林宗甫、和州舊跡幽考(国書データベース)、引用和歌の部分は間違いと思われるものが時々ある、〔〕に正しいものをいれたのもあるが、煩雑な場合はそのままにした。〕

 

(262コマ)和州舊跡幽考目録
   第十一卷芳野郡
吉野《よしの》山

金御嶽《かねのみだけ》

青垣《あをかき》山

耳我嶺《みゝかのみね》

芳野《よしの》川

大臺原《おほだいがはら》

宮《みや》川

投地蔵堂《なげじざうだう》

南帝王《なんていわうの》社

蜻蛉小野《かげろふのをの》

蜻小野《かたちのをの》

秋津野《あきつの》

吉野皇居《よしのくはうきよ》

瀧御門《たきのみかど》

玉水瀧宮古《たまみづたきのみやこ》

瀧浦《たきのうら》

(263コマ)多藝津河内《たきつかうち》

遊副《ゆふ》川

三舩《みふね》山

西川瀧《にじかうのたき》

夏箕《なつみ》川

吉魚張《ふなはり》

浪柴野《なみしばの》

司馬野《しばの》

宮瀧《みやだき》 付 岩飛《いはとびの》事

清川原《きよかはら》

日晩野《ひぐらしの》

妹背《いもさえ》山

象小川《きさのをがは》

桜木宮《さくらぎのみや》

象《きさ》山

猪養《ゐがひ》山

本善寺《ほんせんじ》

六田淀《むつだのよど》

雙墓《ふたつつか》
今|來《き》寺 付 一|木桜《きのさくら》

四手掛《しでかけの》社

水|分《わけ》山

比蘓《ひそ》寺 付 再興《さいこうの》事

松山御|茶屋《ちやや》

千本桜 付 桜|苗賣《なへうりの》事○山(の)花|園《その》○谷《たにの》桜田○隱松《かくれまつ》○山(の)井(の)事

藤尾坂《ふぢおざか》

金(の)鳥居《とりゐ》

藏王堂《ざうわうだう》

四本《よもとの》桜

威徳天神《いとくてんじんの》社 付 狛犬《こまいぬ》啖合《かみあふ》事○塔成就《たうじやうじゆの》事

金御嶽《かねのみだけ》

實城寺《じつじやうじ》 付 茶入《ちやいれの》事

朝原《あさはら》

吉水《よしみづ》院

左抛《さなぎ》明神(の)社

勝手《かつて》明神(の)社

(264コマ)袖振《そでふり》山

如意輪寺《によいりんじ》

後醍醐《ごたいごの》天皇(の)陵《みさゞき》

椿山寺《ちんせんじ》

布引桜《ぬのびきざくら》

夢違《ゆめちがひの》觀音

瀧桜《たきざくら》

雲井桜《くもゐざくら》

中院谷

世尊寺《せそんじ》 付 樟木像《くすのきのざう》○鐘銘《かねのめい》○霊鷲山《れうじゆせん》○人丸(の)墳《つかの》事
子守《こもり》明神(の)社

御子守《みこもりの》神

高筭《かうざん》上人|遺像堂《ゆいざうだう》 付 花供懺法《はなくせんぼうの》事

高|城《き》山

躑躅岡《つつじのをか》

遙《はるかの》谷

岩倉《いはくらの》谷

金情《きんしやう》大明神

安禅寺《あんぜんじ》

青根我峯《あをねがみね》

苔清水《こけしみづ》 付 西行桜(の)事

薊嶽《あざみのだけ》 付 良筭《れうざん》上人(の)事

海峯寺《かいほうじ》 付 廣恩法師《くはうをんほうしの》事

堂源寺《だうげんじ》

蟻門渡《ありのとわたり》

天《あまの》川

率都婆《そとは》

山上《さんじやう》 付 鐘銘《かねのめいの》事

小篠《をさゝ》

篠宿《さゝのしゆく》

小池(の)宿《しゆく》

へいぢの宿《しゆく》

古屋宿《ふるやのしゆく》

姨捨峯《おばすてのみね》

(265コマ)千種嶽《ちくさのだけ》

東屋峯《あづまやのみね》

屏風立《びやうぶたて》

行者歸《ぎやうじやかへり》

児留《ちうごどまり》

三|重瀧《じうのたき》

轉法輪嵩《てんぼうりんのだけ》

釈迦嶽《しやかのだけ》

神仙《じんせん》

笙窟《しやうのいはや》 付 日藏《にちざう》上人

大峯《おほみね》

天野《てんの》川|白飯寺《はくはんじ》 付 業平朝臣入定《なりひらのあそんにうでうの》事

丹生《にう》山

丹生《にふの》社

天野丹生《あまのにうの》神

國樔《くず》 付 國樔翁《くずのおきなの》事

賀名生《かなふ》

銀嵩《かねがだけ》

十津《とつ》川 付 温泉《いでゆの》事

湯原《ゆはら》

泉杣《いつみのそま》

龍門寺《りうもんじ》

弓弦葉三井《ゆづるはのみゐ》

安騎野《あきのの》

東野《あづまの》

御垣原《みかきのはら》

大峯開基《おほみねかいき》 付 役小角《えんのせうかくの》事

延喜式神名帳《えんぎしきじんみやうちやう》

 

(265コマ)和州舊跡幽考第十一卷
    吉野《よしの》郡

西南は紀伊《きいの》國をさかひとし東《ひかし》は伊勢《いせの》國につゝく凡大和一ケ國は三つが二つ此郡なり
    吉野《よしの》山
芳野《よしの》山は七|高《かう》山の其一つなり【拾芥抄】あるひは金御嶽《かねがみだけ》又は金峯山《きんぶせん》又は国軸《こくぢく》山ともいへり抑《そも/\》吉野《よしの》山は日藏《にちざう》上人の傳《でん》には天竺《てんぢく》佛生國《ぶつしやうこく》のたつみ闕《かけ》ながら飛《とび》來りて此山となる《袖中抄》又もろこしの五|臺《だい》山の岸《きし》の端《はし》かけて雲にのりて飛《とび》來るともいへり江《えの》中|納言《なごん》のみだけの御塔《みだう》の御|願文《ぐはんもん》にもかくとこそ記《しる》され(267コマ)たれ又|貞崇禅師《ていしゆぜんし》はもろこしに金峯山《きんぶせん》とて金剛藏王菩薩《こんがうざうわうぼさつ》の住《すみ》おはせし山あり其山|日本國《につほんごく》に飛《とび》來りて金峯山《きんぶせん》となるといへり【袖中抄】

▲貞觀《ぢやうぐはん》元年の秋|螟螣《おほゐむし》といふ虫《むし》五穀《ごこく》をくひやぶる事たとへていふにもたらずしかあれば藤原朝臣山蔭《ふぢはらのあそんやまがけ》滋岳朝臣川人《しげをかのあそんかはうど》等《とう》宣旨《せんじ》をうけ給りてかの虫《むし》をはらひやるまつりをなすかの祭礼《さいれい》は清浄《しやうじやう》の地《ち》をえらぶの旧例《きうれい》なれば芳野郡《よしのこほり》の高山《かうざん》にして是ををこなへり同五年二月にも芳野郡《よしののこほり》高山《かうざん》にして祭《まつる》よし三代|実録《じつろく》に見えたり
万葉 三芳野《みよしの》の山下風の|寒《さむ》けくに爲當《はた》や今宵《こよひ》も我|獨《ひとり》ねん

信明歌集 行年《ゆくとし》の越《こえ》ては過《すぎ》ぬ吉野山いく万代《よろづよ》のつもりなるらん

忠見歌集 霞たつ吉野の山を越くれば麓《ふもと》は春のとまり也けり

堀川二郎 花と見て尋きつれば吉野山人ばかりなる峯のしら雲 大進

同 みつきもの君が御代には吉野山よし心見よ絶やしけると 忠房

遠嶋御歌合 山城のみづ野のまこもかり初《そめ》に御吉野の山を戀わたる哉 基家

建仁元年八月十五夜哥合 芳野山すゝ〔篠《すず》か〕吹みだる秋風にたれしのべとて有明の月 宮内卿

新撰和歌集 冬の夜は消《きゆ》るにしるしみよしのゝ山の初《はつ》雪今ぞふるらし 御製

後京極百番歌合 春は皆同し桜に成|果《はて》て雲こそなけれみよしのゝ山

拾玉 いかにして二《ふた》つの山に家居《いゑゐ》せむ春は三吉野秋はをばすて 慈鎭

同 人のすむやまとは花の国なれや三吉野の山をはつせの山 

壬二 ふじのねも匂ひはあらし吉野山花の盛《さかり》につもるしら雪

山家 木の下のたびねをすれば吉野山はなのふすまをきする春風 西行

寂然集 吉野山花咲ぬれはあちきなく心にかゝる峯のしら雲

(268コマ)北院御室御集 吉野山うき世の外にのがれ來て中/\花に心とめつる

    金御嶽《かねのみたけ》

御《み》かねが嵩《だけ》又こかねの峯《みね》又|御《み》たけなどともよめり源氏《けんじ》物かたりにみだけさうしともかけり

金峯山《きんぶせん》は皆《みな》黄金《わうごん》なり慈尊出世《じそんしゆつせ》の時|閻浮提《えんぶだい》の地《ち》にのへ敷《しき》なんとて藏王權現《ざうわうごんげん》のまもらせ給ふと也【拾介抄】むかし宮古《みやこ》の七|条《でう》にはくうちありみたけにまうでゝかなくづれを行《ゆき》て見れは金《こかね》のやうにてありけりいとうれしくて袖《そで》につゝみて家《いゑ》にかへりはくにうちぬる程《ほど》に七八千まひにぞなりける其|比《ころ》検非違使《けびいし》なる人東大寺の佛つくらむとておほくのはくをもとめけるありそれがもとに行《ゆき》てかのはくを賣《うり》けりかぞへなんとてひろげぬれば細字《さいじ》にて金嶽《かねがだけ》/\とこと/”\くにかきつけたりいかなる事にかあなるとて帝《みかど》に奏《そう》しけれははくうちをめしてせめごうしてとはせ給へばしか/\とこたふわづかに十日ばかりありてぞ死《し》ける薄《はく》は金峯《きんぶ》山にぞ返《かへ》し給ひけりとなり【宇治拾遺】されば又|聖武《しやうむ》天皇の御宇に良弁僧正《らうべんそうじやう》此山の金《こがね》を得なんと金剛藏王《こんがうざわう》にいのられしかども神《かみ》是をゆるし給はずと釈書《しやくしよ》に見えたり

万葉 三吉野《みよしの》の御金嵩《みかねがだけ》にひまなくぞ雨はふるといふ時なくぞ雪はふるといふ 末畧

方与集 朝もよひ紀《き》の川上を見渡《みわた》せば金御嶽《かねがみだけ》に雪ふりにけり 顕昭

(269コマ)夫木 神のますこがねの峯はのりときし鷲《わし》のみやまの跡《あと》とこそきけ 信實

    青垣《あをかき》山

さして所をいふへきにあらず或《ある》人よし野山の異名《いみやう》ともいへりとなん
万葉 安見知之《やすみしし》我《わが》大君の神ながら神さびせすと芳野《よしの》川|瀧津河内《たきつかうち》に高殿《たかどの》をたがしりましてのぼりたち國見《くにみ》をすればたゝなはる青垣《あをかき》山の山神のまつる御調《みつき》と春べには花かざしもち秋たてば紅葉《もみぢ》かざせりゆふかわの神も大御食《おほみけ》につかへまつると上瀬《かみつせ》に鵜《う》川をたてゝ下瀬《しもつせ》に小網《さで》さしわたし山川もよりてつかふる神の御代《みよ》かも
  反歌
同 山川もよりてつかふる神ながら瀧津河内《たきつかうち》に舩出《ふなで》するかも
同 たゝ名つく青垣《あをかき》山のへだつればしば/\君をこととはぬかも
同 吉野の宮は立名《たゝな》つく青垣《あをかき》隱《こもり》河《かは》なみの清《きよ》き河内《かうち》ぞ
    耳我嶺《みゝかのみね》
  或《ある》人(の)曰(く)芳野《よしの》の山の異名《いみやう》也|八雲御抄《やくもみせう》に吉野《よしの》にちかきと云もしほ草に又中山ともいふとあり
同 三芳野《みよしの》の耳我嶺《みゝかのみね》に時なくぞ雪はふりけるひまなくぞ 清見原天皇
    吉野川
同 八雲刺《やくもたつ》出雲《いつも》の子|等《ら》が黒《くろ》かみは芳野《よしの》の川の沖《おき》になづそふ
同 我せこが犢鼻《たうさき》にするつぶれ石の吉野の川に氷魚《ひを》そかゝれるは
元真家集 吉野川おろす筏《いかだ》の折ごとに思ひもよらず波の心を
  芳野川の河上は大臺《おほだい》が原といふ所也(207コマ)北山に越行《こえゆく》道の姨《をば》が峯《みね》といふなる所のはるかの左の方にして見《み》わたしにもおよぶ所にあらずまして人の通《かよ》ふ所にもあらず只《たゞ》いとひろく葎《むぐら》荻《おぎ》などの高くしげり藤かづらはひおほひて浅沢《あささは》などやうの水ありその中にいとふかくて巴《ともゑ》か渕《ふち》などといふ所ありとかや風だにふけばそのしげりの露《つゆ》落つもりて川の水累《みかさ》をなし北よりふけば熊野《くまの》川の水をまし西よりふけば伊勢《いせ》の宮《みや》川のなかれをそへ東よりふけば芳野《よしの》川の水かさめりとなり
    大臺原《おほだいがはら》
未勘 吉野川その水上《みなかみ》を尋《たづ》ぬればむぐらの雫《しづく》荻《おぎ》の下露
    宮《みや》川
山家集 瀧《たき》おつる吉野の奥の宮《みや》川のむかしを見けん跡《あと》したはばや 西行
  吉野《よしの》川はみなもと大臺原《おほだいがはら》より出て|塩《しほ》の葉《は》村にきたりてはながれいとほそし此ゆへに俗《ぞく》かの兩村を芳野《よしの》川のみなもとゝいへりあやまりなるべし塩《しほ》の葉《は》村より西にながれ西川《にしかう》の瀧《たき》にて北にまがり宮瀧《みやたき》より猶西に落《おち》て末《すゑ》は紀伊《きい》の海《うみ》に入るなり
和田《わだ》村より東《ひがし》の川の北に川上の投地藏《なげぢざう》といふあり
  投地藏堂《なげぢざうだう》
(271コマ)抑《そも/\》投地藏尊《なげぢざうそん》は役優婆塞《えんのうばそく》濟度利生《さいどりしやう》のために金峯山《きんぶせん》に一千日|籠《こも》りて生身《しやうじん》の薩埵《さつた》をいのり給ひしにまづ地藏菩薩《じざうぼさつ》の形《かたち》にて地より湧出《ゆじゆつ》し給ひたりしを優婆塞《うばそく》の心に柔和《にうわ》忍辱《にんにく》の御かたちにてすゑの世の衆生《しゆじやう》いかでか利益《りやく》かなふべしやとて菩薩《じざう》を掌《たなごゝろ》にとりてなげられければ此所にとゞまらせ給ふと所につたへていへり又の説《せつ》あり此時|湧出《ゆじゆつ》の地藏尊《じざうそん》は優婆塞《うばそく》の心にかなはざれば伯耆《ほうきの》國大山へ飛《とび》さり給ふよし太平記に見えたり
  此南に菊《きく》の岩屋《いはや》あり古詠《こゑい》をもとめえず聖天《しやうでん》の岩屋《いはや》あり投地藏堂《なげぢざうだう》のほとりに南帝王《なんていわう》の社《やしろ》あり
    南帝王《なんていわう》の社
當社《たうしや》は後醍醐《ごだいこの》天皇第七(の)宮にぞおはします芳野《よしの》小瀬《こせ》村といふなる所にて崩御《ほうぎよ》なり給ふそこの龍川寺《りうせんじ》に御|位牌《ゐはい》あり白天王正聖佛《はくてんわうしやうじやうぶつ》とえりたり崩御《ほうぎよ》の時の御|製《せい》とて此寺にいひたつへたり
 のがれきて身《み》を奥《おく》山の柴《しば》の戸に月も心にあはせてぞすむ
    此ほとりに清明《せいめい》が瀧《たき》といふあり是は蜻蛉《せいれい》が瀧《たき》といふなるべきをあやまれるとおぼえ侍る猶おもふに蜻螟《せいめい》もおなじ虫《むし》なれば文字《もんじ》をたがへきたりて清明《せいめい》が瀧《たき》とかけるにや蜻蛉《かげろふ》の小野《をの》は大和国と類字名(272コマ)所集《るいじめいしよしう》にあり
新後撰 しられじを霞にこめてかげろふの小野《をの》の若草《わかくさ》下にもゆとも 爲家
草庵集 をとにたてゝはやふけにけりかげろふの小野の秋津の秋の初風 頓阿
  かけろふの小野《をの》又かたちの岡《をか》又かたちの小野又あきつの野辺《のべ》などゝもよめり
    蜻小野《かたちのをの》
万葉 三芳野《みよしの》の蜻《かたち》の小野にかるかやのおもひみたれてぬるよしもかな
堀川太郎 三芳野のかたちの岡《をか》の女郎花《をみなへし》たはれて露に心をかる哉 俊頼
  顕昭《けんせうの》曰(く)蜻《かげろふ》をばあきつと讀《よむ》なり然るにあきつの小野《をの》とよみぬべきをかたちの小野とはかた/\そのいはれなしあきつとは蜻《とんばう》なり
    秋津野《あきつの》
  芳野《よしの》の宮《みや》に行幸《みゆき》の時|柿本朝臣《かきのもとのあそん》人|麿《まろ》
万葉 吉野の国の花|散相《ちらふ》秋津《あきつ》の野邊《のべ》に宮《みや》ばしらふとしきませば百敷《もゝしき》の大宮《おほみや》人は舟なべて朝川わたり舩きほひ夕川わたり此川の絶《たゆ》る事なく此山の弥《いや》髙良之《たかからし》珠水《たまみづ》の激瀧《たき》の宮古《みやこ》は見れどあかぬかも
万葉 芳野の飽津《あきつ》の小野《をの》の野上には 畧

同 三芳野の秋津の《あきつ》川の万世《よろづよ》にたゆる事なく又かへり見ん
  詞林採葉《しりんさいえうに》曰(く)蜻《かけろふ》の小野《をの》かげろふの小野《をの》かたちの小野《をの》三|訓《くん》なり然而|秋津《あきつ》の小野《をの》といふべき歟其|拠《しやう》は日本紀にありと見えたり
抑《そも/\》秋津《あきつ》の小野《をの》は雄畧《ゆうりやく》天皇四年よし野の宮(273コマ)に行幸《みゆき》なり給ひて川上の小野にして狩人《かりうど》にからしめ給ひみづからも射《い》給ひなんと待給ふに虻《あぶ》飛《とび》來りて天皇の臂《たゞむき》をくらひしかばたち所に蜻蛉《あきつ》飛《とび》來りて虻《あぶ》をくらひて飛さりき天皇いとよろこばせおはしまして群臣《くんしん》に勅《ちよく》して蜻蛉《あきつ》をほめてうたよめとおほせ給ひしかどもよみて奉る人なし天皇御口すさびに

 さはまつと【狹猪待也】わがたゝせる【我立也】たくふらに【竹原也】あぶかきつく【虻來來也】そのあぶを【其虻也】あきつ羽《は》のくひ【蜻蛉囓也】はふむしも【昆虫也】おほきみに【大君也】まつらふ【謂v仕也】ながかたち【名形也】をかん【置也】あきつやまと【秋津嶋大和也】よみ給ひて蜻蛉《あきつ》をほめさせ給ひてより爰の地を蜻蛉《あきつ》とぞ名《な》づけける

此|歌《うた》おほく前畧《ぜんりやく》してあらはす日本紀にくはしくあり細字《さいじ》は釈《しやく》日本紀によれるものなり
    吉野皇居《よしのゝくはうきよ》
  此|跡《あと》秋津《あきつ》の小野のほとりなるべし秋津の宮とよめり

芳野《よしの》の宮《みや》いづれの御|代《よ》に立給ひしにやしらず神武《じんむ》天皇|芦原中津國《あしはらなかつくに》をたいらげ給ひ河内《かはちの》国より射駒《いこま》山を越《こえ》なんとせさせ給ふに長髓彦《ながすねひこ》といふありけり櫛玉速日命《くしたまはやひのみこと》を君とたとへて天皇をふせぎ奉りしかば葛城《かづらき》を越《こし》紀(274コマ)伊伊《きいの》國を經《へ》て吉野に出させ給ひて御軍《みいくさ》をととのへ給ひし程《ほど》に行宮《かりみや》の定《さため》てありけるにや其後|代々《よよ》の御門《みかど》の皇居《くはうきよ》の有無《うむ》あきらかならず然《しかる》に應神《おうじん》天皇|芳野《よしの》の宮《みや》に行幸《みゆき》なり給ふには國栖《くず》人|三才《みき》を奉るとあり應神《おうじん》天皇|已前《いぜん》に吉野《よしの》の宮《みや》とてありける事|勿論《もちろん》なり又|大泊瀬《おほはつせの》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》あり又|皇極《くはうぎよく》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》なりて肆宴《とよのあかり》きこしめす又|清見原《きよみばらの》天皇吉野の宮に行幸《みゆき》おはしまして
万葉 よき人の芳野《よしの》のよくみてよしといひし吉野よくみてよき人と君 御製
又|元正《げんじやう》天皇|養老《やうらう》七年五月b吉野の離宮《りきう》に行幸《みゆき》の時|笠朝臣金村《かさのあそんかねむら》

同 美吉野《みよしの》の秋津《あきつ》の宮《みや》は神からや貴《たうと》からん国からか見まほしからん山川をさやけくすめりうへし神世《かみよ》ゆさだめけらしも
  反歌
同 山高み白木綿《しらゆふ》花におち瀧津《たきつ》瀧《たき》の川内《かうち》は見れどあかぬかも
万葉 神代より吉野の宮のありかよひたかくしれるは山川を
此両|首《しゆ》神世よりとよめり爰《こゝに》知《しり》ぬ神武《じんむ》天皇|畝火《うねひ》の柏原《かしはばらの》宮におはしゝ時かの吉野に離宮《りきう》をかまへて臨幸《りんかう》ありけるにより御代よりとは神武《じんむ》の御宇をさすなるべし葺不合尊《ふきあはせずのみこと》の第四の御子なれば神代とよめるもことはり(275コマ)にや【詞林採葉】
    瀧御門《たきのみかど》
  もし秋津《あきつ》の宮《みや》をよめるにやおもふに宮瀧《みやたき》は西にあり蜻螟《せいめい》が瀧《たき》は東にありかさねてあきらかにせらるへし
万葉 東《ひんかし》の瀧の御門《みかと》にさもらへど昨日《きのふ》もけふも召《めす》事もなし 舍人哥
同 一日には千度《ちたび》まいりし東《ひんかし》の瀧のみかどを入かてぬと〔か〕も 同
    玉水(の)瀧宮古《たきのみやこ》
  名寄歌《なよせうた》枕に大和是も秋津《あきつ》の宮にや
万葉 秋|津《つ》の野邊《のべの》宮ばしらふとしくませば 中畧 此山のいやたかからし玉水の瀧の宮古《みやこ》は見れどあかぬかも 人丸
夫木 今ははや冰も解《とけ》ぬ玉《たま》水の瀧《たき》の宮古は春めきぬらん 光朝
    瀧浦《たきのうら》
万葉 吉野川|河波《かはなみ》高《たか》し多寸能浦乎不視歟成嘗戀布真國《たきのうらをみずかなりなめこひしきまくに》
  もしほ草曰瀧の浦と宗祇《そうぎ》法師|注《ちう》たるものにあり名《めい》人のしたる事なれば不《ず》v及2是非《ぜひに》1從又無2不審《ふしん》1にもあらずもしは瀧の裏《うら》と云心歟と云々
    多藝津河内《たきつかうち》
  歌枕《うたまくら》に大和國と云々
万葉 吉野川|瀧津河内《たきつかうち》に高殿《たかどの》を高知《たかしり》ましてのぼりたち 人丸
夫木 三芳野の瀧津河内の春風に神代も聞《きか》ぬ色《いろ》ぞみなぎる 前中納言宰相
    遊副《ゆふ》河
  仙覺《せんがく》抄にいはくゆふ川吉野にある川の名《な》なりかし古には遊《ゆ》川といふ是同事か

(276コマ)万葉 山神のたつる御調《みつき》と春べには花かざしもち秋たてば紅葉《もみぢ》かざせり遊《ゆふ》川の神も大みけに仕《つか》へまつると上津瀬《かみつせ》に鵜《う》川をたてゝ下津瀬《しもつせ》には小網《さで》さしわたし山河もよりてつかふる神の御代かも
    三舩《みふね》山
  藏王堂《ざうわうだう》の鳥居《とりゐ》の東《ひかし》にみえたり
  芳野の離宮《りきう》に行幸《みゆき》ありし時
万葉 瀧のうへの三舩《みふね》山より秋津邊《あきつへ》にきなくわたるは誰喚児鳥《たれよぶこどり》
同 瀧のうへの三舩の山に居《ゐる》雲のつねにあらんとわがおもはなくに
    西川瀧《にじかうのたき》 付大川
  大瀧《おほたき》ともいふ万葉集におほく瀧の歌《うた》あり又大川などゝよめるも此ほとりにや顕注密勘《けんちうみつかん》にいはく大川のべとは芳野《よしの》川はおほきなればおほ川のべとよめるなり
万葉 大|瀧《たき》を過てなつみにそひてゐて清《きよき》河瀬《かはせ》を見るかさやけき
同 今敷はみめやとおもひし三芳野《みよしの》の大川|余杼《よど》をけふ見つるかも

千五百番歌合 三芳野の大川|野邊《のべ》の藤波《ふぢなみ》春もふかしと色に見すらん 家隆
  西川《にしかう》の瀧より佛《ほとけ》が峯《みね》といふ坂を過ぬればふもとに蝉《せみ》が瀧《たき》ながれ猶|行《ゆき》て樫尾《かしお》の茶屋《ちやや》それより三町ばかり過ぬれば夏箕《なつみ》川なり
    夏箕《なつみ》川
万葉 吉野なる夏實《なつみ》の川の河淀《かはよど》に鴨《かも》ぞ鳴《なく》なる山|陰《かけ》にして 湯原王
    吉魚張《ふなはり》
同 我宿《わがやど》の淺茅《あさぢ》色付《いろづく》吉魚張《ふなはり》の夏箕《なつみ》の上に時雨《しくれ》ふるらし
(277コマ)万葉 吉魚張《ふなばり》の夏身《なつみ》のうへの山を出て西《にし》をさしける月の影見ゆ 家持
    浪柴野《なみしばの》
万葉 我門《わがかど》の淺茅《あさぢ》色づく吉魚張《ふなはり》の波柴《なみしは》の野《の》の紅葉《もみぢ》ちるらし
夫木 ふなはりの浪柴野《なみしばのの》の秋風にはやくよ渡《わた》る月のさやけさ 定嗣
    司馬野《しばの》
  八雲《やくも》の御抄《みせう》藻塩《もしほ》草大和國と云々波柴野《なみしはの》同所なるべきか
万葉 國栖等《くにすら》が若菜《わかな》つむらん司馬《しば》の野《の》のしば/\君を思ふ比かな
    宮瀧《みやたき》
  りうもんにまいるとて
後撰集 宮の瀧むべも名《な》におひて聞《きこ》えけりおつる白淡《しらあは》の玉とひゞけば 法王御製
山家集 瀧をはやみ宮瀧《みやたき》川を渡《わた》り行《ゆけ》ば心の底《そこ》のすむ心地《こゝち》する 西行
新六帖 なにかその波はかくれど宮瀧や鵜《う》のゐる石のうへぞかくれぬ 行家
  爰に屏風|岩《いは》とていと高くそばだてるいはほあり銅錢《とうせん》百文をあたへぬればこの巖《いはほ》の頂上《ちやうじやう》よりそこしらぬ芳野《よしの》川に飛《とび》入なり吉野の岩飛《いはとび》といふは是にぞ侍る清河原《きよきかはら》此ほとりにや
    清川原《きよきかはら》
  澄月歌枕《てうげつうたまくらに》曰(く)清川原《きよきかはら》古詠《こゑい》不《す》v限《かきら》2芳野《よしのに》1不定《ふでう》一所の名《な》歟|先達歌枕《せんだつうたまくら》に以久木生《いくきおふ》清河原《きよきかはら》の歌(を)立(て)名所(と)いひ未勘國《みかんこく》と云々|今按《こんあん》是|就《つきて》2万葉集第九(の)歌(に)1吉野(ノ)篇《へん》に入v之とあり
万葉集第九 くるしくも暮行《くれゆく》日かも吉野川|清河原《きよきかはら》を見れとあかなくに
同 毎年《としのはに》かくもみてしが三吉野の清河内の瀧つしら波
(278コマ)    日晩野《ひぐらしの》
  亭子院《ていじゐん》宮瀧《みやだき》を御|覽《らん》じにおはしませる御ともにつかうまつりて日ぐらし野といふ所をよめる
新勅撰 ひぐらし野|行《ゆき》過ぬともかひもあらじひもとく妹《いも》も待《まち(たか)》しと思へば 大納言昇
    妹背《いもせ》山
  宮瀧《みやだき》の西《にし》上市《かみいち》村の東にあり吉野郡に詠《ゑい》し合する古歌《こか》をもとめえず河海《かかい》抄にいはくいもせ山は紀伊《きいの》國に妹《いも》山|背《せ》の山とて吉野川をへだてゝさしむかへる二の山あり又|顕注密勘《けんちうみつかん》八雲御抄《やくもみせう》其外の文どもにも紀伊《きいの》國とあり
  萬治二年の春|飛鳥井雅章卿《あすかゐたゞあきらきやう》吉野まうてにいもせ山をながめやりて
うき中のたが泪《なみだ》より芳野川いもせの山をながれ出らん
    象小《きさのを》川

宮瀧《みやだき》よりさくら木の宮にまうづれば外象《とぎさ》の橋をうちわたり象《きさ》の小《を》川は桜木の宮の前になかれ象《きさ》山は髙瀧《たかだき》の上にそばたてり
万葉 むかし見し象《きさ》の小《を》河を今見ればいよ/\きよくなりにけるかも
夫木 芳野山|青根《あをね》が嶺《みね》に月すめば象《きさ》の小川に玉ぞしづめる 知海
    桜木《さくらぎの》宮
  花のにしきも瀧《たき》のいともて織出《をりいだ》したりやと艶《えん》におほえ侍りて

瀧《たき》の糸《いと》を花にうちはへて芳野山|錦《にしき》織《をり》なす桜木の宮 雅章
(279コマ)    象《きさ》山
八雲御抄《やくもみせう》にいはく象《きさ》山|象《きさの》中山きさはちかき山ともいふみよし野に近《ちか》きといふ心なりきさは名所《めいしよ》にあらずと云々|勅撰名所《ちよくせんめいしよ》芳野《よしの》郡と云々|仙覺抄《せんかくせう》吉野の山中に象《きさ》山ありと云々
万葉 倭には鳴《なき》てか來《こ》らん呼児鳥《よぶことり》象《きさ》の中山よびぞこゆなる 高市黒人

夫木 大和路《やまとぢ》に越ゆべき道《みち》は絶《たえ》にけり象《きさ》の中山雪ふかくして 行家
    猪養《ゐがひ》山

飯貝《いひがひ》ともいふにや上市《かみいち》村の川むかひにありふなはり山は本善寺《ほんぜんじ》の近《ちか》き所にあり

万葉 ふなはりのゐがひの山にふす鹿の妻《つま》よぶこゑを聞《きく》かともしき 良女
同 ふるい雪はあはになふりそ吉隱《よごもり》の猪養《ゐがひ》の岡《をか》の寒《さむく》なるまゝに 穗皇子
    本善寺《ほんぜんじ》

本善寺《ほんぜんじ》は親鸞《しんらん》上人八世|蓮如《れんによ》上人の建立《こんりう》なり

芳野《よしの》山心とまれる川づらにすみてもみばや爰に飯貝《いひがひ》 蓮如上人
    六田淀《むつだのよど》
万葉 音に聞《きゝ》目にはまだ見ぬ吉野川|六田《むつだ》の淀《よど》をけふ見つるかも

續後拾遺集 桜咲水分山に風吹ば六田の淀《よど》に雪つもりけり 大宰大貳重家

六田《むつだ》のわたしの事にやありけんむかし吉野郡に藤太主《とうだぬし》源太主《げんだぬし》とて二仙あり一とせ吉野川|洪水《こうずい》にして舩だにうかべえざりければ淨藏貴所《じやうざうきしよ》いかでかわたりえなんと杖《つえ》をひき河のほとりにさまよひ給ひしが二仙|來《きた》りてたやすくわたしまいらせんとしばらく咒《しゆ》をとなふれば神人《じんじん》大木をきりうかべたり仙《せん》と共に棹《さほ》さして貴(280コマ)所《きしよ》を渡しける【釈書】淨藏貴所《じやうざうきしよ》は三善清行《みよしきよゆき》か第八の子|母《はゝ》は嵯峨《さが》天皇の孫女《そんによ》なり【三國傳記】又吉野川の渡し舩は聖寶《しやうぼう》僧正のはじめてをき給ひしよりなかくつたはりて絶《たえ》ず【釈書】
    雙墓《ふたつづか》
  仲範《なかのり》のいはく今木野《いまきの》滑谷岡《なめはざまのをか》吉野川の北|古勢《こせ》の里の南にあり【玉林抄】
雙墓《ふたつつか》は入鹿《いるかの》大臣|今來《いまき》に雙墓《ふたつづか》をつくりて一は父大臣の墓《つか》として大陵《おほみさゞき》とあがめ一は我|墓《はか》として小陵《こみさゝき》といふ我なくなれる後人を労《らう》させる事をいとふおもひありぬるよりかくするにぞあるといひながらその墓《はか》をきづく歩役《ぶやく》に上宮《かみのみや》の民《たみ》をつかひぬれば上宮大娘姫王《かみのみやのおほいらつめのひめみこ》いとなげきおはしまして蘓我臣《そがのしん》國の政《まつりごと》をほしゐまゝにしいかで心のまゝに封民《ほうみん》の労《らう》をいとはずつかひけるぞや是よりうらみをむすび終《つゐ》にかれをほろぼし給ひなんの御心あり【日本紀】
    今來《いまき》寺
  つたへ聞《きく》今來寺《いまきてら》又は石光寺《せきくはうじ》といふなり此寺かすかに殘《のこ》りけるとなん
今來《いまき》寺は蓮入《れんにう》法師|伯耆《ほうきの》國|大山寺《たいさんし》につとめ居《ゐ》られしが寛弘《くはんこう》年中|長谷寺《はせてらに》まうでて誓願《せいぐはん》を立て我《わが》來世《らいせ》の生所《しやうしよ》をしめし給へとこもりゐたり七夜の曉《あかつき》ひとりの比丘《ひく》ま見えさせ給ひて是より西南九里さりて勝地《しやうち》ありそこにしてをこなひたらんにはかならず兜率内(281コマ)宮《とそつないくう》に生をうけん夢さめていとうれしくて則かしこに行《ゆき》けり山高く地形《ぢぎやう》ふかく人|蹤《せき》絶《たえて》寺もなし只夢の事をたのみて樹《き》の下《もと》にゐたりけるが其夜西方より光《ひかり》來りたりあやしやと翌《あくる》日行て見るに大巖《たいかん》の上に石板《せきばん》ありて落葉《らくえう》埋《うつみ》苔蘚《たいせん》猶上《いやかうへ》に生《おひ》たりかの石面《せきめん》の散葉《さんえう》を拂《はら》ひ苔《こけ》をのごひぬれば弥勒《みろく》三尊(の)像《ざう》をえりつけたり人工《じんこう》のわざにあらず則|精舎《しやうじや》を建《たて》て年《とし》久しくをこなひて終《つゐ》に祥瑞《じやうずい》ありてをはりをとりけり【釈書】

  一坂《いちのさか》といふ所の桜一木道の行手《ゆくて》にさかりなれば

三芳野や桜一木に先見せて山口しるく匂ふ春風 雅章
    四手掛《しでかけの》社
  四手《しで》かけの明神をおがみて
芳野《よしの》山花のゆふしでかけまくもかしこき神の心をぞしる 雅章
  四手《しで》かけより左《ひだり》四五町を經《へ》て水分山の跡あり
    水分《みつわけ》山
  いつの代にやありけむ洪水《こうずい》にながれて當世は砂原《すなはら》なり
万葉 神さぶる岩ね巳疑敷《ここしき》三芳野の水分山を見ればかなし
新後撰 三芳野の水分山の瀧津瀬も末はひとつの流也けり 寿證法師
    比蘓《ひそ》寺
  毗蘓《ひそ》寺【釈日本紀】比蘓《ひそ》寺【釈書】とかけり
比蘓《ひそ》寺又|現光寺《げんくはうじ》といへり額《がく》は栗天八一《りつてんはちいち》(282コマ)【玉林抄】當代たづねしに此|額《がく》なくなりし時代《じだい》をしらずとなり推古《すいこ》天皇三年四月|沈水香《ちんずいかう》淡路嶋《あはぢしま》にうかみよれりその大さ一|圍《いだき》あり浦人|沈水香《ぢんずいかう》をしらず只|薪《たきゞ》にまじへてくゆらかすそのけふりいと遠くかほりける程にいとあやしみて御みかどに奉りけり【日本紀】聖徳太子是は沈水香木《ぢんずいかうぼく》にてその實《み》は※〔鷄の鳥が隹〕舌《けいぜつ》のごとくその花は丁子そのあぶらは薫陸《くんろく》なり水に沈《しづ》みて久しきを沈水《ぢんずい》といひ水に入て久しからぬを淺香《せんかう》と申と奏《そう》し給ひしかば御門《みかど》よろこびおぼしめして觀音の像《ざう》をつくらせ吉野の比蘓《ひそ》寺にすへ給ふに時々|光明《くはうみやう》をはなち給ふとなり【釈書】それより現光寺《げんくはうじ》の名《な》あり【玉林抄】
▲再興《さいこう》は弘安《こうあん》二年金峯山より聖人來りて再興あり西大寺の興正《こうしやう》菩薩戒法をすゝめて律《りつ》院となりたり【太子傳抄】やう/\繁昌《はんしやう》せしが又破|壊《ゑ》して當代かすかにのこれり

四手掛《しでかけ》より並木《なみき》桜つゞきて長|岑《みね》を經て丈六山一《じやうろくさんいちの》藏王堂又長岑の藥師堂あり
    松山御茶屋
文禄《ぶんろく》三年二月廿五日豊臣幕下《とよどみばつか》花の御ながめにたて給ひし御茶屋の跡《あと》なり此時の御詠歌世にのこりて一卷あり
  是より多武《たふの》峯に行|通路《つうろ》あり
(283コマ)
    千本桜
  千本のさくらとてあまたあり
吹まぜてふかきやいづれ吉野山千本に匂ふ花の春風 雅章
  日本が花|七曲《まゝまがり》の坂などを過行にもろ人桜|苗《なへ》をもとめ爰にうへて權現《ごんげん》に奉る桜三十本をうへさせて
いつか又十といひつゝ三芳野の我《わが》植置《うへをき》し花を來て見ん 大納言雅章
  山の花|薗《ぞの》谷の桜田ひたりにかくれ松右に山(の)井などといふあり
新勅撰 三芳野の山井のつらゝ結《むす》べばや花の下ひもをそくとくらん 藤原基俊
玉葉集 三芳野の峯の花|薗《ぞの》風吹は麓《ふもと》につもる春の夜の月 入道大政大臣
 吉野山|誰《たれ》か植《うへ》けん桜田のところ/\の花のはしり穗 道助法親王
 さかりなる花にかくれて名もしるくたてるやいづこ三吉野の松 雅章
    藤尾坂《ふぢおさか》
  俗《ぞく》に藤井坂《ふぢゐざか》といふ
文治《ぶんぢ》元年十一月十七日|源義經《みなもとのよしつね》の妻しづかか藤尾坂をくだり藏王堂《ざうわうだう》に來りしを衆徒等《しゆとら》見とがめてとらへけるよし東鑑《あづまかゝみ》に見えたり
  関屋《せきや》の花|桜嶽《さくらがだけ》などといふ所あり
    金鳥居《かねのとりゐ》
金鳥居《かねのとりゐ》【高二丈五尺一圍】    二王門
  かねの鳥居に書《かき》付ける
千載集 夢さめむ其|曉《あかつき》を待《まつ》程《ほど》の闇《やみ》をも照《てら》す法《のり》の灯《ともしび》 敦光(家か)
    藏王堂《さうわうだう》
藏王堂南向なり本尊藏王【貳丈六尺】挾侍《わきだち》の千手《せんじゆ》觀音【貳丈四尺】弥勒【貳丈貳尺】なるをすへ(284コマ)たり役行者《えんのきやずじや》の遺像《ゆいざう》あり
    四本桜
  四本《よもと》も桜に蹴鞠《しゆうきく》の興《けう》をおもひいでゝ
 まりの場《には》にうつしうへなん三吉野の四本《よもと》の桜おもかげにして 飛鳥井雅章
    威徳《いとく》天神(の)社《やしろ》
威徳《いとく》天神は菅丞相《かんしようじやう》の霊《れい》なり日藏上人社をたてゝうつし奉られき抑《そも/\》當社の濫觴《らんしやう》は日藏上人天|慶《げい》四年八月一日金峯山の岩屋にして頓死《とんし》せられしが威徳太政天《いとくたいしやうてん》の臨幸《りんかう》にあひ奉り神勅《しんちよく》にしたがひてかの御|住《すみ》所にそいたられける種《くさ》/\の神語《じんご》ありての後《のち》汝本国にかへりてあまねく流布《るふ》せよもし人|我像《わかざう》をつくり我名を唱《とな》へて慇懃《いんぎん》に尊重《そんじう》せは我かならず擁護《おうご》せずはあらじ上人金峯山にかへりて藏王權現《ざうわうこんげん》にありし事ともかたり奉らる爰に滿徳《まんとく》天いまして上人につけらるゝかの太政《だいじやう》天八十六萬八千の眷屬《けんそく》ありかれらが毒害《どくがい》はなはだしきは天下の善神もそれをとゞめえすと神語《しんご》まし/\きくはしくは釈書《しやくしよ》に見えたり是よりして此社を建立せられけるとなり天慶四年より延寶七年まて凡七百卅九年か
▲貞和《ちやうわ》五年正月十四日|越後《ゑちごの》守|師泰《もろやす》武藏《むさしの》守|師直《もろなふ》寄來《よせき》たる所に帝《みかど》は天(の)川の奥《おく》賀名生《かなふ》の邊《へん》に落させ給ひしかばさらば燒拂《やきはら》へとて皇后《くはうこう》卿相雲客《げいしやううんかく》の宿所に火をかけし(285コマ)程に貮五尺の金(の)鳥居金剛力士の二|階《かい》の門北野大神(の)社七十二間の廻廊《くはいろう》三十八所ならびに藏王堂一時のけふりとなる【太平記】
▲堀《ほり》川(の)院|寛治《くはんち》七年九月廿日金峯山の寶殿《ほうでん》炎上《えんしやう》【帝王編年】再興《さいこう》あり
▲藏王|權現《ごんげん》に定朝《てうちよう》が造進《ざうしん》せし狛犬《こまいぬ》社殿《しやてん》の上に啖合《かみあひ》て大|床《ゆか》より落たりと盛衰記《せいすいき》に見えたり
▲金峯山《きんぶせん》の塔《たう》成就《じやうじゆ》の供養《くやう》承暦《しやうりやく》三年十一月と釈書にあり
    金御嶽《かねがみたけ》
  金の御嶽《みだけ》は芳野《よしの》山の異名《いみやう》にしてわかちては爰をこそいふならめ飛鳥井雅章卿《あすかゐたゝあきらきやう》爰にして
 しばしなを夕べをのこせ入相のかねの御嶽《みたけ》の花のひかりに

藏王堂より西に實城寺《じつじやうじ》あり
    實城寺《じつじやうじ》
實城寺又は金輪寺《きんりんじ》ともいふ後醍醐《ごだいごの》天皇の皇居《くはうきよ》にさだめられ此|御代《みよ》にこそ北京と南朝とわかたれて年号なども別にぞ侍る爰にして新葉和歌集《しんえうわかしう》なとをえらび給ひ又天皇御手すから茶入十二をきざませ給ふ或《あるひ》は廿一ともいふそのかたち薬器《やくき》にひとし世に金輪寺といふこれなり漆器《しつき》といひなから勅作にて侍れは臺にのせ金輪寺《きんりんじ》あひしらひとて茶湯前もありとかや
  藏王堂より一町ばかりを過て駄天《だてん》山其(286コマ)東のかたに朝原あり
    朝原《あしたのはら》
續後拾遺集 芳野山霞立ぬるけふよりや朝の原はわかなつむらん 
    吉水《よしみづ》院
吉水院は源義經《みなみとのよしつね》落人《おちうと》とならせ此院に入給ひしが衆徒《しゆと》心がはりせし程《ほど》にしのひ出て中院谷に御身をかくし給ふそれもかなひがたうして佐藤忠信《さとうたゞのぶ》をのこしをかれ静《しづか》も捨をき多武峯《たふのみね》藤室十字坊《ふぢむろじうじぼう》にそ入給ひける此院は豊臣幕下《とよとみばつか》の花の御ながめにも旅館《りよくはん》とさだめ給ひてけしきことなる寺のかまへにて侍るむかし後醍醐《ごだいご》天皇爰に行幸《みゆき》なりて御|枕《まくら》ながら
 花にねてよしや吉野のよし水の枕の下《もと》に石はしる音《をと》
  吉水院《よしみづゐん》の西《にし》に行て右の方に五臺寺《ごだいじ》又|桜本《さくらもと》とて當山の先達《せんだち》大|峯修行《みねしゆぎやう》の宿坊《しゆくばう》あり
  佐抛《さなぎの》明神社
さなき明神の山を|御影《みかげ》山といふは天人の影《かげ》うつりしよりいふとかたり侍りしかば
 さなきだにさなぎの神の御影《みかげ》山うつろふ花に風もこそふけ 飛鳥井雅章
    勝手社《かつてのやしろ》
勝手明神《かつてみやうじん》は愛蘰命《うけのりかみのみこと》也|天孫臨降《あめみまりんかう》の時卅二神相そひてあまくだります次に護國《ごこく》後見《こうけん》にくださるゝ卅二神と云云|愛蘰命《うけのりかみのみこと》は勝手《かつて》大明神也【六十四神式】又|文治《ぶんぢ》元年|静《しづか》法楽《ほうらく》の舞《まひ》をまひし装束《しやうぞく》ならびに源義經《みなみとのよしつね》の鎧《よろひ》など寶藏《ほうざう》に(287コマ)おさまれり又|後醍醐《ごだいごの》天皇賀名生《かなふ》の辺《へん》へ落《おち》させ給ふに勝手《かつて》の宮《みや》の前《まへ》を過《すぎ》おはしまさせけるが御馬よりおりさせ給ひて
太平記 憑《たのむ》かひなきにつけてもちかひてし勝手《かつて》の神の名こそおしけれ
師兼千首 三芳野やかつての宮の山|烏《がらす》神につかふる身もふりぬめり
    袖振《そでふる》山
右に御影《みかげ》山左に袖振《そでふる》山此山の頂上《ちやうじやう》を那良志《なたし》山となんいふ天女《てんによ》舞《まひ》しより袖振山の名《な》あり然《しかれ》ども袖振《そでふる》山に付てはふるき文どもに説々ぞ侍る
先《まづ》範兼卿類聚《のりかねきやうるいじゆ》にいはく未勘國《みかんこく》或《あるひ》は對馬《つしま》の国にあり或《あるひ》は大和国|布留《ふる》山なりと云々|詞林採葉《しりんさいえう》抄にいはくをとめらが袖ふる山とよめり此山のあり所分明ならず先達《せんだつ》石上|布留《ふる》山を申なり万葉集第十二卷に石上《いそのかみ》ふる川のとよめり尤より所あるものなり然共八雲(の)御抄にいはく吉野にありと云々|神女降臨《しんじよがうりん》の所を誠に由來《ゆらい》あるものなりといへり今猶芳野の袖振山とつゞける古詠をもとめえず只爰に|神女降臨《しんしよがうりん》の事のみをあらはす本朝月令《ほんちようぐはちれう》にいはく清御原《きよみばらの》天皇芳野の宮にまし/\て日暮|琴《こと》を引給ひしにいと興《けう》ありけり俄《にはか》に前《まへ》の峯《みね》の下《もと》より雲氣《うんき》たちまちに起《おこ》り神女《しんじよ》のかたちなる人|髣髴《ほうほつ》として曲《きよく》に應《おう》じてまひけり他人見る事をえず天《あま》の羽衣《はころも》の袖を五|度《たび》飜《ひるかへ》して【河海抄】
(288コマ)乙女子《をとめこ》がをとめさびすもから玉を袂《たもと》にまきてをとめさびすもとうたひける五節《ごせつ》の舞《まひ》の根源《こんげん》なり又|袖振《そてふる》山といふも此時よりとぞ

  勝手《かつて》の宮より坤《ひつじさる》の谷に如意輪寺《によいりんじ》あり

如意輪寺《によいりんじ》

塔尾《たうび》山|如意輪寺《によいりんじ》は本尊|如意輪觀音菩薩《によいりんくはんおんほさつ》也藏王|權現《ごんけん》あり御厨子《みづし》の扉《とびら》に吉野より熊野《くまの》迄の畫圖《ゑづ》あり後醍醐《ごだいごの》天皇の宸筆《しんひつ》の讃《さんに》曰(く)

 ※〔山+青〕崛月前《さうくつげつぜん》爲《す》2教主《けうしゆと》1
 金峯嵐底《きんぶらんてい》現《けんじ》2藏王《ざうわうと》1
 斑荊禅客《はんけいぜんかく》安居砌《あんこのみきり》
 緇素群焉《しそぐんえんとして》滿《みつ》2願望《ぐはんまうを》1。
 慈風《しふう》扇《ふき》v境《さかいに》四流渇《しりうかつす》
 惑霧《わくむ》晴《はれて》v心(ニ)六度差《ろくどたがふ》
 碧樹《へきじゆ》集《あつめ》v雲(を)飛《とふ》2鷲嶺《じゆれいに》1
 黄金《わうごん》敷《しき》v地《ちに》契《ちぎる》2龍華《りうくはに》1
 風月《ふうげつ》澄《すます》v心(を)文道祖《ぶんたうのそ》

 火雷《くはらい》宥《なだむ》v忿《いかりを》法陀尊《ほうだのそん》
 日藏聖感《にちざうせいかん》瑞夢處《ずいむのところ》
 大政天《だいじやうてん》爲《なりて》2教海《けうかいと》1繁《しげし》

 兩山梯峻《りやうざんかけはしけはし》古仙跡《こせんのあと》
 四海舩浮《しかいふねうかぶ》權化神《ごんけのかみ》
 行《ぎやう》積《つみ》2僧祇《そうぎを》1鑒《かんかみる》2末世《まつせを》1
 威政鬼類《いせいきるい》縛《ばくす》2其身《そのみを》1
    後醍醐《こだいごの》天皇(の)陵
  如意輪寺のうしろのかたにあり
後醍醐《ごだいごの》天皇|南朝《なんちよう》延元《えんげん》三年八月九日より御|不豫《ふよ》の御事ありけるが次第におもくならせ給ひて終《つゐ》に同十八日|丑尅《うしのこく》に崩御《ほうきよ》なり給ひき藏王堂の艮《うしとら》なる林の奥《おく》に圓丘《えんきう》たかくつきて北|向《むき》に葬《かくし》奉り同十一月五日|後醍醐《ごだいごの》天皇と後《のちの》御名を奉りき【太平記】楠正行《くすのきまさつら》廟にまうでて討死《うちしに》の御|暇乞《いとまごひ》などゝなけき申て如意輪寺《によいりんじ》の過去幉《くはこちやう》に楠正行《くすのきまさつら》同|正時《まさとき》同|將監《しやうげん》和田(289コマ)新發意《わだしんほち》同|舍弟《しやてい》新《しん》兵衛同|紀《き》六左衛門|子息《しそく》二人|野田《のだの》四郎子息《しそく》二人西川|子息《しそく》関地良圓《せきちれうえん》

  各留半座乘花臺《かくるはんさせうけだい》 待我閻浮《たいかえんふ》同行人

 さきだゝはをくるゝ人を待やせんひとつ蓮《はちす》のうちを殘して
  願以此切徳平等施一切同發菩提心徃生安樂国《ぐはんいしくどくびやうどうせいつさいどうほつぼだいしんわうじやうあんらくこく》と正行《まさつら》筆をとりてかきたりけりとぞ又
 歸らしと兼《かね》て思へは梓弓《あづさゆみ》なき數《かず》にいる名をぞとゞむる
となんかきつけけるは戸びらにのこりて今にあり
    椿谷《つばきたにちんせんじ》
椿山寺は日|藏《ざう》上人の修行《しゆぎやう》の地《ち》なり上人は宮|古《こ》の人年十二にしてかざりをおろし名つけて道賢《だうけん》法師といふ其時|延㐂《えんき》十六年二月也それよりして塩穀《えんこく》を絶《ぜつ》して六年の精修《しやうじゆ》を經《へ》られたり其時|母君《はゝぎみ》のやまひのおもきをほのきゝてとはずはえあるまじとて古郷《ふるさと》にのぼり東寺にして密教《みつけう》をならひ【釈書】其後|芳野《よしの》山に更《さら》に入て笙窟《しやうのいはや》に住み給ひしと也【釈書】
    布引《ぬのひきの》桜
  布引の桜は高根《たかね》より谷《たに》の底《そこ》までさきつゞきて見え侍りぬ
布引もにしきと見えて芳野《よしの》山|名《な》にこえにけり花の一しほ 飛鳥井雅章
    雨師夢違《あめしゆめちかへの》觀音堂
  行幸《みゆき》をさせ給ひしに雨やまざりければ
 此里は丹生《にふ》の川上|程《ほど》ちかしいのらば晴《はれ》よ五月雨《さみだれ》の空 後醍醐天皇
  此所より一里ばかり川下に丹生《にふ》大明神(290コマ)の社あり觀音堂を行て西の谷に瀧桜雲井桜といふあり
    瀧桜《たきざくら》
 いかなれば水なき空の瀧《たき》桜花の波|立《たつ》三吉野の山 大納言雅章
    雲井《くもゐ》桜
  雲井桜は名におひて髙ねに見え侍りぬ
 御階《みはし》さへおもひやられておなじ名の雲井に花もみよしのゝ春 大納言雅章
    中院谷
源義經《みなもとのよしつね》身《み》をかくされし谷なりうへに山ぶしがくれ龍《りう》がへしなどゝいふ岩《いは》あり爰は佐藤忠信《さとうただのぶ》か手にかゝりて横《よ》川の覚範《かくばん》の討《うた》れける所也又|忠信《ただのぶ》ふせぎ矢《や》射《い》ける所は花|矢倉《やぐら》といふ也
    世尊寺《せそんじ》
世尊寺《せそんじ》は炎上《えんしやう》の後《のち》形《かた》ばかりなる堂《だう》あり本尊《ほんそん》は釈迦如來《しやかによらい》狹侍《わきだち》は阿難《あなん》迦葉《かせう》なり抑《そも/\》釈迦如來《しやかによらい》は欽明《きんめい》天皇十四年五月|戊辰《つちのえたつ》朔《さく》河内《かはちの》國|泉郡《いつみのこほり》茅渟海《ちぬのうみ》中に梵音《のりのこゑ》いとひゞきて雷《らい》の声《こゑ》にやたぐへなんうるはしく照《てり》かゝやく事日の色《いろ》をあざむき侍るよし奏《そう》し奉る天皇あやしみおぼしめして溝邊直《すのべのあたひ》に勅《ちよく》して見せしめらるゝに直《あたひ》海《うみ》に入て見ぬれば樟《くすの》木のうかひて照《てり》かゝやくにぞありける則《すなはち》是をとりて奉りしかば佛つくりにおほせて佛像《ぶつざう》二はしらをぞつくらしめ給ふ今吉野寺に光をはなち給ふ樟《くすの》木の像《ざう》是なり【日本紀】欽明《きんめい》天皇十四年より延寶七年迄千百二十六年か

▲鐘《かね》あり銘《めいに》曰(く)保延《ほえん》五年|庚申《かのえさる》十二月三日|平朝臣忠盛《たいらのあそんたゞもり》と云々|保延《ほえん》五年より延寶七年迄凡五百四十一年か此所は天竺《てんぢく》霊鷲山《れいじゆせん》にひとしき靈地《れいち》にて侍るとかや

月清 鷲《わし》の山|御法《みのり》の庭《には》にちる花をよしのゝ嶺《みね》の嵐にぞ見る 後京極良經
  鷲《わし》の尾《お》のかたはらに人丸の墳《つか》あり
    子守社《こもりのやしろ》
籠守《こもりの》神は大宮三|座《ざ》住吉《すみよし》同躰《どうたい》なり【一宮記】炎上《えんしやう》の後|再興《さいこう》八十年以前也
草根 吹はらへ山は芳野《よしの》の秋|霧《きり》に子守《こもり》かつても見えぬ神風
三芳野《みよしの》の山ふところにおひたちて子守《こもり》の宮の花ぞことなる 大納言雅章
    御子守《みこもりの》神
  澄月歌枕《てうげつうたまくら》に御子守《みこもりの》神とかけりしからば子守《こもり》同社《どうしや》と見えたり然ども神名帳《じんみやうちやう》に吉野|水分神社《みこもりのじんじや》とあり文字《もんじ》によらば別宮か一|徃《わう》爰《こゝ》にあらはすかさねてあきらかにせらるべし

清少納言 もろこひに今はなるらん御子守《みこもりの》神のしるしはありとこそきけ 經家
新六帖 いかにして心の末《すゑ》をあらはさむかけてちかひし御子守の神 衣笠内大臣
  子守の社を過て
    高筭《かうざん》上人(の)遺像堂《ゆいざうだう》
高筭《かうざん》上人は後白《ごしら》川(の)院の御惱《ごなふ》を加持《かぢ》したち所に妙をあらはす又二月一日の花|供《く》懺法《せんぼう》は此上人のはじめられて今年に絶《たえ》ず
    高城《たかき》山
  俗に城《しろ》山といふ大塔《おほたうの》宮のこもらせ給ふ(292コマ)所とかや又つゝじが岡《をか》遙谷《はるかのたに》も此所也|忠信《たゞのぶ》虚腹《そらはら》を爰にしてきりけるとなん
万葉 三芳野の高城《たかき》の山に白雲はゆきはゞかりて棚《たな》引て所見《みゆ》 釈道観
拾玉 高き山ふかき谷にてあはれなれさならぬ人は音信もせず 慈鎮
    躑躅岡《つゝじがをか》
  躑躅岡《つゝじがをか》は名もしるく見え侍れば
 折にあへば吉野の花もくれなヰのつゝしが岡の色にとられて 大納言雅章
    遙谷《はるかのたに》
  はるかの谷はふかき谷にて侍しも花にむもれぬるやうに見えぬれば
 高ねより見ればはるかに谷の戸《と》も花にとぢたる三吉野の山 大納言雅章
    岩倉《いはくら》谷
岩倉《いはくら》は宮古《みやこ》の東西南北《とうざいなんぼく》にはかならずあり【拾芥抄】しかあれども大和國は年久しく經《へ》ぬればにや其名によぶ山もしらず今|芳野《よしの》の皇居《くはうきよ》とて爰にのみのこれり古詠をもとめえず
    金精《きんしやう》大明神
金精《きんしやう》大明神の垂跡《すいしやく》をしらず俗《ぞく》此山の金をまもらせ給ふ神なりといへり
  是より一町ばかり過て蹴拔《けぬけ》の塔《たう》あり
    安禅寺《あんぜんじ》
飯高《はんかう》山|安禅寺《あんぜんじ》寶塔《ほうたう》院|本尊《ほんぞん》は一丈の藏王|權現《ごんげん》又|役行者《えんのぎやうじや》の遺像《ゆいざう》を安置《あんち》せり
    青根《あをねが》我|峯《みね》
  安禅寺《あんぜんじ》のうへなる山は青根我峯《あをねがみね》なり
万葉 三芳野《みよしの》の青根我峯《あをねがみね》の苔《こけ》むしろ誰將織《たれかをりけん》たてぬきなしに
(293コマ)堀川太郎 さほ姫の遊《あそ》ぶ所は奥《おく》山の青根《あをね》が峯の苔のむしろは 公実
新撰和歌集 芳野川いはせの波による花や青根《あをね》が峯に消《きゆ》る白雲 頼政
  安禅《あんぜん》院より三町ばかり右に行て奥院
奥院《おくのいん》四方|正面堂《しやうめんだう》は聖《しやう》観音菩薩|不動《ふどう》明王|愛染《あひぜん》明王|地藏菩薩《じさうほさつ》其|脇《わき》に蔵王堂《さうわうだう》
    苔清水《こけしみづ》
  西行上人の庵室《あんじつ》の跡とて草室《くさのしつ》にその遺像《ゆいざう》をすへたり
  芳野《よしの》の苔清水《こけしみづ》にて
山家集 淺くともよしや又|汲《くむ》人もあらじ我事|足《たる》山の井の水 西行
未勘 とく/\と落る岩間《いはま》の苔清《こけし》水|汲《くみ》ほす程もなき住《すま》ゐかな 同
  文治《ぶんち》の年《とし》西行法師河内のひろかはといふ山寺にてわつらふ事ありときゝていそぎつかはしたりしかばかぎりなくよろこびつかはして後《のち》すこしよろしとてとしのはての比京にのぼりてと申せし程に二月十六日になんかくれ侍りける彼《かの》上人|先年《せんねん》にさくらの哥《うた》おほくよみける中に【長秋詠藻】
おなじくは花の下《もと》にて春|死《し》なんそのきさらぎの望《もち》つきの比 西行
  かくよみたりしをおかしく見給ひしことにつゐに二月十六日|望《もち》のひをはりとげけること哀《あはれ》にありがたくおぼしてかきつけける
ねがひおきし花の下《もと》にてをはりけり蓮《はちす》のうへもたがはざらなん 俊成
  西行桜は此法師此山に三とせの間住ゐ(294コマ)せし所なりとかたりしかば花ちりなはとよみしことのはも此所ならんかし
花にいりておもひしられぬ吉野山やかていでしといひしことのは 飛鳥井雅章
  青折嵩《あををりがたけ》といふなる所より道二つにわかれて左は西川《にじかう》の瀧への通路《つうろ》右は山上にのぼる道なり是より山上まては五|里余《りよ》の道にて侍るとかや
    薢嶽《あさみがだけ》
薢嶽《あさみがだけ》に住《すみ》おはせし良※〔竹/弄〕《れうさん》上人は関東《くはんと》の人なり法花|讀誦《どくじゆ》して身は水の淡《あは》よりもやすく命《いのち》は朝露よりもかろくこそおもはれけれ鬼神《きじん》來りて果蓏《くはら》を供《くう》じ天女ま見えて礼拜をなして飛《とび》かへる臨終《りんじう》の時いとよろこふけしき※〔貌の旁〕にあらはるゝ或《ある》人あやしやともひぬるはいかなればかくは笑《ゑみ》給けるぞや上人|垢穢《くゑ》の躰《たい》を捨《すて》て妙淨《みやうじやう》の階《かい》にのぼるよろこびずやはあらじといひはてゝぞをはりをとりける【釈書】
万葉 和射美能嶺《あざみのみね》行過て降《ふる》雪のうとみもなしとまうせその児《こ》に
    海峯寺《かいほうじ》
海峯寺《かいほうじ》此所をしらず廣恩《くはうをん》法師の住居《すみおは》せしよしくはしく釈書《しやくしよ》に見えたり

    堂原寺《だうけんじ》

堂原寺《だうけんじ》此所をしらず昌泰《しやうたい》四年八月天|台《だい》の沙門《しやもん》吉野|堂原寺《だうけんじ》のほとりにして仙術《せんじゆつ》をえて天に飛行《ひぎやう》せしよし帝王編年記《ていわうへんねんき》に身(295コマ)えたり

▲吉野山の麓に都藍尼《とらんに》といふ女仙《によせん》あり金峯山《きんぶせん》は黄金《わうごん》の地《ち》にして藏王|權現《ごんげん》是をまもり給ひて女人をのぼらしめ給はず我女人ながら仙術《せんじゆつ》をえたりいかでかのぼらずはあらんやとて大峯|苦行《くぎやう》の道にかゝる俄に神なり雨ふり風しきりにして通路《つうろ》をうしなへりそこにして杖《つえ》をぞすてたりけるその杖《つえ》枝葉《しえう》をなし大木となる又|咒《しゆ》をとなへて龍《りう》をよぶ龍《りう》來りぬればそれにうち乘《のり》て行しが爰にいたりて龍《りう》もすゝみえざれば都藍尼《とらんに》つぶやきながらいかりて巖《いはほ》をふみぬればくぼみ蹴《け》ぬればやぶれてみぢんになる龍《りう》は終《つゐ》に池《いけ》にぞ入にき【釈書】もし爰のほとりににや侍りなむしらず

  是より山上大峯の秘所《ひしよ》あまた所ありとかや人さらにかたりつたへざればましてしらず

    蟻門渡《ありのとわたり》

山家集 笹《さゝ》ふかみきりこすくきを朝《あさ》立てなびき煩ふ蟻《あり》の門《と》わたり 西行

    天《あまの》川

長秋詠藻 吉野山花やちるらんあまの川雲のつゝみをくずす白波 俊成
    卒都婆《そとは》
  平等院《びやうどうゐん》の【行尊】名かゝれたる卒都婆《そとは》に紅葉のちりかゝりけるを見て花より外のとありけむ人ぞかしとあはれにおぼえてよみける
山家集 哀《あはれ》とも花見し嶺《みね》に名をとめて※〔木+色〕《もみぢ》ぞけふは共にちりける 西行
    山上 寺領千拾三石
(296コマ)山上|藏王堂《ざうわうだう》夫《それ》藏王|權現《こんげん》は役優婆塞《えんのうばそく》金峯《きんぶ》山に一千日こもりて生身《しやうじん》の薩※〔土+垂〕《さつた》をいのり給ひしに地藏尊の形《かたちち》まづ地《ち》より湧出《ゆじゆつ》し給ふ是|優婆塞《うばそく》の心にかなはぬよしあれば地藏は伯耆《ほうき》の大山に飛《とび》さり給ひき其後|大勢《だいせい》忿怒《ふんぬ》の形《かたち》をあらはし右の御|手《て》には三|鈷《こ》をにぎり臂《ひぢ》をいらゝげ左の御手には五|指《し》をもつて御|腰《こし》をおさへ給ふ一|睨《にらみ》大にいかりて魔障降伏《ましやうかうぶく》の相《さう》をしめし兩|脚《きやく》高くたれて天|地《ち》の經緯《けいい》をあらはし給へり示現《じげん》の貌《かたち》よのつねの神にかはり給へり【太平記】此時人王二十九代|宣化《せんくは》天皇三年にあたり優婆塞《うばそく》とし六十五なりならびに十五|童子《とうし》湧出《ゆじゆつ》あり其八大童子を大峯にをくる其所は【禅師宿 多輪宿 笙岩屋 篠宿 玉來宿 深山 水飲 吹越】七大童子をかづらきの峯にをくらるゝ是より湧出《ゆしゆつ》の嶽《だけ》とはいふ也【酉(譽脱か)曼陀羅抄】それより尊像《そんざう》を錦帳《きんちやう》の中に鎖《とざ》され其|湧出《ゆじゆつ》の躰《てい》を秘《ひ》せんがために優婆塞《うばそく》と天|暦《りやく》の帝《みかど》【村上】とをの/\手づから二|尊《そん》を作りそへられ三尊を安置《あんち》し奉給ふ惡愛《をあひ》を六十余洲にしめして彼《かれ》を是《ぜ》し此《これ》を非《ひ》し賞罸《しやうばつ》を三千|世界《せかい》にあらはして人を悩《なやま》し物を利《り》しすべて神明權迹《しんめいごんせき》をたれて七千|余座《よざ》の利生のあらたなるを論《ろん》ずれば無二亦無《むにやくむ》三の霊験《れいけん》なり【太平記】
▲鐘《かね》あり鐘樓《しゆろう》もなく堂《だう》の縁《えん》にすへ置たり(297コマ)其|鐘《かね》の銘《めいに》曰(く)遠江《とをとふみの》國|佐野郡《さのゝこほり》原田庄《はらだのしやう》長福寺《ちやうふくじ》天慶《てんけい》六年七月二日と云々延寶七年迄凡七百三十七年か
  此所に二つの道あり南に向《むか》ふは大峯の通路《つうろ》西に行は天川《てんのかは》の通路|小篠《をざゝ》へ一里ばかり

    小篠《をざゝ》
  小篠《をざゝ》のとまりと申所にて露しげかりければ
山家集 分きつる小篠《をざゝ》の露にそほりつゝほしぞわづらふ墨染の袖 西行
    篠宿《さゝのしゆく》
  さゝのすくにて
山家集 庵《いほり》さす草《くさ》の枕《まくら》に友《とも》なひて篠《さゝ》の露にも宿《やど》る月哉 西行
    小池宿《こいけのしゆく》
  小池と申すくにて
同 いかにして梢《こすゑ》の隙《ひま》をもとめえて小池に今宵《こよひ》月のすむらん 西行
    へいぢの宿
  へいちと申すくにて月を見けるに梢《こすゑ》の露のたもとにかゝりければ
同 梢《こずゑ》なる月も哀《あはれ》をおもふべし光《ひかり》にぐして露のこほるゝ 西行
    古屋宿《ふるやのしゆく》
  ふるやと申すくにて
山家集 神無月|時雨ふる屋にすむ月はくもらぬ影《かげ》もこのまれぬ哉 西行
    姨捨峯《をばすてのみね》
  をばすての嶺《みね》と申所の見わたされておもひなしにや月ことに見えければ
(298コマ)山家集 姨捨《をばすて》はしなのならねどいづくにも月すむ峯の名にこそ有けれ 西行
拾遺愚草 三芳野や姨捨《をばすて》の山の春秋もひとつにかすむ雪の明ほの 定家
    千種嶽《ちくさのだけ》
  ちくさのだけにて
山家集 分て行《ゆく》色のみならず梢《こずゑ》さへちくさのだけは心そみけり 西行
    東屋《あづまやの》峯
  あづま屋と申所にて時雨《しくれ》の後月を見て
山家集 神無月時雨はるれば東屋《あつまや》の峯にぞ月はむねとすみける 西行
    屏風立《ひやうぶたて》
    行者歸《ぎやうじやかへり》
    児留《ちごとまり》
  行者《ぎやうじや》がへり児《ちご》どまりにつゞきたるすくなり春の山伏は屏風《ひやうぶ》だてと申所をたいらかにすぎん事をかたくおもひて行者《ぎやうじや》ちごのとまりにてもおもひわづらふなるべし
山家集 屏風にや心を立ておもひけん行者《ぎやうじや》はかへり児《ちご》はとまりぬ 西行
    三重瀧《さんじうのたき》

三重の瀧おがみけるにたうとく覚て三|業《ごう》のつみもすゝがるゝ心地しければ
同 身《み》につもることばの罪《つみ》もあらはれて心すみぬる三かさねの瀧 西行
    轉法輪嶽《てんぼうりんのだけ》
  轉法輪《てんぼうりん》のだけと申所にて釈《しや》迦の説法《せつほう》の座《さ》のいしと申所をおかみて
同 爰こそは法《のり》とかれたる所よと聞《きゝ》さとりをもえつるけふかな 西行
    釈迦嶽《しやかがだけ》
釈迦嶽《しやかがだけ》又|轉法輪嶽《てんぼうりんのだけ》とは同山|異名《いみやう》にはあらずや(299コマ)釈迦《しやか》の嶽《だけ》の濫觴《らんしやう》をしらず
    神仙《じんぜん》
  大峯の神仙と申所にて月を見てよめける
山家集 ふかき山に住《すみ》ける月を見ざりせばおもひでもなき我身ならまし 西行
    笙窟《しやうのいはや》
  大峯の笙《しやう》の岩屋《いはや》にてよめり
金葉集 草の庵《いほり》何《なに》露せしとおもひけむもらぬ岩屋も袖はぬれけり 僧正行尊
  みだけの笙《しやう》の岩屋《いはや》にこもりてよめり
新古今 寂寞《さゝまく》の※〔草がんむり/毎〕《こけ》の岩屋《いはや》のしづけきに涙《なみだ》の雨のふらぬ日ぞなき 日藏上人
  みだけよりさうの岩屋へまいりたりけるにもらぬ岩屋もとありけむおりおもひ出られて
山家集 今宵《こよひ》こそ哀《あはれ》もあつき心地《こゝち》して嵐《あらし》の音をよそに聞《きく》かな 西行
▲笙窟《しやうのいはや》は日藏《にちざう》上人こもり給ひし所也はじめは芳野《よしの》山|椿山寺《ちんせんじ》にをこなひゐ給けるが後《のち》は笙窟《しやうのいはや》に入無言断食《むごんだんしき》にして三七日をかぎり密供《みつくう》をぞ修《しゆ》せられけるが天慶《てんけい》四年八月一日|舌《した》燥《かはき》氣《き》塞《ふたかり》終《つゐ》に息《いき》絶《たえ》たりしかありしに一人の和尚來り日藏をいざなひまづ藏王菩薩の金峯《きんぶ》山の淨土《じやうど》を見せしめしかのみならず日藏|九九年月王護《くくねんげつわうご》の短札《たんさつ》を給ふ又|菅丞相《かんしようしやう》にま見え奉りてかの短札《たんさつ》八|字《じ》の註釈《ちうしやく》をうけ給りしより道賢《だうけん》の旧名《きうみやう》をあらため日藏とぞ名《な》をつかれける又|地獄《ぢごく》のやうなどを見せらるるに鐵窟《てつくつ》に人ありていはく我は是大日本國|主《しゆ》金剛覺大王《ごんがうかくだいわう》の子なり菅丞相《かんしようじやう》配流《はいりう》の(300コマ)うらみふかく佛寺《ふつじ》を燒《やき》有情《うじやう》を害《かい》せり其|重罪《じうざい》我《わが》身《み》にうけてやるかたなし汝《なんじ》本國《ほんごく》にかへりて一万の卒都婆《そとは》をつくり供養《くやう》して我《わが》苦患《くげん》をたすけよとの宣下《せんげ》をうけ給はる【釈書】又|都卒内院《とそつのないゐん》を見めぐり聖衆《しやうじゆ》の妓樂《ぎがく》をきく【盛衰記】終《つゐ》に十三日を經《へ》て蘇生《そせい》したり其後かの都卒内院《とそつのないゐん》の樂《がく》を和朝《わちよう》につたへて見佛聞法樂《けんぶつもんほうがく》と号《かう》す又の説《せつ》にかの樂《がく》はもろこしよりつたへぬる曲《きよく》なりともいへり日藏上人は朱雀院《しゆしやくゐん》の御子なり【盛衰記】かの上人爰の岩屋《いはや》にをこなひ給ひける比《ころ》にやありけむ鬼神《きじん》來りて手をつかねて申やう我《われ》人界《にんかい》にありし時遺恨《いこん》によりて鬼《おに》の身《み》と成て四五百|歳《さい》を經《へ》たり其かたきの末/\まで今|根《ね》を斷《たち》たりかゝる心のつかずは極樂《ごくらく》又は天上にも生《うま》れなんものを無量億功《むりやうおくこう》の苦《く》をうくるかなしやといひもはてぬにほのほもえ出て山の奥《おく》にぞ入けり其|後《のち》上人はかのつみほろぶべき事どもさま/\にこそとふらひ給ひけれ【宇治拾遺】
    大峯《おほみね》
  大峯にて
金葉 もろ共に哀《あはれ》とおもへ山桜花より外にしる人もなし 僧正行尊
  修行《しゆぎやう》し侍りけるに大峯にて
玉葉 時雨ふる外《と》山のすゑは晴《はれ》やらで雲のうへ行《ゆく》峯の月影 僧正教範
  山上より原《はら》八十町をくだりぬれば蟷螂《とうろふ》か岩屋を見て泥《どろ》川にいたる大峯|修行《しゆぎやう》の人の(301コマ)旅館《りよくはん》なり
    天川白飯寺《てんのかははくはんじ》
琵琶《びは》山|白飯寺《はくはんじ》は役行者《えんのぎやうじや》大峯の道をひらきなんとて先此山にして霊験《れいけん》をいのり給ひしに山に冷水《れいすい》湧《わき》ながれ神霊《しんれい》圓光《えんくはう》をかゝやかす廟《びよう》には琵琶《びは》の響《ひゞき》ありて人心の迷雲《めいうん》を拂《はら》ひしより琵琶《びは》山と号《かう》せり其後|弘法《こうぼう》大師の千日のをこなひには弁才天女《べんざいてんによ》現《げん》じ給ひしかばその尊像《そんざう》をきざみ神霊《しんれい》をおさめられき今の本尊是なり弘法大師|伽藍造営《がらんざうゑい》より凡八百歳|霊験《れいけん》日々に威《い》をまし利益《りやく》夜々《やや》に徳《とく》をぞあらはしける【勸進帳】

▲好色《こうしよく》の先達《せんだち》業平朝臣《なりひらあそん》芳野《よしの》の川上の石窟《いはや》天《てんの》川といふなる所にて入定《にうでう》ありと縁起《えんぎ》に見え侍るよし河海《かがい》抄にあり廟《びよう》といふは入定《にうでう》の地にや
    丹生《にふ》山
  此山は下市《しもいち》村の西にあり丹生《にふ》川はそれよりながれ出て芳野川に落ゆく
万葉 斧《をの》とりて丹生《にふ》の檜《ひ》山の木こりきて機尓作二梶貫礒榜回乍嶋《ふねにつくりてまかぢぬきいそこぎたみつゝしま》づたひ見れ共あかず三吉野の瀧とゞろきおつるしら波
草根 丹生の山氷をたゝく川波も月のかつらをきるかとぞきく
同 ねをさしてきらぬたつ木もあれぬべし水の金ほる丹生の杣山
名寄 五月雨に丹生《にふ》の川|瀬《せ》の杣《そま》くだしひかぬによするきさの山ぎは 
    丹生《にふの》社
(302コマ)丹生《にふの》明神一|座《ざ》あり延喜式神名帳《えんぎしきじんみやうちやう》に芳野《よしのゝ》郡丹生《にふ》の川上(の)神社《じんじや》とあれば尤一|座《ざ》と見えたり然とも三|代實録《だいじつろく》にお大和國|丹生《にふの》川上七|社《しや》に奉幣《ほうへい》のよし見え侍るかさねてあきらかにせらるへし

▲丹生社《にふのやしろ》は罔象女《みつはめの》神也|伊弉並尊《いざなみのみこと》軻遇鎚《かぐつち》のためにやかれて終《さり》給ひぬ其さりなんとし給ふの間に土《はにの》神|埴《はに》山|姫《ひめ》およひ水神|罔象女《みつはめ》をうみ給ふ【日本紀】
▲此|社《やしろ》に雨を乞《こひ》霖雨《りんう》をやめさせ給へとの勅使《ちよくし》をたてられし事|古《ふる》き文どもにあまた度《たび》見えたり
▲人王四十代|天武《てんむ》天皇|白鳳《はくほう》四年に垂跡《すいしやく》それより延寶七年迄凡九百七十四年か
▲神武《じんむ》天皇の御|宇《う》に兄磯城《えしき》といふ賊《あた》ありけるが軍を磐余《いはれ》のむらにそなへて道をふせぎし程《ほど》にみかどの軍《いくさ》とをりぬべき道なし神武《じんむ》天皇こよひみづから天《あま》の神にいのりまし/\ぬれば瑞夢《ずいむ》あり弟猾《おとうげし》奏《そう》し奉るやまとの國|磯城《しき》のむら又|髙尾張《たかおはり》のむらに八十梟師《やそたける》【兼方曰凶黨八十人】ありみかどとふせぎたゝかひなんとおもふわれ天香《あまのかぐ》山の土をとりて天平瓫《あまのひらか》【兼方曰平賀者盛2供神物1之土器也】として天津《あまつ》やしろ國津《くにつ》やしろをまつらんしかあらば賊《あた》をやすくしたがへむ天皇御|夢《ゆめ》のをしへにたかはざりし程《ほど》に御心によろこび給ひて推根津彦《しゐねつひこ》をおきなのかた(303コマ)ちにつくり弟猾《おとうけし》を女おきなのすがたになして天香《あまのかく》山の土をとり來れすなはちふたりまかりしに賊軍《あたいくさ》どもかのすがたを見て大《おほきに》わらひあれ見にくやといひて道をさりて通らせけり山にいたりて土をとりかへりぬその土にして八十平瓫《やそひらか》天《あま》の手杖《たくしり》八十枚嚴瓫《やそていそへ》を【兼方曰天者例文手者以v手作2土器1之義扶者玉篇排戰也云々可2戰勝1之象造2于土器1祭2諸神1之義也兼方曰嚴(ハ)重之義瓫者土瓶也今世神今食新甞祭等供2神物(を)1陶器《すゑつきの》土器此同縁也凡嚴瓫者祭v神之土器之惣名也】つくりて丹生《にふ》の川上にのぼりまして天神地神《あまつかみくにつかみ》をいはひまつり給ふ莵田《うだ》川の朝原《あさはら》にしてちかひ給ふ我今|八十瓫《やそひらか》をもつて水もなしに飴《たかね》【和名抄曰阿女】をつくらん飴《たかね》ことなりなば吾《われ》かならず天下《あめがした》をしたがへなんすなはちつくり給ふにことなりぬ又|嚴瓫《いつへ》を丹生《にふ》の川にしづめんにもし魚《うを》の大小となく醉《えひ》てながれん事たとへば柀《まき》の葉《は》のうかひながれんごとくあらば吾かならず此國をさだめんとちかひ給ひて瓫《いつへ》を川にしづめさせ給ふに其川|下《しも》にむかひしばらくありて魚《うを》みなうかひ出《いで》にき推根津彦《しゐねつひこ》うかべる魚《うを》を見てかくと奏《そう》し奉るに天皇|大《おほき》によろこび給ひて丹生《にふ》の川上の五百箇真坂木《いをかまさかき》をねこしにしてもろ/\の神をいはひ給ひしよりはじめて嚴瓫《いつへ》の置《おきもの》あり【日本紀】
    天野丹生《あまのにふの》神
天野丹生都姫《あまのにふのつひめ》は天照太神也やまとの國(304コマ)丹生《にふ》川の末にいます故《ゆへ》に丹生都姫《にふつひめ》と号《かう》せり
    国樔《くず》

今一|郷《がう》の名によぶなり
国樔《くず》の翁《おきな》は心いとすなほにしおて山の菓《このみ》をとりくひ蝦蟆《かへる》を煮《に》てよきあぢはひとおもひ名づけて毛瀰《もみ》とぞいひける国樔《くず》がすめる所はみやこの巽《たつみ》山おほくへだてゝ吉野の川上の峯さかしく谷ふかうして道いとせばくさがしかりければみやこにまうでくる事もまれにぞ侍る應神《おうじん》天皇十九年十月一日吉野の宮に行幸なり給ふには国樔《くず》人|三寸《みき》を奉りて歌うたふ
かしのふに【所名也】よこすを【横臼也畧v宇】つくり【造也】よこすに【横臼也】かめる【醸也】おほきみ【御酒也】うまらに【甘也】きこしもちて【聞持也謂聞食也】をせ【飲也】うまがち【丸父也】となんうたひをはりて口うちてあふのきわらへり又|土毛《くにもの》を奉る日に歌うたひをはりて口うちてあふのきわらふ是は国樔《くず》がいにしの遺則《のり》なり是より參赴《まうきて》土毛《くにもの》奉りき其くにのものは粟《あは》菌《くさびら》ならびに年魚《あゆ》のたぐひなり【日本紀】代々を經《へ》て浄見原《きよみはらの》天皇大|伴《どもの》皇子に襲《おそは》れて芳野《よしの》の奥《おく》の岩屋《いはや》の中に御|身《み》をかくさせ給ひしには国樔《くず》の翁《おきな》粟《あは》の御料《ごれう》にうぐひといふめる魚をそへて供御《くご》に奉りしかば朕《ちん》帝位《ていゐ》にのぼらは翁《おきな》と供御《ぐご》とをめされなんとおぼしめされけるより此かた元(305コマ)日の御|祝《いはひ》には国樔翁《くずのおきな》まいれり桐竹《きりたけ》に鳳凰《ほうわう》の装束《しやうそく》を給はりて舞けるとかや豊明《とよのあかり》五節《ごせつ》にも此翁まいりて粟《あは》の御料《ごれう》にうぐひの魚《うを》を御|祝《いはひ》に奉る殿上《てんじやう》より国栖《くず》とめされぬれば声《こゑ》にて御こたへも申さず笛《ふえ》を吹てまいるなり此翁まいらぬには五節《ごせち》も始《はしま》る事なしとなり【盛衰記】
現存六帖 遠津川《とほつかは》芳野《よしの》の国栖《くず》のいつしかとつかへぞまつる君の始《はじめ》に
    賀名生《かなふ》
賀名生《かなふ》は天《てんの》川の奥なり後醍醐《ごだいご》天皇|宮古《みやこ》を落させ給ひて御|身《み》をかくさせ給ふ所のよし太平記にくはし
    銀嵩《かねがだけ》
  銀《かね》がだけは南にして金か嶽《だけ》は北にあり
賀名生《かなふ》の奥《おく》銀《かね》が嶽《だけ》といふ山にして吉野の将軍《しやうぐん》の宮《みや》合戦《かせん》のよし太平記に見えたり
    十津《とつ》川
十津《とつ》川の温泉《いでゆ》は縁起《えんぎ》二通あり是をもとめえざれば濫觴《らんしやう》をあらはさずむかし大塔二品親王《おほたうにほんしんわう》山|臥《ぶし》のかたちにておちさせ給ひて十津川に御|着《つき》おはしまして竹原《たかはら》八郎入道の甥《をひ》に戸野《とのゝ》兵衛といひし人の家にしばらく入せ給ふよし太平記にくはしその末葉《ばつえう》今の世にもあり
現存六帖 遠津川芳野の国栖《くず》のいつしかとつかへぞまつる君の始《はじめ》に
夫木 三芳野の山のあなたの十津川のいづみの原も哀《あはれ》浮世を 公頼
(306コマ)    湯原《ゆはら》
  湯原《ゆはら》類字《るいじ》名所に大和國にあり十津川の温泉《いでゆ》にこそ侍らめ爰を吹田《すいた》といふにやしらず

吹田《すいた》の温泉《いでゆ》にて靏の鳴を聞て
類字名所玉葉集 湯の原に鳴《なく》芦《あし》たつはわがごとく妹《いも》にこふれや時わかず鳴 大納言旅人
    泉杣《いつみのそま》
  八雲《やくも》御抄に大和國とあり古詠に十津川の泉《いつみ》の原《はら》とあり是によりて一|徃《わう》しるすかさねてあきらかにせらるへし
壬二 杣《そま》人のくだす宮木《みやぎ》も泉《いつみ》川霞ながらも春はながるゝ 家隆
白川殿七百首 日にそへて水も泉《いつみ》の杣《そま》川に宮木《みやぎ》を流《なが》す五月雨の比 師繼卿
    龍門寺《りうもんじ》
  芳野《よしの》郡|宇陀《うだの》郡の境《さかひ》にあり礎《いしずへ》のみ
龍門寺《りうもんじ》は義渕《ぎいん》僧正の構造《かうざう》なり【釈書】
  龍門《りうもん》の瀧《たき》を見てよめる
古今 たちぬはぬ衣《きぬ》きし人もなき物を何《なに》山|姫《ひめ》の布《ぬの》さらすらん 伊勢
  ふぢ井のともなが龍門《りうもん》より給はりける歌《うた》の返事によめるかの家の集にあり
名寄 雲と見え人まどはすは流出し龍《たつ》の門《かど》より來《きた》る水かも 素性法師
  是は大和|龍門寺《りうもんじ》の瀧にてよめるなり彼《かの》寺には仙窟《せんくつ》の洞《ほら》ありむかし仙人|住《すみ》しより龍門《りうもん》の仙《せん》といひつたへたり【顕注密勘】
    弓絃葉三井《ゆづるはのみゐ》
  八雲《やくも》御抄に大和國にあり
(307コマ)  吉野の宮に行幸《みゆき》し給ふ時
万葉 いにしへにこふる鳥かも弓絃葉《ゆづるは》の三井の上より鳴わたりゆく 弓削皇子
    安騎野《あきの》
  仙覺《せんがく》抄大和國芳野山のかたにありと云々
万葉 あきの野《の》に宿《やど》る旅《たひ》人うちなひきいもねこしやもいにしへおもふに
    東野《あつまの》
  言塵集《げんぢんしう》にいはく此|東野《あづまの》は芳野《よしの》の安騎《あき》の内と云々|藻塩《もしほ》草に吾妻野《あづまの》安騎野《あきの》同名あきのをのともよめり
万葉 東《あつま》野の煙《けふり》のたちし所にてかへり見すれば月かたふきぬ
寶治百首 東野の露わけ衣はる/\ときつゝ都《みやこ》を戀《こひ》ぬ日はなし 教定
爲尹千首 吾妻野《あづまの》の空《そら》には雲の晴ぬれと袖にしらるゝ萱《かや》か下露
    御垣原《みかきがはら》
  河海《かかい》抄にいはく御垣《みかきの》の原は名所ならね共|御垣《みかき》によせていふなり御かきの松ともよめり同事なり八雲《やくも》御抄|勅撰《ちよくせん》名所|藻塩《もしほ》草大和國なり三芳野《みよしの》のみかきが原とつゞけたりと云々
久安百首 霞たり雪も消《きえ》ぬや御芳野《みよしの》の御垣《みかき》が原に若なつみてん 顯廣
千五百番 春きぬと三垣《みかき》が原は霞とも猶《なを》雪さゆる御芳野《みよしの》の山 釈阿
師兼千首 三芳野の山には雪も消《きえ》/\に御垣が原ぞはや霞なり
    大峯|開基《かいき》
夫《それ》大峯は役優婆塞《えんのうばそく》はじめてひらき給ひしより年《とし》を經《へ》て中絶《なかたえ》にたれば通路《つうろ》は只《たゝ》荊棘《けいきよく》のとぢぬる程《ほど》に聖寶《しやうぼう》僧正いかでかゝる霊山を空《むな》しくせんやはとて更《さら》に開《ひら》き給ひし(308コマ)なり【釈書】
▲役《えんの》小|角《かく》又は役行者《えんのぎやうじや》又は役優婆塞《えんのうばそく》ともいふ大和國|葛城《かつらきの》上(の)郡|茆原《ちはら》村の人にして髙賀茂《たかかも》氏なり舒明《ちよめい》天皇六年にうまれいまだ年《とし》わかくしてひろく学《まな》び佛法《ぶつほう》をたうとみ年卅二といひしにはかづらきの岩屋にとぢこもり藤《ふぢ》をきものとし松の葉《は》をくひものとして孔雀《くじやく》明王の咒《しゆ》をとなへて五|色《しき》の雲《くも》にのり仙宮《せんきう》にあそぶ二の鬼をさふらはせて水木をになはせなどしてつかふにしたがはせずといふ事なし一とせかづらきの岩橋《いははし》をかけなんとしては一言主神《ひとことぬしのかみ》をからめ箕面《みのお》の瀧口《たきくち》に入ては龍樹大士《りうじゆだいし》と物かたらひなどせしたぐひ書《かき》なば紙《かみ》もかさなりけんかし終《つゐ》に文武《もんむ》天皇大|寶《ほう》元年六月七日年六十八にして母《はゝ》君を鉢《はち》に入竹の葉《は》を波にうかべ諸《もろ》共に海に入て後《のち》見え給はず爰に道昭《たうせう》法師もろこしにありし時|新羅《しんら》の山中にしてむらがれる虎《とら》にあひしがその中に役行者《えんのぎやうじや》の後身《こうしん》の虎《とら》ありて詞《ことば》を通《つう》ぜしとかや師鍊《しれん》和尚は是をけづりて年代のたがひをそへられたり【釈書・酉誉抄】されば三年に一度かづらき山とふじの峯へとは來り給ふており/\は人のあひ侍るとかやもろこしにては第三の仙人にておはするとなり【水鏡】大寶元年より延寶七年迄凡九百七十九年か
    吉野郡|神名帳《しんみやうちやう》十|座《ざ》【延喜式】
(309コマ)吉野水分神社《よしのみこもりのじんじや》 吉野山口《よしのやまくちの》神社
大名持《おほなもちの》神社 丹生《にふの》川上(の)神社
金(の)峯《みだけの》神社 髙桙《たかほこの》神社
波寶《はほの》神社 波比賣《はひめの》神社
川上|鹿鹽《かしほの》神社 伊波多神社《いはたのじんじや》

和州舊蹟幽考第十一卷終

(311コマ)和州舊蹟幽考
   第十二卷葛上郡
葛城《かづらき》
葛城山 付 飛龍《ひれう》○麟角《りんかく》○四足鷄《しそくのにはとりの》事
金剛《こんかう》山 付 法起菩薩《ほうきぼさつ》○七大|童子《とうじ》○開山《かいさん》堂(の)事
一言主《ひとことぬしの》神社 付 神階《じんかいの》事○高天《たかま》山 付 高天《たかま》寺事
高天彦《たかまひこの》神
白鳥陵《しらとりのみさゝき》 付 白鳥|飼《かふ》事○化鹿出《けろくいつる》事
琴弾《ことひき》山  高岡《たかをかの》宮
高宮廟《たかみやのびよう》  葛城寺 付 弥勒《みろくの》事
(312コマ)室秋津嶋《むろのあきつしまの》宮  掖上《わきかみの》池
玉手丘上陵《たまてのをかのかみのみさゝき》  茅原《ちはら》村
掖上池心《わきかみいけこころの》宮  孝昭《こうしやう》天皇(の)陵
掖上※〔口+兼〕間岳《わきかみほゝまのをか》  雲櫛《くもくしの》社
捨篠《すてしのゝ》社  御年《みとしの》神(の)社 付 神階《じんかいの》事
巨勢《こせ》山  巨勢《こせ》川
をあきが原  菅原伏見《すがはらのふしみ》
千葉屋《ちはやの》城  延喜式神名帳
   第十三卷城上郡
穴師《あなしの》社  崇神《すうじん》天皇(の)陵
景行《けいかう》天皇(の)陵  舒明《ちよめい》天皇(の)陵
田村皇女《たむらのくはうによの》墓  大伴《おほどもの》皇女(の)墓
忍坂《をしさか》山  鏡女王《かゝみのによわうの》墓
釜《かまの》口寺  痛背《あなし》川
痛足《あなし》山  箸墓《はしつか》
緒環《おたまき》墓  纒向珠城《まきもくたまきの》宮
珠城《たまき》山  纒向《まきもく》山
卷向《まきもく》川  檜原《ひはら》
纒向日代《まきもくひのしろの》宮
豊《とよ》受|氣《け》大明神(の)御鎮座《ごちんざの》地
(313コマ)三輪山  神|岳《をか》山
神山  三垣《みかき》山
神辺《かみべ》山  三輪川
しるしの杦  三輪神社
杦社  三輪若宮
大御輪寺《たいごりんし》 付 神足跡《じんそくせきの》事  天|照《しやう》太神(の)御鎮座地事
玄敏《げんひん》谷  海柘榴市《つはいち》
三輪崎  佐野《さのゝ》渡
磯城嶋金刺《しきしまかなざしの》宮  磯城瑞垣《しきのみづかきの》宮
磯城《しき》嶋  磯城嶋高圓《しきしまのたかまど》
泊瀬《はつせ》山  泊瀬《とませ》
木葉《このはの》宮  紅葉《もみちの》里
泊瀬《はつせ》川  古川《ふるかは》野辺 付 二本杦事
鴬山 弓月嵩《ゆづきがだけ》
石村《いはむら》山
長谷寺 付 觀音○石座(の)事○登廊《のほりらう》○炎上(の)事
護法善《ごほふぜん》神  白山(の)權現《ごんげん》
山口(の)神社  与喜《よき》山天神(の)社 付 祭(の)事
別院《へつゐん》長|勝《しやう》寺  蓮花《れんげ》院
安養《あんやう》院  藤井《ふじゐ》坊
(314コマ)道明《だうめう》上人(の)廟《びやう》  泊瀬朝倉《はせあさくらの》宮
泊瀬|列樹《つらきの》宮  泊瀬|齋《いつきの》宮
迹驚《とゝろきの》淵  泊瀬小野《はつせのをの》
伊豆加志本《いづかしもと》 付 天照太神宮(の)御鎮座(の)事
狹井《さゐの》神社  笠《かさ》山
竹林寺 付 荒神《くはうじんの》事  延喜式神名帳

和州舊蹟幽考第十二卷葛上郡
    葛城《かづらき》
葛城は神武《じんむ》天皇二年|髙尾張邑《たかおはりのむら》【旧事記に高城邑】に土蜘《つちくも》あり身は短《みしか》く手足はなかくして只|勇《たけく》いさめり官軍《みやいくさ》かつらの網《あみ》をもて終《つゐ》に殺《ころ》しけり是より葛城の名あり【日本紀】
    葛城山
  金剛《こんがう》山同山異名
万葉 青柳のかづらき山にたつ雲の立てもゐても妹《いも》をしぞ思ふ 人丸
菅家百首 咲かけてそれとも見えず葛城の花のよそなる峯のしら雲
堀川二郎百首 かつらきや木陰《こかけ》に光る稻妻《いなつま》を山伏のうつ火かとこそ見れ 兼昌
廣田哥合 葛城や菅《すか》の葉しのき入ぬともうき名は猶や世にとまりなん 僧淨縁
御集 さゆりはの葛城山の峯の月曉かけて影ぞすゞしき 後鳥羽院
(315コマ)▲斉明《さいめい》天皇元年五月|龍《りう》にのりて虚空《こくう》をかけるものあり貌《かたち》唐《もろこし》人に似て青きあぶらきぬの笠をきけりかづらきの嶽《だけ》より出て生駒《いこま》山に馳《はせ》行|午《むま》の時には住吉の松(の)嶺《みね》の上より西に向ひて馳《はせ》さりたり【日本紀】
▲天武《てんむ》天皇九年二月葛城山に麟角《りんかく》あり角《つの》のもとは二|枝《また》にして末《すゑ》合て宍《しゝ》あり宍《しゝ》の上に毛《け》生《おひ》たり毛《け》の長《なが》さ一寸則是を奉りけるとぞ【日本紀】同御宇|白鳳《はくほう》十三年葛城に四足の鷄《にはとり》あり【日本紀】
    金剛《こんがう》山 やまと河内の境なり
金剛山は天瓊矛《あまのとほこ》のさきより滴《したゝる》潮《しほ》こりて※〔石+殷〕馭盧嶋《ゑのころしま》となる此ゑのころしまは則金剛山なり【纂疏】又の名は金剛峯又は縛曰羅獨矛《ばさらとむ》又は一|乗《せう》峯【酉誉記】又は神祇宝《しんぎほう》山又は大日本日高見《おほやまとひたかみの》國といふ是は日神《ひのかみ》所化《なりまして》より此名あり【葛城宝山記】
花嚴《けごん》經(に)曰(く)東北海中《とうほくのかいちうに》有《あり》v處《ところ》名《なつく》2金剛山《こんがうせんと》1從《より》v昔《むかし》巳來《このかた》諸菩薩衆《もろ/\のぼさつしゆ》於(て)v中(に)止住《じぢふし給ふ》現《げんに》有《あり》2菩薩《ぼさつ》1名《なつけて》曰《いふ》2法起《ほうきと》1与|其眷属《そのけんぞく》諸菩薩衆千二百人|倶《ともなり》常《つねに》其《その》中(に)而|演《のへ給ふ》1説法《せつほうを》1云々是大和國の金剛《こんがう》山なり【正統記】
▲本堂は法起《ほうき》菩薩|不動《ふどう》明王|藏王権現《ざわうこんけん》の三尊役小角の刻《きさ》み給ひしとなり正月三ケ日大峯八大|金剛童子《こんがうどうじ》に供物《くもつ》をそなへ葛城心經といふをこなひあり役行者《ゑんのぎやうじや》自然涌現《じねんゆげん》の十五童をわけて八大金剛童子は大峯に祠《しゆく》し七大童子はかづらきにをくられし也先第一|經護《きやうご》童子は一乗(の)嶽《だけ》又第二|福集《ふくじゆ》童子は大福山又第三|常行《じやうぎやう》童子は金剛《こんがう》山又第四|集飯《しゆほん》童子は二上の岩《いは》屋又第五|宿着《しゆくちやく》童子は紅宿《こうしゆく》又第六|禅前《ぜんせん》(316コマ)童子は般若嶽《はんにやのだけ》又第七|羅網《らまう》童子は釈迦留岳《しやかるのをか》にしつまり給ふとなり【酉誉抄】

▲開山堂《かいさんだう》役行者の遺像《ゆいざう》あり六月七日に法事を修《じゆ》しその日|護摩《ごま》堂に柴燈《さいたう》の護摩《ごま》あり役行者の傳《でん》は芳野《よしの》郡の大峯の所にあらはす又本堂より漸《やゝ》はるかの坂中に朝原寺《あさはらてら》石寺《いしてら》なとあり
    一言主神
葛木坐一言主《かづらきにいますひとこぬしの》神社【延喜式】一言主《ひとこぬしの》神は孔雀《くしやく》明王と号す【一言主社記】葛城(の)神ともいふ是なり抑一言主神は一説に大穴六道尊子味※〔金+且〕高彦根尊《おほあなむちのみことのこあぢすきたかひこねのみこと》か【釈日本紀】雄略《ゆうりやく》天皇四年天皇かづらき山に狩《かり》し給ふ時一言主神出て天皇とともに箭《や》をはなち轡《くつは》をならへてかりし給ふ【日本紀・古事記】天皇|大瞋《おほいにいかり》給ふて神を土佐《とさの》國にうつし奉らるゝその後天|平寶字《ぴやうほうじ》八年|從《じゆ》五位上|髙賀茂《たかかもの》朝臣|等《たち》奏《そう》して葛城山の東下《ひかしのふもと》高宮岡上《たかみやのをかのうへ》にむかへて鎭《しつめ》奉る【釈日本紀】土佐《とさの》國にうつし給ふ義は信用《しんよう》せざるよし旧説《きうせつ》侍れども既《すでに》續日本紀《しよくにほんき》にその説《せつ》をあらはせり
▲神階《じんかい》は貞觀《じやうぐはん》元年正月廿七日|葛城《かつらき》一言主神(の)神を從《じゆ》二位に叙《じよ》せらるゝ【三代實録】そのゝちをしらす
續古今集 君をいのる只一言の神の宮二心なきほどはしるらん 賀茂氏人
夫木集 逢事をよるとや人も契るとて一言ぬしにねぎぞかけつる 顕昭
    高天山 付 高天寺
  金剛山の半腹《はんふく》にあり又|石見《いはみの》國に同名あり
高天寺《たかまてら》はかの初陽毎朝《しよやうまいてう》と囀《さえづ》りて宿《しゆく》せし梅とて朽《くち》ながらたてり又|土蜘蛛《つちくも》と名にいはれしものゝ栖《すみか》とて岩穴《いはあな》苔生《こけむ》して殘れりされば此人はつねに穴《あな》の中(317コマ)を栖《すみか》とせり賤号《せんかう》を給はりて土蜘《つちく》とはいへり【釈日本紀】
万葉集 葛城の高間の草野|早《はや》しりてさめざらましをいまぞ 畧
    髙天彦神
仁明天皇|承和《しやうわ》六年大和國|葛《かつらの》上(の)郡從三位|髙天彦《たかまひこの》神を名神《めいしん》とし給ふ【續日本後紀】
    白鳥陵《しらとりのみさゝぎ》
  或人《あるひとの》曰(く)葛城の根《ね》に白鳥《しらとりの》明神ありながら村の際《きは》一言主《ひとことぬしの》神はその上にあり兵庫《ひやうご》村の西
日本武尊《やまとだけのみこと》東夷《とうい》をほろぼしてかへり給ひしか伊勢の能褒野《のほの》【延喜式曰鈴鹿郡】にして崩御《ほうきよ》なり給ふ御とし卅歳|能褒野《のほの》陵に葬《かくし》奉りし時白鳥と化《けし》大和國をさして飛《とび》給ひしかは群臣《ぐんしん》棺《くはん》をひらきて見奉りしに只|明衣《みぞ》のみあり又白鳥は大和國|琴弾《ことひきの》原にとゞまらせ給ひしかばそこに陵《みさゝぎ》をつくれり更《さら》に白鳥飛て河内(の)國|舊市邑《ふるいちのむら》にとゞまり給ひしより陵をつくりて白鳥の三陵といへり然とも終《つゐ》に天にかけり給ひしかば衣冠《みぞつもの》を葬《はうふり》奉りけり【日本紀】まち/\の説あり舊事記《くじき》には尾張《おはりの》國に薨《はうふると》云々太平記には尾張國に飛落《とびおち》給ひしより白鳥(の)塚《つか》の名ありといへり盛衰記《せいすいき》には讃岐《さぬきの》國に飛落《とびおち》白鳥(の)明神と顕《あらはれ》給ふとあり
▲仲哀《ちうあい》天皇は日本武尊《やまとだけのみこと》の第二の御子にておはしましき父王《かそのきみ》白鳥と化《け》しさり給ふ朕《ちん》しのび奉るにやむ時なし只白鳥を陵《みさゝぎ》のめぐりの池にかひなんそれを見つゝなぐさみなんとの勅言ありしかは國/\より白鳥をさゝげ奉りき【日本紀】
▲仁徳《にんとく》天皇六十年十月に白鳥(の)陵はもとより空《むな》し(318コマ)とて陵守《みさゝきもり》に役丁《よほろ》を宛《あて》給ひしかは陵のうちより白鹿《しろきしゝ》と化《け》してさり給ひしほどにいとあやしくいとをそれおはしまして又陵|守《もり》をそをかせ給ひしとなり【類聚國史】
    琴弾山《ことひきやま》
  澄月歌枕《てうげつうたまくらに》曰(く)丹後《たんごの》國に琴引(の)濱又琴引(の)松は別國《へつこく》琴引の山いつづれの國にやと云々日本紀に琴引の原大和國と見え侍れは一|往《わう》こゝにあらはす
六帖 いづくにかしらべの声の絶ぬらん琴引山の音のきこえぬ
    高丘《たかをかの》宮
  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)葛上《かつらのかみの》郡|村老《そんらう》申|一言主《ひとことぬしの》社《やしろ》のほとり
人皇二代|綏靖《すいせい》天皇元年正月|都《みやこ》を葛城にうつされ高丘《たかをかの》宮と名づけ給ふ【日本紀】
    高宮廟《たかみやのびよう》
  續《しよく》日本紀(に)曰(く)かづらき山の東《ひかし》の下《ふもと》高宮岡《たかみやのをかの》上に一言主《ひとことぬしの》神をいはひ奉るよし見えたり
皇極《くはうぐよく》天皇元年|蘇我《そがの》大臣|蝦夷《ゑびし》祖廟《おやのつか》をかづらきの高宮《たかみや》に立けるとなり【日本紀】
    葛城寺
  村老《そんらう》申寺村その跡なり
葛城寺《かつらきてら》又は妙安寺《めうあんじ》ともいふ聖徳太子御|建立《こんりう》の後《のち》蘇我《そがの》葛木臣《かづらきのしん》に給はりけると平氏傳《へいしでん》に見えたり
▲葛城尼寺の弥勒銅像《みろくのとうざう》は天平年中寺の前《まへ》南(の)原に悲痛《ひつう》の聲《こゑ》聞《きこ》えしかばこゑにしたがひてたづねしに盗《ぬす》人かの弥勒の像をとりきたりてやぶる程に像《ざう》声《こゑ》をたて給ふにぞありける終《つゐ》に寺にかへし入奉りき【釈書】
(319コマ)    室秋津嶋宮《むろのあきつしまのみや》
  古事記《こじきに》曰(く)葛城室秋津《かつらきむろのあきつの》宮|帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)葛城(の)上(の)郡今(の)掖上池上《わきかみけかみの》池(の)南(の)田中《たのなか》なり今の室村その跡なり寺村より乾《いぬい》にして川の東《ひかし》
人皇六代|孝安《かうあん》天皇二年十月|都《みやこ》を室地《むろのち》にうつされて秋津嶋《あきつしま》の宮と名づけ給ひき【日本紀】又|葛城《かつらきの》宮ともいふ【古事記】
    掖上《わきかみの》池
推古《すいこ》天皇二十一年この池をほりしとなり【日本紀】
    玉手丘上陵《たまてのをかのうへのみさゝき》
  玉手村この所なり室村より乾《いぬい》にして川の東
孝安《かうあん》天皇の玉手(の)丘上《をかのうへの》陵は大和國葛上郡にあり【延喜式】御宇百二十年正月に崩御《ほうぎよ》なり給ひき【日本紀】
    茅原《ちはら》村
  玉手村の乾《いぬい》にして川の東
茅原村は役小角の誕生《たんじやう》の地《ち》なりくはしくは芳野《よしのゝ》郡にあらはす
    掖上池心《わきかみのいけこゝろの》宮
  村老申今の御所村なり茅原《ちはら》の南にして川の西《にし》帝王編年《ていわうへんねんに》曰葛上(の)郡|古事記《こじきに》曰(く)葛城《かづらきの》掖上《わきかみの》宮
人皇五代|孝昭《かうせう》天皇元年|都《みやこ》を掖上《わきかみ》にうつしまして池心宮《いけこゝろのみや》と名づけ給ひき【日本紀】
    孝昭《かうせう》天皇(の)陵《みさゝき》 所さだかならず
孝昭《かうせう》天皇の掖上博多《わきかみのはかたの》山(の)上《うへの》陵は大和國葛上郡にあり【延喜式】即位《そくゐ》八十三年八月に崩御《ほうきよ》なり給ひて(320コマ)孝安《かうあん》天皇卅八年八月にこの山稜にかくし奉る【日本紀】
    掖上※〔口+兼〕間岳《わきかみほゝまのをか》
  所さだかならずかさねてあきらかにたつねらるへし
神武《じんむ》天皇卅一年四月天皇|掖上※〔口+兼〕間岳《わきかみのほゝまのをか》にのぼり給ひて國の状《かたち》を見めぐらし内木綿《うつゆふ》の真迮國《まさかみやと》いへども蜻蛉《かげろふ》の臀呫《となめ》のごとしと宣《の給ひ》しより秋津《あきつ》國の名あり臀《と》は尻《しり》なり呫《なめ》は掌《たなこゝろ》なり西は額《ひたひ》の方|東《ひかし》は腹《はら》の方南北は兩|羽《は》なり【釈日本紀】
    雲櫛《くもくしの》社 所しらす
雲櫛《くもくしの》社は倭《やまとの》國葛上(の)郡にあり下照姫命《したてるひめのみこと》也|大巳貴《おほあなむちの》神(の)兒《みこ》味※〔金+且〕高彦根《あちすきたかひこねの》神(の)妹《いもうと》也【舊事紀】
    捨篠《すてしのゝ》社 号髙鴨社所しらず
捨篠《すてしのゝ》社は味※〔金+且〕高彦根《あぢすきたかひこねの》神|倭《やまとの》國葛上郡|髙鴨《たかかもの》神也【舊事紀】又|大葉刈釼《おほはかりのつるき》又は神戸釼《かんべのつるぎ》ともいふ此釼(は)味※〔金+且〕高彦根《あぢすきたかひこね》の神の帯《はかせ》給ふ釼なり此釼大和國|髙鴨《たかかもの》社に納《おさめ》ぬるか【釈日本紀】
    御歳《みとしの》神(の)社 所しらす
葛木御歳《かつらきのみとしの》神社【延喜式】大巳貴命児《おほあなむちのみことのみこ》御歳《みとしの》神なり【一宮記】
▲神階《じんかい》貞觀《じやうぐはん》元年正月廿七日|從《じゆ》一位(に)奉られしなり【三代實録】
    巨勢《こせ》山
  倭名類聚《わみやうるいしゆに》曰《いはく》高市《たけちの》郡又|藻塩《もしほ》草に葛上(の)郡とあり巨勢《こせ》村|葛城上《かつらきかみの》郡の西にありて高市《たけちの》郡の境《さかひ》にちかし大寶元年|辛丑《かのとのうし》秋九月|太上《だじやう》天皇|幸《みゆきし給ふの》2于|紀伊《きいの》國(に)1時(の)歌《うた》
万葉集 巨勢山のつら/\椿つら/\に見つゝおもふな許湍《こせ》の春野を 坂門人足
新六帖 霞みたつこせの春野に鳴|雉子《きゞす》いつかありかを人にしらるゝ 光俊
(321コマ)    巨勢川
藻塩草 はねかづらいまするいもをうらわかみこちこせ川の音のさやけさ
    をあきか原
千五百番哥合 駒なめてこせの春野を朝ゆけはをあきか原にきゝす鳴也 季能
    菅原伏見《すかはらふしみ》 俗に伏見村といふ
月清集 春の色も遠ざかる也すか原や伏見にみゆる小初瀬の山 後京極良經
拾玉集 初瀬山かねの音さへすか原や伏見の夢はまたよふかきに 慈鎭
壬二 なかめつゝ夕こえくれは初瀬山ふしみの里も麓なりけり 家隆
師兼千首 小初瀬の山はそれとも見えぬまて伏見のくれに立霞哉
    千葉屋城《ちはやのじやう》
千葉屋《ちはやの》城|東條《とうでうの》谷なと金剛山にありて河内國のうちなれはしるさず太平記後太平記にくはしく見えたり
    葛上郡神名帳十七座【延喜式】
鴨都波八重事代主命《かもつゝのなみやえことしろぬしのみことの》神社二座
葛木御歳《かつらきみとしの》神社  葛木坐一言主《かつらきにいますひとことぬしの》神社
多太《たたの》神社  長柄《なからの》神社
巨勢《こせ》山口(の)神社  葛木水分《かつらきみこもりの》神社
鴨《かも》山口(の)神社  大穴持《おほあなむちの》神社
葛木大重《かつらきおほえの》神社  高天彦《たかまひこの》神社
大倉比賣《おほくらひめの》神社
髙鴨阿治須岐詫彦根命《あぢすきたひこねのみことの》神社四座
(322コマ)
和州舊蹟幽考第十二卷終

和州舊蹟幽考第十三卷
城上郡
 礒城《しきの》郡【日本紀】城《しきの》郡【續日本紀延喜式・倭名類聚】式《しきの》郡【大安寺資財帳】
    穴師社
  鳥井は大道にあり社頭ははるかの東に立給ふ
穴師《あなしの》社は天皇の始《はしめ》天くだり來《きた》り給ふの時|護《まもりの》斎鏡《いはひのかゞみ》は三面|子鈴《すゝ》一合を御身にそへさせ給ふその一つの鏡《かゝみ》は天照太神の御霊《みたま》として天懸《あまかけの》神も御名《みな》をあがめ一つの鏡《かゞみ》は天照太神の前御霊《さきみたま》として國懸《くにかゝりの》神と御名《みな》を申奉る今紀伊(ノ)國|名草《なぐさの》宮にあがめうやまひ申|大神《おほんかみ》也一つの鏡《かゞみ》ならびに子鈴《すゝ》は天皇|御食津《みけつの》神|朝夕《あしたゆふべ》の御食《みけ》夜護《よるのまもり》日護《ひるのまもりと》斎《いはひ》奉る今|卷(323コマ)向《まきもく》の穴師《あなしの》社にいます大神《おほんかみ》也【釋日本紀】
    山稜
此ほとり十町ばかりの内に陵六七基ありそれが中に俗《そく》に王の墓とよぶ所あり又くらかけ山などとかたりつたふるありいづれとわかちがたければ名のみ左にあらはす
    崇神天皇陵
人皇十代|崇神《すうしん》天皇は山邊道勾岡上陵《やまへみちのまがりをかのかんのみさゝき》【古事記】山邊道上《やまべみちのかんの》陵ともいふ大和(ノ)國|城《しきの》上(ノ)郡にあり【延喜式】御宇六十八年十二月|崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年百廿歳【日本紀】又|古《こ》事記に御とし百六十八歳延寶七年迄凡一千七百九年か
    景行天皇陵
人皇十二代|景行《けいかう》天皇は山邊道上《やまへのみちのかんの》陵大和(ノ)國|城(ノ)上(ノ)郡にあり【延喜式】御宇六十年十一月に近江《あふみの》國|髙穴穗《たかあなほの》宮にて崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年百六歳又古事記に百卅七歳又|正統録《しやうとうろく》に百四十一歳とあり成務《せいむ》天皇二年十一月にこの陵にかくし奉る【日本紀】延宝七年迄凡一千五百五十年か
    舒明天皇陵
舒明《じよめい》天皇は御宇十三年九月に崩御《ほうぎよ》なり給ひしを皇極《くはうぎよく》天皇元年十二月に高《たけ》市郡の滑谷岡《なめはざまのをか》にはうふり奉りて後同御宇二年九月に押|坂《さかの》陵にあらため葬《はうふ》りきに押《をし》坂|内《うちの》陵ともいふ【日本紀】大和(ノ)國|城《しきの》上(ノ)郡にあり【延喜式】(324コマ)撰集鈔通要に此陵は添《そふの》上(ノ)郡内山とありいかゞとぞおほえ侍る
    田村皇女墓
田村《たむらの》皇女は大和(ノ)國城(ノ)上(ノ)郡|舒明《ぢよめい》天皇(ノ)陵の内に葬《はうふ》る【延喜式】敏達《びだつ》天皇の皇女|糠手姫《ぬかてのひめの》皇女とも申奉りき
    大伴皇女墓
大伴《おほどもの》皇女|押坂《をしさかの》陵大和(ノ)國城(ノ)上(ノ)郡にあり【延喜式】
    忍坂山
万葉 隱來《かくれくの》長谷《はつせ》の山は青幡《あをはた》の忍坂山《をしさかやま》ははしり出《いで》のよろしき山の出立の妙山《くはしきやま》ぞあたらしきお山のあれまくをしも
  藻塩《もしほ》草倭(ノ)國也宗祇法師|忍坂山《しのふさかやま》と点《てん》したり
    鏡女王墓
鏡《かゝみの》女王は押坂《をしさかの》陵大和(ノ)國城(ノ)上(ノ)郡にあり【延喜式】此ほとりに十市のなにかしの出城の跡といひつたふる所あり
    釜口寺 寺領百石
  穴師《あなし》の大道より十五六町ひかし沙石集に鎌《かまの》口山寺とかけり
釜口山《ふこうざん》長|岳《がく》寺|金剛身院《こんかうしんゐん》は弘法大師の開基《かいき》也出書をしらず
  此寺の紅葉を見てめしつれられし小法師あるしの馬の口にとりつきて
沙石 鎌口《かまのくち》こがれて見ゆる紅葉かなといひかけけれは
  阿闍梨《あじやり》
(325コマ) なへての世にはあらじとぞおもふ
    痛背川
  水上は三輪山|痛背《あなし》山のあいだより出て西にながれ末は北に行
万葉 世の中のをとめにしあらば我わたる痛背《あなし》の川を渡りかねめや

同 卷向《まきもく》の痛足《あなし》の川《かは》ゆ行《ゆく》水の絶ることなくまたかへり見ん 人丸
壬二 槙向のゆづきが嵩《だけ》は雲さえてあなし河波朝氷けり 家隆
    痛背山
  仙覚《せんがく》抄大和(ノ)國(ト)云々延喜式に穴師《あなし》ともかけり
万葉 纒向《まきもく》の痛足《あなし》の山に雲ゐつゝ雨はふれともぬれつゝぞ來る
遠島御歌合 風むかふ檜原《ひはら》の時雨かきくらしあなしの嵩にかゝる村雲 基俊
    顕注密勘《けんぢうみつかん》曰(ク)大和(ノ)國にある山也槙向の山ともいふあなしの山ともいふさてかく槙向《まきもく》のあなしとよみつゝくるなり又二の山をとりあはせていおふは常の事也かつらきやたかまの山さらしなや姨捨《をばすて》山かゝる事かすしらす神樂注秘《かくらちうひに》云(ク)まきもこは大和國の山の名也あなし山も其あたり也|穴師《あなし》山の頂《いたゝき》に十市のなにかしの城跡ありそのほとりに藤《ふぢ》といふ所は桃尾《もものお》の瀧の水上なり
    箸墓
  大道の西のほとり俗に箸中《はしなか》の墳《つか》といふ則箸中村にあり
箸墓《はしのつか》の濫觴《らんしやう》は崇神《すうしん》天皇十年天皇|姑《をは》倭迹々日百襲姫《やまととひもゝそひめの》命に大物主《おほものぬしの》神かよひ給(326コマ)ひしが晝《ひる》は見えす夜《よる》のみきたらせ給ひき姫《ひめ》かの夫《せな》にいふやう君《きみ》常《つね》にいかなれば晝《ひる》は見え給はすしはらくとゞまりまして美麗《うつくしき》威像《みすかた》を見ん事をおもふ大神《おほんがみ》我あした汝《いまし》の櫛笥《くしけ》にゐなん我かたちにおどろく事なかれ姫《ひめ》心のうちにあやしとおもひながら明《あく》るをまちて櫛笥《くしげ》を見ぬればうつくしき小蛇《こをろち》あり只|衣《きぬ》の紐《ひも》のごとし則おどろきさけぶの時|大神《おほんかみ》忽《たちまち》に人の形《かたち》となり汝《いまし》しのびずして我にはぢ見せつ我又汝にはぢ見せんとて大虚《おほぞら》をふみ三諸《みもろ》山にのほり給ひし也|姫《ひめ》いとくやしくおもひて箸《はし》もて陰《ほど》をつきて命なくなりにたれは則|大市《おほち》に葬《はうふ》りきこれより人|箸墓《はしのみはか》とはいふなりこの墓《つか》は晝《ひる》は人こぞりてきづき夜になりぬれば神のつくり給ふしかあれば大坂山の石をはこび山より墓《つか》迄《まで》人民《にんみん》相踵《あひつぎ》手《てに》逓《しま・たがひに》傳《し》て運《はこ》びき時の人哥うたふ《日本紀》
 おほさかに【大坂也】つき【築也】のぼれる【昇也】いしむらを【石村也】たこしに【毎手運石也】こさま【不越也】こしかてんかも【難越也】
    緒環墓
  大道の東のほとりわづかにかたばかり殘りて緒環墓《おだまきのつか》といふ箸墓《はしつか》の巽《たつみ》にさしむかふ
緒環墓《おたまきづか》の濫觴《らんしやう》は大巳貴《おほあなむちの》神|妻《つま》をもとめ給なんと天羽車《あまのはぐるま》にめして虚空《おほぞら》をかけり節渡縣《せとのさと》におりひそかに大胸祇《おほみやつかさ》のむすめ活玉依姫《いくたまよりひめ》に通《かよ》ひ給ひしがその通路《かよひぢ》を人のしる所にあらざりけり其女はじめて孕《はらみ》たり父母《ちゝはゝ》あやしみ誰《たれ》人の通ひ(327コマ)來《き》けるにや女《むずめ》神人ありて屋上《やのうへ》より通ひ給ふしかあれば苧玉卷《おたまき》に針《はり》をつけその裳《も》すそをさして跡をしたひ行に|鑰の穴《かぎのあな》より出て節渡《せと》山を經《へ》て吉野山に入|三諸《みもろ》山にとゞまりけりその糸の三丸《みわげ》殘しより三輪山と号せり【舊事記】
    纒向珠城宮
  帝王編年《ていわうへんねん》(ニ)曰(ク)此宮の跡は城上(ノ)郡今の纒向《まきもく》河の北の里の西の田中(ト)云々|俗《ぞく》この田の中を長者の屋敷といふ緒玉卷墓《おたまきづか》のほとりなり
纒向珠城《まきもくたまきの》宮は垂仁《すいにん》天皇二年十月更に纒向《まきもく》に都をつくり給ひて珠城《たまきの》宮といふ【日本紀】又|師木玉垣《しきのたまがきの》宮《古事記》
長秋詠藻 まきもくの玉きの宮に雪ふればさらにむかしの朝をぞしる
    珠城山
夫木 里人のつたふ岩ねの道たえてたまきの山は雪ふりにけり 實伊
    纒向山
  痛足《あなし》同山なり
万葉 卷向の山邊ひゞきて行水のみなはの如し世の人我は 人丸
久安百首 槙向のあなしの山の鴬は今いくかとぞ春を待らん 季通
    卷向川
  痛足川おなしながれ
万葉 痛足川河波たちぬ卷目《まきもく》の由槻我嵩《ゆづきかたけ》に雲もたてるらし 人丸
同 黒玉《うはたま》の夜《よる》ざりくれば卷向《まきもく》の川音高しもあらしかも
    檜原
  痛足山の南にして三輪山の西につゞけり
(328コマ)万葉 卷向の檜原《ひばら》にたてる春霞くれし思ひはなつみけめやも 人丸
雲葉 夜もすがら何を時雨のそめつらん檜原の山の峯の椎柴 覚性
同 行川の過行人の手折らねばうらふれたてり三輪の檜原は 人丸
    纒向日代宮
  帝王編年《ていわうへんねん》に城(ノ)上(ノ)郡今の卷向《まきもく》の桧《ひの》村これ也
纒向日代《まきもくのひのしろの》宮は景行《けいかう》天皇四年十一月|美濃《みのゝ》國より還幸《くはんかう》なりて更《さらに》纒向《まきもく》を都とし給ひて日代宮といへり【日本紀】同御宇五十八年二月近江(ノ)國|志賀《しが》に三とせおはしましきそれを髙穴穗《たかあなほの》宮と申【日本紀】
壬二 よそに見しふるき梢の跡もなし檜原《ひばら》の宮の秋の夕霧 家隆
    豊受氣大神御鎮座地
豊受氣大神《とよけおほんがみ》しばし檜原《ひばら》に御鎮座《ごちんざ》の跡といふ所侍れども出書をしらず
    三輪山
  痛足《あなし》山の南につゞけり
  三輪《みわ》 三室《みむろ》 神南火《かみなび》 同山也
  神岳《みわ》山とも点《てん》あり【詞林採葉抄】
  神樂注秘《かぐらちうひ》抄(ニ)曰(ク)三室とは神(ノ)社也
万葉 三輪山をしかもかくすか雲たにも心あらなんかくさふべしや
同 三諸《みもろ》つく三輪山見ればこもり江の初瀬の檜原おもほゆるかも
同 みてぐらを楢《なら》より出て水蓼《みつたで》の穗積《ほつみ》にいたり鳥網《とあみ》張《はる》坂手《さかて》を過て石はしる甘南備《かみなひ》山に朝宮《あさみや》につかへまつりてよしのへといりますみればむかしおもほゆ
    反歌
同 月も日もかはり行ども久にふる三諸《みもろ》の山のとつ宮地《みやどころ》
同 神山《みわやま》の山へに眞蘇木綿《まそゆふ》短木綿《みちかゆふ》かくのみゆへにながく思き
(329コマ)同 八隅|知《しし》我《わが》大君のゆふさればめし給へらしあけくれはとひ給へらし神岳《み やま》の山の紅葉をけふもかも 畧
元貞家集 けふよりは霞山邊に立のぼる三輪の古里ほのかにぞ見る
敦忠家集 三輪山のかひなかりけり我宿のいり江の松はきりやしてまし
内裏名所 花の色に猶折しらぬかさしかな三輪の檜原の春の夕くれ 定家
草根集 祈こし道にそかへれ初瀬河はやくしるしを三輪の杦村
同 三むろ山をろちにつけしをたまきの末の契そ絶てやみぬる
万葉 味酒の三輪の祝《はふり》の山てらす秋の紅葉のちらまくをしも 長屋王
  此五文字に三訓《さんくん》あり味酒《あちさけ》味酒《うまさか〔け〕》味酒《うまさか》也|崇神《すうじん》天皇の御製《ぎよせい》宇麻作階淤和能《うまさかみわの》とあそばされしを證《しやう》とするにうまさかといふべきものを字訓《じくん》にまかせてあちさけ混俗《こんぞく》か凡《およそ》酒をみわといふ事神のつくりはじめ給ひしゆへか右は詞林採葉になが/\としるされ侍る
    神岳山
  三輪山同山也|神岳《かみをか》山詞林採葉に点あり
 登神岳山部宿祢赤人作歌一首 并 短哥
万葉 三諸《みもろ》の神名備《かみなひ》山に五百枝刺《いほえさし》繁生者《しゝにおひたる》都賀《とか》の樹《き》の弥継嗣《いやつきつき》に玉かつら絶る事なくありつゝもやます通《かよ》はんあすかのふるき京師《みやこ》 畧
    反歌
同 明日香河川よとさらす立霧のおもひすくへき戀にあらなくに
同 神岡之《かみをかの》山の※〔木+丹〕《もみち》をけふもかもとひ給はまし 畧
    神山
同 神山《かみやま》の山下|響《とよみ》行水の水尾《みをし》たえすは後《のち》も吾妻《わかつま》
(330コマ)  澄月今案云(ク)此歌|就《つき》2和訓《わくんに》1載《のすか》2于|三輪山(ニ)1雖(トモ)v然(ト)俊頼《としより》朝臣神山にまゆふのぬさをひきかけてさらすや花のさかりなるらんと取《らるゝ》v詠《えいじ》似《にたり》v取(ニ)2万葉集(ヲ)1然(ハ)別名有2神山《かみやま》之|和訓《わくん》1歟|可《へしと》2尋(て)決1云々俊頼朝臣の哥は文治三年|貴舩《きぶねの》社の歌合に見えたり
    三垣山 付神邊山
万葉 三諸之《みもろの》神邊《かみなひ》山|尓立向《にたちむかひ》三垣《みかき》の山に秋萩の妻を卷六跡《まかむと》朝月夜《あさつくよ》明卷鴦視《あけまくをしみ》足日木《あしひき》の山響令動《やまびことよみ》喚立鳴毛《よひたちなくも》 人丸

    神邊山
神邊山右の哥にかみなひ山と点あり澄月《てうげつ》哥枕(ニ)曰(ク)神南備《かみなひ》山也今|按《あんずるに》神之邊山可v和《やはらぐ》歟是|但《たゝ》神南備山之依(ル)2反本(ニ)1也但先達哥枕に神南備山の外に無(シト)2神辺山1云々神邊山|就《つきて》2文字(ニ)1異《い》(ノ)一徃《いちわう》分《わけて》云歟云々
    三和川
  長谷川おなしなかれなり三輪崎佐野(ノ)渡もこの河なり
万葉 暮木〔不〕去《ゆふさらす》蛙なくなり三和川の清瀬音をきくはしよしも
壬二 三輪の山川辺もいまや夏のよのみしかゆふかけ御祓凉しも 家隆
    しるしの杦
万葉 三輪の山麓めくりの横霞しるしの杦のこ〔う〕れなかくしそ 仲正
古今 我庵は三輪の山本戀しくはとふらひきませ杦立る門 讀人不知
永縁家集 三輪の山尋て行かん春霞しるしの杦は立なかくしそ
三輪の山をたつね又しるしの杦をよめる根源《こんげん》は(331コマ)むかし伊勢(ノ)國|奄藝《あふぎ》の郡に侍りけるひと深山に入て鹿《しか》を狩ける程に風吹雨ふりけしきたゞならずして來《くる》ものあり形《かたち》くろくして長《たけ》高《たか》し目はてれるほしのごとくし獵師《れうし》これを射《い》あてつ血のあとにつきてたづねいたるに遙《はるか》なる山中にすこしはなれて野中に塚《つか》あり其中にいれりその塚《つか》のまへに神女《しんじよ》ありて此|獵師《れうし》をまねくすなはち弓に箭《や》をはげてすゝみよる神女《しんちよ》おそるゝけしきなくていはく汝《なんぢ》が射《い》たりける物は此|塚《つか》にすむ鬼也我この鬼にとられて年來《としころ》此|塚《つか》にすめり汝此鬼を射《い》ころすべしといへりしかば柴《しは》をかりその塚の口に入て火を付て燒《やき》ころしつそののち此神女を具《ぐ》して家にかへり又|相住《あひすむ》事三年になるに獵《れう》師|冨《とみ》さかへぬ児《こ》一人をうましめたり其時此男|白地《あからさま》にあるきけりそのまに女うせぬ泣《なき》かなしみてたづね行《ゆけ》ど行方をしらず又児もうせぬいよ/\かなしむに此女常にゐたりける所を見るに三輪の山もと杦たてる門とかき付たり是によりて大和(ノ)國にたづね入て三輪の明神の社《やしろ》に參《まいり》て此女にあふべきよしを祈《いのり》申程に其社の御戸ををし開《ひらき》て見え給ふ児《こ》も見えたり此男の心ざしの切《せつ》なる事をみてともにちかひて神になれりと見えたりこれによりてその神の祭《まつり》をは伊勢(ノ)國あふぎの郡の人のをこなふ也それよりしるしの杦とはいふなる諺《ことわさ》に云(ク)鬼に神とらるゝとはこれなり【顕註密勘】
(332コマ)    三輪神社 社領百七十四石九斗八升
  一(の)鳥居。二(の)鳥ゐ。楼《ろう》門。寶倉《ほうざう》。拜殿《はいでん》などはあれども社頭《しやとう》は侍らず
當社は大神《おほか》大物主《おほものぬしの》神社神名帳舊事紀(ニ)曰(ク)大巳貴《おほあなむちの》神社はやまとの國城(ノ)上(ノ)郡大三輪(ノ)神なり嫡后《てきこう》は須勢理姫《すせりひめの》神と云々|神光《あやしきひかり》海をてらしうかひ來《く》るものありおほあなむちの神とひたまはく汝《いまし》は誰《たれ》ぞやこたげて申|吾《あれ》は是|汝《いまし》の幸魂《さきみたま》奇魂《くしみたま》なり大巳貴(ノ)神の給はく吾《あが》幸魂《さきみたま》奇魂《くしみたま》今はいづくにかすみなんやこたへて申|吾《あれ》日本《やまとの》國の三諸《みもろ》山にすみなんとおもふ故《かるかゆへ》に則《すなはち》宮《みや》をかしこにいとなみ住しめ給ひき【日本紀】又|崇神《すうじん》天皇七年|倭迹々日百襲姫《やまととひもゝゑそひめの》命に大物主《おほものぬしの》神|著《かゝり》給ひて告《つけ》あり更に御夢に我は是大物主(ノ)神なり我|児《こ》太田々根子《おほたゝねこ》をして我をまつらしめよかくありしより太田々根子《おほたゝねこの》命を神主《かんづかさ》としまつらしめ給ひつ太田々根子《おほたゝねこの》命は大三輪君《おほみわきみ》等《ら》が遠祖《とをつおや》なりくはしくは日本紀にあり扨|祭《まつり》の日は茅《ち》の葉《は》を三つくりて岩ほのうへに置てそれをまつるなり社のおはせぬあやしとて里人どもあつまりて作りたりければ烏《からす》百千|來《きた》りてつゞきやふりふみこぼちてその木どもをはをの/\くはへて行さりにけりその後神のちかひとしりてつくらざりしとなり【奥義抄】抑|大巳貴《おほあなむちの》神は日本紀(ニ)曰(ク)素戔嗚尊《すさのをのみこと》奇稲田《くしいなた》姫とあひ共に遘合《みとのまくばひ》ありて生《あれ》ます児《みこ》なり(333コマ)しかれども次の一書《あるふみ》に素戔嗚《すさのをの》尊の五世《いつよ》の孫《みまこ》大巳貴(ノ)尊といへり六世《むつよ》の孫《みまご》ともあり
古事記(ヲ)撿《かんかふれは》
須佐之男命《すさのおのみこと》――八嶋士奴美《やしましぬみの》神 母櫛稲田比賣――布波能母遲久奴須奴《ふはのもちくぬすぬの》神 母木花知流比賣――深渕之水夜礼花《ふかふちのみなやれはなの》神 母阿比賣――游美豆奴《ゆみつぬの》神 母天之都度閇知泥 上 神――天之冬衣《あまのふゆきの》神 母布帝耳 上 神――大國主《おほくにぬしの》神 母判國若比賣
亦(ノ)名|大穴牟遲《おほあなむちの》神 亦(ノ)名|葦原色許男《あしはらしこおの》神 亦(ノ)名|八千矛《やちほこの》神 亦(ノ)名|宇都志國玉《うつしくにたまの》神 并有五名【以上】又|大物主《おほものぬしの》神又|國造大穴牟遲命《くにつくるおほあなむちのみこと》大國玉《おほくにたまの》神【並八名旧事記】
一神階は貞觀元年二月正一位をさづけ奉りき【三代實録】
    杦社
  もしほ草に大和(ノ)國云々
夫木 今つくる三輪のはふりか杦社過にしことはとはすともよし 鎌倉右大臣
    三輪若宮
若宮(ノ)社は大田々根子《おほたゝねこの》命とも又|少彦名《すくなひこなの》命とも後の人|添削《てんさく》あるべし
    大御輪寺
  三輪(の)神の近き所にあり
大御輪寺《だいごりんじ》は慶圓《けいえん》法師の開基といへり傳《てん》は釈書十二卷に見え侍れども開基のよし見えす又|垂仁《すいにん》天皇の御宇かとよ三輪(ノ)明神の通《かよ》はせ給ひし女《め》いくほとなくして子をうめりその子(334コマ)十歳ばかりまで常の人のごとくにて何《なに》の奇特《きどく》み見えざりしがる時|博覧《はくらん》の人ありてかけまくもかたしけなき明神の御子《みこ》にておはしますよしいひふるゝによりて大御輪寺《だいごりんじ》の丑とらのすみに入定《にうでう》し給ふ末代に奇特《きどく》を見せんとて敷板《しきいた》に御足《みあし》の跡をのこし給ふ其跡今にあたゝかなり【太子傳之撰集抄】 所にもかくぞいひつたへける
    天照太神御鎭座所
  此所は三輪明神の奥にあり
人皇十代|崇神《すうじん》天皇の御宇五十四年大和(ノ)三輪山|三室嶺《みむろのみねの》上に宮つくりて二年まつり奉りきこの時|豊鋤入姫《とよすきいりひめの》命わが日《ひ》足《たり》ぬと申きしかあれば姪《めいの》倭比賣《やまとひめの》命を御杖代《みつえしろ》と定て天照太神を戴《いたゞき》奉り所々に行幸《みゆき》なし給へり【倭姫世記】
    玄敏谷
  當世其跡とてあり
玄賓僧都《げんひんそうづ》は【發心集玄敏】姓《しやう》は弓削氏《ゆげうじ》河内(ノ)國の人なり【釈書】山|階《しな》寺の止事《やんごと》なき智者《ちしや》也けれど世を※〔厭の雁垂なし〕《いとふ》心ふかくして更《さら》に寺のまじはりをこのまず三輪川のぽとりに僅《わづか》なるいほりをむすびてなんおもひつゝ住けり桓武帝《くはんむてい》の御時此事きこしめして強《あなかちに》めし出ければ遁《のがる》べきかたなくてなましゐにまいりにけりされども猶|本意《ほんい》ならずおもひけるにや奈良《なら》のみかどの御世に大僧都に成《なし》給けるを辞《じ》し申とてよめる
發心集 三輪川の清き流にすゝぎてし衣の袖を又もけがさじ
その後或所《あるところ》に大なる河あり渡守《わたしもり》していませしを(335コマ)弟子ほのみてかへりのぼるおりにこそよくみとゞめて對面《たいめん》せんとおもひてかへりけるおりたづねければかの月日にいづちともなく身をかくされしとそかたりし【發心集】
    海柘榴市
  初瀬より五十町北【林逸抄】かなや村より四町ばかり東近年觀音堂をたてたり
海柘榴市《つばいち》つばきの市ともいふ【能因哥枕】又つば木市といふは土蛛《つちぐも》をころしたる所なり海柘榴市《つばいち》と別所《べつしよ》也【河海抄】又つばいち大和にあまたある中に初瀬《はつせ》にまいる人かならずそこにとまりけるは觀音のつげあるにやあらん心ことなり【枕草子】誠かくありければこそ玉かつらの君をはつせへとなんいだし奉るにつばいちといふ所に四日《よか》といふみの時ばかりにいける心ちもせでいきつき給へり 畧 日くれぬといそきたちて見あかしのことゞもしたゝめいでゝいそがせは中/\いと心あはたゝしくて 畧 玉葛卷《たまかづらのまき》につまひらかに見えたり又|初瀬《はつせ》へ參る人はつばいちにいたりて御明《みあかし》の事などを用意《ようい》する事にこそあらめ小右記《せうゆうき》(に)曰(ク)正暦《しやうりやく》元年九月八日|長谷寺にまうでの時|椿市《つばいち》にいたりて御明《みあかし》灯心《とうしん》土器などとゝのへ御堂《みだう》にまうでゝ諷誦《ふじゆ》を修《しゆ》し布《ぬの》廿|端《たん》御明万灯《みあかしまんとう》かゝげさせ給ひしとなり【林逸抄】

万葉 紫ははいさすものを椿市《つはいち》のやそのちまたにあひしこやたれ
同 海柘榴市《つばいち》の八十衢《やそのちまた》にたちならしむすひし紐をとかなくおしも
    三輪崎

(336コマ)  三輪山の南の尾《お》さきにして長谷川ながれたり佐野《さの》のわたりもこゝに侍るとかや

万葉 くるしくも降來《ふりく》る雨か神之崎《みわがさき》狹野《さの》のわたりに家もあらなくに
夫木 三輪か崎夕塩させば村千鳥佐野の渡りに声うつるかな 定家
    佐野渡
  佐野の舟橋又は佐野の中川瀬絶してなどとよめるも上野(ノ)國なり又佐野の岡とよめるは紀伊(ノ)國佐野の渡は大和(ノ)國なり【井蛙抄】
拾遺愚草 時鳥佐野の渡りにさのみなど聞人もなき音をは鳴らん
草根 駒とめて舩をやいそく末《すゑ》遠《とを》きさのゝ佐野の渡りにかゝる旅人 正徹
源氏物語に薫大將《かほるだいしやう》うき舟にたづねそめたる所に三条のたびのやどりに大將いとしのびておはしたりとて案内《あない》いはせ給ほどやゝ久しくさのゝわたりに家もあらなくになど口ずさひてさとびたるすのこのはしつかたにゐ給へり
    磯城嶋金刺宮
  釈書《しやくしよ》曰(ク)山邊《やまべ》磯城嶌《しきしま》(と)云々|扶桑紀《ふさうき》帝王編年《ていわうへんねん》善光寺(ノ)縁起等に山邊(ノ)郡云々|玉林《きよくりん》抄(ニ)云(ク)山邊(ノ)郡は大《おほいに》誤《あやまり》也思ふに日本紀《につほんき》(ニ)曰(ク)遷《うつして》2都(ヲ)倭(ノ)國磯城《しきの》郡|磯城嶋《しきしま》1仍《よつて》号(す)磯城嶌金刺宮《しきしまかなざしのみやと》1云々然は磯城《しきの》郡|明《あきらか》也玉林抄(ニ)曰(ク)今|敷嶌《しきしま》とて一郷《いちがう》の所あり金刺《かなざしの》宮は河向に竹原あり其内に小社あり是|欽明《きんめい》天皇(ノ)内裏《だいり》の跡《あと》也云々當世|田畠《でんはく》にしてしきしまの名あり

(337コマ)人皇卅代|欽明《きんめい》天皇元年七月に都を倭《やまとの》國|磯城《しきの》郡|磯城嶋《しきしま》に都をうつし磯城嶋金刺《しきしまのかなざしの》宮》と名づけ給ひき御宇十三年|始《はしめ》て仏法《ふつほう》日本國《につほんごく》にわたり世尊《せそん》滅後《めつご》凡一千五百一年か欽明《きんめい》天皇元年より延寶七年迄凡一千百四十年か
    磯城瑞籬宮
  帝王編年《ていわうへんねん》に山邊(ノ)郡|此義《このぎ》磯城嶌金刺宮《しきしまかなざしのみや》にあらはせり詞林採葉《しりんさいえうに》曰(ク)磯城瑞籬宮《しきのみつがきのみや》又磯城嶌金刺宮ともに磯城嶌《しきしま》と見え侍れば磯城郡なるへし
人皇十代|崇神《すうじん》天皇三年九月都を磯城《しき》にうつし瑞籬《みづかきの》宮となづけ給ける【日本紀】延寶七年迄凡一千百七百七十四年歟
    磯城嶌
  詞林採葉《しりんさいえうに》曰(ク)磯城《しき》とは大和(ノ)國の内の名所《めいしよ》皇居《くはうきよ》也|崇神《すうじん》天皇|磯城嶌瑞籬《しきしまみつかきの》宮|欽明《きんめい》天皇|磯城嶌金刺《しきしまかなざしの》宮也八雲御抄(ニ)大和(ノ)國(ト)云々
万葉 志貴《しき》嶋の倭《やまとの》國はことだまのたすくる國ぞまさくあれよく
月清 大和かもしきしまの宮しきしのぶ昔をいとゝ霧やへだてん 良經
壬二 しきしまや三輪の檜原《ひはら》も万代《よろつよ》の君がかざしと折やそめけん 家隆
    礒城嶋髙圓
  高圓《たかまど》は三輪崎《みわがさき》のたつみ赤尾《あかお》山の東に龍谷《りうかたに》村に高圓山あり
新古 敷嶋や高圓山の雲間より光さしそふ弓はりの月 堀川院
續後撰 しきし嶋や高圓山の秋風にくもりなき峯をいつる月かけ
(338コマ)    泊瀬山
  八雲(ノ)御抄《みせうに》曰(ク)海士小舟《あまをぶね》泊瀬《はつせ》山といへりとませ山ともいへり泊瀬《はつせ》又|長谷《はせ》【万葉】
万葉 隱口の泊瀬《はつせ》をとめが手にまける玉はみだれてありといはしやも 山前王
同 隱口の泊瀬の山の山ぎはにいざよふ雲は妹《いも》にかもあらん 人丸
同 隱口の豊泊瀬道《とよはつせぢ》はとこなめのかしこき道はこふらくはゆめ
同 隱來の泊瀬のを國につまあれど石はふめどもなをぞきにける
同 隱口の長谷|小國《をぐに》に夜延爲《よばひして》我天皇寸與《わかすめらきよ》奥床《をくとこ》に
  隱口《かくらく》 隱口《かくれく》 隱口《こもりく》 隱口《こもりえ》 先達《せんだち》古訓《こくん》かくのことく區《まち/\》なり其中にかくらくは字《じ》の訓《くん》なるゆへに尤そのいはれありこもり江更《さら》に相《あひ》かなはず若うたがふらくは口の字を草《さう》にして大きなるが江に混《こん》ずるか所詮《しよせん》此所は山の口より入て奥ふかき故に篭口《こもりく》の初瀬《はつせ》といふなるものを【詞林採葉】大初瀬《おほはつせ》小初瀬《をはつせ》ともあり【上同】
万葉 君か代は大はつせ路の百枝槻《もゝえつき》百枝ながらもさかへます哉
同 事之有者《ことしあれは》小初瀬山の岩木にもこもらは共に思ふな我せな
同 海小舩《あまをふね》泊瀬の山にふる雪の消《け》がたくこひし君がをとぞする
  海士小舩泊瀬は舟とむるといふ詞《こと》は近來《このころ》の哥なりおほくは舟はつるといふ心に詠ぜり【詞林採葉】
清輔集 かくらくの豊《とよ》泊瀬路を分入て尾上の寺に雲ぞかゝれる 真觀
壬二 紅のうす花桜ほの/\と朝日いさよふを初瀬の山 家隆
同 ふる雪にまだこもり江の初瀬山檜原も見えず花や敷らん 同
亀山殿七百首 鐘の音やしるべなるらん初瀬山檜原も見えずつもる白雪 經秀
草根 我かたに心ひけとていのりをく弓槻《ゆづき》あまたの小初瀬の山
    泊瀬
(339コマ)  八雲御抄 泊瀬《とませ》 初瀬《はつせ》同所
六帖 海士小舟とませの野邊に降雪のけながく思ひし君か音する 赤人
同 かくらくの泊瀬のやまの山きはにいざよふ雲は妹にもあらん 黒人

御集 打出る春やとませの波間より白ゆふ花の色ぞくたつる 後鳥羽院

    木葉宮

是は初瀬にありむかし初瀬は海にうかぶなりあま人のさる瑞相《ずいさう》ありて木のはのみやに祠《いはひ》申て今に侍る觀音是なりこれは二十卷の神社《じんじや》のみやのうちへ入られしと也 藻塩草

    紅葉里
  初瀬の名なりといへり 藻塩草 古詠《こえい》をもとめえず紅葉の山とよめるも爰の事にや一往あらはす
拾玉 紅のふりいでゝぞ鳴郭公紅葉の山にあらぬものゆへ 慈鎭
    泊瀬川
  泊瀬《はつせ》山は水上《みなかみ》にして三輪崎《みわがさき》佐野《さの》のわたりにながれ行なり詞林採葉《しりんさいえうに》曰(ク)この川に百瀬《もゝせ》川といふあり長谷寺にまうでぬるにわたる所は㝡初《さいしよ》の瀬《せ》なる故《ゆへ》に初瀬《はつせ》といふなるべし
万葉 泊瀬河|白木綿《しらゆふ》花におち瀧つ瀬をさやけくと見にこし我を
同 さゞれなみうきて流る長谷《はつせ》川よるべき磯《いそ》のなきかさひしき
    古河野邊
  二本《ふたもと》の杦は一むかしばかりにやなりけん絶果て古河野邊の名のみのこれり
万葉 いにしへもかく聞つゝや偲ひけんこの古河のきよきせの音を
古今 はつせ河ふる河野べに二本ある杦としをへて(340コマ)又もあひ見んふたもとある杦
玉葛卷 二本の杦のたちどをたづねすは古河野へに君をみましや
手習卷 はかなくて世にふる河のうき瀬には尋もゆかし二本の杦
同 ふる川の杦のもとだちしらねども過にし人によそへてぞみる
  初瀬川の古河野邊二本の杦たてりけるによせてよめりける哥歟近代の達者《たつしや》は初瀬山にふたもとの杦よまれて侍き古今によらばはつせ河とよむべきなり【顕註密勘】二本の杦は初瀬の川上にあり
    鴬山
  藻塩《もしほ》草大和(ノ)國(ト)云々|澄月《てうげつ》哥枕に初瀬云々
懐中抄 我宿の花そのにまた音せねは鴬の山を出ぬなりけり
夫木 くもの井は谷の心も夕とてかへるやよひの鴬の山 爲実
    弓月嵩
  八雲(ノ)御抄(ニ)曰(ク)槻《ゆづき》は初瀬也
万葉 足引の山河の瀬のなるなへに弓月嵩《ゆづきかたけ》に雲立わたる 人丸
拾遺愚草 初瀬のや弓月が下にかくろへて人にしられぬ秋風そ吹 定家
壬二 朝まだき霞たなびく槙向《まきもく》の弓月嵩に春立らしも 家隆
    石村山
  長谷より半道ばかり南に磐坂《いはさか》谷といふありこれらにや
万葉 角障經《つのさふる》石村《いはむら》もすぎず泊瀬山いつかも越ん夜はふけにつゝ
同 角障經石村山に白妙のかゝれる雲は大君にかも
    長谷寺 寺領三百石
豊山神楽院長谷寺《ぶさんかくらくゐんちやうこくじ》は縁起《えんぎ》にこの豊山《ぶさん》に二の名あり一は泊瀬寺《はつせでら》又|本長谷寺《ほんちやうこくじ》ともいふ(341コマ)十一面堂の西の谷その西の岡のウヘに諸堂あり是本長谷寺也泊瀨の川上の瀧藏権現《りやうさうごんけん》の社のほとりに天人つくりし毘沙門《びしやもん》天ありしを雷《らい》降《くだり》とり奉りて空にのぼりし時|御手《みて》の寶塔《ほうたう》落《おち》て此山のふもと三神《みかみ》の里袖川の瀬にとゞまりしを武内《たけうち》の宿祢《すぐね》といふありてみづからとりあげ奉りて西北のすみに納奉りしより舊名《きうめう》三神《みかみ》をあらためて泊瀬豊山《はつせとよやま》といへり三百余歳を經《へ》て弘福寺《こうふくじ》の僧|道明聖《たうみやうしやう》人これを石室《せきしつ》にうつし奉られしより里の名になそらへて泊瀬寺とせり天|武《む》天皇|勅《ちよ》をくだし給ひしかばかの聖人この所に精舎《しやうじや》を造営《ざうえい》せられしとなり二には長谷寺《ちやうこくじ》又|後《のち》長谷《はせ》寺とも【今の十一面堂これなり】聖武《しやうむ》天皇の勅ありて徳道《とくだう》上人【釈書曰法道仙人】諸人をすゝめて天平七|乙亥《きのとのいの》年五月十六日に棟《むね》上して同十九|丁亥《ひのとのい》のとし九月二十八日に供養《くやう》せらる勅使《ちよくし》は中納言|奈弖麻呂《なてまろ》道師は天竺の僧|菩提《ぼだい》咒願《じゆくはん》師は大僧正|行基《ぎやうき》僧百人【興福寺廿一人元興寺廿一人大安寺廿八人薬師寺法隆寺】この時の瑞應《すいおう》縁起《えんぎ》に見えたり徳道上人は播磨《はりま》の國|指宝《しほう》の郡の人|姓《しやう》は辛矢田部《からやたべ》名は米麻呂《よねまろ》【後名子君】天|武《む》天皇即位四年二月廿五日出家す年二十五|當寺《とうじ》験《げん》記(ニ)曰(ク)神亀《しんき》三年十二月晦日大僧都に任《にん》ず
一観世音菩薩は縁起《えんぎ》に徳道上人は大師通明大徳のをしへにしたがひて長谷《はせ》の里(342コマ)にきたるそこに霊木ありき人ありてかたれりしはつたへ聞|継躰《けいたい》天皇|即位《そくゐ》十一|丁酉《ひのととりの》年【釈書曰辛酉】洪《こう》水に近江(ノ)國|高嶋《たかしまの》郡|三尾前《みおさき》の山の谷よりながれ出る木なり【楠木長十余丈釈書曰橋木】志賀《しかの》郡大津(ノ)浦【盛衰記に難波浦】にとゞまりて七十年を經《へ》るころほひ大和(ノ)國|高市《たけちの》郡|八木《やき》の里に小井門子《をさのかどこ》といふ女ありおもふゆへありて佛像をつくりなむと八木のちまたに引よせしがことなさずして死せりこの里に卅余年を經る同國|葛下《かつらのしもの》郡に出雲臣大水阿弥法勢《いづものしんおほらしやみほうせい》【釈書に大滿】といふあり十一面の像をつくり奉らんと同郡|當麻《たえま》の里【釈書に城下郡當麻郷】に引よせたりしかども大水《おほら》も死せりこの所に五十余歳【釈書に八十年】を經る天智天皇即位七|戊辰《つちのえたつの》年|城《しきの》上(ノ)郡長谷の里袖河(ノ)浦【釈書曰葛下郡袖河浦】に引捨る又三十九年【釈書に卅二年】を經るかの木とゞまりありし所《ところ》毎《ごと》に火災《くはさい》疾疫《しつやく》あらずといふ事なしとなり徳道上人【釈書に阿弥徳蓮】老人の物かたりを傳聞《つたへきゝ》てかの霊木《れいぼく》を里人にこひうけたりしかども佛をつくりなん粮《かて》なくして十五年を經る或《ある》夜《よ》夢あり東の峯に三《みつ》の燈《ともしび》あり【今三燈の嶺といふ】三世利益《さんぜりやく》を表《ひよう》するなりかの峯にして造佛《さうぶつ》すべしさめて後をしへのごとく養老《やうらう》四|庚申《かのえさるの》年二月に霊木《れいぼく》を東の峯に引のぼせ庵《いほり》を結《むす》びて聖朝安穩藤氏繁昌乃至法界平等利益《せいてうあんをんふぢうじはんじやうないしほうかいひやうどうりやく》十一面の像をつくり奉らん大悲《たいひ》の弘誓《くぜい》我《わか》願《くはん》を感《かん》し給ひてこの木をのづから佛となし給へとい(343コマ)のりつゝありけり元正《げんしやう》天皇|即位《そくゐ》六年七月|房前臣《ふささきのしん》事のたよりありてこの峯にわけ入かの庵《いほり》に入きて汝|君臣《くんしん》をいのるになにのおもひありけるにや聖《しやう》人|佛法《ぶつほう》興廢《こうはい》只《たゝ》君臣《くんしん》にありといふ臣《しん》此事を元《げん》正天皇に奏《そう》しかさねて聖《しやう》武天皇に奏《そう》す神亀《しんき》元年三月二日|宣下《せんげ》ありて香稻《きやうとう》三千束を営作《ゑいさく》の料《れう》に給ひしかどもいまだなす事をえざりしかば同六年四月八日かさねて大和河内(ノ)兩國數ケ年の正税《せいぜい》を給ひしより御衣木《みそき》の加|持《じ》あり其|修行《しゆぎやう》は道慈《だうじ》律師なり三日のあいだに十一面|觀自在菩薩《くはんじざいぼさつ》の像なり給ふ長《たけ》二丈六尺|巧匠《こうしやう》は稽文会稽主勲《けもんゑけしゆくん》なり天平五|癸酉《みつのとのとりの》年五月十八日|開眼《かいげん》供養あり僧百口【興福寺元興寺大安寺西大寺法隆寺等ナリ】導師は行基菩薩|咒願《じゆぐはん》は義暹《ぎせん》大徳なり此供養の年に異説《いせつ》あり釈書《しやくしよ》廿二卷に神亀《しんき》三年三月|成就《じやうじゆ》云々釈書廿八卷に神亀四年成就云々|水鏡《みづかゝみに》曰(ク)神亀三年三月成就云々導師咒願師いづれもかはらす

一同|石坐《せきざ》縁起に天平元|巳已《みづのとのみの》年八月十五日の夜|瑞應《すいおう》ありをのづからとして金剛寶盤石土《こんかうほうばんじやくつち》うげて外にあらはるゝ方《はう》八尺にして足跡《あしあと》の穴《あな》あり佛の御足にえりあはせしがごとし扨こそ十一面の像をすへたて奉りしなりこの石に三枝《みつつのえだ》あり一枝はこれなり一枝は麻伽陀國佛正覚《まかだこくほとけしやうがく》の寶石《ほうせき》なり一枝は補陀落山大悲《ふだらくせんたいひ》の坐石《させき》也けるとぞ此寶石《ほうせき》の左脇《ひたりのわき》に龍穴《りうけつ》あり無熱地《むねつち》に(344コマ)通《つう》じぬるとかや

一|登廊《のぼりろう》當寺|験記《げんき》に一條院の御時奈良春日の社司《しやし》に信近《のぶちか》といふものあり【正預中臣信清男三國傳記同也】※〔虫+也〕眼疔《しやかんちやう》といへる瘡《かさ》をわづらひたりしが大悲《たいひ》にいのり申ければいくほどもなくして愈《いへ》たりこれによりて建立《こんりう》せしとなり
一再興は長谷寺|験記《げんき》に粗《ほゞ》見え侍る所に長谷寺炎上を録《ろく》せられし慈鎭《じちん》和尚の眞跡《しんせき》一卷をえたり互《たがひ》に見あはせ左《ひたり》にあらはす

一人皇六十一代|朱雀《しゆしやく》院天慶七年正月九日炎上|大悲《だいひ》の像はけふりとならせ給ひしかとも頂上佛《てうじやうぶつ》の御《み》くしは後《うしろ》の山の石上に舞《まひ》うつり給ひしとなり【験記】前夜|霊夢《れいむ》あり【慈鎭記録】

一人皇六十六代一條院正|暦《りやく》二年三月三日諸堂炎上觀音堂つゝがなし【験記】
一人皇六十八代|後《こ》一條院|万寿《まんじゆ》二年正月廿七日觀音堂の廂《ひさし》のみ火つけりをのづからに消《きえ》たり【験記】
一人皇七十八代|後冷泉《これいぜん》院永|承《せう》七年八月廿五日炎上|頂上佛《てうじやうふつ》の面《おもて》は梧桐《ことう》の枝葉《しえう》の中にゐさせ給ひし也【験記】同十月造仏の時かの佛面《ふつめん》を仏身《ふつしん》中に納たり塗料《ぬりれう》漆《うるし》など関白《くはんはく》左大臣巳下の御奉加|薄《はく》の料《れう》は皇后宮職《くはうごぐうしき》内親王家《ないしんわうけ》法務《ほうむ》大僧正など寄附《きふ》せられたり天|喜《き》二年八月十一日供養あり講師《かうし》法務《ほうむ》大僧正|明尊《みやうぞん》咒願《しゆくはん》は權《こん》少僧都|圓縁《えんえん》讀《どく》師は權少僧都|長守《ちやうじゆ》【慈鎭録】
(345コマ)一人皇七十三代|堀河《ほりかはの》院|嘉保《かほ》元年十一月十三日炎上|頂上佛《てうじやうぶつ》の御《み》くし灰炭《はいだん》の中よりとり出し奉る【験記】承徳《せうとく》年中に觀音堂|昇廊《のほりろう》中門再興ありしかども其外ことならずして卅余年を經て終に天承元年供養なり【慈鎭録】
一人皇八十四代|順徳《しゆんとく》院|建保《けんほ》七年二月十五日炎上同御宇|承久《せうきう》元年四月十七日より五月廿日迄に觀音(の)像ことなり給ふ佛師は法眼快慶《ほうけんくはいけい》【号安阿弥陀佛】はしめ灰炭《くはいだん》の中に殘り給ひし仏顔半面《ふつかんはんめん》左右掌《さうのたなこゝろ》など唐櫃《からひつ》に納奉りて寶坐《ほうざの》上に安置《あんち》せしが後《のち》は仏身中にこめ奉りたり眉間《みけん》の水精《すいしやう》の内に招提寺《せうだいじ》の舎利《したり》一粒をこめられたり法阿弥陀佛《ほうあみだふつ》所持《しよち》の舎利也【慈鎭録】
一仁明|順徳《にんみやう》天皇|承和《せうわ》十四年|長谷寺《はせてら》定額《てうかく》とさだめ給ふ【續日本後紀】又|貞觀《でうぐはん》十八年|長朗法橋《ちやうらうほつけう》上人の奏《そう》しけるによりて毎年|安居《あんご》に㝡勝仁王《さいしやうにんわう》經兩部を講演《こうゑん》して鎮護國家《ちんごこくか》をいのるべしとの宣旨《せんじ》あり【三代実録】
一長谷寺の觀音菩薩は住吉物がたりに戀路をいのりてあふ事をえられ又玉かつらに右近《うこん》がつは市にてめぐりあひ又|馬頭夫人《めづぶにん》の美女《びちよ》となり給ひけるなどかぞへなばかぎりなもあらじかし吉備《きび》大臣の野馬臺《やばだい》の文《ふみ》をよみけるも江讀《かうどく》といふ書にのせたりけるとかや或はたしかならすともいへり
    護法善神
験記《げんき》に元《げん》慶五年三月大和(ノ)國十市(ノ)郡|土師(346コマ)時躬《はじのときみ》といひけるものゝ子|二刻《ふたとき》ばかり息《いき》絶《たえ》て後《のち》いき出たりしが我はこれ馬頭夫人《めづぶにん》なりけふより後《のち》この山にすみて護法善神《ごほふぜんじん》とならんと也しかありしよりやしろをたてゝいはひけるとぞ鐘楼の東の脇の社これなり
    白山權現
験記《げんき》にこの寺の阿闍梨行圓《あしやりきやうえん》といふありけり加賀(ノ)國白山にまうでられしに甲斐《かいの》國|八代《やつしろの》郡よりまうできつる男に權現《ごんげん》乘《のり》うつらせ給ひて我|泊瀨山に鎮坐《ちんざ》せんと神詫《しんたく》あり又一鏡|飛《とび》きたりしを阿闍梨の衣《ころも》の袖につゝまれしなり天|禄《ろく》二年七月一日|午《むま》の尅《こく》なりそれより本山に歸り同八月三日に社たてゝうつし奉る【觀音堂ノ西北ノ隅】其夜長谷のさとは大雪ふりけると也【三國傳記】
    山口神
  長谷の町の内にあり
験記曰|手力雄《たちからおの》命也延喜式(ニ)曰(ク)長谷(ノ)山口|坐《います》神【三國傳記見詳】
    與喜山天神
  又三燈(の)嵩ともいふ
與喜山(の)天神の御鎮座《こちんざ》は朱雀《しゆしやく》院(ノ)御宇大和(ノ)國長谷寺に神殿大夫武麻呂《かうとののたゆふたけまろ》とて一|生《しやう》不犯《ふほん》酒肉五辛《しゆにくごしん》を断《だん》し當寺《とうし》に住《ちう》して難行《なんぎやう》を宗《むね》とせし俗《ぞく》ありけり天|慶《けい》九年九月十八日|武麻呂《たけまろ》觀音堂に夙夜《しゆくや》せしがまとろみけるに狩衣装束《かりきぬせうぞく》の老人|來《きた》りて我は是れ大|威験《いけん》の神なりこの山に住して大聖《だいしやう》に値遇《ちぐ》(347コマ)し奉りなんとおもふとおほせられしとおもひて夢はさめにけりその月の廿日|日《ひ》は西山にかたぶき人しづかに侍るに當山大川の下《しも》武麻呂《たけまろ》が家の前に六十計の客俗《きやくぞく》狩衣装束《かりきぬせうそく》にて石上に尻《しり》をかけつゝありけり夢《ゆめ》に見し人なりそれより一町はかりのほり四辻《よつつじ》なる所にて川におり垢離《こり》とりて休《やす》みゐられけり武麻呂《たけまろ》家《いゑ》より物などとり來《き》て奉りなんどしけるが大路椙坂《おほちのすきさか》をはのぼり給はず直《すぐ》に小路をぞのぼらせ給ふ武麻呂《たけまろ》道明《だうみやう》上人の廟《びよう》の前にして追付《をひつき》三寸《みき》をなん勸《すゝめ》けりそれより御堂《みたう》にまうで給ひしがやゝしはし念誦《ねんじゆ》ありけるに夜半に空より雲くだりて客俗《きやくぞく》におほへり終《つゐ》に雲《くも》晴《はれ》て後《のち》客俗《きやくぞく》我は是右大臣正二位天満天神|菅原《すがはら》の某《それかし》也この山に居《きよ》をしめて大聖《たいしやう》に値遇《ちぐ》し奉り苦《く》を遁《のがれ》なんと思ふ瀧藏權現《りうざうごんけん》いまして我むかしより此山の地主《ちしゆ》としてこの川上に居《きよ》せり君にゆつり奉る今より後《のち》ながくこの山の地主《ぢしゆ》となり給へかしこゝは因曼荼羅峯《いんまんだらほう》としてよき所に侍るなり神《かみ》則|飛《とひ》うつり給ふ此二神の御物かたりは武麻呂《たけまろ》しのびて聞侍るぞかしよき所の詞《ことは》よりはしまりて與喜《よき》山の天神とぞ申奉りける

天|暦《りやく》二年七月|武麻呂《たけまろ》宝|殿《でん》を建《たて》て祠《まつり》奉れり【三國傳通記】天暦二年より延宝七年まて凡七百卅二年か
一|祭礼《さいれい》の儀式《ぎしき》先《まづ》大河《おほかは》の前に出し奉る【今惣門前也】(348コマ)是武麻呂(の)家の前なり次に大路の四辻にして居《すへ》奉る【今橋爪与喜村】爰は垢離《こり》とり給ふ所なり道《とう》明上人の廟《びやう》の前にて御供《ごくう》を奉る【今二王門内】是|三寸《みき》をすゝめ奉りし所なればなりそれより假社《かりやしろ》に居《すへ》奉りしを一条院(ノ)御宇|勅願《ちよくぐはん》として藤原景斉《ふぢはらかけとき》に詔《みことのり》して仁王《にんわう》堂をうつし立て天神|影向《ようがう》の跡をおもひ椙《すぎ》坂の道をあらためて直道《すぐみち》を行今の登廊《のほりろう》是也【三國傳通記験記】
  天神御腰をかけさせ給ふ石は長谷の町の東|顔《かは》の北にあり武麻呂か家地は西顔の民屋になれり道明上人の墳又天神に三寸を奉りし石などは二王門の内に今に有
    別院長勝寺 當世この寺なし
験記《けんき》曰|宇多《うだの》天皇|勅願《ちよくぐはん》美福《びふく》門|院《ゐん》の修造《しゆざう》なり醍醐《たいごの》天皇いまだ春宮《とうぐう》にわたらせ給ひける時御|不豫《ふよ》の御|願《くはん》ありしにいくほどなくして安《あん》平ならせ給ひしかば八大觀音(ノ)像三十三身の像を営造《ゑいざう》ありこの山の二本の椙《すぎ》のほとりに臨幸《りんかう》ならせ地形《ちきやう》をえらはせ給ひて建立ありしと也【三國傳記】
    蓮華院
  當世本願坊の南に蓮華谷といふあり是也
験記曰|蓮華《れんげ》谷に池あり二丈一尺にして方《はう》なり役小角|勤行《こんきやう》の閼迦《あか》にむすばれしに十羅刹女《しうらせつじよ》水上《みなかみ》に出現《しゆつげん》し給ふそれのみならす霊瑞《れいずい》あまたあり行仁《ぎやうにん》上人の記《き》に見えたり又|密法相應《みつほうさうおう》にして皇胤鎮護《くはういんちんご》の本尊をすへなんとて二丈六尺の(349コマ)方形《はうぎやう》の圓堂《えんだう》を立て万|徳莊嚴《とくしやうごん》の秘像《ひざう》をすへ奉り天平十五年三月廿五日に供養す神護《じんご》二年四月六日|石《いし》川(の)朝臣豊成《あそんとよなり》に勅《ちよく》してかの圓堂の上に三間四面の堂をつくりおほはせ給ふ神護景雲《じんごけいうん》元年九月十日|宣《せん》下ありて蓮華院《れんけゐん》となづけらるゝむかし天人あまくだりて蓮華《れんけ》をすゝぎ大悲《たいひ》に供養せし瑞應《すいおう》あればなりそれよりして聖武《しやうむ》天皇の勅願《ちよくくはん》としてとしごとの六月十八日に蓮華《れんげ》供養はじめさせ給ひし也
    安養院 當世この院なし
験《けん》記(ニ)曰(ク)行仁《ぎやうにん》上人は兼隆《かねたか》中納言の息《そく》にして惠信《ゑしん》院の僧都の弟子《でし》也永|承《せう》七年の秋この寺にまうでゝ菩提《ぼだい》心をいのる安養世界決定徃生《あんやうせかういけつでうわうじやう》の瑞夢《すいむ》をえたり又觀音の告《つげ》によりて勸進聖《くはんしんひじり》となりて仙洞《せんとう》の御所《ごしよ》に奏《そう》し奉る白川(ノ)法皇勅して一間四面の堂又一院を造営まし/\てえさせ給ふ安養院と号し生涯《しやうがい》禁《きん》足して保安《ほあん》元年九月十五日|高声念佛《かうせうねんぶつ》して西にむかひて終《をはる》八十九
    藤井坊 この跡しれす
永享年中十一月中旬の比南都成就院法橋清賢ともなひて長谷寺に一七日參籠せしに藤井坊といふ坊にて法楽せし中に
長谷寺佛前五十首 夕時雨ふるやゆづきが下露も氷て落る冬の山風 正徹
    道明上人廟
験記曰今の二王堂の内なり

(350コマ)    泊瀬朝倉宮
  帝《てい》王|編《へん》年に城《しきの》上(の)郡|磐坂《いはさか》谷なり當世尋《たつね》しに長谷より半道ばかり南にあり
人皇廿一代|安康《あんかう》天皇三年|泊瀬朝倉《はせあさくら》に宮をさだめ給ふ【日本紀】延寶七年迄凡一千二百廿四年か
    泊瀬列城宮
  帝王編年曰城上郡云々長谷より十町はかり南に出雲村其跡といへり
人皇廿六代|武烈《ぶれつ》天皇元年|泊瀬列城《はせなみき》にして即位《そくゐ》まし/\て都をさだめ給ふ【日本紀】延寶七年迄凡一千百八十一年
    泊瀬斉宮 所しらす
天武天皇白鳳二年四月|大來《おほくの》皇女を天照太神に奉る泊瀬《はつせ》齋宮《いつきのみや》にいもゐして同三年十月に伊勢の神宮にまうて侍る【日本紀】延寶七年迄凡一千八年か
    迹驚淵 所しらす
天武天皇白鳳八年八月|泊瀬《はせ》に行幸《みゆき》なり迹驚渕《とゝろきのふちの》上にして宴《えん》し給ふ【日本紀】
    泊瀬小野 所しらす
雄畧《ゆふりやく》天皇六年二月|泊瀬《はせ》の小野《をの》に行幸なりて山野《さんや》のけしきをめで給ひて
日本紀 こもりくの【籠國】泊瀬の山はいまたちの【今時也】よろしと山はあやに【綾】うらくはし【麗也】あやにうらくはし
(351コマ)この御製《ごせい》より道《みち》の小野《をの》とぞいひける
    伊豆加志本
  當世|俗《ぞく》にむかし天照太神たてさせ給ひし鳥居の跡とて長谷の町のうちの南|民屋《みんをく》の内に礎《いしずへ》二つありおもふに礒城嶌《しきしま》は半里坤に名のみ殘り伊豆毛《いづも》村八十町ばかり坤《ひつしさる》にあり伊豆加志本《いづかしもと》の鳥ゐの跡に侍りなんかし

人皇十代|崇神《すうじん》天皇四十三年天照太神大和(ノ)國|伊豆加志本《いづかしもと》の宮にうつり給ひて八年いはひ奉りけり【倭姫世紀】礒城嚴橿之本《しきのいつかしのもと》とも【葛木宝山記】かけり

    狹井神社

三輪の社二町ばかり北にあり當世絶果たり城(ノ)上(ノ)郡|鎮花《はなしづめの》神これなり
狹井《さゐの》神は大巳貴荒魂《おほあなむちのあらたま》也花|落《ちる》の時|疫神《やくじん》分散《ふんさん》ありてわさはひをなし人民をわづらはしめ給ふなれは鎮花祭《はなしづめのまつり》あり宇多《うたの》天皇寛平九年三月七日勅してまつり給ふとなり【旧記】延喜式に狹井坐大神荒魂《さゐにいますおほんがみあらみたまの》社五座云々
    笠山
  藻塩《もしほ》草に大和(ノ)國と云々
万葉 雨ふればさゝんとおもへる笠《かさ》の山人にさゝすなぬれはひずとも 乙麻呂
    竹林寺
  笠《かさ》山にあり俗に笠《かさ》の荒神《くはうしん》といふ
鷲峰山竹林《しゆほうさんちくりん》寺はむかし役《えんの》小角|行《をこな》ひゐ給ひし(352コマ)霊山《れいさん》なり善無畏三蔵《せんむいさんざう》來朝《らいてう》の時|天竺《てんぢく》もろこしの中路にて天《あま》くだりける天人《てんにん》所造《しよざう》の笠《かさ》を將來《しやうらい》ありて此山につたへさせ給ひしより笠《かさ》山の名ありこの笠|霊寶《れいほう》として當世にあり
荒神《くはうじん》は良弁《らうべん》僧正|參籠《さんろう》の時|荒神《くはうじん》現形《げぎやう》し給ふ僧正小板に圖《づ》せられき其後弘法大師かの圖《づ》の像をうつして荒神をきざみ給ひしよりながく此寺につたはれり抑《そも/\》大和(ノ)國|笠《かさ》山の荒神は三座《さんざ》おはしまして土祖《はにおやの》神一座|澳津彦《おきつひこの》神一座|澳津姫《おきつひめの》神一座|舊事《くじ》記(ニ)曰(ク)太年《おほとしの》神|天和迦流美豆姫《あめわかるみつひめ》を妻《つま》としうめる御子《みこ》澳津彦《おきつひこの》神|奥津姫《おきつひめの》命此二神は諸人《しよにん》竈《かまどの》神に祠《まつり》奉る神也
   城上郡神名帳三十五座 延喜式
大神大物主《おほかおほものぬしの》神社 神坐日向《みわにいますひむかひの》神社 穴師《あなし》坐|兵主《ひようずの》神社 卷向《まきむくに》坐|若御魂《わかみたまの》神社 他田《をさたに》坐|天照御魂《あまてるみむすひの》神社 志貴御縣《しきのみあがたに》坐神社 狹井《さゐに》坐|大神荒魂《おほかあらみたまの》神社五座 忍坂《をしさかに》坐|生根《いくねの》神社 長谷《はせ》山口(に)坐神社 等弥《とみの》神社 殖栗《ゑくりの》神社 忍坂《をしさかの》山口(に)坐神社 水口《みなくちの》神社 桑内《くはうちの》神社 秉田《ひきだの》神社 宇太依《うたゐの》田(の)神社 玉烈《たまつらの》神社 伊射奈岐《いさなきの》神社 綱越《つなこしの》神社 稔代《とししろの》神社 穴師《あなし》大|兵主《ひようずの》神社 若櫻《わかさくらの》神社 鍋倉《なへくらの》神社 高屋安倍《たかやあべの》神社三座 宗像《むなかたの》神社三座

(354コマ)和州舊跡幽考
   第十四卷 山|邊郡《へのこほり》
山邊(の)里
石上《いそのかみ》寺 付 有常田《ありつねだの》事
石上《いそのかみ》
陵《みさゞき》
穴穗宮《あなほのみや》
廣髙宮《ひろたかのみや》
石上布留《いそのかみふるの》宮 付 御鎮座《ごちんざ》○神倉《ほこら》○川上|辺劔《べのつるぎ》○八尺瓊勾《やさかにのまが》玉○神階《じんかい》○祭《まつり》○五色雲《ごしきのくもの》事
神宮寺《じんぐうじ》
良因寺《れういんじ》
石上池《いそのかみのいけ》
石上溝《いそのかみのみぞ》
(355コマ)布留瀧《ふるのたき》
龍福寺《りうふくじ》
布留《ふる》山
布留野《ふるの》
古柄小野《ふるからをの》
忘《わすれ》水
布留《ふる》川
布留高橋《ふるのたかはし》
長屋原《ながやのはら》
都介《つげ》 付 狩猟《しゆれう》伐木《はつぼく》禁制《きんぜいの》事
田《た》村
竹谿《たけだに》村(の)堀越《ほりこし》
木殿《きどの》
山|邊御井《べのみゐ》
二|階堂《かいだう》
衾田《ふすまだの》墓
衾道《ふすまぢ》
引手《ひきて》山
千塚《せんづか》
大和《おほやまとの》明神(の)社 付 神階《じんかいの》事
永久寺《えいきうじ》
多田來迎寺《ただのらいかうじ》
笠間《かさま》山
延喜式神名帳《えんぎしきじんみやうちやう》

(356コマ)和州舊跡幽考
  第十四卷 山|邊《べの》郡
    山邊(の)里
壬二 霜こほる柴《しば》のさ枝やうるふらん煙ぞしめる山邊の里 家隆
懷中集 打なびき春さりくれば山の邊の槙《まき》の梢《こすゑ》にさきゆくみれば
    礒上《いそのかみ》寺 礒上村にあり寺領五石
石上在原山本光明《いそのかみざいげんざんほんくはうみやう》寺は在原業平朝臣《ありはらのなりひらのあそん》住《すみ》おはせし地に寺を立られけるとぞ老にけらしななどゝたはふれ給ひし井筒《ゐづゝ》の跡《あと》かすかに夜半《よは》にや君がひとり越《こゆ》らんと詠《ゑい》ぜられし千載《せんざい》とて薄《すゝき》など生《おひ》たり拾芥《しうがい》抄には礒上《いそのかみ》寺は寶蓮《ほうれん》寺と号《かう》せしよし見え侍ればいつの代より改名《かいみやう》して本光明《ほんくはうみやう》寺とはいふにや堂一宇觀音|菩薩《ぼさつ》をすへたり(357コマ)因《ちなみ》に紀有常《きのありつね》の家地《いゑところ》此南にならびて當世田にほりて有常《ありつね》田とぞいひける
  ならの石上寺にて
古今 石上古き都《みやこ》の時鳥《ほとゝきす》声《こゑ》ばかりこそむかしなりけれ 素性法師
  此|歌《うた》の端書《はしかき》にならの石上《いそのかみ》寺にてとかける詞《ことば》心えず奈良都《ならのみやこ》は添上《そふのかみの》郡|石上《いそのかみ》は山邊《やまべの》郡なり石上《いそのかみ》寺をならといはん事いはれなし只|奈良《なら》を過てまかれば石上《いそのかみ》遠からぬにおもひわたりて奈良《なら》の石上《いそのかみ》とかきて侍るなり 顕注密勘
  あり原寺を見てよめる
玉葉 形《かた》ばかり其|名殘《なごり》とて在原《ありはら》の昔《むかし》の跡《あと》を見るもなつかし 贈從三位爲子
哥枕 昔《むかし》より殖《うへ》けむ時を人知らぬ花に古《ふり》ぬる石上《いそのかみ》寺 宮内卿
    石上《いそのかみ》
  石上《いそのかみ》村とてあり礒上《いそのかみ》【古事記】石上《いそのかみ》【日本紀】
家集 年をへていひふるさるゝ石上《いそのかみ》なをたにかへて世を經てしかな 公実
同 染返《そめかへ》しいくしほ經《へ》てか石上《いそのかみ》生《お》ふる松葉を結《むす》びをく哉 小大君

同 立かへり思ひ出れど石上《いそのかみ》ふりにし戀《こひ》は忘《わす》れたりけり 友則
奥義抄 石上ならの都《みやこ》の初《はしめ》よりふりにけるとも見ゆるころもか
  つねは石上《いそのかみ》ふるとぞよめる其うへは大和に石上《いそのかみ》の社《やしろ》といふ所に布留《ふるの》明神といふ神います故《ゆへ》なりされば上《いそのかみ》ふりとはいふましなど申せともふるくみなよめり五|音《いん》の字《じ》なれはかよはせるにや又かの社《やしろ》世《よ》のはじまりの所なればたゞふるきことによせていふにや【奥義抄】
    陵《みさゝぎ》
  かづさ村に一|基《き》俗《ぞく》に王墓《わうはか》山といふ一|基《き》は(358コマ)東の山にあり俗《ぞく》にうはなり山ともみゝづかともいふいづれの陵《みさゝぎ》ともしらず
    穴穗《あなほの》宮
允恭《いんげう》天皇四十二年天皇|崩御《ほうぎよ》なり給ふ其十二月人王廿一代|安康《あんかう》天皇石上に都をうつし給ひて穴穗《あなほの》宮といへり【日本紀】延寶七年年迄凡一千二百廿六年か
    廣髙《ひろたかの》宮
人王廿五代|仁賢《にんげん》天皇元年正月|石上廣髙《いそのかみひろたかの》宮にして即位《そくゐ》まします【日本紀】
  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)穴穗《あなほの》宮は山|邊郡《べのこほり》石上《いそのかみ》左大臣の家の西南|古《ふる》川の南の地なり廣髙《ひろたかの》宮は同左大臣の家の北なり田原とあり今たづぬるにしれる人なし
拾玉 心すむかぎり也けり石上《いそのかみ》古《ふる》き都《みやこ》の有明の月 慈鎮
師兼千首 石上古き都《みやこ》に立かへり又あら玉の春ぞ來にける
    礒上布留《いそのかみふるの》社
石上坐布都御魂神社《いそのかみにいますふつのみたまの神社》【延喜式】

鹿嶌《かしま》の神宮|同躰《どうたい》【釈日本紀】十握劔《とつかのつるぎ》にてまします【古語拾遺】
▲十握劔《とづかのつるぎ》は其名|天羽斬《あまのはゝきり》【古語拾遺】又|天尾羽張《あまのおははり》又|伊都之尾羽張《いづのおははり》【古事記】又|※〔音+市〕霊劔《ふつのみたまのつるぎ》又|布都主《ふつぬしの》神|魂刀《みたまのかたな》又|佐士布都《さしふつ》又|建布都《たけふつ》又|豊布都《とよふつ》【舊事紀】又|麁正《あらまさ》又|韓鋤劔《からさびのつるぎ》又|甕布都《みかふつの》神【釈日本紀】とも申
抑《そも/\》此|劔《つるぎ》の濫觴《らんしやう》は素戔嗚尊《そさのをのみこと》出雲《いづもの》國にして八(359コマ)岐《やまた》の大※〔虫+也〕《おろち》をきり給ふその尾《お》をきり給ふ時に劔《つるぎ》の刃《は》すこし缺《かけ》たりいかなればとてその尾《お》を割《さき》て見そなはし給へば尾《お》の中に劔《つるぎ》あり是|草薙《くさなぎ》の劔《つるぎ》にして尾張《おはりの》國|熱田《あつたの》神なり蛇《をろち》をきる劔《つるぎ》は蛇《をろち》の麁正《あらまさ》と号《かう》し石上《いそのかみ》にいます【日本紀】又|天羽斬《あまのはゝきり》といふは大蛇《をろち》を羽《はゝ》といふ故なり【古語拾遺】初《はじめ》は大和の石上《いそのかみ》にまし/\き後《のち》は常陸《ひたち》の鹿嶋《かしま》の神宮にまします【正統記】
▲韓鋤《からさび》の劔《つるぎ》のかたちは鋤《すき》に似《に》たるより此|名《な》あり又先師の説《せつ》には加良須岐《からすき》のかたちならんか【釈日本紀】
▲爰《こゝ》を布留《ふる》と名《な》づけける元來《げんらい》はむかし布留《ふる》の川上に一の劔《つるぎ》ながれたり物にふるゝごとに石木《せきぼく》といへどもやぶるゝにやすくきるにかたきはなし川耳《かはばた》にあやしの賤女《しつめ》布《ぬの》をあらふありけりその布にまつはれて劔《つるぎ》のとゝまりしより神と祠《いはひ》布留《ふるの》明神と号《がう》し奉る扨こそ布留《ふる》はぬのにとゞまるとぞかけりける【盛衰記】又布留《ふる》といふは瑞寶《ずいほう》を一つづゝよひて咒文《じゆもん》をして手ふるゝ事のあるよりして留《ふる》とはいへり【正統記】
▲御鎮坐《こちんざ》は人王十代|崇神《すうしん》天皇の御宇なり【神宮御抄】かの御宇に伊香色雄命《いかしこおのみこと》【宇麻志麻治命六世孫】大臣にして天社《あまつかみ》國社《くにつかみ》をさだめ八十万群神《やをよろづのもろかんだち》をまつる時大和國山|邊《べの》郡|石上邑《いそのかみのさと》にうつし奉る其神|十種《とくさ》の瑞寶《ずいほう》は高皇産霊尊《たかんみむすびのみこと》より饒速日尊《にぎのはやひのみこと》につたはり其子|味間見命《むましまみのみこと》にあたへそれより神武《じんむ》天皇に奉りて後《のち》は藏齋《おさめまつり》(360コマ)石上の大神と号し國家《あめがした》あがめまつりけり舊事記《くじき》日本紀《につほんき》古語拾遺《こごしうい》元《げん》々|集《しう》神皇正統記《しんくはうしやうとうき》等《とう》きくはしくあり又の説《せつ》人王十七代|仁徳《にんとく》天皇の御世|布都主神社《ふつぬしのじんじや》を石上《いそのかみ》の御布留《みふる》村の高庭《たかには》の地《ち》にいはひき市川臣《いちかはのしん》を神主《かんづかさ》とせり【新撰氏録】
▲御庫《ほこら》當世かたばかりの寶藏《ほうざう》社頭《しやとう》にならびてあり垂仁《すいにん》天皇八十七年二月|五十瓊敷命《いそにしきのみこと》妹《いろと》の大中姫《おほなかびめ》にいへり我|老《おひ》ぬれば神宝《かんだから》つかさどるにかなはずけふより後《のち》汝《いまし》つかさとなれ大中姫《おほなかひめ》いなひて我|弱女《たをやめ》の身にしていかにして天神庫《あまのほこら》にのぼりなんや五十瓊敷命《いそにしきのみこと》しかあらば神庫《ほこら》に梯《はし》をつくりなんなにの労《わづらひ》かあらんやとなり神の神庫《ほこら》に隨樹梯《はしたてのまゝに》とは是その縁《もと》なり【日本紀】當世|寶藏《ほうざう》の内に方五尺の櫃《ひつ》あり神符《しんふ》にしてひらく事をしらず小狐《こぎつね》といふ劔《つるき》あり
▲垂仁《すいにん》天皇卅九年五十瓊敷命《いそにしきのみこと》茅渟莵砥《ちぬのうちの》川|上《かみの》宮【河内國】にして千《ちゞ》の劔《つるぎ》をつくり其|劔《つるぎ》を川|上部《かみべ》と名《な》づけ又|裸体《あかはだか》とも名《な》づけて石上《いそのかみの》神宮に納《おさ》めき【日本紀】同御宇八十七年|丹波《たんばの》國|桑田《くはだ》村の獣《けだもの》の腹《はら》にありし八尺瓊勾玉《やさかにのまがたま》も爰《こゝ》に納奉る【日本紀】其後|天武《てんむ》天皇三年八月|忍壁《をしかべの》皇子におほせて石上《いそのかみ》の神宮の神宝《かんだから》をあぶらもてみがゝせはじめ諸家《しよけ》より神府《ほくら》につめられし寶《たから》物をその(361コマ)子孫《しそん》にかへしつかはされき【日本紀】
▲神階《しんかい》は貞觀《ぢやうぐはん》九年三月十日|從《じゆ》一|位《ゐ》勲六等《くんろくとう》石上《いそのかみ》の神に正一位をくはへさせ給ふ【類聚國史】
▲祭《まつり》は當代六月晦日かの浣布《くはんふ》にとゞまりし劔《つるぎ》とて袋《ふくろ》におさめて鳥居の外まで出し奉り又七月七日|神前《しんぜん》に護摩《ごま》を修《しゆ》し宝蔵《ほうざう》の笈《をひ》三|負《をひ》出して僧の肩《かた》にかけてをこなひあり是を笈《をひ》わたしといふ内《うち》山|永久寺《ゑいきうじ》桃尾山龍福寺《たうびさんりうふくじ》ならびに氏子《うじこ》五十|余郷《よがう》の僧等《そうとう》あつまりてつとめける事にぞ侍る
▲貞觀《ぢやうぐはん》五年六月此|社《やしろ》の南に五色の雲あらはるゝよし三|代實録《だいしつろく》に見えたり
    神宮寺《じんぐうじ》
石上神宮寺《いそのかみじんぐうじ》出書《しゆつしよ》をしらず只|貞觀《ぢやうくはん》八年正月大和國の田廿八町|施入《せにう》のよし三代|實録《しつろく》に見えたり
万葉 石上|振《ふる》の神杦《かみすぎ》神となる戀《こひ》をもわれは更《さら》にするかも
弁乳母集 石上|布留《ふる》の社《やしろ》をわするればうしろめだなき三輪《みわ》の山哉
堀川太郎百首 石上ふるの社に春くれば霞《かすみ》たなびく高圓《たかまど》の山 師頼
同二郎 たのみては久しくなりぬ石上《いそのかみ》ふるの社のもとのちかひを 常陸
久安百首 五月雨のふるの社《やしろ》の時鳥《ほとゝぎす》三笠《みかさ》の山にさしてなく也
師兼千首 跡たれし印《しるし》の杦の名《な》に立ていく代《よ》かふるの神のみづがき 待賢門院安藝
    良因寺《れういんじ》 布留社の乾
良因寺《れういんじ》は藥師如來《やくしによらい》をすへたり素性《そせい》法師|住《すみ》おはせしとてかの法師の石塔《せきたう》などありとう(362コマ)すざうしに見えたり
    石上《いそのかみの》池
  いそのかみ大|将軍《しやうぐん》の池といふ是なり
石上《いそのかみ》の池の邊《ほとり》に須弥《しゆみ》山をつくる高き事|廟塔《びやうたう》などのごとくその時|齊明《さいめい》天皇六年なり【日本紀】延寶七年迄凡一千十八年か
    石上溝《いそのかみのみぞ》
  いその上の五六町|東《ひかし》寺井川是なり
石上《いそのかみ》の溝《みぞ》をほるは履中《りちう》天皇四年十月なり【日本紀】延宝七年迄凡一千三百十年か
    布留瀧《ふるのたき》
  俗《ぞく》に桃尾《もゝのお》の瀧といふいその上より一里東|仁和帝《にんわのみかど》御子《みこ》におはしましける時ふるの瀧御|覽《らん》しにおはしましてかへらせ給ひけるによめる
古今 あかずしてながるゝ泪《なみだ》瀧にそふ水まさるとやしもは見ゆらん 兼藝法師
白川殿百首 今も又行ても見ばや石上《いそのかみ》ふるの瀧津瀬《たきつせ》跡を尋ねて 御製
    龍福寺《りうふくじ》 桃尾の瀧の邊寺領五十石
桃尾《たうび》山|龍福寺《りうふくじ》は行基菩薩《ぎやうぎぼさつ》の開基《かいき》とかや觀音菩薩《くはんおんぼさつ》をすへたり釈書《しやくしよ》には龍福寺《りうふくじ》は義渕《ぎいん》僧正の開基《かいき》とあり
    布留《ふる》山
万葉 石上|振《ふる》の山なる杦《すき》村のおもひ過べき君にあらなくに
寛和殿上哥合 初時雨|布留《ふる》の山里いかならし住《すむ》人さへや袖のぬるらん
    布留野《ふるの》
  桃尾《もゝのお》に行《ゆく》道の龍《りう》の馬場《ばば》といふ所ふる野なり

(363コマ)家集 石上ふる野の道の草《くさ》分《わけ》て清水《しみづ》汲《くむ》には又もかへらん 貫之
堀川太郎 朽にけり人もかよはぬ礒上《いそのかみ》ふる野の沢《さは》に渡《わた》す丸橋《まるはし》 顕仲
千五百番哥合 五月雨のふるの中道中/\にしげる草葉《くさば》も見えぬ比哉 家隆
拾玉 白雨《ゆふだち》や雨もふる野の末に見ていそくたのみや三輪の杦むら 慈鎭
草根 泪のみふる野《の》の露にまがふらしまた初瀨路《はつせぢ》に思ひいるかな 正徹
    古柄小野《ふるからをの》
  石上《いそのかみ》ふるから小野《をの》も野《の》の名《な》なり石上ふるの中道《なかみち》ともよめりから小野《をの》とは枯野《かれの》といふにやらとれと同|五音《ごいん》布留《ふる》の乾《かはき》たる野《の》といふにや【顕注密勘】
拾玉 君が世《よ》にふるから小野《をの》の本柏《もとかしは》もとに歸《かへる》や我身《わがみ》なるらん 慈鎭
    忘《わすれ》水
新後撰 むかし見し布留《ふる》のゝ沢《さは》の忘《わすれ》水なに今|更《さら》におもひ出《いづ》らん 寂超法師
散木集 五月雨のふるから小野の忘《わすれ》水みな沼《ぬま》江にて渡《わた》る瀬《せ》もなし 俊頼
    布留《ふる》川
  水上《みなかみ》は桃尾《もゝのおの》瀧より西にながれ川合《かあひ》村に落行《おちゆく》
藻塩草 わきも子ややすをいみすな石上《いそのかみ》袖ふる川の絶《たえ》むと思へば
    布留高橋《ふるのたかはし》
  鳥居《とりゐ》より社《やしろ》のかた十五町|高橋《たかはし》あり
師兼千首 五月雨は通《かよ》ふたゞちも波《なみ》越《こえ》てはれぬ日數《ひかず》をふるの高橋

    長屋原《ながやのはら》
  永原《ながはら》村とてありもし長屋原《ながやのはら》の畧言《りやくごん》にや倭名類聚《わみやうるいじゆ》鈔|續《しよく》日本|後紀《こうき》等《とう》に山|邊郡《べのこほり》
  和銅《わどう》三年二月|藤原宮《ふぢはらのみや》より寧樂宮《ならのみや》(364コマ)にうつり給ふの時|長屋原《ながやのはら》にして古郷《ふるさと》をかへりみ給ひて
万葉 飛鳥《とぶとり》の明日香《あすか》の里ををきていなば君のあたりは見えずもあらん 太上天皇
    都介《つげ》
  三代|實録《じつろく》倭名類聚《わみやうるいじゆ》に山|邊郡《べのこほり》と云々|尋《たづね》しに所しれず
都介《つげ》は伊勢《いせ》の齋宮《さいぐう》歸京《ききやう》の時大和國|都介《つげ》の頓宮《かりみや》にて供御《くご》を奉るよし江家次第《がうけしだい》にあり
▲都介野《つげの》は天長|承和《しやうわ》の御代《みよ》に猟《かり》し木をきる事を禁制《きんぜい》せられてながくつたはれり元慶《くはんけい》六年九月猶|狩《かり》し鳥を拂《はら》ふ事を制せられたゞ草木をとるのみをゆるし給ふ【三代實録】
    田村《たむら》
  當世田村とて一郷あり石上より一里南
田村は大|納言《なごん》藤原朝臣仲麻呂《ふぢはらのあそんなかまろ》の家なり勝宝《しやうほう》四年四月東大寺の大佛|開眼供養《かいけんくやう》に孝謙《かうけん》天皇|行幸《みゆき》まし/\てそれより田村の第《てい》に還幸《くはんかう》ありしより御在所《ございしよ》と号《かう》す【續日本紀】其後|光仁《くはうにん》天皇|宝亀《ほうき》六年三月同八年三月此|旧宮《ふるみや》にして宴《えん》のまうけ禄《ろく》など給ひしよし類聚國史《るいじゆこくし》に見えたり
    竹谿《たけだに》村(の)堀越《ほりこし》 所しらず
天平十二年十月伊勢國に行幸《みゆき》の時山|邊《べ》郡|竹谿《たけたに》村の堀越《ほりこし》の頓宮《かりみや》に入せ給ふ【續日本紀】
    木殿《きどの》
  木殿《きどの》村といふあり石上《いそのかみ》より十五六町|坤《ひつじさる》(365コマ)泊瀬《はつせ》にまいりけるにきどのといふ所にやどらんとし侍りけるに誰《たれ》としりてかといひければ答《こた》へすとてよめる

後拾遺集 名乗せば人しりぬべしなのらずは木丸殿《きのまろどの》をいかで過まし 赤染右衛門
    山|邊御井《べのみゐ》
  仙覚抄《せんがくせう》に伊勢《いせの》國と云々大和國といふ説《せつ》も侍れば一|徃《わう》あらはす
万葉 山(の)邊《べ》の御井《みゐ》を見がてら神風の伊勢《いせ》の乙女《をとめ》らあひ見つるかも

    二階堂《にかいどう》

  二階堂《にかいどう》村にかたばかりの堂《だう》のこれり建立《こんりう》は十市郡|天香久《あまのかく》山の北|表《おもて》なり今此所にうつしかへける年暦をしらす

二階堂《にかいどう》は膳夫《かしはて》寺と号《がう》す膳夫姫《かしはてのひめ》の造営《ざうゑい》なればとて此名あり本尊は虚空蔵菩薩《こくうざうぼさつ》をすへけるとかや抑《そも/\》膳夫姫《かしはてのひめ》はあやしの賤《しづ》の子にして根芹《ねぜり》をつみけり聖徳《しやうとく》太子ほの見そめ給ひしよりむかへて妃《ひ》とせさせ給ふと能登傳《のとでん》に見えたり又|髙家《かうけ》の人の子《こ》に侍るよし橘《たちはな》寺の抄にのせたり只あやしの賤女《しづめ》のよし一|向《かう》虚説《きよせつ》にて侍る先太子の傳文《でんもん》に吾《われ》つねに諸氏《しよし》の女子の躰《てい》をあひ見る更《さら》に卑《いやしき》人を見ずと記《しる》されたり猶|膳夫姫《かしはてのひめ》をおもふに姓氏録《しやうしろく》に景行《けいかう》天皇の御宇に膳夫《かしはて》の臣《しん》の姓を給ふとあり姓をおもふにいやしからず髙家《かうけ》の息女《そくじよ》なり右は玉林《きよくりん》抄にくはしく見えたり

  山邊(の)郡は大道の東の山|際《ぎは》に山稜《みさゝぎ》と(366コマ)おもひしもの古墳《ふるつか》と見えしものあまたあり衾田《ふすまだ》の墓《はか》もその中にこそあるらめ
    衾田墓《ふすまだのはか》
衾田墓《ふすまだのはか》は手白香皇女《たしらかくはうしよ》大和國山邊(の)郡にあり【延喜式】仁賢《にんげん》天皇の皇女《ひめみこ》欽明《きんめい》天皇の母后《ほこう》なり
    衾道《ふすまち》
  哥枕《うたまくら》に或《あるひ》は越中國|先達《せんだつ》大和國と云|八雲御抄《やくもみせう》もしほ草大和國とあり只|衾田《ふすまだ》の墓《はか》の名《な》にたよりて一|徃《わう》あらはす
    衾道引手《ふすまぢのひきての》山 所しらず
万葉 衾道を引手《ひきて》の山に妹《いも》を置て山|徑《みち》行《ゆけ》はいけりともなし
姪玉 紅《くれなゐ》にふかくぞ見ゆる衾道《ふすまぢ》の引手の山の峯の楓葉《もみぢば》 顕季
    引手《ひきて》山
夫木 梓《あづさ》弓引手の山の時鳥《ほとゝぎす》雲を宿《やど》とやをして入らん 後九条
    千塚《せんづか》
  二|階堂《かいだう》の近所大道の東の山|際《ぎは》に岩穴《いはあな》所々にありかぞへもつくされぬばかりあまたなり俗《ぞく》に千塚《せんづか》といへり
千塚《せんづか》は或《ある》ふみを見侍りしにむかしいかなる人のいひ出けるともあらず只賊山賊などのさえづりけるは世中近きほとに火の雨ふりなんといふよりして身のかくれ所に岩穴《いはあな》をかまへけるとぞもし是もその世のものにや侍りなん

(367コマ)    大和大國魂《おほやまとおほくにたまの》社
大和坐大國魂《おほやまとにいますおほくにたまの》社【延喜式】
大宮《おほみや》一座《いちざ》大國魂《おほくにたまの》神|旧時本紀《くじほんきに》云《いはく》素戔嗚尊《そさのをのみことの》児《みこ》大歳《おほとしの》神|大歳《おほとしの》神(の)児《みこ》大國魂《おほくにたまの》神|母《はゝは》須治比女《そちひめの》神 大和神
二宮|大歳《おほとしの》神
三宮|須治比女《そちひめの》神 兼右説
▲大和大國魂《おほやまとおほくにたまの》神は天照《てんしやう》太神と二|神《じん》あひならべて天皇|大殿《おほいらか》の内にまつり給ふ事【日本紀】にぞ侍る神代《じんだい》より代は十つぎ年は六百余歳になりて【正統記】崇神《すうじん》天皇の御|宇《う》神の勢《いきほひ》を恐《をそ》れもろともに住《すみ》給ふにやすからずしかあれば天照太神は豐鋤入姫命《とよすきいりひめのみこと》をして倭笠縫邑《やまとかさぬいのさと》に磯堅神籬《しきのひもろぎ》を立てまつらしめ給ふ又日本|大國魂《おほくにたまの》神を渟名城入姫命《ぬなきいりひめのみこと》をしてまつらしめ給ふに渟名城入姫命《ぬなきいりひめのみこと》髪おちかたちやせてまつる事かなはず崇神《すうじん》天皇五年國の内ながち疫病《えやみ》し死亡者《みまかるもの》半《なかば》に過なんとす同七年天皇此事なげきおぼしめしき時に倭迹々日百襲姫命《やまとととひもゝそのひめのみこと》に大物主《おほものぬしの》神|著《かゝり》給ひて告《ツゲ》あり更《さら》に御夢に我は是|大物主《おほものぬしの》神なり我児《わがこ》太田々根子《おほたゝねこ》をして我をまつらしめよかくありしより太田々根子《おほたゝねこの》命を神主《かんづかさ》とし又|市礒長尾市《いちしながおいち》を倭國魂《やまとのくにたまの》神の神主《かんづかさ》としまつらしめ給ひしより後天下太平なり【日本紀】崇神《すうじん》天皇五年より延寶七年(368コマ)迄凡千七百七十二年か

▲神階《じんかい》は貞觀《ぢやうぐはん》元年正月廿七日|從《じゆ》一|位《ゐ》をすゝめ奉る【三代實録】今は正一位たり

    永久寺《ゑいきうじ》 寺領九百七十一石

内《うち》山|金剛《こんがう》乘《ぜう》院|永久寺《ゑいきうじ》は寺僧の傳《つたへ》を聞《きゝ》侍つるに鳥羽《とばの》院の御|願《ぐはん》開基《かいき》は釈亮慧《しやくのれうゑ》真言伝法《しんこんでんほう》の人なり其地|五鈷《ごこ》のかたちの山にして中央《ちうわう》に山ありされば内《うち》山と号《がう》せり永久年中の御|草創《さうそう》なれば永久寺の名あり延寶七年迄凡五百五六十年
▲笠置城《かさぎのしろ》落《おち》て後醍醐《ごだいごの》天皇しのびて入御《じゆご》あり又|大塔宮《おほたうのみや》御|身《み》をかくさせ給ひし内《うち》山是なり【太平記】
▲真言宗醍醐金剛王《しんごんしうだいごこんがうわう》院の法流《ほうりう》にして當山方の山|臥《ぶし》の法頭《ほつとう》なり
    来迎寺《らいがうじ》
  内《うち》山|永久寺《ゑいきうじ》より二里半ばかりうしとらにあり
多田《ただ》の来迎寺《らいかうじ》の善導《ぜんだう》大師の遺像《ゆいざう》は彼《かの》大師みづからきざみ給ひて入滅《にうめつ》八十七年の後|日域《じちいき》來朝《らいてう》の船にのり天平|寶字《ほうじ》七年|筑紫《つくし》はかたの浦に着《つき》給ひしかはそこの極楽《ごくらく》寺といふ寺にぞすへ奉りきあくる年《とし》の春大和國十市郡|藤井《ふぢゐ》の三|光寺《くはうじ》にうつし侍りしが建暦元年の乱逆《らんげき》にかゝりて多田《ただの》来迎寺《らいかうじ》にうつし奉りきかの遺像《ゆいざう》或《ある》時(369コマ)は僧《そう》と現《げん》じ僧《そう》又|化《け》して木像《もくざう》となり時あれば瑞夢《ずいむ》をつげ時あれば尊躰《そんたい》おもくなりて人力《じんりき》に及ばずその奇恠《きくはい》なる事|縁起《えんぎ》にくはしく見えたり

    笠間《かさま》山
  ならより五里ばかり巽《たつみ》伊賀《いが》の通路

《つうろ》なり八雲御抄《やくもみせう》に笠間《かさま》山は大和國
亀山殿七百首 たちよらんかさまの里のちかければ時雨《しぐれ》し雲のはれ間|待程《まつほど》 中納言入道
    山|邊《べ》郡|神名帳《じんみやうちやう》十三座 【延喜式】
大和坐大國魂神社《おほやまとにいますおほくにたまのじんしや》三座 石上坐布留御魂神社《いそのかみにいますふるのみたまのしんじや》 都祁水分神社《つげのみこもりのじんじや》 山|邊御縣坐神社《べのみあがたにいますじんじや》 白堤《しろつゝみの》神社 夜都伎神社《やつぎのじんしや》 都祁《つげ》山口(の)神社 祝田神社《はふりのじんじや》 石上市神社《いそのかみいちのじんじや》 下部神社《しもべのじんじや》 出雲建雄神社《いづもたけおのじんじや》

(370コマ)和州舊跡幽考第十四卷終

和州舊跡幽考
  第十五卷|高市《たけちの》郡
細《ほそ》川山
南渕《みなぶち》山 付|蒭蕘樵夫禁制《くさかりきこりきんぜいの》事
稲渕《いなふち》山 淨御原《きよみばらの》宮
東西(の)市
稲渕坂田尼《いなぶちさかたに》寺 付|釈迦《しやかの》事
小墾田《をはるだの》宮 白日王立埋跡《しらひのきみたてうづみのあと》
新漢槻本《いまきのあやのつきもとの》南(の)丘墓《をかのはか》 板田橋《いただのはし》
龍蓋寺《りうかいじ》 付|如意輪像《によいりんのざうの》事
(371コマ)逝回岡《ゆききのをか》 飛鳥岡本《あすかをかもとの》宮 厩坂《まやさかの》宮○百濟《くたらの》宮○田中(の)宮(の)事 
後飛鳥岡本《のちのあすかのをかもとの》宮 後園
橘《たちばな》寺 付|佛頭《ぶつづ》山○勝曼經講會定日《しやうまんきやうかうゑでうじつ》○聖徳《しやうとく》太子(の)遺像《ゆいざう》 付|藥師《やくし》○再興《さいこうの》事
田中(の)宮 厩坂《まやさか》
厩坂《まやさかの》池 橘嶌《たちばなしまの》宮
嶌《しまの》宮 勾《まがりの》池
真名《まなの》池 川原《かはら》寺 付|東南《とうなん》院 西南院(の)事 海柘榴市《つばいち》
常林寺《じやうりんじ》 山田寺

藤原《ふぢはらの》宮 付|炎上《えんしやうの》事 大原
藤原《ふぢはら》 埴安《はにやすの》池
大織冠家地《たいしよくはんのいゑどころ》 付|大織冠《たいしきのかふりの》事

藤原宮三井《ふぢはらのみやのみゐ》 藤井原《ふぢゐのはら》
衣通姫家地《そとをりひめのいゑどころ》 法光寺《ほうくはうじ》
身狹桃花鳥坂《むさのつきさかの》陵 付|鬼魚板《おにのまないた》○鬼雪隱《おにのせつゐんの》事 桃花鳥坂《つきさかの》上(の)陵
桃花鳥田丘上《つきだのをかのかみの》陵 付鬼(の)頸田《くびだ》○法師頭石《ほうしのかうべいしの》事 甘橿丘《あまかしのをか》 付|湯起請《ゆきしやうの》事(372コマ)甘橿岡須弥山《あまかしのをかのしゆみせん》 甘橿岡谷宮問《あまかしのをかのはざまのみかど》
越智《をち》 付|小市岡上《こいちのをかのかみの》陵
 越大野《こすのおほの》
真弓岡《まゆみのをか》 檀岡墓《まゆみのをかのつか》
佐太岡《さたをか》 冬野《ふゆの》寺
滑谷岡《なめはざまのをかの》陵 菅丞相山庄《かんしやうしようさんさう》
小野榛原《をのゝはりはら》 鳥見白《とりみのしら》山
鳥見《とりみ》山

和州舊跡幽考第十五卷
  高市郡《たけちのこほり》
  此|郡《こほり》大和國の國府《こくふ》也【倭名類聚】
    細川《ほそかは》山
  多武《たむの》岑の西につゞきて長安寺《ちやうあんじ》より十四五町|細《ほそ》川は水上に瀧ありて末は坂田尼《さかたに》寺にながれ行
衣笠内大臣哥合 南渕《みなぶち》の細川山そ時雨《しくる》めるまゆみの紅葉今さかりかも
    南渕《みなぶち》山
  八雲御《やくもみ》抄(に)云|細《ほそ》川山のならびの上の山なり玉林《ぎよくりん》抄(に)云|橘《たちばな》寺より五十町ばかり瀧の名所《めいしよ》なりと云々|八雲御抄《やくもみせうに》いはくなんふちとも細川山みなふちともよ(373コマ)めりと云々

万葉 御食向《みけむかふ》南渕《みなぶち》山の岩《いは》ねには落《ちる》波《なみ》たれかけづりのこせる 人丸

同 真十鏡《ますかゝみ》南渕《みなぶち》山はけふもかも白露をきて黄葉《もみぢ》ちるらん

井蛙抄 五月雨に渡るあさせもなかりけり南渕《みなぶち》山の谷の川水 定家

皇極《くはうぎよく》天皇元年八月|南渕《みなぶち》の川上に行幸なりまし/\て雨をこひ給ふに御|膝《ひざ》をつかせ四方《よも》を拜《はい》せさせ給ひしより雷《いかづち》雲に鳴《なり》渡り雨は地に波をたゝへて五日|晴《はれ》ざりし程に國土《こくど》いとうるほひ天下|豊年《ほうねん》にぞあひける【日本紀】元朝四方拜《ぐはんていしはうはい》のもとにや侍なんかし【江家次第】

▲天武《てんむ》天皇五年|南渕《みなぶち》山|細《ほそ》川山草を刈《かり》薪《たきゞ》をこる事を禁制《きんぜい》あり【日本紀】

稲渕《いなぶち》山

哥枕 秋ははやいなぶち山のきり/\す聲よはり行老ぞかなしき

同 年をふる涙《なみだ》をいかにあふ事は猶|稲渕《いなぶち》の瀧まされとや 具氏

  南渕《みなぶち》いなぶち同山|異名《いみやう》か

万葉 南渕《みなぶち》の細《ほそ》川山にたつ真弓《まゆみ》束《ゆづか》まくまで人にしらるな

 
淨御原《きよみばらの》宮 附御嶋宮

  俗に淨御《じうこ》といへり細《ほそ》川村より四五町西なり石の塔《たう》五重にして軒《のき》口の徑《わたり》九尺はかり高さ貳丈あまりけたますがたなどまてつくりたりそのちかき所に石太屋《いしぶとや》とて陵《みさゝぎ》あり

浄御原《きよみばらの》宮は人皇四十代|天武《てんむ》天皇元年大和國|御嶋《みしまの》宮にうつり給ひてそれより(374コマ)岡本《をかもとの》宮にうつらせ此年宮を岡本宮の南にさだめさせ飛鳥淨御原《あすかきよみばらの》宮と号《かう》しうつりおはしまし給ふ同二年此宮にして即|位《ゐ》まし/\けり同十二年|宮室《ミヤトコロ》一|處《ところ》ならず?參《ところ/\》つくらしめ給ひき先|難波《なんばの》キあり又十三年|畿内《きない》いにしへのキの地《ところ》を見せしめられ天皇も京師《みやこ》に巡幸《じゆんかう》まし/\宮|地《どころ》をさだめ給ふに又みやこをたてさせ給ふべきにやと信濃《しなのゝ》國の圖《づ》を奉りき終《つゐ》に十四年|朱鳥《てう》元年と改元《かいげん》ありその八月に飛鳥淨御原《あすかきよみばらの》宮にて崩御《ほうぎよ》なり給ふ【日本紀】天武《てんむ》天皇二年より延寶七年迄凡一千七年か

万葉 明日香《あすか》の淨御原《きよみばらの》の宮にあめが下しらしめし八隅知之《やすみしる》吾大君《わかおほきみ》のたかてらす日之皇子《ひのわかみこ》は何方《いかさま》におぼしめしてか神風の伊勢の國には沖津藻《おきつも》もなびきし波に 畧

    東西(ノ)市

勅撰名所集《ちよくせんめいしよしう》藻鹽《もしほ》草等に山城國とあり一徃爰にあらはす

東西の市は天武天皇大寶三年にはじめて立られける【帝王編年】此御宇大和國|淨御原《きよみばらの》宮にいます

門部王《かどべのきみ》東《ひがし》市の樹《き》をよめる

万葉 東(の)市のうへ木の木足《こたる》左右《まで》あはぬ君うへわれこひにけり

同 西の市に只|獨《ひとり》出て目ならはす買《かへり》しきぬのあきしこりかも(375コマ)

    南渕坂田尼《みなぶちのさかたに》寺

  詮要《せんよう》抄(に)云(く)橘《たちばな》寺より南今此所を見るに椋橋《くらはし》山の尾《お》さきの北に坂田《さかた》寺ありて細《ほそ》川ながれたり尾《お》をへだてゝ南に稲渕《いなぶち》川ながれ尾《お》さきをめぐり?川落合て末はひとつにながれ行

南渕坂田尼《みなぶちのさかたに》寺は金剛寺《こんがうじ》といふ【日本紀】又は小墾田坂田尼《をはるたのさかたに》寺【釈書】又は橘尼《たちばなのに》寺ともあり【明一傳】抑《そも/\》坂田《さかた》寺は継躰《けいたい》天皇十六年|来聴《らいてう》の司馬達等《しばだつと》大和國|高市郡《たけちのこほり》坂田原《さかたはら》に草室《さうしつ》をむすび佛をたてまつりけり世の人仏をさらにしらざりしかば只異域《ひとのくに》の神とのみいへり司馬達等《しばだつと》は南梁《なんれう》の人なり【釈書】その後爰にして上宮をつくり聖徳《しやうとく》太子の宮とせさせ給ふ【詮要抄】扨又|用明《ようめい》天皇二年|帝《みかど》御瘡《みやまひ》さかんにしていとあやうく見えさせ給へば鞍部多須奈《くらべのたすな》ちかひをたてゝ帝《みかど》の御爲に我《われ》出家《しゆつけ》となりなん又丈六の佛像《ぶつざう》をつくり寺院を建立《こんりう》せむと佛に願《ぐはん》立たりけり叡感《えいかん》ふかくかなしみまどはせ給ひけり終《つゐ》にその年の四月廿九日にぞ崩御《ほうぎよ》なりけるかの 鞍部多須奈《くらべのたすな》は司馬達等《しばだつと》が子|出家《しゆつけ》して徳濟《とくさい》法師とぞいひける【日本紀】又|推古《すいこ》天皇(の)御宇十四年|鞍作《くらつくり》の鳥《とり》に宣勅《せんちよく》ありて丈六の佛をつくらしめ給ひき佛ことなり給ひぬれども堂に入奉る事かなはず鞍作鳥《くらつくりのとり》心をめぐらして元興寺の(376コマ)戸をやぶらずながら入奉りけり叡慮《えいりよ》つねならざりければ大仁《たいに》の位のみならず近江《あふみの》國|坂田《さかたの》郡水田二十町を給はりき鳥《とり》此田をもつて天皇の御爲に金剛寺《こんがうし》を構営《かうゑい》せり南渕坂田《みなぶちさかた》寺是なり【日本紀】丈六の佛|狹侍菩薩《わきだちのぼさつ》は多須奈《たすな》の造営《ざうゑい》なり【日本紀】鞍作鳥《くらつくりのとり》は多須奈《たすな》の子|司馬達等《しばだつと》の孫なり
  聖徳《しやうとく》太子の上宮を爰に立らるゝよし詮要《せんよう》抄にあり多武《たふ》の峯の麓《ふもと》上《かみの》宮村はかの太子の宮にして上宮寺《じやうぐうじ》の勅額《ちよくがく》ありくはしくは十市《とをちの》郡にあらはす然れは仁所にありけるにや
小墾田宮《をはるだのみや》
  玉林抄《きよくりんせう》(に)云(く)大佛供《たいぶつく》の里といふ所に小治田宮《をはるだのみや》とて小社ありそれ宮所也|于《に》v今|在《あり》v之《これ》と云々今たづねしに大佛供《だいふつく》の里は桜井村の町のいぬいにあり十市《とをちの》郡なるべし然ども扶桑記《ふさうき》(に)曰(く)小墾田《をはるだの》宮は大和國|高市《たけちの》郡|葛野王《かつらのきみ》のすめる地是なりと云々【玉林抄】又|續日本紀《しよくにつほんき》(に)曰(く)大和國|高市《たけちの》郡|小治田《をはるだの》宮と云々又|釈書《しやくしよ》(に)曰(く)小墾田坂田尼《をはるださかたに》寺と云々此寺は椋橋《くらはし》山の尾《お》さきの北にありかたがた高市《たけちの》郡なるべし大佛供の里と小治田坂田尼《をはるださかたに》寺とははるかへだゝり侍る後人所をあらため給べし
人皇卅四代|推古《すいこ》天皇|豊浦《とようらの》宮に即位《そくゐ》まし/\(377コマ)て小墾田《をはるだのみや》宮にうつり給ふ人皇卅六代|皇極《くはうぎよく》天皇は舒明《ぢよめい》天皇の后にぞいまそかりける岡本《をかもとの》宮にして即位《そくゐ》おはしまして元年九月宮をつくり給ひなんとて國/\におほせて梁柱《れうちう》をとらしめ東は遠江《とをとふみの》國をかぎり西は安藝《あきの》國をかぎり丁《よほろ》をめしよせ宮つくりことなりて十二月|小墾田《をはるだの》宮にうつらせ給ひき【日本紀】本是|葛野王《かつらのゝきみ》の家地《いゑどころ》にて侍る也【扶桑畧記】
▲人皇四十五代|聖武《しやうむ》天皇天平|寶字《ほうじ》年中|小治田《をはるだの》宮に行幸《みゆき》なり又四十八代|稱徳《しやうとく》天皇|神護《じんご》元年に大和國|高市《たけちの》郡|小治田《をはるだの》宮に行幸《みゆき》なりて美濃《みのゝ》國を由機方《ゆきがた》とし越前國を須伎方《すきがた》として大《だい》嘗|會《ゑ》ををこなひ給ひしよし續日本紀《しよくにつほんき》に見えたり然は小治田《をはるだの》宮は宮は人皇卅六代|皇極《くはうぎよく》天皇よりして其後|遷都《せんと》たび/\に侍りて御代《みよ》は十つぎあまり年は百六十歳を經《へ》ぬるといへどもこの宮猶のこりけるにや又|玉林抄《ぎよくりんせう》(に)云(く)小墾田《をはるた》と小治田《をはるだ》と同名異字《どうみやういじ》
續古今 小墾田《をはるだ》の宮の古道《ふるみち》いかならん絶《たえ》にし後は夢のうきはし 土御門院
    白日王子立埋跡《しらひわうじたてうづみのあと》
たづねしにしれず小治田《をはるだ》に穴《あな》をほりてと日本紀《につほんき》に見え侍るにたよりて一|徃《わう》爰にあらはす
人皇四廿一代|安康《あんかう》天皇の御宇|大草香皇子《おほくさかのわうじ》の御子に眉輪王《まゆわきみ》といふありけり安康《あんかう》天皇(378コマ)|晝《ひる》の御|枕《まくら》によりふさせ給ひしに眉輪王《まゆわぎみ》しのびきて害《がい》し奉りけりくはしくは日本紀にあり其比|大泊P《おほはつせの》天皇いまだ春宮《とうぐう》におはしましけるがいとおどろきふかくいかり給ひてよろひを御|肩《かた》に劔《つるぎ》を御|腰《こし》にめされ軍兵《ぐんひやう》を卒《そつ》してまづ御兄の黒日《くろひの》王子のもとに行ましてかくの事こそあれとおどろかし聞え給へども黒日《くろひ》王子さはぐ御心《みこゝろ》も見え給はざりしかば大泊P《おほはつせの》の皇子|劔《つるぎ》をぬきて討《うち》給ひけりそれより白日《しらひ》王子のもとにいたりてかくとありければ白日《しらひ》王子もおどろき給ふけしきもなかりければ門の外に引出し小治田《をはるだ》に穴《あな》をほり立埋《たてうづみ》にしせられけるほどに腰で土のいたりぬれば兩目《ふたつのめ》はしりぬけて命をはり給ひしなり【古事記】日本紀《につほんき》とはたがふ所あり
新漢※[木+疑]本南丘墓《いまきのあやのつきもとのみなみのをかのつか》 所しらず
大泊P《おほはつせの》皇子|眉輪王《まゆわぎみ》を討《うち》給ひなんと進《すゝ》み給ひしかば黒彦《くろひこ》皇子|眉輪王《まゆわぎみ》ともにのがれ出て圓《つぶらの》大臣の宅《いゑ》にこもり給ひしかばやがて家に火をぞかけたりける黒彦《くろひこ》皇子|眉輪王《まゆわぎみ》ともにやかれころさるゝの時|坂合部連贄宿祢《さかあひべのむらじにえのすくね》皇子の屍《しかばね》をいだきて共にやかかれて死せりその骨《ほね》を一|棺《くはん》に盛《もり》入て新漢※[木+疑]《いまきのあやのつきの》本の南(の)丘《をか》に薨《はうふ》りけるとぞ【日本紀】
    板田橋《いただのはし》
(379コマ)  細《ほそ》川のながれにいとさゝやかなる板橋《いたはし》をわたせり南は坂田尼《さかたに》寺北に浄見原《きよみはら》有|小墾田《をはるだ》の板田《いただ》の橋《はし》は先達《せんだつ》摂津《せつつ》(の)國云々おもふに小墾田《をはるだ》の坂田尼《さかたに》寺もちかく侍れば爰《こゝ》の坂田《さかた》の橋《はし》もよめるにやもしほ草|類字名所《るいじめいしよ》などに一|説《せつ》大和國云々
師兼千首 をはたゞの板田《いただ》の橋《はし》のいたづらになす事なくて世をやわたらん
龍葢寺《りうかいじ》 寺領二十石
東光《とうくはう》山龍葢寺《りうかいじ》真珠《しんじゆ》院は俗《ぞく》に岡本《をかもと》寺といふ【拾芥抄】舒明《ぢよめい》天皇の皇居《くはうきよ》岡本《をかもとの》宮の地なればかくぞいふなめる天智《てんぢ》天皇の御|願《ぐはん》義渕《ぎいん》僧正の開基《かいき》なり義渕《ぎいん》僧正は化生《けしやう》の人なりしが天智《てんぢ》天皇いつくしみまし/\てたゞ皇子とおなじやうに岡本《をかもとの》宮《みや》にして御いたはりおはしまして人となし給ひて後|出家《しゆつけ》してやんごとなき智人《ちにん》となりもろこしにわたり歸朝《きてう》して大和の龍葢寺《りうかいじ》龍門寺《りうもんじ》龍福寺《りうふくじ》を構造《こうざう》せり大|寶《ほう》三年僧正に任《にん》じ神亀《しんき》五年十月に遷化《せんげ》たり【釈書】
▲本尊《ほんぞん》は如意輪觀音菩薩《によいりんくはんおんぼさつ》なり初《はしめ》は一|擽手半《ちよくしゆはん》の六|臂《ぴ》の小|像《ざう》を道鏡禅師《だうきやうぜんし》の造立《さうりう》たりしが其後|弘法《こうぼう》大|師《し》三國の土をもて丈六|二臂《にひ》の像《ざう》をつくりかの小佛を佛胸《ふつけう》にこめられしとなり御堂は孝謙《かうけん》天皇の勅願《ちよくぐはん》と縁起《えんぎ》にあり然とも拾芥抄《しうがいせう》(に)曰(く)丈六の土佛は弓削《ゆげの》法皇の造立《ざうりう》にしてそれより炎(380コマ)上《ゑんしやう》なしと見えたり又年のやく難《なん》を轉《てん》じ給ふ菩薩《ぼさつ》のよし水かゞみに見えたり
逝回岳《ゆきゝのをか》
仙覚抄《せんがくせう》(に)大和國|岡寺《をかでら》同所なり
故郷豊浦寺之尼私房宴《ふるさとのとよらてらのあまのしばうのえんの》歌
万葉 明日香河《あすかがは》逝回岳《ゆきゝのをか》の秋|萩《はぎ》はけふ降《ふる》雨にちりかすぎなん 丹比真人
爲尹千首 里人の逝回《ゆきゝ》の岳《をか》の小笹原《をざゝはら》風もいくたひ分て吹らん
    飛鳥岡本《あすかをかもとの》宮 付厩坂宮百濟宮田中宮
  帝王編年《ていわうへんねん》(に)曰(く)嶌《しま》の東《ひかし》の岡本《をかもとの》地也|玉林抄《ぎよくりんせう》(に)曰(く)岡本《をかもとの》宮は橘寺《たちばなでら》の東《ひがし》逝回《ゆきゝ》の岡《をか》則今の岡《をか》寺の地なりと云々
人皇卅五代|舒明《ぢよめい》天皇二年十月|キ《みやこ》を飛鳥岡《あすかのをか》の傍《ほとり》にうつして岡本《をかもとの》宮と名づけ給ひき八年六月此|宮《みや》炎上《えんしやう》ありし程に田中(の)宮にうつりまし/\けり十一年|伊豫《いよの》國(の)温泉《いでゆ》の宮に行幸《みゆき》なり十二年四月|還幸《くはんかう》ありて厩坂《まやさかの》宮にまし/\き【御巡礼記曰厩坂高市郡】十月|百濟《くたらの》宮にうつり給ふ十三年十月此宮にて崩御《ほうぎよ》とぞきこえし【日本紀】舒明《ぢよめい》天皇二年より延寶七年迄凡千五十年か
    後飛鳥岡本《のちのあすかをかもとの》宮
岡《をか》寺にならひて礎《いしすへ》のこれり
人皇卅八代|齊明《さいめい》天皇二年|飛鳥《あすか》の岡本《をかもと》にして更《さら》に宮地《みやどころ》をさだめ宮《みや》を立られ後の飛鳥《あすか》の岡本《をかもとの》宮とぞ名つけ給ける【日本紀】延寶七年迄凡一千二十四年か
    後園《こうえん》
(381コマ)  能登傳《のとでんに》曰(く)高市郡《たけちのこほり》難波《なんば》の劔《つるき》池の北なる小林(の)苑《その》(の)中と云々|撰集《せんじゆ》鈔|通要《つうよう》是を信用《しんよう》せざるよし見えたり詮要《せんよう》抄(に)曰(く)橘《たちはな》寺のうしとら十余町さりて小原《をはら》といふ所その跡《あと》なり
聖徳《しやうとく》太子御年十一にして童子達《とうじたち》卅六人といざなはせ給ひて後園《こうえん》にいでまして詩句《しく》の御あそびありしに童子達《どうじたち》ははるかにをとり太子たかくすぐれさせ給ひて句句《くく》を難じ給ひしかば童子達《どうじたち》かへりおはしまして父母にむかひ此事いとうらみがほにかたり給ひしかば父母|難詩《なんし》をつくりておくり給ふれは太子|難《なん》をとき給ふにあきらかならずといふ事なし天皇|我児《わがこ》聖人《せいじん》ならずはいかでかくはあらんやと叡慮《えいりよ》ありしかば妃《ひ》ことさらによろこび給ふよし平氏傳《へいじでん》にくはしく見えたり
    橘《たちばな》寺
  玉林抄(に)云(く)高市郡《たけちのこほり》と云々後飛鳥岡本《のちのあすかのをかもとの》宮より西五町ばかり
佛頭山上宮《ぶつづせんじやうぐう》院|菩提寺《ぼだいじ》は又|橘《たちばな》寺ともいふ平氏傳《へいじでん》に推古《すいこ》天皇十四年七月|聖徳《しやうとく》太子をまねかせ給て勝鬘經《しやうまんぎやう》を講《こう》せさせ給ひしに三日を經《へ》て講《こう》をはりけり【日本紀】其|講會《かうゑ》の儀《ぎ》は聖徳《しやうとく》太子|麈尾《しゆび》をとり師子座《しゝのざ》にのぼり給ひしはたゞ出家《しゆつけ》のごとくにぞ侍るもろ/\の名僧《めいそう》大|徳《とく》其|妙義《めうぎ》(382コマ)をたづねたてまつればこたへさせ給ふにいとあきらかなり講をはるの夜|蓮花《れんげ》ふりしきて地にみちたりそのはないとおほきにして二三尺ありとかやこれよりして皇居《くはうきよ》を施《ほどこ》し寺塔《じたう》を立られたり今の橘樹寺《きつじゆじ》これなり【平氏傳水鏡】ふる所の瑞花《ずいくは》は曼陀羅花《まんだらけ》白色のはななり【扶桑紀】そのふりつみし所は金堂《こんだう》と講堂《こうだう》の間にぞ侍る鎮守《ちんじゆ》明神は推古《すいこ》天皇也社は北にむかへり【玉林抄】
▲佛頭山《ぶつづせん》又|聖《しやう》誉(の)曰(く)又|赤部《あかべ》山ともいふ【通要】濫觴《らんしやう》は勝鬘經講會《しやうまんぎやうかうゑ》の時|清凉殿《せいれうでん》の前の山頭《さんとう》に千佛の御くし出現《しゆつげん》ありしより此|山号《さんがう》とせり【玉林抄】此山今にありて清凉山《せいれうざん》ともいへり高さ十四五丈ばかり亦|上宮《じやうぐう》院は上宮太子の御|建立《こんりう》より院号《ゐんがう》となせり橘《たちばな》寺は橘《たちばな》の都《みやこ》の皇居《くはうきよ》の地なれば寺の名《な》によぶならん碑文《ひもん》あり其|詞《ことば》
上宮《じやうぐう》太子|勝鬘講讃《しやうまんこうさんの》之|砌《みぎり》千佛|涌出《ゆじゆつ》蓮花庭前下《れんげていぜんにふる》云々
▲勝鬘經講會《しやうまんぎやうこうゑ》の定日《でうじつ》まち/\のさた侍る中に年暦《ねんれき》の異《い》をあらはす平氏傳《へいじでん》には推古《すいこ》天皇十四年と云々|法皇帝記《ほうわうていき》には同御宇六年と云々しかれども平氏傳《へいじでん》證《せう》たるべきのよし【玉林《ぎよくりん》抄にあり】
▲當寺は志度《しど》の道場《どうじやう》上西海人《じやうせいあま》の立けると(383コマ)拾芥抄にあり若《もし》再興《さいこう》にやしらず
▲聖徳《しやうとく》太子二|歳《さい》の遺像《ゆいざう》は日域《じちいき》の?初《さいしよ》也【玉林抄】同十六歳の遺像《ゆいざう》は法空《ほうくう》上人のつくられける此上人は久我殿御息持明院殿《くがとのごそくじみやうゐんどの》の時代の人也
▲人皇五十三代|淳和《じゆんわ》天皇の御宇に故中務卿親王《こなかづかさのきやうのしんわう》の御ために薬師《やくし》如来日月|遍照《へんじやう》兩士《りやうし》を御|建立《こんりう》ならびに金文《きんぶん》の蓮花法曼陀羅《れんげほうまんだら》書写《しよしや》の功《こう》ことなり給へり天長四年九月に橘《たちばな》寺に寄附《きふ》し給ひしよし御|願文《くはんもん》の詞《ことは》にあらはなり【性霊集】
▲再興《さいこう》はおほくの年|序《じよ》かさなりてをのづから形《かた》ばかりにのこり侍りけるが頃年《すうねん》金春《こんはる》八郎太夫|再興《さいこう》せしなり八雲御《やくもみ》抄|勅撰名所《ちよくせんめいしよ》などに橘《たちばな》寺は河内國と云々おもふに斑鳩《いかるが》の宮の古道《ふるみち》なをにほふなどとよめるは大和の國なるべし
草根 に斑鳩《いかるが》の宮の古道《ふるみち》なをにほふ橘《たちばな》寺の花の下風
    田中《たなかの》宮
  田中《たなか》村といふあり此|皇居《くはうきよ》の跡《あと》なり
舒明《ぢよめい》天皇の皇居《くはうきよ》田中(の)宮|厩坂《まやさかの》宮の事は岡本《をかもとの》宮の所にあらはす
  厩坂《まやさか》 所しらず
應神《おうじん》天皇十五年八月|百済《くたらの》國に阿直岐《あとき》をつかはされしに馬二匹をえて奉りたりすなはち輕《かる》の坂上《さかのうへ》にして阿直岐《あとき》をつかさと(384コマ)して飼《かはせ》給ひけり馬をやしなひし所なれば厩坂《まやさか》とぞいひける【日本紀】延寶七年迄凡一千三百九十六年歟
    厩坂《まやさかの》宮
舒明《ぢよめい》天皇十二年|伊豫《いよ》の温泉《いでゆ》より還幸《くはんかう》なり給ひて厩坂《まやさか》の宮に入御《じゆぎよ》ならせ給ふ【日本紀】此宮つくりさだめ給ひし年|暦《れき》をしらず
    厩坂《まやさかの》池
應~《おうじん》天皇十一年十月池をほらせて厩坂《まやさかの》池と号《かう》せられたり【日本紀】亦同御宇三年十月|厩坂《まやさか》の道をひらかれけるとぞ【日本紀】かの山|科《しな》寺を建《たて》られし厩坂《まやさか》も爰《こゝ》にや侍りなん
    橘嶋宮《たちはなしまのみや》
  河内國と云々【勅撰名所】おもふに橘《たちはな》の京は大和國あきらけし一|徃《わう》爰にあらはす
万葉 橘の嶋の宮にはあかぬかもさたの岡邊《をかべ》に殿井《とのゐ》しにけり
    嶋《しまの》宮
  勅撰名所《ちよくせんめいしよ》集大和國と見えたり
同 嶋の宮上の池なるはなち鳥|荒備勿《あらひな》行そ君まさずとも 舎人
同 高光《たかてる》吾日の皇子《みこ》のいましせば嶋の御門《みかど》はあれざらましを 同
勾《まがりの》池
  八雲御《やくもみ》抄大和國と云々
同 嶋宮《しまのみや》勾《まがり》の池の放鳥《はなちどり》人目に戀《こひ》て池にかづかず
澄月哥枕 うへこほり底は霜をく嶋の宮まがりの池の秋の夜の月    真名《まなの》池
  勅撰名所《ちよくせんめいしよ》高市《たけちの》郡云々勾《まがりの》池同所歟
(385コマ)万葉 嶋宮のまなの池なるはなち鳥ひとめにこひて池にくらはず
  右|橘《たちはな》の嶋の宮又嶋(の)宮|勾《まがりの》池|真名《まなの》池たづねしに所しれず嶋の宮の詞《ことば》にまかせ爰にあらはす後の人添削《てんさく》せらるべし
    川原寺
  橘《たちはな》寺の二町ばかり北むかしの礎石《そせき》あり草室《さうしつ》一宇|古佛《こぶつ》の二天ならびに十二天の像《ざう》あり
川原寺亦は弘福寺《こうふくじ》ともいふ人皇卅六代|皇極《くはうぎよく》天皇|重祚《てうそ》まし/\て斉明《さいめい》天皇と申奉り卅八代にぞあたらせ給ひける此御宇元年|飛鳥《あすか》の川原(の)宮にうつりおはせしより川原寺を御|建立《こんりう》あり【釈書】四十代天|武《む》天皇十四年|浄土《じやうど》寺ならびに川原寺に行幸《みゆき》なり給ひて僧衆に稻《いね》をほどこし給ひき同|朱鳥《しゆてう》元年|新羅《しんら》の客をもてなしにとて川原寺の伎樂《きがく》をつくしにはこばしめ給ひしには皇后《くはうこう》より稻《いね》五十|束《そく》施入《せにう》あり同五月|帝《みかど》の御やまひやすからざりしかば藥師經會《やくしきやうゑ》をつとめられ六月|燃燈供養《とうろうくやう》九月|親王《しんわう》已下爰につどひて天皇の御病《みやまひ》の誓願《せいぐはん》あり【日本紀】九年|弘法《こうほう》大師|高尾《たかお》山より高野山にかへりなんのよしきこえしかば太上《だじやう》天皇川原寺を大師に給はらせて高野より都にかよひ給ふ道のやどり所にせられよとの(386コマ)勅《ちよく》あり【水鏡】しかありて寺の東南院に大師おり/\住《すみ》おはせしぞかしその院はほどふるまでものこり侍りしが定慧《でうゑ》和尚の住《すみ》給ひし西南院はなくなりけると玉林抄に見えたり當世は名のみばかりにぞなりける斉明《さいめい》天皇元年より延寶七年迄凡一千二十五年歟
海石榴市《つばいち》
  玉林《ぎよくりん》抄(に)曰(く)海石《つば》の二字をうみはと讀《よむ》なり豊浦《とよら》の近所《きんじよ》にうみはの里といふ所あり通要《つうように》曰(く)橘《たちはな》寺の艮《うしとら》五六町川のはたに榴市《いち》といふ所是なり上二字|畧《りやく》して榴市《いち》といふにや今この所をたづねえず
海石榴市《つばいち》は炊屋姫皇后《かしやひめのくはうこう》の後宮《こうきう》の別業《みなどころ》也|海石榴市《つばいちの》宮とぞいふなり【玉林抄】又|守屋連《もりやのむらじ》寺を焼|佛像《ぶつざう》を難波《なんば》の堀江《ほりえ》にしづめながら三|尼《に》の法衣《ほうゑ》をうばひとりからめとらへて海石榴市亭《つばいちのうまやたち》にをしこめけると日本紀《につほんき》に見え侍る
    常林寺《じやうりんじ》
  川原寺の坤《ひつじさる》三町ばかり立部《たつべ》村に小堂あり
常林寺《じやうりんじ》又は立部《たつべ》寺ともいふ聖徳《しやうとく》太子四十六ケ御|建立《こんりう》の一宇なり【玉林抄】
    山田寺
  玉林《ぎよくりん》抄(に)云橘(の)京にあり當世山田村これなり(387コマ)山田寺亦は華嚴寺《けごんじ》といふ孝徳《こうとく》天皇五年|蘇我《そがの》山田(の)石川|麻呂《まろ》(の)大臣天皇の御ために構造《こうざう》して山田寺と号《かう》せり同年三月廿四日|讒《ざん》にかゝり大臣をはじめおほくの人ほろびにけり日本紀廿五卷にくはし今只略のみ十一面|観音菩薩《くはんおんぼさつ》をすへたり後《ご》一条(の)院の御宇長元|?校善妙《けんげうぜんみやう》僧大臣の忌《き》日をおもひはじめて法華《ほつけ》八|講《かう》を修行《しゆぎやう》せられしとや礎《いしすへ》今に殘れり【多武岑畧記】
藤原(の)宮
  釈《しやく》日本紀(に)曰(く)此地さだかならず玉林《ぎよくりん》抄(に)云(く)氏族畧記《うじやくりやくき》(に)曰(く)藤原《ふぢはらの》宮は高市《たけちの》郡|鷺栖坂《さぎすさか》の北なり多武《たふの》岑(の)記(に)曰(く)藤原の宮は大原なり今見るに後飛鳥岡本《のちのあすかをかもとの》宮の旧地《きうち》より艮《うしとら》三四町ばかり近年御|造營《ざうゑい》の大|織冠《しよくはん》の大宮是也
藤原《ふぢはらの》宮は人皇四十一代|持統《じどう》天皇|飛鳥《あすか》の淨御原《きよみばら》にいますの時御宇四年十月|高市《たかいちの》皇子藤原の宮地を見そなはし給ふ公卿《くぎやう》百寮《ひやくくはん》御|供《とも》にしたがひき其年十二月天皇|行幸《みゆき》なり給ひて藤原の宮地《みやどころ》を叡覧《えいらん》あり八年正月藤原(の)宮に行幸《みゆき》まし/\て同十二月にうつり給ふとなり【日本紀】慶雲《けいうん》元年十一月はじめて藤《ふぢ》原(の)宮をさだめ給て宮中に百姓一千五百五|烟《えん》を入しめ布を給ふに差《しな》あり【續日本紀】
(388コマ)▲四十三代|元明《げんみやう》天皇四年藤原(の)宮|炎上《えんしやう》せり【帝王編年】
大原《おほはら》
  藤原同所|異名《いみやう》
万葉 我《わが》里に大雪ふれり大原のふりにし里にふらまくはのち 天武天皇
  是は清御原《きよみはら》の宮にてよませ給ふとや
    藤原《ふぢはら》
万葉 藤原のふりにし里の秋|芽子《はぎ》は咲てちりにき君待かねて
同 吾背子《わかせこ》がいにしへの里の明日香《あすか》には千鳥《ちどり》鳴也嶋まちかねて
  右|明日香《あすか》より藤原《ふぢはら》(の)宮にうつりて後此歌をよめり
    埴安《はにやすの》池
  山|部《べの》宿禰《すくね》赤人|故大政《こだいじやう》大臣|藤原《ふぢはら》(の)家の山池をよめる
万葉 いにしへの古き堤《つゝみ》は年ふかき池のなぎさに水草《みくさ》生にけり
八隅知之《やすみしし》わが大君の高照《たかてら》す日のわかみこ麁妙《あらたへ》の藤井《ふぢゐ》が原に大|御門《みかど》はじめ給ひて埴安《はにやす》の堤《つゝみ》のうへにありたゝし見し給ふれば 略
同 白|妙《たへ》の麻《あさ》の衣き埴安《はにやす》の御門《みかど》の原にあかねさす日のくれぬるやらん
    大織冠家地《たいしよくはんいゑどころ》
  今見るに俗に誕生《たんじやう》の地とてしげりたる岡《をか》あり其本の埋井《うもれゐ》は産湯《うぶゆ》の井といへりおもふに藤原《ふぢはら》の御井《みゐ》の清水《しみづ》にや侍りなんうたは左にあらはす
大織冠鎌足《たいしよくはんかまたり》は和州|高市《たけちの》郡(の)人なり【釈書】此郡(389コマ)の大原藤原の第《テイ》にして推古《すいこ》天皇廿一年|甲戌《きのえいぬ》八月十五日にむまれ給ふ【多武岑記】おもふに推古《すいこ》天皇廿一年は癸酉《みつのとのとり》にあたれり後の人さだかにせらるへし亦の説《せつ》ありかまたりの大臣むまれ給へるは常陸《ひたちの》國なり【大鏡】
▲大織冠《たいしよくはん》は天児屋根命《あまつこやねのみこと》の御すゑにぞおはします天智《てんぢ》天皇八年十月藤原の内大臣|鎌足《かまたり》なやみいとおもかりければ勅《ちよく》として東宮《ひつぎのみや》【天武天皇】をかの家につかはしまし/\て大織冠《たいしきのかふり》と大臣の位ならびに藤原|氏《うじ》をぞ給はりけるその翌《あくる》日年五十にしてうせ給ひき又五十六歳ともあり日本紀廿七卷にくはしく見えたり此|大織冠《たいしきのかふり》は正一|位《ゐ》のかうふりにて侍ればいとほまれたかくましますより大織冠《たいしよくはん》といへり
    藤原《ふぢはらの》宮(の)御井《みゐ》
万葉 八隅知之《やすみしし》わが大君の高照《たかてら》す日のわかみこ麁妙《あらたへ》の藤井《ふぢゐ》が原に大御門《おほみかど》はじめ給ひて埴安《はにやす》の堤《つゝみ》のうへにありたゝし見し給へれば日本《やまと》の青香具《あをかく》山は日の經《たて》の大御門《おほきみかど》に春《はるの》山|路《ぢ》しみさびたてり畝火《うねひ》のこの美豆《みづ》山は日の緯《ぬき》の大御門《おほきみかど》に弥豆《みつ》山と山さびいます耳高《みゝたか》の青菅《あをすが》山は背友《そとも》の大御門《おほきみかど》によろしなへ神さびたてり名くはし吉野の山は影友《かげとも》の大|御門《みかど》に雲居《くもゐ》にぞとをくありける高知也《たかしるや》天《あま》の御蔭《みかげ》天知也《あめしるや》日の御影《みかげ》の(390コマ)水こそは常《ときは》にあらめ御井《みゐ》の清水《きよみづ》
  此歌のこゝろは詞林採葉《しりんさいえうに》曰(く)藤原(の)宮に東西南北の大御門《おほみかど》を立られたり初《はじめ》の二つは日の經緯《たてぬき》によりて方角をあらはせり後の二つは山の陰陽《きたみなみ》をさだめしとみえたり因《よつて》v茲《これに》日本紀以(て)2東西(を)1為2日(の)經《たてと》1南北為2日(の)緯《ぬき》1山(の)陽《みなみを》曰2影面《かげともと》1隱《きたを》曰2背面《そともと》1是以(て)2百姓(ヲ)1安居(して)天下|無事《ぶじ》焉
    藤井《ふぢゐ》原 藤原御井同所
万葉 麁妙《あらたへの》藤井《ふぢゐ》か原とよめり
夫木 紫《むらさき》の|藤井《ふぢゐ》が原《はら》の花かづら松にや春の暮かゝるらん 後九条
    衣通媛家地《そとをりびめのいへどころ》 所しらず
衣通媛《そとをりびめ》はいとうるはしき色の衣《ころも》よりとをりぬればかくこそいふなれ稚渟毛二岐皇子《わかぬけふたまたのみこ》の御|女《むすめ》なり允恭《いんげう》天皇の后《きさき》の忍坂大中姫《をしさかおほなかひめ》の御いもうとにぞいまそかりける天皇|衣通媛《そとをりひめ》をめし給ひしかども姉《あね》君のこゝろいかにそやとまうきたり給はず御つかひ七度にかさなりて後《のち》舎人《とねり》中臣烏賊津臣使主《なかとみのいかつのおみ》みことのりをうけまいり衣通媛のみもとにまかりて君まうきたらせ給はずはわれかならずつみなはれなんかしたゝ爰にてこそ身《み》をうしなひけめと庭の中に伏て七日を經《へ》たり衣通媛《そとをりびめ》いなひがたくまうきたり給ひしかば藤原に殿屋《おほとの》をたてゝすへられけり天皇藤原に行幸《みゆき》なりまして衣通媛の消息《ありさま》を(391コマ)しのびながら垣見《かいみ》せさせ給ひしに衣通媛《そとをりひめ》ひとり君待がほにて
 わがせこが來《く》べきよひなりさゝがにのくものをこなひこよひしるしも
天皇此|歌《うた》をきこしめしより御《み》心にいとめておはしまして
さゝらおかたにしきのひもをときさげてあまたはねずにたゞ一夜のみ くはしくは日本紀に見えたり
    法光寺《ほうくはうじ》 此跡所しらず
法光寺は中臣《なかどみ》寺ともいひしが亦あらためて藤原寺ともいへり大織冠《たいしよくはん》の氏寺《うしてら》にして大和國にあり【拾芥抄】
    身狹桃花鳥坂《むさのつきさかの》墓
  橘《たちはな》寺より西七八町ばかり俗《ぞく》に生《いき》ながら埋《うづみ》ける墳《つか》といへりおもふに倭彦命《やまとひこのみことの》陵《みさゞき》にこそ侍らめ石棺《せきくはん》あらはに見えたり倭彦命《やまとひこのみことの》は人皇十一代|垂仁《すいにん》天皇の母君《はゝぎみ》の御弟なり御宇廿八年十月にかくれさせ給ひて十一月に大和國|身狹桃花鳥《むさのつき》坂の陵《みさゞき》にこめられけりその程《ほど》の世のならひにて近《ちか》くつかうまつる人らをいきながら陵のめぐりに立うづみにしければ久しく死《し》なずして朝夕に泣《なき》かなしふ事かぎりなし終《つゐ》に命たえて爛《くち》ぬればいぬ鳥なとあつまりきつゝ?《くひ》けり天皇|泣《なき》さまよふ聲を御心に悲傷《いたきわざ》なりとおぼしめさせて是|古風《いにしへののり》ながらいとよからず今より後なす事なかれと群卿《くんきやう》に(392コマ)詔《みことのり》し給ひき【日本紀】延寶七年迄凡一千五百四十一年歟
  此|倭彦命《やまとひこのみこと》の陵《みさゞき》より西の田中に俗《ぞく》に鬼の魚板《まないた》といふ大石ありなを西に鬼の雪隠《せつゐん》といふなるものあり今みるに鬼の魚板も雪隠も石(の)櫃《ひつ》又石(の)葢《ふた》にて侍るいかにくだれる世なればにやいとおほけなき名をばいひけるぞかし此邊に陵と見えし所々あまたありたゞ名のみを左にあらはす
    桃花鳥坂上陵《つきさかかんのみさゞき》
人皇廿九代|宣化《せんくは》天皇は大和國|高市《たけちの》郡|身狹桃花鳥坂《むさのつきさか》上陵なり【延喜式】御宇四年二月御年七十三にして崩御《ほうぎよ》なり給ふ十一月に此陵にかくし奉る皇后橘皇女《くはうこうたちはなのくはうじよ》其|孺子《わくご》を此陵に合葬《がつさう》せしなり【日本紀】延寶七年迄凡一千五百四十一年歟
    桃花鳥田丘上陵《つきだのをかのかんのみさゝき》
  桃花鳥田《つきだ》【日本紀延喜式】桃花鳥田《つきはなとりだ》【水鏡】桃花鳥田《もずつきだ》【帝王編年】衝田《つきだ》【古事紀】
桃花鳥田丘上《つきだのをかのかんの》陵は人皇二代|綏靖《すいせい》天皇をかくし奉る大和國|高市《たけちの》郡にあり【延喜式】御宇卅三年五月|崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年八十四【日本紀】又四十五歳【古事紀】翌《あくる》年此陵に葬《かくし》奉る【日本紀】延寶七年迄凡二千二百廿八年歟
  此西に俗《ぞく》に鬼頸田《おにのくびだ》といふありその田の(393コマ)中に石もてつくれる頸《くび》二つそのきざみなせるやうつねのものとも見えず一つは大きにして炎王《えんわう》の類《るい》に似《に》たり一つは法師《ほうし》の頸《くび》なり猶西の高き岡《をか》のうへに俗《ぞく》に耳無の池といふありめぐりに石をたゝみ水をたゝへたりいとおぼつかなし耳無《みゝなし》の池は十市《とをちの》郡|耳無《みゝなし》山の麓《ふもと》にこそ侍れおもふに陵の石棺《せきくはん》の盖《ふた》なくなりしにをのつから水のたゝへければかくはいひなしけると見えたり此邊に岡《をか》山ありいたゞきたいらかにして末はるかにつゞけり俗《ぞく》にむかしの湯起請《ゆきしやう》のはじめの所といへりおもふにしからば味橿丘《あまかしのをか》なるべし
    味橿丘《あまかしのをか》
  此味橿丘をおもふに是より十四五町北につゞきて豊浦《トヨラ》寺のほとり飛鳥《あすか》川にいたりて味橿丘にて侍らめ飛鳥川にあまが瀬《せ》のわたりといふありあまかしの片言《へんごん》なるべし玉林抄(に)曰(く)甘橿嶽《あまかしのたか》は豊浦《とよら》寺の東|橘《たちはな》寺の北と云々|帝王編《ていわうへん》年(に)曰(く)高市《たけちの》郡と云々
允恭《いんげう》天皇の御宇四年よろづの姓まことをしろしめすことかたかりければ甘橿丘《あまかしのをか》に釜をすへ神につゝ熱湯《ねつたう》を手してかゝげさせなんの宣勅《ちよくせん》ありしかばもろ/\の氏姓《うじかばね》の(394コマ)人湯あみ齋戒《きよまはり》して味橿丘《あまかしのをか》に行てをの/\木綿手繦《ゆふだすき》あおかけ釜《かま》にむかふ實なる人はをのづからにことなくいつはりある人はそこなはれずといふことなししかあればいつはりある人はおとろきおそれさらにすゝみえずしてしりそきに退《しりぞき》けりをのづからにさたまりて氏姓《うじかはね》をいつはれる人なし【日本紀】是より後の世の帝《みかど》には世々に本系《ほんけい》を奉り圖書寮《づしよりやう》に納められけり此ちかひは釜に熱湯《ねつたう》を沸《わか》して手にかゝげ或は斧《をの》を火の色《いろ》にやきて掌《たなごゝろ》にをく本朝《ほんてう》湯起請《ゆぎしやう》の初にやあらん釈《しやく》日本紀に光仁私記《こうにんしき》天書《てんしよ》等《とう》の證書《しやうしよ》をかきのせてくはしくは見えたり
    甘橿丘須弥山《あまかしのをかのしゆみせん》
斎明《さいめい》天皇五年三月|甘檮丘《あまかしのをか》のひがしの河上に須弥山《しゆみせん》をつくれり【日本紀】
    甘橿岡谷宮門《あまかしのをかのはざまのみかど》
  此所は豊浦《とよら》寺の近きほとりえのは井の南にあり湯起請《ゆぎしやう》の所とははるかへだゝり侍ぬれども甘橿《あまかし》の丘《をか》の内にて侍ぬれば爰にあらはす
甘檮岡谷宮門《あまかしのをかのはざまのみかど》は皇極《くはうぎよく》天皇三年十一月|蘇我《そがの》大臣|蝦?《ゑびし》の子に入鹿臣《いるかのしん》といふありけり甘檮丘《あまかしのをか》に家《いゑ》をつくりならべ大臣の家を宮門《うへのみかど》といひ入鹿《いるか》が家を谷宮門《はざまのみかど》と申|男女《おのこめのこ》などを王子《わうじ》といはせたり家の外に垣《かき》かたくして(395コマ)門のほとりに兵庫《やぐら》をならべ門々に水|舟《ぶね》をすへたりけるは火災《くはさい》をおもふならんつねに力人《ちからびと》にまもらせまた五十人の兵《つはもの》を身《み》にしたがへて出入にいさゝかも立はなれざりきかくてひとへに世の政《まつりごと》をとれりきまた長直《をさのあたひ》におほせて大丹穗《おほゆほの》山に桙削《ほこぬき》寺を立させさらに畝傍《うねひ》山のひがしに家つくらせ池をうかち城としては庫《やぐら》をかまへ箭《や》をつみたりけりいとこゝろだかくそ住《すみ》ける同御宇四年六月に入鹿《いるかの》大臣を禁中《きんちう》にめしよせふかくたばかりて討《うち》給ひけり扨|蝦?《ゑひしの》大臣|誅《ちう》せられなんと見えしかば天皇《すへらぎ》の記《ふみ》國記《くにのふみ》珍寶《たからもの》こと/”\く燒捨《やきすて》たり舩史惠尺《ふねのふんひとのゑさか》けふりにまじはる國記《くにのふみ》などとりあつめて中大兄《なかおほえお》に奉りき【日本紀】入鹿《いるかの》大臣亦の名は鞍作《くらつくり》又は太郎などゝもいへり【日本紀太子傳】皇極《くはうぎよく》天皇三年より延寶七年迄凡一千卅六年歟
    越智《をち》
  湯起請《ゆぎしやう》の岡《をか》より西一里ばかり太平記に見えたる越智《をち》のなにがしの住所也半道ばかり東にかの城槨《じやうくはく》の跡《あと》などあり
    小市岡上陵《こいちのをかのうへのみさゞき》 附間人皇女陵太田皇女墓
  越智《をち》同所|越智《をち・こいち》【延喜式】
人皇卅八代|斎明《さいめい》天皇大和國|高市《たけちの》郡|越智岡上陵《をちのをかのうへのみさゞき》なり【延喜式】つくし朝倉《あさくらの》宮にして崩御(396コマ)なり給ひしがそのゆふべ朝倉《あさくら》山のうへより鬼《おに》大|笠《がさ》をきて殯《もかり》屋をのぞけり天智《てんぢ》天皇六年二月|斎明《さいめい》天皇又|間人《まひとの》皇女を小市岡上《こいちのをかのうへの》陵にかくし奉る又太田(の)皇女を陵のまへの墓《つか》に葬《かくし》奉る【日本紀】延寶七年迄凡一千十四年歟
    越大野《こすのおほの》
万葉 飛鳥《とふとりの》明日香《あすか》の川の上瀬《のぼりせ》に生《おふ》る玉藻《たまも》は下瀬《くだりせ》にながれふれふる玉藻《たまも》なす 中畧 玉垂《たまだれ》の越《こす》の大野の朝露《あさつゆ》に 人丸
同 敷妙《しきたへ》の袖《そで》かへし君《きみ》玉垂《たまだれ》の越野《こすの》を過《すぎ》てまたもあはめやも 人丸
  右或本(に)に曰(く)葬2河嶋《かはしまの》皇子|越智野《こいちのに》1之《の》時歌云々
久安百首 花薄人も越野《こすの》の名をしらで誰《たれ》まねくらん秋の夕暮 中納言公能
    真弓岡《まゆみのをか》 越村の南真弓村
万葉 餘所《よそ》に見し檀《まゆみの》岡も君ませば常都御門《とこつみかと》ととのゐするかも
同 鳥※[土+(而/一)]《とくら》立|飼之《かひし》雁《かり》の児《こ》栖立《すだち》なば真弓岡尓飛《まゆみのをかにとび》かへりこぬ
    真弓岡《まゆみのをかの》墓 それとみゆるものも侍らず吉備嶋皇祖母《きびしまのみこのみおやの》命|檀弓崗《まゆみのをか》にかくし奉る皇極《くはうぎよく》天皇二年九月に崩《ほう》し給ふ【日本紀】
    佐太岡《さたをか》  真弓《まゆみ》村のちかき坤《》ひつじさる》の方に佐太《さた》村といふあり
万葉 橘の嶋の宮にはあかずとも佐田の岡邊《をかへ》にとのゐしに行 舎人等
名寄 駒なへていざ見にゆかむさた川にえたさしかはすやまとなでしこ
    冬野《ふゆの》寺
  多武《たふの》岑の南|冬野《ふゆの》村この跡《あと》也(397コマ)冬野寺又は妙金《めうきん》寺ともいへり建立《こんりう》は時代さだかならず【多武岑畧記】
    滑谷岡《なめはざまのをかの》陵
  冬野《ふゆの》村のほとり俗うばそくの古墳《ふるつか》といふ是ならんか滑谷《なめはざま》俗なめらだにといふ
舒明《ぢよめい》天皇|滑谷岡《なめはざまのをか》にはうふり奉りてのち押坂内《をしざかのうち》山(の)陵《みさゞき》にうつしかへ奉りき委《くはし》くは日本紀にあり
    菅丞相山庄《かんしようじやうのさんざう》 所しらず
昌泰《しやうたい》元年十月十五日|太上《だじやう》天皇【宇多天皇】御|鷹狩《たかゞり》に吉野の宮瀧《みやだき》に行啓《ぎやうけい》なり給ひしには貞数親王《さだかずしんわう》【清和天皇第八皇子】右大将菅原朝臣《うだいしやうすがはらのあそん》【北野天神】其外六|位《ゐ》等廿二人つかうまつりけり上皇《じやうくはう》寮《りやうの》馬にめして道すがらのてら/”\を御|巡覽《じゆんらん》まし/\けるには素性《そせい》法師|前駈《せんぐ》にぞつかうまつりける廿三日|高市郡《たけちのこほり》右大将《うだいしやう》の山庄《さんざう》に御|一|宿《しゆく》なさせ給ひて和歌《わか》など侍りしよし帝王編年記《ていわうへんねんき》にあり
    小野|榛原《はりはら》
  神楽註秘《かくらちうひ》抄(に)曰(く)榛《はり》榛《はぎ》ともよめり畝傍《うねひ》村より坤《ひつじさる》一里ばかり行て上のはぎもと下《しも》のはぎもとありと聞え侍る後の人さだかにせらるべし
神武《じんむ》天皇|海内《くにのうち》を平《たいらげ》給ひて天神《あまつかみ》をまつり給ふ霊疇《まつりのには》を鳥見《とりみの》山中にたてゝ其地を上《かみ》の小野(の)榛原《はりはら》下《しも》の小野(の)榛原《はりはら》と名づ(398コマ)けて皇祖神《みおやのかみ》をまつり給ひき【日本紀】上の小野《をの》にしては天神《あまつかみ》を下《しも》の小野にしては地祇《くにつかみ》をまつり給へり【釈日本紀】
鳥見白《とりみのしら》山
  又|鳥見白庭《とりみのしらにはの》山ともいへり所しらず
鳥見白《とりみのしら》山は饒速日尊《にぎのはやひのみこと》天磐舩《あまのいはふね》にめして天《あま》くだり河内國|河上哮岑《かはかみのたかみね》にいます則大和國|鳥見白《とりみのしら》山にうつりいます天磐《あまのいは》舩にめして大虚空《おほぞら》をかけり此|郷《くに》を見給ひて天降《あまくだり》ます即《すなはち》虚空見日本國《そらみつやまとのくに》と宣《のたま》ふとなり此神は天照太神|高皇産靈命《たかんみむすびのみこと》とあひともにあれましき故《かるがゆへ》に天孫《あめのみまご》とも皇孫《すべみまご》と申奉りき【舊事紀】
    鳥見《とりみ》山
鳥見《とりみ》山は神武《じんむ》天皇|長髓彦《ながすねひこ》とたゝかひ給ひし時|金色《こかねいろ》の霊鵄《あやしきとび》飛來り皇弓《みゆみ》の弭《はづ》にとゞまれり其|鵄《とび》光《ひかり》かゝやく事|流電《いなびかり》のごとしかゝりければ長髓彦《ながすねひこ》軍《いくさ》破《やぶれ》たり鵄《とび》の瑞《ずい》を得《え》給ひしより鵄邑《とひのさと》と名《な》づけり今|鳥見《とりみ》といふは訛《よこなはれ》り【舊事紀】
 
(399コマ)〔表紙〕
 
 
(400コマ)和州舊跡幽考目録
   第十六卷|高市《たけちの》郡
向原《かうげん・むくはら》寺《じ》  金銅釈迦《こんどうのしやかの》事
石川精舎《いしかはのしやうしや》  付 弥勒《みろくの》石佛○惠便《ゑべん》法師○三|尼《にの》事
大野岳塔《おほのゝをかのたう》
元興寺《ぐはんごうじ》 付 樹葉冢《このはのをか》○真神原《まかみのはら》○苫田《とまだ》○釈迦|銅像《どうざう》○縫《ぬひものゝ》佛○盂蘭盆會《うらんぼんゑ》○炎上《えんしやう》○道場《たうじやう》法師(の)事
真神原  豊浦《とよらの》宮(401コマ)
飛鳥《あすか》寺  石川(の)百済《くたら》村 付 大伴《おほども》村○阿田《あだ》村事  百済|大井《おほゐの》宮
城上《きのかみの》宮  飛鳥《あすか》川
飛鳥井《あすかゐ》  神名火渕《かみなみのふち》
七瀬淀《なゝせのよと》  飛鳥板葢新《あすかいたぶきのにゐ》宮
飛鳥川|邊行宮《べのかりみや》  飛鳥都《あすかのみやこ》
蘇我馬子家地《そがのむまこのいゑところ》 付 桃原《もゝはらの》墓○東条龍山《とうでうりうせん》寺(の)事  遠明日香《とをあすかの》宮
難波堀江《なんばのほりえ》  剱《つるぎの》池
清隅《きよすみの》池  孝元《かうげん》天皇(の)陵
榎葉井《えのはゐ》  櫻井《さくらゐ》
豊浦《とよら》村(の)社  雷岡《いかづちのをか》
八釣《やつりの》宮  矢釣《やつり》山
蘇我稲目家地《そがのいなめのいゑところ》 大官大寺《だいかんだいじ》
八木《やぎ》村 付 曽武橋《そぶのはしの》事  畝火《うねひ》山 付 神社《じんじやの》事
畝傍《うねひの》池  片鹽浮孔《かたしほうきあなの》宮
神武《じんむ》天皇(ノ)陵《みさゞき》  神八井耳命《かんやつゐみゝのみことの》陵
安寧《あんねい》天皇(の)陵  三《みつ》山
橿原《かしはらの》宮  國源《こくげん》寺
懿徳《いとく》天皇(の)陵  久米
(402コマ)久米《くめ》川  久米《くめ》寺 付 久米仙人《くめのせんにん》○寶塔《ほうたうの》事  益田《ますだの》池
益田《ますだの》池(の)碑銘《ひのめい》  屯倉《みやけ》
武内宿祢墓《たけうちのすくねのはか》  鳥屋《とりや》村
輕《かる》  輕境原《かるのさかひばらの》宮
輕曲峽《かるまがりをの》宮  輕|嶋明《しまあかりの》宮
輕《かるの》池  法輪《ほうりん》寺 付 藥師《やくしの》事
陵《みさゝき》  檜隈《ひのくま》川
佐味隈《さびくま》  檜隈|盧入野《いほりいりのゝ》宮
欽明《きんめい》天皇(の)陵  檜|隈陵上大柱《くまのみさゞきかみのおほはしら》
天|武《む》天皇(の)陵  持統《じどう》天皇(の)陵
文|武《む》天皇(の)陵  吉備姫王《きびひめわうの》陵
堅鹽媛《かたしほのひめの》陵  檜隈野呉原《ひのくまのくれはら》
子嶌《こしま》寺 付 報恩沙弥《ほうをんしやみ》○真興《しんこう》法師(の)事
檜隈《ひのくま》寺  鷹取《たかとり》
壷坂《つぼさか》寺 付 龍藏權現《りうざうごんげんの》事
蘇我《そがの》川原  勾金橋《まがりかねのはしの》宮
太玉神社《ふとたまのじんじや》  岡本《をかもとの》天皇(の)陵
高市《たけちの》宮  高市《たけちの》社 付 神階《じんかいの》事
延喜式神名帳《えんぎしきじんみやうちやう》
 
(403コマ)和州舊跡幽考第十六卷
  高市《たけちの》郡
    向原《むくはら》寺
  或《ある》和尚元和年中の述作《じゆつさく》の書に向原《むくはら》寺の跡は曲《まがり》川の邊にありと云々此義にしたがへばはじめ向原《むくはら》寺は曲《まがり》川の邊びありてのち石川にうつして石川の精舎《しやうじや》といひけるにや又日本紀に守屋大連《もりやのだいれん》焼拂《やきはら》ふ躰《てい》をおもふには向原《むくはら》寺石川(の)精舎《しやうじや》大野丘《おほのゝをか》の塔《たう》同所のやうにも見え侍る後の人さだかにせらるべし
人皇卅代|欽明《きんめい》天皇十三年十月|百済《くだらの》國の聖明王《せいめいわう》の御つかひとして西部姫氏達率(404コマ)奴※[口+利]斯致契《せいほうきしたつそつとりしちけい》等《ら》釈迦《しやか》の金銅《こんどう》の像《ざう》一|躯《く》幡《はた》盖《きぬかさ》經論《きやうろん》おほくの卷を欽明《きんめい》天皇にぞ送り奉られけるその表讃詞《ひやうさんのことば》
流通《あまねはし》禮2拜《みづからをがんで》功徳《のりのわさを》1云(く)、是法《こののりは》於《おゐて》2諸法中《もろ/\ののりのなかに》1最《もつとも》爲《す》2殊勝《ことにすくれていますと》1難(く)v解《さとり》難《かたし》v入《いり》周公孔子《しうこうこうしも》尚《なを》不《ず》v能《あたは》v知《しること》此法《こののり》能《よく》生《なして》3無《なく》v量《はかり》無《なき》v邊《かぎり》福2徳《いきほひ》果報《むくひの》1乃至《いましは》成《なし》2辨《わきまふ》無上菩提《すくれたるぼだひを》1譬《たとへば》如《ごとく》3人《にしの》懷《おもひの》2隨《まに/\》v意《こゝろの》寶《たからを》1逐《したかへて》v所(に)v須《すべからく・べき》2用《もちゆる》盡《こと/\く》1依v情《こころしたがひ》此妙法《このたへなるのりの》寶(に)亦復《またまた》然《しかり》所願《もとめねかふこと》依v情《こころしたがふに》無(し)v所《ところ》v乏《とほしき》且《かつ》夫《それ》遠《とをくは》自《より》2天竺《ほとけのくに/\》1爰《こゝに》?《およぶ》2三(の)韓《からくに》1依《よりて》v教《みのりに》奉持《うけたもち》無《なし》v不《すといふ》2尊敬《たふとから》1由《よりて》v是《これに》百濟王《くたらのきみ》臣《まうちきみ》明謹《あきらかにつゝしんで》遣《つかはし》2陪臣奴※[口+利]斯致契《やつことりしけいを》奉v傳《うけつたへて》帝國《みかどに》1流2通《あまねくかよはし》畿内《うちつくにゝ》1果《はたす也》佛(の)所記《のたまふ》我法《わかのり》東流《あづまにつたへんと》云々
天皇|叡感《えいかん》なのめならずまし/\ながら群臣《ぐんしん》に勅《ちよく》して西蕃《にしのくに》より得《え》たりつる佛の御かほいと端厳《きら/\》し拜礼《はいらい》なさまじやせまじや群臣《ぐんしん》夫《それ》我《わが》國は天地社稷《あめつちのやしろいゑ》の百八十神《もゝやそのかみ》をこそまつり給べけれ他國《ひとのくに》の神《かみ》をあがめ給べしやと報奏《かへりそう》しけりたゝ蘇我稲目宿祢《そがのいなめのすくね》ひとり諸國《くに/\》もつはら尊敬拜礼《そんけいはいらい》をせりたうとくませ給ひなんになにのさはりかありなんと奏《そう》しけりしかあれば稲目宿祢《いなめのすくね》に佛を給はりぬ汝《なんぢ》供養《くやう》をなせよ稲目《いなめ》よろこびつゝ小墾《をはり》田の家に安置《あんち》し向原《むくはら》を寺となしけるが終に守屋大連《もりやのたいれん》寺を焼焼《やき》はらひ佛を難波《なんば》の堀江《ほりえ》にしづめにけり【日本紀】此|向原《むくはら》寺は本朝《ほんてう》寺院《じゐん》のはじめにて侍る【釈書】
向原《むくはら》寺は蘇我稲目宿祢《そがのいなめのすくね》にはじまり蘇(405コマ)我馬子《そがのむまこ》つくりくはへて石川の精舎《しやうじや》となし守屋大連《もりやのたいれん》焼はらひての後《のち》元興《ぐはんごう》寺となしけるにや三大|実録《じつろくに》曰(く)建興寺《けんこうじ》は蘇我稲目《そがのいなめ》所《ところ》v建《たつる》云々|建興《けんこう》寺は元興寺の異名《いみやう》也又三代|格《かくに》曰(く)元興寺《ぐはんごうじ》は佛法元興之場《ぶつほうげんこうのには》聖教最初之地《しやうげうさいしよのち》也と云々おもふに同地《とうぢ》寺|号《かう》異《い》歟《か》
    石川(の)精舎《しやうじや》
  玉林抄(に)云|豊浦《とようら》より西四十町はかり蘇我《そがの》大臣の領知《れうち》の内にしてかの家《いゑ》の東なりと云々今見るに石川は西に豊浦《とようら》は東にならびなお東につゞきて元興寺《ぐはんごうじ》の跡《あと》に草室《さうしつ》有
石川(の)精舎《しやうじや》は人皇卅一代|敏達《びだつ》天皇十三年九月|百濟《くたらの》國の使《つかひ》鹿深臣《かふかのをん》弥勒《みろく》の石佛一|躯《く》又|佐伯連《さえきのむらじ》佛像《ぶつざう》一|躯《く》もちて来朝《らいてう》せり蘇我馬子宿祢《そがのむまこのすくね》此二|躯《はしら》の佛をこひうけ奉りて播磨《はりまの》國に法師の俗《ぞく》のかへりし人ありけり惠便《ゑべん》とぞいひける本《もと》は高麗《こまの》國の人なり是をまねきよせて法《のり》の師《し》とさだめ司馬達等《しばだつと》のむすめ嶋女《しまめ》といひて年《とし》十一なるをかしらおろして善信尼《ぜんしんに》とぞいひける又其|弟子《てし》として漢人《あやひと》夜菩《やほ》の女《むすめ》豊女《とよめ》かしらそりて禅蔵尼《ぜんざうに》といひ錦織壷《にしこりつぶ》がむすめ石女《いしめ》を尼《あま》になし惠禅尼《ゑぜんに》といひて三人の尼《あま》に佛をうやまひつかう(406コマ)まつらせけり佛殿《ぶつでん》を家のひがしの方にかまへかの石佛《せきぶつ》を安置《あんち》し三人の尼《あま》をうけよろこびて大|會《ゑ》をとりおこなひしに司馬達等《しばたつと》の飯のうへに佛舎利《ぶつしやり》現《げん》じ給ひしぞかしそれを馬子宿祢《むまこのすくね》にまいらせけり馬子《むまこ》さらば試《こゝろみ》ずはあらじとて鐵鎚《かなづち》をふりてあながちにうちたりしが鎚《つち》のみくだけやぶれて更に舎利《しやり》はやぶれ給はず又水に入て見ぬれば舎利こゝろのまゝにうきしづみ給ひしかば是よりして馬子宿祢《むまこのすくね》池邊冰田《いけべのひた》司馬達等《しばたつと》佛法《ふつほう》をたうとみをこたりなし馬子宿祢《むまこのすくね》又石川の宅《いゑ》に佛殿をつくりき佛の道是よりはじまりけるとぞきこえし【日本紀】
    大野丘《おほのゝをかの》塔
  石川同所也石川(の)精舎《しやうじや》ならびに此|塔《たう》ともに守屋(の)焼拂《やきはら》ふと見えたり
大野丘《おほのゝをか》の塔《たう》は人皇卅一代|敏達《びたつ》天皇十四年二月|蘇我《そがの》大臣|馬子宿祢《むまこのすくね》建立《こんりう》して司馬達等《しばたつと》の得《え》たりける佛舎利《ふつしやり》を塔の柱頭《はしらがみに》納め奉りけりしかありしに馬子《むまこ》患疾《やまひ》したり又國に疫病《えやみ》おこりて死《し》する人おほかりければ物部《ものべ》弓削守屋大連《ゆげのもりやのたいれん》と中臣(の)勝海太夫《かつみのまうちきみ》奏《そう》しけるは先帝《さきのみかと》より陛下《きみ》にいたり奉りてかくのやまひ國民《くにたみ》にたえやらずおもふにたゝ蘇我《そがの》臣が佛法を行ふからにあ(407コマ)らすや帝《みかど》しかあらば佛の道を断《たち》つべしとの宣勅《せんちよく》をうけ守屋《もりや》みづから寺に行て塔をきりたふし火をかけ佛像《ふつざう》佛殿《ふつでん》を焼《やき》はらひながらその焼|残《のこ》りし佛|像《ざう》は難波《なんば》のほり江《え》にしづめたり其日一天に雲なくして風吹雨しきりなり三人の尼《あま》をよび出し三|衣《え》をはぎとり海榴石市《つばいち》の亭《うまやだち》におしこめたり扨天皇も大連《たいれん》も瘡《かさ》といふものやみ給ひしが橘豊日《たちはなのとよひの》皇子にみことのりあり瘡《かさ》やみて死《し》せるもの國にみてるとなんその瘡《かさ》のくるしき事身を焼くがことくまたうたれくたかるゝかと泣《なき》かなしふ老若《らうにやく》竊《ひそかに》相《あひ》かたりて只是|佛像《ぶつざう》を焼奉るの罪《つみ》ならんかしとなり六月|馬子《むまこ》奏聞《そうもん》を經る臣《しん》やまひおもくかさなるとはいへどもをこたる日なしたゞ三寶《さんぼう》のちからならずはいかでかたすかりなむ馬子《むまこ》に命《めい》じ給ひしはけふより後《のち》汝《なんぢ》ひとり佛法《ぶつほう》をたうとみさらに余《よ》人をまじへる事なかれすなはち三人の尼《あま》を馬子《むまこ》にかへしえませ給ひしかば馬子いとよろこび精舎《しやうじや》をたてゝ供養《くやう》したりき其年の八月に天皇|崩御《ほうぎよ》なり給ひしなり【日本紀】敏達《びだつ》天皇十四年より延寶年迄凡一千九十五年歟
    元興《ぐはんごう》寺 付 樹葉家 真神原 苫田
  元興《ぐはんごう》寺(の)流記《りうきに》曰(く)大野岳《おほのゝをか》の北と云々
(408コマ)  或抄《あるせうに》曰(く)大野丘《おほのゝをか》の北は豊浦《とよら》寺の東仏《とうぶつ》門也と云々|元興《ぐはんごう》寺は石川(の)精舎《しやうじや》大野(の)岳《をか》の塔《たう》を焼はらひし後の建立《こんりう》と見えたり今見るに形《かた》はかりなる草室《さうしつ》に鞍作鳥《くらつくりのとり》のつくられし霊佛《れいぶつ》御|膝《ひざ》にかうへのみのこり給ひしをすへたてまつりき礎石《そせき》所々にみえわたりたり
元興《ぐはんごう》寺又の名は飛鳥《あすか》寺又は法興《ほうこう》寺亦は大|楽《らく》寺又は豊浦《とよら》寺又は桜井道場《さくらゐのたうじやう》共いへり御巡礼記《ごじゆんれいき》釈書《しやくしよ》縁起《えんぎ》等《とう》に見えたり夫《それ》法興《ほうこう》寺の濫觴《らんしやう》は蘇我《そがの》大臣|馬子《むまこ》おもひたちしより諸皇子《しよわうじ》群臣《ぐんしん》等《とう》をすゝめて物部守屋大連《ものべのもりやのたいれん》を滅《ほろぼ》しなんの謀《はかりこと》あり則|聖徳《しやうとく》太子を大|将軍《しやうぐん》として攻《せめ》たりけるか終《つゐ》に守屋大連《もりやのたいれん》を迹見首赤檮《あとみのをんいちび》誅《ちう》したりけりその誓願《せいぐはん》に聖徳《しやうとく》太子は四天王寺をつくり給ひなん蘇我《そがの》大臣は飛鳥《あすか》の地《ち》にして法興《ほうこう》寺を造営《ざうゑい》せむの願《ぐはん》ありけれは卅三代|崇峻《しゆじゆん》天皇元年|飛鳥《あすか》の縫造《ぬひものゝやつこ》の祖《おや》の樹葉《このは》の家をやぶりて寺地とせり此所は飛鳥《あすか》の真神《まかみの》原又飛鳥《あすか》の苫田《とまた》ともいへり御宇五年十月大|法興《ほうこう》寺の佛《ぶつ》堂|歩廊《ほろう》ことなりたり卅四代|推古《すいこ》天皇元年正月|佛舎利《ぶつしやり》を柱《はしら》の礎《いしずへ》の中に納て塔《たう》成就《じやうじゆ》せり御宇四年|伽藍《がらん》つくりをはりし程に惠慈《ゑじ》惠|聡《そう》の二法師を住《すま》しめ給へり【日本紀】扨四門は南(409コマ)に元興寺《ぐはんこうじ》北に法満寺《ほうまんじ》東に飛鳥《あすか》寺西に法興寺《ほうこうじ》の額《がく》をかけられたり【御巡礼記】推古《すいこ》天皇四年より延寶七年迄凡千八十四年歟
▲釈迦《しやか》如来は人皇卅四代 推古《すいこ》天皇十三年四月|帝《みかど》丈六の銅像《どうざう》ならびに繍《ぬひものゝ》佛ををの/\一|躯《はしら》をつくり給なんと鞍作鳥《くらつくりのとり》を佛工《ほとけつくりにぞ》さだめられける此|造佛《ざうぶつ》の事を高麗《こまの》國の大興王《たいこうわう》つたへきこしめして黄金《わうごん》三百兩を献《けん》ぜられしなり御宇十四年佛|成《なり》給ひつれども元興《くはんこう》寺の金堂《こんだう》の戸より佛像《ぶつざう》たかくまし/\ければ納めえなん事をしらず工《たくみ》人ともたゞ堂の戸をこぼちなんと議したりしが鞍作鳥《くらつくりのとり》工《たくみ》すぐれにたればやすらかに納めすへ奉りき光銘《くはうめいに》曰(く)推古《すいこ》天皇十三年|歳次《ほしやどる》2己巳《きのとのみに》1四月八日|戊辰《つちのえたつ》以2銅《あかがね》二萬三千貳百斤|金《こかね》七百五拾九兩(を)1敬2造《うやまひつくると》釈迦《しやかの》丈六(の)像《ざう》銅繍《とうすう》並(に)狹侍等《わきたちとうを》1云々延寶七年迄凡千七十五年歟其|後《のち》斎明《さいめい》天皇三年|須弥《しゆみ》山のかたちを寺のにしにかまへて盂蘭盆會《うらぼんゑ》あり【日本紀】本朝《ほんてう》のはじめに侍るならんかし天|武《む》天皇六年に一切經を讀誦《どくじゆ》ありしには帝《みかど》寺の南門《なんもん》にして三|寶《ぼう》を拜礼《はいらい》まし/\亦帝《みかど》の玉躰《きよくたい》安和《やすらか》にといのり給ひしには珎寶《ちんほう》を施入《せにう》あり持統《じどう》天皇元年には天|武《む》天皇の御衣《みぞ》をもて袈裟《けさ》となし人別《にんへつ》に一|領《れう》つゝを施《ほとこ》し給ひけり【日本紀】人皇五十四代|仁明《にんみやう》天皇|承和《せうわ》十年には油《あぶら》一|斛《こく》正税《せいぜい》三百|束《そく》を(410コマ)施入《せにう》まし/\て六月十五日|萬花會《まんくはゑ》十月十五日|下燈會《かたうゑ》恒例《ごうれい》として勤修《ごんしゆ》すべきの宣下《せんげ》を給はる【續日本紀】たゞ是|佛法《ぶつほう》最初《さいしよ》の寺に侍れはなり貞觀《じやうぐはん》四年の官符《くはんふ》にのせられし詞
此寺《このてらは》佛法《ぶつほう》元興之場《げんこうのには》聖教最初之地也《しやうげうさいしよのちなり》去(ル)和銅《わどう》三年|帝都《ていとを》遷《うつす》2平城《ならに》1之日《のひ》詣《まうでたまふ》v寺(に)隨《したがひて》v移《うつすに》2件(の)寺(を)1獨《ひとり》留《とゝまる》2朝廷《てうていに》1更《さらに》造《つくり》2新寺(を)1備《そなふ》2其不v移(の)間(に)1所謂《いはゆる》本元興寺《もとぐはんごうじ》是也【三代格】
▲炎上《えんしやう》は五十八大|光孝《くはうかう》天皇|仁和《にんわ》三年十二月晦日也其後|再興《さいこう》ありしかども衰破《すいは》して名のみのこりけるいつの世か再興《さいこう》の時ならむかし
▲元興《くはんこう》寺に道場《だうじやう》法師といふありけり尾張《おはりの》國の人なり敏達《ひだつ》天皇の御時とかや法師の父田に水をまかせなんとせしほどに雨ふり神《かみ》鳴《なり》落《おち》たりけり其かたちおさなきものゝやうにぞ侍る鋤《すき》にてうちなんとせしにいかづち我をころす事なかれ此|恩《をん》にはよきおのこうませなんかし楠木《くすのき》の舟《ふね》に水をたゝへ竹の葉をうかべてわれにえさせよといふさらばとてさのごとくしてえさせぬれば雲にのり天にぞのぼりけるいく程なくおのこをうめりしにそれがかうべに蛇《くちなは》のまとひて尾頭《おかしら》はうなじのかたにぞありける年《とし》十あまりにして八方八尺の石をやすらかにぞなげける其後|元興寺《くはんこうじ》につかへてありけるが鐘(411コマ)樓《しゆろう》に鬼《おに》ありて人をとる程にかねつくべきやうもあらざりけり此わらはしのびやかに侍たりしに鬼のきたりしかばわらはその鬼のかしら髪《かみ》をとりて引よせむとせしがかみはのこりなくぬけて鬼はにげ行けり血《ち》をしたひてたづね行しにむかし心あしかりし人の古塚《ふるつか》にぞ入にき鬼《おに》のかみは寶蔵《ほうざう》に納《おさ》めて侍りけるとなり亦寺の田をつくらせけるに水をまかせなんとせしに人/\さまたげて侍れば十|余《よ》人ばかりしてになひつべき鋤《すき》がらをつくりて水口《みなくち》にたてたりしかば人あまたしてぬきて捨《すて》たりけりさらばとて五百人ばかりしてひきつべき石にて水口をせきけるにぞ人/\おぢをそれてとりもすてざりし程に寺の田は照《てる》日にもいたまざりけり其後かしらおろしぬれば世の人|道場《だうじやう》法師とぞいひける【水鏡】
    真神原《まかみのはら》
万葉 挂文忌之伎鴨《かけまくもゆゝしきかも》言久母綾尓畏伎《いはまくもあやにかしこき》明日香《あすか》乃|真神之原尓《まかみのはらに》久堅能天津御門《ひさかたのあまつみかど》をかしこくもさだめ給ひて神《かみ》さぶと磐隠座《いはかくります》 中略 白妙乃あさのころもき埴安《はにやす》乃|御門《みかど》之|原《はら》尓あかねさす日のつくるまて 中略 百濟《くたら》の原に神葬《たまはふり》葬伊座而《はふりいまして》朝毛吉《あさもよき》木上《きのうへ》乃|宮《みや》を 常宮《とこみや》とたかくしたてゝ神《かみ》のまに/\しづまりましぬ
(412コマ)万葉 大口能真神之原尓《おほくちのまかみのはらに》ふる雪はいたくなふりそ家もあらなくに 舎人娘子
澄月哥枕 飛鳥風むべさえけらし今朝見れば真神《まかみ》が原に雪はふりつゝ 良清
    豊浦宮《とよらのみや》
人皇卅四代推古《すいこ》天皇は欽明《きんめい》天皇の皇女用|明《めい》天皇(の)同母《どうも》の御|妹《いもと》にして敏達《びだつ》天皇の后にぞおはしましける敏達《びだつ》用|明《めい》崇峻《しゆしゆん》の三|帝《てい》 天皇の後《のち》豊浦宮《とよらのみや》にして即位《そくゐ》まし/\厩戸《まやとの》皇子を皇太子にすへ給ひながら摂政《せつしやう》に録《ろく》せられき御宇十一年|小墾田《をはるだの》宮にうつり給ふ【日本紀】其後|皇居《くはうきよ》を施《ほどこ》し給ひて寺となさせ給ひしより豊浦寺の名《な》あり元興寺《ぐはんこうじ》これなり豊|浦《ら》寺をよめる
壬二 かつらきや豊浦《とよらの》寺の竹の葉にこほれる霜はとくる日もなし 家隆
夫木 ふりにける豊浦《とよらの》寺の榎《え》の葉井《はゐ》に猶|白玉《しらたま》を残《のこ》す月影 長明
    飛鳥《あすか》寺
  拾芥抄《しうがいせうに》云(く)元興《ぐはんごう》寺は推古《すいこ》天皇|始《はしめ》て造《つくり》給ふ|飛鳥井《あすかゐ》寺又|本法興《もとほうこう》寺と云々
堀川二郎 うゐの世はけふかあすかの寺のかねを哀《あはれ》いつまできかむとすらん
名寄 いかばかり光《ひかり》をそへむ朝《あさ》日まつい飛鳥の寺の法の灯
    石川(の)百済《くたら》村 付 大伴村阿田村
石川の百済《くたら》村は敏達《びだつ》天皇(の)御宇もろこしの日羅《にちら》といひし勇士《ゆうし》来朝《らいてう》せり日本紀|平氏傳《へいじでん》などに委《くはし》くあり日羅《にちら》死去《しきよ》して後《のち》其|類《るい》妻子《さいし》等《とう》を石川に居《を》らしめたりしかあれと大伴《おほども》の糠手子連《ぬかてこのむらじ》議《はかり》て申一|處《ところ》にいかでをらしめなんと妻子《さいし》を石川の百済《くたら》(413コマ)村に水手《みつて》等《ら》を石川の大伴《おほども》村にをしこめ徳爾《とくじ》等《ら》をからめて百済《くたら》の阿田《あた》村にぞをきける【日本紀】
    百済大井《くたらおほゐの》宮
  是も此所に侍なんかさだかにせらるべし
人皇卅一代|敏達《びだつ》天皇元年四月|百済《くたら》の大井に宮をつくり給ふ【日本紀】池田《いけだの》宮【古事紀】ともいへり延寶七年迄凡一千百八年歟
    城上宮《きのかみのみや》
  類聚名寄《るいじゆなよせ》大和國と云々
万葉 磯城《しき》嶋の日本《やまとの》國に何方《いかさまに》御念食可《おぼしめしてか》津礼毛無《つれもなき》城上宮尓《きのかみのみやに》大殿《おほみや》をつかへまつりて 略
同 百済《くたら》原にたまふりはふりいまして朝《あさ》もよひ木の上《かみ》の宮を常宮《とこみや》所
    飛鳥《あすか》川
万葉 飛鳥《とぶとりの》明日香《あすか》の川の上瀬《のぼりせ》に石|橋《はし》わたし下瀬《くだりせ》にうち橋《はし》わたし 畧
同 神名火《かみなひ》山の帯《おび》にせる明日香《あすか》の川のはやき瀬《せ》にともよめり
同 明日香《あすか》川|紅葉《もみぢ》ばながる葛木《かづらき》の山の木葉《このは》は今しちるらし
栄花物語 中/\に定《さだ》めなき世は明日香《あすか》川玉つくりなるやどとならしや
久安百首 飛鳥川波の花こそ咲にけれ高圓《たかまど》の山に桜ちるらし 實清
千五百番 冬はたゞあすかの里の旅枕《たびまくら》おきてやいなむ秋の白露 定家
拾遺愚草 飛鳥川|渕瀬《ふちせ》もしらぬ色ながら都《みやこ》の花といつにほひけん 同
枕双子詞 飛鳥川|渕瀬《ふちせ》さだめなくはかなかるらんといとあはれなりなどゝもかけり(414コマ)
  當世|飛鳥《あすか》川といひつたふる所尤|飛鳥《あすか》寺のほとり難波《なんば》の堀江《ほりえ》にも近《ちか》くしてよせなきにしもあらずしかあれども亦|不審《ふしん》なきにしもあらず神名火《かみなひ》山の帯《おび》にせる明日香《あすか》の川のとよめるをおもふに神名火《かみなひ》山は三輪《みわ》山なるべし程はるかに北東にへだたりて三輪山は式上郡《しきのかみのこほり》にあり又|明日香《あすか》川紅葉ばながる葛城《かづらき》の山とよめるをおもふには葛城《かづらき》山はいとはるかの西にあたりて葛城《かつらき》の郡《こほり》也亦|高圓《たかまど》山の桜|飛鳥《あすか》川にながるゝやうによめるをおもふに磯城嶋《しきしま》の高圓《たかまど》山のはなのながれ来へきもたよりなし但《たゞし》ならの高圓《たかまど》山のはな奈良《なら》の飛鳥《あすか》川にながるゝをよめるやとおもへば正徹和尚《しやうてつくはしやう》の哥に奈良《なら》の飛鳥《あすか》には川なきよしを詠《ゑい》しられたりたゞ管見《くはんげん》におよぶべき事ならねば後の人あきらかにせらるべし
    飛鳥井《あすかゐ》
  註秘抄《ちうひせうに》云(く)大和國|飛鳥《あすか》川のあたり也
催馬楽 飛鳥井《あすかゐ》にやとりはすべしおけかけもよし見もひもま〔さカ〕むしみまくさもよし
    神名火淵《かみなひのふち》  此|邊《ほとり》にやあらためらるべし
  大納言|大伴卿《おほどものきやう》在《ましまして》2寧樂家《ならのいゑに》1思《おもふ》2故郷《ふるさとを》1歌
(415コマ)万葉 たゝしばし行てみてしが神名南〔ママ〕《かみなひ》の淵《ふち》はあさひて瀬《せ》にかはるらん
    七瀬淀《なゝせのよど》 所さだかならず
万葉 明日香《あすか》川|七瀬《なゝせ》の淀《よど》に住《すむ》鳥も心あればにて波たゝざらめ
内裏名所 飛鳥川|七瀬《なゝせ》の淀《よど》に吹風のいたづらにのみ行月日哉 順徳院
壬二 春の日も今幾日とは飛鳥《あすか》川|七瀬《なゝせ》の淀《よど》にしがらみもがな 家隆
    飛鳥板盖新宮《あすかいたぶきのにゐみや》 付 飛鳥川原宮所しらず
人皇卅六代|皇極《くはうきよく》天皇二年四月かり宮より飛鳥板盖《あすかいたぶき》の新宮《にゐみや》にうつり給ふ【日本紀】又三十八代|斉明《さいめい》天皇元年十月|飛鳥板盖《あすかいたぶき》の宮にして即位まします皇極《くはうきよく》天皇の重祚《てうそ》也此冬|飛鳥板盖《あすかいたぶきの》宮|炎上《えんしやう》せりそれより飛鳥《あすか》川原(の)宮にうつり給へり【日本紀】斉明《さいめい》天皇元年より延寶七年迄凡一千廿五年か
    飛鳥川邊行宮《あすかかはべかりみや》
人皇三十七代|孝徳《かうとく》天皇元年十月|キ《みやこ》を難波《なんば》にうつし豊崎《とよさきの》宮と名づけ給ひける老人|等《ら》相《あひ》かたりて春より夏にいたりて鼠《ねずみ》難波《なんば》に行《ゆく》キ《みやこ》うつしのしるしなり同二年十月|豊崎《とよさきの》宮にうつり給ふしかあれど四年七月太子|奏《そう》して倭《やまと》の京にうつし給ひなむ事をねがひ給ひしかども勅許《ちよくきよ》あらざればかひなし太子|間人皇后《はしうどのくはうこう》皇弟《くはうてい》達《たち》ともに倭《やまと》の飛鳥《あすか》川邊の行宮《かりみや》にいたり給ふ天皇是をうらみおぼしめして御|位《くらゐ》をさり給ひなむと山|崎《ざき》に宮つくりし給ひき五年正月|鼠《ねずみ》倭《やまと》の方にむらがりうつり行十月(416コマ)天皇御やまひおもくわたらせ給ひしかば皇祖母尊《すめみおやのみこと》間人皇后《はしうどのくはうこう》太子|皇弟《くはうてい》を友《とも》なひ公卿《くぎやう》等《とう》難波《なんばの》宮に越《こし》給ひて後《のち》天皇|崩御《ほうぎよ》なり給ふ十二月大坂|磯長陵《しながのみさゝき》にかくし奉り其日|皇《くはう》太子|皇祖母尊《すめみおやのみこと》倭《やまと》の川邊行宮《かはべかりみや》に還幸《くはんかう》なり給ふ【日本紀】
    飛鳥都《あすかのみやこ》
万葉 玉かづら絶《たゆ》る事なくありつゝもやまず通《かよ》はむ明日香《あすか》のふるきみやこは 【前後略】 人丸
    蘇我馬子家地《そがのむまこのいゑところ》 所しれる人もあらず
蘇我馬子《そがのむまこ》の家《いゑ》は飛鳥《あすか》川の傍《かたはら》にありて庭《には》の中に小池をかまへ中に小嶋《こしま》をつかせてあひせられしより時の人|嶋《しま》大|臣《じん》とぞいひける推古《すいこ》天皇卅四年五月に卒去《そつきよ》して桃原墓《もゝはらのつか》に葬《はうふ》りけり【日本紀】此|桃原墓《もゝはらのつか》は河内東条《かはちのとうでう》石川にあり東条龍山寺《とうでうりうせんじ》は蘇我《そがの》大|臣《じん》の寺也【古今目録抄】
    遠明日香《とをあすかの》宮 所しらす
人皇廿代|允恭《いんげう》天皇|遠明日香《とをあすかの》宮にして即位《そくゐ》なり給ひて此宮におはしましける【古事紀】
    難波堀江《なんばのほりえ》
  玉林抄《ぎよくりんせうに》曰(く)豊浦《とよら》寺の東の佛門《ぶつもん》のなをひがしに飛鳥《あすか》川の西の入江《いりえ》是なり當世かすかにのこれり
難波堀江《なんばのほりえ》は守屋大連《もりやのたいれん》寺塔《じたう》を焼《やき》ながら佛像《ぶつざう》をしづめたりし所なりむかしはいとひろ(417コマ)く底《そこ》かぎりもあらざりしかば海にたとへば浦《うら》にことよせて或《あるひ》は豊浦《とよら》といひ又|難波江《なんばのえ》ともいひつたへしなり【玉林抄】佛像《ぶつざう》を捨《すて》ける入江《いりえ》は摂津《せつつ》國ならんか又善光寺縁起《ぜんくはうじのえんぎ》に摂津《せつつ》國|難波浦《なんばのうら》にして佛をとり奉ると云々たゞ管見《くはんげん》にさだめがたし後《のち》の人あきらかにせらるべし法隆寺《ほうりうじ》の旧説《きうせつ》大和國|難波江《なんばのえ》決定《けつでう》に侍ればうたがひもなきものならんか
    剱池《つるきのいけ》
  平氏傳《へいじでんに》曰(ク)高市《たけちの》郡|難波《なんばの》剱池《つるきのいけ》云々所をしらず
應~《おうじん》天皇十七年十月に池をほり剱《つるきの》池と号《かう》せり【日本紀】此時|輕《かるの》池もほりたり【日本紀】
▲舒明《じよめい》天皇七年七月此池に一|莖《きやう》に花二ふの蓮花《れんげ》咲けり【日本紀】亦《また》皇極《くはうぎよく》天皇三年六月一|莖《きやう》に二つの萼《はなふさ》の蓮華《れんげ》咲けり豊浦《とよら》の大|臣《じん》が將来《しやうらい》の瑞《ずい》なりとて金墨《きんぼく》にかきて大|法興寺《ほうこうじ》の丈六の佛に奉れり【日本紀】
万葉 御佩乎《みはかしを》剱《つるぎ》の池の蓮葉《はちすばに》渟《たまれる》水の行衛なみわかため時にあはむとあひたる君を莫寐等《なねゝよと》母寸巨勢友《はゝきこせとも》吾情《わがこゝろ》清隅《きよすみ》の池の池の底《そこ》吾《われ》はしのびずたゝにあふまでに
    清隅《きよすみの》池
  仙覚抄《せんがくせう》に大和國と見えたり
万葉 我心清すみの池の池の底《そこ》我は忍《しの》びずたゝにあふまで
(418コマ)堀川二郎 みぎはには立もよられず山がつのかげはづかしき清澄《きよすみ》の池 顕仲
    孝元《かうげん》天皇(の)陵《みさゞき》
孝元《かうげん》天皇は陵《みさゝき》大和國|高市郡《たかちのこほり》釼《つるきの》池|嶋上《しまのかんの》陵也【延喜式日本紀】亦|釼《つるきの》池(の)中岡上《なかのをかのかんの》陵【古事紀】御宇五十七年に崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年百十七|開化《かいくは》天皇五年二月に此|陵《みさゝき》にかくし奉る【日本紀】延寶七年迄一千八百三十五年歟
    榎葉井《えのはゐ》
  豊浦《とよら》村の民屋《みんをく》のしりへにありてむかしの井はをのづからにうづもれ果《はて》その名残《まごり》とてかすかの清水《しみづ》ながれたり俗《ぞく》に近衛《このゑ》の瀧《たき》といふ
無名抄《むみやうせうに》云(く)宮内卿有賢朝臣《くないきやうありかたのあそん》時の殿上《てんじやう》人七八人あひともなひて大和國かづらきのかたへあそびにゆかれたる事あり其時ある所にあれたる堂《だう》のおほきにやう/\しきが見えたればあやしくて其名をあふ人ごとにとひけれどしれる人もなかりけりかゝるあいだに事のほかに鬢髭《びんひげ》しろきおきなひとりま見えけりこればしもやうあらんとてたづねければ是をばとよらの寺とぞ申といふ人々いみしき事やとかへす/\感じてさるにてはもし此|邊《ほとり》にえのは井といふ井やあるとたづねしにみなあせて水も侍らねど跡《あと》は今に侍りとて堂《だう》より西いく程ならぬ程にゆきてをしへければ人々|興《けう》に入て(419コマ)やがてそこにむれゐてかづらきといふ哥《うた》数《す》十|返《へん》うたひて此おきなにきぬどもぬぎてかづけたりければおぼえぬ事にあひてよろこびかしこまりてさりにけるとぞ
 かづらきの寺の前なるや豊浦《とよら》寺の西なるやえのは井に白玉《しらたま》しろくやましら玉しづくやをしとむどとしとんとしかしてはくにぞさかへんやわいへらぞとみせむやをしとんどとしとむどをしとむどとしとんど【催馬樂呂】
夫木 かづらきや豊浦《とよらの》寺の西にあるえのは井にこそ白玉しづく
    桜井《さくらゐ》
  桜井《さくらゐ》榎葉井《えのはゐ》同井異名《とうゐいみやう》歟《か》後《のち》の人さだかにせられるべし
  續日本紀《しよくにつほんき》の歌に
葛城《かづらき》寺の前にあるや豊浦《とよら》寺の西にあるやをしとんどとしとむどさくら井に白壁《しらかべ》しづくやよき壁しづくやをしとむどとしとんどしかせば國ぞさかへたはや五《いつゝ》の家らぞさかゆるやをしとんどとしとんど
    豊浦村社《とよらむらのやしろ》
推古《すいこ》天皇を祠《いはひ》奉りしとなりこの天皇は豊浦《とよら》を皇后《くはうきみの》とせさせ給ひしかばさも侍りなんかし
    雷岡《いかづちのをか》
  飛鳥《あすか》川の東のはたにあり俗《ぞく》に雷《いかづちの》村といふかの雷《いかづち》爰におちけるとなん
舊傳《きうでんに》曰(く)雷岡《いかつちのをか》は雄畧《ゆうりやく》天皇の御宇に小子部《こしべ》の(420コマ)栖輕《すがる》といふありけり帝《みかど》にちかくつかうまつる人なれば大安殿《たいあんでん》にまうのぼり侍ける時帝と后《きさき》とたはふれまし/\ければ栖輕に對面《たいめ》せさせ給ひなんはあるべうもなしおりふし雷《いかづち》天にかけり地《ち》にひゞきしかばいかに雷神《いかづち》をとりとめてきたれよかし栖輕《すがる》宣勅《せんちよく》を蒙《かうむ》りて馬を馳《はせ》て阿部《あべ》の山田より豊浦《とよら》寺にをひ行|虚空《こくう》をにらまへて勅命《ちよくめい》ぞ/\とよびかけて馳ぬれども磅?《はうろう》としてやむことなしなお馳行《はせゆき》て我朝《わかてう》の虚空《こくう》なり勅命《ちよくめい》をしらずやとよびかけ行《ゆく》程に雷《いかづち》終《つゐ》に豊浦《とよら》寺と飯岡《いひをか》の間《あいだ》にして落《おち》たりけり栖輕《すがる》是を将《ゐ》てかへりかくと奏《そう》しぬれば叡覧《えいらん》ましますに雷神《いかつち》目をいからかし鱗《いろこ》をたてゝ異光《いくはう》御殿《こてん》をかゝやかしけり帝《みかど》をそれおはしまさせて幣帛《ぬさ》を供《ぐ》し送りかへさせ給ふそのおちつる所を雷《いかつち》の岡《をか》とぞいひける
万葉 すべらぎは神にしませば天雲《あまくも》の雷《いかづち》のうへにいほりするかも
同 すべらぎは神にしませば雲隠《くもがくれ》伊香土《いかつち》に宮敷座《みやしきいます》
    八釣宮《やつりのみや》
  山田寺と大原の中路《ちうろ》大原より四町はかり北|俗《ぞく》にやとり村といふ
人皇廿四代顕宗天皇近飛鳥八釣宮にして即位まし/\き【日本紀】三月上巳の日曲水をはしめさせ給ふ【正統録】此宮にして崩御なり給ひし(421コマ)なり【日本紀】
    矢釣《やつり》山
万葉 矢釣《やつり》山|木立《こだち》も見えずちりまがふ雪もはだらにまひてくらしくも
同 矢釣《やつり》河|水底《みなそこ》絶《たえ》ず行《ゆく》水のつぎてぞこふる此としころは
    蘇我稲目家地《そがのいなめのいゑところ》 所しらず
蘇我稲目《そがのいなめ》の館《たち》は和州|八釣《やつり》河の邊《ほとり》にあり【太子傳抄】
    大官大寺《だいぐはんだいじ》
  俗に講堂《かうだう》といふおもふに一宇の礎石《そせき》はありしにかはらず残りむかしの講堂《かうだう》の跡《あと》なればにやかくはいふならんその礎石《そせき》徑《わたり》六尺ばかり柱《はしら》口四尺五寸又ほとりに塔《たう》の礎《いしずへ》あり心柱《しんばしら》などの石よのつねのものにもあらず天香久《あまのかく》山より十町ばかり南也又|撰集鈔通要《せんしうせうつうように》曰(く)大官大寺《だいくはんだいじ》の跡《あと》は南渕《みなぶち》川のほとりなりと云々此所よりはるかの南なり後人さだかにせらるべし
大官大寺《だいぐはんだいじ》は舊名《きうみやう》百済《くたらの》大寺と号《かう》して十市(の)郡にありしを天|武《む》天皇二年に高市《たけちの》郡にうつし封邑《ほうすう》七百|戸《こ》公田《こうでん》三百町|利稲《りたう》卅万|束《そく》を施《ほとこ》し加《くは》へられ大官大寺《だいぐはんだいじ》と改号《かいかう》せさせ給ひし後《のち》十三年を經て帝《みかど》御やまひいとおもくわたらせ給ひしかば東宮《とうぐう》草壁皇子《くさかべのわうし》諸王臣《しよわうしん》百|官《くはんの》人|等《ら》をいざなひつれ大官大寺にまうで給ひて玉體安平《きよくたいあんへい》をいのり給ふもし定業《でうごう》たらんには三年の寶算をのべ(422コマ)させ給へとの誓願《せいぐはん》空《むな》しからず帝《みかど》瑞夢《すいむ》を蒙《かうむ》らせおはしましてすみやかに御|平復《へいふく》ならせ給ひしより造佛《ざうぶつ》写經《しやきやう》大會《だいゑ》又なくつとめ給ひしが三年の暮行《くれゆく》空《そら》は夢路《ゆめぢ》よりもやすかりければ終《つゐ》に藤原《ふぢはらの》宮にして崩御《ほうぎよ》なり給ふ【日本紀曰浄御原宮】持統《じとう》天皇|相《あひ》つたへて舊《ふるき》をあらため洪鐘《こうしやう》をあらたになし種《くさ》々の施入《せにう》千|僧《そう》の齋會《さいゑ》こよなき尊敬《そんけう》にぞ侍りける文武《もんむ》天皇なをたうとみおはしまして九|重《ぢう》の塔《たう》をたて施入《せにう》かずをつくし五百|僧《そう》の會《ゑ》をつとめ給ひけり天|智《ち》天|皇《わう》進感《しんかん》まし/\て丈六の像《ざう》をつくり給ひなんの御心願《みこゝろのぐはん》侍されども良工《れうこう》もとめえ給はずその夜御まくらがみにひとりの沙門ま見えて舊佛《きうぶつ》は化《け》人のつくる像《ざう》なれば更に来たるべきにあらず良工《れうこう》ありとも斤斧《きんふ》の躓《あく》などかなからむや畫師《ぐはし》といふとも丹青のあやまりあるべしたゝ舊佛の前に大鏡《だいきやう》をかけ其|映像《えいざう》を拜礼《はいらい》あれかし圖《つ》にあらず慥《さう》にあらず其|空《くう》を觀《くはん》すれば法心の理《ことはり》也御|夢《ゆめ》覚《さめ》て大|鏡《きやう》をかけ五百|僧《そう》を供養《くやう》あり其後元明天皇相つたへて添《そふの》上(の)郡にうつし大安寺と号し給へり縁起《ゑんき》日本紀《につほんき》釈書《しやくしよ》水鏡《みづかゞみ》等《とう》凡ことかはらず
    八木《やき》村 付 曽武橋《そぶのはし》
  當世八木村に俗《そく》にそむぼうの橋と(423コマ)いふあり
聖徳《しやうとく》太子|班鳩《いかるが》宮よりすちかひぢを經《へ》て曽武《そぶ》/\の橋《はし》をわたり八木の里を過て橘《たちはなの》宮にかよひ給ひしなり【玉林抄】
    畝傍《うねび》山
  八木《やぎ》村の南一理ばかり俗《そく》に慈明寺《しみやうし》山といふ
万葉 思ひあまりいともすへなき玉手次《たまたすき》畝飛《うねひの》山にわれしめむすふ
家持家集 おほ空に鴈《かり》ぞ鳴《なく》なるうねひ山|御垣《みかき》が原《はら》に紅葉しぬらし
▲神社《じんじや》一|座《さ》神功皇后《しんぐうくはうこう》にてましますなり毎《まい》歳二月|朔《つひたち》霜月|初子《はつねの》日|住吉《すみよし》より此山の土をとりに来りて神|供《ぐう》に調《てう》じけるとなり雲飛《うねひ》山を本鳥山ともいへりもととり山|麓《ふもと》にあり
    畝傍《うねひの》池
推古《すいこ》天皇廿一年にほらせて畝傍《うねひの》池と号せり【日本紀】
    片鹽浮孔《かたしほうきあなの》宮
  帝王編《ていわうへん》年曰(く)畝傍《うねび》山の北にあり今の四条村の北|皇宮《くはうきう》の跡也
人皇三代|安寧《あんねい》天皇二年都を片鹽《かたしほ》にうつし浮孔《うきあなの》宮と名づけ給ふとなり【日本紀】延寶七年迄凡二千二百二十六年歟
    神武《じんむ》天皇(の)陵 うねひ山のうしとら神武天皇は大和國|高市郡《たけちのこほり》畝傍《うねひ》山の東北《うしとらの》陵なり【延喜式】又|畝火《うねひ》山の北白|檮尾《かしおの》(424コマ)上陵《かしおのかんのみさゝき》ともいふ【古事記】御宇七十六年三月に橿原《かしはばら》の宮にして崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年一百廿七歳《さい》翌《あくる》年此陵にかくし奉る【日本紀】又御年一百卅七【古事紀】延寶七年迄凡二千二百六十三年歟
    神八井耳《かんやつゐみゝの》命|陵《みさゝき》 うねひ山の北
神八井耳命の陵は大和|高市《たけちの》郡|畝傍《うねひ》山の北にあり【延喜式】綏靖《すいぜい》天皇四年四月に崩《ほう》じ給ふ【日本紀】此|命《みこと》は綏靖天皇の御|兄《このかみ》にてまします延寶七年迄凡二千二百五十年か
    安寧《あんねい》天皇(の)陵 うねひ山のひつじさる
人皇三代|安寧《あんねい》天皇は大和國高市郡畝傍山の西南《ひつじさる》蔭《みほどの》井上(の)陵なり【延喜式】御宇十一年十二月|崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年五十七【日本紀】又は御年四十九【古事紀】延寶七年迄凡二千二百十七年歟
    三山
  美豆《みつ》山とも澄月哥枕《てうげつうたまくらに》曰(く)高山其|讀《よみ》子細《しさい》あるか天香久《あまのかく》山|畝火《うねひ》山|耳梨《みゝなし》山是を三山といへり
万葉 高《かく》山は雲根火《うねひ》雄男志《おおし》と耳梨《みゝなし》とあひあらそひき神代《かみよ》よりかゝるにあらしいにしへもしかにあれこそうつせみも妻《つま》をあひみつらしき
  反歌
同 高山《かくやま》とみゝなし山とあひし時たちて見にこしいなひ國はら
(425コマ)    橿原《かしはらの》宮
  當世|柏原《かしはら》村は畝傍《うねひ》山の巽《たつみ》にして葛上《かつらのかみの》郡にあり高市《たけちの》郡のさかひなり此所より畝傍山につゞきてみやこなるべし万葉集《まんえうしう》にうねひ山の橿原とよめるによりて此郡にあらはす
夫《それ》橿原《かしはらの》宮は人皇のはじめ神武《じんむ》天皇國国をしたがへ給ひて大和國うねひ山の東南《たつみ》の橿原《かしはら》は國の墺區《もなか》なればとて宮をはじめて定《さだ》めさせ給ふ己未《つちのとのひつじ》年三月なり辛酉《かのとのとり》年正月即位まし/\て元年とせり妃《ひ》の蹈鞴五十鈴媛命《たゝらいすゝひめのみこと》を皇后《きさき》となし給ふ【日本紀】此時天照太神の霊《みたま》八咫鏡《やたのかゞみ》ならびに草薙剣《くさなきつるぎ》を大殿にあがめ奉り床《ゆか》をおなじうせさせ給ひて皇居《くはうきよ》神宮《じんぐう》さらにへだてなし【北畠准后抄】すなはち天児屋根命《あまのこやねのみこと》の孫《みまこ》天種子命《あまのたねこのみこと》又|天太玉《あまのふとたまの》命の孫天|富《とみの》命|祭礼《まつり》をつかさどれり壬寅《みづのえとらの》年|神渟名川耳尊《かんぬなかはみゝのみこと》皇《くはう》太子の位せさせ給ひぬ又|宇摩志麻治《うましまちの》命|内物部《うちのものべ》を率《そつ》し道臣《みちのをんの》命|米目部《くめべ》をひきゐて御宮の御門をまもりき【日本紀】
天祖《あまつみおや》降跡《あまくたり》まし/\て神武天皇元年迄凡一百七十九万二千四百七十|余《よ》歳になれり又それより延寶七年迄凡二千三百卅九歟
万葉 玉手次《たまたすき》畝火《うねひ》の山の橿原《かしはら》のひしりの御世ゆ 略
(426コマ)万葉 あきつしまやまとの國の可之婆良能《かしはらの》うねひの宮に宮ばしらふとしりたてゝあめのしたしらしめける【前後畧】
現存六帖 秋かけて露やいそめる玉だすき畝傍《うねひ》の山の峯のかしはら 家持
    國源寺《こくげんし》 此跡たつねえず
國源寺は人皇六十四代|圓融《えんゆう》院の御宇天延二年三月十一日|横雲《よこくも》の空いとしづかなるに?校泰善《けんげうたいぜん》法師|高市《たけちの》郡|畝傍《うねび》山の東北《うしとら》の道を過行しにいと老やつれたる翁《おきな》の泰善《たいぜん》法師にま見えて師《し》爰にして國家栄福《こくかえいふく》の一|乗《ぜう》を講《かう》せられよ我は是人皇第一の國主《こくしゆ》也|常《つね》に爰にこそ住《すみ》ぬれとて消《けす》がごとくうせ給ひしより泰善《たいぜん》法師|毎《まい》三月十一日此所にして法華《ほつけ》を講《かう》しけり同御宇|貞元《ちやうげん》二年當國の守護《しゆご》藤原國光《ふぢはらくにみつ》此|瑞相《ずいさう》をつたへ聞て方丈《はうぢやう》ならびに堂《だう》を建《たて》て觀音|菩薩《ぼさつ》をすへをかれしなり【多武峯畧記】
    懿徳《いとく》天皇(の)陵
  或記《あるきに》久米《くめ》寺のたつみにありと見えたり
人皇四代|懿徳《いとく》天皇は大和國|高市《たけちの》郡|畝傍《うねひ》山の南|繊沙谿上《まさごのたにのかんの》陵なり【延喜式】御宇卅四年九月|崩御《ほうぎよ》なり給ひしが十月に此陵にかくし奉る【日本紀】延寶七年迄凡二千百五十六年歟
(427コマ)    久米《くめ》
久米《くめ》は神武《じんむ》天皇二年|道臣命《みちのをみのみこと》功《こう》ありしより築坂《つきさか》の邑《むら》を宅地《いえところ》に給はり又|来目《くめ》いつくしみことになればとて畝傍《うねひ》山より西の川|邊《べ》に地を給はりしより来目邑《くめむら》の名あり【日本紀】
    久米《くめ》川
  水上たかとり山より出ていぬいの方にながるゝなり日本紀(に)曰(く)一事主《ひとことぬしの》神雄|畧《りやく》天皇を来《く》目|水《がは》迄をくり給ふと云々古事|紀《きに》曰(く)長谷《はせ》の山口迄|送《をく》り給ふと云々しかれば久米川は長《は》谷の山口同所かしかれども長谷《はせ》ははるかにへだゝり侍る
夫木 御狩《みかり》する君かへるとて久米《くめ》川にひと言主《ことぬし》こそいてませりけれ 有穗
    久米《くめ》寺
  畝傍《うねひ》山より七八町南にあり
釈迦《しやか》山|東塔《とうたう》院|久米《くめ》寺は久米《くめの》仙人|建立《こんりう》といへり本尊《ほんそん》藥師《やくし》如来は米目《くめの》皇子の御|願《ぐはん》なり此|皇子《わうじ》は聖徳《しやうとく》太子の御|弟《おとゝ》にぞおはします【玉林抄】抑《そも/\》久米《くめの》仙人はきぬあらふ女の脛《はぎ》のしろきを見て通《つう》をうしなひ人|間《けん》にまじはりながらも旧友《きうゆう》に文をつかはしぬれば前仙《ぜんせん》某《それがし》とぞかゝれけり其後|修練《しゆれん》して空中《くうちう》にかけり終《つゐ》に飛《とひ》さりき大伴《おほどもの》仙人|安曇《あつみの》仙人(428コマ)などいふありて爰にすみけるとなり【釈書】
▲塔《タウ》は善無畏《ぜんむゐ》三|藏《ざう》養老《やうらう》年中に来朝《らいてう》ありて米目《くめ》寺に二年|住《すみ》給ひしが多寶《たほうの》大|塔《たう》高さ八丈なるを建立《こんりう》せられき是は南天《なんてん》の鐵塔《てつたう》の半分のうつしなりその心柱《しんちう》の下に佛舎利三粒大日|經《きやう》七|軸《ぢく》を籠《こめ》をかれしが【佛法傳通記】其後延|暦《りやく》十四年|弘法《こうぼう》大師|夢《ゆめ》の告《つげ》ありて久米《くめ》の道場《だうじやう》東塔《とうとう》の下にしてかの七|軸《ぢく》の經《きやう》をえられたり【釈書】或《あるひは》曰(く)旧名《きうみやう》来目寺を弘法大師久米寺と改字《かいじ》せられしとなり
    益《ます》田池
  久米寺のほとりに花出山といふ際に益田《ますだの》池のあととてかすかにのこれり其西につゞきて池じり村といふあり村老《そんらう》いひつたへてかの池の樋《ひ》の口にて侍れば池尻《いけじり》の名ありとなりおもふに是より南半里ばかり行て碑銘《ひのめい》をすへける石今にのこれり池尻村より爰までむかしは池に侍りなん尤|廣大《くはうだい》の池とかゝれしもおもひやられたり性霊集《しやうれうしう》鈔(に)曰(く)むかしは廣大《くはうだい》の池たりしかども今わづかにのこれり池の左に龍海《りうかい》寺龍門寺龍|盖《かい》寺あり右に琴弾原《ことひきのはら》白鳥《しらとりの》陵あり南に大野墓《おほのゝはか》太皇太后《だいくはうだいこう》先大枝(429コマ)氏《さきのおほえだうじ》の墓《はか》平群《へぐりの》郡にあり北に畝傍《うねひ》山有|艮《うしとらに》来眼《くめ》寺あり坤《ひつじさる》に武内《たけうちの》大臣の霊廟《れいびよう》あり檜隈《ひのくま》川ながれたりと云々おもふに尤|先大枝氏《さきのおほえだうじ》の墓《はか》は延喜式《えんきしき》に平群《へぐりの》郡とありしかれども平群郡は此池より西北《いぬい》にあたれり南といへるおぼつかなし性霊集《しやうれうしう》に南に大墓ありとかき給ひしは別のつかならんか
益田《ますだの》池に弘法《こうほう》大師|碑銘《ひのめい》を立給ひし其《その》詞《ことば》性霊集《しやうれうしう》につまびらかなり此所の旧名《きうみやう》は村井《むらゐ》といへり此地は漢直《あやのあたひ》の舊宅《きうたく》なり嵯峨《さがの》天皇|日照《ひでり》に田のいたむ事をなげかせ給ひしかば弘仁《こうにん》十三年十一月前《さきの》大和守|藤原朝臣縄主《ふちはらのあそんなはぬし》紀伊守|末等《すゑひと》此所よろしき地《ち》なる事をわきまへしり池をほらせぬべき奏聞《そうもん》を經《へ》たりしにやすく勅許《ちよくきよ》ありしより縄主《なはぬし》末等《すゑひと》真円律師《しんえんりつし》申あはせてほらせたり大伴参議國道《おほどものさんきくにみち》和州(の)太守《たいしゆ》藤廣《ふぢひろ》を池の??職《けんげうしよく》に補《ふ》せられたり或《ある》人曰(く)日照《ひでり》といへども田を益《ます》の功《こう》ありしより益田《ますだの》池と号《かう》せられけるとなり【性霊集】延寶七年迄凡八百五十年歟
さはらひ巻 にくさのみ益田《ますだの》池のねぬなはのいとふにはゆるものにぞありける
内裏名所 思ひのみ益田《ますだの》池の水《み》かくれにしらぬあやめのねにみだれつゝ 順徳院
師兼千首 名にしあふ池の玉もに澄《すむ》月も秋や益田《ますだ》の光なるらん
草根 床ぞうく涙《なみだ》身《み》をしろ世《よ》ゝの雨はれず益田の池の水《み》かさに
(430コマ)    益田《ますだの》池|碑銘《ひのめい》
  碑銘《ひのめい》はなくなりて臺《だい》と見えし石あり俗《ぞく》に岩舩《いはふね》といふ東西《とうざい》三丈二三尺|南北《なんほく》二丈弐三尺高さ二丈五六尺もやありけむ其|頭《いたゝき》に五尺六寸の穴方にして二つありふかき事三四尺ふたつの穴《あな》の中間《ちうげん》に壱尺五寸のへだてをのこせりそのけづりなせるさまなめらかにして木をほりたるにひとしかの碑銘《ひのめい》をすへける跡《あと》と見えたり
大和州《やまとのくに》益田《ますだの》池(の)碑銘《ひのめい》 并序  東大寺|沙《しや》門大|僧都《そうづ》傳燈《でんとう》大法師|遍照金剛《へんじやうこんがう》文《ぶん》并《ならび》書《しよす》
若夫感星銀漢《もしそれかんせいぎんかんは》下灑《けしや》之|功深《こうふかく》湖水天地《こすいてんちに》上潤之徳普《しやうじゆんのとくあまねし》故能屮※[屮三つ]《かるがゆへによくさうき》因《よつて》v之《これに》而|鬱茂《うつもし》蟲卯《ちうかう》頼《よつて》v之《これに》而|長生《ちやうせいす》至《いたつては》v若《ごときに》2八氣播殖《はつきはちよくし》五才陶冶《ごさいたうやするか》1北方|之《の》行《かう》偏《ひとへに》居《をれり》2其|最《はじめに》1坎之《かんの》為《たること》v徳《とく》遠《とをい》矣|哉《かな》皇《おほひなる》矣|哉《かな》粤《こゝに》有《あり》2益田《ますだの》池1兩尊《ふたはしらのみこと》鼻子《うゐこの》之|州《しま》八烏初導之國《やたがらすはじめてみちびくのくに也》地是漢諳之舊宅《ちはこれかんあんのきうたく》号則村井之故名《かうはすなはちむらゐのこめいなり》去《いんじ》弘仁《こうにん》十三年|仲冬之《ちうとうの》月|前和州監察《さきのわしうのかんさつ》藤納言《とうのゝうげん》紀大守末等《きのたいしゆすゑとも》慮《をもんばかりて》2亢陽之《かうやうの》之|可《べきを》1v支《ささふ》歎《なげく》2膏腴《かうゆの》未《いまだ・ざるを》1v開《ひらけ》占《うらなはしめて》2斯勝處《このしやうしよを》1奏2請《そうしこふに》之(ヲ)1綸詔即應《りんでうすなはちおうず》v爰《こゝに》則《すなはち》令(して)《・しむ》d2藤紀二公及圓律師等《とうきじこうおよびえんりつしとうを》1剏《はしめ》uv功《こうを》未《いまだ・ざるに》v幾《いくばく》皇帝《くはうてい》逝2駕《せいかしたまふ》汾襄《ぶんしやうに》1藤公《たうこう》從《したがつて》v之(に)辞《じす》v職《しよくを》紀守亦《きしゆもまた》遷《うつる》2越前《ゑちぜんに》1今上《きんじやう》膺《あたつて》2尭揖讓《げうのいうじやうに》1※[馬+刃]《じつす》2舜寶圖《しゆんのほうずを》1照《てらし》2玉燭《ぎよくしよくを》乎二|儀《ぎに》1撫《ぶす》2赤子《せきしを》於|八嶌《はつとうに》1簡《えらんで》2伴平章事國道《はんへいしやうじくにみちを》1代《かへて》檢《けんせしむ》2國(431コマ)事《くにことを》1並《ならびに》拔《ぬきんでゝ》2藤廣《ふぢひろを》1任《にんす》2判史《はんしに》1兩公《りやうこう》檢2校《けんげうす》池事《いけのことを》1於《おいて》v焉《こゝに》青鳧《せいふ》引《ひいて》v塊《つちくれを》數千之馬日聚《すせんのむまひゞにあつまり》赤馬《しやくは》驅《かりて》v人《ひとを》百計之夫夜集《ひやくけいのふよるあつまり》既車馬轟々而電徃《すでにしてしやばかう/\としていなひかりの如にゆき》男女?々而雷歸《なんによいん/\としていかづちの如におもむく》土雰々而雪積《つちふん/\としてゆきの如につみ》堤倏忽而雲騰《つゝみしゆくこつとしてくもの如にあがる》宛《あたかも》如《ごとし》2靈神之《れいしんの》挺《ねやせるが》1v埴《はにを》還《かへつて》疑《うたがひ》2洪鑪之化産《こうろのくはさんせるを》1成也不日《なることふじつにして》畢也不年《をはることふねん也》造《つくるは》v之(を)人《ひと》也|辨《わきまふるは》v之(を)天《てん》也|爾之池之《なんぢのいけの》爲《なること》v状《かたち》也|左《ひたりにし》2龍《りやうの》寺(を)1右《みきにす》2鳥陵《とりのみさゞきを》1大墓南聳《おほはかみなみにそびへ》畝傍北峙《うねひきたにそばだつ》米眼精舎《くめのしやうじや》鎮《しづめ》2其|艮《うしとらを》1武遮荒?《ぶしやのあらはか》押《をす》2其|坤《ひつしさるを》1十|餘大陵聯綿虎踞《よのたいれうれんめんとしてとらの如うづくまり》四面長阜《しめんのちやうふ》※[しんにょう+麗]※[しんにょう+也]龍臥《りいとしてりやうの如ふせり》雲《くも》蕩《ひらけ》2松嶺之上《せうれいのうへに》1水《みづ》激《げきす》2檜隈之下《くはいはいのもとに》1春繍《はるのぬいもの》映《ゑいじて》v池《ちに》觀者《みるもの》忘《わすれ》v歸《かへらんことを》秋(の)錦《にしき》開《ひらけて》v林《りんに》、遊人《ゆうじん》不《ず》v倦《うま》鴛鴦鳧鴨《えんのうふあふ》戯《たはむれて》v水《みづに》奏《そうし》v歌《うたを》玄鶴黄鵠《けんくはくくはうこく》遊《あそんで》v汀《みぎはに》爭舞《あらそひまふ》龜鼈《きべつ》延《のべ》v頸《くびを》鮒鯉《ふり》掉《うごかす》v尾《おを》淵獺《えんだつ》祭《まつり》v魚《うをゝ》林烏《りんあ》反《はんす》v?《ほを》泊《およんでは》v如《こときに》2積水《せきすい》含《ふくみ》v天《てんを》疊山《てうざん》倒《さかしまにするが》1v景《けいを》深也《ふかきこと》似《にたり》v海《かいに》廣也《ひろきこと》超《こへたり》v淮《わいに》笑《わらひ》2昆明之《こんめいの》非《あらざるを》1v儔《ともがらに》哂《あざけり》2耨達之猶少《のくだつのなをすこしきなるを》1虎嘯《とらうそふひて》鼓《くするときは》v濤《なみを》則|驚※[さんずい+犬]《けいたいして》沃《そそぎ》v漢《かんに》龍吟《りうぎんして》決《さくるときは》v堤《つつみを》則|容與《ようよとして》不《す》v飽《あか》襄《のほる》v陸《くかに》之《の》罔象《もうそうも》不《ず》v得《え》v溢《ゑきすることを》2其|塘《つゝみを》1?《こがす》v山《やまを》之《の》女魃《ちよはつも》不《ず》v能《あたは》v涸《からす》2其底《そのそこを》1六郡《りくぐん》蒙《かうむり》v潤《うるをひを》萬?《ばんくはい》湯々《しやう/\たり》一人《いちじん》有《あれば》v慶《よろこび》兆民《てうみん》頼《よる》v之《これに》舞《ぶし》v之《これを》蹈《とうして》v之《これを》詠《ゑいして》2千箱《せんしやうを》1以《もつて》撃《うち》v腹《はらを》手《てにし》v之(を)足《あしにして》v之(を)唱《となへて》2萬歳《ばんせいを》1而|忘《わする》v力《つとめを》歎《なげきて》2蒼海之數變《さうかいのしば/\へんぜしことを》索《もとむ》2銘詞《めいしを》乎|余筆《よがふでに》貧道不才《ひんだうふさいにして》當《あたれり》v仁《じんに》固辞《こじすること》不《ず》v能《あたは》課《したがつて》v虚《きよ》吐《はく》v章《しやうを》迺《すなはち》爲《つくつて》v銘《めいを》曰《いはく》
希夷象帝《きいたりしようてい》 亅一《たいいつ》未《いまだ・ず》v萠《きざゝ》 盤古《はんこ》不《ず》v出《いで》 國常《くにとこ》無《なし》v生《しやうすること》 元氣倏動《げんきしくどうして》 葦芽乍驚《いけたちまちおどろく》 八風扇鼓《はつふうせんぐして》 五歳縱横《ごさいじゆうわうたり》 日月運転轉《じつげつうんでんして》 山河錯峙《さんかまじはりそばだつ》 千名森羅《せんめいしんらとして》 萬物雜起《まんぶつまじはりをこる》 藤膚既隠《たうふすでにかくれて》 稷※[禾+坑の旁]爰始《しやくこうこゝにはじまる》 天地人地《てんちじんち》 灑霑功似《しやてんこうにたり》(432コマ) 前堯後禹《ぜんげうこうう》 慮厚《おもんばかりあつして》恤《めくむ》v人(を) 智略廣運《ちりやくひろくめぐらし》 慈悲且仁《じひあつてかつじんなり》 機事《きじ》不《ず》v測《はから》 成《なすこと》v功《こうを》若《ごとし》v神《しんの》 潤《うるほすこと》v物《ものを》如《ことし》v雨《あめの》 榮《ゑいすること》v人(を)似《にたり》v春《はるに》 綸※[糸+敦]雷震《りんけきらいのごとくにふるふて》 有司《ゆうし》創《はじむ》v功《こうを》 紀藤《きとう》薙《かつて》v草《くさを》 果續圓豐《くはせきまとかにゆたかなり》 伴相《はんしやう》施《ほどこし》v計《けいを》 原守《けんしゆ》在《あり》v公《こうに》 良才奇術《りやうさいきじゆつあつて》 民具《たみともに》靡《なびく》v風《かせに》 爰《こゝに》有《あり》2一坎《ひとつのかん》1 其名益田《そのなはますだ》 掘《ほるは》v之《これを》人力《じんりきなり》 成也《なることはまた》自《よりす》v天《てん》 車馬霧聚《しやばきりのごとにあつまり》 男女雲連《なんによくものごとくつらなる》 歸来《おもむききたること》似《にたり》v子《こに》 畢《をはること》v功《こう》不年《ふねん也》 深而且廣《ふかふしてかつひろし》 鏡徹紺色《きやうてつにしてこんしよく也》 滉瀁渺※[さんずい+彌]《くはうやうびやうびとして》 瞻望《せんもうするに》罔《なし》v極《きはまり》 百溪之宗《はくけいのそう》 萬派之職《はんはのもと也》 魚鳥涵泳《きよてうかんゑいし》 ※[魚+?]龍斯匿《きうりやうこゝにかくる》 ※[田+犬]?汎溢《けんくはいはんゑきして》 ?〓播殖《ししよはちよくす》 〓〓我〓《ししとしてわれうへ》 ※[禾+遂]々我穡《すいすいとしてわれをさむ》 如《ごとく》v〓《ちの》如《ことし》v京《けいの》 足《たし》v兵《へいを》足《たす》v食《しよくを》 井田我事《せいてんはわかし也》 尭帝何力《けうていなんのちからかある》
    屯倉《みやけ》 所しらず
垂仁天皇廿七年|米目邑《くめのむら》にして屯倉《みやけ》をたつる【日本紀】屯倉《みやけ》は天子の米廩《こめくら》也【釈日本紀】延寶七年迄凡一千五百四十二年歟
    武内宿祢《たけうちのすくねの》墓
  性霊集鈔《しやうれうしうせうに》曰(く)益田《ますだの》池の坤《ひつじさる》にありと云々今たづねしに所をえず
武内宿祢《たけうちのすくね》は人皇十七代|仁徳《にんとく》天皇七十八年に卒去《そつきよ》せり【日本紀】よはひつもりて三百五|歳《さい》にぞ侍る抑《そも/\》 宿祢《すくね》は人皇八代|孝元《かうげん》天皇の孫男《そんなん》武雄心命《たけをこゝろのみこと》の子なり代々の帝《みかど》につかうまつりけり【姓氏録】延寶七年迄凡一千二百九十年歟
    鳥屋《とりや》村
  池尻《いけじり》村(の)坤《ひつじさる》に鳥屋《とりや》村とてあり
雄畧《ゆうりやく》天皇十年九月|身狹村主青《むさのすくりのあを》といふ人|呉《くれ》(433コマ)の※[鳥+我]《が》二|羽《は》を奉る筑紫《つくし》にして此|※[鳥+我]《が》を水間《みづまの》君の犬《いぬ》囓死《くひころ》しつ水間《みづまの》君|鴻《こう》十|羽《は》養鳥《とりかひ》人とを奉りて罪《つみ》をかなしみき天皇ゆるし給ひてかの鳥を輕《かる》村|磐余《いはれ》村二所にして飼《かひ》給ひしなり【日本紀】此所にや侍りなん延寶七年迄凡一千百卅三年歟
     輕《かる》 米目村の艮
万葉 天とぶや輕《かる》の道より玉田次《たまだすき》畝火《うねび》を見つゝあさもよひ紀路《きぢ》に入|立《たっち》真土《まつち》山こゆいらん
同 天とぶや輕《かる》の社《やしろ》の斎槻《いはひつき》幾《いく》よまであらんこもりつまかも
    輕境原《かるのさかひはらの》宮
  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く) 輕大路《かるのおほち》の西方《にしのかた》云々今見るに大道の西《にしに》天神の宮ありその所を俗《ぞく》にさかきばらといふ此所に侍りなん
人皇八代|孝元《かうげん》天皇四年三月都を輕《かる》の地にうつし給ひて境原《さかひはらの》宮とぞ号《かう》せられたり【日本紀】延寶七年迄凡一千八百九十年歟
    輕曲峽《かるのまがりおの》宮
  輕《かる》の町より西南《ひつじさる》五町ばかりを經《へ》て田地《でんぢ》にまはりおさと俗《ぞく》よぶ所ありまがりほの片言《かたこと》といへり
人皇四代|懿徳《いとく》天皇御宇二年正月|都《みやこ》を輕《かる》の地《ち》にうつし給ひて曲峽《まがりおの》宮と号《かう》せられしなり【日本紀】又|輕境岡《かるのさかひをかの》宮ともいふ【古事紀】延寶七年迄凡二千百八十八年歟
    輕嶋明《かるしまあかりの》宮
(434コマ)  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)高市《たけちの》郡と云々たづねしにしれず
應~《おうじん》天皇御宇四十一年二月|明《あかりの》宮にて崩御《ほうぎよ》なり給ふ御年百十一歳【日本紀】又百卅歳【古事紀】延寶七年迄凡一千三百七十年
新六帖 輕嶋の明《あかりの》宮のむかしよりつくりそめてし唐《から》人の池
    輕《かるの》池 大輕といふ所に池あり
應~《おうじん》天皇十七年十月に池をほり輕《かるの》池と号《かう》せり【日本紀】同十年|輕《かる》の市をはじめられたり【日本紀】
古来哥合 鴨のたつ羽《は》音寒けし輕《かる》の池の上手《うはて》の堤《つゝみ》人やすぐらん
師兼千首 身にかへて世のおさまらん道もあらばしなん命は輕《かる》の市人
    法輪寺《ほうりんじ》
  縁起《えんぎに》曰(く)豊浦《とようら》寺の西|米目《くめ》寺の東なり今見るに五条野の北《きた》石川村の西の草室《さうしつ》の薬師《やくし》如来此寺の跡《あと》なり縁起《えんぎに》曰(く)推古女帝《すいこじよてい》の御宇に賀留《かるの》大臣|遣唐使《けんたうし》として唐《たうの》高宗皇帝《かうそうくはうてい》の後宮《こうくう》則天皇后《そくてんくはうこう》にま見え侍るよし見えたり年暦《ねんれき》いとおぼつかなしおもふに推古《すいこ》天皇|崩御《ほうぎよ》は戊子《つちのえね》の年也それより廿二年を經《へ》て高宗皇帝《かうそうくはうてい》即位《そくゐ》永微《ゑいび》元|庚戌《かのえいぬの》年也それより十一年を經《へ》て則《そく》天|皇后《くはうこう》即位《そくゐ》嗣聖《しせい》元|甲申年《きのえさるのとし》也後の人さだかにせらるべし縁起《えんぎ》の詞《ことば》左《ひだり》にあらましあらはす
(435コマ)法輪寺《ほうりんじ》又は輕《かる》寺とも卅四代推古女帝《すいこしよてい》の御宇に遣唐使《けんたうし》賀留《かるの》大臣|玄理《はること》もろこしにいたりし時|則天皇后《そくてんくはうこう》の尊敬《そんけう》の薬師《やくし》如来ぞいまそかりける其|霊瑞《れいずい》異験《いけん》をほのきゝ侍りしより宮女《きうじよ》をたより所にして終《つゐ》に尊像《そんざう》をぬすみえて来朝《らいてう》して後《のち》に當寺を造営《ざうゑい》しかの像《ざう》をすへ奉りしなり卅五代|舒明《ぢよめい》天皇の御宇にかさねて遣唐使《けんたうし》たりしかば則天皇后《そくてんくはうこう》の命によりて遣唐使大臣からめられ面皮《をもてのかは》をはぎ額《ひたひ》に燈臺《とうだい》をいたゞかせなどしてともし火をぞかゝけさせ給ひける程に世の人|燈臺鬼《とうだいき》とぞいひける卅六代|皇極《くはうぎよく》天皇の御宇かの大臣の息《そく》にてありし宰相玄光卿《さいしやうはるみつきやう》遣唐使《けんたうし》たりし時|燈臺鬼《とうだいき》に見え侍れども父《ちゝ》とはいかでしりなんことやうの事かなとまもりつゝゐたりけり父《ちゝ》は我子《わかこ》の玄光卿《はるみつきやう》よと見つゝいとうれしくて一|指《し》をくひて詩句《しく》をかゝれしより父《ちゝ》にていまそかりつるとはしりたりけりよろこびに堪《たえ》ずしてともなひつゝ来朝《らいてう》したりと縁起《えんぎ》に見えたり又|日本紀《につほんきに》曰(く)朱鳥《しゆてう》元年|輕寺《かるでら》に封|戸《こ》百|戸《こ》卅年をかぎりて給はりしとあり
    陵《みさゝき》
  燈明寺《とうみやうじ》づかと俗いへり石棺《せきくはん》二つ見えたりいづれの陵《みさゞき》にやありけむ輕《かる》の町より十町南にして大道の西《にし》也
(436コマ)    檜隈《ひのくま》川
  哥枕《うたまくらに》曰(く)河内國といふ異説《いせつ》あれども宣化《せんくは》天皇の皇居《くはうきよ》檜隈廬入野《ひのくまいほりいりのゝ》宮大和國也是によりて大和国にあらはすとあり鷹取《たかとり》山の北に檜隈《ひのくま》村あり村の西に檜隈《ひのくま》川北にながれ行《ゆく》水上はたかとり山なり
亀山殿七百首 駒とめてしばしすゝまむうちわたす檜隈《ひのくま》川の水のゆふ波 御製
    佐味隈《さびくま》 所しらず
万葉 さびのくま檜隈《ひのくま》川に駒留て駒に水かへ我はよそに見む
    檜隈廬入野《ひのくまいほりいりのゝ》宮
  ふるき文に檜隈《ひのくま》川の邊《ほとり》と見え侍れども當世所しれず今の檜隈《ひのくま》村は皇居《くはうきよ》の跡《あと》ならんか
人皇廿九代|宣化《せんくは》天皇元年正月|キ《みやこ》を檜隈廬入野《ひのくまいほりいりの》にうつして宮の名とさだめ給ひしなり【日本紀】延寶七年迄凡一千百四十四年か
哥枕ひのくま 檜隈の入野《いりの》の宮のさゆる日は川|瀬《せ》こほりて駒もわたらず 光俊
    欽明《きんめい》天皇(の)陵
  此|郡《こほり》におほく陵《みさゞき》侍るよしふるき文《ふみ》どもに見え侍れども今うち見わたしに見えず後の人あらためらるべしたゞ名のみをしるすのみ
人皇卅代欽明天皇は大和國|高市《たけちの》郡|檜隈坂合《ひのくまさかあひの》陵なり【延喜式】御宇卅二年四月|崩御《ほうぎよ》なり給ひしが九月此陵にかくし奉る【日本紀】(437コマ)延寶七年迄凡一千百九年歟
    檜隈《ひのくまの》陵(の)上大柱《かみのおほはしら》
推古《すいこ》天皇廿八年十月|砂礫《さゞれいし》をもて檜隈《ひのくまの》陵(の)上に葺《ふか》せたり則めぐりに土《つち》をつみて山をなし氏《うじ》人におほせて大柱《おほはしら》を山のうへに立させられき倭漢坂上直《やまとのあやのさかのかみのあたひ》たてる柱《はしら》すぐれておほきかりければ時の人名づけて大|柱《はしら》の直《あたひ》とぞいへる【類聚國史】是は御|父《ちゝ》欽明《きんめい》天皇の陵にや侍りなんしらず
    天|武《む》天皇(の)陵
  或記《あるきに》曰(く)清見原《きよみはら》村とて寺より半里ばかり西《にし》に陵ありと云々
人皇四十代天|武《む》天皇は大和國|高市《たけちの》郡|檜隈大内《ひのくまおほうち》陵【延喜式】朱鳥《しゆてう》元年九月に崩御《ほうぎよ》なり給ひしが持統《じとう》天皇元年十月に皇《くはう》太子|公卿《くぎやう》百|官《くはん》の人|等《ら》をめしつれさせならびに諸國のつかさ/\國(の)造《みやづこ》百姓の男女までおほせて大内陵をはじめてきづかしめ給ひて二年十一月にこの陵にかくし奉り給ふ【日本紀】延寶七年迄凡九百九十四年歟
    持統《じとう》天皇(の)陵
人皇四十一代天持統天皇は大和國|高市《たけちの》郡|檜隈大内《ひのくまおほうち》陵とあり【延喜式】大寶二年に崩御《ほうぎよ》なり給ひて同三年十二月|飛鳥岡《あすかのをか》ににしてけふりとのぼらせ給ふ帝王《ていわう》の火葬《くはさう》のはじめにてまします天|武《む》天皇の陵に合葬《あはせかく》し奉る(438コマ)【續日本紀】延寶七年迄九百八十八年歟
    文|武《む》天皇(の)陵
人皇四十二代文|武《む》天皇は慶雲《けいうん」》四年六月に崩御《ほうぎよ》なり給ひて十一月に飛鳥岡《あすかのをか》にしてけふりとなし奉り二十日|檜隈安古《ひのくまあこ》山(の)陵にかくし奉る【續日本紀】延寶七年迄凡九百七十六年歟
    吉備姫王《きびひめのきみの》墓
吉備姫王《きびひめのきみ》は大和國|高市《たけちの》郡|檜隈《ひのくまの》陵也【延喜式】吉|備《ひ》姫王は皇極《くはうぎよ》天皇の母公《ぼこう》茅渟王《ちぬのきみ》の御|女《むすめ》なり
    堅塩媛《かたしほのひめの》陵
皇大夫人《くはうだいぶじん》堅塩媛《かたしほのひめ》は推古《すいこ》天皇廿年二月に檜隈大《ひのくまおほ》陵に改葬《かいさう》せられたり【類聚國史】堅塩媛《かたしほのひめ》は欽明《きんめい》天皇の妃《ひ》にして蘇我《そがの》大臣|稲目宿祢《いなめのすくね》の女《むすめ》也|用明《ようめい》天皇又|推古《すいこ》天皇の母公《ほこう》延寶七年迄一千六十八年歟
    檜隈呉原《ひのくまのくれはら》
  土佐《とさ》の町と鷹取《たかとり》の城との中|路《ろ》に俗《ぞく》に栗原《くりはら》といふめる所あり呉原《くれはら》の片言《かたこと》にや
人皇十六代|應~《おうじん》天皇廿七年二月|呉《くれ》の縫工女《きぬぬひめ》をもとめさせ給ひなんとて勅使《ちよくし》をつかはさるゝ則|高麗《こまの》國にいたりしが呉《くれ》の通路《つうろ》をしらず高麗《こま》の國王に奏《そう》しければ久礼波《くれは》久礼志《くれし》の二人導《ふたりのみちしるべ》を副《そへ》られしより呉《くれ》にぞいたりつきけり呉《くれ》の王《わう》にかくと奏《そう》しにた(439コマ)れば工女《ぬひめ》に兄媛《あにひめ》弟媛《おとひめ》呉織《くれはどり》穴織《あなはどり》の四人《よたり》の婦女《をんな》をぞ給ひける【類聚國史】しかありて婦女《をんな》を將《ゐ》て筑紫《つくし》に著岸《ちやくがん》せしに※[胸を上下にしたもの]※[形の旁が久]大神《むなかたのおんかみ》工女《ぬひめ》を乞《こ》ひ給ひしかば兄媛《あにひめ》をぞ奉りけりそれより三人の婦女《をんな》を將《ゐ》て津《つの》國|武庫《むこ》に著岸《ちやくがん》の時天皇|崩御《ほうぎよ》なり給ひぬれば大鷦鷯尊《おほさゝきのみこと》に奉りき呉衣縫《くれのきぬぬひ》蚊屋衣《かやきぬ》終に是よりはじまれり【日本紀】人皇廿二代|雄畧《ゆうりやく》天皇十四年正月|身狭村主青《むさのすくりあを》等《ら》どもに呉《くれ》の國使《くにひと》將《ゐ》て漢織《あやはどり》呉織《くれはどり》ならびに衣縫《きぬぬひ》兄媛《あねひめ》弟媛《おとひめ》を奉る住吉《すみよし》の津《つ》にとゞまる此月|呉客《くれひと》の道をして磯齒津《しはつの》路に通《かよ》はしぬれば名づけて呉坂《くれさか》とぞいひける三月|臣連《をみのむらじ》にみことのりありて呉使《くれひと》をむかひて檜隈野《ひのくまの》に侍らしめ名づけて呉原《くれはら》とぞいひける【日本紀】推古《すいこ》十四年より延寶七年迄凡一千七十四年歟
    子嶋《こしま》寺
  土佐《とさ》の町より東七八町|古堂《こだう》一宇四町ばかりひがしにのぼりて開《かい》山(の)石塔《せきたう》あり
子嶋《こしま》寺は天平|寶字《ほうじ》四年三月|報恩沙弥《ほうをんしやみ》といふあり高市《たけちの》郡|子嶋《こしま》の神祠《じんし》のほとりに伽藍《がらん》を造建《ざうこん》し一丈八尺の觀自在菩薩《くはんじざいぼさつ》の像《ざう》ならびに四大天王の像《ざう》をすへをかれて子嶋《こしま》寺とぞ号《かう》せられける報恩沙弥《ほうをんしやみ》は年十五にして家をはなれ三十の年には吉野山にこもりて觀世音の咒《しゆ》を持《じ》し居《ゐ》(440コマ)られけるがはやく霊感《れいかん》をえ給ひけり天平|勝寶《しやうほう》の帝の御なやみ又|長岡《ながをかの》宮の帝のいともあやしき御病なども加持《かじ》にしるしをあらはし根本咒《こんぼんしゆ》わづかにとなへてたいらかになし奉りしかば叡感《えいかん》のあまり得度《とくど》の名を給はりしかども辞《じ》して本山《ほんざん》にかへる又むかひの鳳輦《ほうれん》をたて給ふにもいなひて徒歩《かちより》宮《くう》中に入られけりつゐに封戸《ふこ》をうけて後《のち》延暦《えんりやく》十四年六月遷化《せんげ》たり【釈書】報恩《ほうをん》と延鎮《えんちん》は同人|異名《いみやう》なり【釈書】眞興《しんこう》法師此寺に住おはせしが後《のち》の人いとたうとみて子嶋《こしま》の先徳《せんとく》とぞいひける傳《でん》は釈書《しやくしよ》にあり
    檜隈《ひのくま》寺
天|武《む》天皇|朱鳥《しゆてう》元年|檜隈《ひのくま》寺|輕《かる》寺|大窪《おほくぼ》寺|各《をの/\》封《ふ》百|戸《こ》卅年をかぎり又|巨勢《こせ》寺|封《ふ》二百|戸を寄附《きふ》あり【日本紀】此寺等の濫觴《らんしやう》さだかにせらるべし
    竹取《たかとり》
  當世|鷹取《たかとり》とかけり詞林采葉《しりんさいえうに》曰(く)竹取《たかとり》の翁《おきな》の旧跡《きうせき》は當世大和國に竹取《たかとり》の城《しろ》とてをとろ/\しくきこえし是也と云々|竹取《たかとり》物|語《かたり》の翁《おきな》は駿河《するがの》國大|綱《つな》の里に住《すみ》し人なれば別《へち》人にぞ侍りなむ
竹取《たかとり》の翁《おきな》といふありけり季春《きしゆん》の月に岡《をか》にのぼりてながめけるに九人の仙女《せんじよ》にあひ(441コマ)けり翁《おきな》
万葉 死ばこそあひ見ずあらめ生《いき》てあらば白髪《しらかみ》子等《こら》におひざらめやも
又をとめ等《ら》のよめる歌《うた》九|首《しゆ》あり委《くは》しくは万葉集に見え侍る今かすかにあらはすものなり
    壷坂《つぼさか》寺 寺領四十五石六斗
  土佐《とさ》の町より南東一里ばかり
壷坂《つぼさか》寺は又|南法華寺《みなみほつけじ》と【拾芥抄】いふ本尊《ほんぞん》千手觀音菩薩《せんじゆくはんおんぼさつ》は道基《だうき》上人の造営《ざうえい》なり【拾芥抄】開基《かいき》は元興寺《ぐはんごうじ》海辨僧正《かいべんそうじやう》といへり然れども帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)文武《もんむ》天皇大|宝《ほう》三年|癸卯《みつとのう》佐伯姫足子《さゑきのひめたらしこ》の尼《あま》善心《ぜんしん》といふあり高市《たけちの》郡|南法華《みなみほつけ》寺を建立《こんりう》せし人なり此寺|元来《げんらい》霊験《れいげん》の蘭若《あれんや》なればとて仁明《にんみやう》天皇|承和《しやうわ》十四年十二月に定額《でうがく》ならびに官長《くはんちやう》の検校《けんげう》たるべしとの宣下《せんげ》あり【續日本後紀】つたへ聞《きく》鎮主《ちんじゆ》龍蔵權現《りうざうごんげん》は吉野《よしの》川|赤根《あかね》が渕《ふち》の龍神《りうじん》にてましますとなり
  壷坂より八町ばかり東に高香《かうかう》山と云所に五百|羅漢《らかん》ならびに兩界《りやうかい》の曼陀羅《まんだら》を彫《えり》たる石あり
    蘇我河原《そがのかはら》
  八木《やぎ》より十五町西なり蘇我《そが》村の西のほとり蘇我《そがの》川北にながるゝ水上は越智《をち》といふ所にて諸方《しよはう》の川落合といへり此所|蘇我臣《そがのしん》の家地《いへところ》にて(442コマ)侍ける十三四町北に蘇我《そが》のやしきの跡《あと》あり其西の社《やしろ》は入鹿《いるかの》大臣の霊《れい》也|蘇《そ》と宗《そ》とかよひ用るにや類聚國史《るいじゆこくし》萬葉集等に宗我《そが》とかけり
万葉 真菅吉《ますげよし》宗我《そが》の川原に鳴《なく》鵆《ちどり》まなしわがせこ吾こふらくは
    勾金橋《まがりかねのはしの》宮
  曲《まがり》川村|皇居《くはうきよ》の地《ち》といへり蘇我《そが》より乾《いぬい》四町ばかり
人皇廿八代|安閑《あんかん》天皇元年正月|キ《みやこ》を大倭《おほやまとの》國|勾金橋《まがりかねのはし》にうつして宮の名とさだめ給ひしなり【日本紀】又|勾之金箸《まがりのかねはしの》宮【古事紀】此|帝《みかど》は大和國|金峯山權現《きんぶせんのごんげん》是なり【正統録】延寶七年迄一千百四十六年歟
    太玉《ふとたまの》神社
  安房地《あはのち》にいます【舊事紀】今たづねしに所しれず
高市《たけちの》郡(に)坐《います》太玉命神社《ふとたまのみことのじんじや》四座【延喜式】夫《それ》太玉《ふとたまの》神は天地剖判《あめつちわかれひらくる》のはじめ天《そらの》中に生《あれ》ましける神を天御中主《あまのみなかぬしの》神と申次に高皇産《たかんみすびの》神次に神産霊《かんみすひの》神【古語拾遺】高皇産《たかんみすび》霊(の)神|栲八千々姫命《たくはたちちひめのみこと》【天祖天津彦尊之母也】天《あま》忍|日命《ひのみこと》【大伴宿祢祖也】天太玉命《あまのふとたまのみこと》【齋部宿祢祖也】古語拾遺《こごしうい》にあり神功《しんこう》は神代巻《じんだいのまき》につまびらか也
    岡本《をかもとの》天王(の)陵 所しらず
岡本《をかもとの》宮(の)御宇天皇(の)陵は大和國|高市《たけちの》郡にあり【延喜式】或抄《あるせうに》曰(く)文武《もんむ》天皇の御|父《ちゝ》なり並知皇子尊《なみしるのすめみこのみこと》又は草壁《くさかべの》太子とも又|岡本《をかもとの》天(443コマ)皇とも申奉る
    高市《たけちの》宮
  藻塩《もさいほ》草大和國|倭名類聚《わみやうるいしゆ》に高市《たけちの》郡
万代集 しらざりし昔《むかし》さへこそ戀《こひ》しけれ高市《たけち》の宮に月を詠《なかめ》て
    高市《たけちの》社
高市社《たけちのやしろ》は甘南備飛鳥《かんなひあすかの》社といふ【舊事紀】高市御縣坐鴨事代主《たけちのみあがたにいますかもことしろぬしの》神社と神名帳《しんみやうちやう》にのせられたる是なり大巳貴《おほあなむち》神|高降姫《たかふるのひめ》を娶《めとり》給ひて生《あれ》まし給ふ都味歯八重事代主《つみはやえことしろぬしの》神にぞまします【舊事紀】
▲神階《じんかい》は貞觀《ぢやうぐはん》元年正月廿七日|從《じゆ》一|位《ゐ》に叙《じよ》せられき【三代實録】其|後《のち》をしらす
    高市郡神名帳《たけちのこほりじんみやうちやう》五十四|座《ざ》【延喜式】
高市御縣坐鴨事代主神社《たけちのみあがたにいますかものことしろぬしのじんじや》
飛鳥座神社《あすかにいますじんじや》四|座《ざ》
宗|我坐宗我キ比古神社《がにいますそがつひこのじんじや》二|座《ざ》飛鳥《あすか》山口(に)坐神社《いますじんじや》 甘樫坐神社《あまかしにいますじんじや》四|座《ざ》
稲代坐神社《いなしろにいますじんじや》 畝火《うねひ》山(に)坐神社《いますじんじや》
牟佐坐神社《むさにいますじんじや》 高市御縣《たけちのみあがたの》神社
鷺栖《さぎすの》神社 巨勢《こせ》山(に)坐《います》石椋《いはくらの》神社
天高市《あまたけちの》神社 輕樹村坐《かごむらにいます》神社
治田神社《はるたのじんじや》 太玉命《ふとたまのみことの》神社四座
櫛玉命《くしたまのみことの》神社四|座《ざ》 加夜奈留美命《かやなるみのみことの》神社
飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社《あすかかはかみにいますうすたきひめのみことのじんじや》
呉津孫《くれつひこの》神社 東大谷日女命《ひかしおほたにひめのみことの》神社
氣キ和既《けつのわきの》神社 川俣《かはまたの》神社三座
(444コマ)大歳《おほとしの》神社二座 波多《はたの》神社
御歳《みとしの》神社 於美阿志《をみあしの》神社
瀧本《たきもとの》神社 鳥坂《とりさかの》神社二座
天津石門別《あまついはとわけの》神社 許世キ比古命《こせつひこのみことの》神社
波多※[瓦+肆の左]《はたみかゐの》神社 久米御縣《くめみあかたの》神社
氣吹雷響雷吉野大國御魂神社《けふきいかづちなるいかづちよしのおほくにみたまのじんじや》三|座《ざ》
 
和州舊跡幽考第十六巻終
 
(446コマ)和州舊跡幽考目録
    第十七巻|宇陀《うだの》郡
宇陀野《うだの》 宇陀《うだ》山
氷室《ひむろ》 高倉《たかくら》山 付 女坂《めざか》○男坂《おざか》○墨坂《すみさかの》事
墨坂《すみざかの》神 穿邑《うがちのさと》
血原《ちはら》 ※[言+可]夫羅前《かぶらさき》
八咫烏社《やたからすのやしろ》 秋《あきの》宮 付 笹幡《さゝはた》○兩太神宮鎮座(の)事 神戸《かんべ》
朝原《あさはら》 竹川
室生山《むろふざん》 龍穴社《りうけつのやしろ》
(447コマ)※[倉+鳥]《ひばり》山 大藏《おほくら》寺 付 愛染《あひぜん》明王(の)事 延喜式神名《えんぎしきじんみやう》帳
    第十八巻|城下(の)郡
屏風《びやうぶの》里 黒田都《くろだのみやこ》
鏡作社《かゞみつくりのやしろ》 付 神階《じんかいの》事 鏡《かゞみの》池
韓人《からひとの》池 法樂《ほうらくじ》
宮古杜《みやこのもり》 坂手《さかて》
坂手《さかての》池 大安寺《たいあんじ》村
法貴《ほうき》寺 齋宮《いつきのみや》
村屋神社《むらやのじんじや》 神《かみ》山
三宅道《みやけぢ》 延喜式神名《えんぎしきじんみやう》帳
 
和州舊跡幽考第十七巻
    宇陀郡《うだのこほり》
  莵田《うだ》【日本紀】宇陀《うた》又は宇太《うだ》【延喜式】宇多《うだ》【倭姫世紀】宇※[こざと+施の旁]《うだ》【倭名】ともかけり
    宇陀野《うだの》
  宇陀《うだ》の町より一|里《り》ばかり巽《たつみ》萩原《おぎはら》村ありそれより一|里《り》ばかり北までをむかしの禁野《きんや》といひつたへ侍れば此所にぞあらめ宇陀野《うだの》は禁野《きんや》に侍るよし鷹《たか》百首に見えたり
推古《すいこ》天皇十五年五月五日に藥狩《くすりがり》を莵田野《うだの》にし給ふ曉《あかつき》を時とりにして藤原《ふぢはら》の池のほとりにあつまりてそれより供奉《ぐぶ》せられしなり諸臣《しよしん》おもひ/\のきぬの色心にしたがふ冠《かふり》を著《ちやく》しをの/\髻《うす》をさす四|位《ゐ》は金をもちゐられ五|位《ゐ》は豹尾《ながめかみのお》六|位《ゐ》は鳥の尾《お》をさしけり【日本紀】
▲貞觀二年十一月三日みことのりして源朝臣融《みなもとのあそんとをる》に大和國|宇陀野《うだの》を給ひしより狩《かり》しあそび給ふとなり【三代実録】
万葉 宇陀の野の秋|芽子《はぎ》しのぎ鳴《なく》鹿《しか》も妻《つま》にこふらく我にはまさし【丹比真人】
草根集 日の影《かげ》のかたふくまでをかぎりにて鳥立《とだち》尋《たづ》ぬる宇※[こざと+施の旁]の御狩場《みかりば》
    宇太《うだ》山
皇極《くはうきよく》天皇三年|莵田《うだの》郡に押坂直《をしさかのあたひ》といふ人あり童子《わらはべ》をいざなひて莵田《うだ》山の雪をわけのぼる雪の中より紫《むらさき》の菌《たけ》生《おひ》出て其おほきさ六寸あまり四町ばかり上《いや》が上《うへ》にぞ見えける是をとりて家にかへりければ見る人|毒《あしき》物にありなんといひあへりしかども押坂直《をしさかのあたひ》も童子《わらは》もあつものとしてくひついとかうばしくあぢはひことなりしかば又の日も菌《たけ》をとりなんと山に分行《わけゆき》しが一|本《もと》もあらざりけり菌《たけ》をくひしより病《やまひ》もなく壽《いのち》もながし或《ある》人いはく俗《ぞく》に芝草《れいし》をしらずして只《たゞ》菌《たけ》とのみいへり【日本紀】
    氷室《ひむろ》
  氷室《ひむろ》の跡《あと》とていひつたへたる所もなし誠《まこと》に大和国には卅|余ケ《よか》所の氷室《ひむろ》ありとかや氷室《ひむろ》の歌《うた》おほく見え侍れども其所/\をしらざれば余《よ》は畧《りやく》して爰《こゝ》にのみあらはす
草根 都まて凉《すゝ》しかれとや通《かよ》ふらん宇陀《うだ》の氷室《ひむろ》にくるゝ山風
    高倉《たかくら》山 付 女坂《めざか》男坂《おざか》墨坂《すみざか》
  高倉《たかくら》山|宇陀《うだの》郡に二三ケ所あり然ども(449コマ)女坂《めざか》男坂《おざか》墨坂《すみざか》の名《な》をよぶ所あらず先《まづ》伊賀見《いがみ》村といふ所に國見《くにみ》山といふあり又|勢州《せじう》と宇陀《うだ》の郡ざかひに國見《くにみ》山といふあり後《のち》の人さだかにせらるへし
神武《じんむ》天皇|莵田《うだ》の高倉《たかくら》山の峯《みね》にして國中《くにのうち》を見そなはし給ふ時|國見岳《くにみのをか》の上に八十梟師《やそたける》ありて天皇に敵《てき》し奉る女坂《めざか》に女《め》の軍《いくさ》男坂《おざか》に男《お》の軍《いくさ》を墨坂《すみざか》に炭《すみ》を熾《をこ》してをきけり終《つゐ》に天皇かの八十梟師《やそたける》を討《うち》とり給ひき女坂《めざか》男坂《おざか》墨坂《すみざか》の名《な》これよりはしまりたり【日本紀】
    墨坂《すみざかの》神 所しらす
崇神《すうじん》天皇九年御|夢《ゆめ》の告《つげ》によりて四月一日|墨坂《すみざか》の神を祭《まつ》らせ給ふよし日本紀にくはしく見えたり
    穿邑《うがちのさと》
  宇陀《うだ》の町より巽《たつみ》の方二里|俗《そく》に宇賀志《うがし》村といふむかし凶徒《けうと》を御|退治《たいぢ》の所といへり
神武《じんむ》天皇國/\をたいらげ給ひて中州《なかつくに》に入せ給ひなんと山|路《ぢ》におもむかせ給ふにいと嶮絶《さがしく》道《みち》絶《たえ》にたり爰《ここ》に天照太神の御|夢《ゆめ》のをしへのまゝに八咫烏《やたからす》飛《とび》来けりそれが行方にしたがひて進《すゝ》みおはしまししかば終《つゐ》に莵田《うだ》の下縣《しものこほり》につかせ給ひしその所を莵田《うだ》の穿邑《うがちのさと》と名《な》づけたりくはしくは舊事紀《くじき》日本紀等にあり
    血原《ちはら》 所しらず
神武《じんむ》天皇みことのりして天孫《あまみまこ》兄猾《えうけし》および弟猾《おとうけし》莵田縣《うだのこほり》におはしまししをめし給ひしかども弟(450コマ)猾《おとうけし》はまうきて仕礼《つかふまつり》兄猾《えうけし》はめしにしたがひ給はずさらばかれを攻《せめ》よとていたく攻戦《せめたゝかひ》ければ兄猾《えうけし》をのづからおとし穴《あな》に入てをしにうたれ命《いのち》をうしなひけり其|屍《しかばね》を只《たゞ》にやはとて斬《きり》てげり其|血《ち》のなかれぬればそこを名づけて莵田《うだ》の血原《ちはら》といふくはしくは舊事紀《くじき》日本紀にあり
    ※[言+可]夫羅前《かぶらさき》 所しらず
かの兄宇迦斯《えうけし》鳴鏑《なりかぶら》をもつて待《まち》かけつゝ使《つかひ》【八咫烏】を射《い》たりしがその鳴鏑《なりかぶら》の落《をち》たる地《ち》を※[言+可]夫羅前《かふらさき》といへり【古事紀】
    八咫烏《やたがらすの》社
  莵田《うだ》の町より一|里《り》艮《うしとら》俗《ぞく》に鷹塚《たかつか》村といふ一むかしにもやなりけん社《やしろ》くづれ果《はて》て礎《いしすへ》のこれり
八咫烏《やたがらすの》神社【延喜式】慶雲《けいうん》二年九月|大倭《やまとの》國|宇陀《うたの》郡に此|社《やしろ》をまつれり【續日本紀】抑《そも/\》八咫烏《やたがらす》は神魂命孫《かんみむすひのみことのみまこ》鴨建津見命《かもたけつみのみこと》化《け》して大烏《おほがらす》のごとくかけり飛《とひ》神武《しんむ》天皇を道引《みちびき》中州《なかつくに》に入奉る其|功《こう》なみならずとていとあつく賚《たまもの》し給ひき八咫烏《やたがらす》の名《な》是よりはじまりき【新撰姓氏録】八咫烏《やたがらす》は神皇産霊《かんみむすひのみたま》の霊《れい》にてまします【元々集】
     秋宮《あきのみや》 付 笹幡《さゝはた》
  もしは明《あき》山とて宇陀《うだ》の町の東に城跡《しろあと》あり其所に神楽《かぐら》石といふあり明《あき》秋《あき》よみ同しこれらにや笹幡宮《さゝはたのみや》は山|辺《べ》といふ所に笹幡《さゝはた》村といふありいにしへより天照(451コマ)太神の御|鎮座《ちんさ》所といへり此所に山|邊《べ》の赤《あか》人の石塔《せきたう》あり
宇多秋宮《うだのあきのみや》は夫《それ》天照太神|豊鋤入姫命《とよすきいりひめのみこと》を御杖代《みづえしろ》とせさせ給ひて御|鎮座《ちんざ》所をたづねめくり給へり人王十代|崇神《すうじん》天皇六十年|豊鋤入姫命《とよすきいりひめのみこと》我日《わがひ》足《たり》ぬと申き其時|姪《めい》にて侍る倭姫命《やまとひめのみこと》を御杖代《みつえしろ》とさだめ是より倭姫命《やまとひめのみこと》天照太神を載《いたゝき》奉り大和《やまとの》|宇陀《うだ》の秋宮《あきのみや》にしづめ奉り四年を經《へ》たり其後|佐々波多《ささはたの》宮【宝基本紀篠幡】それより伊賀《いがの》國|淡海《あふみの》國|美濃《みのゝ》國|伊勢《いせの》國|名野代《なのしろの》宮同|阿佐《あさ》加|藤方《ふぢかた》片樋宮《かたひのみや》同|飯野高宮《いひのたかみや》同|伊蘇宮《いそのみや》に御|鎮坐《ちんざ》まし/\て垂仁《すいにん》天皇廿六年十月に度遇五十鈴《わたらへいすす》川上に祠《いはひ》奉るくはしくは倭姫世紀《やまとひめせいき》にあり
▲泊瀬朝倉《はあせあさくらの》宮【雄畧天皇】の御宇《ぎよう》廿二年七月|止由氣皇《とよけくはう》太神|但波《たんばの》國|吉佐《よざの》宮よりうつり給ひて倭國《やまとのくに》宇太《うだの》宮に御|一宿《ひとよ》まし/\て伊賀國|六穗《むつほの》宮に御|二宿《ふたよ》いましてそれより徃々《ところどころ》の離宮《たびみや》にとゞまり給ひて九月に伊勢國山田(の)原の新殿《にゐみや》にしづめ奉る鎮坐本紀《ちんざほんぎ》にくはしくあり
    神戸《かんべ》
  當世《とうせい》宇陀《うだ》の町より四五町|坤《ひつじさる》の方に俗《ぞく》に皇《くはう》太神|御鎮座《ごちんざ》の跡《あと》とて小|社《しや》あり其所の名《な》を神戸《かんべ》といへり
天照太神|宇陀《うだ》の秋《あきの》宮に四とせいはひ奉るの時|倭國造《やまとのくにのみやづこ》采女香刀比賣《かとひめ》地口《ちぐち》の御田《みた》を奉れり【倭姫世紀】是|宇陀《うだ》の神戸《かんべ》なり此所その田なるべし
(452コマ)    朝原《あさはら》 所しらず
神武《じんむ》天皇|莵田《うだ》の朝原《あさはら》にして天か下を平《たいらけ》給ひんなんの御ちかひあり此事くはしくは芳野丹生《よしのにふ》の神社《じんじや》の所にあらはす
    竹川
  所さだかならず河内國と云々|但《たゞし》大和國|宇陀《うだの》郡に竹川の流《ながれ》あるとし舊記《きうき》に見えたり【河海抄】一|徃《わう》爰《こゝ》にあはすた
たけかはのはしうちいでしひとふしになどゝ源氏《けんじ》物語にもあり
河海抄 紅葉ばのなかるゝ時は竹川の渕《ふち》にみどりも色かはるらん
    室生山《むろふざん》 寺領三十八石
  宇陀《うだ》の町より四里ばかり艮《うしとら》
室生山《むろふざん》【延喜式】※[木+聖]生山《むろふさん》【三代實録】或《あるひ》は一山《いちざん》或《あるひ》は面《めん》一山といふ寺号《じがう》は室生寺《むろふじ》日域無双《じちいきぶさう》の真言《しんごん》の勝地《しやうち》にして弘法《こうぼう》大師|万民衆庶《ばんみんしゆしよ》の薄命《はくめい》をすくはんがために三國|相承《さうぜう》の重寶《てうほう》を納《おさ》め本尊海會《ほんぞんかいゑ》彼《かの》岫《ちく》に安置《あんち》し麓《ふもと》に伽藍《がらん》あり佛隆寺《ぶつりうじ》と号《がう》す【行状記】此山は杉松《しんせう》峯《みね》をつゝみて青天《せいてん》につらなり巌石《かんぜき》樹《じゆ》をもれて黒雲《こくうん》かとうたがはれ麓《ふもと》にめぐる川浪《せんらう》は春の雪のくづるゝにことならず地《ち》にみだるゝ落葉《らくえう》は秋の雨のふるかとあやまたれ橋《はし》をふみゆけば盧山《ろさん》のさびしきをおもひ山路《さんろ》をよぢのぼれば鶏足《けいそく》のしつけささながらかくやとこそおもひやられけれ弘法《こうぼう》大師の住《すみ》おはせし慈尊院《じそんゐん》は朽《くち》やら(453コマ)ずして人すめり護摩《ごま》修《しゆ》せられし岩崛《がんくつ》は苔《こけ》のみむして風こそやどり侍れ伽藍《がらん》甍《いらか》をならへて露しげく宝鐸《ほうちやく》響《ひゞき》ありて嵐|冷《すさま》し斯《かゝ》る霊區《れいく》なれば世の人女人の高野《かうや》ともいへり
▲寺領《じれう》は興福寺《こうふくじ》の御|朱《しゆ》印の内しかあればにや住持職《ぢうししょく》は西大寺|招提寺《せうだいじ》戒壇《かいだん》院の律宗《りつしう》の中にえらび興福寺の僧侶《そうりよ》二人一|夏《げ》の結番《けつはん》をせらるゝなり
    龍穴《りうけつの》社
  室生《むろふ》山室生|寺《じ》の鎮守《ちんじゆ》にして麓《ふもと》にいます
龍穴社《りうけつのやしろ》の元来《げんらい》は釈《しやく》の慶圓《けいえん》室生《むろふ》山にとぢこもる事一千日|黎《ころほひ》河橋を過行に容儀《ようぎ》體佩《たいはひ》閑麗《みやびやか》なる女の顔《かほ》ふかくかくして慶圓《けいえん》に見え即身成佛《そくしんじやうぶつ》の印明《ゐんみやう》をさづけてたうべよとてなげく慶圓《けいえん》あやしやとはおもひながら誰《たれ》人にいまするぞや印明《ゐんみやう》をつたふるには名《な》をしらずはあらじといひけり女われは是《これ》善女龍王《ぜんによりうわう》なりしかありて終《つゐ》につたへられしかばいとよろこぶけしき見えて我《われ》過去《くはこ》七佛|轉受《てんじゆ》皆かくこそ侍れとていとたうとがりけり慶圓《けいえん》かの女に今ははや顔《かほ》かたちを見せよなどかあらはさぬやといへりしかばいとやすかりけりまさしくま見えなばいかゞといひながら空《くう》中にのぼり雲のちぎれより右の手の小|指《ゆび》をあらはすに爪《つめ》の長《なが》さ丈余《ぢやうよ》にして五|色《しき》の光《ひかり》あり【釈書】是《これ》より佛法《ぶつほう》擁護《おうご》の龍神《りうじん》としてこゝに祠《いはひ》けるとぞ
(454コマ)万葉 日|本《もと》の室生《むろふ》の毛桃《けもゝ》本《もと》しけみ我 物をならずはやまじ
    ※[倉+鳥]《ひばり》山
  紀伊國|在田《ありだの》郡又大和國|宇太《うだの》郡の両|説《せつ》あり【酉曼陀羅抄】
※[倉+鳥]《ひばり》山|紫雲《しうん》菴は中将局姫法如尼《ちうじやうつぼねほうによに》の閉籠《へいろう》の地《ち》なりそれよりつたへて尼《あま》の住院として勤行《ごんぎやう》今に絶《たえ》ず抑《そも/\》中将局《ちうじやうつぼね》は横佩《よこはぎの》右《う》大臣|豊成《とよなり》の息女《そくじよ》なりしが継母《まゝはゝ》の讒《ざん》にかゝりてひばり山にすてられ幽谷《ゆうこく》にこもりて命《いのち》を草《くさ》葉の露にあらそひおはせしが父《ちゝ》大臣|※[倉+鳥]《ひばり》山に狩《かり》しありき給ふにぞ不意《ゆくりなく》對面《たいめん》して古郷《ふるさと》にかへり給ひぬ更《さら》に厭離穢土《えんりゑど》の心絶《たえ》やらせ給はず當麻《たえま》寺の實帷《しつずい》法師を師《し》としてかみをおろし善心尼《ぜんしんに》と申き又|改名《かいみやう》して法如尼《ほうによに》と申|爰《こゝ》にいほりをむすびて紫雲菴《しうんあん》と号《かう》し欣求淨土《こんぐじやうど》の外は心にまたなし終《つゐ》に淨土曼陀羅《じやうどまんたら》をえて徃生《わうじやう》の素懐《そくはい》をとけられしとなり【酉曼陀羅抄】
    大藏《おほくら》寺
  宇陀《うだ》の町より巽《たつみ》一里ばかり麓《ふもと》に栗野《くりの》といふ所ありそれより坂にのぼる事八町
雲管《うんくはん》山|醫王《いわう》院|大藏《おほくら》寺は本尊《ほんぞん》藥師《やくし》如来也|濫觴《らんしやう》は上宮太子の御|草創《さうそう》其後|役小角《えんのせうかく》練行《れんきやう》の地とせられしより後は弘法《こうぼう》大師|嵯峨《さがの》天皇の勅《ちよく》をうけ堂宇《だうう》を建立《こんりう》せられき嵯峨《さがの》天皇の宸筆《しんひつ》の大藏《おほくら》寺の額《がく》今にあり
▲霊寶《れいほう》あまたの中に小佛の愛染明王《あひぜんみやうわう》【長二寸】(455コマ)あり惠果阿闍梨《けいくはあしやり》より弘法《こうぼう》大師に付屬《ふぞく》なり此|愛染《あひぜん》の佛身《ふつしん》に月の上弦《じやうげん》には御|胸《むね》より上に青色《せうしき》の舎利《しやり》を現《げん》じ下弦《げけん》には御|腰《こし》より下に現《けん》し給ふおりによりて其|数《かす》不定《ふてう》なり此|尊像《そんざう》の事を密宗《みつしう》博学《はくがく》の老法印《らうほうゐん》にたづねしに密宗《みつしう》の書に見え侍りて一|宗《しう》傳授《でんじゆ》の事に侍るとかや五|指量《しりやう》の愛染と申すとかたられしなり出書《しゆつしよ》をしらざれば元来《けんらい》をしるすにたらず
    宇陀《うだの》郡|神名帳《しんみやうちやう》十七|座《ざ》【延喜式】
宇陀水分神社《うだみこもりのじんじや》  阿紀《あきの》神社
門《かとの》僕神社  丹生《にふの》神社
御杖《みつえの》神社  椋下《むくもとの》神社
高角《たかつの》神社二座  八咫烏《やたがらすの》神社
味坂比賣命《みそさかひめのみことの》神社  御井《みゐの》神社
岡田《をかだ》小※[券の刀が示](の)命《みことの》神社  神御子美牟須比《みわのみこみむすびの》命(の)神社
桜寶《さくらみの》神社  剣主《つるぎぬしの》神社
室生龍穴《むろふりうけつの》神社  都《つ》賀|那木《なきの》神社
 
(456コマ)和州舊跡幽考第十七巻終
 
和州舊跡幽考第十八巻
    城下郡《しきのしものこほり》
  屏風《びやうぶの》里  黒田村北十四五町
聖徳《しやうとく》太子|鵤宮《いかるがのみや》より橘《たちはな》の宮にまうで給ふに道《みち》遠《とを》しとてあらたにちかき道をひらかせ直違路《すぢかひぢ》といふ其|中路《ちうろ》にして供御《ぐこ》を奉るにつねに屏風《びやうぶ》をたてしより此名あり【玉林抄】
    黒田《くろだの》都
  當世黒田村の近《ちか》き所に宮古《みやこ》村といふあり是なり
黒田都《くろだのみやこ》は孝安《かうあん》天皇(の)御宇百二十年正月|崩御《ほうぎよ》なり給ひて其十二月人王七代孝霊《かうれい》天皇|黒田《くろだ》にみやこをたて給ひて廬戸《いほとの》宮といふ【日本紀】(457コマ)延寶七年まて凡一千九百五十二年か
    鏡作《かゞみつくりの》社 八尾村にあり
鏡作社《かゞみつくりのやしろ》二|座《ざ》一|座《ざ》は鏡作|麻氣《まけの》神此神は天糠戸命《あまのぬかべのみこと》なり一|座《ざ》は伊多神社《いたのじんじや》此神は石凝姥命《いしこりどめのみこと》なり【兼?記】石凝姥命《いしこりどめのみこと》は天糠戸命《あまのぬかべのみこと》の御子なり抑《そも/\》石凝姥《いしこりどめの》神は天照太神|岩戸《いはと》にこもらせ給ふ時|天香《あまのかく》山の銅《かね》をとりて日像《ひのみかた》の鏡《かゞみ》をゐ給ひし神なり【古語拾遺】
▲神階《じんかい》は貞觀《ちやうぐはん》元年正月廿七日從五位上【三代実録】其後の位をしらず
    鏡池
  鳥《とり》井の内にあり俗《ぞく》に~代の鏡ゐ給ひし時の水に侍るよし申
堀川 みさびゐる鏡《かゝみ》の池にすむ鴛鴦《をし》はみづから影《かげ》をならへてぞすむ
    韓人《からひとの》池
  二|階《かい》堂の南|八尾《やお》村の北に唐子《からこ》村といふありもしこれらにや
韓人《からひとの》池は應~《おうじん》天皇七年九月|高麗人《こまうど》百濟《くたら》の人|新羅《しらき》の人等におほせてほらしめ給ひしより韓《から》人の池と号《かう》せり天皇は高市《たけちの》郡に都《みやこ》せさせ給ひて輕《かる》嶋の明《あきらの》宮におはしましける【日本紀】延宝年七年まで凡一千四百三年か
新六帖 かろしまの明《あかり》の宮の昔《むかし》よりつくりそめてし韓人《からひとの》池
    法樂寺《ほうらくじ》 寺領六石四斗余真言宗
  黒田《くろだ》村のならび曽武《そぶ》川のひがし
法楽寺《ほうらくじ》本尊《ほんぞん》は勝軍《しやうくん》地蔵尊の秘佛《ひぶつ》也此寺は(458コマ)孝霊《かうれい》天皇の陵《みさゞきの》地にして聖徳《しやうとく》太子の開基《かいき》といへりさも侍りけるにや然ども孝霊《かうれい》天皇の陵《みさゞき》は葛《かつらの》下(ノ)郡|片丘《かたをか》にあるのよし延|喜式《きしき》にあきらけしもしは孝霊天皇の黒田《くろた》の皇居の跡にや
    宮古《みやこの》森
  大和國【類聚】三輪山のはるか西に宮古村といふあり三輪の通路《つうろ》也
類聚 すぎゆかん三輪の山べをしるしにて宮古《みやこの》森の名をな忘れそ
    坂|手《て》
万葉 みてぐらを楢《なら》より出て水|蓼《たて》の穗積《ほつみ》にいたり鳥網《とあみ》はる坂門《さかと》を過て石はしる甘《かみ》南|備《ひ》山に朝宮《あさみや》につかへまつりて吉野《よしの》へと入ます見ればむかしおもほゆ
  反歌
同 月も日もかはり行とも久《ひさ》の經る三諸《みもろ》の山のとつ宮地《みやところ》
  坂手村といふあり此東に蒲津《ほつ》村といふあり穗《ほ》積の片言《かたこと》か万葉集にみてぐらをならより出てとよめり行路をおもふに平城宮《ならのみや》より下津《しもつ》道を經《へ》て須知加部路《すぢかへぢ》におもむき十市《とをちの》郡|穗積《ほつみ》を過て式下《しきのしもの》郡|坂《さか》手にいたり芳野《よしの》に越《こし》けるにや甘南備三諸《かみなひのみもろの》山は三輪の社ならんか日本紀に大巳貴尊《おほあなむちのみこと》我|三諸《みもろの》山にとゝまりなんと宣《のたま》ひしは三輪《みわ》山なり
    坂手《さかての》池
(459コマ)景行《けいかう》天皇五十七年九月坂手の池をほり堤《つゝみ》の上に竹をうへしとなり【日本紀】
    大|安寺《あんじ》村
大安寺は奈良《なら》の大安寺|資材帳《しざいちやう》に所々十六處の庄薗《しやうえん》の内に式下《しきのしもの》郡村屋とのせられけるは此所なり
    法貴寺《ほうきじ》 寺領十七石五斗
法貴寺実相《ほうきじじつさう》院は傳聞《つたへきく》聖徳《しやうとく》太子の御|建立《こんりう》なり衰破《すいは》して一宇《いちう》残れり本尊藥師如来は百濟國《はくさいこく》より来朝《らいてう》といへり
    齋宮《さいくう》
  法貴寺《ほうきじ》のほとりに禿倉《ほこら》あり俗《ぞく》に在五中将|伊勢齋宮《いせのいつきのみや》をいざなひつれて爰にかくしすへ長谷《はせ》川|黨《とう》に守護をさせけるより此名ありといへりいとおぼつかなし太田命《おほたのみことの》記(に)曰(く)倭笠縫邑《やまとかさぬいのむら》に礒城《しき》の籬《みづかき》をたつる若《もし》こゝや笠《かさ》縫|邑《むら》ならんか齋宮《いつきのみや》のはじめなればおもひよれりもし又日本紀に泊瀬齋宮《はせのいつきのみや》とあり此時の野の宮にやありけんかさねてあきらかにせらるべし
笠縫邑《かさぬひのむら》は崇神《すうじん》天皇の御時神代より代は十つぎ年は六百余歳になりて神璽《みしるし》劔《みはかし》鏡《みかゞみ》と御殿《みあらか》をおなしうせさせ給ふ事やうやく神威《かみのい》ををそれ給ひて即位《そくゐ》六年|己丑《つちのとのうし》年神代のかゞみつくり石凝姥《いしこりとめの》神の初子《はつこ》(460コマ)めして鏡をうつしゐさせしめ天目一箇《あまめひとつ》の神の初子《はつこ》をめして釼をつくらしめ大和の宇陀《うだの》郡にして此|両種《ふたくさ》をうつしあらためられき護身《みまもり》のしるしとして同|殿《みあらか》に安置《はんべら》し給ふ【日本紀正統記】神璽《かんしるし》鏡《かゝみ》釼是なり名づけて内侍《ないし》所とぞいふ【古語拾遺】扨神代よりつたはりし寶鏡《たからのかゝみ》および霊劔《みたまのつるき》をば皇女|豊鋤《とよすき》入姫(の)命《みことに》つけて大倭笠縫《おほやまとかさぬひ》の邑《むら》といふ所に神籬《ひもろぎ》を建《たて》て天照太神をあがめ奉る是よりして神|宮《ぐう》皇宮《くはうきう》各《かく》別《へつ》になれりき神のをしへありて豊鋤《とよすき》入姫(の)命《みこと》神躰を頂戴《いたゞき》てところ/\をめくり給ひけり【正統記】笠《かさ》縫(の)邑《むら》にまつるゆふべに宮《みや》人みな夜もすから酒のみうたふ歌
宮《みや》人のおほよすがらにいさとほしゆきのよろしもよすからに
是を今|俗《ぞく》うたふて
宮人のおほよのころもひさとほしゆきのよほしもおほよそころもと詞《ことは》をかへたり【古語拾遺】
    村屋《むらやの》神社
  俗《ぞく》に森屋《もりや》の社といふつたへきくむかし森屋のなにかしの所領《しよれう》の地なれはそれより森屋といふにこそあらめ大安寺|資財《しざい》帳をみるに此邊村屋村とかきたり猶おもふに鳥|居《ゐ》の内に中|津《つ》道あり又五十町ばかりさりて大井の井手といふ所あり箸陵《はしのみつか》あり(461コマ)村屋座弥冨都比賣《むらやにいますみふつひめの》神社【延喜式】此神は静霊釼《しつのみたまのつるぎ》にてましますかの釼の事は日本紀にくはしく見えたり抑《そも/\》神功《しんこう》は天|武《む》天皇と大|伴《どもの》皇子の合戦に雌雄《しおう》をあらそひ給ひし時天皇方の将軍《しやうぐん》吹負親當《ふけいのちかまさ》中道をよせきたり皇子方の将《いくさ》犬|養連《かひのむらじ》五十君《いそきみ》中道にむかひて村屋に陳《ちん》をとる別將《わけいくさ》盧《いほ》井(の)造《みやつこ》鯨二百の精兵《せいびやう》を卒《そつ》して将軍吹負《しやうぐんふけい》の陳にぞよせたりける吹負《ふけい》小勢にしてふせぐにかたく見えける所に大井寺の住人|徳麻呂等《とくまろら》五人先陳に進《すゝ》みて矢《や》じりをそろへ透間《すきま》なく射《い》けるにぞ鯨《くじら》は進《すゝ》みかねたりけり又今日|上道《かみつみち》の箸陵《はしのみつか》の合戦皇子方の軍《いくさ》大に破《やぶれ》しかは天皇方の兵《つはもの》勝《かつ》に乗《のり》鯨《くじら》が軍《いくさ》の後《うしろ》をたてへだてける程に鯨《くじら》が軍勢《くんぜい》おほくうたれ鯨は白馬《あをむま》にのりて落行けるが※[泥/土]《ふか》田に馬を乗《のり》入引とも打ともかなはざりける所に将軍|吹負《ふけい》あの白《あを》馬に乗《の》る武者《むしや》は盧井鯨《いほりゐのくしら》と見るぞ討《うて》ものどもと下知《けぢ》せられければ甲斐《かひ》の勇士《ゆうし》とも急《きう》に馳《はせ》けるを見て鯨《くじら》馬に鞭をつよくあてゝ※[泥/土]《ふか》田をのがれてぞ落たりけるそれより吹負《ふけい》は本陳《ほんちん》にこそかへられけれ是より先《さき》金綱井《かなづなゐ》の合戦の時|高市《たけちの》郡|大領縣主許梅《おほのみやつこあがたぬしこめ》俄に口とぢて物をいはず三日を經《へ》て後神|著《かゝり》ていふやう我は高市《たけちの》社の事|代主《しろぬしの》神又|牟狹《むさの》社の生雷《いくいかづちの》神なり神武《じんむ》天皇の陵《みさゞき》に(462コマ)馬|種々《くざ/\》の兵器《ひやうき》を奉られよ天皇のまもりとならん又西の道より敵《てき》よせきたりなんつゝしみあるべしとて則《すなはち》醒《さめ》たりしかあれば許梅《こめ》を勅使《ちよくし》としてかの陵《みさゝぎ》をまつりならびに高市の社二社の神をまつり給ふ後《のち》壹伎使韓国《いちきしからくに》大坂【二上嵩麓】を經《へ》て責《せめ》きたりけり時の人二社の神のをしへ是なりといひあへりける又村屋(の)神も神人に著《かゝり》て吾《わが》社《やしろ》の中道に敵《てき》きたりなんふせがずはあるべからずといふいく日を經《へ》ずして盧井鯨《いほりゐのくしら》中道よりよせくる時の人神のをしへの御詞《みことば》にあへりとぞ感《かん》じける此事を奏《そう》し奉れば則《すなはち》三神に位階《ゐかい》を贈《をくり》給ひしより終《つゐ》に軍《いくさ》に利《り》をえて不破《ふは》にして大伴《おほどもの》皇子の頸《くび》をえたり日本紀にくはし
    神山 所しらず
天平宝字二年|城《しきの》下(の)郡《こほり》大和神山に藤《ふぢ》生《おひ》たりその根《ね》に文十六字の虫くひありその文字《もんじ》は王大(に)則2并《のつとりあはせ》天下(の)人(を)1此内|任《にんじて》2大平(の)臣《しんに》1守《まもらしめん》昊命《かうめいを》1【續日本紀】
    三宅道《みやけぢ》
  三宅郷《みやけのさとは》城下郡《しきのしものこほり》【倭名】たつねしに所にしれる人もなし三宅は官《くはん》の穀倉《こくざう》也【釈日本紀】
万葉 父母に知らせぬ子ゆへ三宅道の夏野の草を菜《な》つみ来るかも
同 打|久津《くつ》の三宅の原ともよめり
新六帖 打久津のみやけの野邊の朝霞つたへし道をなどへだつらん    城《しきの》下(の)郡《こほり》神名帳十七座【延喜式】(463コマ)
村屋坐弥冨都比賣神社《むらやにいますみふつひめのじんじや》
池坐朝霧黄幡比賣《いけにますあさぎりきはたひめの》神社
鏡作坐《かゞみつくりにいます》天照|御魂《みむすびの》神社
千代神社  岐多志太《きたしたのじんじや》二座
倭恩《やまとをん》地神社  服部《はとりの》神社二座
比賣久《ひめく》波(の)神社  冨|都《との》神社
糸井《いとゐの》神社  村屋《むらやの》神社二座
鏡作伊多《かゞみつくりいたの》神社  鏡|作麻氣《つくりまけの》神社
久須々美《くすすみの》神社

和州舊跡幽考第十八卷終

(464コマ)和州舊跡幽考目録
    第十九卷十市郡
磐余幸玉宮《いはれさきたまのみや》  池辺雙槻宮《いけべなみつきのみや》
磐余《いはれの》池  用明《ようめい》天皇(の)陵《みさゞき》
磐余若桜《いはれわかさくらの》宮
磐余若桜《いはれわかさくらの》宮 付 市磯《いちしの》池○?上室《わきかみむろ》山(の)桜《さくらの》事
磐余甕栗《いはれみくりの》宮  磐余野《いはれの》
磐余玉穗宮《いはれたまほのみや》
磐余《いはれ》 付 猛田《たけだ》○城田《しきだ》○頬枕田《つらまきだの》事
土舞臺《つちぶたい》
(466コマ)阿部崇敬寺《あべそうけうじ》 付 文殊大士《もんじゆだいし》○暹覚沙門《ぜんがくしやもんの》事
阿部《あべ》  阿部嶌《あべしま》山
膳夫《かしはで》村  高屋安部《たかやあべの》神
鏡《かゞみの》池  荻田寺《おいたでら》
二階堂《にかいだう》  天香久《あまのかく》山
香具《かく》山(の)宮  香久《かく》山(の)社《やしろ》
哭沢女《なきさはめの》神  興善寺《こうぜんじ》
埴安《はにやす》  上宮《かみのみや》
淺古《あさご》  陵《みさゝき》
倉梯《くらはしの》宮  椋橋《くらはし》川
倉梯離宮《くらはしのかりみや》  倉梯齋《くらはしのいつきの》宮
下居《をりゐの》里  崇峻《しゆじゆん》天皇(の)陵
倉梯《くらはし》山 付 大鏡出事  多武《たふの》峯
談山妙樂寺《だんざんみやうらくじ》 付 十三重(の)塔○聖霊《しやうれう》院○大織冠像《たいしよくはんのざう》○再興《さいこう》○定惠《でうゑ》和尚○増賀《ぞうが》上人(の)墳《つか》○如覚禅師墓《によかくぜんしのつかの》事
紅葉洞《もみぢのほら》  語《かたらひの》山
兩槻《ふたつきの》宮  淡海公《たんかいこうの》墓
春井《はるゐ》  紫盖寺《しかいじ》
音石《をとは》寺  耳梨《みゝなし》山
(467コマ)耳梨行宮《みゝなしのかりみや》  耳梨《みゝなしの》池
耳無《みゝなし》川  目無《めなし》川
村《むら》山  高《たか》山
十市《とをちの》里  多社《おほのやしろ》
常盤《ときはの》里  穗積《ほつみ》
竹田《たけだ》村  延喜式《えんぎしき》神名帳

和州舊跡幽考第十九卷
  十市郡
    磐余幸玉《いはれさきたまの》宮 所しらず
  又|譯語田《をさだの》宮【日本紀】又池|田《だの》宮【古事紀】ともいふ玉林《ぎよくりん》抄(に)曰(く)大佛供《だいふつく》の東|智井《ちゐの》里を譯田《をさだ》といふ此所ならんか帝王編年記《ていわうへんねんきに》曰(く)十市郡
人皇卅一代|敏達《びだつ》天皇四年宮をつくり給ひなむと海部王《うなべのきみ》の家《いゑ》絲井王《いとゐのきみ》の家地《いゑところ》をうらなはせ給ひしにうらなひ御《み》心にかなひけるよし奏聞《そうもん》を經《へ》しより宮を譯語田《をさだ》につくり給ひて幸玉《さきたま》の宮と名《な》づけ給ひし也【日本紀】延寶七年迄凡一千百五年歟
    池邊雙槻宮《いけべなみつきのみや》
(468コマ)  扶桑畧記《ふそうりやつき》に十市(の)郡雙槻宮一には磐余池邊《いはれいけべ》雙槻宮又は池邊|列槻《なみつきの》宮といふ或説に高市《たけちの》郡ともいへり玉林抄(に)曰(ク)雙槻宮は十市(の)郡|古老《こらう》相傳《あひつたへて》曰(く)阿倍《あべ》寺の北の山猶北にして今は長門《ながと》の里といふ是なり其東に松木山あり
池邊雙槻《いけべなみつきの》宮は橘豊日《たちはなとよひの》天皇【用命帝】の御宇元年九月につくらせ給ふ【日本紀】二年四月|磐余《いはれ》の川上にして新嘗《にゐなめ》ありしよし日本紀に見えたり又|二槻《ふたつきの》宮【日本紀】とかけるも此宮にや後の人さだかにせらるべし延寶七年迄凡一千九十四年歟    磐余《いはれの》池
履中《りちう》天皇二年十一月磐余《いはれの》池をほらせ給ふ【日本紀】
万葉 百傳《もゝつたふ》磐余《いはれ》の池に鳴《なく》鴨《かも》をけふのみ見てや雲かくれなん
    用明《ようめい》天皇(の)陵《みさゝき》 所しらず
人皇卅二代|用明《ようめい》天皇は御宇二年四月に崩御《ほうぎよ》なり給ひしが其の七月に磐余《いはれの》池(の)上《かんの》陵にかくし奉る【日本紀】しかありて後七年を經《へ》て推古《すいこ》天皇元年九月に河内《かはちの》国|科長山稜《しながのみさゞき》にうつしかへ奉る【玉林抄】此事|古事紀《こじき》にも見えたり延喜式《えんぎしきに》曰(く)用明《ようめい》天皇は河内国|磯長原陵《しなかはらのみさゞき》なり延寶七年迄凡一千九十三年歟
    磐余若桜《いはれわかさくらの》宮
  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)十市(の)郡|磐余《いはれ》の池の里これなりと云云當世|池内《いけのうち》村といふあり
(469コマ)若桜《わかさくらの》宮は人皇十五代神功皇后《じんぐうくはうこう》三年正月|譽田別《こんだわけ》皇子を皇太子《くはうたいし》にたてゝ磐余《いはれ》に都をつくらしめ給ふ是を若桜《わかさくらの》宮とぞいふなる【日本紀】延寶七年迄凡一千四百七十七年歟
    磐余若桜《いはれわかさくらの》宮 付 市磯《いちしの》池 ?上室《わきがみむろ》山
人皇十八代|履中《りちう》天皇二年十月|磐余《いはれ》に都をつくり給ひて明る年《とし》の十一月|磐余《いはれ》の市磯《いちしの》池に【此池内裏の前にあり】兩枝舟《ふたまたふね》をうかべてあそび給ひしがおほみきに時ならぬさくらの花ちりて御さかづきにうかべり此花の所をしらせ給はずはあらじとおほせごとさふらひしかば長真膽連《なかまいのむらじ》獨《ひとり》花をたづねて行しが?上《わきがみ》の室《むろ》山にして桜をえて奉りきいとめづらしき事に興《けう》せさせ叡感《えいかん》まし/\て若桜《わかさくら》を宮の名《な》にぞめしける【日本紀】延寶七年迄凡一千三百九年歟
    磐余甕栗《いはれみくりの》宮
  帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)十市(の)郡|白香谷《しらがだに》是也|白香谷《しらがだに》は城上《しきのかみの》郡のあり後の人あきらかにせらるべし
人皇廿三代|清|寧《ねい》天皇元年十磐余甕栗《いはれみくり》にして即位《そくゐ》まし/\しより爰《ここ》を宮所とさだめられしとなり【日本紀】延寶七年迄凡一千二百年歟
    磐余野《いはれの》
  勅撰名所類字《ちよくせんめいしよるいじ》名所等に十市郡
覚雅僧都百首 うき人にいはれの野辺《のべ》の花|薄《すゝき》かたよりにのみなびく君かな
    磐余玉穗《いはれたまほの》宮
人皇廿七代|継躰《けいたい》天皇は樟葉《くずはの》宮にして即位《そくゐ》お(470コマ)はしまして御宇五年に山|背《しろ》の筒城《つゞき》に都《みやこ》をうつされ十二年にみやこを弟國《おとぐに》にうつし給ひしが又廿年九月大和國にうつしかへられて磐余《いはれ》の玉穗《たまほ》の宮とぞいひける【日本紀】延寶七年迄凡一千百五十四年か
    磐余《いはれ》 付 猛田《たけだ》 城田《きした》 頬枕田《つらまきだ》磐余《いはれの》
  旧名《きうみやう》は片居《かたゐ》又は片立《かたゝち》【日本紀】といふ
磐余《いはれ》は神武《じんむ》天皇|巳未《つちのとのひつじの》年二月そむけるをしたがへ給ひなんとて大軍《いくさびと》あまた此|地《ち》に満《いば》めり旧名《きうみやう》をあらためて磐余《いはれ》と号《かう》し給ふといへり又天皇|嚴※[分/瓦]《いつへ》の粮《おもの》をきこしめさせ給ひて磯城《しき》の八十梟師《やそたける》をうち給ひなんとなり其|八十梟師《やそたける》爰《こゝ》に屯聚《いばみ》居《ゐ》たりしが天皇と戦《たゝかひ》あらそひしかども終《つゐ》にほろぼされけり是より磐余邑《いはれのさと》といふ官軍《みいくさ》立誥《たてびし》の所を猛田《たけだ》といひ城《しろ》をつくる所を城田《きしだ》といひ賊衆《あだども》うたれし臂《ひぢ》を枕とせし所を頬枕田《つらまきだ》といへり【日本紀】
  八十梟師《やそたける》は兼方《かねかた》按《あんするに》v之(を)凶黨《げうたう》八十人と云云|満《いばめり》のめりの二字の反《かへし》はレなりしかあればイハレといふなるべし
    土舞臺《つちぶたい》
  長門《ながとの》里のほとりに高き岡《をか》のうへに平地《へいち》あり土舞臺といへり桜井の町の坤《ひつじさる》にあり詮要《せんよう》抄(に)云(く)三輪《みわ》山の南桜井村といふ所に土舞臺の跡《あと》ありと云云
推古《すいこ》天皇廿年|百濟《くたらの》國より味摩之《みまし》といふ(471コマ)人|来朝《らいてう》せりみづから詞《ことば》に書て呉《くれの》國の妓楽《ぎがく》と舞《まひ》を得たりとなりしかあらばとてわらはへをあつめ桜井《さくらゐ》村にしてならはしめ給ふ【日本紀】今の諸寺《しよじ》の妓楽《ぎがく》の舞《まひ》是なり【太子傳】
    阿部崇敬寺《あべそうきやうじ》
  土舞臺《つちぶたい》の南にならべり寺領五石
安陪《あべ》山|崇敬寺《そうきやうじ》智足《ちそく》院は大日如来を安置《あんち》せり孝徳《かうとく》天皇の御宇|大化《たいくは》年中の建立《こんりう》なり又|文殊《もんじゆ》堂は満願寺《まんぐはんじ》と号《かう》せりむかし空中に光《ひかり》ありて空より石窟《いはや》に物のおちける音あり只山を動《うごか》し地《ち》を震《ふり》しほどにあやしやと見れば一寸八分の黄金《こがね》の文殊の霊|像《ざう》にぞいます其|温《あたゝか》なる事|生《い》ける人のごとし是《これ》を感得《かんとく》して安陪《あべ》山に安置《あんち》せし後《のち》に安阿弥《あんあみ》におほせて佛量《ぶつりやう》九尺の像《ざう》をつくらしめかの霊像《れいざう》を眉間《みげん》に彫籠《ほりこめ》たり猶それより利生《りしやう》夜々《やゝ》にあらたに効験《かうげん》日々《ひゞ》にまして奥州永井《おうしうながゐ》丹州切門《たんしうきれと》和州安陪《わしうあべ》山|本朝《ほんてう》三文殊|大士《だいし》として信仰《しんかう》あらざるはなし【縁起】
▲文殊大士《もんじゆだいし》天降《あまくだり》給ひし石窟《いはや》は本堂の巽《たつみ》にあり名《な》を浅古《あさこ》といへり
▲中興開山暹覚沙門《ちうこうかいさんせんがくしやもん》は豊後《ぶご》の國人也|承暦《しやうりやく》三年|安陪《あべ》山に草室《さうしつ》をかまへ前非《ぜんひ》をかなしみ顕密《けんみつ》をまなばれしが保延《ほゑん》六年|衆僧《しゆざう》と共に佛号《ふつがう》をとなへながら弥陀《みだ》を瞻仰《たんかう》してしばらくも目をはなさず終《つゐ》に端居《たんきよ》にして氣絶《きぜつ》せり其後(472コマ)二十七日を經《へ》ぬれども印手《ゐんしゆ》更《さら》にみだれず遺言《ゆいごん》にしたがひて佛堂《ぶつだう》の下に納たり肉身《にくしん》やぶれず今にいますよしくはしくは釈書《しやくしよ》にあり年九十一
    阿倍《あべ》 夫木集に大和國
万葉 吾妹子《わぎもこ》に不相《あはで》久しも馬下《うましも》の阿倍橘《あべたちばな》の蘿《こけ》の生《むす》まで
  此|阿倍橘《あべたちばな》の事くはしくは詞林採葉《しりんさいえう》にのせられたり
    安倍嶌《あべしま》山
風雅集 玉勝間《たまがつま》あべ嶋山の夕露に旅《たび》ねはえずや長《なが》き此夜を
名寄 キ《みやこ》おもふ袖もかた/\ほしあへんあべ嶋山は露ふかくして 通具
  安倍の西の田中に安倍仲麿《あべのなかまろ》の墳《つか》かたばかりのこれり
    膳夫《かしはで》村
  安陪《あべ》山より二三町西むかし芹つみし所とて冷水《れいすい》ながれたり
膳夫《かしはで》村は聖徳太子の妃《ひ》あやしの賤女《しづめ》にて芹《せり》つみておはせしをほの見そめ給ひしより妃《ひ》となし給ふよし能登傳《のとでん》にのせ侍れども信用《しんよう》しがたきよし玉林《ぎよくりん》抄にあらはせりおもふに袖中《しうちう》抄にのせられし麻福田《まふくだ》丸がおもひそめし姫の芹《せり》つみ給ひし所にはあらずや法師となりて智光《ちくはう》といひし人なりくはしくは元興寺《ぐはんこうじ》極楽坊《ごくらくはう》の所にあらはす
    高屋安倍《たかやあべの》神 付 下居神
  高屋《たかや》の屋敷は此郡松本山の東のほと(473コマ)りなり近年うつしかへて高冶《たかやの》明神の小社は谷村にあり
天安《てんあん》元年八月大和國|高屋安倍《たかやあべの》神ならびに椋橋下居《くらはしをりゐの》神を從《じゆ》五|位《ゐ》上になし給ふ同二年|高屋安倍《たかやあべの》神に從《じゆ》四|位《ゐ》下を奉り給ひしよし文徳實録《もんとくしつろく》にあり
    鏡《かゝみの》池 安倍村東のならび
鏡《かゞみの》池は神代に日像《ひのみかた》の鏡《かゝみ》をゐ給ひし所とかや其後|城下郡《しきのしものこほり》鏡作《かゞみつくり》の明神のみづがきのうちにうつされけるとかや濫觴《らんしやう》ならびに古詠《こゑい》は鏡作《かゝみつくりの》明神の所にあり
    荻田《おいた》寺
  阿倍《あべ》の南の荻田《おいた》村此寺の跡《あと》なり
荻田《おいた》寺又は本願寺《ほんぐはんじ》ともいふ長和三年|多武《たぶの》峯の検校《けんげう》聖昭《しやうぜう》の建立《こんりう》なり【多武岑畧記】
    二階堂《にかいだう》
  天香久《あまのかく》山の北表《きたおもて》にありて名《な》のみばかり也|二階堂《にかいだう》爰《こゝ》にして草創《さうそう》ありて後《のち》は山|邊郡《べのこほり》にうつしかへられたり濫觴《らんしやう》は山|邊《べの》郡にしるす
    天香久《あまのかく》山  範兼卿《のりかねきやうの》類聚《るいじゆに》云(く)此山あり所をしる人なし大和国のよしつまびらかにあり澄月哥枕《てうげつうたまくら》曰(く)此山あり所ならひつたふる事ありとかや披露《ひろう》におよぶべからずと云云|興善寺《こうぜんじ》の西一二町さりて南浦《みなみうら》といふ所に天磐戸《あまのいはと》あり其前に榊《さかき》生《おひ》たり半町ばかり(474コマ)南に生《おひ》しげりたる笹《さゝ》あり湯笹《ゆざゝ》といふ祭礼《さいれい》の時かならず此|榊《さかき》湯笹《ゆざゝ》を用る事にぞ侍る
天香《あまのかく》山は伊与《いよ》の国(の)風土記《ふどき》に曰(く)天降《あまくだる》の時二つにわかれて片端《かたはし》は倭《やまとの》國にとゝまり天香久《あまのかく》山といへり片端《かたはし》は伊与《いよの》國|伊与郡《いよのこほり》にとゞまり天《あま》山といふ是なり【釈日本紀】凡《およそ》此山は本朝《ほんてう》の霊《れい》山として在所|陰陽家《いんやうけ》に沙汰《さた》せらるゝ山なり天照太神|岩窟《いはと》に幽居《かくれます》六合《くにのうち》常闇《とこやみ》にして晝夜《ひるよる》をわかたず高皇産霊《たかんすめみむすびの》神|八百万《やをよろづの》神を天八瑞河原《あめのやすかわら》に議《はかり》奉りて天香具《あまのかく》山の銅《かね》をとり日像鏡《ひのみかたのかゞみ》をゐさしめ麻《あさ》をうへ青和幣《あをにきて》とし穀《かちの》木をうへ白和幣《しらにきて》とし給ふ是|木綿《ゆふ》の初《はじめ》として一夜《ひとよ》に蓋茂《しげれり》此等《これら》の儀式《ぎしき》よりして今の世にも豊御神楽《とよのみかぐら》と申は是をうつしてをこなはるゝなり此心をよめる【詞林採葉】
詞林採葉 白幣手《しらにきて》榊《さかき》の枝にとりかざしうたへやあくる天《あま》の岩門《いはと》を 顕仲
同 くらやみの天岩戸《あまのいはと》もあけにけりはや明《あけ》やすき人のうたふ神楽《かぐら》 後鳥羽院
同 天にますとこよを姫のゆづかづらかけてかすめる天香具《あまのかぐ》山 
萬葉 昔者之《いにしへの》事波不知乎《ことはしらぬを》我《われ》見ても久しくなりぬ天香具《あまのかぐ》山
久安百首 しほたるゝ海士《あま》のかこ山なにとしてやゝともたゝく夜半《よは》の水鶏《くいな》ぞ 髑ラ
建保會 香具山の瀧の氷もとけなくに吉野の嵩《だけ》は雪|消《きえ》にけり 好忠
白川殿七百首 かこ山の松風はやく春たちて波にぞかへる池のこほりは 真観
草根 日影さす霞の衣かく山のあまぎる雪にぬれてほすらし
    香具《かく》山(の)宮
香具《かく》山の宮は藤原の御宇天皇の離宮《りきう》と(475コマ)見えたり其故は万葉第一の長歌
 我大《わがおほ》君の万代《よろづよ》とおもほしめしてつくられし香久《かく》山の宮|代《ところ》にすきんとおもふや
    香久《かく》山(の)社
大和國十市(ノ)郡あまのかく山にいますは櫛真命《くしまのみことの》神なり【釈日本紀】
    啼澤女《なきさはめの》神
啼澤女《なきさはめの》神は香《かこ》山の畝尾丘《うねおのをか》の樹下《このもと》にいます【舊事紀】澤女は水神の通稱とかや
万葉 啼澤《なきさは》の神社《かみ》に三輪すへいのれどもいのれわが大君は日《たかひ》しられぬ
    興善寺《こうぜんじ》 香久山の麓
天香久《あまのかく》山|興善寺《こうぜんじ》の文殊《もんじゆ》院は本尊|文殊大士《もんじゆだいし》也|元来《げんらい》をしらず帝王編年《ていわうへんねんに》曰(く)香久《かく》山三|学《かく》院と見えたり
▲寺領《しれう》卅石|豊臣《とよとみの》幕下《ばつか》よせ給ひしより已来《このかた》絶《たえ》ず
    埴安《はにやす》
  仙覚《せんがく》抄|藻塩《もしほ》草に大和國
神武《じんむ》天皇の御宇|天香久《あまのかく》山の埴土《はに》をとりて八十平※[分/瓦]《やそひらか》をみづからつくりおはしまして諸《もろ/\の》神をまつりあめがしたをしづめさせ給ふその土を取《とる》所を埴安《はにやす》といふ【日本紀】
    上宮《かみのみや》 桜井の町の南六七町
上宮《かみのみや》は聖徳太子の御父にていまそかりける用明《ようめい》天皇かの太子をいといつくしみまし/\て宮の南の上宮《かんつみや》にすへさせ給ひしより上宮厩戸豊(476コマ)聡耳《かんつみやうまやどとよとみゝの》太子と御名を申き【日本紀】又|上宮《かんつみやの》太子とも申奉る【玉林抄】
▲上宮寺《じやうぐうじ》の額《がく》は後鳥羽《ごとばの》院の震筆《しんひつ》也|上宮《かみのみや》村に今にあり
    浅古《あさご》 上宮の東六七町
浅古《あさご》は阿陪《あべ》の文殊の降臨《がうりん》の地なり
    陵《みさゞき》  此|邊《へん》に陵《みさゞき》と見えしものおほし浅古《あさご》村に二|基《き》桜井《さくらゐ》より十町ばかり坤《ひつじさる》谷といふ所に一|基《き》上宮《かみのみや》村の西《にし》の手に一陵ありあらましはなかばくづれ侍りき椋橋《くらはし》村の北口に一|基《き》あり
    倉梯宮《くらはしのみや》
  詮要《せんように》云(く)多武《たむの》岑の東の口|倉梯《くらはし》の里のうちにむかしの皇居《くはうきよ》の跡《あと》とて小|社《しや》ありと云云此所は上宮村より十町ばかり東に倉梯《くらはし》村あり
倉梯《くらはしの》宮又は柴垣《しばがき》の宮ともいふ《古事紀》人皇卅二代|用明《ようめい》天皇二年八月|倉橋《くらはし》にして宮つくり給ふ【日本紀】延寶七年迄凡一千九十三年歟
    椋橋《くらはし》川
  くらはし川水上は多武《たふの》岑と音石《をとは》山より出て乾《いぬい》にながれ行《ゆく》哥枕《うたまくらに》曰(く)倉橋《くらはし》は丹後《たんご》国|駿河《するがの》国にあり先達《せんだつ》大和国と云云|仙覚《せんがく》新|勅撰名所《ちよくせんめいしよ》等大和國|磯《しきの》上(の)郡と云云尤川すゑ城《しきの》上(の)郡にながれ行
六帖 爰《こゝ》にのみこもといひてし倉梯《くらはし》の峯の白雲たゆたひにけり
    倉梯離宮《くらはしのりきう》
(477コマ)慶雲《けいうん》二年三月|倉梯離宮《くらはしのりきう》にみゆきのよし續《しよく》日本紀に見えたり
    倉梯齋宮《くらはしいつきのみや》
齋宮《いつきのみや》は天武《てんむ》天皇七年の春|天神地祇《あまつかみくにつかみ》をまつり給ひなんと天下《あめがした》こと/”\く祓禊《はらへ》してくらはしの川上に齋宮《いつきのみや》をたて給ひて四月に行幸《みゆき》ありなんとありしかども十市《とをちの》皇女|宮中《きうちう》にして薨《うせ》給ひしより行幸《みゆき》もあらず地祇《じんぎ》のまつりもやみにき十市《とをちの》皇女は赤穗《あかほ》にはうふりたり【日本紀】
    下居《をりゐの》里
  椋橋《くらはし》村より五六町|經《へ》て多武《たふの》岑のひがし也
人皇卅三代|崇峻《しゆじゆん》天皇|即位《そくゐ》まし/\て倉橋《くらはし》の宮《みや》をつくり給ふ【日本紀】此所はくらはし山の下居《をりゐ》の原といふなる所也いみじう庭つくらせ四|季《き》にしたがひて叡覧《えいらん》ありけるとぞ【七卷抄】
    崇峻《しゆじゆん》天皇(の)陵《みさゝき》
  多武《たふの》岑の東《ひかし》口に此|陵《みさゝき》あり崇峻《しゆしゆん》天皇の社西にむかひてあり人皇卅三代|崇峻《しゆしゆん》天皇は御宇五年十一月|崩御《ほうぎよ》なり給ひて倉橋岡《くらはしのをか》の陵《みさゝき》にかくし奉る【日本紀】大和國十市(の)郡にあり【延喜式】延寶七年迄凡一千八十八年歟
    倉橋《くらはし》山  倉橋《くらはし》 倉梯《くらはし》【日本紀】 倉椅《くらはし》【古事紀】 椋(478コマ)橋《くらはし》【三代實録】ともかけり龍岳巓《りうかくのいたゝき》より西は高市(の)郡東は十市(の)郡二郡にまたがる山なり【畧記】
万葉 倉橋《くらはし》の山をたかみか夜こもりに出くる月の片待難《かたまちかたき》
▲貞観《ぢやうくはん》十一年七月八日此山の岸《きし》くづるゝ事高さ二丈深《ふか》さ一丈二尺其中に一鏡あり廣さ尺七寸|禁裏《きんり》に奉る【三代実録】
    多武《たふの》岑
  三方に路《みち》あり東《ひがし》は倉橋《くらはし》五十余町西は細《ほそ》川卅七町|北《きた》山四十九町|北《きた》山の通路《つうろ》今は絶《たえ》たり【畧記】
夫《それ》多武《たふの》岑は釈書《しやくしよ》に五|臺《だい》山とかゝれたり東は伊勢《いせ》の高山西は金剛《こんがう》山南は金峯山《きんふせん》北《きた》は大神《みわ》山|中央《ちうわう》は多武《たふの》岑也【荷西記】
万葉 うち手折|多武《たぶ》の山|霧《きり》しげきかも細川の瀬《せ》に波さはぎける【舎人皇子】
    談山妙樂寺《たんざんみやうらくじ》 寺領三千石二升
談山妙樂寺護國《たんざんみやうらくじごこく》院は定恵(でうゑ)和尚の草創《さうそう》なり山号《さんがう》或は談山《たんざん》又は談峯《たんほう》又は談武峯《たぶのみね》又は多武峯《たぶのみね》又は龍岳《りうかく》ともいふ
抑《そも/\》談山《たんさん》は中大兄《なかおほえ》皇子【天智天皇】と中臣《なかどみ》の鎌子連《かまこのむらじ》と心をあはせて鞍作《くらつくり》【入鹿臣】を誅して國をだやかにとはかりし程に皇子を将《ゐ》て城《みやこ》の東|倉橋《くらはし》山の峯《みね》藤《ふぢの》花の下《もと》にして此事しのびやかにかたらひ給へば皇子いとよろこびまし/\て若《もし》我《われ》天位《てんゐ》にのぼりなんには汝《なんぢ》か姓《しやう》をあらため藤原《ふぢはら》とせんと宣《のたま》ふその談《かたらひ》し所なれば談《かたらひの》峯とぞいふなる(479コマ)【縁起】又は此時|談武峯《たぶのみね》と名《な》づけ給ふ【御巡礼記】又|龍岳《りうかく》といふは此山のかたちを音石峯《をとはのみね》より見わたせは大|龍《りう》起《おき》立て左《ひだり》を見かへるの頭腹《づふく》さながら尾足《びそく》はたらくやうになん侍れば此名あり【縁起】
▲十三重(の)塔は定恵《てうゑ》和尚の草創《さうそう》にして此寺のはじめなり此|地底《ちてい》に大|織冠《しよくはん》の遺骨《ゆいこつ》を納たり夫《それ》この塔《たう》は定恵《でうゑ》和尚|白雉《はくち》四年にもろこしにわたり習学《しうがく》のみならず清凉山寶池《せいりやうざんほうち》院の十三|層《そう》の塔《たう》をうつしつくり帰朝《きてう》の舟につみ給ひしかとも塔材《たうざい》繁多《はんた》にして一|層《そう》はもろこしに残《のこ》し白鳳《はくほう》七九月年日本國に著岸《ちやくがん》ありて御弟|不比等《ふひとう》に對面《たいめん》ありしに父《ちゝ》大|織冠《しよくはん》は和尚|在唐《ざいたう》の時|薨《こう》ぜられしを摂津《せつつの》國|阿威《あい》山にはうふり奉りしよしをかたり給ひき和尚我ひそかに亡父《ばうふ》の詞《ことば》を聞く和州|談《かたらひの》峯は霊勝《れいしやう》の區《ちまた》もろこし五|臺《だい》山にをとらず我をかしこにはうふりなんには子孫《しそん》益《ます/\》さかへずはあらじとなり又我もろこしにありし時|夢《ゆめ》見るに我身は談峯《かたらひのみね》に居《をり》しに大|織冠《しよくはん》ま見えさせ給ひて吾今天上に生《しやう》をうくる此地に寺塔をいとなみ佛乗《ぶつぜう》を修《しゆ》せよ其時|巳巳歳《つちのとみのとし》十月十六夜二|更《かう》なり不比等《ふひとう》先君《せんくん》の薨《こう》せられしも其年月日也夢の正しさ感涙《かんるい》袖をひたし給ふしかありて和尚|阿威《あい》山に行|遺骸《ゆいかい》をとりて談峯《たんほう》に葬《はうふり》かへられそのうへに来朝《らいてう》の塔《たう》を建《たて》らるゝに一|重《ぢう》不足《ふそく》をなげきおはせしかばもろこしにのこりし塔材《たうざい》雲に乗《ぜう》じ風にきほひて(480コマ)飛来《とびきた》りて終《つゐ》に十三重の塔ことなりしかば文殊菩薩《もんじゆぼさつ》を営作《ゑいさく》ありてすへられたり【釈書】白鳳《はくほう》七年より延寶七年まで凡一千二年歟
▲聖霊《しやうれう》院はむかし異光《いくはう》時々大|木《ぼく》の邊《へん》にあらはれしより定恵《でうゑ》和尚方三丈の御殿《ごてん》を建《たて》らるゝ【荷西記】其後|延喜《えんぎ》十四年|真昇《しんしやう》大法師|長者貞信《ちやうしやていじん》公にうつたへ奉りしかば営造《ゑいざう》あり【要記】又大|織冠《しよくはん》の尊|像《ざう》はあふみの國|高男《たかお》丸が所造《しよざう》なり【荷西記】又|検校《けんげう》千滿《せんまん》法師つくり奉るともあり古老《こらう》相傳《あひつたへて》曰(く)|高男《たかお》丸が所造《しよざう》の像《ざう》を千滿《せんまん》法師のつくれる像《ざう》の中に納《おさめ》奉りて安置《あんち》せしなり【後記】左右《さゆう》は定恵《でうゑ》和尚|淡海《たんかい》公なり神階《じんかい》は正一|位《ゐ》勲《くん》一|等《たう》又|延長《えんちやう》四年に談山権現《たんざんこんげん》の勅号《ちよくかう》を給ひしなり【縁起】
▲妙樂寺《みやうらくじ》は聖霊《しやうれう》院と号《かう》し寂寞《じやくまく》として心をすましめ樓門《ろうもん》軒《のき》をかさね宝蔵《ほうざう》いとたかくならびたり西に十三|重《ぢう》の塔《たう》峨々《がが》として眼《まなこ》をおどろかし攝政右大臣藤原伊尹《せつしやううだいじんふぢはらこれたゞ》公のたてられし常行三昧堂《じやうぎやうざんまいだう》は世々《よよ》に絶《たえ》やらず定恵《でうゑ》和尚の遺像堂《ゆいざうだう》如覚禅師《によかくぜんし》の啓白《けいはく》に七十|余所《よしよ》諸《しよ》大明神とかゝれし鎮守《ちんじゆ》の社《やしろ》定恵《でうゑ》和尚の草創《さうそう》の講堂《かうだう》大|納言經輔《なごんつねすけ》卿|大藏《おほくら》卿|藤原長房《ふぢはらながふさ》の法施《ほうせ》の温室《おんしつ》等|年《とし》かさなり代々《よよ》を經《へ》ぬれども今に軒《のき》をならべたり
▲定恵《でうゑ》和尚のたて給ひし金堂《こんだう》実性僧都《しつしやうそうづ》の如法堂《によほうだう》村上《むらかみ》天皇の勅願《ちよくぐはん》たりし法華《ほつけ》三|昧堂《まいだう》摂政《せつしやう》右《う》大臣|伊尹《これたゞ》公の曼陀羅堂《まんだらだう》円融《えんゆう》院の勅願《ちよくぐはん》(481コマ)の普門堂《ふもんだう》座主真昇《ざすしんじよう》の食堂《じきだう》等《とう》は年《とし》ふりぬればにやその名のみばかりぞのこりける諸伽藍《しよがらん》くはしく畧記《りやつき》に見えたり
▲大|織冠《しよくはん》の尊像《そんざう》は天下に凶事《けうじ》あれば破裂《はれつ》し給ふらん永|承《しよう》元年正月廿四日右の御面四寸|余《あまり》破裂《はれつ》し給ひしより已来《このかた》文治《ぶんぢ》三年迄十三ケ度なり其後をしらず破裂《はれつ》のたびごとに奏門《そうもん》を經《へ》ぬれば勅使《ちよくし》登山《とうざん》ありて宣命《せんめい》をよみ給ふにはかならず愈《いゑ》させ給ふよしくはしくは畧記《りやくき》にあり
▲再興《さいこう》は人皇七十二代|白河《しらかはの》院|永保《ゑいほ》元|辛酉年《かのとのとりとし三月五日》くらはし山|音石《をとは》の民宅《みんたく》より火もえあがりて堂舎佛閣《だうしやぶつかく》一時のけふりとなる只是|興福寺《こうぶくじ》の僧《そう》の遺恨《いこん》をふくみ發向《はつかう》して火おこれりとなり【釈書寺畧記】其後|再興《さいこう》あり
▲人王七十四代|鳥羽《とばの》院|天仁《てんにん》元|戊《つちのえ》子年九月十一日|興福寺《こうふくじ》の衆徒《しゆと》蜂起《ぼうき》して堂塔《だうたう》ならびに諸院《しよゐん》諸坊《しよばう》等《とう》山郷《さんがう》残《のこ》りなくけふりとなりしか【畧記】再興《さいこう》あり
▲人王八十代|高倉《たかくらの》院|承安《しやうあん》三|癸巳《みつのとのえ》年六月廿五日又|興福寺《こうぶくじ》蜂起《ぼうき》して残《のこ》りなく灰燼《くはいじん》たり【畧記】同御宇|治承《ぢしやう》元年十二月二日|斧始《をのはしめ》ありて十三重の塔をたつる願主《ぐはんしゆ》は大和國|廣瀬《ひろせ》の住人|右馬允康教《むまのすけやすのり》なり【畧記】其後寛文七年御|造営《ざうゑい》あり
▲開基《かいき》定恵《でうゑ》和尚の墳《つか》は當寺にあり碑《ひに》曰(く)入唐来法沙門定恵《につたうぐほうのしやもんでうゑ》和銅《わどう》七年六月二十五|春(482コマ)秋《とし》七十|端座遷化《たんざせんげ》云々然ども定恵《でうゑ》和尚の墳《つか》は山城(の)國|木幡《こはた》寺にあり【畧記】夫《それ》定恵《でうゑ》和尚は孝徳《かうとく》天皇の妃《ひ》御|著帯《ちやくたい》六月になり給ふあり天皇大|織冠《しよくはん》をめしてかの妃《ひ》を汝《なんぢ》がそひぶしにえさせなん生《うまれ》なんに女ならば朕《ちん》が子とせん男ならば汝《なんぢ》が子とせよとの勅《ちよく》をうけ月|滿《みち》ぬれば男ぞうまれ給ふ則大|織冠《しよくはん》の子とし沙門|恵隠《ゑゐん》の弟子《でし》となしかざりをおろし定恵《でうゑ》とぞ申き【釈書】母《はゝ》は車持夫人《くるまもちのぶにん》車持國子《くるまもちのくにこ》のむすめなり【畧記】
▲増賀《ぞうが》上人の墳《つか》は當寺の乾《いぬい》にあり此上人は参議《さんぎ》正四|位《ゐ》下|橘恒平《たちはなのつねひらの》子也つねに名聞《みやうもん》をいとひ位《くらゐ》にすゝみぬる事をのぞみ給はず或《ある》時|内論議《たいろんぎ》の施行《せぎやう》ありしには乞丐《こつがひ》人にたちまじりあらそひくひなどせられたり又|師《し》におはしき慈恵《じゑ》の僧正に任《にん》ぜらるゝの前駈《ぜんぐ》にたちて干鮭《からざけ》を太刀《たち》に帯《はき》骨《ほね》かぎりなる女牛《めうじ》のにのるしかのみならす太皇大后《たいくはうたいこう》の戒受《かいじゆ》あらんとあれば宮中《きうちう》にのぼり麁語《そご》を咄《はき》てたち出られ又佛の開眼《かいげん》にまねけば行《ゆき》て口論《こうろん》いとやすからずして空《むな》しくかへられき其後|勢州《せいしう》より下《げ》向の道すがら真裸《まはだか》になりて叡山《えいざん》にかへりそれより多武峯《たふのみね》にこもりおはしきが衰老《すいらう》の時|只《たゞ》ひとり碁盤《ごばん》にむかひ生《い》けるぞ死《し》せるぞとうちあらそふのみならず障泥《あをり》をかづきて小蝶《こてふ》の舞《まひ》に袖をかへされける程に門弟子《もんていし》あやしみいかなればとてたづね侍れ(483コマ)ば我いとけなかりし時此|二事《ふたつこと》を人にいさめられてやめにき若《もし》一|念《ねん》のこりたらんには生死《しやうじ》の執《しう》となりもやせんとかくこそはすれとこたへられけり長保《ちやうほ》五年六月八日に
 みつわさす八十《やそぢ》あまりの老の波|海月《くらげ》の骨《ほね》にあひにけるかな
と詠《ゑい》じて九日には金剛印《こんがうのゐん》をむすび安禅《あんぜん》として終《をはり》をとる年八十七三年を經《へ》て廟《びよう》をひらくに全身《ぜんしん》やぶれず色《いろ》だに變《へん》ぜざるとかや釈書《しやくしよ》徃生傳《わうじやうでん》發心集《ほつしんしう》増賀行業記《ぞうがぎやうげうき》などに見えたり
▲如覚禅師《によかくぜんし》の墳《つか》は俗《ぞく》に飯盛塚《いひもりづか》といへり此|禅師《ぜんじ》の父《ちゝ》は九條右大臣|藤原師輔《ふぢはらのもろすけ》公|母《はゝ》は延喜帝《えんぎのみかど》の皇女|前齋宮《さきのいつきのみや》雅子内親王《わかこのないしんわう》なりわらは名《な》はまちおさ君とぞ聞《きこ》えしおひたち給ひては高光《たかみつ》の少将《せうしやう》となんいひけりいと心ある人にてたれにあひ奉りたりける時にや車《くるま》よりおりてふところがみをたかくたゝみなしてしやくになしてなんとれりけるとぞ又月のくもなうすみのぼりてめでたきを見給ひて
 かく斗《はかり》經《へ》がたく見ゆる世《よ》の中にうらやましくもすめる月かな
とよみ給ひてその暁《あかつき》に出給て法師《ほうし》になり給ひにけりみかどもいみじうあはれがらせ給て
 都《みやこ》より雲《くも》の八重《やえ》たつ奥山の横《よ》川の軒《のき》はすみよかるらん
   御かへし
 九重《こゝのえ》のうちのみつねは戀《こひ》しくて雲の八重《やえ》たつ山はすみうし
はじめは横《よ》川にすませ給ひしぞかし後《のち》には多武峯《たふのみね》にすみおはしましき栄花《ゑいぐは》物語|大鏡《おほかゝみ》續(484コマ)世継《しよくよつぎ》などにくはしく見えたり
    紅葉洞《もみちのほら》
  類字名所《るいじめいしよ》に未勘《みかん》と云云|多武岑《たふのみね》に谷《たに》あり紅葉の洞といふ
玉葉集 花衣かさゝぎ山に色《いろ》かへて紅葉《もみぢ》の洞《ほら》の月をながめよ
  此|歌《うた》を多武岑《たふのみね》の旧記《きうき》の端《はし》に書《かき》くはへて紅葉《もみぢ》の洞《ほら》は當山の異名《いみやう》といへり思ふに據《よりどころ》なきにしもあらず此|歌《うた》は粉《こ》川の集《しう》に見えたり素意《そい》法師は當山の住僧《じうそう》にして和歌《わか》をよくよめりかの法師に告《つげ》さえ給ふは爰《こゝ》の事にこそ侍《さふらひ》なん素意《そい》法師は父《ちゝ》は越前(の)守|懐尹《ちかまさ》母《はゝ》は祭主輔親《さいしゆすけちか》の女なり
    談《かたらひ》山
  藻塩草《もしほくさ》に陸奥《みちのくの》國と云云|談《かたらひ》山の名《な》にたより一|徃《わう》あらはす後《のち》の人さだめ給ふべし
方子集 小夜《さよ》更《ふ》けて談《かたらひ》山の時鳥《ほとゝきす》独《ひとり》ね覚《さめ》の床《とこ》にきくかな 肥後
    兩槻宮《ふたつきのみや》
両槻宮《ふたつきのみや》又は天宮《あまつみや》ともいふ齋明《さいめい》天皇二年|後飛鳥岡本宮《のちのあすかをかもとのみや》を起《たて》てうつらせ給ひて又|田身嶺《たふのみね》のめぐりに垣《かき》をなし嶺《みね》の上《うへ》の両槻《ふたつき》の樹《き》の邊《ほとり》に高殿《たかどの》をたてゝ両槻宮《ふたつきのみや》と号《かう》し又|天宮《あまつみや》とも名づけ給ひき時に起事《をこしつくるを》このみ則|香《かこ》山の西より石上山にいたりて渠《みぞ》をほらせ二百(485コマ)|隻《そう》にして石上山の石をつみ流《ながれ》にしたがひて船をひかせて宮《みや》の東の山に石をかさねて垣《かき》となせり時人いとそしりて狂《たはれ》心の渠《みぞ》よ民夫《みんぶ》のくるしみやといへり渠《みぞ》をほりしには功夫《ひとちから》三万|余《よ》垣《かき》をつくるには功夫《ひとちから》七万|余《よ》也|宮《みや》の材《き》爛《たゞれ》山(の)椒《すゑ》埋《うづ》もれり又人そしりて石上(の)丘《をか》をつくるをのづからに破《こぼ》れなんといひける【日本紀】
    淡海《だんかい》公(の)墓《つか》
  此| 墓《つか》たづねしにしれず帝王編年《ていわうへんねん》に添上郡《そふのかみのこほり》奈良《なら》にありと云云則其|墓《つか》といふものあり然《しかれ》ども延喜式《えんぎしき》江家次第《がうけしだい》に多武岑《たふのみね》にありと侍ればうたがふべきにあらず此所をかさねてたづね給ふべし太政大臣正《だいじやうだいじんじやう》一|位《ゐ》淡海公藤原朝臣《たんかいこうふぢはらのあそん》の墓《つか》は大和國十市(の)郡|多武岑《たふのみね》にあり【延喜式】元正《げんしやう》天皇|養老《やうらう》四年八月一日に薨《こう》せりをくり名《な》を文忠《ぶんちう》公と給ひしなり延寶七年迄凡九百六十年歟
     春井《はるゐ》
  多武《たふの》岑の西のふもとにあり高市(の)郡のうちにて侍べけれどもしばらく多武《たふの》岑によりて爰《こゝ》にあらず
聖徳《しやうとく》太子御|産湯《うぶゆ》にとて東井《はるゐ》千歳《せんざい》井|赤染《あかぞめ》井のみつの井《ゐ》をほらせたり二つの井はかくれて春井《はるゐ》のみのこれり人|春井《はるゐ》の霊水《れいすい》といふこれなり撰集《せんじう》鈔|通要《つうよう》にくはしく見えたり
(786コマ)    紫蓋寺《しかいじ》
  多武《たふの》岑より五町ばかり乾《いぬい》念誦崛《ねずき》といふ所にあり高市(の)郡なるべけれども多武《たふの》峯の山内なれば爰《こゝ》にあらはす
紫蓋寺《しかいじ》は増賀《ぞうが》上人の廟所《びやうしよ》なりはじめ多武《たふの》岑の講堂《かうだう》の下におさめたりしが後《のち》三年を經《へ》て爰《こゝ》にうつしかへたり上人の傳《でん》は談山妙楽寺《たんざんみやうらくじ》にあらはす因《ちなみに》如覚禅師《によかくぜんし》の廟《びやう》は多武峯《たふのみね》五町ひがし飯盛塚《いひもりづか》これなり傳《でん》は妙楽寺《みやうらくじ》にあらはす【畧記】
    音石《をとは》寺
  多武《たふの》峯の東北《いぬい》にあり多武峯《たふのみね》の末寺なり
音石寺《をとはでら》又|善法寺《ぜんほうじ》といふ千手觀音《せんじゆくはんおん》の霊應《れいおう》の地《ち》なり勝宝《しやうほう》元年|沙門心融《しやもんしんゆう》の草創《さうそう》其後|天長《てんちやう》年中|営造《えいざう》あり願主安部中納言《ぐはんしゆあべちうなごん》入道|國香《くにか》【畧記】
    耳梨《みゝなし》山
  俗《そく》に天神《てんじん》山といふ北|八木《やぎ》村の東《ひかし》にあり仙覚《せんがく》抄十市(の)郡又|耳高《みゝたか》山とも青菅山《あをすが》山ともいふ万葉集《まんえうしう》に藤原《ふぢはら》の御井《みゐ》の歌《うた》に見えたり耳無《みゝなし》川|麓《ふもと》にながれ耳無《みゝなしの》池かすかにのこれり
万葉 高山は雲根火雄男志等耳梨《うねひをおしとみゝなし》とあひあらそひき神代《かみよ》よりかゝるにあらじいにしへも然《しか》れこそ空蝉《うつせみ》もつまをあひ見つらしき
(487コマ)懐中抄 あだ人は耳無《みゝなし》山の紅葉《もみぢ》かなまててふとしをきかでちりぬる
    耳梨行宮《みゝなしのかりみや》
推古《すいこ》九年五月天皇|耳梨《みゝなし》の行宮《かりみや》に行幸《みゆき》なり給ふ【日本紀】
    耳梨池《みゝなしのいけ》
むかし女ありけり鬘児《かつらご》となんいひけりおとこ三人《みたり》して恋《こひ》あらそふからに女せんすへをしらず扨おもふやう我身《わがみ》一つ消《きえ》なんは露《つゆ》よりもかろし三人の男の心|和平《やはらげ》がたきは石のごとし終《つゐ》に此池にして身をぞなげける三人《みたり》のおとこなげきに堪《たへ》ずしてよめる【万葉集】
万葉 無耳《みゝなし》の池しうらめしわきも子がきつゝかくればみづもかれなん
同 足曳《あしびき》の山かつらの児《こ》けふゆくと我《われ》に告《つげ》せば帰《かへ》りこましを
同 足引《あしびき》の玉縵《たまかつら》の児《こ》けふごとにいづれの隈《くま》を見つゝきにけん
    耳無《みゝなし》川
  耳梨《みゝなし》山の東の麓《ふもと》をながれて北に行《ゆく》
六帖 目なし川みゝなし川の見ずきかずありせば人をうらみざらまし
    目無《めなし》川
  藻塩草《もしほくさ》には大和國と云云|耳梨《みゝなし》川|詠《ゑい》じ合せるにまかせて爰《こゝ》にあらはす目無《めなし》川たづねえず
    村《むら》山
万葉 山常《やまと》には村《むら》山あれどとりよろふ天香具《あまのかく》山のぼり立《たち》國《くに》見をすれば国はらは煙《けふり》立龍《たちたつ》海原《うなはら》は加萬目《かまめ》立多都《たちたつ》怜※[立心偏+可]國曾《おもしろきくにぞ》蜻島八間跡能國者《あきつしまやまとのくには》
(488コマ)    高《たか》山
  藻塩草《もしほくさ》に大和國|類字名所《るいじめいしよ》に十市(の)郡
万葉 高山と耳梨《みゝなし》山とあひし時たち見に来之伊奈美國波良《こしいなみくにはら》
  澄月哥枕《てうげつうたまくらに》曰(く)高山歌《たかやまのうた》所《らるゝ》v詠《ゑいぜ》v之《これを》高山《たかやま》其《その》讀《よみ》有《ある》2子細《しさい》1歟《か》又|八雲御《やくものみ》抄又|常陸《ひたちの》國|在《ある》v之《これ》歟《か》と云云今|按《あんずるに》万葉集《まんえうしう》第三(に)曰(く)丹比真人《にひのまつと》登《のぼりて》2筑波岳《つくばのをかに》1作歌《つくるうた》鶏之鳴《とりがなく》東國尓《あづまのくにに》高《たか》山|佐波尓《さはに》雖v有《あれとともと》云云今|按《あんずるに》是《これ》唯《たゞ》惣《すべて》高《たかき》山也|非《あらざれば》2別名(に)1者《は》一所(の)名《な》歟《か》又|作《なすか》2別《わかちて》名所《めいしよ》1とかと云云
    十市里 畝火山の乾《いぬい》
竹取翁《たけとりおきな》物語に大和国とをちのこほりにある山寺に賓頭盧《ひんづる》の前なるはちのひたくろにすみつきたるをとりてとかけり
清輔集 あふ事のとをちの里は大和川おもはぬ中にありとこそきけ
石清水哥合 三芳野の里もとをちの山桜夕ゐる雲に色ぞうつろふ 幸清法師
此|歌《うた》澄月哥枕《てうげつうたまくら》に唯《たゝ》遠きをさしてよめり十市(の)郡をよめるにはあらずくはしくは哥枕《うたまくら》に見えたり
    多社《おほのやしろ》
  八木《やき》村一|里《り》ばかり北|九品寺《くほんじ》村の五六町|艮《うしとら》にあり
多坐弥志理都比古神社《おほにいますみしりつひこのじんじや》二|座《ざ》【延喜式】
    常盤《ときはの》里
  藻塩《もしほ》草に大和國と云云山城(の)國に同名あり耳無《みゝなし》山のひがしに常盤《ときは》村あり
(489コマ)草根 こぬ人を待《まつ》とせしまの松のかけおなじときはの里ぞあれにき
    穗摘《ほつみ》  俗《ぞく》に蒲津《ほつ》とかけり十市(の)郡|坤《ひつじさる》のはずれにあり
現存六帖 水|蓼《たで》の穗《ほ》つみに通《かよ》ふむら鳥は立ゐにつけて秋ぞかなしき
    竹田村  ほつ村の西
  大伴坂上郎女《おほとものさかのうへのいらつめ》竹田(の)庄(を)作歌《つくるうた》二首
万葉 たゞならず五百代小田《いほしろをだを》かりみたり田盧爾居者京師所念《たをせにをればみやこしおもほゆ》
同 隠口《こもりく》の始瀬《はついせの》山はいろづきぬ時雨《しぐれ》の雨はふりにけらしも
    十市(の)郡《こほり》神名帳《じんみやうちやう》十九座【延喜式】
多坐弥志理都比古神社《おほにいますみしりつひこのじんじや》二|座《ざ》
十市御縣坐神社《とをちみあかたにいますじんじや》  目原坐高御魂神社《めはらにいますたかみむすひのじんじや》二座
石寸山口《いはきやまくちの》神社  畝尾健土安神社《うねひたけはにやすのじんじや》
耳成《みゝなり》山口(の)神社  竹田神社《たけたのじんじや》
坂門《さかとの》神社  子部神社《こへのじんじや》二座
畝尾都多本神社《うねひつたもとのじんじや》  天香《あまのかこ》山(に)坐《います》櫛眞命神社《くしまのみことのじんじや》
皇子《わうじの》神|命神社《みことのじんじや》  姫皇子命神社《ひめわうじのみことのじんじや》
小社《をもりの》神|命《みことの》神社  屋就《やつきの》神(の)命(の)神社
下居《したゐの》神《じん》社

(490コマ)和州舊跡幽考第十九卷終

和州舊跡幽考目録
  第二十卷|郡未勘《こほりみかん》
滋岡《しけをか》  大嶌峯《おほしまのみね》  大我野《おほかの》
御間坂《みまさかの》池  口無《くちなし》山  吉志美我高嶺《きしみがたかね》
樟葉《くずはの》宮  大野《おほの》  假寐橋《うたゝねのはし》
上安《うへやすの》池  打廻《うちわの》里  阿保《あほ》山
安太師野《あだしの》  標野《しめの》  飛羽《とばの》山松
多奈久良能野《たなくらのの》  ながらの池
中山  鳥栖《とすみ》山  絶間《たえまの》池
玉井沼《たまゐのぬま》  赤膚《あかはだ》山  跡見乃岳《とみのをか》
(491コマ)弓削《ゆげの》川原  見馴《みなれ》河  大和嶌《やまとしま》
始見埼《みそめのさき》  歸市《かへるのいち》  顔池《かほの》
木瓶《こがめの》宮  鴬関《うくひすのせき》  多能茂《たのもの》池
宇治間《うぢま》山  猟路《かりぢの》池  おほの路《ぢ》
まきの外《と》山  孫豆《まごす》山  下檜《したひ》山
高瀬《たかせ》川  きませ川  にゑ野の池
うき目の池  くにのみやこ  甘樫《あまかしの》宮
司穗《つかさほの》宮

和州舊跡幽考第二十巻
  郡未考《こほりみかう》
    滋岡《しげをか》
  八雲御抄《やくもみせう》にしげ岡《をか》きの字《じ》なし藻塩《もしほ》草にしげき岡《をか》と云々勅撰《ちよくぜん》名所に大和國
万葉 滋岡に神さびたちてさかへたる千世の松の木としのしらなく【紀朝臣鹿人】
    大嶋《おほしまの》岑
  八雲御抄《やくもみせう》藻塩《もしほ》草に倭《やまとの》國
万葉 妹があたり行て見ましを大和なる大嶋岑に家もあらましを
    大我《おほがの》野
  もしほ草に大和國
万葉 山跡《やまと》にはきこえも行か大我野の竹葉《たかば》苅敷《かりしき》いほりせりとは
    御間坂《みまさかの》池
(492コマ)堀川太郎百首 いせなくはひが事すともおもはまし大和なるてふみまさかの池 忠房
    口無《くちなし》山
澄月哥枕 大和なる口無《くちなし》山の山人はいはでぞおもふこゝろひとへに
    吉志美我高嶺《きしみがだけ》
  もしほ草に大和國
万葉 霰ふるきしみがたけをさかしみと草とりかなや妹《いも》が手をとる
    樟葉《くずはの》宮
  類字名所《るいじめいしよ》に河内《かうちの》國一|説《せつ》大和國
續古今 曇らしなますみのかゝみ影そふるくずはの宮の秋の夜の月 関白左大臣