるのに、これは嬉しさからである。このような作が相応に多い。
 
2720 水鳥《みづとり》の 鴨《かも》の住《す》む池《いけ》の 下樋《したひ》無《な》み いぶせき君《きみ》を 今日《けふ》見《み》つるかも
    水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨
 
【語釈】 ○水鳥の鴨の住む池の下樋無み 「水鳥の」は、鴨の枕詞。「下樋無み」は、「下樋」は、地下に埋めてある樋で、地下水路である。「無み」は、それがないのでで、ここは池の水が停滞し、よごれている意で、「いぶせき」に続け、以上その序詞。○いぶせき君を 心が結ぼれて、晴れずにいた君をで、久しく逢えずにいた君をの意。○今日見つるかも 今日逢ったことであるよと、喜んだ心。
【釈】 水鳥の鴨の住んでいる池の、下樋がないので、水の交流がなくいぶせく思われるように、いぶせく思っていた君を、今日は逢ったことである。
【評】 女が久し振りに男に逢った喜びである。序詞は特殊なものであるが、この池は女の家のほとりにある物で灌水用の水として雨水を貯える池であって、したがって下樋などはないものとみえる。中心は「下樋無み」で、これは男の交通のないこと(201)を暗示しているものである。目に見るいぶせさを、心持に転じた点は平凡ではない。池に寄せての歌。
 
2721 玉藻《たまも》刈《か》る 井堤《ゐで》の柵《しがらみ》 薄《うす》みかも 恋《こひ》のよどめる 吾《わ》が情《こころ》かも
    玉藻苅 井堤乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞
 
【語釈】 ○玉藻刈る井堤の柵 「玉藻刈る」は、井堤の状態としていっているもので、枕詞。「井堤の柵」は、井堤としての柵で、柵を井堤としているのである。いずれも水を塞く設備であるが、井堤は井堰で、相応に堅固な物であるが、柵は木や竹を編み合わせて立てる物で、脆弱である。その脆弱の意で「薄み」と続け、以上その序詞。○薄みかも恋のよどめる 「薄み」は、相手の女が我を思う心の薄いので。浅いというのが普通であるが、柵との関係で言いかえたもの。「かも」は、疑問。「恋のよどめる」は、恋が停滞して、休止状態になっているのであろうかで、「る」は、「かも」の結。○吾が情かも あるいはまた、わが情のゆえであろうかで、わが情が薄いのであろうかの意。
【釈】 玉藻刈る井堤となっている柵の薄いように、女の情が薄いので恋が休止となっているのであろうか。あるいはまた、わが心の薄いからなのだろうか。
【評】 女との関係が、これという理由もなく、いつか疎遠になって来た男の、これは女の我を思う心が浅いせいだろうか、それとも我の女を思う心が浅いせいだろうかと、判じかねている心である。序詞の柵は、眼前の物を捉えて「薄み」を言いおこすためにしたものである。気分の歌ではあるから、序詞から本文の「薄み」への続き、またそれ以下も、全体にすっきりしたところの足りない作である。「玉藻刈る」も、枕詞風になっているが、井堤の修飾で、清い水であれば藻は生えるが、語としては大袈裟である。
 
2722 吾妹子《わぎもこ》が 笠《かさ》の借手《かりて》の 和射見野《わざみの》に 吾《われ》は入《い》りぬと 妹《いも》に告《つ》げこそ
    吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞
 
【語釈】 ○笠の借手の 「借手」は、笠の内面の、頭のあたる所へ小さい輪を着ける、その輪の称。輪を同音で、下の「和」につづけて、以上その序詞。○和射見野に 巻二(一九九)「高麗剣和射見が原の」と出た。○妹に告げこそ 「こそ」は、希求の助詞。妹に告げてもらいたい。
【釈】 吾妹子の笠の借手である輪の、その和射見野へわが旅路は入ったと、家にある妻に告げてもらいたい。
(202)【評】 西より東へと遠い旅をしている男が、美濃国の和射見野まで来た時の感である。家を離れて遠く来たと思うあわれを、家の妻に告げてやりたいと思ったのである。「吾妹子が笠の借手の」という序詞は、恋いつづけている妹を、自分も被っている笠から連想したものであろう。語少なく、深いあわれを述べた歌である。野に寄せての歌。
 
2723 数多《あまた》あらぬ 名《な》をしも惜《を》しみ 埋木《うもれぎ》の 下《した》ゆぞ恋《こ》ふる 行《ゆ》く方《へ》知《し》らずて
    数多不有 名乎霜惜三 埋木之 下從其戀 去方不知而
 
【語釈】 ○数多あらぬ名をしも惜しみ 「数多あらぬ名」は、ただ一つの名を強めていったもの。「しも」も、強意。一つしかない名を重んじて。○埋木の下ゆぞ恋ふる 「埋木の」は、地下にある物の意で、「下」にかかる枕詞。「下ゆぞ恋ふる」は、心の中を通して、そこでばかり恋うていることだ。○行く方知らずて どうなるかも知らずしてで、どうというあても無く。
【釈】 一つしかないわが名を惜しんで、心の中を通してのみ恋うていることである。どうなるというあても知らずに。
【評】 上代男子の、名を重んずる心と恋との相剋で、例の少なくないものである。「数多あらぬ名をしも」は力があり、「行く方知らずて」は拡がりがある。気分のある歌で、調べによって生かされている。埋木に寄せての歌。
 
2724 秋風《あきかぜ》の 千江《ちえ》の浦廻《うらみ》の 木積《こづみ》なす 心《こころ》は依《よ》りぬ 後《のち》は知《し》らねど
    冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知
 
【語釈】 ○秋風の千江の浦廻の 「秋風の」は、秋風の吹く。「千江の浦」は、所在未詳である。○木積なす 木屑のように。海に浮かんでいた物が、風に吹き寄せられたのである。○心は依りぬ わが心は寄って行った。○後は知らねど 後のことはわからないけれども。
【釈】 秋風の吹く千江の浦に寄って来る木屑のように、わが心は寄って行った。後のことはわからないけれども。
【評】 男の引くがままに靡いた女の心である。将来の不安を思わないではないが、現在に心は足りているのである。譬喩が特殊で、しかもよく調和したものである。庶民の歌である。木積に寄せての歌。
 
(203)2725 白細砂《しらまなご》 三津《みつ》の黄土《はにふ》の 色《いろ》に出《い》でて 云《い》はなくのみぞ 我《わ》が恋《こ》ふらくは
    白細砂 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者
 
【語釈】 ○白細砂三津の黄土の 「白細砂」は、白い細砂で、三津の状態をいったもの。「三津」は、官船の出入りする港の称で、難波であろう。「黄土」は、黄土で、染料としたもの。巻六(一〇〇二)「住吉の岸の黄土ににほひて行かむ」その他にもある。意味で「色」と続き、以上その序詞。○色に出でて云はなくのみぞ 「色に出でて」は、表面にあらわして。「云はなく」は、「云はぬ」の名詞形。○我が恋ふらくは 「恋ふらく」は、名詞形。
【釈】 白い細砂の敷いている三津の浜の黄土の、色にあらわしていうことをしないばかりであるよ。わが恋うることは。
【評】 男の打出でて女に訴えた歌である。「白細砂三津の黄土の」は、住吉においてのことと知られる。男はその地に来た京の人かと思われる。巻十四(三五六〇)「真金《まかね》吹く丹生《にふ》の真朱《まそほ》の色に出て言はなくのみぞ吾が恋ふらくは」があり、型となっていた言い方と思わせる。以下十九首、海に寄せての歌。
 
2726 風《かぜ》吹《ふ》かぬ 浦《うら》に波《なみ》立《た》つ 無《な》き名《な》をも 吾《われ》は負《お》へるか 逢《あ》ふとはなしに
    風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二
 
【語釈】 ○風吹かぬ浦に波立つ 無いことの譬喩。○吾は負へるか 「か」は、詠嘆で、負うたことよ。
【釈】 風の吹かない浦に波の立つような無い名を、我は負うたことであるよ。逢ったことは無いに。
【評】 男の歌と取れる。嘆きではあるが感傷の少なく、調べにさっぱりしたところがある。浦に住む者の歌である。
 
     一に云ふ、女《をみな》と念《おも》ひて
      一云、女跡念而
 
【解】 結句の別伝である。無き名を立てた人が、女と思い侮っての意であろう。語続きが無理である。上の歌に対して、同じ感(204)をもった女が詠みかえて謡ったのであろう。
 
2727 菅島《すがしま》の 夏身《なつみ》の浦《うら》に 寄《よ》する浪《なみ》 間《あひだ》も置《お》きて 吾《わ》が念《おも》はなくに
    酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君
 
【語釈】 ○菅島の夏身の浦に 所在未詳。三重県志摩郡答志島の南、菅島との説がある。○寄する浪 譬喩として「間も置きて」にかかり、以上その序詞。
【釈】 菅島の夏身の浦に寄せて来る浪のように、間隔を置いてもわれは思っていることではないのに。
【評】 意味の広いもので、絶えず相手を思っていることを、眼前の濱に寄せていっているのである。男女いずれにも通じるほどのものである。「寄する浪」を頼りにしたもので、地名さえ変えればどこの海べへでも流用のできるものである。謡い物として典型的なものである。
 
2728 淡海《あふみ》の海《うみ》 奥《おき》つ島山《しまやま》 奥《おく》まへて 我《わ》が念《おも》ふ妹《いも》が 言《こと》の繋《しげ》げく
    淡海之海 奧津嶋山 奧間經而 我念妹之 言繁苦
 
【語釈】 ○奥まへて 思いを深めて。○言の繁けく 人の問題にする言葉の多いことだ。
【解】 上の(二四三九)人麿歌集の歌とほぼ同じである。「釈」「評」そちらへ譲る。
 
2729 霰《あられ》降《ふ》り 遠《とほ》つ大浦《おほうら》に 寄《よ》する浪《なみ》 よしも寄《よ》すとも 憎《にく》からなくに
    霞零 遠津大浦尓 縁浪 縱毛依十方 憎不有君
 
【語釈】 ○霰降り遠つ大浦に 「霰降り」は、「とほ」と音を立てる意で、遠にかかる枕詞。「遠つ大浦」は、滋賀県伊香郡西浅井村字大浦で、琵琶(205)湖の北端にある浦。滋賀の大浦に対させて、「遠つ」を冠させた称。○寄する浪 下の「依す」に同音でかかり、以上その序詞。○よしも寄すとも 「よしも」は、「よし」で、ままよとしばらく許す意の副詞。「依すとも」は、人が我をその人に寄せようとも。○憎からなくに その人の憎くはないことであるに。
【釈】 霰のとおと降る、その遠つ大浦に寄せる浪のように、ままよ、人がその人を我に寄せようとも、その人の憎くはないことなのに。
【評】 男女いずれにも通じる歌であるが、女の歌としたほうがふさわしい。人々が無き名を立ててしきりに噂をするのに対して、迷惑には感じながらも、その相手の憎くないために、内心喜んでいる心である。「霰降り遠つ大浦に寄する浪」は、その地の歌であることを示すとともに、噂の程度の盛んなことをも暗示しているものである。「よしも寄すとも」も巧みである。謡い物であったろう。
 
2730 紀《き》の海《うみ》の 名高《なたか》の浦《うら》に 寄《よ》する浪《なみ》 音《おと》高《たか》きかも 逢《あ》はぬ子《こ》ゆゑに
    木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓
 
【語釈】 ○名高の浦に寄する浪 「名高の浦」は、巻七(一三九二)に出た。和歌の浦の南方、今は海南市に属している。「寄する浪」は、意味で「音」と続き、以上その序詞。○音高きかも 関係しているとの噂の高いことであるよ。
【釈】 紀伊国の海の名高の浦に寄せる浪の、その音のように噂の高いことであるよ。逢ってはいない女のゆえに。
【評】 「寄する浪」という型を、名高の浦につなぎ、「逢はぬ子ゆゑに」という同じく型となっている嘆きをいったものである。心は嘆きであるが、一首としては明るく、むしろ楽しげである。謡い物である。
 
2731 牛窓《うしまど》の 浪《なみ》の潮騒《しほさゐ》 島《しま》響《とよ》み よそりし君《きみ》に 逢《あ》はずかもあらむ
    牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君尓 不相鴨將有
 
【語釈】 ○牛窓の浪の潮騒 「牛窓」は、岡山県邑久郡牛窓町。小半島である。「潮騒」は、巻一(四二)に出た。潮の騒ぎ。「浪の潮騒」は、浪(206)の騒がしい音。○島響み 島を響かして。以上は、牛窓の島全体の評判になったことの譬喩。○よそりし君に 「よそりし」は寄せられたで、人が中に立って取り持って婚約させたで、そうした関係の君に。○逢はずかもあらむ 「かも」は、疑問の係。「らむ」は、現在推量で、逢わずにいるのであろうかで、来るべき男の来ないのを不安に感じる意。
【釈】 牛窓の島に寄せる潮の騒がしい音が、島を響かせるような評判になって、人が我に取り持って婚約をした君に、逢わずにいることであろうか。
【評】 女の歌で、人が中に立って婚約をさせた男が、妻問いをしないことに対しての訝かりと不安をいっているものである。「牛窓の浪の潮騒島響み」は、評判の高かったことの譬喩であるが、関係のないことの明らかな男女に対して、漁村でそのような評判になったというそのこと自体がすでに特殊で、男はその土地としては多少とも身分のよい、情事を十分に解さない若者であったとみえる。それがまた仲介者もできた理由であろう。この譬喩にはそうした気分も籠もっていると取れる。それだと、「逢はずかもあらむ」はその延長で、男は妻問いを躊躇していたので、女はそれに対して不安を感じていることになる。ありうべき境ではあるが、特殊の感のある歌である。歌としては、女の単純な抒情をとおして、やや複雑な、物語に近い気分を暗示しているもので、巧みな歌とすべきである。
 
2732 奥《おき》つ波《なみ》 辺浪《へなみ》の来寄《きよ》る 左太《さだ》の浦《うら》の このさだ過《す》ぎて 後《のち》恋《こ》ひむかも
    奧波 邊浪之來縁 左太能浦之 此左太過而 後將戀可聞
 
【語釈】 ○左太の浦の 所在未詳。土佐国にも伊予国にも同名の岬がある。同音で、下の「さだ」にかかり、以上その序詞。○このさだ過ぎて後恋ひむかも 「さだ」は、従来、時の意の古語と解されて来たが、『全註釈』は、批評、障害の意の語だろうといっている。この語は、上の(二五七六)に、「相見しからに言ぞさだ多き」と、今一か所出ているだけの語で、この解のほうが適当に思われる。今のこの評判を過ごして、後に恋をしようかなあ。
【釈】 沖の波や岸の浪が寄せて来る左太の浦の、このさだ、すなわち評判を見送って、後になって恋をしようかなあ。
【評】 男の歌で、心は明らかである。序詞は、左太の浦を示すとともに、噂の高さを暗示しているが、これは型の生むものである。謡い物であろう。
(207)2733 白浪《しらなみ》の 来寄《きよ》する島《しま》の 荒磯《ありそ》にも あらましものを 恋《こ》ひつつあらずは
    白浪之 來縁嶋乃 荒磯尓毛 有申物尾 戀乍不有者
 
【語釈】 ○荒礒にも 「荒礒」は、海岸に現われている岩。
【釈】 白浪の寄せて来る島の荒磯であろうものを。このように恋いつづけていずに。
【評】 甲斐なき片恋を続けている心から、島の荒磯を羨んだのである。島に住む若者の実感としていったものである。形式によって救われているものである。
 
2734 潮《しほ》満《み》てば 水沫《みなわ》に浮《うか》ぶ 細砂《まなご》にも 吾《われ》は生《い》けるか 恋《こ》ひは死《し》なずて
    塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而
 
【語釈】 ○潮満てば水沫に浮ぶ 満潮になれば、それに捲き立てられて、水沫の上に浮かぶ。○細砂にも 「にも」は、のごとくにもの意のもの。○吾は生けるか 訓がさまざまである。『略解』の訓。「か」は、感動の助詞で、生きていることであるよ。○恋ひは死なずて 恋死にはせずして。
【釈】 潮が満ちて来ると、水の沫の上に浮かぶ砂のようにも、われは生きていることであるよ。恋死にはせずに。
【評】 海べに住んでいる女の、夫に疎遠にされながらも恋いつづけている心である。譬喩に特色がある。必ずしも新しいものではないが、実感と思わせる細叙をして、生かしている。「恋ひは死なずて」と悲しんでいる時とて、自身を大観した語が、自然なものとなっている。
 
2735 住吉《すみのえ》の 岸《きし》の浦《うら》みに 重《し》く浪《なみ》の しくしく妹《いも》を 見《み》むよしもがも
    住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 敷妹乎 見因欲得
 
【語釈】 ○岸の浦みに重く浪の 「岸の浦み」は、岸の浦あたりで、浦の岸というと同じ。「重く浪」は、繁く寄せる浪で、同音で「しくしく」に(208)かけ、以上その序詞。○しくしく妹を見むよしもがも 「しくしく」は、『代匠記』の訓。「しく」は繁くで、畳んで強めたもの。逢う方法がほしいものだで、「もがも」は、願望。
【釈】 住吉の岸の、その浦あたりに繁く寄る浪の、それに因みあるしくしくに、すなわち繁くも妹と逢う方法の欲しいものであるよ。
【評】 「重く浪のしくしく」は、形は序詞であるが、譬喩と選ぶ  ところのないものである。謡い物であろう。
 
2736 風《かぜ》をいたみ 甚振《いたぶ》る浪《なみ》の 間《あひだ》なく 吾《わ》が念《も》ふ君《きみ》は 相念《あひも》ふらむか
    風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香
 
【語釈】 ○風をいたみ甚振る浪の 「風をいたみ」は、風が烈しいので。「甚振る」は、甚しく浪の起こる意で、譬喩として「間なく」にかかり、以上その序詞。○相念ふらむか 同じようにわれを思っているであろうか。
【釈】 風が強いので、甚しく起こる浪のように、絶え間もなくわれが思っている君は、同じくわれを思っているのであろうか。
【評】 女の歌で、「相念ふらむか」が重点となっている。恋情としては普通の情であるが、女があらわに、男と対当の愛情を要求するのは稀れである。これには序詞が関係している。「風をいたみ甚振る浪の」は、間なくの譬喩であるが、一方には、女が周囲からはげしい妨害を受けて、男と逢えずにいることを暗示しているもので、その立場に立っての要求なのである。型のごとくなっている序詞にこうした心を盛った点に新意のある歌である。
 
2737 大伴《おほとも》の 三津《みつ》の白浪《しらなみ》 間《あひだ》なく 我《わ》が恋《こ》ふらくを 人《ひと》の知《し》らなく
    大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久
 
【語釈】 ○大伴の三津の白浪 「大伴」は、難波から和泉国へかけての広い範囲の名。「三津」は、難波の港で、官用のものであるところから「み」を冠したもの。「白浪」は、意味で「間なく」に続くもので、以上その序詞。○我が恋ふらくを人の知らなく 「恋ふらく」は、名詞形。「人」は、恋の相手で、女。「知らなく」も、名詞形。詠嘆を含んでいる。
(209)【釈】 大伴の三津に寄せる白波のように、絶間なくわが恋うていることを、相手の人はそれと知らないことであるよ。
【評】 作意は片恋の嘆きである。序詞は型となっているもの。四、五句は対照させての言い方で、内容も形も謡い物にふさわしいものである。謡い物であったろう。
 
2738 大船《おほふね》の たゆたふ海《うみ》に 碇《いかり》下《おろ》し いかにせばかも 吾《わ》が恋《こひ》止《や》まむ
    大船乃 絶多經海尓 重石下 何如爲鴨 吾戀將止
 
【語釈】 ○大船のたゆたふ海に 大船がゆらゆらと動揺している海に。○碇下し 碇を下ろしてで、そのたゆたいをやめる意。碇を同音の「いか」に続け、以上その序詞。○いかにせばかも 『略解』の訓。どのようにすればで、「かも」は、疑問の係。○吾が恋止まむ わが恋はやむことであろうかで、この恋は片恋の苦しいものである。
【釈】 大船がゆらゆらと動揺する海に碇を下ろす、それに因みある、いかようにしたならば、わが恋はやむことであろうか。
【評】 片恋の苦しみを抱いて、どうする目あてもつかずにいる男の、どうすればこの苦しみから放たれようかと迷っている心である。「大船のたゆたふ海に碇下し」は、同音を起こすための序詞であるが、気分のつながりを強く持ったもので、我もそれのようにと、譬喩の心をも持たせたものである。この序詞は、上の(二四三六)人麿歌集の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物念はざらむ」に縋ったもので、むしろその歌の心を進展させたごとき関係のものである。以下五首、船に寄せての歌。
 
2739 〓鳩《みさご》居《ゐ》る 沖《おき》の荒磯《ありそ》に 寄《よ》する浪《なみ》 行《ゆ》く方《へ》も知《し》らず 吾《わ》が恋《こ》ふらくは
    水沙兒居 奧麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波
 
【語釈】 ○〓鳩居る沖の荒礒に 「〓鳩」は、鷹の一種で、海の魚類を食とする猛禽。「沖の荒礒」は、沖に現われている岩で、魚を捕える場所。○寄する浪 意味で「行く方」と続き、以上その序詞。○行く方も知らず 「行く方」は、恋の上では、その目ざす所で、遂げること遂げられるとも思われない。○吾が恋ふらくは わが恋うることは。
(210)【釈】 〓鳩の居る沖の岩に寄せて来る波のように、その行く方を知らないのに因みをもって、目ざす所も知られない、わが恋うることは。
【評】 遂げられるあても付けられない片恋をしている男の嘆きである。序詞は譬喩よりのもので、航海中に見た光景に寄せたものである。調べは適当以上に張っている。謡い物であったからであろう。
 
2740 大船《おほふね》の 艫《とも》にも舳《へ》にも 寄《よ》する浪《なみ》 寄《よすとも吾《われ》は 君《きみ》がまにまに
    大船之 艫毛舳毛 依浪 依友吾者 君之任意
 
【釈】 ○寄する浪 同音で「寄す」に続き、以上その序詞。○寄すとも吾は 人が我を君に言い寄せようともで、関係づけて評判しようとも。それもかまわないの余意をもったもの。○君がまにまに 君の心任せになろう。
【釈】 大船の艫にも舳にも寄せる浪のように、人が我を君に言い寄せて関係づけていおうとも、我は君の心任せになろう。
【評】 女が男に贈った形の歌である。「寄すとも」といっているが、それはすでに事実で、そういうことのある場合、女は迷惑に感ずるのが普通であるから、そうは思っていないと男に断わったのである。女のほうから求婚するごとき心である。序詞は、男女の住地をあらわすとともに、その評判の高いことを暗示しているものであり、いずれも型となっているものである。序詞の華やかさ、女の積極的のところは、謡い物だからであろう。
 
2741 大海《おほうみ》に 立《た》つらむ浪《なみ》は 間《あひだ》あらむ 公《きみ》に恋《こ》ふらく 止《や》む時《とき》もなし
    大海二 立良武浪者 間將有 公二戀等九 止時毛梨
 
【語釈】 略す。
【釈】 大海に立つであろう浪は、絶え間があろう。我の君を恋うることは、やむ時もない。
【評】 この歌は序詞を用いず、対照によって詠んだもので、最も素朴な形である。謡い物としてはこの直接さは、好まれたものであったろう。
 
(211)2742 志珂《しか》の海人《あま》の 煙《けぶり》焼《や》き立《た》てて 焼《や》く塩《しほ》の 辛《から》き恋《こひ》をも 吾《われ》はするかも
    牡鹿海部乃 火氣燒立而 燒塩乃 辛戀毛 吾爲鴨
 
【語釈】 ○志珂の海人の煙焼き立てて 「志珂」は、博多湾の志賀島(福岡県粕屋郡志賀町)。「煙焼き立てて」は、煙を立ててで、「焼き」は、強意のためのもの。○焼く塩の 海水を焼いて造る塩ので、その味の辛い意で続き、以上その序詞。○辛き恋をも吾はするかも 「辛き」は、塩からいで、「苦しき」を言い換えたもの。
【釈】 志河の海人が煙を強く立てて焼いている塩のように、辛い恋を我はしていることである。
【評】 恋の味わいとしての「辛き」という形容の語が、この歌の中心をなしている。三句を用いての序詞はそれを明らかにするためで、形は序詞ではあるが、説明に近いものである。この語が、新しいものだったからであったろう。志珂の地を限前に見ての作であろう。語は力を入れてのものであるが、抒情味の少ない作である。
 
     右の一首は、或は云ふ、石川君子朝臣之を作る。
      右一首、或云、石川君子朝臣作v之。
 
【解】 「石川|君子《きみこ》朝臣」は、巻三(二七八)に、「右、今案ずるに、石川朝臣君子、号を少郎子といへり」とある。霊亀元年に播磨守、養老五年に兵部大輔から侍従になり、神亀三年従四位下、巻三(二四七)左注によれば神亀年中、大宰少式になった人である。本巻中、作者に関していっているのはこれだけである。
 
2743 なかなかに 君《きみ》に恋《こ》ひずは 比良《ひら》の浦《うら》の 白水郎《あま》ならましを 玉藻《たまも》刈《か》りつつ
    中々二 君二不戀者 枚浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管
 
【語釈】 ○なかなかに君に恋ひずは 「なかなかに」は、多くの場合の中にはの意の副詞。打消しの語が受ける時には、なまなかに。なまなかに君に恋をしようよりは。○比良の浦の白水郎ならましを 「比良の浦」は、琵琶湖西岸のそれと取れる。滋賀県滋賀郡志賀町南小松木戸一帯の湖岸。「白水郎ならましを」は、白水郎であろうものを。○玉藻刈りつつ このように藻を刈りつつ過ごそう。
(212)【釈】 なまなかに君を恋うているよりは、比良の浦の海人であろうものを。藻を刈りつつ過ごそう。
【評】 ある程度の身分のある女で、疎遠がちにする夫に対して苦しい思いを続けている女が、比良の浦の海人の思いなげな生活振りを見て、羨しく感じた心である。類歌の多いもので、「何ならましを」は慣用されていた言い方である。
 
     或本の歌に曰はく、なかなかに 君《きみ》に恋《こ》ひずは 留牛馬《なは》の浦《うら》の 海人《あま》にあらましを 玉藻《たまも》刈《か》る刈《か》る
      或本歌曰、中々尓 君尓不戀波 留年馬浦之 海部尓有益男 珠藻苅々
 
【語釈】 ○留牛馬の浦の 「留牛馬」は、「なは」もしくは「つな」に当てた字である。繩のほうが普通である。兵庫県相生市にある浦かという。巻三(三五四)に出た。○刈る刈る 刈り刈りして。
【評】 上の「比良」が「留牛馬」に変わり、「刈りつつ」が「刈る刈る」になっているのみである。また、巻十二(三二〇五)「おくれ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る」がある。謡い物として伝承され流布した跡の明らかな歌である。そうした歌は一般性の濃厚な、平明なものということが条件で、歌としての価値によってではないことが知られる。
 
2744 鱸《すずき》取《と》る 海人《あま》のともし火《び》 外《よそ》にだに 見《み》ぬ人《ひと》ゆゑに 恋《こ》ふるこの頃《ごろ》
    鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日
 
【語釈】 ○鱸取る海人のともし火 鱸を捕るには、夜、それを集めるためのともし火をともし、遠く出てするところから、譬喩として「外」と続き、以上、その序詞。○外にだに見ぬ人ゆゑに よそながらにさえ見ない人にで、人は女。
【釈】 鱸を捕る海人のともし火のように、よそ目にさえも見たことのない人のゆえに、恋をしているこの頃であるよ。
【評】 見ぬ女にあこがれるという、例の多い心である。「鱸取る海人のともし火」という序詞は特殊なものである。海べの男の歌で、女は身分の上でか、住地の上でかの距離のあることを暗示している。
 
(213)2745 湊入《みなとい》りの 葦《あし》わけ小舟《をぶね》 障《さはり》多《おほ》み 吾《わ》が念《も》ふ公《きみ》に 逢《あ》はぬ頃《ころ》かも
    湊入之 葦別小舟 障多見 吾念公尓 不相頃者鴨
 
【語釈】 ○湊入りの葦わけ小舟 「湊入り」は、舟が湊へ入ることで、名詞。湊は江口か河口かで、そうした所は葦が密生しているのである。「葦わけ小舟」は、葦を分けて進む小舟で、意味で「障多み」に続き、以上その序詞。○障多み 障りが多いのでで、女の周囲に妨害があるためである。
【釈】 湊入りをする葦を分けて進む小舟のように、障りが多いので、わが思う君に逢わずにいるこの頃であるよ。
【評】 女の嘆きである。序詞に特色のある歌である。この序詞は特殊なものであるが、湊のある地には適切なものであるところから、ほかにも用例のあるものとなっている。湊のある地の謡い物となっていたとみえる。船に寄せての歌。
 
2746 庭《には》清《きよ》み 沖《おき》へ榜《こ》ぎ出《い》づる 海人舟《あまぶね》の 梶《かぢ》取《と》る間《ま》なき 恋《こひ》もするかも
    庭淨 奧方榜出 海舟乃 執梶間無 戀爲鴨
 
【語釈】 ○庭清み 「庭」は、労作をする場所の称で、普通名詞。ここは海の漁場というにあたる。「清み」は、清いので。清いとは、晴れて凪いでいる意。○梶取る間なき 「間なき」は、絶え間なきで、以上、恋の譬喩として下へ続く。
【釈】 漁場が晴れて凪いでいるので、急いで、沖へ榜ぎ出してゆく漁り舟の、梶を取るに絶え間のないような、絶え間もない恋をすることであるよ。
【評】 女を間断なく思っている心である。譬喩が特色となっている歌である。凪ぎを好機会として、漁場へ向かって急いで舟を榜ぐ、その梶の間断なさを捉えて譬喩とすることは、実況に親しんでいる者にして初めて可能なことである。漁民に親しまれた謡い物であったろうと思われる。
 
2747 味鎌《あぢかま》の 塩津《しほづ》をさして 榜《こ》ぐ船《ふね》の 名《な》は告《の》りてしを 逢《あ》はざらめやも
(214)    味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相將有八方
 
【語釈】 ○味鎌の塩津をさして 続きから見て、「味鎌」は、大地名、「塩津」は小地名と取れるが、味鎌は所在不明である。巻十四(三五五一)「味鎌の潟にさく浪」その他二か所出ている。したがって「塩津」も、不明であるが、集中でほかに見えるこの名は、琵琶湖の北岸の地である。滋賀県伊香郡西浅井村塩津浜。○榜ぐ船の 船には名のある意で、「名」と続き、以上その序詞。○名は告りてしを 女がその名を男に告げたものをで、「て」は、完了で、強くいったもの。女が男に名を告げるのは求婚に応じたことである。○逢はざらめやも 「や」は、反語で、逢わないことがあろうか、逢おうの意。
【釈】 味鎌の塩津を指して榜いでいるわが船の名に因みある、女はその名を告げたものを、逢わないことがあろうか、逢おう。
【評】 女に求婚をして、同意を得ただけで別れた男が、女が果たして逢うだろうかと、多少の不安を感じ、同意したのだからと、その不安を押し返す心である。序詞に特色がある。「塩津をさして榜ぐ船の名は」という続きは船の名を女の名に転じたもので、特殊なものである。船には名のあったことは、例の少なくないことである。しかし相応な船についてのことであったろう。「塩津をさして」という船は、その範囲の船で、航路をいうことによってそれと知れるという関係のものであったろう。また、この歌は、それを榜いでいる舟子という立場に立っていっているものでもあろう。今よりはそのように推量するほかはないことである。
 
2748 大船《おほふね》に 葦荷《あしに》刈《か》り積《つ》み しみみにも 妹《いも》は心《こころ》に 乗《の》りにけるかも
    大船尓 葦荷苅積 四実見似裳 妹心尓 乘來鴨
 
【語釈】 ○大船に葦荷刈り積み 「葦荷」は、海岸に生える葦を刈って、荷物としたものの称。大船に葦の刈った荷を積んで。譬喩として「しみみ」にかかり、以上その序詞。○しみみにも妹は心に乗りにけるかも 「しみみに」は、繁き意の「しみ」を畳み、「に」を添えての副詞。「乗り」に続く。一ぱいに、妹はわが心に乗ってしまっていることだなあ。
【釈】 大船に葦の荷を刈って積んで一ばいになっているように、妹はわが心に乗ってしまっていることだなあ。
【評】 序詞に特色のある歌である。葦は上代生活には関係の深いものであり、葦刈は一つの仕事であった。葦は水辺の物で、ここは海岸の物である。荷物の運搬はできる限りは船を用いたのであるから、すべて庶民生活の実際に即したものである。ここは、「しみみに」の序詞としているのであるから、刈り積んだ葦を感覚的に見たもので、細かい心がある。四、五句の成句を(215)序詞によって生かした歌である。
 
2749 駅路《うまやぢ》に 引舟《ひきふね》渡《わた》し 直乗《ただのり》に 妹《いも》は情《こころ》に 乗《の》りにけるかも
    驛路尓 引舟渡 直乘尓 妹情尓 乘來鴨
 
【語釈】 ○駅路に引舟渡し 「駅路」は、駅に行く路で、駅は公道に沿って、駅馬を配置してある所の称。駅が川に沿っている時は、馬の代わりに船を配置した。ここはそれで、そうした所を水駅《みずうまや》と称した。「引舟」は、綱を着けて引く舟で、それが渡してあって、乗る意で「直乗」にかかり、以上序詞。○直乗に ひたすらに乗る意で、乗りとおしにの意。
【釈】 水駅への路に、引舟が渡してあって、それにひたすらに乗るように、妹はわが心に乗りとおしになってしまっていることであるよ。
【評】 これも序詞によって成り立っている歌である。序詞は、旅をしている男の、家に置いて来た妻を恋いとおしている心を、水駅の渡し舟に乗った時の心に寄せていったものである。適切で、機知も伴っている特色のあるものである。四、五句の成句に、さまざまな場合を結びつけた、典型的な謡い物である。
 
2750 吾妹子《わぎもこ》に 逢《あ》はず久《ひさ》しも うまし物《もの》 阿倍橘《あべたちばな》の 蘿《こけ》生《む》すまでに
    吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右
 
【語釈】 ○うまし物 味のうまい物で、橘の実の味をいったもの。○安倍橘に 「安倍橘」は、『倭名類聚抄』に出ており、柚に似て形の小さい物であるが、それ以上は明らかでない。諸説がある。「安倍」は、駿河国の地名で、名産として冠したものであろう。食料とした物。「橘」は、木としていっている。
【釈】 吾妹子に逢わないことが久しい。味の良い安倍橘の木に、蘿が生えるまでに。
【評】 久しいことの譬喩として、木に蘿が生すということは用例が多く、成語のごとくなっている。これもそれであるが、「うまし物安倍橘」は新鮮味のあるものである。眼前を捉えていった形で、それによって妹を暗示している。妹に食物を連想するのは珍しい。以下四首、木に寄せての歌。
 
(216)2751 あぢの住《す》む 渚沙《すさ》の入江《いりえ》の 荒礒松《ありそまつ》 我《わ》を待《ま》つ児《こ》らは ただ一人《ひとり》のみ
    味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待兒等波 但一耳
 
【語釈】 ○あぢの住む渚沙の入江の 「あぢ」は、味鳧。「渚沙」は、所在不明である。愛知説(知多郡豊浜町の須佐湾)、和歌山説(有田市|千田《ちだ》の小字)がある。巻十四(三五四七)東歌の「未勘国の歌」の中にこの地名がある。○荒礒松 海岸の岩の上に生えている松。同音で、「待つ」にかかり、以上その序詞。○我を待つ児らは 「児ら」の「ら」は、接尾語としてのもの。「児」は、女の愛称。
【釈】 味鳧の住んでいる渚沙の入江の荒礒の松のように、我を待っているかわゆい女は、ただ一人だけである。
【評】 「我を待つ児らは」は、妻以外には思う女もないの意を、妻のほうを主にしていっているものである。序詞は実景で、『代匠記』は一本松だろうといっているが、気分としてはまさにそれで、海上生活をしている者の目じるしとなっていた物であろう。渚沙地方の謡い物であったことを、心も形も明らかに示しているものである。一本松の譬喩は古くからあり、後にも伝わったものである。
 
2752 吾妹子《わぎもこ》を 聞《き》き都賀野辺《つかのべ》の 靡《なび》き合歓木《ねぶ》 吾《われ》は隠《こも》り得《え》ず 間無《まな》くし念《おも》へば
    吾味兒乎 聞都賀野邊能 靡合歓木 吾者隱不得 間無念者
 
【語釈】 ○吾妹子を聞き都賀野辺の 「吾妹子を」は、吾妹子のことを。「聞き都賀」は、聞き継ぐを転じさせたもので、「聞き」までの七
(217)音は、都賀の序詞。「都賀野」は、所在不明である。栃木県の上下の都賀郡、大阪府の菟餓《とが》野、滋賀県の都賀山など諸説がある。○靡き合歓木 「靡き」は、旧訓。『童蒙抄』が「しなひ」と改め、諸注従っているが、『全註釈』は、この字をそのように用いた例はないとしている。従うべきである。「合歓木」は、合歓の木についていっているもので、したがって「靡き」は、葉が夜しぼむことを、男女間に関係させて、靡き寄るに言いかえたものと取れる。葉のしぼむ意を「隠り」と異語同義で続け、以上その序詞。○吾は隠り得ず われは家に籠もってはいられないで、妹の所へ行こうの意。
【釈】 吾妹子のことを聞き続ける、それに因みある都賀野の合歓の葉の、夜はしぼむようにわれは籠もってはいられない。絶え間なく思っているので。
【評】 序詞が主となっている歌で、序詞の中に序詞があるという複雑なものである。この序詞は、本来叙述とすべきことを、単純にするために序詞の形にしたものだからである。序詞によって見ると、女は男との関係を周囲から妨げられる状態になり、男とは逢えず籠もってのみいるのである。「吾妹子を聞き都賀」は、男は妹の噂を聞き継ぐだけの状態をいっているもの、また「靡き合歓木」は、妹が籠もってのみいることを気分的にいったもので、これは「吾は隠り得ず」の対照によって明らかである。「都賀野」は女の住地、「合歓木」は、季節をあらわしているものである。序詞はその地の謡い物であることを思わせるが、心は謡い物としては複雑にすぎる感がする。謡い物とすれば、それとして進展したものである。
 
2753 浪《なみ》の間《ま》ゆ 見《み》ゆる小島《こじま》の 浜久木《はまひさぎ》 久《ひさ》しくなりぬ 君《きみ》に逢《あ》はずして
    浪間從 所見小嶋之 濱久木 久成奴 君尓不相四手
 
【語釈】 ○浪の間ゆ見ゆる小島の浜久木 浪の間をとおして見える、小島の浜に立つ久木で、久木は「あかめがしわ」の古名かという。巻六(九二五)に出た。
【釈】 浪の間をとおして見える、小島に立っているあの浜久木の、久しくもなった。君に逢わなくて。
【評】 女の歌である。序詞は、「久しく」を起こすためのものであるが、眼前を捉えた形のもので、男が、その小島に住んでいることを暗示しているものである。本来は海上生活をしている者の歌で、「君」は「妹」ではなかったかと思わせる歌である。それだと謡い物としてきわめてふさわしいものになるからである。
 
(218)2754 朝柏《あさがしは》 閏八河辺《うるやかはべ》の 小竹《しの》の芽《め》の 思《しの》ひて宿《ぬ》れば 夢《いめ》に見《み》えけり
    朝柏 閏八河邊之 小竹之眼笶 思而宿者 夢所見來
 
【語釈】 ○朝柏閏八河辺の小竹の芽の 上の(二四七八)に、初句が「秋柏」、二旬目「潤和川べ」となって出ており、他は同一である。「小竹」を同音で、下の「思《しの》ひ」にかけた序詞。○思ひて宿れば夢に見えけり 思って眠ったので、その人が夢に見えたことであった。
【釈】 朝の柏が露にうるむ閏八河のほとりの小竹の芽に因む、君を偲んで寝たので、夢に見えたことである。
【評】 女の夢に男と逢ったのを喜んだ心である。上の(二四七八)人麿歌集の「秋柏潤和川べの細竹のめの人にしのべば公に勝へなく」に倣って作ったものである。原歌の豊かな気分を、平明な抒情に変えたもので、伝承されるとともに変わってゆく経路を示しているごとき歌である。小竹に寄せての歌。
 
2755 浅茅原《あさぢはら》 刈標《かりしめ》さして 空言《むなごと》も 縁《よ》そりし君《きみ》が 言《こと》をし待《ま》たむ
    淺茅原 苅標刺而 空事文 所縁之君之 辞鴛鴦將待
 
【語釈】 ○浅茅原刈標さして 浅茅原に、わが刈り場所としての標をしての意で、茅は刈り草としての値もなく、また原の物で幾らでもあるところから、標をする必要のない物であるから、譬喩として「空言」にかかり、以上その序詞。「さして」は、標をして。上の(二四六六)に「浅茅原小野に標結ふ空言を」と出た。○空言も 空しい、実のない言葉であっても。○縁そりし君が 人が中に立って、取り持ちをしたところの君の。○言をし待たむ 直接にいってくれる言葉を待とうで、「し」は、強語。
【釈】 浅茅原に刈り場所としての標をする、そのような空しい言葉であっても、人が中に立って取り持ったところの君の、直接の言葉を待とう。
【評】 仲介する人があって求婚に応じた女が、男がそれきり何の進展も与えないのに対し、仲介する人のいったことが偽りであったにしても、やはり君の言葉を待とうと、すなおに思っている心である。部落民の歌である。部落生活にはこうしたことが少なくなかったとみえて、類想の歌がある。以下二十三首、草に寄せての歌。
 
(219)2756 鴨頭草《つきくさ》の 仮《か》れる命《いのち》に ある人《ひと》を いかに知《し》りてか 後《のち》もあはむといふ
    月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛將相云
 
【語釈】 ○鴨頭草の仮れる命にある人を 「鴨頭草の」は、鴨頭草は今の露草で、その花は朝咲いて、夕べには萎むものなので、はかない意で「仮れる」の枕詞。「仮れる命に」は、仏教の語で、人身は地水火風の四大の仮りに会ったものだとするその意で、仮りの命で。○いかに知りてか どのようなものと考えてのことか。○後もあはむといふ いずれ逢おうというで、いうのは女。
【釈】 鴨頭草の花のように仮りに会っている命であるものを、どのように考えているのか、いずれ逢おうという。
【評】 男が求婚して、女に、いずれと婉曲に断わられたのに対して、男が怒りをもって呟いている心である。女のたやすくは決心のつかないのも、断わるに婉曲にするのも自然であるが、男はそのただちに応じないのを不満に感じ、物の弁えのない女だと、理屈を付けて、訝かりの形で憎んでいるのである。理屈とは仏説をそのままに受け入れた「仮れる命」である。当時には新鮮味のあったものでもあろうが、今日から見ると苦々しい優越感である。
 
2757 王《おほきみ》の 御笠《みかさ》に縫《ぬ》へる 有問菅《ありますげ》 ありつつ見《み》れど 事無《ことな》し吾味《わぎも》
    王之 御笠尓縫有 在間菅 有管雖看 事無吾妹
 
【語釈】 ○王の御笠に縫へる有間菅 「王」は、天皇はじめ諸王までの総称。「縫へる」は、笠を造る意。「有間菅」は、摂津国の有馬(今の神戸市、三田市の地)で、そこから産する菅は名産であり、御料としての貢物になっていたのである。同音で「あり」に続き、以上その序詞。○ありつつ見れど事無し吾妹 「ありつつ見れど」は、関係を続けつつ見ているが。「事無し」は、非難すべき点がない吾妹よ。
【釈】 王の御笠に造る有間菅の、その名に因む、関係をつづけつつ見ているが、非難すべき点のない吾妹よ。
【評】 夫がその妻に、褒めていった歌である。永らく見続けていても、非難すべき点がないということは、夫として妻を褒めるには最上の語である。序詞はこの場合、褒める気分にきわめてふさわしいものである。有間の笠縫いをしている者の歌で、その地の謡い物である。それとして勝れたものである。
 
(220)2758 菅《すが》の根《ね》の ねもころ妹《いも》に 恋《こ》ふるにし 大夫心《ますらをごころ》 念《おも》ほえぬかも
    菅根之 懃妹尓 戀西 益卜男心 不所念鳧
 
【語釈】 ○菅の根のねもころ妹に 「菅の根の」は、同音で「ね」にかかる枕詞。「ねもころ」は、心の底より。○恋ふるにし大夫心 原文は諸本「恋西益卜思而心」。旧訓「こひせましうらおもふこころ」。『略解』で本居宣長が、「益」を三句から四句に移して「恋ふるにし」、四句「思而」を、「男」の誤写であるとし、「益卜男」と改めたのである。大夫心も思われないことだなあ。
【釈】 心の底から妹を恋うているので、大夫の心も思われないことだなあ。
【評】 恋に心を奪われていることを、大夫として嘆いた心で、類想の歌の多い歌である。
 
2759 吾《わ》が屋戸《やど》の 穂蓼古幹《ほたでふるから》 採《つ》み生《おほ》し 実《み》になるまでに 君《きみ》をし待《ま》たむ
    吾屋戸之 穗蓼古〓 採生之 實成左右二 君乎志將待
 
【語釈】 ○穂蓼古幹 「穂蓼」は、蓼の、穂を出したものに対する称。穂は秋出て、白色の花が咲く。辛味を愛して食用した。「古幹」は、古い茎で、枯れた物。○採み生し 実を採んで、蒔いて生やして、それがまた実になるまでで、以上、長い間の譬喩。
【釈】 わが屋戸の穂になった蓼の枯れた茎から、実を採って、蒔いて生やして、それがまた実になるまでに、君を待っていよう。
【評】 夫に疎遠にされている妻の、いつまでも夫を待っていようという心である。譬喩が珍しい。庶民として眼前を捉えてのもので、一般に親しみのあったものであろう。その蓼の扱い方が中心になっているものであるが、興味的になっていて、嘆きは帯びていない。謡い物で、軽い心をもって謡われたものであろう。「穂蓼古幹」は簡潔で、こなれていて、気の利いた語である。
 
2670 あしひきの 山沢《やまさは》ゑぐを 採《つ》みに行《ゆ》かむ 日《ひ》だにも逢《あ》はせ 母《はは》は責《せ》むとも
    足檜之 山澤〓具乎 採將去 日谷毛相爲 母者責十方
 
(221)【語釈】 ○山沢ゑぐを 「山沢ゑぐ」は、山裾にある沢に生えているえぐで、えぐは烏芋で、食料にした物。巻十(一八三九)に出た。○日だにも逢はせ 「日だにも」は、日にだけでも。「逢はせ」は、『新考』と『新訓』の訓。逢えの敬語で、女に対しての慣用。○母は責むとも 母は責めようともと、仮想としていったもの。
【釈】 山沢のえぐを採みに行く日だけでも逢って下さい。たとえ母は責めようとも。
【評】 男から女に訴えた歌である。女はその男に関係したことで、厳しく母に監視されて、男は逢えずにいるので、男はえぐを採みに行く日を好機会として訴えているのである。庶民生活の色の濃い、実際に即した可憐な歌である。謡い物であったろう。
 
2761 奥山《おくやま》の 石《いは》もと菅《すげ》の 根《ね》深《ふか》くも 思《おも》ほゆるかも 吾《わ》が念妻《おもひづま》は
    奧山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者
 
【語釈】 ○石もと菅の 岩の根もとに生えている菅で、場所の関係上、その根が深いので、「根深く」と続け、以上その序詞。○根深くも思ほゆるかも 「根深くも」は、心深くで、心の底から。○吾が念妻は わが愛している妻は。
【釈】 奥山の岩の根もとに生えている菅のように、心の底から思われることであるよ。わが愛している妻は。
【評】 夫の妻に贈った形の歌である。初句より三句までは、成句に近いものである。一般性のあるもので、これまた謡い物であろう。
 
2762 蘆垣《あしがき》の 中《なか》のにこ草《ぐさ》 にこよかに 我《われ》と咲《ゑ》まして 人《ひと》に知《し》らゆな
    蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲爲而 人尓所知名
 
【語釈】 ○蘆垣の中のにこ草 「にこ草」は、箱根草といわれているが、確証はない。『全註釈』は和草で、若く柔らかい草だろうといっている。巻十六(三八七四)「射ゆ鹿を繋ぐ河辺の和草の身の若かへに」によると、そのように思われる。同音で「にこよかに」に続き、以上その序詞。○にこよかに我と咲まして 「にこよかに」は、にこやかに。にこにことというにあたる古語。「我と咲まして」は、「我と」は、我と我自身、「咲まし(222)て」は、咲むの敬語。思い出し笑いをなされての意。○人に知らゆな 他人にそれと知られるな。
【釈】 蘆垣の中に生えている和草に因む、にこやかに、我と思い出し笑いをなされて、人にそれと知られるな。
【評】 女が関係を結んだ男にその秘密の漏れないようにと警告した歌である。こうした注意は、自身がそれをしているところからの推量であろう。序詞は男の家のさまを思わせ、したがってこの男女は近く住んでいる者ということも思わせる。卷四(六八八)大伴坂上郎女の「青山を横ぎる雲のいちしろく吾と咲まして人に知らゆな」は、この歌に似通ったものであろう。
 
2763 紅《くれなゐ》の 浅葉《あさは》の野《の》らに 刈《か》る草《かや》の 束《つか》の間《あひだ》も 吾《わ》を忘《わす》らすな
    紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
 
【語釈】 ○紅の浅葉の野らに 「紅の」は、その色の浅いの意で、「浅」にかかる枕詞。「浅葉の野ら」は、所在未詳。武蔵国入間郡(埼玉県入間郡坂戸町浅羽)にも、遠江国磐田郡(静岡県磐田郡浅羽町)にもあり、ほかにもあろうと思われる名だからである。「野ら」の「ら」は、接尾語。○刈る草の つかみの意で「束」にかかり、以上その序詞。○束の間も吾を忘らすな 「束」は、長さの単位にも用いる語で、拳を握っての幅である。それを時間の上に移し、短い間の意にしたもの。短い間も。「忘らす」は、忘るの敬語で、われをお忘れくださるな。
【釈】 紅の浅いに因む浅葉の野に刈っている草の、その一つかみのような短い間も、われをお忘れくださるな。
【評】 女の男に訴えたものである。序詞は男女の住地と男の生活を暗示しているものである。一般性をもった心を素朴に詠んだものであるが、「紅の浅葉の野ら」は語が美しく、全体に明るい気分をもった歌である。その地方の謡い物ということを示している。
 
2764 妹《いも》が為《ため》 寿《いのち》退《のこ》せり 刈薦《かりこも》の 念《おも》ひ乱《みだ》れて 死《し》ぬべきものを
    爲妹 壽遺在 苅薦之 念乱而 應死物乎
 
【語釈】 ○刈薦の 「乱れ」の枕詞。
【釈】 妹のために我は命を残している。刈薦のように恋の嘆きに心が乱れて、死ぬべきであるのに。
(223)【評】 片恋の嘆きの甚しいことを、女に訴えた歌である。「命遺せり」は、諦めきれずして生きている意。「死ぬべきものを」は、甚しく嘆きをすると、心が身より遊離して死ぬとされていた上に立ってのものである。誇張しているがようにみえるが、じつはそれのないものである。深刻味をもった歌である。
 
2765 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひつつあらずは 刈薦《かりこも》の 思《おも》ひ乱《みだ》れて 死《し》ぬべきものを
    吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
 
【語釈】 略す。
【釈】 吾妹子に恋を続けていずして、刈薦のように嘆きに乱れて、死ぬべきであるよ。
【評】 上の歌と同性質のものである。形も近いものであるが、これは単なる感傷で、上の歌のもつ積極性のないものである。平凡な作である。
 
2766 三島江《みしまえ》の 入江《いりえ》の薦《こも》を かりにこそ 吾《われ》をば公《きみ》は 念《おも》ひたりけれ
    三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有來
 
【語釈】 ○三島江の入江の薦を 「三島江の入江」は、摂津国三島郡|三個牧《さんかまき》村の入江で、淀川の西岸。巻七(一三四八)に出た。「薦」は、水辺の物。「刈り」と続け、以上その序詞。○かりにこそ 「かり」は、仮りで、かりそめに。
【釈】 三島江の入江の薦を刈り取る、その刈りというかりそめに、われを君は思ったことであった。
【評】 女が男の心の深くないのを恨んだ歌である。序詞は、男女ともに住んでいる土地と、その生活とをあらわしているものである。この不満は、真実をもっている女である限り、男の心の深い浅いにかかわらず抱くものである。特色のある歌である。
 
2767 あしひきの 山橘《やまたちばな》の 色《いろ》に出《い》でて 吾《わ》が恋《こ》ひなむを やめ難《がた》くすな
(224)    足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 八目難爲名
 
【語釈】 ○山橘の 今の藪柑子で、実が赤く目立つところから、譬喩の意で、「色に出で」に続け、以上その序詞。○色に出でて吾が恋ひなむを 色に現われてわが恋うであろうことを。○やめ難くすな 原文「八目難為名」。「八目」は、旧訓「やめ」。『考』は「人目」の誤写として「ひとめ」、「難」を「かたみ」と訓み、「人目難みすな」で、人目を困らせるなの意としている。『全註釈』は旧訓に従い、文字通りに今のごとく訓んでいる。意は、やめ難くはするなで、やめようと思って、それができかねているのを、できるようにせよというのである。
【釈】 藪柑子の実のように色に現われて、わが恋うであろうことを、やめ難くはするな。
【評】 男が片恋の苦しさを訴えた歌である。四、五句はやや特殊な言い方であるが、男が女に咎められて、それに答えたものとすれば自然になる。とにかくこの歌は、男女、他の者とともに一つ所に居て、顔を合わせる場合の少なくない状態にあっての心と取れる。部落生活であれば、それは普通の状態である。そうした歌と思われる。
 
2768 葦鶴《あしたづ》の 騒《さわ》く入江《いりえ》の 白菅《しらすげ》の 知《し》られし為《ため》と 言痛《こちた》かるかも
    葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知爲等 乞痛鴨
 
【語釈】 ○白菅の 菅の一種で、白みを帯びた物。同音で「知ら」にかかり、以上その序詞。○知られし為と 諸注、訓が定まらない。『定本』の訓。秘密な関係を人に知られたためとて。○言痛かるかも ひどく言い騒がれることであるよ。
【釈】 鶴の騒いでいる入江に生える白菅の、その名に因む、人に知られたためとて、ひどく言い騒がれることであるよ。
【評】 男が秘密にしていた関係の、土地の人に知られてしまって、噂の高いのを嘆く心である。序詞は、その土地の入江であること、葦鶴の騒ぐによって噂の高いさまを暗示することは、謡い物の型となっているものである。四句「知られし為と」は、訓が問題になっているが、この訓が最も合理的で、また単純で、謡い物の条件にかなうものである。
 
2769 吾《わ》が背子《せこ》に 吾《わ》が恋《こ》ふらくは 夏草《なつくさ》の 刈《か》り除《そ》くれども 生《お》ひ及《し》くが如《ごと》
    吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如
 
(225)【語釈】 ○刈り除くれども 刈って除くけれども。○生ひ及くが如 「及く」は、頻るで、続く意。続いて生える意。
【釈】 わが背子にわれが恋うることは、夏草の、刈り除くけれども、続いて生えるがようである。
【評】 巻十(一九八四)に、「このごろの恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひしくが如」があった。それと関係をもったものである。庶民生活に即した事実を直喩とした、きわめて平明な歌であるから、伝承される範囲が広く、こうした流動が起こったものとみえる。
 
2770 道《みち》の辺《べ》の いつしば原《はら》の 何時《いつ》も何時《いつ》も 人《ひと》の許《ゆる》さむ 言《こと》をし待《ま》たむ
    道邊乃 五柴原能 何時毛々々 人之將縱 言乎思將待
 
【語釈】 ○いつしば原の 「いつしば」は「いつ」は、繁った意をあらわす接頭語。「しば」は、灌木で、繁った灌木の原。同音で「何時」にかかり、以上その序詞。○何時も何時も いつでもいつでもで、畳んで強めたもの。絶えずの意。○人の許さむ言をし待たむ 「人」は、相手の女で、距離を置いての称。「許さむ言を」は、求婚を承諾するであろう言葉を。
【釈】 道のほとりにあるいつしば原の名のように、いつでもいつでも、人の許すであろう言葉を待っていよう。
【評】 男の女に訴えて贈った形の歌である。男の求婚に対して、女がいつまでも決心がつかず、躊躇していた頃の心持で、男もそれに応じて物柔かに、気長なさまでいっているのである。求婚時期の一つの相で、恋の機微に触れた歌といえよう。多少身分ある者同士である。序詞は部落生活を暗示しているものである。
 
2771 吾妹子《わぎもこ》が 袖《そで》をたのみて 真野《まの》の浦《うら》の 小菅《こすげ》の笠《かさ》を 著《き》ずて来《き》にけり
    吾妹子之 袖乎〓而 眞野浦之 小菅乃笠乎 不著而來二來有
 
【語釈】 ○袖をたのみて 袖を頼みにしてで、袖を袖笠にしてもらおうと頼んで。○真野の浦の小菅の笠を 「真野」は、今は神戸市の長田区東尻池町、西尻池町、真野町となっている地。菅笠の産地だったのである。「小菅」は、「小」は、愛称。○著ずて来にけり かぶらずに来たことである。
(226)【釈】 吾妹子の袖を頼みにして、真野の浦の菅の笠をかぶらずに来たことである。
【評】 雨催いの日、笠も持たずに妻の許へ来た男が、明るく、戯れ半分に妻にいった歌である。「真野の浦の小菅の笠」は、愛すべき物としていっているので、気分で女につながりのあるものである。真野の地の歌と思われる。
 
2772 真野《まの》の池《いけ》の 小菅《こすげ》を笠《かさ》に 縫《ぬ》はずして 人《ひと》の遠名《とほな》を 立《た》つべきものか
    眞野池之 小菅乎笠尓 不縫爲而 人之遠名乎 可立物可
 
【語釈】 ○小菅を笠に縫はずして 「縫はずして」は、編み続けて笠とせずしてで、笠を妻の譬喩にして、妻ともせずにの意。○人の遠名を立つべきものか 「人」は、自身を客観的にいったもの。「遠名」は、遠くまでも広がった評判で、広い風評。「立つ」は、噂を立てる意。「か」は、疑問の助詞で、反語となっているもの。我に広い評判を立てるべきであろうか、そういうはずはない。
【釈】 真野の池の菅を、笠として編み続けず、妻ともしなかったのに、我に広い評判を立てるべきであろうか、そういうはずはない。
【評】 男が、その実は全く無いのに、評判ばかりいたずらに高くなったのを心外に感じ、そうしたはずはないと腹立った心である。「真野の池の小菅を笠に縫はずして」は、笠を妻の譬喩として、懸想はしたが関係を結ぶには至らなかったことをあらわしているものである。これは笠を編むことを職としている者の間には適切な譬喩であるが、それ以外の者には間接な、特殊になる譬喩である。真野の地の謡い物であったことを思わせる歌である。それとして見ると、「遠名」という語もおもしろく、屈折のある、上手な歌である。
 
2773 さす竹《たけ》の 葉隠《はごも》りてあれ 吾《わ》が背子《せこ》が 吾許《わがり》し来《こ》ずは 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    刺竹 齒隱有 吾背子之 吾許不來者 吾將戀八方
 
【語釈】 ○さす竹の葉隠りてあれ 「さす竹の」は、「さす」は、立つ意で、生え立っている竹で、竹の生態をいったもの。この語は枕詞に慣用されいるが、ここはそれではない。「葉隠りてあれ」は、葉の下に籠もっていよで、「あれ」は、命令形。以上、自分の家に寵もっていよの意の譬喩。○吾許し来ずは わが許に来ないでいたならばで、すでに来ているのを、仮想としていったもの。○吾恋ひめやも 「や」は、反語で、われも恋(227)いようか、恋いはしない。
【釈】 生い立っている竹の、その葉陰に籠もって居たまえよ。あなたが私の許へ来ないのであったならば、私も恋いようか、恋いはしない。
【評】 疎遠にして、稀れに訪うて来る夫の来た時、妻が恨んでいった形の歌である。まるきり来ないのであれば、私も忘れて思うまいものをという心を、皮肉まじりにいったものである。本心は、もっと繁く来てくれというのであるが、恋しさを怺《こら》えていた反動として、激しての物言いである。屈折を包んでの心で、激した気分が、さすがに美しい形をとおして現われているところに味わいがある。恨みの歌としては特殊なものである。
 
2774 神南備《かむなび》の 浅小竹原《あさしのはら》の うるはしみ 妾《わ》が思《おも》ふ公《きみ》が 声《こゑ》のしるけく
    神南備能 浅小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口
 
【語釈】 ○神南備の浅小竹原の 「神南備」は、普通名詞で、神霊のこもる森。「浅小竹原」は、「浅」は、「深」に対する語で、丈の低い篠原。その慕わしい意で、「うるはし」と続き、以上その序詞。○うるはしみ妾が思ふ公が 慕わしくわが思っている公の。○声のしるけく 声であることが、それとはっきりしているの意。
【釈】 神南備にある丈低い篠原のように、慕わしくわが思っている公の声が、それとはっきり知れる。
【評】 女が、その姿を目にせず、声だけを聞いて明らかにわが夫の声だと感じ取った際の気分である。前後には触れず、ただその瞬間の気分だけをあらわしているものである。「神南備の浅小竹原の」という序詞は、譬喩でかかるもので、夫の身分に対する妻の気分を暗示しているものである。物越しの声によって、その人に対する気分の全部をあらわそうとしている作で、詠み方の新しさとともに美しさをもった歌である。
 
2775 山《やま》高《たか》み 谷辺《たにべ》にはへる 玉葛《たまかづら》 絶《た》ゆる時《とき》なく 見《み》むよしもがも
    山高 谷邊蔓在 王葛 絶時無 見因毛欲得
 
(228)【語釈】 ○山高み谷辺にはへる 山が高いので、上へはのぼらず、谷の辺に這っている。○玉葛 「玉」は、美称、蔓草の総称。意味で「絶ゆる」に続き、以上その序詞。○見むよしもがも 「もがも」は、願望で、逢う方法の欲しいことである。
【釈】 山が高いので、谷辺に這っている蔓草のように、絶える時なくいつも逢う方法のほしいものである。
【評】 男の歌であろう。類想の多い歌である。この平明が愛されて流動したものとみえる。
 
2776 道《みち》の辺《べ》の 草《くさ》を冬野《ふゆの》に 履《ふ》み枯《か》らし 吾《われ》立《た》ち待《ま》つと 妹《いも》に告《つ》げこそ
    道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹皆乞
 
【語釈】 ○道の辺の草を冬野に 「道の辺」は、ここは女の家の側の道の辺。「冬野に」は、冬野のごとくに。○履み枯らし 踏んで枯れさせて。○吾立ち待つと妹に告げこそ われが立って待っていると妹に告げてもらいたいで、「こそ」は、願望の助詞。
【釈】 道のほとりの草を、冬野のように踏んで枯らして、われが立って待っていると、妹に告げてもらいたい。
【評】 その家の者の目を忍んで女に逢おうとする男の心で、独語したものである。「草を冬野に履み枯らし」は、待ち遠しい気分を誇張していったもので、この誇張が興味となっていたのである。謡い物である。
 
2777 畳薦《たたみこも》 へだて編《あ》む数《かず》 通《かよ》はさば 道《みち》のしば草《くさ》 生《お》ひざらましを
    疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾
 
【語釈】 ○畳薦へだて編む数 「畳薦」は、菰を編んだ敷物。「へだて編む数」は、菰に少しずつ間を隔てて編み重ねる数で、薦で編むために苧を往復させる度数の意で、以上、多いことの譬喩。○道のしば草生ひざらましを 道の芝草は生えなかったろうに。
【釈】 菰を編んだ敷物の、その菰に少しずつ隔てを付けて編む数ほどお通いになったならば、道の芝草は生えなかったろうに。
【評】 女が稀れに来た男を送り出して、家の出入り口に生えている芝草を見て、訴えていった形の歌である。主格を省き、敬語を用いていることがそれを思わせる。「畳薦へだて編む数」は、甚しい誇張である。これは庶民のすべてのしていたことで、その誇張が親しく、おもしろく感じられたことであろう。これも謡い物である。
 
(229)2778 水底《みなそこ》に 生《お》ふる玉藻《たまも》の 生《お》ひ出《い》でず よしこの頃《ごろ》は かくて通《かよ》はむ
    水底尓 生玉藻之 生不出 縱比者 如是而將通
 
【語釈】 ○生ひ出でず 伸びて水上には出でずで、人目を忍ぶことの譬喩。
【釈】 水底に生えている藻が、伸びて水面には出ずにいるように、ままよ、当分の間は、このようにして通おう。
【評】 男が女の許へ通う途中、独語した形の歌である。「水底に生ふる玉藻の生ひ出でず」は、男が海べの路を行きながら、目に見たさまを捉えたものである。心としては、人目を忍びてということで、気分であるが、それを気分の具象である譬喩までは持ち込まず、その境界線に置いていっているごときものである。気分の範囲のものであるが、扱い方がやや異なっているもので、結果としては、そのために新鮮味のあるものとなっているのである。以下五首、藻に寄せての歌。
 
2779 海原《うなばら》の 沖《おき》つ繩苔《なはのり》 うち靡《なび》き 心《こころ》もしのに 念《おも》ほゆるかも
    海原之 奧津繩乘 打靡 心裳四怒尓 所念鴨
 
【語釈】 ○沖つ繩苔 沖に生える繩苔で、今の海素麺かという。赤紫色の柔らかい海草で、食用とする。その状態から「うち靡き」と続き、以上その序詞。○うち靡き心もしのに 靡き寄って、心も萎えなえに。
【釈】 海原の沖に生えている繩苔のように靡き寄って、心も萎えなえに思われることだなあ。
【評】 女の男を恋うる心である。類想の多い歌である。序詞が譬喩のごとき働きをするとともに、住地をも暗示している。
 
2780 紫《むらさき》の 名高《なだか》の浦《うら》の 靡藻《なびきも》の 情《こころ》は妹《いも》に 寄《よ》りにしものを
    紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎
 
【語釈】 ○紫の名高の浦の 「紫の」は、その色の名高い意で、名高の枕詞。「名高の浦の」は、和歌山県海南市名高町の海岸。○靡藻の 「靡藻」(230)は、波に靡いている藻の意で、名詞。結句の「寄り」にかかり、以上その序詞。○寄りにしものを 寄ってしまったものを。
【釈】 紫の色の名高い、その名高の浦に靡いている藻のように、心は妹に寄ってしまったものを。
【評】 名高の浦に住む男が、その誠実を女に誓った歌である。序詞は例のように譬喩と住地とをあらわしているものである。誓いの歌であるにもかかわらず、語続きの美しさに重点を置いているものである。謡い物であったからと思われる。
 
2781 海《わた》の底《そこ》 沖《おき》を深《ふか》めて 生《お》ふる藻《も》の 最《もとも》今《いま》こそ 恋《こひ》はすべなき
    海底 奧乎深目手 生藻之 最今社 戀者爲便無寸
 
【語釈】 ○海の底沖を深めて 「海の底」は、深いのみならず、遠い意で、沖にかかる枕詞。「沖を深めて」は、沖が深くして。○生ふる藻の 「藻」を、同音の、「最」の「も」に懸け、以上その序詞。○最今こそ恋はすべなき 「最」は、もっともと同じで、集中唯一の例。「すべなき」は、やる瀬のないことだ。「なき」は、「こそ」の結で、已然形であるべきだが、形容詞には已然形はなかったので、連体形で結んだもの。
【釈】 海の底の、その沖が深くして生えている藻の、その「も」に因みある、最も今こそ、わが恋はやる瀬ないことである。
【評】 恋の極まってやるせない嘆きを、気分としてあらわしている歌である。序詞が例のように、その嘆きをしている場所の海上であることと、そのやる瀬ない気分を暗示しているものである。「海の底沖を深めて生ふる藻の」は、そのやる瀬なさの具象である。「藻」を「最」という副詞の一音にかけているのも、その関係の密接さをあらわしているといえる。謡い物の型に従って構成している歌ではあるが、一首が純気分であるのと、序詞と本義とのつながりの特殊さは、個人的の歌と思われる。
 
2782 さ寐《ぬ》がには 誰《たれ》とも宿《ね》めど 沖《おき》つ藻《も》の 靡《なび》きし君《きみ》が 言《こと》待《ま》つ吾《われ》を
    左寐蟹齒 孰共毛宿常 奧藻之 名延之君之 言待吾乎
 
【語釈】 ○さ寐がには 「さ」は、接頭語。「がに」は、ばかりに、程度にの意をあらわす助詞で、共寝をするほどのことは。○誰とも宿めど どんな女とも寝ようが。○沖つ藻の靡きし君が 「沖つ藻の」は、「靡き」の枕詞。「君」は、妹の敬称。沖つ藻のように我に靡いたあの方の。○言待つ吾を 「言待つ」は、案内の言葉を待っている。「を」は、感動の助詞で、われであるものを。
(231)【釈】 共寝をするほどのことは、どんな女ともしようが、沖の藻のように靡いたあの方の、案内の言葉を待っているわれであるものを。
【評】 男が関係を結んで、まだほどもないと思われる女を、意識して精神的に愛敬している心をいっている歌である。上古から我が国では肉体と精神とを一元的に見て、差別しては見なかった。この歌も、差別しているとまではいえないまでも、単に共寝のためではないといい、さらに「靡きし君が言待つ吾を」と敬意をもった言い方をしているのは、精神面に重点を置いているといえる。その意味で特色のある歌である。
 
2783 吾妹子《わぎもこ》が 何《なに》とも吾《われ》を 思《おも》はねば 含《ふふ》める花《はな》の 穂《ほ》に咲《さ》きぬべし
    吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穗應咲
 
【語釈】 ○何とも吾を思はねば どうともわれを思っていないのに。「ねば」は、「ぬに」に同じ。○含める花の穂に咲きぬべし 「含める花」は、否んでいる花。「穂に咲きぬべし」は、あらわに花と咲き出すだろうで、さりげなくしてはいられず、人目につくようになるだろうという譬喩。
【釈】 吾妹子はどうとも我を思っていないのに、われは蕾んでいる花の、あらわに咲き出すだろう。
【評】 懸想した女が冷淡なので、ますます心がつのりそうだということを、説明的にいった歌である。「含める花の穂に咲きぬべし」は、心が募って包みきれなくなるだろうというのを、譬喩としたものである。説明の心のものであるから含蓄はないが、形としては新味がある。以下四首、花に寄せての歌。
 
2784 隠《こも》りには 恋《こ》ひて死《し》ぬとも 御苑生《みそのふ》の 鶏冠草《からあゐ》の花《はな》の 色《いろ》に出《い》でめやも
    隱庭 戀而死鞆 三苑原之 鷄冠草花乃 色二出目八方
 
【語釈】 ○隠りには 「隠」は、人知れず内々で、名詞。「は」は、強め。○鶏冠草の花の 今の鶏頭の花。色が派手に咲く意で、「色に出で」と続き、三、四句その序詞。○色に出でめやも 「や」は、反語。表面にあらわそうか、あらわしはしない。
【釈】 人知れずに、恋死にをすることがあろうとも、御苑生の鶏冠草の花のように表面にあらわそうか、あらわしはしない。
(232)【評】 男の片恋の苦しさを女に訴えたものである。訴えではあるが、初めから諦めてかかっているもので、ただ衷情を訴えるという抑制をもってのものである。これは身分の相違を背後に置き、そこから出る気分をいったものであろう。「御苑生の」という敬語もそれを暗示している。「恋ひて死ぬとも」は、甚しい物思いをすると、魂が身から離れて死ぬとしていたところからの語で、いかに嘆きをしようともというのを言いかえたもので、感傷の誇張ではない。
 
2785 咲《さ》く花《はな》は 過《す》ぐる時《とき》あれど 我《わ》が恋《こ》ふる 心《こころ》の中《うち》は 止《や》む時《とき》もなし
    開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨
 
【語釈】 ○過ぐる時あれど 「過ぐ」は、過去になるで、散る意。散る時があるけれども。
【釈】 咲く花は散る時があるけれども、我が人を恋う心の中は、やむ時もなく続いている。
【評】 女に訴えた男の歌であるが、どういう関係の仲かはわからない。その時の花の聞落に関係させて、自分の心を説明したもので、後世に好まれた歌風である。
 
2786 山吹《やまぶき》の にほへる妹《いも》が 唐棣花色《はねずいろ》の 赤裳《あかも》のすがた 夢《いめ》に見《み》えつつ
    山振之 尓保敞流妹之 翼酢色乃 赤裳之爲形 夢所見管
 
【語釈】 ○山吹のにほへる妹が 「山吹の」は、「にほふ」にかかる枕詞。「にほへる」は、美しい色をしているで、顔いろの美しい妹。○唐棣花色の 「唐棣花」は、庭梅で、薄い紅色。
【釈】 山吹のように美しい顔いろをしている妹の、唐棣花(233)色の赤裳を着けた姿が、夢に見え見えする。
【評】 夢の与える感じをいっただけの歌である。鮮やかに、みずみずしい色彩を二つ配合して、平面的に叙したもので、一つの新傾向を見せている歌である。
 
2787 天地《あめつち》の 寄《よ》り合《あ》ひの極《きは》み 玉《たま》の緒《を》の 絶《た》えじと念《おも》ふ 妹《いも》があたり見《み》つ
    天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津
 
【語釈】 ○天地の寄り合ひの極み 天と地とが近く寄り合って一つになる、その最後までの意。永久ということを具象的にいった成句。巻二(一六七)に出た。○玉の緒の絶えじと念ふ 「玉の緒の」は、玉を貫いている緒で、意味で「絶え」にかかる枕詞。「絶えじと」は、関係が絶えまいと。○妹があたり見つ 妹の家のあたりを見た。
【釈】 天と地とが寄り合って一つになる、その最後まで、玉の緒のように関係は絶えまいと思っている、妹の家のあたりを見た。
【評】 「妹があたり見つ」が中心で、ほかは妹に対する気分である。いつまでもということを、「天地の寄り合ひの極み」というごとき最大級の語をもっていっているのは、永らく遠い旅にあって、妹を恋うる思いの積もっていたことを暗示しているものである。一首の調べが強く張っていて、こうした大きい語を妥当化するものとなっている。すなわち調べが気分の直接の表現となっているのである。目を引く歌である。以下七首、玉の緒に寄せての歌。
 
2788 生《いき》の緒《を》に 念《おも》へば苦《くる》し 玉《たま》の緒《を》の 絶《た》えて乱《みだ》れな 知《し》らば知《し》るとも
    生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友
 
【語釈】 ○生の緒に念へば苦し 「生の緒に」は、命の続く限り。「念へば苦し」は、人を思っていると苦しい。○玉の緒の絶えて乱れな 「玉の緒の絶えて」は、玉の緒が絶えて玉の乱れる意で、「乱れ」の譬喩。序詞の形になっている。「乱れな」は、乱れたい、思うままに振舞いたい。○知らば知るとも 人が知るならば知ろうとも。
【釈】 命の限り人を思っていると苦しい。玉の緒が絶えて玉が乱れるように、我も乱れたい。人が知るならば知ろうとも。
(234)【評】 片恋の苦しみをしつつも、名を重んじて人目に立たせまいと忍んで来た男が、その苦しさに堪えられなくなって来た時の気分である。「知らば知るとも」が中心で、今は名も思うまいというのである。調べが奔放で、抑制するところがなく、昂奮した気分をさながらにあらわしており、それが主体を成している歌である。「生の緒に」と「玉の緒の」との対照的なのも自然である。
 
2789 玉《たま》の緒《を》の 絶《た》えたる恋《こひ》の 乱《みだ》るれば 死《し》なまくのみぞ 又《また》も逢《あ》はずして
    玉緒之 絶而有戀之 乱者 死卷耳其 又毛不相爲而
 
【語釈】 ○玉の緒の絶えたる恋の 「玉の緒の」は、「絶え」の枕詞。「絶えたる恋」は、絶えた夫婦関係。○乱るれば 諦められず、心が乱れるので。○死なまくのぞみ 「死なまく」は、死なむの名詞形で、「のみ」は、強意。死のうとしているばかりであるよで、甚しく嘆けば、死ぬとする意でいっているもの。○又も逢はずして また逢うことはなくて。
【釈】 玉の緒のように絶えた夫婦関係で心が乱れるので、死のうとするばかりであるよ。また逢うことはなくて。
【評】 女が、夫婦関係の絶えた男に、最後の挨拶の形で贈った歌である。「又も逢はずして」と、絶えての後のこととて、当然な余儀ないこととして、諦めていっている形になっているが、上からの続きで見ると、明らかに訴えの心を含んだもので、それがほぼ生かされた形になっている。若くはない女の歌で、物語的な味わいを帯びた歌である。
 
2790 玉《たま》の緒《を》の くくり寄《よ》せつつ 末《すゑ》終《つひ》に 去《ゆ》きは別《わか》れず 同《おな》じ緒《を》にあらむ
(235)    玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒將有
 
【語釈】 ○玉の緒のくくり寄せつつ 「玉の緒の」は、玉を貫いている緒の玉をの意のもの。「くくり寄せつつ」は、間の離れている玉を、双方からくくり寄せつつ。○末終に去きは別れず 「末終に」は、末には終いにで、最後にはの意。「去きは別れず」は、玉と玉とは、離れてはゆかずしてで、「ず」は、連用形。○同じ緒にあらむ 同じ緒の玉となっていよう。
【釈】 玉の緒をくくり寄せ寄せして、最後には、離れてゆかぬさまにして、同じ緒のものとなっていよう。
【評】 男より女に贈った歌である。全部が譬喩で、「玉の緒」は同棲生活、「玉」は男女である。上の(二四四八)「ぬば玉の間開けつつ貫ける緒も縛り寄すれば後逢ふものを」と通うところのある歌で、譬喩ではあるが気分化され、細かい心を織り込んだ美しいものとなっている。次第に同棲の手順をつけてゆこうというのは男の心と取れる。
 
2791 片糸《かたいと》もち 貫《ぬ》きたる玉《たま》の 緒《を》を弱《よわ》み 乱《みだ》れやしなむ 人《ひと》の知《し》るべく
    片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉爲南 人之可知
 
【語釈】 ○片糸もち 「片糸」は、縒り合わせない前の糸の称で、普通使用する糸は、強くするために、片糸の二筋を縒り合わせたのである。「もち」は、もって。○緒を弱み 緒が弱いのでで、乱れる意で「乱れ」に続き、以上その序詞。○乱れやしなむ 心が乱れもしようかで、「や」は、疑問の係。○人の知るべく 他人にそれと察しられるほどに。
【釈】 片糸をもって貫いてある玉の、緒が弱いので、乱れるように、心乱れをするであろうか。他人に察しられるほどに。
【評】 女の歌である。関係している男の誠実が足りないために、心乱れが起こりそうで、そうなれば秘密の関係を人に察しられはしなかろうかと惧れた心である。序詞は、譬喩の意の濃厚なもので、「緒」を夫婦関係に、「片糸」をその関係の薄弱さに譬えたものである。譬喩として叙述にすると複雑になるものを、序詞として単純にし、気分化したものである。
 
2792 玉《たま》の緒《を》の うつし意《ごころ》や 年月《としつき》の 行《ゆ》き易《かは》るまで 妹《いも》に逢《あ》はずあらむ
    玉緒之 寫意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢將有
 
(236)【語釈】 ○玉の緒のうつし意や 「玉の緒の」は、魂の続いている限りで、命の意で「うつし」にかかる枕詞。「うつし意」は、原文諸本「嶋意」。旧訓「しまごころ」。『略解』で本居宣長は、「嶋」は「寫」の誤写とし、「うつしごころ」と改めたもの。巻十二(三二一一)「玉の緒の現し心や」という同形の用例がある。巻七(一三四三)の「一に云ふ」に「紅のうつし心《ごころ》や妹にあはざらむ」の用例もある。現しごころは正気な心。「や」は、係助詞で、反語となっている。○年月の行き易るまで 年月が移り変わるまでで、久しい間を。○妹に逢はずあらむ 妹に逢わずにいられようか。いられないの意。
【釈】 命ある正気な心で、年月の移り変わるまでの久しい間を、妹に逢わずにいられようか、いられはしない。
【評】 女と関係を結んでいる男が、何らかの事情で久しく女に逢えずにいる時の心である。そのことを嘆かずに憤りとしていっているところに特色がある。嘆くよりも深情である。調べが強くさわやかで、その気分にふさわしい。調べが主体となっている。
 
2793 玉《たま》の緒《を》の 間《あひだ》も置《お》かず 見《み》まく欲《ほ》り 吾《わ》が思《も》ふ妹《いも》は 家《いへ》遠《とほ》くありて
    玉緒之 問毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而
 
【語釈】 ○玉の緒の間も置かず 「玉の緒の」は、玉と玉の間がある意で、「間」にかかる枕詞。○見まく欲り吾が思ふ妹は 「欲り」は、連用形で、「思ふ」に続く。
【釈】 玉の緒のように間も置かずに逢いたいと思う妹は、家が遠くあって。
【評】 心は明らかである。「家遠くありて」は、旅にあればもちろん、上代は遠方に妻を持っていることが珍しくなかったので、その意味での嘆きであろう。遠方ということを四句を費やしていっているのは、そのためと思われる。素朴な詠み方の歌である。
 
2794 隠《こも》りづの 沢《さは》たづみなる 石根《いはね》ゆも 通《とほ》りて念《おも》ふ 君《きみ》に逢《あ》はまくは
    隱津之 澤立見尓有 石根從毛 達而念 君尓相卷者
 
【語釈】 ○隠りづの沢たづみなる 「隠りづ」は、隠り水で、人目につかない所にある水。「の」は、同意の名詞を重ねていう場合のもので、にし(237)ての意のもの。「沢たづみ」は、沢に立つ水で、「にはたづみ」と同構成の語で、沢に湧き出す水。○石根ゆも通りて念ふ 「石根ゆも」は、「石根」は、岩。「ゆ」は、経過地点をあらわすもので、岩の中をも。「も」は、詠嘆。「通りて念ふ」は、湧き出す水が、岩を通って湧き出すで、見ていっているもので、そのさまを、ただちに自身の気分の譬喩としていい、そのごとく我も思うと隠喩にしたもの。○君に逢はまくは 「君」は、前よりの続きで、男が女を指していっているものと取れる。「逢はまく」は、「逢はむ」の名詞形。逢うことのためには。
【釈】 人目に隠れている水で、沢に水の湧き出す所にある岩の中を通っている、それのように我も思う。君に逢おうことのためには。
【評】 山村の男の、女に懸想している頃の歌である。山に囲まれている小さい水源地の水の、岩を通って湧き出して来る状態を見て、我もこの水のような心をもって女に逢うようにしようと思ったのである。初句より四句までを費やして泉の状態を細叙しているが、これはその状態に刺激されて、結句の「君に逢はまくは」の心を起こしたので、この状態が一首の作因なのである。結果から見ると譬喩であるが、譬喩を意図したものではない。また、秘密に恋をしている気分を濃厚に暗示してもいるが、それも意図したものではなく、それ以前の、目に見た状態がおのずからそうしたことに繋がっているにすぎないものである。要するに原始的な態度の歌である。上の(二四四三)「隠処の沢泉なる石根ゆも通りてぞ念ふ吾が恋ふらくは」と同歌であって、この歌のほうが原形で、謡い物として伝承されているうちに平明化されて、そのように変化したのである。岩に寄せての歌。
 
2795 紀《き》の国《くに》の 飽等《あくら》の浜《はま》の 忘《わす》れ貝《がひ》 我《われ》は忘《わす》れじ 年《とし》は経《へ》ぬとも
    木國之 飽等濱之 忘貝 我者不忘 年者雖歴
 
【語釈】 ○飽等の浜の忘れ貝 「飽等の浜」は、所在不明である。和歌山市加太町の南、田倉埼の海浜という。「忘れ貝」は、しばしば出た。同音で「忘れ」にかかり、以上その序詞。
【釈】 紀伊国の飽等の浜に寄せている忘れ貝の、我はその忘れることはしまい。年は経ようとも。
【評】 男の、関係を結んだ女に、将来も変わらないことを誓った歌である。飽等の地方の謡い物である。海辺の地ならどこへでも適用のできる一般性のある歌である。以下四首、貝に寄せての歌。
 
2796 水《みづ》潜《くく》る 玉《たま》にまじれる 礒貝《いそがひ》の 片恋《かたこひ》のみに 年《とし》は経《へ》につつ
(238)    水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 年者經管
 
【語釈】 ○水潜る玉にまじれる 「水潜る」は、水の中に潜っているで、水中深く沈んでいる玉。これは真珠で、鰒の腹中にある物である。鰒には触れず、玉だけをいったもの。「まじれる」は、その玉と一緒にある。○礒貝の 礒は岩で、岩に付着している貝の称と取れる。下の続きで、単殻でなければならぬ。それだと鰒の類であろう。意味で「片」につづき、以上その序詞。
【釈】 水中深く沈んでいる玉にまじっている岩に付着している礒貝のように、片恋ばかりに年を経つついる。
【評】 年を重ねている片恋の嘆きであるが、明るく軽い歌である。海べの地の謡い物であったろう。序詞は美しく巧みである。
 
2797 住吉《すみのえ》の 浜《はま》に寄《よ》るといふ うつせ貝《がひ》 実《み》なき言《こと》もち 我《われ》恋《こ》ひめやも
    住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余將戀八方
 
【語釈】 ○うつせ貝 身の失せた貝で、貝殻となった物の総称。「空し貝」の転音と思われる。意味で「実なき」にかかり、以上その序詞。○実なき言もち 「実」は、恋の上で花に対させる語で、実意。「もち」は、もっての古形。実意のない花なる語をもって。○我恋ひめやも 我は恋をしようか、しはしないで、「や」は、反語。
【釈】 住吉の浜に寄るという空せ貝のように、実のない語をもって、我は恋をしようか、しはしない。
【評】 男が求婚をした時、女が男の言葉の真実を疑ったのに対して、男の答えて詠んだ歌である。序詞は、住吉のことを話に聞いている程度の人であるから、京の人であってもよい歌である。
 
2798 伊勢《いせ》の白水郎《あま》の 朝《あさ》な夕《ゆふ》なに 潜《かづ》くといふ 鰒《あはび》の貝《かひ》の 片念《かたもひ》にして
    伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天
 
【語釈】 ○朝な夕なに潜くといふ 朝に夕に、海に潜いて取るという。○鰒の貝の 「鰒」は、殻が片方だけの物なので、意味で「片」に続き、以上その序詞。○片念にして 片思いであって。
(239)【釈】 伊勢の白水郎が、朝夕に波を潜いて捕るという鰒の貝の殻のように、片恋であって。
【評】 四句までを序詞にして、鰒の貝のことをいっているのは、そのことに興味があったからで、これは海に遠い地のことでなくてはならぬ。大和での謡い物であったろう。「鰒の貝の片念ひ」ということを、当時すでにいっていたのである。
 
2799 人言《ひとごと》を 繁《しげ》みと君《きみ》を 鶉《うづら》鳴《な》く 人《ひと》の古家《ふるへ》に 語《かた》らひて遣《や》りつ
    人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相語而遣都
 
【語釈】 ○人言を繁みと君を 『略解』の訓。人の物言いがうるさいからとて。「君」は、女より男を指してのもの。○鶉鳴く人の古家に 「鶉鳴く」は、鶉は荒れた所に住む鳥として、「古」にかかる枕詞。「人の古家」は、他人の空家。○語らひて遣りつ 「語らひて」は、逢って。「遣りつ」は、帰した。
【釈】 人の物言いがうるさいからとて、君を、他人の空家で逢って帰した。
【評】 男に逢って別れた後の心である。「鶉鳴く人の古家に」は、合理化してはあるが、特殊な逢い場所で、深い侘びしさのあるものである。歌はその侘びしさをいっているのである。この歌は、抒情をとおしてその場景を思わせるもので、物語的興味を感じさせる作である。一つの新傾向であったかと思われる。
 
2800 旭時《あかとき》と 鶏《かけ》は鳴《な》くなり よしゑやし 独《ひとり》宿《ぬ》る夜《よ》は あけば明《あ》けぬとも
(240)    旭時等 鷄鳴成 縱惠也思 獨宿夜者 開者雖明
 
【語釈】 ○旭時と鶏は鳴くなり 暁だと、時を告げて鶏は鳴いた。○よしゑやし ままよ。それでもよい。○独宿る夜はあけば明けめとも ひとり寝をしている夜は、明けるなら明けようとも。
【釈】 暁だと時を告げて鶏は鳴いた。ままよ、ひとり寝をしている夜は、明けるなら明けようとも。
【評】 ひとり寝をしていて、夜明けの鶏の声を聞いた時の心である。共寝の床に聞くその声と本能的に比較されて、どうでもかまわないと捨て鉢に似た気分を感じた、その表現である。気分が調べになって躍動している。調べが生命になっている作である。
 
2801 大海《おほうみ》の 荒礒《ありそ》の渚鳥《すどり》 朝《あさ》な旦《あさ》な 見《み》まく欲《ほ》しきを 見《み》えぬ公《きみ》かも
    大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見卷欲乎 不所見公可聞
 
【語釈】 ○荒礒の渚鳥 「渚鳥」は、渚にいる鳥の総称で、小魚を食餌としているもの。荒礒にいる渚鳥で、朝、あさりをする習性をもっている意で「朝な旦な」に続け、以上その序詞。○朝な旦な見まく欲しきを 「朝な旦な」は、日々にで、日々に見たいのに。
【釈】 大海の海辺の磯にいる渚鳥の朝々にあさりをする、そのように朝々に見たいと思うのに、見えない公であるよ。
【評】 女が男の通って来ることの少ないのを不満にしている心で、一般性をもったものである。「大海の荒礒の渚鳥」の序詞は、序詞である関係上、同じく一般性をもったものでなくてはならぬ。これはこの男女の住地を暗示するとともに、譬喩として「朝な旦な」に続いているのであるが、続く心が明らかだとはいえない。野鳥は習性として、求食は早朝にするもので、渚鳥も同様であろう。それだと、海の小魚をねらうために海岸の岩の上に群れているのが印象的で、見る目に快いものでもあり、それは誰しも見馴れて親しいものであったろう。その意味で、「朝な旦な」に続けているものと思われる。海べの地の謡い物であったろう。
 
2802 念《おも》へども 念《おも》ひもかねつ あしひきの 山鳥《やまどり》の尾《を》の 永《なが》きこの夜《よ》を
(241)    念友 念毛金津 足檜之 山鳥尾之 永此夜乎
 
【語釈】 ○念へども念ひもかねつ 「念ふ」は、逢い難くしている妻を恋しく思うで、「かね」は、得ぬ意。妻を恋うるが、恋うる心を尽くし得なかったで、恋うるに余ったの意。○あしひきの山鳥の尾の 「山鳥の尾」は、長いことが特色となっているので、譬喩として「永」に続き、二句その序詞。なお山鳥は、夜は雌雄峰を異にして寝る鳥とされているので、ひとり寝ということを気分として絡ませての序詞。○永きこの夜を 秋の長い夜を。
【釈】 妻を恋い思ったが、恋い思うにも余った。あしひきの山鳥の尾のように長いこの秋の夜を。
【評】 秋の夜、ひとり寝をしている男の、恋を思う心で、きわめて一般性をもったものである。初二句にその心を総括していい、三句以下は、序詞を設けて夜の永さと、妻恋しい気分とを暗示したもので、型のごときものである。しかし一首の調べは、滑らかに美しく、感傷的気分をあらわし得ているものである。まさしく謡い物の条件を備えているもので、それとしては洗練を経た、都市的なものである。京で謡われていたものであろう。
 
     或本の歌に曰はく、あしひきの 山鳥《やまどり》の尾《を》の しだり尾《を》の 長《なが》き永夜《ながよ》を ひとりかも宿《ね》む
      或本歌曰、足日木乃 山鳥之尾之 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨將宿
 
【語釈】 ○しだり尾の 「しだり」は、長く垂れている尾で、以上「長き」の序詞。○長き永夜を 旧訓「ながながしよを」を、本居宣長の『詞の玉緒』で改めたものである。上代の歌には五音句には「みづみづし」など躍ったものがあるが、七音句にはその例がなく、調べが弱くなるからだといっている。○ひとりかも宿む ひとり寝をすることであろうか。「かも」は、疑問の係。
【釈】 山鳥の尾のしだれている尾のように長く永い夜を、ひとりで寝ることであろうか。
【評】 この歌は、上の歌の別伝として扱われているが、全く異なった歌である。その境も取材も同一であるが、これは相聞には普通のことで、詠み方を異にしているものである。この歌には初めから個人的の匂いがなく、一般性をねらったもので、また極度に調子がよいために、嘆きの気分は全くなく、明るくたのしい歌となっているのである。典型的な謡い物である。この歌は「拾遺集」で柿本人麿の作とされ、小倉百人一首に収められたために、人口に膾炙している歌である。
 
2803 里中《さとなか》に 鳴《な》くなる鶏《かけ》の 喚《よ》び立《た》てて 甚《いた》くは鳴《な》かぬ 隠妻《こもりづま》はも
(242)    里中尓 鳴奈流鶴之 喚立而 甚者不鳴 隱妻羽毛
 
【語釈】 ○里中に鳴くなる鶏の喚び立てて 里の中に鳴いている鶏の雄鳥が、雌鳥を喚び立ててで、意味で「甚く鳴く」に続け、以上、その序詞。○甚くは鳴かぬ隠妻はも 「甚くは鳴かぬ」は、甚しくは泣かないで、上からは「甚く鳴く」と続くのを、「ぬ」の打消で上を転じて、内容を変えたもの。「隠妻はも」は、隠妻はなあ、と憐れんだ心。隠妻は関係を秘密にしている妻で、当時はむしろ普通のものであった。「鳴かぬ」は、その秘密を人に知られまいとしてである。
【釈】 里の中に鳴いている鶏の雄鳥の、雌鳥を喚び立てるそれとは反対に、ひどくは泣かないわが隠妻はなあ。
【評】 人目を憚って妻に逢い難くしている男が、妻はさぞ恨めしく思っていようと、思いやって憐れんだ心である。序詞に特色がある。「里中に鳴くなる鶏の喚び立てて」は、男女の住地と、男がそれに刺激されてこうした感を起こしたことを暗示しているもので、それは型ともなっていることであるが、この序詞はそれにとどまらず、「甚く鳴く」を、「鳴かぬ」と転回させて、語のおもしろさをも付け加えているのである。この語意の転回は、古い謡い物ではむしろ主体となっていたことであるが、次第に衰え、後の序詞は気分の暗示がそれに代わって来ているのであるが、この序詞は、その古風を復活して付加しているものである。部落の謡い物として愛された歌だろうと思われる。
 
     一に云《い》ふ、里《さと》動《とよ》み 鳴《な》くなる鶏《かけ》の
      一云 里動 鳴成鷄
 
【解】 初句の別伝である。里に響かせてで、原文のほうが落ちついていて、一首全体には調和する。刺激の強さを求めて変えたとみえる。
 
2804 高山《たかやま》に 高部《たかべ》さ渡《わた》り 高高《たかだか》に 我《わ》が待《ま》つ公《きみ》を 待《ま》ち出《い》でむかも
    高山尓 高部左渡 高々尓 余得公乎 待將出可聞
 
【語釈】 ○高山に高部さ渡り 「高部」は、小鴨の一種。「さ渡り」は、「さ」は、接頭語。飛び渡りで、越えるさま。同音で下の「高高」にかかり、以上その序詞。○高高に 「高高」は、背伸びをして望む意で、待つ状態。○待ち出でむかも 待ちつけ得ようかなあ。「かも」は、疑問。
(243)【釈】 高山を高部が飛び渡ってゆく、その高々に背伸びをしわが待っている君を、待ちつけうるであろうかなあ。
【評】 女のその夫の来るのを待ち望んでいる心である。「高」を三回、「待つ」を二回重ねて、それによって音調をおもしろくしようとし、そこに力点を置いている歌である。これは謡い物としての要求からのもので、明らかに謡い物である。
 
 
2805 伊勢《いせ》の海《うみ》ゆ 鳴《な》き来《く》る鶴《たづ》の 音《おと》どろも 君《きみ》が聞《きこ》さば 吾《われ》恋《こ》ひめやも
    伊勢能海從 鳴來鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾將戀八方
 
【語釈】 ○伊勢の海ゆ鳴き来る鶴の 伊勢の海からこちらへ鳴いて来る鶴ので、意味で「音」と続き、以上その序詞。○音どろも 「音どろ」は、ここよりほかはない語である。前後の続きから察しるほかはない語である。『新考』は、音ずれの地方語であろうという。これに従う。「も」は、なりとも。○君が聞さば 「聞さば」は、いわばの敬語。
【釈】 伊勢の海からこちらへ鳴いて来る鶴の音の、その音ずれなりとも君がおっしゃったならば、我は恋いようか恋いはしない。
【評】 全く音信も絶えている男を思っての女の嘆きである。「音どろ」は不明ではあるが、大意は上のごときものであろう。「伊勢の海ゆ鳴き来る鶴の」は、眼前を捉えるとともに、その男の住地をも暗示しているものである。鳴いて来る鶴にこのような方角を連想するのは、迎えてのことだからである。また、鶴に使を連想するのは古くからのことであるから、その気分も絡んでいよう。
 
2806 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ふれにかあらむ 沖《おき》に住《す》む 鴨《かも》の浮宿《うきね》の 安《やす》けくもなし
    吾妹兒尓 戀尓可有牟 奧尓住 鴨之淨宿之 安雲無
 
【語釈】 ○恋ふれにかあらむ 「恋ふれにか」は、旧訓「こふるにか」。『略解』の訓。恋うればにかあらむの意で、「か」は、疑問の係。○沖に住む鴨の浮宿の安けくもなし 「沖に住む」は、鴨にかかる枕詞。「浮宿」は、水に浮かんで寝ている意で、譬喩として「安けくもなし」の序詞。
【釈】 吾妹子を恋うていればであろうか。沖に住んでいる鴨の浮宿のように、安らかさがない。
【評】 男が夜、おちおちと眠れないのを訝かって、その理由を求めて、求め得た時の心である。初二句、まずその理由をいい、(244)以下初めて眠れない状態をいっているのはそのためである。「沖に住む鴨の浮宿の」という序詞は、平常見馴れている光景であろう。無意識に恋していたのに心付くという境は、実際には多いことであろうが、歌としては珍しいものである。個人的な歌である。
 
2807 明《あ》けぬべく 千鳥《ちどり》数鳴《しばな》く しろたへの 君《きみ》が手枕《たまくら》 いまだ厭《あ》かなくに
    可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未〓君
 
【語釈】 ○千鳥数鳴く 「千鳥」は、多くの鳥の意のもの。用例がある。「数鳴く」は、しきりに鳴いている。○しろたへの君が手枕 「しろたへの」は、「手枕」の枕詞。○いまだ厭かなくに 「厭かなくに」は、飽かないことであるものを。
【釈】 夜が明けそうに、多くの鳥がしきりに鳴いている。しろたえの君の手枕は、まだ飽かないことであるものを。
【評】 女の後朝の別れを惜しむ心で、最も一般的な心である。詠み方もそれにふさわしい外面的なものである。謡い物として謡われた歌であろう。
 
     問答
 
【目】 既出。最初の一首を除くほかは、柿本人麿歌集以外の物で、区別して集めたものである。
 
2808 眉根《まよね》掻《か》き 鼻《はな》ひ紐《ひも》解《と》け 待《ま》てりやも 何時《いつ》かも見《み》むと 恋《こ》ひ来《こ》し吾《われ》を
    眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛將見跡 戀來吾乎
 
【語釈】 ○眉根掻き鼻ひ紐解け 眉が痒くなって掻き、くしゃみが出、下紐がひとりでに解けてで、いずれも人に逢う前兆としていたことである。○待てりやも 待っていたのであるかで、それは皆我が思っていたがゆえのことだとの意でいっているもの。○何時かも見むと恋ひ来し吾を 早く逢いたいと思って、恋うて来た我を。
(245)【釈】 眉を掻き、くしゃみが出、下紐が自然に解けて待っていたのであるか。早く逢いたいと思って恋うて来た我を。
【評】 男が女に逢った時の挨拶である。そうした場合には、男の真実を示すために、労苦をして来たことをいうのが型となっているのに、それを恋いに恋うて来たと言い換え、さらに女もそれと察して待っていたろうとまでいっている、きわめて積極的なものである。明るく自由な珍しい歌である。
 
     右は、上に柿本朝臣人麿の歌の中に見ゆ。但し問答を以ての故に、累ねて茲に載す。
      右、上見2柿本朝臣人麿之歌中1。但以2問答1故、累載2於茲1也。
 
【解】 「上に、見ゆ」というのは、(二四〇八)「眉根かき鼻ひ紐解け待つらむか何時かも見むと念へる吾を」である。これは離れていて妹を思いやった形のものであるのを、今は相向かってのものである。したがって第三句と五句とを変えて、著しく低俗の趣のあるものにしているのである。これは、謡い物としての興味にかなわしめようとしてのことである。人麿歌集の歌が、流行の結果、こうした扱いを受けていたのである。
 
2809 今日《けふ》なれば 鼻《はな》し鼻《はな》しひ 眉《まよ》かゆみ 思《おも》ひしことは 君《きみ》にしありけり
    今日有者 昇之々々火 眉可由見 思之言者 君西在來
 
【語釈】 ○今日なれば 諸注、訓が定まらない。『全註釈』の、本文に即しての訓。今日になればで、今日になって見るとの意。○鼻し鼻しひ 旧訓。「鼻し」は、「し」は、強意の助詞。「鼻しひ」は、目しい、耳しいなどと同じく、鼻が通らなくなった意で、「鼻し」は、感を強めるために畳んだもの。くしゃみの出ることを具象的にいったもの。○眉かゆみ 眉がかゆくて。○思ひしことは 誰に逢うというのだろうと思った前兆は。○君にしありけり 君であったことだ。
【釈】 今日となって見ると、鼻がしきりに塞がり、眉が痒く、誰に逢うというのだろうと思ったことは、君であったことだ。
【評】 男の語をそのままに繰り返して、男に違えた喜びを漂わしている形のものであるが、問歌の生彩がなく、むしろ問歌に縋って拵らえた歌という感のあるものである。問答体の謡い物として作ったものだからである。一首としての独立性のないのはそのためである。
 
(246)      右二首
 
2810 音《おと》のみを 聞《き》きてや恋《こ》ひむ まそ鏡《かがみ》 目《め》に直《ただ》にあひて 恋《こ》ひまくも多《おほ》く
    音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 目直相而 戀卷裳太口
 
【語釈】 ○音のみを聞きてや恋ひむ 評判だけを聞いて恋うているべきであろうか。「や」は、疑問の係。○まそ鏡目に直にあひて 「まそ鏡」は、「目」にかかる枕詞。「目に直にあひて」は、「目」は、相手の容貌を代表させた語で、その人にの意で、「音」に対させたもの。「直にあひて」は、直接に逢って。○恋ひまくも多く 「恋ひまく」は、「恋ひむ」の名詞形。恋うるだろうこと。「多く」は、多くして。
【釈】 評判だけを聞いて恋うていようか。あなたに直接に逢って、恋うることが多くて。
【評】 女に初めて逢って、別れての後に贈った歌である。後世の後朝の歌にあたるものである。相逢った喜びをいうのが型になっていて、儀礼的なものである。今の恋の悩みを思うと、逢えずに悩んでいた時のほうが、まだ悩みが少なくて、かえって良くはなかったろうかというので、その場合に即した言い方をしたものである。儀礼の語だけには終わらせまいとしたものである。
 
2811 この言《こと》を 聞《き》かむとならし まそ鏡《かがみ》 照《て》れる月夜《つくよ》も 闇《やみ》のみに見《み》て
    此言乎 聞跡平 眞十鏡 照月夜裳 闇耳見
 
【語釈】 ○この言を聞かむとならし 「この言を」は、男のいって来たその言葉を。「聞かむとならし」は、諸注訓が定まらない。「平」は原文「乎」で『新考』は、「乎」は、「平」の誤りとして、「ならし」と訓んでいる。誤写説であるが、妥当と思われるので、これに従う。聞こうとしてのことであろう。○まそ鏡照れる月夜も 「まそ鏡」は、「照る」の枕詞。問歌の語。照っている月も。○闇のみに見て 闇とばかりに見て来てで、「来て」の意が略されている。贈歌の形に合わせようとしてである。君を思うことに心を奪われて、照っている月も目には映らずに来たの意。
【釈】 君のそうした言葉を聞こうと思っていたらしいのです。まそ鏡のように照っている月も、闇とばかりに見て来て。
【評】 上の歌をひどく喜んでの心で、我はそうした言葉を聞きたさに、照っている月も目に入らずに過ごしていたというので、(247)男にも増して思慕していた心をいったものである。これは贈歌の「まそ鏡」という語に縋っていっているものである。「聞かむとならし」は、訓には問題があろうが、聞こうと思ってを、わざと婉曲に言いかえたものである。才のある詠み口である。二首同じ作者の歌とみえる。
 
     右二首
 
2812 吾妹子《わぎもこ》に 恋《こ》ひてすべ無《な》み 白《しろ》たへの 袖《そで》反《かへ》ししは 夢《いめ》に見《み》えきや》
    吾妹兒尓 戀而爲便無三 白細布之 袖反之者 夢所見也
 
【語釈】 ○白たへの袖反ししは 「白たへの」は、袖の枕詞。「袖反す」は、寝る時、袖口を折返すことで、これをすると、思う人と夢に逢えるという俗信があったのである。
【釈】 吾妹子を恋うて、やる瀬ないので、せめて夢に逢おうと、わが袖を折返して寝たのは、そちらの夢に見えましたか。
【評】 「袖反ししは夢に見えきや」は、初出のものである。当時としては一般性のあることを、平易にいったにすぎない歌である。
 
2813 吾《わ》が背子《せこ》が 袖《そで》反《かへ》す夜《よ》の 夢《いめ》ならし 真《まこと》も君《きみ》に 逢《あ》へりしが如《ごと》
    吾背子之 袖反夜之 夢有之 眞毛君尓 如相有
 
【語釈】 ○夢ならし 夢であったろうと、強く推量したもの。○真も君に逢へりしが如 実際に、君に逢ったがようであった。
【釈】 わが背子が袖を折返して寝た夜の夢であったろう。実際に君に逢ったがようであった。
【評】 贈歌と同じ調子の歌である。「らし」と「真も」と響かせ合っているところなど、贈歌の四、五句と同じ手法である。同一人の手によって成ったものとみえる。
 
(248)     右二首
 
2814 吾《わ》が恋《こひ》は 慰《なぐさ》めかねつ ま気長《けなが》く 夢《いめ》に見《み》えずて 年《とし》の経《へ》ぬれば
    吾戀者 名草目金津 眞氣長 夢不所見而 年之經去礼者
 
【語釈】 ○ま気長く 「ま」は、接頭語。「気長く」は、時久しく。○夢に見えずて 相手が夢に見えなくて。相手がこちらを思えば、夢に見えるという俗信の上に立つてのことで、夢に見えないということは、思われていない意で、恨む心よりのもの。
【釈】 私の恋は、慰めが得られなかった。時久しくも夢に見えなくて、年が過ぎたので。
【評】 関係の絶えた女に、男が未練気を起こして恨んだ歌である。語続きの婉曲なのはそのためである。例の多い事柄である。
 
2815 ま気永《けなが》く 夢《いめ》にも見《み》えず 絶《た》ゆれども 吾《わ》が片恋《かたこひ》は 止《や》む時《とき》もあらず
    眞氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有
 
【語釈】 ○ま気永く夢にも見えず 贈歌の三、四句を取って、女自身のことに変えたもの。「見えず」は、見えずして。○絶ゆれども 関係はすでに絶えたけれども。男がこちらを思えば夢に見えるとして、それが無いのでの意。○吾が片恋は止む時もあらず 「吾が片恋」は、女が男に対しての片思いで、それは休んだ時もありません。
【釈】 時久しく、あなたは夢にも見えずして、心つながりは絶えてしまっていますが、私の片思いは休んだ時もありません。
【評】 「ま気永く夢にも見えず」と、男の恨みの語をただちに自身の恨みの語にし、それにもかかわらず、あなたに対しての片思いは止む時もありませんと、男にも増さって率直に、思慕の情を訴えたものである。同一作者の歌で、いずれも安易な詠み方のものである。
 
     右二首
 
(249)2816 うらぶれて 物《もの》な念《おも》ほし 天雲《あまぐも》の たゆたふ心《こころ》 吾《わ》が念《も》はなくに
    浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 音念莫國
 
【語釈】 ○うらぶれて物な念ほし 憂えにしおれて物をお思いなさいますなで、「念ほし」は、念うの敬語。女に対しての慣用。○天雲のたゆたふ心 「天雲の」は、その状態の形容として「たゆたふ」にかかる枕詞。「たゆたふ心」は、躊躇する心で、ここは恋の上の誠の気迷いをする心。○吾が念はなくに 我は思ってはいないことであるのに。
【釈】 憂えしおれて、嘆きをなさいますな。天雲のように気迷いをする心は、我は思ってはいないことであるのに。
【評】 女に疎遠がちにしている男が、女から恨みをいわれたのに対し、誠実を告げて慰めた心である。「天雲のたゆたふ心」は、その場合としては適当の語と思われる。
 
2817 うらぶれて 物《もの》は念《おも》はじ 水無瀬川《みなせがは》 ありても水《みづ》は 逝《ゆ》くといふものを
    浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎
 
【語釈】 ○水無瀬川ありても 「水無瀬川」は、水の涸れて無くなった川の称で、普通名詞。「水無し」が「水無瀬」に転じた語。ここは上の歌の「天雲の」との関係で、天の河の意。「ありても」は、上に続いて、そうした川があって。○水は逝くといふものを 水は流れるということであるのにで、天の河の水は目には見えないが、流れていることであるというの意。疎遠ではあるが、絶縁ではないことの譬喩。
【釈】 憂えにしおれて嘆きをすることはしまい。水の見えない天の河も存在して、水が流れていることであるのに。
【評】 男の歌をそのままには受け入れないが、さすがに頼みを懸けて、水無瀬川の譬喩でその頼む心をあらわしているのである。この譬喩は、直接にいえば烈しい語にもなりかねないものを、このように婉曲にしたために、訴えの気分を含んだものとなったので、その意味で上手である。
 
     右二首
 
(250)2818 杜若《かきつばた》 佐紀沼《さきぬ》の菅《すげ》を 笠《かさ》に縫《ぬ》ひ 著《き》む日《ひ》を待《ま》つに 年《とし》ぞ《へ》経にける
    垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 將著日乎待尓 年曾經去來
 
【語釈】 ○杜若佐紀沼の菅を 「杜若」は、咲きの意で、佐紀の枕詞。「佐紀沼」は、佐紀にある沼で、佐紀は平城京の北方の地。「菅」は、笠の材料。○笠に縫ひ 笠に作って。○著む日を待つに かぶる日を待っているうちに。以上二句は譬喩で、「笠に縫ひ」は、わが妻と定めて。「著む日」は、結婚する時の意。○年ぞ経にける 年が過ぎたことであるよと、詠嘆したもの。
【釈】 杜若の咲く佐紀沼の菅をわが笠に作って、かぶる日を待っているうちに、年が過ぎたことであるよ。
【評】 女と婚約をした男の、結婚をせずに年の立った時、そのことを残念に思って訴えた歌である。女を菅に、婚約を「笠に縫ひ」に、結婚を「著る」に譬えた歌は例が多く、笠縫いをしている土地では常識になっていたとみえる。これもそれである。「杜若佐紀沼の菅を」は、その女が佐紀の地の者であることをあらわすとともに、杜若によってその美しさをも暗示しているものである。「待つに」は、男の怠った責任を避けるための語である。
 
2819 押照《おして》る 難波菅笠《なにはすががさ》 置《お》き古《ふる》し 後《のち》は誰《た》が著《き》む 笠《かさ》ならなくに
    臨照 難波菅笠 置古之 後者誰將著 笠有莫國
 
【語釈】 ○押照る難波菅笠 「押照る」は、日の強く照る意で、難波の枕詞。「難波菅笠」は、難波の菅をもって作った笠で、名産であったとみえる。女が自身を譬えたもの。○置き古し 捨て置いて、古びさせてしまって。○後は誰が著む笠ならなくに 「後は」は、後となっての今はの意。「誰が著む」は、君以外の誰がかぶる。「笠ならなくに」は、笠でもないことであるものを。「著る」は結婚する譬。
【釈】 押照る難波菅笠を、かぶらずに捨てて置いて古びさせてしまって、後となっての今は、君以外の誰がかぶる笠でもないことであるものを。
【評】 この歌は、問に対しての答として、心の通じるものであるが、しかし部分的には明らかに矛盾していて、そぐわないものである。「難波菅笠」は、女が難波の地にいる者でなくてはならない。また、「置き古し後は誰が著む笠ならなくに」は、強(251)い恨みの語で、男を詰責しているものである。問の歌の、男が気を置いて、やさしく訴えているのに対し、処女である女のいうべき語ではない。この歌は難波に住んでいる女で、その関係している男から、多年絶縁同様にされていた女の、若さを過ぎた頃、男に対して縒りを戻そうと要求した歌と見て、初めて妥当感のあるものである。そうした歌であったろう。上の歌と問答として謡った人が、番わせる歌のなかったところから、強いて番わせた歌で、その謡い物を聞いた人は、聞いたがままに筆録してあったのが、編集者に資料として取り上げられたという関係のものであろう。そういうと、上の問の歌も、問というよりもむしろ独詠の歌の趣の勝ったものである。問答体の歌に興味をもち、新作以外に、既成の歌で、それぞれ無関係に作っている歌を、強いて番わせるということもありうべきことである。上の二首はそういう物であろう。
 
     右二首
 
2820 かくだにも 妹《いも》を待《ま》ちなむ さ夜《よ》深《ふ》けて 出《い》で来《く》る月《つき》の 傾《かたぶ》くまでに
    如是谷裳 妹乎待南 左夜深而 出來月之 傾二手荷
 
【語釈】 ○かくだにも妹を待ちなむ このようなさまだけでも、妹を待っていようで、待つことの心許ないさまをいったもの。○さ夜深けて出で来る月の 夜ふけてから出て来る月が。○傾くまでに 傾いて来るまでにで、ひどく深夜になったことを叙したもの。
【釈】 このようなさまだけでも、妹を待っていよう。夜がふけて出て来る月が、傾くまでに。
【評】 人目を忍ぶために、戸外で待ち合わせをする約束をしてあった男の、女の来ないのに対しての心、「かくだにも」は、深夜になっての心で、待ちくたびれた心を、強いて励ました心であろう。気分を主とした言い方で、線が細く、謡い物とは思われない歌である。
 
2821 木《こ》の間《ま》より 移《うつ》ろふ月《つき》の 影《かげ》惜《をし》み 徘徊《たちもとほ》るに さ夜《よ》ふけにけり
    木間從 移歴月之 影惜 徘徊尓 左夜深去家里
 
【語釈】 ○木の間より移ろふ月の 木の間をとおって移ってゆく月の。「移ろふ」は、移るの連続。○影惜しみ 光を愛して。○徘徊るに 「た(252)ち」は、接頭語。「もとほる」は、一つ所をあちこち歩む意で、愛する意を具象的にいったもの。
【釈】 木の間をとおって移ってゆく月の光を愛して、そちこちとさまよっているうちに、夜が更けたことであった。
【評】 この歌は、明らかに月を観賞する歌で、恋の心をもったものではない。また、女の歌というよりも男の歌とみえるもので、問の歌とは関係のないものである。上の歌と番いになりうる歌を求めて、「月」「さ夜ふけ」というような語を含んでいるところから、強いて番わせたもので、この点上の問答より一段と明らかである。
 
     右二首
 
2822 絶え領巾《たくひれ》の 白浜浪《しらはまなみ》の 寄《よ》りもあへず 荒《あら》ぶる妹《いも》に 恋《こ》ひつつぞ居《を》る
    栲領巾乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曾居
 
【語釈】 ○栲領巾の白浜浪の 「栲領巾の」は、栲をもって作った領巾で、色の白いところから白にかけた枕詞。「白浜浪の」は、白浜の浪の意で、「白浜」は、砂の白い浜。浪の寄る意で、「寄り」に続け、以上その序詞。○寄りもあへず 寄りきらずしてで、すなおには従わずに。「ず」は、連用形。○荒ぶる妹に 「荒ぶる」は、神の暴威を振う意に用いる語で、荒っぽくする妹を。上の(二六五二)に、「荒れ去きけらし逢はなく思へば」と出た。
【釈】 栲の領巾のように砂の白い浜に寄る浪のように、寄りきらずに、荒っぽくする妹を、恋い続けていることである。
【評】 「荒ぶる妹」というのが中心で、男が女のすなおにしないのを恨んでいっている語である。これは女からいうと、男に不満を感じ、恨む代わりに、甘えて拗ねたさまを見せるのを指しているのであろう。男もそれと知っていて、戯れ半分にいっているものである。「栲領巾の白浜浪の」は、印象的な景である。白い砂が、遠浅になって続き、浪が近く寄って来ない景である。男女の住地と、男の、女に対してもつ気分を暗示しているものである。
 
     一に云ふ、恋《こ》ふるころかも
      一云、戀流己呂可母
 
(253)【解】 第五句の別伝で、恋うているこの頃であるよとの意。本文の「恋ひつつぞ居る」と、心は同じであるが、このほうが説明的になり、したがって気分が稀薄になっている。
 
2823 かへらまに 君《きみ》こそ吾《われ》に 栲領巾《たくひれ》の 白浜浪《しらはまなみ》の 寄《よ》る時《とき》も無《な》き
    加敞良末尓 君社吾尓 栲領巾之 白濱浪乃 縁時毛無
 
【語釈】 ○かへらまに ここに見えるのみの語で、かえって、反対に、の意の副詞。○寄る時も無き 訪い来る時もないことだ。「無き」は、「こそ」を連体形で結んだ古格。
【釈】 反対に、君こそはわれに、栲領巾の白浜浪のように寄ることもないことである。
【評】 問歌の語を用いて言い返したというだけのものである。同一人の作である。
 
     右二首
 
2824 念《おも》ふ人《ひと》 来《こ》むと知《し》りせば 八重葎《やへむぐら》 おほへる庭《には》に 玉《たま》敷《し》かましを
    念人 將來跡知者 八重六倉 覆庭尓 珠布益乎
 
【語釈】 ○八重むぐらおほへる庭に 「八重むぐら」は、八重と繁っている雑草で「おほへる」は、覆い隠している。○玉敷かましを 「玉」は、美しい小石。「まし」は、上の「せば」の帰結で、仮設。小石を敷くのは、貴人を迎える時の礼。
【釈】 思う人が来ると知ったならば、雑草の繁り隠している庭に、玉を敷こうものを。
【評】 男の訪ねて来たのを迎えての女の挨拶である。男を限りなく貴い人として、喜びの心をもっていっているので、明るい歌である。
 
2825 玉《たま》敷《し》ける 家《いへ》も何《なに》せむ 八重葎《やへむぐら》 おほへる小屋《をや》も 妹《いも》とし居《を》らば
(254)    玉敷有 家毛何將爲 八重六倉 覆小屋毛 妹与居者
 
【語釈】 ○妹とし居らば 諸注、訓がさまざまである。『古葉略類聚鈔』の訓。「し」を読み添えて、調子を張らせた点が、作意に調和する。満足だの余意のある言い方。
【釈】 玉を敷いた家も何にしよう。雑草の繁り隠している小屋でも、妹と一緒にいるならば満足だ。
【評】 答としての挨拶である。相手の語をそのままに捉え、相手の遺憾を喜悦に転回させている、典型的な答歌である。この形は後世に継承されたものである。
 
     右二首
 
2826 かくしつつ 在《あ》り慰《なぐさ》めて 玉《たま》の緒《を》の 絶《た》えて別《わか》れば 術《すべ》なかるべし
    如是爲乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 爲便可無
 
【語釈】 ○かくしつつ在り慰めて 「かくしつつ」は、このようにしつつで、現在の夫婦関係を指したもの。「在り慰め」は、一語で、「在り」は、継続をあらわす語。「慰め」は、慰め合って居て。○玉の緒の絶えて別れば 「玉の緒の」は、「絶え」の枕詞。「絶えて別れば」は、中が絶えて別れたならばで、想像。○術なかるべし やる瀬ないことであろう。
【釈】 このようにしつつ、続いて慰め合っていて、関係が絶えて別れたならば、やる瀬ないことであろう。
【評】 夫婦関係に十二分の幸福を感じ、静かな落ちついた気分をもっている女が、その幸福を意識した時、感謝に近い気分をもってその夫にいったものである。「玉の緒の絶えて別れば」は、現在の幸福感を言いあらわすために、比較として設けていっているもので、絶対に無いことと信じていっていることで、それがすなわち感謝の心なのである。日常生活の上で誰しも時としてもたされる感である。歌とされることは少ない境で、それを捉えて味わいのある歌としているものである。平凡に似て平凡ならぬ作である。
 
2827 紅《くれなあ》の 花《はな》にしあらば 衣手《ころもで》に 染《そ》めつけ持《も》ちて 行《ゆ》くべく念《おも》ほゆ
(255)    紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
 
【語釈】 ○紅の花にしあらば 「紅の花」は、紅花《べにばな》で、色の美しい物であり、また衣に染ませやすいものでもある。「し」は、強意。「あらば」は、仮設で、妻がそれであったら。○衣手に染めつけ持ちて わが袖に染ませて持って。○行くべく念ほゆ 行きたいと思われる。
【釈】 妹がもし紅花であったならば、わが袖に染めつけて、持って行きたいと思われる。
【評】 これは男が遠い旅へ出ようとする際、妻に別れを惜しんでいっている歌である。そういう際、別れ難くする人を、身に着けて行ける物にしたいということは、思いつきやすいことで、例歌の多いものである。「紅の花にしあらば」は、女の美しさを暗示しうるもので、若い女に対しては適切な思いつきである。これも上の歌とは関係のないものである。「玉の緒の絶えて別れば」を、遠い旅立ちとし、強いて番わせたものである。
 
     右二首
 
     譬喩
 
【標目】 この部立は、すでに巻三、七、十に出ており、また、後の巻十三、十四にも出て来る。物に寄せて思を陳ぶる歌よりも、譬喩の意の濃厚な物として抽き出した物であるが、既成の歌に後より分類を加えたものであるから、その境界は勢い曖昧とならざるを得ない。「譬喩」の部に加えられてはいるが、その程度の低いものと、「物に寄せて」の歌の譬喩の程度の高いものとは、全く差別が付けられないのである。中には、一見譬喩のごとく見え、その実それでないものさえあって、ある程度の混雑をもったものである。資料とした本にこのようになっていたところから、それにそのまま従ったのであろう。
 
2828 紅《くれなゐ》の 濃染《こぞめ》の衣《きぬ》を 下《した》に著《き》ば 人《ひと》の見《み》らくに にほひ出《い》でむかも
    紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寶比將出鴨
 
【語釈】 ○紅の濃染の衣を 紅色の色濃く染めた衣を。○下に著ば 下着として着たならば。○人の見らくに 「見らく」は、見るの名詞形。○にほひ出でむかも 色の現われ出すであろうかで、下着の色が上着をとおして、それと目に着こうかの意で、「かも」は、疑問。
(256)【釈】 紅色の濃く染めた衣を下着として着たならば、人の見るに、上着を透いて現われ出すであろうかなあ。
【評】 「紅の濃染の衣」は、美しい女の譬。「下に著ば」は、ひそかに妻とする譬。「にほひ出でむかも」は、わが様子に現われようかの譬である。全部が隠喩になっており、語は美しく、調べも豊かさのある歌である。
 
2829 衣《ころも》しも 多《おほ》くあらなむ 取《と》り易《か》へて 著《き》なばや君《きみ》が 面忘《おもわす》れたらむ
    衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
 
【語釈】 ○衣しも多くあらなむ 衣こそ多くありたいものである。「なむ」は、未然形に接して、希望をあらわす終助詞。○取り易へて著なばや 取りかえて別の衣を着たならばで、「や」は、疑問の係。○君が面忘れたらむ 君の面忘れをしていられようか。「面忘れ」は、顔を忘れる意で、恋の苦しさを忘れたいの意。
【釈】 衣こそ多くありたいものである。取りかえて着たならば、君の面忘れをしていられようか。
【評】 夫に対する恋に悩んでいる女の歌で、衣を取り変えて新しいものを着ると、気分が変わって来る体験から、それを頻繁にしたら、今の気分が一変して、目の前に現われて来る君の面影を忘れていられようかというのである。女性に特有の感性に立っての歌で、珍しい歌である。この歌にはどこにも譬喩の意がない。
 
     右の二首は、衣に寄せて思を喩《たと》ふ。
      右二首、寄v衣喩v思。
 
2830 梓弓《あづさゆみ》 弓束《ゆづか》巻《ま》き易《か》へ 中見《なかみ》さし 更《さら》に引《ひ》くとも 君《きみ》がまにまに
    梓弓 々束卷易 中見刺 更雖引 君之隨意
 
【語釈】 ○梓弓弓束巻き易へ 「弓束」は、弓の握りの称で、その部分は革で巻いてある。「巻き易へ」は、今までの古い革を棄て、新しい革に巻きかえる意。○中見さし 原文「中見刺」、諸注、訓み難くして、じつにさまざまの訓を試みている。いかなることをいっているのか解せられないために、前後の関係から意味を模索しているためである。『全註釈』は最も肯いうる解を、疑いを残して下している。「中見」は、弓に矢を番え(257)る時に目印とする印の称で、「さし」は、その印をつける意であろうというのである。これは根拠となりうるかとみえる考証の伴ったものである。二、三句は弓を修繕する意。○更に引くとも 改めてその弓を引こうとも。
【釈】 梓弓の束を巻きかえ、中見をつけかえて、改めて引こうとも、君の心のままになろう。
【評】 女の歌で、一旦人の妻となっていたが、その人と絶縁をし、他の人の妻となろうとする時の心である。「梓弓」は自身の譬、「弓束巻き易へ中身さし」は、別人となっての皆である。「中見さし」は疑問のある語であるが、中見は修繕する部分の称で、弓束についでの物であるから、さしたる誤りはない解であろう。弓が生活に離れなかった時代の譬喩であって、当時としてはきわめて親しい語であったろう。
 
     右の一首は、弓に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v弓喩v思。
 
2831 みさご居《ゐ》る 渚《す》に坐《ゐ》る船《ふね》の 夕潮《ゆふしほ》を 待《ま》つらむよりは 吾《われ》こそ益《まさ》れ
    水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 將待從者 吾社益
 
【語釈】 ○みさご居る渚に坐る船の 「みさご」は、上の(二七三九)に出た。魚類を食とする鳥。「みさご居る」は、渚の状態。「渚」は、海や川の水の上に浅く現われている地の称で、「坐る船」は、そこに擱坐して動けなくなっている船。○夕潮を待つらむよりは 「夕潮」は、夕刻の満潮で、それを待って上の船を漕ぎ出そうとしている意。○吾こそ益れ 我の君を待つことのほうが増さっていることだ。
【釈】 みさごの居る渚に擱坐している船が、夕潮の満ちて来るのを待つよりも、我の君を待つことのほうが増さっていることだ。
【評】 女の歌で、渚に擱坐して満潮を待つ船を、自身の夫を待つのに対比しているので、説明気分が強く働いているために、譬喩の様式にはなりかねる趣のある歌である。海べの歌で、謡い物であったろう。
 
     右の一首は、船に寄せて思を瑜ふ。
      右一首、寄v船喩v思。
 
(258)2832 山河《やまがは》に 筌《うへ》を伏《ふ》せおきて 守《も》りあへず 年《とし》の八歳《やとせ》を 吾《わ》が竊《ぬす》まひし
    山河尓 筌乎伏而 不肯盛 年之八歳乎 吾竊※[人偏+舞]師
 
【語釈】 ○山河に筌を伏せおきて 「筌」は、今、うけと呼んでいる漁具で、竹を筒形に編み、尻を括った物で、山河の流れをせいて狭くした所、または水の落ち口に仕掛け、魚が流れ入るのを捕るもの。「伏せおきて」は、旧訓。「おき」は、読み添え。○守りあへず 番をしきれずしてで、筌の持主が油断をして。○年の八歳を吾が竊まひし 「年の八歳」は、多くの年。「竊まふ」は、盗むの連続。「し」は、「き」の連体形で、魚を盗みつづけたことだ。
【釈】 山河に人が筌を伏せて置いて、かかった魚の番をしきれずに、何年もの間、われに盗み続けられたことである。
【評】 筌は娘の母、魚は娘で、「竊まひし」は忍んで通った譬喩で、一首全体が隠喩となっている。山村の謡い物であったとみえる。隠喩にはしているが、心はあらわで、そこの絡み合いが興味であったろう。
 
     右の一首は、魚に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v魚喩v思。
 
2833 葦鴨《あしがも》の 多集《すだ》く池水《いけみづ》 溢《あふ》るとも 儲溝《まけみぞ》の方《へ》に 吾《われ》越《こ》えめやも
    葦鴨之 多集池水 雖溢 儲溝方尓 吾將越八方
 
【語釈】 ○葦鴨の多集く池水 「葦鴨」は、鴨は葦のある水辺にいるところからの称で、葦鶴と同じ。「多集く」は、多く集まる意。○儲溝の方に 「儲溝」は、設けてある溝で、池水が溢れると堤を害うので、水をはけさせる設備。 ○吾越えめやも われは越えては行こうか、行かないで、「や」は、反語。
【釈】 葦鴨の多く集まっている池の水の、たとえ溢れようとも、そうした場合のはけ口である儲溝のほうへ、われは越えて行こうか行きはしない。
【評】 秘密な恋をしている男の歌である。「池水」を自身に、「溢る」を思いの余ることに、「儲溝の方に吾越え」は、おのず(259)から表面に現われることの譬喩で、あくまでも秘密を守りおおせようと、自身を抑制している心である。すべてを譬喩にしていながら、最後に「吾越えめやも」と、吾をいっているのは底を割ったもので破綻である。事象に捉われすぎていて、気分化が足りないために、一首が散漫の感のあるものとなり、すっきりしない。
 
     右の一首は、水に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v水喩v思。
 
2834 大和《やまと》の 室原《むろふ》の毛桃《けもも》 本《もと》繁《しげ》く 言《い》ひてしものを 成《な》らずは止《や》まじ
    日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止
 
【語釈】 ○大和の室原の毛桃 「室原」は、今の奈良県宇陀郡室生村地方(ほかに磯城郡田原本町唐古説、御所市室とする説もある)。「毛桃」は、果皮に毛の多い桃。室原をいうに「大和の」を冠しているのは、その地を力強くいおうとしてのことと取れる。こうした言い方はほかにも用例がある。○本繁く 幹が繁く。毛桃の木は枝を多く出すところから、「多く」の譬喩としたもの。○言ひてしものを 言い寄ったのに。○成らずは止まじ 「成る」は、事の成立する意で、夫婦関係とならなければ止やまい。「成る」は、毛桃にも縁語ともなっている。
【釈】 大和の室原の毛桃の木の、幹が繁くあるように繁くも言い寄ったのに、関係を成り立たせなければやめまい。
【評】 男が求婚をして、女が承諾しないので、自身を励まして必ず遂げようとする、類歌の多いものである。恋の成るを毛桃に譬えている。「大和の室原の毛桃」は、相手が室原の女で、男はよその者であったからで、「大和の」は女に対する感を強めるために冠させたものと取れる。この譬喩は例の多いものである。
 
     右の一首は、菓《このみ》に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v菓喩v思。
 
2835 真葛《まくず》はふ 小野《をの》の浅茅《あさぢ》を 心《こころ》ゆも 人《ひと》引《ひ》かめやも 吾《われ》無《な》けなくに
(260)    眞葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國
 
【語釈】 ○真葛はふ小野の浅茅を 「真葛はふ」は、「真」は、美称。葛の這っているで、野の枕詞。「小野」の「小」は、接頭語。○心ゆも人引かめやも 「心ゆも」は、心から。「人引かめやも」は、「引かめ」は、旧訓で、『略解』は、浅茅は刈る物で引くものではないから、誤写だろうとして改めている。今は旧訓に従う。他人がわが物として引こうか、引きはしない。○吾無けなくに われという者が無いではないことなのにで、打消を二つ重ねて強くいったもの。
【釈】 葛の這っている野の浅茅を、心から他人が引こうか引きはしない。われという者が無いではないのに。
【評】 部落に住んでいる男が、美しい女と関係を結んで、他人に奪われるようなことがありはしないかと不安に感じつつ、それを強く打消している心である。強い語の裏に心弱さをもっている、陰影のある心である。浅茅を女に譬え、「真葛はふ小野の」で、その女の美しさを暗示している。全体に整っている歌で、それとしては「引かめ」が変である。謡い物となっていて、謡う時に「真葛」に引かれて謡い誤ったのを、そのまま筆録したというようなこともありうることである。とにかく原形ではなかったろう。
 
2836 三島菅《みしますげ》 いまだ苗《なへ》なり 時《とき》待《ま》たば 著《き》ずやなりなむ 三島菅笠《みしますががさ》
    三嶋菅 未苗在 時待者 不著也將成 三嶋菅笠
 
【語釈】 ○三島菅いまだ苗なり 「三島菅」は、「三島」は、巻七(一三四八)に出た。高槻市南部。「いまだ苗なり」は、笠の編み料にはならな(261)い意。○時待たば著ずやなりなむ 「時待たば」は、下の菅笠の材料にする時を待っていたならば。「著ずやなりなむ」は、わが笠としてかぶらなくなるであろうかで、「や」は、疑問の係。○三島菅笠 三島の名産の菅笠としての称。詠嘆をもってのもの。
【釈】 三島の菅は、まだ苗である。笠の材料となる時を待っていたならば、笠としてかぶらなくなるであろうか。その三島菅笠よ。
【評】 三島の少女に心を寄せた歌である。菅を女に、笠を妻に譬えるのは、一般化したことで、これもそれである。一首、調べが明るく、華やかで、著しく躍動をもっている。三島地方で謡われていたものとみえる。
 
2837 み吉野《よしの》の 水隈《みぐま》が菅《すげ》を 編《あ》まなくに 刈《か》りのみ刈《か》りて 乱《みだ》りなむとや
    三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 將乱跡也
 
【語釈】 ○み吉野の水隈が菅を 「み吉野」は、吉野川。「水隈」は、河隈というに同じく、川の屈折して隈となっているところの称。○編まなくに 「編む」は、薦に編む意。笠は縫うとのみいっている。編んで薦としないことであるのに。○刈りのみ刈りて乱りなむとや 「刈りのみ刈りて」は、ただ刈ったのみでで、我が物としただけの譬。「乱りなむとや」は、「乱り」は、ここは四段活用で、他動詞。「や」は、疑問の係で、下に「する」が略されている。乱して置こうとするのであるか。刈り取った菅は乱れやすいもので、打ち捨てて置く意。
【釈】 吉野川の河隈の菅を、編んで薦としないことであるのに、刈るだけ刈って、乱して置こうとするのであるか。
【評】 婚約をしたのみで、妻とされない女の嘆きである。「菅」は女、「編む」は妻とする譬喩である。「吉野の水隈」は女の住地である。全部譬喩にはなっているが、説明的気分が働きすぎているので、底の浅いものとなっている。しかし行き届いた、無理のない歌である。吉野川の渓谷の謡い物であったろう。
 
2838 河上《かはかみ》に 洗《あら》ふ若菜《わかな》の 流《なが》れ来《き》て 妹《いも》があたりの 瀬《せ》にこそ寄《よ》らめ
    河上尓 洗若菜之 流來而 妹之當乃 瀬社因目
 
【語釈】 ○河上に洗ふ若菜の 「河上」は、ここは上流の意。「若菜」は、男が自身を譬えたもの。○流れ来て 「来て」は、現在の「行きて」というにあたる。妹を中心としていっているのである。○妹があたりの瀬にこそ寄らめ 「妹があたり」は妹がいる辺り。「瀬」は、その川は妹の家(262)の傍らをも流れているのである。
【釈】 上流で洗っている若菜のように流れて来て、妹の家の辺りの瀬に寄ろう。
【評】 男の家も女の家も一つ河に臨んで立っており、男の家は上流のほうにある。男はその河を流れて行く若菜を見て、それに自身を連想し、我もそのように流れて行って、妹が家の辺りの瀬に寄ろうというのである。「若菜」は譬喩ではあるが、それを目に見ることによって自身を連想したもので、意識して用いているものではなく、むしろ譬喩以前のものである。しかし一首全体が、その気分に引かれて、譬喩的気分のものとなっている。部落生活の気分の濃い、可隣な歌である。
 
     右の四首は、草に寄せて思を喩ふ。
      右四首、寄v草喩v思。
 
2839 かくしてや 猶《なほ》や守《まも》らむ 大荒木《おほあらき》の 浮田《うきた》の社《もり》の 標《しめ》にあらなくに
    如是爲哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓
 
【語釈】 ○かくしてや猶や守らむ このようにしてなおこの上とも番をしているのであろうか。「や」は、疑問の係で、それを二つ重ねて強めたもの。男が番をするのは、片恋をさせている女である。○大荒木の浮田の社の標にあらなくに 「大荒木の浮田の社」は、奈良県五条市今井にある荒木神社だという。社は、古くは社は杜だったのである。「標」は、標繩で、社の神聖を冒させないもので、社を守っている物。我はそれではないことであるのに。
【釈】 このようにして、なおこの上ともその人を見守っているのであろうか。我は大荒木の浮田の杜の標繩ではないことであるのに。
【評】 初恋の女を、甲斐なく見守り続けている嘆きをいっているもので、例の多いものである。標をいうのに、「大荒木の浮田の社」を挙げている。その地方の歌であったゆえと取れる。巻七(一三四九)「かくしてやなほや老いなむみ雪零る大荒木野の小竹にあらなくに」があり、それと関係の深い歌である。先後はわからぬが、今の歌のほうが先のものかと思われる。「標」を譬喩としているのみの歌である。
 
(263)     右の一首は、標に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v標喩v思。
 
2840 幾多《いくばく》も 零《ふ》らぬ雨《あめ》ゆゑ 吾《わ》が背子《せこ》が 御名《みな》の幾許《ここだく》 滝《たぎ》もとどろに
    幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二
 
【語釈】 ○幾多も零らぬ雨ゆゑ どれほども降らない雨だのに。○御名の幾許 「御名」は、「御」は、美称。「幾許」は、甚しくの意の副詞。○滝もとどろに 「滝」は、激流。「とどろに」は、轟くほどにありの意。雨で、水嵩が増した意。
【釈】 どれほども降らない雨だのに、わが背子の御名は甚しく立って、激流の轟くようである。
【評】 秘密にしていた男女関係の早くも漏れて言い騒がれるのを、女の悲しんだ心である。悲しむのは、恋そのもののためではなく、男の面目に対してである。信仰が後退して、代わりに面目のほうが前進している心である。「幾多も零らぬ雨ゆゑ」「滝もとどろに」は、山間の渓流に限られたことであるから、山村の謡い物であったろう。雨と滝とを譬喩とはしているが、中間に本義を挾んだ、平明を主とした歌である。
 
     右の一首は、滝に寄せて思を喩ふ。
      右一首、寄v瀧喩v思。