底本、續日本歌學全書 第一編 賀茂真淵翁全集 上卷、佐佐木信綱編、博文館、1898.1.3(7.31.2p)
続群書類從完成会発行の全集を参照した。頭注とあるのは続群書類從完成会発行の全集にあるもの。
 
萬葉考のはじめにしるせる詞(万葉集大考)
 
    ひとつ
いはまくもあなにたふとき、天つ皇神組《かみろぎ》の大御よざしのまにまに、掛卷も綾に畏き、すめら命の天つ日嗣しろしをすなる遠御代のことは、石上ふるき御代つぎの書らにしるされたり。しかはあれどもそれはしも空かぞふおほよそはしらべて、いひつたへにし古言も、風の|と《音》のごととほく、取りをさめましけん心もひなぐもり覺束なくなんある。かれ後の世に此ことを云に、己がじしおのがかたざまの心もて|あげつら《論》ふなるべし。こゝにふるき世の歌ちふものこそ古き代々の人の心詞なれ。此歌古事記日本紀らに二百ばかり、萬葉集に四千《よちゞ》余の敷なむ有るを、詞はみやびにたる古こと、心はなほき一つ心のみになんありける。かれまづ此萬の言葉にまじりて年月をわたり、己がよみづる言の葉も心も、かの中にも宜しきに似まく欲りつゝ、現身《うつそみ》の世の暇あるときは、且見かつよみつゝ、この中に遊ばひをるほどに、古への心詞のおのづから我心にそみ口にもいひならひぬめり。いでや千五百代にもかはらぬ天地にはらまれ生《おふ》る人、古への事とても心詞の外やはある。しか古へをおのが心|言《ことば》にならはし得たらん時、身こそ後の世にあれ、心詞は上つ代に返らざらめや。世の中に生きとしいけるもの心も聲も總て古へ今ちふことのなきを、人こそならはしにつけさかしらによりて、異ざまになれる物なれば、立かへらむ事何かかたからん。かくしつゝかの二書《ふたふみ》にあなる歌をもよく見よく解《とき》て後、立返り君が御代/\のふみの八十くまもおちず、神の御代の事をも遡らひ見とほらふには、おのれしやがて其世々に在て見聞なしてむ。しかありて上つ代の皇ら命、内には皇神を崇み賜ひ、外には巖《いか》き大御稜威をふり起しまして、まつろはぬ國を平げ、千早振人をやはしまし、天地に合《かな》ひてとほじろき道をなし給ひ治めたまひ、うつゆふのさきことをば見し直しきこしなほしおはしましゝかば、青人草も皇神を敬ひて心にきたなき隈をおかず、すべらきをかしこみて身に犯せる罪もなく、まして臣たちは海行かば水漬《みづく》かばね、山行かば草むす屍、大君のへにこそ死なめ、のどにはあらじと言だてゝ、雄々しき眞心をもてつかへまつれゝば、あがすめらぎの御をす國を、天と長く地と平らげく聞しをせる放由をも詳《つばら》に思ひ得つべし。こを思ふにす皇御國の上つ代の事をしりとほらふ業は、古き世の歌をしるゆさきなるものはなかりけり。かゝるを己が若かりける程、萬葉は只ふるき歌ぞとのみ思ひ、古歌もていにしへの心を知りなんこ事としも思ひたらず、古今歌集或は物語ぶみらを説きしるさん事をわざとせしに、今しもかへり見れば、其歌も書も世くだちて手弱女の少女さびたることこそあれ、ますらをの男さびせるし乏《ともし》くして、御盛りなりし古へのいかし御代にかなはずなむある。此事を知りらはしてより、たゞ萬葉こそあれとおもひ、麻もさ綿も、數多の夏冬をたちかへつゝ、百たらず六十のよはひにして説き記しぬ。古への世の歌は人の眞心也。後の世の歌は人のしわざ也、此業と成にてしよりこなたの人、古への歌もしかのみと思ふゆゑに、古への御世の有樣を歌もて知るものとも思ひたらずやあるらむ。〔頭注、時有て文を外にし、武を内にすといふは、他國の理屈ふみのさだ也、皇朝はしからず、常に武をかゝやかすを本とす、よりて古への御代はます/\栄えましたり、〕
    ふたつ
上つ大み代には天つ神ろぎの道のまに/\、すめらみこといかくをゝしきを|うへ《表》とし給ひ、臣たちは武く直きを專らとして、治め賜ひ仕へまつりけるを、中つ代より言さやぐ國人の作れるこまかなる政を多くとり唱へ、臣たちはも、ふみの司つはものゝ司と分ち、文を貴くつはものを賤しとせしとりぞ、吾皇神の道衰へて人の心ひたぶるならずなりにたる。しかりてより此方、凡ての世の手ぶりも古へを離れ、背《そびら》にちのりのゆぎはおへども、をゝしき心を忘れ、おもてに八束鬚は生ながら、た弱き言の葉をうたふ事となりにしは、ふさはしからぬ業ならずや。かれ其心詞に習はへる人、上つ世の手振をきゝふりにし歌を稱ふる時は、おぞましくことなる事と思へりけり。抑天照すひるめの命は姫神におはしませど、事とある折は、大御身に靱《ゆぎ》かきおばし大御手に弓とりしばりまして、ますらをの雄たけびをなし給ひ、御孫《みま》の命《みこと》のあもります時は、心|健《たけ》き神たちを撰みまして、千早振百千の神をことむけ、神倭いはれ彦の天皇は、たけき御軍もてはつ國しらし、それの大御つぎ/”\の皇命《すめらみこと》日繼《ひつぎ》の御子の命《みこと》とまをすも、此道を受つがして、もろ/\の臣たちはいよ/\その道にならひて雄々しく大らかにまつりごちぬれば、上が上より下が下まで心ひとしく打靡きぬるからに、都人ひな人のよめる歌も、いかで雄々しく直くあらざらん。其歌萬につけていへど、凡て眞心のまゝにいひ出つゝ、隱さふ隈なかりき。民の心裏表しあらねばよしやあしやさやかなるからに、罪なひたまひを治め給ふもたはやすくして、大御世はいや榮にさかえませりけり。是ぞ此皇神のひろき大御教にして、千五百代を傳へますも、神すべらぎの御たまのふゆにしも有ける。上はうるはしびたる教ごとをいひて、下にきたなき心をかくせるはから國人なり。皇御門《すめらみかと》の人はもとより萬のよき心を生れ得る國にしあれば、こまかなる教は中/\にそこなふ業ぞや。此心をよく知らむにも萬葉を見るにしく物ぞなき。
〔頭注、周公且は、儒もて魯を治めんとせしに、終に弱魯とさへ世にいひあげられて亡びき、大公望は、武もて齊を治めつれは、後もいよ/\勢ひ有て長く傳へたり〕
    みつ
古への人の歌は設てよまず、事につきて思ふ心を云出しなれば、ひでたるありとゝのほらぬあり。今かたとてし學ばんには、心も言葉も調もとゝのほれらむをとり撰みつべし。又わろしとするにも、本はめでたく末わろきあり。そをば其もとによるべし。末をとる事なかれ。心のまに/\いへりければ、末にいたりて詞をいとひあへざりけるもの也。かくしつゝ新玉の年月に此歌を見習へる人、後の歌を顧みなどして、始めて古へに赴く心魂になりぬといふ也。一度二度ら見てまだしき心もて言をかぎる事なかれ。凡古への歌は|ふつゝ《太》かなる如くにしてよく見ればみやびたり。後の歌は|ゆた《寛》かなる如くにしてよく見れば苦しげなり。古の歌ははかなき如くにしてよく見れば誠也。後の歌は理ある如くにしてよく見ればそら言也。古への歌はたゞことの如くにてよく見れば心高きなり、後の歌は巧ある如くにしてよくみれば心淺ら也。歌ちふ物は、さ《狹》きが如くにしてひろく、ものよわらに聞えて強し。かれよく知る時は此御國の古へにとほり、天の下の心をも思ひたらはされ、傳へきく他《ひと》の國のふみらの、あるは誠あるはそら言をもわき難きをもはゞからず、危きにも恐れぬ心すらそなはりてまし。歌はたはれごとぞ、わは唐國の大きなるまつろへごとを得つるよといふ人あり。それが本とせる書どもはしも、かたへの人かゝらば世の中治りなんと推はかりに書しものにぞある。そを見知るは何の難き業ぞ。天地のまゝなる心の底ひをいひ出るわざを得てこそ、千々の事にもよろしく行き渡らめ。文の跡をおひていふものは、ことゝある時かたくなにして世に通らふ事なきものぞ。【皇朝とから國とはすべてことなるをしらぬ人、萬葉集には教なるべき事なく、戯ごとのみといへるは、我國もしらぬ心よりいふひがことなるよし、別にいふ、】
〔頭注、こゝにいふ言としらべの撰みは短歌の事也長歌は言も調もいと別にて短歌によろしからぬが却て長歌によきもあり後世の長歌のあしきは此意を忘れたる故なりから歌も此わかち專らなりかゝることはいづこもひとしかりけり〕
〔頭注、から國の書を見るに、大政をとりし人の書たるはいまだ見ず、天下は生物にて、かたくなに記しかたし、〕
    よつ
いとしも上つ代々の哥は人の眞心の限にして、其樣|和《なご》くもかたくも強くも悲しくも、四の時なす立かへりつゝ、前しりへ定めいひがたし。稍中つ代に移ろひて高市崗本の宮の御時の頃よりをいはゞ、み冬つき春さり來て雪氷のとけゆくが如し。これを始めのうつろひといはむ。藤原の宮となりては大海の原にけしきある嶋どもの浮べらん樣しておもしろき勢ぞ出きたる。これぞ二たびのうつろひなりける。奈良の宮の初には此いきほひあるを學びうつせしまゝにおのがものともなくうらせばくなりぬ。是ぞ三度の移ろひなりける。其宮の中つ頃にはゆかしき隈もなき海山を風はやき日に見んがごとあらびたる姿となりぬ。是ぞ四度のうつろひなりける。それより後の歌は此集にはのらず。古今歌集によみ人しらずとふ中の古き調なるぞ此宮の末より今の都のはじめの歌なりける。そは彼荒びたりしがうらうへになりて、清らなる庭に山吹の咲|とを《撓》めらむなして、ひたぶるに妹に似る姿となりにたり。これぞ五度の終《つひ》のかはりめなりける。しかして又其世々の中にも猶いにしへなる、其世なる、古へ今を兼たる、くさ/”\あり。こゝに此集に載るが中の人々の姿を別ちいはんに、古き御世なるは押照るやなにはの宮の皇后、こもりくの初瀬の宮の天皇、かづらきの豐浦の宮の日嗣の皇子、高市岡本の宮の天皇おはしませど、あげつろはむは恐《かしこ》し。よみ人しられぬにへおきそ山みのの山、眞そみ鏡にあきつひれ負なめ持て、わをしぬばする息長のをちの小菅などの類數あり。こは既に云る古の實《まこと》にしてあはれなるもの也。是より下にひでたる歌といへどくらぶべくもあらず聞ゆるは、ふりぬる世こそむかしかりけれ。かくて後大津の御子のゆたけき姿。大伯《おほく》のひめみこのあはれなる調など、歌ちふもの調はかくぞありなましと覺ゆ。志貴《しきの》皇子は靜にして細やかに、厚見《あつみ》の大君はにぎびて直し。高市の連黒人は厚らかにして面白し。名細《なぐはし》き吉野の山を花によらで見るが如し。長きがめでたかりけんを、是ぞそれと知られぬにやあらむ。柿本朝臣人麻呂はいにしへならず後ならず一人のすがたにして、荒魂《あらたま》和魂《にきたま》いたらぬ隈なんなき。其長歌、勢は雲風にのりてみ空行く龍の如く、言《ことは》は大海の原に八百潮《やほしほ》の湧くが如し。短歌の調は葛城のそつ彦眞弓をひきならさんなせり。ふかき悲しみをいふ時は、千早振ものをも歎《なか》しむべし。山上臣憶良は、詞ふつ《太》ゝかにして心うつくし。久米のともの雄々しきすがたしてたつゝ舞せらんおもほゆ。短歌の中にたゞ言にいへるはいふべくもなし。山部宿禰赤人は人麿とうらうへ也。長歌は心も詞もたゞに清らを盡せり。短歌こそこれも一人の姿なれ。巧をなさず有るがまに/\いひたるが妙《たへ》なる歌となりにしは、もとの心の高きがいたりなり。假令ば檳榔《あぢまさ》の車して大路をわたるぬしの、あから目もせぬが如し、大伴宿禰旅人のまへつ君の短歌は、をゝしくてかなし。酒をよめるに皇御國の心をいひるは貴し。こは調をすてゝ心をぞ取るべき。長きはしらず。それが繼なる家持の主は事をよくしるして匂ひなし。たとへばいでましの大みともの|つら《行》をめでたく記せる文の如し。短歌はいと多かれど、あらびてうらぐはしきは稀になんある。是より先に三方の沙彌久米の禅師が古き姿のうるはしき、又長の忌寸《いみき》意寸《おき》麿春日藏のおほと老が心しらび、その外にも是彼あれどこゝに盡さず。田邊の史さちまろ笠朝臣金村高橋|連《むらし》蟲麿などは、徒らに古へをいひうつせしものなれば、強きが如くにして下よわし。女にては額田姫王《ぬかたのひめおほきみ》は古への雅人《みやびひと》なり。春秋の爭を判《ことわり》給《たま》へりしなんをみな心のをかしき。大伯皇女《おほくのひめみこ》の御歌は事にふれて上にいひつ。石川|郎女《いらつめ》がなよびたる姿、譽謝《よさの》姫王のよろしき調、大伴坂上の郎女の歌は氏の手ぶりのしるく、事にもあたりぬべきさま也。又歌主しられぬにこそ猶多けれ。藤原の宮づくりにたてる民が歌はおぼろけにあらず。同じ御井の歌の故事を和《やは》しいひてあやあるは、其代の黒人人麿の外にすぐれにたり。凡て短歌にひでたるさはなれど擧るにたへんやは。
 
底本、賀茂真淵全集第三、國學院編集部編、賀茂百樹校訂、1904(明治37)年3月18日、弘文館発行。   2006.9.28(木)入力開始
2008年3月27日(木)続群書類從完成会発行本の全集での校正開始、清濁の相違、意味に関係しない程度の僅かな助詞の増減は無視した。氣になる方は原本を御覧いただきたい。
 
萬葉集卷一之考
 
雜歌《クサ/”\ノウタ》。行幸、王臣の遊宴、旅、このほかくさぐ/”\の歌を載しかばしかいふ、
 
泊瀬朝倉宮御宇天皇代《ハツセノアサクラノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。大泊瀬|稚武《ワカタケノ》天皇、
 
この御名は後人の注なるを、今本に大字にせしは誤れり、今は古本に依て小字にせり、下同じ、○此一二の卷には、かくの如く其宮(ノ)名を標《アゲ》てその御代の歌をのせたり、【泊瀬は大和國城上郡、此天皇後には雄略と申す、】
 
○天皇御製歌《スメラミコトノオホミウタ》、 御製歌はおほみうたと訓なり、【おほみうたと書ておほんうたと唱るは、言便てふものにて、口づからいふ時の事なり、後世その言便のまゝに書は、本語と唱へとのわかちを忘れたるなり、此類ひ多し押てしれ、】惣て天皇の御書をば、大御身《オホミミ》、大御|代《ヨ》、大御|食《ケ》、大御歌など書てかく訓こと、古事記を始めて例おほし、
 
1 籠毛與〔二字左○〕《カタマモヨ》、 五言、かたまは神代紀に依、○毛〔左○〕は助辭、與〔左○〕は喚出す辭なり、古事記に、阿波《吾者》母與〔二字左○〕、めにしあれば、紀に(顯宗)おきめ暮與〔二字左○〕《モヨ》、あふみのおきめなどよみ給へるをむかへて、古への助辭の樣を知ぬ、この類ひ下にも有、
 
美〔左○〕籠母乳《ミガタマモチ》、 六言、母乳は持なり、美は眞《マ》にて、ほむる辭なり、集中に、三《ミ》熊野とも眞《マ》熊野とも有にて、通はし云をしれ、紀に、(推古)まそがよ、そがのこら、古事記に、美延《ミエ》しぬの、延《エ》しぬなど有も、眞《マ》と美《ミ》の通はしざま語の重ねざまなどひとし、
 
布久思毛與〔二字左○〕《フグシモヨ》、 五言、田舍人の野菜などほり取串を、ふぐせとも、ほぐしともいふ是にて、竹また鐵しても作る、和名抄に、※[金+纔の旁](ハ)土具也、加奈久之とあるもこの類なるべし、
 
美〔左○〕夫君志持《ミブグシモチ》、 六言、美《ミ》は右に同じ、みぶぐしとつゞけよむ故に、言便《コトツヾケ》にてふを濁る事をしらせて、夫《ブ》の字をかきつ、【こゝの四句の言のこと別記にもいへり、次の家告閇云云、又山跡てふ事も別記に委しくす、○右の四句の事は荷田東麻呂大人のよみ初めたるなり、かくしも上つ代のこゝろことばに通り至にたり、】
 
此岳爾《コノヲカニ》、 此天皇、吉野三輪などへ幸《イデマシ》し時も、少女《ヲトメ》を召し事あり、今は何所《イヅコ》のをかにまれ、をとめのよろしきを見給てよみませしものぞ、
 
菜採須兒《ナツムスゴ》、 須兒の須は志豆《シヅ》を約《ツヾ》めたる言にて、賤兒《シヅコ》なり、されど天皇よりは賤との給へど、實にあやしの女にはあらず、古事記に、仁徳天皇吉備の黒姫がもとへ幸《イデマ》せし時黒ひめ大御羮《オホミアヘ》の菘菜《アヲナ》を採《ツム》ところへ幸《イデマシ》て、「やま方《ガタ》に、まける阿袁那母《アヲナモ》、きび人と、共にしつめば、たぬしくもあるか」とよみませしほどの女なりけん、
家告閇《イヘノラヘ》、 住る家所を申せとなり、告る事を古は專ら乃禮《ノレ》と云しなり、其|乃禮《ノレ》を乃良閇《ノラヘ》と云は、延言《ノベコト》てふものぞ、次の句も同じく延言もて對《ムカ》へのたまひしを見よ、
 
名告沙根《ナノラサネ》、 名を告《ノレ》なり、沙根は二たび延《ノベ》たる言にて、先|名乃禮《ナノレ》の禮を延れば、名乃|良世《ラセ》と成を、又その良世の世《セ》を延て沙根《サネ》といふなり、かく言を約《ツヾメ》も延《ノベ》もして歌の調《シラベ》をなすは古への常にて、下に、小松が下の、草を苅孩《カラサネ》てふも、草をかれを二たび延たる事こゝと同じ、猶下にも此たぐひあるなり、
 
虚見津《ソラミツ》、 饒速日《ニギハヤヒノ》命大ぞらをかけりて、そらより見て降給へるに因て、耶麻登《ヤマト》に此言を冠らすること、紀に(神武)見ゆ、委くは冠辭考にいへり、
 
山跡乃國者《ヤマトノクニハ》、 跡は借字にて山門《ヤマト》てふ事と見ゆ、其委しき事は別記に云り、さてこゝにやまとゝのたまふは、今の大和一國の事ぞ、【大八洲をやまとゝいふ事、此御時ごろにはいまだなかりしなり、】
 
押奈戸手《オシナベテ》、吾許曾居師《ワレコソヲラシ》、 許曾は、物の中より取擧ていふ辭、○乎|良志《ラシ》は、乎里《ヲリ》の里《リ》を延たるなり、古への天皇、やまとに宮數まして天(ノ)下知しめしゝ故、只やまとを押並《オシナベ》云云とのたまへば、即天(ノ)下知する事となりぬ、
 
告名倍手《ノリナベテ》、 御言告《ミコトノリ》を敷なべてなり、
 
吾己曾座《ワレコソヲレ》、 六言
 
我許曾者《ワレコソハ》、 曾の字、上の例に依て加ふ、
 
背齒告目《セトシノラメ》、 六言、背は夫《セ》なり、齒は登志《トシ》の言に借て志《シ》は辭なり、こは荷田|大人《ウシ》の初めの考なれど暫よりぬ、又背の下に登の字落たるか、然らば夫登者《セトハ》のらめと訓て事もなし、正本を待のみ、【今本是をせなにはと訓しは誤れり、此背は假字《カナ》なり、假字の下に言を添て訓ことは惣てなし、】
家乎毛名雄母《イヘヲモナヲモ》、 吾をこそは夫《セ》として、住所《スミカ》をも名をも告しらすべきことなれとなり、古への女は夫《セ》とすべき人にあらでは、家も名もあらはさぬ例なること、集中に多く見ゆ、故に問せ給へど黙《モダ》し居つらんにつけて、かくはよみ給ひけん、
 
 
高市崗本営御宇天皇代《タケチヲカモトノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。 息長足日廣額《オキナガタラシヒヒロヌカノ》天皇、
【後に舒明天皇と申、】この宮は大和國高市郡飛鳥にあり、今も岡てふ里是なり、
 
○天皇《スメラミコト》登《ノボリマシテ》2香具山《カグヤマニ》1、望國之時《クニミセストキノ》御製歌《オホミウタ》、 香具山は十市郡にあり、古へ天上の軻具《カグ》山に擬《ナゾラヘ》て崇み給ふ故に、天のかぐ山ともいふ、さてその天なるは軻具突智《カグツチノ》神の成給へば、即かぐ山といひ、紀に(神武)香山此云2介遇夜摩《カグヤマト》1、といひ、こゝに具ともあれば必濁ていへ、○望國は、磐余彦《イハレビコノ》天皇、※[口+兼]間《ホヽマ》の岳に國見しませしを始て、古へのすめらみごと專らしかし給へり、さて大和國(ノ)中には、香山畝火耳成の三山のみ有がなかに、香山は形も氣しきもよにことにて、且飛鳥より遠からねば、專ら幸ありしなり、
 
2 山常庭《ヤマトニハ》、村山有等《ムラヤマアレド》、 大和國は四方に群りて多くの山あれどなり、常は假字《カナ》、庭は借字、【此村山も下の磐村《イハムラ》も、むらがることなり、所の名とするはひがことぞ、】
 
取與呂布《トリヨロフ》、天乃香具山《アメノカグヤマ》、 取は辭の如し、與呂布は宜きてふに同くて、此山の形の足《タリ》とゝのへるをほめ給ふなり、別記に委し、○此天は阿米と訓なり、古事記に例も故もあり、
 
騰立《ノボリタチ》、國見乎爲者《クニミヲスレバ》、國原波《クニハラハ》、 【日本紀竟宴の時平公の歌に、多賀度能爾、乃保利天美禮波、安女能之多、與母爾計布理弖、伊萬蘇渡美奴留、てふをもて今をいふ説はわろし、】廣く平けき所を、すべてはらと云、
 
煙立籠《ケムリタチコメ》、 この煙は人家にまれ、霞にまれ、遠く見し給ふさまなり、下に、霞立春日とも、烟立春ともよみて、煙霞は通はしいふめり、から人の烟山烟樹てふが如し、【一本籠を龍《タツ》と有もあしからず、】
 
海原波《ウナバラハ》、 香山の北麓の埴安(ノ)池はいと廣らに見ゆるを、海原とはよみませしなり、大水をば海ともいへる例有が中に、(卷十四)獵《カリ》路(ノ)池にて人萬呂、「すめろぎは、神にしませば、眞木の立、あら山中に、海成可聞《ウミヲナスカモ》」とよめる是なり、同卷に香山(ノ)歌とて、池波さわぎおきべに、鴨妻喚《カモメヨバヒ》と有もこのさまなり、その埴安池の大きなりしよしなど、別記にいふ、【或説、大和より海は見えねど、眺望のさまなればのたまへりと云は、ひが事なり、古への歌にそらごとはなし、後の題詠より思誤れる成べし、大き成水を、惣てうみといふこそ古意なれ、】
加萬目立多都《カマメタチタツ》、 廣き池の面に鴎《カモメ》どもの群て、飛立あそぶをのたまへり、此一つがひの御言に、限しらぬけし きこもれり、
 
※[立心偏+可]怜國曾《ウマシクニゾ》、 こは神代紀に、可怜小汀を、うましをばまと訓に依ぬ、※[立心偏+可]怜は紀にも集にも、あはれとも訓しかば、今本の如くおもしろきと訓もあしからねど猶右を用、○今本、怜※[立心偏+可]とあれど、例に依て上下にす、
 
蜻島《アキツシマ》、八間跡能國者《ヤマトノクニハ》、 紀に(神武)天皇ほゝまのをかに登まして、やまとの國|形《ガタ》を見|放《サケ》給ひて、蜻蛉《アキツ》の臀※[口+占]《トナメ》せる如《ナス》とのり給ひしより、やまとの國の今一の名と成たり、○古は長歌の末を、五七七とのみはいひとぢめず、句のたらはぬ如きなる類此下にもあり、疑ふことなかれ、
 
○天皇《スメラミゴト》、 右に同じ、
遊2獵《ミカリタヽスル》内野《ウチノニ》1之時《トキ》、 大和國宇智郡の御野なり、
中皇女命《ナカツヒメミコノミコトノ》、 此御事は別記に委しくすれど、こゝにも大かたをいはん、是は舒明天皇の皇女にて、後に孝徳天皇の后に立給ひ間人皇后と申ししなり、【舒明天皇紀に、二年正月、寶(ノ)皇女爲v后、生2二男一女1、一(ヲ)曰2葛城皇子1、二曰2間人(ノ)皇女1、三曰2大|海人《アマノ》皇子1、】故にたふとみて命と申し來れるなり、此類の事允恭天皇紀にも見えたり、さて此皇女下にも出たるに御歌と有、かた/\以て、こゝに女と御の字を補ひつ、
 
使2間人連老《ハシビトノムラジオユシテ》1獻《タテマツラセタマフ》御歌、 こは紀に(孝徳)中臣間人(ノ)連老と見え、其後の紀にも出たり、是即中皇女命の御乳母がたにて、御したしければ、此人して御歌も奉り給ひし事しらる、即右にいへるより所なり、
3 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭
 
我大王乃《ワガオホキミノ》、朝庭《アサケニハ》、 朝影に者なり、古事記に、(雄略(ノ)條)夜須《ヤス》美斯志、和賀淤|富《ホ》岐美能、阿佐計爾波《アサケニハ》、伊余理※[こざとへん+施の旁]多志、由布計《ユフケ》爾波、伊余理※[こざとへん+施の旁]多須、和岐|豆《ヅ》紀|賀《カ》斯多能、伊多爾母|賀《ガ》、阿世袁《アセヲ》、これと物は異なれど、言の意ひとしければ、今をもしか訓つ、且由布計としも有からは、朝影夕影の略なること知べし、【朝|開《ケ》と書し所も有ど、開は假字なり、】
 
取撫賜《トリナデタマヒ》、 神武天皇天つ璽《シルシ》とし給ひしも只弓矢なり、こを以て天(ノ)下治め知ます故に、古の天皇是を貴み愛《メデ》ますことかくなり、
 
夕庭《ユフケニハ》、 庭は上もこゝも借字、
 
伊縁立之《イヨセタヽシヽ》、 伊は發語《コトオコスコトバ》にて意なし、下同し、よせたゝしてふは、夜の間もおろそげにせさせ給はぬ意あり、
 
御執乃《ミトラシノ》、梓弓之《アヅサノユミノ》、 御料の弓なれば、御とらしといふ、且弓はくさ/”\の木もても作れど、延喜式にも御弓は梓なるを思ふに、古へよりしか有しならん、
 
奈留弭乃音爲奈利《ナルハズノオトスナリ》、 (卷六)安豆佐由美《アヅサユミ》、須惠爾多麻末吉《スヱニタマヽキ》、可久須酒曾《カクスズゾ》とよみたるを思ふに、古へは弓弭に玉をまき、鈴を懸つれば、手に取ごとにも鳴からに、鳴弭ともいふべし、今本には奈加弭とあれど、古(ヘ)今に中弭てふ語もなく理りもなし、此|加《カ》は留《ル》の草の手より誤りつと見ゆれば改めつ、又弭は、弦の字にて奈加|弦《ツル》か、然らばこは御獵出ます時、鳴弦《ユヅルナラス》に、弦の半らの鞆にあたりて鳴を、中弦の音といふらんやと思ひしはわろかりし、是に強たることいふ人多かれど、惣て當らず、【古の物には鈴を付たるぞ多かる、釧の鈴、足ゆひの鈴、太刀の鈴、鈴印と云も鈴付しものなり、古鏡の端に鈴を六つ鑄付たるもあり、然れば弓弭にはいよ/\鈴を付て、弦の音を添へし、古弓は鞆にあたる音のみにて弭に音なければなり、】
 
朝獵爾《アサガリニ》、今立須良思《イマタヽスラシ》、暮獵爾《ユフガリニ》、今他田渚良之《イマタヽスラシ》、 こゝの朝暮は、上の朝夕てふ言を轉じいふ文《アヤ》なり、(卷十五)「朝獵に、しゝふみ起し、夕獵に、鳥ふみたて、馬|並《ナメ》て、御獵ぞ立爲《タヽス》、春の茂野爾」とよめるは、こゝによれるならん、○立須は崇《タフトメル》辭なり、
 
御執乃《ミトラシノ》、 上に依て乃を加つ、
 
梓能弓之《アヅサノユミノ》、奈留弭乃音爲奈里《ナルハズノオトスナリ》  十言なり、留を加に誤れること上に同じ、一所の誤を末まで取誤る類多し、
 
反歌《カヘシウタ》、 こは上の長歌の意を約《ツヾ》めても、或は長歌にのこれることにても、短歌に打反しうたふ故に、かへし歌とはいへり、然るに是をば字音のまゝに唱ふる事といふ人あれど、皇朝の古言を字音に唱ふるはひがことなれば、從ふべからず、さて長歌に短歌を添る事は、古事記にも集にも上つ代には見えずして、こゝに有は、此しばし前の比よりや始りつらん、【或人是をかへしうたと訓ては、答歌にまがふといへるはいかにぞや、答歌をば古へこたへ歌と云し故に、集には專らそれを和歌と書つ、古今歌集に答歌を返しと書しは平《タヽ》言にこそあれ、此平言をたてゝ古へをあらためんと思ふこそをこなれ、古へに依て後の違ひをこそ正さめ、】
 
4 玉刻春《タマキハル》、 冠辭、
 
内乃大野爾《ウチノオホヌニ》、 上に同、
 
馬數而《ウマナメテ》、 馬を並てなり、數はことわりもて書、
 
朝布麻須等六《アサフマスラム》、 右に引たる、朝獵に、しゝふみおこし、夕がりに、鳥ふみたてと云に同じ、
 
其草深野《ソノクサフケノ》、 深きを約轉して下へつゞくる時、夜ふけ行といひ、田の泥深きを、ふけ田といふが如し、言は加伎の約は伎なるを、氣《ケ》に通はして下へつゞくるなり、
 
○幸《イデマセシ》2讃岐(ノ)國|安益《アヤノ》郡(ヘ)1之時《トキ》、 紀に(舒明)、十一年十二月伊興の湯(ノ)宮へ幸て、明年四月還ませし事見ゆ、此春ついでに讃岐へも幸有しこと、此歌にてしらる、
 
軍王《イクサノオホキミ》、 此王は考る物なし、
 
見(テ)v山(ヲ)作歌《ヨメルウタ》、
 
5 霞立《カスミタツ》、長春日乃《ナガキハルビノ》、晩家流《クレニケル》、和豆肝《ワヅキモ》、 肝は借字
 
之良受《シラズ》、 わづきもは分《ワカ》ち著《ツキ》も不v知なり、手著《タヅキ》てふに似て少し異なるのみ、○此氣色旅の愁を催すべし、
 
村肝乃《ムラギモノ》、 冠辭、
 
心乎痛見《コヽロヲイタミ》、 【痛見の見のことばの事別記にいふ、】
 
奴要子鳥《ヌエコドリ》、卜歎居者《ウラナキヲレバ》  ※[空+鳥]《ヌエ》が鳴音は恨|哭《ヲラブ》が如きよし、冠辭考にいひつ、人の裏歎《ウラナキ》は下《シタ》になげくにて忍音をいへり、然れば※[空+鳥]よりは恨鳴といひ、受る言は下歎なり、
 
珠手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
懸乃宜久《カケノヨロシク》、 懸は言にかけて申すをいふ、懸まくも恐きの懸に同じ、宜てふ言は、たゞ吉ことをいふのみにあらず、萬の事の足備れるをほむる言なり、委くは下の宜奈倍てふ言の別記にいへり、○こはいひ切たるにあらず、宜久は宜かるてふ辭を約めたるなり、【(卷七)子等名丹《コラガナニ》、關之《カケノ》宜(キ)、朝妻之てふも同じ、】
 
遠神《トホツカミ》、 人に遠くして崇なり、
 
吾大王乃《ワガオホキミノ》、行幸能《イデマシノ》、 みゆきともいへど、いでましは今少し古くて、こゝの調もかなひぬ、
 
山越風乃《ヤマゴシノカゼノ》、 此幸せし所の山を吹こす風なり、
 
獨座《ヒトリヰル》、吾衣手爾《ワガコロモデニ》、朝夕爾《アサヨヒニ》、 此朝は日の間、夕は夜の間をつゞめいふ、
 
還比奴禮婆《カヘラヒヌレバ》、 山風の、常にかへる/”\わが袖に吹來つつはだ寒きに、獨居人の妹戀しさをますなり、【(卷四)「わが衣手に、秋風の、吹反者《フキカヘラバ》、立てゐる、多土伎をしらに、むらぎもの、心|不欲《オボエズ》」と有も同じくて、幾度となく、吹過れば又吹來るないふ、】
 
丈夫登《マスラヲト》、念有我母《オモヘルワレモ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
客爾之有者《タビニシアレバ》、思遣《オモヒヤル》、鶴寸乎白土《タヅキヲシラニ》、 心の思ひをやり失ふべきたよりをしらずとなり、思遣は、卷二に遣悶と書たる意なり、【後世は想像するをおもひやるといへど、古へなき事なり、今京と成てさる違ひども多し、集中にいふは、心の愁思をやり失ふ事のみ、】○鶴寸は借字にて、手著《タヅキ》なり、別記に委し、不知をしらにといへる集中に多し、白土は訓を惜たるのみ、
 
綱能浦之《ツナノウラノ》、 神祇式に、讃岐國綱(ノ)丁《ヨホロ》、和名抄に同國鵜足(ノ)郡に津野《ツノノ》郷あり、そこの浦なるべし、鋼をつのと云は古言なり、今本に網浦と有てあみの浦と訓しかど、より所も見えず、
 
海處女等之《アマヲトメラガ》、燒鹽乃《ヤクシホノ》、 此(ノ)乃は、やく鹽の如くてふ言を略きたるなり、古歌に例多し、
 
念曾所燒《オモヒゾモユル》、吾下情《ワガシタゴヽロ》、 (卷九)心波母延濃《コヽロハモエヌ》とよめり、下つ心をしづ心といふは、下枝《シヅエ》下鞍《シヅクラ》などゝ云が如し、後撰歌集にも下《シヅ》心哉とよめり、
 
 反歌《カヘシウタ》
6 山越乃《ヤマゴシノ》、風乎時自見《カゼヲトキジミ》、 時も定めず風の吹をいふ、紀にも集にもときじくてふ語に非時と書つ、
 
寐夜不落《ヌルヨオチズ》、 一夜も漏ずなり、
 
家在妹乎《イヘナルイモヲ》、 家爾阿留の、爾阿を約めて、奈留といふ家は都の家なり、
懸而小竹櫃《カケテシヌビツ》、 こゝより遠き妹が家をかけて、慕《シヌ》びつると云なり、
 
明日香川原宮御宇天皇代《アスカカハラノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。天豐財重日足姫《アマツトヨタカライカシヒタラシビメ》天皇、【後に斉明天皇と申す、】
此天皇再の即位は、飛鳥板|蓋《ブキノ》宮にてなし給ひつ、其年の冬其宮燒しかば、同飛鳥の川原宮へ俄に遷まし、明年の冬又岡本に宮づくりして遷ましぬ、かゝれば川原(ノ)宮には暫おはしたり、
 
○額田姫王作歌《ヌカダノヒメオホキミノヨメルウタ》、 紀に(天武)天皇初(メ)娶《イレテ》2鏡(ノ)王(ノ)女額田(ノ)姫王(ヲ)1、生2十市皇女1とありて、天武天皇いまだ皇太子におはせし時の夫人なり、かくて集中に額田(ノ)王とて擧たるは皆女歌なり、然れば此王に姫の字の落し事定かなる故に今加へつ、たゞ額田王と有ては男王をいふ例にて、其歌どもにかなはねばなり、
 
7 金野乃《アキノノノ》、美草苅葺《ミクサカリフキ》、 美草は眞《マ》草といふに同じ事なり、こゝは秋の百草をかねいふ、
 
屋杼禮里之《ヤドレリシ》、兎道乃宮子能《ウヂノミヤコノ》、 幸の時、山城の宇治に造りたる行宮をいふ、さて離宮所《トツミヤコ》をも行宮所《カリミヤコ》をも、略きてはみやこといへり、【此度の幸の事、古注にいへるはひが事なり、其よし別記に見ゆ、】
 
借五百磯所念《カリホシオモホユ》、 五百は訓をかり、磯は助辭、行宮をかり廬《ホ》といふは下にも類あり、○末を今本に、かりほしぞおもふと訓しも、下に妹|乎師《ヲシ》曾於母布ともあれば、さても有べきを、かく所念と書しをば惣ておもほゆと訓《ヨム》例なり、下も是によれ、○秋野の百草を、花ながらかりふきたるかり宮に宿れりしを、面白くおぼえし事、後までも忘れがたきとなり、(卷十二)「波太《ハタ》ずゝき、尾花|逆葺《サカブキ》、黒木もて、つくれる家《イヘ》は、萬代までも、」(卷七)、「あきつ野の、尾花かり副《ソヘ》、秋はぎの、花を葺《フカ》さね、君が借|廬《ホニ》」てふ如き行宮なりけん、金《アキ》野乃美草をかりふきとあればなり、然れども美草を尾ばなとよみし事も有といふは行過たり、をばなとよむべきならば、集の例美草とはかゝぬ事ぞ、○是に兎道のみやこと有は、近江へ幸(ノ)時の行宮をいふなり、さて紀には此時はなくて、後(ノ)岡本(ノ)宮の時、近江の幸の事あれど、此御代の紀は誤多し、此集に依べし、【紀の文の誤れるよしも、別記に見ゆ、】
 
後《ノチノ》崗本宮(ニ)御宇天皇代。右同天皇重て即位まして二年の冬に、本の舒朋天皇の岡本宮の地に、宮づくりして遷ませし故に、後崗本(ノ)宮と申せり、こは今も飛鳥の岡といふ、かの川原宮の東北にて、共にいと近き所なり、
 
○額田姫王|作《ヨメル》歌、
 
8 熟田津爾《ニギタツニ》、 紀に(斉明)伊豫國云云、熟田津、此云2爾枳陀豆1と有に同じ、【熟田《ニギタ》を紀に爾枳《ニキ》と有ば、清《スミ》唱る人あれど、常に此言をば濁るこそ自らの事なれ、饒《ニギ》速日を紀に邇藝《ニギ》と訓《ヨム》に合せて、心得べきなり、】
 
船乘世武登《フナノリセント》、月待者《ツキマテバ》、潮毛可奈比沼《シホモカナヒヌ》、 月も出汐も滿、
 
今者許藝乞菜《イマハコギコソナ》、 集中に乞をこそと訓て、即|乞《コヒ》願ふ言なり、有乞《アリコソ》見えこそ、又にほひ乞《コセ》、妻よしこせねなどもよめる、共に乞《コフ》意なり、然ばこゝも今は時のかなひたれば、御船※[手偏+旁]出よと乞給ふなり、【集中に乞《コソ》の辭二つ有、一つはこゝの如し、今一つは物を拔出て、是こそと云意なるあり、】さて外《ゲ》蕃の亂をしづめ給はんとて、七年正月筑紫へ幸ついでに、此湯(ノ)宮に御船泊給へる事紀に見ゆ、額田姫王も御ともにて、此歌はよみ給ひしなりけり、さてそこよりつくしへ向ます御船出の曉、月を待給ひしなるべし、○今本に注あれどとらぬよしは別記にいふ、
 
○幸2于|紀温泉《キノイデユヘ》1之時《トキ》、額田姫王(ノ)作歌、 此幸は後(ノ)岡本宮の紀には四年十月とあり、此集誤て前後に成しか、
 
9 莫囂國隣之《キノクニノ》、 こはまづ神武天皇紀に依に、今の大和國を内つ國といひつ、さて其内つ國を、こゝに囂《サヤギ》なき國と書たり、同紀に、雖邊土未清餘妖尚梗而《トツクニハナホサヤゲリト云ドモ》、中洲之地無風塵《ウチノクニハヤスラケシ》てふと同意なるにて知ぬ、かくてその隣とは、此度は紀伊國を差なり、然れば莫囂國隣之の五字は、紀乃久爾と訓べし、又右の紀に、邊士と中州を對云しに依ては、此五字を外《ト》つ國のとも訓べし、然れども云云の隣と書しからは、遠き國は本よりいはず、近きをいふなる中に、一國をさゝでは此歌にかなはず、次下に、三輪山の事を綜麻形と書なせし事など相似たるに依ても、猶上の訓を取べし、【此一二句は、諸本に字ども違ひ多し、こゝは宜を取つ、其よし別記にいふ、○綜麻形の訓の事は其歌にいふ、】
 
大相《ヤマ》、 山なり、
 
古兄※[氏/一]湯氣《コエテユケ》、 越てゆけなり、
 
吾瀬子之《ワガセコガ》、 こは大海人《アマノ》皇子命か、又何れにても、此姫王の崇み親み給ふ君の、前に此山路を往ませし事あるを思ひ給ふなるべし、
 
射立爲兼《イタヽセリケム》、 射は發言、たゝせりは立しと云に同じくてあがめいふなり、けんはけるらんの畧にて過にし事をいふ辭なり、
 
五可新何本《イヅカシガモト》、 五は借字にて嚴なり、可新何本は橿《カシ》之本なり、【嚴に五の訓を借て、清濁を嫌はぬは、借字の常なり、○嚴は崇くして恐き勢ひをいふ、それを本にて、神天皇の御事、或は整ていがしき事などをいふ、このかしは神の坐所の齋《イハヒ》木なればいへり、】紀に(垂仁)天照太神(ヲ)鎮2坐|磯城《シキノ》嚴橿之本(ニ)1、古事記に、(雄略條)美母呂能《ミモロノ》、伊都加斯賀母登《イツカシガモト》、加斯賀母登と云も同じ、かゝれば神の坐《マス》この山路の齋《イツ》橿の木の下に、前つ時吾背子の立給ひし事を聞傳へてかくよみ給へるなりけり、○こは荷田大人のひめ歌なり、さて此歌の初句と、斉明天皇紀の童謡《ワザウタ》とをば、はやき世よりよく訓《ヨム》人なければとて、彼童謠をば己に、此歌をばそのいろと荷田(ノ)信名(ノ)宿禰に傳へられき、其後多く年經て此訓をなして、山城の稻荷山の、荷田の家に問に、全く古大人の訓に均しといひおこせたり、然れば惜むべきを、ひめ隱しおかば、荷田大人の功も徒に成なんと、我友皆いへればしるしつ、
 
○中皇女命《ナカツヒメミコノミコト》、 上にいへり、
 
從《イマセル》2于紀(ノ)温泉《イデユヘ》1之時《トキ》御作歌《ヨミタマヘルウタ》、 此端詞に御の字は本よりあり、作は例によりて加たり、○往をいますと訓は、卷二に朝立伊麻之弖、此外例あり、且いにましの畧なり、
 
10 君之齒母《キミガヨモ》、 次に吾勢子とよみ給ふは、御兄中大兄(ノ)命にいざなはれてやおはしけん、さらば此君はかの命をさし給ふべし、【齒も代も意はひとし、】
 
吾代毛所知哉《ワガヨモシルヤ》、 磐代の名に依て右の二句は有、
 
磐代乃《イハシロノ》、 紀伊國日高郡、
 
岡之草根平《ヲカノクサネヲ》、去來結手名《イザムスビテナ》、」 松を結て齡をちぎるにひとしければ、此草は山菅をさしてよみ給ふならん、さて(卷五)に山草と有を山すげと訓によりて、こゝの草を山すげの事と知べきなり、
 
11 吾勢子波《ワガセコハ》、借廬作良須《カリホツクラス》、草無者《カヤナクバ》、 古へは旅ゆく道のまに/\、假庵作て宿れりし、○此草はかやと訓べき理りなり、
 
小松下乃《コマツガモトノ》、草乎苅孩《カヤヲカラサネ》、」 小松まじりにすゝき高がやの生たる所を見て、是こそ假ほふく物といふを聞て、何心もなくよみ給へるなるべし、○孩は借字、この言の事上にいひつ、
 
12 吾欲之《ワガホリシ》、 わが見まくほしみしなり、
 
子島羽見遠《コジマハミシヲ》、 兒島てふ所は、集にも他にもかた/\にあり、紀伊にも子島とて、古へ名|細《クハシ》き所有しにや、○今本|野《ヌ》島波見世|追《ツ》とあれど、こは淡路に名高ければ中々おぼつかなし、故に或本に依ぬ、
 
底深伎《ソコフカキ》、阿胡根能浦乃《アコネノウラノ》、 是も紀伊に有べし、さて聖武天皇此國へ幸有て、若(ノ)浦の字を改めて、明光《アカノ》浦とせさせ給ひしは、和加と阿加と言の通へばか、又其ころ若浦とは書ども、本は阿加の浦と唱へし故にも有べし、こを思ふに、其始は阿胡根の浦といひしを、後に阿加の浦といひしにやあらん、胡根の約《ツヾメ》氣《ケ》なれば、おのづから阿加とも和加ともなりぬべし、集中に吾《ワガ》大君を阿期《アゴ》大君ともいひ、志摩國の安呉《アゴ》の浦を吾浦と書しを、後に若の浦と誤り、又阿婆宇美を阿布美と唱ふる如き約言も多ければなり、その上此命のいましけん比にわかの浦てふ名あらば、是にもれじやともおぼえ、玉拾はんも同じ浦によし有、【同國の室の湯へはおはしたれど、まだかの玉光る浦へおはさぬ故の御歌なれば、此國の島なる明光《アカノ》浦の事なるべし、】
 
玉曾不拾《タマゾヒロハヌ》、
 
○中大兄命三山御歌《ナカツオホエノミコトノミツノヤマノミウタ》、 命は皇太子を申す例のまゝに加つ、【今本、中大兄の下に近江天皇と有は、いと後人傍に注せしを、又の後に大字に本文とさへせしなり、此集かく樣のひがこと多し、】○御は目録にあり、本よりも必御と有べき事なり、然ば命の字も落しを知、〇三の山は香山畝火耳成の三なり、此山どもの事は、上にも別記にも出、さて是はかの三(ノ)山を見ましてよみ給へるにはあらず、播磨國印南郡に往ましゝ時、そこの神集《カヅメ》てふ所につけて、古事の有しを聞してよみ給へるなり、
 
13 香山波《カグヤマハ》、 今本高山と有は誤なり、三(ノ)山の一つは必香山にて、外の二山より低ければ高山と書べからず、
 
雲根火雄男志等《ウネビヲヽシト》、 をゝしは男神をいふ、【或人、雄男志は※[病垂/音]※[病垂/亞]、耳梨は聾の意かといひしは誤れり、和名抄に、※[病垂/音]※[病垂/亞]は於布之と有て、雄男のかなに違ひたり、】
 
耳梨與《ミヽナシト》、 是も男神なり、香山と耳梨は十市郎、畝火は高市郡なれど、各一里ばかり間有て、物の三足のごとし、
 
相諍競伎《アヒアラソヒキ》、 香山の女山を得んとて、二つの男《ヲ》山のあらそふなり、○あひあらそひの言は相諍二字にて足るに、競を添しは奈良人のくせなり、字に泥む事なかれ、
 
神代從《カミヨヨリ》、如此爾有良之《シカナルラシ》、古昔母《イニシヘモ》、然爾有許曾《シカナレコソ》、 爾阿留の、爾阿を約て奈と云り、かく訓例下に假字がき有、且然るなればこその、ばを畧くも例なり、
 
虚蝉毛《ウツセミモ》、 冠辭考にいへるが如し、○神代にもかく相あらそひしかば、今の顯《ウツヽ》にある人のあらそふはうべなりとのたまふ、
 
嬬乎相挌良思吉《ツマヲアヒウツラシキ》、 挌は闘撃の意を得て書しのみと見ゆ、卷二に、相競端爾と有を、其一本に安良|蘇布《ソフ》波之爾とあるに依て、こゝも二字にてあらそふとも訓べけれど(卷三)眞杭乎挌《マクヒヲウチ》と有に依て打と訓たり、○良思吉の吉は氣里《ケリ》の約にて、あひうつらしけりてふ辭なり、紀に(推古)おほきみの、つかはす羅志枳《ラシキ》、また(卷十六)偲家良思吉《シヌビケラシキ》と有も同じ、後世は是を上下して、けるらしといへり、【(卷三)の歌は、もと古事記の歌にて、それに賀美都勢爾、伊久比袁宇知、斯毛都勢爾、麻久比袁宇知と有、】
 
 反歌《カヘシウタ》
 
14 香山與《カグヤマト》、耳梨山與《ミヽナシヤマト》、相之時《アヒシトキ》、立見爾來之《タチテミニコシ》、伊奈美國波良《イナミクニハラ》、
 
播磨風土記に、出雲(ノ)國(ノ)阿|菩《ボノ》大神、聞(テ)2大和國畝火香山耳梨三山相|闘《タヽカフト》1、以此|欲《オボシテ》2諌止《イサメマク》1來《キタル》之時《トキ》、到(テ)2於|此處《コヽニ》1、乃〔右○〕聞(テ)2闘止《タヽカヒヤミヌト》1、覆《フセテ》2所乘之船《ノレルフネヲ》1而|坐《マセリ》之〔右○〕、故《カレ》號《イフ》2神集之覆形《カヅメフセガタト》1と見ゆ、この古事を聞してよみ給へるなり、○伊奈美國は、はりまの郡の名なり、古へは初瀬國吉野國ともいへるごとく、一郡一郷をも國といへり、原とは廣く平かなるを惣て云、【今もはりまの鹿子川の西に神※[手偏+告]《カヅメ》てふ里あり、こゝをいふか、】
 
15 渡津海乃《ワタヅミノ》、 こは冠辭ならねど、委は其考によりてしれ、
 
豐旗雲爾《トヨハタグモニ》、 文徳實録に、天安二年六月有2白雲1竟天自v艮亘v坤、時(ノ)人謂2之旗雲(ナリト)1と有、今はかく大きならでも、西の空に長く旗の如き雲の棚引るをのたまひつらん、○豐は大きなるをいふ、○或人旗雲は海にのみ有樣にいへるは誤ぬ、いづこにもいふなり、【(卷六)夕されば、み山をさらぬ、爾努具母能《ニヌクモノ》云云、爾努は布《ヌノ》なり、はた雲相同じ、】
 
伊理比沙之《イリヒサシ》、 入日刺なり、【沙を一本祢と有は誤なり、】
 
今夜乃月夜《コヨヒノツクヨ》、清明己曾《アキラケクコソ》、 入日の空のさまにて、その夜の月明らかならんを知こと今もいふ事ぞ、○今本、清明の字を追て、すみあかくと訓しは、萬葉をよむ事を得ざるものぞ、紀にも、清白心を、あきらけきこゝろと訓しなり、〇此一首は、同じ度に印南の海|方《ベ》にてよみましつらん故に、右に次て載しなるべし、下に類あり、
 
近江大津《アフミオホツノ》宮(ニ)御宇天皇代、天命開別《アマツミコトヒラカスワケノ》天皇、【後に天智天皇と申、】
 
〇天皇|詔《ミコトノリシテ》2内大臣《・ウチノオホオミ》藤原(ノ)卿《マヘツギミニ》1、 鎌足公なり、これはいまだ後岡本(ノ)宮にての事と見ゆれば、内臣《ウチノオミ》中臣(ノ)連鎌足と本は有つらんを、後より崇みてかく書たるなり、其上今本に、朝臣のかばねをさへ書しは、ひがことなれば、除きて、下の例に依て卿とす、是にはいぶかしき事多ければ、別記につぶさにいふ、
 
競2燐《アラソハセタマフ》、 燐の字はことわりもて書り、皇朝の言は、只あらそふと云に其物によりて理り聞ゆ、よりて憐の字はよまずともよし、
 
春山萬〔左○〕花之艶《ハルヤマノハナノニホヒト》、秋山千〔左○〕葉之彩《アキヤマノモミヂバノイロヲ》1時《トキ》、 萬千の字は、から言ざまに書しかば、こゝにてはよまず、
 
額田(ノ)姫王|以v歌判之〔左○〕歌《ウタモテコトワレルウタ》、 春秋をあらそふ事是に始て見ゆ、こは内つ宮の女がたにて、戯れあらそひつらんを、天皇興有事とおぼして、此卿は内つ宮の事をあづからせらるゝ故に、事とらせられ、ぬか田の姫王は時の風流《ミヤビ》人なれば、ことわらせ給ひつらん、男どちのわざならば、姫王の判給ふべくもあらず、また女がたの事故に、外《ト》の司に事|執《トラ》すべくもあらず、此卿におほせしなり、【近江大津宮の下に是を擧るは、御代の凡もてする例なり、此次に近江へうつり給ふ時の歌を載たれば、こゝは後岡本宮にて有しこと知べし、】
 
16 冬木盛《フユゴモリ》、 木盛は借字にて、(卷七)その外にも冬隱、春去來者、と有に同じく、冬は萬つの物内に籠て、春を得てはりづるより、此ことばはあり、然るを今本に冬木成と書て、ふゆごなりと訓しは、言の例も理りもなし、そは盛の草は〓とかくを、※[成の草書]《ナリ》と見誤て成と書なしたるものなり、故に古意と例に依て改つ、下にも多し、皆これに從ふべし、
 
春去來者《ハルサリクレバ》、 去は借字にて、春になりくればてふ言なり、爾奈の約は奈なるを、佐に轉じて佐利といへり、下に夕去來者といふも同じ事ぞ、
 
不喧有之《ナカザリシ》、島毛來鳴奴《トリモキナキヌ》、不開有之《サカザリシ》、花毛佐家禮杼《ハナモサケレド》、 此なかざりし開ざりしてふ言にて、右の冬隱りてふ言しらる、【花もさけれとまで六句は、春山の方人、山を茂より下四句は判の言、秋山のてふより下は、秋山の方人の意、】
 
山乎茂《ヤマヲシミ》、 しみは茂《シゲ》まりなり、其しげを略《ハブキ》てしといひ、まりを約《ツヾメ》てみといふなり、さて此集には、春の繁山、春の茂野など云て、春深き比の草木を茂き事とす、【しみの美の辭の事、別記に委、】
 
入而毛不取《イリテモトラズ》、草深《クサフカミ》、執手母不見《タヲリテモミズ》、 草木の茂き頃咲花なれば、山に入て手折て見んこと難しとなり、春のしげ山てふ事を聞傳へて、女王の心もてかくのたまふが却てあはれなり、
 
秋山乃《アキヤマノ》、木葉乎見而者《コノハヲミテハ》、 秋とてもまだ草木の枯盡もせねど、是もおしはかりにおぼすまゝなるがをかしき、
 
黄葉乎婆《モミヅヲバ》、取而曾思奴布《トリテゾシヌブ》、 丹出《モミヅル》をば折取て見|愛《メヅ》るを云り、此しぬぶは慕ふ意にて、其黄葉に向ひてめでしたふなり、古歌に、花などに向ひてをしと思ふと云は、散を惜むにはあらで、見る/\愛《メヅ》る事なると心ひとし、○毛美豆《モミヅ》は赤出《モミメヅル》を略きいへり、是を毛美治婆《モミヂバ》といふは、萬曾保美出《マソホミイヅ》る葉《ハ》てふ言なり、何ぞといはゞ、毛は萬曾保の約にて、その萬は眞《マ》とほむる言、曾保は本《モト》丹土《ニツチ》の名なるを、何にも赤き色有物には借ていふなり、美《ミ》は萬利《マリ》の約にて、眞朱《マソホ》萬利なり、染をそまり、赤きをあかまりと云類なり、治《ヂ》は出《イヅル》を略《ハブ》き轉じ、婆《バ》は葉なり、濁は言便、【萬曾保三言を、毛一言に約るは、萬曾も、萬保も、共に毛と約まればなり、且こゝの言どもの據は別記にいふ、】
 
青乎者《アヲキヲバ》、置而曾歎久《オキテゾナゲク》、 まだ染あへぬをば折とらで置を、うらみとするなり、
 
曾許之恨之《ソコシウラメシ》、 そこは其《ソレ》なり、
 
秋山曾吾者《アキヤマゾワレハ》、 うら枯る秋は山に入やすげなれば、秋山のもみぢに吾は心依ぬとなり、こは山の花もみぢの事なれば、女の山ぶみをおもほしてのたまふのみ、上に花鳥をのたまひしさまを思ふに、赤裳すそ引ゆきかふべきけ近さならば、春に依てことわりなん、所により身につけをりにしたがひて、ことを分たれたるこそおもしろけれ、【山の下に曾を補ひつ、今は必落しと思しければなり】
 
○□□□□□□《大海人《オホアマノ》皇子(ノ)命》下(タマフ)2近江(ノ)國(ニ)1時、 紀に(天智)六年三月、近江大津へ都遷の事有、
 
御作《ヨミマセル》歌、 今本こゝに額田(ノ)王下2近江國1時作歌、井戸王即和歌と有は、先この集の端詞の例に違ひ、其外理り無こと多し、故に今一二の卷の例と、左の古注などのことわりに依て右の如くせり、さて今本のひがことをいはん、其こたへ歌の所にこそ和歌とは書例なれ、ここにのみ端詞につゞけて書べきかは、又井戸(ノ)王てふ名は紀にも何にも見えず、さる氏も惣て聞えず、又此長歌の體、男歌にて、額田姫王の口風《クチツキ》とは甚異なり、さて下の綜麻形《ミワヤマ》てふ歌ぞ女歌にて、それに吾|勢《セ》ともいひたれば、【女より男を兄《セ》子と書は常なり、男より女を兄《セ》子といひし事は必なし、】それこそ額田姫王の和《コタヘ》歌なれ、こゝは必男歌なるからに、是のみは類聚歌林を合せ考て、大海人皇子命の御歌とす、其歌林のよしは下に見ゆ、【大海人皇子の御歌なるべき據は、下にいふが如く、額田姫王のならぬ證もあれど、私に強るに似たれば、暫圏をして傍に書たり、下もこの意なり、】
 
17 味酒《ウマサケ》、 四言冠辭、
 
三輪乃山《ミワノヤマ》、 五言、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
奈良能山乃《ナラノヤマノ》、山際《ヤマノマユ》、伊隱萬代《イガクルヽマデ》、 先飛鳥岡本宮より三輪へ二里ばかり、三輪より奈良へ四里餘有て、その間平かなれば、奈良坂こゆるほどまでも、三輪山は見ゆるなり、さて其奈良山越ても、猶山の際よりいつまでも見放んとおぼし、こゝかしこにてかへり見し給ふまに/\、やゝ遠ざかりはてゝ、雲の隔たるを恨みて、末の御詞どもは有なり、【山際の下に從の字落しか、又際は集中皆まと訓ぞ理り有なり、今本に、やまのはと訓しは誤れり、】
 
道隈《ミチノクマ》、伊積流萬代爾《イツモルマデニ》、 隈は入曲りなどの所をいへど、こゝにはそれまでもなく、こゝかしこといはんが如し、〇二つの伊は發語のみ、○積はさる所々の數のかさなるなり、
 
委曲毛《ツバラニモ・ツブサニモ》、 つまびらかの略なり、是をしか訓よしは、冠辭の淺茅原の下にいふ、【委曲は、集中につばらてふ言有によりて訓たり、又古事記に麻都夫佐《マツブサ》てふ言もあれば何れにも訓べし、】
 
見管行武雄《ミツヽユカムヲ》、數毛《シバ/\モ》、見放武八萬雄《ミサケムヤマヲ》、 今本數々毛とあれど、一本を取、○見放は、遠く見やることなり、かく言をかさね給ふは深き御なごりゆゑなり、
 
憐無《コヽロナク》、 なさけもなくてふ意、
 
雲乃《クモノ》、隱障倍之也《カクサフベシヤ》、 かくしさふる意とせんも理りはあれど、語の體を思ふに、佐布の約|須《ス》なれば、かくすを延て、かくさふとよみ給ひしなるべし、○長歌の末の句ども、いにしへの歌に言の數の異なる多きに依ば、情無を句として、下を十言にも訓べし、〇三輪山は形よろしく、且飛鳥の都より遠からねば、見なれ給へる故、かくなごりをしみ給ふともいふべけれど、さのみはあらで、奈良より飛鳥の方は、此山の當りて見ゆる故に、故郷のなごりを此山に負せて、かくまではをしみ給ふならん、
 
 反 歌
18 三輪山乎《ミワヤマヲ》、然毛隱賀《シカモカクスカ》、 然もは如v是もなり、賀はなげく辭、
 
雲谷裳《クモダニモ》、 谷は借字、
 
情有南武《コヽロアラナム》、 今本武を畝に誤、
 
可苦佐布倍思哉《カクサフベシヤ》、 注に、右二首山上憶良大夫類聚歌林曰、遷v都2近江國1時、御2覧《ミサケマセル》三輪山1御歌焉といへり、是に御覧又御歌と有をもて思ふに、すべて集にも歌林にも、【類聚歌林は眞の物ならねど、さすがに今よりは古き代の事故に、おのづからかゝる據と成事もまれにあり、】天皇に御製また大御歌、皇太子と皇子には御歌、王には歌と書り、又御覧とは天皇皇太子に書べく、皇子と王には書し事なし、かくて右の御歌と御覧とを合せもて、皇太子の御歌なる事しらる、しかれば此時は大海人(ノ)皇子(ノ)命の御事なり、故《カレ》端詞に額田王の歌とせしは、今の亂(レ)本の誤なること顯なり、
 
○□□□□□□《額田姫王(ノ)奉和《コタヘマツル》歌、》、 かく有べし、然るを亂れ本を校合せし時、左の歌をえよみ意得ねば、さかしらに此王の名を上へ出せしにやあらん、
 
19 綜麻形乃《ミワヤマノ》、 三輪山なり、
 
林始乃《シゲキガモトノ》、 繁樹が下なり、
 
狹野榛能《サヌハギノ》、 狹は發言、榛は惜字なり、【榛の事、下の引馬野の別記にいふ、】
 
衣爾著成《キヌニツクナス》、目爾都久和我勢《メニツクワガセ》、 三輪山を目につけて、かへり見しつゝしたひ給ふ、わがせ子かもといふ意なるに、はぎが花の衣につきやすきをもて、譬へ下せるなり、然れば右の長歌を短歌もて和《コタ》へ給ひしこと、明らかなり、後人意得ずして、和歌に似ずとしも注せれば、委しくいはん、【目爾都久とは、(卷七)あたらしき、まだら衣は、面著《メニツキ》てともいへり、】先綜麻形と書しは、古事記に、(崇神條)三輪の大神、うるはしき男と成て、活依《イクヨリ》びめの許へよる/\通ひ給へるを、姫その男君の家所を知ばやとて、卷子《ヘソ》の紡紵《ウミヲ》を、ひそかに針して男の裔につけたるを、君は引て歸りぬ、さてあとに紵はたゞ三|勾《ワゲ》ぞのこりたりける、やがて其いと筋をとめつゝ尋れば、御室山の神の社に到りぬ、故に其山を三輪山といふと記されたり、然るからに、其綜の三|※[營の呂が糸]《ワゲ》のこれる形を思ひ得て、綜麻形と書なせるなれば、みわ山とよむべき事うたがひなし、○衣爾著成の成は如てふ言に同じ、古事記に五月蠅奈須《サバヘナス》てふ同じ事を、紀に如《ナス》2五月蠅《サバヘ》1と書たり、その外此集に云云|成《ナス》と有も皆如くと意得てかなへり、○和我勢は吾夫にて、此姫王の御こたへとする時は、大海人(ノ)皇子(ノ)命を申すなる事、上にいへるがごとし、【此歌の訓は、荷田東萬呂うしの考出せしなり、○今本の訓、又左の注などは、いふにもたらねば捨つ、○此都うつしは三月なれば、秋はぎいかゞといふべけれど、歌のあやにいひつゞくるものは、時にかゝはらぬ例多し、】
 
○天皇|遊2獵《ミカリセス》浦生野《ガマフノニ》1  近江國蒲生郡の野なり、
 
之〔左○〕時《トキ》、額田姫王(ノ)作歌、 此御獵は七年五月五日にて、皇太弟を始て、諸王諸臣皆大御ともなりしこと紀に見ゆ、むかし推古天皇十九年五月五日の兎《ウ》田野の藥獵より此度まで四度なり、集には卷十六に爲v鹿よめる歌に、四《ウ》月と五《サ》月の間に、藥獵、つかふる時にとて、吾角は、御蓋《ミカサ》のはやし、吾|毛《ケ》らは、御筆のはやし、其外目耳肉などの事もいへり、卷十七に、天平十六年四月五日の歌に、「かきつばた、衣に摺つけ、ますらをの、競獵する月は來にけり」など有、さてから國の醫のふみどもに、四五月鹿の茸《ワカヅノ》を取こと多く見え、又五月五日に百(ノ)草を採ことも見ゆ、こゝにも五日としも有は此二つをかねたる幸なるべし、
 
20 茜草指《アカネサス》、 冠辭、
 
武良前野逝《ムラサキノユキ》、 紫野とは(卷十四)託馬《ツクマ》野に生流紫と有も同國なれば、蒲生野にも紫草の生もせめど、こゝはそれらにはかゝはらず、事をそへん爲の言のみ、
 
標野行《シメノユキ》、 しめおかれて御獵し給ふ御野をいふ、されば紫野も地の名ならぬことしるべし、
 
野守者不見哉《ノモリハミズヤ》、君之袖布流《キミガソデフル》、 こは紫野てふに、御ともの女房をそへ、命の彼《カ》ゆき此《カク》行御袖ふり給ふを、二つの野にそへ、野守は見ずやてふに、つかさ人だちの見奉り思はん事をそへしなり、此姫王は此命の夫人といふ中にも、故よしことなる風流《ミヤビ》人なれば、戯の樣してかくもさとし奉れ給ひつらん、
 
○□□□□□□《大海人(ノ)皇子(ノ)命》答御歌《コタヘタマフミウタ》、 皇太子をば、此集には、日並知皇子命、高市皇子命など書例なるを、こゝにのみ今本に皇太子と書しはいかにぞや思ふに、こゝの端詞亂れ消たるを、仙覺が補へるか、或本にかく有に依しか、
 
21 紫草能《ムラサキノ》、爾保敝類妹乎《ニホヘルイモヲ》、 こは額田姫王をさしてのたまふ、
 
爾苦久有者《ニクヽアラバ》、 吾妹をにくからば、他妻をも戀べきを、妹を愛《ウツクシ》むからは、いかで他《ヒト》妻をおもはんやとの給へり、
 
人嬬故爾《ヒトヅマユヱニ》、吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》、 袖ふりしなどは戯ごとぞとことわり給ふなり、さてこの御歌は、後世人のよむさまとはことなり、よく心をやりて見ずは解得じ、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代、天渟中原瀛眞人《アマツヌナカハラオキノマヒトノ》天皇、【後に天武天皇と申、】
 
〇十市皇女《トヲチノヒメミコ》、 天武天皇の皇女、御母は額田(ノ)姫王、
 
參2赴《マヰリタマフ》於伊勢(ノ)神(ノ)宮(ニ)1時、 紀に四年二月、此皇女と阿|閇《ベノ》皇女も共に參給ふと見ゆるを、この皇女のみを擧しは、よみ人此皇女につかへまつる女なればにや、
見《ミテ》2波多横山巖《ハタヨコヤマノイハホヲ》1、 神名式に、伊勢(ノ)國壹志(ノ)郡波多(ノ)神社、和名抄に、同郡に八太(ノ)郷あり、こは伊勢の松坂(ノ)里より、初瀬越して大和へ行道の、伊勢のうちに、今も八《ハ》太(ノ)里あり、其一里ばかり彼方に、かいとうといふ村に横山あり、そこに大なる巖ども川邊にも多し、是ならんとおぼゆ、飛鳥藤原(ノ)宮などの比、齋王通行は此道なるべしと、其國人は云り、猶考てん、【下に輕皇子宇多の安騎野へ越給ふも、泊瀬山を越ましゝなり、此山越のたやすければ、此度も他の女坂男坂などをば越給はじと覺ゆ、或人は高市郡の波多なりといへど、淨見原の宮よりは初瀬越ぞ便り有べければ、伊勢の八太よこ山ならんとおぼゆ、この輕皇子の初瀬を越給ふも、持統天皇まだ淨御原におはせし時なり、】
 
吹黄刀自《フキノトジガ》作歌、 同じ氏名は(卷十三)にも出、さて天平七年(ノ)紀に富紀《フキノ》朝臣てふあり、今は是を訓の假字にて吹黄と書るか、されど猶おぼつかなし、○刀自はもと戸主《トジ》の意なるを、其後|喚《ヨビ》名にもつきしなり、元正夫皇紀に茨《マム》田(ノ)連刀自などいへる類多し、別記あり、
 
22 河上乃《カハヅラノ》、 こはかはかみ、かはらなども訓べけれど、右にいふ所に依て、暫かはづらと訓、
 
湯都磐村二《ユヅイハムラニ》、 神代紀に、五百箇磐石てふ同事を、祝詞に湯津磐村《ユヅイハムラ》とかき、湯津桂《ユヅカツラ》、湯津(ノ)爪櫛など、皆木の枝の多く、櫛の刺《ハ》の繁きをいふなり、仍て古へより五百《イホ》を約て湯《ユ》といふを知、【これをゆづはの村とて、里の名と思へるは、云にたらず、伊保の約は與なるを、由に轉じていふ、○津を濁るは言便、】○村は群の意なる事既にも出、
 
草牟佐受《クサムサズ》、 草も生ぬ堅巖の如く、常しなへにもとこゝろ得べし、○牟須は生《ウム》ことなり、紀に皇産靈、此云2美武須毘《ミムスビト》1と有て、武須に産(ノ)字をあつ、常にも生《ウミ》の子をむすこむすめといふ是なり、
 
常丹毛冀名《トコニモガモナ》、 がもなは願ふ辭故に冀ともかき、集中に欲得とも書つ、
常處女※[者/火]手《トコヲトメニテ》、 とこしへに若き女にてをらんを願へり、【此集處女を少女の事にす、かなは神代紀に、少女此云2烏等※[口+羊]《ヲトメト》1といひ、其外皆同じ、後世乙女と書はひがことなり、】
 
○麻績《ヲミノ》王、流《ナガサレシ》2於|伊良虞島《イラゴノシマニ》1時《トキ》、時《トキノ》人|哀傷《カナシミテ》作歌、 今本伊良虞の上に伊勢國と有は、物よくしらぬ人の傍に書けんを、又後の人みだりに本文に加へしものなり、そのよしは下に見ゆ、
23 打麻乎《ウチソヲ》、 冠辭、
 
麻續王《ヲミノオホキミ》、白水郎有裁《アマナルヤ》、射等籠荷四間乃《イラゴガシマノ》、珠藻《タマモ》、 【玉藻の玉を、ほむる語といふはわろし、玉とほむるも物にこそよれ、凡草木に玉といふに、子《ミ》こそ多けれ、藻に眞の白玉の如き子《ミ》多きを、豐後の海より持來て見せし人有、】
 
苅麻須《カリマス》、 麻須はおはしますなり、
 
○麻續(ノ)王|聞v之《コレヲキヽテ》、 感傷和《カナシミテコタヘタマフ》歌、
 
24 穴蝉之《ウツセミノ》、 冠辭、
 
命乎惜美《ノイチヲヲシミ》、浪爾所濕《ナミニヌレ》、 所はねれのれに當りぬ、言の意をしらせて書のみ、
 
射良虞能島之《イラゴノシマノ》、玉藻苅食《タマモカリヲス》、 もの食を遠須といふ、紀に御食を美袁志と訓る是なり、さて右に島人と成給へば、海人がわざしておはすらんと、あはれにおもひはかりたるをうけて、かくても命は捨がたくて、藻をかりて食《ヲシ》ものとしてながらふぞとのたまへるは、古へのまこと有歌にて悲み餘りあり、注に、日本紀曰、天皇四年四月、三位麻續王、有v罪流2于因幡1、一子流2伊豆(ノ)島1、一子流2血鹿《チカノ》島1也、是(ニ)云v配2于伊勢國伊良虞島1者、若疑後人縁(テ)2歌辭1、而誤(リ)記(ス)乎《カ》、此注はよし、さていらごの崎を志摩國に在と思へるもひがことぞ、こは参河國よりしまの答志《タフシ》の崎の方へ向ひて、海へさし出たる崎故に、此下の伊勢の幸の時の事思ひはかりてよめる、人まろの歌には有なり、然ば右の紀に違ふのみならず、いらごを伊勢國と思へるもひがことなり、後の物ながら古今著聞集に、伊與の國にもいらごてふ地有といへり、因幡にも同名あるべし、
 
○天皇御製歌
 
25 三吉野之《ミヨシノノ》、 三は眞にてほむる辭、【考の御缶御念などの御も、眞の意なり、】
 
耳我嶺爾《ミヽガノミネニ》、 耳は借字にて御缶《ミミカ》の嶺なり、(卷三)此歌の同言なる歌に、御金(ノ)高《タケ》とあれど、金は缶の誤りなり、こゝに耳我と書しに合せてしらる、○後世金の御嶽といふは、吉野山の中にも勝れ出たる嶺にて、即此大御歌のことば共によくかなひぬ、然れば古へもうるはしくは御美我嶺《ミミガネ》といひ、常には美我嶺《ミガネ》とのみいひけん、そのみがねをみ金《カネ》の事と思ひたる後世心より、金(ノ)嶽とはよこなまれるなりけり、かの(卷三)岳を金《カネ》に誤しも、同じ後世人のわざなる事顯なり、別記あり、
 
時無曾《トキナクゾ》、 一本時自久曾と有も意均し、此言は上にも出、
 
雪者落家留《ユキハフリケル》、 一本、雪者落|等言《トフ》、○卷十七に、越中の立山の歌にも、等許奈都爾《トコナツニ》、由伎布理之伎底《トコナツニユキフリシキテ》とよみて、ことなる高山はいづこもしかり、
 
間無曾《ヒマナクゾ》、雨者零計類《アメハフリケル》、 一本、落等言《フルトフ》、○卷十六に越後の彌彦の山を、青雲の田名引|日良《ヒスラ》、※[雨/沐]曾保零《コサメソボフル》とよみ、方言にも筥嶺のわたくし雨といへり、
 
其雪乃《ソノユキノ》、時無如《トキナキガゴト》、其雨乃《ソノアメノ》、間無如《ヒマナキガゴト》、隈毛不落《クマモオチズ》、 この隈は隱の所をいふ、
 
思乍叙來《モヒツヽゾクル》、其山道乎《ソノヤマミチヲ》、 此山の面白きくま/\を漏さず、いく度も幸て見ますとなり、
【此大御歌の體なる、集中に多し、後世人はいかでまねばざるらん、】
 
○天皇幸2于吉野(ノ)営(ニ)1昨(ノ)御製歌、 同天皇同吉野の大御歌なるに、端詞を異にして並のせしを思ふに、此天皇の紀に吉野の幸は稀に見ゆるを、上の大御歌の意は、あまた度|幸《イデマ》せしと聞ゆ、然らばまだ皇太弟と申すときの事なりけん、そはもし此山にのがれ入ます時、よみ給ひしにやとさへおもはるゝなり、かゝれば上なるは時も定かならず、こゝのは大御位の後にて定かなれば、幸としるせしならんか、【應神天皇紀に、幸2吉野宮1時國栖人來云云と有は、古へより宮ありしなり、齊明天皇紀に、造2吉野宮1と有は、改め作らしめ給へるなりけり、】
 
27 淑人乃《ヨキヒトノ》、 上つ代に在し賢き人をの給、
 
良跡吉見而《ヨシトヨクミテ》、好常言師《ヨシトイヒシ》、芳野吉見與《ヨシノヨクミヨ》、良人四來三《ヨキヒトヨキミ》、 いにしへのよき人、吉野をよく見て實によしといへり、今の心有よき人は君にこそあれ、よく見よかしとのたまふなり、凡によしといふは實によしと定めがたし、かしこき人の、しかもよく見定めたるこそ、まことなりてふ意にて、此重ねことばはなしましたり、さてきみてふこと、歌には天皇より臣をものたまへる例古は多し、こゝは大御ともの大きみ、まちぎみだちの中に差給ふ人有し成べし、○吉野を世にこと成所ぞとほめたる歌、集中に多かれど擧るにたへず、(卷八)妹之紐結八川内乎《イモガヒモユフバガフチヲ》、古之《イニシヘノ》、淑人見等《ヨキヒトミツト》、此乎誰知《コヲタレカシル》、(卷十)古之、賢《サカシキ》人之、遊兼《アソビケン》、吉野(ノ)川原、雖見不飽鴨《ミレドアカヌカモ》、と有もこゝと同じ淑人をいへるなるべし、○吉野は上に出たる御岳の嶺もさこそあらめど、殊によしと見ゆるは、蜻蛉《アキツ》の離宮の有けん所、今は宮の瀧といへれど高く落る水にあらず、又その川上の夏箕《ナツミ》、大瀧などいふあたりこそまたなくおぼゆれ、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御字天皇代、 藤原は高天(ノ)原廣野姫(ノ)天皇、(持統)天(ノ)眞宗豐祖父(ノ)天皇、(文武)二御代の宮なり、
 
○天皇御製歌、 こは特統天皇まだ清御原(ノ)宮におはします時なる事、下の歌にてしらる、されど天武天皇崩ましてよりは、藤原宮の中に入る例なり、
 
28 春過而《ハルスギテ》、夏來良之《ナツキタルラシ》 (卷七)寒過《フユスギテ》、暖來良思《ハルキタルラシ》てふに同じ體なり、【今本なつきにけらしと訓るは、けの言をよむべき字なければとらず、》
 
白妙能《シロタヘノ》、 こは絹布をすべいふ名にて、妙は借字のみ、冠辭考に出、
 
衣乾有《コロモホシタル》、 かくよめるは集中に例あり、今本さらせりと訓しはわろし、【集中に、言の下に有在の字を書しは、らりるれろのことばにぞある、然るに後の世乾有をほすてふと訓しは誤なり、てふの辭の事は、別記の有云の下にいふ、(卷六)「つくばねにゆきかもふらる、いなをかも、かなしきころが、にのほさるかも、」ともよみつ、】
 
天之香來山《アメノカグヤマ》、 都とならぬ前に、鎌足公の藤原の家、大伴氏の家もこゝに在、此外にも多かりけん、然れば、夏のはじめつ頃、天皇埴安の堤の上などに幸し給ふ時、かの家らに衣を懸ほして有を見まして、實に夏の來たるらし、衣をほしたりと、見ますまに/\のたまへる御歌なり、夏は物打しめれば、萬づの物ほすは常の事なり、さては餘りに事かろしと思ふ後世心より、附そへごと多かれど皆わろし、古の歌は言には風流なるも多かれど、心はたゞ打見打思ふがまゝにこそよめれ、○或説に、白妙の衣とは白雲を臂へ給ふといふも、いよ/\後世心もて頓に考よせたるものなり、香山は貴けれど、高山ならねば、白雲の立もかゝりもする事なし、地をも古へをも知ずていふのみ、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂、過《ユキスグル》2近江(ノ)荒都《アレタルミヤコヲ》1時《・トキニ》作《ヨメル》歌、 柿本云云の七字を、今の本に時の字の下へつけたるは、例に違へり、古本に依て改めつ、〇人麻呂の傳は事多ければ別記に云、○天皇《・天智》六年、飛鳥崗本(ノ)宮より近江大津(ノ)宮へうつりまし、十年十二月崩給ひ、明る年の五月大海人大友の二皇子の御軍有しに、事平らぎて大海人(ノ)皇子(ノ)命は、飛鳥清見原(ノ)宮に天の下知しめしぬれば、近江の宮は古郷と成ぬ、さて後いつばかり見つるにや、歌の次でを思へば朱鳥二三年のころにや、
 
29 玉手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
畝火之山乃《ウネビノヤマノ》、橿原乃《カシハラノ》、日知之御世從《ヒヂリノミヨユ》、 こは神(ン)耶萬登伊波禮彦(ノ)天皇(神武)を申す、〇日知てふ言は、先月讀命は夜之|食《ヲス》國を知しめせと有に對て、日之食國を知ますは大|日《ヒル》女の命なり、これよりして、天つ日嗣しろしをす御孫の命を日知と申奉れり、紀に神聖など有は、から文體に字を添しにて、二字にてそれはかみと訓なり、聖の字に泥て、日知てふ言を誤る説多かり、【四の句、一本に日知之|自宮《ミヤユ》と有、】
 
阿禮座師《アレマシシ》、 阿禮は生《ウマレ》なり、(卷十三)、神代從、生繼來者《アレツギクレバ》とある是なり、さて伊波禮彦(ノ)天皇よりこなた、生《アレ》つぎましゝ御孫(ノ)命は、專らやまとの國に宮しきましたるをいふ、
 
神之御言《カミノミコトノ》、 今本に神之書、一本に盡《コト/”\》と有も共に言たらず、天皇を神と申すは常ながら、只神のこと/”\とのみいひては、こゝには穩ならざるなり、こは下に同じく神之御言能と、二度いひて事を分ちたるを思ふに、こゝも神之|御言《ミコト》と有しを、盡の一字になりしものなり、乃て改、
 
樛木乃《ツガノキノ》、 冠辭、
 
彌繼嗣爾《イヤツギツギニ》、天下《アメノシタ》、所知食來《シロシメシケル》、 次に倭乎置といふまでつづくなり、今(ノ)本、食|之乎《シヲ》と有て、こゝを句とせるよりは一本まさりぬ、
 
虚見《ソラミツ》、 冠辭、今本、天爾滿《ソラニミツ》と有は例に違ひつ、【虚見てふ言多けれど、皆四言なるを、こゝのみ五言ならんや、且滿の字を借しも心ゆかず、古本に依、】
 
倭乎置《ヤマトヲオキ》、 六言、置は捨置なり、【今本倭乎置而とあれど、一本此而の無を用、】
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
平山越而《ナラヤマコエテ》、 今本、平山|乎《ヲ》越と有よりも一本、平山越而とて、下のあふみの國へ隔て懸るに依、
 
何方《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、 一本所念計米可とあり、
 
天離《アマザカル》、 冠辭、
 
夷者雖有《ヒナニハアレド》、 【夷てふ言の事は別記にいふ、】
 
石走《イハヾシノ》、 冠辭、
 
淡海國乃《アフミノクニノ》、樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
大津宮爾《オホツノミヤニ》、 今の大津なり、
 
天(ノ)下、所知食兼《シロシメシケン》、天皇之《スメロギノ》、神之御言能《カミノミコトノ》、 こゝは天智天皇を申、
 
大宮者《オホミヤハ》、此間等雖聞《コヽトキケドモ》、大|殿《トノ》者、此間等|雖云《イヘドモ》、 宮といひ殿と云も異ならず、文《アヤ》にいふのみ、
 
霞立《カスミタツ》、春日香霧流《ハルビカキレル》、 【今本、春草|之《ノ》、茂(ク)生|有《タル》、霞立、春日之霧流と有は、歟《カ》を之(ノ)に誤りしか、さなくては聞えず、一本ぞ明らかなる、又之をがとよむ事もあれど、こゝにかなはず、】
 
夏草香《ナツクサカ》、繁成奴留《シゲクナリヌル》、 世に名高き此宮どころは、まさにこゝぞと聞、こゝぞといへども、更に春霞の立くもりて見せぬ、夏草か生しげりて隱せると疑ふなり、春霞と云て又夏草といふは、時違ひつと思ふ人有るべけれど、こは此宮の見えぬを、いかなることぞと思ひまどひながら、をさなくいふなれば、時をも違へておもふこそ中々あはれなれ、後のものに目は違ひながらよめるといへるもこれに同じ、
 
百磯城之《モヽシキノ》、 冠辭
 
大宮處《オホミヤドコロ》、見者左夫思母《ミレバサブシモ》、 その宮殿の見えぬは疑ひながら、見るに、うら冷《スサ》まじく物悲しきなり、佐夫思は集中に、冷、不樂、不怜など書つ、然れば後世もの閑けき事にさびしと云は轉じたるなり、今本、見(レ)者悲毛と有もさる事なれど、猶一本による、何ぞなれば、此宮の無ことを猶うたがひて長歌にはいひ、反歌にいたりて思ひしれる意をいへれば、こゝは只|左夫《サブ》しと有ぞよき、下の此人の歌にも此さまなるあり、巧みの類ひなきものなり、
 
 反 歌
 
30 樂浪之《サヾナミノ》、 冠辭
 
思賀乃辛崎《シガノカラサキ》、雖幸有《サキカレド》、 何にてもかはらで有を、幸《サキ》く有といへり
 
大宮|人《ビト》之、船麻知兼津《フネマチカネツ》」、 大宮人の遊びし舟のよするやとまてど見えこず、只この辛崎のみもとの如くて在といふなり、卷二に、(此天皇崩給ふ後、)「やすみしゝ、わご大きみの、大御船、待か戀なん、志賀の辛崎、」(卷十四、かぐ山の歌)「百しきの、大宮人の、退《マカリ》出て、あそぶ船には、梶さをも、なくて不樂《サブシ》も、こぐ人なしに、」などいふたぐひなり、
 
31 左散難彌乃《サヾナミノ》、志我能大和太《シガノオホワダ》、 一本、比良乃とあり、いづれにても有ぬべし、
 
與杼六友《ヨドムトモ》、 神代紀に、わだのうらてふ事を、曲浦と書しに同じく、和太は入江にて水の淀なり、
 
昔人二《ムカシノヒトニ》、將會跡母戸八《アハントモヘヤ》、 水はかく淀もあれど、過ゆく世人はとゞまる事なきを、昔人にあはんと思はめや、船待かねしははかなかりきと、今ぞ知たるなり、○將會跡母戸八とは、只あはめやてふ事なるを、そは心に念ふものなれば、念てふ言を加へていふのみ、下に忘めやてふ事を、忘而念哉《ワスレテモヘヤ》といへる類なり、今本、亦母《マタモ》相目八毛と有も、さる事なれど、言の古きにより、右の例にも依て一本を用、【おもへのおを略て、もへと云は、古への例ぞ、】
 
○高市(ノ)連|黒《クロ》人|感2傷《カナシミテ》近江(ノ)舊堵《フリヌルミヤコヲ》1作歌、 今本にこゝを高市古人と有はとらず、こは歌の初の句をよみ誤りてより、さかしらに古人とせしものなり、仍て一本によりぬ、且黒人の傳はしられず、【黒人同じ舊都をかなしめる歌、(卷十四)にも出たり、そは後に一つの傳へを聞て、家持歌集に書しものなり、○堵は都に同じ、】
 
32 古《イニシヘノ》、 古一字を初句とせし例下に多し、さて古今六帖に此歌を、いにしへのと有は、古き時の訓ののこれるものなり、次の句の訓はわろかりし、
 
人爾和禮有哉《ヒトニワレアレヤ》、 今本あるらめやと訓しは誤りぬ、
 
樂浪乃《サヽナミノ》、故京乎《フルキミヤコヲ》、見者悲寸《ミレバカナシキ》」、 こゝを見て甚悲きは、我こゝの古へ人にあればにやあらんと先いひて、立かへりさはあらぬを、いかでかくまでは思ふらんとみづからいぶかるなり、
 
33 樂浪乃《サヽナミノ》、國都美神乃《クニツミカミノ》、 志賀(ノ)郡などをしきます神をいふ、卷十七に、美知乃奈加《ミチノナカ》、(越中國をいふ、)久邇都美可未波《クニツミカミハ》と有にひとし、【こゝをうしはき給ふは日枝《ヒエ》の大山|咋《グヒノ》神なれど、この歌にてはそれをさすまでもなし、〇是を美《ミ》神の浦といふ浦の名と思へるは、いふにもたらず、又後の歌に此うらさびを、浦わの淋しき事とせるも誤なり、】
浦佐備而《ウラサビテ》、 浦は借字にて、心といふに同じ、佐備は、下に不樂不怜などかき、(卷十三)佐備|乍《ツヽ》將居《ヲラン》ともよみて、心の冷《スサマ》じく和《ナグ》さめがたきをいふ、こゝは國つ御神の御心の冷《スサ》び荒びて、遂に世の亂をおこして、都も荒たりといふなり、此言にさま/”\あり、別記に委、
 
荒有京《アレタルミヤコ》、見者悲毛《ミレバカナシモ》、
 
○幸2于紀伊國(ヘ)1時、川島(ノ)皇子(ノ)御作歌、 紀に、(持統)朱鳥四年九月此幸あり、川島皇子は天智天皇の皇子なり、紀に出、
 
34 白《シラ》□《神《カミ》・良》乃《ノ》、 今本に白浪のと有は古歌の續にあらずと荷田うしのいひしはさる事なり、今考るに、(卷十)同國に白神之磯とよめり、然れば白神の濱とありつらんを、神と浪の草の近きまゝに、且濱に浪をいふは常なりとのみ思ふ後世心もて、白浪とは書しなるべし、又催馬樂に、支《キ》乃久爾乃、之良々《シラヽ》乃波末爾とうたへるによらば、白良と有けんを、四言の有をもしらぬ人、言たらず、浪の畫の落しとてさかしらやしけん、【(卷十)又載しにも白那彌とあれど、かの卷などは私の集にて、打聞まゝに書入し物なれば、いふにたらず、且その那も加の字を誤しにもやあらん、とてもかくても白浪の濱といふべからぬ事は、古歌を知人知べし、】
 
濱松之根乃《ハママツガネノ》、 今本に松之枝と有はよしなし、考るに、(卷十)此歌松|之木《ノキ》と有を、古本には松|之本《ガネ》と有、然ればこゝは根を枝と誤しなり、よしは次々に見ゆ、
 
手向草《タムケグサ》、 草は借字にて種《クサ》なり、即手向の具をいへり、(卷三)相《アフ》坂山|丹《ニ》、手向草、麻取置而《ヌサトリオキテ》とある手向草は、麻幣の事顯はなるもて、こゝをも知べし、【後世人は、木をも草といひ、獣をも鳥といふなどいへる、此手向草を心得違ひて、それよりいへる虚ごとどもなり】
 
幾代左右二賀《イクヨマデニカ》、年乃經去良武《トシノヘヌラム》、(一云、年者經爾計武、) こゝの歌の意は、いと古へに幸有し時、こゝの濱松が根にて、御手向せさせ給ひし事傳へいふを聞て、松は猶在たてるを、ありし手向種の事は、幾その年をか經ぬらんとよみ給へるなり、(卷十四)住の江の、岸の松原、遠神、吾大君の、いでましどころなど、かはらぬ松にむかひて、むかし在けん事をいへる數へがたし、○或人松が枝を結ぶ類かといへるはよしなし、それらの事は契にて、手祭にあらず、且松を手むけとせし例もなし、此外に多くの説あれど皆論にもたらず、
 
○越《コエマス》2勢能《セノ》山(ヲ)1時、阿閇皇女《アベノヒメミコノ》命(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌、 右と同じ度なるべし、勢の山は、紀に(孝徳)畿《ウチツ》國の四方を記すに、南(ハ)自2紀伊(ノ)兄《セ》山1以來とあり、〇この皇女は、天智天皇の皇女にて、日並斯(ノ)皇子命の御|妃《メ》、文武天皇の皇母にませり、後に日嗣しろしめしぬ、
 
35 此也是能《コレヤコノ》、 辭は同じくて意の別なる事を、一つにとりなしていふ時、此言はおくなり、
 
倭爾四手者《ヤマトニシテハ》、我戀流《ワガコフル》、 京に留給ふ御|夫《セ》日並斯(ノ)皇子をのたまふ、
 
木路爾有云《キヂニアリトフ》、 ありとい〔右○〕ふのい〔右○〕を略きてありとふといへり、別記あり、
 
名爾負《ナニオフ》、 別記あり、
 
勢能山《セノヤマ》、 やまとに置て吾戀しむ夫《セ》てふ名を、此|木《キノ》路に在山の負《オヒ》てあるが、なつかしとおぼすよしなり、はかなき事につけても、故郷こひしくおもはるゝは旅なり、【我戀る勢《セ》とつゞく意なるを、其間に他の事を置たるなり、是を隔句といへり、】
 
○幸2于吉野(ノ)宮1之〔右○〕時、柿本(ノ)朝臣人麻呂(カ)作歌、 持統天皇のよし野の幸は、いと多ければ、何の度とはさしがたし、花ちらふてふ言に依に春には有けん、【拾遺集に、此歌を甚しきひがよみしつ、】
 
36 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭、
 
吾大王之《ワガオホキミノ》、所聞食《キコシヲス》、 天下の事を聞しめすなり、惣て身に著《ツク》るを、をすともめすとも云、
 
天下爾《アメノシタニ》、 六言、
 
國者思毛《クニハシモ》、 しもは、事をひたすらにいふ辭、
 
澤二雖有《サハニアレドモ》、 澤は借字にて、物の多きをいふ、
 
山川之《ヤマカハノ》、 こゝと次の二所の山川は、山と川と二つをいふ故に、かはのかを清《スミ》てとなへ侍るなり、
 
清河内跡《キヨキカフチト》、 川の行廻れる所を加波宇知といふ、その波字を約て加布知といへり、さて唱るに加宇知のごとくいふは言便のみ、
 
御心乎《ミコヽロヲ》、 冠辭、
 
吉野乃國之《ヨシノノクニノ》、花散相《ハナチラフ》、 ちるのるを延てちらふといふ、○其所の物もてかざりとする事もあれど、こは猶時のさまをいひしものぞ、
 
秋津乃野邊爾《アキツノノベニ》、 秋津は借字、蜻蛉野なり、この野の名のはじめは、雄略天皇紀にみゆ、
 
宮柱《ミヤバシラ》、太敷座波《フトシキマセバ》、 下津|磐《イハ》根(ニ)宮|柱《ハシラ》太敷立《フトシキタテ》てふ古言にて、それを即天皇のふと敷おはします事にいひなしつ、敷てふ言別記に出、此宮は吉野の夏箕川の下、今は宮(ノ)瀧といふ川|曲《グマ》の上|方《ベ》に、宮瀧てふ村ある所なり、
 
百磯城乃《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》  大御ともの王臣、
 
船並※[氏/一]《フネナメテ》、 ならべてなり、
 
旦川渡《アサカハワタリ》、舟競《フナギホヒ》、夕河渡《ユフカハワタリ》、 一段なり、こゝの言妙なり、競のよみは、(卷二十)布奈藝保布《フナキホフ》、保利江乃可波乃と有による、
 
此川乃《コノカハノ》、絶事奈久《タユルコトナク》、此山乃《コノヤマノ》、彌高良之《イヤタカヽラシ》、 ※[呑の口を日]《マヽ》は香の字を誤か、又良の上にかの字を落せしか、○此四句は山川にそへて幸と宮とをことぶけり、(卷十五)「此山の、盡ばのみこそ、此川の、絶者耳こそ、百しきの、大みやどころ、止《ヤム》時もあらめ、」其反歌に、「神代より、芳野の宮に、在《アリ》通ひ、高しらするは、山川をよみ、」ともよみたり、【こゝのさま、山も川も、實に物よりことに清らに面白し、】
 
珠水激《イハバシル》、 冠辭、
 
瀧之宮子波《タギノミヤコハ》、 宮の前即瀧川なればかくいふ、【子は借字にて宮所なり、】
 
見禮跡不飽可聞《ミレドアカヌカモ》、
 
 反 歌
 
37雖見飽奴《ミレドアカヌ》、吉野乃河之《ヨシヌノカハノ》、常滑乃《トコナメノ》、 常《トコ》しなへに絶ぬ流れの石には、なめらかなる物のつけるものなり、そを即體にとこなめといひなして事の絶せぬ譬にせり、(卷四)「豐初瀬路は、常滑の、畏き道ぞ」てふも川路にて心同、
 
絶事無久《タユルコトナク》、復還見牟《マタカヘリミム》、」
 
38 安見知之《ヤスミシヽ》、 此冠辭はこゝを正字とす、
 
吾大王《ワガオホキミ》、 古事記の古言のまゝに、六言にす、
 
神長柄《カミナガラ》、 長柄は借字、天皇は即神におはするまゝにといふ意なり、紀に(孝徳)惟神我子應治故寄《カンナガラモワガミコノシラサンモノトヨザシマス》、こを古注に、謂d隨《マヽニ》2神(ノ)道1亦自有c神(ノ)道u也といへるをもて思へ、下の藤原宮づくりに役《タツ》民が歌の末に、神隨|爾有之《ナラシ》とよめる是なり、後世にながらといふとは異なり、後世いふは轉々せり、【ながらてふ言の事は、下の須良てふ辭の別記にいへり、】
 
神佐備世須登《カミサビセスト》、 此佐備は進《スサ》みの意にて、心ずさみ手ずさみなどいひて、なぐさみといはんが如し、此言の事別記にくはし、〇下の藤原宮づくりの所には、天の下治め給ふ都の事なれば、食《ヲス》國をめし給はんとよみ、ここは御心なぐさの爲故に、神佐備世須登といふ、
 
芳野川《ヨシノガハ》、多藝津河内爾《タギツカフチニ》、高殿乎《タカトノヲ》、高知座而《タカシリマシテ》、 この歌の別記に云、
 
上立《ノボリタチ》、國見乎爲波《クニミヲスレバ》、 山の際にあれど、高殿よりは、ひろく遠く見ゆべきなり、
 
疊有《タヽナハル》、 冠辭考にいふ、
 
青垣山《アヲガキヤマノ》、山神乃《ヤマヅミノ》、 青垣山てふは、青山の垣の如く在をいふ○山づみは、山をたもちます神をすべていふなり、【青がき山とは、いづこにもいへり、一つの山の名と思へるはひがことぞ、○山づみのみ〔右○〕はもち〔二字右○〕の約にて、山つ持てふ言なり、】
 
奉御調等《マツルミツギト》、 たてまつるを畧きてまつるといふ、(卷十一)「麻そかゞみ、かけてしぬべと麻都理太流《マツリタル》」といへり、他にもあり、
 
春部者《ハルベハ》、 四言、部は方《ベ》の意なり、別記あり、
 
花挿頭持《ハナカザシモチ】、 持は添たる言にて、古きふみどもに例あり、
 
秋立者《アキタテバ》、黄葉頭刺理《モミヂカザセリ》、 一本|黄葉加射之《モミヂバカザシ》と有も、あしからず、されどこゝは定かにいひ切たるに依、
 
遊副川之神母《ユフカハノカミモ》、 かの宮瀧の末に、今はゆ川てふ所有是か、又(卷八)結八川内《ユフバガフチ》とよめる是ならんか、定めがたし、○此句なみは餘れりやたらずやとおぼゆれど、猶例あり、
 
大御食爾《オホミケニ》、仕奉等《ツカヘマツルト》、上瀬爾《カミツセニ》、鵜川乎立《ウガハヲタチ》、 川の上下を多くの人もて斷《タチ》せきて、中らにて鵜を飼ものなれば、斷《タチ》といふべし、(卷十九)に、宇河波多々佐禰《ウガハタヽサネ》、またう川|立《タチ》、とらさんあゆのとも云、【川にといはで、川乎立といふからは、立は借字にて斷ことなるを知べし、】
 
下瀬爾《シモツセニ》、小網刺渡《サデサシワタシ》、 和名抄に、※[糸+麗](ハ)(佐天)網(ノ)如2箕形1、狹(ク)v後(リ)廣(クスル)v前(ヲ)名也と云り、今もさる形なるをさでといふ、卷十九に、平瀬には、左泥《サデ》さし渡し、早瀬にはうをかづけつゝとよみつ、
 
山川母《ヤマカハモ》、 山も川もなり
 
依※[氏/一]奉流《ヨリテツカヘル》、神乃御代鴨《カミノミヨカモ》、 山のかざしとせる花もみぢを、即山(ノ)神のみつぎとし、川にとれる魚を、即河(ノ)神のみつぎとし、山も川もよりなびきつかへまつる、神《カン》すべらぎの御代なるかもといへるきほひ、此ぬし一人のしわざなり、【菅原長根がいはく、古事記に、天孫天降ます始め、大山津見神百取(ノ)机代の物を持しめて、其|女《ムスメ》を仕奉らせ、火々出見命海に入ましゝ時も、海神百取机代の物を捧て、其女を仕奉せたる、即此山神河神の仕奉も均し、是ぞ此國人に教ずして教る道にして、あな恐あなたふと、】
 
  反 歌
 
39 山川毛《ヤマカハモ》、因而奉流《ヨリテツカヘル》、 上にも奉仕の仕を畧きつ、故こゝも奉一字をつかへるとよめり、
 
神長柄《カンナガラ》、多藝津河内爾《タギツカフチニ》、船出爲加加《フナデセスカモ》、 山川のもろ神だちも仕奉る大御神におはしまして、唯今船出し給ふを見奉るが貴きと申すなり、大泊瀬の天皇葛城山の大御狩の時、一言主の大神の送り奉り給ひける御いきほひを思ひあはせらる、
 
○幸2伊勢國(ヘ)1之〔右○〕時、留v京《ミヤコニアリテ》柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作歌、 紀に(持統)六年三月に此伊勢の幸有て、同五月志摩の阿胡《アゴノ》行宮におはせしと見えたり、
 
40 嗚呼兒乃浦爾《アゴノウラニ》、 こは志摩(ノ)國|英虞《アゴノ》郡の浦なり、行宮こゝに在ことを聞て、おしはかりによめるなり、然るを今本|兒《コ》を見に誤て、あみのうらと訓しはみだりなり、(卷十一)古歌とて誦たるに、安胡《アゴ》乃宇良爾、布奈能里須良牟、乎等女良我《ヲトメラガ》、安可毛能須素爾、之保美都良武賀と有は、即この歌なれば、地の名もすべての訓も何をかは求めん、
 
船乘爲良武《フナノリスラム》、※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、珠裳乃須十二《アカモノスソニ》、四寶三都良武香《シホミツラムカ》、」 海をとめこそあらめ、宮女《ヒメトネ》たちの赤ものすそに汐みち來なんは、めづらしく面白き事を思ひたり、【珠は、(卷十一)に依て安可と訓、】
 
41 釧著《クシロツク》、 冠辭、これを今本は字訓ともに誤りつ、
 
手節乃崎爾《タブシノサキニ》、 志摩國|答志《タフシノ》郡の崎なり、それに釧《クシロ》を著る手の節《フシ》といひかけたり、釧は手に纏《マク》物なればなり、【本は多|夫《ブ》志と濁りつらんを、答の字を書しより後、多宇志の如く唱ふめり、】
 
今毛可母《イマモカモ》、 今かなり、二(ツ)の毛は辭、
 
大宮人之《オホミヤビトノ》、玉藻苅良武《タマモカルラム》、」 まためづらしき遊びなり、
 
42 潮左爲二《シホサヰニ》、  潮の滿る時、波の左和具《サワグ》をしほさゐといふ、ゐは和藝《ワギ》の約めなり、(卷四)浪乃鹽左|猪《ヰ》島《シマ》響《ヒヾキ》といひ、(卷十一)おきつ志保左|爲《ヰ》、たかく立きぬなどよめり、
 
五十良兒乃島邊《イラゴノシマベ》、 いらごは参河國の崎なり、其崎いと長くさし出て、志摩のたぶしの崎と遙に向へり、其間の海門《ウナト》に神《カミ》島、大づくみ小づくみなどいふ島どもあり、それらかけて、古へはいらごの島といひしか、されど此島門あたりは、此に畏き波の立まゝに、常の船人すら漸に渡る所なれば、官女などの船遊びする所ならず、こゝは京に大よそを聞て、おしはかりによみしのみなり、【邊《ベ》は方《ベ》と、心通へば書るのみ、へんの字音にいひて、又ほとりの意有と思ふは、後人のひが意得ぞ、】
 
※[手偏+旁]船荷《コグフネニ》、妹乘良六鹿《イモノルラムカ》、荒島囘乎《アラキシマワヲ》、」 俄に潮の滿來て浪のさわぐにぞ、なれぬ妹らがわぶらんことを思ふなり、島囘は島のあたりをいふ、浦|回《ワ》磯|廻《ワ》などいふ皆|和《ワ》のかななり、浦び、浦|箕《ミ》、島|備《ビ》、磯|間《マ》などいへるも、意は相通ひて、言は別なり、○此三くさの初は、宮びめをいひ、次は臣たちをいひ、其次は妹といへれば、人まろの思ふ人御ともにあるを云り、されど言のなみによりて妹といへる事もあれば、そは定めがたし、凡此人の歌かくならべよめるには、其歌ごとへわたして見るに面白き事あり、○此あごのうら、くしろつく、しほさゐのみつは荷田東萬呂うしのよみしまゝなり、
 
○當麻眞人麻呂妻《タギマノマヒトマロガメノ》作歌、 紀にも出し人なり○當麻は紀(履中)に※[口+多]|※[山+耆]《ギ》摩といひ、集にも當を瀧に借たり、後世たへまと云は訛なり、【(卷十三)又載しには、麻呂の下に大夫と有、】
 
43 吾勢枯波《ワガセコハ》、何所行良武《イヅコユクラム》、已津物《オキツモノ》、 冠辭、
 
隱乃山乎《カクレノヤマヲ》、 此山は經《ヘ》給ふ國に有か、猶たゞ伊勢に有か、後にいへる説どもはよりがたし、
 
今日香越等六《ケフカコユラム》、
 
○石上大臣《イソノカミノオホマヘツギミ》從駕《オホミトモニテ》作歌《ヨメルウタ》、 石上朝臣麻呂公は、慶雲元年に右大臣となり給ひて、この持統天皇の御時は、いまだ大臣ならねど、後よりしか書しなり、
 
44 吾妹子乎《ワギモコヲ》、 古は妻を妹といへり、しかるべき事なり、且|和賀伊毛《ワガイモ》の賀伊を約めて和|岐《ギ》毛といふ、故に岐を濁るめり、【雄略天皇紀の注に、稱v妻爲v妹蓋古之|俗《ナラヒ》乎といへるには、いまだよく古を知ぬ人の疑なり、別記有】
 
去來見乃山乎《イザミノヤマヲ》、 いざみのてふはしらねど、式に伊勢國多氣郡に伊佐|和《ワノ》神社、志摩の答志《タフシ》郡に、伊佐波《イザハノ》神社などいふもあれば、此國らの中に伊佐美の山てふも有しにや、又楢山を、葛衣、著楢《キナラ》の山といひ下せし類にて、佐美の山てふ有に、いざみといひかけしにや、
 
高三香裳《タカミカモ》、日本能不所見《ヤマトノミエヌ》、國遠見可聞《クニトホミカモ》、 いざやゝまとなる妹があたりの見ゆやとて、見放れど見えぬは、山の高くて隔るか、おのづから國遠ければ見えぬかとなり、妹こひしらにわびて、ふと思へることゞもを、そのままにいひつゞくるぞ古への歌のこゝろなる、
 
○輕皇子《カルノミコ》、 此條はまだ藤原へうつりまさぬ前なれば、御歳若き時なり、
宿《ヤドリタマフ》2于|安騎野《アキノニ》1時《トキ》、柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作歌、 古本の傍注に、皇子枝別記を引て、此御事を文武少名河瑠(ノ)皇子、天武(ノ)皇太子草壁皇子(ノ)尊之子也といへる是なり、【此草壁皇子は、日並知皇子とも申したり、】此御父尊、前に、こゝに御獵ありし事、卷二の歌にも見ゆ、故に此たびの御獵もし給ふよし、左の歌に見えたり、○安騎野は、左の歌に阿騎乃大野とよみ、紀に(天武)菟田郡云云到2大野1といひ、式に宇陀郡阿紀(ノ)神社など有にてしらる、○此御ことは王と申べきを、皇子と書しは、後よりたふとみて書か、
 
45 八隅知之、吾大王、 六言、
 
高照《タカヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、 四言、古事記の古言のまゝにかく訓るよしは、冠辭考にいへり、さて天皇の御事を申す言をいひしは、此王他に異なるを知べし、
 
神長柄《カミナガラ》、神佐備世須登《カミサビセスト》、 此句は、次の泊瀬と云より末までかゝる、
 
太敷爲《フトシカス》、京平置而《ミヤコヲオキテ》、 太は廣なり、祝詞に廣數|坐《マス》、又太前とも廣前ともいへり、
 
隱口乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬山者《ハツセノヤマハ》、眞木立《マキタツ》、 四言、眞木は檜にて、深き山に生なり、
 
荒山道乎《アラヤマミチヲ》、 荒《アラ》は生《アレ》ながらのことにて人氣になれぬをいふ、○今初瀬寺の傍に宇陀へ越る坂路あり、古へも此道なるか、
 
石根《イハガネノ》、楚樹押靡《シモトオシナベ》、 しもとゝは繁本《シゲモト》の略にて、弱《ワカ》き木立の茂きをいふ、本とは木の事なり、さて其茂きわか木どもを、百千の御とも人の、押なびかして越るさまをしらせたり、○今本、楚を禁に誤りたり、
 
坂鳥乃《サカトリノ》、 冠辭、
 
朝越座而《アサコエマシテ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
夕去來者《ユフサリクレバ》、 去は借字なるよし上にいひつ、
 
三雪落《ミユキフル》、 此時冬なり、【三雪の三は眞《マ》也、後世此三を深と書は、古へなき事なり、み山み谷なども眞とほむるに、大きなる事も深きこともこもりて有、】
阿騎乃大野爾《アキノオホノニ》、旗須爲寸《ハタズヽキ》、 此もの冠離考に委し、
 
四能乎押靡《シノヲオシナベ》、 すゝきのしなひを押なびかしなり、物のしなへたるをしのとはいふ、なよ竹にしのといふ類是なり、後世繁き事をしのといふと思ふは誤なり、そをばしゞとこそいへ、
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
多日夜取世須《タビヤドリセス》、 せさせますてふをつゞめてせすと云、
 
古昔念而《イニシヘオボシテ》、 かの御父尊を戀給ふなり、
 
 反歌、 今本こゝには短歌とあれど、今反歌とす、その理りは別記にいふ、
 
46 阿騎乃野爾《アキノノニ》、 今本野を落せり、
 
宿旅人《ヤドルタビビト》、 御ともの人々、
 
打靡《ウチナビキ》、 【打靡を、なびくとよむと、なびきと訓とわかちあり、そは冠辭考にいひつ、】
 
寐毛宿良目八方《イモネラメヤモ》、 ねられめやのれを略く、目は一本による、○寢《イ》は禰入る事、禰はなゆる事、打なびきは、其なよゝかに臥さまをいふなり、惣ていはゞ、身をなよゝかになびけ臥て、ねいられめやなり、
 
古部念爾《イニシヘオモフニ》、」 こは臣たちの心をいふ、
 
47 眞草苅《マクサカル》、 檜を眞木とほめいふ類にて、こはすゝき茅《チ》などの高がやをいふ、
 
荒野二者雖有《アラノニハアレド》、 右の荒山といふに意同じ、〇二の字一本による、
黄葉《モミヂバノ》、過去君之《スギニシキミガ》、 人の身まかれる事を譬て、黄葉の、過|去《ニシ》人といへる集中にいと多し、然ば今本葉の上に黄字のなきは、必落たる物しるければ加へつ、さてこそ次の語どもゝ明かなれ、【黄の字落し事は、契沖もいひつ、又今本の訓はいふにもたらず、】
 
形見跡曾來師《カタミトゾコシ》、」 過《スギ》いに給ひし御父尊の形見とてぞ、ここにおはしましたりとなり、(卷十五、人萬呂歌集の歌)鹽氣たつ、ありそにはあれど、行水の、過にし妹が、かた見とぞ來し、てふも同じ意なり、
 
48 東《ヒムガシノ》、 東を一句とせし例、下におほし、【今本にあづまののけむりのたてると訓しは、何の理りもなくみだり訓なるを、それにつき、あづま野てふ所有とさへいふにや、後人のいふ事はかくこそあれ、】
 
野炎《ノニカギロヒノ》、立所見而《タツミエテ》、 炎は(卷十五)炎乃《カギロヒノ》春爾之成者とよめり、此言は火の光を本にて、朝夕の日かげ、陽炎などをもいふ、こゝは明る空の光の立をいふ、冠辭考に委し、
 
反見爲者《カヘリミスレバ》、月西渡《ツキカタブキヌ》、」 曉東を見放れば、明る光かぎろひぬるに、又西をかへり見れは、落たる月有といふなり、いと廣き野に旅ねしたる曉のさま、おもひはかるべし、
 
49 日雙斯《ヒナメシ》、 四言、
 
皇子命乃《ミコノミコトノ》、馬副而《ウマナメテ》、 副はそひ並ぶ意、
 
御獵立師斯《ミカリタヽシヽ》、時者來向《トキハキマケリ》、 今本きむかふと訓は、意はさることながら、ことば古へにあらず、【卷十九に、春過而、夏來向者と有をも、きまければと訓べし、】○卷二に此日並斯(ノ)尊の殯宮の時の歌に、毛《ケ》ごろもを、春冬とりまけて、幸之《イデマシヽ》、宇陀の大野は、思ほえんかもてふ即こゝのことなり、
 
○藤原宮之役民作歌《フヂハラノオホミヤヅクリニタテルタミガヨメルウタ》、 此宮は持統天皇朱鳥四年よりあらましの事有て、八年十二月ぞ清御原宮よりこゝに遷りましつ、その初め宮造りに立民の中にこの歌はよみしなり、○宮の所は十市郡にて、香山耳成畝火の三山の眞中なり、今も大宮|殿《ドノ》と云て、いさゝかの所を畑にすき殘して、松立てある是なり、○役の字を今はえだちとよめど、えは役の字音にて、古言にあらず、集中にたつたみとよめるぞ、これにはかなへり、且造藤原宮と書べきを略に過たり、仍て其意を得て訓《ヨム》は、古書の例なり、【令に起《タヽス》2丁匠(ヲ)1と有これなり、】
 
50 八隅知之《ヤスミシヽ》、吾大王《ワガオホキミ》、高照《タカヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、 前に出、
 
荒妙乃《アラタヘノ》、 冠辭、
 
藤原我字倍爾《フヂハラガウヘニ》、 此所今は畑と成つれど、他よりは高し、古はいよゝ高き原なりけん、仍て上といふ、
 
食國乎《ヲスクニヲ》、賣之賜牟登《メシタマハント》、 天の下の臣民を、召給治給ふ都なればいふ、
 
都宮者《ミアラカハ》、高所知武等《タカシラサムト》、 上に太敷す、京をおきてとよめるは、京を惣いへり、こゝは專ら宮殿の事なれば、卷二に御在香《ミアラカ》乎、高知|座《マシ》而と有に依てよみつ、みあらかは御在所にて即宮をいふ、
 
神長柄《カンナガラ》、 既にいへり、
 
所念奈戸二《オモホスナヘニ》、 奈戸二は並《ナミ》にてふ言にて、おもほせるままにてふ意と成ぬ、別記あり、
 
天地毛《アメツチモ》、縁而有許曾《ヨリテアレコソ》、 上に山川も因而つかへる神ながらとよみし類にて、此大営造に、天つ神國つ神も御心をよせ給てあればこそなり、○此言どもは、末に諸の國の宮材どもを奉り、民どもゝいそしくつかへまつるをいふに皆冠らす、
 
磐走《イハバシノ》、 冠辭、
 
淡海乃國之《アフミノクニノ》、衣手能《コロモデノ》、 冠辭、
 
田上山之《タナガミヤマノ》、 栗本郡、
 
眞木佐苦《マキサク》、 四言、
 
檜乃嬬手乎《ヒノツマデヲ》、 つまでとは、杣人の木《コ》造りせし木をいふ、こゝは其割造れる檜の材《ツマデ》てふ意にて、かくいひ下したり、【嬬手の事、冠辭の麻の部にいへり、】
 
物乃布能《モノヽフノ》、 冠僻、
 
八十氏河爾《ヤソウヂガハニ》、 是も冠辭考にくはし、
 
玉藻成《タマモナス》、 成は如なり、
 
浮倍流禮《ウカベナガセレ》、 下に者を畧、
 
其乎取登《ソヲトルト》、散和久御民毛《サワグミタミモ》、 田上の材を、その川より宇治まで流して、宇治にてとりとゞめて筏に作り、淀川より泉川をさかのぼせて、藤原へいたらす、
 
家忘《イヘワスレ》、身毛多奈不知《ミモタナシラズ》、 國々より参れる民どもの、わが家をもおもひたらず、身の上をもたねらひしらず仕へまつるといふなり、【多奈不知てふ言は別記にいふ、】
 
鴨自物《カモジモノ》、 冠辭、
 
水爾浮居而《ミヅニウキヰテ》、 こゝは暫切て、下の百不足、五十日太爾作云云てふへつゞくるなり、かく樣に上に條々《オチ/\》の事をいひ擧て、下の一所へ落すこと、歌にも文にも有なり、
 
吾作《ワガツクル》、 民の吾なり、
 
日之御門爾《ヒノミカドニ》、 六言、藤原の宮をいふ、
 
不知國依《シラヌクニヨリ》、 諸の國よりも奉ればかくいふのみ、
 
巨勢道從《コセヂヨリ》、 これは其諸の不v知國々より奉る中に、一つの道の事をいひて、他の道々よりもまゐるをしらせたり、故に從の下に陸より奉る事をば惣て畧、【巨勢は藤原の南高市郡にて、紀伊吉野宇智などの方の材を陸より奉る道なり、】
 
我國者《ワガクニハ》、常世爾成牟《トコヨニナラム》、圖負留《フミオヘル》、神龜毛《アヤシキカメモ》、新代登《アタラヨト》、 この五句は、ことほぎの言をもて、句中の序として、さて出《イヅ》といひかけたり、神龜は他國に龜(ノ)負v圖出2洛水1てふ事有を思ひよせていふなるべし、【まぢかく天智天皇の御時、神龜の出し事紀に見ゆれど、それをいふにもあらじ、】○新代とは、新京に御代しろしめすをいふなり、(卷十四、十五)など、久邇の新京の事をもしかいひつ、
 
泉乃河爾《イヅミノカハニ》、 山城國相樂郡の河なり、
 
持越流《モチコセル》、 右の不知國依てふ中に、此川へ持こすべき方も有べし、それらはこゝにて筏として、藤原の宮所へ川のまに/\上すなり、上の田上の材の宇治にて筏とせしも、同しくこゝへ至りてのぼするなり、【上の宇治に筏とせし事は、こゝの言を待て知べし、】
 
眞木乃都麻手乎《マキノツマデヲ》、 又此言をあげいはでは、次の言のいひがたければなり、かく樣の所に心せし物ぞ、
 
百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
五十日太爾作《イカダニツクリ》、泝須良牟《ノボスラム》、 良牟といふは、田上の宮材に仕奉るものゝおしはかりていへるなり、
 
伊蘇波久見者《イソハクミレバ》、 事をよく勤るを、紀にいそしといへり、
 
神隨爾有之《カ|ミ《ン》ナガラナラシ》、 上にもいへる言を、二たびいひて結びたり、このたびの民どもの中に、いかなる人の隱れをりて、かゝる歌をしもよみけん、時なるかな、
 
○從《ユ》2明日香(ノ)宮1遷2居《ウツリマセシ》藤原(ノ)宮(ニ)1、之|後《ノチ》、 此事既出、
 
志貴《シキノ》皇子(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌、 居は此皇子をさすのみ、〇こは天智天皇の皇子にて、靈龜二年に薨給ひぬ、さて光仁天皇の御父にてませば、後に追尊みて春日(ノ)宮(ニ)御宇《アメノシタシラス》天皇と申せり、
 
51 ※[女+委]女乃《タワヤメノ》、 ※[女+委]は注に弱好(ノ)貌といへば、手弱女てふ言に書つらん、※[女+采]女と書は後の誤とす、
 
軸吹反《ソデフキカヘセ》、 吹かへすと訓しはわろし、
 
明日香風《アスカカゼ》、 佐保風、伊香保風などの如く、其所に吹風をいふ、
 
京都乎遠見《ミヤコヲトホミ》、無用爾布久《イタヅラニフク》、 こゝ宮|所《コ》なりし時、花の如き袖吹わたりし風の、今はたゞよしなくのみふきぬる哉、むかしべに吹かへせかしと、風によせて歎き給へり、
 
○藤原(ノ)宮(ノ)御井《ミヰノ》歌、 歌に藤井か原とよめる、即こゝに上つ代より異なる清水有て、所の名とも成しものぞ、香山の西北の方に今清水有といふは是にや、
 
52 八隅知之、和期《ワゴ》大王、高|照《ヒカル》、日之|皇子《ミコ》、 下に我てふ事を和|呂《ロ》ともあるは、和禮|良《ラ》を約め轉ぜし言なり、然ればこの呂と期と通ふまゝに、和期とは云にて、我等之《ワレラガ》てふ言なり、
 
麁妙乃《アラタヘノ》、 冠辭、
 
藤井我原爾《フヂヰガハラニ》、大御門《オホミカド》、始賜而《ハジメタマヒテ》、 御門といふに宮殿はこもれり、
 
埴安乃《ハニヤスノ》、堤上爾《ツヽミノウヘニ》、 卷二にも埴安の池の堤とよみたり、こは香山の尾長く、池の東北までに廻りてありしが、それに引つゞきて、西の方に大なる堤の有つらんをいふべし、
 
在立之《アリタヽシ》、 むかし今と絶せず在ことを、在通ふ、在|乍《ツヽ》などいへり、然ば天皇はやくより此堤に立して、物見放給へりしをいふなり、
 
見之賜者《メシタマヘバ》、 之《シ》といふはあがめ辭にて、見させ給ふといふに同し、【見しをめしといふは、古へは見る事を目《メ》といひしなり、下に例あり、】
 
日本乃《ヤマトノ》、 此下に幸2于吉野宮1時、倭爾者、鳴而歟來良武とよめるは、藤原(ノ)都|方《ベ》を倭といへるなり、然れば香山をもしかいへる事知べし、後にも山(ノ)邊郡の大和《ヤマト》の郷といふは、古は大名《オホナ》にて、其隣郡かけて、やまとゝいひしなり、故に此言あり、此事別記に委しくす、
 
青香具山者《アヲカグヤマハ》、 青とは木繁く榮るをいふ、次の山々もしかり、
 
日經乃《ヒノタテノ》、大御門爾《オホキミカドニ》、 紀に(成務)以2東西(ヲ)1爲2日(ノ)縱1、南北爲2日横1といへり、こゝは其日(ノ)縱の初の方もて、香山は東御門に當るをいへり、
 
春山跡《ハルヤマト》、 今本跡を路に誤、
 
之美佐備立有《シミサビタテリ》、 春はことに茂《シミ》榮ればいふ、○此佐備は、神さびを畧くなり、
 
畝火乃《ウネビノ》、 是は高市郡なり、
 
此美豆山者《コノミヅヤマハ》、 美豆《ミヅ》はほむる言なり、冠辭のみづ/”\しの條に委、
 
日緯能《ヒノヨコノ》、大御門爾、 日のよこは南北にて、南を先とする時は、畝火は南の御門に當れり、
 
彌豆山跡《ミヅヤマト》、山佐備伊座《ヤマサビイマス》、 こゝにいますといひ、次に神さび立といへれば、上も神さびの畧なるを知ぬ、其山を即神とするは例なり、
 
耳爲之《ミヽナシノ》、 今本に耳高とあれど、こゝは大和の國中の三の山をいひて、その三の一つの耳成山ぞ、北の御門に當るなれば、爲を高に誤し事定かなり、故に改たり、【(卷十五)都禮母|無《ナキ》の無を爲に誤し類なり、】
 
青菅山者《アヲスカヤマハ》、 こは一の名にあらず、上の二山にほめたる言有が如く、常葉なる山菅もて耳成の茂《シミ》榮るをいふ、
 
背友乃《ソトモノ》、大御門爾、 紀に(成務)山(ノ)陽《ミナミヲ》曰2影面《カゲトモト》1、山(ノ)陰《キタヲ》曰2背面《ソトモト》1と有て、此耳成は北の御門に當りぬ、○友は借字、
 
宜名倍《ヨロシナヘ》、 上にいへる如く、よろづ備り並《ナメ》たるといふなり、委は別記にあぐ、
 
神佐備立有《カミサビタテリ》、 上にいへり、【右三山、東南北の御門に正しくはあたらねど、凡をもていふなり、】
 
名細《ナクハシ》、 四言、名高き事なり、冠辭、
 
吉野乃山者《ヨシノノヤマハ》、影友乃《カゲトモノ》、 右に云り、
 
大御門|從《ユ》、雲居爾曾《クモヰニゾ》、遠久有家留《トホクアリケル》、 南の御門に當りて、遠く見放らるゝは吉野山なり、其外もあれど專ら成を云のみ、
 
高知也《タカシルヤ》、天之御蔭《アメノミカゲ》、 天は高く敷はへてくにをおほへり、
天知也《アメシルヤ》、 二つの也は辭のみ、
 
日之御影乃《ヒノミカゲノ》、 又其天を知ます日といへり、されど實は只天の御蔭日の御影の成《ナシ》出る水といふのみ、
 
水許曾波《ミヅコソハ》、 右は上つ代より唱へ傳たる古言を、事につけてあやにいひなせるなりけり、【此紀と祝詞の意、こことはことなれど、古言の例に引なり、】紀に(推古)二十年正月、大みうたげの日、蘇我(ノ)大臣、ことぶきまつれる歌に、夜須彌志斯《ヤスミシヽ》、和餓於朋耆彌能《ワガオホキミノ》、※[言+可]句理摩須《カクリマス》、阿摩能椰蘇河礙《アマノヤソカギ》、異泥多々須《イデタヽス》、彌蘇羅烏彌禮麼《ミソラヲミレバ》、 云云、祝詞に、瑞【能】御舍【乎】仕奉【※[氏/一]】《ミヅノミアラカヲツカンマツリテ》天(ノ)御蔭日御蔭【登】隱坐【※[氏/一]】《ミカゲヒノミカゲトカクリマシテ》とも有、
 
常爾有米《トコシヘナラメ・ツネニアリナメ》、御井之清水《ミヰノマシミヅ》、」 堀設し水はかるゝ事有を、天の御蔭日の御蔭に依て、自ら涌出る水こそ、常しなへにあらんといふなり、○しみづを常の例によりて、眞《マ》の言をそへて調《シラ》べをなしぬ、○今本こゝに短歌と書て、左の歌を右の長歌の反歌とせしは、歌しらぬものゝわざにて、左の歌は必右の反歌にはあらぬなり、是は此所に別に端詞の有しが落たるか、又は亂れたる一本に、短歌と有しを以て、左の歌をみだりにこゝに引付しにも有べし、故左は別歌とす、
53 藤原之《フヂハラノ》、大宮都加倍《オホミヤヅカヘ》、安禮衝哉《アレツゲヤ》、 衝は借字にて、生繼者《ウマレツゲバ》にやなり(卷十三)、神代|從《ヨリ》、生繼來者《アレツギクレバ》、人|多《サハ》爾、國には滿て、(卷十五)、八千年爾、阿禮衝之《アレツガシ》つゝ、天の下、しろしめしけんといへるたぐひなり、
 
處女之友者《ヲトメガトモハ》、 處女は少女なり、友は輩《トモガラ》なり、卷十六に、ねぢけ人の友、紀に(神武)宇介譬餓等茂《ウカヒガトモ》など云に同じ、
 
之吉召賀聞《シキメサルカモ》、 之吉は重々《シゲ/\》なり、さて此大みやづかへにとて、少|女《メ》が伴《トモガラ》の多く生《ウマ》れ續けばにや、頻に召たてらるゝよと云なり、姫天皇におはせば、女童を多く召ことありけんを、それにつけてよし有て此歌はよめるなるべし、かゝれば必右の反歌ならず、
 
●下の端詞に、かく黒きしるししたる所の歌どもは、こゝに入べきなり、
 
○大寶(ノ)元年《ハジメノトシノ》辛丑秋|九月《ナガツキニ》、太上天皇《オホスメラミコト》、 こは持統天皇を申す、
 
幸2紀伊國1時(ノ)歌、 文武天皇紀に、今年今月同國幸の所には、天皇とのみあり、此集(卷十)には、同じ度の幸を、太上天皇大行天皇としるし、今こゝには天皇を申さずして、各ことなるこそおぼつかなけれ、是を強ていはば、紀と此卷とは、互に一御事を落せしにて、共に太上天皇・天皇とありけんか、【(卷十)大行天皇と有は、天皇おはしまさぬ後申すことなれば、此一二の卷などに書ことならぬよしは、此下にも別記にもいふ、○太上天皇を、おほすべらみことゝ申は、大后をおほきさきと申例なり、】
 
54 巨勢山乃《コセヤマノ》、 藤原の京より、巨勢路を經て、木の國へ行なり、
 
列々椿《ツラツラツバキ》、 本たちの多く生つらなりたる椿をいふ、下に八峯《ヤツヲ》の椿つら/\にともいへり、【重字をかくの如く書は、やまともからも古へは皆しかり、】
都々良々爾《ツラツラニ》、 上の列々を轉じて、ねもごろにつらねつらね見思ふことにいひなせるなり、
 
見乍思奈《ミツヽオモフナ》、 奈は、言をいひおさへる辭、
 
許湍乃春野乎《コセノハルノヲ》、 今は九月にて、花さかん春を戀るなり、○つばきを多く植おくは、子《ミ》を採て油とせん爲なり、皇朝は此ものことなるにや、から國へ此油を贈給へること、紀に見えたり、
 
右一首|坂門《サカトノ》人足、是と次の調首淡海とは目録にもしるさず、又一本には小字に書たり、然ればいと後世人の書しものなり、いか成物に依けん、捨もしつへし、
 
55 朝毛吉《アサモヨシ》、 冠辭、
 
木人乏母《キビトトモシモ》、 紀の國を、本は木の國と書り、
 
亦打山《マツチヤマ》、 下に木路に入|立《タツ》信土《マツチ》山とよみて、大和に近きほどの紀伊の山なり、【亦打とは、多宇の約|都《ツ》なれば、借て且たはれ書たるにて、實は眞士の意なり、】
 
行來跡見良武《ユキクトミラム》、樹人友師母《キビトトモシモ》、 (卷十)「あさもよし、木方《キベ》ゆく君が、信土山、こゆらんけふぞ、雨なふりそね」ともよみて深き山なることしらる、伊勢物語に、「するがなる、宇つの山べの、うつゝにも、夢にも人に、あはぬなりけり」てふ如く、ところの人の行來すら見ること稀にて、物さびしき山路に入て、心ぼそくおもふさまをいへるなり、○或説に、幸の御ともの往來を見らん人の少きをいふといへるは、ふとはさ思ふべけれど、よく考へざるなり、このよみ人は、幸よりいと先だつか、おくれて行かにて、いと物さびしさに、あはれ所の人めもあれかしと思ふ心よりよめるのみ、見るらんといふを略て、見らんといへるも多かれど、ごゝはかのあはんと思へやてふおもへは、心に念ふ事故にそへていふが如く、目に見る事故に見らんの言を添たるなり、かかる古へぶりの歌のことばには後世こと狭くいひならへると異なるも有めり、
右一首、調《ツキノ》首淡海、 右にいへるに同じ、下もしかなり、○此人は紀に(天武)見えつ、△或本(ノ)歌、56 河上乃、列々椿都々良々爾、雖見安可受《ミレドモアカズ》、巨勢能春野者《コセノハルノハ》、 こは春見てよめる歌にして、此夏の事にあらず、後にこゝに註せしものなるを、今本に大字に書しはひがことなり、【注に、春日藏首老が歌とす、】
 
〇二年《フタトシノ》壬寅冬|十月《カミナヅキニ》、太上天皇《オホスメラミゴト》幸2于參河國(ヘ)1時《トキノ》歌、 此幸の事は紀に見ゆ、○冬十月の三字、例に依て加、
57 引馬野爾《ヒクマノニ》、 遠江國敷智郡にあり、別記に委し、
 
仁保布榛原《ニホフハギハラ》、 秋はぎの色をいふ、榛は借字なるよし、別記に有、
 
人亂《イリミダリ》、 いりみだらしてふ言なるを、良志の約め利なればみだりと云は、古言の例ぞ、
 
衣爾保波勢《コロモニホハセ》、 はぎが花を分れば、衣に色のにほひつく事、下の歌にあまたよめり、且にほはせとは、かたへの人にいひ負る語ながら、わが事も中にこもれるは、歌の常なり、
 
多鼻能知師爾《タビノシルシニ》、 下に清江娘子が長皇子に奉る歌にも、「草枕、たび行君と、しらませば、岸の黄土《ハニフ》に、にほはさましを」と讀て、旅には摺衣きる古へのならひなり、仍てはぎににほはせてよ、旅人の手ぶりせんとよめるなり、【摺衣は、古へ御狩御遊にも旅にも着ること見ゆ、】
 
右一首、長(ノ)忌寸|奥《オキ》麻呂、 此人紀には見えず、卷二また(十四)意寸《オキ》麻呂とあり、末に歌にもよみ入つ、
 
58 何所爾可《イヅコニカ》、船泊爲良武《フナハテスラム》、 船の行到を、古へははつるといへり、
 
安禮乃崎《アレノサキ》、 此度經給ふ、伊せをはり三河のうち、何れにや、
 
※[手偏+旁]多味行之《コギタミユキシ》、 こぎめぐり行しなり、たみの言に、囘又轉の字をも書つ、
 
棚無小舟《タナナシヲブネ》、 大船にはふなだなとて、楫子《カコ》のありきする板有を、小舟にはなければしかいふ、此人此歌の心によめる、(卷十四)にもあり、
 
右一首高市連黒人
 
〇譽謝女王《ヨザノヒメ大君ノ》作《ヨメル》歌、 紀に(文武) 慶雲三年六月卒とみゆ、
 
59 流經《ナガラフル》、 流は借字にで長ら經《フ》るなり、寢衣《ヨルノモノ》のすその長きをいふ、
 
妻吹風之《ツマフクカゼノ》、 妻は端なり、
 
寒夜爾《サムキヨニ》、 十月いでまして十一月かへらせ給へば、その間のことなり、
 
吾勢能君者《ワガセノキミハ》、獨香宿良武《ヒトリカヌラム》、 夫《セ》君の旅ねを、女ぎみの京に在て、ふかく思ひやり給ふ心あはれなり、【夜の物は、衾はもとよりにて、袿をも著、又末にはしたゝれにわた入てもきしとみゆ、或人から文に、寢衣一身有半てふを引しは、こゝの古へをいふに用なし、】
 
○長《ナガノ》皇子(ノ)御作歌、 天武天皇の皇子にて、靈龜元年六月薨給へり、是も京に在てよみ給ふなり、〇長ををさと訓人あれど、續紀に(稱徳)奈賀(ノ)親王てふもあるに依てながとよむ、
 
60 暮相而《ヨヒニアヒテ》、 集には、惣ての夜るをも初夜をもよひとよめり、こゝは其初夜に依て暮と書たれど、こゝろはたゞ夜るの事なり、譬は夕占《ユフケ》てふ事を、(卷四)夜占とも書しが如し、
 
朝面無美《アシタオモナミ》、 夜べ新枕などせし少女は、そのつとめては、恥て面がくしするものなるを序として、隱てふ言にいひかけたり、【無実を今本になしみと訓しは、ひがことなり、下にも此辭を誤れり、上の心を痛見の別記に委くせり、】(卷十二)「暮相而、朝面羞《アシタオモナミ》、隱|野《ノ》乃、芽子は散にき、もみぢ早つげ、」古今六帖に、「ねぐたれの、朝貌の花、秋霧に、面がくしつゝ、見えぬ君哉、」などもよみつ、【羞ははぢとも訓べけれど、後までも、おもなしとはいひて、おもはぢてふ言は聞えざるなり、】
 
隱爾加《カクレニカ》、 女はあらはなるをきらへばいか成隱れ有所に宿りて在らんとおぼすなり、○隱の山隱野ともよみしかば、こゝも所の名にやといふ人あれど、こゝはしからず、
 
氣長妹之《ケガキイモガ》、 氣《ケ》は褻《ケ》にて、月日久しく別れゐたることを氣長くなりぬとも、け長き妹ともいへり、【氣長を、或人、長大息の事といへるは、集中にかなはぬ歌多、】
 
廬利爲里計武《イホリセリケム》、 これも行宮をいほといふ、
 
〇舍人娘子《トネリノイラツメガ》、從駕《オホミトモニテ》作歌《ヨメルウタ》、 卷二に、同じ娘子、舍人(ノ)皇子とよみかはせし歌あり、○氏の下に娘子と書しは、いらつめと訓なり、別記有、
 
61 丈夫之《マスラヲノ》、 今本、丈を大に誤ぬ、
 
得物矢手挿《サツヤタバサミ》、 神代紀に、彦火々出見(ノ)尊は、山の幸《サチ》おはして、弓矢もて鳥獣を得給へば、さち弓さち矢といふ、その意を得て、さちやを得v物矢とは書たり、且さちやを、いとはやくの代よりさつやといひつらん、獵人をさつ人といひ、さつまてふ國の名もしかなり、今本に是をともやと訓しは誤れること、伊勢風土記に、麻須良遠能、佐都夜多波佐美《サツヤタバサミ》、牟加比多知、伊流夜麻度加多、波麻乃佐夜氣佐と有にてしれ、
 
立向《タチムカヒ》、 的に向
 
射流圓方波《イルマトガタハ》、 上は序にて、的形てふ所にいひかけたり、神名式に、伊勢國の多氣(ノ)郡に、服部麻刀方《ハトリベマトガタノ》神(ノ)社あれば、こゝの浦わの名なり、かの風土記に、的形(ノ)浦|者《ハ》、此浦(ノ)地形似v的、故以爲v名也、今已跡絶成2江湖1也といへり、
 
見爾清潔之《ミルニサヤケシ》、
 
●三野《ミヌノ》連岡麻呂(ヲ)入唐《モロコシヘツカハサルヽ》時《トキ》、 古本の傍注に、大寶元年正月、遣唐使民部卿粟田(ノ)眞人(ノ)朝臣以下六十人、乘2船五隻1、小商監從七位下中宮少進美奴連岡麻呂、云云、とあり、考るに續日本紀の今本、今度の遣唐使に、粟田朝臣その外の人はありて、美奴連岡麻呂は見えねど、今本は惣て落たる文多ければいふにたらず、右の注は紀の全き本してしるしつと見ゆれば依ぬ、今本に名闕と注せしは、いと後人のわざなり、【岡麻呂は、靈龜二年正月、正六位上より從五位下に成しことも紀に見ゆ、○入唐と書しは、奈良人のあやまちなり、別記あり、】
 
春日藏首老《カスガクラノオホトオユガ》作歌、 此遣唐使、大寶元年正月命ありて、五月節刀を賜りて立ぬ、老はもと僧にて辨記といひしを、右同年三月に春日|藏《クラノ》首老と姓名を賜り、追大壹に叙られて臣と成しこと、續日本紀に見ゆ、しかれば此歌は、かの三月より五月までによみしなり、仍て是は右の大寶元年九月と有より、上に入べきなり、次憶良の歌も類に依に、是につゞけ載るは、此集の例なり、
 
62 □□□《百船能《モヽブネノ》・百都舟》、 こを今本に在根良と書て、ありねよしと訓しは、必あるまじき事なれば、二くさの考をしつ、【在根良と有に依て、此島には荒峯のよろしきが多しといふめれど、峯の事をふといひ出べき歌にあらず、冠辭にてもさはいひがたし、】その一つに百船のとするは、(卷十一)新羅への使人の歌、毛母布禰乃《モヽフネノ》、波都流對馬能《ハツルツシマノ》、安佐治山《アサヂヤマ》とよみ、(卷十五、みぬめの浦を)百船|之《ノ》、泊停跡《ハツルトマリト》、また卷二に、大船乃、津守之占などあればなり、その字も、例の草の手よりは相まがふべきなり、今一つは百都舟《モヽツフネ》を誤しにや、これもつとつゞくるは右に同じ、されど猶上に依べし、
 
對馬乃渡《ツシマノワタリ》、渡中爾《ワタナカニ》、 此渡の最《モ》中の海は、まことにかしこかりなむ、
 
幣取向而《ヌサトリムケテ》、 平らかならんを祈る、
 
早還許年《ハヤカヘリコネ》、
 
●山上臣億良《ヤマノヘノオミオクラガ》在《アル》2大唐《モロコシニ》1時、憶《オモヒテ》2本郷《ヤマトヲ》1作歌、 右と同じ度なり、紀にその時、無位山(ノ)於《ヘノ》憶良爲2少録1とあり、【やまのへのへはえの如くいふ、○大唐と書も、此時のあやまちなり、】
 
63 去來子等《イザコドモ》、 いざは率なふ言、子どもは諸人をいへり、(卷十四)、去來|兒等《コドモ》、倭部早《ヤマトヘハヤク》、白菅の、眞野のはぎ原、手折てゆかん、卷二十に、伊射子等毛《イザコドモ》、多波和射奈世曾《タハワザナセソ》などよみたり、
 
早日本邊《ハヤクヤマトヘ》、 歸らんてふ言を略、日本と書て、集中に專らはやまとゝよみつ、されどこの歌は、から國へ行てよみしかば、ひのもとゝ訓ことゝ思へる人もあれど、紀に(歌に)大|葉子《ハコ》が新羅に在て、袖ふらさもよ、やまとへむきて、とよみしに和《ナゾラ》へて、或人、なにはへむきてとだによみたり、且右に引(卷十四)の歌は高市黒人のにて、憶良よりは前なるに、此一二句同じければ、かた/”\今をもやまとへと訓ぞ古意なるなり、
 
大伴乃《オホトモノ》、 冠辭
 
御津乃濱松《ミツノハママツ》、 津の國の御津は、西の國へ行かへる船の出入する所なればいへり、且松を家人の待に轉じいふ、
 
待戀奴良武《マチコヒヌラム》、 【ひろくいふべき事を、わざとせばくいへるに、却てあはれなる事あり、かの難波へむきてといひ、三笠の山に出し月かもてふなども同じ、】
 
〇慶雲三(ノ)年丙午秋|九月《ナガツキニ》幸2于難波宮(ニ)1時、 紀に(文武)今年九月幸有て、十月還ましゝと見ゆ、
 
志貴(ノ)皇子(ノ)御作歌、 上に出、
 
64 葦邊行《アシベユク》、鴨之羽我比爾《カモノハガヒニ》、 羽交なり、背をいふ、
 
霜零而《シモフリテ》、 十月なるべし、
 
寒暮《サムキユフベハ》、家之所念《イヘシオモホユ》、 この暮家を今本暮夕和と有て、暮夕をゆふべ、和をやまとゝ訓しは誤りぬ、此卷の字を用る樣、ゆふべとよまんには、暮か夕か一字にて有べし、又やまとの事に和の字をかゝれたるは、奈良(ノ)朝よりこそあれ、藤原朝までは倭の字なる事、この下の歌どもにてもしれ、しかれば此御歌に、和をやまとゝ訓はひがことなり、仍て考るに、家の草を夕和二字に見なして誤りたるなり、此次の歌に家之所偲と有に同じこゝろことばなるをも見よ、さて所につけ、をりにつけたる旅ゐの意を、うるはしくのべ給ひつ、【此末の句を、後世いろ/\に訓しかど、皆ひがことなり、】
 
○長《ナガノ》皇子(ノ)御作歌、 上に出、
 
65 霰打《アラレウツ》、 此度十月還ましたればまだ霰の比にあらず、ただ冠辭なり、
 アラヽマツバラ
 
安良羅松原《アララマツバラ》、 紀に(神功)烏智箇多能《ヲチカタノ》、阿邏々摩菟麼邏《アラヽマツバラ》、摩菟麼邏珥《マツバラニ》、和多利喩祇※[氏/一]《ワタリユキテ》と有は、山城の宇治川の彼《ヲチ》方にあら/\と立たる松原の事、こゝも住の江の松原の疎々《アラ/\》と立たるさまなり、あら/\を畧きてあらゝといふは、うら/\をうら/\、つら/\をつらゝてふ類なり、今本には羅の草を禮に誤、又は上のあられの詞によりて、次もあられぞとして、さかしらに禮と書しにも有べし、とまれ誤しるければ改つ、
 
住吉之《スミノエノ》、 攝津國住吉郡、【住吉を和名抄にも須三與之と有は、其比には既誤しなり、奈良(ノ)朝までは、假字には須美乃|要《エ》とのみ有て、吉宇も古へ多くはえといひしを、いかで古への事を誰も忘れにけん、近江の日吉も、古事記には日|枝《エ》と書、即比えの山の神なれはひえなるを、後にひよしといふは、右と同じ樣のひがことなり、】
 
弟日娘與《オトヒヲトメト》、 紀に(顯宗)倭者彼々茅原淺《ヤマトハソヽチハラアサ》茅原、弟日僕是也《オトヒヤツコラマゾコレ》とのたまひしは、意計《オケ》弘計《ヲケ》の二王の、御兄弟なるをのたまひぬ、後世も兄弟の事をおとゝひといへり、然ればこゝも、はらからの遊行女婦《サブルコ》がまゐりしをもて、かくよみ給ふならん、
 
見禮常不飽香聞《ミレドアカヌカモ》、 愛《ウツク》しと思ふ娘どもと共に見れど、此松原の氣しきは氣壓《ケオサ》れず面白しとなり、娘をも松原をも並べてめでませり、
 
○太上天皇《オホスメラミゴト》幸2于難波宮1時歌、 此下五首も、右の大寶元年とあるより前に入べき事、かの美野連云云の如し、かくて此太上天皇はおりゐまして六年、大寶二年の十二月崩給ひき、然るを右に慶雲三年と標したる下に載べきにあらず、是も亂れ本を仙覺が校合せし時、よく正さゞるものなり、
 
66 大伴乃《オホトモノ》、 冠辭、
 
高師能濱乃《タカシノハマノ》、 和泉國大鳥郡に此濱はあり、難波へ幸としるせれど、隣國へは幸もあり、大御ともの人の行到てよみし類も多し、
 
松之根乎《マツガネヲ》、枕宿杼《マキテシヌレド》、 (卷七)君|之《ガ》手毛、未枕者《イマダマカネバ》とよみ、又枕を纏《マク》といふべきを畧て、まくとのみいへるも多くて、即まくらとする意なれば、是をもまきてしとよみたり、今本の訓は言とゝのほらず、
 
家之所偲由《イヘシシノバユ》、 しのばるゝをしのばゆといふは古言なり、○かく面白き濱の松が根を枕と卷てぬれど、猶故郷の妹が手枕は戀しきとなり、
 
  右一首|置始《オイゾメノ》東人、 紀に置染と書しも、同氏なるべし、
 
67 旅爾之而《タビニシテ》、物戀之伎乃《モノコヒシギノ》、 鷸《シギ》に云かけたり、
鳴事毛《ナクコトモ》、不所聞有世者《キコエザリセバ》、孤悲而死萬思《コヒテシナマシ》、 しぎの鳴は興有事もあらねど、難波わたりの面白き、見る物聞ものにつけて、故郷思ふ心もいさゝかなぐさまるゝよしを、かりにしぎにあづけていへるのみならん、
 
  右作者未詳、 目録にかく有て、その下に高安大島とかけり、然ればもと作者しられざりしを、何のよし有て後に注しけん、好事のわざとみゆ、
 
68 大伴乃、 冠辭、
 
美津能濱爾有《ミツノハマナル》、忘貝《ワスレガヒ》、 所のものを即序とす、
 
家爾有妹乎《イヘナルイモヲ》、忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》、 こは只わすれんやといふ事なり、此類の辭の事は既いひたり、
 
 右一首|身人部《ムトベノ》王、 紀に天平元年正月、正四位下六人部王卒、
 
69 草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
客去君跡《タビユクキミト》、知麻世婆《シラマセバ》、 こを清江娘が長皇子にまいらする歌とする時は、此皇子は今も旅なるに、更に旅行といふは、京へ歸り給ふ時か、
 
岸之埴布爾《キシノハニフニ》、仁寶播散麻思乎《ニホハサマシヲ》、 岸は住江の岸なり、(卷十五)「白波の、千へにきよする、すみの江の、岸の黄土粉《ハニフニ》、にほひてゆかな、」「馬のあゆみ、押てとゞめよ、住のえの、岸の黄土爾《ハニフニ》、にほへてゆかん、且集中に、黄土も赤土もはにとよみ、和名抄に、埴(ハ)土(ノ)黄而細密(ナルヲ)曰v埴(ト)(波爾、)古事記に、丹摺《ニズリ》之袖とも有て、古へは丹土花などして衣を摺いろどりし事、擧るに堪ず、○はにふのふは、その丹土の有處をいふ、草木もその專ら生る處をぶといへり、
 
 右一首|清江娘子《スミノエノヲトメガ》進2長(ノ)皇子(ニ)1、 上の弟日娘女とはことなるべし、
 
○太上天皇幸2于吉野宮(ニ)1時、高市(ノ)連黒人作歌、 【紀に大寶元年八月、吉野の幸の事見ゆれど、其度の歌とのみも定めがたし、此天皇太上と申せしより、大寶元年の前四年の間に、度々幸有つらんと思へばなり、】
 
70 倭爾者《ヤマトニハ》、鳴而歟來良武《ナキテカクラム》、 藤原あたりを惣て倭といふ事、上の別記に有、
 
呼兒鳥《ヨブコトリ》、 【呼兒鳥は別記有、】
 
象乃中山《キサノナカヤマ》、 (卷十三、十四)などに、此山も川もよみつ、こは蜻蛉《アキツノ》宮に近ければ鳴越るこゑ聞ゆべし、
 
呼曾越奈流《ヨビソコユナル》、 これをだに都の便りと思ふが旅の情なり、○呼子鳥は、集中にいと多きを見るに、今の田舍人のいふかつぽう鳥なり
 
 △大行天皇幸2于難波(ノ)宮1昨歌、 こは文武天皇をさし奉なり、此崩ましていまだ御謚奉らぬ間に、前にありし幸の度の歌どもを傳聞し人、私の歌集に大行云云と記置しを、後人の見てこゝの注とせしものなり、されば此卷などに大行と書べきならず、注なる事知べし、【大行の事別記有、】
 
71 ▲倭戀《ヤマトコヒ》、寐之不所宿爾《イノネラレヌニ》、情無《コヽロナク》、此渚崎爾《コノスノサキニ》、多津鳴倍思哉《タヅナクベシヤ》、
 
  右一首忍坂部乙麻呂、
 
72 ▲玉藻苅《タマモカル》、奥敝波不※[手偏+旁]《オキベハコカジ》、敷妙之《シキタヘノ》、枕之邊《マクラノアタリ》、忘可禰津藻《ワスレカネツモ》、 上に高師の濱の松がねを、まきてしぬれどゝ讀し如く、此旅ねする浦のあかねば、おきへこぎ出ん事は思はずと云なり、いざなふ人有に答へしなるべし、
 
 右作者未詳、 式部卿|宇合《ウマカヒ》、【上に作者未詳とて、下に高安大島と有所にいひし如く、こゝも後人のわざなり、ことに宇合卿は、此時まだ童にて御ともすべからず、此歌老て聞ゆるをも思へ、】
 
 長皇子御作歌、
 
73 ▲吾妹子乎《ワギモコヲ》、早見濱風《ハヤミハマカゼ》、 豐後に速見郡あるが如く、難波わたりにも早見てふ濱ありて、しかつゞけ給へるならん、或人、集中に濱行風のいや早にてふ歌に依て、地の名にあらずといへど、此歌さてはかなはず、
 
倭有《ヤマトナル》、吾松椿《ワヲマツツバキ》、 京にては妹が吾を待べきを、其園の松つばきにいひつゞけたるなり、
 
不吹有勿勤《フカザルナユメ》、 吾は妹を早く見まく思ひ、妹は吾を待らん、其間の便りとせんに、風だにつとめておこたらず吹かよへとよみ給へり、【ゆめは齋《イメ》にて、物を謹む事也、仍て集中に、齋謹勤努力などの字を書つ】
 
 △大行天皇幸2于吉野宮1時(ノ)歌、 大行と申こと上の如し、
 
74 ▲見《ミ》吉野乃、山下風之《ヤマノアラシノ》、 和名抄に、嵐(ハ)山下(ニ)出(ル)風也といひ、集にあらしといふ所に、山下、山阿、下風、など略て書しによるに、こゝは山のあらしと訓べきなり、山した風と訓しこともあれど、こゝは古き例の多きによりぬ、
 
寒久爾《サムケクニ》、爲當也今夜毛《ハタヤコヨヒモ》、我獨宿牟《ワガヒトリネム》、」 當《ハタ》は果《ハタ》してなり、事のはてと、物の行當ると同意に落る故に、當の字を書り、さてこゝははたして今夜も獨ねんと爲《スル》やてふ意なり、【爲當也、別記有、】○注に或曰天皇御製と有は誤なり、先端にその所へ幸と有下に御製とかゝぬは、皆從駕の人の歌なり、さて難波吉野などへの幸は、御心ずさみの爲なる事、上の歌にも見ゆ、然るにいかで此歌の如くなげき給ふ事有んや、又是を持統天皇御製といふ説もわろし、此姫天皇は、天武天皇崩ませし後、御獨ねもとよりの事なるを、今更かくよませ給ふべきや、
 
75 ▲宇治間《ウヂマ》山、 吉野にありといふ、
 
朝風寒|之《シ》、旅爾|師手《シテ》、衣應借《コロモカスベキ》、妹毛有勿久爾《イモヽアラナクニ》、 心明らかにして、しらべすぐれてよき歌なり、○男女の衣を互にかりて着る事、古への常なり、
 
 右一首|長屋《ナガヤノ》王、 こは高市(ノ)皇子(ノ)尊の御子にて、大寶元年正月、無位より正四位上になり給ふ事、紀にみゆ、
 
 右の五首は、他の歌を書加へし物なること、右にいへるが如し、
 
寧樂宮。 【寧樂宮の下に、御宇天皇代となきは、此集の當時故に不v記か、又落たるか、】卷二も和銅四年の所に此標あれど、其上に同元年の歌有所に記しつ、此卷には同三年の歌、とも有て後に、同五年と記せし下に此標有は、何のよしともなし、亂れ本のまゝに、後人の書し事明かなり、仍て今こゝにしるしつ、且同三年此都へ遷ませしより前、元年の歌の上に擧るは、上の藤原宮の所にいへる例なり、
 
〇和銅元年戊申冬十一月天皇御製歌、 天津御代豐國成姫天皇【後に元明天皇と申、】
 
76 丈夫之《マスラヲノ》、鞆乃音爲奈利《トモノオトスナリ》、 鞆は、左臂に著て袂をおさへ、弓弦を避る物なり、故に弦の當る音有、形は吉部秘訓抄にも見え、著たる樣は古き繪に見ゆ、【伊勢太神宮式に、鞆(ハ)以2鹿皮1縫v之、胡粉塗以v墨畫v之とあり、されども常にはうるしもて革をかたむるなり、】
 
物部乃《モノヽフノ》、大臣《オホマヘツギミ》、 御軍の大將をのたまへり、
 
楯立良思母《タテタツラシモ》、 御軍の調練する時と見ゆれば、楯を立る事もとよりなり、さて此御時みちのく越後の蝦夷《エミシ》らが叛《ソム》きぬれば、うての使を遣さる、その御軍の手ならしを京にてあるに、鼓吹のこゑ、鞆の音など、(弓弦のともにあたりて鳴音なり、)かしましきを聞し召て、御位の初めに事有をなげきおもほす御心より、かくはよみませしなるべし、此大御歌にさる事までは聞えねど、次の御こたへ歌と合せてしるきなり、○此度の大將軍は、巨勢(ノ)麻呂、佐伯(ノ)石湯二人なれば、右の物部は氏にあらず、故ものゝふとよみ、大臣と書しも、その將軍をのたまはするなり、【或人は大甞祭の時の御歌ならんといへど、大甞に神楯はあれど、弓は射ねば、鞆の音よしなし、さては御こたへ歌をとくべきよしもなし、】陸奥越後の蝦夷の反しかば、和銅二年三月、遠江駿河越前越中云々、七國の兵士を立せられ、巨勢佐伯二氏を大將軍にてつかはされし事、此御代の紀に見ゆ、【うての使を遣されんに、北國は大雪にて、冬の軍はなしがたければ、明年三月に立せらるゝなり、】然れば前年の冬、軍のたならしする物のおとを聞して、大御歌よみし給ひし故に、端に元年とは有なりけり、その諸國の兵士を立せらるゝにも、國の軍團にて調練すること紀に見え、常にしも試2鼓吹司(ヲ)1こと、天武天皇紀に見え貞觀の御代までも此式有なれば、まして大將軍を立せ給ふ京にての事しるべし、
 
○御名部《ミナベノ》皇女(ノ)奉和御歌《コタヘマツリタマフミウタ》、 天皇と此皇女(ハ)御はらからにて、紀の次でも皇女のかた御姉におはせり、されども天皇は文武天皇の御母后なりければ、文武天皇崩まして後に、御位には居させ給ひしなり、かくていと御むつまじければ、此御和も有しならん、
 
77 吾大王《ワガオホキミ》、物莫御念《モノナオボシソ》、須賣神乃《スメカミノ》、嗣而賜流《ツギテタマヘル》、 天つ皇祖《カミロギ》神より、嗣々に依し賜へる天皇の御位ぞとのたまふなり、さてこは言を上下にいふ體にて、三四の句を吾大王の上へやりて意得なり、これを隔句體といへり、集中は本よりにて、古今歌集にもある體なり、
 
吾莫勿久爾《ワレナケナクニ》、 こは吾|莫《ナキ》にあらずてふ言にて、つゞめては、吾有てふ事となるなり、すべていふ意は、皇神の嗣々に寄立《ヨザシタヽ》しめ給へる、吾天皇の御位にしおはしませば、物なおぼしそ、御代に何ばかりの事か有べき、もしはたやむ事なき事ありとも、吾あるからは、いかなる御事にも代りつかへまつらんと、申しなぐさめ奉り給ふなり、(卷十三)「わがせこは、物なおほしそ、事しあらば、火にも水にも、吾莫七國《ワレナケナクニ》」てふに、心は同じくて、句の體のことなるのみぞ、猶別記にくはし、
 
○和銅三年庚戌春三月、從2藤原(ノ)宮1遷《ウツリマス》2于|寧樂《ナラノ》宮1時、 今本二月とあれど、紀によりて三月とす、
 
御輿《ミコシヲ》停《トヾメマシテ》2長屋《ナガヤノ》原(ニ)1、 和名抄に、山邊郡長屋(ノ)郷とあり、
 
囘2望《カヘリミシタマヒテ》故郷(ヲ)1御作歌、 御作歌と有からは、疑なく御名部皇女の御歌を并のせしなり、然るに一書に太上天皇と有は何ごとぞや、此時太上はおはしまさず、
 
78 飛鳥《トブトリノ》、 冠辭、
 
明日香能里乎《アスカノサトヲ》、置而伊奈婆《オキテイナバ》、君之當者《キミガアタリハ》、不所見香聞安良武《ミエズカモアラム》 一本、君之當|乎《ヲ》、不見而香毛《ミズテカモ》安良牟、○藤原の都ならで、飛鳥の里をしものたまふは、御陵墓につけたる御名ごりか、又何ぞのみこなどの留り居給ふをおぼすか、
 
○從2藤原(ノ)宮1遷《ウツリマス》2寧樂(ノ)宮(ニ)1時、□□《姓名カ》作歌、 今本には是を或本歌としるして、端詞によみ人の姓名もなし、然るを此度本文として小字にせざるよしは、大よそこの集の本文に載《ノリ》たる歌に、異なる所有を一本とて註せしは、重ね擧べきにあらぬ事もとよりなり、是は今本にはなくて、或本にのみ有からは、今本には落失し事しらる、仍て全くしるしつ、
 
79 天皇乃《スメロギノ》、御命畏美《ミコトカシコミ》、 上つ代より天皇を恐み奉るぞ、此御國の道なる故に、此言集中にも他書にも多きなり、大かたに見過す事なかれ、
 
柔備爾之《ニギビニシ》、 藤原宮は、二御代平かに知しつれば、臣民の家々も今は調和《ニギハヒ》ぬる時に、かくうつさるゝをなげくなりけり、【只天皇を恐崇むにつけて、臣民も榮傳りぬ、】
 
家毛放《イヘヲモサカリ》、 今本家乎擇と有は、乎は毛を誤、擇は放を擇と見誤しなり、又擇は釋にて、おきてと訓かとも云とも、此集の字ともなし、
 
隱國乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬乃川爾《ハツセノカハニ》、※[舟+共]浮而《フネウケテ》、 こは早川にて淺ければ、鵜飼舟の如くなるを用しからに※[舟+共]とは書けん、
 
吾行河乃《ワカユクカハノ》、川隈之《カハグマノ》、八十阿不落《ヤソクマオチズ》、萬段《ヨロツタヒ》、顧爲乍《カヘリミシツヽ》、 此川三輪にては三輪川ともいへど、その源初瀬なれば、大名を初瀬川といひしならん、さて末は廣瀬の河合にて落合なれば、そこまで舟にて下りて、河合よりは廣瀬川をさかのぼりに、佐保川まで引のぼすべし、然れば末にては、人は陸にのぼりて行故に、陸の事もいへり、
 
玉桙乃《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行晩《ミチユキクラシ》、人は陸にのぼりても行、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
楢乃京師乃《ナラノミヤコノ》、佐保川爾《サホガハニ》、伊去到而《イユキイタリテ》、 佐保川は人の乘てさかのぼらるゝ水とはなし、調度を舟してこゝまで引のぼせけん、且此家も川に遠からぬ成べし、○伊は發言、
 
我宿有《ワガネタル》、床之上從《トコノウヘヨリ》、 床を今本衣と書しは誤なり、こゝはまだ假屋なれば、夜床ながら月影の見えて、寒くわびし、
 
朝月夜《アサヅクヨ》、 こは曉月なり、曉より朝ともいふは例なり、
 
清爾見者《サヤニミユレバ》、栲乃穗爾《タヘノホニ》、 如を略、
 
夜之霜落《ヨルノシモフリ》、 栲は白布の事にて、それが如くに白く霜の降たりと云なり、此穗は色の餘光《ニホヒ》をいふ、冠辭の白栲の條に委、【仁徳天皇紀に、茅茨壞以不v※[草冠/区のメを口/月]、風雨入v隙而沾2衣被1、星辰漏v懐而露2床蓐1、】
 
磐床等《イハドコト》、川之氷凝《カハノヒコヾリ》、 ひは氷の名、こゞりはこりかたまれる事をいふ、巖根こゞしきてふ類なり、
 
夜冷乎《サムキヨヲ》、 こゝまでは、此うつろひにつけたるいたづきどもをいふ、
 
息言無久《イゴフコトナク》、通乍《カヨヒツヽ》 右の如くに苦しけれど、藤原の都より行通ひつゝなり、【いごふはいきのぶてふことにて、苦しき心あひを延るをいふ、神武天皇紀にも見え、常にもいきのびといへり、それを休らふ事にいふも意通へり、】
 
作家爾《ツクレルイヘニ》、千代二手爾《チヨマデニ》、座牟公與《イマサムキミト》、 今本千代二手、來座多公與と有て、ちよまでにきませおほきみと訓しは理りもなく、字の誤りもしるければ、考るに、來は爾を誤れるもの、多は古本に牟とあり、仍て改めつ、
 
吾毛通武《ワレモカヨハム》、 此歌初めには大御ことのまゝに、人皆所をうつろふこゝろをいひ、次に藤原より奈良までの道の事をいひ、次に冬寒きほど家作せし勞をいひ、末に事成て新家《ニヒヤ》をことぶく言もて結べるは、よく調へる歌なり、さてこはよき人の家を、親しき人の事とり作りて、且其作れる人は異所に住故に、吾も通はんとよめるならん、又親王王たちの家も、即造宮使に取作らしむべければ、其司人の中によみしか、
 
 反 歌
80 青丹吉、寧樂乃|家爾者《イヘニハ》、萬代爾、吾|母將通《モカヨハム》、忘跡念勿《ワスルトオモフナ》、 今よりは長くしたしみ通はんに、うとぶる時あらんとおぼしそとなり、
 
○和銅(ノ)五年《イツトシノ》壬子夏〔三字右○〕四月《ウヅキニ》、遣《ツカハサレシ》2長田(ノ)王(ヲ)于伊勢(ノ)齋宮《イツキノミヤヘ》1時、 此王は、紀に和銅五年正五位下より立て、天平九年正四位下にて卒と見ゆ、さて長《ナガノ》親王の、御子なる事、三代實録の貞觀元年に、廣井女王の傳に出、
 
山邊御井《ヤマノベノミヰニテ》作歌、 此御井には論あれば別記にいへり、ここには凡をいはん、(卷三)伊勢の神宮の事をよめる長歌に、山(ノ)邊乃、五十鈴乃原爾《イスヾノハラニ》、内日刺《ウチヒサス》、大宮|都可倍《ツカヘ》云云と有て、反歌に、山(ノ)邊乃、五十鈴《イスヾ》乃御井者、おのづから、なれる錦を、はれる山かもとよみ、こゝによめるも御井のみならず、其所の面白をもての事と聞ゆ、然れば五十鈴の神宮遠からぬ所に、此御井古へよりありて、所の名とも成しなるべし、【五十鈴を今本に五十賤と有て、いそしと訓たるはひがことぞ、】
 
81 山(ノ)邊乃、御井乎見|我※[氏/一]利《ガテリ》、 利は良に通ふ、
 
神風乃、 冠辭、
 
伊勢(ノ)處女等《ヲトメラ》、相見鶴鴨《アヒミツルカモ》、」 此御井の所を見る時、よきをとめどもに行あひて興を増たるこゝろなり、道などに女どもにあひて興となれる事、紀にも集にも有、
 
82 浦佐夫流《ウラサブル》、 こは久しき旅ゐに、愁る心すさまじくして和《ナグ》さめがたきをいふなり、此類別記に擧たり、
 
情佐麻禰之《コヽロサマネシ》、 今本に佐麻|彌《ミ》之と有は禰《ネ》を彌《ミ》に誤れるなり、卷十八に、月重ね、美奴日|佐末禰美《サマネミ》てふも、見ぬ日間なくにて、佐は發語なり、此類卷二、また卷十七にもあり、さてしぐれのふるを見て、裏さぶる心のひま無といへり、
 
久堅乃、 冠辭、
 
天之四具禮能《アメノシグレノ》、流相見者《ナガラフミレバ》、」 古は雨雪の降を流るともいへり、下にもあり、且るを延てらふといふ、【或好事の説々あれど、右の卷三の歌などを見ぬ人の僞言なり、○又集中に、八十のをとめのくみみだす寺井の上などいふ歌に泥みて、こゝをも井を扱女と思ふはいかにぞや、物見などに出し女にも有べし、】
 
83 海底《ワタノソコ》、 たを清なり、こは冠辭ならねど其考にいへり、
 
奥津白浪《オキツシラナミ》、 二句は序にて、立とかゝるのみ、
 
立田山《タツタヤマ》、 冠辭と序歌は、末の心にまどひなき事をいふ物故に、かく異なる事をもいへり、海人小船、泊瀬などいふ類なり、
 
何時鹿越奈武《イツカコエナム》、妹之當見武《イモガアタリミム》、 【立田は大和の平群郡にて、河内の堺なれば、伊勢とは甚方違へり、】今本左の註に、右二首今案不v似2御井(ニテ)所作(ニ)1、若疑當時|誦之《トナヘタル》古歌(カ)といへり、されども齋宮改め作らるゝ用ならば、夏より秋の末までも居給ふべし、端詞には事一つを擧る例もあれば、次の歌は是につゞけても有つらん、この立田山の歌はこゝによしなし、かの註にいへる如くか、又別に端詞の有しが落失しにや、
  
○長《ナガノ》皇子|與《ト》2志貴《シキノ》皇子1、宴《ウタゲシタマフ》2於|佐紀《サキノ》宮(ニ)1時《トキ》、長(ノ)皇子(ノ)御作歌《ヨミタマフウタ》、 此詞今本は例に違ひたれば、此一二卷の例、また目録にも依て改めつ、【今本この所に寧樂宮と有はひが事のよし、上にいへり、】○卷二の志貴皇子の薨給へる時の歌に依に、此皇子の宮は高圓にあり、佐紀は長(ノ)皇子の宮にて、こはあるじの皇子のよみ給ふなり、所は(卷四)「春日なる、三笠の山に、月も出ぬかも、佐紀山に、さける櫻の、花の見ゆべく、」續紀に、(光仁)添下郡、佐貴(ノ)郷、高野山(ノ)陵、また神名式にも見ゆ、
84 秋去者《アキサレバ》、今毛見如《イマモミルゴト》、 今も見る如くに、ゆく末の事もかはらじと云なり、此言(ハ)例多し、【卷十八に、「とこよもの、此橘の、いやてりに、わご大きみは、今も見る其《ゴ》登、」卷二十に、「はしきよし、けふのあろじは、いそ松の、常にいまさね、今も見る其《ゴ》登、」】
 
妻戀爾《ツマゴヒニ》、鹿將鳴山曾《シカナカムヤマゾ》、高野原之宇倍《タカノハラノウヘ》、 今も見る如、ここの興の盡すまじきにつけて、志貴(ノ)皇子を常にこひむかへて遊びせんてふ事を、鹿の妻ごひに添給ふならん、且こゝに住初めたまふ言《コト》ぶきもこもれり、
 
萬葉集卷一之考 終
 
萬葉集卷二之考
 
相聞《アヒギコエ》。 こは相思ふ心を互に告聞ゆればあひぎこえといふ、後の世の歌集に戀といふにひとし、されど此集には、親子兄弟の相思ふ歌をも、此中に入てこと廣きなり、○或人萬葉には相聞のたはれ事多きぞといへるこそおちなけれ、皇朝はよろづのゐやもまことも、生れながらそなはれる國なれば、その天地のなしのまに/\治め給ふに、古の君が代いよゝ榮え給ひて、民平らけかりし、生としいける物の常をまげなほさんとする時は、人の心にうらうへの出來て亂るめり、かれ神の禁《イサ》めぬ道ぞてふ古言の有をしらずや、
 
難波高津宮御宇天皇代《ナニハタカツノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。大鷦鷯天皇、 こは後人の註なること上にいへり、○紀に、(仁徳)元年正月難波に宮《ミヤ》しきまし、高津の宮といふと見えたり、
 
○皇后《キサキノ》思《シヌビタマヒテ》2 天皇《スメラミゴトヲ》1御作歌《ヨミマセルウタ》、 皇后御名は磐之《イハノ》姫、葛城(ノ)襲津《ソツ》彦の女と紀に見ゆ、○今(ノ)本にこゝに御名を書たるは、令法に背き、此集の例にも違へり、こは類聚歌林てふ後のふみに依て、後の人の御名を加へしなれば今除きつ、下に近江大津宮の皇后を、大后とのみしるし、臣の大臣大納言にすら、名をしるさぬをもて思ふべし、又こゝに君之行《キミガユキ》、氣長成奴《ケナガクナリヌ》てふ歌を擧しるしたるは、ひがことにて、是は古事記にある輕(ノ)大郎女の御歌を、此皇后の御歌と誤、其言どもゝ誤りて類聚歌林に載たるを、後人みだりにこゝに註せし物なり、さるを又の後人本文とさへ書なしたり、故に委く別記にしるしてこゝには除きつ、
 
86 如此許《カクバカリ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、 こひにこへども、かくのみ思ふごとくあらずあらんものと知なばてふことを、約《ツヾ》めていふ言なり、下に、我妹子に、戀乍不有者、あきはぎの、咲て散ぬる、花ならましを、(卷十三)かくばかり、戀つゝあらずは、石《イハ》木にも、ならまし物を、物もはずして、などの類、九首ばかりあり、むかへて見よ、相似て異なるも多ければ、別記に皆擧てことわりつ、
 
高山之《タカヤマノ》、磐根四卷手《イハネシマキテ》、 葬てあらんさまをかくいひなし給へり、○卷は枕にする事にて集中に多し、
 
死奈麻死物乎《シナマシモノヲ》、」 御思ひの餘りに、かくまでもおぼすなり、天皇の吉備の黒媛がもとへ幸《イデマシ》し時など、かくまでは待わび給へるにや、紀を見るに、これらは后の御心には有ける、
 
87 在管裳《アリツヽモ》、君乎者將持《キミヲバマタム》、 ながらへ在つゝこそ君をば待なめとおぼし定給ふなり、【或本歌、居明《シテ》而、君乎者|將持《マタム》、奴婆珠乃、吾黒髪爾、霜者|零《フル》騰文、○(卷五)待君常《キミマツト》、庭《ニハニ》耳居者、打靡(ク)、吾黒髪爾、霜者置爾家類、 こは共に一夜の事にて、霜も實の霜なり、】
 
打靡《ウチナビク》、吾黒髪《ワガクロカミ》□□□□《乃《ノ》、白久|爲《ナル》》萬代日《マデニ》、」 今本此末を、霜乃置《シモノオク》萬代日と有は、此左に擧し或本の歌、又(卷五)に在歌などにまがひて、古歌の樣よく意得ぬ人のかき誤れるものなり、何ぞといはゞ、古歌に譬言は多かれど、かく樣にふと霜の置と云て、白髪の事を思はする如き事、上つ代の歌にはなし、又此句のさま、他歌の言のまがひ入し事、おのづからも見えぬるを、見知人は知べし、
 
88 秋之田《アキノタノ》、穗上爾霧相《ホノヘニキラフ》、朝霞《アサガスミ》、 きらふはくもりをいひて用なり、霞は其くもりの體なり、さて霞は春、霧は秋とのみするは後世にて、いにしへはいつもいへり、
 
何時邊乃方二《イヅベノカタニ》、 何れの方と云なり、卷十九に、ほとゝぎす、伊頭敝能山乎《イヅベノヤマヲ》、鳴か越らんとも有もて、禮《レ》を邊《ベ》に通はせいふをしる、
 
我戀將息《ワガコヒヤマム》、 いかにすれども、御悶《ミオモヒ》の遣給はんよしの無を、秋の田面の、何方も霧の立こめたるに譬給へり、此|本《モト》を氣《ケ》しきのみと云はわろし、
 
 △左の註に出し或本の歌は、右の頭に書つ、
 
近江大津《アフミオホツノ》宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇|賜《タマハセル》2鏡(ノ)女王《ヒメオホキミニ》1御製歌《オホミウタ》、 製字は例に依て加つ、○今本これを鏡(ノ)王(ノ)女と書て、額田姫王の事とするは、ひがことなり、此次また(卷十三)同じく鏡王女と有、そこにひがことなるよしみゆ、そのよしは別記にいへり、【鏡王てふ男王、鏡(ノ)女王てふも紀にみゆ、鏡(ノ)女王は、此天皇も御親み深き故に、此御おくりこたへは有なるべきことわり、別記にいへり、】
 
91 妹之家毛《イモガヘモ》、繼而見麻思乎《ツギテミマシヲ》、 一云、妹之|當《アタリ》、繼而毛見|武《ム》爾、
 
山跡有《ヤマトナル》、大島嶺爾《オホシマミネニ》、 大和に島てふ地も有、又島山にあかる橘などよめるもあれど、此嶺はおぼつかなし、
 
家母有猿尾《イヘモアラマシヲ》、 一云、家居《イヘヲラ》麻之乎、○標のまゝにては、近江へ遷まして後も、この女王は大和に居給へば、かくよみませしとせん、又なほ後之岡本之宮にます間の大御歌なれど、標は其御代の凡を擧る例なればしかるか、さらば女王は山(ノ)邊(ノ)郡の大和《オホヤマト》の郷に住給ふを、かくよみましゝならん、かくあらば大島嶺も其あたりに在るべし、○大やまとの郷の事は、卷一の別記にくはし、
 
○鏡(ノ)女王《ヒメオホキミ》、 鏡王(ノ)女と有をとらぬ事、右に同、
 
奉和《コタヘマツル》歌、 今本御歌と有は、王にいふ例なし、
 
92 秋山之《アキヤマノ》、樹下隱《コノシタガクリ》 逝水乃《ユクミヅノ》、吾許曾益目《ワレコソマサメ》、 水の益とつゞく、
 
御念從者《ミオモヒヨリハ》、 秋は水の下れば、山下水の増るに譬て、吾戀奉ることこそ、君より増たれといへり、
 
〇内大臣《ウチノオホキミ》藤原(ノ)卿《マヘツキミ》、 此公まだ若きほどの事ならんを。内大臣と書しよしは、卷一の別記に云、
 
娉《ツマトセス》2鏡(ノ)女王(ヲ)1時《トキ》、 娉は古へは妻問といひ、後には懸想といふにあたる、禮をなしなさぬをいふは、こゝの事にあらず、
 
鋸女王(ノ)作《ヨメル》歌、 今本に贈2内大臣(ニ)1と有は例にことなり、仍て除、
93 玉匣《タマクシゲ》、 冠辭、
 
覆乎安美《オホフヲヤスミ》、開而行者《アケテユカバ》、 匣の蓋《フタ》は、覆こともやすしとて、開るとつゞけたり、さて夜の明ることにいひかけたる序のみ、【匣の蓋は蝶つがひにて、覆ふも開くもやすきなるべし、】
 
君名者雖有《キミガナハアレド》、吾名之惜毛《ワガナシヲシモ》、 三の句に依に、此公の來て夜ふくれども歸給はぬを、女王のわびていひ出せる歌なり、且男はさるものにて、女は名のたちては、かたはなるよしをのたまふなり、
 
○内(ノ)大臣藤原(ノ)卿(ノ)和《コタフル》歌、 今本に報贈とあり、下にもしか書しもあれど、此一二卷の事古本こそ宜けれ、よりて改めつ、下もならへ、【末の家々の歌集には、端詞の體亂れ書しかど、此卷などは心して見るべし、】
 
94 玉匣、 冠辭、
 
將見圓山乃《ミムロノヤマノ》、 御室山とは專三輪をいふ例なり、○是をみむろのやまと訓よしは、冠辭考にいふ、【山城の宇治に、三室戸といふあれど、後の事のみ、○圓《マロ》をろ〔右○〕のかなに用るは、下に、臣《オミ》をみ〔右○〕、相《アフ》をふ〔右○〕、麻をさ〔右○〕に用し類にて、訓をば多は下の言を用、】
 
狹名葛《サナカヅラ》、 本はさぬかづらなり、又冠辭考に委し、
 
佐不寐者遂爾《サネズハツヒニ》、有勝麻之目《アリガテマシモ》 三の句までは序、佐は發言、目《モ》は助辭、○明ぬ間に歸りねとのたまへども、終に逢ずしては堪《タフ》まじき吾なれば、えいとひあへ給はじと強《シヒ》ていふなり、】注に、或本歌云、玉匣三室|戸《ト》山のといへるは、(卷八)珠くしげ、見諸戸《ミモロト》山を、行しかばといふ旅の歌の中に有て、西の國の歌どもに交れゝば、備中國に今もみむろどゝいふ所なるべし、こゝのは大和の都にてよめれば、他國の地名をいふことなかれ、古人はよしなく遠き所を設てよむことなかりしなり、【注に或本一本など有は、かく他書の事をいへるもありて、其卷の一本或本のみにあらず、かゝる事の書樣をだに意得ぬものゝ注なれば、何事かかなはんや、】
 
○内大臣藤原(ノ)卿、娶《メトセル》2采女《ウネメ》安見兒《ヤスミコヲ》1時《トキ》作歌、 娶をめとると訓は、よめとるの畧なるべし、さてよめとは女の童をいふ古言にて、かの新婦は、凡わらはなれば、此言よしなきにあらず、されど古き據もなく、いさゝか心ゆかぬこともあれば、めとせるとよめり、○采女は上つ代に、諸國にかほよき名有女をめし上られしよりして、後には國造郡司などの女兄弟姪などを、撰て貢《タテマツ》る事と成ぬ、又京官よりも、氏の女とて貢る事後にあり、共に氏々より貢るよしにてうねめといへり、言は即|氏之女《ウネメ》の略轉なり、【後には、釆女を※[(女/女)+干]て流す罪に當りし人有つ、こゝなるは前の采女にて、はゞかり無か、】
 
95 吾者毛也《ワレハモヤ》、 吾者よなり、此助辭下におほし、
 
安見兒得有《ヤスミコエタリ》、皆人乃《ミナヒトノ》、得難爾爲云《エガテニストフ》、安見兒衣多利《ヤスミコエタリ》、 安見兒は、この女の名なり、
 
○久米禅師《クメノゼジ》、娉《ツマドフ》2石川(ノ)郎女(ヲ)1時|作《ヨメル》歌、 久米は氏、禅師は名なり、下の三方(ノ)沙彌も是に同し、すべて氏の下に有は、いかに異なるも名と知べし、紀には阿彌陀釋迦などいふ名も有しを、禁《トヾ》め給ひし事見ゆ、○此下の和《コタヘ》歌、また重(テ)贈歌に、各詞有例なるを、今は其詞落失たるなり、然るを今本こゝに五首と有は、後人のわざなり、○石川郎女てふ下にもあれど、おの/\こと人ならんとおぼゆ、系も皆知がたし、○郎女をいらつめといふことは、紀に(景行)郎媛此云2異羅菟比※[口+羊]《イラツヒメト》1、また續紀に、(廢帝)藤原(ノ)伊良豆賣ともあり、言は舍女《イヘツメ》にて、同母同居のやからをいへり、伊呂母《イロハ》、伊呂兄《イロセ》、伊呂弟《イロト》などの伊呂は、舍等《イヘラ》てふ事なるもて知べし、(良呂は同音)かくて上つ代には、其|舍《イヘ》々にていへる言なるを、後には女の喚名とせしも見ゆ、
 
96 水篶苅《ミスヾカル》、 冠辭、【水は借字、篶は黒き小竹なり、今本又紀にも、是を薦と書しは誤れり、】
 
信濃乃眞弓《シナヌノマユミ》、 序なり○弓は古へ專ら甲斐信野より貢しかばしかいへり、續紀又延喜式にも見ゆ、
 
吾引者《ワガヒカバ》、宇眞人佐備而《ウマヒトサビテ》、 宇眞人は、紀に可美小男《ウマシヲトコ》、可怜小汀《ウマシヲバマ》などいひて、何にてもよき物をいへれば、こゝは貴人をいふ、佐備はすさびにて既にいひつ、
 
不言常將言可聞《イナトイハムカモ》、 こは紀に、(神功)宇摩比等破《ウマヒトハ》、宇摩譬苔奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイツコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》てふ如く、郎女のうま人なるこゝろならひにては、吾をばたぐひにあらずとて、いなみてんかと、いひこゝろむるなり、【禅師が身を下て郎女をあがむるなり、直《タヾ》人の貴人ぶりすと、あざけりいふにはあらず、】
 
○□□□□□□《石川(ノ)郎女(ガ)和(ル)歌》、 かく有べき例なるを、今は落たり、
 
97 三篶苅《ミスヾカル》、 【此三も借字にて、共に眞の意、】
 
信濃乃眞弓《シナヌノマユミ》、不引爲而《ヒカズシテ》、弦作留行事乎《ヲハグルワザヲ》、 矢作《ヤハグ》てふは造ることなれど、こゝは左に都良絃取波氣《ツラヲトリハゲ》といふ即是にて、弓絃を懸るを、はぐると云なり、○今本弦を強に誤、
 
知跡言莫君二《シルトイハナクニ》、」 弓を引ぬ人にて、弦かくるわさをば知つといふ事はなし、其如く我をいざなふわざもせで、そらにわがいなといはんをば、はかり知給ふべからずと云なり、
 
98 梓弓《アヅサユミ》、引者隨意《ヒカバマニ/\》、 引にしたがひてなり、【意は添て書しのみ、】
 
依目友《ヨラメドモ》、 ひかば本すゑ、吾方へ、夜こそ増れなど、弓によるてふ言多、
後心乎《ノチノコヽロヲ》、知勝奴鴨《シリガテヌカモ》、 知がたきと云なり、かもは歎《ナゲク》辭、右の歌に言とがめはすれど、實には引ばよるべき意有、さてこゝには、依ての後の事をいひかたむるなり、
 
○□□□□□□□《久米禅師重(テ)贈歌》、 上に云が如し、
 
99 梓弓、都良絃取波氣《ツラヲトリハゲ》、 つらをは連《ツラナ》り緒《ヲ》なり、是をつゞめて弦《ツル》と云て一つの物とす、緒《ヲ》は此類の名なり、
 
引人者《ヒクヒトハ》、後《ノチノ》心乎、知人曾引《シルヒトゾヒク》、」
 
100 東人之《アヅマドノ》、荷向篋乃《ノザキノハコノ》、 何れの國もあれど、東(ノ)國より年ごとにはじめに奉る調《ミツキ》物を荷前《ノザキ》といふ、遠き國より奉るなれば、はこに納て、紐して馬にのせ著て上る故に、荷の緒とも、乘といふ言もあり、別記あり、
 
荷之緒爾毛《ニノヲニモ》、 荷の緒の如くにもなり、かく畧きし例多し、
 
妹情爾《イモハコヽロニ》、乘爾家留香問《ノリニケルカモ》、 (卷六)東歌に、しら雲の、たえにし妹乎、あぜゝろと、許己呂爾能里※[氏/一]《コヽロニノリテ》、詐己婆可那之家《コヽバカナシケ》、てふをもて見れば、妹が事の、常に吾心のうへに有をいふなり、【こは妹に贈る意ならず、禅師が獨思ふ歌なれば、別に端詞の有しが落たるにや、(卷七)「はるされば、しだり柳の、とをゝにも、妹は心に、乘にけるかも、」】
 
○大伴(ノ)宿禰|娉《ツマドヒスル》2巨勢《コセノ》郎女(ヲ)1時作歌、 こは大津宮の御時なれは、大伴(ノ)望多《マクダ》卿、御行(ノ)卿の中にて、御行卿なるべし、且此卿若きほどの事故に、大津宮の條に入しなり、さて後つかさ高くなりしかば名をいはず、猶別記にいへり、○此郎女を、古本の注に、近江(ノ)朝大納言、巨勢(ノ)人(ノ)卿の女と書り、知よし有か、
 
101 玉葛《タマカヅラ》、 葛は子《ミ》の成もの故に、次の言をいはん爲に冠らせしのみなり、且|子《ミ》の成てふまでにいひて、不成の不《ヌ》まではかけぬ類ひ、集に多し、或人葛は借字にて桂ぞといひしはわろし、
 
實不成樹爾波《ミナラヌキニハ》、 【此初句と次の樹の別なるよしは、冠辭再考にいへり、】
 
千磐破《チハヤブル》、 冠辭、
 
神曾著常云《カミゾツクトフ》、 今の世にも、子《ミ》なるべき木の子《ミ》ならぬ有は、神の領じ給へりといへり、(卷十三)神の諸伏《モロブシ》とよみたるも事はひとし、
不成樹別爾《ナラヌキゴトニ》、 女のさるべき時に男せねは、神の依《ヨリ》まして遂に男を得ぬぞと譬ふ、
 
○巨勢郎女和(ル)歌、 報贈と有は、惣ての例にあらず、
 
102 玉葛、 此玉葛は右の言を受ていへるなれば論なし、
 
花耳開而《ハナノミサキテ》、不成有者《ナラザルハ》、誰戀爾有目《タガコヒナラメ》、吾孤悲念乎《アハコヒモフヲ》、 歌はことわり明らけし、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇賜(フ)2藤原(ノ)夫人《ミヤスドコロニ》1御製歌《オホミウタ》、 紀に、藤原(ノ)内(ノ)大臣の女氷上(ノ)娘、また妹五百重娘、ともに夫人と見ゆ、こは此二人の中何れにや、○(卷十二)藤原夫人と有下に注あれど、其注古本になし、後人の推量ごとなれば理も違へり、【別記あり、】
 
103 吾里爾《ワガサトニ》、大雪落有《オホユキフレリ》、 此下にも大雪と云り、
 
大原乃《オホハラノ》、古爾之郷爾《フリニシサトニ》、落幕者後《フラマクハノチ》、 大原は續日本紀に、紀伊へ幸の路をしるせしに、泊瀬と小|治《ハル》田の間に大原といふあり、今も飛鳥の西北の方に大原てふ所有て、鎌足公の生《ウマレ》給へる所とてもり有、是大方右の紀にかなへり、こゝを本居にて、夫人の下て居給ふ時の事なるべし、(卷四)にも大原(ノ)古(ニシ)郷(ニ)妹(ヲ)置(テ)とよめり、
 
○藤原夫人奉v和歌、
 
104 吾崗之《ワガヲカノ》、於可美爾言而《オカミニイヒテ》、令落《フラセタル》、 紀に斬《キリテ》2軻遇突智《カグツチヲ》1爲《シタマフ》2三段《ミキダト》1、々々、一段(ハ)爲2高※[雨/龍]《タカオカミト》1、其注に、※[雨/龍]此云2於筒美《オカミト》1と有、こは雨雪をしたがへる龍《タツ》神故に、かくはよまれたり、
 
雪之摧之《ユキノクダケシ》、 此|之《シ》は之毛《シモ》の畧、
 
彼所爾塵家武《ソコニチリケム》、 散けるらんなり、○御戯言をうけて、又戯申し給へり、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○大津(ノ)皇子|竊2下《シヌビクダリテ》於伊勢(ノ)神(ノ)宮(ニ)1上來《ノボリキマス》時《トキ》、大伯《オホクノ》皇女(ノ)御作《ヨミマセル》歌、 紀に、(天武)太田(ノ)皇女を(天智天皇の皇女)納《イレ》て、大來《オホクノ》皇女と大津(ノ)皇子を生給ふとあれは、御はらから《同母》なり、君大事をおぼし立御祈、且御姉齋王にも告給ふとて、朱鳥元年八月の比、天皇御病の間に下り給ひつらん、天皇九月九日に崩まして後は、下り給ふ間なし、【別記あり、】
 
105 吾勢粘乎《ワガセコヲ》、 大津皇子は御弟なれど、女がたの御ことばに勢子との給ふ例、別記にいふ、
 
倭邊遣登《ヤマトヘヤルト》、佐夜深而《サヨフケテ》、※[奚+隹]鳴露爾《アカツキヅユニ》、吾立所霑之《ワガタチヌレシ》、」
 
106 二人行杼《フタリユケド》、去過難寸《ユキスギガタキ》、秋山乎《アキヤマヲ》、 秋は物さびしければなり、且此上り給へる時を知べし、
 
如何君之《イカデカキミガ》、獨越武《ヒトリコエナム》、 此二くさの調《シラベ》の悲しきは、大事をおぼすをりの御別なればなるべし、
 
〇大津(ノ)皇子|贈《オクリタマフ》2石川(ノ)郎女(ニ)1御歌、
 
107 足日木乃《アシビキノ》、山之四付二《ヤマノシヅクニ》、 滴なり、四の句へかゝる、
 
妹待跡《イモマツト》、吾立所沾《ワガタチヌレヌ》、山之四附二《ヤマノシヅクニ》、
 
〇石川郎女(ガ)奉v和歌、
 
108 吾乎持跡《アヲマツト》、君之沾計武《キミガヌレケム》、足日木能《アシビキノ》、山之四附二《ヤマノシヅクニ》、成益物乎《ナラマシモノヲ》、 皇女の御歌よりこなた四くさの、ゆるやかにみやびたる調、ひたむきにあはれなるこゝろこそ妙なれ、上つ代下つ代をおもひ渡すに、短歌は此時ぞよろしかりき、【長歌は是より前こそよけれ、】
 
○大津(ノ)皇子|竊2婚《シヌビテミアヒシタマヒシ》石川(ノ)郎女(ニ)1時、津守連通《ツモリノムラジトホルガ》、 續紀に、(元正)此人陰陽の道勝れたりとて、從五位下を授、戸口をも賜はれると見ゆ、かくもはやくより、此みちに勝れたる名有人なり、【今本女郎と有は、皆ひがことなるよし、別記にいふ、まして同人を右に郎女と有にてもしれ、此下皆改む、】
 
占2露《ウラベアラハシツレバ》其(ノ)事(ヲ)1、皇子(ノ)御作《ヨミマセル》歌、 此端詞に、しぬびに郎女とあひ給へるを占露といひ、次に日嗣のみこも御歌を賜へるを思ふに、始め日嗣のみこの御心よせましゝ郎女の、何|處《コ》ともなく隱れにたるによりて、通に仰せで占べ顯はさせられつらん、大津皇子は、上をしのぐ御心おはせば、かゝる事も有て、終にほろび給ふなりけり、
 
109 大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
津守之占爾《ツモリノウラニ》、將告登波《ノラントハ》、益爲爾知而《マサシニシリテ》、 益は借字にて正しになり、正しは專ら占にいふ言、
 
我二人宿之《ワガフタリネシ》、
 
〇日並知皇子尊《ヒナメシノミコノミコト》、 今本知の字落、〇尊は天武天皇の皇子、御母(ハ)※[盧+鳥]野讃良《ウノノサラヽノ》皇女と紀に見ゆ、
 
賜2石川郎女1御歌、 【一本又目録に、女郎字曰2大名兒1也と注せり、こは此歌の言もておして云なり、今思に、またの名とも聞えず、其女をあがめて大名兒とのたまひつらんか、名姉《ナネ》名兄《ナセ》、又大名持など、名をもてほめごとゝせしは古への道なり、】
 
110 大名兒《オホナゴヲ》、 末の句へかゝる、
 
彼方野邊爾《ヲチカタノベニ》、苅草乃《カルカヤノ》、束間毛《ツカノアヒヒダモ》、吾忘目八《ワガワスレメヤ》、 束(ノ)間は一握の間にて、暫の間にとるなり、(卷十三)を鹿の角の束(ノ)間《マ》毛、云云、(卷四)紅の、淺葉の野らに、苅草の、束之間毛、吾《ワヲ》わすらすな、
 
○幸《イデマス》2吉野(ノ)宮(ニ)1時、 持統夫皇吉野の夏の幸多ければ、何の日月分かたし、
 
弓削皇子、 長(ノ)皇子の御弟なり、
 
贈2與《オクラスル》額田姫王(ニ)1御歌、
 
111 古爾《イニシヘニ》、戀流鳥鴨《コフルトリカモ》、弓絃葉乃《ユヅルハノ》、三井能上從《ミヰノウヘヨリ》、 こはあきつの離《イデマシノ》宮の邊に在ならん、三《ミ》は御なり、
 
鳴渡遊久《ナキワタリユク》、 御父すべらぎの暫入おはしましたるところなれば、かの姫王も同じく戀奉らん事故に贈給ふなるべし、
 
○額田(ノ)姫王(ノ)奉v和歌、
 
112 古爾《イニシヘニ》、戀良武鳥者《コフラムトリハ》、霍公鳥《ホトヽギス》、蓋哉鳴之《ケダシヤナキシ》、 其鳥はけだしほとゝぎすならんとおしはかるなり、
 
吾戀流其騰《ワガコフルゴト》、
 
○從2吉野1折2取《ヲリテ》蘿生松※[木+可]《コケムセルマツガエヲ》1遣《オクリタマフ》時《トキ》、 下に、子《コ》松之|末《ウレ》爾、蘿《コケ》生《ムス》までに、(卷十四)桙椙之末爾《ホコスギガウレニ》、※[草冠/辟]《コケ》生までにてふも同じくて、深き山の古木に生る日影の事なり、和名抄に、蘿(ハ)(日本紀私記云、蘿(ハ)比加介、)女蘿也、和名、萬豆乃古介、一云佐流乎加世、と云り、【古今六帖に、松の木の、こけのみだれて、云云、元輔集に、「松のこけ、千年をかけて生しげれ、鶴のかひごの、すとも見るべく」など有も、皆猿をがせとて、今も有さがりごけにて、ひかげの事なり、】
 
額田姫王(ノ)奉v入《イレマツル》歌、 かくざまに入と書るは、公へいふ言なるを、轉ては貴人へ物おくるにもいへる下に見ゆ、然ればこは弓削(ノ)皇子、かの松枝を遣はされしゐやの歌とすべきなり、
 
113 三吉野乃、玉松之枝者《タマツガエハ》、 老松の葉は圓《ツブ》らかなるを、玉松といふべし、丸らかに繁き篠を玉ざゝ、まろき筐を玉がたまなどいふ類なり、
 
波思吉香聞《ハシキカモ》、 こは久波志伎《クハシキ》を略きいふ言にて、古事記に、貌よき女を久波志|賣《メ》、令によき馬を細馬《クハシマ》などいふなり、集中に、波之家也思《ハシケヤシ》てふを、愛計八師と書、うるはしと思へる妹、愛《ウルハ》しき吾妹など有を合せ見よ、さてこゝは其松を、うらぐはしき哉《カモ》とめで給ふなり、【はしきは下の別記に有、】香聞は歎(ノ)辭、
 
君之御言乎《キミガミコトヲ》、持而加欲波久《モチテカヨハク》、 君は弓削皇子をさすべし、さて松にそへてのたまふ言有しなり、即松が枝の持て通ふといひなし給ひつ、(卷十)藤原の廣嗣、櫻花(ヲ)贈2娘子1とて贈答せしにも、この心によめるあり、
 
〇但馬皇女《タヂマノヒメミコ》、 清御原宮の夫人、氷上娘子の生まゐらせしこと紀に見ゆ、
 
在《イマス》2高市皇子(ノ)宮(ニ)1時、 高市皇子此時は日嗣(ノ)皇子(ノ)命と申すにやあらん、【宮の上に尊を落せしか、次の條も同、】紀に此皇子は※[匈/月]形《ムナガタノ》君徳善(ガ)女、尼子《アマコノ》娘子の生まゐらせしと有、但馬皇女この宮におはす故はつばらならず、
 
思《オボシテ》2穗積《ホヅミノ》皇子(ヲ)1御作《ヨミタマヘル》歌、 此皇子は、蘇我(ノ)赤兄(ノ)大臣(ノ)女、夫人大|※[草冠/(豕+生)]《ヱミノ》娘子の生まゐらせし事、紀にみゆ、
 
114 秋田之《アキノタノ》、穗向乃所緑《ホムケノヨレル》、異所縁《カタヨリニ》、 稻穗は、一方へよりなびく物なるに譬ふ、【(卷七)本は今と同じき歌あり、それには所依片縁と書つ、】
 
君爾因奈名《キミニヨリナヽ》、 與里奈《ヨリナ》の里奈《リナ》の約|良《ラ》にて、與良《ヨラ》なるを、延てより奈といふ、下の名は例の辭、
 
事痛有登母《コチタカリトモ》、 言いたくいひとよまるゝともなり、こといたくの登伊の約知なれば、こちたといふ、
 
〇勅《ミコトノリシテ》2穗積(ノ)皇子(ニ)1遣《ツカハサルゝ》2近江(ノ)山寺(ニ)1時、 天智天皇たてさせられし崇福寺をいふべし、此寺の事續紀にも見ゆ、
 
但馬(ノ)皇女(ノ)御作歌、 左右の御歌どもを思ふに、かりそめに遣さるゝ事にはあらじ、右の事顯れたるに依て、此寺へうつして、法師に爲給はんとにやあらん、
 
115 遺居而《オクレヰテ》、戀管不有者《コヒツヽアラスバ》、 此言別記にいふ、
 
追及武《オヒシカン》、 紀に(仁徳)皇后の筒城《ツヽキ》の宮へおはせし時、夜莽之呂珥《ヤマシロニ》、伊辭※[奚+隹]苫利夜莽《イシケトリヤマ》、伊辭※[奚+隹]之※[奚+隹]《イシケシケ》とよませ給へるに同じく、こゝはおひおよばんてふ意なり、
道之阿囘爾《ミチノクマワニ》、標結吾勢《シメユヘワガセ》、 山路などには、先ゆく人のしるべの物を結《ユフ》を、こゝにはいへり、此同言にて、繩引わたして隔のしるしとし、木などたてゝ標と爲るも有、事によりて意得べし、
 
〇但馬(ノ)皇女|在《イマス》2高市(ノ)皇子(ノ)宮(ニ)1時、竊2接《シヌビテミアヒシタマフ》穗積(ノ)皇子(ニ)1事《コト》、既形而後御作《アラハレテノチニヨミタマフ》歌、 右に此皇子を近江云云へ遣さるゝといひ、こゝにあらはれてと有は、常ざまの事ならず、日嗣(ノ)皇子の宮におはして、たはけ給ひし故ならん、
 
116 人事乎《ヒトゴトヲ》、 事は言なり、
 
繁美許知痛美《シゲミコチタミ》、己母世爾《オノモヨニ》、 己|之(ガ)世になり、此|母《モ》は上の籠毛與の別記にいへる如く、之《ノ》に通ひ、また君|之《ノ》代を君が代ともいふ、しかれば、乃毛加《ノモガ》の三つは、言便のまに/\何れにもいふなり、
 
未渡《イマダワタラヌ》、朝川渡《アサカハワタル》、 (卷十三)「世の中の、をとめにしあらば、吾渡(ル)、瘡背《イモセ》のかはを、渡かねめや、」此外にも、七夕に天河わたるになぞらへて、河を渡るを男女の逢ことに譬たる多ければ、こゝもおのが世にはじめたるいもせの道なるに、人言によりて中たえ行ば、よにも淺き吾中かなとなげき給ふよしなるべし、かゝれば朝は淺の意なり、又事あらはれしにつけて、朝明に道行給ふよし有て、皇女のなれぬわびしき事にあひ給ふをのたまふか、然らば(卷四)「人めもる、君がまに/\、われ共《サヘ》に、つとにおきつゝ、もすそぬらせる」てふ類ひなるべし、こはやすらかに聞ゆれど、猶上のこゝろも有べく思へば、二つをあぐ、
 
○舍人皇子《トネリノミコ》、 天武天皇の皇子にて、御名高くおはせば、更にいはず、
□□□□□□《贈2與舍人娘子1、》 此詞今は落しなるべし、
 
御歌、 【とねりは、とのもりといふ言にて、その本、禁中に宿直《トノイ》して護りする人を、惣ていへり、其中に仁徳天皇紀に、近習舍人てふはおもし、今にいふはおもきかろきあり、この皇子などの御名にいふは、乳母の氏をとり給ふ例なり、此娘子も其御乳母がたか、又おのづからか、さて後世人、舍人を賤き名と思ひ、又皇子の御名は乳母の氏を用給ふ事をもしらで、ひがごといふ故にしかいふ、】
 
117 丈夫哉《マスラヲヤ》、片戀將爲跡《カタコヒセント》、嘆友《ナゲヽドモ》、 ますら猛《タケ》男の名にして、相も思はぬ人を戀んものかはと、思ひ猛《タケ》びてなげくといへども、えやまれずとなり、
 
鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》、 鬼は醜と相通はせて書しなり、此次の卷の鬼之四豆《シコノシヅ》手、また下の鬼乃志許草《シコノシコグサ》などの鬼も、皆しことよむ、
 
尚戀二家里《ナホコヒニケリ》、 こはじと思へど、まだ戀はるゝとなり、さて集中になほてふ言に、尚の字を書しはいかにぞや、委は別記に云、
 
○舍人(ノ)娘子《イラツメガ》奉v和歌、 皇子の御名の同じきは、御乳母がたの女かといへど、片戀などのたまへば、他《アダ》し人なるべし、此氏の人も多かるべければなり、
 
118 歎管《ナゲキツヽ》、丈夫之《マスラヲノコノ》、戀亂許曾《コフレコソ》、 戀ればなり、れの下に、ばを略《ハブク》は例なり、
 
吾髪結乃《ワガモトユヒノ》、 ゆひたる髪の事を、もとゆひともいへり、
 
漬而奴禮計禮《ヒヂテヌレケレ》、 ひぢは※[泥/土]漬《ヒヂツキ》を約《ツヾメ》たる言にて、本は水につきてぬるゝをいふよし、此卷の末の別記にいへり、さてこゝには轉じて、あぶらづきてぬる/\としたる髪をいふ、ぬれとはたがねゆひたる髪の、おのづからぬる/\と、とけさがりたるをいふ、此下に多氣婆奴禮《タゲバヌレ》とよめる是なり、且鼻ひ紐解などいへる類ひにて、人に戀らるれば、吾髪の綰《タガネ》の解るてふ諺の有てよめるならん、
 
○弓削(ノ)皇子、思《オボシテ》2紀(ノ)皇女(ヲ)1、 上の穗積皇子と御はらからなり、
 
御作歌、
 
119 芳野河《ヨシノガハ》、逝瀬之早見《ユクセノハヤミ》、 序なり、
 
須臾毛《シバラクモ》、不通事無《タユルコトナク》、有巨勢濃香毛《アリコセヌカモ》、」 こは絶々逢こと有ときの心なり、然れば次の御歌ども、前しりへに成しなるべし、○ありこせぬかもは、あれ乞《コソ》と願ふ言を寛《ユル》くいふにて、あれかしと思ふを、在《アラ》ぬかやといふ平言は即是なり(卷九)「梅の花、今さけるごと、散過ず、我家の園に、阿利許世奴加毛」てふ類ひ多し、
 
120 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、 既出、
 
秋芽之《アキハギノ》、咲而散去流《サキテチリヌル》、花爾有猿尾《ハナナラマシヲ》、」 死なんものをといふを、はぎの散にそへて、且其はぎは一度の榮も有しをうらやむなり、
121 暮去者《ユフサラバ》、 夕べにならばなり、
 
鹽滿來奈武《シホミチキナム》、住吉乃《スミノエノ》、淺香乃浦爾《アサカノウラニ》、玉藻苅手名《タマモカリテナ》、」 事故なきうちに、妹をわが得ばやてふ事を添つ、【加利※[氏/一]阿良奈の弖あを約て、苅多良奈といふを、又其多良の良を略、多を弖に轉じて、苅弖といふ、此類の弖《テ》の辭多し、皆約め轉じていへり、○下の名は辭のみ、】
122 大船之《オホブネノ》、泊流登麻里能《ハツルトマリノ》、 序なり、船の行著たるをはつるといひ、そこに留りやどるをとまりといへり、されどそを略きては、はつるといひて、とまる事をかねたるぞ多、
 
絶多日二《タユタヒニ》、 たゆたは、ゆた/\の略き、ひは辭にて、たゆたふともいへり、さて大船の、波にゆら/\と動くを、物思ふ心に譬えたり、
 
物念痩奴《モノモヒヤセヌ》、人能兒故爾《ヒトノコユエニ》、 まだ得ぬほどなれば、他《ヒト》の兒といふべし、
 
〇三方沙彌《ミカタノサミ》、 傳はしらず、三方は氏、沙彌は常人の名なること、上の久米(ノ)禅師が下に云り、
 
娶《メトシテ》2園臣生羽之女《ソノヽオミイクハガムスメヲ》1、未經幾時《イクホドモヘズシテ》、臥病《ヤミコヤシヰテ》作歌《ヨメルウタ》、 【末の物語ぶみらに、よめどりてふ事はなくて、聟取はあり、こは男の女の家に行てすめばなり、こゝの歌を思ふに、いと古へもしかぞ有つらん、】
 
123 多氣婆奴禮《タゲバヌレ》、 あぶらづきめでたき髪は、たがぬれば、ぬる/\と延《ノビ》垂るものなるをいふ、多|我《ガ》奴禮婆の我《ガ》奴の約|具《グ》にて、多|具《グ》禮婆となるを、又その具禮を約れば、牙《ゲ》となる故に、多氣|波《ハ》といへり、奴禮は、上に漬《ヒヂ》而奴禮計禮とよめる所にいへり、
 
多香根者長寸《タガネバナガキ》、 此根は、なの轉言にて、たが無《ナ》ければなり、
妹之髪《イモガカミ》、此來不見爾《コノゴロミヌニ》、掻入津良武香《カキレツラムカ》、 此比病て、めのもとへ行て見ぬ間に、いかゞ髪あげしつらんか、あげまさりのゆかしきてふ意なるべし、さて童ざまに垂たりし髪を、あげをさむるをかき入るといふべし、卷十六に、「橘の、寺の長屋に、吾|率宿《ヰネ》し、童子《ウナヰ》はなりは、髪|上《アゲ》つらんか、」ともよみつ、【今本掻入をみだりと訓しは、此歌と答の心をも意得ずてよみしなり、】
 
○□□□□□□□□《園臣生羽之女(ノ)和《コタフル》歌》、此詞今は落しなり、
 
124 人皆者《ヒトミナハ》、今波長跡《イマハナガシト》、多計登雖言《タゲトイヘド》、 今は髪いと長くてあぐべきほどにもあれば、たがねよといへどなり、
 
君之見師髪《キミガミシカミ》、亂有等母《ミダレタリトモ》、 君に見え初しさまを、私にかへじといへり、右に引卷十六の歌、伊勢物語に、「くらべこし、振分がみも、肩過ぬ、君ならずして、誰かあぐべき」てふも此類なり、さて十五六の歳ごろまで髪を垂て在を、めの童といふ、且其とし比には、髪いと長く成ぬる故に、笄子して頂へ卷結を、髪あげといへり、此事くさ/”\故に別記に云、
 
○□□□□□□□《三方(ノ)沙彌(ガ)更贈歌》、
 
125 橘之《タチバナノ》、陰履路乃《カゲフムミチノ》、 その比、都の大道、市の衢などに、大きなる橘の木有しならん、紀に(雄略)餌香《エガノ》市(ノ)邊(ノ)橋(ノ)本といひ、(卷十四)東(ノ)市之殖木乃、木足左右《コダルマデ》とよみ、又大道に菓樹を植させられし時も有し、
 
八衢爾《ヤチマタニ》、 八は彌《イヤ》の略にて、衢の多き所をいふ、八達などの處よりいへるにあらず、
 
物乎曾念《モノヲゾオモフ》、妹爾不相而《イモニアハズテ》、 思ふ事の筋多きを衢に譬たり、これも沙彌が病臥て、妹が家へ行がたき思ひをよめるなるべし、【(卷十五)此歌の言少しかはりたるを擧て、左に、故豐島采女之作といへど、女にして妹といふは實の妹ならではいはず、此歌いかで女のよめらんや、】
 
○石川(ノ)郎女(ガ)贈2大伴宿禰田主1歌、
 
126 遊士跡《ミヤビトヽ》、吾者聞流乎《ワレハキケルヲ》  此遊士も風流士もみやびとゝ訓は、東萬呂大人のよめるなり、【此みやびとは、みやび人といふを略《ハブ》けるなり、】今本にたはれをとよめるは、よしもなき事ぞ、何ぞといはゞ、(卷十五)諸(ノ)大夫等集2左少辨云云(ノ)家1宴歌とて、「うなばらのとほき渡を、遊士能、遊ぶを見んと、なづさひぞ來し」てふ歌の左に、右一首云云、蓬莱仙媛(ガ)所作《ツクレル》嚢縵(ナリ)、爲2風流秀才之士1矣と書り、此遊士風流秀才は、其會集の大夫たちを指なるを、戯男といはゞ客人になめし、かゝれば何所にてもみやびとゝよむべかりけり、から文にても風藻雅情なるをこそいへれ、
 
屋戸不借《ヤドカサズ》、吾乎還利《ワレヲカヘセリ》、於曾能風流士《オゾノミヤビト》、 聞が如きみやび人ならば、心やりもとく、情も深かりなんを、夜べわがこひて行つるを、思ひはからで、いたづらなりしは、心にぶきみや人にぞ有と戯ていへるなり、○於曾てふ言は、(卷十、うら島の子をよめる、)「常世べに、住べき物を、劔《ツルギ》だち、己《ナ》が心から、於曾也是《オゾヤコノ》君、」その長歌に、世の中の、愚人之《シレタルヒト》と有を合せて、心|鈍《オソ》き人ぞといふを知べし、(卷五)「山代の、石《イハ》田の杜に、心|鈍《オソク》、手向したれば、妹にあひがたき、」これらも同く心にぶき事をいひたり、【後人此於曾てふ言をしらで、よしなき僞ごとをいへれば、別記にそのよしを明す、】
 
○大伴(ノ)宿禰田主(ガ)和《コタフル》歌、 報贈と有をとらぬ事既いふ、
 
127 遊士爾《ミヤビトニ》、吾者有家里《ワレハアリケリ》、屋戸不借《ヤドカサズ》、命還吾曾《カヘセルワレゾ》、風流士者有《ミヤビトニハアル》、 をこ人こそ、ゆくりなく《不意》女にあひごとをもすれ、たゞにかへせしこそ、みやびたる人のするわざなれといふなり、
 
○石川(ノ)郎女、 今本此上に同の字あれど、目録に無をよしとす、
 
贈2大伴(ノ)宿禰田主1歌、 今本には更(ニ)贈とあれど、右の同度の歌にあらず、いと別なれば、更といふべからず、惣此端詞は後にいと誤れるものなり、又今本に宿禰の字なくて、中郎と有も誤にて、目録に無をよしとす、且左の注にも中郎てふ言有は皆後人の誤なり、別記あり、
 
128 吾聞之《ワガキヽシ》、耳爾好似《ミヽニヨクニバ》、葦若未乃《アシガビノ》、 冠辭、
 
足痛吾勢《アシナヘワガセ》、 和名抄に、蹇(ヲ)阿之奈|閇《ヘ》、
 
勤多扶倍思《ツトメタブベシ》、 このつとめは、紀に自愛の字をつとめと訓しが如し、たぶべしは給ふべしなり、堪《タフ》べしと云にあらず、
 
○石川(ノ)郎女、 今本此上に大津(ノ)皇子(ノ)宮(ニ)侍てふ六字あれど、此宮に侍りしは朱鳥元年の秋、暫の間にて、皇子つみせられ給ふ後は、他にこそあらめ、然れば同じ郎女なりとも、こゝに右の六字は有べからず、其うへしか樣にかけること、此集の端詞の例ならず、只後人の傍注なり、
 
贈2大伴宿禰|宿奈《スクナ》麻呂1歌、 【宿奈まろは、靈龜元年の紀に、從五位上左衛士督と見ゆ、こゝに郎女の嫗と云るは、定《サダ》過たるをいふならん、是を大津皇子のあひ給ひし頃より思はかるに、此二人の齡凡かなふべし、】
 
129 古之《フリニシ》、 四言、齡《ヨハヒ》のふりしなり、今本いにしへのと訓しは、此歌にかなはず、
 
嫗爾爲而也《オヨナニシテヤ》、 紀に老此云2於由(ト)1といひ、(卷九)意余斯遠波《オヨシヲバ》と有は老《オイ》しをばなり、是に依に嫗は於與奈《オヨナ》と訓べし、此|與《ヨ》を伊乎《イヲ》の約《ツヾメ》とする時は、於伊乎美奈《オイヲミナ》てふ言となればなり、和名抄に嫗(於無奈)老女之稱也と有は、例も見えず、言の意もおぼつかなし、思ふに此無は與を誤しにやあらん、
 
如此許《カクバカリ》、戀爾將沈《コヒニシヅマム》、如手童兒《タワラハノゴト》、 母の手さらず日足《ヒタス》ほどの乳兒をいへり、○一云、戀乎|太爾《ダニ》、忍金手武、多和良波乃|如《ゴト》、忍金は堪《タヘ》難きをいふ、
 
○長《ナガノ》皇子、 既出、
 
與《オクリタマフ》2皇弟《イロトノミコニ》1御歌、 此皇弟は弓削皇子なり、その事上に見ゆ、
 
130 丹生乃河《ニブノカハ》、 式其外に、吉野宇陀宇智などの郡に丹生はあれど、こは宇智(ノ)郡なるか、
 
瀬者不渡而《セハワタラズテ》、由久遊久登《ユクユクト》、 物思ふ時、心のゆら/\とするをいふ、○今本遊を※[しんにょう+筴]にあやまりつ、
 
戀痛吾弟《コヒタムワガセ》、 實をもて弟とは書しのみ、仍て訓はせとせり、せは親しみあがまへる言なり、紀にも集にも弟をせと訓所有は、皆此意なり、古への言のならひなき人はまどへり、
 
乞通來禰《コチカヨヒコネ》、 乞は、いでともこそとも訓《ヨメ》ど、こゝは音をかりてこちてふ言に書り、こちは此道の略なり、(卷五)越乞《ヲチコチ》、(卷八)乞許世《コチコセ》山など、皆乞はかり字のみ、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂、從《ユ》2石見(ノ)國1別(テ)v妻《メニ》上(リ)來(ル)時《トキ》作《ヨメル》歌、 この度は朝集使にて、かりに上るなるべし、そは十一月一日の官會にあふなれば、石見などよりは、九月の末十月の初に立べし、仍て此歌に黄葉の落をいへり、【人麻呂の妻の事は、別記にいへるが如く、くさ/”\の考有、こゝなるは嫡妻にあらず、】
 
131 石見乃海《イハミノウミ》、 紀に、あふみのうみを、阿布彌能|彌《ミ》とあれば、今もうみのうを略きよむなり、下もならへ、
 
角乃浦囘乎《ツノヽウラワヲ》、 和名抄に石見(ノ)國那賀(ノ)郡、都農(都乃)とあり、こゝの海|方《ベ》をいふべし〇浦囘は浦のめぐりあたりをいふ、後世うらはと書は誤なり、
 
浦無等《ウラナシト》、 浦は裏《ウラ》にて※[さんずい+内]《イリ》江をいふ、こゝに浦無と云は、設てまづかくいふとするはわろし、次に潟無といふは、北の海に干潟てふ事の無をもていふに對へし句なれば、是も實もていふべし、然るを此國の海によき港有といへり、右の理もて思へば、其湊は他に有にて、角浦には古へ無りしにや、
 
人社見良目《ヒトコソミラメ》、 見るらめの略、
 
滷無等《カタナシト》、 是も設ていふにあらず、北海には潮の滿干のわかねば、しほひ潟のなきにて實をいへり、〇一に磯無登と有はとらず、
 
人社見良目《ヒトコソミラメ》、能咲八師《ヨシヱヤシ》、 假にゆるして縱《ヨシ》やといふなり、咲と師は助辭、下も同じ、
 
浦者無友《ウラハナクトモ》、縱畫屋師《ヨシヱヤシ》、滷者無鞆《カタハナクトモ》、 よしや浦も滷もなくとも、我は愛《ハシ》き妹ありといふ心なるを、こゝにはいはず、次に多の句を隔てゝ、下の依寢し妹と云にて知せたり、〇一に磯者と有はまたとらず、【今濱田の城の直北に下府村有、其北に上|府《フ》村あり、是古の府なり、その北皆海なれば、府より出立所の樣もて先いひて、次は山道に及べり、】
 
鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海邊乎指而《ウミベヲサシテ》、 指て行なり、〇是より十句餘は、其海の事をもて妹がうへをいふ序とす、
 
和多豆乃《ニギタヅノ》、 今は此名なしといへり、されども國府より屋上まで行間、北の海|方《ベ》にて、即そこの有さまを、ことばとしつる歌なるからは、和た津てふところ、その邊にありしなり、今濱田といふは、もしにぎたの轉にや、
 
荒磯乃上爾《アリソノウヘニ》、 あらいその、らいの約利なれば、ありそとよむ、
 
香青在《カアヲナル》、 香は發言にて、集中に、香黒(キ)髪、さいばりに、かよりあひなどいふ皆同じ、○在を今本生と有は、草の手より誤れるものなり、青に有てふ言をつゞめて、あをなると云に、在と書は例なり、
 
玉藻息津藻《タマモオキツモ》、 同物を重ねいふはあやなすのみ、息は借字、澳なり、
朝羽振《アサハブル》、 一本この朝羽振より下四句は無て、明《アケ》來者、浪|己《コ》曾|來依《キヨレ》、夕去者、風己曾來依とありて、浪之共とつづく、
 
風社依米《カゼコソヨラメ》】、夕羽振《ユフハブル》、 【今本、下の振の下に流と有は、上の例に違、理りもわろし、】
 
浪社來緑《ナミコソキヨレ》、 玉藻は朝夕の風浪にこそよらめといふなり、○羽振は風浪のたつを鳥の羽振に譬ふ、(卷四)風|緒痛《ヲイタミ》、甚振浪能《イタブルナミノ》、間無《アヒダナク》、卷十八に、打羽|振《ブキ》、鷄《カケ》者鳴等母、猶此類あり、古事記に、(神武)爲釣乍《ツリシツヽ》打|羽擧《ハブキ》來(ル)人、また天日矛《アマノヒボコ》が持來し寶に、振浪比禮《ナミフルヒレ》、振風《カゼフル》比禮などいふこともあり、
 
浪之共《ナミノムタ》、 浪のともにといふなり、(卷十一)君我牟多《キミカムタ》、由可麻之毛能乎《ユカマシモノヲ》、その外にも多けれど、皆|共《トモ》の意なり、今物の彼此わかぬを、めたともみたともいふを、土左人はむたといふといへり、
 
彼縁此依《カヨリカクヨリ》、玉藻成《タマモナス》、 成は如なり、【一本、玉藻より妹をまでは無て、波之伎余思、妹之手本乎と有は誤れり、今本此次に引、或本に、靡吾宿之と有もいと誤なり、同或本に山毛越來奴、その次に、早敷屋師、吾|嬬《ツマ》乃兒我、夏草乃、思|志萎《シナエ》而、將歎《ナゲクラン》、角(ノ)里|將見《ミン》、靡(ケ)此(ノ)山と有は聞えたり、】
 
依宿之妹乎《ヨリネシイモヲ》、 比類下に多し、
 
露霜乃《ツユジモノ》、 冠辭、
 
置而之來者《オキテシクレバ》、此道乃《コノミチノ》、 これより下は皆陸路のさまなり、
 
八十隈毎《ヤソクマゴトニ》、萬段《ヨロヅタビ》、顧爲騰《カヘリミスレド》、彌遠爾《イヤトホニ》、里者放奴《サトハサカリヌ》、益高爾《マシタカニ》、山毛越來奴《ヤマモコエキヌ》、 行道のさまをいふ中に、別を悲む情有、
 
夏草之《ナツクサノ》、念之奈要而《オモヒシナエテ》、 夏草は冠辭、
 
志怒布良武《シヌブラム》、妹之門將見《イモガカドミム》、靡此山《ナビケコノヤマ》、」 古郷出てかへり見るほどの旅の情、誰もかくこそあれ、物の切なる時は、をさなき願ごとするを、それがまゝによめるは、まことのまことなり、後世人は此心を忘れて、巧みてのみ歌はよむからに、皆そらごとゝ成ぬ、さて(卷三)靡《ナビ》けと、人はふめども、かく依《ヨレ》と、人は衝《ツケ》ども、こゝろなき山の、奥磯《オキソ》山三野|之《ノ》山とよめるは、いと古への歌なり、(卷五)「惡木《アシキ》山、ごずゑこと/”\、あすよりは、なびきたれこそ、妹があたり見ん」てふは、今をとれるか、
 
 反歌《カヘシウタ》、 反歌の事既にいへり、
 
132 石見乃也《イハミノヤ》、 この也は與に通へり、上に籠毛與、吾者毛也などいふ皆同じ、
 
高角山之《タカツノヤマノ》、木際從文《コノマユモ》、 或本による、○是より次の一句を隔て、妹見つらんかとつゞけり、
 
我振袖乎《ワガフルソデヲ》、妹見都良武香《イモミツラムカ》、」 人まろ道に出て顧しつゝ振《フル》そでを、妹は高角山にのぼりて、見おくりつらんかとなり、かく疑ふぞ情あり、○或本、初を石見|爾有《ナル》、末を吾袂振乎、妹見|監《ケン》鴨と有、
 
133 小竹之葉者《サヽノハハ》、三山毛清爾《ミヤマモサヤニ》、 三は眞《マ》なり、清は借字、紀に、(神武)聞喧擾之響を、左揶霓利奈離《サヤケリナリ》とよめる如く、嵐立て山の皆|小篠《ヲザヽ》の鳴さやぐなり、
 
亂友《サワゲドモ》、 亂は驟なり、友は借字、(卷十)高島の、阿渡《アト》河波は、驟《サワゲ》ども、吾は家おもふ、別かなしみてふは、今をよみうつしたるなるべし、又(卷五)松浦船、亂《サワグ》ほり江とよみつ、【さやぐはこゑ、さわぐはかたちなり、】
吾者妹思《ワレハイモオモフ》、別來禮婆《ワカレキヌレバ》、」 こゆる山こぞりて、さゝ吹風のさやぐには、大かた物もまぎれ忘るべくかしましけれど、別れし妹こひしらは、猶まぎれずといふなり、
 
135 角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石見之海乃《イハミノウミノ》、言佐敝久《コトサヘグ》、 冠辭、
 
辛乃埼有《カラノサキナル》、伊久里爾曾《イクリニゾ》、 紀に(應神)由蘿《ユラ》のとの、となかの、異句離《イクリ》にふれたつ、云云(卷十五)「わたのそこ、奥津伊久里《オキツイクリ》に、あはび玉、さはにかづき出(デ)」などいへば、海の底の名をいくりと云り、さて必黒ければいくりといふか、
 
深海松生流《フカミルオフル》、 宮内式の諸國の貢に、深海松長海松の二つ有、深みるは海底に生るをいふ、
 
荒磯爾曾《アリソニゾ》、玉藻者生流《タマモハオフル》、玉藻成《タマモナス》、靡寐之兒乎《ナビキネシコヲ》、深海松乃《フカミルノ》、深目手思騰《フカメテモヘド》、左宿夜者《サヌルヨハ》、幾毛不有《イクバクモアラズ》、延都多乃《ハフツタノ》、 冠辭、
別之來者《ワカレシクレバ》、 此ぬる夜はいくばくもあらで、別るといふからは、こは國にてあひ初し妹と聞ゆ、依羅《ヨサミノ》娘子ならぬ事知べし、
 
肝向《キモムカフ》、 冠辭、
 
心乎痛《コヽロヲイタミ》、念乍《オモヒツヽ》、顧爲騰《カヘリミスレド》、大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
渡乃山之《ワタリノヤマノ》、 府より東北、今道八里の所に在と云り、妹か振袖の見えずと云にかなへり、
 
黄葉乃《モミヂバノ》、散之亂爾《チリノマガヒニ》、 反歌、秋山爾、落黄葉といへり、○まがふてふ言に亂と書る、下に多し、
 
妹袖《イモガソデ》、清爾毛不見《サヤニモミエズ》、 【此清は明らかなるをいふ、】
 
嬬隱有《ツマゴモル》、 冠辭、
 
屋上乃山乃《ヤガミノヤマノ》、 渡山と同じ程の所といへり、かゝれば和多つは、いよゝ府に近き事顯はなり、さて府を立て此山遠からぬ所に宿りてよめるならん、
 
自雲間《クモマヨリ》、渡相月乃《ワタラフツキノ》、 妹があたりの、山に隱る、惜さを、月の雲隱るに譬ふ、
 
雖惜《ヲシケレド》、隱比來者《カクロヒクレバ》、天傳《アマヅタフ》、 冠辭、
 
入日刺奴禮《イリヒサシヌレ》、 夕べに成ていよゝ思ひまされり、
 
丈夫跡《マスラヲト》、念有吾毛《オモヘルワレモ》、敷妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、こは夜《ヨル》のものをいふ辭にて、即宿りしての思ひをいへり、
 
衣袖者《コロモノソデハ》、通而沾奴《トホリテヌレヌ》、 卷十九に、潜※[盧+鳥]《ウヲカフ》歌とて、「吾妹子が、形見がてらと、紅の、八しほに染て、おこせたる、ころものすそも、通りてぬれぬ」とよめるは、下にかさね着し紅衣と聞ゆ、然れば上より下のかさねかけてぬるゝといふめり、今も此如く下の袖までなみだにぬれとほりしなり、(卷十一)「吾袖は、多毛登等保里《タモトトホリ》て、ぬれぬとも、戀忘貝、とらずばゆかじ」といへるは、はた袖より臂のもとかけて、ぬれのぼるをいひて、今とはいささかことなり、
 反 歌、
136 青駒之《アヲゴマノ》、 白馬なり、
 
足掻乎速《アガキヲハヤミ》、 馬は足して土をかくが如くあゆむをいふ、
 
雲居曾《クモヰニゾ》、 此言をかく遠き事にいふは轉じ用るなり、
 
妹之當乎《イモガアタリヲ》、過而來計類《スギテキニケル》、」 或本、妹之當|者《ハ》、隱《カクレ》來(ニ)計留、 これによらん歟、(卷四)「赤ごまの、あがきはやくば、雲ゐにも、隱往《カクレユカン》ぞ、袖まけわぎも、」
 
137 秋山爾《アキヤマニ》、 秋の末或は冬の初なることしるし、
 
落黄葉《オツルモミヂバ》、須臾者《シバラクハ》、勿散《ナチリ》亂《ミダリ・マガヒ》曾《ソ》、妹之當將見《イモガアタリミム》、」
 
 △或本歌、
138 石見之海、津乃浦乎無美、浦無跡、 こは津能乃浦|囘《ワ》乎の能と囘を落し、無美はまぎれてこゝに入たるなり、此外いと誤多し、たま/\誤ならで異なるは、右の歌に註しつ、
 
  △反歌、
139 石見之海、打歌《タカ》□《角》山乃、木(ノ)際《マ》從、云云、下は右に同じ、【此初句、海と有も誤れり、】此|打歌《タカ》は假字にて、次に角か津乃《ツノ》などの字落し事、上の反歌もて知べし、今本にうつたの山と訓しは人わらへなり、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)妻《メ》依羅娘子《ヨサミノイラツメ》、與《ト》2人麻呂1相別(ルヽ)時作歌、 こは右の假《カリ》に上りて又石見へ下る時、京に置たる妻のよめるなるべし、かのかりに上る時、石見の妹がよめる歌ならんと思ふ人のあるべけれど、さいひては前後かなはぬ事あり、別記の人まろの妻の條にいふ、【拾遺歌集に、此歌を人まろとてのせしは、餘りしきひがことなり、人まろの歌の調は、他にまがふ事なきを、いかで分ざりけん、此端詞を見ざりしなり、】
 
140 勿念跡《オモフナト・ナモヒソト》、君者雖言《キミハイヘドモ》、相時《アハントキ》、何時跡知而加《イツトシリテカ》、我不戀有牟《ワガコヒザラム》、
 
 挽歌《カナシミノウタ》。 これを末に載て卷を結びたるにて、こは時代しられたる歌を撰集めし卷なるを知ぬ、【挽歌の字は借て書のみ、字に泥ことなかれ、別記有、】
 
後崗本宮《ノチノヲカモトノミヤニ》御宇天皇代。
 
○有間皇子《アリマノミコ》自傷《カナシミテ》結《ムスビテ》2松枝《マツガエヲ》1御作《ヨミタマヘル》歌、 紀に(孝徳)阿倍(ノ)倉梯麻呂(ガ)女、小足《ヲタラシ》媛(ノ)生2有馬皇子1と見ゆ、さて斉明天皇四年十月、天皇紀伊の牟漏《ムロ》の湯へ幸ありし時、此皇子そむき給ふ事顯れしかば、かの紀伊へめしけるに、其國の岩代の濱にで御食《ミヲシ》まゐる時、松が枝を結びて、吾この度|幸《サキ》くあらば、又かへり見んと契り給ひし御歌なり、かゝるに其明る日、藤代てふ所にて、命うしなひまゐらせつ、
141 磐白乃《イハシロノ》、 既出、
 
濱松之枝乎《ハママツガエヲ》、引結《ヒキムスビ》、眞幸有者《マサキクアラバ》、 幸《サキ》くてふ事は既出、
 
亦還見武《マタカヘリミム》、」 とりなだめらるゝよしもありなんやとおぼせしが悲しき、
 
142 家有者《イヘニアレハ》、笥爾盛飯乎《ケニモルイヒヲ》、 笥は和名抄にも介《ケ》と訓つ、いと古への飯笥《イヒゲ》は、藺《ヰ》竹などして作り、又木をわげたるも本よりならん、【顯宗天皇紀、影姫が歌に、多摩該※[人偏+爾]播《タマケニハ》、伊比左倍母理《イヒサヘモリ》、このたまけは丸|笥《ケ》なり、○鎮魂祭式に、飯笥一合、云云、即盛2藺笥《ヰノケニ》1、】
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
旅爾之有者《タビニシアレバ》、椎之葉爾盛《シヒノハニモル》、」 今も檜の葉を折敷て、強飯を盛ことあるが如く、旅の行方《ユクヘ》にては、そこに有あふ椎の小枝を折敷て盛つらん、椎は葉のこまかに繁くて平らかなれば、かりそめに物を盛べきものなり、さて有がまゝによみ給へれば、今唱ふるにすら思ひはかられて哀なり、
 
〇長忌寸意吉麻呂《ナガノイミキオキマロ》、見(テ)2結松(ヲ)1哀咽《カナシミテ》作歌、 意吉麻呂は、文武天皇の御時の人にて、いと後の歌なれど、事の次でもてこゝには載しなり、下の人まろが死時の歌になぞらへてよめる丹治(ノ)眞人が歌を、其次に載たる類なり、眞人は人まろと同時なるやしらねど、擬歌などをならべ載たる例に取なり、○意寸麻呂の時代の事、此挽歌の條の別記をあはせ見るべし、
 
143 磐代乃《イハシロノ》、岸之松枝《キシノマツガエ》、 【濱とも岸とも野ともよめり、濱岸のべの野に立たる松としらる、】
 
將結《ムスビケン》、人者反而《ヒトハカヘリテ》、 皇子の御魂、
 
復將見鴨《マタミケンカモ》、」 更に悲しさをそへたり、
 
144 磐代乃、野中爾立有《ノナカニタテル》、結松《ムスビマツ》、情毛不解《コヽロモトケズ》、 結《ムスブ》よりいふ、
 
古所念《イニシヘオモホユ》、 此松、むすばれながら大木と成て、此時までもありけん、
○山上臣憶良(ガ)追和《オヒナゾラヘテ》作歌《ヨメルウタ》、 こは意寸麻呂よりしも後の歌ながら、類ひもてこゝに載し事、右にひとし、【此和は答にあらず、擬といふが如し、仍てなぞらへとよむ、】
 
145 鳥翔成《ツバサナス》、 羽して飛ものをつばさといふ、成は如なり、今本とりはと訓しはわろし、とりはてふ言はなきなり、
 
有我欲比管《アリガヨヒツヽ》、見良目杼母《ミラメドモ》、 皇子のみたまは、飛鳥の如く天がけりて見給ふらめどと云なり、紀に(履仲)有|如《ナス》2風之聲《カゼノコヱ》1呼《ヨバヘリ》2於大虚《オホゾラニ》1曰、鳥往來羽田之汝妹《トリカヨフハダノナニモハ》、羽狭丹葬立往《ハサニハフリタチイヌ》ともあり、
 
人社不知《ヒトコソシラネ》、松者知良武《マツハシルラム》、 又悲しさくはゝりぬ、古へ人の歌はかくこそあれ、後の人おもへ、今本こゝに註あれど、用なくいまだしき事なれば、すてたり、又その次に、△大寶元年辛丑幸2紀伊國1時云云とて歌一つあれど、そは即右の意寸麻呂の始めの歌を唱へ誤れるなるを、後人みだりに書加へしものなり、仍てこゝに除て別記にいへり、
 
近江大津(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇|聖躬不豫《ミヤマヒオハシマス》之|時《トキ》皇后《キサキノ》  いまだ天皇崩まさぬ程の御歌なれば、今本こゝを大后と書しは誤、
 
奉御歌《タテマタシヽミウタ》、 天皇其十年の九月より、大御病おはしまして、十二月に崩ましぬ、こは押て挽歌に入し物なり、皇后は、天皇の御庶兄|古人《フルヒトノ》大|兄《エノ》皇子の御女にて、倭《ヤマトノ》姫王と申して、天皇の七年に后に立給、
 
147 天原《アマノハラ》、振放見者《フリサケミレバ》、大王乃《オホキミノ》、御壽者長久《ミヨハトコシク》、天足有《アマタラシヌル》、 紀に(推古)「吾大きみの隱ます、天の八十|蔭《カギ》、いでたゝす、み空を見れば、萬代に、かくしもがも、云云」てふ歌をむかへ思ふに、天を御室《ミヤ》とします天つ御孫命におはせば、御命も長《トコシナ》へに天足しなん、今御病有とも事あらじと、天を仰で賀給ふなり、△今本こゝに一書曰とて、右の如き端詞有て、即左の歌を書しは、其一書には、右の御歌落、左の端詞も亂て外へゆきしものなり、
 
〇天皇|崩《カミアガリマセル》時《トキ》、大后(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌《ミウタ》、 此詞今本はこゝに落て次の御歌の所に入しなり、今考てこゝに書り、そのよし次下にいふべし、
 
148 青旗乃《アヲバタノ》、 白旗をいふ、【或抄に、常陸風土記に、葬に五色の旗を立し事有を引たれと、皇朝の上代に有まじき事、まして孝徳の制より奈良(ノ)朝まで、王臣の葬に帷衣ともに白布を用、白旗なる據、こゝにしるせる如くなるを、いかで色々を用んや、令の葬旗に、集解等にも色をいはぬは、必白き故なり、みだりにせば違令の罪ぞ、風土記の浮説にまどはざれ、】
 
小旗能上乎《ヲバタノウヘヲ》、 今本は小を木に誤りつ、同じ言に小《ヲ》の發語を置て重ねいふ、古歌の文《アヤ》のうるはしきなり、さがみ嶺《ネ》の小嶺《ヲミネ》、玉ざゝの小篠《ヲザヽ》などの類いと多し、
 
賀欲布跡羽《カヨフトハ》、目爾者雖視《メニハミレドモ》、直爾不相香裳《タヾニアハヌカモ》、」 大殯(ノ)宮に立たる白旗どもの上に、今もおはすが如、御面影は見えさせ給へど、正面《マサメ》に相見奉る事なしと歎給へり、○此青ばたを殯宮の白旗ぞといふよしは、孝徳天皇紀の葬(ノ)制に、王以下小智以上、帷帳等に白布を用ひよとあり、(卷三)挽歌に、大殿矣、振放見者、白細布《シロタヘニ》、飾奉而《カサリマツリテ》、内日刺、宮舍人者、雪穗《タヘノホノ》、麻衣服者《アサギヌキレバ》、また此卷にも、皇子之御門乎、神(ン)宮爾、装束《カザリ》奉而、云云、かくて喪葬令の錫紵は細布なれば、大殯のよそひも皆白布なるをしる、さて旗は右の書らに見えねど、喪葬令の太政大臣(ノ)旗二百竿と有に、こゝの青旗云云をむかへて、御葬また大殯宮の白はた多きをしるべし、且成務天皇紀、神功皇后紀に、降人は素《シラ》幡を立て参ること有も、死につくよしなれば、これをも思へ、○青旗の忍《オシ》坂の山てふも、同く白旗なる事、冠辭再考にいへるをむかへ見よ、今本こゝに天皇崩御之時、倭(ノ)太后(ノ)御作歌と有は、右にいふ如く此所亂れて、青旗云云の歌は、かの一書に、近江(ノ)天皇、聖體不豫御病急時、太后奉獻御歌てふ端詞の次に入し故に、後人私に右の崩御之時てふ端詞を、左の御歌の前に書し物なり、右の青旗云云は、既崩給ふ後の意にこそあれ、又こゝの崩の下の御は例皆なし、倭てふ御名も、惣の例に違のみかは、ここの前後にそむければ、皆誤れる事明らけし、仍て今こゝの端詞を青旗の歌の上へおくりて、二首ともに大后の御歌とす、大后より上に出べき人もなければなり、
 
149 人者縱《ヒトハヨシ》、念息登母《オモヒヤムトモ》、玉※[草冠/縵]《タマカヅラ》、 冠辭なり、冠辭よりは懸《カケ》とつゞけ、受たる句にては面|影《カゲ》なり、かくいひかくるには、清濁にかゝはらぬぞ歌のならはしなる、
 
影爾所見乍《カゲニミエツヽ》、不所忘鴨《ワスラレスカモ》、
 
○婦人《タワヤメノ》作歌、 今本には婦の上に、天皇崩時の四字あれど、例に依て除きつ、又婦人とのみ有もおぼつかなけれど、今はすべなし、これも亂れたるを仙覺などの強ごとなるべし、
 
150 空蝉師《ウツセミシ》、 顯《ウツヽ》の身なり、師はしもといひ入る辭なるを、毛を略けるなり、
 
神爾不勝者《カミニタヘネバ》、離居而《ハナレヰテ》、 天つ神となりて上り給ふには、わがうつゝにある身のしたがひ奉る事かなはで、離をるとなり、
 
朝嘆君《アサナゲクキミ》、 下の昨《キゾノ》夜夢に見えつるといふを思ふに、其つとめてよめる故に、朝といへるならん、
 
放居而《サカリヰテ》、吾戀君《ワガコフルキミ》、玉有者《タマナラバ》、手爾卷持而《テニマキモチテ》、衣有者《キヌナラバ》、脱時毛無《ヌグトキモナケム》、 句なり、
 
吾戀《ワガコフル》、君曾伎賊乃夜《キミゾキゾノヨ》、 きのふの夜なり、(卷六)こひてかぬらん、伎曾母許余比毛とよめり、紀には昨日をも昨夜をも、きずと訓たり、同言なり、
 
夢所見鶴《イメニミエツル》、 こを古へはいめといひて、ゆめといへることなし、集中に伊米《イメ》てふ假字あり、伊は寢《イ》なり、米は目《メ》にて、いねて物を見るてふ意なり、後世いつばかりよりか轉《ウツリ》てゆめといふらん、
 
○天皇|大殯宮之時《オホミアガリノミヤノトキノ》歌、 崩ませば、先(ツ)宮中に殯宮して假にをさめ奉り、山陵《ヤマ》造《ツクリ》て後に葬奉りぬ、○あがりといふは、仲哀天皇紀に、殯《アガリス》2豐浦(ノ)宮(ニ)1、爲2無火殯斂(ヲ)1、此(ニハ)謂2褒那之阿餓利《ホナシアガリト》1、この阿餓利の言即殯に當れり、又(卷四)長屋王賜v死後の歌、大荒城乃《オホアガリノ》、時爾波|不有跡《アラネド》、雲隱|座《マス》、是を合せて此訓を知べし、【萬葉に荒|城《ギ》と書、荒は假の意、城は墓の類をいふ、然ればあがりは、あ良の良を略《ハブ》き、がりの約ぎなれば、あらぎと同言なり、それを古へより專らあがりと唱へこしなりけり、今も遠江人の死て、三日めのわざするを、三日のあがり爲といへる、即是なり、猶此下にいへるを合せ見よ、】
 
151 如是有刀《カヽラムト》、豫知勢婆《カネテシリセバ》、大御船《オホミフネ》、泊之登萬里人《ハテシトマリニ》、標結麻思乎《シメユハマシヲ》、」 こゝの汀に御船のつきし時、しめ繩ゆひはへて、永く留め奉らんものをと、悲しみの餘にをさとなく悔するなり、古事記に、(天岩戸の條)布刀《フト》玉(ノ)命、以〔右○〕尻久米繩《シリクメナハヲ》控2度《ヒキワタシテ》其御後方《ソノミシリベニ》1白言《マヲサク》、從此以内不得還入《コユウチニナカヘリマシソ》てふを思ひてよめるなるべし、
 
152 八隅知之《ヤスミシヽ》、吾期大王乃《アゴオホキミノ》、 我等を和期といふこと、既に出づ、
 
大御船《オホミフネ》、待可將戀《マチカコヒナム》、四賀乃辛崎《シガノカラサキ》、 卷一に、大宮人の船まちかねつと、柿本の人まろのよみしは、これより年經て後なり、しかれども今をまねぶべき人ともおぼえず、おのづから似たるか、
 
○大后|御作歌《ヨミマセルミウタ》、 是よりは御|新喪《ニヒモ》の程過て後の事故に、又更に大后の御歌をあぐ、
 
153 鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
淡海乃海乎《アフミノウミヲ》、奥放而《オキサケテ》、 放は遠ざかりてなり、
 
※[手偏+旁]來船《コギクルフネ》、 六言、
 
邊附而《ヘヅキテ》、 四言、
 
※[手偏+旁]來船《コギクルフネ》、 六言、
 
奥津加伊《オキツカイ》、 おきつ船の※[楫+戈]《カチ》なり、古へはかいとかぢを一つ物とせり、集中に、眞梶繁貫《マカヂシヽヌキ》とあまたいへる同じ事を、卷二十には、末加伊之自奴伎《マカイシヾヌキ》ともいひ、其外同物なる據あり、さて船尾に懸る物を、後世かちと云は誤なり、【古事記に、(海河の神の生れし次、)奥津|甲異辨羅《カイベラノ》神、邊津甲異辨羅神生れ給ふ、是船の加伊の始めなり、是をかぢともいへり、集中に眞《マ》加|伊《イ》とも眞加|治《ヂ》ともいひて、船の左右にむかへてかくる故に眞といふ、今の臚《ロ》といふ物は古はなし、かくて船尾に掛るを梶と云は訛なり、古是はたぎしと云つ、同記に倭建命の、吾足|不得歩《エアユマズ》、成2當藝斯《タギシノ》形1とのたまひしと、和名抄に、舵を多|伊《イ》之といへるをむかへて、船(ノ)尾に在て正v船木の、柄《エノ》曲れる物をたぎしといひしを知なり、】
 
痛勿波禰曾《イタクナハネソ》、 かいは、波をすきはぬるものなり、
 
邊津加伊《ヘツカイ》、 汀をこぐ楫なり、
 
痛莫波禰曾《イタクナハネソ》、若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
嬬之念鳥立《ツマノオモフトリタツ》、 こゝは夫《ツマ》と書べきをたゞ、言をとりて字にかゝはらぬ古へぶりなり、下にも多し、さて紀にも集にも、御女は天皇を吾せこともよみしかば、こゝのつまもしかなり、○此鳥は、下の日並知皇子尊の殯の時、島(ノ)宮、池(ノ)上|有《ナル》、放鳥、荒備勿行(ソ)、君|不座《マサズ》十方、とよめる如く、愛で飼せ給ひし、鳥を、崩まして後放たれしが、そこの湖に猶をるを、いとせめて御なごりに見給ひてしかのたまふならん、
 
○石川(ノ)夫人(ノ)作歌、 此夫人知がたし、蘇我山田石川麻呂(ノ)大臣の女にはあらじか、
 
154 神樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
大山守者《オホヤマモリハ》、 大宮近き此山には、ことに山守を置るべし、且大山は御山の意なり、
 
爲誰可《タガタメカ》、山爾標結《ヤマニシメユフ》、 人を入しめぬしるしなり、
 
君毛不有國《キミモマサナクニ》、 よろづにかひなく成にたるを恨みたるなり、
 
○從《ヨリ》2山科御陵《ヤマシナノミハカ》1退散之時《アラケマカルトキ》、 諸陵式に、山科(ノ)陵天智天皇、山城國宇治郡と有是なり、今も山科の御廟とて山上にもりあり○紀に、十年十二月乙丑、天皇崩2近江宮1、癸酉《十一日》殯2新宮1と見ゆ、さて亂れ有て、天武天皇の三年に至て、此陵は造らせ給へり、御葬且此御陵づかへも此時有しなるべし、しかる時は淨御原宮の下に入べけれど、專らのことわりにつきて、こゝに載られつらん、
 
額田(ノ)姫王(ノ)作歌、
 
155 八隅知之《ヤスミシヽ》、和期大王之《ワゴオホキミノ》、恐也《カシコシヤ》、 也は與に通ふ辭、
 
御陵奉仕流《ミハカツカヘル》、 皇朝の古へは、天皇の山陵をも御墓《ミハカ》といひつらん、こゝに御陵とは書しかど、みさゞきと訓ては、句調のかなはねば、みはかと訓べき事しらるればなり、さて墓をはかといふも、古へよりの言と見えて、(卷十二)おもへ者|歟《カ》てふ言に思墓と借、武蔵國に荒墓(ノ)郷和名抄に出たり、から國も陵は暫後にて、冢墓ぞ古へなりける、【三秦記に、名2天子冢1曰2長山1、漢曰v陵、故通名2山陵1、〇喪葬令義解に、帝王(ノ)墳墓如v山如v陵、故謂2之山陵1、】
 
山科乃《ヤマシナノ》、鏡山爾《カヾミノヤマニ》、 山城なり、近江豐前にも同名の山あり、
 
夜者毛《ヨルハモ》、 四言、
 
夜之盡《ヨノアクルキハミ》、 八言、
 
晝者母《ヒルハモ》、 四言、
 
日之盡《ヒノクルヽマデ》(卷十三)、崗本(ノ)天皇御製とて、晝波、日乃久流留麻弖、夜者、夜之明流|寸食《キハミ》と有に依てよみぬ、こはいと古言にて、古言をば古言のまゝに用ること、集中に多き例なり、
 
哭耳呼《ネノミヲ》、 四言、
 
泣乍在而哉《ナキツヽアリテヤ》、 八言、
 
百磯城乃《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》、去別南《ユキワカレナム》、 葬まして一周の間は、近習の臣より舍人まで、諸々御陵に侍宿《トノイ》する事、下の日並知皇子尊の御墓づかへする、舍人の歌にてもしらる、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
〇十市《トヲチノ》皇女、薨時《スギタマヘルトキ》、 上にいへり、〇七年四月七日、宮中にて頓に薨給ふ、同十五日に赤穗てふ所に葬、天皇臨て發哀《ミネ》し給ふと紀に見ゆ、
 
高市(ノ)皇子(ノ)尊、御作歌、 此時は太子ならねど、後をめぐらして尊と書り、紀にもしかり、
 
156 三諸之《ミモロノ》、 初句にみもろのと有は、皆四言なり、下に能《ノ》を就《ナル》に誤れる一つあり、そは冠辭考にくわしくす、
 
神之神須疑《カミノカミスギ》、 此神杉は、手もふるまじく齋《イメ》るといふを、夢《イメ》にいひかけ給へるのみ、古は夢を伊米《イメ》といひし故に、此つゞけ有なり、【(卷三)神名備能、三諸之山丹、隱藏《イハフ》杉、このいはふにひとし、】
 
已免乃美耳《イメノミニ》、將見管本無《ミエツヽモトナ》、 此二句かく草の手に書けんを、今本に、己具耳矣月得見監乍共と有は、字あまた誤れる事誰かしらざらん、然るを仙覺みだりなる訓をなしたり、【此十字をいくにをしと、みけんつゝともてふ訓をせしは、古へはさる言も有べしと思へるにや、古へこそ言は明らけきをしらぬ人、かゝることするなり、】
 
不寐夜叙多《イネヌヨゾオホキ》、」 ある時は、かひなき夢にのみ見えつゝ、或夜はねずに戀明すことの多きとなり、〇本無とは、むなしといふ言なり、毛登の約は、毛なるを牟に轉じいへり、
 
157 神山之《カミヤマノ》、 三諸も神山も、神|岳《ヲカ》と三輪とにわたりて聞ゆるが中に、集中をすべ考るに、三諸といふに三輪なるぞ多く、神なびの三室、又神奈備山といへるは飛鳥の神岳なり、然ればこゝは二つともに三輪か、されど此神山を今本に押てみわやまとよみしは、おぼつかなし、
 
山邊眞蘇木綿《ヤマベマソユフ》、 木綿《ユフ》は穀《カヂ》の皮なり、委は冠辭考に見ゆ、さて木綿麻など割《サキ》て用る物を曾《ソ》といふ、それが中に、ゆふをほめて眞そといふなり、式にも木綿を貴み、麻をいやしめり、【大祓詞に、菅曾《スガソ》と云も、菅を八針に割ばなり、】
 
短木綿《ミジカユフ》、 こは長きも短きも有を、短きを設出て、この御命の短きによそへ給へり、後に短きあしの節の間もとよめるも此類なり、
 
如此耳故爾《カクノミユヱニ》、長等思伎《ナガクトオモヒキ》、」 思ふ事のあふさきるさに違ふ世の中をなげき給へり、
 
158 山振之《ヤマブキノ》、立儀足《タチヨソヒタル》、 足は辭なり、山ぶきの花はたをやかに愛《ウツク》しければ、集中に妹に似る花とよみたり、○振《フリ》を古はふきといへり、
 
山清水《ヤマシミヅ》、酌爾雖行《クミニユカメド》、 山ぶきは深き山の谷水の邊に咲たわむ花なれば、山水をもて、言をつゞけ給ふのみ、
 
道之白鳴《ミチノシラナク》、 葬し山邊には、皇女の今も山吹の如く姿とをゝに立よそひておはすらんと思へど、とめゆかん道ししられねば、かひなしと、をさなく思ひ給ふが悲きなり、
 
○天皇|崩之時《カミアガリマセルトキ》、 朱鳥元年九月九日に、清御原(ノ)宮天皇崩、
 
大后(ノ)御作歌、 後に持統天皇と申、
 
159 八隅知之、我大王之、暮去者《ユフサレバ》、召賜良之《メシタマヘラシ》、 召は、めしよせて見給ふなり、良は利に通ひて、たまへりしなり、常にらしてふ辭にあらず、
 
明來者《アケクレバ》、問賜良志《トヒタマヘラシ》、 いかにと問給へりしなり、
 
神岳乃《カミヲカノ》、 飛鳥の神南備山の事なり、別記あり、
 
山之黄葉乎《ヤマノモミヂヲ》、今日毛鴨《ケフモカモ》、 今もおはしましなば、
 
問給麻思《トヒタマハマシ》、明日毛鴨《アスモカモ》、召賜萬旨《メシタマハマシ》、其山乎《ソノヤマヲ》、 今は大后の御獨のみ、
 
振放見乍《フリサケミツヽ》、暮去者《ユフサレバ》、綾哀《アヤニカナシミ》、 綾文の如く左《ト》ざま右《カク》ざま入たちてなげく辭なり、
 
明來者《アケクレバ》、裏佐備晩《ウラサビクラシ》 別記にいふ、
 
荒妙乃《アラタヘノ》、 麁布は庶人《タヾヒト》の服なれば、こゝは只冠辭といふべけれど、白たへとなくて、あらたへと有を思ふに、令集解に、大御喪には細布を奉るよしにいへり、其細布猶大御|衣《ゾ》としては、あらたへとのたまふべきなり、仍てこゝは御衣とせん、
 
衣之袖者《コロモノソデハ》、乾時文無《ヒルトキモナシ》、
  △一書曰、天皇崩之時、太上天皇御製歌二首、 此太上は持統天皇に當れり、此崩の後四年に即位まし、十一年八月、御位を文武天皇にゆづり給ひて後こそ太上とは申せ、今天武天皇崩ませる時に、太上と書しは、いか成をこ人のわざか、
 
160 燃火物《モユルヒモ》、取而裹而《トリテツヽミテ》、福路庭《フクロニハ》、 袋に者なり、
 
入澄《イルト》、 騰か、
 
不言八面《イハズヤモ》、 【八面をやものかなとせしは、(卷四)にもあり、】
 
知曰《シルトイハ》、 今本智と有は、知曰二字なるべし、
 
男雲《ナクモ》、 こは借字にて、無毛《ナクモ》の意なり、後世も火をくひ、火を蹈わざを爲といへば、其御時在し役(ノ)小角がともがらの、火を袋に包みなどする、恠き術《ワザ》する事有けん、さてさるあやしきわざをだにすめるに、崩ませし君に逢奉らん術を知といはぬが、かひなしと、御なげきの餘にの給へるなり、
 
161 向南山《キタヤマニ》、陣雲之《タナビクモノ》、青雲之《アヲグモノ》、 青は白なり、さて雲の星をはなるとかゝる、
 
星離去《ホシハナレユク》、月毛《ツキモ》、 今本牟と有は誤、
 
離而《ハナレテ》、 后をも臣をもおきて神あがりませるを、月星にはなれて、よそに成行雲に譬給へり、さて此二首は、此大后の御歌のさまならず、から文學べる男のよみしにや、されども歌は端詞によりてとくなり、
 
△天皇崩之後、八年九月九日(ニ)、奉v爲《ナシマツル》2御齋會《オホミヲガミヲ》1、之|夜《ヨ》、夢裏唱賜《イメノチニトナヘタマヘル》御歌、 此次に藤原宮御宇と標して、右同天皇崩ませる朱鳥元年十一月の歌を載、其次には同三年の歌有を、こゝに同八年の歌を載べきにあらず、且待統天皇の大御歌とせば、御製とも御夢とも有べし、かた/”\いかなる野書をか裏書にしつらん、然るを後の心なしの、遂に本文にさへ書なせしものなり、【有馬(ノ)皇子の御歌の次に、いと後の追加を載しとは異にて、中々に同天皇の大御歌の年月の前後せるは、有まじき事なり、】
 
此御齋會の事は、紀に(持統)二年二月の詔に、自v今以後、毎(ニ)v取2國忌(ノ)日1、要須v齋也とあり、
 
162 明日香能、清御原乃宮爾、天(ノ)下、所知食之《シロシメシヽ》、八隅知之、吾大王、高|照《ヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、何方爾《イカサマニ》、所念食可《オモホシメセカ》、神風乃、
 
伊勢能國者、奥《オキ》津藻毛、靡足波爾《ナミタルナミニ》、鹽|氣能味《ゲノミ》、香乎禮流《カヲレル》國爾、 潮の滿る時くもるを、加乎留といふなり、冠辭の朝霞の下に委、
 
味凝《ウマゴリ》、 冠辭、
 
文爾乏寸《アヤニトモシキ》、高照日之|御子《ミコ》、 こは意得がたきを、強ていはゞ、天皇吉野より伊勢の國へ幸有て、桑名におはせし事を、さるたふとき大御身の、あら海べたにおはせしが、めづらかにかたじけなきよしか、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○大津(ノ)皇子(ノ)薨之後《スギタマヘルノチ》、大來《オホクノ》皇女、 既出、
從2伊勢(ノ)齋(ノ)宮1上《ノボリタマフ》v京《ミヤコヘ》之時《トキ》、御作歌、 朱鳥元年十一月なり、
 
163 神風之《カミカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢能國爾母《イセノクニニモ》、有益乎《アラマシヲ》、奈何可來計武《ナニシカキケム》、君毛不有爾《キミモアラナクニ》、」
 
164 欲見《ミマクホリ》、吾爲君毛《ワガスルキミモ》、不有爾《アラナクニ》、奈何可來計武《ナニシカキケム》、馬疲爾《ウマツカラシニ》、」 同じさまにて、言を少しかへたるは、いにしへ有し一つのさまなり、打うたひたる時あはれなるべし、うまつからしは、ことわざの言なり、
 
○移2葬《ウツシハフル》大津(ノ)皇子(ノ)屍《オキツキヲ》、於葛城(ノ)二上《フタガミ》山(ニ)1之時《トキ》、 こは葛下(ノ)郡の山のはてに、上とがりたる峯二つ並立て、よそめもまがはぬ山なり、下の卷にも出たり、
 
大來(ノ)皇女(ノ)哀傷《カナシミテ》御作《ヨミタマフ》歌、
165 宇部曾見乃《ウツソミノ》、人爾有吾我《ヒトナルワレヤ》、 顯《ウツヽ》の身にて在吾哉なり、
 
從明日者《アスヨリハ》、二上山乎《フタガミヤマヲ》、弟世登吾將見《イモセトワガミム》、」 今うつゝにて在るわれにして、言もとはぬ此山を、兄弟と見てやあらんずらんと歎き給ふなり、(卷八、詠山)「木路《キヂ》にこそ、妹山ありとへ、三櫛上《ミクシゲ》の、二上山も、妹こそ有けれ、」只妹こそといふは、是はもと妹を葬し故か、(卷十四、挽歌)「うつせみの、世の事なれば、よそに見し、山をや今は、因處《ヨスガ》と思はん、」〇本は男女の兄弟を、いもせといひしからは、こゝも今本の訓によりぬ、然れども右の卷八なるは、二上を妹とのみよみし如く、こゝも此山を弟として、なせと我見んとよみ給ふか、然らば奈世《ナセ》と有しを、弟世に誤つらんか、古へ兄弟の長幼をいはず、女より男をばせといひし事別記にいふ、
 
166 磯之於爾《イソノウヘニ》、 古へは石をいそともいひしかば、此二上山の石《イシ》むらの邊に生たるあしみをいふなり、ほとりの事をうへといふは常なり、磯と書しに惑ふ人あればいふ、
 
生流馬醉木乎《オフルアシミヲ》、手折目杼《タヲラメド》、 こは木瓜《モケ》の花をいへり、三月の頃、野山につゝじとひとしく赤く咲めれば、庭にも植るものにて、池水の照までに咲るなど、集中に多くよめり、誤れる説あれば、冠辭考に委くいひつ、
 
令視倍吉君之《ミスベキキミガ》、在常不言爾《アリトイハナクニ》、 移はふりの日に、皇女もしたひ行給ふ道のべに、此花を見てよみ給へるものなり、上の歌に、あすよりはと有からは、他《アダ》し日にあらず、さてかゝる時、皇子皇女にもそこへおはする事、紀にも集にも見ゆ、古への心ふかさしるべし、○今本是に注あれど、いとひがことなれば、こゝには捨て別記にことわりぬ、
 
○日並知《ヒナメシノ》皇子(ノ)尊|殯《アガリノ》宮之時、 知は例に依て補、【此集に葬の後にも殯の時とあるは、既葬奉ても、一周御はか仕へする間をば、殯といひしのみ、天皇の外は別に、殯宮をせられねばなり、】
 
柿本朝臣人麻呂(カ)作歌、 此薨ましゝは、朱鳥三年四月なる事紀に見ゆ、紀に、草壁皇子尊と有は、此尊の今一つの御名なり、
  
167 天地之《アメツチノ》、初時之《ハシメノトキノ》、久竪之《ヒサカタノ》、天河原爾《アマノガハラニ》、 紀には天(ノ)安《ヤス》河原といへるを、こゝには安を略く、
八百萬《ヤホヨロヅ》、千萬神之《チヨロヅガミノ》、神集《カンツマリ》、々座而《ツマリイマシテ》、神分《カンハカリ》、分之時爾《ハカリシトキニ》、 天孫を、水穗の國に降しまゐらせんとての神|議《ハカリ》なれば、次の四句をおきて、葦原云云と云へかゝれり、さて次の四句の事は、右の神はかり有しよりも前の事なるを、言を略きて句をなすとて前後にいへり、
 
天照《アマテラス》、日女之命《ヒルメノミコト》、 一云、指上《サシノボル》日女之命、是も同御ことなり、
 
天乎波《アメヲバ》、 四言、天をば既に日女命の長くしろしめすべければ、天孫は、豐あし原の國を、つちと久しく知《シラ》さんものとて、降し奉り給ふとなり、
 
所知食登《シロシメシスト》、葦原乃《アシハラノ》、水穗之國乎《ミヅホノクニヲ》、 水は借字にて、稚々《ミヅ/\》しき八束穗の事なり、
 
天地之《アメツチノ》、依相之極《ヨリアヒノキハミ》、 既天地の開分れしてふに對《ムカ》へて、又より合ん限りまでといひて、久しきためしにとりぬ、(卷四)にも此言あり、
所知行《シロシメス》、 宣命にも此三字をかくよみたり、
 
神之命等《カミノミコトト》、 即天孫彦|火瓊々杵《ホノニヽギノ》命を申す、次の言は、神代紀祝詞などに同、
 
天雲之《アマグモノ》、八重掻別而《ヤヘカキワケテ》、 一云、天雲之、八重雲別而、
 
神下《カンクダリ》、座奉之《イマシマツラシ》、 一|段《キダ》なり、是まであめ御《ミ》まの御ことなり、【いましまつらしは、次に上いましぬといふに對《ムカ》ふ言なり、さてあがめことばのみぞ、】
 
高照《タカヒカル》、日之皇子波《ヒノミコハ》、 是よりは、上の天孫の日嗣の御孫の命、今の天皇(天武)を申せり、さてその天皇崩ましては、又天に歸り上りますよしをいはんとて、先天孫の天降ませし事をいへり、かゝる言の勢ひ此人のわざなり、
 
飛鳥之《アスカノ》、 四言、
 
淨之宮爾《キヨミノミヤニ》、 原を略けるは(卷十四)に、妹も吾も、清《キヨミ》之河のてふ類なり、
 
神隨《カンナガラ》、 既出、
 
太布座而《フトシキマシテ》、 是まで四句は、天武天皇御代しらする間を申す、
 
天皇之《スメロギノ》、敷座國等《シキマスクニト》、 是より、崩ましては天を敷ます國として、上りますといへり、下に天所知流《アメシラシヌル》と書も薨ましての事なり、
天原《アマノハラ》、石門乎開《イハトヲヒラキ》、神上《カンノボリ》、上座奴《ノボリイマシヌ》、 二段なり、右には神下といひ、こゝに神上といへり、〇一云、神|登《ノボリ》、座爾之可婆《イマシニシカバ》、かく下へいひつゞけては、次の春花之云云に至てわろし、
 
吾王《ワガオホキミ》、皇子之命乃《ミコノミコトノ》、天下《アメノシタ》、所知食世者《シロシメシセバ》、 是より日並知皇子尊の御事、【古事記上に、天にても、領《シロ》しめすところを國といふ事と見ゆ、】
 
春花之《ハルバナノ》、賞在等《メデタカラント》、 めでたきとは、何をもほむることなり、今本貴と有は、花にいふことばにあらず、
 
望月乃《モチヅキノ》、滿波之計武跡《タヽハシケムト》  (卷三)何時可聞《イツシカモ》、日足座而《ヒタラシマシテ》、十五月之《モチヅキノ》、多田波志家武《タヽハシケム》と有は、こゝと同じ事なれば、今をもたゝはしとよみつ、湛《タヽヘ》るは滿る意にて、天の下に御惠のみち足《タリ》なんといふなり、【今本に、みちはしけんと訓しは、計武てふ辭にかなはず、此けんはたゞはしからんてふ意なり、〇冠辭考にはたらはしとも訓たれど、今に依べし、】
 
食國《ヲスクニノ》、 今本こゝも天(ノ)下と有は、よろしからねば、一本によりぬ、
四方之人乃《ヨモノヒトノ》、 六言、
 
大船之《オホフネノ》、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、天水《アマツミヅ》、 水かれたる時に雨待如くてふなり、卷十八に家持ぬしもよみつ、
 
仰而待爾《アフギテマツニ》、何方爾《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、由縁母無《ヨシモナキ》、 次の舍人の歌にも、所由無《ヨシモナキ》、佐太乃《サダノ》岡邊爾といへる、即同時同所の事なり、(卷十四)「よそに見し、山をや今は、因香《ヨスガ》と思はん、」卷十六に、「荒雄らが、余須可の山と見つゝしぬばん、」是らのよすがとよしと同し言なり、【由縁《ヨシ》も無《ナキ》は(卷三《今十三》)挽歌に、津禮母無《ツレモナキ》、城《キノ》上(ノ)宮爾、大殿乎都可倍奉而と有に意も事も同じ、委は其歌にいふ、】
 
眞弓乃崗爾《マユミノヲカニ》、 此陵は式にも高市郡眞弓丘と見ゆ、
 
宮柱《ミヤバシラ》、太布座《フトシキイマシ》、御在香乎《ミアラカヲ》、 香は借字にて御在所《ミアラカ》なり、
 
高知座而《タカシリマシテ》、 知は敷なり、そのよし上に見ゆ、さて陵に高殿はあらねどかく云は文なり、
 
明言爾《アサコトニ》、 日毎てふ意なり、言は借字、
 
御言不御問《ミコトトハサズ》、 古へはものいふを、こととふ、ものいはぬを、ことゝはずといヘり、此次に、東の、たぎの御門に、さもらへど、きのふもけふふ、召こともなしといへると心同じ、
 
日月之《ツキヒノ》、 四言、
 
數多成塗《アマタニナリヌ》、其故《ソコユユニ》、皇子之宮人《ミコノミヤビト》、行方不知毛《ユクヘシラズモ》、一云、刺竹之《サスタケノ》、皇子《ミコノ》宮人、歸邊不知爾爲《ユクヘシラニスル》、 これも異ならず、さて下の高市皇子尊の殯時、此人よめる長歌、その外此人の樣を集中にて見るに、春宮舍人にて此時もよめるなるべし、然ればこゝの宮人はもはら大舍人の事をいふなり、その舍人の輩この尊の過ましては、つく所なくて、思ひまどへること、まことにおしはかられて悲し、
 
 反歌、
 
168 久堅乃、天見如久《アメミルゴトク》、仰見之《アフギミシ》、皇子乃御門之《ミコノミカドノ》、荒卷惜毛《アレマクヲシモ》、」 こは高市郡橘の島宮の御門なり、さて次の舍人等が歌どもにも、此御門の事のみを專らいひ、下の高市(ノ)皇子(ノ)尊の殯の時、人麻呂の御門の人とよみしをむかへみるに、人麻呂即舍人にて、その守る御門を申すなりけり、
 
169 茜刺《アカネサス》、 冠辭、
 
日者雖照有《ヒハテラセレド》、烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜渡月之《ヨワタルツキノ》、隱良久惜毛《カクラクヲシモ》、 是は日嗣の皇子(ノ)尊の御事を月に譬へ奉りぬ、さて上の月はてらせれどてふは、月の隱るゝをなげくを強《ツヨ》むる言のみなり、かくいへるこゝろことばの勢ひ、まことに及人なし、○常の如く日をば天皇をたとへ申すと思ふ人有べけれど、さてはなめげなるに似たるもかしこし、猶もいはゞ此時天皇おはしまさねば、さるかたにもよくかなはざるめり、【天武天皇崩まして三年に、此みこは過給ひ、その明る年大后は御位にゐましたり、】
 
 △或本云、以2件歌1爲(スト)2後(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)反歌(ト)1、
 高市皇子を申、これにも反歌二首ありて、一首は其反歌と見ゆ、今一首、「久堅の、天しらしぬる、君ゆゑに、つき日もしらず、こひわたるかも、」と有ぞこゝと入かはりしとすべし、されどもそはいさゝかおぼつかなきふしあり、
 
 △又或本歌一首、
 
170 島(ノ)宮、勾《マガリ》乃池之、放鳥《ハナチドリ》、人目爾戀而《ヒトメニコヒテ》、池爾不潜《イケニカヅカズ》、 といふ有と註せり、是はかならず右の反歌にはあらず、次の歌どもの中に入しものなるを、此所亂れてこゝに在なり、仍てこは捨べからず、さて本の意は、下の同じ言有所にいふ、末は、なれし人めをなつかしみて、水の上にのみ浮ゐて、底へかづき入ことをせずといひなせり、
 
○皇子(ノ)尊の宮(ノ)舍人|等《ラガ》慟傷《ナゲキテ》作歌、 こは右の長歌につぎて、同じ御事を、同じ舍人のよめるなれば、端詞を略きて書しと見ゆ、○職員令に春宮の大舍人は六百人あり、その人々分v番(ヲ)て宿直《トノイ》するに、今尊の薨ましゝ後も、島宮の外《トノ》重を守ると、佐太(ノ)岡の御喪舍《ミモノヤ》に侍宿《トノイ》すると有故に、こゝかしこにての歌どもあるなり、
 
171 高光《タカヒカル》、 いよゝ高ひかると訓ことしるし、
 
我日皇子乃《アガヒノミコノ》、 みこの尊を申す、
 
萬代爾《ヨロヅヨニ》、國所知麻之島宮婆母《クニシラサマシシマノミヤハモ》、」 にはかにおもはず成たるを、なげくあまりにいへるなり、○此|婆《バ》は、半濁に和《ワ》と唱ふ、言便なり、母は助辭のみ、(卷十三)天地と、共に久しく、住《スマ》はんと、念て有し、家の庭|羽裳《ハモ》てふも同じ體なり、○右にいへる橘の島宮と同じ、
 
172 島宮《シマノミヤ》、池上有《イケノウヘナル》、 勾(ノ)池なり、今本上(ノ)池|有《ナル》と有はわろし、今は一本に依、【飛鳥の岡の里の東北五六町ばかりに、今も橘寺とてあり、こゝぞ橘の島なるといへり、】
 
放鳥《ハナチドリ》、 飼せ給ひし鳥どもを、薨まして後に放たれたるが、猶この池にをるなり、上の大津宮の大后の御歌にも見ゆ、
 
荒備勿行《アラビナユキソ》、 人|疎《ウト》くななりそなり、
 
君不座十方《キミマサズトモ》、」 いとせめては鳥をだに思へり、
 
173 高光、吾日(ノ)皇子乃、伊座世者《イマシセバ》、島御門者《シマノミカドハ》、 舍人の守る所なれば、專らと云、
 
不荒有益乎《アレザラマシヲ》、」 くやしとも悔しきまゝによめるなり、
 
174 外爾見之《ヨソニミシ》、檀乃岡毛《マユミノヲカモ》、 上に出、
 
君座者《キミマセハ》、常郡御門跡《トコツミカドヽ》、 葬奉りてよりは、萬代こゝにおはしましぬ、且舍人は陵にても御門に仕奉ればいふ、
 
侍宿爲鴨《トノイスルカモ》、」 【侍宿と書からは、こは殿宿《トノイ》なり、然ば假字は止乃伊《トノイ》なり、後世とのゐと書は、おしはかりのわざぞ、】
 
175 夢爾谷《イメニダニ》、不見在之物乎《ミザリシモノヲ》、欝悒《オボヽシク》、宮出毛爲鹿《ミヤデモスルカ》、佐日之隈廻乎《サヒノクマワヲ》、」 忘れては、こはいかなる故にて、此日のくまの宮を出入するにやとおぼめかるゝといふなり、打あることをかくいふこそ、まことの歌にてあはれとおぼゆれ、○宮出といひて、心は御門の出入するよしなり、みやでの言は卷十八にもあり、〇佐日之隈の佐は發言のみ、
 
176 天地與《アメツチト》、共將終登《トモニヲヘムト》、念乍《オモヒツヽ》、奉仕之《ツカヘマツリシ》、情違奴《コヽロタガヒヌ》、」 ひたぶるに思ひ入たる心をいふなり、
 
177 朝日弖流《アサヒテル》、 朝日夕日をもて、山岡宮殿などの景をいふは、集中また古き祝詞などにも多し、是に及《シク》ものなければなり、
 
佐太乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、群居乍《ムレヰツヽ》、 此前後に、日(ノ)隈とも、佐太(ノ)岡とも眞弓(ノ)岡ともよめるは、今よく見るに、檜の隈の郷の内に、佐太眞弓はつゞきたる岡なり、さて此御陵の侍宿所は、右の二岡にわたりて在故に、何れをもいふなりけり、
 
吾等哭涙《ワガナクナミダ》、息時毛無《ヤムトキモナシ》、」
 
178 御立爲之《ミタヽシヽ》、 この御池を見そなはすとて、をり/\み立《タヽ》しましてありつるをいふ、○たゝしのしはあがめ言なり、
 
島乎見時《シマヲミルトキ》、 もと此池島に依て、所の名ともなりつらめど、こゝによめるは所の名にはあらで其池島なり、且此下に、御立しゝ、島に下居《オリヰ》て、なげきつるかもてふ下居を思ふに、宮の外に在る池島なるべし、
 
庭多泉《ニハタヅミ》、 冠辭、
 
流涙《ナガルヽナミダ》、止曾金鶴《トメゾカネツル》、」
 
179 橘之《タチバナノ》、島宮爾者《シマノミヤニハ》、不飽鴨《アカヌカモ》、 とのいを爲不足《ナシタラヌ》歟なり、
 
佐田乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、侍宿爲爾往《トノイシニユク》、」 悲き餘りには、をさなき事を思ひもいひもせらるゝを、其まゝによむは、古への歌にて、實にあはれと聞ゆ、【此類の言今もいへり、】
 
180 御立爲之《ミタヽシヽ》、島乎母家跡《シマヲモイヘト》、住鳥毛《スムトリモ》、荒備勿行《アラビナユキソ》、 是も放鳥の此池に猶すむが、人うとくなゝりそ、來らん年の四月までも、かくて在て御あとしたへと思ふなり、
 
年替左右《トシカハルマデ》、」
 
181 御立爲之《ミタヽシヽ》、島之荒磯乎《シマノアリソヲ》、 御池に岩をたて瀧おとして、あらき磯の形作られしをいふなるべし、
 
今見者《イマミレバ》、不生有之草《オヒザリシクサ》、生爾來鴨《オヒニケルカモ》、」 まことに歎きつべし、(卷十四)故太政大臣(ノ)家の山池を、(赤人)「むかし見し、ふるき堤は、年|深《フカ》き、池のなぎさに、水草生にけり、」ともよみつ、
 
182 鳥※[土+(一/囘/一)]立《トグラタテ》、 鳥の居座《ヰグラ》をいふ、御庭などに立し籠なり、
 
飼之雁乃兒《カヒシカリノコ》、 字も訓もかりとはいへど、實はかる鳧《ガモ》の事なり、鴈のこゝに子うみし事は、難波高津の御代に聞えし後は物にも見えず、かるがもは夏鴨ともいひて、こゝに常すみて、ひなもあり、後の物語ぶみに、かりの子といへるも是なり、猶冠辭考にくはし、
 
栖立去者《スダチナバ》、 巣を立て去《イニ》せばなり、
 
檀岡爾《マユミノヲカニ》 飛反來年《トビカヘリコネ》、」 きみのますところへ來れなり、かるのひなは夏の間にあり、
 
183 吾御門《ワガミカド》、千代常登婆爾《チヨトコトハニ》、 とことはゝ、とこしなへに、とこ磐《イハ》にと云をかさねて、限なき事を強くいふなり、〇婆《バ》の字書しは、とはのはをとわの如く半濁にとなふるをしらする例、上下に有、
 
將榮等《サカエムト》、念而有之《オモヒテアリシ》、吾志悲毛《ワレシカナシモ》、」 上に似たる意の歌あり、かく事も無が如くして情深きは、心のまことより出ればなり、【いと悲しき時は、口もつぐみなみだもすゝみて、ものもいひはてがたし、其おりいさゝかいへる如き事を歌にいへれば、言少なし、古への歌は皆是をおして思へ、】
 
184 東乃《ヒムガシノ》、多藝能御門爾《タギノミカドニ》、 池に瀧有方の御門を、かく名づけられしならん、
 
雖伺侍《サモラヘド》、昨日毛今日毛《キノフモケフモ》、召言毛無《メスコトモナシ》、」 ことわり明らかにしてあはれなり、
 
185 水傳《ミヅツタフ》、 冠辭、
 
磯乃浦囘乃《イソノウラワノ》、 上の瀧の邊りの磯のさまなり、浦は裏《ウチ》の事なるよし既にいひつ、囘《ワ》は其あたりをいふ、
 
石乍自《イハツヽジ》、 春の末に燃るがごとく照れるつゝじ花をいふならん、【和名抄に、羊躑躅を、いはつゝじ、又毛知つゝじとあれど、もちつゝじはめづる色もあらねば、こゝの歌の意にかなはず、】
 
木丘《モク・シヾニ》開道乎《サクミチヲ》、 こゝのまゝにていはゞ、薈《モク》咲にて、花のしげきなり、紀に薈をもくと訓、字注も草木の繋きことゝせり、然れども、もくさく道てふ言も、もくてふ言に、木丘の二字を假字とせんも心ゆかず、思ふに木丘は、森を草の手に※[森の草書]など書しを、誤て二字とせしならん、森はしゞにと訓べし、】
又將見鴨《マタミナムカモ》、」 今よりは此宮に參るまじければ、よろづになごり惜きなり、
 
186 一日者《ヒトヒニハ》、千遍參入之《チタビマヰリシ》、東乃《ヒムガシノ》、大寸御門乎《オホキミカドヲ》、 今本たぎのと訓たれど、寸《キ》は假字なり、假字の下に辭を添るよしなし、
 
入不勝鴨《イリガテヌカモ》、」 君まさねば、島の宮の御門は閉て、外《ト》にのみとのいする故にかくよめりけん、
 
187 所由無《ヨシモナキ》、既出、
 
佐太刀岡邊爾《サダノヲカベニ》、反居者《カヘリヰバ》、 かへりゐるとは、行かへりつつ分番交替してゐるをいふ、下に夜鳴かはらふとよめるも是なり、
 
島御橋爾《シマノミハシニ》、 橋は階なり、
 
誰加住舞無《タレカスマハム》、」 すむとはこはとのいをいふ、又舍人は御門と御階のもとにもさむらへばかくいへり、○かくよしもなき所に、人みな行かへりつゝ侍らふぞ、專ら侍らふべき御階の下をば、誰人の在て守らんやと、ふと思ふままによめり、思ひかけぬ世かなと歎く心下にあり、
 
188 天靄《アマクモリ》、 今本|旦覆《アサグモリ》と有は理りなし、こは天靄を天覆に誤れるものなり、仍てあらためつ、
 
日之入去者《ヒノイリユケバ》、 暮ゆけばといふのみ、【二の句を尊の過ませる譬と見て、初句を冠辭と思ふよりや誤つらん、二句をしか見て、末をいかに心得んとすらん、】
御立爲之《ミタヽシヽ》、 例に依て爲を加ふ、
 
島爾下居而《シマニオリヰテ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」 日暮ゆけば、宮の外|方《ザマ》の池島のほとりの舍へ下ゐる故にしかよめり、
 
189 旦日照《アサヒテル》、島乃御門爾《シマノミカドニ》、欝悒《オボヽシク》、人音毛不爲者《ヒトオトモセネバ》、 さしもにぎはひし御門の内に、人おとのせねば、忘れてはこはいかにとおぼつかなまるゝ物から、すゞろに悲しくおぼゆるとなり、
 
眞浦悲毛《マウラガナシモ》、」 眞はまこと、浦は心なり、
 
190 眞木柱《マキバシラ》、 冠辭、
 
太心者《フトキコヽロハ》、有之香杼《アリシカド》、此吾心《コノワガコヽロ》、鎭目金津毛《シヅメカネツモ》、」 ふとくつしやかなる丈夫《マスラヲ》心をもたりし吾も、此|御喪《ミモ》にあひて、思ひしづめんよしなしといへり、
 
191 毛許呂裳遠《ケゴロモヲ》、 古へ御狩に摺衣を着せ給ひしは稀なる事にて、專ら皮衣なる故にしかよみしならん、今むかばきてふ物は其遺なるべし、
 
春冬取設而《ハルフユトリマケテ》、 春冬その毛衣を設著てと云なり、是を今本に片設と有は、後世人の意もて、取《トリ》は片《カタ》の字ぞと思ひて、せしわざしるければ改めたり、なぞといはば、片設とは春冬に向ひてといふ言にて、毛衣よりはつゞかず、毛衣は張《ハル》といひかけたる冠辭と思ひしならん、然るに衣を春といひかくる事、今京の言にて古へはなければ此歌にかなはず、
 
幸之《イデマシヽ》、宇陀乃大野者《ウタノオホノハ》、 上の卷に宇陀の安騎野にて、日並斯《ヒナメシ》、皇子命《ミコノミコト》の、御狩たゝしゝ時は來向《キマケリ》と人麻呂のよみし、同じ御狩の事をこゝにもいふなり、
 
所念武鴨《オモホエムカモ》、」 今よりは此有し御狩の事を、常の言《コト》ぐさ、思ひ種として慕奉らん哉と歎ていふなり、こはたゞ今もいひ思ふ事ぞ、
 
193 八多籠良我《ヤタコラガ》、 奴《ヤツコ》等之なり、紀に、(神功)宇麻比等破《ウマヒトハ》、于摩臂苫奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイヅコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》、このやいづこに同きを、こゝに八多と有は、づと多の音通へば、やたこともいひしにや、もし又|豆《ツ》を多に誤れるか、
 
夜晝登不云《ヨルヒルトイハズ》、行路乎《ユクミチヲ》、吾者皆悉宮道叙爲《ワレハコト/”\ミヤヂニゾスル》、」 賤き里人どもが通ひ路を、吾等が宮づかへの道とするは、思ひかけぬ事かなとなげくなり、
 
192 朝日照《アサヒテル》、佐太乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、鳴鳥之《ナクトリノ》、 之の下に如を畧《ハブク》は例なり、
 
夜鳴變布《ヨナキカハラフ》、 舍人等のかはる/”\夜のとのいを嘆《ナゲキ》つゝするを、此岡による鳴鳥に譬へていひ下したり、かはらふは、上に反居者《カヘリヰバ》といへるに同じく、侍宿の交替をいふ、【或人、此岡に夜鳴鳥のこゑの怪しかりしは、かゝらん前つさがなりといへる、といひしは誤れり、】
 
此年己呂乎《コノトシゴロヲ》、 去年の四月より今年の四月まで、一周の間御陵づかへすれば、年ごろといへり、○右は六百の舍人なれば、歌もいと多かりけんを、撰みて載られしなるべし、皆いとすぐれて、嘆を盡し事をつくせり、後にも悲みの歌はかくこそあらまほしけれ、
  右二首今誤て前後しつ、
 
○葬《ハフレル》3河島《カハシマノ》皇子(ヲ)、 朱鳥五年九月薨たまへり、天智天皇の皇子なり、
 
於《ニ》2越智野《ヲチノ》1、之時、 此野は、式に高市郡|越《ヲ》智(ノ)崗(ノ)上(ノ)陵と有て、右の眞弓岡に近き所なり、是ををち野と訓よしは、反歌の下にいふ、
柿本朝臣人麻呂(ガ)獻《タテマツル》2泊瀬部《ハツセベノ》皇女(ニ)1歌、 天武天皇の皇女也、 此端詞は、古本また今本の左に、或本を引たるぞ正しければ、かくしるしつ、今本には柿本朝臣人麻呂獻2泊瀬部皇女、忍坂部《オサカベノ》皇子(ニ)1歌とのみ有て、誰人を悲とも見えざるなり、こは河島皇子の薨給へる時、其|御妻《ミメ》泊瀬部皇女に獻る歌にして、此皇女の御兄、忍坂部皇子に兼獻るよし有べき事なく、歌にもたゞ御|夫婦《メヲ》の常の御有様をのみいひて、又皇子の事はなし、仍て考るに、こゝは亂れて河島云云の十一字はおち、忍坂部(ノ)皇子の五字は、次の明日香(ノ)皇女(ノ)木※[瓦+缶](ノ)殯(ノ)宮云云の端詞に有しが、こゝに入し物なり、【次の歌の考を、こゝにむかへて見よ、】
 
194 飛鳥《トブトリノ》、明日香乃河之《アスカノカハノ》、上瀬爾《カミツセニ》、生玉藻者《オフルタマモハ》、下瀬爾《シモツセニ》、流觸經《ナガレフラヘリ》、玉藻成《タマモナス》、彼依此依《カヨリカクヨリ》、靡相之《ナビカヒシ》、 此こと上にも出、○なびきあひしの、きあの約かなれば、かひといふ、
 
嬬乃命乃《ツマノミコトノ》、 【嬬は字にかゝはらぬ事、上にいへり、】
 
多田名附《タヽナヅク》、 冠辭、
 
柔膚尚乎《ヤハハダスラヲ》、 すらはさながらてふ言を約めたるにて、そのまゝてふに同じく、又摘ていはゞ、それをと意得ても聞ゆ、此辭の事別記に委し、
 
劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
於身副不寐者《ミニソヘネヽバ》、 夫君の薨まして後に、皇女の御獨ねをいふ、
 
烏玉乃《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜床母荒良無《ヨドコモアルラム》、 古へは、旅行しあとの床をあやまちせじと謹むなり、死たる後も一周はしかすれば、塵など忌てはらはねば荒《アル》らんといふなり、或に阿禮奈牟と有も同じ、
 
所虚故《ソコユヱニ》、名具餃魚天氣留《ナグサメテゲル》、敷藻粗《シキモアフ》、 冠辭、
 
屋常念而《ヤドトオモヒテ》、□□□《愛也師・ハシキヤシ》、公毛相哉登《キミモアフヤト》、 これは獨ねして君しのぶ悲みのやらんすべ無《ナ》さに、前々|敷氈《シキカモ》を並敷て、ともねしつゝ御心をなぐさめし妻《ツマ》屋ぞとおもひて、御墓屋《ミハカヤ》に行てやどりなん、君にも逢なんとて行給ふと云なり、さて或本には屋常念而はなくて、公も相哉登の言あり、考るに此二句ともに有時、末の意にかなひて理り明らかなり、其一句を去時はたらはず、今本或本互に言の落しことしらる、仍て今はしきやしてふ言をたして、右の二つながらとりたり、【此末に不相《アハヌ》君故といひ、反歌にも亦毛|將相八毛《アハンヤモ》といへば、こゝにやどゝ念てと、公も相やとといふ二句は必有べし、さてはしきやしの一句は共に落し物ぞ、】
 
玉垂乃《タマダレノ》、 
 
越乃大野之《ヲチノオホノノ》、 此越を乎知《ヲチ》と訓は、次の或本また(卷五)に眞玉|就《ツク》、越乞兼而《ヲチコチカネテ》、(卷十三)に眞玉|付《ツク》、彼此《ヲチコチ》兼手などあればなり、此外にも多きは、次の反歌の下にいふ、
 
旦露爾《アサツユニ》、玉藻者※[泥/土]打《タマモハヒヅチ》、 玉藻は玉裳なり、※[泥/土]打の打は借字にて、※[泥/土]漬てふ言なり、別記にくはし、
 
夕霧爾《ユフギリニ》、衣者沾而《コロモハヌレテ》、 其野をくれ/\と分過て、夕べに宿り給ふまでを云、
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
旅宿鴨爲留《タビネカモスル》、不相君故《アハヌキミユヱ》、 かく樣にいふ故《ユヱ》の辭は、あはぬ君ながらにと心得てかなへり、遠江などの人は、あはぬ物づからにと、つの助辭を添ていへり、〇古へは新喪に墓屋を作りて、一周の間人しても守らせ、あるじらをり/\行てやどり、或はそこに住人も有しなり、【紀に(舒明)蘇我氏(ノ)諸族等、悉集(テ)爲2島大臣1造v墓而、次2于墓所1、爰(ニ)摩理勢(ノ)臣、壞2墓所之廬1云云、此外にも紀にあり、】
 
 反 歌
 
195 敷妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、
 
袖易之君《ソデカヘシキミ》、 手枕|交《カハ》すと云にひとし、
 
玉垂之《タマダレノ》、 冠辭、
 
越野過去《ヲチノニスギヌ》、 或云、乎知野爾過奴《ヲチノニスギヌ》、さて紀に(天智)小市《ヲチノ》岡(ノ)上(ノ)陵、また(天武)幸2越智《ヲチニ》1、式に越智《ヲチノ》崗(ノ)上(ノ)陵(高市郡)などあるは、皆同じ斉明天皇の御陵なるに、小市《ヲチ》と書しと、こゝに乎《ヲ》知と有を合せて、越智もをちの假字なるをしれ、然るを後に是をこすのと訓はみだりなり、且玉だれの緒《ヲ》といひかけゝるをも考ずて、こすといふ事と思へるも誤れるよしは冠辭考に見ゆ、【同高市郡大内陵といふは、内は借字にて大|市《チ》てふ所にて、此|小《ヲ》市に對る名なり、市を畧きて智《チ》といふこと、高市十市を、古書みな、たけちとをちとよみし類なり、】○過ぬとは、既薨まして、おち野に葬たる事をつゞめていふなり、仍てをち野をといはで、をち野爾と有を思へ、【死たる事を過ぬるといへる、集中にいと多し、すぎの約しなればなり、外へ行過るをいふとは別なり、】
 
亦毛將相八毛《マタモアハムヤモ》、 長歌には君にあふやと尋ね來給へることをいひ、反歌にいたりてまたはあふまじきよしをいひ定めたるなり、卷一の近江の荒都をよめる歌の體にひとし、
 
○明日香《アスカノ》皇女、 天智天皇の皇女にて、天武天皇の四年四月薨給へること紀に見ゆ、
 
木※[瓦+缶]《キノベノ》殯(ノ)宮之時、 木(ノ)※[瓦+缶]は式和名抄など、廣瀬郡に出て、此次に城上殯宮と有も同じ、
 
柿本朝臣人麻呂(ガ)獻(ル)2忍坂部《ヲサカベ》皇子(ニ)1歌、 天武天皇の皇子にて、上の泊瀬部皇女の御兄弟、この明日香皇女の御夫君におはしける、此長歌に、夫《セ》君のなげき慕ひつゝ、木のべの御墓へ往來し給ふさまをいへるも、上の泊瀬部皇女の乎知野へ詣給ふと同じ樣なり、然れば此端に、そのかよはせる皇子の御名を擧べきに、今はこゝには落て、上の歌の端に入しなり、他の端詞の歌をも思ふに疑なければ、彼所を除てこゝに入《イレ》たり、
 
196 飛鳥《トブトリノ》、明日香乃河之《アスカノカハノ》、上瀬《カミツセニ》、石橋渡《イハバシワタシ》、 古へ石ばしといへるは、石を數々並べわたすをいふ、卷二十に、あまの川、伊之奈彌於可婆《イシナミオカバ》とよめる是なり、冠辭考に委し、〇一云、石浪、此浪は借字にて並なり、即右にいふがことし、【石をいはと訓るよし、冠辭考に出、】
下瀬《シモツセニ》、 上瀬下瀬といふは文のみ、
 
打橋渡《ウチハシワタシ》、 板にても木にても打渡したるを打橋といへり、紀にも集にも後のふみにもいふ皆是なり、
 
石橋《イハバシニ》、 一云、石浪、上に同じ、
 
生靡留《オヒナビケル》、玉藻毛叙《タマモモゾ》、 (卷七)石走《イハバシ》、間々生有《マヽニオヒタル》、貌花《カホハナ》のとよめる如く、かの石を並べたるあたりに、生なびく川藻をいふ、
 
絶者生流《タユレバオフル》、 人の身まかりては又かへることなきをいはん下なり、
 
打橋《ウチバシニ》、生乎烏禮留《オヒヲヽレル》、 打はしの邊に生たる藻の、とをゝに靡くをいふ、此烏を、今は爲に誤れり、委くは別記に見ゆ、
 
川藻毛叙《カハモモゾ》、干者波由流《カルレバハユル》、 一段《ヒトキダ》なり、○はゆるとおふるは、言をかへしのみにて同じ意なり、下の卷に家之篠生《イヘシシノバユ》と書つ、
 
何然毛《ナニシカモ》、 こは下の忘(レ)賜(フ)哉《ヤ》てふ言へかゝれるなり、
 
吾王乃《ワガオホキミノ》、 皇女を指、
 
立者《タヽスレバ》、 立をあがめてたゝすといふは例の事ぞ、
 
玉藻之如《タマモノゴトク》、許呂臥者《コロブセバ》、 下にも自伏《コロブス》君之と有、ころはおのづからてふ言にて、こゝはたゞ打ふし給ふさまをいふ、
 
川藻之如久《カハモノゴトク》、靡相之《ナビカヒシ》、 上の言を轉じ下せり、
 
宜君之《ヨロシキキミガ》、 此宜とは貌などの足《タラ》ひそなはれるをいへり、此言は上の宜奈倍てふ言の所にいへり、
 
朝宮乎《アサミヤヲ》、忘賜哉《ワスレタマフヤ》、夕宮乎《ユフミヤヲ》、背賜哉《ソムキタマフヤ》、 二段なり、背云云は、御心にかなはずやといふなり、○こゝは下の木※[瓦+缶]之宮乎といふまでにかゝる、
 
宇都曾臣跡《ウツソミト》、念之時《オモヒシトキニ》、 顯の身にておはせし時といふのみ、念の言は添ていふ例、上に見ゆ、
 
春部者《ハルベハ》、 部《ベ》は假字なれば、下にことばを添べからず、仍て四言の句とす、
 
花折挿頭《ハナヲリカザシ》、秋立者《アキタテバ》、 秋來てはてふをかくいふも常なり、又立は去の誤にても有べし、
 
黄葉挿頭《モミヂバカザシ》、 是まで四句は、其顯におはせしほどの年月の御遊をいふ、
敷妙之《シキタヘノ》、 冠辭、
 
袖携《ソデタヅサハリ》、 この下は御|夫婦《メヲ》の親《ムツ》びをいふ、
 
鏡成《カヾミナス》、雖見不厭《ミレドモアカズ》、三五月之《モチヅキノ》、益目頬染《マシメヅラシミ》、所念之《オモホシヽ》、 もちの月影の如く、見るごとに愛《メデ》たさの増るといへり、
 
君與時々《キミトヲリ/\》、幸而《イデマシテ》、 こゝに君とさす人有からは、かの忍坂部皇子の事をしれ、
 
遊賜之《アソビタマヒシ》、御食向《ミケムカフ》、木※[瓦+缶]之宮乎《キノベノミヤヲ》、 出て遊び給ひし所即御墓となりぬ、
 
常宮跡《トコミヤト》、定賜《サダメタマヒテ》、味澤相《アヂサハフ》、 冠辭、
 
目辭毛絶奴《メゴトモタエヌ》、 三段なり、相見る事の絶しなり、
 
所己乎之毛《ソコヲシモ》、 それをと云に同じ、今本|然有《シカレ》鴨と有はかなはず、一本をとる、
 
綾爾燐《アヤニカナシミ》、 是よりは御墓所へ夫《セ》君のまゐで給ふ有さまをいふ、
宿兄鳥之《ヌエドリノ》、 冠辭、
 
片戀爲乍《カタコヒシツヽ》、 今本に片戀|嬬《ツマ》と有はわろし、一本をとる、
 
朝鳥《アサトリノ》、 冠辭〇一本朝露と有は誤、
 
往來爲君之《カヨハスキミガ》、 度々詣給ふなり。
 
夏草乃《ナツクサノ》、 冠辭、
 
念之萎而《オモヒシナエテ》、 愁給ふ時のすがた、
 
夕星之《ユフツヾノ》、 冠辭、
 
彼往此去《カユキカクユキ》、 足もえふみさだめず、
 
大船《オホブネノ》、 冠辭、
 
猶豫不定見者《タユタフミレバ》、 行もかね給ふ有さまをいふ、
 
遣悶流《オモヒヤル》、 既出、
 
情毛不在《コヽロモアラズ》、 四段、夫君の悲み給ふ樣を見る我さへに、思ひを遣《ヤリ》なぐさめがたきといへり、
 
其故《ソコユヱニ》、爲便知之也《スベシラマシヤ》、 かくかなしみしたひ奉るといへども、今はせんすべもなし、いかにもして此皇女の御名を、よろづ世に傳へ聞えよとおもふとなり、
 
音耳母《オトノミモ》、名耳毛不絶《ナノミモタエズ》、 音と名は同じ事に落れども、重ねいふは文なり、
 
天地之《アメツチノ》、彌遠長久《イヤトホナガク》、思將往《シヌビユカム》、 しぬびは、したふと云に同、
 
御名爾懸世流《ミナニカケセル》、明日香河《アスカガハ》、及萬代《ヨロヅヨマデニ》、早布屋師《ハシキヤシ》、 別記に云、
 
吾王乃《ワガオホキミノ》、 皇女を指、
 
形見何此焉《カタミカコヽヲ》、 こゝとは明日香をいふ、焉を乎《ヲ》と訓て、こゝをばのばを略くと心得べし、○初めを明日香川もておこして、こゝにかくいへる巧み、此人のてぶりなり、さて古へ后皇女などの御子おはせぬをば、御名|代《シロ》とて、氏をおかるゝになぞらへよとて、此歌はよみし事、右の末の言どもにしらる、今もかく此歌故に傳はれるなり、【人まろ大舍人にて、かゝる皇子たちの御ともをもせしならん、】
 
 反歌
197 明日香川《アスカガハ》、四我良渡之《シガラミワタシ》、塞益者《セカマセバ》、進留水母《ナガルヽミヅモ》、能杼爾賀有萬思《ノドニカアラマシ》、」 此川の早瀬もせかばせきとゞむべければ、皇女の御命もとゞめまゐらするよしの有なんものをと悔めり、かくをさなきが悲しきなり、【古今歌集に、「瀬をせけば、淵となりても、よどみけり、わかれをとむる、しがらみぞなき」てふは、今によりてよめるなるべし、ことわりをいひ盡したるは後の人の心狭さなり、】〇一本、水乃|與杼《ヨド》爾加有益、かくても同じ意なり、
 
198 明日香川、明日谷將見等《アスダニミムト》、念香毛《オモヘカモ》、 今日こそかゝれ、明日だに又見奉らんと思へば、とかくに過にし御名の忘がたしと云り、〇一本左倍と有はかなはず、又今本三(ノ)句を念八方と有もかなはず、よりて又の一本による、
 
吾王《ワガ大キミノ》、御名忘世奴《ミナワスレセヌ》、 一本不所忘と有も、みなわすられずと訓て、ことわりかなへり、
 
○高市皇子尊《タケチノミコノミコトノ》、朱鳥三年四月、日並知皇子(ノ)尊の薨まして後に、此尊皇太子に立給ひしに、(持統)十年七月薨ましぬ、人麻呂これを惜み悲み奉て、尊のまだたゞの皇子におはせし時、大友皇子との亂有しに、其御軍の事とり給ひて平げまし、さて後太政をもよろしく申し給ひつ、すべて此尊の世に勝れましゝ御事を、たぐひもなきまで長くめでたくいひて、後の御名代と爲奉れり、
 
城上《キノベノ》殯(ノ)宮之時、 式に、此陵は廣瀬郡三立岡とあり、城上はそこの大名なるべし、【此尊の皇太子に立ましゝ事は、紀に漏落たり、薨給ひし時の事はあり、此集もて紀をたすくべし、○殯と書る事上にいへり、】
 
柿本朝臣人麻呂作歌、
 
199 挂文《カケマクモ》、忌之伎鴨《ユヽシキカモ》、 【今本に、一云、由遊志計禮杼母と有はわろし、】いやしき心に懸けて慕奉らんも恐れみつゝしましきといふなり、ゆゝしきはいま/\してふ言ながら、後世人の思ふとはことにて侍り、(卷十一、古歌)青柳の、枝切おろし、湯種蒔《ユダネマキ》、忌々君《ユヽシキキミ》に、戀渡るかもと有、即|貴《タカキ》に恐れて忌《イミ》つゝしましき君にといふなるを思へ、○挂を心にかくる事といへるは、次に言《イハ》まくもとあればなり、且まくは牟《ム》を延たるなり、かもは歎く辭、
 
言久母《イハマクモ》、 ことばにかけていはんもなり、
 
綾爾畏伎《アヤニカシコキ》、 既いへり、
 
明日香乃《アスカノ》、 四言、
 
眞神之原爾《マガミノハラニ》、 是より下七句は、天武天皇の御陵の事を先いへり、さてこゝには明日香の眞神の原とよみたるを、紀には大内てふ所と見え、式には檜隈大内(ノ)陵と有は、本明日香檜隈はつゞきてあり、大内はその眞神原の小名と聞ゆ、然ればともに同じ邊にて違ふにはあらず、【今見るに、飛鳥の岡(ノ)里の西北二十町ばかりに、五條野といふ所あり、そこに陵あり、是天武持統二天皇合せ葬まつれる陵なりといへり、】
久堅能《ヒサカタノ》、天津御門乎《アマツミカドヲ》、懼母《カシコクモ》、定賜而《サダメタマヒテ》、 是を右には、天原、石門乎開、神上、上座奴ともいひなしつ、
 
神佐扶跡《カミサブト》、【神佐扶跡は、神進を爲給ふとてといひなせるなり、此言別記につぶさなり、】
 
磐隱座《イハガクレマス》、八隅知之、吾大王乃、所聞見爲《キコシメス》、 是よりは其御代しらしゝ時の事を立かへりていふ、○見るをめといふは古へなり、
 
背友乃國之《ソトモノクニノ》、 美濃國をいふ、大和より北、多くの山の背面《ソトモ》なればなり、背面《ソトモ》の言の事、卷一に出、
 
眞木立《マキタツ》、 既出、
 
不破山越而《フハヤマコエテ》、 美濃國不破郡の山なり、此時よりやこゝに關は在けん、是は天皇初め吉野を出まして、伊勢の桑名におはしませしを、高市皇子の申給ふによりて、桑名より美濃の野上《ノガミ》の行宮へ幸の時、此山を越ましゝをいふ、
 
狛劔《コマツルギ》、 冠辭、
 
和射見我原乃《ワザミガハラノ》、 是も不破郡にあり、
 
行宮爾《カリミヤニ》、安母理座而《アモリイマシテ》、 和※[斬/足]《ワザミ》に高市皇子のおはして、近江の敵をおさへ、天皇は野上の行宮におはしませしを、其野上よりわざみへ度々幸して、御軍の政を聞しめせしこと紀に見ゆ、こゝには略きてかくよめり、○安母理は天降《アマクダリ》を約めていふ、下にもあり、
 
天下《アメノシタ》、拂賜而《ハラヒタマヒテ》、 一本をとりぬ、今本に治賜と有をとらぬよしは、次下にいふをまて、
 
食國乎《ヲスクニヲ》、定賜等《サダメタマフト》、 天下と食國は同じ意に落れど、かく分ていふは文なり、
 
鳥之鳴《トリガナク》、 冠辭、
 
吾妻乃國之《アヅマノクニノ》、御軍士乎《ミイクサヲ》、 いくさとは箭《サ》を射合《イクハス》てふ言なるを、用を體にいひなして軍人の事とす、(卷十五)千萬乃、軍奈利友《イクサナリトモ》言擧不爲、取而可來男常曾念、
 
喚賜而《メシタマハシテ》、 此度いせ尾張などは本よりにて、東海東山道の軍士をもめしゝこと、紀に見ゆ、
 
千磐破《チハヤブル》、 冠辭、是はいちはやぶる人にて、荒ぶる人をいふ、神代にて惡く荒き神をいへるに同じ、猶其考に委、
 
人乎和爲跡《ヒトヲヤハセト》、 次の言に並べば、やはせとゝよむなり、○卷二十の喩v族(ニ)てふ歌に、知波夜夫流《チハヤブル》、神乎許等牟氣《カミヲコトムケ》、麻都呂倍奴《マツロヘヌ》、比等乎母夜波之《ヒトヲモヤハシ》、波吉伎欲米《ハキヽヨメ》、都可倍麻都里弖《ツカヘマツリテ》とよめるも、今と同じく古言もていへれば、相むかへて今をもよみたり、そが中に、卷二十の家持ぬしは、遠祖の神代より人代までの事なれば、神と人を分ていへり、今は只人代故に、ちはやぶる人とよみつ、是をもかみと訓は委しく思はぬものぞ、
 
不奉仕《マツロハヌ》、 こなたへ纏《マツロ》ひつかぬ國をいふ、
 
國乎掃部等《クニヲハラヘト》、 今本|治跡《ヲサムト》と有は、上の天(ノ)下云云の所にはいひもしつべし、こゝには上とかへて天皇のおほせごとをいひて下へつゞくれば、一本をとる、且掃とは右にもいへるごとく、波吉伎欲米《ハキキヨメ》よといふ意なるを、上も此も略《ハブキ》いへり、
 
皇子隨《ミコナガラ》、 こは上に神隨と有にひとしくて、そのまゝ皇子におはしまして、軍のつかさに任給ふとなり、
 
任賜者《マケタマヘレバ》、 こゝの事紀に見ゆ、
 
大御身爾《オホミヽニ》、 即高市皇子なり、
 
太刀取帶之《タチトリオバシ》、大御手爾《オホミテニ》、弓取持之《ユミトリモタシ》、御軍士乎《ミイクサヲ》、 右にいへり、
 
安騰毛比賜《アトモヒタマヒ》、 率《ヒキヰ》るをいふ、集中に、雁にも船にも此言をいひ、紀に誘の字を訓つ、
 
齊流《トヽヘル》、皷之音者《ツヾミノオトハ》、 貞觀の儀式に試2鼓吹司1てふ條あり、紀に(天武)皷吹を調練せさせらるゝ事見え、こゝに鼓吹の言有を思ふに、かの儀式の文もて、古への軍の進退を推はかるべし、
 
雷之《イカヅチノ》、聲登聞麻低《コヱトキクマデ》、吹響流《フキナセル》、 鳴《ナラス》を、奈世留とも、奈須とも、集中にいへり、
 
笛乃音波《フエノオトハ》、 六言、是も一本による、今本に小角の音母と有母の辭、前後の辭の例に違、或人小角ををぶえと訓しは、大角をおほぶえとよめる據にても有や、思ふに字に付ておしはかりの訓ならん、且大角をおきて小角のみいはんものともおぼえず、一本の如く笛《フエ》といふ時は、惣てにわたりて滯無なり、【大角小角を軍に用ゐる事、紀にも儀式にも見ゆ、和名抄に、大角(波良乃布江)小角(久太能布江)と云り、軍ぶえをしらせて小角と書しともいふべけれど、大角こそまづはかゝめ、又虎が聲小角に似るかと我助くべけれど、さてもをぶえてふ訓おぼつかなし、一本に笛と有からは何をかいはん、又今本をづのとよみたるは、いふにたらず、】
 
敵見有《アダミタル》、虎可叫吼登《トラカホユルト》、 敵に向ひたるは、いかる聲、ことなるべし、さて古へ三のからは、御食國にひとしく行かよへば、虎などの事もよそならずよめりけん、
 
諸人之《モロビトノ》、※[立心偏+協の旁]流麻低爾《オビユルマデニ》、 一本に聞惑新麻低《キヽマドフマデ》と有も、こゝにはかなへど、前後を思ひ渡すに、是は今本ぞよき、そのよしは下にいふ、
 
指擧有《サヽゲタル》、幡之靡者《ハタノナビキハ》、冬木盛《フユゴモリ》、 既出
 
春野燒火乃《ハルノヤクヒノ》、 今本には、春|去來《サリクレ》者、野毎《ノゴトニ》、著而有火之《ツキテアルヒノ》と有、この著て有火てふ言、人まろのよめることばとも聞えず、よりて一本を取、
 
風之共《カゼノムタ》、靡如久《ナビケルゴトク》、 春は畠つくるとて、野山を燒こと今も同じ、○火に譬しは赤旗なり、此時の紀にも赤はたなるべく見ゆ、
 
取持流《トリモテル》、弓波受乃驟《ヤハズノサワギ》、三雪落《ミユキフル》、 三は眞なり、
 
冬乃林爾《フユノハヤシニ》、 一本由布乃林と有は、布由の上下になれるものなり、
 
飄可毛《ツムジカモ》、 冬枯の林の梢さわがして、つむじの吹まくに、千よろづの弓弭の動くを譬へたるさま、今も見るが如し、○つむじてふ言は、神名式に、出雲國意宇(ノ)郡、波夜都武自《ハヤツムジ》和氣(ノ)神社ともあり、【和名抄に、※[風+火三つ](豆無之加世、)文選(ニ)、囘※[風+火三つ]卷2高樹(ヲ)1、
 
伊卷渡等《イマキキワタルト》、 伊は發言、
 
念麻低《オモフマデ》、見之恐久《ミノカシコク》、 今本に、聞之《キヽノ》恐久と有ど、こゝは聞ことならず、見を誤れること明らかなれば改めつ、又一本には、諸人(ノ)、見《ミ》惑麻低爾とあれど、上にも諸人云云と有に、わざと對へいへるとも聞えず、且雷虎に聞※[立心偏+協の旁]、幡弓に見恐むと云と見ゆれば、彼此取捨たり、〇此句は、次のやのしげゝくと云にむかへて、六言に訓なり、
 
引放《ヒキハナツ》、箭繁計久《ヤノシゲケク》、 祝詞に、射放物與弓矢、
 
大雪乃《オホユキノ》、亂而來禮《ミダレテクレ》□《者《バ》》、 かく樣に者を略く例は多かれど、こゝはくればといひて聞るを、わざと略きて、きたれとよむことやはある、故に者《バ》は落し物とす、○一云、霰成《アラレナス》、曾知余里久禮婆《ソチヨリクレバ》、 これはたしかるべきなり、されど今の言は古事記に、(安康(ノ)條)興《オコシテ》v軍|待《マチ》戰、射出|之《セル》矢、如葦華散《アシバナノチルナセリ》と有に似て、面白ければ敢てかへず、且上にも雪はあれど、彼は冬といはん料、こゝは譬なれば嫌もなし、〇右の曾知《ソチ》の言は、そのみ〔右○〕ちのみ〔右○〕を略けるにて、彼《ソノ》かたといはんが如し、をちこち、いづちなど皆同し、○こゝまでに不破方の軍士をいへり、
 
不奉仕《マツロハズ》、 是より下六句は敵方をいふ、
 
立向之毛《タチムカヒシモ》、露霜之《ツユシモノ》、消者消倍久《ケナバケヌベク》、 命をすてゝむかへるなり、
 
去鳥乃《ユクトリノ》、 群り飛鳥の、おのれ劣らじと競ひ進むが如くと云、
 
相競端爾《アラソフハシニ》、 あらそふ間になり、相は理りもて書るのみなる、下にも出たり、はしは間の意なり、後の歌などにもいへり、〇一本に、朝霜之、消者消言爾《ケナバケトフニ》、打蝉等《ウツセミト》、安良蘇布波之爾《アラソフハシニ》と有て、是もさる事なるが中に、ゆく鳥のあらそふてふ勢ひ、よくこれにかなひて、事明らかなるは今の方なり、
 
渡會乃《ワタラヒノ》、齋宮從《イハヒノミヤユ》、神風爾《カンカゼニ》、伊吹惑之《イブキマドハシ》、 風は天つみ祖の神の御息よりおこれば、神風の息《イ》とつゞけ來しを、ここに初めて伊吹云云とはたらきていひつ、冠辭考に委し、【紀に、(天武)天皇野上の行宮におはします夜に、かみなり雨ふる事甚し、天皇祈給はく、天神地祇朕を扶ば、此そらをしづめ給へと、此御言終りぬれば、即雲のみだれ止ぬ、又始東へ幸とき、宇多の横河に到給ふ時、黒雲十丈餘り天をわたれり、即占べ給ひてよきさがを得給へるなど有、これらの時猶くさ/”\有けんを、傳らぬなるべし、】
 
天雲乎《アマクモヲ》、日之目毛不令見《ヒノメモミセズ》、常闇爾《トコヤミニ》、覆賜而《オホヒタマヒテ》、定之《サダメテシ》、 此御軍の時、神のみしるし有しこと、あまた紀にしるされしかど、こゝの事委しからぬは、傳へを失ひしなり、紀は後の代にかき、此歌は其時の人のなれば、是に及ことなし、
 
水穗之國乎《ミヅホノクニヲ》、神隨《カンナガラ》、 是より下五句は、又天皇の御事なり、
 
太敷座而《フトシキマシテ》、八隅知之《ヤスミシシ》、吾大王之《ワガオホキミノ》、天下《アメノシタ》、申賜者《マヲシタマヘバ》、 天皇の數座天(ノ)下の大政を、高市皇子の執《トリ》申し給へばといふなり、此あたりのことば多く略きつ、【ことばを略きつといふは、まづ天武天皇は、朱鳥元年九月崩給ひて、皇太子日並知皇子(ノ)尊大政を執ましゝを、此尊も同三年に薨給ひしに依て、同四年七月、此高市皇子太政大臣と聞えて、大政申給へり、然るをこゝには右の御軍の時よりいひ下したれば、天武天皇の御代の間に、此皇子大政申給ふ如く聞ゆれど、さはあらぬ事右の如し、】
 
萬代《ヨロヅヨニ》、然之毛將有登《シカシモアラムト》、 一云、如是毛《シカモ》安良無等、○萬代に、如是大政を申治めておはしまさんと見えて、榮えおはしますみ盛にと云なり、
 
木綿花乃《ユフバナノ》、 (卷十五)泊瀬女(ノ)、造木綿花《ツクルユフバナ》、三吉野(ノ)、瀧乃|水沫《ミナワニ》、開來受屋《サキニケラズヤ》、 (卷三)眞木綿|持《モテ》,何都良結垂《カヅラユヒタル》てふは(卷四)波禰※[草冠/縵]《ハネカツラ》、今|爲《スル》妹之と云に同くて、木綿もて造し花を髪に懸るは、若く榮る女の體なり、是をこゝも榮といふ冠辭とせしならん、猶卷三にもいふべし、
 
榮時爾《サカユルトキニ》、 にはかに雲隱給ふことをいはん下《シタ》なり、
 
吾大王《ワガオホキミ》、皇子之御門乎《ミコノミカドヲ》、 一云、刺竹(ノ)、皇子御門乎、これもあしからず、
 
神宮爾《カンミヤニ》、 こゝは殯宮をいふ、過ましては神と申すことにて、此上下に神佐扶跡、神(ン)葬などいふ言ひとし、
 
装束奉而《カザリマツリテ》、 (卷三)皇子の殯宮の事を、白細布《シロタヘニ》、飾奉而《カザリマツリテ》と有に同じ、
 
遣使《ツカハセル》、 上の同卷に、朝には、召て使《ツカハシ》、夕には、召て使《ツカハシ》、遣之《ツカハシヽ》、舍人之|子等者《コラハ》といへるに均し、
 
御門之人毛《ミカドノヒトモ》、 (卷十四)みこの御門乃|五月蠅《サバヘ》なす、さわぐ舍人はともよみしかば、專ら御門守舍人をいふなり、春宮舍人は御|階《ハシ》の下をも守なれど、薨まして後は、御門のみ守こと上に見ゆ、
 
白妙乃《シロタヘノ》、麻衣著《アサゴロモキテ》、 喪の衣の事上にいへる如くなれば、此白妙は冠辭にあらず、
 
埴安乃《ハニヤスノ》、御門之原爾《ミカドノハラニ》、 下に香久山の宮と有は、即これにて、其御門の前なる野原をいへり、後に應天門の原などいふ如く、原を置て火を避なり、
 
赤根刺《アカネサス》、 冠辭、
 
日之盡《ヒノクルヽマデ》、鹿自物《シヽジモノ》、 冠僻、
 
伊波比伏管《イハヒフシツヽ》、烏玉能《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
暮爾至者《ユフベニナレバ》、大殿乎《オホトノヲ》、振放見乍《フリサケミツヽ》、 上の日並知皇子尊の舍人の、御立爲之、島に下ゐて、なげきつるかもとよめる如く、夜は御門の外《ト》の舍《ヤ》に侍宿《トノイ》つかふまつれば、いよいよ戀奉られて、殿の方を見放るなり、
 
鶉成《ウヅラナス》、 冠辭、
 
伊波比廻《イハヒモトホリ》、雖侍候《サモラヘド》、佐母良比不得者《サモラヒエネバ》、 悲に堪かねて、在もあられねばなり、
 
春鳥之《ハルトリノ》、 冠辭、【是をうぐひすと訓はせばし、集中には、はる花、はるくさ、はるやなぎなど、のを略きていへる多し、
 
佐麻欲比奴禮者《サマヨヒヌレバ》、嘆毛《ナゲキモ》、 四言、是より二句は、右の事を言をかへて二度いひて、次の言を起せり、
 
未過爾《イマダスギヌニ》、憶毛《オモヒモ》、 四言、
 
未盡者《イマダツキネバ》、 こは後世にては、いまだ盡なくにといふところなり、集中には、秋立て幾日もあらねばなどいへる多し、仍て今の世のことばにていはんには、いまだつきぬにはといふを、爾を略くとせんにや、
 
言佐敝久《コトサヘク》、 冠辭、
 
百濟之原從《クダラノハラユ》、 此原も香山の宮に近きことしらる、天武天皇紀に、大伴吹負の百濟の家と有も、事の様右の所と聞ゆ、【百濟の地を廣瀬都につけしは後の事か、】
神葬《カンハフリ》、葬伊座而《ハフリイマシテ》、 いにましての略なり、此下に、朝立伊麻之弖、(一云伊行而)(卷五)山越而、往座《イマス》君乎者とも有、
 
朝毛吉《アサモヨシ》、 冠辭、
 
水上宮乎《キノベノミヤヲ》、常宮等《トコミヤト》、高知座而《タカシリマシテ》、 今本、高之奉而と有は字誤れり、【知《チ》の草を之に誤しなり、】上の殯宮の長歌にも、陵の事を、御在香乎、高知座而と有などによりてあらためつ、
 
神隨《カンナガラ》、安定座奴《シヅモリマシヌ》、雖然《シカレドモ》、吾大王之《ワガオホキミノ》、萬代跡《ヨロヅヨト》、所念食而《オモホシメシテ》、作良志之《ツクラシヽ》、香來山之宮《カグヤマノミヤ》、 上に云つ、
 
萬代爾《ヨロヅヨニ》、過牟登念哉《スギムトモヘヤ》、 過失めやてふなり、萬代とほぎ作らしゝ宮なれば、失る代あらじ、是をだに御形見とあふぎ見つゝあらんとなり、
 
天之如《アメノゴト》、振放見乍《フリサケミツヽ》、玉手次《タマダスキ》、懸而將偲《カケテシヌバナ》、恐有騰文《カシコカレドモ》、 初めの言を又いひて句を結びたり、○此歌大段は四つ、句は百四十餘ありて、この人の歌の中にも秀たり、後の世人は、かゝる歌の有をもしらぬにや、ひと度見ば庭すゞめおどりがり、わたのいさなのいさみつべし、
 反 歌
200 久堅之《ヒサカタノ》、天所知流《アメシラシヌル》、 上に、天皇の數坐國と、天(ノ)原、石門を開云々といへるにひとし、且皇太子は天皇と均く申なり、
 
君故爾《キミユヱニ》、日月毛不知《ツキヒモシラズ》、戀渡鴨《コヒワタルカモ》、」 この過ましゝより、世はとこやみゆく心ちして、日月の過るもおもほえず、戀奉るといへり、
 
201 埴安乃《ハニヤスノ》、池之堤之《イケノツヽミノ》、隱沼乃《コモリヌノ》、 こは堤にこもりて水の流れ行ぬを、舍人の行方をしらぬ譬にいへれば、こもりぬとよむなり、今本かくれねと訓たるは、こゝにかなはず、
 
去方乎不知《ユクヘヲシラニ》、舍人者迷惑《トネリハマドフ》、 【後世あし蒋などの生しげりて水も見えぬを、かくれぬといふと心得て、こゝを訓つるはひがことなり、
 
〇檜隈《ヒノクマノ》女王(ノ)作歌、 今本右の反歌の次に、或書反歌一首とて此歌あれど、こは必人麻呂の歌の體ならず、されど捨べからぬ歌なり、左に類聚歌林曰、檜隈女王怨2泣澤神社1之歌なりと註したるぞ、實なるべくおぼゆ、仍てかくしるしつ、
 
202 哭澤之《ナキザハノ》、神社爾《モリニ》、 古事記に、伊那那伎命云云、哭時《ネナキマストキ》於《ニ》2御涙《ミナミダ》1所成神《ナレルカミハ》、坐《マス》2香山之|畝尾《ウネオノ》木《コノ》本(ニ)1、名《ナハ》泣澤女《ナキザハメノ》神と有、かゝれば香山の宮にて專ら祈《ホギ》ごとすべき社なり、仍て是も同尊の薨給を傷給ふ歌とはしらる、
 
三輪須恵《ミワスヱ》、 三輪は借字にて、酒を釀《カメ》る※[瓦+肆の左]をいふ、其|美和《ミワ》の美《ミ》は釀《カミ》の略、和《ワ》は※[瓦+肆の左]の類を惣いふ名なり、かくて其かみたる※[瓦+肆の左]のまゝに居《スヱ》て奉る故に、みわ居といへり、
 
雖祷祈《イノレドモ》、我王者《ワガオホキミハ》、高日所知奴《タカヒシラシヌ》、 上に天所知流とよめるに意同じ、
 
寧楽宮。 【下の和銅四年と有所に此標あれど、上卷の例に依てこゝに出す、】
 
○但馬(ノ)皇女、 既出、
 
薨(タマヘル)後、 和銅元年六月過給ひし事、紀に見ゆ、
 
穗積皇子、 既出、
 
冬日雪落《ユキノフルヒ》遙2望《ミサケテ》御墓《ミハカノカタ》1、悲傷流涕《ナゲキカナシミテ》御作歌、
 
203 零雪者《フルユキハ》、佐幡爾勿落《サハニナフリソ》、 多くふることなかれと云言なり、今本佐を安に誤れり、今改む、【今本に安播と有を沫雪と思は誤なり、沫は、古事記にも集にも安和と有て、安波とは異なり、その上あはとては、とにもかくにも聞えず、】
吉隱之《ヨナバリノ》、猪養乃岡之《ヰガヒノヲカノ》、 これは城上郡の跡見の山の山越に、宇田郡の内までかけて吉隱といひて、猪養はそれが中に在岡なり、
 
塞名卷爾《セキナラマクニ》、 上に云し如く一周の間は、家人など新(キ)墓へ行宿り、よき人も度々詣る故に、雪深くふらば、その道も絶なんを悲しみてかくよみ給ふなり、○今本、上をあはになふりそ、下を、せきにせまくにと訓たるは、雪の淡しくなふりそ深くつもれ、さらば皇女の罷《マカリ》路の塞《セキ》となりて、留らん物といふ意と思へるなるべし、こは六月に薨給ひて、其年の冬の御歌なれば、今更に罷路をの給ふならぬ事知べし、然れば其安幡と有は、かならず誤れる事明らけし、○よなばりは、持統天皇紀に、幸2菟田(ノ)吉隱1と見え、今も初潮山こえて宇多の方に、よなばりといふ村あり、又式に、吉隱(ノ)陵在2大和國城上(ノ)郡(ニ)1としるし、(卷十二)跡見(ノ)庄の歌とて、「よなばりの、猪養の山に、ふす鹿の、妻よぶこゑを、聞が乏しさ」ともあれば、今とび山てふ邊の山の此方彼方、皆よなばりなるをしりぬ、○右に引し(卷十二)に、今は古名張と有にやよりけん、ふなばりとも訓てあれど、古本に吉と有て、吉を與《ヨ》といふこそやすらかなれ、其上右の如く今もよなばりてふ里(ノ)名有からは、何をか思はん、【上(ツ)榛原下榛原てふ所は、跡見の山中に在と紀に見ゆ、今も跡見山の背面に、はいばらてふ里あり、此如く、よなばりも、山のおもてうらかけてしかいふなりけり、○紀と式と郡の異なるは、二郡の堺は古今に違多き物なり、】
 
△弓削(ノ)皇子(ノ)薨時、 文武天皇紀に、三年七月過給ふと有て、右の但馬皇女の薨より九年前なり、此卷、年の次でを立しを、此年次の違ふを始として、歌にも多く疑あり、仍て後人の註なる事しるければ、小字にせり、そのうたがひどものこと左に見ゆ、
 
 置始(ノ)東人歌、 此人既出、
 
204 安見知之、吾王、高光、日之皇子、 こは天皇を申す古言なれど、轉じでは皇子にもいへる事卷一(卷十四)人麻呂の歌にもあれば、古へさもいひつらむ、
 
 久堅乃、天《アマツ》宮爾、神隨《カンナガラ》、神等座者《カミトイマセハ》、 神と成ていますといふを略けるか、略に過て俗に近きなり、
 
 其乎霜文爾恐美《ソコヲシモアヤニカシコミ》、 此恐みは、上よりはつゞけど下へかなはす、こは本より歌の拙きか、又悲美と有しを誤りしにや、
 
 晝波毛日之盡《ヒルハモヒノクルヽマデ》、夜羽毛《ヨルハモ》、夜之盡《ヨノアクルキハミ》、臥居雖嘆《フシヰナゲヽド》、 臥は夜、居は晝をうくるこゝろにや、言餘りに略過て拙くきこゆ、
 
 飽不足香裳《アキタラヌカモ》、 これは古言をもていひつゞけしのみにして、我歌なるべきことも見えず、そのつゞけに言を略きたるところは、皆ことたらはずして拙し、此撰みたる卷に入べきにはあらず、まして右に擧いふ如く、年月の次の違へるは、此一二の卷にはかなはざるなり、或人是をもよざまにいひなせれど、ひとつだにうべなることなし、よきはよきあしきはあしと定めたらんこそ、わらはべの爲にもならめ、
 
  反 歌
205 王者、神西座者、天雲之、 此體なる、下の十九の卷に載たる古歌にも二首有、人まろの歌にもあり、そが中に(卷十四)皇者神二四座者、天雲之といへるに全く本の同じきは、おぼつかなきなり、猶今は後に右をまねびしものと覺ゆ、
 
 五百重之上爾《イホヘノウヘニ》、 今本下と有は誤なり、此卷に、天原、石門乎開、神上、上座奴、こゝの歌に、天(ノ)宮爾云云、人まろも、雷之上爾とよみたり、
 
 隱賜奴《カクレタマヒヌ》、 是は右の長歌より、いさゝかけしき有が如くなれど、猶得てよめる歌とも聞えず、
 
 △又短歌、右二首本文ならば、これは或本歌と書べし、右は註なる故に、こゝは又とかき、且是には短歌と書しも、別のふみの歌なることしるべし、
 
206 神樂浪之《サヽナミノ》、 是は地の名にて、次の言にいふは小波なり、其分ち冠辭考にいふ、
 
 志賀左射禮浪《シガサヾレナミ》、敷布爾《シク/\ニ》、 重々てふ意なり、
 
 常丹跡君之《トコニトキミガ》、所念有計類《オボシタリケル》、 よする波の數のかぎり無をよはひに願ふなり、さて此歌にのみ地をいへるは、右の反歌ならざるなり、これには別に端詞のありけんを落し物ぞ、
        
○柿本朝臣人麻呂|□□□□□□□□□□□□《所竊通娘子死之時悲傷《シヌビカヨヘルヲトメガミマカレルトキカナシミテ》作歌、》 【人まろの妻妾の事は別記に云つ、】
 こゝに今本には柿本朝臣人麻呂(ガ)妻死之後、泣血哀慟作歌二首、并短歌とのみ有は、端詞どもの亂れ失たるを、後人のこゝろもて書しものぞ、仍て今此一二卷の例に依て、傍の言をなしつ、其ゆゑは、こゝの二首の長歌の意、前一首は忍びて通ふ女の死たるをいたみ、次なるは兒さへありしむかひ妻《メ》の死せるをなげけるなり、然れば前なるをも妻とかきて、同じ端詞の下に載べきにあらず、又益なく泣v血云云の言をいへること、此卷どもの例にたがへり、なま/\なる人のさかしらなり、【次の長歌は、別に端詞の有けん事はそこにいふ、此一二卷には、かゝる事を煩らはしきまで、おの/\別に詞を擧し例なるに、こゝをしもひとつ端詞にてのせんやは、】
 
207 天飛也《アマトブヤ》、 冠辭、
 
輕路者《カルノミチヲバ》、 高市郡、
 
吾妹兒之《ワギモコガ》、里爾思有者《サトニシアレバ》、懃《ネモゴロニ》、欲見騰《ミマクホシケド》、不止行者《ツネニユカバ》、人目乎多見《ヒトメヲオホミ》、眞根久往者《マネクユカバ》、 間無なり、
 
人應知見《ヒトシリヌベミ》、 忍べる中のことをいふ、
 
狹根葛《サネカヅラ》、 冠辭、
 
後毛將相等《ノチモアハムト》、大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
磐垣淵之《イハガキブチノ》、隱耳《コモリノミ》、 谷などに、岩の垣の如立めぐりたる隱淵に譬て、忍びかくしつゝ戀るをいふ、
 
戀管在爾《コヒツヽアルニ》、 忍びてをる間に死つれば、いよゝしたはしといはん下なり、
 
度日乃《ワタルヒノ》、晩去之如《クレヌルガゴト》、照月乃《テルツキノ》、雲隱如《クモガクルゴト》、奥津藻之《オキツモノ》、名延之妹者《ナビキシイモハ》、葉葉乃《モミヂバノ》、過伊去等《スギデイニシト》、 過ては死をいふ、
 
玉梓之《タマヅサノ》、使乃言者《ツカヒノイヘハ》、 玉|津佐《ツサ》てふ事は意得ず、強ておもふに、玉はほむることば、津は助の辭、佐は章の字音にや、何ぞといはゞ、文章もて遠く傳る事は、本より皇朝の上つ代には聞えず、たゞから文字を借にし世より後に出來しことなり、然ればこゝの古言はなかるべき理りなり、且すべて他《ヒト》の國の物をこゝに用る事も多かれど、そをば專ら字音のまゝにむかしよりいへるなり、人まろの歌にからの事をいへるはなけれど、既しかいひなれし時なれば、したがひていへるならん、
梓弓、 冠辭、
 
聲耳聞而《オトノミキヽテ》、 音づれのみ聞てなり、おとゝいふに聲とも書は此集に例あり、○今本には耳を爾とす、
 
將言爲便《イハムスベ》、世武爲便不知爾《セムスベシラニ》、聲耳乎《オトノミヲ》、聞而有不得者《キヽテアリエネバ》、 同言を重ねて次の言をおこせり、【今本此歌の左に、名耳《ナノミヲ》、聞而|有不得者《アリエネバ》てふ句、或本に有と註せしは、こゝにかなはず、】
 
吾戀《ワガコフル》、千重之一隔毛《チヘノヒトヘモ》、遣悶流《オモヒヤル》、 既出、
情毛有八等《コヽロモアルヤト》、吾妹子之《ワギモコガ》、不止出見之《ツネニデヽミシ》、 でゝといふこと、集中に泥而《デヽ》と假字にてもあり、後世いでゝとのみよむ事とするは古に違へり、
 
輕市爾《カルノイチニ》、 六言、○加留の里の※[こざと+廛]《イチグラ》ある所をいふなり、
 
吾立聞者《ワガタチキケバ》、玉手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
畝火乃山爾《ウネビノヤマニ》、喧鳥之《ナクトリノ》、 上の三句は句中の序なり、〇(卷十三)輕の路より、玉だすき、畝火を見つゝとよみ、今見るにも輕の里と畝傍山は近ければ、其山の鳥が音をもて言をつゞく、
 
音母不所聞《オトモキコエズ》、(卷九)鶯の於登聞ともよみつ、さてこゝは妹が聲だに聞えぬをいふ、
 
玉桙《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行人毛《ミチユクヒトモ》、 かの市路を群て行人をいふべし、
 
獨谷《ヒトリダニ》、 谷は借字のみ、
 
似之不去者《ニテシユカネバ》、 妹に似たる人のゆかぬなり、
 
爲便乎無見《スベヲナミ》、妹之名喚而《イモガナヨビテ》、袖曾振鶴《ソデゾフリツル》、 こゝのことば、そらごとの如くて、心なんまことの極みなり、譬は兒をかどはされたる母の、もの狂ひとなりて、人目はづる心もうせ、人の集へる所に行て、名を喚袖をふりなどするが如し、極めて切なる情をうつし出せるは此ぬしなり、
 
 反 歌
208 秋山之《アキヤマノ》、黄葉乎茂《モミヂヲシゲミ》、迷流《マドハセル》、 もみぢ葉の散のまがひに、妹を見失へるといふなり、をさなくてかなし、
 
妹乎將求《イモヲモトメム》、山道不知母《ヤマヂシラズモ》、」 (卷八)、「秋山の、もみぢあはれと、うらぶれて、入にし妹は、まてと來まさぬ、」とよめるに相似て、共に悲し、【一云路不v知而と有は、ひがことなり、
 
209 黄葉之《モミヂバノ》、落去奈倍爾《チリヌルナベニ》、 奈倍爾は並になり、此言別記に有、】
 
玉梓之《タマヅサノ》、使乎見者《ツカヒヲミレハ》、相日所念《アヘルヒオモホユ》、 共に顯《ウツ》し身なりし時、使を待得て行て逢たりし日に、もみぢ葉の散たりけん、それが並《ナメ》にけふも黄葉のちるに使の來たるを見れば、忘れては、かの逢し日の心持《コヽチ》するといふなり、こは常に有ことなり、さてかけず打思へる事を、此ぬしこそ妙にいひ物すめれ、
 
 
○□□□□□□□□□□□□□□□《柿本朝臣人麻呂妻之|死後《ミマカレルノチ》、悲傷《カナシミテ》作歌、》、 こゝにかく有べきなり、
 
210 打蝉等《ウツセミト》、念之時爾《オモヒシトキニ》、 顯《ウツヽ》の身なりし時といふのみにて、念|之《シ》は添ていふこと既にいへり、〇一云、宇都曾臣等《ウツソミト》、かく樣にいふはすべて冠辭にあらず、
 
取持而《タヅサヘテ》、 或本に携手《タヅサハリ》、こゝの訓これによりぬ、
 
吾二人見之《ワガフタリミシ》、 妻とともになり、
 
※[そうにょう+多]出之《ハシリデノ》、 或本、出立《イデタチノ》これも同く門ぢかき所をいふ、
 
堤爾立有《ツヽミニタテル》、槻木之《ツキノキノ》、 或本には此二句はなくて、百兄《モヽエ》槻木とあり、槻は今けやきてふ木の類なり、
 
己知碁智乃枝之《コチゴチノエダノ》、 こちごちは此彼《コチソチ》なり、下の碁は曾に通ふ、或本、虚知期知爾《コチゴチニ》、枝刺有如《エダサセルゴト》、
 
春葉之《ハルノハノ》、茂之如久《シゲキガコトク》、念有之《オモヘリシ》、妹者雖有《イモニハアレド》、憑有之《タノメリシ》、兒等爾者雖有《コラニハアレド》、 或本これをも妹庭と有は宜からず、言をかへて重ねいふぞ文なる、
 
世間乎《ヨノナカヲ》、背之不得者《ソムキシエネバ》、 常なき世人のならはしをそむく事を得ざればなり、
 
蜻火之《カギロヒノ》、 或本、香切火と書、
 
燎流荒野爾《モユルアラノニ》、 かぎろひの事は既にいひつ、さて大野原を遠く見放れば、春のみならず炎《カギロヒ》の立ものなれば、しかいひて、むつまじき人をさる荒野らに捨ぬる悲みを深むるなり、
 
白栲之《シロタヘノ》、 【栲は或本によりぬ、】
 
天領巾隱《アマヒレガクリ》、 是も天雲隱れて遠きをいふ、雲をひれと云は、(卷七)秋風に、ふきたゞよはす、白雲は、たなばたづめの、天つ領巾《ヒレ》かもとも有、
 
鳥自物《トリジモノ》、 冠辭、
 
朝立伊麻之弖《アサタチイマシテ》、 立いにまして也、○或本、朝立|伊行而《イユキテ》、
 
入日成《イリヒナス》、 成は如、
 
隱去之鹿齒《カクレニシカバ》、 是まで葬送りし事をいへり、【死たる人をば、あがまへていふ例なり、】
 
吾妹子之《ワギモコガ》、形見爾置有《カタミニオケル》、 有の字、或本をもてくはへつ、
 
若兒乃《ミドリコノ》、 或本、緑兒之《ミドリコノ》、
 
乞泣毎《コヒナクコトニ》、取與《トリアタフ》、 或本、取委と有に依て、とりまかすともよむべし、
 
物之無者《モノシナケレバ》、 物は人なり、
 
烏徳自物《ヲトコジモノ》、 男なるものなり、こを今本に鳥穗自物と有て、とりほじものと訓たるはことわりなし、【今本の鳥穗は、鳥のほろにて、羽含《ハグヽム》ことゝするにや、されどもとりほといへる言もなく、言もいひたらはず、仍て此或本を始めて、をとこじ物といふ例有に從へり、】考るに鳥は烏《ヲ》、穗《ホ》は徳《トコ》を誤りしなりけり、或本に男《ヲトコ》自物とこゝをかき、(卷十四)高橋朝臣の妻の死たる時の長歌は、こゝの言をまねびつと見ゆるに、腋狹《ワキバサム》、兒乃泣毎《コノナクゴトニ》、雄自毛能《ヲトコジモノ》、負見抱見《オヒミイダキミ》といひ、(卷四)面形之《オモカタノ》、忘戸在者《ワスラヘタラバ》、小豆鳴《アヅキナク》、男士物屋《ヲトコジモノヤ》、戀乍將居《コヒツヽヲラム》などあり、然れば雄も男もをとこと訓定めて、さてこゝも烏徳の字なることを知なり、且徳の字の音、古へはとこと唱つ、
 
腋狹持《ワキバサミモチ》、吾妹子與《ワギモコト》、二人吾宿之《フタリワガネシ》、枕付《マクラツク》、 冠辭、
 
嬬屋之内爾《ツマヤノウチニ》、晝羽裳《ヒルハモ》、 四言、
 
浦不樂晩之《ウラサビクラシ》、 或本、浦|不怜《サビ》晩と書るも同じ、こをうらぶれと訓はわろきよし別記にいふ、
 
夜者裳《ヨルハモ》、 四言、
 
氣衝明之《イキヅキアカシ》、嘆友《ナゲヽドモ》、 友は借字、
 
世武爲便不知爾《ヤムスベシラニ》、 或本爲便不知と有も、字の略のみにて、訓は今とひとし、
 
戀友《コフレドモ》、相因乎無見《アフヨシヲナミ》、 或本、相|縁無《ヨシヲナミ》、
大鳥《オホトリノ》、 冠辭、
 
羽易乃山爾《ハカヘノヤマニ》、 (卷七)春日奈流、羽買《ハカヘノ》山とよめり、藤原の都べより春日は程近からねど、こゝの言ども近きほどの事とは聞えねば、かしこに葬りしならん、【買も物と物と易る事にて、かへるといふは古へなり、】
 
汝戀流《ナガコフル》、 今本、吾戀流、
 
妹者伊座等《イモハイマスト》、 在なり、
 
人之云者《ヒトノイヘバ》、石根左久見手《イハネサクミテ》、 或本、石根|割見而《サクミテ》と書り、さて岩が根を蹈裂《フミサキ》てふ言なるを、其きを延《ノベ》て佐|久美《クミ》とはいへり、祈年祭祝詞に、磐根木(ノ)根|履《フミ》佐久彌弖といひ此集卷二十に、奈美乃間乎《ナミノマヲ》、伊由伎佐具久美《イユキサグクミ》てふも、浪間を船の行々裂々《ユキサキユキサキ》と重ねいふにて、皆同じことはなり
 
名積來之《ナヅミコシ》、 此二句は山路の勞をいふ、○なづみは(卷十三)道之|間《アヒダ》乎、煩參來《ナヅミマヰキテ》とかき、又集中に、舟のたゞよひをるを沖になづさふともいひ、(卷十二)わが黒かみに、落菜積《オチナヅム》、天之露霜などもいへれば、とゞこほる事なり、〇こは葬の明る年の秋に、墓にまゐてゝよめり、
 
吉雲曾無寸《ヨケクモゾナキ》、打蝉跡《ウツセミト》、 顯《ウツヽ》の身ぞとなり、
 
念之妹之《オモヒシイモガ》、珠蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
髣髴谷裳《ホノカニダニモ》、不見思者《ミエヌオモヘバ》、 目の顯《ウツ》ら/\見なれし妹にしあれば、さりともよそながらもあふ事あらんかとて、山路をなづみつゝ來しかひなく、ほのにだに見えずと歎きたり、こゝは神代の黄泉《ヨモツクニ》の事を下に思ひてよめるなり、此人の歌には、神代の古ことをとりし惣て多かり、顯はならぬは上手のわざなり、○或本に珠蜻より下三句はなくて、灰而座者とのみ有は、言も落、字も誤しなり、基事は下にいふ、【神代紀に、伊弉諾(ノ)尊、御妹の尊の殯の處に到ませしに、御妹の尊つねの如く出迎まして、相語らひ給ふといへり、是を思ひてしたひ來しに、かひなきをなげくなり、】
 
 反歌、 今本こゝに短歌と有は誤、
 
211 去年見而之《コゾミテシ》、秋乃月夜者《アキノツキヨハ》、雖照《テラセレド》、 或本、雖v渡、
 
相見之妹者《アヒミシイモハ》、彌年放《イヤトシサカル》、」 或本|益《マシ》年離、○つまの死たる明る年の秋よめる歌なり、
 
212 衾道乎《フスマヂヲ》、引手乃山爾《ヒキデノヤマニ》、 或本、衾路、引|出《デノ》山と書つ、長歌に合せ見るに、是も春日の内にある山とはしらる、ふすまぢは冠辭にいひつ、
 
妹乎置而《イモヲオキテ》、山徑往者《ヤマヂヲユケバ》、生跡毛無《イケリトモナシ》、」 或本、山路|念《オモフ》爾と有は、こゝにかなはず、
 
 △今本には、或本(ノ)歌とて、長歌一首短歌三首を全擧たれど、今は異なる言のみを、本文の其言の下に小字にてしるしつ、さて長歌の末に、或本に灰而座者と有は、亂れ本のまゝなるを、或人それをはひれてませばと訓て、文武天皇の四年三月に、始て道昭を火葬せし後にて、これも火葬して灰まじりに座てふ事かといへるは、あやまりを助けて、人まどはせるわざなり、火葬しては、古へも今もやがて骨を拾ひて、さるべき所にをさめて墓とすめるを、此反歌は葬の明る年の秋まゐでゝよめるなるを、ひとめぐりの秋までも、骨を納めず捨おけりとせんかは、又此妻の死は、人まろのまだ若きほとの事とおもはるゝよしあれば、かの道昭の火葬より前なるべくぞおぼえらる、さて其灰の字を誤とする時は、是も本文の如き心詞にて、珠蜻(ノ)、仄谷毛《ホノカニダニモ》、見而不座者《ミエテマサネバ》とぞ有つらんを、字落しなるべし、惣て誤字落字多き此集なれば、よく考てこそ注はすべけれ、
 
216 家來而《イヘニキテ》、吾屋乎見者《ワガヤヲミレハ》、 吾はもし妻の字にや、
 
玉床之《タマドコノ》、 (卷七)七夕の歌に、玉床乎打拂と有は、さる事にて、人まろの妻には似つかず、思ふにこは死て臥たりし床なれば、靈《タマ》床の意ならん、
 
外向來《ホカニムキケリ》、妹木枕《イモガコマクラ》、 かの羽易の山に妻はいますと聞て、遠々に求行しかど、ほのかにだにも見えざりければ、今は又家の妻屋に、もとの如く臥てやあると思ひつゝ、かへり來て見れば、むなし床は塵のみゐて、枕はかたへに打やられて有めり、こを見たらんには魂もきえじやは、
 
 ○去年死て葬やりしかば、又の秋まで其床の枕さへ其まゝにてあらんこと、おぼつかなしと思ふ人有べし、此こと上にもいへる如く、古へは人死て一周の間、むかしの夜床に手をだにふれず、いみつゝしめる例なれば、此靈床は又の秋までかくてあるなりけり、譬ば旅行人の故郷の床の疊《タヽミ》にあやまちすれば、旅にてもこと有とて、其疊を大事とすること、古事記にも集にも見ゆ、これに依て、此歌と上の河島皇子を乎知野に葬てふに、ぬば玉の夜床母|荒《アル》良無とよめるなどをむかへ見るに、よみ路にても事なからんことを思ふは、人の情なれば、しか有べきことなり、こぬ人を待とても、床のちりつもるとも、あるゝともいふ、是もその床に手ふるゝを齋《イム》故なれば、此三つ同じ意にわたるなり、〇人まろの歌は、長歌より反歌をかけて、心をいひはつること上にいへるが如し、然れば此家に歸りて、遂に無人を思ひ知し、かなしみの極みを、此歌にてつくせれば、こは必これに添へし、仍て今は落たりとして或本をとれり、【古事記、輕大郎女の御歌、「おはきみを、島にはふらば、船あまり、いかへりこんぞ、和賀多々彌由米《ワカタヽミユメ》、ことをこそ、たゝみといはめ、わがつまはゆめ、」(卷十一)に、しらぎへ使人の道にて死たる時の歌、「から國に、渡る吾せは、家人の齋《イハヘ》またねか、多太未《々ヽミ》可母、安夜麻知之家牟、云云、】
 
○吉備津采女死時《キビツノウネメガミマカレルトキ》、柿本朝臣人麻呂作歌、
 
217 秋山《アキヤヤノ》、下部留妹《シタベルイモ》、 下部留は萎《シナベル》なり、秋の葉はしなび枯る比に色づけば、しなべるとは、もみぢするをいへり、さて妹が紅にほふ顔にたとへつ、此言のより所、冠辭考に委し、
 
奈用竹乃《ナユタケノ》、 (卷十四)奈湯竹と有、騰遠依子等者《トヲヨルコラハ》、 とをゝにしなゆる竹もて妹が姿をたとふ、花にたとへ藻にたとふる類いと多し、〇妹と子等といふは言をかへたるのみ、
 
何方爾《イヅコニ》、念居可《オモヒヲリテカ》、栲紲之《タクヅヌノ》、 冠辭、
 
長命乎《ナガキイノチヲ》、 若くして末長き齡をいふ、
 
露己曾婆《ツユコソハ》、朝爾置而《アシタニオキテ》、夕者《ユフベニハ》、消等言《ケヌルトイヘ》、 六言、
 
霧己曾婆《キリコソハ》、夕立而《ユフベニタチテ》、明者《アシタニハ》、失等言《ウセヌトイヘ》、 六言、
 
梓弓《アツサユミ》、音聞吾母《オトキクワレモ》、 釆女が死たる事は右の言にこめて、さてそれをよそに聞たる吾さへと云なり、
 
髣髴見之《オホニミシ》、 反歌に於保爾《オホニ》云云と有、即この訓なり、
 
事悔數乎《コトクヤシキヲ》、布栲乃《シキタヘノ》、手枕纏而《タマクラマキテ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
身二副寐價牟《ミニソヘネケム》、若草《ワカクサノ》、 冠辭、
 
其嬬子者《ソノツマノコハ》、 夫をいふ、さて上の藤原内大臣の歌にいふがごとく、これも前(ノ)采女なるか、
 
不怜彌可《サブシミカ》、念而寐良武《オモヒテヌラム》、悔彌可《クヤシミカ》、念戀良武《オモヒコフラム》、 此二句古本もて加ふ、
 
時不在《トキナラズ》、 上の長命乎と云にむかふ、
 
過去子等我《スギニシコラガ》、 過は死をいふ、
 
朝露乃如也《アサツユノゴトヤ》、夕霧乃如也《ユフギリノゴトヤ》、 こは勝れたるかたち人てふ名有けん故に、惜たるにて、自ら深き悲みならぬ事、おのづから聞ゆ、されど言のあやこそ妙にもたへなれ、
 
 反 歌
 
218 樂浪之《サヽナミノ》、 地の名なり、
 
志我津子等何《シガツノコラガ》、 一に志我津之子我と有もよし、次の歌も此句六言なればなり、
 
罷道之《マカリヂノ》、 葬送る道をいふ、紀に、(光仁)永手《ナガテノ》大臣の薨時の詔に、美麻之大臣乃《ミマシオホマヘツギミノ》、罷道《マカリヂ》【母《モ》】宇之呂輕《ウシロカロ》【久《ク》】意太比爾念而《オダヒニオモヒテ》、平《タヒラケ》【久《ク》】幸《サキ》【久《ク》】、罷止富良須倍之《マカリトホラスベシ》【止《ト》】詔《ノタマフ》と有は、黄泉の道をのたまへど、言は同じ、
 
川瀬道《カハセノミチヲ》、見者不怜毛《ミレバサブシモ》、」 大和國にして、何處の川かさしがたし、
 
219 天數《ソラカゾフ》、 冠辭、
 
凡津子之《オホツノコガ》、 六言、凡は大に同じ、
 
相日《アヒシヒニ》、 道の行かひなどに見たるをいふか、
 
於保爾見敷者《オホニミシカバ》、 心いれても見ざりしなり、さて是をばしかつといはでおほつといへるは、下の言にひゞかせんためか、
 
今叙悔《イマゾクヤシキ》、 此釆女の氏は吉備津なり、大津志我津などよめるは、近江の其ところよりまゐりし故なるべし、さるを近江宮の時の釆女かといふは、ひがことなり、こゝは藤原宮のころなり、〇二の句は上の歌に依ば、等《ラ》の字落しにもあらん、
 
〇讃岐《サヌキノ》國(ノ)狹岑島《サミノシマニ》、 國字大かたの例に依て加へつ、〇狹岑は反歌の言に依て佐美と訓り、今其くに人もしかいひならへり、
 
視《ミテ》2石中死人《イソノチニミマカレルヒトヲ》1、柿本朝臣人麻呂作歌、 石中を窟の事といふはかたくなし、たゞ磯邊をいふとすべし、石磯は通はしいふなり、
 
220 玉藻吉《タマモヨシ》、 冠辭、
 
讃岐國者《サヌキノクニハ》、國柄加《クニガラカ》、 國がらのからは、隨《ナガラ》のなを略きたる言にて、上に出たる神隨《カンナガラ》のながらにおなじくて、國のよろしきまゝの、國つ神の御心よりかく宜きかと云なり、【(卷三)神柄と有を、其一本に神在隨と書たり、】○ながらてふ言、後世と異なるを、人心得がてにすれば、別記の須良の條にくはしくいへり、○さぬきの國は神の代よりいひ傳へし名ぐはしきまゝに、今見るも世にことなるよしなり、
 
雖見不飽《ミレドモアカズ》、神柄加《カミガラカ》、 加はふたつともにうたがふ辭なり、
 
幾許貴寸《コヽタタフトキ》、天地《アメツチ》、 四言、
 
月日與共《ツキヒトトモニ》、滿將行《タリユカム》、 神代紀に面足《オモタルノ》命、また天足國足《アメタラシクニタラシ》などいふ古言どもに依て、こゝをもたりゆかんとよめり、
 
神乃御面跡《カミノミオモト》、 古事記に、伊邪那伎命云云、生2伊預之|二名《フタナノ》島(ヲ)1、此(ノ)島者|身《ミ》一《ヒトツニシテ》而有2面《オモ》四《ヨツ》1、毎面《オモゴトニ》有v名とて、伊與讃岐粟土左の四つの國にませる神の御名あり、こゝはその事をいへり、
 
次來《ツギテクル》、 神代よりいひ繼來るなり、
 
中乃水門從《ナカノミナトユ》、 讃岐に那何《ナカノ》郡あり、そこの湊をいふならん、
船浮而《フネウケテ》、吾※[手偏+旁]來者《ワガコギクレバ》、時風《トキツカゼ》、 うなしほの滿來る時は、必風の吹おこるを、ときつ風とはいへり、下にも出、
 
雲居爾吹爾《クモヰニフクニ》、 わたの沖に雲立て風のおこるけしき、今こゝに見るがごとし、
 
奥見者《オキミレバ》、跡位浪立《シキナミタチ》、 跡位は敷坐《シキヰル》てふ意の字なるを、重浪《シキナミ》の重《シキ》に借て書り、【重浪とは重々《シキ/\》に立來る浪をいふ、今本に是をあとゐなみと訓しは笑べし、】(卷三)立浪母《タツナミモ》、疎不立《オホニハタヽズ》、跡座浪之《シキナミノ》、立塞道麻《タチサフミチヲ》、 その次の歌に、上には敷《シキ》浪乃、寄《ヨスル》濱邊丹と有て、其末に、腫《シキ》浪能、恐海矣《カシコキウミヲ》、直渉異將《タヾワタリケム》と有も、共に重《シキ》浪てふ意なるに、敷とも腫とも書て、よみをしらせたるを思ふべし、
 
邊見者《ヘタミレバ》、白浪散動《シラナミサワグ》、鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海乎恐《ウミヲカシコミ》、行船乃《ユクフネノ》、梶引折而《カヂヒキヲリテ》、 古へかちと云かいと云も同物なり、さてそを引たをめて船をやるを、かぢ引をるといふ、【古は、物をたわむるをもをるといへり、うちたをるたむの山てふ冠辭是なり、】
 
彼此之《ヲチコチノ》、島者雖多《シマハオホケド》、 氣《ケ》は加禮の約なれば、かくも訓、
 
名細《ナクハ》之、 よろしてふ名の聞えし事を、古へはしかいへり、
 
狹岑之島乃《サミノシマノ》、 六言、
 
荒磯囘爾《アリソワニ》、 今本面と有は誤、
 
廬作而見者《イホリシテミレバ》、 古への旅路には、かりほを作てやどれゝば、作とは書しのみにて、こゝの意は廬入而《イホイリシテ》を略きいへるなり、(卷七)秋田刈《アキタカル》、借廬作《カリホヲツクリ》、五百入爲而《イホリシテ》、有藍君《アルランキミヲ》てふに、此言の意しられたり、
 
浪音乃《ナミノトノ》、茂濱邊乎《シゲキハマベヲ》、敷妙乃《シキタヘノ》、枕爾爲而荒床《マクラニナシテアラトコニ》、 つれもなき濱づらの磯を床として臥たるなり、
 
自伏君之《コロブスキミガ》、 おのれと伏をいふ、上にも出たり、
 
家知者《イヘシラバ》、往而毛將告《ユキテモツケム》、妻知者《ツマシラバ》、來毛問益乎《キテモトハマシヲ》、玉桙之《タマボコノ》、 冠辭、
 
道太爾不知《ミチダニシラズ》、 家の妹が心、
 
欝悒久《オホヽシク》、 かくとはしらで待に、時の過行を、おぼつかなく思ふらんなり、
待加戀良武《マチカコフラム》、愛伎妻等者《ハシキツマラハ》、 はしきはくはしきのくを略《ハブ》きたる言にて、うつくしむことなる故に、愛の字を書たり、別記あり、
 
 反 歌
221 妻毛有者《ツマモアラバ》、採而多宜麻之《ツミテタゲマシ》、 【宜は集中みな、ぎとげの濁に用、】紀に(皇極)童謡に、伊波能杯※[人偏+爾]《イハノヘニ》、古佐屡渠梅野倶《コサルコメヤク》、(小猿米燒なり、)渠梅多※[人偏+爾]母《コメダニモ》、多礙底騰褒※[口+羅]栖《タゲテトホラセ》、歌麻之々能烏膩《カマシヽノヲヂ》といふは、燒たる米の飯を給《タベ》て行《トホラ》せなり、然ればこゝも採て給《タベ》らせまし物をといふ古言なるを知めり、又(卷七、「春日野に、烟立見ゆ、をとめらが、春野乃|兎芽子《ウハギ》、採而|※[者/火]らしも」てふを以て、此|宜《ゲ》は企《キ》にて、燒ましてふ言かと思ひし、猶上に依、
 
佐美乃山《サミノヤマ》、野上乃宇波疑《ノノヘノウハギ》、 上は衣《エ》の如く唱、
 
過去計良受也《スギニケラズヤ》、」 うはぎは、内膳式に蒿、和名抄に莪蒿(於八木《オハギ》)てふ同しくて、今よめがはぎといふ是なり、【うは惣てをにかよふ例なり、於と書は誤なり、】さて此臥て有あたりに兎蒿《ウハギ》多く生て、時過ゆけどつみて得さする人なしと、そこに有物もていへるに、所のさまさへ思ひとられてあはれなり、○或人多|宜《ギ》ましは、手向ましの略ぞといへるは、右の紀の歌をもしらぬ人の後世意なり、
222 奥波《オキツナミ》、來依荒磯乎《キヨルアリソヲ》、色妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、
枕等卷而《マクラトマキテ》、奈世流君香聞《ナセルキミカモ》、 奈は禰に通ひて臥《ネ》せるなり、【ぬるはなえるてふ言にて、なよ/\と臥たるさまをいふ、仍て寢せるを、奈せるともいふなり、】
 
○柿本朝臣人麻呂在(テ)2石見(ノ)國(ニ)1臨死時《ミマカラントスルトキ》、自傷《カナシミテ》作《ヨメル》歌、 此端詞にも、又次にも死と書しは、六位七位などの人なること知べし、委は卷一の別記にいへり、
 
223 鴨山之《カモヤマノ》、 こは常に葬する山ならん、【是を後に、いも山のいはねにおけるといへる、地の名も、おけるといふも誤れり、】
 
盤根之卷有《イハネシマケル》、 上にも出、之《シ》は辭、
 
吾乎鴨《ワレヲカモ》、不知等妹之《シラズトイモガ》、 等《ト》は等而《トテ》なり、(卷十三)爲便《スベ》を不和|跡《ト》、立て爪づくてふ跡《ト》に同じ、
 
待乍將有《マチツヽアラム》、
 
○柿本朝臣人麻呂(ガ)死《ミマカレル》時《トキ》、妻《メ》依羅娘子《ヨサミノイラツメガ》作歌、
 
224 且今日且今日《ケフケフト》、吾待君者《ワガマツキミハ》、石水《イシカハノ》、 紀にも水をかはと訓、次にも石川と書たり、
 
貝爾交而《カヒニマジリテ》、 次に玉をもいひしが、此川の海へ落る所にて貝も有べし、【一本谷爾交而とあれど、たゞ谷とのみにては、交るといひがたし、是ももしかひの言にかりしにや、】
 
有登不言八方《アリトイハズヤモ》、」 いはずやもと當りていふに、いたく歎くこゝろあり、
 
225 直相者《タヾニアハヾ》、相不勝《アヒガテマシヲ》、 直目《タヾメ》にあひ見んとせば、あひがたかりなんをといふなり、
 
石川爾《イシカハニ》、雲立渡禮《クモタチワタレ》、見乍將偲《ミツヽシヌバム》、 石川は即かも山のもとに在ならん、さて川に雲はよしなかれど、遠きさかひの事なれば、雲をもていふは古へよりの事ぞ、
 
○丹比眞人《タヂミノマビト》、 今本注に名闕といへり、本よりもしれざりしか、【此氏は多治比《タヂミ》といふぞ本なる事、姓氏録にも見ゆるを、後にから文めかんとて、略て、丹比、丹治、丹遲なども書り、されど皆たぢみと訓なりとなり、】
 
擬《ナゾラヘテ》2柿本朝臣人麻呂(ガ)之|意《コヽロニ》1作歌、 今本こゝに報歌とあれど、報と云べき所にあらず、後人さかしらに加へし言と見ゆ、
 
226 荒浪爾《アラナミニ》、縁來玉乎《ヨセクルタマヲ》、枕爾卷《マクラニマキ》、 今本置と有は理りなし、卷の草より誤しものなり、
 
吾此間有跡《ワレコヽナリト》、 爾阿の約|奈《ナ》なれば、こゝにありてふ言を、こゝなりといふ、
 
誰將告《タレカツゲマシ》、 故郷人になり、
 
 
○□□□□□□□□□□□□□《擬2柿本朗臣人麻呂(ガ)妻之意(ニ)1作歌》、
 
227 天離《アマザカル》、夷之荒野爾《ヒナノアラノニ》、君乎置而《キミヲオキテ》、 鴨山に葬つらんを知ながら、ひろく荒野爾云云といへるぞ、中々あはれなり、
 
念乍有者《モヒツヽアレバ》、生刀毛無《イケリトモナシ》、 今本に、或本の歌とて是を載て、其左に、古本此歌をこゝに載と注せり、仍て考るに、上の一首は人麻呂が意になぞらへ、此一首は其妻依羅娘子が意にあてゝ、同じ丹比眞人のよみたることしるし、故にかの古本をとれり、然る時はもと別に端詞の有けんを落しならん、仍て今右の如く詞を加へたり、【人麻呂は藤原宮の末に身まかりて、奈良宮にはいたらぬこと、こゝにて明らけし、】
 
 △今本こゝに寧樂宮と標せるは、和銅三年の遷都なればなり、然れども此標上の例によりて、同元年の所へ出しつ、
 
○和銅|四年《ヨトセ》辛亥〔二字右○〕、 時と月とは落しならん、
 
河邊(ノ)宮人、姫島(ノ)松原(ニ)、 古事記に、(仁徳)幸2行《イデマス》日女島(ニ)1、紀に、(安閑)宜《ヘシ》v放v牛(ヲ)2於難波大隅|與《ト》媛島(ノ)松原(ニ)1、また靈龜三年の紀に、(元正)罷(テ)2攝津(ノ)國大隅媛島二牧(ヲ)1、聽2百姓|佃食《タツクルコトヲ》1之と見ゆ、
 
見《ミテ》2孃子屍《ヲトメガシカバネヲ》1、悲歎《カナシミテ》作歌、 【古き難波の圖を見るに、姫島、衢壤《クジヤウ》島、江小《エノコ》島などいふ島六有しを、今は其邊陸と成て、くじやう島えのこ島てふは、里の名と成てあり、然れば姫島も此邊なりしを、今は名さへ傳らずなりぬ、】
 
228 妹之名者《イモガナハ》、千代爾將流《チヨニナガレム》、 上に人まろの、明日香皇女を其川になぞらへて、萬代に御名の傳らんよしをよみし如く、今は姫島の松もて言擧《コトアゲ》すれば、千代に名をいひ傳へゆかんぞとなり、げにかくこそ永く傳りぬれ、此外に歌によりて名の傳れるは數もしられず、
 
姫島之《ヒメジマノ》、子松之末爾《コマツガウレニ》、蘿坐萬代爾《コケムスマデニ》、」 今の子松の千年の老木と成て、日影かづらの生るまでといふなり、(卷十四)「いつの間も、神さびけるか、香《カグ》山の、ほこ椙《スギ》が末《ウレ》に、薛《コケ》生《ムス》までに、」ともよみたり、〇日かげは上にいへるが如く、奥山の老木の枝に生て、海邊の木には生ぬこけなれど、こゝは借て年久しき譬にいふのみ、
 
229 難波方《ナニハガタ》、 方は潟なり、
 
鹽干勿有曾禰《シホヒナアリソネ》、沈之《シヅミニシ》、妹之光儀乎《イモガスガタヲ》、見卷苦流思母《ミマククルシモ》、 右に松原に云云とは、凡を記せるにて、そこの干潟に屍のあるを見し事、此歌にてしらる、〇見まくは、見んのむを延たる辭、
○靈龜二年丙辰秋八月、志貴皇子《シキノミコノ》薨《スギタマヘル》時《トキ》、□□《姓名》作歌、 元正天皇紀を見るに、此皇子は靈龜二年八月薨給へるを、こゝを今本に元年九月と書しはいかに、又今本ここを志貴親王と書たり、親王とは大寶令にもしるされしかど、此一二卷には惣てを皇子とのみ有に、此一所のみことなるべからず、又端詞の云云時てふ下に、作者の名を書例なるに、是にはなし、かく例に違ひしを思ふに、此所亂れたるを、仙覺などがなま心得にて、端詞を作れるものなり、仍てさるべきをば改めたり、
230 梓弓《アヅサユミ》、手取持而《テニトリモチテ》、丈夫之《マスラヲノ》、得物矢手挿《サツヤタバサミ》、立向《タチムカフ》、 是まで的《マト》といはん序、
 
高圓山爾《タカマドヤマニ》、 春日の中に有、
 
春野燒《ハルノヤク》、野火登見左右《ノビトミルマデ》、燎火乎《タケルヒヲ》、 葬送る人々の手火なる事下に見ゆ、
 
何如問者《イカニトトヘバ》、玉桙之《タマボコノ》、道來入乃《ミチクルヒトノ》、泣涙《ナクナミダ》、※[雨/沛]霖爾落者《ヒサメニフレバ》、 和名抄に、※[雨/沛](ハ)大雨也、日本紀私記に、大雨(ハ)比左米、
 
白妙之《シロタヘノ》、 冠辭、
 
衣※[泥/土]漬而《コロモヒヅチテ》、 ひづちは此字の意なるよし、別記にみゆ、
 
立留《タチトマリ》、吾爾語久《ワレニカタラク》、 其かたれる言はこゝに略て、下にてしらせたり、
 
何鴨《ナニシカモ》、本名言《モトナイヒツル》、 本名は空しなり、【(卷三)不聞而、黙然有益乎、何如文、公之正香乎、人之告鶴、】
 
聞者《キヽツレバ》、 語るを聞しかば、
 
泣耳師所哭《ネノミシナカユ》、語者《カタラヘバ》、心曾痛《コヽロゾイタキ》、天皇之《スメロギノ》、神之御子之《カミノミコノ》、 六言なり、神之は上へつけて意得よ、
 
御駕之《イデマシノ》、 皇子にも幸といふは例なり、
 
手火之光曾《タビノヒカリゾ》、幾許照而有《コヽタテリタル》、 今本こゝに短歌二首と書て、左の歌を反歌の如く書たるは、いと後に歌をも心得ぬ人のわざなり、目録に右の反歌はなくて、或本歌二首としるしたるは、即左の歌をいふなり、然れば右の反歌は落失、こゝには別に端詞もて左歌を載しを、其詞も失しなりけり、
 
○□□□□□□□□□□《志貴皇子薨後、姓名作歌》、 左二首は、薨給ひて暫後によめる歌なり、然ればかゝる端詞の有しが失しことしるべし、
 
231 高圓之《タカマトノ》、野邊乃秋芽子《ノベノアキハギ》、徒《イタヅラニ》、開香將散《サキカチリナム》、見人無爾《ミルヒトナシニ》、」 此皇子の宮こゝにありし故にかくよめり、〇一云、勿散禰《ナチリソネ》、君之形見爾《キミガカタミニ》、見管思奴幡武《ミツヽシヌバム》、 かくてもきこゆ、
 
234 御笠山《ミカサヤマ》、野邊往道者《ノベユクミチハ》、 式に、野邊從遊久道《ノベユユクミチ》、
 
己伎太雲《コキダクモ》、荒爾計類鴨《アレニケルカモ》、 今本、繁荒有可《シヾニアレタルカ》とあれど、こきだくは、こゝばくと同言にて、事の多きことなり、然れば繁の言は事重れり、故に或本の言をとりぬ、
 
久爾有勿國《ヒサニアラナクニ》、 こはいよ/\程有てよめるものしるし、仍て必右の反歌ならぬ事を思へ、
 今本、こゝに右歌笠朝臣金村歌集(ニ)出と注せり、その歌集にもかく右の反歌にて有しにや、よししかるとも、猶こと違へることは既いふが如し、
 
萬葉集卷二之考終
 
萬葉集卷三之考序
 
いにしへの人おもふ心さはなる時はうたひつらぬる言もさはなりき是を長歌とはいふそのこゝろさはなりといふもなほくひたぶるなるものはことば多からずかれこのみてみやびことをそへて歌をかざれりかくて此卷は古への歌をつどへたるがうちに上中下の代々のすがたあり上なるは言少くしてみやび心ひたぶるにして愛《メデ》たし言少なかれど心通り心ひたぶるなるが憐《アハレ》なるは高く眞なる心より出ればなり中なるは言繁くして心巧みなり繁かれど明らけく巧めど下らぬは猶失なはぬものあればなりしもなるは心強からまくせれど下よわく言巧みならまくして穩《オダヤ》かならずこは他《ヒト》の國ぶりのまじはれゝば世の人わが古への心のみならぬを更に言のみ古きをとりつゞりたればなりこれの三つの品をこの卷もてよくこゝろ得る時はうつろひ來し代をしるべししかしてこそ上か上の代のこゝろことばをも手風をもよくしり得たらめ且かく長き歌をなみ擧しもてこそ其世世のすがたをもよしあしをも思ひ分て集の中にみだれのりたるをかたへづゝのみ見てはことの分ちをよく知がたきなり
〇こをしも一二の卷に次て三の卷とするよしは上の別記にいへりかくて此卷は其歌よめらんよしもよめるぬしもしらで傳れる長歌どもなりそが中に古きをいはゞ記に出し遠つ飛鳥の宮の前の日つぎのみこの御歌ぞある次に歌ぬししらへねど必古き代の歌と聞ゆるありしか古へゆ奈良の宮の初めつ比までのうたなん載たる
○歌のついでは上中下の時代にはよらずて亂れ載たり又|地《トコロ》をも始めには遠き國を擧しかど末は定めなく見ゆるは本よりしかるか亂れてたがへるか今の本にも古本にも二首の歌の中らうせたるを合せて一首の如く書なし或は一首の上下のうせしをも一首とし或は末に載べきが上に出たるなどもあればすべて今より思ひはからふべからずつぎの四五の卷の短歌は類ひを集めしと見ゆればさる意して時代にはよらで次で擧つやともおもへどかの亂れ多かれば定めがたしいかで正しき本を得ざらん人たゞさんを待のみ
○今の本の歌の左に擧たる或本の歌のとるべきはとりてことわりをしるしとらざるは其左に付てしるしことわり又注は多くはとらずとれるはよしをしるしつ
 
萬葉集卷三之考〔流布本卷十三〕
 
 雜歌
3221 冬木盛《フユゴモリ》、 今本に成と有は誤れるよし上に云つ、
 
春去來者《ハルサリクレバ》、 上に出、
 
朝爾波《アシタニハ》、白露置《シラツユオキ》、 六言、
 
夕爾波霞多奈妣久《ユフベニハカスミタナビク》、汗微竝能《カミナミノ》、 【飛鳥の神奈備の社なり、】今本に汗湍能振と有は、草の手より誤れりと見ゆ、此言ところの名ならでは、一字のこゝろ穩かならず、景のみよめる長歌に、地をあげいはぬは、凡なきものなり、次の三首も同じ山をよみ、歌もひとしく飛鳥の宮の體なれば、必かみなびのてふ言ぞとせり、
 
樹奴禮我之多爾《コヌレガシタニ》、 木の暗が下なり、(卷九)はるされば、詐奴禮我久利弖、宇具比須曾、云云、(卷十九)許能久禮|罷《ヤミ》、四月《ウツキ》之立者、など多けれど皆ひとし、【(卷十八)夜麻能許奴禮は、くれなゐに、にほひちれども、とあるは、木の宇禮の乃宇の約なり、今は木の具禮の乃具の約にて言の出る所ことなり、】
※[(貝+貝)/鳥]鳴母《ウグヒスナクモ》、 母は加毛の略にてほめなげくなり、
 
3222 〇三諸者《ミモロハ》、 四言、御室とは三輪をもいへど、前後の歌事のさまにも依に飛鳥の神なびなり、
 
人之守山《ヒトノモルヤマ》、 もりをもるに轉じて、よろしき山なれば、人の目かれず目守《マモル》といひなせり、
 
本邊者《モトベハ》、 【邊は假字なれば四言に唱ふ、】
 
馬醉木花開《アシミハナサキ》、 此本も山の下をいふ、あしみは春すゑにつゝじの如く紅に咲り、うへに出、
 
末邊者《スヱベハ》、 四言、
 
椿花開《ツバキハナサキ》、 末は山の上なり、八峯の椿、ともよめり、今見るものをもていふは古人の歌ぞ、
 
浦妙山曾《ウラグハシヤマゾ》、 雄略天皇紀に、はつせのやまは、阿野に、于羅虞波斯、てふに均しくして、浦は心なり、上の別記に云り、くはしは美《ホム》る言なること上にも冠辭考にも出、
 
泣兒守山《ナクコモルヤマ》、」 上にも人の守山、といひしを再ときて、鳴兒をうつくしみ守如くになせる山ぞといふめり、はかなく面白くいひしさま、小治田の宮びとのうたか、
 
3223 霹靂之《ナルカミノ》、 【和名抄に霹靂をかみとけ、と訓たるは、かみとゞろきの略なり、こゝは是を則なるかみ、と訓ことなるを、歌よく心得ぬ人字に泥てしか訓しはいふにたらず、】
 
日香天之《ヒカヲルソラノ》、 霹靂は光《ヒカリ》といひかけたる冠辭なり、ひかる事を略となへる例は、紀に、井より出し人の光り有を以て、井氷鹿と名づくと云り、うけたる句は曇ることなり、くもるをかをるといふは、神代紀に、唯有朝霧而薫滿之哉《タヾアサキリノミカヲリミテルカモ》、てふを始ていと多し、かくてしぐれふり幾たびとなく日をくもらする九月のすゑのさまなり、
 
九月乃《ナガツキノ》、 月の名の事は別紀にいふ、
 
鍾禮乃落者《シグレノフレバ》、
 
鴈音《カリガネノ》、 音と書しかど、かり群《ムレ》てふ言なるよし冠辭考にいふ、
 
率來鳴《アトモヒキナク》、 今本に、雁音文未來鳴、と有は理なし、しぐれふり赤葉せし九月の末に、かりの來ざる所やはある、こは率の草を〓と書しが、文末二字と成しものなり、あともひてふ訓は、卷二に書つ、【あともふは、鴈、ふね、軍、などに多くいへる、皆いざなひゝきゐるなり、或説はわろし、】
 
神南備乃《カミナビノ》、清三田屋乃《キヨキミタヤノ》、 譬は悠紀主基の國に、占へ齋て作稻實殿の如く、此神の御田を植て守、苅て春までの齋殿の清まはりて在をいふべし、 
垣津田乃《カキツタノ》、 神代紀に、天(ノ)垣田(ヲ)爲2御田1、てふは堤を廻らし、水の引漏をほどよくするを垣田といふ、國の垣は山、家の垣は築土、田の垣は堤なり、 
池之堤之《イケノツヽミノ》、 上の垣即この堤にて、それに生たてる槻の木なり、
 
百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
五十槻枝丹《イツキガエダニ》、 今本三十と有は五を三に誤れり、此事冠辭考に委し、かくてかの御田屋の邊にあるゆゑに、齋槻といふべし、【槻の枝の多きをば五百槻と云たり、然れば五十《イ》槻は齋槻なり、齋籬をいがきといふ如き、はぶき言なり、】
 
水枝指《ミヅエサス》、 水は借字にて稚枝の事なり、冠辭のみづ/\しの條にむかへ見よ、
 
秋赤葉《アキノモミヂバ》、 槻は今山人のけやきといふ木と同物にて、秋は赤葉のいとよきものなればかくよみたり、(卷十四《今ノ三》)、とく來ても、見てましものを、山背の、高槻むらの、ちりにけるかも、とよめり、
 
眞割持《マキモタル》、 手に纏《マキ》たる釧《クシロ》をいふ、割は假字なり、【割をかなとするには、下の言を用る例上に出、則|割《サキ》眞割のきに用るが如し、】今本まさけもちと訓しは、もみぢの枝を折て提持事と思へるか、言雅ならず、又下に、※[手偏+求]手折、とあればさ云べからず、手にまける釧の鈴をいへり、持は添る言、
 
小鈴文由良爾《ヲスヾモユラニ》、 枝を折とき手之鈴の鳴をいひて、歌の文とするのみ、別記有、【をすゞもゆらにてふ事は、別記に云、】
 
手弱女爾《タヲヤメニ》、吾者有友《ワレハアレドモ》、 友は借字、
 
引攀而《ヒキヨヂテ》、 よぢはすがるといふに均し、
 
延多文十遠仁《エダモトヲヽニ》、 枝もたわゝともいふ、今本に延多の二字を峯に誤て、みねもとよみしは、歌しれる人のわざならず、こゝに峯の出べきかは、
 
※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》、 うちは發言のみ、手折はたわめをるなり、冠辭考に類を擧つ、【(卷十)「妹が手を、とりて引與治、※[手偏+求]手折、君がさすべき、花さけるかも、」】
 
吾者持而往《ワレハモテユク》、公之頭刺荷《キミガカザシニ》、 公は夫をいふ、かざしは遊宴等の時、草木などの枝を冠また帽子の右か左かにさすをいふ、かしらにさすてふこゝろなり、
 
 反 歌
3224 獨耳《ヒトリノミ》、見者戀染《ミレバコヒシミ》、 染は辭に借、
 
神名火乃《カミナビノ》、山黄葉《ヤマノモミヂバ》、 長歌には堤に立るもみぢといひて、こゝに山のもみぢと有はいかに、かの香山の畝尾は、埴安(ノ)池の堤ともいふべきが如く、こゝも畝尾よりつゞける故に、山ともいふにや、
 
手折來君《タヲリケリキミ》、」 こゝをこむとよむは長歌にかなはず、仍てたをりけりと訓つ、君にはいまだ問はねど本意をいふなり、
 
3225 天雲之影塞所見《アマクモノカゲサヘミユル》、 天の白雲のかげさへ見ゆるは、水の極めてきよきなり、塞は借字にてことばなり、今本に寒と書は誤にて、假字も違へり、古今集に飛鴈の數さへみゆる、といふに似つ、
 
隱來※[竹/矢]《コモリクノ》、 冠辭、
 
長谷之河者《ハツセノカハヽ》、 城(ノ)上(ノ)郡、
 
浦無蚊《ウラナキカ》、船之依不來《フネノヨリコス》、磯無蚊《イソナキカ》、海部之釣不爲《アマノツリセス》、吉咲八師《ヨシヱヤシ》、
 
浦者無友《ウラハナケドモ》、吉畫矢志《ヨシヱヤシ》、 今本は寺に誤、
 
磯者無友《イソハナケドモ》、 是より上八句は、(卷二)に人麻呂のよみし同言なり、いづれ先ならむといふ中に、人まろのよめるは理有て且おもしろし、こゝに似合しからず、餘りて強ごとゝも聞ゆ、然ば奈良人の人麻呂が言をうつして、かくはよめるならむ、此歌古からねばなり、
 
奥津浪《オキツナミ》、諍※[手偏+旁]入來《キソヒコギリコ》、 おきつ波の立て重々によるに競て、釣舟も多く入來よと云り、諍は一本による、今本淨と有は誤、
 
白水郎之釣船《アマノツリフネ》、 此卷すべての歌どもよろしきに、これと下の御|缶《ミカ》の高《タケ》てふは、上の歌の言を用過して、いかにぞやも聞るは、もし或本の歌本文に成しか、
 
 反 歌
3226 沙邪禮浪《サヾレナミ》、湧而流《ワキテナガルヽ》、 此川の石瀬を走る水は、湧如くなればしかいへり、今本に浮と書しは、湧と書し草書より誤りしなり、
 
長谷河《ハツセガハ》、可依磯之《ヨルベキイソノ》、無蚊不怜也《ナキガサブシサ》、」 よるべきいそとは、舟を略けれど、はぶきざまおもはしからず、
 
3227 葦原※[竹/矢]《アシハラノ》、水穗之國丹《ミヅホノクニニ》、 此國の惣たる名なる事、古言に見ゆ、水穗の水は借字にて稚《ミヅ》なり、若枝を水枝と書類なり、
 
手向爲跡《タムケスト》、 荒背向神を、和して此方へおも向しむるをいふ、手は、詔給言《ノリトゴト》に、手長の御世てふ如く發言のみ、【神に物奉るを云は、我手に捧もて向奉るにて、こゝと異なり、】
 
天降座兼《アモリマシケム》、五百萬《イホヨロヅ》、千萬神之《チヨロヅカミノ》、 天御孫(ノ)命を始て、したがひ奉て降し、諸の神たちをすべ云、
 
神代從《カミヨヨリ》、云續來在《イヒツギキタル》、甘南備乃《カミナビノ》、三諸山者《ミモロノヤマハ》、 出雲國造が神賀詞に、賀夜奈流美命【能】御魂【乎】飛鳥【乃】神奈備【爾】坐【天】云云、と大名持命の宣給ひし事有、かく神代より始めて御代々に崇來ませるところなり、
 
春去者《ハルサレバ》、春霞立《ハルカスミタチ》、秋往者《アキクレバ》、 去往は借字のみ、
 
紅丹穗經《クレナヰニホフ》、 赤葉をいふ、
 
甘甞備乃《カミナビノ》、三諸乃神之《ミモロノカミノ》、帶爲《オビニセル》、明日香之河之《アスカノカハノ》、水尾速《ミヲハヤミ》、 生多米難《オヒタメガタキ》、石根《イハガネノ》、蘿生左右二《コケムスマデニ》、 速川水の常に洗ふ石には、苔も生留がたきを、其石にしも苔生む世までといへり、然るを今本に根を枕に誤て、即いはまくらとよみしは人笑へなり、○多米は登杼米を轉じ略きていへり、
 
新夜乃《アタラヨノ》、 夜は代なり、新代とは(卷一)にいへる如く新京を申せり、然れば此度は藤原宮へ遷幸して、始て飛鳥の神社へ御使立、大幣神寶など奉給ふ時、その御使人のよめる歌なるべし、
 
好去通牟《ヨクユキスギム》、 よくゆくとは、事幸くつゝみなきをいふ、(卷九)好去好來歌《ヨクユキヨクキタレテフウタ》とて、唐へ行人をいはひよめるを、齊明天皇紀に、唐國の天子こゝの使人に問説、執事(ノ)卿等好在|以不《ナルヤイナヤ》、使謹答、天皇憐重亦好在とも有て、ゆきと訓ことなるを、今本よしゆきと訓しは、何の理ともなし、かくてこゝは新代の末限なくよく行過なむ事を、此大神の神量《カンハカリ》にはかりて夢に告給へと願なり、此事次々に見ゆ、
 
事計《コトバカリ》、夢爾令見社《イメニミエコソ》、 崇神天皇御自神を祈まして夢の告を得給ひき、此度も御使人此社にこもりて夢の告をまつ故に、かくはよめるなり、
 
※[金+刃]刀《ツルギダチ》、つるぎのたちといふべきを略きたる故に、次のたを濁るは言便のならひなり、
 
齋祭《イハヒマツレル》、神二師座者《カミニシマセバ》、 垂仁天皇紀に、令(シムル)4祠宮(ニ)卜3兵器《ツハモノヲ》爲《セント》2神幣(ニ)1吉之《ヨシ》、故弓矢及|横刀《タチヲ》納2諸神之社(ニ)1、云云、此ごとく古より※[金+刃]を納めて齋まつる神社なれば、しかいふべく、そが上に此たび新代として奉給ふをも、古になぞらへてかくのみいふか、
 
 反 歌
3228 神名備能《カミナビノ》、三諸之山丹《ミモロノヤマニ》、隱藏杉《イハフスギ》、 神木なれば非常《ケガレ》をさけて秘齋ふ意にて、隱藏杉とも書たり、(卷八)神之《ミワノ》祝|我《カ》鎭齋《イハフ》杉、と有も均しきこゝろにてかき、(卷二)に、三諸之、神の神杉、已目乃美《イメノミ》耳とあるもこれなり、【こゝの今本の訓はいふにもたらず、】
 
思將過哉《オモヒスギメヤ》、蘿生左右《コケムスマデニ》、」 かの苔も生留がたき川の石に、苔生代までにも、思ひ忘れ過す事なく、此神社にかく仕奉らんと、神へふかく申なり、【神木といはふ木にこけの生は常の事なれば、かくいふよしなし、】紀(崇神)に、悉(ク)無2遣忘《オチワスルヽコト》1以奉(ン)v幣(ヲ)也、龍田祭(ノ)詞にもあり、上は序にて、さて杉を過に重ていひ下し、末の二句は長歌の飛鳥川云云の、末の言どものこゝろをこめていへり、然ればここの蘿も、上にいふ水苔の事なり、
 
3229 五十串立《イグシタテ》、 五十は借字にていはひの略、串は玉幣などを著る料の榮木と小竹なり、神代紀(一書)に、使3山|雷者《ツチニハ》採《トラセ》2五百箇眞坂樹(ノ)八十玉籤1、野槌者採2五百箇野篶八十玉籤(ヲ)1、とて、上に是につくべき鏡幣玉※[金+刃]などを造らせらるゝことあり、即是なり、古へ若木小竹などを、葉ながら切て是に用るを、串とも杭《クヒ》ともいへる事下に見ゆ、【後世玉を奉る事はたえ、幣料に紙をもてちいさき串につくるを見ならひて、こゝを思はゞたがふべし、】
 
神酒座奉《ミワスヱマツル》、 既出つ、
 
神主部之《ハフリベガ》、 神主と祝部とは、中世ことにすれど、集中には三輪の祝が、住の江にいつくはふりが、などよめれば、こゝもはふりべがとよめり、部と有を捨がたければなり、【今本かみぬしがと訓は言穩しからず、部を捨たるも心ゆかず、且|部《ベ》はむれの約の米を轉じいふにてはふりが伴てふことなり、
 
雲聚之玉蔭《ウヅノタマカゲ》、 之を落せり、雲聚は假字、推古天皇紀に、髻華と書は義なり、後世心葉とて、冠の眞中に花を立る是なり、その花に日蔭のかつらをつけて左右へ垂、その日かげの日をはぶきて、かげとのみいふは、(卷六)にもあり、かくて神事のときかくるは、貴人の玉かつらより轉じいふか、別記あり、
 
見者乏文《ミレバトモシモ》、」 乏は希にてめづらしきなり、此時には實の玉もて飾れる神社もあるを、使人のめでしがよみし成べし、
 
3230 帛叫《ミテグラヲ》、 幣を持てといふを略いへり、
 
楢從出而《ナラヨリイデヽ》、 楢は奈良(ノ)宮なり、然れば和銅三年に奈良へ遷まして、諸社へ御使立給ひし度にや、出とは大裏より出をいひ、大裏へ参るをば入といふ、續後紀に、伊勢へ御使有時の詔に、幣令捧持天奉v出、ともいひしなり、
 
水蓼《ミヅタデノ》、 冠辭、
 
穗積至《ホツミニイタリ》、 奈良より飛鳥までの間にある所ならん、【或人十市郡穗津村これかといふ、】
 
鳥網張《トナミハル》、 冠辭、
 
坂手乎過《サカテヲスグリ》、 紀(景行)に、坂手池を作、今十市郡に坂手村有と國人はいへり、又式の同郡に出し、坂|門《トノ》神社も同所に今在といへり、さもあるか、 
石走《イシバシノ》、 冠辭、
 
甘南備山丹《カミナビヤマニ》、朝宮《アサミヤニ》、仕奉而《ツカヘマツリテ》、 奈良より飛鳥までは、今道七里ばかりあれば、御使よべは其社の離宮に宿て、明日朝日の豐榮登に、神御前には仕奉しなるべし、是も御使なれば、祭の有つらん、
 
吉野部登《ヨシノベト》、入座見者《イリマスミレバ》、 こゝより吉野神社かけたる御使とみゆ、入座云云あがめいへるは、こゝの祝などの歌ならん、
 
古所念《イニシヘオモホユ》、 此神社は、小治田、崗本、後崗本、清御原(ノ)宮まで多の御代の都のうちにて、御使は本よりにて、幸もありしに、藤原奈良と都遠ざかりて、かゝる事もめづらしきほどに成しかば、むかしへの事おもほへられて、よろこべる祝らが心なるべきこと、右にもいふがごとし、
 
 反 歌
3231 月日《ツキヒハ》、 四言、
 
攝友《カハリユケドモ》、 持統天皇藤原へ遷まして、今又元明天皇奈良へ遷給ひ、飛鳥の故郷はいよゝ都遠くなりて、三代まで成しをいへり、○攝は代なり、【史記魯世家に、成王少、云云、周公踐祚、代(テ)2成王1攝行(ス)、この代攝を合て、こゝには書しなり、或人うたがふはなぞや、字書には攝代也と有しなり、】
 
久經流《ヒサニフル》、三諸之山礪津宮地《ミモロノヤマノトツミヤトコロ》、」 古へ都の中なりし時は、此山に離宮を建給ひしが、久に經て今もあらさず在に、かゝる御使などはやどすからに、此歌はよみしならん、(卷十四)天皇御遊2雷丘1之時とて人麻呂、「大きみは神にし坐ば、天雲の、雷之上爾、廬爲流加毛、」とよみしと、こゝを合せて離宮在しをしるべし、【或本、故(キ)王都(ノ)、跡津宮地、】
 
3232 斧取而《ヲノトリテ》、丹生檜山《ニブノヒヤマノ》、木折來而《キコリキテ》、 吉野の丹生なり、
 
※[木+義]爾作《ヲブネニツクリ》、 六言にも訓べけれど、此歌のほどにつけて、をの發言をそへたり、
 
二梶貫《マカヂヌキ》、 左右のかぢを云、
 
磯※[手偏+旁]囘乍《イソコギタミツヽ》、島傳《シマヅタヒ》、雖見不明《ミレドモアカズ》、三吉野乃《ミヨシノノ》、瀧動々《タキモトヾロニ》、落白浪《オツルシラナミ》、 吉野の瀧は多かる中に、大瀧こそ大きなる岩の間を斜に、おつるがおもしろき、今もそこをいふか、
 
 反歌、 今本こゝに旋頭歌と有はいふにもたらず、目録にもなければ、たゞ近頃のひがわざなり、
 
3233 三芳野《ミヨシノヽ》、瀧白浪《タキノシラナミ》、留西《トマリニシ》、 家に留て在なり、
 
妹見卷《イモニミセマク》、欲白浪《ホシキシラナミ》、」 今本二三の句を、瀧動々落白浪、と有は、長歌の末の二句の紛入し物なれば捨つ、何ぞといはゞ、反歌にせどう歌の例なく、此卷にもまたせどうか入べからず、かた/”\字の誤明らけし、
 
3234 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭、
 
和期大皇《ワゴオホキミ》、 【大皇と書こと、下の卷にはあれど、いにしへは見えず、もし此皇は君か、】
 
高照《タカヒカル》、 冠辭、
 
日之皇子之《ヒノミコノ》、 此四句を訓ことは、上にいへり、
 
聞食《キコシヲス》、御食都國《ミケツクニ》、 此事冠辭考につぶさにす、
 
神風之《カムカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢乃國者《イセノクニハ》、國見者《クニミレバ》、 □之毛《シモ》、 之毛の上に言落たり、阿夜爾久波之毛《アヤニクハシモ》、などや有けん、
 
山見者高貴之《ヤマミレバタカクタフトシ》、河見者左夜氣久清之《カハミレバサヤケクキヨシ》、 まことにあきらに清き國なり、
 
水門成《ミナトナス》、海毛《ウミモ》廣《ユタ・ビロ》之《ケシ》、 入海に崎島多ければ、入海即水門の如くと云り、古も天下の船どもこゝによりしにや、
 
見渡《ミワタス》、 四言、
 
島名高之《シマノナタカシ》、 他もあれと、專は志摩國にていふならん、【此時は猶志摩國をかけていふべし、】
 
己許乎志毛《コヽヲシモ》、間細美香母《マクハシミカモ》、 垂仁天皇紀に、天照大神誨(タマハク)2倭姫(ノ)命(ニ)1曰、是神風伊勢國(ハ)、則常世之浪重浪歸國也、傍《カタ》國(ノ)可怜《ウマシ》國也、欲《ヲホスヤ》v居《オハサマク》2是國(ニ)1、故隨2大神(ノ)教(リ)1其《ソ》祠《ミヤヲ》立2伊勢(ノ)國(ニ)1、因(テ)興《タツ》齋《イツキノ》宮(ヲ)于五十鈴(ノ)川上(ニ)1、この意もてこゝはいへり、○こゝに二句落しならん、左右の言いさゝかことたらず聞ゆるは、知人しるべし、
 
挂卷毛《カケマクモ》、文爾恐《アヤニカシコキ》、山邊乃《ヤマノベノ》、五十鈴乃原爾《イスゞノハラニ》、 今本五十師《イソシ》に誤れり、既別記に論て改、【五十の字を、正數に用るときは、いそとよめど、歌文なとには、皆伊のかなにのみ用て、いそと訓こと一つたになし、然るをこゝをいそしと訓しは人笑なり、好事のものゝ虚説有は、いふにたらず、】これ大神の宮ならずば、挂まくもあやに恐きてふ言をいはめや、又大宮づかへ、云云ともいはめや、
 
内日刺《ウチヒサス》、 冠辭、
 
大宮都可倍《オホミヤヅカヘ》  此大神宮(ノ)御事は、天皇の大宮と萬づ均しく申せり、かくてこゝより下五句は、齋王の神宮につかへ奉給ふときの樣をいふ、
 
朝日奈須《アサヒナス》、 奈須は如の意、
 
目細毛《マクハシモ》、 記に遠津|年魚目目微比賣《アユメマグシビメ》、とも書し如く、見る目のうるはしきなり、上も下も同じ意、
 
暮日奈須《ユフヒナス》、浦細毛《ウラグハシモ》、 浦は心なり、目と心と言をかへて、文《アヤ》をなすにて遂に均し、
 
春山之《ハルヤマノ》、 冠辭、○下は齋王にしたがひ奉る命婦、釆女、女嬬、などのありさまをほむ、
 
四名比盛而《シナビサカエテ》、秋山之《アキヤマノ》、 冠辭、
 
色名付思吉《イロナツカシキ》、 こゝの言ども冠辭考に委、
 
百磯城之《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》、 此女房たち本より宮人なり、
 
天地與《アメツチト》、日月《ツキヒトトモニ》、萬代爾母我《ヨロヅヨニモガ》、 我は願ふ辭、○此歌をよくよみしれる人は、山のへの御井を五十師と有る誤をも、論をまたずして明らむべし、
 
 反 歌
3235 山邊乃《ヤマノベノ》、五十鈴乃御井者《イスヾノミヰハ》、自然《オノヅカラ》、成錦乎《ナレルニシキヲ》、張流山可毛《ハレルヤマカモ》、」
 
錦は赤葉をいへり、齋王の仕奉給は、六月十六七日、九月同日、十二月同日、と式に見ゆるは、古よりしかなるべし、その中にもみぢをいへるからは、九月の御祭の時なり、○此御井今しられずといふは、山崩などして埋れしか、後によし有て廢られしか、しるべからず、古へ名高かりしが、後にしらずなれるは、葛城の榎葉井、藤原の御井、綱長井、榮井、など數へがたし、今をもて古へ據有事をしひ云ことなかれ、
 
3236 空見津《ソラミツ》、 冠辭、
 
倭國《ヤマトノクニ》、 六言、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
寧樂山越而《ナラヤマコエテ》、 奈良坂なり、
 
山代之《ヤマシロノ》、管木之原《ツヽギノハラ》、 六言、仁徳天皇紀に、皇后云云、興2宮室於筒木岡南(ニ)1、こゝに合せて、つゝを清み、木を濁べし、綴喜郡とは別か、 
血速舊《チハヤフル》、 冠辭、
 
于遲乃渡《ウヂノワタリ》、 六言、
 
瀧屋之《タキノヤノ》、阿後尼之原《アゴネノハラノ》、 此地いまだしらず、
 
千歳爾《チトセニ》、 四言、
 
闕事無《カクルコトナク》、萬歳爾《ヨロヅヨニ》、有通將得《アリカヨハムト》、 史生雜色の人など、近江を本屬にて、暇を給て通ひ行時の歌か、
 
山科之《ヤマシナノ》、石田之森之《イハタノモリノ》、須馬神爾《スメガミニ》、奴左取向而《ヌサトリムケテ》、 神名式に、宇治郡山科(ノ)神社二坐、(并大)
 
吾者越往《ワレハコエユク》、 向而の下に五言無は例なり、
 
相坂山遠《アフサカヤマヲ》
 
 反 歌
3238 相坂乎《アフサカヲ》、打出而見者《ウチデヽミレバ》、淡海之海《アフミノミ》、白木綿花爾浪立渡《シラユフバナニナミタチワタル》、」 爾に如をこむるは例なり、木綿花の事は上又下にも出づ、
 
3237 緑青吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
平山過而《ナラヤマスギテ》、物部之《モノヽフノ》、 冠辭、
 
氏川渡《ウヂガハワタリ》、未通女等爾《ヲトメラニ》、 冠辭、
 
相坂山丹《アフサカヤマニ》、手向草《タムケグサ》、 草は借字にて、手向る種の意なるよし、上にもいへるに同じ、
 
幣取置而《ヌサトリオキテ》、 今本絲取とあるは、幣の草を見違し事疑なければ、あらためつ、
 
我妹子爾《ワギモコニ》、相海之海之《アフミノウミノ》、奥浪《オキツナミ》、來因濱邊乎《キヨルハマベヲ》、久禮久禮登《クレクレト》、 斉明天皇紀の大御歌に、于之盧母倶例尼《ウシロモクレニ》、飫岐底※[舟+可]※[麻垂/叟]※[舟+可]武《オキテカユカム》、後《ウシロ》も闇にして、道ゆけばうしろの方追々に霧へだたるをいふ、(卷九)都禰斯良|怒《ヌ》、道の長手遠、久々禮禮登云云、
 
獨曾我來《ヒトリゾワガクル》、妹之目乎欲《イモガメヲホリ》、」 今本是を或本歌とて附て擧つれど、大和より淡海へ行は均しかれど、言いと異にて、且上なるはよろこばしく、これはうれたくきこゆれば、別歌なるを、今本或本互に一首を落たるなり、古本には且上の歌はなくて此歌のみあり、故に今是をも本文とせり、○反歌は古本にも是にそへたれど、かの反うた是にはかなはず、上によろし、仍て上へつけて此反歌は落たりとす、
 
3239 近江之海《アフミノミ》、 【淡毎を近江と書は、和銅八年よりなり、此歌は古きを、奈良人のかくは書しにて、紀にすら後人のさがしらせしと見ゆ、】
 
泊八十有《トマリヤソアリ》、 下にも同言あり、(卷十三)にはあふみの海、八十之湊ともいへり、
 
八十島之《ヤソシマノ》、 八十は彌十といふのみ、
 
島之埼邪伎《シマノサキサキ》、安利立有《アリタテル》、 古へ今在なり、
 
花橘乎《ハナタチバナヲ》、末枝爾《ホツエニ》、 四言、
 
毛知引懸《モチヒキカケ》、 六言、毛知は黐なり、(卷九)母智騰利乃、可々良波志母與、神樂歌に、美那止太爾、久々比也門乎利、也都奈賀良、止呂知奈也、云云も、とるもちなやなり、
 
仲枝爾《ナカツエニ》、伊加流我懸《イカルガカケ》、 推古天皇紀に、以加留我の宮の事を斑鳩とかき、和名抄に、鵤(伊加流加、)兼名苑云、斑鳩觜大足短者也、とあり、
 
下枝爾《シヅエニ》、 四言、
 
此米乎懸《シメヲカケ》、 和名抄に、鵑(之女)小青鳥なり、この二つは枝にかけ置て媒鳥《ヲドリ》とす、
 
巳之母乎《ナガハヽヲ》、取久乎不知《トラクヲシラズ》、已之父乎《ナガチヽヲ》、取久乎思良爾《トラクヲシラニ》、 をどりが母父をとるをもしらず、遊びおるといへり、○とるを延てとらくといひ、あそびを延てあそばひといふ皆おなじ、
 
阿蘇婆比座與《アソバヒヲルヨ》、 あを今本には伊に誤れり、仍て改つ、此歌は崇神天皇紀に、やまとの和珥坂にて神女のうたへる歌に、「みまき入彦はや、おのがを、食《ヲシ》せむと、ぬすまくしらに、ひめ那素寐殊望《ナソビスモ》、」といへると、譬たる意ひとしくて、且ひめのあそびを約ていへるも、此あそばひもひとしきをもて、あを伊に誤りしをおもへ、【天皇の御國を、埴安彦の食國とせむと謀るを知まさで、姫遊しておはすといふなり、】
 
伊加流我等此米登《イカルガトシメト》、」 これは右に引たる紀の歌と、ひとしきたとへ歌なり、【或人伊は發言、そばひはたはれなりといへど、そばへとこそいへ、そばひといふ事なし、又磯這といふも、こは枝にかけたれば、磯はよしなし、右に引たる紀のうたをも句を誤ひが説多し、】さて思ふに、近江の海をしもいへれば、大友(ノ)皇子皇太子をしりぞけ奉つらむはかりごとの有ときのたとへごとか、これより前に、有馬皇子蘇我入鹿などの謀らも、少なからねど、古へ人はよその地を設出てよめる事をせざればなり、
 
3240 王《オホキミノ》、命恐《ミコトカシコミ》、雖見不飽《ミレドアカヌ》、楢山越而《ナラヤマコエテ》、 京離るを惜むこと直ならず、
 
眞木積《マキツメル》、 (卷四)「宮|材《キ》引、いづみのそまに、立民の、息時もなく、戀渡(ル)かも、」とよめれば、そのそま木、此川べにつみて常有べし、
 
泉河乃《イヅミノカハノ》、速瀬《ハヤキセヲ》、竿刺渡《サヲサシワタシ》、千速振《チハヤブル》、 冠辭、
 
氏渡乃《ウヂノワタリノ》、多宜都瀬乎《タギツセヲ》、 今本宜を企にあやまれり、たぎのきは集中濁音の字のみなり、
 
見乍渡而《ミツヽワタリテ》、近江道乃《アフミヂノ》、相坂山丹《アフサカヤマニ》、手向爲《タムケシテ》、吾越往者《ワガコエユケバ》、樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
志我能韓崎《シガノカラサキ》、幸有者《サキカラバ》、又反見《マタカヘリミム》、 此言常さまの旅ならず、
 
道前《ミチノサキ》、八十阿毎《ヤソクマゴトニ》、嗟乍《ナゲキツヽ》、吾過從者《ワガスギユケバ》、彌遠丹《イヤトホニ》、里離來奴《サトサカリキヌ》、彌高二《イヤタカニ》、山文越來奴《ヤマモコエキヌ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
鞘從拔出而《サヤユヌケデテ》、伊香胡山《イカゴヤマ》、 和名抄に、伊香郡伊香郷あり、○上三句は、行ふる所の名をもて句中の序とす、
 
如何吾將爲《イカヾワガセム》、往邊不知而《ユクヘシラズテ》、 【こは奈良人の歌にて、古言をかりし跡見ゆ、たゞ劔刀てふより下ぞ、吾ものと聞ゆ、】
 
 反 歌
3241 天地乎《アメツチヲ》、 即神を申、
 
歎乞祷《ナゲキコヒノミ》、 今本歎を難に誤て、こひねぎかたし、と訓しは、歌をしらぬものゝわざぞ、今は命の長からむ願せんといふなり、
 
幸有者《サキカラバ》、又反見《マタカヘリミム》、思我能韓埼《シガノカラサキ》、」 或説に公の罪有身なれば、神に祈がたしと云、といへるは、からぶりの理屈なり、我古書にさる心もていふは一つもかなはず、下に言擧せぬ國と云は愁なければなり、愁の有時は理不理をいはず祈るこそ眞なれ、思ひかへして義を作るは、古代の道にあらず、
 今本に此短歌者、或書云、穗積朝臣老、配2於佐渡1之時作歌者也、と注せり、此流を、養老六年の紀に正月と見えて、短歌のみかは、長歌も同時同人のふりなり、然るを短歌のみ老が歌とせしは、彼も長歌は傳へ聞ざりしか、此集も遠からぬほどながら、歌主の聞えねば此卷に入られしか、
 
3242 百詩年《モヽシネ》、 冠辭、
 
三野之國之《ミヌノクニノ》、 六言、
 
高北之《タカギタノ》、八十一憐之宮爾《クヽリノミヤニ》、 景行天皇紀に、四年二月幸2美濃國(ニ)1、左右奏言之、茲(ノ)國有2佳《ウマ》人1、曰2弟媛1、容姿端正、八坂入彦皇子之女也、(崇神の七のみこ、)天皇欲(シテ)2得爲1v妃《ミメ》幸2弟媛之家1、弟媛聞(テ)2乘輿車駕《スベラギイデマシヲ》1、則隱2竹林《タケハラニ》1、於是天皇|權《ハカリテ》v令(セムト)2弟媛(ヲ)至1而|居《マス》2泳宮1、(泳宮此云(フ)2區玖利能彌椰1、)とあり、くゝりは清濁定めがたけれど、暫右の紀によるべし、
 
日向爾《ヒムガシニ》、 東になり、
 
行紫闕矣《イデマシノミヤヲ》、 【いでましの宮を離宮、かり宮を行宮、と分てよみ書は、藤原奈良の比のわざなるべし、古を思ふにともに幸の度なれば、こゝなどはいでましの宮とよむべきなり、】
 
有登聞而《アリトキヽテ》、 今本紫を靡に誤事、且ゆきなびかくをと訓、又強たる説もあれど、皆何の事とも聞えず、是を紫とすれば行宮なり、二月に幸て十一月までおはしつれば、宮は一のみにあるべからす、泳宮のひがしにまたもつくられつらん、
 
吾通道之《ワガカヨヒヂノ》、 云云有と聞て通ふといふは、相聞なれど、右の遠々にあふみの妹がり行けん歌も次のも、反歌の意妹を戀ときこゆれど、それにはかゝはらず、ともに遠きみちを經通ふことを、專らとよめるに依て、くさ/”\の歌中の旅に類して載しなり、さて古は皇子を諸國へ封《ヨザシ》たまへば、これも女王などの坐をこひてかよふならん、
 
奥十山《オキソヤマ》、三野之山《ミヌノヤマ》、 元慶元年(ノ)紀に、美濃國惠奈(ノ)郡(ノ)内(ニ)吉蘇小吉蘇二村を信濃國へつけられしと見ゆ、されどそはいと後なり、こは上つ代にて、美濃に在於吉曾山なれば、かくはよめり、さて奥は於幾のかな故にかりて書り、然は小吉曾にはあらず、大吉曾を略て於吉曾といふをしるべし、【神名式に、近江の蒲生郡に、奥石神社有て、今おいその森といへり、是美濃の隣は其奥石山を過、美濃の山を越時よめりともいふべけれど、今土人いはく伏見太田てふ驛の南三里ばかりに、久々里村ありて、古の跡今もあり、是は岐府よりは八里ばかり東美濃にて信濃へ近しと、しかれば奥磯は後の信濃の地なるにうたがひなし、】
 
靡得《ナビケト》、 四言、
 
人雖蹈《ヒトハフメドモ》、如此依等《カクヨレト》、人雖衝《ヒトハツケドモ》、無意山之《コヽロナキヤマノ》、奥磯山《オキソヤマ》、三野之山《ミヌノヤマ》、」 雖v衝の下に五言はなくて、八言十言と句をおけり、しかれば、後世人のいふは、手づゝに心拙きをしるべし、さて小治田宮よりもはやき世の歌か、言の置ざまより始めて、すべて皆心たけたるものなり、此前後の奈良人の歌の弱く拙きにむかへて、古のめでたきを思ふべししたふべし、
 
3243 處女等之《ヲトメラガ》、麻笥垂有《ヲケニタレタル》、 笥の内へうみたれて有なり、
 
續麻成《ウミヲナス》、 長といはん序、
 
長門之浦丹《ナガトノウラニ》、 (卷十)新羅使人安藝國長門島(ニ)船|泊《ハテヽ》云云、次に從2長門(ノ)浦1船出之夜《フナデスルヨ》、と云れば、あきの國に在なり、【長門國をいふにはあらじ、いせの海木の海といへど、浦とはいはぬが如し、】○阿胡(ノ)海は攝津にもあれど、攝津に船はてんをば悦べきに、反歌の意しからねば、こは備後備前の國などに、同名あるなるべし、
 
朝奈祇爾《アサナギニ》、滿來鹽之《ミチクルシホノ》、夕奈祇爾《ユフナギニ》、依來波乃《ヨリクルナミノ》、彼鹽乃《ソノシホノ》、 今本彼を波に誤、
 
伊夜益舛二《イヤマスマスニ》、彼浪乃《ソノナミノ》、伊夜敷布爾《イヤシクシクニ》、吾妹子爾《ワギモコニ》、戀乍來者《コヒツヽクレバ》、 西の國の任はてゝ今のぼるなるべし、
 
阿胡之海之《アコノウミノ》、 右に云り、
 
荒磯之於丹《アリソノウヘニ》、濱菜採《ハマナツミ》、 海菜なり、
 
海部處女等之《アマヲトメラガ》、 之の字を補へり、短句有べき歌ならねぱなり、
 
纓有《ウナガケル》、 頸《ウナヂ》にかけたるひれと云なり、神代紀に、嬰頸之瓊《ミウナガケルニ》、紀に、宇那賀氣理弖、至v今鎭坐也、(卷十八)にも、(七夕の長歌、)うながけりゐて、と云は、或は玉或は男女の神の御手或は領巾など異なれど、頸に懸るは均し、
 
領巾文光蟹《ヒレモテルカニ》、 照ばかりにといふなり、
 
手二卷流《テニマケル》、玉毛湯良羅爾《タマモユラヽニ》、 ゆらゝはうごき鳴をいふ、別記有、
 
白栲乃《シロタヘノ》、 冠辭、
 
袖振所見津《ゾデフルミエツ》、 古へ領巾も袖も振と集中に見ゆ、しかれども、此歌上に領巾を出しながら、そでふるとあるはいかがあらん、
 
相思羅霜《アヒモフラシモ》、 (卷十五)笠金村(長歌)「松帆の浦に、朝なぎに、玉も刈つゝ、夕なぎに藻鹽やきつゝ、あまをとめ、ありとはきけど、見にゆかん、よしのなければ、丈夫の、心は無に、たわやめの、おもひたわみて、たもとほり、われはぞ戀る、ふねかぢをなみ、」とよめる海をとめとこゝも均しくて、鹽やくあまの藤衣てふ如き姿にこそあらめ、領巾も光、手玉もゆらゝといへるはいかに、又その金村も鹽やくさまを見まほしむまではあるべく、ますらをのこゝろを失ふまではいかにぞや、おもふに此歌主も金むらも、奈良の始めつ比の人にて、歌は拙く、且そら言ゆゑに、ともにかゝるうたがはしき言も出來しなるべし、いにしへ人のをさなくよめるは、眞の餘りにて、よく見れば理りにしてめでたく、此あはひを思ふべきなり、
 
 反 歌、
3244 阿胡乃海之《アゴノウミノ》、荒磯之上之《アリソノウヘノ》、小浪《サヾラナミ》、 如をこむ、
 
吾戀者《ワガコフラクハ》、息時毛無《ヤムトキモナシ》、」 吾戀とはうへにいへる吾妹子をいふなり、然は此阿胡は津の國のあごならぬ事、上の如し、
 
3245 天橋文《アマツハシモ》、 神代紀に、天孫天降ます條に、自2※[木+患]日二上《クシビノフタカミノ》天(ノ)浮橋1、立《タヽシ》2於|浮渚《ウキシマリ》在平處(ニ)1ともいへり、かゝれば天に上り下る橋も有よしにて、即その橋の長かれとねがへり、集中に天の川へ行て身滌《ミソギ》せましを、などいふ如く、切に思ふ餘りにていへり、今本にあまはしと訓はわろし、【或説(ニ)唐逸史に、開元中公遠てふ幻術者、杖をなげて昇v天橋とし、玄宗帝依て入2月中(ニ)1、霓裳の曲を得しといふを引けれど、開元は皇朝和銅の末なり、此歌は飛鳥宮の初の比の體にて、九代先の歌なり、みだりにからぶみを引ては人惑はしぞ、】
 
長雲鴨《ナガクモガモ》、 雲鴨は借字、
 
高山文高雲鴨《タカヤマモタカクモガモ》、 山も天に上るべきよすがなれば、彌高かれとねがへり、
 
月夜見乃《ツキ∃ミノ》、 月の神の御名を擧たり、此歌には心せしものか、
 
持越有水《モチコセルミヅヲ》、 も知古せるの知古の約は登なるを、多に轉ずればも多せると成ぬ、其もたせると云は、持ませるてふあがめ言なり、
 
伊取來而《イトリキテ》、 伊は發言、○是を取む爲に、右の願のことばはあり、
 
公奉而《キミニマタシテ》、越得之早物《コエントシハモ》、 (卷八)命《イノチノ》、幸久吉《サキクヒサシキ》、いはばしる、垂水の水を、むすびて呑つ、又老養ふ瀧ともいふ如く、極めたる清水を飲ば命延とするを、まして月のもちませる水をとり來るよしもがな、きみに奉は限りなき年を越玉はんものといふを籠て、こえむ年者とよめり、○早は假字なり、集中にはしきやしてふ言を、早敷夜之と書しが如し、【今本この早をはやと訓しは、人笑へなり、】○此公は本主をいふか、【本主とは私の主をいふ、】凡物を乞祈ことの深きが餘りには、をさなく及びなき事までもねがふぞ、眞の心の至りなり、故に神もめでませり、後世人は中々なる理をいひ、そら言に千代萬代もて人をいはふとは、天地のたがひなり、此うたたゞ九句の間に、窮なきこゝろのこもれるは、直くねがふ心をいへばなり、且古人の心のたけたるをも思へ、【後世人は巧みいへるをめづれど、そは限有てめでたからず、たゞ眞ことより出たるにこそ、そのいへる人もしらぬめでたさはあるめれ、】
 
 反歌、 反歌有をもて思へば崗本宮より前の歌にはあらじ、次の沼名河の歌は今少し古し、反歌もなし、
 
3246 天有哉《アメナルヤ》、月日如《ツキヒノゴトク》、吾思有《ワガモヘル》、公之日異《キミガヒニケニ》、 こは日々に殊爾なり、故に下に殊の字をも書つ、言は古登の約古なるを轉じて氣といへり、さて下に日に異に、と書し如く有べきを、日異と書は爾を略けるなり、
 
老落惜毛《オユラクヲシモ》、」 おゆるの事を延てらくといふ、
 
3247 沼名河之《ヌナカハノ》、底奈流玉《ソコナルタマ》、 六言、この沼をぬまの事とせば、玉によしなし、沼は瓊《ヌ》にて玉ある故に、瓊之《ヌナ》川の名は負つらん、
 
求而《モトメテ》、 四言、
 
得之玉可毛《エテシタマカモ》、拾而《ヒロヒテ》、 四言、
 
得之玉可毛《エテシタマカモ》、 得がたきを得たるをいふ、
 
安多良思吉君之《アタラシキキミガ》、 八言、あたらは惜むことなり、紀にあたらすがしめともよめり、
 
老落惜毛《オユラクヲシモ》、 たとへのさまも言も、上つ代ぶりなる事、右の歌に均しく、事大らかにして心したし、〇ぬな川は、天皇の諡に、神渟名川耳天皇、神渟名倉太玉敷天皇、天渟名原|瀛《オキノ》眞人天皇と申すに、天津渟名倉之長|峡《ヲ》、といふ事神功皇后紀に在もて思へば、攝津國住吉郡なり、今も是をいふならん、
 
 相聞。
3248 式島之《シキシマノ》、 冠辭、【式は借字、磯城の郡の、磯城みづがき磯城島金刺の二みやこより云、】
 
山跡之土丹《ヤマトノクニヽ》、人多《ヒトサハニ》、滿而雖有《ミチテアレド》、 大和に都しましゝ時おもひはかるべし、
 
藤浪乃《フヂナミノ》、 冠辭、
 
思纏《オモヒマツハシ》、 藤なみとは、靡きしなふ花の形をいひたれど、本はかづらなるによりて、人に心をかけまつはひにたとへたり、
 
若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
思就西《オモヒツキニシ》、君自二《キミカラニ》、 からは、よりにもゆゑにも轉じ通はせり、別記あり、
 
戀八將明《コヒヤアカサム》、長此夜《ナガキコノヨヲ》、 こともなかれど、奈良まではくだらぬ歌なり、
 
 反 歌、
3249 式島乃《シキシマノ》、 冠辭、
 
山跡乃土丹《ヤマトノクニヽ》、人二《ヒトフタリ》、有年念者《アリトシモハヾ》、 年は惜字、
 
難可將嗟《ナニカナゲカム》、」
 
3250 蜻島《アキツシマ》、倭之國者《ヤマトノクニハ》、 既出、
 
神柄跡《カンカラト》、 左に引人麻呂歌集に、同言を神在隨と書しに依に、こは神ながらといふに同じくて、いづこはあれど、天皇の敷坐大知の國は、幸ひたまふ神たちのいますまゝにといふなり、その人まろ集にもいふべし、
 
言擧不爲國《コトアゲセヌクニ》、 人の心足ひてねぎ言せぬなり、
 
雖然《シカレドモ》、吾者事上爲《ワレハコトアゲス》、 事は言なり、
 
天地之《アメツチノ》、神毛甚《カミモハナハダ》、吾念《ワガオモフ》、心不知哉《コヽロシラズヤ》、 思の切なる時は、神をも恨み申すは人の情なれど、(卷九)「日月は、あかしといへど、吾ためは、照や給はぬ、」などの如くこそいはめ、且甚てふ言もよく居ざるなり、上の五六句は古言を用て、次にわが意もていふ境に至て、よくもいひ合せざりしなり、奈良に及びてはしか有こと上にもいへり、
 
往影乃《ユクカゲノ》、月文經往者《ツキモヘユケバ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
日文累《ヒヲモカサネテ》、念戸鴨《オモヘカモ》、※[匈/月]不安《ムネヤスカラズ》、戀列鴨《コフレカモ》、心痛《コヽロノイタキ》、 おもへばかこふればか、といふを、はを略は例なり、
 
未遂爾《スエツヒニ》、君丹不會者《キミニアハズハ》、吾命乃《ワギノチノ》、生極《イケラムキハミ》、戀乍文《コヒツヽモ》、吾者將度《ワレハワタラン》、犬馬鑑《マソカヾミ》 此言に、下に喚犬追馬と有こそ、古人の戯書にて理り聞えたれ、それを受て犬馬とのみ書は、末の世人のわざのみ、
 
正目君乎《タヾメニキミヲ》、 直目と書ぞ多き、○此所に五言一句なきは、既にいふ如古歌の例なり、かゝる女歌にしもしか有は、うたふによし有しなるべし、
 
相見天者社《アヒミテバコソ》、 天者は、てあらばを約め轉じたり、
 
吾戀八鬼目《ワガコヒヤマメ》、 是より上二句の意、よくもゐず聞ゆるは、右の吾者將度を、わたらんやと意得べきか、さる略は例有ことなり、【こは女の歌なれば、本は皆假字に書しならんを、後にかくしたゝかなる書ざまになせし物なり、】
 
 反 歌、
3251 大舟能《オホブネノ》、 冠辭、
 
思馮《オモヒタノメル》、君故爾《キミユヱニ》、盡心者《ツクスコヽロハ》、惜雲梨《ヲシケクモナシ》、」 上に逢がたしといふ、中たへしなげきなるべし、然らずは、こゝに思たのめる君とはいはじ、
 
3252 △久賢之《ヒサカタノ》、 冠辭、
 
 王都乎置而《ミヤコヲオキテ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
 羈往君乎《タビユクキミヲ》、何時可將待《イツトカマタム》、 この歌も右の反歌に並て今本にはあれど、必こゝに入べき歌ならず、いかに亂れて入來つらむ、
 
 △柿本朝臣人麻呂(ガ)歌集(ノ)歌、
 
3253 葦原《アシハラノ》、水穗國者《ミヅホノクニハ》、神在隨《カンナガラ》、 神の在《イマス》まゝにてふ意をしらせて、在の字を添たり、(卷二)に「さぬきの國は、國柄加《クニカラカ》、見れどもあかず、神柄加、こゝた貴き、」と人麻呂のよめるも是なり、然れば此神在隨もかみがらととも訓べけれど、ながらと訓もこゝろ同ければしかよめり、
 
 事擧不爲國《コトアゲセヌクニ》、雖然《シカレドモ》、辭擧叙吾爲《コトアゲゾワガスル》、 右に此六句を全とりつ、
 
 言幸《コトサキク》、 反歌に、事靈之、所佐國叙、とよめる即これにて、言擧する時は、其言に神の御靈坐て幸をなし給へり、
 
 眞福座跡《マサキクマセト》、 句なり、
 
 恙無《ツヽミナク》、 事無といはんが如し、
 
 福座者《サキクイマセバ》、荒磯浪《アリソナミ》、 冠辭、
 
 有毛見登《アリテモミムト》、 老人をことぶくならん、有てもはありながらへて、久々に見んと云なり、
 
 百重波《モヽヘナミ》、千重浪敷爾《チヘナミシキニ》、 重々に言擧するを、しき波にたとふ、
 
 言上爲吾《コトアゲスルワレ》、 古へ歌はかくこそ妙なれ、且上のほき歌と同じ比の歌と聞ゆ、
 
  反 歌、
3254 志貴島《シキシマノ》、 倭國者、事靈之《コトダマノ》、 事は言、靈は神御魂なり、
 
 所佐《タスクル》國叙、眞福在乞曾《マサキクアリコソ》、」 かく神の幸給ふ言擧して祈るからは、眞幸くて命長く在ねこそといふなり、こその辭二有、こゝは願ふ辭なり、然るに今本乞曾を與具と見て、與具と書るは誤れり、よしは別記にいふ、
 
3255 ○從古《イニシヘユ》、言續來口《イヒツギケラク》、戀爲者《コヒスレバ》、不安物登《ヤスカラヌモノト》、玉緒之《タマノヲノ》、 冠辭
 
繼而者雖云《ツキテハイヘド》、 こゝを切て、末の人不知へかけて心得べし、
 
處女等之《ヲトメラガ》、 等は添ていふの、
 
心乎胡粉《コヽロヲシラニ》、 白土《シラニ》の言を不知《シラニ》に借たり、(卷一)に白土、(卷四)胡粉、この下に、白粉と書たる、皆しらにと訓ことなり、かくて其おとめが相思はんや、いなやをもしらず、徒に戀るこゝろうさをいへり、【土を古はにと云つ、又しらずといふ言をしらにといへり、故にその不知の言に白土の言をかりて書り、其胡粉も白粉も同白土をいふからは、共にしらにと訓べき事、誰かしらざらん、然るに今本胡粉をくたきと訓しは、餘りしきことぞ、しかいひてこゝの心も聞えんかは、○此緒を助辭とする人あれど、之の辭の下にいへば、助辭にあらず、物を緒して懸つなぐより出たることばなり、】
 
其將知《ソコシラム》、因之無者《ヨシノナケレバ》、 せん方無なり、
 
夏麻引《ナツソヒク》、 冠辭、
 
命號貯《ウナガブシマケ》、 此三字も同考にいへり、さて夏草のしなへうらぶれ、といふ如く、うなだれて物おもふさまなり、貯は常に設と云に同じくて借字なり、こゝはうなかぶしもてと、かろく心得べし、
 
借薦之《カリコモノ》、 冠辭、
 
心文小竹荷《コヽロモシヌニ》、 心のしなへうれへるなり、右はかたち、これは心をたとふ、
 
人不知《ヒトシレズ》、 こゝは戀る人にもしられぬをいふ、
 
本名曾戀流《モトナゾコフル》、 空しく戀るなり、
 
氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》、 (卷四)生緒爾、思へば苦し、(卷五)まそかゝみ、直《タヽ》目に君を、見てばこそ、命對、吾戀|止《ヤマ》め、などいふを合せ思ふに、命の生も死も此思ひに懸《カヽ》るてふ事を籠ていふ言なり、
 
 反 歌、
3256 數々丹《カズ/\ニ》、不思人者《オモハヌヒトハ》、雖有《アリトイヘド》、 こは世間の數々の人の中には、物おもはで在もありといへどゝいふなり、古今歌集に、「數々に吾を忘れぬ、ものならば、「數々に、思ひ思はず、問がたみ、などいふは、花がたみめならぶ人といふ如く、其男の思ふ人數々有なり、こゝは惣たる世人をいへり、
 
暫文吾者《シバラクモワレハ》、忘枝沼鴨《ワスラエヌカモ》、」 禮を延て良えといふ、 
3257  △正不來《タヽニコズ》、自此巨勢道柄《コユコセヂカラ》、石裾踏《イハセフミ》、 今本石椅跡と有は誤れり、下をもて改めつ、
 
 名積序吾來《ナヅミゾワガコシ》、戀天窮見《コヒテスベナミ》、」 今本此歌をこゝに並載て、其注に、或本以2此歌一首1、爲d之、紀伊國之、濱爾縁云、鰒球、拾爾登謂而、云云之反歌也u但依2古本1亦累載v茲、といへど、右の長歌はその人にもしられぬ戀にて、通ふほどにも至らぬなり、しかるに此歌をこゝに載しは、校合の拙きなり、下にも此類の多きは、みな自ら古歌を心得ぬなりけり、
 
3258 荒玉之《アラタマノ》、 冠辭、
 
年者來去而《トシハキユキテ》、玉梓之《タマヅサノ》、 冠辭、
 
使之不來者《ツカヒシコネバ》、 古今歌集に、「我またぬ、年は來ぬれど、冬草の、かれにし人は、音づれもせぬ、」と云り、
 
霞立《カスミタツ》、 冠辭、
 
長春日乎《ナガキハへルビヲ》、天地丹《アメツチニ》、思足椅《オモヒタラハシ》、 此下にも、八十乃心呼、天地二、念足橋、また天地二滿言戀鴨、とも有て、八十の思を思のこさぬをこゝにはいふ、
 
帶乳根※[竹/矢]《タラチネノ》、 冠辭、
 
母之養蚕之《ハヽガコフコノ》、眉隱《マユゴモリ》、 此三句は(卷五)にあり、かれは調ふるくて、且いぶせくも有るてふ序なるを、こゝはいぶせき意を以て、いきづきてふ序とせし後の歌なり、
 
氣衝渡《イキツキワタリ》、吾戀《ワガコフル》、心中乎《コヽロノウチヲ》、 【今本、心中|少《ヲ》とあれど、少を下に付てをと訓は、おぼつかなければ乎とす、】
 
人丹言《ヒトニイフ》、物西不有者《モノニシアラネバ》、松根《マツガネノ》、 冠辭、 
松《待ノ借字也》事遠《マツコトトホシ》、天傳《アマツタフ》、 冠辭、
 
日之闇者《ヒノクレヌレバ》、白木綿之《シロタヘノ》、 冠辭、木綿をたへとよむはまれなれど、例によるにこゝをゆふと訓ては、かなはず、
 
吾衣袖裳《ワガコロモデモ》、通手沾沼《トホリテヌレヌ》、 (卷二)にいへるごとく、下がさねまでぬれ通れるなり、○これは女のうたなり、
 
 反 歌、
3259 如是耳師《カクノミシ》、 しもの略、
 
相不思有者《アヒモハザラバ》、天雲之《アマグモノ》、外衣君者《ヨソニゾキミハ》、可有有來《アルベカリケル》、」 はじめより、大よそ人にてあらましを、中々にかけて苦しといふなり、
 
3260 小治田之《ヲハリタノ》、 宣長がいふ、續紀に、尾張國山田郡、小治田(ノ)連藥等(ニ)賜2姓尾張宿禰(ト)1と有、思ふに山田愛市二郡は隣なれば、小治田のあゆちともいふべし、と仍て今本沼と有を治の誤とす、【郡々の堺古へは異有、後の和名抄などを以ていふべからず、】
 
年魚道之水乎《アユチノミヅヲ》、 こゝにことなる冷水の有つらん、
 
間無曾《ヒマナクゾ》、人者※[手偏+邑]云《ヒトハクムトフ》、時自久曾《トキジクゾ》、人者飲云《ヒトハノムトフ》、 こゝまでは序、
 
※[手偏+邑]人之《クムヒトノ》、無間之如《ヒマナキガゴト》、飲人之《ノムヒトノ》、不時之如《トキジキガゴト》、吾妹子爾《ワギモコニ》、吾戀良久波《ワガコフラクハ》、已時毛無《ヤムトキモナシ》、」 調のさま、崗本(ノ)宮はじめつごろにて、反歌なきなるべし、且この體の歌集中に少なからぬは、これらや始なりけん、
 
3261  △思遣、爲便乃田付毛、今者無、於君不相而、年之歴去者、 今本此歌を此反歌に擧たれども、必右の反歌にあらず、且こは(卷五)に、たゞ短うたにて載たり、次の歌をこゝに反歌とせし本も有といへば、右の反歌は本よりなかりしこと明らけし、されど又次なるも、此反歌にあらぬをおもへば、こゝに別の長歌有しが落て、左の短歌のみ殘れる歟、
 
3262  △※[木+若]垣《ミヅガキノ》、 冠辭、
 
 久時從《ヒサシキトキユ》、 【みつの言に※[木+若]字を書しを以ても、みづ/\てふ言をしるべし、○みづ垣の久きてふ言は、冠辭考に出、】
 
 戀爲者《コヒスレバ》、吾帶緩《ワガオビユルム》、朝夕毎《アサヨヒゴトニ》、 今本この歌を或本のうたとて、こゝに注しつれど、いよゝ右の反歌ならず、此所の亂し事しるべし、
 
3263 己母理久乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬之河之《ハツセノカハノ》、上瀬爾伊※[木+兀]乎打《カミツセニイグヒヲウチ》、下湍爾《シモツセニ》、眞※[木+兀]乎格《マグヒヲウチ》、 伊も具も發言、
 
伊※[木+兀]爾波《イグヒニハ》、鑑乎懸《カヾミヲカケ》、眞※[木+兀]爾《マグヒニハ》、眞玉乎懸《マタマヲカケ》、 是までは序なり、【是は御食つ物をも付べけれど、歌にはかゞみ玉のみをあげるならん、】かくて此川瀬にかくするは、上つ代に神祭式は天皇の幸有ときなど、さる事常有をもて、序にいひ給へるなるべし、記(垂仁)ほむぢ別の命出霊大神へ詣給ひし時、出雲國造之祖、云云餝(テ)2青葉山(ヲ)1而立(テ)2河下(ニ)1將v献(ニ)2大御|食《ケ》1、云云といへる如く、古へこの磯城(ノ)郡に都し給ふ時をおもひはかるべし、○※[木+兀]は打といひしかば、今いふ※[木+兀]とのみ思ふは古にくらし、記の倭建(ノ)命の御歌に、阿米能迦具夜麻、斗迦麻邇、佐和多流久※[田+比]比波、煩曾多和夜賀比那遠、てふ久※[田+比]は若木の事にて、串ともいへり、神名に、つぬ※[木+兀]《グヒ》生《イク》ぐひと申も此事と聞え、五百箇眞阪樹之八十玉籤ともいひ、上に五十串立などいふも、葉茂き若木の事なるを合せて知めり、此久※[田+比]のひは本濁る歟、いのごとく唱るも半濁なり、【久※[田+比]比の比は、生《イヒ》のはぶきなり、】
 
眞珠奈須《マダマナス》、我念妹毛《ワガモフイモモ》、鑑成《カヾミナス》、我念妹毛《ワガモフイモモ》、有跡謂者社《アリトイハヾコソ》、國邇毛《クニニモ》、 四言、
 
爾毛由可米《イヘニモユカメ》、誰故可將行《タレユヱカユカム》、 此歌は紀に有て、(允恭の條)輕皇太子《カルノヒツギノミコ》、御はらからなる輕(ノ)大郎女(ノ)皇女と※[(女/女)+干]給に依て、伊與國へ流し奉しを、其御妹も慕おはしつ、然れば國にも家にもゆかしき事なしとて、共に御みづから身まがり給はんとして、よみ給ひし御歌なり、かゝれば、(卷二)に、有馬(ノ)皇子の御歌を挽歌に入し如く、是も挽歌にや入べからん、そは必ともいひがたし、たゞ既に紀に載しは、是には除かれしと見ゆるに、此一首のみ入しは、此所いと亂れしと見ゆれば、他書の言を引しが本文に紛しか、又古へかゝる事は、したゝかにもせねば、思ひ忘れて入られしか、後の撰集とて、言《コト》立ていへるにすらあやまてる多かれば、強ていふべからぬ事なりけり、
 
 △反歌、 今本にかく有は、いと後人のわざなり、古へ反歌なく、且左の歌右の反歌にあらず、みな後の好事のわざぞ、
 
3264 年渡《トシワタル》、麻弖爾毛人者《マテニモヒトハ》、有云乎《アリトフヲ》、何時之間曾《イツノヒマゾモ》、吾戀爾來《ワレコヒニケル》、 こは(卷四)相見而、幾久(ク)毛不有爾、如2年月1、所思可聞、などに似て、右の長歌の反歌なる意、いさゝかもなし、歌もしばらく後のすがたなり、【とかくに此所いと亂しを、よくも心得ぬ人の心もて、かく書なせしものぞ、】
 
 △或書反歌曰、
3265 世間乎《ヨノナカヲ》、倦跡思而《ウシトオモヒテ》、家出爲《イヘデセシ》、吾哉難二加《ワレヤナニニカ》、還而將成《カヘリテナラン》、」 こは後の物語めきて女の歌なり、長歌は男の歌なるを見しらぬほどの人の、こゝに載しにて、且歌もいと後なればとらず、いづこよりぞ來つらん、【うしとて家出するは女なり、又男も僧と成をば家出といへど、さらば相聞にあらず、】
 
3266 春去者《ハルサレバ》、花咲乎呼里《ハナサキヲヽリ》、 上の別記に云、
 
秋付者《アキヅケバ》、丹之穗爾黄色《ニノホニモミヂ》、 今本きばむと訓は、歌ことばともなし、
 
味酒乎《ウマサケヲ》、 冠辭、
 
神名火山之《カミナビヤマノ》、帶丹爲留《オビニセル》、明日香之河乃《アスカノカハノ》、 此句ども上にも有、】
 
速瀬爾《ハヤキセニ》、生玉藻之《オフルタマモノ》、打靡《ウチナビキ》、情者因而《コヽロハヨリテ》、朝露之《アサツユノ》、消者可消《ケナバケヌベク》、戀久毛《コフラクモ》、知久毛相《シルクモアヘル》、 戀ししるし有てと云なり、
 
隱都麻鴨《コモリヅマカモ》、 こゝには親の守りこめておく女をいふ、此歌いと弱くして古歌なる意もなし、
 
 反 歌、
3267 明日香河《アスカガハ》 瀬湍之珠藻之《セゼノタマモノ》、打靡《ウチナビキ》、 上は序、
 
情者妹爾《コヽロハイモニ》、因來鴨《ヨリニケルカモ》」 上に、「秋の田の、穗むけのよれる、片よりに、」とよめるに心はひとしくて、こゝはかよわし、
 
3268 三諸之《ミモロノ》、 四言、
 
神奈備山從《カミナビヤマユ》、登能陰《トノクモリ》、 とのぐもりは、たなぐもりに同じ、音通へり、かくて雲霞のたな引といふは、今もいふ如く、板を擧たる棚の如きよしなるを、たな曇雨ふるなどもいふは、其棚引を雲の言として、天に滿たるをいふは轉し用るなり、【神代紀に、薄靡を多那毘伎、と訓も此意なり、】
 
雨者落來奴《アメハフリキヌ》、雨霧相《アマギラヒ》、 あま具毛里安比の、具毛の約|其《ゴ》なるを伎に轉じ、里安の約は良なれば良比といへり、打きらし天ぎらしなどいふも皆均し、
 
風左倍吹奴《カゼサヘフキヌ》、 さへはそふ事をいふ、
 
大口乃《オホクチノ》、 冠辭、
 
眞神之原從《マガミノハラユ》、 今此地を見るに、飛鳥の崗より西北の五條野といふにあたり、古の眞神の原なり、かくて男はその原の彼方へかへるを、女は崗本の宮所に在ておもふならん、
 
哭管《ネナキツヽ》、 別をなげくなり、今本思と有は理なければ哭とす、
 
還爾之人《カヘリニシヒト》、 爾は伊爾の略、
 
家爾到伎也《イヘニイタリキヤ》、 伎は計理の約、〇こは崗本宮の始つ頃の女の歌にて言もかざらず、おもふこゝろをまことにいへるこそめでたけれ、後の人はなき手を出して強ことするからに、言とゝのはず、心もめでたしと聞るはなし、いにしへに心ばかりも返さばや、
 
 反 歌、
3269 還爾之《カヘリニシ》、人乎念等《ヒトヲオモフト》、野干玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
彼夜者吾毛《ソノヨハワレモ》、宿毛寢金手寸《イモネカネテキ》、」 かね多利氣利といふを、多利の約の知を弖に轉じ、氣利の約は寸《キ》なれば、かくいへり、○反歌てふ物はかくこそあれ、是を以ても右の反歌の其反歌ならぬ事をしれ、
 
3270 刺所燒《サスタケル》、 こは小竹を燒てふ意にて、小竹を燒は山方の賤屋のさまなれば、さる賤屋をいはん爲に先いふなり、かくて小竹を佐須と云は、佐は阿佐の略、須は志奴の約にて淺篠てふ事なり、是を直に佐々の事とする人もあれど、此言下にも皆佐須とのみいへるは右の意なればなり、古言はかく委しきものにぞ有ける、【刺竹之君てふ冠辭の考をも、此度こゝの如くあらたむ、】〇今本に將燒と有は理なし、所を誤れるしるければ改つ、
 
少屋之四豆屋爾《コヤノシヅヤニ》、 下に、八重むぐら、おほへる小屋、ともいひたり、今本に是を四|忌《キ》屋と有は、例もなく理もなければ、忌《キ》は豆《ヅ》の誤とす、下の言もかくてこそ聞ゆれ、
 
掻將棄《カキステム》、 掻は辭、すてんは凡の人は捨べきほどのやれごもなり、(卷九)「富《トミ》人の、家の子どもの着《キ》る身なみ、くたし捨らん、きぬ綿らはも、」といふがごとし、
 
破薦乎敷而《ヤレゴモヲシキテ》、所掻將折《カヽリヲラム》、 折は借字にて將居なり、(卷六)「稻つけば、可加流我手乎、こよひもか、とのゝ若子《ワクゴ》が、とりてなげかん、」和名抄に※[皮+單](阿加々利)手足乃折裂《サクル》也、などこれなり、
 
鬼之四豆手乎《シコノシヅテヲ》、 鬼は醜に同じ、上に鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》とも云つ、今本おにと訓しは、我國におにてふ言、古へなかりしをもおもはぬ人のわざぞ、【神代紀に、鬼神と書しはから文體なり、仍て訓はかみとのみいへり、和名抄に隱字の音とするはよし、今京となりては、我國の言のごとく思ふなるべし、)○今本四忌手、と有も忌は豆なること右にいへるが如し、
 
指易而《サシカヘテ》、 記に、玉手さしかへ、又妹が手を、我にまかしめ、吾手をば妹にまかしめ云云、
 
將宿君故《ネナムキミユヱ》、 ねなん事を欲《ホシ》みて、吾戀る君故と云なり、
 
赤根刺《アカネサス》、 冠辭、
 
晝者終爾《ヒルハシミラニ》、 此下に日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》、と有をもて訓り、さて言はひるはそのまゝてふ事なり、終の字は意をもて書のみ、
 
野干玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》、 夜はさながらなり、しみらもすがらも、言の本を尋れば同言なるを、かくいふは言つらねに依てなり、此二言は語意にくはしくす、
 
此床乃《コノトコノ》、比師跡鳴左右《ヒシトナルマデ》、 (卷五)枕毛衣世二、嘆鶴鴨、(卷二十、防人の情を、)「負征箭《オヒソヤ》の、そよとなるまで、なげきつるかも、」などいひて、なげきの甚きをいふ、古今歌集に、「つれもなき、人を戀ふとて、山彦の、こたへするまで、歎きつる哉、」とよめるが如く、右の枕箭床に云も、かの山彦のたぐひなり、且床のひしと鳴と云は、大殿祭に、御床都比乃佐夜岐無、といふ如く、上つ代は床なども葛してゆひしかば、鳴さやくなり、こゝは賤屋の竹にてあみし床の、ひし/\と鳴やすきを思ひて、いへるにもあるべし、【物語ぶみに、ものゝ足音ひし/\とふみならし、かぜの音あらゝかに、蔀などひし/\と、などもいへり、】○こは君故にとあれば、女の歌なるに、したゝかにしこめきたる言どもなるは、古へよし有て女にかはりて男のよめるなるべし、右に引し、いねつけば、かゝるわが手を、てふも似たれど、そは東歌なれば、さる女歌もあるべし、
 
 反 歌
3271 我情《ワガコヽロ》、燒毛吾有《ヤクモワレナリ》、愛八師《ハシキヤシ》、君爾戀毛《キミニコフルモ》、我心柄《ワガコヽロカラ》、」 是も女歌ならず、
 
3272 打延而《ウチハヘテ》、思之小野者《オモヒシヲノハ》、不遠《トホカラズ》、其里人之《ソノサトビトノ》、標結等《シメユフト》、 若菜つまんとしめしに譬て小野といへり、かくて我は遠ければ、心にしめてのみ有を、間近き里人のしめいふと聞しより、おもひみだるゝことのしきりなるなり、
 
聞手師日從《キヽテシヒヨリ》、立良久乃《タツラクノ》、田付毛不知《タヅキモシラズ》、居久乃《ヲラクノ》、 四言、
 
於久鴨不知《オクカモシラズ》、 たづきおくかの二言、上の別記にも冠辭考にも出、
 
親々《オヤ/\ノ》、 先つ祖々より傳來し家をいふ、
 
己之家尚乎《サガイヘスラヲ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
寄宿之如久《タビネノゴトク》、思空《オモフソラ》、不安物乎《ヤスカラヌモノヲ》、嗟空《ナゲクソラ》、過之不得物乎《スグシエヌモノヲ》、 此空は方といはんが如し、【方角は四角八角なり、是をすべて空といふ、】今の人立空もなく、居るそらもおぼえずと云を、たつ方角もなく居方角もなくといふは、其空の言の意を、つね言にいつとなく字音もていへるなり、
 
天雲之《アマクモノ》、 冠辭、
 
行々莫々《ユクラユクラニ》、 今本、行莫々と書て、ゆかまく/\とよみしは、何の事ともなし、是は行々莫々と有し行字の重點の落たるも、かくて莫は暮に同じければ、久良の言に借しにて、ゆくらゆくらと訓ことぞ、そのゆくらゆくらは、心のゆら/\と動きて物おもふ時のこゝろをいふ、
 
蘆垣乃《アシガキノ》、 冠辭、
 
思亂而《オモヒミダレテ》、亂麻乃《ミダレヲノ》、麻笥乎無登《ヲゲヲナミト》、 六言、みだり紵納る笥のなきに譬へて、思ひの亂れをおさめんかた無をいふ、
 
吾戀流《ワガコフル》、千重乃一重母《チヘノヒトヘモ》、人不令知《ヒトシレズ》、本名也戀牟《モトナヤコヒム》、 思ふ人にもしられず空き思ひを爲なり、
 
氣之緒爾爲而《イキノヲニシテ》、 末の句ども上にも出たり、こは奈良人のいかでとふるまひてよめれば、古へのまことより出しには、くらべぐるし、
 
 反 歌
3273 二無《フタツナキ》、戀乎思爲者《コヒヲシスレバ》、 ひと道に入立てなげけり、 
常帶乎《ツネノオビヲ》、三重可結《ミヘニユフベク》、我身者成《ワガミハナリヌ》、」 此事集中に多し、
 
3274  △爲須部乃《センスベノ》、田付呼不知《タツキヲシラニ》、石根乃《イハガネノ》、興凝數道乎《コヾシキミチヲ》、石床※[竹/矢]《イハドコノ》、根延門呼《ネハヘルカドヲ》、朝庭《アシタニハ》、出屋而嘆《イデヰテナゲキ》、夕庭《ユフベニハ》、入居而思《イリヰテシヌビ》、 今本、右の十句と左の十三句を一首になして、この相聞に載、また下の挽歌の、白雲之、棚曳國之、云云といふうたの末の句として、此十句も十三句も再出たり、これを考るに右の十句は、其挽歌に入べく、左の十三句は挽歌のなげきにあらず、相聞のおもひなり、仍て右十句はこゝには小字に注して、此ことわりを明す爲とのみし、左十三句は上句ども落失たれど、こゝの本文として、全き本を待までのしるしとするなり、これより下は、いと亂れしと見えて、或は二首の言の闕たるを合せて、一首の如くかき、或はかたへ闕たるに他の言を繼しなどもあり、【下の挽歌には、白栲より下四句はもれたれど、句の數はこゝを以ていへり、】
 
白栲乃《シロタヘノ》、 冠辭、此十三句反歌かけてこゝに載べき事右にもいへり、また此上に句落たるものなり、
 
吾衣袖呼《ワガコロモデヲ》、折反《ヲリカヘシ》、獨之寢者《ヒトリシヌレバ》、野干玉《スバタマノ》、 冠辭、
 
黒髪布而《クロカミシキテ》、人寢《ヒトノヌル》 味眠不睡而《ウマイハネズテ》、大船乃《オホブネノ》、 冠辭、
 
徃良行羅二《ユクラユクラニ》、思乍《オモヒツヽ》、吾睡夜等呼《ワガヌルヨラヲ》、讀文《ヨミモ》、 今本續と有は誤れり、下に數と有をおもへ、
 
將敢鴨《アヘムカモ》、 よむは數るなり、あへんはよむにえ堪んかは、よみもあはせがたし、といふなり、平言に云云あふせずといふは、あはせずを同音の通へば、あふせずといはるるのみ、
 
 反 歌
3275 一眠《ヒトリヌル》、夜※[竹/弄]跡《ヨヒヲ∃マント》、雖思《オモヘドモ》、 今本、よをかぞへんとと訓しも、さる事なれど、同じ事を既よみもあへんかもといひしかば、こゝもしたがへり、よひとは一夜をすべてもいへる集中の例によりぬ、
 
戀茂二《コヒノシゲキニ》、情利文梨《コヽロトモナシ》、」 集中に、利《ト》心もなしとも、こゝの如く、こゝろ利もなしともよめり、心いきほひの無を云り、
 
3276 百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
山田道乎《ヤマダノミチヲ》、 山田は所の名なるべし、
 
浪雲乃《ナミグモノ》、冠辭、
 
愛妻跡《ウツクシヅマト》、不語《コトヽハズ》、 妹に言だにいふ事をえず、即わかれてかへるなるべし、
 
別之來者《ワカレシクレバ》、速川之《ハヤカハノ》、 冠辭、
 
往文不知《ユクカモシラズ》、衣袂※[竹/矢]《コロモデノ》、 冠辭、
 
反裳不知《カヘルモシラニ》、 思ひにほげしさまなり、
 
馬自物《ウマジモノ》、 冠辭
 
立而爪衝《タチテツマヅキ》、爲須部乃《センスベノ》、田付乎《タヅキヲ》、白粉《シラニ》、 上に云り、
 
物部乃《モノヽフノ》、 冠辭、
 
八十乃心乎《ヤソノコヽロヲ》、天地二《アメツチニ》、念足橋《オモヒタラハシ》、 今本こゝに、玉相者、君來益八跡、てふ二句あれど、そは女の男待こゝろ、此うたは男の女の元より歸る道にての歌なれば、此間に入べき言にあらず、左の歌のちり/\に成て、こゝに放入しなり、仍てこゝを除て下に入、
 
吾嗟《ワガナゲク》、八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》、 なげきは長息なり、その長きを彌十量《イヤソハカリ》といふを略轉して、也佐加といへり、【此集末の卷に、なげきてふ事くはしくあげたり、○やは彌の略、佐は曾と同音、加は波加里の里を略て波加といひ、又加とのみもいふ、下に例有、尺はかり字なり、】
 
玉桙乃《タマホコノ》、 冠辭、
 
道來人之《ミチクルヒトノ》、立留《タチトマリ》、何常問者《イカニトトハヾ》、 長息をあやしみて問なり、
 
答遣《コタヘヤル》、田付乎不知《タヅキヲシラニ》、」 是より末の句落、反歌も失たり、然るを左の歌は本の句どもの失て末のみあり、それと合て一首の如く書つらねしは、今本のひがわざなり、右は男の妹がもとより歸る時の歌、左は女の男を待歌にてあきらかに別なり、
 
玉相者《タマアハヾ》、君來益八跡《キミキマスヤト》、 此二句こゝに入るよし右にいへり、されども此句の上下に言多く落しものにて、次へつづかず、
 
散釣相《サニヅラフ》、 冠辭、
 
君名曰者《キミガナイハヾ》、色出《イロニデヽ》、人可知《ヒトシリヌベシ》、 此四句の上下、句多く落しなり、今に依て左の言は是につゞけども、猶左の五句の事は即左に云ことあり、
 
足日木能《アシビキノ》、山從出《ヤマヨリイヅル》、月待跡《ツキマツト》、人者云而《ヒトニハイヒテ》、君待吾乎《キミマツワレヲ》、 こは女の歌にて、男を待夜の長歌なるが、本の言落て末の纔に殘れるなり、そがうへに足日木能てふより下は、(卷五)に短歌一首にして載たり、こゝと彼と何れをとらんとする中に、こゝは右の如く亂落しものなれば、依がたく、且長歌の末の五句とも思はれぬさまにもあり、(卷五)には寄v月たる歌どもの始に載て、その集めのさまもしか有べく見ゆれば、彼にぞよるべき、されど猶正しき本を待なり、
 
 反 歌
3277 眠不睡《イヲモネズ》、吾思君者《ワガオモフキミハ》、何處邊乎《イヅコヘヲ》、今夜訪與可《コヨヒトフトカ》、 今本、今身誰與可、とあるは字の誤しるければ改めつ、また邊の下に乎の字なし、是も此所亂れて失しものしるければ補へり、
 
雖待不來《マテドキマサヌ》、」
 
3278 赤駒厩立《アカゴマノウマヤヲタテ》、 六言、
 
黒駒《クロゴマノ》、厩立而《ウマヤヲタテヽ》、 此下に金厩、立而飼駒、角厩、立而飼駒、ともよみたり、
 
彼乎飼《カヲカヒニ》、吾往如《ワガユクガゴト》、思妻《オモヒヅマ》、心乘而《コヽロニノリテ》、」 思妻の吾心に乘て他念なければ、厩の馬飼が如く通ふと云り、今本此左の二句を是に書つゞけしはひがわざなり、是は男の妹がり通ふ歌、左は女の忍び來る男を待にて、甚別なるを、上もこゝもものこゝろ得ぬ人の、今の如くはなせしものなり、古本に次の高山の言の上を少し闕て有は、さる心はしつれど、よくも思ひさだめざるなるべし、 
高山《タカヤマノ》、 此歌はかくても聞れど、猶序のうちの言二句ばかり落つらん、
 
峯之手折丹《ミネノタヲリニ》、 たをりはたわみなり、打たをり、たむの山といふに同じ、
 
射目立《イメタテヽ》、 冠辭、
 
十六待如《シヽマツガゴト》、 鹿待が如、
 
床敷而《トコシキテ》、 男と共寢すべき床を敷設て、
 
吾待公《ワガマツキミヲ》、犬莫吠行年《イヌナホエコソ》、 此行年は乞に借しにて、こそはこひねがふなり、右も是も古歌にてしかもよくよみたるを、言どもの落しはをしむべし、
 
 反 歌
3279 葦垣之《アシガキノ》、末掻別而《スヱカキワケテ》、君待跡《キミマツト》、 さいばりに、「あし垣まがきかきわけて、てふこすと誰かおやにまう讒しけらしも、」
 
人丹勿告《ヒトニナツゲソ》、事者棚知《コトハタナシリ》、」 犬すらも、わがかくまでふかく思ふ事を思ひためらひ知て、こゑなたてそと教るなり、此言は別記につぶさなり、情のせちなる時、かゝる事いふものにて、眞にあはれなりけり、
 
3280 妾背兒者《ワガセコハ》、雖待不來益《マテドキマサズ》、天原《アマノハラ》、振左氣見者《フリサケミレバ》、 或本ここの二句を、鴈音文、動而寒《ドヨミテサムシ》、とあれと、動而寒の言よく居ず、
 
黒玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜毛深去來《ヨモフケニケリ》、 冬の夜しも外に立て待ふかせることを、よろしくいひ得たる歌なり、
 
左夜深而《サヨフケテ》、 或本に而を跡と有はわろし、
 
荒風乃吹者《アラシノフケバ》、 しは風の古言にて、あらしの言は即此二字ぞ當れる、 
立待爾《タチマツニ》、 或本をとる、今本立留待、と有は誤れり、
 
吾衣袖爾《ワガコロモデニ》、 今本衣を落せり、或本もて補つ、又或本ここに、置霜文、氷丹左叡渡、てふ二句あれど、前後にかけて宜からず、
 
零雪者《フルユキハ》、 或本者を母とす、
 
凍渡奴《コホリワタリヌ》、今更《イマサラニ》、公來將座哉《キミキマサネヤ》、 【來下の將は、古本もて加ふ、相上の將は或本に依て補へり、】
 
左奈葛《サナカヅラ》、 冠辭、
 
後毛將相得《ノチモアハムト》、名草武類《ナグサムル》、 【或本、名草武類より下四句はなくて、大船の思馮迹の二句のみ有は理り足らず、】
 
心乎持而《コヽロヲモチテ》、三袖持《ミソデモチ》、 三は眞に通はしいひて、左右の袖をいへり、下に妹が三袖といへるもひとし、
 
床打拂《トコウチハラヒ》、 既にも拂し床を、今は夢に來んことを齋て待なれば、さらに拂へり、句ごとに心を遣し物なり、
 
卯管庭《ウツヽニハ》、君爾波不相《キミニハアハズ》、夢谷《イメニダニ》、相跡所見社《アフトミエコソ》、天之足夜于《アマノタリヨニ》、 足夜は、天足、國足、足日、足御代などの如く、滿たりて闕る事無をいふ、かくて反歌に眠《ヌル》夜乎不落、といふは夜毎の意なり、こゝも今はたゞいめをたのむにて、夜な/\落ず見ん事を足夜といふなり、天の云云といふは、古へ物を崇む言なるが中に、古言なればおのづから神ごとに依めり、然ば床を清まはり、神を祈ていめを待心よりいひ出たる言としらる、ことは足て心みち、靜にして力ら有は、いかなる女の歌にや有けん、これや古今歌集にいふ、貫之の好める女うたのさまといふべきにや、【貫之の歌の評は、古への男歌にはかなはず、人麻呂の歌雄々しきを以てしれ、
 
 反 歌
3282 衣袖丹《コロモデニ》、山下吹而《アラシノフキテ》、 (卷一)にいへる如く、山下出風を略て山下風、又略て山下山何など云は、此集の常にて、喚犬追馬を犬馬とのみも書る類多し、今本にやまおろしと訓しは意を得ぬなり、あらしは集中に冬風とも書しかば、此歌にかなへり、【此略書は奈良人の手なり、字によりて歌の時代を思ふ事なかれ、○山おろしは、後世歌にはよめど、古き假字がき見えず、】
 
寒夜乎《サムキヨヲ》、君不來者《キミキマサズハ》、獨鴨寢《ヒトリカモネン》、」 是は長歌の中らの程に當る、
 
3283 今更《イマサラニ》、戀友君爾《コフトモキミニ》、相目八毛《アハメヤモ》、 來べき時の過しなり、
 
眠夜乎不落《ヌルヨヲオチズ》、 こよひ來ぬからは、來んことはたのまずただいめをねがふなり、
 
夢所見欲《イメニミエコソ》、」 長歌の末の意なり、反歌のそへざまよろし、○欲はほりと訓ても、こゝの意はかなへど言ゐず、仍て長歌の末に、同言を社と書るをむかへてこそと訓り、下にもしか訓べき所多し、○此反歌どもは今本には落たり、或本もて補へり、二首ともに必この反歌なればなり、
 
3284 菅根之《スガノネノ》、 冠辭、
 
根毛一伏三向凝呂爾《ネモゴロゴロニ》、 後世ねんごろにといふに同じ、重ねいふには言を略ける常の事なり、○ころと云を一伏三向と書は、或ものにころぶし采といふ物は、一度打伏れば三度起あがる故にいふと書り、これ古へよりありしことにて、ころの言にかりしなりけり、
 
吾念有《ワガモヘル》、公爾縁而者《キミニヨリテハ》、 今本妹と有は誤なり、反歌に公と有もて改つ、母にも不謂といひ、戀に神を祈も皆女の歌なり、
 
言之禁毛《コトノイミモ》、無在乞常《ナクアリコソト》、 次の或本、言之故毛、と有も均し、
 
木綿手次《ユフダスキ》、 木綿もてせし襷なり、幣を捧などするわざ有時かくること、忌部のふとたすき懸るが如し、【木綿手次より下八句は、今本或本互に落し言有は相たすけもて言を調へたり、】
 
肩荷取懸《カタニトリカケ》、 上二句次の或本を取、
 
齋戸乎《イハヒベヲ》、 既いへり、
 
石相穿居《イハヒホリスヱ》、 或本上六句はなくて、倭文幣乎、手取持而、とあり、
 
竹珠乎《タカタマヲ》、 神代紀に、五百箇|野篶《ヌスヾ》之八十玉|籤《クシ》と有是にて、小竹に玉をつくるなり、
 
無間貫垂《マナクヌキタレ》、 或本|之自《シヽ》二貫垂、
 
倭文幣乎《シヅヌサヲ》、手取持而《テニトリモチテ》、 此二句或本もて補、次の或本には上四句なし、○倭文は冠辭考につぶさなり、今本は文を父に誤る、
 
天地之《アメツチノ》、神祇乎曾吾祈《カミヲゾワガノム》、 或本祈を乞、又或本乎を二とす、(卷十四)祭神歌に、吾者|祈《ノミ》奈牟、とて其反歌に、乞甞、と書り、此甞は辭なれば、祈も乞も乃美とよめり、こゝの訓むかへて知べし、意は均しくなれる言も、所に付て治り治らぬ事有なり、○乃美はぬかづきのぬきを約れば爾と成を乃に轉じいへり、美は辭にて乃むといふ、【皇朝の紀には、乃美の言を叩頭と書り、そは周禮注に、頓首如2今叩頭之類1、首叩v地、又ぬかづき虫を、和名抄に叩頭虫と書り、】
 
甚毛爲便無見《イトモスベナミ》、
 
 反 歌
3285 足千根乃《タラチネノ》、 冠辭、
 
母爾毛不謂《ハヽニモイハズ》、裹有之《ツヽメリシ》、 隱すなり、
 
心者縱《コヽロハユルス》、 (卷十三)坂上郎女、眞十鑑、磨師情乎、縱手師、といふに均し、
 
公之隨意《キミガマニ/\》、」 此言は隨一字にて足ども、隨意てふから字有まゝに書しにて中々に人まどへなり、この歌長歌の餘意をいふにや、かゝるもあるべし、
 
3287 乾地乃《アメツチノ》、神乎祷而《カミヲイノリテ》、吾戀《ワガコフル》、公似必《キミニカナラズ》、不相在目八方《アハザラメヤモ》、」 (卷十四)坂上郎女祭神歌に、吾者祈奈牟、君爾不相可聞、その歌にも同くいへり、かく一みちに思ひ定るにこそ皇神はあはれとおぼすなれ、さて是は或本の反歌なれど、これこそ右にかなへれば擧つ、○今本はこれも字ども多く亂れつるを、或本をむかへて調へたり、
 △今本に、或本歌曰、
3286  玉手次、(冠辭、)不懸時無、吾念有、云云、
 又次に、或本歌曰、
3288  大船之、(冠辭、)思憑而、木始巳《ハフツタノ》、(冠辭、)【木始巳の三字は、延終石の誤なり、はふつたのと訓べし、】
 彌遠長、我念有、云云、
  と有末の句どもの異なるをば例のごとく右に註せり
 
3289 御佩乎《ミハカシヲ》、 冠辭、
 
劔池之《ツルギノイケノ》、蓮葉爾《ハチスバニ》、 諸陵式に、劔池島(ノ)上(ノ)陵、(高市郡)舒明天皇紀に、瑞蓮生2劔池1、一莖二花、皇極天皇紀にも出たり、
 
渟有水之《タマレルミヅノ》、往方無《ユクヘナミ》、我爲時爾《ワガスルトキニ》、 (卷十六)久竪之、雨毛落奴可、蓮荷爾、渟在水乃、玉爾似有將見、といふに均しく、露のたまれるをも云べく、又浮葉に波を吹かけしもいひてん、かくてあとかたもなくこぼれ失るものなるを、戀のおもひの行方なきにたとふ、
 
應相登《アフベシト》、相有君乎《ウラヘルキミヲ》、 是はうらあへるならん、と宣長がいへるに依べし、直にうらあへるとも訓べし、下の人麻呂集に、「事靈の、八十(ノ)衢に、夕占問、占まさにいへ、妹に相依《アハンヨシ》、」また、玉桙(ノ)路往占、占相、妹逢、我謂、このごとくうらかたにあへる君をと云なり、今本あはんをあひたると訓しは理なし、
 
莫寢等《ナネソト》、 四言、此訓も心ゆかず、寢は慮の誤にて、なもひそとよみしならんとぞおぼゆる、さてうらにはあひぬと此男は思ふ事なかれ、と母は云しなり、
 
母寸巨勢友《ハヽキコセドモ》、 きこすとは、吾にの給ひ聞せらるゝてふことなり、
 
吾情《ワガコヽロ》、清隅之池之《キヨスミノイケノ》、 (卷十四)「妹も我も、清みの川の、川岸の、妹がくゆべき、心はもたじ、」てふ如きつゞけなり、
 
池底《イケノソコ》、 あだし心なく、ひたぶるに思ふ吾下つ心を譬ふ、
 
吾者不忘《ワレハワスレジ》、 今本不忍と有はあやまれるなり、
 
正相左石二《タヾニアフマデニ》、 或ものに清隅(ノ)池を大和吉野郡にありといへり、 
 反 歌
3290 古之《イニシヘノ》、神乃時從《カミノトキヨリ》、會計良思《アヒケラシ》、今心文《イマノコヽロモ》、常不所忘《ツネワスラレズ》、」 わすられずと云は、右の吾者不忘といふと同じ意なり、然るを今本不所念と有は何の意もなし、忘と念と草より誤りしなりけり、かくて本の意は、(卷一)の三山|乃《ノ》御歌に神代從、如此爾有良之、古昔母、然爾有許曾、虚蝉毛、嬬乎相格良思吉、てふに同じ、
 
3291 三芳野之《ミヨシノヽ》、眞木立山爾《マキタツヤマニ》、重生《シヾニオフル》、 今本青生と書て、あをみおふるとよみしは、例もなきみだり訓なり、香青在《カアヲナル》とはいへれど、香の發言なくては歌ことばにあらず、仍てあらたむ、しゞは繁なり、
山菅之根乃《ヤマスガノネノ》、慇懃《ネモコロニ》、吾念君者《ワガモフキミハ》、天皇之《スメロギノ》、遣之萬々《マケノマニ/\》、 或本、王乃、命恐、
 
夷離《ヒナザカリ》、國治爾登《クニヲサメニト》、 或本、天疎、夷治爾等、
 
群鳥之《ムラトリノ》、 冠辭、
 
朝立行者《アサタチユケバ》、 此言かた/\に出、
 
後有《オクレタル》、或可將戀奈《ワレカコヒムナ》、客有者《タビナレバ》、君可將思《キミカシヌバム》、言牟爲便《イハムスベ》、將爲須便不知《セムスベシラニ》、足日木乃《アシビキノ》、山之木末爾《ヤマノコズヱニ》、 足日木より下は古本に依ぬ、今本も或書といふはこれに同じ、
 
延津田乃《ハフツタノ》、別之數《ワカレノアマタ》、惜物有可聞《ヲシクモアルカモ》、 今本有の字なくて、をしきものかもと訓し物の辭かなはず、仍て今有をくはへて物を假字とせり、
 
 反歌
3292 打蝉之《ウツセミノ》、 冠辭、
 
命乎長《イノチヲナガク》、有社等《アリコソト》、 今本の如くあれこそと訓べくやとは思はるべけれど、此類はありこそと訓が例なり、こそはねがふことば、
 
留吾者《トマレルワレハ》、五十羽卑將待《イハヒマタナム》、」
 
3293 三吉野之《ミヨシノヽ》、御岳高爾《ミミガノタケニ》、 今本缶を金に誤れり、其よしは(卷一)の耳我嶺てふ下と、其別記をむかへて知べし、後世意を思ふことなかれ、 
間無序《ヒマナクゾ》、雨者落云《アメハフルトフ》、不時曾《トキジクゾ》、雪者落云《ユキハフルトフ》、其雨《ソノアメノ》、無間如《ヒマナキガゴト》、彼雪不時如《ソノユキノトキジキガゴト》、間不落《ヒマモオチズ》、吾者曾戀《ワレハゾコフル》、妹之正香乎《イモガマサカヲ》、 今本乎を爾に誤れり、例に依て改、○此歌は反歌に、外見子爾、戀度可聞、といふによるに、妹をよそながら見し當《ソノ》時を忘れぬよしなり、さて正香は借字にて、眞其際《マソノキハ》てふなるを、曾乃の約の曾を佐に轉じ、伎波の約加なれば、まさかといへり、つねにまさかの時といふもこれなり、此言下に多かれど、皆右のごとくこゝろ得かなへり、【神代紀に、囘首顧眄之間《ミルマサカリニ》、と云を或人まさかの言に引しは誤れり、右は見る目放てふ言にこそあれ、】
 
 反 歌
3294 三雪落《ミユキフル》、吉野之高二《ヨシノヽタケニ》、 【高嶺を、加禰の約氣なれば多氣と云り、こゝに高一字書しは借字なり、又多氣の多を濁りとなふるはあやまりなり、】
 
居雲之《ヰルクモノ》、外丹見子爾《ヨソニミシコニ》、戀度可聞《コヒワタルカモ》、」 此反歌古へならず、仍て長歌も(卷一)に出し、清御原天皇の大御歌のことばを用て、相聞になせしものなるべし、しかれば此歌と上の天雲の影さへ見ゆるてふは疑なきにあらず、或本などやまがひ入けん、
 
3295 打久須《ウチヒサス》、 冠辭、
 
三宅乃原從《ミヤケノハラユ》、 みやけは、景行天皇紀に、令3諸國(ニ)興《タテ》2田部屯倉1、是より國ごとに其名あれば、何處ともさしがたかれど、歌のさま内つ國とはおぼしき、
 
當土《ヒタツチノ》、 或人當は常の字かといへど、(卷九)直《ヒタノ》土とも書しを思ふに、足を直に土に當るよしにて、當とかきたり、
 
足迹貫《アシフミナヅミ》、 記に、堅《カタ》庭者於2向股《ムカモヽ》1蹈那豆美《フミナヅミ》、と有同意なれば、貫をもなづみと訓つ、奈豆美は和豆良比と音合り、故に集中に煩とも書たり、
 
夏草乎《ナツクサヲ》、腰爾莫績《コシニナヅミ》、 (卷十九)に、降雪をこしになづみ、仁徳天皇紀に、許辭那豆瀰、曾能|赴泥苫羅齊《フネトラセ》、この外集中に多かれどことならず、○行煩ふ物をば二つ擧て、ともになづみといへるを以て、此言のこゝろを知べし、【舟鴨などの沖になづさふと云は、一轉して滯りゐることにいひ、後世人になづさふといふは、再轉してなれむつぶ事をいへり、】
 
如何有哉《イカナルヤ》、人子故曾《ヒトノコユヱソ》、通簀文吾子《カヨハスモアゴ》、 いかなるうるはしき妹にあればや、かく煩はしき路を通らん、と問を設てその故をあかせり、○吾子とは他よりいふ言をしかいふは問なればなり、
 
諾々名々《ウベナウベナ》、 母父にも知らせず忍び通ふなれば、よそ人のいぶかるはしか有べき事なり、と先いひて、つぎにことわりを解なり、【今本諾々名、と書てうべ/\なと訓たるは言とゝのはず、これは諾々名々と有を、重字の例をしらで下の名をさがしらに除し事しるければ今加へつ、】
 
母者不知《ハヽニハシラセズ》、 母を先いふは古の例なり、
 
諾々名々《ウベナウベナ》、父者不知《チヽニハシラセズ》、蜷腹《ミナノワタ》、 冠辭、 
香黒髪丹《カグロキカミニ》、 是より妹が貌を云、
 
眞木綿持《マユフモテ》、 (卷二)に、山邊眞曾木綿、とあれば、眞はほむる言にて、蚕のまゆにあらず、
 
何都良結垂《カツラユヒタリ》、 今本阿邪左とあれど、女の髪の飾にしかいふ物古今聞えず、仍て何都良の誤とす、木綿鬘は、神事にもはら男女に給る事、式等に見えたり、則是なり、これより後なれど、内宴の繪の内教坊の女樂の樂屋の女官、櫛させる下より左右へ白糸を垂たる、則此鬘なり、是をもて此古の樣をおもひはかるべし、
 
日本之《ヤマトノ》、 冠辭、
 
黄楊乃小櫛乎《ツゲノヲグシヲ》、 日本とは書たれど、上に日本の青香山てふにいへる如く、山邊郡の大和の郷の事なり、さてこゝに都氣と云所の有故に、黄楊櫛にいひ冠らせしのみ、其ところは、式に、山邊郡、都氣|水分《ミクマリ》神社、都氣山口(ノ)神社有、今も同郡の鞆田といふ村に、つげ山といふ山有、此邊の大名なりけん、○地の名を冠辭とせし類は其考に擧つ、○黄楊櫛は古へとても常有物ながら、こゝは髪の具なればいふのみなるべし、
 
抑刺《ヲサヘサス》、 さし櫛は髪のおさへなり、
 
敷細子《シキタヘノコハ》、 今本刺細と有は、敷を刺に誤しにて、例なければ改めつ、敷細はうるはしくやはらかなるきぬを云て、好女に譬たること、冠辭考の朱ら引と敷栲の條に委し、
 
彼曾吾※[女+麗]《ソレゾワガツマ》、 古き代には、かくさま/”\の體有て、意みやびことばもおもしろかりき、
 
 反 歌
3296 母父爾《ハヽチヽニ》、 今本父母と有は後人のさがしらなり、古本にかく有は古例ぞ、
 
不令知子故《シラセヌコユヱ》、 顯れて通はゞ、よろしくてもゆきかふべく、又よびむかへて妻ともすべし、
 
三宅道乃《ミヤケヂノ》、夏野草乎《ナツノヽクサヲ》、菜積來鴨《ナヅミクルカモ》、」 母父にしらせぬ故てふ事を、上にはいさゝか云てこゝに明す、
 
3297 玉田次《タマダスキ》、 冠辭、
 
不懸時無《カケヌトキナク》、 こゝろに懸なり、
 
吾念《ワガオモフ》、妹西不會波《イモニシアハネバ》、赤根刺《アカネサス》、 冠辭、 
日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》、 上に云り、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜者酢辛二《ヨルハスガラニ》、 上に同、
 
眠不睡爾《イモネズニ》、妹戀丹《イモヲコフルニ》、生留爲便無《イケルスベナシ》、 こはいと弱し、かかるをも有がまに/\つどへつらんや、
 
 反歌
3298 縱惠八師《ヨシエヤシ》、二二去四吾妹《シナムヨワギモ》、 去を今本火に誤、
 
生友《イケリトモ》、各鑿社《カクノミコソ》、吾戀度七目《ワガコヒワタリナメ》、」 長歌よりはいさゝかまさりたり、
 
3299 隱國之《コモリクノ》、泊瀬川乃《ハツセノカハノ》、彼方爾《ヲチカタニ》、妹等者立志《イモラハタヽシ》、是方爾《コノカタニ》、吾者立而《ワレハタチテ》、 六言、今本初三句なくて、見渡爾妹等云云、と有は言たらねば、一本と或本もて補へり、
 
思虚《オモフソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、嘆虚《ナゲクソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、左丹漆之《サニヌリノ》、小舟毛鴨《ヲブネモガモ》、玉纏之小※[楫+戈]毛鴨《タママキノヲカヂモガモ》、 ※[楫+戈]は加治に用る字なれど、をかぢてふ言はなくて、を加伊とは多くいへり、仍て今本の訓によりぬ、本より加伊加治は同物にもあればなり、
 
※[手偏+旁]渡乍毛《コギワタリツヽモ》、相語妻遠《アヒカタラヒメヲ》、 是又何ともなき歌にしもあらぬに、反歌のなきは落たるものぞ、【或本云、己母理久乃、波都世乃加波乃、乎知可多爾、伊母良波多々志、己乃加多爾、和禮波多知※[氏/一]、】
 
3300 忍照《オシテル》、 冠辭、
 
難波乃埼爾《ナニハノサキニ》、引登《ヒキノボル》、赤曾朋舟《アケノソホブネ》、 朱の赭舟なり、(卷六)麻可彌布久、爾布能麻曾保乃、伊呂爾低※[氏/一]、てふ曾保これにて丹土の名なり、さてその丹土もてぬりたる舟をしかいへり、且|赭《ソホ》即赤色なれば、赤の云云といふは、雪をしら雪といふがごとし、【(卷一)の別記、黄葉の條に委し、】
 
曾朋舟爾《ソホブネニ》、綱取繋《ツナトリカケ》、 こゝまでは序、
 
引豆良比《ヒコヅラヒ》、 引煩なり、記に、八千矛神の御歌、那須夜伊多斗遠、淤曾夫良比、和何多々勢禮婆、比許豆良比、和何多々勢禮婆、てふもおしわづらひひきわづらひの意にて、引なやみ引わぶるといふも同じ、○幾和の約加なるを古に轉て、ひこづらひとはいふ、【おそぶらひは、そはしと同言なれば通しておそといふ、わづの約うなるを、ふに轉じておそぶらひといふ、】
 
有雙雖爲《アリナミスレド》、 妹|夫《セ》と成て常に在並びなんとすれどなり、此二句はあり並びをらんとて、さま/”\と戀ひけども、え引がたきをいふなれど、ながれにさかひて、ふね引のぼるにたとへ下す故に、言を上下にいへり、
 
曰豆良賓《イハヅラヒ》、 言ひわづらひなり、【言ひわづらひのひわの約はなり、】
 
有雙雖爲《アリナミスレド》、 上に同、
 
有雙不得叙《アリナミエズゾ》、所言西我身《イハレニシワガミ》、」 しか引ど引得ずして、人言には痛くいはれしよと歎くなり、○此歌は崗本(ノ)宮より前なるべし、仍て反歌もなきなり、その古への歌の中にしもよくよみしにて、言厚く雅にして面白し、是らの類此卷に多きをとり集めて唱へ見るべし、さてこそ清御原藤原(ノ)宮の比に及ては漸劣れるをしらめ、
 
3301 神風之《カミカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢乃海之《イセノウミノ》、 六言、
 
朝奈伎爾《アサナギニ》、來依深海松《キヨルフカミル》、 式に、深海松、長海松、などの名あり、
 
暮奈藝爾《ユフナギニ》、來因俣海松《キヨルマタミル》、深海松乃《フカミルノ》、深目師《フカメシ》吾乎、俣《マタ》海松乃、復去反《マタユキカヘリ》、都麻等不言登可聞《ツマトイハジトカモ》、 九言、
 
思保世流君《オモホセルキミ》、」 女のなげき末の二句にいひおとしたるところ、まことにあはれなり、右の歌よりは後なれど、いと下れる代のわざにあらず、(卷六)「遠つあふみ、いなさ細江のみをづくし、あれをたのめて、あさましもの乎、」
 △今本こゝに、紀伊國の、室之江邊爾、云云、てふ二十九句の歌と、其次に里人之、吾(ニ)告《ツク》樂、云云、十五句の歌共にあり、然るに皆相聞にあらず、挽歌なり、こゝに亂て入し事しるければ、下の挽歌の末に載たり、委は其所にいふ、
 △今本こゝに問答といふ標あるは、後人のしるせしものなれば除けり、其よしは此卷の上、また次の卷四五の卷にも云り、
 
3305 物不念《モノモハズ》、道行去毛《ミチユキナムモ》、 道行なんをもといふ乎を籠ていへり、(卷六)宇良毛なく、我行道に青柳の、はりてたてれば、物もひつゝ、ともいふにひとしく、こはその花を見るまゝに、花の如き妹の戀まさるよしなり、
 
青山乎、 春山といはむがごとし、
 
振放見者《フリサケミレバ》、 道行ふりに見る氣しきより、妹がうへにうつせしさま、言短くて長き意をなせり、
 
茵花《ツヽジバナ》、香未通女《ニホヘルヲトメ》、 香と書しかど、爾ほへると訓て艶色《ニホフイロ》なり、下にも丹つゝじのにほふとよみたり、【此次に、柿本人麻呂歌とて注せるには、遙の訓を義《コトワリ》して遙《ヤル》と書つ、】
 
櫻花《サクラバナ》、盛未通女《サカユルヲトメ》、 答の體、いまだ十五六の女と聞ゆ、その意をしらせて未通女と書しなり、
 
汝乎曾母《ナレヲゾモ》、吾丹依云《ワレニヨストフ》、吾|叫《ヲ》曾毛、 二つの毛は辭、【今本、吾叫毛曾、と有はとらず、左の同歌に、叙物と有による、】
 
汝丹依云《ナレニヨストフ》、 四句かくまでいふは、互に相思ふぞと、彼方の人も、此方の人も、いひよするよしなるべし、かくてよすとは、下に里人の言よせ妻とよめるに同じく、他人のいひよするを云り、今本によると訓しは、こと違ひなり、
 
荒山毛《アラヤマモ》、人師依者《ヒトシヨスレバ》、余所《ワガモトニ》、留跡序云《トドムトゾイフ》、 疎き山も人のいひよすれば、さる方に山の心もよせとゞむるてふ諺の有ていへるなるべし、今の諺にいへば、いひ出すなりといふがごとし、
 
汝心勤《ナガコヽロユメ》」 右のごとくいひよせらるゝからは、遂にしかぞ成なん、いましが心もゆめたがはず相思へよと云なり、○右のあら山といふは、生れながらにて人疎き山をいふ、こゝにはその疎き山心なき山といはんが如く用たるのみ、荒野荒草ともいふをおもへ、【或説、荒山も自荒きにあらず、神の坐て崇きなり、されば幣奉などして入ば、神だに和《ナゴ》みて我方に留給ふといへばの意、といふは泥みてこと過たり、几かくの如く解は、から天竺の流にて、我上つ代の意にあらず、皆直き世をしらで附會せり、】
 △今本こゝに反歌とて擧し歌は、此長歌の意にあらず、且こゝの問答の長歌は、古代のよき歌なり、かの短歌は、古歌にもあらずしてつたなし、又古歌に反歌なきことも既にいふが如し、こゝはいと亂れたるを古歌の意をもしらぬもの校合すとて、こゝにつけしこと知ければ除つ、
 
3307 然有社《シカレコソ》、 右の汝心勤といひ贈れるに答て、をとめがよめる歌なり、仍て上を受て我もしか思ひてあれば社と云り、されども上に言落しか、
 
歳乃八歳叫《トシノヤトセヲ》、鑽髭乃《キルカミノ》、 兒の四歳ばかりの時、髪の末を切そめて是を深そぎといふ、さて八歳まで其髪の末を肩と均しく切めり、是を放髪とも振分髪ともいふ、是より下は髪を以て年の足行をいふめり、女の歌なればなり、
 
吾何多叫過《ワガカタヲスギ》、 此所今本の字いと誤訓もよしなし、先ここを吾同子叫過と有て、わかみをすぎと訓たれど、同子をみと訓べきいはれなく理りもなし、こは古本に子を手とあり、思ふに手は多の誤なり、是をおすに同は何を誤れるにて、何多を過なり、八歳の後は髪をそがずして長からしむれば、肩を過たるゝといふなり、かのふり分髪もかた過ぬ、とよめるをもおもひ合せよ、
 
橘之、 冠辭、之は一本又左の注の歌にもよる、
 
未枝乎過而《ミコシヲスギテ》、 此枝は足の意、未枝は腰臀《コシイサラヒ》までをいふ、【田舍人は、今も手足をえだと云り、さて未枝は義もて書つ、此類の戯書集中に多し、】是に橘の冠辭を置しは、みこしといへる事知るべし、其みはまにて眞《マ》腰なり、かくて肩過し髪の、今は腰を過るまで生成、年も十五六になれるまで、はや/\いひよせられし事を思ひて、他へも思ひうつらず待をりぬといふよしなり、然るを今本に未枝を末枝に誤しより、ほづえとよみたるは、此歌にとりてことわり聞えざめり、
 
山河能《ヤマガハノ》、 今本此河と有ども此てふ言よしなし、思ふに此は山なり、山河とは下といはん冠辭にて、上に清隅之、池之池底、吾者不忘、正相左右二、てふ如きこゝろにて、こゝも下は底といふに同じ、底下を通はしいへるは常多し、
 
下文長《シタニモナガク》、我情待《ワガコヽロマテ》、 此まては他人におふする言にあらず、うなゐの比より今髪の腰過るまでに、我はまちてこそあれ、といふを、まちてあれのてあを約めてたれと成、たれの約てなれば、まてといへるなり、かくて今本に、汝情待、と有は此歌の意をしらで、我を汝とせしさがしらわざなり、古本に我と有こそよろしけれ、且古への女の歌には、多く髪の事をよめり、その事今とことなれば、後人意得かねて此歌も字を書違へたる所多し、こころして見よ、
 
 △今本こゝに、柿本朝臣人麻呂歌集の歌とて注する歌、物不念、路行去裳、青山乎、振酒見者、都追慈花、爾太遙越賣《ニホヘルヲトメ》、作樂《サクラ》花、左可遙越賣、汝叙母、吾爾|依《ヨス》云、吾叙母、汝爾依云、【今本こゝを爾太遙と書しはかなたかへり、逕に改むべし次は遙にてかなへり、】右は上の男の歌の末の四句落たるなり、「汝者如何念也」此六字は右を上の歌ぞともしらぬ人のこゝをよまんとて加しものなり、念社《オモヘコソ》、是よりは上の女の答し歌なり、かく二首の間の句落たるをよせて、一首としたる此卷に多し、皆歌てふものをもしらぬものゝわざなり、歳(ノ)八年、斬髪與、この與は之を乞に誤りしを遂與と書しなり、和子乎過、こは加多の草の和子と成しなり、こゝろは上に云り、橘之末枝乎須具里、末は未の誤なり、須具里は、須藝の延言なり、此川の此は山なる事上に云り、下母長久、汝心待、この汝は我を誤る事上にいひつ、【人麻呂歌集の中にもいかなる亂本有てこゝには注しけん、是を強て一首として解んとする人有はいふにもたらず、】
 
3306  △何爲而《イカニシデ》、戀止物序、天地乃、神乎|祷迹《イノレド》、吾八|思益《モヒマス》、」 今本是を上の男歌の反歌として擧しかど、其反歌にあらず、歌もかの長歌よりは、いと後人のよみしものなり、いかなる亂れ本にかくも有つらん、又長歌の有しが落て、此反歌の殘れるを心もせずて、上の反歌とはせしにも有べし、又女の歌の次に反歌とて、天地之、神尾母吾者、祷|而寸《テキ》、戀|云《チフ》物者、都不止來《スベテヤマズケリ》、てふを注せれど、こは右の歌の轉ぜしにて別歌にあらざるなり、
 
3310 隱口乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬乃《ハツセノ》國爾、左結婚丹《サヨバヒニ》、 夜しぬびて籬を越、穴をくゞる如くするを夜ばひと云、と竹取物語にいへるによるべし、【記の八千矛神の御歌、又黒姫がうたに有も、よばひてふ言の本は、こゝに云如くなるべし、これぞ上つ代のさまなりける、】 
吾來者《アガクレバ》、棚雲利《タナクモリ》、雪者|零來奴《フリキヌ》、左雲理《サクモリ》、 左はたゞ發言なるも多し、又こゝは淺の略か、
 
雨者|落來《フリキヌ》、野鳥《ヌツトリ》、 冠辭、
 
雉動《キヾシハトヨミ》、家鳥《イヘツドリ》、 冠辭、
 
可鷄毛鳴《カケモナキ》、 此四句は記の歌にも有、
 
左夜者明《サヨハアケ》、此夜者旭奴《コノヨハアケヌ》、 遠き夜道に雨雪さへ降て、妹がもとに到れば、やがて明時になりぬ、
 
入而旦將眠《イリテアサネム》、此戸開爲《コノトヒラカセ》、 あさねんは、旦《アサ》寐髪あさいなどもいへり、【或説且を且《カヅ》として、苟《シバシ》ねんの意といへるはわろし、且は我朝の古言には、二事を一度にする時にのみいひて、しばしの事にはいはず、】
 
 反 歌、
3311 隱來乃、 冠辭、
 
泊瀬少國爾《ハツセヲクニヽ》、 少は發言のみ、
 
妻有者《ツマアレバ》、石者履友《イシハフメドモ》、猶來《ナホゾキニケル》、」
 
3312 隱口乃、 冠辭、
 
長谷小國《ハツセヲクニヽ》、夜延爲《ヨバヒスル》、
 
吾夫寸美與《ワカセノキミヨ》、 句なり、こゝを今本に吾大皇寸與と有、一本には大を天とす、さてわがすめろぎよと訓り、考るに、夫を天に誤、美を皇に誤りぬ、かく誤る心より、寸《キノ》字は上に有しを下へおろして、天皇寸としてわがすめろぎよと訓しものなり、すめろぎとは、天皇また皇一字をも書こと古書均し、皇の下に寸の假字を添し事なし、此|寸《キ》は必上に有しを知べし、人を貴みいふも限こそあれ、女の己が夫をいとも恐く天皇といへること、かりにも有べしと思へるにや、身もわなゝかれて恐し、たゞ天皇を尊み恐み奉るによりて、天下平かに、蒼生安けき事とする、我朝の大道を忘れて、後世に他の國ふりなすものどものわざなりけり、よく我朝の古を知てこそ、我古のふみを取なすべけれ、【一説この天皇寸與を下の句へうけて、父母を尊む意とするもひがことなり、しかしては夜ばひするてふ言の治る所をもしらぬなりけり、又父母を尊みて命とまではいひしかど、天皇とさへいひしこと有べきや、】
 
奥床仁《オクドコニ》、母者睡有《ハヽハネマセリ》、外床丹《トツドコニ》、父者|寢有《ネマセリ》、起立者《オキタヽバ》、母|可知《シリヌベシ》、出行者《イデユカバ》、父可知、 戸口へ出行ばなり、
 
野干玉之、 冠辭、
 
夜者昶去奴《アケユキヌ》、幾許雲《コヽタクモ》、不念如《オモフゴトナラヌ》、隱※[女+麗]香聞《シヌビツマカモ》、 隱をしぬぶと訓こと集中に例有、【曉に來て男の右の歌よみていひ入しを、妹は明て後こたへしてやりしにや、にはかにては反歌をさへよみ調ることを得べからず、】
 
 反 歌、
3313 川瀬之《カハノセノ》、石迹渡《イハトワタリテ》、 此石迹は、石ある川門をいふべし、是をいしぶみわたりともよまるれど、こゝはいはとゝ云てたれり、
 
野干玉之、 冠辭、
 
黒馬之來夜者《コマノクルヨハ》、常二有沼鴨《ツネニアラヌカモ》、」 常にあらぬかてふは、常にあれと願ふ言なり、故にこゝの意は忍るからにかくあひがたし、いかでおやにもしられで、夫《セ》子の常に通來てあふよしもがな、と今より後をねがへり、
 
3314 次嶺經《ツギネフ》、 冠辭、
 
山背道乎《ヤマシロヂヲ》、 六言、反歌に泉河をいひしかば、こは古へやまとに住人の山背へ行ことあるをいふならむ、
 
人|都末乃《ヅマノ》、 他人の夫をいふ、
 
馬從行爾《ウマヨリユクニ》、 馬のまゝに行なり、されど馬にまかするてふ意にはあらず、手のまゝといふを、手よりとも手からとも云が如し、別記有、
 
己夫之《ワガセコガ》、歩從行者《カチヨリユケバ》、 記に、蘇良波由賀受、阿斯用由久那、これに同じ、【加知は阿加都知の略にて、赤土のまゝに足ふみ行をかちより行とはいへり、さてその赤土と云は、※[月+果]を赤※[月+果]と云如く、事を強むる言のみ、】○從は右のごとし、
 
毎見《ミルゴト》、哭耳之所泣《ネノミシナカユ》、曾許|思《モフ》爾、 そとは其《ソノ》かたなり、
 
心之痛之《コヽロシイタシ》、垂乳根乃《タラチネノ》、母|之《ガ》形見跡、吾|持有《モタル》、眞十見鏡爾《マソミカミヾニ》、 まそみ鏡ます鏡などは、略き轉じいふにて、正しくは眞|澄日《スミビ》の鏡てふ言なり、
 
蜻蛉巾《アキツヒレ》、 (卷十四)秋津羽之、袖振妹乎、ともいひて、蜻蛉が羽の如き薄ものゝ領巾なり、中つ世の下よりは、采女のみひれは懸るを、上つ世にはすべての女の懸たるなり、【此あきつひれを忘て、後には蝉の羽をのみいへり、】
 
負並持而《オヒナメモチテ》、 右の二つを負ゆきてと云り、
 
馬替吾背《ウマカヘワガセ》、 馬とかへよの略なり、古は物と物とを相替たればかへといふ、○言も飾らず思ふ情をのみいひつづけたるに、すがたよろしく、あはれ深くおぼえらるゝはこれらこそ歌てふものなれ、○例の理屈人のいへらく、母が形見を愛の思にかふるはいかにと、己笑うてこたふ、女は夫の家を家とするに、その夫貧しかる時、猶母が形見の寶をたくはへんかは、いま此言を擧て歎くは眞なり、これをはなつは夫に二心なきなり、古人は思はずして道にかなへり、
 
 反 歌、
3315 泉河《イヅミガハ》、 上に出、
 
渡瀬深見《ワタルセフカミ》、 天平の比こゝに都うつしませし時は、高橋渡すとよめり、其先は直渡せしなり、
 
吾世古我、旅行衣《タビユキコロモ》、裳沼鴨《スソヌレムカモ》、」 今本裳を蒙に誤る、依て改、
 
3316 清鏡《マソカヾミ》、雖持《モタレド》吾者、記無《シルシナシ》、 易なしといふが如し、
 
君|之歩從《ガカチヨリ》、 今本歩行とあるはこゝにかなはず、右に依て行を從とす、次の歌の歩行の事はそこにいふをまて、
 
名積去見者《ナヅミユクミレバ》、」 此言上に出、今本この清鏡云云の歌を或本歌とせり、然るを、こは反歌二首もて意を竟《ヲヘ》しものにて、歌も同人のすがたなり、仍て今本或本互に一首を落せしと見ゆれば是をもとりつ、【歌は飛鳥岡本宮の始つ比なるを、かく字を略き書しはいと後のわざなり、】
 
3317 馬|替者《カヘバ》、 鏡領巾をばいはでこむ、
 
妹|歩行將有《カチナラム》、 かちはあかつちてふ言なれば、かちよりゆくといはでは、理りたらず、されどもこゝは贈歌を受て略きいひたり、後世の略言とはことなり、又行の字添て意をしらせたるは、此集書し人のこゝろのみ、
 
縱惠八子《ヨシヱヤシ》、石者雖履《イシハフムトモ》、吾二行《ワハフタリユカム》、」 妹と吾二人行ときの事をかねていへり、○是は長歌を短歌一首にて答たるなり、此類は上の大海人皇子の命の御長歌を、額田姫王は短歌もてこたへ申給ひたるあり、
 
3318 木國之《キノクニノ》、濱因云《ハマニヨルチフ》、鰒珠《アハビタマ》、將拾跡云而《ヒロハムトイヒテ》、 此人國官などにて行し時、木の海は玉の名ある所故に拾ひて來んぞ、といひて別しをもて、しかいへるなりけり、女の歌にてやさしく聞ゆ、
 
妹乃《イモノ》山、勢《セ》能山越而、 此山上に出、
 
行之《ユキシ》君、何時來座跡《イツキマサムト》、玉桙之、 冠辭、
 
道爾|出立《イデタチ》、夕卜乎《ユフウラヲ》、吾|問之《トヒシ》可婆、 たそがれ時になす故に夕占といふ、
 
夕卜之《ユフウラノ》、吾爾|告《ツグ》良久、 他人のもの語して過をきゝて、わが事に取なすうらなれば、そをすなはち我に告る語とす、
 
吾妹|兒哉《コヤ》、汝待《ナガマツ》君者、奥浪《オキツナミ》、來因白珠《キヨルシラタマ》、邊浪之《ヘツナミノ》、縁流白《ヨスルシラ》珠、求跡曾《モトムトゾ》、君|之不來益《ガキマサズ》、拾登曾《ヒロフトゾ》公者|不來益《キマサズ》、 上の言をうけていへり、
 
久有者《ヒサナラバ》、 者は今補つ、
 
今七日|許《バカリ》、早有者《ハヤカラバ》、今二日許、 【なぬかふつかのかは數の略なり、仍て古今歌集の端詞に、なぬかの日やうかの日といへり、されど歌には言の限有は日を略けり、今の人かを日に當ると思ふはひがことぞ、】
 
將有等曾《アラムトゾ》、君者|聞之二二《キコシシ》、勿戀吾妹《ナコヒソワギモ》、 是までうらの語なり、下にとなどの辭を添ぬは中々によし、〇是も女歌のめでたきなり、此類を集め見て女の歌はよむべし、
 
 反 歌、
3319 杖衝毛《ツヱツキモ》、不衝毛《ツカズモ》吾者、 (卷十四)同言あり、はかなきにめでたき味あり、
 
行目《ユカメ》友、公|之將來《ガキマサム》、道之|不知苦《シラナク》、」
 
3320 直不往《タヾニユカス》、 石瀬踏道をことわるなり、
 
此從巨勢道柄《コユコセヂカラ》、 こゝよりとて、又こせぢからといふ、よりもからも同意の言ながら、かさねいふ時かへ事いふは例なり、
 
石漸踏《イハセフミ》、名積序吾來《ナツミゾワガコシ》、 今本こゝは求曾とあれど、吾家へかへるにかなはず、上に名積云云と有をもちう、
 
戀而爲使《コヒテスベ》奈見、」 こは右の戀て長歌よみし女の夫、史生などにて木へ行しが、暫の暇を得て歸りし時、よみて妻に與しものにて、其答にはあらねど、同じ度のうた故に、古の反歌のつぎに載しものなり、【此歌、上の數々丹、不思人者、てふ反歌に次て載しは誤なり、こゝにあるをよしとす、】
 
3321 左夜深而《サヨフケテ》、今者|明《アケ》奴登、開戸手《トヲアケテ》、木部行《キベユク》君乎、何時可將待《イツトカマタム》、」 右の男しばし在て、又木の國へ行を女のかなしみたる歌にて、是も同じ度の事なれば、つゞけて出せしものなり、【衣暇田暇などならば、三十日の暇なり、】
 
3322 門座《カドニヲル》、娘子内爾《ヲトメコウチニ》、雖至《イタルトモ》、 門まで送りしをとめが、わが屋の内へかへり入ほどの暫の間なりとも、いたく戀ときかば今の間に立かへり來んぞ、といひなぐさめて別るるなり、○今本郎子と有は誤なれば娘子に改つ、郎子郎女娘子の事別記有、
 
痛之戀者《イタクシコヒバ》、今返金《イマカヘリコン》、」 古今歌集に、待としきかば、今かへりこん、もこれなり、
 
 今本こゝに譬喩歌とて標あれど、後人のくはへし事上下にいふ如くなれば除ぬ、
 
3323 師名立《シナテル》、 冠辭、
 
都久間左野方《ツクマサヌガタ》、息長之《オキナガノ》、遠智能小菅《ヲチノヲスケ》、 この都久麻と息長は近江國阪田郡に在、(内膳式諸陵式その外にも、)然れば左野方はその筑摩の江の内、遠智は息長の内に有所の名なり、かくて此男は筑摩の額田に住に、息長の遠智といふ所の菅を刈もて來たりといふなり、(卷八)眞珠付、越能菅原、ともよみたれば、遠智は菅を出す所なりけり、○左野方の左は發言、遠智をとほちと訓はひがよみなり、かゝる古歌には短句こそ多けれ、
 
不連爾《アマナクニ》、伊苅持來《イカリモテキ》、不敷爾《シカナクニ》、伊苅持來而置而《イカリモテキテオキテ》、 十言の句なり、上にも下にもあり、二つの伊は發言、さて薦にあみ敷ともなく、徒に苅もて來置てといふは、此男の母がもとなどへ、よき女をよびよせ置たれど、われに相せぬを譬たるなり、(卷四)三吉野之、水具麻我菅乎、不編《アマナク》爾、刈耳刈而、稱亂跡也《ミダレナムトヤ》、 ともあり、
 
吾乎令偲《アレヲシヌバス》息長之、遠智能|子《コ》菅、同言を二度いふは古歌の常にて、たゞ打唱ふるすらしたしくめでたきを、うたひけん時を思ひはかるべし、〇佐野方の佐は發言、野方は借字、額田てふ所は諸の國にあれば、近江にも有べし、野方は奴加田なるを、此田は清ていひしか、又濁るとも借字はかゝはらぬ例なれば、いづれにもいふべし、(卷七)にさぬかだとあるは、たを濁るなり、陀は豆羅の約にて、さぬかづらのとつゝけしなり、こゝとはことなり、
 
 挽歌。
3324 桂纏毛、文恐、藤原平都志彌爾、 繁々の略、
 
人下《ヒトハシモ》、 下は辭、
 
滿雖有《ミチテアレドモ》、君下《キミハシモ》、 上に同、【此皇子は何れか不知、或説に、高市皇子(ノ)命と申は誤なるよしは下にいふ、】
 
大座常《オホクイマセド》、 皇子たちは多くいませどもと云り、於保の假字の均しければ、字にはかゝはらず、類多きことなり、
 
往向《ユキマケル》、 去年とゆきことしと向ひ來るなり、向をまけと訓は、上の御かり立しゝ時は來向に同じ、
 
年緒《トシノヲ》長、 考下にあり、
 
仕來《ツカヘクル》、君|之《ガ》御門乎、 此君も右の同皇子なり、
 
如天《アメノゴト》、仰《アフギ》而見乍、雖畏《カシコケド》、思馮而《オモヒタノミテ》、 末の御榮を待なり、
 
何時可聞《イツシカモ》、日足座而《ヒタラシマシテ》、 記に、御子|生《アレ》坐とき詔(ハク)、何爲日《イカニシテ》足奉(ント)、答白取(リ)2御母《ミヲモヲ》1定2大|湯坐《ユヱ》若《ワカ》湯坐(ヲ)1宜《ヘシト》2日足1、故|隨《マニ/\》其后曰2以日奉1、こは生兒《ウマレコ》の日を足《タラ》するをいふ言なるを、此御若きほどの皇子に申すはいかゞあらん、
 
十五月之、 冠辭、五の下に夜を落しつらん、
 
多田波思家武登《タヽハシケムト》、 たゝはしは潮の滿|湛《タヽフル》といふが如し、此言は皇太子の即位の後を申せし所あれど、大かたの皇子をもかく樣に申せし例無にもあらず、
 
吾思《ワガオモフ》、皇子命者、 みこの命とは皇太子を申す例なれど、たゞの皇子にも向ひてはしかるなり、ことに薨たまひては崇むめり、(卷十四)安積《アサカノ》皇太子の薨時に、家持長歌、吾王、御子の命、萬代爾、食《ヲシ》賜麻思、といまだ儲君ならねどまをしたり、【二三の皇子を、皇太子に准て崇め申せし歌集中に多し、】
 
春|避者《サレバ》、植槻於之《ウヱツキガウヘノ》、 今昔物語に、敷下郡植槻寺、と有、神遊に、田中の森、といふも同じ、
 
遠人《トホツヒト》、 冠辭、
 
待之下《マツノシタ》道|湯《ユ》、 松に待をかね、
 
登之而《ノボラシテ》、國見|所遊《アソバシ》、 こは御遊びの時なればいふ、後世人はよしなきにもいふは轉々なり、
 
九月之《ナガヅキノ》、四具禮之秋者、 此言いさゝか後に近し、此時も平言はかゝりけん、
 
大殿之、砌《ミギリ・ニハモ》志美|彌《ミ》爾、露|負《オヒ》而、靡芽子《ナビケルハギ》乎、珠手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
懸而|所偲《シヌバム》、 御心に懸くなり、
 
三《ミ》雪|零《フル》、冬朝者《フユノアシタハ》、刺楊《サスヤナギ》、 冠辭、
 
根張梓矣《ネハルアヅサヲ》、 弓を梓とのみよみしは、此時世既に降しなり、惣て此歌は句ども穩ならず、右の芽子の言も前後に似ず、次々の言にもしかなり、
 
御手《オホミテ》二、所取賜而《トラシタマヒテ》、所遊《アソバシヽ》、我王矣《ワガオホキミヲ》、煙立《カスミタツ》、春日暮《ハルビモクレテ》、 長き春日も暮までにてふをかくいふは下にもあり、
 
喚犬追馬鏡《マソカヾミ》、 冠辭、
 
雖見不飽者《ミレドモアカネバ》 人麻呂もよみたり、
 
萬歳《ヨロヅヨニ》、如是霜欲得常《カクシモガモト》、大船之、 冠辭、
 
憑有《タノメル》時爾、妖言可《マガコトカ》、 妖を今本は涙に誤、可は一本に依て補、 
目鴨迷《メカモマドヘル》、 殯宮に坐と聞は※[手偏+王]津日神のいひ迷はすか、白布もて餝ると見るは、吾目の惡かと云り、
 
大殿矣、振放《フリサケ》見者、白細布、飾奉而《カザリマツリテ》、 (卷二人麻呂、皇子の御門乎、神宮に、装束奉而、
 
内日刺、 冠辭、
 
宮舍人者、 たゞの皇子の宮に事有時は、宮の舍人の参るべきに、宮の舍人とて春宮舍人にまがふべし、いかがあらん、
 
雪穗《タヘノホノ》、 (卷一)に同言を栲の穗と書し如く、たへは白布の名なり、その白きにより雪とも書つ、穗は上にいへる丹之穗にひとし、【雪のほといふに諸説あれど、皆末につきて本を極めぬなり、】
 
麻衣服者《アサギヌキレバ》、 喪には公私ともに白麻布を用る事、これに孝徳天皇紀などを合せて知べし、にび色にするはいと後なり、
 
夢鴨《イメニカモ》、現荷《ウツヽニ》鴨|跡《ト》、 荷を今本前に誤、夢なるかも現なるかもをこめて爾といへり、
 
雲入夜之《クモリヨノ》、 冠辭、
 
迷間《マドヘルホドニ》、朝裳吉《アサモヨシ》」 冠辭、
 
城於道從《キノウヘノミチユ》、 【城於道と云は、城といふ所のうへの道なり、かの植槻(カ)於といふが如し、】
 
角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石村乎《イハレヲ》見乍、 反歌に依に、石村は此葬まゐらする地故、其山を望みつゝ行なり、さて飛鳥よりは北、初瀬よりは南に、今もいはれといふ山有、(卷十四、春日藏首老、)角障經、石村毛不過、泊瀬山、何時毛將越、夜者深去通都、とよめるは、飛鳥の方より北へ向て行時なり、此度は藤原(ノ)都より南東へ向て、其石村にをさめんとて送まゐれり、是をもて思ふに、城於道は城上郡の磯城てふ所をいふか、又其邊に城といふ地有か、右にいふ如くなれば、廣瀬郡の城缶《キノベ》とは甚異なり、
 
神葬《カンハフリ》、葬祭者《ハフリマツレバ》、往道之《ユクミチノ》、田付|叫不知《ヲシラニ》、 是までに葬の事はいひはてゝ、次は偲奉る心をいふ、
 
雖思《オモヘドモ》、印乎無見《シルシヲナミ》、 六言、【無見をなしみと今本によみしは、ひがよみなり、】
 
雖嘆《ナゲヽドモ》、奥香乎《オクカヲ》無見、 今は皇子を見奉るよしもなければなり、 
御袖《ミソデノ》、 四言、
 
往《ユキ》觸之松矣、 上に國見遊、といひし所の松をいへり、
 
言不問《コトヽハヌ》、木雖在《キニハアレドモ》、荒玉之《アラタマノ》、 冠辭、年を略て月につゝけしにて、今よりの年月をいふ、
 
立月毎《タツツキゴトニ》、天如《アメノゴト》、振放見管、 右の松を見るなり、然れば今本に天原と有は誤しるければ如とせり、かの人麻呂がうたに、香來山之宮、云云、天之如、振放見乍、玉手次、懸而將偲、恐有騰文、てふに同じ、
 
珠手次、 冠辭、
 
懸而|思名《シヌバナ》、雖恐有《カシコカレドモ》、
 
 反 歌
3325 角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石村《イハレ》山丹、白栲《シロタヘニ》、 こは白栲の如くにと云にて、冠辭にあらず、 
懸有《カヽレル》雲者、吾王可聞《ワガオホキミカモ》、」 古本吾王と有、今本皇と有はこゝにはわろし、○藤原の末の歌とする時は、雲は火葬の烟ぞといふべけれど、皇極天皇紀に、皇孫建王の過給ひし後の大御歌に、「いまきなるをむれがうへに、雲だにも、しるくしたゝば、何かなげかん」ともよみませしかば、たゞ白雲と意得つべし、石村山は東の高山につゞきたれば、雲のかゝるべきなり、右を或人は高市皇子薨ませし時の歌といへるはかなはず、何ぞといはゞ、日足ましてといふは、もと緑兒をいふなるを、強て御若く二十にもたらぬ間まではいひもせんか、そも猶よくはかなはず、然るに高市(ノ)皇子(ノ)命の薨ませしは、御とし四十餘なるべければよしなし、又高市皇子命の御墓は、廣瀬(ノ)郡御立岡と諸陵式に見え、且(卷二)の同皇子(ノ)命を申す端詞の城上《キノベノ》殯宮と、こゝの城於道とは相似て聞ゆれど、彼は廣瀬郡城缶、こゝは城上郡城上にて、城於は石村へ送りまゐる道に有所の名にて、殯の宮所にすらあらぬをよく考見よ、此外にいふことあれど、さのみはいはず、ただ是は、まだしき歌人の、(卷二)に擧し人麻呂の二皇子(ノ)命を悲奉りし歌を專ら用て、くさ/\の事を添つゝふるまひよみし故に、言よくもゆかで、皇太子に申べき言も交りしものなり、よろづに心をやりて見よ、【高市皇子(ノ)命は、大津宮の十年の亂に軍師となり、清見原の御代を經て、藤原宮天皇十年に過給へれば、御年知べし、惣て飛鳥宮の始より奈良宮までに、皇太子の薨ませしは、日並知高市二命の外はなし、さて日並知命は此歌によしなく、高市(ノ)命も右に云如くなれば、たゞ皇子の薨給ひし時の歌成こと、何かうたがはんや、】
 
3326 磯城島之《シキシマノ》、 冠辭、
 
日本國爾《ヤマトノクニヽ》、何方《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、津禮毛無《ツレモナキ》、 此言は連も無てふ、を本にて縁も無こゝろにも轉じいへり、別記に委、
 
城上《キノヘノ》宮爾、 (卷二)の挽歌に、高市皇子尊城上殯宮、とあれば、此うたは同尊の殯宮の時、舍人の中によみたるなり、
 
大殿乎《オホトノヲ》、都可倍奉而、 陵を造仕奉なり、
 
殿隱《トノゴモリ》、隱在者《コモリイマセバ》、 陵(ノ)内に御臥坐をいふ、
 
朝者《アサゲニハ》、召而使《メシテツカハシ》、夕者《ユフゲニハ》召而|使《ツカハシ》、遣之《ツカハシヽ》、 是も上と同じく使ましゝこと重云り、舍人は此時は御階の下御門などを守、また假の御使を仕奉れり、
 
舍人之子等者《トネリノコラハ》、行鳥之、群而待《ムラガリテマチ》、有雖待《アリマテド》、 有は例のことば、
 
不召賜者《メシタマハネバ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
磨之心乎《トギシコヽロヲ》、天雲爾、念散之《オモヒハブラシ》、 散は放なり、(卷二)に行方も不知、といへるが如し、
 
展轉《コヒマロビ》、 こひはこやすともいひて、ふしまろびなくなり、
 
土打哭杼母《ヒヅチナケドモ》、 ひづちはなみだに漬をいふ、別記有、【から文に土を撃といふ意にはあらず、】
 
飽不足《アキタラズ》可聞、」 是は上の歌とことにて、高市皇子命殯宮の時の歌なれど、よみ人しられねば、此卷に入たるなり、さて反歌は落失しものぞ、此頃の長歌に反歌なきはあらねばなり、
 
3327 百小竹之《モヽシヌノ》、 冠辭、
 
三野王《ミヌノオホキミ》、 天武持統二天皇紀に見ゆ、和銅元年紀に、治部卿彌努王卒、とあり、野を古は奴と唱へし故に、三野王ともかきぬ、【天平十六年二月紀に、正三位牟漏王薨、贈從二位、栗隈王之孫、從四位下美努王之女也、と云り、】
 
金厩《ニシノウマヤ》、立而飼駒《タテヽカフコマ》、角《ヒンガシノ》厩、立而飼駒、 角は東に當れり、左氏傳注に青聲は角、
 
草社者《クサコソハ》、取而飼旱《トリテカヘカニ》、水社者、※[手偏+邑]《クミ》而|飼旱《カヘカニ》、 旱は歟爾に借たり、馬は草水など飼とき鳴ものなれば、先しかいひて、されども多の馬のつねよりことになくは、何ごとぞといぶかるなり、
 
何然《ナニシカモ》、大分青馬之《マシロノコマノ》、鳴立鶴《イバヒタチツル》、 東西の厩をいふは、多の馬の鳴をしらせつれ、立て鳴を後世も鳴立といへり、且犬馬の主をしたふは、和漢の書に多く見ゆ、大分青馬はたゞ眞白なる意なるを、筆ずさみにかく書し物ながら、冠辭考につぶさにす、此歌のこゝろはかへし歌の下にいへり、
 此王は和銅元年五月卒らる、其比の歌は漸よわく成行しを、こは古へぶりをよく得てめでたきは、古人の猶在てよめる歌なりけり、人麻呂も此年ころに身まかりしなれば、思ひ合すべし、されども上の句は多くの馬をいふと聞るに、末に白馬をのみいふは、葬の馬のよしか、しからば強ごとなり、何ぞといはゞ、葬にも我朝には何馬てふ定なし、此下の挽歌に、烏玉之、黒馬爾乘而、とも有なり、人麻呂は一言もから事を用ざれば、もしから風によらば、ひがことゝしるべし、
 
 反 歌、
3328 衣袖《コロモテノ》、 冠辭、
 
大分青馬之《マシロノコマノ》、嘶音《ナクコヱヲ》、情有鳧《コヽロアルカモ》、常從異鳴《ツネニケニナク》、」 反歌までもかくのみなるは、(卷一)に、人麻呂のあふみの荒都の長歌に、春日か霧る、夏草か、茂く生たる、とおぼめけるにおなじ意にて、王はいまさぬものとも思えぬに、馬の常ゆことに鳴をうたがひしこそ深き心の餘なれ、古人の歌の心をこれらにてしるべきなり、
 
3329 白雲之《シラクモノ》、棚曳《タナビク》國之、青《アヲ》雲之、向伏《ムカブス》國乃、 枕詞に多き言にて、遠く向ふ天涯に伏て有雲を以て遠き國を指なり、
 
天雲《アマクモノ》、下有《シタナル》人者、 上は遠き白雲、こゝはたゞ天をいふのみ、 
妾耳鴨《アノミカモ》、君爾戀濫、吾耳《アノミ》鴨、夫君爾戀禮薄《セコニコフレバ》、天地《アメツチニ》、滿言《イヒタラハシテ》、戀鴨《コフレカモ》、 上に、八十の心呼、天地二、足橋、といへるに似て、滿言とは、天地の神に言擧し、雲風草木に譬て言を盡すをいふ、
 
胸之病有《ムネノヤモヘル》、念《オモヘ》鴨、意之痛《コヽロノイタキ》、妾戀叙《ワガコヒゾ》、日爾|異《ケ》爾|益《マサル》、何時橋物《イツハシモ》、不戀時等者《コヒヌトキトハ》、 とてはなり、
 
不有友《アラネドモ》、是九月乎《コノナガツキヲ》、吾背子之《ワガセコガ》、偲丹爲與得《シヌビニセヨト》、千世爾物《チヨニモ》、 四言、
 
偲渡登《シヌビワタレド》、前代爾、語都我部等《カタリツガヘト》、 我部は、解の延言、
 
始而之《ハシメテシ》、 死せし時を云、
 
此九月之、過莫乎《スギマクヲ》、伊多母爲便無見《イタモスベナミ》、 痛もなり、伊登に同じ、
 
荒玉之、 冠辭、
 
月乃易者、 新喪の月をばことにすれば、年經て後にも其月を忌日とて喪のごとくす、
 
將爲須部乃《センスベノ》、田度伎乎不知《タトキヲシラニ》、石根之《イハガネノ》、許凝敷《コヾシキ》道之、石床之《イハトコノ》、根延門呼《ネハヘルカドヲ》、朝庭《アシタニハ》、 庭は借字、
 
出居《イデヰ》而|嘆《ナゲキ》、夕《ユフベ・ユフケ》庭《ニハ》、入座戀乍《イリヰコヒツヽ》、」 右の石根之云云四句は、こゝによし無言とも聞ゆるを、思ひめぐらせば、夫の墓屋に妻のやどりゐてよめる歌にて、墓はかゝる岩ほ有山なれば、有ところのさまもてよめるなりけり、墓屋の事は(卷二)に出たり、これより下の句ども、反歌をかけて落失たり、こは古き代の歌ならねば、必反歌の有べきに、今なきにても末の失しは知べし、右古からねどよろしくよみし歌なるを、末の落しこそをしけれ、
 烏玉之、黒髪敷而、人(ノ)寢、味寢者不宿爾、大船之、行良行良爾、思乍、吾寢夜等者、數物《ヨミモ》不敢鴨、此九句今本には右の入座戀乍てふ言につゞけ載たれど、上の相聞の條に出たるはさる事にて、挽歌のなげきにあらぬ事、上にいへるが如し、しかれどもその分ちを見しらんが爲に小字に記せり、
 
3330 隱來之《コモリクノ》、冠辭、
 
長谷之《ハツセノ》川之、上瀬《カンツセ》爾、鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》、下瀬爾、鵜矣|八頭漬《ヤツカヅケ》、上《カミツ》瀬之、年魚矣令咋《アユヲクハシメ》、 鵜の含て出るを咋といふ、
 
下瀬之、鮎《アユ》矣令咋、 これまで十句はくはし妹といはん序なり、かく長き序記にも此集にも多し、此古歌の意をも例をもおもはずて、右の序によせし心ありとする説はひがことぞ、【今本此處の言、字も訓も、序の言に縁たれど、古へは序も冠辭もいさゝかだに下へひゞくをいみしをしらで、後世の俗意を以て鮎とは書しなり、】
 
麗妹爾《クハシイモニ》、 よろしき女をくはしめといふこと、應神天皇紀の御歌を始て多くあり、委は冠辭考に出、
 
辭遠借《コトトホザカリ》、 今本|鮎遠惜《アユヲアタラシ》、と書るは字も訓もよしなし、一本鮎を欽とせるも理なく、古本は此所字消て三句ばかり明らかならず、今上下の言をおもふに、鮎は辭を誤れりとして右のごとくせり、
 
投左乃《ナクルサノ》、 冠辭、
 
遠離居而《トホザカリヰテ》、 是は居所の遠きなり、右は相語ことの遠きなり、然ればわざと重ねいひてことを明し、その拍子をも成つ、仍て考ふべきなり、【或説、此遠離にもむつかしき理を云はわらふべし、】○(卷二)の、人麻呂、隱づまの死を悲める如く、是も遠き所なりし思ひづまの死たるなり、
 
思空《オモフソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、嘆空《ナゲクソラ》、不安國、 死たるてふ言をいはぬは、(卷二)の人麻呂の歌どもにもしか有、
 
衣社薄《キヌコソハ》、其破者《ソガヤレヌレバ》、縫乍物《ヌヒツヽモ》、又母相登言《マタモアフトヘ》、 いへをへとのみいふは例なり、此たとへ言にて死をしらせたり、
                     
玉社者、緒之絶《ヲノタエヌレバ》、八十一里喚※[奚+隹]《クヽリツヽ》、 或人※[奚+隹]を喚に今は登登といふ、古は門々といひつらんに依て、喚※[奚+隹]をつゝの假名にせしかと云はしかなり、今は、追馬にしゝといふを、古は曾といひしと聞ゆるがごとし、【今又母※[奚+隹]の子を喚をつゝ鳴すといへれば、その事とすべけれど、こゝに喚※[奚+隹]子ともかゝねば暫或説に依なり、もし子を畧くか、又此喚※[奚+隹]に付て古言の傳など云はとるにたらず、】
 
又物|逢登曰《アフトヘ》、又毛|不相《アハヌ》物者、※[女+麗]爾志有來《イモニシアリケリ》、」 爾は古本による、このうたはいさゝか古し、
 
3331 隱來之、 冠辭、
 
長谷之山、 六言、
 
青幡《アヲハタ》之、 此事冠辭再考につぶさにす、
 
忍坂《オザカノ》山者、 雄略天皇紀に、擧暮利矩能《コモリクノ》、播都制能野磨播《ハツセノヤマハ》、伊底※[手偏+施の旁]智能《イテタチノ》、與慮斯企野磨、和斯里底能、與慮斯企夜磨能、據暮利矩能、播都制能夜磨播、阿野※[人偏+爾]于羅虞波斯、阿野※[人偏+爾]于羅虞波斯、てふ大御歌の言をとり用ゐて、もろ/\よろしくうら妙しき人の身まがれるを譬へてをしむなり、此二山もて一人の人のくさ/”\かねたるをいふ、と或人のいへるはさもありぬべし、
 
走出之《ワシリデノ》、宜山之《ヨロシキヤマノ》、 此言右に引たる紀に、泊瀬一つをのたまひしを、こゝは二山のさまを分ちいへり、然ればはつせの山は山の尾前へ廻りて、穴磯山まで引つゞけるを走出といひ、忍坂は山立のよろしきをいふにやあらん、しか見ても一人をいふに嫌なし、
 
出立之《イデタチノ》、妙山叙《マグハシキヤマゾ》、 まぐはしてふ言は上に出づ、
 
惜山之、 あたらすがしめ、など紀の大御歌にも有て惜むことなり、
 
荒卷惜毛《アレマクヲシモ》、」 まくはむを延たる言にて、あれんと末をかねていふなり、然れば此ぬし榮ゆべき世を速過て、あたら眞くはしき名も失行べき事を、荒ぬ山のあれ行ん譬に取しにや、
 
3332 高山|與《ト》、海社者《ウミコソハ》、山(ノ)隨《マニ》、 まにはまゝにの略にて、古今もとのまゝに在をいふ、
 
如此《カク》毛|現《ウツクシキ》、 現はかはらで世に在なり、しきは事を強むることば、
 
海隨《ウミノマニ》、然毛直有自《シカモタヾナラメ》、 然毛は右の如此毛に同じ、此毛は古本もて補へり、直は常といふに均しくて、右の現にむかへいへり、
 
人者|花物曾《アダモノゾ》、 今本充と有は心得がたし、古本に依て花とす、集中にははなと訓て、あだの意なる有、打かへし見よ、
 
空蝉與人《ウツセミノヨヒト》、」 空蝉は借字にて、顯の身の世人と云なり、此委しき事は冠辭考にいひつ、(卷十六)に「いさなとり、海や死する、山やしにする、しねばこそ、海は汐干て、山は姑すれ、」ともいへり、〇右の長歌二つは、いと古き世の歌にて、言少くして心たけたるいひなしなり、後の言多く心つたなきをおもひ合すべし、
 
3333 王之《オホキミノ》、御命恐《ミコトカシコミ》、秋津島《アキツシマ》、 冠辭、
 
倭雄過而《ヤマトヲスギテ》、大伴之、 冠辭、
 
御津之濱邊從《ミツノハマベユ》、大舟爾、眞梶繁貫《マカヂシヾヌキ》、旦名伎爾《アサナギニ》、水手之音爲乍《カコノトシツヽ》、 舟人の聲なり、こゑおと通はしいふのみ、
 
夕名寸爾《ユフナギニ》、梶音《カヂノト》爲乍、 此四句女歌につけてうるはしくやさし、
 
行師君《ユキシキミ》、 筑紫に任てゆきし人任のうちに身まかれるを、京にある妻のきゝてかなしみよめるなり、
 
何時來座登《イツキマサムト》、幣置而《ヌサオキテ》、 今本こゝを大夕卜置而と有、古本に幣卜置而、と有も共に字の亂たるなり、卜を置といふも聞えず、仍て思ふに幣の字なる事、次の言にてもしるければ、たゞちに改め書たり、
 
齋度爾《イハヒワタルニ》、枉言哉《マガコトヤ》、人之|言釣《イヒツル》、 釣は借字、 
我心、盡之《ツクシノ》山之、 待戀るに心をつくしと云懸、
 
黄葉之《モミヂバノ》、散過去常云《チリスギヌトフ》、 今本云字なくてちりてすぎぬと訓しは言たらず、云は一本によりて補へり、
 
公之正香乎《キミガマサカヲ》、 まさかは、今と成たる當《ソノ》時をいふ、末の字は枉言云云の言へかへれり、
 
 反 歌
3334 枉言哉《マガコトヤ》、人之|云鶴《イヒツル》、玉緒乃《タマノヲノ》、 冠辭、
 
長登《ナガクト》君者、言手師物乎《イヒテシモノヲ》、 かくさまの事をいひて、なきをらぶは古も今も均し、然ればそのなきつゝいふ言を歌とせしなり、ゆゑにあはれに聞ゆ、後世は歌はこと事を作るものと思ひ誤るから感たき歌なし、我友思へ、
 
3335 ○玉桙之《タマホコノ》、 冠辭、
 
道|去《ユク》人者、足檜木之《アシビキノ》、 冠辭、
 
山|行野往《ユキノユキ》、水激《ミナキラヒ》、 今本直海と書て、次の川までかけてひたすがはと訓しは、何の意とも聞えず、或人|直渉《タヽワタリ》なるべしといへるは、字に付てよし、されど直渉は末にこそいはめ、こゝに用なし、こゝは水激の字なりけり、水激と水海とは草にて近し、かくてこそ末の言へかけて、滯なく言もおたしければよりて今改めつ、(卷七)今本、水飯合、川副者、てふも飯は激を誤れるにて、水激合《ミナギラフ》、川副者《カハノソフレバ》、と訓ことなり、
 
川|往渡《ユキワタリ》、不知魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海道荷出而《ウミヂニイデヽ》、惶八《カシコシヤ》、神之渡者《カミノワタリハ》、 いづこぞや、或本の端詞に、備後の神島濱とあれど、とらぬよしはそこにいへり、
 
吹風母《フクカゼモ》、和者不吹《ノドニハフカズ》、立浪母《タツナミモ》、疎者不立《オホニハタヽズ》、 凡ならず高浪の立所といへり、【こゝを今本、おほにたゝずと、たかなみの、と訓しはいふにもたらず、】○者は上の例に依て加へつ、
 
跡座浪之《シキナミノ》、 跡座は、(卷二)の挽歌の跡位と有所に委くせれど、猶もいはゞ、跡は敷こゝろ位と座は均し、惣て殿の席は事有時、その座べき人々の位次によりて敷設るなり、故に跡位とも書たり、さてしきなみは、重《シキ》立浪の事なるもうへにいへり、【後世は疊を常にしきみてて置を以て惑ふことなかれ、】
 
立塞道麻《タチソフミチヲ》、 浪の立障る道といふにて、汐滿風立時は磯路まで高浪の越めり、今も北陸道にはさる所々有て、人溺死こと有といへり、後の歌に、清見潟、浪の關守、といへるも是に似たり、
 
誰心《タガコヽロ》、勞跡鴨《イトホシトカモ》、直渡異六《タヾワタリケン》、 誰心云々、とは故郷人の待わふらんを勞しとて、いそぐまゝに、此重浪の立時に歩わたり爲けんといふなり、さて溺死つらんてふことを、反歌にてしらせたるは、古歌の一つの體なり、【こゝの直渡は用有、上は旅のさまの凡をいふのみなれば、直渉とては徒なるに似たり、此あはひは、うたよむ人しることぞ、】
 
 反歌、 今本こゝには反歌なくて、次の歌に二首、或本の歌に四首あり、考るに、こゝなるは落て、或本にとどまりしなり、さればこゝに載べきと次の歌に付べき歌は、おのづからしるければ、今こゝへ三首をとりつ、故よしは其歌にいへり、
 
3338 蘆檜木乃《アシビキノ》、 冠辭、
 
山道者將行《ヤマヂハユカム》、風|吹《フケ》者、浪立塞《ナミノタチソフ》、 此言もて右の反歌なるをしりぬ、○上に浪之立塞、とあれば、立の字は必有べきに、今本浪之塞とのみ有は、立を之に誤る、之の下立を落せしか、暫立の誤とせり、
 
海道者不行《ウミヂハユカシ》、」 おくるゝものゝ心つとむるなり、
 
3341 家人乃《イヘビトノ》、將待物矣《マツラムモノヲ》、津烈裳無《ツレモナキ》、 つれもなきは、由縁もなきと同意なるよし既にも見え、別記にもいへる如くこゝにかなへる言なり、今本烈を煎に誤て、つにもなくと訓しは、常も無てふ事とおもへるにや、此集を見わたしもせぬものゝ訓なり、或人も隨ていひしは、いふにもたらず、
 
荒磯矣卷《アリソヲマキ》而、偃有公鴨《フセルキミカモ》、」 初の二句は、右の誰心勞跡鴨、てふにあたり、四五の句にて死臥をるをいへれば、右の反歌なり、
 
3342 ※[さんずい+内]潭《イリフチニ》、偃爲公矣《フシタルキミヲ》、 片淵の淀へ波に打よせられてあるをいへり、
 
今日今日跡《ケフ/\ト》、將來跡將待《コムトマツラム》、妻之《ツマシ》可奈思母、」 次の長歌と反歌に、父母また妻子をいひしかば、妻を並べいふべからねば、此歌はこゝに入べきを知ぬ、且同じ歌ながら、始めの長歌反歌はこと廣く、次はこまかにいひしものぞ、
 
3336 鳥音《トリガネノ》、不所聞海爾《キコエヌウミニ》、 今本鳥音之、所聞海爾、と有はいかほどの遠き處まで鳥がねは聞ゆるものと思ひけん、人笑へなる事なり、古今歌集に、飛鳥の、聲もきこえぬ、奥山、といへるが如く、山の奥がおくには獣すらすまずといひ、海も至りて人氣遠き磯などには鳥もすまず、魚だになしとこそいへ、然ば右の之は不の誤疑なければ改たる事しかり、【或人景行天皇紀に、相摸國に覺賀《カクガ》鳥のこゑせしなどを引しはよしもなし、其海は、西南伊豆安房上總、東北は相摸武藏下總の間の入海にて、※[さんずい+内]江などは家つ鳥のこゑきこゆべし、】
 
高山|麻《ヲ》、障所爲而《ヘダテニナシテ》、奥藻麻《オキツモヲ》、枕丹卷而、 世はなれたる高山の間の※[さんずい+内]潭のさまなり、○今本こゝを枕所爲と有はわろし、或本に依、
 
蝦葉之衣《カハノキヌ》、 革の衣なり、古は專らかは衣を着たり、今本|蛾《カ》葉と有は、蝦を蛾に誤しなり、皇朝の言の始を濁ることなければ誤明らけし、
 
浴不服爾《スヽキモキズニ》、 有さま見るが如し、
 
不知魚取《イサナトリ》、海之濱邊爾《ウミノハマベニ》、浦裳無、 何心も無なり、
 
所宿有人者《フシタルヒトハ》、 或本偃爲とあるによりてよめり、
 
母父爾《ハヽチヽニ》、眞名子爾可有六《マナゴニカアラム》、 嫡妻《ムカヒメ》の生るを眞子といひておやの愛みもことなり、
 
若蒭之《ワカクサノ》、 冠辭、
 
妻香有異六《ツマカアリケム》、思布《オモホシキ》、言傳八跡《コトツテムヤト》、家問者《イヘトヘバ》、家乎母|不告《ノラズ》、名問跡《ナヲトヘド》、名谷《ナダニ》母不告、哭兒如《ナクコナス》、言谷|不語《トハズ》、 ものもいはずてふを古はことゝはずと云り、
 
思鞆《オモヘドモ》、 おもへど/\、とかへしいふに同じ、後の物語ぶみにもいへり、 
悲物者《カナシキモノハ》、世間有《ヨノナカニゾアル》、 此二首の長歌いと古からねど、事をばよく寫したり、藤原の宮のはじめの頃にやよみけん、
 
 反歌、【今本或本に、反歌六首あれど、一首は此母父もてふを重ね載たり、故除きて五首として、三首は上に引上しことそこにいふ、】
3337 母父毛《ハヽチヽモ》、妻毛子等毛《ツマモコドモヽ》、高々二《タカ/\ニ》、 遠々になり、
 
來跡待羅六《コムトマツラム》、 今本|持異六《マチケム》、とあるはよくもかなはず、一本に依て羅六とせり、
 
人之|悲沙《カナシサ》、」 こは長歌の、母父爾、といふより四五句の間をもてよめり、 
3343 澳浪《オキツナミ》、 今本※[さんずい+内]浪、とあれど、※[さんずい+内]淵※[さんずい+内]江などこそいへ、いるなみてふ言も聞えず、又いる波の來よするてふも穩しからず、仍て※[さんずい+内]は澳の畫の消し物として、おきつなみとす、
 
來依濱丹《キヨルハマニ》、津烈裳無《ツレモナク》、 是も烈を煎に誤れること上の如し、
 
偃有公賀《フシタルキミガ》、家道不知裳《イヘヂシラズモ》、」 長歌に、家問者、といふより下の意なり、
 
 △或本歌、今本に、備後國神島(ノ)濱(ニ)調使主《ツキノオミガ》見v屍作歌一首并短歌、とあるは、此卷の或本に有べき事にあらず、【調は氏、使主はかばねなるを、今本に使首と有は誤れり、】(卷七)より下の家々の家集どもには、國地よみ人歌の數をも書し多ければ、それが中などの或本にやあらん、此類の註はいと物心得ぬ人の書し故、こともあきらかならぬ多きなり、さて此或本の歌は甚亂て、上の二首の混て一首の如くなれるにて、取にもたらねど、猶疑ふ童のために左に註せり、【圓のしるしは初の長歌、方のしるしは次の長歌の言なり、これを以て二首の混たるをしり分つべし、】
 
3339  玉桙之、道爾出立、葦引乃、野行山行、 (山を先いふべし、)
 
 潦、(水激の誤なる事上にいひつ、)
 
 川往渉、鯨名取、海賂丹出而、吹風裳、於穗丹者不吹、立浪裳、箆跡丹者不起、恐耶、神之渡者、 (此次の句どもこゝに落て下に有、)
 
 鳥(カ)音、不所聞海爾、
 □□□□□□□、 (こゝに此二句もれたり、)
 
 敷《(一)(ニ)》浪乃、寄濱邊丹、高山矣、部立丹置而、※[さんずい+内]潭矣、枕丹卷而、
 蝦葉之衣、浴不服爾、不知魚取、海濱邊爾、
 □《(三)》□□□□□□□□□□□□□□□、(字落、)
 
 占《(四)》裳無、偃爲公者、母父之、愛子丹裳在將、稚草之、妻裳將有、
 
 □《(五)》□□□□□(二句落、)
                        哭兒如
 家《(六)》問跡、家道裳不云、名矣問跡、名谷不告、□《(七)》□□
 
 言谷不語、思鞆、悲物者、世間有、
 □□□□□□□□□□□□、(五句おちたり、)
 
 誰之言矣、勞鴨、腫浪能、恐海矣、直渉異將、(此五句は、右の神之渡乃てふ次に句ども落て、それが末に付たる句なる事上に擧し歌もて見るべし、)
 
3344 此月者《コノツキハ》、君將來跡《キミキマサムト》、大舟之、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、何時可登《イツシカト》、吾待居者《ワガマチヲレバ》、黄葉之、 冠辭、
 
過行跡《スギテユキヌト》、玉梓之《タマヅサノ》、 冠辭、
 
使之云者《ツカヒノイヘバ》、螢成《ホタルナス》、髣髴聞而《ホノカニキヽテ》、大土乎《オホツチヲ》、 今本土を士に誤る、
 
足蹈駈《アシフミカケリ》、 今本太穗跡と書て、上の大士をますらを、次をはたとゝのふと訓しは、こゝに有べき言かは、こゝは古本に足※[足+昆]跡、とあり、仍て思ふに、是蹈駈など書しを誤し事しるければ改つ、【(卷十)菟原處女をよむに、今本※[足+昆]他と有を一本頓地とす、是蹈地の字にて、たちおどりと訓べきなり、異事ながら字の誤るさまをおもひ合よ、】
 
立而居而《タチテヰテ》、去方毛不知《ユクヘモシラニ》、朝霧乃《アサギリノ》、 冠辭、 
思惑而《オモヒマドヒテ》、杖不足《ツエタラズ》、 冠辭、
 
八尺乃嘆《ヤサカノナゲキ》、 上にいづ、
 
嘆友《ナゲヽドモ》、記乎無跡《シルシヲナミト》、何所鹿《イヅコニカ》、君|之將座跡《ガマサムト》、天《アマ》雲乃、 冠辭、
 
行之隨爾《ユキノマニマニ》、所射宍乃《イルシヽノ》、 冠辭、
 
行文將死跡《ユキモシナムト》、思友《オモヘドモ》、道之不知者《ミチシシラネバ》、獨居而、君爾|戀爾《コフルニ》、哭耳思所泣《ネノミシナカユ》、
 
 反 歌
3345 葦邊往《アシベユク》、雁之翅乎《カリノツバサヲ》、見別《ミルゴトニ》、 別は集中又祝詞に多くは殊字の意なり、此歌と式などには毎字と均し、仍てこゝは見る度ごとにと心得べし、今本見わかれてと訓しは理りなし、
 
公之佩具之《キミガオバセシ》、投箭之所思《ナグヤシオモホユ》、 今本おひこしと訓しはよろしからず、○此短歌右の長歌には餘に事遠し、もし此上に今一首の短歌有しが落しにや、【註にこれを防人の妻の歌といへるはひがことぞ、東歌には東ことばのましらぬはなきに、此長歌にさる言なし、又古の男はすべてかりせぬはなしと見ゆ、防人のみと思ふは後世意なり、】
 
3346 欲見者《ミマホレバ》、雲居所見《クモヰニミユル》、 今本雲井と有は古へにかなはず、又井はかなゝれば、爾の字をしるすべきに、無にても誤はしるし、故に井は居の草より誤たりとす、
 
愛《ハシキヤシ》、十羽能《トハノ》、松原、 下の辭を皆略き書には、愛一字も書こと集の例なれど、此書體に似ず字落しならん、仍て思ふに十羽も必と爲がたし、且此地名もろ/\の國にあればいづこと指がたし、
 
少子等《ヲサナゴト》、率和出將見《イザヤデヽミム》、 此下に言多く落しものなり、次の言に間遠し、【いでゝをでゝとのみいふは集中に多し、】
 
琴酒者《コトサケバ》、 殊更に吾を放離んとならば、國に在ほどにこそさけめ、今他國の任にゐざなひ來て放るよと恨たり、此放は死わかれなり、
 
國丹|放甞《サケナメ》、 甞もつぎの南も借字にて辭のみ、
 
別避者《コトサケバ》、宅仁離南《イヘニサケナン》、乾坤之《アメツチノ》、神志恨之《カミシウラメシ》、 祈ることをいはぬは、略過て古意ならず、
 
草枕、 冠辭、
 
此羈之氣爾《コノタビノケニ》、 氣は月日といはんが如し、
 
妻應離哉《ツマサクベシヤ》、 (卷八)寄船とて、殊放者、奥從酒甞、湊自、邊著經時爾、可v放鬼香、ともあり、
 
 反 歌
3347 草枕、 冠辭、
 
此羈之氣爾、 或本羈乃氣二爲而、と有もひとし、
 
妻放《ツマサカリ》、 上の妻さくべしやは女の我をいひ、この妻は夫をいへり、字に泥むことなかれ、【或説此松原に夫のしにてあるをいふか、といへるはとらず、】
 
家|道思《ヂオモヘバ》、生爲便無《イケルスベナシ》、」 初めに欲見者、といへるは、こゝの松原のけしき、わが故郷に似たれば、しかいへるか、こは國任ならんに、國に任し人身まがれば、妻子歸さるゝことなるに、かくて在はいと遠き任にて、さるべき便待間のなげきなるべし、仍てふと思ふをいはゞ、(卷十)筑波山の歌に、新治乃、鳥羽能淡海、といへれば常陸などの任なりしか、こはかいやりてん、
 
3302 紀伊《キノ》國之、室之江邊爾《ムロノウミベニ》、 和名抄に、紀伊國、牟婁郡、牟婁郷、
 
千年爾《チトセニ》、障事無《サハルコトナク》、萬世爾、如是將有登《シカモアラムト》、大舟乃、思恃而出立之《オモヒタノミテイデタチシ》、 千年と云々、といふに依に、京に史生などにて在し人、妻をゐて本國へ歸し故にかくよみしか、
 
清瀲爾《キヨキナギサニ》、 此國の浦濱は世にことなり、
 
朝名寸二《アサナギニ》、來依深海松《キヨルフカミル》、夕難伎爾《ユフナギニ》、來依|繩法《ナハノリ》、 清瀲よりこゝまでは、其所のさまもて句中の序とせしのみなり、或人この言ともに寄たる意ありとするはひがことぞ、
 
深《フカ》海松之、深目思子等遠《フカメシコラヲ》、繩法之、引者|絶登夜《タユトヤ》、 繩といふより絶といひて、そのゐてこし妻の死たるを云なり、されども次につゞく言なきは、此間に言の落しものなり、【或説(ニ)妻離れ失しにやといへるはひがことなり、上の言下の尋るさまたゞにあらず、こは(卷二)に出し人まろの、隱づまの死を悲る歌の言を思ひてよめる、奈良人の歌なれば、かく言も明らかならぬか、上に句も落しかば、いよゝ明らかならぬを、よくも見ぬものなり、】
 
散度人之《サトビトノ》、行之屯爾《ユキノツドヒニ》、 今本屯を長に誤つ、一本に依て改む、屯は神武天皇紀によれば、いはみと訓べけれど、此歌は後なれば從ひてつどひにとよめり、
 
鳴兒成《ナクコナス》 此言集中に多かれど、次にしか有べき言の無はあらず、然ればこゝに言の落たること知し、慕行雖、獨谷、似而志阿羅禰婆、などの如き句ども有べきなり、【又鳴子成ゆくといひかけしにや、といふは強ごとなり、凡いひかくる言に甚古きと今の違あるをおもはぬ説なり、】
 
行取《ユギトリ》左具利、 靱に行字を借べきにあらず、思ふに上の慕行の言亂れて行字のみ殘り、こゝの靱も落し所へ後人引つけてかくはしつらん、又此上にも物部之などいふ句落つらん、○取左具利は手を背へやりて靱の矢を探取なり、
 
梓弓《アヅサユミ》、弓※[弓+肅]振起《ユズヱフリオコシ》、 今本※[弓+肅]を腹に誤、こは神代紀の言也、
 
志之岐羽矣《シノギバヲ》、 鳥の風切羽といふをいへり、こはいかなる風をもよく凌ぎ行故に、征矢に專らとすれば、此名有べし、
 
二手挾《フタツタバサミ》、離兼《ハナチケム》、 ゆきとりさぐりよりこなたは、又句中の序なり、句中に多く序をいへるはまれにて、をかしくもあらず、かくて死を思はせていへるは例なから、こは定にも聞えぬは、上に句ども多く落し故にても有べし、
 
人斯悔《ヒトシクヤシモ》、戀思者《コヒシオモヘバ》、」 こは奈良人のふるまひてよみしにて、言どもよくおちゐぬ歌也、○反歌は落失しものぞ、
 
3303 里人之《サトビトノ》、吾丹告樂《ワレニツグラク》、 此上に言落しか、かくても聞ゆ、或人これも右の歌につゞけるならんといへるは、ふと見ていへるなるべし、彼は紀伊の國、是はやまとの神なびをこそよめれ、且こはいさゝか古き歌、かれは奈良の初の歌なり、
 
汝戀《ナガコフル》、愛妻者《ウツクシヅマハ》、 妻はかゝはらで書しにて夫をいへり、 
黄葉之《モミヂバノ》、散亂有《チリマガヒタル》、神名火之、彼山邊柄《ソノヤマベカラ》、 彼は或本に依、今本此と有はとらず、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
黒馬爾乘而《クロコマニノリテ》、 黒を除てもよめど、猶くろごまてふ例多きによれり、 
河瀬乎《カハノセヲ》、七瀬渡而《ナヽセワタリテ》、 (卷八)飛鳥川、七瀬の淀、とよみつ、
 
裏觸而《ウラブレテ》、 集中に夏草の、しなえうらぶれ、と多くよみて、愁はしく物思ふ人のさまをいふ、
 
妻者會登《ツマハアヘリト》、 夫をいふ、
 
人曾|告鶴《ツゲツル》、 葬を送るにあれば、即死者の乘て行を見し如くいへるは歌なり(卷八)挽歌に「秋山の、もみぢあはれと、うらぶれて、入にし妹は、まてど來まさね、」てふもうらぶれてといふは、その死者の入しを見しが如くよめるに、かぎりなきあはれあり、むかし人は此意にたけたり、後の人の理屈もていふごとくおもへるがつたなさよ、【歌はたゞその時の心のまゝにいふに違ふ事なし、それにいさゝかも思ひかへす心有ていへるは調らず、天地の有のまゝをいふこそ神の道なれ、】
 
 反 歌
3304 不聞而《キカズシテ》、黙然有益乎《ナホモアラマシヲ》、 きかずはなほ/\の悲にてあらんものをと云り、此なほは直進の直なり、
 
何如文《ナニシカモ》、公之正香乎《キミガマサカヲ》、 今はと葬送る其時の樣を告しをいふ、此歌に至て葬の歌なるをいよゝ思ひ定よ、
 
人(ノ)之告鶴、(卷二)に、「吾にかたらく、何しかも、本無いひつる、聞つれば、ねのみしなかゆ、」といふ類なり、かくてこれはむかひめにはあらで、よそに在て相思ひし妹のよめるなり、○右の長短三首を今本には上の相聞の條の末に載、又古本にはこゝに此里人之てふ一首のみありて、上の長歌と下の反歌はなし、かゝればいづれも亂れしものなるが中に、相聞に載しは必誤なれば、一首の因に依てこゝに皆載たり、
 
萬葉集卷三之考 終
 
萬葉集卷四之考序
 
此四五の卷を古今相聞歌上下の卷とするは歌の數多ければなり且其古といふも上つ代にあらず飛鳥岡本宮の中比より清御原の宮の比までの歌をいひ今とは藤原宮より奈良宮の初めつ比までの状をいふなる事載たる歌の體にてしるしかくて此度是を四の卷次を五の卷とするよしは卷一の別記にいへり
〇二卷の初めに今本には柿本人麻呂歌集の歌古歌集中の歌あるはいと後に加へし事しるければ除て別卷として下の他《アダシ》歌集どもの初めに置めり【七の卷より下にも人麻呂歌集と註し、又註なきもその書體しるき多かれどそは家々の歌集にて雜々交れゝば更に別に擧ず】かく爲は三つの據あり一つには人麻呂歌集の書體助辭を皆略き文字甚少くしてから歌ざまになしたれば惣て萬葉の體と異にて此卷の同筆にあらざるなり二つには其人麻呂集に擧たる歌此四五の卷に再のれるあり同卷ならばかゝらんや三つには集中に古歌の異を註せるに他書はもとより此前後の歌をも或云一云など書しを人麻呂集をば皆柿本云云と註せしは此集の中ならぬゆゑなりかゝれば此卷七より下の歌集どもよりもいと後に得て此作者なき卷に添しものなり
○此上下の卷の今本に正述心緒寄物陳思問答※[羈の馬が奇]旅譬喩などの標あるは人麻呂集の加はりて後の人彼集によりて註せし物なり故今みな除つ凡此卷の歌甚多故に其類を以てのせし樣は人麻呂集と相似たれば好事の此上下卷にも標を加へしなり古今歌集もことに戀部は類をあつめしにその所々に標なきは公の御集にてやまとぶりなり彼人麻呂集も本さる標はなかりけんを奈良人のから歌めきて書なせし時ぞ書けん人麻呂の歌はから天竺の事をもてせず今の古事古言のみして世に及ぶ人なくとりなしゝ心高き才のたくましさにて歌集をば他國ぶりをまねぶ如きひくゝ戯けなる事をせんやいよゝさかしら人のわざと知べし卷三卷六にもさる標なきをあはせ見よ
〇或人問卷一より卷六までは一度の撰といふに同歌の再載しはいかにと答一二三六に同歌なしたゞ此四五の卷に有めりそは其類を集る時前には寄v菅類を擧しを末に問答の類に取しも有は只言によりてなり又よしもなくて二所に入し唯二首有は本の亂れてしかなりしものなりその所々一本の違あり本亂れずば一本の異あるべからぬを思へ又古今歌集よりすゑ大御ことのりをうけてその人々の撰集めたるにしも既前集にありし歌の誤りてのりしもあるなり萬葉は定かにあふせことゝも聞えず【かの高野天皇の仰てふはよしもなきことなり】又諸兄大臣の撰給ふと爲ことも大政申給ふいとまのすさみにて心大らかなる古人のしたゝかにも撰み給ふまじければかく多き中には重れるも有ぬべからずや物は大意をし得なばいさゝかの違は大よそに見やりつべし既いふ如く古きふみには後の誤り多きものなるを凡かくまでも明らけくなれるはまれなる事なればなり
 
萬葉集卷四之考 〔流布本卷十一〕
 
 古今相聞歌上《イニシヘイマノアヒギコエノウタノカミツマキ》
 
2517 足千根乃《タラチネノ》、母爾障良婆《ハヽニサハラバ》、 「一瀬には、千度障らひ、行水の、」といへる如く、母に障《サハ》られなば、終に成べからずといふなり、然るをさはらばと訓は約言なり、○意は下に、「たらちねの、母に白者《マヲサバ》、公も吾も、あふとはなしに、年そへぬべき、」といふに似たり、【約言なりといふは、佐倍良禮奈婆の倍良の約|波《ハ》なれば佐波といひ、又禮奈の約|良《ラ》なれば良婆《ラバ》といへり、仍て佐波良婆とよみて、こは常に此方より障るといふとはことなるなり、
 
無用《イタヅラニ》、伊麻思毛吾毛《イマシモワレモ》、事應成哉《コトナルベキヤ》、」
 
2518 吾妹子之《ワギモコガ》、吾呼送跡《ワレヲオクルト》、白細布乃《シロタヘノ》、袖漬左右二《ソデヒヅマデニ》、哭四所念《ナキシオモホユ》、」
 
2519 奥山之《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木乃板戸乎《マキノイタドヲ》、押開《オシヒラキ》、思惠也《シヱヤ》、 縱《ヨシ》ゑやしの略、
 
出來根《イデコネ》、後者何將爲《ノチハイカヾセム》、
 
2520 苅薦能《カリゴモノ》、一重叫敷而《ヒトヘヲシキテ》、紗眠友《サヌルトモ》、君共宿者《キミトシヌレバ》、冷雲梨《ヒヤケクモナシ》、」
 
2521 垣幡《カキツバタ》、 冠辭、
 
丹頬經《ニツラフ》、君叫《キミヲ》、卒爾《イサヽメニ》、 (卷七)卒爾、今毛欲見、秋芽之、四搓二將有、妹之光儀乎、てふをも今本に卒爾と書ていさなみにと訓て、引つゞきたる意とせり、と或説にはいへり、然れども、いさなみてふ言古書に見えず、又かの卷七の歌の、絶たる人をばいかでかりそめにも見ばやとは願ふべく、引つゞきにとまでは行過たり、仍て思ふに、(卷八)眞木柱、作蘇麻人、伊左佐目丹、借廬之爲跡、造許米八方、と有て、常に卒爾の音もていふとかなひて、不意にかりそめなる事と聞ゆれば、こゝにも(卷七)も、卒爾とし、いさゝめにと訓て、かりそめにてふ意とす、卷八なるは、かりそめにもの略なり、
 
思出乍《オモヒイデツヽ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」 古今歌集に、「あなこひし、今も見てしが、山賤の、籬穗にさける、やまとなでしこ、」
 
2522 恨登《ウラミシト》、思狹名盤《オモヒテセナハ》、在之可者《アリシカバ》、外耳見之《ヨソニノミミシ》、心者雖念《コヽロハモヘド》、」 逢なば恨いはん、といへるを聞し故に、恐てよそめして在しといふなり、〇狹《セ》は借字にて夫《セ》なり、名は惣て名有をいふ、ほめ言なり、
 
2523 散頬相《サニツラフ》、色者不出《イロニハイデジ》、小文《スクナクモ》、心中《コヽロノウチニ》、吾念名君《ワガモハナクニ》、」
 
2524 吾背子爾《ワガセコニ》、直相者社《タヾニアハバコソ》、名者立米《ナハタヽメ》、事之通爾《コトノカヨフニ》、何其故《ナニゾソノユヱ》、」 言傳のみ通はせるに、何の故有てか名の立けんといぶかるなり、
 
2525 懃《ネモゴロニ》、片念處歟《カタモヒスルカ》、比者之《コノゴロノ》、吾情利乃《ワガコヽロトノ》、 利《ト》は氣先《キサキ》といふに同じ、(卷三)にも下にも有、
生戸裳名寸《イケリトモナキ》、」
 
2526 將待爾到者妹之《マツランニイタラバイモガ》、懽跡《ウレシミト》、咲※[目+隷の旁]乎《ヱマンマヨワヲ》、往而早見《ユキテハヤミン》、」 今本に、咲儀乎《ヱマンスガタヲ》、と有、儀は※[目+隷の旁]を誤ることしるければ改つ、此下に同歌の言少しことなるが二度載しに、咲牟眉曳、と有なり、かくてまよ引てふ言は、書紀にも、末八の卷にも出たれど、こゝをさは訓がたければ、まよわを、とよめり、こゝろひとしければなり、【まよびきは、仲哀天皇紀に、※[目+隷の旁]此(ニハ)云2麻用弭枳(ト)1、此言(卷六)(卷十五)にも有て、まゆはたわみて長ければ曳といひ、又まよわも眉のあたりの事なれば遂に均し、まよわてふ言は、書紀に眉輪《マヨワノ》王ともいひ、集に面|廻《ワ》といふも面のあたりの事なるなどを思へ、】
 
2527 誰此乃《タレカコノ》、吾屋戸來喚《ワガヤドニキヨブ》、足千根乃《タラチネノ》、呼爾所嘖《ハヽニコロバレ》、 神代紀に、發稜威之嘖讓、(嘖讓此(ニハ)云2擧廬毘《コロビト》1、)こは大聲にさけぶことなり、此下に、「あしびきの、山澤囘具を、つみにゆかん、日だにもあはん、母は責十方《コロブトモ》、」(卷六)奈我波伴爾、己良例安波由久、とも有もてころばれとよめり、是をいまのひとは、しからるゝといへり、
 
物思吾呼《モノモフワレヲ》、」
 
2528 左不宿夜者《サネヌヨハ》、千夜毛有十方《チヨモアリトモ》、我背子之《ワガセコガ》、思可悔《オモヒクユベキ》、心者不持《コヽロハモタジ》、」
 
2529 家人者《イヘビトハ》、路毛四美三荷《ミチモシミヽニ》、 しみゝは繁《シミ》々の略、
 
雖從來《カヨヘドモ》、 往は一本に有、
 
我待妹之《ワガマツイモガ》、使不來鴨《ツカヒコヌカモ》、」
 
2530 璞之《アラタマノ》、寸戸我竹垣《キベガタカヾキ》、 (卷六)遠江歌に、阿良多麻能、伎|倍《ベ》乃波也之爾、又伎倍比等乃、万太良夫須麻爾、とよみ、和名抄に、遠江國、麁玉郡、(阿良多末今稱2有玉1、)と有、且木戸は、今其郡のをくに、貴平《キベ》と喚村あり、是なるべし、さて寸戸の里の竹垣といふ意なり、(卷二十)に常陸國、久慈郡に在母の事を、くしが母とよめるが如し、
 
編目從毛《アミメユモ》、 竹をあみて籬とせしには、透間のあるものなり、
 
妹志所見者《イモシミエナバ》、吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》、」 こは遠江人の歌なるべし、此下に東歌の入しも有なり、又遠江の任にて、かしこに在人の許につけてよみしか、古は遠き所を設け出てよむ事なければ、京にてよめる歌にはあらず、【或説に、正述心緒てふ類の中の歌なれば、思ひやりてよめる歌ぞ、といへるは委しく思はざるなり、此類は添に加へし物にて、此類の中にも必一體の歌のみならぬ有事、上にいへるがごとし、】
 
2531 吾背子我《ワガセコガ》、其名不謂跡《ソノナイハジト》、玉切《タマキハル》、命者棄《イノチハステツ》、忘賜名《ワスレタマフナ》、」 父母などの嘖問時、命を捨て通ふ男の名をいはざりしなり、これも國人の歌ならん、
 
2532 凡者《オホナラバ》、 大よその心ならばといふ、
 
誰將見鴨《タガミムトカモ》、黒玉乃《ヌバタマノ》、我玄髪乎《ワガクロカミヲ》、靡而將居《ナビケテヲラム》、」 また髪あげせぬ間にて、いと長くてむつかしければ、凡ならばまきたがねてもをらんを、君が見ん爲とて、なびけ垂てをるぞといへり、女の髪の事、卷二の別記に委しくせり、
 
2533 面忘《オモワスレ》、何有人之《イカナルヒトノ》、爲物焉《スルモノゾ》、 今本焉を鳥と有は誤、
 
吾者爲金津《ワレハシカネツ》、繼手志念者《ツギテシモヘバ》、」
 
2534 不相思《アヒモハヌ》、人之故可《ヒトノユヱニカ》、璞之《アラタマノ》、年緒長《トシノヲナガク》、言戀將居《ワガコヒヲラム》、」 をらん物かとなげゝり、
 
2535 凡乃《オホヨソノ》、行者不念《ワザハオモハジ》、言故《ワレユヱニ》、 夫《セ》子がしわざの恨むべき事もあれど、こゝはかけてもいひ念ふまじきと云り、
 
人爾事痛《ヒトニコチタク》、所云物乎《イハレムモノヲ》、」
 
2536 氣緒爾《イキノヲニ》、妹乎思念者《イモヲシモヘバ》、年月之《トシツキノ》、往覧別毛《ユクラムワキモ》、不所念鳧《オモホエヌカモ》、」
 
2537 足千根乃《タラチネノ》、母爾不所知《ハヽニシラレズ》、吾待留《ワガマテル》、心者吉惠《コヽロハヨシヱ》、君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2538 獨寢等《ヒトリヌト》、 毛を略、
 
※[草冠/交]朽目八方《コモクチメヤモ》、 ※[草冠/交]は蒋にて中重なり、席は筵にて上重なり、その上重の稜筵はそこなひて、編緒のみに成ぬとも、中重の蒋までは朽亂るまじければ、夫《セ》子と共ねせし疊をば、いつまでも、取もかへず敷ねつゝ待なんとなり、【※[草冠/交]は、字注に、乾蒭、或説に、染たる物と云は、今を思ひて古へを考へざるなり、古へは衣をだに文《アヤ》に色どらんとては斑にのみ摺たり、藺を染て織ことあらんや、】
 
綾席《アヤムシロ》、 綾檜垣、綾檜笠、などの如くて、藺を綾に織たるむしろなり、
 
緒爾成及《ヲニナルマデニ》、君乎之將待《キミヲシマタム》、」
 
2539 相見者《アヒミテハ》、千歳八去流《チトセヤイヌル》、否乎鴨《イナヲカモ》、 乎は、與に通ひて、否與歟なり、
 
我哉然念《ワレヤシカモフ》、待公難爾《キミマチガタキニ》、」 此歌(卷六)東歌の末に有て、其所の左の古注に、柿本朝臣人麻呂歌集に出也、と云り、かくて歌の體東歌なり、人麻呂集にも此上下の卷にも、東歌なるべきがのりしも間々あり、然るをこゝをばいはで、人麻呂集に出と注せしは見落せしか、又本こゝには無かりしを、人麻呂集よりまぎれ入しにや、【此卷の始にいひし如く、重り載しも有べきが中に、猶他よりまぎれ入けんも、そのよし見ゆるは皆かくしるせり、下皆しかり、これを集め見ば、おのづから疑ひをはるけてん、】
 
2540 振別之《フリワケノ》、髪乎短彌《カミヲミジカミ》、 いときなき女の兒の、長き髪をうらやみて、かつら草と名づけて、わかく長き草をおのが髪にゆひそへなどすること今もあり、
 
青草乎《ワカクサヲ》、髪爾多久濫《カミニタグラン》、 多久は、髪にその草をそへて、ゆひたがぬるなり、上に多氣はぬれ、といひ、(卷十)に、「八年兒の、片生の時ゆ、小《ヲ》放に、髪多久までに、」といへるは、たゞ髪のみをたがねゆふなり、【我奴の約具なり、】
 
妹乎師曾於母布《イモヲシゾオモフ》、」 いときなきほどより心にしめおきて思ふなり、
2541 徘徊《タモトホリ》、 今本たちとまり、と訓しは誤れり、下皆同、
 
往箕之里爾《ユキミノサトニ》、 今本住箕と有は理なし、一本もて往とす、さてゆきみてふ里はいまだ不知ども、初句よりのつゞけを思ふにゆきみといふべし、
 
妹乎置而《イモヲオキテ》、心空在《コヽロソラナリ》、土者蹈鞆《ツチハフメドモ》、」
 
2542 若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
新手枕乎《ニヒタマクラヲ》、卷始而《マキソメテ》、夜哉將間《ヨヲヤヘダテム》、二八十一不在國《ニクヽアラナクニ》、」
 
2543 吾戀之《ワガコヒノ》、事毛語《コトモカタラヒ》、名草目六《ナグサメム》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、待八金手六《マチヤカネテム》、」
 
2544 寤者《ウツヽニハ》、相縁毛無《アフヨシモナシ》、夢谷《イメニダニ》、間無見君《マナクミムキミ》、戀爾可死《コヒニシヌベシ》、」
 
2545 誰彼登《タソカレト》、問者將答《トハヾコタヘム》、爲便乎無《スベヲナミ》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、還鶴鴨《カヘシツルカモ》、」
 
2546 不念丹《オモハズニ》、到者妹之《イタラバイモガ》、歡三跡《ウレシミト》、咲牟眉曳《ヱマムマヨヒキ》、所思鴨《オモホユルカモ》、」 上に似たる歌有、例を思ふに、上の歌の一本などなるが、亂れてこゝに入しならん、
 
2547 如是許《カクバカリ》、將戀物衣常《コヒムモノゾト》、不念者《オモハネバ》、妹之手本乎《イモガタモトヲ》、不纏夜裳有寸《マカヌヨモアリキ》、」 古本は此歌こゝにはなくて、(卷五)に、「世間爾、戀將繋跡、おもはねば、君がたもとを、不枕夜毛有寸、」てふ左に、一云、如是許云云、と注せり、今こゝには他より入しか、又こゝを本にて次の卷なるがひがことか、
 
2548 如是谷裳《カクダニモ》、吾者戀南《ワレハコヒナム》、 【或説に、此南は祈《ノム》ことゝて、(卷十四)の坂上郎女の歌を引しは、かの歌の心得を違へり、
 
玉梓之《タマヅサノ》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、待也金手武《マチヤカネテム》、」 歎の餘りなるまゝに、かくだに吾は戀なんやと先なげきて、さて逢ことはおきて君が使をだに待得難にして、かく戀んことかもと、重ね/\なげく事を思ひのまゝにいゝつゞけしなり、
 
2549 妹戀《イモコフト》、吾哭涕《ワガナクナミダ》、敷妙之《シキタヘノ》、 今本に之を木として、木枕と有は此歌にかなはず、六帖に、敷たへの、枕通りて、と有によりて改む、
 
枕通而《マクラトホリテ》、袖副所沾《ソデサヘヌレヌ》、」 【或本歌云、枕通而、卷者|寒母《サムシモ》、かくも有べし、】
 
2550 立念《タチテモヒ》、居毛曾念《ヰテモゾオモフ》、紅之《クレナヰノ》、赤裳下引《アカモスソヒキ》、 別卷の旋頭歌に裳下潤奈、とも書たれば、こゝは今本の訓によれり、
 
去之儀乎《イニシスガタヲ》、」 【源氏物語に、此歌を、あかもたれひき、といひしはわろかりし、】
 
2551 念之《オモフニシ》、餘者《アマリニシカバ》、爲便無三《スベヲナミ》、出曾行之《イデテゾユキシ》、其門乎見爾《ソノカトヲミニ》、 【此上下卷の初めに附て在し、人麻呂歌集と古歌集とをば、(卷六)の次に別に出せり、是を別卷といへり、下同じ、】
 
2552 情者《コヽロニハ》、千遍敷及《チヘシク/\ニ》、雖念《オモヘドモ》、使乎將遣《ツカヒヲヤラム》、爲便之不知久《スベノシラナク》、」
 
2553 夢耳《イメニノミ》、見尚幾許《ミテスラコヽタ》、戀吾者《コフワレハ》、寤見者《ウツヽニミナバ》、益而如何有《マシテイカヾアラム》、」
 
2554 對面者《アヒミレバ》、面隱流《オモガクサルヽ》、 こは女の自らいへる言なれば、今本におもかぐれすると訓しはかなはず、
 
物柄爾《モノカラニ》、 物ながらにと心得べし、
 
繼而見卷能《ツギテミマクノ》、欲公毳《ホシキキミカモ》、」
 
2555 旦戸遣乎《アサトヤリヲ》、 遣戸は此時既有しなり、
 
速莫開《ハヤクナアケソ》、味澤相《アヂサハフ》、日之乏流君《メガホルキミガ》、今夜來座有《コヨヒキマセル》、
 
2556 玉垂之《タマダレノ》、小簀之垂簾乎《ヲスノタレスヲ》、持掲《モチカヽゲ》、 君が入來ん戸口の簾を持かゝげて、いをもねず待をるとも、その勞は思はじ、ひとへに君が通ひだに來ばといふなり、今本往褐と有は必誤れゝばあらためつ、
 
寐者不眠友《イヲバネズトモ》、君者通速爲《キミハカヨハセ》、」
 
2557 垂乳根乃《タラチネノ》、母白者《ハヽニマヲサハ》、公毛余毛《キミモアレモ》、相鳥羽梨丹《アフトハナシニ》、年可經《トシノヘヌベキ》、」
 
2558 愛等《ウツクシト》、 うつくしはうらぐはしてふ言より出て、物の莊《カザリ》の美《ウツク》しきにも、妻子をめで、月花をほむるにも轉じ云り、
 
思篇來師《オモホヘケラシ》、 來は氣利の辭にも借ればけらとも訓、【卷一の夏來良之、と有を、今本、なつきにけらし、と訓は誤なり、そは夏來の字にては、既なつきにと訓たれば、けらしのけの言のかな、字なし、かゝる所によく意をやりて見ずはこゝを疑ふべし、】
莫忘登《ワスレナト》、結之紐乃《ムスビシヒモノ》、解樂念者《トクラクオモヘバ》、」 是は旅に在てよめる歌にて、別るゝとき妹が結びたりし紐の解るは、今頻にわれを戀らしと云なり、
 
2559 昨日見而《キノフミテ》、今日社間《ケフコソヘダテ》、吾妹兒之《ワギモコガ》、幾許繼而《コヽタクツギテ》、見卷之欲毛《ミマクシホシモ》、」 今本見卷欲毛、と有て、みまくほしかも、と訓しは言調はず、こは、之《シノ》字の落しことしるければ加へつ、
2560 人毛無《ヒトモナキ》、古郷爾《フリニシサトニ》、有人乎《アルヒトヲ》、 妹が自いふ、
 
愍久也君之《メグヽヤキミガ》、 めぐゝは此下の卷に、意具美《コヽログミ》、吾念兒等、てふ歌有、そは末の卷にも多くて、上より下を心に苦しとおもひ、見るめに苦しと思ふ事にいへるを、こゝは我うへにとりていへり、即今の人のむごくするといふ是にて、めぐゝとむごくは音通ひて同言なり、猶こころぐゝの別記にいふ、
 
戀爾令死《コヒニシナセメ》、」
 
2561 人事之《ヒトゴトノ》、 事は言なり、末も同、
 
繁間《シゲキマ》、 此間を切て心得よ、
 
守而《モリテ》、 うかゞふなり、
 
相十方《アヘリトモ》、八反吾上爾《ヤヘワガウヘニ》、事之將繁《コトノシゲヽム》、」
 
2562 里人之《サトビトノ》、言縁妻乎《コトヨセヅマヲ》、 彼妹と彼男は相思ふぞと里の諸人のいひよするなり、此事上下に多し、或説に、里人の心をよせていふといへるはあやまれり、
 
荒垣之《アラガキノ》、外也吾將見《ヨソニヤワガミム》、惡有名國《ニクカラナクニ》、」
2563 他眼守《ヒトメモル》、 うかゞふなり、
 
君之隨爾《キミガマニ/\》、余共爾《ワレサヘニ》、夙興乍《ハヤクオキツヽ》、裳裾所沾《モスソヌラシヌ》、」 別卷旋頭歌に、朝戸出の、君があゆひを、ぬらす露原、早起《ハヤクオキテ》出乍吾毛、裳下潤奈《モスソヌラサナ》、てふに同じく、男を送り出て草葉の露にわれもぬれたるなり、○夙はつとゝ訓もあしからねど、こゝははやくと訓ぞことわりよく聞ゆ、
 
2564 夜干玉之《ヌハタマノ》、 冠辭、
 
妹之黒髪《イモガクロカミ》、今夜毛加《コヨヒモカ》、吾無床爾《ワレナキトコニ》、靡而宿良武《ナビケテヌラム》、」 黒髪を打なびかせて、いもがいぬる樣を思ひていふのみの歌なれば、なびけてぬらん、とよむめり、今本なびきてぬらん、とよめるは、髪を譬として身なびきてぬる事と思へるか、さては意むづかしくて言通らず、
 
2565 花細《ハナグハシ》、 人の家の花を垣ごしに見てうるはしむに譬て、妹を物ごしに一目見たるを云なり、【或説に、葦の花ぞと云は誤れり、あしの花を細《クハシ》とほむべくもあらず、垣ごしに見たる花をたとへしこそおもしろけれ、】紀に、(允恭)波那具波辭、佐久羅梅※[さんずい+(日/工)]、と衣通姫を譬給ふより出てかくよみしならん、
 
葦垣越爾《アシガキゴシニ》、直一目《タヾヒトメ》、相視之兒故《アヒミシコユヱ》、千逼嘆津《チタビナゲキツ》、」
 
2566 色出而《イロニデヽ》、戀者人見而《コヒバヒトミテ》、應知《シリヌベシ》、情中之《コヽロノウチノ》、隱妻波母《コモリヅマハモ》、」
 
2567 相見而者《アヒミテハ》、戀名草六跡《コヒナグサムト》、人者雖云《ヒトハイヘド》、見後爾曾毛《ミテノチニゾモ》、戀益家類《コヒマサリケル》、」 【後世、むかしは物を思はざりけりともよめり、】
 
2568 凡《オホヨソニ》、吾之念者《ワレシオモハバ》、如是許《カクバカリ》、難御門乎《カタキミカドヲ》、退出米也母《マカリデメヤモ》、」 まかりは、專《モハラ》公より退下をいへれば、とのゐなどする男の忍び妹がりまかりたるなり、【後世、「みか月のおぼろげならぬ戀しさにわれてぞ出し雲の上より、」とよめり、】
 
2569 將念《オモヒナム》、其人有哉《ソノヒトナルヤ》、 あひ念はん人なるやは、思ふべき人とも無にとかへるなり、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、夜晝不云《ヨルヒルイハズ》、吾戀渡《ワガコヒワタル》、」 こは或本によりぬ、今本に末を、毎夜君之、夢西所見、と有は一二句と迎ていさゝか遠し、
2570 如是耳《シカシノミ》、戀者可死《コヒバシヌベシ》、足千根之《タラチネノ》、母毛告都《ハヽニモツゲツ》、不止通爲《ヤマズカヨハセ》、」
 
2571 丈夫波《マスラヲハ》、友之《トモノ》※[馬+參]爾《キソヒニ・サワギニ》、 ※[馬+參]は馬の多く並ひ行さまなれば競《キソヒ》と訓べし、今本にぞめきと訓しはそゞめきの略なり、されど我國の言に初めを濁る事なし、かく濁るは上を略ける俗言にて古歌の言にあらず、
 
名草溢《ナグサモル》、 溢は外へ漏あふるゝ意もて借たり、此下に名草漏とも書たり、 
心毛將有《コヽロモアラム》、我衣苦寸《ワレゾクルシキ》、」
 
2572 僞毛《イツハリモ》、似付曾爲《ニツキテゾスル》、何時從鹿《イツヨリカ》、 何の時代より歟なり、今本の訓はわろし、何時をば皆いつとよめり、
 
不見入戀爾《ミヌヒトコヒニ》、人之死爲《ヒトノシニスル》、」
 
2573 情左倍《コヽロサヘ》、奉有君爾《マタセルキミニ》、 たてまたすを略きていふは、(卷三)に出、公奉而《キミニマタシテ》、こえん年はも、とよみつ、
 
何物乎鴨《ナニヲカモ》、不云言此跡《イハデイヒシト》、吾將竊食《ワガヌスマハム》、」 女の母へ男のうへをよくいひて出あはんと契りしまゝに、母にいひしかど、うべなはねば隱りのみをるを、男の恨て母にはいはでいひしと、そらごとするにやといふにこたへしにや、
 
2574 面忘《オモワスレ》、太爾毛得爲也登《ダニモエスヤト》、 面忘をだに爲る事を得るやはといふへなり、此須を濁ることなかれ、下の卷に、玉勝間、安倍島山之、暮霜爾、旅宿得爲也《タビネモエスヤ》、長(キ)此夜乎、ともいへり、〇面忘太爾毛とは、人を一向忘るまでは難くとも、面をだに忘れんとするにかなはず、
 
手握而《タニギリテ》、雖打不寒《ウテドモコリズ》、戀之奴《コヒノヤツコ》、」 (卷十六)に「家に在し、櫃に鎖《サヲ》さし、をさめてし、戀の奴の、つかみかゝりて、」ともいへり、奴にたとへてみづから罵るなり、
 
2575 希將見《メヅラシト》、 今本まれに見んと訓しは次の句にかなはず、書紀に、(神功)希見、此云梅豆邏志、といひつ、ここの將の字は添字なり、此下の末の句に、益希將見裳《マシメヅラシモ》と、有、今本それをいましめづらしもとよみつるに、ここの訓を違へしはひがことなり、【めづらしとは愛《ヅ》ることなるを、希なるはめでらるゝ意にて、希見と書しは轉々せる事なり、されど、既奈良朝の始めの頃しもかく轉ぜしは、既萬づうつり下れるを思へ、】
 
君乎見常衣《キミヲミムトゾ》、左手之《ヒダリテノ》、執弓方之《ユミトルカタノ》、眉根掻禮《マユネカキツレ》、」
 
2576 人間守《ヒトマモリ》、蘆垣越爾《アシガキゴシニ》、吾妹子乎《ワギモコヲ》、相見之柄二《アヒミシカラニ》、事曾左太多寸《コトゾサダオホキ》、」 くさ/”\といひ定むる人言ぞ多きといふなり、此下に、奥(ツ)波、邊浪之來縁、左太能浦之、此|左太《サダ》過而、後將戀可聞、これも人言のいひ定めをしばし過してといへり、公のさだの庭と云は議定《ハカリサダムル》所なり、人のさだ過と云は三十を定めとして、それを過るほどの事なり、後の物語ぶみに、物を此定めにしてなどいふも皆同じ、後世は誤る人多し、【後世何ものゝわざにか、沙汰の字をあてゝ理をいふは、古言を思はず、古歌に字音なきをだにしらざるみだりことなり、】
 
2577 今谷毛《イマダニモ》、目莫令乏《メナトモシメソ》、不相見而《アヒミズテ》、將戀年月《コヒムトシツキ》、久家眞國《ヒサシケマクニ》、」 久し計武《ケム》の武《ム》を延てけ萬久にと云り、かくてこそ上の言にかなへれ、今本に、久家莫國、と有にては、久しからなくにてふ意となれば、上に背きて何の理ともなし、この事(卷一)の御名部皇女の御歌の別記にいへり、
 ○此歌は旅に行別の時なるべし、
 
2578 朝宿髪《アサネガミ》、吾者不梳《ワレハケヅラジ》、愛《ウツクシキ》、君之手枕《キミガタマクラ》、觸篆之鬼尾《フレテシモノヲ》」 今本觸義之と有は、篆を義《ギ》に誤れるよし別記に委しくす、かくて此辭は、觸多里志と云ことなり、その多里の約は知なるを弖《テ》に轉じていへり、集中に思|低志《テシ》、行|而之《テシ》などいへる多きをおもへ、【又一説に、義之は羲之にて、ふれ來《キ》しの意かといふも泥みて思ひ放れえぬなり、かく樣にいふ時は、こしとこそいへ、】
 
2579 早去而《ハヤユキテ》、何時君乎《イツシカキミヲ》、 君は妹の字か、
 
相見等《アヒミムト》、念之情《オモヒシコヽロ》、今曾水葱少熱《イマゾナギヌル》、」 水葱少熱は訓を借のみにておもひし心の和《ナゴ》みぬるといふなり、
 
2580 面形之忘戸在者《オモカゲノワスラヘマサバ》、 下に人事、茂間守(ルト)、不相在、終(ニ)八《ヤ》子等(ガ)、面忘南、てふごとく、我面樣をしも忘れなばとまでいふは、あはで年ふる中の意なり、
 
小豆鳴《アヂキナク》、男士物屋《ヲノコジモノヤ》、 小豆鳴と書てもあぢきなくと訓べし、たらちねをたら常とかきし類なり、男士物(卷二)にいひつ、
 
戀乍將居《コヒツヽヲラム》、」
 
2581 言云者《コトニイヘバ》、三々二田八酢四《ミヽニタヤスシ》、 紀にことをこそたゝみといはめ、此下の卷に、戀云者《コヒトイヘバ》、薄事《アサキコト》有、(卷十二)旅とへば、言にぞやすき、などみなことばはたやすく聞ゆるといふなり、
 
小九毛《スクナクモ》、心中二《コヽロノウチニ》、我念羽奈九二《ワガモハナクニ》、」
 
2582 小豆奈九《アヂキナク》、何枉言《ナニノマガコト》、今更《イマサラニ》、小童言爲流《ワラハゴトスル》、老人二四手《オイヒトニシテ》、」 老てかくわらはめく戀するはたゞにはあらじ、枉津日《マガツヒ》の神のせさする枉事ならんといふ意なり、言は事なり、
 
2583 相見而《アヒミテ》、 是は四言にいふべくも覺えず、(卷十三)不相見者《アヒミデバ》、幾久毛《イクヒサシクモ》、不有國《アラナクニ》、てふ如く、こゝも相の上に不を落せるか、さなくは而|者《ハ》とも有ぬべきなり、
 
幾久毛《イクヒサシクモ》、不有爾《アラナクニ》、如年月《トシツキノゴト》、所思可聞《オモホユルカモ》、」
 
2584 丈夫登《マスラヲト》、念有吾乎《オモヘルワレヲ》、如是許《カクバカリ》、令戀波《コヒセシムルハ》、苛者在來《カラクハアリケリ》、」 今本苛を小可とあるは誤れり、
2585 如是爲乍《カクシツヽ》、吾待印有鴨《ワガマツシルシアラムカモ》、世人皆乃《ヨノヒトミナノ》、常不在國《ツネナラナクニ》、」 命のほどもしらぬをいふ、
 
2586 人事《ヒトゴトヲ》、茂君《シゲシトキミニ》、 是と次とは、人麻呂歌集の書體なり、こゝには亂れて入しものなり、
 
玉梓之《タマヅサノ》、使不遣《ツカヒモヤラズ》、忘跡思名《ワスルトモフナ》、」
 
2587 大原《オホハラノ》、古郷《フリニシサトニ》、 卷二に出、
 
妹置《イモヲオキテ》、吾稻金津《ワレイネカネツ》、夢所見乞《イメニミエコソ》、」 こそは願ひなり、
 
2588 夕去者《ユフサレバ》、公來座跡《キミキマサムト》、待夜之《マチシヨノ》、名凝衣今《ナゴリゾイマモ》、宿不勝爲《イネガテニスル》、」 下卷に、玉梓之、君之使乎、待之夜乃、名凝其今毛、不宿夜乃|大寸《オホキ》、と有に似たり、なごりは汐干にこゝかしこに猶水の殘りて有をいふ、それより轉じて物の殘り有ことに皆用う、
 
2589 不相思《アヒモハズ》、公者在良思《キミハアルラシ》、黒玉《ヌバタマノ》、夢不見《イメニモミエズ》、受旱宿跡《ウケヒテヌレド》、」
 
2590 石根蹈《イハネフミ》、夜道不行《ヨミチユカジト》、念跡《オモヘレド》、妹依者《イモニヨリテハ》、忍金津毛《シノビカネツモ》、」 忍は本心の内にこらして置ことにて、こゝは即こらへをり難きなり、隱し慕ふ事にいふはこれより出たり、
 
2591 人事《ヒトゴトノ》、茂間守跡《シゲキマモルト》、 間を守候ふなり、
 
不相在《アハサラバ》、終八子等《ツヒニハコラガ》、 かのかな落しか、
 
面忘南《オモワスレナム》、」
 
2592 戀死《コヒシナム》、後何爲《ノチハナニセム》、吾命《ワガイノチ》、生日社《イケルヒニコソ》、見幕欲爲禮《ミマクホリスレ》、」
 
2593 敷細《シキタヘノ》、枕動而《マクラウゴキテ》、 ねもいられぬまゝに、いねかへりなどすれば枕の動くを、彼がわざのごとくいひなすめり、此本の三句は人麻呂歌集にもあり、
 
宿不所寢《イネラレズ》、物念此夕《モノモフコヨヒ》、急明鴨《ハヤアケムカモ》、」
 
2594 不往吾《ユカヌワヲ》、 障有てゆかぬなり、
 
來跡可夜《コムトカヨヒモ》、 夜の事をよひといふ例多し、
 
門不閇《カドタテズ》、※[立心偏+可]怜吾妹子《アハレワギモコ》、 あゝと歎くをいふ、
 
待筒在《マチツヽアラム》、」
 
2595 夢谷《イメニダニ》、何鴨不所見《ナニカモミエヌ》、雖所見《ミユレドモ》、吾鴨迷《ワレカモマドフ》、戀茂爾《コヒノシゲキニ》、」
 
2596 名草漏《ナグサムル》、心莫二《コヽロハナシニ》、如是耳《カクシノミ》、戀也度《コヒヤワタラム》、月日殊《ツキニヒニケニ》、」 【或本歌、奥津浪、敷而耳八方、戀度奈牟、】
 
2597 何爲而《イカニシテ》、忘物《ワスルヽモノゾ》、吾妹子丹《ワギモコニ》、戀益跡《コヒハマサレド》、所忘莫苦二《ワスラレナクニ》」
 
2598 遠有跡《トホクアレド》、公衣戀流《キミヲゾコフル》、玉桙乃《タマボコノ》、 【玉桙の里とつゞけしは、冠辭考にもれたり、】
 
里人皆《サトビトミナニ》、 君が住方の道の里人といはんとて、玉桙の冠辭を即道になしていへるは、少し後のわざなり、
 
吾戀八方《ワレコヒメヤモ》、」
 
2599 驗無《シルシナキ》、戀毛爲鹿《コヒヲモスルカ》、暮去者《ユフサレバ》、人之手枕而《ヒトノテマキテ》、將寐兒故《ネナムコユヱニ》、」
 
2600 百世下《モヽヨシモ》、千代下《チヨシモ》、生有目八方《イキテアラメヤモ》、吾念妹乎《ワガモフイモヲ》、置嘆《オキテナゲカム》」
 
2601 現毛《ウツヽニモ》、夢毛吾者《イメニモワレハ》、不思寸《モハザリキ》、振有公爾《フリタルキミニ》、 老たるにあらず、はやき時あひし君をいふ、此下に、眉根掻、下いぶかしみ、おもへるに、いにしへ人を、相見つるかも、古今歌集に、古人なれば袖ぞぬれける、
 
此間將會十羽《コヽニアハムトハ》、」
 
2602 黒髪《クロカミノ》、白髪左右跡《シラカミマデト》、結大王《ムスビテシ》、心一乎《コヽロヒトツヲ》、今解目八方《イマトカメヤモ》、」 大王をてしの言に書しよしは、上の篆之《テシ》の別記にいへり、且てしは結びたりしてふ意なるよしも、同じくいひつ、別卷に、菅根《スガノネノ》、惻隱《ネモゴロキミガ》、結爲《ムスビテシ》、我紐緒《ワガヒモノヲヽ》、解人不有《トクヒトアラメヤ》、てふ似たる歌もておもへ、
 
2603 心乎之《コヽロヲシ》、君爾奉跡《キミニマカスト》、念有者《オモヘレバ》、縱此來者《ヨシコノゴロハ》、戀乍乎將有《コヒツヽヲアラム》、」
 
2604 念出而《オモヒデヽ》、哭者雖泣《ネニハナクトモ》、灼然《イチジロク》、人之可知《ヒトノシルベク》、嘆爲勿謹《ナゲキスナユメ》、」
 
2605 玉桙之《タマボコノ》、道去夫利爾《ミチユキブリニ》、不思爾《オモハヌニ》、 こゝのおもはぬにといふは、たゞ思ひかけぬなり、おもはずにといふは、物語ぶみに思ふ心と違へるをいへり、集中にも此分ち有、
 
妹乎相見而《イモヲアヒミテ》、戀比鴨《コフルコロカモ》、」
 
2606 人目多《ヒトメオホミ》、常如是耳志《ツネカクノミシ》、候者《サモラヘバ》、 今本候を侯に誤、人間をのみ守うかゞひてあらばといふなり、
 
何時《イヅレノトキカ》、吾不戀將有《ワガコヒザラム》、」
 
2607 敷細之《シキタヘノ》、 冠辭、
 
衣手可禮天《コロモデカレテ》、 敷細は夜の衣をいふこと、冠辭考にいへる如くなれば、相纏へる袖離るなり、
 
吾乎待登《ワヲマツト》、在濫子等者《アルラムコラハ》、面影爾見《オモカゲニミユ》、」 
2608 妹之袖《イモガソデ》、別之日縱《ワカレシヒヨリ》、白細之《シロタヘノ》、衣片敷《コロモカタシキ》、戀管曾寐留《コヒツヽゾヌル》、」
 
2609 白細之《シロタヘノ》、袖者間結奴《ソデハマユヒヌ》、(卷八《今七》「今年ゆく、新島守《ニヒサキモリ》が、麻衣《アサゴロモ》、肩のまよひを、誰かとり見ん、」(卷六)「かぜのとの、遠きわぎもが、きせしきぬ、たもとの下に、まよひ來にけり、和名抄、(※[糸+曾]布類に、)※[糸+比]、(まよ布、一云與流、)※[糸+曾]欲v壞也、などあり、
 
我妹子我《ワギモコガ》、家當乎《イヘノアタリヲ》、 其家のあたりにては、もし妹が見るやと度々振しなり、
 
不止《ヤマズ・ツネニ》振四二《フリシニ》、」 不止はつねにと訓ぞ増るべき、
 
2610 夜干玉之《ヌバタマノ》、吾黒髪乎《ワガクロカミヲ》、引奴良思《ヒキヌラシ》、 (卷十一)朝髪の、思ひ亂れててふごとく、ゆひたる髪の夜のほどに解て、ぬる/\と下り亂るゝをいふ、(卷二)に、たげはぬれ、たがねは長き、といへるところにいひしがごとし、
 
亂而反《ミダレテカヘリ》、戀度鴨《コヒワタルカモ》」 髭はその時のさまもて譬へしにて、亂れ云云は、思ひ亂て歸りしをいふ、さて女の、男のもとへ通ふことは例ならぬを、集中まれ/\さる歌も有は、たま/\よし有てさることもあることなり、
 
2611 今更《イマサラニ》、君之手枕《キミガタマクラ》、卷宿米也《マキネメヤ》、吾紐緒乃《ワガヒモノヲノ》、解都追本名《トケツヽモトナ》、」
 
2612 白細布乃《シロタヘノ》、袖觸而從《ソデヲフレテユ》、 今本從を夜に誤、
 
吾背子爾《ワガセコニ》、吾戀落波《ワガコフラクハ》、止時裳無《ヤムトキモナシ》、」
 
2613 夕卜爾毛《ユフケニモ》、占爾毛告有《ウラニモノレル》、 夕うらともいへど、そは衢の占なり、たゞ占といふは、鹿の骨を燒うらなり、
 
今夜谷《コヨヒダニ》、不來君乎《キマサヌキミヲ》、何時將待《イツトカマタム》、」
 
2614 眉根掻《マユネカキ》、下言借見《シタイブカシミ》、思有爾《オモヘルニ》、去家人乎《イニシヘヒトヲ》、 上にふりぬる君に、といへると意ひとしき歌なり、
 
相見鶴鴨《アヒミツルカモ》、」 或本歌、眉根掻、誰乎香將見跡、思乍、氣長戀之、妹爾相鴨、」今一書歌、眉根掻、下伊布可之美、念有之、妹之容儀乎、今日見都流香裳、」十三首は皆別歌なり、いかで或本にかく有しにや、
 
2615 敷栲乃《シキタヘノ》、枕卷而《マクラヲマキテ》、妹與吾《イモトワト》、寐夜者無而《ヌルヨハナクテ》、年曾經來《トシゾヘニケル》、」
 
2616 奥山之《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木之板戸乎《マキノイタドヲ》、音速見《オトハヤミ》、 たゝけば音の甚しきなり、
妹之當乃《イモガアタリノ》、霜上爾宿奴《シモノウヘニネヌ》、」 かたまつと妹にしらせんよすがを待ほどの事なり、
 
2617 足日木能《アシビキノ》、 冠辭、
 
山櫻戸乎《ヤマサクラドヲ》、 古へは皆そぎ板なれば、櫻はいかにと工に問しに、是もそぎやすしといへり、然れば同じものゝ中に、文に櫻戸をいふなり、かゝるに或人は、杉立門といふ如く思へるはひがことぞ、さらば櫻立門と云べし、眞木の戸杉の戸などいふは、その木を戸とせしをこそいへ、櫻戸も古へ有し物故にいひしなり、かくて初句は冠辭にて、戸より下は京などの人の戀なる事、奥山の眞木の板戸をとゞとして、とよめる如きつゞけなり、【杉立門の類とせば、山住の人の戀と思ふか、】
 
開置而《アケヲキテ》、吾待君乎《ワガマツキミヲ》、誰留流《タレカトヾムル》、」
 
2618 月夜好三《ツキヨヨミ》、妹二相跡《イモニアハムト》、正道柄《タヽチカラ》、 大道の外の道をいふ、
 
吾者雖來《ワレハクレドモ》、夜其深去來《ヨゾフケニケル》、」
 
 △こゝに寄物陳思てふ四字有は、後人のわざなる事、上にいへり、
 
2619 朝影爾《アサカゲニ》、 人影は朝日のよこにさす時見ゆれば、朝影とはいふ、さて影の如くに衰へ成たる身といふなり、此下にも同言あり、
 
吾身者成《ワガミハナリヌ》、辛衣《カラゴロモ》、 辛は借字にて漢衣なり、【こゝの古へに文《アヤ》絹はなかりしを、から國より漢機織《アヤハトリ》、呉機織《クレハトリ》、を召て、から樣の服を織せられしより、その樣の衣をば、皆から衣といふなりけり、】
 
襴之不相而《スソノアハズテ》、(卷六)から衣、須蘇乃宇知可倍、安波禰杼毛、けしきこゝろを、あがもはなくに、といへるに同じく、衣の裔は打ちがへて合せるものなるを譬て、不v相ともいひ下せるなり、然ればから衣のからはことばのみ、
 
久成者《ヒサシクナレバ》、」
 
2620 解衣之《トキギヌノ》、 冠辭、
 
思亂而《オモヒミダレテ》、雖戀《コフレドモ》、何如俗之故跡《ナニゾノユヱト》、 俗を今本汝に誤、
 
問人《トフヒト》毛無、」 人は思ふ人をいふ、
 
2621 摺衣《スリゴロモ》、著有跡夢見津《キルトイメミツ》、寤者《ウツヽニハ》、 今本に寐と有は誤なり、一本寤と有によるなり、さて夜の夢に對ていへば、明日のうつゝといふ意なり、
 
孰人之《イヅレノヒトノ》、言可將繁《コトカシゲヽム》、」 古への衣に形を染しはなく、只すり衣をあざやかなる物とす、然れば吾戀の顯はれんさとしに取て、いづれの人にこといたくいはれんずらんといへるなるべし、猶もあらんか、
 
2622 志賀乃白水郎之《シカノアマノ》、鹽燒衣《シホヤキゴロモ》、雖穢《ナルレドモ》、戀云物者《コヒトフモノハ》、忘金津毛《ワスレカネツモ》、 こは筑前國の志可の島の海人なり、此賀は清て唱ふ、○穢とは衣より出しにて、意は人に馴るをいふ、○(卷五)「大王之、鹽燒海部の、藤衣、なれはすれども、いや珍らしも、」てふに似たり、
 
2623 呉藍之《クレナヰノ》、八鹽乃衣《ヤシホノコロモ》、 記に、八鹽折紐小刀、集卷十九に、紅八鹽爾染而、とあり、かゝればしほはその色をしむるをいふ、海鹽も物にふかくしめるゆゑの名なれば、鹽は借字ながら事の意通へり、折は利の言に借て利は入の略なり、いや度も染入るてふ事なり、さて八しほりのりは、歌には略て八しほといへり、猶別紀にいふ、
 
朝旦《アサナサナ》、穢者雖爲《ナレハスレドモ》、益希將見裳《マシメヅラシモ》、」
 
2624 紅之《クレナヰノ》、深染衣《コゾメノコロモ》、色深《イロフカク》、染西鹿齒蚊《ソミニシカバカ》、遺不得鶴《ワスレカネツル》、」
 
2625 不相爾《アハナクニ》、夕卜乎問常《ユフケヲトフト》、幣爾置爾《ヌサニヲクニ》、我衣手者《ワガコロモデハ》、 夕卜問は隱れゐて爲なれど、神を祈なれば幣代物はおくなり、さて著たる衣の袖は又も續つべきものとて、解てぬさとするといへり、情を盡すよしなり、
 
又曾可續《マタゾツグベキ》、」 古今歌集に、「手向には、つゞりの袖もきるべきに、」とよめるも似たる意なり、
 
2626 古衣《フルゴロモ》、 冠辭なり、(卷九《今五》)「富人の、家の子どもの、著身なみ、朽し捨らん、きぬわたらはも、」てふ類なり、後世海人の捨衣とさへよめり、
 
打棄人者《ウチステビトハ》、 人に捨られし我身をいふ、
 
秋風之《アキカゼノ》、立來時爾《タチクルトキニ》、物念物其《モノモフモノゾ》、」 秋風の肌寒きまゝに、いよゝ人を戀よし、後にもよめるは、これらの意なり、(卷十四)に、大伴家持悲2亡妾1とて、從今者、秋風寒、將吹烏、如何獨、長夜乎將宿、などよめり、
 
2627 波禰※[草冠/縵]《ハネカヅラ》、今爲妹之《イマスルイモガ》、 (卷十三、家持贈童女、)葉根※[草冠/縵]、今爲妹乎、夢見而、情内二、戀度鴫、(童女報、)葉根※[草冠/縵]、今爲妹者、無四乎、何妹其、幾許戀多類、このこたへを以て思ふに、女子の十ばかりより十四五までは、花の形を作りたる※[草冠/縵]をもて髪を飾り、十七八にはさることも止るゆゑに、葉根かづら今する妹も無といへりけん、○はねかづらは花かづらなるべく、且上の卷にも、初瀬女の造る木綿花の事いひしごと、こゝもひとしかりなん、【上に若草を髪にたぐとよみしは、九つ十ばかり、卷三に、眞ゆふもてかづらゆひたり、とよみしは、こゝと同じき花かづらにて、十四五までの事か、】
 
浦若見《ウラワカミ》、 此うらはやおらなり、弱らなり、宇良/\と照れる春日といふ弱ら/\の意にて、うら若きてふに均し、【也乎良の也を略き乎を和に通はし、且その和を宇に轉じて宇良と云り、又也乎良を與和良とするは、也と與乎と和の通ひなり、和加きといふも、也乎共に通はし集めたるにて、即弱きことなり、】○此言|裏《ウラ》と同じきも有こと上にいへる如し、同じく聞えて別も有こと他にも多し、
 
咲見慍見《ヱミミイカリミ》、 まだ年ゆかぬほどのさまなり、
 
著四紐解《キテシヒモトク》、」 著たりし衣の紐なり、來たる事にあらず、
 
2628 去家之《イニシヘノ》、 古之なり、冠辭考に委、
 
倭文旗帶乎《シヅハタオビヲ》、結垂《ムスビタレ》、 上は序のみ、
 
孰云人毛《タレチウヒトモ》、若者不益《キミニハマサジ》、」
 
 一書歌、古之《イニシヘノ》、狹織之帶乎《サオリノオビヲ》、 【狹織の事も、右の冠辭の次でにいひつ、】
 
 結垂《ムスビタレ》、誰之能人毛《タレシノヒトモ》、君爾波不益《キミニハマサジ》、」 【誰之の之は、誰之毛といひ入る辭か、又曾に通はせて、誰その人ともいふべし、】
 
2629 不相友《アハズトモ》、吾波不怨《ワレハウラミジ》、此枕《コノマクラ》、吾等念而《ワレトオモヒテ》、枕手左宿座《マキテサネマセ》、」
 
2630 結紐《ユヘルヒモ》、解日遠《トカムヒトホミ》、敷細《シキタヘノ》、吾木枕《ワガコマクラニ》、蘿生來《コケオヒニケリ》、」 ふるびたる物には、苔の生るにならひて、事を甚しくいへり、さて蘿と書しは、字にかゝはらぬなり、人麻呂集には、敷細布、枕(セシ)人、事|問哉《トヘヤ》、其枕(ニハ)、苔生|負爲《ニタリ》、とかけり、
 
2631 夜干玉之《ヌバタマノ》、黒髪色天《クロカミシキテ》、 色は敷なり、
 
長夜叫《ナガキヨヲ》、乎床之上爾《ヲドコノウヘニ》、 今本に、手枕之上爾、と有は理なし、乎床の字なり、
 
妹待覧蚊《イモマツラムカ》、」 上に夜干玉之、妹之黒髪、今夜毛加、吾無床爾、靡而宿良武、
 
2632 眞素鏡《マソカヾミ》、直二四妹乎《タヾニシイモヲ》、不相見者《アヒミズハ》、我戀不止《ワガコヒヤマジ》、年者雖經《トシハヘヌトモ》、」
 
2633 眞十鏡《マソカヾミ》、手取持手《テニトリモチテ》、朝旦《アサナサナ》、見无時禁屋《ミムトキサヘヤ》、 今本、見人と有、人は无の字の誤なり、古本に即見无と有、 
戀之將繁《コヒノシゲヽム》、」 【別卷に眞鏡、手取以、朝々、雖見君、飽事無、と有も同歌、】
 
2634 里遠《サトトホミ》、戀和備爾家里《コヒワビニケリ》、眞十鏡《マソカヾミ》、面影不去《オモカゲサラズ》、夢所見社《イメニミエコソ》、」 別卷に、里遠、我浦|經《フレヌ》、眞鏡、床重《トコノヘ》不去、夢所見|乞《コソ》、と有は同歌なり、【今本券と有は、我を誤、與と有は乞《コソ》をよの字と見て與と書しなり、こゝに社と有にて知べし、】
 
2635 劔刀《ツルギタチ》、身爾佩副流《ミニハキソフル》、丈夫也《マスラヲヤ》、戀云者乎《コヒチフモノヲ》、忍金手武《シヌビカネテム》、」
 
2636 劔刀《ツルギタチ》、諸刃之於荷《モロハノウヘニ》、去燭而《ユキフレテ》、所殺鴨將死《キラレカモシナム》、 今本、所殺鴨を、しにかもと訓しはあたらず、直にきられかも、と訓べし、
 
戀管不有者《コヒツヽアラズハ》、」 こひつゝもかひあらずあらず成なばなり、(卷二)の別記に擧、 
 
2637 ※[口+西]《ウレシクモ》、 【字注、※[口+西](ハ)微笑】
 
鼻乎曾嚔鶴《ハナヲゾヒツル》、劔刀《ツルギタチ》、身副妹之《ミニソヘトイモガ》、思來下《オモヒケラシモ》、」
 
2638 梓弓《アヅサユミ》、末之腹野爾《スヱノハラノニ》、 陶の原野なり、添上郡か、 
鷹田爲《トカリスル》、君之弓弦之《キミガユヅルノ》、 今本、弓食と有は誤、
 
將絶跡念甕屋《タエムトモヘヤ》、」 たえんやなり、上に云り、
 
2639 葛木之《カツラギノ》、其津彦眞弓《ソツヒコマユミ》、 紀を考るに、葛城襲津彦は、建内宿禰の子にて、勝たる建人なれば、弓力も勝れけん、その事其紀には見えねど、そを以て紀を助くるなり、此人の後なる、盾人《タテヒトノ》宿禰の鐵の的を射通せしも、その系ある弓力なるべし、
 
荒木爾毛《アラキニモ》、 荒木の如にもてふ意なり、さて新木の大弓は、引どより難きを、吾により難き人の心のよるに譬ふ、荒駒の綱引するたとへのごとし、
 
憑也君之《ヨルトヤキミガ》、吾之名告兼《ワガナツゲケム》、」 既にいへる如く、女の思ひたのむ男には名を告、男もまた心よせて妻とせんと思ふ女の名をば、他人にもいふなり、仍て其男隱妻の吾名を人に告しは、吾による心よりや告つらんと女のよろこぶなり、【今本に、憑也をたのめやと訓しは、強き弓執はたのもしきものとする譬と心得しなり、しからば三句に猶言こそあらめ、荒木爾毛、といふからは其訓とりがたし、】
 
2640 梓弓《アヅサユミ》、引見弛見《ヒキミユルベミ》、 譬也、
 
不來來者《コズハコズ》、來者其其乎奈何《コバソソヲナド》、 來者|其《ソ》は來《コ》ば其《ソノ》如くすべきをといふを略き、次の其乎《ソヲ》は、それをなどやと更に言を起すなり、故に二つの其の間をしばらく切て意得べし、
 
不來者來者其乎《コズハコバソヲ》、」 上の言を再擧て、不來はそれを來ばそれをといふなり、惣ていはゞ、不v來は不v來、來ば來べきを、何ことぞ弓を引つゆるめつする如くに、絶/\なるやと咎めたるなり、
 
2641 時守之《トキモリノ》、打鳴鼓《ウチナスツヾミ》、 ならすを略てなすと云は例有、
 
數見者《カヾミレバ》、 紀の歌に、(景行、)加餓奈倍※[氏/一]《カヾナヘテ》、てふは數をかぞふる事なり、こゝもその意もて數見と書しなれば、かゞみればと訓、
 
辰爾波成《トキニハナリヌ》、不相毛怪《アハヌモアヤシ》、」 古今六帖に、此歌の末をあはぬあやしも、と有はよく聞ゆれど、下卷に、名者告而之乎《ナハノリテシヲ》、不相毛怪《アハヌモアヤシ》、(卷六、さがみ歌、)實《ミ》にはなりしを、阿波奈久毛安夜思、と假字にても有による、
 
2642 燈之《トモシビノ》、陰爾蚊蛾欲布《カゲニカガヨフ》、 妹に逢たりし夜のさまをいふ、かゞよふはかゞやくを延たり、
 
虚蝉之《ウツセミノ》、 こは冠辭にあらず、顯《ウツヽ》の身の妹といふなり、意は下にみゆ、
 
殊我咲状思《イモガヱマヒシ》、面影爾所見《オモカゲニミユ》、」 うつせみてふ言は、さま/”\に用る中に、夢に對へ死に對へていふ多きを思ふに、こゝは今相離てこゝに無妹があり樣、目の顯然々々《ウツラ/\》面影に見ゆるをいふなるべし、
 
2643 玉戈之《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行疲《ミチユキヅカレ》、伊奈武思侶《イナムシロ》、 冠辭、○上は序なり、
 
數而毛君乎《シキテモキミヲ》、 冠辭よりは數とかゝり受る下は重及《シキ/\》の意なり、
 
將見因母鴨《ミムヨシモガモ》、」
 
2644 小墾田之《ヲハリダノ》、 推古天皇十一年十月に、豐浦宮より小墾田宮へ遷ませること書紀に見ゆ、神名式に、治《ハリ》田神社と有此處にて、飛鳥崗の里の近き所に今もあり、
 
坂田乃橋之《サカタノハシノ》、 古き物に皆坂田と有、今本板田と書は誤、
 
壞者《コボレナバ》、從桁將去《ケタヨリユカム》、莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》、」 舒明天皇二年十月に、飛鳥岡本宮へ遷ませしより、小墾田は故郷と成て、そこの橋の板の朽たるほどなれば、孝徳天皇の御代の頃の歌ならん、
 
2645 宮木引《ミヤギヒク》、泉之追馬喚犬二《イヅミノソマニ》、 泉は、山城相樂郡にて集中に多く出たり、○追馬の事は既にいへり、
 
立民乃《タツタミノ》、 序なり、
 
息時無《ヤムトキモナク》、戀度可聞《コヒワタルカモ》、」 上の卷に、眞木積、泉河、と有所にいへる如く、泉の杣より良材を多く出せること常なれば、かく序にさへいひなせしなり、
 
2646 住吉乃《スミノエノ》、津守網引之《ツモリアビキノ》、浮※[竹/矢]緒乃《ウケノヲノ》、 和名抄に、泛子、(宇介、)てふ物にて、こゝは緒は用なけれど言をそへていふのみ、
 
得干蚊將去《ウカレカユカム》、戀管不有者《コヒツヽアラズハ》、」 吾戀終に非《アラ》ぬ筋に成なば、心も浮亂て物狂となりぬべしといふなり、不有者は上の如し、
 
2647 東細布《ヨコグモノ》、 曉の横雲は東の天に布をひくが如く見ゆるをもて書り、
 
從空延越《ソラユヒキコス》、 遠き譬におくのみ、
 
遠見社《トホミコソ》、 見は万利の約にて辭なり、
 
目乞疎良米《メコソウトカラメ》、 今本目言とあれど、あぢさはふ目辭《メコト》も絶奴、てふ冠辭もあれど、こゝは間に助辭をおかで、目言疎云云としては調《シラベ》屈せり、仍て乞《コソ》を是《コト》と見て、言と書し事を知ぬ、めこそうとからめと云時は、事もなく明らかなり、
 
絶跡間也《タユトヘダツヤ》、」 遠ければ相見ることこそかなはざらめ、玉梓の便りなどだにせざるは、今は絶んとてへだてはつらんやと疑へり、
 
2648 云云《カニカクニ》、 から文の注に云云は、如v是々々也といへり、彼《カ》に此《カク》にと訓もひとし、
 
物者不念《モノハオモハズ》、斐太人乃《ヒダビトノ》、 古への匠は、飛騨國にのみ在て、公へ參り仕へ奉りぬ、仍て匠をば飛騨匠といひ、ひだ人といふもひとし、
 
打墨繩之《ウツスミナハノ》、直一道二《タヾヒトスジニ》、」 ひとみちとも訓ども猶是はすぢと訓べし、
 
2649 足日木之《アシビキノ》、山田守翁《ヤマダモルヲヂガ》、 本をぢは、父母の兄弟を貴みて小父《ヲヂ》といふ言なり、是を一轉して、小父ならぬ他人にても、老たる人を貴みて云り、書紀に、鹽土(ノ)老翁《ヲヂ》てふ類なり、又(卷十七)に佐夜麻|太《ダ》乃|乎《ヲ》治、こゝに山田守|翁《ヲヂ》などさへいふは、轉々して老人をいふ事となりしなり、
 
置蚊火之《ヲクカビノ》、 こは、朝霞鹿火屋、てふ冠辭の下にいひつ、○上は序のみ、
下粉枯耳《シタコガレノミ》、 蚊火は火を下に置て上に芥などをつみてくゆらすれば、下つ心に焦るゝにたとふ、
 
余戀居久《ワハコヒヲラク》、」
 
2650 十寸板持《ハタイタモテ》、 はたははゞ有をいふ、十寸は尺にてはゞあればしかよむべし、【十寸を借字として、そぎ板、とも訓べし、
 
蓋流板目乃《フケルイタメノ》、不合者《アハザラバ》、 今本不令相者と有、板よりは合といふを、下の心にとる時不v合といふなり、皮《ハタ》ずゝき穗には不出もなどいふ類なり、
 
如何爲跡可《イカニセムトカ》、吾宿始兼《ワガネソメケム》、」
 
2651 難波人《ナニハビト》、葦火燎屋之《アシビタクヤノ》、酢四手雖有《スシタレド》、 媒《スヽ》びの須備《スビ》を約ればしと成ゆゑに須志といふ、さてすゝびてあれどもと心得べし、○(卷九)廬八燎須酒師《フセヤタキスヽシ》などもいひて、葦火など燒小屋はことに煤多きを以て、清けにもあらぬ女をいふ、
 
己妻許増《オノガツマコソ》、 【許増の辭は、惣て衣《エ》の横奄ノていひ留る例なるを、かくの如く、吉《キ》と留たるも有はめづらし、計禮といふべきを計禮《ケレ》の約の計《ケ》を吉《キ》に轉じたるなり、】
 
常目頬次吉《トコメヅラシキ》、」 めづらしてふ言は、既にいへるごとく、ほめ出《イヅ》てふ事にて、こゝのおもてはかなへり、内々は妻|子《コ》見れば、めぐしうつくしといへる意より出たるなり、今人もかく思ひてあらば事なかりなん、
 
2652 妹之髪《イモガカミ》、 冠辭、女の髪上の事は卷二の別記に出、
 
上小竹葉野之《アゲサヽバノノ》、 此野はいまだしらず、後世播磨とするはおぼつかなし、
 
放駒《ハナレコマ》、 はなれとよみては意むつかし、されば野飼に放てるをいふゆゑに、はなちと訓べし、
 
蕩去家良思不合思者《アレユキケラシアハヌオモヘハ》、」
 
2653 馬音之《ウマノトノ》、跡杼登毛爲者《トヾトモスレバ》、松陰爾《マツカゲニ》、出曾見鶴《イデヽゾミツル》、若君香跡《モシモキミカト》、」
 
2654 君戀《キミコフト》、寢不宿朝明《イネヌアサケニ》、誰乘流《タガノレル》、馬足音《ウマノアオトゾ》、吾聞爲《ワレニキカスル》、」 ねたくおもふなり、
 
2655 紅之《クレナヰノ》、襴引道乎《スソヒクミチヲ》、 女の裳裙なり、【一云須蘇衝河乎、と有はひがことにて理いとそむけり、
 
中置而《ナカニオキテ》、妾哉將通《ワレヤカヨハム》、公哉將來座《キミヤキマサム》、」 時にさま/”\と思ふ心をのべいふなり、或に待香將待《マチニカマタム》、と有もさることゝ聞ゆれど、いまもよろし、
 
2656 天飛也《アマトブヤ》、 冠辭、
 
輕乃社之《カルノヤシロノ》、齋槻《イハヒツキ》、 此社に古たる槻を神木といはひしなるべし、さて其木に譬て、隱妻のわが妻となるべき時世の待遠きをいふ、
 
幾世及將有《イクヨマデアラム》、隱嬬其毛《コモリヅマゾモ》、」
 
2657 神名火爾《カムナビニ》、 飛鳥の神南備山なり、
 
紐呂木立而《ヒモロギタテヽ》、 ひもろぎを書紀に、神籬と書しは略にて、実は檜室籬なり、かの、あすはの神に小柴さしてふごとく、檜の葉をもてかりに神室の籬《キ》を作なり、こは常有社の外に、更にその神を崇祭る時に爲る事にて、何の社にもあれど、神名火を擧しは、時に畏み崇むゆゑなるべし、
 
雖忌《イハヘドモ》、 いはふとは即祭るをいへり、非常を忌放て祭ればなり、
 
人心者《ヒトノコヽロハ》、間守不敢疑《マモリアヘヌカモ》、」 思ふ人の心のうつりかはるを愁て、神を忌ひ祭れども神だに守り留め不堪と云り、○集中には、堪も敢も均しく書り、字にかゝはらず言を專らとする故なり、○今本不敢物、とある物は、終の字を誤れり、下にも此誤有、
 
2658 天雲之《アマグモノ》、八重雲隱《ヤヘグモガクレ》、鳴神之《ナルカミノ》、音爾耳八方《オトニノミヤモ》、聞度南《キヽワタリナン》」【古今歌集に、「久かたの雲ゐはるかに鳴神の、」といふはここをよみうつせしなり、】
 
2659 爭者《アラソヘバ》、神毛惡爲《カミモニクマス》、 今本、あらがへば、と訓たるはあらそひ合《アヘ》ばてふ言なり、さいはでも有所故にたゞあらそへばと訓つ、惡爲を、にくみすと訓しもむつかし、こは惡座《ニクミマス》の美を略きて、にくますといふなり、 
縱咲八師《ヨシヱヤシ》、世副流君之《ヨソヘルキミガ》、惡有莫君爾《ニクカラナクニ》、」 よそへとはよせ添るてふ言なり、君と吾を他《ヒト》のよそへいへるを、さる事なしと爭ふべけれど、心に惡からぬ君故は、隱して爭はゞ神のにくみを得んからはあらそはずと云なり、下にも、よしもよすとも惡《ニク》からなくにとよみたり、
 
2660 夜並而《ヨナラベテ》、 下に、日並而、ともいへり、
 
君乎來座跡《キミヲキマセト》、千石破《チハヤブル》、 冠辭、
 
神社乎《カミノヤシロヲ》、不祈日者無《ノマヌヒハナシ》、」 のむはいのるなり、
 
2661 靈治波布《タマヂハフ》、 神の御たまは願ふ人の萬づに幸をなし給へり、こは命の幸をなし給ふを云、
 
神毛吾者《カミモワレヲバ》、打棄乞《ウツテコソ》、 かねては命|幸《サキ》かれと祈し神も、今は吾をば打棄給ひてよと乞なり、今本に、かみをもわれはと訓しは、乞は願ふ事なるをしらざるなり、すべても神を捨んと願ふ事はなし、吾を捨給へとは云もせん、【うちすてのちすの約つなるゆゑにうつてと訓、】
 
四惠也壽之《シヱヤイノチノ》、惜無《ヲシケクモナシ》、」 戀に倦て身を捨るなり、 
2662 吾妹兒《ワギモコニ》、又毛相等《マタモアハムト》、千羽八振《チハヤブル》、 冠辭、
 
神社乎《カミノヤシロヲ》、不祷日者無《ノマヌヒハナシ》、」
 
2663 千葉破《チハヤブル》、 冠辭、【ちはやふるは冠辭考にいへる如く、上つ代には惡神をのみいへるを、こゝの上と是はたゞ崇むことにおき、次のはたゝはしく畏き事にいへり、はやくよりかく轉じ來れり、末の代には右のたふとむ方より轉じて、何心もなく歌の辭とのみせり、】
 
神之伊垣毛《カミノイガキモ》、可越《コエヌベシ》、 人など越て穢すを忌《イ》神垣故にいみ垣といふを、其みを略きていがきといふ、
 
今者吾名之《イマハワガナノ》、惜無《ヲシケクモナシ》、」 この神の齋《イ》垣は譬にて、いかなる難き所をも忍び入て逢てん、それに依て名のたゝんも、かく戀せまりては惜からずと云なり、(卷八)「ゆふかけて、いむ此もりも越ぬべく、思ほゆるかも、戀のしげきに」ともいへり、
 
2664 暮月夜《ユフヅクヨ》、曉闇夜乃《アカツキヤミヨノ》、 上は夕月の比は曉必闇なるを文《アヤ》にいへるのみ、さて曉朝といひつゞけたる序なり、
 
朝影爾《アサカゲニ》、吾身者成奴《ワガミハナリヌ》、汝乎念金丹《ナヲモヒカネニ》、」 思ひがてにしてなり、かねはがてなり、がては難《カタキ》なり、此上に、待公難爾《キミマチガテニ》、待也金手六《マチヤカネテム》、別卷に、汝念不得《ナヲモヒカネテ》、とも書り、さて、念堪難爾而《オモヒタヘガテニシテ》、と云を、堪をも而の辭をも籠《コメ》略たる一つの體なり、此類にさま/”\有、その所に心して見よ、
 
2665 月之有者《ツキシアレバ》、明覧別裳《アケランワキモ》、不知而《シラズシテ》、寐吾來乎《ネテワガコシヲ》、人見兼鴨《ヒトミケムカモ》、」 不知して寐てとつゞけて心得べし、古今集に、「玉くしげ、明ば君が名立ぬべみ、夜ふかくこしを、人見けんかも、」といふは今のうらなり、
 
2666 妹目之《イモガメノ》、見卷欲家口《ミマクホシケク》、夕闇之《ユフヤミノ》、木葉隱有《コノハガクルヽ》、月待如《ツキマツガゴト》、」 古今歌集に、「木の間より、もり來る月の、」といへるは是に似たるこゝちす、
 
2667 眞袖持《マソデモテ》、 左右の袖を云、
 
床打拂《トコウチハラヒ》、君待跡《キミマツト》、居之間爾《ヲリシアヒダニ》、月傾《ツキカタブキヌ》、」
 
2668 二上爾《フタガミニ》、 葛《カヅラキ》下郡のかつらぎ山のはてに尖《トガ》りたるみね二つ有、是を二上山といふ、こは國の西なれば、それに落かゝれる月の面白きが、隱るは惜きを以て譬ふ、(卷二)に人麻呂も、屋上の山の云々、とよめり、
 
隱經月之《カクロフツキノ》、 如をこむ、
 
雖惜《ヲシケレド》、妹之田本乎《イモガタモトヲ》、加流類比來《カルヽコノゴロ》、」
 
2669 吾背子之《ワガセコガ》、振放見乍《フリサケミツヽ》、將嘆《ナゲクラム》、清月夜爾《キヨキツクヨニ》、雲莫田名引《クモナタナビキ》、」 棚引ことなければてふ言にて、下に曾の辭を略、
 
2670 眞素鏡《マソカヾミ》、清月夜之《キヨキツクヨノ》、湯徙去者《ユツリナバ》、 此次にも、下の卷にもうつる事をゆつるといへり、宇由は韻の通まゝに、何れにもいふなるべし、去《ナ》ばはいなばなり、
 
念者不止《オモヒハヤマズ》、戀社益《コヒコソマサメ》、」 上にゆつりなばといへるからは、今本にまされと訓しは助辭違へり、
 
2671 今夜之《コノヨヒノ》、 全《ヒト》夜の事をもよひといへり、
 
在開月夜《アリアケノツクヨ》、 上は序、
 
在乍文《アリツヽモ》、 ながらへ在つゝもなり、
 
公乎置者《キミヲオキテハ》、待人無《マツヒトモナシ》、」
 
2672 此山之嶺爾近跡《コノヤマノミネニチカシト》、吾見鶴《ワガミツル》、月之空有《ツキノソラナル》、 峰に出し月は、いととく空に上る物なるを以て、空なる戀といはん序とせり、空なる戀とは、その人にだにしられぬ戀するをいふべし、
 
戀毛爲鴨《コヒモスルカモ》、」
 
2673 烏玉乃《ヌバタマノ》、夜渡月之《ヨワタルツキノ》、湯移去者《ユツリナバ》、更哉妹爾《サラニヤイモニ》、 右に、念は不止てふに意は似て、こは我をおきて、妹が他へ移りぬべき事を聞てよめるならん、
 
吾戀將居《ワガコヒヲラム》、」
 
2674 朽網山《クタミヤマ》、 豐後風土記、大分《オホキダ》川、此川之源出2直入《ナホリ》郡朽網山之蜂(ヨリ)1、指v東下流云云、とあり、【此山をいへるは、豐後の國人の相聞なるべし、此卷には國々の歌も入たり、】
 
夕居雲《ユフヰルクモノ》、轉往者《ユツリナバ》、 今本、轉を薄と書て、うすらかは、と訓しは、一首の意通らず、仍て轉の字に改めて同言とせり、
 
余者將戀名《ワレハコヒンナ》、公之目乎欲《キミガメヲホリ》、」 男のよそへうつりなば、又あひ見るよしなくて、見まくほしみせんといへる女心あはれなり、〇目をほりてふ言は集に多し、書紀にも有て、見ん事をほしむなり、
 
2675 君之服《キミガキル》、 冠辭、
 
三笠之山爾《ミカサノヤマニ》、居雲乃《ヰルクモノ》、立者繼流《タテバツガルヽ》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」 その雲の立去ば、即又繼て居つゝ、此峰に雲のたゆる時なきもて思ひ過せば、やがて又おもふ事あるにたとふ、
 
2676 久堅之《ヒサカタノ》、天飛雲爾《アマトブクモニ》、成而然《ナリテシガ》、 今本、在而、と書は聞えず、一本に依ぬ、
 
君相見《キミニアヒミム》、落日莫死《オツルヒナシニ》、」 落夜なしに、ともいへる類なり、(卷六《今ノ十四》)「みそらゆく、雲にもがもな、けふ行て、妹にことどひ、あすかへりこむ、」
 
2677 佐保乃内從《サホノウチユ》、 佐保山の内よりなり、
 
下風之吹波《アラシノフケバ》、 下風はあらしなる例既にいふ、
 
還者《カヘサニハ》、爲便胡粉《セムスベシラニ》、歎夜衣大寸《ナゲクヨゾオホキ》、」 此二の句今本に、吹禮波、と有は禮の字餘りぬ、末は、胡粉、歎夜衣大寸、と有て、くだけてなげきぬるよしぞおほきと訓しは、餘しき強ごとなり、先胡粉二字をくだけて、と訓しはひがことのよし卷三にいひつ、又夜一字をぬるよしとよまんもいかにぞや、古本に、胡粉の上に、爲便の二字有こそ正しけれ、
 
2678 級寸八師《ハシキヤシ》、 こは上の別記にいひしごとく、うるはしよと其人を戀ゆかしむ事を先いふなり、下に愛八師《ハシキヤシ》、不相君故《アハヌキミユヱ》、徒爾《イタヅラニ》、此川瀬爾、玉裳沾津、とよめると、この歌の言はかはれど、體も意も同じきもて知べし、かくて夏の末秋の始など、風をゆかしとて待に、遂に吹も不來物ながらに、徒に夜を明せしといひて、不來人を徒に待明せしに譬たり、
 
不吹風故《フカヌカゼユヱ》、 此故は物故と云に同し、別記に在、
 
玉匣《タマクシゲ》、開而左宿之《アカシテサネシ》、吾其悔寸《ワレゾクヤシキ》、」
 
2679 窓超爾《マドゴシニ》、月臨照而《ツキオシテリテ》、 おしなべて照なり、(卷八)春日山、押而|照有《テラセル》、此月者、(卷十二)我屋戸爾、月押照有、などあり、
 
足檜乃《アシビキノ》、 冠辭、
 
下風吹夜者《アラシフクヨハ》、公乎之其念《キミヲシゾオモフ》、」 秋ふけて月さやかに、あらし打吹夜は、物さびしくはだへ寒きまゝに、人こひしらのまさるめり、
 
2680 河千鳥《カハチドリ》、住澤上爾《スムサハノヘニ》、立霧之《タツキリノ》、 霧は集中に白氣とも書て、朝あけには白く見ゆるもて、いちしろき譬にいへり、之に如をこむ、
 
市白兼名《イチシロケムナ》、誓始而者《チギリソメテバ》、」 今本に、相言と有を、ちぎりとも訓べけれど、猶思ふに誓一字とすべし、而は、多禮の約にて、始たればてふ言なり、仍て者を濁る、さて今かく契をなし始めてあれば、忍ぶといへどもいちじろくあらはれなんと、おもひなげく女歌なり、
 
2681 吾背子之《ワガセコガ》、使乎待跡《ツカヒヲマツト》、笠毛不着《カサモキズ》、出乍其見之《イデツヽゾミシ》、雨落久爾《アメノフラクニ》、」 此歌下の卷に再載たれど、こゝは雨の類にとり、下は問答の類に擧しものなり、
 
2682 辛衣《カラコロモ》、 文《アヤ》有《アル》きぬをいふこと上に出、
 
君爾内著《キミニウチキセ》、 内は打なり、
 
欲見《ミマクホリ》、戀其晩師之《コヒゾクラシヽ》、雨零日乎《アメノフルヒヲ》、」 よき衣をぬひて、着せて見んとて待くらせしに、雨ふりて男の來ぬなるべし、女の情見えて哀なる歌なり、
 
2683 彼力之《ヲチカタノ》、 大祓詞に、彼方の、繁木我本乎、といふ如く、都に遠き片山里などのいやしき小屋をいはんとてをちかたとはいへり、
 
赤土少屋爾《ハニブノコヤニ》、 はにぶの事は既出たり、されどもこゝには、其色ある土をいふにあらず、たゞに土の上にわら筵などとり敷て住ふ、片山里などのまづしき庵をいふなり、はにぶは、赤土生黄土場なども書べきを、略て赤土とのみ書しかば、其本の意を得てはにぶとよめり、○少屋は二の卷にもこやとよみて賤屋の事なり、
 
※[雨/脉]※[雨/休]零《コサメフリ》、 下の卷にもこさめそぼふるといふに此字を書つ、【毛詩傳に、小雨(ヲ)謂2※[雨/脉]※[雨/休]1とみゆ、○後世歌は虚言を設て巧とす、古代は實をよくいふを巧とす、此分ちを思へ、】
 
床共所沾《トコサヘヌレヌ》、於身副我妹《ミニソヘワギモ》、」 此下に、「人ごとを、しげしと君を、うづら鳴、人のふる家《ヘ》に、かたらひてやりつ、」と云るごとく、人に忍ぶとて、妹をゐて行て、かゝる賤屋にねたるに、本より他しき床の上に、雨さへ漏てせんすべなきにつけても、したしむ意をよくいひとりしなり、
 
2684 笠無登《カサナシト》、人爾者言手《ヒトニハイヒテ》、雨乍見《アマツヽミ》、 雨にぬれん事をいとひつゝしみて、宿に籠り居るをいへり、後世は雨づゝみを雨衣の事と思ひ誤れり、かくて此男は女の家に親しき故有て來て、そこのむすめなど相とふからに、笠の無をことばにて、歸らでとまりしなるべし、
 
留之君我《トマリシキミガ》、容儀志所念《スガタシオモホユ》、」
 
2685 妹門《イモガカド》、去過不勝都《ユキスギカネツ》、久方乃《ヒサカタノ》、雨毛零奴可《アメモフラヌカ》、 久方の天を轉じて雨に冠らせし類ひ、冠辭考に出、ふらぬかとはふれかしと願ふ言にて、(卷十三)にも同じく、久方云云、といへり、然るを六帖に、「妹が門、行過かねつ、ひぢがさの雨もふらなん、あまがくれせん、」と誤りしより、催馬樂に、「妹が門、行過かねてや、わがゆかば、ひぢがさの、雨もふらなん、しでたをさ、雨やどりせん、」源氏須磨に、「ひぢがさのあめとか」ともかけるは、皆あやまりをつたへて正さゞりしなり、【袖を笠に着とはいへど、ひぢがさてふ事は有まじき事なるをおもへ、】
 
其乎因將爲《ソヲヨシニセム》、」 雨をより所としてたちよらんなり、
 
2686 夜占問《ユフケトフ》、 とふ袖とはつゞきがたし、とふ時になどいふべきを、句せまれば略せるなり、されど古へなきことなるを、奈良に至てかくも拙なく成行か、後世歌には此類の略過多し、心すべき事ぞ、
 
吾袖爾置《ワガソデニオク》、白露乎《シラツユヲ》、 こゝの今本の訓はわろし、
 
於公令視跡《キミニミセムト》、取者消管《トレバケニツヽ》、」 きえいにつゝといふなり、
 
2687 櫻麻乃《サクラヲノ》、苧原之下草《ヲフノシタクサ》、 下の卷にも此二句の歌有、訓は古今六帖によれり、意は冠辭考にいへるごとく、さくらは地《トコロ》の名とす、麻は、民部式主計式を見るに、尾張より東の國より出て、專らは武藏上總下總常陸より出るなり、さて尾張と武藏に佐くらてふ郷和名抄に出、其外遠江下總常陸に今さくらてふ里有、是らが中に、下總のさくらより出るを、さくらあさといふか、木綿麻などに出る所を以ていへる例も、冠辭に云つ、〇下草は麻の下に生たる草にて、露しげきをいはん料なり、其曉露はたふまじければ、明してゆき給へといふ女歌なり、さて是も下の卷なるも東歌なり、 
露有者《ツユアレバ》、令明而射去《アカシテイユケ》、母者雖知《ハヽハシルトモ》、」
 
2688 待不得而《マチカネテ》、内者不入《ウチヘハイラジ》、白細布之《シロタヘノ》、吾袖爾《ワガコロモデニ》、露者置奴鞆《ツユハオキヌトモ》、」 此歌下の卷に、「君待と、庭耳居《ニハニノミヲレ》ば、打靡《ウチナビク》、吾黒髪に、霜ぞ置にける、」といふと言少しことなれど、意は相似たり、此類(卷二)の難波皇后の御歌にもあり、然れども言の異なるは、此上下卷に取し少からず、其中はこゝは露をよめる類に取、下の卷には霜の類にとれり、【古今歌集に、「君こずは、ねやへもいらじ、こむらさき、我もとゆひに、霜はおくとも、」といへるは、こゝと下の卷の歌とをとりまじへて、こむらさきてふうるはし き言をしも添たれば、其集には取つ、】
 
2689 朝露之《アサツユノ》、消安吾身《ケヤスキワガミ》、雖老《オイヌトモ》、又若反《マタワカガヘリ》、君乎思將待《キミヲシマタム》、」 下の卷に、此歌の初句を、露霜の、とかはれるのみにて、右の霜ぞ置ける、てふ歌と並擧しも右にいふが如し、
 
2690 白細布乃《シロタヘノ》、吾袖爾《ワガコロモデニ》、露者置《ツユハオキ》、妹者不相《イモニハアハズ》、猶預四手《タユタヒニシテ》、」 夜更るまで妹があたりにたゝずめば、袖もしほゝに露にぬれて、わびしき物故に、妹にはあふ事を得ず、さりともなほあらじにたゆたはれつゝをるほどのこゝろうさをいひつくせり、○たゆたひは、行もやらず去もあへぬさまなり、
 
2691 云云《カニカクニ》、物者不念《モノハオモハジ》、朝露之《アサツユノ》、 如を籠、
 
吾身一者《ワガミヒトツハ》、君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2692 夕凝《ユフゴリノ》、霜置來《シモオキニケリ》、 沫霜ならず、こゞれる霜なり、 
朝戸出爾《アサトデニ》、甚踐爾《イトアトツケテ》、 今本は、あとふみつけてと訓は、よろしくもあらず、されども甚は、もし足の字か、その時は、あとふみつけてとよむべし、 
人爾所知名《ヒトニシラルナ》、」
 
2693 如是許《カクバカリ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、朝爾日爾《アサニヒニ》、妹之將履《イモガフムラム》、地爾有申尾《ツチナラマシヲ》、」
 
2694 足日木之《アシヒキノ》、山鳥尾乃《ヤマドリノヲノ》、一峯越《ヒトヲコエ》、 是に尾は用なけれど、言をひゞき重んために、常いふ言なればいへるものなり、さて山鳥は雌雄《メヲ》峰を隔てすむてふこと、(卷十二)足日木能、山鳥|許曾婆《コソハ》、峯向爾《ヲムカヒニ》、嬬問爲云《ツマドヒストイヘ》とよみし是か、然ればこゝも其意にていひたるなり、【山鳥の於《オ》と平聲に唱へて、雄鳥の事といふ説はひがことなり、此言多かれど、集中皆尾の字を書たれば、於のかなならぬ事明けし、且雄にても同じ尾のかななるを、右はかなもしらぬものゝ説なり、】
 
一目見之兒爾《ヒトメミシコニ》、應戀鬼香《コフベキモノカ》、」 山の彼方の里などにて、一目みしばかりの妹に、かくしも戀べきものかはと、みづからいぶかるなり、
 
2695 吾妹子爾《ワギモコニ》、相縁乎無《アフヨシヲナミ》、駿河有《スルガナル》、不盡乃高嶺之《フジノタカネノ》、燒管香將有《モエツヽカアラム》、」
 
2696 荒熊之《アラグマノ》、住云山之師齒迫山《スムトフヤマノシハセヤマ》、 【迫と責とから字は異なれど、此國にてせと云は同くて、せめせまきなど下の辭にて分てり、】 
責而雖問《セメテトフトモ》、 上はせの言を重ぬるのみの序なり、
 
汝名者不告《ナガナハノラジ》、」 父母のいひ責つゝ問とも、通ふ男の名をばのらじと云り、此上にわがせこが、其名いはじと、玉きはる命は捨つ、といひ、別卷に、百積(ノ)、船潜納、八占刺、母雖問、其名(ハ)不謂、此卷の左にも、石垣淵の云云、といへり、○しはせ山を駿河國に在てふ説あれど、いまだ據を知らず、前後にふじの歌あればおしはかりの事か、
 
2697 妹之名毛《イモガナモ》、吾名毛立者《ワガナモタヽバ》、 或本には女の歌とせり、いづれにても聞ゆ、
 
惜社《ヲシミコソ》、布仕能高嶺之《フジノタカネノ》、燒乍渡《モエツヽワタレ》、」 【或本云、君(ガ)名毛、妾名《ワガナ》毛立者、惜(ミ)己曾、不盡之高山之、燒乍毛|居《ヲレ》、】
 
2698 往而見而《ユキテミテ》、來戀敷《キテコヒシキニ》、 今本きてぞこひしきと訓しは、終の句にかなはず、此卷の書體を思ふに、敷の下に爾の字、來の下而の字落つらん、 
朝香方《アサカガタ》、 古事記に、其猿田毘古神坐2阿邪※[言+可]1、神名式、伊勢國壹志郡、阿射加神社、と有は是なるべし、(卷六)東歌に安齊可我多、志保悲乃由多爾、といへるは別ならん、
 
山越爾置代《ヤマコシニオキテ》、宿不勝鴨《イネカテヌカモ》、」
 
2699 安太人乃《アダビトノ》、 紀、(神武天皇條、〉到2吉野河之河尻1時、作v筌《ヤナヲ》有2取v魚人1云云、名謂2贄持之子《ニヘモチノコト》1、(此者、阿陀之鵜養之祖也、)和名抄に、宇智郡、阿陀、(陀音可濁讀)といへる所なり、さて此同所同事を思ふに、筌も也奈と訓べし、
 
八名打度《ヤナウチワタス》、 八名は梁なり、石見國人は山川をしがらみして塞て、その水の集り落る所に、杭を立て竹床を作、それに留る鮎をとる、其竹床をやなといふといへり、然らば多く杭を打て作るもて、やな打とはいふべし、かくてやな打所は、いとゞ早川をせき落せば、ことにはやきをいはん料なるべし、
 
瀬速《セヲハヤミ》、 瀬を早まりといひて、扨早く逢ばやとおもふ譬として、かくいそげど直目に逢ぬをなげくなり、三四の句の間、ことわりたらぬ如くなるも、古への一の體にて下に類有、
 
意者雖念《コヽロハモヘド》、直不相鴨《タヾニアハヌカモ》、」
 
2700 玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
石垣淵之《イハガキブチノ》、隱庭《カクレニハ》、 下に、石垣泥間、ともいひて、谷川などに巖の垣の如く立廻りたる淵をいひ、且そは岩にこもりてあれば、隱れといふのみ、 
伏雖死《フシテシヌトモ》、 今本、伏以死、と書てふしてしぬともと訓たれど、其三字はから文こそあらめ、此集の體にあらず、又死の字のみをしぬともと訓こと、人麻呂集にこそあれ、此卷の例ならず、故以を除て雖とすべし、字の消て以の如く成しなるべし、
 
汝名羽不謂《ナガナハイハジ》、」
 
2701 明日香川《アスカガハ》、明日文將度《アスモワタラン》、 此所句なり、
 
石走《イハバシノ》、 冠辭、
 
遠心者《トホキコヽロハ》、不思鴨《オモホエヌカモ》、」 石走《イハバシ》は川に石を並置て渡るをいふ、その石と石の間近ければ、(卷十三)石走《イハバシノ》、間近《マヂカキ》君爾、ともよめり、故にこゝは遠くとはおぼえず、間ぢかくあすも行て相見んといへるなり、【上を三の句までつゞけて、序歌ぞと思ふべけれど、是は二の句と末と心を通はしたる歌なり、古への序歌にさることなし、且石走は冠辭なる例も多ければ、かた/\二句の下を句と心得べし、】
 
2702 飛鳥川《アスカガハ》、水往増《ミヅユキマサリ》、彌日異《イヤヒケニ》、戀乃増者《コヒノマサラバ》、在勝申目《アリガテマシモ》、」
 
2703 眞薦苅《マコモカル》、大野川原之《オホノカハラノ》、 こは何所かしらず、或人(卷六に、いりまぢの、おほやかはら、と讀し所かとして、野をやのかなぞといへるは強たり、大を字音にせばこそ野をも音にいはめ、【或人こゝにつけて、高野天皇と申をも高屋と訓べしといへるもわろし、屋のかなならば光仁天皇紀などに高をば訓、野をば音としてかゝんかは、たかのとたかやは同じ大和にて、別の地なるをや、】
 
水隱《ミゴモリニ》、 次にも同じ譬有、
 
戀來之妹之《コヒコシイモカ》、紐解吾者《ヒモトクワレハ》、」
 
2704 惡氷木之《アシビキノ》、山下動《ヤマシタドヨミ》、逝水之《ユクミヅノ》、時友無雲《トキトモナクモ》、 時無は、常をいふ、
 
戀度鴨《コヒワタルカモ》、」
 
2705 愛八師《ハシキヤシ》、不相子故《アハヌコユヱニ》、 今本こゝを君故と書、下を玉裳と有は、女のよめる歌なり、然るに女の通ひ來しほどにて、男のあはで歸す事、大かた有べくもなし、此歌別卷に載しには、早敷哉、不相子故、徒に、是川瀬、裳裙潤、と有て男歌なり、是他卷といへども同歌なれば、疑なきに依べし、故に今本の君を子とし、玉裳を裳裙に改、○是川は今渡來し川なり、
 
徒爾《イタヅラニ》、此川瀬爾《コノカハノセニ》、裳襴沾津《モスソヌラシツ》、」 【女の通ふ歌、集中に類もあれど、川を渡ほどの道を通ふべからず、○後世題を設よむには、上に其地の名なくて、此川とはいひがたきを、これらは其川を渡てよめれば、かゝるも多し、後世意もて疑ふことなかれ、】
 
2706 泊湍川《ハツセガハ》、速見早湍乎《ハヤミハヤセヲ》、 見は萬里《マリ》の約にて、早まり早瀬と重て最早きをいふ、次にも同言有、
 
結上而《ムスビアゲテ》、 指を掬《ムスビ》て汲故に水を結ぶと云、
 
不飽八妹登《アカズヤイモト》、問師公羽裳《トヒシキミハモ》、」 暑き頃など掬て呑水の飽こと無を譬て、相なるれどもあかずやいなやと問たりし君が、深きしたしみを、絶て後互になつかしむなり、
 
2707 青山之《アヲヤマノ》、 木繁き深き山をいふ、
 
石垣沼間乃《イハカキヌマノ》、水隱爾《ミゴモリニ》、 上に、石垣淵之、水隱庭、とよめるにひとし、かく谷などの石がき水をも沼間《ヌマ》と云ならむ、
 
戀哉度《コヒヤワタラン》、相縁乎無《アフヨシヲナミ》、」
 
2708 四長鳥《シナガトリ》、 冠辭、
 
居名山響爾《ヰナヤマトヨニ》、行水乃《ユクミヅノ》、 音高きを譬、乃は如をこむ、
名耳所縁之《ナニノミヨセシ》、 人にいひよせられしなり、
 
内妻波母《コモリヅマハモ》、」 内は隱るよしにて書て、かの母が養ふ蚕の眉籠てふ如く、父母の守こめて逢がたき妹をいふ、さて其妹の行|方《ヘ》をしらねば、更に云云波母といひ出て嘆なり、【一云、名耳之所緑而《ナノミシヨセテ》、戀管哉將在、】
 
2709 吾妹子《ワギモコニ》、吾戀樂者《ワガコフラクハ》、水有者《ミヅナラバ》、 (卷六)「わぎもこが、とこのあたりに、岩くゞる、みづにもがもな、いりてねましを、」
 
之賀良三超而《シガラミコエテ》、 垣などにたとふ、
 
應逝衣思《ユクべクゾオモフ》、」 【或本歌云、相不思、人乎念久、これは右の歌によしなし、此二句の下は失て別事なりけん、】
 
2710 狗上之《イヌガミノ》、鳥籠山爾有《トコノヤマナル》、 狗上は近江の國の郡名、鳥籠山は(卷十三)「あふみぢの、とこの山なる、いざや川、」とよめり、
 
不知也河《イザヤガハ》、 不v知《シラズ》をいざといふは、まづ人のものを問を不v知《シラザル》事をばいざしらずと答ふ、其しらずを略きていざとのみも云る故に、いざといひて不v知《シラヌ》事ともなれり、且いざは否《イナ》にて、奈とざの濁りと通ふ例なり、仍てさは濁るなり、
 
不知二五寸許須《イザトヲキコス》、 三の句までは、いざといはん序のみ、さていざとをきこすとは、しらずとのたまはすといふなり、二五はとをの言に借て其とをのをは辭なり、きこすはのたまはすといふに同じくて、雅にも常にもいふ言なり、
 
余名告奈《ワガナヲノラナ》、」 吾名を告《ノリ》聞えんなり、なは辭、歌の意は、吾名をいはで在しかど、かくしたしく成ぬるに、猶名をしらで有べきかはとのたまはするからは、今は何かつつまん名を告《ノリ》聞えんぞといふなり、○此末の言どもを今本によみ誤り、或説に解たがへしは、既にいふ如く、古の女の名は夫なるべき男ならでは、いはぬならはしなるを心得ねばなり、下の卷どもにも、此意もてよめるは、みなしかり、【此歌古今歌集の一説に、あめのみかどのあふみのうねめに給ふ御歌とて、本はこゝと同じくて末を、「いざと聞えてわが名もらすな」と有は、一つの物語などにしか取かへて作りたるか、本より萬葉をよみ違へしか、論にもたらぬひがことなるを、源氏物語などにも、右のごとく口がため給ふ事にとりいひしは、本集をばみず、流言の行はれしなり、】
 
2711 奥山之《オクヤマノ》、木葉隱而《コノハガクリテ》、行水乃《ユクミヅノ》、 明らけし、
 
音聞從《オトキヽシヨリ》、常不所忘《ツネワスラレズ》、」
 
2712 言急者《コトトクハ》、 言は借字にて殊急はなり、
 
中波余騰益《ナカハヨドマジ》、 水の殊に急《ト》く流れなば、中淀はあらじと云て、相思ふ心の頻ならば中絶はあらじ、心おこたりよりこそするなれ○益《マシ》を万自《マジ》の言に借は、借訓には清濁は、嫌はぬ例なり、
 
水無瀬川、 此下に、「うらぶれて、物は思はじ、水無瀬川、有ても水は、行とふ物を、」(卷十三)「戀にもぞ、人は死する、水瀬川、下ゆわれやす、月に日にけに、」と有、ここは瀬字なし、卷十三は、無字なきは、各一字づゝ落たるか、ともあれみなせがはと訓ことは、右に引たる此下の歌にてしるし、かくて此川水は砂の下を水のくゞれば、或は絶或は流るゝ所々有からに、絶とも淀むとも下ゆとも行水とも云て、中よどなる戀の譬とす、
絶跡云事乎《タユトフコトヲ》、有超名湯目《アリコスナユメ》、」 超は借字にて乞《コソ》と願ふ辭也、其上を古須ともいへるは、音の通ふまゝにいふ言便なり、
 
2713 明日香河《アスカガハ》、逝湍乎早見《ユクセヲハヤミ》、將速見登《ハヤミムト》、 今本見字なくてはや見んとゝ訓しは、速の下に後に見を落せしなり、
 
待良武妹乎《マツラムイモヲ》、此日晩津《コノヒクラシツ》、」 障有ておそきなり、
 
2714 物部乃《モノヽフノ》、 冠辭、
 
八十氏川之《ヤソウヂガハノ》、急瀬《ハヤキセニ》、立不得戀毛《タチアヘヌコヒモ》、 得も立がたく命にむかふ苦みなるを譬へたり、さて譬の言より延つけて、下の意をいふ類上下に有、○不得と書て別卷に、意進不得《ナグサメカネテ》、女念不得《ナヲモヒカネテ》、など訓、行難忘不勝、など有は行かで忘《ワスレ》がてぬと訓しかど、音かよひ意ひとし、
 
吾爲鴨《ワレハスルカモ》」 【一云、立而毛君者、忘金津藻、是は明らけし、】
 
2715 神名火《カミナビノ》、打廻前乃《ウチワノクマノ》、 (卷十三)衣手乎、打廻乃里爾、有吾乎、てふをむかへみるに、先飛鳥川の行めぐる神名火山の麓に淵の在て、(卷十四)に神南備の淵とよめり、其所に打廻てふ里ありて、その邊を打廻の前といふと見ゆ、打廻をうちわと訓ことは、衣手てふ冠辭を置しは、立舞に袖をふりめぐらすよしなればなり、【此事多くは或人の説によりぬ、今本うちまふさきと訓は、かの打廻の里をもうちまふの里と訓んとするか、しかいふ里の名は有べからず、且之の辭を添るは、後の俗言なり、】 
石淵隱而耳八《イハブチノカクレテノミヤ》、吾戀居《ワガコヒヲラム》、」
 
2716 自高山《タカヤマユ》、出來水《イデクルミヅノ》、石觸《イハニフリ》、破衣念《ワレヲゾオモフ》、 集中に、吾胸の破而くだけて、と云に同じ、後の物語歌などに、わりなくを略てわれてといふとは異なり、
 
妹不相夕者《イモニアハヌヨハ》、」
 
2717 朝東風爾《アサゴチニ》、 朝には必東風の吹ものなり、
 
井堤越波之《イデコスナミノ》、 ゐ※[さんずい+(曰/土)]《デ》は井|留《トメ》てふ事にて、杼米《トメ》の約|※[さんずい+(曰/土)]《テ》なり、是は行水を堰留て、溝して方々の田へまかせん料なり、かくて其堰の末の里にても、しかするものなれば、堰の上をも常に水の流るゝほどにすれば、其せき湛し淀に風立時は、いよゝ白波の立てかの堰を越るものなり、こゝはそのさまをいへり、
 
世越似裳《セゴシニモ》、 又|世染《ヨゾメ》にもか、今本に、世蝶と書て、せてふにも、と訓しは何のよしもなし、【或説に蝶をてふと云辭といへるは後世意なり、萬葉にてふといふ辭なきよし上の別記に云が如し、】今の世越の字とするは、物ごしにだにもいまだ不v相といはんとて、其|堰《セ》に越波は譬出せるなり、又世染の字とする時は、別卷に、荒磯越、外行波、といふ如く、是も其堰を越てよそへ行波を外目《ヨソメ》にいひそへたりとす、
 
不相鬼故《アハヌモノユヱ》、 物づからなり、
 
瀧毛響動二《タギモトヾロニ》、」 即上の越浪の沸る音を、人言の多きにたとふ、仍てかのせごしの譬を專とせり、
 
2718 高山之《タカヤマノ》、石本瀧千《イハモトタギチ》、 ちはりに通ひてたぎりの意、 
逝水之《ユクミヅノ》、音爾者不立《オトニハタテジ》、 此音は名には顯はさじとの意、 
戀而雖死《コヒテシヌトモ》、」
 
2719 隱沼乃《コモリヌノ》、 冠辭、
 
下爾戀者《シタニコフルハ》、飽不足《アキタラズ》、人爾語都《ヒトニカタリツ》、可忌物乎《イムベキモノヲ》、」 下の卷に、「念にし、餘にしかば、すべをなみ、吾はいひてき、應忌鬼《イムベキモノ》尾、」てふ如く、忌つゝむべきをなり、
 
2720 水鳥乃《ミヅトリノ》、鴨之住池之《カモノスムイケノ》、下樋無《シタビナミ》、欝悒君《オホニモキミヲ》、 下槌無池は底のおぼつかなきを、定かにもあらずおぼ/\に君を見しにいひつゞけたり、
 
今日見鶴鴨《ケフミツルカモ》、」
 
2721 玉藻苅《タマモカル》、 冠辭、
 
井提乃四賀良美《ヰデノシガラミ》、 【井提のしがらみは、小川を横に杭を立並る事幾通りもして、杭の通りごとに、柴竹などをからみ付て、其杭の間ごとに土の俵と云物を多くつみて、水をせくなり、仍てゐでのしがらみは、甚厚きものなり、】
 
薄可毛《ウスキカモ》、 此歌を人皆意得ざりしは、可毛の辭、又女の字は母《モ》の誤りなるを考へざる故なり、井堤は右にいへり、さてこゝは其ゐどめのしがらみを以て言をなせり、しがらみ薄き可毛といふは、うすきかはてふ辭にて、厚きがうらなり、是までは井堰の厚くして水のもらぬをいはん譬なり、かもの辭の例は左に擧、
 
戀乃余杼母留《コヒノヨドモル》、 今本|女《メ》留と有は誤なる事、歌の意に違ひ、又集にも諸の古書にも、女の字を米の、假字に書し例なし、【女をめの借字に用たる卷十八十九丁卅丁安夜女具佐と二つまであり、】今京こなたの假字に依て誤りしものなり、故に母に改、
 
吾情可聞《ワガコヽロカモ》、」 是も加波の意なり、その井でのしがらみの所の淵をなせる如く、わが戀の心の深く湛しは漏よしの有かはと云て、吾思ひをもらし遣《ヤル》すべなきをなげくなり、○可毛てふ辭は毛は助辭にて、可に疑の可歎の可可波の可願の我《ガ》有、皆其歌によりて分めり、其可波の意なるは、下の卷に、「あらぞめの、あさらの衣、淺らかに思ひて妹に、將相物香裳、」又「人言の、繁くしあらば、君も我も、將絶と云て、相之物鴨、」別卷に、「足引の、名に負山菅、押伏《オシナビケ》、公結《キミシムスバヽ》、不相有哉《アハザラメカモ》、」この外卷卷に有、
 
2722 吾妹子之《ワギモコガ》、笠乃借手乃《カサノカリテノ》、 笠の内に輪ひもをつけてきるめり、其輪を借手といへば、わざみの和に冠らせつ、
 
和射見野爾《ワザミノニ》、 こは天武天皇紀に、高市皇子の陣を成給へる美濃の和暫《ワザミ》にて、近江に近き所と聞ゆ、不破郡に有べし、
 
吾者入跡《ワレハイリヌト》、妹爾告乞《イモニツゲコソ》、」 旅立し時か歸る時か、何にても有べし、○こそは願ふなり、
 
2723 數多不有《アマタアラヌ》、名乎霜惜三《ナヲシモヲシミ》、 身一つに二行《フタユク》名はなし、あしき名にてはあしき人とのみ聞ゆるからに、あまたあらぬ名といへり、○しもはことをいひ入る辭、
 
埋木之《ウモレギノ》、 冠辭、
 
下從其戀《シタユゾコフル》、 是までは上をうけていへり、
 
去方不知而《ユクヘシラズテ》、」 終に事成べくは名もいとはじをと云也、
 
2724 冷風之《アキカゼノ》、 此つゞけおぼつかなし、もしちは風の古言なればいひ重ねたるか、又たちを略てつゞけたるか、【神代紀に、疾風を波也知とよみ、其外こちならしあらしてふしもちの音の通ひなり、】
 
千江之浦囘乃《チエノウラワノ》、 千江の浦はしらず、思ふにいづみの國の血泥の泥を江に誤るか、西風吹ば難波の木糞のよる浦なり、
 
木積成《コヅミナス》、 下に木糞と書て木くずの浮てよるをいふ、成は如なり、
 
心者依《コヽロハヨリヌ》、後者雖不知《ノチハシラネド》、」
 
2725 白細布乃《シロタヘノ》、 冠辭、今本|白細砂《シラマナゴ》と有は、砂の下にことわる辨なければ、古言ならぬ事、上に白浪の濱とはつゞくべからずといふが如し、此ことわり上にいへり、故に古本を是《ヨシ》とす、其白紬布よりつゞけし意は、三は眞津はつちの略とす、白栲の眞土といひかけたり、○(卷八)白栲爾、丹保布信士之、山川、と云が如し、○此考冠辭考にもれたり補ふべし、【後世人は白まなごみつ白波の濱白たへのふじなど樣にいふ事と思ひ誤れり、其別ちは冠辭考につぶさにいひつ、三津濱と云は書紀の説は依がたし、御津の意と思ふも猶字かなはず、今こゝに依は、眞土の濱てふ言にはあらじか、住吉の黄土といふ同所にて、岸に岩なくて浪に崩れぬは眞士なればなり、然れば眞士の浦てふ名に負へるをつゞめて、みつの浦といひしにや、】
 
三津之黄土《ミツノハニフノ》、色出而《イロニデテ》、 こは住吉の三津と云も同所にて、住吉の岸のはにふといへる是なり、
 
不云耳衣《イハザルノミゾ》、 句なり、今本にいはずてのみぞと訓しは、下の者のかへるところなし、
 
我戀樂者《ワガコフラクハ》、」
 
2726 凰不吹《カゼフカヌ》、浦爾浪立《ウラニナミタツ》、無名乎毛《ナキナヲモ》、 毛は一本による、さて古今歌集に、「かねてより、風に先立、浪なれや、逢事なきに、まだき立らむ、」と云は今を少しかへしのみなり、相持て解べし、
 
吾者負香《ワレハオヘルカ》、逢者無二《アフトハナシニ》、」
 
2727 酢蛾島之《スガシマノ》、夏身乃浦爾《ナツミノウラニ》、 或人鹽津すが浦とよめるは、近江淺井郡なり、そこにすが島も有かといへり、和名抄、同國甲賀郡に夏身郷あり、右と合せて近江とせんか、又或人は阿波と紀伊の間にすが島といふ有ともいへり、
 
依浪《ヨルナミノ》、間文置《アヒダモオキテ》、吾不念君《ワガモハナクニ》、」
 
2728 淡海之海《アフミノミ》、奥津島山《オキツシマヤマ》、奥間經而《オクマヘテ》、 間經の約は米なれば奥めてと云なり、別卷に載たるに奥|儲《マケテ》と有、萬氣の約めも同じくて同辭なり、さて集中に思ふといふは、深く思ふ意なれば、こゝもさ心得んもあしからず、又末の事を奥といへるもあれば、末をたのめて在間に人言の繁ければ、末おぼつかなしといふにも有べし、
 
我念妹爾《ワガモフイモニ》、 今本妹之と有は聞えず、かの別卷には之の字も無ておもふにと訓たり、然れば之は爾を誤りつ、
 
言繁《コトノシゲミモ》、」 今本しげゝんと訓しは、末に言繁からんを、今本より知よしもなければ、顯に繁き方に訓べきなり、
 
2729 霰零《アラレフリ》、 冠辭、
 
遠津大浦爾《トホツオホウラニ》、縁浪《ヨスルナミ》、縱毛依十方《ヨシモヨストモ》、憎不有君《ニクカラナクニ》、」 上にも、よそへる君が、にくからなくに、とよめり、○遠つ大浦は紀伊に有か、冠辭考にくはし、
 
2730 木海之《キノウミノ》、名高之浦爾《ナタカノウラニ》、 名高浦は此下に一首、(卷七)に二首あるを、こゝを以て紀伊と定む、
 
依浪《ヨルナミノ》、音高見鳧《オトタカミカモ》、不相子故爾《アハヌコユヱニ》、」
 
2731 牛※[窗/心]之《ウシマドノ》、 備前國に今もしかいふ所有、鵜島門《ウシマト》の意か、
 
浪乃鹽左猪《ナミノシホサヰ》、島響《シマヒヾキ》、 潮のさわぎの浪の響を、人言に譬ふ、
 
所依之君爾《ヨセテシキミニ》、 いひよせられしよしにて所依と書り、今本の訓はわろし、○てしはたりしなり、
 
不相鴨將有《アハズカモアラム》、」
 
2732 奥波《オキツナミ》、邊浪之來縁《ヘナミノキ∃ル》、左太能浦之《サダノウラノ》、 貞浦は和泉に今在、また出雲國にもあり、いづれをこゝにいへるにか、
 
此左太過而《コノサダスギテ》、 左太は定の言なる事、上の事曾左太多寸てふ所にいへり、こゝの意は、今わが思ふ人につけていひ騷がるゝ時ぞ、此|評定《サダ》を過して後に、又戀んかといふなり、別卷に、我故、所云妹《イハレシイモハ》、高山之峯(ノ)朝霧、過(ニ)兼鴨、
 
後將戀可聞《ノチコヒムカモ》、」 此歌下の卷の旅の歌どもの中に再のりしは誤なるべき事、そこに云、
 
2733 白浪之《シラナミノ》、來縁島乃《キヨスルシマノ》、荒磯爾毛《アリソニモ》、有申物尾《アラマシモノヲ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、」 かく戀つゝかひあらぬを、かねて知せば、さるおそろしげなる荒磯と成てもあらまし物をと悔て云り、
 
2734 鹽滿者《シホミテバ》、水沫爾浮《ミナワニウカビ》、細砂裳《マナゴニモ》、 みちくる潮さわぎには、泡とゝもに眞砂もうきたつものなるを、み沫《ナワ》の如く浮ぶまさごといひて、我|生《イキ》もやらず死もはてず、浮てただよふこゝろをたとへたり、 
吾者生鹿《ワレハナリシカ》、 生も鹿もかり字にて、浮べる細砂に成しかなり、【或人鹿を願の辭と見しはわろし、】
 
戀者不死而《コヒハシナズテ》、」
 
2735 住吉之《スミノエノ》、城師乃浦箕爾《キシノウラミニ》、 浦|備《ビ》濱備ともいへば、浦|箕《ミ》の箕《ミ》は備に通ひて、其備は方の意なり、
 
布浪之《シクナミノ》、 重りよる浪なり、
 
敷妹乎《シク/\イモヲ》、 重々なり、
 
見因欲得《ミムヨシモガモ》、」
 
2736 風緒痛《カゼヲイタミ》、甚振浪能《イタブルナミノ》、 いたく浪の振うごくなり、(卷六)おしていなと、いねはつかねど、奈美乃保乃《ナミノホノ》、伊多夫良思毛與《イタブラシモヨ》、伎曾比登里宿而《キソヒトリネテ》、
 
間無《アヒダナク》、吾念君者《ワガモフキミハ》、相念濫香《アヒモフラムカ》、」
 
2737 大伴之《オホトモノ》、 冠辭、
 
三津乃白浪《ミツノシラナミ》、間無《アヒダナク》、我戀良苦乎《ワガコフラクヲ》、人之不知久《ヒトノシラナク》、」
 
2738 大船乃《オホブネノ》、絶多經海爾《タユタフウミニ》、重石下《イカリオロシ》、 和名抄に、四聲字苑云海中以v石駐v舟曰碇、(伊加利、)といへり、いしがゝりの略なり、常にも船をとゞめてをるをふねのかゝりゐるといふ即是なり、別卷にも二首あり、
 
何如爲鴨《イカニシテカモ》、吾戀將止《ワガコヒヤマム》、」 
 
2739 水沙兒居《ミサゴヰル》、奥麁磯爾《オキツアリソニ》、 和名抄に、※[且+鳥]鳩、美佐古、G(ノ)屬也、好在2江邊山中1、亦食v魚者也、といへる是なり、其抄今按とて、書紀の覺賀鳥の事と言るはあたらず、かれは鷲なるべきよし下に云り、
 
縁浪《ヨルナミノ》、往方毛不知《ユクヘモシラズ》、吾戀久波《ワガコフラクハ》」 右に、下從其戀《シタユゾコフル》、往方不知而《ユクヘシラズテ》といへるとはことにて、古今歌集に、「吾戀は、ゆくへもしらず、はてもなし、あふをかぎりと、おもふばかりぞ、」てふに似たり、
 
2740 大船之《オホブネノ》、舳毛艫毛《ヘニモトモニモ》、依浪《ヨスルナミ》、依友吾者《ヨルトモワレハ》、 彼人へ行べき此人によらんぞなど、さま/”\いひよせらるゝ人言の有を譬へて、舳《ヘ》にも艫《トモ》にも依る波といへり、
 
君之任意《キミガマニ/\》、」 しかいはるゝとも他《アダ》しこゝろはもたず、ただ君がまに/\といへり、
 
2741 大海二《オホウミニ》、立良武浪者《タツラムナミハ》、間將有《ヒマモアラム》、公二戀等九《キミニコフラク》、止時毛梨《ヤムトキモナシ》、」
 
2742 牡鹿海部乃《シカノアマノ》、 上に出、
 
火氣燒立而《ケムリヤキタテヽ》、燒鹽乃《ヤクシホノ》、辛戀毛《カラキコヒヲモ》、吾爲鴨《ワレハスルカモ》、」 【古今歌集に、「おしてるや、なにはのみつに、燒汐の、」といへるは此歌をうつしかへしのみ、】
 
2743 中中二《ナカ/\ニ》、君二不戀者《キミニコヒズハ》、枚浦乃《ヒラノウラノ》、 近江の平なり、
 
白水郎有申尾《アマナラマシヲ》、玉藻刈管《タマモカリツヽ》、」 此體なるは、(卷九)和2諸人梅花歌1とて、(吉田連宜京より贈、)於久禮爲天《オクレヰテ》、和我古飛世殊波《ワガコヒセズハ》、彌曾能不乃《ミソノフノ》、(御園)于梅能波奈爾母、奈良麻之母能乎、てふに均しければ、こゝはこひずはと訓も、戀せずあらんとならばてふを、略きいふ一つの體なり、かくて君に戀せずあらんとならば、吾賤しき海人にてもあらましを、中々にかゝる身にて君に戀つゝくるしといへり、〇下卷に、後居而、戀乍不有者、田籠之浦乃、海部有申尾、珠藻苅乍、この末は似て本は異なり、【こゝの左に、右一首石川君子朝臣作之、と註したるはよしなし、此卷どもは惣て作人しられぬを集しに、一首二首何ばかりの據ありて誰が歌と云らん、凡浮たることなるべし、○或本歌曰、中中爾、君二不戀波、留鳥《アミ》浦之、海部爾有益男、珠藻刈々、】
 
2744 鈴寸取《スヾキツル》、 記上に、爲釣海人之口大之尾翼鱸《アマカツリスルクチブトノヲヒレスヾキ》、(鱸云須受岐、)
 
海部之燭火《アマノトモシヒ》、外谷《ヨソニダニ》、不見人故《ミヌヒトユヱニ》、戀比日《コフルコノコロ》、」
 
2745 湊入之《ミナトイリノ》、葦別小舟《アシワケヲブネ》、障多見《サハリオホミ》、 古人はかゝる譬をしもいひ出たり、
 
吾念公爾《ワガモフキミニ》、不相頃者鴨《アハヌコロカモ》、」
 
2746 庭淨《ニハキヨミ》、 人麻呂は庭よくあらしとよみつるが如く、こゝも爾はをよみとも訓べけれど、また日晴海面平けくて鑑の如くならんは清しと言べし、
 
奥方※[手偏+旁]出海舟乃《オキヘコギイヅルアマブネノ》、執梶間無《カヂトルマナク》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」
 
2747味鎌之《アヂカマノ》、 此所(卷六)未勘國と注せし中にも二首あり、
 
鹽津乎射而《シホツヲサシテ》、 是も所の名なり、近江に今も鹽津てふ所有、○紀(神武天皇條)に、兄宇迦斯《エウカシ》を矢刺而《ヤサシテ》追入、てふは矢を弓にはげて射んとするさまなり、こゝに射字をさしてと訓は、即いやる意なり、
 
水手船之《コグフネノ》、名者謂手帥乎《ナハイヒテシヲ》、 【船に名をつくる事、書紀に上つ代より見ゆ、】
 
不相將有八方《アハザラメヤモ》、」 次の卷に、往吉之、敷津之浦乃、名告藻之、名者告而之乎、不相毛怪、てふも均し、こゝは女の名を今はとて告しからは、必逢べしと定めて云り、
 
2748 大舟爾《オホフネニ》、葦荷刈積《アシニカリツミ》、四美見似裳《シミミニモ》、 繁々《シミ/\》を略けり、(卷十六)にしゝ田の稻を倉に積《ツミ》てふ類なり、
 
妹心荷《イモガコヽロニ》、乘來鴨《ノリニケルカモ》、」 妹が事はちゞよろづに我心に乘て在を、その事の多きをたとへて葦荷をいへり、
 
2749 驛路爾《ハユマヂニ》、引舟渡《ヒキフネワタシ》、 はやうまのや字の約め由なれば、はゆまといへり、さて厩牧令に、水驛(ノ)不v配《アテザル》v馬(ヲ)處(ニハ)、量(テ)2閑繁(ヲ)1、(行人の多少)驛|別《ゴトニ》置《オク》2船四隻以下二隻以上(ヲ)1、右は序、
 
直乘爾《タヾノリニ》、 たゞは一道にといふがごとし、
 
妹情爾《イモガコヽロニ》、乘来鴨《ノリニケルカモ》。」
 
2750 吾妹子《ワギモコニ》、不相久《アハデヒサシモ》、馬下乃《ウマシモノ》、 冠辭、 
阿倍橘乃《アベタチバナノ》、 味物《ウマシモノ》の甘橘といへり、是即今ある橘の事なり、
 
蘿生左右《コケムスマデニ》、」 蘿は日影をいへり、日影は奥山の木に生て、橘などの里の木には生ざれど、年久しき事の譬には、何にもいふ類多し、あべ橘に橙などの字を當しは、皆よろしからず、古へ諸の蜜柑柑子の類なき時、此橘を菓子の長上として橘氏をも賜はり、南殿の橘も遷都の前より有しを、後も傳へて植させらるめり、ましていと古き代たちばなに二種あらめや、年へてまどひしが今ややおもひ定めたり、
 
2751 味乃住《アヂノスム》、 あぢ鳧《カモ》なり、集中に味村さわぎ、味の群鳥《ムラトリ》ともよめり、
 
渚沙乃入江之《スサノイリエノ》、 神名式に、紀伊國有田郡須佐神社、(名神、大新嘗、月次、)と有、
 
荒磯松《アリソマツ》、我乎待兒等波《アヲマツコラハ》、但一耳《タヽヒトリノミ》、」 其妹を專らうつくしむことばなり、【(卷六)未勘國と註せし中に、此歌下句ことにて入しは、東にも同名ありてよみしか、其卷にいふべし、】
 
2752 吾妹兒乎《ワギモコヲ》、聞都賀野邊能《キヽツガノベノ》、 神功皇后紀、仁徳天皇紀、にも菟餓野とて津の國に出、さて妹がうへを聞繼といひ下せり、
 
靡合歡木《シナヒネム》、 今いふねむの木にて、枝も葉もしなふものなり、今本になびきねむと訓しは、此歌の意にあらず、こはしぬぶといはん料の序なれば、しなひとよまではかなはず、(卷十三)「眞木の葉の、しなふせの山、しぬばずて、我越ゆけば、木の葉しりけん、」といふ眞木は檜木にて、枝葉のしなふ木なり、さて故郷の妹を慕《シタフ》に堪ずて越行を、木の葉も見知て枝をしなへて在といふにて、今も相似たるさまながら、彼はたゞ慕に堪ぬをいひ、ここは思ひを忍び隱すにたえぬを云り、【しなひとしぬぶを同言としてかくいふは、人を戀慕時は身も心もしなへて思ふ故に、夏草のしなへうらぶれともいへり、さて慕《シタフ》はしたふ意を本にて、そを心の内にしたふは隱す意と成ぬ、この二つ集中にあれども、言の出る本は均し、】
 
吾者隱不得《ワレハシヌバズ》、間無念者《マナクオモヘバ》、」 しぬぶに堪《タヘ》ずてふ意なれば、隱不得とせり、是をしぬびえすと訓しはよしなし、紀(允恭條)に、むかへをゆかん、まつにはまたじ、とよみ給ひしは、待には不v得v堪(ルコトヲ)、てふ意なる如く、こゝもしぬばずと訓て隱《シヌブ》に不v得v堪なり、
 
2753 浪間從《ナミマヨリ》、所見小島之《ミユルコジマノ》、 備前紀伊などの地名にはあらで、(卷八)玉の浦の、はなれ小島、などいへるたぐひなるべし、(卷十)浪間より、見ゆる小島の、雲隱、
 
濱久木《ハマヒサギ》、 (卷六)に吉野にて、久木生る、清き河原、とよみ、和名抄に、楸(比佐木、)と有て、赤めがしはぞと或人はいへり、そは里に生て桐梓の類なれば、潮風の立る島に生べくも覺えず、同じ久木てふ名にて、濱久木は異木にやあらん、【(卷七)今本に、山のはの、久木花咲と有久は、冬の字の誤なり、是を以ていふ説はひがことぞ、】 
久成奴《ヒサシクナリヌ》、君爾不相四手《キミニアハズシテ》、」
 
2754 朝柏《アサガシハ》、 冠辭、
 
閏八河邊之《ウルヤカハベノ》、 別卷に、秋柏《アキガシハ》、潤和川邊《ウルヤカハベ》、細竹目《シヌノメノ》、人不顔面《ヒトニシヌベバ》、公無勝《キミニタヘナク》ともよめり、
 
小竹之眼※[竹/矢]《シヌノメノ》、小竹はしなへる物なればしぬといひ、眼《メ》は牟禮の約にて小竹叢なり、次にしぬぶといはん序とす、
 
思而宿者《シヌビテヌレバ》、夢所見來《イメニミエケリ》、」 此思はしぬぶとよまでは上よりつゞかず、下の意もきこえざるなり、今本におもひと訓しは何のよしともなし、別卷の三四句の言を以ても知べし、【思字を慕ふ意にて、しぬぶとよみしは、即此次下にも末にも有、○今本は別卷の訓をも誤れり、】さてしぬびてぬればとは、思慕《オモヒシタヒ》てぬれば夢にみえつると云にて、此しぬびはしたふ意、別卷のしぬべばは隱す事なり、集中に此二つ有を歌の意もて分ち心得る事、上にもいふがごとし、
 
2755 渡茅原《アサヂハラ》、刈標刹而《カリジメサシテ》、 刈は借字にて、廣き荒野の中に假初なる標杭などをさしたるは、ばとして定かならぬしるしなるを空言に譬へ下せり、さてかくそら言にても、一たび人にいひよせられし君なれば、其君のあはんといふ言を、吾はまちつゝあらんといふなり、
 
空事文《ソラゴトモ》、所縁之君之《ヨセテシキミガ》、辭鴛鴦將待《コトヲシマタム》、」 下の卷に、「淺茅原、小野にしめゆふ、そらごとも、あはんときこせ、戀のなぐさに、」其左の註に、或云、こんと知《シラ》せし君をし待ん、又別卷に、本は同じくて末は、「そら言を、いかなりといひて、君をしまたん」とも讀り、
 
2756 月草之《ツキクサノ》、 冠辭、
 
借有命在人乎《カリナルイノチアルヒトヲ》、 人は吾をいふ、
 
何知而鹿《イカニシリテカ》、後毛將相云《ノチモアハントフ》、」
 
2757 王之《オホキミノ》、御笠縫有《ミカサニヌヘル》、 天皇の菅笠は、大嘗宮へ幸の時の式に見ゆ、又仲哀天皇の紀に、皇后の御笠の事有も菅か、
 
在間菅《アリマノスゲ》、 攝津國、
 
有管雖看《アリツヽミレド》、 有つゝは常にといふが如し、
 
事無吾妹《コトナキワギモ》、」 事有とは、吉にも凶にもすぐれたるをいへれば、こゝの事なきはよろづに難なきをいふなり、
 
2758 菅根之《スガノネノ》、 山菅なり、
 
懃妹爾《ネモゴロイモニ》、戀西益《コヒセマシ》、 ましは辭、
 
卜思慮《ウラモフコヽロ》、 卜は借字にて裏なり下なり、又今本卜思※[而/心]、と有※[而/心]は、慮の字なり、古今六帖に此歌を擧て、うらもふこゝろ、と有にて知べし、
 
不所念鳧《オモホエヌカモ》、」 惣ての意は、心のうちにのみはえ忍びあへず、今よりは顯れてねもごろに戀せなんと思ひ成しといへり、
 
2759 吾屋戸之《ワガヤドノ》、穗蓼古幹《ホタデフルカラ》、採生之《ツミオフシ》、 こは去年の秋の末に枯たる蓼の古莖の子《ミ》を採納めて、今年の春蒔生し、それが又|子《ミ》になる秋までも、同じ心に君を待なんといふなり、此類ひ(卷七)に、「住吉の、岸を田にはり、蒔し稻の、しかもかるまで、不相君かも、」など多し、故に採生之を、つみおふしと訓り、つみはやしと訓しも、おふるをはやしといへる意ならば、さても有なんを、或説にさのゝくゝだちつみはやし、御膾はやしなどの意とおもへるは、此歌の意にかなはず、かゝる物の子《ミ》は、とるべき時にとらねば、おのづから落失る故に、秋の末に摘取置て春蒔生すなり、然れば此採と生しは、こと時なるをつゞめて一句にいへるのみ、 
實成左右二《ミニナルマデニ》、君乎志將待《キミヲシマタム》、」
 
2760 足檜之《アシビキノ》、山澤囘具乎《ヤマサハヱグヲ》、採將去《ツミニユカム》、 (卷七)爲君《キミガタメ》、山田之澤《ヤマダノサハニ》、惠具採跡《ヱグツムト》、雪消之水爾《ユキゲノミヅニ》、裳裾所沾《モノスソヌレヌ》、 ともよみて、澤にもやま田にも生る物なり、黒久和爲《クログワヰ》といふ物に似て、葉も根もいとちひさし、芋《イモ》も黒からず、さてこれらをば、藺《ヰ》の類として、芋の味もゑぐゝ葉|弱《ヨワ》ければ、ゑぐよわゐてふを略てゑぐわゐといひ、又略てゑぐとのみもいへり、是にはいふべき事多ければ、別記に擧たり、採の字はとるともつむとも、ことによりて訓り、是は葉を摘にあらず、淺き水の内に有を、指もてつまみとれば、つむとも訓べし、
 
日谷毛相將《ヒタニモアハム》、 都人の若なつみに出る如く、雪氷とけぬる頃、所につけたるゑぐつまんとて、野澤あたりへ出る事あるによりて、さる日に出あはんと男に契れるなるべし、是はひな人の歌なり、【將をむのかなにして、下にも書る事、集中に類有、】 
母者責十方《ハヽハコロブトモ》、」 上にいへり、
 
2761 奥山之《オクヤマノ》、石本菅乃《イハモトスゲノ》、根深毛《ネフカクモ》、 末の念妻といふは、いまだむかひめとならぬほどの言なり、然ればこゝは石本菅より譬へて、末かけてかたく根ふかく思ふと云なり、
 
所思鴨《オモホユルカモ》、吾念妻者《ワガモヒヅマハ》、」 つまをばの意、
 
2762 蘆垣之《アシカキノ》、中之似兒草《ナカノニコグサ》、 垣の内の事をば、集中に内と書たり、こゝは中と書しかば、あし垣に交りからまりて生たるにこ草をいふならん、(卷六、相摸歌に)「あしがりの、はこねのねろの、爾古具佐能、はなづまなれや、」ともよみたり、和名抄に、※[草冠/威]※[草冠/(豕+生)]を恵美久佐といへる是か、こゝの歌に即われとゑみしてともいひ、皇極天皇紀の猿が歌に、武※[舟+可]都烏爾陀底婁《ムカツヲニタテル》、制羅我※[人偏+爾]古彌擧曾《セラガミコミコソ》、てふも同じ意なれば、爾古草惠美草同じ物か、されども共によくしらず、
 
爾故余漢《ニコヨカニ》、我共咲爲而《ワレトヱミシテ》、人爾所知名《ヒトニシラルナ》、」 
2763 紅之《クレナヰノ》、 冠辭、
 
淺葉乃野良爾《アサハノノラニ》、苅草乃《カルクサノ》、束之間毛《ツカノアヒダモ》、吾忘渚菜《ワヲワスラスナ》、」 かくうらなくいふは古人のまことなり、わすらすなの良須約は留にて忘るななり、今本われわすれずな、といへるは、わが忘れぬ事と思ひ誤しなるべし、此四字しかは訓がたきが上に、渚の字は濁りよむべくもあらず、
 
2764 爲妹《イモガタメ》、壽遺在《イノチノコセリ》、苅薦之《カリコモノ》、念亂而《オモヒミダレテ》、應死鬼乎《シヌベキモノヲ》、」
 
2766 三島江之《ミシマエノ》、 三島江の玉江ともよめり、神名式の攝津國島下郡に、三島鴨神社あり、こゝなるべし、
 
入江之薦乎《イリエノコモヲ》、苅爾社《カリニコソ》、吾乎婆公者《ワレヲバキミハ》、念有來《オモヒタリケレ》、」
 
2767 足引乃《アシビキノ》、山橘之《ヤマタチバナノ》、色出而《イロニイデヽ》、 山邊の木陰岩根などに有て、子《ミ》赤く葉常にあれば、是しも橘の名を負せし事、かくはやき代にも有しかな、びんそぎなどのことぶきものとするも、然らばはやくよりの事か、今田舍にて是を薮《ヤブ》柑子といふも、橘より轉ぜしならん、
 
吾戀南雄《ワガコヒナムヲ》、人目難爲名《ヒトメカタミスナ》、」 今本は目と書てやめがたくすな、と訓しはよしなし、八は人の字なり、今よりわが顯れて戀んからは、そこにも人めをはゞかることなく、あらはれて相思ひてよといふなり、
 
2768 葦多頭乃《アシタヅノ》、颯入江乃《サワグイリエノ》、白菅乃《シラスゲノ》、知爲等《シラレムタメト》、乞痛鴨《コチタカルカモ》、」 知の上に將字落たるか、さていまだ思ふ人にもかくと告ずして戀るを、里人のとくもこちたくいひなすは、おのづからわがこゝろを、其人にしられん爲とての事かといふなり、女の歌か、且序に颯と云を、下にひゞき有がごとく思ふは後世意なり、○乞は借字にて言をいふ、
 
2769 吾背子爾《ワガセコニ》、吾戀良久者《ワガコフラクハ》、夏艸之《ナツグサノ》、苅除十方《カリハラヘドモ》、生及如《オヒシクガゴト》、」 (卷七)廼者之《コノゴロノ》、戀乃繁久夏草乃《コヒノシゲヽクナツグサノ》、苅拂友《カリハラヘドモ》、生布如《オヒシクガゴト》、てふは同じ歌なり、
 
2770 道邊乃《ミチノベノ》、五柴原能《イチシハハラノ》、 用明天皇紀に、赤檮此云2伊知毘1、と有は、伊豆國人云、橿の類にて大木なり、基木色赤く堅き事橿に増る、車の輪舟楫などに爲ものなり、さて同じ物も※[木+若]なるをばしばといへば、此いちひを略きていちしばと云にや、楢柴くぬぎ柴てふが如し、(卷十二)天霧之、雪毛零奴可、灼然、此五柴爾、零卷乎將見、(卷十三)大原之、此市柴乃、何時鹿跡、吾念妹爾、今夜相有香裳、これが中に市と有に依て、五をもいちと訓べし、足常、小豆無、なと書しも、たらちねあぢきなくと訓が如し、○又こゝは草の歌どもの中に、此一首木柴ならん事おぼつかなし、もし芝にさる名の有にや、道のべと云も草に近きを、此下に道のべの草を冬野にといひ、道の柴草ともあればなり、猶山人に問べし、
 
何時毛何時毛《イツモイツモ》、人之將縱《ヒトノユルサム》、言乎思將待《コトヲシマタム》、」
 
2771 吾妹子之《ワギモコガ》、袖乎憑而《ソデヲタノミテ》、眞野浦之《マノヽウラノ》、 攝津國なるべし、
 
小菅乃笠乎《コスゲノカサヲ》、不着而來二來有《キズテキニケリ》、」 來にけりといへば、妹が家へ到て、その道の程小雨にぬれたるをもて、戯にかくいへるか、道にて出あふべき時などこそかくはいはめと思へど、さのみもはからひがたし、
 
2772 眞野池之《マノヽイケノ》、小菅乎笠爾《コスゲヲカサニ》、不縫爲而《ヌハズシテ》、人之遠名乎《ヒトノトホナヲ》、可立物可《タツベキモノカ》、」 わが袖をたのみて、笠もきずて來しといはゞ、事有がほに聞えて實なきものから、名のひろく立んが苦しといひ、且上の笠にぬはずとは、(卷三)「をちの小菅、あまなくに、い刈もて來、」とよめるが如く、いたづらなるよしをこめていへるなるべし、或人、問答は下に別に擧しかば、こゝはおのづからより來しものといふは、くはしからず、此歌問答ならずば、言をめぐらしいふとも本末遠かるべし、又こゝは菅の歌をならべ擧るをこゝろにて、問答にはかゝはらて問答歌をあげし物なり、下の卷にもたゞの所に問答歌の有は此よしなり、
 
2773 刺竹《サスタケノ》、齒隱有吾背子之《ハゴモリニタルワガセコガ》、 刺竹の刺は借字にて、淺|篠《シヌ》竹てふ事なり、篠は本も葉もことに繁くこもれるをもて、葉隱にて有といひて、ふかく人目を忍び隱すことに譬へたり、次の淺小竹原のをみなめしも、小竹《シヌ》の中に隱るゝをいひ、且其淺しぬを略約めて佐須といへるをもしるべし、【佐は阿佐の略、須は志奴の約にて、淺篠竹てふ言なり、此事今考得て冠辭考を改めたり、○又此所の刺竹も言意は右の如くて、こは冠辭にあらぬよしも、其考に委しくせり、】
 
吾許不來者《ワガリシコズハ》、吾將戀八方《ワガコヒメヤモ》、」 さばかり世に忍べる男の、忍びに忍びつゝ來し心ざしを思ひて吾は戀るといへり、
 
2774 神南備能《カミナビノ》、 飛鳥の神なび山の邊の篠原なり、
 
淺小竹原乃《アサシヌハラノ》、 淺小竹原は小篠原なり、淺茅《アサチ》淺葱《アサツキ》などちひさき事をも淺といへり、
 
美妾《ヲミナメシ》、思公之《シヌベルキミガ》、 小さゝ原の中に交り生たる女郎花の見分がたきを、しぬぶに譬へ下して、さて人にしぬびて心になつかしむ君が、友の中などに在て、物いふこゑのいちじるく聞ゆるを頻になつかしむなり、○此歌右の歌に心ことば相似たる事あり、
 
聲之知家口《コヱノシルケク》、」
 
2775 山高《ヤマタカミ》、谷邊蔓在《タニベニハヘル》、玉葛《タマカヅラ》、絶時無《タユルトキナク》、見由毛欲得《ミルヨシモガモ》、」 下の卷に、谷迫、峯邊延在、玉葛、蔓之有者、年二不來友、(卷六)多爾世婆美云云、と本は同じくて末ことなるあり、こはいづれも毛詩の、葛之覃施于中谷、てふに似たり、人まろは他國《ヒトノクニ》の事をば一つだにとらざるを、かたへにはうつしよめる人も有けん、拙かりけり、
 
2776 道邊《ミチノベノ》、草冬野丹《クサヲフユノニ》、 野の下に加をこむ、
 
履干《フミカラシ》、吾立待跡《ワガタチマツト》、妹告乞《イモニツゲコソ》、」 妹が來らん事を、日ごとに道に出て待なり、集中には男の許へ妹が來ることもみゆるは、皆さるゆゑありて、たまさかの事なるべし、
 
2777 疊薦《タヽミゴモ》、隔編數《ヘダテアムカズ》、通者《カヨヒセバ》、道之柴草《ミチノシバクサ》、不生有申尾《オヒザラマシヲ》、」 こは右に似たれど問答にあらず、○隔編數、通者、とは先薦をば藁蒋などを、一筋づゝ重ね編をもて隔編といふ、さてこも桁といふ木を横にわたし、こも槌といふものにあみ緒を卷て、こもげたへかけて、槌を此を彼へ彼を此へ取違へつゝあむなり、其槌の往反如く夫《セ》の通ひなばと云なり、【此こもづちを上總人はこもづゝろと云と云り、古言なるべし、】
 
2778 水底爾《ミナソコニ》、生玉藻之《オフルタマモノ》、生不出《オヒモイデズ》、 水の上に顯れぬをしぬぶにたとふ、
 
縱比者《ヨシコノゴロハ》、如是而將通《カクテカヨハム》、」 暫の間はかくても通はんと云て末をたのむなり、
 
2779 海原之《ウナバラノ》、奥津繩乘《オキツナハノリ》、 のりといふは、何にてもぬる/\とするものをいふ、海草も此のり有故に、其ののりといへり、然れば、池のぬなはなどの如く、長く引てのり有を繩のりといふべし、なのりそも即同物にて、それもなはのりのはを略きて、なのりそといふにや、【衣通姫の、「うみのはまものよるとき/”\を、」といふ歌は他人に聞すべからず、と天皇のたまへるより、時の人濱藻をなのりそもといへる故に、是を莫名告藻といふはさる事ながら、本其藻をなはのりも、といふより諺になのりそもといひしとせば、違ひあらじか、】
 
打靡《ウチナビキ》、心裳四怒爾《コヽロモシヌニ》、所念鴨《オモホユルカモ》、」 上の繩のりのしなえなびくを、身も心もなよ/\としなえつゝ戀わぶるにとれり、「夏草のしなえうらぶれ」てふに同じ、仍てしぬてふ言をしるべし、
 
2780 紫之《ムラサキノ》、 冠離、
 
名高乃涌之《ナダカノウラノ》、靡藻之《ナビキモノ》、情者妹爾《コヽロハイモニ》、因西鬼乎《ヨリニシモノヲ》、」
 
2781 海底《ワタノソコ》、奥乎深目手《オキヲフカメテ》、生藻之《オフルモノ》、最今社《モハライマコソ》、 上の奥云云に深き思を譬て、且生藻といひ下して最らの言に重ねたり、
 
戀者爲便無寸《コヒハスベナキ》、」
 
2782 左寐蟹齒《サネカネバ》、 かねは、つままぎかねてなどのかねと均しくて、こゝは夫《セ》を得難《エガタク》と思はゞと云なり、
 
孰共毛宿常《タレトモネメド》、奥藻之《オキツモノ》、 冠辭、
 
名延之君之《ナビキシキミガ》、 妹の吾心のなびきよりし男をいへり、男のなびきしといふにあらず、
 
言待吾乎《コトマツワレヲ》、」 吾をこふてふ男はともしからねど、はやくわが心のよりにし君が、今は妻《メ》とせんといふ言を待となり、○此乎は與《ヨ》とも曾《ソ》とも通ひて、吾ぞよてふ辭なり、
 
2783 吾妹子之《ワギモコガ》、奈何跡裳吾《イカニトモワヲ》、不思者《オモハネバ》、含花之《フクメルハナノ》、 内にのみ戀るにとる、
 
穗應咲《ホニサキヌベシ》」 下にのみ戀れば、妹は大よそに思ひて在にえ堪やらずて、忍びあへず成なましと云なり、
 
2784 隱庭《シヌビニハ》、戀而死鞆《コヒテシヌトモ》、三苑原之《ミソノフノ》、 呉藍韓藍《クレナヰカラアヰ》は既に世に多きを、御苑をしもいふは、宮中の女房のよめる歌ゆゑか、
 
※[奚+隹]冠草花乃《カラアヰノハナノ》、色二出目八方《イロニイデメヤモ》、」 此草の末の房より咲出る花を、※[奚+隹]冠に見なしてかくは書り、さてこれを呉藍とも韓藍とも集中に書て、其本同物なれば、こゝは何れにも訓べけれど、此歌にはからあゐと訓ぞ言かなひて聞ゆれば、しかよめり、【今本、此歌に小書あれど、いふにたらぬひがことなれば、別記にことわれり、】
 
2785 開花者《サクハナハ》、雖過時有《スグルトキアレド》、 過るは散失るを云、
 
我戀流《ワガコフル》、心中者《コヽロノウチハ》、止時毛梨《ヤムトキモナシ》、」
 
2786 山振之《ヤマブキノ》、爾保敝流妹之《ニホヘルイモガ》、 にほふてふ言に艶の字を書し集中に多く、又山吹を妹に似たる草ともよめり、
 
翼酢色乃《ハネズイロノ》、 【はねず色のうつろひやすきといふは、染たる色の變をいふべし、雨打ふらば、といふは、花のしぼみ散をいふべし、】天武天皇紀に、淨位以下並著2朱華1、此(ニハ)云2波泥孺《ハネズト》1、(卷十一)唐棣花色之、移安情有者、云云、(卷十二)唐棣花歌、(家持)夏儲而、開有波禰受、久方之、雨打零者、將移香、(卷十三《(今四)》)不念常、曰手師物乎、翼酢色之、變安寸、吾意可聞、これらなり、右に朱華、といひ、こゝに赤裳と有によらば、紅にあらず緋色なり、式に諸王の服色を熏と有は、朱に黒み有といへり、此木今薩摩より來しと云を、五月の頃見しに、木も葉もたゞ木槿にて緋色の濃花咲ぬるなり、
 
赤裳之爲形《アカモノスガタ》、夢所見管《イメニミエツヽ》、」 後世の紅の袴は此赤裳より轉じたるなり、
 
2787 天地之依相極《アメツチノヨリアヒノキハミ》、 上に出、
 
玉緒之《タマノヲノ》、不絶常念《タエジトオモフ》、妹之當見津《イモガアタリミツ》、」 
2788 生緒爾《イキノヲニ》、 命の限といはんが如し、
 
念者苦玉緒乃《オモヘバクルシタマノヲノ》、絶天亂名《タエテミダレナ》、 是より下六の玉緒は冠辭にあらず、譬いひて歌の文《アヤ》をなすのみ、○名は例のいひおさへる辭、
 
知者知友《シラバシルトモ》、」 深く隱すべき戀にて云なり、【此歌絶(テ)をふと見れば、言絶てなどの絶かと思はるゝを、玉緒と亂るてふ間にしかる言をいふよしなし、仍て是も緒絶して亂るてふをいひつゞけしとすべし、是を古今歌集には、「したにのみ、思へばくるし、玉の緒の、絶て亂ん、人なとがめそ、」と少し直したるなり、
 
2789 玉緒之《タマノヲノ》、絶而有戀之《タエタルコヒノ》、亂者《ミダレニハ》、 逢事の絶て、おもひ亂るゝときにはなり、
 
死卷耳其《シナマクノミゾ》、又毛不相爲而《マタモアハズシテ》、」
 
2790 玉緒之《タマノヲノ》、久栗縁乍《ククリヨセツヽ》、 次下に、玉緒之間毛不置、と云が如し、
 
末終《スヱツヒニ》、去者不別《ユキハワカレズ》、同緒將有《オナジヲニアラム》、」 紀などに、御頸《ミウナジ》に懸ます玉を、八尺勾※[王+総の旁]《ヤサカノマガタマ》といふは、長き緒に多の玉を貫、さてくくりよせて輪にしたる物なる事、此歌即其さまをよめるを相むかへて知べし、かくてこれは末終に夫婦にならん事をたとふ、
 
2791 片絲用《カタイトモテ》、 玉をば、三つあひによれる糸して貫を、片絲は設《マウケ》出て言をなすのみ、
 
貫有玉之《ヌキタルタマノ》、緒乎弱《ヲヲヨワミ》、亂哉爲南《ミダレヤシナム》、人之可知《ヒトノシルベク》、」 右に知者知友、と書しは男歌、この人之可知、となげきしは女歌にてあはれなり、
 
2792 玉緒之《タマノヲノ》、長意哉《ナガキコヽロヤ》、 いかばかり長くゆたけき心もてや、年月のかはるまで、妹にあはで有べき、えたへじといへり、今本には長を島に誤しに泥て、強たる説どもいふめり、【(卷十四)「わかせこが、古家《フルヘ》のさとの、飛鳥には、千鳥鳴なり、君待かねて、」てふ君をも今は島に誤れるが如く、とかくに字の誤多きぞ、】
 
年月乃《トシツキノ》、行易及《ユキカハルマデ》、妹爾不逢將有《イモニアハザラム》、」 
2793 玉緒之《タマノヲノ》、間毛不置《アヒダモオカズ》、 右にくゝりよせつゝといへる是なり、
 
欲見《ミマクホリ》、吾思妹者《ワガモフイモハ》、家遠在而《イヘトホクアリテ》、」
 
2794 隱津之《コモリヅノ》、 谷などの岩間より涌出る水をいふ、こは冠辭ならねど其考にいへり、
 
澤出見爾有《サハイヅミナル》、 今本立見と有はよしなし、別卷に同歌を擧て、澤出水在と有もて改、【立水てふ事も有と後世人はいへど、此歌によしなし、】
 
石根從毛《イハネユモ》、透而念《トホシテオモフ》、 同別卷に通念と書たる是なり、今本遠而と有は、草の手より誤りけん、古今歌集に、岩きり通し、行水、とよめるも同じ、 
君爾相卷者《キミニアハマクハ》、」
 
2795 木國之《キノクニノ》、飽等濱之《アカラノハマノ》、 紀の國にあからてふ濱有かしらず、されど思ふに、續紀に、紀伊の幸の時、弱浦の字を明光浦と改給へるは、此浦を弱浦若浦など書て、わかの浦と唱るは後の事にて、其始は明の浦といひしを以て、明光の字とはなされつらん、然らば、飽は借字にて、明浦なるべし、(卷八)飽浦清荒磯《アカノウラノキヨキアリソ》、とよめるも是ならん、又明之浦の之を略て明らともいふべし、豐浦《トヨラ》松《マツ》浦ともいひ、此外之は添も略きもする類あり、【奈良の始に、國郡郷の字を二字とせられしかど、皆本の訓に依て訓は違ふ事なし、然れば、明光もあかの訓は違べからず、】
 
忘貝《ワスレガヒ》、我者不忘《ワレハワスレズ》、年者經歴《トシハフレドモ》、」
 
2796 水泳《ミヅクヾル》、玉爾接有《タマニマジレル》、磯貝之《イソガヒノ》、獨戀耳《カタコヒニノミ》、年者經管《トシハヘニツヽ》、」
 
2797 住吉之《スミノエノ》、濱爾縁云《ハマニヨルトフ》、打背貝《ウツセガヒ》、 打は借字にて、石花貝《セガヒ》の空に成にたるが、浪によりたるをいふ、石花は下にも多く出、和名抄にくはしく見ゆ、
 
實無言以《ミナキコトモテ》、余將戀八方《ワレコヒメヤモ》、」
 
2798 伊勢乃白水郎之《イセノアマノ》、朝魚夕菜爾《アサナユフナニ》、 よな/\とも朝な/\ともよめれば、こゝに魚菜の字を書しは筆すさみのみ、
 
潜云《カツクトフ》、鰒貝之《アハヒノカヒノ》、獨念荷指天《カタモヒニシテ》、」
 
2799 人事乎《ヒトゴトヲ》、繁跡君乎《シゲシトキミヲ》、鶉鳴《ウヅラナク》、 冠辭、 
人之古家爾《ヒトノフルヘニ》、 上の彼方のはにふの小屋てふにもいへり、【今本、いにしへにと訓しはひがよみなり、○いへをへとのみいふは例多し、且へをえの如く唱ふ、】 
相語而遣都《カタラヒテヤリツ》、」 かたると云は、人と物をいふ事もとよりなれば、此かたらひは、かたりのりを延たる言とすべし、【あひいひてと訓しは却てたらはず、此相は添て書たる例多し、】
 
2800 旭時等《アカトキト》、 明る時なり、あかときてふ假字は有て、あかつきてふかななし、然ばあかときといふぞ古へなる、
 
※[奚+隹]鳴成《カケハナクナリ》、 神遊歌に、庭鳥はかけろと鳴ぬ、といへれば、鳴聲もて名によぶめり、
 
縱惠也思《ヨシヱヤシ》、獨宿夜者《ヒトリヌルヨハ》、開者雖明《アケバアクトモ》、」
 
2801 大海之《オホウミノ》、荒磯之渚鳥《アリソノスドリ》、 清き渚に鳥の居たるは、見あかぬものなるをたとへとせり、こは何れの鳥とはさしがたし、紀に、沼河日賣の歌、和歌《ワガ》許々呂、字良須能登理叙、てふは、次の句もて思ふに、一つをる鳥なり、(卷八)「まとかたの、湊の渚鳥、浪立ば、つまよびたてて、邊に近付も、」(卷十一)「むこの浦の、入江の渚鳥、羽ぐゝもる、伎みをみなれて、戀に死べし、」是らは鴎鳧などをいふならん、
 
朝名旦名《アサナサナ》、 日に日にといふを、朝な朝なといへる歌多し、
 
見卷欲乎《ミマクホシキヲ》、不所見公可聞《ミエヌキミカモ》、」
 
2802 念友《オモヘドモ》、念毛金津《オモヒモカネツ》、 永き夜もすがら人戀しらの重りつゝ思ひにたえがたきなり、
 
足檜之《アシビキノ》、山鳥尾之《ヤマドリノヲノ》、永此夜乎《ナガキコノヨヲ》、」 大人の歌と聞ゆ、古今歌集に、「いつはとは、時はわかねど、秋の夜ぞ、物思ふことの、かぎりなりける、」てふも心相似てすがたもさも有事と思ひしを、今こゝにむかへれば、甚狹し、
 
足日木乃《アシビキノ》、山鳥之尾乃《ヤマドリノヲノ》、四垂尾乃《シダリヲノ》、 山鳥の事は、集中にさま/”\ととりなしつれど、これはたゞ尾の長きもて序にいへり、○しだりはしなびたらしにて、良志の約利なり、
 
長永夜乎《ナガナガシヨヲ》、 永きといはでながしと云は、うましをとめうましをばまなどの類にて、しきを略きてしといふなり、
 
一鴨將宿《ヒトリカモネム》、」 かくばかり思ひ明しがたからん長々しき夜を、獨りかねんずらんと嘆くに、限りなきあはれはあり、○かもは疑のかなり、今本是をば或本の歌と注せれど、右と同歌にあらず、今本と或本と互に一首を落せしものなれば本文とす、其類上下に有、【此集をよく見ぬ人是を人麻呂の歌ぞといふは論にもたらず、先此上下卷は皆よみ人不知古歌なれば、後の物にしか有とも取べからず、もし人麻呂歌集に有とも、古への歌集は皆他人の歌を取集めし物なれば、人麻呂歌とせんは誤なるを、こゝは其歌集にすらあらぬなり、】
 
2803 里中爾《サトナカニ》、鳴奈流鷄之《ナクナルカケノ》、 人皆聞よしにて里中といふ、
 
喚立而《ヨビタテテ》、甚者不鳴《イタクハナカズ》、 其鷄のごとく甚はなかず、吾は忍音に鳴といへり、さてなかぬとよみて言は下へつゞけど、こゝろは切たるなり、
 
隱妻羽毛《コモリヅマハモ》、」 心の内のこもりづまはもとよみしも同じく、心に忍びとふつまをいふべし、こゝは母が許にこもり、或は隱して置たるなどをいふにあらず、
 
2804 高山爾《タカヤマニ》、高部左渡《タカベサワタリ》、 (卷十四)鴛と高部と、舟の上に住、といひて高べは小鳧の中の一つなり、又山のはを、わたるあきさ、てふに同じ類にて、是も群て山を飛越るものなり、○左渡の左は發言、
 
高高爾《タカ/”\ニ》、 高々は遠々爾にて、公が來る事の間遠なるなり、言は登保幾の登保の約は登《ト》なるを多《タ》に轉じ、幾《キ》を加《カ》に通はせて多加《タカ》と云り、此言多かれど皆是なり、別記有、【音の延約をいはでしも、おのづからたけはとほきのつゞまれると聞ゆめり、】
 
余待公乎《ワガマツキミヲ》、待將出可聞《マチデナムカモ》、」 待つけんかもといふに同じ、
 
2805 伊勢能海從《イセノウミユ》、鳴來鶴乃《ナキクルタヅノ》、 伊勢の海をしも取出ていふは、その隣國に住る女の歌なるべし、
 
音※[木+它]※[人偏+爾]毛《オトダニモ》、 今本音|杼侶《ドロ》と有は誤なり、【侶も猶|※[人偏+爾]《ニ》か、】おとゞろとては高くひゞく事なり、妹がもとへ里もとゞろなるおとづれする男の有べきかは、或は人言或は郭公などに此言をいふは、ことを大きにいひなすにこそあれ、物によりて言は思ふべし、故改つ、
 
君之所聞者《キミガキコエバ》、吾將戀八方《ワレコヒムヤモ》、」
 
2806 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀爾可有牟《コフルニカアラム》、奥爾住《オキニスム》、鴨之浮宿之《カモノウキネノ》、 加を略、
 
安雲無《ヤスケクモナシ》、」 鴨の浮て寐る如く安寢《ヤスイ》もせられぬは、妹戀る故にやあらんといひて、戀すればねられぬ物てふを忘れていぶかるなり、下の卷に、吾兄子爾、戀跡《コフト》二四|有四《アラシ》、小兒之夜哭乎爲乍《ミドリコノヨナキヲシツヽ》、宿不勝苦者《イネガテナクハ》、ともよめり、
 
2807 可旭《アケヌベク》、千鳥數鳴《チドリシバナク》、色細之《シキタヘノ》、 夜のものには必しきたへの言をいへり、冠辭考に擧云が如し、今本に白細《シロタヘ》と有を色細と改めつ、白と色の字は近ければ誤りしなり、
 
君之手枕《キミガタマクラ》、未厭君《イマダアカナクニ》、」
 
 ○今本こゝに問答と標せるは、既いふ如く、人麻呂歌集のしか加はりしより、後の人こゝにも問答歌の有からにしるしつる事しるければのぞきつ、
 
2808 眉根掻《マユネカキ》、鼻火紐解《ハナヒヒモトケ》、待八方《マチシヤモ》、何時毛將見跡《イツカモミムト》、戀來吾乎《コヒコシワレヲ》、」 妹がもとへ來て問なり、今本解をときと訓しはかなはず、此三つ皆おのづから有事なり、○吾を人麻呂歌集に、君と有は誤れり、こは男の來といへる歌なればなり、【今本の注に、問答、故に累載、といへるは、此本集と人麻呂集は、別なる事を心得ぬ、いと後世人の注なり、】
 
2809 今日有者《ケフサレバ》、 此初句は、末の君西てふ言の上へおろして心得べし、
 
鼻火鼻之火《ハナヒハナシヒ》、 上の火、今本之に誤る、
 
眉可由見《マユカユミ》、思之言者《オモヒシコトハ》、 言は事なり、
 
君西在來《キミニシアリケリ》、」 かねて鼻ひなどせしを、おぼつかなかりしに、けふとなれば君が來ん前つ祥《サガ》なりしを知といへり、
 
2810 音耳乎《オトノミヲ》、聞而哉戀《キヽテヤコヒム》、犬馬鏡《マソカガミ》、目直相而《タヾニアヒミテ》、戀卷裳大口《コハマクモオホク》、」 上に、「相見而は、戀なぐさむと、人はいへど、見て後にもぞ、戀増りける、」といへるに似たり、末を今本太口と有は理(リ)なし、大の字にてはおほくと訓なり、多大はかな均しければ、字にかゝはらぬ事上にも有、
 
2811 此言乎《コノコトヲ》、聞跡哉《キヽナムトカモ》、 今本に聞跡乎と有は字たらず、哉を乎に誤れるなり、
 
眞十鏡《マソカヾミ》、照月夜裳《テレルツクヨモ》、闇耳見《ヤミニノミミシ》、」 (卷十三)照日を闇に見、月夜を闇に見なし、てふ言はあり、かくてこゝはその見て戀の多かるべければ、聞てのみ戀んとうらうへにいへるをうけて、照月も闇にのみ見しと、こなたも表裏に答へたり、
 
2812 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀而爲便無三《コヒテスベナミ》、白細布之《シロタヘノ》、袖反之者《ソデカヘシヽハ》、夢所見也《イメニミエキヤ》、」 きはけりの約なり、さて袖を折反してぬれば、夢に思ふ人に逢ふてふ諺のまゝにせしを、そなたにも吾に相し夢見給ひつやと問ふなり、【一云里動鳴成鷄、とあるはとらず、】
 
2813 吾背子之《ワガセコガ》、袖反夜之《ソデカヘスヨノ》、夢有之《イメナラシ》、眞毛君爾《マコトモキミニ》、如相有《アヘリシガゴト》、」 下の卷にも、白細布之、袖折反、戀者香、妹之容俤乃、夢二四三湯流、とよめり、古今歌集に、「いとせめて、戀しき時は、ぬば玉の、よるの衣を、かへしてぞぬる」とよめるは、上の歌の一二の句の意なり、然らば是も本は、よるのたもとをとよみけんを、撰の時に衣とはせしにや、言のうるはしからんをのみおもひて、直せし類、かの集には多ければなり、
 
2814 吾戀者《ワガコヒハ》、名草目金津《ナグサメカネツ》、眞氣永《マケナガク》、夢不所見而《イメニミエズテ》、年之經去禮者《トシノヘヌレバ》、」
 
2815 眞氣永《マケナガク》、夢不所見《イメニモミエズ》、雖絶《タエタレド》、吾之片恋戀者《ワガカタコヒハ》、止時毛不有《ヤムトキモアラズ》、」
 
2816 浦觸而《ウラブレテ》、物魚念《モノナオモヒソ》、 借字も常ながら魚は莫を誤るか、
 
天雲之《アマグモノ》、絶多不心《タユタフコヽロ》、吾念魚國《ワガモハナクニ》、」
 
2817 浦觸而《ウラブレテ》、物者不念《モノハオモハズ》、水無瀬川《ミナセガハ》、有而毛水者《アリテモミヅハ》、逝云物乎《ユクトフモノヲ》、」
 
2818 垣津旗《カキツバタ》、 冠辭、
 
開沼之菅乎《サキヌノスゲヲ》、 添下郡、佐伎高野は、卷一に出、こゝに沼も澤も在ていひしものなり、故に開をさきと訓なり、下の卷にも此つゞけ有、(卷七)「をみなへし、咲野に生る、白つゝじ、」(卷十三)「をみなへし、咲澤に生、花勝見、」などつゞけたるも皆ひとし、
 
笠爾縫《カサニヌヒ》、將著日乎待爾《キムヒヲマツニ》、年曾經去來《トシゾヘニケル》、」 
2819 臨照《オシテル》、 冠辭、
 
難波菅笠《ナニハスガカサ》、置古之《オキフルシ》、後者誰將著《ノチハタガキム》、笠有魚國《カサナラナクニ》、」 上の年ぞ經にける、といふをもてよめり、後は云云は、吾は他《アダシ》心なし、終に君が物なるを、かくまで置古さずもがなといふなり、
 
2820 如斯谷裳《カクダニモ》、君乎待南《キミヲマチナム》、 更るまでだにもと云なり、さて今本には、妹をとあれど、さ夜ふけて妹が來ん物ともなく、又更行月にながめして待ん男のわざにもあらず、故に君乎とて、妹が歌とすべし、集中に君と妹と書誤れる多し、 
左夜深而《サヨフケテ》、出來月之《イデクルツキノ》、傾二手荷《カタブクマデニ》、」
 
2821 木間從《コノマヨリ》、移歴月之《ウツラウツキノ》、 木の間をうつり行月のおもしろきなり、
 
影惜《カゲヲシミ》、徘徊爾《タモトホレルニ》、 月故道の間に時過しなり、古へ人はかく風流なる方につけては、理りにかゝはらざるなり、後世人の贈答は、強て理りを設よみ、或は言とがめするを、わざの如くするこそこゝろいやしけれ、
 
左夜深去家里《サヨフケニケリ》、
 
2822 栲領巾乃《タクヒレノ》、 冠辭、
 
白濱浪乃《シラハマナミノ》、 濱はまさごの白ければ、直に白濱といふなり、
 
不肯縁《ヨリモアヘズ》、荒振妹爾《アラブルイモニ》、戀乍曾居《コヒツヽゾヲル》、」一云、戀流己呂可母《コフルコロカモ》、
 
2823 加敞良末爾《カヘラマニ》、 後世かへさまといふに同じ、
 
君社吾爾《キミコソワレニ》、栲領巾之《タクヒレノ》、白濱浪乃《シラハマナミノ》、縁時毛無《ヨルトキモナキ》、」
 
2824 念人《オモフヒト》、將來跡知者《コムトシリセバ》、八重六倉《ヤヘムグラ》、 むぐらは、遠江人は、かなもぐらといひて、蔓草にて、荒たる籬屋の軒へもはひのぼれり、 
覆庭爾《オホヘルニハニ》、 今本、覆を這《ハヒ》たると訓、或人は、しげゝきなど訓たれど、しか訓べくは、覆とは書べからず、次の覆小屋と有によりて、こゝをもおほへると訓べし、此草ただに地を這物にあらず、籬或は他の草などによりて、高くも廣くも生覆へば、おほへる庭ともいふべきなり、
 
珠布益乎《タマシカマシヲ》、」
 
2825 玉敷有《タマシケル》、家毛何將爲《イヘモナニセム》、八重六倉《ヤヘムグラ》、覆小尾毛《オホヘルコヤモ》、妹與居者《イモトヲリセバ》、 今本、いもとしすまば、と訓しは誤れり、與は假字なるを、假字の下に辭を添てよむことやはある、
 
2826 如斯爲乍《カクシツヽ》、有名草目手《アリナグサメテ》、 とし月共に相|和《ナグ》さめ居し夫の、にはかに遠き旅に行なるべし、○玉の緒のたゞ絶るといはん冠辭のみ、 
玉緒之《タマノヲノ》、 冠辭、
 
絶而別者《タエテワカレバ》、爲便可無《スベナカルベシ》、」 切なる心をかくいふこそめでたけれ、
 
2827 紅《クレナヰノ》、花西有者《ハナニシアラバ》、衣袖爾《コロモデニ》、染著持而《ソメツケモチテ》、 持はそへていふ例有、
 
可行所念《イヌベクオモホユ》、」 「吾妹子は、くしろにあらなん、左手の、我奥手に、卷ていなましを、」こゝに譬喩と有も後人のわざなり、ことに此左の歌ども全き譬喩は少し、○玉緒之、久栗縁乍、末終、去者不別、同緒將有、○級寸八師、不吹風故、玉匣、開而左宿之、吾其悔寸、○呉藍之、八鹽乃衣、朝旦、穢者雖爲、益希將見裳、など此外にも有、これは標をして集めしにあらず、凡にたとへたる類をつどへしのみ、
 
2828 紅之《クレナヰノ》、深染乃衣乎《コゾメノキヌヲ》、下著者《シタニキハ》、人者見久爾《ヒトハミマクニ》、仁寶比將出鴨《ニホヒイデムカモ》、」 ひとへがさねの下の紅は、うへまで艶《ニホ》ふものなるをいふか、それまでもあらず、袖口のかさなれる色もてもいふべし、たとへのこゝろは明らけし、
 
2829 衣霜《コロモシモ》、 霜は辭、
 
多在南《オホクアラナム》、取易而《トリカヘテ》、著者也君之《キセバヤキミガ》、面忌而有《オモワスレタラム》、」 ことなる衣を著れば、其人を見違つてふ事今もいへり、故に我多くの衣をもたらば、君に著かへさせつゝ、いかで君を面忘してあらんと思ひのあまりにいふなり、こゝより下の歌ごとに、寄v衣喩v思などいふ注のあるは、いよゝ後人のわざなればみな去つ、
 
2830 梓弓《アヅサユミ》、弓束卷易《ユヅカマキカヘ》、中見判《ナカミテバ》、 弓束の皮は纏かふる時、内を見るものなるに譬て、女をこゝろみるを云、
 
更雖引《サラニヒクトモ》、 内々を見て後にはなれて更に又いひよるは、にくき事なれど、わが心のよりし君なれば、とてもかくてもと云なり、物語にえびすこゝろを見えてはいかゞはせん、といへるとはうらうへなり、
 
君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2831 水沙兒居《ミサゴヰル》、 冠辭、
 
渚座船之《スニヲルフネノ》、夕鹽乎《ユフシホヲ》、將待從者《マツラムヨリハ》、吾社益《ワレコソマサメ》、」
 
2832 山河爾《ヤマカハニ》、筌乎伏而《カタミヲフセテ》、 筌を、和名抄には、字倍と訓しかど、本神代紀に、加多万といへる類の物なれば、こゝはかたみと訓て句を調ふめり、古へ六言の句もあれど、此上下卷にはなし、
 
不肯盛《モリアヘズ》、 山川の梁《ヤナ》は守とすれど、猶魚をぬすまるゝに譬て、女の父母に忍びて男の通ふをいふ、
 
年之八歳乎《トシノヤトセヲ》、吾竊舞師《ワガヌスマヒシ》、」 まひは、みの延言、
 
2833 葦鴨之《アシカモノ》、多集池水《スダクイケミヅ》、 すだくの須は勢に通ひ、多久は良久に同じく添いふ辭にて、こゝたくともこゝらくともいふが如し、故に野など何にても、所|狹《セ》きまで集れるを、須多久といへり、【今人物を責《セメ》いふを、せめせたぐるといふ是にて、せめも迫る事なり、から字は、責迫狹など別にあれど、此國の音は、此類は皆一つ事なり、仍て物多く集れるをも、せたくと云べきを、すに通はしいへり、】
 
雖溢《アフルトモ》、儲溝方爾《マケミゾノヘニ》、吾將越八方《ワレコエムヤモ》、」 池に水の溢る時、流さん料に儲の遣溝をなしおくものなり、その儲溝へ行水のごとく外へ越る心はもたずといへり、別卷に、荒磯越、外行浪乃、外心、吾者不思、戀而死鞆、
 
2834 日本之《ヤマトノ》、室原乃毛桃《ムロフノケモヽ》、 室原は、神名式に、宇陀郡、室生龍穴《ムロフタツアナノ》神社と有て、今も其郡に室《ムロ》の龍穴《リウケチ》村といふ在、【茲の日本を、今本にひのもとゝ讀しは、僻事なり、】
 ○毛桃は今も多く云なり、一つ毛なき桃の有にむかへていふのみ、紀の黄泉條に、告《ノリタマハク》2桃子《モヽノミニ》1汝|如《ナス》v助v吾(ヲ)於(ニ)2葦原中(ツ)國1所有《ナル》字都志伎青人草之|落《オチテ》2苦瀬《クルシキセ》1而|患惣時可助告賜《ウレヘクルシムトキニタスクベシトノリタマフ》名2號《ナヅケマセシキ》意保加牟豆美命1、かゝれば上つ代より多し、かの室生は是を多く出せし所なりけり、
 
本繁《モトシゲク》、言大王物乎《イヒテシモノヲ》、 其初大方ならず繁く云入て有しからは、遂にならずは止じと云り、(卷八)「はしきやし、わぎへの毛桃、本繁《モトシゲミ》、花耳咲て、ならざらめやも、」と有、本繁くとは、桃は一根より集り生るも有をいふか、又書紀の歌に、もとごとに、花は咲とも、とは木立の事を本といひ、しもとゝいふも繁木なれば、桃の多き園を云にも有べし、○※[氏/一]志の辭に大王と書しよし別記に云り、
 
不成不止《ナラズハヤマジ》、」 木の實《ミ》のなるを戀の成によせたる歌、集中に多し、
 
2835 眞葛延《マクズハフ》、 冠辭、
 
小野之淺茅乎《ヲノノアサヂヲ》、 淺茅は、秋の末に紅に色付をもて女に譬、【茅に大小あり、其小を淺茅といふ、】(卷八)「君に似る、草と見しより、我しめし、野山の淺茅、人なかりそね、」また「山高み、夕日隱れぬ、淺茅原、後見ん爲に、しめゆはましを、」などもよみつ、
 
自心毛《コヽロユモ》、 他人の心のまゝになり、
 
人引目八面《ヒトヒカメヤモ》、吾莫名國《ワレナケナクニ》、」 【今本是をわれならなくに、と訓しはみだりなり、】既に卷一の別記にいへる如く、こはわれながらなくにといふ意なり、しめゆひし我なくばこそあらめ、我在からはあだし人の心よりして引とる事は得めやといへり、
 
2836 三島菅《ミシマスゲ》、未苗在《イマダナヘナリ》、時待者《トキマタバ》、 幼女をたとふ、
 
不著也將成《キズヤナリナム》、三島菅笠《ミシマスガガサ》、」
 
2837 三吉野之《ミヨシノヽ》、水具麻我菅乎《ミグマガスゲヲ》、 水隈なり、水分てふ所も吉野にあれど、それまではあらじ、
 
不編爾《アマナクニ》、(卷三)《(今十三)》遠智小菅《ヲチノコスゲ》、不連爾《アマナクニ》、伊刈持來、不敷爾、伊刈持來而、置而吾乎令偲、といへる似たるさまながら、こゝはたゞさま/”\と心をつくして、終にわが物ともならず、あらけはてなんやとおぼつかなむなり、
 
苅耳苅而《カリノミカリテ》、將亂跡也《ミダレナムトヤ》、」
 
2838 河上爾《カハカミニ》、洗若菜之《アラフワカナノ》、流來而《ナガレキテ》、 (卷六)此川に、あさなあらふに、なれもわれも、
 
妹之當乃《イモガアタリノ》、瀬社因目《セニコソヨラメ》、」
 
2839 如是爲哉《カクシテヤ》、猶八成牛鳴《ナホヤナリナモ》、 かくの如くなりがたくしてもや猶や遂に成なんと云り、後世なんと云をば、續紀の詔祝詞などにも奈毛と有て、毛は助辭のみなり、牛嶋を毛のかなとするは、下の卷にいぶの二言を馬聲蜂音と書るが如し、
 
大荒木之《オホアラキノ》、 【式に、荒木とて大を略は、小治田を式には、治田神社、とのみ有類ならん、】
 
浮田之杜之《ウキタノモリノ》、 神名式に、大和國字智郡に、荒木神社あり、今も此神社、そこの今井邨といふに在といへる是か、又山城に大荒木の森在といへど、據をしらず、 
標爾不有爾《シメナラナクニ》、」 大荒木杜の標こそ嚴かなれ、人のいはひむすめの垣をば遂にはこえて事成なんやと云なり、
 
2840 幾多毛《イクバクモ》、不零雨故《フラヌアメユヱ》、 雨なるからになり、
 
吾背子之《ワガセコガ》、三名乃幾許《ミナノコヽバク》、瀧毛動響二《タギモトヾロニ》、」 
萬葉集卷四之考終
 
萬葉集卷五之考序
 
上の卷と此卷は同じ卷なるを、歌の數多かれば上下として分てることのよし既いへり、是につけて或人問、同じ卷ならませば、たとへば上には思を述たるのみを集め、是には物に寄しばかりを擧べきに、彼にも此にも各右の體なるを集しは、別《コト》卷にやちふ疑有を、おのれこたふ、歌の時代集めの體皆上の卷と相均しくして、他《アダシ》人の他時《アダシトキ》に集めし卷にあらぬ事しるし、かゝれば同じ體の歌どもを二卷に對へて擧しこと疑はざれ、又問、上の卷に既出たる歌の、此卷に二たび載しもたま/\有はいかにと、こたふ、己も先には此事おぼつかなかりしを、今つら/\考るに、上の卷にはたゞ相聞に入しを此卷には旅に入、又上に相聞なりしが是には贈答の類に載しも有、是らは其撰とられし本《モト》の集どもに二樣にあり、又は傳への異なるなどに依て、そのまゝに取集めし物にて、是も集の一つの體なり、其外言いさゝか異にて他《アダシ》歌となれるなどを、或は海山の類、或は草木の類によりて擧つるも有なり、ゆくりなく《不意》見ば同歌の重り載たりと思ふべし、皆心して載しものぞ、人麻呂歌集てふは、此卷の初めにもあれど、この度上卷の別卷に加ふる事上にいふが如し、又卷の中に有をも拔出して、同じく別卷に入たり、【卷七より下の卷々にも人麻呂集の歌入れあれど、そは家々に書集めし時のせし物なれば、別にすべからず、たゞ此上下の卷は撰び集めしにて、且卷六までの歌は、人麻呂集のまだ世に顯はれぬ先の撰み、】
 
萬葉集卷五之考〔流布本卷十二〕
 
古今相聞歌下
 今本こゝに、正述心緒、てふ標あれど、除くことわり上の卷にいへり、
 
2864 吾背子乎、且今且今《イマカイマカ》跡、 (卷二)に、人麻呂妻の歌に、且今日且今日《ケフケフト》、吾待君《アガマツキミハ》、 といふは、日の字あればことなり、 
待居爾《マチヲルニ》、夜更深去者《∃ノフケヌレバ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」
 
2865 玉釧《タマクシロ》、 冠辭、
 
卷宿《マキヌル》妹母、有者許増《アラバコソ》、 増は僧の字なるべきか、【増を此次にも清《スミ》ことばに書、下に贈をも清所に書たれど、猶おぼつかなし、】
 
夜之長毛《ヨヒノナガキモ》、歡有倍吉《ウレシカルベキ》、」 一夜の事をよひといふは集の例なり、
 
2866 人妻爾《ヒトヅマニ》、言者誰事《イフハタガコト》、 他妻の吾に人違ひならんと云り、
 
酢衣乃《サゴロモノ》、 さは發言のみ、
 
此紐|解《トケ》跡、言者|孰言《タガコト》、」
 
2867 如是《カク》許、將戀《コヒン》物|其《ゾ》跡、知者《シリマセバ》、其(ノ)夜者由多爾、 其逢し夜は寛《ユタ》かになり、
 
有益物乎、」
 
2868 戀乍毛、後將相跡、思許増、 おもへばのばを略、
 
己《オノガ》命乎、長|欲《ホリ》爲禮、」
 
2869 今者吾者《イマハアハ》、將死與吾妹、不相|而《シテ》、念渡(レ)者、安(ケク)毛無(シ)、」 下の十一ひら〔二千三百五十頁〕に似たる歌あれど、末の言にて同歌にならず、
 
2870 我背子之、將來跡語之《コントイヒニシ》、夜者|過去《スギヌ》、 既契りし夜には不來て過たり、
 
思咲八更更《シヱヤサラ/\》、思許理來《シコリコ》目八面、」 既契りし夜だに徒に過たりしかば、よしや今よりは侍(タ)じ、今更/\に待ともしか有(リ)來んものかは、と思ひ定むるなり、○思加阿理《シカアリ》の加阿《カア》の約は加《カ》なるを、許《コ》に轉じてしこりといへり、
 
2871 人言之、讒乎《ヨコスヲ》聞而、玉桙之、道毛不相《ミチニモアハジト》、 跡を落せるならん、
 
常云吾妹《ツネイフワギモ》、」 よこすはたゞならぬいひなしなり、
 
2872 不相毛《アハヌヲモ》、懈常念者《ウシトモヘバ》、 是を後には思ふにと云り、
 
彌益二、人言繁(ク)、所聞來《キコエクル》可聞、」
 
2873 里人毛、謂告我禰《カタリツグガネ》、 こはかたり郡牙《ツゲ》と云を、牙《ゲ》を延れば都我禰となり、又其|我《ガ》を延て都具我禰といへり、下に後見ん人も、語つぐ金、とよめるも同じ、
 
縱咲也思、戀而毛將死、誰名將有哉《タガナナラメヤ》、」 我死は妹の相思はぬ故ぞ、てふ名こそ專らならめといへり、此下に、人目多、直(ニ)不相而、蓋雲、吾戀死者、誰名|將有裳《ナラムモ》、
 
2874 慥《タシカナル》、使(ヒ)乎無(ミ)跡、情乎曾、使爾遣之、夢(ニ)所見《ミエキ》哉、」
 
2875 天地爾、少《スコシ》不至、丈夫跡、(卷十四)天雲之、向伏國(ノ)、武士登、所云人《イハレシヒト》、ともいへり、
 
思之吾耶、雄心毛無寸、」
 
2876 里近(ク)、家哉應居《イヘヤヲルベキ》、 家してやはをるべきなり、
 
此吾目之《コノワガメノ》、人目毛里乍《ヒトメモリツヽ》、 今本乎爲と有は、毛里《モリ》を乎爲《ヲヰ》にあやまりし、
 
戀繁口《コヒノシゲヽク》、」
 
2877 何時《イツト》奈毛、不戀有登者《コヒズアリトハ》、雖不有、得田弖比來《ウタテコノコロ》、 うたて此比てふは、上の卷の別記にあまた擧ていへるが如く、こゝは戀の繁さの餘りなるまで多なり、
 
戀之繁母、」 今本には弖を直に誤れり、
 
2878 黒玉之、宿而之晩《ネテノヨフベ》乃、 上に、よひに相て、朝面なみ、てふを、暮にあひてと書しが如く、此晩の字も夜の意に書たれば、よふべと訓つ、すべて夜の事を、よひとも、よふべともいへる例既出、
 
物|念《モヒ》爾、割西胸者、息時裳無、」
 
2879 三空去《ミソラユク》、名之惜(ケク)毛、 名の立なり、
 
吾者無、不相數多、年之經者、」 ひたすらあはぬにあらず、いとかれ/”\にして年經たるなり、
 
2880 得管二毛《ウツヽニモ》、 歌に正目にもなり、
 
今見牡鹿《イマモミテシガ》、 見て有志賀《アラシガ》毛なり、牡鹿《シカ》をも借字はかゝはらで濁言にも書り、
 
夢(ニ)耳、手本纏|宿登《ヌト》、見(ル)者|辛苦毛《クルシモ》、」 【或本發句云、吾妹兒乎、と有はよしなし、○※[氏/一]志てふ辭に二つあり、その分は上の卷の篆之《テシ》の條にいふ、】
 
2881 立而|居《ヰル》、爲便乃田時毛、今者無、君|之《ガ》目|不見而《ミズテ》、月|之《ノ》經去《ヘヌレ》者、」 こは或本を今本、妹爾不相而、と有は下の六枚《ムヒラ》【二千三百四十六頁】と十一|枚《ヒラ》【二千三百五十頁】に同じ心にて、言いさゝかかはれるのみの歌あり、或本に依時は、別《コト》歌にて嫌ひなし、すべて此卷みだれたる故に、或本の異なる多し、心をやりて取べし、
 
2882 不相|而《シテ》、戀|度《ワタル》等母、忘哉、彌日|異《ケニ》者、思益等母、」 
2883 外《ヨソ》目(ニ)毛、君之|光儀乎《スガタヲ》、見而者社《ミテバコソ》、 見たらばこそなり、多良の約|多《タ》なるを、而《テ》に轉しいふ例、上の結篆之、宿而之、見牡鹿、などの所にいふ合せ見よ、
 
吾戀山目、命不死者、」 かくては戀死ぬべし、もしながらへゐて外目にだにも君を見たらば、今命に向ふ戀も止ことあらん、といへり、此歌は下の十五枚【二千三百五十六頁】に、眞十鏡、眞目爾君乎、見|而者《テバ》許曾、命(ニ)對、吾戀止目、てふにいさゝかばかりかはれり、されど別として擧つらん、多き中には似て別歌なるも有べし、【注に、一云、壽向吾戀止目、と有はこゝに引たる下の歌なり、俗注人を惑せり、】
 
2884 戀管母、今日者|在目杼《アラメド》、玉匣、將開明日《アケナンアスハ》、如何將暮、」
 
2885 左夜深而、妹乎|念出《オモヒデ》、布《シキ》妙之、枕毛|衣世《ソヨ》二、 上にいへり、
 
嘆鶴鴨、」
 
2886 他《ヒト》言者、眞言痛《マコトコチタク》、成(ヌ)友、彼所將障《ソコニサハラム》、吾|爾不有國《ナラナクニ》、」
 
2887 立(テ)居(ル)、田時毛不知、吾|意《コヽロ》、天津空|有《ナリ》、土者踐鞆《フメドモ》、」 清濁かゝはらず、
 
2888 世(ノ)間之、人辭常《ヒトノコトバト》、所念莫《オモホスナ》、眞曾戀之《マコトゾコヒシ》、 まことにぞの意、
 
不相日乎多美、」
 
2889 乞如何《イデイカニ》、吾幾許《ワガコヽタ》戀流、吾妹子之、不相跡言流《アハジトイヘル》、事毛有莫國、」
 
2890 夜干玉之、夜乎|長鴨《ナガミカモ》、吾背子之、夢爾夢|西《ニシ》、所見還《ミエカヘル》良武」
 
2891 荒玉之、年緒長(ク)、如此戀者、信《マコト》吾命、全有目八目《マタカラメヤモ》、」
 
2892 思遣、爲便乃田時毛、吾者無、不相數多《アハズテアマタ》、月之經|去《ヌレ》者、 上に相似たる歌の所に其よしいへり、
 
2893 朝去而《アシタユキテ》、暮者《ユフベハ》來|座《マス》、君故爾、忌忌久毛吾者《ユユシクモワハ》、歎鶴鴨、」
 
2894 從聞《キヽシヨリ》、物乎念者、我胸者、破而摧而、鋒心無《トコヽロモナシ》」
 
2895 人言乎、繁|三《ミ》言痛|三《ミ》、我妹子二、去月從《イニシツキヨリ》、未相可母《イマダアハヌカモ》、」
 
2896 歌方毛《ウタカタモ》、 こは潦水《ニハタヅミ》の上に浮沫の事にて、空像てふ言なること冠辭考の水の沫の條に云り、かくて是をば、(卷九《今の五》)(卷十一《今の十五》)に、はかなくあやうく定めがたき事などにたとふ、こゝは其定めがたき意なり、 
曰管毛有鹿《イヒツヽモアルカ》、吾有者《ワレシアレバ》、地庭不落《ツチニハオチジ》、空消共《ソラニケヌトモ》、」 今本共を生に誤れり、○妹は末あやうげにいへど、吾心かくて有からは打捨る事はせじ、命は失ふとも、といふ誓言なるべし、下の二言は卷八に、今のごと、心を常に、おもへらば、まづ咲花の、土におちんかも、(かはの意、)(卷七)「零雪の、虚空《ソラ》可消、雖戀、相よしなくて、月ぞへにたる、」てふなどを思ふに、こゝに雪とはいはねど、雪を譬へたるなり、且此意は消るにあれど、つちにもむかへ雪の事にもあれば、空にといふのみなる事、卷七の歌にてしらる、
 
2897 何《イカナラン》、日之時可毛、吾妹子之、裳引之|容儀《スカタ》、朝爾食將見《アサニケニミム》、」 朝は日をいひ食は常をいへり、
 
2898 獨居而、戀(レバ)者辛苦、玉手次、不懸將忘《カケテワスレム》、言量欲《コトバカリモガ》、」 人をいかで心にかけやらずて、忘れなん事の思ひ許もあれかしと思ふなり、次の枚に似たる歌あり、
 
2899 中々、點然毛有申尾《タヾモアラマシヲ》、小豆無《アヂキナク》、相見始而毛、吾者戀(ル)香、
 
2900 吾妹子之、咲眉引《ヱマヒマヨビキ》、面影(ニ)、懸(リ)而本名、所念可毛、」
 
2901 赤根指、日之暮去者、爲便乎無三、千遍《チタビ》嘆而、 遍は上にもたびとよめり、
 
戀乍曾居、」
 
2902 吾戀者、夜|晝《ヒル》不別、百重|成《ナス》、情之念者《コヽロシモヘバ》、甚《イトモ》爲便無(シ)、」
 
2903 五十殿寸※[氏/一]《イトノキテ》、 今本は※[氏/一]を太に誤、
 
蒲寸《ウスキ》眉根乎、 或人いと除てと云意にや、といへるも聞ゆ、又後世にいとしくて、と云に同じ言とも云べし、杼《ド》と乃《ノ》は同韻、伎《ギ》は志伎の略にて、其|伎《キ》を久《ク》に轉じていふべし、※[氏/一]は辭、(卷六)「なるせろに、木都《コツ》のよすなす、伊等能伎堤、かなしけせろに、人さへよすも、」(卷九)「伊等乃伎堤、短物の、端きると、」などいへる、皆右の二つの意にてきこゆ、【いとゞしくてふ言古へは見えねど、此歌によくかなへるを思へば、本はいとのきてと云しを、今京こなた、いとゞしくと轉じいふならんか、】
 
徒《イタヅラニ》、令掻管《カヽシメニツヽ》、不相人可母、」 今本管の下にものかなを添しはわろし、仍てかゝしめにつゝとよめり、爾は、去《イニ》の略にて添る例多し、又下の毛を落せしにも有べし、
 
2904 戀々而、後裳將相常、名草漏、心四無者、五十寸手有目八面、」
 
2905 幾《イクバクモ》、不生有《イケラジ》命乎、戀管曾、吾者|氣衝《イキヅク》、人爾|不所知《シラレデ》、」 思ふ人にもしられず獨戀のみするなり、
 
2906 他國爾《ヒトグニニ》、 國をへだてゝ遠き所をいふ、
 
結婚爾行而《ヨバヒニユキテ》、 記に八千矛神云云、(左に引、)仁徳天皇吉備へ幸ませし時、黒姫が「こもり|づ《水》の、下|用波閇《ヨバヘ》つゝ、行はたがつま、」とよめり、言の意は上にいひたり、
 
太刀之《タチガ》緒毛、未解者《イマダトカネバ》、 後には、とかぬに、といへり、秋立て幾日もあらねば、てふ類にて此辭集中に多し、
 
左夜曾明家流、」 右同記に、(八千矛神、)將v婚《ヨバハントテ》2高師國之沼河比賣(ヲ)1幸行之時到2其奴河比賣之家(ニ)1歌曰、云云、登々富々斯《トホ/\シ》、故志之久邇邇、云云、佐用婆比邇、阿理多多斯、用婆比邇、阿理加用婆勢婆《リカヨハセバ》、多知賀遠母、伊麻陀登加受弖、淤須比遠母、伊麻陀登加泥婆、云云、と有をこゝにはとりしものなり、
 
2907 丈夫之、聰神毛《サトキコヽロモ》、 さときは、今すゝどきと云、すゝを約轉して、さときといへり、其すゝどきは、進《スヽ》み速《ト》きの略なり、【此すゝは進むを本にて、記に伊須々伎比賣、枕詞に須々志競、其外すゞろなど云も轉じ用事なり、】
 
今者無、戀之奴爾、吾者可死、」 こは戀に使るゝ奴にて、奴は即さとき心なき賤なるを以てよめり、さてかゝる奴のまゝにて吾は死んかと歎くなり、
 
2908 常如是《ツネニカク》、戀者辛苦《コフレバクルシ》、暫毛、心安目六、事許爲與《コトバカリセヨ》、」 事を執《トリ》はかる家人などに、おほする如くにいひなせる歌なり、古今歌集に、とゞめ置ては、思ひ出にせん、と有歌を、後人誤てせよと書たり、そを自もかく云、と注せるはいふにたらず、是を以てこゝをも誤ることなかれ、【此端詞に、今は御歌とあれど、一本御字なければ遍昭の歌なり、必大御歌ならぬ理も其集に云り、】 
2909 凡爾、吾之念者、人妻爾、有|云《トフ》妹爾、戀管有米也、」
 
2910 心者、千重(ニ)百重(ニ)、思|有杼《ヘレド》、人目乎多見、妹爾不相可母、」
 
2911 人目多見、眼社忍(ブ)禮、小毛《スクナクモ》、心|中爾《ウチニ》、吾念莫國、」 
2912 人(ノ)見而、事|害《トガ》目不爲、夢爾吾、今夜將至、屋戸閉勿勤《ヤノトタツナユメ》、」 屋所をやどといへるとは別なれば、やのとゝ訓べし、
 
2913 何時左右二、將生命曾、凡者、戀乍不有者、 かひあらずばなり、上の別記に出、 
死上有《シヌルマサレリ》、」
 
2914 愛等《ウツクシト》、念吾妹乎、夢見而、起而探爾、無之不怜、」
 
2915 妹登|曰者《イヘバ》、無禮恐《ナメシカシコシ》、 貴きを賤きとおしなめにするをなめしといふ、
 
然爲蟹《シカスガニ》、 しかしながらを約め略きて云、
 
懸卷欲、 妹といふ事を言に懸ていひ出まくほしきなり、
 
言爾有《コトニアル》鴨、」
 
2916 玉勝間、 冠辭、
 
相登云者《アハントイフハ》、誰有香《タレナルカ》、相有《アヘル》時左倍、面隱爲《オモガクシスル》、 誰ならず妹がもとよりあはんといひおこせて、今あふ時となれば、面がくしするよと女のさまをいへり、「暮に相て、朝おもなみ、隱にか、」など上にも下にもよめるたぐひなり、
 
2917 寤香《ウツヽニカ》、妹之來|座有《マセル》、夢《イメニ》可毛、吾香惑流、戀之繁(キ)爾、」
 
2918 大方者、何鴨將戀、言擧不爲《コトアゲセズ》、 (卷三)にいへり、
 
妹爾|依《ヨリ》宿牟、年者|近綬《チカキヲ》、」 今本侵と有はよしなし、一本による、○妹が母父のゆるすべき事を聞しなるべし、
 
2919 二爲而《フタリシテ》、結之紐乎、一《ヒトリ》爲而、吾者解|不見《ミジ》、直相及者《タヽニアフマデハ》、
 
2920 終命《シナンイノチ》、此者不念《コヲバオモハズ》、唯毛《タヾニシモ》、妹爾|不相《アハザル》、言乎之《コトヲシ》曾念、」 言は事のこゝろ、
 
2921 幼婦者《ヲトメコハ》、同情《オナジコヽロヲ》、須更(モ)、止時毛無久、將見《ミナム》等曾念、」
 
2922 夕去者《ユフサレハ》、於君將相跡、念(ヘ)許憎、日之|晩《クルラク》毛、娯|有《カリ》家禮、」
 
2923 直今日毛《タヾケフモ》、君爾|波《ハ》相《アハ》目|跡《ド》、人言乎、繁不相而《シゲミアハズテ》、戀度鴨、」
 
2924 世(ノ)間《ナカ》爾、戀|將繁跡《シゲヽムト》、 今本には此上の卷に、一二句、如是許、將戀物|衣《ゾト》、とて末同じき歌あるを、古本には其歌上の卷にはなくて、此所の左に、一云とて注したり、然れば其歌上の卷には除きつ、
 
不念者、君之手本乎、不枕夜毛有寸、」
 
2925 緑兒之《ミドリコノ》、爲社乳母者《タメコソオモハ》、 今本社を杜に誤りしを、即すもりめのとは、と訓しは何事ぞや、【鳥の子に巣守と云は、いつまでもかへらぬ卯をいふ、然れば人の上に譬へんよしなし、】
 
求云《モトムトヘ》、 いへを略て、
 
乳飲哉《チノムヤ》君|之《ガ》、於毛求覧《オモモトムラン》」 上の乳母は知《チ》毛とも訓べけれど、同じ事を下に於毛と書しに依て、上をも於毛と訓なり、訓と意をしらするとて二様に書しものなればなり、○母を於毛といふ事は集中に多く、乳母をも知於毛といふなれど、略きてそれをも於毛とのみもいへり、記に、(垂仁)取2御母《ミオモヲ》1定2湯|坐《ヱ》若《ワキ》湯坐(ヲ)1、と有も略き書なり、和名抄に、彌母を知於毛と有は本訓にて、文歌などには略くも常なり、○此歌はもと相し女はかれて、男の今乳母とことばして、他《ホカ》の女をよばふこと有時、前の女の聞て戯て贈れるものなり、
 
2926 悔毛《クヤシクモ》、老爾|來《ケル》鴨、我背子之、求流|乳母《オモ》爾、行益物乎、」 此歌も右の同じ女のよめるなり、
 
2927 浦觸而《ウラブレテ》、 わびてといふに同じ、宇良《ウラ》の約は和《ワ》なり、夫里《ブリ》の約は備《ビ》なり、仍て下の卷に和夫禮《ワブレ》ともいひたり、
 
可例西袖叫、又卷者、過西戀也、亂今可聞《ミダレコンカモ》、」 或説に、是をも同じ女の歌かといふはわろし、中々に男のこたへとはいひもしてん、
 
2928 各寺師《オノガジシ》、 己がどしどし、と云をどを二つながら略きて、自志《ジシ》といへり、且どの濁を上のしに殘して、じゝと濁るなり、さて己れ/\が心からてふ意となる、【としは友だちの通音にて友どしともいふなり、此友だちの事は卷六の歌に委し、○略ける言の濁を次の言に殘すは、即此終の句はしられずててふ辭なるを、ずを略きて下のてを濁る類なり、常多き事ぞ、○後撰集に、おのがじゝちる紅葉、とよめるにて聞ゆ、】
 
人|死爲《シニス》良思、妹爾|戀《コヒ》、日異羸沼《ヒニケニヤセヌ》、人|丹不所知《ニシラレデ》、」 高き人などを見て、いひやらんよしも無く、獨戀死んとするならむ、
 
2929 夕々《ユフベ/\》、吾立待爾、若雲《モシクモ》、 四言の句は、此上下卷にもたまたまは有なり、又也を落せしか、
 
君不來益者、應辛苦《クルシカラマシ》、」
 
2930 生代爾《イケルヨニ》、戀云物乎、相不見者、戀(ノ)中《ナカ》爾毛、吾曾苦寸、」 後の物語ぶみに、人は是をや戀といふらん、
 
2931 念管、座《ヲレ》者苦(シ)毛、夜干玉之、夜爾|至者《ナリナバ》、吾社湯龜、」 女の歌なり、古今歌集に、「君や來ん、我やゆかんの、いざよひに、」
 
2932 情庭《コヽロニハ》、燎而念杼、虚蝉之、人目乎繁、妹爾不相鴨、」
 
2933 不相念《アヒオモハズ》、公者|雖座《イマセド》、肩《カタ》戀丹、吾者|衣《ソ》戀(ル)、君|之《ガ》光儀《スガタヲ》、」
 
2934 味澤相、 冠辭、
 
目(ニ)者非不飽《アケドモ》、携《タヅサハリ》、不問事毛《コヽトハナクモ》、 ものいはぬなり、
 
苦勞有來《クルシカリケリ》、」
 
2935 璞之《アラタマノ》、年緒|永《ナガク》、何時左右鹿《イツマデカ》、我戀將居、壽不知而《イノチシラズテ》、」
 
2936 今者|吾《ア》者、指南與我兄《シナムヨワガセ》、戀|爲《スレ》者、一夜一日毛、安毛無《ヤスケクモナシ》、」
 
2937 白細布之、袖折反、 上の卷に出、
 
戀(レ)者香、妹之|容儀《スガタ》乃、夢二四三湯流、」
 
2938 人言乎、繁三毛人髪三《シゲミコチタミ》、 こちたみは言痛《コトイタ》みなり、(登伊の約は知美は辭、)是は諸人の繁く痛くいひさわぐ時にいふ言なれば、轉じては物の餘りに繁きをもいひしからに、こゝに毛人髪とも書なり、藤原奈良の頃は、既轉言多かりしを知るべし、【えみしは髪に限らず、惣身の毛多しといへり、髪と書しは專らの所を指か、○清御原宮の毛人大臣をも、えみしの大臣といふべし、】
 
我|兄子《セコ》乎、目(ニ)者雖見、相|因《ヨシ》毛無(シ)、」
 
2939 戀云者《コフトヘバ》、 我そこを戀とのみいふ時は、たやすく淺きが如しと云なり
 
薄事有《アサキコトアリ》、 是をうすきと訓しは言ゐず、○此二句は既上の卷の、言(ニ)云者、耳にたやすし、てふ歌に、(卷十二)旅といへば、言にぞやすき、てふ歌など引て云つ、
 
雖然、我者|不忘《ワスレジ》、戀者死十方、」
 
2940 中々二、死(ナ)者安(ケ)六《ム》、出日之、入|別不知《ワキシラヌ》、吾四久流四毛、
 
2941 念八流、跡状毛《タドキモ》我者、今者無、 上に、思遣、爲便乃田時毛、吾者無、また、立而居、爲便乃田時毛、今者無、とて、末も大かた同意の歌有を以て、此跡状をたどきと訓ことを知るなり、此事既にもいひたれど、かく出たる時にとてうたて云めり、
 
妹二不相而、年之經行者、」
 
2942 吾兄子爾、戀(フ)跡二四|有四《アラシ》、小兒之、夜哭乎爲乍、宿不勝苦者《イネガテナクハ》、」 上の卷の十一枚に、言は異にて同じ意の歌有、そこにいひつ、
 
2943 我命乎、 今本之と有はかなはず、古本に依て乎とす、
 
長(ク)欲|家口《ケク》、僞乎、好《ヨク》爲人乎、執許乎《トロフバカリヲ》、」 捕ふばかりの間をなり、○盗人の遁隱たるを捕て※[句の口を言]問するにたとへて、戯よめる女の歌なり、
 
2945 玉梓之、 使へかゝる、
 
君之使乎、待之夜乃、名凝其《ナゴリゾ》今毛、 【其字をぞのかなに用ること、此下又(卷六)にも有、ごの轉言なり、】
 
不宿夜乃大寸《イネヌヨノオホキ》、」 上卷に、本は、夕されば、君來まさんと、待し夜の、とて末こゝと同じきありそこに解つ、
 
2946 玉桙之、道爾行相而、外《ヨソ》目耳毛、見《ミル》者|吉《ヨキ》子乎、何時鹿將待《イツトカマタン》、」 吾得ん時を待か定めなきなり、○見者吉子乎の言|平《ツネ》言めきたれど、見るはしよしもなどもいへば、かくもいふならん、
 
2947 念西、餘西鹿齒、爲便乎無美、吾者|五十日手寸《イヒテキ》、應忌《イムベキ》鬼尾、」 上の卷に、本はことにて末を、人爾語都、可忌物乎、とよみつ、忍びづまの名を云ては、さはりの出來れば忌べきなり、
 
思爾之《オモヒニシ》、餘爾志可婆、門爾出※[氏/一]、吾|反側乎《コイフスヲ》、人見|監《ケン》可毛、」 古本に、此歌を本文に擧たるによりぬ、今本に是を或本云、門出而云云、一云、無爲《スベヲナミ》、出行《イデヽゾユキシ》、家當見《イヘアタリミユ》、と有は、右の一二句の均きをのみ見て同歌なりとて、諸本捨たるものなり、然るに、次に門の言有からは、其類もて右の歌は擧しもの、又一二句の均きは自ら多ければ何ぞ同歌とせん、もし又同歌なりとも、一句二句の違により其類歌に擧し例、此上下に多きなり、今本こゝの末に註せし人麻呂集に、念(シ)、餘(ニシカバ)者、丹穗鳥(ノ)足沾來《アヌラレコシヲ》、人見(ケン)鴨てふも別歌にて同言有のみ、然れば古本に依なり、
 
2948 明日者《アスナラバ》、其門將去、出而見與、戀有容儀、數知兼《アマタシルケム》、」 
2949 得田價婁《ウタガヘル》、 今本婁を異に誤る、
 
心欝悒《コヽロイブカシ》、事許《コトハカリ》、 此はを濁るは言便にて、耳《ノミ》の意にあらず、【後世は是許《コレバカリ》などの時は濁り、勘はかるを事許といふ時は、清て唱ふれども、惣てふと聞|耳《ミヽ》を分んとするは俗なり、古はかゝはらで其言便の本を專らとせり。萬づの事是を思へ、】
 
吉爲吾兄《ヨクセヨワガセ》、相有《アヘル》時|谷《ダニ》、」 吾に他《アダシ》心有と疑ふは、何に依て思ふらんや、いぶかしき事なり、よく思ひ量て見給はゞさる疑ひはあらじを、たま/\相あふ時だに打とけざるが苦しといへり、
 
2950 吾妹子之、夜戸出乃|光儀《スガタ》、見(テ)之《シ》從、情空|成《ナリ》、地者雖踐、」 此末の二句上卷に全くて有、
 
2951 海石榴市之《ツバイチノ》、 此所の名、同やまとの中に所々有けん、弘計皇子命の、石榴市の歌垣に出給ひしは、清寧天皇の忍海宮のあたりに在か、後のかげろふ日記などにいふは初瀬寺に近し、こゝと下にもよめるは何所とも指がたし考つべし、
 
八十(ノ)衢爾、 市にはちまたの多ければ、此一二の句下にも有、且人多く立蹈ば地の平らかに成からに、專ら市などに此言の有を以て、今紐ゆふとて立る序とせしなり、(卷十)妹が紐、解て結て、立田山、ともつゞけつ、
 
立平之《タチナラシ》、結紐乎《ムスビシヒモヲ》、解卷惜毛、」 はじめ君ならではとかじ、と結てし紐をその男今絶たれど、又他男の爲に解んは心ゆかぬよしなり、
 
2952 吾齡|之《ノ》、衰去者《オトロヘヌレバ》、白細布之、袖乃|狎爾思《ナレニシ》、君乎|羅其念《ラゾオモフ》、」 今本、君乎母准、と有は羅の一字を二字と誤れり、羅を助辭とせし例あまた有、さて袖のなれにしとは、年經て袖のなれそこなふと、その男になれ來しとをかねいひて、君も我も齡のおとろへ行につけて、したしみのことになれるをいへり、上の卷に、「紅の八鹽衣、朝なさな、なれはすれども、ましめづらしも、」てふ類ひ多し、
 
2953 戀君《キミニコヒ》、吾哭涕、白妙、袖兼所漬《ソデサヘヒヂテ》、爲便母奈之、」 泪は面をぬらすを本にてさへといへり、
 
2954 從今者《イマヨリハ》、不相跡|爲也《スレヤ》、白妙之、我衣袖之、干時毛奈吉、」 君があはじとするしるしにて、吾泪のかく落らんやと思ふなり、
 
2955 夢《イメ》可登、 四言、
 
情恠《コヽロアヤシモ》、 今本班と有は誤、
 
月《ツキ》數多《サハ・アマタ》二、干《カレ》西君之、事之通者、」
 
2956 未玉之《アラタマノ》、年月兼而、烏玉乃、夢爾|所見《ミエツル》、君之容儀者
 
2957 從今者《イマヨリハ》、雖戀妹爾《コフトモイモニ》、將相哉母《アハメヤモ》、床(ノ)邊|不離《カレズ》、夢(ニ)所見乞《ミエコソ》、」 乞は願ふことば、
 
2958 人(ノ)見《ミ》而、言害目|不爲《セズ》、夢(ニ)谷、不止見乞《ツネニミエコソ》、 今本、與と有は例の乞を與《ヨ》に誤しなり、
 
我戀|將息《ヤマメ》、」 【或本歌云、人目多、直(ニハ)不相、】
 
2959 現者《ウツヽニハ》、言絶有《コトタエニタリ》、 相語ふ事の絶しなり、
 
夢(ニ)谷、嗣而所見乞《ツギテミエコソ》、 今本見而と有は、かの乞を與と書しを、又而に誤しなり、ことわりに依て改めつ、
 
直(ニ)相左右二、」
 
2960 虚蝉之、 冠辭、
 
宇都思《ウツシ》情毛、 現しき心のきを略、
 
吾者無、妹乎|不相見而《アヒミデ》、年之經|去者《ヌレバ》、」
 
2961 虚蝉之、 同上、
 
常(ノ)辭《コトバ》登、雖念、 世の常のことわざをいふ、
 
繼而|之《シ》聞者、心慰焉《コヽロハナギヌ》、」 今本、慰を遮に誤りぬ、訓のなぎぬと有を思へば、遮はいと後に書そこなひしなり、○なぎぬは和《ナゴ》みぬるなり、慰字に依て別《コト》言と思ふことなかれ、
 
2962 白細之、袖不卷而宿《ソデマカデヌル》、 今本、不數、と書てなめでと訓しはよしなし、馬また枕などにはいへど共ねするには袖を纏、又重ぬるといふべく、なめでといふよしもなし、仍て卷を數の草とおもひ誤りしものなり、
 
烏玉之、今夜者早毛、明者|將開《アケナモ》、」
 
2963 白細之、手本寛久、人之宿、味宿《ウマイ》者不寢哉、戀|將渡《ワタリナム》」
 
 此所に寄物陳思、てふ標有はとらざるよし、上卷にいへり、
 
2964 如是耳《カクノミニ》、在家流君乎、衣爾有者《キヌナラバ》、下毛將著跡、吾念有家留、」 かくうとき心とはしらで、肌はなたずあらんとおもひしと悔るなり、
 
2965 橡之《ツルバミノ》、 衣服令に依に、橡墨染などは家人奴婢の衣の色なり、然れば是は賤人の我著る衣もてよめり、よき人のわざと此色をいひ出んよしなければなり、下にも出る皆均し、【義解に、橡(ハ)櫟木(ノ)實なり、和名抄、橡、(都流波美、)櫟實也、こは田舍人のどんぐりと云て、こならの子《ミ》也、染種子はその子《ミ》の本に有よめが合器《ゴキ》といふ物を※[者/火]《ニ》て、其汁をもてす、又よき衣にも黄つるばみ赤白の橡などいひて、本の色の上へ是をかくる事あれど、そは鈍色とて、古へは僧衣などにすれば、萬葉の歌にかなはず、】
 
袷衣裏爾爲者《アハセノキヌノウラニセバ》、 袷は重あれば、裏といはん料にいふのみ、さてうらとは專らとせぬに先たとふ、
 
吾將強八方《ワガシヒメヤモ》、君之不來座《キミガキマサヌ》、」 右の如く裏とはせず、君を專らと思ふ故に強ても來ませといへるに、猶來まさぬよと、はらだちてよめるなり、 
2966 紅《クレナヰノ》、薄染衣《アラゾメゴロモ》、 今うすぞめと訓しは例なし、こは次に、桃花褐《アラゾメノ》、淺等衣《アサラノコロモ》、淺爾《アサラカニ》、 とよめるに同じくて、あらぞめごろもと訓て、退紅と書も同じ、
 
淺爾《アサカラニ》、相見|之《シ》人爾、戀比日可聞《コフルコロカモ》、」 はじめは事もなくおもひしなり、
 
2967 年|之《ノ》經者、 旅にて經なるべし、
 
見管偲(べ)登、妹之言思、衣乃縫目、見者哀裳、」
 
2968 橡之、一重《ヒトヘ》衣(ノ)、裏毛無、 こは裏も無といはんとて、一重をいへるのみ、うらもなくは何心もなくてふ意なり、
 
將有兒故《アルラムコユエ》、 ゆゑは何ともおもはで有らん子ゆゑにとあたりていふことばなり、
 
戀渡可聞、」
 
2969 解衣之、 冠辭、
 
念亂而、雖戀、何之故其跡、問人毛無、」 戀る人のいかにぞと問《ト》へかしと思へど、とはねばいふ、
 
2970 桃花褐《アラソメノ》、淺等乃衣《アサラノコロモ》、 布を桃花色に薄紅に染たるを、荒染と云、褐は布《ヌノ》衣なり、延喜式に、凡紵布之衣者、雖2退紅《アラソメ》1、自v非2輕細(ニ)1不v在2制限1、【桃花染、退紅の布は、共に麁染と云て、皆絹にいふ名にあらず、仕丁など荒染を著、】
 
淺《アサラカ》爾、念而妹爾、將相物香裳、」 いと悦びにたへずてよめるなり、此香裳はかはの意、
 
2971 大王之、鹽燒海部乃、 鹽は燒ところを始めて、公の御物なる事、田租に均ければしかいふなり、恩賜にも米鹽を賜へり、
 
藤衣、穢者雖爲、彌希將見毛《イヤメヅラシモ》、」 【或人、武烈天皇記に、以v鹽爲v租に、角鹿なるをのみもらしたれば、供御とすといふ事有に依て、其鹽をのみ大君の鹽と云といへり、然れども此記に見えしのみにて、他に見ゆる事なし、末ながら式の内膳などにも分ていふ事なく、こゝの歌も凡をいふと見ゆれば、右は一時の事なりけん、】
 
2972 赤帛之《アカキヌノ》、純裏衣《ヒトウラゴロモ》、 紅といはず、赤帛と有は緋色の衣なり、さて表裏同じ赤色なるを、ひとうら衣といふと見ゆ、今本に、すみうらと訓しは何の事とも聞えず、純は純一のよしにて一《ヒト》の意に書り、(卷十五)敏馬浦の長歌にある、百船純の純も、一《ヒト》を人《ヒト》にかりつ、
 
著欲《キマホシミ》、我念君之《ワガモフキミガ》、不所見比者鴨《ミエヌコロカモ》、」 此男緋衣のうらおもて同じきを着て來るより、相ともにその衣を着て寢まほしと思ふに、見えこずと云り、(卷六)「筑波禰の、にひ桑まゆの、きぬはあれど、君がみけしゝ、あやに着ほしも、」てふも共ねして重ね着ほしきなり、然れば今本長欲とあるは、着の草を長に誤しもの疑なければ、改めつ、
 
2973 眞玉就《マタマツク》、 就は借字にて、眞玉を著る緒とつゞけたる冠辭なり、
 
越乞兼而《ヲチコチカネテ》、結鶴《ムスビツル》、 遠近をかけてにて、今より末をもよく契り定めて結びしといふなり、
 
言《ワガ》下紐|之《ノ》、 言を吾と通じ書し少からず、【紐は彼と此とをかねて結ぶ物なれば、さる心にていふとも思ふべけれど、さいひては古言のつゞけにあらず、】
 
所解日有米也《トクルヒアラメヤ》、」 (卷十三)「ま玉つく、遠近かねて、いひはいへど、あひて後こそ、悔は有けれ、」
 
2974 紫《ムラサキノ》、帶之結毛《オビノムスビモ》、 次にも紫の我下紐、といひしかば、是も下の帶にて紐といふに均しかりけり、古へはおびひも緒を相通はしてもいひつ、 
解《トキ》毛不見、本名也妹爾、戀度南、」
 
2975 高麗錦、 冠辭なり、よき人は錦の紐もとよりなれど、此歌に紐の樣をいふべくもあらず、たゞ紐といはん冠辭ときこゆ、
 
紐之|結毛《ムスビモ》、 右も是も結びをも解ずてふ意なるが中に、是は齋てとかぬなり、
 
解不放《トキサケズ》、齋而待杼《イハヒテマテド》、 【齊齋古は通へども、此集の書體にあらねば齋とす、】
 
驗無可聞、」 二人して結びし紐はとて、とかで齋つゝしみて待には、神のしるしの有べき事なるに、猶待得ざるをなげくなり、上の卷に、下紐の、とくるは人の祥《サガ》といへば、わざと解いはひて、待こゝろによみしと、ここはうらうへのたがひなり、
 
2976 紫(ノ)、我下紐乃、色爾|不出《イデズ》、 これと次の紐は歌の言のみにて、ことに此紫の紐は序なり、
 
戀可毛將度、相因乎無見、」
 
2977 何故可《ナニユヱカ》、不思將有《オモハズアラン》、紐緒之《ヒモノヲノ》、心爾入而《コヽロニイリテ》、戀布物乎、」 かく心に入て深く戀しければ、君をおもはず有ことは、何の故に付てもあらずと云り、その男の思はずやなどいふに答へしならん、○紐の緒の心に入とは、古今歌集に、「いれひもの、同じ心に、いざ結びてん、」とも云て、輪紐へ長紐をさし入て結ぶを以て譬とせり、
 
2978 眞十鏡、見|座《マセ》吾背子、吾形見、將持辰爾《モタラントキニ》、 手に持て問はん時なり、
 
將不相哉《アハザラメカモ》、」 こは夫の遠き旅行別れに女のよめるなり、記に天御孫の天降給ふ時、天照大御神神寶をあたへ給ひて、此鏡は專我を拜む如《ナス》せよとのたまひしより、形見には鏡を贈るならはしとして、後世の物語ぶみにすら見えたり、こゝにもたらん時にあはざらめかもてふ、即右の意なり、
 
2979 眞十鏡、 冠辭、
 
直《タヽ》目爾君乎、見者許増《ミテバコソ》、 見てあらばこそなり、此言上にいへり、 
命對《イノチニムカフ》、吾戀止目《ワガコヒヤマメ》、」 あはん事は命にもかふべく思ふ故に命に對《ムカフ》といへり、かくてしかばかり切に戀る思ひも、一度直目に相見てしあらばこそ止もせめ、あふよしなければ遂に死ぬべしといふなり、
 
2980 犬馬鏡、 冠辭、
 
見不飽妹爾、不相而、月之經去者、生友名師、」
 
2981 祝部等之《ハフリラガ》、齋三諸乃《イハフミモロノ》、犬馬鏡、 上は序、
 
懸所偲《カケテシヌバユ》、 今本、懸而と有て、かけてぞと訓しは、假字の下に假字を添るよしなきをだにしらぬ訓なり、仍て而は所を誤りし事しるければ改めつ、
 
相人毎《アフヒトゴトニ》、」 思ふ人多くもたる男なれば、花がたみめならふ人のあまたあれば、など恨る女も有とき、さりともしかはあらず、皆けぢめなく懸てしたふからは、吾は吾と思ひてあれかしといふ意にや、又おもふ人の有が上に、又もあへる女のしたはしき時、男のわが心をのみよめる歌か、
 
2982 針者有杼、妹之無者、將著哉跡、吾乎令煩《ワヲナヤマセテ》、絶紐之緒《タルヒモノヲ》、」 旅にてよめり、
 
2983 高麗劔、 冠辭、
 
己之景迹故、外耳、見乍哉君乎、戀渡奈牟、」 影は我身の物からに、手にとられぬは外《ヨソ》といはん序におけるのみ、さて歌の意は三の句より下に有て明らけし、○此故は物故と云に同じく、物なからにと心得ることなり、例は別記にあり、○景迹は、日本紀にも令にも、行迹の事に書しに依て、後世人こゝをわがあととも、わがこころとも訓たるは、字に泥て歌を心得ざるなり、此集は先歌凡の意を意得て後に、字を借し事のさま/”\なるを思ふべし、こゝを右の如くよみては、此歌いかにとくとも聞えんやは、【から文にこゝの訓を付て、其訓を先として心得ばよからんかは、是を打かへしておもへ、】
 
2984 劔|太刀《タチ》、 冠辭、
 
名之惜毛、吾者無、比來之間、戀|之《ノ》繁爾、」
 
2985 梓弓、 冠辭、
 
末乃多頭吉波、雖不知、 今本に末者師不知、雖然、と有は此所字の亂などせしを、後人私に字を直し物にて言ゐず、故に一本による、
 
眞坂者君爾、緑西物乎、」 眞佐加は眞其際《マソノキハ》てふ言なり、言の考は上に出、【一本歌云、梓弓、末乃多頭吉波、雖不知、心者君爾、因之物乎、と云、此四の句は今を取べし、】
 
2986 梓弓、 冠辭、
 
引見|縱《ユルベミ》、思見而、既心齒、因《ヨリ》爾思物乎、」 左に、今更に、何しかもはん、といへる如くの意を籠たるなり、
 
2987 梓弓、 こは冠辭にあらず譬なり、
 
引而|不縱《ユルベヌ》、丈夫哉《マスラヲヤ》、戀云物乎、忍|不得牟《力ネテム》、」 鬼の丈夫、猶戀にけり、てふに同じ、
 
2988 梓弓、 冠辭、
 
末中一伏三起《スヱナカタメテ》、不通有之《タエタリシ》、 是も此左石に、引見縱見、思見て、縁にしてふ歌に凡の意は均くて、譬たる言の異なるなり、是一伏三起と書しは、古へ弓射る時のわざなり、下に、「梓弓、たてり《起》/\も、槻弓の、くやり《伏》/\も、」といふ如く、弓には起伏てふ事古へ多く云に、今昔物語に、弓いる時に弓たふしてふ事あり、今人のためつすかしつと云も、弓より出たる言と聞ゆ、これらその射んとする時、先目當をためねらふわざなれば、ための言を一伏三起とは書しなり、且伏するも起すも專ら弓末なれど、引たむる所は中なれば、末中と云て男の中頃ためて不通しに譬たり、【古へ弓いし事を考るに弓は引設て、後にねらひをたむる事なし、今射んとする時に、ためねらひを定るなり、故に初のわざをつゝしめり、其わざは弓を取て、一度起て後に、伏て的をよく見定めて、又起て矢をはげ、更に高く起して引入る故に、一伏三起とはいふなり、】○不通を此下にもたえしと訓つ、
 
君(ニ)者會奴《アヒヌ》、嘆|羽《ハ》將息《ヤメム》、」
 
2989 今更(ニ)、何※[鹿/牡]將念《ナニシカモハム》、 末に男のうとき樣など見えたる時、女のよめるなるべし、
 
梓弓、引見縱見、縁《ヨリ》西鬼乎、」
 
2990 ※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、績麻之多田利《ウミヲノタヽリ》、打麻懸《ウチソカケ》、 多々利は、令義解に線柱集解には多々利と云り、さて方《ケタ》なる居《スヱ》木に柱一つ立て、うみ紵を引懸る物なり、和名抄には絡※[(土+乃)/木]と書り、打麻は美麻《ウミソ》の事なるよし冠辭考にいひつ、
 
績《ウム》時無二、戀度鴨、」 上卷に開《サキ》沼之菅乎、笠爾縫、將著日乎待爾、年曾經去來、などいへる如し、
 
2991 垂乳根之、母我養蠶乃《ハヽガカフコノ》、眉隱、 まゆに隱わたるをいぶせき譬とす、
 
馬聲蜂音《イブ》、 上に牛鳴を毛のかなに書し如く、馬はいんと鳴、蜂はぶんと鳴をもて書り、
 
石花《セ》、 和名抄、尨蹄子、勢《セ》、貌似2犬蹄1而附v石生者也、兼名苑注云、石花(ハ)二三月皆紫(ニシテ)舒v花、附v石而生、故以名v之、てふこれなり、集中に石花を勢《セ》の言に借しは又も有、
 
蜘※[虫+厨]荒鹿《クモアルカ》、異母二不相而、」
 
2992 玉手次、不懸者辛苦《カケネバクルシ》、懸|垂者《タレバ》、 垂は借字、此懸は思懸るにはあらず、既相し事を襁《タスキ》を身に懸纏ふに譬たり、
 
續《ツギ》手見卷之、欲寸君可毛、」
 
2993 紫(ノ)、綵色之※[草冠/縵]《コゾメノカヅラ》、 冠辭考に、玉かづらの事はいひつ、其玉の緒を濃紫に染たるが花やかなるなり、
 
花八香爾《ハナヤカニ》、 花は美《ウル》はしきたとへ、八香《ヤカ》は良介伎《ラケキ》を通はしいふ辭なり、たとへば清らけき清やかになどいふ類皆是なりり、【古今歌集の序に、云々のやうにと云は、此やかを延ていふ平《ツネ》言にて、雅言にはあらず、後に樣の音と思へるはわろし、】
 
今日見(ル)人爾、後將戀鴨、」
 
2994 玉※[草冠/縵]、不懸時無、戀友、何如《ナニシカ》妹爾、相時毛名寸、」
 
2995 相因之、出|來左右《コシマデ》者、疊薦、 上卷に出、
 
重編數、夢西|將見《ミナム》、」
 
2996 白香付《シラガツク》、 冠辭、
 
木綿者花疑《ユフハハナカモ》、 今本疑を物に誤、
 
事社者《コトコソハ》、 事は言なり、
 
何時之眞坂毛《イツノマサカモ》、 眞其きはもなり、今本は坂を枝に誤、
 
常不所忘、」 いつにてもあへる其時にいひし言は、たのもしと思ふに、言の如くあらぬは、木綿を花と見る如く、實ならずといふなり、
 
2997 石上、振(ノ)高橋、 大和國、山邊郡振神社の前の川は、岸深ければ、是に渡せしは高ければ名を得つらん、天平の頃に、久邇の都に、高橋渡す、とよめるも此意なり、惣て古へは浮はし打はし石はし(石並置橋なり、)ぞ多かりけん、
 
高々爾、 遠々爾なり、上の別記に出、
 
妹之|將待《マツラム》、夜曾|深去《フケニ》家留、」 たま/\相べく待らん物を、道遠くして夜の深行をくるしむなり、【武烈天皇紀の影姫が歌に、青によし、ならを過、こも枕、高はし過、といふは、高はし有に里の名もしかいひつらん、】
 
2998 湊入之、葦別小船、障多(ミ)、 【或本歌曰、湊入爾、蘆別小船、障多、君爾不相而、年曾經來、と有は、此歌の一本にはあらじ、上の卷の歌の言を誤れるものなり、】 
今來吾乎《イマクルワレヲ》、不通跡念莫《コジトオモフナ》、」 上の卷に、本は全く同じくて末ことなる歌のりたり、末の各異なれば別歌なる故に、彼はそこの類に、是はこゝの類に、取のせし事此上下卷の例なり、
 
2999 水乎|多《オホミ》、上爾《アゲニ》種蒔、比要乎多(ミ)、 神代紀に、高田※[さんずい+誇の旁]田といへる高田を、今も田舍にてあげ田といへり、さて※[さんずい+誇の旁]田は水多くして苗代にかなはねば、上田に種を蒔しに、そは又田稗といふもの多かりと云なり、【田稗の稻苗に交れるを、つとめて擇出して捨るものなり、】
 
擇擢之我等曾《エラレシワレゾ》、 今本、我等の二字を業に誤れり、
 
夜獨宿、」 今本は夜を吾に誤れり、さて其種を擇捨るが如く、多くの中より吾はえり捨られて、夜獨ねすると身を恨たるなり、○此歌人麻呂歌集には、打田、稗數多雖有、擇爲《エラレシ》我(ゾ)、夜一人宿、とあり、其歌の本は調はず、今の歌の轉ぜしものなり、末は彼を以てこれの誤を正しつ、
 
3000 靈合者《タマアヘバ》、相宿《アヒヌル》物乎、 (卷三)「たまあはゞ、君來ますやと」(卷六)「母し守ども、靈しあひにける、」ともよみて、魂の相かなひぬれば、とかくしてかく相|寢《ヌ》る物を、あながちに母の守給ふよといへり、
 
小山田乃、鹿猪田禁如《シヽダモルゴト》、 卷十六に、荒城田の、鹿田の稻、
 
母|之守爲裳《ガモラスモ》、」 【一云、母之|守之《モラシ》師、】
 
3001 春日野爾、照有暮《テレルユフ》日之、 落たるは遙なれば、よその序とす、
 
外耳《ヨソニノミ》、君乎相見而、今曾悔寸、」
 
3002 足日木乃、從山出流、月待登、人爾波言而、君待吾乎、 【吾乎の乎は助辭なり、上へかへるも有に泥ことなかれ、】(卷三)長歌の終の五句となりて有、されど其長歌は男女の贈答二首の歌の言ども各落失て、今は一首の如く成てあれば、かれはいかにとも定めがたし、○君待を今本妹待と有は誤れり、こは卷三に依て改めつ、女の通ふ事は先はなし、且歌も女のよめるさまなり、
 
3003 夕|月夜《ヅクヨ》、五更《アカトキ》闇之、 夕月の比の曉は必闇なればかく云、 
不明《オボヽシク》、今本、ほのかにも、と訓しは、毛の辭むつかし、
 
○闇よりおぼゝしくといふなり、
 
見之人故、 定にも見ぬ物ながらに、いかでかくはといふなり、
 
戀渡鴨、」
 
3004 久竪之、天(ツ)水虚爾《ミソラニ》、 水は借字、
 
照(レル)日之、將失《ウセナム》日社、吾戀止目、」
 
3005 十五日《モチノヒニ》、出(ニシ)之月乃、高々爾、 高々は遠々てふ言なる例、上の別記にいへるが如く、こゝも遠々にとつゞけしなり、何ぞといはゞ、此上に、春日野爾、照有暮日之、外耳、といへるは、西の空に落たる日は、遠く外《ヨソ》なる意なるにむかへて思ふに、此望月も東の空の涯さやかに見えて、出來るは遠しといふべきなり、かくてこゝの遠遠は、たま/\といふ意なり、【上弦は暮ぬ前に出れば、分ち見えざりしを、望に至りて暮る空に始めて出ればいふ、】
 
君乎|座而《マサセテ》、何物乎加將思《ナニヲカモハム》、」 たま/\に來し君を、吾もとにおはしまさせたるよろこびをいへり、【たま/\は遠《トホ》ま/\、てふ言なる事既に別記にいひつ、】
 
3006 月夜好(ミ)、門爾出立、足占爲而《アウラシテ》、 (卷十三)「月夜には、門に出たち、夕日とひ、あうらをぞせし、ゆかまくをほり、」ともいへり、先歩の數を定め置て、歩の奇遇もて合不v合を知ること、今人のするにはことならじか、
 
往《ユク》時|禁八《サヘヤ》、妹二|不相有《アハザラム》、」
 
3007 野干玉(ノ)、夜渡月之、清者《キヨケレバ》、吉《ヨク》見而|申尾《マシヲ》、君|之《ガ》光儀乎、」
 
3008 足引之、山乎|木《コ》高三、 山の梢の高なり、
 
暮月乎、 いつかと夕月を待が如く君を待といふを、言を略きてあやにいひなしたるなり、 
何時《イツカト》君乎、待之苦沙《マツガクルシサ》、」
 
3009 橡之、衣解|洗《アラヒ》、又打山《マツチヤマ》、 上は譬なり、なれあかづける衣を解洗ひて、又|擣《ウツ》は本にかへすにて、もとつ人に立かへるをいふ、卷十八に、紅は、うつろふ物ぞ、つるばみの、なれにしきぬに、猶しかめやも、てふが如し、
 
古人爾者《モトツヒトニハ》、猶|不如《シカズ》家利、」 後見し人はまだえ不v及と、今古人に立かへりていふなり、○かくいふ時は山てふ言餘れゝど、此下に「あふみのみ、へたは人しる、奥つ波、君をおきては、知人もなし、」てふも波は言の爲に置てかゝはらず、
 
3010 佐保河之・河浪不立、靜雲、君二|副《タグヒ》而、明日|兼欲得《サヘモガモ》、」 けふは事もなく逢ぬ、あすさへもかゝれかしと、忍ぶる中にていへり、
 
3011 吾妹兒爾、衣借香之、宜寸河、 春日に衣借といひかけつ、次の振川に雨ふる川といひかけし類古への體なり、さて是までは序のみ、
 
因毛有額《ヨシモアラヌカ》、 妹が目を見んよすがも、いかで有てしかもと願へり、あらぬか來ぬかなどは、今もいふ辭にて、あれかし來よかし、と乞なり、
 
妹之目乎將見、」
 
3012 登能雲入《トノグモリ》、棚《タナ》曇を言便のよろしきまゝにかく云り、
 
雨零河之《アメフルカハノ》、左|射《ザ》禮浪、 石上の振川に雨ふるといひかけたり、さて振川の浪ばかりにても間なき事の序とはすべけれども、此下に、左佐浪之、浪越安暫仁落《ナミコスアゼニフル》小雨、間交置而《アヒダモオキテ》、吾不念國、てふを思へば、こゝも川波に雨ふりて、いよゝこまかなる波の文のよるをおもひよせしにぞあらん、 
間無毛君者、所念鴫、」
 
3013 吾妹兒哉《ワギモコヤ》、安乎忘爲莫《アヲワスラスナ》、 良須(ノ)約留、
 
石上、袖振河之、 右に雨零河といひ、人麻呂歌集に、(別卷)袖振山、といへる如く、こゝも文にいひつゞけたるのみにて、たゞ振川の水の絶ざるをためしとす、【後世人袖振山てふ山有と思ふは人わらへなり、】
 
將絶跡念哉《タエムトモヘヤ》、」 此言既出、
 
3014 神山之《カミヤマノ》、 こは飛鳥の雷岳《カミヲカ》をいへり、上に別記あり、
 
山下響《ヤマシタトヨミ》、逝水之、水尾不絶者《ミヲタエザラバ》、後(モ)吾妻、」 此譬上下に多し、○水尾は水の深き筋なり、
 
3015 如神《カミノゴト》、 雷の如なり、
 
所聞《キコユル》瀧之、白浪之、面知君之《オモシルキミガ》、 上よりは面白しといひ、受る句は面を見知たる君てふ意にて、この下に、水莖の、岡の葛葉を、吹かへし、面知兒等之、不見比日、とも有、面知とは常に見なるゝ人にもあらず、よそながら其面を相見知て目をくはせ、心を通はするをいふべし、こゝは女の歌下は男の歌なり、
 
不所見比日、」
 
3016 山河之、瀧爾益流、戀爲登曾、 たぎは沸《タギ》ることなれば、心の内のわきかへり思ふ事の瀧よりも甚しと云り、
 
人知爾|來《ケリ》、無間念者、」
 
3017 足檜木之、山河水之、音(ニ)不出、 ふるのわさたのほには不v出、てふ如きいひなしなり、
 
人之子|放《ユヱニ》、 今本※[女+后]と有は誤れり、今故に改、【※[女+后]は、廣韻諸書、音搆、説文偶也、彖傳遇也、染遇剛也、一曰、好也、など有てこゝによしなければ下皆改】
 
戀度|青頭鷄《カモ》、」
 
3018 高瀬爾有《コセナル》、 四言なり、是をたか瀬なると訓はよしなし、(卷十四)小浪、磯越道有、能登湍河、てふは、巨勢路に浪の磯越といひかけし事、(卷八)吾せこを、乞《コチ》許世山、といへる類なり、かゝれば大和の高市郡の巨勢に在能登瀬川なる事を知べし、仍てこゝの高瀬を古世と訓なり、【たかせてふ言別に有に依て、こゝをもたかせと訓は委しからず、】
 
能登瀬乃河之、後將合《ノチモアハム》、 能登を能知と音を轉じいふは例なり、
妹者吾者、今爾不有十方、」
 
3019 浣衣《アラヒギヌ》、 衣は一本を用、今は不に誤、
 
取替河之《トリカヒガハノ》、 穢たる衣を浣て取なほしかへて着る心に、上よりは取替といひかけしまゝに替とは書たれど、受たる言はとりかひ川なり、かひかへを通はす古言の例なればなり、○和名抄、添下郡に、鳥貝(止利加比)と有郷の川なるべし、【大和物語にいへる鳥銅の御湯河内といへり、何れにても有べし、】
 
河|余杼能《ヨドノ》、不通牟《ヨドマム》心、思兼都母、」
 
3020 斑鳩之因可乃池之《イカルガノヨルカノイケノ》、 平群郡なるべし、
 
宜毛《ヨロシクモ》、 よろしとは常ざまなるをいふ、
 
君乎不言者、念衣吾爲流、」
 
3021 隱沼之《コモリヌノ》、 今本絶沼と有、こもりぬは堤に隱て上は水の通ひなきを以て、さも書べけれど、次にも他にも隱沼とのみ有に依て改、
 
下從者將戀《シタユハコヒム》、 記、(仁徳(ノ)條、)許母理|豆能《ヅノ》、志多用波閇都都《シタヨバヘツツ》、由玖婆多賀都麻《ユクハタガツマ》、と有も似たり、かくて下從とは下樋より水の通ふに譬へて、樋は卷二に、埴安乃、池之堤之、隱沼乃、去方乎不知、舍人者迷惑、とも有からは、隱るは堤に籠るにて、水草などにこもれるをいふにあらず、然れば下とは樋の外なし、
 
市白久、人之可知、歎爲米也母、」 【一本に云、市より母に至るまでの十二字考に落たり、今兼樹本集に依て書加ふるなり、本集賀茂翁の書入に云、市白久は著の意なり、おもてより戀ば人しらんとなり、】
 
3022 去方無三《ユクヘナミ》、隱有小沼乃《コモレルヲヌノ》、下思爾《シタモヒニ》、 是も次も右にいふが如し、
 
吾曾物念、頃者之間、」
 
3023 隱沼乃、下|從《ユ》戀餘、白浪之、灼然|出《イデバ》、 右にいふ如く、堤に隱れるを隱沼といふと定めて思へば、是に白浪の出ばといふは、井で越波といふ如く、波の越出るよしなり、
 
人之可知、」
 
3024 妹目乎、見卷|欲江之《ホリエノ》、 堀江てふ名、他所にもあれど、かく專らによめるは難波堀江なり、
 
小浪《サヾラナミ》、敷而戀乍、有跡告|乞《コソ》、」
 
3025 石走、 冠辭、
 
垂水之水能《タルミノミヅノ》、 攝津國に在、
 
早敷八師《ハシキヤシ》、 はやきといひかけしのみ、
 
君爾戀良久、吾情柄、」
 
3026 君者不來、吾者|故無《ユヱナミ》、 女の行べきには、ゆゑよしの無なり、
 
立浪之、數《シク/\》和備思、 重波を日本紀にも、集にも、しきなみともしくなみともいひ、又集中皆波にはしく/\といへり、かくてしば/\てふ言は他の事にはいへど、波にいはぬを思ふに、こゝも數々立|重《シゲ》る意もて數と書しと見ゆれば、今しく/\と訓なり、
 
如此而不來跡也《カクテコジトヤ》、」
 
3027 淡海之|海《ミ》、邊《ヘ》多波人知、奥(ツ)浪、 邊澳は譬のみ、
 
君乎置(テ)者、知人毛無、」 相聞に君といふは、妹より男をいふ此集の例なり、是に依は心の奥にふかく隱して思ふ男の事は知人なしとよめるなり、然れども集中に、君妹妻の三字を相誤れる歌も少からぬをおもふ時、こゝも君は妻を誤れるか、しからば人麻呂歌集に、(別卷、)「長谷の、弓槻か下《モト》に、吾隱せる妻、赤ねさし、てれる月夜に、人見てんかも、」「ますらをの、思ひたけびて、隱せる其妻、天地に、通りてるとも、顯れめやも、」などの意とすべし、いかで正しき本を見ばや、【(卷三)長歌に、妹爾|縁《ヨリ》而者云云、と有、左の注に、不v可v言2之(ヲ)因1v妹應v謂v縁v君、反歌云、公之隨意といへり、此類の誤りかた/\に有、】
 
3028 大海之、底乎深目而、結|篆之《テシ》、 上にいふ、
 
妹心者、疑毛無、」
 
3029 貞能※[さんずい+内]爾《サダノウラニ》、 上の卷に出、
 
依《ヨス》流白浪、無間、思乎|如何《イカデ》、妹爾難相、」
 
3030 念出而、爲便無時者、天雲之、奥香裳不知、 奥許不知なり、上にいへり、
 
戀乍曾|居《ヲル》、」
 
3031 天雲乃、絶多比安、心有者、吾乎莫憑、 たのませそのませを約めてたのめといふ、
 
待者苦毛、」
 
3032 君之|當《アタリ》、見乍母|將居《ヲラム》、生駒山、 此山嶺を分て南は大和北は河内なり、
 
雲|莫蒙《ナカクシソ・ナタナビキ》、 此下に、朝霞|蒙《タナビク》山、ともよみ、集中の言をも思へは、くもなたなびきと訓べきか、
 
雨者雖零、」 いと切《セチ》なる心より、かゝる事はおもひもいひもする物なり、
 
3033 中々二、如何知兼《イカデシリケム》、吾《ワガ》山爾、 集中に吾岡ともいひて、わが住所の山なり、
 
燒流火氣能《モユルケブリノ》、外見申尾《ヨソニミマシヲ》、」 春の野山を燒烟をもて、外《ヨソ》といはん料とするのみ、雲霞烟にはよそといふ言有ばなり、意はひとを大よそ人に見てあらまし物を、中々に相知て苦しといへり、○(卷七)靈寸春、吾山之|於《ヘ》爾、立霞、雖立雖居、君之隨意、てふも、靈きはるは生涯をいふ事なれば、我命の間は立もゐるも君がまゝてふを略きて、たまきはる吾といひ、それより吾山の上の霞とつゞけて、立といはん料とせしは、こゝと同じさまなり、【此たまきはるは冠辭にあらず、歌の言なり、然るを冠辭考に、吾葬の烟とまで思ひしは解き泥たりし、こゝを以て改むべし、】
 
3034 吾妹兒爾、戀《コヒ》爲便|名雁《ナカリ》、加里の約は伎、
 
胸乎|熱《ヤキ》、旦戸開(レ)者、所見霧可聞、」 後世は燒火の氣をば烟とのみいへど、古へは霞霧烟を通はしいひつ、
 
3035 曉之《アカトキノ》、朝霧|隱《ガクリ》、 曉とあさは本同じ事なれば、かくかさねてもいへり、曉曙朝と分つは後なり、
 
反詞二《カヘリシニ》、 今本反羽と有は誤れり、
 
如何戀乃《イカデカコヒノ》、色丹出爾家留、」
 
3036 思出、時者爲使無(ミ)、佐保山爾、立雨霧乃、應消所念、」
 
3037 殺目山《キリメヤマ》、 紀伊國の熊野にきりめの王子《ミコ》てふ社有、或説にも紀伊國といへり、然れば熊野に有山の名ならん、殺をきりと訓は、(卷十三)横|殺《キル》雲、とも書たり、
 
往反道之、朝霞、髣髴谷八、妹爾不相牟、」
 
3038 如此將戀、物等知者、夕置而、旦者|消流《ケヌル》、露|有申尾《ナラマシヲ》、」 
3039 暮《ヨフベ》置而、旦者消流《ヒルハキエヌル》、 暮はゆふぐれをいふなれど、此歌は夜晝の意にて、暮旦と書しかば、よふべと訓なり、
 
白露之、可消戀毛、吾者爲鴨、」
 
3040 後遂爾、妹將相跡、旦露之、命者生有、戀者|雖繋《シゲヽド》、」
 
3041 朝旦《アサナサナ》、 あさなさなと、下のあを籠て書る假字も有はしかよむ、 
草上白《クサノヘシロク》、置露乃、 【此露は霜を誤て、且次の歌と前後に書誤しならんと、黒生がいへるによるべし、今本此所亂れたること次の歌にてもしらる、】
 
消者《ケナバ》共(ニ)跡、云師君者毛、」 かく契しに、絶て後久しくして其君は、とおもひ出てなげくなり、
 
3042 朝日指、春日能小野爾、置露乃、可消吾身、惜雲無、」
 
3043 露霜乃、消安我身、雖老《オイヌトモ》、又若反、君乎|思《シ》將待、」 上の卷に、初句を朝露のとて、二句より末全く同歌有、同歌も類の異なる所に載るは例もあれど、上もこゝも同じ露霜もていへる中なれば疑有なり、今考るに此歌一二句の言と三句より下と言の道違へり、一二句の意ならば、上の卷に、璞之、年緒永、何左右鹿、我戀將居、壽不知而、てふ如く、「朝霜の、消安わがみ、いつまでか、戀つゝをらん、命しらずて、」などいひ下さば集中の例も歌の言も通りなん、又此三の句より下の歌にては上を、「かくゐつゝ、年經る吾身、老ぬとも、」などぞいふべき、然れば今の上下卷ともに、露霜の、消安吾身、てふ末は他歌の交りし物といふべし、かゝれば同歌の再載しも、必それともいふべからぬことなり、既に上の二首も前後して載しなれば、此處亂れし物なり、
 
3044 待君常、庭耳居者、打|靡《ナビク》、吾黒髪爾、霜曾置爾家類、」 上の卷に、待不得而、内者不入、白細布之、吾袖爾、露者置奴鞆、てふは、心は均しかれど、言ことなれば、二所に載たるなり、【注に、或本歌尾句云、白細之、吾衣手爾、露曾置爾家流、と云は、こゝの歌と上卷の歌の言、彼此入違しのみ、」
 
3045 朝露乃、可消耳也《ケヌベクノミヤ》、時無二《トキジクニ》、 非時無時など書もひとし、
 
思將度《オモヒワタラム》、 月日をかくてのみ經わたらんものかと嘆なり、
 
氣《イキ》之緒爾爲而、」
 
3046 左|佐《ザ》浪之、波越安暫仁《ナミコスアゼニ》、 あぜとは田ごとの間をせくを今もいへり、【淺きをあせともいへど、暫は濁る音なるが上、波越といへば必あぜなり、】 
落《フル》小雨、 もとより小波の上に小雨のふりて、水の文の繁きをいふ、上に雨零河の、さゞれ波、間無とよめる所にもいへり、
 
問文置而、吾不念國、」
 
3047 神左備而、 古びて久しきといはん料、
 
巖爾生、松根之、 古にし松根の如く久しく經れど、むかしうつくしと思ひし君が心は、わすれがたしと云り、
 
君心者、忘|不得《カネツ》毛、」
 
3048 御獵爲、雁羽之、 同獵場を重ね云のみ、
 
小野之、櫟柴之《ナラシバノ》、 小ならしばとて今も有、
 
奈禮波|不益《マサラデ》、戀社益、」
 
3049 櫻麻之《サクラヲノ》、 上卷にいへり、
 
麻原《ヲフ》乃下草、 【本の二句は上の卷にいへり、さて下草の生るは、何の畑つ物にもあれど、麻一つを擧いふは、歌のならはしなり、】
 
早生者《ハヤナサバ》、 蒔したなつ物よりも、あやなき草は早く生立やすきを以て、早生とはいひて、歌の意は別卷に、「濱行風の、いやはやに、早ことなさば、ましあはざらん、」てふごとく、ゆるらかに物せし故に、遂にかく妹がひもとく時にも至りけりと悦ぶなり、さて生者は草のおふるをもなるといひ、且歌の意は爲者なれば、相持てなさばと訓つ、はやおひばなど訓ては、ことわりなし、
 
妹|之《ガ》下紐、不解有申尾、」 
 
3050 春日野爾、淺茅標|結《ユヒ》、 淺茅は秋の末に紅葉に染《ソミ》てうるはしきを女に譬へて、(卷八)「妹に似る、草と見しより、わがしめし、野山の淺茅、人なかりそね、」又、「山高み、夕日隱れぬ、淺茅原、後見ん爲に、しめゆはましを、などの如く、今よりしめゆひて成なん末の待遠なるを云り、
 
斷《タエ》米也登、吾念人者、彌遠長爾、」 まだをさなきを云り、
 
3051 足檜之、山菅根乃、懃《ネモゴロニ》、吾波曾戀流、君|之《ガ》光儀乎、」 【或本歌云、吾念人乎、將見因毛我母、】
 
3052 垣津旗、開《サキ》澤(ニ)生(ル)、 上に出、
 
菅根之、絶跡也《タユトヤ》若|之《ガ》、 此一二句心得ず、何ぞといはゞ、集中に山菅には專根をいへど、水の菅に根をいへるは、別卷に湖《ミナトニ》、核延《サネハフ》子菅、不竊隱、てふと、こゝに有、外はなきを、其核延も疑はしきよしそこにいへり、又絶とつゞくこと、(卷十四)「足引の、岩根こゞしみ、菅根を、引はかたみと、しめのみぞゆふ、」てふ如く、引といへば絶ともいふべし、まして水菅の根は用なければ、引といへる歌もなきに、絶といふべきかは、然れどもここは前後五首山菅の中なれば、此菅根も山菅なるべし、仍て思ふに二の句は開野(ニ)生とや有けん、さても引といはで絶とはあるべからねば、とかくに此一二句は誤しるきなり、【かつらに引といはで、たゆといふ事有は、既引て用る時の言をもていふなり、】
 
不所見頃者《ミエヌコノゴロ》、」
 
3053 足檜木之、山菅根之、懃、不止念者《ヤマズオモハヾ》、於妹將相可聞、」
 
3054 相不念《アヒオモハデ》、有物乎鴨《アルモノヲカモ》、菅根乃、懃懇《ネモコロゴロニ》、吾|念有良武《モヘルラム》、」
 
3055 山菅之、不止而《ヤマズテ》公乎、念《オモヘ》可母、吾|心神之《タマシヒノ》、 (卷十四)心神《タマシヒ》毛奈思、とよめり、
 
頃者名寸、」
 
3056 妹(ガ)門、去過|不得《カネ》而、草結(ブ)、風吹|解勿《トクナ》、又|將顧《カヘリミン》、」 一云、直相麻弖爾、と有ぞ増るべき、
 
3057 淺茅原、茅生丹足蹈、意|具美《グミ》、 淺茅は葉の強ければ、蹈足の痛む故に心|苦《クルシ》してふ譬とせり、心ぐるしを心ぐみと略きいふ下に多かり、別記に皆擧つ、かく家をもしらで心苦しかりしを、今見てよろこべるなり、
 
吾念兒等之、家當見津、」 一云妹之、
 
3058 内日刺、 冠辭、
 
宮庭有跡、鴨頭草乃《ツキクサノ》、移《ウツシ》情(ハ)、吾思名國、」 宮中にてはうるはしき人を多く見れど、君をおきて心はうつさずといふなり、
 
3059 百爾千爾、人者|雖言《イフトモ》、月草之、移情(ヲ)、吾將持《ワガモタメ》八方、」 
 
3060 萱草《ワスレグサ》、吾紐爾|著《ツケム》、 つけんといひて句とせざれば、末の言治らず、
 
時常無《トキトナク》、念度(レ)者、生跡文奈思、」
 
3061 五更之《アカトキノ》、目不醉草跡《メザマシグサト》、 こは目ざまし草にはあらで、何ぞの物を贈てしかいふなるべし、さて或人左右萱草なれば、萱草に目ざまし草てふ名も有ていへるかといへど、此卷々には草は草と擧たる中に、他《アダ》し草をも交へ擧し所もあれば、一へにはたのみがたし、思ふに遠江國の童遊に、石菖の穗を一寸ばかりに切てわけたるもて、兩の目ぶちを上下へさゝへ開かすめり、故に石菖を目はじき草ともいへり、さて目を明らむる藥ぞとて、親もゆるしてをるめり、さらば是をめざまし草と云にや、をかしきわざ故にしるせり、【或説に、五雜俎に有2睡草1、亦有2却睡草1、有2醉草1、亦有2醒醉草1、云云てふを引たるは、さる事ながら、こゝには何れの草てふことゝいはねばかひなし、】
 
此乎谷、見乍座而、吾止偲爲、」
 
3062 萱草、垣毛|繁森《シミヽニ》、 しみしみを略てしみゝといふ、
 
雖殖有《ウヱタレド》、鬼之志許草《シコノシコグサ》、 鬼《シコ》は醜《シコ》に同じくて、こゝは惡《ニクミ》のる意、【鬼をしこといふは、ふとくたくましきかたの言、しこ草は、しこりかたまりて忘れぬよしの言なり、紫苑の音に誤るべければいふ、】卷二三にも出、志許草は紫苑にて、物をよくおぼゆる草なる事、今昔物語にもいひつ、さて忘るやと植し草はかひなければ、醜の紫苑ぞとにくみていふなり、(卷十三)「わすれ草、我下ひもに、つけたれど、鬼のしこ草、言にし有けり、」てふも大よそ同じことなり、
 
猶戀爾家利、」 そを付たれど、いまだ止ぬよしにて猶と云、
 
3063 淺茅|原《ハラ》、小野爾標結、空言《ソラゴト》毛、將相令聞《アハムトキコセ》、 そら言にだにあはんとのたまへ、戀の心|和《ナグ》さめにせんにとなり、【或本(ノ)歌曰、將來知志《コムトシラセシ》、君矣志將待、又見2柿本朝臣人麻呂歌集1、然落句少異耳、】○此本の句上卷にも出たれど、猶こと歌なり、くはしくは其卷にいひつ、
 
戀之|名草《ナグサ》爾、」
 
3064 皆人之、笠爾縫云、 上卷、大君の御笠に縫るてふ歌にいへり、
 
有間菅、在而後爾毛、相等曾念、」
 
3065 三吉野之、蜻乃小野爾、刈草之、念亂而、宿夜四曾多、」
 
3066 妹(ガ)所服《キル》、 今本、妹待跡、と有はよしなし、かく樣にいふ初句は惣て冠辭にて、妹がきる、妹が目を、など有例なり、今は誤りしるし、
 
三笠乃山之、 【三笠は大君のと云は御笠の意、妹がなどいふは眞と心得べし、妹がみ袖ともよみしが如し、】
 
山菅之、不止|八《ヤ》將戀、命不死者、」
 
3067 谷迫、峯邊(ニ)延有《ハヘル》、玉葛、 上の卷、(卷六)にも此意なる有ど、皆少しづゝ末かはれり、
 
令蔓之有者《ハヘテシアラバ》、 【一云、石葛《イハツナノ》、令蔓之有者《ハヘテシアラバ》、】
 
年二不來友、
 
3068 水莖之、崗乃|田葛葉緒《クズハヲ》、吹變、面知兒等之、 秋の初風涼しく立て、葛の葉吹かへすは面白きをもて、かねて面を相知たる子等といひかけたり、此つゞけの事上にいひつ、
 
不見比鴨、」
 
3069 赤駒之、射去羽許《イユキハバカリ》、 (卷十四)不盡山の歌に白雲母、伊|去《ユキ》波伐加利、云云、
 
眞田葛原《マクズハラ》、何傳言《ナニノツテゴト》、 天智天皇紀に、十年十二月崩まして後、童謡四首の末に此歌のりて、四の句、奈爾能都底擧騰、と有、傳言は流言の字をもよみならへり、
 
直將吉《タヾニシエケム》、」 この赤駒云云てふつてごと有は、何の意ぞと問を擧て、即今行難くとも末は吉《エ》けんといへり、こは吉野の前(ノ)太子の今こそあれ、末よからんてふ意なり、さて此歌相聞の譬歌なる一つの傳へ有て、是には取しなるべし、さる類上にも下にもあり、相聞にても、今さはり有しも、末には成なんてふ心右にひとし、
 
3070 木綿疊、 冠辭、
 
田上《タナガミ》山之、 卷一に出、
 
狭名葛、在去之毛《アリユキテシモ》、不令有十方《アラシメズトモ》、」 さなかづらの如く、常しへに絶ず在ゆかんまではかけずとも、逢ばと戀なり、(卷八)譬歌に、「月草に、衣はすらん、朝露に、ぬれて後には、うつろひぬとも、」
 
3071 丹波道之、大江乃山之、眞玉葛《サナカヅラ》、絶牟乃心《タエムノコヽロ》、 (卷六)末は全く同じ歌に、多延武能己許呂、とあり、此|乃《ノ》にはたえんと思ふてふ意こもれり、此類既にも出、
 
我不思《ワガモハナクニ》、」
 
3072 大埼之、有磯《アリソ》乃渡、 (卷十五)石上乙麻呂土左へ流さるゝ時、「大崎の、神小濱は、雖小《セバケレド》、百船人も過といはなくに、」とよめるは、紀伊國の南へさし出たる崎にて、そこを今も大崎といふといへり、
 
延久受乃《ハフクズノ》、往方無哉《ユクヘモナクヤ》、戀渡南、」 海べのひろき所に葛のおのがまゝに延たるを、行方の限りしられぬ思にたとへつ、
 
3073 木綿疊《ユフダヽミ》、 疊を今本|裹《ツヽミ》と有は誤なり、例と一本に依て改、
 
田上山之、佐奈葛、 今本は田上を白月に誤りつ、そのよしは冠辭考にいへり、
 
後毛必、將相等曾念、」
 
3074 唐※[木+隷の旁]花色之《ハネズイロノ》、 上に出、
 
移(ロヒ)安(キ)情|有者《アレハ》、年乎曾寸|經《フル》、 不v相て、
 
事者、 言なり、
 
不絶而、」
 
3075 如此爲而曾《カクシテゾ》、人之|死云《シヌトフ》、藤浪乃、直一目耳、見之人故爾、」 藤浪のたゞ一目といふよしはなし、次の枚《ヒラ》に、朝影爾、吾身者成奴、玉蜻、髣髴所見而、往之兒故爾、と有と意相似たるもていはゞ、藤浪は蜻蛉乃《カギロヒノ》の誤と爲べきを、こゝは木草の類なれば、藤浪は本の如くて次の二句の違ひしにや、猶蜻蛉乃なるが本亂て入所違へるならんとおぼゆ、
 
3076 住吉之《スミノエノ》、敷《シキ》津之浦乃、名告藻之《ナノリソノ》、名者告而之乎、不相毛恠、」 此下に、「しかあまの、磯に苅ほす、名のりその、名はのり手師乎、いかであひ難き、」ともよめり、既こと成し後にあはぬを恠めり、
 
3077 三佐呉集《ミサゴヰル》、 既出、
 
荒磯《アリソ》爾生流、勿謂藻乃《ナノリソノ》、名者令告《ナハノラシテヨ》、父母者知鞆《オヤハシルトモ》、」 今本、吉名者不告、と有は、言も心得ぬものゝ書誤れるなり、是を(卷十四)に再載て、美沙居、石轉爾《イソワニ》生(ル)、名乗藻乃、名者|告志弖余《ノラシテヨ》、(今本弖を五と有は誤、)親者知友《オヤハシルトモ》、と有は、同歌なるを以て、今の四の句を改めつ、その意は既女の名をゆるせしは、今は妻《メ》と呼如く吾名を告《ノリ》呼給へ、父母の聞てとがめば、そのよしいはんにと、打解て男をうたがはぬなり、【是を(卷十四)赤人の歌とて載しは誤れり、赤人は此撰の天平の初め在し人にて、其時の歌は此卷などには惣てのせず、】
 
3078 浪之|共《ムタ》、靡玉藻乃、片念爾、吾念人之、言乃繁家口、」
 
3079 海若之、奥津玉藻之、靡將寢、早來座君、待者苦毛、」
 
3080 海若之、奥爾|生有《オフナル》、繩乘乃《ナハノリノ》、 濱藻はぬる/\の有物故に、惣ての名をのりと云り、其中に繩のりは長く延てぬる/\の有こと、池のぬなはの如くなるか、思ふになのりそ藻《モ》と云も即同物なるべし、
 
名者曾不告《ナヲバゾノラジ》、戀者雖死、」 父母に男の名を不告ては、あふ事難くして戀死ぬとも、猶告じと女のよめるなり、極めて名を忍ぶべき故ある男なるべし、【名告といふに、女の名を男に告と、又男の名を親に告と、二つ有、歌に依て分べし、】上の卷に、「わがせこが、其名いはじと、玉きはる、命は捨つ忘れ給ふな、」
 
3081 玉緒乎、片緒爾※[手偏+差]而《カタヲニヨリテ》、緒乎|弱彌《ヨワミ》、 (卷十三)我もたる、三あひによれる糸、といふ如きあはせ緒に玉は貫を、これは緒《ヲ》絶して玉の亂るゝをいはんとて、片糸を設たり、
 
亂時爾《ミダルヽトキニ》、 緒のきれ絶て玉の亂れ散を、吾中をはなるゝに譬て、さてかゝる時に戀ざらめやはと云り、
 
不戀有目八方、」
 
3082 君爾|不相《アハデ》、久成|宿《ヌ》、玉緒之、長(キ)命之、惜雲無、」 若ければ末長き命といふ、(卷二、挽歌)にもあり、
 
3083 戀(ル)事、益《マサレバ》今者、玉緒之、絶而亂而、可死所念、」
 
3084 海處女、潜取|云《チフ》、忘貝、代二毛不忘、 (卷六)に、「筑波根の、岩もとゞろに落る水、代にもたゆらに、わがもはなくに、」又上の卷には、「天地の依《ヨリ》あひの極《キハ》み、玉のをの、絶じと思ふ、いもがあたりみつ、」ともいへり、かかれば、世の盡《ツク》るまでにも忘れじといふを籠て、代二もといへるなり、
 
妹|之《カ》光儀者、」
 
3085 朝影爾、吾身者成奴、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
髣髴所見而、往之兒故爾、 右にも引、又人麻呂歌集に、(別卷、)玉垣の、すき間見えて、とも有て、意皆ひとし、
 
3086 中々爾、人跡不在者《ヒトヽアラズハ》、 (卷十四)賛酒歌に、「中々二、人跡不有者、酒壺爾、成にてしもの、酒にしみなめ、」又「わくらはに、人とは有を、」などもよみしかば、人と生てあらずはといふなり、或人思ふ人と並たらずはと思へるは誤れり、 
桑子爾毛、 かひ蠶は雌雄《メヲ》はなれぬ物なれば、彼にならん物をと願ひ、且かれが命の短も、人はた玉の緒ばかり短き命なれば、何か思はんといふなり、
 
成益物乎、玉之緒計、」 【是をいせ物語には、戀にしなずば、といひかへて、一つの物語を作りしこと心得ぬ人、それに依て本を誤ること有、】
 
3087 眞菅吉、 冠辭、
 
宗我乃河原爾、 神名式、大和國、高市郡、宗我坐、宗我都比古神社、といひ、今も飛鳥里の西北五十町ばかりに、宗我村てふ在、そこの河原なり、【或説、石見又出雲などいへるはよしなし、】
 
鳴千鳥、間|無《ナシ》吾背子、吾|戀(ラク)者、」
 
3088 舊《フル》衣、 冠辭、
 
著楢乃《キナラノ》山爾、鳴鳥之、間無時無、吾戀良苦者、」
 
3089 遠津人、 冠辭、
 
獵道《カリヂ》之池爾、 姓氏録に、雄路天皇御世、獻2加里乃郡1、仍賜2姓輕部君1、と見え、集中に輕の路ともよめれば、若同所か、
 
住鳥之、立(テ)毛居(テ)毛、君乎之曾念、」
 
3090 葦邊往、鴨之羽音之、聲耳《オトニノミ》、聞管本名、戀渡鴨、」
 
3091 鴨尚毛、己之|妻共《ツマドチ》、求食爲而、所遺間爾戀云《オクルヽホドニコフトフ》物乎、」
 
3092 白|檀《マユミ》、 冠辭、
 
斐太乃細江之、 葛城郡にも、又高市郡にも、斐太てふ村今有といへど、江といふばかりの大沼有とも聞えねば、こは海方の地名にや、いづことも知がたし、【或説是を即ひだの國ぞといふはとるにたらず、】
 
菅鳥乃、 如を籠、此鳥もいまだしらず、
 
妹爾|戀(レ)哉《ヤ》《・コヘカモ》、寢宿《イヲネ》金鶴、」 忘てこはいかなる故ぞと思ふよしいへる、上にもあり、
 
3093 小竹之《シヌノ》上爾、來居而鳴鳥、 冠辭考に、此目とつゞけし事委し、
 
目乎安見、人妻故爾、 【故を※[女+后]に誤こと上にも見ゆ、】
 
吾戀二|來《ケリ》、」 他妻なる物から、見るめのやすくうるはしければ、吾は戀るとなり、(卷七)「あから引、敷たへの子を、しば見れば、他妻故に、わが戀ぬべし、【此歌にのみ依て、かの鳥をも即目やすき事と思ふ人は、(卷六)「をつくばの、繁き木の間ゆ、立鳥の、めゆかわが見ん、」といへるを見ざるなりけり、】
 
3094 物|念《モフ》常、不宿起有旦開者《イネズオキタルアサケニハ》、 朝影の意なる事、上にいへる如く開はかななり、あさのあ、即あかの言なればなり、
 
和備※[氏/一]鳴成、鷄左倍、」 こゝろは、「我せこを、わが戀をれば、我やどの、草さへおもひ、うらがれにけり、」てふにひとし、
 
3095 朝烏、早勿鳴、吾背子之、旦開《アサケ》之容儀、見者悲毛、」 悲は愛《メデ》にても愁にても深き時いふ言なれば、こゝは容儀のめでられて別の惜きなり、
 
3096 ※[木+巨]※[木+若]《クベ・マセ》越爾《ゴシニ》、 先今本ませごしと訓たるませは馬塞の略にて、孝徳天皇紀に、かなぎつけ、わが飼こま、とよみ給ひしは、小木を馬ほだしにせしなり、こゝも馬屋より出しめじとてせくにて、共に小木を用れば、※[木+巨]※[木+若]の字を書、又(卷六)久敝胡之爾《クベゴシニ》、武藝波武古馬乃《ムギハムコマノ》、とて三句より下は異なる歌有、その久敝は、東にて籬をいひて※[木+若]籬《シモト》のよしなり、此馬柵にも同じ※[木+若]を用れば、右のごとくは書り、此歌は都ざまの事ならず、東歌をとりのせし物なれば、かの東歌の同言に依て、こゝをも久敝ごしと訓べし、【久敝《クベ》は遠江にては、築泥《ツイヂ》の類をくべともくねともいひ、武藏にては惣て籬をくねといへり、くべもくねも同じ言にて、物を限り隔つよしなり、】
 
麥咋駒乃、雖詈《ノラルレド》、 田家にては馬屋ちかき庭に麥をほすを、馬はませごしに頭をのべて咋を罵て、はませぬなり、さて三句よりは母に詈らるゝをいふ、
 
猶戀久《ナホコヒシケク》、思不勝烏《オモヒガテヌヲ》、」 烏は乎と唱へて助辭なり、 
3097 左檜(ノ)隈、 左の發言を置て、同ことを重ねたる調のうるはしさ、歌てふ物のみやびはこゝに有めり、後世人はいかで忘けむ、
 
檜(ノ)隈河爾、 高市郡に今も此地ありて川もあり、
 
駐馬《コマトメテ》、馬爾水令飲《コマニミヅカヘ》、 此馬を今本にうまと訓、或人もこまは子馬の事なればかなはずといへど、(卷六)に、たゞの馬を古麻《コマ》古馬《コマ》など書る多し、然ればはやくより老若にかゝはらで、こまともいひしなりけり、
 
吾外將見《ワレヨソニミム》、」 【古今歌集の大歌所御歌に、「さゝのくま、ひのくま川に、こまとめて、しばし水かへ、影をだに見ん」とうたへる、初句と末句は誤なれど、こまとよめるは古訓の殘れるか、集には時の言もて、古歌をなほして取し多かれば、據とはなしがたし、】
 
3098 於能禮故《オノレユエ》、 おのれは女の自いふ語などに、人をいやしめて意禮《オレ》といふも、此自於能禮といふに同じきか、假字合へり、
 
所詈而居者《ノラレテヲレバ》、 女方の父母に罵れしならむ、
 
※[馬+総の旁]馬之《アシゲウマノ》、 和名抄に、漢語抄に云、※[馬+總の旁](ハ)青馬、黄※[馬+總の旁]馬(ハ)葦(ノ)花毛(ノ)馬也、新撰字鏡に、※[馬+総の旁]※[馬+總の旁]同(ク)馬(ノ)白色、又青色(ハ)阿乎|支《キ》馬、これらのあをきといふも白きなり、然れば(卷三)の如く、ましろのとも訓べけれど、こゝは猶今の訓をよしとす、
 
面高久駄爾《オモダカクダニ》、乘而應來哉《ノリテクベシヤ》、」 久《ク》を今本夫と誤て、おもたかふだにと訓しを、解人も後世の馬印の礼の事といふは人笑へなり、妹がり來る馬に高札をつくべきかは、一首の意を思ふに、夫《フ》は久《ク》を誤れり、さて上に妹許とへば、足装嚴、といへるごとく、常は身をよそひ白馬のうるはしきに乘、馬の頭あげつゝいさみて來しを、己れ故に、父母に詈られて居る男なれば、馬の頭も吾頭をも高く擧て乘來る事は得じ、うなたれてこそ通はめと、女のなげくにぞある、
 
3099 紫草乎、草跡別々、 鹿はたゞの草と紫とを撰分て、其紫有所に伏と云なせり、【此草をたゞの草として、おし分つゝ伏ことゝいふ説は、此歌をえ解ざりしなり、】
 
別伏鹿之、野者異爲而、心者同、」 其鹿どものすめる野は、各|別《コト》なれど、紫をめづる心は右の如く同じといひて、君とわれ住所の異にもなり、世中さま/”\に經ても、なつかしむ魂は、一方へよりぬとそへたり、
 
3100 不想乎《オモハヌヲ》、想常云者《オモフトイハヾ》、眞鳥住、 冠辭、
 
卯名手乃杜之、神思將御知《カミシシラサム》、」 (卷十三)不念乎、おもふといはゞ、大野なる、三笠の杜の、神ししらさん、」其下にも同體の歌あり、右の誓言なれば、此言の歌多きなり、〇卯名手杜は、今國人は高市郡にて畝火山の西北に、雲梯村といふ有て、そこの社なりといへり、【今土人は雲梯村なるを、かやなるみの命といへるは違へり、○式に、葛上郡に鴨都波八重事代主神社、高市郡御縣坐八重事代主神社、と有などは各別なり、】出雲國造神賀に、事代主命波宇奈提乃神祭備爾坐、と見ゆ、さて天武天皇紀に高市大領に依給ひしも事代主命なり、是も卯名手大神ならんか、此歌にかく稱申せしからは、古は有が中に此神社を崇みしなりけり、そも/\此皇神は大御孫命に此國を讓奉給ひし神功たぐひなく、惣ての神|徳《イサホ》も勝れ給ふが上に、又初國しらしゝ天皇の皇后は、此御女におはし、次の天皇の皇后も此御孫なれば、天の下の大御母のはじめの御父として、崇さも神|稜威《イヅ》もことなる故に、古へ恐み敬し事を知べし、【官の八神の中にも齋給ひ、天下に鴨といふ里有も、もと此皇神を齋奉りしよりの名なる事、別に考あり、】 
 △今本こゝに問答歌てふ標有ど、とらざる事上に同じ
 
3101 紫者、灰指物曾《ハヒサスモノソ》、 縫殿式に、染物によりて藁灰もあれど、紫は海石榴の灰をもてすること有も、かく古よりなりけり、
 
海石瑠市之、 上に出、【古へ市といへるは、八百萬神を天高市に集といふを始めて、雄略天皇紀に、こたかる市のつかさ、新嘗宮《ニヒナメヤ》にといふは即都の事なり、其外につば市輕市など有も、都につぎて貴賤つどひて物を相かへ、且遊びごとをもせしと見えたり、】
 
八十(ノ)街爾、相《アヘル》兒|哉誰《ヤタレ》、」 大和物語に、中頃はよき人々、市に行で色このむわざしけるといへる中頃とは、いつをいふか、武烈天皇紀に、弘計皇子命海石榴市の歌垣に立まして、影媛鮪臣など、うたひかはし給ふめれば、上つ代よりのならはしなり、さて目につきたる女の名を問に、歌うたひて問もこたへもせしこと、かの紀の御贈答をこゝに合せてしらる、
 
3102 足千根乃、母之召《ハヽガヨブ》名乎、雖白《マヲサメド》、路行人乎《ミチユキビトヲ》、孰跡知而可《タレトシリテカ》、」 古へ其むすめの名をば、母父の喚つらめど、母を擧いふは、女の歌なればなり、且若き女の名を他《アダシ》人にいふを忌ことは、既出たり、○此贈歌の序の、いひなしの風流《ミヤビ》ておもしろく、和《コタヘ》歌の有ふる事のまゝにいひてあはれに、且二首ともに調のうるはしさなど、飛鳥岡本宮の始の頃の歌なり、歌はかくこそ有べきなれ、【清見原藤原宮の比に及て、歌の調かたく成ぬ、から事多く交り行まゝに、寛けき此國ぶりはやゝおとろへんとするめり、】
 
3103 不相《アハザルハ》、然將有《シカシモアラム》、玉梓之、使乎谷毛、待八金手六、」 
3104 將相者《アハマクハ》、千遍雖念《チヘニオモヘド》、蟻通《アリガヨフ》、 常に在つゝ通ふ餘多の人をいふ、○蟻は借字、
 
人|眼《メ》乎多(ミ)、戀乍衣居、」
 
3105 人目多(ミ)、直(ニ)不相而、蓋雲《ケダシクモ》、吾戀死者、誰名將有裳《タガナナラムモ》、」 此言上にもあり、
 
3106 相見《アヒミマク》、欲爲者《ホシケクスレバ》、 末の言へかけて心得べし、
 
從君毛《キミヨリモ》、吾曾|益《マサリ》而、伊布可思美爲也《イブカシミスヤ》、」 也は與と心得べし、○母がかふこの、まゆごもり、いぶせくも有か、妹にあはずて、といふに同じく、物思ひのやる方なきをいぶかしみすとはいへり、此下に、家爾有妹や、將欝悒《イブカシミセム》、と有も同じ、【此言は物に籠ゐて、目も見|放《サケ》ぬを本にて、悶の遣方なきにもいふを、後には又轉じて疑はしき事とす、後世人は其轉ての意をもて推《オス》故に違へつ、】
 
3107 空蝉之、 こは冠辭にあらず顯しき蒼生《アヲヒトクサ》てふを以て知べし、
 
人目乎繁(ミ)、不相|而《シテ》、年之|經者《ヘヌレバ》、生《イケリ》跡毛奈思、」
 
3108 空蝉之、人目繁(ク)者、夜干玉之、 冠辭、
 
夜夢乎《ヨルノイメニヲ》、 此類の乎は皆與に通へり、
 
次而所見欲《ツギテミエコソ》、」 本居(ノ)宣長が、今此所見欲をみまほしと訓は理りなし、見えこそと訓べし、集中に欲を乞と有と同じ訓にすべき所々有といへるに依べし、此下に全《ヒト》夜毛不落、夢(ニ)所見欲、てふも見えこそと訓べし、又|乞《・イデ》吾駒、早去欲、と有を、さいばりに、はやくゆきこせ、とうたへる即古訓なりけり、
 
3109 慇懃《ネモゴロニ》、憶《オモフ》吾妹乎、人言之、繁爾因而、不通比日《タエシコロ》可聞、」 此上の一伏三起不通有之を、今本よとめりしと訓しもかなはず、たえたりしと訓べし、こゝもたゆると訓ぞよき、上に吾妹乎といへるを思へ、
 
3110 人言之、繁(ク)思有者、君毛吾毛、將絶常云而《タエムトイヒテ》、相|之《シ》物鴨、」 古への答歌は、贈歌の意を實にかけていへり、此歌の如くとがむるは少なし、されど稀には有べき事なり、中下の世よりこたへ歌は、たゞとがむることをわざの如くかまへ出ていふよ、人の心皆まことを忘れたるなり、いとせめて歌だに古への眞にかへれかし、【歌はをさなかれといはずや、よし人は僞るとも、吾は從ひていなともうしともこたへば、人の心終になごまじやは、】○此鴨は加波の意、
 
3111 爲便毛|無《ナキ》、片戀乎爲登、比日爾《コノゴロニ》、吾可死者、夢所見哉《イメニミエキヤ》、」
 
3112 夢《イメニ》見而、衣乎|取服《トリキ》、装束間《ヨソフマ》爾、 よそひて妹がりゆかんとする間になり、
 
妹之使曾、先爾來《サキダチニケル》、」
 
3113 在有而《アリアリテ》、 かく在經つゝなり、
 
後毛將相登、言《コト》耳乎、堅要管《カタクイヒツツ》、 左にも不相登要之《アハジトイヒシ》、と書て、要はいひ契るよしなり、
 
相者無爾《アフトハナシニ》、」
 
3114 極而《キハマリテ》、吾毛|相《アハム》登、思(ヘ)友、人之|言《コト》社、繁君爾有《シゲキキミナレ》、」 奈は爾阿の約、
 
3115 氣緒爾《イキノヲニ》、吾氣築之《ワガイキヅキシ》、 命をかけて戀歎きしと云なり、氣づくは思の甚切なる時なる事にて、今はためいきをつくと云り、
 
妹|尚《スラ》乎、人妻|有跡《ナリト》、 奈は爾阿の約、
 
開者《キケバ》悲毛、」
 
3116 我故爾《ワガユエニ》、痛勿和備曾《イタクナワビソ》、後|遂《ツヒニ》、不相《アハジ》登|要之《イヒシ》、言毛|不有《アラナク》爾、」 いまだ定かに他妻と成しにもあらぬほどにて、女もかなしとは心ゆかぬなるべし、
 
3117 門|立而《タテヽ》、 門屋を作立而なり、いかゞとも思ひしを、次に戸毛といへればなり、
 
戸毛|閇而有乎《トヂタルヲ》、 こはかすがひもてとづるをいふべし、催ばり、あづま屋に、かすがひも、とざしあらばこそ、といへり、
 
何處從鹿《イヅコユカ》、妹|之《ガ》入來而、夢所見鶴、」
 
3118 門立而、戸者|雖闔《トヂタレド》、 右をとぢと訓しからは、こゝも同じく訓べし、【字鏡に闔(合也、閇也、門乃止比良、)】
 
盗人之、※[穴/干]《ホレル》穴從、入而|所見氣牟《ミエケン》、」 今本牟の上に氣字落たり今補ふ、
 
3119 從明日者《アスヨリハ》、戀乍將在、今夕弾《コヨヒダニ》、速初夜從《ハヤクヨヒヨリ》、緩解《ヒモトケ》我妹、」 旅たゝん前つ夜なり、
 
3120 今更(ニ)、將寢哉《ネムヤ》我背子、荒田麻之、全夜毛《ヒトヨモ》不落、一年の間の毎夜を云、故に此冠辭を置たり、【全をひとゝ訓こと上に出、】
 
夢所見欲《イメニミエコソ》、」 今夜ばかりと成て、更にともねんもわびなし、たゞ明日より一夜も漏さず、夢に見えん事をこそ思へ、しか見え給へと云なり、こそは乞願ふなり、欲の字の事右にいへり、【こそともこせともいふは均し、こせを來せの意と思はわろし、】
 
3121 吾勢子之、使乎待跡、笠(モ)不着《キズ》、 上卷には笠毛と有、なくとも訓べし、
 
出乍曾見之、雨(ノ)零《フラク》爾、」 此歌上卷にも全くて載つるは、彼は只雨の類にとり、こゝは問答なればなり、其|本《モト》歌集などに二樣に有し故なるべし、
 
3122 無心《コヽロナキ》、雨爾毛有鹿、人目守、乏妹爾、今日谷|將相乎《アハムヲ》、」 今本將相の下に牟と有は乎を誤れり、
 
3123 直《タヾ》獨、宿《ヌレ》杼|宿不得而《ネカネテ》、白細、袖乎笠爾著、沾乍曾|來《コシ》、」
 
3124 雨毛|零《フリ》、夜毛更深利《ヨモフケユケリ》、 今本ふけにけり、と訓たれど、さらば氣利と有べし、
 
今更(ニ)、君(ハ)將行哉《ユカメヤ》、 歸るをいふ、
 
紐|解設名《トキマケナ》、」 まけは牟加閇なり、
 
3125 久竪乃、雨(ノ)零日乎、 ひさかたを雨にいひかけしは、古くは始めて見ゆ、されどこは藤原より奈良の初までの歌ならん、
 
我門爾、箕笠不蒙而、來有人哉誰《キタルヒトヤタレ》、」
 
3126 纏|向《ムク》之、痛足乃山爾、雲居乍、雨者雖零、所沾《ヌレ》乍|曾《ゾ》來《クル》、 今本、乍烏來、と有ど、言の中に乎《ヲ》の助辭をおく事集中にはなし、こは曾《ソ》の草を烏に誤れるなり、此下に、本名烏|戀(ル)、と有も、曾《ゾ》なり、もとなを戀てふ辭は惣てなきにて知るべし、
 
 △此所に、羈旅發思てふ標有もとらず、
 △こゝに、人麻呂歌集の歌四首有も、除て別に擧、
 
3131 月易而、君乎|婆《バ》見登《ミムト》、念鴨《オモヘカモ》、 おもはめかはてふ辭なり、へは波米の約、
 
日毛不易爲而、戀之|重《シゲヽキ》、」 男のけさ旅立て別る時、來ん月に歸來らんといひていにし故によめりと聞ゆ、
 
3132 莫去跡《ナユキソト》、變毛來哉常《カヘリモクヤト》、 送りこし人既に歸りたる後に、ゆく人のおもふなり、
 
顧爾《カヘリミニ》、 かへり見しつゝ行なり、
 
雖往不歸《ユケドカヘラズ》、 其人は立歸り不來なり、こゝの意は二足行て一あしはもどると、常人のいふが如し、
 
道之|長手矣《ナガテヲ》、」 顧しつゝゆけど、更に立かへりてとゞむる人はなくて、道のやゝ遠くなりぬるを歎なり、古今歌集に、ゆきうしといひて、いざかへりてん、とよめるも是よりや出けん、○長手は、記に、八十|※[土+囘]《クマ》手、といへるは、八十※[土+囘]|道《ヂ》と音の通へば、手といふなるべし、然ればこゝは、みちの長みちと重ねたる言なり、
 
3133 去家而《タビニシテ》、妹乎|念出《オモヒデヽ》、灼然、人之|應知《シルベク》、歎|將爲《セム》鴨、」
 
3134 里離《サトサカリ》、遠有莫國《トホカラナクニ》、草枕、旅登之思者、尚戀(ニ)來《ケリ》、」 (卷十)「振山内、たゞに見渡す都にぞ、いねずて戀る遠からなくに、」
 
3135 近有者《チカカラバ》、名|耳《ノミ》毛聞而、名種目津、今夜|從《ユ》戀乃、益益南《イヤマサリナム》、」 よそにして戀る妹を、いよゝ遠き旅に出ては、戀まさらむと云り、
 
3136 客在而《タビニアリテ》、戀(レ)者辛苦、何時毛《イツシカモ》、京(ニ)行而、君之目乎將見、」 男の國の任に在てよめるなるべし、
 
3137 遠有者《トホカレバ》、光儀者不所見、如常、妹|之《ガ》咲者《ヱマヒハ》、面影(ニ)爲而《シテ》、」
 
3138 年毛|不歴《ヘズ》、反來嘗跡《カヘリキナメド》、 是は遠き國へ行て男のいへるなり、
 
朝影爾《アサカゲニ》、將待《マツラム》妹|之《ガ》、面影(ニ)所見《ミユ》、」 上の卷に、朝影に、吾身は成ぬ、などいふはさる事にて、こゝの如く言を略過せしはなし、仍て思ふに、影は異の誤にて、朝に異《ケ》にならんか、且吾妹が上といへど、影の如くやせて待らんとは、思ひはかり過て聞ゆ、
 
3139 玉桙之、 今辭と有は誤、
 
道爾出(テ)立(チ)、別|來之《コシ》、 日|從于念《ヨリオモフニ》、忘(ル)時無(シ)、」 これも男なり、
 
3140 波之寸八師、 なつかしやと先いひ擧る例なり、
 
志賀在戀爾毛《シカルコヒニモ》、有之鴨《アリシカモ》、 如是《シカ》あるべき吾戀にても有けるかと、吾身の上を先思ひとりて、さて君と朝夕なれつゝ在べく思ひしものを、今更かくおくれゐて、慕はるゝ事を思ひみればと、末にて解なり、
 
君(ニ)所遺《オクレ》而、戀|敷《シク》念者《モヘハ》、」 戀|重《シキ》るなり、今本戀しきと訓はこゝにかなはず、
 
3141 草枕、客之《タビノ》悲《ク》、有苗爾《アルナヘニ》、 苗は借字にて並なり、よりて二つの物を一首に擧いふ時の意なり、上の別記に出、
 
妹乎相見|而《テ》、後將戀可聞《ノチコヒムカモ》、」 こは故郷の事にはあらで、旅にて女に逢始てよめるなり、然ればもとより旅の悲しきにならべて、今相初し妹にも、後に戀くるしまんかといふなり、
 
3142 國遠(ミ)、直(ニハ)不相《アハズ》、 たゞ目には向はぬなり、上に出、
 
夢(ニ)谷《ダニ》、吾爾所見社、相(ハン)日左右二、」
 
3143 如是將戀《カクコヒム》、物跡知(セ)者《バ》、吾妹兒爾、言|問《トハ》麻思乎、今|之《シ》悔毛、」 (卷六)「ありぎぬの、さゑ/\しづみ、家の妹に、物いはず來にて、思ひくるしも、」てふにひとしく、立ときなきさわぐを靜めんとて、物をもよくいはでこしを悔るか、又忍びてあふ妹なれば、ものいはんよしもなくて別れこしを、今思ふには、顯るとも物語らひて來べかりしをと、いふにも有べし、○言問は物いふ事なり、
 
3144 客夜之《タビノヨノ》、 たびのよといふ言も有か、おぼつかなし、ひとりねとや訓てん、
 
久成者、左丹頬合《サニヅラフ》、 赤き下紐なり、
 
紐|開不離《トキサケズ》、戀流比日、」 初は夫の旅の事をいひて、下は妹が身の事をいへり、
 
3145 吾妹兒之、阿乎|偲《シヌブ》良志、草枕、旅之丸寢爾、下紐|解《トクル》、」
 
3146 草枕、旅之衣(ノ)、紐|解《トケヌ》、所念鴨《オモホユルカモ》、 家の妹を指べし、
 
此《コノ》年比|者《ハ》、」
 
3147 草枕、客之紐|解《トク》、 とくるを略、
 
家之妹志、吾乎、 今本之と有は誤、
 
待|不得《カネ》而、嘆《ナゲカス》良霜、」
 
3148 玉|釧《クシロ》、 冠辭、
 
卷寢志妹乎、月毛不經、 相初て一月だに經ず旅に出たるなり、
 
置而|八《ヤ》將越《コエム》、此山岫《コノヤマクキヲ》、」 岫は山穴などいへど、此歌にかなはず、(卷六)武藏野乃、乎具奇我吉藝志《ヲグキガキヾシ》、たちわかれ、とよめる、雉は野べ山の尾などにゐて、穴洞などに住ものにあらず、然れば山の尾の多和などをくきといふべし、こゝに越るといふも、山の多和を越るものにて、集中に岡岬のたみたる路ともいへり、【和名抄に、陸詞曰、※[山+奥]山穴似袖、てふはこゝにいさゝかも當る事なし、古へ我朝に在し字書は、はやく失し故に、中世このかた言と、字の相かなはぬ事有なり、】
 
3149 梓弓、末《スヱ》者|不知杼《シラネド》、愛美《ウツクシミ》、君爾|副《タグヒ》而、 國の任に從ひ來る女の歌ならん、
 
山|道《ヂ》越《コエ》來奴、」
 
3150 霞立(ツ)、長春日乎、 今本、春(ノ)長日乎、と有は例なき言なり、卷一に、霞立、長春日乎、と有に依て改、
 
奥香無《オクカナク》、 上に出、
 
不知山道乎、戀乍可|將來《コム》、」 夫の任の國へ、後の妻の慕ひて下り來るを聞て、男のよめるなるべし、
 
3151 外《ヨソニ》耳、君乎相見而、木綿牒《ダヽミ》、 冠辭、
 
手向乃山乎、 集中に奈良の手向と、淡海相坂の手向とをよみし中に、こゝは奈良坂の手向をいふ事、奈良人の歌にて、明日越んといへばなり、
 
明日香越將《アスカコエナム》、」 奈良の京なる女、父の任などに從ひて田舍へ行んずるに、かねて思ふ男を外めにのみ相見て、え近づく事もせで、遂に遠き別れとさへ成を、悲しめるなるべし、且明日立なんとする前つ日によめるものなり、
 
3152 玉|勝間《カツマ》、 冠辭、
 
安倍島山之、 同考にいへり、
 
暮《ユフ》露爾、旅宿得爲也《タビネモエスヤ》、 ゆふ露寒き草枕は、今だにいね難きに、長き夜をいかにせん、と侘めり、得爲也は、上卷に出づ、
 
長(キ)此夜乎、」
 
3153 三《ミ》雪零、 三は眞にて、言の上に添て輕くいへるぞ多き、初三雪などの三も是なり、又心を入ていひしも有、此歌など淡しからぬ眞雪の意有とおほし、
 
越《コシ》乃|大《オホ》山、 神名式に、越前丹生郡、大山御坂神社、和名抄、越中|婦負《メヒノ》郡、大山、(於保也萬)とも見ゆ、ここは何れにや、とかくに地の名ときこゆ、
 
行過而、何日可《イヅレノヒニカ》、我里乎將見、」 任の國より京へ歸る人の歌ならん、 
3154 乞吾駒《イデワガコマ》、早去欲《ハヤクユキコセ》、 催馬樂古本に、此歌を、由支古世《ユキコセ》、と有は古訓の傳れるなり、古世も古曾も同言にて乞《コフ》ことなり、
 
亦打《マツチ》山、 紀道に入立、眞土山、とよめる是なり、今は紀伊の任より京へ歸る人の歌なり、
 
將待《マツラム》妹乎、去《ユキ》而速見牟、」
 
3155 惡木《アシキ》山、 肥前の蘆城山なるべし、末の卷に出、
 
木末悉《コズヱコトヾト》、明日從者《アスヨリハ》、靡有社《ナビキタレコソ》、 多は弖阿の約、古曾は乞願ふなり、
 
妹之|當將《アタリ》見、」 上に人麻呂の、妹が門見ん、なびけ此山、とよめるが如し、 
3156 鈴鹿河、 伊勢鈴鹿郡なり、此川實に廣くして瀬多し、
 
八十瀬渡而、誰|故《ユヱ》加、夜越爾將越《ヨゴエニコエム》、妻毛|不在君《アラナクニ》、」 男の旅なるほどに、家の妻の身まがりし後に、歸るとてよめるか、
 
3157 吾妹兒爾、又毛相海之、  又も相ばやてふを籠たり、
 
安(ノ)河、 野洲郡、
 
安寢毛不宿爾、戀渡鴨、」 一二句とかけ合せて意得べし、○任などにてよまば、いつかあふみの、といふべし、またもあはんを願ふは、たゞ相聞の歌と聞ゆるを、猶さるよし有旅にてよめるか、
 
3158 客爾有而、物乎曾念、白浪乃、邊(ニ)毛奥(ニ)毛、依(トハ)者無(シ)爾、」 旅に在てそこの妹を戀に、成ならざらんしられぬほどの歎なるべし、
 
3159 湖轉爾《ミナトワニ》、滿來鹽能、彌益二、戀者|雖剰《マサレド》、不所忘《ワスラレヌ》鴨、」 久しき旅にては、妹戀しらのいよゝ増るなり、
 
3160 奥浪、邊浪之來依、貞浦乃、此左|太《ダ》過而、後將戀鴨、」 是は上の卷に既出たるを二度出せしは、上は相聞の名有海もてよめる類にのせ、こゝは旅にて妹思ふ類に出せり、本集に二樣にある放なるべし、さて上卷にての心はそこに云り、こゝは此貞浦廻【貞浦の國所と、此定てふ言の意は、上の卷にいへり、】の旅に在人、故郷にて思ひかけし妹に、人言繁かりし、此定めを過して、又こそ懸想文も贈らめとおもふ心を、今見る海の名よりいへるとすべし、此上下卷に同歌の載しは、皆此意にて撰の一體なり、
 
3161 在千《アリチ・アラチ》方《ガタ》、 何處なるや、もし越前のあらちの彼方の海べもしかいふか、然らばあらちがたと訓べし、
 
在名草目而、行目友《ユカメドモ》、家有《イヘナル》妹|耶《ヤ》、 今は伊とあれど、こゝに伊といふべからず、訓もやと有しは、字をいと後に誤りしなり、【或人此如くの伊、集中又太迹天皇記に、※[立心偏+豈]那能倭倶吾伊、と有伊を助辭といへど、助は辭の用なき所にこそおけ、こゝも紀も、がとかやとかいはでは事たらはず、此下をせんと留たる辭も治らぬを、強て伊の助辭をおくべきかは、皆泥める説なり、こゝは今本に本やと訓て有からは耶なり、紀なるは何の誤なり、又續紀の宣命に在も皆字の誤のみ、又法相の讀に伊の助多しといへど、彼はからことなればこゝに引べからず、】
 
將欝悒《イブカシミセム》、」 我はなぐさめても行を、我の妹はおもひはるる時なくて在らんと云り、此言の事上に出、
 
3162 水咫衝石《ミヲツクシ》、 水の深き筋をみをといふ、其水の淺深を量る木を湊に立おくを、みをつくしといふ、さてこゝは冠辭のみ、
 
心盡而、念鴨《オモヘカモ》、 おもへばかの略なり、
 
此間毛《コヽニモ》本名、 こゝは旅のこゝなり、
 
夢西所見、」
 
3163 吾妹兒爾、觸者無《フルトハナシ》二、 觸はより添なり、
 
荒磯囘爾《アリソワニ》、吾衣手者、所沾可母《ヌレニケルカモ》、」
 
3164 室《ムロ》之浦之、 播磨の室なるべし、
 
湍門《セト》之崎|有《ナル》、 淡路島との間の迫門か、
 
鳴島之《ナキシマノ》、 此島の事問べし、
 
磯越浪爾、所沾可聞、」
 
3165 霍公鳥、飛幡《トバタ》之浦爾、 筑前風土記の水莖の岡の條の海に、鳥旗てふ所ある是か、或説に志摩の鳥羽を引しはかなはず、【筑前風土記に、塢※[舟+可]《ヲカノ》縣之東側近有2大江口1、名曰2塢※[舟+可]水門1堪v容2大船1焉、從v彼通2岫門島、鳥旗澳等1(岫門久伎登、鳥旗登波多、)堪v容2小船1焉、】
 
敷浪之《シクナミノ》、 敷は頻なり、
 
屡《シク/\》君乎、將見因毛|鴨《ガモ》、」
 
3166 吾妹兒乎、外耳哉將見《ヨソニカモミム》、越懈乃《コシノウミノ》、子難懈乃《コカタノウミノ》、 懈は借字なり、又※[さんずい+解]か、
 
島|楢名君《ナラナクニ》、」
 
3167 浪間從《ナミノマユ》、雲位爾|見《ミユル》、粟島之、 阿波國を粟島といへる集中に有、
 
不相物故、吾爾所依兒等《ワニヨスルコラ》、」 よするは人のいひよする事のよし上にいへり、然るに旅の間にしてはいかゞあらん、次の歌もたゞ相聞と聞えて旅なる樣ならず、右にも旅なるまじきもあれば、もし亂て他より入しか、おぼつかなし、
 
3168 衣袖之、 冠辭、
 
眞若《マワカ》之浦之、 同考にいひつ、
 
愛子地《マナゴヂノ》、 眞砂路なり、美知を略きいふ時は、知を濁るをしらせて、地の假字を用るを、後世字音の如く思ひ誤る人有、【地を知のかなに用るは、古へ皆濁る言にのみあり、後世清る言にも書はひがことなり、】
 
間無(ク)時無(シ)、吾戀钁《ワガコフラクハ》、」 旅の間の歌とも聞えぬ事は、上にもいへるが如し、されど旅にても故有てよみしを、本集に載しまゝに旅に入しにや、
 
3169 能登海爾、釣爲海部之、射去火之、光爾伊|往《ユク》、月待香光、」
 
3170 志香乃白水郎乃《シカノアマノ》、 筑前、
 
釣|爾《ニ》燭有《トモセル》、 今本爾を爲に誤、
 
射去火之、 此言は冠辭のいすくしの下にいへり、
 
髣髴妹乎、將見因毛欲得《ミムヨシモガモ》、」
 
3171 難波|方《ガタ》、水手出船之遙々《コギデシフネノハル/\ニ》、別來(ヌ)禮杼《レド》、忘《ワスレ》金津毛、」
 
3172 浦|囘《ワ》※[手偏+旁]《コグ》、能野舟泊《クマノフネハテ》、 今本能野船附と有て、よしのふなつきと訓たれど、海邊によし野てふ所も聞えず、又吉野の川船の浦囘こぐよしもなし、思ふに熊の畫の失たるか、又熊能は通はし用る字なれば、何れにても、くま野と訓べし、(卷十五)眞熊野の船と二首よみたり、又今本船附と書て、ふなつきと訓しは雅言にあらず、古本に泊《ハテ》と有をよしとす、船の港などへ行至るを船はつといふは、古人の常なり、【神代記に、熊野諸手船てふは出雲國の熊野なり、(卷十五)倭邊上る、眞熊野之船、てふは播磨にてよみ、今一首は志摩にてよみて、共に紀伊の熊野船なり、こゝは何れの熊野か定がたし、】
 
目頬志久《メガホシク》、 集中に見之欲《ミガホシ》と書に同じ、且古へは見る事を目といひたり、かくて港へ大船のよりたる時は、人ごとに見まほしと、立走りつゝ行つどふ物なるを、序とせり、
 
懸(テ)不思《オモハヌ》、月毛日毛|無《ナシ》、」
 
3173 松浦船、亂穿江之《サワグホリエノ》、 亂をさわぐと訓は既に出、○穿江は難波堀江なるべし、松浦船はつくしの松浦船なり、船は所々の形有ば、熊野の船伊豆手船などもいへり、
 
水尾早、※[楫+戈]取間無、所念鴨、」
 
3174 射去爲《ヰサリスル》、海部之|※[楫+戈]音《カヂヲト》、湯鞍于、 ふねのゆくらにこぐ音を序とせり、
 
妹(カ)心(ニ)、乘(ニ)來鴨、」 上にいひつ、其中にこのゆくらかにと云は、(卷七)「しだり柳の、とをゝにも、妹が心に云云」といへる類なり、
 
3175 若乃浦爾、袖左倍沾而、 なぎさに下立ば、裙のぬるゝはもとよりにて、貝拾ふには又袖をもぬらせば、左倍といふ、
 
忘貝、拾跡妹者、不所忘爾《ワスラレナクニ》、」 【或本歌云、忘可禰都母、】
 
3176 草枕、羈《タビ》西居者、苅薦之、擾《ミダレテ》妹爾、不戀日者無、」
 
3177 然《シカノ》海部之、礒爾苅干、名告藻之、名者|告《ノリ》手師乎、如何《イカデ》相難|寸《キ》、」
 
3178 國遠見、念|勿《ナ》和備曾、風之共、雲之行如、言者《コトハ》將通、」 今本此言の字を和禮と訓しは誤なり、
 
3179 留西、人乎念爾、※[虫+廷]野《アキツノニ》、 吉野のあきつ野なるべし、さて此野はいと高くもあらねど、後の山かけていふ時は、白雲もゐるといふべし、
 
居白雲(ノ)、止時(モ)無(シ)、」
 
 △こゝに悲別歌てふ標有もとらず、
 
3180 浦毛無、去之《イニシ》君故、 何心もなくいにし君なるに、吾ばかり戀といふなり、
 
朝旦《アサナサナ》、 日々といふに同じ、
 
本名|曾《ゾ》戀(ル)、 今本は曾を烏に誤つ、此事上にも云り、
 
相跡者|無杼《ナケド》、」 戀とて逢よしはなけれどなり、
 
3181 白細之、君之下紐、吾左倍爾、今日|結《ムスビ》而名、將相日之爲、」 今旅行の別に臨て、男の下紐を吾結ぶ時、吾下紐をさへも同じく結び置て、あはん日にいはひて解ん爲とせんといふなり、
 
3182 白妙之、袖之別者、 上卷に敷細之、衣手可禮天、といへばこれも相纏へる衣袖の別れといふなり、敷栲は冠辭考にあり、
 
雖惜《オシケレド》、思(ヒ)亂而、赦《ユルシ》鶴鴨、」 衣々になる事をゆるして、別れゆかしむるなり、
 
3183 京師|邊《ベニ》、君者|去之《イニシ》乎、孰解可《タレトケカ》、吾《ワガ》紐(ノ)緒乃、結《ユフ》手懈毛《タユシモ》、」 夫は京へ行しかば、あがたをとめをば、おもふまじきに、わが下紐のしきりにとくるは、誰人の我を戀て解ぬらんとあやしむなり、 
3184 草枕、客去君乎、人目多、袖不振|爲《シ》而、安萬田悔毛、」
 
3185 白銅《マソ》鏡、手二取持而、 是までは序、
 
見常不足《ミレドアカヌ》、君爾|所贈而《オクレテ》、 贈は借字、遣又後とも書たる歌あり、
 
生《イケリ》跡文無(シ)、」
 
3186 陰夜之《クモリヨノ》、 冠辭、
 
田時毛|不知《シラス》、 (卷六)「やみの夜の、行さきしらず、」とも云り、
 
山越而、往座《イマス》君乎者、 いにますを略きいふ例上に有、
 
何時將待《イツトカマタム》、」 たどきもしらぬ山越て行しといへる、女心にしてあはれなり
 
3187 田立名付《タヽナヅク》、 冠辭、
 
青垣山|之(ノ)、隔者、數君乎、言不問可聞、」 これは君をといへば使してことゝふなり、又今別る時なれば、今本に、三句を、へだつれば、五句を、ことゝはぬかも、と訓しはわろし、
 
3188 朝霞、蒙《タナビク》山乎、 くもるをたなびくといへる常多ければさし付て蒙と書つ、
 
越而|去《イナ》者、吾波|將戀奈《コヒムナ》、至于相日《アハムヒマデニ》、」
 
3189 足檜乃、山者百重(ニ)、雖隱《カクストモ》、妹者|不忘《ワスレジ》、直相左右二、」
 
3190 雲居|有《ナル》、海山越而、伊往《イユキ》名者、吾者將戀名、後者相|宿《ヌ》友、」
 
3191 不欲惠八趾《ヨシヱヤシ》、 今本趾を跡に誤、一本に依て改、
 
不戀登爲杼《コヒジトスレド》、木綿《ユフ》間山、 (卷六)東歌の末に、「戀つゝも、をらんとすれど、遊布麻夜萬、かくれしきみを、おもひかぬつも、」と有に同じ山ならん、惣てこゝの前後の歌ども、多くは東人の別れの歌にて、地の名も、草蔭、東方坂、磐城山、などつらなりつ、然れば是も東に在山なるべし、
 
越|去之《ニシ》公|之《ガ》、所念良國《オモホユラクニ》、」
 
3192 草陰之、荒|藺《ヰ》之崎乃、 草陰は、(卷六)東歌の末に、久佐可氣乃云云、とて載しかば、同じく東に在ところの名なり、【一云、三坂越良牟、或説、荒藺崎を武藏に在といふはひがことなり、海の島を見て越る山は、此國になし、相模などには有もせん、】 
笠島乎、見乍可君|之《ガ》、山道越良無、」
 
3193 玉勝間、 冠辭、
 
島熊《シマクマ》山之、 此山もしりがたし、前後の歌どもを思へば、これも東か、
 
夕晩(ニ)、獨可君|之《ガ》、山道|將越《コユラム》、」 【一云、暮霧爾、長戀爲乍、寢不勝可母、これは上の安倍島山てふ歌の字の、亂れたるをも思はで、こゝにつけしものぞ、】
 
3194 氣緒爾、吾念君者、鷄鳴、東方坂乎《アツマノサカヲ》、 地の名にあらぬをしらせて、方の字を添しものなり、
 
今日可越覧、」
 
3195 磐城山、直《タヾ》越來|益《マセ》、礒|崎《ザキノ》、許奴美乃《コヌミノ》濱爾、吾立|將待《マタム》、」 神名式に、常陸の鹿島郡に、大洗礒前(ノ)神社あり、和名抄に、陸奥岩城郡に岩城郷ありて、國は異なれど、右二郡遠からずといへり、然れば常陸人の陸奥へ行別れに、歸らん時の事を女のいへるか、又此前後は、既に旅に在人を思へる類なれば、使にいひやりし歌にもあるべし、
 
3196 春日野乃、淺茅|之《ガ》原爾、後居而、時其友|無《ナシ》、吾戀良|苦《ク》者、」 淺茅が原とは、夫の遠き國にまかりし後に、妻の住所のわびしき樣をいひそへたるなり、天平十三年に久邇の京へ遷されし後の事とまで思ふ事なかれ、惣て是は奈良宮の始までの歌どもなり、
 
3197 住(ノ)吉《エ》乃、崖爾|向有《ムカヘル》、淡路島、※[立心偏+可]怜登《アハレト》君乎、 【古語拾遺に、天晴てふ言といへるはひがことなり、惣て悦にも悲きにも、あゝと長く嘆くをあはれとはいふなり、】
 
不言日者無、」 あはれてふ言は、遠き國に行し君|者也《ハヤ》など歎くをいへり、
 
3198 明日從者、將行乃《イナミノ》河之、 播磨のいなみに有川なるべし、是は言のつゞけのみ、○將行と書し事は、冠辭考にいへり、
 
出去者《イデイナバ》、留(レル)吾者、戀乍也將有、」
 
3199 海之底《ワタノソコ》、奥者恐《オキハカシコシ》、 底より奥といふは深き事なり、又浦廻より遠き方をおきといふは奥端の奥なり、この歌には右の三つをかねていへるなるべし、
 
礒|囘《ワ》從、水手運往爲《コギタミイマセ》、月者|雖經過《ヘヌルトモ》、」
 
3200 飼飯《ケヒ》乃浦邇、 神名式に、越前國敦賀郡氣比神社、紀に角鹿《ツヌガ》の神を氣比大神と申給へる事有、
 
依流白浪、敷布二《シク/\ニ》、妹|之《ガ》容儀者、所念香毛、」 男の越え行て家の妹をおもふなり、
 
3201 時《ツ》風、 冠辭、
 
吹飯(ノ)濱邇、 或人此濱は紀伊に在べしといふによる、
 
出居乍、贖《アガフ》命者、妹|之《ガ》爲社、」 濱に出て大海の祓をせし時、此歌をよみて家の妹へ贈りしものなり、祓は罪の輕重によりて、贖物を出して行ふ故に、贖といへり、且罪を祓捨れば、命も長かるべき理りなり、
 
3202 柔田津《ニギタヅ》爾、 伊與の熟《ニギ》田津なるべし、
 
舟乘將爲跡、聞之|苗《ナヘ》、 なへは並《ナメ》てふ言なる事、上にいひつ、
 
如何毛《ナニゾモ》君|之《ガ》、所見不來將有《ミエコザルラム》、」 柔田津より某の日舟乘して歸らんと聞えし言の並に日を讀て待に、いかでかおそきやと、家の妹が恠しむなり、
 
3203 三沙呉|居《ヰル》、渚《ス》爾|居《ヰル》舟之、 既に乘居て風を待間なり、
※[手偏+旁]出去者《コギデナバ》、裏戀監《ウラゴヒシケム》、 うらは下なり心なり、是は別るれど久《ヒサ》ならで歸る契あれば、いたくはなげかず、されど今はとこぎ出ていなば、何となく下戀しからんといふなり、
 
後者會宿友、」 後はといふを輕く見るべし、うら戀しけんといへばなり、
 
3204 玉|葛《カヅラ》、無怠行核、山菅乃、思亂而、戀乍將待、」
 
3205 後居《オクレ》而、戀乍|不有者《アラズバ》、田籠之浦乃、海部有申尾、珠藻苅管、」 上卷に、中々二、君戀者《キミコヒセズバ》、枚浦乃《ヒラノウラノ》、白水郎《アマ》有申尾、 玉藻苅管、この末は均しかれど、二(ノ)句の意異なり、(卷九《今ノ五》、和梅花歌、)「おくれゐて、吾戀せずば、三園生の、梅の花にも、ならまし物を、」此三園は前に梅を詠し、太宰府の園をいふ如く、こゝの田籠浦も、夫の行く居所のうらを思ひていへるなり、
 
3206 筑紫道之、荒礒《アリソ》乃玉藻、苅鴨《カルトカモ》、君久《キミハヒサヽニ》、待不來《マテドコザラム》、」 今ひさしくと訓しは雅ならず、久々を略きて比佐々とよめる例、末の卷にあり、
 
3207 荒玉乃、年緒永、 句なり、
 
照月(ノ)、不厭君八《アカヌキミニヤ》、明日別南、」
 
3208 久(ニ)將在、君(カ)念(フ)爾、久竪乃、清月夜毛、闇夜耳見《ヤミニノミミユ》、」 集中に、照れる日を闇に見なして鳴なみだ、ともよめり、
 
3209 春日在、三笠乃山爾、居雲乎、出見毎(ニ)、君乎之曾念、」 遠き人はたゞ雲のみ形見なり、
 
3210 足檜木之、片山|雉《キゞシ》、立往牟、君爾|後而《・オクレテ》、打四鷄《ウツシケ》目八方、」 現しからめや、うつゝの身ともなくならば、死たらん如くならんといふなり、
 
 △こゝに又問答と有れどもとらず、問答なるは二聯有て、他は皆こと歌なればなり、
 
3211 玉緒乃、 冠辭、
 
從心我《ウツシコヽロヤ》、 冠辭よりは貫たる玉の緒のまゝに彼此うつるをいひ、うけたる言は現心といふなり、うつしき心を略きてしかもいふ、
 
3212 八十棍懸《ヤソカカケ》、水手出牟船爾、後而將居、」 夫の今はと船出して別れ行を見ん時は、現の心にてはをらじ、死かへりなんといふなり、別れんとする前の歌なり、 
八十梶|懸《カケ》、島隱去者《シマガクレナバ》、 我船の澳つ島にかくれいなばなり、 
我妹兒|之《ガ》、留登將振《トマレトフラム》、袖|不所見《ミエジ》可聞、」 (卷九《今ノ五》、松浦佐與姫をよめる、)宇奈波良能、意吉由久布禰遠、可弊禮等加、比禮布良新家武、麻都良佐欲比賣、てふに似たり、
 
3213 十月《カミナヅキ》、 月の名は卷三の別記にいへり、
 
鍾禮乃雨丹、沾乍哉、君|之《ガ》行疑《ユクラム》、宿可借疑《ヤドカカルラム》、」 此二歌を贈答と思ふ人有べけれど、よく考れば、次の末の言答へにあらず、此末の二句も別れぬ前の贈歌としては、ゆかまし、からまし、と訓べけれど、預《カネテ》しかよむべくもあらず、故に留れる妹が、男の道の事をおもふ歌と定むべし、【上にいひし如く、問答などいふ標は、後に歌をよくも解不知ものゝさがしらなるを、かの標に泥みて誤る人も有めり、此上下卷は類を以て集めしかば、もとより贈答有、又心言の贈答めきたるが、自らより來しも有なり、古今歌集も此樣なるを合せみよ、】
 
3214 十月、雨之間毛不置《アノマモオカズ》、 あめを略て相摸の雨降山をあぶり山といふ類なり、
 
零爾西者《フリニセバ》、誰里之|間《マニ》、宿|可《カ》借益《カラマシ》」 誰里のとては行人の言にあらず、答にもあらず、答ならば四の句は、木の下にしもなど樣にいふべし、仍て是は又一人の女の、男の旅別の時によめりとす、歌をつぶさに解知人知べし、 
3215 白妙乃、袖之別乎、難見|爲《シ》而、荒津之濱爾、 (卷十一《今ノ十五》)可牟佐夫流、安良都能佐伎爾、與須流奈美、と云は、新羅への使人至2筑紫舘(ニ)1と端詞して歌多き中に有、その中に之可の浦とよめるもあれば、近きほどなるべし、
 
屋取|爲《スル》鴨、」 先この津へ出て風を待ほどなるべし、
 
3216 草枕、羈行者乎、荒津左右、送|來《クレドモ》、飽|不足社《タラズコソ》、」 こは思へこそすれなどいふを略けるなり、○太宰の官人或は國司の京へ上る時、遊行女婦《サフルコ》が船津まで送り來てよめるなるべし、
 
3217 荒津(ノ)海《ウミ》、吾幣奉《ワガヌサマツリ》、將齋《イハヒナム》、早還座《ハヤカヘリマセ》、面變|不爲《セデ》、」 こは筑紫人の京に仕奉るとて上るをりならん、面變せでとは、年|經《フ》べきよしなれば、國の任の朝集使などにてかりに上るにあらず、
 
3218 早々《アサナサナ》、筑紫乃方乎、出見乍、哭耳《ネノミ》吾泣、痛毛爲便無三《イトモスベナミ》、」 こは上る道にてよみて、おもふ人に贈りつらん、右の答にはあらず、 
3219 豐國乃、聞之長濱、去晩《ユキクラシ》、日|之《ノ》昏去者《クレヌレハ》、妹|食序《ヲシソ》念、」 是も筑紫人なるべし、
 
3220 豐國能、聞乃高濱、高々二、 遠々にてふよし上に云り、
 
君待夜|等者《ラハ》、左夜|深來《フケニケリ》、」 是は旅の歌にあらず、君待といへば、筑紫の女の人待歌なれど、同じ聞の濱をいひしかばこゝに入つ、
 
萬葉集卷五之考 終
 
萬葉集卷六之考序
 
掛まくも恐こかれど、すめらみことを崇みまつるによりては、世中の平らけからんことを思ふ、こを思ふによりては、いにしへの御代ぞ崇まる、いにしへを崇むによりては古へのふみを見る、古へのふみを見る時は、古への心言を解んことを思ふ、古への心言を思ふには、先いにしへの歌をとなふ、古への歌をとなへ解んには萬葉をよむ、萬葉を凡よみ解にいたりて、古へのこゝろ言をしり、古へ人の心まことに言なほく、いきほひをゝしくして、みやびたることをしる、こを知てこそいにしへの御代々の事は明らかなれ、そが中におほやけこそ物皆みやびたれど、都の市にはことさやぐ四方の國人もまゐり集ひて、もろ/\の國ぶりも交り行めれば、遂にわがいにしへのみならずなも成ぬ、さるを人てふものゝ心に思ひ起して、古へをしたふは少く、うつり行時に、したがひつゝならはふめれば、よろづの事古へを放《サカ》りて、はて/\はことなる事とのみなりぬめり、こゝにいにしへの東歌てふものあり、是も極めたる古へにはあらねど、今よりは千とせに多く餘れる前つ世よりの歌なり、そも/\鳥が鳴東の國は、その都をはなれてしあれば、もの交はらず、古への心言こそ傳れりけれ、【たひらのみやこにも、東の大城の下にも、又こゝかしこの、にぎはへる市にも、古き言などは殘らぬを、かたゐ中の言を聞ば、多くいにしへの言ぞ侍る、是を以ても古へのゐ中言は、全く上つ古へを傳へしぞしるき、】そのことばのはしに、東なる有をもて、惣てことなりと思ふ事なかれ、是をよく解得る時は、いにしへのおほやけぶりの歌をしも解得らるゝなり、然れば後の世にして、いにしへに放りはてぬものは東歌なり、かれ猶盛なりける御代に、此萬葉を撰まれたるぬし、もろ/\の御食《ミヲス》國をしり、世中をまつりごたん本となる事を思ひて、是を擧しは、天皇を崇みまつり、天下を思ふまめ心の極みならずや、
 
萬葉集卷六之考〔流布本卷十四〕
 
東歌
 此次々に、雜歌相聞云云の標有は、皆後人の註なる故に、東歌二字の外は總てとらず、よしは其條にいふ、
 
3348 奈都素妣久《ナツソヒク》、 冠辭、
 
宇奈加美我多能《ウナカミガタノ》、 上總國海上郡、
 
於伎都渚爾《オキツスニ》、布禰波等杼米牟《フネハトヾメム》、佐欲布氣爾家里《サヨフケニケリ》、」 こゝにのする五首の中、初二首と末一首は、東ぶりならず、京に久しく仕奉て歸りをる人、東にての歌故に是に入しなるべし、かゝる類下に多かり、
 
3349 加豆思加乃《カツシカノ》、麻萬能宇良末乎《マヽノウラマヲ》、 浦間なり、葛飾郡麻間郷は、今も聞えて人皆知ぬ、
 
許具布禰能《コグフネノ》、布奈妣等佐和久《フナビトサワク》、奈美多都良思母《ナミタツラシモ》、」 右にいへる如し、こは人麻呂の歌の調さへあり、(卷八)風早之、三穗浦廻乎、※[手偏+旁]舟之、船人動、浪立下、てふと同意にて地のかはれるのみ、
 
常陸國雜歌 二首〔七字□で囲む〕
 
3350 筑波禰乃《ツクバネノ》、爾比具波麻欲能《ニヒグハマヨノ》、 新蠶の絹を專らとす、【まゆまよは、古へ通はしていひしこと、東のみならず、】
 
伎奴波安禮杼《キヌハアレド》、伎美我美家思志《キミガミケシヽ》、 記に、(大名持神御歌、)奴婆多麻能、久路岐美祁斯遠、といひ、此集には御衣をみけしと訓り、
 
安夜爾伎保思母《アヤニキホシモ》、」 安夜爾は、上にいへる如く入立てふかく思ふ事なり、伎欲《キホシ》とは、古は男女の衣を互にかして着せしむれば、なつかしき君が衣を着まほしといふともすべけれど、猶共ねしてかさね着んことをいふなるべし、(卷五)、赤帛之、純《ヒトノ》裏衣、著欲《キマホシミ》、我念君之、不所見比者鴨、てふ歌にいへるが如し、【或本歌曰、多良知禰能、こはひがことなり、母といはでたらちねとのみいへること、古へはすべてなし、又云、安麻多伎保思母、】
 
3351 筑波禰爾《ツクバネニ》、由伎可母布良留《ユキカモフラル》、 雪が降たるとなり、良は利多の約、
 
伊奈乎可母《イナヲカモ》、 否《イナ》よしかはあらぬかなり、此言上にも出たれば、東のみにあらず、
 
加奈思吉兒呂我《カナシキコロガ》、 子を悲しむといふかなしに同じく、愛《ウツクシ》む心の至りて深きをいふ、
 
爾帑保佐流可母《ニヌホサルカモ》、」 布《ヌノ》乾たるかなり、是は本雪なるを、布に見なしたり、常陸よりは曝布の調《ミツギ》奉る事、續紀に見ゆ、然れば多く見なれし物にたとへたるなり、【右二首常陸歌、】
 
信濃國雜歌 一首〔七字□で囲む〕
 
3352 信濃奈流《シナヌナル》、須我能安良能爾《スガノアラノニ》、 和名抄、此國の筑摩郡に苧賀《ソガノ》郷(曾加《ソカ》、)といへる有是ならん、集中に菅曾我通はしいへる數有、
 
保登等藝須《ホトヽギス》、奈久許惠伎氣婆《ナクコヱキケバ》、登伎須疑爾家里《トキスギニケリ》、」 旅に在てとく歸らんことを思ふに、ほとゝぎすの鳴まで猶在をうれへたるすがたも意も、京人の任などにてよめりけん、又相聞の方にも取ば取てむ、こゝに相聞と標したるは、後の註とす、何ぞといはゞ、かく相聞譬喩など標せば、右五首の初めには雜歌と有べきに、たゞ東歌と標して擧、次の國所不知と左に註せし歌どもにも、相聞譬喩挽歌などの標あれど、その標に違ひたる歌ども多く交りて有ば、標を立がたし、上の四五の卷の如く、たゞ類なる歌を擧たるのみなりけり、
 
遠江國歌相聞 二首〔八字□で囲む〕
 
3353 阿良多麻能《アラタマノ》、 遠江國麁玉郡、【麁玉郡は後世敷智長上の二郡へ多つきて、今は小郡にて有、古へ麁玉なりけん、郷に今有玉上村下村と云有、是古の本郷なるべし、其村より東に今喜平村といふ有、これ伎倍なるべしとはいひつ、】
 
伎倍乃波也之爾《キベノハヤシニ》、 (卷四)璞之《アラタマノ》、寸戸我竹垣《キベガタカヾキ》、てふもここと聞ゆ、三代實録に、此國麁玉川に堤三百餘丈を築し事有、今|有《アリ》玉川といふ是なり、
 
奈乎多※[氏/一]天《ナヲタテヽ》、 汝を立《タチ》待しめてなり、此下に、「梓弓よらの山邊の、繁かくに、いもろ《妹等》をたてゝ、さね所《ド》拂ふも、」と有も似たり、
 
由吉可都麻思目《ユキカツマシモ》、 雪が積りしなり、目《モ》は助辭、此目を今本に自とあれど、自は集中皆|志《シ》の濁りに用れば、ここは目を誤つ、
 
移乎佐伎太多尼《イヲサキダヽニ》、」 寝《イ》を先立ねなり、尼は禰に通はしいふ東言か、又卷二十の東歌に、つくばねを、都久波尼と書しかば、尼も即禰の假字とせしにも有るべし、歌のこゝろは、男の來て伎倍の林に立待と告しに、女はいまだ母のゆるさねば、ねやへ入がたき間に、雪のふれば其林に積らんには堪じ、吾より先だちてね屋へ入ふして、待たまへといひやれるなり、
 
3354 伎倍比等乃、 伎倍の里人之にて、即妹が夜の物をいふ、
 
萬太良夫須麻爾、 班なる衾なり、班摺か、又倭文にて筋有布をもいふべし、
 
和多佐波爾、 綿多爾なり、佐波は多きをいふ古言、爾を今本太と有は草の手より誤りぬ、下に、あひだ夜は、佐波太なりしをと有も、間夜は多爾成しをてふ言なるを、そをも名を太に誤し事定かなり、
 
伊利奈麻之母乃《イリナマシモノ》、伊毛我乎杼許爾《イモガヲドコニ》、」 こは妹が右の如く告しまゝに、男ね屋へ入てねしかど、獨ねて待ほど猶寒さ堪がたければ、ふすまに綿を多く入ん物をといへるか、又三句までは入といはん序にて、とくに閨へ入なまし物を、林に立待わびしとよめるに有べし、
 
駿河國歌相聞 五首〔八字□で囲む〕
 
3355 安麻乃波良《アマノハラ》、 高きをいふ、
 
不自能之婆夜麻《フジノシバヤマ》、 麓は柴のみ繁ければいふのみ、【かゝる山の麓は、百の里人の柴かり草刈て業とする故に、大木はたてず柴のみ有を、里人はその常見る樣を、即名として柴山とはいふなり、さる類多きものぞ、ふじをもかく名づくれば、故あらんと思ふは、田舍をしらぬゆゑなり、古の事は只かろく見るべし、】
 
己能久禮能《コノグレノ》、 木之暗(レ)之なり、さしものふじの麓なれば、道も遠く、柴の木暗の夜道をたどるに、夜更なばいもが待時の違ひて、逢がたくやあらんと心をやりて、いそぐさまなり、
 
等伎由都利奈波《トキユツリナバ》、 うつるをゆつるといふは、下の卷の都人の歌にもあり、
 
阿波受可母安良牟《アハズカモアラム》、」
 
3356 不盡能禰能《フジノネノ》、伊夜等保奈我伎《イヤトホナガキ》、夜麻治乎毛《ヤマヂヲモ》、 彌遠長き山路をもなり、
 
伊母我里登倍婆《イモガリトヘバ》、 妹|之《ガ》在所《アリカ》のあとかを略、
 
氣爾餘婆受吉奴《ケニヨバズキヌ》、」 氣《ケ》は息《イキ》なり、爾餘婆受は、不《ズ》2呻吟《ニヨハ》1なり、山路につかれては息つきうめく物なるを、妹がもとへ行と思へば、やすく來りつといへり、
 
3357 可須美爲流《カスミヰル》、 霞居なり、
 
布時能夜麻備爾《フジノヤマビニ》、 備は倍に同じ、岡備、浦備ともいふ
 
和我伎奈婆《ワガキナバ》、伊豆知《イヅチ》、 何道の略、
 
武吉※[氏/一]加《ムキテカ》、伊毛我奈氣加牟《イモガナゲカム》、」 男はふじの麓へ別れて來ぬる事有時、しか別ればふじは雲霞の立こと常なれば、方もしらずして、吾方を望|放《サケ》んにも、何方を向てかなげかんといへり、古は雲霧霞を相通はしていへば、霞といふも時はさすべからず、
 
3358 佐奴良久波《サヌラクハ》、 佐は發言、良久は留の延言にて、寢るはなり、
 
多麻乃緒婆可里《タマノヲバカリ》、 玉の緒は長短有、こは短きを相ねし間の暫なるに取、【一本歌曰、阿敝良久波、多摩能乎|思家《シケ》也、しけは次なり、及なり、玉のをの如くといふに同じ、】
 
古布良久波《コフラクハ》、布自能多可禰乃《フジノタカネノ》、奈流佐波能其登《ナルサハノゴト》、」【古布良久波、布自乃多可禰爾、布流由伎奈須毛、とこしへにたゆる事無を譬か、】此鳴澤のおびたゞしくわきかへり鳴を、思ひのわきかへるにたとふるか、猶思ふに此三の句は、名の立はと有しにや、然らば鳴澤の鳴とゞろくたとへによくかなふべし、○ふじの鳴澤は、嶺上に廻り今道一里許の穴有、むかしは水有火有て、相たゝかふに、涌かへる音高かりしといへり、延暦十二年又貞觀の頃にも甚燒て後、火ものぼらず水も湛へねば、涌こともなく烟もたえて、其後寶永には山の半へ燒出たり、
 
3359 駿河能宇美《スルガノウミ》、於思敝爾於布流《オシベニオフル》、 或説、いそべを東言におしべといふ、下の、眞間の於須比《オスビ》爾、波もとゞろに、といへるも、礒邊をいふといへるはしかあるべし、
 
波麻都豆良《ハマツヾラ》、 出雲風土記に、波萬郡豆良、毛々夜々爾《モヤ/\ニ》、といひ、上の卷にも出し如く、ひろくはひたるかづら多し、何れてふ名は定めずともよし、 
伊麻思乎多能美、波播爾多|我比奴《ガヒヌ》、」 濱つゞらの如く長く絶じといへるをたのみて、母のこゝろにも違ひつるよとなり、【伊麻志は、その人を直にはさゝで、御座《イマシ》をいふにてあがめことなり、御前《オマヘ》といふたぐひなり、されど久しくいひふるせば、なめたる言の如く成ぬ、】
 
伊豆國歌 一首〔六字□で囲む〕
 
3360 伊豆乃宇美爾《イヅノウミニ》、多都思良奈美能《タツシラナミノ》、安里都追毛《アリツヽモ》、 波は常に立よるものなれば、在ふる事に譬て、ながらへ在て相なんものを、よし事有とも心を亂らさめやなり、れらもしさも各同言なり、
 
郡藝奈牟毛能乎《ツギナムモノヲ》、美太禮志米梅楊《ミダレシメヽヤ》、」 【或本歌曰、之良久毛能、多延都追母、都我牟等母倍也、美太禮曾米家武、母倍也は上にも下にも有て、おもはめやなり、然れば末の句とかなはず、或本の誤とすべし、】
 
相摸國歌 十三首〔七字□で囲む〕
 
3361 安思我良能《アシガラノ》、 相摸國足柄郡の山をいふ、
 
乎※[氏/一]毛許乃母爾《ヲテモコノモニ》、 其山の彼面《ヲチノオモ》此《コノ》面を轉じ略きていふなり、
 
佐須和奈乃《サスワナノ》、 鳥獣をとる罠《ワナ》をさし作るなり、神武天皇紀に、辭藝和奈破蘆《シギワナハル》、てふに同じ、これはこはぜといふものをもてあやつり置に、獣の觸れば急にこはぜの弛《ハヅ》れて、そのわなにかゝる、其はづるゝ間の疾《トキ》をいと少時《シバシ》あふに譬」、
 
可奈流麻下豆美《カナルマシヅミ》、 罠の小|機《ハゼ》のはづるゝ間を、かなくる間といふを略きて、かなる間といへり、卷二十の防人歌に、阿良之乎の、伊を箭たばさみ、立向ひ、可奈流麻之豆美、伊|※[泥/土]《デ》※[氏/一]曾あがくる、てふも均し、しづみは、その間を靜めてにて、いと暫のひまを竊なり、
 
許呂安禮比毛等久《コロアレヒモトク》、」 兒等と吾共に紐解、
 
3362 相摸禰乃乎美禰《サガミネノヲミネ》、 今大山とて雨降《アブリノ》神社の在山をいふべし、乎美禰は重ね云て、調べの文《アヤ》と爲なり、乎は發言にて乎筑波などの如し、
 
見所久思《ミソグシ》、和須禮久流《ワスレクル》、 其嶺を見過しつゝ遠く來て、久しく見えざれば忘るゝを、妹遠く別來てしばし忘るる間も有に譬、
 
伊毛我名欲妣※[氏/一]《イモガナヨビテ》、吾乎禰之奈久奈《ワヲネシナクナ》、」 從ふ人など妹が名をいへるを聞て、其いひおさふる辭なり、莫と見る人あらんか、さてはことわりむつかし、一本をも思へ、○こは防人の歌ならん、
 △或本歌曰、
 武藏禰乃、 こは秩父郡に高嶺有をいふべし、
 
 乎美禰見可久思《ヲミネミカクシ》、 遠く來ては隱るゝなり、
 
 和須禮遊久《ワスレユク》、伎美我名可氣※[氏/一]《キミガナカケテ》、 君とは男を指、さらば女の歌とせんに、女の遠く離れ行こと、打まかせぬ事にておぼつかなし、惣ての言の上とひとしきもて思ふに、伊毛を伎美と誤けん類有ことなり、
 
 安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》、」 ねしめなくのくを同韻にて延て、久留といふ、 
3363 和我世古乎《ワガセコヲ》、夜麻登敝夜利※[氏/一]《ヤマトヘヤリテ》、 衛士などに參りし兵士の妻の歌なるべし、
 
麻都之太須《マツシダス》、 麻都は松なり、之は助辭、太須は奈須にて如の意、
安思我良夜麻乃《アシガラヤマノ》、 【下には專ら足可利と有て、まれに加良とも有は、加利ぞ本ならん、】
 
須疑乃木能末可《スギノコノマカ》、」 杉の木の間かもなり、意は吾せこのいにし方をば、杉の木の間より慕ひ見れども、たゞ松といふべき杉の木の間にて有かもといふなり、松に待をそへたり、○此山には古へ杉の大木多かれば、船に作り、今も埋杉とて有めり、 
3364 安思我良能《アシガラノ》、波姑禰乃夜麻爾《ハコネノヤマニ》、 此山の嶺上に、更に又四方にて箱形なる嶺有故に、筥|嶺《ネ》とは名付たり、それに向て又嶺二つ有を、ふたご山と云は、蓋《フタ》と懸子《カケゴ》の意なり、
 
安波麻吉※[氏/一]《アハマキテ》、實登波奈禮留乎《ミトハナレルヲ》、阿波奈久毛安夜思《アハナクモアヤシ》、」 「うゑし田の子《ミ》に成までに、うゑ生しみに成までに、」など上下に多ければその同意とすべし、もし粟蒔て實成れるを、事の成しに譬へて、さるをいかであはぬにやてふ意にもあらんか、いかゞ、○不相毛恠てふ言、上の卷に多し、此假字もて彼をも訓べし、
 
安思我良能《アシガラノ》、波姑禰乃夜麻爾《ハコネノヤマニ》、波布久受能《ハフクズノ》、比可判與利己禰《ヒカバヨリコネ》、 判を今本利に誤、
 
思多奈保那保爾《シタナホナホニ》、」 思多は裏にてひそかにてふ意、奈保奈保はなよ/\に同じく、心のなびき來るに譬、○此歌は今本には右の或本とて擧しかど、右とは三の句より下いと異にて、或本といふべくもあらず、且古今六帖に此如く擧しをも思ふに、こゝは落し物なれば、本文とせり、
 
3365 可麻久良乃《カマクラノ》、 和名抄、鎌倉郡鎌倉郷、
 
美胡之能佐吉能《ミコシノサキノ》、 【今はみこしのたけともいへり、】
 
伊波久叡乃《イハグエノ》、 仁徳天皇紀に、以播區娜輸《イハグヤス》、迦之古惧等望《カシコクトモ》、また(卷十四)、妹毛吾毛、清《キヨミ》之河之、河岸之、妹我|可悔《クユベキ》心者不持、とよめり、山或は川岸などの岩の崩るる所を云、
 
伎美我久由倍伎《キミガクユベキ》、己許呂波母多自《コヽロハモタジ》、」
 
3366 麻可奈思美《マカナシミ》、 麻は眞の意、
 
佐禰爾和波由久《サネニワハユク》、 佐は發言、
 
可麻久良能《カマクラノ》、美奈能瀬河泊爾《ミナノセガハニ》、思保美都奈武賀《シホミツナムカ》、」 常は水乾て、潮滿時は高波の立川、此所に今も有、○都奈の約多にて潮みたんかなり、
 
3367 母毛豆思麻《モヽツシマ》、 百の島かけて船の足の輕く行といひつゞけて、且百つ島は次のあるき多みといはん料なり、
 
安之我良乎夫禰《アシガラヲブネ》、 足柄山の杉もて造る船なり、相模の足柄郡と伊豆國は山續て分ちしらず、故に伊豆手船足柄小船も異ならぬなるべし、【應神天皇五年十月紀に、科2伊豆國1令v造v船、長十丈船、既成之試浮2于海1、使輕泛疾行如馳、故名2其船1曰2枯野1、】○上は序、小船の小は發言、
 
安流吉於保美《アルキオホミ》、目許曾可流良米《メコソカルラメ》、 良米といふからは、男のかた/\によし有てありける故に、相見ることの遠く成ぬらめと、女のおもふなり、
 
己許呂波毛倍杼《コヽロハモヘド》、」 是も上の辭に依に、女より男の心をいへり、上を思ふ方々へありきの多きとせば、下にいさゝかなげく言有べきに、かくのみいへるは、世中の事繋きをいふなりけり、
 
3368 阿之我利能《アシガリノ》、刀比能可布知爾《トヒノカフチニ》、伊豆流湯能《イヅルユノ》、 足柄下(ノ)郡土肥の杉山などいひて、伊豆に交る所に、今湯河原といふ村に湯有、古の湯と見ゆ、とげぬき打身に妙なりといへり、
 
余爾母多欲良爾《ヨニモタヨラニ》、故呂何伊波奈久爾《コロガイハナクニ》、」 余にもは、代々にもなる事上の如し、多欲良云云は、絶ん如くはいはざりしになり、爾は只いひ入て嘆く辭も多かれど、ここは妹が今更にあはぬを疑ふ意あり、
 
3369 阿之我利乃《アシガリノ》、麻萬能古須氣乃《マヽノコスゲノ》、 足上(ノ)郡のまゝ下(ノ)郷といふ、足柄の竹下てふ所の下にて、酒勾川の上に在といへり、此小菅は水に生るすげなり、
 
須我麻久良《スガマクラ》、安是加麻加左武《アゼカマカサム》、 今も上總下總にては、なにぞといふをあぜといふ、凡は東にてもなぜといへり、
 
許呂勢多麻久良《コロセタマクラ》、」 兒等と夫《セ》は、ともに手枕を交すからは、菅枕は何ぞやまかんといへり、
 
3370 安思我里乃《アシガリノ》、波故禰能禰呂乃《ハコネノネロノ》、 呂は助辭、
 
爾古具佐能《ニコグサノ》、 (卷四)蘆垣之、中之似兒草、にこよかに我と咲《ヱミ》してといひしに依に、こゝに花妻とつゞけしも、面よくゑみて實ならぬに譬、
 
波奈都《ハナツ》、 助辭、
 
豆麻奈禮也《ツマナレヤ》、 なればやなり、
 
比母登可受禰牟《ヒモトカズネム》、」 他《アダ》に實なき事に花といひし、下にもいへり、さてこゝは花つゝまならぬからは、紐解べしやといふなり、
 
3371 安思我良乃《アシガラノ》、美佐可加思古美《ミサカカシコミ》、 山深くして恐ろしき道なり、且是より五の句へつゞけり、
 
久毛利欲能《クモリヨノ》 冠辭、
 
阿我志多波倍乎《アガシタバヘヲ》、 心の裏にこめし妹が事を、闇くして見えぬにたとへて、右の冠辭はおけり、
 
許知※[氏/一]都流可毛《コチデツルカモ》、」 言《コト》に出しつるなり、足柄の山路は逢人もなく、すゞろにかしこきまゝに、頻に妹戀しくおぼえて、常は下にのみ思ひていはざりし妹が名を、おぼえずいひ出せしといふなり、(卷十一、中臣宅守)加思故美等、能良受安里思乎、美故之治能、多武氣爾多知弖、伊毛我名能里都、このかしこみとは、罪にて流され行時なれば、妹戀しといはんも人聞をおそるれど、此山上に至りておぼえず名を呼しといふなり、記に、倭武命到2足柄之坂本1云云、登2立其坂1三(タビ)歎《ナゲキテ》詔2云《ノタマヒキ》阿豆麻波夜1、
 
3372 相模治乃《サガミヂノ》、 治は道の略、
 
余呂伎能波麻乃《ヨロギノハマノ》、 和名抄に、餘稜郡除綾(與呂木、)と有を、古今歌集の今本に、こゆろぎと有は、いと後人の書誤れるなり、此濱磯は、今の大磯驛の直に東うらに有、道行人立よりて見るべし、
 
麻奈胡奈須《マナゴナス》、兒良八可奈之久《コラハカナシク》、於毛波流留可毛《オモハルヽカモ》、」 かなしとは愛《メデ》の深きをいへり、然れば此磯の眞砂は今もうるはしきを思ふに、眞砂のめでたきが如く、かなしと思ふといふなるべし、眞砂の數をもてたとへしにはあらじ、
 
武藏國歌 十首〔六字□で囲む〕〔補〕
 
3373 多麻河伯爾《タマカハニ》、 武藏國多摩(ノ)郡の多麻川なり、山城の大井川に似て、河原も水も甚清し、
 
左良須※[氏/一]豆久利《サラステヅクリ》、 上は序、○※[氏/一]豆久利は、(卷十六)長、うつたへはへて、織布《オルヌノ》、日にさらし、あさ手作《タツクリ》を、とよみ、和名抄に、白絲布(天都久利乃奴乃、)といへり、こは業として織にもあらず、私の料に織しをいふべし、今手|織《オリ》といふぞ此事ならん、
 
佐々良々爾《サラサラニ》、奈爾曾許能兒乃《ナニゾコノコノ》、己許太可奈之伎《コヽダカナシキ》、」 何とてか此妹を殊更にうつくしまるゝ事の多きやと、餘りてよろづに深く思はるゝまゝに、自らいぶかるなり、かなしきは上に出、
 
3374 武藏野爾《ムサシヌニ》、 字は奈良朝にて集る時書し物なり、歌は飛鳥宮の頃よみつらん、
 
宇良敝可多也伎《ウラヘカタヤキ》、 句なり、記に、内拔《ウツヌキニ》2天(ノ)香山之|眞男《マヲ》鹿之肩(ヲ)1拔(テ)云云、と有如く、こゝは武藏野の鹿の肩骨を取て燒占なふ故に、かくいへり、此末に、「ましばにも、のらぬ妹が名、可多爾伊※[氏/一]牟可母、」てふは形にて、占形ともいへば、こゝも形燒の意かと思ふ人有べけれど、既(ニ)記に出し如く、上つ代の事を傳へてかへぬは東なれば、こゝも肩と定めて、さて其肩骨を燒たる歌もて占《ウラ》べんには、形てふ言もいふべきなり、【或人は猶龜卜かと思へど、そは海邊の浮れ甲を燒故に、式に阿波國龜甲六枚、土左國龜甲四枚貢、と見えて他國には見えず、かく海邊の浮甲もてするを、むさしのゝうらへとはいふべからず、野といふに心をつけば、鹿の占なるを知べし、かくていにしへの代々、皇朝のうらを傳へしを、奈良宮に至て絶しにや、東國の神社の中には、今も鹿占の有を得て、東麻呂うしのかけりしを見しに、骨の班にこかしたる有しなり、】
 
麻左※[氏/一]爾毛《マサデニモ》、 眞定にもなり、※[氏/一]は多加の約|多《タ》なるを※[氏/一]に轉じいふ、此言卷二を始めて、占に多くいひなれしかど、此末に、「からすとふ、大をそ鳥の、麻佐※[氏/一]爾毛、來まさぬ君を、ころくとぞなく、」ともいへれば常の言なり、
 
乃良奴伎美我名《ノラヌキミガナ》、 思ふ男の名を、我は眞定に告《ノリ》し事も無に、父母のいぶかりて占へ肩燒して、占に顯れたりと云り、
 
宇良爾低爾家里《ウラニテニケリ》、」 死とも君が名はいはじ、と上にもよめれば、名をいひては必あしき故有中なるべし、
 
3375 武藏野乃、乎具奇我吉藝志《ヲグキガキヾシ》、 小岫之|雉《キヾシ》なり、くきの事(卷五)此山岫(ヲ)てふ所にいひし如く、山の尾なるべし、雉のをるべき所にてしらる、○此野のをぐきは秩父の方へよりて有べし、
 
多知和可禮《タチワカレ》、 雉は立といふ序のみ、
 
伊爾之與比欲利《イニシヨヒヨリ》、世呂爾阿波奈布與《セロニアハナフヨ》、」 呂は助辭、東人は呂良の辭を多くいへり、又無てふ事をなふといふも下に多し、
 
3376 古非思家波《コヒシケハ》、 戀しくあらばなり、久阿の約加なるを家《ケ》に轉し云、
 
素※[氏/一]毛布良武乎《ソデモフラムヲ》、牟射志野乃《ムザシヌノ》、宇家良我波奈乃《ウケラガバナノ》、 二句は句中の序なり、○うけらは、新撰字鏡、白朮(乎介良、)和名抄に、朮(乎介良、)似v薊生2山中1、故名2山薊1也、といひ、誰も此物といへり、此草花は似v薊白、又白きに紫をおびたるも有、此紫朮を色に出とよめるならん、次に「わがせこを、あとかもいはん、武藏野の、宇家らが花の、時なき物を、」とよめる下にも云をまて、【宇家良と乎介良の宇乎は相通ふ例なり、うさぎを乎さぎ、宇はぎををはぎ、うそををそなどいへり、】
 
伊呂爾豆奈由米《イロニヅナユメ》、」 謹で色に出ることなかれといへり、さて戀しき時は、吾はよそ人を思ふ如くして、袖振事も有なんを、そを見て心には思ふとも、色にあらはすことなかれといふなり、【此歌を誤て、うけらの花はよくも開かぬ物といふは、いふにもたらず、こは色に咲出る物なれば、さいひて下の不《ズ》まではかゝらぬいひなしなり、此いひなしに例有をも思はで、ひが説ともありて、こと多ければ別記に論へり、】 
伊可爾思※[氏/一]《イカニシテ》、古非波可伊毛爾《コヒバカイモニ》、武藏野乃、宇家良我波奈乃、伊呂爾|低受安良牟《デズアララム》、」 今本是を或本の歌とて注せれど、右とは意異にて同歌のかはれるにあらず、こはよくも意得ぬ人、彼此を書もらせしことしるし、仍て本文にあつ、上下に此類あり、
 
3377 武藏野乃、久佐波母呂武吉《クサハモロムキ》、 風しづかに吹て、此大野の草のもろ向になびくさま、古へこそかくもいひ出たれ、上に、「秋の田の、穗むきのよれる、かたよりに、」てふなどの如し、
 
可毛可久毛《カモカクモ》、 彼も此もなり、
 
伎美我麻爾末爾《キミガマニマニ》、吾者余利爾思乎《ワレハヨリニシヲ》、」 何事をも君がまゝによりしたがひしと思ふを、いかなるよし有て疎く成つらんやと、女の愁なり、 
3378 伊利麻治乃《イリマヂノ》、於保屋我波良能《オホヤガハラノ》、 和名抄に、入間郡大家郷有、【大家(於保也介、)とあれど、古はもし於保也といひし歟、また別歟、】
 
伊波爲郡良《イハヰツラ》、 下のかほやがぬまにも、此かづらをいへば、水中のものか、 
比可婆奴流奴流《ヒカバヌルヌル》、和爾奈多要曾禰《ワニナタエソネ》、」 上の多氣は奴禮てふ歌にいへる如くて、かづらも長くつゞけるを引ば、ぬら/\として絶ざるを、男の吾に絶ざらんにたとふ、○曾も禰も令《オフ》する辭なり、○此下に、「上つ毛野、かほやがぬまの、いはゐづら、ひかばぬれつゝ、あをなたえそね、」てふにひとし、自らかくよみしか、又一つは唱へ違か、
 
3379 和我世故乎《ワガセコヲ》、安杼可母伊波武《アドカモイハム》、 何ぞとかも誓いはんなり、
 
武射志野乃《ムサシヌノ》、宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》、 上に出、
 
登吉奈伎母能乎《トキナキモノヲ》、」 此時無は、日本紀に非時香菓《トキジクノカグノコノミ》と有は橘にて、四時常なるをいひ、又(卷一)に耳我山爾、時無ぞ、雪は降ける、と有て、同一本に不時と書たり、然れば四時常ならずとも、をり/\に咲をもいふべければ、春咲花の夏秋にも咲故いふか、なでしこは夏のものにて、秋冬の初までも咲より、常夏の名有が如くなるべきや、
 
3380 佐吉多萬能、津爾乎流布禰乃、 埼玉郡は海によらず、利禰の大川の船津をいふなるべし、
 
可是乎伊多美《カゼヲイタミ》、都奈波多由登毛《ツナハタユトモ》、許登奈多延曾禰《コトナタエソネ》、」 許登は言、
 
3381 奈都蘇妣久《ナツソヒク》、 冠辭、
 
宇奈比乎左之※[氏/一]《ウナビヲサシテ》、 播磨にうなびてふ地有が如く、此宇奈比も地名なり、此條皆地名をいへる中に、信濃歌の中麻奈爾、宇伎乎流布禰能、といふと是とのみ定かならねど、共に地名ならではかなはざるなり、
 
等夫登利乃《トブトリノ》、伊多良武等曾與《イタラムトゾヨ》、阿我之多波倍思《アカシタバヘシ》、」 鳥は心ざす方有て飛ものにて、その方へ至らざる事なし、是にたとへて、吾も終にかく相べきものとて、した心に戀たりしよと、事の成し時によめるならん、 
上總國歌 二首〔六字□で囲む〕
 
3382 宇麻具多能《ウマグタノ》、 和名抄に、望多郡、(末宇太、)と有は、後に字に付たる訓なり、古は馬來田《ウマクダ》と書て、訓も此歌の如く日本紀などに見ゆ、
 
禰呂乃佐左葉能《ネロノサヽバノ》、 嶺《ネ》等の小竹葉なり、此國海べにて又山多し、 
都由思母能《ツユシモノ》、 露霜爾といはで能と有は、上に髪のさかるをぬれといふ如く、衣など露のしめりて、ぬれさがることをいふ故なり、たゞ水などのしむるをいふとのみ思はゞ、聞ゆべからず、
 
奴禮※[氏/一]和伎奈波《ヌレテワキナバ》、汝者故布婆曾母《ナハコフバゾモ》、」 袖もすそもぬれしを以て吾來ぬるは、汝をばふかく戀ればぞといふなり、
 
3383 宇麻具多能《ウマグタノ》、禰呂爾可久里爲《ネロニカクリヰ》、 防人の出立て、此嶺の彼方に成しほどをかくいふ、
 
可久太爾毛《カクダニモ》、久爾乃登保可婆《クニノトホカバ》、奈我目保里勢牟《ナガメホリセム》、」 今はたゞ此一嶺に隱るゝばかり近きにも戀しきに、いや遠ざかり國もへだゝりゆかば、いかばかり妹を相見まくほしからんといへり、○相問ふには、先互に目を見合するもの故に、日本紀の歌にも此集にも君が目を欲《ホリ》と多くよめり、
 
下總國歌 四首〔六字□で囲む〕
 
3384 可都思加能《カツシカノ》、 和名抄に、葛飾郡、(加止志加、)と有は、都をばつの音に用る古を忘て、止《ト》とせしものなり、後世とても東にては、かつしかといへり、 
麻末能手兒奈乎《マヽノテゴナヲ》、 麻末てふ所は今もあり、○手兒奈は、今も此國にては、いと末の子を弖其《テゴ》と云、然れば波弖《ハテ》の子の波を略けるなり、【掌に置てめづる意にて、手童《タゴ》といふと聞ゆる歌も有は別なり、、又みどり子の意にて手兒といへるは、此果の子より轉りしにて、手童の方よりいふにあらず、】此國人は惣て略言多ければ、さぞ有べく、遠江國人は末の子を保※[氏/一]の子といひ、惣ても物の果るをほてたりといへり、是をむかへ思へは、果の子てふ事なりけり、且その果の子を即|弖子《テコ》とも名つけしと聞ゆるは、今の世におとゝ呼が如し、
 
麻許登可聞《マコトカモ》、和禮爾余須等布《ワレニヨストフ》、 吾に相べしと人のいひ寄《ヨ》るといふは實かといへり、余須とは何處にても人の云|寄《ヨス》る事なり、或人は此意を誤れり、
 
麻末乃※[氏/一]胡奈乎《マヽノテゴナヲ》、」 我に人のいひよするをうれしと思ひて、かくよめるなり、然ればてごなが在し時なり、此事よめる歌下の(卷十《今ノ九》)(卷十四《今ノ三》)にも有、其卷十四なるは、山部赤人の長歌なれば、奈良朝に至て天平の始の頃までの歌なるに、其歌に、古へにありけん事といひしからは、此少女は飛鳥岡本の宮の頃に在し成べし、ここの歌の樣も其頃の歌と開ゆ、
 
3385 可豆思賀能《カツシカノ》、麻萬能手兒奈我《マヽノテゴナガ》、 今本家と有は、我の草を家に誤しなり、【家は集中皆|計《ケ》の假字にのみ用て、かに書し事なし、下にも誤れる所多きは皆改めつ、其中に我を和|氣《ケ》と云に、家と書はあしからず、さる所々の別ちを皆心して見よ、】
 
安里之可婆《アリシカバ》、 是は既に身まがりし後にいへるなり、
 
麻末乃於須比爾《マヽノオスヒニ》、 上の駿河歌の於思敝と此於須比は、磯邊といふ事と或人のいひしはしかなり、同國の遠金てふ所の近くに、押日《オスビ》てふ所今在といへるも、伊曾倍の方言にしかいふにぞあらん、
 
奈美毛登杼呂爾《ナミモトヾロニ》、」 いといひさわぎし事を、所につけて波にたとふ、 
3386 爾保杼里能《ニホドリノ》、 冠辭、
 
可豆思加和世乎《カツシカワセヲ》、爾倍須登毛《ニヘストモ》、 早稻を以て神に新嘗《ニヒナメ》奉なり、公は本よりにて、田舍の民戸にても、此祭せしを知、たふとむべし、 
曾能可奈之伎乎《ソノカナシキヲ》、刀爾多弖米也母《トニタテメヤモ》、」 その男をさす、かなしきをは、かなしと思ふ君をといふを略けり、此下に、左奈郡良能、乎可爾安波麻伎、可奈之伎我、古麻波多具等毛、和波素登毛波|自《ジ》、といへり、古今歌集に、戀しきが方も方こそ、といへるも、本はかなしきがにてや有つらん、かくての意は、此神ごとには、凡の人の入來るをも忌ども、深くうつくしと思ふ君が來んには、戸の外には立せず、内へ入來させんと、事のたとへにいへり、此下に、多禮曾許能、屋能戸於曾|夫《ブ》流、爾布奈未爾、和家世乎夜里※[氏/一]、伊波布許能戸乎、こは國廳の新嘗祭へ夫の參りしならん、
 
3387 安能於登世受《アノオトセズ》、 足の音せずなり、
 
由可牟古馬母我《ユカムコマモガ》、可都思加乃《カツシカノ》、麻未乃都藝波思《マヽノツギハシ》、夜麻受可欲波牟《ヤマズカヨハム》、」  川|狹《セバ》ければ打橋とて板一|枚《ヒラ》渡して足れり、廣瀬にはさてはかなはねは、川中に柱を對《ムカヘ》立、それに横木をゆひて、板を長く繼つゝ渡せるを繼橋といへり、大道などの橋は釘かすがひもてかたむるを、こは葛などしてゆひてあれば、馬の渡るにごとにとゞろくめり、今も田舍に多し、
 
常陸國歌 十首〔六字□で囲む〕
 
3388 筑波禰乃《ツクバネノ》、禰呂爾可須美爲《ネロニカスミヰ》、須宜可提爾《スギガテニ》、 此嶺は常にかゝれる雲霞のよそにも過ゆかで有を、男の忍びつゝ來るにえあひがたきを思ひ過しがてにするにたとふ、
 
伊伎豆久伎美乎、 思餘て息を衝なり、
 
爲禰※[氏/一]夜良左禰《イネテヤラサネ》、」 やらさねは、(卷一)に、草をからさね、といへるさねの如く、いねてやれと他《ホカ》より命《オフ》する辭なれど、こゝには吾願ふ事を、他人のいはん如くいへり、今人何とせよかしと思ふ事を、自ら何とせでと云に均し、禰《ネ》と傳《デ》と韻通へり、此下の、「きはづくの、岡のくゞみら、吾つめど、籠にもみたなふ、せなと都麻佐爾、」てふもいかでか夫《セ》と共に摘《ツマ》でと思ふ我ことをいへり、然ればこゝは母などの目を忍びかねて、男をたゞに歸らしむる時の心を自いふとすべし、○爲《ヰ》ねてはひきゐねてなり、
 
3389 伊毛我可度《イモガカド》、伊夜等保曾吉奴《イヤトホゾキヌ》、 遠|放《ザカリ》の佐《サ》を曾《ゾ》に轉じ、吉は加利の約、
 
都久波夜麻《ツクバヤマ》、加久禮奴保刀爾《カクレヌホドニ》、蘇提波布利※[氏/一]奈《ソデハフリテナ》、」 防人の立行道にてよめるか、【婆を和の如く唱ふるは半濁なり、濁て連聲のわろき所を半濁にいふのみ、】
 
3390 筑波禰爾《ツクバネニ》、可加奈久和之能《ガヽナクワシノ》、禰乃未乎可《ネノミヲカ》、 鷲のこゑを奥山にて聞しに、鳥の聲ともなく、大なる木など折が如く我久《ガグ》々々と鳴ぬ、こゝに可加《ガヾ》鳴といへる是なり、景行天皇紀に、相摸海にて覺賀《ガヽ》鳥の聲せしてふ事有、其覺賀はこゝを以て假字とし、こゝは覺賀の字を以て濁るべきなり、
 
奈岐和多里南牟《ナキワタリナム》、安布登波奈思爾《アフトハナシニ》、」
 
3391 筑波禰爾《ツクバネニ》、曾我比爾美由流《ソガヒニミユル》、 背向《ソガヒ》なり、
 
安之保夜麻《アシホヤマ》、 序なり、こは下野國にて、筑波より北へ今道十八里計有て、二荒《フタラ》山の山つゞき七里ばかり北なりといへり、峰に神社有、今銅の出る山なり、 
安志可流登我毛《アシカルトカモ》、左禰見延奈久爾《サネミエナクニ》、」 其男はすがたも心も惡といふべきとがも見えざる故、心につけるよしを女のよめるなり、ほめて事なきわざもといへるにひとし、○未の爾はいひ入て歎く辭、古歌に例多し、
 
3392 筑波禰乃、伊波毛等杼呂爾《イハモトヾロニ》、於都流美豆《オツルミヅ》、代爾毛多由良爾《ヨニモタユラニ》、和我《ワガ》、 今本|家《ケ》に誤、
 
於毛波奈久爾《オモハナクニ》、」 代爾毛は、代々爾もの意、(卷五)にいひつ、
 
3393 筑波禰乃、乎※[氏/一]毛許能母爾《オテモコノモニ》、 上に出、
 
毛利敝須惠《モリヘスヱ》、 猪鹿の跡|見《ミ》などをいふ、
 
波播可毛禮杼母《ハヽガモレドモ》、 今本はゝ已と有は、かの草より誤つらん、(卷五)「靈合《タマアヘ》ば、あひぬる物を、小山田の、鹿田もる如、母|之《ガ》守爲裳《モラスモ》、」と有に似たり、【或人、母籠どもと思へるは、字に泥て言を強るなり、先一首を知て後字の誤を思ふべきなり、】
 
多麻曾阿比爾家留《タマゾアヒニケル》、」 魂の相かなひて互に心のしたしむよし上にいへり、○守部置とは私にいふ言ならじ、國守獵して田畠を荒さぬ爲とすれば、此繁山は守部を置べきなり、
 
3394 左其呂毛能《サゴロモノ》、 冠辭、
 
乎豆久波禰呂能《ヲヅクハネロノ》、 呂は助辭、
 
夜麻乃佐吉《ヤマノサキ》、 佐吉は山之|放《ソキ》なり、集中に山のそき野のそき、祝詞に、國の退立《ソキタツ》極み、などいひ、右にもとほ曾《ゾ》吉といふに同じく、山の遠|放《サカ》りて見ゆるをもて、我行々見|放《サケ》思ひ放《サカ》る事のたとへとす、
 
和須良延許波古曾《ワスラエコバコソ》、 禮を延て良延と云、
 
那乎可家奈波賣《ナヲカケナハメ》、」 男遠き旅に行ても見なれし筑波ねを忘るゝ事はなし、もしそを忘れ來る事あらばこそ、汝妹《ナニモ》を心に懸無《カケナ》き事もあらめとて、必忘るまじきをたとふ、(卷二十)の常陸歌に、「吾もての、わすれもしたば、都久波|峯《ネ》乎、布利佐氣美都々、いもはしぬばせ、」
 
3395 乎豆久波乃《ヲヅクハノ》、禰呂尼都久多思《ネロニツクタシ》、 月立なり、初《ユフ》月をいふ、
 
安比太欲波《アヒダヨハ》、 太乃濁字有からは間夜と云なり、
 
佐波爾奈利奴乎《サハニナリヌヲ》、 此嶺に三日月の出立し比逢て後に、間《アヒタ》の夜比の數多く成ぬるを、今又相ねせんよしもがなと乞なり、
 
滿多禰天武可聞《マタネテムカモ》、」
 
3396 乎都久波乃《ヲヅクバノ》、之氣吉許能麻欲《シゲキコノマヨ》、多都登利能《タツトリノ》、目由可汝乎見牟《メユカナヲミム》、 立鳥の群《ムレ》とつゞけたり、冠辭考の味澤經《アヂサハフ》の條にいへり、(卷五)「小竹《サヽ》のへに、來ゐて鳴鳥、目を安み、」てふに依て疑ふ人はこゝに至りて思ひ明らむべし、○冠辭よりは群《ムレ》とつゞき、うけたる句にては、只目よりのみ見てあらんかといふなり、よりは手より足よりのよりに同じ、
 
左禰射良奈久爾《サネヤラナクニ》、」 此射をざのかなとしては、受阿《ズア》の約にてさねずあらなくに、さねたりてふ言と成て、此歌にそむけり、(卷十一)「おもはずも、まこと有得んや、さぬる夜の、伊米にもいもが、美延射良奈久爾、」と有是も見えざらなくと訓ては、右の如く理りなければ、射はやと訓つ、【射をやのかなに書しは、藐胡射山などあり、又耶を誤りしともすべし、】
 
3397 比多知奈流《ヒタチナル》、奈左可能宇美乃《ナサカノウミノ》、 此地の名土人に問べし、
 
多麻毛許曾《タマモコソ》、比氣波多延須禮《ヒケバタエスレ》、阿杼可多延世武《アドカタエセム》、」
 
信濃國歌 四首〔六字□で囲む〕
 
3398 比等未奈乃《ヒトミナノ》、許等波多由登毛《コトハタユトモ》、 言なり、
波爾思奈能《ハニシナノ》、 埴科郡の石井てふ里の名ならん、
 
伊思井乃手兒我《イシヰノテコガ》、 上にいへり、信濃にてもかくいふなりけり、【或説、此手兒は自いふといへるは何の事ぞや、男の歌にをとめをさしていふ外なし、】
 
許登奈多延曾禰《コトナタエソネ》、」
 
3399 信濃道者《シヌヂハ》、伊麻能波里美知《イマノハリミチ》、 元明天皇和銅六年紀に、美濃信濃二國之堺經道險阻、往還艱難仍(チ)通2吉蘇路(ヲ)1、と見ゆ、此程の事故に今の墾道といへる時代かなへり、【此時吉蘇はいまだ美濃に屬て在、今京となりて吉蘇小吉蘇二村を信濃へ付られし事、三代實録にみゆ、】
 
可里婆禰爾安思布麻之牟奈《カリバネニアシフマシムナ》、新治《ニヒハリ》の道には、木竹を刈除たる刈計《カリバ》に其根の有を踏て足害ふなと云り、記に小竹之刈材雖足※[足+非]破云云、其外かきがらひしがらに足踏などの類多し、【苅計を略てかりばと云、根は苅莖なり、】
 
久都波氣和我世《クツハケワガセ》、」 沓著吾夫なり、此新道を經て通ふ男成べし、
 
3400 信濃奈流《シナヌナル》、知具麻能河泊能《チクマノカハノ》、左射禮思母《サヾレシモ》、 禮は良に通ひて狹々良石《サヽライシ》なり、伊之を之《シ》とのみいふ例多し、
 
伎彌之布美※[氏/一]婆《キミシフミテバ》、 蹈てあらばを、※[氏/一]阿(ノ)の約多なれば、蹈《フミ》多良婆と云を、又その多良の約の多を※[氏/一]に轉じて※[氏/一]婆《テバ》といへり、かのいひ而師《テシ》などの轉言を、これを以てもしるべし、
 
多麻等比呂波牟《タマトヒロハム》、」 此川は本筑摩郡に在べし、然るを今は他郡に此川の名あり、仍て郡境を爭訟し事も古へ有し、思ふに上野の利根川を、いと末の下總にてもとね川といふ類、世に多ければ他郡にてもいふべし、
 
3401 中《ナカ》麻奈《マナ・ヲナ》爾《ニ》、 是も所の名なり、遠江その外にも乎那といふ所あれば、これも乎那と訓べきか、惣て此國風には地の名をいへるを、是らのみ地ならずばあらじ、上の宇奈比の所にもそのよしいへり、【なかまなてふ地は、土人もえ考がたしといへり、然らば麻奈は乎奈《ヲナ》と訓て、和名抄に、更科郡、小谷(乎宇奈、)小縣郡、童女(乎無奈、)てふなどを古へは乎奈と云しか、女子を乎奈子《ヲナゴ》ともいふが如し、中は郷に上中下といふ古も今もあり、こは推量の説ながら、かの土人など、をなと訓て得るよしあらんにやと思へば、ことを開くのみ、】
 
宇伎乎流布禰能《ウキヲルフネノ》、許藝※[氏/一]奈婆《コギデナハ》、安布許等可多思、家布爾思安良受波《ケフニシアラズハ》、」 こはすはの毎か、又越後へ落る川にても、舟して行男に別るゝ女の歌なり、かく樣によめる上下に有を思ふに、船にて旅行には、先船に乘て一日も在て別をしみしなるべし、
 
上毛野國歌 二十二首〔九字□で囲む〕
 
3402 比能具禮爾《ヒノクレニ》、 冠辭、
 
宇須比乃夜麻乎《ウスヒノヤマヲ》、古由流日波《コユルヒハ》、勢奈能我素低母《セナノガソデモ》、佐夜爾布良思都《サヤニフラシツ》、」 臼井の山に遠からぬ里より別れしなり、そで母《モ》といふは、我振袖をもせな見つらんか、とおもふよりいへるならん、○勢奈能|我《ガ》は、夫名根之《セナネガ》なり、此下に伊母能良爾、と有も妹根等爾、と云にて、夫名《セナ》の名は、即名有事を美《ホメ》言とする古の例なり、根は物の本をいひて同じく貴む言故に、天皇を倭根子と申し、母をたらち根、姉を吾根《アネ》、兄を吾二《アニ》、といふも吾根《アネ》の通音なり、
 
3403 安我古非波《アガコヒハ》、麻左香毛可奈思《マサカモカナシ》、 眞|其際《ソノキハ》なり、上にいへり、
 
久佐麻久良《クサマクラ》、 冠辭のみならず旅のさまをいふめり、
 
多胡能伊利野乃《タコノイリヌノ》、 此國に多胡郡を建し事、和銅四年の紀に見ゆ、入野はその所の野なり、
 
於久母《オクモ》、 久を今本父に誤、【おくをおうと唱るは、から文を訓人の言便にて雅言にあらぬを、さかしらに後人於父と書しにや、】
 
可奈思母《カナシモ》、」 夫の旅別の其際もかなし、別て末に思はんもかなしといふなり、○於久は入野の奥とつゞけて末をいひ、悲は深くおもひ染るをいへり、
 
3404 可美都氣努《カミツケヌ》、 こは本|上《カミ》つ毛《ケ》野の國と云り、然れば此努は野の意なり、下に可美都家野と有、後世かみつけとのみいふにならひて思ひ誤る事なかれ、かくて此下に多き中に、只一つ乃と有に依て、辭の乃と又思ひ誤る事なかれ、他は野努奴などのみ有、古へ野をば奴《ヌ》といひしからは、かみつけぬとも唱ふべけれど、のと訓も中世なれば暫從ふべし、○下に之の辭なきは、遠つあふみいなさ細江などの類なり、
 
安蘇能麻素武良《アソノマソムラ》、 下にも安蘇山といへり、あそといふ里に作る眞麻《マソ》の群りてあるを序とす、
 
可伎武太伎《カキムダキ》、 可伎はことば、むだきは身《ム》抱にて、左右の手な末を向へて男女相抱をいふ、さてこゝは麻の群たるを刈てかき抱|束《ツカ》ぬるを譬とせしなり、
 
奴禮杼安加奴乎《ヌレドアカヌヲ》、安杼加安我世牟《アドカアガセム》、」 何《ナゾ》とかせんと情の餘りをいふ、
 
3405 可美都氣乃《カミツケノ》、 此|乃《ノ》に依て誤る事なかれ、野のかななり、
 
乎度能多杼里我《ヲドノタドリガ》、可波治爾毛《カハヂニモ》、 小野|之《ノ》田野等《タノラ》之川|道《ヂ》にもといふか、和名抄に、甘樂、緑野、群馬、の三郡に各小野郷あり、此中なるべし、或本には、乎野と有、野を杼《ド》といふも清濁の通ふ例なれば、東にはさもいひしならん、
 
兒良波安波奈毛《コラハアハナモ》、比等理能未思※[氏/一]《ヒトリノミシテ》、」 此川路里ばなれて人目なき所なれば、かゝる所を吾獨行時に兒等にあはばやと思ふ心をいふなり、此下に、「ま遠くの野にもあはなん、心なく、里のみ中に、あへるせなかも、」ともよみつ、【或本歌、可美都氣乃、乎野乃多杼里我、安波治爾母、世余波安波奈母、美流比登奈思爾、この安は河の誤、四の句もよろしからず、人ばなれの所を女の獨行べくもなし、】
 
3406 可美都氣野《カミツケヌ》、左野乃九久多知《サノヽクヽダチ》、 左野てふ名は、和名抄などにもなきは郷ならねばなり、されど今もしかいふ里あり、○くゝだちは、和名抄に、※[草冠/豊](久々太知、)蔓菁《アヲナ》之苗也、と有是にて、台記などの饗膳に莖立とてあり、
 
乎里波夜志《ヲリハヤシ》、 乎里は折なり、はやしは物を榮《ハエ》あらする事にて、(卷十六)に、「吾角は、御笠のはやし、吾宍は、御膾はやし、」などいへるにひとし、
 
安禮波麻多牟惠《アレハマタムヱ》、 惠は天智天皇紀の童謡に、阿例播具流之|衛《ヱ》、と二つ有、ともに助辭なり、其外神武天皇紀に、居《コ》氣辭比惠禰、集に縱惠也師、などの惠も助辭なり、
 
許登之許受登母《コトシコズトモ》、」 來《コ》と不來ともにて、之は助辭、たまたま來ともと云なり、
 
3407 可美都氣努《カミツケヌ》、麻具波思麻度爾《マグハシマドニ》、 眞桑島てふ川島など有て、其潮瀬を門《ト》といふならん、さて朝日に向ふ所なるべし、
 
安佐日左指《アサヒサシ》、麻伎良波之母奈《マギラハシモナ》、安利都追美禮婆《アリツヽミレバ》、」 其朝日のきら/\とするに譬へて、よそに戀し男に今は常に相むかひをればまばゆしといへり、○此或説は甚わろし、【曇りて目をきらするも、光のまばゆきと事は異にて、言の意はひとしければ、まぎらはしもといへり、】
 
3408 爾比多夜麻《ニヒタヤマ》、 和名抄に、新田郡新田郷あり、
 
禰爾波郡可奈那《ネニハツカナヽ》、 此下に、「高きねに、雲のつくのす、吾さへに、君につかなゝ、高ねと思ひて、」とよめるに依に、こゝには雲といはねど雲の事なり、○都可奈那の上の奈はねに通ひて付《ツカ》ねな也、又其可禰を約れば介《ケ》と成てつけなとなりぬ、【こゝに引下の歌、古今歌集の見えななんといへるも、みな此音の通ひなり、或説はまどへり、】
 
和爾余曾利《ワニヨソリ》、波之奈流兒良師《ハシナルコラシ》、安夜爾可奈思母《アヤニカナシモ》、」 里人のことよせづまの障有て、吾に付もやらで間《ハシ》にて在がふかくかなしきに、いかでとく吾方へつけかしといふを、上に此山の嶺にもつかず、すそへ去もはてずたゞよふ雲の、一方に嶺につけと先いひしらせたり、
 
3409 伊香保呂爾《イカホロニ》、 呂は助、○神名式に、群馬《クルマノ》郡、伊香保神社、(名神大、)
 
安麻久母伊都藝《アマクモイツギ》、 いかほの山の雨雲のはびこりつゞきて可奴麻てふ所までひとつにつぎ成しなり、
 
可奴麻豆久《カヌマヅク》、 今も可奴萬の苧《ヲ》とて麻を出す所有、
 
比等登於多波布《ヒトヽオタバフ》、 その雲のひとつにつゞけるを、吾と妹と心ひとつぞと人にいはるゝに譬ふ、○おたばふはをらばふにて、音高くいひさわぐなり、
 
伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、」 かくいはるゝからは、いざ相寢しめたらんと云り、ねしめてあらんのてあの約多にて、常人はねしめたらんといふを、とら、といへり、らんをらとのみ云は平言に多し、○此末に、比とねろに、いはる物から、青|嶺《ネ》ろに、いざよふ雲の、よそりつまはも、てふも似たり、
 
3410 伊香保呂能《イカホロノ》、蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》、 此下に、「いかほろの、そひのはり原、わがきぬに、つきよらしもよ、」その下に、伊波保呂乃、【伊波は伊何の誤なるべきよし、その所にいふ、】蘇比のわか松、限とや、ともよめり、かくて此山の樣を國人に問に、三方は山一方は片|岨《ソバ》にて、斜なる野なりといへり、然らば其岨の事をそひといひつらん、
 
禰毛己呂爾《ネモゴロニ》、 此句は上へつゞくことなし、
 
於久乎奈加禰曾《オクヲナカネソ》、 右のはり原の奥は、かの山際の入野なるをもて、奥深き譬へとせしものなり、こは其地の樣をいふにて、はりの花に依にあらず、
 
麻左可思余加婆《マサカシヨカバ》、」 今だによくあらば、奥末の事をば餘りにくさ/\と思ひかねそ、末は末のよしこそあらめ、今、先あはんと云なり、○よくあらばの久安の約加なれば、よかばといへり、らは畧く、
 
3411 多胡能禰爾《タゴノネニ》、 上に出、禰は嶺なり、
 
與西都奈波倍※[氏/一]《ヨセヅナハヘテ》、與須禮騰毛《ヨスレドモ》、 よらぬ物を強て引よせんとするにたとふ、(卷三)に、かくよれと、人はつけども、云云、祝詞出雲風土記などに、八十綱はへて國を引てふ事有、
 
阿爾久夜斯豆久《アニクヤシヅク》、 右の如く引にひけども、敢惡《アヘニク》く鎭りゐてよらぬなり、下へ沈むをしづくといふも鎭るも言は均し、○夜《ヤ》は與に通ふ辭、 
曾能可抱與吉爾《ソノカホヨキニ》、」 抱を今本把に誤、【抱は保《ホ》の假字に多く書り、又かはよきてふ言は古へ聞えず、】○おもてやはらかに打ゑみつゝ在が心の動かぬなり、
 
3412 賀美都家野《カミツケノ》、久路保乃禰呂乃《クロホノネロノ》、 此嶺問べし、
久受葉我多《クズハガタ》、 葛葉蔓なり、かづらのつらの約多なり、
 
可奈師家兒良爾《カナシケコラニ》、 きをけといふは東ことば、
 
伊夜射可里久母《イヤサカリクモ》、」 彌放來なり、葛かづらの遠|放《サカリ》延るを序とす、○こはたゞ妹といよゝ遠く成を歎くなり、又防人の歌にて別來し道をいふか、 
3413 刀禰河伯乃《トネガハノ》、 利根郡、【此川は常陸下總にても刀禰川といへど、こゝは即その郡にていふなり、上野にてしも大河なりけん、】
 
可波世毛思良受《カハセモシラズ》、多々和多里《タヾワタリ》、 直渉のあやうき上に浪にあふなり、
 
奈芙爾安布能須《ナミニアフノス》、 能須は奈須にて、如の意なり、
 
安敝流伎美可母《アヘルキミカモ》、」 命に問ふばかりのあやふきを經て、今あひあふと女のよめり、
 
3413 伊香保呂能《イカホロノ》、夜左可能爲提爾《ヤサカノヰデニ》、 國人いへらく、いかほの沼は此嶺の半上に在て、沼の三方には山ども立、一方は開けて野なり、其開し方の水の落る所をゐでといふといへり、然ればやさかは其水の落る所の名、堰堤《ヰデ》はゐどめにて、こゝは塘なり、
 
多都努自能《タツヌジノ》、 虹を東にては今ものじといひ、遠江にてねじといふ、虹は水の氣なれば此ゐでに專立べし、さて顯るゝたとへとせり、
 
安良波路萬代母《アラハロマデモ》、佐禰乎佐禰※[氏/一]婆《サネヲサネテバ》、」 よし末に顯はれてあしゝとも、いかで相ゐる事を得てしあらばといへり、婆《バ》と書るに心すべし、
 
3415 可美都氣努《カミツケヌ》、伊可保乃奴麻爾《イカホノヌマニ》、宇惠古奈宜《ウヱコナギ》、 下に、春日の野べの、植小水葱、ともあり、
 
可久古非牟等夜《カクコヒムトヤ》、多禰物得米家武《タネモトメケム》、」 古奈宜は上にいへる如く、池溝などに今は水葵と云て自ら生る草なり、植とは生《オヒ》てあるをいへり、歌の末に種求と云は、歌のよせことばなるを、此言に依て誤る人あるべし、下にも紀の歌にも、植竹植草などある皆生立て有をいふなり、○別卷に、(人麻呂歌集)「是《カク》ばかり、こひしきものと、しらませば、よそに見るべく、有ける物を、」などの類なり、
 
3416 可美都氣努《カミツケヌ》、可保夜我奴麻能《カホヤガヌマノ》、 此沼も問べし、 
伊波爲郡良《イハヰヅラ》、 上の武藏歌に、おほやがはらのいはゐづらともよめり、
 
比可波奴禮都追《ヒカバヌレツヽ》、安乎奈多要曾禰《アヲナタエソネ》、」
 
3417 可美都氣奴《カミツケヌ》、伊奈良能奴麻能《イナラノヌマノ》、於保爲具左《オホヰグサ》、 和名抄、莞(於保井、)可2以爲1v蓆者、今はふと葦といへり、さておほよその意にてよそといはん序とせしにや、【日本紀に、莞をかまと訓しはあたらず、かまは記にも郡の名にも蒲を訓たり、】
 
與曾爾見之欲波《ヨソニミシヨハ》、 よりはなり、
 
伊麻許曾麻左禮《イマコソマサレ》、」 此歌別卷(人麻呂歌集)にも入たり、【古への歌集は、歌を傳へ得るまゝに書集れば、東歌も何も交るべきなり、或説に種々いへるはよしなし、】
 
3418 可美都氣努《カミツケヌ》、佐野田能奈倍能《サノダノナヘノ》、 佐野は上に出、其所の田なり、
 
武良奈倍爾《ムラナヘニ》、 苗代は所々に一むれづゝ作るものなれば、群苗といひて、それをうらなへにいひかけつ、占は此卷にもうらといひしかど、むらともいふまじからず、【早苗とる時は、人に苗をなげ打していはふてふ事も有か、こは田舍人にひろく問べし、】 
許登波佐太米都《コトハサダメツ》、伊麻波伊加爾世母《イマハイカニセモ》、」 我戀の成んやと占とへば、成まじきとうらに定まりぬ、然れば今はいかにしてましとなげくなり、〇世母はいかにせんなり、
 
3419 伊加保世欲《イカホセヨ》、 いかほと云所に住む、わが夫《セ》子をいふ、
 
奈可中次下〔三字□で囲む〕於毛度路久麻許曾之都等〔七字□で囲む〕和須禮西奈布母、 二の句の中次下の三字此卷の書體にあらず、又假字とせんも、他の假字の體に違へり、然れば必字の誤且落たる字も有べし、四の句もまた言をなさず、故に手を付べからぬ歌なり、正しき本を得ん人よむべし、かゝる事みだりに心をやりとかんとする時は、私に落めり、或説もあれど皆いまだしき心もていへれば、論にたらず、
 
3420 可美都氣努、佐野乃布奈波之《サノヽフナバシ》、 佐野は上のごとし、
 
登利波奈之《トリハナシ》、 川に船をならべ、綱もて杭につなぐ故に、とりはなつ事もあれば、しかいひて、男とわが中をはなつにたとへたり、【或説舟橋に古事など引は用なし、こは田舍の舟橋にて、かりなればとりはなつもやすし、】
 
於也波左久禮騰《オヤハサクレド》、 於也とは父母を合せいふ、
 
和波左可禮賀倍《ワハサカレガヘ》、」 意は吾は放《サカ》らんやさからずと返る辭なり、倍は辭の餘りにて意なし、此末にも、和波佐可流|我《ガ》倍、と濁れるを、何ぞいはゞ、流我も禮賀も約れば、良と成てさる良倍《ラヘ》といふなり、其良の半濁より我《ガ》の濁りとはなりぬ、さかるがをさからといふ類は、下に、和禮和須流禮夜、てふも忘らんやなり、らんを畧てらといふは、此上に伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、と云は、いざ寢しめたらんを畧けるに同じく、常にも多く云り、
 
3421 伊香保禰爾《イカホネニ》、可未奈那里曾禰《カミナナリソネ》、和我倍爾波《ワガヘニハ》、  我家人の殊にかしこむ故にはあらず、妹がおそるゝからに、いかでなりそと願ふとなり、
 
由惠波奈家杼母《ユヱハナケドモ》、 家《ケ》は加禮の約、
 
兒良爾與里※[氏/一]曾《コラニヨリテゾ》、
 
3422 伊香保|可是《カゼ》、布久日布加奴日《フクヒフカヌヒ》、安里登伊倍杼《アリトイヘド》、安我古非能未思《アガコヒノミシ》、等伎奈可里家利《トキナカリケリ》、 時無は上に出、
 
3423 可美都※[无/烈火]努《カミツケヌ》、伊可抱乃禰呂爾《イカホノネロニ》、布路與伎能《フロヨキノ》、 零雪之なり、今も越後人はゆをよといへり、上野にてもしかいひけん、上は序、
 
遊吉須宜可提奴《ユキスギガテヌ》、伊毛賀伊敝乃安多里《イモガイヘノアタリ》、」
 
下野國歌 二首〔六字□で囲む〕
 
3424 之母都氣野《シモツケノ》、 野は辭ならぬ事上にいひつ、
 
美可母乃夜麻能《ミカモノヤマノ》、 美は發言にて加茂の山か、加茂てふ所、凡なき國はあらず、
 
許奈良能須《コナラノス》、 小楢如なり、葉廣※[木+解]の如くしてちひさき葉にて、若葉さす夏は見るめさへ好ましき物なれば、妹をほむる譬とせしならん、
 
麻具波思兒呂波《マグハシコロハ》、 日本紀の歌に、くはしめといふは美女をいひ、眞妙比賣てふ名もあり、
 
多賀家可母多牟《タカケカモタム》、」 遠くか待んなり、遠々に待を、多加多加に待、遠く來ぬを多加伎奴といへる類、皆擧て別記にいへり、○久を家、末《マ》を母といふ皆音かよへり、
 
3425 志母都家努《シモツケヌ》、安素乃河原良欲《アソノカハラヨ》、 和名抄に、安蘇郡安蘇郷出、今も此川有、
 
伊之布麻受《イシフマズ》、蘇良由登伎奴與《ソラユトキヌヨ》、 妹かりと思へば、石多き河原を蹈とも覺えず來してふ意なり、上の卷に、心空なり土はふめども、とよみつ、 
奈我己許呂能禮《ナガコヽロノレ》、」 我はかく思ひて來しをうれしみ思ふや、汝が心を告よと妹に親み問ふなり、
 
陸奥國歌 三首〔六字□で囲む〕
 
3426 安比豆禰能《アヒヅネノ》、 會津郡は神名式和名抄にも出、禰は嶺なり、こは防人の別の歌なる事、次の歌にて知らる、
 
久爾乎佐杼抱美《クニヲサドホミ》、安波奈波婆《アハナハバ》、 佐は發言、奈波ばは相無《アハナク》ばなり、なくのくを轉じて、下にあは奈布《ナフ》ともあは奈倍《ナヘ》とも云り、こゝは其同音の波にも通し云なり、○會津嶺をいふは、遠く行人は國の山を形見とかへり見ること、上に筑波相摸の嶺をよみし類なるを、それも見えぬ遠にしては、形見に相見る物なし、ひもを結べそを形見にせんといへり、
 
斯努比爾勢牟等《シヌビニセムト》、 慕ひ物にせんなり、
 
比毛牟須婆左禰《ヒモムスバサネ》、」 本には妹が結べる紐を形見とするとよめるも常なるを、こは今一つ嶺をいひあはせたり、○左禰の約世にて結ばせと成を、又其婆世を約ば倍《ヘ》となりて結むすべなり、
 
3427 筑紫奈留《ツクシナル》、 つくしに來しは防人の外はあらじ、
 
爾抱布兒由惠爾《ニホフコユヱニ》、 にほふはうらくはしきさまなり、故に此言に艶の字を多く書つ、
 
美知能久乃《ミチノクノ》、可刀利乎登女乃《カトリヲトメノ》、 可刀利てふ所みちのくにも有なるべし、
 
由比思比毛等久《ユヒシヒモトク》、」 その兒にあたへし歌なるべし、かくよむは古人の物をかくさぬなり、
 
3428 安太良乃《アダタラノ》、 (卷八)陸奥之、吾《ア》田多良眞弓、著絃而、引者香人之、吾乎事將成、神遊にも、古今歌集の取物歌にも、「みちのくの、あだちの眞弓、我ひかば、やうやくよりこ、(古今に末さへよりて、)忍び/\に、」と有も事の樣似たるをおもへば、古へあだゝらてふ所を、後にはあだちといふか、然らば和名抄に安達郡と有是なり、
 
禰爾布須思之能《ネニフスシヽノ》、 しゝとは鹿猪を共にいへど、こは末の言に依に猪なるべし、猪は必ず臥所をかへぬものなり、
 
安里都都毛《アリツヽモ》、 かはらぬかをいふ、
 
安禮波伊多良牟《アレバイタラム》、 往《イキ》たらんを略けり、至にあらず、
 
禰度奈佐利曾禰《ネドナサリソネ》、」 臥所を外へな去そなり、
 
 △今本こゝに譬喩歌と有て、こゝより下九首は、譬喩歌には侍り、されど上下の相聞の中にも譬喩も交れり、別に標《シメ》すは後人のわざと見ゆ、只上の卷四五、其類なる歌を集擧たる如く見るべし、仍て標は除けり、
 
遠江國譬喩歌 一首〔八字□で囲む〕
 
3429 等保都安布美《トホツアフミ》、伊奈佐保曾江乃《イナサホソエノ》、 遠江國敷智郡の今の舞阪と新居てふ二驛の間に、一里の舶渡り有、是古へ濱名の橋在し所なり、此渡の入海北へ三里ばかり有、そのはての所ぞ引細《イナサノ》郡にて、引佐細江といふ、其江の西は山つゞけり、南は海まではる/”\と見やられて、いとよき見ものゝ所なり、古へこゝにみをづくしを立つらん、
 
水乎都久思《ミヲツクシ》、 水脉津籤《ミヲツクシ》てふ言なり、こは水の淺深を知ためなれど、こゝは只深き事の譬にとりぬ、
 
安禮乎多能米※[氏/一]《アレヲタノメテ》、安佐麻之物乎《アサマシモノヲ》、」 吾をば深く思ひたのませて、我に淺き心の人なりけるものをと、男のうとく成て後女の悔たるなり、○淺麻之の麻之の約は美なり、美は又幾に通ひて淺き物をと云なり、うとましをぞましのましも是なり、常人のあさましといふは、心得の違ひ有故に惑ふ人有、【後の歌にあさましといふは、をぞましてふ言にて、我と我身を憎むなり、こゝの淺ましのましは辭にて、たゞ淺きをいへり、】
 
駿河國譬喩歌 一首〔八字□で囲む〕
 
3430 斯太能宇良乎《シダノウラヲ》、 和名抄に、駿河國志太郡あり、藤澤驛の南の瀬戸川といふ川邊に志太村といふ有こゝか、また駿河舞に、伊波太|之太衣《シダエ》とうたふも是ならむ、
 
阿佐許求布禰婆《アサコグフネハ》、與志奈之爾《ヨシナシニ》、 倚ことなしににて、此下に、都麻余之許西禰、(卷十《今の九》)妻|依《ヨシ》來西尼、神代紀上に、阿彌播利和柁嗣、妹盧豫嗣爾豫嗣てふ皆只よる事をいへり、磯へよる事なしにこぐらめかはなり、
 
許求良米可母與《コグラメカモヨ》、奈志許佐流良米《ナシコザルラメ》、」 此浦こぐ船は、よる事なしによそにのみ※[手偏+旁]らめかは、磯に倚ことも有べきに、吾|夫《セ》はなじかも吾方へ來ざるらんといぶかるなり、
 
相摸國譬喩歌 三首〔八字□で囲む〕
 
3431 阿之我里乃《アシガリノ》、 上に出、
 
安伎奈乃夜麻爾《アキナノヤマニ》、 考へず、
 
比古布禰乃《ヒコフネノ》、斯利比可志母與《シリヒカシモヨ》、 幾舟の後《シリ》引|爲《スル》なり、此山に古へ杉多かれば船に造るに、其船即山の谷などにて造はてゝ後下す時、舳にをしみ鋼を付て、艫を下《シタ》にて漸に下す故に後《シリ》引といへり、さてその如く男の後《シリ》引して、吾方へ來り難くすると譬たり、【足柄山に舟木を取しこと、下の卷に出、○或説、山へ海舟を引と心得しはわろし、】
 
許己波故賀多爾《コヽハコガタニ》、」 此許《コヽ》へは來がたげなり、
 
3432 阿之賀利乃《アシガリノ》、和乎可※[奚+隹]夜麻能《ワヲカケヤマノ》、 かけ山てふ山有べし、それに吾を懸て思はゞてふ意にいひかけたり、こせ山を我せこをこちこせ山、城の山を妹が袖卷來の山、といふ類のつゞけも多し、
 
可頭乃木能《カヅノキノ》、 穀《カヂ》か又外に有か問べし、
 
和乎可豆佐禰母《ワヲカヅサネモ》、可豆佐可受等母《カヅサカズトモ》、」 吾をかどはさね、かどはしがたくともてふ言なり、かどはすとのみ今はいふを(卷十八)に、可多於毛比遠、宇萬爾布都麻爾、於保世母天、故事部爾夜良|婆《バ》、比登|加多波《カダハ》牟可母、又後撰集に、香をだにぬすめ、てふ同じ心をとて、「春風の花の香かどふふもとには、」ともよめれば、ぬすむことをかだすかづすかどすなどいひしなり、人のむすめをぬすむ事、伊勢うつぼ落くぼ源氏などの物語に皆有○かづさかずともかどしかぬともは音通へり、【不意には吾を數まへね、數まへがたくとも、と云が如く思ふべけれど、數は加|受《ズ》のかななり、こゝには可|豆《ヅ》、卷十八に、加多波牟、後撰に、かどふと有て、多知都弖登の音にて皆いへり、】
 
3433 多伎木許流《タキヾコル》、 冠辭
 
可麻久良夜麻能《カマクラヤマノ》、許太流木乎《コダルキヲ》、麻都等奈我伊波婆《マツトナガイハバ》、 此山に枝垂たる松の古木の多かりけん、さて松を待によせて、汝が吾を待といひおこせばといふなり、
 
古非都追夜安良牟《コヒツツヤアラム》、 防人などに行て、私に歸ることのかなはねば、戀乍やあらんと云なり、やとは未をいへばなり、
 
上毛野國譬喩歌 一首〔九字□で囲む〕
 
3434 可美郡家野《カミツケノ》、安蘇夜麻都豆良《アソヤマツヾラ》、 安蘇は上にも出、 
野乎比呂美《ノヲヒロミ》、波比爾思物脳乎《ハヒニシモノヲ》、安是可多延世武《アゼカタエセム》、」 互に遠長く思ひはえたる中は、何ぞたえんといへり、且山野をいふに地のさましらる、
 
3435 伊可保呂乃《イカホロノ》、蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》、和我吉奴爾《ワガキヌニ》、都伎與良之母與《ツキヨラシモヨ》、多敝登於毛敝婆《タヘトオモヘバ》、」 或人多敝を白栲の事として、波里《ハリ》の色の著《ツケ》といひて、我方へ思ふ人の心よれかしと思ふをそへたりといふは、さも有べし、
 
3436 志良登保布《シラトホフ》、 冠辭、
 
乎爾比多夜麻乃《ヲニヒタヤマノ》、毛流夜麻能《モルヤマノ》、字良賀禮勢那奈《ウラガレセナヽ》、登許波爾毛我母《トコハニモガモ》、 初句とかくすれど心得ず、字の誤も有か、毛流夜麻は諸山の意か、(卷三)に三諸山を守山と云なせしもあればなり、末は我中のかはらざらんを乞ふのみ
 
陸奥國歌 一首〔六字□で囲む〕
 
3437 美知乃久脳《ミチノクノ》、安太多良未由美《アダタラマユミ》、波自伎於伎※[氏/一]《ハジキオキテ》、西良思馬伎那婆《セラシメキナバ》、都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》、 弦をはずし置てそらしめなば、つるはけがたかるべしてふを、かく云は東言なり、さて夫を打ゆるしおかば、末遂にかなはじと思ふなり、
 
 △今本こゝに雜歌と標せるも後人の注なり、何ぞといはゞ、此初卷よりして、雜歌とは相聞挽歌の外、四時宴遊等の歌をいへり、然るにこゝには、四時の歌もあれどいと少くて、相聞の歌多ければ、雜歌といふは後世の意にて、此集の部の名の意にあらず、こは四時旅相聞遊興挽歌どもを集めて、其部てふ名はいはで、上の國處定かなる歌の末に載しものにて、上の四五の卷と均しき樣か、
 
雜の部〔三字□で囲む〕
 
3438 都武賀野爾《ツムガノニ》、須受我於等伎許由《スヾガオトキコユ》、 鷹の尾|鐸《スヾ》の音なり、
 
可牟思太能《カムシタノ》、等能乃和久胡思《トノヽワクゴシ》、 殿の若子なり、此下にも殿のわくごと有て、理り明らかなれば一本をとりぬ、今本|奈《ナ》可知師と有は和可|期《ゴ》師の誤か、
 
登我里須良思母《トガリスラシモ》、」 多加の約は多なるを、登に轉じいへり、(卷十九)に、はつとがりを初鷹狩と書たり、○東にて殿といふは、國の守介などの家をいふべし、又郡司國造の家をもいふとおぼしきは、峻河國府は安倍(ノ)郡に在しを駿河舞に、伊波太奈留《イハダナル》、之太戸乃止乃《シダベノトノ》、とうたふは、同國志太郡の郡領の家をいふべければなり、かくてこゝの可牟思太てふも、かの志太郡志太の里に上下有ていへるならんか、右の駿河歌にいへるを合せ見よ、然らば都武賀野も此國に有べし、【是より下の地の名は、末の注に未勘國と有はかたよれり、中には地のしられたるも少からず、そは考にいへり、或人は注を信じていはねど、吾は惣て此書の注をとらぬ事、既いふが如し、○或本歌曰、美都我野爾、又曰、和久期思、】
 
3439 須受我禰乃《スヾガネノ》、 須受之嶺か、又或人鈴之音のはや馬といへりとす、【須受が嶺は何處かしられず、此類は皆ことわらず、下ならへ】
 
波由馬宇馬夜能《ハユマウマヤノ》、 はゆまうまやは、公の事にて往來る人は、此亭に宿り食《ヲシモノ》を給こと公式令に見ゆ、又宿りもせず物|食《ヲシ》時にもあらで行過るほどに、暫馬をいこはせて水を飼をうまやといふ、されどこゝはその事にあらず、所に住ものゝ女の水くむ時にいひよれることばときこゆ、
 
都追美井乃《ツヽミヰノ》、 美はそへいふ辭にて、筒井といふならん、【井に石井板井筒井など有筒井は、地堅くして筒の如くほりたるをいふのみ、物語に筒井筒云云といふは、筒井の上に物の落入ざらん料にかまへたるを井筒といふなり、これにまどへる人有、】
 
美都乎多麻倍奈《ミヅヲタマヘナ》、伊毛我多太手欲《イモガタヾテヨ》、」 直に妹が手より給へといへり、
 
3440 許乃河伯爾《コノカハニ》、 此とは其河に向ていへればなり、上の卷に多し、
 
安佐奈安良布兒《アサナアラフコ》、 朝に菜洗ふ女子、
 
奈禮毛安禮毛《ナレモアレモ》、余知與曾母※[氏/一]流《ドチトゾモテル》、 今本知余乎とあるはよしなし、古本に余知と有に依ぬ、【余を常は與のかなとするを、是は字註に、同都切音|途《ト》といふ方にて書しものなり、奴はぬのかなに用るを、たま/\はどのかなにも書が如し、(卷九)余知古を今本よちこと訓しはわろし、】又乎は與の誤しるければ改めつ、かくてどちとは同じ類ひを云、神功皇后紀に、宇摩比等破《ウマヒトハ》、于摩臂苫奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイツコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》、てふは貴人は貴人と共、奴《ヤイツコ》は、奴と共に戰はんといへり、(卷九《今ノ五》)余知古良等《ドチコラト》、手多豆佐和利提《テタヅサワリテ》、などに同じくて、余《ド》は共共《トモドモ》の上の共を畧き下の毛を籠たり、故に初より濁るなり、知は豆禮の約|弖《テ》なるを知《チ》に轉ぜしにて共連なり、○我朝に初より濁る言はなし、上を畧く時は有なり、○母※[氏/一]流はよきどちと思ひてあるを、於と阿を略けり、又へを※[氏/一]に誤しにもあるべし、
 
伊低兒多婆里爾《イデコタバリニ》、」 いでは乞《イデ》といふ言、末の爾は禰に同じ、此上に尼禰を通はし書し多し、さて其兒を給《タバ》りね、と其母も同じく菜を洗て居にいひかけしなるべし、
 
3441 麻等保久能《マトホクノ》、 麻は發言、
 
久毛爲爾見由流《クモヰニミユル》、伊毛我敝爾《イモガヘニ》、 いへを略きてへといふは古への常なり、
 
伊都可伊多良武《イツカイタラム》、安由賣安我古麻《アユメアガコマ》、」 【人麻呂歌集曰、等保久之※[氏/一]、又曰、安由賣、久路古麻、】
 
3442 安豆麻治乃《アヅマヂノ》、手兒乃欲妣左賀《テゴノヨビサカ》、此下にも本は同じ歌あり、然れば手兒も所の名にて、そこにある呼《ヨビ》坂てふ山路なるべし、或人下総に手兒原といふ原も在といへり、
 
古要我禰※[氏/一]《コエガネテ》、 こえがねては、行がて見がてなど云如く、むかしは濁りいひけむ、
 
夜麻爾可禰牟毛《ヤマニカネムモ》、夜杼里波奈之爾《ヤドリハナシニ》、」 【手兒女の事は上に云り、さる事を所の名にいふも諸國に多きなり、よぶ坂と云は土佐國にも在といへり、】
 
3443 宇良毛奈久《ウラモナク》、 何心もなくなり、
 
和我由久美知爾《ワガユクミチニ》、安乎夜宜乃《アヲヤギノ》、波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆《ハリテタテレバ》、 芽張柳とも、柳の張れるとも下によみつ、
 
物能毛比豆都母《モノモヒツヽモ》、」 物思ひ出《イデ》つといふを略けり、(卷三)物不念道行去毛、青山乎、振放見者、てふ類なり、かくてこゝは旅に在て年月のうつるを愁ふるか、又妹に戀ふる久しきをなげくか、
 
3444 伎波都久乃《キハツクノ》、乎加能久君美良《ヲカノクヾミラ》、 和名抄に、薤を於保美良、韮を古美良、といへり、久君《クヾ》を田舍にて古々といへる事あれば、是はこみらなるべし、野にみらつむ事は、古書に少なからず、
 
和禮都賣杼《ワレツメド》、故爾毛美多奈布《コニモミタナフ》、 籠にも滿無なり、今本乃多奈布と有はよしなし、美の草を乃に誤りしなり、
 
西奈等都麻佐禰《セナトツマサネ》、」 夫《セ》名とともに摘んを願ふなり、○左禰は上の常陸歌のさねてやらさねといふ所にいひし如く、他よりいふ言を吾願ふ事にも云、
 
3445 美奈刀能也《ミナトノヤ》、 與に通へり、
 
安之我奈可那流《アシガナカナル》、多摩古須氣《タマコスゲ》、 繁く集り生てまろらに見ゆるをば、玉笹玉松がえなどいふ如く、小菅のまろく繁りたるを玉と云べし、
 
可利己和我西古《カリコワガセコ》、等許乃敝太思爾《トコノヘダシニ》、」 志は知に通へり、へだちは床の筵の中|隔《ヘ》をいふ、
 
3446 伊毛奈呂我《イモナ口ガ》、 下に妹名根とよめり、兄名ともいへば妹名とばかりもいふべし、○呂は等に同じ、
 
都可布河伯豆乃《ツカフカハヅノ》、 吾と妹と行ちがふ河津といふなり、【都可布は妹と吾と行ちがふをいふなるべし、】
 
佐左良乎疑《サヾラヲギ》、 荻に大小あり、こゝはその狹々《サヾ》らけきをいふ、されどあしと一ごとゝいふは常の荻なり、歌ことばにさゞらといふのみならん、【荻を今人は水にすすきの如くて生しげるをのみいへど、それのみにあらず、專らは蘆に似て、あしは葉に白み有て和らかに、葉のさき垂莖も和らかなり、荻は葉に黄み有て葉のさきつよく上へさし、莖は小竹の如くかたくて、節高くゆがみ有、其さまは凡あしとひとしければ、此歌の言有なり、】
 
安志等比等其等《アシトヒトゴト》、 蘆とひとつ如くなり、
 
加多里與良斯毛《カタリヨラシモ》、」 蘆《アシ》荻《ヲギ》は同じく水に生て形も似たるものなり、かくて今男の行河津の向ふより、よそながら心かけたるをとめの來るに行ちがはん時、何ぞに事つけて言問よらんと思ふに、こゝにあしとをぎの有て分ちがたく見ゆれば、何れが何れぞとことゝひよらんといふなり、伊勢物語に、忘草をこは何ぞと問しに、心は異にて事は似たり、
 
3447 久佐可氣乃《クサカゲノ》、(卷五)草蔭之、荒藺之崎乃、笠嶋、とよめり、東にていづれの國か考がたし、【草陰荒藺を後世武藏國に在といふはよしなし、卷五の歌によめる如く、山路越て海に島有所むさしにはなし、】
 
安努弩奈《アヌノナ》、 吾主根之《アヌネガ》云言なり、根を乃とも奈とも云は、上に勢奈能我《セナノガ》そでも、と有にいひしごとく、勢那奈がとも、妹名根とも此下に有を思へ、さてぬらも名も根もあがめことばなり、下の奈は之《ガ》の意にて辭、
 
由可武等《ユカムト》、波里之美知《ハリシミチ》、阿努弩波由加受※[氏/一]《アヌノハユカズテ》、阿良久佐太知奴《アラクサダチヌ》、」 吾主根が通はんとて人めなき路をはりしが、今は通はず成て荒草の生立ぬると女のかなしめり、○安努は此下に和奴《ワヌ》と有に似たれど、和|奴《ヌ》は和呂といふ言にて異ことなり、そは下にいふを待べし、 
3448 波奈知良布《ハナチラフ》、己能牟可都乎乃《コノムカツヲノ》、 向峯なり、
 
乎那能乎能《ヲナノヲノ》、 今も上總國にをなてふ所あり、そこの峰なるべし、
 
比目爾都久佐麻提《ヒモニツクサマデ》、 目を今本自と誤、【比|自《ジ》と有を泥に次までと心得る人もあれど、泥土は比治のかなゝり、自はじの濁りなればかなはず、】佐は一本になし、されど行さ來さのさの如く、其樣をいふなれば、有もあしからず、
 
伎美我與母賀母《キミガヨモガモ》、」 高き峯の低く成て、腰の垂紐につく代まで、君が代はあれかしといへり、さゞれ石のいはほと成といふとはうらうへなり、
 
3449 思路多倍乃《シロタヘノ》、許呂母能素底乎《コロモノソデヲ》、麻久良我欲《マクラカヨ》、 袖を纏といひかけて、下は麻眞にて發言、久良我は下總のくらがをいふべし、安麻は海人をいへばなり、又此末に、麻久良我乃、許我能和多利乃、可良加治乃、とよめるは、冠辭考に上野國|倉下《クラガ》にやともいひつれど、必別とも定めがたければ、こゝよりそれをも下總とすべくともおぼゆ、○欲はよりの絡、
 
安麻許伎久見由《アマコギクミユ》、奈美多都奈由米《ナミタツナユメ》、」
 
3450 乎久佐乎等《ヲクサヲト》、 をくさてふ所の男、
 
乎具佐受家乎等《ヲグサスケヲト》、 同所の次丁なるべし、是を助丁《スケヲ》といへば、上のをくさをは正丁なるべし、正丁は男ざかりの公役を勤るもの、次丁は老たる男なり、然ればこゝのすけをは中男をいへり、此集(卷二十)に、助丁といへる是に當れり、【令には、とし十七より廿までの男を中男、廿一より六十までの男を正丁、六十一より五までの男を次丁、といへり、此集上丁といふは此正丁、助丁と云はかの中男次丁をかねいふ、】
 
斯本布禰乃《シホブネノ》、 今本に本を乎と書しは誤にて潮舟なり、海邊の物をばしかいふ事、しほ貝しほあしなとの如し、○冠辭なり、
 
那良敝※[氏/一]美禮婆《ナラベテミレバ》、 海べには舟ども多く並て居を、右の男を並べくらぶるにたとふ、
 
乎具佐可知馬利《ヲグサカチメリ》、」 をぐさの正丁はまされりと思ふ女のいふなり、草といへば刈ぞと思ひて、知を利とせしこと顯はなれば改めつ、
 
3451 佐奈都良能《サナツラノ》、 神名式に、常陸國那賀郡、酒烈磯崎(ノ)神社あり、是さなづらてふ所を酒烈と書しなり、
 
乎可爾安波麻伎《ヲカニアハマキ》、 岡に粟蒔なり、
 
可奈之伎我《カナシキガ》、 上に、そのかなしきを、とにたてめやも、てふ所にいへり、 
古麻波多具等毛《コマハタグトモ》、 手綱を手ぐりて馬をあるかするなり、(卷十九)に、「いはせ野に、馬たぎ行て、」ともよめり、○多具利の具利の約|伎《キ》なれば、たぎともたぐともいふ、上に髪たぐといひしも同じ、さて神代紀に、素戔嗚尊秋(ハ)則放2天(ノ)班馬《マダラマヲ》1使v伏《フサシム》2田中《ミタナカニ》1てふに似たる事なり、
 
和波素登毛波自《ワハソトモハジ》、」 たとひかゝるさがなきわざをすとも、吾は其男のわざと思はじとなり、
 
3452 於毛思路伎《オモシロキ》、 此言上に出、
 
野乎婆茶夜吉曾《ノヲバナヤキソ》、布留久佐爾《フルクサニ》、仁比久左麻自利《ニヒクサマジリ》、於比婆於布流我爾《オヒバオフルガニ》、」 我爾は願なり、これらはたゞ春の歌のみ、
 
3453 可是乃等能《カゼノトノ》、 風の音のなり、冠辭、
 
登抱吉和伎母賀《トホキワキモガ》、吉西斯伎奴《キセシキヌ》、 (卷十)小垣内《ヲガキヂ》の、麻乎引干、妹名根之、作りきせけん、白たへの、紐をとかず、てふ類なり、 
多母登乃久太利《タモトノクダリ》、麻欲比伎爾家利《マヨヒキニケリ》、」 こは防人にて筑紫へ行て三年經るからに、故郷の妹が織縫て着せし、衣の袂の末のそこなひ來つといへり、あはれなる歌なり、上の卷に、「今年行、にひさき守が、麻衣、肩のまよひを、誰かとり見ん、」とよめるに均し、○※[糸+比]《マヨヒ》の事上にいへり、
 
3454 爾波爾多都、 冠辭、
 
安佐提古夫須麻《アサデコブスマ》、 麻布《アサタヘ》の小衾なり、多倍の約|弖《テ》なれば麻提といふ、
 
許余比太爾《コヨヒダニ》、 常來ずともこよひばかりもなり、
 
都麻余之許西禰《ツマヨシコセネ》、 夫をより來させよと、夜床の衾に向ひていへるがあはれなり、此余之は由緒《ユヱヨシ》の事にはあらず、上に、「多胡の禰に、よせ綱はへて、よすれども、」てふ意にて、依《ヨリ》來させよと云なり、(卷十)「城《キノ》國に、不止かよはん、妻杜《ツマノモリ》、妻|依來西尼《ヨシコセネ》、妻|常言長柄《トイヒナガラ》、」てふに同じ、
 
安佐提古夫須麻《アサデコブスマ》、」
 
 △こゝに相聞の標有はとらず、右にも相聞歌は專らあり、
 
3455 古非思家婆《コヒシケバ》、伎麻世和我勢古《キマセワガセコ》、可伎都楊疑《カキツヤナギ》、 籬の柳なり、田舍には糸ならで上へ小枝の指柳を植て、かきとせし今も多し、
 
宇禮都美可良思《ウレツミカラシ》、 其柳の末枝を採からして、越るにやすからしむ、 
和禮多知麻多牟《ワレタチマタム》、」 立はいそぎ待さまなり、(卷四)あしがきの、末かき分て、君こゆと、云云、
 
3456 宇都世美能《ウツセミノ》、 顯身の世間をいひて、こは冠辭にあらず、
 
夜蘇許登乃敝波《ヤソコトノヘハ》、 八十言の上は、
 
思氣久等母《シゲクトモ》、安良蘇比可禰※[氏/一]《アラソヒカネテ》、安乎許登奈須那《アオコトナスナ》、」 吾を言にいひなすことなかれといへり、
 
3457 宇知日佐須《ウチヒサス》、 冠辭、
 
美夜能和我世波《ミヤノワガセハ》、 東の國造郡司などの子の、つかへまつりて京に在をいふべし、
 
夜麻登女乃、比射麻久其登爾、 垂仁天皇紀に、后の御膝を枕としていねまし、此集に、琴娘が人の膝上吾枕せんともよめり、
 
安乎和須良須奈《アヲワスラスナ》、」
 
3458 奈勢能古夜《ナセノコヤ》、 名夫《ナセ》の子よなり、子とは男女ともにいふなり、
 
等里乃乎加耻志《トリノヲカヂシ》、 地の名なり、耻は路、志は辭なり、此をか路は中のたわめるならんを、男の中絶て來ぬにたとふ、
 
奈可太乎禮《ナカダヲレ》、安乎禰思奈久與《アヲネシナクヨ》、 中絶し故に、我は夜もねず物おもへり、
 
伊久豆君麻※[氏/一]爾《イクヅクマデニ》、」 長息をつくまでなり、○今も上總人はいきづくをいくづくといへり、
 
3459 伊禰都氣波《イネツケバ》、 籾をうすづきて米とするなり、
 
可加流安我手乎《カヽルアガテヲ》、 和名抄に、皹(阿加々利)手足析裂也、といふ是にて、(卷三)「かゝりをる、鬼《シコ》のしこ手、」ともいへり、されど殿の若子が、取てなげかん、といふはいと賤女にはあらじ、然らばよろしき良民などの女が、身をくだりて賤女のわざをもていへるにぞ有べき、よき人も山がつ海人などに譬ていふも歌の道なり、 
許余比毛可《コヨヒモカ》、 今夜もかなり、
 
等能乃和久胡我《トノヽワクゴガ》、 田舍にて殿といふべき家は、郡司などなる事上にいへり、○和久子はわかき子の加幾約久なり、
 
等里※[氏/一]奈氣可武《トリテナゲカム》、」 此下に、於志※[氏/一]伊奈等、伊禰波都可禰|杼《ド》てふもひとし、
 
3460 多禮曾許能《タレソコノ》、屋能戸於曾夫流《ヤノトオソブル》、 記に、八千矛神の御歌に遠登賣能《ヲトメノ》、那須夜伊多斗遠《ナスヤイタドヲ》、游曾夫良比《オソブラヒ》、和我多々勢禮婆《ワガタヽセレバ》、比許豆良比《ヒコヅラヒ》、和我多々勢婆《ワガタヽセバ》、と有て、押開き引開んとするなり、【那須夜云云は、(卷九)佐那須いたどゝ云てさすなり、戸をさしふさぐをいふ、】
 
爾布奈未爾《ニフナミニ》、和家世乎夜里※[氏/一]《ワガセヲヤリテ》、伊波布許能戸乎《イハフコノトヲ》、」 十一月公の新嘗《ニヒナメ》祭ある時は、國廳にても同じ祭すれば、其國の里《サト》長より上は皆廳に集ふべし、然ればその里長などの戸《イヘ》にても、妻のものいみして在を、通ひ來る男の戸をおしひらかんとする時、あるじのよめるなり、上に、かつしかわせを、にえすとも、」とよめるは、戸《イヘ》々にて爲べけれど事はひとし、○和家は和賀なり、
 
3461 安是登伊敝可《アゼトイヘカ》、佐宿爾安波奈久《サネニアハナク》、 何ぞといふ事か、實に相ことの無やと云り、
 
眞日久禮※[氏/一]《マヒクレテ》、 いたく暮はてたるを眞日碁といふ、
 
與比奈波許奈爾《ヨヒナハコナニ》、安氣奴思太久流《アケヌシタクル》、」 日の暮て夜るは來事無て夜明ぬる朝に來るは、實に相まじきとてする事なりと、女のうたがへるなり、○初夜ならで惣ての夜をもよひといへる事、古人の常なり、よひ奈はよひにはなり、安氣ぬはあけぬる、思太は阿思多を略けり、
 
3462 安志比奇乃《アシビキノ》、夜末佐波妣登乃《ヤマサハビトノ》、 山澤を多《サハ》人と轉じて、又重ねて人さはにといひ下したり、おほきをさはといふは上にも出、
 
比登佐波爾《ヒトサハニ》、麻奈登伊布兒我《マナトイフコガ》、 集に、父母の、我はまな子ぞ、催馬樂に、安也女乃己保利乃大領乃|末名牟寿女止以戸《マナムスメトイヘ》、などいへるに均しく、庶子は其家にも他人もかろしめ、嫡妻《ムカヒメ》の子を眞《マ》なむすめと人もさはにたふとむ、その女こそよろづ事もなければ、吾は本より深く思ふといふなり、
 
安夜爾可奈思佐《アヤニカナシサ》、」
 
3463 麻等保久能《マトホクノ》、野|爾毛安波奈武《ニモアハナム》、己許呂奈久《コヽロナク》、佐刀乃美奈可爾《サトノミナカニ》、 眞中なり、
 
安敝流世奈可母《アヘルセナカモ》、」 上に、かみつけの、をどのたどりか、川路にも、兒らはあはなく、ひとりのみして、といへるに似たり、
 
3464 比等其等乃《ヒトコトノ》、之氣吉爾余里※[氏/一]《シゲキニヨリテ》、麻乎其母能《マヲゴモノ》、 蒋枕てふは常なるに依に、乎は小にて小《ヲ》菅小篠のごとくいふべし、
 
於夜自麻久良波、 同じ枕はなり、是をば下に家持卿の歌にも、於夜自とよめり、
和波麻可自夜毛《ワハマカジヤモ》、」
 
3465 巨麻爾思吉《コマニシキ》、 【高麗錦の紐などいふは、歌ことばを以て東にてもよめり、から衣ありぎぬなどをいへる類なり、】
 
比毛登伎佐※[旡/れっか]※[氏/一]《ヒモトキサケテ》、奴流我倍爾《ヌルガヘニ》、 倍は寢がうへのうは略く、下のくさねかりそけ、あはずがへといふに同じ、是に今一つ、わはさかる賀倍、といふ有は別なり、迷ふ事なかれ、
 
安杼世呂登可母《アドセロトカモ》、 何ぞとせんとかなり、此卷は凡濁る言を濁字もて書しにて意しらる、清字をかゝば吾と夫とかもとおもひ誤なん、
 
安夜爾可奈之伎《アヤニカナシキ》、」
 
3466 麻可奈思美《マカナシミ》、奴禮婆許登爾豆《ヌレバコトニヅ》、 相ぬれば人言にいひ出らるゝなり、
 
佐禰奈敝波《サネナヘハ》、 寢ぬなり、奈倍の約禰なり、
 
己許呂乃緒《コヽロノヲ》呂|爾《ニ》、 緒はかけつらなる事に言ことなり、されど輕くいへる所にて、意無も有は言の常なり、○呂は助辭、
 
能里※[氏/一]可奈思母、」 常に心の上に有なり、
 
3467 於久夜麻能《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木乃伊多度乎《マキノイタドヲ》、 眞木は惣て檜をいふ、
 
等杼登之※[氏/一]、 とゞとしては男のするなり、和我は女なり、此間を切て心得べし、
 
和我比良可武爾《ワガヒラカムニ》、伊利伎※[氏/一]奈左禰《イリキテナサネ》、」 入來て寢しめねなり、上にひとゝおたばふ、伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、てふに同じ、奈は禰に通ひ、志米の約は世なるを左に轉じいへり、
 
3468 夜麻杼里乃《ヤマドリノ》、乎呂能波津乎爾《ヲロノハツヲニ》、 呂は助辭にて、尾の秀《ホ》つ尾なり、尾の中に長きをいふ、はつを花も秀《ホ》つ男《ヲ》花てふ意なり、さてから國の魏といふ代に、山※[奚+隹]をかひて、鳴ざりしに、尾の方に鏡を置たりしかば、よく鳴つといひ傳へし、諺もてよみつらん、既清御原藤原宮などの比には、からことを語繼に、京に仕奉し男の東へ歸り居てこれらはよみつらん、【雜書に、鸞をしかせし事もあり、或人他鳥にもしかせしかば鳴つといへり、】
 
可賀美可家《カヾミカケ》、刀奈布倍美許曾《トナフベミコソ》、奈爾與曾利※[奚+隹]米《ナニヨソリケメ》、」 となふは聲たてゝよぶなり、それを名を唱らるゝにいひよせたり、さてかくばかり廣く名をとなへられんとてこそ、人の汝に吾を言よせ初たりけめといへり、よそりはいづこにても人のいひよするをいふ、
 
3469 由布※[旡/れっか]爾毛《ユフケニモ》、許余比登乃良路《コヨヒトノラロ》、 夕占を問しにも、君は今夜來んとのりたるなり、
 
和賀西奈波《ワガセナハ》、阿是曾母許與比《アゼゾモコヨヒ》、與斯呂伎麻左奴《ヨシロキマサヌ》、」 夕占もかなへるに、何ぞや今夜|倚《ヨリ》來まさぬなり、上の妻よしこせねのよしに同じ、上のよそりことよせなどの似てことなり、まどふ人あるめり、【或人好行好來をよしゆきと訓て、こゝをその意とおもへるはひがごとなり、先右の好行は、よくゆきと訓ことなるを、よしと訓誤て、こゝをも誤れり、かれは人のつゝがなき事をこそいへ、○注に柿本朝臣人麻呂歌集出也、】
 
3470 安比見※[氏/一]波《アヒミテハ》、千等世夜伊奴流《チトセヤイヌル》、伊奈乎加母《イナヲカモ》、 上の常陸歌に出、
 
安體也思加毛布《アレヤシカモフ》、伎美麻知我底爾《キミマチガテ二》、」 注のごとく人麻呂歌集には、東歌も入し類あれば、此歌こゝに載べき事なり、たゞ(卷四)此歌を全く載たるに、今本そこには不v注してこゝに注せしは、本上の卷には載ざるを、今は其卷四に有は、後に人麻呂集より亂れ入しならん、依てかしこは除て人麻呂集へいふべき事なり、歌詞も東|風《フリ》にて卷四に入べからねば、かた/”\疑ひなし、是を以て思ふに、卷四より六までの間に重り載し歌は、皆他より亂れ入しものなり、よく考へてかうがへ除べし、
 
3471 思麻良久波《シマラクハ》、禰都追母安良牟乎《ネツヽモアラムヲ》、於米能未爾《オメノミニ》、 面影耳になり、
 
母登奈見要都追《モトナミエツヽ》、安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》、」 今本三の句を、伊米能未爾、とあれど、暫も寢ぬよしを本末にいへるに、夢はいつ見んや、伊は必|於《オ》の誤にて於米なり、於米は、面を(卷二十)の東歌にも、於米加波利勢受《オメガハリセズ》、といひ、且面は面影を略きいふ事、こゝの次の歌に於母爾《オモニ》みえつるといへる是なり、【次の歌、今本に於由と有は、於母の誤なる事其所にいふ、】面影を(卷二)に、影に見えつゝともあれば、何れにも略きいひしなり、○禰しなくるは、禰しながらするてふ意なり、
 
3472 比登豆麻等《ヒトヅマト》、安是可曾乎伊波牟《アゼカソヲイハム》、 曾乎は曾れをなり、
 
志可良婆加《シカラバカ》、刀奈里乃伎奴乎《トナリノキヌヲ》、可里※[氏/一]伎奈波毛《カリテキナハモ》、」 他妻を何ぞや手もふるまじき物といはん、しかいはゞ隣の衣を借て着る事の無かはと云なり、上のしからば加の加を、下の波毛の上へおろして見よ、と或人のいへるはよし、○毛は助辭、
 
3473 左努夜麻爾《サヌヤマニ》、 左は發言、努夜麻爾は直に野山ともよむべし、
 
宇都也乎能登乃《ウツヤヲノトノ》、 打よ斧の音にて、於登の於を略くは常なり、
 
等抱可騰母《トホカドモ》、 遠かれどもなり、
 
禰毛等可兒呂賀《ネモトカコロガ》、於母爾美要都留《オモニミエツル》、」 道は遠くあれども、吾今夜かく行てねんものとてか、妹が面影に見えて有しはと、妹がもとへ男の行いたりていへるなり、都留といふにてしらる、○今本は於母を於由に誤りぬ、上の歌にもいひつ、
 
3474 宇惠多氣能《ウヱタケノ》、 植は生立《オヒタチ》て有をいふ、記に、大河原の宇惠具佐、日本紀にたちそばのみ、と有皆しかり、
 
毛登左倍登與美《モトサヘトヨミ》、 風に末の鳴さわぐをば、常にて本さへといへり、こは家こぞりてね泣さわぐを強くいふなり、
 
伊低※[氏/一]伊奈婆《イデテイナバ》、 防人に出立時と見ゆ、
 
伊豆思牟伎※[氏/一]可《イヅシムキテカ》、伊毛我奈藝可牟《イモガナギカム》、」 いつしはいづちなり、○奈藝可牟はなげかんなり、【今本藝をけと訓しは古へ無ことぞ、】此上に、「霞ゐる、ふじの山びに、わが來なば、いづちむきてか、妹がな氣可牟、」てふは聞ゆ、こゝなるは本末の言ことなり、亂れて二首の一首と成しなるべし、
 
3475 古非都追母《コヒツヽモ》、乎良牟等須禮杼《ヲラムトスレド》、遊布麻夜萬《ユフマヤマ》、可久禮之伎美乎《カクレシキミヲ》、於母比可禰都毛《オモヒカネツモ》、」 (卷五)旅の類に、不欲惠八趾《ヨシヱヤシ》、不戀登|爲杼《スレド》、木綿間山、越去之《コエニシ》公|之《ガ》、所念良國、と有は遂に同歌なり、されど言の異なるにつけて東歌に入し本有て、こゝに載しにや、
 
3476 宇倍兒余波《ウベコナバ》、 此歌の奈皆良に通へり、
 
和奴爾故布奈毛《ワヌニコフナモ》、 和奴は先われらてふ言をば、京人も和期ともいひ、東歌には和呂といへり、然れば、此奴は乃《ノ》とよみて呂に通はし心得べし、期《コ》乃《ノ》呂《ロ》の韻はしたしく通へり、【此奴を字音として、やつこの事と思ふ人有べけれど、古へ字音はなし、卷十六其外にたま/\有は、奈良朝こなたにて、しかも戯言にのみ有なり、そも/\東人は古言を傳へて物交はらねば、必歌に字音などはなき事ぞ、】又此歌に良を奈といへるも、奈は乃より、良は呂よりいひて、且奈と良も通へばなり、東歌はいかに轉言有も、此音の通はざるなきは、わが國のおのづからの妙なり、
 
多《タ》刀《ト・ツ》都久能《ツクノ》、 【都は古へ皆つの假字のみなる事を心得ぬ人、都我を登我ともいふ後世の言を思ひて、とがの木のいやつき/”\と訓は、ひがことなるよし、冠辭考にいふ、】立月なり、東には多|刀《ト》といふか、又都我の木のいや繼々といへる都我を、刀我と書しもあれば、刀《ト》はつのかなにもせしなれば、こゝもたつゝきとも訓べし、後世との音に唱る字は、古へ多くはつの假字に用る例なればなり、
 
奴賀奈敝由家婆《ヌガナヘユケバ》、 流去者《ナガレユケバ》なり、奴は奈なり、奈は良なり、さて良敝の約は禮なり、立行月日を流るゝ月日ともいへり、
 
故布思可流奈母《コフシカルナモ》、」 妹らは我に戀しかるらん、別て後たちゆく月日の流れ去て久しくなりぬればと云なり、こは妹が文などを見て、うべさぞ有べきといふならむ、【或本歌曰、努我奈敝由家杼、和奴賀由乃敝波、この由の下に可の字落たり、ながれゆけど吾がゆかなければてふ意なればなり、】
 
3477 安都麻道乃《アヅマヂノ》、手兒乃欲婢佐可《テコノヨビサカ》、 此地の事上に出、 
古要※[氏/一]伊奈婆《コエテイナバ》。安禮婆古非牟奈《アレハコヒムナ》、能知波安比奴登母《ノチハアヒヌトモ》、」 是も防人の別か、三年にて歸ればなり、又(卷五)三沙呉|居《ヰル》、渚爾居舟之、※[手偏+旁]出去者、裏戀(シ)監《ケム》、後者會宿友、
 
3478 等保期等布《トボシトフ》、 乏《トモ》しと云てふ言にてめづる事なり、
 
故奈乃思良禰爾《コナノシラネニ》、 東に在て人のめづる嶺なるべし、【後の歌ながら、甲斐の白根ともいへれば、いと東にも白根てふ名有まじきにもあらず、此下に白山風とよみしは、旅の歌なれば、東人の越の國へ行てよめるにて、こゝの歌とはことなり、此禰は本《モト》に同じ、】○爾はしらねの如爾と心得る例なり、
 
阿抱思太毛《アホシタモ》、 妹とあふ朝もなり、ほとふはかよへり、あしたのあを略くは、上にも明ぬるあした來るを、あけぬしたくると云り、
 
安波乃敝思太毛《アハノヘシタモ》、 あは無《ナケ》朝もなり、あはなふとも此卷によみたり、あしたのあは略く、
 
奈爾己曾與佐禮《ナニコソヨサレ》、」 佐は世良《セラ》の約にて、汝妹《ナニモ》にこそいひよせらるれといふなり、○こなの白嶺はともしみめでて、人の常いひ唱ふる如く、わが中もあひあはぬ日をもかぎらず、すべていひよそへる人のたえずしてくるしといへり 
3479 安可見夜麻《アカミヤマ》、久佐禰可利曾※[旡/れっか]《クサネカリソケ》、安波須賀〔二字左○〕倍《アハスガヘ》 此山の草を刈|放《サク》る如く、繁き人目を放《サケ》忍びてあふが上にといへり、○あは須〔右○〕の須は清て相《アハ》するといふ言、賀《ガ》倍は其加《ソノガ》うへのうを略けり、上に「巨麻にしき、紐解さけ〔右○〕て、奴流|我《ガ》倍爾、」と云に同じ、
 
安良蘇布伊毛之《アラソフイモシ》、安夜爾可奈之毛《アヤニカナシモ》、」 人にはあはずと爭ふが深くうつくしといへり、
 
3480 於保伎美乃《オホキミノ》、美己等可思古美《ミコトカシコミ》、 防人の立時の歌と見ゆ、
 
可奈之伊毛我《カナシイモガ》、多麻久良波奈禮《タマクラハナレ》、欲太知伎努可母《ヨタチキヌカモ》、」 公ごとにて夜ふかく立故に、ことに別れの戀しかりしを、道にてよめるなるべし、或人よだちを徭役の事とするはひがことぞ、此歌私事ならねば、いと速く催し立せられしよし上の言にしらせて、さて夜立といふにて深き嘆あり、又役を日本紀にえたちと訓しは、後世の訓なり、又徭立てふ言も有べからず、古歌に字音なし、東歌にはことに字音有まじき事、上に云がごとし、
 
3481 安利伎奴乃《アリギヌノ》、 冠辭、
 
佐惠佐惠之豆美《サエサヱシヅミ》、 あり衣は玉衣の事なり、さて玉もて作れる衣にて、そを著て動く時は相ふれてさわぐを、遠き旅に立別る時、妹らが悲み騒ぐにいひかけつ、さてその時わざと吾は靜《シヅマ》りゐて、妹に物もえいはず來て、今悔しといへり、○安利衣の事は冠辭考にいひ、佐々惠々《サヱサヱ》の事は此別記にいへり、○之豆美は上の別記にいふごとく、萬里の約にてしづまりなり、然れば吾靜りて人を靜んとする意なり、 
伊敝能伊母爾《イヘノイモニ》、毛乃伊波受伎爾※[氏/一]《モノイハズキニテ》、於毛比具流之母《オモヒクルシモ》、」 此集の左の注に、人麻呂歌集の歌とす、(卷十三)に、たゞ柿本朝臣人麻呂歌とて載たるは、其人麻呂歌集より取し後人の歌集なればおきて、人麻呂歌集も既言如く、此撰より後に顯れし物なれば、此卷に東歌に載しを本とす、かの人麻呂集にも東歌をも取し類有ことなり、かくてこは人麻呂歌にまがふほどの歌なれど、東にもすぐれてよくよめるもあり、且公に仕て歸り給けん國造などは、方言はよむべからねば、此卷中に宮樣なるも上下に有なり、【注に、柿本朝臣人麻呂歌集中(ニ)出、見v上已(ニ)注也、と云り、こは(卷十三)柿本朝臣人麻呂歌三首とて、珠衣乃、狹藍左謂|沈《シヅミ》、家(ノ)妹爾、物不語來而、思金津裳、と書たり、もと此十三卷へは人麻呂歌集より取し事、右の注にてもしらる、十三卷などは、奈良宮のいと末の歌集なる事、別記に云が如し、○是に狹藍左謂に書しは、謂惠同音なれば異るあらず、】
 
3482 可良許呂毛《カラコロモ》、須蘇乃宇知可倍《スソノウチカヘ》、 裔の打交は合ものなるを序にて、あはずといひなせるは常の事なり、
 
安波禰杼毛、家思吉己許呂乎、 異なる心をなり、
 
安我毛波奈久爾《アガモハナクニ》、」 【或本歌曰、可良己呂母、須素乃宇知可比、阿波奈敝婆、禰奈敝乃可良爾、許等多可利都母、あひあは無ければ寢無ながらになり、此乃は奈を通はせり、卷十六に、おのが身のからてふも己が身ながらなり、】
 
3483 比流等家波《ヒルトケハ》、等家奈敝比毛乃《トケナヘヒモノ》、 とけ無けのけを同韻にて倍に通はせいふ、〇この乃は之《ガ》と心得て聞ゆ、鶯の鳴を鶯が鳴といふがごとし、
 
和賀西奈爾《ワガセナニ》、阿比與流等可毛《アヒヨルトカモ》、欲流等家也須流《ヨルトケヤスル》、」 よるどけと言を濁らんか、○いはひて解《トカ》じとも又解るを君にあはんさがとも、わざと解ていはふとも、かゝる事は定めなくいへり、○こゝの阿比與流は、せこに吾相よるなり、かの「あさで小衾つまよしこせね」てふは、夫をこなたへよせよにて意うらうへなり、
 
3484 安左乎良乎《アサヲラヲ》、 良は助辭、
 
遠家爾布須左爾《ヲケニフスサニ》、 麻笥に多《サハ》になり、(卷十二、旋頭歌)「なでしこの、花總手折、吾はもてゆかん、」(卷十七)に、ふさと有も物の多きことなり、然れば布佐を延て布須左といふか、又ふさは略言にて、太多《フツサハ》なるをつ須同韻にて通はせいふか、常にふつさりとしてなどいへり、
 
宇麻受登毛《ウマズトモ》、安須伎西佐米也《アスキセザメヤ》、 麻衣《アサソ》を令著ざらめやなり、阿佐|曾《ソ》を約め轉じて安須といふ、曾《ソ》は衣《ソ》なり、下の佐はさらの略、【上にふすさにうますともといへど、急ぐ心にて明日きせざらめやといふとおもひしを、さては衣といはで、着といふこといかにぞや覺ゆ、仍てあすを麻衣《アサソ》と心得るなり、】
 
伊射西乎騰許爾《イザセヲトコニ》、」 伊射西は所の名にて、ちぬ男さゝ田男てふ如し、 
3485 都流伎多知《ツルギタチ》、 冠辭、
 
身爾素布伊母乎《ミニソフイモヲ》、 妹は身に著添べきもの故に、先かくいふ、
 
等里見我禰《トリミガネ》、 見がたくての意故にかを濁れり、
 
哭乎曾奈伎都流《ネヲゾナキツル》、手兒爾安良奈久爾《テゴニアラナクニ》、」 此手兒は緑兒をいへり、既いへる如く※[氏/一]子は果の子にて、先は幼をいへば、こゝの如くもいひ、又をとなに成てもいひ、或は喚名ともせしと見えたり、事によりて心得べし、 
3486 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》、」 句なり、
 
由豆加奈倍麻伎《ユヅカナベマキ》、 革を斜に纏なれば、並纏といふともすべけれど、さては此歌によしなし、思ふに相射ん爲に、如己男《モコロヲ》の各弓束を卷調るを以て、並べ卷といふならんとおぼゆ、
 
母許呂乎乃《モゴロヲノ》、 此言は古書皆如てふ意にてを鴨の母己呂ともいへり、然れば母は眞《マ》なり、其呂は其登にて如《ゴトク》てふ言なりけり、さて(卷十)此言を如己男と書しは、意をしらせたるなり、【此國の言に初より濁るはなし、然ればごとくと云は、上に略言有こと知べし、故にもころのもを略き、登と呂を通はする時同言と成といふなり、】
 
許登等思伊波婆《コトヽシイハヾ》、伊夜可多麻斯爾《イヤカタマシニ》、」 或人彌勝ましと解しかど穩ならず、射哉《イヤ》勝んにといふにて、二の句よりかかるなり、さて相似たる男どちならば、我ぞ勝んと思ふに、いもがうへの事には力らも及ばずといへり、
 
3487 安豆左由美《アヅサユミ》、須惠爾多麻末吉《スヱニタマヽキ》、可久須酒曾《カクスヾゾ》、 古の弓は木のかぎりして作れば弭直して弓末に弦音なし、鞆の音のみにては勢たらはぬ故に、弓末に玉を纏鈴をもつけしなり、梓弓夜|音《ト》の遠|音《ト》など鳴弦《ツルナラシ》するも、これらの音あひて遠く聞ゆべし、弓のみかは萬の物にも玉と鈴をつけし事多かり、かくて是は玉鈴の音《ネ》を寢にいひかけたる序のみ、【凡玉の音といひ、手玉ならすといふも、玉のみ相ふれて高音有ものならず、手《タ》な鈴とも手《タ》玉ともいひて、此二つを交へ付しものなり、】
 
宿莫奈那里爾思、 今本奈莫と有は、後に誤て上下せし物なり、ぬる事|莫奈《ナクナ》成にしてふ言なればなり、此下に宿莫敝など書つ、
 
於久乎可奴加奴《オクヲカヌカヌ》、」 末をかねつゝ強《シヒ》ずて有間に、遂に妹と寢る事も無なりしよとなげくなり、○奥と末は通はしいふ、おくをかねて時を待ことをよめる上の卷にも有、
 
3488 於布之毛等《オフシモト》、 生繁本《オフシモト》なり、志美の美を略きて志毛等といふ、毛等とは木立《コダチ》をいふ、孝徳天皇紀に、模騰渠登爾《モトゴトニ》、播那波左該騰模《ハナハサケドモ》、と有是なり、且山下をふもとゝいふも此おふしもとの於としを略きて生本《オフモト》と云なり、(本は木をいふこと右の如し、)さて右に依て思へば、安之備幾てふ冠辭も、生繁木《アシミキ・アフシモト》にて是と同言なりけり、【おふしもと云言を略きて、あしびきといふを冠辭とせしをいはゞ、於布を安といふは、五音の始の阿と末の於と角違に通はする例なり、其於布の布を籠て阿といふは、生《オフ》るを阿禮《アレ》と云が如し、○こゝにはしみ本《モト》の美を略て、しもとゝいふを、冠辭には其美を備に通はせ、本を即木としてあし備木とはいへり、同音なる事知べし、仍て冠辭考をも改めつ、】○記の倭建命の御歌に、天のかぐ山、とがまに、さわたる久※[田+比]比波、とのたまへる久※[田+比]は※[木+若]《シモト》の事、比《ヒ》は生《オヒ》の略なるよし卷三に引ていへり、然れば彼は生《オヒ》の言を下に付こゝは上にいふにて同きなり、
 
許乃母登夜麻乃、 是も此木《コノモト》山といひて上の言を重ねたるなり、
 
麻之波爾毛《マシバニモ》、 上よりは生木《フモト》の木《モト》山の眞柴といひかけて下は眞數《マシバ》にも告《ノラ》ぬ妹が名といふなり、
 
能良奴伊毛我名《ノラヌイモガナ》、可多爾伊※[氏/一]牟可母《カタニイデムカモ》、」 右のしば/\ものらぬといふを強く思ふことなかれ、此歌は上に、「うらべかたやき、まさてにも、のらぬ君が名、うらに出にけり、」と有と均しきを思ふに、こゝも眞定《マサダ》にものらぬといふ心なるを、序の言を得ていひ下す故に、しばしばといへるのみと知べし、しからざれば、此歌末の言と本の心違ふべし、歌はつゞけの言によりて、さまざまにも聞ゆる物なり、さて歌の本の心を得ぬ人はまどふべし、【友などに定には告ず、かつ/\告しと云てしば/\は告ず、一度かたはしを告しと似たる事と成ぬ、】
 
3489 安豆左由美《アヅサユミ》、 冠辭、
 
欲良能夜麻邊能《ヨラノヤマベノ》、 弓よりは倚とかゝれり例多し、此山はしられず、 
之牙可久爾《シゲカクニ》、 幾を同音にて延て可久と云、
 
伊毛呂乎多※[氏/一]天《イモロヲタテヽ》、 上の遠江歌に、木部の林に、汝をたてゝ、といへるに似たり、〇こは女の男の許へ來たるなり、かゝる事も有べし、
 
左禰度波良布母《サネドハラフモ》、」 よろこぶさまなり、
 
3490 安都佐由美《アヅサユミ》、 冠辭、
 
須惠波余里禰牟《スヱハヨリネム》、麻左可許曾《マサカコソ》、 上に出、
 
比等目乎於保美《ヒトメヲオホミ》、奈乎《ナヲ》、 汝をなり、
 
波思爾於家禮《ハシニオケレ》、」 汝を端の方におけれなり、つまどひに來し男に心はよれど、まだ奥へ入すべきほどならねば、端の簀子などにをらするをいふなり、【柿本朝臣人麻呂歌集出也、○座に奥端といふ有て、貴きを奥下臈を端とするもあれど、それとは異なり、】
 
3491 楊奈疑許曾《ヤナギコソ》、伎禮婆伴要須禮《キレバハエスレ》、 常有事なり、
 
余能比等乃《ヨノヒトノ》、古非爾思奈式乎《コヒニシナムヲ》、伊可爾世余等曾《イカニセ∃トゾ》、 世の人とは我をいふ、
 
3492 乎夜麻田乃《ヲヤマタノ》、伊※[旡/れっか]能都追美爾《イケノツヽミニ》、左須楊奈疑《サスヤナギ》、 集中に、さし柳、根はるともよみて、柳枝はさすに、よく根つきておひ榮ゆ、其|生《オフ》をなるといへり、今も東人は草木の生たるをなりたりといへり、仍て戀の成にいひ轉ぜり、さてわが中の終に成ぬとももしならずとも、汝と吾心はかはらじと云り、
 
奈里毛奈良受毛《ナリモナラズモ》、 【婚の調へるを成と云こと、令條にも集中にも有、】 
奈等布多里波母、」
 
3493 於曾波夜母《オソハヤモ》、奈乎許曾麻多賣《ナヲコソマタメ》、 汝をなり、
 
牟可都乎能《ムカツヲノ》、四比乃故夜提能《シヒノコヤデノ》、 椎の小枝を音通へば、こやでともいへり、○能に如を籠、
 
安比波多家波自《アヒハタゲハシ》、」 椎の小枝はかたたがひ成て繁り合を、男に相にいひかけたり、【或本歌曰、於曾波也母、伎美乎思麻多武、牟可都乎能、思比乃佐要太能、登吉波須具登母、こは成がたき事のいつもかはらで、時は過ともといふならん、】
 
3494 兒毛知夜麻《コモチヤマ》、和可加敝流※[氏/一]能《ワカヽヘルデノ》、毛美都麻※[氏/一]《モミヅマデ》、 (卷十二《今ノ八》)わが宿に、もみづる蛙手、ともよめり、右かへる手は、夏の初によみたるにて、秋の末までもと云り、
 
宿毛等和波毛布《ネモトワハモフ》、汝波安杼可毛布《ナハアドカモフ》、」 何かと思ふと問り、
 
3495 伊波保呂乃《イハホロノ》、 上の上毛野國歌に、伊香保呂能、蘇比乃波里波良、とよめるに似たり、既いふ如く、伊加保は三方山にて一方は岨なり、其岨の方の野のはぎ原をいへり、こゝもそひの若松限りといへるは、其岨野の小松原までにて、外は岸なれば限りといへると聞ゆ、然れば此伊波は何《カ》などの字を誤りしにて、伊何保なるべし、かくて次の歌の多知婆奈乃といへるも、東にては武藏の橘樹郡の外は聞えぬからは、武藏なるべし、其次の安波乎呂も安房國の岳と聞え、此前後も必國處のしられぬを集めしともいふべからず、仍て右は上野のいかほとすべし、
 
蘇比能和可麻都《ソヒノワカマツ》、可藝里登也《カギリトヤ》、 右にいへる如く岨にて限り有を序にて、男の絶限るにたとふ、
 
伎美我伎麻左奴《キミカキマサヌ》、宇良毛等奈久毛《ウラモトナクモ》、」 心もとなくといふにて、此言のこと上に出、
 
3496 多知婆奈乃《タチバナノ》、 右にいへる如く、武藏なる事疑ふべからず、
 
古婆乃波奈里我《コバノハナリガ》、 古婆は里の名、波奈里は童女なり、事は上の別記にいへり、
 
於毛布奈牟《オモフナム》、 おもひなん、
 
古許呂宇都久志《コヽロウツクシ》、伊※[氏/一]安禮波伊可奈《イデアレハイカナ》、」 乞《イデ》吾はゆかんなり、
 
3497 可波加美能《カハカミノ》、 河の上なる意此歌になし、かはら川べなどいふ意なり、【大御神の宮を五十鈴川上といへど、川の上にはあらず、又卷一の河上のゆつ石むらなども、川のべと聞ゆ、】
 
禰自路多可我夜《ネジロタカガヤ》、 こはすゝき高かやなど云て、水草ならず、川の岸野に生繁れるが、水高き畔あらはれて本の白く見ゆるを、根白とはいふなるべし、さて根白は三の句へはつゝかず、四の句にさね/\てといはん序なり、
 
安也爾阿夜爾《アヤニアヤニ》、 入立てしげく通ひしなり、
 
左宿左寐※[氏/一]許曾《サネサネテコソ》、己登爾※[氏/一]爾思可《コトニデニシカ》、」 人言に云出られたるなり、○可は清《スミ》て歎く辭とすべし、此卷かゝる所は清濁をわけて書り、
 
3498 宇奈波良乃《ウナハラノ》、 日本紀に、河上をかはらと訓し類にて、此海はらは海邊をいふなり、
 
根夜波良古須氣《ネヤハラコスゲ》、 やはらは、催馬樂に、貫川の、わら手枕、てふ如くこゝのわらも泥をいひ、且其泥に生菅なれば、寢和らこ菅といひなして、うるはしきやははだ兒らをそへたり、
 
安麻多阿禮波《アマタアレバ》、 古今歌集に、目ならふ人の、あまたあれば、
 
伎美波和須良酒《キミハワスラズ》、 忘るのるを延て良すと云、
 
和禮和須流禮夜《ワレワスルレヤ》、」 わすられずとかへるなり、常はわすらるれやともいへり、
 
3499 乎可爾與世《ヲカニヨセ》、 岡に著《ツキ》よりてなり、
 
和我可流加夜能《ワガカルカヤノ》、佐禰加夜能《サネカヤノ》、眞《サネ》萱なり、まがやといふ事なるを、さねと云て佐寢をそへ、且末の句へかゝる、
 
麻許等奈其夜波《マコトナゴヤハ》、 下卷、「蒸衾《ムシブスマ》、なごやが下に、ねたれども、」とよめり、
 
禰呂等敝奈香母《ネロトヘナカモ》、」 まことになごやかには寢むといは無《ナキ》と、つれなきをうらむ、此句ね毛をねろ、いは無のいを略、はを倍に通し久を香といへり、
 
3500 牟良佐伎波《ムラサキハ》、根乎可母乎布流《ネヲカモオフル》、 紫草は根の色して衣を染る事をなしはたすものなりと先いひて、吾はねる事をなしはたさぬをいはん料とす、
 
比等乃兒能《ヒトノコノ》、宇良我奈之家乎《ウラガナシケヲ》、 心に深く愛《メヅ》るなり、
 
禰乎遠敝奈久爾《ネヲオヘナクニ》、」 戀とも共ねする事を、なし果《ハタ》さぬなり、○乎敝《ヲヘ》てふ言は(卷九)む月たち、春の來たらば、かくしつゝ、梅を折つゝ、多努之岐乎倍米《タノシキヲヘメ》、こは樂き事を盡さめなり、(卷十九)に、是を追加として、春裏之、樂終者《タノシキヲヘバ》、梅花、手折乎伎都追、(乎は助辭、)遊爾可有、てふは樂を盡さむとならばと云なり、祝詞に、稱辭竟奉《タヽヘゴトヲヘマツル》といふも、神の御|徳《イサホ》を稱盡し崇めことを盡し果すなり、
 
3501 安波乎呂能《アハヲロノ》、 安房國の岳なるべし、相摸|嶺《ネ》といふが如し、 
乎呂田爾於波流《ヲロタニオハル》、 岳の麓に有田に生なり、古は缶丘峯の字を通はし書たり、大小は高所に依て知故に、岡《ヲカ》と書も後世おもふとは違ひもあり、
 
多波美豆良《タバミヅラ》、 玉かづらに同じ、此多波を多和む事と思ふは假字違へり、武藏の多摩川を多|婆《バ》川と唱ふる如くに波を濁るべし、かくてみづらは眞蔓《マカヅラ》てふ事なれば、即玉かづらをたばみづらともいふなりけり、○田に生とは、句のせまればいへるにて、田邊に生るを云べし、
 
比可婆奴流奴留《ヒカバヌルヌル》、安乎許登奈多延《アヲコトナタエ》、」 いひ通はす言の絶ることなかれ、そのかづらを引が如く遠長かれと云なり、○奈多延曾といふを、曾をいはぬは、雲勿棚引《クモナタナビキ》莫和備《ナワビ》などの類なり、
 
3502 和我目豆麻《ワガマヅマ》、 目は眞なり、
 
比等波佐久禮杼《ヒトハサクレド》、安良多麻能《アラタマノ》、 今本に安佐我保能と有は、よしもなき事なり、こは安良多麻《アラタマ》などの草より誤しこと、歌の道に付て明らかなれば、あらためつ、【今本の訓は誤れり、】
 
等思佐倍己其登《トシサヘコゾト》、 其は受に通はして、年にさへ來ずとも我は思ひはなるゝ心あらじといへり、
 
和波佐可流我倍《ワハサカルガヘ》、」 流我の約は良、倍は禰に通てさからねなり、上のあはすがへとはことなり、【我の濁と良と通ふ例語意にいづ、】
 
3503 安齊可我多《アサカガタ》、 記また(卷四)神名式などに在は、伊勢の壹志郡なり、この歌に在は東にも同名あるならむ、
 
志保悲乃由多爾《シホヒノユタニ》、 潮干は海上のどかに見る目寛かなるを、潮干の如くゆたにのどかに思はゞ色には出じ、頻て思ふより顯れたりと云なり、
 
於毛敝良婆《オモヘラバ》、宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》、伊呂爾※[氏/一]米也母《イロニデメヤモ》、」 他の樣とことなる物とを、本末の譬とせしも類あれど、此歌はよろしくも聞えず、もし二首の一首と成しにや、
 
3504 波流敝佐久《ハルベサク》、布治能宇良葉乃《フヂノウラバノ》、 序なり、
 
宇良夜須爾《ウラヤスニ》、 心をやすらになり、
 
左奴流夜曾奈伎《サヌルヨゾナキ》、兒呂乎之毛倍婆《コロヲシモヘバ》、」 おもへばのおを略、【後撰集に、「春日さす、藤のうらばの、うらとけて、君したのまば、我もたのまん、」てふはこゝの歌もていひかへたり、】
 
3505 字知比左數《ウチヒサス》、 冠辭、今本都と有は數を誤れり、
 
美夜能瀬河伯能《ミヤノセガハノ》、可保婆奈能《カホバナノ》、 かほ花は集中に四首有中に面影にいひしは(卷十二)一首にて、他はくさ/”\につゞけたり、されどこは猶かほよき妹を、此花に譬へしともすべし、或人はかほとしあれば、顔よき事をいふとおもへるよ、
 
孤悲天香眠良武《コヒテカヌラム》、伎曾母許余比毛《キソモコヨヒモ》、」 明日の夜もこよひもといへり、こゝと(卷七)「いはゞしの、間々に生たる、貌花、」とよめるはおもだかをいふにや、かれが葉は人の面の高きが如くなれば、面高とも名付いふ意を枕ざうしにもいひつ、又此下に、「みやしろの、をかべに立るかほが花、」と(卷十二)「高圓の、野べのかほ花、」と云は、槿《アサガホ》をいふべし、槿はむくげの花なり、
 
3506 爾比牟路能《ニヒムロノ》、許騰伎爾伊多禮婆《コトキニイタレバ》、 新室の言祷《コトブキ》の時と成しかばなり、○新室の御賀詞は、紀に(顯宗條)出、(卷四)新室蹈靜子之《ニヒムロヲフミシヅムコガ》、といへるもことぶきの時のさまなり、
 
波太須酒伎《ハタスヽキ》、 冠辭、
 
穗爾※[氏/一]之伎美我《ホニデシキミガ》、見延奴己能許呂《ミエヌコノゴロ》、」 妹が家を新に作りてことぶきすとて人は多くつどへど、吾と相おもふ事の顯はれし君は、却てはゞかり見え來ぬを思ひてよめるなるべし、
 
3507 多爾世婆美《タニセバミ》、彌岳爾礪波比多流《ミネニハヒタル》、多麻可豆良《タマカヅラ》、多延武能己許呂《タエムノココロ》、我母波奈久爾《ワガモハナクニ》、」 (卷四)山高(ミ)、谷邊(ニ)蔓、とて末ことに(卷五)「丹波賂の、大江の山の、さねかづら、」とて末はこゝと均もあれど、各他人の歌と見えたり、
 
3508 芝付能《シバツキノ》、御字良左伎奈流《ミウラサキナル》、 相摸に三浦郷和名抄に出て今も有、芝付てふ所そこには無か問ふべし、
 
根都古具佐《ネツコヅサ》、 此草はしらず、共ねせしを相見しともいふ故に、序とせしなり、
 
安比見受安良婆《アヒミズアラバ》、安禮古比米夜母《アレコヒメヤモ》、」
 
3509 多久夫須麻《タクブスマ》、 冠辭、
 
之良夜麻可是能《シラヤマカゼノ》、 此歌東人の旅によめると見ゆれば、越の白山の邊へ行てよめる成べし、
 
宿奈敝杼母《ネナヘドモ》、古呂賀於曾伎能《コロガオソキノ》、安路許曾要志母《アロコソエシモ》、」 白山風の夜寒きに寢がたけれど、妹が形見の襲衣《オソヒキヌ》の有を着ればよしといへり、於曾伎はたゞ表衣にて、かの於須比とは異なり、○こそといひて下をしとゝむるは幾《キ》と通へばなり、
 
3510 美蘇良由久《ミソラユク》、君母爾毛我母奈《クモニモガモナ》、家布由伎※[氏/一]《ケフユキテ》、伊母爾許等杼比《イモニコトドヒ》、 ものいひてふをことゞひといふ、
 
安須可敝里許武《アスカヘリコム》、」 是も防人の歌ならむ、
 
3511 安乎禰呂爾《アヲネロニ》、多奈婢久君母能《タナビククモノ》、伊佐欲比爾《イザヨヒニ》、 去もやらず懸て年ふるなり、
 
物乃乎曾於毛布《モノヲゾオモフ》、等思乃《トシノ》許|能己呂《ノゴロ》、」 此年頃をといふに同じ、
 
3512 比登禰呂爾《ヒトネロニ》、伊波流毛能可良《イハルモノカラ》、 物ながらなり、 
安乎禰呂爾《アヲネロニ》、伊佐欲布久母能《イザヨフクモノ》、與曾里都麻波母《ヨソリヅマハモ》、」 妹と吾と心ひとつぞといひよせらるゝなれど、實は心いざよひてはたさぬ、そのいひよせ妹はと戀なげくなり、心は上の伊かほ嶺に雨雲伊つぎといへるに似て、末少しことなり、
 
3513 由布佐禮婆《ユフサレバ》、美夜麻乎佐良奴《ミヤマヲサラヌ》、 美山は眞山にて、ほむる辭のみ、【後世何人か誤初めけん、み山を深山と書ことと思へり、古へ深山をみやまと訓し事必なし、】
 
爾努具母能《ニヌグモノ》、 布引たらん如く棚引雲をいふ、上にも奴能を爾能といへり、 
安是可多要牟等《アゼカタエムト》、伊比之兒呂婆母《イヒシコロハモ》、」【はもは半濁に和のごとくいふ故に婆と書り、此類多し、】高き山の夕の布雲のごと、わが中何ぞや絶る時あらんといひし妹の絶て後に、男の思ひ出てなげくなり、
 
3514 多可伎禰爾《タカキネニ》、久毛能都久能須《クモノツクノス》、 如なり、
 
和禮佐倍爾《ワレサヘニ》、 雲に依て吾副と云、
 
伎美爾都吉奈那《キミニツキナヽ》、 下の那はいひおそふる辭、
 
多可禰等毛比※[氏/一]《タカネトモヒテ》、」 君をその高ねと思ひてなり、
 
3515 阿我於毛乃《アガオモノ》、和須禮牟之太波《ワスレムシタハ》、 牟は毛に通へり、卷四、面形の忘るとならばとも、面忘などもいへるに同じく、年經ておぼ/\しくなれるをいふ、嶺の雲は面形に似る物ならず、通き境にては、雲のみ形見なればいふのみ、之太波は爲給者なり、
 
久爾波布利《クニハフリ》、 記に大君を島にはぶりといふは、放て遠くやるなり、こゝはたゞ國を放れて遠くゐるを云、【紀に溢をはふりに用しも意ひとし、】
 
禰爾多都久毛乎《ネニタツクモヲ》、 嶺になり、
 
見都追之奴婆西《ミツヽシヌバセ》、」
 
3516 對嶋能禰《ツシマノネ》、 防人はつしまへも行、
 
波之多久毛《ハシタクモ》、 今本具と有は、久を具《グ》に誤れるなり、【はしたくは細痛《クハシイタタ》の略にて、くはしくは古へ物をほむる言にて、はしき妻|愛嬬《ハシツマ》などいふも是なり、多久は伊多久の略にて、上の事を強からする辭のみ、】
 
安良奈布《アラナフ》、吾行つしま嶺の雲は心|愛《ウツ》くしともなしとなり、
 
可牟能禰爾《カムノネニ》、多奈婢久君毛乎、見郡追思怒波毛、」 こは防人の別る時、上の歌を妹がよみしにこたへたるならん、さて吾ゆかむ對馬嶺の雲を見ては、形見ともおもはじ、たゞ東の神の嶺の雲を遠く見つゝしぬばんといふなり、筑紫より東の嶺の雲は見えざれど、しかいふは情なり、可牟のねはつくしにも在やと思ふべけれど、わろし、對馬嶺をば右の如くめづましければ、神の嶺は東なるをいふ事知べし、下に足がらの御坂を神の御坂ともよめれば、是ならんか、
 
3517 思良久毛能《シラクモノ》、多要爾之伊毛乎《タエニシイモヲ》、 白雲は必絶るなり、
 
阿是西呂等《アゼセロト》、 何とせんとなり、
 
許己呂爾能里※[氏/一]《コヽロニノリテ》、許己婆可那之家《コヽバカナシケ》、」 こゝばくを略けり、
 
3518 伊波能倍爾《イハノヘユ》、伊賀可流久毛能《イガヽルクモノ》、」 此三句より下は落失しものなり、今本に、可努麻豆久、比等|曾《ソ》(誤なり)於多波布、伊射禰之賣刀良、とあるは、本末かけ合ず、上の上野歌に、伊香保呂爾、安麻久母伊都|藝《ギ》、可奴麻豆久、比等登於多波布、伊射禰志賣刀羅と在るは聞えたり、然れば此末句どもは亂れ本にかくありしならんを、校合せし人よく心得ざりし物なり、仍て今度は三の句より下を闕て正しき本を待めり、
 
3519 奈我波伴爾《ナガハヽニ》、己良例安波由久《コラレアハユク》、 妹がもとへ來たる男を、母聞つけてのゝじりければ、かへるとて讀るなり、
 
安乎久毛能《アヲグモノ》、 冠辭、
 
伊※[氏/一]來和伎母兒《イデコワギモコ》、 はしなどへしばし出來たれといふなり、 
安必見而由可武《アヒミテユカム》、」
 
 △今本にこゝに 3520 於毛可多能、和須禮牟之太波、於抱野呂爾、多奈婢久君母乎、見都追思努波牟、とあるは、只この五首上に出し歌にて、それには、初は阿我於毛乃三句は、久爾波布利、四句には、禰爾多郡久毛乎、五句には、見郡追之努波|西《セ》、とありてよろし、こゝに於波野呂と云は、野に專ら雲をいふべくもなし、そも地名を擧て山上の野なるにいふ事なり、上の忘もしたばは忘給はゞなるを、末に志努|波牟《バム》とあるは、我心なれば意そむけり、然ればこゝの歌は後に誤て再載しものなり、此右にもひが歌あるは、此ところ亂れし物なり、
 
3521 可良須等布《カラストフ》、 烏と云といふなり、
 
於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》、 乎曾は常に宇曾とて、いつはりいふ事なり、【於曾のみや人、於曾や此君などは、絶て心遲き事にて、かなも於曾なり、こゝに引歌も恐《オソ》ろしと心得ては、意穩かならぬが上に、恐は於曾のかなゝればかなはず、古意は此かなを知て後定まれり、】こゝに烏といふ大|僞《ウソ》鳥といふ意なり、(卷十三)相見(テ)者、月毛|不經《ヘナク》爾、 戀云者《コフトイハヾ》、乎曾呂登吾乎《ヲソロトワレヲ》、於毛保寒毳《オモホサムカモ》、てふも僞ぞとおもほさむかと云なり、乎を通はしいふは、兎《ウサギ》を乎佐支|現《ウツヽ》を乎都々と云がごとし、
 
麻佐低爾毛《マサデニモ》、 眞定にもなり上にも出、
 
伎麻左奴伎美乎《キマサヌキミヲ》、 來まさぬ君を、
 
許呂久等曾奈久《コロクトゾナク》、」 烏のころく/\と鳴事あるを、子等來《コラク》と聞なして、きみか來るやと待にかひなければ、大僞鳥ぞといへり、古今歌集に、鶯のこえを人來/\、と聞なせるも此類ぞ○子等《コラ》とはこらは男をいへり、男をこらといふことは聞えねど、烏の聲をしか聞なすなればさてもよし、
 
3522 伎曾許曾波《キソコソハ》、 上に出、
 
兒呂等左宿之香《コロトサネシガ》、久毛能宇倍由《クモノウヘユ》、奈伎由久多豆乃《ナキユクタヅノ》、麻登保久於毛保由《マドホクオモホユ》」
 
3523 佐可故要※[氏/一]《サカコエテ》、阿倍乃田能毛爾《アベノタノモニ》、 駿河のくに内屋《ウツノヤ》の坂の東に阿部川あり、川の東は即阿部の市道と(卷十四)によめる是なり、
 
爲流多豆乃《ヰルタヅノ》、 序なり、
 
等毛思吉伎美波《トモシキキミハ》、 こは群るをばいはず、たゞめを二つをるをもて乏しきたとへとす、たま/\こし男をいかでかく日ならべて來んよしもがもと思ふなり、
 
安須左倍母我毛《アスサヘモガモ》、」
 
3524 麻乎其母能《マヲゴモノ》、布能末知可久※[氏/一]《フノマヂカクテ》、 顯宗天皇紀に、耶賦能之摩※[加/可]枳、後に十ふのすがこもなどいへる、皆ゆひめあみめを節《フシ》といふを略きて布といへり、日本紀の私記などには思ひ得ざりし、○今本未とあるは誤れり、薦《コモ》などのふは間ちかきとこそいへ、
 
安波奈敝婆《アハナヘバ》、 こものふの間近きを、男と女の近く住に近けれども相ずと云り、
 
於伎都麻可母能《オキツマカモノ》、奈氣伎曾和我須流《ナゲキゾワガスル》、」 間近きものと遠きものと對《ムカ》へ云り、
 
3525 水久君野爾《ミクヽヌニ》、 武藏の秩父郡に水久具利てふ里あり、もし其所の泥をいふか、野は古へ奴といへればこゝは泥《ヌ》のかなとせしなり、
 
可母能波抱能須《カモノハボノス》、 鴨の羽ぶきのごとくといふなり、地に群て羽ぶきするは聞驚るゝ物なり、【鴨は野原によしなし、又野につけてよまば其よしこそいはめ、○如をなすと訓ことは上に多し、其なすをのすといへる例有、或説に、於呂波敝を男等這てと心得しはひがことなり、男は乎のかなゝり、又しかいひて此歌穩に聞えんやは、上を野に造と心得しよりの誤なり、鴨に這といふ言はなきなり、】○夫伎の約備なるを抱《ボ》に轉じたり、
 
兒呂我宇倍爾《コロガウヘニ》、許等於呂波敝而《コトヲロバヘテ》、 言《コト》はへてなり、於は於|杼《ド》の約なれば、驚《オドロク》くを於呂ともいひ、音はどろを約ておとゞろとよめる類なり、波《バ》倍は付いひ言を延る辭にて、下ばへころばへなどの如し、さて催馬樂に、「あしかきまがきてふこすと、おひこすと、とゞろける此家の弟《オト》よめ、おやにまうよこしけらしも、」といへるが如し、男の忍び來んぞと聞て、家こぞりとゞろぎ騷といふなり、○おどろくとゞろくは相似たる事ぞ、
 
伊麻太宿奈布母《イマダネナフモ》、」
 
3526 奴麻布多都《ヌマフタツ》、可欲波等里我栖《カヨハトリガス》、 沼二つへかよふ水鳥のすみかなり、我栖《ガス》は如《ナス》の辭ともすべけれど、栖と書しは、すみかの意なるを思はせしなり、さて云々○鳥がすみかのごとくと心得べし、
 
安我許古呂《アガコヽロ》、布多由久奈母等《フタユクナモト》、奈與母波里曾禰《ナヨモハリソネ》、」 我こころを二方にかよはすと汝よ思ひそといへり、上の奈母は辭、次の奈與は妹をさす、下の波里は比を延いふのみ、
 
3527 於吉爾須毛《オキニスモ》、 泥にても遠く深き所を澳といふ、須毛は須牟なり、
 
乎加母乃母己呂《オカモノモコロ》、 乎は小なり、母古呂は如くてふ言なる事上にいひつ、
 
也左可杼利《ヤサカドリ》、 八十量《ヤソバカリ》の長息をつく鴨鳥と云なり、八曾波加利の曾波の約佐なればなり、佐加といひ利は略けり、さて小鴨の中に爾保《ニホ》鳥の聲は長く引て鳴故に、譬へしなり、仍て澳といふも、水底に入よしにていへりとも聞ゆ、こはやさかの長息する小鴨鳥の如してふ意なるを、下へいひつゞけたるとて、言を前後におけり、【集中に、我なげく八尺の歎、杖不足八尺のなげき、などいふに尺と書しは、八十量の言にかなふ字故に、借しのみなり、神代紀出雲風土記などに、八十量てふ言は出づ、それらを見ば明らかならん、】
 
伊伎豆久伊毛乎《イキヅクイモヲ》、於伎※[氏/一]伎努可母《オキキヌカモ》、」 防人の別れなるべし、
 
3528 水都等利乃《ミヅトリノ》、 冠辭、
 
多々武與曾比爾《タヽムヨソヒニ》、 よそひは萬づにわたりて云、
 
伊母能良爾《イモノラニ》、 能は妹根と貴む言なり、
 
毛乃伊波受伎爾※[氏/一]《モノイハズキニテ》、 爾は去なり、
 
於毛比可禰郡毛《オモヒカネツモ》、」 此末の言は上にも下にも有、
 
3529 等夜乃野爾《トヤノヽニ》、 鷹をあはせんとて、柴などをさして隱れをるを、田舍にて鳥やといふ、そを轉じて獣とるためにするをもしかいへり、さるわざする所を即鳥屋の野ともいふなるべし、
 
乎佐藝禰良波里《ヲサギネラハリ》、 兎《ウサギ》ねらひなり、乎宇通はしいふこと上にいへり、○ねらひは、下にさつをのねらひともよみて、たねらひともためらひとも云是なり、波里は比の延言、上は序、
 
乎佐乎佐毛《ヲサヲサモ》、 何にてもことの長たるを乎さといふよりして、專らなるをもをさといへり、
 
禰奈敝古由惠爾《ネナヘコユヱニ》、波伴爾許呂婆要《ハヽニコロバエ》、」 專らと相寢し事もなき妹ながらに、其母に※[口+責]《コロ》はゆると云なり、これも右に、なが母に、己良例わはゆくてふ如く、いたづらにかへるものづからに、母が罵を聞てよめるなるべし、
 
3530 左乎思鹿能《サヲシカノ》、布須也久草無良《フスヤクサムラ》、見要受等母《ミエズトモ》、 上は譬、
 
兒呂我可奈門欲《コロガカナトヨ》、 【今本我《ガ》の草を家に誤れり、家氣などの字を可の音に用ゆる事なし、】
 
由可久之要思毛《ユカクシエシモ》、」 よし妹は見えずとも、その門わを行は下心よしといへり、○可奈門とは鐵のくぎ貫もて堅むればいふ、常には奈を略きて可杼《カド》といへり、安康天皇紀に、大前、小前すくねが、※[言+可]那杜加|礙《ギ》、集にも多し、又坂上郎女其女に贈歌に、小金門に、物悲しらに、とよめるは閨の金門なり、然れば内外いづれにても金門といふなり、
 
3531 伊母乎許曾《イモヲコソ》、安比美爾許思可《アヒミニコシガ》、麻欲婢吉能《マヨビキノ》、 冠辭、
 
與許夜麻敝呂能《ヨコヤマベロノ》、思之奈須於母敝流《シヽナスオモヘル》、」 妹か家の母など忍び男をは山川の鹿の如思へると云へり、上に、「小山田の、鹿田守ごと、母がもらすも、」
 
3532 波流能野爾《ハルノノニ》、久佐波牟古麻能《クサハムコマノ》、久知夜麻受《クチヤマズ》、 若草はむは實にをやみもなし、
 
安乎思努布良武《アヲシヌブラム》、 防人と見ゆ、妹が今は待わびて、頻に我うへをいふらんとなり、しぬぶは慕ふなり、
 
伊敝乃兒呂波母《イヘノコロハモ》、」
 
3533 比登乃兒乃《ヒトノコノ》、 上にいへり、
 
可奈思家之太波《カナシケシタバ》、 我をかなしけと爲給ればなり、
 
波麻渚杼里《ハマスドリ》、 冠辭、濱の渚にゐる鳥は沙に足ふみ入つつ、あるきがてにするをたとふ、
 
安奈由牟古麻能《アナユムコマノ》、乎之家口母奈思《ヲシケクモナシ》、」 妹が心ざしの深ければ、馬の足のつかれをもいとはず、通ひ來といへり、いと遠くより通ふならん、 
3534 安可胡麻我《アカゴマガ》、可度※[氏/一]乎思都々《カドデヲシツヽ》、伊※[氏/一]可天爾《イデガテニ》、 馬は門出をいそぐ物にて、乘ば即出んとするを引とゞめつゝ、我は出難にせしなり、
 
世之乎見多※[氏/一]思《セシヲミタテシ》、伊敝能兒良波母《イヘノコラハモ》、」 見たては今も旅立ときにいふ言にて、見つゝたゞしむるなり、さてその時妹が愁しさまを思ひ出てなげくなり、
 
3535 於能我乎遠《オノガヲヽ》、 於能は妹が己なり、乎は即夫を云、
 
於保爾奈於毛比曾《オホニナオモヒソ》、 馬の心にもおほろかにな思ひそとおしふ、
 
爾波爾多知《ニハニタチ》、惠麻須我可良爾《ヱマスガカラニ》、 男の早く別て悦ぶなり、
 
古麻爾安布毛能乎《コマニアフモノヲ》、」 乘來し夫の悦びゑむからに、馬をもほめてよろしく飼などすれば、いつもわがせをおろそかに思はずて、いそぎ來たれといふめり、安布とは馬に饗するをいふと聞ゆ、布倍音通へばなり、此ほかに聞ゆべきよしなし、
 
3536 安加胡麻乎《アカゴマヲ》、宇知※[氏/一]左乎妣吉《ウチテサヲビキ》、己許呂妣吉《コヽロビキ》、 弓に引みゆるべみなどいふにひとし、
 
伊可奈流勢奈可《イカナルセナカ》、和我理許武等伊布《ワガリコムトイフ》、」 さま/”\と吾をこゝろみもてあそびて後、わがもとへ來んといふは、いかばかりの心もたる男にやと、女もふつくめるさま見ゆ、
 
3537 久敝胡之爾《クベゴシニ》、 馬塞《ウマセ》の籬なり、上に此一二句同じくて、上句より下異なる歌ある所に、久敝の事はいへり、
 
武藝波武古馬能《ムギハムコマノ》、波都波都爾《ハツハツニ》、 かきの外に麥を、首さし延て咋に、口のいさゝかにとゞくを云、○今本に古宇馬とあれど、宇は衍字なり、此或本又(卷五)二句も駒と書、卷中皆古麻とのみ書たり、
 
安比見之兒良之《アヒミシコラシ》、安夜爾可奈思母《アヤニカナシモ》、」 はつ/\は集に端端と書て、端と端の漸とゞくをいへば、いといさゝかなる事にとれり、【或本歌曰、宇麻勢胡之、牟伎波武古麻能、波都波都爾、仁|必《ヒ》波|多《ダ》布禮之、古呂之可奈思母、此宇麻勢も同じ、】
 
3538 比呂波之乎《ヒロバシヲ》、 廣橋は渡かたからじ、然れば呂は良の意にて、一枚《ヒトヒラ》ばしの打橋をいふなり、
 
宇馬古思我禰※[氏/一]《ウマコシカネテ》、己許呂能未《コヽロノミ》、伊母我理夜里※[氏/一]《イモガリヤリテ》、和波己許爾思天《ワハココニシテ》、」 吾は此所に止在てなり、【或本發句曰、乎波夜之爾、古麻乎波左佐氣、山に小木の茂き中へ馬のきれ走上りて急げども、せんかたなくて立ほどの心なり、○上の佐は志良の約、下の左は世阿の約にて、はしらせあげ也、次にも同歌有、此本の句どもゝ故有ば、二首別歌にて並擧げんを、後人末の同じとて、今と或本と互に一首を捨しなるべし、猶考て本文にも擧べかりけり、】
 
3539 安受乃宇敝爾《アズノウヘニ》、古馬乎都奈吉※[氏/一]《コマヲツナギテ》、 あずは間塞《アゼ》とて、田ごとの間のへだてをいふ、こははゞせきへだて間に馬の立をあやふき事に譬ふ、
 
安夜抱可等《アヤホカド》、 危くあれどもなり、左にも此本の句とも有、
 
比登都麻古呂乎《ヒトツマコロヲ》、 他妻の女を、
 
伊吉爾和我爲流《イキニワガスル》、」 いきは命也、然ればいきのをといふに同じく、命かけたる思ひなり、【古本の或本云、3541 安受倍可良《アズベカラ》、古麻乃由胡能須、安也波刀文《アヤハトモ》、比登豆麻古呂乎、麻由可西良布母、これは同歌のいさゝか違へるのみなり、然るに今本此次一首を置て、この安受倍可良てふを載たるは、ひがことなればそは除けり、】
 
3540 左和多里能《サワタリノ》、 所の名なり、駿河にも此名あり、他にも有べし、
 
手兒爾伊由伎安比《テコニイユキアヒ》、 思ふ妹にたま/\行あひしになり、此手兒は少女といふ意なり、かの果の子より轉ぜし事しるし、
 
安可胡麻我《アカゴマガ》、 可と書しかば赤駒と訓、
 
安我伎乎波夜美《アガキヲハヤミ》、 馬の歩むは足して地をかくが如くすればいふ
 
許等登波受伎奴《コトヽハズキヌ》、」 ものもいはで過來しなり、
 
3542 佐射禮伊志爾《サヾレイシニ》、古馬乎淡佐世※[氏/一]《コマヲハサセテ》、 佐は志良の約なること上に同じ、
 
己許呂伊多美《コヽロイタミ》、 石ふむ道は馬の足のなやめば、乘人心いたく思ふをたとへとせり、
 
安我毛布伊毛我《アガモフイモガ》、伊敝乃安多里可聞《イヘノアタリカモ》、」 上に有といさゝか違なり、
 
3543 武路我夜乃《ムロガヤノ》、都留能都追美乃《ツルノツヽミノ》、 重之歌集に、陸奥の都留の神有、そのころの歌に、むろのやしまともよみしかば、こは陸奥の地の名ならん、東にては泥池などを夜《ヤ》といへり、【後に、室の八島は下野ぞとすれど、必とも定めがたし、この歌によれば、みちのくか、】
 
邦利奴賀爾《ナリヌガニ》、 此ころ此堤をなし終りけんを、戀の成によせたるなり、
 
古呂波伊敝杼母《コロハイヘドモ》、伊末太年那久爾《イマダネナクニ》、」 凡成ぬるといへどもなり、
 
3544 (阿須可河伯《アスカヾハ》、) あすか川は大和の外に聞えざる也、この可は太の誤にて、阿須|太《ダ》川か、更科日記にむさしと相摸のあはひなるあすだ川と云り、されども六帖に、「利禰川の、そこは濁りて、うへすみて、有けるものを、さねて悔しき、」と云は、こゝの歌の言をいひかへしのみにて同歌なり、然れば初句はとね川なりしを、今は誤る也、
 
之多爾其禮留乎《シタニゴレルヲ》、之良受思天《シラズシテ》、 男の下心の眞ことならぬをいふ、
 
勢奈那登布多理《セナヽトフタリ》、左宿而久也思母《サネテクヤシモ》、」
 
3545 (安須可河伯) 右にいへる如く、何れにもあすかにはあらじ、
 
世久登之里世波《セクトシリセバ》、安麻多欲母《アマタヨモ》、爲禰底己麻思乎《ヰネテコマシヲ》、世久得四里世波《セクトシリセバ》、」 末にかくおやなどのせくと知てあらばなり、
 
3546 安乎楊木能《アヲヤギノ》、波良路河波刀爾《ハラロカハトニ》、 柳のめを張川門に也、
 
奈乎麻都等《ナヲマツト》、西美度波久末受《セミドハクマズ》、澄水《スミヽヅ》は汲ずなり、せみどすみづは音かよへり、
 
多知度奈良須母《タチドナラスモ》、」 水をばくまず汝を待とて、立て土のみふみならしてのぞみをるをいふ、
 
3547 阿知乃須牟《アヂノスム》、 味鳧の栖なり、
 
須沙能伊利江乃《スサノイリエノ》、 考へず、
 
許母理沼乃《コモリヌノ》、安奈伊伎豆加思《アナイキヅカシ》、 隱泥は見えぬよしなり、さて思ふ人のこもりて見えぬをなげきて、長息づかしきなり、はゝがこふこのまゆごもりと云に心は同じ、
 
美受比佐爾指天《ミズヒサニシテ》、」
 
3548 奈流世呂爾《ナルセロニ》、 鳴瀬になり、
 
木都能余須奈須《コヅノヨスナス》、 木くづのながれよる如くと云り、下に木糞と書り、さて多くの人のいひよするに譬ふ、
 
伊等能伎提《イトノキテ》、 (卷五)にいへり、
 
可奈思家世呂爾《カナシケセロニ》、比等佐敝余須母《ヒトサヘヨスモ》、」
 
3549 多由比我多《タユヒガタ》、 越前にも同名有、東にも有けん、
 
志保彌知和多流《シホミチワタル》、伊豆由可母《イヅユカモ》、 何所のこを略くか、思ふに由は古の誤なるべし、いづこよりかもなり、
 
加奈之伐世呂我《カナシキセロガ》、和賀利可欲波牟《ワガリカヨハム》、」
 
3550 於志※[氏/一]伊奈等《オシテイナト》、伊禰波都可禰杼《イネハツカネド》、 強ていなといひてなり、さて稻つきなどあらわざすれば、身もとどろぎてうまいしがたきにたとへて、さるわざはせねど、きぞの夜たま/\夫子とねざれは、ねがたかりしといふなり、是も賤女がことをかりていふならむ事、上にいへるが如し、○いねつくは、籾を杵もて舂につきて米とするをいふ、大嘗祭の稻美の殿のわざ、催馬樂などにも女どもいねつく事あり、
 
奈美乃保能《ナミノホノ》、 神代紀などに浪穗といへるに同じく、高なみのことなり、 
伊多夫良思毛與《イタブラシモヨ》、 (卷四)甚振《イタブル》浪といへるに均しく、浪の振動を心の動によす、
 
伎曾比登里宿而《キソヒトリネテ》、」
 
3551 阿遲可麻能《アヂカマノ》、 此所考へず、次にも出、
 
可多爾左久奈美《カタニサクナミ》、 神代紀に、秀起|浪穗《ナミホ》を、秀起此云2佐岐佗豆屡1といひ、(卷十五《今六》)「白波の、伊開廻《イサキメグ》れる住よしの濱、」てふ如く、荒波のよりくだくる磯をいふなり、
 
比良湍爾母《ヒラセニモ》、 所ひろくさゞ波のみしてこともなきを平瀬といふ、
 
比毛登久毛能可《ヒモトクモノカ》、加奈思家乎於吉※[氏/一]《カナシケヲオキテ》、」 此本の開立浪を吾專ら思ふ男にたとへ、平瀬をばおしなべたる男に譬へて、さてそのおしなべの男のあはんといふ時思ふ男をおきておほよそ人とひもとく物かはと女の云なり、 
3552 麻都我宇良爾《マツガウラニ》、 其男女の住所をいふのみ、浦といふにかゝはるべからず、
 
佐和惠宇良太知《サワヱウラダチ》、佐和惠は騷《サハグ》にて、里人も言痛《コチタク》家の内には占問などして、こと/”\しく騷をいへり、此下に曾和惠かも加米におほせんとも有なり、【下に曾和惠かも加米におふせんとある、そわゑはこゝと同じ、かめを龜の卜と見てこゝをも違へる説有べし、そは其所にいふを見、惣ては右の別記を見よ、】是はくさ/”\むつかし、右のさゑ/\しづみの別記を見渡して知べし、
 
麻比等其等《マヒトゴト》、 上の句に引つゞけて見る、
 
於毛抱須奈母呂《オモホスナモロ》、 夫の心をいふ、
 
和賀母抱乃須毛、」 布を抱《ホ》といふは東のみならず、下に奈良人もいへり、
 
3553 安治可麻能《アヂカマノ》、可家能水奈刀爾《カケノミナトニ》、伊流思保乃《イロシホノ》、潮左爲《シホサイ》とて港にさし入潮のことにさわぐを、人言のさわぐに譬、 
許※[氏/一]多可久毛可《コテタケクモカ》、 今本家を受に誤、【登伊《トイ》の約の千を轉じ天といふ、】
 
伊里※[氏/一]禰麻久母《イリテネマクモ》、」 妹が夜床に入てねんに、さらは人言の痛《イタ》けくもあらんかとあやうきなり、
 
3554 伊毛我奴流《イモガヌル》、等許乃安多理爾《トコノアタリニ》、伊波久具留《イハクヾル》、 今本に具久と有は上下せり、
 
水都爾母我毛與《ミズニモガモヨ》、伊里※[氏/一]禰未久母《イリテネマクモ》、」
 
3555 麻久良我乃《マクラガノ》、 冠辭、又此上にもいへり、
 
許我能和多利乃《コガノワタリノ》、可良可治乃《カラカヂノ》、 加伊、加治は同物同言なるを、こゝに可良加治としもいふを思へば、我朝には一木して作る加伊へらのみ有しに、手束に他木を添て今|艫《ロ》といふもの、後にからより來し故に、此名有なりける、【後の歌にからろとよみしは、字音なればわろし、からかぢとよむべかりし、】
 
於登太可思母奈《オトダカシモナ》、 かぢの音を人言にたとふ、
 
宿莫敝兒由惠爾《ネナヘコユヱニ》、」 ねもせぬ妹ながらになり、
 
3556 思保夫禰能《シホブネノ》、 上にしほぶねのならべてといへるは、湊又はいそなどへよせ並べて在をいふなれば、こゝもとゞめて潮まちする船をいふべし、さて時有て浮去るもて浮ことに冠らせたり、
 
於可禮婆可奈之《オカレバカナシ》、 於は宇の轉にて浮れなり、さてこのうかればゝよそにして在ば悲しと云意なり、
 
佐宿豆禮婆《サネツレバ》、 よそにして在はくるしとてねつればなり、
 
比登其等思家志《ヒトゴトシケシ》、那乎杼可母思武《ナヲドカモシム》、」 何《ナニ》とかせんなり、乎を添るは否《イナ》かもをいなをかもてふが如し、○思《シ》は世に通へり、又直に世を誤るか、
 
3557 奈夜麻思家《ナヤマシケ》、比登都麻可母與《ヒトツマカモヨ》、許具布禰能《コグフネノ》、和須禮婆世奈那《ワスレハセナヽ》、伊夜母比麻須爾《イヤモヒマスニ》、」 ※[手偏+旁]船の忘とつゞくよしなきを思ふに、次のうたは人妻の船にて遠く行をりの歌、是は忍ぶる男のおくれゐて、なげく心をいふ事なるべし、さて人妻は別るれど、ことも問がたくわづらはしきもの哉、今こぎ行船の内にも我を忘れはせじ、我は徒にかく思ひ増ぞといへるなるべし、又かくいひてやりしにや、
 
3558 安波受之※[氏/一]《アハズシテ》、由加婆乎思家牟《ユカバヲシケム》、麻久良我能《マクラガノ》、許賀己具布禰爾《コガコグフネニ》、伎美毛安婆奴可毛《キミモアハヌカモ》、」  あへかしと乞をかくいふ例なり、さて女の船して別ゆかんとする時、かの忍べる男を思ふ意なれば、右の男の方へかくいひやりしにや、
 
3559 於保夫禰乎《オホブネヲ》、倍由毛登毛由毛《ヘユモトモユモ》、可多米提之《カタメテシ》、 船はともへの堅めを專らとして作るを、事を知べき里人にはいとよく口がためしに譬ふ、
 
計曾能左刀妣等《コソノサトビト》、 許曾は地の名なるべし、もし曾は賀にや、
 
阿良波左米可母《アラハサメカモ》、」 かはの意、
 
3560 麻可禰布久《マガネフク》、 眞金は鐵をいふ、吉備中山には今も鐵を出す故に、まがねふく吉備の中山といへるが如し、○丹生の郷は、和名抄の上野の國に出たり、こゝにや、武藏の秩父山を始めて東に鐵山多し、かの丹生郷迄も古ふきしか、
 
爾布能麻曾保乃《ニブノマソホノ》、 爾布は麻|赭土《ソホニ》の有故に所の名となりしなれば其|丹土《ソホニ》もて思ひを顯はすにたとふ、
 
伊呂爾低※[氏/一]《イロニデヽ》、伊波奈久能未曾《イハナクノミゾ》、安我古布良久波《アガコフラクハ》、」
 
3561 可奈刀田乎《カナトダヲ》、 かなとの事は上に出、こゝは門田にて、家の門の前なる田をいふ、
 
安良我伎麻《アラガキマ》(由美《ユミ》)、 由美は加幾の草なるべし、田は春より、高鍬てふ物してかき平《ナラ》すを荒がきといひ、次に苗を植る時すくをこなかきとも眞掻《マガキ》ともいへり、さてかく平《ナラ》し調べし時日照すれば、植がたくて、頻に雨を待ものなるとて序とせし歌なり、
 
比賀刀禮婆《ヒガトレバ》、 日|之照《ガテレ》ば、
 
阿米乎萬刀能須《アメヲマトノス》、 雨を待ごとくなり、上の刀は※[氏/一]を通はし、下二つの刀は都を通し云り、
 
伎美乎等麻刀毛《キミヲラマトモ》、」 等は助辭、【麻由美を眞弓とする時は、初句の田よりあらがきへつゞけ、其あらがき云云は、荒木の弓と書て、ひくと三句へつゞけしとすべし、さる如く次々につゞけ下せし歌もあれど、是は初より四句まで田の事なる中に、弓の言を交へいふべくもあらず、仍て由美とは誤れりとす、又末の麻刀は待《マツ》なるを、的を添しかなど思ふ後世人、さかしらに上のかきを由美に書しにや、歌縁語てふ事を後世は專らとすれど、古はさることを嫌へり、此分ちをしらで誤ること多し、】
 
3562 安里蘇麻爾《アリソマニ》、 荒磯間になり、今本麻を夜に誤、
 
於布留多麻母乃《オフルタマモノ》、 如を籠、
 
宇知奈婢伎《ウチナビキ》、 身をなよゝかにしてぬるなり、(卷一)に出、
 
比登里夜宿良牟《ヒトリヤヌラム》、安乎麻知可禰※[氏/一]《アヲマチカネテ》、」
 
3563 比多我多能《ヒタガタノ》、 伎射潟と韻通へり、いかゞ、
 
伊蘇乃和可米乃《イソノワカメノ》、多知美多要《タチミダエ》、 和海布の磯波のまゝに亂れなびくに、妹が思ひ亂るゝを添たり、○たちは辭、亂れをみだえといふは例多し、 
和乎可麻都那毛《ワヲカマツナモ》、 奈と良を通しいふ東歌に多し、
 
伎曾毛己余必母《キゾモコヨヒモ》、」
 
3564 古須氣呂乃《コスゲロノ》、 武藏と下總のあはひの葛飾郡に小菅てふ所今ありて、今は里中なれど、此邊古へ隅田川といひしあたりにて本は浦べなりけり、然ればこゝをいふならむ、
 
宇良布久可是能《ウラフクカゼノ》、 終の句へかゝる、
 
安騰須例香《アトスレカ》、 何と爲《セ》ばかなり上にも有、例の草を今本|酒《ス》に誤、
 
可奈之家兒呂乎《カナシケコロヲ》、於毛比須吾左牟《オモヒスゴサム》、」 【吾は苦の草か、】風は吹過る物なるにたとへて、何とせばか風の過る如く、妹が事を思ひ過さんやと、思ひのやるかたなきまゝにいふなり、
 
3565 可能古呂等《カノコロト》、 彼は思ふ妹を指、古呂は兒等なり、【こは冠辭にもれつ、加《クハ》ふべし、且冠辭考には旗と皮と二説を擧しかど、此卷所々に波|太《タ》と書たり、かの久米の若子《ワクゴ》の條にいひし如く、はだに穗をこむ物なれば、皮|太《ダ》と濁るに依べし、】
 
宿受屋奈里奈牟《ネズヤナリナモ》、波太須酒伎《ハダズスキ》、 はだすすきは穗に出てうれに顯るゝを、宇良といひかけたり、うれうらは同じ、
 
字良野乃夜麻爾、 妹が家のうしろの野の山をいへり、此卷字例もて書し所には皆心せり、然ればうらの野山にはあらず、
 
都久可多與留母《ツクカタヨルモ》、」 月片倚を男の妹がもとへ來て入べき事を待ちうかゞふほどに、夜ふけ月かたむけば、かくて遂にねずやなりなんとなげゝり、
 
3566 和伎毛古爾《ワギモコニ》、安我古非思奈婆《アガコヒシナバ》、曾和惠可毛《ソワエカモ》、 今本敝と有ど、古本に惠と有ぞ上の例にかなへば依ぬ、【此惠敝は辭にて、或は敝《ヘ》或はめに轉じ心得べきよしは、別記に明せり、されども上には佐惠云云、曾和惠など書しに、こゝに違ふべからねば古本に依なり、是を龜の卜の方に取ては、本の言よくもいひなしがたくも、又占はただ吉凶などをこそ告れ、人を生しめ死なしむるになることなし、】さて曾和惠は佐和惠にて、騒ぐ事のよし上の別記につぶさにいへり、こゝの意はもとより里人もくさぐさいひさわぎ立て、遂には神の祟ぞといひなさんといへり、
 
加米爾於保世牟《カメニオホセム》、 かみを加米と云は東ことなり、えぞにてはかもひといひ、志摩國のかめ島といふは、本神島と書しといへり、田舍にはさること多し、
 
己許呂思良受※[氏/一]《コヽロシラズテ》、」
 
 △こゝに防人歌てふ言あれど、右の中にも必防人の歌などあまた有を、これのみと思ふは後人の註なれば除けり、
 
3567 於伎※[氏/一]伊可婆《オキテイカバ》、伊毛婆摩可奈之《イモハマカナシ》、眞悲なり、
 
母知※[氏/一]由久《モチテユク》、安郡佐能由美乃《アヅサノユミノ》、由都可爾母我毛《ユヅカニモガモ》、」
 
3568 於久禮爲※[氏/一]《オクレヰテ》、古非婆久流思母《コヒバクルシモ》、安佐我里能《アサガリノ》、 おくれゐてといふは、防人の妻の右に答し歌なるべし、然れば朝獵はかたよれゝど、有なれし事もていふも歌なり、
 
伎美我由美爾母《キミガユミニモ》、奈良麻思物能乎《ナラマシモノヲ》、」
 
3569 佐伎母里爾《サキモリニ》、多知之安佐氣乃《タチシアサケノ》、可奈刀※[氏/一]爾《カナトデニ》、 上に見ゆ、
 
手婆奈禮乎思美《テバナレヲシミ》、奈吉思兒良婆母《ナキシコラハモ》、」
 
3570 安之能葉爾《アシノハニ》、由布宜利多知※[氏/一]《ユフギリタチテ》、可母我鳴乃《カモガネノ》、左牟伎由布敝思《サムキユフベシ》、奈乎婆思奴波牟《ナヲバシヌバム》、」 肌寒き海路などにては、ことに慕ふべし、東にもかくよむ人も有けり、
 
3571 於能豆麻乎《オノヅマヲ》、 己が妻なり、
 
比登乃佐刀爾於吉《ヒトノサトニオキ》、於保々思久《オホヽシク》、 隱して他の里に置し妹にて、おぼつかなきなり、
 
見都々曾伎奴流《ミツヽゾキヌル》、許能美知乃安比太《コノミチノアヒダ》、」 長々しき道の間をなり、かへり見つゝこしなり、こは旅に日を經て後よめるなり、
 
 △こゝに譬喩歌としるせしも後なり、只その類を並べ擧たるのみ、
 
3572 安杼毛敝可《アトモヘカ》、 何ぞと思へばかと云なり、思と云を輕く心得べし、
 
阿自久麻夜末乃《アジクマヤマノ》、 陸奥の阿武久麻に似たる名なり、
 
由豆流波乃《ユヅルハノ》、布敷麻留等伎爾《フヽマルトキニ》、 ゆづる葉は上にも今も有木なり、布敷まるは、(卷二十)の東歌に、「ちばの野の、この手かしはの、ほゝまれと、」と云るに言は同じかれど、かれは妹が懷に含まる也、こゝは此若葉のひらけざるを、戀のいまだしきほどに譬へていへり、(卷十三)まだをさなき兒を戀を、梅のふゝめるに譬しが如し、
 
可是布可受可母《カゼフカスカモ》、」 まだしきほどにはふかずて、今と成て吹さはぐは、何てふことぞやといふなり、(卷三)に「放《サケ》ば澳に放なめ、邊つかふ時に放べきものか、」てふるいなり、記に(神武條)大后の御たとへうたに、宇泥備夜麻《ウネビヤマ》、許能波佐夜藝奴《コノハサヤギヌ》、加是布加牟登須《カゼフカムトス》、
 
3573 安之比奇能《アシビキノ》、夜麻可都良加旡《ヤマカツラカケ》、 (卷十九)に、「足引の、山下日影、かつらける」、と云に同じき日影蔓なり、然るを日を略て影とのみいへるは、(卷三)うすの玉影、といふが如し、又是を山かつらとのみも云は、古今六帖に、「三室の山の、山かづらせん」、古今歌集に、「あなしの山の山人と、人も見るかに、山かつらせよ」と有、是なり、此外これにつきたる事、(卷三)に云つ、 
 
麻之波爾母《マシバニモ》、衣可多伎可氣乎《エカタキカゲヲ》、 眞數《マシバ》にも得難《エガタ》き日蔭かつらをなり、
 
於吉夜可良佐武、」 こは奥山の老松などにのみ生る物なれば、たやすくは得がたきを、徒におきからすは、世に惜べき事なるに譬て、またも得がたかるべき妹を、あふよしなくて徒《タヾ》に戀ふる時をいへり、
 
3574 乎佐刀奈流《ヲザトナル》、 所の名なるべし、
 
波奈多知波奈乎《ハナタチバナヲ》 比伎余知※[氏/一]《ヒキヨヂテ》、乎良無登須禮杼《ヲラムトスレド》、宇良和可美許曾《ウラハカミコソ》、」  (卷十二《今八》)「わが宿の、花橘のいつしかも、玉に貫べく、そのみなりなん、」(卷十三《今四》)「うら若み、花咲がたき梅を植て、人言繁み、思ひぞわがする、」
 
3575 美夜自呂乃《ミヤジロノ》、緒可敝爾多※[氏/一]流《ヲカベニタテル》、加保我波奈《カヲガハナ》、 槿《アサガホ》をいふべき事上にいへり、
 
莫佐依伊※[氏/一]曾禰《ナサイイデソネ》、許米※[氏/一]思努波武《コメテシヌバム》、」
 
3576 奈波之呂乃《ナハシロノ》、古奈伎我波奈乎《コナギガハナヲ》、 上の別記に出、 
伎奴爾須里《キヌニスリ》、  此花|濃《コ》紫の色なれば衣に摺なり、
 
余流留麻爾未仁《ナルヽマニマニ》、安是可加奈思家《アゼカヽナシケ》、」 (卷八)「すみの江の淺澤ぬまの、かきつばた、衣にすりつけ、着ん日しらずも、」てふ如く、妹にしたしみあふを色を衣にすり付るに譬て、且したしむまヽに深くおもはるゝを、いかでかくまではと、自らうたがふのみ、
 
 △こゝに挽歌てふ注有ど、例のとらず、
 
3577 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》、伊都知由可米等《イツチユカメト》、 いつちは上に出
 
夜麻須氣乃《ヤマスゲノ》、 冠辭、
 
曾我比爾宿思久《ソガヒニネシク》、伊麻之久夜思毛《イマシクヤシモ》、」 こは(卷八)にも挽歌にのりつれば、さぞ有べけれど、こゝに挽うたを一首のみ得て載んことおぼつかなし、此卷も亂《ミダ》れし所々有事、右にいへるごとくなれば、數々有しが落失しか、又此歌東歌とも聞えざるは、他より加はりしか、
 
 △今本茲に、以前歌詞(ハ)未v得v勘2知國土山川之名(ヲ)1也、と注せるも、いと後人の注なればとらずは何ぞといはゞ、先上に東の國々の地名のしられたるもてよめるを載て、其次に載たれば、國土の名不v知部ともいふべきに似たれど、多き中に、阿波乎呂對馬嶺、などの如く國明らかなるも有、おしはかるに違ふまじきも少なからず有を、おしこめて右の如き言を古人の注すべきかは、又京人の取集し時、遠き東國の事は考違ひも有なん、その歌を傳へ聞て集る時、既字の誤りも有、後に書違へ唱ちがへも在と見ゆ、然ればかく末の世に成ても、その地をよく知るは、古へ誤しを思ひ正す事も有べし、よりて此國土不知てふ注に泥みて、考へを止べからず、又後に考へん人の爲とも成べければ、この度は思ふ事有をば右にいひつ、ひがこともあるべければ、かならずとせざれば、見ん人のこゝろにあるべきなり、
難波の僧契冲|萬葉《ヨロヅコトノハ》の志|岐《キ》山を切|開《ヒラ》かひそめしに五十年|平安城《ヒラノミヤコ》の荷田うし同じ山の巖をくだき路を通はせるにいそとし東の加茂(ノ)翁《ヲチ》續《ツギ》て嵬《ヲカ》をならし谷を埋みて代《シロ》するに五十年|總《スベ》て百|餘《マリ》五十年許にして功《イサヲ》成《ナリ》ぬ世に一人の心を心として十年廿年らいたづけるものゝ類にあらざる也此|新墾《ニヒハリ》に居《ヲル》黒生らは何わざをかなさん今あが翁《ヲヂ》の七十《ナヽソジ》の高山も高くもかも月よみの持こせる水をいとり來なんと申さも申さも
   明和五年十一月         尾張黒生
 
萬葉集卷六之考終
 
萬葉集卷七之考序
 
萬葉集の考のはじめに、賀茂眞淵くはしくかけるごと、攝津の契冲僧山城の荷田東麻呂同じ時に在て相問ぬものから同じ心をおこして古へぶりを唱へ僧は古き歌をときしるすわざを新墾《ニヒバリ》しつれどまだよくもうゑおふしつくさですぎにしとぞ東麻呂は歌のみかは古りぬる千の書等あらすきかへせしいたづきさはなれどこもまた苅をさめはてざるやまひにふしつとさるを眞淵ひさにおもひかねて久堅の天の下つどへます此大城のもとにきたり千よろづのこゝろ/\を見もろ/\の手風を見くさぐさのことばをきゝてこれをたつきによろづのふみらかゝなへ夏|麻《ソ》引|命號貯《ウナカブシマケ》つゝあけやすき夏のみじか夜も打もねず夏草のおもひしなへて此ふる言のみなもとをたづね菅の根のながき秋の夜をよろこびて言のよすがをもとめひとつの卷ゆはたちの卷のはてものこさず百たらず七十《ナヽソジ》のきはみに此武藏野にふたゝびあらすきかへせし田ごとの數をあがちみるに珥比磨利菟玖婆禰《ニヒマリツクバネ》ならねど一二三のしななるおほよそをあげ云ばあけ田うゑ田蒔田の三にざりけるそのあげ田や一つ二つの卷ならんわさ田のわかなへとりうつしうゑそめしよしいやちこに生さか行て穗なみよりたち苅をさめて世に貢るがうましにごしねともてあそべるならしそれにつけるぞ中てちふうゑしうゑ田ぞ三四五六の卷なるこも八束穗のたり穗とゑみさかえしを此稻束苅をさめんずる秋ぞ悲しき事のきはみなる此眞淵年つみてかりそめなるみだりこゞちの日を歴てたのみすくなかるまに/\せんすべしらずくすしのたくみもつきぬつきよみの水いもりきてまたせんずる天つ梯はもたえかきくもり神な月ふきすさむ木枯風に散ながらふる黄葉の散の亂ひに過行しかばともがきら風晩《シグレ》の雨に打ひづる袖干もやらぬからに此稻束なもくらにこめにたるならしこれにつげるおくて田やおよびをりかゞなへて七八九十《ヤヽヤコヽトヲ》の卷ゆはたち卷の蒔田の中|十三《トオマリミツ》の十六《トヲマリムツ》の卷なる竹取の翁《ヲジ》の歌なも三《ミツ》や六《ムツ》の卷の如眞淵か生《オフ》したてたるなりけりそれが外はともがきらおのがうけ得し田ごとに眞淵か齋種《ユダネ》蒔生《マキオフ》したる若苗のおひさき見えて生出たるかぎりにぞある是をしもなへのまゝながら枯なんを見むもいとをしく田草とらせまくほりし眞淵がみまかりなんきはみまでもこれをよみわいだめよおもひおきてしまゝになしはてねどくるしき物にねもごろにせし言もわすらへねどさしもにひろかる田毎におひしなへを穗に出るまでの功《イサホシ》なしはてなんことはおぞの田長のおもひかねえぬことのみ田のべにさはなる苅薦のおもひみだれうち見わたすに奥所《オクカ》もしらへぬことのみ多なれば眞淵かともとせし藤原菅根にとひ同じともなるもとの藤原宇萬伎がかいつけおけるふみらこひ得てこれをたつきに生したてなめとおもひなりぬしかすがになほむら竹の心おちゐぬものゆゑ以播區娜輸《イハグヤス》かしこけれどやごとなき御|殿《との》はしも眞淵がつかへまつりて御かゝなへごとしきこえさすをうじ物うなねつきぬきてあやにたふとみまつりうまし御言とあがみまつりしなればうまごりの文爾《アヤニ》乏《トモシ》き御おもひかねを窺良布《ウカネラフ》跡見《トミ》の山べにのぼらまくほりて山路たどるしるべとたのまひしはよき人のよしと能見てよしといはなん源の清良なりはたおのれかの殿につかへまつれる比はみあげつろひみかゞなへ言にあづかりまつりぬるをしぞきてのちは此茂世らなもかみつ世々の|みそかゞふり《・服冠》の御論《ミアゲツロヒ》御考言《ミカヾナヘ》を奉《ウケタマハ》り猶御歌のみともがきとしもなし給へれば同じ殿に仕へまつるものから石《イソ》のかみふりぬること/”\歌言をも眞淵にとひまねびつるが眞淵も歌のしらべはおのれにまされりとなもいひし益人《マスビト》をこゝらの年月田草ひくともがきとして此稻束苅をさめんずるときとはなしつなほし世に貢むとて眞淵が門べにあそべりし人多なるが中に一人二人のしなたる尾張|黒生《クロナリ》橘の千蔭を田税の長として束結びつかねぬしかはあれど倭手纏《シヅタマキ》かず/\の言になもあればにごしねとはなし得ぬもまじらひぬそれはしも天の益人ます/\ならん中にはさひづるやからすにつくになづさへぬもありてたくづぬのしらしね白玉の眞玉稻ともなしたびなばあらがきのよそならで此ともがきのさちになもあらんかくひたぶるにこの古言のさきはひなん事を天地に祈祷《コヒノミ》まつる美心を廣田におふしたてとりつくれるおくつみとしを八束穗の伊加|志穗《シホ》にゑみさかえさせて千しねづか百しな束《ヅカ》となして苅|納《ヲサメ》つるおのれが勞《イタヅキ》は田草かりとり田稗えりすてたなひぢに水なわかきたり向股《ムカモヽ》に泥《ヒヂリコ》かきよせぬるかもよかきたらはしぬるかも天明五年三月十九日《アメアキラケキイツヽノトシヤヨヒトヲマリコヽヌカ》、
          散位 狛少兄諸成
附ていふ
○此卷を七の卷とする事は卷の一考と同じ卷の別記にくはしくある如く歌もいさゝか古く集體《アツメフリ》も他と異にて此次の卷とひとしく凡古歌なるが中に藤原のふりにし里とよめる歌あれば奈良の始の人の集ならん次の卷もすがたひとしければ又同じ比の一人の集ならんと眞淵いへり此卷は今の十の卷次の卷は今の七の卷なりけり
○此卷の始に春雜歌とありて標にも載せしごとく雜歌七首ありてさて詠鳥二十四首詠霞三首と此次々も同じさて此標集し人の書にあるべし何ぞといはゞ卷の始に雜歌、久方之、天芳山、此夕、とあるも詠霞、春霞、春日山、てふもともに霞の歌なり又雜歌の次に詠鳥とある中に鳥ならで梅のみよめるも有又|風交《カゼマジリ》、雪者零乍《ユキハフリツヽ》、然爲蟹《シカスカニ》、霞田菜引《カスミタナビク》、春去爾來《ハルサリニケリ》、てふ霞の歌も有冬雜歌相聞とあるも次/\の歌も右にひとししかれば此標よしなきならずや霞も花も鳥もくさ/”\のものをよめるを集しなれば雜歌にあげしのみなる事しるべし秋の事は下に云を見るべし
○右にいふ如くなれば始に古くより標ありとても春雜歌旋頭歌譬喩歌春相聞などのみありて夏秋冬も同じさまならんさて秋の雜歌の中に詠鴈とある三首めの歌に吾屋戸爾《ワカヤドニ》、鳴之鴈哭《ナキシカリガネ》、雲上爾《クモノヘニ》、今夜喧成《コヨヒナクナリ》、國方可聞遊群《クニヘカモユク》、てふ歌の末の句の終の二字を左へよせて放ちこれを端ことばと見しはいかなる亂本よりかくなりけんしかるにむかしより見しりたゞす人のあらざりしと眞淵はなげきぬ今本に此歌の末の句の國方可聞をくにつかたかもとよめり鴈歸り行遠き國方に鳴聲の大和の國に聞ゆるよしあるべきやそれだにあるを今本秋の雜歌の標に遊群十首とあげしは何事ぞやむれて遊べるすがたの歌もなく始二首に同じ鴈の歌なりこれらをおもへば歌の左右にある注も標も言さへ見しらぬ後人の書添し事しるく又見るたよりあるにもあらねば皆すてつ
○歌の左に書たる中に柿本朝臣人麻呂之歌集出とあるは歌の書體も別卷とひとしければ集の時書しにや他卷にならひてあるがまゝ書のせぬこれがほかにも山城作筑波山作などあるよしもなき注は皆すてつ少しも其歌によしあるは歌の下に小書しぬ
○相聞と在る條に相聞ならぬ歌譬喩歌とありてたとへし言なき類他條にもありそは皆小書して其ことわりをかける事卷一より卷六までの眞淵考にならひぬ
○此卷の序をいふにも集中の考にもおのかどちをいふにはあがまへ言をいはぬはかしこき御かゝなへ言をあげしなればなり此卷ゆ下これにならひて見よ
○眞淵は學の事はおのれをむなしくしていさゝけばかりもよりどころなきしひ言をいはず後の人のおのれにまさる考をこひしぬべりよておのれは眞淵かこゝろざしをつぎつゝ眞淵言をかならずとせずおのがどちの僻意《ヒガコヽロ》もあたれりとおもふよりどころあるは眞淵が言をすててたゞしとおもへるをとりぬ
 
萬葉集卷七之考【流布本卷十】
 
 春雜歌《ハルノクサ/”\ノウタ》 花鳥霞このほか春のくさ/”\の歌を載しかば然云
 
1812 久方《ヒサカタ》之、 冠辭とのみことわるは眞淵冠辭の考に委くいへればなりたま/\考にもれたるは其歌の下の別記に云下准てしれ
 
天芳山《アメノカグヤマ》、 天芳山は既に云如く大和國高市郡なり
 
此夕《コノユフベ》、霞霏※[雨/微]、春立下《ハルタツラシモ》、」 香山を望めば此夕さりのどやかに霞の棚引つるは春のたちたるならんてふ意のみかくこともなくうるはしく姿高く調ふるがかたきなり、
 
1813 卷向之《マキムクノ》、 大和國城上郡【卷向山の事は冠辭考兒等之手乎云云の條下に委見えたり】
 
檜原丹立流《ヒバラニタテル》、春霞《ハルガスミ》、欝之思者《オホニシモハヾ》、名積米八方《ナヅミコメヤモ》、」 大方に思はばなづみいたづき來らめやといふ春霞より欝とつゞくはかすみておぼろかなるよりつゞけたり此歌は雜歌のうちながら相聞の意あるか又したしき友をとへる類ならんか
 
1814 古《イニシヘノ》、人之殖兼《ヒトノウヱケン》、杉枝《スギカエニ》、 杉は年久しくある物なれば古への人の植けんといふなり卷向山をよめる歌の中なれば是も卷向山の杉なるべし
 
霞霏※[雨/微]、春者|來良之《キヌラシ》、」
 
1815 子等我手乎、 冠辭
 
卷向山丹、春去者、 既云如春になればなり
 
木葉|凌而《シヌギテ》、しぬぎはこの間/\を霞のしのぎわけてゐるを云
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1816 玉蜻、 冠辭【かぎろひの夕|影《カゲル》日の夕とつゞけたるなりかげろひかげるは相通りかぎろひのひをいの如く唱るは音便なり】
 
夕去來者、佐|豆人之《ツビトノ》、 冠辭
 
弓月我高荷《ユヅキガダケニ》、 大和國城上郡弓月は借字のみ齋槻《ユヅキ》なり
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1817 今朝去而《ケサイニテ》、明日者來牟等《アスハキナムト》、云子鹿丹《イフコカニ》、旦妻山丹《アサツマヤマニ》、 【加茂大人云朝妻山は大和葛上郡なり名所和歌集には旦妻山は大和高市郡なりと云り旦妻は近江なり】いふこかにはいふ子であるかになり夜妻に對て朝妻といふされば朝妻はあらはしたる妻なれば夜行て朝毎に相見てかへるなれば朝妻といふ朝妻山の霞をよめるなれば此意をかりもうけてけさ歸りて又あすくるかといふなりさて夜妻は夜忍て逢をいひ遠妻は遠方にあるをいふなり
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1818 子等名丹《コラガナニ》、關之宜《カケノヨロシキ》、 子等は女なり吾妹子を略てしかいへる歌多し○關《カケ》の宜しきはその名に掛|負《オフ》するによきなり(卷一)に「珠多須伎懸宜久遠神」又は(卷二)に「たく領巾《ヒレ》の掛まくほしき」これら皆同じ關の字はあづけてふ意にてかけともよむなり又關の字にて訓をかりたる歟いづれにても今の本に開とあるは誤れりよりて字をあらためぬ
 
朝妻之、 朝妻は前の歌と同所なり但高市郡なるべし新撰姓氏録に太秦公宿禰の先祖を大和國朝津問(ノ)腋上の地に居らしむと有記(神武)に腋《ワキ》上(ノ)※[口+兼]《ホヽ》間(ノ)丘に登て國望し給と見ゆれば高山にてその山ぎしに春霞の棚引たるがけしきよき故によみしもしらず
 
片山木之爾《カタヤマキシニ》、霞多奈引、」
 
 右柿本朝臣人麻呂歌集出、 此注をのこす事は委始に云下是にならへ
 
1819 打霏、 冠辭此打霏を今本にうちなびきといふは誤なりうちなびくうちなびきは別なる事冠辭に委しよりてここは打なびくとあらたむ【打霏てふ哥の左に、詠鳥と今本にあるを捨し事、始に委くいふ、下これにならひて見よ。】
 
春立奴良志、吾門之、柳乃字禮爾、 うれは梢をいふなり
 
鶯|鳴都《ナキツ》、」
 
1820 梅花、開有崗邊爾《サケルヲカベニ》、家居者《イヘシヲレバ》、 家しをればは家してをればなり六帖に家しあればといふはのちなり
 
乏毛不有《トモシクモアラズ》、鶯|之音《ノコヱ》、」 乏はたらまほしむてふ言を約し云なりこゝも其心してかければしらる委荒良言に云
 
1821 春霞、流共爾《ナカルヽムタニ》、 集中共をむたとよめりともにの意且いにしへは花もみぢのちりなびくも霞の風になびきちるをもながるゝ又ちりながらふるといへりこは流經《ナガレフル》なり下に櫻花散流歴とかけるをもおもへ
 
青柳之《アヲヤギノ》、枝啄持而《エタクヒモチテ》、鶯|鳴毛《ナクモ》、」 毛は助字なりそへていふのみ
 
1822 吾瀬子乎《ワガセコヲ》、莫越山能《ナコセノヤマノ》、 山城の巨勢山なりこは(卷八)にこちこせ山といふとはことにて我方よりかへる背子をその山なこさせそよびかへせといふなり
 
喚子鳥、 既に出
 
君喚變瀬《キミヨビカヘセ》、夜之不深刀爾《ヨノフケヌトニ》、」 とには時のきを省ていふなり
 
1823 朝戸代爾《アサトデニ》、 今本こゝに井と有てあさゐてにと訓つ井は堰を云歟さては朝《アサ》の言いかゞ下の十七枚にも朝戸出之とあり誤字なる事しるければあらためつ
 
來鳴※[白/ハ]鳥《キナクカホドリ》、 【※[白/ハ]は古貌字】かほ鳥は今田舍人のかつほう鳥てふは即喚子鳥なり今本※[日/木]と有は※[白/ハ]の誤ならんと橘千蔭のいへるによれり
 
汝谷文《ナレダニモ》、君丹|戀八《コフルヤ》、時不終鳴《トキヲヘズナク》、」 時不終は時ともなく頻に鳴なりさて前の歌と此歌は相聞ならんこと始に云如し雜歌とありて他標《アダシシメ》におよばぬをしれ
 
1824 冬隱《フユゴモリ》、春|去來之《サリクラシ》、足比木乃《アシビキノ》、 冠辭
 
山二文野二文《ヤマニモヌニモ》、鶯鳴裳《ウグヒスナクモ》、」 歌の意明らかなり
 
1825 紫之、根延横野之《ネハフヨコヌノ》、 紀(仁徳)に河内横野築v堤又神名式に河内澁川郡横野神社と見ゆされど横山ともいへば野の横手にながきをいふにて地名にあらじ
 
春野庭、 庭は借字のみ
 
者乎懸管鶯名雲、」 此歌も前の二首と同じく相聞の歌なり
 
1826 春去者、 今本春之在者一本春之去者と有はともに誤なり例によて改む
 
妻乎|求等《モトムト》、鶯之、木末乎傳《コズヱヲツタヒ》、鳴乍|本名《モトナ》、」 もとなは既いふ如本無てふ言にてもとなきはむなしきことなればむなしくよしなく鳴ぞとなりこも又相聞にてわが妻戀る思ひの増をいとへるなり
 
1827 春日有、 添上郡
 
羽買之山從《ハガヘノヤマユ》、 集中に羽易と書しもあればはがへと訓みつ
 
猿帆之内敝《サホノチヘ》、 猿帆は借字のみ添上郡佐保也猿帆之内をさほのちと訓は古うちのうを省く例多しよりてあらたむ
 
鳴往成者《ナキユクナルハ》、孰《タレ》喚子鳥、」
 
1828 不答爾《コタヘヌニ》、勿喚動曾《ナヨビトヨメソ》、 とよむとよめてふ言のよしは荒良言にくはしくいへり、
 
喚子鳥、佐保乃山邊乎、上下二《ノボリクダリニ》、」
 
1829 梓弓、 冠辭
 
春山|近《チカク》、家居之※[氏/一]、 今本※[氏/一]の字を脱、例に由て補へり
 
續而《ツギテ》聞良牟、鶯之音、」
 
1830 打靡、 冠辭
 
春去來者、小竹之米丹《シヌノメニ》、 今本末一本未とあるもともに米の誤しるければあらたむ既に云如米は牟禮の約なり
 
尾羽打觸而《ヲハウチフレテ》、 【千蔭主は觸而をふりてとよむべきかといへり】
 
鶯鳴毛、」
 
1831 朝霧爾、之怒怒爾所沾而《シヌヌニヌレテ》、 しぬゝはしとゝと同じしぬ/\なり
 
喚子鳥、三船山從《ミフネノヤマユ》、 大和國吉野郡
 
喧渡所見《ナキワタルミユ》、」
 
1832 打|靡《ナビク》、 冠辭
 
春去來者、 後にくれどゝいふに同じ、
 
然爲蟹《シカスガニ》、 まへにある如くしかしながらを省きつゞめてかくいふなり
 
天雲霧相《アマクモキラヒ》、 紀利阿比の利阿約羅なればしかいふ
 
雪者零管、」
 
1833 梅花、零覆雪乎《フリオホフユキヲ》、裹持《ツヽミモテ》、君爾|令見跡《ミセムト》、取者消管《トレバケニツヽ》、」 幾惠の約計なればしかいふは古言なり
 
1834 梅花、咲落過奴《サキチリスギヌ》、然爲蟹《シカスガニ》、白雪庭爾《シラユキニハニ》、零重管《フリシキニツヽ》、」 梅は花咲て雪風にちりはてぬるに雪はふりぬと云なり今本はいさゝかいまだし
 
1835 今|更《サラニ》、雪零目八方《ユキフラメヤモ》、 雪の降を見ていふ春日となりぬれば今更雪のふらんやといふなり
 
蜻火之《カギロヒノ》、 冠辭
 
燎留春部常《モユルハルベト》、成西物乎《ナリニシモノヲ》、」
 
1836 風交《カゼマジリ》、雪者零乍《ユキハフリツヽ》、然爲蟹《シカスガニ》、霞田菜引《カスミタナビク》、春去爾來《ハルサリニケリ》、」 既いふと同じく春になりにけりなり
 
1837 山際爾《ヤマノマニ》、 (卷十五)讃久邇新京長歌の中に山代の、鹿背山(ノ)際爾、宮柱太敷|奉《タテヽ》とあるによれば山のまと訓べし同卷に山之葉爾、不知世經月乃、と假字書も有て山のはちふ言もあればこゝは山間とかくも同意なれば山のまと訓べし
 
鶯喧而、汀|靡《ナビク》、 冠辭
 
春跡|雖念《オモヘド》、雪落|布沼《シキヌ》、」
 
1838 峯(ノ)上《ヘ》爾、零置雪師《フリオケルユキシ》、風之|共《ムタ》、此間《コヽニ》散良思、春者雖有《ハルニハアレド》、」 此歌の左に筑波山之作と有を捨し事始に云、
 
1839 爲君《キミガタメ》、山川之|澤《サハニ》、惠具採跡、雪消之水爾、裳裾所沾《モノスソヌレヌ》、」 惠具は(冠四)の別記にくはし
 
1840 梅枝爾、鳴而|移從《ウツロフ》、鶯之、翼《ハネ》白妙爾、沫雪|曾落《ゾフル》、」 見たるさまをそのまゝにいひつらねたるがおのづからうるはしくなりたるなりよくまれあしくまれかくこゝろえて後にもよむべきなり鳴てうつろふは枝うつりして鳴ともよめるに同じ白妙をかく轉し云ことも冠辭考に委し後世沫雪を春のみよむ事とするはわろし
 
1841 山高三、零來雪乎、梅花、落鴨《チリカモ》來跡、念鶴鴨、」 一本梅花開香裳落跡
 
1842 除雪而《ユキヲオキテ》、梅莫戀《ウメヲナコヒソ》、足曳之、 冠辭
 
山片就而《ヤマカタヅキテ》、家居爲流君《イヘヰセルキミ》、」 山片就は借字山の方につきてなり
 
 右二首問答、 右の歌問答ならずといひがたけれど多く集る中に斯問答の如く聞ゆるもあり
 
1843 昨日社《キノフコソ》、 社は神社には物を願《ネギ》こへば其社に在る人を禰宜といふ類もてこふ意の字をかりて社と書なり
 
年者極之賀《トシハクレシカ》、春霞《ハルガスミ》、春《カス》日山爾、速立爾來《ハヤタチニケリ》、」 古今集「きのふこそ早苗とりしか」とよめる此歌をうつして意は時の早くうつるをおどろけるなり今は春のさまになりたるを悦意なり
 
1844 寒過《フユスギテ》、暖來良思《ハルキタルラシ》、朝烏指《アサヒサス》、滓鹿能山爾《カスガノヤマニ》、霞|輕引《タナビク》、」 歌の意明なり
 
1845 鶯之、春來良思、 今本來を成としてはるになるらしと訓たれど一本をもつて改む且鶯の春とつゞけしは此末にも春立者先鳴鳥鶯なりとよめる如く雪のうちより鶯はなきて春の百島に先だつなれば鶯の春とつゞけ猶此鳥の鳴春ともいふ意にてつゞけしなり
 
春日山、霞棚引(ク)、夜目見侶《ヨメニミレドモ》、」 【拾穗に云下の句は夜も霞む春のしるしを感るなり月夜などに見しけしき歟】
 
1846 霜干《シモガレシ》、 今木干を十とするは誤なり一本に依てあらたむさてこはしもがれしと訓べししもにかれしのにを省ければかをにごるべし
 
冬《フユ》柳者、良人|之《ノ》、 今本見人之とあれど歌の意とほらず見は良の畫の消し見と見て草の手より誤れる事しるければ良にあらためしたがひて訓もあらたむ此類多し 
※[草冠/縵]可爲《カヅラニスベク》、目生來鴨《モエニケルカモ》、」 目生の目は芽生の意にて目生をもえと訓り
 
1847 淺緑《アサミドリ》、染|懸有跡《カケタリト》、見左右二、春柳者、目生來《モエニケル》鴨、」 歌も意も明なり
 
1848 山際爾、雪者零管、然爲我二、此河|楊《ヤギ》波、毛延爾家留可聞、」 こも又同じ
 
1849 山(ノ)際之《マノ》、雪不消有乎《ユキハケザルヲ》、 不消有乎を今本にきえぬをと訓るは誤なり不消乎とあらばさも訓べし有の宇有からはけざるをとよまるれ
 
水激合《ミナギラフ》、 既もいへる如こを今本に水飯合《ナガレアフ》とあれど草の手より誤れるものなれば字も訓もあらためぬ【水飯合奥人按義訓にひたりあふと可訓歟源氏には水飯をひめといへりこはひたし米の略にや扨山のまの雪はけざるをひたりあふ川のそへればもえにけるかも歟】
 
川副楊《カハゾヒヤナギ》、 今本には川之副者《カハノソヘレハ》とあれど穩ならず川副楊とありつらんと橘千蔭のいへるによれり※[木/易]と者の草の手を見誤りしものと見ゆ此歌くさ/”\の説あれど皆よりがたければすてつ
 
目生《モエニ》來鴨、」
 
1850 朝旦《アサナサナ》、吾見柳《ワガミルヤナギ》、鶯|之《ノ》、來居而應鳴《キヰテナクベキ》、森爾早奈禮《モリニハヤナレ》、」 言も意も明なり、
 
1851 青柳之、緑乃|細絲《イトヲ》、 今本|絲乃細紗《イトノホソサ》とありて訓はいとのほそきをとあれどすべてのしらべにあはぬ訓なるが上に字亂れしも見ゆれば改ぬ
 
春風爾、不亂伊間爾《ミダレヌイマニ》、 伊間爾の伊は發語として亂ぬ間とす又今歟と思へどしか訓ては助字たがへり又おもふに爾は乎の草の手の誤にて今を見せんといへるならんか
 
令視子裳欲得《ミセンコモガモ》、」
 
1852 百磯城、 冠辭
 
大宮人|之《ノ》、※[草冠/縵]有《カヅラナル》、 なるの奈は爾阿の約さて此かつらなるをかづらげると訓んと眞淵考にあれどそは(卷十九)に家持の歌に足日木之夜麻之多日影可豆良家流ともよめればさも訓べしされどかつらなるにても歌の意とほればよみこしに暫したがふ
 
垂柳者、雖見不飽鴨、」
 
1853 梅花、取持見者、吾|屋前之《ニハノ》、 今本にやどゝ訓しは誤れりこはにはと訓べし下に屋戸と有を思へ
 
楊乃|眉師《マユシ》、所念《オモホユル》可聞、」 柳眉は葉のもえ出しを言、
 
1854 鶯之、木傳梅乃、移者《ウツロヘバ》、 うつろへばはちるをいふなり
 
櫻花之、時片設奴《トキカタマケヌ》、」 設奴はときかたむかひぬを略言なり
 
1855 櫻花、時者雖不過《トキハスギネド》、見人之《ミルヒトノ》、戀盛常《コヒノサカリト》、 みる人の戀ふるうちにとなり古今歌集に「あかでこそおもはん中ははなれなめそをだにのちのわすれがたみに」とはこをうつせるか
 
今之將落《イマシチルラム》、」 あかれぬほどに今ちるならんとなり
 
1856 我刺《ワガサセル》、 今本加邪須と訓るは誤なり【楊はかつらにてふ事あれど挿頭の事は見えずよてわがともがら論て訓をさだめぬ】(卷十四)に小山田乃池(ノ)堤(ノ)刺柳《サシヤナギ》とよめるに同じさし木の楊なり
 
楊絲乎、吹亂、風爾加妹之、梅乃散覧、」
 
1857 毎年《トシノハニ》、 としのはは年毎になり
 
梅者開友、空蝉之、世人君羊蹄《ヨノヒトキミシ》、春無有來《ハルナカリケリ》、」 挽歌なりこはまぎれて此卷に入し物と見ゆれば小書なしたり歌は夫か又おもふ男のはかなくなれるをいたみてよめるならん
 
1858 打細《ウツタヘ》爾、 こは打傳爾てふ言にて即絶ずにといふ如し【宇知都多倍の知都の約都なりよて宇都多倍といふ如し】
 
鳥者|雖不喫《ハマネド》、繩延《シメハヘテ》、守卷欲寸《モラマクホシキ》、梅花鴨、」 
1859 馬並而《ウマナメテ》、 高山に馬並行む事心ゆかねどまづ此まゝいはば馬に乘並て遠來るといひかけたる冠辭ならん遠きをたかともたけともいへる事既冠辭考にかた/\にいへり高々には遠々になりこれをたま/\と心得たるもことわりありたま/\は遠間/\の略なりされど猶考るに梅は此國の木ならねば此頃高山に自ら生るは無なりさらば馬は推の誤ならん
 
高山部乎《タカキヤマベヲ》、白妙丹、令艶色有《ニホハセタル》者、梅花鴨、」 馬並而を推並而の誤とすれば梅とあるも櫻の誤歟草の手に櫻と有を梅と見たる歟梅の高山をにほはすほどの山もきこえず櫻とすれば歌の意もやすらかなりことに此歌の二首前にも櫻の歌も既あればかた/\櫻ならんか猶別記に説を言【此にほはせも後世意にて香の事と見しよりいよゝ梅と書しならん此句も櫻の花の色のてり合をよみしなるべし】
 
1860 花|咲《サキ》而、實者|不成登裳《ナラネドモ》、長氣《ナガキケニ》、 氣は來經《キヘ》の約にて長き月日も年も來經たるをいふ言ならんと吾友大藏種信がいひし
 
所念鴨、山振之花、」 實はならねどもとあるはやまぶきの花をいはんのみ意あるにあらず花咲は日ごとにことめでらるゝ花と云のみ
 
1861 能登河之《ノトカハノ》、 大和國添上郡高圓三笠二山の間より西に流るゝなり
 
水底并爾《ミナソコナベニ》、光及爾《テルマテニ》、三笠之山者、
 
咲來鴨《サキニケルカモ》、」 次の五首めの歌に高圓邊丹櫻花とあるによるに此歌櫻をよめるなるべし三笠の山とあれば山振にはあらじ
 
1862 見雪者《ユキミレバ》、未冬有《イマダフユナリ》、然爲|蟹《ガニ》、春霞立、梅者散乍、」 言も意も明かなり
 
1863 去年咲之《コゾサキシ》、久木〔二字左○〕今開《ウメハイマサク》、 考るに久は冬の字にて集中に冬木の梅とも(卷十二)に冬木の上に降雪ともよみしかば即冬隱せし木のまゝにて今春咲をいひてこも梅の歌歟櫻にても去年春咲しが冬木となりたるを今又花咲と言意とも見るべししからば久は冬の畫の滅しならん又去年咲之の之は左の誤にて去年咲三つにてこぞさきしと訓べき歟さては木も樂の畫の消しならんさらば左久樂と訓べし猶おもふに久木は文木にてうめは今咲とよまんぞちかゝらんよりて假字は梅とせり正しき本をもてあらたむべし今本に久木をひさぎ今さくと訓しはよしもなき訓にて誤なり
 
從《イタヅラニ》、土哉將墮《ツチニヤオチム》、見人名四二《ミルヒトナシニ》、」
 
1864 足日木之、 冠辭
 
山間照《ヤマノマテラス》、櫻花、是春雨爾、散去鴨《チリニケンカモ》、」 今本ちりゆかむと訓たれど去はいにの意もてちりにけんと訓べし
 
1865 打靡、 冠辭
 
春|避來之《サリクラシ》、山際《ヤマノマノ》、最木末乃《トホキコズヱノ》、 今本最木末をひさぎのすゑと訓たれどこは(卷十二)に尾張連が歌に打靡春來良之山際遠木末開|往見者《ヌルミレハ》とあるにて全此歌なりよて今本右の訓は誤りとして改つ
 
咲往見者《サキヌルミレバ》、」 往見者をさきゆくと訓もあしゝ
 
1866 春雉鳴《キヾスナク》、高圓邊丹《タカマトノベニ》、櫻花、散流歴《チリナガラフル》、 ちりながらふるは霞ながるゝにと同言にてちりなびくをいふなり
 
見人毛我裳、」 我裳は欲得と云に同じくねがふ意なり
 
1867 佐保山之、 今本佐を阿に誤りてあほ山とよみたれど前後の歌大和國をよめるなればしか改めつ佐保は大和國添上郡なり阿保山は山城のほとりと伊賀國とにありこを青山と心得るはひが事なり青は阿乎の假字なりこゝは保とあればかの安保氏の地なり佐保と改れば用なけれど假字の證に言のみ
 
作樂花者《サクラノハナハ》、 今本佐宿木とありてさねきと訓たれどよしもなし(卷十四)に作樂花左可遙越賣《サクラバナサカユルヲトメ》と書しをもてこゝをおもふに草の手の作樂を作宿木と見て三字とは誤りつらんとおぼゆれば字も訓もあらためつ
 
今日毛鴨《ケフモカモ》、散亂《チリカミダルヽ》、 今本散亂をちりまがふらんと訓つれど亂をらんにかるとすれば散一字にてちりまがふとなる猶例なければ訓をあらたむ
 
見人無二、」
 
1868 川津鳴、吉野河之、瀧上乃《タギノヘノ》、馬醉之花《アシビノハナハ》、 既に出今本つゝしと訓るは誤れり
 
觸手勿勤《テフレソナユメ》、 今本末の句馬醉之花曾置末勿勤と訓たれど字も訓もこと/”\く誤れりとす六帖に上句同じくて手ふれそなゆめとあれば全く同歌なり曾置の二字は觸の一字を誤り末〔右○〕は手〔右○〕の誤りとすさて袖にこきれつなどよめるを見ればうつくしく咲なみたるから折なとりそといましめよめるなり此末に手觸《テフレ》吾妹兒と有をも思へ
 
1869 春雨爾、相爭不勝而《アラソヒカネテ》、 また咲ほどならぬが催されて咲を花の咲まじとするとす
 
吾屋前之、櫻花者、開始爾家里、」
 
1870 春雨者、甚勿零《イタクナフリソ》、櫻花、未見爾《イマダミナクニ》、散卷惜裳《チラマクヲシモ》、」 かくるゝ所なし
 
1871 春去者、散卷惜、櫻花、 此櫻を活本に梅と植たり此如く上の馬並の梅も誤ならん
片時者不咲《シバシハサカデ》、含而毛欲得《フヽミテモガモ》、」 ふゝみてとはふほまりと云に同じ、つぼみてあれなり
 
1872 見渡者、春日之野邊爾、霞立、開艶者《サキニホヘルハ》、 にほへるは花の色のかすみにてりあふを云なり匂を香の事にいふは後の轉なり
 
櫻花鴨、」
 
1873 何時鴨《イツシカモ》、此夜之將明《コノヨノアケム》、鶯之《ウグヒスノ》、木傳落《コヅタヒチラス》、梅花|將見《ミム》、」 かくれたる事なし
 
1874 春霞、田菜引今日之、暮三伏一向夜《ユフツクヨ》、 三日の夜の月なり三度伏して一度向なり晦日朔日二日見ぬ夜を三度臥心もてかけるならん(卷三)根毛|一伏三向凝呂《ゴロゴロ》爾其下句(卷五)梓弓、末中|一伏三越《タメテ》、下《シモ》並に三四五六の別記にくはしてらしあはせてかく戯かける意をみるべし
 
不穢照良武《キヨクテルラム》、高松之野爾《タカマドノノニ》、」
 
1875 春去者、木蔭多《コガクレオホシ》、 今本に此二の句を紀之許能《キノコノ》暮とあるは草の手の假宇を見誤れる亂本のまゝに傳へしならん今本の歌左に一本木陰多とあり此歌後撰にもこがくれおほきと有六帖には葉がくれ多とあるは誤なりよりて今本は誤れりとして一本によれり
 
夕月夜《ユフヅクヨ》、欝束無裳《オボツカナシモ》、山陰爾指天《ヤマカゲニシテ》、」 一云春去者|木陰多碁月夜《コガクレオホキユフヅクヨ》
 
1876 朝霞、春日之晩者《ハルヒノクレバ》、 くればのばは濁べしなばの略此日のくれなばと云なり
 
從木間、移歴月乎《ウツロフツキヲ》、何時可將待《イツトカマタム》、」 春の茂木の間よりうつりくる月は待遠なればいつとか待得んなり
 
1877 春之雨爾、有來物乎《アリケルモノヲ》、立隱《タチガクレ》、妹之家道爾此日晩都《イモガイヘヂニコノヒクラシツ》、」 歌の意は細雨ふるものをあまづゝみしてかく道に滯て妹が家路にけふはくらしつとなるべしさて春ふる雨にも花ちらすばかりの強き雨あり又細雨もあれど春の雨はしづかなるが常なればそをことわりて春之雨にとよめりされどもと春雨てふ言ははるのあめ乃阿の約奈なるを佐に通しはるさめといへば言は同じかれど古歌の意をもちひたるを見よ
 
1878 今往而《イマユキテ》、※[釆/耳]物爾毛我《キクモノニモガ》、 【※[釆/耳]は聞古字】もがはねがふ意なり
 
明日香川、春雨零而、瀧津湍音乎《タギツセノトヲ》、」 今行てもがとねがひおもへばあすか川といへるは其音きかん事の遠をいふならんさて此春雨に川音の高きをいふは強雨をいふもて前の雨に之をくはへて細雨をしらせたるを猶おもへされども此歌と前の朝霞春日云云の歌は少し後のことわりめけりかくすがた意をこのめるよりやゝ後の世ぶりは出來しならん
 
1879 春日野爾、煙立|所見《ミユ》、※[女+感]嬬等四《ヲトメラシ》、春野之兎芽子《ウハギ》、 今本兎を菟と有菟は音訓ともによしなし一本に依てあらためつ兎芽子は(卷二)に讃岐狹峯島視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌反歌に既に見えたりよしもそこに見ゆ春の野の煙を見てをとめらが兎芽子にるならんとをさなくよめるぞよき
 
採而煮良思文《ツミテニラシモ》、」
 
1880 春日野之、淺|茅之上爾《ヂガウヘニ》、念|共《ドチ》、 念を今本に意とあるは誤なり活本によりて改む
 
遊今日者《アソブケフヲバ》、 次の末之今日者によれば者を脱ならんよて補ふ
 
忘目八方《ワスラレメヤモ》、」
 
1881 春霞、立春日野乎《タツカスガノヲ》、往還《ユキカヘリ》、吾者|相見《アヒミム》、彌年之黄土《イヤトシノハニ》、」 上に毎年《トシノハニ》梅者|開友《サケドモ》といへるが如く年毎なり黄土は借字
 
1882 春野爾、意將述跡《コヽロノベント》、 古今歌集長歌にのばへといひ源氏夕貌に心のべといへる如く今も心のべ氣のばしといへり
 
念共《オモフドチ》、來之《キタリシ》今日者、不晩毛荒糟《クレズモアラヌカ》、」 あらぬかなと願ふことなり
 
1883 百磯城之、 冠辭
 
大宮人者、暇有也《イトマアレヤ》、 あればやのばを略あれやといふなり
 
梅乎挿頭而、此間集有《コヽニツドヘリ》、」 集中に大宮人はいとまなしとよみたるぞつかふる人の常なるをこゝは春の野に梅の花かざしつゝ遊ぶ日なればいとまあれやとよめるまことに此一言にてのどやかに心ゆく野のさましられておもしろし
 
1884 寒過《フユスギテ》、暖來者《ハルノキタレバ》、年月者《トシツキハ》、雖新有《アラタマレドモ》、人者舊去《ヒトハフリユク》、」 古今歌集に「百千鳥さへづる春は」とよめるも此歌によりてよめり
 
1885 物皆者《モノミナハ》、新吉《アタラシキヨシ》、唯人者《タヽヒトハ》、舊之《フリタルノミシ》、應宜《ヨロシカルベキ》、」 老たるをたふとみてよめるなり
 
1886 住吉之、里行之鹿齒、 今本行を得に誤れり草の手の行を得に見たるなるべし
 
春花乃、 如を入て心得べし
 
益希見《マシメヅラシキ》、 紀(神功)に希見の二字をめづらしとよめりきは辭なり
 
君相有《キミニアハル》香聞、」
 
 旋頭歌《カミヲメグラスウタ》。
 
1887 春日|在《ナル》、三笠乃山爾、月母出奴可母、 此奴は既いふ如禰に通ふなり
 
佐紀《サキ》山爾、 添下郡春日と同所なり
 
開者《サケル》櫻之、花乃可見《ハナノミユベク》、」 咲る櫻をいはんとて佐紀山といふさて月も出よかし花の見ゆべくとよめるなり
 
1888 白雪之、常敷冬者、 雪の常に絶えぬ冬はといふ
 
過去家良霜、春霞、田菜引野邊之、鶯|鳴焉《ナキヌ》、」 焉を今本鳥とせり一本によりてあらためぬ
 
 譬喩歌。
 
1889 吾|屋前之《ニハノ》、毛桃之下爾、月夜指《ツクヨサシ》、 今本につきよさしと訓は後なりつくよさしは古歌なり
 
下心吉《シヅコヽロヱシ》、 上は下心といはん序ながら花の下の月はよろしきなりその花の下のよろしさをわが下心に譬とせり
 
兎楯《ウタテ》頃者、」 (別卷)に「若月《ミカツキノ》清《サヤ》にも見えず雲がくれ見まくぞほしき宇多手|比日《コノゴロ》」(卷十六)に「あらき田のしゝ田の稻を藏につみあなうた/\し」とよみしもつみ重る意なりこゝは我がおもふ事のまに/\あかて悦意なりものわつらはしく重るもうたてと云が如く妹との中の悦のしげく重り下心にうれしと思ふと云なり諸成案るに宇多弖てふ言は宇は阿留の約多は都良の約弖は都米の約にて則有連積てふ言を的ていふならん別卷の意も十六卷の意も右の解にて分るとおもはるこは弖は略て在連在連といはんとおもはんさらばこゝも下心|吉《ヱシ》ありつらねつむは相思ふ心の如く相逢事を悦ぶ意を桃の實なり月夜のさやかにたとへし歌ならんさてうたての言はよき事の重るにもあしき事の重るにも今俗のうるさしてふ言の如くはたらくとおもはる
 
 春相聞。
 
1890 春日|野《ノニ》、哭鶯《ナケルウグヒス》、 今本哭を犬とするは畫の消しなり犬としてはいぬるとよまんには句の語たらずよりて哭とす鶯のなける如くなきわかるゝといふなりいぬるとしては意不足
 
鳴別《ナキワカレ》、眷益間《カヘリマスマモ》、 ますまは座間の意なり
 
思樂吾《オモヘラクワレ》、」 今本に此末の句の樂を御とするは御と樂の草を見誤れるなり鶯の如く鳴別ると言女歌にて背を忍ぶなり
 
1891 冬隱、春開花《ハルサクハナヲ》、手折以《タヲリモチ》、千遍限《チタビノカギリ》、戀渡鴨《コヒワタルカモ》、」 今本にちたへのかきりと訓けれど何の事ともなしこは春の花を幾度も手折てはめづるものからにそのごとく君をおもふといふなり
 
1892 春山《ハルヤマノ》、霧惑在《キリニマドヘル》、鶯《ウグヒスモ》、我益《ワレニマサリテ》、物念哉《モノオモハメヤ》、」 こゝにいふ霧は即かすみなり又きりと云にくもりあるなり
 
1893 出見《イデヽミル》、向崗《ムカヒノヲカノ》、本繁《モトシゲミ》、 本とは木立をいふ
 
開在花《サキタルハナノ》、不成不止《ナラズハヤマシ》、」 成は實になるをいふさてわが戀のならずばやまじとたとへたり
 
1894 霞發《カスミタツ》、春永日《ハルノナガキヒ》、 今本はるのなかびをとよめり助字もとよりなければ二つ助字をいるゝに不及集中の例によりて春のながき日とあらたむ
 
戀暮《コヒクラシ》、夜深去《ヨノフケユキテ》、妹相鴨《イモニアヘルカモ》、」 歌の意はあふをうれしめるなり
 
1895 春去、先三枝《マツサキクサノ》、 さき草は山百合の事なりされどこゝは春されば先咲といへればゆりにはあらじおもふにこは奏瑞の事を思ひよりてよめるならん初春の奏瑞は萬の福瑞を福草《サキクサ》として幸《サキ》くとかさねしなるべし三枝はさき草とよむなれば言にかれるのみくはしくは別記にいへるなり
 
幸命在《サキカラハ》、後相《ノチモアヒナン》、莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》、」 今本のちもあひ見んなこひそわきもとあれど見の字なければさはよまれずよりてあひなんとす妹の下に子もなければわぎもことよまれずよりてあらたむさてさきぐさをよめるはもとよりなり春さればまつさきとさき草にいひかけそをかさねうけて幸ある事に言つらねたるのみ
 
1896 春去、爲垂柳《シタリヤナギノ》、十緒《トヲヽニモ》、 十緒は(卷二)の別記に生乎烏禮流の條にくはし
 
妹心(ニ)、乘在《ノリニケル》鴨、」 柳の枝のたわゝにたよ/\する如吾心のなよ/\と妹が心にのりしのぶにたとふなり
 
 右柿本朝臣人麻呂歌集出
 
1897 春在者、 今本春之在者とあり之を去る事既いふ
 
伯勞鳥之草具吉、 具吉の吉は具利約なれば吉を濁るべきを上のぐを言便にて濁れば下のきを清て唱ふ集中藤なみの花をたちくゞ又足引の木の間立|八十一《クヽ》ほとゝぎすといふも立くゝりなり古事記に漏出所成神名(漏云久伎)云云又少名彦名神ちいさきことを御祖神のたまはく自手股久伎斯子也《タナマタニクキシコナリ》此外にも多きことばあるを後の人はいかに思ひけんあらぬ説有と眞淵のいひき
 
雖不所見《ミエズトモ》、 上は見えずともといはん序なり
 
吾者見將遣《ワレハミヤラム》、君|之當婆《ガアタリハ》、」 半濁の假名の唱なればこゝに婆の字を用ふ歌意は君があたりは遠かれば見るに見えずともなつかしきあまり猶見やらんといふがせちなり扨さだかに見えぬに春の野など草のやゝしげき比鵙の鳥の草くゞりては物あさり又草間をくゞるをたとへながら序とせしなりこは人のまどへればわづらはしくいふなり
 
1898 容鳥《カホドリ》之、 さきにいふ如く喚子鳥なり容は借字なり
 
間無數鳴《マナクシバナク》、 上は序にて下に戀のしば/\しげきをいはんとてかくいふなり
 
春野之、草根之繁《クサネノシゲキ》、戀毛爲鴨、」
 
1899 春去者、宇米乃花具多思《ウメノハナグタシ》、 今本宇の花とあれど卯の花は春咲ものにあらず米を脱せるかよりて補ふ具多之は多之約智にて花ぐちなり具多之の具濁音の字を書しは言便をしらせしにて妹が垣なる梅のちりしをふみくちさせ春の日毎に通ひしと云なり
 
吾|越之《コエシ》、妹我垣間者、荒(ニ)來鴨、」 三の句越之といふは垣などをこえたるにはあらでそこにたちこえしと云がごとしさて其あひ見し妹が其家にすまずなりけることありて垣も結そへなどもせざるをかくよめるなるべし
 
1900 梅花、咲散苑《サキチルソノ》爾、吾將去、君之使乎、片待香炎光《カタマチガテラ》、」 今本|香花光《カテラ》とある花は炎の誤なり此歌(卷十八)に田邊福麻呂と注して同歌有末の句可多麻知我底良とあれば誤しるければ改さて香炎光のては多米の約にて待爲《マツタメ》といふなり良はそへていふのみ
 
1901 藤浪、咲《サケル》春野爾、蔓葛《ハフカツラ》、下從之戀者《シタユシコヒハ》、 今本下夜とありてしたよのこひはと訓りこは下待下心の下の如く心の底にとめて戀ば思ふ人にもしられで久しからんとなりいかで/\いひよるべきよすがもがなとの意有よしや言に出て知れんと思なり
 
久雲|在《アラム》、」 上にばとありて下をありと云はてにをはたがへりよりて末をあらんとあらたむ
 
1902 春野爾、霞棚|引《ビキ》、咲花之、如期成《カクナル》二|手爾《テニ》、不逢君可母、」 冬隱春の來れるまでまたれつる花はさけどもあはぬ君かなとまたるゝ事の久しきにたとへよみしなり前の枚にふらすばやまじと云は實になるをいへりこゝはそれとは別なり
 
1903 吾瀬子爾、吾戀良久者、奥山之、馬醉花之《アシミノハナノ》、 既いふ如くこれを今本につゝじと訓しは誤りなり
 
今|盛有《サカリナリ》、」 あしみの花の如く吾戀おもふ事のさかりなりと云り
 
1904 梅花、四垂《シダリ》柳爾、折雜《ヲリマゼテ》、花爾|供養者《タムケバ》、 供神佛而祈なり花のと云しは手向の意なり手向に供養の字を用ゐたる心有にあらず集中の常なり
 
君爾|相《アハム》可毛、」 かくはかなくよめるは女の歌にてしかも古意なり
 
1905 姫部思《ヲミナヘシ》、咲野爾生《サキノニオフル》、 (卷七)に姫押《ヲミナベシ》、生澤邊《オフルサハベ》之、生るといひかけて同じ秋の物よりしてよみくだせるなりこゝは大和國添(ノ)下郡のさき野に女郎花を冠せたるのみ(卷十三)に女郎花咲澤生花かつみと云つるに似り
 
白管自《シラツヽジ》、 是迄しらぬといはん序なり
 
不知事以《シラヌコトモテ》、所言之《イハレシ》吾背、」 歌の意はしらぬこともて吾背の人にいひさわがれしをいためるなり
 
1906 梅花、吾者|不令落《チラサジ》、青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭
 
平城《ナラナル》人、來管|見之根《ミルガネ》、」 奈良なる人のきたり見んとするをねがふ吾なれば梅の花はちらさじと廻りてにをはによめるなり且末の句之根と書るは借字なり之根によりてくさ/”\の説あれどさては古意ならず正しくは願乞意にて欲得と書に同意なり
 
1907 如是有者《カクシアラバ》、何加殖兼《イカデウヱケン》、山振乃、止時|喪哭《モナク》、戀良苦念者、」 今本二の句何如を奈爾々と訓たれどさては如くの字餘れりよて伊加|泥《デ》と訓り古今歌集に「山吹はあやなく咲そ花見んと植けん人のこよひこなくに」と云も似たりこの歌は末の句より二の句へかへして心得べし
 
1908 春去者、水草之上爾《ミクサノウヘニ》、 水は借字にて眞草なり(卷一)みくさかりふきといふに同
 
置霜之、 上は序にておく霜の消とつゞけしなり
 
消《ケ》乍毛我者、戀渡鴨、」
 
1909 春霞、山棚引《ヤマニタナビキ》、欝《オボヽシク》、妹乎|相見《アヒミテ》、後|戀《コヒム》毳、」 こも上は序なり今本欝をおぼつかなと訓たれども然よみては歌の意と同らず霞の棚引ておぼゝしく見ゆる如おほよそにも妹をし見てあらはさてこひんとよめるなり
 
1910 春霞、立爾之日從、至今日《ケフマデニ》、吾戀不止《ワガコヒヤマズ》、片念爾|指天《シテ》、」 今本此末の句|本《モト》之|繁家波《シケヽバ》と有こは既に云如くもとはみきなり木だちの繁きに戀の繁きを譬たるにて本の句にかけあはず必此歌の末ならじ一本をもて改
 
1911 左丹頬經、 冠辭
 
妹乎念登、霞立、春日《ハルビ》毛|晩《クレ》爾、 長き春の日ぐらしおもふとなり戀のおもひのたえずながきにたとへたるなり
 
戀度可母、」
 
1912 靈寸春《タマキハル》、 冠辭
 
吾山之|於爾《ヘニ》、 此吾山は吾終の吾葬する地をさし云其火葬のけむりに霞をたとへて次の句に立霞といふ
 
立霞、雖立雖座《タテレドヲレド》、 今本たちてもゐてもと訓たれどさては雖の字餘れり依て改む
 
君之|隨意《マニ/\》、」 吾身まかりぬとも君がまに/\といふなり(卷五)に中/\にいかにしりけん【卷五の歌|如何知兼《イカニシリケン》と有を今本になにゝと訓るは如の字餘れりよしはそこに云】吾山にもゆる煙のよそに見ましをてふも吾身の終の煙の立るまで君をしらであらまし物をしりそめてくるしと云なり上よりのつゞけがら是にあはせてしるべしさて此歌立霞たてれどゝいふは少く後のさまなり
 
1913 見渡者、春日之野邊爾、立霞、見卷|之欲《シホシキ》、君|之容儀呑《ガスガタカ》、春日のうら/\と春日野にたてる霞をあはれと見る如く見まほしと譬たり、
 
1914 戀乍毛、今日者暮郡、霞|立《タツ》、明日之春日乎、如何將晩《イカニクラサム》、 【卷五、戀管母今日者在目杼玉匣將開明日如何將暮】戀忍びつゝもやうやく今日の日はくらしぬるがあすのながき日をいかにしてとおもひ入てよめり、
 
1915 吾妹子爾、戀而爲便莫、春雨之、零別不知《フルワキシラズ》、出而|來《コシ》可聞、 今本初句吾背子とあれど次の歌と全く問答と見ゆ次の歌は女の答たるにて君者|伊不往《イユクナ》とよめりさらば此歌は男のよめるなれば吾妹子とありしを亂本のまゝに傳りしならんにて吾妹子と改む歌の意は春雨は降とも見えぬ小雨にてうちしめれど妹戀しらのすべなければ其雨をもおもほえず出て來ぬといふをふるわきしらずといへり
 
1916 今更(ニ)、君者|伊木往《イユクナ》、春雨之、情乎人之、不知名國《シラザラナクニ》、」 こは女の歌なり男のかへらんとする時にふるわき不知とのたまへどふるともなくて人をぬらす春雨の情は人皆しりてあれば雨に留られたりと人はおもはんに此雨の中に今更歸行給ふ事なかれといふなり、
 
1917 春(ノ)雨爾、衣甚將通裁《コロモハイタクトホラメヤ》、七日四零《ナヌカシフラバ》、七夜不來哉《ナヽヨコジトヤ》、」 右とは別の歌ながら春雨はつよくふらぬよしはひとしかばかりの雨に衣のいたく通らんや雨のふるほどはこじとの給ふにやとなり、
 
1918 梅花、令散《チラス》春雨、多零《サハニフル》、客爾也君之《タビニヤキミガ》、廬入西留良武《イホリセルラム》、」 此歌は夫などの旅に行しを雨いたくふる日に家なる妻などのおぼつかなみてよめらならんか
 
1919 國栖等之《クズラガ》、 吉野の奥に國栖てふ里有紀(神武)に此里人始てまゐりし事見えたり是をくにすらと訓しはひが事なり四言の句有事を仙覺などはしらで強て五言によまんとするこそをこなれ
 
春菜將採《ワカナツムラン》、司馬乃野之《シバノノノ》、 國栖の里に在野なり「あすよりはわかなつまんとしめし野に」といへるに混じて是をもしめしのと訓しは非なり是は下にしば/\といはん序にて國栖の里人等が云々てふ意にていへるなり
 
數君麻《シバ/\キミヲ》、思比日、」
 
1920 春草之、繁吾戀、大|海《ウミノ》、方依《ヘニヨル》浪之、 今本依を往としてかたゆくなみと訓たれどゆくとては千重の辭にかなはずよりて往は依の誤として改訓つさて浪は千重までかかれるなり
 
千重積《チヘニツモリヌ》、」 上の二句は戀のしげきをいひ次の二句は思ひの千重につもりぬるといはん料なり
 
1921 不明《オボロカニ》、 今本ほのかにもと訓たれどさてかなはず
 
公乎相見而、菅根乃、 冠辭
 
長春日乎、孤悲渡鴨、」 今本孤戀とあるは悲を誤れるなり一本によりてあらたむ
 
1922 梅花、咲而落去者《サキテチリナバ》、吾妹乎、將來香不來香跡《コムカコジカト》、吾待乃木曾《ワガマツノキゾ》、」 梅の花の咲るをりからに妹が來り逢ふ事などありてよめる歟女の男のがり行事はあらねど其折ふし來れるによりてかくよめるならん吾待の木曾は(卷十五)「吾|屋《ヤドノ》の君松樹に零雪の」とあり
 
1923 白檀弓、 冠辭
 
今春山爾、去雲之《ユククモノ》、逝哉將別、戀敷物乎、」 此歌は旅などに行とてわかれををしみてよめる歟
 
1924 丈夫之、 今本丈を大に誤る故に改む
 
伏居嘆而《フシヰナゲキテ》、造有《ツクリタル》、四垂《シダリ》柳|之《ノ》、※[草冠/縵]爲吾妹《カツラセヨワギモ》、」 (卷十四)長歌に丈夫之手結がうらとつゞけしは冠辭考に見ゆ此歌のますらをは冠辭にあらずまき柱ふとき大丈夫とおもへる吾やなど云類なりますらたけをすらふしゐなげきて妹おもふ餘りに吾造れる※[草冠/縵]をよと云なり古へは吾妹と定る女は男の髪あげすめり後なれど「君ならずして誰かあぐべき」とよめる類をおもへさて青柳の※[草冠/縵]は四垂柳もてすればなり、
 
1925 朝戸出|之《ノ》、君之《ガ》儀乎《スガタヲ》、曲不見《ヨクミズ》而、長春日乎、戀八九良|三《サム》、」 朝毎に逢よしのありけんにはつかに見たるあしたによめるならん
 
 問答。
 
1926 春山之、馬醉花之、不惡《ニクカラズ》、 色よく咲花なればたとへいふなり
 
公爾波思惠也《キミニハシヱヤ》、 よしやなり
 
所因友好《ヨスルトモヨシ》、」 人のいひさわぎて言よするなり、
 
1927 石上、振乃神杉、神佐備而、 今本神備而とありてかみびてもと訓るは佐を脱せるなりよりて補ふ(別卷)に同歌あり石上振の神杉神|成《サビテ》戀我更爲鴨《コヒヲモワレハサラニスルカモ》これ同歌の轉なり
 
吾八更更、戀爾相爾家留、」 前の歌は女の思ひよする男に逢ん事かたくしてあり歴たるを人のいひさわけれどもとゆおもへるなれば右の歌よめるを男はかく年歴て女のいふを序としてよしさらに戀にあひたりとよめるならんか
 
1928 狹野方波《サヌガタハ》、實爾雖不成《ミニナラヌトモ》、花耳《ハナニノミ》、開而所見社《サキテミエコソ》、戀之名草爾《コヒノナグサニ》、 狹野方は借字五味葛なりさねかづらをさぬかづらともさぬがたともいへりかつらの津良約多なればなり又秋の部に沙額田の野邊の秋萩とよみ(卷二)に師名立都久麻左野方息長之越智能小菅とよめるは地名にてこれとは別なりさて歌の意は實には戀のならずともうはべのよきさまにもあれかしそをだになぐさめにせんとさぬかたによそへてよめり名草は借字なぐさめなり
 
1929 狹野方波、實爾成西乎、今更、春雨零而、花|將咲《サカメ》八方、」 雨のうるほひにさく花の如く今さらうはべばかりの面清《オモキヨ》にすべきや既に實なりしをとなり春雨とはたゞ時節にていへるのみ此二首かならず春とは定めがたし四時の外の雜歌ならんか
 
1930 梓弓、 冠辭
 
引津|邊有《ベナル》、莫告藻之、花咲|及二《マデニ》、不曾《アハヌ》君毳、」 (卷十一)到筑前國志麻郡云云とありて其次に引津亭舶泊之(此間に夜或は日の字を脱せり)作歌七首とありこれにあはせ見れば引津は筑前の地名なり引津の邊のゝは辭にて引津の方《ベ》なり野にあらず〈卷八)旋頭歌に「梓弓引津邊有莫告藻之花摘まではあはざらめやも名のりその花」とありいづれかまことなるらんしらず
 
1931 川|上之《へノ》、伊都藻之花之、 記に倭建命御歌やつめさす出雲多祁流賀と云冠辭はいやつ芽さしいづる藻てふ事にて藻は芽のつねに生しげるにつゞけしなりさればこゝに川の上のとあればいづる藻の花のいつも/\といひかけたるのみこはやごとなき御説にて冠辭考とは異なり委は別記にいふ
 
何時何時《イツモイツモ》、來座《キマセ》吾背子、時自異《トキジケ》目八方、」 常及《トコシク》あらんやをとこしからんやとして轉じ約ていふなり
 
1932 春雨之、不止零零《ヤマズフリツヽ》、 今本此零々をふる/\と訓せりこは乍を零に誤りしと本居宣長はいへれど今考るに零零のまゝにてふりつゝと訓が古意ならん
 
吾戀《ワガコヒハ》、人之目尚矣《ヒトノメスラヲ》、 紀(斉明)中大兄皇子命の君がめをほりとよませ給へるは御母天皇の御かほを見まほしませ給ふなり古へは人に逢まくほるをめをほるなどいひしなり
 
不令相見《アヒミセザラム》、 男のかれ/”\なるを春雨の降つゞくにかこちてうらむるなり
 
1933 吾妹子爾、戀乍居者、春雨之、彼毛知如《カレモシルゴト》、 雨をさして彼とはいへり、
 
不止零乍、」 吾妹子に我戀しぬびつゝたえぬ涙とともに春雨のやまず降ぬるは吾思ひをしる如くふるとなり
 
1934 相不念《アヒオモハヌ》、妹哉《イモヲヤ》、本名《モトナ》、菅根之、長春日乎、念晩牟、」 おもはぬ妹を戀るがよしなきにながき春日を戀くらさんかとなげくなり
 
1935 春去者、先鳴鳥乃、鶯之、 是も鶯の春とつゞけしと同じつづけがらにて雪のうちより鳴諸鳥に先だち聲を出すをあげて下に言さきだてしといはん序とせり
 
事先立之《コトサキダテシ》、 事は借字言なり
 
君乎之將待、」 はやくいひ出し頃の契にたがはず其君を待んと云なり(卷十二)に「こと出しはたが言なるか小山田のなはしろ水の中よとにして」ともよめり
 
1936 相不念《アヒオモハズ》、將有兒《アラムコ》故(ニ)、玉緒(ノ)、長春日乎、念晩久《オモヒクラサク》、」 末の句佐久約須にてくらすなりこの三首は問答ともなしその上終の此歌は三首のはじめの歌の變にて或本の歌ならんを今本にはならべ書たり亂書のまゝならんとおもへば例によりて小書とす又此上の二首も問答とある標にあはねど挽歌などのまぎれ入しとは別にて春の雜歌に春ならぬも有例にならへり
 
 夏《ナツ》雜《クサ/”\ノ》歌。
 
1937 丈夫|丹《ニ》、出立向《イデタチムカフ》、 是を契冲は軍に出立向ことゝいへれど丈夫丹と云から軍にといふまではなし事遠し(卷一)に丈夫之得物矢手挿立向射流圓方波云云(卷二十)あらしをのいほさ手狹むかひ立かなるましづみ云云是らは的に向なり(同卷)に(長歌)あづまをのこは伊田牟可比《イタムカヒ》かへり見せずて又其下にけふよりはかへりみなくておほ君のしこの御楯刀伊※[泥/土]《ミタテトイデ》多都吾例波などを思ふにこゝの丈夫丹云云といふも丈夫どち立向ふ勢ひをおもひて丈夫爾の言を冠辭とせしならんさて出立向は我家を出立て向はるゝ故郷の神なび山なればさ云のみ
 
故郷之、 飛鳥郡
 
神名備山爾、明來者、柘之左枝爾《ツミノサエダニ》、 桑の類なり
 
暮去者、小松|之宇末爾《ガウレニ》、里人|之《ノ》、聞戀麻由《キヽコフルマデ》、山彦乃、答響萬田《コタヘスルマデ》、 今本萬田をまでにと訓たれどそも假字なれば假字の下に字はそへられず依てあらたむ
 
霍公鳥、都麻戀爲良思、左夜中爾|鳴《ナク》、」
 
 反歌
 
1938 客《タビ》爾爲而、妻戀爲良思、霍公鳥、神名備山爾、左夜深而鳴、 調のとゝのひたる歌なりこともなく打となへたるによく調ふぞかたき
 
1939 霍公鳥、汝始音《ナガハツコヱ》者、於吾欲得《ワレニコソ》、 われに得させよとなり
 
五月之珠爾《サツキノタマニ》、交而|將貫《ヌカン》、」 さつきの珠は蘆橘の實を糸してつなぎて玉緒などの如くする手進《テスサミ》と見えたりさて玉緒と云は首玉手玉足玉などの遺れる手風なりけり
 
1940 朝霞、棚引野邊(ニ)、足檜木乃、 冠辭
 
山霍公鳥、何時來將鳴、」 かくるゝ事なし
 
1941 旦霞、 八重といはんためなり
 
八重山越而、 多くの山を越てなり
 
喚子鳥、吟八汝來《ナキヤナガクル》、屋戸母不有九二《ヤドモアラナクニ》、」
 
1942 霍公鳥、鳴|音《コヱ》聞哉、宇能花乃、開落《サキチル》岳爾、 岡の山田なり
田草|引※[女+感]嬬《ヒクイモ》、」
 
1943 月夜吉《ツクヨヨシ》、鳴霍公鳥、欲見、吾草取有《ワカクサトレル》、 庭を掃しなるべしさて此夜のさま親き友がきなどに見せまくほりしなり
 
見人毛欲得《ミムヒトモガモ》、」 此歌上の歌のこたへにあらず、
 
1944 藤浪之、散卷|惜《ヲシモ》、霍公鳥、今城岳叫《イマキノヲカヲ》、 今城は大和國高市郡紀(雄略)に新韓《イマキ》又紀〈齊明)に今來と見えたり今本に※[口+立刀]とあるは叫の誤なり叫吉弔切驕去聲呼也、
 
鳴而越奈利、」
 
1945 旦霧(ノ)、 上に同言あれば是も霞ならんかされど既いふ如く霧は秋とのみおもへるは後なれば朝霧と云も嫌なし
 
八重山越而、霍公鳥、宇能花|邊柄《ベカラ》、 今本宇を字に誤る一本によりて改つ
 
鳴(テ)越來《コエキヌ》、」 越來を今本にこゆらしと訓るは誤なり
 
1946 木高者《コダカクハ》、曾木不殖《カツテキウヱジ》、霍公鳥、來鳴令響《キナキドヨメテ》、戀令益《コヒマサラセリ》、」 意明なり
 
1947 難相、君爾|逢有夜《アヘルヨ》、霍公鳥、他時從者《コトヽキヨリハ》、今社鳴目《イマコソナカメ》、」 右に同じ
 
1948 木(ノ)晩之《クレノ》、暮闇有爾《ユフヤミナルニ》、 木晩は木茂りて小《ヲ》闇きに夕べ殊更なれば云、一云|有者《ナレバ》、
 
霍公鳥、何處《イツコ》乎家登、鳴渡良武、」 今本に武を哉に誤る假字はむとあり哉をむと訓ことなし
 
1949 霍公鳥、今朝之旦明爾《ケサノアサケニ》、 旦明は朝開と書く如く借字にて朝影なりくはしくは(卷一)の長歌の下に見えたり
 
鳴都流波、君|將聞可《キクラムカ》、朝宿疑將寢《アサイカヌラム》、」
 
1950 霍公鳥、花橘之、枝爾居而、鳴響者、《ナキドヨマセバ》、花波散乍、」 かくるゝ事なし
 
1951 慨哉《ウレタキヤ》、四去霍公鳥、 今本慨哉四をよしゑやしと訓たるは誤れり既記(神武)に慨を于黎多棄《ウレタキ》と訓りよりて訓も句も改むさてうれたきはうしふれいたきてふ約たる謂なり四以下二の句にてほとゝぎすを詈て醜ほとゝぎすといふ(卷十三)に忘草をしこ草と詈りたる歌もありはつかに鳴をにくみしなり
 
今社者、音之干蟹《コヱノカルカニ》、 聲のかるゝまでになり
 
來喧響目《キナキドヨマメ》、」 どよまめは麻米の約米にて來鳴とよめと令《オホス》る辭なり
 
1952 今夜《コノヨヒ》乃、於保束|無荷《ナキニ》、 おぼつかなきはやみをいふなり
 
霍公鳥、喧《ナク》奈流聲之、音《オト》乃|遥左《ハルケサ》、」 かくざまなる終の左は志奈の約にてはるけしなといひ入る辭なり
 
1953 五月《サツキ》山、 五月山は地の名にあらず五月の頃の山を云(卷八)に佐伯山とあるも字の誤にて五月山なるべき事はその卷にくはしくいふあはせ見るべし
 
宇能花|月夜《ヅクヨ》、 五月の始までも卯の花の殘り咲たる夕月夜に霍公鳥をきゝてあかずおもへるなり
 
1954 霍公鳥、雖聞《キケドモ》不飽、又|鳴鴨《ナカンカモ》、」
 
霍公鳥、來居裳《キヰモ》鳴奴香、 今本奴を脱せし事しるしよて補ふ
 
吾|屋前《ニハ》乃、花橘乃、地二《ツチニ》落|六《ム》見牟、 花たちばなをちらすを見んといふなり
 
1955 霍公鳥、厭時無《イトフトキナシ》、 いとふ時はなけれどもの意なり
 
菖蒲《アヤメグサ》、※[草冠/縵](ニ)將爲日《セムヒ》、 續紀(聖武)に天平十九年五月五日太上天皇詔曰昔者五日之節常用菖蒲爲※[草冠/縵]比來已停此事從今而後非菖蒲者勿入宮中と見えたりかつらにせん日は五月五日をいふなり
 
從此鳴度禮《コユナキワタレ》、」 こゝより鳴渡れなり 
 
1956 山跡(ニ)夜、啼而香將來、霍公鳥、汝鳴毎、無人所念、」 此歌は挽歌なれど郭公をよむ故に此歌にまぎれ入しなりよりて小字とすこゝに山跡といふは大名を云ならんさて山跡にありし人のなきをおもふか又なき人を葬《ヲサメ》しゆゑをいふか
 
1957 宇能花乃、散卷|惜《ヲシミ》、霍公鳥、野出山入《ノニデヤマニリ》、來鳴令動《キナキトヨマス》、」 歌の意かくるゝ事なし
 
1958 橘之、林乎|殖《ウヱン》、霍公鳥、常爾冬|及《マデ》、住度金《スミワタルガネ》、」 がねはかにといふに同じ
 
1959 霽之《アマバリノ》、 今本雨※[目+齊]なりとあるは誤なり霽の一字を二字としたるなり霽はのちにもゆふばれと訓て雨のはれたるをいへればなり※[目+齊]は字書に見えずよりてよしこせのあまばりの訓をたすけて二字を一字とす婆利の利は禮に通ひてあまばれなり
 
雲爾|副而《タグヒテ》、 たぐひといふ言のもとはたてならぶてふ語をはぶきつゞめていふ言なりされば其意得て副の字をも用たり
 
霍公鳥、指春日而《カスガヲサシテ》、從此鳴渡《コユナキワタル》、」
 
1960 物念登《モノモフト》、不宿旦開《イネズアサゲ》爾、霍公鳥、鳴而左度、爲便無《スベナキ》左右二、 さ渡るのさはことおこす語なり歌の意は物もひにいねがてなるにまして郭公の聲のものがなしくきこゆればせんすべなきまでおもはるとなり、
 
1961 吾衣、於君令服與登《キミニキセヨト》、 今本吾衣於の三字をわがきぬをと訓たれど於はてにをはに下におくべき字にあらずこは於|君《キミ》と訓せんとておける事しるければ誤りしるしよりて句も訓もあらためつ
 
霍公鳥、吾干領《ワカホスキヌノ》、 【契冲は竿にかけてほしたる衣の袖を云歟されど君にきせよと吾にしらする心得がたしといへり今本誤字多を考得ざる故なり撰要抄云君は霍公鳥を指吾乎領は吾をしらせてと訓べしと云り奥人おもふに吾にしらせてとはいふべきにわれをしらせてとはちと不穩聞ゆ領は承上令下謂之領と有は吾をうながしと可訓】今本吾乎領とありてわれをしらせてと訓たれど歌の意とほらず字も訓も誤れりとす領は衣一領などいひて衣の事にいへばきぬと訓べし日下部高豐云乎は干の誤なりこをよしとして改つさて歌の意は竿にかけほしたる袖に郭公の來居て鳴を其衣を君にきせよと鳴といへるなり 
袖爾|來居管《キヰツヽ》、」
 
1962 本人《モトツヒト》、霍公鳥|乎八《ヲヤ》、 こはほとゝぎすをさしてもとつ人といふなり年毎に待戀居るものなればしか云又霍公鳥を故友などいふ事もありすべて時鳥のみならず(卷五)には「遠つ人かり路の池」とよめるも雁を人に譬なり
 
希將見《ネギテミン》、 今本希將見をまれに見んと訓るはあしゝよりてねぎて見んとよめり希はこひねぐ意なればなり
 
今哉汝來《イマヤナガコム》、 今本ながくると訓るはてにをはたがひて意をなさすよりてあらためつ
 
戀乍居者、」 歌の意は郭公をこひしたしみつゝ居ははやこよとねぎてだにも見んさらば今や郭公のこんを云るなり
 
1963 如是計、雨之|零爾《フラクニ》、 良久約るなり、
 
霍公鳥、宇之花山爾、猶香|將鳴《ナクラム》、」
 
1964 黙然毛將有《ナホモアラム》、 今本もだもあらんと訓むさもあるべけれどなほはたゞの意何事もなくあらん時を云なり
 
時母鳴奈武、日|晩乃《グラシノ》、 和名抄に茅蜩比具羅志と見えたり【日晩乃日のくれのと讀む歟日ぐらしの物念時といふはいかにもおだやかならず】
 
物念時爾、鳴管本名、」 物思ふ時にむなしく鳴つるまゝに吾思ひのそはりぬればたゞあらん時になけかしとなり
 
1965 思子之《オモフコガ》、衣|將摺爾《スラムニ》、爾保比乞、 今本乞を與と見てにほひせよと訓れどさ訓んには世の歌に當る字なしこはおもへる子か衣にすらんに匂へとこへるにてこそとよむべきなり
 
島之|榛原《ハイバラ》、 橘(ノ)島(ノ)宮同地にて大和國高市郡なり
 
秋不立友、」 是は夏咲るを見てよめるにあらずまた花なきを乞てよむなり或人榛にて秋萩ならずと云は僻事榛は借字なり
 
1966 風(ニ)散、花橘|叫《ヲ》、 叫は既にいふ如くなれば字を改
 
袖受而《ソデニウケテ》、爲君御跡《キミオハセリト》、 おはしますとなりおはせりはそこに人の居給ふをも又來り給ふをも古へよりいへば何れにても聞ゆこはむかしの人の袖の香ぞするてふ意なり今本きみに見せんとゝよめるは誤れり見せんとよむべき字もなくさ讀みては歌の意もとほらず
 
思鶴鴨、」
 
1967 香細寸《カクハシキ》、花橘乎、玉貫、將送《オクラン》妹者、三禮而毛有香《ミツレテモアルカ》、」 みつれは羸《ミツレ》なり痩おとろへたるなり(卷十一)に「三禮二見津禮かたもひをせん」とあり橘の花さけはいつも玉にぬきおくるなるにわれにおくりこさぬは妹のやまひにみつれてもあるかといふなりこは相聞の歌なり
 
1968 霍公鳥、來鳴響《キナキトヨマス》、橘之、花散庭乎、將見《ミム》人八|熟《タレ》、」 こはたれかはある君ならずしてはといふなり
 
1969 吾屋前|之《ノ》、花橘者、落爾家里、悔時爾《クヤシキトキニ》、相在《アヘル》君鴨、」 橘のちりて後來れるをかく云なり女歌なり
 
1970 見渡者、向野邊乃《ムカヒノヽベノ》、石竹之《ナデシコノ》、落卷惜毛、 雨|莫零行年《ナフリコソ》、」 雨はふるなとねがへるなり行年は去年の意さればこぞの言もてこその辭にかり用たるなり
 
1971 雨間開而《アメハレテ》、 今本にあまゝあけてとよめるはわろしあめはれてと訓べし集中の例なり
 
國見毛將爲乎、故郷之、花橘者、散《チリニ》家牟可聞、」 橘の散るばかりの事に國見など云べからずこは國見せん時に橘の咲てあらば興あらんに雨ふりこめて國見もせざる間に橘はちりなんかとをしめりさて此古郷は飛鳥藤原などの古京を云ならん、
 
1972 野邊見者、瞿麥之花、咲家里、吾待秋者、近就《チカヅク》良思母、」 意明なり
 
1973 吾妹子爾、相市乃花波《アフチノハナハ》、 相市は借字楝なり
 
落不過《チリスギズ》、今|咲有如《サケルコト》、有乞奴《アリコセヌ》香聞、」 初めの吾妹子はあふといはんのみ今本乞を与と誤れること既いふ如くなれば改むありこせぬのぬは後にたゞぬてふにてね又はなに通ひて今咲る如くありこそよとねがふ意なり
 
1974 春日野之、藤者|散去而《チリニテ》、 今本ちりゆきてと訓たれど去はいにてなればいを略てちりにてとよむぞいにしへなり
 
何物《ナニヲ》鴨、御狩(ノ)人|之《ノ》、折而將挿頭、」 こは御狩などのあらんずる前に藤の花のちりしを惜みてよめるなり
 
1975 不時《トキナラズ》、 玉乎|曾連有《ゾヌケル》、宇能花乃、 二三の句を上にして心得るにてうのはなのたまをぞぬけるなり
 
五月乎待者、可久有《ヒサシカルベシ》、」 花實など糸はもとより藁の類にもつらぬくは後のわらはべもするわざなりさて玉にぬくはもはら橘にて五月の事なるよしは集中に見ゆさればうづきに卯の花を玉にぬき其手風より五月をまつを久しみてよめる歌なり、
 
 問答《トヒコタヘ》。
 
1976 宇能花乃、咲落岳從、霍公鳥、鳴而沙渡《ナキテサワタル》、公者聞津八《キミハキヽツヤ》、」 きゝつるやのるを略けるなり
 
1977 聞津八跡《キヽツヤト》、君|之問世流《ガトハセル》、霍公鳥、小竹野爾所沾而《シヌヌニヌレテ》、 しぬゝはしほ/\に同じ且今本沾を活に誤る一本によりて改む
 
從此鳴綿類《コユナキワタル》、」
 
 譬喩歌《タトヘウタ》。
 
1978 橘(ノ)、花落里爾、通名者、山霍公鳥、將令響鴨《トヨモサムカモ》、」 秋萩を鹿の妻てふ如く橘を霍公鳥のあるじの樣にいへり然れば古今歌集に「あきはぎにうらぶれをれば足曳の山下とよみ鹿の鳴らん」とよめる類にて橘の花ちる里にかよはば霍公鳥のねたみて鳴とよめるをおもてにて妹が里にかよはゞ其里人のこちたくいひさわがんかとたとへたり
 
 夏相聞
 
1979 春在者、 今本春在の間に之の字有既云如なれば棄
 
酢輕成野之《スガルナスノヽ》、 すがるは似我蜂にて他し虫の子もて子とす霍公鳥も鶯の卯の生るをいふなり似たる物をもていふのみなすは似を約し言なりさて此野はたゞに野をいふにて地の名にはあらぬなり
 
霍公鳥、 こゝまでは下にほど/\といはん爲の序のみ
 
保等穗跡《ホドホド》妹爾、 保等穗跡はほどよくを略きたるにてよくまれあしくまれ其ほどらひのまに/\あふべきをひたぶるにあはぬをうらめり
 
不相來《アハズキ》爾家里、」 よきほどらひにあはずてふ事の序歌なり
 
1980 五月山、 既云
 
花橘爾、霍公鳥、隱合時爾、 良布は留の延言
 
逢有《アヘル》公鴨、」 霍公鳥は花橘にかくるなるにわれはかくろへずあへるをよろこべる意のみ
 
1981 霍公鳥、來鳴五月之、短夜毛、獨宿者、明不得毛《アカシカネツモ》、」 歌の意かくるゝ事なし、
 
1982 日倉足者《ヒグラシニ》、時常《トキト》雖鳴、君戀、 今本に我君とあれどしかしては次の句につゞきがたし君とありし本の畫の消しを吾と見て誤を傳へたるならんと思へば改む【ときじくてふ言非時又は不定の字はあつれど常及《トコシク》の意なる事此日倉足者云云の歌もて意をしれ】
 
手弱女|我者《ワレハ》、 ますらを吾は又世の人われは皆同じ
 
不定哭《トキジクニナク》、」 今本の訓にても聞ゆれど集中の例もて改む
 
1983 人言者、夏野乃草之、 此之の下に如を入て心得べし
 
繁友、妹與吾《イモトワレトシ》、携宿者《タヅサハリネバ》、」 たづさはりは手さはりなりづは助字なり携の字はあてゝ書しのみ人言のしげきはいとはじとなり
 
1984 迺者之、戀乃繁久、夏草乃、苅掃友、生布如《オヒシクガゴト》、」 おひしくは生|及《オヨブ》なり
 
1985 眞田葛延《マクズハウ》、夏野之|繁《シゲク》、 夏野までは繁くといはん序なり、 
如是戀者、信|吾命《ワギノチ》、 藝は我伊の約
 
常有《ツネナラ》目八方、」 戀死んかといふなり
 
1986 吾耳裁《ワレノミヤ》、如是戀爲良武、垣津旗、 冠辭
 
丹頬合《ニホヘル》妹者、 今本丹類全と字を誤るくはしくは冠辭考に見ゆ
 
如何將有《イカニカアラム》、」 意かくるゝ事なし
 
1987 片※[手偏+差]爾《カタヨリニ》、絲叫曾吾※[手偏+差]《イトヲソワガヨル》、 こは糸を※[手偏+差]といふなり惣て糸はもろ手ならでかた/\へよるは常なり
 
吾背兒|之《ガ》、花橘乎、將貫跡母日手《ヌカムトモヒテ》、」 我背の橘とりて玉にぬきなんとおもひて糸をよるといへるにかたよりといへるは背はさばかりおもはぬをよせてよめるなり
 
1988 鶯之、往來《カヨフ》垣根乃、宇能花之、 こゝまではうきといはん序なり
 
厭事有哉《ウキコトアレヤ》、 あればにやを略いふなりうぐひすのうの花のうきことゝつゞけたるも古へにておもしろし
 
君|之不來座《ガキマサヌ》、」 (卷十二)に霍公烏鳴けるをのへのとありて下は同じ小治田廣耳と見えたり
 
1989 宇能花之、開登波、 句をきりて心得べし
 
無二《ナシニ》、有人二《アルヒトニ》、 さくとはなく有人にゝて思ひひらけて我方へよらざる人をいふなり
 
戀也|將渡《ワタラン》、獨念爾指天《カタモヒニシテ》、」
 
1990 吾社葉、憎毛有目、吾屋前之、花橘乎、見尓波不來鳥屋、」 意明なり
 
1991 霍公鳥、來鳴動《キナキトヨモス》、崗部|有《ナル》、藤浪見者、君者不來登夜、」 歌の意かくるゝ事なし
 
1992 隱耳《シヌビノミ》、 今本かくしのみと訓りさても聞ゆれどしのぶ意を得て借たれば訓をあらためつ
 
戀者苦、瞿麥之、花爾開出與、朝旦將見《アサナサナミム》、」 上に開とはなしにといふとは異にてこゝはあらはれ出て相逢んといふなり
 
1993 外耳《ヨソニノミ》、見筒|戀牟《コヒナン》、 今本筒を箇に誤る
 
紅乃、末採花乃、色(ニ)不出友、」
 
1994 夏草乃、露別衣《ツユワケシキヌ》、 今本つゆわけごろもと訓るは誤なり末の句に衣手とさへあれば訓のあやまりをおもへ【奥人按に此歌三句にきもせぬにとあれば今本のまゝに露わけごろもとよむぞよろしつゆわけしきぬと訓てはきこえがたくおもはる】
 
不著爾《キモセヌニ》我衣手乃、干《ヒル》時毛|名寸《ナキ》、」
 
1995 六月之、地副割而《ツチサヘサケテ》、照日爾毛、吾袖|將乾哉《ヒメヤ》、於君不相四手《キミニアハズシテ》、」 上の歌も、此歌もともに戀あまれる涙をよめれど何にたくめる事もなくとほりてあらはにして然も意はふかし後の世に「わが袖は汐千に見えぬ沖の石の人こそしらねかわく間もなし」てふは其頃の歌にはあらはにかくれたる事なくよき歌なるを此二歌にくらべてはかざりてたくみたればいともたがひて意あさくまことなきを見よ
 
 秋雜歌《アキノクサ/\ノウタ》
 
1996 天漢《アマノカハ》、 あまの川と訓は後なり委は古事記を引て別記にいふ
 
水|左閉而照《サヘニテル》、船章《フナヨソヒ》、 今本章を竟としてふなわたりと訓たれど意とほらず字を誤るよりて考るに船竟二字は艤の一字にてふなよそひかとおもへれど字のちかければ暫章としてよそひと訓む、一本竟を競に作りてきそひとよめりされど水|左閉而照《サヘニテル》といへばよそひの方つゞきてきこゆ
 
舟入《フネコグヒトノ》、 彦星を云なり
 
妹等所見寸哉《イモトミエキヤ》、」 相見えきやなり寸は計利約やはよに通ひ妹はたなばたつ女をさしていふなり
 
1997 久方之、 冠辭
 
天漢原丹《アマツカハラニ》、奴延鳥之、 冠辭
 
裏歎座津《ウラナキマシツ》、乏諸手丹《トモシキマデニ》、」 一年に一たび逢ます事の遠くすくなければ奴延鳥の如うらなきまして二星の逢夜の遠きをわびましつとなり
 
1998 吾戀《ワガコヒヲ》、 吾は彦星なり
 
嬬者知遠《イモハシレルヲ》、 織女はしりてあるをなり
 
往船乃《ユクフネノ》、 別れの時をいふなるべし
 
過而應來哉《スギテクベシヤ》、 來ん年ならでは來べきやなり
 
事毛告哭《コトモノラナク》、」 事は借字にて今年別れては又こん年ならでこぬに、言ものらぬといふなり今本告火と有てつげらひとあるは字も訓も誤れり哭の畫の消しならん 
1999 朱羅引、 冠辭
 
色妙子《シキタヘノコヲ》、 冠辭考色栲の條にくはし
 
數《シバ》見者、 しきたへよりいひくだせり
 
人嬬|故《ユヱニ》、吾可戀奴《ワレコヒヌベシ》、 此歌|七夕《ナヌカノヨ》の歌にあらずまぎれてここに入しなるべし【○眞淵云色妙は借字子は女を云にて敷栲の妹と云に同しさて敷細布てふ敷は物の繁くうつくしきをいひ細布はよき絹布を云古語女のうつくしく和《ナゴ》やかなるに譬なり或本にいろたへと訓しは誤れり神祇令の集解に敷和者宇都波多也云云敷は絹布の織目の繁き意和はなごやかなる意にて美織《ウツハタ》なり敷は下に敷事にのみ思ふはかたくるし
 
2000 天漢《アマノガハ》、安渡丹《ヤスノワタリニ》、 古事記に天安川原とあるは都の地名なりかく云は古事記の考にくはしく云此歌にて安渡といふは天津銀河の事なりそれを彼地名の安川原にとりなしてよめるなり
 
船浮而、我立待等《ワレタチマツト》、【今本云|秋立待等妹告與具《アキタチマツトイモニツゲヨヨク》】今本秋立待等とある秋は我の誤ならんと橘千蔭がいへるによるべし
 
妹告乞《イモニツゲコソ》、」 今本與具とあるは誤なり(卷三)に其誤るよしはくはしく云
 
2001 從蒼天《オホソラユ》、 今本おほぞらにとあるは誤なりしかよみては從はあまれり
 
從來吾等須良《カヨフワレスラ》、汝故《ナレユヱニ》、天漢道《アマノカハラヲ》、名積而叙|來《コシ》、」 なづみは既に云如くいたづきなやみこしぞといふなり
 
2002 八千|戈《ホコノ》、神自御世《カミノミヨヽヨリ》、 八千戈神は大穴持神の一名なり古く久しき事にいはんためなり
 
乏※[女+麗]《トモシヅマ》、 一本孃と有
 
人知爾來、苦思者《ネモコロモヘハ》、」【奥人按に告苦字をかくは誤しかされどもありこせのまゝたすけ告思者《ツゲテオモヘバ》とよまるれば改ず有なむその義はつげの計を延れは伎弖となる故借て書るならむ】今本告思者とありてつぎてしもへばと訓り告は苦の誤しるかれば字も訓も改む神の御世より久しくねもごろにおもへるともし妻なれば人もしりにけりと隔句によめりさて外になくおもふ妹をともし妻といふ將かゝるたぐひは皆彦星織女となりてよめると見るべし此歌も前の歌も彦星になりてよめるなり
 
2003 吾等戀《ワガコフル》、丹穗面《ニノホノオモト》、 丹穗の穗はをの如く唱ふべしこはさにつらふなどいへるに同じく艶やかに色づきいでたるかほばせをいふよし冠辭考に委し
 
今夕母可《コヨヒモカ》、 可は疑の辭なり
 
天漢原爾《アマノカハラニ》、石枕|卷《マカム》、」 今本いはをいそと訓たれど既川原とあればしかよむべからねばあらたむ末の句まくとよみこせたれども歟と疑たればまかんと訓べし
 
2004 己※[女+麗]《オノガツマ》、乏子等者《トモシキコラハ》、立見津《タチテミツ》、荒磯卷而寐《アリソマキテネム》、吾|待難《マチカテニ》、」 今本此歌字も訓もいと誤れり三の句一本競今本竟とありてともにあらそひつと訓たれど織女の誰とともねをあらそはんよしもなく歌の意もとほらねば竟は立見の二字の一字となれりとす末の句の訓も誤れりよりて改む歌の意は彦星の逢夜をまつ心からともしづまも吾をまちがてに立見つゝありそをまくらとしてぬるならんとなり今本吾を君に誤れるならんと黒生か云へるによるべし 
2005 天地等、別之時從、自孃《オノガツマ》、然取手而在《シカチギリタル》、 今本取を叙に誤り訓もよしなければ改取手を契と訓は遊仙窟によれり契たるの多は弖阿の約なり 
金待吾者《アキマツワレハ》、」 今本の訓はよしなしこは秋まつわれは妹としか契りおけりといひ天地のわかれし時より手に取てある秋とつゞけて契の久しきを云ならん
 
2006 彦星(ノ)、嘆須孃《ナゲカスイモガ》、 なけかすの加は伎麻の約
 
事谷毛、 事は借字言なり
 
告爾叙《ツゲニゾ》來|鶴《ツル》、 今本の余は爾の誤
 
見者苦彌《ミレバクルシミ》、」 彦星のなげきますを見ればくるしきに織女の言をだにつげに來つるといふはなげきをなごめんとなり此だにはさへの如し輕く見るべしさてこは七夕にあらず其前後などよめるならん
 
2007 久方(ノ)、 冠辭
 
天印等《アマツシルシト》、水無《ミナシ》河、 天漢をさしてたゝちにみなし川といふなり
 
隔而|置之《オキシ》、神世之恨《カミヨシウラメシ》、」 此歌は久方の天とつゞけ下してその言のしるしと天漢てふものを神世より定めおかして二星の逢瀬をへだて年に一夜のみなるがうらめしといふなり
 
2008 黒玉(ノ)、 冠辭
 
霄霧隱《ヨギリコモリテ》、 遠といはん序なり
 
遠鞆、妹傳《イモガツタヘハ》、速告乞《ハヤクツゲコセ》、」 つたへはのちも言づてなど云が如しさてつたへてふ言古くはきこえず末の句終の乞を今本與に誤る事前に云が如し此歌も七夕に限らず
 
2009 我戀、妹命者《イモノミコトハ》、 今本汝戀とあり汝にては人より彦星をさしていふ事となるさらば妹の命とは有べからず此歌も彦星になりてよめるにて我戀る妹の命なりよりて汝は我の草の手を見誤として改
 
飽足爾《アクマデニ》、袖振|所見都《ミエツ》、及雲隱《クモカクルマデ》、」 此歌の意は妹の命も戀る心はせちなればあくまで袖ふらせれどつひに遠く雲がくりて見えぬを彦星のあかずなげきますと彼佐用比賣をふくみて彦星になりてよめるなり
 
2010 夕星毛《ユフツヾモ》、夕星の事冠辭考に委し【和名抄に太白星名長庚暮見於西方爲長庚(由不豆々)卷二に夕星之彼往|此去《カクユキ》大船(ノ)猶予不足《タユタフ》見者云云長庚星の或暮西に往或晨東に去て見るに譬へたるなり眞淵】
 
往來天道《カヨフアマヂヲ》、及何時鹿《イツマデカ》、仰而將待、月人壯《ツキヒトヲトコ》、」 月人壯は下にも彦星をかく譬し有こはみかほしむといふほどのたとへなり歌の意は夕星すらとゆきかくゆくにいつまでか遠くむかひたちて彦星をあふぎてまたんやと織女《タナバタツメ》のなげゝるなり
 
2011 天漢《アマノガハ》、己向立而《コムカヒタチテ》、 己は借字來向なり(卷十二)相むきたちて又(卷十八)安川許牟可比太知弖戀樂爾、 今本樂を等とするは〓を〓と見たる草の手の誤なりらくは留の延言
 
事谷將告、 事は言なり
 
孃言及者《ツマトフマデハ》、」 つまといふまではなりこも其夜にかぎらぬなり
 
2012 水良玉《シラタマノ》、 水は須伊約志なれば假字に用ひたりさて此白玉は鰒玉とて眞珠の事なりそは得がたかる物にて人のめづらしむを星の装なれば五百都集と多きをいふさて其おほきは首玉手玉足玉の數あるをいひてそをとくこともなくひたぶるにあはん日を待に譬へぬとなり
 
五百都集乎、解毛不見《トキモミズ》、吾在哥太奴《ワガアリカタヌ》、 今本吾者于可太奴と有は字も訓も誤れり者は在の誤于可は哥の二字となれると見ゆ訓もよしなければあらためつありがたぬはありがてぬなり(卷十八)に思良多麻能伊保都々度比乎手爾牟須比於許世牟安麻波牟賀思久母安流香とあり
 
細日待爾《アハンヒマツニ》」
 
2013 天漢、水陰草《ミヅクマグサノ》、 今本水陰草とよみたれど唐にても隈の意に陰を用ふ此朝庭にもくまといふに隈の字を充たりこをもて見れば水陰をみづくまと訓て水ぎはの草なるをしるさて此比もはら唐意をこのめばかくことわりこめて字をあてしをおもへ 
金風(ニ)、 此秋風をかく書るをもても上にいふことわりをしれ
 
靡見者《ナビクヲミレバ》、時來良之、」 今本|時來之《トキハキヌラシ》と訓れど來の一字さまで添へ訓べきにあらず良の脱し事しるかれば補ふさて此歌も星になりてよめるなり天漢に草あるべくもなしそは人の常にてよめり後世天の川てふ所あるなどよりあやまる事なかれそは後に作り出で付たる名にて古意にあらず
 
2014 吾等待之《ワガマチシ》、白芽子開奴《アキハギサキヌ》、今谷毛、紀(神武)に伊莽波豫《イマハヨ》、伊莽波豫《イマハヨ》、阿々時夜塢《アヽシヤヲ》、伊勢麻※[人偏+嚢]而毛阿誤豫《イマダニモアゴヨ》、伊麻※[人偏+嚢]而毛阿誤豫、とあるは今よとの給へるのみこゝの今だにも右に同じ
 
爾賓比爾往奈《ニホヒニユカナ》、越方人邇《ヲチカタビトニ》、」 歌意は吾まちし萩の咲たれば彼ころもにほはせとよみし如く今萩はらに入たち衣にほはし織女《タナバタツメ》のがりゆかんてふをかくよめりとせんかさはとりがたし萩に衣にほはせなまめきゆかんとよめる相聞の歌のこゝにまぎれたるものなりと見ゆれば例の小書にするなり
 
2015 吾世子爾、裏戀居者《ウラコヒヲレバ》、 うらは字の如くうらにて心を云さればこゝろに戀をればなり、
 
天《アマツ》河、夜船※[手偏+旁]動《ヨフネコギドヨミ》、梶音所聞《カヂノトキコユ》、」 かぢのおとのおを畧いふは古訓なり
 
2016 眞氣長《マケナガク》、 既氣長てふにいひし如く此氣も來經を約云年月日の來經るも久にこひしといふなり
 
戀心自《コフルコヽロニ》、 今本こころしゆと訓しはわろし
 
秋風《アキカゼニ》、妹音所聽《イモガトキコユ》、紐解往名《ヒモトキユカナ》、」 秋風のさそひて妹がおとなひきこゆればうちくつろぎ紐ときてゆかんとなりこは人の常にていふにて長紐など解てかたぬぎするほどの事を斯は云なり
 
2017 戀敷者《コヒシケバ》、 戀|及《シク》にて戀/\すればなり
 
氣長物乎《ケナガキモノヲ》、今谷毛、 既くはしく云如く今もなり
 
乏牟可哉《トモシムベシヤ》、可相夜谷《アフベキヨダニ》、」 下にあふべきものをとて此歌ありさて歌の意はこひ/\すれば殊に長く遠くおもはれいともともしかりしを今あふべき夜とだになりぬればしばしばかりもともしむまじとなり
 
2018 天漢《アマツカハ》、去歳渡伐《コゾノワタリバ》、 わたりばゝ渡庭なりこは弓場舟場の類なるを皆爾波の爾を畧けるなり爾波の波をわの如くいふは半濁なり爾を畧ける故に本濁に婆と云其濁をしらせて伐の字をかけるなり
 
遷閉者《ウツロヘバ》、 こぞのわたりばうつろふは渡場のかはるといふなり
 
河瀬於蹈《カハセヲフムニ》、 於はてにをはの乎にはあらずふむにを於v蹈と置るなり
 
夜深去來《ヨゾフケニケル》、」 ふけいにけるなり來はくるのくをけに通しけるなり渡かねて河瀬をたどるに夜のふけぬるををしめるなり
 
2019 自古《イニシヘニ》、 今本にむかしよりと訓るはいまだし此下に古へにおりてし機を云云によりて訓をあらたむ
 
擧而之服《アゲテシキヌヲ》、 服は借字にて絹なりさて糸を機にしかくるを擧ると云なりいにしへより三の句までは末に年ぞへにけるといはん序のみなり
 
不顧《カヘリミズ》、 うちすてたるとなり
 
天河《アマツカハ》津爾、年|序經去來《ゾヘニケル》、」
 
2020 天漢《アマツガハ》、夜船※[手偏+旁]而《ヨフネハコギテ》、雖明《アケヌトモ》、將相等念夜《アハムトモフヨ》、袖易受將有哉《ソデカヘズアラメヤ》、」 今本哉を脱せり訓も誤れり哉とおさへずしては歌の意とほらず必ありて脱せし事しるければ字を補ひ訓もあらためぬ袖かへすは袖かはしまくらまかずあらめやなり
 
2021 遙媛等《トホヅマト》、 今本※[女+莫]とあるは媛を誤る事しるかればあらたむ
 
手枕易《タマクラカヘテ》、 手枕さしかはしてなり
 
寐夜《ネヌルヨハ》、※[奚+隹]音莫動《トリガネナキソ・トリハネナキソ》、 今本の訓はいまだしよりて改動はどよむにかれゝばこゝはなくにかりたるなり
 
明者雖明《アケバアクトモ》、」 こも男星になりてよめるなり
 
2022 相見久《アヒミマク》、厭雖不足《アキタラネドモ》、稻目(ノ)、 冠辭
 
明去來理《アケユキニケリ》、舟出爲牟|※[女+麗]《イモ》、」 あかねども夜明ぬれば別て船出せんとなり
 
2023 左尼始而《サネソメテ》、何太毛不在者《イクバクモアラネバ》、 左尼の尼は紀に仁禰兩音なりさてさねそめていくばくもあらねばとは初秋のみじか夜をいふあらねばはあらぬになり今本にいくたと訓るは誤なりこはいくばくと訓
 
白栲(ノ)、 冠辭
 
帶可乞哉《オビコフベシヤ》、 別れを惜なり
 
戀毛|不遏《ツキネバ》、 こゝもつきぬになり
 
2024 萬|世《ヨニ》、携手居而《タヅサハリヰテ》、 今本てたつさひてと訓るは誤なりたづさはりは手障の意こゝに携手と云は意を添るのみ
 
相見鞆《アヒミトモ》、 あひ見るともなりるを畧は古への常なり
 
念可過《オモヒスグベキ》、戀爾有莫國《コヒナラナクニ》、」 今本爾を奈に誤るかゝる所の奈は爾阿の約の訓なれば奈と書よしなし
 
2025 萬世、可照月毛、 常にしばし雲かくるゝもくるしきを譬にいふなり
 
雲隱《クモガクレ》、苦物|叙《ゾ》、將相登|雖念《モヘド》」 萬代に照べき月すらしばしの雲かくれも苦しき物なりまして二星は萬世に逢なん事とは思ひ給へど一夜を待情のくるしきといふなり
 
2026 白雲《シラクモノ》、五百遍隱《イホヘガクリテ》、 五百は多く重るをいひかくりてはかくれりを約いふかを濁るは音便なり
 
雖遠《トホケドモ》、 とほけどもはとほけれどもなり皆古訓今本の訓はいまだしければあらたむ
 
夜不去將見《ヨガレセズミム》、妹當者《イモガアタリハ》、」 此歌七夕の歌ならず相聞の歌まぎれ入しなりよて例の小書す
 
2027 爲我登《ワガタメト》、織女之《タナバタツメノ》、其屋戸爾、織白布《オルシラヌノハ》、織|弖兼《テゲム》鴨、」 吾ためとはこも彦星になりてよめればなりおりてけむは織弖加安良牟の加安良約加なるをけに通してげんと云けを濁は音便なり
 
2028 君不相《キミニアハデ》、久時《ヒサシキトキニ》、繊服《オリテキシ》、白栲衣《シロタヘゴロモ》、垢附麻弖爾《アカツクマデニ》、」 ころもあかづくまで久しく相見ぬと織女になりてよめるなり
 
2029 天漢、梶音聞《カヂノトキコユ》、孫星與《ヒコボシト》、織女《タナバタツメト》、今夕|相霜《アフシモ》、」 天つ川の梶の音聞ゆべくならねとかくよむそ哥のならはしなれ
 
2030 秋去者《アキサレバ》、河霧《カハギリタチツ》、天川《アマツカハ》、河向居而《カハニムキヰテ》、むきゐては牟加比の加比約伎なりよりてむかひゐてなり
 
戀夜多《コフルヨソオホキ》、」 織女に成てよめるなり
 
2031 吉哉《ヨシヱヤシ》、雖不直《タヾナラズトモ》、 たゞにあふ事なくともなり
 
奴延鳥《ヌエドリノ》、浦嘆居《ウラナキヲルト》、告子鴨《ツゲムコモカモ》、」 子は妹をいふ妹にあはんとねがふ事をかくいふなればこは欲得の意なり此歌七夕の歌ならずまぎれて入ならんよて小書す
 
2032 一年爾、七夕耳《ナヌカノヨノミ》、相人之、戀毛|不盡《ツキネ》者、 つきぬになり
 
佐霄曾《サヨゾ》明爾|來《ケル》、」 今本に戀も不遏者夜深往久毛と有一本をよしとしてこゝに取
 
2033 天漢、安川原《ヤスノカハラノ》、定而《サダマリテ》、神競者《カミツツドヒハ》、磨持無《トキマタナクニ》、」 磨は借字時なり天の安川の神集はいつと定らずたび/\あへりしを此星合の事は安川の定りてより一年に一度としたるはいかにとうらみをふくめる意をこゝに其神集は時またなくにとのみいひ二星の心になりてよめるなりさて安川をいふはたゞ其久しきをいふ今本四の句をこゝろくらべは五の句をときまつなくにと訓るは誤にて歌の意とほらずよりで訓をあらたむ此歌の左に此歌一首庚辰年作なりとあり考るに天武天皇白鳳九年なり
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出、 右の一首をいふか又前の三十餘首ともにいふか前の三十餘首の書體多く人麻呂集に似たれば皆人麻呂の歌集ならん
 
2034 棚機之《タナバタノ》、五百機立而《イホハタタテヽ》、 五百津岩村などいふ如はたものの具のおほきをいふなり
 
織布之《ヲルヌノヽ》、秋去衣《アキサリゴロモ》、 たゞ秋の衣と云なり
 
孰取見《タレカハトリミム》、」 あはぬ間をいひなげく意なりたれかは取見む男星《ヒコボシ》のみとり見給んといふも又の逢瀬の遠きをもなげくなり
 
2035 年有而《トシニアリテ》、 年毎《トシノハ》に有てなり
 
今香|將卷《マキナム》、烏玉之、 冠辭
 
夜霧隱《ヨギリコモリテ》、遠妻手乎《トホヅマノテヲ》、」 年毎に今宵逢べきさだ有て遠妻の手を枕まかんとよろこべるなり
 
2036 吾待之《ワガマチシ》、秋者|來沼《キタリヌ》、妹與吾、何事在曾《ナニコトアルゾ》、 ありてぞなりあれの禮は利弖の約なり
 
紐不解在牟《ヒモトカサラム》、 歌の意は待し秋の來りぬれば何ぞこよひあはであるべきてふをかくいふのみ
 
2037 年之戀《トシノコヒ》、 年の戀とはやがて前の年毎と同じくたゞちに年に一度の逢瀬と聞ゆ安らけき古言を思へ
 
今夜盡而《コヨヒツクシテ》、明日從者、如常哉《ツネノゴトクヤ》、吾戀居牟《ワガコヒヲラム》、」 かゝるぞ古の調べなるそ
 
2038 不合者《アハザレバ》、 今本あはざるはとあるはいと誤れり
 
氣長物乎《ケナガキモノヲ》、天漢、隔又哉《ヘダテヽマタヤ》、吾戀將居《ワガコヒヲラム》、」 歌の意又似たるなり
 
2039 戀家口《コヒシケク》、 計久約久にてこひしくなり
 
氣長物乎、可合有《アフベカシ》、夕谷君之《ヨヒダニキミガ》。不來益有良武《キマサザルラム》、」 織女になりてよめるなり男星の來ますを待わびよめるこゝろなり
 
2040 牽牛與《ヒコボシト》、織女《タナバタツメト》、今夜相《コヨヒアハム》、天漢門爾、波立勿謹《ナミタツナユメ》、」 織女を必たなばたつめとよむ證この歌なり
 
2041 秋風《アキカゼニ》、吹漂蕩《フキタヾヨハス》、白雲者《シラクモハ》、織女|之《ノ》、天津領巾毳、」 白雲を折にあひ織女の天津領巾と見たるなりならびて調のよきを見よ
 
2042 數裳《シバ/\モ》、相不見君矣《アヒミヌキミガ》、天漢《アマツカハ》、舟出|速爲《ハヤセヨ》、夜不深間《ヨノフケヌマニ》、」 しば/\も相見るにもあらざればふな出いそがせとなり
 
2043 秋風之、清夕《サヤケキヨヒニ》、天漢、舟※[手偏+旁]|度《ワタル》、月人壯子《ツキビトヲトコ》、」 さきにもいふ如く月人壯子は男星《ヒコボシ》をたとへよめるなり但此歌は人よりいふなり
 
2044 天漢、霧立度、牽牛之、※[楫+戈]音所聞《カヂノトキコユ》、夜深往《ヨノフケユケバ》、」 夜もなかばなれば男星の※[手偏+旁]來ます梶の音のきこゆとなり
 
2045 君舟《キミガフネ》、今※[手偏+旁]來良之《イマコギクラシ》、天漢、霧立度、此川(ノ)瀬《セニ》、」 前の歌に同じ意なり
 
2046 秋風爾、河浪|起《タチヌ》、暫《シバラクハ》、八十舟津《ヤソノフナツニ》、三舟停《ミフネトヾメヨ》、」 三は借字眞なり八十の舟津は必天の川にあることゝ云は歌の常なり
 
2047 天漢、川聲清之《カハノトキヨシ・カハトサヤケシ》、 川の音きよしは波の音の高きなり
 
牽牛之、秋※[手偏+旁]船之、浪※[足+參]香《ナミノサワグカ》、」 川音清く聞るは男星の舟の※[楫+戈]の動て浪のさわぐかとなり
 
2048 天漢、川門《カハトニ》立《タチテ・タテハ》、吾戀之《ワガコヒシ》、君來奈里《キミキマスナリ》、紐解待《ヒモトキマタム》、」 織女になしてよめるなり一本天河|川向立《カハニムキタチ》とあり
 
2049 天漢、川門|座而《ヲリテ》、 今本川門座而《カハトニヰツヽ》とよめるは誤なりよりて訓をあらたむ
 
年月《トシツキヲ》、戀來君《コヒコシキミニ》、今夜會可母《コヨヒアヘルカモ》、」 こも織女になりてよめるなり
 
2050 明日從者、吾玉床乎、 玉床は玉飾の意もてほめていふのみなり
 
打拂《ウチハラヒ》、公常不宿《キミトイネズテ》 こゝのいねずは不寐《イネズ》といふにて率《ヰ》にあらず記(允恭)に多志陀志爾韋泥※[氏/一]牟《タシダシニヰネテム》又紀(雄畧)に韋泥受《ヰネズ》とあるは率宿《ヰネ》にてこゝとは別なり
 
孤可母寐《ヒトリカモネム》、」
 
2051 天原《アマツハラ》、往射跡《ユクテニイムト》、白檀《シラマユミ》、挽而隱在《ヒキテカクレル》、 隱在はかくせるとは訓れず加久禮留の禮は利世の約なり
 
月人壯子、」 夕月のゆみはりのまゝに入たるをかくよめるなりこは月の歌のまぎれてこゝにいりたるなり既云如くなれば例の小書す二の句今本訓を誤れり
 
2052 此夕《コノユフベ》、零來雨者《フリタルアメハ》、男星之《ヒコボシノ》、早※[手偏+旁]船之《トクコグフネノ》、賀伊乃散鴨《カイノチルカモ》、」 かいのちるかもは櫂の雫のちるかもなりこは高槻村はちりにける鴨又三笠の山は咲にけるかもなどよめるたぐひなり
 
2053 天漢、八十瀬|霧合《キリアフ》、 句なり
 
男星之、時待船《トキマツフネハ》、今※[手偏+旁]良之《イマカコグラシ》、」 八十瀬霜合て夜も更ぬ男星の今船※[手偏+旁]いづらしと云なり
 
2054 風|吹而《フキテ》、河浪|起《タチヌ》、引船丹《ヒキフネニ》、 風立て渡がたし引船に渡りこよとなり今本訓よしなし
 
度裳來《ワタリモキマセ》、夜不降《ヨノフケヌ》間爾、」
 
2055 天河、遠度者《トホキワタリハ》、無及《ナケレドモ》、公之舟出者《キミガフナデハ》、年爾社|俟《マテ》、」 歌の意かくれたる事なし
 
2056 天河、打橋|度《ワタス》、 下にも棚橋渡《タナハシワタス》と有る例によりて改む
 
妹之家道《イモガイヘチ》、不止通《ヤマズカヨハム》、時不待友《トキマタズトモ》、」 こも男星になりてよめるなり打橋わたせよ常にかよはんといふなり
 
2057 月累《ツキカサネ》、吾思妹《ワガモフイモニ》、會夜者《アフヨヒハ》、今之七夕《イマシナヽヨヲ》、續巨勢奴鴨、」 今之の之は助字なり今七夕つゞけこそと願意なり
 
2058 年丹装《トシニヨソフ》、吾舟※[手偏+旁]《ワガフネコガム》、天河、風者吹友、浪立|勿忌《ナユメ》、」 年に一度よそふ舟なれば浪もゆめ/\たつなとなり
 
2059 天河、浪者立友、吾舟者、率※[手偏+旁]|出《イデン》、夜之不深間爾《ヨノフケヌマニ》、」 こは右の歌に和たる如し自《オノヅカラ》のついでなる歟
 
2060 直今夜《タヾコヨヒ》、相見兒等爾《アヒタルコラニ》、事問母《コトトヒモ》、未爲而《イマダセスシテ》、左夜曾明二來《サヨゾアケニケル》、」
 此歌もかくるゝ事なく安らかに古意なり
 
2061 天河、白浪|高《タカシ》、吾|戀《コフル》、公之《キミガ》舟出者、今爲下《イマゾスラシモ》、」 浪の高きは彦星の船出ます浪のさわぎかなり
 
2062 機《ハタモノヽ》、※[足+(日/羽)]木持往而《フミギモテユキテ》、天河、打橋度《ウチハシワタス》、公之來爲《キミガコムタメ》、」 織女になりてよめるなり機のふみ木を橋として待んといふなり
 
2063 天漢、霧立|上《ノボル》、 即雲をいふなり
 
棚幡乃《タナバタノ》、 こは奈良に至て轉てかく畧きいひ機女をよめるなりたゞしくいはんにはたなばたつめなり此歌にはじめて此畧は見えたり
 
雲衣能《クモノコロモノ》、飄袖鴨《カヘルソデカモ》、」 雲を衣とし其雲の旋を袖のひるかへるかといふなり
 
2064 古《イニシヘ》、 さきつ比といふばかりをかくいふか古言なり
 
織篆之八多乎《オリテシハタヲ》、 今本篆を義に誤る其事は(卷四)の別記に委
 
此暮《コノユフベ》、衣縫而《コロモニヌヒテ》、君待吾乎《キミマツワレヲ》、」 はやく織たるはた物を此夕《コノユフベ》衣にぬひて男星をまつとなり末の乎はそへたるのみ 
2065 足玉母、手珠毛由良爾、 由良は既いふ如く玉のゆりて鳴音を云
 
織旗乎《オルハタヲ》、公|之《ガ》御衣《ミケシ》爾、縫將堪可聞《ヌヒアヘムカモ》、」 あへんかもはぬひあはせんといふなり
 
2066 擇月日《ツキヒエリ》、逢篆之有者《アヒテシナレバ》、別乃《ワカレノ》、 四言こを今本わかれぢのと訓るは古くは四言にもよみしをおもはぬしひ言なり
 
惜有君《ヲシカルキミ》者、 をしかるの加は久安の約なり
 
明日副裳欲得《アスサヘモガモ》、」 あすもかくてあれよと願なり
 
2067 天漢、渡瀬深彌《ワタリゼフカミ》、 わたりと體語に訓は古訓なり瀬を濁るは渡乃〔右○〕瀬の乃〔右○〕を畧はなり且下に例有古によりて改む
 
泛船而《フネウケテ》、掉來《コギクル》君|之《ガ》、※[楫+戈]|之音所聞《ノトキコユ》、」 彦星の心ふかめて渡るとそへたるなり
 
2068 天原《アマツハラ》、振放見者《フリサケミレバ》、天漢《アマツガハ》、霧立渡《キリタチワタル》、公者來良志、」 たゞ霧のたちわたるに男星の來るを思ひやるなり
 
2069 天漢、瀬毎幣《セゴトニヌサヲ》、奉《タテマツル》、情者《コヽロハ》君乎、幸來座跡《サキクキマセト》、」 こはまたく人の情に爲してよめりわたり來ませと幣奉るとなり
 
2070 久方之、 冠辭
 
天川河津爾《アメノカハツニ》、 こゝは冠辞につゞく天ゆゑ正しくよむ例によりぬ
 
舟泛而、君待|夜等者《ヨラハ》、不明毛有寐鹿《アケズモアラヌカ》、」 奴加約奈なりあらなとねがひおさへたるのみながらかくのべて云はしらべなり
 
2071 天河《アマツカハ》、足沾渡《アシヌレワタリ》、君之手毛《キミガテモ》、未枕者《イマダマカネバ》、 こも後世のまかぬになり
 
夜之深去良久《ヨノフケヌラク》、」 良久約留なり
 
2072 渡守《ワタリモリ》、 わたり守と訓しはよし古訓なり後世渡しもりと云はわろし
 
船度世乎跡《フネワタセヲト》、 乎は與に通ふ故大人の古今注によりて與に通とす
 
呼音之《ヨブコヱノ》、不至者疑《イタラネバカモ》、梶之聲不爲《カヂノオトセヌ》、」 こはしらべもよく古くとゝのへり
 
2073 眞氣長《マケナガク》、河向立《カハニムキタテ》、有之袖《アリシソデ》、今夜卷跡《コヨヒマカント》、念之吉沙《オモヘルガヨサ》、」 月日ひさしく川にのみむかひたちてありし袖をこよひ妹と相まきてともねせんとなり
 
2074 天漢、渡湍毎《ワタルセゴトニ》、思乍《オモヒツヽ》、來之雲知師《コシクモシルシ》、 志久約須にて巨須といふなり
 
逢有久念者《アヘラクモヘハ》、」 羅久は留の延言一年に一夜の契りなれば渡る瀬ことにてなづみこぐかひありてあへるとひこぼしのよろこべるなり
 
2075 人左倍也、見乍有良武、 今本に見不繼將有とあるは歌の意とほらずよて一本を用 
牽牛之《ヒコボシノ》、嬬喚舟之《ツマトフフネノ》、 今本つまよぶ舟と訓然訓てはきこえず
 
近附往乎《チカヅキユクヲ》、」 舟のちかづくを見つゝよろこびのあまりを云
 
2076 天漢、瀬乎|早鴨《ハヤミカモ》、 川瀬の早くてわたりなづみ男星のきますがおそきかとおぼつかなむをいふなり
 
烏珠之、 冠辭
 
夜者|闌爾乍《フケニツヽ》、不合《アハヌ》牽牛、」 男星のまだ來まさぬほどの間をよめるなり
 
2077  渡守《ワタリモリ》、舟早渡世《フネハヤワタセ》、一年爾、二遍從來《フタヽヒカヨフ》、君爾有勿久爾《キミニアラナクニ》、」 此歌古今歌集にも有わたり守と訓べき事なり織女になりてよめるなり
 
2078 玉葛、 冠辭
 
不絶物可良《タエヌモノカラ》、佐宿者《サヌラクハ》、 さぬらくのさは發語良久は留の延
 
年之|度《ワタリ》爾、直一夜耳《タヾヒトヨノミ》、」
 
2079 戀日者、氣長物乎、今夜谷、 前には今だにとあるを紀を引て云如くこよひとのみ心得べし
 
令乏應哉《トモシムベシヤ》、可相物乎《アフベキモノヲ》、」 ともしきははじめにいふ如くたらまほしむべしやとこゝも云なり長くこふる折こそあれ今宵はしかあらじと云なりさて此歌もあふ事をよろこべる歌の意もてよめるなり
 
2080 織女之《タナバタノ》、 こは字は委しくて訓は略けるなり
 
今夜相奈婆《コヨヒアヒナバ》、如常《ツネノゴト》、明日乎阻而《アスヲヘダテヽ》、 あすよりの日をへだてゝと云を乎の一言に約たるなり
 
年者將長《トシハナガケン》、」 一年はながゝらんといふなり
 
2081 天漢、棚橋渡《タナバシワタセ》、織女之《タナバタノ》、伊渡左牟爾《イワタラサムニ》、伊は撥言左は世多萬波を約いふ則わたらせたまはんにとあかめ云なりこは橘の千蔭云
 
棚橋渡《タナバシワタセ》、」
 
2082 天漢、川|門《ト》八十有《ヤソアリ》、何爾可《イヅコニカ》、君之三船乎《キミガミフネヲ》、吾待將居《ワガマチヲラム》」 此八十は前の八十の舟津と云に同じ
 
2083 秋風乃、吹西日從、天漢、瀬爾|出立《イデタチテ》、待登告許曾、」 まつとつげよとねがふなり
 
2084 天漢、去年之渡湍《コゾノワタリセ》、有爾家里《アレニケリ》、 有は借字荒なり又考るに有は絶の草の手を見誤にて絶にけりなるべきかさば安らかなり
 
君將來《キミガキマサン》、道乃不知久《ミチノシラナク》、」 浪などのうち崩しわたり瀬なしとてよめるなりしらなくは禮を略き奴を延たるにてしられぬなり
 
2085 天漢、湍瀬爾白浪《セヾニシラナミ》、高雖《タカヽレド》、直《タヾ》渡來沼、待有苦三《マテバクルシミ》、」 浪のしづまらんほどをまつはくるしければ高浪をたゞ渡にわたり來ぬといふなり
 
2086 牽牛之、嬬喚《ツマトフ》舟之、引綱乃《ヒキツナノ》、將絶跡君乎《タエントキミヲ》、吾念勿國《ワガオモハナクニ》、」 引綱の如く絶んとは吾思ぬになり一本吾念の間に久有は之の誤なりさて吾之はわがとよむ例なり
 
2087 渡守《ワタリモリ》、舟出爲將去《フナデシニケム》、 今本去を出とするは誤しるければあらたむ
 
今夜|耳《ノミ》、相見而後者、不相《アハヌ》物可毛、」 歌の意は渡守ふなでしいなんよ今宵相見てのちあはぬものにあらざるとなり此歌は後の世後朝の戀といふ題の歌の意もて見よ
 
2088 吾隱有《ワガカクセル》、※[※[楫+戈]]棹無而《カヂサヲナクテ》、渡守《ワタリモリ》、舟將借八方《フネカサメヤモ》、 今本借を惜に誤る訓はよしなしよて字を改
 
須臾者有待《シハシハアリマテ》、」 さほかぢは吾かくし置ぬさをかぢなくては舟こぐよしのあらんやはしばしばかりのほどをまちてあれつかの間の名ごりをゝしまんのこゝろなり
 
2089 乾坤之《アメツチノ》、初時從《ハシメノトキユ》、天漢《アマツカハ》、射而居而《イムサヒヲリテ》、 射は發語のみ
 
一年丹、兩遍不遭《フタヽビアハヌ》、妻戀爾《ツマゴヒニ》、物念人《モノモフヒト》、 六言
 
天漢、安乃川原乃、有通《アリガヨフ》、歳乃渡丹《トシノワタリニ》、 今本歳を出出としてでゝのわたりとよみたれどしかいふ歌あるべからずこは歳の一字を出出と見誤つる事しるければ字も訓もあらたむ草の手よりの誤りこれにかぎらず有り
 
曾穗船乃《ソホブネノ》、 穗はをの如く唱ふ今本曾を具に誤れるなり具は濁音の字なり我朝に歌の始を濁る例なければ具にあらぬ事明なり
 
艫丹裳舳丹裳《トモニモヘニモ》、船装《フナヨソヒ》、眞梶|繁拔《シヾヌキ》、旗芒《ハタスヽキ》、 【芒はやごとなき御説にていとめでたければ擧つ】今本荒とありてはたあらしと訓せり字も訓もよしなし荒は芒の誤にて後の薄なりさて今本荒とあるは芒の草の手より畫のそはれるならん既唐にも薄をすゝきの意にとる事なく芒をすゝきとす
 
本葉裳曾世丹《モトハモソヨニ》、 今本曾を具に誤る事前の如くてもとはもぐせと訓たれど何のこゝろもなしこれ又誤しるければ字も訓もあらたむ
 
秋風乃、吹來夕丹《フキクルヨヒニ》、天川、白浪|凌《シヌギ》、落沸《オチタギチ》、速湍渉《ハヤセワタリテ》。稚草乃《ワカクサノ》、 冠辭
 
妻手枕迹《ツマデマカント》、大船乃、 冠辭
 
思憑而、※[手偏+旁]來等六《コギクラム》、其夫乃子我《ソノツマノコガ》、荒珠乃、 冠辭
 
年(ノ)緒|長《ナガク》、思來之《オモヒコシ》、戀將盡《コヒハツクサム》、 おもひますまゝに今宵こひをつくしますらんなり
 
七月《ハツアキノ》、 此集に外の月の名はあれどもふみ月はなしされどこゝはふみ月と訓むかしばらくはつあきとす
 
七日之夕者《ナヌカノヨヒハ》、吾毛悲焉《ワレモカナシキ》、」 今本烏とあるは焉の誤しるければ改此吾はよめる人の吾もかなしと云なりさて此かなしもはかなしき妹などの意にてめづる心をいふなり
 
 反歌
2090 狛錦《コマニシキ》、 冠辭
 
紐解易之《ヒモトキカハシ》、天人乃《ヒコボシノ》、こは國津人の天津人の妻ごひをしぬぶなれば彦星に天人の字をかりたるなり
 
妻問夕叙《ツマドフヨヒゾ》、吾裳將偲《ワレモシヌバム》、」 四の句までは二星の事をいひ末にはそを吾もしぬばんといふなり
 
2091 彦星之、川|瀬渡《セヲワタル》、左小舟乃《サヲブネノ》、 左は發語
 
得行而將泊《エユキテハテム》、 得行は疾《トク》行なり
 
河津石所念《カハヅシオモホユ》、」 【河津は湊なり石《シ》は助字なり(拾穗)】
 
2092 天地跡《アメツチト》、別之時從《ワカレシトキユ》、久方乃、 冠辭
 
天驗常《アマツシルシト》、定大王《サダメテシ》、 今本に弖大王とありておほきみのと訓しは何のことゝもなし弖は定の誤しるし大王をてしと訓は卷四の別記に委
 
天之河原爾《アメノカハラニ》、璞《アラタマノ》、 冠辭
 
月累而《ツキヲカサネテ》、妹爾相《イモニアフ》、時俟跡《トキヲシマツト》、 今本の訓助辭のおき所たがへり
 
立待爾《タチマツニ》、吾衣手爾、秋風之、吹反者《フキカヘラヘバ》、 良倍約禮にてかへればなり
 
立坐《タチヰスル》、 一本生と有は誤なり
 
多土伎乎|不知《シラニ》、 今本しらずと訓しはあしゝ
 
村肝(ノ)、 冠辭
 
心不欲《コヽロオボエズ》、 不欲は義訓なり欲はおほえ不欲《ホラザル》は心におぼえぬゆゑにかれるなり
 
解衣《トキヾヌノ》、 冠辭
 
思亂而、何時跡《イヅレカト》、吾待今夜《ワガマツコヨヒ》、此川《コノカハノ》、行行良良爾《ユクラユクラニ》、 今本に行長とありてゆきながくと訓るは句もたらず字訓ともによしなし歌もとほらすよりておもふに古本の草の手に行々良々とありしを古の重ね字のさまをしらで行長と改し誤か考るに行々良々なるべければ例によりて爾を補て字訓と句とあらためぬ
 
有得鴨《アリガテンカモ》、 此末の訓猶もおぼつかなけれど此川の頭に久しく待つゝあり堪んかと悲しさのあまりに待も堪じといふかとして改む反歌の末の歌にむかへてかくもあらんか
 
 反歌
2093 妹爾相《イモニアフ》、時片待跡《トキカタマツト》、 妹にあふ時のみを片待なり物になぞらへず待を片待不勝《カタマチカテヌ》と云を思へ
 
久方乃、 冠辭
 
天之漢原爾《アメノカハラニ》、月叙經來《ツキゾヘニケル》、」
 
2094 竿志鹿之《サヲシカノ》、心相念《コヽロアヒモフ》、秋芽子之《アキハギノ》、 萩は鹿の妻なるよしの云ならはしもてかくいふ
 
鐘禮零丹《シグレノフルニ》、落倶惜毛《チラマクヲシモ》、 【字彙鐘諸容切|章《シヨウ》鐘詔良切|章《シヨウ》兩字相通ヨウの反由なるを倶に通じしぐれと訓たるなり】今本に落僧とありてちりそふと訓るはいふにもたらぬ誤なり落倶とありしを僧に誤るならん次に散久惜裳と書しに同じ意なり
 
2095 夕去、野邊秋芽子、末若《ウラワカミ》、 今本すゑわかみと訓しは誤なりよりてあらたむ
 
露枯《ツユニシカレテ》、 梅の花雪爾志乎禮弖ともよめり今本の訓はよしなし
 
金待難《アキマチガタシ》、」 秋を時の意に用ひたるなり盛の時をまたずしをるゝといふなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2096 眞葛原、 はらのははわの如く唱
 
名引《ナビク》秋風、吹|毎《ゴトニ》、阿太乃大野之、芽|子《ギノ》花散、」 見るが如きありさまなり葛は葉ひろなればふく風の先みゆるもの故にかくよめるならん阿たの大野は(卷一)に云如く和名抄に大和國宇智郡阿陀とある是なり内(ノ)大野といふは宇知郡の野故なり
 
2097 鴈鳴之《カリガネノ》、來喧牟日及《キナカムヒマデ》、見乍將有《ミツヽアラム》、此芽子原爾、雨勿零根《アメナフリソネ》、」 歌の意明かなり
 
2098 奥山爾、住云男鹿《スムチフシカ》之、初夜不去《ヨヒサラズ》、 夜かれずと云に同じ
 
妻問芽子之、散久惜裳《チラマクヲシモ》、」 古へより萩を鹿の妻といひならはす事既云如くなれば其諺もてたゞちに萩を娶《ツマトヒ》するとよめるなり其花のちらんがをしとなりよりて問を言便にし努布と濁るべきなり
 
2099 白露乃、置卷惜《オカマクヲシモ》、秋芽子乎、折耳折而《ヲリノミヲリテ》、置哉枯《オキヤカラサム》、」 露にちらしてんか又折に折てからさんやと二つにわたる詞なりおきやのやの一言にて斯二つにわたる意のしらるゝなり
 
2100 秋田刈、借廬之宿《カリホノヤドリ》、爾穗經及《ニホフマデ》、 かりほのほもにほふのほもともにをの如く唱
 
咲有《サケル》秋芽子、雖見《ミレト》不飽香聞、」 此にほふは花の色のかり庵までもうつりはえるをいへり香の事にあらずこは歌にてしるべき辭なり
 
2101 吾衣《ワガコロモ》、 今本わがきぬをと訓しかどこは乎の助字なくてあらん
 
摺有者不在《スレルニハアラズ》、高松之《タカマツノ》、野邊行去者《ノベユキヌレバ》、 今本去を之に誤るなり假字なればかなの下に意を添て訓む例なき事前に云が如し仍て之は去の誤とするなり
 
芽子之|摺類曾《スレルゾ》、」
 
2102 此暮、秋風吹奴、白露爾、荒爭芽子之《アラソフバギノ》、 露は咲をもよほし花は含みゐんとするを久しといふ仍てあすさかんをまつなり眞木の葉はあらそひかねてといふに似たるを思へ
 
明日將咲見《アスサカムミム》、」
 
2103 秋|風《カゼハ》、冷成奴《スヽシクナリヌ》、馬並而《ウマナメテ》、去來於野行奈《イザノニユカナ》、芽子《ハギ》花見爾、」 歌の意明かなり
 
2104 朝※[日/木]《アサカホハ》、朝露負《アサツユオヒテ》、咲雖云《サクトイヘド》、暮陰社《ユフカゲニコソ》、咲益家禮《サキマサリケレ》、」 【眞淵は下の注の如く見たれど春の部に云如くこも※[日/木]は※[白/ハ]の誤として改むべし只下の歌多く草の朝貌なるによりてここも牽牛花の事とすべし今も時として槿牽牛花ともに夕景に咲もあり殊に秋の七草のうちにも朝貌あれば草の花と見るぞあるらめ猶委しく次々の卷にもいひ貌花の別記にもいふ】朝※[日/木]は槿花なり牽牛花にあらず詩經に※[日/木]々出日とあるを此字をかりて書けり槿花は昨日の花はひめもてありて夜になりて含み又朝ごとに新花の如く咲故に朝貌の名は負べしさて此歌にいふはその花夕景におもしろく見えつる時にふと斯もよむべし何の意あるにあらず
 
2105 春去者《ハルサレバ》、霞隱《カスミガクレテ》、不所見有師《ミエザリシ》、 春はそれとも見えぬを斯いふは歌のならはしなり
 
秋芽子|咲《サケリ》、折而|將挿頭《カザヽム》、」
 
2106 沙額田乃《サヌカタノ》、 大和國平群郡額田又河内近江にもあるか上の春部にも狹野方てふ下にもいへり沙は發語にて額田なりさて山田などを濁るはやまの田の乃を略ばなり出立る所にて人のひたいの如くあれば額《ヌカ》田と上下ともに體語にいひなせばもとより乃はそふべからず此田は清べし
 
野邊乃秋芽子、時有者《トキナレド》、 今本ときしあればと訓るはいかゞ者のてにをはの字有るに時有の間てにをはの假字なしさらばときなればと訓事定かならずや
 
今盛|有《ナリ》、折而將挿頭、」
 
2107 事更爾、衣者|不摺《スラジ》、佳人部爲《ヲミナヘシ》、咲野之芽子爾、 既いふ如く咲野の地に女郎花を冠するのみ
 
丹穗日而將居《ニホヒテヲラム》、」 おほく女郎花咲たる野に居らば其花のにほひうつりて花すり衣とならんからに別に衣はすらじとなり
 
2108 秋風者、急久《イタク》吹來、 今本に急之とある之は久の誤なりさて急久は疾の意にていたくと訓べしと覺ゆ今本にはやく吹けりと訓るは字も訓もてにをはもたがひしかも意もとほらず必誤しるければあらたむ
 
芽子花、落卷惜三、 句なり
 
競立見《キソヒタチミム》、」 今本終句に競竟とありておぼろ/\にと訓るは何ともなし契冲は立見ならんと見てあらそひたてぬと訓るは字はよく考たれど訓はいまだし助字たがひて聞ゆ字は契冲が見たる如く二字を一字に誤しならんよりてきそひたち見むと訓めり四の句はちらまくをしみとありこゝを句とすべしさて萩が花のちらじと風にあらそひたつを見んとよめりと見るべし
 
2109 我屋前之、芽子之|若末長《ワカナヘ》、 今本わかたちと訓るはさもあらんさて斯訓も義訓なればしなひとも義訓すべしされどふる木なりともかよはき物はしなふべしこをおもふに同じ義訓ならばわかなへとよむべしわかく末なかきはなへの意なるをおもへ(卷二)に葦若末乃足痛をあしなへのあしなへとよめるにあはせて見るべし
 
秋風之、吹南時爾、將開跡思乎《サカントモフヲ》、」 乎はよに通ふなり
 
2110 人皆者、芽子乎秋|云《トフ》、縱吾等《ヨシワレ》者、乎花|之《ガ》末乎《ウレヲ》、秋跡者|將言《イハム》、」 今本いなわれと訓るはよしなし卷二人者|縱《ヨシ》とも
 
2111 玉梓、公之使乃、手折|來有《コシ》、此秋芽子者、雖見不飽鹿裳、
 
2112 吾|屋前《ニハ》爾、開者《サケル》秋芽子、常有者《ツネナラバ》、我待人爾、令見猿《ミセマシ》物乎、」
 
2113 手寸十名相《タギソナヘ》、 【手寸十名相撰要抄云手寸は手の寸一寸なり是を十は一尺なれば一尺計の苗なり曾奈倍てふ言の本は曾は須於の約奈は奈良比奈良倍奈供奈米の奈なり(其奈は奈行云)よて須和里須爲須宇須惠と働言より約て須惠奈倍を約云言なれば曾奈比曾奈布とも曾奈倍ともいふべし】たぐりそなへなり倶利約妓なればなりそなへといふは秋の七草など取揃備へなどせしをいふならんたくりは野より引とり來て植しなるべしたげばぬれたがねばなどよみしたげに同じ辭なりさて相をへの假字にかりたるはあまきらへなどの類のへの假字に借れば同言所へに通せしか
 
殖之毛知久《ウヱシモシルク》、出見者《デヽミレバ》、屋前之早芽子《ニハノハツハギ》、咲爾家類香聞、」 今本殖之名とあるは名は毛の草の手の誤にてうゑしもしるくなり
 
2114 吾屋外爾《ワカヤトニ》、 こゝをやどゝ訓しもて前に屋前をにはと訓しを知れ
 
殖生有《ウヱオフシタル》、秋芽子乎、誰標刺《タレカシメサス》、吾爾不令知《ワレニシラセデ》、」 今本令を所に誤るは畫などのきえしならん訓によりて字をあらたむ此歌譬喩歌なりたゞの歌とおもひてこゝに取しかよりて例の少書とす
 
2115 手取者《テニトレバ》、袖并丹頬《ソデサヘニホフ》、 今本訓はとるべけれど假字は誤れり字は丹覆《ニホフ》とありて覆はおほふ也しかるに今本假字をふと有おほふををふとは訓べからず集中丹頬とありてにほふと訓りよりて字も假字もあらためぬ
 
美人部師《ヲミナヘシ》、此白露爾、散卷|惜《ヲシモ》、」
 
2116 白露爾、荒爭金手《アラソヒカネテ》、咲芽子《サケルハギ》、 前の歌は露は咲を催し花は含居んとすなるをあらそふといひ今は露を催しもよふされて花のたえず咲けるをあらそひかねてと云也
 
散惜兼《チラハヲシケム》、雨莫零根《アメナフリソネ》、」
 
2117 ※[女+感]嬬|等《ラニ》、 冠辭
 
行相乃速稻乎《ユキアヒノワセヲ》、 地名と云によるべしくはしく冠辭考云
 
苅時《カルトキニ》、成來下《ナリニケラシモ》、芽子花咲《ハギノハナサク》、」
 
2118 朝霧之、棚引小野之、芽子花《ハギノハナ》、今哉散濫《イマヤチルラム》、未厭爾《マタアカナクニ》、」 歌の言明かなり
 
2119 戀之久者、形見爾爲與登、吾背子我、殖之秋芽子、花咲爾家里、」
 
2120 秋|芽子《ハギニ》、戀不盡跡《コヒツクサジト》、雖念、思惠也安多良思《シヱヤアタラシ》、 あたらしはあたらをしてふ言を轉し約し言なりをしといふも同意なりくはしくは荒良言にいふしゑやは既にもいふ如くよしやに同じ
 
又將相八方《マタアハムヤモ》、」 戀は盡さじとはおもへど又來る秋ならでは萩の花盛にあはぬ物故よしや此花に戀つくさんといふなり
 
2121 秋風者、日異吹奴《ヒニケニフキヌ》、 日にけには既云如くひにことになりよて異は假字ならねば爾を添訓べし
 
高圓之《タカマドノ》、野邊之《ノベノ》秋芽子、散卷惜裳、」
 
2122 丈夫之、心者|無而《ナシニ》、 紀妍哉此云阿奈而惠夜とあるによれる歟
 
秋芽子之、 之の下に如を入て心得べし萩の如くしなひうらぶれ戀てなり
 
戀耳八方《コヒニノミヤモ》、奈積而有南《ナヅミテアラナム》、」 ありなんやもといふにあたる此歌は相聞なるをたゞの歌とおもひてこゝにいれしならんよりて例の小書す
 
2123 吾待之、秋者|來奴《キタリヌ》、雖然、芽子之花|曾《ゾ》毛、 此毛はかるく見るべしてにをはに入たるのみ
 
未開家類《マダサカズケル》、」
 
2124 欲見《ミマクホリ》、吾待戀之《ワガマチコヒシ》、秋芽子者、枝毛思美三荷《エダモシミミニ》、 しみゝはしみ/\にてしげき意なり
 
花開二|家里《ケリ》、」
 
2125 春日野之、芽子落有《ハギシチリナバ》、朝東《アサゴチノ》、風爾|副而《タグエテ》、 此《コチ》の智《チ》に風の言はあれど級戸《シナト》の風あらしの風とも云如く重ねたるなるべし
 
此間爾落來根《コヽニチリコネ》、」
 
2126 秋芽子者、於鴈不相常《カリニアハシト》、言有者香《イヘレハカ》、 一云言有可聞
 
言乎聞而者《コヱヲキヽテハ》、花爾散去流《ハナニチリヌル》、」 上にも花に散とてあだなる意によめるをあだにといふ意とも見ゆれどかるく花にちるとのみ見るぞ古意ならん 
2127 秋去者、妹令視跡《イモニミセムト》、殖之芽子、露霜|負而《オヒテ》、 今本露を霧に誤る一本によりてあらたむ
 
散來《チリニケル》毳、」
 
2128 秋風爾、山跡部越《ヤマトヘコユル》、 こは今いふ國の大和ならでかの大名なる大和の郷をさして云なり部はへの假字に用るのみ
 
鴈鳴者《カリガネハ》、射失遠放《イヤトホザカル》、雲隱筒《クモガクリツヽ》、」 此下に上は同くして四の句聲とほざかるとあり此二句はそれによりて誤れるなりよりてあらたむ
 
2129 明闇之《アケグレノ》、 あけぐれと濁るはあけくれといへば朝夕の事となるこはあけの碁の乃を略けば具と濁るなり明てまだ暮の如くらきを云
 
朝霧隱《アサギリガクリ》、 りはれに通既出、
 
鳴而去《ナキテユク》、雁者吾戀、 今本吾を言に誤一本によりて改
 
於妹告社《イモニツゲコソ》、」
 
2130 吾屋戸爾、鳴之雁哭《ナキシカリガネ》、雲上爾《クモノヘニ》、今夜喧成《コヨヒナクナリ》、國方可聞遊群《クニヘカモユク》、」 國方は國へかも行とへをえの如く半濁に唱ふべし國郡へかも行のへを略しなり且今本末の句の終の二字を左へよせ端詞の如く書るはいかなる亂本もてかくはなしけんさて此はなち書しを僻がことゝ見とがむる人のあらざりけんあまつさへに國方可聞をくにつかたかもとよめるはわらふべし
 
2131 左小牡鹿之《サヲシカノ》、 左は發語牡鹿之中臣の祓に今いふ俗説は誤りなり
 
妻問時爾《ツマドフトキニ》、月乎吉三《ツキヲヨミ》、切木四之泣《カリガネ》、 【折木四哭之奥人今本を案るに折不四喪とありてをりふしもと訓めり】
 
所聞《キコユ》、 切木四を雁に借たるは幹《ミキ》蘖《ヒコバエ》枝葉《エダハ》の四つを一手に切は鎌もて苅り取るなりこは例の戯書なり(卷十五)に諸王諸臣散2禁授刀寮1時の長歌の中に折木四哭之と有もかりがねと訓べし
 
今時來等霜《イマシクラシモ》、」
 
2132 天雲之、 冠辭
 
外雁鳴《ヨソニカリカネ》、從聞之《キヽシヨリ》、薄垂霜零《ハタレシモフリ》、 【奥人云霜は借字といひはたれは雪なりといふはともに誤なりはたれは班てふ言にて班霜班雪はうすらにふれるを云班とばかりいひては雪の事ならず此下冬相聞に小竹葉に薄太禮零覆とも有も雪を省てはたれとのみいひしなり霜は借字志は助字毛はそへていふのみ】
 
寒此夜《サムキコノヨ》者、」 はたれは雪なり一云彌益々爾戀許曾|増《マサレ》焉、 天雲はよそといはん冠辭のみめづらしみもせずよそに聞なる頃ははたれふりて此夜のさむきとよめるのみ一本の方はあしゝ又今本にさむし此夜とあるはてにをはたがへりさて此歌冬の歌にしてしかも一本をもて見れば相聞の歌なりいづれにても此部にあるべきならねば例の小書とす
 
2133 秋田《アキノタノ》、吾苅婆可能《ワガカリハカノ》、 苅婆可は卷十三十六にも有婆は言便の濁をしらせて濁言の字を用ゆ
 
退去者《スギヌレバ》、 苅ばかの過るとは幾計《イクバカリ》多く苅してふ事をいふ俗にはかの行しといふ是なり
 
鴈之|喧《ネ》所聞《キコユ》、冬方設而《フユカタマケテ》、」 設は向てなり牟加約麻なり計は幾に通ひ幾は伊比に通即牟加比なり義を延れば加比となりむかひてともいはるゝなり
 
2134 葦邊在《アシベナル》、荻之葉左夜藝《ヲギノハサヤギ》、秋風之、吹來苗丹、雁鳴渡、」 (卷六)に「いもなるがつかふかはづの佐佐良乎疑あしとひとことかたりよらしも」てふも蘆と荻とをよめり一本秋風爾雁音|所聞《キコユ》今四|來霜《クラシモ》こは上のさやぎと云にはかなはず
 
2135 押照《オシテル》、 四言冠辭今本おしてるやとよめるは何の言ともなし
 
難波|穿江之《ホリエノ》、蘆邊者《アシベニハ》、雁宿有疑《カリヤドレルカ》、 今本かりねたるかもと訓るはわらふべし
 
霜乃零爾《シモノフラクニ》、」
 
2136 秋風爾、山飛|越《コユル》、雁鳴之、聲遠離《コヱトホザカル》、雲隱良思《クモカクルラシ》、」 上に似たる歌ありそこにも云
 
2137 朝爾往《ツトニユク》、 はつときを略てつとゝいふなり
 
雁之鳴|音《ネ》者、如吾、物念可毛、聲之|悲《カナシキ》、」
 
2138 多頭我鳴乃《タツガネノ》、 鶴《タツ》が群《ムレ》をつゞめ云|音《ネ》にあらず下の鴈鳴もかりがむれの意なればなり
 
今朝鳴奈倍爾《ケサナクナヘニ》、 是もさむき頃鳴なりなへは並《ナミ》にてふ言にて集中に多く有皆二つの物をならべあげていへり古今集に「いなおふ世鳥の鳴なべに今朝吹風に鴈は來にけり」といふは定かなりさればそもゝとは此歌又下の多頭我鳴乃云云の歌などとりてよみけん此卷に此辭を共とも從とも書し有もて鳴つゝ共にと心得べし
 
雁鳴者《カリガネハ》、 かりがねはかりがめなりめは群《ムレ》なり牟禮約米なるを禰に通はして鴈がねとは言なり
 
何處指香《イヅコサシテカ》、雲|隱《カクル》良武、」 今本武を哉に誤れり
 
2139 野干玉之、 冠辭
 
夜度雁者、欝、幾夜乎歴而鹿、 夜毎に何處ともなく鳴わたるといふ歟、
 
己名乎告《オノガナヲノル》、」 今本吾をよぶと訓しはいまだし後の物ながら後撰に「行かへりこゝもかしこも旅なれやくる秋毎にかり/\となく」とよみしは今に似たり
 
2140 璞《アラタマノ》、年之經往者、阿跡念登《アトモフト》、 阿跡念の阿は奈に通ひて何《ナ》ともふとなり東歌になぜあぜと云に同じ又思ふに阿は何の誤歟さらばいとあきらかなり
 
夜渡吾乎、 雁になりてよめるなり
 
問人哉誰《トフヒトヤタレ》、」 年久しくして友も少なきも友を求と夜渡るを問人はたれと云か問べき人もなきよしにて問人や誰とはよめり右の歌に和るならん
 
2141 比日之《コノゴロノ》、秋朝開爾《アキノアサゲニ》、 朝開とは書れどこも朝かげなり
 
霧隱《キリカクリ》、妻呼|雄鹿之《シカノ》、 今本の假字はたがはねど雄をぶにあてゝよめるはたがへりよぶは呼の一字にてたれり妻よぶとあれば雄鹿をしかとのみ訓べし
 
音之亮左《コヱノサヤケサ》、」 今本亮をはるけさと訓れど集中亮清など皆さやけきと訓り
 
2142 左男牡鹿《サヲシカ》之、妻整登《ツマトヽノフト》、 整は將求の草を見誤て一字にせしかと云説もあれどしからず刀登乃布は刀は手乎の約登は多呂の約にて手を足《タラ》はすてふ意なり(卷十四)に網子とゝのふとあるも網引手をたらはすを云こゝも妻となさん手をたらはすなり諸成此言を考得れば云なり【網引は手をたらはすといふべしこゝの弖乎はたけの約弖と見れば妻とせんたけをたらはすとも見るべし】
 
鳴音之、將至極《イタラムキハミ》、 今本かぎりと訓るはあまりにいまだし
 
靡芽子原《ナビケハギハラ》、」
 
2143 於君戀《キミニコヒ》、裏觸居者、敷野之《シキノノ》、 大和國磯城郡ならん
 
秋芳子凌《アキハキシヌギ》、 しぬぎは既いふ如く雪霰にまれ分入るを云
 
左牡鹿鳴裳、」
 
2144 鴈來《カリハキニ》、芽子者|散跡《チリヌト》、左小鹿之、鳴成音毛《ナクナルコヱモ》、裏觸丹來《ウラブレニケリ》、」 既にいふ如く宇良約和夫利約備なりよりて延ればうらぶりともうらぶれともなり約ればわびとなるなりいづこにても此言同じ
 
2145 秋芽子之、戀裳不盡者《コヒモツキネバ》、 つきぬにの意なり
 
左小鹿之、聲伊續伊繼《コヱイツギイツギ》、 伊は發語つぎつぎなり
 
戀許曾益焉、」 さをしかの戀つきぬ聲の如く吾泣聲のつぎ/\こひまさるとたとへたりこも相聞の喩歌の紛入しなり
 
2146 山近《ヤマチカク》、家哉可居、 家してやをるべき居るまじきといへるなり
 
左小牡鹿乃、音乎聞乍、宿不勝《イネガテヌカモ》鴨、」
 
2147 山|邊爾《ベニ》、射去薩雄者《イユクサツヲハ》、 射は發語にて行なり薩は借字にて幸男なり山の幸ある人にて狩人なり
 
雖大有《オホカレド》、山爾文野爾文、 今本やまにせのにせとはいかに見たるにかやすらかによまるゝものを
 
沙小牡鹿鳴母、」 さつをは多くあれど野山にも又鹿の多鳴と云
 
2148 足日木|※[竹冠/矢]《ノ》、 冠辭
 
山從來世波《ヤマユキタリセバ》、 吾により來らばの意
 
左小鹿之、妻|呼音《ヨブコヱヲ》、聞益物乎《キカマシモノヲ》、」 山路より來りもせば鹿の妻よぶ聲をきかんものをとなり
 
2149 山邊庭、薩雄乃禰良比、恐跡《カシコケド》、 今本おそるれどゝあり
 
小牡鹿鳴|成《ナリ》、妻之|眼乎欲焉《メヲホリ》、」 既いふ如く上つ世には見る事を目といへるぞ多きこも鹿の妻の顔を見ん事をもとむるとなり
 
2150 秋芽子之、散去見《チリユクミレバ》、 鹿の見るなり
 
欝三《オボヽシミ》、 萩の花を鹿の妻と云よりおぼつかなく思といふなり今本いぶかしみとよめるは誤なり例依てあらたむ
 
妻戀爲良思、棹牡鹿鳴母、」
 
2151 山|遠《トホキ》、京爾之有者《ミヤコニシアレバ》、 今本京をさとゝ訓しはいかゞ歌の意もとほらずよて改
 
狹小牡鹿之、妻呼音者、乏毛有香、」 山遠ければ京にて聲のかすかにあれば聞たらまほしめづらしまるゝなり
 
2152 秋芽子之、散過去者《チリスギヌレバ》、 今本にゆけばと訓るば誤れりぬればとよみてあらん
 
左小牡鹿者、和備|鳴《ナキ》將爲名《セムナ》、不見者乏焉《ミネバトモシミ》、」 此下三四首皆萩の花を妻といふ意もてつゞけり
 
2153 秋芽子之、咲有野邊者《サキタルノベハ》、 今本さけるのべにはとあるはいまだし
 
左小牡鹿|曾《ソ》、露乎別乍、嬬問四家類《ツマドヒシケル》、」
 
2154 奈何《ナゾ》牡鹿之、和備鳴|爲成《スナル》、蓋毛《ケダシクモ》、秋野之芽子也、繁將落《シヾニチルラン》、」 今本しげくとあるもきこえぬにあらねどすべてのしらべによるにしかはあらじ
 
2155 秋芽子之、開有野邊《サキタルノベノ》、 今本のへにと訓るは助詞たがへり
 
左牡鹿者、落卷惜見、鳴|去《ユク》物乎、」
 
2156 足日木乃、山之跡陰爾《ヤマノトカゲニ》、 跡陰は常影とも書たれど共に借字にて本陰の意なり本は木の事なり山のふもとゝいふも生本の意にて木は繁く生る所の名なり紀の歌にもとごとに花は咲ともとあるも木毎になりしかれば木かげに鳴鹿としるべしかり字になづむ事なかれ
 
鳴鹿之、聲|聞爲八方《キカズヤモ》、 加須の約くきくやなり
 
山田|守《・モラ》酢兒《スゴ・スコ》、」 (卷二)に云如く須は志豆の約の濁なればずと濁るべきを初言濁らぬ例故下にめくらして兒を濁る
 
2157 暮影《ユフカゲニ》、來鳴日晩|之《シ》、幾許《コヽダクニ》、 既にいふ如くそこばくこゝばくと云如おほくの事なり今本こゝだくのと云はあしし
 
毎日|聞跡《キケド》、不足《アカヌ》、音可聞、」
 
2158 秋風之、寒吹奈倍《サムクフクナヘ》、 秋風のいとさむきに蟋蟀の聲床ちかく鳴は秋の霜夜のさむさ身にしむばかりきかる、故既いふ如くなへは共の意にて物二つならへかぬるにてもきり/\すにあらでこほろぎなるをおもへ下にも別記にも云
 
吾屋前之、淺茅|之《ガ》本《モトニ》、蟋蟀鳴毛《コホロギナクモ》、」 蟋蟀を今本にきりぎりすと訓はいと誤なり和名抄に蟋蟀一名蛬(木里木里須)とあるは中世より名をまがひたるなるべし順ぬしなど萬葉を訓ぜし時誤て蟋蟀をきり/”\すと訓しにや後京極殿「きり/”\す鳴や霜夜のさむしろに」とよみ給へるもいと寒秋の霜夜には九月にも床ちかく鳴ものなるゆゑ霜夜のさむきをさむしろにいひかけたまへるなりこは聞なれし歌故いふなり其外萬葉に霜夜によみし歌あげてかぞふべからず今きり/”\すてふ虫はいとあつき夏の日に鳴虫にて秋の半には其こゑもなき虫なり毛詩に七月在野八月在宇九月在戸十月入我床下とありされどそは大樣をいへりいとさむき時は九月床ちかく鳴事右にいへるごとし此もの必こほろぎと訓べし委き眞淵考は別記に在り
 
2159 草影乃《カゲクサノ》、 物陰に生る草をかげ草といふのみ
 
生有《オヒタル》屋外之、暮陰爾、鳴|蟋蟀《コホロギ》者、雖聞不足可聞、」
 
2160 庭草爾、村雨落而、蟋蟀之、鳴音聞者、秋付爾家里、」 草も色付蟋蟀も鳴ばかり秋になると云
 
2161 三吉野乃、石本不避《イハモトサラズ》、鳴川津、諾文鳴來《ウベモナキケリ》、河乎淨《カハヲサヤケミ》、」 河音のさやけくも有て蝦の鳴をうべといふ是を古へ秋の物とせしなりこゝのみならず秋の歌によめる類有
 
2162 神名火之《カミナビノ》、山下動《ヤマモトドヨミ》、 今本に山したとあるもあしからねどもとゝあらん
 
去水丹、川津鳴成、秋登|將云鳥屋《イハムトヤ》、」 秋といはんとて蝦のなくといふなり
 
2163 草枕、 冠辭
 
客爾物念《タビニモノモフ》、吾聞者《ワガキケバ》、 此吾聞ばの者は旅にいたづきたるわかとかゝるなり後なれど鎌倉の右のまちきみの「箱根路を吾越くれば云云」とつゞけ給へること同じ
 
夕片設而《ユフカタマケテ》、 設は向てなり既にも出
 
鳴川津可聞、」
 
2164 瀬乎速見、落當知足《オチタギチタル》、 足は借にて而有なり弖阿約多なり
 
白浪爾、川津鳴奈里、朝夕毎《アサヨヒゴトニ》、」
 
2165 上《カミ》瀬爾、河津妻呼、暮去者、衣手寒三、 衣手の手は多計約衣が丈《タケ》なり
 
妻將枕跡香《ツマヽカムトカ》、」 吾はださむきに妻を思ふにつけて蝦の鳴もさあるかと吾を押てかれをおもふなるべし
 
2166 妹手乎、 冠辭
 
取石池之《トロシノイケノ》、 和泉國に有其土人とろすと云といへり
 
浪間從、鳥音《トリガネ》、 今本鳥音異鳴秋過良之
 
異爾鳴《ケニナク》、 水鳥なり此鳥か音の音も借字鳥群なる事既にいふむれゐる水鳥の秋のくれていとさむければ殊更に鳴を異に鳴と云
 
秋|過良之《スギヌラシ》、」
 
2167 秋野之、草花我末《ヲバナガスヱニ》、鳴|百舌鳥《モズノ》、 今本に舌百鳥とかけりかくもあらゝかにかけるにて誤字有を思へ
 
音聞濫香、片聞吾妹《カタキクワギモ》、」 是はたゞ秋の相聞の歌のまぎれてこゝに入たるなりよりて既にいふ如く小書とす歌意はもずの鳴音を聞らんかといふまでにてさて其おもひやるはわが片聞て戀おもふ妹なればそをそへてよめるなり
 
2168 冷芽子丹《アキハギニ》、置《オケル》白露、朝朝《アサナサナ》、珠斗曾見流《タマトゾミユル》、置白露、」 こともなく安らかなる歌なり
 
2169 暮立之《ユフダチノ》、雨落毎、 一云打零者又(卷十六)に此一本の同歌あり
 
春日野野之、尾花|之《ガ》上乃《ウヘノ》、白露|所念《オモホユ》、」
 
2170 秋芽子之、枝毛|十尾丹《トヲヽニ》、露霜置《ツユシモオキ》、寒毛時者《サムクモトキハ》、成爾《ナリニ》家類可聞、」  時をよくいひかなへたり
 
2171 白露與、秋芽子者《アキノハギトハ》、戀亂《コヒミダル》、 愛するを云なり
 
別事難《ワクコトカタキ》、吾情可聞《ワガコヽロカモ》、」
 
2172 吾屋戸之、麻花押靡、置露爾、手觸|吾妹兒《ワギモコ》、 手ふれよ吾妹よといふなり
 
落卷毛|將見《ミム》、」 妹が手ふれておちんをも見ばやの意なり
 
2173 白露乎、取者可消《トラバケヌベシ》、去來子等《イサコドモ》、露爾|爭而《キソヒテ》、 露も今を時と置なりよりてきそふといふなり
 
芽子|之《ノ》遊將爲《アソビセム》、」
 
2174 秋田|苅《カル》、 秋の田の稻をかりとらんとて假庵をまうけて守るなりさて秋田苅かりほと同辭別言に重たるなり
 
借廬乎作《カリホヲツクリ》、吾居者、衣手寒、露置爾家留、」 秋の夜寒の比かり廬に居れば夜ふけ行まゝに寒さ身にしめるありさまよくとりなしたる歌なり
 
2175 日來之《コノゴロノ》、秋風|寒《サムミ》、芽子之花、令散白露《チラスシラツユ》、置爾來下《オキニケラシモ》、」 意かくるゝ事なし
 
2176 秋田苅、苫手搖奈利《トマデウゴクナリ》、 苫手は既衣手にいへる如く苫丈《トマダケ》なり惜廬をふける苫の風に動くを然いふ帆手綱手の手も其物の丈を云なり
 
白露者、置穗田無跡《オクホダナシト》、告爾來良思《ツゲニキヌラシ》、」 一本告爾來良思毛さて露は穗をかりとりたれば白露の我置所なしと此借廬へつけ來つゝ此苫手をうごかすならんといふ此うごくはもと風なれどをさなくよめるなり又おもふに苫手の二字は菴の一字を誤るかさらば菴うごくなりと訓べし又苫の一字庵にて手は毛の誤とせばいほもうこくなりか猶始の説によるべし
 
2177 春者毛要、夏者|緑丹《ミドリニ》、紅之《クレナヰノ》、綵色爾所見《ニシキニミユル》、秋山可聞《アキノヤマカモ》、」 春はもえ出て見るかひあり夏はみどりのめづべく秋はくれなゐにほふ錦と見ゆるとなり綵はいろどるといふ字にてやがて赤色をいふ色もかり字にてしきとはしみ込をいふなり即しげきをしみ、しきといふも同じよりて綵色とも假字にて丹染《ニシム》の意にて歌の意は錦に見ゆる秋の山といふなり
 
2178 妻隱、 冠辭
 
矢野《ヤノヽ》神山、 【矢野神山伊勢播磨備後】
 
露霜爾、爾寶比始《ニホヒソメタリ》、 既にも云如くにほひはいにしへは餘光をいへる事此歌などにて明らかなり
 
散|卷惜《マクヲシモ》、」 今本末ををしもと訓るは助字の置所違り【今本末を毛と訓るは助字の置所違へりといへれど此下に本葉之黄葉落卷惜裳とも有ればこゝも今本のまゝにをしもといひても助字違へりとは云べからず奥人】
 
2179 朝露爾、染始《ニホヒソメタル》、秋山爾《アキヤマニ》、鍾禮莫零《シグレナフリソ》、在渡金《アリワタルガネ》、 二の句今本そめはじめたると訓るはいまだし末の金はがにと同じ
 
右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出 歌も集中の書體にひとしく見ゆれば既にもいふ如くすてず
 
2180 九月乃《ナガツキノ》、鍾禮《シグレ》乃雨丹、沾通《ヌレトホリ》、春日之山者、色付丹來、」 いにしへは九月にも時雨をよめり
 
2181 鴈鳴之、寒朝開之《サムキアサゲノ》、露有之《ツユナラシ》、春日山乎、令黄物者《モミダスモノハ》、」 もみぢてふことは(卷一)考同別記にくはしくする如くまそほみ出る葉てふ言なり此末の句の訓もふるく傳りし訓ならん
 
2182 比日之、曉露丹《アカツキヅユニ》、 あかつきの露の乃をはぶけばつゆを濁なり
 
吾屋前之、 屋前を今本にやどゝ訓しは誤なるよし既にいへり
 
芽子乃、下葉者、色付爾家里、」
 
2183 雁鳴者、今者來鳴|沼《ヌ》、吾待之《ワガマチシ》、黄葉早繼《モミヂハヤツゲ》、 つゞきてはやもみぢせよと云なり
 
待者辛苦母《マテバクルシモ》、」
 
2184 秋山乎、謹人懸勿《ユメヒトカクナ》、 秋山の事をゆめ人の言にかけていひ出す事なかれわすれたりし物を人言にかくれば思ひ出らるゝにとなり(卷八)の挽歌に「あきつ野を人のかくれば」といふも同じきなり
 
忘西《ワスレニシ》、其黄葉乃《ソノモミヂバノ》、所念君《オモホユラクニ》、」 今本こをおもほゆるきみとよみしはわらふべし
 
2185 大坂乎、吾越來者、二上爾《フタガミニ》、 二上大和國葛城上郡にあり
 
黄葉流《モミヂバナガル》、 ちるを流るゝといふ例おほし
 
志具禮零乍、」
 
2186 秋去者、置白露爾、吾門乃、淺茅|何《ガ》浦葉《ウラバ》、 浦葉は借字にて末なりうれに同じ言を通はす
 
色付爾家里、」
 
2187 妹之袖、 冠辭
 
卷來乃山之《マキヽヤマノ》、 筑前大宰府歌の中に城《キ》の山道と有
 
朝露爾、仁寶布黄葉|之《ノ》、散卷惜裳、」
 
2188 黄葉之、丹穗日者|繁《シゲシ》、 木々の多きをいふ
 
然鞆、妻梨木乎《ツマナシノキヲ》、 如妻《ツマナス》の意にていふか此もみぢのくれなゐのにほひやかなるもておほくもみちはあれど妻てふ言をとりてかくはよめるならん妻梨てふ木あるにあらで唐衣きなしなどのいひなしなり
 
手折可|佐寒《ヾサム》、」
 
2189 露霜乃、 今本乃を聞と有は誤なり
 
寒夕之、秋風丹、黄葉爾來毛《モミチニケリモ》、妻梨之木者、」 こもつまとしもいふからに色に出るてふをふくみてよめる歟
 
2190 吾門之、淺茅色|就《ヅク》、吉魚張能《ヨナバリノ》、 紀(持統)十月乙亥幸菟田吉隱丙辰至自吉隱と見ゆ式(延喜)には城上郡陵と有なみしばの野もそこに有べし今もよなばりてふ所初瀬山の背に有今本ふなばりと訓しは誤りなり
 
浪柴乃野之《ナミシバノヽノ》、 浪はかり字並司馬野ともいふ歟
 
黄葉散良|新《シ》、」
 
2191 雁之鳴乎、聞鶴奈倍爾《キヽツルナベニ》、高松之《タカマトノ》、野上之草曾《ノヽヘノクサゾ》、 野のへはうへの略
 
色付爾家留、」
 
2192 吾背兒我、白細衣《シロタヘゴロモ》、往觸者《ユキフラバ》、 行ふれなばといふなり
 
應染毛《ウツリヌベクモ》、黄變山可聞《モミヅヤマカモ》、」
 
2193 秋風之、日異爾吹者《ヒニケニフケバ》、 爾は例によりて補既いふが如し
 
水莖能《ミヅクキノ》、 【水莖の岡湊は太宰府より今道拾七八里ほとの海中にさし出たる地なりこは紀(仲哀)に岡縣といひ和名抄に遠賀郷と有を古誤て御牧郡と云しを諸國地名は古に復すべきよし台命ありし時より又遠賀郡とよべり今俗に誤てをんがの郡といふ岡の湊は其郡のうちなり今は蘆屋と呼り水門の邊に大倉生菟夫良媛の社あり紀(仲哀)に見えたり神武の大御舟繋しは此水川なり仲哀天皇の香椎宮にうつらしゝも此水川なり秀吉も皇居の例を追ひてこゝよりあがり給ひ今の世巡見使も此水川より筑紫に入るてふ蘆屋もこゝなりと諸成か友の筑紫人ぞいへりける】後世水莖の岡を近江にありといふはひが事なり紀(仲哀)を始集中におほく(卷十五)師の旅人卿の水莖の水城の上とよめるも筑前なればこゝも同所とすべし古今歌集にも水莖をかとて歌有近江風は別なり
 
岡之木葉毛、色付爾家里、」 次のひらに同じ歌有ていささか異なり
 
2194 雁鳴乃、來鳴之共《キナキシナベニ》、 今本きなきしともにと訓りなべとよむべし
 
韓衣《カラゴロモ》、 冠辭
 
裁田之《タツタノ》山者、 裁田は借字立田なりから衣裁といはんのみなり
 
黄始有《モミヂソメタリ》、」
 
2195 鴈之|鳴《ネノ》、聲聞笛荷、明日從者、借香能山者、黄始南《モミヂソメナム》、」 意明かなり
 
2196 四具禮能雨《シグレノアメ》、 六言
 
無間之《マナクシ》零者、眞木(ノ)葉毛、 既にもいふ如く古へ眞木とは專ら檜を云
 
爭不勝而《アラソヒカネテ》、色付爾家里、」 去年の葉皆此ころ色づく物なるを然云
 
2197 灼然《イチジロク》、四具禮乃雨者、零《フラ》勿國、大|城山者《キノヤマハ》、 大城の山は筑前國御笠郡大野山の頂にありといふ
 
色付爾家里、」
 
2198 風吹者、黄葉散乍、小雲《シバラクモ》、吾松原《ワガマツバラハ》、 我山我岡ともよめるによらん歟
 
清在莫國《キヨカラナクニ》、」 朝きよめなど云をおもふに落葉にて清からぬをいふ
 
2199 物念《モノモフト》、隱座而《カクレニヲリテ》、今日見者、春日(ノ)山者、色就爾家里、」 物おもひてしばし見ぬうちになり
 
2200 九月《ナガツキノ》、白露|負而《オヒテ》、足日木乃、 冠辭
 
山之將黄變《ヤマノモミヂム》、見幕下吉《ミマクシモヨシ》、」 見むもよしなり
 
2201 妹許跡《イモガリト》、馬鞍置而、射駒《イコマ》山、撃越來《ウチコエクレ》者、紅葉散筒、」 集中紅葉と書しはこゝのみなり專黄葉と書りたま/\紅葉とあるをおもふに此紅葉は後をおもひて書人のわざか
 
2202 黄葉爲、時爾成良之、月人《ツキビトノ》、楓枝乃《カツラノエダノ》、色付見者、」 月の照まさるを見れば世はやもみぢする時になりぬらんとなり
 
2203 里異爾《サトニケニ》、 爾は例によりて補へり
 
霜者置良之、高松能、 今本に野とあれど訓を假字に用る例にも違ひぬ野を乃假字に用る事なしもしくは能を誤れるかとしてあらためつ
 
山司《ヤマノツカサ》之、 野にも山にも少し高き所をいふなり
 
色付見者、」
 
2204 秋風之、日異爾吹者《ヒニケニフケバ》、 爾を補ふ事既いふ
 
露重、芽子之下葉者、色付來《イロツキニケリ》、」
 
2205 秋芽子乃、下葉赤《シタバモミヂヌ》、荒玉乃、 冠辭
 
月之歴去者《ツキノヘヌレバ》、風疾鴨《カゼヲイタミカモ》、」
 
2206 眞十鏡、 冠辭
 
見名淵山者《ミナブチヤマハ》、 大和國にあり
 
今日鴨《ケフモカモ》、白露|置而《オキテ》、黄葉將散《モミヂチルラム》、」
 
2207 吾屋戸之、淺茅色付、吉魚張之《ヨナバリノ》、 既出
 
夏身之上爾《ナツミノウヘニ》、 吉野に有とは別なりかた/\に此名は有
 
四具禮|零疑《フルカモ》、」
 
2208 雁鳴之、寒鳴從《サムクナキシユ》、水莖之、 既出
 
岡乃葛葉者、色付爾來、」
 
2209 秋芽子之、下葉乃黄葉、於花繼《ハナニツゲ》、時過去者《トキスギユカバ》、 今本過ゆけばとあるは末の句にかけあはずよりて改
 
後將戀鴨、」 此歌はぎの花もちり其下葉のもみぢもちりぬる時は今をこひんとなり
 
2210 明日香河、黄葉流、葛木(ノ)、山之木葉者、今之散疑、」 伊勢の本居の宣長がいふかづらきの木の葉飛鳥川へ流れん事いかゞたゞおもひやれるかとおもふに今の飛鳥川はみなぶち川のながれならんされど古へかつら木の方の水も落合まじきにあらず高鴨は葛城なり下つ鴨の邊の川飛鳥川へ行ふれしか
 
2211 妹之紐、 旅立には夫の紐を妹の結てたゝす物なればいふなり
 
解登結而《トクトムスビテ》、立田山、 解と結て立となりとくかとすればむすびて寐もあへずと言なり
 
今許曾黄葉、始而有家禮《ハジメタリケレ》、」
 
2212 雁鳴之、喧之從《サワゲリシヨリ》、春日|有《ナル》、三笠(ノ)山者、色付丹家里、」 意明なり
 
2213 比者之、五更霹爾、吾屋戸乃、秋之芽子原、色付爾家里、」 此歌に似たる歌上にも有同じ案歟同歌の變歟
 
2214 夕去者、雁之越往《カリノコエユク》、龍田山、四具禮爾|競《キソヒ》、色付爾家里、」 意明なり
 
2215 左夜深而、四具禮|勿零《ナフリソ》、秋芽子之、本葉之黄葉《モトハノモミヂ》、落卷惜裳、」 又同じ
 
2216 古郷之、始黄葉乎《ハツモミヂバヲ》、手折|以而《モテ》、今日曾吾來《ケフゾワガコシ》、 今本わがくると訓しは誤なり上下かけあはず
 
不見《ミヌ》人之爲、」
 
2217 君之家乃《キミガイヘノ》、黄葉早《モミヂバハヤク》、落之者《チリニシハ》、四具禮乃雨爾、所沾良之《ヌレニケラシ》母、 此歌字いと亂たり一本をもて補ひたゞせり今本初句君之家乃之黄葉早者落《五一二三六四》とありて訓もともに誤れり
 
2218 一年《ヒトヽセニ》、二遍不行《フタヽビユカヌ》、秋山乎《アキヤマヲ》、情爾不飽《コヽロニアカズ》、過之鶴鴨《スグシツルカモ》、」 今本にすごしと訓るは平言なりよりて改む
 
2219 足曳之、 冠辭
 
山田|佃子《ツクルコ》、不秀友《ヒデズトモ》、 穗に不出ともなり
 
繩谷延與《ヒタダニハヘヨ》、守登知金《モルトシルカネ》、」 此歌は相聞譬喩歌なり
 
2220 左小牡鹿之《サヲシカノ》、妻喚山之《ツマトフヤマノ》、 今本よぶと訓しはいまだしよて改む
 
岳邊在《ヲカベナル》、早田者不苅《ワサダハカラシ》、霜者雖零、」 右に同じ
 
2221 我門爾、禁田乎《モルタヲ》、見者、沙穗内之《サホノチノ》、 大和添上の郡なりこはさほのちと訓べし
 
秋芽子爲酢寸《アキハギスヽキ》、所念鴨、」 足曳之山田佃子云々より此歌までの三首は相聞の譬喩歌どもなればこゝに入べからず下に其標あればなり下なるが亂て入しと見ゆれば小書とす【こも相聞ならずかし】
 
2222 暮不去《ユフサラズ》、 ぬる夜おちずなといふが如し夕部/\さらずなり
 
河蝦鳴成、三和河之、清瀬音《キヨキセノト》乎、聞師吉毛《キクハシヨシモ》、」
 
2223 天毎《アメノウミ》、月船浮《ツキノフネウケ》、桂梶《カツラカヂ》、懸而※[手偏+旁]所見《カケテコグミユ》、 此かけては桂梶をとりつけてといふ意なり集中に阿波の山かけてこぐ舟と云かけにはあらず
 
月人壯子《ツキビトヲトコ》、」 月を月人男てふかにかくよめると見るべしさて星の林に漕かくる見ゆてふ歌の變なる歟【次の卷天海丹雲之波立月船星之林丹※[手偏+旁]隱所見】
 
2224 此夜等者《コノヨラハ》、沙夜深去良之、雁鳴乃、所聞空從、月立度、」 佐夜中と云々の變なり
 
2225 吾背子之《ワガセコガ》、挿頭之《カサシノ》芽子爾、置露乎、清見世跡《サヤカニミヨト》、月者照良思《ツキハテルラシ》」
 
2226 無心《コヽロナキ》、秋|月夜之《ツクヨノ》、 隔句なり月夜の照つゝとつゞく
 
物念跡《モノモフト》、寐不所宿《イノネラレヌニ》、照乍本名、」 此歌相聞なり【奥人おもふに此歌相聞の歌とは聞えずたゞ月の歌なるべし譬喩に似る歌もなどかなからむや】 
2227 不念爾、 隔句おもはぬに天雲はれてとつゞけり
 
四具禮乃雨者、零有跡《フリタレド》、天雲霽而、月夜清焉《ツクヨサヤケシ》、」 今本焉を烏に誤り訓もきよきをとあれどしかしては助字違へり一本によりて改こも前と同じく相聞の歌なり
 
2228 芽子|之《ノ》花、開乃乎々入緒《サキノヲヽリヲ》、 今本開乃乎再入緒とありてさくのをふたりをと訓しは何の事ともなし思ふに再は乎の誤とす(卷三)生をゝれる玉も云云(卷三)花咲乎爲里(卷十七)花咲乎々理(卷八)開の乎爲里に其外乎乎里乎爲ともあり(卷三)已下乎爲里とあるは烏の誤なり其事卷二の別記にくはしくいへりこゝも乎々里ならでは歌の意をなさず
 
見代跡可聞《ミヨトカモ》、月夜之清《ツクヨノキヨキ》、戀益良國《コヒマサラクニ》、」 又前に同じ戀まさるといふ花のみの事にあらぬと聞ゆよりてこゝろなき云々以下三首皆小書とす
 
2229 白露乎、玉作有《タマニナシタル》、九月、在明之|月夜《ツクヨ》、雖見不飽可聞、」 月のさやけきをよくよみかなへたり
 
2230 戀乍裳、稻葉|掻別《カキワキ》、家居者《イヘシヲレハ》、乏不有《トモシクアラズ》、秋之|暮風《ユフカゼ》、」 暑のまだのこれる時風を戀るなり風をだに戀ればともしくもあらじとよめるなり
 
2231 芽子花、咲有野邊《サキタルノベノ》、日晩之乃《ヒグラシノ》、鳴奈流共《ナクナルナベニ》、 今本ともにと訓しはいまだしきなり
 
秋|風吹《カゼゾフク》、」
 
2232 秋山之、木葉文|末《イマダ》、赤者《モミヂネバ》、 もみぢぬになり
 
今旦《ケサ》吹風者、 今本の日は旦の誤ならん一本旦につくるなり
 
霜毛置|應之《ベシ》、」 應を下に書し例あり今本之を久に誤るさて歌の意はまだもみぢだにせねどけさ吹風の寒きは霜も置ぬべしと心を入て見るべし風はとあれば下はべしと訓べし
 
2233 高|松《マト》之、此峯迫爾《コノミネモセニ》、 峯に草のあるべきならねど此香の峯もせきまでかさたちみちさかりなるをいはんとてかくはよめるなるべし
 
笠立而《カサタチテ》、 草の香を誤るなり和名抄に芸(久佐乃香)さてこゝに何物をいふかしらねど後世燕尾蘭てふ物香ありて花は見るめもなし長高く末ひろごれりかゝる物ならんよりて笠立てといふか又たゞ秋の千種の香のおほきをおほかたにかくよめるのみならんか
 
盈盛有《ミチサカリナル》、秋香乃吉者《アキノカノヨサ》、」 秋の香のよさは秋草の香のよさなり
 
2234 一日《ヒトヒニハ》、千重敷布《チヘシク/\ニ》、 今本うへにしき/\と訓るはいかゞ妹があたりに時雨ふれよ吾も行て見むとなりふれ見んをおもく見るべし
 
我戀《ワガコフル》、妹當《イモガアタリニ》、爲暮零禮見《シグレフレミム》、」
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2235 秋田苅、客刀廬入爾《カリノイホリニ》、 客はかりの意に假れるを今本たびと訓はいまだし
 
四具禮|零《フリ》、我袖|沾《ヌラス》、干人無二《ホスヒトナシニ》、」
 
2236 玉手次、 冠辭
 
不懸時無、吾戀《アハコヒヌ》、 今本にはかけぬときなしわがこひはとあるは誤なり
 
此具禮志|零者《フラバ》、 零は一本によりて改む今本に者者とあるは誤りなり
 
沾乍毛|將行《ユカン》、」
 
2237 黄葉乎、令落四具禮能、零苗爾、夜能衣寒《ヨルノキヌサムシ》、 今本副とありて夜さへぞさむきとよめれどこゝにさへの辭いかがよりて考るに能の字を誤れりとす
 
一之宿者《ヒトリシヌレバ》、」
 
2238 天飛也、 冠辭
 
雁之|翅乃《ツバサノ》、覆羽之《オホヒバノ》、何處漏香《イヅコモリテカ》、霜之零異牟《シモノフリケム》、」
 
 秋相聞。
 
2239 金山《アキヤマノ》、舌日下《シタヒガシタニ》、鳴|鳥《トリノ》、音聞《コヱダニキカハ》、何嘆《ナニカナゲカム》、」 此歌序のみ音だにきかばといふのみ下堤に水を引とて山より落る水の下樋をいふなり
 
2240 誰彼《タレカレハ》、我莫問《ワレヲナトヒソ》、九月《ナガヅキノ》、露沾乍《ツユニヌレツヽ》、君待吾《キミマツワレヲ》、」 九月の露に沾つゝ君を待は吾成事いちじろけんにそを誰彼と問におよはずと云なり
 
2241 秋夜《アキノヨノ》、霧發渡《キリタチワタリ》、凡凡《オホヾシク》、 【夙夙、契冲】おほゝのほはをの如く唱
 
夢見《イメニゾミツル》、妹形矣《イモガスガタヲ》、」 今本三の句を夙夙としてあさなさなと訓りさて四の句をゆめの如見るとあれどいとかけ合ず初句を秋の夜といひ腰句をあさなさなといふもあまりなり朝な/\ゆめの如く見るとはいと/\かけあはずよりて考るに凡凡の字を好事の夙夙となして訓をみだりにせしなり
 
2242 秋野《アキノノヽ》、尾花末《ヲハナガスヱノ》、打靡《ウチナビキ》、 今本生靡としておひなびくと訓しはなにのことゝもなし生は打の草の手よりや誤りけんうちなびきと訓て上下よくかけ合
 
心妹《コヽロハイモニ》、依鴨《ヨリニケルカモ》、」
 
2243 秋山、霜零|覆《オホヒ》、木葉落《コノハフリ》、歳雖行《トシハユクトモ》、我忘八《ワレワスレメヤ》、」 秋山のにほひやかなるに霜ふりおほひ色かはり行如く妹が姿のおとろへぬとも吾はわすれじとなり
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出、 既いふがごとし
 
2244 住吉之、岸乎田爾墾、 新田をにひばりと云類などにていふなり
 
蒔稻乃《マキシイネノ》、而及苅《シカモカルマデ》、不相公《アハヌキミ》鴨、」
 
2245 劔後《タチシリ》、 冠辭
 
玉纏田井爾《タママクタヰニ》、 まく田は地名なり此事冠辭考委
 
及何時可《イツマデカ》、妹乎|不相見《イモヲアヒミズ》、家戀將居《イヘコヒヲラム》、」 此歌班田使の歌なるべし班田使は六年に一度ありすべて此卷には班田使の歌おほし
 
2246 秋田之、穗上爾置《ホノヘニヲケル》、白露之、可消吾者、所念鴨《オモホユルカモ》」 三の句までは序にてけぬべくといはんためのみたとへ歌なり
 
2247 秋田之、穗向之所依《ホムケノヨレル》、片|縁《ヨリニ》、吾者物念、都禮|無物乎《ナキモノヲ》、」 (卷二)に此もとの句全同じ歌有然はこゝは暗にとなへのたがへるならんこもたとへうたなり
 
2248 秋田苅、 今本秋田叫とありてあきの田をと訓たれど既に出る言の例をもて叫は苅の誤りとす
 
借廬作《カリイホツクリ》、五百入爲而《イホリシテ》、 廬入してと云なり
 
有藍君叫《アルラムキミヲ》、將見依毛欲得《ミムヨシモガモ》、」 今本欲將は欲得の誤ならん假字はがもとあれは字をあらたむ此歌も班田使の妻などの歌ならん
 
2249 鶴鳴之《タヅガネノ》、所聞田井爾、五百入爲而《イホリシテ》、吾客有跡《ワレタビナリト》、於妹告社《イモニツゲコソ》、」 こは答歌ならん
 
2250 春霞《ハルガスミ》、多奈引田居爾《タナビクタヰニ》、廬爲而《イホリシテ》、 今本廬付而とあるは其田居のいほへ家こぞりて引うつる事有なればいほ付《ツケ》てといふ歌もあるべきやされど例も覺えずその上訓はしてとあればもとより付の字にあらざりし故と訓をもて字を改
 
秋田苅左右、令思良久《オモハシムラク》、」
 
2251 橘乎《タチバナヲ》、 冠辭
 
守部乃五十戸之《モリヘノイヘノ》、 集中に守部王有二句まで序なり
 
門田早稻《カドタワセ》、苅時過去《カルトキスギヌ》、不來跡爲等霜《コジトスラシモ》、」 
2252 秋芽子之《アキハギノ》、開散野邊之《サキチルノベノ》、暮露爾《ユフツユニ》、沾乍來《ヌレツヽキ》益、夜者|深去鞆《フケヌトモ》、」 此歌をとりて古今歌集に「秋はぎのちるらんをのゝ露霜にぬれてをゆかんさよはふくとも」とよめり
 
2253 色付相《イロヅカフ》、 色づくと云なり加は幾阿の約にていろづきあふを約たるなり似つかふなども同じ今の訓誤なり
 
秋之露霜《アキノツユジモ》、莫零《ナフリソネ》、妹之手本乎《イモカタモトヲ》、不纏今夜者《マカヌコヨヒハ》、」 
 
2254 秋芽子之《アキハギノ》、上爾置有《ウヘニオキタル》、白露之《シラツユノ》、消鴨死猿《ケカモシナマシ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、」 (卷十二)に同歌ありて末の句戀管不有者是弓削皇子の御歌なり七より下は家々の集なれば同歌ある事しかなり
2255 吾屋前《ワガニハノ》、秋芽子上《アキハギノヘニ》、置露(ノ)、市白霜《イチジロクシモ》、吾戀目八面《ワカコヒメヤモ》、」 譬喩歌なり
 
2256 秋穗乎《アキノホヲ》、之奴爾押靡《シヌニオシナミ》、置露《オクツユノ》、消鴨死益《ケカモシナマシ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズバ》、」 意明なり
 
2257 露霜爾、衣袖所沾而《コロモデヌレテ》、今谷毛、 だにもはかろく見るべし今なり此事既にいふ
 
妹許行名《イモガリユカナ》、 今本こをやらなと訓るは意もたがへればあらたむ
 
夜者雖深《ヨハフケヌトモ》、」
 
2258 秋芽子之、枝毛十尾爾、置露之、消毳死猿、戀乍不有者、 前の秋萩の歌の意とおのづから似たる歌か
 
2259 秋芽子之、上爾白露、毎置、見管|曾《ゾ》思努布《シヌブ》、君|之《ガ》光儀乎《スガタヲ》、 意明なり
 
2260 吾妹子者、衣丹有南《キヌニアラナン》、秋風之、寒比來《サムキコノゴロ》、下著益乎、」 衣ならば身につけんとなり
 
2261 泊瀬風《ハツセカゼ》、如是吹三更者《カクフクヨハヽ》、 よはゝ夜間なり三更と書は萬葉の手なり者はにといふべきてにをはなり
 
及何時《イツマデカ》、衣片敷《コロモカタシキ》、吾一將宿《ワレヒトリネム》、」 此歌は女歌かおもふに背のはつせのあなたより通ひ來る故に風はげしき夜はこじと思ひて初瀬の方ゆ吹風をなげく歟
 
2262 秋芽子乎、令落長雨之《チラスナガメノ》、零比者《フルコロハ》、一起居而《ヒトリオキヰテ》、戀夜曾大寸《コフルヨゾオホキ》、」 意明なり
 
2263 九月《ナガツキノ》、四具禮乃雨之、山霧《ヤマギリノ》、煙寸吾等胸《イブセキワガムネ》、 今本烟寸をけむきと訓るはあまりなるにやよりて改猶可考吾告とあるは吾等のあやまりとす
 
誰乎見者將息《タレヲミハヤマム》、」 一本十月四具禮乃雨降云云とあり
 
2264 蟋蟀之《コホロギノ》、待歡《マチヨロコベル》、秋夜乎《アキノヨヲ》、寐驗無《ヌルシルシナシ》、枕與吾者《マクラトワレハ》、」 待にこぬ人を戀わびてよめるなり
 
2265 朝霞、 冠辭
 
鹿火屋之下爾《カヒヤガシタニ》、鳴蝦、 【蛙字鏡に加比留和名抄に加閇流萬葉に加敝流弖云木も有よておもふにこゝは鳴かへると訓むか此集に河津と見るは今のかへるちふ虫にはあらで魚にて今俗にかじかと云ものぞ是なるべし】
 
聲谷聞者、吾將戀八方、」 譬歌なり
 
2266 出去者《イデヌレバ》、 こは女歌なり背の出ていねば天飛雁の如鳴べしとなり
 
天飛雁之、可泣美《ナキヌベミ》、且今日且今日云二《ケフケフトフニ》、 下に吾背子乎且今且今出見これをけふかけふかと訓はわろし同さまなれどこゝは年ぞふるといへば毎日の意にてよし下なるは其日の事にて次の句に出て見ればとあればいまかいまかと訓べし 
年曾經去家類、」 こは班田使又防人などの妻の歌ならん夫の旅に出てかへらん/\とのみいへるを立ちわびてよめるものなり
 
2267 左小牡鹿之、朝伏小野之、草若美《クサワカミ》、隱不得而《カクロヒカネテ》、 かくろひのひはいの如く唱呂比約里にて禮に通へばかくれかねてなり
 
於人所知名《ヒトニシラレナ》、」 【此歌は春の相聞に置べき歌なり】
 
2268 左小牡鹿之、小野草伏《ヲノヽクサブシ》、灼然《イチシロク》、吾不問爾《ワガトハナクニ》、 ことゝひもせぬにといふなり不語を祝詞にことゝはぬと訓
 
人|乃《ノ》知良久《シレラク》、」
 
2269 今夜乃《コノヨラノ》、曉降《アカツキクタチ》、鳴鶴之《ナクタヅノ》、 鳴たづの如われもなく物故鶴も思ひあるになしていふのみ
 
念不過《オモヒハスギズ》、 思ひをやらぬなり
 
戀|許増益《コソマサレ》也、」 集中焉矣也等の助字を添てかける所もあり是も添たるのみ既に上にもあり此下にも此類あり
 
2270 道邊之、乎花我|下之《モトノ》、 をはなが下にのみはあらぬをかく樣に云なすが古歌の常なり
 
思草《オモヒグサ》、 もろ/\の説あれど定かなるよしあるはなしただ思ひ草てふ草あるべし戀草|和《ニコ》草めざまし草などもしりがたきなり猶おもふに思は忘の誤ならんかと眞淵はいへり又やごとなき御説には紫苑ならんかとおぼすよしのおはすとぞのたまはせし
 
今更吾《イマサラニワレ》、何物可將念《ナニカオモハム》、」 今本四の句|今更爾何物可《イマサラナニノモノカ》と有は字を誤りしとおもはる今更の下の爾の字は吾の字の誤ならん何物にてなにと訓べし爾よりしてなにとよみくだす事こゝろゆかず歌の意もとほらねばあらたむなり
 
2271 草深三、蟋多《コホロキサハニ》、鳴|屋前《ニハノ》、 今本の訓は誤れりよてあらたむ
 
芽子|見公者《ミニキミハ》、何時來益牟《イツカキマサム》、」 意明なり
 
2272 秋就者《アキヅケバ》、水草花乃《ミクサノハナノ》、 水は借字眞の意萩薄萱の類秀に出て花咲ものをたとへ云りさて其穗に出て咲花の如く吾おもふ人を我は思へどたゞにあはさればおもふ人はしらじとよめるなり
 
阿要奴蟹《アエヌガニ》、 阿要奴蟹はあえぬるが如にを省きいふあえぬは不肖の字にあたりて他花にあえず不似如く我思ひのいちじろきを穗に出る花にたとへいふなり(卷八)に橘の長歌に阿要奴|我爾《ガニ》とあるはこゝとは別にて我《ガ》は解《ゲ》に通ひて時なりぬるげになり土佐人は物の熟《ナエ》ぬる事をあえぬると云も是に同じ
 
思跡不知《オモヘドシラジ》、直爾不相在者《タヾニアハザレバ》、」
 
2273 何爲等加《ナニストカ》、君乎《キミヲ》、將厭《イトハム》、秋芽子乃、其始花之《ソノハツハナノ》、 はつ花の如と云なり
 
歡寸物乎《ウレシキモノヲ》、」 うれしきのうれはうらぶれのうらと同じ即こゝろなりしきは及なりされば心しく君なればいとふ事なしといふなりさてこの歌は右のこたへの如し
 
2274 展轉《コイマロビ》、戀者死友《コヒハシヌトモ》、灼然《イチシロク》、色庭|不出《イデジ》、朝容貌之花《アサガホノハナ》、」 朝容貌は前にもいふ如く牽牛花なり委は貌花の別記に其よしをいふ歌の意は此花いとうつくしきがことく色には出じとよめり
 
2275 言出而《コトニイデヽ》、云忌深《イハヾユヽシモ》、朝貌乃《アサガホノ》、穗庭開不出《ホニハサキデズ》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」 今本に戀をするかもとあるはてにをはたがへり依てあらたむさて歌意は牽牛花は葉かくれにさく物なれば其如くあらはれず戀するとなり穗に出る物とて穗に出るたとへとするが如し
 
2276 雁鳴之、始音聞而《ハツコヱキヽテ》、開出有《サキデタル》、屋前之秋芽子、見來吾世古《ミニコワガセコ》、」 意明なり
 
2277 左小牡鹿之、入野乃爲酢寸《イリノヽスヽキ》、初尾花、 上三句序にて初といふ言をのみ下へは用たり
 
何時《イヅレ》加妹|之《ガ》、將爲手枕《タマクラヲセム》、」 すゝきは時有て尾花と穗に出るが手枕はいつかせんとなげきいへるなり初といふにかゝれり今本の如く手枕にせんと訓ては聞えず六帖に手枕をせんとあるぞ古き訓にてことわりあるなりさていづれに訓ても將の下に爲を脱つらんと覺ゆ集中の例みな斯あるによりて爲を將の下に補へり
 
2278 戀日之《コフルヒノ》、氣長有者《ケナガクアレバ》、三苑圃能《ミソノフノ》、 眞薗生なり
 
辛藍花《カラアヰバナ》之、色出爾來《イロニデニケリ》、」 案るに延喜染殿式に韓紅といふは深紅の事なりからくれなゐといふももとは呉より始て渡しに後に韓より來しが色よかりし故に韓紅といふなりさて藍てふ物はいとはやく渡りてありしならん此あゐてふ名を藤原菅根が何にまれ其色にあえ染なすよりの名ならんといへるはよし
 
2279 吾郷爾、今咲花乃、 女の若盛なるにたとへしならん
 
女郎花、不堪情《タヘズコヽロニ》、 わすれんとすれども忘られず直戀にけりとなり
 
尚戀二家里、」
 
2280 芽子花、 一本花の下に之の字あり
 
咲有乎見者《サケルヲミレバ》、君不相《キミニアハデ》、眞久二《マコトモヒサニ》、成來鴨《ナリニケルカモ》、」
 
2281 朝露爾、咲酢左乾垂《サキスサビタル》、 有進而の意にてさきすゝみなり
 
鴨頭《ツキ・ツイ》草之《クサノ》、 つき草はめづべき物なれどもはかなくいろも消うつり花もはかなければ消ぬべきとこそたとへたれさて鴨頭草をつき草といふを此きをいに通してついぐさといふは古への常なりそを後に言のひゞくまゝに露草といふは後の俗の誤なり
 
日斜共《ヒタケケルナベニ》、 今本にともにとあるは既もいふ如く訓の誤なり
 
可消所念、」 さて日斜共夕影をおひてつき草のしぼめるを消ぬべくといひ我戀の日ひさしくて命もけぬべきにたとへよめるなり
 
2282 長夜乎《ナガキヨヲ》、於君戀乍《キミニコヒツヽ》、不在者《アラザラバ》、 今本不生者とありていけらずばと訓たれど上下にかけ合ずよりて生は在の誤として訓も改【不生者ならざらはと訓て今本のまゝに隨ふべし】
 
開而落西《サキテチリニシ》、花有益乎《ハナナラマシヲ》、」
 
2283 吾妹兒爾、相坂山之、皮爲酢寸《シノズスキ》、 冠辭やごとなき御説にすべてしのてふ名ある物は皆かはを帶てしなひたてりしの竹てふ物もさなりさらば皮爲酢寸とせるは皆しのと訓べし(卷十四)の皮爲酢寸久米能若子といふもしのにこもる意もて久米と古毛と通して冠とせるならん(卷一)に婆太須酒寸此卷の長歌に旗芒などあるは幡の意と見るべしよりて此卷又(卷十四)の皮すゝきとあるはしのずゝきの意と心得べし(卷十二)の波奈すゝきは波太すゝきの誤りなり又古今歌集にあるは字の如く花すゝきと心得べし是は後なればなりすべて眞に似て花の如きものまたはうるはしく言て花なにてふ事は花橘の外は後世言なり花橘は櫨橘又金橘ともいひて別種花咲たる橘にはあらずくはしくは別記にいへり賀茂眞淵冠辭考にいへるとたがひてよらせ給ふ事古へ今の言にもかなひよくわかれ聞えめでたき御説なればあげたり【皮有ておひたてる物は皆しなへなびく物なりさて奈敝の約禰なり此禰は乃に通なればしなへ竹しなへずゝきなりよりて皮の字をかりしならん】 
穗庭開不出《ホニハサキデズ》、戀渡鴨、」
 
2284 率爾《イサヽメニ》、 【いさゝめの事奥人既に言此注取がたし】今本に此言をいざなみと訓しより下の訓も歌の意も誤れり此言は(卷四)に委しく解りいなしらずしか目にてふ意にてこゝは妹が光儀を絶ず見かほしと云なり
 
今毛欲見《イマモミガホシ》、 今本に見てしがと訓るは誤なりてしと訓ん字なく意通らず 
 
2285 秋芽子之、四※[手偏+差]二將有《シナヒニアラム》、妹之|光儀《スガタヲ》、」 欲見を此下に引下して心得よよて上の訓の誤しるべし
 
秋芽子之、花野乃爲酢寸、穏庭|不出《デズ》、吾戀度、隱嬬波母《コモリヅマハモ》、」 
意明なり
 
2286 吾屋戸爾、開秋芽子、散過而、實成及丹《ミニナルマデニ》、於君不相鴨《キミニアハヌカモ》、」 又同じ
 
2287 吾屋前之、芽子|開二家里《サキニケリ》、不落間爾《チラヌマニ》、早來可見《ハヤキテミマセ》、平城里人《ナラノサトビト》、」 又同じ
 
2288 石走《イハバシノ》、間々生有《ママニオヒタル》、 石橋とは既云如水わたる便に流に渡こゆべき石を並すうるをいふなり
 
貌花《カホバナ》乃、 かほ花は旋花なり今云ひるがほなり契冲がうつくしき花をすべてかほ花と云といふは笑べし此説多かれど取べきなしやごとなき御説もて別記に云
 
花西有來《ハナニシアリケリ》、在筒見者《アリツヽミレバ》、」 歌の意は在經て見れば貌花の如くいつくしくゑみ榮えたる妹なりけりとなり
 
2289 藤原《フヂハラノ》、古郷之《フリニシサトノ》、秋芽子者、開而落|去寸《ニキ》、君待|不得而《カネテ》、」 奈良の宮の始によめるならん
 
2290 秋芽子乎、落過沼蛇《チリスギヌベミ》、 蛇は借字備を美に通しかれり越の國にては今もへみと云とぞ
 
手折持《タヲリモテ》、雖見不怜《ミレドモサビシ》、 初の句を此三の句の上に置て心得べし隔句なり【此歌隔句ならず奥人】
 
君西|不有者《アラネバ》、」
 
2291 朝開《アシタサキ》、夕者消流《ユフベハケヌル》、鴨頭草(ノ)、可消戀毛《ケヌベキコヒモ》、吾者爲鴨、」 既いふ如めづべき物なれどはかなげに朝夕に色も消うつろひはかなき花を吾戀にたふまじかる命に譬ふなり
 
2292 ※[虫+延]野之《アキツノヽ》、尾花|苅副《カリソヘ》、秋芽子之、花乎|葺核《フカサネ》、 既(卷一)にもいふ如くこはふけをふたゝび延たるなり不計の計を延れば加世となる其加世の世をのぶれば佐禰となるなり
 
君之借廬《キミガカリホニ》、」 (卷一)に金野乃美草苅葺とある類なり(卷十三)にも此類の歌あり且此歌は旅のさまにて物によせたる意はなしまぎれてこゝに入し物なりよて小書とす
 
2293 咲友《サキヌトモ》、不知師《シラズシ》有者、默將有《モダモアラム》、此秋芽子乎、令視本名《ミセツヽモトナ》、」 此萩の花の咲ぬるともしらずばもだしてあらん咲しをしりぬればこそとひこしゝか見すぐしてはやくも□とすなるさらばこを見せまじものを見せぬるがよしなしと恨むならん
 
2294 秋去者、鴈飛越《カリトビコユル》、龍田山、立而毛居而毛、君乎|思曾念《シゾモフ》、」 意明なり
 
2295 我屋戸之、田葛葉日殊爾《クズハヒニケニ》、 爾は例によて補ふ
 
色付奴《イロヅキヌ》、不來座君者《キマサヌキミハ》、 來は一本によりて加ふ今本來の字なし
 
何情曾毛《ナニコヽロゾモ》、」 背のおとづれのなきを待わびたるなり
 
2296 足引乃、 冠辭
 
山佐奈葛《ヤマサナカヅラ》、 既もいふ如く佐奈葛は五味子なりこは常葉にてもみぢせぬ物なりそをもみづまでといふは烏の頭白からん時と云べし
 
2297 黄變及《モミヅマデ》、妹爾|不相哉《アハズヤ》、我戀將居《ワガコヒヲラム》、」 
黄葉之、 冠辭
 
過不勝兒乎《スギカテヌコヲ》、 戀心をえしぬびかくしがたきをいふなり
 
人妻跡、見乍哉|將有《アラム》、戀敷物乎、」
 
2298 於君戀《キミニコヒ》、之奈要浦觸《シナエウラブレ》、吾居者《ワレヲレバ》、秋風吹而《アキカゼフキテ》、月斜焉《ツキカタムキヌ》、」 しなへうらぶれは(卷二)に委し今本活本にも焉を烏に誤る一本によりて改む
 
2299 秋(ノ)夜之、月疑意《ツキカモ》君者、 隨意の字をまに/\と訓如く疑意をもてかもといふは義訓のみ
 
雲隱《クモカクレ》、須臾不見者《シバラクモミネバ》、幾許戀敷《イタクコヒシキ》、」
 
2300 九月之、在明能月夜《アリアケノツクヨ》、有乍毛《アリツヽモ》、 ありつぐ意にてたえざるなり
 
君|之《ガ》來座者、吾將戀八方、」
 
2301 忍咲八師《ヨシヱヤシ》、 忍は心にたへゐる事を堪忍故にて縱の字に借歟くはしくは(卷二)の別記にあり
 
不戀登爲跡《コヒジトスレド》、金風之、寒吹夜者、君乎之曾念、」
 
2302 惑者之《ワビビトノ》、痛情無跡《アナコヽロナト》、將念《オモフラム》、秋長夜乎《アキノナガヨヲ》、寐師在《イネテシアレバ》、」 終の句今本に寐師耳《ネザメシテノミ》と有て禰ざめしてのみと訓り上の句どもにかけあはずよりていをねてしのみと訓たれど猶かけ合ずよりておもふに在耳の草の手より在を耳と見誤りたるとす猶考べし思推なくよめるならん
 
2303 秋(ノ)夜乎、長跡《ナガシト》雖言、積西《ツモリニシ》、戀盡者《コヒヲツクセバ》、短有家里《ミジカヽリケリ》、」 妹とともねしおもふ心をつくし合ば猶秋の夜もみじかしと前の歌に長しと云をみじかしとよめり
 
2304 秋都葉爾《アキツバニ》、 (卷三)あきつばの袖ふる妹とよめるは蜻蛉の羽の如くといへるなり今は秋の黄葉をいへるなればなり思に秋の葉の如にと云を如を略きいへるならん歟紅衣を云なり
 
爾賓敝流衣《ニホヘルコロモ》、吾者不服《ワレハキジ》、於君奉者《キミニマツラバ》、夜毛著金《ヨルモキルカネ》、」 歌の意は秋津葉のにほへる衣は黄葉なり其もみぢはちりうつろひやすかる物なれば吾はうつろふ心のなければきまじ君に奉らば夜だに着給なりさらば君はいよゝ他人に心うつろひ給はんと男のうつろひやすき心をあやぶめる歌か
 
 問答。
2305 旅尚《タビニスラ》、襟解物乎《ヒモトクモノヲ》、 襟をひもと訓はゑりの紐なればなり義訓なりこは旅の衣にてあかひもをいふなり
 
事繁三《コトシゲミ》、丸宿《マロネ》吾爲長此夜、」
 
2306 四具禮零、曉月夜《アカツキツクヨ》、紐不解《ヒモトカデ》、戀君跡《コフラムキミト》、 今本こひしきと訓るはひが事なりこひしきとては女の夫を戀おもふなりこは上の歌の答にて此はひもとかで丸寐すると夫のよめるをかけて云なれば夫のこふらんといふなり末の句君とをらましものをといへるが女の夫を戀る意を答るなりされば四の句は戀らんとよむべし
 
居益|物《モノヲ》、」
 
2307 於黄葉《モミヂバニ》、置白露之、色葉二毛《ニホヒニモ》、 今本いろはにもと訓めり上にもみぢ葉といひて三句に色の葉にもとはよまじにほひにもと訓んとて色葉と書ならんとす
 
不出跡念者《イデジトモヘバ》、 例のにといふなりもへるになり
 
事繁家口《コトノシゲヽク》、」 事は借字にて言なり
 
2308 雨零者《アメフレバ》、瀧郡山川《タギツヤマガハ》、於石觸《イハニフリ》、 下に石爾布里と假字あり此によりてこゝもふりと訓べしふりはふれてを通し約ていふなればかへりてくはしきなり
 
君之摧《キミガクダカン》、情者不持《コヽロハモタジ》、」 【此二首問答にあらず此間に落たる歌あるならん】今本右歌の左に右一首云云注あれど後人のわざにていと妄なればとらず
 
 譬喩歌。
2309 祝部等之《ハフリラガ》、 【祝部は伊波比倍良なり伊を略波を半濁に唱へ比倍の約倍を布もていひ良を里に通して波布里と云なり】
 
齋經社之《イハフヤシロノ》、黄葉毛、標繩越而《シメナハコエテ》、落去物乎《チルトフモノヲ》、」 神のいがきもこえぬべし又あきにはあへずなどとりなせるも皆是をとれるなるべし
 
 旋頭歌。
2310 蟋蟀之、吾床隔爾《ワガトコノベニ》、鳴乍本名《ナキツヽモトナ》、起居管《オキヰツヽ》、君爾戀爾《キミニコフルニ》、宿不勝爾《イネガテナクニ》、」 今本にいのねられぬにとあるはかけ合てもきこえず
 
2311 皮爲酢寸《シノズヽキ》、 冠辭
 
穗庭|開不出《サキデヌ》、戀乎吾爲《コヒヲワガスル》、玉蜻、 冠辭
 
直一目耳、視之人故爾《ミシヒトユヱニ》、」 意明なり
 
 冬難歌。
2312 我袖爾、雹手走《アラレタバシル》、卷隱《マキカクシ》、不消有《ケサズテアラモ》、 今本の如くけすともあれやとては意もなさず意もとほらずよて改
 
妹爲見《イモガミムタメ》、」
 
2313 足曳之、冠辭
 
山鴨高《ヤマカモタカキ》、 山は即卷向にあり
 
2314 卷向之《マキムクノ》、
 
卷向之、木志乃子松二《キシノコマツニ》、 卷向の穴師乃川の岸をいふ歟
 
三雪落來《ミユキフルナリ》、」
 
檜原毛未《ヒバラモイマダ》、雲居者《クモヰネハ》、 居ぬになり
 
子松之末由《コマツガウレユ》、沫雪流《アハユキナガル》、」 今本四の句をすゑに五の句あわゆきぞふるはいまだし
 
2315 足引、 冠辭
 
山道不知《ヤマヂモシラズ》、白※[牛+可]※[牛+戈]《シラガシノ》、 ※[牛+可]※[牛+戈]は樫木なり舟の器にてかしと訓りよて借しなり今本杜※[木+戈]とあるはあやまりなり
 
枝母等乎乎爾《エダモトヲヽニ》、雪|落者《フレヽバ》、」一本に枝毛多和多和とあり
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出也、 こゝに但一首或本云三方沙彌作とあるは何の歌を云ともなし後人の注歟
 
2316 奈良山乃、峯尚霧合《ミネスラキラフ》、宇倍志社《ウベシコソ》、 尚は集中すらと訓るよしは(卷三)の別記にいふきらふの良は利阿の約|霧合《キリアフ》なり
 
前垣之下之《マカキガモトノ》、雪者不消家禮《ユキハケズケレ》、」
 
2317 殊落者《コトフラハ》、袖副沾而《ソデサヘヌレテ》、可通《トホルベク》、將落雪《フリナンユキノ》、 今本ふらんを雪のとあるはいまだし
 
空爾消二管《ソラニケニツヽ》、」
 
2318 夜乎寒三《ヨヲサムミ》、朝戸乎開《アサトヲヒラキ》、 今本開をあけてとあれどてにをはの字なければひらきとよめり
 
出見者《デヽミレバ》、庭毛薄太良二《ニワモハダラニ》、 今本薄大良にとあれど下に薄太禮とあり今は點の落たるなり
 
三雪落有《ミユキフリタル》、」一本も庭裳保杼呂爾雪曾零而有《ニワモホトロニユキゾフリタル》と有
 
2319 暮去者、衣袖寒之、高松之《タカマドノ》、山木毎《ヤマノキゴトニ》、雪曾零有《ユキゾフリタル》、」 古今歌集の「夕されば衣手さむしみよしのゝよしのゝ山にみ雪ふるらし」は是をもてよめり
 
2320 吾袖爾、零鶴雪毛、流去而《ナガレイテ》、妹之手本《イモガタモトニ》、伊行觸糠《イユキフレヌカ》、」 第三の句を今本にながらへてとよみしは誤れり歌をとくべきやうなしよりて改む
 
2321 沫雪者、今日|者莫零《ハナフリソ》、白妙之、 冠辭
 
袖纏將干《ソデマキホサム》、人毛不有惡《ヒトモアラヌヲ》、 今本末の句をあらなくにと訓るはよしなし惡はをの借字になりたるのみなり此歌妹がをらぬほどによめるならん 
2322 甚多毛《イトサハモ》、 はなはだとよめるは誤れりいとさはと訓故多を加へり
 
不零雪故《フラヌユキユヱ》、許多毛《コヽタクモ》、 今本の言と有は傍の午の落たるにて許多なればこゝたなりこゝにこちたくの語はあるべからず
 
天三空者《アマツミソラハ》、隱相管《クモリアヒツヽ》、」
 
2323 吾背子乎、且今且今《イマカイマカト》、 今本にけふか/\と訓たれど出見者とあれは其日の事にて毎日の事ならず仍ていまかいまかと訓めり
 
出見|者《ハ》、沫雪|零有《フレリ》、庭毛|保杼呂爾《ホドロニ》、」
 
2324 足引、 冠辭
 
山爾|白者《シロキハ》、我屋戸爾、昨日暮《キノフノユフベ》、零之雪疑意《フリシユキカモ》、」 疑意をかもと訓事上にいへり
 
2325 誰苑之《タガソノヽ》、梅花毳、 今本に毛とのみあるは毳を略せし物なり
 
久竪之、 冠辭
 
清月夜爾《キヨキツクヨニ》、幾許散來《コヽラチリクル》、」 意明なり
 
2326 梅花、先開枝《マヅサクエダヲ》、 先開はまづさかん枝にてはやさきぬべきえたをなり
 
手折而者《タヲリテハ》、裹常名付而《ツトヽナヅケテ》、 【拾穗につとは家つとなりつとと名付て君によそへて此早梅に慰んとなり】
 
與副手六香聞《ヨソヘテムカモ》、」 花を戀る意を諷なり其花の咲を見まほしむなりよそへはよせそへの意にてほめたるなり
 
2327 誰苑之、梅爾可有家武《ウメニカアリケム》、幾許毛《コヽタクモ》、開有可毛《サキニタルカモ》、見我欲左右手爾《ミカホルマデニ》、」 今本四五の句訓はいと誤れり四の句さけるかも見て五の句わがおもふまでにと訓り安く訓るゝに誤りけん見がほるはその咲てある薗をさへも見たきまてなり此歌右の歌の答歌なり
 
2328 來可視《キテミベキ》、人毛|不有爾《アラナクニ》、吾家有《ワギヘナル》、梅|早花《ハツハナ》、落十方吉《チリヌトモヨシ》、」 
 
2329 雪寒三、咲者不開《サキニハサカデ》、梅花、縱比來者《ヨシコノゴロハ》、然而毛有金《サテモアランカネ》、」 此金は願意なり卷三四にも有を合見よ上にも「春去ばちらまくをしみさくら花しばしはさかで含みてもがも」
 
2330 爲妹《イモガタメ》、末枝梅乎《ホヅヱノウメヲ》、手折登波《タヲルトハ》、 とてのてを略なり
 
下枝之露爾《シヅエノツユニ》、沾家頼家聞《ヌレニケルカモ》、」 二の句は末枝の花をといはんに同じく花折とて露に沾し勞を云なり
 
2331 八田乃野之《ヤタノノヽ》、 此地磯城下郡なるは今は八田、添下郡なるは矢田と云、和名抄には添下郡に矢田郷有磯城の下にはなし是によれば添下にあるべしさて矢代氏をば八代ともかけば字にかゝはらず
 
淺茅|色付《イロヅキヌ》、 やごとなき御説にはこゝを今本にいろづくと訓どいろづきぬといふべしこれほどの歌の一言にてことさらに聞ゆとのたまはせりよりて御説による
 
有乳山《アラチヤマ》、峯之沫雪《ミネノアワユキ》、寒零良之《サムクフルラシ》、」「み山には松の雪だに消なくに都は野邊の若菜摘けり」の類にて都より思ひやるなり【宗祇云矢田野有乳山越前の名所なり高山にて秋より雪の降所なり云云】
 
2332 左夜深者、出來牟月乎《イデコムツキヲ》、高山之、峯白雲、將隱鴨《カクシナムカモ》、」 意明なり
 
 冬相聞。
2333 零雪(ノ)、虚空《ソラニ》可消、雖戀《コフレドモ》、相依無《アフヨシナクテ》、月經在《ツキヲシヘヌル》、」 今本末の在は去を誤るかさて月をしへぬるなり
 
2334 沫雪《アハユキノ》、千里零敷《チサトフリシク》、 里は重の誤歟さらば千重にふりしくなり
 
戀爲來《コヒシケク》、食永我《ケナガクワレハ》、見偲《ミツヽシヌバム》、」
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2335 咲立照《サキタテル》、 今本咲出照と有てさきでたると訓れど照はさはよみがたければ出は立の誤ならんとして咲たてると訓べし【押照の言と同じくかくあるをさきてると四言によまん】
 
梅之|下枝《シヅヱニ》、置露之、可消於妹《ケヌベクイモニ》、戀傾者《コフルコノゴロ》、」
 
2336 甚毛夜《イトモヨノ》、深勿行《フケテナユキソ》、道邊之《ミチノベノ》、湯小竹之於爾《ユサヽガウヘニ》、 五百をゆといふ例なり
 
霜降夜焉《シモノフルヨヲ》、」 今本に烏一本に鳥又一本焉今案に焉を正とす
 
2337 小竹葉爾、薄太禮零覆《ハダレフリオホヒ》、消名羽《ケナバ》鴨、將忘云者《ワスレントヘバ》、益祈念《マシテオモホユ》、」 上は序なり雪の消を身の失に云かけたり 
2338 霰落《アラレフリ》、板玖風吹《イタクカゼフキ》、 今本に板敢一本枝敢と見ゆいかにも訓べき言なし考るに敢は暇ならんかとすれどさてはいたまと訓ん外なし若四の句を地名とせば板間の字を誤るかおほくは敢は玖の誤にていたくならんとして敢字を改む猶全本をもてたゞすべしさらば旅などの事にもなく雪に近きあたりの野など思ひよする事有てよめるにもあるならん【此歌考もとより眞淵の考によれり此歌誤字多かるべし考るよしなしと眞淵もいへり】
 
寒夜也《サムキヨヤ》、旗野爾今夜《ハタノニコヨヒ》、 こを地名とすれば紀(神武)に層富縣|波※[口+多]丘岬《ハダヲカザキ》有2新戸畔者《ニヒトベトフモノ》1〇神名式に高市郡波多神社和名抄高市郡波多郷と有など合せ考れば地名とも思はれず旗は將《ハタ》の意歟
 
吾獨寐牟《ワガヒトリネム》、」 前の如く訓てはたゞ旅のありさまなり又右の地名とすれば波多郷に有て妹がりゆかでよめるとするぞ安かる
 
2339 吉名張乃《ヨナバリノ》、 上に出づ
 
野木爾零覆《ノギニフリオホフ》、白雪乃、 野の木の乃を略けりさればのぎと濁るべし軒にあらず零覆雪といふもておもへ前に有なみしばの野を云成べし
 
市白霜《イチシロクシモ》、將戀吾鴨《コヒムワレカモ》、」
 
2340 一眼見之《ヒトメミシ》、人爾戀良久、天霧之、 良は利阿の約志は及の略なり
 
零來雪之《フリタルユキノ》、可消所念《ケヌベクオモホユ》、」
 
2341 思出《オモヒイヅル》、時者爲便無《トキハスベナミ》、豐國之《トヨクニノ》、木綿山雪之《ユフヤマユキノ》、 豐後國風土記云、速見郡柚富郷此郷之中栲樹多生常取栲皮以造木綿因曰柚富郷柚富峯在郷西此峯頂有石室其深一十餘丈高八丈四尺廣三丈餘常有氷凝經夏不解凡柚富郷近於此峯因以爲峯名、此歌大和なる人の此國へ行てよめるなるべし
 
可消所念、」
 
2342 如夢《イメノゴト》、君乎|相見而《アヒミテ》、天霧之《アマギリシ》、落來雪之《フリクルユキノ》、可消所念《ケヌベクオモホユ》、」 此歌前の一眼見之云云の變か又似たるがよれる歟
 
2343 吾背子之、言愛美《コトウツクシミ》、 言のよろしくうるはしくなりてかへらばなり
 
出去者《イデユカバ》、裳引將知《モビキシルラム》、 うは裳ゆたかに裾引出行んに雪ふりてなぬらしそとなり【雪ふらばもすそ引跡つくからに人もしらんに雪降そとなり拾穗】 
雪勿零《ユキナフリソネ》、」 さてかくしづまゆゑ人にしられむをいとひよめる意もあり
 
2344 梅花、其跡毛不所見、零雪之、市白兼名、間使遣者《マツカヒヤラバ》、」 一本に零雪爾間使遣者|其將知名《ソレトシラレナ》、梅の花はそれとも見えぬまで雪のふれゝど使をやらばいちじろく人には見られなんとなり
 
2345 天露相《アマギラヒ》、 きらひは羅は利阿の約にて言をつゞめたるのみ
 
零來雪之《フリクルユキノ》、消友《キエヌトモ》、 ふりくる雪の如く我身はきえぬべきを君にあはんとてのみながらへあるといふなり
 
於君合常《キミニアハント》、流經度《ナガラヘワタル》、」
 
2346 窺良布《ウカヾラフ》、 うかゞひねらふ跡見とかゝるはいめたてゝ跡見といふに同じ意なりうかゞひたねらふを省きつゞめたる言なり
 
跡見山雪之《トミヤマユキノ》、灼然《イチシロク》、戀者妹名《コヒハイモカナ》、人將知可聞《ヒトシラムカモ》、」 二の句の跡見は大和國の地名なり
 
2347 海小船《アマヲブネ》、 冠辭
 
泊瀬乃山爾、落雪之、消長戀師《ケナガクコヒシ》、 消は借字眞氣長などと同じ辭なり 
君之音曾爲流《キミガオトゾスル》、」
 
2348 和射美能《ワザミノ》、 四言なり今本能をのゝと訓しは誤なりこはわざみの嶺とつゞけりわぎみは美濃國不破郡和※[斬/足]なり四言をわすれたる訓なり
 
嶺往過而、零雪乃、厭毛無跡《イトヒモナシト》、白其兒爾《マウセソノコニ》、」 こは妹がもとより歸るさのかしこき山路にてかゝる雪に逢なばいかゞくるしからましをつゝがなく嶺も過行ぬなおもひそと妹に傳へいひやるなり
 
2349 吾屋戸爾、開有梅乎《サキタルウメヲ》、月夜好美《ツクヨヨミ》、夕夕令見《ヨナ/\ミセム》、君乎社待也《キミヲコソマテ》、」 今本社を祚に誤る六帖に君をこそまてとあるに歌の意も然なればあらたむ此卷焉也等を助として不訓例上に多
 
2350 足檜木乃、 冠辭
 
山下風波、雖不吹《フカネドモ》、君無夕者《キミナキヨヒハ》、豫寒毛《カネテサムシモ》、」 山下風は今本字のまゝに訓たれど前にもいふ如くやまのあらしとかあらしの風とか訓べし【山下風奥人按に山のあらしとは訓べけれどあらしの風とは訓がたし】
 
萬葉集卷七之考 終
 
萬葉集卷八之考序
 
○此卷を八の卷とする事は七の卷のはじめにくはしくいふ如くこも奈良人の一人の集なればなりこは今の七の卷なり
○標の亂たるをあらため雜歌とあるが中の羈旅問答などあるのみをあげて歌毎に詠天詠月などあるをすてし事卷七の始にいへるごとしはじめに雜歌とあればもとよりくさ/”\の事有べければ歌ごとにわけてはし詞の如くせしは後の人の書添しこと既にいふ如なればすてつ
 
萬葉集卷八之考【流布本卷七】
 
 雜歌。
 
1058 天海丹《アメノウミニ》、雲之波立《クモノナミタチ》、月船《ツキノフネ》、星之林丹《ホシノハヤシニ》、※[手偏+旁]隱所見《コギカクルミユ》、」 歌の意あきらかなり
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出 前の卷にもいふ如く歌の書體人麻呂集の如くなれば集の時書るなるべしとおもはる
 
1069 常者曾《ツネハサゾ》、不念物乎《オモハヌモノヲ》、此月之《コノツキノ》、過匿卷《スギカクレマク》、惜夕香裳《ヲシキヨヒカモ》、」 今本初句はつねはさもとあれどさよむべき字ならず訓を誤れるなり【者は音|砂《シヤ》也志也の約左となれば左の假字にかれり】
 
1070 丈夫之《マスラヲノ》、 今本丈を大に誤
 
弓上振起《ユズヱフリオコシ》、 今本ふりたてとあるは誤なり弓は伏おこすとこそいへ集中の例によりてあらたむさて是までは序なり
 
借高之《カリタカノ》、 大和國添上郡に在(卷十五)獵《カリ》高(ノ)高圓山ともよめり
 
野邊副清《ノベサヘキヨク》、 此さへは輕く見るべし
 
照月夜可聞《テルツクヨカモ》、」
 
1071 山末爾《ヤマノハニ》、 (卷十五)に同歌と見ゆるに山葉とかければここもしかよむべきなり
 
不知與歴月乎《イザヨフツキヲ》、將出香登《イデムカト》、待乍居爾《マチツヽヲルニ》、與曾降家類《ヨゾクダチケル》、」 (卷十五)又此下の次の枚にも似たる歌有末の句今本にふけにけるとあり又次の歌にふけにつゝとあればさも訓べけれど古訓によりてあらたむ
 
1072 明日之夕《アスノヨヒ》、將照月夜者《テランツクヨハ》、片因爾《カタヨリニ》、今夜爾因而《コヨヒニヨリテ》、夜長有《ヨナガヽラナム》、」 妹にあへるか何ぞ此夜のながゝれとねがへる事のあるならんよりて片よりによれといふ
 
1073 玉垂之《タマダレノ》、 冠辭
 
小簾之間通《ヲスノマトホシ》、獨居而《ヒトリヰテ》、見驗無《ミルシシナキ》、 獨見てはなり
 
暮月夜《ユフヅクヨ》鴨、」 此歌は女の歌なるべしさてをすの間通しよりゆふ月とつゞく隔句なり
 
1074 春日山、押而照有《ナベテテリタル》、 今本てらせるとあれどさらば所照と書べしこは今妹が庭にさやけき此月は前に春日の山にてりたるといふなればてりたるとよむべし
 
此月者、妹之庭|母《ニモ》、清有家里《サヤケカリケリ》、」 妹が家に來て見たるなりさやけかりの加は久阿の約にてさやけくありなり
 
1075 海原|之《ノ》、道|遠鴨《トホミカモ》、月讀《ツキヨミノ》、明少《ヒカリスクナク》、夜者更下乍《ヨハクダチツヽ》、」 月の光のうすくなり行は夜も明方にくだちくだつならんとなりこは船の上又は西の國のうみ邊にてよめるならん末の句今本にはふけにつゝとあるもわろからねど前にもいふ如く古訓なれば義訓によりて改
 
1076 百師木之、 冠辭
 
大宮|人之《ビトノ》、退出而《マカリデヽ》、 大宮所よりまかりいでゝなり今本たちいでゝと訓るは誤りなり
 
遊今夜|之《ノ》、月(ノ)清左《サヤケサ》、」 今宵といふにはあらず此夜といはんが如し
 
1077 夜干玉之、 冠辭
 
夜渡月乎、將留爾《トヾメムニ》、西(ノ)山邊爾、塞毛有糠毛《セキモアラヌカモ》、」 塞は關もあらぬかなり
 
1078 此月之、 今照月をいふなり
 
此間來者《コノコロクレバ》、旦今跡香毛《ケフトカモ》、妹之出立(チ)、待乍將有、」 逢し頃の月日に成て又其夜月てりたりけんをさやけゝれば妹が門部に出立待らんとなり此月は歳月の月なりと見る説はわづらはし
 
1079 眞十鏡、 冠辭
 
可照月乎《テルベキツキヲ》、白妙乃、 冠辭
 
雲香隱流、天津霧鴨、」 月の出ざるをよめるなり
 
1080 久方乃、 冠辭
 
天《アマ》照月者、神代爾加、 【神代爾加の爾はながらにの約にて神ながらのながらと同くまゝてふ言にて神代のままに歟と云意なり】
 
出反等六《イデカヘルラム》、年者經去乍、」 こは年經てかはらぬをいへるならん神代より幾度もかへりては出かはらぬとなり
 
1081 烏玉之、 冠辭
 
夜渡月乎、何怜《アハレトテ》、 あはれむとてなり
 
吾居袖爾、露|曾《ソ》置爾※[奚+隹]類、」 この下の句に古ふりの面白き味あり夜の露も置からに月にめでゝふかくあはれを思ふ心しるし
 
1082 水底之《ミナソコノ》、玉障清《タマサヘキヨク》、可見裳《ミツベクモ》、 玉障は借字|副《サヘ》の意夜の深行のちまでもきよく見せつべくの意なり
 
照|月《ツク》夜鴨、夜|之《ノ》深去者《フケユケバ》、」
 
1083 霜雲入《シモグモリ》、 雲入は借字のみ降霜にて空もくもれるかとなり
 
爲登爾可將有《ストニカアラム》、 するとにかあらんなり
 
久堅之、 冠辭
 
夜度月乃、不見念者《ミエヌオモヘバ》、」
 
1084 山(ノ)末爾《ハニ》、不知夜經《イザヨフ》月乎、何時母《イツトカモ》、吾待將座《ワガマチヲラム》、夜者|深去《フケニ》乍、」 上の枚に同歌少し違へる有
 
1085 妹|之《カ》當、吾袖|將振《フラム》、木間從、出|來《クル》月爾、雲|莫《ナ》棚|引《ビキ》、」 此照月に我袖ふらんに妹が見んあたりに雲なたな引そと云なり
 
1086 靭《ユキ》懸流、 一本に鞆かくると有
 
伴雄廣伎《トモノヲヒロキ》、 ともの雄廣きとは大伴の氏の人のおほきを云
 
大伴爾、 大伴氏の居所にといふなるか又宮門を守る氏なれば大伴の陣にといふか衞門府などにてよめるにもあらん此伴を靭負伴《ユゲヒノトモ》と云
 
國將榮常《クニサカエムト》、月者照良思《ツキハテルラシ》、」 いたく月のてりまさるにめでて此氏人らが賀《ホギ》てよめるなり
 
1087 痛足河《アナシガハ》、 大和國|城上《キカミノ》郡に在
 
河浪|立奴《タチヌ》、卷目之、由槻我高仁《ユツキガタケニ》、雲立立思《クモゾタツラシ》、」 雲井たな引とよめるあれど居の字なき方ぞよしとせん一本に居の字なし活本に有の字なし雲ぞたつらしぞよき一本活本によりて居有の二字をすてつ
 
1088 足引之、 冠辭
 
山河之(ノ)瀬之、響苗《ナルナヘ》爾、 なる並になり
 
弓月高《ユツキガタケニ》、雲立渡(ル)、」 風の吹來て浪たち河瀬のなる並に弓月嶽に雲のたつとなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出  前にいふが如くなればすてつ
 
1089 大海爾《オホウミニ》、島毛|不在爾《アラナクニ》、海原《ウナハラノ》、絶塔浪爾《タユタフナミニ》、立有《タテル》白雲、」 大海に島もなきに雲のたてるはと疑てよめるなり海原には今も有すがたなり
 此歌左に右|一首《ヒトクサ》伊勢從駕作《イセノオホミトモノトキヨメル》とありかくあるほどにて名をしるさぬは如何後人のさかしらならん
 
1090 吾妹子|之《ガ》、赤裳(ノ)裾之《スソノ》、將染※[泥/土]《ヒヅチナム》、 今本そめひぢんと訓しは字になづみて意を忘れたるなり豆知約知にてひぢなり又其ぢは多志約なる事既に云
 
今日|之《ノ》※[雨/泳]※[雨/沐]《コサメ》爾、吾共所沾者《ワレモヌルレバ》、」 今本われとぬれぬなど訓るは助字もたがひ假字の例もたがへればあらたむ【凡字音を假字に用は音の頭の假字を用ひ訓は下の字を用るは例なりたとへば信《シン》は信《シ》の假字とし共《トモ》は毛の假字とするが如し】
 
1091 可融《トホルベク》、 今本とほるべきと訓るは助辭たがへりよりて改む
 
雨|者莫零《ハナフリソ》、吾妹子|之《ガ》、形見之|服《コロモ》、吾下爾著有《ワレシタニキタリ》、」
 
1092 動神之《ナルカミノ》、 冠辭
 
音耳聞《オトノミキヽシ》、 今本おとにのみきくと訓たれど(卷十五)に鳴神乃音耳聞師ともよめる例あればこれによりておとのみきゝしと訓つ
 
卷向之、檜原山乎、今日見鶴鴨、」 卷牟久乃日代宮はいにしへ景行天皇のおはしましければ此檜原の山も名高きをけふ初て見つるとよろこぶなり
 
1093 三毛侶之、其《ソノ》山|奈美爾《ナミニ》、 山ならびになり
 
兒等手乎《コラガテヲ》、 冠辭
 
卷向山者、繼之宜霜《ツギノヨロシモ》、」 三毛呂の山よりつゞく此卷向山もよろしとなり兒等手は卷向山といはん冠辭のみつぎに意有にあらず
 
1094 我衣《ワガキヌノ》、色服染《イロツキソメツ》、味《ウマ》酒、 冠辭四言
 
三室(ノ)山(ノ)、 三輪の山なり次の歌即三輪なり
 
黄葉|爲在《シタルニ》、」 第二の句今本にこいろ着そめたりとあるはわらふべし末の句もみぢしたるにとあればいろづきそめつと訓べし【奥人按に染はそみつと訓べしみは萬利の約にてそまりつとなればなり】
 右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出 前にいへるが如し
 
1095 天諸就《アモリツク》、 冠辭今本天を三に誤草の手の天を三と見たる誤なる事冠辭考に委し【天諸就三輪山とつゞけし事冠辭考に見えず詞草小苑などにもなし按にこも天降付天之香山天諸著鹿背山などの如く崇き山故にあもりつくちふ冠辭を置しにや奥人】
 
三輪山|見者《ミレバ》、隱口乃、 冠辭
 
始瀬之《ハツセノ》檜原、所念鴨《オモホユルカモ》、」 歌の意は三毛呂之其山奈美爾云云の歌に同じつゞけなり
 
1096 昔者之《イニシヘノ》、事波|不知乎《シラヌヲ》、我見而毛、久成奴、天之香具山、」 こはわが世に見しもひさしきとありのまゝによめるまことに古歌なり
 
1097 吾勢子乎、乞許世山登《コチコセヤマト》、 此下に越乞《ヲチコチ》所聞と落句にあれば乞はこちと訓べし
 
人者|雖云《イヘド》、君毛|不來益《キマサズ》、山|之《ノ》名|爾有之《ナラシ》、」 名奈良之の爾《ナ》は爾阿約の意もて爾有と書るなり巨勢山は神名式に葛上郡巨勢山口神社とあるをよめるなるべし
 
1098 木道爾社、妹山|在云《アリトイヘ》、三櫛上《ミクシゲノ》、 今本櫛上とありてかづらきのと訓り一本によりて三をくはへて訓も一本による三《ミ》は眞の意なり猶考るに三は玉の畫の消しか委は冠辭考にいへり
 
二上《フタカミ》山母、 式に葛下郡葛木二上神社二座とあり
 
妹許曾有|來《ケレ》、」 (卷二)の挽歌に「うつそみの人なる我やあすよりは二上山を弟世《イモセ》とわが見む」とよめり大津皇子移葬時の歌なり此類ならんか
 
1099 片岡之《カタヲカノ》、 式葛下郡片岡坐社とあり
 
此向峯《コノムカツヲニ》、 今本こなたのみねと訓るはあやまりなり
 
椎蒔者《シヒマカバ》、今年夏之《コトシノナツノ》、陰爾將比疑《カゲニナミムカ》、」 なみんかはならばんかなり
 
1100 卷向之、病足《アナシ》之川|由《ユ》、 病は痛の誤歟
 
往水之、 如を籠
 
絶事無、又反將見、」
 
1101 黒《ヌバ》玉|之《ノ》、 冠辭
 
夜去來者《ヨルサリクレバ》、卷向之 川音高之母《カハトタカシモ》、荒足鴨疾《アラシカモトキ》、」 川音の高きは嵐のはげしきかとなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出  下前に准てしれ
 
1102 大王之《オホキミノ》、 冠辭
 
御笠(ノ)山之、 添上郡總名曰春日山三笠山其下にあり
 
帶爾爲流、細谷川之、音乃|清也《サヤケサ》、」 古今歌集に「まがねふくきびの中山帶にせるほそ谷川の音のさやけさ」此歌は承和の御《オホミ》べのきびの國の歌なり御べは大嘗會にておほなべの事なり右の歌は此歌をとりなほしてよめるなり【さやけさのさはしなの約奥人】
 
1103 今敷《イマシク》者、 既いふ如く今はなり
 
見目屋跡念之《ミメヤトモヒシ》、三芳野之、大川余杼乎、今日見鶴鴨、」
 
1104 馬並而、三芳野|河《ガハ》乎、欲見《ミマクホリ》、打|越來而曾《コエキテゾ》、滝《タギ》爾|遊《アソビ》鶴、」 思ふどち馬並川渡り越遊べる心やりをよめるならん 
1105 音聞《オトニキヽ》、目(ニ)者|未見《マタミヌ》、吉野河、六田《ムツダ》之與杼乎、 吉野川に在
 
今日見鶴鴨、」
 
1106 河豆鳴、清(キ)川原乎、今日見而者、 今目の前に見てしのぶとなり下に見乍將思とあるも目の前にしたふなり
 
何時可越來而《イツカコエキテ》、 再びいつの時か來てなり
 
見乍|偲食《シヌハム》、」 けふのおもしろさに又けふの如見つゝめでんとなり
 
1107 泊瀬河、 城上郡
 
白木綿花爾《シラユフバナニ》、墮多藝都《オチタギツ》、瀬清跡《セヲサヤケシト》、 今本さやけくとゝあれどてにをはたがへり
 
見爾來之吾乎、」 此乎は助辭のみ意なし集中例多し【吾乎の乎は與に通し見てよからむおく人】
 
1108 泊瀬川、流水尾之《ナガルヽミヲノ》、 尾は借字|水脉《ミヲ》なり【水尾のをは伊呂約水色なり凡水は其色もて淺深もしらるれば水をと云奥人】
 
湍乎|早《ハヤミ》、井|提《デ》越《コス》浪之、 提は堤の誤ならん字音にはあらず刀米約泥なり堰止の意なり水をせくをいふ式に堰留神社といふもありくはしくは(卷四)朝東風爾井堤越浪之云云の歌にあり
 
音之清也《オトノサヤケサ》、」 今本久とあるは前にもありし如く也なるを草の手より誤りつらん
 
1109 佐|檜《ヒ》乃熊、 今本熊を能に誤るなり
 
檜《ヒノ》隈川之、 檜隈は高市郡なり其|地《トコロ》の川なればかさねいふ佐の發語を加へたるはうるはしく重ねいはんための古意なり
 
瀬乎早(ミ)、君|之《ガ》手取|者《バ》、 川をわたる時手を取なり夫によりて人の云たてんと云
 
將縁言《コトヨセム》毳、」 今本よらんてふかもと訓たれど意とほらずあらためつ
 
1110 湯種蒔《ユダネマク》、 湯は借字齋種の意末の卷にも同語あり水口祭などするときにいふなり
 
荒木之小田|矣《ヲ》、求跡《アサラント》、 あさらんは小田にある食物をもとめんとてなりあさりは足獵の略言なり鳥の食求るに足にてさぐりかりてとればなり志加の約左なればつづめいふ語なり轉じては人の物たづぬるをもいふ下に島廻をあさりとよませたるは海人のすなどりなどするより歟義訓なり求食をあさりといふと同じ
 
足結出所沾《アユヒテヽヌレヌ》、 あゆひをしていてゝぬれしといふなり
 
此水之湍爾《コノカハノセニ》、」 式に宇治郡荒木神社是をいふなり川とは其ほとりにある小川などをいふならん
 
1111 古毛《イニシヘモ》、如此《カク》聞乍哉、偲兼《シヌビケン》、 いにしへの人も吾きゝしぬべるが如くきゝなししぬびけんやといふなり
 
此(ノ)古《フル》河之、 山邊郡ふるの川又泊瀬川をふる川のべとはいふなり
 
清瀬之音矣《キヨキセノトヲ》、」
 
1112 波禰※[草冠/縵]《ハネカヅラ》、 はねかづらは放※[草冠/縵]《ハナチカヅラ》にて奈知約仁なるを禰に通しいふくはしくは別記にいふ
 
今爲妹乎《イマスルイモヲ》、浦若三《ウラワカミ》、 浦は借字裏にて心なり若は稚なりみづ/\しきなり
 
去來率去川之《イサヰサガハノ》、 式に添上郡率川坐大神御子神社三坐と見ゆる是なり 
音《オト》之|清左《ヤヤケサ》、」 此歌は四の句の始まではゐといはん序なりゐは率《ヒキヰ》るなり意は川音のさやけさとほむるのみかゝるぞまことに古のすがたなる
 
1113 此小川《コノヲガハ》、 此小川は大和の吉野などのうちにあるならん
 
白氣結《キリゾムスベル》、瀧至《タギチユク》、八信井上爾《ハシリヰノヘニ》、 走井大和にもあるか伊勢近江にも有井は前に云如く堰なり流ほどばしる程の井は皆走井といはんか
 
事上不爲友《コトアゲセネドモ》、」 日神|索2取《コヒトラシ》素戔嗚尊十握釼1打2折|三段《ミキダニ》1濯《フリスヽギ》2於天(ノ)眞名井1※[齒+告]然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧《サカミニカミテフキウツルイブキノサギリニ》とありこをふまへて此歌はよめるならん
 
1114 吾紐乎、妹手以而《イモガテモチテ》、 こは序にいへるのみ
 
結八川《ユフバガハ》、 吉野にあり
 
又還見(ン)、萬代左右|荷《ニ》、」
 
1115 妹|之《ガ》紐、結|八《バ》川内乎《ガフチヲ》、古之、淑人|見等《ミキト》、 (卷十)古之賢人乃遊兼(卷一)に淑人良跡吉見而と有類なり今本に並人とありてみなひと見きと訓るは歌の意とほらずよりて淑の誤とす
 
此乎誰知《コヲタレカシル》、」 既に引卷一の歌をもとにて其ごとくよくよしと見る人はたれかあらし見る人ぞ見んとなり
 
1116 烏玉之、 冠辭
 
吾黒髪爾、落名積《フリナヅム》、 積は借字にてふりなづめるなり
 
天之露霜、 露霜はひとつ物なればつらねいふとは契冲が説よし
 
取(レ)者《バ》消乍《ケニツヽ》、」 こは露霜のふかく降おける夜道行に髪に露霜のかゝればふりはらひ/\すれども又置まゝに髪をふりはらふになづみ堪で手にとり見ればきゆるとならん
 
1117 島廻爲等《アサリスト》、 既に前の枚にいふ如く義訓なり爲等はするとての略なり
 
礒爾見之花、風吹而、波者|雖縁《ヨルトモ》、不取不止《トラズバヤマジ》、」 磯邊に見し花にめでゝをさなくよめるならん
 
1118 古爾、有險《アリケン》人母、如吾等|架《カ》、 如吾架にてよきを等を添るたぐひ集中に例し多し
 
彌和乃檜原爾、 今本是をひのくにと訓たれど例は集中にも多此次の歌にもひばらと有
 
挿頭折兼《カザシヲリケン》、」 今本折を切と書たれど假字はをりけんとす依て字を誤る事しるければ改かざし折けんは此檜の枝を折しならんとなり
 
1119 往川之、 冠辭
 
過|去《ニシ》人|之《ノ》、 右の古への人を云問答歌なり
 
手不折者《タヲラネバ》、裏|觸立《ブレタテリ》、 うらぶれの意既にいへり
 
三和之檜原者、」
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
1120 三芳野之、青根《アヲネ》我峯之、 吉野郡なり
 
蘿席、誰將織《タレカオリケム》、經緯無二、」 むしろといふよりおりけんといひそれよりして經緯なしにといふなり
 
1121 妹所等《イモガリト》、 妹がもとへとてなり
 
我通路、細竹爲酢寸《シノスヽキ》、 しのはしのふをいふなりやがてしなひすゝきなり 
我通《ワレシカヨハヾ》、靡《ナビケ》、細竹原《シノハラ》、」 即すゝき原なり
 
1122 山際爾《ヤマノマニ》、渡秋沙乃《ワタルアキサノ》、往將居《ユキテヰム》、其河(ノ)瀬爾、浪立|勿《ナ》湯目《ユメ》、」 秋沙は今もあいさといふ小鴨なりかくめづるばかりの鳥ならずよそへいふならんさて右の歌は相聞の譬喩にてこゝに入べきにあらずよりて小書す
 
1123 佐保河之、 添上の郡なり
 
清(キ)河原爾、鳴知鳥、河津跡|二《フタツ》、 此二をふたつと訓は歌詞にあらざればともにと訓んかといふ説あれどさらば二二とか又は二爾ともかくべしすべて此書體皆てにをはの假字あるに二とのみありてともにともよむべからず
 
忘金津毛、」
 
1124 佐保河爾、小驟《アソブ》千鳥(ノ)、夜三更而《ヨクダチテ》、 今本さよふけてと訓たれど夜くだちとよむべし例あり
 
爾音聞者《ナガコヱキケバ》、宿不難爾《イネガテナクニ》、」 不勝宿なり奈久の約奴なり
 
1125 清湍爾、 神南備川を云
 
千鳥妻|喚《ヨブ》、山(ノ)際《マ》爾、霞立良武、甘《カン》南|備《ビ》乃里、」
 
1126 年月毛、未經爾、明日香河、湍瀬由渡之《セヾユワタリシ》、石走無《イハバシモナシ》、」 いはばしは既にもいふ如今飛石といふがごときにて淺ら水わたるたよりなり其飛石どものいつしかなくなりしと世の移りかはりをよめり
 
1127 隕田寸津《オチタギツ》、走井水之、 前にもいふ如大