底本、續日本歌學全書 第一編 賀茂真淵翁全集 上卷、佐佐木信綱編、博文館、1898.1.3(7.31.2p)
続群書類從完成会発行の全集を参照した。頭注とあるのは続群書類從完成会発行の全集にあるもの。
 
萬葉考のはじめにしるせる詞(万葉集大考)
 
    ひとつ
いはまくもあなにたふとき、天つ皇神組《かみろぎ》の大御よざしのまにまに、掛卷も綾に畏き、すめら命の天つ日嗣しろしをすなる遠御代のことは、石上ふるき御代つぎの書らにしるされたり。しかはあれどもそれはしも空かぞふおほよそはしらべて、いひつたへにし古言も、風の|と《音》のごととほく、取りをさめましけん心もひなぐもり覺束なくなんある。かれ後の世に此ことを云に、己がじしおのがかたざまの心もて|あげつら《論》ふなるべし。こゝにふるき世の歌ちふものこそ古き代々の人の心詞なれ。此歌古事記日本紀らに二百ばかり、萬葉集に四千《よちゞ》余の敷なむ有るを、詞はみやびにたる古こと、心はなほき一つ心のみになんありける。かれまづ此萬の言葉にまじりて年月をわたり、己がよみづる言の葉も心も、かの中にも宜しきに似まく欲りつゝ、現身《うつそみ》の世の暇あるときは、且見かつよみつゝ、この中に遊ばひをるほどに、古への心詞のおのづから我心にそみ口にもいひならひぬめり。いでや千五百代にもかはらぬ天地にはらまれ生《おふ》る人、古への事とても心詞の外やはある。しか古へをおのが心|言《ことば》にならはし得たらん時、身こそ後の世にあれ、心詞は上つ代に返らざらめや。世の中に生きとしいけるもの心も聲も總て古へ今ちふことのなきを、人こそならはしにつけさかしらによりて、異ざまになれる物なれば、立かへらむ事何かかたからん。かくしつゝかの二書《ふたふみ》にあなる歌をもよく見よく解《とき》て後、立返り君が御代/\のふみの八十くまもおちず、神の御代の事をも遡らひ見とほらふには、おのれしやがて其世々に在て見聞なしてむ。しかありて上つ代の皇ら命、内には皇神を崇み賜ひ、外には巖《いか》き大御稜威をふり起しまして、まつろはぬ國を平げ、千早振人をやはしまし、天地に合《かな》ひてとほじろき道をなし給ひ治めたまひ、うつゆふのさきことをば見し直しきこしなほしおはしましゝかば、青人草も皇神を敬ひて心にきたなき隈をおかず、すべらきをかしこみて身に犯せる罪もなく、まして臣たちは海行かば水漬《みづく》かばね、山行かば草むす屍、大君のへにこそ死なめ、のどにはあらじと言だてゝ、雄々しき眞心をもてつかへまつれゝば、あがすめらぎの御をす國を、天と長く地と平らげく聞しをせる放由をも詳《つばら》に思ひ得つべし。こを思ふにす皇御國の上つ代の事をしりとほらふ業は、古き世の歌をしるゆさきなるものはなかりけり。かゝるを己が若かりける程、萬葉は只ふるき歌ぞとのみ思ひ、古歌もていにしへの心を知りなんこ事としも思ひたらず、古今歌集或は物語ぶみらを説きしるさん事をわざとせしに、今しもかへり見れば、其歌も書も世くだちて手弱女の少女さびたることこそあれ、ますらをの男さびせるし乏《ともし》くして、御盛りなりし古へのいかし御代にかなはずなむある。此事を知りらはしてより、たゞ萬葉こそあれとおもひ、麻もさ綿も、數多の夏冬をたちかへつゝ、百たらず六十のよはひにして説き記しぬ。古への世の歌は人の眞心也。後の世の歌は人のしわざ也、此業と成にてしよりこなたの人、古への歌もしかのみと思ふゆゑに、古への御世の有樣を歌もて知るものとも思ひたらずやあるらむ。〔頭注、時有て文を外にし、武を内にすといふは、他國の理屈ふみのさだ也、皇朝はしからず、常に武をかゝやかすを本とす、よりて古への御代はます/\栄えましたり、〕
    ふたつ
上つ大み代には天つ神ろぎの道のまに/\、すめらみこといかくをゝしきを|うへ《表》とし給ひ、臣たちは武く直きを專らとして、治め賜ひ仕へまつりけるを、中つ代より言さやぐ國人の作れるこまかなる政を多くとり唱へ、臣たちはも、ふみの司つはものゝ司と分ち、文を貴くつはものを賤しとせしとりぞ、吾皇神の道衰へて人の心ひたぶるならずなりにたる。しかりてより此方、凡ての世の手ぶりも古へを離れ、背《そびら》にちのりのゆぎはおへども、をゝしき心を忘れ、おもてに八束鬚は生ながら、た弱き言の葉をうたふ事となりにしは、ふさはしからぬ業ならずや。かれ其心詞に習はへる人、上つ世の手振をきゝふりにし歌を稱ふる時は、おぞましくことなる事と思へりけり。抑天照すひるめの命は姫神におはしませど、事とある折は、大御身に靱《ゆぎ》かきおばし大御手に弓とりしばりまして、ますらをの雄たけびをなし給ひ、御孫《みま》の命《みこと》のあもります時は、心|健《たけ》き神たちを撰みまして、千早振百千の神をことむけ、神倭いはれ彦の天皇は、たけき御軍もてはつ國しらし、それの大御つぎ/”\の皇命《すめらみこと》日繼《ひつぎ》の御子の命《みこと》とまをすも、此道を受つがして、もろ/\の臣たちはいよ/\その道にならひて雄々しく大らかにまつりごちぬれば、上が上より下が下まで心ひとしく打靡きぬるからに、都人ひな人のよめる歌も、いかで雄々しく直くあらざらん。其歌萬につけていへど、凡て眞心のまゝにいひ出つゝ、隱さふ隈なかりき。民の心裏表しあらねばよしやあしやさやかなるからに、罪なひたまひを治め給ふもたはやすくして、大御世はいや榮にさかえませりけり。是ぞ此皇神のひろき大御教にして、千五百代を傳へますも、神すべらぎの御たまのふゆにしも有ける。上はうるはしびたる教ごとをいひて、下にきたなき心をかくせるはから國人なり。皇御門《すめらみかと》の人はもとより萬のよき心を生れ得る國にしあれば、こまかなる教は中/\にそこなふ業ぞや。此心をよく知らむにも萬葉を見るにしく物ぞなき。
〔頭注、周公且は、儒もて魯を治めんとせしに、終に弱魯とさへ世にいひあげられて亡びき、大公望は、武もて齊を治めつれは、後もいよ/\勢ひ有て長く傳へたり〕
    みつ
古への人の歌は設てよまず、事につきて思ふ心を云出しなれば、ひでたるありとゝのほらぬあり。今かたとてし學ばんには、心も言葉も調もとゝのほれらむをとり撰みつべし。又わろしとするにも、本はめでたく末わろきあり。そをば其もとによるべし。末をとる事なかれ。心のまに/\いへりければ、末にいたりて詞をいとひあへざりけるもの也。かくしつゝ新玉の年月に此歌を見習へる人、後の歌を顧みなどして、始めて古へに赴く心魂になりぬといふ也。一度二度ら見てまだしき心もて言をかぎる事なかれ。凡古への歌は|ふつゝ《太》かなる如くにしてよく見ればみやびたり。後の歌は|ゆた《寛》かなる如くにしてよく見れば苦しげなり。古の歌ははかなき如くにしてよく見れば誠也。後の歌は理ある如くにしてよく見ればそら言也。古への歌はたゞことの如くにてよく見れば心高きなり、後の歌は巧ある如くにしてよくみれば心淺ら也。歌ちふ物は、さ《狹》きが如くにしてひろく、ものよわらに聞えて強し。かれよく知る時は此御國の古へにとほり、天の下の心をも思ひたらはされ、傳へきく他《ひと》の國のふみらの、あるは誠あるはそら言をもわき難きをもはゞからず、危きにも恐れぬ心すらそなはりてまし。歌はたはれごとぞ、わは唐國の大きなるまつろへごとを得つるよといふ人あり。それが本とせる書どもはしも、かたへの人かゝらば世の中治りなんと推はかりに書しものにぞある。そを見知るは何の難き業ぞ。天地のまゝなる心の底ひをいひ出るわざを得てこそ、千々の事にもよろしく行き渡らめ。文の跡をおひていふものは、ことゝある時かたくなにして世に通らふ事なきものぞ。【皇朝とから國とはすべてことなるをしらぬ人、萬葉集には教なるべき事なく、戯ごとのみといへるは、我國もしらぬ心よりいふひがことなるよし、別にいふ、】
〔頭注、こゝにいふ言としらべの撰みは短歌の事也長歌は言も調もいと別にて短歌によろしからぬが却て長歌によきもあり後世の長歌のあしきは此意を忘れたる故なりから歌も此わかち專らなりかゝることはいづこもひとしかりけり〕
〔頭注、から國の書を見るに、大政をとりし人の書たるはいまだ見ず、天下は生物にて、かたくなに記しかたし、〕
    よつ
いとしも上つ代々の哥は人の眞心の限にして、其樣|和《なご》くもかたくも強くも悲しくも、四の時なす立かへりつゝ、前しりへ定めいひがたし。稍中つ代に移ろひて高市崗本の宮の御時の頃よりをいはゞ、み冬つき春さり來て雪氷のとけゆくが如し。これを始めのうつろひといはむ。藤原の宮となりては大海の原にけしきある嶋どもの浮べらん樣しておもしろき勢ぞ出きたる。これぞ二たびのうつろひなりける。奈良の宮の初には此いきほひあるを學びうつせしまゝにおのがものともなくうらせばくなりぬ。是ぞ三度の移ろひなりける。其宮の中つ頃にはゆかしき隈もなき海山を風はやき日に見んがごとあらびたる姿となりぬ。是ぞ四度のうつろひなりける。それより後の歌は此集にはのらず。古今歌集によみ人しらずとふ中の古き調なるぞ此宮の末より今の都のはじめの歌なりける。そは彼荒びたりしがうらうへになりて、清らなる庭に山吹の咲|とを《撓》めらむなして、ひたぶるに妹に似る姿となりにたり。これぞ五度の終《つひ》のかはりめなりける。しかして又其世々の中にも猶いにしへなる、其世なる、古へ今を兼たる、くさ/”\あり。こゝに此集に載るが中の人々の姿を別ちいはんに、古き御世なるは押照るやなにはの宮の皇后、こもりくの初瀬の宮の天皇、かづらきの豐浦の宮の日嗣の皇子、高市岡本の宮の天皇おはしませど、あげつろはむは恐《かしこ》し。よみ人しられぬにへおきそ山みのの山、眞そみ鏡にあきつひれ負なめ持て、わをしぬばする息長のをちの小菅などの類數あり。こは既に云る古の實《まこと》にしてあはれなるもの也。是より下にひでたる歌といへどくらぶべくもあらず聞ゆるは、ふりぬる世こそむかしかりけれ。かくて後大津の御子のゆたけき姿。大伯《おほく》のひめみこのあはれなる調など、歌ちふもの調はかくぞありなましと覺ゆ。志貴《しきの》皇子は靜にして細やかに、厚見《あつみ》の大君はにぎびて直し。高市の連黒人は厚らかにして面白し。名細《なぐはし》き吉野の山を花によらで見るが如し。長きがめでたかりけんを、是ぞそれと知られぬにやあらむ。柿本朝臣人麻呂はいにしへならず後ならず一人のすがたにして、荒魂《あらたま》和魂《にきたま》いたらぬ隈なんなき。其長歌、勢は雲風にのりてみ空行く龍の如く、言《ことは》は大海の原に八百潮《やほしほ》の湧くが如し。短歌の調は葛城のそつ彦眞弓をひきならさんなせり。ふかき悲しみをいふ時は、千早振ものをも歎《なか》しむべし。山上臣憶良は、詞ふつ《太》ゝかにして心うつくし。久米のともの雄々しきすがたしてたつゝ舞せらんおもほゆ。短歌の中にたゞ言にいへるはいふべくもなし。山部宿禰赤人は人麿とうらうへ也。長歌は心も詞もたゞに清らを盡せり。短歌こそこれも一人の姿なれ。巧をなさず有るがまに/\いひたるが妙《たへ》なる歌となりにしは、もとの心の高きがいたりなり。假令ば檳榔《あぢまさ》の車して大路をわたるぬしの、あから目もせぬが如し、大伴宿禰旅人のまへつ君の短歌は、をゝしくてかなし。酒をよめるに皇御國の心をいひるは貴し。こは調をすてゝ心をぞ取るべき。長きはしらず。それが繼なる家持の主は事をよくしるして匂ひなし。たとへばいでましの大みともの|つら《行》をめでたく記せる文の如し。短歌はいと多かれど、あらびてうらぐはしきは稀になんある。是より先に三方の沙彌久米の禅師が古き姿のうるはしき、又長の忌寸《いみき》意寸《おき》麿春日藏のおほと老が心しらび、その外にも是彼あれどこゝに盡さず。田邊の史さちまろ笠朝臣金村高橋|連《むらし》蟲麿などは、徒らに古へをいひうつせしものなれば、強きが如くにして下よわし。女にては額田姫王《ぬかたのひめおほきみ》は古への雅人《みやびひと》なり。春秋の爭を判《ことわり》給《たま》へりしなんをみな心のをかしき。大伯皇女《おほくのひめみこ》の御歌は事にふれて上にいひつ。石川|郎女《いらつめ》がなよびたる姿、譽謝《よさの》姫王のよろしき調、大伴坂上の郎女の歌は氏の手ぶりのしるく、事にもあたりぬべきさま也。又歌主しられぬにこそ猶多けれ。藤原の宮づくりにたてる民が歌はおぼろけにあらず。同じ御井の歌の故事を和《やは》しいひてあやあるは、其代の黒人人麿の外にすぐれにたり。凡て短歌にひでたるさはなれど擧るにたへんやは。
 
底本、賀茂真淵全集第三、國學院編集部編、賀茂百樹校訂、1904(明治37)年3月18日、弘文館発行。   2006.9.28(木)入力開始
2008年3月27日(木)続群書類從完成会発行本の全集での校正開始、清濁の相違、意味に関係しない程度の僅かな助詞の増減は無視した。氣になる方は原本を御覧いただきたい。
 
萬葉集卷一之考
 
雜歌《クサ/”\ノウタ》。行幸、王臣の遊宴、旅、このほかくさぐ/”\の歌を載しかばしかいふ、
 
泊瀬朝倉宮御宇天皇代《ハツセノアサクラノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。大泊瀬|稚武《ワカタケノ》天皇、
 
この御名は後人の注なるを、今本に大字にせしは誤れり、今は古本に依て小字にせり、下同じ、○此一二の卷には、かくの如く其宮(ノ)名を標《アゲ》てその御代の歌をのせたり、【泊瀬は大和國城上郡、此天皇後には雄略と申す、】
 
○天皇御製歌《スメラミコトノオホミウタ》、 御製歌はおほみうたと訓なり、【おほみうたと書ておほんうたと唱るは、言便てふものにて、口づからいふ時の事なり、後世その言便のまゝに書は、本語と唱へとのわかちを忘れたるなり、此類ひ多し押てしれ、】惣て天皇の御書をば、大御身《オホミミ》、大御|代《ヨ》、大御|食《ケ》、大御歌など書てかく訓こと、古事記を始めて例おほし、
 
1 籠毛與〔二字左○〕《カタマモヨ》、 五言、かたまは神代紀に依、○毛〔左○〕は助辭、與〔左○〕は喚出す辭なり、古事記に、阿波《吾者》母與〔二字左○〕、めにしあれば、紀に(顯宗)おきめ暮與〔二字左○〕《モヨ》、あふみのおきめなどよみ給へるをむかへて、古への助辭の樣を知ぬ、この類ひ下にも有、
 
美〔左○〕籠母乳《ミガタマモチ》、 六言、母乳は持なり、美は眞《マ》にて、ほむる辭なり、集中に、三《ミ》熊野とも眞《マ》熊野とも有にて、通はし云をしれ、紀に、(推古)まそがよ、そがのこら、古事記に、美延《ミエ》しぬの、延《エ》しぬなど有も、眞《マ》と美《ミ》の通はしざま語の重ねざまなどひとし、
 
布久思毛與〔二字左○〕《フグシモヨ》、 五言、田舍人の野菜などほり取串を、ふぐせとも、ほぐしともいふ是にて、竹また鐵しても作る、和名抄に、※[金+纔の旁](ハ)土具也、加奈久之とあるもこの類なるべし、
 
美〔左○〕夫君志持《ミブグシモチ》、 六言、美《ミ》は右に同じ、みぶぐしとつゞけよむ故に、言便《コトツヾケ》にてふを濁る事をしらせて、夫《ブ》の字をかきつ、【こゝの四句の言のこと別記にもいへり、次の家告閇云云、又山跡てふ事も別記に委しくす、○右の四句の事は荷田東麻呂大人のよみ初めたるなり、かくしも上つ代のこゝろことばに通り至にたり、】
 
此岳爾《コノヲカニ》、 此天皇、吉野三輪などへ幸《イデマシ》し時も、少女《ヲトメ》を召し事あり、今は何所《イヅコ》のをかにまれ、をとめのよろしきを見給てよみませしものぞ、
 
菜採須兒《ナツムスゴ》、 須兒の須は志豆《シヅ》を約《ツヾ》めたる言にて、賤兒《シヅコ》なり、されど天皇よりは賤との給へど、實にあやしの女にはあらず、古事記に、仁徳天皇吉備の黒姫がもとへ幸《イデマ》せし時黒ひめ大御羮《オホミアヘ》の菘菜《アヲナ》を採《ツム》ところへ幸《イデマシ》て、「やま方《ガタ》に、まける阿袁那母《アヲナモ》、きび人と、共にしつめば、たぬしくもあるか」とよみませしほどの女なりけん、
家告閇《イヘノラヘ》、 住る家所を申せとなり、告る事を古は專ら乃禮《ノレ》と云しなり、其|乃禮《ノレ》を乃良閇《ノラヘ》と云は、延言《ノベコト》てふものぞ、次の句も同じく延言もて對《ムカ》へのたまひしを見よ、
 
名告沙根《ナノラサネ》、 名を告《ノレ》なり、沙根は二たび延《ノベ》たる言にて、先|名乃禮《ナノレ》の禮を延れば、名乃|良世《ラセ》と成を、又その良世の世《セ》を延て沙根《サネ》といふなり、かく言を約《ツヾメ》も延《ノベ》もして歌の調《シラベ》をなすは古への常にて、下に、小松が下の、草を苅孩《カラサネ》てふも、草をかれを二たび延たる事こゝと同じ、猶下にも此たぐひあるなり、
 
虚見津《ソラミツ》、 饒速日《ニギハヤヒノ》命大ぞらをかけりて、そらより見て降給へるに因て、耶麻登《ヤマト》に此言を冠らすること、紀に(神武)見ゆ、委くは冠辭考にいへり、
 
山跡乃國者《ヤマトノクニハ》、 跡は借字にて山門《ヤマト》てふ事と見ゆ、其委しき事は別記に云り、さてこゝにやまとゝのたまふは、今の大和一國の事ぞ、【大八洲をやまとゝいふ事、此御時ごろにはいまだなかりしなり、】
 
押奈戸手《オシナベテ》、吾許曾居師《ワレコソヲラシ》、 許曾は、物の中より取擧ていふ辭、○乎|良志《ラシ》は、乎里《ヲリ》の里《リ》を延たるなり、古への天皇、やまとに宮數まして天(ノ)下知しめしゝ故、只やまとを押並《オシナベ》云云とのたまへば、即天(ノ)下知する事となりぬ、
 
告名倍手《ノリナベテ》、 御言告《ミコトノリ》を敷なべてなり、
 
吾己曾座《ワレコソヲレ》、 六言
 
我許曾者《ワレコソハ》、 曾の字、上の例に依て加ふ、
 
背齒告目《セトシノラメ》、 六言、背は夫《セ》なり、齒は登志《トシ》の言に借て志《シ》は辭なり、こは荷田|大人《ウシ》の初めの考なれど暫よりぬ、又背の下に登の字落たるか、然らば夫登者《セトハ》のらめと訓て事もなし、正本を待のみ、【今本是をせなにはと訓しは誤れり、此背は假字《カナ》なり、假字の下に言を添て訓ことは惣てなし、】
家乎毛名雄母《イヘヲモナヲモ》、 吾をこそは夫《セ》として、住所《スミカ》をも名をも告しらすべきことなれとなり、古への女は夫《セ》とすべき人にあらでは、家も名もあらはさぬ例なること、集中に多く見ゆ、故に問せ給へど黙《モダ》し居つらんにつけて、かくはよみ給ひけん、
 
 
高市崗本営御宇天皇代《タケチヲカモトノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。 息長足日廣額《オキナガタラシヒヒロヌカノ》天皇、
【後に舒明天皇と申、】この宮は大和國高市郡飛鳥にあり、今も岡てふ里是なり、
 
○天皇《スメラミコト》登《ノボリマシテ》2香具山《カグヤマニ》1、望國之時《クニミセストキノ》御製歌《オホミウタ》、 香具山は十市郡にあり、古へ天上の軻具《カグ》山に擬《ナゾラヘ》て崇み給ふ故に、天のかぐ山ともいふ、さてその天なるは軻具突智《カグツチノ》神の成給へば、即かぐ山といひ、紀に(神武)香山此云2介遇夜摩《カグヤマト》1、といひ、こゝに具ともあれば必濁ていへ、○望國は、磐余彦《イハレビコノ》天皇、※[口+兼]間《ホヽマ》の岳に國見しませしを始て、古へのすめらみごと專らしかし給へり、さて大和國(ノ)中には、香山畝火耳成の三山のみ有がなかに、香山は形も氣しきもよにことにて、且飛鳥より遠からねば、專ら幸ありしなり、
 
2 山常庭《ヤマトニハ》、村山有等《ムラヤマアレド》、 大和國は四方に群りて多くの山あれどなり、常は假字《カナ》、庭は借字、【此村山も下の磐村《イハムラ》も、むらがることなり、所の名とするはひがことぞ、】
 
取與呂布《トリヨロフ》、天乃香具山《アメノカグヤマ》、 取は辭の如し、與呂布は宜きてふに同くて、此山の形の足《タリ》とゝのへるをほめ給ふなり、別記に委し、○此天は阿米と訓なり、古事記に例も故もあり、
 
騰立《ノボリタチ》、國見乎爲者《クニミヲスレバ》、國原波《クニハラハ》、 【日本紀竟宴の時平公の歌に、多賀度能爾、乃保利天美禮波、安女能之多、與母爾計布理弖、伊萬蘇渡美奴留、てふをもて今をいふ説はわろし、】廣く平けき所を、すべてはらと云、
 
煙立籠《ケムリタチコメ》、 この煙は人家にまれ、霞にまれ、遠く見し給ふさまなり、下に、霞立春日とも、烟立春ともよみて、煙霞は通はしいふめり、から人の烟山烟樹てふが如し、【一本籠を龍《タツ》と有もあしからず、】
 
海原波《ウナバラハ》、 香山の北麓の埴安(ノ)池はいと廣らに見ゆるを、海原とはよみませしなり、大水をば海ともいへる例有が中に、(卷十四)獵《カリ》路(ノ)池にて人萬呂、「すめろぎは、神にしませば、眞木の立、あら山中に、海成可聞《ウミヲナスカモ》」とよめる是なり、同卷に香山(ノ)歌とて、池波さわぎおきべに、鴨妻喚《カモメヨバヒ》と有もこのさまなり、その埴安池の大きなりしよしなど、別記にいふ、【或説、大和より海は見えねど、眺望のさまなればのたまへりと云は、ひが事なり、古への歌にそらごとはなし、後の題詠より思誤れる成べし、大き成水を、惣てうみといふこそ古意なれ、】
加萬目立多都《カマメタチタツ》、 廣き池の面に鴎《カモメ》どもの群て、飛立あそぶをのたまへり、此一つがひの御言に、限しらぬけし きこもれり、
 
※[立心偏+可]怜國曾《ウマシクニゾ》、 こは神代紀に、可怜小汀を、うましをばまと訓に依ぬ、※[立心偏+可]怜は紀にも集にも、あはれとも訓しかば、今本の如くおもしろきと訓もあしからねど猶右を用、○今本、怜※[立心偏+可]とあれど、例に依て上下にす、
 
蜻島《アキツシマ》、八間跡能國者《ヤマトノクニハ》、 紀に(神武)天皇ほゝまのをかに登まして、やまとの國|形《ガタ》を見|放《サケ》給ひて、蜻蛉《アキツ》の臀※[口+占]《トナメ》せる如《ナス》とのり給ひしより、やまとの國の今一の名と成たり、○古は長歌の末を、五七七とのみはいひとぢめず、句のたらはぬ如きなる類此下にもあり、疑ふことなかれ、
 
○天皇《スメラミゴト》、 右に同じ、
遊2獵《ミカリタヽスル》内野《ウチノニ》1之時《トキ》、 大和國宇智郡の御野なり、
中皇女命《ナカツヒメミコノミコトノ》、 此御事は別記に委しくすれど、こゝにも大かたをいはん、是は舒明天皇の皇女にて、後に孝徳天皇の后に立給ひ間人皇后と申ししなり、【舒明天皇紀に、二年正月、寶(ノ)皇女爲v后、生2二男一女1、一(ヲ)曰2葛城皇子1、二曰2間人(ノ)皇女1、三曰2大|海人《アマノ》皇子1、】故にたふとみて命と申し來れるなり、此類の事允恭天皇紀にも見えたり、さて此皇女下にも出たるに御歌と有、かた/\以て、こゝに女と御の字を補ひつ、
 
使2間人連老《ハシビトノムラジオユシテ》1獻《タテマツラセタマフ》御歌、 こは紀に(孝徳)中臣間人(ノ)連老と見え、其後の紀にも出たり、是即中皇女命の御乳母がたにて、御したしければ、此人して御歌も奉り給ひし事しらる、即右にいへるより所なり、
3 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭
 
我大王乃《ワガオホキミノ》、朝庭《アサケニハ》、 朝影に者なり、古事記に、(雄略(ノ)條)夜須《ヤス》美斯志、和賀淤|富《ホ》岐美能、阿佐計爾波《アサケニハ》、伊余理※[こざとへん+施の旁]多志、由布計《ユフケ》爾波、伊余理※[こざとへん+施の旁]多須、和岐|豆《ヅ》紀|賀《カ》斯多能、伊多爾母|賀《ガ》、阿世袁《アセヲ》、これと物は異なれど、言の意ひとしければ、今をもしか訓つ、且由布計としも有からは、朝影夕影の略なること知べし、【朝|開《ケ》と書し所も有ど、開は假字なり、】
 
取撫賜《トリナデタマヒ》、 神武天皇天つ璽《シルシ》とし給ひしも只弓矢なり、こを以て天(ノ)下治め知ます故に、古の天皇是を貴み愛《メデ》ますことかくなり、
 
夕庭《ユフケニハ》、 庭は上もこゝも借字、
 
伊縁立之《イヨセタヽシヽ》、 伊は發語《コトオコスコトバ》にて意なし、下同し、よせたゝしてふは、夜の間もおろそげにせさせ給はぬ意あり、
 
御執乃《ミトラシノ》、梓弓之《アヅサノユミノ》、 御料の弓なれば、御とらしといふ、且弓はくさ/”\の木もても作れど、延喜式にも御弓は梓なるを思ふに、古へよりしか有しならん、
 
奈留弭乃音爲奈利《ナルハズノオトスナリ》、 (卷六)安豆佐由美《アヅサユミ》、須惠爾多麻末吉《スヱニタマヽキ》、可久須酒曾《カクスズゾ》とよみたるを思ふに、古へは弓弭に玉をまき、鈴を懸つれば、手に取ごとにも鳴からに、鳴弭ともいふべし、今本には奈加弭とあれど、古(ヘ)今に中弭てふ語もなく理りもなし、此|加《カ》は留《ル》の草の手より誤りつと見ゆれば改めつ、又弭は、弦の字にて奈加|弦《ツル》か、然らばこは御獵出ます時、鳴弦《ユヅルナラス》に、弦の半らの鞆にあたりて鳴を、中弦の音といふらんやと思ひしはわろかりし、是に強たることいふ人多かれど、惣て當らず、【古の物には鈴を付たるぞ多かる、釧の鈴、足ゆひの鈴、太刀の鈴、鈴印と云も鈴付しものなり、古鏡の端に鈴を六つ鑄付たるもあり、然れば弓弭にはいよ/\鈴を付て、弦の音を添へし、古弓は鞆にあたる音のみにて弭に音なければなり、】
 
朝獵爾《アサガリニ》、今立須良思《イマタヽスラシ》、暮獵爾《ユフガリニ》、今他田渚良之《イマタヽスラシ》、 こゝの朝暮は、上の朝夕てふ言を轉じいふ文《アヤ》なり、(卷十五)「朝獵に、しゝふみ起し、夕獵に、鳥ふみたて、馬|並《ナメ》て、御獵ぞ立爲《タヽス》、春の茂野爾」とよめるは、こゝによれるならん、○立須は崇《タフトメル》辭なり、
 
御執乃《ミトラシノ》、 上に依て乃を加つ、
 
梓能弓之《アヅサノユミノ》、奈留弭乃音爲奈里《ナルハズノオトスナリ》  十言なり、留を加に誤れること上に同じ、一所の誤を末まで取誤る類多し、
 
反歌《カヘシウタ》、 こは上の長歌の意を約《ツヾ》めても、或は長歌にのこれることにても、短歌に打反しうたふ故に、かへし歌とはいへり、然るに是をば字音のまゝに唱ふる事といふ人あれど、皇朝の古言を字音に唱ふるはひがことなれば、從ふべからず、さて長歌に短歌を添る事は、古事記にも集にも上つ代には見えずして、こゝに有は、此しばし前の比よりや始りつらん、【或人是をかへしうたと訓ては、答歌にまがふといへるはいかにぞや、答歌をば古へこたへ歌と云し故に、集には專らそれを和歌と書つ、古今歌集に答歌を返しと書しは平《タヽ》言にこそあれ、此平言をたてゝ古へをあらためんと思ふこそをこなれ、古へに依て後の違ひをこそ正さめ、】
 
4 玉刻春《タマキハル》、 冠辭、
 
内乃大野爾《ウチノオホヌニ》、 上に同、
 
馬數而《ウマナメテ》、 馬を並てなり、數はことわりもて書、
 
朝布麻須等六《アサフマスラム》、 右に引たる、朝獵に、しゝふみおこし、夕がりに、鳥ふみたてと云に同じ、
 
其草深野《ソノクサフケノ》、 深きを約轉して下へつゞくる時、夜ふけ行といひ、田の泥深きを、ふけ田といふが如し、言は加伎の約は伎なるを、氣《ケ》に通はして下へつゞくるなり、
 
○幸《イデマセシ》2讃岐(ノ)國|安益《アヤノ》郡(ヘ)1之時《トキ》、 紀に(舒明)、十一年十二月伊興の湯(ノ)宮へ幸て、明年四月還ませし事見ゆ、此春ついでに讃岐へも幸有しこと、此歌にてしらる、
 
軍王《イクサノオホキミ》、 此王は考る物なし、
 
見(テ)v山(ヲ)作歌《ヨメルウタ》、
 
5 霞立《カスミタツ》、長春日乃《ナガキハルビノ》、晩家流《クレニケル》、和豆肝《ワヅキモ》、 肝は借字
 
之良受《シラズ》、 わづきもは分《ワカ》ち著《ツキ》も不v知なり、手著《タヅキ》てふに似て少し異なるのみ、○此氣色旅の愁を催すべし、
 
村肝乃《ムラギモノ》、 冠辭、
 
心乎痛見《コヽロヲイタミ》、 【痛見の見のことばの事別記にいふ、】
 
奴要子鳥《ヌエコドリ》、卜歎居者《ウラナキヲレバ》  ※[空+鳥]《ヌエ》が鳴音は恨|哭《ヲラブ》が如きよし、冠辭考にいひつ、人の裏歎《ウラナキ》は下《シタ》になげくにて忍音をいへり、然れば※[空+鳥]よりは恨鳴といひ、受る言は下歎なり、
 
珠手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
懸乃宜久《カケノヨロシク》、 懸は言にかけて申すをいふ、懸まくも恐きの懸に同じ、宜てふ言は、たゞ吉ことをいふのみにあらず、萬の事の足備れるをほむる言なり、委くは下の宜奈倍てふ言の別記にいへり、○こはいひ切たるにあらず、宜久は宜かるてふ辭を約めたるなり、【(卷七)子等名丹《コラガナニ》、關之《カケノ》宜(キ)、朝妻之てふも同じ、】
 
遠神《トホツカミ》、 人に遠くして崇なり、
 
吾大王乃《ワガオホキミノ》、行幸能《イデマシノ》、 みゆきともいへど、いでましは今少し古くて、こゝの調もかなひぬ、
 
山越風乃《ヤマゴシノカゼノ》、 此幸せし所の山を吹こす風なり、
 
獨座《ヒトリヰル》、吾衣手爾《ワガコロモデニ》、朝夕爾《アサヨヒニ》、 此朝は日の間、夕は夜の間をつゞめいふ、
 
還比奴禮婆《カヘラヒヌレバ》、 山風の、常にかへる/”\わが袖に吹來つつはだ寒きに、獨居人の妹戀しさをますなり、【(卷四)「わが衣手に、秋風の、吹反者《フキカヘラバ》、立てゐる、多土伎をしらに、むらぎもの、心|不欲《オボエズ》」と有も同じくて、幾度となく、吹過れば又吹來るないふ、】
 
丈夫登《マスラヲト》、念有我母《オモヘルワレモ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
客爾之有者《タビニシアレバ》、思遣《オモヒヤル》、鶴寸乎白土《タヅキヲシラニ》、 心の思ひをやり失ふべきたよりをしらずとなり、思遣は、卷二に遣悶と書たる意なり、【後世は想像するをおもひやるといへど、古へなき事なり、今京と成てさる違ひども多し、集中にいふは、心の愁思をやり失ふ事のみ、】○鶴寸は借字にて、手著《タヅキ》なり、別記に委し、不知をしらにといへる集中に多し、白土は訓を惜たるのみ、
 
綱能浦之《ツナノウラノ》、 神祇式に、讃岐國綱(ノ)丁《ヨホロ》、和名抄に同國鵜足(ノ)郡に津野《ツノノ》郷あり、そこの浦なるべし、鋼をつのと云は古言なり、今本に網浦と有てあみの浦と訓しかど、より所も見えず、
 
海處女等之《アマヲトメラガ》、燒鹽乃《ヤクシホノ》、 此(ノ)乃は、やく鹽の如くてふ言を略きたるなり、古歌に例多し、
 
念曾所燒《オモヒゾモユル》、吾下情《ワガシタゴヽロ》、 (卷九)心波母延濃《コヽロハモエヌ》とよめり、下つ心をしづ心といふは、下枝《シヅエ》下鞍《シヅクラ》などゝ云が如し、後撰歌集にも下《シヅ》心哉とよめり、
 
 反歌《カヘシウタ》
6 山越乃《ヤマゴシノ》、風乎時自見《カゼヲトキジミ》、 時も定めず風の吹をいふ、紀にも集にもときじくてふ語に非時と書つ、
 
寐夜不落《ヌルヨオチズ》、 一夜も漏ずなり、
 
家在妹乎《イヘナルイモヲ》、 家爾阿留の、爾阿を約めて、奈留といふ家は都の家なり、
懸而小竹櫃《カケテシヌビツ》、 こゝより遠き妹が家をかけて、慕《シヌ》びつると云なり、
 
明日香川原宮御宇天皇代《アスカカハラノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。天豐財重日足姫《アマツトヨタカライカシヒタラシビメ》天皇、【後に斉明天皇と申す、】
此天皇再の即位は、飛鳥板|蓋《ブキノ》宮にてなし給ひつ、其年の冬其宮燒しかば、同飛鳥の川原宮へ俄に遷まし、明年の冬又岡本に宮づくりして遷ましぬ、かゝれば川原(ノ)宮には暫おはしたり、
 
○額田姫王作歌《ヌカダノヒメオホキミノヨメルウタ》、 紀に(天武)天皇初(メ)娶《イレテ》2鏡(ノ)王(ノ)女額田(ノ)姫王(ヲ)1、生2十市皇女1とありて、天武天皇いまだ皇太子におはせし時の夫人なり、かくて集中に額田(ノ)王とて擧たるは皆女歌なり、然れば此王に姫の字の落し事定かなる故に今加へつ、たゞ額田王と有ては男王をいふ例にて、其歌どもにかなはねばなり、
 
7 金野乃《アキノノノ》、美草苅葺《ミクサカリフキ》、 美草は眞《マ》草といふに同じ事なり、こゝは秋の百草をかねいふ、
 
屋杼禮里之《ヤドレリシ》、兎道乃宮子能《ウヂノミヤコノ》、 幸の時、山城の宇治に造りたる行宮をいふ、さて離宮所《トツミヤコ》をも行宮所《カリミヤコ》をも、略きてはみやこといへり、【此度の幸の事、古注にいへるはひが事なり、其よし別記に見ゆ、】
 
借五百磯所念《カリホシオモホユ》、 五百は訓をかり、磯は助辭、行宮をかり廬《ホ》といふは下にも類あり、○末を今本に、かりほしぞおもふと訓しも、下に妹|乎師《ヲシ》曾於母布ともあれば、さても有べきを、かく所念と書しをば惣ておもほゆと訓《ヨム》例なり、下も是によれ、○秋野の百草を、花ながらかりふきたるかり宮に宿れりしを、面白くおぼえし事、後までも忘れがたきとなり、(卷十二)「波太《ハタ》ずゝき、尾花|逆葺《サカブキ》、黒木もて、つくれる家《イヘ》は、萬代までも、」(卷七)、「あきつ野の、尾花かり副《ソヘ》、秋はぎの、花を葺《フカ》さね、君が借|廬《ホニ》」てふ如き行宮なりけん、金《アキ》野乃美草をかりふきとあればなり、然れども美草を尾ばなとよみし事も有といふは行過たり、をばなとよむべきならば、集の例美草とはかゝぬ事ぞ、○是に兎道のみやこと有は、近江へ幸(ノ)時の行宮をいふなり、さて紀には此時はなくて、後(ノ)岡本(ノ)宮の時、近江の幸の事あれど、此御代の紀は誤多し、此集に依べし、【紀の文の誤れるよしも、別記に見ゆ、】
 
後《ノチノ》崗本宮(ニ)御宇天皇代。右同天皇重て即位まして二年の冬に、本の舒朋天皇の岡本宮の地に、宮づくりして遷ませし故に、後崗本(ノ)宮と申せり、こは今も飛鳥の岡といふ、かの川原宮の東北にて、共にいと近き所なり、
 
○額田姫王|作《ヨメル》歌、
 
8 熟田津爾《ニギタツニ》、 紀に(斉明)伊豫國云云、熟田津、此云2爾枳陀豆1と有に同じ、【熟田《ニギタ》を紀に爾枳《ニキ》と有ば、清《スミ》唱る人あれど、常に此言をば濁るこそ自らの事なれ、饒《ニギ》速日を紀に邇藝《ニギ》と訓《ヨム》に合せて、心得べきなり、】
 
船乘世武登《フナノリセント》、月待者《ツキマテバ》、潮毛可奈比沼《シホモカナヒヌ》、 月も出汐も滿、
 
今者許藝乞菜《イマハコギコソナ》、 集中に乞をこそと訓て、即|乞《コヒ》願ふ言なり、有乞《アリコソ》見えこそ、又にほひ乞《コセ》、妻よしこせねなどもよめる、共に乞《コフ》意なり、然ばこゝも今は時のかなひたれば、御船※[手偏+旁]出よと乞給ふなり、【集中に乞《コソ》の辭二つ有、一つはこゝの如し、今一つは物を拔出て、是こそと云意なるあり、】さて外《ゲ》蕃の亂をしづめ給はんとて、七年正月筑紫へ幸ついでに、此湯(ノ)宮に御船泊給へる事紀に見ゆ、額田姫王も御ともにて、此歌はよみ給ひしなりけり、さてそこよりつくしへ向ます御船出の曉、月を待給ひしなるべし、○今本に注あれどとらぬよしは別記にいふ、
 
○幸2于|紀温泉《キノイデユヘ》1之時《トキ》、額田姫王(ノ)作歌、 此幸は後(ノ)岡本宮の紀には四年十月とあり、此集誤て前後に成しか、
 
9 莫囂國隣之《キノクニノ》、 こはまづ神武天皇紀に依に、今の大和國を内つ國といひつ、さて其内つ國を、こゝに囂《サヤギ》なき國と書たり、同紀に、雖邊土未清餘妖尚梗而《トツクニハナホサヤゲリト云ドモ》、中洲之地無風塵《ウチノクニハヤスラケシ》てふと同意なるにて知ぬ、かくてその隣とは、此度は紀伊國を差なり、然れば莫囂國隣之の五字は、紀乃久爾と訓べし、又右の紀に、邊士と中州を對云しに依ては、此五字を外《ト》つ國のとも訓べし、然れども云云の隣と書しからは、遠き國は本よりいはず、近きをいふなる中に、一國をさゝでは此歌にかなはず、次下に、三輪山の事を綜麻形と書なせし事など相似たるに依ても、猶上の訓を取べし、【此一二句は、諸本に字ども違ひ多し、こゝは宜を取つ、其よし別記にいふ、○綜麻形の訓の事は其歌にいふ、】
 
大相《ヤマ》、 山なり、
 
古兄※[氏/一]湯氣《コエテユケ》、 越てゆけなり、
 
吾瀬子之《ワガセコガ》、 こは大海人《アマノ》皇子命か、又何れにても、此姫王の崇み親み給ふ君の、前に此山路を往ませし事あるを思ひ給ふなるべし、
 
射立爲兼《イタヽセリケム》、 射は發言、たゝせりは立しと云に同じくてあがめいふなり、けんはけるらんの畧にて過にし事をいふ辭なり、
 
五可新何本《イヅカシガモト》、 五は借字にて嚴なり、可新何本は橿《カシ》之本なり、【嚴に五の訓を借て、清濁を嫌はぬは、借字の常なり、○嚴は崇くして恐き勢ひをいふ、それを本にて、神天皇の御事、或は整ていがしき事などをいふ、このかしは神の坐所の齋《イハヒ》木なればいへり、】紀に(垂仁)天照太神(ヲ)鎮2坐|磯城《シキノ》嚴橿之本(ニ)1、古事記に、(雄略條)美母呂能《ミモロノ》、伊都加斯賀母登《イツカシガモト》、加斯賀母登と云も同じ、かゝれば神の坐《マス》この山路の齋《イツ》橿の木の下に、前つ時吾背子の立給ひし事を聞傳へてかくよみ給へるなりけり、○こは荷田大人のひめ歌なり、さて此歌の初句と、斉明天皇紀の童謡《ワザウタ》とをば、はやき世よりよく訓《ヨム》人なければとて、彼童謠をば己に、此歌をばそのいろと荷田(ノ)信名(ノ)宿禰に傳へられき、其後多く年經て此訓をなして、山城の稻荷山の、荷田の家に問に、全く古大人の訓に均しといひおこせたり、然れば惜むべきを、ひめ隱しおかば、荷田大人の功も徒に成なんと、我友皆いへればしるしつ、
 
○中皇女命《ナカツヒメミコノミコト》、 上にいへり、
 
從《イマセル》2于紀(ノ)温泉《イデユヘ》1之時《トキ》御作歌《ヨミタマヘルウタ》、 此端詞に御の字は本よりあり、作は例によりて加たり、○往をいますと訓は、卷二に朝立伊麻之弖、此外例あり、且いにましの畧なり、
 
10 君之齒母《キミガヨモ》、 次に吾勢子とよみ給ふは、御兄中大兄(ノ)命にいざなはれてやおはしけん、さらば此君はかの命をさし給ふべし、【齒も代も意はひとし、】
 
吾代毛所知哉《ワガヨモシルヤ》、 磐代の名に依て右の二句は有、
 
磐代乃《イハシロノ》、 紀伊國日高郡、
 
岡之草根平《ヲカノクサネヲ》、去來結手名《イザムスビテナ》、」 松を結て齡をちぎるにひとしければ、此草は山菅をさしてよみ給ふならん、さて(卷五)に山草と有を山すげと訓によりて、こゝの草を山すげの事と知べきなり、
 
11 吾勢子波《ワガセコハ》、借廬作良須《カリホツクラス》、草無者《カヤナクバ》、 古へは旅ゆく道のまに/\、假庵作て宿れりし、○此草はかやと訓べき理りなり、
 
小松下乃《コマツガモトノ》、草乎苅孩《カヤヲカラサネ》、」 小松まじりにすゝき高がやの生たる所を見て、是こそ假ほふく物といふを聞て、何心もなくよみ給へるなるべし、○孩は借字、この言の事上にいひつ、
 
12 吾欲之《ワガホリシ》、 わが見まくほしみしなり、
 
子島羽見遠《コジマハミシヲ》、 兒島てふ所は、集にも他にもかた/\にあり、紀伊にも子島とて、古へ名|細《クハシ》き所有しにや、○今本|野《ヌ》島波見世|追《ツ》とあれど、こは淡路に名高ければ中々おぼつかなし、故に或本に依ぬ、
 
底深伎《ソコフカキ》、阿胡根能浦乃《アコネノウラノ》、 是も紀伊に有べし、さて聖武天皇此國へ幸有て、若(ノ)浦の字を改めて、明光《アカノ》浦とせさせ給ひしは、和加と阿加と言の通へばか、又其ころ若浦とは書ども、本は阿加の浦と唱へし故にも有べし、こを思ふに、其始は阿胡根の浦といひしを、後に阿加の浦といひしにやあらん、胡根の約《ツヾメ》氣《ケ》なれば、おのづから阿加とも和加ともなりぬべし、集中に吾《ワガ》大君を阿期《アゴ》大君ともいひ、志摩國の安呉《アゴ》の浦を吾浦と書しを、後に若の浦と誤り、又阿婆宇美を阿布美と唱ふる如き約言も多ければなり、その上此命のいましけん比にわかの浦てふ名あらば、是にもれじやともおぼえ、玉拾はんも同じ浦によし有、【同國の室の湯へはおはしたれど、まだかの玉光る浦へおはさぬ故の御歌なれば、此國の島なる明光《アカノ》浦の事なるべし、】
 
玉曾不拾《タマゾヒロハヌ》、
 
○中大兄命三山御歌《ナカツオホエノミコトノミツノヤマノミウタ》、 命は皇太子を申す例のまゝに加つ、【今本、中大兄の下に近江天皇と有は、いと後人傍に注せしを、又の後に大字に本文とさへせしなり、此集かく樣のひがこと多し、】○御は目録にあり、本よりも必御と有べき事なり、然ば命の字も落しを知、〇三の山は香山畝火耳成の三なり、此山どもの事は、上にも別記にも出、さて是はかの三(ノ)山を見ましてよみ給へるにはあらず、播磨國印南郡に往ましゝ時、そこの神集《カヅメ》てふ所につけて、古事の有しを聞してよみ給へるなり、
 
13 香山波《カグヤマハ》、 今本高山と有は誤なり、三(ノ)山の一つは必香山にて、外の二山より低ければ高山と書べからず、
 
雲根火雄男志等《ウネビヲヽシト》、 をゝしは男神をいふ、【或人、雄男志は※[病垂/音]※[病垂/亞]、耳梨は聾の意かといひしは誤れり、和名抄に、※[病垂/音]※[病垂/亞]は於布之と有て、雄男のかなに違ひたり、】
 
耳梨與《ミヽナシト》、 是も男神なり、香山と耳梨は十市郎、畝火は高市郡なれど、各一里ばかり間有て、物の三足のごとし、
 
相諍競伎《アヒアラソヒキ》、 香山の女山を得んとて、二つの男《ヲ》山のあらそふなり、○あひあらそひの言は相諍二字にて足るに、競を添しは奈良人のくせなり、字に泥む事なかれ、
 
神代從《カミヨヨリ》、如此爾有良之《シカナルラシ》、古昔母《イニシヘモ》、然爾有許曾《シカナレコソ》、 爾阿留の、爾阿を約て奈と云り、かく訓例下に假字がき有、且然るなればこその、ばを畧くも例なり、
 
虚蝉毛《ウツセミモ》、 冠辭考にいへるが如し、○神代にもかく相あらそひしかば、今の顯《ウツヽ》にある人のあらそふはうべなりとのたまふ、
 
嬬乎相挌良思吉《ツマヲアヒウツラシキ》、 挌は闘撃の意を得て書しのみと見ゆ、卷二に、相競端爾と有を、其一本に安良|蘇布《ソフ》波之爾とあるに依て、こゝも二字にてあらそふとも訓べけれど(卷三)眞杭乎挌《マクヒヲウチ》と有に依て打と訓たり、○良思吉の吉は氣里《ケリ》の約にて、あひうつらしけりてふ辭なり、紀に(推古)おほきみの、つかはす羅志枳《ラシキ》、また(卷十六)偲家良思吉《シヌビケラシキ》と有も同じ、後世は是を上下して、けるらしといへり、【(卷三)の歌は、もと古事記の歌にて、それに賀美都勢爾、伊久比袁宇知、斯毛都勢爾、麻久比袁宇知と有、】
 
 反歌《カヘシウタ》
 
14 香山與《カグヤマト》、耳梨山與《ミヽナシヤマト》、相之時《アヒシトキ》、立見爾來之《タチテミニコシ》、伊奈美國波良《イナミクニハラ》、
 
播磨風土記に、出雲(ノ)國(ノ)阿|菩《ボノ》大神、聞(テ)2大和國畝火香山耳梨三山相|闘《タヽカフト》1、以此|欲《オボシテ》2諌止《イサメマク》1來《キタル》之時《トキ》、到(テ)2於|此處《コヽニ》1、乃〔右○〕聞(テ)2闘止《タヽカヒヤミヌト》1、覆《フセテ》2所乘之船《ノレルフネヲ》1而|坐《マセリ》之〔右○〕、故《カレ》號《イフ》2神集之覆形《カヅメフセガタト》1と見ゆ、この古事を聞してよみ給へるなり、○伊奈美國は、はりまの郡の名なり、古へは初瀬國吉野國ともいへるごとく、一郡一郷をも國といへり、原とは廣く平かなるを惣て云、【今もはりまの鹿子川の西に神※[手偏+告]《カヅメ》てふ里あり、こゝをいふか、】
 
15 渡津海乃《ワタヅミノ》、 こは冠辭ならねど、委は其考によりてしれ、
 
豐旗雲爾《トヨハタグモニ》、 文徳實録に、天安二年六月有2白雲1竟天自v艮亘v坤、時(ノ)人謂2之旗雲(ナリト)1と有、今はかく大きならでも、西の空に長く旗の如き雲の棚引るをのたまひつらん、○豐は大きなるをいふ、○或人旗雲は海にのみ有樣にいへるは誤ぬ、いづこにもいふなり、【(卷六)夕されば、み山をさらぬ、爾努具母能《ニヌクモノ》云云、爾努は布《ヌノ》なり、はた雲相同じ、】
 
伊理比沙之《イリヒサシ》、 入日刺なり、【沙を一本祢と有は誤なり、】
 
今夜乃月夜《コヨヒノツクヨ》、清明己曾《アキラケクコソ》、 入日の空のさまにて、その夜の月明らかならんを知こと今もいふ事ぞ、○今本、清明の字を追て、すみあかくと訓しは、萬葉をよむ事を得ざるものぞ、紀にも、清白心を、あきらけきこゝろと訓しなり、〇此一首は、同じ度に印南の海|方《ベ》にてよみましつらん故に、右に次て載しなるべし、下に類あり、
 
近江大津《アフミオホツノ》宮(ニ)御宇天皇代、天命開別《アマツミコトヒラカスワケノ》天皇、【後に天智天皇と申、】
 
〇天皇|詔《ミコトノリシテ》2内大臣《・ウチノオホオミ》藤原(ノ)卿《マヘツギミニ》1、 鎌足公なり、これはいまだ後岡本(ノ)宮にての事と見ゆれば、内臣《ウチノオミ》中臣(ノ)連鎌足と本は有つらんを、後より崇みてかく書たるなり、其上今本に、朝臣のかばねをさへ書しは、ひがことなれば、除きて、下の例に依て卿とす、是にはいぶかしき事多ければ、別記につぶさにいふ、
 
競2燐《アラソハセタマフ》、 燐の字はことわりもて書り、皇朝の言は、只あらそふと云に其物によりて理り聞ゆ、よりて憐の字はよまずともよし、
 
春山萬〔左○〕花之艶《ハルヤマノハナノニホヒト》、秋山千〔左○〕葉之彩《アキヤマノモミヂバノイロヲ》1時《トキ》、 萬千の字は、から言ざまに書しかば、こゝにてはよまず、
 
額田(ノ)姫王|以v歌判之〔左○〕歌《ウタモテコトワレルウタ》、 春秋をあらそふ事是に始て見ゆ、こは内つ宮の女がたにて、戯れあらそひつらんを、天皇興有事とおぼして、此卿は内つ宮の事をあづからせらるゝ故に、事とらせられ、ぬか田の姫王は時の風流《ミヤビ》人なれば、ことわらせ給ひつらん、男どちのわざならば、姫王の判給ふべくもあらず、また女がたの事故に、外《ト》の司に事|執《トラ》すべくもあらず、此卿におほせしなり、【近江大津宮の下に是を擧るは、御代の凡もてする例なり、此次に近江へうつり給ふ時の歌を載たれば、こゝは後岡本宮にて有しこと知べし、】
 
16 冬木盛《フユゴモリ》、 木盛は借字にて、(卷七)その外にも冬隱、春去來者、と有に同じく、冬は萬つの物内に籠て、春を得てはりづるより、此ことばはあり、然るを今本に冬木成と書て、ふゆごなりと訓しは、言の例も理りもなし、そは盛の草は〓とかくを、※[成の草書]《ナリ》と見誤て成と書なしたるものなり、故に古意と例に依て改つ、下にも多し、皆これに從ふべし、
 
春去來者《ハルサリクレバ》、 去は借字にて、春になりくればてふ言なり、爾奈の約は奈なるを、佐に轉じて佐利といへり、下に夕去來者といふも同じ事ぞ、
 
不喧有之《ナカザリシ》、島毛來鳴奴《トリモキナキヌ》、不開有之《サカザリシ》、花毛佐家禮杼《ハナモサケレド》、 此なかざりし開ざりしてふ言にて、右の冬隱りてふ言しらる、【花もさけれとまで六句は、春山の方人、山を茂より下四句は判の言、秋山のてふより下は、秋山の方人の意、】
 
山乎茂《ヤマヲシミ》、 しみは茂《シゲ》まりなり、其しげを略《ハブキ》てしといひ、まりを約《ツヾメ》てみといふなり、さて此集には、春の繁山、春の茂野など云て、春深き比の草木を茂き事とす、【しみの美の辭の事、別記に委、】
 
入而毛不取《イリテモトラズ》、草深《クサフカミ》、執手母不見《タヲリテモミズ》、 草木の茂き頃咲花なれば、山に入て手折て見んこと難しとなり、春のしげ山てふ事を聞傳へて、女王の心もてかくのたまふが却てあはれなり、
 
秋山乃《アキヤマノ》、木葉乎見而者《コノハヲミテハ》、 秋とてもまだ草木の枯盡もせねど、是もおしはかりにおぼすまゝなるがをかしき、
 
黄葉乎婆《モミヅヲバ》、取而曾思奴布《トリテゾシヌブ》、 丹出《モミヅル》をば折取て見|愛《メヅ》るを云り、此しぬぶは慕ふ意にて、其黄葉に向ひてめでしたふなり、古歌に、花などに向ひてをしと思ふと云は、散を惜むにはあらで、見る/\愛《メヅ》る事なると心ひとし、○毛美豆《モミヅ》は赤出《モミメヅル》を略きいへり、是を毛美治婆《モミヂバ》といふは、萬曾保美出《マソホミイヅ》る葉《ハ》てふ言なり、何ぞといはゞ、毛は萬曾保の約にて、その萬は眞《マ》とほむる言、曾保は本《モト》丹土《ニツチ》の名なるを、何にも赤き色有物には借ていふなり、美《ミ》は萬利《マリ》の約にて、眞朱《マソホ》萬利なり、染をそまり、赤きをあかまりと云類なり、治《ヂ》は出《イヅル》を略《ハブ》き轉じ、婆《バ》は葉なり、濁は言便、【萬曾保三言を、毛一言に約るは、萬曾も、萬保も、共に毛と約まればなり、且こゝの言どもの據は別記にいふ、】
 
青乎者《アヲキヲバ》、置而曾歎久《オキテゾナゲク》、 まだ染あへぬをば折とらで置を、うらみとするなり、
 
曾許之恨之《ソコシウラメシ》、 そこは其《ソレ》なり、
 
秋山曾吾者《アキヤマゾワレハ》、 うら枯る秋は山に入やすげなれば、秋山のもみぢに吾は心依ぬとなり、こは山の花もみぢの事なれば、女の山ぶみをおもほしてのたまふのみ、上に花鳥をのたまひしさまを思ふに、赤裳すそ引ゆきかふべきけ近さならば、春に依てことわりなん、所により身につけをりにしたがひて、ことを分たれたるこそおもしろけれ、【山の下に曾を補ひつ、今は必落しと思しければなり】
 
○□□□□□□《大海人《オホアマノ》皇子(ノ)命》下(タマフ)2近江(ノ)國(ニ)1時、 紀に(天智)六年三月、近江大津へ都遷の事有、
 
御作《ヨミマセル》歌、 今本こゝに額田(ノ)王下2近江國1時作歌、井戸王即和歌と有は、先この集の端詞の例に違ひ、其外理り無こと多し、故に今一二の卷の例と、左の古注などのことわりに依て右の如くせり、さて今本のひがことをいはん、其こたへ歌の所にこそ和歌とは書例なれ、ここにのみ端詞につゞけて書べきかは、又井戸(ノ)王てふ名は紀にも何にも見えず、さる氏も惣て聞えず、又此長歌の體、男歌にて、額田姫王の口風《クチツキ》とは甚異なり、さて下の綜麻形《ミワヤマ》てふ歌ぞ女歌にて、それに吾|勢《セ》ともいひたれば、【女より男を兄《セ》子と書は常なり、男より女を兄《セ》子といひし事は必なし、】それこそ額田姫王の和《コタヘ》歌なれ、こゝは必男歌なるからに、是のみは類聚歌林を合せ考て、大海人皇子命の御歌とす、其歌林のよしは下に見ゆ、【大海人皇子の御歌なるべき據は、下にいふが如く、額田姫王のならぬ證もあれど、私に強るに似たれば、暫圏をして傍に書たり、下もこの意なり、】
 
17 味酒《ウマサケ》、 四言冠辭、
 
三輪乃山《ミワノヤマ》、 五言、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
奈良能山乃《ナラノヤマノ》、山際《ヤマノマユ》、伊隱萬代《イガクルヽマデ》、 先飛鳥岡本宮より三輪へ二里ばかり、三輪より奈良へ四里餘有て、その間平かなれば、奈良坂こゆるほどまでも、三輪山は見ゆるなり、さて其奈良山越ても、猶山の際よりいつまでも見放んとおぼし、こゝかしこにてかへり見し給ふまに/\、やゝ遠ざかりはてゝ、雲の隔たるを恨みて、末の御詞どもは有なり、【山際の下に從の字落しか、又際は集中皆まと訓ぞ理り有なり、今本に、やまのはと訓しは誤れり、】
 
道隈《ミチノクマ》、伊積流萬代爾《イツモルマデニ》、 隈は入曲りなどの所をいへど、こゝにはそれまでもなく、こゝかしこといはんが如し、〇二つの伊は發語のみ、○積はさる所々の數のかさなるなり、
 
委曲毛《ツバラニモ・ツブサニモ》、 つまびらかの略なり、是をしか訓よしは、冠辭の淺茅原の下にいふ、【委曲は、集中につばらてふ言有によりて訓たり、又古事記に麻都夫佐《マツブサ》てふ言もあれば何れにも訓べし、】
 
見管行武雄《ミツヽユカムヲ》、數毛《シバ/\モ》、見放武八萬雄《ミサケムヤマヲ》、 今本數々毛とあれど、一本を取、○見放は、遠く見やることなり、かく言をかさね給ふは深き御なごりゆゑなり、
 
憐無《コヽロナク》、 なさけもなくてふ意、
 
雲乃《クモノ》、隱障倍之也《カクサフベシヤ》、 かくしさふる意とせんも理りはあれど、語の體を思ふに、佐布の約|須《ス》なれば、かくすを延て、かくさふとよみ給ひしなるべし、○長歌の末の句ども、いにしへの歌に言の數の異なる多きに依ば、情無を句として、下を十言にも訓べし、〇三輪山は形よろしく、且飛鳥の都より遠からねば、見なれ給へる故、かくなごりをしみ給ふともいふべけれど、さのみはあらで、奈良より飛鳥の方は、此山の當りて見ゆる故に、故郷のなごりを此山に負せて、かくまではをしみ給ふならん、
 
 反 歌
18 三輪山乎《ミワヤマヲ》、然毛隱賀《シカモカクスカ》、 然もは如v是もなり、賀はなげく辭、
 
雲谷裳《クモダニモ》、 谷は借字、
 
情有南武《コヽロアラナム》、 今本武を畝に誤、
 
可苦佐布倍思哉《カクサフベシヤ》、 注に、右二首山上憶良大夫類聚歌林曰、遷v都2近江國1時、御2覧《ミサケマセル》三輪山1御歌焉といへり、是に御覧又御歌と有をもて思ふに、すべて集にも歌林にも、【類聚歌林は眞の物ならねど、さすがに今よりは古き代の事故に、おのづからかゝる據と成事もまれにあり、】天皇に御製また大御歌、皇太子と皇子には御歌、王には歌と書り、又御覧とは天皇皇太子に書べく、皇子と王には書し事なし、かくて右の御歌と御覧とを合せもて、皇太子の御歌なる事しらる、しかれば此時は大海人(ノ)皇子(ノ)命の御事なり、故《カレ》端詞に額田王の歌とせしは、今の亂(レ)本の誤なること顯なり、
 
○□□□□□□《額田姫王(ノ)奉和《コタヘマツル》歌、》、 かく有べし、然るを亂れ本を校合せし時、左の歌をえよみ意得ねば、さかしらに此王の名を上へ出せしにやあらん、
 
19 綜麻形乃《ミワヤマノ》、 三輪山なり、
 
林始乃《シゲキガモトノ》、 繁樹が下なり、
 
狹野榛能《サヌハギノ》、 狹は發言、榛は惜字なり、【榛の事、下の引馬野の別記にいふ、】
 
衣爾著成《キヌニツクナス》、目爾都久和我勢《メニツクワガセ》、 三輪山を目につけて、かへり見しつゝしたひ給ふ、わがせ子かもといふ意なるに、はぎが花の衣につきやすきをもて、譬へ下せるなり、然れば右の長歌を短歌もて和《コタ》へ給ひしこと、明らかなり、後人意得ずして、和歌に似ずとしも注せれば、委しくいはん、【目爾都久とは、(卷七)あたらしき、まだら衣は、面著《メニツキ》てともいへり、】先綜麻形と書しは、古事記に、(崇神條)三輪の大神、うるはしき男と成て、活依《イクヨリ》びめの許へよる/\通ひ給へるを、姫その男君の家所を知ばやとて、卷子《ヘソ》の紡紵《ウミヲ》を、ひそかに針して男の裔につけたるを、君は引て歸りぬ、さてあとに紵はたゞ三|勾《ワゲ》ぞのこりたりける、やがて其いと筋をとめつゝ尋れば、御室山の神の社に到りぬ、故に其山を三輪山といふと記されたり、然るからに、其綜の三|※[營の呂が糸]《ワゲ》のこれる形を思ひ得て、綜麻形と書なせるなれば、みわ山とよむべき事うたがひなし、○衣爾著成の成は如てふ言に同じ、古事記に五月蠅奈須《サバヘナス》てふ同じ事を、紀に如《ナス》2五月蠅《サバヘ》1と書たり、その外此集に云云|成《ナス》と有も皆如くと意得てかなへり、○和我勢は吾夫にて、此姫王の御こたへとする時は、大海人(ノ)皇子(ノ)命を申すなる事、上にいへるがごとし、【此歌の訓は、荷田東萬呂うしの考出せしなり、○今本の訓、又左の注などは、いふにもたらねば捨つ、○此都うつしは三月なれば、秋はぎいかゞといふべけれど、歌のあやにいひつゞくるものは、時にかゝはらぬ例多し、】
 
○天皇|遊2獵《ミカリセス》浦生野《ガマフノニ》1  近江國蒲生郡の野なり、
 
之〔左○〕時《トキ》、額田姫王(ノ)作歌、 此御獵は七年五月五日にて、皇太弟を始て、諸王諸臣皆大御ともなりしこと紀に見ゆ、むかし推古天皇十九年五月五日の兎《ウ》田野の藥獵より此度まで四度なり、集には卷十六に爲v鹿よめる歌に、四《ウ》月と五《サ》月の間に、藥獵、つかふる時にとて、吾角は、御蓋《ミカサ》のはやし、吾|毛《ケ》らは、御筆のはやし、其外目耳肉などの事もいへり、卷十七に、天平十六年四月五日の歌に、「かきつばた、衣に摺つけ、ますらをの、競獵する月は來にけり」など有、さてから國の醫のふみどもに、四五月鹿の茸《ワカヅノ》を取こと多く見え、又五月五日に百(ノ)草を採ことも見ゆ、こゝにも五日としも有は此二つをかねたる幸なるべし、
 
20 茜草指《アカネサス》、 冠辭、
 
武良前野逝《ムラサキノユキ》、 紫野とは(卷十四)託馬《ツクマ》野に生流紫と有も同國なれば、蒲生野にも紫草の生もせめど、こゝはそれらにはかゝはらず、事をそへん爲の言のみ、
 
標野行《シメノユキ》、 しめおかれて御獵し給ふ御野をいふ、されば紫野も地の名ならぬことしるべし、
 
野守者不見哉《ノモリハミズヤ》、君之袖布流《キミガソデフル》、 こは紫野てふに、御ともの女房をそへ、命の彼《カ》ゆき此《カク》行御袖ふり給ふを、二つの野にそへ、野守は見ずやてふに、つかさ人だちの見奉り思はん事をそへしなり、此姫王は此命の夫人といふ中にも、故よしことなる風流《ミヤビ》人なれば、戯の樣してかくもさとし奉れ給ひつらん、
 
○□□□□□□《大海人(ノ)皇子(ノ)命》答御歌《コタヘタマフミウタ》、 皇太子をば、此集には、日並知皇子命、高市皇子命など書例なるを、こゝにのみ今本に皇太子と書しはいかにぞや思ふに、こゝの端詞亂れ消たるを、仙覺が補へるか、或本にかく有に依しか、
 
21 紫草能《ムラサキノ》、爾保敝類妹乎《ニホヘルイモヲ》、 こは額田姫王をさしてのたまふ、
 
爾苦久有者《ニクヽアラバ》、 吾妹をにくからば、他妻をも戀べきを、妹を愛《ウツクシ》むからは、いかで他《ヒト》妻をおもはんやとの給へり、
 
人嬬故爾《ヒトヅマユヱニ》、吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》、 袖ふりしなどは戯ごとぞとことわり給ふなり、さてこの御歌は、後世人のよむさまとはことなり、よく心をやりて見ずは解得じ、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代、天渟中原瀛眞人《アマツヌナカハラオキノマヒトノ》天皇、【後に天武天皇と申、】
 
〇十市皇女《トヲチノヒメミコ》、 天武天皇の皇女、御母は額田(ノ)姫王、
 
參2赴《マヰリタマフ》於伊勢(ノ)神(ノ)宮(ニ)1時、 紀に四年二月、此皇女と阿|閇《ベノ》皇女も共に參給ふと見ゆるを、この皇女のみを擧しは、よみ人此皇女につかへまつる女なればにや、
見《ミテ》2波多横山巖《ハタヨコヤマノイハホヲ》1、 神名式に、伊勢(ノ)國壹志(ノ)郡波多(ノ)神社、和名抄に、同郡に八太(ノ)郷あり、こは伊勢の松坂(ノ)里より、初瀬越して大和へ行道の、伊勢のうちに、今も八《ハ》太(ノ)里あり、其一里ばかり彼方に、かいとうといふ村に横山あり、そこに大なる巖ども川邊にも多し、是ならんとおぼゆ、飛鳥藤原(ノ)宮などの比、齋王通行は此道なるべしと、其國人は云り、猶考てん、【下に輕皇子宇多の安騎野へ越給ふも、泊瀬山を越ましゝなり、此山越のたやすければ、此度も他の女坂男坂などをば越給はじと覺ゆ、或人は高市郡の波多なりといへど、淨見原の宮よりは初瀬越ぞ便り有べければ、伊勢の八太よこ山ならんとおぼゆ、この輕皇子の初瀬を越給ふも、持統天皇まだ淨御原におはせし時なり、】
 
吹黄刀自《フキノトジガ》作歌、 同じ氏名は(卷十三)にも出、さて天平七年(ノ)紀に富紀《フキノ》朝臣てふあり、今は是を訓の假字にて吹黄と書るか、されど猶おぼつかなし、○刀自はもと戸主《トジ》の意なるを、其後|喚《ヨビ》名にもつきしなり、元正夫皇紀に茨《マム》田(ノ)連刀自などいへる類多し、別記あり、
 
22 河上乃《カハヅラノ》、 こはかはかみ、かはらなども訓べけれど、右にいふ所に依て、暫かはづらと訓、
 
湯都磐村二《ユヅイハムラニ》、 神代紀に、五百箇磐石てふ同事を、祝詞に湯津磐村《ユヅイハムラ》とかき、湯津桂《ユヅカツラ》、湯津(ノ)爪櫛など、皆木の枝の多く、櫛の刺《ハ》の繁きをいふなり、仍て古へより五百《イホ》を約て湯《ユ》といふを知、【これをゆづはの村とて、里の名と思へるは、云にたらず、伊保の約は與なるを、由に轉じていふ、○津を濁るは言便、】○村は群の意なる事既にも出、
 
草牟佐受《クサムサズ》、 草も生ぬ堅巖の如く、常しなへにもとこゝろ得べし、○牟須は生《ウム》ことなり、紀に皇産靈、此云2美武須毘《ミムスビト》1と有て、武須に産(ノ)字をあつ、常にも生《ウミ》の子をむすこむすめといふ是なり、
 
常丹毛冀名《トコニモガモナ》、 がもなは願ふ辭故に冀ともかき、集中に欲得とも書つ、
常處女※[者/火]手《トコヲトメニテ》、 とこしへに若き女にてをらんを願へり、【此集處女を少女の事にす、かなは神代紀に、少女此云2烏等※[口+羊]《ヲトメト》1といひ、其外皆同じ、後世乙女と書はひがことなり、】
 
○麻績《ヲミノ》王、流《ナガサレシ》2於|伊良虞島《イラゴノシマニ》1時《トキ》、時《トキノ》人|哀傷《カナシミテ》作歌、 今本伊良虞の上に伊勢國と有は、物よくしらぬ人の傍に書けんを、又後の人みだりに本文に加へしものなり、そのよしは下に見ゆ、
23 打麻乎《ウチソヲ》、 冠辭、
 
麻續王《ヲミノオホキミ》、白水郎有裁《アマナルヤ》、射等籠荷四間乃《イラゴガシマノ》、珠藻《タマモ》、 【玉藻の玉を、ほむる語といふはわろし、玉とほむるも物にこそよれ、凡草木に玉といふに、子《ミ》こそ多けれ、藻に眞の白玉の如き子《ミ》多きを、豐後の海より持來て見せし人有、】
 
苅麻須《カリマス》、 麻須はおはしますなり、
 
○麻續(ノ)王|聞v之《コレヲキヽテ》、 感傷和《カナシミテコタヘタマフ》歌、
 
24 穴蝉之《ウツセミノ》、 冠辭、
 
命乎惜美《ノイチヲヲシミ》、浪爾所濕《ナミニヌレ》、 所はねれのれに當りぬ、言の意をしらせて書のみ、
 
射良虞能島之《イラゴノシマノ》、玉藻苅食《タマモカリヲス》、 もの食を遠須といふ、紀に御食を美袁志と訓る是なり、さて右に島人と成給へば、海人がわざしておはすらんと、あはれにおもひはかりたるをうけて、かくても命は捨がたくて、藻をかりて食《ヲシ》ものとしてながらふぞとのたまへるは、古へのまこと有歌にて悲み餘りあり、注に、日本紀曰、天皇四年四月、三位麻續王、有v罪流2于因幡1、一子流2伊豆(ノ)島1、一子流2血鹿《チカノ》島1也、是(ニ)云v配2于伊勢國伊良虞島1者、若疑後人縁(テ)2歌辭1、而誤(リ)記(ス)乎《カ》、此注はよし、さていらごの崎を志摩國に在と思へるもひがことぞ、こは参河國よりしまの答志《タフシ》の崎の方へ向ひて、海へさし出たる崎故に、此下の伊勢の幸の時の事思ひはかりてよめる、人まろの歌には有なり、然ば右の紀に違ふのみならず、いらごを伊勢國と思へるもひがことなり、後の物ながら古今著聞集に、伊與の國にもいらごてふ地有といへり、因幡にも同名あるべし、
 
○天皇御製歌
 
25 三吉野之《ミヨシノノ》、 三は眞にてほむる辭、【考の御缶御念などの御も、眞の意なり、】
 
耳我嶺爾《ミヽガノミネニ》、 耳は借字にて御缶《ミミカ》の嶺なり、(卷三)此歌の同言なる歌に、御金(ノ)高《タケ》とあれど、金は缶の誤りなり、こゝに耳我と書しに合せてしらる、○後世金の御嶽といふは、吉野山の中にも勝れ出たる嶺にて、即此大御歌のことば共によくかなひぬ、然れば古へもうるはしくは御美我嶺《ミミガネ》といひ、常には美我嶺《ミガネ》とのみいひけん、そのみがねをみ金《カネ》の事と思ひたる後世心より、金(ノ)嶽とはよこなまれるなりけり、かの(卷三)岳を金《カネ》に誤しも、同じ後世人のわざなる事顯なり、別記あり、
 
時無曾《トキナクゾ》、 一本時自久曾と有も意均し、此言は上にも出、
 
雪者落家留《ユキハフリケル》、 一本、雪者落|等言《トフ》、○卷十七に、越中の立山の歌にも、等許奈都爾《トコナツニ》、由伎布理之伎底《トコナツニユキフリシキテ》とよみて、ことなる高山はいづこもしかり、
 
間無曾《ヒマナクゾ》、雨者零計類《アメハフリケル》、 一本、落等言《フルトフ》、○卷十六に越後の彌彦の山を、青雲の田名引|日良《ヒスラ》、※[雨/沐]曾保零《コサメソボフル》とよみ、方言にも筥嶺のわたくし雨といへり、
 
其雪乃《ソノユキノ》、時無如《トキナキガゴト》、其雨乃《ソノアメノ》、間無如《ヒマナキガゴト》、隈毛不落《クマモオチズ》、 この隈は隱の所をいふ、
 
思乍叙來《モヒツヽゾクル》、其山道乎《ソノヤマミチヲ》、 此山の面白きくま/\を漏さず、いく度も幸て見ますとなり、
【此大御歌の體なる、集中に多し、後世人はいかでまねばざるらん、】
 
○天皇幸2于吉野(ノ)営(ニ)1昨(ノ)御製歌、 同天皇同吉野の大御歌なるに、端詞を異にして並のせしを思ふに、此天皇の紀に吉野の幸は稀に見ゆるを、上の大御歌の意は、あまた度|幸《イデマ》せしと聞ゆ、然らばまだ皇太弟と申すときの事なりけん、そはもし此山にのがれ入ます時、よみ給ひしにやとさへおもはるゝなり、かゝれば上なるは時も定かならず、こゝのは大御位の後にて定かなれば、幸としるせしならんか、【應神天皇紀に、幸2吉野宮1時國栖人來云云と有は、古へより宮ありしなり、齊明天皇紀に、造2吉野宮1と有は、改め作らしめ給へるなりけり、】
 
27 淑人乃《ヨキヒトノ》、 上つ代に在し賢き人をの給、
 
良跡吉見而《ヨシトヨクミテ》、好常言師《ヨシトイヒシ》、芳野吉見與《ヨシノヨクミヨ》、良人四來三《ヨキヒトヨキミ》、 いにしへのよき人、吉野をよく見て實によしといへり、今の心有よき人は君にこそあれ、よく見よかしとのたまふなり、凡によしといふは實によしと定めがたし、かしこき人の、しかもよく見定めたるこそ、まことなりてふ意にて、此重ねことばはなしましたり、さてきみてふこと、歌には天皇より臣をものたまへる例古は多し、こゝは大御ともの大きみ、まちぎみだちの中に差給ふ人有し成べし、○吉野を世にこと成所ぞとほめたる歌、集中に多かれど擧るにたへず、(卷八)妹之紐結八川内乎《イモガヒモユフバガフチヲ》、古之《イニシヘノ》、淑人見等《ヨキヒトミツト》、此乎誰知《コヲタレカシル》、(卷十)古之、賢《サカシキ》人之、遊兼《アソビケン》、吉野(ノ)川原、雖見不飽鴨《ミレドアカヌカモ》、と有もこゝと同じ淑人をいへるなるべし、○吉野は上に出たる御岳の嶺もさこそあらめど、殊によしと見ゆるは、蜻蛉《アキツ》の離宮の有けん所、今は宮の瀧といへれど高く落る水にあらず、又その川上の夏箕《ナツミ》、大瀧などいふあたりこそまたなくおぼゆれ、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御字天皇代、 藤原は高天(ノ)原廣野姫(ノ)天皇、(持統)天(ノ)眞宗豐祖父(ノ)天皇、(文武)二御代の宮なり、
 
○天皇御製歌、 こは特統天皇まだ清御原(ノ)宮におはします時なる事、下の歌にてしらる、されど天武天皇崩ましてよりは、藤原宮の中に入る例なり、
 
28 春過而《ハルスギテ》、夏來良之《ナツキタルラシ》 (卷七)寒過《フユスギテ》、暖來良思《ハルキタルラシ》てふに同じ體なり、【今本なつきにけらしと訓るは、けの言をよむべき字なければとらず、》
 
白妙能《シロタヘノ》、 こは絹布をすべいふ名にて、妙は借字のみ、冠辭考に出、
 
衣乾有《コロモホシタル》、 かくよめるは集中に例あり、今本さらせりと訓しはわろし、【集中に、言の下に有在の字を書しは、らりるれろのことばにぞある、然るに後の世乾有をほすてふと訓しは誤なり、てふの辭の事は、別記の有云の下にいふ、(卷六)「つくばねにゆきかもふらる、いなをかも、かなしきころが、にのほさるかも、」ともよみつ、】
 
天之香來山《アメノカグヤマ》、 都とならぬ前に、鎌足公の藤原の家、大伴氏の家もこゝに在、此外にも多かりけん、然れば、夏のはじめつ頃、天皇埴安の堤の上などに幸し給ふ時、かの家らに衣を懸ほして有を見まして、實に夏の來たるらし、衣をほしたりと、見ますまに/\のたまへる御歌なり、夏は物打しめれば、萬づの物ほすは常の事なり、さては餘りに事かろしと思ふ後世心より、附そへごと多かれど皆わろし、古の歌は言には風流なるも多かれど、心はたゞ打見打思ふがまゝにこそよめれ、○或説に、白妙の衣とは白雲を臂へ給ふといふも、いよ/\後世心もて頓に考よせたるものなり、香山は貴けれど、高山ならねば、白雲の立もかゝりもする事なし、地をも古へをも知ずていふのみ、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂、過《ユキスグル》2近江(ノ)荒都《アレタルミヤコヲ》1時《・トキニ》作《ヨメル》歌、 柿本云云の七字を、今の本に時の字の下へつけたるは、例に違へり、古本に依て改めつ、〇人麻呂の傳は事多ければ別記に云、○天皇《・天智》六年、飛鳥崗本(ノ)宮より近江大津(ノ)宮へうつりまし、十年十二月崩給ひ、明る年の五月大海人大友の二皇子の御軍有しに、事平らぎて大海人(ノ)皇子(ノ)命は、飛鳥清見原(ノ)宮に天の下知しめしぬれば、近江の宮は古郷と成ぬ、さて後いつばかり見つるにや、歌の次でを思へば朱鳥二三年のころにや、
 
29 玉手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
畝火之山乃《ウネビノヤマノ》、橿原乃《カシハラノ》、日知之御世從《ヒヂリノミヨユ》、 こは神(ン)耶萬登伊波禮彦(ノ)天皇(神武)を申す、〇日知てふ言は、先月讀命は夜之|食《ヲス》國を知しめせと有に對て、日之食國を知ますは大|日《ヒル》女の命なり、これよりして、天つ日嗣しろしをす御孫の命を日知と申奉れり、紀に神聖など有は、から文體に字を添しにて、二字にてそれはかみと訓なり、聖の字に泥て、日知てふ言を誤る説多かり、【四の句、一本に日知之|自宮《ミヤユ》と有、】
 
阿禮座師《アレマシシ》、 阿禮は生《ウマレ》なり、(卷十三)、神代從、生繼來者《アレツギクレバ》とある是なり、さて伊波禮彦(ノ)天皇よりこなた、生《アレ》つぎましゝ御孫(ノ)命は、專らやまとの國に宮しきましたるをいふ、
 
神之御言《カミノミコトノ》、 今本に神之書、一本に盡《コト/”\》と有も共に言たらず、天皇を神と申すは常ながら、只神のこと/”\とのみいひては、こゝには穩ならざるなり、こは下に同じく神之御言能と、二度いひて事を分ちたるを思ふに、こゝも神之|御言《ミコト》と有しを、盡の一字になりしものなり、乃て改、
 
樛木乃《ツガノキノ》、 冠辭、
 
彌繼嗣爾《イヤツギツギニ》、天下《アメノシタ》、所知食來《シロシメシケル》、 次に倭乎置といふまでつづくなり、今(ノ)本、食|之乎《シヲ》と有て、こゝを句とせるよりは一本まさりぬ、
 
虚見《ソラミツ》、 冠辭、今本、天爾滿《ソラニミツ》と有は例に違ひつ、【虚見てふ言多けれど、皆四言なるを、こゝのみ五言ならんや、且滿の字を借しも心ゆかず、古本に依、】
 
倭乎置《ヤマトヲオキ》、 六言、置は捨置なり、【今本倭乎置而とあれど、一本此而の無を用、】
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
平山越而《ナラヤマコエテ》、 今本、平山|乎《ヲ》越と有よりも一本、平山越而とて、下のあふみの國へ隔て懸るに依、
 
何方《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、 一本所念計米可とあり、
 
天離《アマザカル》、 冠辭、
 
夷者雖有《ヒナニハアレド》、 【夷てふ言の事は別記にいふ、】
 
石走《イハヾシノ》、 冠辭、
 
淡海國乃《アフミノクニノ》、樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
大津宮爾《オホツノミヤニ》、 今の大津なり、
 
天(ノ)下、所知食兼《シロシメシケン》、天皇之《スメロギノ》、神之御言能《カミノミコトノ》、 こゝは天智天皇を申、
 
大宮者《オホミヤハ》、此間等雖聞《コヽトキケドモ》、大|殿《トノ》者、此間等|雖云《イヘドモ》、 宮といひ殿と云も異ならず、文《アヤ》にいふのみ、
 
霞立《カスミタツ》、春日香霧流《ハルビカキレル》、 【今本、春草|之《ノ》、茂(ク)生|有《タル》、霞立、春日之霧流と有は、歟《カ》を之(ノ)に誤りしか、さなくては聞えず、一本ぞ明らかなる、又之をがとよむ事もあれど、こゝにかなはず、】
 
夏草香《ナツクサカ》、繁成奴留《シゲクナリヌル》、 世に名高き此宮どころは、まさにこゝぞと聞、こゝぞといへども、更に春霞の立くもりて見せぬ、夏草か生しげりて隱せると疑ふなり、春霞と云て又夏草といふは、時違ひつと思ふ人有るべけれど、こは此宮の見えぬを、いかなることぞと思ひまどひながら、をさなくいふなれば、時をも違へておもふこそ中々あはれなれ、後のものに目は違ひながらよめるといへるもこれに同じ、
 
百磯城之《モヽシキノ》、 冠辭
 
大宮處《オホミヤドコロ》、見者左夫思母《ミレバサブシモ》、 その宮殿の見えぬは疑ひながら、見るに、うら冷《スサ》まじく物悲しきなり、佐夫思は集中に、冷、不樂、不怜など書つ、然れば後世もの閑けき事にさびしと云は轉じたるなり、今本、見(レ)者悲毛と有もさる事なれど、猶一本による、何ぞなれば、此宮の無ことを猶うたがひて長歌にはいひ、反歌にいたりて思ひしれる意をいへれば、こゝは只|左夫《サブ》しと有ぞよき、下の此人の歌にも此さまなるあり、巧みの類ひなきものなり、
 
 反 歌
 
30 樂浪之《サヾナミノ》、 冠辭
 
思賀乃辛崎《シガノカラサキ》、雖幸有《サキカレド》、 何にてもかはらで有を、幸《サキ》く有といへり
 
大宮|人《ビト》之、船麻知兼津《フネマチカネツ》」、 大宮人の遊びし舟のよするやとまてど見えこず、只この辛崎のみもとの如くて在といふなり、卷二に、(此天皇崩給ふ後、)「やすみしゝ、わご大きみの、大御船、待か戀なん、志賀の辛崎、」(卷十四、かぐ山の歌)「百しきの、大宮人の、退《マカリ》出て、あそぶ船には、梶さをも、なくて不樂《サブシ》も、こぐ人なしに、」などいふたぐひなり、
 
31 左散難彌乃《サヾナミノ》、志我能大和太《シガノオホワダ》、 一本、比良乃とあり、いづれにても有ぬべし、
 
與杼六友《ヨドムトモ》、 神代紀に、わだのうらてふ事を、曲浦と書しに同じく、和太は入江にて水の淀なり、
 
昔人二《ムカシノヒトニ》、將會跡母戸八《アハントモヘヤ》、 水はかく淀もあれど、過ゆく世人はとゞまる事なきを、昔人にあはんと思はめや、船待かねしははかなかりきと、今ぞ知たるなり、○將會跡母戸八とは、只あはめやてふ事なるを、そは心に念ふものなれば、念てふ言を加へていふのみ、下に忘めやてふ事を、忘而念哉《ワスレテモヘヤ》といへる類なり、今本、亦母《マタモ》相目八毛と有も、さる事なれど、言の古きにより、右の例にも依て一本を用、【おもへのおを略て、もへと云は、古への例ぞ、】
 
○高市(ノ)連|黒《クロ》人|感2傷《カナシミテ》近江(ノ)舊堵《フリヌルミヤコヲ》1作歌、 今本にこゝを高市古人と有はとらず、こは歌の初の句をよみ誤りてより、さかしらに古人とせしものなり、仍て一本によりぬ、且黒人の傳はしられず、【黒人同じ舊都をかなしめる歌、(卷十四)にも出たり、そは後に一つの傳へを聞て、家持歌集に書しものなり、○堵は都に同じ、】
 
32 古《イニシヘノ》、 古一字を初句とせし例下に多し、さて古今六帖に此歌を、いにしへのと有は、古き時の訓ののこれるものなり、次の句の訓はわろかりし、
 
人爾和禮有哉《ヒトニワレアレヤ》、 今本あるらめやと訓しは誤りぬ、
 
樂浪乃《サヽナミノ》、故京乎《フルキミヤコヲ》、見者悲寸《ミレバカナシキ》」、 こゝを見て甚悲きは、我こゝの古へ人にあればにやあらんと先いひて、立かへりさはあらぬを、いかでかくまでは思ふらんとみづからいぶかるなり、
 
33 樂浪乃《サヽナミノ》、國都美神乃《クニツミカミノ》、 志賀(ノ)郡などをしきます神をいふ、卷十七に、美知乃奈加《ミチノナカ》、(越中國をいふ、)久邇都美可未波《クニツミカミハ》と有にひとし、【こゝをうしはき給ふは日枝《ヒエ》の大山|咋《グヒノ》神なれど、この歌にてはそれをさすまでもなし、〇是を美《ミ》神の浦といふ浦の名と思へるは、いふにもたらず、又後の歌に此うらさびを、浦わの淋しき事とせるも誤なり、】
浦佐備而《ウラサビテ》、 浦は借字にて、心といふに同じ、佐備は、下に不樂不怜などかき、(卷十三)佐備|乍《ツヽ》將居《ヲラン》ともよみて、心の冷《スサマ》じく和《ナグ》さめがたきをいふ、こゝは國つ御神の御心の冷《スサ》び荒びて、遂に世の亂をおこして、都も荒たりといふなり、此言にさま/”\あり、別記に委、
 
荒有京《アレタルミヤコ》、見者悲毛《ミレバカナシモ》、
 
○幸2于紀伊國(ヘ)1時、川島(ノ)皇子(ノ)御作歌、 紀に、(持統)朱鳥四年九月此幸あり、川島皇子は天智天皇の皇子なり、紀に出、
 
34 白《シラ》□《神《カミ》・良》乃《ノ》、 今本に白浪のと有は古歌の續にあらずと荷田うしのいひしはさる事なり、今考るに、(卷十)同國に白神之磯とよめり、然れば白神の濱とありつらんを、神と浪の草の近きまゝに、且濱に浪をいふは常なりとのみ思ふ後世心もて、白浪とは書しなるべし、又催馬樂に、支《キ》乃久爾乃、之良々《シラヽ》乃波末爾とうたへるによらば、白良と有けんを、四言の有をもしらぬ人、言たらず、浪の畫の落しとてさかしらやしけん、【(卷十)又載しにも白那彌とあれど、かの卷などは私の集にて、打聞まゝに書入し物なれば、いふにたらず、且その那も加の字を誤しにもやあらん、とてもかくても白浪の濱といふべからぬ事は、古歌を知人知べし、】
 
濱松之根乃《ハママツガネノ》、 今本に松之枝と有はよしなし、考るに、(卷十)此歌松|之木《ノキ》と有を、古本には松|之本《ガネ》と有、然ればこゝは根を枝と誤しなり、よしは次々に見ゆ、
 
手向草《タムケグサ》、 草は借字にて種《クサ》なり、即手向の具をいへり、(卷三)相《アフ》坂山|丹《ニ》、手向草、麻取置而《ヌサトリオキテ》とある手向草は、麻幣の事顯はなるもて、こゝをも知べし、【後世人は、木をも草といひ、獣をも鳥といふなどいへる、此手向草を心得違ひて、それよりいへる虚ごとどもなり】
 
幾代左右二賀《イクヨマデニカ》、年乃經去良武《トシノヘヌラム》、(一云、年者經爾計武、) こゝの歌の意は、いと古へに幸有し時、こゝの濱松が根にて、御手向せさせ給ひし事傳へいふを聞て、松は猶在たてるを、ありし手向種の事は、幾その年をか經ぬらんとよみ給へるなり、(卷十四)住の江の、岸の松原、遠神、吾大君の、いでましどころなど、かはらぬ松にむかひて、むかし在けん事をいへる數へがたし、○或人松が枝を結ぶ類かといへるはよしなし、それらの事は契にて、手祭にあらず、且松を手むけとせし例もなし、此外に多くの説あれど皆論にもたらず、
 
○越《コエマス》2勢能《セノ》山(ヲ)1時、阿閇皇女《アベノヒメミコノ》命(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌、 右と同じ度なるべし、勢の山は、紀に(孝徳)畿《ウチツ》國の四方を記すに、南(ハ)自2紀伊(ノ)兄《セ》山1以來とあり、〇この皇女は、天智天皇の皇女にて、日並斯(ノ)皇子命の御|妃《メ》、文武天皇の皇母にませり、後に日嗣しろしめしぬ、
 
35 此也是能《コレヤコノ》、 辭は同じくて意の別なる事を、一つにとりなしていふ時、此言はおくなり、
 
倭爾四手者《ヤマトニシテハ》、我戀流《ワガコフル》、 京に留給ふ御|夫《セ》日並斯(ノ)皇子をのたまふ、
 
木路爾有云《キヂニアリトフ》、 ありとい〔右○〕ふのい〔右○〕を略きてありとふといへり、別記あり、
 
名爾負《ナニオフ》、 別記あり、
 
勢能山《セノヤマ》、 やまとに置て吾戀しむ夫《セ》てふ名を、此|木《キノ》路に在山の負《オヒ》てあるが、なつかしとおぼすよしなり、はかなき事につけても、故郷こひしくおもはるゝは旅なり、【我戀る勢《セ》とつゞく意なるを、其間に他の事を置たるなり、是を隔句といへり、】
 
○幸2于吉野(ノ)宮1之〔右○〕時、柿本(ノ)朝臣人麻呂(カ)作歌、 持統天皇のよし野の幸は、いと多ければ、何の度とはさしがたし、花ちらふてふ言に依に春には有けん、【拾遺集に、此歌を甚しきひがよみしつ、】
 
36 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭、
 
吾大王之《ワガオホキミノ》、所聞食《キコシヲス》、 天下の事を聞しめすなり、惣て身に著《ツク》るを、をすともめすとも云、
 
天下爾《アメノシタニ》、 六言、
 
國者思毛《クニハシモ》、 しもは、事をひたすらにいふ辭、
 
澤二雖有《サハニアレドモ》、 澤は借字にて、物の多きをいふ、
 
山川之《ヤマカハノ》、 こゝと次の二所の山川は、山と川と二つをいふ故に、かはのかを清《スミ》てとなへ侍るなり、
 
清河内跡《キヨキカフチト》、 川の行廻れる所を加波宇知といふ、その波字を約て加布知といへり、さて唱るに加宇知のごとくいふは言便のみ、
 
御心乎《ミコヽロヲ》、 冠辭、
 
吉野乃國之《ヨシノノクニノ》、花散相《ハナチラフ》、 ちるのるを延てちらふといふ、○其所の物もてかざりとする事もあれど、こは猶時のさまをいひしものぞ、
 
秋津乃野邊爾《アキツノノベニ》、 秋津は借字、蜻蛉野なり、この野の名のはじめは、雄略天皇紀にみゆ、
 
宮柱《ミヤバシラ》、太敷座波《フトシキマセバ》、 下津|磐《イハ》根(ニ)宮|柱《ハシラ》太敷立《フトシキタテ》てふ古言にて、それを即天皇のふと敷おはします事にいひなしつ、敷てふ言別記に出、此宮は吉野の夏箕川の下、今は宮(ノ)瀧といふ川|曲《グマ》の上|方《ベ》に、宮瀧てふ村ある所なり、
 
百磯城乃《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》  大御ともの王臣、
 
船並※[氏/一]《フネナメテ》、 ならべてなり、
 
旦川渡《アサカハワタリ》、舟競《フナギホヒ》、夕河渡《ユフカハワタリ》、 一段なり、こゝの言妙なり、競のよみは、(卷二十)布奈藝保布《フナキホフ》、保利江乃可波乃と有による、
 
此川乃《コノカハノ》、絶事奈久《タユルコトナク》、此山乃《コノヤマノ》、彌高良之《イヤタカヽラシ》、 ※[呑の口を日]《マヽ》は香の字を誤か、又良の上にかの字を落せしか、○此四句は山川にそへて幸と宮とをことぶけり、(卷十五)「此山の、盡ばのみこそ、此川の、絶者耳こそ、百しきの、大みやどころ、止《ヤム》時もあらめ、」其反歌に、「神代より、芳野の宮に、在《アリ》通ひ、高しらするは、山川をよみ、」ともよみたり、【こゝのさま、山も川も、實に物よりことに清らに面白し、】
 
珠水激《イハバシル》、 冠辭、
 
瀧之宮子波《タギノミヤコハ》、 宮の前即瀧川なればかくいふ、【子は借字にて宮所なり、】
 
見禮跡不飽可聞《ミレドアカヌカモ》、
 
 反 歌
 
37雖見飽奴《ミレドアカヌ》、吉野乃河之《ヨシヌノカハノ》、常滑乃《トコナメノ》、 常《トコ》しなへに絶ぬ流れの石には、なめらかなる物のつけるものなり、そを即體にとこなめといひなして事の絶せぬ譬にせり、(卷四)「豐初瀬路は、常滑の、畏き道ぞ」てふも川路にて心同、
 
絶事無久《タユルコトナク》、復還見牟《マタカヘリミム》、」
 
38 安見知之《ヤスミシヽ》、 此冠辭はこゝを正字とす、
 
吾大王《ワガオホキミ》、 古事記の古言のまゝに、六言にす、
 
神長柄《カミナガラ》、 長柄は借字、天皇は即神におはするまゝにといふ意なり、紀に(孝徳)惟神我子應治故寄《カンナガラモワガミコノシラサンモノトヨザシマス》、こを古注に、謂d隨《マヽニ》2神(ノ)道1亦自有c神(ノ)道u也といへるをもて思へ、下の藤原宮づくりに役《タツ》民が歌の末に、神隨|爾有之《ナラシ》とよめる是なり、後世にながらといふとは異なり、後世いふは轉々せり、【ながらてふ言の事は、下の須良てふ辭の別記にいへり、】
 
神佐備世須登《カミサビセスト》、 此佐備は進《スサ》みの意にて、心ずさみ手ずさみなどいひて、なぐさみといはんが如し、此言の事別記にくはし、〇下の藤原宮づくりの所には、天の下治め給ふ都の事なれば、食《ヲス》國をめし給はんとよみ、ここは御心なぐさの爲故に、神佐備世須登といふ、
 
芳野川《ヨシノガハ》、多藝津河内爾《タギツカフチニ》、高殿乎《タカトノヲ》、高知座而《タカシリマシテ》、 この歌の別記に云、
 
上立《ノボリタチ》、國見乎爲波《クニミヲスレバ》、 山の際にあれど、高殿よりは、ひろく遠く見ゆべきなり、
 
疊有《タヽナハル》、 冠辭考にいふ、
 
青垣山《アヲガキヤマノ》、山神乃《ヤマヅミノ》、 青垣山てふは、青山の垣の如く在をいふ○山づみは、山をたもちます神をすべていふなり、【青がき山とは、いづこにもいへり、一つの山の名と思へるはひがことぞ、○山づみのみ〔右○〕はもち〔二字右○〕の約にて、山つ持てふ言なり、】
 
奉御調等《マツルミツギト》、 たてまつるを畧きてまつるといふ、(卷十一)「麻そかゞみ、かけてしぬべと麻都理太流《マツリタル》」といへり、他にもあり、
 
春部者《ハルベハ》、 四言、部は方《ベ》の意なり、別記あり、
 
花挿頭持《ハナカザシモチ】、 持は添たる言にて、古きふみどもに例あり、
 
秋立者《アキタテバ》、黄葉頭刺理《モミヂカザセリ》、 一本|黄葉加射之《モミヂバカザシ》と有も、あしからず、されどこゝは定かにいひ切たるに依、
 
遊副川之神母《ユフカハノカミモ》、 かの宮瀧の末に、今はゆ川てふ所有是か、又(卷八)結八川内《ユフバガフチ》とよめる是ならんか、定めがたし、○此句なみは餘れりやたらずやとおぼゆれど、猶例あり、
 
大御食爾《オホミケニ》、仕奉等《ツカヘマツルト》、上瀬爾《カミツセニ》、鵜川乎立《ウガハヲタチ》、 川の上下を多くの人もて斷《タチ》せきて、中らにて鵜を飼ものなれば、斷《タチ》といふべし、(卷十九)に、宇河波多々佐禰《ウガハタヽサネ》、またう川|立《タチ》、とらさんあゆのとも云、【川にといはで、川乎立といふからは、立は借字にて斷ことなるを知べし、】
 
下瀬爾《シモツセニ》、小網刺渡《サデサシワタシ》、 和名抄に、※[糸+麗](ハ)(佐天)網(ノ)如2箕形1、狹(ク)v後(リ)廣(クスル)v前(ヲ)名也と云り、今もさる形なるをさでといふ、卷十九に、平瀬には、左泥《サデ》さし渡し、早瀬にはうをかづけつゝとよみつ、
 
山川母《ヤマカハモ》、 山も川もなり
 
依※[氏/一]奉流《ヨリテツカヘル》、神乃御代鴨《カミノミヨカモ》、 山のかざしとせる花もみぢを、即山(ノ)神のみつぎとし、川にとれる魚を、即河(ノ)神のみつぎとし、山も川もよりなびきつかへまつる、神《カン》すべらぎの御代なるかもといへるきほひ、此ぬし一人のしわざなり、【菅原長根がいはく、古事記に、天孫天降ます始め、大山津見神百取(ノ)机代の物を持しめて、其|女《ムスメ》を仕奉らせ、火々出見命海に入ましゝ時も、海神百取机代の物を捧て、其女を仕奉せたる、即此山神河神の仕奉も均し、是ぞ此國人に教ずして教る道にして、あな恐あなたふと、】
 
  反 歌
 
39 山川毛《ヤマカハモ》、因而奉流《ヨリテツカヘル》、 上にも奉仕の仕を畧きつ、故こゝも奉一字をつかへるとよめり、
 
神長柄《カンナガラ》、多藝津河内爾《タギツカフチニ》、船出爲加加《フナデセスカモ》、 山川のもろ神だちも仕奉る大御神におはしまして、唯今船出し給ふを見奉るが貴きと申すなり、大泊瀬の天皇葛城山の大御狩の時、一言主の大神の送り奉り給ひける御いきほひを思ひあはせらる、
 
○幸2伊勢國(ヘ)1之〔右○〕時、留v京《ミヤコニアリテ》柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作歌、 紀に(持統)六年三月に此伊勢の幸有て、同五月志摩の阿胡《アゴノ》行宮におはせしと見えたり、
 
40 嗚呼兒乃浦爾《アゴノウラニ》、 こは志摩(ノ)國|英虞《アゴノ》郡の浦なり、行宮こゝに在ことを聞て、おしはかりによめるなり、然るを今本|兒《コ》を見に誤て、あみのうらと訓しはみだりなり、(卷十一)古歌とて誦たるに、安胡《アゴ》乃宇良爾、布奈能里須良牟、乎等女良我《ヲトメラガ》、安可毛能須素爾、之保美都良武賀と有は、即この歌なれば、地の名もすべての訓も何をかは求めん、
 
船乘爲良武《フナノリスラム》、※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、珠裳乃須十二《アカモノスソニ》、四寶三都良武香《シホミツラムカ》、」 海をとめこそあらめ、宮女《ヒメトネ》たちの赤ものすそに汐みち來なんは、めづらしく面白き事を思ひたり、【珠は、(卷十一)に依て安可と訓、】
 
41 釧著《クシロツク》、 冠辭、これを今本は字訓ともに誤りつ、
 
手節乃崎爾《タブシノサキニ》、 志摩國|答志《タフシノ》郡の崎なり、それに釧《クシロ》を著る手の節《フシ》といひかけたり、釧は手に纏《マク》物なればなり、【本は多|夫《ブ》志と濁りつらんを、答の字を書しより後、多宇志の如く唱ふめり、】
 
今毛可母《イマモカモ》、 今かなり、二(ツ)の毛は辭、
 
大宮人之《オホミヤビトノ》、玉藻苅良武《タマモカルラム》、」 まためづらしき遊びなり、
 
42 潮左爲二《シホサヰニ》、  潮の滿る時、波の左和具《サワグ》をしほさゐといふ、ゐは和藝《ワギ》の約めなり、(卷四)浪乃鹽左|猪《ヰ》島《シマ》響《ヒヾキ》といひ、(卷十一)おきつ志保左|爲《ヰ》、たかく立きぬなどよめり、
 
五十良兒乃島邊《イラゴノシマベ》、 いらごは参河國の崎なり、其崎いと長くさし出て、志摩のたぶしの崎と遙に向へり、其間の海門《ウナト》に神《カミ》島、大づくみ小づくみなどいふ島どもあり、それらかけて、古へはいらごの島といひしか、されど此島門あたりは、此に畏き波の立まゝに、常の船人すら漸に渡る所なれば、官女などの船遊びする所ならず、こゝは京に大よそを聞て、おしはかりによみしのみなり、【邊《ベ》は方《ベ》と、心通へば書るのみ、へんの字音にいひて、又ほとりの意有と思ふは、後人のひが意得ぞ、】
 
※[手偏+旁]船荷《コグフネニ》、妹乘良六鹿《イモノルラムカ》、荒島囘乎《アラキシマワヲ》、」 俄に潮の滿來て浪のさわぐにぞ、なれぬ妹らがわぶらんことを思ふなり、島囘は島のあたりをいふ、浦|回《ワ》磯|廻《ワ》などいふ皆|和《ワ》のかななり、浦び、浦|箕《ミ》、島|備《ビ》、磯|間《マ》などいへるも、意は相通ひて、言は別なり、○此三くさの初は、宮びめをいひ、次は臣たちをいひ、其次は妹といへれば、人まろの思ふ人御ともにあるを云り、されど言のなみによりて妹といへる事もあれば、そは定めがたし、凡此人の歌かくならべよめるには、其歌ごとへわたして見るに面白き事あり、○此あごのうら、くしろつく、しほさゐのみつは荷田東萬呂うしのよみしまゝなり、
 
○當麻眞人麻呂妻《タギマノマヒトマロガメノ》作歌、 紀にも出し人なり○當麻は紀(履中)に※[口+多]|※[山+耆]《ギ》摩といひ、集にも當を瀧に借たり、後世たへまと云は訛なり、【(卷十三)又載しには、麻呂の下に大夫と有、】
 
43 吾勢枯波《ワガセコハ》、何所行良武《イヅコユクラム》、已津物《オキツモノ》、 冠辭、
 
隱乃山乎《カクレノヤマヲ》、 此山は經《ヘ》給ふ國に有か、猶たゞ伊勢に有か、後にいへる説どもはよりがたし、
 
今日香越等六《ケフカコユラム》、
 
○石上大臣《イソノカミノオホマヘツギミ》從駕《オホミトモニテ》作歌《ヨメルウタ》、 石上朝臣麻呂公は、慶雲元年に右大臣となり給ひて、この持統天皇の御時は、いまだ大臣ならねど、後よりしか書しなり、
 
44 吾妹子乎《ワギモコヲ》、 古は妻を妹といへり、しかるべき事なり、且|和賀伊毛《ワガイモ》の賀伊を約めて和|岐《ギ》毛といふ、故に岐を濁るめり、【雄略天皇紀の注に、稱v妻爲v妹蓋古之|俗《ナラヒ》乎といへるには、いまだよく古を知ぬ人の疑なり、別記有】
 
去來見乃山乎《イザミノヤマヲ》、 いざみのてふはしらねど、式に伊勢國多氣郡に伊佐|和《ワノ》神社、志摩の答志《タフシ》郡に、伊佐波《イザハノ》神社などいふもあれば、此國らの中に伊佐美の山てふも有しにや、又楢山を、葛衣、著楢《キナラ》の山といひ下せし類にて、佐美の山てふ有に、いざみといひかけしにや、
 
高三香裳《タカミカモ》、日本能不所見《ヤマトノミエヌ》、國遠見可聞《クニトホミカモ》、 いざやゝまとなる妹があたりの見ゆやとて、見放れど見えぬは、山の高くて隔るか、おのづから國遠ければ見えぬかとなり、妹こひしらにわびて、ふと思へることゞもを、そのままにいひつゞくるぞ古への歌のこゝろなる、
 
○輕皇子《カルノミコ》、 此條はまだ藤原へうつりまさぬ前なれば、御歳若き時なり、
宿《ヤドリタマフ》2于|安騎野《アキノニ》1時《トキ》、柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)作歌、 古本の傍注に、皇子枝別記を引て、此御事を文武少名河瑠(ノ)皇子、天武(ノ)皇太子草壁皇子(ノ)尊之子也といへる是なり、【此草壁皇子は、日並知皇子とも申したり、】此御父尊、前に、こゝに御獵ありし事、卷二の歌にも見ゆ、故に此たびの御獵もし給ふよし、左の歌に見えたり、○安騎野は、左の歌に阿騎乃大野とよみ、紀に(天武)菟田郡云云到2大野1といひ、式に宇陀郡阿紀(ノ)神社など有にてしらる、○此御ことは王と申べきを、皇子と書しは、後よりたふとみて書か、
 
45 八隅知之、吾大王、 六言、
 
高照《タカヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、 四言、古事記の古言のまゝにかく訓るよしは、冠辭考にいへり、さて天皇の御事を申す言をいひしは、此王他に異なるを知べし、
 
神長柄《カミナガラ》、神佐備世須登《カミサビセスト》、 此句は、次の泊瀬と云より末までかゝる、
 
太敷爲《フトシカス》、京平置而《ミヤコヲオキテ》、 太は廣なり、祝詞に廣數|坐《マス》、又太前とも廣前ともいへり、
 
隱口乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬山者《ハツセノヤマハ》、眞木立《マキタツ》、 四言、眞木は檜にて、深き山に生なり、
 
荒山道乎《アラヤマミチヲ》、 荒《アラ》は生《アレ》ながらのことにて人氣になれぬをいふ、○今初瀬寺の傍に宇陀へ越る坂路あり、古へも此道なるか、
 
石根《イハガネノ》、楚樹押靡《シモトオシナベ》、 しもとゝは繁本《シゲモト》の略にて、弱《ワカ》き木立の茂きをいふ、本とは木の事なり、さて其茂きわか木どもを、百千の御とも人の、押なびかして越るさまをしらせたり、○今本、楚を禁に誤りたり、
 
坂鳥乃《サカトリノ》、 冠辭、
 
朝越座而《アサコエマシテ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
夕去來者《ユフサリクレバ》、 去は借字なるよし上にいひつ、
 
三雪落《ミユキフル》、 此時冬なり、【三雪の三は眞《マ》也、後世此三を深と書は、古へなき事なり、み山み谷なども眞とほむるに、大きなる事も深きこともこもりて有、】
阿騎乃大野爾《アキノオホノニ》、旗須爲寸《ハタズヽキ》、 此もの冠離考に委し、
 
四能乎押靡《シノヲオシナベ》、 すゝきのしなひを押なびかしなり、物のしなへたるをしのとはいふ、なよ竹にしのといふ類是なり、後世繁き事をしのといふと思ふは誤なり、そをばしゞとこそいへ、
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
多日夜取世須《タビヤドリセス》、 せさせますてふをつゞめてせすと云、
 
古昔念而《イニシヘオボシテ》、 かの御父尊を戀給ふなり、
 
 反歌、 今本こゝには短歌とあれど、今反歌とす、その理りは別記にいふ、
 
46 阿騎乃野爾《アキノノニ》、 今本野を落せり、
 
宿旅人《ヤドルタビビト》、 御ともの人々、
 
打靡《ウチナビキ》、 【打靡を、なびくとよむと、なびきと訓とわかちあり、そは冠辭考にいひつ、】
 
寐毛宿良目八方《イモネラメヤモ》、 ねられめやのれを略く、目は一本による、○寢《イ》は禰入る事、禰はなゆる事、打なびきは、其なよゝかに臥さまをいふなり、惣ていはゞ、身をなよゝかになびけ臥て、ねいられめやなり、
 
古部念爾《イニシヘオモフニ》、」 こは臣たちの心をいふ、
 
47 眞草苅《マクサカル》、 檜を眞木とほめいふ類にて、こはすゝき茅《チ》などの高がやをいふ、
 
荒野二者雖有《アラノニハアレド》、 右の荒山といふに意同じ、〇二の字一本による、
黄葉《モミヂバノ》、過去君之《スギニシキミガ》、 人の身まかれる事を譬て、黄葉の、過|去《ニシ》人といへる集中にいと多し、然ば今本葉の上に黄字のなきは、必落たる物しるければ加へつ、さてこそ次の語どもゝ明かなれ、【黄の字落し事は、契沖もいひつ、又今本の訓はいふにもたらず、】
 
形見跡曾來師《カタミトゾコシ》、」 過《スギ》いに給ひし御父尊の形見とてぞ、ここにおはしましたりとなり、(卷十五、人萬呂歌集の歌)鹽氣たつ、ありそにはあれど、行水の、過にし妹が、かた見とぞ來し、てふも同じ意なり、
 
48 東《ヒムガシノ》、 東を一句とせし例、下におほし、【今本にあづまののけむりのたてると訓しは、何の理りもなくみだり訓なるを、それにつき、あづま野てふ所有とさへいふにや、後人のいふ事はかくこそあれ、】
 
野炎《ノニカギロヒノ》、立所見而《タツミエテ》、 炎は(卷十五)炎乃《カギロヒノ》春爾之成者とよめり、此言は火の光を本にて、朝夕の日かげ、陽炎などをもいふ、こゝは明る空の光の立をいふ、冠辭考に委し、
 
反見爲者《カヘリミスレバ》、月西渡《ツキカタブキヌ》、」 曉東を見放れば、明る光かぎろひぬるに、又西をかへり見れは、落たる月有といふなり、いと廣き野に旅ねしたる曉のさま、おもひはかるべし、
 
49 日雙斯《ヒナメシ》、 四言、
 
皇子命乃《ミコノミコトノ》、馬副而《ウマナメテ》、 副はそひ並ぶ意、
 
御獵立師斯《ミカリタヽシヽ》、時者來向《トキハキマケリ》、 今本きむかふと訓は、意はさることながら、ことば古へにあらず、【卷十九に、春過而、夏來向者と有をも、きまければと訓べし、】○卷二に此日並斯(ノ)尊の殯宮の時の歌に、毛《ケ》ごろもを、春冬とりまけて、幸之《イデマシヽ》、宇陀の大野は、思ほえんかもてふ即こゝのことなり、
 
○藤原宮之役民作歌《フヂハラノオホミヤヅクリニタテルタミガヨメルウタ》、 此宮は持統天皇朱鳥四年よりあらましの事有て、八年十二月ぞ清御原宮よりこゝに遷りましつ、その初め宮造りに立民の中にこの歌はよみしなり、○宮の所は十市郡にて、香山耳成畝火の三山の眞中なり、今も大宮|殿《ドノ》と云て、いさゝかの所を畑にすき殘して、松立てある是なり、○役の字を今はえだちとよめど、えは役の字音にて、古言にあらず、集中にたつたみとよめるぞ、これにはかなへり、且造藤原宮と書べきを略に過たり、仍て其意を得て訓《ヨム》は、古書の例なり、【令に起《タヽス》2丁匠(ヲ)1と有これなり、】
 
50 八隅知之《ヤスミシヽ》、吾大王《ワガオホキミ》、高照《タカヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、 前に出、
 
荒妙乃《アラタヘノ》、 冠辭、
 
藤原我字倍爾《フヂハラガウヘニ》、 此所今は畑と成つれど、他よりは高し、古はいよゝ高き原なりけん、仍て上といふ、
 
食國乎《ヲスクニヲ》、賣之賜牟登《メシタマハント》、 天の下の臣民を、召給治給ふ都なればいふ、
 
都宮者《ミアラカハ》、高所知武等《タカシラサムト》、 上に太敷す、京をおきてとよめるは、京を惣いへり、こゝは專ら宮殿の事なれば、卷二に御在香《ミアラカ》乎、高知|座《マシ》而と有に依てよみつ、みあらかは御在所にて即宮をいふ、
 
神長柄《カンナガラ》、 既にいへり、
 
所念奈戸二《オモホスナヘニ》、 奈戸二は並《ナミ》にてふ言にて、おもほせるままにてふ意と成ぬ、別記あり、
 
天地毛《アメツチモ》、縁而有許曾《ヨリテアレコソ》、 上に山川も因而つかへる神ながらとよみし類にて、此大営造に、天つ神國つ神も御心をよせ給てあればこそなり、○此言どもは、末に諸の國の宮材どもを奉り、民どもゝいそしくつかへまつるをいふに皆冠らす、
 
磐走《イハバシノ》、 冠辭、
 
淡海乃國之《アフミノクニノ》、衣手能《コロモデノ》、 冠辭、
 
田上山之《タナガミヤマノ》、 栗本郡、
 
眞木佐苦《マキサク》、 四言、
 
檜乃嬬手乎《ヒノツマデヲ》、 つまでとは、杣人の木《コ》造りせし木をいふ、こゝは其割造れる檜の材《ツマデ》てふ意にて、かくいひ下したり、【嬬手の事、冠辭の麻の部にいへり、】
 
物乃布能《モノヽフノ》、 冠僻、
 
八十氏河爾《ヤソウヂガハニ》、 是も冠辭考にくはし、
 
玉藻成《タマモナス》、 成は如なり、
 
浮倍流禮《ウカベナガセレ》、 下に者を畧、
 
其乎取登《ソヲトルト》、散和久御民毛《サワグミタミモ》、 田上の材を、その川より宇治まで流して、宇治にてとりとゞめて筏に作り、淀川より泉川をさかのぼせて、藤原へいたらす、
 
家忘《イヘワスレ》、身毛多奈不知《ミモタナシラズ》、 國々より参れる民どもの、わが家をもおもひたらず、身の上をもたねらひしらず仕へまつるといふなり、【多奈不知てふ言は別記にいふ、】
 
鴨自物《カモジモノ》、 冠辭、
 
水爾浮居而《ミヅニウキヰテ》、 こゝは暫切て、下の百不足、五十日太爾作云云てふへつゞくるなり、かく樣に上に條々《オチ/\》の事をいひ擧て、下の一所へ落すこと、歌にも文にも有なり、
 
吾作《ワガツクル》、 民の吾なり、
 
日之御門爾《ヒノミカドニ》、 六言、藤原の宮をいふ、
 
不知國依《シラヌクニヨリ》、 諸の國よりも奉ればかくいふのみ、
 
巨勢道從《コセヂヨリ》、 これは其諸の不v知國々より奉る中に、一つの道の事をいひて、他の道々よりもまゐるをしらせたり、故に從の下に陸より奉る事をば惣て畧、【巨勢は藤原の南高市郡にて、紀伊吉野宇智などの方の材を陸より奉る道なり、】
 
我國者《ワガクニハ》、常世爾成牟《トコヨニナラム》、圖負留《フミオヘル》、神龜毛《アヤシキカメモ》、新代登《アタラヨト》、 この五句は、ことほぎの言をもて、句中の序として、さて出《イヅ》といひかけたり、神龜は他國に龜(ノ)負v圖出2洛水1てふ事有を思ひよせていふなるべし、【まぢかく天智天皇の御時、神龜の出し事紀に見ゆれど、それをいふにもあらじ、】○新代とは、新京に御代しろしめすをいふなり、(卷十四、十五)など、久邇の新京の事をもしかいひつ、
 
泉乃河爾《イヅミノカハニ》、 山城國相樂郡の河なり、
 
持越流《モチコセル》、 右の不知國依てふ中に、此川へ持こすべき方も有べし、それらはこゝにて筏として、藤原の宮所へ川のまに/\上すなり、上の田上の材の宇治にて筏とせしも、同しくこゝへ至りてのぼするなり、【上の宇治に筏とせし事は、こゝの言を待て知べし、】
 
眞木乃都麻手乎《マキノツマデヲ》、 又此言をあげいはでは、次の言のいひがたければなり、かく樣の所に心せし物ぞ、
 
百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
五十日太爾作《イカダニツクリ》、泝須良牟《ノボスラム》、 良牟といふは、田上の宮材に仕奉るものゝおしはかりていへるなり、
 
伊蘇波久見者《イソハクミレバ》、 事をよく勤るを、紀にいそしといへり、
 
神隨爾有之《カ|ミ《ン》ナガラナラシ》、 上にもいへる言を、二たびいひて結びたり、このたびの民どもの中に、いかなる人の隱れをりて、かゝる歌をしもよみけん、時なるかな、
 
○從《ユ》2明日香(ノ)宮1遷2居《ウツリマセシ》藤原(ノ)宮(ニ)1、之|後《ノチ》、 此事既出、
 
志貴《シキノ》皇子(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌、 居は此皇子をさすのみ、〇こは天智天皇の皇子にて、靈龜二年に薨給ひぬ、さて光仁天皇の御父にてませば、後に追尊みて春日(ノ)宮(ニ)御宇《アメノシタシラス》天皇と申せり、
 
51 ※[女+委]女乃《タワヤメノ》、 ※[女+委]は注に弱好(ノ)貌といへば、手弱女てふ言に書つらん、※[女+采]女と書は後の誤とす、
 
軸吹反《ソデフキカヘセ》、 吹かへすと訓しはわろし、
 
明日香風《アスカカゼ》、 佐保風、伊香保風などの如く、其所に吹風をいふ、
 
京都乎遠見《ミヤコヲトホミ》、無用爾布久《イタヅラニフク》、 こゝ宮|所《コ》なりし時、花の如き袖吹わたりし風の、今はたゞよしなくのみふきぬる哉、むかしべに吹かへせかしと、風によせて歎き給へり、
 
○藤原(ノ)宮(ノ)御井《ミヰノ》歌、 歌に藤井か原とよめる、即こゝに上つ代より異なる清水有て、所の名とも成しものぞ、香山の西北の方に今清水有といふは是にや、
 
52 八隅知之、和期《ワゴ》大王、高|照《ヒカル》、日之|皇子《ミコ》、 下に我てふ事を和|呂《ロ》ともあるは、和禮|良《ラ》を約め轉ぜし言なり、然ればこの呂と期と通ふまゝに、和期とは云にて、我等之《ワレラガ》てふ言なり、
 
麁妙乃《アラタヘノ》、 冠辭、
 
藤井我原爾《フヂヰガハラニ》、大御門《オホミカド》、始賜而《ハジメタマヒテ》、 御門といふに宮殿はこもれり、
 
埴安乃《ハニヤスノ》、堤上爾《ツヽミノウヘニ》、 卷二にも埴安の池の堤とよみたり、こは香山の尾長く、池の東北までに廻りてありしが、それに引つゞきて、西の方に大なる堤の有つらんをいふべし、
 
在立之《アリタヽシ》、 むかし今と絶せず在ことを、在通ふ、在|乍《ツヽ》などいへり、然ば天皇はやくより此堤に立して、物見放給へりしをいふなり、
 
見之賜者《メシタマヘバ》、 之《シ》といふはあがめ辭にて、見させ給ふといふに同し、【見しをめしといふは、古へは見る事を目《メ》といひしなり、下に例あり、】
 
日本乃《ヤマトノ》、 此下に幸2于吉野宮1時、倭爾者、鳴而歟來良武とよめるは、藤原(ノ)都|方《ベ》を倭といへるなり、然れば香山をもしかいへる事知べし、後にも山(ノ)邊郡の大和《ヤマト》の郷といふは、古は大名《オホナ》にて、其隣郡かけて、やまとゝいひしなり、故に此言あり、此事別記に委しくす、
 
青香具山者《アヲカグヤマハ》、 青とは木繁く榮るをいふ、次の山々もしかり、
 
日經乃《ヒノタテノ》、大御門爾《オホキミカドニ》、 紀に(成務)以2東西(ヲ)1爲2日(ノ)縱1、南北爲2日横1といへり、こゝは其日(ノ)縱の初の方もて、香山は東御門に當るをいへり、
 
春山跡《ハルヤマト》、 今本跡を路に誤、
 
之美佐備立有《シミサビタテリ》、 春はことに茂《シミ》榮ればいふ、○此佐備は、神さびを畧くなり、
 
畝火乃《ウネビノ》、 是は高市郡なり、
 
此美豆山者《コノミヅヤマハ》、 美豆《ミヅ》はほむる言なり、冠辭のみづ/”\しの條に委、
 
日緯能《ヒノヨコノ》、大御門爾、 日のよこは南北にて、南を先とする時は、畝火は南の御門に當れり、
 
彌豆山跡《ミヅヤマト》、山佐備伊座《ヤマサビイマス》、 こゝにいますといひ、次に神さび立といへれば、上も神さびの畧なるを知ぬ、其山を即神とするは例なり、
 
耳爲之《ミヽナシノ》、 今本に耳高とあれど、こゝは大和の國中の三の山をいひて、その三の一つの耳成山ぞ、北の御門に當るなれば、爲を高に誤し事定かなり、故に改たり、【(卷十五)都禮母|無《ナキ》の無を爲に誤し類なり、】
 
青菅山者《アヲスカヤマハ》、 こは一の名にあらず、上の二山にほめたる言有が如く、常葉なる山菅もて耳成の茂《シミ》榮るをいふ、
 
背友乃《ソトモノ》、大御門爾、 紀に(成務)山(ノ)陽《ミナミヲ》曰2影面《カゲトモト》1、山(ノ)陰《キタヲ》曰2背面《ソトモト》1と有て、此耳成は北の御門に當りぬ、○友は借字、
 
宜名倍《ヨロシナヘ》、 上にいへる如く、よろづ備り並《ナメ》たるといふなり、委は別記にあぐ、
 
神佐備立有《カミサビタテリ》、 上にいへり、【右三山、東南北の御門に正しくはあたらねど、凡をもていふなり、】
 
名細《ナクハシ》、 四言、名高き事なり、冠辭、
 
吉野乃山者《ヨシノノヤマハ》、影友乃《カゲトモノ》、 右に云り、
 
大御門|從《ユ》、雲居爾曾《クモヰニゾ》、遠久有家留《トホクアリケル》、 南の御門に當りて、遠く見放らるゝは吉野山なり、其外もあれど專ら成を云のみ、
 
高知也《タカシルヤ》、天之御蔭《アメノミカゲ》、 天は高く敷はへてくにをおほへり、
天知也《アメシルヤ》、 二つの也は辭のみ、
 
日之御影乃《ヒノミカゲノ》、 又其天を知ます日といへり、されど實は只天の御蔭日の御影の成《ナシ》出る水といふのみ、
 
水許曾波《ミヅコソハ》、 右は上つ代より唱へ傳たる古言を、事につけてあやにいひなせるなりけり、【此紀と祝詞の意、こことはことなれど、古言の例に引なり、】紀に(推古)二十年正月、大みうたげの日、蘇我(ノ)大臣、ことぶきまつれる歌に、夜須彌志斯《ヤスミシヽ》、和餓於朋耆彌能《ワガオホキミノ》、※[言+可]句理摩須《カクリマス》、阿摩能椰蘇河礙《アマノヤソカギ》、異泥多々須《イデタヽス》、彌蘇羅烏彌禮麼《ミソラヲミレバ》、 云云、祝詞に、瑞【能】御舍【乎】仕奉【※[氏/一]】《ミヅノミアラカヲツカンマツリテ》天(ノ)御蔭日御蔭【登】隱坐【※[氏/一]】《ミカゲヒノミカゲトカクリマシテ》とも有、
 
常爾有米《トコシヘナラメ・ツネニアリナメ》、御井之清水《ミヰノマシミヅ》、」 堀設し水はかるゝ事有を、天の御蔭日の御蔭に依て、自ら涌出る水こそ、常しなへにあらんといふなり、○しみづを常の例によりて、眞《マ》の言をそへて調《シラ》べをなしぬ、○今本こゝに短歌と書て、左の歌を右の長歌の反歌とせしは、歌しらぬものゝわざにて、左の歌は必右の反歌にはあらぬなり、是は此所に別に端詞の有しが落たるか、又は亂れたる一本に、短歌と有しを以て、左の歌をみだりにこゝに引付しにも有べし、故左は別歌とす、
53 藤原之《フヂハラノ》、大宮都加倍《オホミヤヅカヘ》、安禮衝哉《アレツゲヤ》、 衝は借字にて、生繼者《ウマレツゲバ》にやなり(卷十三)、神代|從《ヨリ》、生繼來者《アレツギクレバ》、人|多《サハ》爾、國には滿て、(卷十五)、八千年爾、阿禮衝之《アレツガシ》つゝ、天の下、しろしめしけんといへるたぐひなり、
 
處女之友者《ヲトメガトモハ》、 處女は少女なり、友は輩《トモガラ》なり、卷十六に、ねぢけ人の友、紀に(神武)宇介譬餓等茂《ウカヒガトモ》など云に同じ、
 
之吉召賀聞《シキメサルカモ》、 之吉は重々《シゲ/\》なり、さて此大みやづかへにとて、少|女《メ》が伴《トモガラ》の多く生《ウマ》れ續けばにや、頻に召たてらるゝよと云なり、姫天皇におはせば、女童を多く召ことありけんを、それにつけてよし有て此歌はよめるなるべし、かゝれば必右の反歌ならず、
 
●下の端詞に、かく黒きしるししたる所の歌どもは、こゝに入べきなり、
 
○大寶(ノ)元年《ハジメノトシノ》辛丑秋|九月《ナガツキニ》、太上天皇《オホスメラミコト》、 こは持統天皇を申す、
 
幸2紀伊國1時(ノ)歌、 文武天皇紀に、今年今月同國幸の所には、天皇とのみあり、此集(卷十)には、同じ度の幸を、太上天皇大行天皇としるし、今こゝには天皇を申さずして、各ことなるこそおぼつかなけれ、是を強ていはば、紀と此卷とは、互に一御事を落せしにて、共に太上天皇・天皇とありけんか、【(卷十)大行天皇と有は、天皇おはしまさぬ後申すことなれば、此一二の卷などに書ことならぬよしは、此下にも別記にもいふ、○太上天皇を、おほすべらみことゝ申は、大后をおほきさきと申例なり、】
 
54 巨勢山乃《コセヤマノ》、 藤原の京より、巨勢路を經て、木の國へ行なり、
 
列々椿《ツラツラツバキ》、 本たちの多く生つらなりたる椿をいふ、下に八峯《ヤツヲ》の椿つら/\にともいへり、【重字をかくの如く書は、やまともからも古へは皆しかり、】
都々良々爾《ツラツラニ》、 上の列々を轉じて、ねもごろにつらねつらね見思ふことにいひなせるなり、
 
見乍思奈《ミツヽオモフナ》、 奈は、言をいひおさへる辭、
 
許湍乃春野乎《コセノハルノヲ》、 今は九月にて、花さかん春を戀るなり、○つばきを多く植おくは、子《ミ》を採て油とせん爲なり、皇朝は此ものことなるにや、から國へ此油を贈給へること、紀に見えたり、
 
右一首|坂門《サカトノ》人足、是と次の調首淡海とは目録にもしるさず、又一本には小字に書たり、然ればいと後世人の書しものなり、いか成物に依けん、捨もしつへし、
 
55 朝毛吉《アサモヨシ》、 冠辭、
 
木人乏母《キビトトモシモ》、 紀の國を、本は木の國と書り、
 
亦打山《マツチヤマ》、 下に木路に入|立《タツ》信土《マツチ》山とよみて、大和に近きほどの紀伊の山なり、【亦打とは、多宇の約|都《ツ》なれば、借て且たはれ書たるにて、實は眞士の意なり、】
 
行來跡見良武《ユキクトミラム》、樹人友師母《キビトトモシモ》、 (卷十)「あさもよし、木方《キベ》ゆく君が、信土山、こゆらんけふぞ、雨なふりそね」ともよみて深き山なることしらる、伊勢物語に、「するがなる、宇つの山べの、うつゝにも、夢にも人に、あはぬなりけり」てふ如く、ところの人の行來すら見ること稀にて、物さびしき山路に入て、心ぼそくおもふさまをいへるなり、○或説に、幸の御ともの往來を見らん人の少きをいふといへるは、ふとはさ思ふべけれど、よく考へざるなり、このよみ人は、幸よりいと先だつか、おくれて行かにて、いと物さびしさに、あはれ所の人めもあれかしと思ふ心よりよめるのみ、見るらんといふを略て、見らんといへるも多かれど、ごゝはかのあはんと思へやてふおもへは、心に念ふ事故にそへていふが如く、目に見る事故に見らんの言を添たるなり、かかる古へぶりの歌のことばには後世こと狭くいひならへると異なるも有めり、
右一首、調《ツキノ》首淡海、 右にいへるに同じ、下もしかなり、○此人は紀に(天武)見えつ、△或本(ノ)歌、56 河上乃、列々椿都々良々爾、雖見安可受《ミレドモアカズ》、巨勢能春野者《コセノハルノハ》、 こは春見てよめる歌にして、此夏の事にあらず、後にこゝに註せしものなるを、今本に大字に書しはひがことなり、【注に、春日藏首老が歌とす、】
 
〇二年《フタトシノ》壬寅冬|十月《カミナヅキニ》、太上天皇《オホスメラミゴト》幸2于參河國(ヘ)1時《トキノ》歌、 此幸の事は紀に見ゆ、○冬十月の三字、例に依て加、
57 引馬野爾《ヒクマノニ》、 遠江國敷智郡にあり、別記に委し、
 
仁保布榛原《ニホフハギハラ》、 秋はぎの色をいふ、榛は借字なるよし、別記に有、
 
人亂《イリミダリ》、 いりみだらしてふ言なるを、良志の約め利なればみだりと云は、古言の例ぞ、
 
衣爾保波勢《コロモニホハセ》、 はぎが花を分れば、衣に色のにほひつく事、下の歌にあまたよめり、且にほはせとは、かたへの人にいひ負る語ながら、わが事も中にこもれるは、歌の常なり、
 
多鼻能知師爾《タビノシルシニ》、 下に清江娘子が長皇子に奉る歌にも、「草枕、たび行君と、しらませば、岸の黄土《ハニフ》に、にほはさましを」と讀て、旅には摺衣きる古へのならひなり、仍てはぎににほはせてよ、旅人の手ぶりせんとよめるなり、【摺衣は、古へ御狩御遊にも旅にも着ること見ゆ、】
 
右一首、長(ノ)忌寸|奥《オキ》麻呂、 此人紀には見えず、卷二また(十四)意寸《オキ》麻呂とあり、末に歌にもよみ入つ、
 
58 何所爾可《イヅコニカ》、船泊爲良武《フナハテスラム》、 船の行到を、古へははつるといへり、
 
安禮乃崎《アレノサキ》、 此度經給ふ、伊せをはり三河のうち、何れにや、
 
※[手偏+旁]多味行之《コギタミユキシ》、 こぎめぐり行しなり、たみの言に、囘又轉の字をも書つ、
 
棚無小舟《タナナシヲブネ》、 大船にはふなだなとて、楫子《カコ》のありきする板有を、小舟にはなければしかいふ、此人此歌の心によめる、(卷十四)にもあり、
 
右一首高市連黒人
 
〇譽謝女王《ヨザノヒメ大君ノ》作《ヨメル》歌、 紀に(文武) 慶雲三年六月卒とみゆ、
 
59 流經《ナガラフル》、 流は借字にで長ら經《フ》るなり、寢衣《ヨルノモノ》のすその長きをいふ、
 
妻吹風之《ツマフクカゼノ》、 妻は端なり、
 
寒夜爾《サムキヨニ》、 十月いでまして十一月かへらせ給へば、その間のことなり、
 
吾勢能君者《ワガセノキミハ》、獨香宿良武《ヒトリカヌラム》、 夫《セ》君の旅ねを、女ぎみの京に在て、ふかく思ひやり給ふ心あはれなり、【夜の物は、衾はもとよりにて、袿をも著、又末にはしたゝれにわた入てもきしとみゆ、或人から文に、寢衣一身有半てふを引しは、こゝの古へをいふに用なし、】
 
○長《ナガノ》皇子(ノ)御作歌、 天武天皇の皇子にて、靈龜元年六月薨給へり、是も京に在てよみ給ふなり、〇長ををさと訓人あれど、續紀に(稱徳)奈賀(ノ)親王てふもあるに依てながとよむ、
 
60 暮相而《ヨヒニアヒテ》、 集には、惣ての夜るをも初夜をもよひとよめり、こゝは其初夜に依て暮と書たれど、こゝろはたゞ夜るの事なり、譬は夕占《ユフケ》てふ事を、(卷四)夜占とも書しが如し、
 
朝面無美《アシタオモナミ》、 夜べ新枕などせし少女は、そのつとめては、恥て面がくしするものなるを序として、隱てふ言にいひかけたり、【無実を今本になしみと訓しは、ひがことなり、下にも此辭を誤れり、上の心を痛見の別記に委くせり、】(卷十二)「暮相而、朝面羞《アシタオモナミ》、隱|野《ノ》乃、芽子は散にき、もみぢ早つげ、」古今六帖に、「ねぐたれの、朝貌の花、秋霧に、面がくしつゝ、見えぬ君哉、」などもよみつ、【羞ははぢとも訓べけれど、後までも、おもなしとはいひて、おもはぢてふ言は聞えざるなり、】
 
隱爾加《カクレニカ》、 女はあらはなるをきらへばいか成隱れ有所に宿りて在らんとおぼすなり、○隱の山隱野ともよみしかば、こゝも所の名にやといふ人あれど、こゝはしからず、
 
氣長妹之《ケガキイモガ》、 氣《ケ》は褻《ケ》にて、月日久しく別れゐたることを氣長くなりぬとも、け長き妹ともいへり、【氣長を、或人、長大息の事といへるは、集中にかなはぬ歌多、】
 
廬利爲里計武《イホリセリケム》、 これも行宮をいほといふ、
 
〇舍人娘子《トネリノイラツメガ》、從駕《オホミトモニテ》作歌《ヨメルウタ》、 卷二に、同じ娘子、舍人(ノ)皇子とよみかはせし歌あり、○氏の下に娘子と書しは、いらつめと訓なり、別記有、
 
61 丈夫之《マスラヲノ》、 今本、丈を大に誤ぬ、
 
得物矢手挿《サツヤタバサミ》、 神代紀に、彦火々出見(ノ)尊は、山の幸《サチ》おはして、弓矢もて鳥獣を得給へば、さち弓さち矢といふ、その意を得て、さちやを得v物矢とは書たり、且さちやを、いとはやくの代よりさつやといひつらん、獵人をさつ人といひ、さつまてふ國の名もしかなり、今本に是をともやと訓しは誤れること、伊勢風土記に、麻須良遠能、佐都夜多波佐美《サツヤタバサミ》、牟加比多知、伊流夜麻度加多、波麻乃佐夜氣佐と有にてしれ、
 
立向《タチムカヒ》、 的に向
 
射流圓方波《イルマトガタハ》、 上は序にて、的形てふ所にいひかけたり、神名式に、伊勢國の多氣(ノ)郡に、服部麻刀方《ハトリベマトガタノ》神(ノ)社あれば、こゝの浦わの名なり、かの風土記に、的形(ノ)浦|者《ハ》、此浦(ノ)地形似v的、故以爲v名也、今已跡絶成2江湖1也といへり、
 
見爾清潔之《ミルニサヤケシ》、
 
●三野《ミヌノ》連岡麻呂(ヲ)入唐《モロコシヘツカハサルヽ》時《トキ》、 古本の傍注に、大寶元年正月、遣唐使民部卿粟田(ノ)眞人(ノ)朝臣以下六十人、乘2船五隻1、小商監從七位下中宮少進美奴連岡麻呂、云云、とあり、考るに續日本紀の今本、今度の遣唐使に、粟田朝臣その外の人はありて、美奴連岡麻呂は見えねど、今本は惣て落たる文多ければいふにたらず、右の注は紀の全き本してしるしつと見ゆれば依ぬ、今本に名闕と注せしは、いと後人のわざなり、【岡麻呂は、靈龜二年正月、正六位上より從五位下に成しことも紀に見ゆ、○入唐と書しは、奈良人のあやまちなり、別記あり、】
 
春日藏首老《カスガクラノオホトオユガ》作歌、 此遣唐使、大寶元年正月命ありて、五月節刀を賜りて立ぬ、老はもと僧にて辨記といひしを、右同年三月に春日|藏《クラノ》首老と姓名を賜り、追大壹に叙られて臣と成しこと、續日本紀に見ゆ、しかれば此歌は、かの三月より五月までによみしなり、仍て是は右の大寶元年九月と有より、上に入べきなり、次憶良の歌も類に依に、是につゞけ載るは、此集の例なり、
 
62 □□□《百船能《モヽブネノ》・百都舟》、 こを今本に在根良と書て、ありねよしと訓しは、必あるまじき事なれば、二くさの考をしつ、【在根良と有に依て、此島には荒峯のよろしきが多しといふめれど、峯の事をふといひ出べき歌にあらず、冠辭にてもさはいひがたし、】その一つに百船のとするは、(卷十一)新羅への使人の歌、毛母布禰乃《モヽフネノ》、波都流對馬能《ハツルツシマノ》、安佐治山《アサヂヤマ》とよみ、(卷十五、みぬめの浦を)百船|之《ノ》、泊停跡《ハツルトマリト》、また卷二に、大船乃、津守之占などあればなり、その字も、例の草の手よりは相まがふべきなり、今一つは百都舟《モヽツフネ》を誤しにや、これもつとつゞくるは右に同じ、されど猶上に依べし、
 
對馬乃渡《ツシマノワタリ》、渡中爾《ワタナカニ》、 此渡の最《モ》中の海は、まことにかしこかりなむ、
 
幣取向而《ヌサトリムケテ》、 平らかならんを祈る、
 
早還許年《ハヤカヘリコネ》、
 
●山上臣億良《ヤマノヘノオミオクラガ》在《アル》2大唐《モロコシニ》1時、憶《オモヒテ》2本郷《ヤマトヲ》1作歌、 右と同じ度なり、紀にその時、無位山(ノ)於《ヘノ》憶良爲2少録1とあり、【やまのへのへはえの如くいふ、○大唐と書も、此時のあやまちなり、】
 
63 去來子等《イザコドモ》、 いざは率なふ言、子どもは諸人をいへり、(卷十四)、去來|兒等《コドモ》、倭部早《ヤマトヘハヤク》、白菅の、眞野のはぎ原、手折てゆかん、卷二十に、伊射子等毛《イザコドモ》、多波和射奈世曾《タハワザナセソ》などよみたり、
 
早日本邊《ハヤクヤマトヘ》、 歸らんてふ言を略、日本と書て、集中に專らはやまとゝよみつ、されどこの歌は、から國へ行てよみしかば、ひのもとゝ訓ことゝ思へる人もあれど、紀に(歌に)大|葉子《ハコ》が新羅に在て、袖ふらさもよ、やまとへむきて、とよみしに和《ナゾラ》へて、或人、なにはへむきてとだによみたり、且右に引(卷十四)の歌は高市黒人のにて、憶良よりは前なるに、此一二句同じければ、かた/”\今をもやまとへと訓ぞ古意なるなり、
 
大伴乃《オホトモノ》、 冠辭
 
御津乃濱松《ミツノハママツ》、 津の國の御津は、西の國へ行かへる船の出入する所なればいへり、且松を家人の待に轉じいふ、
 
待戀奴良武《マチコヒヌラム》、 【ひろくいふべき事を、わざとせばくいへるに、却てあはれなる事あり、かの難波へむきてといひ、三笠の山に出し月かもてふなども同じ、】
 
〇慶雲三(ノ)年丙午秋|九月《ナガツキニ》幸2于難波宮(ニ)1時、 紀に(文武)今年九月幸有て、十月還ましゝと見ゆ、
 
志貴(ノ)皇子(ノ)御作歌、 上に出、
 
64 葦邊行《アシベユク》、鴨之羽我比爾《カモノハガヒニ》、 羽交なり、背をいふ、
 
霜零而《シモフリテ》、 十月なるべし、
 
寒暮《サムキユフベハ》、家之所念《イヘシオモホユ》、 この暮家を今本暮夕和と有て、暮夕をゆふべ、和をやまとゝ訓しは誤りぬ、此卷の字を用る樣、ゆふべとよまんには、暮か夕か一字にて有べし、又やまとの事に和の字をかゝれたるは、奈良(ノ)朝よりこそあれ、藤原朝までは倭の字なる事、この下の歌どもにてもしれ、しかれば此御歌に、和をやまとゝ訓はひがことなり、仍て考るに、家の草を夕和二字に見なして誤りたるなり、此次の歌に家之所偲と有に同じこゝろことばなるをも見よ、さて所につけ、をりにつけたる旅ゐの意を、うるはしくのべ給ひつ、【此末の句を、後世いろ/\に訓しかど、皆ひがことなり、】
 
○長《ナガノ》皇子(ノ)御作歌、 上に出、
 
65 霰打《アラレウツ》、 此度十月還ましたればまだ霰の比にあらず、ただ冠辭なり、
 アラヽマツバラ
 
安良羅松原《アララマツバラ》、 紀に(神功)烏智箇多能《ヲチカタノ》、阿邏々摩菟麼邏《アラヽマツバラ》、摩菟麼邏珥《マツバラニ》、和多利喩祇※[氏/一]《ワタリユキテ》と有は、山城の宇治川の彼《ヲチ》方にあら/\と立たる松原の事、こゝも住の江の松原の疎々《アラ/\》と立たるさまなり、あら/\を畧きてあらゝといふは、うら/\をうら/\、つら/\をつらゝてふ類なり、今本には羅の草を禮に誤、又は上のあられの詞によりて、次もあられぞとして、さかしらに禮と書しにも有べし、とまれ誤しるければ改つ、
 
住吉之《スミノエノ》、 攝津國住吉郡、【住吉を和名抄にも須三與之と有は、其比には既誤しなり、奈良(ノ)朝までは、假字には須美乃|要《エ》とのみ有て、吉宇も古へ多くはえといひしを、いかで古への事を誰も忘れにけん、近江の日吉も、古事記には日|枝《エ》と書、即比えの山の神なれはひえなるを、後にひよしといふは、右と同じ樣のひがことなり、】
 
弟日娘與《オトヒヲトメト》、 紀に(顯宗)倭者彼々茅原淺《ヤマトハソヽチハラアサ》茅原、弟日僕是也《オトヒヤツコラマゾコレ》とのたまひしは、意計《オケ》弘計《ヲケ》の二王の、御兄弟なるをのたまひぬ、後世も兄弟の事をおとゝひといへり、然ればこゝも、はらからの遊行女婦《サブルコ》がまゐりしをもて、かくよみ給ふならん、
 
見禮常不飽香聞《ミレドアカヌカモ》、 愛《ウツク》しと思ふ娘どもと共に見れど、此松原の氣しきは氣壓《ケオサ》れず面白しとなり、娘をも松原をも並べてめでませり、
 
○太上天皇《オホスメラミゴト》幸2于難波宮1時歌、 此下五首も、右の大寶元年とあるより前に入べき事、かの美野連云云の如し、かくて此太上天皇はおりゐまして六年、大寶二年の十二月崩給ひき、然るを右に慶雲三年と標したる下に載べきにあらず、是も亂れ本を仙覺が校合せし時、よく正さゞるものなり、
 
66 大伴乃《オホトモノ》、 冠辭、
 
高師能濱乃《タカシノハマノ》、 和泉國大鳥郡に此濱はあり、難波へ幸としるせれど、隣國へは幸もあり、大御ともの人の行到てよみし類も多し、
 
松之根乎《マツガネヲ》、枕宿杼《マキテシヌレド》、 (卷七)君|之《ガ》手毛、未枕者《イマダマカネバ》とよみ、又枕を纏《マク》といふべきを畧て、まくとのみいへるも多くて、即まくらとする意なれば、是をもまきてしとよみたり、今本の訓は言とゝのほらず、
 
家之所偲由《イヘシシノバユ》、 しのばるゝをしのばゆといふは古言なり、○かく面白き濱の松が根を枕と卷てぬれど、猶故郷の妹が手枕は戀しきとなり、
 
  右一首|置始《オイゾメノ》東人、 紀に置染と書しも、同氏なるべし、
 
67 旅爾之而《タビニシテ》、物戀之伎乃《モノコヒシギノ》、 鷸《シギ》に云かけたり、
鳴事毛《ナクコトモ》、不所聞有世者《キコエザリセバ》、孤悲而死萬思《コヒテシナマシ》、 しぎの鳴は興有事もあらねど、難波わたりの面白き、見る物聞ものにつけて、故郷思ふ心もいさゝかなぐさまるゝよしを、かりにしぎにあづけていへるのみならん、
 
  右作者未詳、 目録にかく有て、その下に高安大島とかけり、然ればもと作者しられざりしを、何のよし有て後に注しけん、好事のわざとみゆ、
 
68 大伴乃、 冠辭、
 
美津能濱爾有《ミツノハマナル》、忘貝《ワスレガヒ》、 所のものを即序とす、
 
家爾有妹乎《イヘナルイモヲ》、忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》、 こは只わすれんやといふ事なり、此類の辭の事は既いひたり、
 
 右一首|身人部《ムトベノ》王、 紀に天平元年正月、正四位下六人部王卒、
 
69 草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
客去君跡《タビユクキミト》、知麻世婆《シラマセバ》、 こを清江娘が長皇子にまいらする歌とする時は、此皇子は今も旅なるに、更に旅行といふは、京へ歸り給ふ時か、
 
岸之埴布爾《キシノハニフニ》、仁寶播散麻思乎《ニホハサマシヲ》、 岸は住江の岸なり、(卷十五)「白波の、千へにきよする、すみの江の、岸の黄土粉《ハニフニ》、にほひてゆかな、」「馬のあゆみ、押てとゞめよ、住のえの、岸の黄土爾《ハニフニ》、にほへてゆかん、且集中に、黄土も赤土もはにとよみ、和名抄に、埴(ハ)土(ノ)黄而細密(ナルヲ)曰v埴(ト)(波爾、)古事記に、丹摺《ニズリ》之袖とも有て、古へは丹土花などして衣を摺いろどりし事、擧るに堪ず、○はにふのふは、その丹土の有處をいふ、草木もその專ら生る處をぶといへり、
 
 右一首|清江娘子《スミノエノヲトメガ》進2長(ノ)皇子(ニ)1、 上の弟日娘女とはことなるべし、
 
○太上天皇幸2于吉野宮(ニ)1時、高市(ノ)連黒人作歌、 【紀に大寶元年八月、吉野の幸の事見ゆれど、其度の歌とのみも定めがたし、此天皇太上と申せしより、大寶元年の前四年の間に、度々幸有つらんと思へばなり、】
 
70 倭爾者《ヤマトニハ》、鳴而歟來良武《ナキテカクラム》、 藤原あたりを惣て倭といふ事、上の別記に有、
 
呼兒鳥《ヨブコトリ》、 【呼兒鳥は別記有、】
 
象乃中山《キサノナカヤマ》、 (卷十三、十四)などに、此山も川もよみつ、こは蜻蛉《アキツノ》宮に近ければ鳴越るこゑ聞ゆべし、
 
呼曾越奈流《ヨビソコユナル》、 これをだに都の便りと思ふが旅の情なり、○呼子鳥は、集中にいと多きを見るに、今の田舍人のいふかつぽう鳥なり
 
 △大行天皇幸2于難波(ノ)宮1昨歌、 こは文武天皇をさし奉なり、此崩ましていまだ御謚奉らぬ間に、前にありし幸の度の歌どもを傳聞し人、私の歌集に大行云云と記置しを、後人の見てこゝの注とせしものなり、されば此卷などに大行と書べきならず、注なる事知べし、【大行の事別記有、】
 
71 ▲倭戀《ヤマトコヒ》、寐之不所宿爾《イノネラレヌニ》、情無《コヽロナク》、此渚崎爾《コノスノサキニ》、多津鳴倍思哉《タヅナクベシヤ》、
 
  右一首忍坂部乙麻呂、
 
72 ▲玉藻苅《タマモカル》、奥敝波不※[手偏+旁]《オキベハコカジ》、敷妙之《シキタヘノ》、枕之邊《マクラノアタリ》、忘可禰津藻《ワスレカネツモ》、 上に高師の濱の松がねを、まきてしぬれどゝ讀し如く、此旅ねする浦のあかねば、おきへこぎ出ん事は思はずと云なり、いざなふ人有に答へしなるべし、
 
 右作者未詳、 式部卿|宇合《ウマカヒ》、【上に作者未詳とて、下に高安大島と有所にいひし如く、こゝも後人のわざなり、ことに宇合卿は、此時まだ童にて御ともすべからず、此歌老て聞ゆるをも思へ、】
 
 長皇子御作歌、
 
73 ▲吾妹子乎《ワギモコヲ》、早見濱風《ハヤミハマカゼ》、 豐後に速見郡あるが如く、難波わたりにも早見てふ濱ありて、しかつゞけ給へるならん、或人、集中に濱行風のいや早にてふ歌に依て、地の名にあらずといへど、此歌さてはかなはず、
 
倭有《ヤマトナル》、吾松椿《ワヲマツツバキ》、 京にては妹が吾を待べきを、其園の松つばきにいひつゞけたるなり、
 
不吹有勿勤《フカザルナユメ》、 吾は妹を早く見まく思ひ、妹は吾を待らん、其間の便りとせんに、風だにつとめておこたらず吹かよへとよみ給へり、【ゆめは齋《イメ》にて、物を謹む事也、仍て集中に、齋謹勤努力などの字を書つ】
 
 △大行天皇幸2于吉野宮1時(ノ)歌、 大行と申こと上の如し、
 
74 ▲見《ミ》吉野乃、山下風之《ヤマノアラシノ》、 和名抄に、嵐(ハ)山下(ニ)出(ル)風也といひ、集にあらしといふ所に、山下、山阿、下風、など略て書しによるに、こゝは山のあらしと訓べきなり、山した風と訓しこともあれど、こゝは古き例の多きによりぬ、
 
寒久爾《サムケクニ》、爲當也今夜毛《ハタヤコヨヒモ》、我獨宿牟《ワガヒトリネム》、」 當《ハタ》は果《ハタ》してなり、事のはてと、物の行當ると同意に落る故に、當の字を書り、さてこゝははたして今夜も獨ねんと爲《スル》やてふ意なり、【爲當也、別記有、】○注に或曰天皇御製と有は誤なり、先端にその所へ幸と有下に御製とかゝぬは、皆從駕の人の歌なり、さて難波吉野などへの幸は、御心ずさみの爲なる事、上の歌にも見ゆ、然るにいかで此歌の如くなげき給ふ事有んや、又是を持統天皇御製といふ説もわろし、此姫天皇は、天武天皇崩ませし後、御獨ねもとよりの事なるを、今更かくよませ給ふべきや、
 
75 ▲宇治間《ウヂマ》山、 吉野にありといふ、
 
朝風寒|之《シ》、旅爾|師手《シテ》、衣應借《コロモカスベキ》、妹毛有勿久爾《イモヽアラナクニ》、 心明らかにして、しらべすぐれてよき歌なり、○男女の衣を互にかりて着る事、古への常なり、
 
 右一首|長屋《ナガヤノ》王、 こは高市(ノ)皇子(ノ)尊の御子にて、大寶元年正月、無位より正四位上になり給ふ事、紀にみゆ、
 
 右の五首は、他の歌を書加へし物なること、右にいへるが如し、
 
寧樂宮。 【寧樂宮の下に、御宇天皇代となきは、此集の當時故に不v記か、又落たるか、】卷二も和銅四年の所に此標あれど、其上に同元年の歌有所に記しつ、此卷には同三年の歌、とも有て後に、同五年と記せし下に此標有は、何のよしともなし、亂れ本のまゝに、後人の書し事明かなり、仍て今こゝにしるしつ、且同三年此都へ遷ませしより前、元年の歌の上に擧るは、上の藤原宮の所にいへる例なり、
 
〇和銅元年戊申冬十一月天皇御製歌、 天津御代豐國成姫天皇【後に元明天皇と申、】
 
76 丈夫之《マスラヲノ》、鞆乃音爲奈利《トモノオトスナリ》、 鞆は、左臂に著て袂をおさへ、弓弦を避る物なり、故に弦の當る音有、形は吉部秘訓抄にも見え、著たる樣は古き繪に見ゆ、【伊勢太神宮式に、鞆(ハ)以2鹿皮1縫v之、胡粉塗以v墨畫v之とあり、されども常にはうるしもて革をかたむるなり、】
 
物部乃《モノヽフノ》、大臣《オホマヘツギミ》、 御軍の大將をのたまへり、
 
楯立良思母《タテタツラシモ》、 御軍の調練する時と見ゆれば、楯を立る事もとよりなり、さて此御時みちのく越後の蝦夷《エミシ》らが叛《ソム》きぬれば、うての使を遣さる、その御軍の手ならしを京にてあるに、鼓吹のこゑ、鞆の音など、(弓弦のともにあたりて鳴音なり、)かしましきを聞し召て、御位の初めに事有をなげきおもほす御心より、かくはよみませしなるべし、此大御歌にさる事までは聞えねど、次の御こたへ歌と合せてしるきなり、○此度の大將軍は、巨勢(ノ)麻呂、佐伯(ノ)石湯二人なれば、右の物部は氏にあらず、故ものゝふとよみ、大臣と書しも、その將軍をのたまはするなり、【或人は大甞祭の時の御歌ならんといへど、大甞に神楯はあれど、弓は射ねば、鞆の音よしなし、さては御こたへ歌をとくべきよしもなし、】陸奥越後の蝦夷の反しかば、和銅二年三月、遠江駿河越前越中云々、七國の兵士を立せられ、巨勢佐伯二氏を大將軍にてつかはされし事、此御代の紀に見ゆ、【うての使を遣されんに、北國は大雪にて、冬の軍はなしがたければ、明年三月に立せらるゝなり、】然れば前年の冬、軍のたならしする物のおとを聞して、大御歌よみし給ひし故に、端に元年とは有なりけり、その諸國の兵士を立せらるゝにも、國の軍團にて調練すること紀に見え、常にしも試2鼓吹司(ヲ)1こと、天武天皇紀に見え貞觀の御代までも此式有なれば、まして大將軍を立せ給ふ京にての事しるべし、
 
○御名部《ミナベノ》皇女(ノ)奉和御歌《コタヘマツリタマフミウタ》、 天皇と此皇女(ハ)御はらからにて、紀の次でも皇女のかた御姉におはせり、されども天皇は文武天皇の御母后なりければ、文武天皇崩まして後に、御位には居させ給ひしなり、かくていと御むつまじければ、此御和も有しならん、
 
77 吾大王《ワガオホキミ》、物莫御念《モノナオボシソ》、須賣神乃《スメカミノ》、嗣而賜流《ツギテタマヘル》、 天つ皇祖《カミロギ》神より、嗣々に依し賜へる天皇の御位ぞとのたまふなり、さてこは言を上下にいふ體にて、三四の句を吾大王の上へやりて意得なり、これを隔句體といへり、集中は本よりにて、古今歌集にもある體なり、
 
吾莫勿久爾《ワレナケナクニ》、 こは吾|莫《ナキ》にあらずてふ言にて、つゞめては、吾有てふ事となるなり、すべていふ意は、皇神の嗣々に寄立《ヨザシタヽ》しめ給へる、吾天皇の御位にしおはしませば、物なおぼしそ、御代に何ばかりの事か有べき、もしはたやむ事なき事ありとも、吾あるからは、いかなる御事にも代りつかへまつらんと、申しなぐさめ奉り給ふなり、(卷十三)「わがせこは、物なおほしそ、事しあらば、火にも水にも、吾莫七國《ワレナケナクニ》」てふに、心は同じくて、句の體のことなるのみぞ、猶別記にくはし、
 
○和銅三年庚戌春三月、從2藤原(ノ)宮1遷《ウツリマス》2于|寧樂《ナラノ》宮1時、 今本二月とあれど、紀によりて三月とす、
 
御輿《ミコシヲ》停《トヾメマシテ》2長屋《ナガヤノ》原(ニ)1、 和名抄に、山邊郡長屋(ノ)郷とあり、
 
囘2望《カヘリミシタマヒテ》故郷(ヲ)1御作歌、 御作歌と有からは、疑なく御名部皇女の御歌を并のせしなり、然るに一書に太上天皇と有は何ごとぞや、此時太上はおはしまさず、
 
78 飛鳥《トブトリノ》、 冠辭、
 
明日香能里乎《アスカノサトヲ》、置而伊奈婆《オキテイナバ》、君之當者《キミガアタリハ》、不所見香聞安良武《ミエズカモアラム》 一本、君之當|乎《ヲ》、不見而香毛《ミズテカモ》安良牟、○藤原の都ならで、飛鳥の里をしものたまふは、御陵墓につけたる御名ごりか、又何ぞのみこなどの留り居給ふをおぼすか、
 
○從2藤原(ノ)宮1遷《ウツリマス》2寧樂(ノ)宮(ニ)1時、□□《姓名カ》作歌、 今本には是を或本歌としるして、端詞によみ人の姓名もなし、然るを此度本文として小字にせざるよしは、大よそこの集の本文に載《ノリ》たる歌に、異なる所有を一本とて註せしは、重ね擧べきにあらぬ事もとよりなり、是は今本にはなくて、或本にのみ有からは、今本には落失し事しらる、仍て全くしるしつ、
 
79 天皇乃《スメロギノ》、御命畏美《ミコトカシコミ》、 上つ代より天皇を恐み奉るぞ、此御國の道なる故に、此言集中にも他書にも多きなり、大かたに見過す事なかれ、
 
柔備爾之《ニギビニシ》、 藤原宮は、二御代平かに知しつれば、臣民の家々も今は調和《ニギハヒ》ぬる時に、かくうつさるゝをなげくなりけり、【只天皇を恐崇むにつけて、臣民も榮傳りぬ、】
 
家毛放《イヘヲモサカリ》、 今本家乎擇と有は、乎は毛を誤、擇は放を擇と見誤しなり、又擇は釋にて、おきてと訓かとも云とも、此集の字ともなし、
 
隱國乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬乃川爾《ハツセノカハニ》、※[舟+共]浮而《フネウケテ》、 こは早川にて淺ければ、鵜飼舟の如くなるを用しからに※[舟+共]とは書けん、
 
吾行河乃《ワカユクカハノ》、川隈之《カハグマノ》、八十阿不落《ヤソクマオチズ》、萬段《ヨロツタヒ》、顧爲乍《カヘリミシツヽ》、 此川三輪にては三輪川ともいへど、その源初瀬なれば、大名を初瀬川といひしならん、さて末は廣瀬の河合にて落合なれば、そこまで舟にて下りて、河合よりは廣瀬川をさかのぼりに、佐保川まで引のぼすべし、然れば末にては、人は陸にのぼりて行故に、陸の事もいへり、
 
玉桙乃《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行晩《ミチユキクラシ》、人は陸にのぼりても行、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
楢乃京師乃《ナラノミヤコノ》、佐保川爾《サホガハニ》、伊去到而《イユキイタリテ》、 佐保川は人の乘てさかのぼらるゝ水とはなし、調度を舟してこゝまで引のぼせけん、且此家も川に遠からぬ成べし、○伊は發言、
 
我宿有《ワガネタル》、床之上從《トコノウヘヨリ》、 床を今本衣と書しは誤なり、こゝはまだ假屋なれば、夜床ながら月影の見えて、寒くわびし、
 
朝月夜《アサヅクヨ》、 こは曉月なり、曉より朝ともいふは例なり、
 
清爾見者《サヤニミユレバ》、栲乃穗爾《タヘノホニ》、 如を略、
 
夜之霜落《ヨルノシモフリ》、 栲は白布の事にて、それが如くに白く霜の降たりと云なり、此穗は色の餘光《ニホヒ》をいふ、冠辭の白栲の條に委、【仁徳天皇紀に、茅茨壞以不v※[草冠/区のメを口/月]、風雨入v隙而沾2衣被1、星辰漏v懐而露2床蓐1、】
 
磐床等《イハドコト》、川之氷凝《カハノヒコヾリ》、 ひは氷の名、こゞりはこりかたまれる事をいふ、巖根こゞしきてふ類なり、
 
夜冷乎《サムキヨヲ》、 こゝまでは、此うつろひにつけたるいたづきどもをいふ、
 
息言無久《イゴフコトナク》、通乍《カヨヒツヽ》 右の如くに苦しけれど、藤原の都より行通ひつゝなり、【いごふはいきのぶてふことにて、苦しき心あひを延るをいふ、神武天皇紀にも見え、常にもいきのびといへり、それを休らふ事にいふも意通へり、】
 
作家爾《ツクレルイヘニ》、千代二手爾《チヨマデニ》、座牟公與《イマサムキミト》、 今本千代二手、來座多公與と有て、ちよまでにきませおほきみと訓しは理りもなく、字の誤りもしるければ、考るに、來は爾を誤れるもの、多は古本に牟とあり、仍て改めつ、
 
吾毛通武《ワレモカヨハム》、 此歌初めには大御ことのまゝに、人皆所をうつろふこゝろをいひ、次に藤原より奈良までの道の事をいひ、次に冬寒きほど家作せし勞をいひ、末に事成て新家《ニヒヤ》をことぶく言もて結べるは、よく調へる歌なり、さてこはよき人の家を、親しき人の事とり作りて、且其作れる人は異所に住故に、吾も通はんとよめるならん、又親王王たちの家も、即造宮使に取作らしむべければ、其司人の中によみしか、
 
 反 歌
80 青丹吉、寧樂乃|家爾者《イヘニハ》、萬代爾、吾|母將通《モカヨハム》、忘跡念勿《ワスルトオモフナ》、 今よりは長くしたしみ通はんに、うとぶる時あらんとおぼしそとなり、
 
○和銅(ノ)五年《イツトシノ》壬子夏〔三字右○〕四月《ウヅキニ》、遣《ツカハサレシ》2長田(ノ)王(ヲ)于伊勢(ノ)齋宮《イツキノミヤヘ》1時、 此王は、紀に和銅五年正五位下より立て、天平九年正四位下にて卒と見ゆ、さて長《ナガノ》親王の、御子なる事、三代實録の貞觀元年に、廣井女王の傳に出、
 
山邊御井《ヤマノベノミヰニテ》作歌、 此御井には論あれば別記にいへり、ここには凡をいはん、(卷三)伊勢の神宮の事をよめる長歌に、山(ノ)邊乃、五十鈴乃原爾《イスヾノハラニ》、内日刺《ウチヒサス》、大宮|都可倍《ツカヘ》云云と有て、反歌に、山(ノ)邊乃、五十鈴《イスヾ》乃御井者、おのづから、なれる錦を、はれる山かもとよみ、こゝによめるも御井のみならず、其所の面白をもての事と聞ゆ、然れば五十鈴の神宮遠からぬ所に、此御井古へよりありて、所の名とも成しなるべし、【五十鈴を今本に五十賤と有て、いそしと訓たるはひがことぞ、】
 
81 山(ノ)邊乃、御井乎見|我※[氏/一]利《ガテリ》、 利は良に通ふ、
 
神風乃、 冠辭、
 
伊勢(ノ)處女等《ヲトメラ》、相見鶴鴨《アヒミツルカモ》、」 此御井の所を見る時、よきをとめどもに行あひて興を増たるこゝろなり、道などに女どもにあひて興となれる事、紀にも集にも有、
 
82 浦佐夫流《ウラサブル》、 こは久しき旅ゐに、愁る心すさまじくして和《ナグ》さめがたきをいふなり、此類別記に擧たり、
 
情佐麻禰之《コヽロサマネシ》、 今本に佐麻|彌《ミ》之と有は禰《ネ》を彌《ミ》に誤れるなり、卷十八に、月重ね、美奴日|佐末禰美《サマネミ》てふも、見ぬ日間なくにて、佐は發語なり、此類卷二、また卷十七にもあり、さてしぐれのふるを見て、裏さぶる心のひま無といへり、
 
久堅乃、 冠辭、
 
天之四具禮能《アメノシグレノ》、流相見者《ナガラフミレバ》、」 古は雨雪の降を流るともいへり、下にもあり、且るを延てらふといふ、【或好事の説々あれど、右の卷三の歌などを見ぬ人の僞言なり、○又集中に、八十のをとめのくみみだす寺井の上などいふ歌に泥みて、こゝをも井を扱女と思ふはいかにぞや、物見などに出し女にも有べし、】
 
83 海底《ワタノソコ》、 たを清なり、こは冠辭ならねど其考にいへり、
 
奥津白浪《オキツシラナミ》、 二句は序にて、立とかゝるのみ、
 
立田山《タツタヤマ》、 冠辭と序歌は、末の心にまどひなき事をいふ物故に、かく異なる事をもいへり、海人小船、泊瀬などいふ類なり、
 
何時鹿越奈武《イツカコエナム》、妹之當見武《イモガアタリミム》、 【立田は大和の平群郡にて、河内の堺なれば、伊勢とは甚方違へり、】今本左の註に、右二首今案不v似2御井(ニテ)所作(ニ)1、若疑當時|誦之《トナヘタル》古歌(カ)といへり、されども齋宮改め作らるゝ用ならば、夏より秋の末までも居給ふべし、端詞には事一つを擧る例もあれば、次の歌は是につゞけても有つらん、この立田山の歌はこゝによしなし、かの註にいへる如くか、又別に端詞の有しが落失しにや、
  
○長《ナガノ》皇子|與《ト》2志貴《シキノ》皇子1、宴《ウタゲシタマフ》2於|佐紀《サキノ》宮(ニ)1時《トキ》、長(ノ)皇子(ノ)御作歌《ヨミタマフウタ》、 此詞今本は例に違ひたれば、此一二卷の例、また目録にも依て改めつ、【今本この所に寧樂宮と有はひが事のよし、上にいへり、】○卷二の志貴皇子の薨給へる時の歌に依に、此皇子の宮は高圓にあり、佐紀は長(ノ)皇子の宮にて、こはあるじの皇子のよみ給ふなり、所は(卷四)「春日なる、三笠の山に、月も出ぬかも、佐紀山に、さける櫻の、花の見ゆべく、」續紀に、(光仁)添下郡、佐貴(ノ)郷、高野山(ノ)陵、また神名式にも見ゆ、
84 秋去者《アキサレバ》、今毛見如《イマモミルゴト》、 今も見る如くに、ゆく末の事もかはらじと云なり、此言(ハ)例多し、【卷十八に、「とこよもの、此橘の、いやてりに、わご大きみは、今も見る其《ゴ》登、」卷二十に、「はしきよし、けふのあろじは、いそ松の、常にいまさね、今も見る其《ゴ》登、」】
 
妻戀爾《ツマゴヒニ》、鹿將鳴山曾《シカナカムヤマゾ》、高野原之宇倍《タカノハラノウヘ》、 今も見る如、ここの興の盡すまじきにつけて、志貴(ノ)皇子を常にこひむかへて遊びせんてふ事を、鹿の妻ごひに添給ふならん、且こゝに住初めたまふ言《コト》ぶきもこもれり、
 
萬葉集卷一之考 終
 
萬葉集卷二之考
 
相聞《アヒギコエ》。 こは相思ふ心を互に告聞ゆればあひぎこえといふ、後の世の歌集に戀といふにひとし、されど此集には、親子兄弟の相思ふ歌をも、此中に入てこと廣きなり、○或人萬葉には相聞のたはれ事多きぞといへるこそおちなけれ、皇朝はよろづのゐやもまことも、生れながらそなはれる國なれば、その天地のなしのまに/\治め給ふに、古の君が代いよゝ榮え給ひて、民平らけかりし、生としいける物の常をまげなほさんとする時は、人の心にうらうへの出來て亂るめり、かれ神の禁《イサ》めぬ道ぞてふ古言の有をしらずや、
 
難波高津宮御宇天皇代《ナニハタカツノミヤニアメノシタシラススメラミコトノミヨ》。大鷦鷯天皇、 こは後人の註なること上にいへり、○紀に、(仁徳)元年正月難波に宮《ミヤ》しきまし、高津の宮といふと見えたり、
 
○皇后《キサキノ》思《シヌビタマヒテ》2 天皇《スメラミゴトヲ》1御作歌《ヨミマセルウタ》、 皇后御名は磐之《イハノ》姫、葛城(ノ)襲津《ソツ》彦の女と紀に見ゆ、○今(ノ)本にこゝに御名を書たるは、令法に背き、此集の例にも違へり、こは類聚歌林てふ後のふみに依て、後の人の御名を加へしなれば今除きつ、下に近江大津宮の皇后を、大后とのみしるし、臣の大臣大納言にすら、名をしるさぬをもて思ふべし、又こゝに君之行《キミガユキ》、氣長成奴《ケナガクナリヌ》てふ歌を擧しるしたるは、ひがことにて、是は古事記にある輕(ノ)大郎女の御歌を、此皇后の御歌と誤、其言どもゝ誤りて類聚歌林に載たるを、後人みだりにこゝに註せし物なり、さるを又の後人本文とさへ書なしたり、故に委く別記にしるしてこゝには除きつ、
 
86 如此許《カクバカリ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、 こひにこへども、かくのみ思ふごとくあらずあらんものと知なばてふことを、約《ツヾ》めていふ言なり、下に、我妹子に、戀乍不有者、あきはぎの、咲て散ぬる、花ならましを、(卷十三)かくばかり、戀つゝあらずは、石《イハ》木にも、ならまし物を、物もはずして、などの類、九首ばかりあり、むかへて見よ、相似て異なるも多ければ、別記に皆擧てことわりつ、
 
高山之《タカヤマノ》、磐根四卷手《イハネシマキテ》、 葬てあらんさまをかくいひなし給へり、○卷は枕にする事にて集中に多し、
 
死奈麻死物乎《シナマシモノヲ》、」 御思ひの餘りに、かくまでもおぼすなり、天皇の吉備の黒媛がもとへ幸《イデマシ》し時など、かくまでは待わび給へるにや、紀を見るに、これらは后の御心には有ける、
 
87 在管裳《アリツヽモ》、君乎者將持《キミヲバマタム》、 ながらへ在つゝこそ君をば待なめとおぼし定給ふなり、【或本歌、居明《シテ》而、君乎者|將持《マタム》、奴婆珠乃、吾黒髪爾、霜者|零《フル》騰文、○(卷五)待君常《キミマツト》、庭《ニハニ》耳居者、打靡(ク)、吾黒髪爾、霜者置爾家類、 こは共に一夜の事にて、霜も實の霜なり、】
 
打靡《ウチナビク》、吾黒髪《ワガクロカミ》□□□□《乃《ノ》、白久|爲《ナル》》萬代日《マデニ》、」 今本此末を、霜乃置《シモノオク》萬代日と有は、此左に擧し或本の歌、又(卷五)に在歌などにまがひて、古歌の樣よく意得ぬ人のかき誤れるものなり、何ぞといはゞ、古歌に譬言は多かれど、かく樣にふと霜の置と云て、白髪の事を思はする如き事、上つ代の歌にはなし、又此句のさま、他歌の言のまがひ入し事、おのづからも見えぬるを、見知人は知べし、
 
88 秋之田《アキノタノ》、穗上爾霧相《ホノヘニキラフ》、朝霞《アサガスミ》、 きらふはくもりをいひて用なり、霞は其くもりの體なり、さて霞は春、霧は秋とのみするは後世にて、いにしへはいつもいへり、
 
何時邊乃方二《イヅベノカタニ》、 何れの方と云なり、卷十九に、ほとゝぎす、伊頭敝能山乎《イヅベノヤマヲ》、鳴か越らんとも有もて、禮《レ》を邊《ベ》に通はせいふをしる、
 
我戀將息《ワガコヒヤマム》、 いかにすれども、御悶《ミオモヒ》の遣給はんよしの無を、秋の田面の、何方も霧の立こめたるに譬給へり、此|本《モト》を氣《ケ》しきのみと云はわろし、
 
 △左の註に出し或本の歌は、右の頭に書つ、
 
近江大津《アフミオホツノ》宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇|賜《タマハセル》2鏡(ノ)女王《ヒメオホキミニ》1御製歌《オホミウタ》、 製字は例に依て加つ、○今本これを鏡(ノ)王(ノ)女と書て、額田姫王の事とするは、ひがことなり、此次また(卷十三)同じく鏡王女と有、そこにひがことなるよしみゆ、そのよしは別記にいへり、【鏡王てふ男王、鏡(ノ)女王てふも紀にみゆ、鏡(ノ)女王は、此天皇も御親み深き故に、此御おくりこたへは有なるべきことわり、別記にいへり、】
 
91 妹之家毛《イモガヘモ》、繼而見麻思乎《ツギテミマシヲ》、 一云、妹之|當《アタリ》、繼而毛見|武《ム》爾、
 
山跡有《ヤマトナル》、大島嶺爾《オホシマミネニ》、 大和に島てふ地も有、又島山にあかる橘などよめるもあれど、此嶺はおぼつかなし、
 
家母有猿尾《イヘモアラマシヲ》、 一云、家居《イヘヲラ》麻之乎、○標のまゝにては、近江へ遷まして後も、この女王は大和に居給へば、かくよみませしとせん、又なほ後之岡本之宮にます間の大御歌なれど、標は其御代の凡を擧る例なればしかるか、さらば女王は山(ノ)邊(ノ)郡の大和《オホヤマト》の郷に住給ふを、かくよみましゝならん、かくあらば大島嶺も其あたりに在るべし、○大やまとの郷の事は、卷一の別記にくはし、
 
○鏡(ノ)女王《ヒメオホキミ》、 鏡王(ノ)女と有をとらぬ事、右に同、
 
奉和《コタヘマツル》歌、 今本御歌と有は、王にいふ例なし、
 
92 秋山之《アキヤマノ》、樹下隱《コノシタガクリ》 逝水乃《ユクミヅノ》、吾許曾益目《ワレコソマサメ》、 水の益とつゞく、
 
御念從者《ミオモヒヨリハ》、 秋は水の下れば、山下水の増るに譬て、吾戀奉ることこそ、君より増たれといへり、
 
〇内大臣《ウチノオホキミ》藤原(ノ)卿《マヘツキミ》、 此公まだ若きほどの事ならんを。内大臣と書しよしは、卷一の別記に云、
 
娉《ツマトセス》2鏡(ノ)女王(ヲ)1時《トキ》、 娉は古へは妻問といひ、後には懸想といふにあたる、禮をなしなさぬをいふは、こゝの事にあらず、
 
鋸女王(ノ)作《ヨメル》歌、 今本に贈2内大臣(ニ)1と有は例にことなり、仍て除、
93 玉匣《タマクシゲ》、 冠辭、
 
覆乎安美《オホフヲヤスミ》、開而行者《アケテユカバ》、 匣の蓋《フタ》は、覆こともやすしとて、開るとつゞけたり、さて夜の明ることにいひかけたる序のみ、【匣の蓋は蝶つがひにて、覆ふも開くもやすきなるべし、】
 
君名者雖有《キミガナハアレド》、吾名之惜毛《ワガナシヲシモ》、 三の句に依に、此公の來て夜ふくれども歸給はぬを、女王のわびていひ出せる歌なり、且男はさるものにて、女は名のたちては、かたはなるよしをのたまふなり、
 
○内(ノ)大臣藤原(ノ)卿(ノ)和《コタフル》歌、 今本に報贈とあり、下にもしか書しもあれど、此一二卷の事古本こそ宜けれ、よりて改めつ、下もならへ、【末の家々の歌集には、端詞の體亂れ書しかど、此卷などは心して見るべし、】
 
94 玉匣、 冠辭、
 
將見圓山乃《ミムロノヤマノ》、 御室山とは專三輪をいふ例なり、○是をみむろのやまと訓よしは、冠辭考にいふ、【山城の宇治に、三室戸といふあれど、後の事のみ、○圓《マロ》をろ〔右○〕のかなに用るは、下に、臣《オミ》をみ〔右○〕、相《アフ》をふ〔右○〕、麻をさ〔右○〕に用し類にて、訓をば多は下の言を用、】
 
狹名葛《サナカヅラ》、 本はさぬかづらなり、又冠辭考に委し、
 
佐不寐者遂爾《サネズハツヒニ》、有勝麻之目《アリガテマシモ》 三の句までは序、佐は發言、目《モ》は助辭、○明ぬ間に歸りねとのたまへども、終に逢ずしては堪《タフ》まじき吾なれば、えいとひあへ給はじと強《シヒ》ていふなり、】注に、或本歌云、玉匣三室|戸《ト》山のといへるは、(卷八)珠くしげ、見諸戸《ミモロト》山を、行しかばといふ旅の歌の中に有て、西の國の歌どもに交れゝば、備中國に今もみむろどゝいふ所なるべし、こゝのは大和の都にてよめれば、他國の地名をいふことなかれ、古人はよしなく遠き所を設てよむことなかりしなり、【注に或本一本など有は、かく他書の事をいへるもありて、其卷の一本或本のみにあらず、かゝる事の書樣をだに意得ぬものゝ注なれば、何事かかなはんや、】
 
○内大臣藤原(ノ)卿、娶《メトセル》2采女《ウネメ》安見兒《ヤスミコヲ》1時《トキ》作歌、 娶をめとると訓は、よめとるの畧なるべし、さてよめとは女の童をいふ古言にて、かの新婦は、凡わらはなれば、此言よしなきにあらず、されど古き據もなく、いさゝか心ゆかぬこともあれば、めとせるとよめり、○采女は上つ代に、諸國にかほよき名有女をめし上られしよりして、後には國造郡司などの女兄弟姪などを、撰て貢《タテマツ》る事と成ぬ、又京官よりも、氏の女とて貢る事後にあり、共に氏々より貢るよしにてうねめといへり、言は即|氏之女《ウネメ》の略轉なり、【後には、釆女を※[(女/女)+干]て流す罪に當りし人有つ、こゝなるは前の采女にて、はゞかり無か、】
 
95 吾者毛也《ワレハモヤ》、 吾者よなり、此助辭下におほし、
 
安見兒得有《ヤスミコエタリ》、皆人乃《ミナヒトノ》、得難爾爲云《エガテニストフ》、安見兒衣多利《ヤスミコエタリ》、 安見兒は、この女の名なり、
 
○久米禅師《クメノゼジ》、娉《ツマドフ》2石川(ノ)郎女(ヲ)1時|作《ヨメル》歌、 久米は氏、禅師は名なり、下の三方(ノ)沙彌も是に同し、すべて氏の下に有は、いかに異なるも名と知べし、紀には阿彌陀釋迦などいふ名も有しを、禁《トヾ》め給ひし事見ゆ、○此下の和《コタヘ》歌、また重(テ)贈歌に、各詞有例なるを、今は其詞落失たるなり、然るを今本こゝに五首と有は、後人のわざなり、○石川郎女てふ下にもあれど、おの/\こと人ならんとおぼゆ、系も皆知がたし、○郎女をいらつめといふことは、紀に(景行)郎媛此云2異羅菟比※[口+羊]《イラツヒメト》1、また續紀に、(廢帝)藤原(ノ)伊良豆賣ともあり、言は舍女《イヘツメ》にて、同母同居のやからをいへり、伊呂母《イロハ》、伊呂兄《イロセ》、伊呂弟《イロト》などの伊呂は、舍等《イヘラ》てふ事なるもて知べし、(良呂は同音)かくて上つ代には、其|舍《イヘ》々にていへる言なるを、後には女の喚名とせしも見ゆ、
 
96 水篶苅《ミスヾカル》、 冠辭、【水は借字、篶は黒き小竹なり、今本又紀にも、是を薦と書しは誤れり、】
 
信濃乃眞弓《シナヌノマユミ》、 序なり○弓は古へ專ら甲斐信野より貢しかばしかいへり、續紀又延喜式にも見ゆ、
 
吾引者《ワガヒカバ》、宇眞人佐備而《ウマヒトサビテ》、 宇眞人は、紀に可美小男《ウマシヲトコ》、可怜小汀《ウマシヲバマ》などいひて、何にてもよき物をいへれば、こゝは貴人をいふ、佐備はすさびにて既にいひつ、
 
不言常將言可聞《イナトイハムカモ》、 こは紀に、(神功)宇摩比等破《ウマヒトハ》、宇摩譬苔奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイツコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》てふ如く、郎女のうま人なるこゝろならひにては、吾をばたぐひにあらずとて、いなみてんかと、いひこゝろむるなり、【禅師が身を下て郎女をあがむるなり、直《タヾ》人の貴人ぶりすと、あざけりいふにはあらず、】
 
○□□□□□□《石川(ノ)郎女(ガ)和(ル)歌》、 かく有べき例なるを、今は落たり、
 
97 三篶苅《ミスヾカル》、 【此三も借字にて、共に眞の意、】
 
信濃乃眞弓《シナヌノマユミ》、不引爲而《ヒカズシテ》、弦作留行事乎《ヲハグルワザヲ》、 矢作《ヤハグ》てふは造ることなれど、こゝは左に都良絃取波氣《ツラヲトリハゲ》といふ即是にて、弓絃を懸るを、はぐると云なり、○今本弦を強に誤、
 
知跡言莫君二《シルトイハナクニ》、」 弓を引ぬ人にて、弦かくるわさをば知つといふ事はなし、其如く我をいざなふわざもせで、そらにわがいなといはんをば、はかり知給ふべからずと云なり、
 
98 梓弓《アヅサユミ》、引者隨意《ヒカバマニ/\》、 引にしたがひてなり、【意は添て書しのみ、】
 
依目友《ヨラメドモ》、 ひかば本すゑ、吾方へ、夜こそ増れなど、弓によるてふ言多、
後心乎《ノチノコヽロヲ》、知勝奴鴨《シリガテヌカモ》、 知がたきと云なり、かもは歎《ナゲク》辭、右の歌に言とがめはすれど、實には引ばよるべき意有、さてこゝには、依ての後の事をいひかたむるなり、
 
○□□□□□□□《久米禅師重(テ)贈歌》、 上に云が如し、
 
99 梓弓、都良絃取波氣《ツラヲトリハゲ》、 つらをは連《ツラナ》り緒《ヲ》なり、是をつゞめて弦《ツル》と云て一つの物とす、緒《ヲ》は此類の名なり、
 
引人者《ヒクヒトハ》、後《ノチノ》心乎、知人曾引《シルヒトゾヒク》、」
 
100 東人之《アヅマドノ》、荷向篋乃《ノザキノハコノ》、 何れの國もあれど、東(ノ)國より年ごとにはじめに奉る調《ミツキ》物を荷前《ノザキ》といふ、遠き國より奉るなれば、はこに納て、紐して馬にのせ著て上る故に、荷の緒とも、乘といふ言もあり、別記あり、
 
荷之緒爾毛《ニノヲニモ》、 荷の緒の如くにもなり、かく畧きし例多し、
 
妹情爾《イモハコヽロニ》、乘爾家留香問《ノリニケルカモ》、 (卷六)東歌に、しら雲の、たえにし妹乎、あぜゝろと、許己呂爾能里※[氏/一]《コヽロニノリテ》、詐己婆可那之家《コヽバカナシケ》、てふをもて見れば、妹が事の、常に吾心のうへに有をいふなり、【こは妹に贈る意ならず、禅師が獨思ふ歌なれば、別に端詞の有しが落たるにや、(卷七)「はるされば、しだり柳の、とをゝにも、妹は心に、乘にけるかも、」】
 
○大伴(ノ)宿禰|娉《ツマドヒスル》2巨勢《コセノ》郎女(ヲ)1時作歌、 こは大津宮の御時なれは、大伴(ノ)望多《マクダ》卿、御行(ノ)卿の中にて、御行卿なるべし、且此卿若きほどの事故に、大津宮の條に入しなり、さて後つかさ高くなりしかば名をいはず、猶別記にいへり、○此郎女を、古本の注に、近江(ノ)朝大納言、巨勢(ノ)人(ノ)卿の女と書り、知よし有か、
 
101 玉葛《タマカヅラ》、 葛は子《ミ》の成もの故に、次の言をいはん爲に冠らせしのみなり、且|子《ミ》の成てふまでにいひて、不成の不《ヌ》まではかけぬ類ひ、集に多し、或人葛は借字にて桂ぞといひしはわろし、
 
實不成樹爾波《ミナラヌキニハ》、 【此初句と次の樹の別なるよしは、冠辭再考にいへり、】
 
千磐破《チハヤブル》、 冠辭、
 
神曾著常云《カミゾツクトフ》、 今の世にも、子《ミ》なるべき木の子《ミ》ならぬ有は、神の領じ給へりといへり、(卷十三)神の諸伏《モロブシ》とよみたるも事はひとし、
不成樹別爾《ナラヌキゴトニ》、 女のさるべき時に男せねは、神の依《ヨリ》まして遂に男を得ぬぞと譬ふ、
 
○巨勢郎女和(ル)歌、 報贈と有は、惣ての例にあらず、
 
102 玉葛、 此玉葛は右の言を受ていへるなれば論なし、
 
花耳開而《ハナノミサキテ》、不成有者《ナラザルハ》、誰戀爾有目《タガコヒナラメ》、吾孤悲念乎《アハコヒモフヲ》、 歌はことわり明らけし、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇賜(フ)2藤原(ノ)夫人《ミヤスドコロニ》1御製歌《オホミウタ》、 紀に、藤原(ノ)内(ノ)大臣の女氷上(ノ)娘、また妹五百重娘、ともに夫人と見ゆ、こは此二人の中何れにや、○(卷十二)藤原夫人と有下に注あれど、其注古本になし、後人の推量ごとなれば理も違へり、【別記あり、】
 
103 吾里爾《ワガサトニ》、大雪落有《オホユキフレリ》、 此下にも大雪と云り、
 
大原乃《オホハラノ》、古爾之郷爾《フリニシサトニ》、落幕者後《フラマクハノチ》、 大原は續日本紀に、紀伊へ幸の路をしるせしに、泊瀬と小|治《ハル》田の間に大原といふあり、今も飛鳥の西北の方に大原てふ所有て、鎌足公の生《ウマレ》給へる所とてもり有、是大方右の紀にかなへり、こゝを本居にて、夫人の下て居給ふ時の事なるべし、(卷四)にも大原(ノ)古(ニシ)郷(ニ)妹(ヲ)置(テ)とよめり、
 
○藤原夫人奉v和歌、
 
104 吾崗之《ワガヲカノ》、於可美爾言而《オカミニイヒテ》、令落《フラセタル》、 紀に斬《キリテ》2軻遇突智《カグツチヲ》1爲《シタマフ》2三段《ミキダト》1、々々、一段(ハ)爲2高※[雨/龍]《タカオカミト》1、其注に、※[雨/龍]此云2於筒美《オカミト》1と有、こは雨雪をしたがへる龍《タツ》神故に、かくはよまれたり、
 
雪之摧之《ユキノクダケシ》、 此|之《シ》は之毛《シモ》の畧、
 
彼所爾塵家武《ソコニチリケム》、 散けるらんなり、○御戯言をうけて、又戯申し給へり、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○大津(ノ)皇子|竊2下《シヌビクダリテ》於伊勢(ノ)神(ノ)宮(ニ)1上來《ノボリキマス》時《トキ》、大伯《オホクノ》皇女(ノ)御作《ヨミマセル》歌、 紀に、(天武)太田(ノ)皇女を(天智天皇の皇女)納《イレ》て、大來《オホクノ》皇女と大津(ノ)皇子を生給ふとあれは、御はらから《同母》なり、君大事をおぼし立御祈、且御姉齋王にも告給ふとて、朱鳥元年八月の比、天皇御病の間に下り給ひつらん、天皇九月九日に崩まして後は、下り給ふ間なし、【別記あり、】
 
105 吾勢粘乎《ワガセコヲ》、 大津皇子は御弟なれど、女がたの御ことばに勢子との給ふ例、別記にいふ、
 
倭邊遣登《ヤマトヘヤルト》、佐夜深而《サヨフケテ》、※[奚+隹]鳴露爾《アカツキヅユニ》、吾立所霑之《ワガタチヌレシ》、」
 
106 二人行杼《フタリユケド》、去過難寸《ユキスギガタキ》、秋山乎《アキヤマヲ》、 秋は物さびしければなり、且此上り給へる時を知べし、
 
如何君之《イカデカキミガ》、獨越武《ヒトリコエナム》、 此二くさの調《シラベ》の悲しきは、大事をおぼすをりの御別なればなるべし、
 
〇大津(ノ)皇子|贈《オクリタマフ》2石川(ノ)郎女(ニ)1御歌、
 
107 足日木乃《アシビキノ》、山之四付二《ヤマノシヅクニ》、 滴なり、四の句へかゝる、
 
妹待跡《イモマツト》、吾立所沾《ワガタチヌレヌ》、山之四附二《ヤマノシヅクニ》、
 
〇石川郎女(ガ)奉v和歌、
 
108 吾乎持跡《アヲマツト》、君之沾計武《キミガヌレケム》、足日木能《アシビキノ》、山之四附二《ヤマノシヅクニ》、成益物乎《ナラマシモノヲ》、 皇女の御歌よりこなた四くさの、ゆるやかにみやびたる調、ひたむきにあはれなるこゝろこそ妙なれ、上つ代下つ代をおもひ渡すに、短歌は此時ぞよろしかりき、【長歌は是より前こそよけれ、】
 
○大津(ノ)皇子|竊2婚《シヌビテミアヒシタマヒシ》石川(ノ)郎女(ニ)1時、津守連通《ツモリノムラジトホルガ》、 續紀に、(元正)此人陰陽の道勝れたりとて、從五位下を授、戸口をも賜はれると見ゆ、かくもはやくより、此みちに勝れたる名有人なり、【今本女郎と有は、皆ひがことなるよし、別記にいふ、まして同人を右に郎女と有にてもしれ、此下皆改む、】
 
占2露《ウラベアラハシツレバ》其(ノ)事(ヲ)1、皇子(ノ)御作《ヨミマセル》歌、 此端詞に、しぬびに郎女とあひ給へるを占露といひ、次に日嗣のみこも御歌を賜へるを思ふに、始め日嗣のみこの御心よせましゝ郎女の、何|處《コ》ともなく隱れにたるによりて、通に仰せで占べ顯はさせられつらん、大津皇子は、上をしのぐ御心おはせば、かゝる事も有て、終にほろび給ふなりけり、
 
109 大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
津守之占爾《ツモリノウラニ》、將告登波《ノラントハ》、益爲爾知而《マサシニシリテ》、 益は借字にて正しになり、正しは專ら占にいふ言、
 
我二人宿之《ワガフタリネシ》、
 
〇日並知皇子尊《ヒナメシノミコノミコト》、 今本知の字落、〇尊は天武天皇の皇子、御母(ハ)※[盧+鳥]野讃良《ウノノサラヽノ》皇女と紀に見ゆ、
 
賜2石川郎女1御歌、 【一本又目録に、女郎字曰2大名兒1也と注せり、こは此歌の言もておして云なり、今思に、またの名とも聞えず、其女をあがめて大名兒とのたまひつらんか、名姉《ナネ》名兄《ナセ》、又大名持など、名をもてほめごとゝせしは古への道なり、】
 
110 大名兒《オホナゴヲ》、 末の句へかゝる、
 
彼方野邊爾《ヲチカタノベニ》、苅草乃《カルカヤノ》、束間毛《ツカノアヒヒダモ》、吾忘目八《ワガワスレメヤ》、 束(ノ)間は一握の間にて、暫の間にとるなり、(卷十三)を鹿の角の束(ノ)間《マ》毛、云云、(卷四)紅の、淺葉の野らに、苅草の、束之間毛、吾《ワヲ》わすらすな、
 
○幸《イデマス》2吉野(ノ)宮(ニ)1時、 持統夫皇吉野の夏の幸多ければ、何の日月分かたし、
 
弓削皇子、 長(ノ)皇子の御弟なり、
 
贈2與《オクラスル》額田姫王(ニ)1御歌、
 
111 古爾《イニシヘニ》、戀流鳥鴨《コフルトリカモ》、弓絃葉乃《ユヅルハノ》、三井能上從《ミヰノウヘヨリ》、 こはあきつの離《イデマシノ》宮の邊に在ならん、三《ミ》は御なり、
 
鳴渡遊久《ナキワタリユク》、 御父すべらぎの暫入おはしましたるところなれば、かの姫王も同じく戀奉らん事故に贈給ふなるべし、
 
○額田(ノ)姫王(ノ)奉v和歌、
 
112 古爾《イニシヘニ》、戀良武鳥者《コフラムトリハ》、霍公鳥《ホトヽギス》、蓋哉鳴之《ケダシヤナキシ》、 其鳥はけだしほとゝぎすならんとおしはかるなり、
 
吾戀流其騰《ワガコフルゴト》、
 
○從2吉野1折2取《ヲリテ》蘿生松※[木+可]《コケムセルマツガエヲ》1遣《オクリタマフ》時《トキ》、 下に、子《コ》松之|末《ウレ》爾、蘿《コケ》生《ムス》までに、(卷十四)桙椙之末爾《ホコスギガウレニ》、※[草冠/辟]《コケ》生までにてふも同じくて、深き山の古木に生る日影の事なり、和名抄に、蘿(ハ)(日本紀私記云、蘿(ハ)比加介、)女蘿也、和名、萬豆乃古介、一云佐流乎加世、と云り、【古今六帖に、松の木の、こけのみだれて、云云、元輔集に、「松のこけ、千年をかけて生しげれ、鶴のかひごの、すとも見るべく」など有も、皆猿をがせとて、今も有さがりごけにて、ひかげの事なり、】
 
額田姫王(ノ)奉v入《イレマツル》歌、 かくざまに入と書るは、公へいふ言なるを、轉ては貴人へ物おくるにもいへる下に見ゆ、然ればこは弓削(ノ)皇子、かの松枝を遣はされしゐやの歌とすべきなり、
 
113 三吉野乃、玉松之枝者《タマツガエハ》、 老松の葉は圓《ツブ》らかなるを、玉松といふべし、丸らかに繁き篠を玉ざゝ、まろき筐を玉がたまなどいふ類なり、
 
波思吉香聞《ハシキカモ》、 こは久波志伎《クハシキ》を略きいふ言にて、古事記に、貌よき女を久波志|賣《メ》、令によき馬を細馬《クハシマ》などいふなり、集中に、波之家也思《ハシケヤシ》てふを、愛計八師と書、うるはしと思へる妹、愛《ウルハ》しき吾妹など有を合せ見よ、さてこゝは其松を、うらぐはしき哉《カモ》とめで給ふなり、【はしきは下の別記に有、】香聞は歎(ノ)辭、
 
君之御言乎《キミガミコトヲ》、持而加欲波久《モチテカヨハク》、 君は弓削皇子をさすべし、さて松にそへてのたまふ言有しなり、即松が枝の持て通ふといひなし給ひつ、(卷十)藤原の廣嗣、櫻花(ヲ)贈2娘子1とて贈答せしにも、この心によめるあり、
 
〇但馬皇女《タヂマノヒメミコ》、 清御原宮の夫人、氷上娘子の生まゐらせしこと紀に見ゆ、
 
在《イマス》2高市皇子(ノ)宮(ニ)1時、 高市皇子此時は日嗣(ノ)皇子(ノ)命と申すにやあらん、【宮の上に尊を落せしか、次の條も同、】紀に此皇子は※[匈/月]形《ムナガタノ》君徳善(ガ)女、尼子《アマコノ》娘子の生まゐらせしと有、但馬皇女この宮におはす故はつばらならず、
 
思《オボシテ》2穗積《ホヅミノ》皇子(ヲ)1御作《ヨミタマヘル》歌、 此皇子は、蘇我(ノ)赤兄(ノ)大臣(ノ)女、夫人大|※[草冠/(豕+生)]《ヱミノ》娘子の生まゐらせし事、紀にみゆ、
 
114 秋田之《アキノタノ》、穗向乃所緑《ホムケノヨレル》、異所縁《カタヨリニ》、 稻穗は、一方へよりなびく物なるに譬ふ、【(卷七)本は今と同じき歌あり、それには所依片縁と書つ、】
 
君爾因奈名《キミニヨリナヽ》、 與里奈《ヨリナ》の里奈《リナ》の約|良《ラ》にて、與良《ヨラ》なるを、延てより奈といふ、下の名は例の辭、
 
事痛有登母《コチタカリトモ》、 言いたくいひとよまるゝともなり、こといたくの登伊の約知なれば、こちたといふ、
 
〇勅《ミコトノリシテ》2穗積(ノ)皇子(ニ)1遣《ツカハサルゝ》2近江(ノ)山寺(ニ)1時、 天智天皇たてさせられし崇福寺をいふべし、此寺の事續紀にも見ゆ、
 
但馬(ノ)皇女(ノ)御作歌、 左右の御歌どもを思ふに、かりそめに遣さるゝ事にはあらじ、右の事顯れたるに依て、此寺へうつして、法師に爲給はんとにやあらん、
 
115 遺居而《オクレヰテ》、戀管不有者《コヒツヽアラスバ》、 此言別記にいふ、
 
追及武《オヒシカン》、 紀に(仁徳)皇后の筒城《ツヽキ》の宮へおはせし時、夜莽之呂珥《ヤマシロニ》、伊辭※[奚+隹]苫利夜莽《イシケトリヤマ》、伊辭※[奚+隹]之※[奚+隹]《イシケシケ》とよませ給へるに同じく、こゝはおひおよばんてふ意なり、
道之阿囘爾《ミチノクマワニ》、標結吾勢《シメユヘワガセ》、 山路などには、先ゆく人のしるべの物を結《ユフ》を、こゝにはいへり、此同言にて、繩引わたして隔のしるしとし、木などたてゝ標と爲るも有、事によりて意得べし、
 
〇但馬(ノ)皇女|在《イマス》2高市(ノ)皇子(ノ)宮(ニ)1時、竊2接《シヌビテミアヒシタマフ》穗積(ノ)皇子(ニ)1事《コト》、既形而後御作《アラハレテノチニヨミタマフ》歌、 右に此皇子を近江云云へ遣さるゝといひ、こゝにあらはれてと有は、常ざまの事ならず、日嗣(ノ)皇子の宮におはして、たはけ給ひし故ならん、
 
116 人事乎《ヒトゴトヲ》、 事は言なり、
 
繁美許知痛美《シゲミコチタミ》、己母世爾《オノモヨニ》、 己|之(ガ)世になり、此|母《モ》は上の籠毛與の別記にいへる如く、之《ノ》に通ひ、また君|之《ノ》代を君が代ともいふ、しかれば、乃毛加《ノモガ》の三つは、言便のまに/\何れにもいふなり、
 
未渡《イマダワタラヌ》、朝川渡《アサカハワタル》、 (卷十三)「世の中の、をとめにしあらば、吾渡(ル)、瘡背《イモセ》のかはを、渡かねめや、」此外にも、七夕に天河わたるになぞらへて、河を渡るを男女の逢ことに譬たる多ければ、こゝもおのが世にはじめたるいもせの道なるに、人言によりて中たえ行ば、よにも淺き吾中かなとなげき給ふよしなるべし、かゝれば朝は淺の意なり、又事あらはれしにつけて、朝明に道行給ふよし有て、皇女のなれぬわびしき事にあひ給ふをのたまふか、然らば(卷四)「人めもる、君がまに/\、われ共《サヘ》に、つとにおきつゝ、もすそぬらせる」てふ類ひなるべし、こはやすらかに聞ゆれど、猶上のこゝろも有べく思へば、二つをあぐ、
 
○舍人皇子《トネリノミコ》、 天武天皇の皇子にて、御名高くおはせば、更にいはず、
□□□□□□《贈2與舍人娘子1、》 此詞今は落しなるべし、
 
御歌、 【とねりは、とのもりといふ言にて、その本、禁中に宿直《トノイ》して護りする人を、惣ていへり、其中に仁徳天皇紀に、近習舍人てふはおもし、今にいふはおもきかろきあり、この皇子などの御名にいふは、乳母の氏をとり給ふ例なり、此娘子も其御乳母がたか、又おのづからか、さて後世人、舍人を賤き名と思ひ、又皇子の御名は乳母の氏を用給ふ事をもしらで、ひがごといふ故にしかいふ、】
 
117 丈夫哉《マスラヲヤ》、片戀將爲跡《カタコヒセント》、嘆友《ナゲヽドモ》、 ますら猛《タケ》男の名にして、相も思はぬ人を戀んものかはと、思ひ猛《タケ》びてなげくといへども、えやまれずとなり、
 
鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》、 鬼は醜と相通はせて書しなり、此次の卷の鬼之四豆《シコノシヅ》手、また下の鬼乃志許草《シコノシコグサ》などの鬼も、皆しことよむ、
 
尚戀二家里《ナホコヒニケリ》、 こはじと思へど、まだ戀はるゝとなり、さて集中になほてふ言に、尚の字を書しはいかにぞや、委は別記に云、
 
○舍人(ノ)娘子《イラツメガ》奉v和歌、 皇子の御名の同じきは、御乳母がたの女かといへど、片戀などのたまへば、他《アダ》し人なるべし、此氏の人も多かるべければなり、
 
118 歎管《ナゲキツヽ》、丈夫之《マスラヲノコノ》、戀亂許曾《コフレコソ》、 戀ればなり、れの下に、ばを略《ハブク》は例なり、
 
吾髪結乃《ワガモトユヒノ》、 ゆひたる髪の事を、もとゆひともいへり、
 
漬而奴禮計禮《ヒヂテヌレケレ》、 ひぢは※[泥/土]漬《ヒヂツキ》を約《ツヾメ》たる言にて、本は水につきてぬるゝをいふよし、此卷の末の別記にいへり、さてこゝには轉じて、あぶらづきてぬる/\としたる髪をいふ、ぬれとはたがねゆひたる髪の、おのづからぬる/\と、とけさがりたるをいふ、此下に多氣婆奴禮《タゲバヌレ》とよめる是なり、且鼻ひ紐解などいへる類ひにて、人に戀らるれば、吾髪の綰《タガネ》の解るてふ諺の有てよめるならん、
 
○弓削(ノ)皇子、思《オボシテ》2紀(ノ)皇女(ヲ)1、 上の穗積皇子と御はらからなり、
 
御作歌、
 
119 芳野河《ヨシノガハ》、逝瀬之早見《ユクセノハヤミ》、 序なり、
 
須臾毛《シバラクモ》、不通事無《タユルコトナク》、有巨勢濃香毛《アリコセヌカモ》、」 こは絶々逢こと有ときの心なり、然れば次の御歌ども、前しりへに成しなるべし、○ありこせぬかもは、あれ乞《コソ》と願ふ言を寛《ユル》くいふにて、あれかしと思ふを、在《アラ》ぬかやといふ平言は即是なり(卷九)「梅の花、今さけるごと、散過ず、我家の園に、阿利許世奴加毛」てふ類ひ多し、
 
120 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、 既出、
 
秋芽之《アキハギノ》、咲而散去流《サキテチリヌル》、花爾有猿尾《ハナナラマシヲ》、」 死なんものをといふを、はぎの散にそへて、且其はぎは一度の榮も有しをうらやむなり、
121 暮去者《ユフサラバ》、 夕べにならばなり、
 
鹽滿來奈武《シホミチキナム》、住吉乃《スミノエノ》、淺香乃浦爾《アサカノウラニ》、玉藻苅手名《タマモカリテナ》、」 事故なきうちに、妹をわが得ばやてふ事を添つ、【加利※[氏/一]阿良奈の弖あを約て、苅多良奈といふを、又其多良の良を略、多を弖に轉じて、苅弖といふ、此類の弖《テ》の辭多し、皆約め轉じていへり、○下の名は辭のみ、】
122 大船之《オホブネノ》、泊流登麻里能《ハツルトマリノ》、 序なり、船の行著たるをはつるといひ、そこに留りやどるをとまりといへり、されどそを略きては、はつるといひて、とまる事をかねたるぞ多、
 
絶多日二《タユタヒニ》、 たゆたは、ゆた/\の略き、ひは辭にて、たゆたふともいへり、さて大船の、波にゆら/\と動くを、物思ふ心に譬えたり、
 
物念痩奴《モノモヒヤセヌ》、人能兒故爾《ヒトノコユエニ》、 まだ得ぬほどなれば、他《ヒト》の兒といふべし、
 
〇三方沙彌《ミカタノサミ》、 傳はしらず、三方は氏、沙彌は常人の名なること、上の久米(ノ)禅師が下に云り、
 
娶《メトシテ》2園臣生羽之女《ソノヽオミイクハガムスメヲ》1、未經幾時《イクホドモヘズシテ》、臥病《ヤミコヤシヰテ》作歌《ヨメルウタ》、 【末の物語ぶみらに、よめどりてふ事はなくて、聟取はあり、こは男の女の家に行てすめばなり、こゝの歌を思ふに、いと古へもしかぞ有つらん、】
 
123 多氣婆奴禮《タゲバヌレ》、 あぶらづきめでたき髪は、たがぬれば、ぬる/\と延《ノビ》垂るものなるをいふ、多|我《ガ》奴禮婆の我《ガ》奴の約|具《グ》にて、多|具《グ》禮婆となるを、又その具禮を約れば、牙《ゲ》となる故に、多氣|波《ハ》といへり、奴禮は、上に漬《ヒヂ》而奴禮計禮とよめる所にいへり、
 
多香根者長寸《タガネバナガキ》、 此根は、なの轉言にて、たが無《ナ》ければなり、
妹之髪《イモガカミ》、此來不見爾《コノゴロミヌニ》、掻入津良武香《カキレツラムカ》、 此比病て、めのもとへ行て見ぬ間に、いかゞ髪あげしつらんか、あげまさりのゆかしきてふ意なるべし、さて童ざまに垂たりし髪を、あげをさむるをかき入るといふべし、卷十六に、「橘の、寺の長屋に、吾|率宿《ヰネ》し、童子《ウナヰ》はなりは、髪|上《アゲ》つらんか、」ともよみつ、【今本掻入をみだりと訓しは、此歌と答の心をも意得ずてよみしなり、】
 
○□□□□□□□□《園臣生羽之女(ノ)和《コタフル》歌》、此詞今は落しなり、
 
124 人皆者《ヒトミナハ》、今波長跡《イマハナガシト》、多計登雖言《タゲトイヘド》、 今は髪いと長くてあぐべきほどにもあれば、たがねよといへどなり、
 
君之見師髪《キミガミシカミ》、亂有等母《ミダレタリトモ》、 君に見え初しさまを、私にかへじといへり、右に引卷十六の歌、伊勢物語に、「くらべこし、振分がみも、肩過ぬ、君ならずして、誰かあぐべき」てふも此類なり、さて十五六の歳ごろまで髪を垂て在を、めの童といふ、且其とし比には、髪いと長く成ぬる故に、笄子して頂へ卷結を、髪あげといへり、此事くさ/”\故に別記に云、
 
○□□□□□□□《三方(ノ)沙彌(ガ)更贈歌》、
 
125 橘之《タチバナノ》、陰履路乃《カゲフムミチノ》、 その比、都の大道、市の衢などに、大きなる橘の木有しならん、紀に(雄略)餌香《エガノ》市(ノ)邊(ノ)橋(ノ)本といひ、(卷十四)東(ノ)市之殖木乃、木足左右《コダルマデ》とよみ、又大道に菓樹を植させられし時も有し、
 
八衢爾《ヤチマタニ》、 八は彌《イヤ》の略にて、衢の多き所をいふ、八達などの處よりいへるにあらず、
 
物乎曾念《モノヲゾオモフ》、妹爾不相而《イモニアハズテ》、 思ふ事の筋多きを衢に譬たり、これも沙彌が病臥て、妹が家へ行がたき思ひをよめるなるべし、【(卷十五)此歌の言少しかはりたるを擧て、左に、故豐島采女之作といへど、女にして妹といふは實の妹ならではいはず、此歌いかで女のよめらんや、】
 
○石川(ノ)郎女(ガ)贈2大伴宿禰田主1歌、
 
126 遊士跡《ミヤビトヽ》、吾者聞流乎《ワレハキケルヲ》  此遊士も風流士もみやびとゝ訓は、東萬呂大人のよめるなり、【此みやびとは、みやび人といふを略《ハブ》けるなり、】今本にたはれをとよめるは、よしもなき事ぞ、何ぞといはゞ、(卷十五)諸(ノ)大夫等集2左少辨云云(ノ)家1宴歌とて、「うなばらのとほき渡を、遊士能、遊ぶを見んと、なづさひぞ來し」てふ歌の左に、右一首云云、蓬莱仙媛(ガ)所作《ツクレル》嚢縵(ナリ)、爲2風流秀才之士1矣と書り、此遊士風流秀才は、其會集の大夫たちを指なるを、戯男といはゞ客人になめし、かゝれば何所にてもみやびとゝよむべかりけり、から文にても風藻雅情なるをこそいへれ、
 
屋戸不借《ヤドカサズ》、吾乎還利《ワレヲカヘセリ》、於曾能風流士《オゾノミヤビト》、 聞が如きみやび人ならば、心やりもとく、情も深かりなんを、夜べわがこひて行つるを、思ひはからで、いたづらなりしは、心にぶきみや人にぞ有と戯ていへるなり、○於曾てふ言は、(卷十、うら島の子をよめる、)「常世べに、住べき物を、劔《ツルギ》だち、己《ナ》が心から、於曾也是《オゾヤコノ》君、」その長歌に、世の中の、愚人之《シレタルヒト》と有を合せて、心|鈍《オソ》き人ぞといふを知べし、(卷五)「山代の、石《イハ》田の杜に、心|鈍《オソク》、手向したれば、妹にあひがたき、」これらも同く心にぶき事をいひたり、【後人此於曾てふ言をしらで、よしなき僞ごとをいへれば、別記にそのよしを明す、】
 
○大伴(ノ)宿禰田主(ガ)和《コタフル》歌、 報贈と有をとらぬ事既いふ、
 
127 遊士爾《ミヤビトニ》、吾者有家里《ワレハアリケリ》、屋戸不借《ヤドカサズ》、命還吾曾《カヘセルワレゾ》、風流士者有《ミヤビトニハアル》、 をこ人こそ、ゆくりなく《不意》女にあひごとをもすれ、たゞにかへせしこそ、みやびたる人のするわざなれといふなり、
 
○石川(ノ)郎女、 今本此上に同の字あれど、目録に無をよしとす、
 
贈2大伴(ノ)宿禰田主1歌、 今本には更(ニ)贈とあれど、右の同度の歌にあらず、いと別なれば、更といふべからず、惣此端詞は後にいと誤れるものなり、又今本に宿禰の字なくて、中郎と有も誤にて、目録に無をよしとす、且左の注にも中郎てふ言有は皆後人の誤なり、別記あり、
 
128 吾聞之《ワガキヽシ》、耳爾好似《ミヽニヨクニバ》、葦若未乃《アシガビノ》、 冠辭、
 
足痛吾勢《アシナヘワガセ》、 和名抄に、蹇(ヲ)阿之奈|閇《ヘ》、
 
勤多扶倍思《ツトメタブベシ》、 このつとめは、紀に自愛の字をつとめと訓しが如し、たぶべしは給ふべしなり、堪《タフ》べしと云にあらず、
 
○石川(ノ)郎女、 今本此上に大津(ノ)皇子(ノ)宮(ニ)侍てふ六字あれど、此宮に侍りしは朱鳥元年の秋、暫の間にて、皇子つみせられ給ふ後は、他にこそあらめ、然れば同じ郎女なりとも、こゝに右の六字は有べからず、其うへしか樣にかけること、此集の端詞の例ならず、只後人の傍注なり、
 
贈2大伴宿禰|宿奈《スクナ》麻呂1歌、 【宿奈まろは、靈龜元年の紀に、從五位上左衛士督と見ゆ、こゝに郎女の嫗と云るは、定《サダ》過たるをいふならん、是を大津皇子のあひ給ひし頃より思はかるに、此二人の齡凡かなふべし、】
 
129 古之《フリニシ》、 四言、齡《ヨハヒ》のふりしなり、今本いにしへのと訓しは、此歌にかなはず、
 
嫗爾爲而也《オヨナニシテヤ》、 紀に老此云2於由(ト)1といひ、(卷九)意余斯遠波《オヨシヲバ》と有は老《オイ》しをばなり、是に依に嫗は於與奈《オヨナ》と訓べし、此|與《ヨ》を伊乎《イヲ》の約《ツヾメ》とする時は、於伊乎美奈《オイヲミナ》てふ言となればなり、和名抄に嫗(於無奈)老女之稱也と有は、例も見えず、言の意もおぼつかなし、思ふに此無は與を誤しにやあらん、
 
如此許《カクバカリ》、戀爾將沈《コヒニシヅマム》、如手童兒《タワラハノゴト》、 母の手さらず日足《ヒタス》ほどの乳兒をいへり、○一云、戀乎|太爾《ダニ》、忍金手武、多和良波乃|如《ゴト》、忍金は堪《タヘ》難きをいふ、
 
○長《ナガノ》皇子、 既出、
 
與《オクリタマフ》2皇弟《イロトノミコニ》1御歌、 此皇弟は弓削皇子なり、その事上に見ゆ、
 
130 丹生乃河《ニブノカハ》、 式其外に、吉野宇陀宇智などの郡に丹生はあれど、こは宇智(ノ)郡なるか、
 
瀬者不渡而《セハワタラズテ》、由久遊久登《ユクユクト》、 物思ふ時、心のゆら/\とするをいふ、○今本遊を※[しんにょう+筴]にあやまりつ、
 
戀痛吾弟《コヒタムワガセ》、 實をもて弟とは書しのみ、仍て訓はせとせり、せは親しみあがまへる言なり、紀にも集にも弟をせと訓所有は、皆此意なり、古への言のならひなき人はまどへり、
 
乞通來禰《コチカヨヒコネ》、 乞は、いでともこそとも訓《ヨメ》ど、こゝは音をかりてこちてふ言に書り、こちは此道の略なり、(卷五)越乞《ヲチコチ》、(卷八)乞許世《コチコセ》山など、皆乞はかり字のみ、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂、從《ユ》2石見(ノ)國1別(テ)v妻《メニ》上(リ)來(ル)時《トキ》作《ヨメル》歌、 この度は朝集使にて、かりに上るなるべし、そは十一月一日の官會にあふなれば、石見などよりは、九月の末十月の初に立べし、仍て此歌に黄葉の落をいへり、【人麻呂の妻の事は、別記にいへるが如く、くさ/”\の考有、こゝなるは嫡妻にあらず、】
 
131 石見乃海《イハミノウミ》、 紀に、あふみのうみを、阿布彌能|彌《ミ》とあれば、今もうみのうを略きよむなり、下もならへ、
 
角乃浦囘乎《ツノヽウラワヲ》、 和名抄に石見(ノ)國那賀(ノ)郡、都農(都乃)とあり、こゝの海|方《ベ》をいふべし〇浦囘は浦のめぐりあたりをいふ、後世うらはと書は誤なり、
 
浦無等《ウラナシト》、 浦は裏《ウラ》にて※[さんずい+内]《イリ》江をいふ、こゝに浦無と云は、設てまづかくいふとするはわろし、次に潟無といふは、北の海に干潟てふ事の無をもていふに對へし句なれば、是も實もていふべし、然るを此國の海によき港有といへり、右の理もて思へば、其湊は他に有にて、角浦には古へ無りしにや、
 
人社見良目《ヒトコソミラメ》、 見るらめの略、
 
滷無等《カタナシト》、 是も設ていふにあらず、北海には潮の滿干のわかねば、しほひ潟のなきにて實をいへり、〇一に磯無登と有はとらず、
 
人社見良目《ヒトコソミラメ》、能咲八師《ヨシヱヤシ》、 假にゆるして縱《ヨシ》やといふなり、咲と師は助辭、下も同じ、
 
浦者無友《ウラハナクトモ》、縱畫屋師《ヨシヱヤシ》、滷者無鞆《カタハナクトモ》、 よしや浦も滷もなくとも、我は愛《ハシ》き妹ありといふ心なるを、こゝにはいはず、次に多の句を隔てゝ、下の依寢し妹と云にて知せたり、〇一に磯者と有はまたとらず、【今濱田の城の直北に下府村有、其北に上|府《フ》村あり、是古の府なり、その北皆海なれば、府より出立所の樣もて先いひて、次は山道に及べり、】
 
鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海邊乎指而《ウミベヲサシテ》、 指て行なり、〇是より十句餘は、其海の事をもて妹がうへをいふ序とす、
 
和多豆乃《ニギタヅノ》、 今は此名なしといへり、されども國府より屋上まで行間、北の海|方《ベ》にて、即そこの有さまを、ことばとしつる歌なるからは、和た津てふところ、その邊にありしなり、今濱田といふは、もしにぎたの轉にや、
 
荒磯乃上爾《アリソノウヘニ》、 あらいその、らいの約利なれば、ありそとよむ、
 
香青在《カアヲナル》、 香は發言にて、集中に、香黒(キ)髪、さいばりに、かよりあひなどいふ皆同じ、○在を今本生と有は、草の手より誤れるものなり、青に有てふ言をつゞめて、あをなると云に、在と書は例なり、
 
玉藻息津藻《タマモオキツモ》、 同物を重ねいふはあやなすのみ、息は借字、澳なり、
朝羽振《アサハブル》、 一本この朝羽振より下四句は無て、明《アケ》來者、浪|己《コ》曾|來依《キヨレ》、夕去者、風己曾來依とありて、浪之共とつづく、
 
風社依米《カゼコソヨラメ》】、夕羽振《ユフハブル》、 【今本、下の振の下に流と有は、上の例に違、理りもわろし、】
 
浪社來緑《ナミコソキヨレ》、 玉藻は朝夕の風浪にこそよらめといふなり、○羽振は風浪のたつを鳥の羽振に譬ふ、(卷四)風|緒痛《ヲイタミ》、甚振浪能《イタブルナミノ》、間無《アヒダナク》、卷十八に、打羽|振《ブキ》、鷄《カケ》者鳴等母、猶此類あり、古事記に、(神武)爲釣乍《ツリシツヽ》打|羽擧《ハブキ》來(ル)人、また天日矛《アマノヒボコ》が持來し寶に、振浪比禮《ナミフルヒレ》、振風《カゼフル》比禮などいふこともあり、
 
浪之共《ナミノムタ》、 浪のともにといふなり、(卷十一)君我牟多《キミカムタ》、由可麻之毛能乎《ユカマシモノヲ》、その外にも多けれど、皆|共《トモ》の意なり、今物の彼此わかぬを、めたともみたともいふを、土左人はむたといふといへり、
 
彼縁此依《カヨリカクヨリ》、玉藻成《タマモナス》、 成は如なり、【一本、玉藻より妹をまでは無て、波之伎余思、妹之手本乎と有は誤れり、今本此次に引、或本に、靡吾宿之と有もいと誤なり、同或本に山毛越來奴、その次に、早敷屋師、吾|嬬《ツマ》乃兒我、夏草乃、思|志萎《シナエ》而、將歎《ナゲクラン》、角(ノ)里|將見《ミン》、靡(ケ)此(ノ)山と有は聞えたり、】
 
依宿之妹乎《ヨリネシイモヲ》、 比類下に多し、
 
露霜乃《ツユジモノ》、 冠辭、
 
置而之來者《オキテシクレバ》、此道乃《コノミチノ》、 これより下は皆陸路のさまなり、
 
八十隈毎《ヤソクマゴトニ》、萬段《ヨロヅタビ》、顧爲騰《カヘリミスレド》、彌遠爾《イヤトホニ》、里者放奴《サトハサカリヌ》、益高爾《マシタカニ》、山毛越來奴《ヤマモコエキヌ》、 行道のさまをいふ中に、別を悲む情有、
 
夏草之《ナツクサノ》、念之奈要而《オモヒシナエテ》、 夏草は冠辭、
 
志怒布良武《シヌブラム》、妹之門將見《イモガカドミム》、靡此山《ナビケコノヤマ》、」 古郷出てかへり見るほどの旅の情、誰もかくこそあれ、物の切なる時は、をさなき願ごとするを、それがまゝによめるは、まことのまことなり、後世人は此心を忘れて、巧みてのみ歌はよむからに、皆そらごとゝ成ぬ、さて(卷三)靡《ナビ》けと、人はふめども、かく依《ヨレ》と、人は衝《ツケ》ども、こゝろなき山の、奥磯《オキソ》山三野|之《ノ》山とよめるは、いと古への歌なり、(卷五)「惡木《アシキ》山、ごずゑこと/”\、あすよりは、なびきたれこそ、妹があたり見ん」てふは、今をとれるか、
 
 反歌《カヘシウタ》、 反歌の事既にいへり、
 
132 石見乃也《イハミノヤ》、 この也は與に通へり、上に籠毛與、吾者毛也などいふ皆同じ、
 
高角山之《タカツノヤマノ》、木際從文《コノマユモ》、 或本による、○是より次の一句を隔て、妹見つらんかとつゞけり、
 
我振袖乎《ワガフルソデヲ》、妹見都良武香《イモミツラムカ》、」 人まろ道に出て顧しつゝ振《フル》そでを、妹は高角山にのぼりて、見おくりつらんかとなり、かく疑ふぞ情あり、○或本、初を石見|爾有《ナル》、末を吾袂振乎、妹見|監《ケン》鴨と有、
 
133 小竹之葉者《サヽノハハ》、三山毛清爾《ミヤマモサヤニ》、 三は眞《マ》なり、清は借字、紀に、(神武)聞喧擾之響を、左揶霓利奈離《サヤケリナリ》とよめる如く、嵐立て山の皆|小篠《ヲザヽ》の鳴さやぐなり、
 
亂友《サワゲドモ》、 亂は驟なり、友は借字、(卷十)高島の、阿渡《アト》河波は、驟《サワゲ》ども、吾は家おもふ、別かなしみてふは、今をよみうつしたるなるべし、又(卷五)松浦船、亂《サワグ》ほり江とよみつ、【さやぐはこゑ、さわぐはかたちなり、】
吾者妹思《ワレハイモオモフ》、別來禮婆《ワカレキヌレバ》、」 こゆる山こぞりて、さゝ吹風のさやぐには、大かた物もまぎれ忘るべくかしましけれど、別れし妹こひしらは、猶まぎれずといふなり、
 
135 角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石見之海乃《イハミノウミノ》、言佐敝久《コトサヘグ》、 冠辭、
 
辛乃埼有《カラノサキナル》、伊久里爾曾《イクリニゾ》、 紀に(應神)由蘿《ユラ》のとの、となかの、異句離《イクリ》にふれたつ、云云(卷十五)「わたのそこ、奥津伊久里《オキツイクリ》に、あはび玉、さはにかづき出(デ)」などいへば、海の底の名をいくりと云り、さて必黒ければいくりといふか、
 
深海松生流《フカミルオフル》、 宮内式の諸國の貢に、深海松長海松の二つ有、深みるは海底に生るをいふ、
 
荒磯爾曾《アリソニゾ》、玉藻者生流《タマモハオフル》、玉藻成《タマモナス》、靡寐之兒乎《ナビキネシコヲ》、深海松乃《フカミルノ》、深目手思騰《フカメテモヘド》、左宿夜者《サヌルヨハ》、幾毛不有《イクバクモアラズ》、延都多乃《ハフツタノ》、 冠辭、
別之來者《ワカレシクレバ》、 此ぬる夜はいくばくもあらで、別るといふからは、こは國にてあひ初し妹と聞ゆ、依羅《ヨサミノ》娘子ならぬ事知べし、
 
肝向《キモムカフ》、 冠辭、
 
心乎痛《コヽロヲイタミ》、念乍《オモヒツヽ》、顧爲騰《カヘリミスレド》、大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
渡乃山之《ワタリノヤマノ》、 府より東北、今道八里の所に在と云り、妹か振袖の見えずと云にかなへり、
 
黄葉乃《モミヂバノ》、散之亂爾《チリノマガヒニ》、 反歌、秋山爾、落黄葉といへり、○まがふてふ言に亂と書る、下に多し、
 
妹袖《イモガソデ》、清爾毛不見《サヤニモミエズ》、 【此清は明らかなるをいふ、】
 
嬬隱有《ツマゴモル》、 冠辭、
 
屋上乃山乃《ヤガミノヤマノ》、 渡山と同じ程の所といへり、かゝれば和多つは、いよゝ府に近き事顯はなり、さて府を立て此山遠からぬ所に宿りてよめるならん、
 
自雲間《クモマヨリ》、渡相月乃《ワタラフツキノ》、 妹があたりの、山に隱る、惜さを、月の雲隱るに譬ふ、
 
雖惜《ヲシケレド》、隱比來者《カクロヒクレバ》、天傳《アマヅタフ》、 冠辭、
 
入日刺奴禮《イリヒサシヌレ》、 夕べに成ていよゝ思ひまされり、
 
丈夫跡《マスラヲト》、念有吾毛《オモヘルワレモ》、敷妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、こは夜《ヨル》のものをいふ辭にて、即宿りしての思ひをいへり、
 
衣袖者《コロモノソデハ》、通而沾奴《トホリテヌレヌ》、 卷十九に、潜※[盧+鳥]《ウヲカフ》歌とて、「吾妹子が、形見がてらと、紅の、八しほに染て、おこせたる、ころものすそも、通りてぬれぬ」とよめるは、下にかさね着し紅衣と聞ゆ、然れば上より下のかさねかけてぬるゝといふめり、今も此如く下の袖までなみだにぬれとほりしなり、(卷十一)「吾袖は、多毛登等保里《タモトトホリ》て、ぬれぬとも、戀忘貝、とらずばゆかじ」といへるは、はた袖より臂のもとかけて、ぬれのぼるをいひて、今とはいささかことなり、
 反 歌、
136 青駒之《アヲゴマノ》、 白馬なり、
 
足掻乎速《アガキヲハヤミ》、 馬は足して土をかくが如くあゆむをいふ、
 
雲居曾《クモヰニゾ》、 此言をかく遠き事にいふは轉じ用るなり、
 
妹之當乎《イモガアタリヲ》、過而來計類《スギテキニケル》、」 或本、妹之當|者《ハ》、隱《カクレ》來(ニ)計留、 これによらん歟、(卷四)「赤ごまの、あがきはやくば、雲ゐにも、隱往《カクレユカン》ぞ、袖まけわぎも、」
 
137 秋山爾《アキヤマニ》、 秋の末或は冬の初なることしるし、
 
落黄葉《オツルモミヂバ》、須臾者《シバラクハ》、勿散《ナチリ》亂《ミダリ・マガヒ》曾《ソ》、妹之當將見《イモガアタリミム》、」
 
 △或本歌、
138 石見之海、津乃浦乎無美、浦無跡、 こは津能乃浦|囘《ワ》乎の能と囘を落し、無美はまぎれてこゝに入たるなり、此外いと誤多し、たま/\誤ならで異なるは、右の歌に註しつ、
 
  △反歌、
139 石見之海、打歌《タカ》□《角》山乃、木(ノ)際《マ》從、云云、下は右に同じ、【此初句、海と有も誤れり、】此|打歌《タカ》は假字にて、次に角か津乃《ツノ》などの字落し事、上の反歌もて知べし、今本にうつたの山と訓しは人わらへなり、
 
○柿本(ノ)朝臣人麻呂(ガ)妻《メ》依羅娘子《ヨサミノイラツメ》、與《ト》2人麻呂1相別(ルヽ)時作歌、 こは右の假《カリ》に上りて又石見へ下る時、京に置たる妻のよめるなるべし、かのかりに上る時、石見の妹がよめる歌ならんと思ふ人のあるべけれど、さいひては前後かなはぬ事あり、別記の人まろの妻の條にいふ、【拾遺歌集に、此歌を人まろとてのせしは、餘りしきひがことなり、人まろの歌の調は、他にまがふ事なきを、いかで分ざりけん、此端詞を見ざりしなり、】
 
140 勿念跡《オモフナト・ナモヒソト》、君者雖言《キミハイヘドモ》、相時《アハントキ》、何時跡知而加《イツトシリテカ》、我不戀有牟《ワガコヒザラム》、
 
 挽歌《カナシミノウタ》。 これを末に載て卷を結びたるにて、こは時代しられたる歌を撰集めし卷なるを知ぬ、【挽歌の字は借て書のみ、字に泥ことなかれ、別記有、】
 
後崗本宮《ノチノヲカモトノミヤニ》御宇天皇代。
 
○有間皇子《アリマノミコ》自傷《カナシミテ》結《ムスビテ》2松枝《マツガエヲ》1御作《ヨミタマヘル》歌、 紀に(孝徳)阿倍(ノ)倉梯麻呂(ガ)女、小足《ヲタラシ》媛(ノ)生2有馬皇子1と見ゆ、さて斉明天皇四年十月、天皇紀伊の牟漏《ムロ》の湯へ幸ありし時、此皇子そむき給ふ事顯れしかば、かの紀伊へめしけるに、其國の岩代の濱にで御食《ミヲシ》まゐる時、松が枝を結びて、吾この度|幸《サキ》くあらば、又かへり見んと契り給ひし御歌なり、かゝるに其明る日、藤代てふ所にて、命うしなひまゐらせつ、
141 磐白乃《イハシロノ》、 既出、
 
濱松之枝乎《ハママツガエヲ》、引結《ヒキムスビ》、眞幸有者《マサキクアラバ》、 幸《サキ》くてふ事は既出、
 
亦還見武《マタカヘリミム》、」 とりなだめらるゝよしもありなんやとおぼせしが悲しき、
 
142 家有者《イヘニアレハ》、笥爾盛飯乎《ケニモルイヒヲ》、 笥は和名抄にも介《ケ》と訓つ、いと古への飯笥《イヒゲ》は、藺《ヰ》竹などして作り、又木をわげたるも本よりならん、【顯宗天皇紀、影姫が歌に、多摩該※[人偏+爾]播《タマケニハ》、伊比左倍母理《イヒサヘモリ》、このたまけは丸|笥《ケ》なり、○鎮魂祭式に、飯笥一合、云云、即盛2藺笥《ヰノケニ》1、】
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
旅爾之有者《タビニシアレバ》、椎之葉爾盛《シヒノハニモル》、」 今も檜の葉を折敷て、強飯を盛ことあるが如く、旅の行方《ユクヘ》にては、そこに有あふ椎の小枝を折敷て盛つらん、椎は葉のこまかに繁くて平らかなれば、かりそめに物を盛べきものなり、さて有がまゝによみ給へれば、今唱ふるにすら思ひはかられて哀なり、
 
〇長忌寸意吉麻呂《ナガノイミキオキマロ》、見(テ)2結松(ヲ)1哀咽《カナシミテ》作歌、 意吉麻呂は、文武天皇の御時の人にて、いと後の歌なれど、事の次でもてこゝには載しなり、下の人まろが死時の歌になぞらへてよめる丹治(ノ)眞人が歌を、其次に載たる類なり、眞人は人まろと同時なるやしらねど、擬歌などをならべ載たる例に取なり、○意寸麻呂の時代の事、此挽歌の條の別記をあはせ見るべし、
 
143 磐代乃《イハシロノ》、岸之松枝《キシノマツガエ》、 【濱とも岸とも野ともよめり、濱岸のべの野に立たる松としらる、】
 
將結《ムスビケン》、人者反而《ヒトハカヘリテ》、 皇子の御魂、
 
復將見鴨《マタミケンカモ》、」 更に悲しさをそへたり、
 
144 磐代乃、野中爾立有《ノナカニタテル》、結松《ムスビマツ》、情毛不解《コヽロモトケズ》、 結《ムスブ》よりいふ、
 
古所念《イニシヘオモホユ》、 此松、むすばれながら大木と成て、此時までもありけん、
○山上臣憶良(ガ)追和《オヒナゾラヘテ》作歌《ヨメルウタ》、 こは意寸麻呂よりしも後の歌ながら、類ひもてこゝに載し事、右にひとし、【此和は答にあらず、擬といふが如し、仍てなぞらへとよむ、】
 
145 鳥翔成《ツバサナス》、 羽して飛ものをつばさといふ、成は如なり、今本とりはと訓しはわろし、とりはてふ言はなきなり、
 
有我欲比管《アリガヨヒツヽ》、見良目杼母《ミラメドモ》、 皇子のみたまは、飛鳥の如く天がけりて見給ふらめどと云なり、紀に(履仲)有|如《ナス》2風之聲《カゼノコヱ》1呼《ヨバヘリ》2於大虚《オホゾラニ》1曰、鳥往來羽田之汝妹《トリカヨフハダノナニモハ》、羽狭丹葬立往《ハサニハフリタチイヌ》ともあり、
 
人社不知《ヒトコソシラネ》、松者知良武《マツハシルラム》、 又悲しさくはゝりぬ、古へ人の歌はかくこそあれ、後の人おもへ、今本こゝに註あれど、用なくいまだしき事なれば、すてたり、又その次に、△大寶元年辛丑幸2紀伊國1時云云とて歌一つあれど、そは即右の意寸麻呂の始めの歌を唱へ誤れるなるを、後人みだりに書加へしものなり、仍てこゝに除て別記にいへり、
 
近江大津(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○天皇|聖躬不豫《ミヤマヒオハシマス》之|時《トキ》皇后《キサキノ》  いまだ天皇崩まさぬ程の御歌なれば、今本こゝを大后と書しは誤、
 
奉御歌《タテマタシヽミウタ》、 天皇其十年の九月より、大御病おはしまして、十二月に崩ましぬ、こは押て挽歌に入し物なり、皇后は、天皇の御庶兄|古人《フルヒトノ》大|兄《エノ》皇子の御女にて、倭《ヤマトノ》姫王と申して、天皇の七年に后に立給、
 
147 天原《アマノハラ》、振放見者《フリサケミレバ》、大王乃《オホキミノ》、御壽者長久《ミヨハトコシク》、天足有《アマタラシヌル》、 紀に(推古)「吾大きみの隱ます、天の八十|蔭《カギ》、いでたゝす、み空を見れば、萬代に、かくしもがも、云云」てふ歌をむかへ思ふに、天を御室《ミヤ》とします天つ御孫命におはせば、御命も長《トコシナ》へに天足しなん、今御病有とも事あらじと、天を仰で賀給ふなり、△今本こゝに一書曰とて、右の如き端詞有て、即左の歌を書しは、其一書には、右の御歌落、左の端詞も亂て外へゆきしものなり、
 
〇天皇|崩《カミアガリマセル》時《トキ》、大后(ノ)御作《ヨミタマヘル》歌《ミウタ》、 此詞今本はこゝに落て次の御歌の所に入しなり、今考てこゝに書り、そのよし次下にいふべし、
 
148 青旗乃《アヲバタノ》、 白旗をいふ、【或抄に、常陸風土記に、葬に五色の旗を立し事有を引たれと、皇朝の上代に有まじき事、まして孝徳の制より奈良(ノ)朝まで、王臣の葬に帷衣ともに白布を用、白旗なる據、こゝにしるせる如くなるを、いかで色々を用んや、令の葬旗に、集解等にも色をいはぬは、必白き故なり、みだりにせば違令の罪ぞ、風土記の浮説にまどはざれ、】
 
小旗能上乎《ヲバタノウヘヲ》、 今本は小を木に誤りつ、同じ言に小《ヲ》の發語を置て重ねいふ、古歌の文《アヤ》のうるはしきなり、さがみ嶺《ネ》の小嶺《ヲミネ》、玉ざゝの小篠《ヲザヽ》などの類いと多し、
 
賀欲布跡羽《カヨフトハ》、目爾者雖視《メニハミレドモ》、直爾不相香裳《タヾニアハヌカモ》、」 大殯(ノ)宮に立たる白旗どもの上に、今もおはすが如、御面影は見えさせ給へど、正面《マサメ》に相見奉る事なしと歎給へり、○此青ばたを殯宮の白旗ぞといふよしは、孝徳天皇紀の葬(ノ)制に、王以下小智以上、帷帳等に白布を用ひよとあり、(卷三)挽歌に、大殿矣、振放見者、白細布《シロタヘニ》、飾奉而《カサリマツリテ》、内日刺、宮舍人者、雪穗《タヘノホノ》、麻衣服者《アサギヌキレバ》、また此卷にも、皇子之御門乎、神(ン)宮爾、装束《カザリ》奉而、云云、かくて喪葬令の錫紵は細布なれば、大殯のよそひも皆白布なるをしる、さて旗は右の書らに見えねど、喪葬令の太政大臣(ノ)旗二百竿と有に、こゝの青旗云云をむかへて、御葬また大殯宮の白はた多きをしるべし、且成務天皇紀、神功皇后紀に、降人は素《シラ》幡を立て参ること有も、死につくよしなれば、これをも思へ、○青旗の忍《オシ》坂の山てふも、同く白旗なる事、冠辭再考にいへるをむかへ見よ、今本こゝに天皇崩御之時、倭(ノ)太后(ノ)御作歌と有は、右にいふ如く此所亂れて、青旗云云の歌は、かの一書に、近江(ノ)天皇、聖體不豫御病急時、太后奉獻御歌てふ端詞の次に入し故に、後人私に右の崩御之時てふ端詞を、左の御歌の前に書し物なり、右の青旗云云は、既崩給ふ後の意にこそあれ、又こゝの崩の下の御は例皆なし、倭てふ御名も、惣の例に違のみかは、ここの前後にそむければ、皆誤れる事明らけし、仍て今こゝの端詞を青旗の歌の上へおくりて、二首ともに大后の御歌とす、大后より上に出べき人もなければなり、
 
149 人者縱《ヒトハヨシ》、念息登母《オモヒヤムトモ》、玉※[草冠/縵]《タマカヅラ》、 冠辭なり、冠辭よりは懸《カケ》とつゞけ、受たる句にては面|影《カゲ》なり、かくいひかくるには、清濁にかゝはらぬぞ歌のならはしなる、
 
影爾所見乍《カゲニミエツヽ》、不所忘鴨《ワスラレスカモ》、
 
○婦人《タワヤメノ》作歌、 今本には婦の上に、天皇崩時の四字あれど、例に依て除きつ、又婦人とのみ有もおぼつかなけれど、今はすべなし、これも亂れたるを仙覺などの強ごとなるべし、
 
150 空蝉師《ウツセミシ》、 顯《ウツヽ》の身なり、師はしもといひ入る辭なるを、毛を略けるなり、
 
神爾不勝者《カミニタヘネバ》、離居而《ハナレヰテ》、 天つ神となりて上り給ふには、わがうつゝにある身のしたがひ奉る事かなはで、離をるとなり、
 
朝嘆君《アサナゲクキミ》、 下の昨《キゾノ》夜夢に見えつるといふを思ふに、其つとめてよめる故に、朝といへるならん、
 
放居而《サカリヰテ》、吾戀君《ワガコフルキミ》、玉有者《タマナラバ》、手爾卷持而《テニマキモチテ》、衣有者《キヌナラバ》、脱時毛無《ヌグトキモナケム》、 句なり、
 
吾戀《ワガコフル》、君曾伎賊乃夜《キミゾキゾノヨ》、 きのふの夜なり、(卷六)こひてかぬらん、伎曾母許余比毛とよめり、紀には昨日をも昨夜をも、きずと訓たり、同言なり、
 
夢所見鶴《イメニミエツル》、 こを古へはいめといひて、ゆめといへることなし、集中に伊米《イメ》てふ假字あり、伊は寢《イ》なり、米は目《メ》にて、いねて物を見るてふ意なり、後世いつばかりよりか轉《ウツリ》てゆめといふらん、
 
○天皇|大殯宮之時《オホミアガリノミヤノトキノ》歌、 崩ませば、先(ツ)宮中に殯宮して假にをさめ奉り、山陵《ヤマ》造《ツクリ》て後に葬奉りぬ、○あがりといふは、仲哀天皇紀に、殯《アガリス》2豐浦(ノ)宮(ニ)1、爲2無火殯斂(ヲ)1、此(ニハ)謂2褒那之阿餓利《ホナシアガリト》1、この阿餓利の言即殯に當れり、又(卷四)長屋王賜v死後の歌、大荒城乃《オホアガリノ》、時爾波|不有跡《アラネド》、雲隱|座《マス》、是を合せて此訓を知べし、【萬葉に荒|城《ギ》と書、荒は假の意、城は墓の類をいふ、然ればあがりは、あ良の良を略《ハブ》き、がりの約ぎなれば、あらぎと同言なり、それを古へより專らあがりと唱へこしなりけり、今も遠江人の死て、三日めのわざするを、三日のあがり爲といへる、即是なり、猶此下にいへるを合せ見よ、】
 
151 如是有刀《カヽラムト》、豫知勢婆《カネテシリセバ》、大御船《オホミフネ》、泊之登萬里人《ハテシトマリニ》、標結麻思乎《シメユハマシヲ》、」 こゝの汀に御船のつきし時、しめ繩ゆひはへて、永く留め奉らんものをと、悲しみの餘にをさとなく悔するなり、古事記に、(天岩戸の條)布刀《フト》玉(ノ)命、以〔右○〕尻久米繩《シリクメナハヲ》控2度《ヒキワタシテ》其御後方《ソノミシリベニ》1白言《マヲサク》、從此以内不得還入《コユウチニナカヘリマシソ》てふを思ひてよめるなるべし、
 
152 八隅知之《ヤスミシヽ》、吾期大王乃《アゴオホキミノ》、 我等を和期といふこと、既に出づ、
 
大御船《オホミフネ》、待可將戀《マチカコヒナム》、四賀乃辛崎《シガノカラサキ》、 卷一に、大宮人の船まちかねつと、柿本の人まろのよみしは、これより年經て後なり、しかれども今をまねぶべき人ともおぼえず、おのづから似たるか、
 
○大后|御作歌《ヨミマセルミウタ》、 是よりは御|新喪《ニヒモ》の程過て後の事故に、又更に大后の御歌をあぐ、
 
153 鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
淡海乃海乎《アフミノウミヲ》、奥放而《オキサケテ》、 放は遠ざかりてなり、
 
※[手偏+旁]來船《コギクルフネ》、 六言、
 
邊附而《ヘヅキテ》、 四言、
 
※[手偏+旁]來船《コギクルフネ》、 六言、
 
奥津加伊《オキツカイ》、 おきつ船の※[楫+戈]《カチ》なり、古へはかいとかぢを一つ物とせり、集中に、眞梶繁貫《マカヂシヽヌキ》とあまたいへる同じ事を、卷二十には、末加伊之自奴伎《マカイシヾヌキ》ともいひ、其外同物なる據あり、さて船尾に懸る物を、後世かちと云は誤なり、【古事記に、(海河の神の生れし次、)奥津|甲異辨羅《カイベラノ》神、邊津甲異辨羅神生れ給ふ、是船の加伊の始めなり、是をかぢともいへり、集中に眞《マ》加|伊《イ》とも眞加|治《ヂ》ともいひて、船の左右にむかへてかくる故に眞といふ、今の臚《ロ》といふ物は古はなし、かくて船尾に掛るを梶と云は訛なり、古是はたぎしと云つ、同記に倭建命の、吾足|不得歩《エアユマズ》、成2當藝斯《タギシノ》形1とのたまひしと、和名抄に、舵を多|伊《イ》之といへるをむかへて、船(ノ)尾に在て正v船木の、柄《エノ》曲れる物をたぎしといひしを知なり、】
 
痛勿波禰曾《イタクナハネソ》、 かいは、波をすきはぬるものなり、
 
邊津加伊《ヘツカイ》、 汀をこぐ楫なり、
 
痛莫波禰曾《イタクナハネソ》、若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
嬬之念鳥立《ツマノオモフトリタツ》、 こゝは夫《ツマ》と書べきをたゞ、言をとりて字にかゝはらぬ古へぶりなり、下にも多し、さて紀にも集にも、御女は天皇を吾せこともよみしかば、こゝのつまもしかなり、○此鳥は、下の日並知皇子尊の殯の時、島(ノ)宮、池(ノ)上|有《ナル》、放鳥、荒備勿行(ソ)、君|不座《マサズ》十方、とよめる如く、愛で飼せ給ひし、鳥を、崩まして後放たれしが、そこの湖に猶をるを、いとせめて御なごりに見給ひてしかのたまふならん、
 
○石川(ノ)夫人(ノ)作歌、 此夫人知がたし、蘇我山田石川麻呂(ノ)大臣の女にはあらじか、
 
154 神樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
大山守者《オホヤマモリハ》、 大宮近き此山には、ことに山守を置るべし、且大山は御山の意なり、
 
爲誰可《タガタメカ》、山爾標結《ヤマニシメユフ》、 人を入しめぬしるしなり、
 
君毛不有國《キミモマサナクニ》、 よろづにかひなく成にたるを恨みたるなり、
 
○從《ヨリ》2山科御陵《ヤマシナノミハカ》1退散之時《アラケマカルトキ》、 諸陵式に、山科(ノ)陵天智天皇、山城國宇治郡と有是なり、今も山科の御廟とて山上にもりあり○紀に、十年十二月乙丑、天皇崩2近江宮1、癸酉《十一日》殯2新宮1と見ゆ、さて亂れ有て、天武天皇の三年に至て、此陵は造らせ給へり、御葬且此御陵づかへも此時有しなるべし、しかる時は淨御原宮の下に入べけれど、專らのことわりにつきて、こゝに載られつらん、
 
額田(ノ)姫王(ノ)作歌、
 
155 八隅知之《ヤスミシヽ》、和期大王之《ワゴオホキミノ》、恐也《カシコシヤ》、 也は與に通ふ辭、
 
御陵奉仕流《ミハカツカヘル》、 皇朝の古へは、天皇の山陵をも御墓《ミハカ》といひつらん、こゝに御陵とは書しかど、みさゞきと訓ては、句調のかなはねば、みはかと訓べき事しらるればなり、さて墓をはかといふも、古へよりの言と見えて、(卷十二)おもへ者|歟《カ》てふ言に思墓と借、武蔵國に荒墓(ノ)郷和名抄に出たり、から國も陵は暫後にて、冢墓ぞ古へなりける、【三秦記に、名2天子冢1曰2長山1、漢曰v陵、故通名2山陵1、〇喪葬令義解に、帝王(ノ)墳墓如v山如v陵、故謂2之山陵1、】
 
山科乃《ヤマシナノ》、鏡山爾《カヾミノヤマニ》、 山城なり、近江豐前にも同名の山あり、
 
夜者毛《ヨルハモ》、 四言、
 
夜之盡《ヨノアクルキハミ》、 八言、
 
晝者母《ヒルハモ》、 四言、
 
日之盡《ヒノクルヽマデ》(卷十三)、崗本(ノ)天皇御製とて、晝波、日乃久流留麻弖、夜者、夜之明流|寸食《キハミ》と有に依てよみぬ、こはいと古言にて、古言をば古言のまゝに用ること、集中に多き例なり、
 
哭耳呼《ネノミヲ》、 四言、
 
泣乍在而哉《ナキツヽアリテヤ》、 八言、
 
百磯城乃《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》、去別南《ユキワカレナム》、 葬まして一周の間は、近習の臣より舍人まで、諸々御陵に侍宿《トノイ》する事、下の日並知皇子尊の御墓づかへする、舍人の歌にてもしらる、
 
明日香清御原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
〇十市《トヲチノ》皇女、薨時《スギタマヘルトキ》、 上にいへり、〇七年四月七日、宮中にて頓に薨給ふ、同十五日に赤穗てふ所に葬、天皇臨て發哀《ミネ》し給ふと紀に見ゆ、
 
高市(ノ)皇子(ノ)尊、御作歌、 此時は太子ならねど、後をめぐらして尊と書り、紀にもしかり、
 
156 三諸之《ミモロノ》、 初句にみもろのと有は、皆四言なり、下に能《ノ》を就《ナル》に誤れる一つあり、そは冠辭考にくわしくす、
 
神之神須疑《カミノカミスギ》、 此神杉は、手もふるまじく齋《イメ》るといふを、夢《イメ》にいひかけ給へるのみ、古は夢を伊米《イメ》といひし故に、此つゞけ有なり、【(卷三)神名備能、三諸之山丹、隱藏《イハフ》杉、このいはふにひとし、】
 
已免乃美耳《イメノミニ》、將見管本無《ミエツヽモトナ》、 此二句かく草の手に書けんを、今本に、己具耳矣月得見監乍共と有は、字あまた誤れる事誰かしらざらん、然るを仙覺みだりなる訓をなしたり、【此十字をいくにをしと、みけんつゝともてふ訓をせしは、古へはさる言も有べしと思へるにや、古へこそ言は明らけきをしらぬ人、かゝることするなり、】
 
不寐夜叙多《イネヌヨゾオホキ》、」 ある時は、かひなき夢にのみ見えつゝ、或夜はねずに戀明すことの多きとなり、〇本無とは、むなしといふ言なり、毛登の約は、毛なるを牟に轉じいへり、
 
157 神山之《カミヤマノ》、 三諸も神山も、神|岳《ヲカ》と三輪とにわたりて聞ゆるが中に、集中をすべ考るに、三諸といふに三輪なるぞ多く、神なびの三室、又神奈備山といへるは飛鳥の神岳なり、然ればこゝは二つともに三輪か、されど此神山を今本に押てみわやまとよみしは、おぼつかなし、
 
山邊眞蘇木綿《ヤマベマソユフ》、 木綿《ユフ》は穀《カヂ》の皮なり、委は冠辭考に見ゆ、さて木綿麻など割《サキ》て用る物を曾《ソ》といふ、それが中に、ゆふをほめて眞そといふなり、式にも木綿を貴み、麻をいやしめり、【大祓詞に、菅曾《スガソ》と云も、菅を八針に割ばなり、】
 
短木綿《ミジカユフ》、 こは長きも短きも有を、短きを設出て、この御命の短きによそへ給へり、後に短きあしの節の間もとよめるも此類なり、
 
如此耳故爾《カクノミユヱニ》、長等思伎《ナガクトオモヒキ》、」 思ふ事のあふさきるさに違ふ世の中をなげき給へり、
 
158 山振之《ヤマブキノ》、立儀足《タチヨソヒタル》、 足は辭なり、山ぶきの花はたをやかに愛《ウツク》しければ、集中に妹に似る花とよみたり、○振《フリ》を古はふきといへり、
 
山清水《ヤマシミヅ》、酌爾雖行《クミニユカメド》、 山ぶきは深き山の谷水の邊に咲たわむ花なれば、山水をもて、言をつゞけ給ふのみ、
 
道之白鳴《ミチノシラナク》、 葬し山邊には、皇女の今も山吹の如く姿とをゝに立よそひておはすらんと思へど、とめゆかん道ししられねば、かひなしと、をさなく思ひ給ふが悲きなり、
 
○天皇|崩之時《カミアガリマセルトキ》、 朱鳥元年九月九日に、清御原(ノ)宮天皇崩、
 
大后(ノ)御作歌、 後に持統天皇と申、
 
159 八隅知之、我大王之、暮去者《ユフサレバ》、召賜良之《メシタマヘラシ》、 召は、めしよせて見給ふなり、良は利に通ひて、たまへりしなり、常にらしてふ辭にあらず、
 
明來者《アケクレバ》、問賜良志《トヒタマヘラシ》、 いかにと問給へりしなり、
 
神岳乃《カミヲカノ》、 飛鳥の神南備山の事なり、別記あり、
 
山之黄葉乎《ヤマノモミヂヲ》、今日毛鴨《ケフモカモ》、 今もおはしましなば、
 
問給麻思《トヒタマハマシ》、明日毛鴨《アスモカモ》、召賜萬旨《メシタマハマシ》、其山乎《ソノヤマヲ》、 今は大后の御獨のみ、
 
振放見乍《フリサケミツヽ》、暮去者《ユフサレバ》、綾哀《アヤニカナシミ》、 綾文の如く左《ト》ざま右《カク》ざま入たちてなげく辭なり、
 
明來者《アケクレバ》、裏佐備晩《ウラサビクラシ》 別記にいふ、
 
荒妙乃《アラタヘノ》、 麁布は庶人《タヾヒト》の服なれば、こゝは只冠辭といふべけれど、白たへとなくて、あらたへと有を思ふに、令集解に、大御喪には細布を奉るよしにいへり、其細布猶大御|衣《ゾ》としては、あらたへとのたまふべきなり、仍てこゝは御衣とせん、
 
衣之袖者《コロモノソデハ》、乾時文無《ヒルトキモナシ》、
  △一書曰、天皇崩之時、太上天皇御製歌二首、 此太上は持統天皇に當れり、此崩の後四年に即位まし、十一年八月、御位を文武天皇にゆづり給ひて後こそ太上とは申せ、今天武天皇崩ませる時に、太上と書しは、いか成をこ人のわざか、
 
160 燃火物《モユルヒモ》、取而裹而《トリテツヽミテ》、福路庭《フクロニハ》、 袋に者なり、
 
入澄《イルト》、 騰か、
 
不言八面《イハズヤモ》、 【八面をやものかなとせしは、(卷四)にもあり、】
 
知曰《シルトイハ》、 今本智と有は、知曰二字なるべし、
 
男雲《ナクモ》、 こは借字にて、無毛《ナクモ》の意なり、後世も火をくひ、火を蹈わざを爲といへば、其御時在し役(ノ)小角がともがらの、火を袋に包みなどする、恠き術《ワザ》する事有けん、さてさるあやしきわざをだにすめるに、崩ませし君に逢奉らん術を知といはぬが、かひなしと、御なげきの餘にの給へるなり、
 
161 向南山《キタヤマニ》、陣雲之《タナビクモノ》、青雲之《アヲグモノ》、 青は白なり、さて雲の星をはなるとかゝる、
 
星離去《ホシハナレユク》、月毛《ツキモ》、 今本牟と有は誤、
 
離而《ハナレテ》、 后をも臣をもおきて神あがりませるを、月星にはなれて、よそに成行雲に譬給へり、さて此二首は、此大后の御歌のさまならず、から文學べる男のよみしにや、されども歌は端詞によりてとくなり、
 
△天皇崩之後、八年九月九日(ニ)、奉v爲《ナシマツル》2御齋會《オホミヲガミヲ》1、之|夜《ヨ》、夢裏唱賜《イメノチニトナヘタマヘル》御歌、 此次に藤原宮御宇と標して、右同天皇崩ませる朱鳥元年十一月の歌を載、其次には同三年の歌有を、こゝに同八年の歌を載べきにあらず、且待統天皇の大御歌とせば、御製とも御夢とも有べし、かた/”\いかなる野書をか裏書にしつらん、然るを後の心なしの、遂に本文にさへ書なせしものなり、【有馬(ノ)皇子の御歌の次に、いと後の追加を載しとは異にて、中々に同天皇の大御歌の年月の前後せるは、有まじき事なり、】
 
此御齋會の事は、紀に(持統)二年二月の詔に、自v今以後、毎(ニ)v取2國忌(ノ)日1、要須v齋也とあり、
 
162 明日香能、清御原乃宮爾、天(ノ)下、所知食之《シロシメシヽ》、八隅知之、吾大王、高|照《ヒカル》、日之皇子《ヒノミコ》、何方爾《イカサマニ》、所念食可《オモホシメセカ》、神風乃、
 
伊勢能國者、奥《オキ》津藻毛、靡足波爾《ナミタルナミニ》、鹽|氣能味《ゲノミ》、香乎禮流《カヲレル》國爾、 潮の滿る時くもるを、加乎留といふなり、冠辭の朝霞の下に委、
 
味凝《ウマゴリ》、 冠辭、
 
文爾乏寸《アヤニトモシキ》、高照日之|御子《ミコ》、 こは意得がたきを、強ていはゞ、天皇吉野より伊勢の國へ幸有て、桑名におはせし事を、さるたふとき大御身の、あら海べたにおはせしが、めづらかにかたじけなきよしか、
 
藤原(ノ)宮(ニ)御宇天皇代。
 
○大津(ノ)皇子(ノ)薨之後《スギタマヘルノチ》、大來《オホクノ》皇女、 既出、
從2伊勢(ノ)齋(ノ)宮1上《ノボリタマフ》v京《ミヤコヘ》之時《トキ》、御作歌、 朱鳥元年十一月なり、
 
163 神風之《カミカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢能國爾母《イセノクニニモ》、有益乎《アラマシヲ》、奈何可來計武《ナニシカキケム》、君毛不有爾《キミモアラナクニ》、」
 
164 欲見《ミマクホリ》、吾爲君毛《ワガスルキミモ》、不有爾《アラナクニ》、奈何可來計武《ナニシカキケム》、馬疲爾《ウマツカラシニ》、」 同じさまにて、言を少しかへたるは、いにしへ有し一つのさまなり、打うたひたる時あはれなるべし、うまつからしは、ことわざの言なり、
 
○移2葬《ウツシハフル》大津(ノ)皇子(ノ)屍《オキツキヲ》、於葛城(ノ)二上《フタガミ》山(ニ)1之時《トキ》、 こは葛下(ノ)郡の山のはてに、上とがりたる峯二つ並立て、よそめもまがはぬ山なり、下の卷にも出たり、
 
大來(ノ)皇女(ノ)哀傷《カナシミテ》御作《ヨミタマフ》歌、
165 宇部曾見乃《ウツソミノ》、人爾有吾我《ヒトナルワレヤ》、 顯《ウツヽ》の身にて在吾哉なり、
 
從明日者《アスヨリハ》、二上山乎《フタガミヤマヲ》、弟世登吾將見《イモセトワガミム》、」 今うつゝにて在るわれにして、言もとはぬ此山を、兄弟と見てやあらんずらんと歎き給ふなり、(卷八、詠山)「木路《キヂ》にこそ、妹山ありとへ、三櫛上《ミクシゲ》の、二上山も、妹こそ有けれ、」只妹こそといふは、是はもと妹を葬し故か、(卷十四、挽歌)「うつせみの、世の事なれば、よそに見し、山をや今は、因處《ヨスガ》と思はん、」〇本は男女の兄弟を、いもせといひしからは、こゝも今本の訓によりぬ、然れども右の卷八なるは、二上を妹とのみよみし如く、こゝも此山を弟として、なせと我見んとよみ給ふか、然らば奈世《ナセ》と有しを、弟世に誤つらんか、古へ兄弟の長幼をいはず、女より男をばせといひし事別記にいふ、
 
166 磯之於爾《イソノウヘニ》、 古へは石をいそともいひしかば、此二上山の石《イシ》むらの邊に生たるあしみをいふなり、ほとりの事をうへといふは常なり、磯と書しに惑ふ人あればいふ、
 
生流馬醉木乎《オフルアシミヲ》、手折目杼《タヲラメド》、 こは木瓜《モケ》の花をいへり、三月の頃、野山につゝじとひとしく赤く咲めれば、庭にも植るものにて、池水の照までに咲るなど、集中に多くよめり、誤れる説あれば、冠辭考に委くいひつ、
 
令視倍吉君之《ミスベキキミガ》、在常不言爾《アリトイハナクニ》、 移はふりの日に、皇女もしたひ行給ふ道のべに、此花を見てよみ給へるものなり、上の歌に、あすよりはと有からは、他《アダ》し日にあらず、さてかゝる時、皇子皇女にもそこへおはする事、紀にも集にも見ゆ、古への心ふかさしるべし、○今本是に注あれど、いとひがことなれば、こゝには捨て別記にことわりぬ、
 
○日並知《ヒナメシノ》皇子(ノ)尊|殯《アガリノ》宮之時、 知は例に依て補、【此集に葬の後にも殯の時とあるは、既葬奉ても、一周御はか仕へする間をば、殯といひしのみ、天皇の外は別に、殯宮をせられねばなり、】
 
柿本朝臣人麻呂(カ)作歌、 此薨ましゝは、朱鳥三年四月なる事紀に見ゆ、紀に、草壁皇子尊と有は、此尊の今一つの御名なり、
  
167 天地之《アメツチノ》、初時之《ハシメノトキノ》、久竪之《ヒサカタノ》、天河原爾《アマノガハラニ》、 紀には天(ノ)安《ヤス》河原といへるを、こゝには安を略く、
八百萬《ヤホヨロヅ》、千萬神之《チヨロヅガミノ》、神集《カンツマリ》、々座而《ツマリイマシテ》、神分《カンハカリ》、分之時爾《ハカリシトキニ》、 天孫を、水穗の國に降しまゐらせんとての神|議《ハカリ》なれば、次の四句をおきて、葦原云云と云へかゝれり、さて次の四句の事は、右の神はかり有しよりも前の事なるを、言を略きて句をなすとて前後にいへり、
 
天照《アマテラス》、日女之命《ヒルメノミコト》、 一云、指上《サシノボル》日女之命、是も同御ことなり、
 
天乎波《アメヲバ》、 四言、天をば既に日女命の長くしろしめすべければ、天孫は、豐あし原の國を、つちと久しく知《シラ》さんものとて、降し奉り給ふとなり、
 
所知食登《シロシメシスト》、葦原乃《アシハラノ》、水穗之國乎《ミヅホノクニヲ》、 水は借字にて、稚々《ミヅ/\》しき八束穗の事なり、
 
天地之《アメツチノ》、依相之極《ヨリアヒノキハミ》、 既天地の開分れしてふに對《ムカ》へて、又より合ん限りまでといひて、久しきためしにとりぬ、(卷四)にも此言あり、
所知行《シロシメス》、 宣命にも此三字をかくよみたり、
 
神之命等《カミノミコトト》、 即天孫彦|火瓊々杵《ホノニヽギノ》命を申す、次の言は、神代紀祝詞などに同、
 
天雲之《アマグモノ》、八重掻別而《ヤヘカキワケテ》、 一云、天雲之、八重雲別而、
 
神下《カンクダリ》、座奉之《イマシマツラシ》、 一|段《キダ》なり、是まであめ御《ミ》まの御ことなり、【いましまつらしは、次に上いましぬといふに對《ムカ》ふ言なり、さてあがめことばのみぞ、】
 
高照《タカヒカル》、日之皇子波《ヒノミコハ》、 是よりは、上の天孫の日嗣の御孫の命、今の天皇(天武)を申せり、さてその天皇崩ましては、又天に歸り上りますよしをいはんとて、先天孫の天降ませし事をいへり、かゝる言の勢ひ此人のわざなり、
 
飛鳥之《アスカノ》、 四言、
 
淨之宮爾《キヨミノミヤニ》、 原を略けるは(卷十四)に、妹も吾も、清《キヨミ》之河のてふ類なり、
 
神隨《カンナガラ》、 既出、
 
太布座而《フトシキマシテ》、 是まで四句は、天武天皇御代しらする間を申す、
 
天皇之《スメロギノ》、敷座國等《シキマスクニト》、 是より、崩ましては天を敷ます國として、上りますといへり、下に天所知流《アメシラシヌル》と書も薨ましての事なり、
天原《アマノハラ》、石門乎開《イハトヲヒラキ》、神上《カンノボリ》、上座奴《ノボリイマシヌ》、 二段なり、右には神下といひ、こゝに神上といへり、〇一云、神|登《ノボリ》、座爾之可婆《イマシニシカバ》、かく下へいひつゞけては、次の春花之云云に至てわろし、
 
吾王《ワガオホキミ》、皇子之命乃《ミコノミコトノ》、天下《アメノシタ》、所知食世者《シロシメシセバ》、 是より日並知皇子尊の御事、【古事記上に、天にても、領《シロ》しめすところを國といふ事と見ゆ、】
 
春花之《ハルバナノ》、賞在等《メデタカラント》、 めでたきとは、何をもほむることなり、今本貴と有は、花にいふことばにあらず、
 
望月乃《モチヅキノ》、滿波之計武跡《タヽハシケムト》  (卷三)何時可聞《イツシカモ》、日足座而《ヒタラシマシテ》、十五月之《モチヅキノ》、多田波志家武《タヽハシケム》と有は、こゝと同じ事なれば、今をもたゝはしとよみつ、湛《タヽヘ》るは滿る意にて、天の下に御惠のみち足《タリ》なんといふなり、【今本に、みちはしけんと訓しは、計武てふ辭にかなはず、此けんはたゞはしからんてふ意なり、〇冠辭考にはたらはしとも訓たれど、今に依べし、】
 
食國《ヲスクニノ》、 今本こゝも天(ノ)下と有は、よろしからねば、一本によりぬ、
四方之人乃《ヨモノヒトノ》、 六言、
 
大船之《オホフネノ》、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、天水《アマツミヅ》、 水かれたる時に雨待如くてふなり、卷十八に家持ぬしもよみつ、
 
仰而待爾《アフギテマツニ》、何方爾《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、由縁母無《ヨシモナキ》、 次の舍人の歌にも、所由無《ヨシモナキ》、佐太乃《サダノ》岡邊爾といへる、即同時同所の事なり、(卷十四)「よそに見し、山をや今は、因香《ヨスガ》と思はん、」卷十六に、「荒雄らが、余須可の山と見つゝしぬばん、」是らのよすがとよしと同し言なり、【由縁《ヨシ》も無《ナキ》は(卷三《今十三》)挽歌に、津禮母無《ツレモナキ》、城《キノ》上(ノ)宮爾、大殿乎都可倍奉而と有に意も事も同じ、委は其歌にいふ、】
 
眞弓乃崗爾《マユミノヲカニ》、 此陵は式にも高市郡眞弓丘と見ゆ、
 
宮柱《ミヤバシラ》、太布座《フトシキイマシ》、御在香乎《ミアラカヲ》、 香は借字にて御在所《ミアラカ》なり、
 
高知座而《タカシリマシテ》、 知は敷なり、そのよし上に見ゆ、さて陵に高殿はあらねどかく云は文なり、
 
明言爾《アサコトニ》、 日毎てふ意なり、言は借字、
 
御言不御問《ミコトトハサズ》、 古へはものいふを、こととふ、ものいはぬを、ことゝはずといヘり、此次に、東の、たぎの御門に、さもらへど、きのふもけふふ、召こともなしといへると心同じ、
 
日月之《ツキヒノ》、 四言、
 
數多成塗《アマタニナリヌ》、其故《ソコユユニ》、皇子之宮人《ミコノミヤビト》、行方不知毛《ユクヘシラズモ》、一云、刺竹之《サスタケノ》、皇子《ミコノ》宮人、歸邊不知爾爲《ユクヘシラニスル》、 これも異ならず、さて下の高市皇子尊の殯時、此人よめる長歌、その外此人の樣を集中にて見るに、春宮舍人にて此時もよめるなるべし、然ればこゝの宮人はもはら大舍人の事をいふなり、その舍人の輩この尊の過ましては、つく所なくて、思ひまどへること、まことにおしはかられて悲し、
 
 反歌、
 
168 久堅乃、天見如久《アメミルゴトク》、仰見之《アフギミシ》、皇子乃御門之《ミコノミカドノ》、荒卷惜毛《アレマクヲシモ》、」 こは高市郡橘の島宮の御門なり、さて次の舍人等が歌どもにも、此御門の事のみを專らいひ、下の高市(ノ)皇子(ノ)尊の殯の時、人麻呂の御門の人とよみしをむかへみるに、人麻呂即舍人にて、その守る御門を申すなりけり、
 
169 茜刺《アカネサス》、 冠辭、
 
日者雖照有《ヒハテラセレド》、烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜渡月之《ヨワタルツキノ》、隱良久惜毛《カクラクヲシモ》、 是は日嗣の皇子(ノ)尊の御事を月に譬へ奉りぬ、さて上の月はてらせれどてふは、月の隱るゝをなげくを強《ツヨ》むる言のみなり、かくいへるこゝろことばの勢ひ、まことに及人なし、○常の如く日をば天皇をたとへ申すと思ふ人有べけれど、さてはなめげなるに似たるもかしこし、猶もいはゞ此時天皇おはしまさねば、さるかたにもよくかなはざるめり、【天武天皇崩まして三年に、此みこは過給ひ、その明る年大后は御位にゐましたり、】
 
 △或本云、以2件歌1爲(スト)2後(ノ)皇子(ノ)尊殯宮之時(ノ)反歌(ト)1、
 高市皇子を申、これにも反歌二首ありて、一首は其反歌と見ゆ、今一首、「久堅の、天しらしぬる、君ゆゑに、つき日もしらず、こひわたるかも、」と有ぞこゝと入かはりしとすべし、されどもそはいさゝかおぼつかなきふしあり、
 
 △又或本歌一首、
 
170 島(ノ)宮、勾《マガリ》乃池之、放鳥《ハナチドリ》、人目爾戀而《ヒトメニコヒテ》、池爾不潜《イケニカヅカズ》、 といふ有と註せり、是はかならず右の反歌にはあらず、次の歌どもの中に入しものなるを、此所亂れてこゝに在なり、仍てこは捨べからず、さて本の意は、下の同じ言有所にいふ、末は、なれし人めをなつかしみて、水の上にのみ浮ゐて、底へかづき入ことをせずといひなせり、
 
○皇子(ノ)尊の宮(ノ)舍人|等《ラガ》慟傷《ナゲキテ》作歌、 こは右の長歌につぎて、同じ御事を、同じ舍人のよめるなれば、端詞を略きて書しと見ゆ、○職員令に春宮の大舍人は六百人あり、その人々分v番(ヲ)て宿直《トノイ》するに、今尊の薨ましゝ後も、島宮の外《トノ》重を守ると、佐太(ノ)岡の御喪舍《ミモノヤ》に侍宿《トノイ》すると有故に、こゝかしこにての歌どもあるなり、
 
171 高光《タカヒカル》、 いよゝ高ひかると訓ことしるし、
 
我日皇子乃《アガヒノミコノ》、 みこの尊を申す、
 
萬代爾《ヨロヅヨニ》、國所知麻之島宮婆母《クニシラサマシシマノミヤハモ》、」 にはかにおもはず成たるを、なげくあまりにいへるなり、○此|婆《バ》は、半濁に和《ワ》と唱ふ、言便なり、母は助辭のみ、(卷十三)天地と、共に久しく、住《スマ》はんと、念て有し、家の庭|羽裳《ハモ》てふも同じ體なり、○右にいへる橘の島宮と同じ、
 
172 島宮《シマノミヤ》、池上有《イケノウヘナル》、 勾(ノ)池なり、今本上(ノ)池|有《ナル》と有はわろし、今は一本に依、【飛鳥の岡の里の東北五六町ばかりに、今も橘寺とてあり、こゝぞ橘の島なるといへり、】
 
放鳥《ハナチドリ》、 飼せ給ひし鳥どもを、薨まして後に放たれたるが、猶この池にをるなり、上の大津宮の大后の御歌にも見ゆ、
 
荒備勿行《アラビナユキソ》、 人|疎《ウト》くななりそなり、
 
君不座十方《キミマサズトモ》、」 いとせめては鳥をだに思へり、
 
173 高光、吾日(ノ)皇子乃、伊座世者《イマシセバ》、島御門者《シマノミカドハ》、 舍人の守る所なれば、專らと云、
 
不荒有益乎《アレザラマシヲ》、」 くやしとも悔しきまゝによめるなり、
 
174 外爾見之《ヨソニミシ》、檀乃岡毛《マユミノヲカモ》、 上に出、
 
君座者《キミマセハ》、常郡御門跡《トコツミカドヽ》、 葬奉りてよりは、萬代こゝにおはしましぬ、且舍人は陵にても御門に仕奉ればいふ、
 
侍宿爲鴨《トノイスルカモ》、」 【侍宿と書からは、こは殿宿《トノイ》なり、然ば假字は止乃伊《トノイ》なり、後世とのゐと書は、おしはかりのわざぞ、】
 
175 夢爾谷《イメニダニ》、不見在之物乎《ミザリシモノヲ》、欝悒《オボヽシク》、宮出毛爲鹿《ミヤデモスルカ》、佐日之隈廻乎《サヒノクマワヲ》、」 忘れては、こはいかなる故にて、此日のくまの宮を出入するにやとおぼめかるゝといふなり、打あることをかくいふこそ、まことの歌にてあはれとおぼゆれ、○宮出といひて、心は御門の出入するよしなり、みやでの言は卷十八にもあり、〇佐日之隈の佐は發言のみ、
 
176 天地與《アメツチト》、共將終登《トモニヲヘムト》、念乍《オモヒツヽ》、奉仕之《ツカヘマツリシ》、情違奴《コヽロタガヒヌ》、」 ひたぶるに思ひ入たる心をいふなり、
 
177 朝日弖流《アサヒテル》、 朝日夕日をもて、山岡宮殿などの景をいふは、集中また古き祝詞などにも多し、是に及《シク》ものなければなり、
 
佐太乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、群居乍《ムレヰツヽ》、 此前後に、日(ノ)隈とも、佐太(ノ)岡とも眞弓(ノ)岡ともよめるは、今よく見るに、檜の隈の郷の内に、佐太眞弓はつゞきたる岡なり、さて此御陵の侍宿所は、右の二岡にわたりて在故に、何れをもいふなりけり、
 
吾等哭涙《ワガナクナミダ》、息時毛無《ヤムトキモナシ》、」
 
178 御立爲之《ミタヽシヽ》、 この御池を見そなはすとて、をり/\み立《タヽ》しましてありつるをいふ、○たゝしのしはあがめ言なり、
 
島乎見時《シマヲミルトキ》、 もと此池島に依て、所の名ともなりつらめど、こゝによめるは所の名にはあらで其池島なり、且此下に、御立しゝ、島に下居《オリヰ》て、なげきつるかもてふ下居を思ふに、宮の外に在る池島なるべし、
 
庭多泉《ニハタヅミ》、 冠辭、
 
流涙《ナガルヽナミダ》、止曾金鶴《トメゾカネツル》、」
 
179 橘之《タチバナノ》、島宮爾者《シマノミヤニハ》、不飽鴨《アカヌカモ》、 とのいを爲不足《ナシタラヌ》歟なり、
 
佐田乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、侍宿爲爾往《トノイシニユク》、」 悲き餘りには、をさなき事を思ひもいひもせらるゝを、其まゝによむは、古への歌にて、實にあはれと聞ゆ、【此類の言今もいへり、】
 
180 御立爲之《ミタヽシヽ》、島乎母家跡《シマヲモイヘト》、住鳥毛《スムトリモ》、荒備勿行《アラビナユキソ》、 是も放鳥の此池に猶すむが、人うとくなゝりそ、來らん年の四月までも、かくて在て御あとしたへと思ふなり、
 
年替左右《トシカハルマデ》、」
 
181 御立爲之《ミタヽシヽ》、島之荒磯乎《シマノアリソヲ》、 御池に岩をたて瀧おとして、あらき磯の形作られしをいふなるべし、
 
今見者《イマミレバ》、不生有之草《オヒザリシクサ》、生爾來鴨《オヒニケルカモ》、」 まことに歎きつべし、(卷十四)故太政大臣(ノ)家の山池を、(赤人)「むかし見し、ふるき堤は、年|深《フカ》き、池のなぎさに、水草生にけり、」ともよみつ、
 
182 鳥※[土+(一/囘/一)]立《トグラタテ》、 鳥の居座《ヰグラ》をいふ、御庭などに立し籠なり、
 
飼之雁乃兒《カヒシカリノコ》、 字も訓もかりとはいへど、實はかる鳧《ガモ》の事なり、鴈のこゝに子うみし事は、難波高津の御代に聞えし後は物にも見えず、かるがもは夏鴨ともいひて、こゝに常すみて、ひなもあり、後の物語ぶみに、かりの子といへるも是なり、猶冠辭考にくはし、
 
栖立去者《スダチナバ》、 巣を立て去《イニ》せばなり、
 
檀岡爾《マユミノヲカニ》 飛反來年《トビカヘリコネ》、」 きみのますところへ來れなり、かるのひなは夏の間にあり、
 
183 吾御門《ワガミカド》、千代常登婆爾《チヨトコトハニ》、 とことはゝ、とこしなへに、とこ磐《イハ》にと云をかさねて、限なき事を強くいふなり、〇婆《バ》の字書しは、とはのはをとわの如く半濁にとなふるをしらする例、上下に有、
 
將榮等《サカエムト》、念而有之《オモヒテアリシ》、吾志悲毛《ワレシカナシモ》、」 上に似たる意の歌あり、かく事も無が如くして情深きは、心のまことより出ればなり、【いと悲しき時は、口もつぐみなみだもすゝみて、ものもいひはてがたし、其おりいさゝかいへる如き事を歌にいへれば、言少なし、古への歌は皆是をおして思へ、】
 
184 東乃《ヒムガシノ》、多藝能御門爾《タギノミカドニ》、 池に瀧有方の御門を、かく名づけられしならん、
 
雖伺侍《サモラヘド》、昨日毛今日毛《キノフモケフモ》、召言毛無《メスコトモナシ》、」 ことわり明らかにしてあはれなり、
 
185 水傳《ミヅツタフ》、 冠辭、
 
磯乃浦囘乃《イソノウラワノ》、 上の瀧の邊りの磯のさまなり、浦は裏《ウチ》の事なるよし既にいひつ、囘《ワ》は其あたりをいふ、
 
石乍自《イハツヽジ》、 春の末に燃るがごとく照れるつゝじ花をいふならん、【和名抄に、羊躑躅を、いはつゝじ、又毛知つゝじとあれど、もちつゝじはめづる色もあらねば、こゝの歌の意にかなはず、】
 
木丘《モク・シヾニ》開道乎《サクミチヲ》、 こゝのまゝにていはゞ、薈《モク》咲にて、花のしげきなり、紀に薈をもくと訓、字注も草木の繋きことゝせり、然れども、もくさく道てふ言も、もくてふ言に、木丘の二字を假字とせんも心ゆかず、思ふに木丘は、森を草の手に※[森の草書]など書しを、誤て二字とせしならん、森はしゞにと訓べし、】
又將見鴨《マタミナムカモ》、」 今よりは此宮に參るまじければ、よろづになごり惜きなり、
 
186 一日者《ヒトヒニハ》、千遍參入之《チタビマヰリシ》、東乃《ヒムガシノ》、大寸御門乎《オホキミカドヲ》、 今本たぎのと訓たれど、寸《キ》は假字なり、假字の下に辭を添るよしなし、
 
入不勝鴨《イリガテヌカモ》、」 君まさねば、島の宮の御門は閉て、外《ト》にのみとのいする故にかくよめりけん、
 
187 所由無《ヨシモナキ》、既出、
 
佐太刀岡邊爾《サダノヲカベニ》、反居者《カヘリヰバ》、 かへりゐるとは、行かへりつつ分番交替してゐるをいふ、下に夜鳴かはらふとよめるも是なり、
 
島御橋爾《シマノミハシニ》、 橋は階なり、
 
誰加住舞無《タレカスマハム》、」 すむとはこはとのいをいふ、又舍人は御門と御階のもとにもさむらへばかくいへり、○かくよしもなき所に、人みな行かへりつゝ侍らふぞ、專ら侍らふべき御階の下をば、誰人の在て守らんやと、ふと思ふままによめり、思ひかけぬ世かなと歎く心下にあり、
 
188 天靄《アマクモリ》、 今本|旦覆《アサグモリ》と有は理りなし、こは天靄を天覆に誤れるものなり、仍てあらためつ、
 
日之入去者《ヒノイリユケバ》、 暮ゆけばといふのみ、【二の句を尊の過ませる譬と見て、初句を冠辭と思ふよりや誤つらん、二句をしか見て、末をいかに心得んとすらん、】
御立爲之《ミタヽシヽ》、 例に依て爲を加ふ、
 
島爾下居而《シマニオリヰテ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」 日暮ゆけば、宮の外|方《ザマ》の池島のほとりの舍へ下ゐる故にしかよめり、
 
189 旦日照《アサヒテル》、島乃御門爾《シマノミカドニ》、欝悒《オボヽシク》、人音毛不爲者《ヒトオトモセネバ》、 さしもにぎはひし御門の内に、人おとのせねば、忘れてはこはいかにとおぼつかなまるゝ物から、すゞろに悲しくおぼゆるとなり、
 
眞浦悲毛《マウラガナシモ》、」 眞はまこと、浦は心なり、
 
190 眞木柱《マキバシラ》、 冠辭、
 
太心者《フトキコヽロハ》、有之香杼《アリシカド》、此吾心《コノワガコヽロ》、鎭目金津毛《シヅメカネツモ》、」 ふとくつしやかなる丈夫《マスラヲ》心をもたりし吾も、此|御喪《ミモ》にあひて、思ひしづめんよしなしといへり、
 
191 毛許呂裳遠《ケゴロモヲ》、 古へ御狩に摺衣を着せ給ひしは稀なる事にて、專ら皮衣なる故にしかよみしならん、今むかばきてふ物は其遺なるべし、
 
春冬取設而《ハルフユトリマケテ》、 春冬その毛衣を設著てと云なり、是を今本に片設と有は、後世人の意もて、取《トリ》は片《カタ》の字ぞと思ひて、せしわざしるければ改めたり、なぞといはば、片設とは春冬に向ひてといふ言にて、毛衣よりはつゞかず、毛衣は張《ハル》といひかけたる冠辭と思ひしならん、然るに衣を春といひかくる事、今京の言にて古へはなければ此歌にかなはず、
 
幸之《イデマシヽ》、宇陀乃大野者《ウタノオホノハ》、 上の卷に宇陀の安騎野にて、日並斯《ヒナメシ》、皇子命《ミコノミコト》の、御狩たゝしゝ時は來向《キマケリ》と人麻呂のよみし、同じ御狩の事をこゝにもいふなり、
 
所念武鴨《オモホエムカモ》、」 今よりは此有し御狩の事を、常の言《コト》ぐさ、思ひ種として慕奉らん哉と歎ていふなり、こはたゞ今もいひ思ふ事ぞ、
 
193 八多籠良我《ヤタコラガ》、 奴《ヤツコ》等之なり、紀に、(神功)宇麻比等破《ウマヒトハ》、于摩臂苫奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイヅコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》、このやいづこに同きを、こゝに八多と有は、づと多の音通へば、やたこともいひしにや、もし又|豆《ツ》を多に誤れるか、
 
夜晝登不云《ヨルヒルトイハズ》、行路乎《ユクミチヲ》、吾者皆悉宮道叙爲《ワレハコト/”\ミヤヂニゾスル》、」 賤き里人どもが通ひ路を、吾等が宮づかへの道とするは、思ひかけぬ事かなとなげくなり、
 
192 朝日照《アサヒテル》、佐太乃岡邊爾《サダノヲカベニ》、鳴鳥之《ナクトリノ》、 之の下に如を畧《ハブク》は例なり、
 
夜鳴變布《ヨナキカハラフ》、 舍人等のかはる/”\夜のとのいを嘆《ナゲキ》つゝするを、此岡による鳴鳥に譬へていひ下したり、かはらふは、上に反居者《カヘリヰバ》といへるに同じく、侍宿の交替をいふ、【或人、此岡に夜鳴鳥のこゑの怪しかりしは、かゝらん前つさがなりといへる、といひしは誤れり、】
 
此年己呂乎《コノトシゴロヲ》、 去年の四月より今年の四月まで、一周の間御陵づかへすれば、年ごろといへり、○右は六百の舍人なれば、歌もいと多かりけんを、撰みて載られしなるべし、皆いとすぐれて、嘆を盡し事をつくせり、後にも悲みの歌はかくこそあらまほしけれ、
  右二首今誤て前後しつ、
 
○葬《ハフレル》3河島《カハシマノ》皇子(ヲ)、 朱鳥五年九月薨たまへり、天智天皇の皇子なり、
 
於《ニ》2越智野《ヲチノ》1、之時、 此野は、式に高市郡|越《ヲ》智(ノ)崗(ノ)上(ノ)陵と有て、右の眞弓岡に近き所なり、是ををち野と訓よしは、反歌の下にいふ、
柿本朝臣人麻呂(ガ)獻《タテマツル》2泊瀬部《ハツセベノ》皇女(ニ)1歌、 天武天皇の皇女也、 此端詞は、古本また今本の左に、或本を引たるぞ正しければ、かくしるしつ、今本には柿本朝臣人麻呂獻2泊瀬部皇女、忍坂部《オサカベノ》皇子(ニ)1歌とのみ有て、誰人を悲とも見えざるなり、こは河島皇子の薨給へる時、其|御妻《ミメ》泊瀬部皇女に獻る歌にして、此皇女の御兄、忍坂部皇子に兼獻るよし有べき事なく、歌にもたゞ御|夫婦《メヲ》の常の御有様をのみいひて、又皇子の事はなし、仍て考るに、こゝは亂れて河島云云の十一字はおち、忍坂部(ノ)皇子の五字は、次の明日香(ノ)皇女(ノ)木※[瓦+缶](ノ)殯(ノ)宮云云の端詞に有しが、こゝに入し物なり、【次の歌の考を、こゝにむかへて見よ、】
 
194 飛鳥《トブトリノ》、明日香乃河之《アスカノカハノ》、上瀬爾《カミツセニ》、生玉藻者《オフルタマモハ》、下瀬爾《シモツセニ》、流觸經《ナガレフラヘリ》、玉藻成《タマモナス》、彼依此依《カヨリカクヨリ》、靡相之《ナビカヒシ》、 此こと上にも出、○なびきあひしの、きあの約かなれば、かひといふ、
 
嬬乃命乃《ツマノミコトノ》、 【嬬は字にかゝはらぬ事、上にいへり、】
 
多田名附《タヽナヅク》、 冠辭、
 
柔膚尚乎《ヤハハダスラヲ》、 すらはさながらてふ言を約めたるにて、そのまゝてふに同じく、又摘ていはゞ、それをと意得ても聞ゆ、此辭の事別記に委し、
 
劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
於身副不寐者《ミニソヘネヽバ》、 夫君の薨まして後に、皇女の御獨ねをいふ、
 
烏玉乃《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜床母荒良無《ヨドコモアルラム》、 古へは、旅行しあとの床をあやまちせじと謹むなり、死たる後も一周はしかすれば、塵など忌てはらはねば荒《アル》らんといふなり、或に阿禮奈牟と有も同じ、
 
所虚故《ソコユヱニ》、名具餃魚天氣留《ナグサメテゲル》、敷藻粗《シキモアフ》、 冠辭、
 
屋常念而《ヤドトオモヒテ》、□□□《愛也師・ハシキヤシ》、公毛相哉登《キミモアフヤト》、 これは獨ねして君しのぶ悲みのやらんすべ無《ナ》さに、前々|敷氈《シキカモ》を並敷て、ともねしつゝ御心をなぐさめし妻《ツマ》屋ぞとおもひて、御墓屋《ミハカヤ》に行てやどりなん、君にも逢なんとて行給ふと云なり、さて或本には屋常念而はなくて、公も相哉登の言あり、考るに此二句ともに有時、末の意にかなひて理り明らかなり、其一句を去時はたらはず、今本或本互に言の落しことしらる、仍て今はしきやしてふ言をたして、右の二つながらとりたり、【此末に不相《アハヌ》君故といひ、反歌にも亦毛|將相八毛《アハンヤモ》といへば、こゝにやどゝ念てと、公も相やとといふ二句は必有べし、さてはしきやしの一句は共に落し物ぞ、】
 
玉垂乃《タマダレノ》、 
 
越乃大野之《ヲチノオホノノ》、 此越を乎知《ヲチ》と訓は、次の或本また(卷五)に眞玉|就《ツク》、越乞兼而《ヲチコチカネテ》、(卷十三)に眞玉|付《ツク》、彼此《ヲチコチ》兼手などあればなり、此外にも多きは、次の反歌の下にいふ、
 
旦露爾《アサツユニ》、玉藻者※[泥/土]打《タマモハヒヅチ》、 玉藻は玉裳なり、※[泥/土]打の打は借字にて、※[泥/土]漬てふ言なり、別記にくはし、
 
夕霧爾《ユフギリニ》、衣者沾而《コロモハヌレテ》、 其野をくれ/\と分過て、夕べに宿り給ふまでを云、
 
草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
旅宿鴨爲留《タビネカモスル》、不相君故《アハヌキミユヱ》、 かく樣にいふ故《ユヱ》の辭は、あはぬ君ながらにと心得てかなへり、遠江などの人は、あはぬ物づからにと、つの助辭を添ていへり、〇古へは新喪に墓屋を作りて、一周の間人しても守らせ、あるじらをり/\行てやどり、或はそこに住人も有しなり、【紀に(舒明)蘇我氏(ノ)諸族等、悉集(テ)爲2島大臣1造v墓而、次2于墓所1、爰(ニ)摩理勢(ノ)臣、壞2墓所之廬1云云、此外にも紀にあり、】
 
 反 歌
 
195 敷妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、
 
袖易之君《ソデカヘシキミ》、 手枕|交《カハ》すと云にひとし、
 
玉垂之《タマダレノ》、 冠辭、
 
越野過去《ヲチノニスギヌ》、 或云、乎知野爾過奴《ヲチノニスギヌ》、さて紀に(天智)小市《ヲチノ》岡(ノ)上(ノ)陵、また(天武)幸2越智《ヲチニ》1、式に越智《ヲチノ》崗(ノ)上(ノ)陵(高市郡)などあるは、皆同じ斉明天皇の御陵なるに、小市《ヲチ》と書しと、こゝに乎《ヲ》知と有を合せて、越智もをちの假字なるをしれ、然るを後に是をこすのと訓はみだりなり、且玉だれの緒《ヲ》といひかけゝるをも考ずて、こすといふ事と思へるも誤れるよしは冠辭考に見ゆ、【同高市郡大内陵といふは、内は借字にて大|市《チ》てふ所にて、此|小《ヲ》市に對る名なり、市を畧きて智《チ》といふこと、高市十市を、古書みな、たけちとをちとよみし類なり、】○過ぬとは、既薨まして、おち野に葬たる事をつゞめていふなり、仍てをち野をといはで、をち野爾と有を思へ、【死たる事を過ぬるといへる、集中にいと多し、すぎの約しなればなり、外へ行過るをいふとは別なり、】
 
亦毛將相八毛《マタモアハムヤモ》、 長歌には君にあふやと尋ね來給へることをいひ、反歌にいたりてまたはあふまじきよしをいひ定めたるなり、卷一の近江の荒都をよめる歌の體にひとし、
 
○明日香《アスカノ》皇女、 天智天皇の皇女にて、天武天皇の四年四月薨給へること紀に見ゆ、
 
木※[瓦+缶]《キノベノ》殯(ノ)宮之時、 木(ノ)※[瓦+缶]は式和名抄など、廣瀬郡に出て、此次に城上殯宮と有も同じ、
 
柿本朝臣人麻呂(ガ)獻(ル)2忍坂部《ヲサカベ》皇子(ニ)1歌、 天武天皇の皇子にて、上の泊瀬部皇女の御兄弟、この明日香皇女の御夫君におはしける、此長歌に、夫《セ》君のなげき慕ひつゝ、木のべの御墓へ往來し給ふさまをいへるも、上の泊瀬部皇女の乎知野へ詣給ふと同じ樣なり、然れば此端に、そのかよはせる皇子の御名を擧べきに、今はこゝには落て、上の歌の端に入しなり、他の端詞の歌をも思ふに疑なければ、彼所を除てこゝに入《イレ》たり、
 
196 飛鳥《トブトリノ》、明日香乃河之《アスカノカハノ》、上瀬《カミツセニ》、石橋渡《イハバシワタシ》、 古へ石ばしといへるは、石を數々並べわたすをいふ、卷二十に、あまの川、伊之奈彌於可婆《イシナミオカバ》とよめる是なり、冠辭考に委し、〇一云、石浪、此浪は借字にて並なり、即右にいふがことし、【石をいはと訓るよし、冠辭考に出、】
下瀬《シモツセニ》、 上瀬下瀬といふは文のみ、
 
打橋渡《ウチハシワタシ》、 板にても木にても打渡したるを打橋といへり、紀にも集にも後のふみにもいふ皆是なり、
 
石橋《イハバシニ》、 一云、石浪、上に同じ、
 
生靡留《オヒナビケル》、玉藻毛叙《タマモモゾ》、 (卷七)石走《イハバシ》、間々生有《マヽニオヒタル》、貌花《カホハナ》のとよめる如く、かの石を並べたるあたりに、生なびく川藻をいふ、
 
絶者生流《タユレバオフル》、 人の身まかりては又かへることなきをいはん下なり、
 
打橋《ウチバシニ》、生乎烏禮留《オヒヲヽレル》、 打はしの邊に生たる藻の、とをゝに靡くをいふ、此烏を、今は爲に誤れり、委くは別記に見ゆ、
 
川藻毛叙《カハモモゾ》、干者波由流《カルレバハユル》、 一段《ヒトキダ》なり、○はゆるとおふるは、言をかへしのみにて同じ意なり、下の卷に家之篠生《イヘシシノバユ》と書つ、
 
何然毛《ナニシカモ》、 こは下の忘(レ)賜(フ)哉《ヤ》てふ言へかゝれるなり、
 
吾王乃《ワガオホキミノ》、 皇女を指、
 
立者《タヽスレバ》、 立をあがめてたゝすといふは例の事ぞ、
 
玉藻之如《タマモノゴトク》、許呂臥者《コロブセバ》、 下にも自伏《コロブス》君之と有、ころはおのづからてふ言にて、こゝはたゞ打ふし給ふさまをいふ、
 
川藻之如久《カハモノゴトク》、靡相之《ナビカヒシ》、 上の言を轉じ下せり、
 
宜君之《ヨロシキキミガ》、 此宜とは貌などの足《タラ》ひそなはれるをいへり、此言は上の宜奈倍てふ言の所にいへり、
 
朝宮乎《アサミヤヲ》、忘賜哉《ワスレタマフヤ》、夕宮乎《ユフミヤヲ》、背賜哉《ソムキタマフヤ》、 二段なり、背云云は、御心にかなはずやといふなり、○こゝは下の木※[瓦+缶]之宮乎といふまでにかゝる、
 
宇都曾臣跡《ウツソミト》、念之時《オモヒシトキニ》、 顯の身にておはせし時といふのみ、念の言は添ていふ例、上に見ゆ、
 
春部者《ハルベハ》、 部《ベ》は假字なれば、下にことばを添べからず、仍て四言の句とす、
 
花折挿頭《ハナヲリカザシ》、秋立者《アキタテバ》、 秋來てはてふをかくいふも常なり、又立は去の誤にても有べし、
 
黄葉挿頭《モミヂバカザシ》、 是まで四句は、其顯におはせしほどの年月の御遊をいふ、
敷妙之《シキタヘノ》、 冠辭、
 
袖携《ソデタヅサハリ》、 この下は御|夫婦《メヲ》の親《ムツ》びをいふ、
 
鏡成《カヾミナス》、雖見不厭《ミレドモアカズ》、三五月之《モチヅキノ》、益目頬染《マシメヅラシミ》、所念之《オモホシヽ》、 もちの月影の如く、見るごとに愛《メデ》たさの増るといへり、
 
君與時々《キミトヲリ/\》、幸而《イデマシテ》、 こゝに君とさす人有からは、かの忍坂部皇子の事をしれ、
 
遊賜之《アソビタマヒシ》、御食向《ミケムカフ》、木※[瓦+缶]之宮乎《キノベノミヤヲ》、 出て遊び給ひし所即御墓となりぬ、
 
常宮跡《トコミヤト》、定賜《サダメタマヒテ》、味澤相《アヂサハフ》、 冠辭、
 
目辭毛絶奴《メゴトモタエヌ》、 三段なり、相見る事の絶しなり、
 
所己乎之毛《ソコヲシモ》、 それをと云に同じ、今本|然有《シカレ》鴨と有はかなはず、一本をとる、
 
綾爾燐《アヤニカナシミ》、 是よりは御墓所へ夫《セ》君のまゐで給ふ有さまをいふ、
宿兄鳥之《ヌエドリノ》、 冠辭、
 
片戀爲乍《カタコヒシツヽ》、 今本に片戀|嬬《ツマ》と有はわろし、一本をとる、
 
朝鳥《アサトリノ》、 冠辭〇一本朝露と有は誤、
 
往來爲君之《カヨハスキミガ》、 度々詣給ふなり。
 
夏草乃《ナツクサノ》、 冠辭、
 
念之萎而《オモヒシナエテ》、 愁給ふ時のすがた、
 
夕星之《ユフツヾノ》、 冠辭、
 
彼往此去《カユキカクユキ》、 足もえふみさだめず、
 
大船《オホブネノ》、 冠辭、
 
猶豫不定見者《タユタフミレバ》、 行もかね給ふ有さまをいふ、
 
遣悶流《オモヒヤル》、 既出、
 
情毛不在《コヽロモアラズ》、 四段、夫君の悲み給ふ樣を見る我さへに、思ひを遣《ヤリ》なぐさめがたきといへり、
 
其故《ソコユヱニ》、爲便知之也《スベシラマシヤ》、 かくかなしみしたひ奉るといへども、今はせんすべもなし、いかにもして此皇女の御名を、よろづ世に傳へ聞えよとおもふとなり、
 
音耳母《オトノミモ》、名耳毛不絶《ナノミモタエズ》、 音と名は同じ事に落れども、重ねいふは文なり、
 
天地之《アメツチノ》、彌遠長久《イヤトホナガク》、思將往《シヌビユカム》、 しぬびは、したふと云に同、
 
御名爾懸世流《ミナニカケセル》、明日香河《アスカガハ》、及萬代《ヨロヅヨマデニ》、早布屋師《ハシキヤシ》、 別記に云、
 
吾王乃《ワガオホキミノ》、 皇女を指、
 
形見何此焉《カタミカコヽヲ》、 こゝとは明日香をいふ、焉を乎《ヲ》と訓て、こゝをばのばを略くと心得べし、○初めを明日香川もておこして、こゝにかくいへる巧み、此人のてぶりなり、さて古へ后皇女などの御子おはせぬをば、御名|代《シロ》とて、氏をおかるゝになぞらへよとて、此歌はよみし事、右の末の言どもにしらる、今もかく此歌故に傳はれるなり、【人まろ大舍人にて、かゝる皇子たちの御ともをもせしならん、】
 
 反歌
197 明日香川《アスカガハ》、四我良渡之《シガラミワタシ》、塞益者《セカマセバ》、進留水母《ナガルヽミヅモ》、能杼爾賀有萬思《ノドニカアラマシ》、」 此川の早瀬もせかばせきとゞむべければ、皇女の御命もとゞめまゐらするよしの有なんものをと悔めり、かくをさなきが悲しきなり、【古今歌集に、「瀬をせけば、淵となりても、よどみけり、わかれをとむる、しがらみぞなき」てふは、今によりてよめるなるべし、ことわりをいひ盡したるは後の人の心狭さなり、】〇一本、水乃|與杼《ヨド》爾加有益、かくても同じ意なり、
 
198 明日香川、明日谷將見等《アスダニミムト》、念香毛《オモヘカモ》、 今日こそかゝれ、明日だに又見奉らんと思へば、とかくに過にし御名の忘がたしと云り、〇一本左倍と有はかなはず、又今本三(ノ)句を念八方と有もかなはず、よりて又の一本による、
 
吾王《ワガ大キミノ》、御名忘世奴《ミナワスレセヌ》、 一本不所忘と有も、みなわすられずと訓て、ことわりかなへり、
 
○高市皇子尊《タケチノミコノミコトノ》、朱鳥三年四月、日並知皇子(ノ)尊の薨まして後に、此尊皇太子に立給ひしに、(持統)十年七月薨ましぬ、人麻呂これを惜み悲み奉て、尊のまだたゞの皇子におはせし時、大友皇子との亂有しに、其御軍の事とり給ひて平げまし、さて後太政をもよろしく申し給ひつ、すべて此尊の世に勝れましゝ御事を、たぐひもなきまで長くめでたくいひて、後の御名代と爲奉れり、
 
城上《キノベノ》殯(ノ)宮之時、 式に、此陵は廣瀬郡三立岡とあり、城上はそこの大名なるべし、【此尊の皇太子に立ましゝ事は、紀に漏落たり、薨給ひし時の事はあり、此集もて紀をたすくべし、○殯と書る事上にいへり、】
 
柿本朝臣人麻呂作歌、
 
199 挂文《カケマクモ》、忌之伎鴨《ユヽシキカモ》、 【今本に、一云、由遊志計禮杼母と有はわろし、】いやしき心に懸けて慕奉らんも恐れみつゝしましきといふなり、ゆゝしきはいま/\してふ言ながら、後世人の思ふとはことにて侍り、(卷十一、古歌)青柳の、枝切おろし、湯種蒔《ユダネマキ》、忌々君《ユヽシキキミ》に、戀渡るかもと有、即|貴《タカキ》に恐れて忌《イミ》つゝしましき君にといふなるを思へ、○挂を心にかくる事といへるは、次に言《イハ》まくもとあればなり、且まくは牟《ム》を延たるなり、かもは歎く辭、
 
言久母《イハマクモ》、 ことばにかけていはんもなり、
 
綾爾畏伎《アヤニカシコキ》、 既いへり、
 
明日香乃《アスカノ》、 四言、
 
眞神之原爾《マガミノハラニ》、 是より下七句は、天武天皇の御陵の事を先いへり、さてこゝには明日香の眞神の原とよみたるを、紀には大内てふ所と見え、式には檜隈大内(ノ)陵と有は、本明日香檜隈はつゞきてあり、大内はその眞神原の小名と聞ゆ、然ればともに同じ邊にて違ふにはあらず、【今見るに、飛鳥の岡(ノ)里の西北二十町ばかりに、五條野といふ所あり、そこに陵あり、是天武持統二天皇合せ葬まつれる陵なりといへり、】
久堅能《ヒサカタノ》、天津御門乎《アマツミカドヲ》、懼母《カシコクモ》、定賜而《サダメタマヒテ》、 是を右には、天原、石門乎開、神上、上座奴ともいひなしつ、
 
神佐扶跡《カミサブト》、【神佐扶跡は、神進を爲給ふとてといひなせるなり、此言別記につぶさなり、】
 
磐隱座《イハガクレマス》、八隅知之、吾大王乃、所聞見爲《キコシメス》、 是よりは其御代しらしゝ時の事を立かへりていふ、○見るをめといふは古へなり、
 
背友乃國之《ソトモノクニノ》、 美濃國をいふ、大和より北、多くの山の背面《ソトモ》なればなり、背面《ソトモ》の言の事、卷一に出、
 
眞木立《マキタツ》、 既出、
 
不破山越而《フハヤマコエテ》、 美濃國不破郡の山なり、此時よりやこゝに關は在けん、是は天皇初め吉野を出まして、伊勢の桑名におはしませしを、高市皇子の申給ふによりて、桑名より美濃の野上《ノガミ》の行宮へ幸の時、此山を越ましゝをいふ、
 
狛劔《コマツルギ》、 冠辭、
 
和射見我原乃《ワザミガハラノ》、 是も不破郡にあり、
 
行宮爾《カリミヤニ》、安母理座而《アモリイマシテ》、 和※[斬/足]《ワザミ》に高市皇子のおはして、近江の敵をおさへ、天皇は野上の行宮におはしませしを、其野上よりわざみへ度々幸して、御軍の政を聞しめせしこと紀に見ゆ、こゝには略きてかくよめり、○安母理は天降《アマクダリ》を約めていふ、下にもあり、
 
天下《アメノシタ》、拂賜而《ハラヒタマヒテ》、 一本をとりぬ、今本に治賜と有をとらぬよしは、次下にいふをまて、
 
食國乎《ヲスクニヲ》、定賜等《サダメタマフト》、 天下と食國は同じ意に落れど、かく分ていふは文なり、
 
鳥之鳴《トリガナク》、 冠辭、
 
吾妻乃國之《アヅマノクニノ》、御軍士乎《ミイクサヲ》、 いくさとは箭《サ》を射合《イクハス》てふ言なるを、用を體にいひなして軍人の事とす、(卷十五)千萬乃、軍奈利友《イクサナリトモ》言擧不爲、取而可來男常曾念、
 
喚賜而《メシタマハシテ》、 此度いせ尾張などは本よりにて、東海東山道の軍士をもめしゝこと、紀に見ゆ、
 
千磐破《チハヤブル》、 冠辭、是はいちはやぶる人にて、荒ぶる人をいふ、神代にて惡く荒き神をいへるに同じ、猶其考に委、
 
人乎和爲跡《ヒトヲヤハセト》、 次の言に並べば、やはせとゝよむなり、○卷二十の喩v族(ニ)てふ歌に、知波夜夫流《チハヤブル》、神乎許等牟氣《カミヲコトムケ》、麻都呂倍奴《マツロヘヌ》、比等乎母夜波之《ヒトヲモヤハシ》、波吉伎欲米《ハキヽヨメ》、都可倍麻都里弖《ツカヘマツリテ》とよめるも、今と同じく古言もていへれば、相むかへて今をもよみたり、そが中に、卷二十の家持ぬしは、遠祖の神代より人代までの事なれば、神と人を分ていへり、今は只人代故に、ちはやぶる人とよみつ、是をもかみと訓は委しく思はぬものぞ、
 
不奉仕《マツロハヌ》、 こなたへ纏《マツロ》ひつかぬ國をいふ、
 
國乎掃部等《クニヲハラヘト》、 今本|治跡《ヲサムト》と有は、上の天(ノ)下云云の所にはいひもしつべし、こゝには上とかへて天皇のおほせごとをいひて下へつゞくれば、一本をとる、且掃とは右にもいへるごとく、波吉伎欲米《ハキキヨメ》よといふ意なるを、上も此も略《ハブキ》いへり、
 
皇子隨《ミコナガラ》、 こは上に神隨と有にひとしくて、そのまゝ皇子におはしまして、軍のつかさに任給ふとなり、
 
任賜者《マケタマヘレバ》、 こゝの事紀に見ゆ、
 
大御身爾《オホミヽニ》、 即高市皇子なり、
 
太刀取帶之《タチトリオバシ》、大御手爾《オホミテニ》、弓取持之《ユミトリモタシ》、御軍士乎《ミイクサヲ》、 右にいへり、
 
安騰毛比賜《アトモヒタマヒ》、 率《ヒキヰ》るをいふ、集中に、雁にも船にも此言をいひ、紀に誘の字を訓つ、
 
齊流《トヽヘル》、皷之音者《ツヾミノオトハ》、 貞觀の儀式に試2鼓吹司1てふ條あり、紀に(天武)皷吹を調練せさせらるゝ事見え、こゝに鼓吹の言有を思ふに、かの儀式の文もて、古への軍の進退を推はかるべし、
 
雷之《イカヅチノ》、聲登聞麻低《コヱトキクマデ》、吹響流《フキナセル》、 鳴《ナラス》を、奈世留とも、奈須とも、集中にいへり、
 
笛乃音波《フエノオトハ》、 六言、是も一本による、今本に小角の音母と有母の辭、前後の辭の例に違、或人小角ををぶえと訓しは、大角をおほぶえとよめる據にても有や、思ふに字に付ておしはかりの訓ならん、且大角をおきて小角のみいはんものともおぼえず、一本の如く笛《フエ》といふ時は、惣てにわたりて滯無なり、【大角小角を軍に用ゐる事、紀にも儀式にも見ゆ、和名抄に、大角(波良乃布江)小角(久太能布江)と云り、軍ぶえをしらせて小角と書しともいふべけれど、大角こそまづはかゝめ、又虎が聲小角に似るかと我助くべけれど、さてもをぶえてふ訓おぼつかなし、一本に笛と有からは何をかいはん、又今本をづのとよみたるは、いふにたらず、】
 
敵見有《アダミタル》、虎可叫吼登《トラカホユルト》、 敵に向ひたるは、いかる聲、ことなるべし、さて古へ三のからは、御食國にひとしく行かよへば、虎などの事もよそならずよめりけん、
 
諸人之《モロビトノ》、※[立心偏+協の旁]流麻低爾《オビユルマデニ》、 一本に聞惑新麻低《キヽマドフマデ》と有も、こゝにはかなへど、前後を思ひ渡すに、是は今本ぞよき、そのよしは下にいふ、
 
指擧有《サヽゲタル》、幡之靡者《ハタノナビキハ》、冬木盛《フユゴモリ》、 既出
 
春野燒火乃《ハルノヤクヒノ》、 今本には、春|去來《サリクレ》者、野毎《ノゴトニ》、著而有火之《ツキテアルヒノ》と有、この著て有火てふ言、人まろのよめることばとも聞えず、よりて一本を取、
 
風之共《カゼノムタ》、靡如久《ナビケルゴトク》、 春は畠つくるとて、野山を燒こと今も同じ、○火に譬しは赤旗なり、此時の紀にも赤はたなるべく見ゆ、
 
取持流《トリモテル》、弓波受乃驟《ヤハズノサワギ》、三雪落《ミユキフル》、 三は眞なり、
 
冬乃林爾《フユノハヤシニ》、 一本由布乃林と有は、布由の上下になれるものなり、
 
飄可毛《ツムジカモ》、 冬枯の林の梢さわがして、つむじの吹まくに、千よろづの弓弭の動くを譬へたるさま、今も見るが如し、○つむじてふ言は、神名式に、出雲國意宇(ノ)郡、波夜都武自《ハヤツムジ》和氣(ノ)神社ともあり、【和名抄に、※[風+火三つ](豆無之加世、)文選(ニ)、囘※[風+火三つ]卷2高樹(ヲ)1、
 
伊卷渡等《イマキキワタルト》、 伊は發言、
 
念麻低《オモフマデ》、見之恐久《ミノカシコク》、 今本に、聞之《キヽノ》恐久と有ど、こゝは聞ことならず、見を誤れること明らかなれば改めつ、又一本には、諸人(ノ)、見《ミ》惑麻低爾とあれど、上にも諸人云云と有に、わざと對へいへるとも聞えず、且雷虎に聞※[立心偏+協の旁]、幡弓に見恐むと云と見ゆれば、彼此取捨たり、〇此句は、次のやのしげゝくと云にむかへて、六言に訓なり、
 
引放《ヒキハナツ》、箭繁計久《ヤノシゲケク》、 祝詞に、射放物與弓矢、
 
大雪乃《オホユキノ》、亂而來禮《ミダレテクレ》□《者《バ》》、 かく樣に者を略く例は多かれど、こゝはくればといひて聞るを、わざと略きて、きたれとよむことやはある、故に者《バ》は落し物とす、○一云、霰成《アラレナス》、曾知余里久禮婆《ソチヨリクレバ》、 これはたしかるべきなり、されど今の言は古事記に、(安康(ノ)條)興《オコシテ》v軍|待《マチ》戰、射出|之《セル》矢、如葦華散《アシバナノチルナセリ》と有に似て、面白ければ敢てかへず、且上にも雪はあれど、彼は冬といはん料、こゝは譬なれば嫌もなし、〇右の曾知《ソチ》の言は、そのみ〔右○〕ちのみ〔右○〕を略けるにて、彼《ソノ》かたといはんが如し、をちこち、いづちなど皆同し、○こゝまでに不破方の軍士をいへり、
 
不奉仕《マツロハズ》、 是より下六句は敵方をいふ、
 
立向之毛《タチムカヒシモ》、露霜之《ツユシモノ》、消者消倍久《ケナバケヌベク》、 命をすてゝむかへるなり、
 
去鳥乃《ユクトリノ》、 群り飛鳥の、おのれ劣らじと競ひ進むが如くと云、
 
相競端爾《アラソフハシニ》、 あらそふ間になり、相は理りもて書るのみなる、下にも出たり、はしは間の意なり、後の歌などにもいへり、〇一本に、朝霜之、消者消言爾《ケナバケトフニ》、打蝉等《ウツセミト》、安良蘇布波之爾《アラソフハシニ》と有て、是もさる事なるが中に、ゆく鳥のあらそふてふ勢ひ、よくこれにかなひて、事明らかなるは今の方なり、
 
渡會乃《ワタラヒノ》、齋宮從《イハヒノミヤユ》、神風爾《カンカゼニ》、伊吹惑之《イブキマドハシ》、 風は天つみ祖の神の御息よりおこれば、神風の息《イ》とつゞけ來しを、ここに初めて伊吹云云とはたらきていひつ、冠辭考に委し、【紀に、(天武)天皇野上の行宮におはします夜に、かみなり雨ふる事甚し、天皇祈給はく、天神地祇朕を扶ば、此そらをしづめ給へと、此御言終りぬれば、即雲のみだれ止ぬ、又始東へ幸とき、宇多の横河に到給ふ時、黒雲十丈餘り天をわたれり、即占べ給ひてよきさがを得給へるなど有、これらの時猶くさ/”\有けんを、傳らぬなるべし、】
 
天雲乎《アマクモヲ》、日之目毛不令見《ヒノメモミセズ》、常闇爾《トコヤミニ》、覆賜而《オホヒタマヒテ》、定之《サダメテシ》、 此御軍の時、神のみしるし有しこと、あまた紀にしるされしかど、こゝの事委しからぬは、傳へを失ひしなり、紀は後の代にかき、此歌は其時の人のなれば、是に及ことなし、
 
水穗之國乎《ミヅホノクニヲ》、神隨《カンナガラ》、 是より下五句は、又天皇の御事なり、
 
太敷座而《フトシキマシテ》、八隅知之《ヤスミシシ》、吾大王之《ワガオホキミノ》、天下《アメノシタ》、申賜者《マヲシタマヘバ》、 天皇の數座天(ノ)下の大政を、高市皇子の執《トリ》申し給へばといふなり、此あたりのことば多く略きつ、【ことばを略きつといふは、まづ天武天皇は、朱鳥元年九月崩給ひて、皇太子日並知皇子(ノ)尊大政を執ましゝを、此尊も同三年に薨給ひしに依て、同四年七月、此高市皇子太政大臣と聞えて、大政申給へり、然るをこゝには右の御軍の時よりいひ下したれば、天武天皇の御代の間に、此皇子大政申給ふ如く聞ゆれど、さはあらぬ事右の如し、】
 
萬代《ヨロヅヨニ》、然之毛將有登《シカシモアラムト》、 一云、如是毛《シカモ》安良無等、○萬代に、如是大政を申治めておはしまさんと見えて、榮えおはしますみ盛にと云なり、
 
木綿花乃《ユフバナノ》、 (卷十五)泊瀬女(ノ)、造木綿花《ツクルユフバナ》、三吉野(ノ)、瀧乃|水沫《ミナワニ》、開來受屋《サキニケラズヤ》、 (卷三)眞木綿|持《モテ》,何都良結垂《カヅラユヒタル》てふは(卷四)波禰※[草冠/縵]《ハネカツラ》、今|爲《スル》妹之と云に同くて、木綿もて造し花を髪に懸るは、若く榮る女の體なり、是をこゝも榮といふ冠辭とせしならん、猶卷三にもいふべし、
 
榮時爾《サカユルトキニ》、 にはかに雲隱給ふことをいはん下《シタ》なり、
 
吾大王《ワガオホキミ》、皇子之御門乎《ミコノミカドヲ》、 一云、刺竹(ノ)、皇子御門乎、これもあしからず、
 
神宮爾《カンミヤニ》、 こゝは殯宮をいふ、過ましては神と申すことにて、此上下に神佐扶跡、神(ン)葬などいふ言ひとし、
 
装束奉而《カザリマツリテ》、 (卷三)皇子の殯宮の事を、白細布《シロタヘニ》、飾奉而《カザリマツリテ》と有に同じ、
 
遣使《ツカハセル》、 上の同卷に、朝には、召て使《ツカハシ》、夕には、召て使《ツカハシ》、遣之《ツカハシヽ》、舍人之|子等者《コラハ》といへるに均し、
 
御門之人毛《ミカドノヒトモ》、 (卷十四)みこの御門乃|五月蠅《サバヘ》なす、さわぐ舍人はともよみしかば、專ら御門守舍人をいふなり、春宮舍人は御|階《ハシ》の下をも守なれど、薨まして後は、御門のみ守こと上に見ゆ、
 
白妙乃《シロタヘノ》、麻衣著《アサゴロモキテ》、 喪の衣の事上にいへる如くなれば、此白妙は冠辭にあらず、
 
埴安乃《ハニヤスノ》、御門之原爾《ミカドノハラニ》、 下に香久山の宮と有は、即これにて、其御門の前なる野原をいへり、後に應天門の原などいふ如く、原を置て火を避なり、
 
赤根刺《アカネサス》、 冠辭、
 
日之盡《ヒノクルヽマデ》、鹿自物《シヽジモノ》、 冠僻、
 
伊波比伏管《イハヒフシツヽ》、烏玉能《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
暮爾至者《ユフベニナレバ》、大殿乎《オホトノヲ》、振放見乍《フリサケミツヽ》、 上の日並知皇子尊の舍人の、御立爲之、島に下ゐて、なげきつるかもとよめる如く、夜は御門の外《ト》の舍《ヤ》に侍宿《トノイ》つかふまつれば、いよいよ戀奉られて、殿の方を見放るなり、
 
鶉成《ウヅラナス》、 冠辭、
 
伊波比廻《イハヒモトホリ》、雖侍候《サモラヘド》、佐母良比不得者《サモラヒエネバ》、 悲に堪かねて、在もあられねばなり、
 
春鳥之《ハルトリノ》、 冠辭、【是をうぐひすと訓はせばし、集中には、はる花、はるくさ、はるやなぎなど、のを略きていへる多し、
 
佐麻欲比奴禮者《サマヨヒヌレバ》、嘆毛《ナゲキモ》、 四言、是より二句は、右の事を言をかへて二度いひて、次の言を起せり、
 
未過爾《イマダスギヌニ》、憶毛《オモヒモ》、 四言、
 
未盡者《イマダツキネバ》、 こは後世にては、いまだ盡なくにといふところなり、集中には、秋立て幾日もあらねばなどいへる多し、仍て今の世のことばにていはんには、いまだつきぬにはといふを、爾を略くとせんにや、
 
言佐敝久《コトサヘク》、 冠辭、
 
百濟之原從《クダラノハラユ》、 此原も香山の宮に近きことしらる、天武天皇紀に、大伴吹負の百濟の家と有も、事の様右の所と聞ゆ、【百濟の地を廣瀬都につけしは後の事か、】
神葬《カンハフリ》、葬伊座而《ハフリイマシテ》、 いにましての略なり、此下に、朝立伊麻之弖、(一云伊行而)(卷五)山越而、往座《イマス》君乎者とも有、
 
朝毛吉《アサモヨシ》、 冠辭、
 
水上宮乎《キノベノミヤヲ》、常宮等《トコミヤト》、高知座而《タカシリマシテ》、 今本、高之奉而と有は字誤れり、【知《チ》の草を之に誤しなり、】上の殯宮の長歌にも、陵の事を、御在香乎、高知座而と有などによりてあらためつ、
 
神隨《カンナガラ》、安定座奴《シヅモリマシヌ》、雖然《シカレドモ》、吾大王之《ワガオホキミノ》、萬代跡《ヨロヅヨト》、所念食而《オモホシメシテ》、作良志之《ツクラシヽ》、香來山之宮《カグヤマノミヤ》、 上に云つ、
 
萬代爾《ヨロヅヨニ》、過牟登念哉《スギムトモヘヤ》、 過失めやてふなり、萬代とほぎ作らしゝ宮なれば、失る代あらじ、是をだに御形見とあふぎ見つゝあらんとなり、
 
天之如《アメノゴト》、振放見乍《フリサケミツヽ》、玉手次《タマダスキ》、懸而將偲《カケテシヌバナ》、恐有騰文《カシコカレドモ》、 初めの言を又いひて句を結びたり、○此歌大段は四つ、句は百四十餘ありて、この人の歌の中にも秀たり、後の世人は、かゝる歌の有をもしらぬにや、ひと度見ば庭すゞめおどりがり、わたのいさなのいさみつべし、
 反 歌
200 久堅之《ヒサカタノ》、天所知流《アメシラシヌル》、 上に、天皇の數坐國と、天(ノ)原、石門を開云々といへるにひとし、且皇太子は天皇と均く申なり、
 
君故爾《キミユヱニ》、日月毛不知《ツキヒモシラズ》、戀渡鴨《コヒワタルカモ》、」 この過ましゝより、世はとこやみゆく心ちして、日月の過るもおもほえず、戀奉るといへり、
 
201 埴安乃《ハニヤスノ》、池之堤之《イケノツヽミノ》、隱沼乃《コモリヌノ》、 こは堤にこもりて水の流れ行ぬを、舍人の行方をしらぬ譬にいへれば、こもりぬとよむなり、今本かくれねと訓たるは、こゝにかなはず、
 
去方乎不知《ユクヘヲシラニ》、舍人者迷惑《トネリハマドフ》、 【後世あし蒋などの生しげりて水も見えぬを、かくれぬといふと心得て、こゝを訓つるはひがことなり、
 
〇檜隈《ヒノクマノ》女王(ノ)作歌、 今本右の反歌の次に、或書反歌一首とて此歌あれど、こは必人麻呂の歌の體ならず、されど捨べからぬ歌なり、左に類聚歌林曰、檜隈女王怨2泣澤神社1之歌なりと註したるぞ、實なるべくおぼゆ、仍てかくしるしつ、
 
202 哭澤之《ナキザハノ》、神社爾《モリニ》、 古事記に、伊那那伎命云云、哭時《ネナキマストキ》於《ニ》2御涙《ミナミダ》1所成神《ナレルカミハ》、坐《マス》2香山之|畝尾《ウネオノ》木《コノ》本(ニ)1、名《ナハ》泣澤女《ナキザハメノ》神と有、かゝれば香山の宮にて專ら祈《ホギ》ごとすべき社なり、仍て是も同尊の薨給を傷給ふ歌とはしらる、
 
三輪須恵《ミワスヱ》、 三輪は借字にて、酒を釀《カメ》る※[瓦+肆の左]をいふ、其|美和《ミワ》の美《ミ》は釀《カミ》の略、和《ワ》は※[瓦+肆の左]の類を惣いふ名なり、かくて其かみたる※[瓦+肆の左]のまゝに居《スヱ》て奉る故に、みわ居といへり、
 
雖祷祈《イノレドモ》、我王者《ワガオホキミハ》、高日所知奴《タカヒシラシヌ》、 上に天所知流とよめるに意同じ、
 
寧楽宮。 【下の和銅四年と有所に此標あれど、上卷の例に依てこゝに出す、】
 
○但馬(ノ)皇女、 既出、
 
薨(タマヘル)後、 和銅元年六月過給ひし事、紀に見ゆ、
 
穗積皇子、 既出、
 
冬日雪落《ユキノフルヒ》遙2望《ミサケテ》御墓《ミハカノカタ》1、悲傷流涕《ナゲキカナシミテ》御作歌、
 
203 零雪者《フルユキハ》、佐幡爾勿落《サハニナフリソ》、 多くふることなかれと云言なり、今本佐を安に誤れり、今改む、【今本に安播と有を沫雪と思は誤なり、沫は、古事記にも集にも安和と有て、安波とは異なり、その上あはとては、とにもかくにも聞えず、】
吉隱之《ヨナバリノ》、猪養乃岡之《ヰガヒノヲカノ》、 これは城上郡の跡見の山の山越に、宇田郡の内までかけて吉隱といひて、猪養はそれが中に在岡なり、
 
塞名卷爾《セキナラマクニ》、 上に云し如く一周の間は、家人など新(キ)墓へ行宿り、よき人も度々詣る故に、雪深くふらば、その道も絶なんを悲しみてかくよみ給ふなり、○今本、上をあはになふりそ、下を、せきにせまくにと訓たるは、雪の淡しくなふりそ深くつもれ、さらば皇女の罷《マカリ》路の塞《セキ》となりて、留らん物といふ意と思へるなるべし、こは六月に薨給ひて、其年の冬の御歌なれば、今更に罷路をの給ふならぬ事知べし、然れば其安幡と有は、かならず誤れる事明らけし、○よなばりは、持統天皇紀に、幸2菟田(ノ)吉隱1と見え、今も初潮山こえて宇多の方に、よなばりといふ村あり、又式に、吉隱(ノ)陵在2大和國城上(ノ)郡(ニ)1としるし、(卷十二)跡見(ノ)庄の歌とて、「よなばりの、猪養の山に、ふす鹿の、妻よぶこゑを、聞が乏しさ」ともあれば、今とび山てふ邊の山の此方彼方、皆よなばりなるをしりぬ、○右に引し(卷十二)に、今は古名張と有にやよりけん、ふなばりとも訓てあれど、古本に吉と有て、吉を與《ヨ》といふこそやすらかなれ、其上右の如く今もよなばりてふ里(ノ)名有からは、何をか思はん、【上(ツ)榛原下榛原てふ所は、跡見の山中に在と紀に見ゆ、今も跡見山の背面に、はいばらてふ里あり、此如く、よなばりも、山のおもてうらかけてしかいふなりけり、○紀と式と郡の異なるは、二郡の堺は古今に違多き物なり、】
 
△弓削(ノ)皇子(ノ)薨時、 文武天皇紀に、三年七月過給ふと有て、右の但馬皇女の薨より九年前なり、此卷、年の次でを立しを、此年次の違ふを始として、歌にも多く疑あり、仍て後人の註なる事しるければ、小字にせり、そのうたがひどものこと左に見ゆ、
 
 置始(ノ)東人歌、 此人既出、
 
204 安見知之、吾王、高光、日之皇子、 こは天皇を申す古言なれど、轉じでは皇子にもいへる事卷一(卷十四)人麻呂の歌にもあれば、古へさもいひつらむ、
 
 久堅乃、天《アマツ》宮爾、神隨《カンナガラ》、神等座者《カミトイマセハ》、 神と成ていますといふを略けるか、略に過て俗に近きなり、
 
 其乎霜文爾恐美《ソコヲシモアヤニカシコミ》、 此恐みは、上よりはつゞけど下へかなはす、こは本より歌の拙きか、又悲美と有しを誤りしにや、
 
 晝波毛日之盡《ヒルハモヒノクルヽマデ》、夜羽毛《ヨルハモ》、夜之盡《ヨノアクルキハミ》、臥居雖嘆《フシヰナゲヽド》、 臥は夜、居は晝をうくるこゝろにや、言餘りに略過て拙くきこゆ、
 
 飽不足香裳《アキタラヌカモ》、 これは古言をもていひつゞけしのみにして、我歌なるべきことも見えず、そのつゞけに言を略きたるところは、皆ことたらはずして拙し、此撰みたる卷に入べきにはあらず、まして右に擧いふ如く、年月の次の違へるは、此一二の卷にはかなはざるなり、或人是をもよざまにいひなせれど、ひとつだにうべなることなし、よきはよきあしきはあしと定めたらんこそ、わらはべの爲にもならめ、
 
  反 歌
205 王者、神西座者、天雲之、 此體なる、下の十九の卷に載たる古歌にも二首有、人まろの歌にもあり、そが中に(卷十四)皇者神二四座者、天雲之といへるに全く本の同じきは、おぼつかなきなり、猶今は後に右をまねびしものと覺ゆ、
 
 五百重之上爾《イホヘノウヘニ》、 今本下と有は誤なり、此卷に、天原、石門乎開、神上、上座奴、こゝの歌に、天(ノ)宮爾云云、人まろも、雷之上爾とよみたり、
 
 隱賜奴《カクレタマヒヌ》、 是は右の長歌より、いさゝかけしき有が如くなれど、猶得てよめる歌とも聞えず、
 
 △又短歌、右二首本文ならば、これは或本歌と書べし、右は註なる故に、こゝは又とかき、且是には短歌と書しも、別のふみの歌なることしるべし、
 
206 神樂浪之《サヽナミノ》、 是は地の名にて、次の言にいふは小波なり、其分ち冠辭考にいふ、
 
 志賀左射禮浪《シガサヾレナミ》、敷布爾《シク/\ニ》、 重々てふ意なり、
 
 常丹跡君之《トコニトキミガ》、所念有計類《オボシタリケル》、 よする波の數のかぎり無をよはひに願ふなり、さて此歌にのみ地をいへるは、右の反歌ならざるなり、これには別に端詞のありけんを落し物ぞ、
        
○柿本朝臣人麻呂|□□□□□□□□□□□□《所竊通娘子死之時悲傷《シヌビカヨヘルヲトメガミマカレルトキカナシミテ》作歌、》 【人まろの妻妾の事は別記に云つ、】
 こゝに今本には柿本朝臣人麻呂(ガ)妻死之後、泣血哀慟作歌二首、并短歌とのみ有は、端詞どもの亂れ失たるを、後人のこゝろもて書しものぞ、仍て今此一二卷の例に依て、傍の言をなしつ、其ゆゑは、こゝの二首の長歌の意、前一首は忍びて通ふ女の死たるをいたみ、次なるは兒さへありしむかひ妻《メ》の死せるをなげけるなり、然れば前なるをも妻とかきて、同じ端詞の下に載べきにあらず、又益なく泣v血云云の言をいへること、此卷どもの例にたがへり、なま/\なる人のさかしらなり、【次の長歌は、別に端詞の有けん事はそこにいふ、此一二卷には、かゝる事を煩らはしきまで、おの/\別に詞を擧し例なるに、こゝをしもひとつ端詞にてのせんやは、】
 
207 天飛也《アマトブヤ》、 冠辭、
 
輕路者《カルノミチヲバ》、 高市郡、
 
吾妹兒之《ワギモコガ》、里爾思有者《サトニシアレバ》、懃《ネモゴロニ》、欲見騰《ミマクホシケド》、不止行者《ツネニユカバ》、人目乎多見《ヒトメヲオホミ》、眞根久往者《マネクユカバ》、 間無なり、
 
人應知見《ヒトシリヌベミ》、 忍べる中のことをいふ、
 
狹根葛《サネカヅラ》、 冠辭、
 
後毛將相等《ノチモアハムト》、大船之《オホブネノ》、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
磐垣淵之《イハガキブチノ》、隱耳《コモリノミ》、 谷などに、岩の垣の如立めぐりたる隱淵に譬て、忍びかくしつゝ戀るをいふ、
 
戀管在爾《コヒツヽアルニ》、 忍びてをる間に死つれば、いよゝしたはしといはん下なり、
 
度日乃《ワタルヒノ》、晩去之如《クレヌルガゴト》、照月乃《テルツキノ》、雲隱如《クモガクルゴト》、奥津藻之《オキツモノ》、名延之妹者《ナビキシイモハ》、葉葉乃《モミヂバノ》、過伊去等《スギデイニシト》、 過ては死をいふ、
 
玉梓之《タマヅサノ》、使乃言者《ツカヒノイヘハ》、 玉|津佐《ツサ》てふ事は意得ず、強ておもふに、玉はほむることば、津は助の辭、佐は章の字音にや、何ぞといはゞ、文章もて遠く傳る事は、本より皇朝の上つ代には聞えず、たゞから文字を借にし世より後に出來しことなり、然ればこゝの古言はなかるべき理りなり、且すべて他《ヒト》の國の物をこゝに用る事も多かれど、そをば專ら字音のまゝにむかしよりいへるなり、人まろの歌にからの事をいへるはなけれど、既しかいひなれし時なれば、したがひていへるならん、
梓弓、 冠辭、
 
聲耳聞而《オトノミキヽテ》、 音づれのみ聞てなり、おとゝいふに聲とも書は此集に例あり、○今本には耳を爾とす、
 
將言爲便《イハムスベ》、世武爲便不知爾《セムスベシラニ》、聲耳乎《オトノミヲ》、聞而有不得者《キヽテアリエネバ》、 同言を重ねて次の言をおこせり、【今本此歌の左に、名耳《ナノミヲ》、聞而|有不得者《アリエネバ》てふ句、或本に有と註せしは、こゝにかなはず、】
 
吾戀《ワガコフル》、千重之一隔毛《チヘノヒトヘモ》、遣悶流《オモヒヤル》、 既出、
情毛有八等《コヽロモアルヤト》、吾妹子之《ワギモコガ》、不止出見之《ツネニデヽミシ》、 でゝといふこと、集中に泥而《デヽ》と假字にてもあり、後世いでゝとのみよむ事とするは古に違へり、
 
輕市爾《カルノイチニ》、 六言、○加留の里の※[こざと+廛]《イチグラ》ある所をいふなり、
 
吾立聞者《ワガタチキケバ》、玉手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
畝火乃山爾《ウネビノヤマニ》、喧鳥之《ナクトリノ》、 上の三句は句中の序なり、〇(卷十三)輕の路より、玉だすき、畝火を見つゝとよみ、今見るにも輕の里と畝傍山は近ければ、其山の鳥が音をもて言をつゞく、
 
音母不所聞《オトモキコエズ》、(卷九)鶯の於登聞ともよみつ、さてこゝは妹が聲だに聞えぬをいふ、
 
玉桙《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行人毛《ミチユクヒトモ》、 かの市路を群て行人をいふべし、
 
獨谷《ヒトリダニ》、 谷は借字のみ、
 
似之不去者《ニテシユカネバ》、 妹に似たる人のゆかぬなり、
 
爲便乎無見《スベヲナミ》、妹之名喚而《イモガナヨビテ》、袖曾振鶴《ソデゾフリツル》、 こゝのことば、そらごとの如くて、心なんまことの極みなり、譬は兒をかどはされたる母の、もの狂ひとなりて、人目はづる心もうせ、人の集へる所に行て、名を喚袖をふりなどするが如し、極めて切なる情をうつし出せるは此ぬしなり、
 
 反 歌
208 秋山之《アキヤマノ》、黄葉乎茂《モミヂヲシゲミ》、迷流《マドハセル》、 もみぢ葉の散のまがひに、妹を見失へるといふなり、をさなくてかなし、
 
妹乎將求《イモヲモトメム》、山道不知母《ヤマヂシラズモ》、」 (卷八)、「秋山の、もみぢあはれと、うらぶれて、入にし妹は、まてと來まさぬ、」とよめるに相似て、共に悲し、【一云路不v知而と有は、ひがことなり、
 
209 黄葉之《モミヂバノ》、落去奈倍爾《チリヌルナベニ》、 奈倍爾は並になり、此言別記に有、】
 
玉梓之《タマヅサノ》、使乎見者《ツカヒヲミレハ》、相日所念《アヘルヒオモホユ》、 共に顯《ウツ》し身なりし時、使を待得て行て逢たりし日に、もみぢ葉の散たりけん、それが並《ナメ》にけふも黄葉のちるに使の來たるを見れば、忘れては、かの逢し日の心持《コヽチ》するといふなり、こは常に有ことなり、さてかけず打思へる事を、此ぬしこそ妙にいひ物すめれ、
 
 
○□□□□□□□□□□□□□□□《柿本朝臣人麻呂妻之|死後《ミマカレルノチ》、悲傷《カナシミテ》作歌、》、 こゝにかく有べきなり、
 
210 打蝉等《ウツセミト》、念之時爾《オモヒシトキニ》、 顯《ウツヽ》の身なりし時といふのみにて、念|之《シ》は添ていふこと既にいへり、〇一云、宇都曾臣等《ウツソミト》、かく樣にいふはすべて冠辭にあらず、
 
取持而《タヅサヘテ》、 或本に携手《タヅサハリ》、こゝの訓これによりぬ、
 
吾二人見之《ワガフタリミシ》、 妻とともになり、
 
※[そうにょう+多]出之《ハシリデノ》、 或本、出立《イデタチノ》これも同く門ぢかき所をいふ、
 
堤爾立有《ツヽミニタテル》、槻木之《ツキノキノ》、 或本には此二句はなくて、百兄《モヽエ》槻木とあり、槻は今けやきてふ木の類なり、
 
己知碁智乃枝之《コチゴチノエダノ》、 こちごちは此彼《コチソチ》なり、下の碁は曾に通ふ、或本、虚知期知爾《コチゴチニ》、枝刺有如《エダサセルゴト》、
 
春葉之《ハルノハノ》、茂之如久《シゲキガコトク》、念有之《オモヘリシ》、妹者雖有《イモニハアレド》、憑有之《タノメリシ》、兒等爾者雖有《コラニハアレド》、 或本これをも妹庭と有は宜からず、言をかへて重ねいふぞ文なる、
 
世間乎《ヨノナカヲ》、背之不得者《ソムキシエネバ》、 常なき世人のならはしをそむく事を得ざればなり、
 
蜻火之《カギロヒノ》、 或本、香切火と書、
 
燎流荒野爾《モユルアラノニ》、 かぎろひの事は既にいひつ、さて大野原を遠く見放れば、春のみならず炎《カギロヒ》の立ものなれば、しかいひて、むつまじき人をさる荒野らに捨ぬる悲みを深むるなり、
 
白栲之《シロタヘノ》、 【栲は或本によりぬ、】
 
天領巾隱《アマヒレガクリ》、 是も天雲隱れて遠きをいふ、雲をひれと云は、(卷七)秋風に、ふきたゞよはす、白雲は、たなばたづめの、天つ領巾《ヒレ》かもとも有、
 
鳥自物《トリジモノ》、 冠辭、
 
朝立伊麻之弖《アサタチイマシテ》、 立いにまして也、○或本、朝立|伊行而《イユキテ》、
 
入日成《イリヒナス》、 成は如、
 
隱去之鹿齒《カクレニシカバ》、 是まで葬送りし事をいへり、【死たる人をば、あがまへていふ例なり、】
 
吾妹子之《ワギモコガ》、形見爾置有《カタミニオケル》、 有の字、或本をもてくはへつ、
 
若兒乃《ミドリコノ》、 或本、緑兒之《ミドリコノ》、
 
乞泣毎《コヒナクコトニ》、取與《トリアタフ》、 或本、取委と有に依て、とりまかすともよむべし、
 
物之無者《モノシナケレバ》、 物は人なり、
 
烏徳自物《ヲトコジモノ》、 男なるものなり、こを今本に鳥穗自物と有て、とりほじものと訓たるはことわりなし、【今本の鳥穗は、鳥のほろにて、羽含《ハグヽム》ことゝするにや、されどもとりほといへる言もなく、言もいひたらはず、仍て此或本を始めて、をとこじ物といふ例有に從へり、】考るに鳥は烏《ヲ》、穗《ホ》は徳《トコ》を誤りしなりけり、或本に男《ヲトコ》自物とこゝをかき、(卷十四)高橋朝臣の妻の死たる時の長歌は、こゝの言をまねびつと見ゆるに、腋狹《ワキバサム》、兒乃泣毎《コノナクゴトニ》、雄自毛能《ヲトコジモノ》、負見抱見《オヒミイダキミ》といひ、(卷四)面形之《オモカタノ》、忘戸在者《ワスラヘタラバ》、小豆鳴《アヅキナク》、男士物屋《ヲトコジモノヤ》、戀乍將居《コヒツヽヲラム》などあり、然れば雄も男もをとこと訓定めて、さてこゝも烏徳の字なることを知なり、且徳の字の音、古へはとこと唱つ、
 
腋狹持《ワキバサミモチ》、吾妹子與《ワギモコト》、二人吾宿之《フタリワガネシ》、枕付《マクラツク》、 冠辭、
 
嬬屋之内爾《ツマヤノウチニ》、晝羽裳《ヒルハモ》、 四言、
 
浦不樂晩之《ウラサビクラシ》、 或本、浦|不怜《サビ》晩と書るも同じ、こをうらぶれと訓はわろきよし別記にいふ、
 
夜者裳《ヨルハモ》、 四言、
 
氣衝明之《イキヅキアカシ》、嘆友《ナゲヽドモ》、 友は借字、
 
世武爲便不知爾《ヤムスベシラニ》、 或本爲便不知と有も、字の略のみにて、訓は今とひとし、
 
戀友《コフレドモ》、相因乎無見《アフヨシヲナミ》、 或本、相|縁無《ヨシヲナミ》、
大鳥《オホトリノ》、 冠辭、
 
羽易乃山爾《ハカヘノヤマニ》、 (卷七)春日奈流、羽買《ハカヘノ》山とよめり、藤原の都べより春日は程近からねど、こゝの言ども近きほどの事とは聞えねば、かしこに葬りしならん、【買も物と物と易る事にて、かへるといふは古へなり、】
 
汝戀流《ナガコフル》、 今本、吾戀流、
 
妹者伊座等《イモハイマスト》、 在なり、
 
人之云者《ヒトノイヘバ》、石根左久見手《イハネサクミテ》、 或本、石根|割見而《サクミテ》と書り、さて岩が根を蹈裂《フミサキ》てふ言なるを、其きを延《ノベ》て佐|久美《クミ》とはいへり、祈年祭祝詞に、磐根木(ノ)根|履《フミ》佐久彌弖といひ此集卷二十に、奈美乃間乎《ナミノマヲ》、伊由伎佐具久美《イユキサグクミ》てふも、浪間を船の行々裂々《ユキサキユキサキ》と重ねいふにて、皆同じことはなり
 
名積來之《ナヅミコシ》、 此二句は山路の勞をいふ、○なづみは(卷十三)道之|間《アヒダ》乎、煩參來《ナヅミマヰキテ》とかき、又集中に、舟のたゞよひをるを沖になづさふともいひ、(卷十二)わが黒かみに、落菜積《オチナヅム》、天之露霜などもいへれば、とゞこほる事なり、〇こは葬の明る年の秋に、墓にまゐてゝよめり、
 
吉雲曾無寸《ヨケクモゾナキ》、打蝉跡《ウツセミト》、 顯《ウツヽ》の身ぞとなり、
 
念之妹之《オモヒシイモガ》、珠蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
髣髴谷裳《ホノカニダニモ》、不見思者《ミエヌオモヘバ》、 目の顯《ウツ》ら/\見なれし妹にしあれば、さりともよそながらもあふ事あらんかとて、山路をなづみつゝ來しかひなく、ほのにだに見えずと歎きたり、こゝは神代の黄泉《ヨモツクニ》の事を下に思ひてよめるなり、此人の歌には、神代の古ことをとりし惣て多かり、顯はならぬは上手のわざなり、○或本に珠蜻より下三句はなくて、灰而座者とのみ有は、言も落、字も誤しなり、基事は下にいふ、【神代紀に、伊弉諾(ノ)尊、御妹の尊の殯の處に到ませしに、御妹の尊つねの如く出迎まして、相語らひ給ふといへり、是を思ひてしたひ來しに、かひなきをなげくなり、】
 
 反歌、 今本こゝに短歌と有は誤、
 
211 去年見而之《コゾミテシ》、秋乃月夜者《アキノツキヨハ》、雖照《テラセレド》、 或本、雖v渡、
 
相見之妹者《アヒミシイモハ》、彌年放《イヤトシサカル》、」 或本|益《マシ》年離、○つまの死たる明る年の秋よめる歌なり、
 
212 衾道乎《フスマヂヲ》、引手乃山爾《ヒキデノヤマニ》、 或本、衾路、引|出《デノ》山と書つ、長歌に合せ見るに、是も春日の内にある山とはしらる、ふすまぢは冠辭にいひつ、
 
妹乎置而《イモヲオキテ》、山徑往者《ヤマヂヲユケバ》、生跡毛無《イケリトモナシ》、」 或本、山路|念《オモフ》爾と有は、こゝにかなはず、
 
 △今本には、或本(ノ)歌とて、長歌一首短歌三首を全擧たれど、今は異なる言のみを、本文の其言の下に小字にてしるしつ、さて長歌の末に、或本に灰而座者と有は、亂れ本のまゝなるを、或人それをはひれてませばと訓て、文武天皇の四年三月に、始て道昭を火葬せし後にて、これも火葬して灰まじりに座てふ事かといへるは、あやまりを助けて、人まどはせるわざなり、火葬しては、古へも今もやがて骨を拾ひて、さるべき所にをさめて墓とすめるを、此反歌は葬の明る年の秋まゐでゝよめるなるを、ひとめぐりの秋までも、骨を納めず捨おけりとせんかは、又此妻の死は、人まろのまだ若きほとの事とおもはるゝよしあれば、かの道昭の火葬より前なるべくぞおぼえらる、さて其灰の字を誤とする時は、是も本文の如き心詞にて、珠蜻(ノ)、仄谷毛《ホノカニダニモ》、見而不座者《ミエテマサネバ》とぞ有つらんを、字落しなるべし、惣て誤字落字多き此集なれば、よく考てこそ注はすべけれ、
 
216 家來而《イヘニキテ》、吾屋乎見者《ワガヤヲミレハ》、 吾はもし妻の字にや、
 
玉床之《タマドコノ》、 (卷七)七夕の歌に、玉床乎打拂と有は、さる事にて、人まろの妻には似つかず、思ふにこは死て臥たりし床なれば、靈《タマ》床の意ならん、
 
外向來《ホカニムキケリ》、妹木枕《イモガコマクラ》、 かの羽易の山に妻はいますと聞て、遠々に求行しかど、ほのかにだにも見えざりければ、今は又家の妻屋に、もとの如く臥てやあると思ひつゝ、かへり來て見れば、むなし床は塵のみゐて、枕はかたへに打やられて有めり、こを見たらんには魂もきえじやは、
 
 ○去年死て葬やりしかば、又の秋まで其床の枕さへ其まゝにてあらんこと、おぼつかなしと思ふ人有べし、此こと上にもいへる如く、古へは人死て一周の間、むかしの夜床に手をだにふれず、いみつゝしめる例なれば、此靈床は又の秋までかくてあるなりけり、譬ば旅行人の故郷の床の疊《タヽミ》にあやまちすれば、旅にてもこと有とて、其疊を大事とすること、古事記にも集にも見ゆ、これに依て、此歌と上の河島皇子を乎知野に葬てふに、ぬば玉の夜床母|荒《アル》良無とよめるなどをむかへ見るに、よみ路にても事なからんことを思ふは、人の情なれば、しか有べきことなり、こぬ人を待とても、床のちりつもるとも、あるゝともいふ、是もその床に手ふるゝを齋《イム》故なれば、此三つ同じ意にわたるなり、〇人まろの歌は、長歌より反歌をかけて、心をいひはつること上にいへるが如し、然れば此家に歸りて、遂に無人を思ひ知し、かなしみの極みを、此歌にてつくせれば、こは必これに添へし、仍て今は落たりとして或本をとれり、【古事記、輕大郎女の御歌、「おはきみを、島にはふらば、船あまり、いかへりこんぞ、和賀多々彌由米《ワカタヽミユメ》、ことをこそ、たゝみといはめ、わがつまはゆめ、」(卷十一)に、しらぎへ使人の道にて死たる時の歌、「から國に、渡る吾せは、家人の齋《イハヘ》またねか、多太未《々ヽミ》可母、安夜麻知之家牟、云云、】
 
○吉備津采女死時《キビツノウネメガミマカレルトキ》、柿本朝臣人麻呂作歌、
 
217 秋山《アキヤヤノ》、下部留妹《シタベルイモ》、 下部留は萎《シナベル》なり、秋の葉はしなび枯る比に色づけば、しなべるとは、もみぢするをいへり、さて妹が紅にほふ顔にたとへつ、此言のより所、冠辭考に委し、
 
奈用竹乃《ナユタケノ》、 (卷十四)奈湯竹と有、騰遠依子等者《トヲヨルコラハ》、 とをゝにしなゆる竹もて妹が姿をたとふ、花にたとへ藻にたとふる類いと多し、〇妹と子等といふは言をかへたるのみ、
 
何方爾《イヅコニ》、念居可《オモヒヲリテカ》、栲紲之《タクヅヌノ》、 冠辭、
 
長命乎《ナガキイノチヲ》、 若くして末長き齡をいふ、
 
露己曾婆《ツユコソハ》、朝爾置而《アシタニオキテ》、夕者《ユフベニハ》、消等言《ケヌルトイヘ》、 六言、
 
霧己曾婆《キリコソハ》、夕立而《ユフベニタチテ》、明者《アシタニハ》、失等言《ウセヌトイヘ》、 六言、
 
梓弓《アツサユミ》、音聞吾母《オトキクワレモ》、 釆女が死たる事は右の言にこめて、さてそれをよそに聞たる吾さへと云なり、
 
髣髴見之《オホニミシ》、 反歌に於保爾《オホニ》云云と有、即この訓なり、
 
事悔數乎《コトクヤシキヲ》、布栲乃《シキタヘノ》、手枕纏而《タマクラマキテ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
身二副寐價牟《ミニソヘネケム》、若草《ワカクサノ》、 冠辭、
 
其嬬子者《ソノツマノコハ》、 夫をいふ、さて上の藤原内大臣の歌にいふがごとく、これも前(ノ)采女なるか、
 
不怜彌可《サブシミカ》、念而寐良武《オモヒテヌラム》、悔彌可《クヤシミカ》、念戀良武《オモヒコフラム》、 此二句古本もて加ふ、
 
時不在《トキナラズ》、 上の長命乎と云にむかふ、
 
過去子等我《スギニシコラガ》、 過は死をいふ、
 
朝露乃如也《アサツユノゴトヤ》、夕霧乃如也《ユフギリノゴトヤ》、 こは勝れたるかたち人てふ名有けん故に、惜たるにて、自ら深き悲みならぬ事、おのづから聞ゆ、されど言のあやこそ妙にもたへなれ、
 
 反 歌
 
218 樂浪之《サヽナミノ》、 地の名なり、
 
志我津子等何《シガツノコラガ》、 一に志我津之子我と有もよし、次の歌も此句六言なればなり、
 
罷道之《マカリヂノ》、 葬送る道をいふ、紀に、(光仁)永手《ナガテノ》大臣の薨時の詔に、美麻之大臣乃《ミマシオホマヘツギミノ》、罷道《マカリヂ》【母《モ》】宇之呂輕《ウシロカロ》【久《ク》】意太比爾念而《オダヒニオモヒテ》、平《タヒラケ》【久《ク》】幸《サキ》【久《ク》】、罷止富良須倍之《マカリトホラスベシ》【止《ト》】詔《ノタマフ》と有は、黄泉の道をのたまへど、言は同じ、
 
川瀬道《カハセノミチヲ》、見者不怜毛《ミレバサブシモ》、」 大和國にして、何處の川かさしがたし、
 
219 天數《ソラカゾフ》、 冠辭、
 
凡津子之《オホツノコガ》、 六言、凡は大に同じ、
 
相日《アヒシヒニ》、 道の行かひなどに見たるをいふか、
 
於保爾見敷者《オホニミシカバ》、 心いれても見ざりしなり、さて是をばしかつといはでおほつといへるは、下の言にひゞかせんためか、
 
今叙悔《イマゾクヤシキ》、 此釆女の氏は吉備津なり、大津志我津などよめるは、近江の其ところよりまゐりし故なるべし、さるを近江宮の時の釆女かといふは、ひがことなり、こゝは藤原宮のころなり、〇二の句は上の歌に依ば、等《ラ》の字落しにもあらん、
 
〇讃岐《サヌキノ》國(ノ)狹岑島《サミノシマニ》、 國字大かたの例に依て加へつ、〇狹岑は反歌の言に依て佐美と訓り、今其くに人もしかいひならへり、
 
視《ミテ》2石中死人《イソノチニミマカレルヒトヲ》1、柿本朝臣人麻呂作歌、 石中を窟の事といふはかたくなし、たゞ磯邊をいふとすべし、石磯は通はしいふなり、
 
220 玉藻吉《タマモヨシ》、 冠辭、
 
讃岐國者《サヌキノクニハ》、國柄加《クニガラカ》、 國がらのからは、隨《ナガラ》のなを略きたる言にて、上に出たる神隨《カンナガラ》のながらにおなじくて、國のよろしきまゝの、國つ神の御心よりかく宜きかと云なり、【(卷三)神柄と有を、其一本に神在隨と書たり、】○ながらてふ言、後世と異なるを、人心得がてにすれば、別記の須良の條にくはしくいへり、○さぬきの國は神の代よりいひ傳へし名ぐはしきまゝに、今見るも世にことなるよしなり、
 
雖見不飽《ミレドモアカズ》、神柄加《カミガラカ》、 加はふたつともにうたがふ辭なり、
 
幾許貴寸《コヽタタフトキ》、天地《アメツチ》、 四言、
 
月日與共《ツキヒトトモニ》、滿將行《タリユカム》、 神代紀に面足《オモタルノ》命、また天足國足《アメタラシクニタラシ》などいふ古言どもに依て、こゝをもたりゆかんとよめり、
 
神乃御面跡《カミノミオモト》、 古事記に、伊邪那伎命云云、生2伊預之|二名《フタナノ》島(ヲ)1、此(ノ)島者|身《ミ》一《ヒトツニシテ》而有2面《オモ》四《ヨツ》1、毎面《オモゴトニ》有v名とて、伊與讃岐粟土左の四つの國にませる神の御名あり、こゝはその事をいへり、
 
次來《ツギテクル》、 神代よりいひ繼來るなり、
 
中乃水門從《ナカノミナトユ》、 讃岐に那何《ナカノ》郡あり、そこの湊をいふならん、
船浮而《フネウケテ》、吾※[手偏+旁]來者《ワガコギクレバ》、時風《トキツカゼ》、 うなしほの滿來る時は、必風の吹おこるを、ときつ風とはいへり、下にも出、
 
雲居爾吹爾《クモヰニフクニ》、 わたの沖に雲立て風のおこるけしき、今こゝに見るがごとし、
 
奥見者《オキミレバ》、跡位浪立《シキナミタチ》、 跡位は敷坐《シキヰル》てふ意の字なるを、重浪《シキナミ》の重《シキ》に借て書り、【重浪とは重々《シキ/\》に立來る浪をいふ、今本に是をあとゐなみと訓しは笑べし、】(卷三)立浪母《タツナミモ》、疎不立《オホニハタヽズ》、跡座浪之《シキナミノ》、立塞道麻《タチサフミチヲ》、 その次の歌に、上には敷《シキ》浪乃、寄《ヨスル》濱邊丹と有て、其末に、腫《シキ》浪能、恐海矣《カシコキウミヲ》、直渉異將《タヾワタリケム》と有も、共に重《シキ》浪てふ意なるに、敷とも腫とも書て、よみをしらせたるを思ふべし、
 
邊見者《ヘタミレバ》、白浪散動《シラナミサワグ》、鯨魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海乎恐《ウミヲカシコミ》、行船乃《ユクフネノ》、梶引折而《カヂヒキヲリテ》、 古へかちと云かいと云も同物なり、さてそを引たをめて船をやるを、かぢ引をるといふ、【古は、物をたわむるをもをるといへり、うちたをるたむの山てふ冠辭是なり、】
 
彼此之《ヲチコチノ》、島者雖多《シマハオホケド》、 氣《ケ》は加禮の約なれば、かくも訓、
 
名細《ナクハ》之、 よろしてふ名の聞えし事を、古へはしかいへり、
 
狹岑之島乃《サミノシマノ》、 六言、
 
荒磯囘爾《アリソワニ》、 今本面と有は誤、
 
廬作而見者《イホリシテミレバ》、 古への旅路には、かりほを作てやどれゝば、作とは書しのみにて、こゝの意は廬入而《イホイリシテ》を略きいへるなり、(卷七)秋田刈《アキタカル》、借廬作《カリホヲツクリ》、五百入爲而《イホリシテ》、有藍君《アルランキミヲ》てふに、此言の意しられたり、
 
浪音乃《ナミノトノ》、茂濱邊乎《シゲキハマベヲ》、敷妙乃《シキタヘノ》、枕爾爲而荒床《マクラニナシテアラトコニ》、 つれもなき濱づらの磯を床として臥たるなり、
 
自伏君之《コロブスキミガ》、 おのれと伏をいふ、上にも出たり、
 
家知者《イヘシラバ》、往而毛將告《ユキテモツケム》、妻知者《ツマシラバ》、來毛問益乎《キテモトハマシヲ》、玉桙之《タマボコノ》、 冠辭、
 
道太爾不知《ミチダニシラズ》、 家の妹が心、
 
欝悒久《オホヽシク》、 かくとはしらで待に、時の過行を、おぼつかなく思ふらんなり、
待加戀良武《マチカコフラム》、愛伎妻等者《ハシキツマラハ》、 はしきはくはしきのくを略《ハブ》きたる言にて、うつくしむことなる故に、愛の字を書たり、別記あり、
 
 反 歌
221 妻毛有者《ツマモアラバ》、採而多宜麻之《ツミテタゲマシ》、 【宜は集中みな、ぎとげの濁に用、】紀に(皇極)童謡に、伊波能杯※[人偏+爾]《イハノヘニ》、古佐屡渠梅野倶《コサルコメヤク》、(小猿米燒なり、)渠梅多※[人偏+爾]母《コメダニモ》、多礙底騰褒※[口+羅]栖《タゲテトホラセ》、歌麻之々能烏膩《カマシヽノヲヂ》といふは、燒たる米の飯を給《タベ》て行《トホラ》せなり、然ればこゝも採て給《タベ》らせまし物をといふ古言なるを知めり、又(卷七、「春日野に、烟立見ゆ、をとめらが、春野乃|兎芽子《ウハギ》、採而|※[者/火]らしも」てふを以て、此|宜《ゲ》は企《キ》にて、燒ましてふ言かと思ひし、猶上に依、
 
佐美乃山《サミノヤマ》、野上乃宇波疑《ノノヘノウハギ》、 上は衣《エ》の如く唱、
 
過去計良受也《スギニケラズヤ》、」 うはぎは、内膳式に蒿、和名抄に莪蒿(於八木《オハギ》)てふ同しくて、今よめがはぎといふ是なり、【うは惣てをにかよふ例なり、於と書は誤なり、】さて此臥て有あたりに兎蒿《ウハギ》多く生て、時過ゆけどつみて得さする人なしと、そこに有物もていへるに、所のさまさへ思ひとられてあはれなり、○或人多|宜《ギ》ましは、手向ましの略ぞといへるは、右の紀の歌をもしらぬ人の後世意なり、
222 奥波《オキツナミ》、來依荒磯乎《キヨルアリソヲ》、色妙乃《シキタヘノ》、 冠辭、
枕等卷而《マクラトマキテ》、奈世流君香聞《ナセルキミカモ》、 奈は禰に通ひて臥《ネ》せるなり、【ぬるはなえるてふ言にて、なよ/\と臥たるさまをいふ、仍て寢せるを、奈せるともいふなり、】
 
○柿本朝臣人麻呂在(テ)2石見(ノ)國(ニ)1臨死時《ミマカラントスルトキ》、自傷《カナシミテ》作《ヨメル》歌、 此端詞にも、又次にも死と書しは、六位七位などの人なること知べし、委は卷一の別記にいへり、
 
223 鴨山之《カモヤマノ》、 こは常に葬する山ならん、【是を後に、いも山のいはねにおけるといへる、地の名も、おけるといふも誤れり、】
 
盤根之卷有《イハネシマケル》、 上にも出、之《シ》は辭、
 
吾乎鴨《ワレヲカモ》、不知等妹之《シラズトイモガ》、 等《ト》は等而《トテ》なり、(卷十三)爲便《スベ》を不和|跡《ト》、立て爪づくてふ跡《ト》に同じ、
 
待乍將有《マチツヽアラム》、
 
○柿本朝臣人麻呂(ガ)死《ミマカレル》時《トキ》、妻《メ》依羅娘子《ヨサミノイラツメガ》作歌、
 
224 且今日且今日《ケフケフト》、吾待君者《ワガマツキミハ》、石水《イシカハノ》、 紀にも水をかはと訓、次にも石川と書たり、
 
貝爾交而《カヒニマジリテ》、 次に玉をもいひしが、此川の海へ落る所にて貝も有べし、【一本谷爾交而とあれど、たゞ谷とのみにては、交るといひがたし、是ももしかひの言にかりしにや、】
 
有登不言八方《アリトイハズヤモ》、」 いはずやもと當りていふに、いたく歎くこゝろあり、
 
225 直相者《タヾニアハヾ》、相不勝《アヒガテマシヲ》、 直目《タヾメ》にあひ見んとせば、あひがたかりなんをといふなり、
 
石川爾《イシカハニ》、雲立渡禮《クモタチワタレ》、見乍將偲《ミツヽシヌバム》、 石川は即かも山のもとに在ならん、さて川に雲はよしなかれど、遠きさかひの事なれば、雲をもていふは古へよりの事ぞ、
 
○丹比眞人《タヂミノマビト》、 今本注に名闕といへり、本よりもしれざりしか、【此氏は多治比《タヂミ》といふぞ本なる事、姓氏録にも見ゆるを、後にから文めかんとて、略て、丹比、丹治、丹遲なども書り、されど皆たぢみと訓なりとなり、】
 
擬《ナゾラヘテ》2柿本朝臣人麻呂(ガ)之|意《コヽロニ》1作歌、 今本こゝに報歌とあれど、報と云べき所にあらず、後人さかしらに加へし言と見ゆ、
 
226 荒浪爾《アラナミニ》、縁來玉乎《ヨセクルタマヲ》、枕爾卷《マクラニマキ》、 今本置と有は理りなし、卷の草より誤しものなり、
 
吾此間有跡《ワレコヽナリト》、 爾阿の約|奈《ナ》なれば、こゝにありてふ言を、こゝなりといふ、
 
誰將告《タレカツゲマシ》、 故郷人になり、
 
 
○□□□□□□□□□□□□□《擬2柿本朗臣人麻呂(ガ)妻之意(ニ)1作歌》、
 
227 天離《アマザカル》、夷之荒野爾《ヒナノアラノニ》、君乎置而《キミヲオキテ》、 鴨山に葬つらんを知ながら、ひろく荒野爾云云といへるぞ、中々あはれなり、
 
念乍有者《モヒツヽアレバ》、生刀毛無《イケリトモナシ》、 今本に、或本の歌とて是を載て、其左に、古本此歌をこゝに載と注せり、仍て考るに、上の一首は人麻呂が意になぞらへ、此一首は其妻依羅娘子が意にあてゝ、同じ丹比眞人のよみたることしるし、故にかの古本をとれり、然る時はもと別に端詞の有けんを落しならん、仍て今右の如く詞を加へたり、【人麻呂は藤原宮の末に身まかりて、奈良宮にはいたらぬこと、こゝにて明らけし、】
 
 △今本こゝに寧樂宮と標せるは、和銅三年の遷都なればなり、然れども此標上の例によりて、同元年の所へ出しつ、
 
○和銅|四年《ヨトセ》辛亥〔二字右○〕、 時と月とは落しならん、
 
河邊(ノ)宮人、姫島(ノ)松原(ニ)、 古事記に、(仁徳)幸2行《イデマス》日女島(ニ)1、紀に、(安閑)宜《ヘシ》v放v牛(ヲ)2於難波大隅|與《ト》媛島(ノ)松原(ニ)1、また靈龜三年の紀に、(元正)罷(テ)2攝津(ノ)國大隅媛島二牧(ヲ)1、聽2百姓|佃食《タツクルコトヲ》1之と見ゆ、
 
見《ミテ》2孃子屍《ヲトメガシカバネヲ》1、悲歎《カナシミテ》作歌、 【古き難波の圖を見るに、姫島、衢壤《クジヤウ》島、江小《エノコ》島などいふ島六有しを、今は其邊陸と成て、くじやう島えのこ島てふは、里の名と成てあり、然れば姫島も此邊なりしを、今は名さへ傳らずなりぬ、】
 
228 妹之名者《イモガナハ》、千代爾將流《チヨニナガレム》、 上に人まろの、明日香皇女を其川になぞらへて、萬代に御名の傳らんよしをよみし如く、今は姫島の松もて言擧《コトアゲ》すれば、千代に名をいひ傳へゆかんぞとなり、げにかくこそ永く傳りぬれ、此外に歌によりて名の傳れるは數もしられず、
 
姫島之《ヒメジマノ》、子松之末爾《コマツガウレニ》、蘿坐萬代爾《コケムスマデニ》、」 今の子松の千年の老木と成て、日影かづらの生るまでといふなり、(卷十四)「いつの間も、神さびけるか、香《カグ》山の、ほこ椙《スギ》が末《ウレ》に、薛《コケ》生《ムス》までに、」ともよみたり、〇日かげは上にいへるが如く、奥山の老木の枝に生て、海邊の木には生ぬこけなれど、こゝは借て年久しき譬にいふのみ、
 
229 難波方《ナニハガタ》、 方は潟なり、
 
鹽干勿有曾禰《シホヒナアリソネ》、沈之《シヅミニシ》、妹之光儀乎《イモガスガタヲ》、見卷苦流思母《ミマククルシモ》、 右に松原に云云とは、凡を記せるにて、そこの干潟に屍のあるを見し事、此歌にてしらる、〇見まくは、見んのむを延たる辭、
○靈龜二年丙辰秋八月、志貴皇子《シキノミコノ》薨《スギタマヘル》時《トキ》、□□《姓名》作歌、 元正天皇紀を見るに、此皇子は靈龜二年八月薨給へるを、こゝを今本に元年九月と書しはいかに、又今本ここを志貴親王と書たり、親王とは大寶令にもしるされしかど、此一二卷には惣てを皇子とのみ有に、此一所のみことなるべからず、又端詞の云云時てふ下に、作者の名を書例なるに、是にはなし、かく例に違ひしを思ふに、此所亂れたるを、仙覺などがなま心得にて、端詞を作れるものなり、仍てさるべきをば改めたり、
230 梓弓《アヅサユミ》、手取持而《テニトリモチテ》、丈夫之《マスラヲノ》、得物矢手挿《サツヤタバサミ》、立向《タチムカフ》、 是まで的《マト》といはん序、
 
高圓山爾《タカマドヤマニ》、 春日の中に有、
 
春野燒《ハルノヤク》、野火登見左右《ノビトミルマデ》、燎火乎《タケルヒヲ》、 葬送る人々の手火なる事下に見ゆ、
 
何如問者《イカニトトヘバ》、玉桙之《タマボコノ》、道來入乃《ミチクルヒトノ》、泣涙《ナクナミダ》、※[雨/沛]霖爾落者《ヒサメニフレバ》、 和名抄に、※[雨/沛](ハ)大雨也、日本紀私記に、大雨(ハ)比左米、
 
白妙之《シロタヘノ》、 冠辭、
 
衣※[泥/土]漬而《コロモヒヅチテ》、 ひづちは此字の意なるよし、別記にみゆ、
 
立留《タチトマリ》、吾爾語久《ワレニカタラク》、 其かたれる言はこゝに略て、下にてしらせたり、
 
何鴨《ナニシカモ》、本名言《モトナイヒツル》、 本名は空しなり、【(卷三)不聞而、黙然有益乎、何如文、公之正香乎、人之告鶴、】
 
聞者《キヽツレバ》、 語るを聞しかば、
 
泣耳師所哭《ネノミシナカユ》、語者《カタラヘバ》、心曾痛《コヽロゾイタキ》、天皇之《スメロギノ》、神之御子之《カミノミコノ》、 六言なり、神之は上へつけて意得よ、
 
御駕之《イデマシノ》、 皇子にも幸といふは例なり、
 
手火之光曾《タビノヒカリゾ》、幾許照而有《コヽタテリタル》、 今本こゝに短歌二首と書て、左の歌を反歌の如く書たるは、いと後に歌をも心得ぬ人のわざなり、目録に右の反歌はなくて、或本歌二首としるしたるは、即左の歌をいふなり、然れば右の反歌は落失、こゝには別に端詞もて左歌を載しを、其詞も失しなりけり、
 
○□□□□□□□□□□《志貴皇子薨後、姓名作歌》、 左二首は、薨給ひて暫後によめる歌なり、然ればかゝる端詞の有しが失しことしるべし、
 
231 高圓之《タカマトノ》、野邊乃秋芽子《ノベノアキハギ》、徒《イタヅラニ》、開香將散《サキカチリナム》、見人無爾《ミルヒトナシニ》、」 此皇子の宮こゝにありし故にかくよめり、〇一云、勿散禰《ナチリソネ》、君之形見爾《キミガカタミニ》、見管思奴幡武《ミツヽシヌバム》、 かくてもきこゆ、
 
234 御笠山《ミカサヤマ》、野邊往道者《ノベユクミチハ》、 式に、野邊從遊久道《ノベユユクミチ》、
 
己伎太雲《コキダクモ》、荒爾計類鴨《アレニケルカモ》、 今本、繁荒有可《シヾニアレタルカ》とあれど、こきだくは、こゝばくと同言にて、事の多きことなり、然れば繁の言は事重れり、故に或本の言をとりぬ、
 
久爾有勿國《ヒサニアラナクニ》、 こはいよ/\程有てよめるものしるし、仍て必右の反歌ならぬ事を思へ、
 今本、こゝに右歌笠朝臣金村歌集(ニ)出と注せり、その歌集にもかく右の反歌にて有しにや、よししかるとも、猶こと違へることは既いふが如し、
 
萬葉集卷二之考終
 
萬葉集卷三之考序
 
いにしへの人おもふ心さはなる時はうたひつらぬる言もさはなりき是を長歌とはいふそのこゝろさはなりといふもなほくひたぶるなるものはことば多からずかれこのみてみやびことをそへて歌をかざれりかくて此卷は古への歌をつどへたるがうちに上中下の代々のすがたあり上なるは言少くしてみやび心ひたぶるにして愛《メデ》たし言少なかれど心通り心ひたぶるなるが憐《アハレ》なるは高く眞なる心より出ればなり中なるは言繁くして心巧みなり繁かれど明らけく巧めど下らぬは猶失なはぬものあればなりしもなるは心強からまくせれど下よわく言巧みならまくして穩《オダヤ》かならずこは他《ヒト》の國ぶりのまじはれゝば世の人わが古への心のみならぬを更に言のみ古きをとりつゞりたればなりこれの三つの品をこの卷もてよくこゝろ得る時はうつろひ來し代をしるべししかしてこそ上か上の代のこゝろことばをも手風をもよくしり得たらめ且かく長き歌をなみ擧しもてこそ其世世のすがたをもよしあしをも思ひ分て集の中にみだれのりたるをかたへづゝのみ見てはことの分ちをよく知がたきなり
〇こをしも一二の卷に次て三の卷とするよしは上の別記にいへりかくて此卷は其歌よめらんよしもよめるぬしもしらで傳れる長歌どもなりそが中に古きをいはゞ記に出し遠つ飛鳥の宮の前の日つぎのみこの御歌ぞある次に歌ぬししらへねど必古き代の歌と聞ゆるありしか古へゆ奈良の宮の初めつ比までのうたなん載たる
○歌のついでは上中下の時代にはよらずて亂れ載たり又|地《トコロ》をも始めには遠き國を擧しかど末は定めなく見ゆるは本よりしかるか亂れてたがへるか今の本にも古本にも二首の歌の中らうせたるを合せて一首の如く書なし或は一首の上下のうせしをも一首とし或は末に載べきが上に出たるなどもあればすべて今より思ひはからふべからずつぎの四五の卷の短歌は類ひを集めしと見ゆればさる意して時代にはよらで次で擧つやともおもへどかの亂れ多かれば定めがたしいかで正しき本を得ざらん人たゞさんを待のみ
○今の本の歌の左に擧たる或本の歌のとるべきはとりてことわりをしるしとらざるは其左に付てしるしことわり又注は多くはとらずとれるはよしをしるしつ
 
萬葉集卷三之考〔流布本卷十三〕
 
 雜歌
3221 冬木盛《フユゴモリ》、 今本に成と有は誤れるよし上に云つ、
 
春去來者《ハルサリクレバ》、 上に出、
 
朝爾波《アシタニハ》、白露置《シラツユオキ》、 六言、
 
夕爾波霞多奈妣久《ユフベニハカスミタナビク》、汗微竝能《カミナミノ》、 【飛鳥の神奈備の社なり、】今本に汗湍能振と有は、草の手より誤れりと見ゆ、此言ところの名ならでは、一字のこゝろ穩かならず、景のみよめる長歌に、地をあげいはぬは、凡なきものなり、次の三首も同じ山をよみ、歌もひとしく飛鳥の宮の體なれば、必かみなびのてふ言ぞとせり、
 
樹奴禮我之多爾《コヌレガシタニ》、 木の暗が下なり、(卷九)はるされば、詐奴禮我久利弖、宇具比須曾、云云、(卷十九)許能久禮|罷《ヤミ》、四月《ウツキ》之立者、など多けれど皆ひとし、【(卷十八)夜麻能許奴禮は、くれなゐに、にほひちれども、とあるは、木の宇禮の乃宇の約なり、今は木の具禮の乃具の約にて言の出る所ことなり、】
※[(貝+貝)/鳥]鳴母《ウグヒスナクモ》、 母は加毛の略にてほめなげくなり、
 
3222 〇三諸者《ミモロハ》、 四言、御室とは三輪をもいへど、前後の歌事のさまにも依に飛鳥の神なびなり、
 
人之守山《ヒトノモルヤマ》、 もりをもるに轉じて、よろしき山なれば、人の目かれず目守《マモル》といひなせり、
 
本邊者《モトベハ》、 【邊は假字なれば四言に唱ふ、】
 
馬醉木花開《アシミハナサキ》、 此本も山の下をいふ、あしみは春すゑにつゝじの如く紅に咲り、うへに出、
 
末邊者《スヱベハ》、 四言、
 
椿花開《ツバキハナサキ》、 末は山の上なり、八峯の椿、ともよめり、今見るものをもていふは古人の歌ぞ、
 
浦妙山曾《ウラグハシヤマゾ》、 雄略天皇紀に、はつせのやまは、阿野に、于羅虞波斯、てふに均しくして、浦は心なり、上の別記に云り、くはしは美《ホム》る言なること上にも冠辭考にも出、
 
泣兒守山《ナクコモルヤマ》、」 上にも人の守山、といひしを再ときて、鳴兒をうつくしみ守如くになせる山ぞといふめり、はかなく面白くいひしさま、小治田の宮びとのうたか、
 
3223 霹靂之《ナルカミノ》、 【和名抄に霹靂をかみとけ、と訓たるは、かみとゞろきの略なり、こゝは是を則なるかみ、と訓ことなるを、歌よく心得ぬ人字に泥てしか訓しはいふにたらず、】
 
日香天之《ヒカヲルソラノ》、 霹靂は光《ヒカリ》といひかけたる冠辭なり、ひかる事を略となへる例は、紀に、井より出し人の光り有を以て、井氷鹿と名づくと云り、うけたる句は曇ることなり、くもるをかをるといふは、神代紀に、唯有朝霧而薫滿之哉《タヾアサキリノミカヲリミテルカモ》、てふを始ていと多し、かくてしぐれふり幾たびとなく日をくもらする九月のすゑのさまなり、
 
九月乃《ナガツキノ》、 月の名の事は別紀にいふ、
 
鍾禮乃落者《シグレノフレバ》、
 
鴈音《カリガネノ》、 音と書しかど、かり群《ムレ》てふ言なるよし冠辭考にいふ、
 
率來鳴《アトモヒキナク》、 今本に、雁音文未來鳴、と有は理なし、しぐれふり赤葉せし九月の末に、かりの來ざる所やはある、こは率の草を〓と書しが、文末二字と成しものなり、あともひてふ訓は、卷二に書つ、【あともふは、鴈、ふね、軍、などに多くいへる、皆いざなひゝきゐるなり、或説はわろし、】
 
神南備乃《カミナビノ》、清三田屋乃《キヨキミタヤノ》、 譬は悠紀主基の國に、占へ齋て作稻實殿の如く、此神の御田を植て守、苅て春までの齋殿の清まはりて在をいふべし、 
垣津田乃《カキツタノ》、 神代紀に、天(ノ)垣田(ヲ)爲2御田1、てふは堤を廻らし、水の引漏をほどよくするを垣田といふ、國の垣は山、家の垣は築土、田の垣は堤なり、 
池之堤之《イケノツヽミノ》、 上の垣即この堤にて、それに生たてる槻の木なり、
 
百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
五十槻枝丹《イツキガエダニ》、 今本三十と有は五を三に誤れり、此事冠辭考に委し、かくてかの御田屋の邊にあるゆゑに、齋槻といふべし、【槻の枝の多きをば五百槻と云たり、然れば五十《イ》槻は齋槻なり、齋籬をいがきといふ如き、はぶき言なり、】
 
水枝指《ミヅエサス》、 水は借字にて稚枝の事なり、冠辭のみづ/\しの條にむかへ見よ、
 
秋赤葉《アキノモミヂバ》、 槻は今山人のけやきといふ木と同物にて、秋は赤葉のいとよきものなればかくよみたり、(卷十四《今ノ三》)、とく來ても、見てましものを、山背の、高槻むらの、ちりにけるかも、とよめり、
 
眞割持《マキモタル》、 手に纏《マキ》たる釧《クシロ》をいふ、割は假字なり、【割をかなとするには、下の言を用る例上に出、則|割《サキ》眞割のきに用るが如し、】今本まさけもちと訓しは、もみぢの枝を折て提持事と思へるか、言雅ならず、又下に、※[手偏+求]手折、とあればさ云べからず、手にまける釧の鈴をいへり、持は添る言、
 
小鈴文由良爾《ヲスヾモユラニ》、 枝を折とき手之鈴の鳴をいひて、歌の文とするのみ、別記有、【をすゞもゆらにてふ事は、別記に云、】
 
手弱女爾《タヲヤメニ》、吾者有友《ワレハアレドモ》、 友は借字、
 
引攀而《ヒキヨヂテ》、 よぢはすがるといふに均し、
 
延多文十遠仁《エダモトヲヽニ》、 枝もたわゝともいふ、今本に延多の二字を峯に誤て、みねもとよみしは、歌しれる人のわざならず、こゝに峯の出べきかは、
 
※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》、 うちは發言のみ、手折はたわめをるなり、冠辭考に類を擧つ、【(卷十)「妹が手を、とりて引與治、※[手偏+求]手折、君がさすべき、花さけるかも、」】
 
吾者持而往《ワレハモテユク》、公之頭刺荷《キミガカザシニ》、 公は夫をいふ、かざしは遊宴等の時、草木などの枝を冠また帽子の右か左かにさすをいふ、かしらにさすてふこゝろなり、
 
 反 歌
3224 獨耳《ヒトリノミ》、見者戀染《ミレバコヒシミ》、 染は辭に借、
 
神名火乃《カミナビノ》、山黄葉《ヤマノモミヂバ》、 長歌には堤に立るもみぢといひて、こゝに山のもみぢと有はいかに、かの香山の畝尾は、埴安(ノ)池の堤ともいふべきが如く、こゝも畝尾よりつゞける故に、山ともいふにや、
 
手折來君《タヲリケリキミ》、」 こゝをこむとよむは長歌にかなはず、仍てたをりけりと訓つ、君にはいまだ問はねど本意をいふなり、
 
3225 天雲之影塞所見《アマクモノカゲサヘミユル》、 天の白雲のかげさへ見ゆるは、水の極めてきよきなり、塞は借字にてことばなり、今本に寒と書は誤にて、假字も違へり、古今集に飛鴈の數さへみゆる、といふに似つ、
 
隱來※[竹/矢]《コモリクノ》、 冠辭、
 
長谷之河者《ハツセノカハヽ》、 城(ノ)上(ノ)郡、
 
浦無蚊《ウラナキカ》、船之依不來《フネノヨリコス》、磯無蚊《イソナキカ》、海部之釣不爲《アマノツリセス》、吉咲八師《ヨシヱヤシ》、
 
浦者無友《ウラハナケドモ》、吉畫矢志《ヨシヱヤシ》、 今本は寺に誤、
 
磯者無友《イソハナケドモ》、 是より上八句は、(卷二)に人麻呂のよみし同言なり、いづれ先ならむといふ中に、人まろのよめるは理有て且おもしろし、こゝに似合しからず、餘りて強ごとゝも聞ゆ、然ば奈良人の人麻呂が言をうつして、かくはよめるならむ、此歌古からねばなり、
 
奥津浪《オキツナミ》、諍※[手偏+旁]入來《キソヒコギリコ》、 おきつ波の立て重々によるに競て、釣舟も多く入來よと云り、諍は一本による、今本淨と有は誤、
 
白水郎之釣船《アマノツリフネ》、 此卷すべての歌どもよろしきに、これと下の御|缶《ミカ》の高《タケ》てふは、上の歌の言を用過して、いかにぞやも聞るは、もし或本の歌本文に成しか、
 
 反 歌
3226 沙邪禮浪《サヾレナミ》、湧而流《ワキテナガルヽ》、 此川の石瀬を走る水は、湧如くなればしかいへり、今本に浮と書しは、湧と書し草書より誤りしなり、
 
長谷河《ハツセガハ》、可依磯之《ヨルベキイソノ》、無蚊不怜也《ナキガサブシサ》、」 よるべきいそとは、舟を略けれど、はぶきざまおもはしからず、
 
3227 葦原※[竹/矢]《アシハラノ》、水穗之國丹《ミヅホノクニニ》、 此國の惣たる名なる事、古言に見ゆ、水穗の水は借字にて稚《ミヅ》なり、若枝を水枝と書類なり、
 
手向爲跡《タムケスト》、 荒背向神を、和して此方へおも向しむるをいふ、手は、詔給言《ノリトゴト》に、手長の御世てふ如く發言のみ、【神に物奉るを云は、我手に捧もて向奉るにて、こゝと異なり、】
 
天降座兼《アモリマシケム》、五百萬《イホヨロヅ》、千萬神之《チヨロヅカミノ》、 天御孫(ノ)命を始て、したがひ奉て降し、諸の神たちをすべ云、
 
神代從《カミヨヨリ》、云續來在《イヒツギキタル》、甘南備乃《カミナビノ》、三諸山者《ミモロノヤマハ》、 出雲國造が神賀詞に、賀夜奈流美命【能】御魂【乎】飛鳥【乃】神奈備【爾】坐【天】云云、と大名持命の宣給ひし事有、かく神代より始めて御代々に崇來ませるところなり、
 
春去者《ハルサレバ》、春霞立《ハルカスミタチ》、秋往者《アキクレバ》、 去往は借字のみ、
 
紅丹穗經《クレナヰニホフ》、 赤葉をいふ、
 
甘甞備乃《カミナビノ》、三諸乃神之《ミモロノカミノ》、帶爲《オビニセル》、明日香之河之《アスカノカハノ》、水尾速《ミヲハヤミ》、 生多米難《オヒタメガタキ》、石根《イハガネノ》、蘿生左右二《コケムスマデニ》、 速川水の常に洗ふ石には、苔も生留がたきを、其石にしも苔生む世までといへり、然るを今本に根を枕に誤て、即いはまくらとよみしは人笑へなり、○多米は登杼米を轉じ略きていへり、
 
新夜乃《アタラヨノ》、 夜は代なり、新代とは(卷一)にいへる如く新京を申せり、然れば此度は藤原宮へ遷幸して、始て飛鳥の神社へ御使立、大幣神寶など奉給ふ時、その御使人のよめる歌なるべし、
 
好去通牟《ヨクユキスギム》、 よくゆくとは、事幸くつゝみなきをいふ、(卷九)好去好來歌《ヨクユキヨクキタレテフウタ》とて、唐へ行人をいはひよめるを、齊明天皇紀に、唐國の天子こゝの使人に問説、執事(ノ)卿等好在|以不《ナルヤイナヤ》、使謹答、天皇憐重亦好在とも有て、ゆきと訓ことなるを、今本よしゆきと訓しは、何の理ともなし、かくてこゝは新代の末限なくよく行過なむ事を、此大神の神量《カンハカリ》にはかりて夢に告給へと願なり、此事次々に見ゆ、
 
事計《コトバカリ》、夢爾令見社《イメニミエコソ》、 崇神天皇御自神を祈まして夢の告を得給ひき、此度も御使人此社にこもりて夢の告をまつ故に、かくはよめるなり、
 
※[金+刃]刀《ツルギダチ》、つるぎのたちといふべきを略きたる故に、次のたを濁るは言便のならひなり、
 
齋祭《イハヒマツレル》、神二師座者《カミニシマセバ》、 垂仁天皇紀に、令(シムル)4祠宮(ニ)卜3兵器《ツハモノヲ》爲《セント》2神幣(ニ)1吉之《ヨシ》、故弓矢及|横刀《タチヲ》納2諸神之社(ニ)1、云云、此ごとく古より※[金+刃]を納めて齋まつる神社なれば、しかいふべく、そが上に此たび新代として奉給ふをも、古になぞらへてかくのみいふか、
 
 反 歌
3228 神名備能《カミナビノ》、三諸之山丹《ミモロノヤマニ》、隱藏杉《イハフスギ》、 神木なれば非常《ケガレ》をさけて秘齋ふ意にて、隱藏杉とも書たり、(卷八)神之《ミワノ》祝|我《カ》鎭齋《イハフ》杉、と有も均しきこゝろにてかき、(卷二)に、三諸之、神の神杉、已目乃美《イメノミ》耳とあるもこれなり、【こゝの今本の訓はいふにもたらず、】
 
思將過哉《オモヒスギメヤ》、蘿生左右《コケムスマデニ》、」 かの苔も生留がたき川の石に、苔生代までにも、思ひ忘れ過す事なく、此神社にかく仕奉らんと、神へふかく申なり、【神木といはふ木にこけの生は常の事なれば、かくいふよしなし、】紀(崇神)に、悉(ク)無2遣忘《オチワスルヽコト》1以奉(ン)v幣(ヲ)也、龍田祭(ノ)詞にもあり、上は序にて、さて杉を過に重ていひ下し、末の二句は長歌の飛鳥川云云の、末の言どものこゝろをこめていへり、然ればここの蘿も、上にいふ水苔の事なり、
 
3229 五十串立《イグシタテ》、 五十は借字にていはひの略、串は玉幣などを著る料の榮木と小竹なり、神代紀(一書)に、使3山|雷者《ツチニハ》採《トラセ》2五百箇眞坂樹(ノ)八十玉籤1、野槌者採2五百箇野篶八十玉籤(ヲ)1、とて、上に是につくべき鏡幣玉※[金+刃]などを造らせらるゝことあり、即是なり、古へ若木小竹などを、葉ながら切て是に用るを、串とも杭《クヒ》ともいへる事下に見ゆ、【後世玉を奉る事はたえ、幣料に紙をもてちいさき串につくるを見ならひて、こゝを思はゞたがふべし、】
 
神酒座奉《ミワスヱマツル》、 既出つ、
 
神主部之《ハフリベガ》、 神主と祝部とは、中世ことにすれど、集中には三輪の祝が、住の江にいつくはふりが、などよめれば、こゝもはふりべがとよめり、部と有を捨がたければなり、【今本かみぬしがと訓は言穩しからず、部を捨たるも心ゆかず、且|部《ベ》はむれの約の米を轉じいふにてはふりが伴てふことなり、
 
雲聚之玉蔭《ウヅノタマカゲ》、 之を落せり、雲聚は假字、推古天皇紀に、髻華と書は義なり、後世心葉とて、冠の眞中に花を立る是なり、その花に日蔭のかつらをつけて左右へ垂、その日かげの日をはぶきて、かげとのみいふは、(卷六)にもあり、かくて神事のときかくるは、貴人の玉かつらより轉じいふか、別記あり、
 
見者乏文《ミレバトモシモ》、」 乏は希にてめづらしきなり、此時には實の玉もて飾れる神社もあるを、使人のめでしがよみし成べし、
 
3230 帛叫《ミテグラヲ》、 幣を持てといふを略いへり、
 
楢從出而《ナラヨリイデヽ》、 楢は奈良(ノ)宮なり、然れば和銅三年に奈良へ遷まして、諸社へ御使立給ひし度にや、出とは大裏より出をいひ、大裏へ参るをば入といふ、續後紀に、伊勢へ御使有時の詔に、幣令捧持天奉v出、ともいひしなり、
 
水蓼《ミヅタデノ》、 冠辭、
 
穗積至《ホツミニイタリ》、 奈良より飛鳥までの間にある所ならん、【或人十市郡穗津村これかといふ、】
 
鳥網張《トナミハル》、 冠辭、
 
坂手乎過《サカテヲスグリ》、 紀(景行)に、坂手池を作、今十市郡に坂手村有と國人はいへり、又式の同郡に出し、坂|門《トノ》神社も同所に今在といへり、さもあるか、 
石走《イシバシノ》、 冠辭、
 
甘南備山丹《カミナビヤマニ》、朝宮《アサミヤニ》、仕奉而《ツカヘマツリテ》、 奈良より飛鳥までは、今道七里ばかりあれば、御使よべは其社の離宮に宿て、明日朝日の豐榮登に、神御前には仕奉しなるべし、是も御使なれば、祭の有つらん、
 
吉野部登《ヨシノベト》、入座見者《イリマスミレバ》、 こゝより吉野神社かけたる御使とみゆ、入座云云あがめいへるは、こゝの祝などの歌ならん、
 
古所念《イニシヘオモホユ》、 此神社は、小治田、崗本、後崗本、清御原(ノ)宮まで多の御代の都のうちにて、御使は本よりにて、幸もありしに、藤原奈良と都遠ざかりて、かゝる事もめづらしきほどに成しかば、むかしへの事おもほへられて、よろこべる祝らが心なるべきこと、右にもいふがごとし、
 
 反 歌
3231 月日《ツキヒハ》、 四言、
 
攝友《カハリユケドモ》、 持統天皇藤原へ遷まして、今又元明天皇奈良へ遷給ひ、飛鳥の故郷はいよゝ都遠くなりて、三代まで成しをいへり、○攝は代なり、【史記魯世家に、成王少、云云、周公踐祚、代(テ)2成王1攝行(ス)、この代攝を合て、こゝには書しなり、或人うたがふはなぞや、字書には攝代也と有しなり、】
 
久經流《ヒサニフル》、三諸之山礪津宮地《ミモロノヤマノトツミヤトコロ》、」 古へ都の中なりし時は、此山に離宮を建給ひしが、久に經て今もあらさず在に、かゝる御使などはやどすからに、此歌はよみしならん、(卷十四)天皇御遊2雷丘1之時とて人麻呂、「大きみは神にし坐ば、天雲の、雷之上爾、廬爲流加毛、」とよみしと、こゝを合せて離宮在しをしるべし、【或本、故(キ)王都(ノ)、跡津宮地、】
 
3232 斧取而《ヲノトリテ》、丹生檜山《ニブノヒヤマノ》、木折來而《キコリキテ》、 吉野の丹生なり、
 
※[木+義]爾作《ヲブネニツクリ》、 六言にも訓べけれど、此歌のほどにつけて、をの發言をそへたり、
 
二梶貫《マカヂヌキ》、 左右のかぢを云、
 
磯※[手偏+旁]囘乍《イソコギタミツヽ》、島傳《シマヅタヒ》、雖見不明《ミレドモアカズ》、三吉野乃《ミヨシノノ》、瀧動々《タキモトヾロニ》、落白浪《オツルシラナミ》、 吉野の瀧は多かる中に、大瀧こそ大きなる岩の間を斜に、おつるがおもしろき、今もそこをいふか、
 
 反歌、 今本こゝに旋頭歌と有はいふにもたらず、目録にもなければ、たゞ近頃のひがわざなり、
 
3233 三芳野《ミヨシノヽ》、瀧白浪《タキノシラナミ》、留西《トマリニシ》、 家に留て在なり、
 
妹見卷《イモニミセマク》、欲白浪《ホシキシラナミ》、」 今本二三の句を、瀧動々落白浪、と有は、長歌の末の二句の紛入し物なれば捨つ、何ぞといはゞ、反歌にせどう歌の例なく、此卷にもまたせどうか入べからず、かた/”\字の誤明らけし、
 
3234 八隅知之《ヤスミシヽ》、 冠辭、
 
和期大皇《ワゴオホキミ》、 【大皇と書こと、下の卷にはあれど、いにしへは見えず、もし此皇は君か、】
 
高照《タカヒカル》、 冠辭、
 
日之皇子之《ヒノミコノ》、 此四句を訓ことは、上にいへり、
 
聞食《キコシヲス》、御食都國《ミケツクニ》、 此事冠辭考につぶさにす、
 
神風之《カムカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢乃國者《イセノクニハ》、國見者《クニミレバ》、 □之毛《シモ》、 之毛の上に言落たり、阿夜爾久波之毛《アヤニクハシモ》、などや有けん、
 
山見者高貴之《ヤマミレバタカクタフトシ》、河見者左夜氣久清之《カハミレバサヤケクキヨシ》、 まことにあきらに清き國なり、
 
水門成《ミナトナス》、海毛《ウミモ》廣《ユタ・ビロ》之《ケシ》、 入海に崎島多ければ、入海即水門の如くと云り、古も天下の船どもこゝによりしにや、
 
見渡《ミワタス》、 四言、
 
島名高之《シマノナタカシ》、 他もあれと、專は志摩國にていふならん、【此時は猶志摩國をかけていふべし、】
 
己許乎志毛《コヽヲシモ》、間細美香母《マクハシミカモ》、 垂仁天皇紀に、天照大神誨(タマハク)2倭姫(ノ)命(ニ)1曰、是神風伊勢國(ハ)、則常世之浪重浪歸國也、傍《カタ》國(ノ)可怜《ウマシ》國也、欲《ヲホスヤ》v居《オハサマク》2是國(ニ)1、故隨2大神(ノ)教(リ)1其《ソ》祠《ミヤヲ》立2伊勢(ノ)國(ニ)1、因(テ)興《タツ》齋《イツキノ》宮(ヲ)于五十鈴(ノ)川上(ニ)1、この意もてこゝはいへり、○こゝに二句落しならん、左右の言いさゝかことたらず聞ゆるは、知人しるべし、
 
挂卷毛《カケマクモ》、文爾恐《アヤニカシコキ》、山邊乃《ヤマノベノ》、五十鈴乃原爾《イスゞノハラニ》、 今本五十師《イソシ》に誤れり、既別記に論て改、【五十の字を、正數に用るときは、いそとよめど、歌文なとには、皆伊のかなにのみ用て、いそと訓こと一つたになし、然るをこゝをいそしと訓しは人笑なり、好事のものゝ虚説有は、いふにたらず、】これ大神の宮ならずば、挂まくもあやに恐きてふ言をいはめや、又大宮づかへ、云云ともいはめや、
 
内日刺《ウチヒサス》、 冠辭、
 
大宮都可倍《オホミヤヅカヘ》  此大神宮(ノ)御事は、天皇の大宮と萬づ均しく申せり、かくてこゝより下五句は、齋王の神宮につかへ奉給ふときの樣をいふ、
 
朝日奈須《アサヒナス》、 奈須は如の意、
 
目細毛《マクハシモ》、 記に遠津|年魚目目微比賣《アユメマグシビメ》、とも書し如く、見る目のうるはしきなり、上も下も同じ意、
 
暮日奈須《ユフヒナス》、浦細毛《ウラグハシモ》、 浦は心なり、目と心と言をかへて、文《アヤ》をなすにて遂に均し、
 
春山之《ハルヤマノ》、 冠辭、○下は齋王にしたがひ奉る命婦、釆女、女嬬、などのありさまをほむ、
 
四名比盛而《シナビサカエテ》、秋山之《アキヤマノ》、 冠辭、
 
色名付思吉《イロナツカシキ》、 こゝの言ども冠辭考に委、
 
百磯城之《モヽシキノ》、 冠辭、
 
大宮人者《オホミヤビトハ》、 此女房たち本より宮人なり、
 
天地與《アメツチト》、日月《ツキヒトトモニ》、萬代爾母我《ヨロヅヨニモガ》、 我は願ふ辭、○此歌をよくよみしれる人は、山のへの御井を五十師と有る誤をも、論をまたずして明らむべし、
 
 反 歌
3235 山邊乃《ヤマノベノ》、五十鈴乃御井者《イスヾノミヰハ》、自然《オノヅカラ》、成錦乎《ナレルニシキヲ》、張流山可毛《ハレルヤマカモ》、」
 
錦は赤葉をいへり、齋王の仕奉給は、六月十六七日、九月同日、十二月同日、と式に見ゆるは、古よりしかなるべし、その中にもみぢをいへるからは、九月の御祭の時なり、○此御井今しられずといふは、山崩などして埋れしか、後によし有て廢られしか、しるべからず、古へ名高かりしが、後にしらずなれるは、葛城の榎葉井、藤原の御井、綱長井、榮井、など數へがたし、今をもて古へ據有事をしひ云ことなかれ、
 
3236 空見津《ソラミツ》、 冠辭、
 
倭國《ヤマトノクニ》、 六言、
 
青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
寧樂山越而《ナラヤマコエテ》、 奈良坂なり、
 
山代之《ヤマシロノ》、管木之原《ツヽギノハラ》、 六言、仁徳天皇紀に、皇后云云、興2宮室於筒木岡南(ニ)1、こゝに合せて、つゝを清み、木を濁べし、綴喜郡とは別か、 
血速舊《チハヤフル》、 冠辭、
 
于遲乃渡《ウヂノワタリ》、 六言、
 
瀧屋之《タキノヤノ》、阿後尼之原《アゴネノハラノ》、 此地いまだしらず、
 
千歳爾《チトセニ》、 四言、
 
闕事無《カクルコトナク》、萬歳爾《ヨロヅヨニ》、有通將得《アリカヨハムト》、 史生雜色の人など、近江を本屬にて、暇を給て通ひ行時の歌か、
 
山科之《ヤマシナノ》、石田之森之《イハタノモリノ》、須馬神爾《スメガミニ》、奴左取向而《ヌサトリムケテ》、 神名式に、宇治郡山科(ノ)神社二坐、(并大)
 
吾者越往《ワレハコエユク》、 向而の下に五言無は例なり、
 
相坂山遠《アフサカヤマヲ》
 
 反 歌
3238 相坂乎《アフサカヲ》、打出而見者《ウチデヽミレバ》、淡海之海《アフミノミ》、白木綿花爾浪立渡《シラユフバナニナミタチワタル》、」 爾に如をこむるは例なり、木綿花の事は上又下にも出づ、
 
3237 緑青吉《アヲニヨシ》、 冠辭、
 
平山過而《ナラヤマスギテ》、物部之《モノヽフノ》、 冠辭、
 
氏川渡《ウヂガハワタリ》、未通女等爾《ヲトメラニ》、 冠辭、
 
相坂山丹《アフサカヤマニ》、手向草《タムケグサ》、 草は借字にて、手向る種の意なるよし、上にもいへるに同じ、
 
幣取置而《ヌサトリオキテ》、 今本絲取とあるは、幣の草を見違し事疑なければ、あらためつ、
 
我妹子爾《ワギモコニ》、相海之海之《アフミノウミノ》、奥浪《オキツナミ》、來因濱邊乎《キヨルハマベヲ》、久禮久禮登《クレクレト》、 斉明天皇紀の大御歌に、于之盧母倶例尼《ウシロモクレニ》、飫岐底※[舟+可]※[麻垂/叟]※[舟+可]武《オキテカユカム》、後《ウシロ》も闇にして、道ゆけばうしろの方追々に霧へだたるをいふ、(卷九)都禰斯良|怒《ヌ》、道の長手遠、久々禮禮登云云、
 
獨曾我來《ヒトリゾワガクル》、妹之目乎欲《イモガメヲホリ》、」 今本是を或本歌とて附て擧つれど、大和より淡海へ行は均しかれど、言いと異にて、且上なるはよろこばしく、これはうれたくきこゆれば、別歌なるを、今本或本互に一首を落たるなり、古本には且上の歌はなくて此歌のみあり、故に今是をも本文とせり、○反歌は古本にも是にそへたれど、かの反うた是にはかなはず、上によろし、仍て上へつけて此反歌は落たりとす、
 
3239 近江之海《アフミノミ》、 【淡毎を近江と書は、和銅八年よりなり、此歌は古きを、奈良人のかくは書しにて、紀にすら後人のさがしらせしと見ゆ、】
 
泊八十有《トマリヤソアリ》、 下にも同言あり、(卷十三)にはあふみの海、八十之湊ともいへり、
 
八十島之《ヤソシマノ》、 八十は彌十といふのみ、
 
島之埼邪伎《シマノサキサキ》、安利立有《アリタテル》、 古へ今在なり、
 
花橘乎《ハナタチバナヲ》、末枝爾《ホツエニ》、 四言、
 
毛知引懸《モチヒキカケ》、 六言、毛知は黐なり、(卷九)母智騰利乃、可々良波志母與、神樂歌に、美那止太爾、久々比也門乎利、也都奈賀良、止呂知奈也、云云も、とるもちなやなり、
 
仲枝爾《ナカツエニ》、伊加流我懸《イカルガカケ》、 推古天皇紀に、以加留我の宮の事を斑鳩とかき、和名抄に、鵤(伊加流加、)兼名苑云、斑鳩觜大足短者也、とあり、
 
下枝爾《シヅエニ》、 四言、
 
此米乎懸《シメヲカケ》、 和名抄に、鵑(之女)小青鳥なり、この二つは枝にかけ置て媒鳥《ヲドリ》とす、
 
巳之母乎《ナガハヽヲ》、取久乎不知《トラクヲシラズ》、已之父乎《ナガチヽヲ》、取久乎思良爾《トラクヲシラニ》、 をどりが母父をとるをもしらず、遊びおるといへり、○とるを延てとらくといひ、あそびを延てあそばひといふ皆おなじ、
 
阿蘇婆比座與《アソバヒヲルヨ》、 あを今本には伊に誤れり、仍て改つ、此歌は崇神天皇紀に、やまとの和珥坂にて神女のうたへる歌に、「みまき入彦はや、おのがを、食《ヲシ》せむと、ぬすまくしらに、ひめ那素寐殊望《ナソビスモ》、」といへると、譬たる意ひとしくて、且ひめのあそびを約ていへるも、此あそばひもひとしきをもて、あを伊に誤りしをおもへ、【天皇の御國を、埴安彦の食國とせむと謀るを知まさで、姫遊しておはすといふなり、】
 
伊加流我等此米登《イカルガトシメト》、」 これは右に引たる紀の歌と、ひとしきたとへ歌なり、【或人伊は發言、そばひはたはれなりといへど、そばへとこそいへ、そばひといふ事なし、又磯這といふも、こは枝にかけたれば、磯はよしなし、右に引たる紀のうたをも句を誤ひが説多し、】さて思ふに、近江の海をしもいへれば、大友(ノ)皇子皇太子をしりぞけ奉つらむはかりごとの有ときのたとへごとか、これより前に、有馬皇子蘇我入鹿などの謀らも、少なからねど、古へ人はよその地を設出てよめる事をせざればなり、
 
3240 王《オホキミノ》、命恐《ミコトカシコミ》、雖見不飽《ミレドアカヌ》、楢山越而《ナラヤマコエテ》、 京離るを惜むこと直ならず、
 
眞木積《マキツメル》、 (卷四)「宮|材《キ》引、いづみのそまに、立民の、息時もなく、戀渡(ル)かも、」とよめれば、そのそま木、此川べにつみて常有べし、
 
泉河乃《イヅミノカハノ》、速瀬《ハヤキセヲ》、竿刺渡《サヲサシワタシ》、千速振《チハヤブル》、 冠辭、
 
氏渡乃《ウヂノワタリノ》、多宜都瀬乎《タギツセヲ》、 今本宜を企にあやまれり、たぎのきは集中濁音の字のみなり、
 
見乍渡而《ミツヽワタリテ》、近江道乃《アフミヂノ》、相坂山丹《アフサカヤマニ》、手向爲《タムケシテ》、吾越往者《ワガコエユケバ》、樂浪乃《サヾナミノ》、 冠辭、
 
志我能韓崎《シガノカラサキ》、幸有者《サキカラバ》、又反見《マタカヘリミム》、 此言常さまの旅ならず、
 
道前《ミチノサキ》、八十阿毎《ヤソクマゴトニ》、嗟乍《ナゲキツヽ》、吾過從者《ワガスギユケバ》、彌遠丹《イヤトホニ》、里離來奴《サトサカリキヌ》、彌高二《イヤタカニ》、山文越來奴《ヤマモコエキヌ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
鞘從拔出而《サヤユヌケデテ》、伊香胡山《イカゴヤマ》、 和名抄に、伊香郡伊香郷あり、○上三句は、行ふる所の名をもて句中の序とす、
 
如何吾將爲《イカヾワガセム》、往邊不知而《ユクヘシラズテ》、 【こは奈良人の歌にて、古言をかりし跡見ゆ、たゞ劔刀てふより下ぞ、吾ものと聞ゆ、】
 
 反 歌
3241 天地乎《アメツチヲ》、 即神を申、
 
歎乞祷《ナゲキコヒノミ》、 今本歎を難に誤て、こひねぎかたし、と訓しは、歌をしらぬものゝわざぞ、今は命の長からむ願せんといふなり、
 
幸有者《サキカラバ》、又反見《マタカヘリミム》、思我能韓埼《シガノカラサキ》、」 或説に公の罪有身なれば、神に祈がたしと云、といへるは、からぶりの理屈なり、我古書にさる心もていふは一つもかなはず、下に言擧せぬ國と云は愁なければなり、愁の有時は理不理をいはず祈るこそ眞なれ、思ひかへして義を作るは、古代の道にあらず、
 今本に此短歌者、或書云、穗積朝臣老、配2於佐渡1之時作歌者也、と注せり、此流を、養老六年の紀に正月と見えて、短歌のみかは、長歌も同時同人のふりなり、然るを短歌のみ老が歌とせしは、彼も長歌は傳へ聞ざりしか、此集も遠からぬほどながら、歌主の聞えねば此卷に入られしか、
 
3242 百詩年《モヽシネ》、 冠辭、
 
三野之國之《ミヌノクニノ》、 六言、
 
高北之《タカギタノ》、八十一憐之宮爾《クヽリノミヤニ》、 景行天皇紀に、四年二月幸2美濃國(ニ)1、左右奏言之、茲(ノ)國有2佳《ウマ》人1、曰2弟媛1、容姿端正、八坂入彦皇子之女也、(崇神の七のみこ、)天皇欲(シテ)2得爲1v妃《ミメ》幸2弟媛之家1、弟媛聞(テ)2乘輿車駕《スベラギイデマシヲ》1、則隱2竹林《タケハラニ》1、於是天皇|權《ハカリテ》v令(セムト)2弟媛(ヲ)至1而|居《マス》2泳宮1、(泳宮此云(フ)2區玖利能彌椰1、)とあり、くゝりは清濁定めがたけれど、暫右の紀によるべし、
 
日向爾《ヒムガシニ》、 東になり、
 
行紫闕矣《イデマシノミヤヲ》、 【いでましの宮を離宮、かり宮を行宮、と分てよみ書は、藤原奈良の比のわざなるべし、古を思ふにともに幸の度なれば、こゝなどはいでましの宮とよむべきなり、】
 
有登聞而《アリトキヽテ》、 今本紫を靡に誤事、且ゆきなびかくをと訓、又強たる説もあれど、皆何の事とも聞えず、是を紫とすれば行宮なり、二月に幸て十一月までおはしつれば、宮は一のみにあるべからす、泳宮のひがしにまたもつくられつらん、
 
吾通道之《ワガカヨヒヂノ》、 云云有と聞て通ふといふは、相聞なれど、右の遠々にあふみの妹がり行けん歌も次のも、反歌の意妹を戀ときこゆれど、それにはかゝはらず、ともに遠きみちを經通ふことを、專らとよめるに依て、くさ/”\の歌中の旅に類して載しなり、さて古は皇子を諸國へ封《ヨザシ》たまへば、これも女王などの坐をこひてかよふならん、
 
奥十山《オキソヤマ》、三野之山《ミヌノヤマ》、 元慶元年(ノ)紀に、美濃國惠奈(ノ)郡(ノ)内(ニ)吉蘇小吉蘇二村を信濃國へつけられしと見ゆ、されどそはいと後なり、こは上つ代にて、美濃に在於吉曾山なれば、かくはよめり、さて奥は於幾のかな故にかりて書り、然は小吉曾にはあらず、大吉曾を略て於吉曾といふをしるべし、【神名式に、近江の蒲生郡に、奥石神社有て、今おいその森といへり、是美濃の隣は其奥石山を過、美濃の山を越時よめりともいふべけれど、今土人いはく伏見太田てふ驛の南三里ばかりに、久々里村ありて、古の跡今もあり、是は岐府よりは八里ばかり東美濃にて信濃へ近しと、しかれば奥磯は後の信濃の地なるにうたがひなし、】
 
靡得《ナビケト》、 四言、
 
人雖蹈《ヒトハフメドモ》、如此依等《カクヨレト》、人雖衝《ヒトハツケドモ》、無意山之《コヽロナキヤマノ》、奥磯山《オキソヤマ》、三野之山《ミヌノヤマ》、」 雖v衝の下に五言はなくて、八言十言と句をおけり、しかれば、後世人のいふは、手づゝに心拙きをしるべし、さて小治田宮よりもはやき世の歌か、言の置ざまより始めて、すべて皆心たけたるものなり、此前後の奈良人の歌の弱く拙きにむかへて、古のめでたきを思ふべししたふべし、
 
3243 處女等之《ヲトメラガ》、麻笥垂有《ヲケニタレタル》、 笥の内へうみたれて有なり、
 
續麻成《ウミヲナス》、 長といはん序、
 
長門之浦丹《ナガトノウラニ》、 (卷十)新羅使人安藝國長門島(ニ)船|泊《ハテヽ》云云、次に從2長門(ノ)浦1船出之夜《フナデスルヨ》、と云れば、あきの國に在なり、【長門國をいふにはあらじ、いせの海木の海といへど、浦とはいはぬが如し、】○阿胡(ノ)海は攝津にもあれど、攝津に船はてんをば悦べきに、反歌の意しからねば、こは備後備前の國などに、同名あるなるべし、
 
朝奈祇爾《アサナギニ》、滿來鹽之《ミチクルシホノ》、夕奈祇爾《ユフナギニ》、依來波乃《ヨリクルナミノ》、彼鹽乃《ソノシホノ》、 今本彼を波に誤、
 
伊夜益舛二《イヤマスマスニ》、彼浪乃《ソノナミノ》、伊夜敷布爾《イヤシクシクニ》、吾妹子爾《ワギモコニ》、戀乍來者《コヒツヽクレバ》、 西の國の任はてゝ今のぼるなるべし、
 
阿胡之海之《アコノウミノ》、 右に云り、
 
荒磯之於丹《アリソノウヘニ》、濱菜採《ハマナツミ》、 海菜なり、
 
海部處女等之《アマヲトメラガ》、 之の字を補へり、短句有べき歌ならねぱなり、
 
纓有《ウナガケル》、 頸《ウナヂ》にかけたるひれと云なり、神代紀に、嬰頸之瓊《ミウナガケルニ》、紀に、宇那賀氣理弖、至v今鎭坐也、(卷十八)にも、(七夕の長歌、)うながけりゐて、と云は、或は玉或は男女の神の御手或は領巾など異なれど、頸に懸るは均し、
 
領巾文光蟹《ヒレモテルカニ》、 照ばかりにといふなり、
 
手二卷流《テニマケル》、玉毛湯良羅爾《タマモユラヽニ》、 ゆらゝはうごき鳴をいふ、別記有、
 
白栲乃《シロタヘノ》、 冠辭、
 
袖振所見津《ゾデフルミエツ》、 古へ領巾も袖も振と集中に見ゆ、しかれども、此歌上に領巾を出しながら、そでふるとあるはいかがあらん、
 
相思羅霜《アヒモフラシモ》、 (卷十五)笠金村(長歌)「松帆の浦に、朝なぎに、玉も刈つゝ、夕なぎに藻鹽やきつゝ、あまをとめ、ありとはきけど、見にゆかん、よしのなければ、丈夫の、心は無に、たわやめの、おもひたわみて、たもとほり、われはぞ戀る、ふねかぢをなみ、」とよめる海をとめとこゝも均しくて、鹽やくあまの藤衣てふ如き姿にこそあらめ、領巾も光、手玉もゆらゝといへるはいかに、又その金村も鹽やくさまを見まほしむまではあるべく、ますらをのこゝろを失ふまではいかにぞや、おもふに此歌主も金むらも、奈良の始めつ比の人にて、歌は拙く、且そら言ゆゑに、ともにかゝるうたがはしき言も出來しなるべし、いにしへ人のをさなくよめるは、眞の餘りにて、よく見れば理りにしてめでたく、此あはひを思ふべきなり、
 
 反 歌、
3244 阿胡乃海之《アゴノウミノ》、荒磯之上之《アリソノウヘノ》、小浪《サヾラナミ》、 如をこむ、
 
吾戀者《ワガコフラクハ》、息時毛無《ヤムトキモナシ》、」 吾戀とはうへにいへる吾妹子をいふなり、然は此阿胡は津の國のあごならぬ事、上の如し、
 
3245 天橋文《アマツハシモ》、 神代紀に、天孫天降ます條に、自2※[木+患]日二上《クシビノフタカミノ》天(ノ)浮橋1、立《タヽシ》2於|浮渚《ウキシマリ》在平處(ニ)1ともいへり、かゝれば天に上り下る橋も有よしにて、即その橋の長かれとねがへり、集中に天の川へ行て身滌《ミソギ》せましを、などいふ如く、切に思ふ餘りにていへり、今本にあまはしと訓はわろし、【或説(ニ)唐逸史に、開元中公遠てふ幻術者、杖をなげて昇v天橋とし、玄宗帝依て入2月中(ニ)1、霓裳の曲を得しといふを引けれど、開元は皇朝和銅の末なり、此歌は飛鳥宮の初の比の體にて、九代先の歌なり、みだりにからぶみを引ては人惑はしぞ、】
 
長雲鴨《ナガクモガモ》、 雲鴨は借字、
 
高山文高雲鴨《タカヤマモタカクモガモ》、 山も天に上るべきよすがなれば、彌高かれとねがへり、
 
月夜見乃《ツキ∃ミノ》、 月の神の御名を擧たり、此歌には心せしものか、
 
持越有水《モチコセルミヅヲ》、 も知古せるの知古の約は登なるを、多に轉ずればも多せると成ぬ、其もたせると云は、持ませるてふあがめ言なり、
 
伊取來而《イトリキテ》、 伊は發言、○是を取む爲に、右の願のことばはあり、
 
公奉而《キミニマタシテ》、越得之早物《コエントシハモ》、 (卷八)命《イノチノ》、幸久吉《サキクヒサシキ》、いはばしる、垂水の水を、むすびて呑つ、又老養ふ瀧ともいふ如く、極めたる清水を飲ば命延とするを、まして月のもちませる水をとり來るよしもがな、きみに奉は限りなき年を越玉はんものといふを籠て、こえむ年者とよめり、○早は假字なり、集中にはしきやしてふ言を、早敷夜之と書しが如し、【今本この早をはやと訓しは、人笑へなり、】○此公は本主をいふか、【本主とは私の主をいふ、】凡物を乞祈ことの深きが餘りには、をさなく及びなき事までもねがふぞ、眞の心の至りなり、故に神もめでませり、後世人は中々なる理をいひ、そら言に千代萬代もて人をいはふとは、天地のたがひなり、此うたたゞ九句の間に、窮なきこゝろのこもれるは、直くねがふ心をいへばなり、且古人の心のたけたるをも思へ、【後世人は巧みいへるをめづれど、そは限有てめでたからず、たゞ眞ことより出たるにこそ、そのいへる人もしらぬめでたさはあるめれ、】
 
 反歌、 反歌有をもて思へば崗本宮より前の歌にはあらじ、次の沼名河の歌は今少し古し、反歌もなし、
 
3246 天有哉《アメナルヤ》、月日如《ツキヒノゴトク》、吾思有《ワガモヘル》、公之日異《キミガヒニケニ》、 こは日々に殊爾なり、故に下に殊の字をも書つ、言は古登の約古なるを轉じて氣といへり、さて下に日に異に、と書し如く有べきを、日異と書は爾を略けるなり、
 
老落惜毛《オユラクヲシモ》、」 おゆるの事を延てらくといふ、
 
3247 沼名河之《ヌナカハノ》、底奈流玉《ソコナルタマ》、 六言、この沼をぬまの事とせば、玉によしなし、沼は瓊《ヌ》にて玉ある故に、瓊之《ヌナ》川の名は負つらん、
 
求而《モトメテ》、 四言、
 
得之玉可毛《エテシタマカモ》、拾而《ヒロヒテ》、 四言、
 
得之玉可毛《エテシタマカモ》、 得がたきを得たるをいふ、
 
安多良思吉君之《アタラシキキミガ》、 八言、あたらは惜むことなり、紀にあたらすがしめともよめり、
 
老落惜毛《オユラクヲシモ》、 たとへのさまも言も、上つ代ぶりなる事、右の歌に均しく、事大らかにして心したし、〇ぬな川は、天皇の諡に、神渟名川耳天皇、神渟名倉太玉敷天皇、天渟名原|瀛《オキノ》眞人天皇と申すに、天津渟名倉之長|峡《ヲ》、といふ事神功皇后紀に在もて思へば、攝津國住吉郡なり、今も是をいふならん、
 
 相聞。
3248 式島之《シキシマノ》、 冠辭、【式は借字、磯城の郡の、磯城みづがき磯城島金刺の二みやこより云、】
 
山跡之土丹《ヤマトノクニヽ》、人多《ヒトサハニ》、滿而雖有《ミチテアレド》、 大和に都しましゝ時おもひはかるべし、
 
藤浪乃《フヂナミノ》、 冠辭、
 
思纏《オモヒマツハシ》、 藤なみとは、靡きしなふ花の形をいひたれど、本はかづらなるによりて、人に心をかけまつはひにたとへたり、
 
若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
思就西《オモヒツキニシ》、君自二《キミカラニ》、 からは、よりにもゆゑにも轉じ通はせり、別記あり、
 
戀八將明《コヒヤアカサム》、長此夜《ナガキコノヨヲ》、 こともなかれど、奈良まではくだらぬ歌なり、
 
 反 歌、
3249 式島乃《シキシマノ》、 冠辭、
 
山跡乃土丹《ヤマトノクニヽ》、人二《ヒトフタリ》、有年念者《アリトシモハヾ》、 年は惜字、
 
難可將嗟《ナニカナゲカム》、」
 
3250 蜻島《アキツシマ》、倭之國者《ヤマトノクニハ》、 既出、
 
神柄跡《カンカラト》、 左に引人麻呂歌集に、同言を神在隨と書しに依に、こは神ながらといふに同じくて、いづこはあれど、天皇の敷坐大知の國は、幸ひたまふ神たちのいますまゝにといふなり、その人まろ集にもいふべし、
 
言擧不爲國《コトアゲセヌクニ》、 人の心足ひてねぎ言せぬなり、
 
雖然《シカレドモ》、吾者事上爲《ワレハコトアゲス》、 事は言なり、
 
天地之《アメツチノ》、神毛甚《カミモハナハダ》、吾念《ワガオモフ》、心不知哉《コヽロシラズヤ》、 思の切なる時は、神をも恨み申すは人の情なれど、(卷九)「日月は、あかしといへど、吾ためは、照や給はぬ、」などの如くこそいはめ、且甚てふ言もよく居ざるなり、上の五六句は古言を用て、次にわが意もていふ境に至て、よくもいひ合せざりしなり、奈良に及びてはしか有こと上にもいへり、
 
往影乃《ユクカゲノ》、月文經往者《ツキモヘユケバ》、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
日文累《ヒヲモカサネテ》、念戸鴨《オモヘカモ》、※[匈/月]不安《ムネヤスカラズ》、戀列鴨《コフレカモ》、心痛《コヽロノイタキ》、 おもへばかこふればか、といふを、はを略は例なり、
 
未遂爾《スエツヒニ》、君丹不會者《キミニアハズハ》、吾命乃《ワギノチノ》、生極《イケラムキハミ》、戀乍文《コヒツヽモ》、吾者將度《ワレハワタラン》、犬馬鑑《マソカヾミ》 此言に、下に喚犬追馬と有こそ、古人の戯書にて理り聞えたれ、それを受て犬馬とのみ書は、末の世人のわざのみ、
 
正目君乎《タヾメニキミヲ》、 直目と書ぞ多き、○此所に五言一句なきは、既にいふ如古歌の例なり、かゝる女歌にしもしか有は、うたふによし有しなるべし、
 
相見天者社《アヒミテバコソ》、 天者は、てあらばを約め轉じたり、
 
吾戀八鬼目《ワガコヒヤマメ》、 是より上二句の意、よくもゐず聞ゆるは、右の吾者將度を、わたらんやと意得べきか、さる略は例有ことなり、【こは女の歌なれば、本は皆假字に書しならんを、後にかくしたゝかなる書ざまになせし物なり、】
 
 反 歌、
3251 大舟能《オホブネノ》、 冠辭、
 
思馮《オモヒタノメル》、君故爾《キミユヱニ》、盡心者《ツクスコヽロハ》、惜雲梨《ヲシケクモナシ》、」 上に逢がたしといふ、中たへしなげきなるべし、然らずは、こゝに思たのめる君とはいはじ、
 
3252 △久賢之《ヒサカタノ》、 冠辭、
 
 王都乎置而《ミヤコヲオキテ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
 羈往君乎《タビユクキミヲ》、何時可將待《イツトカマタム》、 この歌も右の反歌に並て今本にはあれど、必こゝに入べき歌ならず、いかに亂れて入來つらむ、
 
 △柿本朝臣人麻呂(ガ)歌集(ノ)歌、
 
3253 葦原《アシハラノ》、水穗國者《ミヅホノクニハ》、神在隨《カンナガラ》、 神の在《イマス》まゝにてふ意をしらせて、在の字を添たり、(卷二)に「さぬきの國は、國柄加《クニカラカ》、見れどもあかず、神柄加、こゝた貴き、」と人麻呂のよめるも是なり、然れば此神在隨もかみがらととも訓べけれど、ながらと訓もこゝろ同ければしかよめり、
 
 事擧不爲國《コトアゲセヌクニ》、雖然《シカレドモ》、辭擧叙吾爲《コトアゲゾワガスル》、 右に此六句を全とりつ、
 
 言幸《コトサキク》、 反歌に、事靈之、所佐國叙、とよめる即これにて、言擧する時は、其言に神の御靈坐て幸をなし給へり、
 
 眞福座跡《マサキクマセト》、 句なり、
 
 恙無《ツヽミナク》、 事無といはんが如し、
 
 福座者《サキクイマセバ》、荒磯浪《アリソナミ》、 冠辭、
 
 有毛見登《アリテモミムト》、 老人をことぶくならん、有てもはありながらへて、久々に見んと云なり、
 
 百重波《モヽヘナミ》、千重浪敷爾《チヘナミシキニ》、 重々に言擧するを、しき波にたとふ、
 
 言上爲吾《コトアゲスルワレ》、 古へ歌はかくこそ妙なれ、且上のほき歌と同じ比の歌と聞ゆ、
 
  反 歌、
3254 志貴島《シキシマノ》、 倭國者、事靈之《コトダマノ》、 事は言、靈は神御魂なり、
 
 所佐《タスクル》國叙、眞福在乞曾《マサキクアリコソ》、」 かく神の幸給ふ言擧して祈るからは、眞幸くて命長く在ねこそといふなり、こその辭二有、こゝは願ふ辭なり、然るに今本乞曾を與具と見て、與具と書るは誤れり、よしは別記にいふ、
 
3255 ○從古《イニシヘユ》、言續來口《イヒツギケラク》、戀爲者《コヒスレバ》、不安物登《ヤスカラヌモノト》、玉緒之《タマノヲノ》、 冠辭
 
繼而者雖云《ツキテハイヘド》、 こゝを切て、末の人不知へかけて心得べし、
 
處女等之《ヲトメラガ》、 等は添ていふの、
 
心乎胡粉《コヽロヲシラニ》、 白土《シラニ》の言を不知《シラニ》に借たり、(卷一)に白土、(卷四)胡粉、この下に、白粉と書たる、皆しらにと訓ことなり、かくて其おとめが相思はんや、いなやをもしらず、徒に戀るこゝろうさをいへり、【土を古はにと云つ、又しらずといふ言をしらにといへり、故にその不知の言に白土の言をかりて書り、其胡粉も白粉も同白土をいふからは、共にしらにと訓べき事、誰かしらざらん、然るに今本胡粉をくたきと訓しは、餘りしきことぞ、しかいひてこゝの心も聞えんかは、○此緒を助辭とする人あれど、之の辭の下にいへば、助辭にあらず、物を緒して懸つなぐより出たることばなり、】
 
其將知《ソコシラム》、因之無者《ヨシノナケレバ》、 せん方無なり、
 
夏麻引《ナツソヒク》、 冠辭、
 
命號貯《ウナガブシマケ》、 此三字も同考にいへり、さて夏草のしなへうらぶれ、といふ如く、うなだれて物おもふさまなり、貯は常に設と云に同じくて借字なり、こゝはうなかぶしもてと、かろく心得べし、
 
借薦之《カリコモノ》、 冠辭、
 
心文小竹荷《コヽロモシヌニ》、 心のしなへうれへるなり、右はかたち、これは心をたとふ、
 
人不知《ヒトシレズ》、 こゝは戀る人にもしられぬをいふ、
 
本名曾戀流《モトナゾコフル》、 空しく戀るなり、
 
氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》、 (卷四)生緒爾、思へば苦し、(卷五)まそかゝみ、直《タヽ》目に君を、見てばこそ、命對、吾戀|止《ヤマ》め、などいふを合せ思ふに、命の生も死も此思ひに懸《カヽ》るてふ事を籠ていふ言なり、
 
 反 歌、
3256 數々丹《カズ/\ニ》、不思人者《オモハヌヒトハ》、雖有《アリトイヘド》、 こは世間の數々の人の中には、物おもはで在もありといへどゝいふなり、古今歌集に、「數々に吾を忘れぬ、ものならば、「數々に、思ひ思はず、問がたみ、などいふは、花がたみめならぶ人といふ如く、其男の思ふ人數々有なり、こゝは惣たる世人をいへり、
 
暫文吾者《シバラクモワレハ》、忘枝沼鴨《ワスラエヌカモ》、」 禮を延て良えといふ、 
3257  △正不來《タヽニコズ》、自此巨勢道柄《コユコセヂカラ》、石裾踏《イハセフミ》、 今本石椅跡と有は誤れり、下をもて改めつ、
 
 名積序吾來《ナヅミゾワガコシ》、戀天窮見《コヒテスベナミ》、」 今本此歌をこゝに並載て、其注に、或本以2此歌一首1、爲d之、紀伊國之、濱爾縁云、鰒球、拾爾登謂而、云云之反歌也u但依2古本1亦累載v茲、といへど、右の長歌はその人にもしられぬ戀にて、通ふほどにも至らぬなり、しかるに此歌をこゝに載しは、校合の拙きなり、下にも此類の多きは、みな自ら古歌を心得ぬなりけり、
 
3258 荒玉之《アラタマノ》、 冠辭、
 
年者來去而《トシハキユキテ》、玉梓之《タマヅサノ》、 冠辭、
 
使之不來者《ツカヒシコネバ》、 古今歌集に、「我またぬ、年は來ぬれど、冬草の、かれにし人は、音づれもせぬ、」と云り、
 
霞立《カスミタツ》、 冠辭、
 
長春日乎《ナガキハへルビヲ》、天地丹《アメツチニ》、思足椅《オモヒタラハシ》、 此下にも、八十乃心呼、天地二、念足橋、また天地二滿言戀鴨、とも有て、八十の思を思のこさぬをこゝにはいふ、
 
帶乳根※[竹/矢]《タラチネノ》、 冠辭、
 
母之養蚕之《ハヽガコフコノ》、眉隱《マユゴモリ》、 此三句は(卷五)にあり、かれは調ふるくて、且いぶせくも有るてふ序なるを、こゝはいぶせき意を以て、いきづきてふ序とせし後の歌なり、
 
氣衝渡《イキツキワタリ》、吾戀《ワガコフル》、心中乎《コヽロノウチヲ》、 【今本、心中|少《ヲ》とあれど、少を下に付てをと訓は、おぼつかなければ乎とす、】
 
人丹言《ヒトニイフ》、物西不有者《モノニシアラネバ》、松根《マツガネノ》、 冠辭、 
松《待ノ借字也》事遠《マツコトトホシ》、天傳《アマツタフ》、 冠辭、
 
日之闇者《ヒノクレヌレバ》、白木綿之《シロタヘノ》、 冠辭、木綿をたへとよむはまれなれど、例によるにこゝをゆふと訓ては、かなはず、
 
吾衣袖裳《ワガコロモデモ》、通手沾沼《トホリテヌレヌ》、 (卷二)にいへるごとく、下がさねまでぬれ通れるなり、○これは女のうたなり、
 
 反 歌、
3259 如是耳師《カクノミシ》、 しもの略、
 
相不思有者《アヒモハザラバ》、天雲之《アマグモノ》、外衣君者《ヨソニゾキミハ》、可有有來《アルベカリケル》、」 はじめより、大よそ人にてあらましを、中々にかけて苦しといふなり、
 
3260 小治田之《ヲハリタノ》、 宣長がいふ、續紀に、尾張國山田郡、小治田(ノ)連藥等(ニ)賜2姓尾張宿禰(ト)1と有、思ふに山田愛市二郡は隣なれば、小治田のあゆちともいふべし、と仍て今本沼と有を治の誤とす、【郡々の堺古へは異有、後の和名抄などを以ていふべからず、】
 
年魚道之水乎《アユチノミヅヲ》、 こゝにことなる冷水の有つらん、
 
間無曾《ヒマナクゾ》、人者※[手偏+邑]云《ヒトハクムトフ》、時自久曾《トキジクゾ》、人者飲云《ヒトハノムトフ》、 こゝまでは序、
 
※[手偏+邑]人之《クムヒトノ》、無間之如《ヒマナキガゴト》、飲人之《ノムヒトノ》、不時之如《トキジキガゴト》、吾妹子爾《ワギモコニ》、吾戀良久波《ワガコフラクハ》、已時毛無《ヤムトキモナシ》、」 調のさま、崗本(ノ)宮はじめつごろにて、反歌なきなるべし、且この體の歌集中に少なからぬは、これらや始なりけん、
 
3261  △思遣、爲便乃田付毛、今者無、於君不相而、年之歴去者、 今本此歌を此反歌に擧たれども、必右の反歌にあらず、且こは(卷五)に、たゞ短うたにて載たり、次の歌をこゝに反歌とせし本も有といへば、右の反歌は本よりなかりしこと明らけし、されど又次なるも、此反歌にあらぬをおもへば、こゝに別の長歌有しが落て、左の短歌のみ殘れる歟、
 
3262  △※[木+若]垣《ミヅガキノ》、 冠辭、
 
 久時從《ヒサシキトキユ》、 【みつの言に※[木+若]字を書しを以ても、みづ/\てふ言をしるべし、○みづ垣の久きてふ言は、冠辭考に出、】
 
 戀爲者《コヒスレバ》、吾帶緩《ワガオビユルム》、朝夕毎《アサヨヒゴトニ》、 今本この歌を或本のうたとて、こゝに注しつれど、いよゝ右の反歌ならず、此所の亂し事しるべし、
 
3263 己母理久乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬之河之《ハツセノカハノ》、上瀬爾伊※[木+兀]乎打《カミツセニイグヒヲウチ》、下湍爾《シモツセニ》、眞※[木+兀]乎格《マグヒヲウチ》、 伊も具も發言、
 
伊※[木+兀]爾波《イグヒニハ》、鑑乎懸《カヾミヲカケ》、眞※[木+兀]爾《マグヒニハ》、眞玉乎懸《マタマヲカケ》、 是までは序なり、【是は御食つ物をも付べけれど、歌にはかゞみ玉のみをあげるならん、】かくて此川瀬にかくするは、上つ代に神祭式は天皇の幸有ときなど、さる事常有をもて、序にいひ給へるなるべし、記(垂仁)ほむぢ別の命出霊大神へ詣給ひし時、出雲國造之祖、云云餝(テ)2青葉山(ヲ)1而立(テ)2河下(ニ)1將v献(ニ)2大御|食《ケ》1、云云といへる如く、古へこの磯城(ノ)郡に都し給ふ時をおもひはかるべし、○※[木+兀]は打といひしかば、今いふ※[木+兀]とのみ思ふは古にくらし、記の倭建(ノ)命の御歌に、阿米能迦具夜麻、斗迦麻邇、佐和多流久※[田+比]比波、煩曾多和夜賀比那遠、てふ久※[田+比]は若木の事にて、串ともいへり、神名に、つぬ※[木+兀]《グヒ》生《イク》ぐひと申も此事と聞え、五百箇眞阪樹之八十玉籤ともいひ、上に五十串立などいふも、葉茂き若木の事なるを合せて知めり、此久※[田+比]のひは本濁る歟、いのごとく唱るも半濁なり、【久※[田+比]比の比は、生《イヒ》のはぶきなり、】
 
眞珠奈須《マダマナス》、我念妹毛《ワガモフイモモ》、鑑成《カヾミナス》、我念妹毛《ワガモフイモモ》、有跡謂者社《アリトイハヾコソ》、國邇毛《クニニモ》、 四言、
 
爾毛由可米《イヘニモユカメ》、誰故可將行《タレユヱカユカム》、 此歌は紀に有て、(允恭の條)輕皇太子《カルノヒツギノミコ》、御はらからなる輕(ノ)大郎女(ノ)皇女と※[(女/女)+干]給に依て、伊與國へ流し奉しを、其御妹も慕おはしつ、然れば國にも家にもゆかしき事なしとて、共に御みづから身まがり給はんとして、よみ給ひし御歌なり、かゝれば、(卷二)に、有馬(ノ)皇子の御歌を挽歌に入し如く、是も挽歌にや入べからん、そは必ともいひがたし、たゞ既に紀に載しは、是には除かれしと見ゆるに、此一首のみ入しは、此所いと亂れしと見ゆれば、他書の言を引しが本文に紛しか、又古へかゝる事は、したゝかにもせねば、思ひ忘れて入られしか、後の撰集とて、言《コト》立ていへるにすらあやまてる多かれば、強ていふべからぬ事なりけり、
 
 △反歌、 今本にかく有は、いと後人のわざなり、古へ反歌なく、且左の歌右の反歌にあらず、みな後の好事のわざぞ、
 
3264 年渡《トシワタル》、麻弖爾毛人者《マテニモヒトハ》、有云乎《アリトフヲ》、何時之間曾《イツノヒマゾモ》、吾戀爾來《ワレコヒニケル》、 こは(卷四)相見而、幾久(ク)毛不有爾、如2年月1、所思可聞、などに似て、右の長歌の反歌なる意、いさゝかもなし、歌もしばらく後のすがたなり、【とかくに此所いと亂しを、よくも心得ぬ人の心もて、かく書なせしものぞ、】
 
 △或書反歌曰、
3265 世間乎《ヨノナカヲ》、倦跡思而《ウシトオモヒテ》、家出爲《イヘデセシ》、吾哉難二加《ワレヤナニニカ》、還而將成《カヘリテナラン》、」 こは後の物語めきて女の歌なり、長歌は男の歌なるを見しらぬほどの人の、こゝに載しにて、且歌もいと後なればとらず、いづこよりぞ來つらん、【うしとて家出するは女なり、又男も僧と成をば家出といへど、さらば相聞にあらず、】
 
3266 春去者《ハルサレバ》、花咲乎呼里《ハナサキヲヽリ》、 上の別記に云、
 
秋付者《アキヅケバ》、丹之穗爾黄色《ニノホニモミヂ》、 今本きばむと訓は、歌ことばともなし、
 
味酒乎《ウマサケヲ》、 冠辭、
 
神名火山之《カミナビヤマノ》、帶丹爲留《オビニセル》、明日香之河乃《アスカノカハノ》、 此句ども上にも有、】
 
速瀬爾《ハヤキセニ》、生玉藻之《オフルタマモノ》、打靡《ウチナビキ》、情者因而《コヽロハヨリテ》、朝露之《アサツユノ》、消者可消《ケナバケヌベク》、戀久毛《コフラクモ》、知久毛相《シルクモアヘル》、 戀ししるし有てと云なり、
 
隱都麻鴨《コモリヅマカモ》、 こゝには親の守りこめておく女をいふ、此歌いと弱くして古歌なる意もなし、
 
 反 歌、
3267 明日香河《アスカガハ》 瀬湍之珠藻之《セゼノタマモノ》、打靡《ウチナビキ》、 上は序、
 
情者妹爾《コヽロハイモニ》、因來鴨《ヨリニケルカモ》」 上に、「秋の田の、穗むけのよれる、片よりに、」とよめるに心はひとしくて、こゝはかよわし、
 
3268 三諸之《ミモロノ》、 四言、
 
神奈備山從《カミナビヤマユ》、登能陰《トノクモリ》、 とのぐもりは、たなぐもりに同じ、音通へり、かくて雲霞のたな引といふは、今もいふ如く、板を擧たる棚の如きよしなるを、たな曇雨ふるなどもいふは、其棚引を雲の言として、天に滿たるをいふは轉し用るなり、【神代紀に、薄靡を多那毘伎、と訓も此意なり、】
 
雨者落來奴《アメハフリキヌ》、雨霧相《アマギラヒ》、 あま具毛里安比の、具毛の約|其《ゴ》なるを伎に轉じ、里安の約は良なれば良比といへり、打きらし天ぎらしなどいふも皆均し、
 
風左倍吹奴《カゼサヘフキヌ》、 さへはそふ事をいふ、
 
大口乃《オホクチノ》、 冠辭、
 
眞神之原從《マガミノハラユ》、 今此地を見るに、飛鳥の崗より西北の五條野といふにあたり、古の眞神の原なり、かくて男はその原の彼方へかへるを、女は崗本の宮所に在ておもふならん、
 
哭管《ネナキツヽ》、 別をなげくなり、今本思と有は理なければ哭とす、
 
還爾之人《カヘリニシヒト》、 爾は伊爾の略、
 
家爾到伎也《イヘニイタリキヤ》、 伎は計理の約、〇こは崗本宮の始つ頃の女の歌にて言もかざらず、おもふこゝろをまことにいへるこそめでたけれ、後の人はなき手を出して強ことするからに、言とゝのはず、心もめでたしと聞るはなし、いにしへに心ばかりも返さばや、
 
 反 歌、
3269 還爾之《カヘリニシ》、人乎念等《ヒトヲオモフト》、野干玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
彼夜者吾毛《ソノヨハワレモ》、宿毛寢金手寸《イモネカネテキ》、」 かね多利氣利といふを、多利の約の知を弖に轉じ、氣利の約は寸《キ》なれば、かくいへり、○反歌てふ物はかくこそあれ、是を以ても右の反歌の其反歌ならぬ事をしれ、
 
3270 刺所燒《サスタケル》、 こは小竹を燒てふ意にて、小竹を燒は山方の賤屋のさまなれば、さる賤屋をいはん爲に先いふなり、かくて小竹を佐須と云は、佐は阿佐の略、須は志奴の約にて淺篠てふ事なり、是を直に佐々の事とする人もあれど、此言下にも皆佐須とのみいへるは右の意なればなり、古言はかく委しきものにぞ有ける、【刺竹之君てふ冠辭の考をも、此度こゝの如くあらたむ、】〇今本に將燒と有は理なし、所を誤れるしるければ改つ、
 
少屋之四豆屋爾《コヤノシヅヤニ》、 下に、八重むぐら、おほへる小屋、ともいひたり、今本に是を四|忌《キ》屋と有は、例もなく理もなければ、忌《キ》は豆《ヅ》の誤とす、下の言もかくてこそ聞ゆれ、
 
掻將棄《カキステム》、 掻は辭、すてんは凡の人は捨べきほどのやれごもなり、(卷九)「富《トミ》人の、家の子どもの着《キ》る身なみ、くたし捨らん、きぬ綿らはも、」といふがごとし、
 
破薦乎敷而《ヤレゴモヲシキテ》、所掻將折《カヽリヲラム》、 折は借字にて將居なり、(卷六)「稻つけば、可加流我手乎、こよひもか、とのゝ若子《ワクゴ》が、とりてなげかん、」和名抄に※[皮+單](阿加々利)手足乃折裂《サクル》也、などこれなり、
 
鬼之四豆手乎《シコノシヅテヲ》、 鬼は醜に同じ、上に鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》とも云つ、今本おにと訓しは、我國におにてふ言、古へなかりしをもおもはぬ人のわざぞ、【神代紀に、鬼神と書しはから文體なり、仍て訓はかみとのみいへり、和名抄に隱字の音とするはよし、今京となりては、我國の言のごとく思ふなるべし、)○今本四忌手、と有も忌は豆なること右にいへるが如し、
 
指易而《サシカヘテ》、 記に、玉手さしかへ、又妹が手を、我にまかしめ、吾手をば妹にまかしめ云云、
 
將宿君故《ネナムキミユヱ》、 ねなん事を欲《ホシ》みて、吾戀る君故と云なり、
 
赤根刺《アカネサス》、 冠辭、
 
晝者終爾《ヒルハシミラニ》、 此下に日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》、と有をもて訓り、さて言はひるはそのまゝてふ事なり、終の字は意をもて書のみ、
 
野干玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》、 夜はさながらなり、しみらもすがらも、言の本を尋れば同言なるを、かくいふは言つらねに依てなり、此二言は語意にくはしくす、
 
此床乃《コノトコノ》、比師跡鳴左右《ヒシトナルマデ》、 (卷五)枕毛衣世二、嘆鶴鴨、(卷二十、防人の情を、)「負征箭《オヒソヤ》の、そよとなるまで、なげきつるかも、」などいひて、なげきの甚きをいふ、古今歌集に、「つれもなき、人を戀ふとて、山彦の、こたへするまで、歎きつる哉、」とよめるが如く、右の枕箭床に云も、かの山彦のたぐひなり、且床のひしと鳴と云は、大殿祭に、御床都比乃佐夜岐無、といふ如く、上つ代は床なども葛してゆひしかば、鳴さやくなり、こゝは賤屋の竹にてあみし床の、ひし/\と鳴やすきを思ひて、いへるにもあるべし、【物語ぶみに、ものゝ足音ひし/\とふみならし、かぜの音あらゝかに、蔀などひし/\と、などもいへり、】○こは君故にとあれば、女の歌なるに、したゝかにしこめきたる言どもなるは、古へよし有て女にかはりて男のよめるなるべし、右に引し、いねつけば、かゝるわが手を、てふも似たれど、そは東歌なれば、さる女歌もあるべし、
 
 反 歌
3271 我情《ワガコヽロ》、燒毛吾有《ヤクモワレナリ》、愛八師《ハシキヤシ》、君爾戀毛《キミニコフルモ》、我心柄《ワガコヽロカラ》、」 是も女歌ならず、
 
3272 打延而《ウチハヘテ》、思之小野者《オモヒシヲノハ》、不遠《トホカラズ》、其里人之《ソノサトビトノ》、標結等《シメユフト》、 若菜つまんとしめしに譬て小野といへり、かくて我は遠ければ、心にしめてのみ有を、間近き里人のしめいふと聞しより、おもひみだるゝことのしきりなるなり、
 
聞手師日從《キヽテシヒヨリ》、立良久乃《タツラクノ》、田付毛不知《タヅキモシラズ》、居久乃《ヲラクノ》、 四言、
 
於久鴨不知《オクカモシラズ》、 たづきおくかの二言、上の別記にも冠辭考にも出、
 
親々《オヤ/\ノ》、 先つ祖々より傳來し家をいふ、
 
己之家尚乎《サガイヘスラヲ》、草枕《クサマクラ》、 冠辭、
 
寄宿之如久《タビネノゴトク》、思空《オモフソラ》、不安物乎《ヤスカラヌモノヲ》、嗟空《ナゲクソラ》、過之不得物乎《スグシエヌモノヲ》、 此空は方といはんが如し、【方角は四角八角なり、是をすべて空といふ、】今の人立空もなく、居るそらもおぼえずと云を、たつ方角もなく居方角もなくといふは、其空の言の意を、つね言にいつとなく字音もていへるなり、
 
天雲之《アマクモノ》、 冠辭、
 
行々莫々《ユクラユクラニ》、 今本、行莫々と書て、ゆかまく/\とよみしは、何の事ともなし、是は行々莫々と有し行字の重點の落たるも、かくて莫は暮に同じければ、久良の言に借しにて、ゆくらゆくらと訓ことぞ、そのゆくらゆくらは、心のゆら/\と動きて物おもふ時のこゝろをいふ、
 
蘆垣乃《アシガキノ》、 冠辭、
 
思亂而《オモヒミダレテ》、亂麻乃《ミダレヲノ》、麻笥乎無登《ヲゲヲナミト》、 六言、みだり紵納る笥のなきに譬へて、思ひの亂れをおさめんかた無をいふ、
 
吾戀流《ワガコフル》、千重乃一重母《チヘノヒトヘモ》、人不令知《ヒトシレズ》、本名也戀牟《モトナヤコヒム》、 思ふ人にもしられず空き思ひを爲なり、
 
氣之緒爾爲而《イキノヲニシテ》、 末の句ども上にも出たり、こは奈良人のいかでとふるまひてよめれば、古へのまことより出しには、くらべぐるし、
 
 反 歌
3273 二無《フタツナキ》、戀乎思爲者《コヒヲシスレバ》、 ひと道に入立てなげけり、 
常帶乎《ツネノオビヲ》、三重可結《ミヘニユフベク》、我身者成《ワガミハナリヌ》、」 此事集中に多し、
 
3274  △爲須部乃《センスベノ》、田付呼不知《タツキヲシラニ》、石根乃《イハガネノ》、興凝數道乎《コヾシキミチヲ》、石床※[竹/矢]《イハドコノ》、根延門呼《ネハヘルカドヲ》、朝庭《アシタニハ》、出屋而嘆《イデヰテナゲキ》、夕庭《ユフベニハ》、入居而思《イリヰテシヌビ》、 今本、右の十句と左の十三句を一首になして、この相聞に載、また下の挽歌の、白雲之、棚曳國之、云云といふうたの末の句として、此十句も十三句も再出たり、これを考るに右の十句は、其挽歌に入べく、左の十三句は挽歌のなげきにあらず、相聞のおもひなり、仍て右十句はこゝには小字に注して、此ことわりを明す爲とのみし、左十三句は上句ども落失たれど、こゝの本文として、全き本を待までのしるしとするなり、これより下は、いと亂れしと見えて、或は二首の言の闕たるを合せて、一首の如くかき、或はかたへ闕たるに他の言を繼しなどもあり、【下の挽歌には、白栲より下四句はもれたれど、句の數はこゝを以ていへり、】
 
白栲乃《シロタヘノ》、 冠辭、此十三句反歌かけてこゝに載べき事右にもいへり、また此上に句落たるものなり、
 
吾衣袖呼《ワガコロモデヲ》、折反《ヲリカヘシ》、獨之寢者《ヒトリシヌレバ》、野干玉《スバタマノ》、 冠辭、
 
黒髪布而《クロカミシキテ》、人寢《ヒトノヌル》 味眠不睡而《ウマイハネズテ》、大船乃《オホブネノ》、 冠辭、
 
徃良行羅二《ユクラユクラニ》、思乍《オモヒツヽ》、吾睡夜等呼《ワガヌルヨラヲ》、讀文《ヨミモ》、 今本續と有は誤れり、下に數と有をおもへ、
 
將敢鴨《アヘムカモ》、 よむは數るなり、あへんはよむにえ堪んかは、よみもあはせがたし、といふなり、平言に云云あふせずといふは、あはせずを同音の通へば、あふせずといはるるのみ、
 
 反 歌
3275 一眠《ヒトリヌル》、夜※[竹/弄]跡《ヨヒヲ∃マント》、雖思《オモヘドモ》、 今本、よをかぞへんとと訓しも、さる事なれど、同じ事を既よみもあへんかもといひしかば、こゝもしたがへり、よひとは一夜をすべてもいへる集中の例によりぬ、
 
戀茂二《コヒノシゲキニ》、情利文梨《コヽロトモナシ》、」 集中に、利《ト》心もなしとも、こゝの如く、こゝろ利もなしともよめり、心いきほひの無を云り、
 
3276 百不足《モヽタラズ》、 冠辭、
 
山田道乎《ヤマダノミチヲ》、 山田は所の名なるべし、
 
浪雲乃《ナミグモノ》、冠辭、
 
愛妻跡《ウツクシヅマト》、不語《コトヽハズ》、 妹に言だにいふ事をえず、即わかれてかへるなるべし、
 
別之來者《ワカレシクレバ》、速川之《ハヤカハノ》、 冠辭、
 
往文不知《ユクカモシラズ》、衣袂※[竹/矢]《コロモデノ》、 冠辭、
 
反裳不知《カヘルモシラニ》、 思ひにほげしさまなり、
 
馬自物《ウマジモノ》、 冠辭
 
立而爪衝《タチテツマヅキ》、爲須部乃《センスベノ》、田付乎《タヅキヲ》、白粉《シラニ》、 上に云り、
 
物部乃《モノヽフノ》、 冠辭、
 
八十乃心乎《ヤソノコヽロヲ》、天地二《アメツチニ》、念足橋《オモヒタラハシ》、 今本こゝに、玉相者、君來益八跡、てふ二句あれど、そは女の男待こゝろ、此うたは男の女の元より歸る道にての歌なれば、此間に入べき言にあらず、左の歌のちり/\に成て、こゝに放入しなり、仍てこゝを除て下に入、
 
吾嗟《ワガナゲク》、八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》、 なげきは長息なり、その長きを彌十量《イヤソハカリ》といふを略轉して、也佐加といへり、【此集末の卷に、なげきてふ事くはしくあげたり、○やは彌の略、佐は曾と同音、加は波加里の里を略て波加といひ、又加とのみもいふ、下に例有、尺はかり字なり、】
 
玉桙乃《タマホコノ》、 冠辭、
 
道來人之《ミチクルヒトノ》、立留《タチトマリ》、何常問者《イカニトトハヾ》、 長息をあやしみて問なり、
 
答遣《コタヘヤル》、田付乎不知《タヅキヲシラニ》、」 是より末の句落、反歌も失たり、然るを左の歌は本の句どもの失て末のみあり、それと合て一首の如く書つらねしは、今本のひがわざなり、右は男の妹がもとより歸る時の歌、左は女の男を待歌にてあきらかに別なり、
 
玉相者《タマアハヾ》、君來益八跡《キミキマスヤト》、 此二句こゝに入るよし右にいへり、されども此句の上下に言多く落しものにて、次へつづかず、
 
散釣相《サニヅラフ》、 冠辭、
 
君名曰者《キミガナイハヾ》、色出《イロニデヽ》、人可知《ヒトシリヌベシ》、 此四句の上下、句多く落しなり、今に依て左の言は是につゞけども、猶左の五句の事は即左に云ことあり、
 
足日木能《アシビキノ》、山從出《ヤマヨリイヅル》、月待跡《ツキマツト》、人者云而《ヒトニハイヒテ》、君待吾乎《キミマツワレヲ》、 こは女の歌にて、男を待夜の長歌なるが、本の言落て末の纔に殘れるなり、そがうへに足日木能てふより下は、(卷五)に短歌一首にして載たり、こゝと彼と何れをとらんとする中に、こゝは右の如く亂落しものなれば、依がたく、且長歌の末の五句とも思はれぬさまにもあり、(卷五)には寄v月たる歌どもの始に載て、その集めのさまもしか有べく見ゆれば、彼にぞよるべき、されど猶正しき本を待なり、
 
 反 歌
3277 眠不睡《イヲモネズ》、吾思君者《ワガオモフキミハ》、何處邊乎《イヅコヘヲ》、今夜訪與可《コヨヒトフトカ》、 今本、今身誰與可、とあるは字の誤しるければ改めつ、また邊の下に乎の字なし、是も此所亂れて失しものしるければ補へり、
 
雖待不來《マテドキマサヌ》、」
 
3278 赤駒厩立《アカゴマノウマヤヲタテ》、 六言、
 
黒駒《クロゴマノ》、厩立而《ウマヤヲタテヽ》、 此下に金厩、立而飼駒、角厩、立而飼駒、ともよみたり、
 
彼乎飼《カヲカヒニ》、吾往如《ワガユクガゴト》、思妻《オモヒヅマ》、心乘而《コヽロニノリテ》、」 思妻の吾心に乘て他念なければ、厩の馬飼が如く通ふと云り、今本此左の二句を是に書つゞけしはひがわざなり、是は男の妹がり通ふ歌、左は女の忍び來る男を待にて、甚別なるを、上もこゝもものこゝろ得ぬ人の、今の如くはなせしものなり、古本に次の高山の言の上を少し闕て有は、さる心はしつれど、よくも思ひさだめざるなるべし、 
高山《タカヤマノ》、 此歌はかくても聞れど、猶序のうちの言二句ばかり落つらん、
 
峯之手折丹《ミネノタヲリニ》、 たをりはたわみなり、打たをり、たむの山といふに同じ、
 
射目立《イメタテヽ》、 冠辭、
 
十六待如《シヽマツガゴト》、 鹿待が如、
 
床敷而《トコシキテ》、 男と共寢すべき床を敷設て、
 
吾待公《ワガマツキミヲ》、犬莫吠行年《イヌナホエコソ》、 此行年は乞に借しにて、こそはこひねがふなり、右も是も古歌にてしかもよくよみたるを、言どもの落しはをしむべし、
 
 反 歌
3279 葦垣之《アシガキノ》、末掻別而《スヱカキワケテ》、君待跡《キミマツト》、 さいばりに、「あし垣まがきかきわけて、てふこすと誰かおやにまう讒しけらしも、」
 
人丹勿告《ヒトニナツゲソ》、事者棚知《コトハタナシリ》、」 犬すらも、わがかくまでふかく思ふ事を思ひためらひ知て、こゑなたてそと教るなり、此言は別記につぶさなり、情のせちなる時、かゝる事いふものにて、眞にあはれなりけり、
 
3280 妾背兒者《ワガセコハ》、雖待不來益《マテドキマサズ》、天原《アマノハラ》、振左氣見者《フリサケミレバ》、 或本ここの二句を、鴈音文、動而寒《ドヨミテサムシ》、とあれと、動而寒の言よく居ず、
 
黒玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜毛深去來《ヨモフケニケリ》、 冬の夜しも外に立て待ふかせることを、よろしくいひ得たる歌なり、
 
左夜深而《サヨフケテ》、 或本に而を跡と有はわろし、
 
荒風乃吹者《アラシノフケバ》、 しは風の古言にて、あらしの言は即此二字ぞ當れる、 
立待爾《タチマツニ》、 或本をとる、今本立留待、と有は誤れり、
 
吾衣袖爾《ワガコロモデニ》、 今本衣を落せり、或本もて補つ、又或本ここに、置霜文、氷丹左叡渡、てふ二句あれど、前後にかけて宜からず、
 
零雪者《フルユキハ》、 或本者を母とす、
 
凍渡奴《コホリワタリヌ》、今更《イマサラニ》、公來將座哉《キミキマサネヤ》、 【來下の將は、古本もて加ふ、相上の將は或本に依て補へり、】
 
左奈葛《サナカヅラ》、 冠辭、
 
後毛將相得《ノチモアハムト》、名草武類《ナグサムル》、 【或本、名草武類より下四句はなくて、大船の思馮迹の二句のみ有は理り足らず、】
 
心乎持而《コヽロヲモチテ》、三袖持《ミソデモチ》、 三は眞に通はしいひて、左右の袖をいへり、下に妹が三袖といへるもひとし、
 
床打拂《トコウチハラヒ》、 既にも拂し床を、今は夢に來んことを齋て待なれば、さらに拂へり、句ごとに心を遣し物なり、
 
卯管庭《ウツヽニハ》、君爾波不相《キミニハアハズ》、夢谷《イメニダニ》、相跡所見社《アフトミエコソ》、天之足夜于《アマノタリヨニ》、 足夜は、天足、國足、足日、足御代などの如く、滿たりて闕る事無をいふ、かくて反歌に眠《ヌル》夜乎不落、といふは夜毎の意なり、こゝも今はたゞいめをたのむにて、夜な/\落ず見ん事を足夜といふなり、天の云云といふは、古へ物を崇む言なるが中に、古言なればおのづから神ごとに依めり、然ば床を清まはり、神を祈ていめを待心よりいひ出たる言としらる、ことは足て心みち、靜にして力ら有は、いかなる女の歌にや有けん、これや古今歌集にいふ、貫之の好める女うたのさまといふべきにや、【貫之の歌の評は、古への男歌にはかなはず、人麻呂の歌雄々しきを以てしれ、
 
 反 歌
3282 衣袖丹《コロモデニ》、山下吹而《アラシノフキテ》、 (卷一)にいへる如く、山下出風を略て山下風、又略て山下山何など云は、此集の常にて、喚犬追馬を犬馬とのみも書る類多し、今本にやまおろしと訓しは意を得ぬなり、あらしは集中に冬風とも書しかば、此歌にかなへり、【此略書は奈良人の手なり、字によりて歌の時代を思ふ事なかれ、○山おろしは、後世歌にはよめど、古き假字がき見えず、】
 
寒夜乎《サムキヨヲ》、君不來者《キミキマサズハ》、獨鴨寢《ヒトリカモネン》、」 是は長歌の中らの程に當る、
 
3283 今更《イマサラニ》、戀友君爾《コフトモキミニ》、相目八毛《アハメヤモ》、 來べき時の過しなり、
 
眠夜乎不落《ヌルヨヲオチズ》、 こよひ來ぬからは、來んことはたのまずただいめをねがふなり、
 
夢所見欲《イメニミエコソ》、」 長歌の末の意なり、反歌のそへざまよろし、○欲はほりと訓ても、こゝの意はかなへど言ゐず、仍て長歌の末に、同言を社と書るをむかへてこそと訓り、下にもしか訓べき所多し、○此反歌どもは今本には落たり、或本もて補へり、二首ともに必この反歌なればなり、
 
3284 菅根之《スガノネノ》、 冠辭、
 
根毛一伏三向凝呂爾《ネモゴロゴロニ》、 後世ねんごろにといふに同じ、重ねいふには言を略ける常の事なり、○ころと云を一伏三向と書は、或ものにころぶし采といふ物は、一度打伏れば三度起あがる故にいふと書り、これ古へよりありしことにて、ころの言にかりしなりけり、
 
吾念有《ワガモヘル》、公爾縁而者《キミニヨリテハ》、 今本妹と有は誤なり、反歌に公と有もて改つ、母にも不謂といひ、戀に神を祈も皆女の歌なり、
 
言之禁毛《コトノイミモ》、無在乞常《ナクアリコソト》、 次の或本、言之故毛、と有も均し、
 
木綿手次《ユフダスキ》、 木綿もてせし襷なり、幣を捧などするわざ有時かくること、忌部のふとたすき懸るが如し、【木綿手次より下八句は、今本或本互に落し言有は相たすけもて言を調へたり、】
 
肩荷取懸《カタニトリカケ》、 上二句次の或本を取、
 
齋戸乎《イハヒベヲ》、 既いへり、
 
石相穿居《イハヒホリスヱ》、 或本上六句はなくて、倭文幣乎、手取持而、とあり、
 
竹珠乎《タカタマヲ》、 神代紀に、五百箇|野篶《ヌスヾ》之八十玉|籤《クシ》と有是にて、小竹に玉をつくるなり、
 
無間貫垂《マナクヌキタレ》、 或本|之自《シヽ》二貫垂、
 
倭文幣乎《シヅヌサヲ》、手取持而《テニトリモチテ》、 此二句或本もて補、次の或本には上四句なし、○倭文は冠辭考につぶさなり、今本は文を父に誤る、
 
天地之《アメツチノ》、神祇乎曾吾祈《カミヲゾワガノム》、 或本祈を乞、又或本乎を二とす、(卷十四)祭神歌に、吾者|祈《ノミ》奈牟、とて其反歌に、乞甞、と書り、此甞は辭なれば、祈も乞も乃美とよめり、こゝの訓むかへて知べし、意は均しくなれる言も、所に付て治り治らぬ事有なり、○乃美はぬかづきのぬきを約れば爾と成を乃に轉じいへり、美は辭にて乃むといふ、【皇朝の紀には、乃美の言を叩頭と書り、そは周禮注に、頓首如2今叩頭之類1、首叩v地、又ぬかづき虫を、和名抄に叩頭虫と書り、】
 
甚毛爲便無見《イトモスベナミ》、
 
 反 歌
3285 足千根乃《タラチネノ》、 冠辭、
 
母爾毛不謂《ハヽニモイハズ》、裹有之《ツヽメリシ》、 隱すなり、
 
心者縱《コヽロハユルス》、 (卷十三)坂上郎女、眞十鑑、磨師情乎、縱手師、といふに均し、
 
公之隨意《キミガマニ/\》、」 此言は隨一字にて足ども、隨意てふから字有まゝに書しにて中々に人まどへなり、この歌長歌の餘意をいふにや、かゝるもあるべし、
 
3287 乾地乃《アメツチノ》、神乎祷而《カミヲイノリテ》、吾戀《ワガコフル》、公似必《キミニカナラズ》、不相在目八方《アハザラメヤモ》、」 (卷十四)坂上郎女祭神歌に、吾者祈奈牟、君爾不相可聞、その歌にも同くいへり、かく一みちに思ひ定るにこそ皇神はあはれとおぼすなれ、さて是は或本の反歌なれど、これこそ右にかなへれば擧つ、○今本はこれも字ども多く亂れつるを、或本をむかへて調へたり、
 △今本に、或本歌曰、
3286  玉手次、(冠辭、)不懸時無、吾念有、云云、
 又次に、或本歌曰、
3288  大船之、(冠辭、)思憑而、木始巳《ハフツタノ》、(冠辭、)【木始巳の三字は、延終石の誤なり、はふつたのと訓べし、】
 彌遠長、我念有、云云、
  と有末の句どもの異なるをば例のごとく右に註せり
 
3289 御佩乎《ミハカシヲ》、 冠辭、
 
劔池之《ツルギノイケノ》、蓮葉爾《ハチスバニ》、 諸陵式に、劔池島(ノ)上(ノ)陵、(高市郡)舒明天皇紀に、瑞蓮生2劔池1、一莖二花、皇極天皇紀にも出たり、
 
渟有水之《タマレルミヅノ》、往方無《ユクヘナミ》、我爲時爾《ワガスルトキニ》、 (卷十六)久竪之、雨毛落奴可、蓮荷爾、渟在水乃、玉爾似有將見、といふに均しく、露のたまれるをも云べく、又浮葉に波を吹かけしもいひてん、かくてあとかたもなくこぼれ失るものなるを、戀のおもひの行方なきにたとふ、
 
應相登《アフベシト》、相有君乎《ウラヘルキミヲ》、 是はうらあへるならん、と宣長がいへるに依べし、直にうらあへるとも訓べし、下の人麻呂集に、「事靈の、八十(ノ)衢に、夕占問、占まさにいへ、妹に相依《アハンヨシ》、」また、玉桙(ノ)路往占、占相、妹逢、我謂、このごとくうらかたにあへる君をと云なり、今本あはんをあひたると訓しは理なし、
 
莫寢等《ナネソト》、 四言、此訓も心ゆかず、寢は慮の誤にて、なもひそとよみしならんとぞおぼゆる、さてうらにはあひぬと此男は思ふ事なかれ、と母は云しなり、
 
母寸巨勢友《ハヽキコセドモ》、 きこすとは、吾にの給ひ聞せらるゝてふことなり、
 
吾情《ワガコヽロ》、清隅之池之《キヨスミノイケノ》、 (卷十四)「妹も我も、清みの川の、川岸の、妹がくゆべき、心はもたじ、」てふ如きつゞけなり、
 
池底《イケノソコ》、 あだし心なく、ひたぶるに思ふ吾下つ心を譬ふ、
 
吾者不忘《ワレハワスレジ》、 今本不忍と有はあやまれるなり、
 
正相左石二《タヾニアフマデニ》、 或ものに清隅(ノ)池を大和吉野郡にありといへり、 
 反 歌
3290 古之《イニシヘノ》、神乃時從《カミノトキヨリ》、會計良思《アヒケラシ》、今心文《イマノコヽロモ》、常不所忘《ツネワスラレズ》、」 わすられずと云は、右の吾者不忘といふと同じ意なり、然るを今本不所念と有は何の意もなし、忘と念と草より誤りしなりけり、かくて本の意は、(卷一)の三山|乃《ノ》御歌に神代從、如此爾有良之、古昔母、然爾有許曾、虚蝉毛、嬬乎相格良思吉、てふに同じ、
 
3291 三芳野之《ミヨシノヽ》、眞木立山爾《マキタツヤマニ》、重生《シヾニオフル》、 今本青生と書て、あをみおふるとよみしは、例もなきみだり訓なり、香青在《カアヲナル》とはいへれど、香の發言なくては歌ことばにあらず、仍てあらたむ、しゞは繁なり、
山菅之根乃《ヤマスガノネノ》、慇懃《ネモコロニ》、吾念君者《ワガモフキミハ》、天皇之《スメロギノ》、遣之萬々《マケノマニ/\》、 或本、王乃、命恐、
 
夷離《ヒナザカリ》、國治爾登《クニヲサメニト》、 或本、天疎、夷治爾等、
 
群鳥之《ムラトリノ》、 冠辭、
 
朝立行者《アサタチユケバ》、 此言かた/\に出、
 
後有《オクレタル》、或可將戀奈《ワレカコヒムナ》、客有者《タビナレバ》、君可將思《キミカシヌバム》、言牟爲便《イハムスベ》、將爲須便不知《セムスベシラニ》、足日木乃《アシビキノ》、山之木末爾《ヤマノコズヱニ》、 足日木より下は古本に依ぬ、今本も或書といふはこれに同じ、
 
延津田乃《ハフツタノ》、別之數《ワカレノアマタ》、惜物有可聞《ヲシクモアルカモ》、 今本有の字なくて、をしきものかもと訓し物の辭かなはず、仍て今有をくはへて物を假字とせり、
 
 反歌
3292 打蝉之《ウツセミノ》、 冠辭、
 
命乎長《イノチヲナガク》、有社等《アリコソト》、 今本の如くあれこそと訓べくやとは思はるべけれど、此類はありこそと訓が例なり、こそはねがふことば、
 
留吾者《トマレルワレハ》、五十羽卑將待《イハヒマタナム》、」
 
3293 三吉野之《ミヨシノヽ》、御岳高爾《ミミガノタケニ》、 今本缶を金に誤れり、其よしは(卷一)の耳我嶺てふ下と、其別記をむかへて知べし、後世意を思ふことなかれ、 
間無序《ヒマナクゾ》、雨者落云《アメハフルトフ》、不時曾《トキジクゾ》、雪者落云《ユキハフルトフ》、其雨《ソノアメノ》、無間如《ヒマナキガゴト》、彼雪不時如《ソノユキノトキジキガゴト》、間不落《ヒマモオチズ》、吾者曾戀《ワレハゾコフル》、妹之正香乎《イモガマサカヲ》、 今本乎を爾に誤れり、例に依て改、○此歌は反歌に、外見子爾、戀度可聞、といふによるに、妹をよそながら見し當《ソノ》時を忘れぬよしなり、さて正香は借字にて、眞其際《マソノキハ》てふなるを、曾乃の約の曾を佐に轉じ、伎波の約加なれば、まさかといへり、つねにまさかの時といふもこれなり、此言下に多かれど、皆右のごとくこゝろ得かなへり、【神代紀に、囘首顧眄之間《ミルマサカリニ》、と云を或人まさかの言に引しは誤れり、右は見る目放てふ言にこそあれ、】
 
 反 歌
3294 三雪落《ミユキフル》、吉野之高二《ヨシノヽタケニ》、 【高嶺を、加禰の約氣なれば多氣と云り、こゝに高一字書しは借字なり、又多氣の多を濁りとなふるはあやまりなり、】
 
居雲之《ヰルクモノ》、外丹見子爾《ヨソニミシコニ》、戀度可聞《コヒワタルカモ》、」 此反歌古へならず、仍て長歌も(卷一)に出し、清御原天皇の大御歌のことばを用て、相聞になせしものなるべし、しかれば此歌と上の天雲の影さへ見ゆるてふは疑なきにあらず、或本などやまがひ入けん、
 
3295 打久須《ウチヒサス》、 冠辭、
 
三宅乃原從《ミヤケノハラユ》、 みやけは、景行天皇紀に、令3諸國(ニ)興《タテ》2田部屯倉1、是より國ごとに其名あれば、何處ともさしがたかれど、歌のさま内つ國とはおぼしき、
 
當土《ヒタツチノ》、 或人當は常の字かといへど、(卷九)直《ヒタノ》土とも書しを思ふに、足を直に土に當るよしにて、當とかきたり、
 
足迹貫《アシフミナヅミ》、 記に、堅《カタ》庭者於2向股《ムカモヽ》1蹈那豆美《フミナヅミ》、と有同意なれば、貫をもなづみと訓つ、奈豆美は和豆良比と音合り、故に集中に煩とも書たり、
 
夏草乎《ナツクサヲ》、腰爾莫績《コシニナヅミ》、 (卷十九)に、降雪をこしになづみ、仁徳天皇紀に、許辭那豆瀰、曾能|赴泥苫羅齊《フネトラセ》、この外集中に多かれどことならず、○行煩ふ物をば二つ擧て、ともになづみといへるを以て、此言のこゝろを知べし、【舟鴨などの沖になづさふと云は、一轉して滯りゐることにいひ、後世人になづさふといふは、再轉してなれむつぶ事をいへり、】
 
如何有哉《イカナルヤ》、人子故曾《ヒトノコユヱソ》、通簀文吾子《カヨハスモアゴ》、 いかなるうるはしき妹にあればや、かく煩はしき路を通らん、と問を設てその故をあかせり、○吾子とは他よりいふ言をしかいふは問なればなり、
 
諾々名々《ウベナウベナ》、 母父にも知らせず忍び通ふなれば、よそ人のいぶかるはしか有べき事なり、と先いひて、つぎにことわりを解なり、【今本諾々名、と書てうべ/\なと訓たるは言とゝのはず、これは諾々名々と有を、重字の例をしらで下の名をさがしらに除し事しるければ今加へつ、】
 
母者不知《ハヽニハシラセズ》、 母を先いふは古の例なり、
 
諾々名々《ウベナウベナ》、父者不知《チヽニハシラセズ》、蜷腹《ミナノワタ》、 冠辭、 
香黒髪丹《カグロキカミニ》、 是より妹が貌を云、
 
眞木綿持《マユフモテ》、 (卷二)に、山邊眞曾木綿、とあれば、眞はほむる言にて、蚕のまゆにあらず、
 
何都良結垂《カツラユヒタリ》、 今本阿邪左とあれど、女の髪の飾にしかいふ物古今聞えず、仍て何都良の誤とす、木綿鬘は、神事にもはら男女に給る事、式等に見えたり、則是なり、これより後なれど、内宴の繪の内教坊の女樂の樂屋の女官、櫛させる下より左右へ白糸を垂たる、則此鬘なり、是をもて此古の樣をおもひはかるべし、
 
日本之《ヤマトノ》、 冠辭、
 
黄楊乃小櫛乎《ツゲノヲグシヲ》、 日本とは書たれど、上に日本の青香山てふにいへる如く、山邊郡の大和の郷の事なり、さてこゝに都氣と云所の有故に、黄楊櫛にいひ冠らせしのみ、其ところは、式に、山邊郡、都氣|水分《ミクマリ》神社、都氣山口(ノ)神社有、今も同郡の鞆田といふ村に、つげ山といふ山有、此邊の大名なりけん、○地の名を冠辭とせし類は其考に擧つ、○黄楊櫛は古へとても常有物ながら、こゝは髪の具なればいふのみなるべし、
 
抑刺《ヲサヘサス》、 さし櫛は髪のおさへなり、
 
敷細子《シキタヘノコハ》、 今本刺細と有は、敷を刺に誤しにて、例なければ改めつ、敷細はうるはしくやはらかなるきぬを云て、好女に譬たること、冠辭考の朱ら引と敷栲の條に委し、
 
彼曾吾※[女+麗]《ソレゾワガツマ》、 古き代には、かくさま/”\の體有て、意みやびことばもおもしろかりき、
 
 反 歌
3296 母父爾《ハヽチヽニ》、 今本父母と有は後人のさがしらなり、古本にかく有は古例ぞ、
 
不令知子故《シラセヌコユヱ》、 顯れて通はゞ、よろしくてもゆきかふべく、又よびむかへて妻ともすべし、
 
三宅道乃《ミヤケヂノ》、夏野草乎《ナツノヽクサヲ》、菜積來鴨《ナヅミクルカモ》、」 母父にしらせぬ故てふ事を、上にはいさゝか云てこゝに明す、
 
3297 玉田次《タマダスキ》、 冠辭、
 
不懸時無《カケヌトキナク》、 こゝろに懸なり、
 
吾念《ワガオモフ》、妹西不會波《イモニシアハネバ》、赤根刺《アカネサス》、 冠辭、 
日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》、 上に云り、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
夜者酢辛二《ヨルハスガラニ》、 上に同、
 
眠不睡爾《イモネズニ》、妹戀丹《イモヲコフルニ》、生留爲便無《イケルスベナシ》、 こはいと弱し、かかるをも有がまに/\つどへつらんや、
 
 反歌
3298 縱惠八師《ヨシエヤシ》、二二去四吾妹《シナムヨワギモ》、 去を今本火に誤、
 
生友《イケリトモ》、各鑿社《カクノミコソ》、吾戀度七目《ワガコヒワタリナメ》、」 長歌よりはいさゝかまさりたり、
 
3299 隱國之《コモリクノ》、泊瀬川乃《ハツセノカハノ》、彼方爾《ヲチカタニ》、妹等者立志《イモラハタヽシ》、是方爾《コノカタニ》、吾者立而《ワレハタチテ》、 六言、今本初三句なくて、見渡爾妹等云云、と有は言たらねば、一本と或本もて補へり、
 
思虚《オモフソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、嘆虚《ナゲクソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、左丹漆之《サニヌリノ》、小舟毛鴨《ヲブネモガモ》、玉纏之小※[楫+戈]毛鴨《タママキノヲカヂモガモ》、 ※[楫+戈]は加治に用る字なれど、をかぢてふ言はなくて、を加伊とは多くいへり、仍て今本の訓によりぬ、本より加伊加治は同物にもあればなり、
 
※[手偏+旁]渡乍毛《コギワタリツヽモ》、相語妻遠《アヒカタラヒメヲ》、 是又何ともなき歌にしもあらぬに、反歌のなきは落たるものぞ、【或本云、己母理久乃、波都世乃加波乃、乎知可多爾、伊母良波多々志、己乃加多爾、和禮波多知※[氏/一]、】
 
3300 忍照《オシテル》、 冠辭、
 
難波乃埼爾《ナニハノサキニ》、引登《ヒキノボル》、赤曾朋舟《アケノソホブネ》、 朱の赭舟なり、(卷六)麻可彌布久、爾布能麻曾保乃、伊呂爾低※[氏/一]、てふ曾保これにて丹土の名なり、さてその丹土もてぬりたる舟をしかいへり、且|赭《ソホ》即赤色なれば、赤の云云といふは、雪をしら雪といふがごとし、【(卷一)の別記、黄葉の條に委し、】
 
曾朋舟爾《ソホブネニ》、綱取繋《ツナトリカケ》、 こゝまでは序、
 
引豆良比《ヒコヅラヒ》、 引煩なり、記に、八千矛神の御歌、那須夜伊多斗遠、淤曾夫良比、和何多々勢禮婆、比許豆良比、和何多々勢禮婆、てふもおしわづらひひきわづらひの意にて、引なやみ引わぶるといふも同じ、○幾和の約加なるを古に轉て、ひこづらひとはいふ、【おそぶらひは、そはしと同言なれば通しておそといふ、わづの約うなるを、ふに轉じておそぶらひといふ、】
 
有雙雖爲《アリナミスレド》、 妹|夫《セ》と成て常に在並びなんとすれどなり、此二句はあり並びをらんとて、さま/”\と戀ひけども、え引がたきをいふなれど、ながれにさかひて、ふね引のぼるにたとへ下す故に、言を上下にいへり、
 
曰豆良賓《イハヅラヒ》、 言ひわづらひなり、【言ひわづらひのひわの約はなり、】
 
有雙雖爲《アリナミスレド》、 上に同、
 
有雙不得叙《アリナミエズゾ》、所言西我身《イハレニシワガミ》、」 しか引ど引得ずして、人言には痛くいはれしよと歎くなり、○此歌は崗本(ノ)宮より前なるべし、仍て反歌もなきなり、その古への歌の中にしもよくよみしにて、言厚く雅にして面白し、是らの類此卷に多きをとり集めて唱へ見るべし、さてこそ清御原藤原(ノ)宮の比に及ては漸劣れるをしらめ、
 
3301 神風之《カミカゼノ》、 冠辭、
 
伊勢乃海之《イセノウミノ》、 六言、
 
朝奈伎爾《アサナギニ》、來依深海松《キヨルフカミル》、 式に、深海松、長海松、などの名あり、
 
暮奈藝爾《ユフナギニ》、來因俣海松《キヨルマタミル》、深海松乃《フカミルノ》、深目師《フカメシ》吾乎、俣《マタ》海松乃、復去反《マタユキカヘリ》、都麻等不言登可聞《ツマトイハジトカモ》、 九言、
 
思保世流君《オモホセルキミ》、」 女のなげき末の二句にいひおとしたるところ、まことにあはれなり、右の歌よりは後なれど、いと下れる代のわざにあらず、(卷六)「遠つあふみ、いなさ細江のみをづくし、あれをたのめて、あさましもの乎、」
 △今本こゝに、紀伊國の、室之江邊爾、云云、てふ二十九句の歌と、其次に里人之、吾(ニ)告《ツク》樂、云云、十五句の歌共にあり、然るに皆相聞にあらず、挽歌なり、こゝに亂て入し事しるければ、下の挽歌の末に載たり、委は其所にいふ、
 △今本こゝに問答といふ標あるは、後人のしるせしものなれば除けり、其よしは此卷の上、また次の卷四五の卷にも云り、
 
3305 物不念《モノモハズ》、道行去毛《ミチユキナムモ》、 道行なんをもといふ乎を籠ていへり、(卷六)宇良毛なく、我行道に青柳の、はりてたてれば、物もひつゝ、ともいふにひとしく、こはその花を見るまゝに、花の如き妹の戀まさるよしなり、
 
青山乎、 春山といはむがごとし、
 
振放見者《フリサケミレバ》、 道行ふりに見る氣しきより、妹がうへにうつせしさま、言短くて長き意をなせり、
 
茵花《ツヽジバナ》、香未通女《ニホヘルヲトメ》、 香と書しかど、爾ほへると訓て艶色《ニホフイロ》なり、下にも丹つゝじのにほふとよみたり、【此次に、柿本人麻呂歌とて注せるには、遙の訓を義《コトワリ》して遙《ヤル》と書つ、】
 
櫻花《サクラバナ》、盛未通女《サカユルヲトメ》、 答の體、いまだ十五六の女と聞ゆ、その意をしらせて未通女と書しなり、
 
汝乎曾母《ナレヲゾモ》、吾丹依云《ワレニヨストフ》、吾|叫《ヲ》曾毛、 二つの毛は辭、【今本、吾叫毛曾、と有はとらず、左の同歌に、叙物と有による、】
 
汝丹依云《ナレニヨストフ》、 四句かくまでいふは、互に相思ふぞと、彼方の人も、此方の人も、いひよするよしなるべし、かくてよすとは、下に里人の言よせ妻とよめるに同じく、他人のいひよするを云り、今本によると訓しは、こと違ひなり、
 
荒山毛《アラヤマモ》、人師依者《ヒトシヨスレバ》、余所《ワガモトニ》、留跡序云《トドムトゾイフ》、 疎き山も人のいひよすれば、さる方に山の心もよせとゞむるてふ諺の有ていへるなるべし、今の諺にいへば、いひ出すなりといふがごとし、
 
汝心勤《ナガコヽロユメ》」 右のごとくいひよせらるゝからは、遂にしかぞ成なん、いましが心もゆめたがはず相思へよと云なり、○右のあら山といふは、生れながらにて人疎き山をいふ、こゝにはその疎き山心なき山といはんが如く用たるのみ、荒野荒草ともいふをおもへ、【或説、荒山も自荒きにあらず、神の坐て崇きなり、されば幣奉などして入ば、神だに和《ナゴ》みて我方に留給ふといへばの意、といふは泥みてこと過たり、几かくの如く解は、から天竺の流にて、我上つ代の意にあらず、皆直き世をしらで附會せり、】
 △今本こゝに反歌とて擧し歌は、此長歌の意にあらず、且こゝの問答の長歌は、古代のよき歌なり、かの短歌は、古歌にもあらずしてつたなし、又古歌に反歌なきことも既にいふが如し、こゝはいと亂れたるを古歌の意をもしらぬもの校合すとて、こゝにつけしこと知ければ除つ、
 
3307 然有社《シカレコソ》、 右の汝心勤といひ贈れるに答て、をとめがよめる歌なり、仍て上を受て我もしか思ひてあれば社と云り、されども上に言落しか、
 
歳乃八歳叫《トシノヤトセヲ》、鑽髭乃《キルカミノ》、 兒の四歳ばかりの時、髪の末を切そめて是を深そぎといふ、さて八歳まで其髪の末を肩と均しく切めり、是を放髪とも振分髪ともいふ、是より下は髪を以て年の足行をいふめり、女の歌なればなり、
 
吾何多叫過《ワガカタヲスギ》、 此所今本の字いと誤訓もよしなし、先ここを吾同子叫過と有て、わかみをすぎと訓たれど、同子をみと訓べきいはれなく理りもなし、こは古本に子を手とあり、思ふに手は多の誤なり、是をおすに同は何を誤れるにて、何多を過なり、八歳の後は髪をそがずして長からしむれば、肩を過たるゝといふなり、かのふり分髪もかた過ぬ、とよめるをもおもひ合せよ、
 
橘之、 冠辭、之は一本又左の注の歌にもよる、
 
未枝乎過而《ミコシヲスギテ》、 此枝は足の意、未枝は腰臀《コシイサラヒ》までをいふ、【田舍人は、今も手足をえだと云り、さて未枝は義もて書つ、此類の戯書集中に多し、】是に橘の冠辭を置しは、みこしといへる事知るべし、其みはまにて眞《マ》腰なり、かくて肩過し髪の、今は腰を過るまで生成、年も十五六になれるまで、はや/\いひよせられし事を思ひて、他へも思ひうつらず待をりぬといふよしなり、然るを今本に未枝を末枝に誤しより、ほづえとよみたるは、此歌にとりてことわり聞えざめり、
 
山河能《ヤマガハノ》、 今本此河と有ども此てふ言よしなし、思ふに此は山なり、山河とは下といはん冠辭にて、上に清隅之、池之池底、吾者不忘、正相左右二、てふ如きこゝろにて、こゝも下は底といふに同じ、底下を通はしいへるは常多し、
 
下文長《シタニモナガク》、我情待《ワガコヽロマテ》、 此まては他人におふする言にあらず、うなゐの比より今髪の腰過るまでに、我はまちてこそあれ、といふを、まちてあれのてあを約めてたれと成、たれの約てなれば、まてといへるなり、かくて今本に、汝情待、と有は此歌の意をしらで、我を汝とせしさがしらわざなり、古本に我と有こそよろしけれ、且古への女の歌には、多く髪の事をよめり、その事今とことなれば、後人意得かねて此歌も字を書違へたる所多し、こころして見よ、
 
 △今本こゝに、柿本朝臣人麻呂歌集の歌とて注する歌、物不念、路行去裳、青山乎、振酒見者、都追慈花、爾太遙越賣《ニホヘルヲトメ》、作樂《サクラ》花、左可遙越賣、汝叙母、吾爾|依《ヨス》云、吾叙母、汝爾依云、【今本こゝを爾太遙と書しはかなたかへり、逕に改むべし次は遙にてかなへり、】右は上の男の歌の末の四句落たるなり、「汝者如何念也」此六字は右を上の歌ぞともしらぬ人のこゝをよまんとて加しものなり、念社《オモヘコソ》、是よりは上の女の答し歌なり、かく二首の間の句落たるをよせて、一首としたる此卷に多し、皆歌てふものをもしらぬものゝわざなり、歳(ノ)八年、斬髪與、この與は之を乞に誤りしを遂與と書しなり、和子乎過、こは加多の草の和子と成しなり、こゝろは上に云り、橘之末枝乎須具里、末は未の誤なり、須具里は、須藝の延言なり、此川の此は山なる事上に云り、下母長久、汝心待、この汝は我を誤る事上にいひつ、【人麻呂歌集の中にもいかなる亂本有てこゝには注しけん、是を強て一首として解んとする人有はいふにもたらず、】
 
3306  △何爲而《イカニシデ》、戀止物序、天地乃、神乎|祷迹《イノレド》、吾八|思益《モヒマス》、」 今本是を上の男歌の反歌として擧しかど、其反歌にあらず、歌もかの長歌よりは、いと後人のよみしものなり、いかなる亂れ本にかくも有つらん、又長歌の有しが落て、此反歌の殘れるを心もせずて、上の反歌とはせしにも有べし、又女の歌の次に反歌とて、天地之、神尾母吾者、祷|而寸《テキ》、戀|云《チフ》物者、都不止來《スベテヤマズケリ》、てふを注せれど、こは右の歌の轉ぜしにて別歌にあらざるなり、
 
3310 隱口乃《コモリクノ》、 冠辭、
 
泊瀬乃《ハツセノ》國爾、左結婚丹《サヨバヒニ》、 夜しぬびて籬を越、穴をくゞる如くするを夜ばひと云、と竹取物語にいへるによるべし、【記の八千矛神の御歌、又黒姫がうたに有も、よばひてふ言の本は、こゝに云如くなるべし、これぞ上つ代のさまなりける、】 
吾來者《アガクレバ》、棚雲利《タナクモリ》、雪者|零來奴《フリキヌ》、左雲理《サクモリ》、 左はたゞ發言なるも多し、又こゝは淺の略か、
 
雨者|落來《フリキヌ》、野鳥《ヌツトリ》、 冠辭、
 
雉動《キヾシハトヨミ》、家鳥《イヘツドリ》、 冠辭、
 
可鷄毛鳴《カケモナキ》、 此四句は記の歌にも有、
 
左夜者明《サヨハアケ》、此夜者旭奴《コノヨハアケヌ》、 遠き夜道に雨雪さへ降て、妹がもとに到れば、やがて明時になりぬ、
 
入而旦將眠《イリテアサネム》、此戸開爲《コノトヒラカセ》、 あさねんは、旦《アサ》寐髪あさいなどもいへり、【或説且を且《カヅ》として、苟《シバシ》ねんの意といへるはわろし、且は我朝の古言には、二事を一度にする時にのみいひて、しばしの事にはいはず、】
 
 反 歌、
3311 隱來乃、 冠辭、
 
泊瀬少國爾《ハツセヲクニヽ》、 少は發言のみ、
 
妻有者《ツマアレバ》、石者履友《イシハフメドモ》、猶來《ナホゾキニケル》、」
 
3312 隱口乃、 冠辭、
 
長谷小國《ハツセヲクニヽ》、夜延爲《ヨバヒスル》、
 
吾夫寸美與《ワカセノキミヨ》、 句なり、こゝを今本に吾大皇寸與と有、一本には大を天とす、さてわがすめろぎよと訓り、考るに、夫を天に誤、美を皇に誤りぬ、かく誤る心より、寸《キノ》字は上に有しを下へおろして、天皇寸としてわがすめろぎよと訓しものなり、すめろぎとは、天皇また皇一字をも書こと古書均し、皇の下に寸の假字を添し事なし、此|寸《キ》は必上に有しを知べし、人を貴みいふも限こそあれ、女の己が夫をいとも恐く天皇といへること、かりにも有べしと思へるにや、身もわなゝかれて恐し、たゞ天皇を尊み恐み奉るによりて、天下平かに、蒼生安けき事とする、我朝の大道を忘れて、後世に他の國ふりなすものどものわざなりけり、よく我朝の古を知てこそ、我古のふみを取なすべけれ、【一説この天皇寸與を下の句へうけて、父母を尊む意とするもひがことなり、しかしては夜ばひするてふ言の治る所をもしらぬなりけり、又父母を尊みて命とまではいひしかど、天皇とさへいひしこと有べきや、】
 
奥床仁《オクドコニ》、母者睡有《ハヽハネマセリ》、外床丹《トツドコニ》、父者|寢有《ネマセリ》、起立者《オキタヽバ》、母|可知《シリヌベシ》、出行者《イデユカバ》、父可知、 戸口へ出行ばなり、
 
野干玉之、 冠辭、
 
夜者昶去奴《アケユキヌ》、幾許雲《コヽタクモ》、不念如《オモフゴトナラヌ》、隱※[女+麗]香聞《シヌビツマカモ》、 隱をしぬぶと訓こと集中に例有、【曉に來て男の右の歌よみていひ入しを、妹は明て後こたへしてやりしにや、にはかにては反歌をさへよみ調ることを得べからず、】
 
 反 歌、
3313 川瀬之《カハノセノ》、石迹渡《イハトワタリテ》、 此石迹は、石ある川門をいふべし、是をいしぶみわたりともよまるれど、こゝはいはとゝ云てたれり、
 
野干玉之、 冠辭、
 
黒馬之來夜者《コマノクルヨハ》、常二有沼鴨《ツネニアラヌカモ》、」 常にあらぬかてふは、常にあれと願ふ言なり、故にこゝの意は忍るからにかくあひがたし、いかでおやにもしられで、夫《セ》子の常に通來てあふよしもがな、と今より後をねがへり、
 
3314 次嶺經《ツギネフ》、 冠辭、
 
山背道乎《ヤマシロヂヲ》、 六言、反歌に泉河をいひしかば、こは古へやまとに住人の山背へ行ことあるをいふならむ、
 
人|都末乃《ヅマノ》、 他人の夫をいふ、
 
馬從行爾《ウマヨリユクニ》、 馬のまゝに行なり、されど馬にまかするてふ意にはあらず、手のまゝといふを、手よりとも手からとも云が如し、別記有、
 
己夫之《ワガセコガ》、歩從行者《カチヨリユケバ》、 記に、蘇良波由賀受、阿斯用由久那、これに同じ、【加知は阿加都知の略にて、赤土のまゝに足ふみ行をかちより行とはいへり、さてその赤土と云は、※[月+果]を赤※[月+果]と云如く、事を強むる言のみ、】○從は右のごとし、
 
毎見《ミルゴト》、哭耳之所泣《ネノミシナカユ》、曾許|思《モフ》爾、 そとは其《ソノ》かたなり、
 
心之痛之《コヽロシイタシ》、垂乳根乃《タラチネノ》、母|之《ガ》形見跡、吾|持有《モタル》、眞十見鏡爾《マソミカミヾニ》、 まそみ鏡ます鏡などは、略き轉じいふにて、正しくは眞|澄日《スミビ》の鏡てふ言なり、
 
蜻蛉巾《アキツヒレ》、 (卷十四)秋津羽之、袖振妹乎、ともいひて、蜻蛉が羽の如き薄ものゝ領巾なり、中つ世の下よりは、采女のみひれは懸るを、上つ世にはすべての女の懸たるなり、【此あきつひれを忘て、後には蝉の羽をのみいへり、】
 
負並持而《オヒナメモチテ》、 右の二つを負ゆきてと云り、
 
馬替吾背《ウマカヘワガセ》、 馬とかへよの略なり、古は物と物とを相替たればかへといふ、○言も飾らず思ふ情をのみいひつづけたるに、すがたよろしく、あはれ深くおぼえらるゝはこれらこそ歌てふものなれ、○例の理屈人のいへらく、母が形見を愛の思にかふるはいかにと、己笑うてこたふ、女は夫の家を家とするに、その夫貧しかる時、猶母が形見の寶をたくはへんかは、いま此言を擧て歎くは眞なり、これをはなつは夫に二心なきなり、古人は思はずして道にかなへり、
 
 反 歌、
3315 泉河《イヅミガハ》、 上に出、
 
渡瀬深見《ワタルセフカミ》、 天平の比こゝに都うつしませし時は、高橋渡すとよめり、其先は直渡せしなり、
 
吾世古我、旅行衣《タビユキコロモ》、裳沼鴨《スソヌレムカモ》、」 今本裳を蒙に誤る、依て改、
 
3316 清鏡《マソカヾミ》、雖持《モタレド》吾者、記無《シルシナシ》、 易なしといふが如し、
 
君|之歩從《ガカチヨリ》、 今本歩行とあるはこゝにかなはず、右に依て行を從とす、次の歌の歩行の事はそこにいふをまて、
 
名積去見者《ナヅミユクミレバ》、」 此言上に出、今本この清鏡云云の歌を或本歌とせり、然るを、こは反歌二首もて意を竟《ヲヘ》しものにて、歌も同人のすがたなり、仍て今本或本互に一首を落せしと見ゆれば是をもとりつ、【歌は飛鳥岡本宮の始つ比なるを、かく字を略き書しはいと後のわざなり、】
 
3317 馬|替者《カヘバ》、 鏡領巾をばいはでこむ、
 
妹|歩行將有《カチナラム》、 かちはあかつちてふ言なれば、かちよりゆくといはでは、理りたらず、されどもこゝは贈歌を受て略きいひたり、後世の略言とはことなり、又行の字添て意をしらせたるは、此集書し人のこゝろのみ、
 
縱惠八子《ヨシヱヤシ》、石者雖履《イシハフムトモ》、吾二行《ワハフタリユカム》、」 妹と吾二人行ときの事をかねていへり、○是は長歌を短歌一首にて答たるなり、此類は上の大海人皇子の命の御長歌を、額田姫王は短歌もてこたへ申給ひたるあり、
 
3318 木國之《キノクニノ》、濱因云《ハマニヨルチフ》、鰒珠《アハビタマ》、將拾跡云而《ヒロハムトイヒテ》、 此人國官などにて行し時、木の海は玉の名ある所故に拾ひて來んぞ、といひて別しをもて、しかいへるなりけり、女の歌にてやさしく聞ゆ、
 
妹乃《イモノ》山、勢《セ》能山越而、 此山上に出、
 
行之《ユキシ》君、何時來座跡《イツキマサムト》、玉桙之、 冠辭、
 
道爾|出立《イデタチ》、夕卜乎《ユフウラヲ》、吾|問之《トヒシ》可婆、 たそがれ時になす故に夕占といふ、
 
夕卜之《ユフウラノ》、吾爾|告《ツグ》良久、 他人のもの語して過をきゝて、わが事に取なすうらなれば、そをすなはち我に告る語とす、
 
吾妹|兒哉《コヤ》、汝待《ナガマツ》君者、奥浪《オキツナミ》、來因白珠《キヨルシラタマ》、邊浪之《ヘツナミノ》、縁流白《ヨスルシラ》珠、求跡曾《モトムトゾ》、君|之不來益《ガキマサズ》、拾登曾《ヒロフトゾ》公者|不來益《キマサズ》、 上の言をうけていへり、
 
久有者《ヒサナラバ》、 者は今補つ、
 
今七日|許《バカリ》、早有者《ハヤカラバ》、今二日許、 【なぬかふつかのかは數の略なり、仍て古今歌集の端詞に、なぬかの日やうかの日といへり、されど歌には言の限有は日を略けり、今の人かを日に當ると思ふはひがことぞ、】
 
將有等曾《アラムトゾ》、君者|聞之二二《キコシシ》、勿戀吾妹《ナコヒソワギモ》、 是までうらの語なり、下にとなどの辭を添ぬは中々によし、〇是も女歌のめでたきなり、此類を集め見て女の歌はよむべし、
 
 反 歌、
3319 杖衝毛《ツヱツキモ》、不衝毛《ツカズモ》吾者、 (卷十四)同言あり、はかなきにめでたき味あり、
 
行目《ユカメ》友、公|之將來《ガキマサム》、道之|不知苦《シラナク》、」
 
3320 直不往《タヾニユカス》、 石瀬踏道をことわるなり、
 
此從巨勢道柄《コユコセヂカラ》、 こゝよりとて、又こせぢからといふ、よりもからも同意の言ながら、かさねいふ時かへ事いふは例なり、
 
石漸踏《イハセフミ》、名積序吾來《ナツミゾワガコシ》、 今本こゝは求曾とあれど、吾家へかへるにかなはず、上に名積云云と有をもちう、
 
戀而爲使《コヒテスベ》奈見、」 こは右の戀て長歌よみし女の夫、史生などにて木へ行しが、暫の暇を得て歸りし時、よみて妻に與しものにて、其答にはあらねど、同じ度のうた故に、古の反歌のつぎに載しものなり、【此歌、上の數々丹、不思人者、てふ反歌に次て載しは誤なり、こゝにあるをよしとす、】
 
3321 左夜深而《サヨフケテ》、今者|明《アケ》奴登、開戸手《トヲアケテ》、木部行《キベユク》君乎、何時可將待《イツトカマタム》、」 右の男しばし在て、又木の國へ行を女のかなしみたる歌にて、是も同じ度の事なれば、つゞけて出せしものなり、【衣暇田暇などならば、三十日の暇なり、】
 
3322 門座《カドニヲル》、娘子内爾《ヲトメコウチニ》、雖至《イタルトモ》、 門まで送りしをとめが、わが屋の内へかへり入ほどの暫の間なりとも、いたく戀ときかば今の間に立かへり來んぞ、といひなぐさめて別るるなり、○今本郎子と有は誤なれば娘子に改つ、郎子郎女娘子の事別記有、
 
痛之戀者《イタクシコヒバ》、今返金《イマカヘリコン》、」 古今歌集に、待としきかば、今かへりこん、もこれなり、
 
 今本こゝに譬喩歌とて標あれど、後人のくはへし事上下にいふ如くなれば除ぬ、
 
3323 師名立《シナテル》、 冠辭、
 
都久間左野方《ツクマサヌガタ》、息長之《オキナガノ》、遠智能小菅《ヲチノヲスケ》、 この都久麻と息長は近江國阪田郡に在、(内膳式諸陵式その外にも、)然れば左野方はその筑摩の江の内、遠智は息長の内に有所の名なり、かくて此男は筑摩の額田に住に、息長の遠智といふ所の菅を刈もて來たりといふなり、(卷八)眞珠付、越能菅原、ともよみたれば、遠智は菅を出す所なりけり、○左野方の左は發言、遠智をとほちと訓はひがよみなり、かゝる古歌には短句こそ多けれ、
 
不連爾《アマナクニ》、伊苅持來《イカリモテキ》、不敷爾《シカナクニ》、伊苅持來而置而《イカリモテキテオキテ》、 十言の句なり、上にも下にもあり、二つの伊は發言、さて薦にあみ敷ともなく、徒に苅もて來置てといふは、此男の母がもとなどへ、よき女をよびよせ置たれど、われに相せぬを譬たるなり、(卷四)三吉野之、水具麻我菅乎、不編《アマナク》爾、刈耳刈而、稱亂跡也《ミダレナムトヤ》、 ともあり、
 
吾乎令偲《アレヲシヌバス》息長之、遠智能|子《コ》菅、同言を二度いふは古歌の常にて、たゞ打唱ふるすらしたしくめでたきを、うたひけん時を思ひはかるべし、〇佐野方の佐は發言、野方は借字、額田てふ所は諸の國にあれば、近江にも有べし、野方は奴加田なるを、此田は清ていひしか、又濁るとも借字はかゝはらぬ例なれば、いづれにもいふべし、(卷七)にさぬかだとあるは、たを濁るなり、陀は豆羅の約にて、さぬかづらのとつゝけしなり、こゝとはことなり、
 
 挽歌。
3324 桂纏毛、文恐、藤原平都志彌爾、 繁々の略、
 
人下《ヒトハシモ》、 下は辭、
 
滿雖有《ミチテアレドモ》、君下《キミハシモ》、 上に同、【此皇子は何れか不知、或説に、高市皇子(ノ)命と申は誤なるよしは下にいふ、】
 
大座常《オホクイマセド》、 皇子たちは多くいませどもと云り、於保の假字の均しければ、字にはかゝはらず、類多きことなり、
 
往向《ユキマケル》、 去年とゆきことしと向ひ來るなり、向をまけと訓は、上の御かり立しゝ時は來向に同じ、
 
年緒《トシノヲ》長、 考下にあり、
 
仕來《ツカヘクル》、君|之《ガ》御門乎、 此君も右の同皇子なり、
 
如天《アメノゴト》、仰《アフギ》而見乍、雖畏《カシコケド》、思馮而《オモヒタノミテ》、 末の御榮を待なり、
 
何時可聞《イツシカモ》、日足座而《ヒタラシマシテ》、 記に、御子|生《アレ》坐とき詔(ハク)、何爲日《イカニシテ》足奉(ント)、答白取(リ)2御母《ミヲモヲ》1定2大|湯坐《ユヱ》若《ワカ》湯坐(ヲ)1宜《ヘシト》2日足1、故|隨《マニ/\》其后曰2以日奉1、こは生兒《ウマレコ》の日を足《タラ》するをいふ言なるを、此御若きほどの皇子に申すはいかゞあらん、
 
十五月之、 冠辭、五の下に夜を落しつらん、
 
多田波思家武登《タヽハシケムト》、 たゝはしは潮の滿|湛《タヽフル》といふが如し、此言は皇太子の即位の後を申せし所あれど、大かたの皇子をもかく樣に申せし例無にもあらず、
 
吾思《ワガオモフ》、皇子命者、 みこの命とは皇太子を申す例なれど、たゞの皇子にも向ひてはしかるなり、ことに薨たまひては崇むめり、(卷十四)安積《アサカノ》皇太子の薨時に、家持長歌、吾王、御子の命、萬代爾、食《ヲシ》賜麻思、といまだ儲君ならねどまをしたり、【二三の皇子を、皇太子に准て崇め申せし歌集中に多し、】
 
春|避者《サレバ》、植槻於之《ウヱツキガウヘノ》、 今昔物語に、敷下郡植槻寺、と有、神遊に、田中の森、といふも同じ、
 
遠人《トホツヒト》、 冠辭、
 
待之下《マツノシタ》道|湯《ユ》、 松に待をかね、
 
登之而《ノボラシテ》、國見|所遊《アソバシ》、 こは御遊びの時なればいふ、後世人はよしなきにもいふは轉々なり、
 
九月之《ナガヅキノ》、四具禮之秋者、 此言いさゝか後に近し、此時も平言はかゝりけん、
 
大殿之、砌《ミギリ・ニハモ》志美|彌《ミ》爾、露|負《オヒ》而、靡芽子《ナビケルハギ》乎、珠手次《タマダスキ》、 冠辭、
 
懸而|所偲《シヌバム》、 御心に懸くなり、
 
三《ミ》雪|零《フル》、冬朝者《フユノアシタハ》、刺楊《サスヤナギ》、 冠辭、
 
根張梓矣《ネハルアヅサヲ》、 弓を梓とのみよみしは、此時世既に降しなり、惣て此歌は句ども穩ならず、右の芽子の言も前後に似ず、次々の言にもしかなり、
 
御手《オホミテ》二、所取賜而《トラシタマヒテ》、所遊《アソバシヽ》、我王矣《ワガオホキミヲ》、煙立《カスミタツ》、春日暮《ハルビモクレテ》、 長き春日も暮までにてふをかくいふは下にもあり、
 
喚犬追馬鏡《マソカヾミ》、 冠辭、
 
雖見不飽者《ミレドモアカネバ》 人麻呂もよみたり、
 
萬歳《ヨロヅヨニ》、如是霜欲得常《カクシモガモト》、大船之、 冠辭、
 
憑有《タノメル》時爾、妖言可《マガコトカ》、 妖を今本は涙に誤、可は一本に依て補、 
目鴨迷《メカモマドヘル》、 殯宮に坐と聞は※[手偏+王]津日神のいひ迷はすか、白布もて餝ると見るは、吾目の惡かと云り、
 
大殿矣、振放《フリサケ》見者、白細布、飾奉而《カザリマツリテ》、 (卷二人麻呂、皇子の御門乎、神宮に、装束奉而、
 
内日刺、 冠辭、
 
宮舍人者、 たゞの皇子の宮に事有時は、宮の舍人の参るべきに、宮の舍人とて春宮舍人にまがふべし、いかがあらん、
 
雪穗《タヘノホノ》、 (卷一)に同言を栲の穗と書し如く、たへは白布の名なり、その白きにより雪とも書つ、穗は上にいへる丹之穗にひとし、【雪のほといふに諸説あれど、皆末につきて本を極めぬなり、】
 
麻衣服者《アサギヌキレバ》、 喪には公私ともに白麻布を用る事、これに孝徳天皇紀などを合せて知べし、にび色にするはいと後なり、
 
夢鴨《イメニカモ》、現荷《ウツヽニ》鴨|跡《ト》、 荷を今本前に誤、夢なるかも現なるかもをこめて爾といへり、
 
雲入夜之《クモリヨノ》、 冠辭、
 
迷間《マドヘルホドニ》、朝裳吉《アサモヨシ》」 冠辭、
 
城於道從《キノウヘノミチユ》、 【城於道と云は、城といふ所のうへの道なり、かの植槻(カ)於といふが如し、】
 
角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石村乎《イハレヲ》見乍、 反歌に依に、石村は此葬まゐらする地故、其山を望みつゝ行なり、さて飛鳥よりは北、初瀬よりは南に、今もいはれといふ山有、(卷十四、春日藏首老、)角障經、石村毛不過、泊瀬山、何時毛將越、夜者深去通都、とよめるは、飛鳥の方より北へ向て行時なり、此度は藤原(ノ)都より南東へ向て、其石村にをさめんとて送まゐれり、是をもて思ふに、城於道は城上郡の磯城てふ所をいふか、又其邊に城といふ地有か、右にいふ如くなれば、廣瀬郡の城缶《キノベ》とは甚異なり、
 
神葬《カンハフリ》、葬祭者《ハフリマツレバ》、往道之《ユクミチノ》、田付|叫不知《ヲシラニ》、 是までに葬の事はいひはてゝ、次は偲奉る心をいふ、
 
雖思《オモヘドモ》、印乎無見《シルシヲナミ》、 六言、【無見をなしみと今本によみしは、ひがよみなり、】
 
雖嘆《ナゲヽドモ》、奥香乎《オクカヲ》無見、 今は皇子を見奉るよしもなければなり、 
御袖《ミソデノ》、 四言、
 
往《ユキ》觸之松矣、 上に國見遊、といひし所の松をいへり、
 
言不問《コトヽハヌ》、木雖在《キニハアレドモ》、荒玉之《アラタマノ》、 冠辭、年を略て月につゝけしにて、今よりの年月をいふ、
 
立月毎《タツツキゴトニ》、天如《アメノゴト》、振放見管、 右の松を見るなり、然れば今本に天原と有は誤しるければ如とせり、かの人麻呂がうたに、香來山之宮、云云、天之如、振放見乍、玉手次、懸而將偲、恐有騰文、てふに同じ、
 
珠手次、 冠辭、
 
懸而|思名《シヌバナ》、雖恐有《カシコカレドモ》、
 
 反 歌
3325 角障經《ツヌサハフ》、 冠辭、
 
石村《イハレ》山丹、白栲《シロタヘニ》、 こは白栲の如くにと云にて、冠辭にあらず、 
懸有《カヽレル》雲者、吾王可聞《ワガオホキミカモ》、」 古本吾王と有、今本皇と有はこゝにはわろし、○藤原の末の歌とする時は、雲は火葬の烟ぞといふべけれど、皇極天皇紀に、皇孫建王の過給ひし後の大御歌に、「いまきなるをむれがうへに、雲だにも、しるくしたゝば、何かなげかん」ともよみませしかば、たゞ白雲と意得つべし、石村山は東の高山につゞきたれば、雲のかゝるべきなり、右を或人は高市皇子薨ませし時の歌といへるはかなはず、何ぞといはゞ、日足ましてといふは、もと緑兒をいふなるを、強て御若く二十にもたらぬ間まではいひもせんか、そも猶よくはかなはず、然るに高市(ノ)皇子(ノ)命の薨ませしは、御とし四十餘なるべければよしなし、又高市皇子命の御墓は、廣瀬(ノ)郡御立岡と諸陵式に見え、且(卷二)の同皇子(ノ)命を申す端詞の城上《キノベノ》殯宮と、こゝの城於道とは相似て聞ゆれど、彼は廣瀬郡城缶、こゝは城上郡城上にて、城於は石村へ送りまゐる道に有所の名にて、殯の宮所にすらあらぬをよく考見よ、此外にいふことあれど、さのみはいはず、ただ是は、まだしき歌人の、(卷二)に擧し人麻呂の二皇子(ノ)命を悲奉りし歌を專ら用て、くさ/\の事を添つゝふるまひよみし故に、言よくもゆかで、皇太子に申べき言も交りしものなり、よろづに心をやりて見よ、【高市皇子(ノ)命は、大津宮の十年の亂に軍師となり、清見原の御代を經て、藤原宮天皇十年に過給へれば、御年知べし、惣て飛鳥宮の始より奈良宮までに、皇太子の薨ませしは、日並知高市二命の外はなし、さて日並知命は此歌によしなく、高市(ノ)命も右に云如くなれば、たゞ皇子の薨給ひし時の歌成こと、何かうたがはんや、】
 
3326 磯城島之《シキシマノ》、 冠辭、
 
日本國爾《ヤマトノクニヽ》、何方《イカサマニ》、御念食可《オモホシメセカ》、津禮毛無《ツレモナキ》、 此言は連も無てふ、を本にて縁も無こゝろにも轉じいへり、別記に委、
 
城上《キノヘノ》宮爾、 (卷二)の挽歌に、高市皇子尊城上殯宮、とあれば、此うたは同尊の殯宮の時、舍人の中によみたるなり、
 
大殿乎《オホトノヲ》、都可倍奉而、 陵を造仕奉なり、
 
殿隱《トノゴモリ》、隱在者《コモリイマセバ》、 陵(ノ)内に御臥坐をいふ、
 
朝者《アサゲニハ》、召而使《メシテツカハシ》、夕者《ユフゲニハ》召而|使《ツカハシ》、遣之《ツカハシヽ》、 是も上と同じく使ましゝこと重云り、舍人は此時は御階の下御門などを守、また假の御使を仕奉れり、
 
舍人之子等者《トネリノコラハ》、行鳥之、群而待《ムラガリテマチ》、有雖待《アリマテド》、 有は例のことば、
 
不召賜者《メシタマハネバ》、劔刀《ツルギタチ》、 冠辭、
 
磨之心乎《トギシコヽロヲ》、天雲爾、念散之《オモヒハブラシ》、 散は放なり、(卷二)に行方も不知、といへるが如し、
 
展轉《コヒマロビ》、 こひはこやすともいひて、ふしまろびなくなり、
 
土打哭杼母《ヒヅチナケドモ》、 ひづちはなみだに漬をいふ、別記有、【から文に土を撃といふ意にはあらず、】
 
飽不足《アキタラズ》可聞、」 是は上の歌とことにて、高市皇子命殯宮の時の歌なれど、よみ人しられねば、此卷に入たるなり、さて反歌は落失しものぞ、此頃の長歌に反歌なきはあらねばなり、
 
3327 百小竹之《モヽシヌノ》、 冠辭、
 
三野王《ミヌノオホキミ》、 天武持統二天皇紀に見ゆ、和銅元年紀に、治部卿彌努王卒、とあり、野を古は奴と唱へし故に、三野王ともかきぬ、【天平十六年二月紀に、正三位牟漏王薨、贈從二位、栗隈王之孫、從四位下美努王之女也、と云り、】
 
金厩《ニシノウマヤ》、立而飼駒《タテヽカフコマ》、角《ヒンガシノ》厩、立而飼駒、 角は東に當れり、左氏傳注に青聲は角、
 
草社者《クサコソハ》、取而飼旱《トリテカヘカニ》、水社者、※[手偏+邑]《クミ》而|飼旱《カヘカニ》、 旱は歟爾に借たり、馬は草水など飼とき鳴ものなれば、先しかいひて、されども多の馬のつねよりことになくは、何ごとぞといぶかるなり、
 
何然《ナニシカモ》、大分青馬之《マシロノコマノ》、鳴立鶴《イバヒタチツル》、 東西の厩をいふは、多の馬の鳴をしらせつれ、立て鳴を後世も鳴立といへり、且犬馬の主をしたふは、和漢の書に多く見ゆ、大分青馬はたゞ眞白なる意なるを、筆ずさみにかく書し物ながら、冠辭考につぶさにす、此歌のこゝろはかへし歌の下にいへり、
 此王は和銅元年五月卒らる、其比の歌は漸よわく成行しを、こは古へぶりをよく得てめでたきは、古人の猶在てよめる歌なりけり、人麻呂も此年ころに身まかりしなれば、思ひ合すべし、されども上の句は多くの馬をいふと聞るに、末に白馬をのみいふは、葬の馬のよしか、しからば強ごとなり、何ぞといはゞ、葬にも我朝には何馬てふ定なし、此下の挽歌に、烏玉之、黒馬爾乘而、とも有なり、人麻呂は一言もから事を用ざれば、もしから風によらば、ひがことゝしるべし、
 
 反 歌、
3328 衣袖《コロモテノ》、 冠辭、
 
大分青馬之《マシロノコマノ》、嘶音《ナクコヱヲ》、情有鳧《コヽロアルカモ》、常從異鳴《ツネニケニナク》、」 反歌までもかくのみなるは、(卷一)に、人麻呂のあふみの荒都の長歌に、春日か霧る、夏草か、茂く生たる、とおぼめけるにおなじ意にて、王はいまさぬものとも思えぬに、馬の常ゆことに鳴をうたがひしこそ深き心の餘なれ、古人の歌の心をこれらにてしるべきなり、
 
3329 白雲之《シラクモノ》、棚曳《タナビク》國之、青《アヲ》雲之、向伏《ムカブス》國乃、 枕詞に多き言にて、遠く向ふ天涯に伏て有雲を以て遠き國を指なり、
 
天雲《アマクモノ》、下有《シタナル》人者、 上は遠き白雲、こゝはたゞ天をいふのみ、 
妾耳鴨《アノミカモ》、君爾戀濫、吾耳《アノミ》鴨、夫君爾戀禮薄《セコニコフレバ》、天地《アメツチニ》、滿言《イヒタラハシテ》、戀鴨《コフレカモ》、 上に、八十の心呼、天地二、足橋、といへるに似て、滿言とは、天地の神に言擧し、雲風草木に譬て言を盡すをいふ、
 
胸之病有《ムネノヤモヘル》、念《オモヘ》鴨、意之痛《コヽロノイタキ》、妾戀叙《ワガコヒゾ》、日爾|異《ケ》爾|益《マサル》、何時橋物《イツハシモ》、不戀時等者《コヒヌトキトハ》、 とてはなり、
 
不有友《アラネドモ》、是九月乎《コノナガツキヲ》、吾背子之《ワガセコガ》、偲丹爲與得《シヌビニセヨト》、千世爾物《チヨニモ》、 四言、
 
偲渡登《シヌビワタレド》、前代爾、語都我部等《カタリツガヘト》、 我部は、解の延言、
 
始而之《ハシメテシ》、 死せし時を云、
 
此九月之、過莫乎《スギマクヲ》、伊多母爲便無見《イタモスベナミ》、 痛もなり、伊登に同じ、
 
荒玉之、 冠辭、
 
月乃易者、 新喪の月をばことにすれば、年經て後にも其月を忌日とて喪のごとくす、
 
將爲須部乃《センスベノ》、田度伎乎不知《タトキヲシラニ》、石根之《イハガネノ》、許凝敷《コヾシキ》道之、石床之《イハトコノ》、根延門呼《ネハヘルカドヲ》、朝庭《アシタニハ》、 庭は借字、
 
出居《イデヰ》而|嘆《ナゲキ》、夕《ユフベ・ユフケ》庭《ニハ》、入座戀乍《イリヰコヒツヽ》、」 右の石根之云云四句は、こゝによし無言とも聞ゆるを、思ひめぐらせば、夫の墓屋に妻のやどりゐてよめる歌にて、墓はかゝる岩ほ有山なれば、有ところのさまもてよめるなりけり、墓屋の事は(卷二)に出たり、これより下の句ども、反歌をかけて落失たり、こは古き代の歌ならねば、必反歌の有べきに、今なきにても末の失しは知べし、右古からねどよろしくよみし歌なるを、末の落しこそをしけれ、
 烏玉之、黒髪敷而、人(ノ)寢、味寢者不宿爾、大船之、行良行良爾、思乍、吾寢夜等者、數物《ヨミモ》不敢鴨、此九句今本には右の入座戀乍てふ言につゞけ載たれど、上の相聞の條に出たるはさる事にて、挽歌のなげきにあらぬ事、上にいへるが如し、しかれどもその分ちを見しらんが爲に小字に記せり、
 
3330 隱來之《コモリクノ》、冠辭、
 
長谷之《ハツセノ》川之、上瀬《カンツセ》爾、鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》、下瀬爾、鵜矣|八頭漬《ヤツカヅケ》、上《カミツ》瀬之、年魚矣令咋《アユヲクハシメ》、 鵜の含て出るを咋といふ、
 
下瀬之、鮎《アユ》矣令咋、 これまで十句はくはし妹といはん序なり、かく長き序記にも此集にも多し、此古歌の意をも例をもおもはずて、右の序によせし心ありとする説はひがことぞ、【今本此處の言、字も訓も、序の言に縁たれど、古へは序も冠辭もいさゝかだに下へひゞくをいみしをしらで、後世の俗意を以て鮎とは書しなり、】
 
麗妹爾《クハシイモニ》、 よろしき女をくはしめといふこと、應神天皇紀の御歌を始て多くあり、委は冠辭考に出、
 
辭遠借《コトトホザカリ》、 今本|鮎遠惜《アユヲアタラシ》、と書るは字も訓もよしなし、一本鮎を欽とせるも理なく、古本は此所字消て三句ばかり明らかならず、今上下の言をおもふに、鮎は辭を誤れりとして右のごとくせり、
 
投左乃《ナクルサノ》、 冠辭、
 
遠離居而《トホザカリヰテ》、 是は居所の遠きなり、右は相語ことの遠きなり、然ればわざと重ねいひてことを明し、その拍子をも成つ、仍て考ふべきなり、【或説、此遠離にもむつかしき理を云はわらふべし、】○(卷二)の、人麻呂、隱づまの死を悲める如く、是も遠き所なりし思ひづまの死たるなり、
 
思空《オモフソラ》、不安國《ヤスカラナクニ》、嘆空《ナゲクソラ》、不安國、 死たるてふ言をいはぬは、(卷二)の人麻呂の歌どもにもしか有、
 
衣社薄《キヌコソハ》、其破者《ソガヤレヌレバ》、縫乍物《ヌヒツヽモ》、又母相登言《マタモアフトヘ》、 いへをへとのみいふは例なり、此たとへ言にて死をしらせたり、
                     
玉社者、緒之絶《ヲノタエヌレバ》、八十一里喚※[奚+隹]《クヽリツヽ》、 或人※[奚+隹]を喚に今は登登といふ、古は門々といひつらんに依て、喚※[奚+隹]をつゝの假名にせしかと云はしかなり、今は、追馬にしゝといふを、古は曾といひしと聞ゆるがごとし、【今又母※[奚+隹]の子を喚をつゝ鳴すといへれば、その事とすべけれど、こゝに喚※[奚+隹]子ともかゝねば暫或説に依なり、もし子を畧くか、又此喚※[奚+隹]に付て古言の傳など云はとるにたらず、】
 
又物|逢登曰《アフトヘ》、又毛|不相《アハヌ》物者、※[女+麗]爾志有來《イモニシアリケリ》、」 爾は古本による、このうたはいさゝか古し、
 
3331 隱來之、 冠辭、
 
長谷之山、 六言、
 
青幡《アヲハタ》之、 此事冠辭再考につぶさにす、
 
忍坂《オザカノ》山者、 雄略天皇紀に、擧暮利矩能《コモリクノ》、播都制能野磨播《ハツセノヤマハ》、伊底※[手偏+施の旁]智能《イテタチノ》、與慮斯企野磨、和斯里底能、與慮斯企夜磨能、據暮利矩能、播都制能夜磨播、阿野※[人偏+爾]于羅虞波斯、阿野※[人偏+爾]于羅虞波斯、てふ大御歌の言をとり用ゐて、もろ/\よろしくうら妙しき人の身まがれるを譬へてをしむなり、此二山もて一人の人のくさ/”\かねたるをいふ、と或人のいへるはさもありぬべし、
 
走出之《ワシリデノ》、宜山之《ヨロシキヤマノ》、 此言右に引たる紀に、泊瀬一つをのたまひしを、こゝは二山のさまを分ちいへり、然ればはつせの山は山の尾前へ廻りて、穴磯山まで引つゞけるを走出といひ、忍坂は山立のよろしきをいふにやあらん、しか見ても一人をいふに嫌なし、
 
出立之《イデタチノ》、妙山叙《マグハシキヤマゾ》、 まぐはしてふ言は上に出づ、
 
惜山之、 あたらすがしめ、など紀の大御歌にも有て惜むことなり、
 
荒卷惜毛《アレマクヲシモ》、」 まくはむを延たる言にて、あれんと末をかねていふなり、然れば此ぬし榮ゆべき世を速過て、あたら眞くはしき名も失行べき事を、荒ぬ山のあれ行ん譬に取しにや、
 
3332 高山|與《ト》、海社者《ウミコソハ》、山(ノ)隨《マニ》、 まにはまゝにの略にて、古今もとのまゝに在をいふ、
 
如此《カク》毛|現《ウツクシキ》、 現はかはらで世に在なり、しきは事を強むることば、
 
海隨《ウミノマニ》、然毛直有自《シカモタヾナラメ》、 然毛は右の如此毛に同じ、此毛は古本もて補へり、直は常といふに均しくて、右の現にむかへいへり、
 
人者|花物曾《アダモノゾ》、 今本充と有は心得がたし、古本に依て花とす、集中にははなと訓て、あだの意なる有、打かへし見よ、
 
空蝉與人《ウツセミノヨヒト》、」 空蝉は借字にて、顯の身の世人と云なり、此委しき事は冠辭考にいひつ、(卷十六)に「いさなとり、海や死する、山やしにする、しねばこそ、海は汐干て、山は姑すれ、」ともいへり、〇右の長歌二つは、いと古き世の歌にて、言少くして心たけたるいひなしなり、後の言多く心つたなきをおもひ合すべし、
 
3333 王之《オホキミノ》、御命恐《ミコトカシコミ》、秋津島《アキツシマ》、 冠辭、
 
倭雄過而《ヤマトヲスギテ》、大伴之、 冠辭、
 
御津之濱邊從《ミツノハマベユ》、大舟爾、眞梶繁貫《マカヂシヾヌキ》、旦名伎爾《アサナギニ》、水手之音爲乍《カコノトシツヽ》、 舟人の聲なり、こゑおと通はしいふのみ、
 
夕名寸爾《ユフナギニ》、梶音《カヂノト》爲乍、 此四句女歌につけてうるはしくやさし、
 
行師君《ユキシキミ》、 筑紫に任てゆきし人任のうちに身まかれるを、京にある妻のきゝてかなしみよめるなり、
 
何時來座登《イツキマサムト》、幣置而《ヌサオキテ》、 今本こゝを大夕卜置而と有、古本に幣卜置而、と有も共に字の亂たるなり、卜を置といふも聞えず、仍て思ふに幣の字なる事、次の言にてもしるければ、たゞちに改め書たり、
 
齋度爾《イハヒワタルニ》、枉言哉《マガコトヤ》、人之|言釣《イヒツル》、 釣は借字、 
我心、盡之《ツクシノ》山之、 待戀るに心をつくしと云懸、
 
黄葉之《モミヂバノ》、散過去常云《チリスギヌトフ》、 今本云字なくてちりてすぎぬと訓しは言たらず、云は一本によりて補へり、
 
公之正香乎《キミガマサカヲ》、 まさかは、今と成たる當《ソノ》時をいふ、末の字は枉言云云の言へかへれり、
 
 反 歌
3334 枉言哉《マガコトヤ》、人之|云鶴《イヒツル》、玉緒乃《タマノヲノ》、 冠辭、
 
長登《ナガクト》君者、言手師物乎《イヒテシモノヲ》、 かくさまの事をいひて、なきをらぶは古も今も均し、然ればそのなきつゝいふ言を歌とせしなり、ゆゑにあはれに聞ゆ、後世は歌はこと事を作るものと思ひ誤るから感たき歌なし、我友思へ、
 
3335 ○玉桙之《タマホコノ》、 冠辭、
 
道|去《ユク》人者、足檜木之《アシビキノ》、 冠辭、
 
山|行野往《ユキノユキ》、水激《ミナキラヒ》、 今本直海と書て、次の川までかけてひたすがはと訓しは、何の意とも聞えず、或人|直渉《タヽワタリ》なるべしといへるは、字に付てよし、されど直渉は末にこそいはめ、こゝに用なし、こゝは水激の字なりけり、水激と水海とは草にて近し、かくてこそ末の言へかけて、滯なく言もおたしければよりて今改めつ、(卷七)今本、水飯合、川副者、てふも飯は激を誤れるにて、水激合《ミナギラフ》、川副者《カハノソフレバ》、と訓ことなり、
 
川|往渡《ユキワタリ》、不知魚取《イサナトリ》、 冠辭、
 
海道荷出而《ウミヂニイデヽ》、惶八《カシコシヤ》、神之渡者《カミノワタリハ》、 いづこぞや、或本の端詞に、備後の神島濱とあれど、とらぬよしはそこにいへり、
 
吹風母《フクカゼモ》、和者不吹《ノドニハフカズ》、立浪母《タツナミモ》、疎者不立《オホニハタヽズ》、 凡ならず高浪の立所といへり、【こゝを今本、おほにたゝずと、たかなみの、と訓しはいふにもたらず、】○者は上の例に依て加へつ、
 
跡座浪之《シキナミノ》、 跡座は、(卷二)の挽歌の跡位と有所に委くせれど、猶もいはゞ、跡は敷こゝろ位と座は均し、惣て殿の席は事有時、その座べき人々の位次によりて敷設るなり、故に跡位とも書たり、さてしきなみは、重《シキ》立浪の事なるもうへにいへり、【後世は疊を常にしきみてて置を以て惑ふことなかれ、】
 
立塞道麻《タチソフミチヲ》、 浪の立障る道といふにて、汐滿風立時は磯路まで高浪の越めり、今も北陸道にはさる所々有て、人溺死こと有といへり、後の歌に、清見潟、浪の關守、といへるも是に似たり、
 
誰心《タガコヽロ》、勞跡鴨《イトホシトカモ》、直渡異六《タヾワタリケン》、 誰心云々、とは故郷人の待わふらんを勞しとて、いそぐまゝに、此重浪の立時に歩わたり爲けんといふなり、さて溺死つらんてふことを、反歌にてしらせたるは、古歌の一つの體なり、【こゝの直渡は用有、上は旅のさまの凡をいふのみなれば、直渉とては徒なるに似たり、此あはひは、うたよむ人しることぞ、】
 
 反歌、 今本こゝには反歌なくて、次の歌に二首、或本の歌に四首あり、考るに、こゝなるは落て、或本にとどまりしなり、さればこゝに載べきと次の歌に付べき歌は、おのづからしるければ、今こゝへ三首をとりつ、故よしは其歌にいへり、
 
3338 蘆檜木乃《アシビキノ》、 冠辭、
 
山道者將行《ヤマヂハユカム》、風|吹《フケ》者、浪立塞《ナミノタチソフ》、 此言もて右の反歌なるをしりぬ、○上に浪之立塞、とあれば、立の字は必有べきに、今本浪之塞とのみ有は、立を之に誤る、之の下立を落せしか、暫立の誤とせり、
 
海道者不行《ウミヂハユカシ》、」 おくるゝものゝ心つとむるなり、
 
3341 家人乃《イヘビトノ》、將待物矣《マツラムモノヲ》、津烈裳無《ツレモナキ》、 つれもなきは、由縁もなきと同意なるよし既にも見え、別記にもいへる如くこゝにかなへる言なり、今本烈を煎に誤て、つにもなくと訓しは、常も無てふ事とおもへるにや、此集を見わたしもせぬものゝ訓なり、或人も隨ていひしは、いふにもたらず、
 
荒磯矣卷《アリソヲマキ》而、偃有公鴨《フセルキミカモ》、」 初の二句は、右の誰心勞跡鴨、てふにあたり、四五の句にて死臥をるをいへれば、右の反歌なり、
 
3342 ※[さんずい+内]潭《イリフチニ》、偃爲公矣《フシタルキミヲ》、 片淵の淀へ波に打よせられてあるをいへり、
 
今日今日跡《ケフ/\ト》、將來跡將待《コムトマツラム》、妻之《ツマシ》可奈思母、」 次の長歌と反歌に、父母また妻子をいひしかば、妻を並べいふべからねば、此歌はこゝに入べきを知ぬ、且同じ歌ながら、始めの長歌反歌はこと廣く、次はこまかにいひしものぞ、
 
3336 鳥音《トリガネノ》、不所聞海爾《キコエヌウミニ》、 今本鳥音之、所聞海爾、と有はいかほどの遠き處まで鳥がねは聞ゆるものと思ひけん、人笑へなる事なり、古今歌集に、飛鳥の、聲もきこえぬ、奥山、といへるが如く、山の奥がおくには獣すらすまずといひ、海も至りて人氣遠き磯などには鳥もすまず、魚だになしとこそいへ、然ば右の之は不の誤疑なければ改たる事しかり、【或人景行天皇紀に、相摸國に覺賀《カクガ》鳥のこゑせしなどを引しはよしもなし、其海は、西南伊豆安房上總、東北は相摸武藏下總の間の入海にて、※[さんずい+内]江などは家つ鳥のこゑきこゆべし、】
 
高山|麻《ヲ》、障所爲而《ヘダテニナシテ》、奥藻麻《オキツモヲ》、枕丹卷而、 世はなれたる高山の間の※[さんずい+内]潭のさまなり、○今本こゝを枕所爲と有はわろし、或本に依、
 
蝦葉之衣《カハノキヌ》、 革の衣なり、古は專らかは衣を着たり、今本|蛾《カ》葉と有は、蝦を蛾に誤しなり、皇朝の言の始を濁ることなければ誤明らけし、
 
浴不服爾《スヽキモキズニ》、 有さま見るが如し、
 
不知魚取《イサナトリ》、海之濱邊爾《ウミノハマベニ》、浦裳無、 何心も無なり、
 
所宿有人者《フシタルヒトハ》、 或本偃爲とあるによりてよめり、
 
母父爾《ハヽチヽニ》、眞名子爾可有六《マナゴニカアラム》、 嫡妻《ムカヒメ》の生るを眞子といひておやの愛みもことなり、
 
若蒭之《ワカクサノ》、 冠辭、
 
妻香有異六《ツマカアリケム》、思布《オモホシキ》、言傳八跡《コトツテムヤト》、家問者《イヘトヘバ》、家乎母|不告《ノラズ》、名問跡《ナヲトヘド》、名谷《ナダニ》母不告、哭兒如《ナクコナス》、言谷|不語《トハズ》、 ものもいはずてふを古はことゝはずと云り、
 
思鞆《オモヘドモ》、 おもへど/\、とかへしいふに同じ、後の物語ぶみにもいへり、 
悲物者《カナシキモノハ》、世間有《ヨノナカニゾアル》、 此二首の長歌いと古からねど、事をばよく寫したり、藤原の宮のはじめの頃にやよみけん、
 
 反歌、【今本或本に、反歌六首あれど、一首は此母父もてふを重ね載たり、故除きて五首として、三首は上に引上しことそこにいふ、】
3337 母父毛《ハヽチヽモ》、妻毛子等毛《ツマモコドモヽ》、高々二《タカ/\ニ》、 遠々になり、
 
來跡待羅六《コムトマツラム》、 今本|持異六《マチケム》、とあるはよくもかなはず、一本に依て羅六とせり、
 
人之|悲沙《カナシサ》、」 こは長歌の、母父爾、といふより四五句の間をもてよめり、 
3343 澳浪《オキツナミ》、 今本※[さんずい+内]浪、とあれど、※[さんずい+内]淵※[さんずい+内]江などこそいへ、いるなみてふ言も聞えず、又いる波の來よするてふも穩しからず、仍て※[さんずい+内]は澳の畫の消し物として、おきつなみとす、
 
來依濱丹《キヨルハマニ》、津烈裳無《ツレモナク》、 是も烈を煎に誤れること上の如し、
 
偃有公賀《フシタルキミガ》、家道不知裳《イヘヂシラズモ》、」 長歌に、家問者、といふより下の意なり、
 
 △或本歌、今本に、備後國神島(ノ)濱(ニ)調使主《ツキノオミガ》見v屍作歌一首并短歌、とあるは、此卷の或本に有べき事にあらず、【調は氏、使主はかばねなるを、今本に使首と有は誤れり、】(卷七)より下の家々の家集どもには、國地よみ人歌の數をも書し多ければ、それが中などの或本にやあらん、此類の註はいと物心得ぬ人の書し故、こともあきらかならぬ多きなり、さて此或本の歌は甚亂て、上の二首の混て一首の如くなれるにて、取にもたらねど、猶疑ふ童のために左に註せり、【圓のしるしは初の長歌、方のしるしは次の長歌の言なり、これを以て二首の混たるをしり分つべし、】
 
3339  玉桙之、道爾出立、葦引乃、野行山行、 (山を先いふべし、)
 
 潦、(水激の誤なる事上にいひつ、)
 
 川往渉、鯨名取、海賂丹出而、吹風裳、於穗丹者不吹、立浪裳、箆跡丹者不起、恐耶、神之渡者、 (此次の句どもこゝに落て下に有、)
 
 鳥(カ)音、不所聞海爾、
 □□□□□□□、 (こゝに此二句もれたり、)
 
 敷《(一)(ニ)》浪乃、寄濱邊丹、高山矣、部立丹置而、※[さんずい+内]潭矣、枕丹卷而、
 蝦葉之衣、浴不服爾、不知魚取、海濱邊爾、
 □《(三)》□□□□□□□□□□□□□□□、(字落、)
 
 占《(四)》裳無、偃爲公者、母父之、愛子丹裳在將、稚草之、妻裳將有、
 
 □《(五)》□□□□□(二句落、)
                        哭兒如
 家《(六)》問跡、家道裳不云、名矣問跡、名谷不告、□《(七)》□□
 
 言谷不語、思鞆、悲物者、世間有、
 □□□□□□□□□□□□、(五句おちたり、)
 
 誰之言矣、勞鴨、腫浪能、恐海矣、直渉異將、(此五句は、右の神之渡乃てふ次に句ども落て、それが末に付たる句なる事上に擧し歌もて見るべし、)
 
3344 此月者《コノツキハ》、君將來跡《キミキマサムト》、大舟之、 冠辭、
 
思馮而《オモヒタノミテ》、何時可登《イツシカト》、吾待居者《ワガマチヲレバ》、黄葉之、 冠辭、
 
過行跡《スギテユキヌト》、玉梓之《タマヅサノ》、 冠辭、
 
使之云者《ツカヒノイヘバ》、螢成《ホタルナス》、髣髴聞而《ホノカニキヽテ》、大土乎《オホツチヲ》、 今本土を士に誤る、
 
足蹈駈《アシフミカケリ》、 今本太穗跡と書て、上の大士をますらを、次をはたとゝのふと訓しは、こゝに有べき言かは、こゝは古本に足※[足+昆]跡、とあり、仍て思ふに、是蹈駈など書しを誤し事しるければ改つ、【(卷十)菟原處女をよむに、今本※[足+昆]他と有を一本頓地とす、是蹈地の字にて、たちおどりと訓べきなり、異事ながら字の誤るさまをおもひ合よ、】
 
立而居而《タチテヰテ》、去方毛不知《ユクヘモシラニ》、朝霧乃《アサギリノ》、 冠辭、 
思惑而《オモヒマドヒテ》、杖不足《ツエタラズ》、 冠辭、
 
八尺乃嘆《ヤサカノナゲキ》、 上にいづ、
 
嘆友《ナゲヽドモ》、記乎無跡《シルシヲナミト》、何所鹿《イヅコニカ》、君|之將座跡《ガマサムト》、天《アマ》雲乃、 冠辭、
 
行之隨爾《ユキノマニマニ》、所射宍乃《イルシヽノ》、 冠辭、
 
行文將死跡《ユキモシナムト》、思友《オモヘドモ》、道之不知者《ミチシシラネバ》、獨居而、君爾|戀爾《コフルニ》、哭耳思所泣《ネノミシナカユ》、
 
 反 歌
3345 葦邊往《アシベユク》、雁之翅乎《カリノツバサヲ》、見別《ミルゴトニ》、 別は集中又祝詞に多くは殊字の意なり、此歌と式などには毎字と均し、仍てこゝは見る度ごとにと心得べし、今本見わかれてと訓しは理りなし、
 
公之佩具之《キミガオバセシ》、投箭之所思《ナグヤシオモホユ》、 今本おひこしと訓しはよろしからず、○此短歌右の長歌には餘に事遠し、もし此上に今一首の短歌有しが落しにや、【註にこれを防人の妻の歌といへるはひがことぞ、東歌には東ことばのましらぬはなきに、此長歌にさる言なし、又古の男はすべてかりせぬはなしと見ゆ、防人のみと思ふは後世意なり、】
 
3346 欲見者《ミマホレバ》、雲居所見《クモヰニミユル》、 今本雲井と有は古へにかなはず、又井はかなゝれば、爾の字をしるすべきに、無にても誤はしるし、故に井は居の草より誤たりとす、
 
愛《ハシキヤシ》、十羽能《トハノ》、松原、 下の辭を皆略き書には、愛一字も書こと集の例なれど、此書體に似ず字落しならん、仍て思ふに十羽も必と爲がたし、且此地名もろ/\の國にあればいづこと指がたし、
 
少子等《ヲサナゴト》、率和出將見《イザヤデヽミム》、 此下に言多く落しものなり、次の言に間遠し、【いでゝをでゝとのみいふは集中に多し、】
 
琴酒者《コトサケバ》、 殊更に吾を放離んとならば、國に在ほどにこそさけめ、今他國の任にゐざなひ來て放るよと恨たり、此放は死わかれなり、
 
國丹|放甞《サケナメ》、 甞もつぎの南も借字にて辭のみ、
 
別避者《コトサケバ》、宅仁離南《イヘニサケナン》、乾坤之《アメツチノ》、神志恨之《カミシウラメシ》、 祈ることをいはぬは、略過て古意ならず、
 
草枕、 冠辭、
 
此羈之氣爾《コノタビノケニ》、 氣は月日といはんが如し、
 
妻應離哉《ツマサクベシヤ》、 (卷八)寄船とて、殊放者、奥從酒甞、湊自、邊著經時爾、可v放鬼香、ともあり、
 
 反 歌
3347 草枕、 冠辭、
 
此羈之氣爾、 或本羈乃氣二爲而、と有もひとし、
 
妻放《ツマサカリ》、 上の妻さくべしやは女の我をいひ、この妻は夫をいへり、字に泥むことなかれ、【或説此松原に夫のしにてあるをいふか、といへるはとらず、】
 
家|道思《ヂオモヘバ》、生爲便無《イケルスベナシ》、」 初めに欲見者、といへるは、こゝの松原のけしき、わが故郷に似たれば、しかいへるか、こは國任ならんに、國に任し人身まがれば、妻子歸さるゝことなるに、かくて在はいと遠き任にて、さるべき便待間のなげきなるべし、仍てふと思ふをいはゞ、(卷十)筑波山の歌に、新治乃、鳥羽能淡海、といへれば常陸などの任なりしか、こはかいやりてん、
 
3302 紀伊《キノ》國之、室之江邊爾《ムロノウミベニ》、 和名抄に、紀伊國、牟婁郡、牟婁郷、
 
千年爾《チトセニ》、障事無《サハルコトナク》、萬世爾、如是將有登《シカモアラムト》、大舟乃、思恃而出立之《オモヒタノミテイデタチシ》、 千年と云々、といふに依に、京に史生などにて在し人、妻をゐて本國へ歸し故にかくよみしか、
 
清瀲爾《キヨキナギサニ》、 此國の浦濱は世にことなり、
 
朝名寸二《アサナギニ》、來依深海松《キヨルフカミル》、夕難伎爾《ユフナギニ》、來依|繩法《ナハノリ》、 清瀲よりこゝまでは、其所のさまもて句中の序とせしのみなり、或人この言ともに寄たる意ありとするはひがことぞ、
 
深《フカ》海松之、深目思子等遠《フカメシコラヲ》、繩法之、引者|絶登夜《タユトヤ》、 繩といふより絶といひて、そのゐてこし妻の死たるを云なり、されども次につゞく言なきは、此間に言の落しものなり、【或説(ニ)妻離れ失しにやといへるはひがことなり、上の言下の尋るさまたゞにあらず、こは(卷二)に出し人まろの、隱づまの死を悲る歌の言を思ひてよめる、奈良人の歌なれば、かく言も明らかならぬか、上に句も落しかば、いよゝ明らかならぬを、よくも見ぬものなり、】
 
散度人之《サトビトノ》、行之屯爾《ユキノツドヒニ》、 今本屯を長に誤つ、一本に依て改む、屯は神武天皇紀によれば、いはみと訓べけれど、此歌は後なれば從ひてつどひにとよめり、
 
鳴兒成《ナクコナス》 此言集中に多かれど、次にしか有べき言の無はあらず、然ればこゝに言の落たること知し、慕行雖、獨谷、似而志阿羅禰婆、などの如き句ども有べきなり、【又鳴子成ゆくといひかけしにや、といふは強ごとなり、凡いひかくる言に甚古きと今の違あるをおもはぬ説なり、】
 
行取《ユギトリ》左具利、 靱に行字を借べきにあらず、思ふに上の慕行の言亂れて行字のみ殘り、こゝの靱も落し所へ後人引つけてかくはしつらん、又此上にも物部之などいふ句落つらん、○取左具利は手を背へやりて靱の矢を探取なり、
 
梓弓《アヅサユミ》、弓※[弓+肅]振起《ユズヱフリオコシ》、 今本※[弓+肅]を腹に誤、こは神代紀の言也、
 
志之岐羽矣《シノギバヲ》、 鳥の風切羽といふをいへり、こはいかなる風をもよく凌ぎ行故に、征矢に專らとすれば、此名有べし、
 
二手挾《フタツタバサミ》、離兼《ハナチケム》、 ゆきとりさぐりよりこなたは、又句中の序なり、句中に多く序をいへるはまれにて、をかしくもあらず、かくて死を思はせていへるは例なから、こは定にも聞えぬは、上に句ども多く落し故にても有べし、
 
人斯悔《ヒトシクヤシモ》、戀思者《コヒシオモヘバ》、」 こは奈良人のふるまひてよみしにて、言どもよくおちゐぬ歌也、○反歌は落失しものぞ、
 
3303 里人之《サトビトノ》、吾丹告樂《ワレニツグラク》、 此上に言落しか、かくても聞ゆ、或人これも右の歌につゞけるならんといへるは、ふと見ていへるなるべし、彼は紀伊の國、是はやまとの神なびをこそよめれ、且こはいさゝか古き歌、かれは奈良の初の歌なり、
 
汝戀《ナガコフル》、愛妻者《ウツクシヅマハ》、 妻はかゝはらで書しにて夫をいへり、 
黄葉之《モミヂバノ》、散亂有《チリマガヒタル》、神名火之、彼山邊柄《ソノヤマベカラ》、 彼は或本に依、今本此と有はとらず、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、 冠辭、
 
黒馬爾乘而《クロコマニノリテ》、 黒を除てもよめど、猶くろごまてふ例多きによれり、 
河瀬乎《カハノセヲ》、七瀬渡而《ナヽセワタリテ》、 (卷八)飛鳥川、七瀬の淀、とよみつ、
 
裏觸而《ウラブレテ》、 集中に夏草の、しなえうらぶれ、と多くよみて、愁はしく物思ふ人のさまをいふ、
 
妻者會登《ツマハアヘリト》、 夫をいふ、
 
人曾|告鶴《ツゲツル》、 葬を送るにあれば、即死者の乘て行を見し如くいへるは歌なり(卷八)挽歌に「秋山の、もみぢあはれと、うらぶれて、入にし妹は、まてど來まさね、」てふもうらぶれてといふは、その死者の入しを見しが如くよめるに、かぎりなきあはれあり、むかし人は此意にたけたり、後の人の理屈もていふごとくおもへるがつたなさよ、【歌はたゞその時の心のまゝにいふに違ふ事なし、それにいさゝかも思ひかへす心有ていへるは調らず、天地の有のまゝをいふこそ神の道なれ、】
 
 反 歌
3304 不聞而《キカズシテ》、黙然有益乎《ナホモアラマシヲ》、 きかずはなほ/\の悲にてあらんものをと云り、此なほは直進の直なり、
 
何如文《ナニシカモ》、公之正香乎《キミガマサカヲ》、 今はと葬送る其時の樣を告しをいふ、此歌に至て葬の歌なるをいよゝ思ひ定よ、
 
人(ノ)之告鶴、(卷二)に、「吾にかたらく、何しかも、本無いひつる、聞つれば、ねのみしなかゆ、」といふ類なり、かくてこれはむかひめにはあらで、よそに在て相思ひし妹のよめるなり、○右の長短三首を今本には上の相聞の條の末に載、又古本にはこゝに此里人之てふ一首のみありて、上の長歌と下の反歌はなし、かゝればいづれも亂れしものなるが中に、相聞に載しは必誤なれば、一首の因に依てこゝに皆載たり、
 
萬葉集卷三之考 終
 
萬葉集卷四之考序
 
此四五の卷を古今相聞歌上下の卷とするは歌の數多ければなり且其古といふも上つ代にあらず飛鳥岡本宮の中比より清御原の宮の比までの歌をいひ今とは藤原宮より奈良宮の初めつ比までの状をいふなる事載たる歌の體にてしるしかくて此度是を四の卷次を五の卷とするよしは卷一の別記にいへり
〇二卷の初めに今本には柿本人麻呂歌集の歌古歌集中の歌あるはいと後に加へし事しるければ除て別卷として下の他《アダシ》歌集どもの初めに置めり【七の卷より下にも人麻呂歌集と註し、又註なきもその書體しるき多かれどそは家々の歌集にて雜々交れゝば更に別に擧ず】かく爲は三つの據あり一つには人麻呂歌集の書體助辭を皆略き文字甚少くしてから歌ざまになしたれば惣て萬葉の體と異にて此卷の同筆にあらざるなり二つには其人麻呂集に擧たる歌此四五の卷に再のれるあり同卷ならばかゝらんや三つには集中に古歌の異を註せるに他書はもとより此前後の歌をも或云一云など書しを人麻呂集をば皆柿本云云と註せしは此集の中ならぬゆゑなりかゝれば此卷七より下の歌集どもよりもいと後に得て此作者なき卷に添しものなり
○此上下の卷の今本に正述心緒寄物陳思問答※[羈の馬が奇]旅譬喩などの標あるは人麻呂集の加はりて後の人彼集によりて註せし物なり故今みな除つ凡此卷の歌甚多故に其類を以てのせし樣は人麻呂集と相似たれば好事の此上下卷にも標を加へしなり古今歌集もことに戀部は類をあつめしにその所々に標なきは公の御集にてやまとぶりなり彼人麻呂集も本さる標はなかりけんを奈良人のから歌めきて書なせし時ぞ書けん人麻呂の歌はから天竺の事をもてせず今の古事古言のみして世に及ぶ人なくとりなしゝ心高き才のたくましさにて歌集をば他國ぶりをまねぶ如きひくゝ戯けなる事をせんやいよゝさかしら人のわざと知べし卷三卷六にもさる標なきをあはせ見よ
〇或人問卷一より卷六までは一度の撰といふに同歌の再載しはいかにと答一二三六に同歌なしたゞ此四五の卷に有めりそは其類を集る時前には寄v菅類を擧しを末に問答の類に取しも有は只言によりてなり又よしもなくて二所に入し唯二首有は本の亂れてしかなりしものなりその所々一本の違あり本亂れずば一本の異あるべからぬを思へ又古今歌集よりすゑ大御ことのりをうけてその人々の撰集めたるにしも既前集にありし歌の誤りてのりしもあるなり萬葉は定かにあふせことゝも聞えず【かの高野天皇の仰てふはよしもなきことなり】又諸兄大臣の撰給ふと爲ことも大政申給ふいとまのすさみにて心大らかなる古人のしたゝかにも撰み給ふまじければかく多き中には重れるも有ぬべからずや物は大意をし得なばいさゝかの違は大よそに見やりつべし既いふ如く古きふみには後の誤り多きものなるを凡かくまでも明らけくなれるはまれなる事なればなり
 
萬葉集卷四之考 〔流布本卷十一〕
 
 古今相聞歌上《イニシヘイマノアヒギコエノウタノカミツマキ》
 
2517 足千根乃《タラチネノ》、母爾障良婆《ハヽニサハラバ》、 「一瀬には、千度障らひ、行水の、」といへる如く、母に障《サハ》られなば、終に成べからずといふなり、然るをさはらばと訓は約言なり、○意は下に、「たらちねの、母に白者《マヲサバ》、公も吾も、あふとはなしに、年そへぬべき、」といふに似たり、【約言なりといふは、佐倍良禮奈婆の倍良の約|波《ハ》なれば佐波といひ、又禮奈の約|良《ラ》なれば良婆《ラバ》といへり、仍て佐波良婆とよみて、こは常に此方より障るといふとはことなるなり、
 
無用《イタヅラニ》、伊麻思毛吾毛《イマシモワレモ》、事應成哉《コトナルベキヤ》、」
 
2518 吾妹子之《ワギモコガ》、吾呼送跡《ワレヲオクルト》、白細布乃《シロタヘノ》、袖漬左右二《ソデヒヅマデニ》、哭四所念《ナキシオモホユ》、」
 
2519 奥山之《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木乃板戸乎《マキノイタドヲ》、押開《オシヒラキ》、思惠也《シヱヤ》、 縱《ヨシ》ゑやしの略、
 
出來根《イデコネ》、後者何將爲《ノチハイカヾセム》、
 
2520 苅薦能《カリゴモノ》、一重叫敷而《ヒトヘヲシキテ》、紗眠友《サヌルトモ》、君共宿者《キミトシヌレバ》、冷雲梨《ヒヤケクモナシ》、」
 
2521 垣幡《カキツバタ》、 冠辭、
 
丹頬經《ニツラフ》、君叫《キミヲ》、卒爾《イサヽメニ》、 (卷七)卒爾、今毛欲見、秋芽之、四搓二將有、妹之光儀乎、てふをも今本に卒爾と書ていさなみにと訓て、引つゞきたる意とせり、と或説にはいへり、然れども、いさなみてふ言古書に見えず、又かの卷七の歌の、絶たる人をばいかでかりそめにも見ばやとは願ふべく、引つゞきにとまでは行過たり、仍て思ふに、(卷八)眞木柱、作蘇麻人、伊左佐目丹、借廬之爲跡、造許米八方、と有て、常に卒爾の音もていふとかなひて、不意にかりそめなる事と聞ゆれば、こゝにも(卷七)も、卒爾とし、いさゝめにと訓て、かりそめにてふ意とす、卷八なるは、かりそめにもの略なり、
 
思出乍《オモヒイデツヽ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」 古今歌集に、「あなこひし、今も見てしが、山賤の、籬穗にさける、やまとなでしこ、」
 
2522 恨登《ウラミシト》、思狹名盤《オモヒテセナハ》、在之可者《アリシカバ》、外耳見之《ヨソニノミミシ》、心者雖念《コヽロハモヘド》、」 逢なば恨いはん、といへるを聞し故に、恐てよそめして在しといふなり、〇狹《セ》は借字にて夫《セ》なり、名は惣て名有をいふ、ほめ言なり、
 
2523 散頬相《サニツラフ》、色者不出《イロニハイデジ》、小文《スクナクモ》、心中《コヽロノウチニ》、吾念名君《ワガモハナクニ》、」
 
2524 吾背子爾《ワガセコニ》、直相者社《タヾニアハバコソ》、名者立米《ナハタヽメ》、事之通爾《コトノカヨフニ》、何其故《ナニゾソノユヱ》、」 言傳のみ通はせるに、何の故有てか名の立けんといぶかるなり、
 
2525 懃《ネモゴロニ》、片念處歟《カタモヒスルカ》、比者之《コノゴロノ》、吾情利乃《ワガコヽロトノ》、 利《ト》は氣先《キサキ》といふに同じ、(卷三)にも下にも有、
生戸裳名寸《イケリトモナキ》、」
 
2526 將待爾到者妹之《マツランニイタラバイモガ》、懽跡《ウレシミト》、咲※[目+隷の旁]乎《ヱマンマヨワヲ》、往而早見《ユキテハヤミン》、」 今本に、咲儀乎《ヱマンスガタヲ》、と有、儀は※[目+隷の旁]を誤ることしるければ改つ、此下に同歌の言少しことなるが二度載しに、咲牟眉曳、と有なり、かくてまよ引てふ言は、書紀にも、末八の卷にも出たれど、こゝをさは訓がたければ、まよわを、とよめり、こゝろひとしければなり、【まよびきは、仲哀天皇紀に、※[目+隷の旁]此(ニハ)云2麻用弭枳(ト)1、此言(卷六)(卷十五)にも有て、まゆはたわみて長ければ曳といひ、又まよわも眉のあたりの事なれば遂に均し、まよわてふ言は、書紀に眉輪《マヨワノ》王ともいひ、集に面|廻《ワ》といふも面のあたりの事なるなどを思へ、】
 
2527 誰此乃《タレカコノ》、吾屋戸來喚《ワガヤドニキヨブ》、足千根乃《タラチネノ》、呼爾所嘖《ハヽニコロバレ》、 神代紀に、發稜威之嘖讓、(嘖讓此(ニハ)云2擧廬毘《コロビト》1、)こは大聲にさけぶことなり、此下に、「あしびきの、山澤囘具を、つみにゆかん、日だにもあはん、母は責十方《コロブトモ》、」(卷六)奈我波伴爾、己良例安波由久、とも有もてころばれとよめり、是をいまのひとは、しからるゝといへり、
 
物思吾呼《モノモフワレヲ》、」
 
2528 左不宿夜者《サネヌヨハ》、千夜毛有十方《チヨモアリトモ》、我背子之《ワガセコガ》、思可悔《オモヒクユベキ》、心者不持《コヽロハモタジ》、」
 
2529 家人者《イヘビトハ》、路毛四美三荷《ミチモシミヽニ》、 しみゝは繁《シミ》々の略、
 
雖從來《カヨヘドモ》、 往は一本に有、
 
我待妹之《ワガマツイモガ》、使不來鴨《ツカヒコヌカモ》、」
 
2530 璞之《アラタマノ》、寸戸我竹垣《キベガタカヾキ》、 (卷六)遠江歌に、阿良多麻能、伎|倍《ベ》乃波也之爾、又伎倍比等乃、万太良夫須麻爾、とよみ、和名抄に、遠江國、麁玉郡、(阿良多末今稱2有玉1、)と有、且木戸は、今其郡のをくに、貴平《キベ》と喚村あり、是なるべし、さて寸戸の里の竹垣といふ意なり、(卷二十)に常陸國、久慈郡に在母の事を、くしが母とよめるが如し、
 
編目從毛《アミメユモ》、 竹をあみて籬とせしには、透間のあるものなり、
 
妹志所見者《イモシミエナバ》、吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》、」 こは遠江人の歌なるべし、此下に東歌の入しも有なり、又遠江の任にて、かしこに在人の許につけてよみしか、古は遠き所を設け出てよむ事なければ、京にてよめる歌にはあらず、【或説に、正述心緒てふ類の中の歌なれば、思ひやりてよめる歌ぞ、といへるは委しく思はざるなり、此類は添に加へし物にて、此類の中にも必一體の歌のみならぬ有事、上にいへるがごとし、】
 
2531 吾背子我《ワガセコガ》、其名不謂跡《ソノナイハジト》、玉切《タマキハル》、命者棄《イノチハステツ》、忘賜名《ワスレタマフナ》、」 父母などの嘖問時、命を捨て通ふ男の名をいはざりしなり、これも國人の歌ならん、
 
2532 凡者《オホナラバ》、 大よその心ならばといふ、
 
誰將見鴨《タガミムトカモ》、黒玉乃《ヌバタマノ》、我玄髪乎《ワガクロカミヲ》、靡而將居《ナビケテヲラム》、」 また髪あげせぬ間にて、いと長くてむつかしければ、凡ならばまきたがねてもをらんを、君が見ん爲とて、なびけ垂てをるぞといへり、女の髪の事、卷二の別記に委しくせり、
 
2533 面忘《オモワスレ》、何有人之《イカナルヒトノ》、爲物焉《スルモノゾ》、 今本焉を鳥と有は誤、
 
吾者爲金津《ワレハシカネツ》、繼手志念者《ツギテシモヘバ》、」
 
2534 不相思《アヒモハヌ》、人之故可《ヒトノユヱニカ》、璞之《アラタマノ》、年緒長《トシノヲナガク》、言戀將居《ワガコヒヲラム》、」 をらん物かとなげゝり、
 
2535 凡乃《オホヨソノ》、行者不念《ワザハオモハジ》、言故《ワレユヱニ》、 夫《セ》子がしわざの恨むべき事もあれど、こゝはかけてもいひ念ふまじきと云り、
 
人爾事痛《ヒトニコチタク》、所云物乎《イハレムモノヲ》、」
 
2536 氣緒爾《イキノヲニ》、妹乎思念者《イモヲシモヘバ》、年月之《トシツキノ》、往覧別毛《ユクラムワキモ》、不所念鳧《オモホエヌカモ》、」
 
2537 足千根乃《タラチネノ》、母爾不所知《ハヽニシラレズ》、吾待留《ワガマテル》、心者吉惠《コヽロハヨシヱ》、君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2538 獨寢等《ヒトリヌト》、 毛を略、
 
※[草冠/交]朽目八方《コモクチメヤモ》、 ※[草冠/交]は蒋にて中重なり、席は筵にて上重なり、その上重の稜筵はそこなひて、編緒のみに成ぬとも、中重の蒋までは朽亂るまじければ、夫《セ》子と共ねせし疊をば、いつまでも、取もかへず敷ねつゝ待なんとなり、【※[草冠/交]は、字注に、乾蒭、或説に、染たる物と云は、今を思ひて古へを考へざるなり、古へは衣をだに文《アヤ》に色どらんとては斑にのみ摺たり、藺を染て織ことあらんや、】
 
綾席《アヤムシロ》、 綾檜垣、綾檜笠、などの如くて、藺を綾に織たるむしろなり、
 
緒爾成及《ヲニナルマデニ》、君乎之將待《キミヲシマタム》、」
 
2539 相見者《アヒミテハ》、千歳八去流《チトセヤイヌル》、否乎鴨《イナヲカモ》、 乎は、與に通ひて、否與歟なり、
 
我哉然念《ワレヤシカモフ》、待公難爾《キミマチガタキニ》、」 此歌(卷六)東歌の末に有て、其所の左の古注に、柿本朝臣人麻呂歌集に出也、と云り、かくて歌の體東歌なり、人麻呂集にも此上下の卷にも、東歌なるべきがのりしも間々あり、然るをこゝをばいはで、人麻呂集に出と注せしは見落せしか、又本こゝには無かりしを、人麻呂集よりまぎれ入しにや、【此卷の始にいひし如く、重り載しも有べきが中に、猶他よりまぎれ入けんも、そのよし見ゆるは皆かくしるせり、下皆しかり、これを集め見ば、おのづから疑ひをはるけてん、】
 
2540 振別之《フリワケノ》、髪乎短彌《カミヲミジカミ》、 いときなき女の兒の、長き髪をうらやみて、かつら草と名づけて、わかく長き草をおのが髪にゆひそへなどすること今もあり、
 
青草乎《ワカクサヲ》、髪爾多久濫《カミニタグラン》、 多久は、髪にその草をそへて、ゆひたがぬるなり、上に多氣はぬれ、といひ、(卷十)に、「八年兒の、片生の時ゆ、小《ヲ》放に、髪多久までに、」といへるは、たゞ髪のみをたがねゆふなり、【我奴の約具なり、】
 
妹乎師曾於母布《イモヲシゾオモフ》、」 いときなきほどより心にしめおきて思ふなり、
2541 徘徊《タモトホリ》、 今本たちとまり、と訓しは誤れり、下皆同、
 
往箕之里爾《ユキミノサトニ》、 今本住箕と有は理なし、一本もて往とす、さてゆきみてふ里はいまだ不知ども、初句よりのつゞけを思ふにゆきみといふべし、
 
妹乎置而《イモヲオキテ》、心空在《コヽロソラナリ》、土者蹈鞆《ツチハフメドモ》、」
 
2542 若草乃《ワカクサノ》、 冠辭、
 
新手枕乎《ニヒタマクラヲ》、卷始而《マキソメテ》、夜哉將間《ヨヲヤヘダテム》、二八十一不在國《ニクヽアラナクニ》、」
 
2543 吾戀之《ワガコヒノ》、事毛語《コトモカタラヒ》、名草目六《ナグサメム》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、待八金手六《マチヤカネテム》、」
 
2544 寤者《ウツヽニハ》、相縁毛無《アフヨシモナシ》、夢谷《イメニダニ》、間無見君《マナクミムキミ》、戀爾可死《コヒニシヌベシ》、」
 
2545 誰彼登《タソカレト》、問者將答《トハヾコタヘム》、爲便乎無《スベヲナミ》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、還鶴鴨《カヘシツルカモ》、」
 
2546 不念丹《オモハズニ》、到者妹之《イタラバイモガ》、歡三跡《ウレシミト》、咲牟眉曳《ヱマムマヨヒキ》、所思鴨《オモホユルカモ》、」 上に似たる歌有、例を思ふに、上の歌の一本などなるが、亂れてこゝに入しならん、
 
2547 如是許《カクバカリ》、將戀物衣常《コヒムモノゾト》、不念者《オモハネバ》、妹之手本乎《イモガタモトヲ》、不纏夜裳有寸《マカヌヨモアリキ》、」 古本は此歌こゝにはなくて、(卷五)に、「世間爾、戀將繋跡、おもはねば、君がたもとを、不枕夜毛有寸、」てふ左に、一云、如是許云云、と注せり、今こゝには他より入しか、又こゝを本にて次の卷なるがひがことか、
 
2548 如是谷裳《カクダニモ》、吾者戀南《ワレハコヒナム》、 【或説に、此南は祈《ノム》ことゝて、(卷十四)の坂上郎女の歌を引しは、かの歌の心得を違へり、
 
玉梓之《タマヅサノ》、君之使乎《キミガツカヒヲ》、待也金手武《マチヤカネテム》、」 歎の餘りなるまゝに、かくだに吾は戀なんやと先なげきて、さて逢ことはおきて君が使をだに待得難にして、かく戀んことかもと、重ね/\なげく事を思ひのまゝにいゝつゞけしなり、
 
2549 妹戀《イモコフト》、吾哭涕《ワガナクナミダ》、敷妙之《シキタヘノ》、 今本に之を木として、木枕と有は此歌にかなはず、六帖に、敷たへの、枕通りて、と有によりて改む、
 
枕通而《マクラトホリテ》、袖副所沾《ソデサヘヌレヌ》、」 【或本歌云、枕通而、卷者|寒母《サムシモ》、かくも有べし、】
 
2550 立念《タチテモヒ》、居毛曾念《ヰテモゾオモフ》、紅之《クレナヰノ》、赤裳下引《アカモスソヒキ》、 別卷の旋頭歌に裳下潤奈、とも書たれば、こゝは今本の訓によれり、
 
去之儀乎《イニシスガタヲ》、」 【源氏物語に、此歌を、あかもたれひき、といひしはわろかりし、】
 
2551 念之《オモフニシ》、餘者《アマリニシカバ》、爲便無三《スベヲナミ》、出曾行之《イデテゾユキシ》、其門乎見爾《ソノカトヲミニ》、 【此上下卷の初めに附て在し、人麻呂歌集と古歌集とをば、(卷六)の次に別に出せり、是を別卷といへり、下同じ、】
 
2552 情者《コヽロニハ》、千遍敷及《チヘシク/\ニ》、雖念《オモヘドモ》、使乎將遣《ツカヒヲヤラム》、爲便之不知久《スベノシラナク》、」
 
2553 夢耳《イメニノミ》、見尚幾許《ミテスラコヽタ》、戀吾者《コフワレハ》、寤見者《ウツヽニミナバ》、益而如何有《マシテイカヾアラム》、」
 
2554 對面者《アヒミレバ》、面隱流《オモガクサルヽ》、 こは女の自らいへる言なれば、今本におもかぐれすると訓しはかなはず、
 
物柄爾《モノカラニ》、 物ながらにと心得べし、
 
繼而見卷能《ツギテミマクノ》、欲公毳《ホシキキミカモ》、」
 
2555 旦戸遣乎《アサトヤリヲ》、 遣戸は此時既有しなり、
 
速莫開《ハヤクナアケソ》、味澤相《アヂサハフ》、日之乏流君《メガホルキミガ》、今夜來座有《コヨヒキマセル》、
 
2556 玉垂之《タマダレノ》、小簀之垂簾乎《ヲスノタレスヲ》、持掲《モチカヽゲ》、 君が入來ん戸口の簾を持かゝげて、いをもねず待をるとも、その勞は思はじ、ひとへに君が通ひだに來ばといふなり、今本往褐と有は必誤れゝばあらためつ、
 
寐者不眠友《イヲバネズトモ》、君者通速爲《キミハカヨハセ》、」
 
2557 垂乳根乃《タラチネノ》、母白者《ハヽニマヲサハ》、公毛余毛《キミモアレモ》、相鳥羽梨丹《アフトハナシニ》、年可經《トシノヘヌベキ》、」
 
2558 愛等《ウツクシト》、 うつくしはうらぐはしてふ言より出て、物の莊《カザリ》の美《ウツク》しきにも、妻子をめで、月花をほむるにも轉じ云り、
 
思篇來師《オモホヘケラシ》、 來は氣利の辭にも借ればけらとも訓、【卷一の夏來良之、と有を、今本、なつきにけらし、と訓は誤なり、そは夏來の字にては、既なつきにと訓たれば、けらしのけの言のかな、字なし、かゝる所によく意をやりて見ずはこゝを疑ふべし、】
莫忘登《ワスレナト》、結之紐乃《ムスビシヒモノ》、解樂念者《トクラクオモヘバ》、」 是は旅に在てよめる歌にて、別るゝとき妹が結びたりし紐の解るは、今頻にわれを戀らしと云なり、
 
2559 昨日見而《キノフミテ》、今日社間《ケフコソヘダテ》、吾妹兒之《ワギモコガ》、幾許繼而《コヽタクツギテ》、見卷之欲毛《ミマクシホシモ》、」 今本見卷欲毛、と有て、みまくほしかも、と訓しは言調はず、こは、之《シノ》字の落しことしるければ加へつ、
2560 人毛無《ヒトモナキ》、古郷爾《フリニシサトニ》、有人乎《アルヒトヲ》、 妹が自いふ、
 
愍久也君之《メグヽヤキミガ》、 めぐゝは此下の卷に、意具美《コヽログミ》、吾念兒等、てふ歌有、そは末の卷にも多くて、上より下を心に苦しとおもひ、見るめに苦しと思ふ事にいへるを、こゝは我うへにとりていへり、即今の人のむごくするといふ是にて、めぐゝとむごくは音通ひて同言なり、猶こころぐゝの別記にいふ、
 
戀爾令死《コヒニシナセメ》、」
 
2561 人事之《ヒトゴトノ》、 事は言なり、末も同、
 
繁間《シゲキマ》、 此間を切て心得よ、
 
守而《モリテ》、 うかゞふなり、
 
相十方《アヘリトモ》、八反吾上爾《ヤヘワガウヘニ》、事之將繁《コトノシゲヽム》、」
 
2562 里人之《サトビトノ》、言縁妻乎《コトヨセヅマヲ》、 彼妹と彼男は相思ふぞと里の諸人のいひよするなり、此事上下に多し、或説に、里人の心をよせていふといへるはあやまれり、
 
荒垣之《アラガキノ》、外也吾將見《ヨソニヤワガミム》、惡有名國《ニクカラナクニ》、」
2563 他眼守《ヒトメモル》、 うかゞふなり、
 
君之隨爾《キミガマニ/\》、余共爾《ワレサヘニ》、夙興乍《ハヤクオキツヽ》、裳裾所沾《モスソヌラシヌ》、」 別卷旋頭歌に、朝戸出の、君があゆひを、ぬらす露原、早起《ハヤクオキテ》出乍吾毛、裳下潤奈《モスソヌラサナ》、てふに同じく、男を送り出て草葉の露にわれもぬれたるなり、○夙はつとゝ訓もあしからねど、こゝははやくと訓ぞことわりよく聞ゆ、
 
2564 夜干玉之《ヌハタマノ》、 冠辭、
 
妹之黒髪《イモガクロカミ》、今夜毛加《コヨヒモカ》、吾無床爾《ワレナキトコニ》、靡而宿良武《ナビケテヌラム》、」 黒髪を打なびかせて、いもがいぬる樣を思ひていふのみの歌なれば、なびけてぬらん、とよむめり、今本なびきてぬらん、とよめるは、髪を譬として身なびきてぬる事と思へるか、さては意むづかしくて言通らず、
 
2565 花細《ハナグハシ》、 人の家の花を垣ごしに見てうるはしむに譬て、妹を物ごしに一目見たるを云なり、【或説に、葦の花ぞと云は誤れり、あしの花を細《クハシ》とほむべくもあらず、垣ごしに見たる花をたとへしこそおもしろけれ、】紀に、(允恭)波那具波辭、佐久羅梅※[さんずい+(日/工)]、と衣通姫を譬給ふより出てかくよみしならん、
 
葦垣越爾《アシガキゴシニ》、直一目《タヾヒトメ》、相視之兒故《アヒミシコユヱ》、千逼嘆津《チタビナゲキツ》、」
 
2566 色出而《イロニデヽ》、戀者人見而《コヒバヒトミテ》、應知《シリヌベシ》、情中之《コヽロノウチノ》、隱妻波母《コモリヅマハモ》、」
 
2567 相見而者《アヒミテハ》、戀名草六跡《コヒナグサムト》、人者雖云《ヒトハイヘド》、見後爾曾毛《ミテノチニゾモ》、戀益家類《コヒマサリケル》、」 【後世、むかしは物を思はざりけりともよめり、】
 
2568 凡《オホヨソニ》、吾之念者《ワレシオモハバ》、如是許《カクバカリ》、難御門乎《カタキミカドヲ》、退出米也母《マカリデメヤモ》、」 まかりは、專《モハラ》公より退下をいへれば、とのゐなどする男の忍び妹がりまかりたるなり、【後世、「みか月のおぼろげならぬ戀しさにわれてぞ出し雲の上より、」とよめり、】
 
2569 將念《オモヒナム》、其人有哉《ソノヒトナルヤ》、 あひ念はん人なるやは、思ふべき人とも無にとかへるなり、
 
烏玉之《ヌバタマノ》、夜晝不云《ヨルヒルイハズ》、吾戀渡《ワガコヒワタル》、」 こは或本によりぬ、今本に末を、毎夜君之、夢西所見、と有は一二句と迎ていさゝか遠し、
2570 如是耳《シカシノミ》、戀者可死《コヒバシヌベシ》、足千根之《タラチネノ》、母毛告都《ハヽニモツゲツ》、不止通爲《ヤマズカヨハセ》、」
 
2571 丈夫波《マスラヲハ》、友之《トモノ》※[馬+參]爾《キソヒニ・サワギニ》、 ※[馬+參]は馬の多く並ひ行さまなれば競《キソヒ》と訓べし、今本にぞめきと訓しはそゞめきの略なり、されど我國の言に初めを濁る事なし、かく濁るは上を略ける俗言にて古歌の言にあらず、
 
名草溢《ナグサモル》、 溢は外へ漏あふるゝ意もて借たり、此下に名草漏とも書たり、 
心毛將有《コヽロモアラム》、我衣苦寸《ワレゾクルシキ》、」
 
2572 僞毛《イツハリモ》、似付曾爲《ニツキテゾスル》、何時從鹿《イツヨリカ》、 何の時代より歟なり、今本の訓はわろし、何時をば皆いつとよめり、
 
不見入戀爾《ミヌヒトコヒニ》、人之死爲《ヒトノシニスル》、」
 
2573 情左倍《コヽロサヘ》、奉有君爾《マタセルキミニ》、 たてまたすを略きていふは、(卷三)に出、公奉而《キミニマタシテ》、こえん年はも、とよみつ、
 
何物乎鴨《ナニヲカモ》、不云言此跡《イハデイヒシト》、吾將竊食《ワガヌスマハム》、」 女の母へ男のうへをよくいひて出あはんと契りしまゝに、母にいひしかど、うべなはねば隱りのみをるを、男の恨て母にはいはでいひしと、そらごとするにやといふにこたへしにや、
 
2574 面忘《オモワスレ》、太爾毛得爲也登《ダニモエスヤト》、 面忘をだに爲る事を得るやはといふへなり、此須を濁ることなかれ、下の卷に、玉勝間、安倍島山之、暮霜爾、旅宿得爲也《タビネモエスヤ》、長(キ)此夜乎、ともいへり、〇面忘太爾毛とは、人を一向忘るまでは難くとも、面をだに忘れんとするにかなはず、
 
手握而《タニギリテ》、雖打不寒《ウテドモコリズ》、戀之奴《コヒノヤツコ》、」 (卷十六)に「家に在し、櫃に鎖《サヲ》さし、をさめてし、戀の奴の、つかみかゝりて、」ともいへり、奴にたとへてみづから罵るなり、
 
2575 希將見《メヅラシト》、 今本まれに見んと訓しは次の句にかなはず、書紀に、(神功)希見、此云梅豆邏志、といひつ、ここの將の字は添字なり、此下の末の句に、益希將見裳《マシメヅラシモ》と、有、今本それをいましめづらしもとよみつるに、ここの訓を違へしはひがことなり、【めづらしとは愛《ヅ》ることなるを、希なるはめでらるゝ意にて、希見と書しは轉々せる事なり、されど、既奈良朝の始めの頃しもかく轉ぜしは、既萬づうつり下れるを思へ、】
 
君乎見常衣《キミヲミムトゾ》、左手之《ヒダリテノ》、執弓方之《ユミトルカタノ》、眉根掻禮《マユネカキツレ》、」
 
2576 人間守《ヒトマモリ》、蘆垣越爾《アシガキゴシニ》、吾妹子乎《ワギモコヲ》、相見之柄二《アヒミシカラニ》、事曾左太多寸《コトゾサダオホキ》、」 くさ/”\といひ定むる人言ぞ多きといふなり、此下に、奥(ツ)波、邊浪之來縁、左太能浦之、此|左太《サダ》過而、後將戀可聞、これも人言のいひ定めをしばし過してといへり、公のさだの庭と云は議定《ハカリサダムル》所なり、人のさだ過と云は三十を定めとして、それを過るほどの事なり、後の物語ぶみに、物を此定めにしてなどいふも皆同じ、後世は誤る人多し、【後世何ものゝわざにか、沙汰の字をあてゝ理をいふは、古言を思はず、古歌に字音なきをだにしらざるみだりことなり、】
 
2577 今谷毛《イマダニモ》、目莫令乏《メナトモシメソ》、不相見而《アヒミズテ》、將戀年月《コヒムトシツキ》、久家眞國《ヒサシケマクニ》、」 久し計武《ケム》の武《ム》を延てけ萬久にと云り、かくてこそ上の言にかなへれ、今本に、久家莫國、と有にては、久しからなくにてふ意となれば、上に背きて何の理ともなし、この事(卷一)の御名部皇女の御歌の別記にいへり、
 ○此歌は旅に行別の時なるべし、
 
2578 朝宿髪《アサネガミ》、吾者不梳《ワレハケヅラジ》、愛《ウツクシキ》、君之手枕《キミガタマクラ》、觸篆之鬼尾《フレテシモノヲ》」 今本觸義之と有は、篆を義《ギ》に誤れるよし別記に委しくす、かくて此辭は、觸多里志と云ことなり、その多里の約は知なるを弖《テ》に轉じていへり、集中に思|低志《テシ》、行|而之《テシ》などいへる多きをおもへ、【又一説に、義之は羲之にて、ふれ來《キ》しの意かといふも泥みて思ひ放れえぬなり、かく樣にいふ時は、こしとこそいへ、】
 
2579 早去而《ハヤユキテ》、何時君乎《イツシカキミヲ》、 君は妹の字か、
 
相見等《アヒミムト》、念之情《オモヒシコヽロ》、今曾水葱少熱《イマゾナギヌル》、」 水葱少熱は訓を借のみにておもひし心の和《ナゴ》みぬるといふなり、
 
2580 面形之忘戸在者《オモカゲノワスラヘマサバ》、 下に人事、茂間守(ルト)、不相在、終(ニ)八《ヤ》子等(ガ)、面忘南、てふごとく、我面樣をしも忘れなばとまでいふは、あはで年ふる中の意なり、
 
小豆鳴《アヂキナク》、男士物屋《ヲノコジモノヤ》、 小豆鳴と書てもあぢきなくと訓べし、たらちねをたら常とかきし類なり、男士物(卷二)にいひつ、
 
戀乍將居《コヒツヽヲラム》、」
 
2581 言云者《コトニイヘバ》、三々二田八酢四《ミヽニタヤスシ》、 紀にことをこそたゝみといはめ、此下の卷に、戀云者《コヒトイヘバ》、薄事《アサキコト》有、(卷十二)旅とへば、言にぞやすき、などみなことばはたやすく聞ゆるといふなり、
 
小九毛《スクナクモ》、心中二《コヽロノウチニ》、我念羽奈九二《ワガモハナクニ》、」
 
2582 小豆奈九《アヂキナク》、何枉言《ナニノマガコト》、今更《イマサラニ》、小童言爲流《ワラハゴトスル》、老人二四手《オイヒトニシテ》、」 老てかくわらはめく戀するはたゞにはあらじ、枉津日《マガツヒ》の神のせさする枉事ならんといふ意なり、言は事なり、
 
2583 相見而《アヒミテ》、 是は四言にいふべくも覺えず、(卷十三)不相見者《アヒミデバ》、幾久毛《イクヒサシクモ》、不有國《アラナクニ》、てふ如く、こゝも相の上に不を落せるか、さなくは而|者《ハ》とも有ぬべきなり、
 
幾久毛《イクヒサシクモ》、不有爾《アラナクニ》、如年月《トシツキノゴト》、所思可聞《オモホユルカモ》、」
 
2584 丈夫登《マスラヲト》、念有吾乎《オモヘルワレヲ》、如是許《カクバカリ》、令戀波《コヒセシムルハ》、苛者在來《カラクハアリケリ》、」 今本苛を小可とあるは誤れり、
2585 如是爲乍《カクシツヽ》、吾待印有鴨《ワガマツシルシアラムカモ》、世人皆乃《ヨノヒトミナノ》、常不在國《ツネナラナクニ》、」 命のほどもしらぬをいふ、
 
2586 人事《ヒトゴトヲ》、茂君《シゲシトキミニ》、 是と次とは、人麻呂歌集の書體なり、こゝには亂れて入しものなり、
 
玉梓之《タマヅサノ》、使不遣《ツカヒモヤラズ》、忘跡思名《ワスルトモフナ》、」
 
2587 大原《オホハラノ》、古郷《フリニシサトニ》、 卷二に出、
 
妹置《イモヲオキテ》、吾稻金津《ワレイネカネツ》、夢所見乞《イメニミエコソ》、」 こそは願ひなり、
 
2588 夕去者《ユフサレバ》、公來座跡《キミキマサムト》、待夜之《マチシヨノ》、名凝衣今《ナゴリゾイマモ》、宿不勝爲《イネガテニスル》、」 下卷に、玉梓之、君之使乎、待之夜乃、名凝其今毛、不宿夜乃|大寸《オホキ》、と有に似たり、なごりは汐干にこゝかしこに猶水の殘りて有をいふ、それより轉じて物の殘り有ことに皆用う、
 
2589 不相思《アヒモハズ》、公者在良思《キミハアルラシ》、黒玉《ヌバタマノ》、夢不見《イメニモミエズ》、受旱宿跡《ウケヒテヌレド》、」
 
2590 石根蹈《イハネフミ》、夜道不行《ヨミチユカジト》、念跡《オモヘレド》、妹依者《イモニヨリテハ》、忍金津毛《シノビカネツモ》、」 忍は本心の内にこらして置ことにて、こゝは即こらへをり難きなり、隱し慕ふ事にいふはこれより出たり、
 
2591 人事《ヒトゴトノ》、茂間守跡《シゲキマモルト》、 間を守候ふなり、
 
不相在《アハサラバ》、終八子等《ツヒニハコラガ》、 かのかな落しか、
 
面忘南《オモワスレナム》、」
 
2592 戀死《コヒシナム》、後何爲《ノチハナニセム》、吾命《ワガイノチ》、生日社《イケルヒニコソ》、見幕欲爲禮《ミマクホリスレ》、」
 
2593 敷細《シキタヘノ》、枕動而《マクラウゴキテ》、 ねもいられぬまゝに、いねかへりなどすれば枕の動くを、彼がわざのごとくいひなすめり、此本の三句は人麻呂歌集にもあり、
 
宿不所寢《イネラレズ》、物念此夕《モノモフコヨヒ》、急明鴨《ハヤアケムカモ》、」
 
2594 不往吾《ユカヌワヲ》、 障有てゆかぬなり、
 
來跡可夜《コムトカヨヒモ》、 夜の事をよひといふ例多し、
 
門不閇《カドタテズ》、※[立心偏+可]怜吾妹子《アハレワギモコ》、 あゝと歎くをいふ、
 
待筒在《マチツヽアラム》、」
 
2595 夢谷《イメニダニ》、何鴨不所見《ナニカモミエヌ》、雖所見《ミユレドモ》、吾鴨迷《ワレカモマドフ》、戀茂爾《コヒノシゲキニ》、」
 
2596 名草漏《ナグサムル》、心莫二《コヽロハナシニ》、如是耳《カクシノミ》、戀也度《コヒヤワタラム》、月日殊《ツキニヒニケニ》、」 【或本歌、奥津浪、敷而耳八方、戀度奈牟、】
 
2597 何爲而《イカニシテ》、忘物《ワスルヽモノゾ》、吾妹子丹《ワギモコニ》、戀益跡《コヒハマサレド》、所忘莫苦二《ワスラレナクニ》」
 
2598 遠有跡《トホクアレド》、公衣戀流《キミヲゾコフル》、玉桙乃《タマボコノ》、 【玉桙の里とつゞけしは、冠辭考にもれたり、】
 
里人皆《サトビトミナニ》、 君が住方の道の里人といはんとて、玉桙の冠辭を即道になしていへるは、少し後のわざなり、
 
吾戀八方《ワレコヒメヤモ》、」
 
2599 驗無《シルシナキ》、戀毛爲鹿《コヒヲモスルカ》、暮去者《ユフサレバ》、人之手枕而《ヒトノテマキテ》、將寐兒故《ネナムコユヱニ》、」
 
2600 百世下《モヽヨシモ》、千代下《チヨシモ》、生有目八方《イキテアラメヤモ》、吾念妹乎《ワガモフイモヲ》、置嘆《オキテナゲカム》」
 
2601 現毛《ウツヽニモ》、夢毛吾者《イメニモワレハ》、不思寸《モハザリキ》、振有公爾《フリタルキミニ》、 老たるにあらず、はやき時あひし君をいふ、此下に、眉根掻、下いぶかしみ、おもへるに、いにしへ人を、相見つるかも、古今歌集に、古人なれば袖ぞぬれける、
 
此間將會十羽《コヽニアハムトハ》、」
 
2602 黒髪《クロカミノ》、白髪左右跡《シラカミマデト》、結大王《ムスビテシ》、心一乎《コヽロヒトツヲ》、今解目八方《イマトカメヤモ》、」 大王をてしの言に書しよしは、上の篆之《テシ》の別記にいへり、且てしは結びたりしてふ意なるよしも、同じくいひつ、別卷に、菅根《スガノネノ》、惻隱《ネモゴロキミガ》、結爲《ムスビテシ》、我紐緒《ワガヒモノヲヽ》、解人不有《トクヒトアラメヤ》、てふ似たる歌もておもへ、
 
2603 心乎之《コヽロヲシ》、君爾奉跡《キミニマカスト》、念有者《オモヘレバ》、縱此來者《ヨシコノゴロハ》、戀乍乎將有《コヒツヽヲアラム》、」
 
2604 念出而《オモヒデヽ》、哭者雖泣《ネニハナクトモ》、灼然《イチジロク》、人之可知《ヒトノシルベク》、嘆爲勿謹《ナゲキスナユメ》、」
 
2605 玉桙之《タマボコノ》、道去夫利爾《ミチユキブリニ》、不思爾《オモハヌニ》、 こゝのおもはぬにといふは、たゞ思ひかけぬなり、おもはずにといふは、物語ぶみに思ふ心と違へるをいへり、集中にも此分ち有、
 
妹乎相見而《イモヲアヒミテ》、戀比鴨《コフルコロカモ》、」
 
2606 人目多《ヒトメオホミ》、常如是耳志《ツネカクノミシ》、候者《サモラヘバ》、 今本候を侯に誤、人間をのみ守うかゞひてあらばといふなり、
 
何時《イヅレノトキカ》、吾不戀將有《ワガコヒザラム》、」
 
2607 敷細之《シキタヘノ》、 冠辭、
 
衣手可禮天《コロモデカレテ》、 敷細は夜の衣をいふこと、冠辭考にいへる如くなれば、相纏へる袖離るなり、
 
吾乎待登《ワヲマツト》、在濫子等者《アルラムコラハ》、面影爾見《オモカゲニミユ》、」 
2608 妹之袖《イモガソデ》、別之日縱《ワカレシヒヨリ》、白細之《シロタヘノ》、衣片敷《コロモカタシキ》、戀管曾寐留《コヒツヽゾヌル》、」
 
2609 白細之《シロタヘノ》、袖者間結奴《ソデハマユヒヌ》、(卷八《今七》「今年ゆく、新島守《ニヒサキモリ》が、麻衣《アサゴロモ》、肩のまよひを、誰かとり見ん、」(卷六)「かぜのとの、遠きわぎもが、きせしきぬ、たもとの下に、まよひ來にけり、和名抄、(※[糸+曾]布類に、)※[糸+比]、(まよ布、一云與流、)※[糸+曾]欲v壞也、などあり、
 
我妹子我《ワギモコガ》、家當乎《イヘノアタリヲ》、 其家のあたりにては、もし妹が見るやと度々振しなり、
 
不止《ヤマズ・ツネニ》振四二《フリシニ》、」 不止はつねにと訓ぞ増るべき、
 
2610 夜干玉之《ヌバタマノ》、吾黒髪乎《ワガクロカミヲ》、引奴良思《ヒキヌラシ》、 (卷十一)朝髪の、思ひ亂れててふごとく、ゆひたる髪の夜のほどに解て、ぬる/\と下り亂るゝをいふ、(卷二)に、たげはぬれ、たがねは長き、といへるところにいひしがごとし、
 
亂而反《ミダレテカヘリ》、戀度鴨《コヒワタルカモ》」 髭はその時のさまもて譬へしにて、亂れ云云は、思ひ亂て歸りしをいふ、さて女の、男のもとへ通ふことは例ならぬを、集中まれ/\さる歌も有は、たま/\よし有てさることもあることなり、
 
2611 今更《イマサラニ》、君之手枕《キミガタマクラ》、卷宿米也《マキネメヤ》、吾紐緒乃《ワガヒモノヲノ》、解都追本名《トケツヽモトナ》、」
 
2612 白細布乃《シロタヘノ》、袖觸而從《ソデヲフレテユ》、 今本從を夜に誤、
 
吾背子爾《ワガセコニ》、吾戀落波《ワガコフラクハ》、止時裳無《ヤムトキモナシ》、」
 
2613 夕卜爾毛《ユフケニモ》、占爾毛告有《ウラニモノレル》、 夕うらともいへど、そは衢の占なり、たゞ占といふは、鹿の骨を燒うらなり、
 
今夜谷《コヨヒダニ》、不來君乎《キマサヌキミヲ》、何時將待《イツトカマタム》、」
 
2614 眉根掻《マユネカキ》、下言借見《シタイブカシミ》、思有爾《オモヘルニ》、去家人乎《イニシヘヒトヲ》、 上にふりぬる君に、といへると意ひとしき歌なり、
 
相見鶴鴨《アヒミツルカモ》、」 或本歌、眉根掻、誰乎香將見跡、思乍、氣長戀之、妹爾相鴨、」今一書歌、眉根掻、下伊布可之美、念有之、妹之容儀乎、今日見都流香裳、」十三首は皆別歌なり、いかで或本にかく有しにや、
 
2615 敷栲乃《シキタヘノ》、枕卷而《マクラヲマキテ》、妹與吾《イモトワト》、寐夜者無而《ヌルヨハナクテ》、年曾經來《トシゾヘニケル》、」
 
2616 奥山之《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木之板戸乎《マキノイタドヲ》、音速見《オトハヤミ》、 たゝけば音の甚しきなり、
妹之當乃《イモガアタリノ》、霜上爾宿奴《シモノウヘニネヌ》、」 かたまつと妹にしらせんよすがを待ほどの事なり、
 
2617 足日木能《アシビキノ》、 冠辭、
 
山櫻戸乎《ヤマサクラドヲ》、 古へは皆そぎ板なれば、櫻はいかにと工に問しに、是もそぎやすしといへり、然れば同じものゝ中に、文に櫻戸をいふなり、かゝるに或人は、杉立門といふ如く思へるはひがことぞ、さらば櫻立門と云べし、眞木の戸杉の戸などいふは、その木を戸とせしをこそいへ、櫻戸も古へ有し物故にいひしなり、かくて初句は冠辭にて、戸より下は京などの人の戀なる事、奥山の眞木の板戸をとゞとして、とよめる如きつゞけなり、【杉立門の類とせば、山住の人の戀と思ふか、】
 
開置而《アケヲキテ》、吾待君乎《ワガマツキミヲ》、誰留流《タレカトヾムル》、」
 
2618 月夜好三《ツキヨヨミ》、妹二相跡《イモニアハムト》、正道柄《タヽチカラ》、 大道の外の道をいふ、
 
吾者雖來《ワレハクレドモ》、夜其深去來《ヨゾフケニケル》、」
 
 △こゝに寄物陳思てふ四字有は、後人のわざなる事、上にいへり、
 
2619 朝影爾《アサカゲニ》、 人影は朝日のよこにさす時見ゆれば、朝影とはいふ、さて影の如くに衰へ成たる身といふなり、此下にも同言あり、
 
吾身者成《ワガミハナリヌ》、辛衣《カラゴロモ》、 辛は借字にて漢衣なり、【こゝの古へに文《アヤ》絹はなかりしを、から國より漢機織《アヤハトリ》、呉機織《クレハトリ》、を召て、から樣の服を織せられしより、その樣の衣をば、皆から衣といふなりけり、】
 
襴之不相而《スソノアハズテ》、(卷六)から衣、須蘇乃宇知可倍、安波禰杼毛、けしきこゝろを、あがもはなくに、といへるに同じく、衣の裔は打ちがへて合せるものなるを譬て、不v相ともいひ下せるなり、然ればから衣のからはことばのみ、
 
久成者《ヒサシクナレバ》、」
 
2620 解衣之《トキギヌノ》、 冠辭、
 
思亂而《オモヒミダレテ》、雖戀《コフレドモ》、何如俗之故跡《ナニゾノユヱト》、 俗を今本汝に誤、
 
問人《トフヒト》毛無、」 人は思ふ人をいふ、
 
2621 摺衣《スリゴロモ》、著有跡夢見津《キルトイメミツ》、寤者《ウツヽニハ》、 今本に寐と有は誤なり、一本寤と有によるなり、さて夜の夢に對ていへば、明日のうつゝといふ意なり、
 
孰人之《イヅレノヒトノ》、言可將繁《コトカシゲヽム》、」 古への衣に形を染しはなく、只すり衣をあざやかなる物とす、然れば吾戀の顯はれんさとしに取て、いづれの人にこといたくいはれんずらんといへるなるべし、猶もあらんか、
 
2622 志賀乃白水郎之《シカノアマノ》、鹽燒衣《シホヤキゴロモ》、雖穢《ナルレドモ》、戀云物者《コヒトフモノハ》、忘金津毛《ワスレカネツモ》、 こは筑前國の志可の島の海人なり、此賀は清て唱ふ、○穢とは衣より出しにて、意は人に馴るをいふ、○(卷五)「大王之、鹽燒海部の、藤衣、なれはすれども、いや珍らしも、」てふに似たり、
 
2623 呉藍之《クレナヰノ》、八鹽乃衣《ヤシホノコロモ》、 記に、八鹽折紐小刀、集卷十九に、紅八鹽爾染而、とあり、かゝればしほはその色をしむるをいふ、海鹽も物にふかくしめるゆゑの名なれば、鹽は借字ながら事の意通へり、折は利の言に借て利は入の略なり、いや度も染入るてふ事なり、さて八しほりのりは、歌には略て八しほといへり、猶別紀にいふ、
 
朝旦《アサナサナ》、穢者雖爲《ナレハスレドモ》、益希將見裳《マシメヅラシモ》、」
 
2624 紅之《クレナヰノ》、深染衣《コゾメノコロモ》、色深《イロフカク》、染西鹿齒蚊《ソミニシカバカ》、遺不得鶴《ワスレカネツル》、」
 
2625 不相爾《アハナクニ》、夕卜乎問常《ユフケヲトフト》、幣爾置爾《ヌサニヲクニ》、我衣手者《ワガコロモデハ》、 夕卜問は隱れゐて爲なれど、神を祈なれば幣代物はおくなり、さて著たる衣の袖は又も續つべきものとて、解てぬさとするといへり、情を盡すよしなり、
 
又曾可續《マタゾツグベキ》、」 古今歌集に、「手向には、つゞりの袖もきるべきに、」とよめるも似たる意なり、
 
2626 古衣《フルゴロモ》、 冠辭なり、(卷九《今五》)「富人の、家の子どもの、著身なみ、朽し捨らん、きぬわたらはも、」てふ類なり、後世海人の捨衣とさへよめり、
 
打棄人者《ウチステビトハ》、 人に捨られし我身をいふ、
 
秋風之《アキカゼノ》、立來時爾《タチクルトキニ》、物念物其《モノモフモノゾ》、」 秋風の肌寒きまゝに、いよゝ人を戀よし、後にもよめるは、これらの意なり、(卷十四)に、大伴家持悲2亡妾1とて、從今者、秋風寒、將吹烏、如何獨、長夜乎將宿、などよめり、
 
2627 波禰※[草冠/縵]《ハネカヅラ》、今爲妹之《イマスルイモガ》、 (卷十三、家持贈童女、)葉根※[草冠/縵]、今爲妹乎、夢見而、情内二、戀度鴫、(童女報、)葉根※[草冠/縵]、今爲妹者、無四乎、何妹其、幾許戀多類、このこたへを以て思ふに、女子の十ばかりより十四五までは、花の形を作りたる※[草冠/縵]をもて髪を飾り、十七八にはさることも止るゆゑに、葉根かづら今する妹も無といへりけん、○はねかづらは花かづらなるべく、且上の卷にも、初瀬女の造る木綿花の事いひしごと、こゝもひとしかりなん、【上に若草を髪にたぐとよみしは、九つ十ばかり、卷三に、眞ゆふもてかづらゆひたり、とよみしは、こゝと同じき花かづらにて、十四五までの事か、】
 
浦若見《ウラワカミ》、 此うらはやおらなり、弱らなり、宇良/\と照れる春日といふ弱ら/\の意にて、うら若きてふに均し、【也乎良の也を略き乎を和に通はし、且その和を宇に轉じて宇良と云り、又也乎良を與和良とするは、也と與乎と和の通ひなり、和加きといふも、也乎共に通はし集めたるにて、即弱きことなり、】○此言|裏《ウラ》と同じきも有こと上にいへる如し、同じく聞えて別も有こと他にも多し、
 
咲見慍見《ヱミミイカリミ》、 まだ年ゆかぬほどのさまなり、
 
著四紐解《キテシヒモトク》、」 著たりし衣の紐なり、來たる事にあらず、
 
2628 去家之《イニシヘノ》、 古之なり、冠辭考に委、
 
倭文旗帶乎《シヅハタオビヲ》、結垂《ムスビタレ》、 上は序のみ、
 
孰云人毛《タレチウヒトモ》、若者不益《キミニハマサジ》、」
 
 一書歌、古之《イニシヘノ》、狹織之帶乎《サオリノオビヲ》、 【狹織の事も、右の冠辭の次でにいひつ、】
 
 結垂《ムスビタレ》、誰之能人毛《タレシノヒトモ》、君爾波不益《キミニハマサジ》、」 【誰之の之は、誰之毛といひ入る辭か、又曾に通はせて、誰その人ともいふべし、】
 
2629 不相友《アハズトモ》、吾波不怨《ワレハウラミジ》、此枕《コノマクラ》、吾等念而《ワレトオモヒテ》、枕手左宿座《マキテサネマセ》、」
 
2630 結紐《ユヘルヒモ》、解日遠《トカムヒトホミ》、敷細《シキタヘノ》、吾木枕《ワガコマクラニ》、蘿生來《コケオヒニケリ》、」 ふるびたる物には、苔の生るにならひて、事を甚しくいへり、さて蘿と書しは、字にかゝはらぬなり、人麻呂集には、敷細布、枕(セシ)人、事|問哉《トヘヤ》、其枕(ニハ)、苔生|負爲《ニタリ》、とかけり、
 
2631 夜干玉之《ヌバタマノ》、黒髪色天《クロカミシキテ》、 色は敷なり、
 
長夜叫《ナガキヨヲ》、乎床之上爾《ヲドコノウヘニ》、 今本に、手枕之上爾、と有は理なし、乎床の字なり、
 
妹待覧蚊《イモマツラムカ》、」 上に夜干玉之、妹之黒髪、今夜毛加、吾無床爾、靡而宿良武、
 
2632 眞素鏡《マソカヾミ》、直二四妹乎《タヾニシイモヲ》、不相見者《アヒミズハ》、我戀不止《ワガコヒヤマジ》、年者雖經《トシハヘヌトモ》、」
 
2633 眞十鏡《マソカヾミ》、手取持手《テニトリモチテ》、朝旦《アサナサナ》、見无時禁屋《ミムトキサヘヤ》、 今本、見人と有、人は无の字の誤なり、古本に即見无と有、 
戀之將繁《コヒノシゲヽム》、」 【別卷に眞鏡、手取以、朝々、雖見君、飽事無、と有も同歌、】
 
2634 里遠《サトトホミ》、戀和備爾家里《コヒワビニケリ》、眞十鏡《マソカヾミ》、面影不去《オモカゲサラズ》、夢所見社《イメニミエコソ》、」 別卷に、里遠、我浦|經《フレヌ》、眞鏡、床重《トコノヘ》不去、夢所見|乞《コソ》、と有は同歌なり、【今本券と有は、我を誤、與と有は乞《コソ》をよの字と見て與と書しなり、こゝに社と有にて知べし、】
 
2635 劔刀《ツルギタチ》、身爾佩副流《ミニハキソフル》、丈夫也《マスラヲヤ》、戀云者乎《コヒチフモノヲ》、忍金手武《シヌビカネテム》、」
 
2636 劔刀《ツルギタチ》、諸刃之於荷《モロハノウヘニ》、去燭而《ユキフレテ》、所殺鴨將死《キラレカモシナム》、 今本、所殺鴨を、しにかもと訓しはあたらず、直にきられかも、と訓べし、
 
戀管不有者《コヒツヽアラズハ》、」 こひつゝもかひあらずあらず成なばなり、(卷二)の別記に擧、 
 
2637 ※[口+西]《ウレシクモ》、 【字注、※[口+西](ハ)微笑】
 
鼻乎曾嚔鶴《ハナヲゾヒツル》、劔刀《ツルギタチ》、身副妹之《ミニソヘトイモガ》、思來下《オモヒケラシモ》、」
 
2638 梓弓《アヅサユミ》、末之腹野爾《スヱノハラノニ》、 陶の原野なり、添上郡か、 
鷹田爲《トカリスル》、君之弓弦之《キミガユヅルノ》、 今本、弓食と有は誤、
 
將絶跡念甕屋《タエムトモヘヤ》、」 たえんやなり、上に云り、
 
2639 葛木之《カツラギノ》、其津彦眞弓《ソツヒコマユミ》、 紀を考るに、葛城襲津彦は、建内宿禰の子にて、勝たる建人なれば、弓力も勝れけん、その事其紀には見えねど、そを以て紀を助くるなり、此人の後なる、盾人《タテヒトノ》宿禰の鐵の的を射通せしも、その系ある弓力なるべし、
 
荒木爾毛《アラキニモ》、 荒木の如にもてふ意なり、さて新木の大弓は、引どより難きを、吾により難き人の心のよるに譬ふ、荒駒の綱引するたとへのごとし、
 
憑也君之《ヨルトヤキミガ》、吾之名告兼《ワガナツゲケム》、」 既にいへる如く、女の思ひたのむ男には名を告、男もまた心よせて妻とせんと思ふ女の名をば、他人にもいふなり、仍て其男隱妻の吾名を人に告しは、吾による心よりや告つらんと女のよろこぶなり、【今本に、憑也をたのめやと訓しは、強き弓執はたのもしきものとする譬と心得しなり、しからば三句に猶言こそあらめ、荒木爾毛、といふからは其訓とりがたし、】
 
2640 梓弓《アヅサユミ》、引見弛見《ヒキミユルベミ》、 譬也、
 
不來來者《コズハコズ》、來者其其乎奈何《コバソソヲナド》、 來者|其《ソ》は來《コ》ば其《ソノ》如くすべきをといふを略き、次の其乎《ソヲ》は、それをなどやと更に言を起すなり、故に二つの其の間をしばらく切て意得べし、
 
不來者來者其乎《コズハコバソヲ》、」 上の言を再擧て、不來はそれを來ばそれをといふなり、惣ていはゞ、不v來は不v來、來ば來べきを、何ことぞ弓を引つゆるめつする如くに、絶/\なるやと咎めたるなり、
 
2641 時守之《トキモリノ》、打鳴鼓《ウチナスツヾミ》、 ならすを略てなすと云は例有、
 
數見者《カヾミレバ》、 紀の歌に、(景行、)加餓奈倍※[氏/一]《カヾナヘテ》、てふは數をかぞふる事なり、こゝもその意もて數見と書しなれば、かゞみればと訓、
 
辰爾波成《トキニハナリヌ》、不相毛怪《アハヌモアヤシ》、」 古今六帖に、此歌の末をあはぬあやしも、と有はよく聞ゆれど、下卷に、名者告而之乎《ナハノリテシヲ》、不相毛怪《アハヌモアヤシ》、(卷六、さがみ歌、)實《ミ》にはなりしを、阿波奈久毛安夜思、と假字にても有による、
 
2642 燈之《トモシビノ》、陰爾蚊蛾欲布《カゲニカガヨフ》、 妹に逢たりし夜のさまをいふ、かゞよふはかゞやくを延たり、
 
虚蝉之《ウツセミノ》、 こは冠辭にあらず、顯《ウツヽ》の身の妹といふなり、意は下にみゆ、
 
殊我咲状思《イモガヱマヒシ》、面影爾所見《オモカゲニミユ》、」 うつせみてふ言は、さま/”\に用る中に、夢に對へ死に對へていふ多きを思ふに、こゝは今相離てこゝに無妹があり樣、目の顯然々々《ウツラ/\》面影に見ゆるをいふなるべし、
 
2643 玉戈之《タマボコノ》、 冠辭、
 
道行疲《ミチユキヅカレ》、伊奈武思侶《イナムシロ》、 冠辭、○上は序なり、
 
數而毛君乎《シキテモキミヲ》、 冠辭よりは數とかゝり受る下は重及《シキ/\》の意なり、
 
將見因母鴨《ミムヨシモガモ》、」
 
2644 小墾田之《ヲハリダノ》、 推古天皇十一年十月に、豐浦宮より小墾田宮へ遷ませること書紀に見ゆ、神名式に、治《ハリ》田神社と有此處にて、飛鳥崗の里の近き所に今もあり、
 
坂田乃橋之《サカタノハシノ》、 古き物に皆坂田と有、今本板田と書は誤、
 
壞者《コボレナバ》、從桁將去《ケタヨリユカム》、莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》、」 舒明天皇二年十月に、飛鳥岡本宮へ遷ませしより、小墾田は故郷と成て、そこの橋の板の朽たるほどなれば、孝徳天皇の御代の頃の歌ならん、
 
2645 宮木引《ミヤギヒク》、泉之追馬喚犬二《イヅミノソマニ》、 泉は、山城相樂郡にて集中に多く出たり、○追馬の事は既にいへり、
 
立民乃《タツタミノ》、 序なり、
 
息時無《ヤムトキモナク》、戀度可聞《コヒワタルカモ》、」 上の卷に、眞木積、泉河、と有所にいへる如く、泉の杣より良材を多く出せること常なれば、かく序にさへいひなせしなり、
 
2646 住吉乃《スミノエノ》、津守網引之《ツモリアビキノ》、浮※[竹/矢]緒乃《ウケノヲノ》、 和名抄に、泛子、(宇介、)てふ物にて、こゝは緒は用なけれど言をそへていふのみ、
 
得干蚊將去《ウカレカユカム》、戀管不有者《コヒツヽアラズハ》、」 吾戀終に非《アラ》ぬ筋に成なば、心も浮亂て物狂となりぬべしといふなり、不有者は上の如し、
 
2647 東細布《ヨコグモノ》、 曉の横雲は東の天に布をひくが如く見ゆるをもて書り、
 
從空延越《ソラユヒキコス》、 遠き譬におくのみ、
 
遠見社《トホミコソ》、 見は万利の約にて辭なり、
 
目乞疎良米《メコソウトカラメ》、 今本目言とあれど、あぢさはふ目辭《メコト》も絶奴、てふ冠辭もあれど、こゝは間に助辭をおかで、目言疎云云としては調《シラベ》屈せり、仍て乞《コソ》を是《コト》と見て、言と書し事を知ぬ、めこそうとからめと云時は、事もなく明らかなり、
 
絶跡間也《タユトヘダツヤ》、」 遠ければ相見ることこそかなはざらめ、玉梓の便りなどだにせざるは、今は絶んとてへだてはつらんやと疑へり、
 
2648 云云《カニカクニ》、 から文の注に云云は、如v是々々也といへり、彼《カ》に此《カク》にと訓もひとし、
 
物者不念《モノハオモハズ》、斐太人乃《ヒダビトノ》、 古への匠は、飛騨國にのみ在て、公へ參り仕へ奉りぬ、仍て匠をば飛騨匠といひ、ひだ人といふもひとし、
 
打墨繩之《ウツスミナハノ》、直一道二《タヾヒトスジニ》、」 ひとみちとも訓ども猶是はすぢと訓べし、
 
2649 足日木之《アシビキノ》、山田守翁《ヤマダモルヲヂガ》、 本をぢは、父母の兄弟を貴みて小父《ヲヂ》といふ言なり、是を一轉して、小父ならぬ他人にても、老たる人を貴みて云り、書紀に、鹽土(ノ)老翁《ヲヂ》てふ類なり、又(卷十七)に佐夜麻|太《ダ》乃|乎《ヲ》治、こゝに山田守|翁《ヲヂ》などさへいふは、轉々して老人をいふ事となりしなり、
 
置蚊火之《ヲクカビノ》、 こは、朝霞鹿火屋、てふ冠辭の下にいひつ、○上は序のみ、
下粉枯耳《シタコガレノミ》、 蚊火は火を下に置て上に芥などをつみてくゆらすれば、下つ心に焦るゝにたとふ、
 
余戀居久《ワハコヒヲラク》、」
 
2650 十寸板持《ハタイタモテ》、 はたははゞ有をいふ、十寸は尺にてはゞあればしかよむべし、【十寸を借字として、そぎ板、とも訓べし、
 
蓋流板目乃《フケルイタメノ》、不合者《アハザラバ》、 今本不令相者と有、板よりは合といふを、下の心にとる時不v合といふなり、皮《ハタ》ずゝき穗には不出もなどいふ類なり、
 
如何爲跡可《イカニセムトカ》、吾宿始兼《ワガネソメケム》、」
 
2651 難波人《ナニハビト》、葦火燎屋之《アシビタクヤノ》、酢四手雖有《スシタレド》、 媒《スヽ》びの須備《スビ》を約ればしと成ゆゑに須志といふ、さてすゝびてあれどもと心得べし、○(卷九)廬八燎須酒師《フセヤタキスヽシ》などもいひて、葦火など燒小屋はことに煤多きを以て、清けにもあらぬ女をいふ、
 
己妻許増《オノガツマコソ》、 【許増の辭は、惣て衣《エ》の横奄ノていひ留る例なるを、かくの如く、吉《キ》と留たるも有はめづらし、計禮といふべきを計禮《ケレ》の約の計《ケ》を吉《キ》に轉じたるなり、】
 
常目頬次吉《トコメヅラシキ》、」 めづらしてふ言は、既にいへるごとく、ほめ出《イヅ》てふ事にて、こゝのおもてはかなへり、内々は妻|子《コ》見れば、めぐしうつくしといへる意より出たるなり、今人もかく思ひてあらば事なかりなん、
 
2652 妹之髪《イモガカミ》、 冠辭、女の髪上の事は卷二の別記に出、
 
上小竹葉野之《アゲサヽバノノ》、 此野はいまだしらず、後世播磨とするはおぼつかなし、
 
放駒《ハナレコマ》、 はなれとよみては意むつかし、されば野飼に放てるをいふゆゑに、はなちと訓べし、
 
蕩去家良思不合思者《アレユキケラシアハヌオモヘハ》、」
 
2653 馬音之《ウマノトノ》、跡杼登毛爲者《トヾトモスレバ》、松陰爾《マツカゲニ》、出曾見鶴《イデヽゾミツル》、若君香跡《モシモキミカト》、」
 
2654 君戀《キミコフト》、寢不宿朝明《イネヌアサケニ》、誰乘流《タガノレル》、馬足音《ウマノアオトゾ》、吾聞爲《ワレニキカスル》、」 ねたくおもふなり、
 
2655 紅之《クレナヰノ》、襴引道乎《スソヒクミチヲ》、 女の裳裙なり、【一云須蘇衝河乎、と有はひがことにて理いとそむけり、
 
中置而《ナカニオキテ》、妾哉將通《ワレヤカヨハム》、公哉將來座《キミヤキマサム》、」 時にさま/”\と思ふ心をのべいふなり、或に待香將待《マチニカマタム》、と有もさることゝ聞ゆれど、いまもよろし、
 
2656 天飛也《アマトブヤ》、 冠辭、
 
輕乃社之《カルノヤシロノ》、齋槻《イハヒツキ》、 此社に古たる槻を神木といはひしなるべし、さて其木に譬て、隱妻のわが妻となるべき時世の待遠きをいふ、
 
幾世及將有《イクヨマデアラム》、隱嬬其毛《コモリヅマゾモ》、」
 
2657 神名火爾《カムナビニ》、 飛鳥の神南備山なり、
 
紐呂木立而《ヒモロギタテヽ》、 ひもろぎを書紀に、神籬と書しは略にて、実は檜室籬なり、かの、あすはの神に小柴さしてふごとく、檜の葉をもてかりに神室の籬《キ》を作なり、こは常有社の外に、更にその神を崇祭る時に爲る事にて、何の社にもあれど、神名火を擧しは、時に畏み崇むゆゑなるべし、
 
雖忌《イハヘドモ》、 いはふとは即祭るをいへり、非常を忌放て祭ればなり、
 
人心者《ヒトノコヽロハ》、間守不敢疑《マモリアヘヌカモ》、」 思ふ人の心のうつりかはるを愁て、神を忌ひ祭れども神だに守り留め不堪と云り、○集中には、堪も敢も均しく書り、字にかゝはらず言を專らとする故なり、○今本不敢物、とある物は、終の字を誤れり、下にも此誤有、
 
2658 天雲之《アマグモノ》、八重雲隱《ヤヘグモガクレ》、鳴神之《ナルカミノ》、音爾耳八方《オトニノミヤモ》、聞度南《キヽワタリナン》」【古今歌集に、「久かたの雲ゐはるかに鳴神の、」といふはここをよみうつせしなり、】
 
2659 爭者《アラソヘバ》、神毛惡爲《カミモニクマス》、 今本、あらがへば、と訓たるはあらそひ合《アヘ》ばてふ言なり、さいはでも有所故にたゞあらそへばと訓つ、惡爲を、にくみすと訓しもむつかし、こは惡座《ニクミマス》の美を略きて、にくますといふなり、 
縱咲八師《ヨシヱヤシ》、世副流君之《ヨソヘルキミガ》、惡有莫君爾《ニクカラナクニ》、」 よそへとはよせ添るてふ言なり、君と吾を他《ヒト》のよそへいへるを、さる事なしと爭ふべけれど、心に惡からぬ君故は、隱して爭はゞ神のにくみを得んからはあらそはずと云なり、下にも、よしもよすとも惡《ニク》からなくにとよみたり、
 
2660 夜並而《ヨナラベテ》、 下に、日並而、ともいへり、
 
君乎來座跡《キミヲキマセト》、千石破《チハヤブル》、 冠辭、
 
神社乎《カミノヤシロヲ》、不祈日者無《ノマヌヒハナシ》、」 のむはいのるなり、
 
2661 靈治波布《タマヂハフ》、 神の御たまは願ふ人の萬づに幸をなし給へり、こは命の幸をなし給ふを云、
 
神毛吾者《カミモワレヲバ》、打棄乞《ウツテコソ》、 かねては命|幸《サキ》かれと祈し神も、今は吾をば打棄給ひてよと乞なり、今本に、かみをもわれはと訓しは、乞は願ふ事なるをしらざるなり、すべても神を捨んと願ふ事はなし、吾を捨給へとは云もせん、【うちすてのちすの約つなるゆゑにうつてと訓、】
 
四惠也壽之《シヱヤイノチノ》、惜無《ヲシケクモナシ》、」 戀に倦て身を捨るなり、 
2662 吾妹兒《ワギモコニ》、又毛相等《マタモアハムト》、千羽八振《チハヤブル》、 冠辭、
 
神社乎《カミノヤシロヲ》、不祷日者無《ノマヌヒハナシ》、」
 
2663 千葉破《チハヤブル》、 冠辭、【ちはやふるは冠辭考にいへる如く、上つ代には惡神をのみいへるを、こゝの上と是はたゞ崇むことにおき、次のはたゝはしく畏き事にいへり、はやくよりかく轉じ來れり、末の代には右のたふとむ方より轉じて、何心もなく歌の辭とのみせり、】
 
神之伊垣毛《カミノイガキモ》、可越《コエヌベシ》、 人など越て穢すを忌《イ》神垣故にいみ垣といふを、其みを略きていがきといふ、
 
今者吾名之《イマハワガナノ》、惜無《ヲシケクモナシ》、」 この神の齋《イ》垣は譬にて、いかなる難き所をも忍び入て逢てん、それに依て名のたゝんも、かく戀せまりては惜からずと云なり、(卷八)「ゆふかけて、いむ此もりも越ぬべく、思ほゆるかも、戀のしげきに」ともいへり、
 
2664 暮月夜《ユフヅクヨ》、曉闇夜乃《アカツキヤミヨノ》、 上は夕月の比は曉必闇なるを文《アヤ》にいへるのみ、さて曉朝といひつゞけたる序なり、
 
朝影爾《アサカゲニ》、吾身者成奴《ワガミハナリヌ》、汝乎念金丹《ナヲモヒカネニ》、」 思ひがてにしてなり、かねはがてなり、がては難《カタキ》なり、此上に、待公難爾《キミマチガテニ》、待也金手六《マチヤカネテム》、別卷に、汝念不得《ナヲモヒカネテ》、とも書り、さて、念堪難爾而《オモヒタヘガテニシテ》、と云を、堪をも而の辭をも籠《コメ》略たる一つの體なり、此類にさま/”\有、その所に心して見よ、
 
2665 月之有者《ツキシアレバ》、明覧別裳《アケランワキモ》、不知而《シラズシテ》、寐吾來乎《ネテワガコシヲ》、人見兼鴨《ヒトミケムカモ》、」 不知して寐てとつゞけて心得べし、古今集に、「玉くしげ、明ば君が名立ぬべみ、夜ふかくこしを、人見けんかも、」といふは今のうらなり、
 
2666 妹目之《イモガメノ》、見卷欲家口《ミマクホシケク》、夕闇之《ユフヤミノ》、木葉隱有《コノハガクルヽ》、月待如《ツキマツガゴト》、」 古今歌集に、「木の間より、もり來る月の、」といへるは是に似たるこゝちす、
 
2667 眞袖持《マソデモテ》、 左右の袖を云、
 
床打拂《トコウチハラヒ》、君待跡《キミマツト》、居之間爾《ヲリシアヒダニ》、月傾《ツキカタブキヌ》、」
 
2668 二上爾《フタガミニ》、 葛《カヅラキ》下郡のかつらぎ山のはてに尖《トガ》りたるみね二つ有、是を二上山といふ、こは國の西なれば、それに落かゝれる月の面白きが、隱るは惜きを以て譬ふ、(卷二)に人麻呂も、屋上の山の云々、とよめり、
 
隱經月之《カクロフツキノ》、 如をこむ、
 
雖惜《ヲシケレド》、妹之田本乎《イモガタモトヲ》、加流類比來《カルヽコノゴロ》、」
 
2669 吾背子之《ワガセコガ》、振放見乍《フリサケミツヽ》、將嘆《ナゲクラム》、清月夜爾《キヨキツクヨニ》、雲莫田名引《クモナタナビキ》、」 棚引ことなければてふ言にて、下に曾の辭を略、
 
2670 眞素鏡《マソカヾミ》、清月夜之《キヨキツクヨノ》、湯徙去者《ユツリナバ》、 此次にも、下の卷にもうつる事をゆつるといへり、宇由は韻の通まゝに、何れにもいふなるべし、去《ナ》ばはいなばなり、
 
念者不止《オモヒハヤマズ》、戀社益《コヒコソマサメ》、」 上にゆつりなばといへるからは、今本にまされと訓しは助辭違へり、
 
2671 今夜之《コノヨヒノ》、 全《ヒト》夜の事をもよひといへり、
 
在開月夜《アリアケノツクヨ》、 上は序、
 
在乍文《アリツヽモ》、 ながらへ在つゝもなり、
 
公乎置者《キミヲオキテハ》、待人無《マツヒトモナシ》、」
 
2672 此山之嶺爾近跡《コノヤマノミネニチカシト》、吾見鶴《ワガミツル》、月之空有《ツキノソラナル》、 峰に出し月は、いととく空に上る物なるを以て、空なる戀といはん序とせり、空なる戀とは、その人にだにしられぬ戀するをいふべし、
 
戀毛爲鴨《コヒモスルカモ》、」
 
2673 烏玉乃《ヌバタマノ》、夜渡月之《ヨワタルツキノ》、湯移去者《ユツリナバ》、更哉妹爾《サラニヤイモニ》、 右に、念は不止てふに意は似て、こは我をおきて、妹が他へ移りぬべき事を聞てよめるならん、
 
吾戀將居《ワガコヒヲラム》、」
 
2674 朽網山《クタミヤマ》、 豐後風土記、大分《オホキダ》川、此川之源出2直入《ナホリ》郡朽網山之蜂(ヨリ)1、指v東下流云云、とあり、【此山をいへるは、豐後の國人の相聞なるべし、此卷には國々の歌も入たり、】
 
夕居雲《ユフヰルクモノ》、轉往者《ユツリナバ》、 今本、轉を薄と書て、うすらかは、と訓しは、一首の意通らず、仍て轉の字に改めて同言とせり、
 
余者將戀名《ワレハコヒンナ》、公之目乎欲《キミガメヲホリ》、」 男のよそへうつりなば、又あひ見るよしなくて、見まくほしみせんといへる女心あはれなり、〇目をほりてふ言は集に多し、書紀にも有て、見ん事をほしむなり、
 
2675 君之服《キミガキル》、 冠辭、
 
三笠之山爾《ミカサノヤマニ》、居雲乃《ヰルクモノ》、立者繼流《タテバツガルヽ》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」 その雲の立去ば、即又繼て居つゝ、此峰に雲のたゆる時なきもて思ひ過せば、やがて又おもふ事あるにたとふ、
 
2676 久堅之《ヒサカタノ》、天飛雲爾《アマトブクモニ》、成而然《ナリテシガ》、 今本、在而、と書は聞えず、一本に依ぬ、
 
君相見《キミニアヒミム》、落日莫死《オツルヒナシニ》、」 落夜なしに、ともいへる類なり、(卷六《今ノ十四》)「みそらゆく、雲にもがもな、けふ行て、妹にことどひ、あすかへりこむ、」
 
2677 佐保乃内從《サホノウチユ》、 佐保山の内よりなり、
 
下風之吹波《アラシノフケバ》、 下風はあらしなる例既にいふ、
 
還者《カヘサニハ》、爲便胡粉《セムスベシラニ》、歎夜衣大寸《ナゲクヨゾオホキ》、」 此二の句今本に、吹禮波、と有は禮の字餘りぬ、末は、胡粉、歎夜衣大寸、と有て、くだけてなげきぬるよしぞおほきと訓しは、餘しき強ごとなり、先胡粉二字をくだけて、と訓しはひがことのよし卷三にいひつ、又夜一字をぬるよしとよまんもいかにぞや、古本に、胡粉の上に、爲便の二字有こそ正しけれ、
 
2678 級寸八師《ハシキヤシ》、 こは上の別記にいひしごとく、うるはしよと其人を戀ゆかしむ事を先いふなり、下に愛八師《ハシキヤシ》、不相君故《アハヌキミユヱ》、徒爾《イタヅラニ》、此川瀬爾、玉裳沾津、とよめると、この歌の言はかはれど、體も意も同じきもて知べし、かくて夏の末秋の始など、風をゆかしとて待に、遂に吹も不來物ながらに、徒に夜を明せしといひて、不來人を徒に待明せしに譬たり、
 
不吹風故《フカヌカゼユヱ》、 此故は物故と云に同し、別記に在、
 
玉匣《タマクシゲ》、開而左宿之《アカシテサネシ》、吾其悔寸《ワレゾクヤシキ》、」
 
2679 窓超爾《マドゴシニ》、月臨照而《ツキオシテリテ》、 おしなべて照なり、(卷八)春日山、押而|照有《テラセル》、此月者、(卷十二)我屋戸爾、月押照有、などあり、
 
足檜乃《アシビキノ》、 冠辭、
 
下風吹夜者《アラシフクヨハ》、公乎之其念《キミヲシゾオモフ》、」 秋ふけて月さやかに、あらし打吹夜は、物さびしくはだへ寒きまゝに、人こひしらのまさるめり、
 
2680 河千鳥《カハチドリ》、住澤上爾《スムサハノヘニ》、立霧之《タツキリノ》、 霧は集中に白氣とも書て、朝あけには白く見ゆるもて、いちしろき譬にいへり、之に如をこむ、
 
市白兼名《イチシロケムナ》、誓始而者《チギリソメテバ》、」 今本に、相言と有を、ちぎりとも訓べけれど、猶思ふに誓一字とすべし、而は、多禮の約にて、始たればてふ言なり、仍て者を濁る、さて今かく契をなし始めてあれば、忍ぶといへどもいちじろくあらはれなんと、おもひなげく女歌なり、
 
2681 吾背子之《ワガセコガ》、使乎待跡《ツカヒヲマツト》、笠毛不着《カサモキズ》、出乍其見之《イデツヽゾミシ》、雨落久爾《アメノフラクニ》、」 此歌下の卷に再載たれど、こゝは雨の類にとり、下は問答の類に擧しものなり、
 
2682 辛衣《カラコロモ》、 文《アヤ》有《アル》きぬをいふこと上に出、
 
君爾内著《キミニウチキセ》、 内は打なり、
 
欲見《ミマクホリ》、戀其晩師之《コヒゾクラシヽ》、雨零日乎《アメノフルヒヲ》、」 よき衣をぬひて、着せて見んとて待くらせしに、雨ふりて男の來ぬなるべし、女の情見えて哀なる歌なり、
 
2683 彼力之《ヲチカタノ》、 大祓詞に、彼方の、繁木我本乎、といふ如く、都に遠き片山里などのいやしき小屋をいはんとてをちかたとはいへり、
 
赤土少屋爾《ハニブノコヤニ》、 はにぶの事は既出たり、されどもこゝには、其色ある土をいふにあらず、たゞに土の上にわら筵などとり敷て住ふ、片山里などのまづしき庵をいふなり、はにぶは、赤土生黄土場なども書べきを、略て赤土とのみ書しかば、其本の意を得てはにぶとよめり、○少屋は二の卷にもこやとよみて賤屋の事なり、
 
※[雨/脉]※[雨/休]零《コサメフリ》、 下の卷にもこさめそぼふるといふに此字を書つ、【毛詩傳に、小雨(ヲ)謂2※[雨/脉]※[雨/休]1とみゆ、○後世歌は虚言を設て巧とす、古代は實をよくいふを巧とす、此分ちを思へ、】
 
床共所沾《トコサヘヌレヌ》、於身副我妹《ミニソヘワギモ》、」 此下に、「人ごとを、しげしと君を、うづら鳴、人のふる家《ヘ》に、かたらひてやりつ、」と云るごとく、人に忍ぶとて、妹をゐて行て、かゝる賤屋にねたるに、本より他しき床の上に、雨さへ漏てせんすべなきにつけても、したしむ意をよくいひとりしなり、
 
2684 笠無登《カサナシト》、人爾者言手《ヒトニハイヒテ》、雨乍見《アマツヽミ》、 雨にぬれん事をいとひつゝしみて、宿に籠り居るをいへり、後世は雨づゝみを雨衣の事と思ひ誤れり、かくて此男は女の家に親しき故有て來て、そこのむすめなど相とふからに、笠の無をことばにて、歸らでとまりしなるべし、
 
留之君我《トマリシキミガ》、容儀志所念《スガタシオモホユ》、」
 
2685 妹門《イモガカド》、去過不勝都《ユキスギカネツ》、久方乃《ヒサカタノ》、雨毛零奴可《アメモフラヌカ》、 久方の天を轉じて雨に冠らせし類ひ、冠辭考に出、ふらぬかとはふれかしと願ふ言にて、(卷十三)にも同じく、久方云云、といへり、然るを六帖に、「妹が門、行過かねつ、ひぢがさの雨もふらなん、あまがくれせん、」と誤りしより、催馬樂に、「妹が門、行過かねてや、わがゆかば、ひぢがさの、雨もふらなん、しでたをさ、雨やどりせん、」源氏須磨に、「ひぢがさのあめとか」ともかけるは、皆あやまりをつたへて正さゞりしなり、【袖を笠に着とはいへど、ひぢがさてふ事は有まじき事なるをおもへ、】
 
其乎因將爲《ソヲヨシニセム》、」 雨をより所としてたちよらんなり、
 
2686 夜占問《ユフケトフ》、 とふ袖とはつゞきがたし、とふ時になどいふべきを、句せまれば略せるなり、されど古へなきことなるを、奈良に至てかくも拙なく成行か、後世歌には此類の略過多し、心すべき事ぞ、
 
吾袖爾置《ワガソデニオク》、白露乎《シラツユヲ》、 こゝの今本の訓はわろし、
 
於公令視跡《キミニミセムト》、取者消管《トレバケニツヽ》、」 きえいにつゝといふなり、
 
2687 櫻麻乃《サクラヲノ》、苧原之下草《ヲフノシタクサ》、 下の卷にも此二句の歌有、訓は古今六帖によれり、意は冠辭考にいへるごとく、さくらは地《トコロ》の名とす、麻は、民部式主計式を見るに、尾張より東の國より出て、專らは武藏上總下總常陸より出るなり、さて尾張と武藏に佐くらてふ郷和名抄に出、其外遠江下總常陸に今さくらてふ里有、是らが中に、下總のさくらより出るを、さくらあさといふか、木綿麻などに出る所を以ていへる例も、冠辭に云つ、〇下草は麻の下に生たる草にて、露しげきをいはん料なり、其曉露はたふまじければ、明してゆき給へといふ女歌なり、さて是も下の卷なるも東歌なり、 
露有者《ツユアレバ》、令明而射去《アカシテイユケ》、母者雖知《ハヽハシルトモ》、」
 
2688 待不得而《マチカネテ》、内者不入《ウチヘハイラジ》、白細布之《シロタヘノ》、吾袖爾《ワガコロモデニ》、露者置奴鞆《ツユハオキヌトモ》、」 此歌下の卷に、「君待と、庭耳居《ニハニノミヲレ》ば、打靡《ウチナビク》、吾黒髪に、霜ぞ置にける、」といふと言少しことなれど、意は相似たり、此類(卷二)の難波皇后の御歌にもあり、然れども言の異なるは、此上下卷に取し少からず、其中はこゝは露をよめる類に取、下の卷には霜の類にとれり、【古今歌集に、「君こずは、ねやへもいらじ、こむらさき、我もとゆひに、霜はおくとも、」といへるは、こゝと下の卷の歌とをとりまじへて、こむらさきてふうるはし き言をしも添たれば、其集には取つ、】
 
2689 朝露之《アサツユノ》、消安吾身《ケヤスキワガミ》、雖老《オイヌトモ》、又若反《マタワカガヘリ》、君乎思將待《キミヲシマタム》、」 下の卷に、此歌の初句を、露霜の、とかはれるのみにて、右の霜ぞ置ける、てふ歌と並擧しも右にいふが如し、
 
2690 白細布乃《シロタヘノ》、吾袖爾《ワガコロモデニ》、露者置《ツユハオキ》、妹者不相《イモニハアハズ》、猶預四手《タユタヒニシテ》、」 夜更るまで妹があたりにたゝずめば、袖もしほゝに露にぬれて、わびしき物故に、妹にはあふ事を得ず、さりともなほあらじにたゆたはれつゝをるほどのこゝろうさをいひつくせり、○たゆたひは、行もやらず去もあへぬさまなり、
 
2691 云云《カニカクニ》、物者不念《モノハオモハジ》、朝露之《アサツユノ》、 如を籠、
 
吾身一者《ワガミヒトツハ》、君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2692 夕凝《ユフゴリノ》、霜置來《シモオキニケリ》、 沫霜ならず、こゞれる霜なり、 
朝戸出爾《アサトデニ》、甚踐爾《イトアトツケテ》、 今本は、あとふみつけてと訓は、よろしくもあらず、されども甚は、もし足の字か、その時は、あとふみつけてとよむべし、 
人爾所知名《ヒトニシラルナ》、」
 
2693 如是許《カクバカリ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、朝爾日爾《アサニヒニ》、妹之將履《イモガフムラム》、地爾有申尾《ツチナラマシヲ》、」
 
2694 足日木之《アシヒキノ》、山鳥尾乃《ヤマドリノヲノ》、一峯越《ヒトヲコエ》、 是に尾は用なけれど、言をひゞき重んために、常いふ言なればいへるものなり、さて山鳥は雌雄《メヲ》峰を隔てすむてふこと、(卷十二)足日木能、山鳥|許曾婆《コソハ》、峯向爾《ヲムカヒニ》、嬬問爲云《ツマドヒストイヘ》とよみし是か、然ればこゝも其意にていひたるなり、【山鳥の於《オ》と平聲に唱へて、雄鳥の事といふ説はひがことなり、此言多かれど、集中皆尾の字を書たれば、於のかなならぬ事明けし、且雄にても同じ尾のかななるを、右はかなもしらぬものゝ説なり、】
 
一目見之兒爾《ヒトメミシコニ》、應戀鬼香《コフベキモノカ》、」 山の彼方の里などにて、一目みしばかりの妹に、かくしも戀べきものかはと、みづからいぶかるなり、
 
2695 吾妹子爾《ワギモコニ》、相縁乎無《アフヨシヲナミ》、駿河有《スルガナル》、不盡乃高嶺之《フジノタカネノ》、燒管香將有《モエツヽカアラム》、」
 
2696 荒熊之《アラグマノ》、住云山之師齒迫山《スムトフヤマノシハセヤマ》、 【迫と責とから字は異なれど、此國にてせと云は同くて、せめせまきなど下の辭にて分てり、】 
責而雖問《セメテトフトモ》、 上はせの言を重ぬるのみの序なり、
 
汝名者不告《ナガナハノラジ》、」 父母のいひ責つゝ問とも、通ふ男の名をばのらじと云り、此上にわがせこが、其名いはじと、玉きはる命は捨つ、といひ、別卷に、百積(ノ)、船潜納、八占刺、母雖問、其名(ハ)不謂、此卷の左にも、石垣淵の云云、といへり、○しはせ山を駿河國に在てふ説あれど、いまだ據を知らず、前後にふじの歌あればおしはかりの事か、
 
2697 妹之名毛《イモガナモ》、吾名毛立者《ワガナモタヽバ》、 或本には女の歌とせり、いづれにても聞ゆ、
 
惜社《ヲシミコソ》、布仕能高嶺之《フジノタカネノ》、燒乍渡《モエツヽワタレ》、」 【或本云、君(ガ)名毛、妾名《ワガナ》毛立者、惜(ミ)己曾、不盡之高山之、燒乍毛|居《ヲレ》、】
 
2698 往而見而《ユキテミテ》、來戀敷《キテコヒシキニ》、 今本きてぞこひしきと訓しは、終の句にかなはず、此卷の書體を思ふに、敷の下に爾の字、來の下而の字落つらん、 
朝香方《アサカガタ》、 古事記に、其猿田毘古神坐2阿邪※[言+可]1、神名式、伊勢國壹志郡、阿射加神社、と有は是なるべし、(卷六)東歌に安齊可我多、志保悲乃由多爾、といへるは別ならん、
 
山越爾置代《ヤマコシニオキテ》、宿不勝鴨《イネカテヌカモ》、」
 
2699 安太人乃《アダビトノ》、 紀、(神武天皇條、〉到2吉野河之河尻1時、作v筌《ヤナヲ》有2取v魚人1云云、名謂2贄持之子《ニヘモチノコト》1、(此者、阿陀之鵜養之祖也、)和名抄に、宇智郡、阿陀、(陀音可濁讀)といへる所なり、さて此同所同事を思ふに、筌も也奈と訓べし、
 
八名打度《ヤナウチワタス》、 八名は梁なり、石見國人は山川をしがらみして塞て、その水の集り落る所に、杭を立て竹床を作、それに留る鮎をとる、其竹床をやなといふといへり、然らば多く杭を打て作るもて、やな打とはいふべし、かくてやな打所は、いとゞ早川をせき落せば、ことにはやきをいはん料なるべし、
 
瀬速《セヲハヤミ》、 瀬を早まりといひて、扨早く逢ばやとおもふ譬として、かくいそげど直目に逢ぬをなげくなり、三四の句の間、ことわりたらぬ如くなるも、古への一の體にて下に類有、
 
意者雖念《コヽロハモヘド》、直不相鴨《タヾニアハヌカモ》、」
 
2700 玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
石垣淵之《イハガキブチノ》、隱庭《カクレニハ》、 下に、石垣泥間、ともいひて、谷川などに巖の垣の如く立廻りたる淵をいひ、且そは岩にこもりてあれば、隱れといふのみ、 
伏雖死《フシテシヌトモ》、 今本、伏以死、と書てふしてしぬともと訓たれど、其三字はから文こそあらめ、此集の體にあらず、又死の字のみをしぬともと訓こと、人麻呂集にこそあれ、此卷の例ならず、故以を除て雖とすべし、字の消て以の如く成しなるべし、
 
汝名羽不謂《ナガナハイハジ》、」
 
2701 明日香川《アスカガハ》、明日文將度《アスモワタラン》、 此所句なり、
 
石走《イハバシノ》、 冠辭、
 
遠心者《トホキコヽロハ》、不思鴨《オモホエヌカモ》、」 石走《イハバシ》は川に石を並置て渡るをいふ、その石と石の間近ければ、(卷十三)石走《イハバシノ》、間近《マヂカキ》君爾、ともよめり、故にこゝは遠くとはおぼえず、間ぢかくあすも行て相見んといへるなり、【上を三の句までつゞけて、序歌ぞと思ふべけれど、是は二の句と末と心を通はしたる歌なり、古への序歌にさることなし、且石走は冠辭なる例も多ければ、かた/\二句の下を句と心得べし、】
 
2702 飛鳥川《アスカガハ》、水往増《ミヅユキマサリ》、彌日異《イヤヒケニ》、戀乃増者《コヒノマサラバ》、在勝申目《アリガテマシモ》、」
 
2703 眞薦苅《マコモカル》、大野川原之《オホノカハラノ》、 こは何所かしらず、或人(卷六に、いりまぢの、おほやかはら、と讀し所かとして、野をやのかなぞといへるは強たり、大を字音にせばこそ野をも音にいはめ、【或人こゝにつけて、高野天皇と申をも高屋と訓べしといへるもわろし、屋のかなならば光仁天皇紀などに高をば訓、野をば音としてかゝんかは、たかのとたかやは同じ大和にて、別の地なるをや、】
 
水隱《ミゴモリニ》、 次にも同じ譬有、
 
戀來之妹之《コヒコシイモカ》、紐解吾者《ヒモトクワレハ》、」
 
2704 惡氷木之《アシビキノ》、山下動《ヤマシタドヨミ》、逝水之《ユクミヅノ》、時友無雲《トキトモナクモ》、 時無は、常をいふ、
 
戀度鴨《コヒワタルカモ》、」
 
2705 愛八師《ハシキヤシ》、不相子故《アハヌコユヱニ》、 今本こゝを君故と書、下を玉裳と有は、女のよめる歌なり、然るに女の通ひ來しほどにて、男のあはで歸す事、大かた有べくもなし、此歌別卷に載しには、早敷哉、不相子故、徒に、是川瀬、裳裙潤、と有て男歌なり、是他卷といへども同歌なれば、疑なきに依べし、故に今本の君を子とし、玉裳を裳裙に改、○是川は今渡來し川なり、
 
徒爾《イタヅラニ》、此川瀬爾《コノカハノセニ》、裳襴沾津《モスソヌラシツ》、」 【女の通ふ歌、集中に類もあれど、川を渡ほどの道を通ふべからず、○後世題を設よむには、上に其地の名なくて、此川とはいひがたきを、これらは其川を渡てよめれば、かゝるも多し、後世意もて疑ふことなかれ、】
 
2706 泊湍川《ハツセガハ》、速見早湍乎《ハヤミハヤセヲ》、 見は萬里《マリ》の約にて、早まり早瀬と重て最早きをいふ、次にも同言有、
 
結上而《ムスビアゲテ》、 指を掬《ムスビ》て汲故に水を結ぶと云、
 
不飽八妹登《アカズヤイモト》、問師公羽裳《トヒシキミハモ》、」 暑き頃など掬て呑水の飽こと無を譬て、相なるれどもあかずやいなやと問たりし君が、深きしたしみを、絶て後互になつかしむなり、
 
2707 青山之《アヲヤマノ》、 木繁き深き山をいふ、
 
石垣沼間乃《イハカキヌマノ》、水隱爾《ミゴモリニ》、 上に、石垣淵之、水隱庭、とよめるにひとし、かく谷などの石がき水をも沼間《ヌマ》と云ならむ、
 
戀哉度《コヒヤワタラン》、相縁乎無《アフヨシヲナミ》、」
 
2708 四長鳥《シナガトリ》、 冠辭、
 
居名山響爾《ヰナヤマトヨニ》、行水乃《ユクミヅノ》、 音高きを譬、乃は如をこむ、
名耳所縁之《ナニノミヨセシ》、 人にいひよせられしなり、
 
内妻波母《コモリヅマハモ》、」 内は隱るよしにて書て、かの母が養ふ蚕の眉籠てふ如く、父母の守こめて逢がたき妹をいふ、さて其妹の行|方《ヘ》をしらねば、更に云云波母といひ出て嘆なり、【一云、名耳之所緑而《ナノミシヨセテ》、戀管哉將在、】
 
2709 吾妹子《ワギモコニ》、吾戀樂者《ワガコフラクハ》、水有者《ミヅナラバ》、 (卷六)「わぎもこが、とこのあたりに、岩くゞる、みづにもがもな、いりてねましを、」
 
之賀良三超而《シガラミコエテ》、 垣などにたとふ、
 
應逝衣思《ユクべクゾオモフ》、」 【或本歌云、相不思、人乎念久、これは右の歌によしなし、此二句の下は失て別事なりけん、】
 
2710 狗上之《イヌガミノ》、鳥籠山爾有《トコノヤマナル》、 狗上は近江の國の郡名、鳥籠山は(卷十三)「あふみぢの、とこの山なる、いざや川、」とよめり、
 
不知也河《イザヤガハ》、 不v知《シラズ》をいざといふは、まづ人のものを問を不v知《シラザル》事をばいざしらずと答ふ、其しらずを略きていざとのみも云る故に、いざといひて不v知《シラヌ》事ともなれり、且いざは否《イナ》にて、奈とざの濁りと通ふ例なり、仍てさは濁るなり、
 
不知二五寸許須《イザトヲキコス》、 三の句までは、いざといはん序のみ、さていざとをきこすとは、しらずとのたまはすといふなり、二五はとをの言に借て其とをのをは辭なり、きこすはのたまはすといふに同じくて、雅にも常にもいふ言なり、
 
余名告奈《ワガナヲノラナ》、」 吾名を告《ノリ》聞えんなり、なは辭、歌の意は、吾名をいはで在しかど、かくしたしく成ぬるに、猶名をしらで有べきかはとのたまはするからは、今は何かつつまん名を告《ノリ》聞えんぞといふなり、○此末の言どもを今本によみ誤り、或説に解たがへしは、既にいふ如く、古の女の名は夫なるべき男ならでは、いはぬならはしなるを心得ねばなり、下の卷どもにも、此意もてよめるは、みなしかり、【此歌古今歌集の一説に、あめのみかどのあふみのうねめに給ふ御歌とて、本はこゝと同じくて末を、「いざと聞えてわが名もらすな」と有は、一つの物語などにしか取かへて作りたるか、本より萬葉をよみ違へしか、論にもたらぬひがことなるを、源氏物語などにも、右のごとく口がため給ふ事にとりいひしは、本集をばみず、流言の行はれしなり、】
 
2711 奥山之《オクヤマノ》、木葉隱而《コノハガクリテ》、行水乃《ユクミヅノ》、 明らけし、
 
音聞從《オトキヽシヨリ》、常不所忘《ツネワスラレズ》、」
 
2712 言急者《コトトクハ》、 言は借字にて殊急はなり、
 
中波余騰益《ナカハヨドマジ》、 水の殊に急《ト》く流れなば、中淀はあらじと云て、相思ふ心の頻ならば中絶はあらじ、心おこたりよりこそするなれ○益《マシ》を万自《マジ》の言に借は、借訓には清濁は、嫌はぬ例なり、
 
水無瀬川、 此下に、「うらぶれて、物は思はじ、水無瀬川、有ても水は、行とふ物を、」(卷十三)「戀にもぞ、人は死する、水瀬川、下ゆわれやす、月に日にけに、」と有、ここは瀬字なし、卷十三は、無字なきは、各一字づゝ落たるか、ともあれみなせがはと訓ことは、右に引たる此下の歌にてしるし、かくて此川水は砂の下を水のくゞれば、或は絶或は流るゝ所々有からに、絶とも淀むとも下ゆとも行水とも云て、中よどなる戀の譬とす、
絶跡云事乎《タユトフコトヲ》、有超名湯目《アリコスナユメ》、」 超は借字にて乞《コソ》と願ふ辭也、其上を古須ともいへるは、音の通ふまゝにいふ言便なり、
 
2713 明日香河《アスカガハ》、逝湍乎早見《ユクセヲハヤミ》、將速見登《ハヤミムト》、 今本見字なくてはや見んとゝ訓しは、速の下に後に見を落せしなり、
 
待良武妹乎《マツラムイモヲ》、此日晩津《コノヒクラシツ》、」 障有ておそきなり、
 
2714 物部乃《モノヽフノ》、 冠辭、
 
八十氏川之《ヤソウヂガハノ》、急瀬《ハヤキセニ》、立不得戀毛《タチアヘヌコヒモ》、 得も立がたく命にむかふ苦みなるを譬へたり、さて譬の言より延つけて、下の意をいふ類上下に有、○不得と書て別卷に、意進不得《ナグサメカネテ》、女念不得《ナヲモヒカネテ》、など訓、行難忘不勝、など有は行かで忘《ワスレ》がてぬと訓しかど、音かよひ意ひとし、
 
吾爲鴨《ワレハスルカモ》」 【一云、立而毛君者、忘金津藻、是は明らけし、】
 
2715 神名火《カミナビノ》、打廻前乃《ウチワノクマノ》、 (卷十三)衣手乎、打廻乃里爾、有吾乎、てふをむかへみるに、先飛鳥川の行めぐる神名火山の麓に淵の在て、(卷十四)に神南備の淵とよめり、其所に打廻てふ里ありて、その邊を打廻の前といふと見ゆ、打廻をうちわと訓ことは、衣手てふ冠辭を置しは、立舞に袖をふりめぐらすよしなればなり、【此事多くは或人の説によりぬ、今本うちまふさきと訓は、かの打廻の里をもうちまふの里と訓んとするか、しかいふ里の名は有べからず、且之の辭を添るは、後の俗言なり、】 
石淵隱而耳八《イハブチノカクレテノミヤ》、吾戀居《ワガコヒヲラム》、」
 
2716 自高山《タカヤマユ》、出來水《イデクルミヅノ》、石觸《イハニフリ》、破衣念《ワレヲゾオモフ》、 集中に、吾胸の破而くだけて、と云に同じ、後の物語歌などに、わりなくを略てわれてといふとは異なり、
 
妹不相夕者《イモニアハヌヨハ》、」
 
2717 朝東風爾《アサゴチニ》、 朝には必東風の吹ものなり、
 
井堤越波之《イデコスナミノ》、 ゐ※[さんずい+(曰/土)]《デ》は井|留《トメ》てふ事にて、杼米《トメ》の約|※[さんずい+(曰/土)]《テ》なり、是は行水を堰留て、溝して方々の田へまかせん料なり、かくて其堰の末の里にても、しかするものなれば、堰の上をも常に水の流るゝほどにすれば、其せき湛し淀に風立時は、いよゝ白波の立てかの堰を越るものなり、こゝはそのさまをいへり、
 
世越似裳《セゴシニモ》、 又|世染《ヨゾメ》にもか、今本に、世蝶と書て、せてふにも、と訓しは何のよしもなし、【或説に蝶をてふと云辭といへるは後世意なり、萬葉にてふといふ辭なきよし上の別記に云が如し、】今の世越の字とするは、物ごしにだにもいまだ不v相といはんとて、其|堰《セ》に越波は譬出せるなり、又世染の字とする時は、別卷に、荒磯越、外行波、といふ如く、是も其堰を越てよそへ行波を外目《ヨソメ》にいひそへたりとす、
 
不相鬼故《アハヌモノユヱ》、 物づからなり、
 
瀧毛響動二《タギモトヾロニ》、」 即上の越浪の沸る音を、人言の多きにたとふ、仍てかのせごしの譬を專とせり、
 
2718 高山之《タカヤマノ》、石本瀧千《イハモトタギチ》、 ちはりに通ひてたぎりの意、 
逝水之《ユクミヅノ》、音爾者不立《オトニハタテジ》、 此音は名には顯はさじとの意、 
戀而雖死《コヒテシヌトモ》、」
 
2719 隱沼乃《コモリヌノ》、 冠辭、
 
下爾戀者《シタニコフルハ》、飽不足《アキタラズ》、人爾語都《ヒトニカタリツ》、可忌物乎《イムベキモノヲ》、」 下の卷に、「念にし、餘にしかば、すべをなみ、吾はいひてき、應忌鬼《イムベキモノ》尾、」てふ如く、忌つゝむべきをなり、
 
2720 水鳥乃《ミヅトリノ》、鴨之住池之《カモノスムイケノ》、下樋無《シタビナミ》、欝悒君《オホニモキミヲ》、 下槌無池は底のおぼつかなきを、定かにもあらずおぼ/\に君を見しにいひつゞけたり、
 
今日見鶴鴨《ケフミツルカモ》、」
 
2721 玉藻苅《タマモカル》、 冠辭、
 
井提乃四賀良美《ヰデノシガラミ》、 【井提のしがらみは、小川を横に杭を立並る事幾通りもして、杭の通りごとに、柴竹などをからみ付て、其杭の間ごとに土の俵と云物を多くつみて、水をせくなり、仍てゐでのしがらみは、甚厚きものなり、】
 
薄可毛《ウスキカモ》、 此歌を人皆意得ざりしは、可毛の辭、又女の字は母《モ》の誤りなるを考へざる故なり、井堤は右にいへり、さてこゝは其ゐどめのしがらみを以て言をなせり、しがらみ薄き可毛といふは、うすきかはてふ辭にて、厚きがうらなり、是までは井堰の厚くして水のもらぬをいはん譬なり、かもの辭の例は左に擧、
 
戀乃余杼母留《コヒノヨドモル》、 今本|女《メ》留と有は誤なる事、歌の意に違ひ、又集にも諸の古書にも、女の字を米の、假字に書し例なし、【女をめの借字に用たる卷十八十九丁卅丁安夜女具佐と二つまであり、】今京こなたの假字に依て誤りしものなり、故に母に改、
 
吾情可聞《ワガコヽロカモ》、」 是も加波の意なり、その井でのしがらみの所の淵をなせる如く、わが戀の心の深く湛しは漏よしの有かはと云て、吾思ひをもらし遣《ヤル》すべなきをなげくなり、○可毛てふ辭は毛は助辭にて、可に疑の可歎の可可波の可願の我《ガ》有、皆其歌によりて分めり、其可波の意なるは、下の卷に、「あらぞめの、あさらの衣、淺らかに思ひて妹に、將相物香裳、」又「人言の、繁くしあらば、君も我も、將絶と云て、相之物鴨、」別卷に、「足引の、名に負山菅、押伏《オシナビケ》、公結《キミシムスバヽ》、不相有哉《アハザラメカモ》、」この外卷卷に有、
 
2722 吾妹子之《ワギモコガ》、笠乃借手乃《カサノカリテノ》、 笠の内に輪ひもをつけてきるめり、其輪を借手といへば、わざみの和に冠らせつ、
 
和射見野爾《ワザミノニ》、 こは天武天皇紀に、高市皇子の陣を成給へる美濃の和暫《ワザミ》にて、近江に近き所と聞ゆ、不破郡に有べし、
 
吾者入跡《ワレハイリヌト》、妹爾告乞《イモニツゲコソ》、」 旅立し時か歸る時か、何にても有べし、○こそは願ふなり、
 
2723 數多不有《アマタアラヌ》、名乎霜惜三《ナヲシモヲシミ》、 身一つに二行《フタユク》名はなし、あしき名にてはあしき人とのみ聞ゆるからに、あまたあらぬ名といへり、○しもはことをいひ入る辭、
 
埋木之《ウモレギノ》、 冠辭、
 
下從其戀《シタユゾコフル》、 是までは上をうけていへり、
 
去方不知而《ユクヘシラズテ》、」 終に事成べくは名もいとはじをと云也、
 
2724 冷風之《アキカゼノ》、 此つゞけおぼつかなし、もしちは風の古言なればいひ重ねたるか、又たちを略てつゞけたるか、【神代紀に、疾風を波也知とよみ、其外こちならしあらしてふしもちの音の通ひなり、】
 
千江之浦囘乃《チエノウラワノ》、 千江の浦はしらず、思ふにいづみの國の血泥の泥を江に誤るか、西風吹ば難波の木糞のよる浦なり、
 
木積成《コヅミナス》、 下に木糞と書て木くずの浮てよるをいふ、成は如なり、
 
心者依《コヽロハヨリヌ》、後者雖不知《ノチハシラネド》、」
 
2725 白細布乃《シロタヘノ》、 冠辭、今本|白細砂《シラマナゴ》と有は、砂の下にことわる辨なければ、古言ならぬ事、上に白浪の濱とはつゞくべからずといふが如し、此ことわり上にいへり、故に古本を是《ヨシ》とす、其白紬布よりつゞけし意は、三は眞津はつちの略とす、白栲の眞土といひかけたり、○(卷八)白栲爾、丹保布信士之、山川、と云が如し、○此考冠辭考にもれたり補ふべし、【後世人は白まなごみつ白波の濱白たへのふじなど樣にいふ事と思ひ誤れり、其別ちは冠辭考につぶさにいひつ、三津濱と云は書紀の説は依がたし、御津の意と思ふも猶字かなはず、今こゝに依は、眞土の濱てふ言にはあらじか、住吉の黄土といふ同所にて、岸に岩なくて浪に崩れぬは眞士なればなり、然れば眞士の浦てふ名に負へるをつゞめて、みつの浦といひしにや、】
 
三津之黄土《ミツノハニフノ》、色出而《イロニデテ》、 こは住吉の三津と云も同所にて、住吉の岸のはにふといへる是なり、
 
不云耳衣《イハザルノミゾ》、 句なり、今本にいはずてのみぞと訓しは、下の者のかへるところなし、
 
我戀樂者《ワガコフラクハ》、」
 
2726 凰不吹《カゼフカヌ》、浦爾浪立《ウラニナミタツ》、無名乎毛《ナキナヲモ》、 毛は一本による、さて古今歌集に、「かねてより、風に先立、浪なれや、逢事なきに、まだき立らむ、」と云は今を少しかへしのみなり、相持て解べし、
 
吾者負香《ワレハオヘルカ》、逢者無二《アフトハナシニ》、」
 
2727 酢蛾島之《スガシマノ》、夏身乃浦爾《ナツミノウラニ》、 或人鹽津すが浦とよめるは、近江淺井郡なり、そこにすが島も有かといへり、和名抄、同國甲賀郡に夏身郷あり、右と合せて近江とせんか、又或人は阿波と紀伊の間にすが島といふ有ともいへり、
 
依浪《ヨルナミノ》、間文置《アヒダモオキテ》、吾不念君《ワガモハナクニ》、」
 
2728 淡海之海《アフミノミ》、奥津島山《オキツシマヤマ》、奥間經而《オクマヘテ》、 間經の約は米なれば奥めてと云なり、別卷に載たるに奥|儲《マケテ》と有、萬氣の約めも同じくて同辭なり、さて集中に思ふといふは、深く思ふ意なれば、こゝもさ心得んもあしからず、又末の事を奥といへるもあれば、末をたのめて在間に人言の繁ければ、末おぼつかなしといふにも有べし、
 
我念妹爾《ワガモフイモニ》、 今本妹之と有は聞えず、かの別卷には之の字も無ておもふにと訓たり、然れば之は爾を誤りつ、
 
言繁《コトノシゲミモ》、」 今本しげゝんと訓しは、末に言繁からんを、今本より知よしもなければ、顯に繁き方に訓べきなり、
 
2729 霰零《アラレフリ》、 冠辭、
 
遠津大浦爾《トホツオホウラニ》、縁浪《ヨスルナミ》、縱毛依十方《ヨシモヨストモ》、憎不有君《ニクカラナクニ》、」 上にも、よそへる君が、にくからなくに、とよめり、○遠つ大浦は紀伊に有か、冠辭考にくはし、
 
2730 木海之《キノウミノ》、名高之浦爾《ナタカノウラニ》、 名高浦は此下に一首、(卷七)に二首あるを、こゝを以て紀伊と定む、
 
依浪《ヨルナミノ》、音高見鳧《オトタカミカモ》、不相子故爾《アハヌコユヱニ》、」
 
2731 牛※[窗/心]之《ウシマドノ》、 備前國に今もしかいふ所有、鵜島門《ウシマト》の意か、
 
浪乃鹽左猪《ナミノシホサヰ》、島響《シマヒヾキ》、 潮のさわぎの浪の響を、人言に譬ふ、
 
所依之君爾《ヨセテシキミニ》、 いひよせられしよしにて所依と書り、今本の訓はわろし、○てしはたりしなり、
 
不相鴨將有《アハズカモアラム》、」
 
2732 奥波《オキツナミ》、邊浪之來縁《ヘナミノキ∃ル》、左太能浦之《サダノウラノ》、 貞浦は和泉に今在、また出雲國にもあり、いづれをこゝにいへるにか、
 
此左太過而《コノサダスギテ》、 左太は定の言なる事、上の事曾左太多寸てふ所にいへり、こゝの意は、今わが思ふ人につけていひ騷がるゝ時ぞ、此|評定《サダ》を過して後に、又戀んかといふなり、別卷に、我故、所云妹《イハレシイモハ》、高山之峯(ノ)朝霧、過(ニ)兼鴨、
 
後將戀可聞《ノチコヒムカモ》、」 此歌下の卷の旅の歌どもの中に再のりしは誤なるべき事、そこに云、
 
2733 白浪之《シラナミノ》、來縁島乃《キヨスルシマノ》、荒磯爾毛《アリソニモ》、有申物尾《アラマシモノヲ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、」 かく戀つゝかひあらぬを、かねて知せば、さるおそろしげなる荒磯と成てもあらまし物をと悔て云り、
 
2734 鹽滿者《シホミテバ》、水沫爾浮《ミナワニウカビ》、細砂裳《マナゴニモ》、 みちくる潮さわぎには、泡とゝもに眞砂もうきたつものなるを、み沫《ナワ》の如く浮ぶまさごといひて、我|生《イキ》もやらず死もはてず、浮てただよふこゝろをたとへたり、 
吾者生鹿《ワレハナリシカ》、 生も鹿もかり字にて、浮べる細砂に成しかなり、【或人鹿を願の辭と見しはわろし、】
 
戀者不死而《コヒハシナズテ》、」
 
2735 住吉之《スミノエノ》、城師乃浦箕爾《キシノウラミニ》、 浦|備《ビ》濱備ともいへば、浦|箕《ミ》の箕《ミ》は備に通ひて、其備は方の意なり、
 
布浪之《シクナミノ》、 重りよる浪なり、
 
敷妹乎《シク/\イモヲ》、 重々なり、
 
見因欲得《ミムヨシモガモ》、」
 
2736 風緒痛《カゼヲイタミ》、甚振浪能《イタブルナミノ》、 いたく浪の振うごくなり、(卷六)おしていなと、いねはつかねど、奈美乃保乃《ナミノホノ》、伊多夫良思毛與《イタブラシモヨ》、伎曾比登里宿而《キソヒトリネテ》、
 
間無《アヒダナク》、吾念君者《ワガモフキミハ》、相念濫香《アヒモフラムカ》、」
 
2737 大伴之《オホトモノ》、 冠辭、
 
三津乃白浪《ミツノシラナミ》、間無《アヒダナク》、我戀良苦乎《ワガコフラクヲ》、人之不知久《ヒトノシラナク》、」
 
2738 大船乃《オホブネノ》、絶多經海爾《タユタフウミニ》、重石下《イカリオロシ》、 和名抄に、四聲字苑云海中以v石駐v舟曰碇、(伊加利、)といへり、いしがゝりの略なり、常にも船をとゞめてをるをふねのかゝりゐるといふ即是なり、別卷にも二首あり、
 
何如爲鴨《イカニシテカモ》、吾戀將止《ワガコヒヤマム》、」 
 
2739 水沙兒居《ミサゴヰル》、奥麁磯爾《オキツアリソニ》、 和名抄に、※[且+鳥]鳩、美佐古、G(ノ)屬也、好在2江邊山中1、亦食v魚者也、といへる是なり、其抄今按とて、書紀の覺賀鳥の事と言るはあたらず、かれは鷲なるべきよし下に云り、
 
縁浪《ヨルナミノ》、往方毛不知《ユクヘモシラズ》、吾戀久波《ワガコフラクハ》」 右に、下從其戀《シタユゾコフル》、往方不知而《ユクヘシラズテ》といへるとはことにて、古今歌集に、「吾戀は、ゆくへもしらず、はてもなし、あふをかぎりと、おもふばかりぞ、」てふに似たり、
 
2740 大船之《オホブネノ》、舳毛艫毛《ヘニモトモニモ》、依浪《ヨスルナミ》、依友吾者《ヨルトモワレハ》、 彼人へ行べき此人によらんぞなど、さま/”\いひよせらるゝ人言の有を譬へて、舳《ヘ》にも艫《トモ》にも依る波といへり、
 
君之任意《キミガマニ/\》、」 しかいはるゝとも他《アダ》しこゝろはもたず、ただ君がまに/\といへり、
 
2741 大海二《オホウミニ》、立良武浪者《タツラムナミハ》、間將有《ヒマモアラム》、公二戀等九《キミニコフラク》、止時毛梨《ヤムトキモナシ》、」
 
2742 牡鹿海部乃《シカノアマノ》、 上に出、
 
火氣燒立而《ケムリヤキタテヽ》、燒鹽乃《ヤクシホノ》、辛戀毛《カラキコヒヲモ》、吾爲鴨《ワレハスルカモ》、」 【古今歌集に、「おしてるや、なにはのみつに、燒汐の、」といへるは此歌をうつしかへしのみ、】
 
2743 中中二《ナカ/\ニ》、君二不戀者《キミニコヒズハ》、枚浦乃《ヒラノウラノ》、 近江の平なり、
 
白水郎有申尾《アマナラマシヲ》、玉藻刈管《タマモカリツヽ》、」 此體なるは、(卷九)和2諸人梅花歌1とて、(吉田連宜京より贈、)於久禮爲天《オクレヰテ》、和我古飛世殊波《ワガコヒセズハ》、彌曾能不乃《ミソノフノ》、(御園)于梅能波奈爾母、奈良麻之母能乎、てふに均しければ、こゝはこひずはと訓も、戀せずあらんとならばてふを、略きいふ一つの體なり、かくて君に戀せずあらんとならば、吾賤しき海人にてもあらましを、中々にかゝる身にて君に戀つゝくるしといへり、〇下卷に、後居而、戀乍不有者、田籠之浦乃、海部有申尾、珠藻苅乍、この末は似て本は異なり、【こゝの左に、右一首石川君子朝臣作之、と註したるはよしなし、此卷どもは惣て作人しられぬを集しに、一首二首何ばかりの據ありて誰が歌と云らん、凡浮たることなるべし、○或本歌曰、中中爾、君二不戀波、留鳥《アミ》浦之、海部爾有益男、珠藻刈々、】
 
2744 鈴寸取《スヾキツル》、 記上に、爲釣海人之口大之尾翼鱸《アマカツリスルクチブトノヲヒレスヾキ》、(鱸云須受岐、)
 
海部之燭火《アマノトモシヒ》、外谷《ヨソニダニ》、不見人故《ミヌヒトユヱニ》、戀比日《コフルコノコロ》、」
 
2745 湊入之《ミナトイリノ》、葦別小舟《アシワケヲブネ》、障多見《サハリオホミ》、 古人はかゝる譬をしもいひ出たり、
 
吾念公爾《ワガモフキミニ》、不相頃者鴨《アハヌコロカモ》、」
 
2746 庭淨《ニハキヨミ》、 人麻呂は庭よくあらしとよみつるが如く、こゝも爾はをよみとも訓べけれど、また日晴海面平けくて鑑の如くならんは清しと言べし、
 
奥方※[手偏+旁]出海舟乃《オキヘコギイヅルアマブネノ》、執梶間無《カヂトルマナク》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」
 
2747味鎌之《アヂカマノ》、 此所(卷六)未勘國と注せし中にも二首あり、
 
鹽津乎射而《シホツヲサシテ》、 是も所の名なり、近江に今も鹽津てふ所有、○紀(神武天皇條)に、兄宇迦斯《エウカシ》を矢刺而《ヤサシテ》追入、てふは矢を弓にはげて射んとするさまなり、こゝに射字をさしてと訓は、即いやる意なり、
 
水手船之《コグフネノ》、名者謂手帥乎《ナハイヒテシヲ》、 【船に名をつくる事、書紀に上つ代より見ゆ、】
 
不相將有八方《アハザラメヤモ》、」 次の卷に、往吉之、敷津之浦乃、名告藻之、名者告而之乎、不相毛怪、てふも均し、こゝは女の名を今はとて告しからは、必逢べしと定めて云り、
 
2748 大舟爾《オホフネニ》、葦荷刈積《アシニカリツミ》、四美見似裳《シミミニモ》、 繁々《シミ/\》を略けり、(卷十六)にしゝ田の稻を倉に積《ツミ》てふ類なり、
 
妹心荷《イモガコヽロニ》、乘來鴨《ノリニケルカモ》、」 妹が事はちゞよろづに我心に乘て在を、その事の多きをたとへて葦荷をいへり、
 
2749 驛路爾《ハユマヂニ》、引舟渡《ヒキフネワタシ》、 はやうまのや字の約め由なれば、はゆまといへり、さて厩牧令に、水驛(ノ)不v配《アテザル》v馬(ヲ)處(ニハ)、量(テ)2閑繁(ヲ)1、(行人の多少)驛|別《ゴトニ》置《オク》2船四隻以下二隻以上(ヲ)1、右は序、
 
直乘爾《タヾノリニ》、 たゞは一道にといふがごとし、
 
妹情爾《イモガコヽロニ》、乘来鴨《ノリニケルカモ》。」
 
2750 吾妹子《ワギモコニ》、不相久《アハデヒサシモ》、馬下乃《ウマシモノ》、 冠辭、 
阿倍橘乃《アベタチバナノ》、 味物《ウマシモノ》の甘橘といへり、是即今ある橘の事なり、
 
蘿生左右《コケムスマデニ》、」 蘿は日影をいへり、日影は奥山の木に生て、橘などの里の木には生ざれど、年久しき事の譬には、何にもいふ類多し、あべ橘に橙などの字を當しは、皆よろしからず、古へ諸の蜜柑柑子の類なき時、此橘を菓子の長上として橘氏をも賜はり、南殿の橘も遷都の前より有しを、後も傳へて植させらるめり、ましていと古き代たちばなに二種あらめや、年へてまどひしが今ややおもひ定めたり、
 
2751 味乃住《アヂノスム》、 あぢ鳧《カモ》なり、集中に味村さわぎ、味の群鳥《ムラトリ》ともよめり、
 
渚沙乃入江之《スサノイリエノ》、 神名式に、紀伊國有田郡須佐神社、(名神、大新嘗、月次、)と有、
 
荒磯松《アリソマツ》、我乎待兒等波《アヲマツコラハ》、但一耳《タヽヒトリノミ》、」 其妹を專らうつくしむことばなり、【(卷六)未勘國と註せし中に、此歌下句ことにて入しは、東にも同名ありてよみしか、其卷にいふべし、】
 
2752 吾妹兒乎《ワギモコヲ》、聞都賀野邊能《キヽツガノベノ》、 神功皇后紀、仁徳天皇紀、にも菟餓野とて津の國に出、さて妹がうへを聞繼といひ下せり、
 
靡合歡木《シナヒネム》、 今いふねむの木にて、枝も葉もしなふものなり、今本になびきねむと訓しは、此歌の意にあらず、こはしぬぶといはん料の序なれば、しなひとよまではかなはず、(卷十三)「眞木の葉の、しなふせの山、しぬばずて、我越ゆけば、木の葉しりけん、」といふ眞木は檜木にて、枝葉のしなふ木なり、さて故郷の妹を慕《シタフ》に堪ずて越行を、木の葉も見知て枝をしなへて在といふにて、今も相似たるさまながら、彼はたゞ慕に堪ぬをいひ、ここは思ひを忍び隱すにたえぬを云り、【しなひとしぬぶを同言としてかくいふは、人を戀慕時は身も心もしなへて思ふ故に、夏草のしなへうらぶれともいへり、さて慕《シタフ》はしたふ意を本にて、そを心の内にしたふは隱す意と成ぬ、この二つ集中にあれども、言の出る本は均し、】
 
吾者隱不得《ワレハシヌバズ》、間無念者《マナクオモヘバ》、」 しぬぶに堪《タヘ》ずてふ意なれば、隱不得とせり、是をしぬびえすと訓しはよしなし、紀(允恭條)に、むかへをゆかん、まつにはまたじ、とよみ給ひしは、待には不v得v堪(ルコトヲ)、てふ意なる如く、こゝもしぬばずと訓て隱《シヌブ》に不v得v堪なり、
 
2753 浪間從《ナミマヨリ》、所見小島之《ミユルコジマノ》、 備前紀伊などの地名にはあらで、(卷八)玉の浦の、はなれ小島、などいへるたぐひなるべし、(卷十)浪間より、見ゆる小島の、雲隱、
 
濱久木《ハマヒサギ》、 (卷六)に吉野にて、久木生る、清き河原、とよみ、和名抄に、楸(比佐木、)と有て、赤めがしはぞと或人はいへり、そは里に生て桐梓の類なれば、潮風の立る島に生べくも覺えず、同じ久木てふ名にて、濱久木は異木にやあらん、【(卷七)今本に、山のはの、久木花咲と有久は、冬の字の誤なり、是を以ていふ説はひがことぞ、】 
久成奴《ヒサシクナリヌ》、君爾不相四手《キミニアハズシテ》、」
 
2754 朝柏《アサガシハ》、 冠辭、
 
閏八河邊之《ウルヤカハベノ》、 別卷に、秋柏《アキガシハ》、潤和川邊《ウルヤカハベ》、細竹目《シヌノメノ》、人不顔面《ヒトニシヌベバ》、公無勝《キミニタヘナク》ともよめり、
 
小竹之眼※[竹/矢]《シヌノメノ》、小竹はしなへる物なればしぬといひ、眼《メ》は牟禮の約にて小竹叢なり、次にしぬぶといはん序とす、
 
思而宿者《シヌビテヌレバ》、夢所見來《イメニミエケリ》、」 此思はしぬぶとよまでは上よりつゞかず、下の意もきこえざるなり、今本におもひと訓しは何のよしともなし、別卷の三四句の言を以ても知べし、【思字を慕ふ意にて、しぬぶとよみしは、即此次下にも末にも有、○今本は別卷の訓をも誤れり、】さてしぬびてぬればとは、思慕《オモヒシタヒ》てぬれば夢にみえつると云にて、此しぬびはしたふ意、別卷のしぬべばは隱す事なり、集中に此二つ有を歌の意もて分ち心得る事、上にもいふがごとし、
 
2755 渡茅原《アサヂハラ》、刈標刹而《カリジメサシテ》、 刈は借字にて、廣き荒野の中に假初なる標杭などをさしたるは、ばとして定かならぬしるしなるを空言に譬へ下せり、さてかくそら言にても、一たび人にいひよせられし君なれば、其君のあはんといふ言を、吾はまちつゝあらんといふなり、
 
空事文《ソラゴトモ》、所縁之君之《ヨセテシキミガ》、辭鴛鴦將待《コトヲシマタム》、」 下の卷に、「淺茅原、小野にしめゆふ、そらごとも、あはんときこせ、戀のなぐさに、」其左の註に、或云、こんと知《シラ》せし君をし待ん、又別卷に、本は同じくて末は、「そら言を、いかなりといひて、君をしまたん」とも讀り、
 
2756 月草之《ツキクサノ》、 冠辭、
 
借有命在人乎《カリナルイノチアルヒトヲ》、 人は吾をいふ、
 
何知而鹿《イカニシリテカ》、後毛將相云《ノチモアハントフ》、」
 
2757 王之《オホキミノ》、御笠縫有《ミカサニヌヘル》、 天皇の菅笠は、大嘗宮へ幸の時の式に見ゆ、又仲哀天皇の紀に、皇后の御笠の事有も菅か、
 
在間菅《アリマノスゲ》、 攝津國、
 
有管雖看《アリツヽミレド》、 有つゝは常にといふが如し、
 
事無吾妹《コトナキワギモ》、」 事有とは、吉にも凶にもすぐれたるをいへれば、こゝの事なきはよろづに難なきをいふなり、
 
2758 菅根之《スガノネノ》、 山菅なり、
 
懃妹爾《ネモゴロイモニ》、戀西益《コヒセマシ》、 ましは辭、
 
卜思慮《ウラモフコヽロ》、 卜は借字にて裏なり下なり、又今本卜思※[而/心]、と有※[而/心]は、慮の字なり、古今六帖に此歌を擧て、うらもふこゝろ、と有にて知べし、
 
不所念鳧《オモホエヌカモ》、」 惣ての意は、心のうちにのみはえ忍びあへず、今よりは顯れてねもごろに戀せなんと思ひ成しといへり、
 
2759 吾屋戸之《ワガヤドノ》、穗蓼古幹《ホタデフルカラ》、採生之《ツミオフシ》、 こは去年の秋の末に枯たる蓼の古莖の子《ミ》を採納めて、今年の春蒔生し、それが又|子《ミ》になる秋までも、同じ心に君を待なんといふなり、此類ひ(卷七)に、「住吉の、岸を田にはり、蒔し稻の、しかもかるまで、不相君かも、」など多し、故に採生之を、つみおふしと訓り、つみはやしと訓しも、おふるをはやしといへる意ならば、さても有なんを、或説にさのゝくゝだちつみはやし、御膾はやしなどの意とおもへるは、此歌の意にかなはず、かゝる物の子《ミ》は、とるべき時にとらねば、おのづから落失る故に、秋の末に摘取置て春蒔生すなり、然れば此採と生しは、こと時なるをつゞめて一句にいへるのみ、 
實成左右二《ミニナルマデニ》、君乎志將待《キミヲシマタム》、」
 
2760 足檜之《アシビキノ》、山澤囘具乎《ヤマサハヱグヲ》、採將去《ツミニユカム》、 (卷七)爲君《キミガタメ》、山田之澤《ヤマダノサハニ》、惠具採跡《ヱグツムト》、雪消之水爾《ユキゲノミヅニ》、裳裾所沾《モノスソヌレヌ》、 ともよみて、澤にもやま田にも生る物なり、黒久和爲《クログワヰ》といふ物に似て、葉も根もいとちひさし、芋《イモ》も黒からず、さてこれらをば、藺《ヰ》の類として、芋の味もゑぐゝ葉|弱《ヨワ》ければ、ゑぐよわゐてふを略てゑぐわゐといひ、又略てゑぐとのみもいへり、是にはいふべき事多ければ、別記に擧たり、採の字はとるともつむとも、ことによりて訓り、是は葉を摘にあらず、淺き水の内に有を、指もてつまみとれば、つむとも訓べし、
 
日谷毛相將《ヒタニモアハム》、 都人の若なつみに出る如く、雪氷とけぬる頃、所につけたるゑぐつまんとて、野澤あたりへ出る事あるによりて、さる日に出あはんと男に契れるなるべし、是はひな人の歌なり、【將をむのかなにして、下にも書る事、集中に類有、】 
母者責十方《ハヽハコロブトモ》、」 上にいへり、
 
2761 奥山之《オクヤマノ》、石本菅乃《イハモトスゲノ》、根深毛《ネフカクモ》、 末の念妻といふは、いまだむかひめとならぬほどの言なり、然ればこゝは石本菅より譬へて、末かけてかたく根ふかく思ふと云なり、
 
所思鴨《オモホユルカモ》、吾念妻者《ワガモヒヅマハ》、」 つまをばの意、
 
2762 蘆垣之《アシカキノ》、中之似兒草《ナカノニコグサ》、 垣の内の事をば、集中に内と書たり、こゝは中と書しかば、あし垣に交りからまりて生たるにこ草をいふならん、(卷六、相摸歌に)「あしがりの、はこねのねろの、爾古具佐能、はなづまなれや、」ともよみたり、和名抄に、※[草冠/威]※[草冠/(豕+生)]を恵美久佐といへる是か、こゝの歌に即われとゑみしてともいひ、皇極天皇紀の猿が歌に、武※[舟+可]都烏爾陀底婁《ムカツヲニタテル》、制羅我※[人偏+爾]古彌擧曾《セラガミコミコソ》、てふも同じ意なれば、爾古草惠美草同じ物か、されども共によくしらず、
 
爾故余漢《ニコヨカニ》、我共咲爲而《ワレトヱミシテ》、人爾所知名《ヒトニシラルナ》、」 
2763 紅之《クレナヰノ》、 冠辭、
 
淺葉乃野良爾《アサハノノラニ》、苅草乃《カルクサノ》、束之間毛《ツカノアヒダモ》、吾忘渚菜《ワヲワスラスナ》、」 かくうらなくいふは古人のまことなり、わすらすなの良須約は留にて忘るななり、今本われわすれずな、といへるは、わが忘れぬ事と思ひ誤しなるべし、此四字しかは訓がたきが上に、渚の字は濁りよむべくもあらず、
 
2764 爲妹《イモガタメ》、壽遺在《イノチノコセリ》、苅薦之《カリコモノ》、念亂而《オモヒミダレテ》、應死鬼乎《シヌベキモノヲ》、」
 
2766 三島江之《ミシマエノ》、 三島江の玉江ともよめり、神名式の攝津國島下郡に、三島鴨神社あり、こゝなるべし、
 
入江之薦乎《イリエノコモヲ》、苅爾社《カリニコソ》、吾乎婆公者《ワレヲバキミハ》、念有來《オモヒタリケレ》、」
 
2767 足引乃《アシビキノ》、山橘之《ヤマタチバナノ》、色出而《イロニイデヽ》、 山邊の木陰岩根などに有て、子《ミ》赤く葉常にあれば、是しも橘の名を負せし事、かくはやき代にも有しかな、びんそぎなどのことぶきものとするも、然らばはやくよりの事か、今田舍にて是を薮《ヤブ》柑子といふも、橘より轉ぜしならん、
 
吾戀南雄《ワガコヒナムヲ》、人目難爲名《ヒトメカタミスナ》、」 今本は目と書てやめがたくすな、と訓しはよしなし、八は人の字なり、今よりわが顯れて戀んからは、そこにも人めをはゞかることなく、あらはれて相思ひてよといふなり、
 
2768 葦多頭乃《アシタヅノ》、颯入江乃《サワグイリエノ》、白菅乃《シラスゲノ》、知爲等《シラレムタメト》、乞痛鴨《コチタカルカモ》、」 知の上に將字落たるか、さていまだ思ふ人にもかくと告ずして戀るを、里人のとくもこちたくいひなすは、おのづからわがこゝろを、其人にしられん爲とての事かといふなり、女の歌か、且序に颯と云を、下にひゞき有がごとく思ふは後世意なり、○乞は借字にて言をいふ、
 
2769 吾背子爾《ワガセコニ》、吾戀良久者《ワガコフラクハ》、夏艸之《ナツグサノ》、苅除十方《カリハラヘドモ》、生及如《オヒシクガゴト》、」 (卷七)廼者之《コノゴロノ》、戀乃繁久夏草乃《コヒノシゲヽクナツグサノ》、苅拂友《カリハラヘドモ》、生布如《オヒシクガゴト》、てふは同じ歌なり、
 
2770 道邊乃《ミチノベノ》、五柴原能《イチシハハラノ》、 用明天皇紀に、赤檮此云2伊知毘1、と有は、伊豆國人云、橿の類にて大木なり、基木色赤く堅き事橿に増る、車の輪舟楫などに爲ものなり、さて同じ物も※[木+若]なるをばしばといへば、此いちひを略きていちしばと云にや、楢柴くぬぎ柴てふが如し、(卷十二)天霧之、雪毛零奴可、灼然、此五柴爾、零卷乎將見、(卷十三)大原之、此市柴乃、何時鹿跡、吾念妹爾、今夜相有香裳、これが中に市と有に依て、五をもいちと訓べし、足常、小豆無、なと書しも、たらちねあぢきなくと訓が如し、○又こゝは草の歌どもの中に、此一首木柴ならん事おぼつかなし、もし芝にさる名の有にや、道のべと云も草に近きを、此下に道のべの草を冬野にといひ、道の柴草ともあればなり、猶山人に問べし、
 
何時毛何時毛《イツモイツモ》、人之將縱《ヒトノユルサム》、言乎思將待《コトヲシマタム》、」
 
2771 吾妹子之《ワギモコガ》、袖乎憑而《ソデヲタノミテ》、眞野浦之《マノヽウラノ》、 攝津國なるべし、
 
小菅乃笠乎《コスゲノカサヲ》、不着而來二來有《キズテキニケリ》、」 來にけりといへば、妹が家へ到て、その道の程小雨にぬれたるをもて、戯にかくいへるか、道にて出あふべき時などこそかくはいはめと思へど、さのみもはからひがたし、
 
2772 眞野池之《マノヽイケノ》、小菅乎笠爾《コスゲヲカサニ》、不縫爲而《ヌハズシテ》、人之遠名乎《ヒトノトホナヲ》、可立物可《タツベキモノカ》、」 わが袖をたのみて、笠もきずて來しといはゞ、事有がほに聞えて實なきものから、名のひろく立んが苦しといひ、且上の笠にぬはずとは、(卷三)「をちの小菅、あまなくに、い刈もて來、」とよめるが如く、いたづらなるよしをこめていへるなるべし、或人、問答は下に別に擧しかば、こゝはおのづからより來しものといふは、くはしからず、此歌問答ならずば、言をめぐらしいふとも本末遠かるべし、又こゝは菅の歌をならべ擧るをこゝろにて、問答にはかゝはらて問答歌をあげし物なり、下の卷にもたゞの所に問答歌の有は此よしなり、
 
2773 刺竹《サスタケノ》、齒隱有吾背子之《ハゴモリニタルワガセコガ》、 刺竹の刺は借字にて、淺|篠《シヌ》竹てふ事なり、篠は本も葉もことに繁くこもれるをもて、葉隱にて有といひて、ふかく人目を忍び隱すことに譬へたり、次の淺小竹原のをみなめしも、小竹《シヌ》の中に隱るゝをいひ、且其淺しぬを略約めて佐須といへるをもしるべし、【佐は阿佐の略、須は志奴の約にて、淺篠竹てふ言なり、此事今考得て冠辭考を改めたり、○又此所の刺竹も言意は右の如くて、こは冠辭にあらぬよしも、其考に委しくせり、】
 
吾許不來者《ワガリシコズハ》、吾將戀八方《ワガコヒメヤモ》、」 さばかり世に忍べる男の、忍びに忍びつゝ來し心ざしを思ひて吾は戀るといへり、
 
2774 神南備能《カミナビノ》、 飛鳥の神なび山の邊の篠原なり、
 
淺小竹原乃《アサシヌハラノ》、 淺小竹原は小篠原なり、淺茅《アサチ》淺葱《アサツキ》などちひさき事をも淺といへり、
 
美妾《ヲミナメシ》、思公之《シヌベルキミガ》、 小さゝ原の中に交り生たる女郎花の見分がたきを、しぬぶに譬へ下して、さて人にしぬびて心になつかしむ君が、友の中などに在て、物いふこゑのいちじるく聞ゆるを頻になつかしむなり、○此歌右の歌に心ことば相似たる事あり、
 
聲之知家口《コヱノシルケク》、」
 
2775 山高《ヤマタカミ》、谷邊蔓在《タニベニハヘル》、玉葛《タマカヅラ》、絶時無《タユルトキナク》、見由毛欲得《ミルヨシモガモ》、」 下の卷に、谷迫、峯邊延在、玉葛、蔓之有者、年二不來友、(卷六)多爾世婆美云云、と本は同じくて末ことなるあり、こはいづれも毛詩の、葛之覃施于中谷、てふに似たり、人まろは他國《ヒトノクニ》の事をば一つだにとらざるを、かたへにはうつしよめる人も有けん、拙かりけり、
 
2776 道邊《ミチノベノ》、草冬野丹《クサヲフユノニ》、 野の下に加をこむ、
 
履干《フミカラシ》、吾立待跡《ワガタチマツト》、妹告乞《イモニツゲコソ》、」 妹が來らん事を、日ごとに道に出て待なり、集中には男の許へ妹が來ることもみゆるは、皆さるゆゑありて、たまさかの事なるべし、
 
2777 疊薦《タヽミゴモ》、隔編數《ヘダテアムカズ》、通者《カヨヒセバ》、道之柴草《ミチノシバクサ》、不生有申尾《オヒザラマシヲ》、」 こは右に似たれど問答にあらず、○隔編數、通者、とは先薦をば藁蒋などを、一筋づゝ重ね編をもて隔編といふ、さてこも桁といふ木を横にわたし、こも槌といふものにあみ緒を卷て、こもげたへかけて、槌を此を彼へ彼を此へ取違へつゝあむなり、其槌の往反如く夫《セ》の通ひなばと云なり、【此こもづちを上總人はこもづゝろと云と云り、古言なるべし、】
 
2778 水底爾《ミナソコニ》、生玉藻之《オフルタマモノ》、生不出《オヒモイデズ》、 水の上に顯れぬをしぬぶにたとふ、
 
縱比者《ヨシコノゴロハ》、如是而將通《カクテカヨハム》、」 暫の間はかくても通はんと云て末をたのむなり、
 
2779 海原之《ウナバラノ》、奥津繩乘《オキツナハノリ》、 のりといふは、何にてもぬる/\とするものをいふ、海草も此のり有故に、其ののりといへり、然れば、池のぬなはなどの如く、長く引てのり有を繩のりといふべし、なのりそも即同物にて、それもなはのりのはを略きて、なのりそといふにや、【衣通姫の、「うみのはまものよるとき/”\を、」といふ歌は他人に聞すべからず、と天皇のたまへるより、時の人濱藻をなのりそもといへる故に、是を莫名告藻といふはさる事ながら、本其藻をなはのりも、といふより諺になのりそもといひしとせば、違ひあらじか、】
 
打靡《ウチナビキ》、心裳四怒爾《コヽロモシヌニ》、所念鴨《オモホユルカモ》、」 上の繩のりのしなえなびくを、身も心もなよ/\としなえつゝ戀わぶるにとれり、「夏草のしなえうらぶれ」てふに同じ、仍てしぬてふ言をしるべし、
 
2780 紫之《ムラサキノ》、 冠離、
 
名高乃涌之《ナダカノウラノ》、靡藻之《ナビキモノ》、情者妹爾《コヽロハイモニ》、因西鬼乎《ヨリニシモノヲ》、」
 
2781 海底《ワタノソコ》、奥乎深目手《オキヲフカメテ》、生藻之《オフルモノ》、最今社《モハライマコソ》、 上の奥云云に深き思を譬て、且生藻といひ下して最らの言に重ねたり、
 
戀者爲便無寸《コヒハスベナキ》、」
 
2782 左寐蟹齒《サネカネバ》、 かねは、つままぎかねてなどのかねと均しくて、こゝは夫《セ》を得難《エガタク》と思はゞと云なり、
 
孰共毛宿常《タレトモネメド》、奥藻之《オキツモノ》、 冠辭、
 
名延之君之《ナビキシキミガ》、 妹の吾心のなびきよりし男をいへり、男のなびきしといふにあらず、
 
言待吾乎《コトマツワレヲ》、」 吾をこふてふ男はともしからねど、はやくわが心のよりにし君が、今は妻《メ》とせんといふ言を待となり、○此乎は與《ヨ》とも曾《ソ》とも通ひて、吾ぞよてふ辭なり、
 
2783 吾妹子之《ワギモコガ》、奈何跡裳吾《イカニトモワヲ》、不思者《オモハネバ》、含花之《フクメルハナノ》、 内にのみ戀るにとる、
 
穗應咲《ホニサキヌベシ》」 下にのみ戀れば、妹は大よそに思ひて在にえ堪やらずて、忍びあへず成なましと云なり、
 
2784 隱庭《シヌビニハ》、戀而死鞆《コヒテシヌトモ》、三苑原之《ミソノフノ》、 呉藍韓藍《クレナヰカラアヰ》は既に世に多きを、御苑をしもいふは、宮中の女房のよめる歌ゆゑか、
 
※[奚+隹]冠草花乃《カラアヰノハナノ》、色二出目八方《イロニイデメヤモ》、」 此草の末の房より咲出る花を、※[奚+隹]冠に見なしてかくは書り、さてこれを呉藍とも韓藍とも集中に書て、其本同物なれば、こゝは何れにも訓べけれど、此歌にはからあゐと訓ぞ言かなひて聞ゆれば、しかよめり、【今本、此歌に小書あれど、いふにたらぬひがことなれば、別記にことわれり、】
 
2785 開花者《サクハナハ》、雖過時有《スグルトキアレド》、 過るは散失るを云、
 
我戀流《ワガコフル》、心中者《コヽロノウチハ》、止時毛梨《ヤムトキモナシ》、」
 
2786 山振之《ヤマブキノ》、爾保敝流妹之《ニホヘルイモガ》、 にほふてふ言に艶の字を書し集中に多く、又山吹を妹に似たる草ともよめり、
 
翼酢色乃《ハネズイロノ》、 【はねず色のうつろひやすきといふは、染たる色の變をいふべし、雨打ふらば、といふは、花のしぼみ散をいふべし、】天武天皇紀に、淨位以下並著2朱華1、此(ニハ)云2波泥孺《ハネズト》1、(卷十一)唐棣花色之、移安情有者、云云、(卷十二)唐棣花歌、(家持)夏儲而、開有波禰受、久方之、雨打零者、將移香、(卷十三《(今四)》)不念常、曰手師物乎、翼酢色之、變安寸、吾意可聞、これらなり、右に朱華、といひ、こゝに赤裳と有によらば、紅にあらず緋色なり、式に諸王の服色を熏と有は、朱に黒み有といへり、此木今薩摩より來しと云を、五月の頃見しに、木も葉もたゞ木槿にて緋色の濃花咲ぬるなり、
 
赤裳之爲形《アカモノスガタ》、夢所見管《イメニミエツヽ》、」 後世の紅の袴は此赤裳より轉じたるなり、
 
2787 天地之依相極《アメツチノヨリアヒノキハミ》、 上に出、
 
玉緒之《タマノヲノ》、不絶常念《タエジトオモフ》、妹之當見津《イモガアタリミツ》、」 
2788 生緒爾《イキノヲニ》、 命の限といはんが如し、
 
念者苦玉緒乃《オモヘバクルシタマノヲノ》、絶天亂名《タエテミダレナ》、 是より下六の玉緒は冠辭にあらず、譬いひて歌の文《アヤ》をなすのみ、○名は例のいひおさへる辭、
 
知者知友《シラバシルトモ》、」 深く隱すべき戀にて云なり、【此歌絶(テ)をふと見れば、言絶てなどの絶かと思はるゝを、玉緒と亂るてふ間にしかる言をいふよしなし、仍て是も緒絶して亂るてふをいひつゞけしとすべし、是を古今歌集には、「したにのみ、思へばくるし、玉の緒の、絶て亂ん、人なとがめそ、」と少し直したるなり、
 
2789 玉緒之《タマノヲノ》、絶而有戀之《タエタルコヒノ》、亂者《ミダレニハ》、 逢事の絶て、おもひ亂るゝときにはなり、
 
死卷耳其《シナマクノミゾ》、又毛不相爲而《マタモアハズシテ》、」
 
2790 玉緒之《タマノヲノ》、久栗縁乍《ククリヨセツヽ》、 次下に、玉緒之間毛不置、と云が如し、
 
末終《スヱツヒニ》、去者不別《ユキハワカレズ》、同緒將有《オナジヲニアラム》、」 紀などに、御頸《ミウナジ》に懸ます玉を、八尺勾※[王+総の旁]《ヤサカノマガタマ》といふは、長き緒に多の玉を貫、さてくくりよせて輪にしたる物なる事、此歌即其さまをよめるを相むかへて知べし、かくてこれは末終に夫婦にならん事をたとふ、
 
2791 片絲用《カタイトモテ》、 玉をば、三つあひによれる糸して貫を、片絲は設《マウケ》出て言をなすのみ、
 
貫有玉之《ヌキタルタマノ》、緒乎弱《ヲヲヨワミ》、亂哉爲南《ミダレヤシナム》、人之可知《ヒトノシルベク》、」 右に知者知友、と書しは男歌、この人之可知、となげきしは女歌にてあはれなり、
 
2792 玉緒之《タマノヲノ》、長意哉《ナガキコヽロヤ》、 いかばかり長くゆたけき心もてや、年月のかはるまで、妹にあはで有べき、えたへじといへり、今本には長を島に誤しに泥て、強たる説どもいふめり、【(卷十四)「わかせこが、古家《フルヘ》のさとの、飛鳥には、千鳥鳴なり、君待かねて、」てふ君をも今は島に誤れるが如く、とかくに字の誤多きぞ、】
 
年月乃《トシツキノ》、行易及《ユキカハルマデ》、妹爾不逢將有《イモニアハザラム》、」 
2793 玉緒之《タマノヲノ》、間毛不置《アヒダモオカズ》、 右にくゝりよせつゝといへる是なり、
 
欲見《ミマクホリ》、吾思妹者《ワガモフイモハ》、家遠在而《イヘトホクアリテ》、」
 
2794 隱津之《コモリヅノ》、 谷などの岩間より涌出る水をいふ、こは冠辭ならねど其考にいへり、
 
澤出見爾有《サハイヅミナル》、 今本立見と有はよしなし、別卷に同歌を擧て、澤出水在と有もて改、【立水てふ事も有と後世人はいへど、此歌によしなし、】
 
石根從毛《イハネユモ》、透而念《トホシテオモフ》、 同別卷に通念と書たる是なり、今本遠而と有は、草の手より誤りけん、古今歌集に、岩きり通し、行水、とよめるも同じ、 
君爾相卷者《キミニアハマクハ》、」
 
2795 木國之《キノクニノ》、飽等濱之《アカラノハマノ》、 紀の國にあからてふ濱有かしらず、されど思ふに、續紀に、紀伊の幸の時、弱浦の字を明光浦と改給へるは、此浦を弱浦若浦など書て、わかの浦と唱るは後の事にて、其始は明の浦といひしを以て、明光の字とはなされつらん、然らば、飽は借字にて、明浦なるべし、(卷八)飽浦清荒磯《アカノウラノキヨキアリソ》、とよめるも是ならん、又明之浦の之を略て明らともいふべし、豐浦《トヨラ》松《マツ》浦ともいひ、此外之は添も略きもする類あり、【奈良の始に、國郡郷の字を二字とせられしかど、皆本の訓に依て訓は違ふ事なし、然れば、明光もあかの訓は違べからず、】
 
忘貝《ワスレガヒ》、我者不忘《ワレハワスレズ》、年者經歴《トシハフレドモ》、」
 
2796 水泳《ミヅクヾル》、玉爾接有《タマニマジレル》、磯貝之《イソガヒノ》、獨戀耳《カタコヒニノミ》、年者經管《トシハヘニツヽ》、」
 
2797 住吉之《スミノエノ》、濱爾縁云《ハマニヨルトフ》、打背貝《ウツセガヒ》、 打は借字にて、石花貝《セガヒ》の空に成にたるが、浪によりたるをいふ、石花は下にも多く出、和名抄にくはしく見ゆ、
 
實無言以《ミナキコトモテ》、余將戀八方《ワレコヒメヤモ》、」
 
2798 伊勢乃白水郎之《イセノアマノ》、朝魚夕菜爾《アサナユフナニ》、 よな/\とも朝な/\ともよめれば、こゝに魚菜の字を書しは筆すさみのみ、
 
潜云《カツクトフ》、鰒貝之《アハヒノカヒノ》、獨念荷指天《カタモヒニシテ》、」
 
2799 人事乎《ヒトゴトヲ》、繁跡君乎《シゲシトキミヲ》、鶉鳴《ウヅラナク》、 冠辭、 
人之古家爾《ヒトノフルヘニ》、 上の彼方のはにふの小屋てふにもいへり、【今本、いにしへにと訓しはひがよみなり、○いへをへとのみいふは例多し、且へをえの如く唱ふ、】 
相語而遣都《カタラヒテヤリツ》、」 かたると云は、人と物をいふ事もとよりなれば、此かたらひは、かたりのりを延たる言とすべし、【あひいひてと訓しは却てたらはず、此相は添て書たる例多し、】
 
2800 旭時等《アカトキト》、 明る時なり、あかときてふ假字は有て、あかつきてふかななし、然ばあかときといふぞ古へなる、
 
※[奚+隹]鳴成《カケハナクナリ》、 神遊歌に、庭鳥はかけろと鳴ぬ、といへれば、鳴聲もて名によぶめり、
 
縱惠也思《ヨシヱヤシ》、獨宿夜者《ヒトリヌルヨハ》、開者雖明《アケバアクトモ》、」
 
2801 大海之《オホウミノ》、荒磯之渚鳥《アリソノスドリ》、 清き渚に鳥の居たるは、見あかぬものなるをたとへとせり、こは何れの鳥とはさしがたし、紀に、沼河日賣の歌、和歌《ワガ》許々呂、字良須能登理叙、てふは、次の句もて思ふに、一つをる鳥なり、(卷八)「まとかたの、湊の渚鳥、浪立ば、つまよびたてて、邊に近付も、」(卷十一)「むこの浦の、入江の渚鳥、羽ぐゝもる、伎みをみなれて、戀に死べし、」是らは鴎鳧などをいふならん、
 
朝名旦名《アサナサナ》、 日に日にといふを、朝な朝なといへる歌多し、
 
見卷欲乎《ミマクホシキヲ》、不所見公可聞《ミエヌキミカモ》、」
 
2802 念友《オモヘドモ》、念毛金津《オモヒモカネツ》、 永き夜もすがら人戀しらの重りつゝ思ひにたえがたきなり、
 
足檜之《アシビキノ》、山鳥尾之《ヤマドリノヲノ》、永此夜乎《ナガキコノヨヲ》、」 大人の歌と聞ゆ、古今歌集に、「いつはとは、時はわかねど、秋の夜ぞ、物思ふことの、かぎりなりける、」てふも心相似てすがたもさも有事と思ひしを、今こゝにむかへれば、甚狹し、
 
足日木乃《アシビキノ》、山鳥之尾乃《ヤマドリノヲノ》、四垂尾乃《シダリヲノ》、 山鳥の事は、集中にさま/”\ととりなしつれど、これはたゞ尾の長きもて序にいへり、○しだりはしなびたらしにて、良志の約利なり、
 
長永夜乎《ナガナガシヨヲ》、 永きといはでながしと云は、うましをとめうましをばまなどの類にて、しきを略きてしといふなり、
 
一鴨將宿《ヒトリカモネム》、」 かくばかり思ひ明しがたからん長々しき夜を、獨りかねんずらんと嘆くに、限りなきあはれはあり、○かもは疑のかなり、今本是をば或本の歌と注せれど、右と同歌にあらず、今本と或本と互に一首を落せしものなれば本文とす、其類上下に有、【此集をよく見ぬ人是を人麻呂の歌ぞといふは論にもたらず、先此上下卷は皆よみ人不知古歌なれば、後の物にしか有とも取べからず、もし人麻呂歌集に有とも、古への歌集は皆他人の歌を取集めし物なれば、人麻呂歌とせんは誤なるを、こゝは其歌集にすらあらぬなり、】
 
2803 里中爾《サトナカニ》、鳴奈流鷄之《ナクナルカケノ》、 人皆聞よしにて里中といふ、
 
喚立而《ヨビタテテ》、甚者不鳴《イタクハナカズ》、 其鷄のごとく甚はなかず、吾は忍音に鳴といへり、さてなかぬとよみて言は下へつゞけど、こゝろは切たるなり、
 
隱妻羽毛《コモリヅマハモ》、」 心の内のこもりづまはもとよみしも同じく、心に忍びとふつまをいふべし、こゝは母が許にこもり、或は隱して置たるなどをいふにあらず、
 
2804 高山爾《タカヤマニ》、高部左渡《タカベサワタリ》、 (卷十四)鴛と高部と、舟の上に住、といひて高べは小鳧の中の一つなり、又山のはを、わたるあきさ、てふに同じ類にて、是も群て山を飛越るものなり、○左渡の左は發言、
 
高高爾《タカ/”\ニ》、 高々は遠々爾にて、公が來る事の間遠なるなり、言は登保幾の登保の約は登《ト》なるを多《タ》に轉じ、幾《キ》を加《カ》に通はせて多加《タカ》と云り、此言多かれど皆是なり、別記有、【音の延約をいはでしも、おのづからたけはとほきのつゞまれると聞ゆめり、】
 
余待公乎《ワガマツキミヲ》、待將出可聞《マチデナムカモ》、」 待つけんかもといふに同じ、
 
2805 伊勢能海從《イセノウミユ》、鳴來鶴乃《ナキクルタヅノ》、 伊勢の海をしも取出ていふは、その隣國に住る女の歌なるべし、
 
音※[木+它]※[人偏+爾]毛《オトダニモ》、 今本音|杼侶《ドロ》と有は誤なり、【侶も猶|※[人偏+爾]《ニ》か、】おとゞろとては高くひゞく事なり、妹がもとへ里もとゞろなるおとづれする男の有べきかは、或は人言或は郭公などに此言をいふは、ことを大きにいひなすにこそあれ、物によりて言は思ふべし、故改つ、
 
君之所聞者《キミガキコエバ》、吾將戀八方《ワレコヒムヤモ》、」
 
2806 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀爾可有牟《コフルニカアラム》、奥爾住《オキニスム》、鴨之浮宿之《カモノウキネノ》、 加を略、
 
安雲無《ヤスケクモナシ》、」 鴨の浮て寐る如く安寢《ヤスイ》もせられぬは、妹戀る故にやあらんといひて、戀すればねられぬ物てふを忘れていぶかるなり、下の卷に、吾兄子爾、戀跡《コフト》二四|有四《アラシ》、小兒之夜哭乎爲乍《ミドリコノヨナキヲシツヽ》、宿不勝苦者《イネガテナクハ》、ともよめり、
 
2807 可旭《アケヌベク》、千鳥數鳴《チドリシバナク》、色細之《シキタヘノ》、 夜のものには必しきたへの言をいへり、冠辭考に擧云が如し、今本に白細《シロタヘ》と有を色細と改めつ、白と色の字は近ければ誤りしなり、
 
君之手枕《キミガタマクラ》、未厭君《イマダアカナクニ》、」
 
 ○今本こゝに問答と標せるは、既いふ如く、人麻呂歌集のしか加はりしより、後の人こゝにも問答歌の有からにしるしつる事しるければのぞきつ、
 
2808 眉根掻《マユネカキ》、鼻火紐解《ハナヒヒモトケ》、待八方《マチシヤモ》、何時毛將見跡《イツカモミムト》、戀來吾乎《コヒコシワレヲ》、」 妹がもとへ來て問なり、今本解をときと訓しはかなはず、此三つ皆おのづから有事なり、○吾を人麻呂歌集に、君と有は誤れり、こは男の來といへる歌なればなり、【今本の注に、問答、故に累載、といへるは、此本集と人麻呂集は、別なる事を心得ぬ、いと後世人の注なり、】
 
2809 今日有者《ケフサレバ》、 此初句は、末の君西てふ言の上へおろして心得べし、
 
鼻火鼻之火《ハナヒハナシヒ》、 上の火、今本之に誤る、
 
眉可由見《マユカユミ》、思之言者《オモヒシコトハ》、 言は事なり、
 
君西在來《キミニシアリケリ》、」 かねて鼻ひなどせしを、おぼつかなかりしに、けふとなれば君が來ん前つ祥《サガ》なりしを知といへり、
 
2810 音耳乎《オトノミヲ》、聞而哉戀《キヽテヤコヒム》、犬馬鏡《マソカガミ》、目直相而《タヾニアヒミテ》、戀卷裳大口《コハマクモオホク》、」 上に、「相見而は、戀なぐさむと、人はいへど、見て後にもぞ、戀増りける、」といへるに似たり、末を今本太口と有は理(リ)なし、大の字にてはおほくと訓なり、多大はかな均しければ、字にかゝはらぬ事上にも有、
 
2811 此言乎《コノコトヲ》、聞跡哉《キヽナムトカモ》、 今本に聞跡乎と有は字たらず、哉を乎に誤れるなり、
 
眞十鏡《マソカヾミ》、照月夜裳《テレルツクヨモ》、闇耳見《ヤミニノミミシ》、」 (卷十三)照日を闇に見、月夜を闇に見なし、てふ言はあり、かくてこゝはその見て戀の多かるべければ、聞てのみ戀んとうらうへにいへるをうけて、照月も闇にのみ見しと、こなたも表裏に答へたり、
 
2812 吾妹兒爾《ワギモコニ》、戀而爲便無三《コヒテスベナミ》、白細布之《シロタヘノ》、袖反之者《ソデカヘシヽハ》、夢所見也《イメニミエキヤ》、」 きはけりの約なり、さて袖を折反してぬれば、夢に思ふ人に逢ふてふ諺のまゝにせしを、そなたにも吾に相し夢見給ひつやと問ふなり、【一云里動鳴成鷄、とあるはとらず、】
 
2813 吾背子之《ワガセコガ》、袖反夜之《ソデカヘスヨノ》、夢有之《イメナラシ》、眞毛君爾《マコトモキミニ》、如相有《アヘリシガゴト》、」 下の卷にも、白細布之、袖折反、戀者香、妹之容俤乃、夢二四三湯流、とよめり、古今歌集に、「いとせめて、戀しき時は、ぬば玉の、よるの衣を、かへしてぞぬる」とよめるは、上の歌の一二の句の意なり、然らば是も本は、よるのたもとをとよみけんを、撰の時に衣とはせしにや、言のうるはしからんをのみおもひて、直せし類、かの集には多ければなり、
 
2814 吾戀者《ワガコヒハ》、名草目金津《ナグサメカネツ》、眞氣永《マケナガク》、夢不所見而《イメニミエズテ》、年之經去禮者《トシノヘヌレバ》、」
 
2815 眞氣永《マケナガク》、夢不所見《イメニモミエズ》、雖絶《タエタレド》、吾之片恋戀者《ワガカタコヒハ》、止時毛不有《ヤムトキモアラズ》、」
 
2816 浦觸而《ウラブレテ》、物魚念《モノナオモヒソ》、 借字も常ながら魚は莫を誤るか、
 
天雲之《アマグモノ》、絶多不心《タユタフコヽロ》、吾念魚國《ワガモハナクニ》、」
 
2817 浦觸而《ウラブレテ》、物者不念《モノハオモハズ》、水無瀬川《ミナセガハ》、有而毛水者《アリテモミヅハ》、逝云物乎《ユクトフモノヲ》、」
 
2818 垣津旗《カキツバタ》、 冠辭、
 
開沼之菅乎《サキヌノスゲヲ》、 添下郡、佐伎高野は、卷一に出、こゝに沼も澤も在ていひしものなり、故に開をさきと訓なり、下の卷にも此つゞけ有、(卷七)「をみなへし、咲野に生る、白つゝじ、」(卷十三)「をみなへし、咲澤に生、花勝見、」などつゞけたるも皆ひとし、
 
笠爾縫《カサニヌヒ》、將著日乎待爾《キムヒヲマツニ》、年曾經去來《トシゾヘニケル》、」 
2819 臨照《オシテル》、 冠辭、
 
難波菅笠《ナニハスガカサ》、置古之《オキフルシ》、後者誰將著《ノチハタガキム》、笠有魚國《カサナラナクニ》、」 上の年ぞ經にける、といふをもてよめり、後は云云は、吾は他《アダシ》心なし、終に君が物なるを、かくまで置古さずもがなといふなり、
 
2820 如斯谷裳《カクダニモ》、君乎待南《キミヲマチナム》、 更るまでだにもと云なり、さて今本には、妹をとあれど、さ夜ふけて妹が來ん物ともなく、又更行月にながめして待ん男のわざにもあらず、故に君乎とて、妹が歌とすべし、集中に君と妹と書誤れる多し、 
左夜深而《サヨフケテ》、出來月之《イデクルツキノ》、傾二手荷《カタブクマデニ》、」
 
2821 木間從《コノマヨリ》、移歴月之《ウツラウツキノ》、 木の間をうつり行月のおもしろきなり、
 
影惜《カゲヲシミ》、徘徊爾《タモトホレルニ》、 月故道の間に時過しなり、古へ人はかく風流なる方につけては、理りにかゝはらざるなり、後世人の贈答は、強て理りを設よみ、或は言とがめするを、わざの如くするこそこゝろいやしけれ、
 
左夜深去家里《サヨフケニケリ》、
 
2822 栲領巾乃《タクヒレノ》、 冠辭、
 
白濱浪乃《シラハマナミノ》、 濱はまさごの白ければ、直に白濱といふなり、
 
不肯縁《ヨリモアヘズ》、荒振妹爾《アラブルイモニ》、戀乍曾居《コヒツヽゾヲル》、」一云、戀流己呂可母《コフルコロカモ》、
 
2823 加敞良末爾《カヘラマニ》、 後世かへさまといふに同じ、
 
君社吾爾《キミコソワレニ》、栲領巾之《タクヒレノ》、白濱浪乃《シラハマナミノ》、縁時毛無《ヨルトキモナキ》、」
 
2824 念人《オモフヒト》、將來跡知者《コムトシリセバ》、八重六倉《ヤヘムグラ》、 むぐらは、遠江人は、かなもぐらといひて、蔓草にて、荒たる籬屋の軒へもはひのぼれり、 
覆庭爾《オホヘルニハニ》、 今本、覆を這《ハヒ》たると訓、或人は、しげゝきなど訓たれど、しか訓べくは、覆とは書べからず、次の覆小屋と有によりて、こゝをもおほへると訓べし、此草ただに地を這物にあらず、籬或は他の草などによりて、高くも廣くも生覆へば、おほへる庭ともいふべきなり、
 
珠布益乎《タマシカマシヲ》、」
 
2825 玉敷有《タマシケル》、家毛何將爲《イヘモナニセム》、八重六倉《ヤヘムグラ》、覆小尾毛《オホヘルコヤモ》、妹與居者《イモトヲリセバ》、 今本、いもとしすまば、と訓しは誤れり、與は假字なるを、假字の下に辭を添てよむことやはある、
 
2826 如斯爲乍《カクシツヽ》、有名草目手《アリナグサメテ》、 とし月共に相|和《ナグ》さめ居し夫の、にはかに遠き旅に行なるべし、○玉の緒のたゞ絶るといはん冠辭のみ、 
玉緒之《タマノヲノ》、 冠辭、
 
絶而別者《タエテワカレバ》、爲便可無《スベナカルベシ》、」 切なる心をかくいふこそめでたけれ、
 
2827 紅《クレナヰノ》、花西有者《ハナニシアラバ》、衣袖爾《コロモデニ》、染著持而《ソメツケモチテ》、 持はそへていふ例有、
 
可行所念《イヌベクオモホユ》、」 「吾妹子は、くしろにあらなん、左手の、我奥手に、卷ていなましを、」こゝに譬喩と有も後人のわざなり、ことに此左の歌ども全き譬喩は少し、○玉緒之、久栗縁乍、末終、去者不別、同緒將有、○級寸八師、不吹風故、玉匣、開而左宿之、吾其悔寸、○呉藍之、八鹽乃衣、朝旦、穢者雖爲、益希將見裳、など此外にも有、これは標をして集めしにあらず、凡にたとへたる類をつどへしのみ、
 
2828 紅之《クレナヰノ》、深染乃衣乎《コゾメノキヌヲ》、下著者《シタニキハ》、人者見久爾《ヒトハミマクニ》、仁寶比將出鴨《ニホヒイデムカモ》、」 ひとへがさねの下の紅は、うへまで艶《ニホ》ふものなるをいふか、それまでもあらず、袖口のかさなれる色もてもいふべし、たとへのこゝろは明らけし、
 
2829 衣霜《コロモシモ》、 霜は辭、
 
多在南《オホクアラナム》、取易而《トリカヘテ》、著者也君之《キセバヤキミガ》、面忌而有《オモワスレタラム》、」 ことなる衣を著れば、其人を見違つてふ事今もいへり、故に我多くの衣をもたらば、君に著かへさせつゝ、いかで君を面忘してあらんと思ひのあまりにいふなり、こゝより下の歌ごとに、寄v衣喩v思などいふ注のあるは、いよゝ後人のわざなればみな去つ、
 
2830 梓弓《アヅサユミ》、弓束卷易《ユヅカマキカヘ》、中見判《ナカミテバ》、 弓束の皮は纏かふる時、内を見るものなるに譬て、女をこゝろみるを云、
 
更雖引《サラニヒクトモ》、 内々を見て後にはなれて更に又いひよるは、にくき事なれど、わが心のよりし君なれば、とてもかくてもと云なり、物語にえびすこゝろを見えてはいかゞはせん、といへるとはうらうへなり、
 
君之隨意《キミガマニ/\》、」
 
2831 水沙兒居《ミサゴヰル》、 冠辭、
 
渚座船之《スニヲルフネノ》、夕鹽乎《ユフシホヲ》、將待從者《マツラムヨリハ》、吾社益《ワレコソマサメ》、」
 
2832 山河爾《ヤマカハニ》、筌乎伏而《カタミヲフセテ》、 筌を、和名抄には、字倍と訓しかど、本神代紀に、加多万といへる類の物なれば、こゝはかたみと訓て句を調ふめり、古へ六言の句もあれど、此上下卷にはなし、
 
不肯盛《モリアヘズ》、 山川の梁《ヤナ》は守とすれど、猶魚をぬすまるゝに譬て、女の父母に忍びて男の通ふをいふ、
 
年之八歳乎《トシノヤトセヲ》、吾竊舞師《ワガヌスマヒシ》、」 まひは、みの延言、
 
2833 葦鴨之《アシカモノ》、多集池水《スダクイケミヅ》、 すだくの須は勢に通ひ、多久は良久に同じく添いふ辭にて、こゝたくともこゝらくともいふが如し、故に野など何にても、所|狹《セ》きまで集れるを、須多久といへり、【今人物を責《セメ》いふを、せめせたぐるといふ是にて、せめも迫る事なり、から字は、責迫狹など別にあれど、此國の音は、此類は皆一つ事なり、仍て物多く集れるをも、せたくと云べきを、すに通はしいへり、】
 
雖溢《アフルトモ》、儲溝方爾《マケミゾノヘニ》、吾將越八方《ワレコエムヤモ》、」 池に水の溢る時、流さん料に儲の遣溝をなしおくものなり、その儲溝へ行水のごとく外へ越る心はもたずといへり、別卷に、荒磯越、外行浪乃、外心、吾者不思、戀而死鞆、
 
2834 日本之《ヤマトノ》、室原乃毛桃《ムロフノケモヽ》、 室原は、神名式に、宇陀郡、室生龍穴《ムロフタツアナノ》神社と有て、今も其郡に室《ムロ》の龍穴《リウケチ》村といふ在、【茲の日本を、今本にひのもとゝ讀しは、僻事なり、】
 ○毛桃は今も多く云なり、一つ毛なき桃の有にむかへていふのみ、紀の黄泉條に、告《ノリタマハク》2桃子《モヽノミニ》1汝|如《ナス》v助v吾(ヲ)於(ニ)2葦原中(ツ)國1所有《ナル》字都志伎青人草之|落《オチテ》2苦瀬《クルシキセ》1而|患惣時可助告賜《ウレヘクルシムトキニタスクベシトノリタマフ》名2號《ナヅケマセシキ》意保加牟豆美命1、かゝれば上つ代より多し、かの室生は是を多く出せし所なりけり、
 
本繁《モトシゲク》、言大王物乎《イヒテシモノヲ》、 其初大方ならず繁く云入て有しからは、遂にならずは止じと云り、(卷八)「はしきやし、わぎへの毛桃、本繁《モトシゲミ》、花耳咲て、ならざらめやも、」と有、本繁くとは、桃は一根より集り生るも有をいふか、又書紀の歌に、もとごとに、花は咲とも、とは木立の事を本といひ、しもとゝいふも繁木なれば、桃の多き園を云にも有べし、○※[氏/一]志の辭に大王と書しよし別記に云り、
 
不成不止《ナラズハヤマジ》、」 木の實《ミ》のなるを戀の成によせたる歌、集中に多し、
 
2835 眞葛延《マクズハフ》、 冠辭、
 
小野之淺茅乎《ヲノノアサヂヲ》、 淺茅は、秋の末に紅に色付をもて女に譬、【茅に大小あり、其小を淺茅といふ、】(卷八)「君に似る、草と見しより、我しめし、野山の淺茅、人なかりそね、」また「山高み、夕日隱れぬ、淺茅原、後見ん爲に、しめゆはましを、」などもよみつ、
 
自心毛《コヽロユモ》、 他人の心のまゝになり、
 
人引目八面《ヒトヒカメヤモ》、吾莫名國《ワレナケナクニ》、」 【今本是をわれならなくに、と訓しはみだりなり、】既に卷一の別記にいへる如く、こはわれながらなくにといふ意なり、しめゆひし我なくばこそあらめ、我在からはあだし人の心よりして引とる事は得めやといへり、
 
2836 三島菅《ミシマスゲ》、未苗在《イマダナヘナリ》、時待者《トキマタバ》、 幼女をたとふ、
 
不著也將成《キズヤナリナム》、三島菅笠《ミシマスガガサ》、」
 
2837 三吉野之《ミヨシノヽ》、水具麻我菅乎《ミグマガスゲヲ》、 水隈なり、水分てふ所も吉野にあれど、それまではあらじ、
 
不編爾《アマナクニ》、(卷三)《(今十三)》遠智小菅《ヲチノコスゲ》、不連爾《アマナクニ》、伊刈持來、不敷爾、伊刈持來而、置而吾乎令偲、といへる似たるさまながら、こゝはたゞさま/”\と心をつくして、終にわが物ともならず、あらけはてなんやとおぼつかなむなり、
 
苅耳苅而《カリノミカリテ》、將亂跡也《ミダレナムトヤ》、」
 
2838 河上爾《カハカミニ》、洗若菜之《アラフワカナノ》、流來而《ナガレキテ》、 (卷六)此川に、あさなあらふに、なれもわれも、
 
妹之當乃《イモガアタリノ》、瀬社因目《セニコソヨラメ》、」
 
2839 如是爲哉《カクシテヤ》、猶八成牛鳴《ナホヤナリナモ》、 かくの如くなりがたくしてもや猶や遂に成なんと云り、後世なんと云をば、續紀の詔祝詞などにも奈毛と有て、毛は助辭のみなり、牛嶋を毛のかなとするは、下の卷にいぶの二言を馬聲蜂音と書るが如し、
 
大荒木之《オホアラキノ》、 【式に、荒木とて大を略は、小治田を式には、治田神社、とのみ有類ならん、】
 
浮田之杜之《ウキタノモリノ》、 神名式に、大和國字智郡に、荒木神社あり、今も此神社、そこの今井邨といふに在といへる是か、又山城に大荒木の森在といへど、據をしらず、 
標爾不有爾《シメナラナクニ》、」 大荒木杜の標こそ嚴かなれ、人のいはひむすめの垣をば遂にはこえて事成なんやと云なり、
 
2840 幾多毛《イクバクモ》、不零雨故《フラヌアメユヱ》、 雨なるからになり、
 
吾背子之《ワガセコガ》、三名乃幾許《ミナノコヽバク》、瀧毛動響二《タギモトヾロニ》、」 
萬葉集卷四之考終
 
萬葉集卷五之考序
 
上の卷と此卷は同じ卷なるを、歌の數多かれば上下として分てることのよし既いへり、是につけて或人問、同じ卷ならませば、たとへば上には思を述たるのみを集め、是には物に寄しばかりを擧べきに、彼にも此にも各右の體なるを集しは、別《コト》卷にやちふ疑有を、おのれこたふ、歌の時代集めの體皆上の卷と相均しくして、他《アダシ》人の他時《アダシトキ》に集めし卷にあらぬ事しるし、かゝれば同じ體の歌どもを二卷に對へて擧しこと疑はざれ、又問、上の卷に既出たる歌の、此卷に二たび載しもたま/\有はいかにと、こたふ、己も先には此事おぼつかなかりしを、今つら/\考るに、上の卷にはたゞ相聞に入しを此卷には旅に入、又上に相聞なりしが是には贈答の類に載しも有、是らは其撰とられし本《モト》の集どもに二樣にあり、又は傳への異なるなどに依て、そのまゝに取集めし物にて、是も集の一つの體なり、其外言いさゝか異にて他《アダシ》歌となれるなどを、或は海山の類、或は草木の類によりて擧つるも有なり、ゆくりなく《不意》見ば同歌の重り載たりと思ふべし、皆心して載しものぞ、人麻呂歌集てふは、此卷の初めにもあれど、この度上卷の別卷に加ふる事上にいふが如し、又卷の中に有をも拔出して、同じく別卷に入たり、【卷七より下の卷々にも人麻呂集の歌入れあれど、そは家々に書集めし時のせし物なれば、別にすべからず、たゞ此上下の卷は撰び集めしにて、且卷六までの歌は、人麻呂集のまだ世に顯はれぬ先の撰み、】
 
萬葉集卷五之考〔流布本卷十二〕
 
古今相聞歌下
 今本こゝに、正述心緒、てふ標あれど、除くことわり上の卷にいへり、
 
2864 吾背子乎、且今且今《イマカイマカ》跡、 (卷二)に、人麻呂妻の歌に、且今日且今日《ケフケフト》、吾待君《アガマツキミハ》、 といふは、日の字あればことなり、 
待居爾《マチヲルニ》、夜更深去者《∃ノフケヌレバ》、嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》、」
 
2865 玉釧《タマクシロ》、 冠辭、
 
卷宿《マキヌル》妹母、有者許増《アラバコソ》、 増は僧の字なるべきか、【増を此次にも清《スミ》ことばに書、下に贈をも清所に書たれど、猶おぼつかなし、】
 
夜之長毛《ヨヒノナガキモ》、歡有倍吉《ウレシカルベキ》、」 一夜の事をよひといふは集の例なり、
 
2866 人妻爾《ヒトヅマニ》、言者誰事《イフハタガコト》、 他妻の吾に人違ひならんと云り、
 
酢衣乃《サゴロモノ》、 さは發言のみ、
 
此紐|解《トケ》跡、言者|孰言《タガコト》、」
 
2867 如是《カク》許、將戀《コヒン》物|其《ゾ》跡、知者《シリマセバ》、其(ノ)夜者由多爾、 其逢し夜は寛《ユタ》かになり、
 
有益物乎、」
 
2868 戀乍毛、後將相跡、思許増、 おもへばのばを略、
 
己《オノガ》命乎、長|欲《ホリ》爲禮、」
 
2869 今者吾者《イマハアハ》、將死與吾妹、不相|而《シテ》、念渡(レ)者、安(ケク)毛無(シ)、」 下の十一ひら〔二千三百五十頁〕に似たる歌あれど、末の言にて同歌にならず、
 
2870 我背子之、將來跡語之《コントイヒニシ》、夜者|過去《スギヌ》、 既契りし夜には不來て過たり、
 
思咲八更更《シヱヤサラ/\》、思許理來《シコリコ》目八面、」 既契りし夜だに徒に過たりしかば、よしや今よりは侍(タ)じ、今更/\に待ともしか有(リ)來んものかは、と思ひ定むるなり、○思加阿理《シカアリ》の加阿《カア》の約は加《カ》なるを、許《コ》に轉じてしこりといへり、
 
2871 人言之、讒乎《ヨコスヲ》聞而、玉桙之、道毛不相《ミチニモアハジト》、 跡を落せるならん、
 
常云吾妹《ツネイフワギモ》、」 よこすはたゞならぬいひなしなり、
 
2872 不相毛《アハヌヲモ》、懈常念者《ウシトモヘバ》、 是を後には思ふにと云り、
 
彌益二、人言繁(ク)、所聞來《キコエクル》可聞、」
 
2873 里人毛、謂告我禰《カタリツグガネ》、 こはかたり郡牙《ツゲ》と云を、牙《ゲ》を延れば都我禰となり、又其|我《ガ》を延て都具我禰といへり、下に後見ん人も、語つぐ金、とよめるも同じ、
 
縱咲也思、戀而毛將死、誰名將有哉《タガナナラメヤ》、」 我死は妹の相思はぬ故ぞ、てふ名こそ專らならめといへり、此下に、人目多、直(ニ)不相而、蓋雲、吾戀死者、誰名|將有裳《ナラムモ》、
 
2874 慥《タシカナル》、使(ヒ)乎無(ミ)跡、情乎曾、使爾遣之、夢(ニ)所見《ミエキ》哉、」
 
2875 天地爾、少《スコシ》不至、丈夫跡、(卷十四)天雲之、向伏國(ノ)、武士登、所云人《イハレシヒト》、ともいへり、
 
思之吾耶、雄心毛無寸、」
 
2876 里近(ク)、家哉應居《イヘヤヲルベキ》、 家してやはをるべきなり、
 
此吾目之《コノワガメノ》、人目毛里乍《ヒトメモリツヽ》、 今本乎爲と有は、毛里《モリ》を乎爲《ヲヰ》にあやまりし、
 
戀繁口《コヒノシゲヽク》、」
 
2877 何時《イツト》奈毛、不戀有登者《コヒズアリトハ》、雖不有、得田弖比來《ウタテコノコロ》、 うたて此比てふは、上の卷の別記にあまた擧ていへるが如く、こゝは戀の繁さの餘りなるまで多なり、
 
戀之繁母、」 今本には弖を直に誤れり、
 
2878 黒玉之、宿而之晩《ネテノヨフベ》乃、 上に、よひに相て、朝面なみ、てふを、暮にあひてと書しが如く、此晩の字も夜の意に書たれば、よふべと訓つ、すべて夜の事を、よひとも、よふべともいへる例既出、
 
物|念《モヒ》爾、割西胸者、息時裳無、」
 
2879 三空去《ミソラユク》、名之惜(ケク)毛、 名の立なり、
 
吾者無、不相數多、年之經者、」 ひたすらあはぬにあらず、いとかれ/”\にして年經たるなり、
 
2880 得管二毛《ウツヽニモ》、 歌に正目にもなり、
 
今見牡鹿《イマモミテシガ》、 見て有志賀《アラシガ》毛なり、牡鹿《シカ》をも借字はかゝはらで濁言にも書り、
 
夢(ニ)耳、手本纏|宿登《ヌト》、見(ル)者|辛苦毛《クルシモ》、」 【或本發句云、吾妹兒乎、と有はよしなし、○※[氏/一]志てふ辭に二つあり、その分は上の卷の篆之《テシ》の條にいふ、】
 
2881 立而|居《ヰル》、爲便乃田時毛、今者無、君|之《ガ》目|不見而《ミズテ》、月|之《ノ》經去《ヘヌレ》者、」 こは或本を今本、妹爾不相而、と有は下の六枚《ムヒラ》【二千三百四十六頁】と十一|枚《ヒラ》【二千三百五十頁】に同じ心にて、言いさゝかかはれるのみの歌あり、或本に依時は、別《コト》歌にて嫌ひなし、すべて此卷みだれたる故に、或本の異なる多し、心をやりて取べし、
 
2882 不相|而《シテ》、戀|度《ワタル》等母、忘哉、彌日|異《ケニ》者、思益等母、」 
2883 外《ヨソ》目(ニ)毛、君之|光儀乎《スガタヲ》、見而者社《ミテバコソ》、 見たらばこそなり、多良の約|多《タ》なるを、而《テ》に轉しいふ例、上の結篆之、宿而之、見牡鹿、などの所にいふ合せ見よ、
 
吾戀山目、命不死者、」 かくては戀死ぬべし、もしながらへゐて外目にだにも君を見たらば、今命に向ふ戀も止ことあらん、といへり、此歌は下の十五枚【二千三百五十六頁】に、眞十鏡、眞目爾君乎、見|而者《テバ》許曾、命(ニ)對、吾戀止目、てふにいさゝかばかりかはれり、されど別として擧つらん、多き中には似て別歌なるも有べし、【注に、一云、壽向吾戀止目、と有はこゝに引たる下の歌なり、俗注人を惑せり、】
 
2884 戀管母、今日者|在目杼《アラメド》、玉匣、將開明日《アケナンアスハ》、如何將暮、」
 
2885 左夜深而、妹乎|念出《オモヒデ》、布《シキ》妙之、枕毛|衣世《ソヨ》二、 上にいへり、
 
嘆鶴鴨、」
 
2886 他《ヒト》言者、眞言痛《マコトコチタク》、成(ヌ)友、彼所將障《ソコニサハラム》、吾|爾不有國《ナラナクニ》、」
 
2887 立(テ)居(ル)、田時毛不知、吾|意《コヽロ》、天津空|有《ナリ》、土者踐鞆《フメドモ》、」 清濁かゝはらず、
 
2888 世(ノ)間之、人辭常《ヒトノコトバト》、所念莫《オモホスナ》、眞曾戀之《マコトゾコヒシ》、 まことにぞの意、
 
不相日乎多美、」
 
2889 乞如何《イデイカニ》、吾幾許《ワガコヽタ》戀流、吾妹子之、不相跡言流《アハジトイヘル》、事毛有莫國、」
 
2890 夜干玉之、夜乎|長鴨《ナガミカモ》、吾背子之、夢爾夢|西《ニシ》、所見還《ミエカヘル》良武」
 
2891 荒玉之、年緒長(ク)、如此戀者、信《マコト》吾命、全有目八目《マタカラメヤモ》、」
 
2892 思遣、爲便乃田時毛、吾者無、不相數多《アハズテアマタ》、月之經|去《ヌレ》者、 上に相似たる歌の所に其よしいへり、
 
2893 朝去而《アシタユキテ》、暮者《ユフベハ》來|座《マス》、君故爾、忌忌久毛吾者《ユユシクモワハ》、歎鶴鴨、」
 
2894 從聞《キヽシヨリ》、物乎念者、我胸者、破而摧而、鋒心無《トコヽロモナシ》」
 
2895 人言乎、繁|三《ミ》言痛|三《ミ》、我妹子二、去月從《イニシツキヨリ》、未相可母《イマダアハヌカモ》、」
 
2896 歌方毛《ウタカタモ》、 こは潦水《ニハタヅミ》の上に浮沫の事にて、空像てふ言なること冠辭考の水の沫の條に云り、かくて是をば、(卷九《今の五》)(卷十一《今の十五》)に、はかなくあやうく定めがたき事などにたとふ、こゝは其定めがたき意なり、 
曰管毛有鹿《イヒツヽモアルカ》、吾有者《ワレシアレバ》、地庭不落《ツチニハオチジ》、空消共《ソラニケヌトモ》、」 今本共を生に誤れり、○妹は末あやうげにいへど、吾心かくて有からは打捨る事はせじ、命は失ふとも、といふ誓言なるべし、下の二言は卷八に、今のごと、心を常に、おもへらば、まづ咲花の、土におちんかも、(かはの意、)(卷七)「零雪の、虚空《ソラ》可消、雖戀、相よしなくて、月ぞへにたる、」てふなどを思ふに、こゝに雪とはいはねど、雪を譬へたるなり、且此意は消るにあれど、つちにもむかへ雪の事にもあれば、空にといふのみなる事、卷七の歌にてしらる、
 
2897 何《イカナラン》、日之時可毛、吾妹子之、裳引之|容儀《スカタ》、朝爾食將見《アサニケニミム》、」 朝は日をいひ食は常をいへり、
 
2898 獨居而、戀(レバ)者辛苦、玉手次、不懸將忘《カケテワスレム》、言量欲《コトバカリモガ》、」 人をいかで心にかけやらずて、忘れなん事の思ひ許もあれかしと思ふなり、次の枚に似たる歌あり、
 
2899 中々、點然毛有申尾《タヾモアラマシヲ》、小豆無《アヂキナク》、相見始而毛、吾者戀(ル)香、
 
2900 吾妹子之、咲眉引《ヱマヒマヨビキ》、面影(ニ)、懸(リ)而本名、所念可毛、」
 
2901 赤根指、日之暮去者、爲便乎無三、千遍《チタビ》嘆而、 遍は上にもたびとよめり、
 
戀乍曾居、」
 
2902 吾戀者、夜|晝《ヒル》不別、百重|成《ナス》、情之念者《コヽロシモヘバ》、甚《イトモ》爲便無(シ)、」
 
2903 五十殿寸※[氏/一]《イトノキテ》、 今本は※[氏/一]を太に誤、
 
蒲寸《ウスキ》眉根乎、 或人いと除てと云意にや、といへるも聞ゆ、又後世にいとしくて、と云に同じ言とも云べし、杼《ド》と乃《ノ》は同韻、伎《ギ》は志伎の略にて、其|伎《キ》を久《ク》に轉じていふべし、※[氏/一]は辭、(卷六)「なるせろに、木都《コツ》のよすなす、伊等能伎堤、かなしけせろに、人さへよすも、」(卷九)「伊等乃伎堤、短物の、端きると、」などいへる、皆右の二つの意にてきこゆ、【いとゞしくてふ言古へは見えねど、此歌によくかなへるを思へば、本はいとのきてと云しを、今京こなた、いとゞしくと轉じいふならんか、】
 
徒《イタヅラニ》、令掻管《カヽシメニツヽ》、不相人可母、」 今本管の下にものかなを添しはわろし、仍てかゝしめにつゝとよめり、爾は、去《イニ》の略にて添る例多し、又下の毛を落せしにも有べし、
 
2904 戀々而、後裳將相常、名草漏、心四無者、五十寸手有目八面、」
 
2905 幾《イクバクモ》、不生有《イケラジ》命乎、戀管曾、吾者|氣衝《イキヅク》、人爾|不所知《シラレデ》、」 思ふ人にもしられず獨戀のみするなり、
 
2906 他國爾《ヒトグニニ》、 國をへだてゝ遠き所をいふ、
 
結婚爾行而《ヨバヒニユキテ》、 記に八千矛神云云、(左に引、)仁徳天皇吉備へ幸ませし時、黒姫が「こもり|づ《水》の、下|用波閇《ヨバヘ》つゝ、行はたがつま、」とよめり、言の意は上にいひたり、
 
太刀之《タチガ》緒毛、未解者《イマダトカネバ》、 後には、とかぬに、といへり、秋立て幾日もあらねば、てふ類にて此辭集中に多し、
 
左夜曾明家流、」 右同記に、(八千矛神、)將v婚《ヨバハントテ》2高師國之沼河比賣(ヲ)1幸行之時到2其奴河比賣之家(ニ)1歌曰、云云、登々富々斯《トホ/\シ》、故志之久邇邇、云云、佐用婆比邇、阿理多多斯、用婆比邇、阿理加用婆勢婆《リカヨハセバ》、多知賀遠母、伊麻陀登加受弖、淤須比遠母、伊麻陀登加泥婆、云云、と有をこゝにはとりしものなり、
 
2907 丈夫之、聰神毛《サトキコヽロモ》、 さときは、今すゝどきと云、すゝを約轉して、さときといへり、其すゝどきは、進《スヽ》み速《ト》きの略なり、【此すゝは進むを本にて、記に伊須々伎比賣、枕詞に須々志競、其外すゞろなど云も轉じ用事なり、】
 
今者無、戀之奴爾、吾者可死、」 こは戀に使るゝ奴にて、奴は即さとき心なき賤なるを以てよめり、さてかゝる奴のまゝにて吾は死んかと歎くなり、
 
2908 常如是《ツネニカク》、戀者辛苦《コフレバクルシ》、暫毛、心安目六、事許爲與《コトバカリセヨ》、」 事を執《トリ》はかる家人などに、おほする如くにいひなせる歌なり、古今歌集に、とゞめ置ては、思ひ出にせん、と有歌を、後人誤てせよと書たり、そを自もかく云、と注せるはいふにたらず、是を以てこゝをも誤ることなかれ、【此端詞に、今は御歌とあれど、一本御字なければ遍昭の歌なり、必大御歌ならぬ理も其集に云り、】 
2909 凡爾、吾之念者、人妻爾、有|云《トフ》妹爾、戀管有米也、」
 
2910 心者、千重(ニ)百重(ニ)、思|有杼《ヘレド》、人目乎多見、妹爾不相可母、」
 
2911 人目多見、眼社忍(ブ)禮、小毛《スクナクモ》、心|中爾《ウチニ》、吾念莫國、」 
2912 人(ノ)見而、事|害《トガ》目不爲、夢爾吾、今夜將至、屋戸閉勿勤《ヤノトタツナユメ》、」 屋所をやどといへるとは別なれば、やのとゝ訓べし、
 
2913 何時左右二、將生命曾、凡者、戀乍不有者、 かひあらずばなり、上の別記に出、 
死上有《シヌルマサレリ》、」
 
2914 愛等《ウツクシト》、念吾妹乎、夢見而、起而探爾、無之不怜、」
 
2915 妹登|曰者《イヘバ》、無禮恐《ナメシカシコシ》、 貴きを賤きとおしなめにするをなめしといふ、
 
然爲蟹《シカスガニ》、 しかしながらを約め略きて云、
 
懸卷欲、 妹といふ事を言に懸ていひ出まくほしきなり、
 
言爾有《コトニアル》鴨、」
 
2916 玉勝間、 冠辭、
 
相登云者《アハントイフハ》、誰有香《タレナルカ》、相有《アヘル》時左倍、面隱爲《オモガクシスル》、 誰ならず妹がもとよりあはんといひおこせて、今あふ時となれば、面がくしするよと女のさまをいへり、「暮に相て、朝おもなみ、隱にか、」など上にも下にもよめるたぐひなり、
 
2917 寤香《ウツヽニカ》、妹之來|座有《マセル》、夢《イメニ》可毛、吾香惑流、戀之繁(キ)爾、」
 
2918 大方者、何鴨將戀、言擧不爲《コトアゲセズ》、 (卷三)にいへり、
 
妹爾|依《ヨリ》宿牟、年者|近綬《チカキヲ》、」 今本侵と有はよしなし、一本による、○妹が母父のゆるすべき事を聞しなるべし、
 
2919 二爲而《フタリシテ》、結之紐乎、一《ヒトリ》爲而、吾者解|不見《ミジ》、直相及者《タヽニアフマデハ》、
 
2920 終命《シナンイノチ》、此者不念《コヲバオモハズ》、唯毛《タヾニシモ》、妹爾|不相《アハザル》、言乎之《コトヲシ》曾念、」 言は事のこゝろ、
 
2921 幼婦者《ヲトメコハ》、同情《オナジコヽロヲ》、須更(モ)、止時毛無久、將見《ミナム》等曾念、」
 
2922 夕去者《ユフサレハ》、於君將相跡、念(ヘ)許憎、日之|晩《クルラク》毛、娯|有《カリ》家禮、」
 
2923 直今日毛《タヾケフモ》、君爾|波《ハ》相《アハ》目|跡《ド》、人言乎、繁不相而《シゲミアハズテ》、戀度鴨、」
 
2924 世(ノ)間《ナカ》爾、戀|將繁跡《シゲヽムト》、 今本には此上の卷に、一二句、如是許、將戀物|衣《ゾト》、とて末同じき歌あるを、古本には其歌上の卷にはなくて、此所の左に、一云とて注したり、然れば其歌上の卷には除きつ、
 
不念者、君之手本乎、不枕夜毛有寸、」
 
2925 緑兒之《ミドリコノ》、爲社乳母者《タメコソオモハ》、 今本社を杜に誤りしを、即すもりめのとは、と訓しは何事ぞや、【鳥の子に巣守と云は、いつまでもかへらぬ卯をいふ、然れば人の上に譬へんよしなし、】
 
求云《モトムトヘ》、 いへを略て、
 
乳飲哉《チノムヤ》君|之《ガ》、於毛求覧《オモモトムラン》」 上の乳母は知《チ》毛とも訓べけれど、同じ事を下に於毛と書しに依て、上をも於毛と訓なり、訓と意をしらするとて二様に書しものなればなり、○母を於毛といふ事は集中に多く、乳母をも知於毛といふなれど、略きてそれをも於毛とのみもいへり、記に、(垂仁)取2御母《ミオモヲ》1定2湯|坐《ヱ》若《ワキ》湯坐(ヲ)1、と有も略き書なり、和名抄に、彌母を知於毛と有は本訓にて、文歌などには略くも常なり、○此歌はもと相し女はかれて、男の今乳母とことばして、他《ホカ》の女をよばふこと有時、前の女の聞て戯て贈れるものなり、
 
2926 悔毛《クヤシクモ》、老爾|來《ケル》鴨、我背子之、求流|乳母《オモ》爾、行益物乎、」 此歌も右の同じ女のよめるなり、
 
2927 浦觸而《ウラブレテ》、 わびてといふに同じ、宇良《ウラ》の約は和《ワ》なり、夫里《ブリ》の約は備《ビ》なり、仍て下の卷に和夫禮《ワブレ》ともいひたり、
 
可例西袖叫、又卷者、過西戀也、亂今可聞《ミダレコンカモ》、」 或説に、是をも同じ女の歌かといふはわろし、中々に男のこたへとはいひもしてん、
 
2928 各寺師《オノガジシ》、 己がどしどし、と云をどを二つながら略きて、自志《ジシ》といへり、且どの濁を上のしに殘して、じゝと濁るなり、さて己れ/\が心からてふ意となる、【としは友だちの通音にて友どしともいふなり、此友だちの事は卷六の歌に委し、○略ける言の濁を次の言に殘すは、即此終の句はしられずててふ辭なるを、ずを略きて下のてを濁る類なり、常多き事ぞ、○後撰集に、おのがじゝちる紅葉、とよめるにて聞ゆ、】
 
人|死爲《シニス》良思、妹爾|戀《コヒ》、日異羸沼《ヒニケニヤセヌ》、人|丹不所知《ニシラレデ》、」 高き人などを見て、いひやらんよしも無く、獨戀死んとするならむ、
 
2929 夕々《ユフベ/\》、吾立待爾、若雲《モシクモ》、 四言の句は、此上下卷にもたまたまは有なり、又也を落せしか、
 
君不來益者、應辛苦《クルシカラマシ》、」
 
2930 生代爾《イケルヨニ》、戀云物乎、相不見者、戀(ノ)中《ナカ》爾毛、吾曾苦寸、」 後の物語ぶみに、人は是をや戀といふらん、
 
2931 念管、座《ヲレ》者苦(シ)毛、夜干玉之、夜爾|至者《ナリナバ》、吾社湯龜、」 女の歌なり、古今歌集に、「君や來ん、我やゆかんの、いざよひに、」
 
2932 情庭《コヽロニハ》、燎而念杼、虚蝉之、人目乎繁、妹爾不相鴨、」
 
2933 不相念《アヒオモハズ》、公者|雖座《イマセド》、肩《カタ》戀丹、吾者|衣《ソ》戀(ル)、君|之《ガ》光儀《スガタヲ》、」
 
2934 味澤相、 冠辭、
 
目(ニ)者非不飽《アケドモ》、携《タヅサハリ》、不問事毛《コヽトハナクモ》、 ものいはぬなり、
 
苦勞有來《クルシカリケリ》、」
 
2935 璞之《アラタマノ》、年緒|永《ナガク》、何時左右鹿《イツマデカ》、我戀將居、壽不知而《イノチシラズテ》、」
 
2936 今者|吾《ア》者、指南與我兄《シナムヨワガセ》、戀|爲《スレ》者、一夜一日毛、安毛無《ヤスケクモナシ》、」
 
2937 白細布之、袖折反、 上の卷に出、
 
戀(レ)者香、妹之|容儀《スガタ》乃、夢二四三湯流、」
 
2938 人言乎、繁三毛人髪三《シゲミコチタミ》、 こちたみは言痛《コトイタ》みなり、(登伊の約は知美は辭、)是は諸人の繁く痛くいひさわぐ時にいふ言なれば、轉じては物の餘りに繁きをもいひしからに、こゝに毛人髪とも書なり、藤原奈良の頃は、既轉言多かりしを知るべし、【えみしは髪に限らず、惣身の毛多しといへり、髪と書しは專らの所を指か、○清御原宮の毛人大臣をも、えみしの大臣といふべし、】
 
我|兄子《セコ》乎、目(ニ)者雖見、相|因《ヨシ》毛無(シ)、」
 
2939 戀云者《コフトヘバ》、 我そこを戀とのみいふ時は、たやすく淺きが如しと云なり
 
薄事有《アサキコトアリ》、 是をうすきと訓しは言ゐず、○此二句は既上の卷の、言(ニ)云者、耳にたやすし、てふ歌に、(卷十二)旅といへば、言にぞやすき、てふ歌など引て云つ、
 
雖然、我者|不忘《ワスレジ》、戀者死十方、」
 
2940 中々二、死(ナ)者安(ケ)六《ム》、出日之、入|別不知《ワキシラヌ》、吾四久流四毛、
 
2941 念八流、跡状毛《タドキモ》我者、今者無、 上に、思遣、爲便乃田時毛、吾者無、また、立而居、爲便乃田時毛、今者無、とて、末も大かた同意の歌有を以て、此跡状をたどきと訓ことを知るなり、此事既にもいひたれど、かく出たる時にとてうたて云めり、
 
妹二不相而、年之經行者、」
 
2942 吾兄子爾、戀(フ)跡二四|有四《アラシ》、小兒之、夜哭乎爲乍、宿不勝苦者《イネガテナクハ》、」 上の卷の十一枚に、言は異にて同じ意の歌有、そこにいひつ、
 
2943 我命乎、 今本之と有はかなはず、古本に依て乎とす、
 
長(ク)欲|家口《ケク》、僞乎、好《ヨク》爲人乎、執許乎《トロフバカリヲ》、」 捕ふばかりの間をなり、○盗人の遁隱たるを捕て※[句の口を言]問するにたとへて、戯よめる女の歌なり、
 
2945 玉梓之、 使へかゝる、
 
君之使乎、待之夜乃、名凝其《ナゴリゾ》今毛、 【其字をぞのかなに用ること、此下又(卷六)にも有、ごの轉言なり、】
 
不宿夜乃大寸《イネヌヨノオホキ》、」 上卷に、本は、夕されば、君來まさんと、待し夜の、とて末こゝと同じきありそこに解つ、
 
2946 玉桙之、道爾行相而、外《ヨソ》目耳毛、見《ミル》者|吉《ヨキ》子乎、何時鹿將待《イツトカマタン》、」 吾得ん時を待か定めなきなり、○見者吉子乎の言|平《ツネ》言めきたれど、見るはしよしもなどもいへば、かくもいふならん、
 
2947 念西、餘西鹿齒、爲便乎無美、吾者|五十日手寸《イヒテキ》、應忌《イムベキ》鬼尾、」 上の卷に、本はことにて末を、人爾語都、可忌物乎、とよみつ、忍びづまの名を云ては、さはりの出來れば忌べきなり、
 
思爾之《オモヒニシ》、餘爾志可婆、門爾出※[氏/一]、吾|反側乎《コイフスヲ》、人見|監《ケン》可毛、」 古本に、此歌を本文に擧たるによりぬ、今本に是を或本云、門出而云云、一云、無爲《スベヲナミ》、出行《イデヽゾユキシ》、家當見《イヘアタリミユ》、と有は、右の一二句の均きをのみ見て同歌なりとて、諸本捨たるものなり、然るに、次に門の言有からは、其類もて右の歌は擧しもの、又一二句の均きは自ら多ければ何ぞ同歌とせん、もし又同歌なりとも、一句二句の違により其類歌に擧し例、此上下に多きなり、今本こゝの末に註せし人麻呂集に、念(シ)、餘(ニシカバ)者、丹穗鳥(ノ)足沾來《アヌラレコシヲ》、人見(ケン)鴨てふも別歌にて同言有のみ、然れば古本に依なり、
 
2948 明日者《アスナラバ》、其門將去、出而見與、戀有容儀、數知兼《アマタシルケム》、」 
2949 得田價婁《ウタガヘル》、 今本婁を異に誤る、
 
心欝悒《コヽロイブカシ》、事許《コトハカリ》、 此はを濁るは言便にて、耳《ノミ》の意にあらず、【後世は是許《コレバカリ》などの時は濁り、勘はかるを事許といふ時は、清て唱ふれども、惣てふと聞|耳《ミヽ》を分んとするは俗なり、古はかゝはらで其言便の本を專らとせり。萬づの事是を思へ、】
 
吉爲吾兄《ヨクセヨワガセ》、相有《アヘル》時|谷《ダニ》、」 吾に他《アダシ》心有と疑ふは、何に依て思ふらんや、いぶかしき事なり、よく思ひ量て見給はゞさる疑ひはあらじを、たま/\相あふ時だに打とけざるが苦しといへり、
 
2950 吾妹子之、夜戸出乃|光儀《スガタ》、見(テ)之《シ》從、情空|成《ナリ》、地者雖踐、」 此末の二句上卷に全くて有、
 
2951 海石榴市之《ツバイチノ》、 此所の名、同やまとの中に所々有けん、弘計皇子命の、石榴市の歌垣に出給ひしは、清寧天皇の忍海宮のあたりに在か、後のかげろふ日記などにいふは初瀬寺に近し、こゝと下にもよめるは何所とも指がたし考つべし、
 
八十(ノ)衢爾、 市にはちまたの多ければ、此一二の句下にも有、且人多く立蹈ば地の平らかに成からに、專ら市などに此言の有を以て、今紐ゆふとて立る序とせしなり、(卷十)妹が紐、解て結て、立田山、ともつゞけつ、
 
立平之《タチナラシ》、結紐乎《ムスビシヒモヲ》、解卷惜毛、」 はじめ君ならではとかじ、と結てし紐をその男今絶たれど、又他男の爲に解んは心ゆかぬよしなり、
 
2952 吾齡|之《ノ》、衰去者《オトロヘヌレバ》、白細布之、袖乃|狎爾思《ナレニシ》、君乎|羅其念《ラゾオモフ》、」 今本、君乎母准、と有は羅の一字を二字と誤れり、羅を助辭とせし例あまた有、さて袖のなれにしとは、年經て袖のなれそこなふと、その男になれ來しとをかねいひて、君も我も齡のおとろへ行につけて、したしみのことになれるをいへり、上の卷に、「紅の八鹽衣、朝なさな、なれはすれども、ましめづらしも、」てふ類ひ多し、
 
2953 戀君《キミニコヒ》、吾哭涕、白妙、袖兼所漬《ソデサヘヒヂテ》、爲便母奈之、」 泪は面をぬらすを本にてさへといへり、
 
2954 從今者《イマヨリハ》、不相跡|爲也《スレヤ》、白妙之、我衣袖之、干時毛奈吉、」 君があはじとするしるしにて、吾泪のかく落らんやと思ふなり、
 
2955 夢《イメ》可登、 四言、
 
情恠《コヽロアヤシモ》、 今本班と有は誤、
 
月《ツキ》數多《サハ・アマタ》二、干《カレ》西君之、事之通者、」
 
2956 未玉之《アラタマノ》、年月兼而、烏玉乃、夢爾|所見《ミエツル》、君之容儀者
 
2957 從今者《イマヨリハ》、雖戀妹爾《コフトモイモニ》、將相哉母《アハメヤモ》、床(ノ)邊|不離《カレズ》、夢(ニ)所見乞《ミエコソ》、」 乞は願ふことば、
 
2958 人(ノ)見《ミ》而、言害目|不爲《セズ》、夢(ニ)谷、不止見乞《ツネニミエコソ》、 今本、與と有は例の乞を與《ヨ》に誤しなり、
 
我戀|將息《ヤマメ》、」 【或本歌云、人目多、直(ニハ)不相、】
 
2959 現者《ウツヽニハ》、言絶有《コトタエニタリ》、 相語ふ事の絶しなり、
 
夢(ニ)谷、嗣而所見乞《ツギテミエコソ》、 今本見而と有は、かの乞を與と書しを、又而に誤しなり、ことわりに依て改めつ、
 
直(ニ)相左右二、」
 
2960 虚蝉之、 冠辭、
 
宇都思《ウツシ》情毛、 現しき心のきを略、
 
吾者無、妹乎|不相見而《アヒミデ》、年之經|去者《ヌレバ》、」
 
2961 虚蝉之、 同上、
 
常(ノ)辭《コトバ》登、雖念、 世の常のことわざをいふ、
 
繼而|之《シ》聞者、心慰焉《コヽロハナギヌ》、」 今本、慰を遮に誤りぬ、訓のなぎぬと有を思へば、遮はいと後に書そこなひしなり、○なぎぬは和《ナゴ》みぬるなり、慰字に依て別《コト》言と思ふことなかれ、
 
2962 白細之、袖不卷而宿《ソデマカデヌル》、 今本、不數、と書てなめでと訓しはよしなし、馬また枕などにはいへど共ねするには袖を纏、又重ぬるといふべく、なめでといふよしもなし、仍て卷を數の草とおもひ誤りしものなり、
 
烏玉之、今夜者早毛、明者|將開《アケナモ》、」
 
2963 白細之、手本寛久、人之宿、味宿《ウマイ》者不寢哉、戀|將渡《ワタリナム》」
 
 此所に寄物陳思、てふ標有はとらざるよし、上卷にいへり、
 
2964 如是耳《カクノミニ》、在家流君乎、衣爾有者《キヌナラバ》、下毛將著跡、吾念有家留、」 かくうとき心とはしらで、肌はなたずあらんとおもひしと悔るなり、
 
2965 橡之《ツルバミノ》、 衣服令に依に、橡墨染などは家人奴婢の衣の色なり、然れば是は賤人の我著る衣もてよめり、よき人のわざと此色をいひ出んよしなければなり、下にも出る皆均し、【義解に、橡(ハ)櫟木(ノ)實なり、和名抄、橡、(都流波美、)櫟實也、こは田舍人のどんぐりと云て、こならの子《ミ》也、染種子はその子《ミ》の本に有よめが合器《ゴキ》といふ物を※[者/火]《ニ》て、其汁をもてす、又よき衣にも黄つるばみ赤白の橡などいひて、本の色の上へ是をかくる事あれど、そは鈍色とて、古へは僧衣などにすれば、萬葉の歌にかなはず、】
 
袷衣裏爾爲者《アハセノキヌノウラニセバ》、 袷は重あれば、裏といはん料にいふのみ、さてうらとは專らとせぬに先たとふ、
 
吾將強八方《ワガシヒメヤモ》、君之不來座《キミガキマサヌ》、」 右の如く裏とはせず、君を專らと思ふ故に強ても來ませといへるに、猶來まさぬよと、はらだちてよめるなり、 
2966 紅《クレナヰノ》、薄染衣《アラゾメゴロモ》、 今うすぞめと訓しは例なし、こは次に、桃花褐《アラゾメノ》、淺等衣《アサラノコロモ》、淺爾《アサラカニ》、 とよめるに同じくて、あらぞめごろもと訓て、退紅と書も同じ、
 
淺爾《アサカラニ》、相見|之《シ》人爾、戀比日可聞《コフルコロカモ》、」 はじめは事もなくおもひしなり、
 
2967 年|之《ノ》經者、 旅にて經なるべし、
 
見管偲(べ)登、妹之言思、衣乃縫目、見者哀裳、」
 
2968 橡之、一重《ヒトヘ》衣(ノ)、裏毛無、 こは裏も無といはんとて、一重をいへるのみ、うらもなくは何心もなくてふ意なり、
 
將有兒故《アルラムコユエ》、 ゆゑは何ともおもはで有らん子ゆゑにとあたりていふことばなり、
 
戀渡可聞、」
 
2969 解衣之、 冠辭、
 
念亂而、雖戀、何之故其跡、問人毛無、」 戀る人のいかにぞと問《ト》へかしと思へど、とはねばいふ、
 
2970 桃花褐《アラソメノ》、淺等乃衣《アサラノコロモ》、 布を桃花色に薄紅に染たるを、荒染と云、褐は布《ヌノ》衣なり、延喜式に、凡紵布之衣者、雖2退紅《アラソメ》1、自v非2輕細(ニ)1不v在2制限1、【桃花染、退紅の布は、共に麁染と云て、皆絹にいふ名にあらず、仕丁など荒染を著、】
 
淺《アサラカ》爾、念而妹爾、將相物香裳、」 いと悦びにたへずてよめるなり、此香裳はかはの意、
 
2971 大王之、鹽燒海部乃、 鹽は燒ところを始めて、公の御物なる事、田租に均ければしかいふなり、恩賜にも米鹽を賜へり、
 
藤衣、穢者雖爲、彌希將見毛《イヤメヅラシモ》、」 【或人、武烈天皇記に、以v鹽爲v租に、角鹿なるをのみもらしたれば、供御とすといふ事有に依て、其鹽をのみ大君の鹽と云といへり、然れども此記に見えしのみにて、他に見ゆる事なし、末ながら式の内膳などにも分ていふ事なく、こゝの歌も凡をいふと見ゆれば、右は一時の事なりけん、】
 
2972 赤帛之《アカキヌノ》、純裏衣《ヒトウラゴロモ》、 紅といはず、赤帛と有は緋色の衣なり、さて表裏同じ赤色なるを、ひとうら衣といふと見ゆ、今本に、すみうらと訓しは何の事とも聞えず、純は純一のよしにて一《ヒト》の意に書り、(卷十五)敏馬浦の長歌にある、百船純の純も、一《ヒト》を人《ヒト》にかりつ、
 
著欲《キマホシミ》、我念君之《ワガモフキミガ》、不所見比者鴨《ミエヌコロカモ》、」 此男緋衣のうらおもて同じきを着て來るより、相ともにその衣を着て寢まほしと思ふに、見えこずと云り、(卷六)「筑波禰の、にひ桑まゆの、きぬはあれど、君がみけしゝ、あやに着ほしも、」てふも共ねして重ね着ほしきなり、然れば今本長欲とあるは、着の草を長に誤しもの疑なければ、改めつ、
 
2973 眞玉就《マタマツク》、 就は借字にて、眞玉を著る緒とつゞけたる冠辭なり、
 
越乞兼而《ヲチコチカネテ》、結鶴《ムスビツル》、 遠近をかけてにて、今より末をもよく契り定めて結びしといふなり、
 
言《ワガ》下紐|之《ノ》、 言を吾と通じ書し少からず、【紐は彼と此とをかねて結ぶ物なれば、さる心にていふとも思ふべけれど、さいひては古言のつゞけにあらず、】
 
所解日有米也《トクルヒアラメヤ》、」 (卷十三)「ま玉つく、遠近かねて、いひはいへど、あひて後こそ、悔は有けれ、」
 
2974 紫《ムラサキノ》、帶之結毛《オビノムスビモ》、 次にも紫の我下紐、といひしかば、是も下の帶にて紐といふに均しかりけり、古へはおびひも緒を相通はしてもいひつ、 
解《トキ》毛不見、本名也妹爾、戀度南、」
 
2975 高麗錦、 冠辭なり、よき人は錦の紐もとよりなれど、此歌に紐の樣をいふべくもあらず、たゞ紐といはん冠辭ときこゆ、
 
紐之|結毛《ムスビモ》、 右も是も結びをも解ずてふ意なるが中に、是は齋てとかぬなり、
 
解不放《トキサケズ》、齋而待杼《イハヒテマテド》、 【齊齋古は通へども、此集の書體にあらねば齋とす、】
 
驗無可聞、」 二人して結びし紐はとて、とかで齋つゝしみて待には、神のしるしの有べき事なるに、猶待得ざるをなげくなり、上の卷に、下紐の、とくるは人の祥《サガ》といへば、わざと解いはひて、待こゝろによみしと、ここはうらうへのたがひなり、
 
2976 紫(ノ)、我下紐乃、色爾|不出《イデズ》、 これと次の紐は歌の言のみにて、ことに此紫の紐は序なり、
 
戀可毛將度、相因乎無見、」
 
2977 何故可《ナニユヱカ》、不思將有《オモハズアラン》、紐緒之《ヒモノヲノ》、心爾入而《コヽロニイリテ》、戀布物乎、」 かく心に入て深く戀しければ、君をおもはず有ことは、何の故に付てもあらずと云り、その男の思はずやなどいふに答へしならん、○紐の緒の心に入とは、古今歌集に、「いれひもの、同じ心に、いざ結びてん、」とも云て、輪紐へ長紐をさし入て結ぶを以て譬とせり、
 
2978 眞十鏡、見|座《マセ》吾背子、吾形見、將持辰爾《モタラントキニ》、 手に持て問はん時なり、
 
將不相哉《アハザラメカモ》、」 こは夫の遠き旅行別れに女のよめるなり、記に天御孫の天降給ふ時、天照大御神神寶をあたへ給ひて、此鏡は專我を拜む如《ナス》せよとのたまひしより、形見には鏡を贈るならはしとして、後世の物語ぶみにすら見えたり、こゝにもたらん時にあはざらめかもてふ、即右の意なり、
 
2979 眞十鏡、 冠辭、
 
直《タヽ》目爾君乎、見者許増《ミテバコソ》、 見てあらばこそなり、此言上にいへり、 
命對《イノチニムカフ》、吾戀止目《ワガコヒヤマメ》、」 あはん事は命にもかふべく思ふ故に命に對《ムカフ》といへり、かくてしかばかり切に戀る思ひも、一度直目に相見てしあらばこそ止もせめ、あふよしなければ遂に死ぬべしといふなり、
 
2980 犬馬鏡、 冠辭、
 
見不飽妹爾、不相而、月之經去者、生友名師、」
 
2981 祝部等之《ハフリラガ》、齋三諸乃《イハフミモロノ》、犬馬鏡、 上は序、
 
懸所偲《カケテシヌバユ》、 今本、懸而と有て、かけてぞと訓しは、假字の下に假字を添るよしなきをだにしらぬ訓なり、仍て而は所を誤りし事しるければ改めつ、
 
相人毎《アフヒトゴトニ》、」 思ふ人多くもたる男なれば、花がたみめならふ人のあまたあれば、など恨る女も有とき、さりともしかはあらず、皆けぢめなく懸てしたふからは、吾は吾と思ひてあれかしといふ意にや、又おもふ人の有が上に、又もあへる女のしたはしき時、男のわが心をのみよめる歌か、
 
2982 針者有杼、妹之無者、將著哉跡、吾乎令煩《ワヲナヤマセテ》、絶紐之緒《タルヒモノヲ》、」 旅にてよめり、
 
2983 高麗劔、 冠辭、
 
己之景迹故、外耳、見乍哉君乎、戀渡奈牟、」 影は我身の物からに、手にとられぬは外《ヨソ》といはん序におけるのみ、さて歌の意は三の句より下に有て明らけし、○此故は物故と云に同じく、物なからにと心得ることなり、例は別記にあり、○景迹は、日本紀にも令にも、行迹の事に書しに依て、後世人こゝをわがあととも、わがこころとも訓たるは、字に泥て歌を心得ざるなり、此集は先歌凡の意を意得て後に、字を借し事のさま/”\なるを思ふべし、こゝを右の如くよみては、此歌いかにとくとも聞えんやは、【から文にこゝの訓を付て、其訓を先として心得ばよからんかは、是を打かへしておもへ、】
 
2984 劔|太刀《タチ》、 冠辭、
 
名之惜毛、吾者無、比來之間、戀|之《ノ》繁爾、」
 
2985 梓弓、 冠辭、
 
末乃多頭吉波、雖不知、 今本に末者師不知、雖然、と有は此所字の亂などせしを、後人私に字を直し物にて言ゐず、故に一本による、
 
眞坂者君爾、緑西物乎、」 眞佐加は眞其際《マソノキハ》てふ言なり、言の考は上に出、【一本歌云、梓弓、末乃多頭吉波、雖不知、心者君爾、因之物乎、と云、此四の句は今を取べし、】
 
2986 梓弓、 冠辭、
 
引見|縱《ユルベミ》、思見而、既心齒、因《ヨリ》爾思物乎、」 左に、今更に、何しかもはん、といへる如くの意を籠たるなり、
 
2987 梓弓、 こは冠辭にあらず譬なり、
 
引而|不縱《ユルベヌ》、丈夫哉《マスラヲヤ》、戀云物乎、忍|不得牟《力ネテム》、」 鬼の丈夫、猶戀にけり、てふに同じ、
 
2988 梓弓、 冠辭、
 
末中一伏三起《スヱナカタメテ》、不通有之《タエタリシ》、 是も此左石に、引見縱見、思見て、縁にしてふ歌に凡の意は均くて、譬たる言の異なるなり、是一伏三起と書しは、古へ弓射る時のわざなり、下に、「梓弓、たてり《起》/\も、槻弓の、くやり《伏》/\も、」といふ如く、弓には起伏てふ事古へ多く云に、今昔物語に、弓いる時に弓たふしてふ事あり、今人のためつすかしつと云も、弓より出たる言と聞ゆ、これらその射んとする時、先目當をためねらふわざなれば、ための言を一伏三起とは書しなり、且伏するも起すも專ら弓末なれど、引たむる所は中なれば、末中と云て男の中頃ためて不通しに譬たり、【古へ弓いし事を考るに弓は引設て、後にねらひをたむる事なし、今射んとする時に、ためねらひを定るなり、故に初のわざをつゝしめり、其わざは弓を取て、一度起て後に、伏て的をよく見定めて、又起て矢をはげ、更に高く起して引入る故に、一伏三起とはいふなり、】○不通を此下にもたえしと訓つ、
 
君(ニ)者會奴《アヒヌ》、嘆|羽《ハ》將息《ヤメム》、」
 
2989 今更(ニ)、何※[鹿/牡]將念《ナニシカモハム》、 末に男のうとき樣など見えたる時、女のよめるなるべし、
 
梓弓、引見縱見、縁《ヨリ》西鬼乎、」
 
2990 ※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、績麻之多田利《ウミヲノタヽリ》、打麻懸《ウチソカケ》、 多々利は、令義解に線柱集解には多々利と云り、さて方《ケタ》なる居《スヱ》木に柱一つ立て、うみ紵を引懸る物なり、和名抄には絡※[(土+乃)/木]と書り、打麻は美麻《ウミソ》の事なるよし冠辭考にいひつ、
 
績《ウム》時無二、戀度鴨、」 上卷に開《サキ》沼之菅乎、笠爾縫、將著日乎待爾、年曾經去來、などいへる如し、
 
2991 垂乳根之、母我養蠶乃《ハヽガカフコノ》、眉隱、 まゆに隱わたるをいぶせき譬とす、
 
馬聲蜂音《イブ》、 上に牛鳴を毛のかなに書し如く、馬はいんと鳴、蜂はぶんと鳴をもて書り、
 
石花《セ》、 和名抄、尨蹄子、勢《セ》、貌似2犬蹄1而附v石生者也、兼名苑注云、石花(ハ)二三月皆紫(ニシテ)舒v花、附v石而生、故以名v之、てふこれなり、集中に石花を勢《セ》の言に借しは又も有、
 
蜘※[虫+厨]荒鹿《クモアルカ》、異母二不相而、」
 
2992 玉手次、不懸者辛苦《カケネバクルシ》、懸|垂者《タレバ》、 垂は借字、此懸は思懸るにはあらず、既相し事を襁《タスキ》を身に懸纏ふに譬たり、
 
續《ツギ》手見卷之、欲寸君可毛、」
 
2993 紫(ノ)、綵色之※[草冠/縵]《コゾメノカヅラ》、 冠辭考に、玉かづらの事はいひつ、其玉の緒を濃紫に染たるが花やかなるなり、
 
花八香爾《ハナヤカニ》、 花は美《ウル》はしきたとへ、八香《ヤカ》は良介伎《ラケキ》を通はしいふ辭なり、たとへば清らけき清やかになどいふ類皆是なりり、【古今歌集の序に、云々のやうにと云は、此やかを延ていふ平《ツネ》言にて、雅言にはあらず、後に樣の音と思へるはわろし、】
 
今日見(ル)人爾、後將戀鴨、」
 
2994 玉※[草冠/縵]、不懸時無、戀友、何如《ナニシカ》妹爾、相時毛名寸、」
 
2995 相因之、出|來左右《コシマデ》者、疊薦、 上卷に出、
 
重編數、夢西|將見《ミナム》、」
 
2996 白香付《シラガツク》、 冠辭、
 
木綿者花疑《ユフハハナカモ》、 今本疑を物に誤、
 
事社者《コトコソハ》、 事は言なり、
 
何時之眞坂毛《イツノマサカモ》、 眞其きはもなり、今本は坂を枝に誤、
 
常不所忘、」 いつにてもあへる其時にいひし言は、たのもしと思ふに、言の如くあらぬは、木綿を花と見る如く、實ならずといふなり、
 
2997 石上、振(ノ)高橋、 大和國、山邊郡振神社の前の川は、岸深ければ、是に渡せしは高ければ名を得つらん、天平の頃に、久邇の都に、高橋渡す、とよめるも此意なり、惣て古へは浮はし打はし石はし(石並置橋なり、)ぞ多かりけん、
 
高々爾、 遠々爾なり、上の別記に出、
 
妹之|將待《マツラム》、夜曾|深去《フケニ》家留、」 たま/\相べく待らん物を、道遠くして夜の深行をくるしむなり、【武烈天皇紀の影姫が歌に、青によし、ならを過、こも枕、高はし過、といふは、高はし有に里の名もしかいひつらん、】
 
2998 湊入之、葦別小船、障多(ミ)、 【或本歌曰、湊入爾、蘆別小船、障多、君爾不相而、年曾經來、と有は、此歌の一本にはあらじ、上の卷の歌の言を誤れるものなり、】 
今來吾乎《イマクルワレヲ》、不通跡念莫《コジトオモフナ》、」 上の卷に、本は全く同じくて末ことなる歌のりたり、末の各異なれば別歌なる故に、彼はそこの類に、是はこゝの類に、取のせし事此上下卷の例なり、
 
2999 水乎|多《オホミ》、上爾《アゲニ》種蒔、比要乎多(ミ)、 神代紀に、高田※[さんずい+誇の旁]田といへる高田を、今も田舍にてあげ田といへり、さて※[さんずい+誇の旁]田は水多くして苗代にかなはねば、上田に種を蒔しに、そは又田稗といふもの多かりと云なり、【田稗の稻苗に交れるを、つとめて擇出して捨るものなり、】
 
擇擢之我等曾《エラレシワレゾ》、 今本、我等の二字を業に誤れり、
 
夜獨宿、」 今本は夜を吾に誤れり、さて其種を擇捨るが如く、多くの中より吾はえり捨られて、夜獨ねすると身を恨たるなり、○此歌人麻呂歌集には、打田、稗數多雖有、擇爲《エラレシ》我(ゾ)、夜一人宿、とあり、其歌の本は調はず、今の歌の轉ぜしものなり、末は彼を以てこれの誤を正しつ、
 
3000 靈合者《タマアヘバ》、相宿《アヒヌル》物乎、 (卷三)「たまあはゞ、君來ますやと」(卷六)「母し守ども、靈しあひにける、」ともよみて、魂の相かなひぬれば、とかくしてかく相|寢《ヌ》る物を、あながちに母の守給ふよといへり、
 
小山田乃、鹿猪田禁如《シヽダモルゴト》、 卷十六に、荒城田の、鹿田の稻、
 
母|之守爲裳《ガモラスモ》、」 【一云、母之|守之《モラシ》師、】
 
3001 春日野爾、照有暮《テレルユフ》日之、 落たるは遙なれば、よその序とす、
 
外耳《ヨソニノミ》、君乎相見而、今曾悔寸、」
 
3002 足日木乃、從山出流、月待登、人爾波言而、君待吾乎、 【吾乎の乎は助辭なり、上へかへるも有に泥ことなかれ、】(卷三)長歌の終の五句となりて有、されど其長歌は男女の贈答二首の歌の言ども各落失て、今は一首の如く成てあれば、かれはいかにとも定めがたし、○君待を今本妹待と有は誤れり、こは卷三に依て改めつ、女の通ふ事は先はなし、且歌も女のよめるさまなり、
 
3003 夕|月夜《ヅクヨ》、五更《アカトキ》闇之、 夕月の比の曉は必闇なればかく云、 
不明《オボヽシク》、今本、ほのかにも、と訓しは、毛の辭むつかし、
 
○闇よりおぼゝしくといふなり、
 
見之人故、 定にも見ぬ物ながらに、いかでかくはといふなり、
 
戀渡鴨、」
 
3004 久竪之、天(ツ)水虚爾《ミソラニ》、 水は借字、
 
照(レル)日之、將失《ウセナム》日社、吾戀止目、」
 
3005 十五日《モチノヒニ》、出(ニシ)之月乃、高々爾、 高々は遠々てふ言なる例、上の別記にいへるが如く、こゝも遠々にとつゞけしなり、何ぞといはゞ、此上に、春日野爾、照有暮日之、外耳、といへるは、西の空に落たる日は、遠く外《ヨソ》なる意なるにむかへて思ふに、此望月も東の空の涯さやかに見えて、出來るは遠しといふべきなり、かくてこゝの遠遠は、たま/\といふ意なり、【上弦は暮ぬ前に出れば、分ち見えざりしを、望に至りて暮る空に始めて出ればいふ、】
 
君乎|座而《マサセテ》、何物乎加將思《ナニヲカモハム》、」 たま/\に來し君を、吾もとにおはしまさせたるよろこびをいへり、【たま/\は遠《トホ》ま/\、てふ言なる事既に別記にいひつ、】
 
3006 月夜好(ミ)、門爾出立、足占爲而《アウラシテ》、 (卷十三)「月夜には、門に出たち、夕日とひ、あうらをぞせし、ゆかまくをほり、」ともいへり、先歩の數を定め置て、歩の奇遇もて合不v合を知ること、今人のするにはことならじか、
 
往《ユク》時|禁八《サヘヤ》、妹二|不相有《アハザラム》、」
 
3007 野干玉(ノ)、夜渡月之、清者《キヨケレバ》、吉《ヨク》見而|申尾《マシヲ》、君|之《ガ》光儀乎、」
 
3008 足引之、山乎|木《コ》高三、 山の梢の高なり、
 
暮月乎、 いつかと夕月を待が如く君を待といふを、言を略きてあやにいひなしたるなり、 
何時《イツカト》君乎、待之苦沙《マツガクルシサ》、」
 
3009 橡之、衣解|洗《アラヒ》、又打山《マツチヤマ》、 上は譬なり、なれあかづける衣を解洗ひて、又|擣《ウツ》は本にかへすにて、もとつ人に立かへるをいふ、卷十八に、紅は、うつろふ物ぞ、つるばみの、なれにしきぬに、猶しかめやも、てふが如し、
 
古人爾者《モトツヒトニハ》、猶|不如《シカズ》家利、」 後見し人はまだえ不v及と、今古人に立かへりていふなり、○かくいふ時は山てふ言餘れゝど、此下に「あふみのみ、へたは人しる、奥つ波、君をおきては、知人もなし、」てふも波は言の爲に置てかゝはらず、
 
3010 佐保河之・河浪不立、靜雲、君二|副《タグヒ》而、明日|兼欲得《サヘモガモ》、」 けふは事もなく逢ぬ、あすさへもかゝれかしと、忍ぶる中にていへり、
 
3011 吾妹兒爾、衣借香之、宜寸河、 春日に衣借といひかけつ、次の振川に雨ふる川といひかけし類古への體なり、さて是までは序のみ、
 
因毛有額《ヨシモアラヌカ》、 妹が目を見んよすがも、いかで有てしかもと願へり、あらぬか來ぬかなどは、今もいふ辭にて、あれかし來よかし、と乞なり、
 
妹之目乎將見、」
 
3012 登能雲入《トノグモリ》、棚《タナ》曇を言便のよろしきまゝにかく云り、
 
雨零河之《アメフルカハノ》、左|射《ザ》禮浪、 石上の振川に雨ふるといひかけたり、さて振川の浪ばかりにても間なき事の序とはすべけれども、此下に、左佐浪之、浪越安暫仁落《ナミコスアゼニフル》小雨、間交置而《アヒダモオキテ》、吾不念國、てふを思へば、こゝも川波に雨ふりて、いよゝこまかなる波の文のよるをおもひよせしにぞあらん、 
間無毛君者、所念鴫、」
 
3013 吾妹兒哉《ワギモコヤ》、安乎忘爲莫《アヲワスラスナ》、 良須(ノ)約留、
 
石上、袖振河之、 右に雨零河といひ、人麻呂歌集に、(別卷)袖振山、といへる如く、こゝも文にいひつゞけたるのみにて、たゞ振川の水の絶ざるをためしとす、【後世人袖振山てふ山有と思ふは人わらへなり、】
 
將絶跡念哉《タエムトモヘヤ》、」 此言既出、
 
3014 神山之《カミヤマノ》、 こは飛鳥の雷岳《カミヲカ》をいへり、上に別記あり、
 
山下響《ヤマシタトヨミ》、逝水之、水尾不絶者《ミヲタエザラバ》、後(モ)吾妻、」 此譬上下に多し、○水尾は水の深き筋なり、
 
3015 如神《カミノゴト》、 雷の如なり、
 
所聞《キコユル》瀧之、白浪之、面知君之《オモシルキミガ》、 上よりは面白しといひ、受る句は面を見知たる君てふ意にて、この下に、水莖の、岡の葛葉を、吹かへし、面知兒等之、不見比日、とも有、面知とは常に見なるゝ人にもあらず、よそながら其面を相見知て目をくはせ、心を通はするをいふべし、こゝは女の歌下は男の歌なり、
 
不所見比日、」
 
3016 山河之、瀧爾益流、戀爲登曾、 たぎは沸《タギ》ることなれば、心の内のわきかへり思ふ事の瀧よりも甚しと云り、
 
人知爾|來《ケリ》、無間念者、」
 
3017 足檜木之、山河水之、音(ニ)不出、 ふるのわさたのほには不v出、てふ如きいひなしなり、
 
人之子|放《ユヱニ》、 今本※[女+后]と有は誤れり、今故に改、【※[女+后]は、廣韻諸書、音搆、説文偶也、彖傳遇也、染遇剛也、一曰、好也、など有てこゝによしなければ下皆改】
 
戀度|青頭鷄《カモ》、」
 
3018 高瀬爾有《コセナル》、 四言なり、是をたか瀬なると訓はよしなし、(卷十四)小浪、磯越道有、能登湍河、てふは、巨勢路に浪の磯越といひかけし事、(卷八)吾せこを、乞《コチ》許世山、といへる類なり、かゝれば大和の高市郡の巨勢に在能登瀬川なる事を知べし、仍てこゝの高瀬を古世と訓なり、【たかせてふ言別に有に依て、こゝをもたかせと訓は委しからず、】
 
能登瀬乃河之、後將合《ノチモアハム》、 能登を能知と音を轉じいふは例なり、
妹者吾者、今爾不有十方、」
 
3019 浣衣《アラヒギヌ》、 衣は一本を用、今は不に誤、
 
取替河之《トリカヒガハノ》、 穢たる衣を浣て取なほしかへて着る心に、上よりは取替といひかけしまゝに替とは書たれど、受たる言はとりかひ川なり、かひかへを通はす古言の例なればなり、○和名抄、添下郡に、鳥貝(止利加比)と有郷の川なるべし、【大和物語にいへる鳥銅の御湯河内といへり、何れにても有べし、】
 
河|余杼能《ヨドノ》、不通牟《ヨドマム》心、思兼都母、」
 
3020 斑鳩之因可乃池之《イカルガノヨルカノイケノ》、 平群郡なるべし、
 
宜毛《ヨロシクモ》、 よろしとは常ざまなるをいふ、
 
君乎不言者、念衣吾爲流、」
 
3021 隱沼之《コモリヌノ》、 今本絶沼と有、こもりぬは堤に隱て上は水の通ひなきを以て、さも書べけれど、次にも他にも隱沼とのみ有に依て改、
 
下從者將戀《シタユハコヒム》、 記、(仁徳(ノ)條、)許母理|豆能《ヅノ》、志多用波閇都都《シタヨバヘツツ》、由玖婆多賀都麻《ユクハタガツマ》、と有も似たり、かくて下從とは下樋より水の通ふに譬へて、樋は卷二に、埴安乃、池之堤之、隱沼乃、去方乎不知、舍人者迷惑、とも有からは、隱るは堤に籠るにて、水草などにこもれるをいふにあらず、然れば下とは樋の外なし、
 
市白久、人之可知、歎爲米也母、」 【一本に云、市より母に至るまでの十二字考に落たり、今兼樹本集に依て書加ふるなり、本集賀茂翁の書入に云、市白久は著の意なり、おもてより戀ば人しらんとなり、】
 
3022 去方無三《ユクヘナミ》、隱有小沼乃《コモレルヲヌノ》、下思爾《シタモヒニ》、 是も次も右にいふが如し、
 
吾曾物念、頃者之間、」
 
3023 隱沼乃、下|從《ユ》戀餘、白浪之、灼然|出《イデバ》、 右にいふ如く、堤に隱れるを隱沼といふと定めて思へば、是に白浪の出ばといふは、井で越波といふ如く、波の越出るよしなり、
 
人之可知、」
 
3024 妹目乎、見卷|欲江之《ホリエノ》、 堀江てふ名、他所にもあれど、かく專らによめるは難波堀江なり、
 
小浪《サヾラナミ》、敷而戀乍、有跡告|乞《コソ》、」
 
3025 石走、 冠辭、
 
垂水之水能《タルミノミヅノ》、 攝津國に在、
 
早敷八師《ハシキヤシ》、 はやきといひかけしのみ、
 
君爾戀良久、吾情柄、」
 
3026 君者不來、吾者|故無《ユヱナミ》、 女の行べきには、ゆゑよしの無なり、
 
立浪之、數《シク/\》和備思、 重波を日本紀にも、集にも、しきなみともしくなみともいひ、又集中皆波にはしく/\といへり、かくてしば/\てふ言は他の事にはいへど、波にいはぬを思ふに、こゝも數々立|重《シゲ》る意もて數と書しと見ゆれば、今しく/\と訓なり、
 
如此而不來跡也《カクテコジトヤ》、」
 
3027 淡海之|海《ミ》、邊《ヘ》多波人知、奥(ツ)浪、 邊澳は譬のみ、
 
君乎置(テ)者、知人毛無、」 相聞に君といふは、妹より男をいふ此集の例なり、是に依は心の奥にふかく隱して思ふ男の事は知人なしとよめるなり、然れども集中に、君妹妻の三字を相誤れる歌も少からぬをおもふ時、こゝも君は妻を誤れるか、しからば人麻呂歌集に、(別卷、)「長谷の、弓槻か下《モト》に、吾隱せる妻、赤ねさし、てれる月夜に、人見てんかも、」「ますらをの、思ひたけびて、隱せる其妻、天地に、通りてるとも、顯れめやも、」などの意とすべし、いかで正しき本を見ばや、【(卷三)長歌に、妹爾|縁《ヨリ》而者云云、と有、左の注に、不v可v言2之(ヲ)因1v妹應v謂v縁v君、反歌云、公之隨意といへり、此類の誤りかた/\に有、】
 
3028 大海之、底乎深目而、結|篆之《テシ》、 上にいふ、
 
妹心者、疑毛無、」
 
3029 貞能※[さんずい+内]爾《サダノウラニ》、 上の卷に出、
 
依《ヨス》流白浪、無間、思乎|如何《イカデ》、妹爾難相、」
 
3030 念出而、爲便無時者、天雲之、奥香裳不知、 奥許不知なり、上にいへり、
 
戀乍曾|居《ヲル》、」
 
3031 天雲乃、絶多比安、心有者、吾乎莫憑、 たのませそのませを約めてたのめといふ、
 
待者苦毛、」
 
3032 君之|當《アタリ》、見乍母|將居《ヲラム》、生駒山、 此山嶺を分て南は大和北は河内なり、
 
雲|莫蒙《ナカクシソ・ナタナビキ》、 此下に、朝霞|蒙《タナビク》山、ともよみ、集中の言をも思へは、くもなたなびきと訓べきか、
 
雨者雖零、」 いと切《セチ》なる心より、かゝる事はおもひもいひもする物なり、
 
3033 中々二、如何知兼《イカデシリケム》、吾《ワガ》山爾、 集中に吾岡ともいひて、わが住所の山なり、
 
燒流火氣能《モユルケブリノ》、外見申尾《ヨソニミマシヲ》、」 春の野山を燒烟をもて、外《ヨソ》といはん料とするのみ、雲霞烟にはよそといふ言有ばなり、意はひとを大よそ人に見てあらまし物を、中々に相知て苦しといへり、○(卷七)靈寸春、吾山之|於《ヘ》爾、立霞、雖立雖居、君之隨意、てふも、靈きはるは生涯をいふ事なれば、我命の間は立もゐるも君がまゝてふを略きて、たまきはる吾といひ、それより吾山の上の霞とつゞけて、立といはん料とせしは、こゝと同じさまなり、【此たまきはるは冠辭にあらず、歌の言なり、然るを冠辭考に、吾葬の烟とまで思ひしは解き泥たりし、こゝを以て改むべし、】
 
3034 吾妹兒爾、戀《コヒ》爲便|名雁《ナカリ》、加里の約は伎、
 
胸乎|熱《ヤキ》、旦戸開(レ)者、所見霧可聞、」 後世は燒火の氣をば烟とのみいへど、古へは霞霧烟を通はしいひつ、
 
3035 曉之《アカトキノ》、朝霧|隱《ガクリ》、 曉とあさは本同じ事なれば、かくかさねてもいへり、曉曙朝と分つは後なり、
 
反詞二《カヘリシニ》、 今本反羽と有は誤れり、
 
如何戀乃《イカデカコヒノ》、色丹出爾家留、」
 
3036 思出、時者爲使無(ミ)、佐保山爾、立雨霧乃、應消所念、」
 
3037 殺目山《キリメヤマ》、 紀伊國の熊野にきりめの王子《ミコ》てふ社有、或説にも紀伊國といへり、然れば熊野に有山の名ならん、殺をきりと訓は、(卷十三)横|殺《キル》雲、とも書たり、
 
往反道之、朝霞、髣髴谷八、妹爾不相牟、」
 
3038 如此將戀、物等知者、夕置而、旦者|消流《ケヌル》、露|有申尾《ナラマシヲ》、」 
3039 暮《ヨフベ》置而、旦者消流《ヒルハキエヌル》、 暮はゆふぐれをいふなれど、此歌は夜晝の意にて、暮旦と書しかば、よふべと訓なり、
 
白露之、可消戀毛、吾者爲鴨、」
 
3040 後遂爾、妹將相跡、旦露之、命者生有、戀者|雖繋《シゲヽド》、」
 
3041 朝旦《アサナサナ》、 あさなさなと、下のあを籠て書る假字も有はしかよむ、 
草上白《クサノヘシロク》、置露乃、 【此露は霜を誤て、且次の歌と前後に書誤しならんと、黒生がいへるによるべし、今本此所亂れたること次の歌にてもしらる、】
 
消者《ケナバ》共(ニ)跡、云師君者毛、」 かく契しに、絶て後久しくして其君は、とおもひ出てなげくなり、
 
3042 朝日指、春日能小野爾、置露乃、可消吾身、惜雲無、」
 
3043 露霜乃、消安我身、雖老《オイヌトモ》、又若反、君乎|思《シ》將待、」 上の卷に、初句を朝露のとて、二句より末全く同歌有、同歌も類の異なる所に載るは例もあれど、上もこゝも同じ露霜もていへる中なれば疑有なり、今考るに此歌一二句の言と三句より下と言の道違へり、一二句の意ならば、上の卷に、璞之、年緒永、何左右鹿、我戀將居、壽不知而、てふ如く、「朝霜の、消安わがみ、いつまでか、戀つゝをらん、命しらずて、」などいひ下さば集中の例も歌の言も通りなん、又此三の句より下の歌にては上を、「かくゐつゝ、年經る吾身、老ぬとも、」などぞいふべき、然れば今の上下卷ともに、露霜の、消安吾身、てふ末は他歌の交りし物といふべし、かゝれば同歌の再載しも、必それともいふべからぬことなり、既に上の二首も前後して載しなれば、此處亂れし物なり、
 
3044 待君常、庭耳居者、打|靡《ナビク》、吾黒髪爾、霜曾置爾家類、」 上の卷に、待不得而、内者不入、白細布之、吾袖爾、露者置奴鞆、てふは、心は均しかれど、言ことなれば、二所に載たるなり、【注に、或本歌尾句云、白細之、吾衣手爾、露曾置爾家流、と云は、こゝの歌と上卷の歌の言、彼此入違しのみ、」
 
3045 朝露乃、可消耳也《ケヌベクノミヤ》、時無二《トキジクニ》、 非時無時など書もひとし、
 
思將度《オモヒワタラム》、 月日をかくてのみ經わたらんものかと嘆なり、
 
氣《イキ》之緒爾爲而、」
 
3046 左|佐《ザ》浪之、波越安暫仁《ナミコスアゼニ》、 あぜとは田ごとの間をせくを今もいへり、【淺きをあせともいへど、暫は濁る音なるが上、波越といへば必あぜなり、】 
落《フル》小雨、 もとより小波の上に小雨のふりて、水の文の繁きをいふ、上に雨零河の、さゞれ波、間無とよめる所にもいへり、
 
問文置而、吾不念國、」
 
3047 神左備而、 古びて久しきといはん料、
 
巖爾生、松根之、 古にし松根の如く久しく經れど、むかしうつくしと思ひし君が心は、わすれがたしと云り、
 
君心者、忘|不得《カネツ》毛、」
 
3048 御獵爲、雁羽之、 同獵場を重ね云のみ、
 
小野之、櫟柴之《ナラシバノ》、 小ならしばとて今も有、
 
奈禮波|不益《マサラデ》、戀社益、」
 
3049 櫻麻之《サクラヲノ》、 上卷にいへり、
 
麻原《ヲフ》乃下草、 【本の二句は上の卷にいへり、さて下草の生るは、何の畑つ物にもあれど、麻一つを擧いふは、歌のならはしなり、】
 
早生者《ハヤナサバ》、 蒔したなつ物よりも、あやなき草は早く生立やすきを以て、早生とはいひて、歌の意は別卷に、「濱行風の、いやはやに、早ことなさば、ましあはざらん、」てふごとく、ゆるらかに物せし故に、遂にかく妹がひもとく時にも至りけりと悦ぶなり、さて生者は草のおふるをもなるといひ、且歌の意は爲者なれば、相持てなさばと訓つ、はやおひばなど訓ては、ことわりなし、
 
妹|之《ガ》下紐、不解有申尾、」 
 
3050 春日野爾、淺茅標|結《ユヒ》、 淺茅は秋の末に紅葉に染《ソミ》てうるはしきを女に譬へて、(卷八)「妹に似る、草と見しより、わがしめし、野山の淺茅、人なかりそね、」又、「山高み、夕日隱れぬ、淺茅原、後見ん爲に、しめゆはましを、などの如く、今よりしめゆひて成なん末の待遠なるを云り、
 
斷《タエ》米也登、吾念人者、彌遠長爾、」 まだをさなきを云り、
 
3051 足檜之、山菅根乃、懃《ネモゴロニ》、吾波曾戀流、君|之《ガ》光儀乎、」 【或本歌云、吾念人乎、將見因毛我母、】
 
3052 垣津旗、開《サキ》澤(ニ)生(ル)、 上に出、
 
菅根之、絶跡也《タユトヤ》若|之《ガ》、 此一二句心得ず、何ぞといはゞ、集中に山菅には專根をいへど、水の菅に根をいへるは、別卷に湖《ミナトニ》、核延《サネハフ》子菅、不竊隱、てふと、こゝに有、外はなきを、其核延も疑はしきよしそこにいへり、又絶とつゞくこと、(卷十四)「足引の、岩根こゞしみ、菅根を、引はかたみと、しめのみぞゆふ、」てふ如く、引といへば絶ともいふべし、まして水菅の根は用なければ、引といへる歌もなきに、絶といふべきかは、然れどもここは前後五首山菅の中なれば、此菅根も山菅なるべし、仍て思ふに二の句は開野(ニ)生とや有けん、さても引といはで絶とはあるべからねば、とかくに此一二句は誤しるきなり、【かつらに引といはで、たゆといふ事有は、既引て用る時の言をもていふなり、】
 
不所見頃者《ミエヌコノゴロ》、」
 
3053 足檜木之、山菅根之、懃、不止念者《ヤマズオモハヾ》、於妹將相可聞、」
 
3054 相不念《アヒオモハデ》、有物乎鴨《アルモノヲカモ》、菅根乃、懃懇《ネモコロゴロニ》、吾|念有良武《モヘルラム》、」
 
3055 山菅之、不止而《ヤマズテ》公乎、念《オモヘ》可母、吾|心神之《タマシヒノ》、 (卷十四)心神《タマシヒ》毛奈思、とよめり、
 
頃者名寸、」
 
3056 妹(ガ)門、去過|不得《カネ》而、草結(ブ)、風吹|解勿《トクナ》、又|將顧《カヘリミン》、」 一云、直相麻弖爾、と有ぞ増るべき、
 
3057 淺茅原、茅生丹足蹈、意|具美《グミ》、 淺茅は葉の強ければ、蹈足の痛む故に心|苦《クルシ》してふ譬とせり、心ぐるしを心ぐみと略きいふ下に多かり、別記に皆擧つ、かく家をもしらで心苦しかりしを、今見てよろこべるなり、
 
吾念兒等之、家當見津、」 一云妹之、
 
3058 内日刺、 冠辭、
 
宮庭有跡、鴨頭草乃《ツキクサノ》、移《ウツシ》情(ハ)、吾思名國、」 宮中にてはうるはしき人を多く見れど、君をおきて心はうつさずといふなり、
 
3059 百爾千爾、人者|雖言《イフトモ》、月草之、移情(ヲ)、吾將持《ワガモタメ》八方、」 
 
3060 萱草《ワスレグサ》、吾紐爾|著《ツケム》、 つけんといひて句とせざれば、末の言治らず、
 
時常無《トキトナク》、念度(レ)者、生跡文奈思、」
 
3061 五更之《アカトキノ》、目不醉草跡《メザマシグサト》、 こは目ざまし草にはあらで、何ぞの物を贈てしかいふなるべし、さて或人左右萱草なれば、萱草に目ざまし草てふ名も有ていへるかといへど、此卷々には草は草と擧たる中に、他《アダ》し草をも交へ擧し所もあれば、一へにはたのみがたし、思ふに遠江國の童遊に、石菖の穗を一寸ばかりに切てわけたるもて、兩の目ぶちを上下へさゝへ開かすめり、故に石菖を目はじき草ともいへり、さて目を明らむる藥ぞとて、親もゆるしてをるめり、さらば是をめざまし草と云にや、をかしきわざ故にしるせり、【或説に、五雜俎に有2睡草1、亦有2却睡草1、有2醉草1、亦有2醒醉草1、云云てふを引たるは、さる事ながら、こゝには何れの草てふことゝいはねばかひなし、】
 
此乎谷、見乍座而、吾止偲爲、」
 
3062 萱草、垣毛|繁森《シミヽニ》、 しみしみを略てしみゝといふ、
 
雖殖有《ウヱタレド》、鬼之志許草《シコノシコグサ》、 鬼《シコ》は醜《シコ》に同じくて、こゝは惡《ニクミ》のる意、【鬼をしこといふは、ふとくたくましきかたの言、しこ草は、しこりかたまりて忘れぬよしの言なり、紫苑の音に誤るべければいふ、】卷二三にも出、志許草は紫苑にて、物をよくおぼゆる草なる事、今昔物語にもいひつ、さて忘るやと植し草はかひなければ、醜の紫苑ぞとにくみていふなり、(卷十三)「わすれ草、我下ひもに、つけたれど、鬼のしこ草、言にし有けり、」てふも大よそ同じことなり、
 
猶戀爾家利、」 そを付たれど、いまだ止ぬよしにて猶と云、
 
3063 淺茅|原《ハラ》、小野爾標結、空言《ソラゴト》毛、將相令聞《アハムトキコセ》、 そら言にだにあはんとのたまへ、戀の心|和《ナグ》さめにせんにとなり、【或本(ノ)歌曰、將來知志《コムトシラセシ》、君矣志將待、又見2柿本朝臣人麻呂歌集1、然落句少異耳、】○此本の句上卷にも出たれど、猶こと歌なり、くはしくは其卷にいひつ、
 
戀之|名草《ナグサ》爾、」
 
3064 皆人之、笠爾縫云、 上卷、大君の御笠に縫るてふ歌にいへり、
 
有間菅、在而後爾毛、相等曾念、」
 
3065 三吉野之、蜻乃小野爾、刈草之、念亂而、宿夜四曾多、」
 
3066 妹(ガ)所服《キル》、 今本、妹待跡、と有はよしなし、かく樣にいふ初句は惣て冠辭にて、妹がきる、妹が目を、など有例なり、今は誤りしるし、
 
三笠乃山之、 【三笠は大君のと云は御笠の意、妹がなどいふは眞と心得べし、妹がみ袖ともよみしが如し、】
 
山菅之、不止|八《ヤ》將戀、命不死者、」
 
3067 谷迫、峯邊(ニ)延有《ハヘル》、玉葛、 上の卷、(卷六)にも此意なる有ど、皆少しづゝ末かはれり、
 
令蔓之有者《ハヘテシアラバ》、 【一云、石葛《イハツナノ》、令蔓之有者《ハヘテシアラバ》、】
 
年二不來友、
 
3068 水莖之、崗乃|田葛葉緒《クズハヲ》、吹變、面知兒等之、 秋の初風涼しく立て、葛の葉吹かへすは面白きをもて、かねて面を相知たる子等といひかけたり、此つゞけの事上にいひつ、
 
不見比鴨、」
 
3069 赤駒之、射去羽許《イユキハバカリ》、 (卷十四)不盡山の歌に白雲母、伊|去《ユキ》波伐加利、云云、
 
眞田葛原《マクズハラ》、何傳言《ナニノツテゴト》、 天智天皇紀に、十年十二月崩まして後、童謡四首の末に此歌のりて、四の句、奈爾能都底擧騰、と有、傳言は流言の字をもよみならへり、
 
直將吉《タヾニシエケム》、」 この赤駒云云てふつてごと有は、何の意ぞと問を擧て、即今行難くとも末は吉《エ》けんといへり、こは吉野の前(ノ)太子の今こそあれ、末よからんてふ意なり、さて此歌相聞の譬歌なる一つの傳へ有て、是には取しなるべし、さる類上にも下にもあり、相聞にても、今さはり有しも、末には成なんてふ心右にひとし、
 
3070 木綿疊、 冠辭、
 
田上《タナガミ》山之、 卷一に出、
 
狭名葛、在去之毛《アリユキテシモ》、不令有十方《アラシメズトモ》、」 さなかづらの如く、常しへに絶ず在ゆかんまではかけずとも、逢ばと戀なり、(卷八)譬歌に、「月草に、衣はすらん、朝露に、ぬれて後には、うつろひぬとも、」
 
3071 丹波道之、大江乃山之、眞玉葛《サナカヅラ》、絶牟乃心《タエムノコヽロ》、 (卷六)末は全く同じ歌に、多延武能己許呂、とあり、此|乃《ノ》にはたえんと思ふてふ意こもれり、此類既にも出、
 
我不思《ワガモハナクニ》、」
 
3072 大埼之、有磯《アリソ》乃渡、 (卷十五)石上乙麻呂土左へ流さるゝ時、「大崎の、神小濱は、雖小《セバケレド》、百船人も過といはなくに、」とよめるは、紀伊國の南へさし出たる崎にて、そこを今も大崎といふといへり、
 
延久受乃《ハフクズノ》、往方無哉《ユクヘモナクヤ》、戀渡南、」 海べのひろき所に葛のおのがまゝに延たるを、行方の限りしられぬ思にたとへつ、
 
3073 木綿疊《ユフダヽミ》、 疊を今本|裹《ツヽミ》と有は誤なり、例と一本に依て改、
 
田上山之、佐奈葛、 今本は田上を白月に誤りつ、そのよしは冠辭考にいへり、
 
後毛必、將相等曾念、」
 
3074 唐※[木+隷の旁]花色之《ハネズイロノ》、 上に出、
 
移(ロヒ)安(キ)情|有者《アレハ》、年乎曾寸|經《フル》、 不v相て、
 
事者、 言なり、
 
不絶而、」
 
3075 如此爲而曾《カクシテゾ》、人之|死云《シヌトフ》、藤浪乃、直一目耳、見之人故爾、」 藤浪のたゞ一目といふよしはなし、次の枚《ヒラ》に、朝影爾、吾身者成奴、玉蜻、髣髴所見而、往之兒故爾、と有と意相似たるもていはゞ、藤浪は蜻蛉乃《カギロヒノ》の誤と爲べきを、こゝは木草の類なれば、藤浪は本の如くて次の二句の違ひしにや、猶蜻蛉乃なるが本亂て入所違へるならんとおぼゆ、
 
3076 住吉之《スミノエノ》、敷《シキ》津之浦乃、名告藻之《ナノリソノ》、名者告而之乎、不相毛恠、」 此下に、「しかあまの、磯に苅ほす、名のりその、名はのり手師乎、いかであひ難き、」ともよめり、既こと成し後にあはぬを恠めり、
 
3077 三佐呉集《ミサゴヰル》、 既出、
 
荒磯《アリソ》爾生流、勿謂藻乃《ナノリソノ》、名者令告《ナハノラシテヨ》、父母者知鞆《オヤハシルトモ》、」 今本、吉名者不告、と有は、言も心得ぬものゝ書誤れるなり、是を(卷十四)に再載て、美沙居、石轉爾《イソワニ》生(ル)、名乗藻乃、名者|告志弖余《ノラシテヨ》、(今本弖を五と有は誤、)親者知友《オヤハシルトモ》、と有は、同歌なるを以て、今の四の句を改めつ、その意は既女の名をゆるせしは、今は妻《メ》と呼如く吾名を告《ノリ》呼給へ、父母の聞てとがめば、そのよしいはんにと、打解て男をうたがはぬなり、【是を(卷十四)赤人の歌とて載しは誤れり、赤人は此撰の天平の初め在し人にて、其時の歌は此卷などには惣てのせず、】
 
3078 浪之|共《ムタ》、靡玉藻乃、片念爾、吾念人之、言乃繁家口、」
 
3079 海若之、奥津玉藻之、靡將寢、早來座君、待者苦毛、」
 
3080 海若之、奥爾|生有《オフナル》、繩乘乃《ナハノリノ》、 濱藻はぬる/\の有物故に、惣ての名をのりと云り、其中に繩のりは長く延てぬる/\の有こと、池のぬなはの如くなるか、思ふになのりそ藻《モ》と云も即同物なるべし、
 
名者曾不告《ナヲバゾノラジ》、戀者雖死、」 父母に男の名を不告ては、あふ事難くして戀死ぬとも、猶告じと女のよめるなり、極めて名を忍ぶべき故ある男なるべし、【名告といふに、女の名を男に告と、又男の名を親に告と、二つ有、歌に依て分べし、】上の卷に、「わがせこが、其名いはじと、玉きはる、命は捨つ忘れ給ふな、」
 
3081 玉緒乎、片緒爾※[手偏+差]而《カタヲニヨリテ》、緒乎|弱彌《ヨワミ》、 (卷十三)我もたる、三あひによれる糸、といふ如きあはせ緒に玉は貫を、これは緒《ヲ》絶して玉の亂るゝをいはんとて、片糸を設たり、
 
亂時爾《ミダルヽトキニ》、 緒のきれ絶て玉の亂れ散を、吾中をはなるゝに譬て、さてかゝる時に戀ざらめやはと云り、
 
不戀有目八方、」
 
3082 君爾|不相《アハデ》、久成|宿《ヌ》、玉緒之、長(キ)命之、惜雲無、」 若ければ末長き命といふ、(卷二、挽歌)にもあり、
 
3083 戀(ル)事、益《マサレバ》今者、玉緒之、絶而亂而、可死所念、」
 
3084 海處女、潜取|云《チフ》、忘貝、代二毛不忘、 (卷六)に、「筑波根の、岩もとゞろに落る水、代にもたゆらに、わがもはなくに、」又上の卷には、「天地の依《ヨリ》あひの極《キハ》み、玉のをの、絶じと思ふ、いもがあたりみつ、」ともいへり、かかれば、世の盡《ツク》るまでにも忘れじといふを籠て、代二もといへるなり、
 
妹|之《カ》光儀者、」
 
3085 朝影爾、吾身者成奴、玉蜻《カギロヒノ》、 冠辭、
 
髣髴所見而、往之兒故爾、 右にも引、又人麻呂歌集に、(別卷、)玉垣の、すき間見えて、とも有て、意皆ひとし、
 
3086 中々爾、人跡不在者《ヒトヽアラズハ》、 (卷十四)賛酒歌に、「中々二、人跡不有者、酒壺爾、成にてしもの、酒にしみなめ、」又「わくらはに、人とは有を、」などもよみしかば、人と生てあらずはといふなり、或人思ふ人と並たらずはと思へるは誤れり、 
桑子爾毛、 かひ蠶は雌雄《メヲ》はなれぬ物なれば、彼にならん物をと願ひ、且かれが命の短も、人はた玉の緒ばかり短き命なれば、何か思はんといふなり、
 
成益物乎、玉之緒計、」 【是をいせ物語には、戀にしなずば、といひかへて、一つの物語を作りしこと心得ぬ人、それに依て本を誤ること有、】
 
3087 眞菅吉、 冠辭、
 
宗我乃河原爾、 神名式、大和國、高市郡、宗我坐、宗我都比古神社、といひ、今も飛鳥里の西北五十町ばかりに、宗我村てふ在、そこの河原なり、【或説、石見又出雲などいへるはよしなし、】
 
鳴千鳥、間|無《ナシ》吾背子、吾|戀(ラク)者、」
 
3088 舊《フル》衣、 冠辭、
 
著楢乃《キナラノ》山爾、鳴鳥之、間無時無、吾戀良苦者、」
 
3089 遠津人、 冠辭、
 
獵道《カリヂ》之池爾、 姓氏録に、雄路天皇御世、獻2加里乃郡1、仍賜2姓輕部君1、と見え、集中に輕の路ともよめれば、若同所か、
 
住鳥之、立(テ)毛居(テ)毛、君乎之曾念、」
 
3090 葦邊往、鴨之羽音之、聲耳《オトニノミ》、聞管本名、戀渡鴨、」
 
3091 鴨尚毛、己之|妻共《ツマドチ》、求食爲而、所遺間爾戀云《オクルヽホドニコフトフ》物乎、」
 
3092 白|檀《マユミ》、 冠辭、
 
斐太乃細江之、 葛城郡にも、又高市郡にも、斐太てふ村今有といへど、江といふばかりの大沼有とも聞えねば、こは海方の地名にや、いづことも知がたし、【或説是を即ひだの國ぞといふはとるにたらず、】
 
菅鳥乃、 如を籠、此鳥もいまだしらず、
 
妹爾|戀(レ)哉《ヤ》《・コヘカモ》、寢宿《イヲネ》金鶴、」 忘てこはいかなる故ぞと思ふよしいへる、上にもあり、
 
3093 小竹之《シヌノ》上爾、來居而鳴鳥、 冠辭考に、此目とつゞけし事委し、
 
目乎安見、人妻故爾、 【故を※[女+后]に誤こと上にも見ゆ、】
 
吾戀二|來《ケリ》、」 他妻なる物から、見るめのやすくうるはしければ、吾は戀るとなり、(卷七)「あから引、敷たへの子を、しば見れば、他妻故に、わが戀ぬべし、【此歌にのみ依て、かの鳥をも即目やすき事と思ふ人は、(卷六)「をつくばの、繁き木の間ゆ、立鳥の、めゆかわが見ん、」といへるを見ざるなりけり、】
 
3094 物|念《モフ》常、不宿起有旦開者《イネズオキタルアサケニハ》、 朝影の意なる事、上にいへる如く開はかななり、あさのあ、即あかの言なればなり、
 
和備※[氏/一]鳴成、鷄左倍、」 こゝろは、「我せこを、わが戀をれば、我やどの、草さへおもひ、うらがれにけり、」てふにひとし、
 
3095 朝烏、早勿鳴、吾背子之、旦開《アサケ》之容儀、見者悲毛、」 悲は愛《メデ》にても愁にても深き時いふ言なれば、こゝは容儀のめでられて別の惜きなり、
 
3096 ※[木+巨]※[木+若]《クベ・マセ》越爾《ゴシニ》、 先今本ませごしと訓たるませは馬塞の略にて、孝徳天皇紀に、かなぎつけ、わが飼こま、とよみ給ひしは、小木を馬ほだしにせしなり、こゝも馬屋より出しめじとてせくにて、共に小木を用れば、※[木+巨]※[木+若]の字を書、又(卷六)久敝胡之爾《クベゴシニ》、武藝波武古馬乃《ムギハムコマノ》、とて三句より下は異なる歌有、その久敝は、東にて籬をいひて※[木+若]籬《シモト》のよしなり、此馬柵にも同じ※[木+若]を用れば、右のごとくは書り、此歌は都ざまの事ならず、東歌をとりのせし物なれば、かの東歌の同言に依て、こゝをも久敝ごしと訓べし、【久敝《クベ》は遠江にては、築泥《ツイヂ》の類をくべともくねともいひ、武藏にては惣て籬をくねといへり、くべもくねも同じ言にて、物を限り隔つよしなり、】
 
麥咋駒乃、雖詈《ノラルレド》、 田家にては馬屋ちかき庭に麥をほすを、馬はませごしに頭をのべて咋を罵て、はませぬなり、さて三句よりは母に詈らるゝをいふ、
 
猶戀久《ナホコヒシケク》、思不勝烏《オモヒガテヌヲ》、」 烏は乎と唱へて助辭なり、 
3097 左檜(ノ)隈、 左の發言を置て、同ことを重ねたる調のうるはしさ、歌てふ物のみやびはこゝに有めり、後世人はいかで忘けむ、
 
檜(ノ)隈河爾、 高市郡に今も此地ありて川もあり、
 
駐馬《コマトメテ》、馬爾水令飲《コマニミヅカヘ》、 此馬を今本にうまと訓、或人もこまは子馬の事なればかなはずといへど、(卷六)に、たゞの馬を古麻《コマ》古馬《コマ》など書る多し、然ればはやくより老若にかゝはらで、こまともいひしなりけり、
 
吾外將見《ワレヨソニミム》、」 【古今歌集の大歌所御歌に、「さゝのくま、ひのくま川に、こまとめて、しばし水かへ、影をだに見ん」とうたへる、初句と末句は誤なれど、こまとよめるは古訓の殘れるか、集には時の言もて、古歌をなほして取し多かれば、據とはなしがたし、】
 
3098 於能禮故《オノレユエ》、 おのれは女の自いふ語などに、人をいやしめて意禮《オレ》といふも、此自於能禮といふに同じきか、假字合へり、
 
所詈而居者《ノラレテヲレバ》、 女方の父母に罵れしならむ、
 
※[馬+総の旁]馬之《アシゲウマノ》、 和名抄に、漢語抄に云、※[馬+總の旁](ハ)青馬、黄※[馬+總の旁]馬(ハ)葦(ノ)花毛(ノ)馬也、新撰字鏡に、※[馬+総の旁]※[馬+總の旁]同(ク)馬(ノ)白色、又青色(ハ)阿乎|支《キ》馬、これらのあをきといふも白きなり、然れば(卷三)の如く、ましろのとも訓べけれど、こゝは猶今の訓をよしとす、
 
面高久駄爾《オモダカクダニ》、乘而應來哉《ノリテクベシヤ》、」 久《ク》を今本夫と誤て、おもたかふだにと訓しを、解人も後世の馬印の礼の事といふは人笑へなり、妹がり來る馬に高札をつくべきかは、一首の意を思ふに、夫《フ》は久《ク》を誤れり、さて上に妹許とへば、足装嚴、といへるごとく、常は身をよそひ白馬のうるはしきに乘、馬の頭あげつゝいさみて來しを、己れ故に、父母に詈られて居る男なれば、馬の頭も吾頭をも高く擧て乘來る事は得じ、うなたれてこそ通はめと、女のなげくにぞある、
 
3099 紫草乎、草跡別々、 鹿はたゞの草と紫とを撰分て、其紫有所に伏と云なせり、【此草をたゞの草として、おし分つゝ伏ことゝいふ説は、此歌をえ解ざりしなり、】
 
別伏鹿之、野者異爲而、心者同、」 其鹿どものすめる野は、各|別《コト》なれど、紫をめづる心は右の如く同じといひて、君とわれ住所の異にもなり、世中さま/”\に經ても、なつかしむ魂は、一方へよりぬとそへたり、
 
3100 不想乎《オモハヌヲ》、想常云者《オモフトイハヾ》、眞鳥住、 冠辭、
 
卯名手乃杜之、神思將御知《カミシシラサム》、」 (卷十三)不念乎、おもふといはゞ、大野なる、三笠の杜の、神ししらさん、」其下にも同體の歌あり、右の誓言なれば、此言の歌多きなり、〇卯名手杜は、今國人は高市郡にて畝火山の西北に、雲梯村といふ有て、そこの社なりといへり、【今土人は雲梯村なるを、かやなるみの命といへるは違へり、○式に、葛上郡に鴨都波八重事代主神社、高市郡御縣坐八重事代主神社、と有などは各別なり、】出雲國造神賀に、事代主命波宇奈提乃神祭備爾坐、と見ゆ、さて天武天皇紀に高市大領に依給ひしも事代主命なり、是も卯名手大神ならんか、此歌にかく稱申せしからは、古は有が中に此神社を崇みしなりけり、そも/\此皇神は大御孫命に此國を讓奉給ひし神功たぐひなく、惣ての神|徳《イサホ》も勝れ給ふが上に、又初國しらしゝ天皇の皇后は、此御女におはし、次の天皇の皇后も此御孫なれば、天の下の大御母のはじめの御父として、崇さも神|稜威《イヅ》もことなる故に、古へ恐み敬し事を知べし、【官の八神の中にも齋給ひ、天下に鴨といふ里有も、もと此皇神を齋奉りしよりの名なる事、別に考あり、】 
 △今本こゝに問答歌てふ標有ど、とらざる事上に同じ
 
3101 紫者、灰指物曾《ハヒサスモノソ》、 縫殿式に、染物によりて藁灰もあれど、紫は海石榴の灰をもてすること有も、かく古よりなりけり、
 
海石瑠市之、 上に出、【古へ市といへるは、八百萬神を天高市に集といふを始めて、雄略天皇紀に、こたかる市のつかさ、新嘗宮《ニヒナメヤ》にといふは即都の事なり、其外につば市輕市など有も、都につぎて貴賤つどひて物を相かへ、且遊びごとをもせしと見えたり、】
 
八十(ノ)街爾、相《アヘル》兒|哉誰《ヤタレ》、」 大和物語に、中頃はよき人々、市に行で色このむわざしけるといへる中頃とは、いつをいふか、武烈天皇紀に、弘計皇子命海石榴市の歌垣に立まして、影媛鮪臣など、うたひかはし給ふめれば、上つ代よりのならはしなり、さて目につきたる女の名を問に、歌うたひて問もこたへもせしこと、かの紀の御贈答をこゝに合せてしらる、
 
3102 足千根乃、母之召《ハヽガヨブ》名乎、雖白《マヲサメド》、路行人乎《ミチユキビトヲ》、孰跡知而可《タレトシリテカ》、」 古へ其むすめの名をば、母父の喚つらめど、母を擧いふは、女の歌なればなり、且若き女の名を他《アダシ》人にいふを忌ことは、既出たり、○此贈歌の序の、いひなしの風流《ミヤビ》ておもしろく、和《コタヘ》歌の有ふる事のまゝにいひてあはれに、且二首ともに調のうるはしさなど、飛鳥岡本宮の始の頃の歌なり、歌はかくこそ有べきなれ、【清見原藤原宮の比に及て、歌の調かたく成ぬ、から事多く交り行まゝに、寛けき此國ぶりはやゝおとろへんとするめり、】
 
3103 不相《アハザルハ》、然將有《シカシモアラム》、玉梓之、使乎谷毛、待八金手六、」 
3104 將相者《アハマクハ》、千遍雖念《チヘニオモヘド》、蟻通《アリガヨフ》、 常に在つゝ通ふ餘多の人をいふ、○蟻は借字、
 
人|眼《メ》乎多(ミ)、戀乍衣居、」
 
3105 人目多(ミ)、直(ニ)不相而、蓋雲《ケダシクモ》、吾戀死者、誰名將有裳《タガナナラムモ》、」 此言上にもあり、
 
3106 相見《アヒミマク》、欲爲者《ホシケクスレバ》、 末の言へかけて心得べし、
 
從君毛《キミヨリモ》、吾曾|益《マサリ》而、伊布可思美爲也《イブカシミスヤ》、」 也は與と心得べし、○母がかふこの、まゆごもり、いぶせくも有か、妹にあはずて、といふに同じく、物思ひのやる方なきをいぶかしみすとはいへり、此下に、家爾有妹や、將欝悒《イブカシミセム》、と有も同じ、【此言は物に籠ゐて、目も見|放《サケ》ぬを本にて、悶の遣方なきにもいふを、後には又轉じて疑はしき事とす、後世人は其轉ての意をもて推《オス》故に違へつ、】
 
3107 空蝉之、 こは冠辭にあらず顯しき蒼生《アヲヒトクサ》てふを以て知べし、
 
人目乎繁(ミ)、不相|而《シテ》、年之|經者《ヘヌレバ》、生《イケリ》跡毛奈思、」
 
3108 空蝉之、人目繁(ク)者、夜干玉之、 冠辭、
 
夜夢乎《ヨルノイメニヲ》、 此類の乎は皆與に通へり、
 
次而所見欲《ツギテミエコソ》、」 本居(ノ)宣長が、今此所見欲をみまほしと訓は理りなし、見えこそと訓べし、集中に欲を乞と有と同じ訓にすべき所々有といへるに依べし、此下に全《ヒト》夜毛不落、夢(ニ)所見欲、てふも見えこそと訓べし、又|乞《・イデ》吾駒、早去欲、と有を、さいばりに、はやくゆきこせ、とうたへる即古訓なりけり、
 
3109 慇懃《ネモゴロニ》、憶《オモフ》吾妹乎、人言之、繁爾因而、不通比日《タエシコロ》可聞、」 此上の一伏三起不通有之を、今本よとめりしと訓しもかなはず、たえたりしと訓べし、こゝもたゆると訓ぞよき、上に吾妹乎といへるを思へ、
 
3110 人言之、繁(ク)思有者、君毛吾毛、將絶常云而《タエムトイヒテ》、相|之《シ》物鴨、」 古への答歌は、贈歌の意を實にかけていへり、此歌の如くとがむるは少なし、されど稀には有べき事なり、中下の世よりこたへ歌は、たゞとがむることをわざの如くかまへ出ていふよ、人の心皆まことを忘れたるなり、いとせめて歌だに古への眞にかへれかし、【歌はをさなかれといはずや、よし人は僞るとも、吾は從ひていなともうしともこたへば、人の心終になごまじやは、】○此鴨は加波の意、
 
3111 爲便毛|無《ナキ》、片戀乎爲登、比日爾《コノゴロニ》、吾可死者、夢所見哉《イメニミエキヤ》、」
 
3112 夢《イメニ》見而、衣乎|取服《トリキ》、装束間《ヨソフマ》爾、 よそひて妹がりゆかんとする間になり、
 
妹之使曾、先爾來《サキダチニケル》、」
 
3113 在有而《アリアリテ》、 かく在經つゝなり、
 
後毛將相登、言《コト》耳乎、堅要管《カタクイヒツツ》、 左にも不相登要之《アハジトイヒシ》、と書て、要はいひ契るよしなり、
 
相者無爾《アフトハナシニ》、」
 
3114 極而《キハマリテ》、吾毛|相《アハム》登、思(ヘ)友、人之|言《コト》社、繁君爾有《シゲキキミナレ》、」 奈は爾阿の約、
 
3115 氣緒爾《イキノヲニ》、吾氣築之《ワガイキヅキシ》、 命をかけて戀歎きしと云なり、氣づくは思の甚切なる時なる事にて、今はためいきをつくと云り、
 
妹|尚《スラ》乎、人妻|有跡《ナリト》、 奈は爾阿の約、
 
開者《キケバ》悲毛、」
 
3116 我故爾《ワガユエニ》、痛勿和備曾《イタクナワビソ》、後|遂《ツヒニ》、不相《アハジ》登|要之《イヒシ》、言毛|不有《アラナク》爾、」 いまだ定かに他妻と成しにもあらぬほどにて、女もかなしとは心ゆかぬなるべし、
 
3117 門|立而《タテヽ》、 門屋を作立而なり、いかゞとも思ひしを、次に戸毛といへればなり、
 
戸毛|閇而有乎《トヂタルヲ》、 こはかすがひもてとづるをいふべし、催ばり、あづま屋に、かすがひも、とざしあらばこそ、といへり、
 
何處從鹿《イヅコユカ》、妹|之《ガ》入來而、夢所見鶴、」
 
3118 門立而、戸者|雖闔《トヂタレド》、 右をとぢと訓しからは、こゝも同じく訓べし、【字鏡に闔(合也、閇也、門乃止比良、)】
 
盗人之、※[穴/干]《ホレル》穴從、入而|所見氣牟《ミエケン》、」 今本牟の上に氣字落たり今補ふ、
 
3119 從明日者《アスヨリハ》、戀乍將在、今夕弾《コヨヒダニ》、速初夜從《ハヤクヨヒヨリ》、緩解《ヒモトケ》我妹、」 旅たゝん前つ夜なり、
 
3120 今更(ニ)、將寢哉《ネムヤ》我背子、荒田麻之、全夜毛《ヒトヨモ》不落、一年の間の毎夜を云、故に此冠辭を置たり、【全をひとゝ訓こと上に出、】
 
夢所見欲《イメニミエコソ》、」 今夜ばかりと成て、更にともねんもわびなし、たゞ明日より一夜も漏さず、夢に見えん事をこそ思へ、しか見え給へと云なり、こそは乞願ふなり、欲の字の事右にいへり、【こそともこせともいふは均し、こせを來せの意と思はわろし、】
 
3121 吾勢子之、使乎待跡、笠(モ)不着《キズ》、 上卷には笠毛と有、なくとも訓べし、
 
出乍曾見之、雨(ノ)零《フラク》爾、」 此歌上卷にも全くて載つるは、彼は只雨の類にとり、こゝは問答なればなり、其|本《モト》歌集などに二樣に有し故なるべし、
 
3122 無心《コヽロナキ》、雨爾毛有鹿、人目守、乏妹爾、今日谷|將相乎《アハムヲ》、」 今本將相の下に牟と有は乎を誤れり、
 
3123 直《タヾ》獨、宿《ヌレ》杼|宿不得而《ネカネテ》、白細、袖乎笠爾著、沾乍曾|來《コシ》、」
 
3124 雨毛|零《フリ》、夜毛更深利《ヨモフケユケリ》、 今本ふけにけり、と訓たれど、さらば氣利と有べし、
 
今更(ニ)、君(ハ)將行哉《ユカメヤ》、 歸るをいふ、
 
紐|解設名《トキマケナ》、」 まけは牟加閇なり、
 
3125 久竪乃、雨(ノ)零日乎、 ひさかたを雨にいひかけしは、古くは始めて見ゆ、されどこは藤原より奈良の初までの歌ならん、
 
我門爾、箕笠不蒙而、來有人哉誰《キタルヒトヤタレ》、」
 
3126 纏|向《ムク》之、痛足乃山爾、雲居乍、雨者雖零、所沾《ヌレ》乍|曾《ゾ》來《クル》、 今本、乍烏來、と有ど、言の中に乎《ヲ》の助辭をおく事集中にはなし、こは曾《ソ》の草を烏に誤れるなり、此下に、本名烏|戀(ル)、と有も、曾《ゾ》なり、もとなを戀てふ辭は惣てなきにて知るべし、
 
 △此所に、羈旅發思てふ標有もとらず、
 △こゝに、人麻呂歌集の歌四首有も、除て別に擧、
 
3131 月易而、君乎|婆《バ》見登《ミムト》、念鴨《オモヘカモ》、 おもはめかはてふ辭なり、へは波米の約、
 
日毛不易爲而、戀之|重《シゲヽキ》、」 男のけさ旅立て別る時、來ん月に歸來らんといひていにし故によめりと聞ゆ、
 
3132 莫去跡《ナユキソト》、變毛來哉常《カヘリモクヤト》、 送りこし人既に歸りたる後に、ゆく人のおもふなり、
 
顧爾《カヘリミニ》、 かへり見しつゝ行なり、
 
雖往不歸《ユケドカヘラズ》、 其人は立歸り不來なり、こゝの意は二足行て一あしはもどると、常人のいふが如し、
 
道之|長手矣《ナガテヲ》、」 顧しつゝゆけど、更に立かへりてとゞむる人はなくて、道のやゝ遠くなりぬるを歎なり、古今歌集に、ゆきうしといひて、いざかへりてん、とよめるも是よりや出けん、○長手は、記に、八十|※[土+囘]《クマ》手、といへるは、八十※[土+囘]|道《ヂ》と音の通へば、手といふなるべし、然ればこゝは、みちの長みちと重ねたる言なり、
 
3133 去家而《タビニシテ》、妹乎|念出《オモヒデヽ》、灼然、人之|應知《シルベク》、歎|將爲《セム》鴨、」
 
3134 里離《サトサカリ》、遠有莫國《トホカラナクニ》、草枕、旅登之思者、尚戀(ニ)來《ケリ》、」 (卷十)「振山内、たゞに見渡す都にぞ、いねずて戀る遠からなくに、」
 
3135 近有者《チカカラバ》、名|耳《ノミ》毛聞而、名種目津、今夜|從《ユ》戀乃、益益南《イヤマサリナム》、」 よそにして戀る妹を、いよゝ遠き旅に出ては、戀まさらむと云り、
 
3136 客在而《タビニアリテ》、戀(レ)者辛苦、何時毛《イツシカモ》、京(ニ)行而、君之目乎將見、」 男の國の任に在てよめるなるべし、
 
3137 遠有者《トホカレバ》、光儀者不所見、如常、妹|之《ガ》咲者《ヱマヒハ》、面影(ニ)爲而《シテ》、」
 
3138 年毛|不歴《ヘズ》、反來嘗跡《カヘリキナメド》、 是は遠き國へ行て男のいへるなり、
 
朝影爾《アサカゲニ》、將待《マツラム》妹|之《ガ》、面影(ニ)所見《ミユ》、」 上の卷に、朝影に、吾身は成ぬ、などいふはさる事にて、こゝの如く言を略過せしはなし、仍て思ふに、影は異の誤にて、朝に異《ケ》にならんか、且吾妹が上といへど、影の如くやせて待らんとは、思ひはかり過て聞ゆ、
 
3139 玉桙之、 今辭と有は誤、
 
道爾出(テ)立(チ)、別|來之《コシ》、 日|從于念《ヨリオモフニ》、忘(ル)時無(シ)、」 これも男なり、
 
3140 波之寸八師、 なつかしやと先いひ擧る例なり、
 
志賀在戀爾毛《シカルコヒニモ》、有之鴨《アリシカモ》、 如是《シカ》あるべき吾戀にても有けるかと、吾身の上を先思ひとりて、さて君と朝夕なれつゝ在べく思ひしものを、今更かくおくれゐて、慕はるゝ事を思ひみればと、末にて解なり、
 
君(ニ)所遺《オクレ》而、戀|敷《シク》念者《モヘハ》、」 戀|重《シキ》るなり、今本戀しきと訓はこゝにかなはず、
 
3141 草枕、客之《タビノ》悲《ク》、有苗爾《アルナヘニ》、 苗は借字にて並なり、よりて二つの物を一首に擧いふ時の意なり、上の別記に出、
 
妹乎相見|而《テ》、後將戀可聞《ノチコヒムカモ》、」 こは故郷の事にはあらで、旅にて女に逢始てよめるなり、然ればもとより旅の悲しきにならべて、今相初し妹にも、後に戀くるしまんかといふなり、
 
3142 國遠(ミ)、直(ニハ)不相《アハズ》、 たゞ目には向はぬなり、上に出、
 
夢(ニ)谷《ダニ》、吾爾所見社、相(ハン)日左右二、」
 
3143 如是將戀《カクコヒム》、物跡知(セ)者《バ》、吾妹兒爾、言|問《トハ》麻思乎、今|之《シ》悔毛、」 (卷六)「ありぎぬの、さゑ/\しづみ、家の妹に、物いはず來にて、思ひくるしも、」てふにひとしく、立ときなきさわぐを靜めんとて、物をもよくいはでこしを悔るか、又忍びてあふ妹なれば、ものいはんよしもなくて別れこしを、今思ふには、顯るとも物語らひて來べかりしをと、いふにも有べし、○言問は物いふ事なり、
 
3144 客夜之《タビノヨノ》、 たびのよといふ言も有か、おぼつかなし、ひとりねとや訓てん、
 
久成者、左丹頬合《サニヅラフ》、 赤き下紐なり、
 
紐|開不離《トキサケズ》、戀流比日、」 初は夫の旅の事をいひて、下は妹が身の事をいへり、
 
3145 吾妹兒之、阿乎|偲《シヌブ》良志、草枕、旅之丸寢爾、下紐|解《トクル》、」
 
3146 草枕、旅之衣(ノ)、紐|解《トケヌ》、所念鴨《オモホユルカモ》、 家の妹を指べし、
 
此《コノ》年比|者《ハ》、」
 
3147 草枕、客之紐|解《トク》、 とくるを略、
 
家之妹志、吾乎、 今本之と有は誤、
 
待|不得《カネ》而、嘆《ナゲカス》良霜、」
 
3148 玉|釧《クシロ》、 冠辭、
 
卷寢志妹乎、月毛不經、 相初て一月だに經ず旅に出たるなり、
 
置而|八《ヤ》將越《コエム》、此山岫《コノヤマクキヲ》、」 岫は山穴などいへど、此歌にかなはず、(卷六)武藏野乃、乎具奇我吉藝志《ヲグキガキヾシ》、たちわかれ、とよめる、雉は野べ山の尾などにゐて、穴洞などに住ものにあらず、然れば山の尾の多和などをくきといふべし、こゝに越るといふも、山の多和を越るものにて、集中に岡岬のたみたる路ともいへり、【和名抄に、陸詞曰、※[山+奥]山穴似袖、てふはこゝにいさゝかも當る事なし、古へ我朝に在し字書は、はやく失し故に、中世このかた言と、字の相かなはぬ事有なり、】
 
3149 梓弓、末《スヱ》者|不知杼《シラネド》、愛美《ウツクシミ》、君爾|副《タグヒ》而、 國の任に從ひ來る女の歌ならん、
 
山|道《ヂ》越《コエ》來奴、」
 
3150 霞立(ツ)、長春日乎、 今本、春(ノ)長日乎、と有は例なき言なり、卷一に、霞立、長春日乎、と有に依て改、
 
奥香無《オクカナク》、 上に出、
 
不知山道乎、戀乍可|將來《コム》、」 夫の任の國へ、後の妻の慕ひて下り來るを聞て、男のよめるなるべし、
 
3151 外《ヨソニ》耳、君乎相見而、木綿牒《ダヽミ》、 冠辭、
 
手向乃山乎、 集中に奈良の手向と、淡海相坂の手向とをよみし中に、こゝは奈良坂の手向をいふ事、奈良人の歌にて、明日越んといへばなり、
 
明日香越將《アスカコエナム》、」 奈良の京なる女、父の任などに從ひて田舍へ行んずるに、かねて思ふ男を外めにのみ相見て、え近づく事もせで、遂に遠き別れとさへ成を、悲しめるなるべし、且明日立なんとする前つ日によめるものなり、
 
3152 玉|勝間《カツマ》、 冠辭、
 
安倍島山之、 同考にいへり、
 
暮《ユフ》露爾、旅宿得爲也《タビネモエスヤ》、 ゆふ露寒き草枕は、今だにいね難きに、長き夜をいかにせん、と侘めり、得爲也は、上卷に出づ、
 
長(キ)此夜乎、」
 
3153 三《ミ》雪零、 三は眞にて、言の上に添て輕くいへるぞ多き、初三雪などの三も是なり、又心を入ていひしも有、此歌など淡しからぬ眞雪の意有とおほし、
 
越《コシ》乃|大《オホ》山、 神名式に、越前丹生郡、大山御坂神社、和名抄、越中|婦負《メヒノ》郡、大山、(於保也萬)とも見ゆ、ここは何れにや、とかくに地の名ときこゆ、
 
行過而、何日可《イヅレノヒニカ》、我里乎將見、」 任の國より京へ歸る人の歌ならん、 
3154 乞吾駒《イデワガコマ》、早去欲《ハヤクユキコセ》、 催馬樂古本に、此歌を、由支古世《ユキコセ》、と有は古訓の傳れるなり、古世も古曾も同言にて乞《コフ》ことなり、
 
亦打《マツチ》山、 紀道に入立、眞土山、とよめる是なり、今は紀伊の任より京へ歸る人の歌なり、
 
將待《マツラム》妹乎、去《ユキ》而速見牟、」
 
3155 惡木《アシキ》山、 肥前の蘆城山なるべし、末の卷に出、
 
木末悉《コズヱコトヾト》、明日從者《アスヨリハ》、靡有社《ナビキタレコソ》、 多は弖阿の約、古曾は乞願ふなり、
 
妹之|當將《アタリ》見、」 上に人麻呂の、妹が門見ん、なびけ此山、とよめるが如し、 
3156 鈴鹿河、 伊勢鈴鹿郡なり、此川實に廣くして瀬多し、
 
八十瀬渡而、誰|故《ユヱ》加、夜越爾將越《ヨゴエニコエム》、妻毛|不在君《アラナクニ》、」 男の旅なるほどに、家の妻の身まがりし後に、歸るとてよめるか、
 
3157 吾妹兒爾、又毛相海之、  又も相ばやてふを籠たり、
 
安(ノ)河、 野洲郡、
 
安寢毛不宿爾、戀渡鴨、」 一二句とかけ合せて意得べし、○任などにてよまば、いつかあふみの、といふべし、またもあはんを願ふは、たゞ相聞の歌と聞ゆるを、猶さるよし有旅にてよめるか、
 
3158 客爾有而、物乎曾念、白浪乃、邊(ニ)毛奥(ニ)毛、依(トハ)者無(シ)爾、」 旅に在てそこの妹を戀に、成ならざらんしられぬほどの歎なるべし、
 
3159 湖轉爾《ミナトワニ》、滿來鹽能、彌益二、戀者|雖剰《マサレド》、不所忘《ワスラレヌ》鴨、」 久しき旅にては、妹戀しらのいよゝ増るなり、
 
3160 奥浪、邊浪之來依、貞浦乃、此左|太《ダ》過而、後將戀鴨、」 是は上の卷に既出たるを二度出せしは、上は相聞の名有海もてよめる類にのせ、こゝは旅にて妹思ふ類に出せり、本集に二樣にある放なるべし、さて上卷にての心はそこに云り、こゝは此貞浦廻【貞浦の國所と、此定てふ言の意は、上の卷にいへり、】の旅に在人、故郷にて思ひかけし妹に、人言繁かりし、此定めを過して、又こそ懸想文も贈らめとおもふ心を、今見る海の名よりいへるとすべし、此上下卷に同歌の載しは、皆此意にて撰の一體なり、
 
3161 在千《アリチ・アラチ》方《ガタ》、 何處なるや、もし越前のあらちの彼方の海べもしかいふか、然らばあらちがたと訓べし、
 
在名草目而、行目友《ユカメドモ》、家有《イヘナル》妹|耶《ヤ》、 今は伊とあれど、こゝに伊といふべからず、訓もやと有しは、字をいと後に誤りしなり、【或人此如くの伊、集中又太迹天皇記に、※[立心偏+豈]那能倭倶吾伊、と有伊を助辭といへど、助は辭の用なき所にこそおけ、こゝも紀も、がとかやとかいはでは事たらはず、此下をせんと留たる辭も治らぬを、強て伊の助辭をおくべきかは、皆泥める説なり、こゝは今本に本やと訓て有からは耶なり、紀なるは何の誤なり、又續紀の宣命に在も皆字の誤のみ、又法相の讀に伊の助多しといへど、彼はからことなればこゝに引べからず、】
 
將欝悒《イブカシミセム》、」 我はなぐさめても行を、我の妹はおもひはるる時なくて在らんと云り、此言の事上に出、
 
3162 水咫衝石《ミヲツクシ》、 水の深き筋をみをといふ、其水の淺深を量る木を湊に立おくを、みをつくしといふ、さてこゝは冠辭のみ、
 
心盡而、念鴨《オモヘカモ》、 おもへばかの略なり、
 
此間毛《コヽニモ》本名、 こゝは旅のこゝなり、
 
夢西所見、」
 
3163 吾妹兒爾、觸者無《フルトハナシ》二、 觸はより添なり、
 
荒磯囘爾《アリソワニ》、吾衣手者、所沾可母《ヌレニケルカモ》、」
 
3164 室《ムロ》之浦之、 播磨の室なるべし、
 
湍門《セト》之崎|有《ナル》、 淡路島との間の迫門か、
 
鳴島之《ナキシマノ》、 此島の事問べし、
 
磯越浪爾、所沾可聞、」
 
3165 霍公鳥、飛幡《トバタ》之浦爾、 筑前風土記の水莖の岡の條の海に、鳥旗てふ所ある是か、或説に志摩の鳥羽を引しはかなはず、【筑前風土記に、塢※[舟+可]《ヲカノ》縣之東側近有2大江口1、名曰2塢※[舟+可]水門1堪v容2大船1焉、從v彼通2岫門島、鳥旗澳等1(岫門久伎登、鳥旗登波多、)堪v容2小船1焉、】
 
敷浪之《シクナミノ》、 敷は頻なり、
 
屡《シク/\》君乎、將見因毛|鴨《ガモ》、」
 
3166 吾妹兒乎、外耳哉將見《ヨソニカモミム》、越懈乃《コシノウミノ》、子難懈乃《コカタノウミノ》、 懈は借字なり、又※[さんずい+解]か、
 
島|楢名君《ナラナクニ》、」
 
3167 浪間從《ナミノマユ》、雲位爾|見《ミユル》、粟島之、 阿波國を粟島といへる集中に有、
 
不相物故、吾爾所依兒等《ワニヨスルコラ》、」 よするは人のいひよする事のよし上にいへり、然るに旅の間にしてはいかゞあらん、次の歌もたゞ相聞と聞えて旅なる樣ならず、右にも旅なるまじきもあれば、もし亂て他より入しか、おぼつかなし、
 
3168 衣袖之、 冠辭、
 
眞若《マワカ》之浦之、 同考にいひつ、
 
愛子地《マナゴヂノ》、 眞砂路なり、美知を略きいふ時は、知を濁るをしらせて、地の假字を用るを、後世字音の如く思ひ誤る人有、【地を知のかなに用るは、古へ皆濁る言にのみあり、後世清る言にも書はひがことなり、】
 
間無(ク)時無(シ)、吾戀钁《ワガコフラクハ》、」 旅の間の歌とも聞えぬ事は、上にもいへるが如し、されど旅にても故有てよみしを、本集に載しまゝに旅に入しにや、
 
3169 能登海爾、釣爲海部之、射去火之、光爾伊|往《ユク》、月待香光、」
 
3170 志香乃白水郎乃《シカノアマノ》、 筑前、
 
釣|爾《ニ》燭有《トモセル》、 今本爾を爲に誤、
 
射去火之、 此言は冠辭のいすくしの下にいへり、
 
髣髴妹乎、將見因毛欲得《ミムヨシモガモ》、」
 
3171 難波|方《ガタ》、水手出船之遙々《コギデシフネノハル/\ニ》、別來(ヌ)禮杼《レド》、忘《ワスレ》金津毛、」
 
3172 浦|囘《ワ》※[手偏+旁]《コグ》、能野舟泊《クマノフネハテ》、 今本能野船附と有て、よしのふなつきと訓たれど、海邊によし野てふ所も聞えず、又吉野の川船の浦囘こぐよしもなし、思ふに熊の畫の失たるか、又熊能は通はし用る字なれば、何れにても、くま野と訓べし、(卷十五)眞熊野の船と二首よみたり、又今本船附と書て、ふなつきと訓しは雅言にあらず、古本に泊《ハテ》と有をよしとす、船の港などへ行至るを船はつといふは、古人の常なり、【神代記に、熊野諸手船てふは出雲國の熊野なり、(卷十五)倭邊上る、眞熊野之船、てふは播磨にてよみ、今一首は志摩にてよみて、共に紀伊の熊野船なり、こゝは何れの熊野か定がたし、】
 
目頬志久《メガホシク》、 集中に見之欲《ミガホシ》と書に同じ、且古へは見る事を目といひたり、かくて港へ大船のよりたる時は、人ごとに見まほしと、立走りつゝ行つどふ物なるを、序とせり、
 
懸(テ)不思《オモハヌ》、月毛日毛|無《ナシ》、」
 
3173 松浦船、亂穿江之《サワグホリエノ》、 亂をさわぐと訓は既に出、○穿江は難波堀江なるべし、松浦船はつくしの松浦船なり、船は所々の形有ば、熊野の船伊豆手船などもいへり、
 
水尾早、※[楫+戈]取間無、所念鴨、」
 
3174 射去爲《ヰサリスル》、海部之|※[楫+戈]音《カヂヲト》、湯鞍于、 ふねのゆくらにこぐ音を序とせり、
 
妹(カ)心(ニ)、乘(ニ)來鴨、」 上にいひつ、其中にこのゆくらかにと云は、(卷七)「しだり柳の、とをゝにも、妹が心に云云」といへる類なり、
 
3175 若乃浦爾、袖左倍沾而、 なぎさに下立ば、裙のぬるゝはもとよりにて、貝拾ふには又袖をもぬらせば、左倍といふ、
 
忘貝、拾跡妹者、不所忘爾《ワスラレナクニ》、」 【或本歌云、忘可禰都母、】
 
3176 草枕、羈《タビ》西居者、苅薦之、擾《ミダレテ》妹爾、不戀日者無、」
 
3177 然《シカノ》海部之、礒爾苅干、名告藻之、名者|告《ノリ》手師乎、如何《イカデ》相難|寸《キ》、」
 
3178 國遠見、念|勿《ナ》和備曾、風之共、雲之行如、言者《コトハ》將通、」 今本此言の字を和禮と訓しは誤なり、
 
3179 留西、人乎念爾、※[虫+廷]野《アキツノニ》、 吉野のあきつ野なるべし、さて此野はいと高くもあらねど、後の山かけていふ時は、白雲もゐるといふべし、
 
居白雲(ノ)、止時(モ)無(シ)、」
 
 △こゝに悲別歌てふ標有もとらず、
 
3180 浦毛無、去之《イニシ》君故、 何心もなくいにし君なるに、吾ばかり戀といふなり、
 
朝旦《アサナサナ》、 日々といふに同じ、
 
本名|曾《ゾ》戀(ル)、 今本は曾を烏に誤つ、此事上にも云り、
 
相跡者|無杼《ナケド》、」 戀とて逢よしはなけれどなり、
 
3181 白細之、君之下紐、吾左倍爾、今日|結《ムスビ》而名、將相日之爲、」 今旅行の別に臨て、男の下紐を吾結ぶ時、吾下紐をさへも同じく結び置て、あはん日にいはひて解ん爲とせんといふなり、
 
3182 白妙之、袖之別者、 上卷に敷細之、衣手可禮天、といへばこれも相纏へる衣袖の別れといふなり、敷栲は冠辭考にあり、
 
雖惜《オシケレド》、思(ヒ)亂而、赦《ユルシ》鶴鴨、」 衣々になる事をゆるして、別れゆかしむるなり、
 
3183 京師|邊《ベニ》、君者|去之《イニシ》乎、孰解可《タレトケカ》、吾《ワガ》紐(ノ)緒乃、結《ユフ》手懈毛《タユシモ》、」 夫は京へ行しかば、あがたをとめをば、おもふまじきに、わが下紐のしきりにとくるは、誰人の我を戀て解ぬらんとあやしむなり、 
3184 草枕、客去君乎、人目多、袖不振|爲《シ》而、安萬田悔毛、」
 
3185 白銅《マソ》鏡、手二取持而、 是までは序、
 
見常不足《ミレドアカヌ》、君爾|所贈而《オクレテ》、 贈は借字、遣又後とも書たる歌あり、
 
生《イケリ》跡文無(シ)、」
 
3186 陰夜之《クモリヨノ》、 冠辭、
 
田時毛|不知《シラス》、 (卷六)「やみの夜の、行さきしらず、」とも云り、
 
山越而、往座《イマス》君乎者、 いにますを略きいふ例上に有、
 
何時將待《イツトカマタム》、」 たどきもしらぬ山越て行しといへる、女心にしてあはれなり
 
3187 田立名付《タヽナヅク》、 冠辭、
 
青垣山|之(ノ)、隔者、數君乎、言不問可聞、」 これは君をといへば使してことゝふなり、又今別る時なれば、今本に、三句を、へだつれば、五句を、ことゝはぬかも、と訓しはわろし、
 
3188 朝霞、蒙《タナビク》山乎、 くもるをたなびくといへる常多ければさし付て蒙と書つ、
 
越而|去《イナ》者、吾波|將戀奈《コヒムナ》、至于相日《アハムヒマデニ》、」
 
3189 足檜乃、山者百重(ニ)、雖隱《カクストモ》、妹者|不忘《ワスレジ》、直相左右二、」
 
3190 雲居|有《ナル》、海山越而、伊往《イユキ》名者、吾者將戀名、後者相|宿《ヌ》友、」
 
3191 不欲惠八趾《ヨシヱヤシ》、 今本趾を跡に誤、一本に依て改、
 
不戀登爲杼《コヒジトスレド》、木綿《ユフ》間山、 (卷六)東歌の末に、「戀つゝも、をらんとすれど、遊布麻夜萬、かくれしきみを、おもひかぬつも、」と有に同じ山ならん、惣てこゝの前後の歌ども、多くは東人の別れの歌にて、地の名も、草蔭、東方坂、磐城山、などつらなりつ、然れば是も東に在山なるべし、
 
越|去之《ニシ》公|之《ガ》、所念良國《オモホユラクニ》、」
 
3192 草陰之、荒|藺《ヰ》之崎乃、 草陰は、(卷六)東歌の末に、久佐可氣乃云云、とて載しかば、同じく東に在ところの名なり、【一云、三坂越良牟、或説、荒藺崎を武藏に在といふはひがことなり、海の島を見て越る山は、此國になし、相模などには有もせん、】 
笠島乎、見乍可君|之《ガ》、山道越良無、」
 
3193 玉勝間、 冠辭、
 
島熊《シマクマ》山之、 此山もしりがたし、前後の歌どもを思へば、これも東か、
 
夕晩(ニ)、獨可君|之《ガ》、山道|將越《コユラム》、」 【一云、暮霧爾、長戀爲乍、寢不勝可母、これは上の安倍島山てふ歌の字の、亂れたるをも思はで、こゝにつけしものぞ、】
 
3194 氣緒爾、吾念君者、鷄鳴、東方坂乎《アツマノサカヲ》、 地の名にあらぬをしらせて、方の字を添しものなり、
 
今日可越覧、」
 
3195 磐城山、直《タヾ》越來|益《マセ》、礒|崎《ザキノ》、許奴美乃《コヌミノ》濱爾、吾立|將待《マタム》、」 神名式に、常陸の鹿島郡に、大洗礒前(ノ)神社あり、和名抄に、陸奥岩城郡に岩城郷ありて、國は異なれど、右二郡遠からずといへり、然れば常陸人の陸奥へ行別れに、歸らん時の事を女のいへるか、又此前後は、既に旅に在人を思へる類なれば、使にいひやりし歌にもあるべし、
 
3196 春日野乃、淺茅|之《ガ》原爾、後居而、時其友|無《ナシ》、吾戀良|苦《ク》者、」 淺茅が原とは、夫の遠き國にまかりし後に、妻の住所のわびしき樣をいひそへたるなり、天平十三年に久邇の京へ遷されし後の事とまで思ふ事なかれ、惣て是は奈良宮の始までの歌どもなり、
 
3197 住(ノ)吉《エ》乃、崖爾|向有《ムカヘル》、淡路島、※[立心偏+可]怜登《アハレト》君乎、 【古語拾遺に、天晴てふ言といへるはひがことなり、惣て悦にも悲きにも、あゝと長く嘆くをあはれとはいふなり、】
 
不言日者無、」 あはれてふ言は、遠き國に行し君|者也《ハヤ》など歎くをいへり、
 
3198 明日從者、將行乃《イナミノ》河之、 播磨のいなみに有川なるべし、是は言のつゞけのみ、○將行と書し事は、冠辭考にいへり、
 
出去者《イデイナバ》、留(レル)吾者、戀乍也將有、」
 
3199 海之底《ワタノソコ》、奥者恐《オキハカシコシ》、 底より奥といふは深き事なり、又浦廻より遠き方をおきといふは奥端の奥なり、この歌には右の三つをかねていへるなるべし、
 
礒|囘《ワ》從、水手運往爲《コギタミイマセ》、月者|雖經過《ヘヌルトモ》、」
 
3200 飼飯《ケヒ》乃浦邇、 神名式に、越前國敦賀郡氣比神社、紀に角鹿《ツヌガ》の神を氣比大神と申給へる事有、
 
依流白浪、敷布二《シク/\ニ》、妹|之《ガ》容儀者、所念香毛、」 男の越え行て家の妹をおもふなり、
 
3201 時《ツ》風、 冠辭、
 
吹飯(ノ)濱邇、 或人此濱は紀伊に在べしといふによる、
 
出居乍、贖《アガフ》命者、妹|之《ガ》爲社、」 濱に出て大海の祓をせし時、此歌をよみて家の妹へ贈りしものなり、祓は罪の輕重によりて、贖物を出して行ふ故に、贖といへり、且罪を祓捨れば、命も長かるべき理りなり、
 
3202 柔田津《ニギタヅ》爾、 伊與の熟《ニギ》田津なるべし、
 
舟乘將爲跡、聞之|苗《ナヘ》、 なへは並《ナメ》てふ言なる事、上にいひつ、
 
如何毛《ナニゾモ》君|之《ガ》、所見不來將有《ミエコザルラム》、」 柔田津より某の日舟乘して歸らんと聞えし言の並に日を讀て待に、いかでかおそきやと、家の妹が恠しむなり、
 
3203 三沙呉|居《ヰル》、渚《ス》爾|居《ヰル》舟之、 既に乘居て風を待間なり、
※[手偏+旁]出去者《コギデナバ》、裏戀監《ウラゴヒシケム》、 うらは下なり心なり、是は別るれど久《ヒサ》ならで歸る契あれば、いたくはなげかず、されど今はとこぎ出ていなば、何となく下戀しからんといふなり、
 
後者會宿友、」 後はといふを輕く見るべし、うら戀しけんといへばなり、
 
3204 玉|葛《カヅラ》、無怠行核、山菅乃、思亂而、戀乍將待、」
 
3205 後居《オクレ》而、戀乍|不有者《アラズバ》、田籠之浦乃、海部有申尾、珠藻苅管、」 上卷に、中々二、君戀者《キミコヒセズバ》、枚浦乃《ヒラノウラノ》、白水郎《アマ》有申尾、 玉藻苅管、この末は均しかれど、二(ノ)句の意異なり、(卷九《今ノ五》、和梅花歌、)「おくれゐて、吾戀せずば、三園生の、梅の花にも、ならまし物を、」此三園は前に梅を詠し、太宰府の園をいふ如く、こゝの田籠浦も、夫の行く居所のうらを思ひていへるなり、
 
3206 筑紫道之、荒礒《アリソ》乃玉藻、苅鴨《カルトカモ》、君久《キミハヒサヽニ》、待不來《マテドコザラム》、」 今ひさしくと訓しは雅ならず、久々を略きて比佐々とよめる例、末の卷にあり、
 
3207 荒玉乃、年緒永、 句なり、
 
照月(ノ)、不厭君八《アカヌキミニヤ》、明日別南、」
 
3208 久(ニ)將在、君(カ)念(フ)爾、久竪乃、清月夜毛、闇夜耳見《ヤミニノミミユ》、」 集中に、照れる日を闇に見なして鳴なみだ、ともよめり、
 
3209 春日在、三笠乃山爾、居雲乎、出見毎(ニ)、君乎之曾念、」 遠き人はたゞ雲のみ形見なり、
 
3210 足檜木之、片山|雉《キゞシ》、立往牟、君爾|後而《・オクレテ》、打四鷄《ウツシケ》目八方、」 現しからめや、うつゝの身ともなくならば、死たらん如くならんといふなり、
 
 △こゝに又問答と有れどもとらず、問答なるは二聯有て、他は皆こと歌なればなり、
 
3211 玉緒乃、 冠辭、
 
從心我《ウツシコヽロヤ》、 冠辭よりは貫たる玉の緒のまゝに彼此うつるをいひ、うけたる言は現心といふなり、うつしき心を略きてしかもいふ、
 
3212 八十棍懸《ヤソカカケ》、水手出牟船爾、後而將居、」 夫の今はと船出して別れ行を見ん時は、現の心にてはをらじ、死かへりなんといふなり、別れんとする前の歌なり、 
八十梶|懸《カケ》、島隱去者《シマガクレナバ》、 我船の澳つ島にかくれいなばなり、 
我妹兒|之《ガ》、留登將振《トマレトフラム》、袖|不所見《ミエジ》可聞、」 (卷九《今ノ五》、松浦佐與姫をよめる、)宇奈波良能、意吉由久布禰遠、可弊禮等加、比禮布良新家武、麻都良佐欲比賣、てふに似たり、
 
3213 十月《カミナヅキ》、 月の名は卷三の別記にいへり、
 
鍾禮乃雨丹、沾乍哉、君|之《ガ》行疑《ユクラム》、宿可借疑《ヤドカカルラム》、」 此二歌を贈答と思ふ人有べけれど、よく考れば、次の末の言答へにあらず、此末の二句も別れぬ前の贈歌としては、ゆかまし、からまし、と訓べけれど、預《カネテ》しかよむべくもあらず、故に留れる妹が、男の道の事をおもふ歌と定むべし、【上にいひし如く、問答などいふ標は、後に歌をよくも解不知ものゝさがしらなるを、かの標に泥みて誤る人も有めり、此上下卷は類を以て集めしかば、もとより贈答有、又心言の贈答めきたるが、自らより來しも有なり、古今歌集も此樣なるを合せみよ、】
 
3214 十月、雨之間毛不置《アノマモオカズ》、 あめを略て相摸の雨降山をあぶり山といふ類なり、
 
零爾西者《フリニセバ》、誰里之|間《マニ》、宿|可《カ》借益《カラマシ》」 誰里のとては行人の言にあらず、答にもあらず、答ならば四の句は、木の下にしもなど樣にいふべし、仍て是は又一人の女の、男の旅別の時によめりとす、歌をつぶさに解知人知べし、 
3215 白妙乃、袖之別乎、難見|爲《シ》而、荒津之濱爾、 (卷十一《今ノ十五》)可牟佐夫流、安良都能佐伎爾、與須流奈美、と云は、新羅への使人至2筑紫舘(ニ)1と端詞して歌多き中に有、その中に之可の浦とよめるもあれば、近きほどなるべし、
 
屋取|爲《スル》鴨、」 先この津へ出て風を待ほどなるべし、
 
3216 草枕、羈行者乎、荒津左右、送|來《クレドモ》、飽|不足社《タラズコソ》、」 こは思へこそすれなどいふを略けるなり、○太宰の官人或は國司の京へ上る時、遊行女婦《サフルコ》が船津まで送り來てよめるなるべし、
 
3217 荒津(ノ)海《ウミ》、吾幣奉《ワガヌサマツリ》、將齋《イハヒナム》、早還座《ハヤカヘリマセ》、面變|不爲《セデ》、」 こは筑紫人の京に仕奉るとて上るをりならん、面變せでとは、年|經《フ》べきよしなれば、國の任の朝集使などにてかりに上るにあらず、
 
3218 早々《アサナサナ》、筑紫乃方乎、出見乍、哭耳《ネノミ》吾泣、痛毛爲便無三《イトモスベナミ》、」 こは上る道にてよみて、おもふ人に贈りつらん、右の答にはあらず、 
3219 豐國乃、聞之長濱、去晩《ユキクラシ》、日|之《ノ》昏去者《クレヌレハ》、妹|食序《ヲシソ》念、」 是も筑紫人なるべし、
 
3220 豐國能、聞乃高濱、高々二、 遠々にてふよし上に云り、
 
君待夜|等者《ラハ》、左夜|深來《フケニケリ》、」 是は旅の歌にあらず、君待といへば、筑紫の女の人待歌なれど、同じ聞の濱をいひしかばこゝに入つ、
 
萬葉集卷五之考 終
 
萬葉集卷六之考序
 
掛まくも恐こかれど、すめらみことを崇みまつるによりては、世中の平らけからんことを思ふ、こを思ふによりては、いにしへの御代ぞ崇まる、いにしへを崇むによりては古へのふみを見る、古へのふみを見る時は、古への心言を解んことを思ふ、古への心言を思ふには、先いにしへの歌をとなふ、古への歌をとなへ解んには萬葉をよむ、萬葉を凡よみ解にいたりて、古へのこゝろ言をしり、古へ人の心まことに言なほく、いきほひをゝしくして、みやびたることをしる、こを知てこそいにしへの御代々の事は明らかなれ、そが中におほやけこそ物皆みやびたれど、都の市にはことさやぐ四方の國人もまゐり集ひて、もろ/\の國ぶりも交り行めれば、遂にわがいにしへのみならずなも成ぬ、さるを人てふものゝ心に思ひ起して、古へをしたふは少く、うつり行時に、したがひつゝならはふめれば、よろづの事古へを放《サカ》りて、はて/\はことなる事とのみなりぬめり、こゝにいにしへの東歌てふものあり、是も極めたる古へにはあらねど、今よりは千とせに多く餘れる前つ世よりの歌なり、そも/\鳥が鳴東の國は、その都をはなれてしあれば、もの交はらず、古への心言こそ傳れりけれ、【たひらのみやこにも、東の大城の下にも、又こゝかしこの、にぎはへる市にも、古き言などは殘らぬを、かたゐ中の言を聞ば、多くいにしへの言ぞ侍る、是を以ても古へのゐ中言は、全く上つ古へを傳へしぞしるき、】そのことばのはしに、東なる有をもて、惣てことなりと思ふ事なかれ、是をよく解得る時は、いにしへのおほやけぶりの歌をしも解得らるゝなり、然れば後の世にして、いにしへに放りはてぬものは東歌なり、かれ猶盛なりける御代に、此萬葉を撰まれたるぬし、もろ/\の御食《ミヲス》國をしり、世中をまつりごたん本となる事を思ひて、是を擧しは、天皇を崇みまつり、天下を思ふまめ心の極みならずや、
 
萬葉集卷六之考〔流布本卷十四〕
 
東歌
 此次々に、雜歌相聞云云の標有は、皆後人の註なる故に、東歌二字の外は總てとらず、よしは其條にいふ、
 
3348 奈都素妣久《ナツソヒク》、 冠辭、
 
宇奈加美我多能《ウナカミガタノ》、 上總國海上郡、
 
於伎都渚爾《オキツスニ》、布禰波等杼米牟《フネハトヾメム》、佐欲布氣爾家里《サヨフケニケリ》、」 こゝにのする五首の中、初二首と末一首は、東ぶりならず、京に久しく仕奉て歸りをる人、東にての歌故に是に入しなるべし、かゝる類下に多かり、
 
3349 加豆思加乃《カツシカノ》、麻萬能宇良末乎《マヽノウラマヲ》、 浦間なり、葛飾郡麻間郷は、今も聞えて人皆知ぬ、
 
許具布禰能《コグフネノ》、布奈妣等佐和久《フナビトサワク》、奈美多都良思母《ナミタツラシモ》、」 右にいへる如し、こは人麻呂の歌の調さへあり、(卷八)風早之、三穗浦廻乎、※[手偏+旁]舟之、船人動、浪立下、てふと同意にて地のかはれるのみ、
 
常陸國雜歌 二首〔七字□で囲む〕
 
3350 筑波禰乃《ツクバネノ》、爾比具波麻欲能《ニヒグハマヨノ》、 新蠶の絹を專らとす、【まゆまよは、古へ通はしていひしこと、東のみならず、】
 
伎奴波安禮杼《キヌハアレド》、伎美我美家思志《キミガミケシヽ》、 記に、(大名持神御歌、)奴婆多麻能、久路岐美祁斯遠、といひ、此集には御衣をみけしと訓り、
 
安夜爾伎保思母《アヤニキホシモ》、」 安夜爾は、上にいへる如く入立てふかく思ふ事なり、伎欲《キホシ》とは、古は男女の衣を互にかして着せしむれば、なつかしき君が衣を着まほしといふともすべけれど、猶共ねしてかさね着んことをいふなるべし、(卷五)、赤帛之、純《ヒトノ》裏衣、著欲《キマホシミ》、我念君之、不所見比者鴨、てふ歌にいへるが如し、【或本歌曰、多良知禰能、こはひがことなり、母といはでたらちねとのみいへること、古へはすべてなし、又云、安麻多伎保思母、】
 
3351 筑波禰爾《ツクバネニ》、由伎可母布良留《ユキカモフラル》、 雪が降たるとなり、良は利多の約、
 
伊奈乎可母《イナヲカモ》、 否《イナ》よしかはあらぬかなり、此言上にも出たれば、東のみにあらず、
 
加奈思吉兒呂我《カナシキコロガ》、 子を悲しむといふかなしに同じく、愛《ウツクシ》む心の至りて深きをいふ、
 
爾帑保佐流可母《ニヌホサルカモ》、」 布《ヌノ》乾たるかなり、是は本雪なるを、布に見なしたり、常陸よりは曝布の調《ミツギ》奉る事、續紀に見ゆ、然れば多く見なれし物にたとへたるなり、【右二首常陸歌、】
 
信濃國雜歌 一首〔七字□で囲む〕
 
3352 信濃奈流《シナヌナル》、須我能安良能爾《スガノアラノニ》、 和名抄、此國の筑摩郡に苧賀《ソガノ》郷(曾加《ソカ》、)といへる有是ならん、集中に菅曾我通はしいへる數有、
 
保登等藝須《ホトヽギス》、奈久許惠伎氣婆《ナクコヱキケバ》、登伎須疑爾家里《トキスギニケリ》、」 旅に在てとく歸らんことを思ふに、ほとゝぎすの鳴まで猶在をうれへたるすがたも意も、京人の任などにてよめりけん、又相聞の方にも取ば取てむ、こゝに相聞と標したるは、後の註とす、何ぞといはゞ、かく相聞譬喩など標せば、右五首の初めには雜歌と有べきに、たゞ東歌と標して擧、次の國所不知と左に註せし歌どもにも、相聞譬喩挽歌などの標あれど、その標に違ひたる歌ども多く交りて有ば、標を立がたし、上の四五の卷の如く、たゞ類なる歌を擧たるのみなりけり、
 
遠江國歌相聞 二首〔八字□で囲む〕
 
3353 阿良多麻能《アラタマノ》、 遠江國麁玉郡、【麁玉郡は後世敷智長上の二郡へ多つきて、今は小郡にて有、古へ麁玉なりけん、郷に今有玉上村下村と云有、是古の本郷なるべし、其村より東に今喜平村といふ有、これ伎倍なるべしとはいひつ、】
 
伎倍乃波也之爾《キベノハヤシニ》、 (卷四)璞之《アラタマノ》、寸戸我竹垣《キベガタカヾキ》、てふもここと聞ゆ、三代實録に、此國麁玉川に堤三百餘丈を築し事有、今|有《アリ》玉川といふ是なり、
 
奈乎多※[氏/一]天《ナヲタテヽ》、 汝を立《タチ》待しめてなり、此下に、「梓弓よらの山邊の、繁かくに、いもろ《妹等》をたてゝ、さね所《ド》拂ふも、」と有も似たり、
 
由吉可都麻思目《ユキカツマシモ》、 雪が積りしなり、目《モ》は助辭、此目を今本に自とあれど、自は集中皆|志《シ》の濁りに用れば、ここは目を誤つ、
 
移乎佐伎太多尼《イヲサキダヽニ》、」 寝《イ》を先立ねなり、尼は禰に通はしいふ東言か、又卷二十の東歌に、つくばねを、都久波尼と書しかば、尼も即禰の假字とせしにも有るべし、歌のこゝろは、男の來て伎倍の林に立待と告しに、女はいまだ母のゆるさねば、ねやへ入がたき間に、雪のふれば其林に積らんには堪じ、吾より先だちてね屋へ入ふして、待たまへといひやれるなり、
 
3354 伎倍比等乃、 伎倍の里人之にて、即妹が夜の物をいふ、
 
萬太良夫須麻爾、 班なる衾なり、班摺か、又倭文にて筋有布をもいふべし、
 
和多佐波爾、 綿多爾なり、佐波は多きをいふ古言、爾を今本太と有は草の手より誤りぬ、下に、あひだ夜は、佐波太なりしをと有も、間夜は多爾成しをてふ言なるを、そをも名を太に誤し事定かなり、
 
伊利奈麻之母乃《イリナマシモノ》、伊毛我乎杼許爾《イモガヲドコニ》、」 こは妹が右の如く告しまゝに、男ね屋へ入てねしかど、獨ねて待ほど猶寒さ堪がたければ、ふすまに綿を多く入ん物をといへるか、又三句までは入といはん序にて、とくに閨へ入なまし物を、林に立待わびしとよめるに有べし、
 
駿河國歌相聞 五首〔八字□で囲む〕
 
3355 安麻乃波良《アマノハラ》、 高きをいふ、
 
不自能之婆夜麻《フジノシバヤマ》、 麓は柴のみ繁ければいふのみ、【かゝる山の麓は、百の里人の柴かり草刈て業とする故に、大木はたてず柴のみ有を、里人はその常見る樣を、即名として柴山とはいふなり、さる類多きものぞ、ふじをもかく名づくれば、故あらんと思ふは、田舍をしらぬゆゑなり、古の事は只かろく見るべし、】
 
己能久禮能《コノグレノ》、 木之暗(レ)之なり、さしものふじの麓なれば、道も遠く、柴の木暗の夜道をたどるに、夜更なばいもが待時の違ひて、逢がたくやあらんと心をやりて、いそぐさまなり、
 
等伎由都利奈波《トキユツリナバ》、 うつるをゆつるといふは、下の卷の都人の歌にもあり、
 
阿波受可母安良牟《アハズカモアラム》、」
 
3356 不盡能禰能《フジノネノ》、伊夜等保奈我伎《イヤトホナガキ》、夜麻治乎毛《ヤマヂヲモ》、 彌遠長き山路をもなり、
 
伊母我里登倍婆《イモガリトヘバ》、 妹|之《ガ》在所《アリカ》のあとかを略、
 
氣爾餘婆受吉奴《ケニヨバズキヌ》、」 氣《ケ》は息《イキ》なり、爾餘婆受は、不《ズ》2呻吟《ニヨハ》1なり、山路につかれては息つきうめく物なるを、妹がもとへ行と思へば、やすく來りつといへり、
 
3357 可須美爲流《カスミヰル》、 霞居なり、
 
布時能夜麻備爾《フジノヤマビニ》、 備は倍に同じ、岡備、浦備ともいふ
 
和我伎奈婆《ワガキナバ》、伊豆知《イヅチ》、 何道の略、
 
武吉※[氏/一]加《ムキテカ》、伊毛我奈氣加牟《イモガナゲカム》、」 男はふじの麓へ別れて來ぬる事有時、しか別ればふじは雲霞の立こと常なれば、方もしらずして、吾方を望|放《サケ》んにも、何方を向てかなげかんといへり、古は雲霧霞を相通はしていへば、霞といふも時はさすべからず、
 
3358 佐奴良久波《サヌラクハ》、 佐は發言、良久は留の延言にて、寢るはなり、
 
多麻乃緒婆可里《タマノヲバカリ》、 玉の緒は長短有、こは短きを相ねし間の暫なるに取、【一本歌曰、阿敝良久波、多摩能乎|思家《シケ》也、しけは次なり、及なり、玉のをの如くといふに同じ、】
 
古布良久波《コフラクハ》、布自能多可禰乃《フジノタカネノ》、奈流佐波能其登《ナルサハノゴト》、」【古布良久波、布自乃多可禰爾、布流由伎奈須毛、とこしへにたゆる事無を譬か、】此鳴澤のおびたゞしくわきかへり鳴を、思ひのわきかへるにたとふるか、猶思ふに此三の句は、名の立はと有しにや、然らば鳴澤の鳴とゞろくたとへによくかなふべし、○ふじの鳴澤は、嶺上に廻り今道一里許の穴有、むかしは水有火有て、相たゝかふに、涌かへる音高かりしといへり、延暦十二年又貞觀の頃にも甚燒て後、火ものぼらず水も湛へねば、涌こともなく烟もたえて、其後寶永には山の半へ燒出たり、
 
3359 駿河能宇美《スルガノウミ》、於思敝爾於布流《オシベニオフル》、 或説、いそべを東言におしべといふ、下の、眞間の於須比《オスビ》爾、波もとゞろに、といへるも、礒邊をいふといへるはしかあるべし、
 
波麻都豆良《ハマツヾラ》、 出雲風土記に、波萬郡豆良、毛々夜々爾《モヤ/\ニ》、といひ、上の卷にも出し如く、ひろくはひたるかづら多し、何れてふ名は定めずともよし、 
伊麻思乎多能美、波播爾多|我比奴《ガヒヌ》、」 濱つゞらの如く長く絶じといへるをたのみて、母のこゝろにも違ひつるよとなり、【伊麻志は、その人を直にはさゝで、御座《イマシ》をいふにてあがめことなり、御前《オマヘ》といふたぐひなり、されど久しくいひふるせば、なめたる言の如く成ぬ、】
 
伊豆國歌 一首〔六字□で囲む〕
 
3360 伊豆乃宇美爾《イヅノウミニ》、多都思良奈美能《タツシラナミノ》、安里都追毛《アリツヽモ》、 波は常に立よるものなれば、在ふる事に譬て、ながらへ在て相なんものを、よし事有とも心を亂らさめやなり、れらもしさも各同言なり、
 
郡藝奈牟毛能乎《ツギナムモノヲ》、美太禮志米梅楊《ミダレシメヽヤ》、」 【或本歌曰、之良久毛能、多延都追母、都我牟等母倍也、美太禮曾米家武、母倍也は上にも下にも有て、おもはめやなり、然れば末の句とかなはず、或本の誤とすべし、】
 
相摸國歌 十三首〔七字□で囲む〕
 
3361 安思我良能《アシガラノ》、 相摸國足柄郡の山をいふ、
 
乎※[氏/一]毛許乃母爾《ヲテモコノモニ》、 其山の彼面《ヲチノオモ》此《コノ》面を轉じ略きていふなり、
 
佐須和奈乃《サスワナノ》、 鳥獣をとる罠《ワナ》をさし作るなり、神武天皇紀に、辭藝和奈破蘆《シギワナハル》、てふに同じ、これはこはぜといふものをもてあやつり置に、獣の觸れば急にこはぜの弛《ハヅ》れて、そのわなにかゝる、其はづるゝ間の疾《トキ》をいと少時《シバシ》あふに譬」、
 
可奈流麻下豆美《カナルマシヅミ》、 罠の小|機《ハゼ》のはづるゝ間を、かなくる間といふを略きて、かなる間といへり、卷二十の防人歌に、阿良之乎の、伊を箭たばさみ、立向ひ、可奈流麻之豆美、伊|※[泥/土]《デ》※[氏/一]曾あがくる、てふも均し、しづみは、その間を靜めてにて、いと暫のひまを竊なり、
 
許呂安禮比毛等久《コロアレヒモトク》、」 兒等と吾共に紐解、
 
3362 相摸禰乃乎美禰《サガミネノヲミネ》、 今大山とて雨降《アブリノ》神社の在山をいふべし、乎美禰は重ね云て、調べの文《アヤ》と爲なり、乎は發言にて乎筑波などの如し、
 
見所久思《ミソグシ》、和須禮久流《ワスレクル》、 其嶺を見過しつゝ遠く來て、久しく見えざれば忘るゝを、妹遠く別來てしばし忘るる間も有に譬、
 
伊毛我名欲妣※[氏/一]《イモガナヨビテ》、吾乎禰之奈久奈《ワヲネシナクナ》、」 從ふ人など妹が名をいへるを聞て、其いひおさふる辭なり、莫と見る人あらんか、さてはことわりむつかし、一本をも思へ、○こは防人の歌ならん、
 △或本歌曰、
 武藏禰乃、 こは秩父郡に高嶺有をいふべし、
 
 乎美禰見可久思《ヲミネミカクシ》、 遠く來ては隱るゝなり、
 
 和須禮遊久《ワスレユク》、伎美我名可氣※[氏/一]《キミガナカケテ》、 君とは男を指、さらば女の歌とせんに、女の遠く離れ行こと、打まかせぬ事にておぼつかなし、惣ての言の上とひとしきもて思ふに、伊毛を伎美と誤けん類有ことなり、
 
 安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》、」 ねしめなくのくを同韻にて延て、久留といふ、 
3363 和我世古乎《ワガセコヲ》、夜麻登敝夜利※[氏/一]《ヤマトヘヤリテ》、 衛士などに參りし兵士の妻の歌なるべし、
 
麻都之太須《マツシダス》、 麻都は松なり、之は助辭、太須は奈須にて如の意、
安思我良夜麻乃《アシガラヤマノ》、 【下には專ら足可利と有て、まれに加良とも有は、加利ぞ本ならん、】
 
須疑乃木能末可《スギノコノマカ》、」 杉の木の間かもなり、意は吾せこのいにし方をば、杉の木の間より慕ひ見れども、たゞ松といふべき杉の木の間にて有かもといふなり、松に待をそへたり、○此山には古へ杉の大木多かれば、船に作り、今も埋杉とて有めり、 
3364 安思我良能《アシガラノ》、波姑禰乃夜麻爾《ハコネノヤマニ》、 此山の嶺上に、更に又四方にて箱形なる嶺有故に、筥|嶺《ネ》とは名付たり、それに向て又嶺二つ有を、ふたご山と云は、蓋《フタ》と懸子《カケゴ》の意なり、
 
安波麻吉※[氏/一]《アハマキテ》、實登波奈禮留乎《ミトハナレルヲ》、阿波奈久毛安夜思《アハナクモアヤシ》、」 「うゑし田の子《ミ》に成までに、うゑ生しみに成までに、」など上下に多ければその同意とすべし、もし粟蒔て實成れるを、事の成しに譬へて、さるをいかであはぬにやてふ意にもあらんか、いかゞ、○不相毛恠てふ言、上の卷に多し、此假字もて彼をも訓べし、
 
安思我良能《アシガラノ》、波姑禰乃夜麻爾《ハコネノヤマニ》、波布久受能《ハフクズノ》、比可判與利己禰《ヒカバヨリコネ》、 判を今本利に誤、
 
思多奈保那保爾《シタナホナホニ》、」 思多は裏にてひそかにてふ意、奈保奈保はなよ/\に同じく、心のなびき來るに譬、○此歌は今本には右の或本とて擧しかど、右とは三の句より下いと異にて、或本といふべくもあらず、且古今六帖に此如く擧しをも思ふに、こゝは落し物なれば、本文とせり、
 
3365 可麻久良乃《カマクラノ》、 和名抄、鎌倉郡鎌倉郷、
 
美胡之能佐吉能《ミコシノサキノ》、 【今はみこしのたけともいへり、】
 
伊波久叡乃《イハグエノ》、 仁徳天皇紀に、以播區娜輸《イハグヤス》、迦之古惧等望《カシコクトモ》、また(卷十四)、妹毛吾毛、清《キヨミ》之河之、河岸之、妹我|可悔《クユベキ》心者不持、とよめり、山或は川岸などの岩の崩るる所を云、
 
伎美我久由倍伎《キミガクユベキ》、己許呂波母多自《コヽロハモタジ》、」
 
3366 麻可奈思美《マカナシミ》、 麻は眞の意、
 
佐禰爾和波由久《サネニワハユク》、 佐は發言、
 
可麻久良能《カマクラノ》、美奈能瀬河泊爾《ミナノセガハニ》、思保美都奈武賀《シホミツナムカ》、」 常は水乾て、潮滿時は高波の立川、此所に今も有、○都奈の約多にて潮みたんかなり、
 
3367 母毛豆思麻《モヽツシマ》、 百の島かけて船の足の輕く行といひつゞけて、且百つ島は次のあるき多みといはん料なり、
 
安之我良乎夫禰《アシガラヲブネ》、 足柄山の杉もて造る船なり、相模の足柄郡と伊豆國は山續て分ちしらず、故に伊豆手船足柄小船も異ならぬなるべし、【應神天皇五年十月紀に、科2伊豆國1令v造v船、長十丈船、既成之試浮2于海1、使輕泛疾行如馳、故名2其船1曰2枯野1、】○上は序、小船の小は發言、
 
安流吉於保美《アルキオホミ》、目許曾可流良米《メコソカルラメ》、 良米といふからは、男のかた/\によし有てありける故に、相見ることの遠く成ぬらめと、女のおもふなり、
 
己許呂波毛倍杼《コヽロハモヘド》、」 是も上の辭に依に、女より男の心をいへり、上を思ふ方々へありきの多きとせば、下にいさゝかなげく言有べきに、かくのみいへるは、世中の事繋きをいふなりけり、
 
3368 阿之我利能《アシガリノ》、刀比能可布知爾《トヒノカフチニ》、伊豆流湯能《イヅルユノ》、 足柄下(ノ)郡土肥の杉山などいひて、伊豆に交る所に、今湯河原といふ村に湯有、古の湯と見ゆ、とげぬき打身に妙なりといへり、
 
余爾母多欲良爾《ヨニモタヨラニ》、故呂何伊波奈久爾《コロガイハナクニ》、」 余にもは、代々にもなる事上の如し、多欲良云云は、絶ん如くはいはざりしになり、爾は只いひ入て嘆く辭も多かれど、ここは妹が今更にあはぬを疑ふ意あり、
 
3369 阿之我利乃《アシガリノ》、麻萬能古須氣乃《マヽノコスゲノ》、 足上(ノ)郡のまゝ下(ノ)郷といふ、足柄の竹下てふ所の下にて、酒勾川の上に在といへり、此小菅は水に生るすげなり、
 
須我麻久良《スガマクラ》、安是加麻加左武《アゼカマカサム》、 今も上總下總にては、なにぞといふをあぜといふ、凡は東にてもなぜといへり、
 
許呂勢多麻久良《コロセタマクラ》、」 兒等と夫《セ》は、ともに手枕を交すからは、菅枕は何ぞやまかんといへり、
 
3370 安思我里乃《アシガリノ》、波故禰能禰呂乃《ハコネノネロノ》、 呂は助辭、
 
爾古具佐能《ニコグサノ》、 (卷四)蘆垣之、中之似兒草、にこよかに我と咲《ヱミ》してといひしに依に、こゝに花妻とつゞけしも、面よくゑみて實ならぬに譬、
 
波奈都《ハナツ》、 助辭、
 
豆麻奈禮也《ツマナレヤ》、 なればやなり、
 
比母登可受禰牟《ヒモトカズネム》、」 他《アダ》に實なき事に花といひし、下にもいへり、さてこゝは花つゝまならぬからは、紐解べしやといふなり、
 
3371 安思我良乃《アシガラノ》、美佐可加思古美《ミサカカシコミ》、 山深くして恐ろしき道なり、且是より五の句へつゞけり、
 
久毛利欲能《クモリヨノ》 冠辭、
 
阿我志多波倍乎《アガシタバヘヲ》、 心の裏にこめし妹が事を、闇くして見えぬにたとへて、右の冠辭はおけり、
 
許知※[氏/一]都流可毛《コチデツルカモ》、」 言《コト》に出しつるなり、足柄の山路は逢人もなく、すゞろにかしこきまゝに、頻に妹戀しくおぼえて、常は下にのみ思ひていはざりし妹が名を、おぼえずいひ出せしといふなり、(卷十一、中臣宅守)加思故美等、能良受安里思乎、美故之治能、多武氣爾多知弖、伊毛我名能里都、このかしこみとは、罪にて流され行時なれば、妹戀しといはんも人聞をおそるれど、此山上に至りておぼえず名を呼しといふなり、記に、倭武命到2足柄之坂本1云云、登2立其坂1三(タビ)歎《ナゲキテ》詔2云《ノタマヒキ》阿豆麻波夜1、
 
3372 相模治乃《サガミヂノ》、 治は道の略、
 
余呂伎能波麻乃《ヨロギノハマノ》、 和名抄に、餘稜郡除綾(與呂木、)と有を、古今歌集の今本に、こゆろぎと有は、いと後人の書誤れるなり、此濱磯は、今の大磯驛の直に東うらに有、道行人立よりて見るべし、
 
麻奈胡奈須《マナゴナス》、兒良八可奈之久《コラハカナシク》、於毛波流留可毛《オモハルヽカモ》、」 かなしとは愛《メデ》の深きをいへり、然れば此磯の眞砂は今もうるはしきを思ふに、眞砂のめでたきが如く、かなしと思ふといふなるべし、眞砂の數をもてたとへしにはあらじ、
 
武藏國歌 十首〔六字□で囲む〕〔補〕
 
3373 多麻河伯爾《タマカハニ》、 武藏國多摩(ノ)郡の多麻川なり、山城の大井川に似て、河原も水も甚清し、
 
左良須※[氏/一]豆久利《サラステヅクリ》、 上は序、○※[氏/一]豆久利は、(卷十六)長、うつたへはへて、織布《オルヌノ》、日にさらし、あさ手作《タツクリ》を、とよみ、和名抄に、白絲布(天都久利乃奴乃、)といへり、こは業として織にもあらず、私の料に織しをいふべし、今手|織《オリ》といふぞ此事ならん、
 
佐々良々爾《サラサラニ》、奈爾曾許能兒乃《ナニゾコノコノ》、己許太可奈之伎《コヽダカナシキ》、」 何とてか此妹を殊更にうつくしまるゝ事の多きやと、餘りてよろづに深く思はるゝまゝに、自らいぶかるなり、かなしきは上に出、
 
3374 武藏野爾《ムサシヌニ》、 字は奈良朝にて集る時書し物なり、歌は飛鳥宮の頃よみつらん、
 
宇良敝可多也伎《ウラヘカタヤキ》、 句なり、記に、内拔《ウツヌキニ》2天(ノ)香山之|眞男《マヲ》鹿之肩(ヲ)1拔(テ)云云、と有如く、こゝは武藏野の鹿の肩骨を取て燒占なふ故に、かくいへり、此末に、「ましばにも、のらぬ妹が名、可多爾伊※[氏/一]牟可母、」てふは形にて、占形ともいへば、こゝも形燒の意かと思ふ人有べけれど、既(ニ)記に出し如く、上つ代の事を傳へてかへぬは東なれば、こゝも肩と定めて、さて其肩骨を燒たる歌もて占《ウラ》べんには、形てふ言もいふべきなり、【或人は猶龜卜かと思へど、そは海邊の浮れ甲を燒故に、式に阿波國龜甲六枚、土左國龜甲四枚貢、と見えて他國には見えず、かく海邊の浮甲もてするを、むさしのゝうらへとはいふべからず、野といふに心をつけば、鹿の占なるを知べし、かくていにしへの代々、皇朝のうらを傳へしを、奈良宮に至て絶しにや、東國の神社の中には、今も鹿占の有を得て、東麻呂うしのかけりしを見しに、骨の班にこかしたる有しなり、】
 
麻左※[氏/一]爾毛《マサデニモ》、 眞定にもなり、※[氏/一]は多加の約|多《タ》なるを※[氏/一]に轉じいふ、此言卷二を始めて、占に多くいひなれしかど、此末に、「からすとふ、大をそ鳥の、麻佐※[氏/一]爾毛、來まさぬ君を、ころくとぞなく、」ともいへれば常の言なり、
 
乃良奴伎美我名《ノラヌキミガナ》、 思ふ男の名を、我は眞定に告《ノリ》し事も無に、父母のいぶかりて占へ肩燒して、占に顯れたりと云り、
 
宇良爾低爾家里《ウラニテニケリ》、」 死とも君が名はいはじ、と上にもよめれば、名をいひては必あしき故有中なるべし、
 
3375 武藏野乃、乎具奇我吉藝志《ヲグキガキヾシ》、 小岫之|雉《キヾシ》なり、くきの事(卷五)此山岫(ヲ)てふ所にいひし如く、山の尾なるべし、雉のをるべき所にてしらる、○此野のをぐきは秩父の方へよりて有べし、
 
多知和可禮《タチワカレ》、 雉は立といふ序のみ、
 
伊爾之與比欲利《イニシヨヒヨリ》、世呂爾阿波奈布與《セロニアハナフヨ》、」 呂は助辭、東人は呂良の辭を多くいへり、又無てふ事をなふといふも下に多し、
 
3376 古非思家波《コヒシケハ》、 戀しくあらばなり、久阿の約加なるを家《ケ》に轉し云、
 
素※[氏/一]毛布良武乎《ソデモフラムヲ》、牟射志野乃《ムザシヌノ》、宇家良我波奈乃《ウケラガバナノ》、 二句は句中の序なり、○うけらは、新撰字鏡、白朮(乎介良、)和名抄に、朮(乎介良、)似v薊生2山中1、故名2山薊1也、といひ、誰も此物といへり、此草花は似v薊白、又白きに紫をおびたるも有、此紫朮を色に出とよめるならん、次に「わがせこを、あとかもいはん、武藏野の、宇家らが花の、時なき物を、」とよめる下にも云をまて、【宇家良と乎介良の宇乎は相通ふ例なり、うさぎを乎さぎ、宇はぎををはぎ、うそををそなどいへり、】
 
伊呂爾豆奈由米《イロニヅナユメ》、」 謹で色に出ることなかれといへり、さて戀しき時は、吾はよそ人を思ふ如くして、袖振事も有なんを、そを見て心には思ふとも、色にあらはすことなかれといふなり、【此歌を誤て、うけらの花はよくも開かぬ物といふは、いふにもたらず、こは色に咲出る物なれば、さいひて下の不《ズ》まではかゝらぬいひなしなり、此いひなしに例有をも思はで、ひが説ともありて、こと多ければ別記に論へり、】 
伊可爾思※[氏/一]《イカニシテ》、古非波可伊毛爾《コヒバカイモニ》、武藏野乃、宇家良我波奈乃、伊呂爾|低受安良牟《デズアララム》、」 今本是を或本の歌とて注せれど、右とは意異にて同歌のかはれるにあらず、こはよくも意得ぬ人、彼此を書もらせしことしるし、仍て本文にあつ、上下に此類あり、
 
3377 武藏野乃、久佐波母呂武吉《クサハモロムキ》、 風しづかに吹て、此大野の草のもろ向になびくさま、古へこそかくもいひ出たれ、上に、「秋の田の、穗むきのよれる、かたよりに、」てふなどの如し、
 
可毛可久毛《カモカクモ》、 彼も此もなり、
 
伎美我麻爾末爾《キミガマニマニ》、吾者余利爾思乎《ワレハヨリニシヲ》、」 何事をも君がまゝによりしたがひしと思ふを、いかなるよし有て疎く成つらんやと、女の愁なり、 
3378 伊利麻治乃《イリマヂノ》、於保屋我波良能《オホヤガハラノ》、 和名抄に、入間郡大家郷有、【大家(於保也介、)とあれど、古はもし於保也といひし歟、また別歟、】
 
伊波爲郡良《イハヰツラ》、 下のかほやがぬまにも、此かづらをいへば、水中のものか、 
比可婆奴流奴流《ヒカバヌルヌル》、和爾奈多要曾禰《ワニナタエソネ》、」 上の多氣は奴禮てふ歌にいへる如くて、かづらも長くつゞけるを引ば、ぬら/\として絶ざるを、男の吾に絶ざらんにたとふ、○曾も禰も令《オフ》する辭なり、○此下に、「上つ毛野、かほやがぬまの、いはゐづら、ひかばぬれつゝ、あをなたえそね、」てふにひとし、自らかくよみしか、又一つは唱へ違か、
 
3379 和我世故乎《ワガセコヲ》、安杼可母伊波武《アドカモイハム》、 何ぞとかも誓いはんなり、
 
武射志野乃《ムサシヌノ》、宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》、 上に出、
 
登吉奈伎母能乎《トキナキモノヲ》、」 此時無は、日本紀に非時香菓《トキジクノカグノコノミ》と有は橘にて、四時常なるをいひ、又(卷一)に耳我山爾、時無ぞ、雪は降ける、と有て、同一本に不時と書たり、然れば四時常ならずとも、をり/\に咲をもいふべければ、春咲花の夏秋にも咲故いふか、なでしこは夏のものにて、秋冬の初までも咲より、常夏の名有が如くなるべきや、
 
3380 佐吉多萬能、津爾乎流布禰乃、 埼玉郡は海によらず、利禰の大川の船津をいふなるべし、
 
可是乎伊多美《カゼヲイタミ》、都奈波多由登毛《ツナハタユトモ》、許登奈多延曾禰《コトナタエソネ》、」 許登は言、
 
3381 奈都蘇妣久《ナツソヒク》、 冠辭、
 
宇奈比乎左之※[氏/一]《ウナビヲサシテ》、 播磨にうなびてふ地有が如く、此宇奈比も地名なり、此條皆地名をいへる中に、信濃歌の中麻奈爾、宇伎乎流布禰能、といふと是とのみ定かならねど、共に地名ならではかなはざるなり、
 
等夫登利乃《トブトリノ》、伊多良武等曾與《イタラムトゾヨ》、阿我之多波倍思《アカシタバヘシ》、」 鳥は心ざす方有て飛ものにて、その方へ至らざる事なし、是にたとへて、吾も終にかく相べきものとて、した心に戀たりしよと、事の成し時によめるならん、 
上總國歌 二首〔六字□で囲む〕
 
3382 宇麻具多能《ウマグタノ》、 和名抄に、望多郡、(末宇太、)と有は、後に字に付たる訓なり、古は馬來田《ウマクダ》と書て、訓も此歌の如く日本紀などに見ゆ、
 
禰呂乃佐左葉能《ネロノサヽバノ》、 嶺《ネ》等の小竹葉なり、此國海べにて又山多し、 
都由思母能《ツユシモノ》、 露霜爾といはで能と有は、上に髪のさかるをぬれといふ如く、衣など露のしめりて、ぬれさがることをいふ故なり、たゞ水などのしむるをいふとのみ思はゞ、聞ゆべからず、
 
奴禮※[氏/一]和伎奈波《ヌレテワキナバ》、汝者故布婆曾母《ナハコフバゾモ》、」 袖もすそもぬれしを以て吾來ぬるは、汝をばふかく戀ればぞといふなり、
 
3383 宇麻具多能《ウマグタノ》、禰呂爾可久里爲《ネロニカクリヰ》、 防人の出立て、此嶺の彼方に成しほどをかくいふ、
 
可久太爾毛《カクダニモ》、久爾乃登保可婆《クニノトホカバ》、奈我目保里勢牟《ナガメホリセム》、」 今はたゞ此一嶺に隱るゝばかり近きにも戀しきに、いや遠ざかり國もへだゝりゆかば、いかばかり妹を相見まくほしからんといへり、○相問ふには、先互に目を見合するもの故に、日本紀の歌にも此集にも君が目を欲《ホリ》と多くよめり、
 
下總國歌 四首〔六字□で囲む〕
 
3384 可都思加能《カツシカノ》、 和名抄に、葛飾郡、(加止志加、)と有は、都をばつの音に用る古を忘て、止《ト》とせしものなり、後世とても東にては、かつしかといへり、 
麻末能手兒奈乎《マヽノテゴナヲ》、 麻末てふ所は今もあり、○手兒奈は、今も此國にては、いと末の子を弖其《テゴ》と云、然れば波弖《ハテ》の子の波を略けるなり、【掌に置てめづる意にて、手童《タゴ》といふと聞ゆる歌も有は別なり、、又みどり子の意にて手兒といへるは、此果の子より轉りしにて、手童の方よりいふにあらず、】此國人は惣て略言多ければ、さぞ有べく、遠江國人は末の子を保※[氏/一]の子といひ、惣ても物の果るをほてたりといへり、是をむかへ思へは、果の子てふ事なりけり、且その果の子を即|弖子《テコ》とも名つけしと聞ゆるは、今の世におとゝ呼が如し、
 
麻許登可聞《マコトカモ》、和禮爾余須等布《ワレニヨストフ》、 吾に相べしと人のいひ寄《ヨ》るといふは實かといへり、余須とは何處にても人の云|寄《ヨス》る事なり、或人は此意を誤れり、
 
麻末乃※[氏/一]胡奈乎《マヽノテゴナヲ》、」 我に人のいひよするをうれしと思ひて、かくよめるなり、然ればてごなが在し時なり、此事よめる歌下の(卷十《今ノ九》)(卷十四《今ノ三》)にも有、其卷十四なるは、山部赤人の長歌なれば、奈良朝に至て天平の始の頃までの歌なるに、其歌に、古へにありけん事といひしからは、此少女は飛鳥岡本の宮の頃に在し成べし、ここの歌の樣も其頃の歌と開ゆ、
 
3385 可豆思賀能《カツシカノ》、麻萬能手兒奈我《マヽノテゴナガ》、 今本家と有は、我の草を家に誤しなり、【家は集中皆|計《ケ》の假字にのみ用て、かに書し事なし、下にも誤れる所多きは皆改めつ、其中に我を和|氣《ケ》と云に、家と書はあしからず、さる所々の別ちを皆心して見よ、】
 
安里之可婆《アリシカバ》、 是は既に身まがりし後にいへるなり、
 
麻末乃於須比爾《マヽノオスヒニ》、 上の駿河歌の於思敝と此於須比は、磯邊といふ事と或人のいひしはしかなり、同國の遠金てふ所の近くに、押日《オスビ》てふ所今在といへるも、伊曾倍の方言にしかいふにぞあらん、
 
奈美毛登杼呂爾《ナミモトヾロニ》、」 いといひさわぎし事を、所につけて波にたとふ、 
3386 爾保杼里能《ニホドリノ》、 冠辭、
 
可豆思加和世乎《カツシカワセヲ》、爾倍須登毛《ニヘストモ》、 早稻を以て神に新嘗《ニヒナメ》奉なり、公は本よりにて、田舍の民戸にても、此祭せしを知、たふとむべし、 
曾能可奈之伎乎《ソノカナシキヲ》、刀爾多弖米也母《トニタテメヤモ》、」 その男をさす、かなしきをは、かなしと思ふ君をといふを略けり、此下に、左奈郡良能、乎可爾安波麻伎、可奈之伎我、古麻波多具等毛、和波素登毛波|自《ジ》、といへり、古今歌集に、戀しきが方も方こそ、といへるも、本はかなしきがにてや有つらん、かくての意は、此神ごとには、凡の人の入來るをも忌ども、深くうつくしと思ふ君が來んには、戸の外には立せず、内へ入來させんと、事のたとへにいへり、此下に、多禮曾許能、屋能戸於曾|夫《ブ》流、爾布奈未爾、和家世乎夜里※[氏/一]、伊波布許能戸乎、こは國廳の新嘗祭へ夫の參りしならん、
 
3387 安能於登世受《アノオトセズ》、 足の音せずなり、
 
由可牟古馬母我《ユカムコマモガ》、可都思加乃《カツシカノ》、麻未乃都藝波思《マヽノツギハシ》、夜麻受可欲波牟《ヤマズカヨハム》、」  川|狹《セバ》ければ打橋とて板一|枚《ヒラ》渡して足れり、廣瀬にはさてはかなはねは、川中に柱を對《ムカヘ》立、それに横木をゆひて、板を長く繼つゝ渡せるを繼橋といへり、大道などの橋は釘かすがひもてかたむるを、こは葛などしてゆひてあれば、馬の渡るにごとにとゞろくめり、今も田舍に多し、
 
常陸國歌 十首〔六字□で囲む〕
 
3388 筑波禰乃《ツクバネノ》、禰呂爾可須美爲《ネロニカスミヰ》、須宜可提爾《スギガテニ》、 此嶺は常にかゝれる雲霞のよそにも過ゆかで有を、男の忍びつゝ來るにえあひがたきを思ひ過しがてにするにたとふ、
 
伊伎豆久伎美乎、 思餘て息を衝なり、
 
爲禰※[氏/一]夜良左禰《イネテヤラサネ》、」 やらさねは、(卷一)に、草をからさね、といへるさねの如く、いねてやれと他《ホカ》より命《オフ》する辭なれど、こゝには吾願ふ事を、他人のいはん如くいへり、今人何とせよかしと思ふ事を、自ら何とせでと云に均し、禰《ネ》と傳《デ》と韻通へり、此下の、「きはづくの、岡のくゞみら、吾つめど、籠にもみたなふ、せなと都麻佐爾、」てふもいかでか夫《セ》と共に摘《ツマ》でと思ふ我ことをいへり、然ればこゝは母などの目を忍びかねて、男をたゞに歸らしむる時の心を自いふとすべし、○爲《ヰ》ねてはひきゐねてなり、
 
3389 伊毛我可度《イモガカド》、伊夜等保曾吉奴《イヤトホゾキヌ》、 遠|放《ザカリ》の佐《サ》を曾《ゾ》に轉じ、吉は加利の約、
 
都久波夜麻《ツクバヤマ》、加久禮奴保刀爾《カクレヌホドニ》、蘇提波布利※[氏/一]奈《ソデハフリテナ》、」 防人の立行道にてよめるか、【婆を和の如く唱ふるは半濁なり、濁て連聲のわろき所を半濁にいふのみ、】
 
3390 筑波禰爾《ツクバネニ》、可加奈久和之能《ガヽナクワシノ》、禰乃未乎可《ネノミヲカ》、 鷲のこゑを奥山にて聞しに、鳥の聲ともなく、大なる木など折が如く我久《ガグ》々々と鳴ぬ、こゝに可加《ガヾ》鳴といへる是なり、景行天皇紀に、相摸海にて覺賀《ガヽ》鳥の聲せしてふ事有、其覺賀はこゝを以て假字とし、こゝは覺賀の字を以て濁るべきなり、
 
奈岐和多里南牟《ナキワタリナム》、安布登波奈思爾《アフトハナシニ》、」
 
3391 筑波禰爾《ツクバネニ》、曾我比爾美由流《ソガヒニミユル》、 背向《ソガヒ》なり、
 
安之保夜麻《アシホヤマ》、 序なり、こは下野國にて、筑波より北へ今道十八里計有て、二荒《フタラ》山の山つゞき七里ばかり北なりといへり、峰に神社有、今銅の出る山なり、 
安志可流登我毛《アシカルトカモ》、左禰見延奈久爾《サネミエナクニ》、」 其男はすがたも心も惡といふべきとがも見えざる故、心につけるよしを女のよめるなり、ほめて事なきわざもといへるにひとし、○未の爾はいひ入て歎く辭、古歌に例多し、
 
3392 筑波禰乃、伊波毛等杼呂爾《イハモトヾロニ》、於都流美豆《オツルミヅ》、代爾毛多由良爾《ヨニモタユラニ》、和我《ワガ》、 今本|家《ケ》に誤、
 
於毛波奈久爾《オモハナクニ》、」 代爾毛は、代々爾もの意、(卷五)にいひつ、
 
3393 筑波禰乃、乎※[氏/一]毛許能母爾《オテモコノモニ》、 上に出、
 
毛利敝須惠《モリヘスヱ》、 猪鹿の跡|見《ミ》などをいふ、
 
波播可毛禮杼母《ハヽガモレドモ》、 今本はゝ已と有は、かの草より誤つらん、(卷五)「靈合《タマアヘ》ば、あひぬる物を、小山田の、鹿田もる如、母|之《ガ》守爲裳《モラスモ》、」と有に似たり、【或人、母籠どもと思へるは、字に泥て言を強るなり、先一首を知て後字の誤を思ふべきなり、】
 
多麻曾阿比爾家留《タマゾアヒニケル》、」 魂の相かなひて互に心のしたしむよし上にいへり、○守部置とは私にいふ言ならじ、國守獵して田畠を荒さぬ爲とすれば、此繁山は守部を置べきなり、
 
3394 左其呂毛能《サゴロモノ》、 冠辭、
 
乎豆久波禰呂能《ヲヅクハネロノ》、 呂は助辭、
 
夜麻乃佐吉《ヤマノサキ》、 佐吉は山之|放《ソキ》なり、集中に山のそき野のそき、祝詞に、國の退立《ソキタツ》極み、などいひ、右にもとほ曾《ゾ》吉といふに同じく、山の遠|放《サカ》りて見ゆるをもて、我行々見|放《サケ》思ひ放《サカ》る事のたとへとす、
 
和須良延許波古曾《ワスラエコバコソ》、 禮を延て良延と云、
 
那乎可家奈波賣《ナヲカケナハメ》、」 男遠き旅に行ても見なれし筑波ねを忘るゝ事はなし、もしそを忘れ來る事あらばこそ、汝妹《ナニモ》を心に懸無《カケナ》き事もあらめとて、必忘るまじきをたとふ、(卷二十)の常陸歌に、「吾もての、わすれもしたば、都久波|峯《ネ》乎、布利佐氣美都々、いもはしぬばせ、」
 
3395 乎豆久波乃《ヲヅクハノ》、禰呂尼都久多思《ネロニツクタシ》、 月立なり、初《ユフ》月をいふ、
 
安比太欲波《アヒダヨハ》、 太乃濁字有からは間夜と云なり、
 
佐波爾奈利奴乎《サハニナリヌヲ》、 此嶺に三日月の出立し比逢て後に、間《アヒタ》の夜比の數多く成ぬるを、今又相ねせんよしもがなと乞なり、
 
滿多禰天武可聞《マタネテムカモ》、」
 
3396 乎都久波乃《ヲヅクバノ》、之氣吉許能麻欲《シゲキコノマヨ》、多都登利能《タツトリノ》、目由可汝乎見牟《メユカナヲミム》、 立鳥の群《ムレ》とつゞけたり、冠辭考の味澤經《アヂサハフ》の條にいへり、(卷五)「小竹《サヽ》のへに、來ゐて鳴鳥、目を安み、」てふに依て疑ふ人はこゝに至りて思ひ明らむべし、○冠辭よりは群《ムレ》とつゞき、うけたる句にては、只目よりのみ見てあらんかといふなり、よりは手より足よりのよりに同じ、
 
左禰射良奈久爾《サネヤラナクニ》、」 此射をざのかなとしては、受阿《ズア》の約にてさねずあらなくに、さねたりてふ言と成て、此歌にそむけり、(卷十一)「おもはずも、まこと有得んや、さぬる夜の、伊米にもいもが、美延射良奈久爾、」と有是も見えざらなくと訓ては、右の如く理りなければ、射はやと訓つ、【射をやのかなに書しは、藐胡射山などあり、又耶を誤りしともすべし、】
 
3397 比多知奈流《ヒタチナル》、奈左可能宇美乃《ナサカノウミノ》、 此地の名土人に問べし、
 
多麻毛許曾《タマモコソ》、比氣波多延須禮《ヒケバタエスレ》、阿杼可多延世武《アドカタエセム》、」
 
信濃國歌 四首〔六字□で囲む〕
 
3398 比等未奈乃《ヒトミナノ》、許等波多由登毛《コトハタユトモ》、 言なり、
波爾思奈能《ハニシナノ》、 埴科郡の石井てふ里の名ならん、
 
伊思井乃手兒我《イシヰノテコガ》、 上にいへり、信濃にてもかくいふなりけり、【或説、此手兒は自いふといへるは何の事ぞや、男の歌にをとめをさしていふ外なし、】
 
許登奈多延曾禰《コトナタエソネ》、」
 
3399 信濃道者《シヌヂハ》、伊麻能波里美知《イマノハリミチ》、 元明天皇和銅六年紀に、美濃信濃二國之堺經道險阻、往還艱難仍(チ)通2吉蘇路(ヲ)1、と見ゆ、此程の事故に今の墾道といへる時代かなへり、【此時吉蘇はいまだ美濃に屬て在、今京となりて吉蘇小吉蘇二村を信濃へ付られし事、三代實録にみゆ、】
 
可里婆禰爾安思布麻之牟奈《カリバネニアシフマシムナ》、新治《ニヒハリ》の道には、木竹を刈除たる刈計《カリバ》に其根の有を踏て足害ふなと云り、記に小竹之刈材雖足※[足+非]破云云、其外かきがらひしがらに足踏などの類多し、【苅計を略てかりばと云、根は苅莖なり、】
 
久都波氣和我世《クツハケワガセ》、」 沓著吾夫なり、此新道を經て通ふ男成べし、
 
3400 信濃奈流《シナヌナル》、知具麻能河泊能《チクマノカハノ》、左射禮思母《サヾレシモ》、 禮は良に通ひて狹々良石《サヽライシ》なり、伊之を之《シ》とのみいふ例多し、
 
伎彌之布美※[氏/一]婆《キミシフミテバ》、 蹈てあらばを、※[氏/一]阿(ノ)の約多なれば、蹈《フミ》多良婆と云を、又その多良の約の多を※[氏/一]に轉じて※[氏/一]婆《テバ》といへり、かのいひ而師《テシ》などの轉言を、これを以てもしるべし、
 
多麻等比呂波牟《タマトヒロハム》、」 此川は本筑摩郡に在べし、然るを今は他郡に此川の名あり、仍て郡境を爭訟し事も古へ有し、思ふに上野の利根川を、いと末の下總にてもとね川といふ類、世に多ければ他郡にてもいふべし、
 
3401 中《ナカ》麻奈《マナ・ヲナ》爾《ニ》、 是も所の名なり、遠江その外にも乎那といふ所あれば、これも乎那と訓べきか、惣て此國風には地の名をいへるを、是らのみ地ならずばあらじ、上の宇奈比の所にもそのよしいへり、【なかまなてふ地は、土人もえ考がたしといへり、然らば麻奈は乎奈《ヲナ》と訓て、和名抄に、更科郡、小谷(乎宇奈、)小縣郡、童女(乎無奈、)てふなどを古へは乎奈と云しか、女子を乎奈子《ヲナゴ》ともいふが如し、中は郷に上中下といふ古も今もあり、こは推量の説ながら、かの土人など、をなと訓て得るよしあらんにやと思へば、ことを開くのみ、】
 
宇伎乎流布禰能《ウキヲルフネノ》、許藝※[氏/一]奈婆《コギデナハ》、安布許等可多思、家布爾思安良受波《ケフニシアラズハ》、」 こはすはの毎か、又越後へ落る川にても、舟して行男に別るゝ女の歌なり、かく樣によめる上下に有を思ふに、船にて旅行には、先船に乘て一日も在て別をしみしなるべし、
 
上毛野國歌 二十二首〔九字□で囲む〕
 
3402 比能具禮爾《ヒノクレニ》、 冠辭、
 
宇須比乃夜麻乎《ウスヒノヤマヲ》、古由流日波《コユルヒハ》、勢奈能我素低母《セナノガソデモ》、佐夜爾布良思都《サヤニフラシツ》、」 臼井の山に遠からぬ里より別れしなり、そで母《モ》といふは、我振袖をもせな見つらんか、とおもふよりいへるならん、○勢奈能|我《ガ》は、夫名根之《セナネガ》なり、此下に伊母能良爾、と有も妹根等爾、と云にて、夫名《セナ》の名は、即名有事を美《ホメ》言とする古の例なり、根は物の本をいひて同じく貴む言故に、天皇を倭根子と申し、母をたらち根、姉を吾根《アネ》、兄を吾二《アニ》、といふも吾根《アネ》の通音なり、
 
3403 安我古非波《アガコヒハ》、麻左香毛可奈思《マサカモカナシ》、 眞|其際《ソノキハ》なり、上にいへり、
 
久佐麻久良《クサマクラ》、 冠辭のみならず旅のさまをいふめり、
 
多胡能伊利野乃《タコノイリヌノ》、 此國に多胡郡を建し事、和銅四年の紀に見ゆ、入野はその所の野なり、
 
於久母《オクモ》、 久を今本父に誤、【おくをおうと唱るは、から文を訓人の言便にて雅言にあらぬを、さかしらに後人於父と書しにや、】
 
可奈思母《カナシモ》、」 夫の旅別の其際もかなし、別て末に思はんもかなしといふなり、○於久は入野の奥とつゞけて末をいひ、悲は深くおもひ染るをいへり、
 
3404 可美都氣努《カミツケヌ》、 こは本|上《カミ》つ毛《ケ》野の國と云り、然れば此努は野の意なり、下に可美都家野と有、後世かみつけとのみいふにならひて思ひ誤る事なかれ、かくて此下に多き中に、只一つ乃と有に依て、辭の乃と又思ひ誤る事なかれ、他は野努奴などのみ有、古へ野をば奴《ヌ》といひしからは、かみつけぬとも唱ふべけれど、のと訓も中世なれば暫從ふべし、○下に之の辭なきは、遠つあふみいなさ細江などの類なり、
 
安蘇能麻素武良《アソノマソムラ》、 下にも安蘇山といへり、あそといふ里に作る眞麻《マソ》の群りてあるを序とす、
 
可伎武太伎《カキムダキ》、 可伎はことば、むだきは身《ム》抱にて、左右の手な末を向へて男女相抱をいふ、さてこゝは麻の群たるを刈てかき抱|束《ツカ》ぬるを譬とせしなり、
 
奴禮杼安加奴乎《ヌレドアカヌヲ》、安杼加安我世牟《アドカアガセム》、」 何《ナゾ》とかせんと情の餘りをいふ、
 
3405 可美都氣乃《カミツケノ》、 此|乃《ノ》に依て誤る事なかれ、野のかななり、
 
乎度能多杼里我《ヲドノタドリガ》、可波治爾毛《カハヂニモ》、 小野|之《ノ》田野等《タノラ》之川|道《ヂ》にもといふか、和名抄に、甘樂、緑野、群馬、の三郡に各小野郷あり、此中なるべし、或本には、乎野と有、野を杼《ド》といふも清濁の通ふ例なれば、東にはさもいひしならん、
 
兒良波安波奈毛《コラハアハナモ》、比等理能未思※[氏/一]《ヒトリノミシテ》、」 此川路里ばなれて人目なき所なれば、かゝる所を吾獨行時に兒等にあはばやと思ふ心をいふなり、此下に、「ま遠くの野にもあはなん、心なく、里のみ中に、あへるせなかも、」ともよみつ、【或本歌、可美都氣乃、乎野乃多杼里我、安波治爾母、世余波安波奈母、美流比登奈思爾、この安は河の誤、四の句もよろしからず、人ばなれの所を女の獨行べくもなし、】
 
3406 可美都氣野《カミツケヌ》、左野乃九久多知《サノヽクヽダチ》、 左野てふ名は、和名抄などにもなきは郷ならねばなり、されど今もしかいふ里あり、○くゝだちは、和名抄に、※[草冠/豊](久々太知、)蔓菁《アヲナ》之苗也、と有是にて、台記などの饗膳に莖立とてあり、
 
乎里波夜志《ヲリハヤシ》、 乎里は折なり、はやしは物を榮《ハエ》あらする事にて、(卷十六)に、「吾角は、御笠のはやし、吾宍は、御膾はやし、」などいへるにひとし、
 
安禮波麻多牟惠《アレハマタムヱ》、 惠は天智天皇紀の童謡に、阿例播具流之|衛《ヱ》、と二つ有、ともに助辭なり、其外神武天皇紀に、居《コ》氣辭比惠禰、集に縱惠也師、などの惠も助辭なり、
 
許登之許受登母《コトシコズトモ》、」 來《コ》と不來ともにて、之は助辭、たまたま來ともと云なり、
 
3407 可美都氣努《カミツケヌ》、麻具波思麻度爾《マグハシマドニ》、 眞桑島てふ川島など有て、其潮瀬を門《ト》といふならん、さて朝日に向ふ所なるべし、
 
安佐日左指《アサヒサシ》、麻伎良波之母奈《マギラハシモナ》、安利都追美禮婆《アリツヽミレバ》、」 其朝日のきら/\とするに譬へて、よそに戀し男に今は常に相むかひをればまばゆしといへり、○此或説は甚わろし、【曇りて目をきらするも、光のまばゆきと事は異にて、言の意はひとしければ、まぎらはしもといへり、】
 
3408 爾比多夜麻《ニヒタヤマ》、 和名抄に、新田郡新田郷あり、
 
禰爾波郡可奈那《ネニハツカナヽ》、 此下に、「高きねに、雲のつくのす、吾さへに、君につかなゝ、高ねと思ひて、」とよめるに依に、こゝには雲といはねど雲の事なり、○都可奈那の上の奈はねに通ひて付《ツカ》ねな也、又其可禰を約れば介《ケ》と成てつけなとなりぬ、【こゝに引下の歌、古今歌集の見えななんといへるも、みな此音の通ひなり、或説はまどへり、】
 
和爾余曾利《ワニヨソリ》、波之奈流兒良師《ハシナルコラシ》、安夜爾可奈思母《アヤニカナシモ》、」 里人のことよせづまの障有て、吾に付もやらで間《ハシ》にて在がふかくかなしきに、いかでとく吾方へつけかしといふを、上に此山の嶺にもつかず、すそへ去もはてずたゞよふ雲の、一方に嶺につけと先いひしらせたり、
 
3409 伊香保呂爾《イカホロニ》、 呂は助、○神名式に、群馬《クルマノ》郡、伊香保神社、(名神大、)
 
安麻久母伊都藝《アマクモイツギ》、 いかほの山の雨雲のはびこりつゞきて可奴麻てふ所までひとつにつぎ成しなり、
 
可奴麻豆久《カヌマヅク》、 今も可奴萬の苧《ヲ》とて麻を出す所有、
 
比等登於多波布《ヒトヽオタバフ》、 その雲のひとつにつゞけるを、吾と妹と心ひとつぞと人にいはるゝに譬ふ、○おたばふはをらばふにて、音高くいひさわぐなり、
 
伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、」 かくいはるゝからは、いざ相寢しめたらんと云り、ねしめてあらんのてあの約多にて、常人はねしめたらんといふを、とら、といへり、らんをらとのみ云は平言に多し、○此末に、比とねろに、いはる物から、青|嶺《ネ》ろに、いざよふ雲の、よそりつまはも、てふも似たり、
 
3410 伊香保呂能《イカホロノ》、蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》、 此下に、「いかほろの、そひのはり原、わがきぬに、つきよらしもよ、」その下に、伊波保呂乃、【伊波は伊何の誤なるべきよし、その所にいふ、】蘇比のわか松、限とや、ともよめり、かくて此山の樣を國人に問に、三方は山一方は片|岨《ソバ》にて、斜なる野なりといへり、然らば其岨の事をそひといひつらん、
 
禰毛己呂爾《ネモゴロニ》、 此句は上へつゞくことなし、
 
於久乎奈加禰曾《オクヲナカネソ》、 右のはり原の奥は、かの山際の入野なるをもて、奥深き譬へとせしものなり、こは其地の樣をいふにて、はりの花に依にあらず、
 
麻左可思余加婆《マサカシヨカバ》、」 今だによくあらば、奥末の事をば餘りにくさ/\と思ひかねそ、末は末のよしこそあらめ、今、先あはんと云なり、○よくあらばの久安の約加なれば、よかばといへり、らは畧く、
 
3411 多胡能禰爾《タゴノネニ》、 上に出、禰は嶺なり、
 
與西都奈波倍※[氏/一]《ヨセヅナハヘテ》、與須禮騰毛《ヨスレドモ》、 よらぬ物を強て引よせんとするにたとふ、(卷三)に、かくよれと、人はつけども、云云、祝詞出雲風土記などに、八十綱はへて國を引てふ事有、
 
阿爾久夜斯豆久《アニクヤシヅク》、 右の如く引にひけども、敢惡《アヘニク》く鎭りゐてよらぬなり、下へ沈むをしづくといふも鎭るも言は均し、○夜《ヤ》は與に通ふ辭、 
曾能可抱與吉爾《ソノカホヨキニ》、」 抱を今本把に誤、【抱は保《ホ》の假字に多く書り、又かはよきてふ言は古へ聞えず、】○おもてやはらかに打ゑみつゝ在が心の動かぬなり、
 
3412 賀美都家野《カミツケノ》、久路保乃禰呂乃《クロホノネロノ》、 此嶺問べし、
久受葉我多《クズハガタ》、 葛葉蔓なり、かづらのつらの約多なり、
 
可奈師家兒良爾《カナシケコラニ》、 きをけといふは東ことば、
 
伊夜射可里久母《イヤサカリクモ》、」 彌放來なり、葛かづらの遠|放《サカリ》延るを序とす、○こはたゞ妹といよゝ遠く成を歎くなり、又防人の歌にて別來し道をいふか、 
3413 刀禰河伯乃《トネガハノ》、 利根郡、【此川は常陸下總にても刀禰川といへど、こゝは即その郡にていふなり、上野にてしも大河なりけん、】
 
可波世毛思良受《カハセモシラズ》、多々和多里《タヾワタリ》、 直渉のあやうき上に浪にあふなり、
 
奈芙爾安布能須《ナミニアフノス》、 能須は奈須にて、如の意なり、
 
安敝流伎美可母《アヘルキミカモ》、」 命に問ふばかりのあやふきを經て、今あひあふと女のよめり、
 
3413 伊香保呂能《イカホロノ》、夜左可能爲提爾《ヤサカノヰデニ》、 國人いへらく、いかほの沼は此嶺の半上に在て、沼の三方には山ども立、一方は開けて野なり、其開し方の水の落る所をゐでといふといへり、然ればやさかは其水の落る所の名、堰堤《ヰデ》はゐどめにて、こゝは塘なり、
 
多都努自能《タツヌジノ》、 虹を東にては今ものじといひ、遠江にてねじといふ、虹は水の氣なれば此ゐでに專立べし、さて顯るゝたとへとせり、
 
安良波路萬代母《アラハロマデモ》、佐禰乎佐禰※[氏/一]婆《サネヲサネテバ》、」 よし末に顯はれてあしゝとも、いかで相ゐる事を得てしあらばといへり、婆《バ》と書るに心すべし、
 
3415 可美都氣努《カミツケヌ》、伊可保乃奴麻爾《イカホノヌマニ》、宇惠古奈宜《ウヱコナギ》、 下に、春日の野べの、植小水葱、ともあり、
 
可久古非牟等夜《カクコヒムトヤ》、多禰物得米家武《タネモトメケム》、」 古奈宜は上にいへる如く、池溝などに今は水葵と云て自ら生る草なり、植とは生《オヒ》てあるをいへり、歌の末に種求と云は、歌のよせことばなるを、此言に依て誤る人あるべし、下にも紀の歌にも、植竹植草などある皆生立て有をいふなり、○別卷に、(人麻呂歌集)「是《カク》ばかり、こひしきものと、しらませば、よそに見るべく、有ける物を、」などの類なり、
 
3416 可美都氣努《カミツケヌ》、可保夜我奴麻能《カホヤガヌマノ》、 此沼も問べし、 
伊波爲郡良《イハヰヅラ》、 上の武藏歌に、おほやがはらのいはゐづらともよめり、
 
比可波奴禮都追《ヒカバヌレツヽ》、安乎奈多要曾禰《アヲナタエソネ》、」
 
3417 可美都氣奴《カミツケヌ》、伊奈良能奴麻能《イナラノヌマノ》、於保爲具左《オホヰグサ》、 和名抄、莞(於保井、)可2以爲1v蓆者、今はふと葦といへり、さておほよその意にてよそといはん序とせしにや、【日本紀に、莞をかまと訓しはあたらず、かまは記にも郡の名にも蒲を訓たり、】
 
與曾爾見之欲波《ヨソニミシヨハ》、 よりはなり、
 
伊麻許曾麻左禮《イマコソマサレ》、」 此歌別卷(人麻呂歌集)にも入たり、【古への歌集は、歌を傳へ得るまゝに書集れば、東歌も何も交るべきなり、或説に種々いへるはよしなし、】
 
3418 可美都氣努《カミツケヌ》、佐野田能奈倍能《サノダノナヘノ》、 佐野は上に出、其所の田なり、
 
武良奈倍爾《ムラナヘニ》、 苗代は所々に一むれづゝ作るものなれば、群苗といひて、それをうらなへにいひかけつ、占は此卷にもうらといひしかど、むらともいふまじからず、【早苗とる時は、人に苗をなげ打していはふてふ事も有か、こは田舍人にひろく問べし、】 
許登波佐太米都《コトハサダメツ》、伊麻波伊加爾世母《イマハイカニセモ》、」 我戀の成んやと占とへば、成まじきとうらに定まりぬ、然れば今はいかにしてましとなげくなり、〇世母はいかにせんなり、
 
3419 伊加保世欲《イカホセヨ》、 いかほと云所に住む、わが夫《セ》子をいふ、
 
奈可中次下〔三字□で囲む〕於毛度路久麻許曾之都等〔七字□で囲む〕和須禮西奈布母、 二の句の中次下の三字此卷の書體にあらず、又假字とせんも、他の假字の體に違へり、然れば必字の誤且落たる字も有べし、四の句もまた言をなさず、故に手を付べからぬ歌なり、正しき本を得ん人よむべし、かゝる事みだりに心をやりとかんとする時は、私に落めり、或説もあれど皆いまだしき心もていへれば、論にたらず、
 
3420 可美都氣努、佐野乃布奈波之《サノヽフナバシ》、 佐野は上のごとし、
 
登利波奈之《トリハナシ》、 川に船をならべ、綱もて杭につなぐ故に、とりはなつ事もあれば、しかいひて、男とわが中をはなつにたとへたり、【或説舟橋に古事など引は用なし、こは田舍の舟橋にて、かりなればとりはなつもやすし、】
 
於也波左久禮騰《オヤハサクレド》、 於也とは父母を合せいふ、
 
和波左可禮賀倍《ワハサカレガヘ》、」 意は吾は放《サカ》らんやさからずと返る辭なり、倍は辭の餘りにて意なし、此末にも、和波佐可流|我《ガ》倍、と濁れるを、何ぞいはゞ、流我も禮賀も約れば、良と成てさる良倍《ラヘ》といふなり、其良の半濁より我《ガ》の濁りとはなりぬ、さかるがをさからといふ類は、下に、和禮和須流禮夜、てふも忘らんやなり、らんを畧てらといふは、此上に伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、と云は、いざ寢しめたらんを畧けるに同じく、常にも多く云り、
 
3421 伊香保禰爾《イカホネニ》、可未奈那里曾禰《カミナナリソネ》、和我倍爾波《ワガヘニハ》、  我家人の殊にかしこむ故にはあらず、妹がおそるゝからに、いかでなりそと願ふとなり、
 
由惠波奈家杼母《ユヱハナケドモ》、 家《ケ》は加禮の約、
 
兒良爾與里※[氏/一]曾《コラニヨリテゾ》、
 
3422 伊香保|可是《カゼ》、布久日布加奴日《フクヒフカヌヒ》、安里登伊倍杼《アリトイヘド》、安我古非能未思《アガコヒノミシ》、等伎奈可里家利《トキナカリケリ》、 時無は上に出、
 
3423 可美都※[无/烈火]努《カミツケヌ》、伊可抱乃禰呂爾《イカホノネロニ》、布路與伎能《フロヨキノ》、 零雪之なり、今も越後人はゆをよといへり、上野にてもしかいひけん、上は序、
 
遊吉須宜可提奴《ユキスギガテヌ》、伊毛賀伊敝乃安多里《イモガイヘノアタリ》、」
 
下野國歌 二首〔六字□で囲む〕
 
3424 之母都氣野《シモツケノ》、 野は辭ならぬ事上にいひつ、
 
美可母乃夜麻能《ミカモノヤマノ》、 美は發言にて加茂の山か、加茂てふ所、凡なき國はあらず、
 
許奈良能須《コナラノス》、 小楢如なり、葉廣※[木+解]の如くしてちひさき葉にて、若葉さす夏は見るめさへ好ましき物なれば、妹をほむる譬とせしならん、
 
麻具波思兒呂波《マグハシコロハ》、 日本紀の歌に、くはしめといふは美女をいひ、眞妙比賣てふ名もあり、
 
多賀家可母多牟《タカケカモタム》、」 遠くか待んなり、遠々に待を、多加多加に待、遠く來ぬを多加伎奴といへる類、皆擧て別記にいへり、○久を家、末《マ》を母といふ皆音かよへり、
 
3425 志母都家努《シモツケヌ》、安素乃河原良欲《アソノカハラヨ》、 和名抄に、安蘇郡安蘇郷出、今も此川有、
 
伊之布麻受《イシフマズ》、蘇良由登伎奴與《ソラユトキヌヨ》、 妹かりと思へば、石多き河原を蹈とも覺えず來してふ意なり、上の卷に、心空なり土はふめども、とよみつ、 
奈我己許呂能禮《ナガコヽロノレ》、」 我はかく思ひて來しをうれしみ思ふや、汝が心を告よと妹に親み問ふなり、
 
陸奥國歌 三首〔六字□で囲む〕
 
3426 安比豆禰能《アヒヅネノ》、 會津郡は神名式和名抄にも出、禰は嶺なり、こは防人の別の歌なる事、次の歌にて知らる、
 
久爾乎佐杼抱美《クニヲサドホミ》、安波奈波婆《アハナハバ》、 佐は發言、奈波ばは相無《アハナク》ばなり、なくのくを轉じて、下にあは奈布《ナフ》ともあは奈倍《ナヘ》とも云り、こゝは其同音の波にも通し云なり、○會津嶺をいふは、遠く行人は國の山を形見とかへり見ること、上に筑波相摸の嶺をよみし類なるを、それも見えぬ遠にしては、形見に相見る物なし、ひもを結べそを形見にせんといへり、
 
斯努比爾勢牟等《シヌビニセムト》、 慕ひ物にせんなり、
 
比毛牟須婆左禰《ヒモムスバサネ》、」 本には妹が結べる紐を形見とするとよめるも常なるを、こは今一つ嶺をいひあはせたり、○左禰の約世にて結ばせと成を、又其婆世を約ば倍《ヘ》となりて結むすべなり、
 
3427 筑紫奈留《ツクシナル》、 つくしに來しは防人の外はあらじ、
 
爾抱布兒由惠爾《ニホフコユヱニ》、 にほふはうらくはしきさまなり、故に此言に艶の字を多く書つ、
 
美知能久乃《ミチノクノ》、可刀利乎登女乃《カトリヲトメノ》、 可刀利てふ所みちのくにも有なるべし、
 
由比思比毛等久《ユヒシヒモトク》、」 その兒にあたへし歌なるべし、かくよむは古人の物をかくさぬなり、
 
3428 安太良乃《アダタラノ》、 (卷八)陸奥之、吾《ア》田多良眞弓、著絃而、引者香人之、吾乎事將成、神遊にも、古今歌集の取物歌にも、「みちのくの、あだちの眞弓、我ひかば、やうやくよりこ、(古今に末さへよりて、)忍び/\に、」と有も事の樣似たるをおもへば、古へあだゝらてふ所を、後にはあだちといふか、然らば和名抄に安達郡と有是なり、
 
禰爾布須思之能《ネニフスシヽノ》、 しゝとは鹿猪を共にいへど、こは末の言に依に猪なるべし、猪は必ず臥所をかへぬものなり、
 
安里都都毛《アリツヽモ》、 かはらぬかをいふ、
 
安禮波伊多良牟《アレバイタラム》、 往《イキ》たらんを略けり、至にあらず、
 
禰度奈佐利曾禰《ネドナサリソネ》、」 臥所を外へな去そなり、
 
 △今本こゝに譬喩歌と有て、こゝより下九首は、譬喩歌には侍り、されど上下の相聞の中にも譬喩も交れり、別に標《シメ》すは後人のわざと見ゆ、只上の卷四五、其類なる歌を集擧たる如く見るべし、仍て標は除けり、
 
遠江國譬喩歌 一首〔八字□で囲む〕
 
3429 等保都安布美《トホツアフミ》、伊奈佐保曾江乃《イナサホソエノ》、 遠江國敷智郡の今の舞阪と新居てふ二驛の間に、一里の舶渡り有、是古へ濱名の橋在し所なり、此渡の入海北へ三里ばかり有、そのはての所ぞ引細《イナサノ》郡にて、引佐細江といふ、其江の西は山つゞけり、南は海まではる/”\と見やられて、いとよき見ものゝ所なり、古へこゝにみをづくしを立つらん、
 
水乎都久思《ミヲツクシ》、 水脉津籤《ミヲツクシ》てふ言なり、こは水の淺深を知ためなれど、こゝは只深き事の譬にとりぬ、
 
安禮乎多能米※[氏/一]《アレヲタノメテ》、安佐麻之物乎《アサマシモノヲ》、」 吾をば深く思ひたのませて、我に淺き心の人なりけるものをと、男のうとく成て後女の悔たるなり、○淺麻之の麻之の約は美なり、美は又幾に通ひて淺き物をと云なり、うとましをぞましのましも是なり、常人のあさましといふは、心得の違ひ有故に惑ふ人有、【後の歌にあさましといふは、をぞましてふ言にて、我と我身を憎むなり、こゝの淺ましのましは辭にて、たゞ淺きをいへり、】
 
駿河國譬喩歌 一首〔八字□で囲む〕
 
3430 斯太能宇良乎《シダノウラヲ》、 和名抄に、駿河國志太郡あり、藤澤驛の南の瀬戸川といふ川邊に志太村といふ有こゝか、また駿河舞に、伊波太|之太衣《シダエ》とうたふも是ならむ、
 
阿佐許求布禰婆《アサコグフネハ》、與志奈之爾《ヨシナシニ》、 倚ことなしににて、此下に、都麻余之許西禰、(卷十《今の九》)妻|依《ヨシ》來西尼、神代紀上に、阿彌播利和柁嗣、妹盧豫嗣爾豫嗣てふ皆只よる事をいへり、磯へよる事なしにこぐらめかはなり、
 
許求良米可母與《コグラメカモヨ》、奈志許佐流良米《ナシコザルラメ》、」 此浦こぐ船は、よる事なしによそにのみ※[手偏+旁]らめかは、磯に倚ことも有べきに、吾|夫《セ》はなじかも吾方へ來ざるらんといぶかるなり、
 
相摸國譬喩歌 三首〔八字□で囲む〕
 
3431 阿之我里乃《アシガリノ》、 上に出、
 
安伎奈乃夜麻爾《アキナノヤマニ》、 考へず、
 
比古布禰乃《ヒコフネノ》、斯利比可志母與《シリヒカシモヨ》、 幾舟の後《シリ》引|爲《スル》なり、此山に古へ杉多かれば船に造るに、其船即山の谷などにて造はてゝ後下す時、舳にをしみ鋼を付て、艫を下《シタ》にて漸に下す故に後《シリ》引といへり、さてその如く男の後《シリ》引して、吾方へ來り難くすると譬たり、【足柄山に舟木を取しこと、下の卷に出、○或説、山へ海舟を引と心得しはわろし、】
 
許己波故賀多爾《コヽハコガタニ》、」 此許《コヽ》へは來がたげなり、
 
3432 阿之賀利乃《アシガリノ》、和乎可※[奚+隹]夜麻能《ワヲカケヤマノ》、 かけ山てふ山有べし、それに吾を懸て思はゞてふ意にいひかけたり、こせ山を我せこをこちこせ山、城の山を妹が袖卷來の山、といふ類のつゞけも多し、
 
可頭乃木能《カヅノキノ》、 穀《カヂ》か又外に有か問べし、
 
和乎可豆佐禰母《ワヲカヅサネモ》、可豆佐可受等母《カヅサカズトモ》、」 吾をかどはさね、かどはしがたくともてふ言なり、かどはすとのみ今はいふを(卷十八)に、可多於毛比遠、宇萬爾布都麻爾、於保世母天、故事部爾夜良|婆《バ》、比登|加多波《カダハ》牟可母、又後撰集に、香をだにぬすめ、てふ同じ心をとて、「春風の花の香かどふふもとには、」ともよめれば、ぬすむことをかだすかづすかどすなどいひしなり、人のむすめをぬすむ事、伊勢うつぼ落くぼ源氏などの物語に皆有○かづさかずともかどしかぬともは音通へり、【不意には吾を數まへね、數まへがたくとも、と云が如く思ふべけれど、數は加|受《ズ》のかななり、こゝには可|豆《ヅ》、卷十八に、加多波牟、後撰に、かどふと有て、多知都弖登の音にて皆いへり、】
 
3433 多伎木許流《タキヾコル》、 冠辭
 
可麻久良夜麻能《カマクラヤマノ》、許太流木乎《コダルキヲ》、麻都等奈我伊波婆《マツトナガイハバ》、 此山に枝垂たる松の古木の多かりけん、さて松を待によせて、汝が吾を待といひおこせばといふなり、
 
古非都追夜安良牟《コヒツツヤアラム》、 防人などに行て、私に歸ることのかなはねば、戀乍やあらんと云なり、やとは未をいへばなり、
 
上毛野國譬喩歌 一首〔九字□で囲む〕
 
3434 可美郡家野《カミツケノ》、安蘇夜麻都豆良《アソヤマツヾラ》、 安蘇は上にも出、 
野乎比呂美《ノヲヒロミ》、波比爾思物脳乎《ハヒニシモノヲ》、安是可多延世武《アゼカタエセム》、」 互に遠長く思ひはえたる中は、何ぞたえんといへり、且山野をいふに地のさましらる、
 
3435 伊可保呂乃《イカホロノ》、蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》、和我吉奴爾《ワガキヌニ》、都伎與良之母與《ツキヨラシモヨ》、多敝登於毛敝婆《タヘトオモヘバ》、」 或人多敝を白栲の事として、波里《ハリ》の色の著《ツケ》といひて、我方へ思ふ人の心よれかしと思ふをそへたりといふは、さも有べし、
 
3436 志良登保布《シラトホフ》、 冠辭、
 
乎爾比多夜麻乃《ヲニヒタヤマノ》、毛流夜麻能《モルヤマノ》、字良賀禮勢那奈《ウラガレセナヽ》、登許波爾毛我母《トコハニモガモ》、 初句とかくすれど心得ず、字の誤も有か、毛流夜麻は諸山の意か、(卷三)に三諸山を守山と云なせしもあればなり、末は我中のかはらざらんを乞ふのみ
 
陸奥國歌 一首〔六字□で囲む〕
 
3437 美知乃久脳《ミチノクノ》、安太多良未由美《アダタラマユミ》、波自伎於伎※[氏/一]《ハジキオキテ》、西良思馬伎那婆《セラシメキナバ》、都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》、 弦をはずし置てそらしめなば、つるはけがたかるべしてふを、かく云は東言なり、さて夫を打ゆるしおかば、末遂にかなはじと思ふなり、
 
 △今本こゝに雜歌と標せるも後人の注なり、何ぞといはゞ、此初卷よりして、雜歌とは相聞挽歌の外、四時宴遊等の歌をいへり、然るにこゝには、四時の歌もあれどいと少くて、相聞の歌多ければ、雜歌といふは後世の意にて、此集の部の名の意にあらず、こは四時旅相聞遊興挽歌どもを集めて、其部てふ名はいはで、上の國處定かなる歌の末に載しものにて、上の四五の卷と均しき樣か、
 
雜の部〔三字□で囲む〕
 
3438 都武賀野爾《ツムガノニ》、須受我於等伎許由《スヾガオトキコユ》、 鷹の尾|鐸《スヾ》の音なり、
 
可牟思太能《カムシタノ》、等能乃和久胡思《トノヽワクゴシ》、 殿の若子なり、此下にも殿のわくごと有て、理り明らかなれば一本をとりぬ、今本|奈《ナ》可知師と有は和可|期《ゴ》師の誤か、
 
登我里須良思母《トガリスラシモ》、」 多加の約は多なるを、登に轉じいへり、(卷十九)に、はつとがりを初鷹狩と書たり、○東にて殿といふは、國の守介などの家をいふべし、又郡司國造の家をもいふとおぼしきは、峻河國府は安倍(ノ)郡に在しを駿河舞に、伊波太奈留《イハダナル》、之太戸乃止乃《シダベノトノ》、とうたふは、同國志太郡の郡領の家をいふべければなり、かくてこゝの可牟思太てふも、かの志太郡志太の里に上下有ていへるならんか、右の駿河歌にいへるを合せ見よ、然らば都武賀野も此國に有べし、【是より下の地の名は、末の注に未勘國と有はかたよれり、中には地のしられたるも少からず、そは考にいへり、或人は注を信じていはねど、吾は惣て此書の注をとらぬ事、既いふが如し、○或本歌曰、美都我野爾、又曰、和久期思、】
 
3439 須受我禰乃《スヾガネノ》、 須受之嶺か、又或人鈴之音のはや馬といへりとす、【須受が嶺は何處かしられず、此類は皆ことわらず、下ならへ】
 
波由馬宇馬夜能《ハユマウマヤノ》、 はゆまうまやは、公の事にて往來る人は、此亭に宿り食《ヲシモノ》を給こと公式令に見ゆ、又宿りもせず物|食《ヲシ》時にもあらで行過るほどに、暫馬をいこはせて水を飼をうまやといふ、されどこゝはその事にあらず、所に住ものゝ女の水くむ時にいひよれることばときこゆ、
 
都追美井乃《ツヽミヰノ》、 美はそへいふ辭にて、筒井といふならん、【井に石井板井筒井など有筒井は、地堅くして筒の如くほりたるをいふのみ、物語に筒井筒云云といふは、筒井の上に物の落入ざらん料にかまへたるを井筒といふなり、これにまどへる人有、】
 
美都乎多麻倍奈《ミヅヲタマヘナ》、伊毛我多太手欲《イモガタヾテヨ》、」 直に妹が手より給へといへり、
 
3440 許乃河伯爾《コノカハニ》、 此とは其河に向ていへればなり、上の卷に多し、
 
安佐奈安良布兒《アサナアラフコ》、 朝に菜洗ふ女子、
 
奈禮毛安禮毛《ナレモアレモ》、余知與曾母※[氏/一]流《ドチトゾモテル》、 今本知余乎とあるはよしなし、古本に余知と有に依ぬ、【余を常は與のかなとするを、是は字註に、同都切音|途《ト》といふ方にて書しものなり、奴はぬのかなに用るを、たま/\はどのかなにも書が如し、(卷九)余知古を今本よちこと訓しはわろし、】又乎は與の誤しるければ改めつ、かくてどちとは同じ類ひを云、神功皇后紀に、宇摩比等破《ウマヒトハ》、于摩臂苫奴知《ウマヒトドチ》、野伊徒姑播茂《ヤイツコハモ》、伊徒姑奴池《イヅコドチ》、てふは貴人は貴人と共、奴《ヤイツコ》は、奴と共に戰はんといへり、(卷九《今ノ五》)余知古良等《ドチコラト》、手多豆佐和利提《テタヅサワリテ》、などに同じくて、余《ド》は共共《トモドモ》の上の共を畧き下の毛を籠たり、故に初より濁るなり、知は豆禮の約|弖《テ》なるを知《チ》に轉ぜしにて共連なり、○我朝に初より濁る言はなし、上を畧く時は有なり、○母※[氏/一]流はよきどちと思ひてあるを、於と阿を略けり、又へを※[氏/一]に誤しにもあるべし、
 
伊低兒多婆里爾《イデコタバリニ》、」 いでは乞《イデ》といふ言、末の爾は禰に同じ、此上に尼禰を通はし書し多し、さて其兒を給《タバ》りね、と其母も同じく菜を洗て居にいひかけしなるべし、
 
3441 麻等保久能《マトホクノ》、 麻は發言、
 
久毛爲爾見由流《クモヰニミユル》、伊毛我敝爾《イモガヘニ》、 いへを略きてへといふは古への常なり、
 
伊都可伊多良武《イツカイタラム》、安由賣安我古麻《アユメアガコマ》、」 【人麻呂歌集曰、等保久之※[氏/一]、又曰、安由賣、久路古麻、】
 
3442 安豆麻治乃《アヅマヂノ》、手兒乃欲妣左賀《テゴノヨビサカ》、此下にも本は同じ歌あり、然れば手兒も所の名にて、そこにある呼《ヨビ》坂てふ山路なるべし、或人下総に手兒原といふ原も在といへり、
 
古要我禰※[氏/一]《コエガネテ》、 こえがねては、行がて見がてなど云如く、むかしは濁りいひけむ、
 
夜麻爾可禰牟毛《ヤマニカネムモ》、夜杼里波奈之爾《ヤドリハナシニ》、」 【手兒女の事は上に云り、さる事を所の名にいふも諸國に多きなり、よぶ坂と云は土佐國にも在といへり、】
 
3443 宇良毛奈久《ウラモナク》、 何心もなくなり、
 
和我由久美知爾《ワガユクミチニ》、安乎夜宜乃《アヲヤギノ》、波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆《ハリテタテレバ》、 芽張柳とも、柳の張れるとも下によみつ、
 
物能毛比豆都母《モノモヒツヽモ》、」 物思ひ出《イデ》つといふを略けり、(卷三)物不念道行去毛、青山乎、振放見者、てふ類なり、かくてこゝは旅に在て年月のうつるを愁ふるか、又妹に戀ふる久しきをなげくか、
 
3444 伎波都久乃《キハツクノ》、乎加能久君美良《ヲカノクヾミラ》、 和名抄に、薤を於保美良、韮を古美良、といへり、久君《クヾ》を田舍にて古々といへる事あれば、是はこみらなるべし、野にみらつむ事は、古書に少なからず、
 
和禮都賣杼《ワレツメド》、故爾毛美多奈布《コニモミタナフ》、 籠にも滿無なり、今本乃多奈布と有はよしなし、美の草を乃に誤りしなり、
 
西奈等都麻佐禰《セナトツマサネ》、」 夫《セ》名とともに摘んを願ふなり、○左禰は上の常陸歌のさねてやらさねといふ所にいひし如く、他よりいふ言を吾願ふ事にも云、
 
3445 美奈刀能也《ミナトノヤ》、 與に通へり、
 
安之我奈可那流《アシガナカナル》、多摩古須氣《タマコスゲ》、 繁く集り生てまろらに見ゆるをば、玉笹玉松がえなどいふ如く、小菅のまろく繁りたるを玉と云べし、
 
可利己和我西古《カリコワガセコ》、等許乃敝太思爾《トコノヘダシニ》、」 志は知に通へり、へだちは床の筵の中|隔《ヘ》をいふ、
 
3446 伊毛奈呂我《イモナ口ガ》、 下に妹名根とよめり、兄名ともいへば妹名とばかりもいふべし、○呂は等に同じ、
 
都可布河伯豆乃《ツカフカハヅノ》、 吾と妹と行ちがふ河津といふなり、【都可布は妹と吾と行ちがふをいふなるべし、】
 
佐左良乎疑《サヾラヲギ》、 荻に大小あり、こゝはその狹々《サヾ》らけきをいふ、されどあしと一ごとゝいふは常の荻なり、歌ことばにさゞらといふのみならん、【荻を今人は水にすすきの如くて生しげるをのみいへど、それのみにあらず、專らは蘆に似て、あしは葉に白み有て和らかに、葉のさき垂莖も和らかなり、荻は葉に黄み有て葉のさきつよく上へさし、莖は小竹の如くかたくて、節高くゆがみ有、其さまは凡あしとひとしければ、此歌の言有なり、】
 
安志等比等其等《アシトヒトゴト》、 蘆とひとつ如くなり、
 
加多里與良斯毛《カタリヨラシモ》、」 蘆《アシ》荻《ヲギ》は同じく水に生て形も似たるものなり、かくて今男の行河津の向ふより、よそながら心かけたるをとめの來るに行ちがはん時、何ぞに事つけて言問よらんと思ふに、こゝにあしとをぎの有て分ちがたく見ゆれば、何れが何れぞとことゝひよらんといふなり、伊勢物語に、忘草をこは何ぞと問しに、心は異にて事は似たり、
 
3447 久佐可氣乃《クサカゲノ》、(卷五)草蔭之、荒藺之崎乃、笠嶋、とよめり、東にていづれの國か考がたし、【草陰荒藺を後世武藏國に在といふはよしなし、卷五の歌によめる如く、山路越て海に島有所むさしにはなし、】
 
安努弩奈《アヌノナ》、 吾主根之《アヌネガ》云言なり、根を乃とも奈とも云は、上に勢奈能我《セナノガ》そでも、と有にいひしごとく、勢那奈がとも、妹名根とも此下に有を思へ、さてぬらも名も根もあがめことばなり、下の奈は之《ガ》の意にて辭、
 
由可武等《ユカムト》、波里之美知《ハリシミチ》、阿努弩波由加受※[氏/一]《アヌノハユカズテ》、阿良久佐太知奴《アラクサダチヌ》、」 吾主根が通はんとて人めなき路をはりしが、今は通はず成て荒草の生立ぬると女のかなしめり、○安努は此下に和奴《ワヌ》と有に似たれど、和|奴《ヌ》は和呂といふ言にて異ことなり、そは下にいふを待べし、 
3448 波奈知良布《ハナチラフ》、己能牟可都乎乃《コノムカツヲノ》、 向峯なり、
 
乎那能乎能《ヲナノヲノ》、 今も上總國にをなてふ所あり、そこの峰なるべし、
 
比目爾都久佐麻提《ヒモニツクサマデ》、 目を今本自と誤、【比|自《ジ》と有を泥に次までと心得る人もあれど、泥土は比治のかなゝり、自はじの濁りなればかなはず、】佐は一本になし、されど行さ來さのさの如く、其樣をいふなれば、有もあしからず、
 
伎美我與母賀母《キミガヨモガモ》、」 高き峯の低く成て、腰の垂紐につく代まで、君が代はあれかしといへり、さゞれ石のいはほと成といふとはうらうへなり、
 
3449 思路多倍乃《シロタヘノ》、許呂母能素底乎《コロモノソデヲ》、麻久良我欲《マクラカヨ》、 袖を纏といひかけて、下は麻眞にて發言、久良我は下總のくらがをいふべし、安麻は海人をいへばなり、又此末に、麻久良我乃、許我能和多利乃、可良加治乃、とよめるは、冠辭考に上野國|倉下《クラガ》にやともいひつれど、必別とも定めがたければ、こゝよりそれをも下總とすべくともおぼゆ、○欲はよりの絡、
 
安麻許伎久見由《アマコギクミユ》、奈美多都奈由米《ナミタツナユメ》、」
 
3450 乎久佐乎等《ヲクサヲト》、 をくさてふ所の男、
 
乎具佐受家乎等《ヲグサスケヲト》、 同所の次丁なるべし、是を助丁《スケヲ》といへば、上のをくさをは正丁なるべし、正丁は男ざかりの公役を勤るもの、次丁は老たる男なり、然ればこゝのすけをは中男をいへり、此集(卷二十)に、助丁といへる是に當れり、【令には、とし十七より廿までの男を中男、廿一より六十までの男を正丁、六十一より五までの男を次丁、といへり、此集上丁といふは此正丁、助丁と云はかの中男次丁をかねいふ、】
 
斯本布禰乃《シホブネノ》、 今本に本を乎と書しは誤にて潮舟なり、海邊の物をばしかいふ事、しほ貝しほあしなとの如し、○冠辭なり、
 
那良敝※[氏/一]美禮婆《ナラベテミレバ》、 海べには舟ども多く並て居を、右の男を並べくらぶるにたとふ、
 
乎具佐可知馬利《ヲグサカチメリ》、」 をぐさの正丁はまされりと思ふ女のいふなり、草といへば刈ぞと思ひて、知を利とせしこと顯はなれば改めつ、
 
3451 佐奈都良能《サナツラノ》、 神名式に、常陸國那賀郡、酒烈磯崎(ノ)神社あり、是さなづらてふ所を酒烈と書しなり、
 
乎可爾安波麻伎《ヲカニアハマキ》、 岡に粟蒔なり、
 
可奈之伎我《カナシキガ》、 上に、そのかなしきを、とにたてめやも、てふ所にいへり、 
古麻波多具等毛《コマハタグトモ》、 手綱を手ぐりて馬をあるかするなり、(卷十九)に、「いはせ野に、馬たぎ行て、」ともよめり、○多具利の具利の約|伎《キ》なれば、たぎともたぐともいふ、上に髪たぐといひしも同じ、さて神代紀に、素戔嗚尊秋(ハ)則放2天(ノ)班馬《マダラマヲ》1使v伏《フサシム》2田中《ミタナカニ》1てふに似たる事なり、
 
和波素登毛波自《ワハソトモハジ》、」 たとひかゝるさがなきわざをすとも、吾は其男のわざと思はじとなり、
 
3452 於毛思路伎《オモシロキ》、 此言上に出、
 
野乎婆茶夜吉曾《ノヲバナヤキソ》、布留久佐爾《フルクサニ》、仁比久左麻自利《ニヒクサマジリ》、於比婆於布流我爾《オヒバオフルガニ》、」 我爾は願なり、これらはたゞ春の歌のみ、
 
3453 可是乃等能《カゼノトノ》、 風の音のなり、冠辭、
 
登抱吉和伎母賀《トホキワキモガ》、吉西斯伎奴《キセシキヌ》、 (卷十)小垣内《ヲガキヂ》の、麻乎引干、妹名根之、作りきせけん、白たへの、紐をとかず、てふ類なり、 
多母登乃久太利《タモトノクダリ》、麻欲比伎爾家利《マヨヒキニケリ》、」 こは防人にて筑紫へ行て三年經るからに、故郷の妹が織縫て着せし、衣の袂の末のそこなひ來つといへり、あはれなる歌なり、上の卷に、「今年行、にひさき守が、麻衣、肩のまよひを、誰かとり見ん、」とよめるに均し、○※[糸+比]《マヨヒ》の事上にいへり、
 
3454 爾波爾多都、 冠辭、
 
安佐提古夫須麻《アサデコブスマ》、 麻布《アサタヘ》の小衾なり、多倍の約|弖《テ》なれば麻提といふ、
 
許余比太爾《コヨヒダニ》、 常來ずともこよひばかりもなり、
 
都麻余之許西禰《ツマヨシコセネ》、 夫をより來させよと、夜床の衾に向ひていへるがあはれなり、此余之は由緒《ユヱヨシ》の事にはあらず、上に、「多胡の禰に、よせ綱はへて、よすれども、」てふ意にて、依《ヨリ》來させよと云なり、(卷十)「城《キノ》國に、不止かよはん、妻杜《ツマノモリ》、妻|依來西尼《ヨシコセネ》、妻|常言長柄《トイヒナガラ》、」てふに同じ、
 
安佐提古夫須麻《アサデコブスマ》、」
 
 △こゝに相聞の標有はとらず、右にも相聞歌は專らあり、
 
3455 古非思家婆《コヒシケバ》、伎麻世和我勢古《キマセワガセコ》、可伎都楊疑《カキツヤナギ》、 籬の柳なり、田舍には糸ならで上へ小枝の指柳を植て、かきとせし今も多し、
 
宇禮都美可良思《ウレツミカラシ》、 其柳の末枝を採からして、越るにやすからしむ、 
和禮多知麻多牟《ワレタチマタム》、」 立はいそぎ待さまなり、(卷四)あしがきの、末かき分て、君こゆと、云云、
 
3456 宇都世美能《ウツセミノ》、 顯身の世間をいひて、こは冠辭にあらず、
 
夜蘇許登乃敝波《ヤソコトノヘハ》、 八十言の上は、
 
思氣久等母《シゲクトモ》、安良蘇比可禰※[氏/一]《アラソヒカネテ》、安乎許登奈須那《アオコトナスナ》、」 吾を言にいひなすことなかれといへり、
 
3457 宇知日佐須《ウチヒサス》、 冠辭、
 
美夜能和我世波《ミヤノワガセハ》、 東の國造郡司などの子の、つかへまつりて京に在をいふべし、
 
夜麻登女乃、比射麻久其登爾、 垂仁天皇紀に、后の御膝を枕としていねまし、此集に、琴娘が人の膝上吾枕せんともよめり、
 
安乎和須良須奈《アヲワスラスナ》、」
 
3458 奈勢能古夜《ナセノコヤ》、 名夫《ナセ》の子よなり、子とは男女ともにいふなり、
 
等里乃乎加耻志《トリノヲカヂシ》、 地の名なり、耻は路、志は辭なり、此をか路は中のたわめるならんを、男の中絶て來ぬにたとふ、
 
奈可太乎禮《ナカダヲレ》、安乎禰思奈久與《アヲネシナクヨ》、 中絶し故に、我は夜もねず物おもへり、
 
伊久豆君麻※[氏/一]爾《イクヅクマデニ》、」 長息をつくまでなり、○今も上總人はいきづくをいくづくといへり、
 
3459 伊禰都氣波《イネツケバ》、 籾をうすづきて米とするなり、
 
可加流安我手乎《カヽルアガテヲ》、 和名抄に、皹(阿加々利)手足析裂也、といふ是にて、(卷三)「かゝりをる、鬼《シコ》のしこ手、」ともいへり、されど殿の若子が、取てなげかん、といふはいと賤女にはあらじ、然らばよろしき良民などの女が、身をくだりて賤女のわざをもていへるにぞ有べき、よき人も山がつ海人などに譬ていふも歌の道なり、 
許余比毛可《コヨヒモカ》、 今夜もかなり、
 
等能乃和久胡我《トノヽワクゴガ》、 田舍にて殿といふべき家は、郡司などなる事上にいへり、○和久子はわかき子の加幾約久なり、
 
等里※[氏/一]奈氣可武《トリテナゲカム》、」 此下に、於志※[氏/一]伊奈等、伊禰波都可禰|杼《ド》てふもひとし、
 
3460 多禮曾許能《タレソコノ》、屋能戸於曾夫流《ヤノトオソブル》、 記に、八千矛神の御歌に遠登賣能《ヲトメノ》、那須夜伊多斗遠《ナスヤイタドヲ》、游曾夫良比《オソブラヒ》、和我多々勢禮婆《ワガタヽセレバ》、比許豆良比《ヒコヅラヒ》、和我多々勢婆《ワガタヽセバ》、と有て、押開き引開んとするなり、【那須夜云云は、(卷九)佐那須いたどゝ云てさすなり、戸をさしふさぐをいふ、】
 
爾布奈未爾《ニフナミニ》、和家世乎夜里※[氏/一]《ワガセヲヤリテ》、伊波布許能戸乎《イハフコノトヲ》、」 十一月公の新嘗《ニヒナメ》祭ある時は、國廳にても同じ祭すれば、其國の里《サト》長より上は皆廳に集ふべし、然ればその里長などの戸《イヘ》にても、妻のものいみして在を、通ひ來る男の戸をおしひらかんとする時、あるじのよめるなり、上に、かつしかわせを、にえすとも、」とよめるは、戸《イヘ》々にて爲べけれど事はひとし、○和家は和賀なり、
 
3461 安是登伊敝可《アゼトイヘカ》、佐宿爾安波奈久《サネニアハナク》、 何ぞといふ事か、實に相ことの無やと云り、
 
眞日久禮※[氏/一]《マヒクレテ》、 いたく暮はてたるを眞日碁といふ、
 
與比奈波許奈爾《ヨヒナハコナニ》、安氣奴思太久流《アケヌシタクル》、」 日の暮て夜るは來事無て夜明ぬる朝に來るは、實に相まじきとてする事なりと、女のうたがへるなり、○初夜ならで惣ての夜をもよひといへる事、古人の常なり、よひ奈はよひにはなり、安氣ぬはあけぬる、思太は阿思多を略けり、
 
3462 安志比奇乃《アシビキノ》、夜末佐波妣登乃《ヤマサハビトノ》、 山澤を多《サハ》人と轉じて、又重ねて人さはにといひ下したり、おほきをさはといふは上にも出、
 
比登佐波爾《ヒトサハニ》、麻奈登伊布兒我《マナトイフコガ》、 集に、父母の、我はまな子ぞ、催馬樂に、安也女乃己保利乃大領乃|末名牟寿女止以戸《マナムスメトイヘ》、などいへるに均しく、庶子は其家にも他人もかろしめ、嫡妻《ムカヒメ》の子を眞《マ》なむすめと人もさはにたふとむ、その女こそよろづ事もなければ、吾は本より深く思ふといふなり、
 
安夜爾可奈思佐《アヤニカナシサ》、」
 
3463 麻等保久能《マトホクノ》、野|爾毛安波奈武《ニモアハナム》、己許呂奈久《コヽロナク》、佐刀乃美奈可爾《サトノミナカニ》、 眞中なり、
 
安敝流世奈可母《アヘルセナカモ》、」 上に、かみつけの、をどのたどりか、川路にも、兒らはあはなく、ひとりのみして、といへるに似たり、
 
3464 比等其等乃《ヒトコトノ》、之氣吉爾余里※[氏/一]《シゲキニヨリテ》、麻乎其母能《マヲゴモノ》、 蒋枕てふは常なるに依に、乎は小にて小《ヲ》菅小篠のごとくいふべし、
 
於夜自麻久良波、 同じ枕はなり、是をば下に家持卿の歌にも、於夜自とよめり、
和波麻可自夜毛《ワハマカジヤモ》、」
 
3465 巨麻爾思吉《コマニシキ》、 【高麗錦の紐などいふは、歌ことばを以て東にてもよめり、から衣ありぎぬなどをいへる類なり、】
 
比毛登伎佐※[旡/れっか]※[氏/一]《ヒモトキサケテ》、奴流我倍爾《ヌルガヘニ》、 倍は寢がうへのうは略く、下のくさねかりそけ、あはずがへといふに同じ、是に今一つ、わはさかる賀倍、といふ有は別なり、迷ふ事なかれ、
 
安杼世呂登可母《アドセロトカモ》、 何ぞとせんとかなり、此卷は凡濁る言を濁字もて書しにて意しらる、清字をかゝば吾と夫とかもとおもひ誤なん、
 
安夜爾可奈之伎《アヤニカナシキ》、」
 
3466 麻可奈思美《マカナシミ》、奴禮婆許登爾豆《ヌレバコトニヅ》、 相ぬれば人言にいひ出らるゝなり、
 
佐禰奈敝波《サネナヘハ》、 寢ぬなり、奈倍の約禰なり、
 
己許呂乃緒《コヽロノヲ》呂|爾《ニ》、 緒はかけつらなる事に言ことなり、されど輕くいへる所にて、意無も有は言の常なり、○呂は助辭、
 
能里※[氏/一]可奈思母、」 常に心の上に有なり、
 
3467 於久夜麻能《オクヤマノ》、 冠辭、
 
眞木乃伊多度乎《マキノイタドヲ》、 眞木は惣て檜をいふ、
 
等杼登之※[氏/一]、 とゞとしては男のするなり、和我は女なり、此間を切て心得べし、
 
和我比良可武爾《ワガヒラカムニ》、伊利伎※[氏/一]奈左禰《イリキテナサネ》、」 入來て寢しめねなり、上にひとゝおたばふ、伊射禰志米刀羅《イザネシメトラ》、てふに同じ、奈は禰に通ひ、志米の約は世なるを左に轉じいへり、
 
3468 夜麻杼里乃《ヤマドリノ》、乎呂能波津乎爾《ヲロノハツヲニ》、 呂は助辭にて、尾の秀《ホ》つ尾なり、尾の中に長きをいふ、はつを花も秀《ホ》つ男《ヲ》花てふ意なり、さてから國の魏といふ代に、山※[奚+隹]をかひて、鳴ざりしに、尾の方に鏡を置たりしかば、よく鳴つといひ傳へし、諺もてよみつらん、既清御原藤原宮などの比には、からことを語繼に、京に仕奉し男の東へ歸り居てこれらはよみつらん、【雜書に、鸞をしかせし事もあり、或人他鳥にもしかせしかば鳴つといへり、】
 
可賀美可家《カヾミカケ》、刀奈布倍美許曾《トナフベミコソ》、奈爾與曾利※[奚+隹]米《ナニヨソリケメ》、」 となふは聲たてゝよぶなり、それを名を唱らるゝにいひよせたり、さてかくばかり廣く名をとなへられんとてこそ、人の汝に吾を言よせ初たりけめといへり、よそりはいづこにても人のいひよするをいふ、
 
3469 由布※[旡/れっか]爾毛《ユフケニモ》、許余比登乃良路《コヨヒトノラロ》、 夕占を問しにも、君は今夜來んとのりたるなり、
 
和賀西奈波《ワガセナハ》、阿是曾母許與比《アゼゾモコヨヒ》、與斯呂伎麻左奴《ヨシロキマサヌ》、」 夕占もかなへるに、何ぞや今夜|倚《ヨリ》來まさぬなり、上の妻よしこせねのよしに同じ、上のよそりことよせなどの似てことなり、まどふ人あるめり、【或人好行好來をよしゆきと訓て、こゝをその意とおもへるはひがごとなり、先右の好行は、よくゆきと訓ことなるを、よしと訓誤て、こゝをも誤れり、かれは人のつゝがなき事をこそいへ、○注に柿本朝臣人麻呂歌集出也、】
 
3470 安比見※[氏/一]波《アヒミテハ》、千等世夜伊奴流《チトセヤイヌル》、伊奈乎加母《イナヲカモ》、 上の常陸歌に出、
 
安體也思加毛布《アレヤシカモフ》、伎美麻知我底爾《キミマチガテ二》、」 注のごとく人麻呂歌集には、東歌も入し類あれば、此歌こゝに載べき事なり、たゞ(卷四)此歌を全く載たるに、今本そこには不v注してこゝに注せしは、本上の卷には載ざるを、今は其卷四に有は、後に人麻呂集より亂れ入しならん、依てかしこは除て人麻呂集へいふべき事なり、歌詞も東|風《フリ》にて卷四に入べからねば、かた/”\疑ひなし、是を以て思ふに、卷四より六までの間に重り載し歌は、皆他より亂れ入しものなり、よく考へてかうがへ除べし、
 
3471 思麻良久波《シマラクハ》、禰都追母安良牟乎《ネツヽモアラムヲ》、於米能未爾《オメノミニ》、 面影耳になり、
 
母登奈見要都追《モトナミエツヽ》、安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》、」 今本三の句を、伊米能未爾、とあれど、暫も寢ぬよしを本末にいへるに、夢はいつ見んや、伊は必|於《オ》の誤にて於米なり、於米は、面を(卷二十)の東歌にも、於米加波利勢受《オメガハリセズ》、といひ、且面は面影を略きいふ事、こゝの次の歌に於母爾《オモニ》みえつるといへる是なり、【次の歌、今本に於由と有は、於母の誤なる事其所にいふ、】面影を(卷二)に、影に見えつゝともあれば、何れにも略きいひしなり、○禰しなくるは、禰しながらするてふ意なり、
 
3472 比登豆麻等《ヒトヅマト》、安是可曾乎伊波牟《アゼカソヲイハム》、 曾乎は曾れをなり、
 
志可良婆加《シカラバカ》、刀奈里乃伎奴乎《トナリノキヌヲ》、可里※[氏/一]伎奈波毛《カリテキナハモ》、」 他妻を何ぞや手もふるまじき物といはん、しかいはゞ隣の衣を借て着る事の無かはと云なり、上のしからば加の加を、下の波毛の上へおろして見よ、と或人のいへるはよし、○毛は助辭、
 
3473 左努夜麻爾《サヌヤマニ》、 左は發言、努夜麻爾は直に野山ともよむべし、
 
宇都也乎能登乃《ウツヤヲノトノ》、 打よ斧の音にて、於登の於を略くは常なり、
 
等抱可騰母《トホカドモ》、 遠かれどもなり、
 
禰毛等可兒呂賀《ネモトカコロガ》、於母爾美要都留《オモニミエツル》、」 道は遠くあれども、吾今夜かく行てねんものとてか、妹が面影に見えて有しはと、妹がもとへ男の行いたりていへるなり、都留といふにてしらる、○今本は於母を於由に誤りぬ、上の歌にもいひつ、
 
3474 宇惠多氣能《ウヱタケノ》、 植は生立《オヒタチ》て有をいふ、記に、大河原の宇惠具佐、日本紀にたちそばのみ、と有皆しかり、
 
毛登左倍登與美《モトサヘトヨミ》、 風に末の鳴さわぐをば、常にて本さへといへり、こは家こぞりてね泣さわぐを強くいふなり、
 
伊低※[氏/一]伊奈婆《イデテイナバ》、 防人に出立時と見ゆ、
 
伊豆思牟伎※[氏/一]可《イヅシムキテカ》、伊毛我奈藝可牟《イモガナギカム》、」 いつしはいづちなり、○奈藝可牟はなげかんなり、【今本藝をけと訓しは古へ無ことぞ、】此上に、「霞ゐる、ふじの山びに、わが來なば、いづちむきてか、妹がな氣可牟、」てふは聞ゆ、こゝなるは本末の言ことなり、亂れて二首の一首と成しなるべし、
 
3475 古非都追母《コヒツヽモ》、乎良牟等須禮杼《ヲラムトスレド》、遊布麻夜萬《ユフマヤマ》、可久禮之伎美乎《カクレシキミヲ》、於母比可禰都毛《オモヒカネツモ》、」 (卷五)旅の類に、不欲惠八趾《ヨシヱヤシ》、不戀登|爲杼《スレド》、木綿間山、越去之《コエニシ》公|之《ガ》、所念良國、と有は遂に同歌なり、されど言の異なるにつけて東歌に入し本有て、こゝに載しにや、
 
3476 宇倍兒余波《ウベコナバ》、 此歌の奈皆良に通へり、
 
和奴爾故布奈毛《ワヌニコフナモ》、 和奴は先われらてふ言をば、京人も和期ともいひ、東歌には和呂といへり、然れば、此奴は乃《ノ》とよみて呂に通はし心得べし、期《コ》乃《ノ》呂《ロ》の韻はしたしく通へり、【此奴を字音として、やつこの事と思ふ人有べけれど、古へ字音はなし、卷十六其外にたま/\有は、奈良朝こなたにて、しかも戯言にのみ有なり、そも/\東人は古言を傳へて物交はらねば、必歌に字音などはなき事ぞ、】又此歌に良を奈といへるも、奈は乃より、良は呂よりいひて、且奈と良も通へばなり、東歌はいかに轉言有も、此音の通はざるなきは、わが國のおのづからの妙なり、
 
多《タ》刀《ト・ツ》都久能《ツクノ》、 【都は古へ皆つの假字のみなる事を心得ぬ人、都我を登我ともいふ後世の言を思ひて、とがの木のいやつき/”\と訓は、ひがことなるよし、冠辭考にいふ、】立月なり、東には多|刀《ト》といふか、又都我の木のいや繼々といへる都我を、刀我と書しもあれば、刀《ト》はつのかなにもせしなれば、こゝもたつゝきとも訓べし、後世との音に唱る字は、古へ多くはつの假字に用る例なればなり、
 
奴賀奈敝由家婆《ヌガナヘユケバ》、 流去者《ナガレユケバ》なり、奴は奈なり、奈は良なり、さて良敝の約は禮なり、立行月日を流るゝ月日ともいへり、
 
故布思可流奈母《コフシカルナモ》、」 妹らは我に戀しかるらん、別て後たちゆく月日の流れ去て久しくなりぬればと云なり、こは妹が文などを見て、うべさぞ有べきといふならむ、【或本歌曰、努我奈敝由家杼、和奴賀由乃敝波、この由の下に可の字落たり、ながれゆけど吾がゆかなければてふ意なればなり、】
 
3477 安都麻道乃《アヅマヂノ》、手兒乃欲婢佐可《テコノヨビサカ》、 此地の事上に出、 
古要※[氏/一]伊奈婆《コエテイナバ》。安禮婆古非牟奈《アレハコヒムナ》、能知波安比奴登母《ノチハアヒヌトモ》、」 是も防人の別か、三年にて歸ればなり、又(卷五)三沙呉|居《ヰル》、渚爾居舟之、※[手偏+旁]出去者、裏戀(シ)監《ケム》、後者會宿友、
 
3478 等保期等布《トボシトフ》、 乏《トモ》しと云てふ言にてめづる事なり、
 
故奈乃思良禰爾《コナノシラネニ》、 東に在て人のめづる嶺なるべし、【後の歌ながら、甲斐の白根ともいへれば、いと東にも白根てふ名有まじきにもあらず、此下に白山風とよみしは、旅の歌なれば、東人の越の國へ行てよめるにて、こゝの歌とはことなり、此禰は本《モト》に同じ、】○爾はしらねの如爾と心得る例なり、
 
阿抱思太毛《アホシタモ》、 妹とあふ朝もなり、ほとふはかよへり、あしたのあを略くは、上にも明ぬるあした來るを、あけぬしたくると云り、
 
安波乃敝思太毛《アハノヘシタモ》、 あは無《ナケ》朝もなり、あはなふとも此卷によみたり、あしたのあは略く、
 
奈爾己曾與佐禮《ナニコソヨサレ》、」 佐は世良《セラ》の約にて、汝妹《ナニモ》にこそいひよせらるれといふなり、○こなの白嶺はともしみめでて、人の常いひ唱ふる如く、わが中もあひあはぬ日をもかぎらず、すべていひよそへる人のたえずしてくるしといへり 
3479 安可見夜麻《アカミヤマ》、久佐禰可利曾※[旡/れっか]《クサネカリソケ》、安波須賀〔二字左○〕倍《アハスガヘ》 此山の草を刈|放《サク》る如く、繁き人目を放《サケ》忍びてあふが上にといへり、○あは須〔右○〕の須は清て相《アハ》するといふ言、賀《ガ》倍は其加《ソノガ》うへのうを略けり、上に「巨麻にしき、紐解さけ〔右○〕て、奴流|我《ガ》倍爾、」と云に同じ、
 
安良蘇布伊毛之《アラソフイモシ》、安夜爾可奈之毛《アヤニカナシモ》、」 人にはあはずと爭ふが深くうつくしといへり、
 
3480 於保伎美乃《オホキミノ》、美己等可思古美《ミコトカシコミ》、 防人の立時の歌と見ゆ、
 
可奈之伊毛我《カナシイモガ》、多麻久良波奈禮《タマクラハナレ》、欲太知伎努可母《ヨタチキヌカモ》、」 公ごとにて夜ふかく立故に、ことに別れの戀しかりしを、道にてよめるなるべし、或人よだちを徭役の事とするはひがことぞ、此歌私事ならねば、いと速く催し立せられしよし上の言にしらせて、さて夜立といふにて深き嘆あり、又役を日本紀にえたちと訓しは、後世の訓なり、又徭立てふ言も有べからず、古歌に字音なし、東歌にはことに字音有まじき事、上に云がごとし、
 
3481 安利伎奴乃《アリギヌノ》、 冠辭、
 
佐惠佐惠之豆美《サエサヱシヅミ》、 あり衣は玉衣の事なり、さて玉もて作れる衣にて、そを著て動く時は相ふれてさわぐを、遠き旅に立別る時、妹らが悲み騒ぐにいひかけつ、さてその時わざと吾は靜《シヅマ》りゐて、妹に物もえいはず來て、今悔しといへり、○安利衣の事は冠辭考にいひ、佐々惠々《サヱサヱ》の事は此別記にいへり、○之豆美は上の別記にいふごとく、萬里の約にてしづまりなり、然れば吾靜りて人を靜んとする意なり、 
伊敝能伊母爾《イヘノイモニ》、毛乃伊波受伎爾※[氏/一]《モノイハズキニテ》、於毛比具流之母《オモヒクルシモ》、」 此集の左の注に、人麻呂歌集の歌とす、(卷十三)に、たゞ柿本朝臣人麻呂歌とて載たるは、其人麻呂歌集より取し後人の歌集なればおきて、人麻呂歌集も既言如く、此撰より後に顯れし物なれば、此卷に東歌に載しを本とす、かの人麻呂集にも東歌をも取し類有ことなり、かくてこは人麻呂歌にまがふほどの歌なれど、東にもすぐれてよくよめるもあり、且公に仕て歸り給けん國造などは、方言はよむべからねば、此卷中に宮樣なるも上下に有なり、【注に、柿本朝臣人麻呂歌集中(ニ)出、見v上已(ニ)注也、と云り、こは(卷十三)柿本朝臣人麻呂歌三首とて、珠衣乃、狹藍左謂|沈《シヅミ》、家(ノ)妹爾、物不語來而、思金津裳、と書たり、もと此十三卷へは人麻呂歌集より取し事、右の注にてもしらる、十三卷などは、奈良宮のいと末の歌集なる事、別記に云が如し、○是に狹藍左謂に書しは、謂惠同音なれば異るあらず、】
 
3482 可良許呂毛《カラコロモ》、須蘇乃宇知可倍《スソノウチカヘ》、 裔の打交は合ものなるを序にて、あはずといひなせるは常の事なり、
 
安波禰杼毛、家思吉己許呂乎、 異なる心をなり、
 
安我毛波奈久爾《アガモハナクニ》、」 【或本歌曰、可良己呂母、須素乃宇知可比、阿波奈敝婆、禰奈敝乃可良爾、許等多可利都母、あひあは無ければ寢無ながらになり、此乃は奈を通はせり、卷十六に、おのが身のからてふも己が身ながらなり、】
 
3483 比流等家波《ヒルトケハ》、等家奈敝比毛乃《トケナヘヒモノ》、 とけ無けのけを同韻にて倍に通はせいふ、〇この乃は之《ガ》と心得て聞ゆ、鶯の鳴を鶯が鳴といふがごとし、
 
和賀西奈爾《ワガセナニ》、阿比與流等可毛《アヒヨルトカモ》、欲流等家也須流《ヨルトケヤスル》、」 よるどけと言を濁らんか、○いはひて解《トカ》じとも又解るを君にあはんさがとも、わざと解ていはふとも、かゝる事は定めなくいへり、○こゝの阿比與流は、せこに吾相よるなり、かの「あさで小衾つまよしこせね」てふは、夫をこなたへよせよにて意うらうへなり、
 
3484 安左乎良乎《アサヲラヲ》、 良は助辭、
 
遠家爾布須左爾《ヲケニフスサニ》、 麻笥に多《サハ》になり、(卷十二、旋頭歌)「なでしこの、花總手折、吾はもてゆかん、」(卷十七)に、ふさと有も物の多きことなり、然れば布佐を延て布須左といふか、又ふさは略言にて、太多《フツサハ》なるをつ須同韻にて通はせいふか、常にふつさりとしてなどいへり、
 
宇麻受登毛《ウマズトモ》、安須伎西佐米也《アスキセザメヤ》、 麻衣《アサソ》を令著ざらめやなり、阿佐|曾《ソ》を約め轉じて安須といふ、曾《ソ》は衣《ソ》なり、下の佐はさらの略、【上にふすさにうますともといへど、急ぐ心にて明日きせざらめやといふとおもひしを、さては衣といはで、着といふこといかにぞや覺ゆ、仍てあすを麻衣《アサソ》と心得るなり、】
 
伊射西乎騰許爾《イザセヲトコニ》、」 伊射西は所の名にて、ちぬ男さゝ田男てふ如し、 
3485 都流伎多知《ツルギタチ》、 冠辭、
 
身爾素布伊母乎《ミニソフイモヲ》、 妹は身に著添べきもの故に、先かくいふ、
 
等里見我禰《トリミガネ》、 見がたくての意故にかを濁れり、
 
哭乎曾奈伎都流《ネヲゾナキツル》、手兒爾安良奈久爾《テゴニアラナクニ》、」 此手兒は緑兒をいへり、既いへる如く※[氏/一]子は果の子にて、先は幼をいへば、こゝの如くもいひ、又をとなに成てもいひ、或は喚名ともせしと見えたり、事によりて心得べし、 
3486 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》、」 句なり、
 
由豆加奈倍麻伎《ユヅカナベマキ》、 革を斜に纏なれば、並纏といふともすべけれど、さては此歌によしなし、思ふに相射ん爲に、如己男《モコロヲ》の各弓束を卷調るを以て、並べ卷といふならんとおぼゆ、
 
母許呂乎乃《モゴロヲノ》、 此言は古書皆如てふ意にてを鴨の母己呂ともいへり、然れば母は眞《マ》なり、其呂は其登にて如《ゴトク》てふ言なりけり、さて(卷十)此言を如己男と書しは、意をしらせたるなり、【此國の言に初より濁るはなし、然ればごとくと云は、上に略言有こと知べし、故にもころのもを略き、登と呂を通はする時同言と成といふなり、】
 
許登等思伊波婆《コトヽシイハヾ》、伊夜可多麻斯爾《イヤカタマシニ》、」 或人彌勝ましと解しかど穩ならず、射哉《イヤ》勝んにといふにて、二の句よりかかるなり、さて相似たる男どちならば、我ぞ勝んと思ふに、いもがうへの事には力らも及ばずといへり、
 
3487 安豆左由美《アヅサユミ》、須惠爾多麻末吉《スヱニタマヽキ》、可久須酒曾《カクスヾゾ》、 古の弓は木のかぎりして作れば弭直して弓末に弦音なし、鞆の音のみにては勢たらはぬ故に、弓末に玉を纏鈴をもつけしなり、梓弓夜|音《ト》の遠|音《ト》など鳴弦《ツルナラシ》するも、これらの音あひて遠く聞ゆべし、弓のみかは萬の物にも玉と鈴をつけし事多かり、かくて是は玉鈴の音《ネ》を寢にいひかけたる序のみ、【凡玉の音といひ、手玉ならすといふも、玉のみ相ふれて高音有ものならず、手《タ》な鈴とも手《タ》玉ともいひて、此二つを交へ付しものなり、】
 
宿莫奈那里爾思、 今本奈莫と有は、後に誤て上下せし物なり、ぬる事|莫奈《ナクナ》成にしてふ言なればなり、此下に宿莫敝など書つ、
 
於久乎可奴加奴《オクヲカヌカヌ》、」 末をかねつゝ強《シヒ》ずて有間に、遂に妹と寢る事も無なりしよとなげくなり、○奥と末は通はしいふ、おくをかねて時を待ことをよめる上の卷にも有、
 
3488 於布之毛等《オフシモト》、 生繁本《オフシモト》なり、志美の美を略きて志毛等といふ、毛等とは木立《コダチ》をいふ、孝徳天皇紀に、模騰渠登爾《モトゴトニ》、播那波左該騰模《ハナハサケドモ》、と有是なり、且山下をふもとゝいふも此おふしもとの於としを略きて生本《オフモト》と云なり、(本は木をいふこと右の如し、)さて右に依て思へば、安之備幾てふ冠辭も、生繁木《アシミキ・アフシモト》にて是と同言なりけり、【おふしもと云言を略きて、あしびきといふを冠辭とせしをいはゞ、於布を安といふは、五音の始の阿と末の於と角違に通はする例なり、其於布の布を籠て阿といふは、生《オフ》るを阿禮《アレ》と云が如し、○こゝにはしみ本《モト》の美を略て、しもとゝいふを、冠辭には其美を備に通はせ、本を即木としてあし備木とはいへり、同音なる事知べし、仍て冠辭考をも改めつ、】○記の倭建命の御歌に、天のかぐ山、とがまに、さわたる久※[田+比]比波、とのたまへる久※[田+比]は※[木+若]《シモト》の事、比《ヒ》は生《オヒ》の略なるよし卷三に引ていへり、然れば彼は生《オヒ》の言を下に付こゝは上にいふにて同きなり、
 
許乃母登夜麻乃、 是も此木《コノモト》山といひて上の言を重ねたるなり、
 
麻之波爾毛《マシバニモ》、 上よりは生木《フモト》の木《モト》山の眞柴といひかけて下は眞數《マシバ》にも告《ノラ》ぬ妹が名といふなり、
 
能良奴伊毛我名《ノラヌイモガナ》、可多爾伊※[氏/一]牟可母《カタニイデムカモ》、」 右のしば/\ものらぬといふを強く思ふことなかれ、此歌は上に、「うらべかたやき、まさてにも、のらぬ君が名、うらに出にけり、」と有と均しきを思ふに、こゝも眞定《マサダ》にものらぬといふ心なるを、序の言を得ていひ下す故に、しばしばといへるのみと知べし、しからざれば、此歌末の言と本の心違ふべし、歌はつゞけの言によりて、さまざまにも聞ゆる物なり、さて歌の本の心を得ぬ人はまどふべし、【友などに定には告ず、かつ/\告しと云てしば/\は告ず、一度かたはしを告しと似たる事と成ぬ、】
 
3489 安豆左由美《アヅサユミ》、 冠辭、
 
欲良能夜麻邊能《ヨラノヤマベノ》、 弓よりは倚とかゝれり例多し、此山はしられず、 
之牙可久爾《シゲカクニ》、 幾を同音にて延て可久と云、
 
伊毛呂乎多※[氏/一]天《イモロヲタテヽ》、 上の遠江歌に、木部の林に、汝をたてゝ、といへるに似たり、〇こは女の男の許へ來たるなり、かゝる事も有べし、
 
左禰度波良布母《サネドハラフモ》、」 よろこぶさまなり、
 
3490 安都佐由美《アヅサユミ》、 冠辭、
 
須惠波余里禰牟《スヱハヨリネム》、麻左可許曾《マサカコソ》、 上に出、
 
比等目乎於保美《ヒトメヲオホミ》、奈乎《ナヲ》、 汝をなり、
 
波思爾於家禮《ハシニオケレ》、」 汝を端の方におけれなり、つまどひに來し男に心はよれど、まだ奥へ入すべきほどならねば、端の簀子などにをらするをいふなり、【柿本朝臣人麻呂歌集出也、○座に奥端といふ有て、貴きを奥下臈を端とするもあれど、それとは異なり、】
 
3491 楊奈疑許曾《ヤナギコソ》、伎禮婆伴要須禮《キレバハエスレ》、 常有事なり、
 
余能比等乃《ヨノヒトノ》、古非爾思奈式乎《コヒニシナムヲ》、伊可爾世余等曾《イカニセ∃トゾ》、 世の人とは我をいふ、
 
3492 乎夜麻田乃《ヲヤマタノ》、伊※[旡/れっか]能都追美爾《イケノツヽミニ》、左須楊奈疑《サスヤナギ》、 集中に、さし柳、根はるともよみて、柳枝はさすに、よく根つきておひ榮ゆ、其|生《オフ》をなるといへり、今も東人は草木の生たるをなりたりといへり、仍て戀の成にいひ轉ぜり、さてわが中の終に成ぬとももしならずとも、汝と吾心はかはらじと云り、
 
奈里毛奈良受毛《ナリモナラズモ》、 【婚の調へるを成と云こと、令條にも集中にも有、】 
奈等布多里波母、」
 
3493 於曾波夜母《オソハヤモ》、奈乎許曾麻多賣《ナヲコソマタメ》、 汝をなり、
 
牟可都乎能《ムカツヲノ》、四比乃故夜提能《シヒノコヤデノ》、 椎の小枝を音通へば、こやでともいへり、○能に如を籠、
 
安比波多家波自《アヒハタゲハシ》、」 椎の小枝はかたたがひ成て繁り合を、男に相にいひかけたり、【或本歌曰、於曾波也母、伎美乎思麻多武、牟可都乎能、思比乃佐要太能、登吉波須具登母、こは成がたき事のいつもかはらで、時は過ともといふならん、】
 
3494 兒毛知夜麻《コモチヤマ》、和可加敝流※[氏/一]能《ワカヽヘルデノ》、毛美都麻※[氏/一]《モミヅマデ》、 (卷十二《今ノ八》)わが宿に、もみづる蛙手、ともよめり、右かへる手は、夏の初によみたるにて、秋の末までもと云り、
 
宿毛等和波毛布《ネモトワハモフ》、汝波安杼可毛布《ナハアドカモフ》、」 何かと思ふと問り、
 
3495 伊波保呂乃《イハホロノ》、 上の上毛野國歌に、伊香保呂能、蘇比乃波里波良、とよめるに似たり、既いふ如く、伊加保は三方山にて一方は岨なり、其岨の方の野のはぎ原をいへり、こゝもそひの若松限りといへるは、其岨野の小松原までにて、外は岸なれば限りといへると聞ゆ、然れば此伊波は何《カ》などの字を誤りしにて、伊何保なるべし、かくて次の歌の多知婆奈乃といへるも、東にては武藏の橘樹郡の外は聞えぬからは、武藏なるべし、其次の安波乎呂も安房國の岳と聞え、此前後も必國處のしられぬを集めしともいふべからず、仍て右は上野のいかほとすべし、
 
蘇比能和可麻都《ソヒノワカマツ》、可藝里登也《カギリトヤ》、 右にいへる如く岨にて限り有を序にて、男の絶限るにたとふ、
 
伎美我伎麻左奴《キミカキマサヌ》、宇良毛等奈久毛《ウラモトナクモ》、」 心もとなくといふにて、此言のこと上に出、
 
3496 多知婆奈乃《タチバナノ》、 右にいへる如く、武藏なる事疑ふべからず、
 
古婆乃波奈里我《コバノハナリガ》、 古婆は里の名、波奈里は童女なり、事は上の別記にいへり、
 
於毛布奈牟《オモフナム》、 おもひなん、
 
古許呂宇都久志《コヽロウツクシ》、伊※[氏/一]安禮波伊可奈《イデアレハイカナ》、」 乞《イデ》吾はゆかんなり、
 
3497 可波加美能《カハカミノ》、 河の上なる意此歌になし、かはら川べなどいふ意なり、【大御神の宮を五十鈴川上といへど、川の上にはあらず、又卷一の河上のゆつ石むらなども、川のべと聞ゆ、】
 
禰自路多可我夜《ネジロタカガヤ》、 こはすゝき高かやなど云て、水草ならず、川の岸野に生繁れるが、水高き畔あらはれて本の白く見ゆるを、根白とはいふなるべし、さて根白は三の句へはつゝかず、四の句にさね/\てといはん序なり、
 
安也爾阿夜爾《アヤニアヤニ》、 入立てしげく通ひしなり、
 
左宿左寐※[氏/一]許曾《サネサネテコソ》、己登爾※[氏/一]爾思可《コトニデニシカ》、」 人言に云出られたるなり、○可は清《スミ》て歎く辭とすべし、此卷かゝる所は清濁をわけて書り、
 
3498 宇奈波良乃《ウナハラノ》、 日本紀に、河上をかはらと訓し類にて、此海はらは海邊をいふなり、
 
根夜波良古須氣《ネヤハラコスゲ》、 やはらは、催馬樂に、貫川の、わら手枕、てふ如くこゝのわらも泥をいひ、且其泥に生菅なれば、寢和らこ菅といひなして、うるはしきやははだ兒らをそへたり、
 
安麻多阿禮波《アマタアレバ》、 古今歌集に、目ならふ人の、あまたあれば、
 
伎美波和須良酒《キミハワスラズ》、 忘るのるを延て良すと云、
 
和禮和須流禮夜《ワレワスルレヤ》、」 わすられずとかへるなり、常はわすらるれやともいへり、
 
3499 乎可爾與世《ヲカニヨセ》、 岡に著《ツキ》よりてなり、
 
和我可流加夜能《ワガカルカヤノ》、佐禰加夜能《サネカヤノ》、眞《サネ》萱なり、まがやといふ事なるを、さねと云て佐寢をそへ、且末の句へかゝる、
 
麻許等奈其夜波《マコトナゴヤハ》、 下卷、「蒸衾《ムシブスマ》、なごやが下に、ねたれども、」とよめり、
 
禰呂等敝奈香母《ネロトヘナカモ》、」 まことになごやかには寢むといは無《ナキ》と、つれなきをうらむ、此句ね毛をねろ、いは無のいを略、はを倍に通し久を香といへり、
 
3500 牟良佐伎波《ムラサキハ》、根乎可母乎布流《ネヲカモオフル》、 紫草は根の色して衣を染る事をなしはたすものなりと先いひて、吾はねる事をなしはたさぬをいはん料とす、
 
比等乃兒能《ヒトノコノ》、宇良我奈之家乎《ウラガナシケヲ》、 心に深く愛《メヅ》るなり、
 
禰乎遠敝奈久爾《ネヲオヘナクニ》、」 戀とも共ねする事を、なし果《ハタ》さぬなり、○乎敝《ヲヘ》てふ言は(卷九)む月たち、春の來たらば、かくしつゝ、梅を折つゝ、多努之岐乎倍米《タノシキヲヘメ》、こは樂き事を盡さめなり、(卷十九)に、是を追加として、春裏之、樂終者《タノシキヲヘバ》、梅花、手折乎伎都追、(乎は助辭、)遊爾可有、てふは樂を盡さむとならばと云なり、祝詞に、稱辭竟奉《タヽヘゴトヲヘマツル》といふも、神の御|徳《イサホ》を稱盡し崇めことを盡し果すなり、
 
3501 安波乎呂能《アハヲロノ》、 安房國の岳なるべし、相摸|嶺《ネ》といふが如し、 
乎呂田爾於波流《ヲロタニオハル》、 岳の麓に有田に生なり、古は缶丘峯の字を通はし書たり、大小は高所に依て知故に、岡《ヲカ》と書も後世おもふとは違ひもあり、
 
多波美豆良《タバミヅラ》、 玉かづらに同じ、此多波を多和む事と思ふは假字違へり、武藏の多摩川を多|婆《バ》川と唱ふる如くに波を濁るべし、かくてみづらは眞蔓《マカヅラ》てふ事なれば、即玉かづらをたばみづらともいふなりけり、○田に生とは、句のせまればいへるにて、田邊に生るを云べし、
 
比可婆奴流奴留《ヒカバヌルヌル》、安乎許登奈多延《アヲコトナタエ》、」 いひ通はす言の絶ることなかれ、そのかづらを引が如く遠長かれと云なり、○奈多延曾といふを、曾をいはぬは、雲勿棚引《クモナタナビキ》莫和備《ナワビ》などの類なり、
 
3502 和我目豆麻《ワガマヅマ》、 目は眞なり、
 
比等波佐久禮杼《ヒトハサクレド》、安良多麻能《アラタマノ》、 今本に安佐我保能と有は、よしもなき事なり、こは安良多麻《アラタマ》などの草より誤しこと、歌の道に付て明らかなれば、あらためつ、【今本の訓は誤れり、】
 
等思佐倍己其登《トシサヘコゾト》、 其は受に通はして、年にさへ來ずとも我は思ひはなるゝ心あらじといへり、
 
和波佐可流我倍《ワハサカルガヘ》、」 流我の約は良、倍は禰に通てさからねなり、上のあはすがへとはことなり、【我の濁と良と通ふ例語意にいづ、】
 
3503 安齊可我多《アサカガタ》、 記また(卷四)神名式などに在は、伊勢の壹志郡なり、この歌に在は東にも同名あるならむ、
 
志保悲乃由多爾《シホヒノユタニ》、 潮干は海上のどかに見る目寛かなるを、潮干の如くゆたにのどかに思はゞ色には出じ、頻て思ふより顯れたりと云なり、
 
於毛敝良婆《オモヘラバ》、宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》、伊呂爾※[氏/一]米也母《イロニデメヤモ》、」 他の樣とことなる物とを、本末の譬とせしも類あれど、此歌はよろしくも聞えず、もし二首の一首と成しにや、
 
3504 波流敝佐久《ハルベサク》、布治能宇良葉乃《フヂノウラバノ》、 序なり、
 
宇良夜須爾《ウラヤスニ》、 心をやすらになり、
 
左奴流夜曾奈伎《サヌルヨゾナキ》、兒呂乎之毛倍婆《コロヲシモヘバ》、」 おもへばのおを略、【後撰集に、「春日さす、藤のうらばの、うらとけて、君したのまば、我もたのまん、」てふはこゝの歌もていひかへたり、】
 
3505 字知比左數《ウチヒサス》、 冠辭、今本都と有は數を誤れり、
 
美夜能瀬河伯能《ミヤノセガハノ》、可保婆奈能《カホバナノ》、 かほ花は集中に四首有中に面影にいひしは(卷十二)一首にて、他はくさ/”\につゞけたり、されどこは猶かほよき妹を、此花に譬へしともすべし、或人はかほとしあれば、顔よき事をいふとおもへるよ、
 
孤悲天香眠良武《コヒテカヌラム》、伎曾母許余比毛《キソモコヨヒモ》、」 明日の夜もこよひもといへり、こゝと(卷七)「いはゞしの、間々に生たる、貌花、」とよめるはおもだかをいふにや、かれが葉は人の面の高きが如くなれば、面高とも名付いふ意を枕ざうしにもいひつ、又此下に、「みやしろの、をかべに立るかほが花、」と(卷十二)「高圓の、野べのかほ花、」と云は、槿《アサガホ》をいふべし、槿はむくげの花なり、
 
3506 爾比牟路能《ニヒムロノ》、許騰伎爾伊多禮婆《コトキニイタレバ》、 新室の言祷《コトブキ》の時と成しかばなり、○新室の御賀詞は、紀に(顯宗條)出、(卷四)新室蹈靜子之《ニヒムロヲフミシヅムコガ》、といへるもことぶきの時のさまなり、
 
波太須酒伎《ハタスヽキ》、 冠辭、
 
穗爾※[氏/一]之伎美我《ホニデシキミガ》、見延奴己能許呂《ミエヌコノゴロ》、」 妹が家を新に作りてことぶきすとて人は多くつどへど、吾と相おもふ事の顯はれし君は、却てはゞかり見え來ぬを思ひてよめるなるべし、
 
3507 多爾世婆美《タニセバミ》、彌岳爾礪波比多流《ミネニハヒタル》、多麻可豆良《タマカヅラ》、多延武能己許呂《タエムノココロ》、我母波奈久爾《ワガモハナクニ》、」 (卷四)山高(ミ)、谷邊(ニ)蔓、とて末ことに(卷五)「丹波賂の、大江の山の、さねかづら、」とて末はこゝと均もあれど、各他人の歌と見えたり、
 
3508 芝付能《シバツキノ》、御字良左伎奈流《ミウラサキナル》、 相摸に三浦郷和名抄に出て今も有、芝付てふ所そこには無か問ふべし、
 
根都古具佐《ネツコヅサ》、 此草はしらず、共ねせしを相見しともいふ故に、序とせしなり、
 
安比見受安良婆《アヒミズアラバ》、安禮古比米夜母《アレコヒメヤモ》、」
 
3509 多久夫須麻《タクブスマ》、 冠辭、
 
之良夜麻可是能《シラヤマカゼノ》、 此歌東人の旅によめると見ゆれば、越の白山の邊へ行てよめる成べし、
 
宿奈敝杼母《ネナヘドモ》、古呂賀於曾伎能《コロガオソキノ》、安路許曾要志母《アロコソエシモ》、」 白山風の夜寒きに寢がたけれど、妹が形見の襲衣《オソヒキヌ》の有を着ればよしといへり、於曾伎はたゞ表衣にて、かの於須比とは異なり、○こそといひて下をしとゝむるは幾《キ》と通へばなり、
 
3510 美蘇良由久《ミソラユク》、君母爾毛我母奈《クモニモガモナ》、家布由伎※[氏/一]《ケフユキテ》、伊母爾許等杼比《イモニコトドヒ》、 ものいひてふをことゞひといふ、
 
安須可敝里許武《アスカヘリコム》、」 是も防人の歌ならむ、
 
3511 安乎禰呂爾《アヲネロニ》、多奈婢久君母能《タナビククモノ》、伊佐欲比爾《イザヨヒニ》、 去もやらず懸て年ふるなり、
 
物乃乎曾於毛布《モノヲゾオモフ》、等思乃《トシノ》許|能己呂《ノゴロ》、」 此年頃をといふに同じ、
 
3512 比登禰呂爾《ヒトネロニ》、伊波流毛能可良《イハルモノカラ》、 物ながらなり、 
安乎禰呂爾《アヲネロニ》、伊佐欲布久母能《イザヨフクモノ》、與曾里都麻波母《ヨソリヅマハモ》、」 妹と吾と心ひとつぞといひよせらるゝなれど、實は心いざよひてはたさぬ、そのいひよせ妹はと戀なげくなり、心は上の伊かほ嶺に雨雲伊つぎといへるに似て、末少しことなり、
 
3513 由布佐禮婆《ユフサレバ》、美夜麻乎佐良奴《ミヤマヲサラヌ》、 美山は眞山にて、ほむる辭のみ、【後世何人か誤初めけん、み山を深山と書ことと思へり、古へ深山をみやまと訓し事必なし、】
 
爾努具母能《ニヌグモノ》、 布引たらん如く棚引雲をいふ、上にも奴能を爾能といへり、 
安是可多要牟等《アゼカタエムト》、伊比之兒呂婆母《イヒシコロハモ》、」【はもは半濁に和のごとくいふ故に婆と書り、此類多し、】高き山の夕の布雲のごと、わが中何ぞや絶る時あらんといひし妹の絶て後に、男の思ひ出てなげくなり、
 
3514 多可伎禰爾《タカキネニ》、久毛能都久能須《クモノツクノス》、 如なり、
 
和禮佐倍爾《ワレサヘニ》、 雲に依て吾副と云、
 
伎美爾都吉奈那《キミニツキナヽ》、 下の那はいひおそふる辭、
 
多可禰等毛比※[氏/一]《タカネトモヒテ》、」 君をその高ねと思ひてなり、
 
3515 阿我於毛乃《アガオモノ》、和須禮牟之太波《ワスレムシタハ》、 牟は毛に通へり、卷四、面形の忘るとならばとも、面忘などもいへるに同じく、年經ておぼ/\しくなれるをいふ、嶺の雲は面形に似る物ならず、通き境にては、雲のみ形見なればいふのみ、之太波は爲給者なり、
 
久爾波布利《クニハフリ》、 記に大君を島にはぶりといふは、放て遠くやるなり、こゝはたゞ國を放れて遠くゐるを云、【紀に溢をはふりに用しも意ひとし、】
 
禰爾多都久毛乎《ネニタツクモヲ》、 嶺になり、
 
見都追之奴婆西《ミツヽシヌバセ》、」
 
3516 對嶋能禰《ツシマノネ》、 防人はつしまへも行、
 
波之多久毛《ハシタクモ》、 今本具と有は、久を具《グ》に誤れるなり、【はしたくは細痛《クハシイタタ》の略にて、くはしくは古へ物をほむる言にて、はしき妻|愛嬬《ハシツマ》などいふも是なり、多久は伊多久の略にて、上の事を強からする辭のみ、】
 
安良奈布《アラナフ》、吾行つしま嶺の雲は心|愛《ウツ》くしともなしとなり、
 
可牟能禰爾《カムノネニ》、多奈婢久君毛乎、見郡追思怒波毛、」 こは防人の別る時、上の歌を妹がよみしにこたへたるならん、さて吾ゆかむ對馬嶺の雲を見ては、形見ともおもはじ、たゞ東の神の嶺の雲を遠く見つゝしぬばんといふなり、筑紫より東の嶺の雲は見えざれど、しかいふは情なり、可牟のねはつくしにも在やと思ふべけれど、わろし、對馬嶺をば右の如くめづましければ、神の嶺は東なるをいふ事知べし、下に足がらの御坂を神の御坂ともよめれば、是ならんか、
 
3517 思良久毛能《シラクモノ》、多要爾之伊毛乎《タエニシイモヲ》、 白雲は必絶るなり、
 
阿是西呂等《アゼセロト》、 何とせんとなり、
 
許己呂爾能里※[氏/一]《コヽロニノリテ》、許己婆可那之家《コヽバカナシケ》、」 こゝばくを略けり、
 
3518 伊波能倍爾《イハノヘユ》、伊賀可流久毛能《イガヽルクモノ》、」 此三句より下は落失しものなり、今本に、可努麻豆久、比等|曾《ソ》(誤なり)於多波布、伊射禰之賣刀良、とあるは、本末かけ合ず、上の上野歌に、伊香保呂爾、安麻久母伊都|藝《ギ》、可奴麻豆久、比等登於多波布、伊射禰志賣刀羅と在るは聞えたり、然れば此末句どもは亂れ本にかくありしならんを、校合せし人よく心得ざりし物なり、仍て今度は三の句より下を闕て正しき本を待めり、
 
3519 奈我波伴爾《ナガハヽニ》、己良例安波由久《コラレアハユク》、 妹がもとへ來たる男を、母聞つけてのゝじりければ、かへるとて讀るなり、
 
安乎久毛能《アヲグモノ》、 冠辭、
 
伊※[氏/一]來和伎母兒《イデコワギモコ》、 はしなどへしばし出來たれといふなり、 
安必見而由可武《アヒミテユカム》、」
 
 △今本にこゝに 3520 於毛可多能、和須禮牟之太波、於抱野呂爾、多奈婢久君母乎、見都追思努波牟、とあるは、只この五首上に出し歌にて、それには、初は阿我於毛乃三句は、久爾波布利、四句には、禰爾多郡久毛乎、五句には、見郡追之努波|西《セ》、とありてよろし、こゝに於波野呂と云は、野に專ら雲をいふべくもなし、そも地名を擧て山上の野なるにいふ事なり、上の忘もしたばは忘給はゞなるを、末に志努|波牟《バム》とあるは、我心なれば意そむけり、然ればこゝの歌は後に誤て再載しものなり、此右にもひが歌あるは、此ところ亂れし物なり、
 
3521 可良須等布《カラストフ》、 烏と云といふなり、
 
於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》、 乎曾は常に宇曾とて、いつはりいふ事なり、【於曾のみや人、於曾や此君などは、絶て心遲き事にて、かなも於曾なり、こゝに引歌も恐《オソ》ろしと心得ては、意穩かならぬが上に、恐は於曾のかなゝればかなはず、古意は此かなを知て後定まれり、】こゝに烏といふ大|僞《ウソ》鳥といふ意なり、(卷十三)相見(テ)者、月毛|不經《ヘナク》爾、 戀云者《コフトイハヾ》、乎曾呂登吾乎《ヲソロトワレヲ》、於毛保寒毳《オモホサムカモ》、てふも僞ぞとおもほさむかと云なり、乎を通はしいふは、兎《ウサギ》を乎佐支|現《ウツヽ》を乎都々と云がごとし、
 
麻佐低爾毛《マサデニモ》、 眞定にもなり上にも出、
 
伎麻左奴伎美乎《キマサヌキミヲ》、 來まさぬ君を、
 
許呂久等曾奈久《コロクトゾナク》、」 烏のころく/\と鳴事あるを、子等來《コラク》と聞なして、きみか來るやと待にかひなければ、大僞鳥ぞといへり、古今歌集に、鶯のこえを人來/\、と聞なせるも此類ぞ○子等《コラ》とはこらは男をいへり、男をこらといふことは聞えねど、烏の聲をしか聞なすなればさてもよし、
 
3522 伎曾許曾波《キソコソハ》、 上に出、
 
兒呂等左宿之香《コロトサネシガ》、久毛能宇倍由《クモノウヘユ》、奈伎由久多豆乃《ナキユクタヅノ》、麻登保久於毛保由《マドホクオモホユ》」
 
3523 佐可故要※[氏/一]《サカコエテ》、阿倍乃田能毛爾《アベノタノモニ》、 駿河のくに内屋《ウツノヤ》の坂の東に阿部川あり、川の東は即阿部の市道と(卷十四)によめる是なり、
 
爲流多豆乃《ヰルタヅノ》、 序なり、
 
等毛思吉伎美波《トモシキキミハ》、 こは群るをばいはず、たゞめを二つをるをもて乏しきたとへとす、たま/\こし男をいかでかく日ならべて來んよしもがもと思ふなり、
 
安須左倍母我毛《アスサヘモガモ》、」
 
3524 麻乎其母能《マヲゴモノ》、布能末知可久※[氏/一]《フノマヂカクテ》、 顯宗天皇紀に、耶賦能之摩※[加/可]枳、後に十ふのすがこもなどいへる、皆ゆひめあみめを節《フシ》といふを略きて布といへり、日本紀の私記などには思ひ得ざりし、○今本未とあるは誤れり、薦《コモ》などのふは間ちかきとこそいへ、
 
安波奈敝婆《アハナヘバ》、 こものふの間近きを、男と女の近く住に近けれども相ずと云り、
 
於伎都麻可母能《オキツマカモノ》、奈氣伎曾和我須流《ナゲキゾワガスル》、」 間近きものと遠きものと對《ムカ》へ云り、
 
3525 水久君野爾《ミクヽヌニ》、 武藏の秩父郡に水久具利てふ里あり、もし其所の泥をいふか、野は古へ奴といへればこゝは泥《ヌ》のかなとせしなり、
 
可母能波抱能須《カモノハボノス》、 鴨の羽ぶきのごとくといふなり、地に群て羽ぶきするは聞驚るゝ物なり、【鴨は野原によしなし、又野につけてよまば其よしこそいはめ、○如をなすと訓ことは上に多し、其なすをのすといへる例有、或説に、於呂波敝を男等這てと心得しはひがことなり、男は乎のかなゝり、又しかいひて此歌穩に聞えんやは、上を野に造と心得しよりの誤なり、鴨に這といふ言はなきなり、】○夫伎の約備なるを抱《ボ》に轉じたり、
 
兒呂我宇倍爾《コロガウヘニ》、許等於呂波敝而《コトヲロバヘテ》、 言《コト》はへてなり、於は於|杼《ド》の約なれば、驚《オドロク》くを於呂ともいひ、音はどろを約ておとゞろとよめる類なり、波《バ》倍は付いひ言を延る辭にて、下ばへころばへなどの如し、さて催馬樂に、「あしかきまがきてふこすと、おひこすと、とゞろける此家の弟《オト》よめ、おやにまうよこしけらしも、」といへるが如し、男の忍び來んぞと聞て、家こぞりとゞろぎ騷といふなり、○おどろくとゞろくは相似たる事ぞ、
 
伊麻太宿奈布母《イマダネナフモ》、」
 
3526 奴麻布多都《ヌマフタツ》、可欲波等里我栖《カヨハトリガス》、 沼二つへかよふ水鳥のすみかなり、我栖《ガス》は如《ナス》の辭ともすべけれど、栖と書しは、すみかの意なるを思はせしなり、さて云々○鳥がすみかのごとくと心得べし、
 
安我許古呂《アガコヽロ》、布多由久奈母等《フタユクナモト》、奈與母波里曾禰《ナヨモハリソネ》、」 我こころを二方にかよはすと汝よ思ひそといへり、上の奈母は辭、次の奈與は妹をさす、下の波里は比を延いふのみ、
 
3527 於吉爾須毛《オキニスモ》、 泥にても遠く深き所を澳といふ、須毛は須牟なり、
 
乎加母乃母己呂《オカモノモコロ》、 乎は小なり、母古呂は如くてふ言なる事上にいひつ、
 
也左可杼利《ヤサカドリ》、 八十量《ヤソバカリ》の長息をつく鴨鳥と云なり、八曾波加利の曾波の約佐なればなり、佐加といひ利は略けり、さて小鴨の中に爾保《ニホ》鳥の聲は長く引て鳴故に、譬へしなり、仍て澳といふも、水底に入よしにていへりとも聞ゆ、こはやさかの長息する小鴨鳥の如してふ意なるを、下へいひつゞけたるとて、言を前後におけり、【集中に、我なげく八尺の歎、杖不足八尺のなげき、などいふに尺と書しは、八十量の言にかなふ字故に、借しのみなり、神代紀出雲風土記などに、八十量てふ言は出づ、それらを見ば明らかならん、】
 
伊伎豆久伊毛乎《イキヅクイモヲ》、於伎※[氏/一]伎努可母《オキキヌカモ》、」 防人の別れなるべし、
 
3528 水都等利乃《ミヅトリノ》、 冠辭、
 
多々武與曾比爾《タヽムヨソヒニ》、 よそひは萬づにわたりて云、
 
伊母能良爾《イモノラニ》、 能は妹根と貴む言なり、
 
毛乃伊波受伎爾※[氏/一]《モノイハズキニテ》、 爾は去なり、
 
於毛比可禰郡毛《オモヒカネツモ》、」 此末の言は上にも下にも有、
 
3529 等夜乃野爾《トヤノヽニ》、 鷹をあはせんとて、柴などをさして隱れをるを、田舍にて鳥やといふ、そを轉じて獣とるためにするをもしかいへり、さるわざする所を即鳥屋の野ともいふなるべし、
 
乎佐藝禰良波里《ヲサギネラハリ》、 兎《ウサギ》ねらひなり、乎宇通はしいふこと上にいへり、○ねらひは、下にさつをのねらひともよみて、たねらひともためらひとも云是なり、波里は比の延言、上は序、
 
乎佐乎佐毛《ヲサヲサモ》、 何にてもことの長たるを乎さといふよりして、專らなるをもをさといへり、
 
禰奈敝古由惠爾《ネナヘコユヱニ》、波伴爾許呂婆要《ハヽニコロバエ》、」 專らと相寢し事もなき妹ながらに、其母に※[口+責]《コロ》はゆると云なり、これも右に、なが母に、己良例わはゆくてふ如く、いたづらにかへるものづからに、母が罵を聞てよめるなるべし、
 
3530 左乎思鹿能《サヲシカノ》、布須也久草無良《フスヤクサムラ》、見要受等母《ミエズトモ》、 上は譬、
 
兒呂我可奈門欲《コロガカナトヨ》、 【今本我《ガ》の草を家に誤れり、家氣などの字を可の音に用ゆる事なし、】
 
由可久之要思毛《ユカクシエシモ》、」 よし妹は見えずとも、その門わを行は下心よしといへり、○可奈門とは鐵のくぎ貫もて堅むればいふ、常には奈を略きて可杼《カド》といへり、安康天皇紀に、大前、小前すくねが、※[言+可]那杜加|礙《ギ》、集にも多し、又坂上郎女其女に贈歌に、小金門に、物悲しらに、とよめるは閨の金門なり、然れば内外いづれにても金門といふなり、
 
3531 伊母乎許曾《イモヲコソ》、安比美爾許思可《アヒミニコシガ》、麻欲婢吉能《マヨビキノ》、 冠辭、
 
與許夜麻敝呂能《ヨコヤマベロノ》、思之奈須於母敝流《シヽナスオモヘル》、」 妹か家の母など忍び男をは山川の鹿の如思へると云へり、上に、「小山田の、鹿田守ごと、母がもらすも、」
 
3532 波流能野爾《ハルノノニ》、久佐波牟古麻能《クサハムコマノ》、久知夜麻受《クチヤマズ》、 若草はむは實にをやみもなし、
 
安乎思努布良武《アヲシヌブラム》、 防人と見ゆ、妹が今は待わびて、頻に我うへをいふらんとなり、しぬぶは慕ふなり、
 
伊敝乃兒呂波母《イヘノコロハモ》、」
 
3533 比登乃兒乃《ヒトノコノ》、 上にいへり、
 
可奈思家之太波《カナシケシタバ》、 我をかなしけと爲給ればなり、
 
波麻渚杼里《ハマスドリ》、 冠辭、濱の渚にゐる鳥は沙に足ふみ入つつ、あるきがてにするをたとふ、
 
安奈由牟古麻能《アナユムコマノ》、乎之家口母奈思《ヲシケクモナシ》、」 妹が心ざしの深ければ、馬の足のつかれをもいとはず、通ひ來といへり、いと遠くより通ふならん、 
3534 安可胡麻我《アカゴマガ》、可度※[氏/一]乎思都々《カドデヲシツヽ》、伊※[氏/一]可天爾《イデガテニ》、 馬は門出をいそぐ物にて、乘ば即出んとするを引とゞめつゝ、我は出難にせしなり、
 
世之乎見多※[氏/一]思《セシヲミタテシ》、伊敝能兒良波母《イヘノコラハモ》、」 見たては今も旅立ときにいふ言にて、見つゝたゞしむるなり、さてその時妹が愁しさまを思ひ出てなげくなり、
 
3535 於能我乎遠《オノガヲヽ》、 於能は妹が己なり、乎は即夫を云、
 
於保爾奈於毛比曾《オホニナオモヒソ》、 馬の心にもおほろかにな思ひそとおしふ、
 
爾波爾多知《ニハニタチ》、惠麻須我可良爾《ヱマスガカラニ》、 男の早く別て悦ぶなり、
 
古麻爾安布毛能乎《コマニアフモノヲ》、」 乘來し夫の悦びゑむからに、馬をもほめてよろしく飼などすれば、いつもわがせをおろそかに思はずて、いそぎ來たれといふめり、安布とは馬に饗するをいふと聞ゆ、布倍音通へばなり、此ほかに聞ゆべきよしなし、
 
3536 安加胡麻乎《アカゴマヲ》、宇知※[氏/一]左乎妣吉《ウチテサヲビキ》、己許呂妣吉《コヽロビキ》、 弓に引みゆるべみなどいふにひとし、
 
伊可奈流勢奈可《イカナルセナカ》、和我理許武等伊布《ワガリコムトイフ》、」 さま/”\と吾をこゝろみもてあそびて後、わがもとへ來んといふは、いかばかりの心もたる男にやと、女もふつくめるさま見ゆ、
 
3537 久敝胡之爾《クベゴシニ》、 馬塞《ウマセ》の籬なり、上に此一二句同じくて、上句より下異なる歌ある所に、久敝の事はいへり、
 
武藝波武古馬能《ムギハムコマノ》、波都波都爾《ハツハツニ》、 かきの外に麥を、首さし延て咋に、口のいさゝかにとゞくを云、○今本に古宇馬とあれど、宇は衍字なり、此或本又(卷五)二句も駒と書、卷中皆古麻とのみ書たり、
 
安比見之兒良之《アヒミシコラシ》、安夜爾可奈思母《アヤニカナシモ》、」 はつ/\は集に端端と書て、端と端の漸とゞくをいへば、いといさゝかなる事にとれり、【或本歌曰、宇麻勢胡之、牟伎波武古麻能、波都波都爾、仁|必《ヒ》波|多《ダ》布禮之、古呂之可奈思母、此宇麻勢も同じ、】
 
3538 比呂波之乎《ヒロバシヲ》、 廣橋は渡かたからじ、然れば呂は良の意にて、一枚《ヒトヒラ》ばしの打橋をいふなり、
 
宇馬古思我禰※[氏/一]《ウマコシカネテ》、己許呂能未《コヽロノミ》、伊母我理夜里※[氏/一]《イモガリヤリテ》、和波己許爾思天《ワハココニシテ》、」 吾は此所に止在てなり、【或本發句曰、乎波夜之爾、古麻乎波左佐氣、山に小木の茂き中へ馬のきれ走上りて急げども、せんかたなくて立ほどの心なり、○上の佐は志良の約、下の左は世阿の約にて、はしらせあげ也、次にも同歌有、此本の句どもゝ故有ば、二首別歌にて並擧げんを、後人末の同じとて、今と或本と互に一首を捨しなるべし、猶考て本文にも擧べかりけり、】
 
3539 安受乃宇敝爾《アズノウヘニ》、古馬乎都奈吉※[氏/一]《コマヲツナギテ》、 あずは間塞《アゼ》とて、田ごとの間のへだてをいふ、こははゞせきへだて間に馬の立をあやふき事に譬ふ、
 
安夜抱可等《アヤホカド》、 危くあれどもなり、左にも此本の句とも有、
 
比登都麻古呂乎《ヒトツマコロヲ》、 他妻の女を、
 
伊吉爾和我爲流《イキニワガスル》、」 いきは命也、然ればいきのをといふに同じく、命かけたる思ひなり、【古本の或本云、3541 安受倍可良《アズベカラ》、古麻乃由胡能須、安也波刀文《アヤハトモ》、比登豆麻古呂乎、麻由可西良布母、これは同歌のいさゝか違へるのみなり、然るに今本此次一首を置て、この安受倍可良てふを載たるは、ひがことなればそは除けり、】
 
3540 左和多里能《サワタリノ》、 所の名なり、駿河にも此名あり、他にも有べし、
 
手兒爾伊由伎安比《テコニイユキアヒ》、 思ふ妹にたま/\行あひしになり、此手兒は少女といふ意なり、かの果の子より轉ぜし事しるし、
 
安可胡麻我《アカゴマガ》、 可と書しかば赤駒と訓、
 
安我伎乎波夜美《アガキヲハヤミ》、 馬の歩むは足して地をかくが如くすればいふ
 
許等登波受伎奴《コトヽハズキヌ》、」 ものもいはで過來しなり、
 
3542 佐射禮伊志爾《サヾレイシニ》、古馬乎淡佐世※[氏/一]《コマヲハサセテ》、 佐は志良の約なること上に同じ、
 
己許呂伊多美《コヽロイタミ》、 石ふむ道は馬の足のなやめば、乘人心いたく思ふをたとへとせり、
 
安我毛布伊毛我《アガモフイモガ》、伊敝乃安多里可聞《イヘノアタリカモ》、」 上に有といさゝか違なり、
 
3543 武路我夜乃《ムロガヤノ》、都留能都追美乃《ツルノツヽミノ》、 重之歌集に、陸奥の都留の神有、そのころの歌に、むろのやしまともよみしかば、こは陸奥の地の名ならん、東にては泥池などを夜《ヤ》といへり、【後に、室の八島は下野ぞとすれど、必とも定めがたし、この歌によれば、みちのくか、】
 
邦利奴賀爾《ナリヌガニ》、 此ころ此堤をなし終りけんを、戀の成によせたるなり、
 
古呂波伊敝杼母《コロハイヘドモ》、伊末太年那久爾《イマダネナクニ》、」 凡成ぬるといへどもなり、
 
3544 (阿須可河伯《アスカヾハ》、) あすか川は大和の外に聞えざる也、この可は太の誤にて、阿須|太《ダ》川か、更科日記にむさしと相摸のあはひなるあすだ川と云り、されども六帖に、「利禰川の、そこは濁りて、うへすみて、有けるものを、さねて悔しき、」と云は、こゝの歌の言をいひかへしのみにて同歌なり、然れば初句はとね川なりしを、今は誤る也、
 
之多爾其禮留乎《シタニゴレルヲ》、之良受思天《シラズシテ》、 男の下心の眞ことならぬをいふ、
 
勢奈那登布多理《セナヽトフタリ》、左宿而久也思母《サネテクヤシモ》、」
 
3545 (安須可河伯) 右にいへる如く、何れにもあすかにはあらじ、
 
世久登之里世波《セクトシリセバ》、安麻多欲母《アマタヨモ》、爲禰底己麻思乎《ヰネテコマシヲ》、世久得四里世波《セクトシリセバ》、」 末にかくおやなどのせくと知てあらばなり、
 
3546 安乎楊木能《アヲヤギノ》、波良路河波刀爾《ハラロカハトニ》、 柳のめを張川門に也、
 
奈乎麻都等《ナヲマツト》、西美度波久末受《セミドハクマズ》、澄水《スミヽヅ》は汲ずなり、せみどすみづは音かよへり、
 
多知度奈良須母《タチドナラスモ》、」 水をばくまず汝を待とて、立て土のみふみならしてのぞみをるをいふ、
 
3547 阿知乃須牟《アヂノスム》、 味鳧の栖なり、
 
須沙能伊利江乃《スサノイリエノ》、 考へず、
 
許母理沼乃《コモリヌノ》、安奈伊伎豆加思《アナイキヅカシ》、 隱泥は見えぬよしなり、さて思ふ人のこもりて見えぬをなげきて、長息づかしきなり、はゝがこふこのまゆごもりと云に心は同じ、
 
美受比佐爾指天《ミズヒサニシテ》、」
 
3548 奈流世呂爾《ナルセロニ》、 鳴瀬になり、
 
木都能余須奈須《コヅノヨスナス》、 木くづのながれよる如くと云り、下に木糞と書り、さて多くの人のいひよするに譬ふ、
 
伊等能伎提《イトノキテ》、 (卷五)にいへり、
 
可奈思家世呂爾《カナシケセロニ》、比等佐敝余須母《ヒトサヘヨスモ》、」
 
3549 多由比我多《タユヒガタ》、 越前にも同名有、東にも有けん、
 
志保彌知和多流《シホミチワタル》、伊豆由可母《イヅユカモ》、 何所のこを略くか、思ふに由は古の誤なるべし、いづこよりかもなり、
 
加奈之伐世呂我《カナシキセロガ》、和賀利可欲波牟《ワガリカヨハム》、」
 
3550 於志※[氏/一]伊奈等《オシテイナト》、伊禰波都可禰杼《イネハツカネド》、 強ていなといひてなり、さて稻つきなどあらわざすれば、身もとどろぎてうまいしがたきにたとへて、さるわざはせねど、きぞの夜たま/\夫子とねざれは、ねがたかりしといふなり、是も賤女がことをかりていふならむ事、上にいへるが如し、○いねつくは、籾を杵もて舂につきて米とするをいふ、大嘗祭の稻美の殿のわざ、催馬樂などにも女どもいねつく事あり、
 
奈美乃保能《ナミノホノ》、 神代紀などに浪穗といへるに同じく、高なみのことなり、 
伊多夫良思毛與《イタブラシモヨ》、 (卷四)甚振《イタブル》浪といへるに均しく、浪の振動を心の動によす、
 
伎曾比登里宿而《キソヒトリネテ》、」
 
3551 阿遲可麻能《アヂカマノ》、 此所考へず、次にも出、
 
可多爾左久奈美《カタニサクナミ》、 神代紀に、秀起|浪穗《ナミホ》を、秀起此云2佐岐佗豆屡1といひ、(卷十五《今六》)「白波の、伊開廻《イサキメグ》れる住よしの濱、」てふ如く、荒波のよりくだくる磯をいふなり、
 
比良湍爾母《ヒラセニモ》、 所ひろくさゞ波のみしてこともなきを平瀬といふ、
 
比毛登久毛能可《ヒモトクモノカ》、加奈思家乎於吉※[氏/一]《カナシケヲオキテ》、」 此本の開立浪を吾專ら思ふ男にたとへ、平瀬をばおしなべたる男に譬へて、さてそのおしなべの男のあはんといふ時思ふ男をおきておほよそ人とひもとく物かはと女の云なり、 
3552 麻都我宇良爾《マツガウラニ》、 其男女の住所をいふのみ、浦といふにかゝはるべからず、
 
佐和惠宇良太知《サワヱウラダチ》、佐和惠は騷《サハグ》にて、里人も言痛《コチタク》家の内には占問などして、こと/”\しく騷をいへり、此下に曾和惠かも加米におほせんとも有なり、【下に曾和惠かも加米におふせんとある、そわゑはこゝと同じ、かめを龜の卜と見てこゝをも違へる説有べし、そは其所にいふを見、惣ては右の別記を見よ、】是はくさ/”\むつかし、右のさゑ/\しづみの別記を見渡して知べし、
 
麻比等其等《マヒトゴト》、 上の句に引つゞけて見る、
 
於毛抱須奈母呂《オモホスナモロ》、 夫の心をいふ、
 
和賀母抱乃須毛、」 布を抱《ホ》といふは東のみならず、下に奈良人もいへり、
 
3553 安治可麻能《アヂカマノ》、可家能水奈刀爾《カケノミナトニ》、伊流思保乃《イロシホノ》、潮左爲《シホサイ》とて港にさし入潮のことにさわぐを、人言のさわぐに譬、 
許※[氏/一]多可久毛可《コテタケクモカ》、 今本家を受に誤、【登伊《トイ》の約の千を轉じ天といふ、】
 
伊里※[氏/一]禰麻久母《イリテネマクモ》、」 妹が夜床に入てねんに、さらは人言の痛《イタ》けくもあらんかとあやうきなり、
 
3554 伊毛我奴流《イモガヌル》、等許乃安多理爾《トコノアタリニ》、伊波久具留《イハクヾル》、 今本に具久と有は上下せり、
 
水都爾母我毛與《ミズニモガモヨ》、伊里※[氏/一]禰未久母《イリテネマクモ》、」
 
3555 麻久良我乃《マクラガノ》、 冠辭、又此上にもいへり、
 
許我能和多利乃《コガノワタリノ》、可良可治乃《カラカヂノ》、 加伊、加治は同物同言なるを、こゝに可良加治としもいふを思へば、我朝には一木して作る加伊へらのみ有しに、手束に他木を添て今|艫《ロ》といふもの、後にからより來し故に、此名有なりける、【後の歌にからろとよみしは、字音なればわろし、からかぢとよむべかりし、】
 
於登太可思母奈《オトダカシモナ》、 かぢの音を人言にたとふ、
 
宿莫敝兒由惠爾《ネナヘコユヱニ》、」 ねもせぬ妹ながらになり、
 
3556 思保夫禰能《シホブネノ》、 上にしほぶねのならべてといへるは、湊又はいそなどへよせ並べて在をいふなれば、こゝもとゞめて潮まちする船をいふべし、さて時有て浮去るもて浮ことに冠らせたり、
 
於可禮婆可奈之《オカレバカナシ》、 於は宇の轉にて浮れなり、さてこのうかればゝよそにして在ば悲しと云意なり、
 
佐宿豆禮婆《サネツレバ》、 よそにして在はくるしとてねつればなり、
 
比登其等思家志《ヒトゴトシケシ》、那乎杼可母思武《ナヲドカモシム》、」 何《ナニ》とかせんなり、乎を添るは否《イナ》かもをいなをかもてふが如し、○思《シ》は世に通へり、又直に世を誤るか、
 
3557 奈夜麻思家《ナヤマシケ》、比登都麻可母與《ヒトツマカモヨ》、許具布禰能《コグフネノ》、和須禮婆世奈那《ワスレハセナヽ》、伊夜母比麻須爾《イヤモヒマスニ》、」 ※[手偏+旁]船の忘とつゞくよしなきを思ふに、次のうたは人妻の船にて遠く行をりの歌、是は忍ぶる男のおくれゐて、なげく心をいふ事なるべし、さて人妻は別るれど、ことも問がたくわづらはしきもの哉、今こぎ行船の内にも我を忘れはせじ、我は徒にかく思ひ増ぞといへるなるべし、又かくいひてやりしにや、
 
3558 安波受之※[氏/一]《アハズシテ》、由加婆乎思家牟《ユカバヲシケム》、麻久良我能《マクラガノ》、許賀己具布禰爾《コガコグフネニ》、伎美毛安婆奴可毛《キミモアハヌカモ》、」  あへかしと乞をかくいふ例なり、さて女の船して別ゆかんとする時、かの忍べる男を思ふ意なれば、右の男の方へかくいひやりしにや、
 
3559 於保夫禰乎《オホブネヲ》、倍由毛登毛由毛《ヘユモトモユモ》、可多米提之《カタメテシ》、 船はともへの堅めを專らとして作るを、事を知べき里人にはいとよく口がためしに譬ふ、
 
計曾能左刀妣等《コソノサトビト》、 許曾は地の名なるべし、もし曾は賀にや、
 
阿良波左米可母《アラハサメカモ》、」 かはの意、
 
3560 麻可禰布久《マガネフク》、 眞金は鐵をいふ、吉備中山には今も鐵を出す故に、まがねふく吉備の中山といへるが如し、○丹生の郷は、和名抄の上野の國に出たり、こゝにや、武藏の秩父山を始めて東に鐵山多し、かの丹生郷迄も古ふきしか、
 
爾布能麻曾保乃《ニブノマソホノ》、 爾布は麻|赭土《ソホニ》の有故に所の名となりしなれば其|丹土《ソホニ》もて思ひを顯はすにたとふ、
 
伊呂爾低※[氏/一]《イロニデヽ》、伊波奈久能未曾《イハナクノミゾ》、安我古布良久波《アガコフラクハ》、」
 
3561 可奈刀田乎《カナトダヲ》、 かなとの事は上に出、こゝは門田にて、家の門の前なる田をいふ、
 
安良我伎麻《アラガキマ》(由美《ユミ》)、 由美は加幾の草なるべし、田は春より、高鍬てふ物してかき平《ナラ》すを荒がきといひ、次に苗を植る時すくをこなかきとも眞掻《マガキ》ともいへり、さてかく平《ナラ》し調べし時日照すれば、植がたくて、頻に雨を待ものなるとて序とせし歌なり、
 
比賀刀禮婆《ヒガトレバ》、 日|之照《ガテレ》ば、
 
阿米乎萬刀能須《アメヲマトノス》、 雨を待ごとくなり、上の刀は※[氏/一]を通はし、下二つの刀は都を通し云り、
 
伎美乎等麻刀毛《キミヲラマトモ》、」 等は助辭、【麻由美を眞弓とする時は、初句の田よりあらがきへつゞけ、其あらがき云云は、荒木の弓と書て、ひくと三句へつゞけしとすべし、さる如く次々につゞけ下せし歌もあれど、是は初より四句まで田の事なる中に、弓の言を交へいふべくもあらず、仍て由美とは誤れりとす、又末の麻刀は待《マツ》なるを、的を添しかなど思ふ後世人、さかしらに上のかきを由美に書しにや、歌縁語てふ事を後世は專らとすれど、古はさることを嫌へり、此分ちをしらで誤ること多し、】
 
3562 安里蘇麻爾《アリソマニ》、 荒磯間になり、今本麻を夜に誤、
 
於布留多麻母乃《オフルタマモノ》、 如を籠、
 
宇知奈婢伎《ウチナビキ》、 身をなよゝかにしてぬるなり、(卷一)に出、
 
比登里夜宿良牟《ヒトリヤヌラム》、安乎麻知可禰※[氏/一]《アヲマチカネテ》、」
 
3563 比多我多能《ヒタガタノ》、 伎射潟と韻通へり、いかゞ、
 
伊蘇乃和可米乃《イソノワカメノ》、多知美多要《タチミダエ》、 和海布の磯波のまゝに亂れなびくに、妹が思ひ亂るゝを添たり、○たちは辭、亂れをみだえといふは例多し、 
和乎可麻都那毛《ワヲカマツナモ》、 奈と良を通しいふ東歌に多し、
 
伎曾毛己余必母《キゾモコヨヒモ》、」
 
3564 古須氣呂乃《コスゲロノ》、 武藏と下總のあはひの葛飾郡に小菅てふ所今ありて、今は里中なれど、此邊古へ隅田川といひしあたりにて本は浦べなりけり、然ればこゝをいふならむ、
 
宇良布久可是能《ウラフクカゼノ》、 終の句へかゝる、
 
安騰須例香《アトスレカ》、 何と爲《セ》ばかなり上にも有、例の草を今本|酒《ス》に誤、
 
可奈之家兒呂乎《カナシケコロヲ》、於毛比須吾左牟《オモヒスゴサム》、」 【吾は苦の草か、】風は吹過る物なるにたとへて、何とせばか風の過る如く、妹が事を思ひ過さんやと、思ひのやるかたなきまゝにいふなり、
 
3565 可能古呂等《カノコロト》、 彼は思ふ妹を指、古呂は兒等なり、【こは冠辭にもれつ、加《クハ》ふべし、且冠辭考には旗と皮と二説を擧しかど、此卷所々に波|太《タ》と書たり、かの久米の若子《ワクゴ》の條にいひし如く、はだに穗をこむ物なれば、皮|太《ダ》と濁るに依べし、】
 
宿受屋奈里奈牟《ネズヤナリナモ》、波太須酒伎《ハダズスキ》、 はだすすきは穗に出てうれに顯るゝを、宇良といひかけたり、うれうらは同じ、
 
字良野乃夜麻爾、 妹が家のうしろの野の山をいへり、此卷字例もて書し所には皆心せり、然ればうらの野山にはあらず、
 
都久可多與留母《ツクカタヨルモ》、」 月片倚を男の妹がもとへ來て入べき事を待ちうかゞふほどに、夜ふけ月かたむけば、かくて遂にねずやなりなんとなげゝり、
 
3566 和伎毛古爾《ワギモコニ》、安我古非思奈婆《アガコヒシナバ》、曾和惠可毛《ソワエカモ》、 今本敝と有ど、古本に惠と有ぞ上の例にかなへば依ぬ、【此惠敝は辭にて、或は敝《ヘ》或はめに轉じ心得べきよしは、別記に明せり、されども上には佐惠云云、曾和惠など書しに、こゝに違ふべからねば古本に依なり、是を龜の卜の方に取ては、本の言よくもいひなしがたくも、又占はただ吉凶などをこそ告れ、人を生しめ死なしむるになることなし、】さて曾和惠は佐和惠にて、騒ぐ事のよし上の別記につぶさにいへり、こゝの意はもとより里人もくさぐさいひさわぎ立て、遂には神の祟ぞといひなさんといへり、
 
加米爾於保世牟《カメニオホセム》、 かみを加米と云は東ことなり、えぞにてはかもひといひ、志摩國のかめ島といふは、本神島と書しといへり、田舍にはさること多し、
 
己許呂思良受※[氏/一]《コヽロシラズテ》、」
 
 △こゝに防人歌てふ言あれど、右の中にも必防人の歌などあまた有を、これのみと思ふは後人の註なれば除けり、
 
3567 於伎※[氏/一]伊可婆《オキテイカバ》、伊毛婆摩可奈之《イモハマカナシ》、眞悲なり、
 
母知※[氏/一]由久《モチテユク》、安郡佐能由美乃《アヅサノユミノ》、由都可爾母我毛《ユヅカニモガモ》、」
 
3568 於久禮爲※[氏/一]《オクレヰテ》、古非婆久流思母《コヒバクルシモ》、安佐我里能《アサガリノ》、 おくれゐてといふは、防人の妻の右に答し歌なるべし、然れば朝獵はかたよれゝど、有なれし事もていふも歌なり、
 
伎美我由美爾母《キミガユミニモ》、奈良麻思物能乎《ナラマシモノヲ》、」
 
3569 佐伎母里爾《サキモリニ》、多知之安佐氣乃《タチシアサケノ》、可奈刀※[氏/一]爾《カナトデニ》、 上に見ゆ、
 
手婆奈禮乎思美《テバナレヲシミ》、奈吉思兒良婆母《ナキシコラハモ》、」
 
3570 安之能葉爾《アシノハニ》、由布宜利多知※[氏/一]《ユフギリタチテ》、可母我鳴乃《カモガネノ》、左牟伎由布敝思《サムキユフベシ》、奈乎婆思奴波牟《ナヲバシヌバム》、」 肌寒き海路などにては、ことに慕ふべし、東にもかくよむ人も有けり、
 
3571 於能豆麻乎《オノヅマヲ》、 己が妻なり、
 
比登乃佐刀爾於吉《ヒトノサトニオキ》、於保々思久《オホヽシク》、 隱して他の里に置し妹にて、おぼつかなきなり、
 
見都々曾伎奴流《ミツヽゾキヌル》、許能美知乃安比太《コノミチノアヒダ》、」 長々しき道の間をなり、かへり見つゝこしなり、こは旅に日を經て後よめるなり、
 
 △こゝに譬喩歌としるせしも後なり、只その類を並べ擧たるのみ、
 
3572 安杼毛敝可《アトモヘカ》、 何ぞと思へばかと云なり、思と云を輕く心得べし、
 
阿自久麻夜末乃《アジクマヤマノ》、 陸奥の阿武久麻に似たる名なり、
 
由豆流波乃《ユヅルハノ》、布敷麻留等伎爾《フヽマルトキニ》、 ゆづる葉は上にも今も有木なり、布敷まるは、(卷二十)の東歌に、「ちばの野の、この手かしはの、ほゝまれと、」と云るに言は同じかれど、かれは妹が懷に含まる也、こゝは此若葉のひらけざるを、戀のいまだしきほどに譬へていへり、(卷十三)まだをさなき兒を戀を、梅のふゝめるに譬しが如し、
 
可是布可受可母《カゼフカスカモ》、」 まだしきほどにはふかずて、今と成て吹さはぐは、何てふことぞやといふなり、(卷三)に「放《サケ》ば澳に放なめ、邊つかふ時に放べきものか、」てふるいなり、記に(神武條)大后の御たとへうたに、宇泥備夜麻《ウネビヤマ》、許能波佐夜藝奴《コノハサヤギヌ》、加是布加牟登須《カゼフカムトス》、
 
3573 安之比奇能《アシビキノ》、夜麻可都良加旡《ヤマカツラカケ》、 (卷十九)に、「足引の、山下日影、かつらける」、と云に同じき日影蔓なり、然るを日を略て影とのみいへるは、(卷三)うすの玉影、といふが如し、又是を山かつらとのみも云は、古今六帖に、「三室の山の、山かづらせん」、古今歌集に、「あなしの山の山人と、人も見るかに、山かつらせよ」と有、是なり、此外これにつきたる事、(卷三)に云つ、 
 
麻之波爾母《マシバニモ》、衣可多伎可氣乎《エカタキカゲヲ》、 眞數《マシバ》にも得難《エガタ》き日蔭かつらをなり、
 
於吉夜可良佐武、」 こは奥山の老松などにのみ生る物なれば、たやすくは得がたきを、徒におきからすは、世に惜べき事なるに譬て、またも得がたかるべき妹を、あふよしなくて徒《タヾ》に戀ふる時をいへり、
 
3574 乎佐刀奈流《ヲザトナル》、 所の名なるべし、
 
波奈多知波奈乎《ハナタチバナヲ》 比伎余知※[氏/一]《ヒキヨヂテ》、乎良無登須禮杼《ヲラムトスレド》、宇良和可美許曾《ウラハカミコソ》、」  (卷十二《今八》)「わが宿の、花橘のいつしかも、玉に貫べく、そのみなりなん、」(卷十三《今四》)「うら若み、花咲がたき梅を植て、人言繁み、思ひぞわがする、」
 
3575 美夜自呂乃《ミヤジロノ》、緒可敝爾多※[氏/一]流《ヲカベニタテル》、加保我波奈《カヲガハナ》、 槿《アサガホ》をいふべき事上にいへり、
 
莫佐依伊※[氏/一]曾禰《ナサイイデソネ》、許米※[氏/一]思努波武《コメテシヌバム》、」
 
3576 奈波之呂乃《ナハシロノ》、古奈伎我波奈乎《コナギガハナヲ》、 上の別記に出、 
伎奴爾須里《キヌニスリ》、  此花|濃《コ》紫の色なれば衣に摺なり、
 
余流留麻爾未仁《ナルヽマニマニ》、安是可加奈思家《アゼカヽナシケ》、」 (卷八)「すみの江の淺澤ぬまの、かきつばた、衣にすりつけ、着ん日しらずも、」てふ如く、妹にしたしみあふを色を衣にすり付るに譬て、且したしむまヽに深くおもはるゝを、いかでかくまではと、自らうたがふのみ、
 
 △こゝに挽歌てふ注有ど、例のとらず、
 
3577 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》、伊都知由可米等《イツチユカメト》、 いつちは上に出
 
夜麻須氣乃《ヤマスゲノ》、 冠辭、
 
曾我比爾宿思久《ソガヒニネシク》、伊麻之久夜思毛《イマシクヤシモ》、」 こは(卷八)にも挽歌にのりつれば、さぞ有べけれど、こゝに挽うたを一首のみ得て載んことおぼつかなし、此卷も亂《ミダ》れし所々有事、右にいへるごとくなれば、數々有しが落失しか、又此歌東歌とも聞えざるは、他より加はりしか、
 
 △今本茲に、以前歌詞(ハ)未v得v勘2知國土山川之名(ヲ)1也、と注せるも、いと後人の注なればとらずは何ぞといはゞ、先上に東の國々の地名のしられたるもてよめるを載て、其次に載たれば、國土の名不v知部ともいふべきに似たれど、多き中に、阿波乎呂對馬嶺、などの如く國明らかなるも有、おしはかるに違ふまじきも少なからず有を、おしこめて右の如き言を古人の注すべきかは、又京人の取集し時、遠き東國の事は考違ひも有なん、その歌を傳へ聞て集る時、既字の誤りも有、後に書違へ唱ちがへも在と見ゆ、然ればかく末の世に成ても、その地をよく知るは、古へ誤しを思ひ正す事も有べし、よりて此國土不知てふ注に泥みて、考へを止べからず、又後に考へん人の爲とも成べければ、この度は思ふ事有をば右にいひつ、ひがこともあるべければ、かならずとせざれば、見ん人のこゝろにあるべきなり、
難波の僧契冲|萬葉《ヨロヅコトノハ》の志|岐《キ》山を切|開《ヒラ》かひそめしに五十年|平安城《ヒラノミヤコ》の荷田うし同じ山の巖をくだき路を通はせるにいそとし東の加茂(ノ)翁《ヲチ》續《ツギ》て嵬《ヲカ》をならし谷を埋みて代《シロ》するに五十年|總《スベ》て百|餘《マリ》五十年許にして功《イサヲ》成《ナリ》ぬ世に一人の心を心として十年廿年らいたづけるものゝ類にあらざる也此|新墾《ニヒハリ》に居《ヲル》黒生らは何わざをかなさん今あが翁《ヲヂ》の七十《ナヽソジ》の高山も高くもかも月よみの持こせる水をいとり來なんと申さも申さも
   明和五年十一月         尾張黒生
 
萬葉集卷六之考終
 
萬葉集卷七之考序
 
萬葉集の考のはじめに、賀茂眞淵くはしくかけるごと、攝津の契冲僧山城の荷田東麻呂同じ時に在て相問ぬものから同じ心をおこして古へぶりを唱へ僧は古き歌をときしるすわざを新墾《ニヒバリ》しつれどまだよくもうゑおふしつくさですぎにしとぞ東麻呂は歌のみかは古りぬる千の書等あらすきかへせしいたづきさはなれどこもまた苅をさめはてざるやまひにふしつとさるを眞淵ひさにおもひかねて久堅の天の下つどへます此大城のもとにきたり千よろづのこゝろ/\を見もろ/\の手風を見くさぐさのことばをきゝてこれをたつきによろづのふみらかゝなへ夏|麻《ソ》引|命號貯《ウナカブシマケ》つゝあけやすき夏のみじか夜も打もねず夏草のおもひしなへて此ふる言のみなもとをたづね菅の根のながき秋の夜をよろこびて言のよすがをもとめひとつの卷ゆはたちの卷のはてものこさず百たらず七十《ナヽソジ》のきはみに此武藏野にふたゝびあらすきかへせし田ごとの數をあがちみるに珥比磨利菟玖婆禰《ニヒマリツクバネ》ならねど一二三のしななるおほよそをあげ云ばあけ田うゑ田蒔田の三にざりけるそのあげ田や一つ二つの卷ならんわさ田のわかなへとりうつしうゑそめしよしいやちこに生さか行て穗なみよりたち苅をさめて世に貢るがうましにごしねともてあそべるならしそれにつけるぞ中てちふうゑしうゑ田ぞ三四五六の卷なるこも八束穗のたり穗とゑみさかえしを此稻束苅をさめんずる秋ぞ悲しき事のきはみなる此眞淵年つみてかりそめなるみだりこゞちの日を歴てたのみすくなかるまに/\せんすべしらずくすしのたくみもつきぬつきよみの水いもりきてまたせんずる天つ梯はもたえかきくもり神な月ふきすさむ木枯風に散ながらふる黄葉の散の亂ひに過行しかばともがきら風晩《シグレ》の雨に打ひづる袖干もやらぬからに此稻束なもくらにこめにたるならしこれにつげるおくて田やおよびをりかゞなへて七八九十《ヤヽヤコヽトヲ》の卷ゆはたち卷の蒔田の中|十三《トオマリミツ》の十六《トヲマリムツ》の卷なる竹取の翁《ヲジ》の歌なも三《ミツ》や六《ムツ》の卷の如眞淵か生《オフ》したてたるなりけりそれが外はともがきらおのがうけ得し田ごとに眞淵か齋種《ユダネ》蒔生《マキオフ》したる若苗のおひさき見えて生出たるかぎりにぞある是をしもなへのまゝながら枯なんを見むもいとをしく田草とらせまくほりし眞淵がみまかりなんきはみまでもこれをよみわいだめよおもひおきてしまゝになしはてねどくるしき物にねもごろにせし言もわすらへねどさしもにひろかる田毎におひしなへを穗に出るまでの功《イサホシ》なしはてなんことはおぞの田長のおもひかねえぬことのみ田のべにさはなる苅薦のおもひみだれうち見わたすに奥所《オクカ》もしらへぬことのみ多なれば眞淵かともとせし藤原菅根にとひ同じともなるもとの藤原宇萬伎がかいつけおけるふみらこひ得てこれをたつきに生したてなめとおもひなりぬしかすがになほむら竹の心おちゐぬものゆゑ以播區娜輸《イハグヤス》かしこけれどやごとなき御|殿《との》はしも眞淵がつかへまつりて御かゝなへごとしきこえさすをうじ物うなねつきぬきてあやにたふとみまつりうまし御言とあがみまつりしなればうまごりの文爾《アヤニ》乏《トモシ》き御おもひかねを窺良布《ウカネラフ》跡見《トミ》の山べにのぼらまくほりて山路たどるしるべとたのまひしはよき人のよしと能見てよしといはなん源の清良なりはたおのれかの殿につかへまつれる比はみあげつろひみかゞなへ言にあづかりまつりぬるをしぞきてのちは此茂世らなもかみつ世々の|みそかゞふり《・服冠》の御論《ミアゲツロヒ》御考言《ミカヾナヘ》を奉《ウケタマハ》り猶御歌のみともがきとしもなし給へれば同じ殿に仕へまつるものから石《イソ》のかみふりぬること/”\歌言をも眞淵にとひまねびつるが眞淵も歌のしらべはおのれにまされりとなもいひし益人《マスビト》をこゝらの年月田草ひくともがきとして此稻束苅をさめんずるときとはなしつなほし世に貢むとて眞淵が門べにあそべりし人多なるが中に一人二人のしなたる尾張|黒生《クロナリ》橘の千蔭を田税の長として束結びつかねぬしかはあれど倭手纏《シヅタマキ》かず/\の言になもあればにごしねとはなし得ぬもまじらひぬそれはしも天の益人ます/\ならん中にはさひづるやからすにつくになづさへぬもありてたくづぬのしらしね白玉の眞玉稻ともなしたびなばあらがきのよそならで此ともがきのさちになもあらんかくひたぶるにこの古言のさきはひなん事を天地に祈祷《コヒノミ》まつる美心を廣田におふしたてとりつくれるおくつみとしを八束穗の伊加|志穗《シホ》にゑみさかえさせて千しねづか百しな束《ヅカ》となして苅|納《ヲサメ》つるおのれが勞《イタヅキ》は田草かりとり田稗えりすてたなひぢに水なわかきたり向股《ムカモヽ》に泥《ヒヂリコ》かきよせぬるかもよかきたらはしぬるかも天明五年三月十九日《アメアキラケキイツヽノトシヤヨヒトヲマリコヽヌカ》、
          散位 狛少兄諸成
附ていふ
○此卷を七の卷とする事は卷の一考と同じ卷の別記にくはしくある如く歌もいさゝか古く集體《アツメフリ》も他と異にて此次の卷とひとしく凡古歌なるが中に藤原のふりにし里とよめる歌あれば奈良の始の人の集ならん次の卷もすがたひとしければ又同じ比の一人の集ならんと眞淵いへり此卷は今の十の卷次の卷は今の七の卷なりけり
○此卷の始に春雜歌とありて標にも載せしごとく雜歌七首ありてさて詠鳥二十四首詠霞三首と此次々も同じさて此標集し人の書にあるべし何ぞといはゞ卷の始に雜歌、久方之、天芳山、此夕、とあるも詠霞、春霞、春日山、てふもともに霞の歌なり又雜歌の次に詠鳥とある中に鳥ならで梅のみよめるも有又|風交《カゼマジリ》、雪者零乍《ユキハフリツヽ》、然爲蟹《シカスカニ》、霞田菜引《カスミタナビク》、春去爾來《ハルサリニケリ》、てふ霞の歌も有冬雜歌相聞とあるも次/\の歌も右にひとししかれば此標よしなきならずや霞も花も鳥もくさ/”\のものをよめるを集しなれば雜歌にあげしのみなる事しるべし秋の事は下に云を見るべし
○右にいふ如くなれば始に古くより標ありとても春雜歌旋頭歌譬喩歌春相聞などのみありて夏秋冬も同じさまならんさて秋の雜歌の中に詠鴈とある三首めの歌に吾屋戸爾《ワカヤドニ》、鳴之鴈哭《ナキシカリガネ》、雲上爾《クモノヘニ》、今夜喧成《コヨヒナクナリ》、國方可聞遊群《クニヘカモユク》、てふ歌の末の句の終の二字を左へよせて放ちこれを端ことばと見しはいかなる亂本よりかくなりけんしかるにむかしより見しりたゞす人のあらざりしと眞淵はなげきぬ今本に此歌の末の句の國方可聞をくにつかたかもとよめり鴈歸り行遠き國方に鳴聲の大和の國に聞ゆるよしあるべきやそれだにあるを今本秋の雜歌の標に遊群十首とあげしは何事ぞやむれて遊べるすがたの歌もなく始二首に同じ鴈の歌なりこれらをおもへば歌の左右にある注も標も言さへ見しらぬ後人の書添し事しるく又見るたよりあるにもあらねば皆すてつ
○歌の左に書たる中に柿本朝臣人麻呂之歌集出とあるは歌の書體も別卷とひとしければ集の時書しにや他卷にならひてあるがまゝ書のせぬこれがほかにも山城作筑波山作などあるよしもなき注は皆すてつ少しも其歌によしあるは歌の下に小書しぬ
○相聞と在る條に相聞ならぬ歌譬喩歌とありてたとへし言なき類他條にもありそは皆小書して其ことわりをかける事卷一より卷六までの眞淵考にならひぬ
○此卷の序をいふにも集中の考にもおのかどちをいふにはあがまへ言をいはぬはかしこき御かゝなへ言をあげしなればなり此卷ゆ下これにならひて見よ
○眞淵は學の事はおのれをむなしくしていさゝけばかりもよりどころなきしひ言をいはず後の人のおのれにまさる考をこひしぬべりよておのれは眞淵かこゝろざしをつぎつゝ眞淵言をかならずとせずおのがどちの僻意《ヒガコヽロ》もあたれりとおもふよりどころあるは眞淵が言をすててたゞしとおもへるをとりぬ
 
萬葉集卷七之考【流布本卷十】
 
 春雜歌《ハルノクサ/”\ノウタ》 花鳥霞このほか春のくさ/”\の歌を載しかば然云
 
1812 久方《ヒサカタ》之、 冠辭とのみことわるは眞淵冠辭の考に委くいへればなりたま/\考にもれたるは其歌の下の別記に云下准てしれ
 
天芳山《アメノカグヤマ》、 天芳山は既に云如く大和國高市郡なり
 
此夕《コノユフベ》、霞霏※[雨/微]、春立下《ハルタツラシモ》、」 香山を望めば此夕さりのどやかに霞の棚引つるは春のたちたるならんてふ意のみかくこともなくうるはしく姿高く調ふるがかたきなり、
 
1813 卷向之《マキムクノ》、 大和國城上郡【卷向山の事は冠辭考兒等之手乎云云の條下に委見えたり】
 
檜原丹立流《ヒバラニタテル》、春霞《ハルガスミ》、欝之思者《オホニシモハヾ》、名積米八方《ナヅミコメヤモ》、」 大方に思はばなづみいたづき來らめやといふ春霞より欝とつゞくはかすみておぼろかなるよりつゞけたり此歌は雜歌のうちながら相聞の意あるか又したしき友をとへる類ならんか
 
1814 古《イニシヘノ》、人之殖兼《ヒトノウヱケン》、杉枝《スギカエニ》、 杉は年久しくある物なれば古への人の植けんといふなり卷向山をよめる歌の中なれば是も卷向山の杉なるべし
 
霞霏※[雨/微]、春者|來良之《キヌラシ》、」
 
1815 子等我手乎、 冠辭
 
卷向山丹、春去者、 既云如春になればなり
 
木葉|凌而《シヌギテ》、しぬぎはこの間/\を霞のしのぎわけてゐるを云
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1816 玉蜻、 冠辭【かぎろひの夕|影《カゲル》日の夕とつゞけたるなりかげろひかげるは相通りかぎろひのひをいの如く唱るは音便なり】
 
夕去來者、佐|豆人之《ツビトノ》、 冠辭
 
弓月我高荷《ユヅキガダケニ》、 大和國城上郡弓月は借字のみ齋槻《ユヅキ》なり
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1817 今朝去而《ケサイニテ》、明日者來牟等《アスハキナムト》、云子鹿丹《イフコカニ》、旦妻山丹《アサツマヤマニ》、 【加茂大人云朝妻山は大和葛上郡なり名所和歌集には旦妻山は大和高市郡なりと云り旦妻は近江なり】いふこかにはいふ子であるかになり夜妻に對て朝妻といふされば朝妻はあらはしたる妻なれば夜行て朝毎に相見てかへるなれば朝妻といふ朝妻山の霞をよめるなれば此意をかりもうけてけさ歸りて又あすくるかといふなりさて夜妻は夜忍て逢をいひ遠妻は遠方にあるをいふなり
 
霞霏※[雨/微]、」
 
1818 子等名丹《コラガナニ》、關之宜《カケノヨロシキ》、 子等は女なり吾妹子を略てしかいへる歌多し○關《カケ》の宜しきはその名に掛|負《オフ》するによきなり(卷一)に「珠多須伎懸宜久遠神」又は(卷二)に「たく領巾《ヒレ》の掛まくほしき」これら皆同じ關の字はあづけてふ意にてかけともよむなり又關の字にて訓をかりたる歟いづれにても今の本に開とあるは誤れりよりて字をあらためぬ
 
朝妻之、 朝妻は前の歌と同所なり但高市郡なるべし新撰姓氏録に太秦公宿禰の先祖を大和國朝津問(ノ)腋上の地に居らしむと有記(神武)に腋《ワキ》上(ノ)※[口+兼]《ホヽ》間(ノ)丘に登て國望し給と見ゆれば高山にてその山ぎしに春霞の棚引たるがけしきよき故によみしもしらず
 
片山木之爾《カタヤマキシニ》、霞多奈引、」
 
 右柿本朝臣人麻呂歌集出、 此注をのこす事は委始に云下是にならへ
 
1819 打霏、 冠辭此打霏を今本にうちなびきといふは誤なりうちなびくうちなびきは別なる事冠辭に委しよりてここは打なびくとあらたむ【打霏てふ哥の左に、詠鳥と今本にあるを捨し事、始に委くいふ、下これにならひて見よ。】
 
春立奴良志、吾門之、柳乃字禮爾、 うれは梢をいふなり
 
鶯|鳴都《ナキツ》、」
 
1820 梅花、開有崗邊爾《サケルヲカベニ》、家居者《イヘシヲレバ》、 家しをればは家してをればなり六帖に家しあればといふはのちなり
 
乏毛不有《トモシクモアラズ》、鶯|之音《ノコヱ》、」 乏はたらまほしむてふ言を約し云なりこゝも其心してかければしらる委荒良言に云
 
1821 春霞、流共爾《ナカルヽムタニ》、 集中共をむたとよめりともにの意且いにしへは花もみぢのちりなびくも霞の風になびきちるをもながるゝ又ちりながらふるといへりこは流經《ナガレフル》なり下に櫻花散流歴とかけるをもおもへ
 
青柳之《アヲヤギノ》、枝啄持而《エタクヒモチテ》、鶯|鳴毛《ナクモ》、」 毛は助字なりそへていふのみ
 
1822 吾瀬子乎《ワガセコヲ》、莫越山能《ナコセノヤマノ》、 山城の巨勢山なりこは(卷八)にこちこせ山といふとはことにて我方よりかへる背子をその山なこさせそよびかへせといふなり
 
喚子鳥、 既に出
 
君喚變瀬《キミヨビカヘセ》、夜之不深刀爾《ヨノフケヌトニ》、」 とには時のきを省ていふなり
 
1823 朝戸代爾《アサトデニ》、 今本こゝに井と有てあさゐてにと訓つ井は堰を云歟さては朝《アサ》の言いかゞ下の十七枚にも朝戸出之とあり誤字なる事しるければあらためつ
 
來鳴※[白/ハ]鳥《キナクカホドリ》、 【※[白/ハ]は古貌字】かほ鳥は今田舍人のかつほう鳥てふは即喚子鳥なり今本※[日/木]と有は※[白/ハ]の誤ならんと橘千蔭のいへるによれり
 
汝谷文《ナレダニモ》、君丹|戀八《コフルヤ》、時不終鳴《トキヲヘズナク》、」 時不終は時ともなく頻に鳴なりさて前の歌と此歌は相聞ならんこと始に云如し雜歌とありて他標《アダシシメ》におよばぬをしれ
 
1824 冬隱《フユゴモリ》、春|去來之《サリクラシ》、足比木乃《アシビキノ》、 冠辭
 
山二文野二文《ヤマニモヌニモ》、鶯鳴裳《ウグヒスナクモ》、」 歌の意明らかなり
 
1825 紫之、根延横野之《ネハフヨコヌノ》、 紀(仁徳)に河内横野築v堤又神名式に河内澁川郡横野神社と見ゆされど横山ともいへば野の横手にながきをいふにて地名にあらじ
 
春野庭、 庭は借字のみ
 
者乎懸管鶯名雲、」 此歌も前の二首と同じく相聞の歌なり
 
1826 春去者、 今本春之在者一本春之去者と有はともに誤なり例によて改む
 
妻乎|求等《モトムト》、鶯之、木末乎傳《コズヱヲツタヒ》、鳴乍|本名《モトナ》、」 もとなは既いふ如本無てふ言にてもとなきはむなしきことなればむなしくよしなく鳴ぞとなりこも又相聞にてわが妻戀る思ひの増をいとへるなり
 
1827 春日有、 添上郡
 
羽買之山從《ハガヘノヤマユ》、 集中に羽易と書しもあればはがへと訓みつ
 
猿帆之内敝《サホノチヘ》、 猿帆は借字のみ添上郡佐保也猿帆之内をさほのちと訓は古うちのうを省く例多しよりてあらたむ
 
鳴往成者《ナキユクナルハ》、孰《タレ》喚子鳥、」
 
1828 不答爾《コタヘヌニ》、勿喚動曾《ナヨビトヨメソ》、 とよむとよめてふ言のよしは荒良言にくはしくいへり、
 
喚子鳥、佐保乃山邊乎、上下二《ノボリクダリニ》、」
 
1829 梓弓、 冠辭
 
春山|近《チカク》、家居之※[氏/一]、 今本※[氏/一]の字を脱、例に由て補へり
 
續而《ツギテ》聞良牟、鶯之音、」
 
1830 打靡、 冠辭
 
春去來者、小竹之米丹《シヌノメニ》、 今本末一本未とあるもともに米の誤しるければあらたむ既に云如米は牟禮の約なり
 
尾羽打觸而《ヲハウチフレテ》、 【千蔭主は觸而をふりてとよむべきかといへり】
 
鶯鳴毛、」
 
1831 朝霧爾、之怒怒爾所沾而《シヌヌニヌレテ》、 しぬゝはしとゝと同じしぬ/\なり
 
喚子鳥、三船山從《ミフネノヤマユ》、 大和國吉野郡
 
喧渡所見《ナキワタルミユ》、」
 
1832 打|靡《ナビク》、 冠辭
 
春去來者、 後にくれどゝいふに同じ、
 
然爲蟹《シカスガニ》、 まへにある如くしかしながらを省きつゞめてかくいふなり
 
天雲霧相《アマクモキラヒ》、 紀利阿比の利阿約羅なればしかいふ
 
雪者零管、」
 
1833 梅花、零覆雪乎《フリオホフユキヲ》、裹持《ツヽミモテ》、君爾|令見跡《ミセムト》、取者消管《トレバケニツヽ》、」 幾惠の約計なればしかいふは古言なり
 
1834 梅花、咲落過奴《サキチリスギヌ》、然爲蟹《シカスガニ》、白雪庭爾《シラユキニハニ》、零重管《フリシキニツヽ》、」 梅は花咲て雪風にちりはてぬるに雪はふりぬと云なり今本はいさゝかいまだし
 
1835 今|更《サラニ》、雪零目八方《ユキフラメヤモ》、 雪の降を見ていふ春日となりぬれば今更雪のふらんやといふなり
 
蜻火之《カギロヒノ》、 冠辭
 
燎留春部常《モユルハルベト》、成西物乎《ナリニシモノヲ》、」
 
1836 風交《カゼマジリ》、雪者零乍《ユキハフリツヽ》、然爲蟹《シカスガニ》、霞田菜引《カスミタナビク》、春去爾來《ハルサリニケリ》、」 既いふと同じく春になりにけりなり
 
1837 山際爾《ヤマノマニ》、 (卷十五)讃久邇新京長歌の中に山代の、鹿背山(ノ)際爾、宮柱太敷|奉《タテヽ》とあるによれば山のまと訓べし同卷に山之葉爾、不知世經月乃、と假字書も有て山のはちふ言もあればこゝは山間とかくも同意なれば山のまと訓べし
 
鶯喧而、汀|靡《ナビク》、 冠辭
 
春跡|雖念《オモヘド》、雪落|布沼《シキヌ》、」
 
1838 峯(ノ)上《ヘ》爾、零置雪師《フリオケルユキシ》、風之|共《ムタ》、此間《コヽニ》散良思、春者雖有《ハルニハアレド》、」 此歌の左に筑波山之作と有を捨し事始に云、
 
1839 爲君《キミガタメ》、山川之|澤《サハニ》、惠具採跡、雪消之水爾、裳裾所沾《モノスソヌレヌ》、」 惠具は(冠四)の別記にくはし
 
1840 梅枝爾、鳴而|移從《ウツロフ》、鶯之、翼《ハネ》白妙爾、沫雪|曾落《ゾフル》、」 見たるさまをそのまゝにいひつらねたるがおのづからうるはしくなりたるなりよくまれあしくまれかくこゝろえて後にもよむべきなり鳴てうつろふは枝うつりして鳴ともよめるに同じ白妙をかく轉し云ことも冠辭考に委し後世沫雪を春のみよむ事とするはわろし
 
1841 山高三、零來雪乎、梅花、落鴨《チリカモ》來跡、念鶴鴨、」 一本梅花開香裳落跡
 
1842 除雪而《ユキヲオキテ》、梅莫戀《ウメヲナコヒソ》、足曳之、 冠辭
 
山片就而《ヤマカタヅキテ》、家居爲流君《イヘヰセルキミ》、」 山片就は借字山の方につきてなり
 
 右二首問答、 右の歌問答ならずといひがたけれど多く集る中に斯問答の如く聞ゆるもあり
 
1843 昨日社《キノフコソ》、 社は神社には物を願《ネギ》こへば其社に在る人を禰宜といふ類もてこふ意の字をかりて社と書なり
 
年者極之賀《トシハクレシカ》、春霞《ハルガスミ》、春《カス》日山爾、速立爾來《ハヤタチニケリ》、」 古今集「きのふこそ早苗とりしか」とよめる此歌をうつして意は時の早くうつるをおどろけるなり今は春のさまになりたるを悦意なり
 
1844 寒過《フユスギテ》、暖來良思《ハルキタルラシ》、朝烏指《アサヒサス》、滓鹿能山爾《カスガノヤマニ》、霞|輕引《タナビク》、」 歌の意明なり
 
1845 鶯之、春來良思、 今本來を成としてはるになるらしと訓たれど一本をもつて改む且鶯の春とつゞけしは此末にも春立者先鳴鳥鶯なりとよめる如く雪のうちより鶯はなきて春の百島に先だつなれば鶯の春とつゞけ猶此鳥の鳴春ともいふ意にてつゞけしなり
 
春日山、霞棚引(ク)、夜目見侶《ヨメニミレドモ》、」 【拾穗に云下の句は夜も霞む春のしるしを感るなり月夜などに見しけしき歟】
 
1846 霜干《シモガレシ》、 今木干を十とするは誤なり一本に依てあらたむさてこはしもがれしと訓べししもにかれしのにを省ければかをにごるべし
 
冬《フユ》柳者、良人|之《ノ》、 今本見人之とあれど歌の意とほらず見は良の畫の消し見と見て草の手より誤れる事しるければ良にあらためしたがひて訓もあらたむ此類多し 
※[草冠/縵]可爲《カヅラニスベク》、目生來鴨《モエニケルカモ》、」 目生の目は芽生の意にて目生をもえと訓り
 
1847 淺緑《アサミドリ》、染|懸有跡《カケタリト》、見左右二、春柳者、目生來《モエニケル》鴨、」 歌も意も明なり
 
1848 山際爾、雪者零管、然爲我二、此河|楊《ヤギ》波、毛延爾家留可聞、」 こも又同じ
 
1849 山(ノ)際之《マノ》、雪不消有乎《ユキハケザルヲ》、 不消有乎を今本にきえぬをと訓るは誤なり不消乎とあらばさも訓べし有の宇有からはけざるをとよまるれ
 
水激合《ミナギラフ》、 既もいへる如こを今本に水飯合《ナガレアフ》とあれど草の手より誤れるものなれば字も訓もあらためぬ【水飯合奥人按義訓にひたりあふと可訓歟源氏には水飯をひめといへりこはひたし米の略にや扨山のまの雪はけざるをひたりあふ川のそへればもえにけるかも歟】
 
川副楊《カハゾヒヤナギ》、 今本には川之副者《カハノソヘレハ》とあれど穩ならず川副楊とありつらんと橘千蔭のいへるによれり※[木/易]と者の草の手を見誤りしものと見ゆ此歌くさ/”\の説あれど皆よりがたければすてつ
 
目生《モエニ》來鴨、」
 
1850 朝旦《アサナサナ》、吾見柳《ワガミルヤナギ》、鶯|之《ノ》、來居而應鳴《キヰテナクベキ》、森爾早奈禮《モリニハヤナレ》、」 言も意も明なり、
 
1851 青柳之、緑乃|細絲《イトヲ》、 今本|絲乃細紗《イトノホソサ》とありて訓はいとのほそきをとあれどすべてのしらべにあはぬ訓なるが上に字亂れしも見ゆれば改ぬ
 
春風爾、不亂伊間爾《ミダレヌイマニ》、 伊間爾の伊は發語として亂ぬ間とす又今歟と思へどしか訓ては助字たがへり又おもふに爾は乎の草の手の誤にて今を見せんといへるならんか
 
令視子裳欲得《ミセンコモガモ》、」
 
1852 百磯城、 冠辭
 
大宮人|之《ノ》、※[草冠/縵]有《カヅラナル》、 なるの奈は爾阿の約さて此かつらなるをかづらげると訓んと眞淵考にあれどそは(卷十九)に家持の歌に足日木之夜麻之多日影可豆良家流ともよめればさも訓べしされどかつらなるにても歌の意とほればよみこしに暫したがふ
 
垂柳者、雖見不飽鴨、」
 
1853 梅花、取持見者、吾|屋前之《ニハノ》、 今本にやどゝ訓しは誤れりこはにはと訓べし下に屋戸と有を思へ
 
楊乃|眉師《マユシ》、所念《オモホユル》可聞、」 柳眉は葉のもえ出しを言、
 
1854 鶯之、木傳梅乃、移者《ウツロヘバ》、 うつろへばはちるをいふなり
 
櫻花之、時片設奴《トキカタマケヌ》、」 設奴はときかたむかひぬを略言なり
 
1855 櫻花、時者雖不過《トキハスギネド》、見人之《ミルヒトノ》、戀盛常《コヒノサカリト》、 みる人の戀ふるうちにとなり古今歌集に「あかでこそおもはん中ははなれなめそをだにのちのわすれがたみに」とはこをうつせるか
 
今之將落《イマシチルラム》、」 あかれぬほどに今ちるならんとなり
 
1856 我刺《ワガサセル》、 今本加邪須と訓るは誤なり【楊はかつらにてふ事あれど挿頭の事は見えずよてわがともがら論て訓をさだめぬ】(卷十四)に小山田乃池(ノ)堤(ノ)刺柳《サシヤナギ》とよめるに同じさし木の楊なり
 
楊絲乎、吹亂、風爾加妹之、梅乃散覧、」
 
1857 毎年《トシノハニ》、 としのはは年毎になり
 
梅者開友、空蝉之、世人君羊蹄《ヨノヒトキミシ》、春無有來《ハルナカリケリ》、」 挽歌なりこはまぎれて此卷に入し物と見ゆれば小書なしたり歌は夫か又おもふ男のはかなくなれるをいたみてよめるならん
 
1858 打細《ウツタヘ》爾、 こは打傳爾てふ言にて即絶ずにといふ如し【宇知都多倍の知都の約都なりよて宇都多倍といふ如し】
 
鳥者|雖不喫《ハマネド》、繩延《シメハヘテ》、守卷欲寸《モラマクホシキ》、梅花鴨、」 
1859 馬並而《ウマナメテ》、 高山に馬並行む事心ゆかねどまづ此まゝいはば馬に乘並て遠來るといひかけたる冠辭ならん遠きをたかともたけともいへる事既冠辭考にかた/\にいへり高々には遠々になりこれをたま/\と心得たるもことわりありたま/\は遠間/\の略なりされど猶考るに梅は此國の木ならねば此頃高山に自ら生るは無なりさらば馬は推の誤ならん
 
高山部乎《タカキヤマベヲ》、白妙丹、令艶色有《ニホハセタル》者、梅花鴨、」 馬並而を推並而の誤とすれば梅とあるも櫻の誤歟草の手に櫻と有を梅と見たる歟梅の高山をにほはすほどの山もきこえず櫻とすれば歌の意もやすらかなりことに此歌の二首前にも櫻の歌も既あればかた/\櫻ならんか猶別記に説を言【此にほはせも後世意にて香の事と見しよりいよゝ梅と書しならん此句も櫻の花の色のてり合をよみしなるべし】
 
1860 花|咲《サキ》而、實者|不成登裳《ナラネドモ》、長氣《ナガキケニ》、 氣は來經《キヘ》の約にて長き月日も年も來經たるをいふ言ならんと吾友大藏種信がいひし
 
所念鴨、山振之花、」 實はならねどもとあるはやまぶきの花をいはんのみ意あるにあらず花咲は日ごとにことめでらるゝ花と云のみ
 
1861 能登河之《ノトカハノ》、 大和國添上郡高圓三笠二山の間より西に流るゝなり
 
水底并爾《ミナソコナベニ》、光及爾《テルマテニ》、三笠之山者、
 
咲來鴨《サキニケルカモ》、」 次の五首めの歌に高圓邊丹櫻花とあるによるに此歌櫻をよめるなるべし三笠の山とあれば山振にはあらじ
 
1862 見雪者《ユキミレバ》、未冬有《イマダフユナリ》、然爲|蟹《ガニ》、春霞立、梅者散乍、」 言も意も明かなり
 
1863 去年咲之《コゾサキシ》、久木〔二字左○〕今開《ウメハイマサク》、 考るに久は冬の字にて集中に冬木の梅とも(卷十二)に冬木の上に降雪ともよみしかば即冬隱せし木のまゝにて今春咲をいひてこも梅の歌歟櫻にても去年春咲しが冬木となりたるを今又花咲と言意とも見るべししからば久は冬の畫の滅しならん又去年咲之の之は左の誤にて去年咲三つにてこぞさきしと訓べき歟さては木も樂の畫の消しならんさらば左久樂と訓べし猶おもふに久木は文木にてうめは今咲とよまんぞちかゝらんよりて假字は梅とせり正しき本をもてあらたむべし今本に久木をひさぎ今さくと訓しはよしもなき訓にて誤なり
 
從《イタヅラニ》、土哉將墮《ツチニヤオチム》、見人名四二《ミルヒトナシニ》、」
 
1864 足日木之、 冠辭
 
山間照《ヤマノマテラス》、櫻花、是春雨爾、散去鴨《チリニケンカモ》、」 今本ちりゆかむと訓たれど去はいにの意もてちりにけんと訓べし
 
1865 打靡、 冠辭
 
春|避來之《サリクラシ》、山際《ヤマノマノ》、最木末乃《トホキコズヱノ》、 今本最木末をひさぎのすゑと訓たれどこは(卷十二)に尾張連が歌に打靡春來良之山際遠木末開|往見者《ヌルミレハ》とあるにて全此歌なりよて今本右の訓は誤りとして改つ
 
咲往見者《サキヌルミレバ》、」 往見者をさきゆくと訓もあしゝ
 
1866 春雉鳴《キヾスナク》、高圓邊丹《タカマトノベニ》、櫻花、散流歴《チリナガラフル》、 ちりながらふるは霞ながるゝにと同言にてちりなびくをいふなり
 
見人毛我裳、」 我裳は欲得と云に同じくねがふ意なり
 
1867 佐保山之、 今本佐を阿に誤りてあほ山とよみたれど前後の歌大和國をよめるなればしか改めつ佐保は大和國添上郡なり阿保山は山城のほとりと伊賀國とにありこを青山と心得るはひが事なり青は阿乎の假字なりこゝは保とあればかの安保氏の地なり佐保と改れば用なけれど假字の證に言のみ
 
作樂花者《サクラノハナハ》、 今本佐宿木とありてさねきと訓たれどよしもなし(卷十四)に作樂花左可遙越賣《サクラバナサカユルヲトメ》と書しをもてこゝをおもふに草の手の作樂を作宿木と見て三字とは誤りつらんとおぼゆれば字も訓もあらためつ
 
今日毛鴨《ケフモカモ》、散亂《チリカミダルヽ》、 今本散亂をちりまがふらんと訓つれど亂をらんにかるとすれば散一字にてちりまがふとなる猶例なければ訓をあらたむ
 
見人無二、」
 
1868 川津鳴、吉野河之、瀧上乃《タギノヘノ》、馬醉之花《アシビノハナハ》、 既に出今本つゝしと訓るは誤れり
 
觸手勿勤《テフレソナユメ》、 今本末の句馬醉之花曾置末勿勤と訓たれど字も訓もこと/”\く誤れりとす六帖に上句同じくて手ふれそなゆめとあれば全く同歌なり曾置の二字は觸の一字を誤り末〔右○〕は手〔右○〕の誤りとすさて袖にこきれつなどよめるを見ればうつくしく咲なみたるから折なとりそといましめよめるなり此末に手觸《テフレ》吾妹兒と有をも思へ
 
1869 春雨爾、相爭不勝而《アラソヒカネテ》、 また咲ほどならぬが催されて咲を花の咲まじとするとす
 
吾屋前之、櫻花者、開始爾家里、」
 
1870 春雨者、甚勿零《イタクナフリソ》、櫻花、未見爾《イマダミナクニ》、散卷惜裳《チラマクヲシモ》、」 かくるゝ所なし
 
1871 春去者、散卷惜、櫻花、 此櫻を活本に梅と植たり此如く上の馬並の梅も誤ならん
片時者不咲《シバシハサカデ》、含而毛欲得《フヽミテモガモ》、」 ふゝみてとはふほまりと云に同じ、つぼみてあれなり
 
1872 見渡者、春日之野邊爾、霞立、開艶者《サキニホヘルハ》、 にほへるは花の色のかすみにてりあふを云なり匂を香の事にいふは後の轉なり
 
櫻花鴨、」
 
1873 何時鴨《イツシカモ》、此夜之將明《コノヨノアケム》、鶯之《ウグヒスノ》、木傳落《コヅタヒチラス》、梅花|將見《ミム》、」 かくれたる事なし
 
1874 春霞、田菜引今日之、暮三伏一向夜《ユフツクヨ》、 三日の夜の月なり三度伏して一度向なり晦日朔日二日見ぬ夜を三度臥心もてかけるならん(卷三)根毛|一伏三向凝呂《ゴロゴロ》爾其下句(卷五)梓弓、末中|一伏三越《タメテ》、下《シモ》並に三四五六の別記にくはしてらしあはせてかく戯かける意をみるべし
 
不穢照良武《キヨクテルラム》、高松之野爾《タカマドノノニ》、」
 
1875 春去者、木蔭多《コガクレオホシ》、 今本に此二の句を紀之許能《キノコノ》暮とあるは草の手の假宇を見誤れる亂本のまゝに傳へしならん今本の歌左に一本木陰多とあり此歌後撰にもこがくれおほきと有六帖には葉がくれ多とあるは誤なりよりて今本は誤れりとして一本によれり
 
夕月夜《ユフヅクヨ》、欝束無裳《オボツカナシモ》、山陰爾指天《ヤマカゲニシテ》、」 一云春去者|木陰多碁月夜《コガクレオホキユフヅクヨ》
 
1876 朝霞、春日之晩者《ハルヒノクレバ》、 くればのばは濁べしなばの略此日のくれなばと云なり
 
從木間、移歴月乎《ウツロフツキヲ》、何時可將待《イツトカマタム》、」 春の茂木の間よりうつりくる月は待遠なればいつとか待得んなり
 
1877 春之雨爾、有來物乎《アリケルモノヲ》、立隱《タチガクレ》、妹之家道爾此日晩都《イモガイヘヂニコノヒクラシツ》、」 歌の意は細雨ふるものをあまづゝみしてかく道に滯て妹が家路にけふはくらしつとなるべしさて春ふる雨にも花ちらすばかりの強き雨あり又細雨もあれど春の雨はしづかなるが常なればそをことわりて春之雨にとよめりされどもと春雨てふ言ははるのあめ乃阿の約奈なるを佐に通しはるさめといへば言は同じかれど古歌の意をもちひたるを見よ
 
1878 今往而《イマユキテ》、※[釆/耳]物爾毛我《キクモノニモガ》、 【※[釆/耳]は聞古字】もがはねがふ意なり
 
明日香川、春雨零而、瀧津湍音乎《タギツセノトヲ》、」 今行てもがとねがひおもへばあすか川といへるは其音きかん事の遠をいふならんさて此春雨に川音の高きをいふは強雨をいふもて前の雨に之をくはへて細雨をしらせたるを猶おもへされども此歌と前の朝霞春日云云の歌は少し後のことわりめけりかくすがた意をこのめるよりやゝ後の世ぶりは出來しならん
 
1879 春日野爾、煙立|所見《ミユ》、※[女+感]嬬等四《ヲトメラシ》、春野之兎芽子《ウハギ》、 今本兎を菟と有菟は音訓ともによしなし一本に依てあらためつ兎芽子は(卷二)に讃岐狹峯島視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌反歌に既に見えたりよしもそこに見ゆ春の野の煙を見てをとめらが兎芽子にるならんとをさなくよめるぞよき
 
採而煮良思文《ツミテニラシモ》、」
 
1880 春日野之、淺|茅之上爾《ヂガウヘニ》、念|共《ドチ》、 念を今本に意とあるは誤なり活本によりて改む
 
遊今日者《アソブケフヲバ》、 次の末之今日者によれば者を脱ならんよて補ふ
 
忘目八方《ワスラレメヤモ》、」
 
1881 春霞、立春日野乎《タツカスガノヲ》、往還《ユキカヘリ》、吾者|相見《アヒミム》、彌年之黄土《イヤトシノハニ》、」 上に毎年《トシノハニ》梅者|開友《サケドモ》といへるが如く年毎なり黄土は借字
 
1882 春野爾、意將述跡《コヽロノベント》、 古今歌集長歌にのばへといひ源氏夕貌に心のべといへる如く今も心のべ氣のばしといへり
 
念共《オモフドチ》、來之《キタリシ》今日者、不晩毛荒糟《クレズモアラヌカ》、」 あらぬかなと願ふことなり
 
1883 百磯城之、 冠辭
 
大宮人者、暇有也《イトマアレヤ》、 あればやのばを略あれやといふなり
 
梅乎挿頭而、此間集有《コヽニツドヘリ》、」 集中に大宮人はいとまなしとよみたるぞつかふる人の常なるをこゝは春の野に梅の花かざしつゝ遊ぶ日なればいとまあれやとよめるまことに此一言にてのどやかに心ゆく野のさましられておもしろし
 
1884 寒過《フユスギテ》、暖來者《ハルノキタレバ》、年月者《トシツキハ》、雖新有《アラタマレドモ》、人者舊去《ヒトハフリユク》、」 古今歌集に「百千鳥さへづる春は」とよめるも此歌によりてよめり
 
1885 物皆者《モノミナハ》、新吉《アタラシキヨシ》、唯人者《タヽヒトハ》、舊之《フリタルノミシ》、應宜《ヨロシカルベキ》、」 老たるをたふとみてよめるなり
 
1886 住吉之、里行之鹿齒、 今本行を得に誤れり草の手の行を得に見たるなるべし
 
春花乃、 如を入て心得べし
 
益希見《マシメヅラシキ》、 紀(神功)に希見の二字をめづらしとよめりきは辭なり
 
君相有《キミニアハル》香聞、」
 
 旋頭歌《カミヲメグラスウタ》。
 
1887 春日|在《ナル》、三笠乃山爾、月母出奴可母、 此奴は既いふ如禰に通ふなり
 
佐紀《サキ》山爾、 添下郡春日と同所なり
 
開者《サケル》櫻之、花乃可見《ハナノミユベク》、」 咲る櫻をいはんとて佐紀山といふさて月も出よかし花の見ゆべくとよめるなり
 
1888 白雪之、常敷冬者、 雪の常に絶えぬ冬はといふ
 
過去家良霜、春霞、田菜引野邊之、鶯|鳴焉《ナキヌ》、」 焉を今本鳥とせり一本によりてあらためぬ
 
 譬喩歌。
 
1889 吾|屋前之《ニハノ》、毛桃之下爾、月夜指《ツクヨサシ》、 今本につきよさしと訓は後なりつくよさしは古歌なり
 
下心吉《シヅコヽロヱシ》、 上は下心といはん序ながら花の下の月はよろしきなりその花の下のよろしさをわが下心に譬とせり
 
兎楯《ウタテ》頃者、」 (別卷)に「若月《ミカツキノ》清《サヤ》にも見えず雲がくれ見まくぞほしき宇多手|比日《コノゴロ》」(卷十六)に「あらき田のしゝ田の稻を藏につみあなうた/\し」とよみしもつみ重る意なりこゝは我がおもふ事のまに/\あかて悦意なりものわつらはしく重るもうたてと云が如く妹との中の悦のしげく重り下心にうれしと思ふと云なり諸成案るに宇多弖てふ言は宇は阿留の約多は都良の約弖は都米の約にて則有連積てふ言を的ていふならん別卷の意も十六卷の意も右の解にて分るとおもはるこは弖は略て在連在連といはんとおもはんさらばこゝも下心|吉《ヱシ》ありつらねつむは相思ふ心の如く相逢事を悦ぶ意を桃の實なり月夜のさやかにたとへし歌ならんさてうたての言はよき事の重るにもあしき事の重るにも今俗のうるさしてふ言の如くはたらくとおもはる
 
 春相聞。
 
1890 春日|野《ノニ》、哭鶯《ナケルウグヒス》、 今本哭を犬とするは畫の消しなり犬としてはいぬるとよまんには句の語たらずよりて哭とす鶯のなける如くなきわかるゝといふなりいぬるとしては意不足
 
鳴別《ナキワカレ》、眷益間《カヘリマスマモ》、 ますまは座間の意なり
 
思樂吾《オモヘラクワレ》、」 今本に此末の句の樂を御とするは御と樂の草を見誤れるなり鶯の如く鳴別ると言女歌にて背を忍ぶなり
 
1891 冬隱、春開花《ハルサクハナヲ》、手折以《タヲリモチ》、千遍限《チタビノカギリ》、戀渡鴨《コヒワタルカモ》、」 今本にちたへのかきりと訓けれど何の事ともなしこは春の花を幾度も手折てはめづるものからにそのごとく君をおもふといふなり
 
1892 春山《ハルヤマノ》、霧惑在《キリニマドヘル》、鶯《ウグヒスモ》、我益《ワレニマサリテ》、物念哉《モノオモハメヤ》、」 こゝにいふ霧は即かすみなり又きりと云にくもりあるなり
 
1893 出見《イデヽミル》、向崗《ムカヒノヲカノ》、本繁《モトシゲミ》、 本とは木立をいふ
 
開在花《サキタルハナノ》、不成不止《ナラズハヤマシ》、」 成は實になるをいふさてわが戀のならずばやまじとたとへたり
 
1894 霞發《カスミタツ》、春永日《ハルノナガキヒ》、 今本はるのなかびをとよめり助字もとよりなければ二つ助字をいるゝに不及集中の例によりて春のながき日とあらたむ
 
戀暮《コヒクラシ》、夜深去《ヨノフケユキテ》、妹相鴨《イモニアヘルカモ》、」 歌の意はあふをうれしめるなり
 
1895 春去、先三枝《マツサキクサノ》、 さき草は山百合の事なりされどこゝは春されば先咲といへればゆりにはあらじおもふにこは奏瑞の事を思ひよりてよめるならん初春の奏瑞は萬の福瑞を福草《サキクサ》として幸《サキ》くとかさねしなるべし三枝はさき草とよむなれば言にかれるのみくはしくは別記にいへるなり
 
幸命在《サキカラハ》、後相《ノチモアヒナン》、莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》、」 今本のちもあひ見んなこひそわきもとあれど見の字なければさはよまれずよりてあひなんとす妹の下に子もなければわぎもことよまれずよりてあらたむさてさきぐさをよめるはもとよりなり春さればまつさきとさき草にいひかけそをかさねうけて幸ある事に言つらねたるのみ
 
1896 春去、爲垂柳《シタリヤナギノ》、十緒《トヲヽニモ》、 十緒は(卷二)の別記に生乎烏禮流の條にくはし
 
妹心(ニ)、乘在《ノリニケル》鴨、」 柳の枝のたわゝにたよ/\する如吾心のなよ/\と妹が心にのりしのぶにたとふなり
 
 右柿本朝臣人麻呂歌集出
 
1897 春在者、 今本春之在者とあり之を去る事既いふ
 
伯勞鳥之草具吉、 具吉の吉は具利約なれば吉を濁るべきを上のぐを言便にて濁れば下のきを清て唱ふ集中藤なみの花をたちくゞ又足引の木の間立|八十一《クヽ》ほとゝぎすといふも立くゝりなり古事記に漏出所成神名(漏云久伎)云云又少名彦名神ちいさきことを御祖神のたまはく自手股久伎斯子也《タナマタニクキシコナリ》此外にも多きことばあるを後の人はいかに思ひけんあらぬ説有と眞淵のいひき
 
雖不所見《ミエズトモ》、 上は見えずともといはん序なり
 
吾者見將遣《ワレハミヤラム》、君|之當婆《ガアタリハ》、」 半濁の假名の唱なればこゝに婆の字を用ふ歌意は君があたりは遠かれば見るに見えずともなつかしきあまり猶見やらんといふがせちなり扨さだかに見えぬに春の野など草のやゝしげき比鵙の鳥の草くゞりては物あさり又草間をくゞるをたとへながら序とせしなりこは人のまどへればわづらはしくいふなり
 
1898 容鳥《カホドリ》之、 さきにいふ如く喚子鳥なり容は借字なり
 
間無數鳴《マナクシバナク》、 上は序にて下に戀のしば/\しげきをいはんとてかくいふなり
 
春野之、草根之繁《クサネノシゲキ》、戀毛爲鴨、」
 
1899 春去者、宇米乃花具多思《ウメノハナグタシ》、 今本宇の花とあれど卯の花は春咲ものにあらず米を脱せるかよりて補ふ具多之は多之約智にて花ぐちなり具多之の具濁音の字を書しは言便をしらせしにて妹が垣なる梅のちりしをふみくちさせ春の日毎に通ひしと云なり
 
吾|越之《コエシ》、妹我垣間者、荒(ニ)來鴨、」 三の句越之といふは垣などをこえたるにはあらでそこにたちこえしと云がごとしさて其あひ見し妹が其家にすまずなりけることありて垣も結そへなどもせざるをかくよめるなるべし
 
1900 梅花、咲散苑《サキチルソノ》爾、吾將去、君之使乎、片待香炎光《カタマチガテラ》、」 今本|香花光《カテラ》とある花は炎の誤なり此歌(卷十八)に田邊福麻呂と注して同歌有末の句可多麻知我底良とあれば誤しるければ改さて香炎光のては多米の約にて待爲《マツタメ》といふなり良はそへていふのみ
 
1901 藤浪、咲《サケル》春野爾、蔓葛《ハフカツラ》、下從之戀者《シタユシコヒハ》、 今本下夜とありてしたよのこひはと訓りこは下待下心の下の如く心の底にとめて戀ば思ふ人にもしられで久しからんとなりいかで/\いひよるべきよすがもがなとの意有よしや言に出て知れんと思なり
 
久雲|在《アラム》、」 上にばとありて下をありと云はてにをはたがへりよりて末をあらんとあらたむ
 
1902 春野爾、霞棚|引《ビキ》、咲花之、如期成《カクナル》二|手爾《テニ》、不逢君可母、」 冬隱春の來れるまでまたれつる花はさけどもあはぬ君かなとまたるゝ事の久しきにたとへよみしなり前の枚にふらすばやまじと云は實になるをいへりこゝはそれとは別なり
 
1903 吾瀬子爾、吾戀良久者、奥山之、馬醉花之《アシミノハナノ》、 既いふ如くこれを今本につゝじと訓しは誤りなり
 
今|盛有《サカリナリ》、」 あしみの花の如く吾戀おもふ事のさかりなりと云り
 
1904 梅花、四垂《シダリ》柳爾、折雜《ヲリマゼテ》、花爾|供養者《タムケバ》、 供神佛而祈なり花のと云しは手向の意なり手向に供養の字を用ゐたる心有にあらず集中の常なり
 
君爾|相《アハム》可毛、」 かくはかなくよめるは女の歌にてしかも古意なり
 
1905 姫部思《ヲミナヘシ》、咲野爾生《サキノニオフル》、 (卷七)に姫押《ヲミナベシ》、生澤邊《オフルサハベ》之、生るといひかけて同じ秋の物よりしてよみくだせるなりこゝは大和國添(ノ)下郡のさき野に女郎花を冠せたるのみ(卷十三)に女郎花咲澤生花かつみと云つるに似り
 
白管自《シラツヽジ》、 是迄しらぬといはん序なり
 
不知事以《シラヌコトモテ》、所言之《イハレシ》吾背、」 歌の意はしらぬこともて吾背の人にいひさわがれしをいためるなり
 
1906 梅花、吾者|不令落《チラサジ》、青丹吉《アヲニヨシ》、 冠辭
 
平城《ナラナル》人、來管|見之根《ミルガネ》、」 奈良なる人のきたり見んとするをねがふ吾なれば梅の花はちらさじと廻りてにをはによめるなり且末の句之根と書るは借字なり之根によりてくさ/”\の説あれどさては古意ならず正しくは願乞意にて欲得と書に同意なり
 
1907 如是有者《カクシアラバ》、何加殖兼《イカデウヱケン》、山振乃、止時|喪哭《モナク》、戀良苦念者、」 今本二の句何如を奈爾々と訓たれどさては如くの字餘れりよて伊加|泥《デ》と訓り古今歌集に「山吹はあやなく咲そ花見んと植けん人のこよひこなくに」と云も似たりこの歌は末の句より二の句へかへして心得べし
 
1908 春去者、水草之上爾《ミクサノウヘニ》、 水は借字にて眞草なり(卷一)みくさかりふきといふに同
 
置霜之、 上は序にておく霜の消とつゞけしなり
 
消《ケ》乍毛我者、戀渡鴨、」
 
1909 春霞、山棚引《ヤマニタナビキ》、欝《オボヽシク》、妹乎|相見《アヒミテ》、後|戀《コヒム》毳、」 こも上は序なり今本欝をおぼつかなと訓たれども然よみては歌の意と同らず霞の棚引ておぼゝしく見ゆる如おほよそにも妹をし見てあらはさてこひんとよめるなり
 
1910 春霞、立爾之日從、至今日《ケフマデニ》、吾戀不止《ワガコヒヤマズ》、片念爾|指天《シテ》、」 今本此末の句|本《モト》之|繁家波《シケヽバ》と有こは既に云如くもとはみきなり木だちの繁きに戀の繁きを譬たるにて本の句にかけあはず必此歌の末ならじ一本をもて改
 
1911 左丹頬經、 冠辭
 
妹乎念登、霞立、春日《ハルビ》毛|晩《クレ》爾、 長き春の日ぐらしおもふとなり戀のおもひのたえずながきにたとへたるなり
 
戀度可母、」
 
1912 靈寸春《タマキハル》、 冠辭
 
吾山之|於爾《ヘニ》、 此吾山は吾終の吾葬する地をさし云其火葬のけむりに霞をたとへて次の句に立霞といふ
 
立霞、雖立雖座《タテレドヲレド》、 今本たちてもゐてもと訓たれどさては雖の字餘れり依て改む
 
君之|隨意《マニ/\》、」 吾身まかりぬとも君がまに/\といふなり(卷五)に中/\にいかにしりけん【卷五の歌|如何知兼《イカニシリケン》と有を今本になにゝと訓るは如の字餘れりよしはそこに云】吾山にもゆる煙のよそに見ましをてふも吾身の終の煙の立るまで君をしらであらまし物をしりそめてくるしと云なり上よりのつゞけがら是にあはせてしるべしさて此歌立霞たてれどゝいふは少く後のさまなり
 
1913 見渡者、春日之野邊爾、立霞、見卷|之欲《シホシキ》、君|之容儀呑《ガスガタカ》、春日のうら/\と春日野にたてる霞をあはれと見る如く見まほしと譬たり、
 
1914 戀乍毛、今日者暮郡、霞|立《タツ》、明日之春日乎、如何將晩《イカニクラサム》、 【卷五、戀管母今日者在目杼玉匣將開明日如何將暮】戀忍びつゝもやうやく今日の日はくらしぬるがあすのながき日をいかにしてとおもひ入てよめり、
 
1915 吾妹子爾、戀而爲便莫、春雨之、零別不知《フルワキシラズ》、出而|來《コシ》可聞、 今本初句吾背子とあれど次の歌と全く問答と見ゆ次の歌は女の答たるにて君者|伊不往《イユクナ》とよめりさらば此歌は男のよめるなれば吾妹子とありしを亂本のまゝに傳りしならんにて吾妹子と改む歌の意は春雨は降とも見えぬ小雨にてうちしめれど妹戀しらのすべなければ其雨をもおもほえず出て來ぬといふをふるわきしらずといへり
 
1916 今更(ニ)、君者|伊木往《イユクナ》、春雨之、情乎人之、不知名國《シラザラナクニ》、」 こは女の歌なり男のかへらんとする時にふるわき不知とのたまへどふるともなくて人をぬらす春雨の情は人皆しりてあれば雨に留られたりと人はおもはんに此雨の中に今更歸行給ふ事なかれといふなり、
 
1917 春(ノ)雨爾、衣甚將通裁《コロモハイタクトホラメヤ》、七日四零《ナヌカシフラバ》、七夜不來哉《ナヽヨコジトヤ》、」 右とは別の歌ながら春雨はつよくふらぬよしはひとしかばかりの雨に衣のいたく通らんや雨のふるほどはこじとの給ふにやとなり、
 
1918 梅花、令散《チラス》春雨、多零《サハニフル》、客爾也君之《タビニヤキミガ》、廬入西留良武《イホリセルラム》、」 此歌は夫などの旅に行しを雨いたくふる日に家なる妻などのおぼつかなみてよめらならんか
 
1919 國栖等之《クズラガ》、 吉野の奥に國栖てふ里有紀(神武)に此里人始てまゐりし事見えたり是をくにすらと訓しはひが事なり四言の句有事を仙覺などはしらで強て五言によまんとするこそをこなれ
 
春菜將採《ワカナツムラン》、司馬乃野之《シバノノノ》、 國栖の里に在野なり「あすよりはわかなつまんとしめし野に」といへるに混じて是をもしめしのと訓しは非なり是は下にしば/\といはん序にて國栖の里人等が云々てふ意にていへるなり
 
數君麻《シバ/\キミヲ》、思比日、」
 
1920 春草之、繁吾戀、大|海《ウミノ》、方依《ヘニヨル》浪之、 今本依を往としてかたゆくなみと訓たれどゆくとては千重の辭にかなはずよりて往は依の誤として改訓つさて浪は千重までかかれるなり
 
千重積《チヘニツモリヌ》、」 上の二句は戀のしげきをいひ次の二句は思ひの千重につもりぬるといはん料なり
 
1921 不明《オボロカニ》、 今本ほのかにもと訓たれどさてかなはず
 
公乎相見而、菅根乃、 冠辭
 
長春日乎、孤悲渡鴨、」 今本孤戀とあるは悲を誤れるなり一本によりてあらたむ
 
1922 梅花、咲而落去者《サキテチリナバ》、吾妹乎、將來香不來香跡《コムカコジカト》、吾待乃木曾《ワガマツノキゾ》、」 梅の花の咲るをりからに妹が來り逢ふ事などありてよめる歟女の男のがり行事はあらねど其折ふし來れるによりてかくよめるならん吾待の木曾は(卷十五)「吾|屋《ヤドノ》の君松樹に零雪の」とあり
 
1923 白檀弓、 冠辭
 
今春山爾、去雲之《ユククモノ》、逝哉將別、戀敷物乎、」 此歌は旅などに行とてわかれををしみてよめる歟
 
1924 丈夫之、 今本丈を大に誤る故に改む
 
伏居嘆而《フシヰナゲキテ》、造有《ツクリタル》、四垂《シダリ》柳|之《ノ》、※[草冠/縵]爲吾妹《カツラセヨワギモ》、」 (卷十四)長歌に丈夫之手結がうらとつゞけしは冠辭考に見ゆ此歌のますらをは冠辭にあらずまき柱ふとき大丈夫とおもへる吾やなど云類なりますらたけをすらふしゐなげきて妹おもふ餘りに吾造れる※[草冠/縵]をよと云なり古へは吾妹と定る女は男の髪あげすめり後なれど「君ならずして誰かあぐべき」とよめる類をおもへさて青柳の※[草冠/縵]は四垂柳もてすればなり、
 
1925 朝戸出|之《ノ》、君之《ガ》儀乎《スガタヲ》、曲不見《ヨクミズ》而、長春日乎、戀八九良|三《サム》、」 朝毎に逢よしのありけんにはつかに見たるあしたによめるならん
 
 問答。
 
1926 春山之、馬醉花之、不惡《ニクカラズ》、 色よく咲花なればたとへいふなり
 
公爾波思惠也《キミニハシヱヤ》、 よしやなり
 
所因友好《ヨスルトモヨシ》、」 人のいひさわぎて言よするなり、
 
1927 石上、振乃神杉、神佐備而、 今本神備而とありてかみびてもと訓るは佐を脱せるなりよりて補ふ(別卷)に同歌あり石上振の神杉神|成《サビテ》戀我更爲鴨《コヒヲモワレハサラニスルカモ》これ同歌の轉なり
 
吾八更更、戀爾相爾家留、」 前の歌は女の思ひよする男に逢ん事かたくしてあり歴たるを人のいひさわけれどもとゆおもへるなれば右の歌よめるを男はかく年歴て女のいふを序としてよしさらに戀にあひたりとよめるならんか
 
1928 狹野方波《サヌガタハ》、實爾雖不成《ミニナラヌトモ》、花耳《ハナニノミ》、開而所見社《サキテミエコソ》、戀之名草爾《コヒノナグサニ》、 狹野方は借字五味葛なりさねかづらをさぬかづらともさぬがたともいへりかつらの津良約多なればなり又秋の部に沙額田の野邊の秋萩とよみ(卷二)に師名立都久麻左野方息長之越智能小菅とよめるは地名にてこれとは別なりさて歌の意は實には戀のならずともうはべのよきさまにもあれかしそをだになぐさめにせんとさぬかたによそへてよめり名草は借字なぐさめなり
 
1929 狹野方波、實爾成西乎、今更、春雨零而、花|將咲《サカメ》八方、」 雨のうるほひにさく花の如く今さらうはべばかりの面清《オモキヨ》にすべきや既に實なりしをとなり春雨とはたゞ時節にていへるのみ此二首かならず春とは定めがたし四時の外の雜歌ならんか
 
1930 梓弓、 冠辭
 
引津|邊有《ベナル》、莫告藻之、花咲|及二《マデニ》、不曾《アハヌ》君毳、」 (卷十一)到筑前國志麻郡云云とありて其次に引津亭舶泊之(此間に夜或は日の字を脱せり)作歌七首とありこれにあはせ見れば引津は筑前の地名なり引津の邊のゝは辭にて引津の方《ベ》なり野にあらず〈卷八)旋頭歌に「梓弓引津邊有莫告藻之花摘まではあはざらめやも名のりその花」とありいづれかまことなるらんしらず
 
1931 川|上之《へノ》、伊都藻之花之、 記に倭建命御歌やつめさす出雲多祁流賀と云冠辭はいやつ芽さしいづる藻てふ事にて藻は芽のつねに生しげるにつゞけしなりさればこゝに川の上のとあればいづる藻の花のいつも/\といひかけたるのみこはやごとなき御説にて冠辭考とは異なり委は別記にいふ
 
何時何時《イツモイツモ》、來座《キマセ》吾背子、時自異《トキジケ》目八方、」 常及《トコシク》あらんやをとこしからんやとして轉じ約ていふなり
 
1932 春雨之、不止零零《ヤマズフリツヽ》、 今本此零々をふる/\と訓せりこは乍を零に誤りしと本居宣長はいへれど今考るに零零のまゝにてふりつゝと訓が古意ならん
 
吾戀《ワガコヒハ》、人之目尚矣《ヒトノメスラヲ》、 紀(斉明)中大兄皇子命の君がめをほりとよませ給へるは御母天皇の御かほを見まほしませ給ふなり古へは人に逢まくほるをめをほるなどいひしなり
 
不令相見《アヒミセザラム》、 男のかれ/”\なるを春雨の降つゞくにかこちてうらむるなり
 
1933 吾妹子爾、戀乍居者、春雨之、彼毛知如《カレモシルゴト》、 雨をさして彼とはいへり、
 
不止零乍、」 吾妹子に我戀しぬびつゝたえぬ涙とともに春雨のやまず降ぬるは吾思ひをしる如くふるとなり
 
1934 相不念《アヒオモハヌ》、妹哉《イモヲヤ》、本名《モトナ》、菅根之、長春日乎、念晩牟、」 おもはぬ妹を戀るがよしなきにながき春日を戀くらさんかとなげくなり
 
1935 春去者、先鳴鳥乃、鶯之、 是も鶯の春とつゞけしと同じつづけがらにて雪のうちより鳴諸鳥に先だち聲を出すをあげて下に言さきだてしといはん序とせり
 
事先立之《コトサキダテシ》、 事は借字言なり
 
君乎之將待、」 はやくいひ出し頃の契にたがはず其君を待んと云なり(卷十二)に「こと出しはたが言なるか小山田のなはしろ水の中よとにして」ともよめり
 
1936 相不念《アヒオモハズ》、將有兒《アラムコ》故(ニ)、玉緒(ノ)、長春日乎、念晩久《オモヒクラサク》、」 末の句佐久約須にてくらすなりこの三首は問答ともなしその上終の此歌は三首のはじめの歌の變にて或本の歌ならんを今本にはならべ書たり亂書のまゝならんとおもへば例によりて小書とす又此上の二首も問答とある標にあはねど挽歌などのまぎれ入しとは別にて春の雜歌に春ならぬも有例にならへり
 
 夏《ナツ》雜《クサ/”\ノ》歌。
 
1937 丈夫|丹《ニ》、出立向《イデタチムカフ》、 是を契冲は軍に出立向ことゝいへれど丈夫丹と云から軍にといふまではなし事遠し(卷一)に丈夫之得物矢手挿立向射流圓方波云云(卷二十)あらしをのいほさ手狹むかひ立かなるましづみ云云是らは的に向なり(同卷)に(長歌)あづまをのこは伊田牟可比《イタムカヒ》かへり見せずて又其下にけふよりはかへりみなくておほ君のしこの御楯刀伊※[泥/土]《ミタテトイデ》多都吾例波などを思ふにこゝの丈夫丹云云といふも丈夫どち立向ふ勢ひをおもひて丈夫爾の言を冠辭とせしならんさて出立向は我家を出立て向はるゝ故郷の神なび山なればさ云のみ
 
故郷之、 飛鳥郡
 
神名備山爾、明來者、柘之左枝爾《ツミノサエダニ》、 桑の類なり
 
暮去者、小松|之宇末爾《ガウレニ》、里人|之《ノ》、聞戀麻由《キヽコフルマデ》、山彦乃、答響萬田《コタヘスルマデ》、 今本萬田をまでにと訓たれどそも假字なれば假字の下に字はそへられず依てあらたむ
 
霍公鳥、都麻戀爲良思、左夜中爾|鳴《ナク》、」
 
 反歌
 
1938 客《タビ》爾爲而、妻戀爲良思、霍公鳥、神名備山爾、左夜深而鳴、 調のとゝのひたる歌なりこともなく打となへたるによく調ふぞかたき
 
1939 霍公鳥、汝始音《ナガハツコヱ》者、於吾欲得《ワレニコソ》、 われに得させよとなり
 
五月之珠爾《サツキノタマニ》、交而|將貫《ヌカン》、」 さつきの珠は蘆橘の實を糸してつなぎて玉緒などの如くする手進《テスサミ》と見えたりさて玉緒と云は首玉手玉足玉などの遺れる手風なりけり
 
1940 朝霞、棚引野邊(ニ)、足檜木乃、 冠辭
 
山霍公鳥、何時來將鳴、」 かくるゝ事なし
 
1941 旦霞、 八重といはんためなり
 
八重山越而、 多くの山を越てなり
 
喚子鳥、吟八汝來《ナキヤナガクル》、屋戸母不有九二《ヤドモアラナクニ》、」
 
1942 霍公鳥、鳴|音《コヱ》聞哉、宇能花乃、開落《サキチル》岳爾、 岡の山田なり
田草|引※[女+感]嬬《ヒクイモ》、」
 
1943 月夜吉《ツクヨヨシ》、鳴霍公鳥、欲見、吾草取有《ワカクサトレル》、 庭を掃しなるべしさて此夜のさま親き友がきなどに見せまくほりしなり
 
見人毛欲得《ミムヒトモガモ》、」 此歌上の歌のこたへにあらず、
 
1944 藤浪之、散卷|惜《ヲシモ》、霍公鳥、今城岳叫《イマキノヲカヲ》、 今城は大和國高市郡紀(雄略)に新韓《イマキ》又紀〈齊明)に今來と見えたり今本に※[口+立刀]とあるは叫の誤なり叫吉弔切驕去聲呼也、
 
鳴而越奈利、」
 
1945 旦霧(ノ)、 上に同言あれば是も霞ならんかされど既いふ如く霧は秋とのみおもへるは後なれば朝霧と云も嫌なし
 
八重山越而、霍公鳥、宇能花|邊柄《ベカラ》、 今本宇を字に誤る一本によりて改つ
 
鳴(テ)越來《コエキヌ》、」 越來を今本にこゆらしと訓るは誤なり
 
1946 木高者《コダカクハ》、曾木不殖《カツテキウヱジ》、霍公鳥、來鳴令響《キナキドヨメテ》、戀令益《コヒマサラセリ》、」 意明なり
 
1947 難相、君爾|逢有夜《アヘルヨ》、霍公鳥、他時從者《コトヽキヨリハ》、今社鳴目《イマコソナカメ》、」 右に同じ
 
1948 木(ノ)晩之《クレノ》、暮闇有爾《ユフヤミナルニ》、 木晩は木茂りて小《ヲ》闇きに夕べ殊更なれば云、一云|有者《ナレバ》、
 
霍公鳥、何處《イツコ》乎家登、鳴渡良武、」 今本に武を哉に誤る假字はむとあり哉をむと訓ことなし
 
1949 霍公鳥、今朝之旦明爾《ケサノアサケニ》、 旦明は朝開と書く如く借字にて朝影なりくはしくは(卷一)の長歌の下に見えたり
 
鳴都流波、君|將聞可《キクラムカ》、朝宿疑將寢《アサイカヌラム》、」
 
1950 霍公鳥、花橘之、枝爾居而、鳴響者、《ナキドヨマセバ》、花波散乍、」 かくるゝ事なし
 
1951 慨哉《ウレタキヤ》、四去霍公鳥、 今本慨哉四をよしゑやしと訓たるは誤れり既記(神武)に慨を于黎多棄《ウレタキ》と訓りよりて訓も句も改むさてうれたきはうしふれいたきてふ約たる謂なり四以下二の句にてほとゝぎすを詈て醜ほとゝぎすといふ(卷十三)に忘草をしこ草と詈りたる歌もありはつかに鳴をにくみしなり
 
今社者、音之干蟹《コヱノカルカニ》、 聲のかるゝまでになり
 
來喧響目《キナキドヨマメ》、」 どよまめは麻米の約米にて來鳴とよめと令《オホス》る辭なり
 
1952 今夜《コノヨヒ》乃、於保束|無荷《ナキニ》、 おぼつかなきはやみをいふなり
 
霍公鳥、喧《ナク》奈流聲之、音《オト》乃|遥左《ハルケサ》、」 かくざまなる終の左は志奈の約にてはるけしなといひ入る辭なり
 
1953 五月《サツキ》山、 五月山は地の名にあらず五月の頃の山を云(卷八)に佐伯山とあるも字の誤にて五月山なるべき事はその卷にくはしくいふあはせ見るべし
 
宇能花|月夜《ヅクヨ》、 五月の始までも卯の花の殘り咲たる夕月夜に霍公鳥をきゝてあかずおもへるなり
 
1954 霍公鳥、雖聞《キケドモ》不飽、又|鳴鴨《ナカンカモ》、」
 
霍公鳥、來居裳《キヰモ》鳴奴香、 今本奴を脱せし事しるしよて補ふ
 
吾|屋前《ニハ》乃、花橘乃、地二《ツチニ》落|六《ム》見牟、 花たちばなをちらすを見んといふなり
 
1955 霍公鳥、厭時無《イトフトキナシ》、 いとふ時はなけれどもの意なり
 
菖蒲《アヤメグサ》、※[草冠/縵](ニ)將爲日《セムヒ》、 續紀(聖武)に天平十九年五月五日太上天皇詔曰昔者五日之節常用菖蒲爲※[草冠/縵]比來已停此事從今而後非菖蒲者勿入宮中と見えたりかつらにせん日は五月五日をいふなり
 
從此鳴度禮《コユナキワタレ》、」 こゝより鳴渡れなり 
 
1956 山跡(ニ)夜、啼而香將來、霍公鳥、汝鳴毎、無人所念、」 此歌は挽歌なれど郭公をよむ故に此歌にまぎれ入しなりよりて小字とすこゝに山跡といふは大名を云ならんさて山跡にありし人のなきをおもふか又なき人を葬《ヲサメ》しゆゑをいふか
 
1957 宇能花乃、散卷|惜《ヲシミ》、霍公鳥、野出山入《ノニデヤマニリ》、來鳴令動《キナキトヨマス》、」 歌の意かくるゝ事なし
 
1958 橘之、林乎|殖《ウヱン》、霍公鳥、常爾冬|及《マデ》、住度金《スミワタルガネ》、」 がねはかにといふに同じ
 
1959 霽之《アマバリノ》、 今本雨※[目+齊]なりとあるは誤なり霽の一字を二字としたるなり霽はのちにもゆふばれと訓て雨のはれたるをいへればなり※[目+齊]は字書に見えずよりてよしこせのあまばりの訓をたすけて二字を一字とす婆利の利は禮に通ひてあまばれなり
 
雲爾|副而《タグヒテ》、 たぐひといふ言のもとはたてならぶてふ語をはぶきつゞめていふ言なりされば其意得て副の字をも用たり
 
霍公鳥、指春日而《カスガヲサシテ》、從此鳴渡《コユナキワタル》、」
 
1960 物念登《モノモフト》、不宿旦開《イネズアサゲ》爾、霍公鳥、鳴而左度、爲便無《スベナキ》左右二、 さ渡るのさはことおこす語なり歌の意は物もひにいねがてなるにまして郭公の聲のものがなしくきこゆればせんすべなきまでおもはるとなり、
 
1961 吾衣、於君令服與登《キミニキセヨト》、 今本吾衣於の三字をわがきぬをと訓たれど於はてにをはに下におくべき字にあらずこは於|君《キミ》と訓せんとておける事しるければ誤りしるしよりて句も訓もあらためつ
 
霍公鳥、吾干領《ワカホスキヌノ》、 【契冲は竿にかけてほしたる衣の袖を云歟されど君にきせよと吾にしらする心得がたしといへり今本誤字多を考得ざる故なり撰要抄云君は霍公鳥を指吾乎領は吾をしらせてと訓べしと云り奥人おもふに吾にしらせてとはいふべきにわれをしらせてとはちと不穩聞ゆ領は承上令下謂之領と有は吾をうながしと可訓】今本吾乎領とありてわれをしらせてと訓たれど歌の意とほらず字も訓も誤れりとす領は衣一領などいひて衣の事にいへばきぬと訓べし日下部高豐云乎は干の誤なりこをよしとして改つさて歌の意は竿にかけほしたる袖に郭公の來居て鳴を其衣を君にきせよと鳴といへるなり 
袖爾|來居管《キヰツヽ》、」
 
1962 本人《モトツヒト》、霍公鳥|乎八《ヲヤ》、 こはほとゝぎすをさしてもとつ人といふなり年毎に待戀居るものなればしか云又霍公鳥を故友などいふ事もありすべて時鳥のみならず(卷五)には「遠つ人かり路の池」とよめるも雁を人に譬なり
 
希將見《ネギテミン》、 今本希將見をまれに見んと訓るはあしゝよりてねぎて見んとよめり希はこひねぐ意なればなり
 
今哉汝來《イマヤナガコム》、 今本ながくると訓るはてにをはたがひて意をなさすよりてあらためつ
 
戀乍居者、」 歌の意は郭公をこひしたしみつゝ居ははやこよとねぎてだにも見んさらば今や郭公のこんを云るなり
 
1963 如是計、雨之|零爾《フラクニ》、 良久約るなり、
 
霍公鳥、宇之花山爾、猶香|將鳴《ナクラム》、」
 
1964 黙然毛將有《ナホモアラム》、 今本もだもあらんと訓むさもあるべけれどなほはたゞの意何事もなくあらん時を云なり
 
時母鳴奈武、日|晩乃《グラシノ》、 和名抄に茅蜩比具羅志と見えたり【日晩乃日のくれのと讀む歟日ぐらしの物念時といふはいかにもおだやかならず】
 
物念時爾、鳴管本名、」 物思ふ時にむなしく鳴つるまゝに吾思ひのそはりぬればたゞあらん時になけかしとなり
 
1965 思子之《オモフコガ》、衣|將摺爾《スラムニ》、爾保比乞、 今本乞を與と見てにほひせよと訓れどさ訓んには世の歌に當る字なしこはおもへる子か衣にすらんに匂へとこへるにてこそとよむべきなり
 
島之|榛原《ハイバラ》、 橘(ノ)島(ノ)宮同地にて大和國高市郡なり
 
秋不立友、」 是は夏咲るを見てよめるにあらずまた花なきを乞てよむなり或人榛にて秋萩ならずと云は僻事榛は借字なり
 
1966 風(ニ)散、花橘|叫《ヲ》、 叫は既にいふ如くなれば字を改
 
袖受而《ソデニウケテ》、爲君御跡《キミオハセリト》、 おはしますとなりおはせりはそこに人の居給ふをも又來り給ふをも古へよりいへば何れにても聞ゆこはむかしの人の袖の香ぞするてふ意なり今本きみに見せんとゝよめるは誤れり見せんとよむべき字もなくさ讀みては歌の意もとほらず
 
思鶴鴨、」
 
1967 香細寸《カクハシキ》、花橘乎、玉貫、將送《オクラン》妹者、三禮而毛有香《ミツレテモアルカ》、」 みつれは羸《ミツレ》なり痩おとろへたるなり(卷十一)に「三禮二見津禮かたもひをせん」とあり橘の花さけはいつも玉にぬきおくるなるにわれにおくりこさぬは妹のやまひにみつれてもあるかといふなりこは相聞の歌なり
 
1968 霍公鳥、來鳴響《キナキトヨマス》、橘之、花散庭乎、將見《ミム》人八|熟《タレ》、」 こはたれかはある君ならずしてはといふなり
 
1969 吾屋前|之《ノ》、花橘者、落爾家里、悔時爾《クヤシキトキニ》、相在《アヘル》君鴨、」 橘のちりて後來れるをかく云なり女歌なり
 
1970 見渡者、向野邊乃《ムカヒノヽベノ》、石竹之《ナデシコノ》、落卷惜毛、 雨|莫零行年《ナフリコソ》、」 雨はふるなとねがへるなり行年は去年の意さればこぞの言もてこその辭にかり用たるなり
 
1971 雨間開而《アメハレテ》、 今本にあまゝあけてとよめるはわろしあめはれてと訓べし集中の例なり
 
國見毛將爲乎、故郷之、花橘者、散《チリニ》家牟可聞、」 橘の散るばかりの事に國見など云べからずこは國見せん時に橘の咲てあらば興あらんに雨ふりこめて國見もせざる間に橘はちりなんかとをしめりさて此古郷は飛鳥藤原などの古京を云ならん、
 
1972 野邊見者、瞿麥之花、咲家里、吾待秋者、近就《チカヅク》良思母、」 意明なり
 
1973 吾妹子爾、相市乃花波《アフチノハナハ》、 相市は借字楝なり
 
落不過《チリスギズ》、今|咲有如《サケルコト》、有乞奴《アリコセヌ》香聞、」 初めの吾妹子はあふといはんのみ今本乞を与と誤れること既いふ如くなれば改むありこせぬのぬは後にたゞぬてふにてね又はなに通ひて今咲る如くありこそよとねがふ意なり
 
1974 春日野之、藤者|散去而《チリニテ》、 今本ちりゆきてと訓たれど去はいにてなればいを略てちりにてとよむぞいにしへなり
 
何物《ナニヲ》鴨、御狩(ノ)人|之《ノ》、折而將挿頭、」 こは御狩などのあらんずる前に藤の花のちりしを惜みてよめるなり
 
1975 不時《トキナラズ》、 玉乎|曾連有《ゾヌケル》、宇能花乃、 二三の句を上にして心得るにてうのはなのたまをぞぬけるなり
 
五月乎待者、可久有《ヒサシカルベシ》、」 花實など糸はもとより藁の類にもつらぬくは後のわらはべもするわざなりさて玉にぬくはもはら橘にて五月の事なるよしは集中に見ゆさればうづきに卯の花を玉にぬき其手風より五月をまつを久しみてよめる歌なり、
 
 問答《トヒコタヘ》。
 
1976 宇能花乃、咲落岳從、霍公鳥、鳴而沙渡《ナキテサワタル》、公者聞津八《キミハキヽツヤ》、」 きゝつるやのるを略けるなり
 
1977 聞津八跡《キヽツヤト》、君|之問世流《ガトハセル》、霍公鳥、小竹野爾所沾而《シヌヌニヌレテ》、 しぬゝはしほ/\に同じ且今本沾を活に誤る一本によりて改む
 
從此鳴綿類《コユナキワタル》、」
 
 譬喩歌《タトヘウタ》。
 
1978 橘(ノ)、花落里爾、通名者、山霍公鳥、將令響鴨《トヨモサムカモ》、」 秋萩を鹿の妻てふ如く橘を霍公鳥のあるじの樣にいへり然れば古今歌集に「あきはぎにうらぶれをれば足曳の山下とよみ鹿の鳴らん」とよめる類にて橘の花ちる里にかよはば霍公鳥のねたみて鳴とよめるをおもてにて妹が里にかよはゞ其里人のこちたくいひさわがんかとたとへたり
 
 夏相聞
 
1979 春在者、 今本春在の間に之の字有既云如なれば棄
 
酢輕成野之《スガルナスノヽ》、 すがるは似我蜂にて他し虫の子もて子とす霍公鳥も鶯の卯の生るをいふなり似たる物をもていふのみなすは似を約し言なりさて此野はたゞに野をいふにて地の名にはあらぬなり
 
霍公鳥、 こゝまでは下にほど/\といはん爲の序のみ
 
保等穗跡《ホドホド》妹爾、 保等穗跡はほどよくを略きたるにてよくまれあしくまれ其ほどらひのまに/\あふべきをひたぶるにあはぬをうらめり
 
不相來《アハズキ》爾家里、」 よきほどらひにあはずてふ事の序歌なり
 
1980 五月山、 既云
 
花橘爾、霍公鳥、隱合時爾、 良布は留の延言
 
逢有《アヘル》公鴨、」 霍公鳥は花橘にかくるなるにわれはかくろへずあへるをよろこべる意のみ
 
1981 霍公鳥、來鳴五月之、短夜毛、獨宿者、明不得毛《アカシカネツモ》、」 歌の意かくるゝ事なし、
 
1982 日倉足者《ヒグラシニ》、時常《トキト》雖鳴、君戀、 今本に我君とあれどしかしては次の句につゞきがたし君とありし本の畫の消しを吾と見て誤を傳へたるならんと思へば改む【ときじくてふ言非時又は不定の字はあつれど常及《トコシク》の意なる事此日倉足者云云の歌もて意をしれ】
 
手弱女|我者《ワレハ》、 ますらを吾は又世の人われは皆同じ
 
不定哭《トキジクニナク》、」 今本の訓にても聞ゆれど集中の例もて改む
 
1983 人言者、夏野乃草之、 此之の下に如を入て心得べし
 
繁友、妹與吾《イモトワレトシ》、携宿者《タヅサハリネバ》、」 たづさはりは手さはりなりづは助字なり携の字はあてゝ書しのみ人言のしげきはいとはじとなり
 
1984 迺者之、戀乃繁久、夏草乃、苅掃友、生布如《オヒシクガゴト》、」 おひしくは生|及《オヨブ》なり
 
1985 眞田葛延《マクズハウ》、夏野之|繁《シゲク》、 夏野までは繁くといはん序なり、 
如是戀者、信|吾命《ワギノチ》、 藝は我伊の約
 
常有《ツネナラ》目八方、」 戀死んかといふなり
 
1986 吾耳裁《ワレノミヤ》、如是戀爲良武、垣津旗、 冠辭
 
丹頬合《ニホヘル》妹者、 今本丹類全と字を誤るくはしくは冠辭考に見ゆ
 
如何將有《イカニカアラム》、」 意かくるゝ事なし
 
1987 片※[手偏+差]爾《カタヨリニ》、絲叫曾吾※[手偏+差]《イトヲソワガヨル》、 こは糸を※[手偏+差]といふなり惣て糸はもろ手ならでかた/\へよるは常なり
 
吾背兒|之《ガ》、花橘乎、將貫跡母日手《ヌカムトモヒテ》、」 我背の橘とりて玉にぬきなんとおもひて糸をよるといへるにかたよりといへるは背はさばかりおもはぬをよせてよめるなり
 
1988 鶯之、往來《カヨフ》垣根乃、宇能花之、 こゝまではうきといはん序なり
 
厭事有哉《ウキコトアレヤ》、 あればにやを略いふなりうぐひすのうの花のうきことゝつゞけたるも古へにておもしろし
 
君|之不來座《ガキマサヌ》、」 (卷十二)に霍公烏鳴けるをのへのとありて下は同じ小治田廣耳と見えたり
 
1989 宇能花之、開登波、 句をきりて心得べし
 
無二《ナシニ》、有人二《アルヒトニ》、 さくとはなく有人にゝて思ひひらけて我方へよらざる人をいふなり
 
戀也|將渡《ワタラン》、獨念爾指天《カタモヒニシテ》、」
 
1990 吾社葉、憎毛有目、吾屋前之、花橘乎、見尓波不來鳥屋、」 意明なり
 
1991 霍公鳥、來鳴動《キナキトヨモス》、崗部|有《ナル》、藤浪見者、君者不來登夜、」 歌の意かくるゝ事なし
 
1992 隱耳《シヌビノミ》、 今本かくしのみと訓りさても聞ゆれどしのぶ意を得て借たれば訓をあらためつ
 
戀者苦、瞿麥之、花爾開出與、朝旦將見《アサナサナミム》、」 上に開とはなしにといふとは異にてこゝはあらはれ出て相逢んといふなり
 
1993 外耳《ヨソニノミ》、見筒|戀牟《コヒナン》、 今本筒を箇に誤る
 
紅乃、末採花乃、色(ニ)不出友、」
 
1994 夏草乃、露別衣《ツユワケシキヌ》、 今本つゆわけごろもと訓るは誤なり末の句に衣手とさへあれば訓のあやまりをおもへ【奥人按に此歌三句にきもせぬにとあれば今本のまゝに露わけごろもとよむぞよろしつゆわけしきぬと訓てはきこえがたくおもはる】
 
不著爾《キモセヌニ》我衣手乃、干《ヒル》時毛|名寸《ナキ》、」
 
1995 六月之、地副割而《ツチサヘサケテ》、照日爾毛、吾袖|將乾哉《ヒメヤ》、於君不相四手《キミニアハズシテ》、」 上の歌も、此歌もともに戀あまれる涙をよめれど何にたくめる事もなくとほりてあらはにして然も意はふかし後の世に「わが袖は汐千に見えぬ沖の石の人こそしらねかわく間もなし」てふは其頃の歌にはあらはにかくれたる事なくよき歌なるを此二歌にくらべてはかざりてたくみたればいともたがひて意あさくまことなきを見よ
 
 秋雜歌《アキノクサ/\ノウタ》
 
1996 天漢《アマノカハ》、 あまの川と訓は後なり委は古事記を引て別記にいふ
 
水|左閉而照《サヘニテル》、船章《フナヨソヒ》、 今本章を竟としてふなわたりと訓たれど意とほらず字を誤るよりて考るに船竟二字は艤の一字にてふなよそひかとおもへれど字のちかければ暫章としてよそひと訓む、一本竟を競に作りてきそひとよめりされど水|左閉而照《サヘニテル》といへばよそひの方つゞきてきこゆ
 
舟入《フネコグヒトノ》、 彦星を云なり
 
妹等所見寸哉《イモトミエキヤ》、」 相見えきやなり寸は計利約やはよに通ひ妹はたなばたつ女をさしていふなり
 
1997 久方之、 冠辭
 
天漢原丹《アマツカハラニ》、奴延鳥之、 冠辭
 
裏歎座津《ウラナキマシツ》、乏諸手丹《トモシキマデニ》、」 一年に一たび逢ます事の遠くすくなければ奴延鳥の如うらなきまして二星の逢夜の遠きをわびましつとなり
 
1998 吾戀《ワガコヒヲ》、 吾は彦星なり
 
嬬者知遠《イモハシレルヲ》、 織女はしりてあるをなり
 
往船乃《ユクフネノ》、 別れの時をいふなるべし
 
過而應來哉《スギテクベシヤ》、 來ん年ならでは來べきやなり
 
事毛告哭《コトモノラナク》、」 事は借字にて今年別れては又こん年ならでこぬに、言ものらぬといふなり今本告火と有てつげらひとあるは字も訓も誤れり哭の畫の消しならん 
1999 朱羅引、 冠辭
 
色妙子《シキタヘノコヲ》、 冠辭考色栲の條にくはし
 
數《シバ》見者、 しきたへよりいひくだせり
 
人嬬|故《ユヱニ》、吾可戀奴《ワレコヒヌベシ》、 此歌|七夕《ナヌカノヨ》の歌にあらずまぎれてここに入しなるべし【○眞淵云色妙は借字子は女を云にて敷栲の妹と云に同しさて敷細布てふ敷は物の繁くうつくしきをいひ細布はよき絹布を云古語女のうつくしく和《ナゴ》やかなるに譬なり或本にいろたへと訓しは誤れり神祇令の集解に敷和者宇都波多也云云敷は絹布の織目の繁き意和はなごやかなる意にて美織《ウツハタ》なり敷は下に敷事にのみ思ふはかたくるし
 
2000 天漢《アマノガハ》、安渡丹《ヤスノワタリニ》、 古事記に天安川原とあるは都の地名なりかく云は古事記の考にくはしく云此歌にて安渡といふは天津銀河の事なりそれを彼地名の安川原にとりなしてよめるなり
 
船浮而、我立待等《ワレタチマツト》、【今本云|秋立待等妹告與具《アキタチマツトイモニツゲヨヨク》】今本秋立待等とある秋は我の誤ならんと橘千蔭がいへるによるべし
 
妹告乞《イモニツゲコソ》、」 今本與具とあるは誤なり(卷三)に其誤るよしはくはしく云
 
2001 從蒼天《オホソラユ》、 今本おほぞらにとあるは誤なりしかよみては從はあまれり
 
從來吾等須良《カヨフワレスラ》、汝故《ナレユヱニ》、天漢道《アマノカハラヲ》、名積而叙|來《コシ》、」 なづみは既に云如くいたづきなやみこしぞといふなり
 
2002 八千|戈《ホコノ》、神自御世《カミノミヨヽヨリ》、 八千戈神は大穴持神の一名なり古く久しき事にいはんためなり
 
乏※[女+麗]《トモシヅマ》、 一本孃と有
 
人知爾來、苦思者《ネモコロモヘハ》、」【奥人按に告苦字をかくは誤しかされどもありこせのまゝたすけ告思者《ツゲテオモヘバ》とよまるれば改ず有なむその義はつげの計を延れは伎弖となる故借て書るならむ】今本告思者とありてつぎてしもへばと訓り告は苦の誤しるかれば字も訓も改む神の御世より久しくねもごろにおもへるともし妻なれば人もしりにけりと隔句によめりさて外になくおもふ妹をともし妻といふ將かゝるたぐひは皆彦星織女となりてよめると見るべし此歌も前の歌も彦星になりてよめるなり
 
2003 吾等戀《ワガコフル》、丹穗面《ニノホノオモト》、 丹穗の穗はをの如く唱ふべしこはさにつらふなどいへるに同じく艶やかに色づきいでたるかほばせをいふよし冠辭考に委し
 
今夕母可《コヨヒモカ》、 可は疑の辭なり
 
天漢原爾《アマノカハラニ》、石枕|卷《マカム》、」 今本いはをいそと訓たれど既川原とあればしかよむべからねばあらたむ末の句まくとよみこせたれども歟と疑たればまかんと訓べし
 
2004 己※[女+麗]《オノガツマ》、乏子等者《トモシキコラハ》、立見津《タチテミツ》、荒磯卷而寐《アリソマキテネム》、吾|待難《マチカテニ》、」 今本此歌字も訓もいと誤れり三の句一本競今本竟とありてともにあらそひつと訓たれど織女の誰とともねをあらそはんよしもなく歌の意もとほらねば竟は立見の二字の一字となれりとす末の句の訓も誤れりよりて改む歌の意は彦星の逢夜をまつ心からともしづまも吾をまちがてに立見つゝありそをまくらとしてぬるならんとなり今本吾を君に誤れるならんと黒生か云へるによるべし 
2005 天地等、別之時從、自孃《オノガツマ》、然取手而在《シカチギリタル》、 今本取を叙に誤り訓もよしなければ改取手を契と訓は遊仙窟によれり契たるの多は弖阿の約なり 
金待吾者《アキマツワレハ》、」 今本の訓はよしなしこは秋まつわれは妹としか契りおけりといひ天地のわかれし時より手に取てある秋とつゞけて契の久しきを云ならん
 
2006 彦星(ノ)、嘆須孃《ナゲカスイモガ》、 なけかすの加は伎麻の約
 
事谷毛、 事は借字言なり
 
告爾叙《ツゲニゾ》來|鶴《ツル》、 今本の余は爾の誤
 
見者苦彌《ミレバクルシミ》、」 彦星のなげきますを見ればくるしきに織女の言をだにつげに來つるといふはなげきをなごめんとなり此だにはさへの如し輕く見るべしさてこは七夕にあらず其前後などよめるならん
 
2007 久方(ノ)、 冠辭
 
天印等《アマツシルシト》、水無《ミナシ》河、 天漢をさしてたゝちにみなし川といふなり
 
隔而|置之《オキシ》、神世之恨《カミヨシウラメシ》、」 此歌は久方の天とつゞけ下してその言のしるしと天漢てふものを神世より定めおかして二星の逢瀬をへだて年に一夜のみなるがうらめしといふなり
 
2008 黒玉(ノ)、 冠辭
 
霄霧隱《ヨギリコモリテ》、 遠といはん序なり
 
遠鞆、妹傳《イモガツタヘハ》、速告乞《ハヤクツゲコセ》、」 つたへはのちも言づてなど云が如しさてつたへてふ言古くはきこえず末の句終の乞を今本與に誤る事前に云が如し此歌も七夕に限らず
 
2009 我戀、妹命者《イモノミコトハ》、 今本汝戀とあり汝にては人より彦星をさしていふ事となるさらば妹の命とは有べからず此歌も彦星になりてよめるにて我戀る妹の命なりよりて汝は我の草の手を見誤として改
 
飽足爾《アクマデニ》、袖振|所見都《ミエツ》、及雲隱《クモカクルマデ》、」 此歌の意は妹の命も戀る心はせちなればあくまで袖ふらせれどつひに遠く雲がくりて見えぬを彦星のあかずなげきますと彼佐用比賣をふくみて彦星になりてよめるなり
 
2010 夕星毛《ユフツヾモ》、夕星の事冠辭考に委し【和名抄に太白星名長庚暮見於西方爲長庚(由不豆々)卷二に夕星之彼往|此去《カクユキ》大船(ノ)猶予不足《タユタフ》見者云云長庚星の或暮西に往或晨東に去て見るに譬へたるなり眞淵】
 
往來天道《カヨフアマヂヲ》、及何時鹿《イツマデカ》、仰而將待、月人壯《ツキヒトヲトコ》、」 月人壯は下にも彦星をかく譬し有こはみかほしむといふほどのたとへなり歌の意は夕星すらとゆきかくゆくにいつまでか遠くむかひたちて彦星をあふぎてまたんやと織女《タナバタツメ》のなげゝるなり
 
2011 天漢《アマノガハ》、己向立而《コムカヒタチテ》、 己は借字來向なり(卷十二)相むきたちて又(卷十八)安川許牟可比太知弖戀樂爾、 今本樂を等とするは〓を〓と見たる草の手の誤なりらくは留の延言
 
事谷將告、 事は言なり
 
孃言及者《ツマトフマデハ》、」 つまといふまではなりこも其夜にかぎらぬなり
 
2012 水良玉《シラタマノ》、 水は須伊約志なれば假字に用ひたりさて此白玉は鰒玉とて眞珠の事なりそは得がたかる物にて人のめづらしむを星の装なれば五百都集と多きをいふさて其おほきは首玉手玉足玉の數あるをいひてそをとくこともなくひたぶるにあはん日を待に譬へぬとなり
 
五百都集乎、解毛不見《トキモミズ》、吾在哥太奴《ワガアリカタヌ》、 今本吾者于可太奴と有は字も訓も誤れり者は在の誤于可は哥の二字となれると見ゆ訓もよしなければあらためつありがたぬはありがてぬなり(卷十八)に思良多麻能伊保都々度比乎手爾牟須比於許世牟安麻波牟賀思久母安流香とあり
 
細日待爾《アハンヒマツニ》」
 
2013 天漢、水陰草《ミヅクマグサノ》、 今本水陰草とよみたれど唐にても隈の意に陰を用ふ此朝庭にもくまといふに隈の字を充たりこをもて見れば水陰をみづくまと訓て水ぎはの草なるをしるさて此比もはら唐意をこのめばかくことわりこめて字をあてしをおもへ 
金風(ニ)、 此秋風をかく書るをもても上にいふことわりをしれ
 
靡見者《ナビクヲミレバ》、時來良之、」 今本|時來之《トキハキヌラシ》と訓れど來の一字さまで添へ訓べきにあらず良の脱し事しるかれば補ふさて此歌も星になりてよめるなり天漢に草あるべくもなしそは人の常にてよめり後世天の川てふ所あるなどよりあやまる事なかれそは後に作り出で付たる名にて古意にあらず
 
2014 吾等待之《ワガマチシ》、白芽子開奴《アキハギサキヌ》、今谷毛、紀(神武)に伊莽波豫《イマハヨ》、伊莽波豫《イマハヨ》、阿々時夜塢《アヽシヤヲ》、伊勢麻※[人偏+嚢]而毛阿誤豫《イマダニモアゴヨ》、伊麻※[人偏+嚢]而毛阿誤豫、とあるは今よとの給へるのみこゝの今だにも右に同じ
 
爾賓比爾往奈《ニホヒニユカナ》、越方人邇《ヲチカタビトニ》、」 歌意は吾まちし萩の咲たれば彼ころもにほはせとよみし如く今萩はらに入たち衣にほはし織女《タナバタツメ》のがりゆかんてふをかくよめりとせんかさはとりがたし萩に衣にほはせなまめきゆかんとよめる相聞の歌のこゝにまぎれたるものなりと見ゆれば例の小書にするなり
 
2015 吾世子爾、裏戀居者《ウラコヒヲレバ》、 うらは字の如くうらにて心を云さればこゝろに戀をればなり、
 
天《アマツ》河、夜船※[手偏+旁]動《ヨフネコギドヨミ》、梶音所聞《カヂノトキコユ》、」 かぢのおとのおを畧いふは古訓なり
 
2016 眞氣長《マケナガク》、 既氣長てふにいひし如く此氣も來經を約云年月日の來經るも久にこひしといふなり
 
戀心自《コフルコヽロニ》、 今本こころしゆと訓しはわろし
 
秋風《アキカゼニ》、妹音所聽《イモガトキコユ》、紐解往名《ヒモトキユカナ》、」 秋風のさそひて妹がおとなひきこゆればうちくつろぎ紐ときてゆかんとなりこは人の常にていふにて長紐など解てかたぬぎするほどの事を斯は云なり
 
2017 戀敷者《コヒシケバ》、 戀|及《シク》にて戀/\すればなり
 
氣長物乎《ケナガキモノヲ》、今谷毛、 既くはしく云如く今もなり
 
乏牟可哉《トモシムベシヤ》、可相夜谷《アフベキヨダニ》、」 下にあふべきものをとて此歌ありさて歌の意はこひ/\すれば殊に長く遠くおもはれいともともしかりしを今あふべき夜とだになりぬればしばしばかりもともしむまじとなり
 
2018 天漢《アマツカハ》、去歳渡伐《コゾノワタリバ》、 わたりばゝ渡庭なりこは弓場舟場の類なるを皆爾波の爾を畧けるなり爾波の波をわの如くいふは半濁なり爾を畧ける故に本濁に婆と云其濁をしらせて伐の字をかけるなり
 
遷閉者《ウツロヘバ》、 こぞのわたりばうつろふは渡場のかはるといふなり
 
河瀬於蹈《カハセヲフムニ》、 於はてにをはの乎にはあらずふむにを於v蹈と置るなり
 
夜深去來《ヨゾフケニケル》、」 ふけいにけるなり來はくるのくをけに通しけるなり渡かねて河瀬をたどるに夜のふけぬるををしめるなり
 
2019 自古《イニシヘニ》、 今本にむかしよりと訓るはいまだし此下に古へにおりてし機を云云によりて訓をあらたむ
 
擧而之服《アゲテシキヌヲ》、 服は借字にて絹なりさて糸を機にしかくるを擧ると云なりいにしへより三の句までは末に年ぞへにけるといはん序のみなり
 
不顧《カヘリミズ》、 うちすてたるとなり
 
天河《アマツカハ》津爾、年|序經去來《ゾヘニケル》、」
 
2020 天漢《アマツガハ》、夜船※[手偏+旁]而《ヨフネハコギテ》、雖明《アケヌトモ》、將相等念夜《アハムトモフヨ》、袖易受將有哉《ソデカヘズアラメヤ》、」 今本哉を脱せり訓も誤れり哉とおさへずしては歌の意とほらず必ありて脱せし事しるければ字を補ひ訓もあらためぬ袖かへすは袖かはしまくらまかずあらめやなり
 
2021 遙媛等《トホヅマト》、 今本※[女+莫]とあるは媛を誤る事しるかればあらたむ
 
手枕易《タマクラカヘテ》、 手枕さしかはしてなり
 
寐夜《ネヌルヨハ》、※[奚+隹]音莫動《トリガネナキソ・トリハネナキソ》、 今本の訓はいまだしよりて改動はどよむにかれゝばこゝはなくにかりたるなり
 
明者雖明《アケバアクトモ》、」 こも男星になりてよめるなり
 
2022 相見久《アヒミマク》、厭雖不足《アキタラネドモ》、稻目(ノ)、 冠辭
 
明去來理《アケユキニケリ》、舟出爲牟|※[女+麗]《イモ》、」 あかねども夜明ぬれば別て船出せんとなり
 
2023 左尼始而《サネソメテ》、何太毛不在者《イクバクモアラネバ》、 左尼の尼は紀に仁禰兩音なりさてさねそめていくばくもあらねばとは初秋のみじか夜をいふあらねばはあらぬになり今本にいくたと訓るは誤なりこはいくばくと訓
 
白栲(ノ)、 冠辭
 
帶可乞哉《オビコフベシヤ》、 別れを惜なり
 
戀毛|不遏《ツキネバ》、 こゝもつきぬになり
 
2024 萬|世《ヨニ》、携手居而《タヅサハリヰテ》、 今本てたつさひてと訓るは誤なりたづさはりは手障の意こゝに携手と云は意を添るのみ
 
相見鞆《アヒミトモ》、 あひ見るともなりるを畧は古への常なり
 
念可過《オモヒスグベキ》、戀爾有莫國《コヒナラナクニ》、」 今本爾を奈に誤るかゝる所の奈は爾阿の約の訓なれば奈と書よしなし
 
2025 萬世、可照月毛、 常にしばし雲かくるゝもくるしきを譬にいふなり
 
雲隱《クモガクレ》、苦物|叙《ゾ》、將相登|雖念《モヘド》」 萬代に照べき月すらしばしの雲かくれも苦しき物なりまして二星は萬世に逢なん事とは思ひ給へど一夜を待情のくるしきといふなり
 
2026 白雲《シラクモノ》、五百遍隱《イホヘガクリテ》、 五百は多く重るをいひかくりてはかくれりを約いふかを濁るは音便なり
 
雖遠《トホケドモ》、 とほけどもはとほけれどもなり皆古訓今本の訓はいまだしければあらたむ
 
夜不去將見《ヨガレセズミム》、妹當者《イモガアタリハ》、」 此歌七夕の歌ならず相聞の歌まぎれ入しなりよて例の小書す
 
2027 爲我登《ワガタメト》、織女之《タナバタツメノ》、其屋戸爾、織白布《オルシラヌノハ》、織|弖兼《テゲム》鴨、」 吾ためとはこも彦星になりてよめればなりおりてけむは織弖加安良牟の加安良約加なるをけに通してげんと云けを濁は音便なり
 
2028 君不相《キミニアハデ》、久時《ヒサシキトキニ》、繊服《オリテキシ》、白栲衣《シロタヘゴロモ》、垢附麻弖爾《アカツクマデニ》、」 ころもあかづくまで久しく相見ぬと織女になりてよめるなり
 
2029 天漢、梶音聞《カヂノトキコユ》、孫星與《ヒコボシト》、織女《タナバタツメト》、今夕|相霜《アフシモ》、」 天つ川の梶の音聞ゆべくならねとかくよむそ哥のならはしなれ
 
2030 秋去者《アキサレバ》、河霧《カハギリタチツ》、天川《アマツカハ》、河向居而《カハニムキヰテ》、むきゐては牟加比の加比約伎なりよりてむかひゐてなり
 
戀夜多《コフルヨソオホキ》、」 織女に成てよめるなり
 
2031 吉哉《ヨシヱヤシ》、雖不直《タヾナラズトモ》、 たゞにあふ事なくともなり
 
奴延鳥《ヌエドリノ》、浦嘆居《ウラナキヲルト》、告子鴨《ツゲムコモカモ》、」 子は妹をいふ妹にあはんとねがふ事をかくいふなればこは欲得の意なり此歌七夕の歌ならずまぎれて入ならんよて小書す
 
2032 一年爾、七夕耳《ナヌカノヨノミ》、相人之、戀毛|不盡《ツキネ》者、 つきぬになり
 
佐霄曾《サヨゾ》明爾|來《ケル》、」 今本に戀も不遏者夜深往久毛と有一本をよしとしてこゝに取
 
2033 天漢、安川原《ヤスノカハラノ》、定而《サダマリテ》、神競者《カミツツドヒハ》、磨持無《トキマタナクニ》、」 磨は借字時なり天の安川の神集はいつと定らずたび/\あへりしを此星合の事は安川の定りてより一年に一度としたるはいかにとうらみをふくめる意をこゝに其神集は時またなくにとのみいひ二星の心になりてよめるなりさて安川をいふはたゞ其久しきをいふ今本四の句をこゝろくらべは五の句をときまつなくにと訓るは誤にて歌の意とほらずよりで訓をあらたむ此歌の左に此歌一首庚辰年作なりとあり考るに天武天皇白鳳九年なり
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出、 右の一首をいふか又前の三十餘首ともにいふか前の三十餘首の書體多く人麻呂集に似たれば皆人麻呂の歌集ならん
 
2034 棚機之《タナバタノ》、五百機立而《イホハタタテヽ》、 五百津岩村などいふ如はたものの具のおほきをいふなり
 
織布之《ヲルヌノヽ》、秋去衣《アキサリゴロモ》、 たゞ秋の衣と云なり
 
孰取見《タレカハトリミム》、」 あはぬ間をいひなげく意なりたれかは取見む男星《ヒコボシ》のみとり見給んといふも又の逢瀬の遠きをもなげくなり
 
2035 年有而《トシニアリテ》、 年毎《トシノハ》に有てなり
 
今香|將卷《マキナム》、烏玉之、 冠辭
 
夜霧隱《ヨギリコモリテ》、遠妻手乎《トホヅマノテヲ》、」 年毎に今宵逢べきさだ有て遠妻の手を枕まかんとよろこべるなり
 
2036 吾待之《ワガマチシ》、秋者|來沼《キタリヌ》、妹與吾、何事在曾《ナニコトアルゾ》、 ありてぞなりあれの禮は利弖の約なり
 
紐不解在牟《ヒモトカサラム》、 歌の意は待し秋の來りぬれば何ぞこよひあはであるべきてふをかくいふのみ
 
2037 年之戀《トシノコヒ》、 年の戀とはやがて前の年毎と同じくたゞちに年に一度の逢瀬と聞ゆ安らけき古言を思へ
 
今夜盡而《コヨヒツクシテ》、明日從者、如常哉《ツネノゴトクヤ》、吾戀居牟《ワガコヒヲラム》、」 かゝるぞ古の調べなるそ
 
2038 不合者《アハザレバ》、 今本あはざるはとあるはいと誤れり
 
氣長物乎《ケナガキモノヲ》、天漢、隔又哉《ヘダテヽマタヤ》、吾戀將居《ワガコヒヲラム》、」 歌の意又似たるなり
 
2039 戀家口《コヒシケク》、 計久約久にてこひしくなり
 
氣長物乎、可合有《アフベカシ》、夕谷君之《ヨヒダニキミガ》。不來益有良武《キマサザルラム》、」 織女になりてよめるなり男星の來ますを待わびよめるこゝろなり
 
2040 牽牛與《ヒコボシト》、織女《タナバタツメト》、今夜相《コヨヒアハム》、天漢門爾、波立勿謹《ナミタツナユメ》、」 織女を必たなばたつめとよむ證この歌なり
 
2041 秋風《アキカゼニ》、吹漂蕩《フキタヾヨハス》、白雲者《シラクモハ》、織女|之《ノ》、天津領巾毳、」 白雲を折にあひ織女の天津領巾と見たるなりならびて調のよきを見よ
 
2042 數裳《シバ/\モ》、相不見君矣《アヒミヌキミガ》、天漢《アマツカハ》、舟出|速爲《ハヤセヨ》、夜不深間《ヨノフケヌマニ》、」 しば/\も相見るにもあらざればふな出いそがせとなり
 
2043 秋風之、清夕《サヤケキヨヒニ》、天漢、舟※[手偏+旁]|度《ワタル》、月人壯子《ツキビトヲトコ》、」 さきにもいふ如く月人壯子は男星《ヒコボシ》をたとへよめるなり但此歌は人よりいふなり
 
2044 天漢、霧立度、牽牛之、※[楫+戈]音所聞《カヂノトキコユ》、夜深往《ヨノフケユケバ》、」 夜もなかばなれば男星の※[手偏+旁]來ます梶の音のきこゆとなり
 
2045 君舟《キミガフネ》、今※[手偏+旁]來良之《イマコギクラシ》、天漢、霧立度、此川(ノ)瀬《セニ》、」 前の歌に同じ意なり
 
2046 秋風爾、河浪|起《タチヌ》、暫《シバラクハ》、八十舟津《ヤソノフナツニ》、三舟停《ミフネトヾメヨ》、」 三は借字眞なり八十の舟津は必天の川にあることゝ云は歌の常なり
 
2047 天漢、川聲清之《カハノトキヨシ・カハトサヤケシ》、 川の音きよしは波の音の高きなり
 
牽牛之、秋※[手偏+旁]船之、浪※[足+參]香《ナミノサワグカ》、」 川音清く聞るは男星の舟の※[楫+戈]の動て浪のさわぐかとなり
 
2048 天漢、川門《カハトニ》立《タチテ・タテハ》、吾戀之《ワガコヒシ》、君來奈里《キミキマスナリ》、紐解待《ヒモトキマタム》、」 織女になしてよめるなり一本天河|川向立《カハニムキタチ》とあり
 
2049 天漢、川門|座而《ヲリテ》、 今本川門座而《カハトニヰツヽ》とよめるは誤なりよりて訓をあらたむ
 
年月《トシツキヲ》、戀來君《コヒコシキミニ》、今夜會可母《コヨヒアヘルカモ》、」 こも織女になりてよめるなり
 
2050 明日從者、吾玉床乎、 玉床は玉飾の意もてほめていふのみなり
 
打拂《ウチハラヒ》、公常不宿《キミトイネズテ》 こゝのいねずは不寐《イネズ》といふにて率《ヰ》にあらず記(允恭)に多志陀志爾韋泥※[氏/一]牟《タシダシニヰネテム》又紀(雄畧)に韋泥受《ヰネズ》とあるは率宿《ヰネ》にてこゝとは別なり
 
孤可母寐《ヒトリカモネム》、」
 
2051 天原《アマツハラ》、往射跡《ユクテニイムト》、白檀《シラマユミ》、挽而隱在《ヒキテカクレル》、 隱在はかくせるとは訓れず加久禮留の禮は利世の約なり
 
月人壯子、」 夕月のゆみはりのまゝに入たるをかくよめるなりこは月の歌のまぎれてこゝにいりたるなり既云如くなれば例の小書す二の句今本訓を誤れり
 
2052 此夕《コノユフベ》、零來雨者《フリタルアメハ》、男星之《ヒコボシノ》、早※[手偏+旁]船之《トクコグフネノ》、賀伊乃散鴨《カイノチルカモ》、」 かいのちるかもは櫂の雫のちるかもなりこは高槻村はちりにける鴨又三笠の山は咲にけるかもなどよめるたぐひなり
 
2053 天漢、八十瀬|霧合《キリアフ》、 句なり
 
男星之、時待船《トキマツフネハ》、今※[手偏+旁]良之《イマカコグラシ》、」 八十瀬霜合て夜も更ぬ男星の今船※[手偏+旁]いづらしと云なり
 
2054 風|吹而《フキテ》、河浪|起《タチヌ》、引船丹《ヒキフネニ》、 風立て渡がたし引船に渡りこよとなり今本訓よしなし
 
度裳來《ワタリモキマセ》、夜不降《ヨノフケヌ》間爾、」
 
2055 天河、遠度者《トホキワタリハ》、無及《ナケレドモ》、公之舟出者《キミガフナデハ》、年爾社|俟《マテ》、」 歌の意かくれたる事なし
 
2056 天河、打橋|度《ワタス》、 下にも棚橋渡《タナハシワタス》と有る例によりて改む
 
妹之家道《イモガイヘチ》、不止通《ヤマズカヨハム》、時不待友《トキマタズトモ》、」 こも男星になりてよめるなり打橋わたせよ常にかよはんといふなり
 
2057 月累《ツキカサネ》、吾思妹《ワガモフイモニ》、會夜者《アフヨヒハ》、今之七夕《イマシナヽヨヲ》、續巨勢奴鴨、」 今之の之は助字なり今七夕つゞけこそと願意なり
 
2058 年丹装《トシニヨソフ》、吾舟※[手偏+旁]《ワガフネコガム》、天河、風者吹友、浪立|勿忌《ナユメ》、」 年に一度よそふ舟なれば浪もゆめ/\たつなとなり
 
2059 天河、浪者立友、吾舟者、率※[手偏+旁]|出《イデン》、夜之不深間爾《ヨノフケヌマニ》、」 こは右の歌に和たる如し自《オノヅカラ》のついでなる歟
 
2060 直今夜《タヾコヨヒ》、相見兒等爾《アヒタルコラニ》、事問母《コトトヒモ》、未爲而《イマダセスシテ》、左夜曾明二來《サヨゾアケニケル》、」
 此歌もかくるゝ事なく安らかに古意なり
 
2061 天河、白浪|高《タカシ》、吾|戀《コフル》、公之《キミガ》舟出者、今爲下《イマゾスラシモ》、」 浪の高きは彦星の船出ます浪のさわぎかなり
 
2062 機《ハタモノヽ》、※[足+(日/羽)]木持往而《フミギモテユキテ》、天河、打橋度《ウチハシワタス》、公之來爲《キミガコムタメ》、」 織女になりてよめるなり機のふみ木を橋として待んといふなり
 
2063 天漢、霧立|上《ノボル》、 即雲をいふなり
 
棚幡乃《タナバタノ》、 こは奈良に至て轉てかく畧きいひ機女をよめるなりたゞしくいはんにはたなばたつめなり此歌にはじめて此畧は見えたり
 
雲衣能《クモノコロモノ》、飄袖鴨《カヘルソデカモ》、」 雲を衣とし其雲の旋を袖のひるかへるかといふなり
 
2064 古《イニシヘ》、 さきつ比といふばかりをかくいふか古言なり
 
織篆之八多乎《オリテシハタヲ》、 今本篆を義に誤る其事は(卷四)の別記に委
 
此暮《コノユフベ》、衣縫而《コロモニヌヒテ》、君待吾乎《キミマツワレヲ》、」 はやく織たるはた物を此夕《コノユフベ》衣にぬひて男星をまつとなり末の乎はそへたるのみ 
2065 足玉母、手珠毛由良爾、 由良は既いふ如く玉のゆりて鳴音を云
 
織旗乎《オルハタヲ》、公|之《ガ》御衣《ミケシ》爾、縫將堪可聞《ヌヒアヘムカモ》、」 あへんかもはぬひあはせんといふなり
 
2066 擇月日《ツキヒエリ》、逢篆之有者《アヒテシナレバ》、別乃《ワカレノ》、 四言こを今本わかれぢのと訓るは古くは四言にもよみしをおもはぬしひ言なり
 
惜有君《ヲシカルキミ》者、 をしかるの加は久安の約なり
 
明日副裳欲得《アスサヘモガモ》、」 あすもかくてあれよと願なり
 
2067 天漢、渡瀬深彌《ワタリゼフカミ》、 わたりと體語に訓は古訓なり瀬を濁るは渡乃〔右○〕瀬の乃〔右○〕を畧はなり且下に例有古によりて改む
 
泛船而《フネウケテ》、掉來《コギクル》君|之《ガ》、※[楫+戈]|之音所聞《ノトキコユ》、」 彦星の心ふかめて渡るとそへたるなり
 
2068 天原《アマツハラ》、振放見者《フリサケミレバ》、天漢《アマツガハ》、霧立渡《キリタチワタル》、公者來良志、」 たゞ霧のたちわたるに男星の來るを思ひやるなり
 
2069 天漢、瀬毎幣《セゴトニヌサヲ》、奉《タテマツル》、情者《コヽロハ》君乎、幸來座跡《サキクキマセト》、」 こはまたく人の情に爲してよめりわたり來ませと幣奉るとなり
 
2070 久方之、 冠辭
 
天川河津爾《アメノカハツニ》、 こゝは冠辞につゞく天ゆゑ正しくよむ例によりぬ
 
舟泛而、君待|夜等者《ヨラハ》、不明毛有寐鹿《アケズモアラヌカ》、」 奴加約奈なりあらなとねがひおさへたるのみながらかくのべて云はしらべなり
 
2071 天河《アマツカハ》、足沾渡《アシヌレワタリ》、君之手毛《キミガテモ》、未枕者《イマダマカネバ》、 こも後世のまかぬになり
 
夜之深去良久《ヨノフケヌラク》、」 良久約留なり
 
2072 渡守《ワタリモリ》、 わたり守と訓しはよし古訓なり後世渡しもりと云はわろし
 
船度世乎跡《フネワタセヲト》、 乎は與に通ふ故大人の古今注によりて與に通とす
 
呼音之《ヨブコヱノ》、不至者疑《イタラネバカモ》、梶之聲不爲《カヂノオトセヌ》、」 こはしらべもよく古くとゝのへり
 
2073 眞氣長《マケナガク》、河向立《カハニムキタテ》、有之袖《アリシソデ》、今夜卷跡《コヨヒマカント》、念之吉沙《オモヘルガヨサ》、」 月日ひさしく川にのみむかひたちてありし袖をこよひ妹と相まきてともねせんとなり
 
2074 天漢、渡湍毎《ワタルセゴトニ》、思乍《オモヒツヽ》、來之雲知師《コシクモシルシ》、 志久約須にて巨須といふなり
 
逢有久念者《アヘラクモヘハ》、」 羅久は留の延言一年に一夜の契りなれば渡る瀬ことにてなづみこぐかひありてあへるとひこぼしのよろこべるなり
 
2075 人左倍也、見乍有良武、 今本に見不繼將有とあるは歌の意とほらずよて一本を用 
牽牛之《ヒコボシノ》、嬬喚舟之《ツマトフフネノ》、 今本つまよぶ舟と訓然訓てはきこえず
 
近附往乎《チカヅキユクヲ》、」 舟のちかづくを見つゝよろこびのあまりを云
 
2076 天漢、瀬乎|早鴨《ハヤミカモ》、 川瀬の早くてわたりなづみ男星のきますがおそきかとおぼつかなむをいふなり
 
烏珠之、 冠辭
 
夜者|闌爾乍《フケニツヽ》、不合《アハヌ》牽牛、」 男星のまだ來まさぬほどの間をよめるなり
 
2077  渡守《ワタリモリ》、舟早渡世《フネハヤワタセ》、一年爾、二遍從來《フタヽヒカヨフ》、君爾有勿久爾《キミニアラナクニ》、」 此歌古今歌集にも有わたり守と訓べき事なり織女になりてよめるなり
 
2078 玉葛、 冠辭
 
不絶物可良《タエヌモノカラ》、佐宿者《サヌラクハ》、 さぬらくのさは發語良久は留の延
 
年之|度《ワタリ》爾、直一夜耳《タヾヒトヨノミ》、」
 
2079 戀日者、氣長物乎、今夜谷、 前には今だにとあるを紀を引て云如くこよひとのみ心得べし
 
令乏應哉《トモシムベシヤ》、可相物乎《アフベキモノヲ》、」 ともしきははじめにいふ如くたらまほしむべしやとこゝも云なり長くこふる折こそあれ今宵はしかあらじと云なりさて此歌もあふ事をよろこべる歌の意もてよめるなり
 
2080 織女之《タナバタノ》、 こは字は委しくて訓は略けるなり
 
今夜相奈婆《コヨヒアヒナバ》、如常《ツネノゴト》、明日乎阻而《アスヲヘダテヽ》、 あすよりの日をへだてゝと云を乎の一言に約たるなり
 
年者將長《トシハナガケン》、」 一年はながゝらんといふなり
 
2081 天漢、棚橋渡《タナバシワタセ》、織女之《タナバタノ》、伊渡左牟爾《イワタラサムニ》、伊は撥言左は世多萬波を約いふ則わたらせたまはんにとあかめ云なりこは橘の千蔭云
 
棚橋渡《タナバシワタセ》、」
 
2082 天漢、川|門《ト》八十有《ヤソアリ》、何爾可《イヅコニカ》、君之三船乎《キミガミフネヲ》、吾待將居《ワガマチヲラム》」 此八十は前の八十の舟津と云に同じ
 
2083 秋風乃、吹西日從、天漢、瀬爾|出立《イデタチテ》、待登告許曾、」 まつとつげよとねがふなり
 
2084 天漢、去年之渡湍《コゾノワタリセ》、有爾家里《アレニケリ》、 有は借字荒なり又考るに有は絶の草の手を見誤にて絶にけりなるべきかさば安らかなり
 
君將來《キミガキマサン》、道乃不知久《ミチノシラナク》、」 浪などのうち崩しわたり瀬なしとてよめるなりしらなくは禮を略き奴を延たるにてしられぬなり
 
2085 天漢、湍瀬爾白浪《セヾニシラナミ》、高雖《タカヽレド》、直《タヾ》渡來沼、待有苦三《マテバクルシミ》、」 浪のしづまらんほどをまつはくるしければ高浪をたゞ渡にわたり來ぬといふなり
 
2086 牽牛之、嬬喚《ツマトフ》舟之、引綱乃《ヒキツナノ》、將絶跡君乎《タエントキミヲ》、吾念勿國《ワガオモハナクニ》、」 引綱の如く絶んとは吾思ぬになり一本吾念の間に久有は之の誤なりさて吾之はわがとよむ例なり
 
2087 渡守《ワタリモリ》、舟出爲將去《フナデシニケム》、 今本去を出とするは誤しるければあらたむ
 
今夜|耳《ノミ》、相見而後者、不相《アハヌ》物可毛、」 歌の意は渡守ふなでしいなんよ今宵相見てのちあはぬものにあらざるとなり此歌は後の世後朝の戀といふ題の歌の意もて見よ
 
2088 吾隱有《ワガカクセル》、※[※[楫+戈]]棹無而《カヂサヲナクテ》、渡守《ワタリモリ》、舟將借八方《フネカサメヤモ》、 今本借を惜に誤る訓はよしなしよて字を改
 
須臾者有待《シハシハアリマテ》、」 さほかぢは吾かくし置ぬさをかぢなくては舟こぐよしのあらんやはしばしばかりのほどをまちてあれつかの間の名ごりをゝしまんのこゝろなり
 
2089 乾坤之《アメツチノ》、初時從《ハシメノトキユ》、天漢《アマツカハ》、射而居而《イムサヒヲリテ》、 射は發語のみ
 
一年丹、兩遍不遭《フタヽビアハヌ》、妻戀爾《ツマゴヒニ》、物念人《モノモフヒト》、 六言
 
天漢、安乃川原乃、有通《アリガヨフ》、歳乃渡丹《トシノワタリニ》、 今本歳を出出としてでゝのわたりとよみたれどしかいふ歌あるべからずこは歳の一字を出出と見誤つる事しるければ字も訓もあらたむ草の手よりの誤りこれにかぎらず有り
 
曾穗船乃《ソホブネノ》、 穗はをの如く唱ふ今本曾を具に誤れるなり具は濁音の字なり我朝に歌の始を濁る例なければ具にあらぬ事明なり
 
艫丹裳舳丹裳《トモニモヘニモ》、船装《フナヨソヒ》、眞梶|繁拔《シヾヌキ》、旗芒《ハタスヽキ》、 【芒はやごとなき御説にていとめでたければ擧つ】今本荒とありてはたあらしと訓せり字も訓もよしなし荒は芒の誤にて後の薄なりさて今本荒とあるは芒の草の手より畫のそはれるならん既唐にも薄をすゝきの意にとる事なく芒をすゝきとす
 
本葉裳曾世丹《モトハモソヨニ》、 今本曾を具に誤る事前の如くてもとはもぐせと訓たれど何のこゝろもなしこれ又誤しるければ字も訓もあらたむ
 
秋風乃、吹來夕丹《フキクルヨヒニ》、天川、白浪|凌《シヌギ》、落沸《オチタギチ》、速湍渉《ハヤセワタリテ》。稚草乃《ワカクサノ》、 冠辭
 
妻手枕迹《ツマデマカント》、大船乃、 冠辭
 
思憑而、※[手偏+旁]來等六《コギクラム》、其夫乃子我《ソノツマノコガ》、荒珠乃、 冠辭
 
年(ノ)緒|長《ナガク》、思來之《オモヒコシ》、戀將盡《コヒハツクサム》、 おもひますまゝに今宵こひをつくしますらんなり
 
七月《ハツアキノ》、 此集に外の月の名はあれどもふみ月はなしされどこゝはふみ月と訓むかしばらくはつあきとす
 
七日之夕者《ナヌカノヨヒハ》、吾毛悲焉《ワレモカナシキ》、」 今本烏とあるは焉の誤しるければ改此吾はよめる人の吾もかなしと云なりさて此かなしもはかなしき妹などの意にてめづる心をいふなり
 
 反歌
2090 狛錦《コマニシキ》、 冠辭
 
紐解易之《ヒモトキカハシ》、天人乃《ヒコボシノ》、こは國津人の天津人の妻ごひをしぬぶなれば彦星に天人の字をかりたるなり
 
妻問夕叙《ツマドフヨヒゾ》、吾裳將偲《ワレモシヌバム》、」 四の句までは二星の事をいひ末にはそを吾もしぬばんといふなり
 
2091 彦星之、川|瀬渡《セヲワタル》、左小舟乃《サヲブネノ》、 左は發語
 
得行而將泊《エユキテハテム》、 得行は疾《トク》行なり
 
河津石所念《カハヅシオモホユ》、」 【河津は湊なり石《シ》は助字なり(拾穗)】
 
2092 天地跡《アメツチト》、別之時從《ワカレシトキユ》、久方乃、 冠辭
 
天驗常《アマツシルシト》、定大王《サダメテシ》、 今本に弖大王とありておほきみのと訓しは何のことゝもなし弖は定の誤しるし大王をてしと訓は卷四の別記に委
 
天之河原爾《アメノカハラニ》、璞《アラタマノ》、 冠辭
 
月累而《ツキヲカサネテ》、妹爾相《イモニアフ》、時俟跡《トキヲシマツト》、 今本の訓助辭のおき所たがへり
 
立待爾《タチマツニ》、吾衣手爾、秋風之、吹反者《フキカヘラヘバ》、 良倍約禮にてかへればなり
 
立坐《タチヰスル》、 一本生と有は誤なり
 
多土伎乎|不知《シラニ》、 今本しらずと訓しはあしゝ
 
村肝(ノ)、 冠辭
 
心不欲《コヽロオボエズ》、 不欲は義訓なり欲はおほえ不欲《ホラザル》は心におぼえぬゆゑにかれるなり
 
解衣《トキヾヌノ》、 冠辭
 
思亂而、何時跡《イヅレカト》、吾待今夜《ワガマツコヨヒ》、此川《コノカハノ》、行行良良爾《ユクラユクラニ》、 今本に行長とありてゆきながくと訓るは句もたらず字訓ともによしなし歌もとほらすよりておもふに古本の草の手に行々良々とありしを古の重ね字のさまをしらで行長と改し誤か考るに行々良々なるべければ例によりて爾を補て字訓と句とあらためぬ
 
有得鴨《アリガテンカモ》、 此末の訓猶もおぼつかなけれど此川の頭に久しく待つゝあり堪んかと悲しさのあまりに待も堪じといふかとして改む反歌の末の歌にむかへてかくもあらんか
 
 反歌
2093 妹爾相《イモニアフ》、時片待跡《トキカタマツト》、 妹にあふ時のみを片待なり物になぞらへず待を片待不勝《カタマチカテヌ》と云を思へ
 
久方乃、 冠辭
 
天之漢原爾《アメノカハラニ》、月叙經來《ツキゾヘニケル》、」
 
2094 竿志鹿之《サヲシカノ》、心相念《コヽロアヒモフ》、秋芽子之《アキハギノ》、 萩は鹿の妻なるよしの云ならはしもてかくいふ
 
鐘禮零丹《シグレノフルニ》、落倶惜毛《チラマクヲシモ》、 【字彙鐘諸容切|章《シヨウ》鐘詔良切|章《シヨウ》兩字相通ヨウの反由なるを倶に通じしぐれと訓たるなり】今本に落僧とありてちりそふと訓るはいふにもたらぬ誤なり落倶とありしを僧に誤るならん次に散久惜裳と書しに同じ意なり
 
2095 夕去、野邊秋芽子、末若《ウラワカミ》、 今本すゑわかみと訓しは誤なりよりてあらたむ
 
露枯《ツユニシカレテ》、 梅の花雪爾志乎禮弖ともよめり今本の訓はよしなし
 
金待難《アキマチガタシ》、」 秋を時の意に用ひたるなり盛の時をまたずしをるゝといふなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2096 眞葛原、 はらのははわの如く唱
 
名引《ナビク》秋風、吹|毎《ゴトニ》、阿太乃大野之、芽|子《ギノ》花散、」 見るが如きありさまなり葛は葉ひろなればふく風の先みゆるもの故にかくよめるならん阿たの大野は(卷一)に云如く和名抄に大和國宇智郡阿陀とある是なり内(ノ)大野といふは宇知郡の野故なり
 
2097 鴈鳴之《カリガネノ》、來喧牟日及《キナカムヒマデ》、見乍將有《ミツヽアラム》、此芽子原爾、雨勿零根《アメナフリソネ》、」 歌の意明かなり
 
2098 奥山爾、住云男鹿《スムチフシカ》之、初夜不去《ヨヒサラズ》、 夜かれずと云に同じ
 
妻問芽子之、散久惜裳《チラマクヲシモ》、」 古へより萩を鹿の妻といひならはす事既云如くなれば其諺もてたゞちに萩を娶《ツマトヒ》するとよめるなり其花のちらんがをしとなりよりて問を言便にし努布と濁るべきなり
 
2099 白露乃、置卷惜《オカマクヲシモ》、秋芽子乎、折耳折而《ヲリノミヲリテ》、置哉枯《オキヤカラサム》、」 露にちらしてんか又折に折てからさんやと二つにわたる詞なりおきやのやの一言にて斯二つにわたる意のしらるゝなり
 
2100 秋田刈、借廬之宿《カリホノヤドリ》、爾穗經及《ニホフマデ》、 かりほのほもにほふのほもともにをの如く唱
 
咲有《サケル》秋芽子、雖見《ミレト》不飽香聞、」 此にほふは花の色のかり庵までもうつりはえるをいへり香の事にあらずこは歌にてしるべき辭なり
 
2101 吾衣《ワガコロモ》、 今本わがきぬをと訓しかどこは乎の助字なくてあらん
 
摺有者不在《スレルニハアラズ》、高松之《タカマツノ》、野邊行去者《ノベユキヌレバ》、 今本去を之に誤るなり假字なればかなの下に意を添て訓む例なき事前に云が如し仍て之は去の誤とするなり
 
芽子之|摺類曾《スレルゾ》、」
 
2102 此暮、秋風吹奴、白露爾、荒爭芽子之《アラソフバギノ》、 露は咲をもよほし花は含みゐんとするを久しといふ仍てあすさかんをまつなり眞木の葉はあらそひかねてといふに似たるを思へ
 
明日將咲見《アスサカムミム》、」
 
2103 秋|風《カゼハ》、冷成奴《スヽシクナリヌ》、馬並而《ウマナメテ》、去來於野行奈《イザノニユカナ》、芽子《ハギ》花見爾、」 歌の意明かなり
 
2104 朝※[日/木]《アサカホハ》、朝露負《アサツユオヒテ》、咲雖云《サクトイヘド》、暮陰社《ユフカゲニコソ》、咲益家禮《サキマサリケレ》、」 【眞淵は下の注の如く見たれど春の部に云如くこも※[日/木]は※[白/ハ]の誤として改むべし只下の歌多く草の朝貌なるによりてここも牽牛花の事とすべし今も時として槿牽牛花ともに夕景に咲もあり殊に秋の七草のうちにも朝貌あれば草の花と見るぞあるらめ猶委しく次々の卷にもいひ貌花の別記にもいふ】朝※[日/木]は槿花なり牽牛花にあらず詩經に※[日/木]々出日とあるを此字をかりて書けり槿花は昨日の花はひめもてありて夜になりて含み又朝ごとに新花の如く咲故に朝貌の名は負べしさて此歌にいふはその花夕景におもしろく見えつる時にふと斯もよむべし何の意あるにあらず
 
2105 春去者《ハルサレバ》、霞隱《カスミガクレテ》、不所見有師《ミエザリシ》、 春はそれとも見えぬを斯いふは歌のならはしなり
 
秋芽子|咲《サケリ》、折而|將挿頭《カザヽム》、」
 
2106 沙額田乃《サヌカタノ》、 大和國平群郡額田又河内近江にもあるか上の春部にも狹野方てふ下にもいへり沙は發語にて額田なりさて山田などを濁るはやまの田の乃を略ばなり出立る所にて人のひたいの如くあれば額《ヌカ》田と上下ともに體語にいひなせばもとより乃はそふべからず此田は清べし
 
野邊乃秋芽子、時有者《トキナレド》、 今本ときしあればと訓るはいかゞ者のてにをはの字有るに時有の間てにをはの假字なしさらばときなればと訓事定かならずや
 
今盛|有《ナリ》、折而將挿頭、」
 
2107 事更爾、衣者|不摺《スラジ》、佳人部爲《ヲミナヘシ》、咲野之芽子爾、 既いふ如く咲野の地に女郎花を冠するのみ
 
丹穗日而將居《ニホヒテヲラム》、」 おほく女郎花咲たる野に居らば其花のにほひうつりて花すり衣とならんからに別に衣はすらじとなり
 
2108 秋風者、急久《イタク》吹來、 今本に急之とある之は久の誤なりさて急久は疾の意にていたくと訓べしと覺ゆ今本にはやく吹けりと訓るは字も訓もてにをはもたがひしかも意もとほらず必誤しるければあらたむ
 
芽子花、落卷惜三、 句なり
 
競立見《キソヒタチミム》、」 今本終句に競竟とありておぼろ/\にと訓るは何ともなし契冲は立見ならんと見てあらそひたてぬと訓るは字はよく考たれど訓はいまだし助字たがひて聞ゆ字は契冲が見たる如く二字を一字に誤しならんよりてきそひたち見むと訓めり四の句はちらまくをしみとありこゝを句とすべしさて萩が花のちらじと風にあらそひたつを見んとよめりと見るべし
 
2109 我屋前之、芽子之|若末長《ワカナヘ》、 今本わかたちと訓るはさもあらんさて斯訓も義訓なればしなひとも義訓すべしされどふる木なりともかよはき物はしなふべしこをおもふに同じ義訓ならばわかなへとよむべしわかく末なかきはなへの意なるをおもへ(卷二)に葦若末乃足痛をあしなへのあしなへとよめるにあはせて見るべし
 
秋風之、吹南時爾、將開跡思乎《サカントモフヲ》、」 乎はよに通ふなり
 
2110 人皆者、芽子乎秋|云《トフ》、縱吾等《ヨシワレ》者、乎花|之《ガ》末乎《ウレヲ》、秋跡者|將言《イハム》、」 今本いなわれと訓るはよしなし卷二人者|縱《ヨシ》とも
 
2111 玉梓、公之使乃、手折|來有《コシ》、此秋芽子者、雖見不飽鹿裳、
 
2112 吾|屋前《ニハ》爾、開者《サケル》秋芽子、常有者《ツネナラバ》、我待人爾、令見猿《ミセマシ》物乎、」
 
2113 手寸十名相《タギソナヘ》、 【手寸十名相撰要抄云手寸は手の寸一寸なり是を十は一尺なれば一尺計の苗なり曾奈倍てふ言の本は曾は須於の約奈は奈良比奈良倍奈供奈米の奈なり(其奈は奈行云)よて須和里須爲須宇須惠と働言より約て須惠奈倍を約云言なれば曾奈比曾奈布とも曾奈倍ともいふべし】たぐりそなへなり倶利約妓なればなりそなへといふは秋の七草など取揃備へなどせしをいふならんたくりは野より引とり來て植しなるべしたげばぬれたがねばなどよみしたげに同じ辭なりさて相をへの假字にかりたるはあまきらへなどの類のへの假字に借れば同言所へに通せしか
 
殖之毛知久《ウヱシモシルク》、出見者《デヽミレバ》、屋前之早芽子《ニハノハツハギ》、咲爾家類香聞、」 今本殖之名とあるは名は毛の草の手の誤にてうゑしもしるくなり
 
2114 吾屋外爾《ワカヤトニ》、 こゝをやどゝ訓しもて前に屋前をにはと訓しを知れ
 
殖生有《ウヱオフシタル》、秋芽子乎、誰標刺《タレカシメサス》、吾爾不令知《ワレニシラセデ》、」 今本令を所に誤るは畫などのきえしならん訓によりて字をあらたむ此歌譬喩歌なりたゞの歌とおもひてこゝに取しかよりて例の少書とす
 
2115 手取者《テニトレバ》、袖并丹頬《ソデサヘニホフ》、 今本訓はとるべけれど假字は誤れり字は丹覆《ニホフ》とありて覆はおほふ也しかるに今本假字をふと有おほふををふとは訓べからず集中丹頬とありてにほふと訓りよりて字も假字もあらためぬ
 
美人部師《ヲミナヘシ》、此白露爾、散卷|惜《ヲシモ》、」
 
2116 白露爾、荒爭金手《アラソヒカネテ》、咲芽子《サケルハギ》、 前の歌は露は咲を催し花は含居んとすなるをあらそふといひ今は露を催しもよふされて花のたえず咲けるをあらそひかねてと云也
 
散惜兼《チラハヲシケム》、雨莫零根《アメナフリソネ》、」
 
2117 ※[女+感]嬬|等《ラニ》、 冠辭
 
行相乃速稻乎《ユキアヒノワセヲ》、 地名と云によるべしくはしく冠辭考云
 
苅時《カルトキニ》、成來下《ナリニケラシモ》、芽子花咲《ハギノハナサク》、」
 
2118 朝霧之、棚引小野之、芽子花《ハギノハナ》、今哉散濫《イマヤチルラム》、未厭爾《マタアカナクニ》、」 歌の言明かなり
 
2119 戀之久者、形見爾爲與登、吾背子我、殖之秋芽子、花咲爾家里、」
 
2120 秋|芽子《ハギニ》、戀不盡跡《コヒツクサジト》、雖念、思惠也安多良思《シヱヤアタラシ》、 あたらしはあたらをしてふ言を轉し約し言なりをしといふも同意なりくはしくは荒良言にいふしゑやは既にもいふ如くよしやに同じ
 
又將相八方《マタアハムヤモ》、」 戀は盡さじとはおもへど又來る秋ならでは萩の花盛にあはぬ物故よしや此花に戀つくさんといふなり
 
2121 秋風者、日異吹奴《ヒニケニフキヌ》、 日にけには既云如くひにことになりよて異は假字ならねば爾を添訓べし
 
高圓之《タカマドノ》、野邊之《ノベノ》秋芽子、散卷惜裳、」
 
2122 丈夫之、心者|無而《ナシニ》、 紀妍哉此云阿奈而惠夜とあるによれる歟
 
秋芽子之、 之の下に如を入て心得べし萩の如くしなひうらぶれ戀てなり
 
戀耳八方《コヒニノミヤモ》、奈積而有南《ナヅミテアラナム》、」 ありなんやもといふにあたる此歌は相聞なるをたゞの歌とおもひてこゝにいれしならんよりて例の小書す
 
2123 吾待之、秋者|來奴《キタリヌ》、雖然、芽子之花|曾《ゾ》毛、 此毛はかるく見るべしてにをはに入たるのみ
 
未開家類《マダサカズケル》、」
 
2124 欲見《ミマクホリ》、吾待戀之《ワガマチコヒシ》、秋芽子者、枝毛思美三荷《エダモシミミニ》、 しみゝはしみ/\にてしげき意なり
 
花開二|家里《ケリ》、」
 
2125 春日野之、芽子落有《ハギシチリナバ》、朝東《アサゴチノ》、風爾|副而《タグエテ》、 此《コチ》の智《チ》に風の言はあれど級戸《シナト》の風あらしの風とも云如く重ねたるなるべし
 
此間爾落來根《コヽニチリコネ》、」
 
2126 秋芽子者、於鴈不相常《カリニアハシト》、言有者香《イヘレハカ》、 一云言有可聞
 
言乎聞而者《コヱヲキヽテハ》、花爾散去流《ハナニチリヌル》、」 上にも花に散とてあだなる意によめるをあだにといふ意とも見ゆれどかるく花にちるとのみ見るぞ古意ならん 
2127 秋去者、妹令視跡《イモニミセムト》、殖之芽子、露霜|負而《オヒテ》、 今本露を霧に誤る一本によりてあらたむ
 
散來《チリニケル》毳、」
 
2128 秋風爾、山跡部越《ヤマトヘコユル》、 こは今いふ國の大和ならでかの大名なる大和の郷をさして云なり部はへの假字に用るのみ
 
鴈鳴者《カリガネハ》、射失遠放《イヤトホザカル》、雲隱筒《クモガクリツヽ》、」 此下に上は同くして四の句聲とほざかるとあり此二句はそれによりて誤れるなりよりてあらたむ
 
2129 明闇之《アケグレノ》、 あけぐれと濁るはあけくれといへば朝夕の事となるこはあけの碁の乃を略けば具と濁るなり明てまだ暮の如くらきを云
 
朝霧隱《アサギリガクリ》、 りはれに通既出、
 
鳴而去《ナキテユク》、雁者吾戀、 今本吾を言に誤一本によりて改
 
於妹告社《イモニツゲコソ》、」
 
2130 吾屋戸爾、鳴之雁哭《ナキシカリガネ》、雲上爾《クモノヘニ》、今夜喧成《コヨヒナクナリ》、國方可聞遊群《クニヘカモユク》、」 國方は國へかも行とへをえの如く半濁に唱ふべし國郡へかも行のへを略しなり且今本末の句の終の二字を左へよせ端詞の如く書るはいかなる亂本もてかくはなしけんさて此はなち書しを僻がことゝ見とがむる人のあらざりけんあまつさへに國方可聞をくにつかたかもとよめるはわらふべし
 
2131 左小牡鹿之《サヲシカノ》、 左は發語牡鹿之中臣の祓に今いふ俗説は誤りなり
 
妻問時爾《ツマドフトキニ》、月乎吉三《ツキヲヨミ》、切木四之泣《カリガネ》、 【折木四哭之奥人今本を案るに折不四喪とありてをりふしもと訓めり】
 
所聞《キコユ》、 切木四を雁に借たるは幹《ミキ》蘖《ヒコバエ》枝葉《エダハ》の四つを一手に切は鎌もて苅り取るなりこは例の戯書なり(卷十五)に諸王諸臣散2禁授刀寮1時の長歌の中に折木四哭之と有もかりがねと訓べし
 
今時來等霜《イマシクラシモ》、」
 
2132 天雲之、 冠辭
 
外雁鳴《ヨソニカリカネ》、從聞之《キヽシヨリ》、薄垂霜零《ハタレシモフリ》、 【奥人云霜は借字といひはたれは雪なりといふはともに誤なりはたれは班てふ言にて班霜班雪はうすらにふれるを云班とばかりいひては雪の事ならず此下冬相聞に小竹葉に薄太禮零覆とも有も雪を省てはたれとのみいひしなり霜は借字志は助字毛はそへていふのみ】
 
寒此夜《サムキコノヨ》者、」 はたれは雪なり一云彌益々爾戀許曾|増《マサレ》焉、 天雲はよそといはん冠辭のみめづらしみもせずよそに聞なる頃ははたれふりて此夜のさむきとよめるのみ一本の方はあしゝ又今本にさむし此夜とあるはてにをはたがへりさて此歌冬の歌にしてしかも一本をもて見れば相聞の歌なりいづれにても此部にあるべきならねば例の小書とす
 
2133 秋田《アキノタノ》、吾苅婆可能《ワガカリハカノ》、 苅婆可は卷十三十六にも有婆は言便の濁をしらせて濁言の字を用ゆ
 
退去者《スギヌレバ》、 苅ばかの過るとは幾計《イクバカリ》多く苅してふ事をいふ俗にはかの行しといふ是なり
 
鴈之|喧《ネ》所聞《キコユ》、冬方設而《フユカタマケテ》、」 設は向てなり牟加約麻なり計は幾に通ひ幾は伊比に通即牟加比なり義を延れば加比となりむかひてともいはるゝなり
 
2134 葦邊在《アシベナル》、荻之葉左夜藝《ヲギノハサヤギ》、秋風之、吹來苗丹、雁鳴渡、」 (卷六)に「いもなるがつかふかはづの佐佐良乎疑あしとひとことかたりよらしも」てふも蘆と荻とをよめり一本秋風爾雁音|所聞《キコユ》今四|來霜《クラシモ》こは上のさやぎと云にはかなはず
 
2135 押照《オシテル》、 四言冠辭今本おしてるやとよめるは何の言ともなし
 
難波|穿江之《ホリエノ》、蘆邊者《アシベニハ》、雁宿有疑《カリヤドレルカ》、 今本かりねたるかもと訓るはわらふべし
 
霜乃零爾《シモノフラクニ》、」
 
2136 秋風爾、山飛|越《コユル》、雁鳴之、聲遠離《コヱトホザカル》、雲隱良思《クモカクルラシ》、」 上に似たる歌ありそこにも云
 
2137 朝爾往《ツトニユク》、 はつときを略てつとゝいふなり
 
雁之鳴|音《ネ》者、如吾、物念可毛、聲之|悲《カナシキ》、」
 
2138 多頭我鳴乃《タツガネノ》、 鶴《タツ》が群《ムレ》をつゞめ云|音《ネ》にあらず下の鴈鳴もかりがむれの意なればなり
 
今朝鳴奈倍爾《ケサナクナヘニ》、 是もさむき頃鳴なりなへは並《ナミ》にてふ言にて集中に多く有皆二つの物をならべあげていへり古今集に「いなおふ世鳥の鳴なべに今朝吹風に鴈は來にけり」といふは定かなりさればそもゝとは此歌又下の多頭我鳴乃云云の歌などとりてよみけん此卷に此辭を共とも從とも書し有もて鳴つゝ共にと心得べし
 
雁鳴者《カリガネハ》、 かりがねはかりがめなりめは群《ムレ》なり牟禮約米なるを禰に通はして鴈がねとは言なり
 
何處指香《イヅコサシテカ》、雲|隱《カクル》良武、」 今本武を哉に誤れり
 
2139 野干玉之、 冠辭
 
夜度雁者、欝、幾夜乎歴而鹿、 夜毎に何處ともなく鳴わたるといふ歟、
 
己名乎告《オノガナヲノル》、」 今本吾をよぶと訓しはいまだし後の物ながら後撰に「行かへりこゝもかしこも旅なれやくる秋毎にかり/\となく」とよみしは今に似たり
 
2140 璞《アラタマノ》、年之經往者、阿跡念登《アトモフト》、 阿跡念の阿は奈に通ひて何《ナ》ともふとなり東歌になぜあぜと云に同じ又思ふに阿は何の誤歟さらばいとあきらかなり
 
夜渡吾乎、 雁になりてよめるなり
 
問人哉誰《トフヒトヤタレ》、」 年久しくして友も少なきも友を求と夜渡るを問人はたれと云か問べき人もなきよしにて問人や誰とはよめり右の歌に和るならん
 
2141 比日之《コノゴロノ》、秋朝開爾《アキノアサゲニ》、 朝開とは書れどこも朝かげなり
 
霧隱《キリカクリ》、妻呼|雄鹿之《シカノ》、 今本の假字はたがはねど雄をぶにあてゝよめるはたがへりよぶは呼の一字にてたれり妻よぶとあれば雄鹿をしかとのみ訓べし
 
音之亮左《コヱノサヤケサ》、」 今本亮をはるけさと訓れど集中亮清など皆さやけきと訓り
 
2142 左男牡鹿《サヲシカ》之、妻整登《ツマトヽノフト》、 整は將求の草を見誤て一字にせしかと云説もあれどしからず刀登乃布は刀は手乎の約登は多呂の約にて手を足《タラ》はすてふ意なり(卷十四)に網子とゝのふとあるも網引手をたらはすを云こゝも妻となさん手をたらはすなり諸成此言を考得れば云なり【網引は手をたらはすといふべしこゝの弖乎はたけの約弖と見れば妻とせんたけをたらはすとも見るべし】
 
鳴音之、將至極《イタラムキハミ》、 今本かぎりと訓るはあまりにいまだし
 
靡芽子原《ナビケハギハラ》、」
 
2143 於君戀《キミニコヒ》、裏觸居者、敷野之《シキノノ》、 大和國磯城郡ならん
 
秋芳子凌《アキハキシヌギ》、 しぬぎは既いふ如く雪霰にまれ分入るを云
 
左牡鹿鳴裳、」
 
2144 鴈來《カリハキニ》、芽子者|散跡《チリヌト》、左小鹿之、鳴成音毛《ナクナルコヱモ》、裏觸丹來《ウラブレニケリ》、」 既にいふ如く宇良約和夫利約備なりよりて延ればうらぶりともうらぶれともなり約ればわびとなるなりいづこにても此言同じ
 
2145 秋芽子之、戀裳不盡者《コヒモツキネバ》、 つきぬにの意なり
 
左小鹿之、聲伊續伊繼《コヱイツギイツギ》、 伊は發語つぎつぎなり
 
戀許曾益焉、」 さをしかの戀つきぬ聲の如く吾泣聲のつぎ/\こひまさるとたとへたりこも相聞の喩歌の紛入しなり
 
2146 山近《ヤマチカク》、家哉可居、 家してやをるべき居るまじきといへるなり
 
左小牡鹿乃、音乎聞乍、宿不勝《イネガテヌカモ》鴨、」
 
2147 山|邊爾《ベニ》、射去薩雄者《イユクサツヲハ》、 射は發語にて行なり薩は借字にて幸男なり山の幸ある人にて狩人なり
 
雖大有《オホカレド》、山爾文野爾文、 今本やまにせのにせとはいかに見たるにかやすらかによまるゝものを
 
沙小牡鹿鳴母、」 さつをは多くあれど野山にも又鹿の多鳴と云
 
2148 足日木|※[竹冠/矢]《ノ》、 冠辭
 
山從來世波《ヤマユキタリセバ》、 吾により來らばの意
 
左小鹿之、妻|呼音《ヨブコヱヲ》、聞益物乎《キカマシモノヲ》、」 山路より來りもせば鹿の妻よぶ聲をきかんものをとなり
 
2149 山邊庭、薩雄乃禰良比、恐跡《カシコケド》、 今本おそるれどゝあり
 
小牡鹿鳴|成《ナリ》、妻之|眼乎欲焉《メヲホリ》、」 既いふ如く上つ世には見る事を目といへるぞ多きこも鹿の妻の顔を見ん事をもとむるとなり
 
2150 秋芽子之、散去見《チリユクミレバ》、 鹿の見るなり
 
欝三《オボヽシミ》、 萩の花を鹿の妻と云よりおぼつかなく思といふなり今本いぶかしみとよめるは誤なり例依てあらたむ
 
妻戀爲良思、棹牡鹿鳴母、」
 
2151 山|遠《トホキ》、京爾之有者《ミヤコニシアレバ》、 今本京をさとゝ訓しはいかゞ歌の意もとほらずよて改
 
狹小牡鹿之、妻呼音者、乏毛有香、」 山遠ければ京にて聲のかすかにあれば聞たらまほしめづらしまるゝなり
 
2152 秋芽子之、散過去者《チリスギヌレバ》、 今本にゆけばと訓るば誤れりぬればとよみてあらん
 
左小牡鹿者、和備|鳴《ナキ》將爲名《セムナ》、不見者乏焉《ミネバトモシミ》、」 此下三四首皆萩の花を妻といふ意もてつゞけり
 
2153 秋芽子之、咲有野邊者《サキタルノベハ》、 今本さけるのべにはとあるはいまだし
 
左小牡鹿|曾《ソ》、露乎別乍、嬬問四家類《ツマドヒシケル》、」
 
2154 奈何《ナゾ》牡鹿之、和備鳴|爲成《スナル》、蓋毛《ケダシクモ》、秋野之芽子也、繁將落《シヾニチルラン》、」 今本しげくとあるもきこえぬにあらねどすべてのしらべによるにしかはあらじ
 
2155 秋芽子之、開有野邊《サキタルノベノ》、 今本のへにと訓るは助詞たがへり
 
左牡鹿者、落卷惜見、鳴|去《ユク》物乎、」
 
2156 足日木乃、山之跡陰爾《ヤマノトカゲニ》、 跡陰は常影とも書たれど共に借字にて本陰の意なり本は木の事なり山のふもとゝいふも生本の意にて木は繁く生る所の名なり紀の歌にもとごとに花は咲ともとあるも木毎になりしかれば木かげに鳴鹿としるべしかり字になづむ事なかれ
 
鳴鹿之、聲|聞爲八方《キカズヤモ》、 加須の約くきくやなり
 
山田|守《・モラ》酢兒《スゴ・スコ》、」 (卷二)に云如く須は志豆の約の濁なればずと濁るべきを初言濁らぬ例故下にめくらして兒を濁る
 
2157 暮影《ユフカゲニ》、來鳴日晩|之《シ》、幾許《コヽダクニ》、 既にいふ如くそこばくこゝばくと云如おほくの事なり今本こゝだくのと云はあしし
 
毎日|聞跡《キケド》、不足《アカヌ》、音可聞、」
 
2158 秋風之、寒吹奈倍《サムクフクナヘ》、 秋風のいとさむきに蟋蟀の聲床ちかく鳴は秋の霜夜のさむさ身にしむばかりきかる、故既いふ如くなへは共の意にて物二つならへかぬるにてもきり/\すにあらでこほろぎなるをおもへ下にも別記にも云
 
吾屋前之、淺茅|之《ガ》本《モトニ》、蟋蟀鳴毛《コホロギナクモ》、」 蟋蟀を今本にきりぎりすと訓はいと誤なり和名抄に蟋蟀一名蛬(木里木里須)とあるは中世より名をまがひたるなるべし順ぬしなど萬葉を訓ぜし時誤て蟋蟀をきり/”\すと訓しにや後京極殿「きり/”\す鳴や霜夜のさむしろに」とよみ給へるもいと寒秋の霜夜には九月にも床ちかく鳴ものなるゆゑ霜夜のさむきをさむしろにいひかけたまへるなりこは聞なれし歌故いふなり其外萬葉に霜夜によみし歌あげてかぞふべからず今きり/”\すてふ虫はいとあつき夏の日に鳴虫にて秋の半には其こゑもなき虫なり毛詩に七月在野八月在宇九月在戸十月入我床下とありされどそは大樣をいへりいとさむき時は九月床ちかく鳴事右にいへるごとし此もの必こほろぎと訓べし委き眞淵考は別記に在り
 
2159 草影乃《カゲクサノ》、 物陰に生る草をかげ草といふのみ
 
生有《オヒタル》屋外之、暮陰爾、鳴|蟋蟀《コホロギ》者、雖聞不足可聞、」
 
2160 庭草爾、村雨落而、蟋蟀之、鳴音聞者、秋付爾家里、」 草も色付蟋蟀も鳴ばかり秋になると云
 
2161 三吉野乃、石本不避《イハモトサラズ》、鳴川津、諾文鳴來《ウベモナキケリ》、河乎淨《カハヲサヤケミ》、」 河音のさやけくも有て蝦の鳴をうべといふ是を古へ秋の物とせしなりこゝのみならず秋の歌によめる類有
 
2162 神名火之《カミナビノ》、山下動《ヤマモトドヨミ》、 今本に山したとあるもあしからねどもとゝあらん
 
去水丹、川津鳴成、秋登|將云鳥屋《イハムトヤ》、」 秋といはんとて蝦のなくといふなり
 
2163 草枕、 冠辭
 
客爾物念《タビニモノモフ》、吾聞者《ワガキケバ》、 此吾聞ばの者は旅にいたづきたるわかとかゝるなり後なれど鎌倉の右のまちきみの「箱根路を吾越くれば云云」とつゞけ給へること同じ
 
夕片設而《ユフカタマケテ》、 設は向てなり既にも出
 
鳴川津可聞、」
 
2164 瀬乎速見、落當知足《オチタギチタル》、 足は借にて而有なり弖阿約多なり
 
白浪爾、川津鳴奈里、朝夕毎《アサヨヒゴトニ》、」
 
2165 上《カミ》瀬爾、河津妻呼、暮去者、衣手寒三、 衣手の手は多計約衣が丈《タケ》なり
 
妻將枕跡香《ツマヽカムトカ》、」 吾はださむきに妻を思ふにつけて蝦の鳴もさあるかと吾を押てかれをおもふなるべし
 
2166 妹手乎、 冠辭
 
取石池之《トロシノイケノ》、 和泉國に有其土人とろすと云といへり
 
浪間從、鳥音《トリガネ》、 今本鳥音異鳴秋過良之
 
異爾鳴《ケニナク》、 水鳥なり此鳥か音の音も借字鳥群なる事既にいふむれゐる水鳥の秋のくれていとさむければ殊更に鳴を異に鳴と云
 
秋|過良之《スギヌラシ》、」
 
2167 秋野之、草花我末《ヲバナガスヱニ》、鳴|百舌鳥《モズノ》、 今本に舌百鳥とかけりかくもあらゝかにかけるにて誤字有を思へ
 
音聞濫香、片聞吾妹《カタキクワギモ》、」 是はたゞ秋の相聞の歌のまぎれてこゝに入たるなりよりて既にいふ如く小書とす歌意はもずの鳴音を聞らんかといふまでにてさて其おもひやるはわが片聞て戀おもふ妹なればそをそへてよめるなり
 
2168 冷芽子丹《アキハギニ》、置《オケル》白露、朝朝《アサナサナ》、珠斗曾見流《タマトゾミユル》、置白露、」 こともなく安らかなる歌なり
 
2169 暮立之《ユフダチノ》、雨落毎、 一云打零者又(卷十六)に此一本の同歌あり
 
春日野野之、尾花|之《ガ》上乃《ウヘノ》、白露|所念《オモホユ》、」
 
2170 秋芽子之、枝毛|十尾丹《トヲヽニ》、露霜置《ツユシモオキ》、寒毛時者《サムクモトキハ》、成爾《ナリニ》家類可聞、」  時をよくいひかなへたり
 
2171 白露與、秋芽子者《アキノハギトハ》、戀亂《コヒミダル》、 愛するを云なり
 
別事難《ワクコトカタキ》、吾情可聞《ワガコヽロカモ》、」
 
2172 吾屋戸之、麻花押靡、置露爾、手觸|吾妹兒《ワギモコ》、 手ふれよ吾妹よといふなり
 
落卷毛|將見《ミム》、」 妹が手ふれておちんをも見ばやの意なり
 
2173 白露乎、取者可消《トラバケヌベシ》、去來子等《イサコドモ》、露爾|爭而《キソヒテ》、 露も今を時と置なりよりてきそふといふなり
 
芽子|之《ノ》遊將爲《アソビセム》、」
 
2174 秋田|苅《カル》、 秋の田の稻をかりとらんとて假庵をまうけて守るなりさて秋田苅かりほと同辭別言に重たるなり
 
借廬乎作《カリホヲツクリ》、吾居者、衣手寒、露置爾家留、」 秋の夜寒の比かり廬に居れば夜ふけ行まゝに寒さ身にしめるありさまよくとりなしたる歌なり
 
2175 日來之《コノゴロノ》、秋風|寒《サムミ》、芽子之花、令散白露《チラスシラツユ》、置爾來下《オキニケラシモ》、」 意かくるゝ事なし
 
2176 秋田苅、苫手搖奈利《トマデウゴクナリ》、 苫手は既衣手にいへる如く苫丈《トマダケ》なり惜廬をふける苫の風に動くを然いふ帆手綱手の手も其物の丈を云なり
 
白露者、置穗田無跡《オクホダナシト》、告爾來良思《ツゲニキヌラシ》、」 一本告爾來良思毛さて露は穗をかりとりたれば白露の我置所なしと此借廬へつけ來つゝ此苫手をうごかすならんといふ此うごくはもと風なれどをさなくよめるなり又おもふに苫手の二字は菴の一字を誤るかさらば菴うごくなりと訓べし又苫の一字庵にて手は毛の誤とせばいほもうこくなりか猶始の説によるべし
 
2177 春者毛要、夏者|緑丹《ミドリニ》、紅之《クレナヰノ》、綵色爾所見《ニシキニミユル》、秋山可聞《アキノヤマカモ》、」 春はもえ出て見るかひあり夏はみどりのめづべく秋はくれなゐにほふ錦と見ゆるとなり綵はいろどるといふ字にてやがて赤色をいふ色もかり字にてしきとはしみ込をいふなり即しげきをしみ、しきといふも同じよりて綵色とも假字にて丹染《ニシム》の意にて歌の意は錦に見ゆる秋の山といふなり
 
2178 妻隱、 冠辭
 
矢野《ヤノヽ》神山、 【矢野神山伊勢播磨備後】
 
露霜爾、爾寶比始《ニホヒソメタリ》、 既にも云如くにほひはいにしへは餘光をいへる事此歌などにて明らかなり
 
散|卷惜《マクヲシモ》、」 今本末ををしもと訓るは助字の置所違り【今本末を毛と訓るは助字の置所違へりといへれど此下に本葉之黄葉落卷惜裳とも有ればこゝも今本のまゝにをしもといひても助字違へりとは云べからず奥人】
 
2179 朝露爾、染始《ニホヒソメタル》、秋山爾《アキヤマニ》、鍾禮莫零《シグレナフリソ》、在渡金《アリワタルガネ》、 二の句今本そめはじめたると訓るはいまだし末の金はがにと同じ
 
右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出 歌も集中の書體にひとしく見ゆれば既にもいふ如くすてず
 
2180 九月乃《ナガツキノ》、鍾禮《シグレ》乃雨丹、沾通《ヌレトホリ》、春日之山者、色付丹來、」 いにしへは九月にも時雨をよめり
 
2181 鴈鳴之、寒朝開之《サムキアサゲノ》、露有之《ツユナラシ》、春日山乎、令黄物者《モミダスモノハ》、」 もみぢてふことは(卷一)考同別記にくはしくする如くまそほみ出る葉てふ言なり此末の句の訓もふるく傳りし訓ならん
 
2182 比日之、曉露丹《アカツキヅユニ》、 あかつきの露の乃をはぶけばつゆを濁なり
 
吾屋前之、 屋前を今本にやどゝ訓しは誤なるよし既にいへり
 
芽子乃、下葉者、色付爾家里、」
 
2183 雁鳴者、今者來鳴|沼《ヌ》、吾待之《ワガマチシ》、黄葉早繼《モミヂハヤツゲ》、 つゞきてはやもみぢせよと云なり
 
待者辛苦母《マテバクルシモ》、」
 
2184 秋山乎、謹人懸勿《ユメヒトカクナ》、 秋山の事をゆめ人の言にかけていひ出す事なかれわすれたりし物を人言にかくれば思ひ出らるゝにとなり(卷八)の挽歌に「あきつ野を人のかくれば」といふも同じきなり
 
忘西《ワスレニシ》、其黄葉乃《ソノモミヂバノ》、所念君《オモホユラクニ》、」 今本こをおもほゆるきみとよみしはわらふべし
 
2185 大坂乎、吾越來者、二上爾《フタガミニ》、 二上大和國葛城上郡にあり
 
黄葉流《モミヂバナガル》、 ちるを流るゝといふ例おほし
 
志具禮零乍、」
 
2186 秋去者、置白露爾、吾門乃、淺茅|何《ガ》浦葉《ウラバ》、 浦葉は借字にて末なりうれに同じ言を通はす
 
色付爾家里、」
 
2187 妹之袖、 冠辭
 
卷來乃山之《マキヽヤマノ》、 筑前大宰府歌の中に城《キ》の山道と有
 
朝露爾、仁寶布黄葉|之《ノ》、散卷惜裳、」
 
2188 黄葉之、丹穗日者|繁《シゲシ》、 木々の多きをいふ
 
然鞆、妻梨木乎《ツマナシノキヲ》、 如妻《ツマナス》の意にていふか此もみぢのくれなゐのにほひやかなるもておほくもみちはあれど妻てふ言をとりてかくはよめるならん妻梨てふ木あるにあらで唐衣きなしなどのいひなしなり
 
手折可|佐寒《ヾサム》、」
 
2189 露霜乃、 今本乃を聞と有は誤なり
 
寒夕之、秋風丹、黄葉爾來毛《モミチニケリモ》、妻梨之木者、」 こもつまとしもいふからに色に出るてふをふくみてよめる歟
 
2190 吾門之、淺茅色|就《ヅク》、吉魚張能《ヨナバリノ》、 紀(持統)十月乙亥幸菟田吉隱丙辰至自吉隱と見ゆ式(延喜)には城上郡陵と有なみしばの野もそこに有べし今もよなばりてふ所初瀬山の背に有今本ふなばりと訓しは誤りなり
 
浪柴乃野之《ナミシバノヽノ》、 浪はかり字並司馬野ともいふ歟
 
黄葉散良|新《シ》、」
 
2191 雁之鳴乎、聞鶴奈倍爾《キヽツルナベニ》、高松之《タカマトノ》、野上之草曾《ノヽヘノクサゾ》、 野のへはうへの略
 
色付爾家留、」
 
2192 吾背兒我、白細衣《シロタヘゴロモ》、往觸者《ユキフラバ》、 行ふれなばといふなり
 
應染毛《ウツリヌベクモ》、黄變山可聞《モミヅヤマカモ》、」
 
2193 秋風之、日異爾吹者《ヒニケニフケバ》、 爾は例によりて補既いふが如し
 
水莖能《ミヅクキノ》、 【水莖の岡湊は太宰府より今道拾七八里ほとの海中にさし出たる地なりこは紀(仲哀)に岡縣といひ和名抄に遠賀郷と有を古誤て御牧郡と云しを諸國地名は古に復すべきよし台命ありし時より又遠賀郡とよべり今俗に誤てをんがの郡といふ岡の湊は其郡のうちなり今は蘆屋と呼り水門の邊に大倉生菟夫良媛の社あり紀(仲哀)に見えたり神武の大御舟繋しは此水川なり仲哀天皇の香椎宮にうつらしゝも此水川なり秀吉も皇居の例を追ひてこゝよりあがり給ひ今の世巡見使も此水川より筑紫に入るてふ蘆屋もこゝなりと諸成か友の筑紫人ぞいへりける】後世水莖の岡を近江にありといふはひが事なり紀(仲哀)を始集中におほく(卷十五)師の旅人卿の水莖の水城の上とよめるも筑前なればこゝも同所とすべし古今歌集にも水莖をかとて歌有近江風は別なり
 
岡之木葉毛、色付爾家里、」 次のひらに同じ歌有ていささか異なり
 
2194 雁鳴乃、來鳴之共《キナキシナベニ》、 今本きなきしともにと訓りなべとよむべし
 
韓衣《カラゴロモ》、 冠辭
 
裁田之《タツタノ》山者、 裁田は借字立田なりから衣裁といはんのみなり
 
黄始有《モミヂソメタリ》、」
 
2195 鴈之|鳴《ネノ》、聲聞笛荷、明日從者、借香能山者、黄始南《モミヂソメナム》、」 意明かなり
 
2196 四具禮能雨《シグレノアメ》、 六言
 
無間之《マナクシ》零者、眞木(ノ)葉毛、 既にもいふ如く古へ眞木とは專ら檜を云
 
爭不勝而《アラソヒカネテ》、色付爾家里、」 去年の葉皆此ころ色づく物なるを然云
 
2197 灼然《イチジロク》、四具禮乃雨者、零《フラ》勿國、大|城山者《キノヤマハ》、 大城の山は筑前國御笠郡大野山の頂にありといふ
 
色付爾家里、」
 
2198 風吹者、黄葉散乍、小雲《シバラクモ》、吾松原《ワガマツバラハ》、 我山我岡ともよめるによらん歟
 
清在莫國《キヨカラナクニ》、」 朝きよめなど云をおもふに落葉にて清からぬをいふ
 
2199 物念《モノモフト》、隱座而《カクレニヲリテ》、今日見者、春日(ノ)山者、色就爾家里、」 物おもひてしばし見ぬうちになり
 
2200 九月《ナガツキノ》、白露|負而《オヒテ》、足日木乃、 冠辭
 
山之將黄變《ヤマノモミヂム》、見幕下吉《ミマクシモヨシ》、」 見むもよしなり
 
2201 妹許跡《イモガリト》、馬鞍置而、射駒《イコマ》山、撃越來《ウチコエクレ》者、紅葉散筒、」 集中紅葉と書しはこゝのみなり專黄葉と書りたま/\紅葉とあるをおもふに此紅葉は後をおもひて書人のわざか
 
2202 黄葉爲、時爾成良之、月人《ツキビトノ》、楓枝乃《カツラノエダノ》、色付見者、」 月の照まさるを見れば世はやもみぢする時になりぬらんとなり
 
2203 里異爾《サトニケニ》、 爾は例によりて補へり
 
霜者置良之、高松能、 今本に野とあれど訓を假字に用る例にも違ひぬ野を乃假字に用る事なしもしくは能を誤れるかとしてあらためつ
 
山司《ヤマノツカサ》之、 野にも山にも少し高き所をいふなり
 
色付見者、」
 
2204 秋風之、日異爾吹者《ヒニケニフケバ》、 爾を補ふ事既いふ
 
露重、芽子之下葉者、色付來《イロツキニケリ》、」
 
2205 秋芽子乃、下葉赤《シタバモミヂヌ》、荒玉乃、 冠辭
 
月之歴去者《ツキノヘヌレバ》、風疾鴨《カゼヲイタミカモ》、」
 
2206 眞十鏡、 冠辭
 
見名淵山者《ミナブチヤマハ》、 大和國にあり
 
今日鴨《ケフモカモ》、白露|置而《オキテ》、黄葉將散《モミヂチルラム》、」
 
2207 吾屋戸之、淺茅色付、吉魚張之《ヨナバリノ》、 既出
 
夏身之上爾《ナツミノウヘニ》、 吉野に有とは別なりかた/\に此名は有
 
四具禮|零疑《フルカモ》、」
 
2208 雁鳴之、寒鳴從《サムクナキシユ》、水莖之、 既出
 
岡乃葛葉者、色付爾來、」
 
2209 秋芽子之、下葉乃黄葉、於花繼《ハナニツゲ》、時過去者《トキスギユカバ》、 今本過ゆけばとあるは末の句にかけあはずよりて改
 
後將戀鴨、」 此歌はぎの花もちり其下葉のもみぢもちりぬる時は今をこひんとなり
 
2210 明日香河、黄葉流、葛木(ノ)、山之木葉者、今之散疑、」 伊勢の本居の宣長がいふかづらきの木の葉飛鳥川へ流れん事いかゞたゞおもひやれるかとおもふに今の飛鳥川はみなぶち川のながれならんされど古へかつら木の方の水も落合まじきにあらず高鴨は葛城なり下つ鴨の邊の川飛鳥川へ行ふれしか
 
2211 妹之紐、 旅立には夫の紐を妹の結てたゝす物なればいふなり
 
解登結而《トクトムスビテ》、立田山、 解と結て立となりとくかとすればむすびて寐もあへずと言なり
 
今許曾黄葉、始而有家禮《ハジメタリケレ》、」
 
2212 雁鳴之、喧之從《サワゲリシヨリ》、春日|有《ナル》、三笠(ノ)山者、色付丹家里、」 意明なり
 
2213 比者之、五更霹爾、吾屋戸乃、秋之芽子原、色付爾家里、」 此歌に似たる歌上にも有同じ案歟同歌の變歟
 
2214 夕去者、雁之越往《カリノコエユク》、龍田山、四具禮爾|競《キソヒ》、色付爾家里、」 意明なり
 
2215 左夜深而、四具禮|勿零《ナフリソ》、秋芽子之、本葉之黄葉《モトハノモミヂ》、落卷惜裳、」 又同じ
 
2216 古郷之、始黄葉乎《ハツモミヂバヲ》、手折|以而《モテ》、今日曾吾來《ケフゾワガコシ》、 今本わがくると訓しは誤なり上下かけあはず
 
不見《ミヌ》人之爲、」
 
2217 君之家乃《キミガイヘノ》、黄葉早《モミヂバハヤク》、落之者《チリニシハ》、四具禮乃雨爾、所沾良之《ヌレニケラシ》母、 此歌字いと亂たり一本をもて補ひたゞせり今本初句君之家乃之黄葉早者落《五一二三六四》とありて訓もともに誤れり
 
2218 一年《ヒトヽセニ》、二遍不行《フタヽビユカヌ》、秋山乎《アキヤマヲ》、情爾不飽《コヽロニアカズ》、過之鶴鴨《スグシツルカモ》、」 今本にすごしと訓るは平言なりよりて改む
 
2219 足曳之、 冠辭
 
山田|佃子《ツクルコ》、不秀友《ヒデズトモ》、 穗に不出ともなり
 
繩谷延與《ヒタダニハヘヨ》、守登知金《モルトシルカネ》、」 此歌は相聞譬喩歌なり
 
2220 左小牡鹿之《サヲシカノ》、妻喚山之《ツマトフヤマノ》、 今本よぶと訓しはいまだしよて改む
 
岳邊在《ヲカベナル》、早田者不苅《ワサダハカラシ》、霜者雖零、」 右に同じ
 
2221 我門爾、禁田乎《モルタヲ》、見者、沙穗内之《サホノチノ》、 大和添上の郡なりこはさほのちと訓べし
 
秋芽子爲酢寸《アキハギスヽキ》、所念鴨、」 足曳之山田佃子云々より此歌までの三首は相聞の譬喩歌どもなればこゝに入べからず下に其標あればなり下なるが亂て入しと見ゆれば小書とす【こも相聞ならずかし】
 
2222 暮不去《ユフサラズ》、 ぬる夜おちずなといふが如し夕部/\さらずなり
 
河蝦鳴成、三和河之、清瀬音《キヨキセノト》乎、聞師吉毛《キクハシヨシモ》、」
 
2223 天毎《アメノウミ》、月船浮《ツキノフネウケ》、桂梶《カツラカヂ》、懸而※[手偏+旁]所見《カケテコグミユ》、 此かけては桂梶をとりつけてといふ意なり集中に阿波の山かけてこぐ舟と云かけにはあらず
 
月人壯子《ツキビトヲトコ》、」 月を月人男てふかにかくよめると見るべしさて星の林に漕かくる見ゆてふ歌の變なる歟【次の卷天海丹雲之波立月船星之林丹※[手偏+旁]隱所見】
 
2224 此夜等者《コノヨラハ》、沙夜深去良之、雁鳴乃、所聞空從、月立度、」 佐夜中と云々の變なり
 
2225 吾背子之《ワガセコガ》、挿頭之《カサシノ》芽子爾、置露乎、清見世跡《サヤカニミヨト》、月者照良思《ツキハテルラシ》」
 
2226 無心《コヽロナキ》、秋|月夜之《ツクヨノ》、 隔句なり月夜の照つゝとつゞく
 
物念跡《モノモフト》、寐不所宿《イノネラレヌニ》、照乍本名、」 此歌相聞なり【奥人おもふに此歌相聞の歌とは聞えずたゞ月の歌なるべし譬喩に似る歌もなどかなからむや】 
2227 不念爾、 隔句おもはぬに天雲はれてとつゞけり
 
四具禮乃雨者、零有跡《フリタレド》、天雲霽而、月夜清焉《ツクヨサヤケシ》、」 今本焉を烏に誤り訓もきよきをとあれどしかしては助字違へり一本によりて改こも前と同じく相聞の歌なり
 
2228 芽子|之《ノ》花、開乃乎々入緒《サキノヲヽリヲ》、 今本開乃乎再入緒とありてさくのをふたりをと訓しは何の事ともなし思ふに再は乎の誤とす(卷三)生をゝれる玉も云云(卷三)花咲乎爲里(卷十七)花咲乎々理(卷八)開の乎爲里に其外乎乎里乎爲ともあり(卷三)已下乎爲里とあるは烏の誤なり其事卷二の別記にくはしくいへりこゝも乎々里ならでは歌の意をなさず
 
見代跡可聞《ミヨトカモ》、月夜之清《ツクヨノキヨキ》、戀益良國《コヒマサラクニ》、」 又前に同じ戀まさるといふ花のみの事にあらぬと聞ゆよりてこゝろなき云々以下三首皆小書とす
 
2229 白露乎、玉作有《タマニナシタル》、九月、在明之|月夜《ツクヨ》、雖見不飽可聞、」 月のさやけきをよくよみかなへたり
 
2230 戀乍裳、稻葉|掻別《カキワキ》、家居者《イヘシヲレハ》、乏不有《トモシクアラズ》、秋之|暮風《ユフカゼ》、」 暑のまだのこれる時風を戀るなり風をだに戀ればともしくもあらじとよめるなり
 
2231 芽子花、咲有野邊《サキタルノベノ》、日晩之乃《ヒグラシノ》、鳴奈流共《ナクナルナベニ》、 今本ともにと訓しはいまだしきなり
 
秋|風吹《カゼゾフク》、」
 
2232 秋山之、木葉文|末《イマダ》、赤者《モミヂネバ》、 もみぢぬになり
 
今旦《ケサ》吹風者、 今本の日は旦の誤ならん一本旦につくるなり
 
霜毛置|應之《ベシ》、」 應を下に書し例あり今本之を久に誤るさて歌の意はまだもみぢだにせねどけさ吹風の寒きは霜も置ぬべしと心を入て見るべし風はとあれば下はべしと訓べし
 
2233 高|松《マト》之、此峯迫爾《コノミネモセニ》、 峯に草のあるべきならねど此香の峯もせきまでかさたちみちさかりなるをいはんとてかくはよめるなるべし
 
笠立而《カサタチテ》、 草の香を誤るなり和名抄に芸(久佐乃香)さてこゝに何物をいふかしらねど後世燕尾蘭てふ物香ありて花は見るめもなし長高く末ひろごれりかゝる物ならんよりて笠立てといふか又たゞ秋の千種の香のおほきをおほかたにかくよめるのみならんか
 
盈盛有《ミチサカリナル》、秋香乃吉者《アキノカノヨサ》、」 秋の香のよさは秋草の香のよさなり
 
2234 一日《ヒトヒニハ》、千重敷布《チヘシク/\ニ》、 今本うへにしき/\と訓るはいかゞ妹があたりに時雨ふれよ吾も行て見むとなりふれ見んをおもく見るべし
 
我戀《ワガコフル》、妹當《イモガアタリニ》、爲暮零禮見《シグレフレミム》、」
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2235 秋田苅、客刀廬入爾《カリノイホリニ》、 客はかりの意に假れるを今本たびと訓はいまだし
 
四具禮|零《フリ》、我袖|沾《ヌラス》、干人無二《ホスヒトナシニ》、」
 
2236 玉手次、 冠辭
 
不懸時無、吾戀《アハコヒヌ》、 今本にはかけぬときなしわがこひはとあるは誤なり
 
此具禮志|零者《フラバ》、 零は一本によりて改む今本に者者とあるは誤りなり
 
沾乍毛|將行《ユカン》、」
 
2237 黄葉乎、令落四具禮能、零苗爾、夜能衣寒《ヨルノキヌサムシ》、 今本副とありて夜さへぞさむきとよめれどこゝにさへの辭いかがよりて考るに能の字を誤れりとす
 
一之宿者《ヒトリシヌレバ》、」
 
2238 天飛也、 冠辭
 
雁之|翅乃《ツバサノ》、覆羽之《オホヒバノ》、何處漏香《イヅコモリテカ》、霜之零異牟《シモノフリケム》、」
 
 秋相聞。
 
2239 金山《アキヤマノ》、舌日下《シタヒガシタニ》、鳴|鳥《トリノ》、音聞《コヱダニキカハ》、何嘆《ナニカナゲカム》、」 此歌序のみ音だにきかばといふのみ下堤に水を引とて山より落る水の下樋をいふなり
 
2240 誰彼《タレカレハ》、我莫問《ワレヲナトヒソ》、九月《ナガヅキノ》、露沾乍《ツユニヌレツヽ》、君待吾《キミマツワレヲ》、」 九月の露に沾つゝ君を待は吾成事いちじろけんにそを誰彼と問におよはずと云なり
 
2241 秋夜《アキノヨノ》、霧發渡《キリタチワタリ》、凡凡《オホヾシク》、 【夙夙、契冲】おほゝのほはをの如く唱
 
夢見《イメニゾミツル》、妹形矣《イモガスガタヲ》、」 今本三の句を夙夙としてあさなさなと訓りさて四の句をゆめの如見るとあれどいとかけ合ず初句を秋の夜といひ腰句をあさなさなといふもあまりなり朝な/\ゆめの如く見るとはいと/\かけあはずよりて考るに凡凡の字を好事の夙夙となして訓をみだりにせしなり
 
2242 秋野《アキノノヽ》、尾花末《ヲハナガスヱノ》、打靡《ウチナビキ》、 今本生靡としておひなびくと訓しはなにのことゝもなし生は打の草の手よりや誤りけんうちなびきと訓て上下よくかけ合
 
心妹《コヽロハイモニ》、依鴨《ヨリニケルカモ》、」
 
2243 秋山、霜零|覆《オホヒ》、木葉落《コノハフリ》、歳雖行《トシハユクトモ》、我忘八《ワレワスレメヤ》、」 秋山のにほひやかなるに霜ふりおほひ色かはり行如く妹が姿のおとろへぬとも吾はわすれじとなり
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出、 既いふがごとし
 
2244 住吉之、岸乎田爾墾、 新田をにひばりと云類などにていふなり
 
蒔稻乃《マキシイネノ》、而及苅《シカモカルマデ》、不相公《アハヌキミ》鴨、」
 
2245 劔後《タチシリ》、 冠辭
 
玉纏田井爾《タママクタヰニ》、 まく田は地名なり此事冠辭考委
 
及何時可《イツマデカ》、妹乎|不相見《イモヲアヒミズ》、家戀將居《イヘコヒヲラム》、」 此歌班田使の歌なるべし班田使は六年に一度ありすべて此卷には班田使の歌おほし
 
2246 秋田之、穗上爾置《ホノヘニヲケル》、白露之、可消吾者、所念鴨《オモホユルカモ》」 三の句までは序にてけぬべくといはんためのみたとへ歌なり
 
2247 秋田之、穗向之所依《ホムケノヨレル》、片|縁《ヨリニ》、吾者物念、都禮|無物乎《ナキモノヲ》、」 (卷二)に此もとの句全同じ歌有然はこゝは暗にとなへのたがへるならんこもたとへうたなり
 
2248 秋田苅、 今本秋田叫とありてあきの田をと訓たれど既に出る言の例をもて叫は苅の誤りとす
 
借廬作《カリイホツクリ》、五百入爲而《イホリシテ》、 廬入してと云なり
 
有藍君叫《アルラムキミヲ》、將見依毛欲得《ミムヨシモガモ》、」 今本欲將は欲得の誤ならん假字はがもとあれは字をあらたむ此歌も班田使の妻などの歌ならん
 
2249 鶴鳴之《タヅガネノ》、所聞田井爾、五百入爲而《イホリシテ》、吾客有跡《ワレタビナリト》、於妹告社《イモニツゲコソ》、」 こは答歌ならん
 
2250 春霞《ハルガスミ》、多奈引田居爾《タナビクタヰニ》、廬爲而《イホリシテ》、 今本廬付而とあるは其田居のいほへ家こぞりて引うつる事有なればいほ付《ツケ》てといふ歌もあるべきやされど例も覺えずその上訓はしてとあればもとより付の字にあらざりし故と訓をもて字を改
 
秋田苅左右、令思良久《オモハシムラク》、」
 
2251 橘乎《タチバナヲ》、 冠辭
 
守部乃五十戸之《モリヘノイヘノ》、 集中に守部王有二句まで序なり
 
門田早稻《カドタワセ》、苅時過去《カルトキスギヌ》、不來跡爲等霜《コジトスラシモ》、」 
2252 秋芽子之《アキハギノ》、開散野邊之《サキチルノベノ》、暮露爾《ユフツユニ》、沾乍來《ヌレツヽキ》益、夜者|深去鞆《フケヌトモ》、」 此歌をとりて古今歌集に「秋はぎのちるらんをのゝ露霜にぬれてをゆかんさよはふくとも」とよめり
 
2253 色付相《イロヅカフ》、 色づくと云なり加は幾阿の約にていろづきあふを約たるなり似つかふなども同じ今の訓誤なり
 
秋之露霜《アキノツユジモ》、莫零《ナフリソネ》、妹之手本乎《イモカタモトヲ》、不纏今夜者《マカヌコヨヒハ》、」 
 
2254 秋芽子之《アキハギノ》、上爾置有《ウヘニオキタル》、白露之《シラツユノ》、消鴨死猿《ケカモシナマシ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、」 (卷十二)に同歌ありて末の句戀管不有者是弓削皇子の御歌なり七より下は家々の集なれば同歌ある事しかなり
2255 吾屋前《ワガニハノ》、秋芽子上《アキハギノヘニ》、置露(ノ)、市白霜《イチジロクシモ》、吾戀目八面《ワカコヒメヤモ》、」 譬喩歌なり
 
2256 秋穗乎《アキノホヲ》、之奴爾押靡《シヌニオシナミ》、置露《オクツユノ》、消鴨死益《ケカモシナマシ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズバ》、」 意明なり
 
2257 露霜爾、衣袖所沾而《コロモデヌレテ》、今谷毛、 だにもはかろく見るべし今なり此事既にいふ
 
妹許行名《イモガリユカナ》、 今本こをやらなと訓るは意もたがへればあらたむ
 
夜者雖深《ヨハフケヌトモ》、」
 
2258 秋芽子之、枝毛十尾爾、置露之、消毳死猿、戀乍不有者、 前の秋萩の歌の意とおのづから似たる歌か
 
2259 秋芽子之、上爾白露、毎置、見管|曾《ゾ》思努布《シヌブ》、君|之《ガ》光儀乎《スガタヲ》、 意明なり
 
2260 吾妹子者、衣丹有南《キヌニアラナン》、秋風之、寒比來《サムキコノゴロ》、下著益乎、」 衣ならば身につけんとなり
 
2261 泊瀬風《ハツセカゼ》、如是吹三更者《カクフクヨハヽ》、 よはゝ夜間なり三更と書は萬葉の手なり者はにといふべきてにをはなり
 
及何時《イツマデカ》、衣片敷《コロモカタシキ》、吾一將宿《ワレヒトリネム》、」 此歌は女歌かおもふに背のはつせのあなたより通ひ來る故に風はげしき夜はこじと思ひて初瀬の方ゆ吹風をなげく歟
 
2262 秋芽子乎、令落長雨之《チラスナガメノ》、零比者《フルコロハ》、一起居而《ヒトリオキヰテ》、戀夜曾大寸《コフルヨゾオホキ》、」 意明なり
 
2263 九月《ナガツキノ》、四具禮乃雨之、山霧《ヤマギリノ》、煙寸吾等胸《イブセキワガムネ》、 今本烟寸をけむきと訓るはあまりなるにやよりて改猶可考吾告とあるは吾等のあやまりとす
 
誰乎見者將息《タレヲミハヤマム》、」 一本十月四具禮乃雨降云云とあり
 
2264 蟋蟀之《コホロギノ》、待歡《マチヨロコベル》、秋夜乎《アキノヨヲ》、寐驗無《ヌルシルシナシ》、枕與吾者《マクラトワレハ》、」 待にこぬ人を戀わびてよめるなり
 
2265 朝霞、 冠辭
 
鹿火屋之下爾《カヒヤガシタニ》、鳴蝦、 【蛙字鏡に加比留和名抄に加閇流萬葉に加敝流弖云木も有よておもふにこゝは鳴かへると訓むか此集に河津と見るは今のかへるちふ虫にはあらで魚にて今俗にかじかと云ものぞ是なるべし】
 
聲谷聞者、吾將戀八方、」 譬歌なり
 
2266 出去者《イデヌレバ》、 こは女歌なり背の出ていねば天飛雁の如鳴べしとなり
 
天飛雁之、可泣美《ナキヌベミ》、且今日且今日云二《ケフケフトフニ》、 下に吾背子乎且今且今出見これをけふかけふかと訓はわろし同さまなれどこゝは年ぞふるといへば毎日の意にてよし下なるは其日の事にて次の句に出て見ればとあればいまかいまかと訓べし 
年曾經去家類、」 こは班田使又防人などの妻の歌ならん夫の旅に出てかへらん/\とのみいへるを立ちわびてよめるものなり
 
2267 左小牡鹿之、朝伏小野之、草若美《クサワカミ》、隱不得而《カクロヒカネテ》、 かくろひのひはいの如く唱呂比約里にて禮に通へばかくれかねてなり
 
於人所知名《ヒトニシラレナ》、」 【此歌は春の相聞に置べき歌なり】
 
2268 左小牡鹿之、小野草伏《ヲノヽクサブシ》、灼然《イチシロク》、吾不問爾《ワガトハナクニ》、 ことゝひもせぬにといふなり不語を祝詞にことゝはぬと訓
 
人|乃《ノ》知良久《シレラク》、」
 
2269 今夜乃《コノヨラノ》、曉降《アカツキクタチ》、鳴鶴之《ナクタヅノ》、 鳴たづの如われもなく物故鶴も思ひあるになしていふのみ
 
念不過《オモヒハスギズ》、 思ひをやらぬなり
 
戀|許増益《コソマサレ》也、」 集中焉矣也等の助字を添てかける所もあり是も添たるのみ既に上にもあり此下にも此類あり
 
2270 道邊之、乎花我|下之《モトノ》、 をはなが下にのみはあらぬをかく樣に云なすが古歌の常なり
 
思草《オモヒグサ》、 もろ/\の説あれど定かなるよしあるはなしただ思ひ草てふ草あるべし戀草|和《ニコ》草めざまし草などもしりがたきなり猶おもふに思は忘の誤ならんかと眞淵はいへり又やごとなき御説には紫苑ならんかとおぼすよしのおはすとぞのたまはせし
 
今更吾《イマサラニワレ》、何物可將念《ナニカオモハム》、」 今本四の句|今更爾何物可《イマサラナニノモノカ》と有は字を誤りしとおもはる今更の下の爾の字は吾の字の誤ならん何物にてなにと訓べし爾よりしてなにとよみくだす事こゝろゆかず歌の意もとほらねばあらたむなり
 
2271 草深三、蟋多《コホロキサハニ》、鳴|屋前《ニハノ》、 今本の訓は誤れりよてあらたむ
 
芽子|見公者《ミニキミハ》、何時來益牟《イツカキマサム》、」 意明なり
 
2272 秋就者《アキヅケバ》、水草花乃《ミクサノハナノ》、 水は借字眞の意萩薄萱の類秀に出て花咲ものをたとへ云りさて其穗に出て咲花の如く吾おもふ人を我は思へどたゞにあはさればおもふ人はしらじとよめるなり
 
阿要奴蟹《アエヌガニ》、 阿要奴蟹はあえぬるが如にを省きいふあえぬは不肖の字にあたりて他花にあえず不似如く我思ひのいちじろきを穗に出る花にたとへいふなり(卷八)に橘の長歌に阿要奴|我爾《ガニ》とあるはこゝとは別にて我《ガ》は解《ゲ》に通ひて時なりぬるげになり土佐人は物の熟《ナエ》ぬる事をあえぬると云も是に同じ
 
思跡不知《オモヘドシラジ》、直爾不相在者《タヾニアハザレバ》、」
 
2273 何爲等加《ナニストカ》、君乎《キミヲ》、將厭《イトハム》、秋芽子乃、其始花之《ソノハツハナノ》、 はつ花の如と云なり
 
歡寸物乎《ウレシキモノヲ》、」 うれしきのうれはうらぶれのうらと同じ即こゝろなりしきは及なりされば心しく君なればいとふ事なしといふなりさてこの歌は右のこたへの如し
 
2274 展轉《コイマロビ》、戀者死友《コヒハシヌトモ》、灼然《イチシロク》、色庭|不出《イデジ》、朝容貌之花《アサガホノハナ》、」 朝容貌は前にもいふ如く牽牛花なり委は貌花の別記に其よしをいふ歌の意は此花いとうつくしきがことく色には出じとよめり
 
2275 言出而《コトニイデヽ》、云忌深《イハヾユヽシモ》、朝貌乃《アサガホノ》、穗庭開不出《ホニハサキデズ》、戀爲鴨《コヒモスルカモ》、」 今本に戀をするかもとあるはてにをはたがへり依てあらたむさて歌意は牽牛花は葉かくれにさく物なれば其如くあらはれず戀するとなり穗に出る物とて穗に出るたとへとするが如し
 
2276 雁鳴之、始音聞而《ハツコヱキヽテ》、開出有《サキデタル》、屋前之秋芽子、見來吾世古《ミニコワガセコ》、」 意明なり
 
2277 左小牡鹿之、入野乃爲酢寸《イリノヽスヽキ》、初尾花、 上三句序にて初といふ言をのみ下へは用たり
 
何時《イヅレ》加妹|之《ガ》、將爲手枕《タマクラヲセム》、」 すゝきは時有て尾花と穗に出るが手枕はいつかせんとなげきいへるなり初といふにかゝれり今本の如く手枕にせんと訓ては聞えず六帖に手枕をせんとあるぞ古き訓にてことわりあるなりさていづれに訓ても將の下に爲を脱つらんと覺ゆ集中の例みな斯あるによりて爲を將の下に補へり
 
2278 戀日之《コフルヒノ》、氣長有者《ケナガクアレバ》、三苑圃能《ミソノフノ》、 眞薗生なり
 
辛藍花《カラアヰバナ》之、色出爾來《イロニデニケリ》、」 案るに延喜染殿式に韓紅といふは深紅の事なりからくれなゐといふももとは呉より始て渡しに後に韓より來しが色よかりし故に韓紅といふなりさて藍てふ物はいとはやく渡りてありしならん此あゐてふ名を藤原菅根が何にまれ其色にあえ染なすよりの名ならんといへるはよし
 
2279 吾郷爾、今咲花乃、 女の若盛なるにたとへしならん
 
女郎花、不堪情《タヘズコヽロニ》、 わすれんとすれども忘られず直戀にけりとなり
 
尚戀二家里、」
 
2280 芽子花、 一本花の下に之の字あり
 
咲有乎見者《サケルヲミレバ》、君不相《キミニアハデ》、眞久二《マコトモヒサニ》、成來鴨《ナリニケルカモ》、」
 
2281 朝露爾、咲酢左乾垂《サキスサビタル》、 有進而の意にてさきすゝみなり
 
鴨頭《ツキ・ツイ》草之《クサノ》、 つき草はめづべき物なれどもはかなくいろも消うつり花もはかなければ消ぬべきとこそたとへたれさて鴨頭草をつき草といふを此きをいに通してついぐさといふは古への常なりそを後に言のひゞくまゝに露草といふは後の俗の誤なり
 
日斜共《ヒタケケルナベニ》、 今本にともにとあるは既もいふ如く訓の誤なり
 
可消所念、」 さて日斜共夕影をおひてつき草のしぼめるを消ぬべくといひ我戀の日ひさしくて命もけぬべきにたとへよめるなり
 
2282 長夜乎《ナガキヨヲ》、於君戀乍《キミニコヒツヽ》、不在者《アラザラバ》、 今本不生者とありていけらずばと訓たれど上下にかけ合ずよりて生は在の誤として訓も改【不生者ならざらはと訓て今本のまゝに隨ふべし】
 
開而落西《サキテチリニシ》、花有益乎《ハナナラマシヲ》、」
 
2283 吾妹兒爾、相坂山之、皮爲酢寸《シノズスキ》、 冠辭やごとなき御説にすべてしのてふ名ある物は皆かはを帶てしなひたてりしの竹てふ物もさなりさらば皮爲酢寸とせるは皆しのと訓べし(卷十四)の皮爲酢寸久米能若子といふもしのにこもる意もて久米と古毛と通して冠とせるならん(卷一)に婆太須酒寸此卷の長歌に旗芒などあるは幡の意と見るべしよりて此卷又(卷十四)の皮すゝきとあるはしのずゝきの意と心得べし(卷十二)の波奈すゝきは波太すゝきの誤りなり又古今歌集にあるは字の如く花すゝきと心得べし是は後なればなりすべて眞に似て花の如きものまたはうるはしく言て花なにてふ事は花橘の外は後世言なり花橘は櫨橘又金橘ともいひて別種花咲たる橘にはあらずくはしくは別記にいへり賀茂眞淵冠辭考にいへるとたがひてよらせ給ふ事古へ今の言にもかなひよくわかれ聞えめでたき御説なればあげたり【皮有ておひたてる物は皆しなへなびく物なりさて奈敝の約禰なり此禰は乃に通なればしなへ竹しなへずゝきなりよりて皮の字をかりしならん】 
穗庭開不出《ホニハサキデズ》、戀渡鴨、」
 
2284 率爾《イサヽメニ》、 【いさゝめの事奥人既に言此注取がたし】今本に此言をいざなみと訓しより下の訓も歌の意も誤れり此言は(卷四)に委しく解りいなしらずしか目にてふ意にてこゝは妹が光儀を絶ず見かほしと云なり
 
今毛欲見《イマモミガホシ》、 今本に見てしがと訓るは誤なりてしと訓ん字なく意通らず 
 
2285 秋芽子之、四※[手偏+差]二將有《シナヒニアラム》、妹之|光儀《スガタヲ》、」 欲見を此下に引下して心得よよて上の訓の誤しるべし
 
秋芽子之、花野乃爲酢寸、穏庭|不出《デズ》、吾戀度、隱嬬波母《コモリヅマハモ》、」 
意明なり
 
2286 吾屋戸爾、開秋芽子、散過而、實成及丹《ミニナルマデニ》、於君不相鴨《キミニアハヌカモ》、」 又同じ
 
2287 吾屋前之、芽子|開二家里《サキニケリ》、不落間爾《チラヌマニ》、早來可見《ハヤキテミマセ》、平城里人《ナラノサトビト》、」 又同じ
 
2288 石走《イハバシノ》、間々生有《ママニオヒタル》、 石橋とは既云如水わたる便に流に渡こゆべき石を並すうるをいふなり
 
貌花《カホバナ》乃、 かほ花は旋花なり今云ひるがほなり契冲がうつくしき花をすべてかほ花と云といふは笑べし此説多かれど取べきなしやごとなき御説もて別記に云
 
花西有來《ハナニシアリケリ》、在筒見者《アリツヽミレバ》、」 歌の意は在經て見れば貌花の如くいつくしくゑみ榮えたる妹なりけりとなり
 
2289 藤原《フヂハラノ》、古郷之《フリニシサトノ》、秋芽子者、開而落|去寸《ニキ》、君待|不得而《カネテ》、」 奈良の宮の始によめるならん
 
2290 秋芽子乎、落過沼蛇《チリスギヌベミ》、 蛇は借字備を美に通しかれり越の國にては今もへみと云とぞ
 
手折持《タヲリモテ》、雖見不怜《ミレドモサビシ》、 初の句を此三の句の上に置て心得べし隔句なり【此歌隔句ならず奥人】
 
君西|不有者《アラネバ》、」
 
2291 朝開《アシタサキ》、夕者消流《ユフベハケヌル》、鴨頭草(ノ)、可消戀毛《ケヌベキコヒモ》、吾者爲鴨、」 既いふ如めづべき物なれどはかなげに朝夕に色も消うつろひはかなき花を吾戀にたふまじかる命に譬ふなり
 
2292 ※[虫+延]野之《アキツノヽ》、尾花|苅副《カリソヘ》、秋芽子之、花乎|葺核《フカサネ》、 既(卷一)にもいふ如くこはふけをふたゝび延たるなり不計の計を延れば加世となる其加世の世をのぶれば佐禰となるなり
 
君之借廬《キミガカリホニ》、」 (卷一)に金野乃美草苅葺とある類なり(卷十三)にも此類の歌あり且此歌は旅のさまにて物によせたる意はなしまぎれてこゝに入し物なりよて小書とす
 
2293 咲友《サキヌトモ》、不知師《シラズシ》有者、默將有《モダモアラム》、此秋芽子乎、令視本名《ミセツヽモトナ》、」 此萩の花の咲ぬるともしらずばもだしてあらん咲しをしりぬればこそとひこしゝか見すぐしてはやくも□とすなるさらばこを見せまじものを見せぬるがよしなしと恨むならん
 
2294 秋去者、鴈飛越《カリトビコユル》、龍田山、立而毛居而毛、君乎|思曾念《シゾモフ》、」 意明なり
 
2295 我屋戸之、田葛葉日殊爾《クズハヒニケニ》、 爾は例によて補ふ
 
色付奴《イロヅキヌ》、不來座君者《キマサヌキミハ》、 來は一本によりて加ふ今本來の字なし
 
何情曾毛《ナニコヽロゾモ》、」 背のおとづれのなきを待わびたるなり
 
2296 足引乃、 冠辭
 
山佐奈葛《ヤマサナカヅラ》、 既もいふ如く佐奈葛は五味子なりこは常葉にてもみぢせぬ物なりそをもみづまでといふは烏の頭白からん時と云べし
 
2297 黄變及《モミヅマデ》、妹爾|不相哉《アハズヤ》、我戀將居《ワガコヒヲラム》、」 
黄葉之、 冠辭
 
過不勝兒乎《スギカテヌコヲ》、 戀心をえしぬびかくしがたきをいふなり
 
人妻跡、見乍哉|將有《アラム》、戀敷物乎、」
 
2298 於君戀《キミニコヒ》、之奈要浦觸《シナエウラブレ》、吾居者《ワレヲレバ》、秋風吹而《アキカゼフキテ》、月斜焉《ツキカタムキヌ》、」 しなへうらぶれは(卷二)に委し今本活本にも焉を烏に誤る一本によりて改む
 
2299 秋(ノ)夜之、月疑意《ツキカモ》君者、 隨意の字をまに/\と訓如く疑意をもてかもといふは義訓のみ
 
雲隱《クモカクレ》、須臾不見者《シバラクモミネバ》、幾許戀敷《イタクコヒシキ》、」
 
2300 九月之、在明能月夜《アリアケノツクヨ》、有乍毛《アリツヽモ》、 ありつぐ意にてたえざるなり
 
君|之《ガ》來座者、吾將戀八方、」
 
2301 忍咲八師《ヨシヱヤシ》、 忍は心にたへゐる事を堪忍故にて縱の字に借歟くはしくは(卷二)の別記にあり
 
不戀登爲跡《コヒジトスレド》、金風之、寒吹夜者、君乎之曾念、」
 
2302 惑者之《ワビビトノ》、痛情無跡《アナコヽロナト》、將念《オモフラム》、秋長夜乎《アキノナガヨヲ》、寐師在《イネテシアレバ》、」 終の句今本に寐師耳《ネザメシテノミ》と有て禰ざめしてのみと訓り上の句どもにかけあはずよりていをねてしのみと訓たれど猶かけ合ずよりておもふに在耳の草の手より在を耳と見誤りたるとす猶考べし思推なくよめるならん
 
2303 秋(ノ)夜乎、長跡《ナガシト》雖言、積西《ツモリニシ》、戀盡者《コヒヲツクセバ》、短有家里《ミジカヽリケリ》、」 妹とともねしおもふ心をつくし合ば猶秋の夜もみじかしと前の歌に長しと云をみじかしとよめり
 
2304 秋都葉爾《アキツバニ》、 (卷三)あきつばの袖ふる妹とよめるは蜻蛉の羽の如くといへるなり今は秋の黄葉をいへるなればなり思に秋の葉の如にと云を如を略きいへるならん歟紅衣を云なり
 
爾賓敝流衣《ニホヘルコロモ》、吾者不服《ワレハキジ》、於君奉者《キミニマツラバ》、夜毛著金《ヨルモキルカネ》、」 歌の意は秋津葉のにほへる衣は黄葉なり其もみぢはちりうつろひやすかる物なれば吾はうつろふ心のなければきまじ君に奉らば夜だに着給なりさらば君はいよゝ他人に心うつろひ給はんと男のうつろひやすき心をあやぶめる歌か
 
 問答。
2305 旅尚《タビニスラ》、襟解物乎《ヒモトクモノヲ》、 襟をひもと訓はゑりの紐なればなり義訓なりこは旅の衣にてあかひもをいふなり
 
事繁三《コトシゲミ》、丸宿《マロネ》吾爲長此夜、」
 
2306 四具禮零、曉月夜《アカツキツクヨ》、紐不解《ヒモトカデ》、戀君跡《コフラムキミト》、 今本こひしきと訓るはひが事なりこひしきとては女の夫を戀おもふなりこは上の歌の答にて此はひもとかで丸寐すると夫のよめるをかけて云なれば夫のこふらんといふなり末の句君とをらましものをといへるが女の夫を戀る意を答るなりされば四の句は戀らんとよむべし
 
居益|物《モノヲ》、」
 
2307 於黄葉《モミヂバニ》、置白露之、色葉二毛《ニホヒニモ》、 今本いろはにもと訓めり上にもみぢ葉といひて三句に色の葉にもとはよまじにほひにもと訓んとて色葉と書ならんとす
 
不出跡念者《イデジトモヘバ》、 例のにといふなりもへるになり
 
事繁家口《コトノシゲヽク》、」 事は借字にて言なり
 
2308 雨零者《アメフレバ》、瀧郡山川《タギツヤマガハ》、於石觸《イハニフリ》、 下に石爾布里と假字あり此によりてこゝもふりと訓べしふりはふれてを通し約ていふなればかへりてくはしきなり
 
君之摧《キミガクダカン》、情者不持《コヽロハモタジ》、」 【此二首問答にあらず此間に落たる歌あるならん】今本右歌の左に右一首云云注あれど後人のわざにていと妄なればとらず
 
 譬喩歌。
2309 祝部等之《ハフリラガ》、 【祝部は伊波比倍良なり伊を略波を半濁に唱へ比倍の約倍を布もていひ良を里に通して波布里と云なり】
 
齋經社之《イハフヤシロノ》、黄葉毛、標繩越而《シメナハコエテ》、落去物乎《チルトフモノヲ》、」 神のいがきもこえぬべし又あきにはあへずなどとりなせるも皆是をとれるなるべし
 
 旋頭歌。
2310 蟋蟀之、吾床隔爾《ワガトコノベニ》、鳴乍本名《ナキツヽモトナ》、起居管《オキヰツヽ》、君爾戀爾《キミニコフルニ》、宿不勝爾《イネガテナクニ》、」 今本にいのねられぬにとあるはかけ合てもきこえず
 
2311 皮爲酢寸《シノズヽキ》、 冠辭
 
穗庭|開不出《サキデヌ》、戀乎吾爲《コヒヲワガスル》、玉蜻、 冠辭
 
直一目耳、視之人故爾《ミシヒトユヱニ》、」 意明なり
 
 冬難歌。
2312 我袖爾、雹手走《アラレタバシル》、卷隱《マキカクシ》、不消有《ケサズテアラモ》、 今本の如くけすともあれやとては意もなさず意もとほらずよて改
 
妹爲見《イモガミムタメ》、」
 
2313 足曳之、冠辭
 
山鴨高《ヤマカモタカキ》、 山は即卷向にあり
 
2314 卷向之《マキムクノ》、
 
卷向之、木志乃子松二《キシノコマツニ》、 卷向の穴師乃川の岸をいふ歟
 
三雪落來《ミユキフルナリ》、」
 
檜原毛未《ヒバラモイマダ》、雲居者《クモヰネハ》、 居ぬになり
 
子松之末由《コマツガウレユ》、沫雪流《アハユキナガル》、」 今本四の句をすゑに五の句あわゆきぞふるはいまだし
 
2315 足引、 冠辭
 
山道不知《ヤマヂモシラズ》、白※[牛+可]※[牛+戈]《シラガシノ》、 ※[牛+可]※[牛+戈]は樫木なり舟の器にてかしと訓りよて借しなり今本杜※[木+戈]とあるはあやまりなり
 
枝母等乎乎爾《エダモトヲヽニ》、雪|落者《フレヽバ》、」一本に枝毛多和多和とあり
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出也、 こゝに但一首或本云三方沙彌作とあるは何の歌を云ともなし後人の注歟
 
2316 奈良山乃、峯尚霧合《ミネスラキラフ》、宇倍志社《ウベシコソ》、 尚は集中すらと訓るよしは(卷三)の別記にいふきらふの良は利阿の約|霧合《キリアフ》なり
 
前垣之下之《マカキガモトノ》、雪者不消家禮《ユキハケズケレ》、」
 
2317 殊落者《コトフラハ》、袖副沾而《ソデサヘヌレテ》、可通《トホルベク》、將落雪《フリナンユキノ》、 今本ふらんを雪のとあるはいまだし
 
空爾消二管《ソラニケニツヽ》、」
 
2318 夜乎寒三《ヨヲサムミ》、朝戸乎開《アサトヲヒラキ》、 今本開をあけてとあれどてにをはの字なければひらきとよめり
 
出見者《デヽミレバ》、庭毛薄太良二《ニワモハダラニ》、 今本薄大良にとあれど下に薄太禮とあり今は點の落たるなり
 
三雪落有《ミユキフリタル》、」一本も庭裳保杼呂爾雪曾零而有《ニワモホトロニユキゾフリタル》と有
 
2319 暮去者、衣袖寒之、高松之《タカマドノ》、山木毎《ヤマノキゴトニ》、雪曾零有《ユキゾフリタル》、」 古今歌集の「夕されば衣手さむしみよしのゝよしのゝ山にみ雪ふるらし」は是をもてよめり
 
2320 吾袖爾、零鶴雪毛、流去而《ナガレイテ》、妹之手本《イモガタモトニ》、伊行觸糠《イユキフレヌカ》、」 第三の句を今本にながらへてとよみしは誤れり歌をとくべきやうなしよりて改む
 
2321 沫雪者、今日|者莫零《ハナフリソ》、白妙之、 冠辭
 
袖纏將干《ソデマキホサム》、人毛不有惡《ヒトモアラヌヲ》、 今本末の句をあらなくにと訓るはよしなし惡はをの借字になりたるのみなり此歌妹がをらぬほどによめるならん 
2322 甚多毛《イトサハモ》、 はなはだとよめるは誤れりいとさはと訓故多を加へり
 
不零雪故《フラヌユキユヱ》、許多毛《コヽタクモ》、 今本の言と有は傍の午の落たるにて許多なればこゝたなりこゝにこちたくの語はあるべからず
 
天三空者《アマツミソラハ》、隱相管《クモリアヒツヽ》、」
 
2323 吾背子乎、且今且今《イマカイマカト》、 今本にけふか/\と訓たれど出見者とあれは其日の事にて毎日の事ならず仍ていまかいまかと訓めり
 
出見|者《ハ》、沫雪|零有《フレリ》、庭毛|保杼呂爾《ホドロニ》、」
 
2324 足引、 冠辭
 
山爾|白者《シロキハ》、我屋戸爾、昨日暮《キノフノユフベ》、零之雪疑意《フリシユキカモ》、」 疑意をかもと訓事上にいへり
 
2325 誰苑之《タガソノヽ》、梅花毳、 今本に毛とのみあるは毳を略せし物なり
 
久竪之、 冠辭
 
清月夜爾《キヨキツクヨニ》、幾許散來《コヽラチリクル》、」 意明なり
 
2326 梅花、先開枝《マヅサクエダヲ》、 先開はまづさかん枝にてはやさきぬべきえたをなり
 
手折而者《タヲリテハ》、裹常名付而《ツトヽナヅケテ》、 【拾穗につとは家つとなりつとと名付て君によそへて此早梅に慰んとなり】
 
與副手六香聞《ヨソヘテムカモ》、」 花を戀る意を諷なり其花の咲を見まほしむなりよそへはよせそへの意にてほめたるなり
 
2327 誰苑之、梅爾可有家武《ウメニカアリケム》、幾許毛《コヽタクモ》、開有可毛《サキニタルカモ》、見我欲左右手爾《ミカホルマデニ》、」 今本四五の句訓はいと誤れり四の句さけるかも見て五の句わがおもふまでにと訓り安く訓るゝに誤りけん見がほるはその咲てある薗をさへも見たきまてなり此歌右の歌の答歌なり
 
2328 來可視《キテミベキ》、人毛|不有爾《アラナクニ》、吾家有《ワギヘナル》、梅|早花《ハツハナ》、落十方吉《チリヌトモヨシ》、」 
 
2329 雪寒三、咲者不開《サキニハサカデ》、梅花、縱比來者《ヨシコノゴロハ》、然而毛有金《サテモアランカネ》、」 此金は願意なり卷三四にも有を合見よ上にも「春去ばちらまくをしみさくら花しばしはさかで含みてもがも」
 
2330 爲妹《イモガタメ》、末枝梅乎《ホヅヱノウメヲ》、手折登波《タヲルトハ》、 とてのてを略なり
 
下枝之露爾《シヅエノツユニ》、沾家頼家聞《ヌレニケルカモ》、」 二の句は末枝の花をといはんに同じく花折とて露に沾し勞を云なり
 
2331 八田乃野之《ヤタノノヽ》、 此地磯城下郡なるは今は八田、添下郡なるは矢田と云、和名抄には添下郡に矢田郷有磯城の下にはなし是によれば添下にあるべしさて矢代氏をば八代ともかけば字にかゝはらず
 
淺茅|色付《イロヅキヌ》、 やごとなき御説にはこゝを今本にいろづくと訓どいろづきぬといふべしこれほどの歌の一言にてことさらに聞ゆとのたまはせりよりて御説による
 
有乳山《アラチヤマ》、峯之沫雪《ミネノアワユキ》、寒零良之《サムクフルラシ》、」「み山には松の雪だに消なくに都は野邊の若菜摘けり」の類にて都より思ひやるなり【宗祇云矢田野有乳山越前の名所なり高山にて秋より雪の降所なり云云】
 
2332 左夜深者、出來牟月乎《イデコムツキヲ》、高山之、峯白雲、將隱鴨《カクシナムカモ》、」 意明なり
 
 冬相聞。
2333 零雪(ノ)、虚空《ソラニ》可消、雖戀《コフレドモ》、相依無《アフヨシナクテ》、月經在《ツキヲシヘヌル》、」 今本末の在は去を誤るかさて月をしへぬるなり
 
2334 沫雪《アハユキノ》、千里零敷《チサトフリシク》、 里は重の誤歟さらば千重にふりしくなり
 
戀爲來《コヒシケク》、食永我《ケナガクワレハ》、見偲《ミツヽシヌバム》、」
 右柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2335 咲立照《サキタテル》、 今本咲出照と有てさきでたると訓れど照はさはよみがたければ出は立の誤ならんとして咲たてると訓べし【押照の言と同じくかくあるをさきてると四言によまん】
 
梅之|下枝《シヅヱニ》、置露之、可消於妹《ケヌベクイモニ》、戀傾者《コフルコノゴロ》、」
 
2336 甚毛夜《イトモヨノ》、深勿行《フケテナユキソ》、道邊之《ミチノベノ》、湯小竹之於爾《ユサヽガウヘニ》、 五百をゆといふ例なり
 
霜降夜焉《シモノフルヨヲ》、」 今本に烏一本に鳥又一本焉今案に焉を正とす
 
2337 小竹葉爾、薄太禮零覆《ハダレフリオホヒ》、消名羽《ケナバ》鴨、將忘云者《ワスレントヘバ》、益祈念《マシテオモホユ》、」 上は序なり雪の消を身の失に云かけたり 
2338 霰落《アラレフリ》、板玖風吹《イタクカゼフキ》、 今本に板敢一本枝敢と見ゆいかにも訓べき言なし考るに敢は暇ならんかとすれどさてはいたまと訓ん外なし若四の句を地名とせば板間の字を誤るかおほくは敢は玖の誤にていたくならんとして敢字を改む猶全本をもてたゞすべしさらば旅などの事にもなく雪に近きあたりの野など思ひよする事有てよめるにもあるならん【此歌考もとより眞淵の考によれり此歌誤字多かるべし考るよしなしと眞淵もいへり】
 
寒夜也《サムキヨヤ》、旗野爾今夜《ハタノニコヨヒ》、 こを地名とすれば紀(神武)に層富縣|波※[口+多]丘岬《ハダヲカザキ》有2新戸畔者《ニヒトベトフモノ》1〇神名式に高市郡波多神社和名抄高市郡波多郷と有など合せ考れば地名とも思はれず旗は將《ハタ》の意歟
 
吾獨寐牟《ワガヒトリネム》、」 前の如く訓てはたゞ旅のありさまなり又右の地名とすれば波多郷に有て妹がりゆかでよめるとするぞ安かる
 
2339 吉名張乃《ヨナバリノ》、 上に出づ
 
野木爾零覆《ノギニフリオホフ》、白雪乃、 野の木の乃を略けりさればのぎと濁るべし軒にあらず零覆雪といふもておもへ前に有なみしばの野を云成べし
 
市白霜《イチシロクシモ》、將戀吾鴨《コヒムワレカモ》、」
 
2340 一眼見之《ヒトメミシ》、人爾戀良久、天霧之、 良は利阿の約志は及の略なり
 
零來雪之《フリタルユキノ》、可消所念《ケヌベクオモホユ》、」
 
2341 思出《オモヒイヅル》、時者爲便無《トキハスベナミ》、豐國之《トヨクニノ》、木綿山雪之《ユフヤマユキノ》、 豐後國風土記云、速見郡柚富郷此郷之中栲樹多生常取栲皮以造木綿因曰柚富郷柚富峯在郷西此峯頂有石室其深一十餘丈高八丈四尺廣三丈餘常有氷凝經夏不解凡柚富郷近於此峯因以爲峯名、此歌大和なる人の此國へ行てよめるなるべし
 
可消所念、」
 
2342 如夢《イメノゴト》、君乎|相見而《アヒミテ》、天霧之《アマギリシ》、落來雪之《フリクルユキノ》、可消所念《ケヌベクオモホユ》、」 此歌前の一眼見之云云の變か又似たるがよれる歟
 
2343 吾背子之、言愛美《コトウツクシミ》、 言のよろしくうるはしくなりてかへらばなり
 
出去者《イデユカバ》、裳引將知《モビキシルラム》、 うは裳ゆたかに裾引出行んに雪ふりてなぬらしそとなり【雪ふらばもすそ引跡つくからに人もしらんに雪降そとなり拾穗】 
雪勿零《ユキナフリソネ》、」 さてかくしづまゆゑ人にしられむをいとひよめる意もあり
 
2344 梅花、其跡毛不所見、零雪之、市白兼名、間使遣者《マツカヒヤラバ》、」 一本に零雪爾間使遣者|其將知名《ソレトシラレナ》、梅の花はそれとも見えぬまで雪のふれゝど使をやらばいちじろく人には見られなんとなり
 
2345 天露相《アマギラヒ》、 きらひは羅は利阿の約にて言をつゞめたるのみ
 
零來雪之《フリクルユキノ》、消友《キエヌトモ》、 ふりくる雪の如く我身はきえぬべきを君にあはんとてのみながらへあるといふなり
 
於君合常《キミニアハント》、流經度《ナガラヘワタル》、」
 
2346 窺良布《ウカヾラフ》、 うかゞひねらふ跡見とかゝるはいめたてゝ跡見といふに同じ意なりうかゞひたねらふを省きつゞめたる言なり
 
跡見山雪之《トミヤマユキノ》、灼然《イチシロク》、戀者妹名《コヒハイモカナ》、人將知可聞《ヒトシラムカモ》、」 二の句の跡見は大和國の地名なり
 
2347 海小船《アマヲブネ》、 冠辭
 
泊瀬乃山爾、落雪之、消長戀師《ケナガクコヒシ》、 消は借字眞氣長などと同じ辭なり 
君之音曾爲流《キミガオトゾスル》、」
 
2348 和射美能《ワザミノ》、 四言なり今本能をのゝと訓しは誤なりこはわざみの嶺とつゞけりわぎみは美濃國不破郡和※[斬/足]なり四言をわすれたる訓なり
 
嶺往過而、零雪乃、厭毛無跡《イトヒモナシト》、白其兒爾《マウセソノコニ》、」 こは妹がもとより歸るさのかしこき山路にてかゝる雪に逢なばいかゞくるしからましをつゝがなく嶺も過行ぬなおもひそと妹に傳へいひやるなり
 
2349 吾屋戸爾、開有梅乎《サキタルウメヲ》、月夜好美《ツクヨヨミ》、夕夕令見《ヨナ/\ミセム》、君乎社待也《キミヲコソマテ》、」 今本社を祚に誤る六帖に君をこそまてとあるに歌の意も然なればあらたむ此卷焉也等を助として不訓例上に多
 
2350 足檜木乃、 冠辭
 
山下風波、雖不吹《フカネドモ》、君無夕者《キミナキヨヒハ》、豫寒毛《カネテサムシモ》、」 山下風は今本字のまゝに訓たれど前にもいふ如くやまのあらしとかあらしの風とか訓べし【山下風奥人按に山のあらしとは訓べけれどあらしの風とは訓がたし】
 
萬葉集卷七之考 終
 
萬葉集卷八之考序
 
○此卷を八の卷とする事は七の卷のはじめにくはしくいふ如くこも奈良人の一人の集なればなりこは今の七の卷なり
○標の亂たるをあらため雜歌とあるが中の羈旅問答などあるのみをあげて歌毎に詠天詠月などあるをすてし事卷七の始にいへるごとしはじめに雜歌とあればもとよりくさ/”\の事有べければ歌ごとにわけてはし詞の如くせしは後の人の書添しこと既にいふ如なればすてつ
 
萬葉集卷八之考【流布本卷七】
 
 雜歌。
 
1058 天海丹《アメノウミニ》、雲之波立《クモノナミタチ》、月船《ツキノフネ》、星之林丹《ホシノハヤシニ》、※[手偏+旁]隱所見《コギカクルミユ》、」 歌の意あきらかなり
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出 前の卷にもいふ如く歌の書體人麻呂集の如くなれば集の時書るなるべしとおもはる
 
1069 常者曾《ツネハサゾ》、不念物乎《オモハヌモノヲ》、此月之《コノツキノ》、過匿卷《スギカクレマク》、惜夕香裳《ヲシキヨヒカモ》、」 今本初句はつねはさもとあれどさよむべき字ならず訓を誤れるなり【者は音|砂《シヤ》也志也の約左となれば左の假字にかれり】
 
1070 丈夫之《マスラヲノ》、 今本丈を大に誤
 
弓上振起《ユズヱフリオコシ》、 今本ふりたてとあるは誤なり弓は伏おこすとこそいへ集中の例によりてあらたむさて是までは序なり
 
借高之《カリタカノ》、 大和國添上郡に在(卷十五)獵《カリ》高(ノ)高圓山ともよめり
 
野邊副清《ノベサヘキヨク》、 此さへは輕く見るべし
 
照月夜可聞《テルツクヨカモ》、」
 
1071 山末爾《ヤマノハニ》、 (卷十五)に同歌と見ゆるに山葉とかければここもしかよむべきなり
 
不知與歴月乎《イザヨフツキヲ》、將出香登《イデムカト》、待乍居爾《マチツヽヲルニ》、與曾降家類《ヨゾクダチケル》、」 (卷十五)又此下の次の枚にも似たる歌有末の句今本にふけにけるとあり又次の歌にふけにつゝとあればさも訓べけれど古訓によりてあらたむ
 
1072 明日之夕《アスノヨヒ》、將照月夜者《テランツクヨハ》、片因爾《カタヨリニ》、今夜爾因而《コヨヒニヨリテ》、夜長有《ヨナガヽラナム》、」 妹にあへるか何ぞ此夜のながゝれとねがへる事のあるならんよりて片よりによれといふ
 
1073 玉垂之《タマダレノ》、 冠辭
 
小簾之間通《ヲスノマトホシ》、獨居而《ヒトリヰテ》、見驗無《ミルシシナキ》、 獨見てはなり
 
暮月夜《ユフヅクヨ》鴨、」 此歌は女の歌なるべしさてをすの間通しよりゆふ月とつゞく隔句なり
 
1074 春日山、押而照有《ナベテテリタル》、 今本てらせるとあれどさらば所照と書べしこは今妹が庭にさやけき此月は前に春日の山にてりたるといふなればてりたるとよむべし
 
此月者、妹之庭|母《ニモ》、清有家里《サヤケカリケリ》、」 妹が家に來て見たるなりさやけかりの加は久阿の約にてさやけくありなり
 
1075 海原|之《ノ》、道|遠鴨《トホミカモ》、月讀《ツキヨミノ》、明少《ヒカリスクナク》、夜者更下乍《ヨハクダチツヽ》、」 月の光のうすくなり行は夜も明方にくだちくだつならんとなりこは船の上又は西の國のうみ邊にてよめるならん末の句今本にはふけにつゝとあるもわろからねど前にもいふ如く古訓なれば義訓によりて改
 
1076 百師木之、 冠辭
 
大宮|人之《ビトノ》、退出而《マカリデヽ》、 大宮所よりまかりいでゝなり今本たちいでゝと訓るは誤りなり
 
遊今夜|之《ノ》、月(ノ)清左《サヤケサ》、」 今宵といふにはあらず此夜といはんが如し
 
1077 夜干玉之、 冠辭
 
夜渡月乎、將留爾《トヾメムニ》、西(ノ)山邊爾、塞毛有糠毛《セキモアラヌカモ》、」 塞は關もあらぬかなり
 
1078 此月之、 今照月をいふなり
 
此間來者《コノコロクレバ》、旦今跡香毛《ケフトカモ》、妹之出立(チ)、待乍將有、」 逢し頃の月日に成て又其夜月てりたりけんをさやけゝれば妹が門部に出立待らんとなり此月は歳月の月なりと見る説はわづらはし
 
1079 眞十鏡、 冠辭
 
可照月乎《テルベキツキヲ》、白妙乃、 冠辭
 
雲香隱流、天津霧鴨、」 月の出ざるをよめるなり
 
1080 久方乃、 冠辭
 
天《アマ》照月者、神代爾加、 【神代爾加の爾はながらにの約にて神ながらのながらと同くまゝてふ言にて神代のままに歟と云意なり】
 
出反等六《イデカヘルラム》、年者經去乍、」 こは年經てかはらぬをいへるならん神代より幾度もかへりては出かはらぬとなり
 
1081 烏玉之、 冠辭
 
夜渡月乎、何怜《アハレトテ》、 あはれむとてなり
 
吾居袖爾、露|曾《ソ》置爾※[奚+隹]類、」 この下の句に古ふりの面白き味あり夜の露も置からに月にめでゝふかくあはれを思ふ心しるし
 
1082 水底之《ミナソコノ》、玉障清《タマサヘキヨク》、可見裳《ミツベクモ》、 玉障は借字|副《サヘ》の意夜の深行のちまでもきよく見せつべくの意なり
 
照|月《ツク》夜鴨、夜|之《ノ》深去者《フケユケバ》、」
 
1083 霜雲入《シモグモリ》、 雲入は借字のみ降霜にて空もくもれるかとなり
 
爲登爾可將有《ストニカアラム》、 するとにかあらんなり
 
久堅之、 冠辭
 
夜度月乃、不見念者《ミエヌオモヘバ》、」
 
1084 山(ノ)末爾《ハニ》、不知夜經《イザヨフ》月乎、何時母《イツトカモ》、吾待將座《ワガマチヲラム》、夜者|深去《フケニ》乍、」 上の枚に同歌少し違へる有
 
1085 妹|之《カ》當、吾袖|將振《フラム》、木間從、出|來《クル》月爾、雲|莫《ナ》棚|引《ビキ》、」 此照月に我袖ふらんに妹が見んあたりに雲なたな引そと云なり
 
1086 靭《ユキ》懸流、 一本に鞆かくると有
 
伴雄廣伎《トモノヲヒロキ》、 ともの雄廣きとは大伴の氏の人のおほきを云
 
大伴爾、 大伴氏の居所にといふなるか又宮門を守る氏なれば大伴の陣にといふか衞門府などにてよめるにもあらん此伴を靭負伴《ユゲヒノトモ》と云
 
國將榮常《クニサカエムト》、月者照良思《ツキハテルラシ》、」 いたく月のてりまさるにめでて此氏人らが賀《ホギ》てよめるなり
 
1087 痛足河《アナシガハ》、 大和國|城上《キカミノ》郡に在
 
河浪|立奴《タチヌ》、卷目之、由槻我高仁《ユツキガタケニ》、雲立立思《クモゾタツラシ》、」 雲井たな引とよめるあれど居の字なき方ぞよしとせん一本に居の字なし活本に有の字なし雲ぞたつらしぞよき一本活本によりて居有の二字をすてつ
 
1088 足引之、 冠辭
 
山河之(ノ)瀬之、響苗《ナルナヘ》爾、 なる並になり
 
弓月高《ユツキガタケニ》、雲立渡(ル)、」 風の吹來て浪たち河瀬のなる並に弓月嶽に雲のたつとなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出  前にいふが如くなればすてつ
 
1089 大海爾《オホウミニ》、島毛|不在爾《アラナクニ》、海原《ウナハラノ》、絶塔浪爾《タユタフナミニ》、立有《タテル》白雲、」 大海に島もなきに雲のたてるはと疑てよめるなり海原には今も有すがたなり
 此歌左に右|一首《ヒトクサ》伊勢從駕作《イセノオホミトモノトキヨメル》とありかくあるほどにて名をしるさぬは如何後人のさかしらならん
 
1090 吾妹子|之《ガ》、赤裳(ノ)裾之《スソノ》、將染※[泥/土]《ヒヅチナム》、 今本そめひぢんと訓しは字になづみて意を忘れたるなり豆知約知にてひぢなり又其ぢは多志約なる事既に云
 
今日|之《ノ》※[雨/泳]※[雨/沐]《コサメ》爾、吾共所沾者《ワレモヌルレバ》、」 今本われとぬれぬなど訓るは助字もたがひ假字の例もたがへればあらたむ【凡字音を假字に用は音の頭の假字を用ひ訓は下の字を用るは例なりたとへば信《シン》は信《シ》の假字とし共《トモ》は毛の假字とするが如し】
 
1091 可融《トホルベク》、 今本とほるべきと訓るは助辭たがへりよりて改む
 
雨|者莫零《ハナフリソ》、吾妹子|之《ガ》、形見之|服《コロモ》、吾下爾著有《ワレシタニキタリ》、」
 
1092 動神之《ナルカミノ》、 冠辭
 
音耳聞《オトノミキヽシ》、 今本おとにのみきくと訓たれど(卷十五)に鳴神乃音耳聞師ともよめる例あればこれによりておとのみきゝしと訓つ
 
卷向之、檜原山乎、今日見鶴鴨、」 卷牟久乃日代宮はいにしへ景行天皇のおはしましければ此檜原の山も名高きをけふ初て見つるとよろこぶなり
 
1093 三毛侶之、其《ソノ》山|奈美爾《ナミニ》、 山ならびになり
 
兒等手乎《コラガテヲ》、 冠辭
 
卷向山者、繼之宜霜《ツギノヨロシモ》、」 三毛呂の山よりつゞく此卷向山もよろしとなり兒等手は卷向山といはん冠辭のみつぎに意有にあらず
 
1094 我衣《ワガキヌノ》、色服染《イロツキソメツ》、味《ウマ》酒、 冠辭四言
 
三室(ノ)山(ノ)、 三輪の山なり次の歌即三輪なり
 
黄葉|爲在《シタルニ》、」 第二の句今本にこいろ着そめたりとあるはわらふべし末の句もみぢしたるにとあればいろづきそめつと訓べし【奥人按に染はそみつと訓べしみは萬利の約にてそまりつとなればなり】
 右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出 前にいへるが如し
 
1095 天諸就《アモリツク》、 冠辭今本天を三に誤草の手の天を三と見たる誤なる事冠辭考に委し【天諸就三輪山とつゞけし事冠辭考に見えず詞草小苑などにもなし按にこも天降付天之香山天諸著鹿背山などの如く崇き山故にあもりつくちふ冠辭を置しにや奥人】
 
三輪山|見者《ミレバ》、隱口乃、 冠辭
 
始瀬之《ハツセノ》檜原、所念鴨《オモホユルカモ》、」 歌の意は三毛呂之其山奈美爾云云の歌に同じつゞけなり
 
1096 昔者之《イニシヘノ》、事波|不知乎《シラヌヲ》、我見而毛、久成奴、天之香具山、」 こはわが世に見しもひさしきとありのまゝによめるまことに古歌なり
 
1097 吾勢子乎、乞許世山登《コチコセヤマト》、 此下に越乞《ヲチコチ》所聞と落句にあれば乞はこちと訓べし
 
人者|雖云《イヘド》、君毛|不來益《キマサズ》、山|之《ノ》名|爾有之《ナラシ》、」 名奈良之の爾《ナ》は爾阿約の意もて爾有と書るなり巨勢山は神名式に葛上郡巨勢山口神社とあるをよめるなるべし
 
1098 木道爾社、妹山|在云《アリトイヘ》、三櫛上《ミクシゲノ》、 今本櫛上とありてかづらきのと訓り一本によりて三をくはへて訓も一本による三《ミ》は眞の意なり猶考るに三は玉の畫の消しか委は冠辭考にいへり
 
二上《フタカミ》山母、 式に葛下郡葛木二上神社二座とあり
 
妹許曾有|來《ケレ》、」 (卷二)の挽歌に「うつそみの人なる我やあすよりは二上山を弟世《イモセ》とわが見む」とよめり大津皇子移葬時の歌なり此類ならんか
 
1099 片岡之《カタヲカノ》、 式葛下郡片岡坐社とあり
 
此向峯《コノムカツヲニ》、 今本こなたのみねと訓るはあやまりなり
 
椎蒔者《シヒマカバ》、今年夏之《コトシノナツノ》、陰爾將比疑《カゲニナミムカ》、」 なみんかはならばんかなり
 
1100 卷向之、病足《アナシ》之川|由《ユ》、 病は痛の誤歟
 
往水之、 如を籠
 
絶事無、又反將見、」
 
1101 黒《ヌバ》玉|之《ノ》、 冠辭
 
夜去來者《ヨルサリクレバ》、卷向之 川音高之母《カハトタカシモ》、荒足鴨疾《アラシカモトキ》、」 川音の高きは嵐のはげしきかとなり
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出  下前に准てしれ
 
1102 大王之《オホキミノ》、 冠辭
 
御笠(ノ)山之、 添上郡總名曰春日山三笠山其下にあり
 
帶爾爲流、細谷川之、音乃|清也《サヤケサ》、」 古今歌集に「まがねふくきびの中山帶にせるほそ谷川の音のさやけさ」此歌は承和の御《オホミ》べのきびの國の歌なり御べは大嘗會にておほなべの事なり右の歌は此歌をとりなほしてよめるなり【さやけさのさはしなの約奥人】
 
1103 今敷《イマシク》者、 既いふ如く今はなり
 
見目屋跡念之《ミメヤトモヒシ》、三芳野之、大川余杼乎、今日見鶴鴨、」
 
1104 馬並而、三芳野|河《ガハ》乎、欲見《ミマクホリ》、打|越來而曾《コエキテゾ》、滝《タギ》爾|遊《アソビ》鶴、」 思ふどち馬並川渡り越遊べる心やりをよめるならん 
1105 音聞《オトニキヽ》、目(ニ)者|未見《マタミヌ》、吉野河、六田《ムツダ》之與杼乎、 吉野川に在
 
今日見鶴鴨、」
 
1106 河豆鳴、清(キ)川原乎、今日見而者、 今目の前に見てしのぶとなり下に見乍將思とあるも目の前にしたふなり
 
何時可越來而《イツカコエキテ》、 再びいつの時か來てなり
 
見乍|偲食《シヌハム》、」 けふのおもしろさに又けふの如見つゝめでんとなり
 
1107 泊瀬河、 城上郡
 
白木綿花爾《シラユフバナニ》、墮多藝都《オチタギツ》、瀬清跡《セヲサヤケシト》、 今本さやけくとゝあれどてにをはたがへり
 
見爾來之吾乎、」 此乎は助辭のみ意なし集中例多し【吾乎の乎は與に通し見てよからむおく人】
 
1108 泊瀬川、流水尾之《ナガルヽミヲノ》、 尾は借字|水脉《ミヲ》なり【水尾のをは伊呂約水色なり凡水は其色もて淺深もしらるれば水をと云奥人】
 
湍乎|早《ハヤミ》、井|提《デ》越《コス》浪之、 提は堤の誤ならん字音にはあらず刀米約泥なり堰止の意なり水をせくをいふ式に堰留神社といふもありくはしくは(卷四)朝東風爾井堤越浪之云云の歌にあり
 
音之清也《オトノサヤケサ》、」 今本久とあるは前にもありし如く也なるを草の手より誤りつらん
 
1109 佐|檜《ヒ》乃熊、 今本熊を能に誤るなり
 
檜《ヒノ》隈川之、 檜隈は高市郡なり其|地《トコロ》の川なればかさねいふ佐の發語を加へたるはうるはしく重ねいはんための古意なり
 
瀬乎早(ミ)、君|之《ガ》手取|者《バ》、 川をわたる時手を取なり夫によりて人の云たてんと云
 
將縁言《コトヨセム》毳、」 今本よらんてふかもと訓たれど意とほらずあらためつ
 
1110 湯種蒔《ユダネマク》、 湯は借字齋種の意末の卷にも同語あり水口祭などするときにいふなり
 
荒木之小田|矣《ヲ》、求跡《アサラント》、 あさらんは小田にある食物をもとめんとてなりあさりは足獵の略言なり鳥の食求るに足にてさぐりかりてとればなり志加の約左なればつづめいふ語なり轉じては人の物たづぬるをもいふ下に島廻をあさりとよませたるは海人のすなどりなどするより歟義訓なり求食をあさりといふと同じ
 
足結出所沾《アユヒテヽヌレヌ》、 あゆひをしていてゝぬれしといふなり
 
此水之湍爾《コノカハノセニ》、」 式に宇治郡荒木神社是をいふなり川とは其ほとりにある小川などをいふならん
 
1111 古毛《イニシヘモ》、如此《カク》聞乍哉、偲兼《シヌビケン》、 いにしへの人も吾きゝしぬべるが如くきゝなししぬびけんやといふなり
 
此(ノ)古《フル》河之、 山邊郡ふるの川又泊瀬川をふる川のべとはいふなり
 
清瀬之音矣《キヨキセノトヲ》、」
 
1112 波禰※[草冠/縵]《ハネカヅラ》、 はねかづらは放※[草冠/縵]《ハナチカヅラ》にて奈知約仁なるを禰に通しいふくはしくは別記にいふ
 
今爲妹乎《イマスルイモヲ》、浦若三《ウラワカミ》、 浦は借字裏にて心なり若は稚なりみづ/\しきなり
 
去來率去川之《イサヰサガハノ》、 式に添上郡率川坐大神御子神社三坐と見ゆる是なり 
音《オト》之|清左《ヤヤケサ》、」 此歌は四の句の始まではゐといはん序なりゐは率《ヒキヰ》るなり意は川音のさやけさとほむるのみかゝるぞまことに古のすがたなる
 
1113 此小川《コノヲガハ》、 此小川は大和の吉野などのうちにあるならん
 
白氣結《キリゾムスベル》、瀧至《タギチユク》、八信井上爾《ハシリヰノヘニ》、 走井大和にもあるか伊勢近江にも有井は前に云如く堰なり流ほどばしる程の井は皆走井といはんか
 
事上不爲友《コトアゲセネドモ》、」 日神|索2取《コヒトラシ》素戔嗚尊十握釼1打2折|三段《ミキダニ》1濯《フリスヽギ》2於天(ノ)眞名井1※[齒+告]然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧《サカミニカミテフキウツルイブキノサギリニ》とありこをふまへて此歌はよめるならん
 
1114 吾紐乎、妹手以而《イモガテモチテ》、 こは序にいへるのみ
 
結八川《ユフバガハ》、 吉野にあり
 
又還見(ン)、萬代左右|荷《ニ》、」
 
1115 妹|之《ガ》紐、結|八《バ》川内乎《ガフチヲ》、古之、淑人|見等《ミキト》、 (卷十)古之賢人乃遊兼(卷一)に淑人良跡吉見而と有類なり今本に並人とありてみなひと見きと訓るは歌の意とほらずよりて淑の誤とす
 
此乎誰知《コヲタレカシル》、」 既に引卷一の歌をもとにて其ごとくよくよしと見る人はたれかあらし見る人ぞ見んとなり
 
1116 烏玉之、 冠辭
 
吾黒髪爾、落名積《フリナヅム》、 積は借字にてふりなづめるなり
 
天之露霜、 露霜はひとつ物なればつらねいふとは契冲が説よし
 
取(レ)者《バ》消乍《ケニツヽ》、」 こは露霜のふかく降おける夜道行に髪に露霜のかゝればふりはらひ/\すれども又置まゝに髪をふりはらふになづみ堪で手にとり見ればきゆるとならん
 
1117 島廻爲等《アサリスト》、 既に前の枚にいふ如く義訓なり爲等はするとての略なり
 
礒爾見之花、風吹而、波者|雖縁《ヨルトモ》、不取不止《トラズバヤマジ》、」 磯邊に見し花にめでゝをさなくよめるならん
 
1118 古爾、有險《アリケン》人母、如吾等|架《カ》、 如吾架にてよきを等を添るたぐひ集中に例し多し
 
彌和乃檜原爾、 今本是をひのくにと訓たれど例は集中にも多此次の歌にもひばらと有
 
挿頭折兼《カザシヲリケン》、」 今本折を切と書たれど假字はをりけんとす依て字を誤る事しるければ改かざし折けんは此檜の枝を折しならんとなり
 
1119 往川之、 冠辭
 
過|去《ニシ》人|之《ノ》、 右の古への人を云問答歌なり
 
手不折者《タヲラネバ》、裏|觸立《ブレタテリ》、 うらぶれの意既にいへり
 
三和之檜原者、」
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
1120 三芳野之、青根《アヲネ》我峯之、 吉野郡なり
 
蘿席、誰將織《タレカオリケム》、經緯無二、」 むしろといふよりおりけんといひそれよりして經緯なしにといふなり
 
1121 妹所等《イモガリト》、 妹がもとへとてなり
 
我通路、細竹爲酢寸《シノスヽキ》、 しのはしのふをいふなりやがてしなひすゝきなり 
我通《ワレシカヨハヾ》、靡《ナビケ》、細竹原《シノハラ》、」 即すゝき原なり
 
1122 山際爾《ヤマノマニ》、渡秋沙乃《ワタルアキサノ》、往將居《ユキテヰム》、其河(ノ)瀬爾、浪立|勿《ナ》湯目《ユメ》、」 秋沙は今もあいさといふ小鴨なりかくめづるばかりの鳥ならずよそへいふならんさて右の歌は相聞の譬喩にてこゝに入べきにあらずよりて小書す
 
1123 佐保河之、 添上の郡なり
 
清(キ)河原爾、鳴知鳥、河津跡|二《フタツ》、 此二をふたつと訓は歌詞にあらざればともにと訓んかといふ説あれどさらば二二とか又は二爾ともかくべしすべて此書體皆てにをはの假字あるに二とのみありてともにともよむべからず
 
忘金津毛、」
 
1124 佐保河爾、小驟《アソブ》千鳥(ノ)、夜三更而《ヨクダチテ》、 今本さよふけてと訓たれど夜くだちとよむべし例あり
 
爾音聞者《ナガコヱキケバ》、宿不難爾《イネガテナクニ》、」 不勝宿なり奈久の約奴なり
 
1125 清湍爾、 神南備川を云
 
千鳥妻|喚《ヨブ》、山(ノ)際《マ》爾、霞立良武、甘《カン》南|備《ビ》乃里、」
 
1126 年月毛、未經爾、明日香河、湍瀬由渡之《セヾユワタリシ》、石走無《イハバシモナシ》、」 いはばしは既にもいふ如今飛石といふがごときにて淺ら水わたるたよりなり其飛石どものいつしかなくなりしと世の移りかはりをよめり
 
1127 隕田寸津《オチタギツ》、走井水之、 前にもいふ如大和にも有か近江伊勢にもあり
 
清有者《キヨカレハ》、度者《ワタラバ》吾者、去不勝可聞《ユキガテヌカモ》、」 ゆきがたからんなり
 
1128 安志妣成、 冠辭
 
榮之者|之《カ》、穿之井之、石井之水者、雖飲《ノメド》不飽鴨、」 しみづをめでゝよめるのみならん
 
1129 琴取者、嘆|先立《サキダツ》、蓋毛《ケダシクモ》、 けだしもなりくは添ていふのみ
 
琴之|下樋爾《シタビニ》、嬬哉|匿有《コモレル》、」 琴の裏の穴を下樋といふ右の歌は、みまかれる妻の手馴し琴を取てひく物からなげき先だつといふことばも下樋につまやこもれるてふことばもあるならん且雜歌といへと前後水の事なり此歌ここに在べきならず挽歌の亂れてこゝに入たる物として小書するなり
 
 芳野作。
1130 神左振《カミサブル》、磐根己凝敷《イハネコヾシキ》、 岩がねのこり/\しきを云しきはしげき意なり
 
三芳野之、水分山乎《ミクマリヤマヲ》、 式に水分坐皇神等、水配《ミツクバリ》と云|婆《バ》と麻《マ》は清濁通ふなり依て美久萬里と云なり田に引水の源に坐神なればなり記に天之水分神(訓v分云2久萬里1)如此なれば今本にみづわけ山と訓めるは誤なるをしれ
 
見者悲毛、」 めづるきはみのかなしみなり
 
1131 皆人之、戀《コフル》三吉野、今日見者、諾《ウベ》母|戀來《コヒケリ》、山川|清見《キヨミ》、」 淑人のよしとよく見てゝふ御製の如くみな人の戀るもうべなり此吉野の山川を見ればなり
 
1132 夢乃和太《イメノワダ》、 吉野のうちにあるならん(卷十四)吾行者久者不有夢乃和太
 
事西|在來《アリケリ》、 事は言なり
 
寤毛《ウツヽニモ》、見而來物乎《ミテコシモノヲ》、念四念者《モヒニシモヘバ》、」 見まほしと思ひしかひ有てうつゝに見て來し物を思へば夢の和田てふは言のみにざりけりとなり
 
1133 皇祖神之《スメロギノ》、 式などにも皇祖神と有はかみろみと訓て神代の皇神達を申すを此集(卷十四)に赤人伊豫の湯の歌其下の挽歌にも皇祖神とあるはたゞすめろぎとて今上を申す事とせりおもふに此集の祖の字にはことわり無なり
 
神宮人《カミノミヤビト》、 禁中の宮人をさし云
 
冬薯蕷葛《フユモツラ》、 冠辭葛をつらと訓は(卷十)蒐原處女長歌に冬薯蕷都良とあるにてよめり今本さねかづらと訓たれど五味子と書てさねかづらとよみこせたれば冬薯蕷とかくべきよしもなし彌常及とかゝりたるはかづらのいもかづらの如きをもて冬もづらといふにて葉有物とは覺えずこは忍冬にて冬も葛のたえずあれば彌常及とかかるされば我もさきくありて幾度もこゝを見むとなりこはやごとなき御説をもていへりくはしくは別記にいふなり【忍冬《スヒカツラ》は冬も葉有ものなるに葉有ものとは覺えずとは誤なりこはいもかづらの葉はおちぬれどかつらは冬も有】
 
彌常敷爾、吾反將見《ワレカヘリミム》、」 吉野をかへり見むとなり
 
1134 能《ヨシ》野川、石迹柏等《イハトカシハト》、 かく書るは借字のみこは石門の名にて石門堅石《イハトカタイシ》を約いふか加多伊波の多伊の約知なるを志に通して伊波刀我志波といふなり次の句常盤なればなり
 
時齒成《トキハナス》、 常磐をしらせたる借字なり常盤《トキハ》常葉《トコハ》別なりよりて時を借て書りとこいはの古伊約伎なり
 
吾(レ)者|通《カヨハン》、 萬世左右二、」
 
 山背作。
1135 氏河齒《ウヂガハハ》、與杼湍無之《ヨドセナカラシ》、 よどみも瀬もなければにや網代の多しといふなり
 
阿自呂人《アジロビト》、 あじろ守なり
 
舟|召音《ヨブコヱハ》、越乞所聞《ヲチコチキコユ》、」 あちこちの網代守の船呼聲の聞ゆとなり
 
1136 氏河爾、生菅藻乎《オフルスガモヲ》、 菅藻とてあるか清藻か食物ならでも都人のめづらしむ故にとりし歟古へありて今はたえしか宇治にきかず今ありても花がつみなどを人の思ひわすれたる如くあれども知らぬか里人にも猶問べし
 
河早(シ)、不取來爾家里《トラズキニケリ》、裹爲益緒《ツトニセマシヲ》、」
 
1137 氏人之(ノ)、譬乃足白《タトヘノアジロ》、 人麻呂の歌に武士の八十氏川の網代木にとよみて八十氏の人の名高きが多きを八十といひかけ氏を宇治にいひかけて宇治川の網代を作《ヨメ》るがやがて譬の如きいひなしに聞ゆればこゝにたとへの網代といひて其鋼代を吾身にとりなし木つみの網代木によるが如く我を慕ひて人のよらましといふなりされどもものゝふの八十氏人とは冠辭考に千早人宇治又武士の八十氏の條にくはしくいへるは氏の事にあらで二つの冠辭皆|稜威《イヅ》てふ言にかゝれりとす爰には八十氏と氏の事になしてとかではいかにも解れず集中の歌に武士の八十とかゝりて其氏人の多をほめたる歌數あり猶くはしく別記にいふいづれにも此歌解得がたき歌なり後の人猶考得たる事あるをまつのみ〇木豆美はこづもりなり毛利約美なればこづみといふなり
 
吾在者《ワレナラハ》、今|齒《ハ》世良|増《マシ》、 今本世を王とす一本生とあり生王世などの草の手より誤りしと見ゆれば世に改むよといはでは聞えず
 
木積不成友《コツミナラズトモ》、」 (卷四)木積成といひ其下に木糞と書るにいふが如しこはあじろぎにかゝりよれるなればそを譬へ言ならん成を今本來とするは成來の誤ならん【此歌契冲は述懷の歌にてこゝに入べき歌にあらずといへりこを述懷の歌とせば氏人の譬のあしろわれなれば今はよらまじこすみならすともとよまむ歟心はあじろのごときいやしき我なればこすみならずとも今はより來らしといふ歟心むづかし》
 
1138 氏河乎、船令渡呼跡《フネワタセヲト》、雖喚《ヨバヘドモ》、不所聞有之《キコエザルラシ》、※[楫+戈](ノ)音毛不爲《トモセズ》、」 早川の瀬の水音に船よぶ聲もきこえずかぢの音も聞えぬをいらへなき戀に譬てよめるなり【譬喩歌は末に在こは戀の譬歌にはあらじ只所につけてよめる有のまゝの歌なるべし奥人】
 
1139 千早人、 (冠辭)ちはやのははわのごとくとなふ
 
氏川浪乎、清(ミ)可毛、 きよくもありてかといふなり
 
旅|去《ユク》人之立|難爲《ガテニスル》、」 たちさりがたくするなり
 
 攝津作《ツノクニヽテヨメル》。
1140 志長鳥、 冠辭
 
居《ヰ》名野乎|來者《クレバ》、 居名は猪名とも書て攝津國河邊郡に在
 
有間山、 有間郡なり
 
夕霧|立《タチヌ》、宿者無爲《ヤドハナクシテ》、」 旅行まに/\夕霧ふかく立て行方もわかずせんすべなしといへり一本猪名乃浦廻乎※[手偏+旁]來者とあるは宜しからず 
1141 武庫河(ノ)水尾急嘉《ミヲヽハヤミカ》、 水尾を今本みづをと訓て尾を假字によみたれど尾はてにをはの假字に用ず且此歌てにをはの假字はそへてよませたれば水尾をと訓べきをしる次の歌に水尾早見鴨とよみたるをもてもかく訓べきを思へ
 
赤駒《アカゴマノ》、足何久激《アガクソヽギニ》、沾祁流鴨《ヌレニケルカモ》、」 武庫川は攝津國武庫郡なり足何久は足掻《アシガキ》を畧いふなり
 
1142 命《イノチノ》、 四言
 
幸久吉《サキクヒサシキ》、石流《イハバシル》、垂水水乎《タルミノミヅヲ》、結飲都《ムスビテノミツ》」 たるみの水をのめば命ながしと云つたへのありしならん
 
1143 作夜深《サヨフケ》而、 作はさの假字ならん又佐のあやまり歟
 
穿江水手鳴《ホリエコグナル》、 紀(仁徳)十一年十月堀2宮(ノ)北|之《ノ》郊原《ハラヲ》1引2南(ノ)水(ヲ)1以入2西海1因以號其處曰2堀江1
 
松浦船、梶(ノ)音《ト》高之、水尾《ミヲ》早見鴨、」 松浦船は伊豆舟などいふに同じく松浦の船なり水脉のはやきに梶の音の高なり
 
1144 悔毛《クヤシクモ》、滿奴流鹽鹿《ミチヌルシホカ》、墨江之《スミノエノ》、岸乃浦|囘從《ワユ》、行益物乎《ユカマシモノヲ》、」 磯邊つたひてゆかんを鹽滿て行得ずとなり
 
1145 妹爲《イモガタメ》、貝乎拾等《カヒヲヒロフト》、陳奴乃《チヌノ》海爾、 陳奴は和泉國知泥をいふ歟
 
所沾之《ヌレニシ》袖者、雖凉常不干《ホセドカハカズ・ホセレトヽヒス》、」 下に雖干跡不乾これと同じ常は添しのみ【凉輕寒也雖凉常不干撮要抄にヒユレトホサスト訓り】 
1146 目頬敷《メヅラシキ》、人乎|吾家爾《ワギヘニ》、 是まではすみのえといはん序のみにて冠辭ともいはめ
 
住吉之、岸乃|黄土《ハニフヲ》、將見《ミム》因毛|欲得《ガモ》、」 きしのはにぶに行にほひて見んよしをこひおもふなり
 
1147 暇有者、拾爾將往、住吉之、岸(ニ)因|云《トフ》、戀忘貝、」 古今集に戀忘草と此歌をかへたり
 
1148 馬雙而、今日吾見鶴、住吉之、岸之|黄土《ハニフヲ》、於萬世見《ヨロヅヨニミン》、」 ながく相見んとことほぎてよめり
 
1149 住吉爾、往|云《トフ》道爾、昨日見之、戀忘貝、事二四有家里、」 事は借字言なりきのふ見し忘貝はたゞ言のみにて戀わするゝにはたのめがたしとなり
 
1150 墨吉之、岸爾|家欲得《イヘモガモ》、奥爾邊爾《オキニヘニ》、縁《ヨスル》白浪、見乍|將思《シヌバム》、」 上の河豆鳴清河原云云の末の句をまのあたり見るを見つゝしぬばんとよめり此歌も岸に家あらばなり
 
1151 大伴之、 冠辭
 
三津之濱邊乎、打曝《ウチサラシ》、因來《ヨセクル》浪|之《ノ》、逝方不知毛《ユクヘシラズモ》、」 此集の次手をはじめにいへるにも此卷には藤原のふりにし里とよめる歌もあればならの宮の歌を集しならんとおもへば此歌は人麻呂ぬしの武士の八十氏河てふ歌をおもひてよめるならんすがたにるものにもあらず
 
1152 梶之|音曾《トゾ》、髣髴爲鳴《ホノカニスナル》、海未通女《アマヲトメ》、奥藻《オキツモ》刈爾、舟出|爲等《スラ》思母、」 一本暮去者梶之音爲奈利と有
 
1153 住吉之、名兒《ナゴ》之濱邊爾、馬|並《ナメ》而、 今本馬立而とあり後世|平言《ツネコト》に馬をたつるなど云と此比にきこえず一本に馬並とあるからは誤しるしよりて字も訓も改
 
玉拾之久《タマヒロヒシク》、 久は添たるのみ上の今しくと云に同じ【之久之はしたりの約久は計留の約なりよりて玉ひろひしたりけるといふならむ又之久の約須なり此須奥人云は之多留の約玉ひろひしたると云にもあらむ】
 
常不所忘《ツネワスラレズ》、」
 
1154 雨者|零《フル》、借廬者作《カリホハツクル》、何暇爾《イツノマニ》、名兒《ナゴ》之鹽干爾、 今本吾兒とありて假字はなごと有此事くはしく論なかりしにや次下四首めの歌に阿胡の海とあるもて此歌もあごと訓を改るよしのみ有諸成今案るに此並の歌廿一首の初の歌の右に攝津作とあり又其前山背作とあるも他國他所の歌をまじへずはじめにそを心得て部類はわけて集しならんされば此歌より四首の歌も他國の歌なるべからす殊に此歌の上の歌に住吉之名兒之濱とありて此歌次も奈呉とあり又一首をへだてゝ阿胡とありこを上の歌どもをもておもふに此四首は皆名兒なるべし此歌は名を吾に誤り次は何を阿に誤るにてみな草の手より見誤りしならん殊に歌の體も同じく鹽干の玉ひろはんなどよめるなみなればいよゝ津の國の同じ地名の歌なるべしもとも訓を假字に用ゐずといへども地名には其きらひなきにや既に前の歌に名兒と書又志摩國阿胡にも吾兒とも書けるをおもへば其外地名には訓を假字に用ゐし事集中に例あり殊に今本の訓によりても字を改むべき事にこそ 
玉者|將拾《ヒロハム》、」
 
1155 奈呉乃海之、朝開《アサゲ》之|奈凝《ナゴリ》、 朝開は既いふ如く朝かげなり奈凝は餘波にて潮干ののこりたるを云
 
今日毛鴨、磯之浦囘爾、亂而將有、」 歌の意は潮もよく干朝げの餘波のさまよろしければけふは亂居て貝拾ひ玉藻苅て遊をらんとなり
 
1156 住吉之、遠里小野之《トホザトヲノノ》、 遠里小野は今をりをといふ地有これならん其野の萩をよめるなり【遠里小野住江郡に在】
 
眞榛以《マハギモテ》、須禮流衣乃、盛|過去《スギユク》、」 日を經たる事をよめるなり
 
1157 時風吹麻久不知《トキツカゼフカマクシラニ》、 時つかぜは汐時の風なり不知を今本にしらずと字のまゝに訓るは誤なり
 
何胡乃海之《ナゴノウミノ》、 今本に阿胡とありてあごと訓るは誤なるよし上にいへる如し
 
朝|明《ゲ》之鹽爾、 朝明とあるも朝がけなり字によりて泥むべからずよしもてかけるのみ
 
玉藻|苅奈《カリテナ》、」 こはあさなぎに玉藻かりてあれななり加利弖阿禮奈の弖阿の約多なり又其多と禮を約れば弖となればかりてなとはいふなり
 
1158 住吉之、奥津白波、風|吹者《フケバ》、來依留《キヨスル》濱乎、見者淨霜《ミルハキヨシモ》、」 歌の意は風吹は沖つ波の住吉の濱にきよするを見るはきよしとなり見者《ミルハ》の者は例のにゝ通ふはなり今本に見ればと訓るはしからずこをさやけきと訓もあれどきよするきよしとうけたればよみこせのかたにしたかふべし殊に見るとあるからはきよしといふべし
 
1159 住吉之、岸之|松根打曝《マツガネウチサラシ》、縁來浪之《ヨセクルナミノ》、音之清霜《オトノサヤケサ》、」 今本霜を羅とす一本によりてあらためつ末の句きよしもとよむもあれどうちさらしといひおとのとさへいへばよみこせのまゝさやけさと訓ぞ意かなへり
 
1160 難波|方《ガタ》、 方は借字滷なり
 
鹽干丹立而、見渡者、淡路島爾、多豆|渡所見《ワタルミユ》、」 
 
覊旅作。
1161 離家《イヘザカリ》、 いへ遠ざかるなりさを濁るべしこれをもて天ざかるひなざかるをしるべし
 
旅西在者、秋風、寒暮丹《アムキユフベニ》、雁|喧渡《ナキワタル》、」
 
1162 圓方之《マトガタノ》、 伊勢の國なり(卷二)に的方
 
湊之渚鳥《ミナトノスドリ》、浪立也、 今本也を巴とす誤しるければ一本によりて也に改むさて此やは浪たつゆゑにやなり
 
妻唱立而《ツマヨビタテヽ》、邊近著毛《ヘニチカヅクモ》、」 こは水門の洲崎などに群居鳥のさす汐に浪たちくればともよびたてゝ磯邊によるを云
 
1163 年魚市方《アユチカタ》、 尾張國愛知郡の海の潟を云
 
鹽|干《ヒニ》家良思、知多乃浦爾《チタノウラニ》、 同國知多郡の浦也
 
朝※[手偏+旁]舟毛《アサコグフネモ》、奥爾依所見《オキニヨルミユ》、」
 
1163 鹽|干者《ヒレバ》、共滷爾出《トモガタニデヽ》、 こは備後國鞆浦の潟歟鞆の浦は卷十四挽歌に二首此卷にも二首あり
 
鳴鶴之《ナクタヅノ》、音《オト》遠|放《ザカル》、磯囘爲等霜《アサリスラシモ》、」 あさりのことはすでにいへり
 
1165 暮名寸爾《ユフナギニ》、求食爲鶴《アサリスルタヅ》、鹽滿者《シホミテバ》、奥浪高三、己妻喚《オノガツマヨブ》、」 夕汐に浪の高くもあればあさりするすべをなみつまよびたち行たづをよめるなり
 
1166 古爾、有監《アリケン》人之、 卷十四高市連黒人の眞野の榛原をよめる歌同妻の和歌も有其歌も津の國なりこをおもひていにしへにと云か藤原の朝の人なり
 
※[不/見]乍《モトメツヽ》、衣丹摺拳《キヌニスリケン》、 介の字落しか今本の牟とのみありて假字はけんと有諸成案るに牟は拳の草の手より誤れる歟又畫の消しか字のちかゝればしばらく拳にあらたむ
 
眞野之|榛原《ハギハラ》、」
 
1167 朝入爲等《アサリスト》、磯爾吾見之《イソニワガミシ》、莫告藻乎《ナノリソヲ》、誰島之《イヅレノシマノ》、白水郎可將苅《アマカカルラム》、」 あさりは前いふ如く足狩して求食なり名のりそもとより食物なれはかくいへり其見たるをばいづれの島のあま人か苅ならんとよめるのみ
 
1168 今日毛可母、奥津玉藻者、白浪之、八重折之於丹《ヤヘヲリノウヘニ》、 かの沖に打波の折れ立しをかくいふなり
 
亂而將有《ミダレタルラン》、」
 
1169 近江之海《アフミノミ》、湖者八十《ミナトハヤソヂ》、 今本八千と有は誤なり一本によりてあらたむ
 
何爾加《イヅクニカ》、君之舟泊《キミガフネハテ》、草結兼、」 旅には道のたづきに草結し草枕もむすぶなれは八十《ヤソヂ》のいづれの湊に泊りていづちに草結して行けんとなり
 
1170 佐左浪乃、 近江國のうちの大名なり其名の地々《トコロ/\》にはみな冠らせつるなり
 
連庫山爾《ナミクラヤマニ》、雲|居者《ヰレバ》、雨|曾《ゾ》零知否《フルチフ》、 そこにいひならはせることわざをきゝえてよめるならん
 
反來吾背《カヘリコワガセ》、」
 
1171 大御舟《オホミフネ》、竟而佐守布《ハテヽサモラフ》、 はてゝさもらふは其磯に舟泊してあるを云
 
高島之、 遠江の高島なり
 
三尾(ノ)勝《カチ》野之、 同所の地名なり
 
奈伎左思|所念《オモホユ》、」 歌の意はいにしへ行幸の大御舟などの此磯にはてたりし事のありしをおもひて今猶それをよめるなり
 
1172 何處可《イツコニカ》、舟乘爲家牟、高島之、 右に同し
 
香取乃浦從、 同地
 
己藝出來《コギデクル》船、」
 
1173 斐太人之、 飛彈内匠をいふ國をいふにあらず古へは飛彈一國みな大工《タクミ》のみよりなりて飛彈人といへは大工《タクミ》の事なり
 
眞木流|云《トフ》、爾布之河《ニフノカハ》、 大和なり丹生《ニフ》の意よりてにふのふはうのごとくとなふなり
 
事者雖通《コトハカヨヘド》、船曾|不通《カヨハズ》、」 事は言なりこは此川の瀬の早きをよめり言通ふばかりの狹き川なれど舟はかよひがたきを云
 
1174 霰零、 冠辭
 
鹿島|之《カ》崎乎、 常睦の鹿島なり
 
浪|高《タカシ》、過而|夜《ヤ》將行《ユカム》、 見ずてや過ゆかんなり
戀敷物乎、」 嶋をめでおもふゆゑにいふならん
 
1175 足柄乃、筥根|飛超《トビコエ》、行鶴乃、乏見者《トモシキミレバ》、日本|之《シ》所念《オモホユ》、」 日本は大和をさしていふ歌の意は我は遠くも來ぬる哉とおもへば都の方へ鶴が飛行がともしみうらやまるゝとなり
 
1176 夏麻引《ナツソヒク》、 冠辭
 
海上滷乃《ウナガミガタノ》、 上總國海上郡
 
奥津洲爾、鳥者|簀竹跡《スダケト》、 すだくはすゝみさけぶなり
 
君者|音文不爲《トモセズ》、」 遠き沖洲には群鳥のすだく聲は聞ゆれど故郷人のおとづれもせぬとわぶるめり
 
1177 若狭在、三方之海|之《ノ》、 三方郡なりみるめの歌ばかり無なり
 
濱清美、伊往變良比、 良比約利にてゆきかへりなり伊は發語
 
見跡不飽可聞、」
 
1178 印南《イナミ》野者、 播磨の印南郡
 
往過奴良之、天傳、 冠辭
 
日笠浦《ヒガサノウラニ》、 同じ國にて赤石檜笠岡と記(推古)に見ゆ
 
波立見《ナミタテルミユ》、」 一本思賀麻江者(播磨國飾磨郡に在)許藝須疑奴良之
 
1179 家爾之※[氏/一]、吾者|將戀名《コヒムナ》、印南野乃、淺茅|之《ガ》上爾《ウヘニ》、照|之《シ》月《ツク》夜乎、」 おのが家にかへりたらば此野に照し月のさまわすられず戀んとなり
 
1180 荒磯超《アリソコス》、 あらいその良以約利なりよりてありそと云は古へなり今あらいそこすと訓るはいにしへをわすれたり
 
浪乎|恐見《カシコミ》、淡路島、不見哉將過《ミズテヤスギム》、幾許近乎《コヽタチカキヲ》、」 播磨路より西の國へ船路行に浪のあらければかしこみて見まほしき所も見ずて行が惜となり
 
1181 朝霞、不止輕引《トハニタナビク》、 常にたな引なり
 
龍田山、 難波の毎に出ては此山たゞに今道四里ばかりを隔るのみまのあたり見ゆといへり
 
船出將爲日者《フナデセムヒハ》、吾將戀香聞《ワレコヒムカモ》、」 舟出したらん日には此龍田山こひしのばれんとなり西の國へ旅行事ある前によめるならん
 
1182 海人小船《アマヲブネ》、帆毳張流登《ホカモハレルト》、 ほかもの加は疑の加なり毛は助字毳は借字なり
 
見左右荷《ミルマデニ》、鞆之浦|囘二《ワニ》、浪|立有所見《タテルミユ》、」 既にもいふ如く此歌次の歌ともに備後の鞆の浦なり
 
1183 好去而《ヨクユキテ》、 こはよくゆきてとよむべし今本の訓の如くよしゆきてにては歌の意とほらず
 
亦還見六、丈夫乃  今本丈を大に誤る
 
手二卷持在《テニマキモタル》、鞆《トモ》之浦囘乎、」
 
1184 鳥自物、海二浮|居《ヰ》而、奥津浪、※[馬+參]乎聞者《サワグヲキケバ》、數悲共《コヽダカナシモ》、」 此歌の終の一句の共は悲哭の字を義訓せる哭の誤歟又喪の誤歟といふ説もあれど考るに上の雜歌の二十三首めの歌吾妹子之云云吾共所沾者《ワレモヌルレバ》とあるに同じ訓を假字に用る例そこに云歌の意は鳥の如く海に居て悲となり 
1185 朝奈寸二《アサナギニ》、眞梶※[手偏+旁]|出而《デヽ》、見乍|來之《コシ》、三津乃松原、 攝津國西生郡に在
 
浪越似所見《ナミコシニミユ》、」 あしたに船出して海中に至りかへりみしてよめるならん
 
1186 朝入爲流《アサリスル》、海未通女等之《アマヲトメラガ》、袖通《ソデトホリ》、沾西|衣《コロモ》、雖干跡不乾《ホセドカハカズ》、」 海人のしわざに袖ぬらすを旅の歌によそへしならん
 
1187 網引爲《アビキスル》、海子哉見《アマトカモミム》、飽浦《アカノウラノ》、 今本にあまとや見らんと訓たれどらんと訓べき字なし又飽をあきのうらと訓しもよしなしこは紀伊國の今和歌浦といふを古へ明光《アカ》浦といひしよし(卷四)に飽等濱之忘具てふ歌の考にいふがごとくこもあかの訓にかりしならん
 
清荒磯《キヨキアリソヲ》、見來吾《ミニコシワレヲ》、」
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
1188 山越而《ヤマコエテ》、遠津之濱之《トホツノハマノ》、 (卷四)に遠津大浦てふ歌にいへる如く紀の國に在り此次二首は攝津の地を紀の海よりよめる歌次には紀の國の地名なり
 
石管自《イハツヽジ》、迄吾來《ワガクルマデニ》、含而有待《ツヽミテアリマテ》、」 吾かへりくるを石つゝじに契れるなり古郷人はいふもさらなり浦山越て遠き船路に旅行情さこそあらめ
 
1189 大海爾、荒莫吹《アラシナフキソ》、四長鳥、 冠辭
 
居名之湖爾《ヰナノミナトニ》、 既出
 
舟泊左右手《フネハツルマデ》、」
 
1190 舟盡《フネハテヽ》、 舟泊なり
 
可志振立而《カシフリタテヽ》、 ※[牛偏+戈]※[牛偏+可]《カシ》は和名抄に所以繋舟也とあり今の舟人もするわざなり
 
廬利爲《イホリスル》、 舟のうちにて苫などかりにおほひてあるをいほりといへるならん
 
名子江乃《ナゴエノ》濱邊、 津國の名兒の浦を云か又紀國にかくいふ地の有歟
 
過不勝鳧《スギカテヌカモモ》、」 こは海にめでゝすぎかぬるをいふ
 
1191 妹門《イモガヽト》、 冠辭
 
出入《イデイリ》乃河之、 山城の國乙訓郡入野の川をいふか又|乃《ノ》は辭にて入野にはあらぬか妹が門出入といひかけしは妹か門入いづみ川てふ表裏なり
 
瀬速見《セヲハヤミ》、吾馬爪衝《ワガウマツマヅク》、家思良下《イヘモフラシモ》、」 諺のあるによりてかくよめるならん
 
1192 白栲爾  白栲ににほふとつゞけし事此一首の外になしにほふはくれなゐなどにこそいへ言を誤るか字を誤る歟又冠辭に云如く白栲も穗にあらはれたる物なればにほふまつちといひかけたゞちに山をほむるか
 
丹保布|信士之《マツチノ》、 紀伊國なり
 
山|川《ガハ》爾、吾馬|難《ナヅム》、家《イヘ》戀良|下《シモ》、」
 
1193 勢能山爾、直向《タヾニムカヘル》、妹之山、 此二山ともに紀の國なり今云地名になづむべからず
 
事聽屋毛《コトユルスヤモ》、打《ウチ》橋|渡《ワタス》、」 山の尾など谷河に橋うちわたせる如見らるゝをかくよめるならん
 
1194 木(ノ)國|之《ノ》、狹日鹿乃《サヒカノ》浦爾、 今雜賀と云はさいの假字なる故假字違へり伊都郡に福門ありこれ福はさいはひといふ時の伊波を略て佐日《サヒ》とし加登の登を略て佐日鹿といふかさらば假字かなへり
 
出見者《デヽミレバ》、海人之燈火《アマノトモシビ》、浪間|從《ヨリ》所見《ミユ》、」 
1195 麻衣《アサゴロモ》、著者夏樫《キレバナツカシ》、 夏樫は借字なり
 
木(ノ)國之、妹背之山二、麻|蒔《マケ》吾妹《ワギモ》、」 こは麻衣着し比此妹に逢そめたるなどもてなつかしみ思ふものから麻蒔といへるなるべし紀の路の人に問ひしに彼國すべて麻はよからぬといへり此歌もて麻裳を出せし故に麻裳吉と云説は誤にて國つ物もて冠辭とする事なきよしは冠辭考にもいへり此歌の左に今本に右七首者藤原卿作未審年月とありこは房前卿か宇合卿か撰の時にかけるならば同時の事なればつまびらかに書べし後に書加へたる物なればかく疑ひてかけるなりよりてとらず
 
1196 欲得※[果/衣]登《イデツトヽ》、 欲得をいてといふは義訓なり
 
乞者令取《コハヾトラセム》、貝拾《カヒヒロフ》、吾乎沾莫《ワレヲヌラスナ》、奥津白浪、」 家※[果/衣]にもと貝ひろふに浪よ吾をぬらすなと云
 
1197手(ニ)取之《トリシ》、柄《カラ》二忘(ル)跡《ト》、磯人之曰師《アマノイヒシ》、戀忘|貝《ガヒ》、言二師有|來《ケリ》、」 手にとりしからにわするとは手にとれば其まゝわするると海人のいへどわすられぬあまりにしかいひしは言のみにてまことならぬとなり
 
1198 求食爲跡、磯二住鶴、曉去者《アケユケバ》、濱風寒|彌《ミ》、自妻喚毛《ナガツマヨブモ》、」 今本末の句をおのがと訓たれどこはながとか又たがつまとか訓べし毛はそへたるのみ
 
1199 藻|苅《カリ》舟、奥※[手偏+旁]來良之、妹|之《ガ》島、形見之浦爾、 紀伊國にあり
 
鶴翔所見《タヅカケルミユ》、」
 
1200 吾舟者、從奥莫離《オキユナサカリ》、 此由は爾を加へて心得べし奥よりなさかりそと云なり
 
向舟《ムカヘブネ》、片持香光《カタマチガテラ》、 弖良の弖は多米の約にて片待ためらなり向舟は吾を待居なり
 
從浦※[手偏+旁]將會《ウラユコギアハム》、」 此由も爾を加へて心得べし浦よりにこぎあはんと云なり
 
1201 大海|之《ノ》、水底|豐三《ドヨミ》、 浪のたつ日は底に響たつなり
 
立浪之、將依思有《ヨラムトモヘル》、 吾よらんなりみるめたへなる磯のさやかなるをいふのみ
 
磯之|清左《サヤケサ》、」
 
1202 自荒磯毛《アリソユモ》、益而《マシテ》思哉、玉之浦、 玉浦は(卷十)紀伊國にてよめる二首の中に我戀妹爾|相佐受《アハサズ》玉浦とあればこも同所なり
 
離小島《ハナレコジマノ》、夢石見《イメニシミユル》、」 玉浦のありそよりも其所《ソコ》なるはなれ小島の見るめのよきにいめに見たるとよめるなり
 
1203 磯(ノ)上《ヘ》爾、爪木折燒《ツマキヲリタキ》 鮑とる海人の舟こぎ出て爪木を折たき身をあたゝむるをいふなり
 
爲汝等《ナガタメト》、吾潜來之《ワカカツギコシ》、奥津白玉、」 こは旅の※[果/衣]に鮑玉を人におくれるなり歌の意は上にもいふ如く海人のしわざを吾身に引うけてとりこしたる玉なりと勞《イタツ》きをよめるなり
 
1204 濱|清《キヨ》美、磯爾|吾居者《ワガヲレバ》、見者《ミルヒトハ》、 人の字脱しか又者をひととよめるならんか
 
白水郎可將見《アマトカミラム》、釣不爲爾《ツリモセナクニ》、」 此下に鹽早三、磯囘荷居者、入潮爲《カツギスル》、海人鳥屋見|濫《ラン》、多|比《ビ》由久和禮乎、(卷十四)に荒栲之、藤江|之《ガ》浦爾、鈴木釣、白水郎跡香、將見《ミラム》、旅去吾乎、ともよめり
 
1205 奥津梶、漸漸志夫乎《ヤヽトシヅマヲ》、 今本|漸漸志夫乎《シバ/\シフヲ》とあるは何のことゝもなし志|夫《フ》と字音によむ事此比になし漸々志はやや/\こゝろざす意にて遠遙の意義訓なり
 
欲見《ミマクホリ》、吾爲里乃《ワカスルサトノ》、隱久惜毛《カクラクヲシモ》、」 とほざかるといはんとて奥津梶といひ見まくほりといはんとてとほづまといふさて見まくほりする里のかくるがをしきとよめりかくらくの良久の約留なり
 
1206 奥津波、部都藻纏持《ヘツモマキモテ》、依來十方《ヨリクトモ》、君爾益有《キミニマサレル》、玉|將縁《ヨラム》八方、」 此歌は相聞の譬歌なり例のまぎれてこゝに入し物なりよりて小書にす歌の意は波のまきもてくる玉藻はありとも吾によりくる君が如き玉のあらんやとなり一本に奥津浪邊波布敷縁來登母
 
1207 粟島爾、 紀伊粟島をいふに赤石は如何阿波國を云ならんされば濁りて訓べし
 
許|枳《キ》將渡等、思鞆、赤|石門《シノト》浪、未佐和來《イマダサワゲリ》、」
 
1208 妹爾戀、余越去者《ワガコエユケバ》、勢能山|之《ノ》、妹爾|不戀而《コヒズテ》、有|之《ガ》乏左《トモシサ》、」 吾は妹を戀てこえ行背の山は妹山とならびてこひおもふ事なきをうらやみ吾も妹とならび居て背の山の如たらまほしとなり
 
1209 人|在者《ナラバ》、母|之《ガ》最愛子曾《メヅコゾ》、 今本此母をおやと訓しは誤なりおやとは二親にわたりて云母ははゝと訓べし末の句妹と背の山の事を同母兄弟の意によめるなれば同母の兄弟は母のめづる子なりよりて母《ハヽ》とよまでは意をなさず(卷十五)石上乙麻呂卿配土佐國之時長歌に父公爾吾者眞名子叙|妣刀自《ハヽトジ》爾吾者愛兒叙云々此愛兒もめづこと訓べければ愛子はめづことよむまなごてふ事は既に出
 
麻毛吉、 冠辭
 
木(ノ)川邊|之《ノ》、妹與背之山、」 
 
1210 吾妹子爾、吾戀行者、乏雲、 吾はかく妹こひ行に妹背の山はならびたらひて見ゆ吾はうらやましく妹戀することのたらまほしかるといふなり
 
並居《ナラビヲル》鴨、妹與勢能山、」
 
1211 妹當《イモガアタリ》、 この妹は妹山をさしいふあたりは其山ちかきわたりをいふ
 
今|曾《ゾ》吾行《ワガユク》、目耳谷《メニダニモ》、 だにの言既いふ如くかるく見るべし目になり
 
吾耳|見乞《ミエコソ》、事不問侶《コトヽハズトモ》、」 皆借字不語なり既に云如くものいふを言とひと云
 
1212 足代過而《アダスギテ》、 代は太歟打を誤る歟又代にてもだいのいを略きてだとよむべし今本あしろと訓は僻ことなり紀伊國に在田郡ありあだともいふべし又名草郡に誰戸《アダヘ》あり又|英多《アタ》も有是等を云ならん
 
絲鹿乃《イトガノ》山|之《ノ》、 伊都《イトノ》郡あり此郡の山か又神名式に名草郡|伊太祁《イタキ》曾(ノ)神社あり太は登に通ひ祁は加に通ばいとがの山とも通しいふならん
 
櫻花、不散在南《チラズアラナム》、還來萬|代《デ》、」
 
1213 名草山、 紀伊國名草郡の山ならん
 
事西在來、 事は言なり
 
吾戀(ノ)、千重(ノ)一|重《ヘモ》、名艸|目《マ》名|國《クニ》、」 (卷五)に大汝、少彦名能、神社者、名|著《ツケ》始※[奚+隹]目《ソメケメ》、名耳乎《ナニノミヲ》、名兒山跡負而、吾戀之、千重(ノ)一重裳、奈具佐末七國、とあるにまたく同じきうたなり
 
1214 安太部去《アダヘユク》、 前の行に云如く誰戸《アタベ》もあればあたべを行とふ乎を略るならんか又英多もあれば小爲手山ともに國人に問べし
 
小爲手乃《ヲステノ》山之、眞木(ノ)葉毛、久不見者《ヒサシクミネバ》、蘿《コケ》生爾家里、」 蘿はひかげの類ならん
 
1215 玉津島、 紀伊國也玉津の津は濁て訓べし
 
能見而|伊座《イマセ》、青丹吉、平城有人之《ナラナルヒトノ》、待問者如何《マチトハヾイカニ》、」 玉津島の言に盡しがたかるさまをよく見ておはせよなりともなへる人か又此邊に來てものいへる人のよめるなどにあらん
 
1216 鹽|滿者《ミタハ》、如何將爲跡香《イカニセムトカ》、方便海之《ワタツミノ》、神我手渡《カミガテワタル》、 (卷十五)紀伊國にて石上乙麻呂神之小濱とよめるは海の底の神をいふと見ゆさらばこゝもそれを海童《ワダツミ》の手を渡るといひて鹽みたばいかにすると云か又方便は弖陀弖と訓めばやがて神の方便にて滿汐をも渡り得るを神が手渡るといひていかにせんとかする神の方便に渡り得るとことわりよめるか【神我手渡奥人按多知萬須萬閉の約弖なれば神の立座す前を渡るとの意にて奥邊を指て神かてと云しか神はわたつみの神を云なり(卷十八)に珠洲乃安麻能於伎都美可未爾伊和多利弖と家持卿のよめるもまたく海神の意をとりて沖のふかみをいふなればこゝも其意なり】
 
海部未通女等《アマヲトメドモ》、」 今木あまのをとめらとよみしはいまだしこは海人のいそなとるを見などしてかくはよめるならん
 
1217 玉津島、見之善雲《ミテシヨケクモ》、吾無《ワレハナシ》、京往而、戀幕思者《コハマクモヘバ》、」 玉津島をめづる餘り都に行て又したはしからんとなり【三代實録玉出島と書たり是によれば津は濁るべき歟續紀聖武天皇神龜元年勸請衣通姫崇玉津島明神云云日本後紀にも玉出島と書たり】
 
1218 黒牛乃毎《クロウシノウミ》、 黒牛の海は紀伊國にあり(卷十)久漏牛潟とあるなり
 
紅丹穗經《クレナヰニホフ》、百磯乃、 冠辭
 
大宮人|四《シ》、 紅丹穗經などつゞけ下せばこは女官などの行幸の時にやよめるならん
 
朝入《アサリ》爲良霜、」 朝入は借字なり
 
1219 若(ノ)浦爾、 わかの浦の事は既いふ奈良の末には阿を和に通しかく云
 
白浪|立《タチ》而、奥《オキツ》風、寒暮者《サムキユフベハ》、山跡|之《シ》所念《オモホユ》、」
 
1220 爲妹《イモガタメ》、玉乎拾跡、 玉はあはび玉なり
 
木(ノ)國|之《ノ》、湯等乃三崎二、 丹後の由良にはあらず
 
此日鞍四通、」
 
1221 吾船乃、梶者|莫引《ナヒキソ》、 (卷二)長歌に梶引をりともよめり
 
自山跡《ヤマトヨリ》、戀來之《コヒコシ》心、未飽《マダアカナ》九二、」 こもゆらのみ崎なるかやまとゆこゝをこひ來てまだあかねば梶を海路引なとなり
 
1222 玉津島、雖見不飽、何爲而《イカニシテ》、裹持將去《ツヽミモテユカン》、不見入之爲、」 おもふがまゝによめるなり初句を玉といふからつゝみもてゆかんといふなり
 
1223 綿之底、 綿は借字海の底なり
 
奥己具船乎、於邊將因《ヘニヨセム》、風毛吹額、 ぬかはねがふ意なり
 
波不立而、」 波はたゝずして風のふけかしさらば沖つ船の邊によらんとなり
 
1224 大葉《オホバ》山、 大庭郡は美作國にありされども美作には海なし紀伊に在か可尋
 
霞蒙《カスミカクセリ》、 今本にこをたな引とよめるは僻事なり
 
1225 狹夜深而、吾船將泊《ワガフネハテム》、停不知文《トマリシラズモ》、」 めあてにせし大葉山に霞ゐて見えぬをかくよめり
 
狹夜深而、夜中乃方爾、 夜中の方は夜半に近づく方なりと契冲か説よし夕方晩方といふに同じ
 
欝之苦《オホヾシク》、呼之船人、泊(ニ)兼鴨、」
 
1226 神前《ミワノサキ》、 みわのさきは紀伊國なり讃岐に神前《カミサキ》あり伊豫國伊豫郡神前(加牟佐伎)又近江國にも在
 
荒石《アリソ》毛不所見、浪立奴、從何處將行《イツコユユカン》、與奇道者無荷《ヨキチハナシニ》、」 よきは横切の略なり外に道なしとよめり
 
1227 磯(ニ)立、奥邊乎見者、海藻苅船《モカリブネ》、海人※[手偏+旁]|出良之《ヅラシ》、鴨翔所見《カモカケルミ》、」 船こぎいづるに奥邊の鴨のおどろき立飛を云 
1228 風早之《カザハヤノ》、 (卷十一)伊豫國風早郡にて風早の浦とよめり又(卷十四)に紀伊國とあり契冲は海邊の風早き故といへどさらば風はやきと云べし早のと云は地名なればなり
 
三穗乃浦廻乎、※[手偏+旁]船之、船人|動《サワグ》、 動は集中の例とよむなれど暫よみこせによる波風あらければ今もさわぐと云なればなり
 
浪立良下《ナミタツラシモ》、」
 
1229 吾船者、明旦石之滷爾《アカシノカタニ》、※[手偏+旁]泊牟、奥方|莫《ナ》放《サカリ》、狹夜|深去來《フケニケリ》、」 此歌は(卷十四)に高市連黒人八歌の中に上下同じく牧乃湖爾とありそを誤てこゝに入たるなりこゝにあかしを明旦石と書も例なく又湖をはま又しほとよみてもかなはずおもふにこゝに誤り入たるにあれどこゝにては滷としてかたとよむべきにや
 
1230 千磐破、 冠辭
 
金之三崎乎、 千早振加茂社といひし類なり式(ニ)筑前國胸像郡紀(稱徳)に筑前國宗形郡大領外從五位下宗形朝臣深津云云造金崎船瀬也と見ゆ又三代格(ニ)宗形神社修理料之賤代※[人偏+徭の旁]下同國宗形郡爲2金崎※[人偏+徭の旁]丁十八人1とありさて其解を考るに恐らくは此金崎にも彼糟屋郡の宗形の神を齋るなるべしよりて彼此同體なればかくはよめるなるべしこゝをすぐる時牡鹿神社を思へるなり
 
過鞆《スグレトモ》、吾者不忘、牡鹿之須賣《シカノスメ》神、」 式に筑前國糟屋郡志加海神社ある説に牡鹿郡陸奥に在といへどさにはあらず「しかの海人はめかり鹽燒」とよめるも筑前國志加の海を云り
 
1231 天霧相《アマギラヒ》、日方吹羅之《ヒカタフクラシ》、 風の名なり土佐の俗日中の南風を日方といふと云り又たつみの風とひつじさるの風をもいふと云り
 
水莖之、 筑前國にて大伴卿「みづくきの水城の上になみだのごはん」とよめり
 
崗《ヲカノ》水門爾、波立渡、」
 
1232 大海之、波者畏(シ)、然有十方《シカレドモ》、神乎|齋禮而《イハヒテ》、 こは神をとあればいはひてとか又まつりてと訓べし今本かみをたむけてと訓るは僻事なり神をたむけてといふ事のあらんや神にたむけてとこそいはめこれをもて今本の誤多事をしるべし
 
船出爲者如何《フナデセバイカニ》、」
 
1233 未通女等|之《ガ》、織機上乎《オルハタノヘヲ》、眞櫛用《マグシモテ》、掻上《カヽゲ》、 是迄序なり
 
栲島《タクシマ》、 和名抄に出雲島根郡多久とありこれをよめるか猶考べし
 
波間從|所見《ミユ》、」
 
1234 鹽早三、磯|囘《ワ》荷《ニ》居者、入潮爲《カツギスル》、 これを今本にあさりするとよみたれど字も訓もこゝろえず潮に入と書たるはかつぎと訓べきなりよりて訓をあらたむ
 
海人|鳥《ト》屋|見濫《ミラム》、多|比《ビ》由久和禮乎、」
 
1235 浪高之、奈何梶取《イカニカヂトリ》、 よを入れて心得べし
 
水鳥之、浮宿也應爲《ウキネヤスベキ》、猶哉可※[手偏+旁]《ナホヤコグベキ》、」 浪高きに船の上にてよみしならん三の句は如くを入て心得べしこは水主梶取などにむかひていひかけたるなるべしと我友のいへるはよし
 
1236 夢耳《イメニノミ》、繼而|所見《ミユレバ》、 古郷の見ゆるなり
 
小竹島之《サヽジマノ》、 しの島てふ所志摩尾張の間にあれどそれにはあるべからず又後の物に石見に在とて後の集に三の句をとりてよめるはいかゞあらん
 
越磯《イソコス》波之、敷布所念《シク/\オモホユ》、」
 
1237 靜母《シヅケクモ》、岸者《キシニハ》波者、縁家留香、此屋通《コノイヘトホシ》、聞乍居者《キヽツヽヲレバ》、」 小簾の間とほしと云類にて家の内まで通て聞ゆるとなりよるの歌なるべし
 
1238 竹島乃《タカシマノ》、阿戸《アト》河波者、 (卷十四)に高島阿戸川波とよめり今本白波とありて假字はかはとあり一本によりて河に改む近江に在又周防にも在
 
動友《トヨメドモ》、吾(レハ)家思《イヘモフ》、五百入鉋染《イホリカナシミ》、」 高島てふ地の名に川なみのとよむといひかけ旅のかりほに我旅たちこせるあとの家おもふをあと川の名にいひよせるなるべし歌のすがたむづかし
 
1239 大海之、磯本由須理《イソモトユスリ》、 磯本は磯岸をいふゆするとはうちよする波の磯をゆすり動すまでなり
 
立波《タツナミ》之、將依念有《ヨラントモヘル》、濱之淨奚佐《ハマノサヤケサ》、」 今本終の句の末の二字奚久とあれど左の誤しるければあらたむ
 
1240 珠匣、 冠辭
 
見諸戸山矣《ミモロドヤマヲ》、 備中の三室戸をいへり
 
行之鹿齒《ユキシカバ》、面白(ク)四手、古昔所念《ムカシオモホユ》、」
 
1241 黒玉之、 冠辭
 
玄《クロ》髪山乎、 備中にありといふ後の集には下野とよめり
 
朝越而、山下露爾、沾來鴨《ヌレニケルカモ》、」
 
1242 足引之、 冠辭
 
山|行暮《ユキクラシ》、宿|借者《カラハ》、妹立待而、宿將借鴨《ヤドカサムカモ》、」 こは願意なり山路行なやみて行暮し所にいもがをりて宿かせかしとおもへるまゝにおさなくよめるなり
 
1243 視渡者、近里廻乎《チカキサトワヲ》、 ふるさとをいふなり
 
田本欲《タモトホリ》、 徘徊をたもとほりとよめるは既に出たり
 
今衣《イマゾ》、 【此衣は古曾に通す衣なり、故に此類の衣には皆第四の音にてうけたり】
 
吾來禮《ワガクレ》、巾振之野爾《ヒレフリシヌニ》、」 別れし時ひれふりし野といふなるべしひれふる山のわたりとしては聞えず古郷に歸る時の歌なり
 
1244 未通等之《ヲトメラガ》、放髪乎《ハナリノカミヲ》、 こゝまでは序のみ今本ふりわけ髪と訓はひが事なりはなりかみの事は(卷十六)にうなゐはなりは髪上《カヽゲ》つらんかとよめり
 
木綿《ユフノ》山、 豐後國和名抄速水郡田布郷あり此田は由なるべし
 
雲|莫《ナ》蒙《カクシソ》、家當將見《イヘノアタリミム》、」
 
1245 四可能白水郎乃、釣船《ツリスルフネ》之、綱不絶《ツナタエズ》、 今本不堪とあれど綱と有ば絶とすべしさて是迄は序なり
 
情念而《コヽロニモヒテ》、出而來家里《イデヽキニケリ》、」 古郷をたえずおもひてなり
 
1246 之《シ》加乃白水郎|之《ノ》、燒鹽煙《シホヤクケムリ》、風乎|疾《イタミ》、立者不上《タチハノボラデ》、山爾|輕引《タナビク》、」 右作歌者古集中出、 撰の時古集中より右の歌どもをとれるならんよりて撰者のかけりとす
 
1247 大穴道《オホナムチ》、少御神作《スクナミカミノツクラシヽ》、 今本つくりたると訓しはひが事なりさしもの御神なれば崇てこそよまめ
 
妹勢能|山《ヤマヲ》、見吉《ミラクシヨシモ》、」
 
1248 吾妹|子《コガ》、見偲《ミツヽシタハシ》、奥藻《オキツモノ》、花|開在《サキタラバ》、我告乞《ワレニツゲコソ》、」 例の與の草なりと乞を見誤る事しるければ改
 
1249 君(ガ)爲、浮沼(ノ)池(ノ)、 今本沼を沾とありて假字はうきぬとせり誤しるければ改む浮沼の池は石見國なるよし後の物に見えたりいかゞ猶考べし
 
菱採《ヒシトルト》、我染袖《ワガソメシソデ》、 女心にいたづき染しよそひもいとはぬをいふ
 
沾在哉《ヌレニタルカモ》、」 今本是をぬれにけるかなと訓しは誤なり在はたるなりかなとあるも後なれば訓を改
 
1250 妹爲、菅實採《スガノミヲトリ》、 山菅の實なり
 
行吾《ユクワレヲ》、 われなるをといふ意なり
 
山路|惑《マドヒテ》、此日暮《コノヒクラシツ》、」
 右四首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
 問答《トヒコタヘ》。
 
1251 佐保河爾、鳴成《ナクナル》智鳥、何師鴨、川原乎|思努比《シヌビ》、 したふ意に云
 
益《イヤ》河|上《ノボル》、」 こは男の妹がりとふとて佐保の川原(大和なり)をのぼるを水鳥にたとへて妹がよめるなり次の歌は男の和歌なり
 
1252 人社者、意保爾毛言目《オホニモイハメ》、 凡にいはめなり水鳥になりて答しなり
 
我幾許《ワガコヽタ》、師奴布《シヌフ》川原|乎《ヲ》、標結勿謹《シメユフナユメ》、」 此歌によりてしのぶ河原を陸奥のしのぶ山などにそへてよめるは誤なり是はおもひしのぶ河原といひて佐保の事をよめり
 
1253 神樂浪之《サヾナミノ》、思我津乃白水郎者、 近江國志賀郡の浦なり篠並てふ所も此郡に在大名なる故に其ほとりの所に冠する事も冠辭考にくはし【或説に後世の歌に「志賀の浦はみるめもおひぬ浦よりやうべかづきする海人なかりけり」とよめればこゝの二首にかづきといへる事いかゞと論へりこは古へはたゞしく後世は訛多きをしらぬ説なり右の後世歌を論に萬葉にかくよめるを見ずやとこそことわるべけれ】
 
吾無二《ワレナシニ》、 吾居ぬにはなり
 
潜者莫爲《カツキハナセソ》、浪雖不立《ナミタヽズトモ》、」 こは近江宮より他し宮へうつさる時ある人のなごりおもひてよめるにやこは右宮人の中にも大船もたりて船遊びなどするほどの人なるべければ都うつされて此人ゐすば大船の棹梶もあらずなるめれば浪はたゝずなぎたる海づらなりともかつぎはなせそといふなり
 
1254 大船爾、梶之母有《カヂシモアラ》奈牟、君|無爾《ナシニ》、 大船の梶そなへもたらん君なしになり
 
潜爲八方《カヅキスルヤモ》、波|雖不起《タヽズトモ》、」 右の歌に和て君ののたまふごと君まさずば船の棹梶もなかるほどに波はたゝずともなどかはかづきせめやと云なりかくよみかはせるほどの人なればもとより海人ならずともに海にあそびたりしをおもひ出てたとへて海人と云からに海なれば潜とは云ならん此海にかづきするせぬを云説もあれどそはいまだしたゞ大宮人の乘船をいひて棹梶もなくてさびしもなどよめる意なり
 
 臨時《トキニツケル》。
 
1255 月草爾、衣曾染流《コロモゾソマル》、君|之《ガ》爲、綵色衣《マダラコロモヲ》、將摺跡念而《スラムトモヒテ》、」 君に贈る衣を染るとて吾衣はあやなく染りぬるもいとはぬと云をあやに染よこせりといたづきをあげていふのみなり
 
1256 春霞、 冠辭
 
井上從直爾《ヰベユタヾニ》、 井上は大和たゞにはたゞちになり
 
道者|雖有《アレド》、君爾將相登、他囘來毛《タモトホリクモ》、」 猶豫《タユタヒ》てたちもとほりあはんと思ひくるなり毛は添たるのみ
 
1257 道(ノ)邊(ノ)之、草|深《フケ》由利乃、 くさふけのけは加伎約にてくさふかきなり【加伎約計ならずきなりよてかきの約きを計に轉してふけと云とあるべし奥人】 
花|咲《ヱミ》爾、 花のひらくをゑみといへるなり是までは序なり
 
咲之柄二《ヱミセシカラニ》、妻常可云也《ツマトイフベシヤ》、」 人にいひよせられし時によめるなるべし
 
1258 默然不有跡《モダモアラジト》、 七言
 
事之名種爾《コトノナグサニ》、 事は言なり名種はいひなぐさめなり
 
云言乎《イフコトヲ》、聞知《キヽシレ》良久波、 らくはるの延なり
 
少可有來《スクナカリケリ》、」 今本可の下に者の字有一本になし用なければ一本によりてすてつ此歌は背の他《アダシ》心ありやと女の疑ひ恨みがほなるに人聞をはゞかりてあらはしてもいひ出ず物によそへていひなぐさむれどよそへ言をも聞しらぬさまなどによめる歟又女の心とけ難きをしりつゝいはでたえがたさにいへと女のしらずがちなるをかくよめるか
 
1259 佐伯《サツキ》山、 (卷七)に五月山卯能花月夜とありこは佐付山とかけるを佐伯山と見たるにてはなき歟佐伯山に用なき意に見ゆるなり
 
于花以之《ウノハナモチシ》、哀我《カナシキガ》、 吾しぬびうるはしみ思ふ人を云
 
手鴛取而者《テヲシトリテバ》、 今本に子とあるは手の誤しるければ改とりてばはとりたらばなりはを濁るべし
 
花|散鞆《チリヌトモ》、」 花は散ぬるともよしや手を取得たらばと云るなり
 
1260 不時《トキナラヌ》、斑衣《マダラノコロモ》、服欲香《キガホシカ》、 今本まだらころものきほしきかとよめるはいまだし集中の例もて改
 
衣服針原《コロモハリハラ》、 此針原は上にまだら衣と云よりおもへば地名ならでおもてには花摺をおもひて榛原といひしたには衣はりぬはぬほどの少女を戀おもふをたとへたり
 
時二不有鞆《トキナラネドモ》、」
 
1261 山守|之《ノ》、里邊通《サトベカヨヘル》、山道|曾《ゾ》、茂成來《シゲクナリケル》、 草などのしげれるをかくいふなりひさしくとはれぬをいへり
 
忘來下《ワスレケラシモ》、」
 
1262 足病之《アシビキノ》、 冠辭
 
山海石榴開《ヤマツバキサク》、八岑越《ヤツヲコエ》、 やつをこえは彌津峯《イヤツヲ》こえなり
 
鹿待君|之《ガ》、伊波比|嬬《ツマ》可聞、」 待人などに譬へなぞらへ遠き路を通ふをいひいはひづまは世になくかしづきおもふをいふさてこは他人のよめるか鹿を待間の君を眞妻《マヅマ》にとりなして人のかくよめるなるべしみづからの事にてはいかゞ
 
1263 曉跡、夜烏鳴雖《ヨガラスナケド》、此|山上之《ヲカノ》、 【山上をしか訓は心ゆかずみねとよむべきにや猶可考奥人】
 
木末《コズヱ》之|於者《ウヘハ》、未靜之《イマダシヅケシ》、」 此歌|別《ワカレ》のなりそは曉といひて夜烏といひいまだしづけしといふをもて夜のあくるを惜めばなりしづけしは外の山/\によがらすのなけども此丘にはまだ鳴ぬと云なり
 
1264 西市爾《ニシノイチニ》、但獨出而《タヾヒトリデヽ》、眼不並《メナラバズ》、買師絹之《カヘリシキヌノ》、 かひ得たりしきぬなり
 
商自許里鴨《アキジコリカモ》、」 しこるは物の專らなるにてつのるをいふたゞ一人を思ふをたとへいふなりけり
 
1265 今年去《コトシユク》、新島守之《ニヒサキモリガ》、麻衣、肩乃間亂者《カタノマヨヒハ》、 和名抄に※[糸+比](萬與布)※[糸+曾]欲壞也と見えたり間亂は借字なり、
 
阿誰取見《タレカトリミム》、」 今本許誰とあり。契冲云許は阿歟此説によれり阿の草を許と見たるならん
 
1266 大船乎、荒海爾※[手偏+旁]出《アルミニコギデ》、八船多氣《ヤフネタケ》、 これ迄は序なりたけは遠き意たか/\と云に同じ高々は(卷三)の別記に委し遠くなりても見馴し妹がまみはしるしと遠く隔見ても見もたがはぬを譬よめるなり
 
吾見之兒等|之《ガ》、目見者知之母《マミハシルシモ》、」
 
 旋頭歌。 今本此を小字とせるは誤なり集中の例によりて改む
 
1267 百師木乃、 冠辭
 
大宮人|之《ノ》、蹈跡所《フメリシアトゾ》、奥浪《オキツナミ》、來不依有勢婆《キヨラザリセバ》、不失有麻思乎《ウセザラマシヲ》、」 この歌も前の問答の中大舟の棹梶なきなどよめる類にて大津のふる都の荒にたるをかなしみよめるなり
 右十七首古歌集出
 
 就所發思《トコロニツケテオモヒヲオコス》。 今本前の旋頭歌の前にかく有は誤しるかれは改
 
1268 兒等《コラガ》手乎、 冠辭
 
卷向山者、常在常《ツネナレド》、過徃《スギニシ》人爾、 こは死したる人をいふならん
 
徃卷目八方、」 卷向からかくいひて枕まかんやなり
 
1269 卷向|之《ノ》、山邊|響《ヒヾキ》而、徃水之、三名沫如《ミナワノゴトシ》、世(ノ)人|吾等者《ワレハ》、」 世の人も吾もといふにはあらで吾はとことわりて吾は世に在人ゆゑといふなり
 右二首柿本朝臣人麿歌集出
 
 寄物發思。
 
1270 隱口乃、 冠辭
 
泊潮之山丹、照月者、盈※[日/仄]爲烏《ミチカケスルヲ》、 月はみちかけしながらも常にてよけれど人はさなくてはかなしとなり
 
人之常|無《ナキ》、」
 右一首古歌集出
 
 行路《ミチユキブリ》。
 
1271 遠有而《トホクアリテ》、雲居爾所見《クモヰニミユル》、妹家爾《イモガヘニ》、早將至《ハヤクイタラム》、歩黒駒《アユメクロゴマ》、」 ありのまゝによめるなり
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
 旋頭歌《カミヲメグラスウタ》。
 
1272 劔後《タチノシリ》、 冠辭
 
鞘(ニ)納野邇《イリノニ》、 納野は式に山城國乙訓郡入野神社と有に同く委は冠辭考に見ゆ今本いるのと訓しは誤なり
 
葛引吾妹《クズヒクワギモ》、 句也
 
眞袖|以《モテ》、 まそでに引葛を布に織着せなんとねくよりくさかるかとなり
 
著點等鴨《キセテントカモ》、夏草|苅母《カルモ》、」 草は葛をいふ
 
1273 住吉、波豆麻君之《ナミヅマノキミガ》、 今本是をはづまの君とよませたれどはづまてふ地もきこえず契冲云なみづまにていなみつまと云に同しはぶきごとなりといへるさもあるべきすむ地をさして云に疑ひなし
 
馬乘衣《ワキアケゴロモ》、 今本是をまそころもと訓るはまは馬《マ》の音なり乘《ジヤウ》をさうと唱へそのさをそに通じうを略きてよめるなれば字音なり古字音をかゝる歌によむべきいはれなし又こをうまのり衣と訓む説もあれど馬のり衣てふ訓ものに見えずこは義訓にわきあけごろもとよむべし則|※[月+闕]腋《ケツワキ》袍は圓領の胡服武官の衣なればなり縫腋《マツハシ》は馬に乘に便りあしければ※[月+闕]腋《ワキアケ》を造れり馬乘衣といはん物必此ものゝ外なし又こをまそごろもとよまんかといふ説もあれど同じ五言によまばかりごろもとよむべしそは古末《コマ》の約加なればのりの乃《ノ》を略きてかりごろもとは訓べけれどこゝは七言の句なりこゝを五言によむほどの古調にもあらねばいよゝ七言の義訓ことわりたらひなん
 
雜豆臘《サニヅラフ》、 冠辭
 
漢女乎《ヲトメヲ》、座而《スヱテ》、 こゝのをとめに漢女の字をかりたるは紀(應神)に三十七年戊午朔、遣阿知使主都加使主、於呉令求縫工女云云、四十一年二月云云、是月阿知使主|自呉《クレユ》至筑紫時駒形大神|乞工女等《モノヌヒメヲコハス》故以兄媛奉※[胸の旁/月]形大神《カレエヒメヲムナカタノオホカミニマタス》云云、既而率其三婦女以至津國《スデニシテソノミタリノタハヤメヲイサナヒテツノクニヽイタル》と有る呉女をさして漢女と書たるなりさて紅花を韓藍とも呉藍とも書てくれなゐとよめる如く漢呉を通し書たるたはむれなりされど此古事をよめるにはあらでなみづまの君がわきあけ衣のいとみやびかなるを彼物縫をとめにぬはせたるなり
 
縫衣叙《ヌヘルコロモゾ》、」 こはなみづまの君が衣をめでゝかくよめるなり前後の歌もみな見るものをよめる歌なり
 
1274 住吉(ノ)、出見《イデミノ》濱(ノ)、莫乘曾苅尼《ナノリソカリニ》、未通|等《ラガ》、赤裳(ノ)下《スソヲ》、潤往將見《ヌラシユクミム》、」 今本に住吉、出見濱、柴莫苅曾尼《シバナカリソネ》、未通女等、赤裳(ノ)下《スソノ》、潤將往見《ヌレユカムミム》、と有ていと亂て字を上下に書誤たりとおぼゆればかくはよめりなぞとならば濱に柴といふもいかが又かりそねといひてぬれゆかん見むといふもいかゞ又將の字も集中の例によるに往の下にこそあるべけれすべて歌の意もとほらねば右の如あらたむよりて柴莫苅曾の柴を乘にあらため字を上下してかくよめり閏は一本潤と有によれり正き本を見ん人猶あらためよ
 
1275 住吉(ノ)、小田苅爲子《ヲタカラスコ》、 六言
 
賤鴨無《ヤツコカモナキ》、奴雖在《ヤツコアレド》、妹御爲《イモガミタメニ》、私田苅《オノレタカラス》、」 此歌はおのれ/\をよめるならで他人の見てよめるとせでは心得がたし今本の訓も然見たるながらいと誤て歌意きこえずよりて改む三四の句しづかもなきしづはあれどとも訓べし
 
1276 池邊《イケノベノ》、小槻下《ヲツキガモトノ》、細竹莫苅嫌《シヌナカリソネ》、 今本莫の字を脱せり次の歌の書體によりておぎなへるなり【此冠注の如く莫はなきこそよけれ(奥人)故大人の考にて此細竹莫苅嫌と莫を補れたれどこは莫は補はで苅嫌の二字をなかりそねと義訓せんか苅事を嫌《キラハ》ばなかりそねなり】
 
其谷《ソレヲダニ》、君形見爾、監《ミ》乍|將偲《シヌバム》、」 男の妹がりとひしをりにたちやすらひなどせし槻が下の細竹を見て男のかれしか遠つ國へ行けるか又むなしくなりしか事有後におもひいでゝかくよめるならん
 
1277 天在《アメナル》、 冠辭四言
 
日賣菅原《ヒメスガハラ》、 冠辭考にいふ如く天なる日とつゞけてこゝに在地の名なり 
草莫苅嫌、彌那能綿《ミナノワタ》、 冠辭今本彌那能の能を脱せり美奈乃和多と(卷九)に在を以て補ふ
 
香烏髪《カグロキカミニ》、飽田志付勿《アクタシツクモ》、」 志は助字なり勿はそへたるのみこは妹があたりの草苅を見て男のかくよめるならん飽田は借字芥なり思ふに阿久多の久多の約加にて阿加なり
 
1278 夏影《ナツカゲノ》、房之《ネヤノ》下庭、衣栽吾妹《キヌタツワギモ》、 夏影といふ影も房下といふ下も言を添る斗にて秋さり衣など云如秋冬のまけに夏よりねやにてたつ衣をとつゞけたるのみなり
 
裏儲《ウラマケテ》、 衣の表裏の事にはあらず裏は心なり心にまふけてなり
 
吾爲裁者《ワガタメタヽバ》、差大裁《ヤヽオホニタテ》、」
 
1279 梓弓、 冠辭
 
引津邊在《ヒキツノベナル》、 引津亭《ヒキツノウマヤ》筑前に在冠辭考に云如太宰府の官人などのよめるか
 
莫謂花《ナノリソノハナ》、及採《ツムマデハ》、不相有目八方《アハザラメヤモ》、勿謂花《ナノリソノハナ》、」
 
1280 撃日刺、 冠辭
 
宮路(ヲ)行丹、 大内への道なり
 
吾裳破《ワガモハヤレヌ》、玉(ノ)緒《ヲノ》、念委《オモヒシナエテ》、 委は玉の緒の長きよりかくつづけたり則|八尺《ヤサカ》の曲玉是なりくはしくは古事記の考にいふ
家在矣《イヘニアラマシヲ》、」 意は宮の中に吾がもふ人のあるがまにたえず通は裳はやれながら其しるしなみさるからにおもひしなへて家にあらんとなり
 
1281 君爲、手力勞織在《テダユクオレル》、衣服斜《キヌキセナヽメ》、 今本|手力勞織在衣服斜《テヅカラオレルコロモキナヽメ》とよめるは誤なりしか訓ては自の事になり君爲といふにかけ合ずきぬきせならんといへるなり斜は借字なり【衣服科《コロモクタチヌ》選要抄】
 
春去《ハルサラバ》、何何摺者吉《イカニヤイカニスリテバヨケム》、」 てばのばはたらばの略摺衣になしたらばよからんなり
 
1282 橋立、 冠辭
 
倉椅《クラハシ》山(ニ)、 大和國高市郡
 
立《タテル》白雲、見欲《ミマクホリ》、我爲苗《ワガスルナベニ》、 わが見むとするならびになり
 
立白雲、」
 
1283 橋立(ノ)、 冠辭
 
倉椅川(ノ)、石走者毛、壯子時《ヲザカリニ》、我度爲《ワガワタシタリ》、石走者裳、」 老てむかしを思ひ出てよめるならん今本の訓いさゝか誤れりしか訓べからねば改
 
1284 橋立(ノ)、 冠辭、
 
倉梯川(ノ)、河(ノ)靜菅《シヅスゲ》、 靜は借字下の意にて下草なりちいさき草を云ならんこは譬歌なり
 
余苅《ワレカリテ》、笠(ニ)裳《モ》不編《アマズ》、川(ノ)靜菅、」 歌意はかたらひは得ながら吾妹とはなし得ぬをたとへてよめり
 
1285 春日尚《ハルビスラ》、田(ニ)立羸《タチツカル》、公哀《キミハカナシモ》、若草(ノ)、※[女+麗]無公《ツマナキキミガ》、田(ニ)立羸、」 男も女もいまだいひよりもせでかたみに心のみかはせるが男の田づらに物思ひて立るをかくよめるなり
 
1286 開木代《ヤマシロノ》、 城と云は地をならすを云異國に代を田地の事とすしかれば代は地を平《ナラ》すなり紀(聖武)天平七年遷新京代山開地以造室とある是なりかく字を借て書るも紀の文の意にや
 
來背社《クセノヤシロノ》、草勿手|折《ヲリソ》、己時《オノガトキ》、 【おのが時とは草の榮ふべき時とて榮ふともとなり拾穗】
 
立雖榮《タチサカユトモ》、草勿手折(ソ)、」 こは相聞の譬喩歌なり
 
1287 青角髪《アヲミヅラ》、 冠辭
 
依網原《ヨサミノハラノ》、 河内國丹比郡の依羅《ヨサミ》をいふなりさてよせあみの勢安約佐なればよさみと云
 
人相鴨《ヒトニアハムカモ》、石走《イハバシ》、淡海|縣《アガタノ》、物語爲《モノガタリセム》、」
 
1288 水門《ミナトナル》、葦|未葉《ウラバヲ》、誰《タレカ》手折(シ)、吾|背子《セコガ》、振手(ヲ)見(ント)、 行さまをいふなり
 
我手折(シ)、」
 
1289 垣越《カキコシニ》、犬|召越《ヨビコシテ》、 女の家の犬をよべるなり
 
鳥獵爲公《トカリスルキミ》、 多加約多なるを登に通てとがりといふ
 
青山(ノ)、葉茂山邊《シゲルヤマベニ》、 其獵せん山をかねていふ
 
馬安君《ウマヤスメヨキミ》、」 女の家の犬をよべるをとがりする君といひてまことは恒間見などするを女のかたよりそのとがりする青山のしげみにしばしいこひてよといへる相聞の歌なり
 
1290 海底《ワタノソコ》、奥《オキツ》玉藻|之《ノ》、名乘曾(ノ)花、妹與吾《イモトアレト》、此荷有跡《コヽニアリト》、 六言今本荷を何とするは誤なり此句をこゝにありとなどよみ次の語をなのりそとよめるは誤なり
 
莫語之花《ナノリソノハナ》、」 かくよむべきなり語をなのりそとは訓れず
 
1291 此崗(ニ)、草苅|小子《ヲノコ》、然莫|苅《カリソ》、 六言今本莫はなくて訓はしかなかりそとあれば脱せる事しるし莫ありて六言なり然苅にてさはよまれず假字によりて字を補ふ
 
有乍(モ)、君來座《キミガキマサム》、御馬草爲《ミマクサニセム》、」 からずあらば君が馬草に飼むとなり
 
1292 江林《エハヤシニ》、 こは地の名なるにや如何
 
次完也物《ヤドルシヽヤモ》、 【完は宍歟】
 
求吉《モトムルニヨキ》、白栲《シロタヘノ》、 冠辭
 
袖纏上《ソデマキアゲテ》、 袖まき上は袖くゝりしたるを云
 
完《シヽ》待我背、」
 
1293 丸雪降《アラレフリ》、 冠辭
 
遠江《トホツアフミノ》、吾跡川楊《アトカハヤナギ》、 吾跡川近江なり(卷十一)に高島之阿度河波とよめり遠江にはあらで京より遠き方をかく云ならん委は冠辭考に見ゆ
 
雖苅《カレリトモ》、亦生云《マタモオフチフ》、余跡川楊《アトカハヤナギ》、」
 
1294 朝|月日《ヅクヒ》、 冠辭
 
向(ヒノ)山(ニ)、月出所見《ツキノイヅルミユ》、 今本立とあるは出の誤しるければあらたむ
 
遠妻《トホヅマヲ》、持在人《モタランヒトゾ》、看乍偲《ミツヽシヌバム》、」
 右二十三首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
1295 春日在《カスガナル》、三笠|之《ノ》山二、月船出《ツキノフネイヅ》、遊士|之《ノ》、飲酒杯爾《ノムサカヅキニ》、陰爾所見管《カゲニミエツヽ》、」 後世はかゝるをかげの見えつゝといふをこゝにかげに見えといへるにてしらべ高し
 
 譬喩歌。
 
1296 今造《アタラシキ》、 今本こをいまぬへると訓るは誤なりあたらしきと訓べし
 
班衣服《マダラゴロモハ》、面就《メニツキテ》、吾者|所念《オモホユ》、 今本吾爾とありてわれにと訓一本はしかと訓りともに歌の意にかけ合ず者の誤りしるければ字をあらたむるなり
 
未服衣《イマダキネドモ》、」 めにつく吾妹などよめる如めでし妹なれどまだともねもせぬをたとへしなり
 
1297 紅(ニ)、衣染《コロモハソメテ》、雖欲《ホシカレド》、著丹穗哉《キナバニノホヤ》、人|可知《シルベク》、」 今本の訓いささか誤て歌の意とほらずこは貴人をおもへれど紅の衣の穗に出る如人のしりやすきを譬しなり
 
1298 千名《チヾノナニ》、人雖云《ヒトハイフトモ》織|次《ツガム》、我二十物《ワガハタモノヽ》、 二十物は借字織物をいふ
 
白麻衣《シロアサゴロモ》、」 人は色/\にいひさわぐとも吾は一筋に戀思ふ心をとげんとたとへよみしなり
 
1299 安治村(ノ)、 村は借宇群なり此事冠辭考にくはし
 
千依海《ムレタルウミニ》、 今本十依とありてとをよると訓されど十は千の誤にてちよるならんさらばむれたると訓べし
 
船|浮《ウケテ》、白玉|採《トラム》、人所知勿《ヒトニシラルナ》、」 人のいひさやげる中にも心だまあひて戀をとげん意をたとへよめるならん
 
1300 遠近、磯(ノ)中在《ナカナル》、白玉(ヲ)、人(ニ)不知《シラレデ》、見依鴨《ミルヨシモガモ》、」 あちこちの磯の見る目多きを人めの繁きにたとへかゝる中は逢事かたきをなげゝるなり
 
1301 海神《ワダツミノ》、手纏持在《テニマキモタル》、玉|故《ユヱニ》、石浦廻《イソノウラワニ》、 磯のいりめぐれる所をしか云にて地名にあらず
 
潜爲鴨《カヅキスルカモ》、」 いつきむすめを戀しのぶからに忍ふいたつきをかくたとへしなり此末の句をあさりすると訓は誤りなり
 
1302 海神、持在白玉、見欲、千遍告《チタビゾノリシ》、潜爲海子《カヅキスルアマ》、」 かつぎする海人は媒の意なり此海人に見まくほる事をたひ/”\おふしつげしといふなり
 
1303 潜爲、海子雖告《アマニハノレド》、海神、心(シ)不得《エネバ》、所見不云《ミユトイハナクニ》、」 こは右の答歌にて媒がよめるなりちゞにのらんとすれど其おやなど守りつよくしかも心をしもしり得ねば媒のなしがてにて其女に見えよともいはずと云を譬よみしならん
 
1304 天雲《アマグモノ》、棚引山(ニ)、隱在《コモリタル》、 心にこめてふかく戀思ふにたとふ
 
吾志《ワガコヽロヲバ》、 今本志を忘とかけるは誤しるけれはあらたむ
 
木葉《コノハ》知良武、」 こは誓に云なり(卷十四)眞木(ノ)葉乃之奈布勢能山之奴波受而吾越去者木葉知家武ともよめり今本假字はしるらんと有て良武となし一本に依て補へり
 
1305 雖見不飽、 三の句に應るなり
 
人國山(ノ)、 大和國吉野にあり下に人國山の秋津野ともよめり
 
木葉《コノハヲシ》、己心《ワガコヽロカラ》、名著念《ナツカシミモフ》、」 他妻をおのが心よりおもふなり
 
1306 是山《コノヤマノ》、黄葉(ガ)下《シタノ》、花矣我《ハナヲワガ》、 おもへる女を秋のはなにたとふ
 
小端見《ハツ/\ニミテ》、反戀《カヘルワビシモ》、」 戀わびる意ゆゑかく書てわびしもと讀なん今本には字のまゝ戀しもと訓たれどさては意とほらず
 
1307 從此川《コノカハユ》、船|可行《ユクベクハ》、雖在《アリトイヘド》、渡瀬別《ワタルセゴトニ》、守人有《マモルヒトアリ》、」 今本の訓てにをはたがへればあらたむさてこは戀おもふ人にいひよりなんとするにさはり多きをかくたとへよめるならん
 
1308 大|海《ウミヲ》、侯水門《マモルミナトニ》、事有《コトアラバ》、 防人などの守湊に異國人などの來りて事あらんかにたとへたるなり
 
從何方君《イツクユキミガ》、吾率隱《アヲヰカクサン》、」 こは宮女《ミヤツカヘメ》などのしのび夫《ツマ》もたるがあらはれなんずるをかしこみてかく譬よめるならん今本隱を陵として訓はしのがんと有こゝはしのぐ意にあらねば誤しるしよりて字も訓もあらたむ
 
1309 風|吹《フキテ》、海荒《ウミシアルレバ》、明日言《アストフハ》、應久《ヒサシカルベシ》、君隨《キミガマニ/\》、」 待わびしに人のこちたくいひさわければ明日なん來んとの給ふを吾はいと久しくおもほゆれど君がみ心のまゝとなり
 
1310 雲隱(ル)、小島(ノ)神|之《ノ》、恐者《カシコクハ》、目間《メハヘダツトモ》、心間哉《コヽロヘダテヤ》、」 遠方の小家の女を思へるが其戸主の守りつよく逢事かたかれど心かはらぬをかくたとへてよみおくりしならん
 右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
1311 橡《ツルバミノ》、衣人者《キヌキルヒトハ》、事無跡、 貴き人にて賤をうらやみしなりつるばみの衣きる人は賤きなり
 
曰師時從《イヒテシトキユ》、欲服所念《キマクオモホユ》、」 次の歌に紅の衣を下に著は事なさんかともよみたる如く貴人は所せき身にて少しの事を言繁くいひなされなどすれば賤の事なきをおもふといへるにていやしき人を戀るをかくたとへよみしならん
 
1312 凡爾《オホヨソニ》、吾之《ワレシ》念者、 今本之を乎と訓るはまたき誤なれば改
 
下服而《シタニキテ》、穢爾師|衣《キヌ》乎、取而將著八方《トリテキメヤモ》、」 ふりぬる衣を再びきるをもとつ人にまた逢にたとへよせてよめるなり
 
1313 紅之、深染之衣、下(ニ)著而、 【下著而の而は弖阿禮約下にきてあれなり奥人】 
上取著者、 着たらばの畧なり
 
事將成鴨《コトナサムカモ》、」 事は借字言なりよき衣を上に着てあらば人言にいひさわがれてあらはれんとなり
 
1314 橡(ノ)、解濯衣之《トキアラヒギヌノ》、 賤き人の衣は必あらふなり
 
恠《アヤシクモ》、殊欲服《ケニキマホシキ》、 殊《ケ》はことになり
 
此暮《コノユフベ》可聞、」 ふるくわかれはなれし人をおもひしぬばるゝをかくたとへしなり
 
1315 橘之、島爾之居者、 大和の島の宮の地を云らん池はあれど川は遠し
 
河遠《カハトホミ》、不曝縫之《サラサデヌヒシ》、吾(ガ)下衣、」 さらさでぬひしはあらはさでしぬびもへるをいへるならん
 
1316 河内女之《カフチメノ》、手染之絲乎、絡反《クリカヘシ》、片絲|爾雖有《ナレド》、將絶跡念也《タヘントモヘヤ》、」 こは第三の句迄は片絲といはん序なりそは心に念なればおもはめやてふ意に念てふ言を加へいふのみ此言の解は(卷一)人麻呂近江荒都歌の反歌に委く見ゆさて歌の意はわれのみたえんとおもはざるをよめり
 
1317 海底《ワタノソコ》、沈白玉《シヅクシラタマ》、 沈てあるを云深くこめたるいつきむすめを戀心に譬
 
風吹而、海者雖荒《ウミハアルトモ》、不取者不止《トラズバヤマジ》、」
 
1318 底|清《キヨミ》、沈有《シヅケル》玉乎、 計留約久にて右のしづくに同
 
欲見《ミマクホリ》、千遍曾告之《チタビゾノリシ》、潜爲白水郎《カツギスルアマ》、」 此歌は上に海神(ノ)持有白玉とて下は同歌にて既に在歌なり
 
1319 大|海之《ウミノ》、水底照之《ミナソコテラシ》、 今本に之を寸とよみたれど、之を寸と訓例なし
 
石著玉《シヅクタマ》、 石著はしづくにて沈なり※[虫+包]とよまんには著石と書べきを今本こをあはびとよめるは誤なり
 
齋而將採《イハヒテトラム》、風莫|吹行年《フキコソ》、」 上は時を得し人のおごそかに深く籠りたるいつき娘を云扨其娘のがりしぬび通ふをいはひといひ人言のさやぎなんとかしこむを風にたとへよめるなり
 
1320 水底爾、沈白玉、誰故《タレヱニ》、心盡而《コヽロツクシテ》、吾不念爾《ワガモハナクニ》、」 そこより外に吾か心盡しておもふは無にといへるなり
 
1321 世間《ヨノナカハ》、常如是耳加《ツネカクノミカ》、結大王《ムスビテシ》、 今本の訓は誤なりこをてしと訓ることは(卷四)の別記に委し
 
白玉|之《ノ》緒《ヲノ》、 今本に緒を結とありて訓はをとあり誤しるければ改む
 
絶樂思者《タエラクモヘバ》、」 世間は常なかれば結びたりし玉の緒だにもたゆる思へば今こそかくかたみに思ひあへれどしられなん時もあらんかとおぼつかなむなり
 
1322 伊勢(ノ)海|之《ノ》、白水郎之島津我、 伊勢|海部《アマノ》郷あり白水郎は借字島津は其郷の舟津をいへるならん
 
鰒玉《アハビタマ》、 伊勢國ゆ今鰒玉を多く出せり昔よりしか有るべければかく伊勢を取出て思ひよせよめるならん
 
取而後毛可《トリテノチモカ》、 毛は助語
 
戀之|將繁《シゲヽム》、」 忍妻等逢得て後の思ひ深きにたとふなり
 
1323 海之底、奥津白玉、縁《ヨシ》乎無三、 白玉とるよしをなみなりそを思ふ妹にあひがたきに譬
 
常如此|耳也《ノミヤ》、戀度|味試《ナム》、」
 
1324 葦(ノ)根之、 【葦根菅根の誤歟集中あしの根のねもごろといへる此外になし皆菅の根とのみ有】
 
懃念而《ネモコロモヒテ》、結|篆之《テシ》、 今本懃を勲とするは誤なり訓によりて字を改義之を篆之とす(卷四)に既にいふ
 
玉緒云者《タマノヲトヘバ》、人將解八方、」 深くねもごろ戀に思ひて相逢中は人のさけなめやとたとへたり
 
1325 白玉乎、手(ニ)者不纏而、 今本而を爾とすれど語の例たがへればまたき誤なりよりて字をあらたむ
 
匣耳《ハコニノミ》、置有之《オケリシ》人曾、 活本に是を會とするは二字の一字となれるなりこれを以集中の誤を知べし
 
玉|令泳流《オボラスル》、」 いつき娘に逢事かたく又其妹も戀わびなんをかく譬よめるなり
 
1326 照左豆我《テルサヅガ》、 てるの弖は登米約にて富《トメ》る幸人なり山の幸人海の幸人といふが如し
 
手爾纏|古須《フルス》、玉毛|欲得《ガモ》、其緒者|替《カヘ》而、吾玉爾|將爲《セム》、」 歌の意は富る幸男《サチヲ》が富にまかせて手にまく玉のまきふるす玉もかもといふは富る人の枕卷ふるせる妹もがもとなり其まきなせる妹はもとより吾が戀思ふ妹ならんさて其緒も其男をおもひてよめるにて其|男《ヲ》かへて吾妻にせんとたとへたるなり(卷十六)眞《シラ》珠者、緒絶爲爾伎登《ヲタエシニキト》、聞之故爾《キヽシユエニ》、其緒復貫、吾珠爾將爲、
 
1327 秋風者、繼而莫|吹《フキソ》、海(ノ)底、奥在玉乎、手(ニ)纏左右二《マクマデニ》、」 ふかくこめたる女をしぬび通ひて事なるまでは人にいひさはがれぬをねぎてかく譬よめるなり
 
1328 伏膝《ヒザニフス》、玉|之《ノ》小琴之《ヲゴトノ》、 女にたとふ且事といはん料なり
 
事無者、 事の出來し故に遠ざかりしなり
 
甚幾許《イトコヽバクニ》、吾將戀也毛《ワガコヒムヤモ》、」
 
1329 陸奥之、吾田多良眞弓《アタタラマユミ》、 今陸奥の二本松の人にとひしにそこに吾多々良山有と木はいかに檀《マユミ》もありやととひしにそは木をしらず山ははげ山なりといひし今も其名に呼とぞ
 
著絃而《ツルハゲテ》、 今本には著絲とありてつるすげてとよめるは字も訓も誤なり一本によりてあらたむ
 
引者香人之《ヒカバカヒトノ》、吾乎事將成《アヲコトナサム》、」 上は序なり引は弓をとるなれば此女を得たらばにたとふさて人の言《コト》なしいひさやがんとかしこむなり 
1330 南淵之《ミナブチノ》、 大和國に在
 
細川山(ニ)、立檀《タツマユミ》、 いまだ若木にて弓にならぬを女乃年まだきに思ひかくるにたとへたり
 
弓束級《ユヅカマクマデ》、 【級 或糸の次第と字書にありといへり】級は本纏及の二字なりしがかたへのこれるを一字と見てかくかけるものか
 
人二不所知、」
 
1331 磐疊《イハダヽミ》、恐山常《カシコキヤマト》、 いと貴き人の家居をたとふ
 
知管毛、吾者|戀香《コフルカ》、同等不有爾《ナゾヘナラヌニ》、」 なぞへはなみよそへを畧く辭にて今は比類せぬを云なれば高きを戀るなり伊勢物語に「隨方《オホナ/\》おもひはすべし比無《ナソヘナク》高きいやしきくるしかりけり」てふも此歌をとりてよめるなり此|眞字《マナ》を見ても辭の意をしるべし伊勢物語古本はかく言を解く字をあてゝかけるなり
 
1332 石金之《イハガネノ》、凝木敷山爾《コゴシキヤマニ》、入始而、山名|付染《ツカシミ》、出不勝鴨《イデガテヌカモ》、」 こゞしきは凝々《コリ/\》敷にてはなれずかたき意なりこはかたみに思へるを譬てよみしなり
 
1334 奥山|之《ノ》、於石蘿生《イハニコケムシ》、恐常《カシコシト》、思情乎《オモフコヽロヲ》、何如裳勢武《イカニカモセム》、」 こは貴き人をこひて心にしのぶ思ひをいかにせんとなり
 
1335 思勝《オモヒカネ》、 今本※[謄の言を貝]とありておもひあまりとよめり一本によりて改む訓は字によりぬ
 
痛文爲便無《イトモスベナミ》、玉手次、 冠辭
 
雲飛山仁《ウネビノヤマニ》、吾印結《ワレゾシメユフ》、」 其|情《コヽロ》せんすべなければまだきうなひの程より心にしめおけるがたえかぬるをよめるなり
 
1336 冬隱、春乃大野乎、燒人者、燒不足香文、吾情熾《ワガコヽロヤク》、」 こは女の自らのおもひにたとへたり
 
1337 葛城乃、高間(ノ)草野《カヤヌ》、 今本字の終にくさのと訓るはいまだし集中かゝるはかやと訓る例なり
 
早知而、標指益乎《シマサヽマシヲ》、 今本標を※[木+栗]とするは誤しるければあらたむる
 
今悔茂《イマゾクヤシモ》、」 今本悔拭とありてくやしきと訓茂の誤しるければ字も訓も改つこは吾がはやくおもひそめにし妹を人のしめけるを悔てかく譬よめるなり
 
1338 吾屋前爾《ワカニハニ》、 今本に是をやどゝ訓は誤なる事既に云へり
 
生土針《オフセシヌハリ》、 生せしは野よりとり來て植生したてしを云土針は和名抄に玉絲一名黄絲(沼波利久佐)此間云(豆知波利)かくあれどもこゝの土針は借字にて野榛《ヌハリ》をいへば秋萩ならん此卷の末に白菅之眞野榛原心由毛不思人乃衣爾摺奴と有も萩ならでいかで衣にすらん
 
從心毛、不想人之、衣爾須良由奈、」 良由約留にてするなといふなり歌意はいとまだきよりおのが方におふしたてひとゝなれるをまてる妹の他人に心そめなんがうしろめたきにかくいましめたとへよみしならん
 
1339 鴨頭草丹《ツキクサニ》、 鴨《ツキ》のきは伊のごとく唱ふ
 
服色取《コロモイロドリ》、摺目伴《スラメドモ》、變色登《ウツラフイロト》、稱之苦沙《イフガクルシサ》、」 鴨頭草摺にきぬをいろどりよそはしくきまほしかれどうつりやすき色なるを妹が吾心もしかならんといはんかと譬よめるなり
 
1340 紫(ノ)、絲乎曾吾※[手偏+差]《イトヲゾワガヨル》、 今本儀とあり(卷十三)玉緒乎沫緒二※[手偏+差]とあれば誤しるければ改紫の糸とはみやびの情をよそへていふのみ
 
足檜之、 冠辭
 
山橘乎、 こを女にたとふ
 
將貫跡念而《ヌカムトモヒテ》、」
 
1341 眞珠付《マタマツク》、 冠辭
 
越能《ヲチノ》菅原、 今本こしのと訓しは誤なりこは越《ヲチ》の小菅に同じく近江の越野をいふなり
 
吾不苅《ワレカラデ》、人之苅卷、惜菅原《ヲシキスガハラ》、」 こは後なれど伊勢物語に人の結ばんことをしぞおもふと同じたとへなり
 
1342 山高(シ)、夕日隱奴、 日にかくれぬのにを略けばかを濁る
 
淺茅原、 日にてれる茅原のいつくしきを惜む
 
後|見《ミム》多米爾、標結申尾、」 いと貴《アテ》なる女のまだいとけなきをはつかに見て戀おもふこゝろを夕日がくれのちはらに譬なり
 
1343 事痛者《コチタクハ》、 事は言なり
 
左右將爲乎《カニカクセムヲ》、石代之、 紀伊國なるよし(卷一)に既に出
 
野邊之|下草《シタクサ》、吾之苅而者《ワレシカリテバ》、」 かりてあらばを約め通したる言なれば者を濁るさて歌の意はおもふ妹を吾得てあらば人の言痛くいひさわがんはとにもかくにもいひしづめなんを野べの下草苅にたとへしなり一本に紅之|寫心哉於妹不相將有《ウツシコヽロヤイモニアハザラム》うつゝの心うつろふ心と二つ有こゝはわが事故うつゝのこゝろにていかであはざりけんと思ひたるなりけり
 
1344 眞鳥住、 冠辭
 
卯名手之神社之《ウナデノモリノ》、 【史記周本紀賛|所3謂《イヘル》周公(ノ)葬(レト)2我(ヲ)畢(ニ)1畢(ハ)在2鎬(ノ)東南(ノ)杜《モリ》中(ニ)1註杜一社 本居云】此森は大和國高市郡さて神社は木もしげればかく義訓せり
 
菅核乎《スガノミヲ》、 今本根とあれど根は衣に摺物ならず核《ミ》を誤れる事しるければ字も訓も改む此上にも妹が爲菅(ノ)實取に行我乎とあるをもおもふべし
 
衣爾|書付《カキツケ》、 書は借字掻付にて摺なり
 
令服兒欲得《キセムコモガモ》、」 歌意はかく卯名手の社をしもいへるは然かしこき妹を吾得て摺衣着せ得てんまでに吾得んてふをかく譬しならん
 
1345 常(ニ)不見、 今本常不とありてつねならぬと訓たれどさらば不常と書べし末の句歌の意にても字の脱し事しるかれば見を補ひ訓をあらたむ
 
人國山乃、 常不見|他《ヒト》國とかゝる
 
秋津野乃、 既出
 
垣津|幡《バタ》鴛《ヲシ》、夢見鴨、」 常に戀おもふと見ぬ人をいめに見しをかくたとへしなり
 
1346 姫押《ヲミナヘシ》、生澤邊之、眞|田葛《クズ》原、何時《イツ》鴨|絡而《クリテ》、 くりよする意にとれるのみか
 
我(ガ)衣《キヌニ》將服、」 此歌いつかもなどいへばこもいとけなき妹を思へる歟又事ならんをまてるをかく譬しか
 
1347 於君似、草登見從、我標之、野山之淺茅、人莫|苅根《カリソネ》、」 君に似る草とは淺茅のうつくしまるゝもてたとへたり
 
1348 三島江之、 攝津國嶋上郡
 
玉江之薦乎、從標之《シメシヨリ》、己我跡曾念、雖未苅《イマダカラネド》、」 右の歌此歌はまだ枕まかねど吾妹とさだめしを譬なり
 
1349 如是爲而也、尚《ナホ》哉|將老《オイナム》、 此なほはたゞ人をなほ人といふ如くたゞにやなり
 
三雪零、大荒《オホアラ》木野之、 大和國なり
 
小竹爾不有九二《シヌナラナクニ》、」 小竹の雪にしなへながら生るを不逢してしなへうらぶれ年を經んとたとへしなり後ながら古今歌集に「さゝの葉にふりつむ雪のうれをおもみもとくだち行我さかりはも、此歌の意に似たり
 
1350 淡海之哉、八橋《ヤバセ》乃|小竹《シヌ》乎、不造矢而《ヤニハガデ》、 これまではさねといはん序なり
 
信有《サネアリ》得哉、戀敷鬼乎《コヒシキモノヲ》、」 歌意は小竹もはがでは矢とならず矢根《サネ》の意もて信《サネ》の序にいひてさて左は發言ねは寢なり今本信有をまことありと訓るは僻事なり此歌しか訓ていかに解んとすらん
 
1351 月草爾、衣者將摺、朝露爾、 妹にあひ得《エ》て歸るあしたの露をまうけて譬へり
 
所沾而後者、徙去友《ウツロヒヌトモ》、」 摺衣着てよそほしく出たち思ひだに心とげ得て後は妹が心の他人にうつろひぬるともと云なり
 
1352 吾(ガ)情《コヽロ》、湯谷絶谷《ユタニタユタニ》、浮蓴《ウキヌナハ》、邊毛奥毛《ヘニモオキニモ》、依勝益士《ヨリガテマシヲ》、」 妹によりつきがたきをたとふ終の乎は添たるのみよりがたからんと云なり【がてましの弖麻の約多にてよりがたし也よりがたからむと有注はよくも聞えず】かく人の上をいふ如くなるは蓴がうへを云さていひよりつきなんすべをなみ吾心のたゆたひを譬
 
1353 石上、 冠辭
 
振之早田乎、雖不秀《ヒデズトモ》、 年まだきをおもふにたとふ
 
繩谷延與《シメダニハヘヨ》、守乍|將居《ヲラム》、」 よき比まち得るまでまもらんとなり
 
1354 白菅之、眞野乃榛原、 【眞野類字和歌集大和國と有は誤なり契冲吐懷編にも然云り此歌本集には寄木と有】(卷十四)に白菅眞野乃榛原とあり攝津國なり
 
心從毛、不念君|之《ガ》、衣爾|摺《スリヌ》、」 此歌はさま/”\に意得らる其一つははぎか花の衣にいろづくが如く思ひもかけぬ人になるゝと云か又一つは吾を心より思ふともなき君になるゝを譬しか又はぎ原のみならではぎをいひたるは(卷七)に吾衣|摺有者不在高松之《スレルニハアラズタカマドノ》野邊|行去者芽子之摺類曾《ユキヌレバハギノスレルゾ》とよめる類歟又吾を心より思ふともなき君に馴るを譬へしか
 
1355 眞木柱、作蘇麻人《ツクルソマビト》、伊左佐目丹、 此言は既に上の卷にもいへる如(卷四)にくはしくす「いなしらずしか目にてふ言なりさてこは言を上下にいふにてしか目に見すとふ意なり」眞木柱は三つ葉四つ葉の殿作りの料にとて杣人の伐も削もなして作れゝどたゞかりそめの借廬の料とせん事はしらずといひて妹戀おもひのかりそめならぬ眞心にたとへたるなりけり
 
借廬之爲跡《カリホノタメト》、 とての意
 
造計米八方《ツクリケメヤモ》、」 理計《リケ》の約禮なり其禮は良に通て作良米八なりもはそへていふのみとしるべし
 
1356 向峯爾《ムカツヲニ》、立有《タテル》桃(ノ)樹《キ》、成哉等《ナリヌヤト》、 成は借字にて實をむすぶをなるといふを事の成しにたとへしなり
 
人|曾《ゾ》耳言爲《サヽメシ》、汝情勤《ナガコヽロユメ》、」 さゞめきは私語《サヽメコト》などの意いひささやぎたつるなりゆめはいめと同言ながら心に忌つゝしめと云なり 
1357 足乳根乃、 冠辭
 
母|之《ガ》其業《ソノナル》、 薗爾在に借しなり
 
桑子|尚《スラ》、 今本桑尚とのみありてくはもなほと訓しは僻事なり桑子こそ絹には織なり歌の意もて子を補ひてすらと訓集中に其例あまた有
 
願者衣爾《ネガヘバキヌニ》、著常主物乎《キルトフモノヲ》、」 ねぎおもひて事をなせば絹にも織るゝを戀の思ひ切なれてふにたとへたり
 
1358 波之吉也思、 此言(卷二)別記に委
 
吾家《ワギヘ》乃毛桃、本|繁《シゲシ》、 本は木立なり
 
花耳開而、不成在目八方《ナラザラメヤモ》、」 逢事を得ずてゆるせしのみをきければそを花にたとへ花咲實ならぬ事やあるといふなり
 
1359 向岡之《ムカツヲノ》、若|楓木《カヘテノキ》、下枝取《シツエトリ》、 若かる妹に思ひかけて妹か下《シツ》心を引試得たるよりたとふ
 
花待《ツ》伊間爾、 花待は時至るを云伊は發語花待間なり(卷七)に不亂伊間爾令視兒裳欲得《ミタレヌイマニミセムコモカモ》と有伊間にこゝも同じく間に發語を添しを思へ 
嘆鶴鴨《ナケキツルカモ》、」 時ならんを待程なれど妹がゆるすをいとよろこべるなり
 
1360 氣《イキノ》緒爾、念有吾乎《オモヘルワレヲ》、山|治左能《チサノ》、 和名抄に※[禾+巨](和左之木)或人北國に多くて木はみづ木に似て葉はいぼたの大なるに似たり花はしろくて躑躅より少しちいさしと云
 
花爾香君|之《ガ》、 花ばかりなるあだ心に實なきをかく譬いふ例集中に多し
 
移奴良武《ウツロヒヌラム》、」
 
1361 墨吉之、淺澤小野之、垣津幡《カキツバタ》、衣爾摺著《キヌニスリツケ》、將衣日不知毛《キムヒシラズモ》、」 おもふ人を得ぬににとへたり
 
1362 秋去者、影毛將爲跡《カケニモセムト》、 【撮要抄云影は※[丹+彡]の誤か※[丹+彡]毛將爲《コヽモナサント》歟|※[丹+彡]《トウ》【アカシ・アカキカサリ】 
吾蒔之《ワガマキシ》、韓藍之花乎、誰採家牟《タレカツミケム》、」 韓藍は紅花なり呉藍といふに同じ吾おもふ人と相逢影にもせんと蒔置しなれば高かれとなも思へるに誰か摘けんと云なり【今案に秋來は此紅もて衣を染匂ひてれるばかりによそひ影うつる迄のよそひとて蒔し韓藍を誰かつみ取けんとわが思ふ妹を人のかたらひ得たるにたとへたるならん】
 
1363 春日野爾、咲有芽子者、片枝者《カタツエハ》、未含有《イマダフヽメリ》、言勿絶行年《コトナタエコソ》、 こは姉妹などならび生ひたてる妹の方のまだいはけなきをおもふ事絶ずとげなんとねぐに譬しならん言は借字事なり
 
1364 欲見、戀管待之、秋芽子者、花耳開而、不成|可毛將有《カモアラン》、 右に同じ人のよめるか花開は妹のとし比になれるにたとへ不成可毛將有は我戀のかなひがたからんとうらむもとなかりし事はたしてさはらひ出きなんに譬
 
1365 吾妹子|之《ガ》、屋前《ニハ》之秋芽子、自花者、實成而許曾《ミニナリテコソ》、戀益家禮、」 又同人の歌かつひに心とけてよめるならん
 
1366 明日香川、七瀬之|不行爾《ヨドニ》、 よどは水のよどみとまる所を云よりて淀に不行をかれるなり
 
住鳥毛、意有社《コヽロアレコソ》、 心あればこそなり
 
波不立目《ナミタヽザラメ》、」 淀なれば波立ずといへり物のとまれるをもよどむといふはともかくもせぬもてなりされば事成らではたさぬ中にたとへしならんさて此淀よりいひ下せば波とはかけれど住鳥もといへば鳥も並もたゝぬ意に借て淀に鳥もよどみいよゝはたさぬ意にたとへしなり
 
1367 三國山、 信濃越前又武藏にもありいづれならん式神名帳に越前坂井郡三國神社とあり
 
木未爾|住歴《スマフ》、武佐左妣之、 【※[鼠+吾]《ムサヽビ》】
 
待鳥如《トリヲマツゴト》、 今本待の上に此とあるは衍字なり
 
吾俟將痩《アヲマチヤセム》、」 待わぶる思ひをかせんずらんといふをかく書ててにをはの待やせんに借しなり
 
1368 石倉之、小野從秋津爾、 大和國吉野に在
 
發渡《タチワタル》、雲西裳|在《アレ》哉、 あればやの意
 
時乎思將待、」 石倉の小野と秋津野との中に高山の隔あれば雲の行ぬ譬とし又高山よりも高く雲たちて雲のいゆく折もあれば時を待にいひよせしなり
 
1369 天雲《アマグモニ》、近光而《チカクヒカリテ》、響神之《ナルカミノ》、 是までは次の二句をいはんたとへの序なり
 
見者恐《ミルハカシコシ》、不見者悲毛《ミヌハカナシモ》、」 貴き人を恐にたとへしなり(卷十三)筑紫船未毛不來者豫荒振公乎見之悲左此たぐひならん
 
1370 甚多毛《イトサハモ》、不零雨故《フラヌアメユヱ》、庭立水《ニハタヅミ》、 にはかいつみの加を横に通はせて泉《イヅミ》の伊を略なり
 
大莫逝《イタクナユキソ》、人之|應知《シルベク》、」 母などのゆるさぬをしぬびて通ふに譬しならん
 
1371 久堅之、雨爾波|不著乎《キヌヲ》、恠毛、吾|袖者《コロモデハ》、干時|無《ナキ》香、」 此歌譬喩歌ともなく見ゆ涙をいはで涙をしらせる如くたとへの意によめるならん歟
 
1372 三空往《ミソラユク》、月讀壯士《ツキヨミヲトコ》、夕|不去《サラズ》、 夕べ落ず常になり
 
目庭雖見、因縁毛無、」 貴き人を戀て常見れどいひよらんすべなきにたとへしなり天雲のよそにも人のといひ又目には見て手にはとられぬなど後に讀しも是によれるならん
 
1373 春日山、山|高有良之《タカカラシ》、石上《イハノヘノ》、菅(ノ)根將見爾、月待難(ヌ)、」 此歌は二の句より五の句へうつしてさて三四の句へつゞけ心得べしされば山の高きに月のいでがてにすれば菅の根の見えぬといふなりこをもて思へば菅の根いさゝかなる物にて石につき土に入べければ高き山に見むてふ事いふべからず誤るべからぬ字ながら枩の草に消そはるゝものゝ見えて菅ならんと闇に補しものなるべきかさらば松が根見んにと有しならん
 
1374 闇(ノ)夜者、辛苦《クルシキ》物乎、何時《イツシカ》跡、吾待月之、 今本月毛とあれど之の誤ならんよりて改む
 
早毛照奴賀《ハヤモテラヌカ》、」 おもへる人を月によそへ吾闇にまどへるをたとへしならん
 
1375 朝霜之、消安命、爲誰(ニ)、千歳毛|欲得跡《ガモト》、 今本欲得をかなと訓たれど集中の例がもと訓て意均し例によりてあらたむ
 
吾念莫國《ワガオモハナクニ》、」 君かためなど人をさしいふべきをたがためにとうちつけならでいひてさて千歳をも經んとこひねがふ心のせちなるをおもふといふをたがためにとおほよそにいへれば下におもはぬにとうけてかへし心得るてにをはにいひ出たるなり「みちのくのしのぶもぢずりたれ故にみだれんとおもふわれならなくに」などのちによめる皆此歌にすがたをとりたる物なり今本こゝに右一首不有譬喩歌類也云云と云り撰者の意ならば雖不類と書べし其上此歌のみならず譬歌ならぬもあればかた/\後人のさかしらならんよりて注を捨つ
 
1376 山跡之、 四言
 
宇陀乃|眞赤土《マハニノ》、左丹著者《サニツカバ》、 妹に手ふれたらばといふを宇陀の赤土の物につきやすきもてたとへて下に其所もか人のといふ今本者を脱せり左丹著とのみありては語をなさずよりて補ふさて左は發語なりにつかばゝ似つくなり
 
曾許裳香人之《ソコモカヒトノ》、吾乎言將成《アヲコトナサム》、」 そこもかはそれをもと云が如しわれその人に似つかばそれを人のいひさわぎて言をなすらんといふなり
 
1377 木綿懸而、祭三|諸《モロ》乃、神佐備而、 三諸は地の名にあらず三は眞に通ひ神室を云神さびは神すさみぶりなり是まではいむといはん序なり
 
齋《イム》爾波不在、人目多見許|増《ソ》、」 いみさくるにはあらず人をはゞかるとなり
 
1378 木綿懸而、齋此神社《イムコノモリモ》、可超《コエヌベク》、 今本いみしやしろもと訓るはひが事なり社をこゆる事あらんやのちに千早振神のいがきも越ぬべしとてよめるなり
 
所念可毛《オモホユルカモ》、戀之繁爾、」 他《ヒト》妻か又いはひむすめか
 
1379 不絶逝《タエズユク》、明日香(ノ)川之、不逝有者《ヨドメラバ》、故霜有如《ユヱシモアルゴト》、人之|見國《ミマクニ》、」 相もへる中におもひかけず通がたき事あるをかくたとへよみしならん
 
1380 明日香川、湍瀬爾玉藻者、雖生有《オヒタレド》、四賀良美有者、靡|不相《アハナクニ》、」 女の歌にてもる人多みなびきあひがたかるに譬よみしなり
 
1381 廣瀬川、 紀(天武)に祭大忌神於廣瀬河曲と見え神名式にも大和國廣瀬郡坐神云云と見えたり
 
袖衝許、淺乎也、 川瀬を渡るに垂たる袖の末のやゝ著《ツク》ばかりなるはいと淺き水のさま也そを夫の心淺に譬ふ
 
心深目手、吾念有《ワガモヘル》良武、」 さばかり人の心は淺きにわれのみいかでふかめてはおもふらんとみづからをとがむるなり
 
1382 泊瀬川、流水沫之、絶者許曾、吾念心、不遂登思齒目《トゲジトモハメ》、」 流る沫のたえぬ如くにとげざる事あるまじければとげじとおもはじとなり
 
1383 名|毛《ゲ》伎世婆、 長息なり
 
人可知見、山川之、 如くを入て心得べし
 
瀧情乎、塞敢而有鴨《セガヘタルカモ》、」 せがへの加は伎阿の約にてせぎあへたるなり心も涙もたぎりたるを人にしられん事のつゝましさにせきとめたりとなり
 
1384 水隱爾《ミゴモリニ》、氣衝《イキヅキ》餘、早川之、瀬(ニ)者立友、 こはくるしき事の限をいひならべてちかひことのたとへとしたるなり水に入くるしき餘りたつところも又早川にてくるしきなりさて此立友を今本にたてどもとよめり然よみては此歌解得べからず且雖立とかゝばしかよみなん立友とかけるは清てたつともと訓事もとよりなり
 
人二|將言《イハメ》八方、」 いか成苦敷事有共ちぎりたる事を人にあらはしいはんやとなり
 
1385 眞※[金+色]持《マガナモテ》、 冠辭
 
弓削(ノ)河原之、 河内國若江郡
 
埋木之、 是まで序なり
 
不可顯《アラハルマジキ》、事等不有君《コトトアラナクニ》、」 事とあらなくには事にあらぬになり人とあらずはなどいふに同じ忍びたる事あらはれ安きを譬事等一本事爾と有 
1386 大船爾、眞梶繁貫、水手《コギ》出|去之《マシ》、 【水手出去之こゝに去之と云てはにしは過去の辭故心とほらず奈者とかともとか不言は聞えがたし】
 
奥|將深《フカヽラム》、潮者干|去《ヌ》友、」 鹽は干|去《イヌ》ともにて潮干にも沖はふかしと云さてこは貴き人を戀るか又女のゆるさじと思へるなどを譬しならん
 
1387 伏超從《フシゴエユ》、 案に土佐國安藝郡の海邊の山道に今伏越と云地有若是ならん歟
 
去益物乎《ユカマシモノヲ》、間守爾《ヒマモルニ》、 後に波の關守と云に同じ
 
所打沾《ウチヌラサレヌ》、浪不數爲而、」 浪不數は浪不考《ナミカヾナヘズ》なり今も遠江人は船出するに波をかぞへそこなひしなど云といへりおもひ合よさてふしこえゆ行ましを磯邊を行て波の打來るひまをかゝなへ得ずして浪にぬれぬといひてしぬび逢中の通路は人しづまりて行べきを心はやりてかゝなへもせで行て事あらはれしを悔おもふ涙にぬれぬるにたとへしなりこは防人などの行守る地にて思ひあへる中の歌ならん
 
1388 石隱《イハカクリ》、 今本灑とありていはそゝぐと訓たれどさては歌意とほらず例もて隱の誤として改【こは今本のまゝいはそゝぐの方よかりなん奥人】
 
岸之浦廻爾、 岸の浦地名にあらずたゞに浦のこゝろのみ
 
縁浪《ヨスルナミ》、邊爾來依者香《ヘニキヨレバカ》、言之|將繁《シゲヽム》、」 石がくりはかくれしのぶにたとへよする浪來よるは絶ず通ふ事にたとふこは女の歌にてたび/\かよへる男に人のいひさやぎなんとしめしたるなり
 
1389 磯之浦爾、 或人云住吉にありと又紀伊國とも今案に集中磯の浦とよめる唯二首あり地の名にあらずたゞ浦といふのみなり
 
來依《キヨル》白浪|反乍《カヘリツヽ》、 きよりつ/\の意
 
過不勝者《スギカテザラバ》、雉爾絶多倍《キシニタユタヘ》、」 雉は借字岸なりかゝる借字清濁にかまはざるは例あり岸うつ波のよせてはかへるを男の來りてはやかへりなんとするにたとへてかくこゝをすぎがたく通ひ來り給ふからはしばしはたゆたひとまれどこも波のたゆたひなんにたとへて男のためらひあらんをこへるなりけり
 
1390 淡海之海、浪恐登《ナミカシコシト》、風守《カゼマモリ》、 船出せんに風のはげしかれば風待するなり
 
年者也|將經去《ヘナム》、※[手偏+旁]者無二《コグトハナシニ》、」 浪あらきをかしこみて風待して船出せずしてあらば年經て船を※[手偏+旁]とふ事なけんといひて吾思ふ中も人のいひさやけらんをかしこみはゞからば事はたしがたからんてふたとへにいへるなり
 
1391 朝奈藝爾、來依白浪、欲見《ミマクホリ》、吾雖爲《ワレハスレドモ》、風許増|不令依《ヨセネ》、」 朝毎に便につけて來る男をあひおもへれどかたみになかだちのすべなかるを譬しならんこも女歌なり
 
1392 紫之、 冠辭
 
名高(ノ)浦|之《ノ》、 紀伊國在
 
愛子地《マナゴヂニ》、 砂地《マサコチ》に同じ
 
袖耳觸而、 こは冠辭よりかくいひ下せるなり(卷一)に「引馬野ににほふ萩原入みだり」などいふつゞけがらに似て此紫の名高き浦の眞砂子地ににほひふれたるばかりにてと云なり
 
不寐香將成《ネズカナリナム》、」 名高の浦てふに人にいひさわがれて名のたゝんをいひよせさるから妹があたり行ふれたるばかりにて枕まくまでならすやあらんとなりかく冠辭の意を下までもいひ下すは奈良に至りての事にて古へならず
 
1393 豐國之、 豐前なり
 
聞之《キクノ》濱邊之、 今本是を間之《マヽノ》濱と訓るは僻事なり(卷十六)に豐國之聞之池有菱之末乎採跡也妹之御袖濡家武とあるによるなり
 
愛子地《マナゴヂノ》、 眞直道として眞直にいひかく是まで序なり
 
眞直之有者《マナホニシアラバ》、何如將嘆《ナニカナゲカム》、」 眞直にうけひかば何をかなげきなんと云
 
1394 鹽滿者、入流磯之《カクルヽイソノ》、 今本|入流《イリヌル》と訓るはいまだし義訓にかくるゝとこそよまめ
 
草|有哉《ナレヤ》、見良久|少《スクナク》、戀良久乃|大寸《オホキ》、」 磯邊の草の滿潮にかくるゝを見る少く戀るおほきに譬ふ
 
1395 奥浪、依流荒磯之《ヨスルアリソノ》、名告藻者、心(ノ)中爾、靡成有《ナビクナリケリ》、」 今本靡を疾跡としてとくとゝ訓歌意とほらず一字の二字となれる事次の歌にてもしらるれば改むさて名告藻を名告《ナノル》妹にたとへそは吾になびくならんと浪をおのれにたとへてよめるをとこの歌なりけり
 
1396 紫之、 冠辭
 
名高浦乃、名告藻之、於磯將靡《イソニナビカム》、時待吾乎、」 乎は添たるのみ名のりて名高しと浦の名によせ浪の來よする時まつと右の歌にこたへたる女の歌なり
 
1397 荒磯|超《コス》、浪者恐(シ)、 かしこしは父母などの見とがめなんをかしこむなり
 
然爲蟹、海之玉藻之、憎者不有乎《ニクヽハアラヌヲ》、」 今本乎を手としてあらずてとよみたれどさてはてにをはたがひ歌の意心得がたし一本によりてあらたむかくしのびあふからにかしこまるれどなびきかよへるがにくからぬとよめる女歌なり
 
1398 神樂聲浪《サヽナミ》乃、四賀津之浦能、船乘爾、 是まではのりにしといはんための序なり
 
乘西意、常不所忘《ツネワスラレズ》、」 妹が心にのりにしが常わすられずといふか又妹がおのれにゆるして名をのりしがわすられぬと云か
 
1399 百傳、 冠辭
 
八十之島廻乎、※[手偏+旁]船爾、 是までのりといはん序
 
乘西|情《コヽロ》、忘(レ)不得裳《カネツモ》、」 序にたとへをいひて心の乘しを思ひわすれがたしとなり
 
1400 島傳、足速乃《アバヤノ》小船、 あばやはあしはやきの略言|輕《カル》きを云されば嶋/\を漕めぐるにたより有なり
 
風守、年|者《ハ》也經南、相常齒無二、」 はやき物の遲きをいひて心ははやれどあはでふる年月の長きにたとふなり
 
1401 水霧相、 語は天露相などに同じさて波立あるゝをいふなり
 
奥津小島爾、風乎|疾見《イタミ》、船|縁《ヨセ》金都、心者念杼、」 他妻をおもふ歟いつきむすめを思ふ歟いひよるべきすべをなみたるたとへなり
 
1402 殊放者《コトサケバ》、 殊は船の事をいはんとての借字言をさけばなり
 
奥|從《ユ》酒甞《サケナメ》、港自《ミナトヨリ》、邊著經《ヘツカフ》時爾、可放鬼香《サクベキモノカ》、」 船といはねど歌意は此港に船泊せんをいみさくる事あらば沖邊より心して他し港に入べきに邊つ方迄至て船の着時にいみさくべきものかといひてさて人言をさくるとならばはじめにこそさくべけれ今事なる時にそをはゞからんやと譬たり
 
 旋頭歌。
1403 三|幣帛取《ヌサトル》、 三は眞の意
 
神之祝我《ミワノハフリガ》、鎭齋杉原《イハフスギハラ》、 ふりにし世より生たてる神杉なれば折取事までもいみさけて祝部が守りめかたき杉はらなり
 
燎木伐《タキヾコリ》、 燎木伐は其祝部が守るひまをうかゞひて伐とらなんとする木樵人を指よりて體語にたきゞこりといふなり
 
殆之國《ホド/\シクニ》、 ほど/\はほどに/\てふ言なり敷は戀しき淋しきてふ敷に同じくて物をしきらする辭守る人立廻り見るほどのしきるをいふなり
 
手斧所取奴《テヲノトラレヌ》、」 まもりめがほと/\しげゝれば樵夫が手斧とり得ぬといひて守りめかたきいつきむすめを戀ひて守る人のひまを伺かねしにたとふ
 
 挽歌。
1404 鏡成、吾見之君乎、阿婆乃野之、 物に見えす但次に吉野の歌あればこはよしのゝうちにあるならんか
 
花橘之、珠爾|拾都《ヒロヒツ》、」 こは火葬をいひて骨を拾ふを云なり
 
1405 蜻野叫《アキツノヲ》、 今本の※[口+立刀]は叫の誤既云
 
人(ノ)懸者《カクレバ》、 葬の後此野を人の言にかくればなり
 
朝蒔《マヰラマク》、 欲詣《マヰラマク》の字にかれるのみ句なり
 
君|之《ガ》所思而《モハレテ》、 君之は君乎の意なり
 
嗟齒不病《ナゲキハヤマズ》、」 不病は不止の意にかれるのみ
 
1406 秋津野爾、朝|居《ヰル》雲之、失去者《ウセヌレバ》、 此野に時に起る雲の立消失るを見て、わが思ふ人のうせにしむかしも今もかなしく思ふとなり
前裳今裳《ムカシモイマモ》、無人所念、」
 
1407 隱口乃、 冠辭
 
泊瀬(ノ)山爾、霞立、 こは妹をだびする煙にたとふ
 
棚引雲者、妹爾鴨在武、」
 
1408 枉語《マガゴト》香、逆言哉《サカゴトヽカモ》、 ふたつの加はかなと云入るなり
 
隱口乃、 冠辭
 
泊瀬(ノ)山爾、廬|爲云《セリトフ》、」 こヽに云逆言は轉倒したる意をいふべし紀に在る倒語とは少し異なりはつせの山に葬せしをいほりせりと云枉言逆言もそをいふなり 
1409 秋山(ニ)、黄葉|※[立心偏+可]怜《アハレト》、浦觸而、 うらぶれはわびなる事既にいふ
 
入西妹者、待不來《マテドキマサヌ》、」 もみぢあはれとめでゝそのめづるあまりうらぶれて山に入しと妹が死のさまを常に取なしいひ續るがいとかなしきなりさていりにしの言葉は死をいふなり
 
1410 世間者、信二代者《マコトフタヨハ》、不往有之《ユカザラシ》、過妹爾《スギニシイモニ》、不相念者《アハヌオモヘバ》、」 すぎにし妹にあはぬをおもへばまことに世の中は二世とならび行事はあらぬなりとなり(卷十三)に空蝉乃、代也毛二行、何爲跡鹿、妹爾不相而、吾獨將宿、とあるも同じ意なり
 
1411 福《サキハヒノ》、何有人香、黒髪之、白成左右、妹|之《ガ》音乎聞《コヱヲキク》、」 此歌さしてしらべのよきにもあらずたゞに見てはめでつべき歌ならねどまことのまことゝ云はかゝる類を云なりまづ歌の意は白髪までもろともに物かたらへる幸人も世にはあなれ吾もしか契りたるにいとはかなくさき立ぬる妹がわかれのかなしけれとなり扨吾が妹を先立し人の妹背黒髪の白かるまで在合を見ば誠にかくこそうらやみぬべき事なりされどひが人はおのれがうれはしきには人の幸をもねたみぬべきにかくめづるぞまことなるしかるからにあかずわかれし妹をこひしのべる情の深さも一しほに千五百年の後にもめでゝもひはからるるはまことならずや他の國に品たてゝ教ゆる信てふ事義てふ事にもかざらずをしへずしておのづからにかなへるは吾國のなしのまゝなる益人ならんしかも此歌いさゝけばかりも義《コトワリ》めきたる事なくて思ふがまゝにうち出たるにおのづからそなはれりかく見れば歌もいよゝよろしくおもはるれされば歌はかくこそあるべけれ吾國ぶりのをしへごと外にとめまどふべき事ならず
 
1412 吾背子乎、何處|行《ユカ》目跡、辟竹之《サキダケノ》、 冠辭
 
背向《ソガヒ》爾|宿之久《ネシク》、 【之久の約須なり此須は佐志多留の約にてそがひにねさしたると云なり奥人云卷十四東歌の末に可奈思伊毛乎伊都知由可米等夜麻須氣乃曾我比爾宿思久伊麻之久夜思母と有は理りよし茲に吾背子と有は心ゆかず妻として夫をそがひにねさすべき事にあらねば吾妹子の誤なるべし】
 
今|思《シ》悔裳、」 歌の意は在し世にはたはやすく思ひてうしろむきてもねしが今さらくやしとなりねしくは寐しなり前に今はを今しくはと云類なりこも又おもふがまゝなる物なり
 
1413 庭津鳥、 冠辭
 
可鷄乃垂尾乃、亂尾乃、 序なり
 
長心毛、不所念鴨、」 こは妹背の中の永きわかれのかなしみにたへず世にながらふべくもあらぬとなりしらべよき歌なり
 
1414 薦枕、相卷之兒毛《アヒマキシコモ》、在者社、夜乃|深《フク》良久毛、吾惜責《ワレヲシミセメ》、」 相まくら卷し妹があらばこそあれ今はなし世に有ならば夜の更行も吾をしみなんと云なり言も心もおのづからなる物なり
 
1415 玉梓能、妹者珠|氈《カモ》、 玉梓の妹と云ふ事外になしおしていはゞ玉梓の使にてきゝつる妹といふか又玉梓は玉※[木+巨]にて山※[木+巨]の事歟といふ説もありさらば山※[木+巨]のうつくしきより妹と云冠辭ならん【玉瓜はからす瓜の小き物にてうつくしき物なれば妹にたとへたり小苑】
 
足氷木乃、 冠辭
 
清山邊《キヨキヤマベニ》、蒔散漆《マケバチリヌル》、」 今本散染とありてちりぬると訓めり漆の草の染になりつらん或本の歌により假字にしたがひて字を改むさて玉は山にもあるべけれど此國にてはいひなれず集中にたゞ水邊にのみよめり然ればこは或本によるべし或本の歌に1416玉梓之、妹者花可毛、足日木乃、(冠辭)此山影爾、麻氣者|失留《チリヌル》、玉梓の使にて在と聞つる妹は花かともひて山路に※[不/見]《マケ》つゝ來て見るにちりてなしとなり葬しを慕來てその山にてよめるうたなり
 
 覊〔馬が奇〕旅歌。
1417 名|兒《ゴ》乃海乎、 住吉なる歟又越中を云か
 
朝傍來者、海《ワタ》中爾、鹿子曾喚成《カコゾヨブナル》、※[立心偏+可]怜|其水手《ソノカコ》、」 鹿子は借字水手なり今本鳴とあるは喚なり鳴の草喚に似たりよりて誤りしなるべしゆゑにあらたむ水手が聲の聞ゆと云なり(卷十五)新羅へ渡る海路にてよみしに此樣ありよてより所有にまかせ字を改む
 
萬葉集卷八之考 終
 
 
萬葉集卷九之考
 
附ていふ
 
○此卷を九の卷とする事は末に天平五年の歌あるをもてなり即今の五の卷なり其よし卷一のはじめ同卷の記にくはし
○此卷は山上の憶良の太夫の歌集なり自の歌あるひは大伴旅人卿と大伴|淡《アハキ》が贈答又旅人卿と房前卿贈答其外他人のも載たれど皆おのれをいやしめ人をたふとめるさまにて書體《カキザマ》も一|曲《フシ》あるは必憶良太夫の家集なり
○歌の端詞の如く小序體《ツイデザマ》の文あるは詩ありこは歌にあづかれる言にて其言なければ歌意とほらぬもあれど此考は歌のことわりをいふなれば考には皆のぞきてくはしくは別記にあげてそもことわるべき事はあら/\ことわりぬ
○右の小序文右左にはじめの卷々のさまにはし詞あるは年月日あるは國所人の名などをあげしはみな前にならひて訓を書そへことわりを云べきは其下にいへり
○今本一|條《キザ》のわかも左につくや右につくやわかちがたし仍て間一行をあけて一條々々をわかちて其ことわりをきざごとの下にいふ
 
萬葉集卷九之考〔流布本卷五〕
 
 雜歌。
 
○大宰帥大伴卿報凶問歌一首《ツクシノオホミコトモチオホトモノマヘツギミカナシミヲトハシマツルニコタヘマツルウタヒトクサ》、
 
(卷十二)に式部大輔石上堅魚朝臣の歌の左に右神龜五年戊辰大宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉于時勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣太宰府吊喪并賜物と見ゆ右に凶問といへるは此つかひをさし云但此端詞は山上憶良が旅人卿より左の詞并歌をおくられたるをしるしおかむとて書たるなり卿のはし書にあらず此所に大伴旅人卿の小序の文あり其意は彼卿妻大伴郎女薨られし憂をいひ勅使の二人になぐさめられてやうやく命を全したりといふ事あり其文をのぞける事ははじめに云下これにならひて見よ
 
793 余能奈可波、牟奈之伎母乃等、志流等伎|子《シ》、 こゝに毛の辭を省きたるなり毛をそへて見よ
 
伊與余麻須麻須、加奈之可利家理、」 此歌即旅人卿の歌なるを憶良の書とゞめ置たるははし詞にてしれ
 
神龜五年六月二十三日 此年號月日は上の歌につゞきて旅人卿よりおくられし時日なり
此所に山上憶良の自の文并詩一首あり別記にいふ此文歌ともに憶良の妻の卒し時の事なり 
〇日本挽歌一首《ヤマトノカナシミウタヒトクサ》、 歌に文と詩あるによりてこゝは日本挽歌と書たるなり後世和歌とふ類にあらざるを見よ
 
794 大王能《オホギミノ》、等保乃|朝庭等《ミカドト》、 こゝに弖を入て心得よみかどとてなり遠つ國といへどもしろしをす所は皆みかどなりされば新羅高麗とても云なり
 
斯良|農《ヌ》比、 冠辭四言
 
筑紫(ノ)國爾、泣子那須、 冠辭
 
斯多比枳摩斯提《シタヒキマシテ》、 あとより妻の太宰府へ來りしなり
 
伊企陀爾母、 こは道いそぎ行はいきぐるしくせはしきなり妻の太宰府にきたりて程なく過にしはかなさを次次にいはんとてなり
 
伊摩陀|夜周《ヤス》米受、年月母、伊摩他阿良禰婆、 此婆は既云如くあらぬにと心得べし
 
許許呂由母、於母波奴阿比陀爾、宇知那比枳、 身のうちなえるなり
 
許夜斯|努禮《ヌレ》、 こゝにこやしぬればとあるべきを婆の辭をのぞきたるは古體を用ゐたるなりさてこゝは七言の句なれどこも古體にせるなり許也斯奴禮は紀に(推古)聖徳太子飢人にたまへる御歌に許夜勢婁許能多比等阿波禮とよませ給へる同言なり語の意は許は許呂の下略夜は也留の下略にて凝遣なりこを許夜須と云は世婁約にて則太子の御歌は許夜須を延たるなりさて此許婁は許呂備ともいふは備は不志約なりこゝの歌に許夜斯といふ斯は世里約にて許也里世利なり此集反又展を許伊不須と訓し許も右に同じ
 
伊波牟須幣、世武須幣斯良爾、石木乎母、 いは木をもはたとへいふなりこやしふしすぎぬれば石木の如くなるをもて下の毛はそへたるのみその石木は非情のものなればとひさけ辨んすべなしと下のとひさけにつゞけしなり
 
刀比佐氣斯良受、 とひさけのとひは問なりさけは式の祝詞にふみさくといふはふみさけなり此さけはさきと同言にて問分辨ふるをしらずといふにて分ちをしらぬなり
 
伊弊那良婆、 都の家ならばなり
 
迦多知波阿良牟乎、 知は利に通ひ阿と乎と通ひてかたりはをらんをなり都の家ならば人も多く語合てもなぐさみ居んになり
 
宇良賣斯企、伊毛乃芙許等能、阿禮乎婆母、 あれは吾なり下の母は助辭なり
 
伊可爾世與等可、爾保鳥能、 冠辭
 
布多利那良※[田+比]|爲《ヰ》、 此ふたりならび居を關雎の意と云説あり此頃に至りてはもはら唐ざまを用ゐたればさもあるかしか見るすぎたり
 
加多良比斯、許許呂曾牟企弖、 背向てなり
 
伊弊社可利伊摩須《イヘザカリイマス》、」 家さかりは家放なり
 
 反歌
795 伊弊爾由伎弖、 奈良の家なり
 
伊可爾可阿我世牟、摩久良豆久、都摩夜佐夫斯久、於母保由倍斯母、」 四の句のつまやは閏房《ネヤ》をいふ
 
796 伴之技與之、 はしきよしは(卷一)の別記にいへる如くうつくしむこゝろなり
 
加久乃未可良爾、 からにはゆゑにて即かくすぎゆかんゆゑ一しほ其心の中にしたひおもはるゝまゝにしたひこせるいもがこゝろとなり
 
之多比己之、伊毛我己許呂乃、須|別《ベ》毛須|別《ベ》那左、」 妹が心の爲便の爲方なしなどいひ入なげくなり
 
797 久夜斯可母、 くやしきかなゝり
 
可久斯良摩也婆、 良は里と通摩は毛と通ひてかくしりもせばなり
 
阿乎爾與斯、 あをによしといひて奈良の都の事とするは奈良の朝に至りての轉ひなり
 
久奴知許等其等、 くぬちのぬは乃宇の約にて國の中なり
 
美世摩斯母乃乎、」 都に在し時國のうちをこと/”\く見せんものをとなり女は物見をこのめれどさはりありて出がたかるものなるをかゝるなげきにつけておもひ出らるゝ心のまことをそのまゝよめるにてまことなる歌なり(卷十七)に哀傷長逝之弟一首并短歌とある末の歌に可加良牟等可禰弖思理世婆古之能宇美乃安里蘇乃奈美母見世麻之物能乎も同意なり
 
798 伊毛何美斯、阿布知乃波那波、知利奴倍斯、和何那久那美多、伊摩陀飛那久爾、」 長歌にいきたにもいまだやすめずとあれば妻の卒せしは五月のはじめにや又はじめの歌に家にゆきてといへるも故郷の家なれば此樗もならの家にて妹の見し木なるべしさてわがなく涙はまだかはきもやらぬに此木の花はちり過ぬらんと思ひあはせてなげくなり
 
799 大野山、 筑前國御笠郡
 
紀利多知和多流、 句なり
 
和河那宜久《ワガナゲク》、於伎蘇乃可是爾、紀利多知和多流、」 大野山に立霧は即わがなげく息なりとなり神代紀に吹棄|氣※[口+貴]之《イブキノ》狹霧とあるぞこれらの言のもとなり四の句の於伎は息なり蘇は佐志の約にて息さしなり【蘇は佐志の約志を曾に通し云と有べし】
 
神龜五年|七月二十一日《フツキハツカマリヒトヒ》筑前國守山上憶良上《ツクシノミチノクニノカミヤマノヘノオクラタテマツル》、
 
是は憶良の妻の卒し時いたみて作りし詩歌なりこゝに憶良上るとあるは靈に對せる詞歟若旅人卿あるひは別人に見せらるゝゆゑよし有か
 
○令反惑情歌一首并序、 是も同じ時に人ごとめきてみづからのまどひをはるけし歌のはしことばなりこゝに歌一首とあれど反歌ともには二首なり唐めきてかきたれば反歌はこめ言て序をいふ下これにならへ此卷より下唐意をおもにせれば吾國の手風にかなはず
此所に父母へのつかへをわすれ妻子を不顧ものありとして三綱てふ事をしめし五教てふ事をひらき歌もて惑をはるけさするなどいふ序《ツイデブミ》あり
 
800 父母乎《チヽハヽヲ》、美禮婆多布斗斯、妻子《メコ》美禮婆、米具斯宇都久志、 米具之はまくはしをつゞめいへるなり宇都久志は愛《ウツク》しむなり一本こゝに遁跡得奴《ノガロエヌ》、兄弟親族《ハラカラヤカラ》、遁路得奴《ノガロエヌ》老見幼見《オイミイハケミ》、朋友乃《トモガキノ》、言問交之《コトヽヒカハシ》云云とあり【米具之の具は具牟の約目籠敷と云言なり惠《メグミ》も同じ委は荒良言に云】
 
余能奈迦波、加久叙許等和理、 序中にいふ三鋼のうち二綱をこゝまでに云こゝを句とすべし
 
母智騰利乃、 もち鳥のかゝるといひかけたりさてこゝはそのかゝるをかゝはるにいひかくる冠辭のみ妻子をめぐゝ思ひかゝはるはもとよりうべなりといふなり
 
可可良波志母與、 此間一句脱|其輩乃《ソノトモノ》などの句ありしなるべし其ともとはやがて憶良の妻をさし云めぐしうつくしの語に應
 
由久弊斯良禰婆、 こは妻の死しを云
 
乎既具都遠《ヲケグツヲ》、 小毛沓也いさゝげなる沓にてぬき捨やすきなり
 
奴伎提《ヌギデ》、 【一本奴伎提の提字無】
 
都流其等久《ツルゴトク》、 序文の脱屐にあたるこは舜の天下をすつる事のやすきにたとへし唐語なれどこゝにては自の妻のなげきに官職をも容易すてめと思ひなりしを云
 
布美奴伎提、 上の注此句までかゝるなり
 
由久智布比等波、 即みづからをさすなれど序文の異俗先生といふにあたる
 
伊波紀《イハキ》欲利、奈利提志比等迦、奈何名能良佐禰、 こゝは五言の句なるを七言に云も古體を用ゐしなりさてかくいふもかの異俗先生は岩木より生《ナリ》出し人かことなる人なれば名を告《ノレ》となり此さねの延言の解は卷首にくはし
 
阿米|弊《ヘ》由迦婆《ユカバ》、奈何麻爾麻爾、 此句まで言の數を定めずこも上にいふが如しさてその先生のさまを見るに心空にて其つとめにうときはいかなるにやされども天に行まさんならばいましがまに/\せよとなり
 
都智奈良婆、大王《オホキミ》伊麻|周《ス》、許能提羅|周《ス》、日月能斯多波、阿麻久毛能、牟迦夫周伎波美、 式の祝詞に四方《ヨモノ》國者天乃退立限青雲乃向伏限こはいつ方に向ても天の退立如く見え雲の向はるゝ方に伏てある限天皇知食國土の廣さをたとへしことばなり
 
多爾具久能、佐和多流伎波美、 こも同じ祝詞に皇神乃敷坐島乃八十島者谷蟆能狹度極とありてこは谷澤の木の枝にいとちいさき蛙のあるがかれが歩のはこびを狹《サ》き事にたとへ大王の知食《シロシメ》さぬ方なきをいへることばなり
 
企許斯遠周、久爾能麻保良叙、 つちならば以下の十句は序文にいへる三綱の中の一つをはじめにのこして對句《ムカヘク》として歌を終るにてこゝが君臣にあたるこはあめ行き空かけるならばながまに/\せよ此國土にては遠き近きも皆大君の聞食國の眞中ぞとなり麻は眞なり保は穗にて眞秀なり良はそへいふ辭のみ
 
可爾迦久爾、 左に右になり
 
保志伎麻爾麻爾、 ほしき隨意とはかの先生の思へるままに官職つとめをおろそけにしてなりこはみづからおのれをいましむるなればはじめにいふ如く事をまうけたるをもはら唐意なれば歌もことにむづかし
 
斯可爾波阿羅慈迦、」 たがへる事をならべあげてさはあるまじといひてみづからいましむるなり迦は疑の歟にて問意の辭なり
 
 反歌
801 比佐迦多能、 冠辭
 
阿麻遲波等保斯、 長歌の天行ばをふたゝびいふなり
 
奈保奈保爾、 こは直人と云はたゞ人をいふと同じくただ/\なり
 
伊弊爾可弊利提、奈利乎斯麻佐爾、」 爾は禰に通ふなればしまさねか又禰を誤る歟歌の意は遠きあまぢにまどひたらんよりも此國ちの家におのが業《ナリハヒ》をつとめねとかへす/”\もおのれをいましむるなり
 
○思子等歌一首并序《コラヲオモヘルウタヒトクサトツイデブミ》
 
此所に佛も子をめぐしとしたまへば人誰かは子をうつくしまぬてふ憶良の序文あり別記にいふ
 
802 宇利波釆婆、 熟瓜を食なり
 
胡藤母意母保由、 保由は不の延言にておもふなり
 
久利波米婆、 栗を食なり
 
麻斯提斯農波由《マシテシヌバユ》、 子等をなり婆由は夫の延言しのぶなり
 
伊豆久欲利、枳多利斯物能|曾《ゾ》、 愛の餘りにいふなり
 
麻奈迦比爾《マナガヒニ》、 眼の際にてまみのあひを通し約いふ
 
母等奈可可利提、 もとなはよしなゝりかゝりては目にかゝりてなり
 
夜周伊斯奈佐農《ヤスイシナサヌ》、」 やすいは安寢なり斯は助字なりなさしめぬにて夜も安くねぬとなり
 
 反歌
803 銀母、金母玉母、奈爾世武爾、麻佐禮留多可良、古爾斯迦米夜母、」 都にとゞめたる子を筑前の國にておもふなり此終に戀2男子名古日1長歌に「世の人のたふとびねがふなゝくさの寶もわれは何かせんわが中の生れ出たる白玉のわか子古日者云云」もこゝに似たり
 
○哀世間難住《カナシメルヨノナカノトヾマリガタキヲ》歌一首并序
 
此所に唐の書の意もて老をなげく憶良の序あり委別記に云
 
804 世間《ヨノナカ》能、周弊《スベ》奈伎|物能波《モノハ》、年月波《トシツキハ》、奈何流流其等斯《ナガルヽゴトシ》、等利都都伎《トリツヅキ》、意《オ》比久留母能波、毛毛久佐爾、 百種《モヽクサ》になり以上四句はながるゝ如しといふよりつゞけて世の中のうきこともゝちよりつゞき死なん時も近より來たりせめよるといひてくるしき心の多きを云一首の大意なり
 
勢米余利伎多流、 上の注此句までかゝる
 
遠等|※[口+羊]良何《メラガ》、遠等※[口+羊]佐備周等《ヲトメサビスト》、 今本二つの※[口+羊]を呼にあやまれり誤しるければ改をとめさびは少女ずさみと云が如しなぐさみといふにあたるなり事は(卷一)の別記にくはしく云
 
可羅多摩乎《カラタマヲ》、 此頃もはら唐をたふとみしゆゑから玉とほめていふのみ
 
多母等爾麻可志、 加志の約|幾《キ》にてまきなり或本|之《シ》路多倍乃、袖布利可|伴之《ハシ》、久禮奈爲乃、阿可毛須蘇※[田+比]伎、
 
荼知古良等《ドチコラト》、 今本荼を余に誤か畫の消しなるべしよりて改どちこらは達兒なりたと同音同士の字音とおもふは誤なり宇萬人は宇萬人どちやいづこはやいづこどちといふにおなじなり
 
手多豆佐波利提《テタヅサハリテ》、阿蘇比家武、等伎能佐迦利乎、等等|尾《ミ》迦禰、 難v留《トヾメカネ》なり
 
周《ス》具斯|野《ヤ》利都禮、 こゝに婆のてにをはなきは古なり且これまで十句は女のさかりをいふ十句の終の二句はつぎに老おとろふをいはん序なり
 
美奈乃和多、 冠辭
 
迦具漏伎可美爾、伊都乃麻可、斯毛乃布利家武、 白髪をいふ
 
久禮奈爲能、 一云爾能保奈酒(丹《ニ》の穗なり)
 
意母提乃宇倍爾、伊豆久由可、斯和何伎多利斯、 (句なり)上の八句は女の老のおとろへをいふ此跡の句より男をいふ一本都禰奈利之惠麻比麻欲※[田+比]伎散久|伴《ハ》奈能宇都呂比爾家里余乃奈可|伴《ハ》可久|乃水《ノミ》奈良久
 
麻周羅遠乃、遠刀古佐備周等、都流岐多智、 古事記に都牟賀利乃太刀と有此牟と留とは横に通ひ賀利の約義にてつるぎと云なり其つるぎとは尖てふ言にて都と登と同言とがりなり都留義乃太刀の乃を省は都留義陀智と濁なりされどこゝもつるきだちといふはたゞほむる意有
 
許志爾刀利波枳、佐都由美乎、 幸弓なり記紀ともにみえたり
 
多爾|伎《キ》利|物《モ》知提、阿迦胡麻爾、 赤駒なり
 
志都久良宇智意支、 こゝの志都久良を今いふ馬具の切付の事として下鞍なるべしと和名抄物具装束こを引ていふ説あれどつるぎたちと云幸弓といひ皆ほめて云具の中なれば常の物にてはこゝにかなはず男ざかりの装にてうるはしきをつとへよめれば倭文纏《シヅマキ》の鞍なるべしとやごとなき御説ありをとめさびの装をいふにあひて對にもかなひいとめでたき御説にこそ
 
波比能利提、 【波は波世の約比は夫利の約早ふりのりてと云ならむ(奥人)蜻蛉日記に例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあれ是はおやとおぼしき人は戯にもまめやかにもほのめかしうけひきことし、言繼をもしらず顔に馬にはひ乘りたる人して打たゝかす云云】
 
阿蘇比阿留伎斯、 句なり是まで十句男ざかりをいふ
 
余乃奈迦野、都禰爾阿利家留、 かはらず常にありけるなり
 
遠等|※[口+羊]《メ》良|何《ガ》、 今本※[口+羊]を呼に誤る
 
佐那周伊多|斗乎《ドヲ》、 佐は發語奈良の約奈なれば良を略けるにて奈良須なり女のうちより戸を押開きて通來る男を内へいれんとする音を云なり
 
意斯比良伎、伊多度利與利提、 伊は發語たどりよるは男なり
 
摩多麻|提《デ》乃、多麻|提《デ》佐斯迦閉、作禰斯欲能、 摩たまでの摩は眞にてほむることば玉手の玉も同じくほむる辭うるはしきはだへをいふさしかへはまくらをかはすなりさねしのさは發語なり
 
伊久陀母阿羅禰婆、 此禰婆は例のぬにに通ひてあらぬになりいくたは幾度の略ならんとせんか猶考るに伊は發語にて久は古に通はせこゝたくを略きいふ歟これより上十句は男女をこめてさかりをいふなり
 
多都可豆惠、 手束杖なり
 
許志爾多何禰提、 此ことば杖に應ぜぬ言なり但したはむる事もあればそをたかぬといふ歟さらば老人の腰のくるしさにいこふとて杖をたはめて腰押すさまにやたがねはたはめなり
 
可久由|既《ケ》婆、比等爾伊等波延、 いとはれなり
 
可久由|既《ケ》婆、比等爾邇久麻延、 此まえのえもれなりこれより上六句も男女にあつ
 
意余斯遠|波《バ》、 老しをばの意なり源氏物語におよづけと云も老《オイ》付意なり【意與斯遠波志遠の約曾なれば凡《オヨソ》は歟】
 
迦久|能尾《ノミ》奈良志、多摩枳波流、 冠辭
 
伊能知|遠志家騰《ヲシケド》、 をしけれどの略
 
世武周弊母奈斯、」 男女ともにおいしはかくの如くのみにあるらしと云なりさてそのおいしいのちのきはみにちかければせんすべもなき世の中ぞとなり
 
 反歌
805 等伎波奈周、迦久斯母|何《ガ》母等、 今本何母はなくて加久斯母等とあり脱たるなるべし一本による
 
意母閉騰母、余能許等奈禮婆、等登尾《トヾミ》可禰都母、」 常磐の如くあれかしがなとねがへど世の中のさまにてとゞめかねつとなりとゞみのみに尾を借たるは美は備の半濁故なり
 
神龜五年七月二十一日於2嘉摩郡《カマノコホリニテ》1 筑前の國なり
 
撰定《ヨメル》筑前國守山上憶良 
 此所に大伴|淡《アハキ》等大作旅人卿へこたへまつる文あり
 
○歌詞兩首《ウタフタクサ》、(太宰帥大伴卿)此二首の歌は此所の注の如く旅人卿なり此集に憶良のかき集るとき返翰の歌のみにては歌の意わきがたき故こゝに旅人卿の歌をものせられしなり
 
806 多都能|馬母《マモ》、 周禮に凡馬八尺以上爲龍といへどこゝに龍馬とは只良馬をいふのみ
 
伊麻|勿《モ》愛※[氏/一]之|可《ガ》、 欲得《カモ》と書意なれば此可は濁るべし
 
阿遠爾與志、 冠辭
 
奈良乃美夜古爾、由吉帝己牟丹米《ユキテコムタメ》、」
 
807 宇豆都仁波、安布余志勿|奈子《ナシ》、奴婆多麻能、 冠辭
 
用流能伊昧仁|越《ヲ》、都伎提美延許曾、」 夢を伊昧《イメ》とよむべき事こゝにはじめて假字書出たり伊昧仁越の越は助辭のみ此二首筑紫にて旅人卿の都を戀給ひよみて淡等におくりたまへるなり
 
○答歌二首 これも憶良の書つけし時の標なり歌は大伴|淡《アハキ》等返翰につけたるなりけり
 
808 多都乃麻乎、阿禮波毛等米牟、阿遠爾與志、 冠辭
 
奈良乃美夜古爾、許牟比等乃多仁、」 多仁は多米爾の略か一本には多米とあれば誤字か 
809 多※[こざと+施の旁]爾阿波須、阿良久毛於保久、 句なり阿良久はあるの留を延たるなり
 
志岐多閉乃、 冠辭
 
麻久良佐良受提、伊米爾之美延牟、 見えなんに同じ夢に見えめといふは見えこそと願ひこせるによりてなり此二首都にて筑紫より旅人卿のおくり給へる歌にこたへ奉りて筑紫への返翰と共に奉りし淡等が歌なり
 
○大伴(ノ)淡等《アハキラ》謹状
 
此所に梧桐日本琴一面《キリノヤマトコトヒトツ》と有て【日本琴和名抄云|體似|箏《シヤウノコト》而短小有六絃俗用倭琴二字夜萬止古止大歌所有鴟尾琴止比乃乎古止倭琴首造鴟尾之形也伊勢鎭座本紀曰天香弓|興《タテ》並叩絃今世謂和琴其縁也】次に文あり別記にいふ其文の意は夢のうちに彼琴をとめとなりて君か手にふれんとねがふ意なりさて其琴の娘子のうたなりとて左の歌につゞく
 
810 伊可爾安良武、日能等伎爾可母、 いつの時いづれの日にかなり
 
許惠之良武、 列子曰伯牙善皷琴鍾子期善聽てふ言をおもひより給ひてその伯牙鍾子期等を房前卿にたとへ給へる意を琴の娘子の歌とし給へるにやさて聲しらん人の膝の上とつゞけて見るべし
 
比等能比|射《ザ》乃倍、 聲しらん人とは房前卿をさす
 
和我摩久良世武、」 今本世を可に作るは誤しるければあらたむ
 
○僕報謌詠曰《ヤツガレコタヘテウタヘラク》、 これは旅人卿の自琴の娘子の歌にこたへ給へるはし詞なり
 
811 許等等波奴、樹爾波安里等母、宇流波之吉、伎美我手奈禮能、許等爾之安流倍志、」 ことゝはぬ梧桐にはあれどもうるはしき房前卿の手馴の琴となるべしと琴娘子にこたへ給ひしなり
 
○琴娘子答曰《コトノヲトメコタヘラク》
 
此所に右の端詞の琴娘子が答に續て旅人卿の房前卿へ琴をおくられし文ありくはしくは別記に云
 天平元年十月七日附v使進上
謹通2 中衛《チウヱ》高明閤下記室1、 【奥人案に職原抄云聖武帝天平年中に中衛あり平城帝大同二年に勅して中衛を以て右近衛とす記室奥人案に書記右筆などの意なり直にいふ事を憚て記室まで達るとの意なり事物起元曰漢書百官志曰王公大將軍幕布皆有記室掌草表書記】大伴旅人卿より藤原房前卿へ和琴を贈らるゝ時のたはむれにつくり給へる文並歌どもなり左にある歌は即房前卿よりの返柬なるを其儘に憶良の自の集に書のせしものなり
此所に總前卿より旅人卿へ返翰の文ありて左の歌につづく委しくは別記にいふ
 
812 許等騰波奴、紀爾茂安理蒿毛、 今本蒿作等
 
和|何《ガ》世古我、多那禮乃|美巨騰《ミコト》、都地爾意加米移母《ツチニオカメヤモ》、」 移を耶とよめるは紀(神功)に爰斯摩宿禰、即以|※[人偏+兼]人爾波移《シタガヘルヒトニハヤ》、與2卓淳人過古1二人遣2百濟國1、と見え其移の字の傍に野私とそへたり野は訓をしらせんとてなり私の字は和名抄にいふ公望か日本紀私記の印なりさればいづれにも耶と訓べき證はあるなり百濟などの音にや
 
○十一月八日附2還使|大監《オホマツリコト人》1、還使大監とは大伴宿禰百代なりさてこは朝集使正税使などにて百代の都にのぼれる序に右の書等と琴とを旅人卿より房前卿へ贈られし其返翰を此百代に房前卿の附られしなり百代の太宰の大監なる事は卷十三十四に見えたり
 
謹通2 尊門 記室1
 
此所に憶良の文にて筑前國|怡土《イト》郡深江村|子負原《コフノハラ》の丘に息長足姫《神功皇后》天皇の御袖につけ給ひしてふふたつの石【日本紀九曰|于時《トキニ》也適當|開胎《ウミツキニ》皇后則取石挿腰而祈之曰事竟還日産於茲土其右今在于伊都縣道邊云々鎭懷石大者長一尺二寸六分圍一尺八寸六分重十八斤五兩小者長一尺一寸圍一尺八寸重十六斤十兩並皆|墮圓状《マロクシテ》如鷄子】大さ小さおもさかるさをいひて此石をぬかづきをがみてよめる歌とて左の歌につゞく
 
813 可既麻久波、 かけまくは言にかけんはなり
 
阿夜爾可斯故斯、 綾の紋の如くとざまかくざまいりたちてかしこみたふとむなり
 
多良志|比※[口+羊]《ヒメ》、可尾能彌許等《カミノミコト》、 六言こゝは七言の句なるを始にもありし如く古體にせんとて六言にせし歟又誤て乃を脱せし歟
 
可良久爾遠、 から國は三韓國《ミツノカラクニ》なり
 
武氣多比良|宜《ゲ》弖、 むけは吾朝廷にむかはせ給ふ加波世の三つを約計となればなりたいらげも同じ言なるをかさねていふなり
 
彌許々呂遠、斯豆迷多麻布等、 鎭なり
 
伊刀良斯弖、 伊は發語とらしましてなり
 
伊波比多麻比斯、 齋なり
 
麻多麻奈須、 眞玉の如きなり
 
布多都能伊斯乎、世人爾、斯※[口+羊]斯多麻比弖、余呂豆余爾、
 
伊比都具可禰等《イヒツグガネト》、 可禰は哉の意にてかもと云に同じ
 
和多能曾許、 冠辭
 
意枳都布可延乃、 上のおきつはふかえといはん句中の序なりふかえははじめの文にいへる怡土郡なり
 
字奈可美乃、 筑前に今もうなかみてふ所あり
 
故布乃波良爾、 はじめの文に子負の原と云これなり
 
美弖豆可良、意可志多麻比弖、 令置たまひてなり
 
可武奈何良《カムナガラ》、可武佐備伊麻須、久志美多麻、 奇魂紀にくしみたまと訓てあやしきまでにたふとき神御魂をいふ
 
伊麻能遠都豆爾、 現にてうつゝなり
 
多布刀伎呂|可※[人偏+舞]《カモ》、」 呂は助字なり
 
 反歌
814 阿米都知能、等母爾比佐斯久、伊比都|夏《ゲ》等、許能久斯美多麻、志可志家良斯母、」 志可の下に奈を入て心得べししかなしけらしもなり
 
右事傳言那珂郡伊智郷蓑島人建部牛麻呂是也《ミギノコトノツテコトハナカノイチノサトミノシマノヒトタチベノウシマロコレナリ》、 右のいはれを此牛萬呂のいひしを聞しなるべし
 
○梅花(ノ)謌三十|二首《フタクサ》并|序《ツイデフミ》、 こを訓にならびに序と訓は江家の傳序あはせたりと訓は菅家の説といへるは實しき言にあらじ
此所に天平二年正月十三日帥の家に人々集ひて宴《ウタケ》し春の庭のよきにもよほされて歌よみして心をのべたりてふことの文有くはしくは別記にいふ
 
   大貮紀卿《オホスケキノマヘツキミ》
815 武都紀多知、 武都紀多知は正月はもとつつきなり毛都約武なればなり委三四五六の別記にあり
 
波流能吉多良婆、 多良婆の多は弖阿約きてあらばなり
 
可久斯許曾、烏梅《ウメ》乎乎利都々、 梅を烏梅と書たるは假字書なるのみ心有にあらず戯書なり
 
多努之岐乎倍米、」 たのしきをへめはをはらめにてかくの如く梅を折かざして樂をつくさめなり(卷十九)春裏之《ハルウチノ》樂|終者《ヲフハ》梅花手折毛|致《チ》都追《ツヽ》遊爾可有
 
   小貮小野大夫《ヲスケヲノヽマヘツギミ》、 (續日本紀太宰大貮從四位下小野朝臣老卒とあり此人也卷十四にも少貮と見ゆ)
816 烏梅能波奈、伊麻佐家留|期等《ゴト》、知利須義受、和我覇能曾能爾《ワガヘノソノニ》、 わがへのへはゑの如く唱べし
 
阿利己世奴加毛、」 己世奴は乞の意にて有こせにて奴はよといふに同じくありこせよかななりやがてねがふ意なり【奥人按に奴はよと云に同じとはいかゞこせねと云に同じとはいふべし又本のまゝにてこせぬといひても聞えざるにあらず】
 
   少貮《ヲスケ》粟田(ノ)大夫
817 烏梅能波奈、佐吉多流僧能々、阿遠也疑波《アヲヤギハ》、加豆良爾須|倍《ベ》久、奈利爾家良受夜、」 古へ梅を挿頭《カザ》すにも柳の※[草冠/縵]もし正月七日の節會の舞《マヒ》の臺《ウテナ》にも梅柳をたてらるこれらもていにしへは梅の歌に柳をよみそへたる多し下これにならひて見よ末の句はなりにけらずやはあるなれりとかへるてにをはなり
 
   筑前守《ツクシノミチノクニノカミ》山上《ヤマノヘノ》大夫
818 波流佐禮婆、麻豆佐久耶|登能《ドノ》、烏梅能波奈、比等利美都都夜、 此やはやはの略なり
 
波流比《ハルビ》久良佐武、」
 
   豐後守《トヨノミチノシリノクニノカミ》大伴(ノ)大夫、 (卷十三に大伴三依悲別歌あめつちとともに久しくすまはんとおもひてありし家の庭はもとよめるは帥卿歸路の時よめれば此人なるべし)
 
819 余能奈可波、古飛斯企、 句なり今本宜とあるは誤なり一本によりて改
 
志惠夜、 しゑやはよしやなり
 
加久之阿良婆、烏梅能波奈爾母、奈良麻之|勿能怨《モノヲ》、」 世の中にこひしきてふはすべて人にこひとはるゝてふこそ人のほりおもふ事なるを此宴の梅こそやがて人にめでうつくしまるゝ物にはあれ吾かくありて世の中にあるかひあらずば此梅の花にならん物をとなり
 
   筑後守葛井《ツクシノミチノシリノカミフチヰノ》大夫
820 烏梅能波奈、伊麻佐可利奈理、意母布|度知《ドチ》、加|射《ザ》之爾斯弖奈、 斯弖奈はしてあれなを再約たる言なり弖阿の約多なればしたれななりその多禮の約弖なればしてなといふなりてんなどいふ言の約におなじきなり【こゝの再約てふ言いとむづかし弖あれの約弖なればしてあれななりといふべし又多萬倍の約も弖となればかざしにしたまへななりとてもよからむおく人】
 
伊麻佐可利奈理、」
 
   笠沙彌《カサノサミ》、(笠は姓沙彌は名なりかゝる名の事卷一に有)
821 阿乎夜奈義、 こゝに等を入て下を心得べし
 
烏梅等能波奈乎、遠埋可射之、能彌弖能々知波、 うたげの酒をなり
 
知利奴|得母與斯《トモヨシ》、」
 
   主人《アルシ》、(大作旅人卿なり)
822 和何則能爾《ワガソノニ》、宇米能波奈知流、 句なり
 
比佐可多能、 冠辭
 
阿米|欲里《ヨリ》由吉能《ユキノ》、那何|列《レ》久流加母、」 やがて梅のちるを雪と見てよまれたるなり
 
   大監大伴氏百代《オホマツリゴトヒトオホトモウシモヽヨ》
823 烏梅能波奈、知良久波伊豆久、志可須我爾、許能紀能夜麻爾、 筑前國|下座《シモツアサクラ》三城の山即城山なり
 
由企波布理都々、」 こも右に同じく梅を雪と見たるなり
 
   小監阿氏奥島《ヲマツリゴトヒトアウシオクシマ》、(阿の下に部か跡を脱せるか)
824 烏梅乃波奈、知良麻久怨之美、和我曾乃乃、 今本我を家とするは我家の草を誤れるなり
 
多氣乃波也之爾、于具比須奈久母、」
 
   少監土氏百村《ヲマツリゴトビトハニウシモヽムラ》、
825 烏梅能波奈、佐岐多流曾能々、阿乎夜疑遠、加豆良爾志都々、阿素※[田+比]久良佐奈、」 くらさんの略にて左は辭なり奈はいひ入たる詞
 
   大典史《オホサクハンフビト》氏|大原《オホハラ》、(史の下に部を略けるか)
826 有知奈※[田+比]久、波流能也奈|宜等《ギト》、和我夜度能、 今本我を誤る事既にいふ
 
烏梅能波奈等遠、伊可爾可和可武、」 をとりまさりをわかぬなり
 
   少典《ヲサクハン》山氏|若《ワカ》麻呂、(卷十三に山口忌寸若麻呂とある人なり)
827 波流佐禮婆、許奴禮我久利弖、 乃宇約宇にて木の末《ウレ》なり
 
字具比須曾、奈岐弖伊奴奈流、 伊奴は寢なり茂木かうらにやとるを云
 
烏梅我志豆延爾、」
 
   大判事《オホコトコトワルワザ》舟氏麻呂、(舟の下に一字略る歟)
828 比等期等爾、乎理加射之都々、阿蘇倍等母、伊夜米豆良之岐、 今本岐を坡に誤る一本によりて改米豆良之岐は愛《メヅル》の意今いふまれなる意にはあらず
 
烏梅能波奈加母、」
 
   藥師、(此間尾を略けるか)張氏|福子《サチコ》、(太宰の藥師なり)
829 烏梅能波奈、佐企弖知理奈婆、佐久良婆那、 今本佐を脱す補へり
 
都|伎《キ》弖佐久倍久、奈利爾弖阿良受也、」 奈利爾弖はなり去《イニ》てにて梅はちり櫻は咲べく時はなりいにてあらずやなりさて其あらずやはあれかしとかへるてにをはなり
 
   筑前介佐《ツクシノミチノクチノスケスケ》氏|子首《コオフト・タネカミ》、(佐の下に伯を略か)
830 萬世爾、得《ト》之波岐布|得《ト》母、 來り經《フル》るともなり
 
烏栴能|婆奈《ハナ》、多由流己等奈久、佐吉和多流|倍子《ベシ》、」
 
   壹岐(ノ)守榎氏安麻呂、(榎の下に一字を略歟)
831 波流奈|例《レ》婆、宇倍母佐枳多流、烏梅能波奈、岐美乎於母布|得《ト》、用伊母禰奈久爾、」 夜寢《ヨイ》もねなくなり
 
   神司荒《カミツカサアラ》、(此間一字を略なり)氏|稻《イナ》布《フ・シキ》、(太宰の神司なり)
832 烏梅能波奈、乎利弖加射世留、母呂比得波、家布能阿比太波、多努斯久阿流倍斯、 あるべしはあるなりとかへるてにをはなり
 
   大《オホ》令史《フビト・サクハン》野氏(ノ)宿奈《スクナ》麻呂、(野の上下の中に一字を略ならん)
833 得志能波爾、 (卷十九)家持歌の注に毎年謂2之(ヲ)等之乃波1
 
波流能伎多良婆、可久斯己曾、烏梅乎加射之弖、多努志久能麻米、
 
   小令史《ヲフヒト》田氏|肥人《ウマヒト》、(田の上下に一字を略か)
834 烏梅能波奈、伊麻佐加利奈利、毛毛等利能、己惠能古保志枳、 戀しきなり
 
波流岐多流良斯、」
 
   藥帥高、(此間一字を略か)氏義通、(二字音なり多くは高麗氏ならん)
835 波流佐良婆、阿波武等母比之、烏梅能波奈、家布能阿素※[田+比]爾、阿比美都流可母、」
 
   陰陽師《ウラベ》磯氏|法《ノリ》麻呂、(磯の間一字を略けるか)
836 烏梅能波奈、多乎利加射志弖、阿蘇倍等母、阿岐|太《タ》良奴比波、家布爾志阿利家利、
 
   算《カズヘ》師志氏|大道《オホミチ》、(志の間一字を略けるか)
837 波流能努爾、奈久夜|※[さんずい+于]隅《ウク》比須、奈都氣牟|得《ト》、 狎付《ナレツク》るなり
 
和何弊能曾能|爾《ニ》、※[さんずい+于]《ウ》米|何《ガ》波奈佐久、」
 
   大|隅《スミノ》目《サクハン》榎氏|鉢《ハチ》麻呂、(榎の間一字略けるか)
838 烏梅能波奈、知利麻我比多流、 散亂なり
 
乎加|肥《ビ》爾波、 岡邊なり
 
宇具比須奈久母、波流加多麻氣弖、」
 
   筑前目《ツクシノミチノクチノサクハン》田氏眞人、(田の間一字を略歟眞人一本|眞上《マカミ》と有)
839 波流能々爾、紀利多知和多利、布流由岐得、比得能美流麻|提《デ》、烏梅能波奈知流、」
 
   壹岐(ノ)目《サクハン》村氏|彼方《ヲチカタ》、(村の間に一字を略ける歟)
840 波流|柳奈宜《ヤナギ》、 冠辭
 
可豆良爾乎利志、烏梅能波奈、多禮可有可|倍《ベ》志、佐加豆岐能※[木+倍の旁]爾、」 (卷十二)に杯に梅の花うけて思ふどちのみてののちはちりぬともよしとよめりこゝの歌はかつらにせんと思ひしを誰歟さかづきのうへにうかべしととがめたるなり
 
   對馬(ノ)目《サクハン》高氏老、(高の間に一字略歟)
841 于遇比須能、於登企久奈倍爾、烏梅能波奈、和企弊能曾能爾、佐伎弖知留美由、
 
   薩摩(ノ)目《サクハン》高氏|海人《アマ》、(高の間一字を略けるか)
842 和我夜度能、 我を家に誤るは既にいふ
 
烏梅能之豆延爾、阿蘇※[田+比]都々、宇具比須奈久毛、知良麻久乎之美、
 
   土師《トジ》氏|御通《ミユキ》、(こは卷十三に土師宿禰水通とある人なり)
843 宇梅能波奈、乎埋加射之都々、毛呂比登能、阿蘇夫遠美禮婆、彌夜古之叙毛布、」
 
   小野氏|國堅《クニカタ》
844 伊母我|陛邇《ヘニ》、由岐可母不流登、彌流麻提爾、許々|陀《ダ》母麻|我不《ガフ》、烏梅能波奈可毛、」
 
   筑前掾《ツクシノミチノクチノマツリコトヒト》門氏|石足《イソタリ》、(門の間部の字を略る歟)
845 字具比須能、麻知迦弖爾勢斯、宇米我波奈、知良須阿利許曾、意母布故我多米、 ことはすべて女をいふ又|他《アタシ》人をもいふべし
 
   小野氏|淡理《アハリ》、(こは治をはりなど訓たぐひにて阿波の波を略て阿波利と訓か理の字音にあらず)
846 可須美多都、那我岐波流|卑乎《ビヲ》、可謝勢例杼、伊|野《ヤ》那郡可|子《シ》岐、烏梅能波那可毛、」
 
○員外《カズノホカニ》思《シタフ》2故郷《フルサトヲ》1歌《ウタ》兩首《フタクサ》、 右をうけて員外といへり即憶良の歌なり【奥人案に此二首の歌一本に後追和梅花歌四首のあとに在】
 
847 和我佐可理、伊多久久|多《ダ》知奴、久毛爾|得夫《トブ》、久須利波武等母、麻多意知米也母、」 おちめの米は牟に通ひておちんやなり母はそへていふのみ歌の意は憶良の七十におよびぬるまで受領にて遠き國に在事をなげきてよまれたるなるべし雲に飛藥とは彼淮南王の故事を思ひて※[奚+隹]犬の藥をはみて天へのぼるとも又おちなんてふをたとへ都にかへり登るとも卑賤の吾身なれば都にふり得ずて又あらぬ國に任《マケ》さすらへぬべしとなり【奥人云こゝの遠知ちふ言を本居がとりたてゝ若きに變《カヘ》る事なりとして卷十四に在吾盛復|將變八方《カヘラメヤモ》の歌の將變を遠知と訓べき證なりといへるはしひ言なりけり再考ふるに乎は和に通和加の約とし知は多知加閇里の約とすればわかたちかへりにて若に立かへる言となるめりさらば僻言にもあらじかしされど末の歌にいたりて聞えず○也母此やもは例の打反す辭にはあらで也母の約與ゆゑまたおちむよと云なるべし】
 
848 久毛爾得夫、久須利波牟等母、 今本等母を用波とするは誤なり一本によりてあらたむ【用波と有によれり猶思ふに此用波てふは夜はの事にはあらず從者《ヨハ》にて即よりはと云歌なり此集中從を可良とも訓たればからと云を同意にて神代卷に一夜之|間《カラ》と有も意同きなり此言は其事に臨さしかゝりたるうへに云意にて前方に設ていふ言ならず右の歌は故郷をしぬふまに/\其時に取てよめる歌成に藥はむからはとさし付て云べき言ならず是にては治定の辭となりてよしも不叶こそ】
 
美也古彌婆、伊夜之|吉《キ》阿何微《アガミ》、麻多於知奴|倍之《ベシ》、」 此歌も同じ意なり右の二首の意於の假字を今本遠越とかけるはたがへり墮落の事ならではきこえぬは必誤なるを知るよりてあらたむ
 
○後追和梅歌四首《オクレテナゾラフルウメノウタヨクサ》、 上下のつゞきをもて見るに憶良の歌なるべし
 
849 能許利多流、由|棄《キ》仁末自例留、宇梅能半奈、半也久奈知利曾、由吉波氣奴等|勿《モ》、」
 
850 由吉能伊呂遠、有婆比弖佐家流、有米能波奈、伊麻左加利奈利、彌牟必登母我聞、」 
851 和我夜度爾、左加里爾|散家留《サケル》、宇梅能波奈、 今本宇を牟に誤るよりて改む
 
知流倍久那里奴、美牟必登聞我母、」
 
852 烏梅能波奈、伊米爾加多良久、伊多豆良爾、阿|列《レ》乎知良須奈、 一本河と有は誤なり
 
左氣爾于可倍己曾《サケニウカベコソ》、」 又一本に牟に作る今本一本于なりさてこはいたづらにちらさで酒にうかべよと梅のいへるとするは古の意にかなへり今本には美也備多流波奈等阿列母布左氣爾于可倍許曾とあるはみだれしなるべしよりて一本の方を用ゆ梅の精靈|娘子《ヲトメ》などに化して夢に入てつけたるさまに新しくいはんとてまふけていへるなるべしされば一本いよゝよし
 
○遊《アソベル》2於松浦河《マツラノカハニ》1序《ツイデフミ》【奥人案に遊2松浦河1贈答歌八首并序 蓬客と拾穗に在て注に蓬客は山上憶良か作名と云説有可尋之と有】
此所に松浦の縣玉嶋てふ所にあそびつるに鮎つる娘子等《ヲトメラ》に逢て名をとひしにいやしき海人なりとこたへたるより歌の贈答をなしたりと憶良の自序《ミヅカラノツイデフミ》ありくはしくは別記に云
 
853 阿佐里須流、阿末能古等母等、比得波伊倍騰、美流爾之良延奴、 しられぬなりぬは終のぬなり
 
有麻必等能古等、」 良人《ウマヒト》の子とはしられたりといへり實の海人にあらねばなり卷一の菜摘須兒の類をおもへ
 
〇答歌曰《ウタモテコタヘラク》、 彼娘子らがこたへなり今本歌を侍に誤る
 
854 多麻之末能、許能可波加美爾、伊返波阿禮騰《イヘハアレド》、吉美乎夜佐之美、阿良波佐受阿利吉、」 やさしとは此下に世の中をうしとやさしと又古今集にとしのおもはんことぞやさしき源氏眞木柱に人ぎゝやさしかるべし又俗に心ある人をやさしといふもはづかしき人と云ほどのことなりさればこゝを君をはづかしみてと云なり本彌添數てふ言の約なり
 
○蓬客等更贈歌三首《トモドチマタオクルウタミクサ》、 今本蓬容とありされどこは憶良かいざなひ行し友人をさすなれば客の誤明らかなりよてあらたむ蓬は先に旅人卿より房前卿への返翰に蓬身とあるがごとくおのれを卑下していふ蓬なりおそらくは憶良の歌にあらじ【奥人案に拾穗に更贈歌 蓬客とあり】
 
855 麻都良河波、可波能|世《セ》比加利《ヒカリ》、 かはのひかりは點のさばしるひかりなりこゝは句の如しひかりと切て見るべし
 
阿由都流等、多々勢流伊毛河、毛能須蘇奴例奴、
 
856 麻都良奈流、多麻之麻河波爾、阿由都流等、多々世流古良何、伊弊遲斯良受毛、」
 
857 等富《トフ》都比等、 冠辭
 
末都良能加波爾、和可由都流、 わか點つるなり
 
伊毛我多毛等乎、和禮許曾末加米、」
 
○娘等更報歌三首《ヲトメラマタコタフルウタミクサ》
 
858 和可由都流、麻都良能可波能、可波奈美能、奈美邇之母波婆、 なみ/\の人とおもはゞなり
 
和禮故飛米夜母、」 こひんやこふるにとなり
 
859 波流佐禮婆、和伎覇《ワキヘ》能佐刀能、加波度爾波、 かはとは川門なり
 
阿由故佐婆斯留、 あゆこは鮎子なりさばしるのさは發語
 
吉美麻知我弖爾、」 君難待なり君とは鮎になりて云
 
860 麻都良我波、奈奈勢能與騰波、與等武等毛、利禮波與騰麻受、吉美遠志麻多武、」 松浦川のはやくさはしる瀬々はよどむ事ありともわれはとゞこほりよどまず君をまたんとなり
 
○後人追和謌三首《ノチノヒトナゾラフルウタミクサ》、帥老、 今本こゝに都とあるは衍字なり大伴卿なりおきなと云意にたふとみ書るなり
 
861 麻都良河波、可波能世波夜美、久禮奈爲能、母能須蘇奴例弖、阿由可都流良武、」 今本阿由可流良武とあるは誤なり一本によりて改む
 
862 比等未奈能、美良武麻都良能、多麻志米《・末イ》乎、美受弖夜和禮波、故飛都々遠良武、」
 
863 麻都良河波、多麻斯麻能宇良爾、和可由都流、伊毛良遠美良牟、比等能等母斯佐、」 等はたその約呂は良に同萬保の約母にて欲足《タラマホシ》てふ意なり
 
此所に從五位上吉田連|宜《ヨロシ》か筑紫にて梅の歌並松浦の歌詠ありしを山上憶良より贈られしに報《コタヘ》て相撲部領使《コトリツカヒ》【相撲《コトリ》使卷廿防人歌の冠注に委し】につけて歌よみして天平二年七月十日に筑紫へ下せしよし序宥委別記に云
 
○奉v和《コタヘマツル》2諸人梅花歌《モロヒトノウメノハナノウタ》1一首《ヒトクサ》
 
864 於久禮爲天、婀我古飛世殊波、 今本那我とあり那もとは婀なりしを娜に誤りて其畫の消しまゝに那我と書しならんかくては意とほらず又端詞と序文にあはせ見るにいと不敬なり旁誤としてあらたむ【奥人按に世は受阿良禮の約戀ずあられずばなり】
 
彌曾能不乃、于梅能波奈爾|忘《モ》、奈良麻之母能乎、」 都におくれ居てわが其うたげをこひ思ふかひあらせずとならば梅の花にもなりて戀おもはれんにとなり
 
○和《コタフル》2松浦仙媛歌《マツラノヲトメノウタ》1一首《ヒトクサ》
 
865 伎彌乎麻都、 この君とは憶良をさしていふ
 
麻都良乃于良能、越《ヲ》等賣良波、等己《トコ》與能久爾能、 こゝに常世の國とは唐をいふにあらず蓬莱などすべて仙家ある所をさし云【常世を唐にあらずとことわるは常夜とは唐をいふ事恐き御説なりこゝに用なければ古事記注にいふ】
 
阿麻越等賣可忘《アマヲトメカモ》、」 海人娘子なるをとこよの國といひかけつればこゝは天女といふかたに見るべし
 
○思君未盡重題二首《キミヲオモヒシキテマタヨスルフタクサ》、 こゝに君といふも即憶良をいふ
 
866 波漏婆漏爾《ハロバロニ》、 紀(皇極)に波魯波魯爾拳騰曾枳擧喩婁と有はる/”\なり
 
於志方由流可母《オモハユルカモ》、志良久毛能、智弊仁邊多天留、都久紫能君仁波《ツクシノクニハ》、」
 
867 枳美可由伎、氣那我久奈理努《ケナガクナリヌ》、奈良遲那留、志滿乃己太知母《シマノコダチモ》、 大和の國嶋の地にて憶良の家あるなり三首の始の初句に同く心得べし 
可牟佐飛二家里、」 ものふりけるこゝろなり
 
 天平二年七月十日、 此|年號《トシノナ》月日までは吉田連の書なるを憶良の自の集にあげられたるなり
 
此所に憶良つゝしみてまをすてふ言ありて都督刺史《ミコトモチクニツカサ》法によりて其所地をめぐりて手風を見るそのうち意に憂《ウレハシム》事ありて口に出しかたみつゝしみて三首の歌をつくりて意をのばゆとふ序ありくはしくは別記にいふ
 
868 麻都良我多、佐欲比賣能故何、比例布利斯、夜麻能名能美夜、伎々都々遠良武、」 佐用姫の信ある心をめでゝ此山の名のみ聞つゝをらんといふは國の政のたゞしからぬをふくみてなげきよめることは既に序にてしるべし
 
869 多良志比賣、可尾能美許等能《カミノミコトノ》、奈都良須等、 奈は魚の古言なり都良須の良須の約留といふならずつらしますとあがみていふなり
 
美多多志世利斯、 多志約知なり
 
伊志遠多禮美吉、」 石は礒の通音さて歌の意は古へは神徳《ミイキホヒ》おはして他の國まで平《ムケ》ませしに今は中々其みいきほひあらせず臣たちの忠《マメ》ごゝろも上つ代にあえずとこころになげきてよめりたれ見きの誰は第一の人より下の諸司《ツカサ/\》の人をさす一本に阿由都流等とあれど不敬《ヰヤナキ》歌なればとらず
 
870 毛毛可斯母、由加奴麻都良|遲《ヂ》、家布由伎弖、阿須波吉奈武遠、奈爾可佐夜禮留、」 さやれるはさはるなり下にもこゝろさやりぬといへり歌の意は百日《モヽカ》もふる事にはあらずたゞちに今日行てあすはかへらんを何のさはれることぞといふなりかくいふもなしやすきをさめかたもあるをなさでまつりごとのおこたりあるをおもへるならん事上に云如し
 
天平二年七月十一日|筑前國司山上憶良《ツクシノミチノクニノクニノカミヤマノヘノオクラ》謹上、
 
こゝにつゝしみて奉るとあるを見れば旅人卿へ奉たるにてはあらじか
 
此所《コヽ》に大伴佐提彦を任那國《ミマナノクニ》へ遣されし時の事をしるし其妻佐用媛が夫のわかれをゝしみて領巾ふりしより此山をなつけしてふ序あり委は別記にいふ
 
871 得《ト》保都必等、 冠辭
 
麻通良佐用比米、都麻胡非爾《ツマゴヒニ》、比例布利之用利、於|返《ヘ》流夜麻能奈、」 即憶良の歌なり於返流は名にし負などの類なり
 
○後人追和《ノチノヒトナゾラヘテヨメル》、
 
872 夜麻能奈等、伊賓都夏等可母《イヒツゲトカモ》、佐用比賣|河《ガ》、許能野麻能閉仁、 やまのへは山の上の略
 
必例遠布利家牟、」
 
○最後人追和《マタノチノヒトナゾラヘヨメル》、
 
873 余呂都余爾、可多利|都夏等之《ツゲトシ》、 之は助字なり
 
許能多氣仁、 此嶽なり
 
比例布利家良之、 良之は利の延言なり
 
麻通羅佐用嬪面《マツラサヨヒメ》、」
 
○最最後人追和二首《マタイトノチノヒトナゾラヘヨメルフタクサ》、 今本人を脱す目録によりて補ふ
 
874 宇奈波良能《ウナバラノ》、意吉由久布禰遠、可弊禮等加、比禮布良斯家武、 良斯は利の延なり
 
麻都良佐欲比賣、」
 
875 由久布禰遠、布利等騰尾加禰《フリトドミカネ》、 領巾《ヒレ》をふりてとゞむるにとゞめかねてなり
 
伊加婆加利、故保斯苦阿利家武、 こほしくはこひしくのひと音通へり
 
麻都良佐欲比賣、」
 
○書殿餞酒日倭歌《フドノニハナムケスルヒノヤマトウタ》四首、 これは天平二年十二月大伴旅人卿大納言に任《マケ》られて都へ登らるゝ時憶良の書院《フドノ》にうまのはなむけせし歌なり此時のつどひに唐詩有けんされば倭歌とこゝにかきたり
 
876 阿摩等夫夜《アマトブヤ》、 冠辭
 
等利爾母賀母夜、美夜故摩提、意久利摩遠志弖、等比《トビ》可弊流母能、」 飛かへらんものをのをゝ畧なり
 
877 比等母禰能、 ひとも禰は毛禰約米にて人目なり人目のうらなるとは人の面のうらぶれなり面を目といふは妻の目をほり又|目欲君《メカホルキミ》などいふに同じ或説にひとも禰はひとむね音通にて一家をいふといへるはつぎの説ならん【人皆歟母は美と同禰は奈に同けれはここは人皆のと云言歟】
 
宇良夫禮遠留爾、多都多夜麻、 今本多夜の間の都は衍字なり仍改む
 
美麻知可豆加婆、 御馬なり
 
和|周《ス》良志奈牟迦、」 良之の良は禮佐の約志は勢と同音わすれさせなんかなり太宰にてはみなうちわびて居るに御馬が都近き龍田山にちかづかば太宰の事は忘れたまはなんかといふなり
 
878 伊比都々母、能知許曾斯良米、 かくいひつゝものちこそ思ひしらめなり
 
等乃斯久母、 ともしくもなり
 
佐夫志計米夜母、 計は加良の約の加を通しいふにてさびしからめやなりもはそへたるのみ
 
吉業伊麻佐受斯弖、」
 
879 余呂豆余爾、伊麻志多麻比提、阿米能志多、麻乎志多麻波禰、美加度佐良受弖、」 朝庭にありてと云なりさてみかどゝ云事もとは御門なるを朝廷にあてゝ云は此比までなり天皇の大御身をさしいふは後世のさたなり朝廷をよろづ代までさらず久しく奏聞事をもしつゝつとめ給へとなり政をとるをまをすといふなり此時旅人卿大納言に任て登りたまへばなり(卷二)に高市皇子尊薨時人麻呂の「やすみしゝ吾大王の天の下まをしたまへば萬代にしかしもあらん云云」又關白を置れしも此意の名なり
 
○聊布2私懷1歌《イサヽケハカリオモヒヲクハヘルウタ》三首、 【聊一本敢布と有】續紀(廢帝)に天平寶字二年冬十月詔に國司交替は四年なりしを六年となさしめられし事見ゆされば此天平二年の比は四年の交替の定なるが憶良既歌にもいへる如く五年任にありしよりなげきて大伴卿の都にのぼりませば吹擧をあふきねがへる歌なり契冲が代匠記の説は紀の文を終迄見ずあらましに見たる説なり
 
880 阿麻社迦留《アマザカル》、 冠辭
 
比奈爾伊都等世、周麻比都々、 麻比の約美なり
 
美夜故能提夫利、 風俗を云
 
和周良延爾家利、」 良延は禮の延音歌の意はひなのことわざにのみかゞつらひて五とせ經つれば今はなれし都の風俗《フリ》をもわすれにけりとなり家持ぬしも越中より登る時にしなさかるこしに五年すみしてとよまれしは是をおもへるなるべし
 
881 加久能未夜、伊吉豆伎遠良牟、 物のうち歎る時にため息つくなるもの故しかいふなり
 
阿良多麻能、 冠辭
 
吉倍由久等志乃、 古事記に美夜受比賣の歌に璞玉廼月波|來歴《キヘ》行云云こゝも來經行なり冠辭を言を隔てゝ云はぬば玉のかひの黒駒などの類なり
 
可伎利斯良受提《カギリシラズテ》、」 既四年の任なるを五年になればかぎりしらずてとなげくなり
 
882 阿我|農斯《ヌシ》能、 主は旅人卿を指君主大人を宇志とよめり宇志は即ぬしなり宇奴通ふ例集中に多し
 
美多麻多麻比弖、 御魂なり即心と同じ
 
波流佐良婆、奈良能美夜古爾、※[口+羊]佐宜《メサゲ》多麻波禰、」 ※[口+羊]佐の佐は志阿の約めしあけなり
 
 天平二年十二月六日|筑前國司山憶良謹上《ツクシノミチノクチノクニノカミヤマノヘノオクラツシヽミテタテマツル》
○三嶋王《ミシマノオホキミ》後《ノチニ》追2和《ナゾラフル》松浦佐用嬪面歌《マツラサヨヒメカウタ》1一首《ヒトクサ》、 續紀(光仁)に從四位下三嶋王とあり
 
883 於登爾吉伎、目爾波|伊麻太見受《イマダミズ》、佐|容《ヨ》比賣我、必禮布理伎等|敷《フ》、吉民萬通良楊滿《キミマツラヤマ》、」
 
○大典麻田連陽春《オホサクワンマダノムラジハツハル》爲《タメニ》2大伴君熊凝《オホトモノキミクマゴリガ》1述志歌二首《オモヒヲクハヘルウタフタクサ》
 
今本大伴君熊凝歌二首とのみあるはたらず目録をもて補ふこは歌のさまも然見ゆればなり陽春が熊凝になりてよめるなり
 
884 國遠伎、 黄泉をさして云
 
路乃長手遠、 黄泉の道なり
 
意保保斯久、 おぼつかなきなり
 
許布夜須疑南、 許布歟はこひやにて黄泉の道に現身の父母をこひつゝすぎんとなり
 
己等騰比母奈久、」 身まかりぬればこととふことなきを云
 
885 朝霜乃、 今本露一本霧とあるは共に誤れり朝霜消といふ冠辭によりて改
 
既夜須伎我身《ケヤスキワガミ》、 身まかるをいふ
 
比等國爾、 他國の意もていふ即黄泉なり
 
須疑加弖奴可母、意夜《オヤ》能目遠保利、」 前の歌にこふやすきなんといふに同じく父母をしたふ餘りによもつ國の遠きすぎがたくするとなり
 
○敬和《ツヽシンデコタフル》【地】爲《タメニ》2熊凝《クマゴリガ》1述《ノバヘル》c其志《オモヒヲ》u歌《ウタ》【天】一首《ヒトクサ》并序、筑前(ノ)國(ノ)司《カミ》山上憶良、 今本筑前國司守山上云々とあれど國司とあれば守は衍字なる事しるし仍てのぞく且六首とあるは左の序の末に熊凝か死時《ミマカルトキ》六首の歌をよめりと云事あるをおもひ誤りてなり目録によりて改むこれは陽春か熊凝になりてよめる歌になぞらへ報《コタ》へよめるなり又國司守とあるを掾目まで廣く云なりとある説は目録に心つかざる歟國の守大典に答る歌なるにこと/”\しく下司まではならべていはじ
此所に大伴熊凝は肥前國|益城《マシキ》郡人にて十八の年天平三年六月廿七日相撲使某が從人《トモヒト》となり都にのぼる道安藝國佐伯郡高|庭《バ》の驛家にて死《ミマカラ》んとして父母をおもひて歌六首をよみて死ぬといふ序ありくはしく別記にいふ
 
886 宇知比佐數《ウチヒサス》、 冠辭今本數を受に誤る例によりて改
 
宮弊能保留等、 天皇の宮といひて都の事なり
 
多羅知禰能、 冠辭今本の斯は禰を斯と見たる草の手の誤なり能は古本による今は夜なり 
波波何手波奈例《ハハガテバナレ》、常《ツネ》斯《シ》良奴、國乃意久迦袁、 おくがは奥所なり
 
百重山、越弖須疑由伎、伊都斯可母、京師《ミヤコ》乎美武等、意母比都々、迦多良比袁禮騰、 同じ道行人と語合なり
 
意乃|何《カ》身志、 志は助詞
 
伊多波斯計禮婆、 後に病をいたづきいたはりなど云に同勞なり
 
玉桙乃、 冠辭
 
道乃久麻尾爾、 今本乃麻の間に久を脱隈邊なり
 
久佐太袁利、志婆刀利志伎|提《テ》、等許自母能、 今本許を計に誤るよりて改等許は床なり自母能は馬自物と云に同
 
字知許伊布志提、 許伊は展にてまろびふすなり宇知はことおこすことばなり
 
意母比都々、奈|宜《ゲ》伎布勢良久、 良久約留にてふせるなり
 
國爾阿良波、父刀利美麻之、家爾阿良婆、母刀利美麻志、 國のうち家のうちならばとほきちかきによらず父母のありて手をとりて見んをとなり
 
世間波《ヨノナカハ》、迦久乃尾奈良志《カクノミナラシ》、 奈良志の奈は爾阿の約
 
伊奴時母能、 冠辭
 
道爾布斯弖夜、伊能知周疑南、」 一本|和|何《カ》余須疑奈牟とあり
 
 反歌、 一本なし
887 多良知泥能、 冠辭今本泥を遲にあやまれり【拾穗に多良知子乃と在】
 
波々何目美|受提《ズテ》、意|保々《ホホ》斯久、伊豆知武伎提可、阿我和可留良武、」 死て何方にむかひわかれんとなり
 
888 都禰斯良|農《ヌ》、道乃長手遠、 黄泉の道を云なり
 
久禮久禮|等《ト》、 くれ/\は京言《ミヤココト》にはくりかへし/\てふ意にてかぎりなきをいへどこゝにてはくらき意もこめてたどるを云くらきにも通ふ言か
 
伊可爾可由迦牟、可利弖波奈斯爾、」 可利弖は旅にやどをかりて其|代《カハリ》に宿主にとらする物をいふ記にも此類の弖といふ所に代の字をかけり弖は加倍の約計なるを横の同音の弖に通して云〇一本可例比波奈之爾(かれひは餉なり此かりてかれひ共に現の旅のものなれば黄泉の道にはなきなり)
 
889 家爾阿利弖、波々|何《ガ》刀利美婆、 手をとり見ばなり
 
奈具佐牟流、許々呂波阿良麻志、斯奈場斯|農《ヌ》等母、」 一本能知波志奴等母
 
890 出弖由伎斯、日乎可俗閉都々、家布家布等《ケフケフト》、阿袁麻多周良武、 多周約都にてまつらんなり
 
知知波波良波母、」 一本波々我加奈斯左
 
891 一世《ヒトヨ》爾波、二遍《フタヽビ》美延農、知知波々袁、意伎弖夜奈|何《ガ》久、阿我和加禮南、」 一本に和加利南又一本に相別南《アヒワカレナム》此歌ともゝ陽春か歌に同じく熊凝になりてよめるものなり
 
○貧窮問答歌一首并短歌《マツシキキハミヲトヒコタフルウタヒトクサトミシカウタ》
 
892 風雜《カセマシリ》、雨布流欲乃《アメフルヨルノ》、雨雜、雪(ノ)布流欲波、爲部母奈久、 すべもなくはせんすべなきをはぶきいふなりさてすべは爲方《スベ》の意にてなすべきわざもなきなり
 
寒之安禮婆、堅鹽乎、 和名石鹽一名白鹽又延喜大膳式釋典祭料石鹽十顆これをかたしほとよみこせり今燒鹽といふ物これなれば何顆とは書り又日本紀私記に竪鹽木多師是也とも見えたりかれこれ通し見てしれ
 
取都豆之呂比《トリツヾシロヒ》、 つゞしろひは喰切/\するなり源氏につゞしりうたふといふもきり/\にうたふをいふいとさむければ鹽をさかなとしてさけをのむなり【司馬相如傳大人賦※[口+幾]《ツヾシリ》2瓊華1奥人按に都はつまむの約之は支に通ふ呂比の約利なりよてつまみ/\切てふ言なり】
 
糟湯酒《カスユサケ》、 酒の糟を湯にときし物なり
 
宇知|須々呂比※[氏/一]《スヽロヒテ》、 呂比約利にてすゝりなり
 
之波夫可比《シハブカヒ》、 しばぶかひは嗽にて可比約伎しばぶきなり今本波を可に誤るしるければ改
 
鼻※[田+比]之※[田+比]之爾《ハナビシビシニ》、 嚔爲々々を略言なり
 
可登阿良|農《ヌ》、 今本此句の上に志の字有古本なければのぞきぬ才《カド》あらぬなり
 
比宜可伎撫而《ヒゲカキナデテ》、安禮乎於伎弖、 我を除てなり
 
人者安良自等、富己呂倍騰、 呂倍は禮の延音にてほこれどなり
 
寒之《サムクシ》安禮|婆《バ》、麻被《アサブスマ》、 麻衾なり
 
引可賀布利、 被なり
 
布可多衣《ヌノカタギヌ》、 今も田舍人など袖なき腰丈《コシダケ》なる物をきる是なり即官服の中なる半臂《ハンヒ》背子《カラギヌ》などもこれなり
 
安里能許等其等、 あるかぎりなり
 
伎曾倍騰毛、 着添ともなり
 
寒夜須良乎、和禮欲利母、貧人乃、父母波《チヽハヽハ》、肌寒良《ハタサムカラ》牟、 今本肌を飢とありてうゑと訓こせれど麻衾といふよりうけたれば肌の誤とす
 
妻子等波《メコドモハ》、乞弖《コヒテ》泣良牟、 今本乞弖を乞乞とすれど假字はこひてとよみこせたれば字の誤をしるよりてあらたむ
 
此時者、伊可爾之都々可、汝代《ナガヨ》者和多流、 これより上は問の意なりそはいかにしつゝかながよはわたるといひ終りたればなりそが上にもいはゞいかに云々といふをもおもへ且自問自答なりよりて二首にはあらねど七言七言とおきて問答をわかてるものなり 
天地者、比呂之等伊倍杼、安我多米波、狹也《セバクヤ》奈理奴流、日波月波、安可之等伊倍騰、安我多米波、照哉多麻波奴、人皆可、吾耳也之可流《ワレノミヤシカル》、 此所句なりいとまづしきより物ごとたらはぬをいひのべたるなり人皆可の可は疑の可なり吾のみやしかるの下にも同じく右の疑のかをこめて見よさてたま/\に人とは生れてあるをなり
 
和久良|婆爾《ハニ》、 こゝの婆は半濁をしらせて濁音を用たり此婆和の如く唱べし眞淵云わくらはゝあからさまと同じ和はあに通ひ久と加と同音佐は略婆と麻は通ふさてあからさまは白地と字もあてかりそめたま/\ともに通ふ白地の意は明らかなる所には何のかくれたる事もなきにそこより物のにはかに出たる如きをもてはからず俄なる事にあからさまと云なり又そはかりそめと通ひかりそめはすこしばかりの意なればたま/\の事どもなるなりよりてこゝはたま/\の意なり
 
比等々波安流乎、比等奈美爾、安禮母|作乎《ツクルヲ》、 こゝの二つの乎は物をと心得べし
 
綿《ワタ》毛奈伎、布《ヌノ》可多|衣《ギヌ》乃、美留乃其等、 海松の如くなり
 
和々氣佐我《ワヽケサガ》禮流、 わかれ/\にさがるなりうつぼ物語にかたびらのわゝけたるをきてと有も同【和々氣拾穗|和々氣《ワヽケ》佐我禮流と有】
 
可々布能尾《カヾヌノノミ》、 今も田舍にてふぢなどにてあみつくる布をかゞ布といへりかゞりぬのゝ意なるべし
 
肩爾打懸、布勢伊保能、麻|宜《ゲ》伊保乃|内爾《ウチニ》、 伏庵曲庵にてふせ庵とはひくゝ作れるなりまげ庵とは木竹又蘆などの類を折まけてかりそめなるを云これをまろ屋といひてふたつながら賤が屋のうちにもいやしきをいふここもせちにいはんとて重ねたるものなり
 
直土爾《ヒタツチニ》、藁解數而《ワラトキシキテ》、 かの賤き庵には床などもなければそのさまをいふなり
 
父母波、枕乃可多爾、妻子等母波《メコドモハ》、足乃方爾、 日本紀の脚邊此云阿度邊【足乃方爾《アトノベニ》拾穗には足爲方爾《アトスルカタニ》と有】
 
圍居而《カクミヰテ》、憂吟《ウレヘサマヨヒ》、 さは發語まよひなり
 
可麻度柔播《カマドニハ》、火氣《ケブリ》布伎多弖受、許之伎爾波、 和名抄に甑(古之伎)今も田舍にて貧家に飯かしがぬてふ事をこしきに蛛の巣かくといへり甑は飯を蒸具にて圓座のやうに藁にて作て釜の内に置物なり
 
久毛能須可伎弖、飯炊、事毛和須禮提、叡延鳥乃、 冠辭
 
能杼與比居爾、 咽呼にてかなしく鳴鳥なれば譬たり
 
伊等乃伎提、 いとゞしくと云に同じ杼乃は同音伎は志伎の略なり※[氏/一]はことばのみなり
 
短物乎《ミジカキモノヲ》、端伎流等《ハシキルト》、云之如《イヘルカゴトク》、 此頃の諺なり下の文の中に諺曰云云短材截端といへる是なり
 
楚取《シモトヽル》、五十戸長我許惠波《サトヲサガコヱハ》、 戸令云凡戸以五十戸爲里毎里置長一人と見えたり
 
寢屋度麻※[人偏+弖]《ネヤドマデ》、 度は所の略ふしどなど云も同じ
 
來立呼比奴《キタチヨバヒヌ》、 貧して田祖賦役等をせめらる躰、此里長せむるに笞仗をもてはたるか、されば楚とる長といへるなり
 
可久婆可里、須部奈伎物能可、世間乃道、」
 
 反歌
893 世間乎、宇之等夜佐之等、於母倍杼母、飛立可禰都、鳥爾之安良禰婆、」 歌の意はまづしきさまのうらはづかしけれど鳥ならねばとびさることもならじとなげくなりやさしきはもとみやびたるをほめいふことなれどそのみやびにわがさまのおよばねばそをはづかしむ意となるをもてはづかしき意とも轉いふなり
 
900 富人能、家能子|等能《ドモノ》、伎留身奈美、久多志須都良牟、 久多志の多志の約知にてくちすつるなり
 
※[糸+施の旁]綿《キヌワタ》良波母、」 歌意は富人の身ひとつなるに絹布などの多く有て著餘すをいひうらやむものなり
 
901 麁妙能、 冠辭
 
布衣遠陀爾《ヌノキヌヲダニ》、伎世|難爾《ガテニ》、 父母妻子に着せがたきになりがての弖は我多伎の多伎約智なるを弖に通しいふ
 
可久夜|歎敢《ナゲカン》、世牟|周弊遠奈美《スベヲナミ》、」 此二首は此下老身重病經年云云七首とある中にまぎれ亂て今本にはのせたりそこの長歌に歌言も歌の意も合ずよりてこゝに引上たり猶その歌の條にもいふ
 
 山上憶良頓首謹上《ヤマノヘノオクラヌカヅキツヽシミテタテマツル》、 こゝにかくあるをもておもへば是も百姓《オホンミタカラ》のまづしきありて貢など出し得ねば御政のさまを得ぬといふ意にて諷諌して旅人卿などへ奉りしなるべし
 
○好去好來歌一首《サキクユキテサキクコヨトフウタヒトクサ》 これは天平五年に多治比眞人廣成遣唐大使にて出立べきに憶良がよみておくれるなりことは歌の下にも見ゆ且此端詞の好の字の訓常の如くよしとも又紀によりてさきくともよむべしいづれにてもつひには同意なりされど歌のうちにもつゝみなくさきくいましてはやかへりませとよめればさきくといふによる今本こゝに小字にて反歌二首とあるは後人が書加しなればのぞきぬ
 
神代欲理、云傳介《イヒツテケ》良久、 云傳の弖は多倍約介良久の良久は留の延言なり 
虚見通、 冠辭
 
倭國者、皇神能、伊都久志吉國、 嚴なり
 
言靈能、 我皇國は字を用ゐず言の國なりしかばたふとみてそのことばに魂の有といふ
 
佐吉播布國等《サキハフクニト》、 さきはふ國と云はかの言もてつとふるにさち合國といふなり
 
加多利繼、伊比都賀比計理、 我比約伎なり
 
今(ノ)世能、人母|許等期等《コトゴト》、 悉く即言辭にも通ふ
 
目《メノ》前爾、見在知在《ミマシシリマス》、 句なり
 
人佐播爾、滿弖播阿禮等母《ミチテハアレドモ》、高光、 冠辭
 
日御朝庭《ヒノミカドニハ》、神奈我良、愛能盛爾《メヅノサカリニ》、 うつくしみあひしますめぐみの盛になり全盛《マタキサカリ》と云におなじ
 
天下、奏《マヲシ》多麻比志、家子等《イヘノコト》、 天下まうしたまひし家の子とは執政したる家の子なり即廣成をさしいふ
 
撰多麻比天、勅旨《オホミコト》、 或云大命
 
戴持弖《イタヾキモチテ》、唐能《モロコシノ》、遠境《トホキサカヒ》爾、都加幡佐禮、麻加利伊麻勢婆、 退去《マカリイニマセハ》なり
 
宇奈原能、邊《ヘ》爾母|奥《オキ》爾母、神豆麻利、 神集なり
 
宇志播吉《ウシハキ》伊麻須、 眞淵云大人|備《ビ》なり播吉約備なり仍て大人|振《フリ》なり延れば播吉となり約れば備《ビ》となるされば言便に吉をにごるなりといへり古事記に問2大國主神1云汝之宇志波祁流葦原中國者云云又延喜祝詞式遷2却《ヤラフ》祟神《タヽルカミヲ》1祝詞に山川能清地【爾】邊出座【弖】吾地【止】宇須波伎坐世【止】進幣云云と見ゆ
 
諸能《モロ/\ノ》、大御神等、船舳爾《フネノヘニ》、 或云布奈能閉爾、こは船の上にあらず船の舳《ヘ》なり
 
道引麻袁志、 後に毛宇志と書て申の字を書これなり麻毛宇袁同言なればなり
 
天地能、大御神|等《タチ》、倭《ヤマトノ》、 四言
 
大國|靈《タマノ》、 三輪を云
 
久堅能、 冠辭
 
阿麻能見虚|喩《ユ》、阿麻賀氣利、 延喜祝詞式出雲國造神賀詞云天八重雲乎押分【※[氏/一]】天翔國翔【※[氏/一]】天下【乎】見廻【※[氏/一]】云云これをとれるなり
 
見渡多麻比、事了《コトヲハリ》、還日者《カヘランヒニハ》、又更(ニ)、大御神等、船(ノ)舳爾、御手打掛弖、墨繩袁、播倍多留期等久、問遲《モチ》可邊志、 今本|阿庭可遠志《アテカヲシ》とあれど何の事ともなし一本庭の字を遲とす此句上の御手掛弖とある句よりかゝれば彼遲の字より考て阿は間の誤とし遠は邊の誤として間遲可邊志なるべしと橘枝直がいひぬるをさる事なるべきとて眞淵が改たるによりぬ
 
智可能|岬《サキ》欲利、 肥前國松浦郡|血鹿岬《チカノサキ》今本岬を岫に誤るよりて改む
 
大伴(ノ)、 冠辭
 
御津(ノ)濱備爾《ハマビニ》、多太泊爾《タヾハテニ》、 直なり
 
美《ミ》船|播《ハ》將泊《ハテム》、都々美|無久《ナク》、佐伎久伊麻志弖、速歸坐勢《ハヤカヘリマセ》、」
 
 反歌
895 大伴(ノ)、 冠辭
 
御津(ノ)松原、可吉|掃弖《ハキテ》、 源氏椎本にかきはらひいといたうしなし給りといへるもこれに同じ掃きよむるなり
 
和禮|立待《タチマタン》、速歸坐《ハヤカヘリマセ》、」
 
896 難波津爾、美船泊農等、吉許延許婆、紐解佐氣弖、多知婆志利勢武、」 ときさけてはあけてなり紐結ぶまでもなく立急きはしらんとなり
 
天平五年三月一日良宅對面獻三首《アメタヒラケキイツトセヤヨヒツイタチオクラガイヘニウマノハナムケヲタテマツルミクサ》、山上憶良《ヤマノヘノオクラ》
謹上《ツヽシミテタテマツル》2大唐大使卿記室《モロコシオオミツカヒノキミフビトヤニ》1、 此大使は眈云如く廣成なり此遣唐使の往來の事留學生上道朝臣眞備が唐よりもち來て奉し雜《クサ/\》の物の事などくはしく續紀に見えたり
此所《コヽ》に沈痾自哀文《オノカオヒキヤマヒヲイタメルフミ》山上憶良作《ヤマノヘノオクラツクル》とありて次になか/”\しく其文ありひたすら歌の事ならねばのぞく別記《アダシフミ》にも他文《アタシフミ》よりはことわりあら/\とのせたり
此所《コヽ》に悲2歎《カナシミナゲクトフ》俗道假合即難易v去難1v留《ヒトノミチカリソメニアヒヤガテワカレイニヤスクトヽマリカタカルヲ》詩一首并序《カラウタヒトクサトツイデブミ》とありて文と詩あり憶良の自の文なれど歌のことにあづからずよりて別記にあげてあら/\といふ
○老身重病經年辛苦及《オイノヤマヒトシヘテクルシキト》思《オモヘル》2兒等《コラヲ》1歌五首《ウタイツクサ》、 今本は七首とあれど貧窮問答の短歌二首亂入てありしをもて後人七首となほしたるものなればあらたむ且小書にて長一首短六首とあるもいよゝ後人のわざなれば除ぬ
 
897 靈剋、 冠辭
 
内《ウチノ》限者、 謂瞻浮州人壽一百二十年也此注は憶良の自注と見えたりうちのかぎりはいのちのかぎりをいふなり
 
平氣久、安久母阿良牟遠、事母|无《ナク》、裳無母阿良牟遠、 (卷十)に多婢爾弖母毛奈久波也許登和伎毛故我牟須比思比母波奈禮爾家流香聞とある母奈久も同じく喪《ワザハヒ》の事を喪なくといふなり【奥人按にもなくのもはまがごとの約曲事とてわざはひなきを云なり】
 
世間能、宇計久、 うくを延たるなり
 
都良計久、 つらくを延たるなり
 
伊等能伎提、 前にいふ
 
痛伎瘡爾波《イタキヽヅニハ》、鹹鹽遠《アラシホヲ》、 此前の文の中に諺曰痛瘡灌鹽とあるは此ころの諺と見えたりこゝの句これによる
 
灌知布何其等久《ソヽグチフガゴトク》、益々母《マス/\モ》、重馬荷爾《オモキウマニニ》、 地藏本願經曰云云菩提流子三藏釋云云今も俗に小附を打といふも付添る事の諺なり船荷を打といふはこれとは別なり天暦の天皇の御製に「年のかずつまんとすなるおもにゝはいとどこづけをこりもそへなん」とあり
 
表荷打等《ウハニウツト》、伊布許等能其等、 いふ言の如くなり、
 
老爾《オイニ》弖阿留、 おい往《イニ》てあるなり
 
我身(ノ)上爾《ウヘニ》、病遠等《ヤマヒヲラ》、加弖阿禮婆《クハヘテアレバ》、 【奥人案るに拾穗に加|※[氏/一]之《テヽシ》阿禮婆】今本病遠等加弖阿禮婆と假字あれど言とほらずこゝは病をさへの意あればやまひをらくはへてとよむべし等《ラ》はかるく助語の如心得べし兒等綿等などに同
 
晝波母、歎加比久良志《ナゲカヒクラシ》、 加比は伎の延言
 
夜波母、息豆伎阿可志、年長久《トシナガク》夜美志|渡禮婆《ワタレバ》、 志は肋字 
月累《ツキカサネ》、憂吟比《ウレヒサマヨヒ》、許等許等波、斯奈々等思騰、 許等々々は前にいひたる辛苦の事なり其くるしさには死ん/\とおもふなり
 
五月蠅奈周、 冠辭
 
佐和|久《グ》兒等遠《コドモヲ》、宇都弖弖波、 智須約都なり打捨てと云
 
死波不知《シナニハシラズ》、 死ん事はしらずなり
 
見乍阿禮婆、心波母延農、 もえぬは燒が如くといふ燃るなり(卷一)に念曾所燒吾下情《オモヒゾヤクルワカシタコヽロ》死んことしらねど病おもければおもはるをいふなり
 
可爾可久爾、 左《ト》に右《カク》に同じ
 
思和豆良比《オモヒワヅラヒ》、禰能尾志奈可由《ネノミシナカユ》、」 可由約久なり
 
 反 歌
898 奈具佐牟留、心波奈之爾、雲|隱《ガクレ》、 こゝに雲隱とはやまひのおもきに死んとおもへるをふくみたる歟
 
鳴往鳥乃、禰能尾志奈可由、」
 
899 周弊母奈久、苦志久阿禮婆、出《イデ》波之利、伊奈々等思騰、許良爾佐夜利奴、」 せんかたもなくくるしければ死の道に出はしりいなんとおもへども子等いとほしむよりおもひやむとなりさやりは前にいふさはりなり
 
902 水沫奈須、 みづの沫の如くなり乃安の約奈なり
 
微命母《モロキイノチモ》、栲繩能、千尋爾母何等、 網の鋼の長に譬
 
慕《ネガヒ》久良志都、」 子等を思ふよりなり
 
903 倭文手纏《シヅタマキ》、 冠辭
 
數母不在《カズニモアラヌ》、身爾波在等、 やまひおもくていきるものゝ數にはあらねどゝなげきたるなり
 
千年爾母何等、意母保由留加母、」
 
去神龜二年作v之、但以v類故更載2於茲1、 此に注は前の水沫奈須の歌にひとしき歌なればさきつとしによみたれどこゝにのせぬと憶良の自注したるなり
 
天平五年六月《アメタヒラケキイツトセノミナツキ》丙申朔|三日《ミカ》戊戌|作《ヨメル》、 こは右の歌どもを作る日なり彼神龜二年の歌をも此時に書添たればこゝに年月をしるせるものなり
 
○戀《コフル》2男子名古日《ヲノコナハフルビヲ》1歌三首《ウタミクサ》、 こは憶良の男子の死したる時かなしみてよめる歌なりこゝに長一首短二首と小書したれど前にいふ如くなれば除く
 
904 世人之、貴慕《タフトミネガフ》、七種之《ナヽクサノ》、寶毛《タカラモ》我波、何爲《ナニカセン》、 金銀瑠璃※[石+車]※[石+(巨/木)]瑪瑙珊瑚琥珀等の七鍾なりはじめにしろがねも金も玉も何せんにとよめるも同じ
 
□□□□□□《加奈志伎妹與》和我中能、 今本何爲和我中能とあり言つづかず脱句ありとして白圏をおきかたはらに補ふ
 
産禮出有《イマレイデタル》、白玉之、吾子古日者、 うつくしむ心より白玉とたとへ云源氏桐壺に玉の男皇子さへ生れたまひぬといふに同じこゝろなり
 
明星之《アカボシノ》、 毛詩云晨見東方爲啓明和名抄歳星名明星此間云(阿加保之)
 
開朝者《アクルアシタハ》、敷多倍乃、 冠辭
 
登許能邊佐良受、立禮杼毛《タテレドモ》、尾禮杼毛登母爾《ヲレドモトモニ》、□□□□《比留波母》、 四言
 
□□□《牟都禮》戯禮《タハムレ》、 今本登母爾戯禮とあるは言も意もたらずよりて試に白圏を置て傍に補へり
 
夕星《ユフツヾノ》、 毛詩に昏見西方爲大白和名抄大白一名長庚此間云由不豆々
 
由布弊爾奈禮婆、伊射禰余登《イザネヨト》、手《テ》乎多豆佐波里、父母毛、遠者奈佐柯利《トホクハナサカリ》、 八言今本遠を表とし柯を我とするは誤なりなさかりは莫放《ナサカリ》その略言にて古日が言なり
 
三枝之《サキクサノ》、 冠辭
 
中爾乎禰牟登、 中爾乎の乎は助字なり
 
愛久《ウツクシク》、志我可多《シガカタ》良倍婆、 己《シ》がかたればなり良倍は禮の延言己は古日をさすさがとも云は言通ふ故なり
 
何時可毛《イツシカモ》、比等々奈理伊弖天、 八言
 
安志家口毛《アシケクモ》、 家久は久の延言なり
 
與家久母見武登、大船乃、 冠辭
 
於毛比多能無爾、於毛波奴爾、 おもひよらぬになり
 
横《ヨコ》風乃、 邪風なりこゝは七言の句なるを五言とするは例有
 
□□□《奥爾母》、 四言
 
□□□□□《邊爾母布浪》、布敷爾《シクシクニ》、 此歌は子をうしなひし悲のあまりによめれば句も亂つゞかぬもあるべけれど今本に横風乃|爾母布敷可爾《シカニシモシク/\カシカ》布敷|可爾《カシク》にとあるは脱句衍字ありと見えていかにとも訓がたく餘りに意もとほらず句つゞかずよりて白圏を置傍に字を補て脱句を足し衍字をすて、誤字とおもへるを試に改むさて上の敷は浪の草を敷と見たる誤ならんとす横風より布敷とはつゞかずされど重りたる同句悉は誤し下の布敷はしく/\とよむべければ上は浪の誤として暫補へり正しき本を得てあらたむべし
 
覆來禮婆《オホヒキヌレバ》、 邪風の病ます/\つのるをいふなり
 
世武須便乃、多杼伎乎之良爾、志路多倍乃、多須吉|乎《ヲ》可氣《カケ》、 六言白多倍は木綿《ユフ》なるべし次の鏡をとるは幣帛《ヌサ》なり
 
麻蘇鏡、弖爾登利毛知弖、天神、阿布藝許比乃美、地神、布之弖|額拜《ヌカヅキ》、可加良受宅、可賀利毛神乃、 かゝらんもかゝらざらんも神の御心にまかせてといへるなり源氏須磨の卷に「海にます神のめぐみにかゝらずば汐の八百會にさすらへなまし」といへるもこれなり神の御心にうけひき給ふをいふなり
 
末爾麻仁等、 此句と次の句の間に七言の句を脱し句並亂れぬれどこゝは歌の意もとほり言もつゞけり仍ておぎなはず
 
立阿射里《タチアザリ》、 こは立足摺《タチアシズリ》の志受約|受《ズ》なるを射に通はせりよりて射と濁音を用うさて平言にあせりと云も足急《アシゼリ》にて同意なり此句は上の伏而額拜の對句なるをおもへ
 
我乞能米登《ワガコヒノメド》、 今本我乞の間に例の字あるは衍字なり
 
須臾毛、余家久波奈之爾、漸漸《ヤヽヤヽニ》、可多知久都保里、 今本都久とあるは上下したるなり一本によりて改くづほりは久都禮の禮と里は同音其里を延れば良比となる其良を略き比を延て保里といふ形朋崩《カタチクヅリ》はおとろへたるをいふなり【奥人按に久都保里は崩惚《クツホル》なるべし】
 
朝々《アサナサナ》、伊布許登夜美、 六言こゝは言たゆるをいふ
 
靈剋、 冠辭
 
伊乃知多延奴禮、 死をいふ
 
立乎杼利、足須里佐家婢《アシズリサケビ》、 前は天地の神をあふぎなし歩をはこびこひいのるをいひこゝはなげきさまよひて立ておどり居ては足ずりして起伏して歎を云
 
伏仰、武禰字知奈氣吉、 こゝまで四句は上の如くかなしみにしづむかたちをいふ
 
手爾持流《テニモタル》、 白玉のわが子といふより持といへり多は弖阿約持てあるなり 
安我古登婆之都《アガコトバシツ》、 横風のといふよりこゝにつゞけてとばしつといふと見るべし
 
世間之道、」 すべてはかなきさまをいひ終り 
 
 反 歌
905 和可家禮婆《ワカケレバ》、 幼稚なり負といふをおもへば七つ八つの子か
 
遣行之良士《ミチユキシラジ》、 幼年なればなり
 
米比波世武、 幣はせんなり此集古今集にもある辭なり
 
之多|敝乃使《ベノツカヒ》、 したべは黄泉國をさす冥官などいふをさすなるべし
 
於比弖登保良世、」 負てなり良世の約禮なり
 
906 布※[糸+施の旁]《フシ》於吉弖、 伏起なり
 
吾波許比能武《ワレハコヒノム》、 祈なり
 
阿射無加受《アザムカズ》、 天上へ率ゐゆけとなり
 
多太爾|率去弖《ヰユキテ》、 直にひきゐゆきてなり
 
阿麻治思良之米《アマヂシラシメ》、」 天道へゆくをしらしめよとなり
 
今本こゝに右一首作者未詳但以|裁歌之體《ツクレルウタノスガタ》似於山上之操【操劉向別録曰其道閉塞悲愁而作者名2其曲1曰操言遇2受害1不v失2其操1也】載此次焉とあれど憶良集なればもとより其主の歌なるにかゝる事注せんや後人の書加へしなればすてつ
 
萬葉集卷九之考終
 
 
萬葉集卷十之考〔流布本卷九〕
 
 雜歌。
 
○泊瀬朝倉宮御宇|天皇御製歌一首《スメラミコトノオホンミウタヒトクサ》、 大泊瀬幼武天皇《オホハツセワカタケスメラミコト》【後に雄畧天皇と申】
 
1664 暮去者、小椋《ヲグラノ》山爾、 【卷八秋雜歌に崗本天皇御製、暮去者小倉山爾鳴鹿之云々】小椋ををぐらと訓は(卷十二)の同歌に小倉とかきたるもてよめるなり【椋を按の誤りとして契冲は此外をも改め按を案《オキクラ》の意にとりけるなめりこゝは座の意ならず小闇《ヲグラ》の意なれば字書に實熟て黒しとあるもて烏《クロ》の意にかりたるにて改むる事にあらざるなり】
 
臥鹿之《フスシカノ》、今夜者不鳴《コノヨハナカズ》、 今本にはこよひとすれどこゝはこのよといふぞ古訓なるべしとやごとなき御説によりてあらたむ
 
寐家良霜《イネニケラシモ》、」 (卷十二)に此歌を崗本天皇の御製とあるはよし泊瀬朝倉宮の比のしらべにはいさゝか後の世ふりにちかからんにやさて此家持集の始に是を出されて次の十二に又此歌を載られたるは重ねのせられたるに似たれど撰集にもあらず家の集にて聞にまかせ筆にまかせて書れたる物なれば末にもかゝる事あるなり誤りとしてあらたむべき事にもあらず
今本こゝに在或本云崗本天皇御製不審正指因以累載とあれど本より後人の書加しなれば小書とするは正しともせめどみづからかゝる事を家の集に注せらるべきにあらぬをおもへ此末にも左の注には如此後人のわざも交れゝは心して見るべし
○崗本宮御宇天皇、息長足日廣額天皇、 紀(舒明)に息長足日廣額天皇二年冬十月遷於飛鳥岡是謂岡本宮云々【後に舒明天皇と申まつる】
 
幸紀伊國時歌二首、 同天皇三年秋九月云々幸于攝津國有間温泉冬十二月天皇至自温湯云云十年冬十月幸有間温湯宮とみえたり紀伊國に行幸の事見えず紀の説正か此集の誤なるか 
1665 爲妹《イモガタメ》、吾玉拾、奥邊|有《ナル》、玉縁持來《タマヨセモテコ》、奥津白浪、」 此歌男の歌なり此|行幸《ミユキニ》從駕《オホミトモ》の公卿大夫の中の歌にて都にとゞめおきし妻をさして妹とよめるならん歌の意かくるゝ事なし玉はあわび玉を云事既みえたり
 
1666 朝霧爾、沼《ヌレ》爾之衣、不干而《ホサズシテ》、一哉君之《ヒトリヤキミガ》、山道|將越《コユラム》、」 此歌は女の歌なり此行幸に夫の從駕にて紀伊國に至るを都にて思ひやりてよめるなるべし二首ともに此幸の時の歌なればよせてあげしのみ
 右二首作者未詳
 
○大寶元年辛丑冬十月|太上天皇《オホスメラミコト》幸紀伊國時歌十三首、
 
續紀(文武)大寶元年九月云云天皇幸紀伊國冬十月車駕至武漏温泉宮戊申從官并國郡司等進階云云當年租調并正税利唯武漏郡本利并免曲赦罪人戊午車駕至自紀伊と見えたれば文武天皇の行幸なりさらばこゝに太上の二字あるは衍文歟又紀に太上(持統)の二字を落したる歟持統天皇の幸のありしか且太上天皇とあるに今本に大行天皇(崩御の後謚奉らざるほどをかく申なり)とあり一本によるにこは全衍字なればすてつ
 
1667 爲妹、我玉求、於伎邊有、白玉|依來《ヨセコ》、於岐都白浪、」 此歌前の歌と全く同じいさゝか辭の違るのみされど同案のあるべきなれば必同言ともいふべからず聞にまかせ筆にまかせられたりと見えたればおのづからかゝる事もあるにや端詞まで別なればいづれを是とはいひがたしさるを今本に右一首上見既畢但歌辭小換年代相違因以累載とあるも前にいふ自の注ならず後人のわざなればすてつ
 
1668 白崎者《シラサキハ》、 同國伊都郡郷名云賀美又云指理次の歌に白神とよめるもこれならん
 
幸在待《サキクアリマテ》、大船爾、眞梶|繁貫《シヾヌキ》、又|將顧《カヘリミム》、」
1669 三名部乃浦《ミナヘノウラ》、 六言紀伊國なり今もみなべたなへの地の名有
 
鹽莫滿《シホナミチソネ》、鹿島在《カジマナル》、 紀伊國なり島のしは濁るべし
 
釣爲海人乎《ツリスルアマヲ》、見變來六《ミテカヘリコム》、」
 
1670 朝開、※[手偏+旁]出而我者、湯羅前、 紀伊國藤代より今道十三里を隔つ熊野へよれり
 
釣爲海人乎、見變將來《ミテカヘリコム》、」 從駕の人なればめづらしみてかくよめるなり
 
1671 湯羅乃|前《サキ》、鹽乾爾|祁良志《ケラシ》、白神之《シラカミノ》、 前にいふ如く白崎同所ならん
 
磯浦箕乎《イソノウラミヲ》、 浦《箕イ》は借にてべと同じ
 
敢而※[手偏+旁]動《アヘテコギドヨム》、 あへては喘《アヘギ》てふ意なり
 
1672 黒牛方《クロシガタ》、 呂宇約留なるを呂に通じいふ故に宇を略し下に久呂牛方と六言も有上にも既出
 
鹽干乃浦乎、紅《クレナヰノ》、玉裙須蘇延《タマモスソヒキ》、往者誰妻《ユクハタガツマ》、」 供奉の女房をさしいふ
 
1673 風莫乃《カゼナギノ》、 【風莫濱紀伊なり拾穗】此まゝにて訓は加射奈美《カザナミ》か又莫は暴にて加射波也歟前にも同國にかざはやとよみし歌あれば風早ならんを字を誤しなるべし
 
濱之《ハマノ》白浪、徒《イタヅラニ》、於是依久流《コヽニヨリクル》、見人無《ミルヒトナシニ》、 めづらしと見る浦なれば浪のよするも面白くてかくはよめるならん一本に於斯依來藻《コヽニヨリクモ》と有今本こゝに右一首山上臣憶良類聚歌林曰長忌寸意吉麻呂應詔作此歌とあれど家持卿のかゝれたるにあらず此歌林てふは僞つくれるものなりされど後の世の僞書とちがひ古につけてたま/\はとる事有と眞淵いへりさて憶良家特少しのたがひにて同時なれば此歌林家持卿の比にあるべきならねば此注後人の加へし事明なり仍てすてつ
 
1674 我背兒我、使將來歟跡《ツカヒコシカド》、出立之、此松原乎、今日香過南、」 此ならびの歌皆男歌なり一二三の句の詞女ことばめきたりこれによるにもとの三句は序にて出立之の之《シ》は弖の誤是迄は序歌にて四の句の此松原の此は吾の誤乎は衍字吾松原に地名と見る方やすからん
 
1675 藤白之《フヂシロノ》、 紀伊國なり今和歌の浦てふ地海の向にあたれりといふ
 
三坂乎越跡《ミサカヲコユト》、白栲之、 冠辭
 
我衣手者、所沾《ヌレニケル》香裳、」 旅の日數そひてなるゝによりてぬれしにや又有馬皇子をおもひまつれる歟紀路に至りて都べの遠ざかりたれば故郷こひしらの増りて袖の沾るとみんか
 
1676 勢能山爾、 同國の山なり
 
黄葉|常敷《トコシク》、 とこしくはもみぢの今に染及てあるをいふ十月なるにかくあるはとりたてゝ書と見えたり
 
神岳之、 紀(雄畧)に神岳と見ゆ又雷岳とも書りまことは三輪なり
 
山黄葉|者《ハ》、今目散濫《イマモチルラン》、」 今本目を日に誤る一本により改今日としてはけふかと訓かのてにをはの字なくては然よまれず今もちるらんとは今かもちるかといふなり
 
1677 山跡庭、聞往歟、大我野之、 和名抄に名草郡大屋又大宅郷あり式に名草郡大屋都比賣神社あり是か又は大神野の義なる歟
 
竹葉苅敷《タカバカリシキ》、廬爲有跡者《イホリセリトハ》、」 おもふに此末の句はいほりするとはとこそよまめ
 
1678 木國之、昔弓雄之《ムカシユミヲノ》、 弓に名高人ありしならん其古事は不傳
 
響矢用《ナルヤモテ》、 和名鳴箭漢書音義云鳴鏑如今之鳴箭也
 
鹿取靡《シカトリナメシ》、 なめしはならべしにて數多を云ならん古へここにありしならん今本の訓は誤なり
 
坂上爾曾安留《サカノヘニゾアル》、」 此坂の上に來りて古をおもひてよめる歟
 
1679 城國爾、不止將往來《ヤマズカヨハム》、妻社《イモヽコソ》、 今本に都末とあるは誤なり妹山の事をよめるなればなり
 
妻依來西尼《イモヨリコセネ》、妻常言長柄《イモトイヒナガラ》、」 ながらは既にいふ如く隨の意妻のまゝなり妹山の名をもて云歟下はこゝに山もいもといひながら實の妹にあらずまことの妻をよせこよといふならん一云|嬬賜奈毛嬬云長柄《ツマタマフニモツマトイヒナガラ》と見ゆ
右一首或云|坂上忌寸人長作《サカノヘノイミキヒトヲサヨメル》、 既にもいふ如く家集なればよみ人かくとある人のいへばそれによりて書加へられたるぞ家の集のまことなるべしかゝる書加へにならひて後の人みだりにあらぬ事を云加ふる事として書添しは前に云如く其妄なる證見ゆそは改て皆捨
 
○後人《オクレシヒトノ》歌二首、 右の行幸の時夫は從駕にて紀の國に至りたるに妻の都にとゞまりたるをおくれし人とは書たるなり
 
1680 朝裳吉、 冠辭
 
木方《キヘ》往君我、 木方の方はゑのことくとなふ
 
信土山《マツチヤマ》、 紀伊國なり今も眞士峠と云有
 
越濫今日|曾《ゾ》、雨莫|零根《フリソネ》、」 此歌は妻のよめる歌にて意明かなり
 
1681 後居而、吾戀居者、 後に戀をるにといふに同じてにをはなり此例既に出つ
 
白雲、棚引山乎、今日香越濫、」
 
○獻忍壁皇子歌一首、 天武天皇九のはしらの皇子今本こゝに詠仙人形てふ注は書體も俗にて家持卿の筆ならざる事しるかれはすてつ
 
1682 常之陪爾《トコシヘニ》、 とこしへはときなしへてふ言にて絶ざるをいふなり
 
夏冬往哉《ナツフユユクヤ》、裘《カハゴロモ》、扇不放《アフギハナタズ》、山(ニ)住人《スムヒト》、」 この歌は仙人繪を見てよめること歌にてしらる意は裘は冬の物扇は夏の物なるをひとつに畫たるゆゑたえず夏冬行とはよめるなり
 
○獻舍人皇子歌二首、 同し天皇五はしらにあたり給ふ皇子なり
 
1683 妹手、 冠辭
 
取而引與治、 既いふ如く取ひき攀なり是迄は序なり
 
※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》、吾頭刺可《ワガカザスベキ》、 今本吾下刺の上に頭を脱せり刺をかざすとは訓がたし次の二首めの歌の例をもて頭を補へり
 
花|開鴨《サケルカモ》、」
 
1684 春山者、 地名なるべし
 
散過去鞆《チリスグレドモ》、三和山者、未含君待勝爾、」 かゝるがては不勝の字をあてたれどまつがためと云なりやがてがての弖は多米の約なりさて歌は明なり
 
〇泉河邊間人宿禰作歌《イヅミガハノホトリニテハシウドノスクネガヨメルウタ》二首、 山城國相良郡
 
1685 河(ノ)瀬(ノ)、激乎見者《タギツヲミレバ》、玉藻鴨、 藻は借字にて助字なり玉かもなり
 
散亂而在《チリミダレタル》、此河常鴨《コノカハトカモ》、」 河とのとは門なり此二首合見ればうつくしき小石などの色あるがはやき瀬に流ちりて多しと見えたり
 
1686 彦星(ノ)、頭刺(ノ)玉之、嬬戀(ニ)、亂祁良志、此河(ノ)瀬爾、」 此歌も石の事なれどこは彦星の挿頭の玉の妹戀あまりてちらしみだらしたるかとたとへよめるなりけり
 
〇鷺坂(ニテ)作歌一首、 山城國久世郡下の歌に山城の久世のさぎ坂とよめり
 
1687 白鳥(ノ)、 冠辭
 
鷺坂山(ノ)、 眞淵は白鳥の鷺とつゞけしはことなしといへどしかいひては冠辭の例に違り仍ておもふに志良約左なればしら鳥のしろきといひかけたる歟さぎのきは濁音なれどかゝる事には清濁をいまざるは例なりさて白鳥とはまことは鵠をいふなりこゝにしら鳥といふはなにとさしたるにはあらずたゞに白鳥といふのみなり【詞草小苑に云白鳥なるもの鷺とかゝるなりなるものの約能なり】
 
松影(ニ)、宿而往奈《ヤドリテユカナ》、 今本ゆきなと訓るは誤れり
 
夜毛深往乎、」
 
○名木河《ナギガハニテ》作歌二首、 山城國久世郡標は見るに二首をさりて一首とすこゝはもとより二首ありしか脱しなれば本を殘して二首とおきぬ今は一首なり
 
1688 ※[火三つ]干《アブリホス》、人母|在《アレ》八方、沾衣乎、家(ニハ)者夜良奈、覊〔馬が奇〕印《タビノシルシニ》、」 久しき旅になれそこなへる衣なるに名木川の水にぬれぬるをほしもやらで旅行を隔句にかくいふにて第三の句を初句の上に終の句を第二の句の下へかけて心得しるぬれ衣をほす人あれや旅のしるしにはやらなといふなり 
今本此間に名木川の歌今一首を落せり又次の歌のはしことばも落たるなるべし
 
○杏人濱《カラヒトノハマニテ》作歌一首、 こゝにかくあるべきを脱し事上にいふ如くなれば標にもこゝにも補へり
 
1689 在衣邊《アリソベニ》、 荒磯なり
 
著而※[手偏+旁]尼《ツキテコグアマ》、 尼は借字海人なり
 
杏人《カラヒト》、 此杏の字をからと訓べき事心得ずされど訓によりて前後の歌もて考ればしがの唐崎などいふあたりの地名と聞ゆさればからはまならんかおしていはゝ杏はからもゝと訓はそをもてからに借しかされどあまりしき用ゐさまなれば誤とすべしおもふに唐の草を杏と見し草の手より誤りしならんか
 
濱(ノ)過者、戀布在《コヒシクアル》奈利、」 歌の意はから人の濱の磯べにつきて※[手偏+旁]行海人の小船のにはよきにこゝをすきされはそのさまのこひしくしたはるゝとなり
 
○高島(ニテ)作歌二首
 
1690 高島之、阿渡河波《アトカハナミ》者、驟鞆《サワゲドモ》、吾者家思、別《ワカレ》加奈之彌、」 人麻呂のさゝの葉は眞山《ミヤマ》もさやにさわげども吾は妹おもふ別きぬればてふをよみうつせしなれば末はわかれかなしみなるべし今本別を宿とし訓はたびねとせりかかる例もなく又客の字とすればたびをと訓んには乎の字を添べき事なれば宿は前の別の草の手の誤りとして改む【旅にての宿なればことわりもて宿をたびねとよむもわろからず今本の方によるべし奥人】
 
1691 客在者《タビナレバ》、 此初句は結句にかけて見るべし旅なれば夜中にも道行は其照月のかくるゝをも見るなり此五言もて古への調のよきを見るべし
 
三更刺而《ヨナカヲサシテ》、照月(ノ)、高嶋山(ニ)、隱惜毛《カクラクヲシモ》、」
 
○紀伊國(ニテ)作歌二首
 
1692 吾戀、妹(ニ)相佐受《アハサズ》、 あはずといふを延たるなり佐受約受なり旅なれば妹にあはずなり
 
玉(ノ)浦丹、衣片敷、一鴨將寐《ヒトリカモネム》、」
 
1693 玉匣《タマクシゲ》、 冠辭
 
開卷惜《アケマクヲシキ》、怯夜矣《アタラヨヲ》、袖可禮而《コロモデカレテ》、 怯は恪に同じくをしむなり妹が衣手|離《カレ》てなり旅なればなり
 
一鴨將寐、」
 
○鷺坂(ニテ)作歌一首
 
1694 細比禮乃《タクヒレノ》、 冠辭細をたくに訓よしは冠辭にいへりされど眞淵はさぎとかゝるよしを云きこも細比禮乃|白《シラ》とかかる事前の白鳥の鷺坂とかけしに同く志邏約左なる故さきの左の一字のみにかけ云事前にいふが如しこをもて前の説とすべし 
鷺坂山(ノ)、白管自《シラツヾジ》、吾爾尼保波|※[氏/一]《デ》、妹爾|示《シメセ》、」 さて此四の句の※[氏/一]は泥にてねの意なり今の京の俗言に雨ふらで野もあをみなんといふに同じ此泥は平聲にあらず上聲に唱ふ歌意は白|躑躅《ツヽジ》の色のわれににほひつかね妹に示さんと云なり
 
○泉河(ニテ)作歌一首
 
1695 妹門《イモガヽド》、 冠辭
 
入出見河乃《イリイヅミガハノ》、 山城國相良郡に在
 
床奈馬爾《トコナメニ》、 川のとこなめをいひてそれより殘雪のとこしなへなるにいひよせたり
 
三雪遺《ミユキノコレリ》、 三は借字例の眞の意なり
 
未冬鴨《イマダフユカモ》、」
 
○名木河(ニテ)作歌三首
 
1696 衣手乃、 冠辭
 
名木之河邊乎、春雨、吾立沾等、家念良武可、」 家に思ふらんをにを略て家もふといへり
 
1697 家人《イヘヒトノ》、使在之《ツカヒナルラシ》、春雨乃、與久禮杼《ヨクレド》吾乎、沾念者《ヌラストモヘハ》、」 歌意は吾をはやもかへりねともふ家なる人のつかひならめかく雨をさけよくれどもぬらしぬるよと思ふとなり
 
1698 ※[火三つ]干、人母|在八方《アレヤモ》、家人(ノ)、春雨須良乎、間使爾爲、 間は眞の意なり歌は前の意の如し
 
○宇治河(ニテ)作歌二首
 
1699 巨椋乃《オホクラノ》、 山城國伏見と淀の間に在
 
入江響奈理《イリエナルナリ》、射目《イメ》人乃、 冠辭なり此目は牟禮の約なり
 
伏見|何田井爾《ガタヰニ》、 何《ガ》は乃に通ふ田井は田居なり遠き田に假ほつくり居を云
 
雁渡良之、」
 
1700 金風、山吹(ノ)瀬乃《セノ》、響苗《ヒヾクナヘニ》、 此苗も例の並なり
 
天雲|翔《カケル》、雁相鴨《カリニアヘルカモ》、」 秋風は山に吹なる故山吹の瀬にいひかけて其風に其瀬のなみ立響故にそこに居たる鴈のこなたへ天雲とひとしく飛來るにあひしと云なり初句二の句のもちゐざまいたく後の世ふりなり
 
○獻弓削皇子歌三首、 淨見原天皇四柱の皇子
 
1701 佐宵中等《サヨナカト》、夜者深去良斯、鴈音、所聞空《キコユルソラニ》、月渡(ル)見《ミユ》、」 月のかたふける方に鴈の鳴わたるげに物しづかにあはれもことにて且夜のふけたることもしるき空のさまなるをもてかくよめるなるべし
 
1702 妹當《イモカアタリ》、茂苅音《シゲキカリガネ》、夕露(ニ)、來鳴而過去《キナキテスギヌ》、及乏《トモシキマデニ》、」 歌意は妹があたりにしげからん鴈のわが方にたらまほしきまで鳴過るといへるなりとぼしきはすくなきにて既に云如く足欲敷《タラマホシキ》を約たるなり
 
1703 雲隱(レ)、鴈鳴時(ニ)、秋山之、黄葉片待《モミヂカタマツ》、時者雖過《トキハスグレド》、」 黄葉をかたづにまつなり片は借字正しくは方なりさて今則秋の時なればもみぢの遲きをいふなり
 
○獻舍人皇子歌二首
 
1704 ※[手偏+求]手折《ウチタヲリ》、 冠辭
 
多武山霧《タムノヤマギリ》、 霧雨ならん
 
茂《シゲキ》鴨、細川《ホソカハノ》瀬、 大和の地名なるべし
 
波驟祁留《ナミハサワゲル》、 ある人遠つ國べに遊べるがいへらく高山には霧雨いと/\つよく里の大雨の如しとさらば谷川などの細きは激《タギ》つべし
 
1705 冬木|成《モリ》、 既に是を盛の誤とすれど字書を見れば成も盛の字に同じく借るべし
 
春部(ヲ)戀而《コヒテ》、殖《ウヱシ》木、實成時《ミニナルトキヲ》、片待|吾等叙《ワレゾ》、」 こは相聞の歌なり下に相聞とわかたれぬれば此歌こゝに入べからねと撰集とちがひ私の家の集なれば筆にまかせられかく斗の事はあるべければ見過すべし
 
〇舍人皇子|御歌《オンミウタ》一首
 
1706 黒玉(ノ)、 冠辭
 
夜霧(ハ)立《タチヌ》、衣手(ヲ)、 【冠辭考に云こは袖をたぐるとつゞけしなるべし具利の約妓なれば約てたぎと云りさてこゝは其幾を加に通して多加とつゞけたるは例の冠辭のいひかけ也とみゆ偖是をころもでのと訓ては次の語のことわりなければころもでをとよみつ】冠辭
 
高屋(ノ)於《ウヘニ》、 地名なり河内國古市郡に在
 
霏※[雨/微]《タナビク》麻天爾、」
 
○鷺坂(ニテ)作歌一首
 
1707 山代(ノ)久|世《ぜ》乃鷺坂、自神代、春者|張乍《ハリツヽ》、秋者|散來《チリツヽ》、」 佐保川の柳にも張とよみたりさてはるは草木のめはるをいひて秋のちるをいふのみ
 
○泉河邊(ニテ)作歌一首
 
1708 春草(ヲ)、 冠辭
 
馬咋《マグヒノ》山|自《ユ》、 山城國綴喜郡に咋岡神社と有に同じ地か委は冠辭に云今本是をうまぐひやまをと訓るは誤れりまぐひの山ゆと訓べし自ををと訓る例無
 
越來奈流、鴈(ノ)使者、 たゞ鴈を云此比の事なれば唐意にていふ
 
宿過奈利《ヤドスギヌナリ》、」 すぎぬるの意なり
 
○獻弓削(ノ)皇子歌一首
 
1709 御食《ミケ》向、 冠辭
 
南淵《ミナブチ》山之、巖者《イハホニハ》、落波太列可《フレルハダレカ》、消遺有《キエノコリタル》、」 今本消を削に誤て末の句をちるなみたれかけづりのこせると訓しはわらふべしよて字を改訓を改むこは橘の千蔭か考なり
右柿本朝臣人麻呂之歌(ノ)集《アツメニ》所出《イヅル》、 今本には集所出てふ三字を脱左の人麻呂の歌とてあげし歌の端ことばとせるは誤り也又標には歌の下に二首と加へしはいよいよ後人のさかしらなりさて大寶元年幸紀伊國時の歌十三首|後人《オクレビト》の歌二首は歌ともの前に歌數をあげ此次々ははし詞に歌一首二首云々と歌數を擧て其歌共の終に高橋蟲麻呂歌集所出あるは笠金村あるは田邊福麻呂など歌集出とある下の例によりてこゝの書體をあらためぬ次/\にてらし合せて見るべし
 
1710 吾妹兒|之《ガ》、赤裳泥塗而《アカモヒヅチテ》、 ひたしてなり豆智約智是を再延れは多志となるとなり
 
殖之田乎、苅將藏《カリテヲサメム》、倉無之濱、」 かりてをさめんまではくらなしの濱をいはん序なり倉無濱後のものに豐前と有猶可考
 
1711 百傳布、 冠辭今本百伝之とあるは之は不の誤歟又布歟 委冠辭考に在
 
八十之島廻乎、※[手偏+旁]雖來、粟(ノ)小島者、 和名抄に阿波板野郡小島(乎之萬)と見ゆ紀伊國粟島にあらす
 
雖見不足《ミレドアカヌ》可聞、」
 右二首或云柿本朝臣人麻呂作、 今本こゝに或説を擧しは家持卿の書給へるなり此二首の右にはし詞あるべき例なれど何てふ傳へもなく且きはめて人麻呂の歌ともなければ人麻呂家集の歌の次に出しあげて或説を歌の右にことわられたる物なるべし
 
○登筑波山詠月歌一首、 今本歌を脱せり例によて補ふ
 
1712 天原、雲無|久爾《ヨヒニ》、烏玉乃、 冠辭
 
※[雨/肖]度月乃、入卷|惜毛《ヲシモ》、」
 
○幸《イテマシ》2芳野(ノ)離宮《イデマシノミヤニ》1時歌二首
 
1713 瀧上乃《タギノヘノ》、三船(ノ)山從、秋津邊、來鳴度者、誰喚兒鳥、」
 
1714 落多藝知、流水之、磐觸《イハニフレ》、與杼賣類與杼爾、月(ノ)影所見、」 たぎりて流る川の月影は岩間の淀みにのみ宿れるが見ゆる物なるをそのまゝによくいひとりつ
 右二首作者未詳
 
○槐本《ヱノモトガ》歌一首、 姓ならんされど其人はしられず
 
1715 樂波之、 冠辭
 
平《ヒラ》山風之、海吹者《ウミフケバ》、釣爲海人之、袂|變所見《カヘルミユ》、」 意明なり
 
○山(ノ)上《ヘガ》歌一首、 山上は姓にて則憶良をいふならん此歌卷一に既に出
 
1716 白那彌之、 (卷一)の説によりて改那は加の誤ならん
 
濱松|之《ガ》本《ネ》乃、 一本木を本とするはよしよりてあらたむ
 
手酬《タムケ》草、 草は借字種の意なり
 
幾世左右二箇《イクヨマデニカ》、年薄經濫《トシハヘヌラム》、」 (卷一)には年の經ぬらんとありされど此卷は私の集にてうち聞まゝにかき入給へるなればてにをはのかゝるほどの事はいかばかりもあるべし
 卷一に幸紀伊國時河島皇子御作歌或云山上憶良とあるはこゝに山上歌とあるによりて後人の書加へなるをしりて眞淵はすてつこゝは山上の歌と傳へのまゝに家持卿の書給へるなれば今本こゝに右一首或云河島皇子御作歌と書たるはかの卷一によりて後人のさかしらにかき加へたるをしるよりてすてつ
 
〇春日《カスガノ》歌一首、 春日藏首老か下に春日藏とあるも同人なるべし
 
1717 三河《ミカハ》之、 地の名ならん三河國にはあらずされどいづくとはわきがたし 
淵瀬物不落、左提刺爾、衣手|潤《ヌレヌ》、干兒波|無爾《ナシニ》、」 四の句潤今本に湖とあるは誤なり訓によりて改一本に温とあるは濕の誤なるべしいよゝ今本の誤なるをおもへ
 
○高市(ガ)歌一首、 高市連黒人ならんか
 
1718 足利思代《アトモヒテ》、 今本あしりおばと訓るはわろふべしことに思は於の假字にててにをはに用る例なく訓を假字に用る例も違ひぬ集伴《アツメトモナフ》意なり言の解は前にいひつ
 
※[手偏+旁]行舟薄《コギユクフネハ》、高島之、足速《アト》之水門爾、 既出近江地名なりこゝにあとのみなとゝうけたるもても今本初句の訓を誤るをしるべきなり
 
極爾濫鴨《ハテニケムカモ》、」
 
〇春日(ノ)藏歌一首、 此歌も上の春日と同じてふ事既云
 
1719 照月遠、雲莫隱《クモナカクシソ》、島陰爾《シマカゲニ》、吾船將極《ワガフネハテム》、留不知毛《トマリシラズモ》、」 意明なり
 今本こゝに右一首或本云小辨作也或記姓氏無記名字或稱名號不稱姓氏然依古記便以次載凡如此類下皆效焉といへるはまたく後人の注明らかなりよりてすてつ姓をいひて名をいはす名をいひて姓をいはぬなどは私の集なればたやすく畧もすべきをや
 
○元仁《ゲンニンガ》歌三首、 こは名なるにやさらば法師か
 
1720 馬屯而《ウマナメテ》、打集越來、今日見鶴、芳野之川乎、何時《イツ》將顧、」 歌意明なり
 
1721 辛苦《クルシクモ》、晩去日鴨《クレユクヒカモ》、吉野川、清河原乎、雖見|不飽君《アカナクニ》、」 苦毛落來雨可《クルシクモフリケルアメカ》てふにてよめるならん體似ものにあらす
 
1722 吉野川、河浪高見、多|寸《ギ》能浦乎、不視歟成嘗《ミズカナリナム》、戀布眞國《コヒシケマクニ》、」 眞久約牟にて戀しけんになり
 
○絹《タヘガ》歌一首、 名なるべければかくよむべし
 
1723 河蝦鳴《カハヅナク》、六田《ムツダ》乃河之、川揚乃、 青やぎといへは川|楊《ヤギ》と訓べし案に奈義約爾なるを同行の義にも通へば奈を畧くは例なり刺楊根はふともよみたれば根とつゞけたるは例なり
 
根毛|居《ゴ》侶雖見、不飽君鴨、」 此歌も相聞の歌なりことは上の冬木成てふ歌に見るか如し
 
○島足《シマタリガ》歌一首、 名なるべし
 
1724 欲見、來之久毛知久《コシクモシルク》、 【久は助辭なり又之久の約須にて此須は之多留の約こしたるもしるくと云なり】
 
吉野川、音(ノ)清左《サヤケサ》、見二友敷《ミルニトモシキ》、」 見まほしみこしかひありて音さやけく見るにたらまほしみするなりやがて見あかぬをいふなり
 
○麻呂歌二首、 名なるべし京職大夫麻呂卿を云は少しくなめげなり他人ならん
 
1725 古之、賢人之遊兼《サカシキヒトノアソビケム》、吉野川原、雖見不飽鴨、」(卷一)に「淑人のよしとよく見て」又(卷八)に「妹か紐ゆふばかうちをいにしへのよき人見きとこをたれかしる」などよみていにしへの益人のあそびし所といひつたへたり
右柿本朝臣人麻呂之歌集出、 登筑波山詠月云々以下の十四首人麻呂集の歌なる事既にいふがごとし
 
○丹比眞人《タヂビマヒトガ》歌一首
 
1726 難波|方《ガタ》、鹽干爾|出《イデヽ》、玉藻苅、海未通女等《アマヲトメドモ》、 今本あまのをとめらと訓しは例にたがへりよりて訓を改む女は例によりて補へり
 
汝名告左禰《ナガナノラサネ》、」 今本つげさねとあるも卷一にいふ如く誤なり
 
○和歌一首
 
1727 朝入爲流、人跡乎見座《ヒトヲミマセ》、 乎は助辭そへて云のみ
 
草枕、 冠辭
 
客去《タビユク》人爾、 今本客を容に誤仍て改
 
妻(ニハ)者|不敷《シカジ》、」 敷は借字及の意妻の如くにはあらしなり
 
○石河(ノ)卿歌一首《マチギミガウタヒトクサ》
 
1728 名草目而、今夜者寐南、從明日波、戀鴨行武、從《ユ》此間|別者《ワカレナバ》、」 こゝよりわかれなばなり
 
○宇合卿《ウマカヒノマチギミガ》歌三首
 
1729 曉之、夢所見乍、梶島乃、 後の物には丹後とあり心ゆかず此歌の前の歌難波次々は山城近江の地名あり遠き國ならじ可尋
 
越浪乃、 如くを入て心得べし
 
敷弖志所念、」 敷は及の意なり是より上四首は極めたる相聞の歌なり事は既にいふが如し
 
1730 山品之、 山城なり
 
石田乃小野之、母蘇原《ハヽソハラ》、 柞の多ある所なり俗言に楢にあたる
 
見乍哉公|之《ガ》、山道越良武、」
 
1731 山科乃、石田社爾、 一本杜とあり
 
布靡勢者《タムケセバ》、 今本布靡越者とありてふみこえばと訓しは何の事もなし(卷五)に山代石田杜心鈍、手向爲在、妹難相、(卷三)の長歌の末の句に山科之、石田森之、須|馬《メ》神爾、奴左取向而、吾者|越往《コエユカン》、相坂山遠、またく此二首もてよみたる歌なれば越を勢の誤としてたむけせばとあらたむ布靡の二字をたむけと訓は義訓なりぬさは布麻の類を裁切て袋に入て旅行く人道の神に奉るなれば布なびかすとは書きたるなり
 
蓋吾妹爾、直相鴨、
 
○碁師《コシガ》歌二首、 碁檀越と有人歟師とはあがめたる意なり
 
1732 母山《オモヤマニ》、 地名いづれの國かしらず但次の歌も同じ時の歌と見ゆさらば近江國高嶋郡より見る山歟
 
霞棚引、左夜深而、吾舟將泊《ワガフネハテム》、等萬里不知母、」 行とゞまる地をしらずといふなり
 
1733 思乍、雖來來不勝而《クレドキカネテ》、水尾崎《ミヲガサキ》、 近江國高嶋郡紀(繼體)式高嶋郡水尾神社二座とあり和名抄にも同じよしに見えたり
 
眞長乃《マナガノ》浦乎、又顧津、」
 
○小辨歌一首、 左右小辨なる人を云か誰とも知がたし
 
1734 高嶋之、足利湖乎《アトノミナトヲ》、※[手偏+旁]過而、鹽津菅浦《シホヅスガウラ》、今香|將※[手偏+旁]《コグラム》、 一わたりに打きゝては人事めけれどさにはあらじ其鹽津菅浦てふ地の名をは聞てまだしらぬを今舟人の※[手偏+旁]行らんこゝはそこかと云なりかゝる體もある事なり今本者をかと訓しは誤なり訓により香と改
 
○伊保麻呂歌一首
 
1735 吾疊《ワガタヽミ》、 冠辭
 
三重乃河原之、 紀(雄略)に伊勢國之三重采女和名抄に同所に三重郡あれば伊勢なるべし委は冠辭考に云
 
磯(ノ)裏爾、 裏は借字浦なり
 
如是鴨跡《カバカリカモト》、 かばかり面白所かなとて蛙の鳴かとなり
 
鳴河蝦可物、」
 
○式部大倭芳野作歌一首、 かくあるは氏か又大丞かおほくは丞の草を倭と見誤しならん 
1736 山高見、白木綿花爾、落多藝津、 おちたぎりつるの略なり(卷八)に泊瀬川白ゆふ花に落たぎつと有
 
夏身之《ナツミノ》河門、 字の如く心得すみて訓べし
 
雖見不飽香|門《モ》、」
 
○兵部川原《ヒヤウブガカハラノ》歌一首、 此人誰ともしりがたし
 
1737 大瀧《オホダキ》乎、過而夏|箕《ミ》爾、傍爲而《ソヒテヰテ》、 傍は※[手偏+旁]の誤にてこぎて率《ヰ》而かと云説もあれど端詞に川原の歌とあれば字のままよみこせのまゝにて安らかに心得らるゝなり
 
淨河瀬(ヲ)、見河明沙、」
 
○詠《ヨメル》2上總末《カヅサノスヱ》、 和名抄上總國|周准《スヱ》と有
珠名娘子《タマナノヲトメヲ》1歌、 今本歌字なし前後の例により補
 
一首并短歌、 是より下二十三首は末をもて見れば高橋虫麻呂が家集より拔出て家持卿の擧給るなり
 
1738 水長鳥《シナガドリ》、 冠辭水は須伊約志なれば借れるなり
 
安房爾繼有《アハニツギタル》、 安房の方へつゞきたる上總なれば云
 
梓弓、 冠辭
 
末乃珠名者《スヱノタマナハ》、胸別《ムナワケ》之、 人相に乳の間の廣を英雄の人とする是歟されど形もていふはをとめにふさはしからずこゝは心の思ひあけのせまからぬをいふ歟
 
廣吾妹《ヒロキワキモ》、 六言
 
腰細之、 冠
 
須輕《スガル》娘子|之《ガ》、其姿之《ソノサマノ》、端正爾《イツクシケサニ》、如花《ハナノゴト》、咲而立者《ヱミテタテレバ》、玉桙乃、 冠辭
 
道行人者、己行《オノガユク》、道者|不去而《ユカズテ》、不召爾《ヨバナクニ》、門至奴《カドニイタリヌ》、指並《サシナラブ》、隣之者者《トナリノキミハ》、頓《タチマチニ》、 今本頓を預に誤か頓は多知萬知なり次の長歌に頓にとあるによる
 
己妻離而《ワガツマカレテ》、不乞爾《コハナクニ》、鎰左倍奉《カギサヘマタシ》、 またしはつかはしなり玉名に寶物の鎰をさへわたしたるなり玉名はさぶるこならん
 
人乃|皆《ミナ》、如是迷有者《カクマトヘルハ》、容艶《カホヨキニ》、縁而曾《ヨリテゾ》妹者、多波禮弖有家留、」 されば此さぶるこたはむれしてをるなり
 
 反歌
1739 金門爾之《カナトニシ》、 金門は門《カ卜》の本の語(卷六)に左乎思鹿能布須也|久草《クサ》無良見要受等母兒呂家可奈門欲由可久之要思毛とよめり紀にも有、本は鐵鎖の意より云なり
 
人乃|來立者《キタテバ》、夜中母《ヨナカニモ》、身者田|菜不知《ナシラズ》、 既いふたなしらずはたねらひしらずなり
 
出|曾《ゾ》相來《アヒケル》、」
 
○詠2水江《ミヅエノ》浦島(ノ)子《コヲ》1歌、 水江は氏浦島は名なり今本歌を脱前云如なれば補
 
一首并和歌、 紀(雄畧)二十一年丹波國餘社郡管川人(續紀和銅六年夏四月割丹波五郡始置丹後國云々餘社も丹後に屬す)水江浦島子乘舟而釣遂得大龜便化爲女於是浦島子感以爲婦相逐入海到蓬莱山歴覩仙衆語者在別卷云云【續紀淳和天皇天長二年丹波浦島子自蓬莱山歸于丹波古郷逗島三百餘年今歳歸國日本紀云雄畧天皇二十二年秋八月丹波水江浦島子遊蓬莱山本朝通記曰按舍人親王撰日本紀在於元正天皇之時元正天皇先于淳和天皇九代親王何以得知其到蓬莱乎本朝神仙傳云經百年而歸于故郷得其實耶奥人按雄畧天皇二十二年より淳和天皇二年迄三百四十六年也】
 
1740 春日之《ハルビノ》、霞時爾、墨(ノ)吉之《エノ》、 丹後の地名なり
 
岸爾出居而、釣船|之《ノ》、得本良布《トホラフ》見者、 今本本を乎に誤る事しるかれはあらたむ
 
古之、事|曾《ゾ》所念《オモホユ》、 一段なり
 
水江之《ミヅノエノ》、浦嶋(ノ)兒之《コガ》、堅魚釣《カツヲツリ》、鯛釣矜《タヒツリホコリ》、 今本矜をかねてと訓しは誤なり字によりて訓を改
 
及七日《ナヌカマデ》、 易にも七日而歸といひて古へより用ゐ來れりこは唐言なれど奈良にありては歌言に用ゆ
 
家爾毛|不來而《コズテ》、海界乎《ウミベタヲ》、 今本に宇美妓波と訓るはとらず
 
過而※[手偏+旁]行《スギテコギユク》爾、海若《ワダツミノ》、神之女爾《カミノオトメニ》、邂爾《タマサカニ》、伊許藝※[そうにょう+多]相《イコギワシラヒ》、伊は發語わしりあひなり
 
誂良比《カヾラヒ》、 【伊許藝|趣相誂良比《ムカヒテアヒアトラヒノ》云云つきのおち葉かくよめりされど下の菟名負處女の歌さては猶よみては調よくも聞えずかゞらひのかはけはの約にてかけはり合なるべしかけありあひとては聞がたし】四言次の加は計阿約良は利安約にて加利安比なり相聞の歌をうたひかけありあひて妹背の思を通しあふなり奥の※[女+擢の旁]歌會《カカヒヱノ》歌、菟名負處女《ウナヒヲトメガ》墓(ノ)歌、にも此言ありそこにも猶いふなり
 
言成之賀婆《コトナリシカバ》、言は借字事なり既かけあひかたみに思ひあひたればこゝは事成しといふなり
 
加吉結《カ|キ《イ》ツラネ》、此|吉《キ》は伊の如唱ふる例なり俗のかひつれたりと云類なりつらねに結の字を書しは唐字に連結と有によりてかけるなるべし
 
常代爾至、 始に云紀の文もて見れば蓬莱にてこゝの字の如盡せず在代の國なり
 
海若《ワダツミノ》、神之宮乃、 六言既常代に至りとあればこゝにわたつみの神の宮といふも即蓬莱は海中の國なればそれを指て言なり龍の宮にはあらざるべし下にも常世べとあるもてもしれ
 
内隔之《ナカノベノ》、 内隔は内方《ナカノベ》なりたとへば九重の内と云が如し
 
細有殿爾《タヘナルトノニ》、 細有殿は莊嚴のいつくしきを云細は妙に書に同じ即内宮の意もてかくいふなり
 
携《タヅサハリ》、 既に前に云
 
二人入居而《フタリイリヰテ》、 神のをとめとなり
 
老目不爲《オイモセズ》、死不爲而《シニモセズシテ》、永世爾《ナガキヨニ》、 即常世を云
 
有家留物乎、 一段なり
 
世間之《ヨノナカノ》、愚人之《シレタルヒトノ》、 世の中のしれたる人は此歌人の浦島子をさし云なり後の物語ぶみに世のしれ人など云が如し
 
吾妹兒爾、 彼をとめになり
 
告而語久《ノリテカタラク》、須臾者、家(ニ)歸而、父母爾、 浦島子が自の父母を云なり
 
事毛告良比《コトヲモノラヒ》、如明日《アスノゴト》、 あすのごとは俗のあすのほどなと云が如し次のけふの心に對へいふ
 
吾者來南登、言家禮婆、妹之答久《イモガイラヘク》、 いらへくは倍久約不にていらふなり或説にいへらくをつゞめし言なりといへどさはつゞめがたし
 
常世邊爾《トコヨベニ》、復變來而《マタカヘリキテ》、如今《ケフノゴト》、將相跡奈良婆《アハントナラバ》、此篋《コノクシゲ》、 下に箱とあれど玉篋ともいへればこゝもくしげとよむべし
 
開勿勤常《ヒラクナイメト》、曾己《ソコ》良久爾、 そこばくのことなりこと多く心をいれていふ意なりそばかりを約云なり
 
堅目師事乎《カタメシコトヲ》、 契をかたくなり
 
墨吉爾、 此男の在所をいふに二所共に墨江と書名をいふには水江とあれば墨江は在所なりはじめに云如く水江は氏浦島は名なり右に引紀の文に管川の人といひて水江云々とあるを合て見るべし墨江は諸國に在名なれば餘謝郡にも有しなるべし諸説は皆わろかりけり
 
還來而《カヘリキタリテ》、家見跡《イヘミレド》、宅毛見金手《イヘモミカネテ》、里見跡、里毛見金手、恠常《アヤシト》、 四言
 
所許爾念久《ソコニオモハク》、 こもそここゝらのそこに同し俗のそこで直《ジキ》に思ふと云意なり
 
從家出《イヘユデ》而、三歳之|間《ホド》爾、墻毛無、家滅目八跡《イヘモケメヤト》、 常世べにてたゞ三年のほどにおもへるに垣もあとなく家もなからんやとなりまことはいと年歴にたるを次々にいはんとてかくいふなり
 
此筥乎、開而見手|齒《バ》、 見たればの約言なり手は多良約多なるを手に通しいふなり
 
如本來《モトノゴト》、 今本に來本と有は上下したるなり
 
家者|將有登《アラムト》、玉|篋《クシゲ》、小披爾《スコシヒラクニ》、白雲之、自箱出而《ハコヨリイデヽ》、 ここまでにくしげともはこともいへれど皆一物なり
 
常世|邊《ベニ》、 かの蓬莱の方になり
 
棚引|去者《ヌレバ》、立走《タチハシリ》、叫袖振《サケビソデフリ》、反側《コヒマロビ》、足受利四管《アシズリシツヽ》、頓《タチマチニ》、情消奴《コヽロケウセヌ》、 今本消を清に誤る
 
若有之《ワカヽリシ》、皮毛皺《ハハダモシハミ》奴、 しはみの美は半濁にてしはびといふに同じやがてしはぶりをつゞめし言なり
 
黒有之《クロカリシ》、髪毛|白斑奴《シラケヌ》、由奈由奈波《ユナユナハ》、 由奈々々を夕な/\をなりそは夕べなれど調べのために重ね云とふ説あれど取がたし歌の意とほらねばなりおもふに由奈約也なりされば也々久の久を省きて也々波といふ歟かくいふは後遂にとあるにむかへてやうやくに息絶たりとせんか猶可考
 
氣《イキ》佐倍絶而、後遂《ノチツヒニ》、壽死《イノチシニ》祁流、水(ノ)江|之《ノ》、浦島(ノ)子|之《ガ》、家地見《イヘトコロミム》、」 歌の始に古への事ぞおもほゆとあるもて見ればここは見んとよむべし又思ふに見は是の誤にて家地是といふ歟【鴨長明無名抄云丹後國よさの郡にあさもかはの明神と申神います國の守の神とかやいふ事物にもみえて今□□□□□給ひてかつまへらる程の神にておはすなる是は昔浦島の翁の神になれるとなも傳】
 
 反歌
1741 常世邊(ニ)、可住物乎、劔刀、 冠辭
 
己之《ナガ》心柄、於曾也|是君《コノキミ》、」 おぞやとは鈍なり心おそきをいふなり即浦島子をいふなり
 
○見(テ)2河内大橋獨去娘子《カハチノオホハシヲヒトリユクヲトメヲ》1作歌一首并短歌、
 
1742 級照《シナテル》、 冠辭
 
片足羽河之《カタシバカハノ》、 河内國交野にて安寧天皇片鹽浮穴|宮所《ミヤコ》ありしなり
 
左丹塗之、 丹塗なり左は發語のみ橋の高欄を塗る事既宇治橋などもぬりたると見えてふるき石山の縁起の畫卷物に見えたり
 
大橋之|上從《ヘユ》、紅(ノ)、赤裳|數十《スソ》引、山|藍用《アヰモテ》、 山藍とは山草にて何てふ事はなしこれに訛たる説多しやごとなき御説なりくはしく別記に云
 
摺衣服而《スレルキヌキテ》、眞獨《タヾヒトリ》、伊渡爲兒者《イワタラスコハ》、伊は發語なり
 
若草乃、 冠辭
 
夫《ツマ》香有良武、橿實之《カシノミノ》、 冠辭
 
獨歟|將宿《ヌラム》、問卷《トハマク》乃、欲我妹之《ホシキワギモガ》、家|之《ノ》不知久《シラナク》、」
 
 反歌
1743 大橋之、頭爾家有者《ベニイヘアラバ》、 今本頭をほとりと訓しはわらふべし頭はかうべの訓の下のべを假字にかりたるにてやがて方《ベ》の意なり訓を假字に用る例は既云
 
心|悲久《イタク》、獨|去兒爾《ユクコニ》、屋戸|借申尾《カサマシヲ》、」
 
○見2武藏(ノ)小埼沼鴨《ヲサキノイケノカモヲ》1作敬一首、
 
1744 前玉之《サ|キ《イ》タマノ》、 和名抄に武藏國崎玉作伊太末と唱るに伎を伊の如云例なり
 
小埼乃沼爾、鴨曾|翼霧《ハネキル》、 はねきるははねきりあはすを三たび約省きたる言なりはねぎるの留を延れば良須となる又其良は利阿約なりさて安波約安なりかく延たるを約めかへせば留となるなりさて羽根をかくいふなりけり【こゝの三度約省と有はいとむつかし利阿波須の約留にて羽きりあはすなり】
 
己尾爾《オノガミニ》、 (卷十)挽歌の長歌の中に加母須良母都麻等多具比弖我|尾《ミ》爾波之毛那布利曾等之路多倍乃波禰左之可倍手宇和波良の云云とあるもこゝに同じともに尾を美と訓べし
 
零置霜乎《フリオケルシモヲ》、掃等爾有斯《ハラフトニアラシ》、」 奈は爾阿約なり故にかく書てならしと訓べし掃は打はぶりなり霜を掃すてゝ水に遊をかくよめるなり
 
○那賀郡曝井《ナカノコホリサラシヰノ》歌一首、 和名抄に武藏國那賀郡と有
 
1745 三栗乃、 冠辭
 
中爾|向有《ムカヘル》、 中とつゞけしは武藏國那賀郡に向ひてながるゝをいふべし
 
曝井之、 古へ井と云は多くは流水の事なり
 
不絶將通、 ながれのたえずと云かけて上は序なり
 
彼所爾妻毛我《ソコニツマモガ》、 我は欲得《ガモ》と同じく願意なり
 
○手綱濱《タヅナノハマノ》歌一首、 此國地わきがたし武藏國の中なるか此歌の外此名見えず
 
1746 遠妻四《トホヅマシ》、亭爾有世婆《マヤニアリセバ》、 今本亭を高に誤る諸成案るに驛亭の亭の草を高と見し誤なり手綱の濱にもよしあれば高を誤る事しるし或説に其を謀る歟といへど取がたし又高として遠しの意としては聞えず
 
不知十方、 しられずともと云をはぶけるなり
 
手綱乃濱能、尋來名益《タヅネキナマシ》、」 歌の意は此驛に泊れる時相知し妹のあるよし又あらん事をおもひてよめるなり
 
○春三月《ヤヨヒ》諸卿大夫等《マチギミタチ》下2難波1時(ノ)歌、 こは幸のたびなるべし次の歌にてしか見ゆ
 
二首并短歌、 并短歌と可有例なりこゝに脱せり標によりて補ふ
 
1747 白雲之、 冠辭なり眞淵が考にもれたり
 
龍田山之、瀧(ノ)上《ヘ》之、小鞍(ノ)嶺爾、開乎烏流《サキヲヽル》、 (卷六)花咲乎々留ともいひ又此言は(卷二)の別記にくはしく云今本に爲とあるは烏の誤なり
 
櫻花者、山|高《タカミ》、風|之《シ》不息者《ヤマネバ》、 例のやまぬになり
 
春雨之、繼而零者《ツギテシフレバ》、最末枝者《ホヅエハ》、 四言穗津枝の意借字なり
 
落過去祁利、下枝《シツエ》爾、 四言
 
遺有《ノコレル》花者、須臾者、落莫亂《チリテミダレソ》、草枕、 冠辭
 
客去《タビユク》者|之《ガ》、及還來《カヘリクルマデ》、」 こゝに君と指は同じく幸の從駕の卿をさして大夫等《マチキミタチ》のよめるなり
 
 反歌
1748 吾去者《ワガユキハ》、七日(ハ)不過《スギジ》、龍田|彦《ヒコ》、 龍田彦は風の神にませばかく云なりけり後に龍田姫とて紅色を愛《メヅ》とふ誤を知れ
 
勤此《ユメコノ》花乎、風爾|莫落《チラスナ》、」
 
1749 白雲乃、 冠辭
 
立田(ノ)山乎、夕晩爾、打|越去者《コエユケバ》、瀧(ノ)上之《ヘノ》、櫻(ノ)花者、開有者《サキタルハ》、落過(ニ)祁里、含有者《フヽメルハ》、可開繼《サキツキヌベシ》、許智期智乃《コチゴチノ》、 遠近なり
 
花之盛爾、 さかりにはのはを省けるなり
 
雖不見《ミズトヘト》、左右《カニカクニ》、君|之《ガ》三行者、 三行は幸なり
 
今西應有《イマニシアルベシ》、」 此歌前の歌よみたる大夫等にあらず同時別の大夫の歌なりさるは歌の意にてしるべし或説に雖不見と左右の句の間に數の句の落たる歟といへど歌の意を考るに咲たる花はちりすぎふくめるはやがて咲ぬべけれど此花を盛に見がてなるをいかにせんとにもかくにも幸は今なるべければと花の盛を見ぬを惜るなりかく見ずては反歌までもとほらず從駕のいとまなきをいふ歌とすればとほりて聞ゆ
 
 反歌
1750 暇有者《イトマアラバ》、魚津柴比渡《ナヅサヒワタリ》、向峯之《ムカツヲノ》、櫻(ノ)花毛、 乎毛といふべきを乎を略てよめり
 
折末思物緒《ヲラマシモノヲ》、」
 
○難波(ニ)經《ヘテ》v宿《ヨヲ》明日還來之時《アスカヘリクルトキノ》歌一首并短歌、
 
1751 島山乎、射往廻流《イユキメグレル》、河|副《ゾヒ》乃、丘邊(ノ)道|從《ユ》、昨日己曾、吾越來壯鹿《ワガコエコシガ》、一夜耳《ヒトヨノミ》、宿有之柄二《ネタリシカラニ》、 これより上は難波河内などの事なり峯上よりして立田の事なり此立田の事眞淵が説に今の平群郡なるは後にうつされたるにて古への立田は高市郡なりといへり此前の歌の小倉の峯といへるも今のくらがり峠にてこゝに小倉と云山有紀(神武)に越立田山大和に攻入らんとおぼしけれど山けはしく道せばくして不叶とあればなりといへり此歌の立田もそこなるべし
 
岑(ノ)上之、櫻(ノ)花者、瀧之瀬從、落墮而流《タギチテナガル》、君|之《ガ》將見《ミム》、其日左右庭《ソノヒマデニハ》、山下之《ヤマオロシノ》、風|莫吹登《ナフキソト》、打越而《ウチコエテ》、名二負有杜爾《ナニオヘルモリニ》、 前にもいへる如く立田彦は風の神にて式の祝詞にも朝廷の風神祭ると有是なりよりて名に負といへり
 
凰祭|爲奈《セナ》、」 此歌は前の歌とも以て見れば幸につきて御先へ行てかへりくる人の從駕の大夫等をさして君といひたる歟反歌の兒もがもとこゝにあはせてしるべし
 
 反歌
1752 射行相乃《イユキアヒノ》、 冠辭考をとめらにゆきあひのわせてふ條に擧し如く龍田迄の道に在地の名なるべし
 
坂上《ミネ》之|蹈本爾《フモトニ》、 今本に坂上を字のまゝによみしは誤りなり
 
開乎烏流《サキヲヽル》、今本爲とあるは既云如く烏の誤りなり
 
櫻(ノ)花乎、令見兒毛欲得《ミセムコモガモ》、」
 
○檢税使大伴卿登筑波山時歌一首并短歌、 作の字もなく歌意も自の歌ならず國官のよめるならん
 
1753 衣手、 冠辭
 
常陸(ノ)國《クニ》、 六言
 
二並《フタナミノ》、 こは此山に男神女神のむかひておはせばなり(卷十四)登筑波岳丹比眞人のよめる長歌の中に朋神之貴山乃儕立乃見果石《フタカミノタツトキヤマノナミタチノミカホシ》山|跡《ト》とあるも明にはあらす朋なればともにふたなみなりそのよしはそこにいふなり
 
筑波乃山乎、欲見《ミマクホリ》、君|來座登《キマセリト》、熱爾《アツケキニ》、汗可伎奈※[氏/一]《アセカキナデ》、 六言今本※[氏/一]を氣とす歌意もて誤をしるよりて字も訓も改む
 
木根取《コノネトリ》、嘯鳴登《ウソブキノボリ》、 【奥人按にうそぶきの字は伊伎の約伊を宇に通し曾は曾刀の約外にて息外吹ちふ言なるべし】
 
上の五句は嶮《ケハシキ》岑にのぼるさまなり
 
岑(ノ)上《ヘ》乎、君爾|令見者《ミスレバ》、男《ヲノ》神毛、許賜《ユルシタマヒ》、 六言
 
女神毛、千羽日給而《チハヒタマヒテ》、 ちはひはさちはひの佐をはぶくのみ
 
時登無、 俗の時ともなくと云に同じくとこしくときしくと同詞なり
 
雲居|雨零(ル)、 今本布利と訓さてはてにをは違ふ布留と訓て筑波根をと訓
 
筑波嶺乎、清(ニ)照《テラス》、 雲井雨降るは此山のつねにして今日し照し見せしめ給は此神の意なり
 
言借石《イブカシ》、 四言いふのふをにごるは借字の常なり扨言の意はいぶせきなどに同じ今の訓は四言の句ありともしらぬ人のわざなり
 
國之眞保良乎、 まほらは眞中といふに同じ
 
委曲爾、 四言
 
示賜者《シメシタマヘバ》、歡登《ウレシト》、 四言
 
紐之緒|解而《トキテ》、 かたぬぎなどし打くつろぎたるをいふなり
 
家(ノ)如、解而|曾《ゾ》遊、 心うちとけてあそぶなり
 
打|靡《ナビク》、 冠辭
 
春見麻之從者《ハルミマシユハ》、夏艸之、茂者|雖在《アレド》、今日|之《ガ》樂者《タヌシサ》、」
 
 反歌
1754 今日爾《ケフノヒニ》、何如《イカデ》將及、筑波嶺(ニ)、昔人之、將來其日毛《キケムソノヒモ》、」
 
○詠霍公鳥歌一首并短歌、 今本歌の字を脱標にあり例をもて補へり
 
1755 鶯之、生卵《カヒコ》乃中爾、霍公鳥、獨|所生而《ウマレテ》、己父爾《ナガチヽニ》、似而者|不鳴《ナカズ》、 六言
 
己《ナガ》母爾、似而者不鳴、 六言
 
字能花乃、開有野邊|從《ユ》、飛翻《トビカケリ》、來鳴令響《キナキトヨモシ》、橘|之《ノ》、花乎|居令散《ヰチラシ》、 とまり居ちらしなり
 
終日(ニ)、雖喧聞吉《ナケドキヽヨシ》、幣者《マヒハ》將爲、 今木幣を弊に誤るは違へる事しるかればあらたむ幣は賄《マヒナヒ》の意なり
 
遐莫去《トホクナユキソ》、吾屋戸之、花橘爾、住度鳥《スミワタレトリ》、」
 
 反歌
1756 掻霧之《カキキラシ》、 羅志は利の延言かきくもりと同意
 
雨(ノ)零夜乎、霍公鳥、鳴而|去成《ユクナリ》、阿怜其鳥《アハレソノトリ》、」
 
○登筑波山歌一首并短歌、
 
1757 草枕、 冠辭
 
客之憂乎、名草漏《ナクサモル》、事毛有武跡、筑波嶺爾、登而見者、尾《ヲ》花落、師|付之《ヅキノ》田井爾、 【師付今雫村筑波の麓に在と或いへり】
 
雁泣毛、寒來喧奴、新治乃、鳥羽能淡海毛、 常陸國に新治郡有そこの鳥羽てふ地の湖に波立はかく云
 
秋風爾、白浪立奴、筑波嶺乃、吉久乎見者《ヨケクヲミレバ》、 計久約久にて乎は助字よく見ればなり
 
長氣爾《ナガキケニ》、念積來之《オモヒツミコシ》、憂者息沼《ウレヘハヤミヌ》、」
 
 反歌
1758 筑波嶺乃、須蘇廻乃田井爾、 【奥人案に須蘇廻乃田井童蒙抄云すそわの田井とは山の裾めぐりの田井と詠るなり云云】
 
秋田|苅《カル》、妹許將遣《イモガリヤラム》、黄葉|手折奈《タヲラナ》、」
 
○登(テ)2筑波嶺(ニ)1爲《・ナス》2※[女+燿の旁]歌會《カガヒスル・カヾヒヱヲ》1日、 【或云筑波の古き人にかゞひの事尋に不知事といへり今六月十五日踊有あれど人妻など戯たる事なしと云り】
 
作歌《ヨメルウタ》一首并短歌、 此爲※[女+燿の旁]歌會日とあるをかゞひしてつどへる日と訓説あしからねど此國ふりならず既歌もてかゞひの事を見るに歌を掛合うたひて戯つどふ日なりされば※[女+燿の旁]歌會をかゞひと訓かゞひする日とよむぞまさるべし【※[女+燿の旁]《テウ》 玉篇往來※[白/ハ]韓詩田※[女+燿の旁]歌也人歌也】
 
1759 鷲(ノ)住、筑波乃山之、裳羽服津乃《モハギツノ》、 地名なるべし
 
其津《ソノツ》乃上爾、率而《イサナヒテ》、未通女《ヲトメ》壯士之、往集《ユキツドヒ》、加賀布※[女+燿の旁]歌爾《カヾフカヾヒニ》、 【奥人案に今本卷六難波宮作田邊福麻呂は長歌に夕薙丹※[女+燿の旁]合之聲所聞《ユフナギニカヾヒノオトキコユ》と有かゞひは上の加は加伊約伎を加に通せしにて次の加は加計阿の約加にてかいかけあひのおとてふ意にてこゝのかゞひとは別言と聞ゆ】上の加賀布は辭にて掛合の約言なり古のかゞひは名とせる故同言を體にていふのみ
 
他妻《ヒトツマ》爾、吾毛|交牟《マギナム》、 交は義もて云けるなり他妻|將求《モトメン》の意こをかよはんまぢらんなど訓は皆あたらず
 
吾妻爾、他《ヒト》毛|言問《コトトヘ》、此山乎、牛掃神之、 牛掃は借字|主張《ウシハリ》にてぬしばるなり
 
從來《ムカシヨリ》、不禁行事《イサメヌワザ》叙、 いましめずゆるし給ふを云なり
 
今日耳者、目串毛勿見《メグシモナミソ》、 【奥人抄に目串の久は久留の約にてめぐるしてふ言なり即目苦の意なり】吾妻を目細もな見めでそとなり
 
事毛咎莫《コトモトガムナ》、」 こと人よりもいひとがむるとなり
 ※[女+燿の旁]歌《テウカ・カヾヒ》者東俗語曰2賀我此《カガヒ》1、 此注蟲麻呂の集の時※[女+燿の旁]歌の事を注したると見ゆれば此所にあげつべしさて今も土佐國|匂美郡《カヾミノコホリ》大川上美良布神社式に有其事號2韮生《ニラフ》1と有て今も韮多此祭に出す此かゞひに同じく不義を不禁神の意に叶ふと云傳へたりとぞ是もかゝるたぐひと歌もて明らかにしらる是は此國人の歌なり
 
 反歌
1760 男神爾《ヲノカミニ》、 此山を前に二並と云も此男神女神の二岑もて云
 
雲立登、斯具禮|零《フリ》、沾通友《ヌレトホルトモ》、 今本沽と有は誤なり一本によりて改む
 
吾|將反哉《カヘラメヤ》、」 かゝる神事のたはれたる日なれば雲立しぐれはふるともかへるまじと云なり
 右|件《クダリ》歌者高橋連蟲麻呂歌(ノ)集(ノ)中(ニ)出、 以上廿三首の事前にいふ
 
○詠2鳴鹿1歌《シカヲヨメルウタ》一首并短歌、
 
1761 三諸之、神邊山《カミナビヤマ》爾、立向、三垣乃山爾、秋芽子之、妻卷六跡《ツマヲマカムト》、朝|月《ヅク》夜、明卷鴦視、足日木乃、 冠辭
 
山響令動《ヤマビコトヨメ》、喚立鳴毛《ヨビタテナクモ》、」
 
 反歌
1762 明日之|夕《ヨニ》、不相有八方《アハザラメヤモ》、足日木之、 冠辭
 
山彦|令動《トヨメ》、呼立哭毛《ヨビタテナクモ》、」 今本こゝに右件或云柿本朝臣人麻呂作とあるは時代のしらべあるとも歌のことしらぬ後世人のひがわさなり此あつめ主家持卿のしらへには近きものをよてすてつ
 
○沙彌女王《サミノヒメオホキミ》歌一首、 今案に沙彌氏御母方の姓歟又さみの子てふ歌もあれば沙彌滿誓など云僧の沙彌にはあらず
 
1763 倉橋之、 大和國十市郡
 
山乎|高歟《タカミカ》、夜※[穴/干]爾、出來月之、片待難《カタマチガタキ》、」 此歌相聞なるを常の歌の部にはふとのせられたるか片まちがたきてふ言もてしらる【卷十三に間人宿禰大浦初月歌二首其二首めに椋橋乃山乎高可夜隱爾出來月(ノ)光之寸とあるは此改る卷の序もて見れば既云如必此卷十一の卷なりさらばこゝに既出とは書べからず其上十三なるは月のみの歌こゝは相聞の歌なり必女王の歌にて同案の終の句のたがへるなりされば後人の僻わざなる事しるし】
 今本こゝに右一首間人宿禰大浦歌中既見但末一句相換亦作歌兩主不敢指因以累載とあるは既沙彌女王の歌と定てあげられたるに又此注あるべきならず後人のわざなり仍て捨
 
〇七夕歌一首并短歌、
 
1764 久竪乃、 冠辭
 
天漢爾《アマノカハラニ》、上瀬爾《カンツセニ》、珠橋渡之、下湍爾《シモツセニ》、船浮居《フネヲウケスヱ》、雨零而《アメフリテ》、 かくやうにもうけ云事古き體にあるは自らなる如聞えりこはよろし共聞えず
 
風吹不登毛《カゼフカズトモ》、風吹而《カゼフキテ》、雨不落等物、裳不令濕《モヌラサズ》、不息來益常、玉橋渡須、」
 
 反歌
1765 天漢、霧立渡、 秋の來りしを云
 
且今日且今日《ケフケワト》、吾待君|之《ガ》、船出爲|等《ラ》霜、」
 右件歌、 今本こゝに或云と有しからざる事下云
 中衛大將《ナカノマモリノカミ》藤原(ノ)北卿宅作《キタノキミノイヘニテヨメル》也、 北卿は房前卿なり且上の歌の下に或云の二字有此歌家持卿の作るとおもはるれば自或云てふ事をかゝるべき事にあらずこははじめの言どもにかくかゝれしもあるもて其よししらぬ後人のはじめにならひ書加へししるし歌のすがた書體もて家持卿とはしらる
 
 相聞。
 
○振田向《フルタムケノ》宿禰|退《マカル》2筑紫國(ニ)1時(ノ)歌一首、
 
1766 吾妹兒者、久志呂爾有奈武、 くしろにあれかしなり手に纏《マク》玉なり訓の事は冠辭考釧著佐久々志呂玉釧の條に委
 
左手乃、 釧は左右共にあるを左とのみ云は右手はつかふ事繁き物なれば其方をはいはで左手の然も奥かに隱しもてつゝがなくつくし迄ゐてゆかんものをといふなり釧は左手にのみ有る歟と思ひ誤る事なかれ
 
吾奥(ノ)手爾、纏而去麻師乎《イナマシヲ》、」
 
○和氣大首《ワケノオホオフト》、 【拔氣大首《ヌキケノオフト》 一本然なり】一本も拔とありされど明ならずよて考るに拔は和の誤にて和氣氏歟大首はかばねならん前後氏尸のみなれば是もさならんと思侍り
 
任《マクル》2筑紫《ツクシニ》1時|娶《ツマトヒ》2豐前國娘子紐兒《トヨノミチノクチノクニノヲトメヒモコヲ》1作歌一首、 今本三首とあれど一首なり次の二首端詞の落たるにて別の歌なり
 
1767 豐國乃、加波流波|吾宅《ワギヘ》、 かはるは地の名なり豐前國田河郡香春の郷此所に紐兒が家あるなるべし
 
紐兒爾《ヒモノコニ》、伊都我里|座者《ヲレバ》、 伊は發語つがりはつながりにて俗のつながれと同言契冲云袋の口を鎖の如く縫をつがりといへり紐の兒の名によりて相思心緒をつがりをるをいへり兒が家は吾家なりと云
 
革流波吾家《カハルハワギヘ》、」 此間にも端詞脱たり全本を得たる人は加へよ
 
1768 石上、 冠辭
 
振乃|早《ワサ》田乃、穗爾波不出、心(ノ)中爾、戀流|此日《コノゴロ》、」
 
1769 如是耳志《カクノミシ》、戀思渡者《コヒシワタラバ》、靈刻、 冠辭
 
命毛吾波、惜雲奈師、」
 
○大神《オホワノ》、 【和名抄郷名有|大神《オホムチ》(於保無知)大和豐後筑後攝津等有同名】
 
大夫《マチキ|ミ《ン》》任《マクル》2長門守《ナガトノカミニ》1時|集《ツドヒテ》2三輪河邊《ミワガハノホトリニ》1宴歌《ウタゲスルウタ》二首、
 
1770 三諸《ミモロ》乃、 四言
 
神能於婆勢流、 佩にせるといふが如し神なればあがめていふ
 
泊瀬河、 後に三輪川てふも同じ泊瀬は上なり
 
水尾之不斷者《ミヲシタエズハ》、 水尾の緒は伊呂約即水色なり流の絶ぬを云
 
吾忘禮米也、」 此歌大神の太夫の歌なるべし
 
1771 於久禮居而、吾波也將戀、春霞、多奈妣久山乎、君|之《ガ》越奈者《コエナバ》、」 こえなばこえいなばといふなり此歌は宴の時大夫の妻人姉妹などの詠か調も然なり
 右二首古集中に出
 
○大神大夫《オホワノマチキミ》任《マクル》2筑紫國(ニ)1時阿部大夫(ノ)作歌一首、
 
1772 於久禮居而、吾者哉將戀、稻見野乃《イナミノノ》、 播磨の國なり
 
秋芽子見都津、去《イ》奈武子故爾、」 たゞの人をいさこども行はたがこぞなどいふはあれどたゞ子といふはもはら女をいへりさらば大神大夫の妻などに阿部大夫の贈たる歌なるか
 
○獻2弓削皇子1歌一首、 女のたてまつれるなるべし
 
1773 神南備《カ|ミ《ン》ナビノ》、神依板爾《カミヨリイタニ》、爲《スル》杉乃、 神より板は神座の下の板をいふべしそれを杉板にてするもあればこゝはおもひもすぎずの序に置たるなり
 
念母不過、戀之茂爾、」
 
○獻2舍人皇子1歌一首、 右に同じ女歌なり今本二首とあるは誤なり次の歌は別なり
 
1774 垂乳根乃、 冠辭
 
母之命乃、言爾有者《コトナラバ》、年(ノ)緒長(ク)、憑過武也《タノミスギムヤ》、」 たのみといふからは母の末にはとゆるせるなり末にやはの意なり
 此間に今本端詞の落たるなり既いふが如し次の歌は男の歌なり
 
1775 泊瀬河、夕渡來而《ユフワタリキテ》、我妹兒|何《ガ》、家門《イヘノミカドハ》、近|舂二家里《ヅキニケリ》、」 今本舂を春に誤る
 右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
○石河(ノ)大夫《マチキミ》遷任《ウツリマケテ》上(ル)v京《ミヤコニ》時、播磨(ノ)娘子(カ)贈歌二首、 今本磨を麿に誤仍て改む
 
1776 絶等寸※[竹/矢]《タエラギノ》、 播磨の地名
 
山之|岑上《ヲノヘ》乃、櫻花、將開春部者、君乎|將思《シヌバム》、」 是を今本におもはんと訓るは誤なり
 
1777 君無者、奈何身將装餝《ナゾミカザラム》、匣有《クシゲナル》、黄楊之小梳毛、將取跡毛不念《トラムトモモハジ》、」 是をとらんとおもはじと訓説あれど將取の下跡毛とある事諸本同一なればとらんとももはじとよむ其説の誤りならん
 
○藤井(ノ)連、 前に葛《フヂ》井連と有同じ人歟
 
選任上京時娘子(カ)贈歌一首、
 
1778 從明日者、吾波|孤悲牟奈、名欲山《ナホリヤマ》、 和名抄に豐後國直入郡直入郷是か
石蹈平之《イハフミナラシ》、君我越|去者《ナバ》、」
 
○藤井連和歌一首
 
1779 命乎志、麻狹伎久母願《マサキクモガモ》、 今本二の句麻勢|久可願《ヒサシカレ》とあるはおちゐても聞えず考に勢は狹の誤其下に伎を脱し久は其まゝにて可は母の誤にて本文の如補へるは眞淵もいとやすからんと云り命はまさきくと云例集中多し正本を得て糺すべし【麻勢久可願《マセヒサニカモ》 奥人按に如是可訓歟勢はさきかれの約勢にてまさきかれ久にかもとなるかくありこせのまゝによみてむも字を改補にまさりなむ】
 
名欲山、石踐平之、後亦毛來武、」 今本終の句の復亦毛と有は全く字を誤る事しるければ復を後に改て本文の如暫改なり
 
○鹿島郡|苅野橋《カルノヽハシニ》、 和名抄輕に作
 
別2大伴(ノ)卿1歌一首并短歌、
 
1780 牡牛乃《コトヒウシノ》、【和名抄に牡牛(古度比)頭(ノ)大牛也眞淵云卷十六にも事負乃牛《コトヒノウシ》と書たるもて見るに大牛にて物を餘に多負故特負牛と云歟】冠辭今本牝と有は誤なり此牡牛の事もつゞけがらも冠辭に委
 
三宅之滷爾《ミヤケノカタニ》、 今本滷を酒に誤こもよしは冠辭考に委し三宅は和名抄に下総國海上郡三宅郷と有
 
指向《サシムカフ》、 鹿島之崎爾、狹丹塗之《サニヌリノ》、 既云如く狹は發語丹塗にて赤色なり
 
小船儲《ヲブネヲマケテ》、玉纏之《タママキノ》、小梶繁貫《ヲカヂシヾヌキ》、夕鹽|之《ノ》、滿乃登等美爾《ミチノトヽミニ》、 汐の滿終たるを四國にてはとゝひと云美と比の濁と通ふ東にてはたゝへといふ又音通へり
 
三船子|呼《ヲ》、 大伴卿の乘給へる舟の水主なればみふなことあがまへ云すべて狹塗玉纏もあがまへ云なり
 
阿騰母比|立而《タテヽ》、喚立而《ヨビタテヽ》、三船|出者《イデナバ》、濱毛勢爾《ハマモセニ》、 道も狹にといふに同じく送り人の濱せまきまでにならび居てなり
 
後奈居而《オクレナヲリテ》、 おくれならびをりてと云なり
 
反側《コヒマロビ》、戀香裳將居、足垂之《アシズリシ》、泣耳八將哭《ネノミヤナカム》、海上之《ウナガミノ》、 即三宅の郡の名なり
 
其津乎指而《ソノツヲサシテ》、 今本乎を於とす一本によりて改
 
君之己藝歸者《キミガコギイナバ》、」 泣耳將哭以上の七句は大伴卿をしたひおほくの人のなごりを惜をいひ海上を指ていにまさばと句を終る
 
 反歌
1781 海津路乃《ウミツヂノ》、名木名六時毛《ナギナムトキモ》、渡七六《ワタラナム》、加九多都|波《ナミ》二、船出|可爲八《スベシヤ》、」 此反歌長歌をうけたる事見えず長歌に海路のある事もなし其上長歌はあがみ此歌はなめげなり然れば異歌のまぎれてこゝに入しならん
 右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出
 
○與v妻《メニ》歌一首
 
1782 雪己曾波、春日|消《キユ》良米、心佐閉、消失多列夜、言母|不往來《カヨハズ》、」 意明なり
 
○妻《メノ》和歌
 
1783 松反《マツカヘリ》、 待却てなり
 
四臂而有八羽《シヒニテアレヤハ》、 強《シヒ》てなり待とは強言にてあるかなり
 
三栗(ノ)、 冠辭
 
中上不來《ナカスギテコズ》、麻追等言八毛《マツトイハヤモ》、
 今本呂は追の誤末の子は毛の誤ならんとして暫字を改其據は(卷十七)に大伴家持思放鷹夢見感悦作歌に麻追我弊里之比爾而安禮可母佐夜麻太乃乎治我其日爾母等米安波受家牟此歌は今の歌の意をとられしと見ゆればもとの句の意は明らかにしらるこれによりて今本の末句の字の誤もしらるさて歌の意はまたはかへりこんといひたるは強言にて其時も過てきまさぬからはまつといふ事はいはじものぞとうらめるなり【麻呂 奥人按に今本呂と有を追と改もいかゞなるべきたけは有こせのまゝにしたがふそよかる麻呂とありては三ぐりの中すぎても來ずしてかへりて心さへ消うせたりと丸が事をいはむやしかいふべきにあらずといへる心なり】
 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集中出
 
○贈2入唐使《モロコシニツカハサルヽツカヒニ》1歌、 既いふ如く入と書しは此比より誤たるなりよてしか訓
 
1784 海若之《ワタツミノ》、何神乎《イヅレノカミヲ》、齋祈者歟《イハヽバカ》、 海中にていづれの神を祭ばよからんと云なり
 
往方毛來方毛《ユクサモクサモ》、 久佐の左は須良約にて行すらもくるすらもなり
 
船|之《ノ》早兼《ハヤケン》、」 此歌家持卿の歌なるべし此次の長歌笠朝臣金村歌集中の歌なれば此よみ人は自なる事あきらかなり
 今本こゝに右一首渡毎年記未詳と有は一本になし全く後人のわざなればすてつ
 
○神龜五年《カ|ミ《ン》カメイツヽノトシ》戊辰秋〔三字右○〕八月《ハツキ》作歌一首并短歌、 今本作を脱す【奥人按に此歌は笠朝臣金村と今本に出】
 
1785 人跡成《ヒトヽナル》、事者難乎《コトハカタキヲ》、和久良|婆爾《ハニ》、 たまさかと同言既出づ婆は半濁をしらす
 
成吾身者《ナレルワガミハ》、死《シニ》毛|生《イキ》毛、君|之《ガ》隨意常《マニマト》、 今本まゝにと有はいまだし古きによて改む
 
念乍、有|之《シ》間爾《アヒダニ》、虚蝉乃、 冠辭
 
代人有者《ヨノヒトナレバ》、大王之、御命恐美、天|離《サカル》、 冠辭
 
夷治爾登、朝鳥之、朝|立《タチ》爲《シ》管、群鳥之《ムラドリノ》、群|直《ダチ》行者、留居而、吾者|將戀奈《コヒムナ》、不見久有者《ミデヒサナラバ》、」
 
 反歌
1786 三越道之、雪零山乎、將越日者《コエムヒハ》、留有吾乎、懸而小竹葉背、」 長歌共にこは女歌なり
 
○天平元年《アメノタヒラケキハジメノトシ》己巳冬〔三字右○〕十二月《シハス》作歌一首、 今本作字なし
 
并短歌二首、 今本此二首なし例に依て補ふ續紀十、天平元年十一月癸巳任京及畿内班田使云々此時の歌なるべし
 
1787 虚蝉乃、 冠辭
 
世(ノ)人|有者《ナレバ》、大王|之《ノ》、御命恐|彌《ミ》、磯城島能《シキシマノ》、 冠辭
 
日本(ノ)國乃、石上、 冠辭
 
振里爾《フルノサトニ》、 六言
 
紐不解《ヒモトカズ》、丸寐乎爲者《マロネヲスレバ》、吾衣有《ワガキタル》、服者奈禮奴《コロモハナレヌ》、毎見《ミルゴトニ》、戀者雖益《コヒハマサレド》、色二山上復有山者《イロニイデバ》、 こは出の字を戯書せるなり山上にまた有山は出の字なり
 
一可知美《ヒトシリヌベシ》、冬(ノ)夜之、明毛不得啼《アカシモカネテ》、 今本呼は啼の誤しるし仍て改
 
五十母不宿二《イモネズニ》、吾齒曾戀流《ワレハゾコフル》、
 
妹之直香仁《イモガタヾカニ》、」 たゞかはまさかといふに同じ妹に正《マサ》に相時を云短歌の直に相左右をむかへ見よ扨此たゞは借字直人のたゞにあらずたゞし、まさし、たゞしき、まさしきといふは同言なるおもへ
 
 反歌
1788 振山從《フルヤマユ》、直見渡《タヾニミワタス》、京二曾《ミヤコニゾ》、寐不宿戀流《イネズテコフル》、遠不有爾《トホカラナクニ》、」
 
1789 吾妹兒|之《ガ》、結手師紐乎《ユヒテシヒモヲ》、將解八方《トカメヤモ》、絶有絶十方《タエバタユトモ》、直二相左右二、
 件右五首笠朝臣金村之歌中出
 
〇天平五年癸酉|遣唐使船發《モロコシヘツカハサルミツカヒフナビラキノ》難波|入海之時《ウミニイルトキ》親母《ハヽ》贈子歌一首并短歌、 續紀天平五年三月遣唐大使多治比眞人廣成辭見|授《タマフ》1節刀(ヲ)1夏四月己吉天遣唐四船自難波津進發此時の遣唐大使なり
 
1790 秋茅子乎、妻問鹿許曾《ツマドフシカコソ》、一子二《ヒトツゴニ》、子持有跡五十戸《コモタリトイヘ》、 今本ひとつごふたつこもたりといへと訓るは誤なりさては句も亂ぬ且鹿は子一つ生もの故に次の冠辭にも鹿兒自物吾獨子とつゞくるにあらずやされば今改る如く句を分てはいとやすらかに句も亂ずことはりも明なりかくやすらかに訓るゝ物をむづかしく訓てむつかしげにいひなすはわらふべき事なりとやごとなき御説にはあるなり 
鹿兒自物、 冠辭
 
吾獨子之、草枕、 冠辭
 
客二師往者、竹珠乎《タカダマヲ》、 【竹は借字寶の略なり此注甚誤れり削るべし卷三に云説よろし、奥人】竹は借字にて寶の略なり神代紀に五百箇野篶八十玉串と有是なり
 
密貫垂《シヾニヌキタリ》、 密は義もて書繁なり
 
齋戸爾、木綿取四手而、 四手は借字垂なり
 
忌日管《イハヒツヽ》、吾思吾子、眞好去有欲得《マヨクユケレカモ》、」 今本歌次に奴者多本奴去古本とあるは後人多本を見て書るにて家持卿自の書にあらずよて小書して本文はすてつ扨これをまよくゆかぬがもと訓てよくゆけかしと云意なり例ありてふ説有例ありとも去の下の有の字を奴の誤とせばさもよむべし有のまゝにてはゆけれがもとよまんこそやすく然も古意にかなふものを後人のひがわざにつきてよまんや本文はなるべきほどはあるまゝに考助てやむ事得ぬ誤字を補ひ誤を糺すぞ考にはあれさてゆければは由伎阿禮の伎阿約加なるを計に通してよめる例なり
 
 反歌
1791 客人|之《ノ》、宿將爲野爾《ヤドリセムノニ》、 此二句はすべて此度の遣唐使に從ひ行人をさすなり
 
霜降者、吾子|羽裹《ハグヽメ》、天乃鶴群《アメノツルムラ》、」 むらはむれなりさては鶴は大鳥なる故に母の心にていひ出たるは愛情のいと深しまことの歌故しらべまでとゝのへり長歌も心深く短くやすらかなり
 
○思|娘子《ヲトメヲ》作歌一首并短歌、 是より下三首は田邊福麻呂が歌集の中なり
 
1792 白玉之、 人をほめて瑕《キズ》なくよきを云
 
人乃其名|矣《ヲ》、中々二、辭緒不延《コトヲノハヘズ》、 緒は假字にて言乎のはへずなり反歌に横辭《ヨココト》とあるをもおもへ隔る人のあれば吾言を妹にのべいはんよしなくあはぬが多く重るといふなり
 
不遇日之《アハヌヒノ》、數多過者《アマタスグレバ》、戀日之、累行者《カサナリユケバ》、思遣、田時乎白|土《ニ》、肝向、 冠辭
 
心摧而《コヽロクダケテ》、珠手次、 冠辭
 
不懸時無、口不息《クチヤマヌ》、 今俗の口につくと云是なり
 
吾戀兒矣、玉|釧《クシロ》、 冠辭今本に※[金+瓜]と書て玉だすきと訓る誤考に委 
手爾取持而、 とりもちて見ねばの意なり
 
眞十鏡、 冠辭
 
直目爾|不視者《ミネバ》、 たゞちに見ねばなり
 
下檜山《シタヒヤマ》、 攝津國能勢郡下樋山なりこゝにひけるは下行といはん序のみ攝津國風土記の説まで云はわろし
 
下逝水乃、上丹不出、 色にはいでずといふに同じ
 
吾念情、安虚歟毛《ヤスキソラカモ》、」 かはの意にてやすきそらかはやすからぬとかへるてにをはなり毛はそへていふのみ
 
 反歌
1793 垣保成、 吾中を隔るなり成は如なり
 
人之|構辭《ヨコゴト》、 邪言なり
 
繁香裳、不遭日數多、月乃經良武、」
 
1794 立易《タチカハル》、月重而《ツキカサナリテ》、雖不遇《アハザレド》、核不所忘《サネワスラレズ》、 核は借字實の意
 
面影思天《オモカゲニシテ》、」
 右三首田邊|福《サチ》麻呂|之《ガ》歌集出
 
 挽歌《カナシミウタ》。
 
〇宇治(ノ)若郎子宮所《ワキイラツコノミヤドコロノ》歌一首、 【宇治若郎子應神天皇の太子仁徳帝の御弟御位を是の帝に讓てうせ給へり紀に委しく見】應神天皇は豐明宮に都したまへり若郎子命も始はそこに宮居し給しなるべし大和なり是より下五首柿本人麻呂の歌集の中なり
 
1795 妹等許《イモラガリ》、 冠辭
 
今木乃嶺《イマキノミネニ》、 大和國高市郡紀(雄略)には新漢《イマキ》紀(欽明)に今來《イマキ》紀(齊明)今城集中今城今木とあり皆同地なり
 
茂立《シミタテル》、 茂一本並と有今本なみたてると訓たるは一本に並とあるによりたるなれど茂の字なればしみたてるとよむべき事なれば訓をあらたむ
 
嬬待木者《ツマヽツノキ》、古人見祁《フルヒトミケ》武、」 歌意は此今木の宮所のあたりの嶺にしげくたてる松は今も有其若郎子皇子の見給ひけんと古を思ひしぬびまつるより挽歌には入たり妹らがりの冠辭より松をつままつといひかけたり
 
○紀伊國作歌四首、
 
1796 黄葉之、 冠辭
 
過去子等《スギニシコラト》、携《タツサハリ》、遊磯麻《アソビシイソヲ》、見者悲裳、」 むかしこゝに遊し妹のみまかりたる後又來てよめるなり
 
1797 鹽氣立《シホゲタツ》、荒磯丹者雖在、往水之、 冠辭
 
過去妹之、方見等曾來《カタミトゾコシ》、」 この歌の句のうち往水のとある水を磯の水とおもふべからずたゞ冠辭とせでは古意にあらす且川の水は行といふべし磯の水にはふさはしからずかへす/”\すぎにしといはんのみの冠辭と見るべし
 
1798 古家丹《イニシヘニ》、 家は假字へにかりしのみ今本ふるいへとよみしはわろふべし
 
妹等|吾見《ワガミシ》、黒玉之、 冠辭
 
久漏牛方乎《クロウシガタヲ》、見佐府下《ミレハサブシモ》、」
 
1799 玉津島、磯之裏末之《イソノウラマノ》、眞名|子《コ》仁文、 今本の訓によりて落字をしる名仁の間に子を脱る事しるければ補へり
 
爾保比弖|去名《ユカナ》、 訓によりて弖を補
 
妹觸險《イモヽフレケン》、」 玉津島のいそのほどの砂のうつくしきをそのかみ妹が手ふれなどしけんを思ひ出てよめるなり
 右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出、
 
○過《スクルトキ》2足柄坂1 今本坂を板に誤る仍て改
 
見《ミテ》2死人《ミマカレルヒトヲ》1作歌一首、 【見の上に時字脱しなるべし奥人】是より下七首は田邊福麻呂が集中なり
 
1800 小垣内之《オガキチノ》、麻矣引干《アサヲヒキホシ》、妹名根之《イモナネガ》、 名根は稱美辭男を名背《ナセ》といふに同じ名は大名持の如く根は母の國を根の國といふ根にて根元の根なり名ある人をたとへて名持といひ既いやしめては名なし雉子と云をも思へ
 
作服異六、白細乃、 冠辭此間に衣の辭を略き云
 
紐緒毛不解《ヒモヲモトカズ》、 此緒も前の歌に云如く假字詞なり
 
一重結《ヒトヘユフ》、帶矣三重|結《ユヒ》、 奉公の勞《イタツキ》に身もつかれ痩たるさまをいふなり
 
苦侍伎爾《クルシキニ》、仕奉而《ツカンマツリテ》、今谷裳、國退而《クニヽマカリテ》、父妣毛《チヽハヽモ》、妻矣毛將見跡《ツマヲモミムト》、思乍、往祁牟君者《ユキケムキミハ》、鳥鳴、 冠辭
 
東國能、恐耶、神之三坂爾《カンノミサカニ》、和細布乃《ニギタヘノ》、 今本細布を靈とするは細布の草を靈と見し誤としてにぎたへと眞淵はよめりいかさまにも和靈《ニギタマ》にてはこゝに不叶よて字を改
 
服寒等爾《コロモサムラニ》、烏玉乃、 冠辭
 
髪者亂而《カミハミダレテ》、邦問跡《クニトヘド》、 今本郡とあるは邦の誤しるければあらたむ
 
國矣毛不告、家問跡、家矣毛不告、益先夫乃《マスラヲノ》、去能進爾《ユキノスサミニ》、 今本進をすゝみと訓るは後なり古によて訓を改む
 
此間偃有《コヽニコヤセリ》、」
 
○過《スグル》2葦屋處女墓《アシヤヲトメガオキツキヲ》1時《トキ》作歌一首並短歌《ヨメルウタヒトクサトミヂカウタ》、
 
1801 古之、益荒丁子《マスラヲトコノ》、 丁《ヨホロ》に出る男なればこゝに丁子とはせり
 
各競《アヒキソヒ》、妻問爲祁牟、葦屋乃《アシヤノ》、菟名日《ウナヒ》處女乃、 【歌林良材云昔津の國蘆屋の里にうなび處女といふ女有これを二人の壯士いとあらそひけり男の名一人をちぬ男と云一人をさゝた男と云けり男の心ざし何もひとしかりければ女思ひ煩ひて親に暇乞て終自害してうせぬ其時二人の男も同く自殺しければ其所の人是を葬るとて女の墓を中に築二人の男の冢をあひ双べてつけるをうなび處女のおきつきといへり又花山院の大和物語にも此事見えたり奥人按大和物語云彼冢の名はもとめづかとなむいひける云云此集をとめ冢と有にもとめづかといへるは非るべし】下の歌に宇奈比壯士と有津の國の地名なるべし
 
奥城矣《オキツキヲ》、吾立見者《ワガタチミレバ》、永世乃《ナガキヨノ》、語爾爲乍、後人《ノチノヒト》、偲爾世武等《シヌビニセムト》、玉桙乃、 冠辭
 
道(ノ)邊近、磐搆《イハガマヘ》、作冢矣《ツクレルツカヲ》、 冢は令によるに三位以下は地と均しとあり磐搆など云は歌故にかくいへるか又格別の事故にかくせる歟
 
天雲乃、退部乃限《ソキベノカギリ》、此道矣、去人毎《ユクヒトゴトニ》、行因《ユキヨリテ》、射立嘆日《イタチナゲカヒ》、※[戚/心]人者《ワビヒトハ》、 上の句の射は發語なり此句の※[戚/心]今本に感とあるはまたく誤故改
 
啼爾毛哭乍、語嗣《カタリツギ》、偲繼|來《コシ》、處女|等賀《ラガ》、奥城所、吾并《ワレハマタ・ワレサヘニ》、見者悲裳、古思者《イニシヘオモヘバ》、」
 
 反歌
1802 古乃、小竹田丁子乃《サヽタヲトコノ》、 小竹田は同國又隣國の地なるべし
 
妻問|石《シ》、菟會《ウナビ》處女乃、奥城叙|此《コレ》、」
 
1803 語繼、可良仁文|幾許《コヽタ》、 からにも(卷三)の別記にくはしくある如く故に同しく又そのまゝてふ意ともなるこゝは句を切て意をつゞけり
 
戀布矣、直目爾見兼、古丁子《イニシヘヲトコ》、」 末の句今本むかしのをのことよめる訓のいまだしきをあはせ思へ
 
○哀《カナシミテ》2弟死去《イロトノミマカルヲ》1作歌一首并短歌、
 
1804 父妣賀《チヽハヽガ》、成乃任爾《ナシノマニマニ》、 成は借字生なり
 
箸向《ハシムカフ》、 冠辭
 
弟《オト・ナセ》乃《ノ》命者、朝露乃、※[金+肖]易杵壽《ケヤスキイノチ》、神之|共《ムタ》、 此神は黄泉の神なりさて朝露の消安きと此神を共といひてそれにあらそひかねてなり
 
荒競不勝而《アラソヒカネテ》、葦原乃、水穗之《ミヅホノ》國爾、家無哉、又還|不來《コズ》、遠津國、黄泉《ヨミ》乃界丹、蔓《ハフ》都多乃、 如を入て心得べし
 
各各向向《オノガムキ/\》、天雲乃、 こも如くを入て心得べし
 
別石《ワカレシ》往者、闇夜成《ヤミヨナス》、思迷匍匐《オモヒマドハシ》、所射十六《イルシヽ》乃、 冠辭
 
意矣痛、 いらるゝ鹿のいたみの如く心をいたみといふを言を隔てしらせたるなり
 
蘆垣之 冠辭
 
思亂而、春鳥能、 又如くを入て心得べし
 
啼《ネ》耳鳴乍、味澤相《アヂサハフ》、 冠辭
 
霄晝不云、蜻蜒之、心所燎管《コヽロモエツヽ》、 こもいるしゝてふつゞけに同じかぎろひのごとく心のもえつゝなげくとなり
 
悲凄別焉《ナゲクワカレヲ》、」
 
 反歌
1805 別而裳、復毛可遭、所念者、心亂《コヽロミダレテ》、吾戀目八方、」 一本云意盡而とあり
 
1806 蘆檜木※[竹/矢]、 冠辭
 
荒山中爾、送置而《オクリオキテ》、還良布見者、情苦裳」、 野送してかへりなん情誰か此情なくてあるべきまことのまことなる意なり
 右七首田邊福麻呂之歌集出
 
○詠《ヨメル》2勝鹿眞間娘子《カツシカノマヽノヲトメヲ》1歌一首並短歌、 是より下五首高橋蟲麻呂の歌集中なり
 
1807 鷄鳴《トリガナク》、 冠辭
 
吾妻乃國爾、古昔爾《イニシヘニ》、有家留事登、至今《イマヽテニ》、不絶言來《タエズイヒケル》、勝牡鹿乃、眞間乃手兒奈我、 眞間は下總國なり手兒ははての子の意名はほめいふ言なり
 
麻衣爾《アサギヌニ》、青衿著《アヲオビツケテ》、【青《アヲ》衿《ブスマ・エリ》、今本かく訓】衿は和名抄に帶也釋名に衿者禁也禁不得開散也とあれば於備と訓べし今本の訓はあやまりなり
 
直佐麻乎《ヒタサヲヽ》、 ひたは直《タヾ》なり直麻《タヾアサ》をなり佐を助字と いふ説は誤なりあさのあをはぶけるのみ
 
裳者織服而《モニハオリキテ》、髪谷母、掻者不梳《カキハケヅラズ》、履《クツ》乎谷、不著雖行《ハカデユケドモ》、 今本著を看に誤よりてあらたむ
 
錦綾《ニシキアヤ》之、中丹|裹有《ツヽメル》、齋兒毛《イハヒゴモ》、妹爾|將及哉《シカメヤ》、望月之、滿有面輪二《タレルオモワニ》、 今本みてるとあれど例によりて改既神の御名にも面足と申をもおもふべし
 
如花、咲而立有者《エミテタテレバ》、夏蟲乃《ナツムシノ》、入火之如《ヒニイルカゴト》、水門《ミナト》入爾、船己具如久、歸香具禮《ヨリカグレ》、 かゞひの所に云如く香具禮の具禮約計にてよりかけなりかたみに心意をよせかくるなり委くは別記にいふ
 
人乃|言時《イフトキ》、 句なり是迄男の方を云
 
幾時毛《イクトキモ》、不生物乎《イケラヌモノヲ》、何爲《ナニス》跡歟、身《ミ》乎田名知而、 既いふ如く身をたねらひしりなり
 
浪(ノ)音《ト》乃、驟湊之《サワクミナトノ》、奥津城爾、妹|之《ガ》臥勢流《コヤセル》、 句なりさわく湊の墓にこやすといふは則溺死をいふなり是まで手兒名のこゝろを云なり
 
遠代爾、有家類事乎、昨日霜、將見《ミケム》我其登毛、所念可聞《オモホユルカモ》、」 末の句共はよみ人の意なり
 
 反欺
1808 勝牡鹿之、眞間之井見者、立平之、水※[手偏+邑]家牟《ミヅヲクミケン》、手兒名之所念、」
 
○見2菟名負《ウナビ》處女墓1作歌一首並短歌、 菟名負今本に菟原和名抄に菟原(宇波良と訓)さて此端詞には假字なけれど歌のはじめに菟名負處女と既書たりこをもておもふに原は名負の二字の草を一字と見たる全き誤なれば字をあらたむ作は例によりて補
 
1809 葦(ノ)屋之、蒐名|負《ビ》處女|之《ガ》、八年兒之、 (卷十三)に歳乃八歳乎切髪乃とあるをあはせて見よ
 
片生《カタオヒ》乃時從、こは誠に生たらはぬをもて片生といへり
 
小放爾《ヲハナリニ》、 小放は髪のやゝのびて十五六歳をいふ
 
髭多久麻庭爾、 既女となりたるをいふ委は別記にいふ
 
並居《ナラビヰシ》、 父母などゝ並居しなり
 
家爾毛|不所見《ミエズ》、虚《ウツ》木綿乃、 冠辭
 
※[穴/牛]而座在者《コモリテヲレバ》、 此者は爾に通ふほどの言なり
 
見而師|香《ガ》跡、 見たりしかを約通していふ
 
悒憤時之《イブセキトキシ》、 をとめがいぶせがるなり
 
垣廬成《カキホナス》、人之|誂時《カヾフトキ》、 八言垣穗の如く其家の通りに人多くつどひて心をかけ合時といふなり誂は既に云り
 
知奴壯士《チヌヲトコ》、 和泉の地名なり
 
乎奈|比《ビ》壯士乃、 處女と同地なり
 
廬八燎《フセヤダキ》、 冠辭
 
須酒師競《スヽシキソヒテ》、相結婚《アヒヨバヒ》、爲家類時者《シケルトキニハ》、燒太《ヤイダ》刀乃、 冠辭
 
手頭《タカミ》押禰利、 今本預一本頴とある頭の誤しるし釼は頭といへば手はそへいふ辭にて頭を押ひねりてふを略云なり
 
白檀弓、靭取負《ユギトリオヒ》而、入水《ミヅニイリ》、火爾毛將入跡、立向、競時爾吾妹子|之《ガ》、 菟名負處女をいふなり
 
母《ハヽ》爾語久、倭文手纏《シヅタマキ》、 冠辭今本文を父に誤れり
 
賤吾之故《イヤシキワガユヱ》、大夫之|荒爭見者《アラソフミレバ》、雖生《イケリトモ》、應合有哉《アフベクアレヤ》、 此やは也波のやにてかへるてにをはなりあふべからぬをいふなり
 
宍串呂《シヽグシロ》、 冠辭
 
黄泉爾將待跡、隱沼乃、 冠辭
 
下延置而《シタバヘオキテ》、 下ばえおくは知奴壯土にしたがはんてふ心をうち/\に通し置てなり
 
打嘆、妹|之《ガ》去者《イヌレバ》、血沼壯士、其夜|夢見《イメミテ》、取次寸《トリツヽギ》、追去祁禮婆、後有《オクレタル》、菟名|負《ビ》壯士(モ)、 今本菟原と有て假字はうばらとせりこゝをもて端詞の字を誤事いよゝしるきを見よ仍て改む
 
伊仰天《イアフギテ》、 伊は發語のみ
 
叫於良妣《サケバヒオラビ》、 さけびあらびなり於と安通
 
※[足+搨の旁]地《アシフミシ》、 今本※[足+搨の旁]地を※[足+昆]地に誤るしるければ改む
 
牙喫建怒而《キハカミタケビテ》、如己男爾《モゴロヲニ》、 もころは友比なり登毛は同行故登を略て毛碁呂といふ比とは同俗の意なり年比など云比に同じやがて友又同きと云に意通ふ如己の字をあてつるにてもこゝろはしらるゝなり
 
負而者不有《マケテハアラジ》跡、懸佩之《カケバキノ》、 帶取《オビトリ》足緒《アシヲ》などいふ物をもて取著る故かく云なり
 
小釼取佩《ヲタチトリハキ》、冬薯蕷都良《フユモツラ》、 冠辭今本字を誤る事も訓を誤れる事も又冠辭考にもれし事もやごとなき御説をもて委く別記にいふ言多わづらはしければこゝに略
 
尋去祁禮婆《ツギテユケレバ》、親族共《ヤカラドモ》、射歸集《イユキアツマリ》、永代爾、標《シルシニ》將爲跡、 今本標を※[木+栗]とせるは誤なり一本によりて改
 
遐代爾、語將繼常《カタリツカムト》、處女墓、中爾造置《ナカニツクリオキ》、 八言
 
壯士墓、此方彼方二《コナタカナタニ》、造置《ツクリオケル》、 是よりよみ人の意なり
 
故縁聞而《ユヱヨシキヽテ》、雖不知《シラネドモ》、新裳之如毛《ニヒモノゴトモ》、哭泣鶴鴨《ネナキツルカモ》、」
 
 反歌
1810 葦屋之、宇|奈《ヒ》比處女|之《カ》、奥槨乎《オキツキヲ》、往來跡見者《ユキクトミテハ》、 ゆきくるとての留と弖を略いふなり見てばは見てあればを再約いふ意なる事上にいふ
 
哭耳之所泣《ネノミシナカユ》、」
 
1811 墓(ノ)上之《ヘノ》、木枝靡有《コノエナビケリ》、如聞《キクガゴト》、陳奴壯士爾之《チヌヲトコニシ》、依倍家良信母《ヨルベケラシモ》、」 こは前の長歌の中の下ばえおきにあたるなり
 右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出、
 
 
萬葉集卷十一之考
 
此卷は今|本《フミ》の九《十五カ》の卷なりこれを今改めて十一の卷とするよしは考の十の卷(今十|五《九カ》)のはじめにくはしくいへり此卷を十一の卷とすれば此下二十の卷まで十卷すべて家持卿の集のまゝにならび集ぶりも書體《フミノスガタ》も同しさまにつらなり且卷一の卷より六の卷までの集ぶりにもあへりよしをいはゞ古きみやぶりを始とし卷のはては國風ある二十の卷を終の卷とする事古萬葉の六の卷にひとしかた/”\ついでをかく定めなん事うべならずや○はしことばは卷の一より卷の六までのさまに此國ぶりに訓べきなれど奈良の末となりてはもはら唐ざまに文字かきしかよまんとすめれば此家持集も其意にてかき給へるなりさればあきらかに吾國ぶりにかけるはしことばはみやびかによみかの唐ざまなる文はからざまによむべくせり唐めきたるは唐ざまによみて歌にかゝはらぬ事なればいたく心をもちゐざるなり○契冲などが説のことさらによろしきはそをよしとして其名をあげたり誰もしらるべきをいふには契冲またはあだし人のいへる意も必其名をあけことはらずしかりとて他の説をぬすまひたりとおもふ事なかれ
 
萬葉集卷十一之考【流布本卷十五】
 
○遣2新羅1使人等悲別贈答及海路之上慟2情旅陳思1作歌并當所誦詠之古歌、 續紀(聖武)天平八年四月丙寅遣新羅使阿倍朝臣繼麻呂等拜朝とありて同九年正月辛丑大判官小判官は歸たる事見え大使繼麻呂津島にかへり來て卒し副使大伴宿禰三中病によりて入京せずといふ事ありしは此時の遣新羅使なるべし
 
3578 武庫能浦乃、 攝津國なり
 
伊里江能|渚鳥《スドリ》、 洲の鳥なり
 
羽具久毛流、 はぐゝまるなり毛は末と同言なり
 
伎美乎、波奈禮弖、 古非爾之奴倍之、」 妹の背に贈れる歌なり歌の意はそのわかるゝ地《トコロ》の渚の鳥をおのれにたとへて夫にはぐゝまるゝをいひてわかれをなげくなり 
3579 大船爾、 使人の乘舟をさす
 
伊母能流母能爾、安良麻勢波、羽具久美母知《ハグクミモチ》弖、由可麻之母能乎、」 背の答る歌なり
 
3580 君之由久、海邊乃夜杼爾、奇里多多婆、安我多知奈氣久、伊伎等之理麻勢、」 妹の贈る歌なり事を切にいはんとて霧を息と云は古し
 
3581 秋佐良婆、安比見牟毛能乎、奈爾之可母、奇里爾多都倍久、奈氣伎之麻佐牟、」 背の答歌なりほどなく逢べければかくせちになげきそとなくさめたるなり
 
3582 大船乎、安流美爾伊多之、 あるみは荒海なり流は良宇の約
 
伊麻須君、都追牟《ツヽム》許等奈久、 恙《ツヽガ》なくなり答の歌にさはりあらめやもといふ是なり
 
波也可敝里麻勢、」 妹の贈るなり
 
3583 眞幸而《マサキクテ》、伊毛我伊波伴伐、於伎都奈美、知敝爾多都等母、佐波里安良米也母、」 背の答る歌なり意は妹か幸くてなり一わたりに見ばまさきくと妹がいのらばと見るべけれどこは妹がさきくありていはひいのるならばまことかたみにさきからんとなり古の妹背のむつびおもひはかるべし
 
3584 和可禮奈婆、宇良我奈之家武、 心かなしからんとなり加良の約加なるを計に通なり
 
安我許呂母、之多爾乎伎麻勢、多太爾安布麻弖爾、」 妹の贈る歌逢までは下にきませなり乎は助字なり
 
3585 和伎母故我、之多爾毛伎余等、於久理多流、許呂母能比毛乎、 此紐は下紐なり下紐とは古への服は下衣上衣ともに今の法師の衣の袗前《エリサキ》に紐ありて結ぶが如くなりむかしはさしたれはそを下紐と云
 
安禮等可米也母、」 背の答るなり此紐とかめやは他し妹に紐とくことはせじといふなり 
3586 和我由惠爾、於毛比奈夜勢曾、 おもひいたづきて痩そとなり
 
秋風能、布可武曾乃都奇、安波牟母能由惠、」 此歌も上の答とすべしあはんものゆゑはたゞにあふまでにといふにこたへたるなり
 
3587 多久夫須麻、 冠辭
 
新羅邊《シラギヘ》伊麻須、 往《イ》ますなり【こゝを在《イマス》とは云べからず今新羅へ行人にいふなれば往《イ》ますなり邊《ベ》はゑの如く唱新羅へ去《イニ》ますなり在なれば新羅|邊《ベ》に在《イマ》すとふ言なれば爾のてにをはなくては在とは唱べからずもとより新羅に在る人におくるにあらず今行わかれを惜歌なり】
 
伎美我目乎、 目とは顔をいふ事既に見えつ
 
家布可安須可登、伊波比弖麻多牟、」 妹の背におくる歌なり
 
3588 波呂|波呂《バロ》爾、於毛保由流可母、之可禮杼毛、異情乎《ケシキコヽロヲ》、 
安我毛波奈久爾、」 爾はなげきいひ入るゝ辭右の歌と此歌二首はいまだ背の道だちせぬほどにかねて思ひなげきてよめる女歌なり
 右(ノ)十一首贈答《トヲマリヒトクサオクリコタフルナリ》、
 
3589 由布佐禮婆、比具良之伎奈久、伊胡麻山、古延弖曾安我久流、伊毛我目乎保里、」
 右一首|秦間滿《ハタノハシマロ》、 此間滿も右の使人のうちにて難波の三津にて風持するほどに我家にかりそめに歸來る道にてよめるなり次の歌も同さまなり
 
3590 伊毛爾安波受、安良婆須敝奈美、伊波禰布牟、伊胡麻乃山乎、故延弖曾安我久流、」 こも右の間滿と同じくかりそめに家にかへれる人の歌なり
 右一首|暫《シハシ》還2私家1陳v思《ワガヤニカヘリテオモヒヲノブル》、 こゝにかく書たるはよみ人しらぬ物から心の覺にしるしたるものなるらしとみゆ
 
3591 妹等安里之、時者安禮杼毛、 此時も寒かりしと云なり
 
和可禮弖波、許呂母弖佐牟伎、母能爾曾安里家流、」
 
3592 海原爾、宇伎禰世武夜者、 舟泊を云なり
 
於伎都風、伊多久奈布吉曾、妹毛安良奈久爾、」 意明なり
 
大伴能、 冠辭
 
美津爾布奈能里、許藝出而者、伊都禮乃思麻爾、伊保里世武和禮、」
 右三首(ハ)臨發之時作歌《フナビラキスルトキヨメルウタ》、
 
3594 之保麻都等、安里家流布禰乎、思良受志弖、久夜之久妹乎、和可禮伎爾家利、」 風は汐待するほどにかりそめに家に歸て妹に逢得し人もあるにたゞに汐待してあはで船出せるをくひたる歌なり
 
3595 安佐妣良伎、許藝弖天久禮婆、牟故能宇良能、之保非能可多爾、多豆我許惠須毛、」 
3596 和伎母故我、可多美爾見牟乎、印南都麻、 播磨の國にありさていなみづまの都は助字にていなみしまの略なりさつまつしまのまも島の意なり(卷十五)長歌にいなみづま辛荷の島ともよめるなり
 
之良奈美多加彌、與曾爾可母美牟、」 印南島を漕はなるれば浪たかくして妹がかたみとせん島も見えずとなげきたるなり
 
3597 和多都美能、於伎都之良奈美、多知久良思、安麻乎等女等母、 沖の島邊に舟のりする海人をとめをみてかくはいふならん
 
思麻我久流見由、」 風を放て島に隱るゝ事なり譬は西風立來れば東の濱に舟隱するが如し
 
3598 奴波多麻能、 冠辭
 
欲波安氣奴良之、多麻能宇良爾、 備前備中のうちなるべし(卷八)(卷十一)なるは紀伊國なれどこゝは異地同名なるべし
 
安佐里須流多豆、奈伎和多流奈里、」
 
3599 月余美能、比可里乎伎欲美、神《カミ》島乃、 延喜神名式に備中國小田郡神島神社と見ゆこゝならん
 
伊素末乃宇良由、 池川などにも磯間のうら有地名にあらず
 
舶出須和禮波、」 此歌は船泊してありしが風汐かなひて夜乘出るとてよめるとみえたり 
3600 波奈禮蘇爾、多※[氏/一]流牟漏能木、 ※[木+聖]和名抄に爾雅注一名川柳和名無呂弟三天目香樹又室木此木冬は枯花はうす赤にして香有比吉山に大木ありといへり 
宇多我多毛、比左之伎時乎、須疑爾家流香母、」 うたがたは水沫なり空形の意もていふさてはかなき事あやうき事にとれりはなれ磯に一木あるさまはあやうくおもはるゝに其木の久しくあるをわが身の海をわたり他の國へ行てあやうきをしのぎて行くにたとへていへり
 
3601 之麻志久母《シマシクモ》、 しばしもなり久は辭にてそへていふなり【奥人按に之麻思久はしば敷の意ならむ歟志は須古之の約婆は比萬の約なりすこしのひまの乃を略けば婆と濁るなり伊佐々米に似たる言なり之久の之は曾比の約久は加行に働辭母は助辭なりよてすこしのひまそはるもなり】
 
比等利安里宇流、毛能爾安禮也、之麻能牟漏能木、波奈禮弖安流良武、」 意は上の如しはなれてあるらんとは妹はもとよりにてやからにもはなれてあるをいふなり
 右八首|乘船入海路上作歌《フナノリシテウナノヘニヨメルウタ》、
 今本こゝに當所誦詠古歌とあるは既にもいふ如く後人妄に書しものなりこは右にある右八首乘船云云とある如く歌どもの左にあるべき事なり且是までの書法にたがひぬれば歌どもの終の左に書てこゝの標はすてぬ
 
3602 安乎爾余志、 冠辭
 
奈良能美夜古爾、多奈|妣《ビ》家流、安麻能之良久毛、 安米といふべきを唱へたがひたるなりよしは既にいふ
 
見禮杼、安可奴加毛、」 折しも白雲のたなびけるを見て古き歌をおもひ出てうたへるなり
 
今本こゝに右一首詠雲とあれど既に此前の卷にもいへる如く家集にかゝる事書べき事ならず古へ人のわざならず後人書加へしなれば捨つ
 
3603 安乎|楊疑能《ヤギノ》、延太伎里於呂之、 苗代は里囘《サトワ》の田につくり其畔には柳など多きものなりされば枝葉田に覆てさはりとなれば切拂ふなり
 
湯種蒔《ユタネマキ》、 苗代におろす稻實はいみつゝしみて蒔けば齋種《ユタネ》なり水口祭などにいふ辭なり是まではゆゝしきといはん序なり集中齋種蒔あらきの小田とよめり
 
忌々伎美爾《ユヽシキキミニ》、故非和多流香母、」 ゆゝしきは齋敷《イミシキ》にて今俗に大事といふにあたる又貴くよろしきにもいふことばなり妹戀あまりにおもひ出てうたふなり
 
3604 妹我素弖、 冠辭なり考には脱せりこは袖は左右にわかれてある物なればわかれにのみ冠辭はかゝりて久まではかゝらず
 
和可禮弖比左爾、奈里奴禮杼、比登比母伊毛乎、和須禮弖於毛倍也、」 わすれておもはめやなり波女約倍なり今の俗言におもひわすれんやといふなり此事は既卷一の別記に云
 
3605 知多都美乃《ワタツミノ》、宇美爾伊弖多流、 わだつみの神のます海といふなり此つゞけからはすくなしわたうみと同言なれば重れり
 
思可麻|河伯《ガハ》、 播磨なりみなとなれば其所の川は海にながれ出るなればそれをいふ
 
多延無日爾許曾、安我故非夜麻米、」 たえぬ物からかくいふなり
 今本こゝに右三首云云とあるも前にいふ如くなればすてつ
 
3606 多麻藻可流、乎等女乎須疑※[氏/一]、 暗誦誤れるなり敏馬過而《ミヌメヲスギテ》なり
 
奈都久佐能、野島我左吉爾、伊保里須和禮波、」 又暗に誦誤なり船ちかづきぬなり此歌卷十四人麻呂歌八首の中なり
 今本こゝに柿本朝臣人麻呂歌曰云云とあるは此次にあるも誤字のまゝひきたる多く後人の注しるかれば皆すてつ
 
3607 之路多倍能、 暗誦の誤なり荒栲なり
 
藤江《フチエ》能宇良爾、伊射里須流、 須受伎都留、安麻登可見良武なり
 
安麻等也見良武、多妣由久和禮乎、」 此歌も卷十四にありて右の歌の次にあるなり
 今本こゝに前の如くあれど既いふごとくなればすてつ
 
3608 安麻射可流、比奈乃奈我道乎、 暗誦の誤にて長道從なり
 
孤悲久禮婆、安可思能門欲里、伊敝乃安多里見由、」 暗誦の誤なり夜麻等思麻見由なり是も右に同じ
 今本前にいふ如こゝにあるを捨る事右に同じ
 
3609 武庫能宇美能、爾波余久安良之、伊射里須流、安麻能都里船、奈美能宇倍由見由、」 此歌も右に同じ卷十四の一本の歌なり
 今本こゝの注を誤る事右にいふが如し
 
3610 安胡乃宇良爾、布奈能里須良牟、乎等女良我、安可毛能須素爾、之保美都良武賀、」 此歌卷一に出たりくはしくそこにみゆ
 又前に同じければすてつ
 今本こゝに七夕歌一首と標せれど月の歌にて此船路にて月の出たるを見て古き歌をおもひ出でうたへるなり此卷是までの例に違れば極めて後人のおもひ誤てさかしらして書加へたるなれば捨つ
 
3611 於保夫禰爾、麻可治之自奴伎、宇奈波良乎、許藝弖天和多流、月人乎登枯、」 今本枯を※[示+古]に誤る
 右當所誦詠古歌《ミキトコロ/\ニツケテウタヘルフルキウタ》、 既云如く前の書體によりて始をすてゝこゝに此|目《ナ》をあぐ又今本こゝに右柿本朝臣云云と有も既云如くなれば捨
 
○備後國水調郡《キビノミチノシリノクニミツキコホリ》、 和名抄に御調郡
 
長井浦舶泊夜作歌三首《ナカヰノウラニフネハツルヨヨメルウタミクサ》、
 
3612 安乎爾與之、 冠辭
 
奈良能美也故爾、由久比等毛我母、久佐麻久良、 冠辭
 
多妣由久布禰能、登麻利|都礙武仁《ツゲムニ》、」 旋頭歌と今本こゝに小書せるも後人のわざなれば捨つ
 右一首|大判官《オホマツリコトビト》、 此大判官ははじめにしるせし遣新羅使の事なれば續紀に從六位上|壬生《ミブ》使主宇太麻呂とあるこれなり
 
3613 海原乎、夜蘇之麻我久里、 こは數さはなる島々をこぎすぎゆくをいふなり
 
伎奴禮杼母、奈良能美也故波、和須禮可禰都母、」
 
3614 可敝流散爾、伊母爾見勢武爾、和多都美乃、於伎都白玉、比利比弖由賀奈《ヒリヒテユカナ》、」 利呂同言にてひろひてゆかんなり奈はいひきはむる詞なり
 
○風速浦《カザハヤノウラニ》、 備後なり
 
舶泊之夜作歌《フネハテシヨヨメルウタ》二首、
 
3615 和我由惠仁、妹奈氣久良之、風早能、宇良能於伎敝爾、奇里多奈妣家利、」 奈牙伎の奈は禰阿約にて音擧《ネアゲ》の言に加行の語を働云
 
3616 於伎都加是、伊多久布伎勢波、和伎毛故我、奈氣伎能奇里爾、 なげきは長息也汐くもりをやがて霧といふさて汐曇は風の發に從て立と海べの人いへり此鹽くもりをきりといふは集中にあり【上には音擧といひこゝには長息也と有は末にては一つ心とも成べけれどさだめならぬ言也】
 
安可麻之母能乎、」 歌の意は妹がなげきのつよきとしてよめるなりこは海邊すこし風ある頃によめるなれば猶風吹て汐曇つよからばあくまでふかんとなり
 
○安藝國長門島舶泊磯邊作歌《アキノクニナカトノシマニフネハツルイソベニヨメルウタ》五首、
 
3617 伊波|婆《バ》之流、 冠辭
 
多伎毛登杼呂爾、 鳴といはん序なり
 
鳴蝉乃、許惠乎之伎氣婆、京師《ミヤコ》之於毛保由、」 此歌は磯邊にてよめる歌なれば其邊のいそに鳴せみをきゝたるなるべし
 右一首|大石蓑麻呂《オホイシノミヌマロ》、 此人も此度の使人の中なるべし
 
3618 夜麻|河伯《カハ》能、伎欲吉可波世爾、安蘇倍杼母、奈良能美夜古波、和須禮可禰都母、」
 
3619 伊蘇乃麻由、 石の間よりなりいはばしると云に同
 
多藝都山河、 此間に爾乃如《ニノゴトク》を入てこゝろ得べし
 
多延受安良婆、 身のつゝがなきを山川にいひよせしなり
 
麻多母安比見牟、秋加多麻氣※[氏/一]、」 あきかたまけなり秋のかたにむかひてなり既にもいふさてあひ見むは此所の景色をいふか古へ人は景色をみてかゝる意によむ多かれど前後の歌意もて見れば古郷の妹忍ぶ成らん
 
3620 故悲思氣美、奈具左米可禰※[氏/一]、比具良之能、奈久之麻可氣爾《シマカゲニ》、伊保利須流可母、」
 
3621 和我伊能知乎、 乎は助字かろく見るべしこは見てをわたらんなどの乎の如し
 
奈我刀能之麻能、小《コ》松原、 松原を見てふりし世には小松原なりけんと見しなり
 
伊久世乎倍弖加、可武佐備和多流、」 かみさびの上に如是をそへて心得べし
 
○從長門浦舶出之夜《ナガトノウラヲフナデスルヨ》仰2觀《ミテ》月光《ツキヲ》1作歌三《ヨメルウタミ》首、
 
3622 月余美乃、比可里乎伎欲美、由布奈藝爾、加古能古惠欲妣、 俗によばひなり
 
宇良未許具可母、」 うら間も磯間といふに同じ浦の誤也
 
3623 山乃波爾、月可多夫氣婆、伊射里須流、安麻能等毛之備、於伎爾奈都佐布、」 月の光のうすくなるより沖の船のいざり火のなみにゆられて見えきたるをよめりなづさふはなづみさはるなりさはるはそはるに同じ佐曾同言なればなり
 
3624 和禮乃未夜、欲布禰波許具登、於毛敝禮婆、於技敝能可多爾、可治能於等須奈里、」 
○古挽歌一首并短歌《フルキカナシミノウタヒトクサトミシカウタ》、 今本古の字を右に作るは誤なり左の歌こそ挽歌なれさて右の字をおきたるは此前後皆新羅使の歌をあげたれば此歌はさきによみたる挽歌をこゝにおもひ出るまにまにしるすなれば古きとは書たるなりけり
 
3625 由布佐禮婆、安之敝爾佐和伎、安氣久禮婆、 明來ばなり
 
於伎爾奈都佐布、可母須良母、都麻等多具比弖、和我尾爾披《ワカミニハ》、 こをわが尾《ヲ》にはと訓なりと云説もわろからねど此歌廿三言悉音を用ゆこゝにのみ訓を用ゆべきにあらず尾と訓て意にたぐふ事なし既和我とさへ書しをおもへばよみこゑのまゝぞやすからめ【此次の卷に小埼沼鴨をよめるに前玉之小埼乃沼爾鴨曾翼霧|己尾爾《オノカミニ》とよめるに合見るべし】
 
之毛奈布里曾等、之路多倍乃、 此しろたへを鴨にしろきはなきなど云はいりほがなりこは鴨の羽に霜おきたるを白たへの如くとたとへたり既下に打はらひと云は霜をはらひなりこをもても上の我|尾《ミ》と云も尾《ヲ》ばかりならぬを思へ
 
波禰左之可倍底、 さしかはしなり
 
宇知波良比、左宿等布毛能乎、 句なりさは發語ぬるといふものをなり
 
由久美都能、可敝良奴其等久、布久可是能、美延奴我其登久、安刀毛奈吉、與能比登爾之弖、 現身《ウツヽシミ》を云
 
和可禮爾之、伊毛我伎世弖思、奈禮其呂母、 着馴衣なり
 
蘇弖加多思吉※[氏/一]、比登里可母禰牟、」
 
 反歌一首、
3626 多都我奈伎、安之敝乎左之弖、等妣和多類、安奈多頭多頭志、比等里佐奴禮婆、」 多都我奈伎に手著《タツキ》なきをふくみさてすゑにたづきなきをうけてたづ/”\しといひそれを序體に末の句を獨さぬればととめたりつゞけかたは古に似て始の五言未まで働かせたりかゝるたくみをいひかなへんとするほどに古の歌のしらべはわすれて終に後世にながれたりされどこは挽歌なれば此よみ人たくむとおもふ心もあらじを此少し前より折ふしごとにかゝるたぐひなるも見えたれば目うつれるすがたなるべし源氏須磨の卷に「たづが鳴雲井にひとりねをぞなくつばさならべしともをわびつゝ」てふもこをよみうつせしならん
 右|丹比大夫《タヂヒノマチキミ》悽2愴《イタメル》亡妻《マカレルメヲ》1、
 
○屬物發思歌一首并短歌《モノニツキテオモヒヲオコセルウタヒトクサトミシカウタ》、 
3627 安佐散禮婆、 あささればも夕さればなどに同じくあさになればなり
 
伊毛我手爾麻久、 妹が手に設《マケ》るなり計留約久なり
 
可我美奈須、 かゞみなすみとかくるのみなり
 
美津能波麻備爾、於保夫禰爾、眞可治之自奴伎、 しゞぬきはしげく眞かぢとるをいふなり
 
可良久爾爾、 新羅をいふなり
 
和多理由加武等、多太牟可布、 眞向なり
 
美奴面乎左指天、之保麻知弖、美乎妣伎由氣婆、 美乎の乎は伊呂の約にて水色なり水脈の字をあつるも水色を見ればなり引は梶引折などの引にて舟漕行なり水脈《ミヲ》を引てふ乎をはぶけは妣と濁るは例なり
 
於伎敝爾波、之良奈美多可美、宇良末欲理  間にてほとりなり
 
許藝弖和多禮婆、和伎毛故爾、安波治乃之麻波、由布左禮婆、久毛爲可久里奴、左欲布氣弖、由久敝乎之良爾、安我己許呂、安可志能宇良爾、 こふる心をおもひあきらめるあかしといふなるべし但此歌のつゞけがら後の世の長歌のあしきさまをおしへたるつゞけ多し 
布禰等米弖、宇伎禰乎詞都追、和多都美能、於枳敝乎見禮婆、伊射理須流、安麻能乎等女波、小船乘、都良良爾宇家里、 連々《ツラ/\》にてつら/\つらなるを云なり
 
安香等吉能、 曉《アカツキ》はあくる時なり
 
之保美知久禮婆、安之辨爾波、多豆奈伎和多流、安左奈藝爾、布奈弖乎世牟等、船人毛、 船にのりたるなり即御使人らなり船の人の乃を畧けば備と濁なりこは船出すといふをかく云なり
 
鹿子毛許惠《カコモコヱ》欲妣、柔保等里能、 冠辭
 
奈豆左比由氣婆、伊敝之麻婆《イヘシマハ》、 播磨の地名なり伊を省きて敝島といひけんを後に繪島と云にて既に假字もたがへり
 
久毛爲爾美延奴、安我毛敝流、許己呂奈具也等、波夜久伎弖、美牟等於毛比弖、於保夫禰乎、許藝和我由氣婆、於伎都奈美、多可久多知伎奴、與曾能未爾、見都追須疑由伎、多麻能宇良爾、 此浦は前とは同名異地にて備後歟
 
布禰乎等杼米弖、波麻備欲里、 はまべなり
 
宇良伊蘇乎見都追、奈久古奈須、禰能未之奈可由、 なくなり可由は久の延言なり
 
和多都美能、多麻伎能多麻乎、 手纏なりわたづみの手にまきもたる白玉ともよめり
 
伊敝都刀爾、伊毛爾也良牟等、比里比等里、 前にいふ如く拾ひ取なり
 
素弖爾波伊禮弖、可敝之也流、都可比奈家禮婆、毛弖禮杼毛、之留思乎奈美等、麻多於伎都流可毛、」 此歌古言をまじへいにしへめくさまによみたれどわが心あかしのうらなどのつゞけがら後にちかくかゝるすがたより延喜の比の長歌のさまにはなりくだりけん
 
 反歌二首
3628 多麻能宇良能、於伎都之良多麻、比利敝禮杼、麻多曾於伎都流、見流比等乎奈美、」 
3629 安伎左良婆、和我布禰波弖牟、和須禮我比、與世伎弖於家禮、 家《ケ》は伎弖の約おきてあれのあを略るなり
 
於伎都之良奈美、」 此歌はおのれはおもへど相おもはぬ妹が心をうらめる歌なり遠國より歸來てわすれ貝のあらんをおもふはおのがせちにしぬばるゝをわすれんとならん此歌もおけれおきつなどかさねたるたくみ長歌とゝもに後の世ぶりなるものなり
 
○周防國玖珂郡麻里布浦行之時作歌八首《スハウクニクカコホリマリフウラヲユクトキヨメルウタヤクサ》、
 
3630 眞可治奴伎、布禰之由加受波、 ゆかずしてあらばをはぶきいふなり
 
見禮杼安可奴、麻里布能宇良爾、也杼里世麻之乎、」 今本一本ともに乎を牟に誤る假字をもて字をあらたむ
 
3631 伊都之可母、見牟等於毛比師、安波之麻乎、 周防の地名なるべし四國の事にてはこゝにかなはず
 
與曾爾也故非無、由久與思乎奈美、」 浪風あらきに物もひつゝこしあはしまをよそに見つゝあるとなり
 
3632 大船爾、可之布里多弖天《カシフリタテヽ》、 ※[牛+可]※[木+戈]《カシ》は既いふ如舟をつなぐ杭をいふ今もかしをたつるをかしをふると云これなり
 
波麻藝欲伎、麻里布能宇良爾、也杼里可世麻之、」 こも浪風あらきに船泊せんかとなり 
3633 安波思麻能、安波自等於毛布、伊毛爾安禮也、 既もある如くあればやなり
 
夜須伊毛禰受弖、安我故非和多流、」 夢にもあはじとおもふ妹にあればや風波あらくして吾はいをやすくねずて戀わたるとなり
 
3634 筑紫道能、可太能於保之麻、 周防に大島郡あれば可太もそのわたりの地名なるにや
 
思末志久母、 しばしなり所の名を得てしばしくといはん序とせり
 
見禰婆古非思吉、伊毛乎於伎弖伎奴、」
 
3635 伊毛我伊敝治、知可久安里世婆、見禮杼安可奴、麻理布能宇良乎、見世麻思毛能乎、」 
3636 伊敝妣等波、可敝里波也許等、伊波比|之麻《シマ》、 周防の地名なるべし
 
伊波比麻都良牟、多妣由久和禮乎、」 古しへよりかく旅人を幾代を經てかいはひて此名を負けん島の名の如家人のいはひて吾を待らんとなり
 
3637 久佐麻久良、 冠辭
 
多妣由久比等乎、伊波比之麻、伊久與布流末弖、伊波比伎爾家牟、」 前の歌と此歌二首もていはふ心をゝへつくしよめり古はかくなだらかにやすらかなり後の世ぶりは家人のいはふといへじまの幾代か人をいはふを一首によみなす故こゝろむつかしく歌のすがたたけからず
 
○過《スギテ》2大島鳴門《オホシマノナルトヲ》1而|經《ヘテ》2再宿《フタヨヲ》1之|後《ノチ》追作歌《オフテヨメルウタ》二首、
 
3638 巨禮也己能、名爾於布奈流門能、宇頭之保爾、多麻毛可流登布、安麻乎等女杼毛、」 こはあやうき所にて玉藻かるをいひ傳へたるを聞てかくよめるなり
 右一首田邊秋庭、 同じ御使人のうちなるべし
 
3639 奈美能宇倍爾、宇伎禰|世之《セシ》欲比、安杼毛倍香、 豈思にて妹かなにその事を思ふかしてなり(卷七)に船をあともひといふは集ともなふにて別なり次に「吾妹子がいかにおもへかぬば玉のひとよもおちずいめにし見ゆる」とあるは似たり(卷六)に「安杼毛敝加あじくま山のゆづる葉のふゝまる時に風ふかずかも」と云初句はこゝと同じ
 
許己呂我奈之久、伊米爾美要都流、」
 
○熊毛浦《クマゲノウラ》、 周防國熊毛郡熊毛郷あり即其浦なり
 
舶泊之夜作歌《フネハツルヨヨメルウタ》四首、
 
3640 美夜故邊爾、由可牟船毛我、可里許母能、 冠辭
 
美太禮弖於毛布、詐登|都礙《ツゲ》夜良牟、」
 右一首|羽栗《ハグリ》、 同じ度の丁男《ヨボロヲ》などなるべし 
 
3641 安可等伎能、伊敝胡悲之伎爾、宇良末欲理、可治乃於等須流波、安麻乎等女可母、」 
3642 於伎敝欲理、之保美知久良之、可良能宇良爾、 筑前唐泊か長門赤間よりたゞ一里の程なりといふ
 
安佐里須流多豆、奈伎弖佐和|伎《ギ》奴、」
 
3643 於吉敝欲里、布奈妣等能煩流、與妣與勢弖、伊射都氣也良牟、多婢能也登里乎、」 一本に多妣能夜杼里乎、伊射都氣夜良牟、とあるはしらべおとれり
 
○佐婆海中忽《サバノワタナカニニハカニ》遭《アヒテ》2逆風漲浪《サカヽゼハマナミニ》1漂流《タヾヨヘリ》經《ヘテ》v宿《ヨヲ》而|後《ノチ》幸《サチハヒニ》得《エテ》2順風《オヒカゼヲ》1到2著《ツキヌ》豐前國下毛郡分間浦《トヨノミチノクチノクニシモツミケノコホリワクマノウラニ》1於是《コヽニシテ》追《オフテ》怛《オソレ》2艱難《カラキコトヲ》1悽惆《イタミテ》作歌八首《ヨメルウタヤクサ》、
 
3644 於保伎美能、美許等可之故美、於保夫禰能、由伎能麻爾末爾、夜杼里須流可母、」
 右一首|雪宅麻呂《イキノヤカマロ》、 下に見ゆる雪連宅滿《イキノムラジヤカマロ》なり但壹岐雪同言なれば通し書たるなり
 
3645 和|伎《ギ》毛故波、伴也母許奴可登《ハヤモコヌカト》、麻都良牟乎、於伎爾也須麻牟、 住むなり
 
伊敝都可受之弖、」 家にちかづかずしてなり
 
3646 宇良末欲里、許藝許之布禰乎、風波夜美、於伎都美宇良爾、夜杼里須流可毛、」 美は例のほむる言なり
 
3647 和伎毛故我、伊可爾於毛倍可、 おもへばかの婆をはぶけり
 
奴婆多末能、 冠辭
 
比登欲毛於知受、伊米爾之美由流、」 既いふ如ゆめといはでいめと云此頃にて古言を誤らぬなり
 
3648 宇奈波良能、於伎敝爾等毛之、 乏はたらまはしを約て云なり
 
伊射流火波、安可之弖登母世、 あかくしてなり
 
夜麻登思麻見無、」 大和の國の見ゆるにはあらずおさなくよめるなり
 
3649 可母自毛能、 冠辭
 
宇伎禰乎須禮婆、美奈能和多、 冠辭
 
可具呂伎可美爾、都由曾於伎爾家類、」
 
3650 比左|可《ガ》多能、 冠辭
 
安麻弖流月波、見都禮杼母、 雖見なり
 
安我母布伊毛爾、安波奴許呂可毛、」
 
3651 奴波多麻能、欲和多流月者、波夜毛伊|弖《デ》奴香文、字奈波良能、夜蘇之麻能宇倍由、伊毛我安多里見牟、」 今本ここに旋頭歌と小書せしはことさらに後人の注なり 
○至《イタリテ》2筑紫舘《ツクシノタチニ》1遙2望《ミサケテ》本郷《フルサトノカタヲ》1悽愴作歌四首《イタミヨメルウタヨクサ》、
 
3652 之賀能安麻能、 筑前國糟屋郡式糟屋郡志加海神社と見ゆ然浦の地名なり既にも出 
一日毛於知受、也久之保能、可良伎孤悲乎母、 からきは五味にたとへてあまきくるしきなどいふ如く其さまをいふはた鹽は唐字の意もていはゞ鹹なれどもこゝにはそをもしほからしと云より辛しとしてかくつゞけたり此言此集古今集にもあまたあり
 
安禮波須流香母、」 此歌どもは御使人等の旅の長路に古郷の奈良の妹子らをおもふあまりに地のものもて心をのばへたるなり
 
3653 思可能宇良爾、伊射里須流安麻、伊敝妣等能、 漁する海人の家人等なり
 
麻知古布良牟爾、安可思都流宇乎、」 明の意にて夜あかし魚を釣をいふ歌の意は地につけて海人の家人の待戀るをいひて古郷人の戀るこゝろをよめるなり
 
3654 可之布江爾《カシフエニ》、 地名にて同國の中の入江などにて浪しづかなる所歟
 
多豆奈吉和多流、之可能宇良爾、於枳都之良奈美、多知之久良思毛、」 しくは及の意にてしき浪なり此歌は赤人の潟をなみあしべをさしてとよみしは汐のみち來るなりそれとは異にて然の大浦に沖つ高浪の打しきればかしふ入江のなみしづかなるあたりに鳴わたるとよめるなり一本に美知之伎奴良思とあり
 
3655 伊麻欲里波、安伎豆吉奴良之、安思比奇能、 冠辭
 
夜麻未都可氣爾、日具良之奈伎奴、」 こは磯山の松かげに鳴をよめりと見ゆ此四首はつくしのたちにてよめると有に皆海邊ことなるは其館の海邊ならん
 
○七夕《フミツキナヌカノヨ》仰2觀《ミテ》天漢《アマツカハラヲ》1各《オノカシヽ》陳2所思1作歌《オモヘルコトヲヨメルウタ》三《ミ》首
 
3656 安伎波疑爾、爾保敝流和我母、奴禮奴等母、伎美我美布禰能、都奈之等理弖婆、」 織女になりてよめるなり吾裳はぬるゝとも君かみふねのつなしとりてあらばなり弖安良の約多なるを弖に通せるなり
 右一首|大使《ミツカヒザネ》、
 
3657 等之爾安里弖、 年毎にあり待てある一夜なり
 
比等欲伊母爾安布、比故保思母、和禮爾麻佐里弖、於毛布良米也母、」 歌の意は一年に一たびあふと云星よりもわか古郷の妹戀心はいやまさらめとなり
 
3658 由布豆久欲、可氣多知與里安比、安麻能我波、 既いふ如く此比になりては古事記のおもむきの古言は誤れるなり古はあまつがはと訓
 
許具布奈妣等乎、見流我等母之佐、」 歌の意は星の逢夜のともしといひて吾古郷の妹子等に逢はぬ久しきをそへてよめるなり二の句は夕附夜の影より星の立より逢なり此二首も副夫判官などのうたなるべし
 
○海邊《ウナビニ》望《ミテ》v月《ツキヲ》作歌九首《ヨメルウタコヽノクサ》、
 
3659 安伎可是波、比爾家爾布伎奴、和|伎《ギ》毛故波、伊都登加和禮乎、伊波比麻都良牟、」 こは秋にはかへらんてふわかれの時の歌あると末に妹がまつらん月は經につゝとあるをもて見れば其時もやゝすぐるとよめるなりけり
 大使之第二男《ツカヒサネノヲトコ》、 これは御使人の中にて行か又親にしたがひたゞに行しなどなるべし
 
3660 可牟佐夫流、 此神さびは其地のふるきをいふのちにかう/”\しきと云も是なり 
安良都能佐伎爾、 筑前國宗像郡大荒津に荒津あり是か
 
與須流奈美、麻奈久也伊毛爾、故非和多里奈牟、」 いつまでかくはこひわたらんすらんとなり
 右一首|土帥稻足《ハヂノイナタリ》、
 
3661 可是能牟多、與世久流奈美爾、伊射里須流、安麻乎等女良我、毛能須素奴禮奴、」 意明なり一本安麻乃乎等賣我毛能須蘇奴禮奴
 
3662 安麻能波良、 海原なり海は廣ければ原といひ遠長く見らるればふりさけ見ると云 
布里佐氣見禮婆、欲曾《ヨゾ》布氣爾家流、與之惠也之、比等里奴流欲波、安氣婆安氣奴等母、」
 こゝに右一首旋頭歌也とあるはあまりにつたなく集の時の注ならず後人のわざなればすつ
 
3663 和多|都《ヅ》美能、於伎都奈波能里、 今長海苔といひて長き海苔ありそれをいふか又俗に海索麺などいふものかさてこゝまでは序なり繩はたぐりよする物故くるといひさて吾かへりくるを妹がまつらん月日は經ぬるとよめるなり
 
久流等伎登、伊毛我麻都良牟、月者倍爾|都追《ツツ》、」
 
3664 之可能宇良爾、伊射里須流安麻、安氣久禮婆、 夜あけければなり
 
宇良末許具良之、 浦のほとりを漕來るらしなり【岐久の約具なり】
 
可治能於等伎許由、」
 
3665 伊母乎於毛比、伊能禰良延奴爾、 今本禰を禮に誤るねらえぬはねられぬなり音通へばなり
 
安可等吉能、安左宜理|其問理《ゴモリ》、可里我禰曾奈久、」 此歌はあけがた霧のうちをかりむれの鳴て行が旅の心にさびしくおもふよりよめり此かりがねの言にてかりがねの禰はむれの約女を禰に通はせしといふ事しらるべし
 
3666 由布佐禮婆、 後世佐を濁りて婆を清と思へるは誤なるなり既いへるをこゝに清濁をわけて書しを見てしれ
 
安伎可是左牟思、和|伎《ギ》母故我、等伎安良比其呂母、由伎弖波也伎牟、」 意あきらかなり
 
3667 和我多妣波、比左思久安良思、 あらしはあるらしなり
 
許能安我家流《コノアガケル》、 伎弖安の三つを約は計なればかくいふなり
 
伊毛我許呂母能、阿可都久見禮婆、」
 
〇到《ユキテ》2筑前國志麻郡《ツクシノミチノクチノクニシマノコホリ》之|韓亭《カラノウマヤニ》1舶泊《フネハテテ》經《ヘヌル》2三日《ミカヲ》1於時《ヲリニ》夜月之光皎皎流照《ツキノヒカリアカシ》奄《タヾチ》對《ムカヒテ》2此華《コノヒカリニ》1旅情悽噎各陳心緒聊裁歌六首《タビノココロカナシケレバオノガジヽオモフコヽロヲイサヽカヨメルウタムクサ》、
 
3668 於保伎美能、等保能美可|度《ト》登、 吾朝庭といふ時はひろく吾日本の諸の國をみかどゝいふべく伊勢物語に吾がみかど六十餘州といへるに同じこゝは筑紫の國にてよめるなればやがてそを遠のみかどゝいふすべて皇國にまつろへる國をば遠のみかどゝいふ事下の長歌に新羅を遠のみかどゝいふ事あるをもてしれ
 
於毛敝禮杼、氣奈我久之安禮婆、 旅にある日久なり氣奈我久の氣は伎武加倍を約て氣《ケ》といふなり年月日は來迎るなればいふ本居宣長か氣は伎倍の約にて來經なりと云も同じ意なり月日の久を云
 
古非爾家流可母、」 古郷をなり
 右一首|大使《ツカヒサネ》
 
3669 多妣爾安禮杼、欲流波火等毛之、乎流和禮乎、也|未《ミ》爾也伊毛我、古非都追安流良牟、」 此歌われはたびなれど火ともしありといひてさてあやなく妹がこふるをやみといふなり
 右一首大判官、
 
3670 可良等麻里、 和名抄に筑前國志摩郡韓良とあり則是なり
 
能許乃《ノコノ》宇良奈美、 和名抄に同國|早良《ハラ》郡|能解《ノケ》然はのげにて和名抄にあふされど下にも能許とありと説もあれど計許同言なれば方言諺言或は古今の唱違もあるべければ此比までは和名に能解《ノゲ》とあるが能許といふともしるべからず【能許の島は韓亭出崎の東にあたる島にて海上廿里ばかり有り和名抄にある能解とは別の地なりここはから泊より六七里も隔りたり韓亭より見わたす所といひかた/”\是ならん神功皇后舟魂神を殘し給ふ故にのこり島なり白髭明神と云も祭神は猿田彦と地の人いへり】
 
多々奴日者、安禮杼母伊敵爾、古非奴日者奈之、」
 
3671 奴婆多麻乃、 冠辭
 
欲和多流月爾、安良麻世婆、伊敝奈流伊毛爾、安比弖許麻之乎、」
 
3672 比左可多能、 冠辭
 
月者弖利多里、伊刀麻奈久、 句なり月はてりいざり火はあかくともし合たりと云
 
安麻能伊射里波、等毛之安敝里見由、」
 
3673 可是布氣婆、於吉都思良奈美、可之故美等、 故美は伎の延言
 
能許《ノコ》能等麻里爾、安麻多欲曾奴流、」 舟にて風待するほどの歌なり
 
○引津亭舶泊《ヒキツウマヤニフネハツル》之夜作歌七首、 今本夜字脱歌により加ふ【引津亭志摩郡なりこゝ引津|亭《トマリ》と訓べし陸地ならねばなりからどまりより唐地へ舟の進む順路なりといへり】
 
3674 久左麻久良、 冠辭
 
多妣乎久流之美、故非乎禮婆、可也能山邊爾、草乎《サヲ》思香奈久毛、」 新古今雜下に菅贈太政大臣「苅萱の關守にのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり」とあるは筑紫路にてよみませるなれば後ながらこゝをふるくはかやの山べといひつるか【可也能山は今筑紫富士と云よし山は高からねど富士に似たる故に然云志摩郡金丸村の上に在俗邊多山ともいふよし細川幽齋の名護屋の道記に在りかやの山は誤なり古鴛尾山といひあたご山とも云早良郡の内なり○苅萱は三笠郡のにて可也能山とは十二三里前の所にて唐國への順賂ならず山邊なりと云】
 
3675 於吉都奈美、多可久多都日爾、安敝利伎等、美夜古能比等波、伎吉弖家牟可母、」 浪たかくたつけふしもふなのりしあへりと古郷人はきゝてありけんかと旅の物うさをよめるなり伎吉弖安里家武の弖安約多なるを弖に通し里をはぶきしなり家を濁るは言便なり 右二首大判官、
 
3676 安麻等夫也、 冠辭
 
可里乎都可比爾、衣《エ》弖之可母、奈良能美夜古爾、許登|都礙夜良武《ツゲヤラム》、」 いと遠きさかひに來て都へ便りのなきにわびて空行鴈を使になすよしもがなとまでおもへるが切なりさて此使古詠をも唱へたれどそは其よししるせり此歌もとは初二首は大判官のよめるにて此末の五首は從へる人々のなる事前後の書體にてしるし然るに拾遺集に此歌を人麻呂の唐にてよめりと有はいとひが事なり人麻呂筑紫へ下りし事は見ゆれど新羅へしも行けん事なし凡拾遺集に此処の歌をとれるは誤多し人麻呂は奈良の朝までありし人ならず
 
3677 秋野乎、爾保波須波疑波、佐家禮杼母、見流之流思奈之、多婢爾師安禮婆、」 秋野を萩の花のてりにほはせたれど妹としも見ねば見るしるしなしとなり
 
3678 伊毛乎於毛比、伊能禰良延奴爾、安伎乃野爾、草乎《サヲ》思香奈伎都、追麻於毛比可禰弖、」 おもひかねはおもひを別《ワカ》ねるにて鹿の妻をおもふおもひをわかねたづね思ふ故いとゞいのねられずとなり
 
3679 於保夫禰爾、眞可治之自奴伎、等吉麻都等、和禮波於毛倍杼、月曾倍爾家流、」 大船の眞梶はやめてかへりつかなん時を待とすれど遠きさかひにしあればおもはず月を歴ぬるを云なり
 
3680 欲乎奈我美、 夜をながびにて夜の長ぶりていねられずとなり
 
伊能禰良延奴爾、安之比奇能、 冠辭
 
山妣故等余米、佐乎思|賀《カ》奈君母、」 毛はそへたるのみ
 
○肥前國松浦郡狛島亭舶泊之夜《ヒノミチノクチノクニマツラノコホリコマシマノウマヤニフネハツルヨ》遙2望《ミサケテ》海浪《ウナバラヲ》1各慟旅心作歌《オノガジヽイタミコヽロヲヨメルウタ》七首、
 
3681 可敝里伎弖、 はやも故郷に歸來見なんとおもひしなり
 
見牟等於毛比之、和我夜等能、安伎波疑須々伎、知里爾家武可聞、」
 右一首|秦田麻呂《ハタタマロ》
 
3682 安米都知能、可未乎許比都々、安禮麻多武、波夜伎萬世伎美、麻多婆久流思母、」
 右一首娘子、 遊女か又古郷の妹の別るゝ時の歌をここにてとなへしなるか
 
3683 伎美乎於毛比、安我古非萬久波、安良多麻乃、 冠辭
 
多都追奇其等爾、 年月たつごとになり
 
與久流日毛安良自、」 無不思日をいふ日毎におもはぬ月日なければよくる日なしとなりこも右と同じく遊女《サブルコ》歟又古歌か
 
3684 秋夜乎、奈我美爾可安良武、奈曾許己波、 許己波こゝばくはなり許々多も同言既出 
伊能禰良要奴毛、 毛は助字
 
比等里奴禮婆可、」
 
3685 多良思比賣、御舶波弖家牟、松浦乃宇美、 地につけたる作歌なり
 
伊母我麻都敝伎、月者倍爾都々、」 歴去《ヘイニ》つゝなり
 
3686 多婢奈禮婆、於毛比多要弖毛、安里都禮杼、伊敵爾安流伊毛之、於母比我奈思母、」 われは旅にあれば思ひたえてもあれども家に在妹がおもふらん心かなしきといふなり
 
3687 安思必寄能、 冠辭
 
山等妣古由留、可里我禰婆、 是も亦かりがねは聲の事ならでかりむれなる證とすべし婆は半濁にてわの如く唱るゆゑに濁音の字を用
 
美也故爾由加波、伊毛爾安比弖許禰、」 禰はねがふ意なり
 
挽歌。 今本こゝに到2壹岐島1云々の二十二字あれど前の例にも違ひ標の體ともこゝのみたがへれば右の二十二字は歌の左に書て前の例に從て同じ集なりにあらためぬ猶よしは下にいふ
 
3688 須賣呂伎能、等保能|朝廷《ミカド》等、可良國爾、 吾朝廷に屬まつりたる故百濟新羅高麗など迄も遠の朝廷と云り
 
和多流和我世波、 友の親みて云なり
 
伊敝妣等能、伊波比麻多禰可、 いはひてまたねばかなり
 
多太未可母、 故郷にて床の疊をいみてあやまちなきさまにかしこみひめ置事なり古事記などの歌にあり【肥前の島原の人旅立し人の其居たる疊を大切にして米衣を置て鎭守とするよし其國人の云り是其古への遺風なり】
 
安夜麻知之家牟、安吉佐良婆、可敝里麻左牟等、多良知禰能、 冠辭
 
波々爾麻乎之弖、等伎毛須疑、都奇母倍奴禮婆、今日可許牟、明日可裳許武登、伊敝比等波、麻知故布良牟爾、等保能久爾、 遠の國は新羅の國をさす
 
伊麻太毛都可受、也麻等乎毛、登保久左可里弖、伊波我禰乃、安良伎之麻禰爾、夜杼里須流君、」 こは友人の歌なり伊波我禰より下葬て石《イハ》の中にあるもていふ人麻呂の妹山のいはねしまけると云も是なり
 
 反歌二首
 
3689 伊波多野爾、 壹岐の島に在べし
 
夜杼里須流伎美、 是も葬の地をいふなり
 
伊敝妣等乃、伊|豆《ヅ》良等和禮乎、 友のみづからをいふわれをの乎は後に我にと云てにをはなり
 
等波婆伊可爾伊波武、」
 
3690 與能奈可波、都禰可久能未等、和可禮奴流、君爾也毛登奈、 もとなはむなしきにてよしなくわれはこひんとなり
 
安我孤悲由加牟、」
 右|到《イタルトキ》2壹岐島《イキノシマ》1雪連宅滿忽遇鬼病死之時作歌一首《イキノムラシヤカマロニハカニモノヤミニミマガレルノトキヨメルウタヒトクサト》并短歌、 今本既いふ如く右の二十二字を他標《アダシヽメ》の如くかきたれどはじめの古挽歌とあるは歌の左に讀人と標をしるせり今本歌の左に右三首挽歌とあれど既にはじめの標に挽歌とあげて其目をわかち書しには挽歌の文字を書ず既に初の標の書體を改しよしをかきし所に云如く標に一字あけて書しは其すべてをかき下け書しは歌の左にある事をあげ書し事奥の中臣宅守茅上娘子の贈答の歌をくはしく見ばしらるべしこは傳寫の誤りなるをあらためずあつめぶりにそむきまち/\に亂し事しるければ改む扨此讀人はしらへずやがて御使人の中なるべし次の挽歌も此時の歌と見ゆそはよみ人しられたればそれ/”\にしるせり此長歌反歌三首はよみ人の傳へなければかくかけるなるべし
 
3691 天地等、登毛爾母我毛等、於毛比都都、安里家牟毛能乎、波之家也思、 愛しきよなり下の思は助字なり卷二別記に委
 
伊敝乎波奈禮弖、奈美能宇倍由、奈豆佐比伎爾弖、 なれいたづき來てなり爾はかるく見るべし
 
安良多麻能、 冠辭
 
月日毛伎倍奴、 來歴ぬなり
 
可里我禰母、郡藝弖伎奈氣婆、多良知禰能、 冠辭
 
波々母都未良母、安佐都由爾、毛能須蘇比|都《ヅ》知、 ひづちは豆知約知にてひぢなり其言の本は多志約知にてひたしなり物ひづちといふは古言なり
 
由布疑里爾 己呂毛|弖《デ》奴禮弖、左伎久之毛、 幸くしもなりしは助字なり
 
安流良牟其登久、伊低見都追、麻都良牟母能乎、世間能、比登乃奈氣伎婆、安比於毛波奴、君爾安禮也母、安伎波藝能、知良敝流野邊乃、 良敝約禮なり
 
波都乎花、可里保爾布伎弖、 かりほのほはをの如く唱ふ荒墓《アラキ》に喪屋を作れるさまなるべし旅のかり庵にはあらじ御使人は驛亭にやどるなればなり
 
久毛婆奈禮、 冠辭なりと考には説たり雲は物にそはず放たな引ば遠しといひかけたるなるべし風の音《ト》の遠きに同じ
 
等保伎久爾|敝能《ベノ》、 壹岐の島をさして云
 
都由之毛能、佐武伎山邊爾、 既に秋も過るよし前にも見ゆればこゝは冬の初つかたにて露霜の寒きと云へるなるべし
 
夜杼里世流良牟、」 此終の良牟は上の君にあれやもよりいへり
 
 反歌二首
 
3692 波之家也思、都麻毛古杼毛母、多可多加爾、 遠々の意なり
 
麻都良牟伎美也、之麻我久禮奴流、」 此島隱は上の長歌の終の意とひとし
 
3693 毛美知葉能、知里奈牟山爾、夜杼里奴流、君乎麻都良牟、比等之可奈思母、」 奈良の宅滿か父母妹子などをいたみてよめるなり
 右三首|葛井連子老作歌《フヂヰノムラシコオユカヨメルウタ》、 是も御使の官人なるべし今本こゝに作挽歌とあれど前の下挽歌とかゝず又古挽歌ある歌にも此字をくはへず標の書體にならひて挽歌とあげし條下にて歌毎に書まじき例なれば後人の加筆しるしよりてすてつ
 
3694 和多都美能、可之故伎美知乎、也須家口母、奈久奈夜美伎弖、 やすけくもなくなやみなり
 
伊麻太爾母、毛奈久由可牟登、 喪なくは恙なくなり
 
由吉能《ユキノ》安《ア》末能、 事なくゆかんとゆきの海人のとはつゝみなくゆかんゆきとかけさてゆきの嶋のあまのわれらと地につけてかくつゞけたるなり
 
保都手乃《ホツテノ》宇良敝乎、 秀手の占《ウラベ》にて都は助字手はそへたる辭|秀占《ホツラ》は太古と云に同じく稱美の言なり
 
可多夜伎弖、 古事記岩戸の條に眞名鹿肩を燒て占ふ事あり此集中にも武藏野のうらべかたやきと云則こゝも是なり中世異國より傳へて壹岐對馬伊豆より龜卜を出すといふ事のあれどこゝはそれにはあらず
 
由加武土須流爾、伊米能其等、美知能蘇良治爾、 中《ナカ》なる事をそらといふ道の中路なり
 
和可禮須流伎美、」 死するきみなり即雪連宅滿をいふ
 
 反歌二首
3695 牟可之欲里、伊比祁流許等乃、 むかしより唐へ行事の歌にからき事をいひしをいひてやがてから國の名に云かけたり
 
可良久爾能、可良久毛己許爾、和可禮須流可聞、」
 
3696 新羅奇敝可、伊敝爾可加反流、由吉能之麻、 此句はゆかんといはんためにおきたるのみ
 
由加牟多登伎毛、於毛比可禰都母、」 おもひかねつのつはぬに通ふつなりおもひかねぬなり
 右三首|六鯖作歌《ムサバヨメルウタ》、 挽の字を捨る事前にいふこは此うれひにあひて心惚て新羅へかゆかん家にかゆかんとわかちおもひさだめかねぬるといふなり本末皆六鯖か心なり是も御使人に從つる丁などなるべし
 
〇到《イタリテ》2對馬島淺茅浦《ツシマノアサチノウラニ》1舶泊之時《フネハツルトキ》不2得順風《カサマモリシテ》1經《ヘ》2停|五箇日《イツカヲ》1於v是《コヽニシテ》瞻2望《ミテ》物華《モノノアリサマヲ》1各陳2慟心1作歌《オノガシヽイタミテコヽロヲヨメルウタ》三首、 【瞻望《ヲゼリ》奥人案に舊磐余彦尊條にヲゼリト訓めり考に乎は宇知美也呂約呂は利と同言世は左計約則打見遣放なり仍てこゝもヲゼリと訓むべし】
 
3697 毛母布禰乃、波都流對馬能、安佐治山 志具禮能安米爾、毛美多比爾家里《モミタヒニケリ》、」 多比約治にてもみぢにけりなり
 
3698 安麻射可流、比奈爾毛月波、弖禮々杼母、伊毛曾等保久波、和可禮伎爾家流、」 意明なり
 
3699 安伎左禮婆、於久都由之毛爾、安倍受之弖、京師乃山波、伊呂豆伎奴良牟、」 此歌も既いへる如く秋かへりなんといひしをおもひふくみてよめるなり
 
○竹敷浦《タカシキノウラニ》 對馬なるべし
 
舶泊之時|各陳2心緒1作歌十八首《オノガジシオモフコヽロヲヨメルウタトヲアマリヤクサ》、
 
3700 安之比奇能、 冠辭
 
山下比可流、毛美知葉能、知里能麻河比波、 散亂《チリミダル》物見えわかぬまでまぎれちればいふ事なり
 
計布仁聞安留香母、」 散は今日なりと云のみながらちりのまがひおもしろかればかく云ならん
 右一首|大使《ミツカヒザネ》、
 
3701 多可之伎能、母美知乎見禮婆、和藝毛故我、麻多牟等伊比之、等伎曾伎爾家流、」 此歌も又秋かへらんといひしをおもひ出たるなり
 右一首|副使《ミツカヒスケ》、
 
3702 多可思吉能、宇良末能毛美知、和禮由伎弖、可敝里久流末|低《デ》、知里許須奈由米、」 ゆめちりこそなりこすは乞の意ねがふ意なり
 右一首|大判官《オホマツリゴトビト》、
 
3703 多可思吉能、字敝可多山者、 うへかた山は地名なり
 
久禮奈爲能、也之保能伊呂爾、奈里爾家流香聞、」
 右一首|小判官《スナイマツリゴトビト》、
 
3704 毛美知婆能、知良布山邊由、 良布約留にてちるなり
 
許具布禰能、爾保比爾米|※[人偏+弖]弖《デヽ》、 地のありさまにめづるなりやがてもみちの散ほとりの舟なればかくいふなり
 
伊※[人偏+弖]弖伎爾家里、」 御使人たちのにほひにめでゝ吾たち出るといふ意をもそへてよめるか
 
3705 多可思吉能、多麻毛奈婢可之、己藝低奈牟、君我美布禰乎、伊都等可麻多牟、」 此浦の玉藻靡し漕出なんも此をとめが心をなびかすにたとへ其ふね漕出又こゝに來まさんをいつとかは待んと言をも添てよめりと見ゆ
 右二首對馬|娘子玉槻《サブルコタマツキ》、 此娘子をさぶること訓はもとゆ姓もなく女を具すべきならねはもとよりなり前の例によりて遊行女《サブリコ》とす
 
3706 多麻之家流、伎欲吉奈藝佐乎、之保美弖婆、 弖は多禮約此多は弖阿約なり則みちてあればなりよりて婆の濁音を用
 
安可受和禮由久、可反流左爾見牟、」 鹽のみちたればかかるきよきなぎさをあく迄見ずて吾はゆければ歸るさに見むと玉槻をおもふ心をこめてよめる大使の歌なり
 右一首大使、
 
3707 安伎也麻能、毛美知乎可射之、和我乎禮婆、字良之保美知久、伊麻太安可奈久爾、」 こも上の歌の如玉槻をもみぢにたとへいまだ見あかなくに漕出なんと副使のよめるなり 右一首副使
 
3708 毛能毛布等、比等爾波|美要緇《ミエジ》、 見えまじとなり
 
之多婢毛能、思多由故布流爾、都奇曾倍爾家流、」 故郷をおもひてよめるならん
 右一首大使、
 
3709 伊敝豆刀爾、可比乎比里布等、 とてのてを略なり
 
於伎敝欲里、與世久流奈美爾、許呂毛弖奴禮奴、」
 
3710 之保非奈波、麻多母和禮許牟、伊射遊賀武、 いざかへりゆかんとなり賀を濁音なりと論あるはいりほがなり賀は清濁兩音なり
 
於伎都志保佐爲、既いふ如井は和妓約鹽さわぎなり
 
多可久多知伎奴、」
 
3711 和我袖波、多毛登等保里弖、 手のさきを手なさき手のもとをたもとゝいへば肘の上にてぬれぬるをいふなり
 
奴禮奴等母、故非和須禮我比、等良受波臾可自、」 歌意は道の長手に古郷戀る心のくるしかればわすれ貝ひろひとらずばやまじとなり
 
3712 奴波多麻能、 冠辭
 
伊毛我保須倍久、安良奈久爾、和我許呂母|弖《デ》乎、奴禮弖伊可爾勢牟、」 貝といはねど貝拾ふ事をよめる歌なり前の歌に忘貝をうたへばなり後の歌をよめると意違へるを思へ
 
3713 毛美知婆波、伊麻波宇都呂布、和伎毛故我、麻多牟等伊比之、等伎能倍由氣婆、」 既にいふ如く秋はかへりなんといひければなり
 
3714 安伎佐禮婆、故非之美伊母乎、 此美も夫利約の備より通したるなり
 
伊米爾太爾、比左之久見牟乎、 秋の長夜に向ふをかくいひ長夜さへはやくあけぬと云
 
安氣爾家流香聞、」
 
3715 比等里能未、伎奴流許呂毛能、比毛等加婆、 こは既云下紐なり
 
多禮可毛由波牟、伊敝|杼《ド》保久之弖、」 長き旅路ひとり着たる衣の紐解ぬるものならば誰か紐結ばんと云は妹こひしらにいふのみ
 
3716 安麻|久《グ》毛能、多由多比久禮婆、 船にてたゆたひくればを約て云なり新羅人の使人は久しく船路にあればなり
 
九月能、毛美知能山毛、宇都呂比爾家里、」 既いふ如くうつろふは散をいふ
 
3717 多婢爾弖毛、母奈久波也許登、 あしき事なく歸り來といひてなり
 
和伎毛故我、牟須比思比毛波、奈禮爾家流香聞、」 こは長紐なり旅の摺衣の右の垂衿にむすび垂るなり赤紐ともいふ
 
○囘2來《タモトホリ》筑紫海路《ツクシノウナヂニ》1入《イラントテ》v京《ミヤコニ》到《ツキヌル》2播磨國家島《ハリマノクニイヘシマニ》1之|時《ヲリ》作歌五首、 
3718 伊敝之麻波、奈爾許曾安里家禮、 名ばかりなりけりとなり
 
宇奈波良乎、安我古非伎都流、伊毛母安良奈久爾、」
 
3719 久左麻久良、 冠辭
 
多婢爾比左之久、安良米也等、伊毛爾伊比之乎、等之能倍奴良久、」 良久約留
 
3720 和|伎《ギ》毛故乎、由伎弖波也美武、安波治之麻、久毛爲爾見延奴、 たゞはるかなるをいふのみ
 
伊敝|都《ヅ》久良之母、」 家は古郷の家をいふづくは近づくなどいふが如し家のかたにつくといふなり
 
3721 奴婆多麻能、 冠辭
 
欲安可之母布禰波、許藝由可奈、美都能波麻末都、麻知故非奴良武、」
 
3722 大伴乃、 冠辭
 
美津能等麻里爾、布禰波弖々、多都多能山乎、伊都可故延伊加武、」 越ゆかんのゆを伊にかよはせりひろひてをひりひてと云におなじ
 
○中臣朝臣宅守與狹野  大和なり
 
茅上娘子贈答歌、 此端詞は是より末六十三首の歌をすへあけたるのみ事は初の標にくはしそこに其誤れる事あるをもよしをも續紀をあげて委くいふてらしあはせてしれ扨姓の下に娘子とあるはいらつめと訓事集中の例なり古への常なり【中臣朝臣宅守後に赦に遇しと見えて天平寶字七年の紀に授中臣朝臣宅守正六位上と出たり茅上娘子も赦にあひしなるべけれど其事の見えざるは脱しなるべし】
 
3723 安之比奇能、 冠辭
 
夜麻治古延牟等、須流君乎、許々呂爾毛知弖、夜須家久母奈之、」 初の標によりて見ればつみなはれて越路に別れんとするを心に思ひかねてかくよめるなり
 
3724 君我由久、道乃奈我※[氏/一]乎、 ※[氏/一]は多計約にて長丈《ナカタケ》をつゞめいふなりたけは長短をわかず其程をたとへ云辭なり旗手蜘手綱手も同じすへて古言のもとのしらへぬを源清良とおのれ論て東萬呂眞淵考を交とられぬはすてゝいふめり
 
久里多々禰、 くりたかねなり我と多と音通ふなりまたたはめたゝむも同
 
也伎保呂煩散牟、安米能火毛我母、」 天火なり女の心にかゝる時天のたすけを得て夫のさすらへ行道を燒亡したべとおさなくいひ出たるにふるき心はこもれり
 
3725 和我世故|之《ガ》、氣太之麻可良婆、 けだしはけはときのとをはぶきて伎を計に通し陀は知加約にてけぢかしと云意なり唐音に蓋の意は物をわかち疑ふにいへどこゝにいふはときちかくかりそめなる意に云
 
思漏多倍乃、 冠辭
 
蘇低乎布良左禰、 袖をふらさねの言卷一に委くいふ
 
見都追志努波牟、」 都よりさすらへ行國にまかるなり前に袖ふる事既におほしかたみに忍び見んといふなり
 
3726 己能許呂波、古非都追母安良牟、多麻久之氣、 冠辭
 
安氣弖乎知欲利、 あけは明日なりをちはのちなり又遠にも通ふ
 
須辨奈可流|倍《ベ》思、」 別て後はせんすべなからんにこの比はこひつゝあらんとなり
 右四首|娘子臨別作歌《イラツメアカレムトスルトキヨメルウタ》、
 
3727 知里比治能、 塵※[泥/土]なり
 
可受爾母安良奴、和禮由惠爾、於毛比和夫良牟、伊母我可奈思佐、」 今はさすらへ人となればつかさ位もなく人かずならぬわれ故になり
 
3728 安乎爾與之、 冠辭
 
奈良能於保知波、由吉余家杼、 行よけれどもをはぶきいふなり
 
許能山道波、由伎安之可里家利、」 此山道はおもふ妹にわかれさすらへ行にさへあれば行くるしき道なりけりとなり
 
3729 宇流波之等、安我毛布伊毛乎、於毛比都追、由氣婆可母等奈《ユケバカモトナ》、由伎安思可流良武、」 此歌も前の歌と意同じくうるはしくおもふ妹にわかれ行ゆゑにやむなしくよしなく行くるしとなり
 
3730 加思故美等、 此美は萬行に働くなり
 
能良受安里思乎、美故之治能、 三越路をいふなり
 
多武氣爾多知弖、 手向に立てなり道の神をまつる所をいひて後峠の字にていふもこれなり即|手祭《タムケ》の意を云ここにしてかへりみしたればおもはず妹こひしきより妹が名いひしといふなりかのあづまはやとのたまひしにひとし
 
伊毛我奈能里都、」
 右四首中臣朝臣宅守上道作歌、
 
3731 於毛布惠爾、 こはおもふゆゑをはぶきいふなりゆゑの惠はゑの假字なり此比までは假字正しなり
 
安布毛能奈良婆、之末思久毛、伊母我目可禮弖、安禮乎良米也母、」 せちにおもへは相逢ものにしもあらばいたく戀おもへばしばしがほども目かれず吾は相見ずてあらめやといひ遠き國にさすらへ行てあふ事のたへてかたきをなけきけるなり
 
3732 安可禰佐須、 冠辭
 
比流波毛能母比、奴婆多麻乃、 冠辭
 
欲流波須我良爾、禰能未之奈加由、」 加由約久なり
 
3733 和|伎《ギ》毛故我、可多美能許呂毛、奈可里世婆、奈爾毛能母※[氏/一]加、伊能知都我麻之、」 いとおさなく讀るに心ふかし
 
3734 等保伎山、 こは越路に近き山ならん
 
世伎毛故要伎奴、 下の歌もて見ればこゝに關といふも逢坂のせきならん
 
伊麻左良爾、安布倍伎與之能、奈伎我佐夫之佐、」 かく云はうらぶるかたへ心のすさびてせんすべなきなり一本左必之佐とあり
 
3735 於毛波受母、 おもはずにあられんやなり母はそへたるのみ
 
麻許等安里衣牟也、 まことにをられんやの心なり
 
左奴流欲能、伊米爾毛伊母我、 うつゝにもいめにも妹が影の目につきてあるとなり
 
美延射良奈久爾、」
 
3736 等保久安禮婆、一日一夜毛《ヒトヒヒトヨモ》、於母波|受弖《ズテ》、安流良牟母能等、於毛保之賣須奈、」 おもひたへぬをことわりよめるなり
 
3737 比等余里波、伊毛曾母安之伎、故非毛奈久、安良末思毛能乎、於毛波之米都追、」 おもふあまりにあだし人よりもあしとまで思ふとなり
 
3738 於毛比都追、奴禮婆可毛等奈、奴婆多麻能、 冠辭
 
比等欲毛意知受、伊米爾之見由流、」 おもひつゝぬればや一夜もおちず猶戀ひしさを増しむる事のよしなやとなり
 
3739 可久婆可里、古非牟等可禰弖、之良末世婆、伊毛乎婆美受|曾《ゾ》、安流倍久安里家留、」
 
3740 安米都知能、可未奈伎毛能爾、安良婆許曾、安我毛布伊毛爾、安波受思仁世米、」 神のなきてふ事あらねばいのりてあはめと思ふをいのる神なくばこそあはずしてしにせめとなり
 
3741 伊能知乎之、 此乎之は助字なり今多爾毛阿故與の多爾の如くすてゝ見るべしかゝる助字の事は既にもいふ
 
麻多久之安良婆、安里伎奴能、 冠辭
 
安里弖能如爾毛、 此毛もそへたるのみ
 
安波射良米也母、」 一本安里弖能乃知毛とあり
 
3742 安波牟日乎、其日等之良受、等許也未爾、 常闇《トコヤミ》なり夜晝もわかず戀くらすなり
 
伊豆禮能日麻|弖《デ》、安禮古非乎良牟、」
 
3743 多婢等伊倍婆、許等爾|曾《ゾ》夜須伎、 旅といはんにはいひやすきなりことは言なり
 
須久奈久毛、 此詞を結句へかけて心得べしすべなき事すくなからずおほきといふなり
 
伊母爾戀都々、須敝奈家奈久爾《スベナケナクニ》、」 なけなくはなからなくにて奈加約加なるを計にかよはしいふさて奈加の加は久波約にてなくはあらぬになり腰句にすくなくもといへるはこふすべの多きをすくなくもあらぬといはんためなり
 
3744 和|伎《ギ》毛故爾、古布流爾安禮波、多麻吉波流、 冠辭
 
美自可伎伊能知毛、乎之家久母奈思、」 かくさま/”\におもひつゞけていたづきおもふは妹にこふ事にしあればみしかきいのち死ともをしからぬとなり
 右|十四首《トヲマリヨクサ》中臣朝臣宅守、
 
3745 伊能知安良婆、安布許登母安良牟、和我由惠爾、波太奈於毛比曾、伊能知|多爾《ダニ》敝|波《バ》、」 此歌は前の宅守の終の歌に答てはたしてなおぼしそよ命だにへばあはなんものをとよめるなり此だにはいひ入たるだになり
 
3746 比等能宇々流、田者宇惠麻佐受、伊麻左良爾、久爾和可禮之弖、安禮波伊可爾勢武、」 遠き國にさすらへぬれば國わかれといへり此歌は實に田うゝるほどの人ならねど時につけてよめるなるべし
 
3747 和我屋渡能、麻都能葉見都々、 待を松にいひかけてそを見つゝといふにざりける 
安禮麻多無、波夜可反里麻世、古非之奈奴刀爾、」 戀ひ死ぬ時になり後の世にこれを間にといへり
 
3748 比等久爾波、須美安之等曾伊布、須牟也氣久、 すみやかなりみとむとを通し氣は加に同をのべたるなり須美あしよりかさねいふなり
 
波也可反里萬世、古非之奈奴刀爾、」
 
3749 比等久爾々、伎美乎伊麻勢弖、 往かせてなり
 
伊都麻弖可、安我故非乎良牟、等伎乃之良奈久、」
 
3750 安米都知乃、曾許比能宇良爾、 天地のそこひのうらと云は天地の限と云が如く宇良は裏にてうちと云に同じ集中に山のそき野のそき又祝詞に國の退立限といふも退は限りなれば天地の涯といふに同じそこべをそこひと云へとひとは同音べと濁る故にひもいの如く半濁なり
 
安我其等久、伎美爾故布良牟、比等波左禰安良自、」 さねは實なりまことに我如く戀ひくるしむ人は世の中にあらじといふなり
 
3751 之呂多倍能、 冠辭
 
安我之多其呂母、宇思奈波受、毛弖禮和我世故、 もちてあれを約通て云
 
多|太《ダ》爾安布麻低爾、」
 
3752 波流乃日能、宇良我奈之伎爾、於久禮爲弖、君爾古非都都、宇都之家米也母、」 春日のうらゝかにかなしくめでらるゝにかくおくれゐて君をこふるなり家は久阿良の約加なるを計に通して云うつしくあらめやもなり
 
3753 安波牟日能、 あはん日までのなり
 
可多美爾世與等、多和也女能、於毛比美多禮弖、奴敝流許呂母|曾《ゾ》、」
 右九首|娘子《イラツメ》、
 
3754 過所《フミ》奈之爾、 ふみは義訓なり公式令過所文とある是なり關など守ある所を通らしむる印は過所文なり俗の切手手形なり
 
世伎等婢古由流、保等登藝須、和我子爾毛可毛《ワガミニモガモ》、 此本和を多とするは和の草を多と見し誤なり子はみとよまん事もとよりなれば可毛脱る事しるしさま/”\説どもあれどよしなし仍て可毛を補り
 
夜麻受可欲波牟、」
 
3755 宇流波之等、 (卷二)の別記に此言委あり
 
安我毛布伊毛乎、山川乎《ヤマカハヲ》、 こは山と川となりよりて川をすみてよめり
 
奈可爾敝奈里※[氏/一]、 隔りなり陀多約陀なるを通して奈といふ奈は陀の半濁なり
夜須家久毛奈之、」
 
3756 牟可比爲弖、一日毛於知受、見之可杼母、伊等波奴伊毛乎、 不厭なり
 
都奇和多流麻弖、」 月を經渡るまで見ぬとなげくなり
 
3757 安我未許曾、世伎夜麻故要弖、許己爾安良米、許己呂波伊毛爾、與里爾之母能乎、」 意明なり
 
3758 佐須太氣能、 冠辭
 
大宮人者、 此みや人は娘子をさす
 
伊麻毛可母、比等奈夫理《ヒトナブリ》能未、 人なぶりは直《ナホ》風なり人のなほびたるをこのみてあるらんといふも今はおのれさすらへ人の直《タヾ》人となりにたればなほびたるをこのめるならんといふ今の俗のいふなぶりは此轉語なり一本に腰句伊麻左倍也とあり
 
許能美多流良武、」
 
3759 多知加敝里、奈氣杼毛安禮波、之流思奈美、於毛比和夫禮弖、 夫利約備なり利と禮は音通ふ備と便も同言なり即わびなり
 
奴流欲之|曾《ゾ》於保伎、」 ぬる夜おほきにてしは助字なり
 
3760 左奴流欲波、於保久安禮杼毛、母能毛波受、夜須久奴流欲波、佐禰奈伎母能乎、」 既いふ如くさねは實にてまことになきなり
 
3761 與能奈可能、都年能己等和利、可久左麻爾、 かゝるありさまを略約たる言にて如是樣《カクサマ》なり
 
奈里伎爾家良之、須惠之多禰可良、」 遠祖《トホツオヤ》は貴し、のちの胤《タネ》かく衰《オトロヘ》て國官となり剰さすらへ人と成をいふ
 
3762 和|伎《ギ》毛故爾、安布左可山乎、 こゝをもて見ればはじめに關といふも逢坂なるべし前にいふ
 
故要弖伎弖、奈伎都々乎禮杼、安布余思毛奈之、」
 
3763 多婢等伊倍婆、許登爾曾夜須伎、 言にはやす/\聞ゆれとなり
 
須敝毛奈久、 すべもなくくるしき旅なれどもなり
 
久流思伎多婢毛、許等爾《コラニ》麻左米也母、」 こらは娘子を指こふる心にまさめやなりこも母はそへたるのみ
 
3764 山川乎、奈可爾敝奈里弖、等保久登母、許己呂乎知可久、於毛保世和伎母、」 心に遠ざけおもふなとなり
 
3765 麻蘇可我美、 冠辭
 
可氣弖之奴敝等、麻都里太類、 (卷二)奉御調等《マツルミツキト》あるをもて此まつりたるも奉りたるとしらる
 
可多美乃母能乎、 その物あるべし
 
比等爾之賣須奈、」 事にかけてしぬびねと奉《マタ》せし物なれば人に見せそといふなり
 
3766 宇流波之等、於毛比之於毛波婆、 今本婆波とあるは字の上下したるなりよてあらたむ
 
之多婢毛爾、 下紐はさきにもいひたる如く衣の衿の下の左右にかけたる紐なり
 
由比都氣毛知弖、夜麻受之努波世、」 まへの歌のかたみの物を下紐につけてしぬべといふならんこも二首にて心を盡したるなり
 右十三首中臣朝臣宅守、
 
3767 多麻之比波、安之多由布敝爾、多麻布禮杼、 かくいひかはして宅守のせちなる心はしれどもといふをかくはいへるなり
 
安我牟禰伊多之、古非能之氣吉爾、」 たましひのせちなるばかりにてあはぬ物故戀る事の繁きに胸痛しとなり
 
3768 己能許呂波、君乎於毛布等、 とてのてを略なり
 
須敝毛奈伎、古非能未之都々、禰能未之|曾《ゾ》奈久、」
 
3769 奴婆多麻乃、 冠辭
 
欲流見之君乎、安久流安之多、安波受麻爾之弖、伊麻|曾《ゾ》久夜思吉、」 此歌は事あらはれたる折の事を後によめるなり夜のみあひ見しをあけぬるあしたは不逢|夫《ツマ》としたるといふを略きつゞめてよめるなり
 
3770 安治麻野爾、 越前國なり
 
屋杼禮流君我、可反里許武、等伎能牟可倍乎、 かへらん時を待迎ん程をいつとかまたんといふなり
 
伊都等可麻多武、」
 
3771 宮人能、夜須伊毛禰受弖、家布家布等、麻都良武毛能乎、美要奴君可聞、」 宅守もと殿上人なるべしこゝに云宮人はもとの同僚《トモビト》を指て娘子のいふなり即娘子の戀るこゝろとなるなり
 
3772 可敝里家流、比等伎多禮里等、伊比之可婆、保等保登之爾吉《ホトホトシニキ》、 殆將死なりあまりてよろこばしきさまをいふ吉は家利の約なり
 
君香登於毛比弖、」 國の政に行し人の今歸りしと云を宅守の歸しといふかと思ふより既にたへてたましひまとひきとよめるなり
 
3773 君我牟田、由可麻之毛能乎、 句なり
 
於奈自|許等《ゴト》、 もとの如くしておくれぬると云なり
 
於久禮弖乎禮杼、與伎許等毛奈之、」 歌の意は君とゝもに行かばよからんをこゝにもとの如くおくれゐてよき事無となり
 
3774 和我世故我、可反里吉麻佐武、等伎能多米、伊能知能己佐牟、和須禮多麻布奈、」 意明なり
 右八首娘子、
 
3775 安良多麻能、 冠辭
 
等之能乎奈我久、安波射禮杼、家之伎許己呂乎、 けしきは許刀奈禮の四言を約れば計なれば然云則ことなる心なり之伎は愛|及《シキ》ゆかしきのしきと同く及の意なり異なる心は持ぬといふなりかく約る例は語意に委し
 
安我毛波奈久爾、」
 
3776 家布毛可母、美也故奈里世婆、見麻久保里、爾之能御馬屋乃、刀爾多弖良麻之、」 右馬寮の邊に此女の家ありしなりされば常に都にありし時は御馬屋の外のあたりにたもとほりて彼女を見たるより斯よめるなり刀は外なりたてらましの麻之約|未《ミ》なるを牟に通したるにてたてらんなり
 右二首中臣朝臣宅守、
 
3777 伎能布家布、伎美爾安波|受弖《ズテ》、須流須敝能、 せんすべもするすべも同言にてなせる方のなきなり久しく君にあはで昨日けふすべき手著なくてねのみ泣といふなり
 
多度伎乎之良爾、禰能未之|曾《ゾ》奈久、」
 
3778 之路多倍乃、 冠辭
 
阿我許呂毛|弖《デ》乎、 かたみのころもをなり
 
登里母知弖、伊波敝和我勢古、多太《タヾ》爾安布未|低爾《デニ》、」 形見の衣手をとり持て祈祝ことわざのあるならん
 右二首娘子、
 
3779 和我夜度乃、波奈多知婆奈波、伊多都良爾、知利可須具良牟、見流比等奈思爾、」 みやこの吾やどの橘をおもひてよめるなり
 
3780 古非之奈婆、古非毛之禰等也、保等登藝須、毛能毛布等伎爾、伎奈吉等余牟流、」
 
3781 多婢爾之弖、毛能毛布等吉爾、保等登藝須、毛等奈那|難吉曾《ナキソ》、安我古非麻左流、」
 
3782 安麻其毛理、 雨の日に籠居也○然し冠辭の如く置る也
 
毛能母布等伎爾、保等登藝須、和我須武佐刀爾、伎奈伎等余母須《キナキトヨモス》、」
 
3783 多婢爾之弖、伊毛爾古布禮婆、保登等伎須、和我須武佐刀爾、許欲奈伎和多流、」 こよはこゆに同じくこゝよりなり吾は旅のやどりにて行かたかるを時鳥こゝより吾すみし里になきわたると云なり
 
3784 許己呂奈伎、登里爾曾安利家流、保登等藝須、毛能毛布等伎爾、奈久|倍吉《ベキ》毛能可、」 心のまゝをおもへる如くによめるなり
 
3785 保登等藝須、安比太之麻思於家、奈我奈家婆、安我毛布許己呂、伊多母須敝奈之、」  いたとはいとに同じいとはいたくなりいたくせんすべなくといふなりしましのまは婆に同じく暫なり
 右七首中臣朝拒宅守、 此七首は娘子に贈たるにあらず自よみ置ぬるなり今本こゝに寄花鳥陳思作歌とあるは後人書加へし事しるかれば前の例によりてすてつ
 
萬葉集卷十一之考終
 
萬葉集卷十二之考
 
○此卷は今の八の卷なりこれを十二の卷とするよしは卷の一の別記にくはしく書がごとく天平十三年と注せる歌あり又久邇の京より奈良の故郷へおくれる歌もあればなり
○此度あらためて十一の卷とせし此前の卷も初に古き歌どもをあげ末には天平五年までの歌を擧たり此卷も初には古き歌もまじへあげ其未は天平四年五年の歌あり又天平十五年の歌もありて卷終には天平十二年の歌もあるは家の集の常にてまへしりへをくはしくあらためてえらべる物にあらずよて此度家持集の次をあらたむ既にも此事をいへれど見ん人心を入て見ば其よしあきらかなるをしらん爲に重て爰にもいふなり
○標にも歌左右にも春雜歌夏雜歌など有書體定らざるは前の卷の例又歌の左右によりて書體を同じさまにあらたむ年號の書體も不同なるは皆同しさまにあらためぬあるは古本一本により改るよし所々にも云
 
萬葉集卷十二之考 【流布本卷八】
 
春雜歌《ハルノクサ/”\ノウタ》。
 
○志貴皇子(ノ)懽《ヨロコビノ》御歌一首、 志貴皇子は天智天皇第七皇子元正天皇靈龜二年八月甲寅薨光仁天皇寶龜元年追尊稱御春日宮天皇云云
 
1418 石激《イハバシル》、 冠辭
 
垂見(ノ)之上乃、 見は借字水也式に攝津國豐島郡垂水神社と見ゆ
 
左和良妣乃、毛|要出《エヅル》春爾、成(ニ)來鴨、」 たるみてふ山に冬こもれりしわらびの春にあひもえづるに時を得給ふ御懽をそへ給ひけるなりよくかなひたる懽の御歌なり此御懽はしら壁御子天皇とならせ給へば前祥めきて聞ゆなり
 
○鏡|女王歌《ヒメオホキミノウタ》、 紀(天武)十二年天皇幸鏡姫王之家訊病庚寅鏡女王薨と見ゆ今本鏡王女と有は字上下せしなり
 
1419 神奈|備《ビ》乃、伊波瀬乃|杜《モリ》之、 大和の地名
 
喚子鳥、痛莫鳴、吾戀|益《マサル》、」 かくれたる事なくしらべよくとゝのひたり
 
○駿河(ノ)采女歌一首、
 
1420 沫雪|香《カ》、薄太《ハタ》禮爾零登、 斑にふるなり
 
見左右二《ミルマデニ》、流倍散波《ナガラヘチルハ》、 良倍約禮にてながれちるなり此歌は(卷七)にもありて雪花紅葉の降散をかくいふ霞をもいひなびき亂ちりふるをすべてながらふるなどいふ事すでにいひつ
 
何物之花其毛《ナニノハナゾモ》、 物は衍字にあらず義訓なり集中例あり一本に物と花の間に之の字あるをよしとしてあらためぬ
 
○尾張(ノ)連歌二首、 今本こゝに名闕とあるは後人のさかしらなる事前の卷にもいひつよりてすてつ
 
1421 春山之、開《サキ》乃乎烏里爾、 今本乎爲黒とありてをすくろと訓るはわらふべし此言委は卷二の別記に在
 
春菜採《ワカナツム》、妹|之《ガ》白紐、 此白紐てふ物は何の紐なる事考がたし玉裳などいふも裳の腰の紐に玉をつらぬくなり後にも裳の腰の紐を引事物に見えたりされば此白紐と云も裳の腰の紐の白きがうるはしきによめるかもし後の人下紐なるべしなど云説もあらんかならず下紐にはあらず
 
見九四與四門《ミラクシヨシモ》、」
 
1422 打靡、 冠辭
 
春來良之、山(ノ)際《マノ》、 第二句の訓は(卷一)春過夏來良之てふ御製歌にいひ第三の句をかくよむべき事は卷七にすでにいふ
 
遠木末乃、開往見者《サキヌルミレバ》、」 こも今本の訓は誤れり
 
○中納言阿倍廣庭卿歌一首《ナカノマヲシノツカサアベノヒロニハノマヘツキミノウタヒトクサ》、
 
1423 去年《コゾノ》春、伊許自而植之《イコジテウヱシ》、 伊は發語いとりきてなど云に同じ許自は朗詠にねこじてうゑしといへり舟こぐ根こぐといひひこずるを云皆動すなり
 
吾屋外之、若樹(ノ)梅者、花咲爾家里、」
 
○山部宿禰赤人歌四首、
 
1424 春野爾、須美禮採爾等、來師吾|曾《ゾ》、野乎奈都可之美、 なつかしむは紫の色よりいふさてなつかしむより一夜ねにけりと云は其野わたりの家にやどれりしをすみれ咲野にねたりとはいひなせるならん古への歌は實を虚の如く風流にいひなす事多く後のは虚を實の如くとりなすめり然ば後世の題詠の如くはおもふべからずすみれは花の形|工人《タクミ》の墨斗《スミツホ》に似たれば墨入《スミレ》草となもいふと荷田東麻呂いへり委は萬葉新撰に眞淵いへり花のうるはしきをめで又衣にも摺れる歟【奥人おもふに下の歌に山振之咲有野邊乃都保須美禮ともよみ又|茅花《ツバナ》拔淺茅之原乃都保須美禮などもよみたれば墨入草の説さも有なり】
 
一夜宿二來(ル)、」
 
1425 足比奇乃、 冠辭
 
山櫻花、日並而《ヒナラベテ》、 日並は連日といふが如く日なみなり
 
如是開有者《カクサキタラバ》、甚戀目夜裳、」 歌意は常にかくさきてあらばいともこひましといふなり
 
1426 吾勢子爾、令見常念之、梅花、其十方不所見《ソレトモミエズ》、雪乃|零有者《フレヽバ》、」 不禮の禮は利計約にてふりければを約たるなり
 
1427 從明日者、春菜《ワカナ》將採跡、標之野爾、昨日毛今日毛、雪波布利管、」 若菜つまんと吾しめおける野の雪をよめるなりしめは標指《シメサセシ》を同行の同意なればしめしとし一つに約なり今本※[木+栗]とあるは誤なり
 
○草香山歌一首、 草香山は攝津國にあり
 
1428 忍照、 冠辭四言
 
難波乎過而、打靡、 冠辭
 
草香乃山乎、暮晩爾《ユフグレニ》、吾越來者、山毛世爾、 狹ほどにといふなり
 
咲有|馬醉木《アシミ》乃、不惡《ニクカラズ》、君乎|何時《イツシカ》、徃早將見《ユキテハヤミム》、」 此歌短歌なきほどの古調とも聞えず短歌ありしが落しかもとより短歌は家持のきゝ給はざるまゝに長歌ばかりをかゝれしか
 今本こゝに右一首依作者微不顯名字とあるは家特卿のかゝるべき事かは後人の加へなる事前後を見てしるければすてつるなり
 
○櫻花歌一首並短歌、
 
1429 ※[女+感]嬬|之《ガ》、頭挿乃多米爾、遊士之《ミヤビトノ》、 遊士風流をたはれをともみやびとゝも訓む今本にこゝをたはれをと訓しはいまだし必みや人と訓べし
 
※[草冠/縵]之多米等、 葛の類柳の類のしなやかなる物を※[草冠/縵]とするは常なり櫻或さか木の類たをやかならぬ物を※[草冠/縵]とするには木綿などして小枝を結びつゞけ垂てうるはしく※[草冠/縵]とす
 
敷座流《シキマセル》、 敷座流はしきしくしか皆同言にて君の國をしらしますをいふ言の意は千木高敷とも高知共いふをもてもしれ
 
國乃波多弖爾、 はたては旗手の如くいづくまでも長く吹つゞくをいふ弖は多計約|丈《タケ》なり
 
開爾鷄類、櫻(ノ)花能、丹穗日波母安者例《ニホヒハモアハレ》、」 今本安奈何と有ていかにとよめるは安をイとよめる例もなきにかく訓事誤なり歌の意もとほらずよりて奈は者の誤何は例の誤として改あはれは※[立心偏+可]怜の字を訓もてしれ
 今本爰に反歌と有は後人の書加ならんよしは歌のすゑにいふなり
 
1430 去年之春、相有之君爾《アヘリシキミニ》、戀爾|手師《テシ》、 【戀爾手師、爾はいにの略てしは過去りし事に云詞にて多里の約知を弖に轉じ云にてこひいにたりしと云なり奥人】
 
櫻(ノ)花者、迎來良之母《ムカヘクラシモ》、」 此歌は右の長歌の反歌ともなし前の歌の如く反歌もとよりなかりしか反歌のなきほどの古き調にもあらず反歌はつたはらざりしなるを他歌の亂てこゝに入しなるべしさて歌の意は去年あへりし君を戀てしから櫻の花が咲むかへくらしとなり後ながら年にまれなる人もまちけりてふ意に似たる物なり
 右二首若宮(ノ)年魚麻呂誦之《アユマロカトナフ》、 となふとあれば年魚麻呂が歌にはあらず年魚麻呂が誦しを聞てかくかゝれし物なり
 
○山部宿禰赤人歌一首、
 
1431 百濟野乃、 くだらの原とあるは十市郡埴安のつゞきなるよし(卷二)の挽歌に見えたりこゝも同野を云ならん
 
芽古枝爾《ハキノフルエニ》、待春跡、居之《スミシ》鶯、鳴爾|鷄鵡《ケム》鴨、」
 
○大伴坂上郎女柳歌二首、
 
1432 吾背兒我、見良牟佐保道乃、 大和なる事既に見ゆ
 
青柳乎、手折而谷裳、 たゞ手折てもと見るなりだには輕く見るべしこゝも今だにのだにの如し
 
見縁欲得《ミルヨシモガモ》、」
 
1433 打上《ウチノボル》、 冠辭
 
佐保能河原之、青柳者、今者春部登、成爾鷄類鴨、」
 
○大伴宿禰|三林《ミハヤシカ》梅歌一首、
 
1434 霜雪毛、未過者《イマダスギネバ》、 過ぬになり下へかけて見れば聞ゆ
 
不思爾、春日(ノ)里爾、梅花見都、」
 
○厚見(ノ)王歌一首、
 
1435 河津鳴、 その川のさまをいひて歌のかざりともせり佐保川よしの川にも此辭を冠らしめたり
 
甘南備《カミナビ》河爾、陰所見《カゲミエテ》、今哉開良武、山振乃花、」 これは奈良に都うつされて後故郷の神南備のさまをなつかしみてよみ給へる成べしかくしらべ高くすぐれたるはかたき也古今歌集に「今もかも咲香ふらん橘のこじまの崎の山ぶきの花」てふは所をかへたるのみ「あふ坂の關の清水に影見えて今や引らんもち月の駒」てふは少し巧をそへたるにて皆今の姿をうつしたるなりもとづける所をしらん人萬葉をなどかたふとまざらんと眞淵はいへりけり
 
○大伴宿禰|村上《ムラカミガ》梅歌二首、
 
1436 含有常《フヽメリト》、言之《イヒシ》梅我枝、今旦零四、沫雪二相而《アワユキニアヒテ》、將開《サキニケム》可聞、」 將開の二字はさかんとは誰も訓べしこゝは義もてよみたるにてさきにけんとはよみこせし物なり
 
1437 霞立、春日之里(ノ)、梅(ノ)花、山(ノ)下風爾《アラシニ》、 (卷二)の例にてかく訓べし
 
落許須莫湯目、」
 
○大伴(ノ)宿禰駿河麻呂歌一首、
 
1438 霞立、春日(ノ)里之、梅花、波奈爾將問常、 此花はあだにとはんやせちに見んとなりあだてふ言に花と云例前に在
 
吾念奈久爾、」 【春日里を訪ひて思ひうけず梅を見て里をこそ訪ひ來れ梅の花にとはんとはおもはざりしに思ひの外に見し事よとなり季吟】
 
○中臣朝臣武良|自《ジ》歌一首、
 
1439 時者|今者《イマハ》、 後なれば此者はいはず
 
春爾|成跡《ナリヌト》、三雪零、遠山邊爾《トホキヤマベニ》、霞多奈婢久、」 春のけしきをいふにふりおける雪の遠き山をいひ出たる巧ずして古へぶりなり
 
○河邊(ノ)朝臣東人歌一首、
 
1440 春雨乃、敷布零爾《シクシクフルニ》、高圓《タカマドノ》、山能櫻者、何如(ニ)有良武、」
 
○大伴宿禰家持鷺歌一首、
 
1441 打霧之《ウチキラシ》、雪者零乍、然爲我二《シカスガニ》、吾宅《ワギヘ》乃花爾、鶯鳴裳、」
 
○大蔵少輔丹比屋主《オホクラノヲスケタジヒノヤヌシ》眞人歌一首、
 
1442 難波|邊《ベ》爾、人之|行禮波《ユケレバ》、 こゝに人とさせるは末の句の若菜摘める女の夫などなるべし
 
後居而《オクレヰテ》、春菜採兒乎《ワカナツムコヲ》、見之悲也《ミルガカナシサ》、」 此也を佐と訓も例ありかゝる佐は既云如く志那約にてかなししなといひ入る言の約なれば佐と訓べきことわりなりさて歌の意は此女の背などの公さまの事にて他地へ行を屋主の見てあはれめる歌なり
 
○丹比《タヂヒノ》眞人|乙《オト》麻呂歌一首、 此乙麻呂は屋主眞人第二の子と見ゆ 
1443 霞立、野上《ノヽヘ》乃方爾、行之可|波《バ》、鶯鳴都、春爾成良思、」
 
○高田(ノ)女王歌、 今本こゝに高安之女也とあるは後人の書そへたるなりよりて捨つ且一本にもなし
 
1444 山振之、咲有野邊乃、都保《ツボ》須美禮、此春之雨爾《コノハルノアメニ》、盛奈里鷄利、」
 
○大伴坂|上《ヘノ》郎女歌一首、
 
1445 風交《カセマシリ》、 今本風まぜにと訓しはたがへり
 
雪者|雖零《フルトモ》、 今本ふれどもと訓はてにをはたがへり
 
實爾不成《ミニナラヌ》、吾宅之《ワギヘノ》梅乎、花爾|令落莫《チラスナ》、」 こは相聞譬喩歌なり實にならぬはまことなきにたとふ後世の戀の歌を作るとは異にて是實に春部なれそも風さへありて雪のふる日にまことに梅を見てさて相聞の心をおこしてよめる歌なりよりて春の部にあるもあしからず後の世こころにてまうけ作れる歌ならねばなり【奥人按にまだ實にもならぬ梅を花のうちにちらすなといふにて人言しげくいひさわぐとも未まことになり得ぬ中なればいひさわぐなと云ならむ】
 
〇大伴宿禰家持|春雉《キヽス》歌一首、 今本春を養とあるは誤なり一本に目録によりてあらたむ
 
1446 春野爾、安佐留|雉《キヾス》乃、 既云如く佐は志加約にて安志加里をつゞめたる言なり
 
妻戀爾、己當乎《オノガアタリヲ》、 後には是をありかをとよめりかは在所の事なれば理りは違はねどこゝは義訓すべきにあらずおのがあたりと訓むべし當は集中あたりとよめり君があたり花のあたり皆同じ
 
人爾|令《レ》知管、」 禮は良勢約にてしらせつゝなり扨歌の意は野なる草木のくまにかくれて人におそるゝ雉なるにつまこひにはあえず聲たてゝ住あたりを人にしらせつつ身をほろぼすをあはれむなり人のうへにもとるべき事なれば相聞のたとへにとる事前の歌のごとし
 
○大伴坂|上《ヘノ》郎女歌一首、
 
1447 尋常《ヨノツネニ》、聞者苦寸、喚子鳥、音奈都炊《コヱナツカシキ》、 暮春の頃のおもしろきをよぶに鳥をいひ入てはえあらせたる歌なりけり
 
時庭成奴《トキニハナリヌ》、」
 
 右一首天平四年三月一日佐保|宅《イヘニテ》作
 
 春相聞。
 
〇大伴宿禰家持贈2坂|上《ヘノ》家之|大孃《オホイラツメニ》1歌一首、 家持卿の伯父宿名麻呂の女にて家持卿の從弟女にて家持卿の妻なり
 
1448 吾屋外爾、蒔之瞿麥、何時毛《イツシカモ》、花爾咲奈武、名蘇經乍見武《ナゾヘツヽミム》、」 こは家持卿の妻のいと稚を撫子にたとへ花に咲てひとゝならば母大孃になぞらへ見んとよめるなり
 
○大伴田村(ノ)家之大孃 此田村大孃は宿名麻呂の長女なり
 
與妹坂上(ノ)大孃歌一首、
 
1449 茅花拔《ツバナヌク》、淺茅|之《ガ》原乃、都保須美禮、今盛|有《ナリ》、吾戀苦波《ワガコフラクハ》、」 相聞の序歌なり但妹の姿のいつくしきをほめてなつかしむなり
 
〇大伴宿禰家持 今本こゝに家持贈てふ三字を落、例によりて補へり
 
贈坂上郎女歌一首、
 
1450 情具伎《コヽログキ》、 心くゞもりなり具毛理約伎なれば約云なりさて意は心こもるてふ歌なり
 
物爾曾有鷄類、春霞、多奈引時爾、戀乃|繁者《シゲキハ》、」 (卷十三)春日山霞棚引情具久照月夜爾獨鴨念とも見えたるを合せておもへ
 
○笠郎女贈大作家持歌一首、 今本笠女郎とあるは字の上下せしなり前後の例によりてあらたむ
 
1451 水鳥之、鴨乃羽色乃、 (卷二十)水鳥乃歌毛能羽伊呂乃とあり
 
春山乃、於保束無毛、 しげくしげりて木の暮闇なればおぼつかなしと云
 
所念可聞《オモホユルカモ》、」
 
○紀(ノ)郎女歌一首、 前のと同じければ改つ
 
1452 闇夜有者《ヤミナレバ》、字倍毛|不來座《キマサズ》、梅花、開月夜爾《サケルツクヨニ》、伊|而《デ》麻左自常屋、」 闇の夜にきまさぬはうべなれど梅も咲ことに月夜なるに出まさぬとうらみたるなり
 
〇天平|五年《イツトセ》癸酉春〔三字右○〕閏三月《ノチノヤヨヒ》笠朝臣金村贈2入唐使《モロコシヘツカハサルミツカヒニ》1歌一首并短歌、 續紀(聖武)十一天平四年八月以從四位上多治比眞人廣成爲遣唐大使從五位下中臣朝臣名代爲副使判官四人録事四人云云同五年三月拜朝云云四月己亥遣唐四船自難波津進發云云此時の使なるべしこゝに入唐とかけるは奈良に至て貴みすぐせし事既云が如しかく書てもつかはさるゝと訓べき事なり 
1453 玉手次、 冠辭
 
不懸日無、氣緒爾《イキノヲニ》、 生の緒の意なり命のつななり
 
吾念公者、虚蝉之、 うつゝの世に在る人は皆天皇の命令をかしこむと云なり
  
命恐《ミコトカシコミ》、夕去者、鶴之妻喚《タツガツマヨブ》、難波|方《ガタ》、 方はかり字潟なり
 
三津埼《ミツノサキ》從、大舶爾、二梶《マカヂ》繁貫、白浪乃、高荒海乎《タカキアルミヲ》、 あるみの留は良宇約あらうみなり
 
島傳、伊別從者《イワカレユカバ》、留有《トヽマレル》、吾者幣取《ワレハヌサトリ》、 今本取を引に誤てたむけにいはゐと訓しは例もなく言もとほらずよりて取の誤ならんとして字も訓もあらたむ
 
齋乍《イハヒツヽ》、公乎者將待、 今本往として將往《ヤラム》とよみしは誤なり訓の意かなはず歌の意もとほらずつゞけがらもさは有まじくまたく待の誤しるければ字も訓もあらたむ
 
早還萬世、」
 
 反歌
1454 波上從《ナミノヘユ》、所見兒嶋|之《ノ》、雲隱《クモガクレ》、穴《アナ》氣衝之《キヅカハシ・イキヅカシ》、 今本の訓は誤なり此氣は眞心長《マコヽロナガキ》を眞氣《マケ》長くと云も同し意にて聞ゆ【氣を伎と訓宇音の如く聞ゆれどこは同行の計に通してこゝろの約なり心せしといふに同じ】
 
相別去者《アヒワカレナバ》、」
 
1455 玉切《タマキハル》、 冠辭
 
命向《イノチニムカフ》、戀從者、公之三船乃、梶柄母我《カヂカラモワガ》、」 柄は神隨國隨のからの如くそのまゝの意梶そのまゝ我ならばやなり
 
○藤原朝臣|廣嗣《ヒロツギ》、 式部卿宇合第一の子なり
 
櫻花贈2二娘子《ヲトメニ》1歌一首、
 
1456 此花乃、一與《ヒトヨ》能内爾、百種乃、言曾隱有、於保呂可爾|爲莫《スナ》、」 花は櫻を指一與は借字一夜なり花の木は折れば一夜にしぼむはいちしるかれども其一夜の内に百くさの言をこめておくる枝ぞ必おろかにすなとなり
 
○娘子和歌一首、
 
1457 此花乃、一與能|裏《ウチ》波、百種乃、言持不勝《コトモチカネ》而、所折家良受也《ヲラレケラズヤ》、」 一夜のうちに百種の言こめたまへりとのたまへどそはあらぬかね言なればにや此枝の折られけるにあらずやとなりかくの如く女の徳おとろへものとがめなすいらへ歌よむも奈良の都の末よりの事にて後の世もはら有手風なりさはあらずや猶後の考をまつめり
 
○厚見王贈2久米(ノ)郎女《イラツメニ》1歌一首、
 
1458 屋戸(ニ)在、 次の歌もて見れは戸在の間に爾の落たるか
 
櫻花者、今毛香聞、松風|疾《ハヤミ》、地爾落《ツチニオツ》良武、」 落はちるとも集中に義訓すれどこゝは言のつゞけからさはあらぬ勢なり落は散を云
 
○久米(ノ)郎女|報贈《コタフル》歌一首、
 
1459 世間毛《ヨノナカモ》、常爾師|不有者《アラネバ》、屋戸爾|有《アル》、櫻花乃、不所比日可聞《チレルコロカモ》、」 不所はうつろふとも訓べしやがて其意もてちれると訓るなり
 
○紀郎女贈大伴宿禰家持歌二首、
 
1460 戯奴之爲《ケヌガタメ》、 戯は加禮の約奴は辭なり即かれぬが爲にといふなりもと實ならぬ思故戯れならんてふ意を得て字を假しか【今本戯奴の下に戯奴此云和氣とあれどこは後人けぬと云意を心得ぬより次の歌に和氣と有を見て注せるなるべければ捨つ卷十六に可流羽須波|田廬乃《タフセノ》毛等爾云云此歌の小注に田廬者多夫世也と有るに同じてふ説あれど此言こゝに叶はねばすてつ】
 
吾手母須麻《ワガテモスマ》爾、 吾手も不休《ヤスマズ》にといふ歟也は略く須麻は言の如く爾は不知をしらにと云如く不に通へり此下に手母須麻爾殖之芽子爾也とよめるも同じ意なり【中良考故かくは注したれど諸成案に手も須麻てふ須は世久の約又世留約にて手もせるまゝにてふ言と覺ゆまゝをまと略にも叶故いふ此注はむづかし其世は須々米の約にてすゝめらすゝめりすゝめると働くが如し】
 
春野爾、拔流茅花曾《ヌケルツバナゾ》、御食而肥座《メシテコエマセ》、」 歌意はしばし相見るほどの遠きをうらみてかれぬる人の爲に吾手もやすめず摘る茅花なればめして肥給へてふに越來給へと添しと聞ゆもとより食《ヲシ》物なればめして肥といひ假字同じかれば越を添るか
 
1461 晝者咲《ヒルハサキ》、夜者戀|宿《ヌル》、 戀ぬるは字の如くながらこやし臥を集中に展臥《コヒフス》ともよめれば展宿《コヒヌル》をもそへてよめるならん
 
合歡木《ネムノ》花、君耳將見哉《キミノミミムヤ》、 合歡木のさける比男の來けるを晝は心の花さけど夜は吾は戀てのみぬると上よりつづけいふなり
 
和氣《ワケ》佐倍爾見武、」 和氣は吾なり加幾久計古共に通して吾《ワカ》とも吾《ワコ》ともいふ今本に末を見代とありて見代《ミヨ》と訓れどさては歌の意とほらず代《ヨ》の假字としてはてにをは合ずよりて武の誤として字を改
 今本こゝに右折擧合歡花並茅花贈也とあれど歌の意にもかなはず時節をもわかずいとつたなし後人のわざしるければすつ猶時をわけて下に云
 
○大伴家持贈和歌二首、
 
1462 吾君爾、戯奴者戀良思、 【男より女をさして君といへるこゝにはじめて見ゆ戀良思の布良の約波なりよてけぬは戀はしとも云】
 
給有《タマヒタル》、茅花乎雖喫《ツバナヲクヘド》、彌痩爾夜須《イヤヤセニヤス》、」 戯ねは既いふ如くなるをかりに身にうけて云さて自らのおもひかれざるをいひつのるなり
 
1463 吾妹子|之《ガ》、形見乃|合歡木者《ネムハ》、花耳爾、 互に見る事をいひこせし合歡木は花のみにて末とけじ戀宿てふも實ならじかし終に形見とならんといひあらそふよしなり
 
咲而盖《サキテケダシモ》、實爾不成鴨《ミニナラヌカモ》、」 實にならぬを實なきに譬へ恨るなり
 右の贈答前の歌は茅花にて春なり合歡木の花は六月咲ければ夏なり仍て一時の歌ならねど同じ人と同じ意をよみかはせるなれば思ひ出る序にかくかゝれしならん
 
〇大伴家持贈2坂|上大孃《ヘノオホイラツメ》1歌一首、
 
1464 春霞、輕引《タナビク》山乃、隔者《ヘダヽレハ》、妹爾不相而、月曾經爾來、」 一本爾を去とするもあしからず
 右|從《ユ》2久邇京《クニノミヤコ》1贈2寧樂宅《ナラノイヘニ》1、 かくあるは自のかゝれしならんさて此歌より上五首は全く相聞なりされど時の物もてよめる故春部に有と覺ゆ
 
 夏雜歌。
 
○藤原|夫人《ミヤスドコロ》歌、 此夫人の事は卷二并同じ別紀にくはし且此所に今本注あれど一本になく後人の説にてとるにたらずよりてすてつ
 
1465 霍公鳥、痛莫鳴、 まだ時ならぬに繁く鳴を惜めるなり
 
汝音乎《ナカコヱヲ》、五月(ノ)玉爾、 五月の玉は既にいふ如金橘なりそをかつらにするまで鳴けと云
 
相貫左右二《アヒヌクマデニ》、」
 
○志貴皇子(ノ)御歌一首、 此皇子歌既に出
 
1466 神名火乃《カミナビノ》、磐瀬乃|杜《モリ》之、霍公鳥、毛無乃缶爾《ナラシノヲカニ》、 山城を※[木+戈]不開と書ける如奈良を平とかけりされば草木を毛として毛無とかきてならしとよませたるなり
 
何時來將鳴、」
 
○弓削皇子御歌一首、 前同
 
1467 霍公鳥、無流國爾毛《ナカルクニニモ》、 奈久阿流を約たる意なり
 
去而師香《ユキテシカ》、 香は清音なれども濁音にも用ゐたる例ありてこゝは欲得と書るに同意なり
 
其鳴音乎、聞者|辛苦母《クルシモ》、」 事ある時に聞給ひし其折の事思し出てかくよませるにや
 
○小治田(ノ)廣瀬(ノ)王 次に小治田朝臣廣耳てふ人もあれば王の姓ならん
 
霍公鳥歌一首、
 
1468 霍公鳥、音聞小野乃、秋風、芽開禮也《ハキサキヌレヤ》、 夏の末にてかくよみ給へるなりさきぬれはぬればやの婆を畧けるなり
 
聲之乏寸、」
 
○沙彌《サミガ》 三方の沙彌を畧き書けるか
 
霍公鳥歌一首、
 
1469 足引之、 冠辭
 
山霍公鳥、汝鳴者、家有妹(ヲ)、 今本いへにあると訓しはいにしへをしらず卷一軍王歌の如く約て乎を添て訓べきなり
 
常所思《ツネニオモホユ》、」
 
○刀理《トリノ》 氏なるべし
 
宣令《ノブヨシ》歌一首、 名なり
 
1470 物部乃、 冠辭
 
石瀬之杜乃、霍公鳥、今毛|鳴香《ナカヌカ》、 かゝる奴は奈武の約にてなかなんといふに同じこゝには香の脱なり訓によりて字を補ふ此香は與に通ふが如くにて呼出す香なり 
山之|常影爾《トカゲニ》、」 こは下陰《モトカケ》の略にて則ふもとかげなり
 
○山部宿禰赤人歌一首
 
1471 戀之家姿《コヒシケバ》、 戀しくあらばなり既(卷九)に云如く約通したるなり一本久とあるも同じ
 
形見爾將爲跡、 訓は字の如にて形見にせんと云なり
 
吾屋戸爾、殖之藤浪、 浪は借字靡の意なり
 
今開爾家里、」 戀おもふ人ありてよめるならん
 
○式部大輔石上堅魚《ノリノツカサノオホスケイソノカミノカツヲノ》朝臣歌一首、 加多宇乎の多宇の約都なり
 
1472 霍公鳥、來鳴令響《キナキトヨマス》、宇乃華能、共也來之登《トモニヤコシト》、問麻思物乎《トハマシモノヲ》、」 死手の山より來りしと云故に亡びにし妹のなき玉も郭公と共にこしとにやといふならん初句と三の句を置かへて歌の意を得べし
 
 右|神龜五年戊辰太宰帥大伴卿之妻《カミカメイツヽノトシツクシノオホミコトモチオホトモノマヘツキミガメ》大伴(ノ)郎女遇病長逝《イラツメヤミテミマカリヌ》焉|于時勅使式部大輔石上《トキニオホミツカヒノリノツカサノオホスケイソノカミノ》朝臣|竪魚《カツヲヽ》遣《ツカハサレ》2太宰府《ツクシノオホミコトモチノツカサニ》1即喪并賜物《モヲトハシメタマモノセサス》也 其事既畢驛使及《ソノコトヲヲヘテハユマツカヒト》、今本乃と有は誤なり
 
府諸卿大夫等共《ツカサノモロキミマヘツキミタチトモニ》登《ノボリテ》2記夜城《キヤノキニ》1而、 今本夜を美とす和名抄筑前國遠賀郡木夜と有
 
望遊之日乃作此歌《アソベルヒヤガテコノウタヲヨメリ》、
 
○太宰帥《ツクシノオホミコトモチ》大伴(ノ)卿《マヘツキミ》和歌一首、
 
1473 橘之、花散里之、 亡し妹をいふかさならで只時節を云歟
 
霍公鳥、片戀爲乍、 なき妹を戀るを云
 
鳴日四曾多寸、」 寸は計里の約なり
 
○大伴坂上郎女思筑紫大城山歌一首、 筑前國三笠郡
 
1474 今毛可聞、大城乃山爾、霍公鳥、鳴|令響《トヨム》良武、 登與武の武は末須の約なり
 
吾無禮杼毛《ワレナケレドモ》、」 此歌は大伴郎女の身まかりしを大城の山に葬つらん親族《ウカラ》なればそを思なげきてよめるなりさてなけれどもは吾はその大城の山にあらねどもなり
 
○大伴坂上郎女霍公鳥歌一首、
 
1475 何(シ)歌毛、幾許《コヽバク》戀流、 何しにほとゝぎすをこひけんとなり
 
霍公鳥、鳴音聞者、戀許曾益禮、」
 
○小治田朝臣廣耳歌一首、
 
1476 獨居而、物念|夕《ヨヒ》爾、霍公鳥、從此鳴渡、心四有良思、」 今本心してとよみしは誤れりこはわが如く物おもふ故こゝより霍公鳥のかしこになきわたるらしとなり 
○大作家持霍公鳥歌一首、
 
1477 宇能花毛、未開者、 さかぬにと云てにをはなり
 
霍公鳥、佐保乃山邊(ヲ)、來鳴|令響《トヨモス》、」
 
○大伴家持橘歌一首、
 
1478 吾屋前之、 今本の訓誤れるよし既いふ
 
花橘乃、何時毛《イツシカモ》、珠貫倍久、其實|成《ナリ》奈武、」
 
○大伴家持晩蝉歌一首、
 
1479 隱耳、居者欝悒、奈具左武登、 とてのてを略けり
 
出立聞者、來鳴日晩、」
 
○大伴|書持《フミモチ》歌二首、
 
1480 我屋戸爾、 こをもて今本前後の訓の誤りをしるべし
 
月押照有《ツキオシテレリ》、 おしなべて照なり
 
霍公鳥、心有今夜《コヽロアラバコヨヒ》、來鳴令響《キナキトヨモセ》、」
 
1481 我屋前乃、花橘爾、霍公鳥、今社鳴米、友爾相流時、」
 
○大伴清繩歌一首、
 
1482 皆人之、待師宇能花、 此花さけば鳴故に卯の花と時鳥を重て待しなり
 
雖落、奈久霍公鳥、吾將忘我《ワレワスレメヤ》、」
 
○庵君諸立歌一首、 庵は氏君はかばねなり
 
1483 吾背子|之《カ》、屋戸乃橘、花乎|吉美《ヨミ》、鳴霍公鳥、見曾吾來之《ミニゾワガコシ》、」
 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1484 霍公鳥、痛莫鳴、獨居而、寐乃不所宿《イノネラレヌニ》、聞者苦毛、」
 
○大伴家持|唐棣花《ハネズノハナノ》歌一首、
 
1485 夏|儲而《マケテ》、開有《サキタル》波禰受、 既出
 
久方乃、 冠辭
 
雨打零者、將移香《ウツロヒナムカ》、」
 
○大件家持恨2霍公鳥|晩喧《ナクコトオソキヲ》1歌二首、
 
1486 吾屋前之、花橘乎、霍公鳥、來不喧地爾《キナカデツチニ》、令落常香《チラシナムトカ》、」
 
1487 霍公鳥、不念有寸《オモハズアリキ》、木晩乃、 木のしげれるを云又このくれやみ共
 
如此成左右爾、奈何不來喧《ナドカキナカヌ》、」
 
○大伴家持懽霍公鳥歌一首、
 
1488 何處者、鳴毛思仁家武、霍公鳥、吾家《ワギヘ》乃里爾、今日耳曾鳴、」
 
○大伴家持惜橘花歌一首、
 
1489 吾屋前之、花橘者、落過而、 今本過を既に誤るかゝるを見てすべての誤を知るべし
 
珠爾可貫、實爾成二家利、
 
○大作家持霍公鳥歌一首、
 
1490 霍公鳥、雖持不來喧、菖蒲草、 今本菖を脱せしならんよりて補ふ
 
玉爾貫日乎、 既いふ如く玉にぬく日は五月五日なり
 
未通美香《イマダトホミカ》、」
 
○大伴家持|雨日《アメノフルヒ》聞《キケル》2霍公鳥(ノ)喧1歌一首、
 
1491 宇乃花能、過者惜香《スギバヲシトカ》、霍公鳥、雨間毛不置《アマヽモオカズ》、從此間喧渡《コユナキワタル》、」
 
○橘歌一首 遊行女婦《サブルコ》、
 
1492 君家|乃《ノ》、花橘者、成爾家利、 實になりにけりなり
 
花乃|有時爾《サカリニ》、相益《アハマシ》物乎、」 古今歌集に「山城のゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを」これをとる歟此歌遊行女婦の歌なれば嫡妻ともならんと思ひまけしを男他妻をむかへたるをかくたとへたる相聞と見ば春の部の中相聞歌と同じさまならんたゞに橘の歌ならば三の句散にけりなどあるべし
 
○大伴村上橘歌一首、
 
1493 吾屋前乃、花橘乎、霍公鳥、來鳴|令動而《ドヨメテ》、本爾令散都《モトニチラシツ》、」 木の下にちらしつといふなり
 
○大伴家持霍公鳥歌二首、
 
1494 夏山之、木末乃繁爾、 梢のしげきになり
 
霍公鳥、鳴響奈流、聲之|遙左《ハルケサ》、」
 
1495 足引乃、 冠辭|青繁木《アヲシミギ》の木の間とつゞく
 
許乃間立八十一《コノマタチクヾ》、 立くゞりといふなり
 
霍公鳥、如此|聞始《キヽソメ》而、後將戀可聞、」
 
○大伴家持|石竹花《ナデシコノ》歌一首、
 
1496 吾屋前之、瞿麥乃花、盛有《サカリナリ》、手折《タヲリ》而一目、令見兒毛我母、」 獨居の時よまれけん
 
○惜v不v登2筑波山1歌一首、
 
1497 筑波根爾、吾行利世波《ワガユケリセバ》、 計利約伎にて吾ゆきせばなり
 
霍公鳥、山妣兒|令響《トヨメ》、鳴麻志也其《ナカマシヤソレ》、」
 右一首高橋連蟲麻呂之歌中(ニ)出
 
 夏相聞。
 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1498 無暇《イトマナミ》、不來之君爾《コザリシキミニ》、霍公鳥、吾如此戀常、往而告社、」
 
○大伴|四繩宴吟歌《ヨツナガウタゲニウタフウタ》一首、
 
1499 事|繁《シゲミ》、君者不來益、霍公鳥、汝太爾來鳴、朝戸將開《アサトヒラカム》、」 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1500 夏野乃、繁見丹開有、姫由理乃、 姫由利は小草なれば夏野のしげ野の中にては見えぬに譬し序なり
 
不所知《シラレヌ》戀者、苦物乎、」 一本に乎を曾とあり
 
○小治田朝臣廣耳歌一首、
 
1501 霍公鳥、鳴峯乃上能《ナケルヲノヘノ》、宇乃花之、厭事有哉《ウキコトアレヤ》、君|之《ガ》不來益《キマサヌ》、」
 今本の訓はいまだし
 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1502 五月之《サツキノ》、 四言今本これを五言にせんとてさつきのやと訓はいかに之は假字なるに其下に何の言をかくはへんや
 
花橘乎、爲君、珠爾|社貫《コソヌケ》、 一木社と有もて補へり
 
零卷惜美、」
 
○紀朝臣豐河歌一首、
 
1503 吾妹兒|之《ガ》、家乃垣内乃《ヤトノカキチノ》、佐由利花、 由利といはん序なり
 
由利登|云者《イヘレバ》、 (卷十八)に佐由利花由利母將相等とよめるも由與同音にてよりもあはんてふ事なりこゝもそれに同じく由利はよりなり
 
不歌云二似《ヨソヘヌニニル》、」 こは諷歌の意もて字を借たればよそへぬと訓べしさて歌の意は忍びて相あふ中なれば事によそへてかく來り相逢中なるからあらはにすまじかりつるを垣内の花はあらはに由利といへばより來る事をよそへしのぶには不似とむつましみのたはむれによめるなりけり
 
○高安歌一首、
 
1504 暇無、五月乎|尚爾《スラニ》、吾妹兒我、花橘乎、不見可將過《ミデカスグサム》、」 
○大神《オホワ》郎女贈大伴家持歌一首、
 
1505 霍公鳥、鳴之|登時《ソノトキ》、君之家爾、往跡追者《ユケトオヒシハ》、將至鴨《イタリケムカモ》、」
 
○大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首、
 
1506 古郷之、 今本古を舌に誤る古本又一本によりてあらたむ
 
奈良思之岳能、 前の二十二の裏に毛無と書しならしの岳同所なり
 
霍公鳥、言告遣之、何如(ニ)告寸八、」
 
○大伴家持|攀《ヲリテ》2橘花1贈坂上大孃歌一首并短歌、
 
1507 伊加登伊可等、 いかに/\とおもひてなり【奥人按にいかにとて/\といふべきを爾と弖を略いかとゝ云歟又登は助字にて茂多《イカイカ》の意歟伊加の約阿なり此阿は於に通て於保なりおほしおほきのしもきも辭なれば略て多き事を於保とのみも云なり】
 
有《アル》吾《ワカ》屋前爾、百枝刺《モヽエサシ》、於布流橘、玉爾|貫《ヌク》、五月乎近美、安弊奴我爾《アヘヌガニ》、 五月を待あへぬげにて不堪なり安と多は同行にて通古くは皆たへぬをあへぬと云(安衣は肖にて言別なり)ぬけの解《ゲ》を我に通はせり濁は言便なり今本弊を要に誤る弊の草を要と見し誤なり仍て改
 
花咲爾家里、朝爾|食爾《ケニ》、 食は借字ことになり既出
 
出見毎《イデミルゴトニ》、氣緒爾、吾念妹爾、銅鏡《マソカヾミ》、 冠辭
 
清月夜爾、直一|眼《メ》、令覩《ミセン》麻而爾波、落許須奈、由米登云管《ユメトイヒツヽ》、幾許《コヽバクモ》、吾守物乎《ワガモルモノヲ》、宇禮多伎也、志許霍公鳥、 (卷七)慨哉《ウレタキヤ》四去《シコ》霍公と有に同じ四言に云なり
 
曉之、裏悲爾、雖追雖追、尚來鳴《ナホモキナキ》而、徒《イタヅラニ》、地爾令散者《ツチニチラセバ》、爲便乎奈美、攀而《ヨヂテ》手折都、見末世吾妹兒、」
 
 反歌
1508 望降《モチクダチ》、十五日過の日をいふなり
 
清月夜爾、吾妹兒爾、令覩常念之、屋前之橘、」
 
1509 妹之見而、後毛|將鳴《ナカナム》、霍公鳥、花橘乎、地爾|落津《チラシツ》、」
 
○大伴家持贈紀郎女、 一本によりて作の字は捨つ
 
歌一首、
 
1510 瞿麥者、咲而|落去常《チリヌト》、人者雖言、吾標之野乃、花|爾有目《ナラメ》八方、」 家持の思人なりといへる女の身まかりしと聞て紀郎女よりいひおくれるに答し歌なり
 
 秋雜歌。
 
○崗本天皇 後に舒明天皇《三十五代》と申
 
御製歌一首、
 
1511 暮去者、小倉乃山爾、 (卷十一)に同歌ありて小椋とあるも同地にて飛鳥に近き小倉山なり瀧上の小倉の山とよみたるは龍田の事なるべし
 
鳴鹿之、今夜波不鳴、寐宿《イネニ》家良思母、」 此御製を誤て雄略天皇《二十二代》の製歌として始の卷に載られたり雄略天皇の比のしらべならねば此天皇の御製歌なるべし 
○大津皇子御歌一首、
 
1512 經《タテ》毛無、緯《ヌキ》毛不定、未通女等之、織黄葉爾、霜|莫零《ナフリソネ》」
 
○穗積皇子御歌二首、
 
1513 今朝之|且開《アサケ》、雁之鳴聞都《カリガネキヽツ》、 古くかりがねといふは鴈群てふ事既いふ此比に至りてはかくもいひし故こもつゞけ給へるなるべし正くいはんにはかりがねの聲きゝつといふべき事なり
 
春日山、黄葉家良之、吾情痛之《ワカコヽロイタシ》、」 痛之は惜なり
 
1514 秋芽者、可咲有之《サキヌベカラシ》、吾屋戸|之《ノ》、淺茅|之《ガ》花乃、 暮春に出て咲始秋の始ちる物なり
 
散去見者《チリヌルミレバ》、」
 
○但馬皇子御歌一首、 今本こゝに一書云山部王作と有は書體も違ひ後人の書加へし事しるかれば捨つ
 
1515 事|繁《シゲミ》、 事は言なりいひさわがるゝ事あるならん
 
里爾不住者、 さとにすまれすばなり
 
今朝鳴之、鴈爾|副而《タグヒテ》、去益物乎《ユカマシモノヲ》、」 一本に里爾不有者と有
 
○山部王惜2秋葉l《モミチバヲ》1歌一首、
 
1516 秋山爾、黄反木葉乃《ニホフコノハノ》、 下に平山令丹黄葉《ナラヤマヲニホハスモミチ》云々ともあるもて此訓をおもへ
 
移去者《ウツリナハ》、更哉《サラニヤ》秋乎、欲見《ミマクホリ》世武、」
 
○長屋王歌一種、
 
1517 味酒《ウマザケヲ》、 冠辭
 
三輪乃|祝之《ハフリガ》、 こは祝部か照すといふにはあらず歌のとりなしなり
 
山照《ヤマテラス》、秋乃黄葉、散莫《チラマク》惜毛、」
 
○山上臣憶良七夕歌十二首、
 
1518 天漢、相向立而《アヒムキタチテ》、 むきのきは加比の約なり
 
吾戀之、君來益奈利、紐解設奈《ヒモトキマケナ》、」 織女《タナバタツメ》になりてよめるなり一本|向河《ムカヒカハ》と有
 右養老七年七月七日|應令《ミコトノリノマヽニス》、 今本八年と有は誤なり續紀九(元正)養老七年九月神龜出八年二月改號神龜とあれば即八年を七年と改む
 
1519 久方之、冠辭
 
天漢瀬爾《アマツカハセニ》、一本漢の上天ありて瀬なし又一本は天も瀬もなし一本をもて天の字を補て字のまゝにあまつかはせにと訓り
 
船泛而、今夜可君之、我許來益武《ワガリキマサム》、」 こも前に同じく織女になりてよめる
 右神龜元年七月七日夜左大臣|宅《イヘニテ》作之、
 
1520 牽牛者、織女等、天地之、別時由、伊奈牟之呂、 冠辭今本牟を宇に誤れり誤しるければ改む
 
河向立《カハニムキタチ》、意空《オモフソラ》、不安久爾《ヤスカラナクニ》、嘆空《ナゲクソラ》、不安久爾、青浪爾《アヲナミニ》、望者多要奴《ノゾミハタエヌ》、白雲爾、H者盡奴《ナミダハツキヌ》、如是耳也、伊伎都枳乎良牟、如是耳也、戀都追安良牟、佐丹塗之、小船毛|賀茂《ガモ》、玉纏之《タマヽキノ》、眞可伊毛我母、 一云小棹毛可毛
 
朝奈藝爾、伊可伎渡《イカキワタリ》、 伊は發語なり
 
夕潮爾、 一云夕倍爾毛
 
伊許藝渡、久方之、 冠辭
 
天河原爾《アメノカハラニ》、天飛也《アメトブヤ》、 此天飛也は冠辭にあらず久方(ノ)天川邊に織女のたちおはする領巾の風になびくをおもひてあめに飛領巾といふのみもとも後のわざなり
 
領巾可多思吉、眞玉手乃、玉手指|更《カヘ》、餘宿毛《アマタイモ》、寐而《ネテ》師可聞、 こゝは※[氏/一]志の約言にはあらで師は助字いねてかもと願なり一云伊毛左禰而師加
 
秋爾安良受登母、」 此歌皆古き辭をとりたるのみにて吾物ならず聞ゆ一本に秋不待登母 
 反歌
1521 風雲者、二岸爾、可欲倍杼母、吾遠嬬|之《ノ》、 一本波之嬬乃
 
事曾不通《コトゾカヨハヌ》、」
 
1522 多夫手二毛《タブテニモ》、 多夫の夫は倍奴《ヘヌ》の約|不任手《タヘヌテ》にもなり倍《ヘ》を衣《エ》の如く唱るは半濁なり本言によりて夫を濁る例をかなへり【仙覺云たぶてにもとはつぶてなり玄覺押紙云文選東京賦飛礫雨散奥人】
 
投越都倍伎《ナゲコシツヘキ》、天漢《アマツガハ》、敝太而禮婆可母《ヘダテレバカモ》、 可は疑の歟《カ》なり母はそへしのみ
 
安麻多須辨|奈吉《ナキ》、」 是までの三首も例の牽牛となりてよめるなり
 
 右天平元年七月七日夜憶良|仰觀天河《アマツカハヲミテ》作、一云 帥家作《ミコトモチノイヘニテヨメル》是を今本に師家作とあるは師の誤しるければあらたむ次々の歌の左に書るに同
 
1523 秋風之、吹爾之日從、 吹爾之日は吹去《フキイニシ》にて既立にし秋といふなり 
何時可登《イツシカト》、吾待戀之、君|曾《ゾ》來座流《キマセル》、」 織女になりてよめるなり
 
1524 天漢、伊刀河浪者《イトカハナミハ》、 甚《イト》河浪にていたく浪はたゝぬともなり
 
多々禰杼母、何侯難之《ウカヾヒガタシ》、近此瀬呼《チカキコノセヲ》、」 こもひこぼしとなりてよめるなり
 
1525 袖|振者《フラバ》、見毛可波之都|倍久《ベク》、雖近、度爲便無《ワタルスベナシ》、秋西安良禰|波《バ》、」 此秋といふは七夕を指ていふなりこも牽牛になりて云なり
 
1526 玉蜻蜒、髣髴所見而、別去者《ワカレナバ》、毛等奈也戀牟、相時麻而波、」
 右天平二年七月八日夜|帥家集會《ミコトモチノイヘニツドフ》、
 
1527 牽牛之、迎嬬船《ツマムカヘブネ》、己藝|出良之《ヅラシ》、 出良之《イヅラシ》の伊は略訓ぞ古なれ
 
漢原爾《アマツカハラニ》、霧之|立波《タテルハ》、」
 
1528 霞立、 此比まて霞必しも春と定ていはず
 
天河原爾、待君登、 とての略なり
 
伊往還程爾《イカヨフホドニ》、 伊は發語
 
裳(ノ)襴所沾《スソヌレヌ》、」
 
1529 天河、彌津之《ミツノ》浪(ノ)音《ト》、 今本浮津とあり浮は彌の草を見誤りたるなり川津ともいへば眞津にも云べく定る渡を云べし
 
佐和|久《グ》奈里、吾待君思、舟出爲良之母、」
 
○太宰諸卿大夫並官人等《ツクシノマチキミダチトツカサヒトタチ》 今本宮人と有は官の誤しるければあらたむ
 
宴2筑前國(ノ)蘆城驛家《アシキノウマヤニ》1歌二首、
 
1530 娘部思《ヲミナヘシ》、秋芽子|交《マジル》、蘆城野(ハ)、今日乎始而、 にを略たるなりはじめにてなり
 
萬代爾將見、」
 
1531 珠匣、 冠辭
 
葦木乃河乎、今日見者《ケフミテハ》、迄萬代、將忘八方《ワスラレメヤモ》、」
 右二首作者|未詳《シレズ》、
 
○笠朝臣金村伊香山作歌二首、 神名式に近江國伊香郡伊香具坂神社こゝの山歟
 
1532 草枕、 冠辭
 
客行人毛、往觸者、爾保此奴倍久毛、 行ふるゝ人の衣も芽子が花摺に色どりぬべしとなり
 
開流、芽子香聞、」
 
1533 伊香山《イカゴヤマ》、野邊爾開有、芽子見者、君之家有、 公が家は妹か友人の家を指ならん
 
尾花之所念、」
 
○石川朝臣|老夫《オキナガ》歌一首、
 
1534 娘部志、秋芽子|折禮《ヲレレ》、 今本こを多乎禮と訓たれど多とよまん字なし又折は持の誤といふ説もあれと字のまゝによまるれば訓を改むさてこは乎利弖安禮を約通したるなり利弖約禮又禮安約良なるを禮に通して乎禮といふ下の禮は辭なり
 
玉桙乃、 冠辭
 
道去※[果/衣]跡《ミチユキヅトヽ》、爲乞兒《コハムコノタメ》、」
 
○藤原字合卿歌一首、
 
1535 我背兒乎、何時曾旦今登《イツゾイマタト》、 旦今は伊末今且は計不《ケフ》と訓ならはせり此集例なり
 
待苗爾、於毛也者|將見《ミエム》、 待人の面やは見えん秋になれるといふか七夕の歌なるべし
 
秋風(ノ)吹《フク》、」
 
○縁達師歌一首、 縁達は字音によみて僧の名ならん歟【縁達師《ヨリユキノイクサ》本かくよめり奥人】
 
1536 暮相而《ヨヒニアヒテ》、朝面羞《アシタオモナミ》、 今本にこを阿佐加保波豆留と訓しはいまだし義訓にかく訓べし(卷一)に朝面無美とありさて是まては序なり
 
隱野乃《カクレノヽ》、 地名なり卷一に隱山とも有
 
芽子者散|去寸《ニキ》、黄葉|早續《ハヤツゲ》也、」 かくやうのやは訓に拘らずそへたる書體なり
 
○山上臣憶良詠秋野花【花下歌字脱】二首、
 
1537 秋野爾、咲|有《タル》花乎、指折《テヲヽリテ》、可伎數者《カキカゾフレバ》、七種花《ナヽクサノハナ》、」 (其一)
 
1538 芽之花、乎花葛花、瞿麥之花、姫部志、又藤袴、朝貌之花、」(其二)
 此朝貌は牽牛花にあらず既集中に夕顔にこそ咲まさりけれともよめれば槿花ならんといふ説もあれど槿花は草にあらず芽子も小木に入べきもあれどさあらぬも有草に並てまだき木に咲《サキ》木槿花とさへ呼此花を云べからず七種は數の意なれば七草と云ならねど草の花の中に木の花を一種交べきならねば此歌もても集中朝貌てふは必牽牛花なるべき證ともすべし其よし卷七の考と別記にくはしく云かの夕顔に咲まさるといふは物かげにありて咲るか晝迄もあらぬ花をたま/\夕べに見たるが異めでしてよめるか又おもふに牽牛花は夕べに今もゑみさくべくつぼみかず/\見はやさるゝを古へ心に明且《アシタ》の花の咲まさると見しならん歟
 
○天皇御製歌二首、 豐櫻彦天皇ならん後に聖武と申奉る末に天平十八年の歌有
 
1539 秋田乃、穗田乎鴈之鳴、闇爾《マグラキニ》、夜之穗杼邑爾毛、 ほどろは雪霜などにいひてはだれまたら皆同じ言なりさればこゝも夜のまくらきに秋の穗田を鴈むれのまだらに鳴とのたまはせしにておぼつかなきこゝろなり
 
鳴渡可聞、」
 
1540 今朝乃|旦開《アサケ》、鴈之鳴寒、聞之奈倍、野邊能淺茅曾、色付丹來、」
 
○太宰帥大伴卿《ツクシノオホミコトモチマヘツギミノ》歌二首、
 
1541 吾岳爾、棹|牡鹿《シカ》來鳴、先芽之、花嬬問爾《ハナツマトヒニ》、來鳴棹牡鹿、」
 
1542 吾岳之、秋芽(ノ)花、風乎痛、可落成《チルベクナリヌ》、將見《ミム》人裳欲得、」
 
〇三原王歌一首、
 
1543 秋露者、移爾有家有《ウツシナリケリ》、鴨頭草《ツキクサ》のうつしなどいふに同じ意にて秋の露して青葉をいろ/\にうつし染るてふうつしなりくはしく冠辭考に見えたり
 
水鳥乃、 冠辭
 
青羽乃山能、 此青羽の山は地名ならず古事記に青葉山をからすなど有に同じ常磐木山なり
 
色付見者、」
 
○湯原王七夕歌二首、
 
1544 牽牛之、念座良武、從情《コヽロユモ》、見吾|辛苦《クルシ》、更降去者《ヨノフケユケバ》、」 次の歌ともに人間《ひと》より思ひやりたるなり
 
1545 織女之《タナバタノ》、袖續三更之《ソデツグヨルノ》、 袖のひとつによるを續《ツグ》とはいふなり
 
五更者《アカツキハ》、河瀬之鶴者、不鳴|友吉《トモヨシ》、」
 
○市原王七夕歌一首、
 
1546 妹許登、吾去道乃《ワカユクミチノ》、河有者《カハアレバ》、脚縅結跡《アユヒムスブト》、 今本是を附目縅とある附目は脚の草を時月など書しを傳寫の誤にて二字と見ける誤ならん別卷に天在一棚橋何將行穉草妻所云足莊嚴《アメナルヒトツタナハシイカデユカムワカクサノツマカリトヘハアユヒスラクヲ》又(卷八)に湯種蒔花木之小田矣求跡足結|出《デ》所沾《ヌレヌ》此|水之湍爾《カハノセニ》と見ゆ是によりて字も訓も改つ
 
夜更降家類《ヨゾフケニケル》、牽牛の意を人の上に取たるなり【※[さんずい+付]小筏也編竹小筏※[さんずい+日]※[さんずい+付]※[さんずい+付]自縅結跡《イカダシクムト》、撮要抄云附は※[さんずい+付]の誤目は自の誤なり云云奥人云自は濁音なり凡集中清音を濁音には用ゐる事なし】
 
○藤原朝臣八束歌一首、 此八束卿は後に眞楯といひて大納言に任し人なり房前卿の孫なり
 
1547 棹四香能、芽二貫|置有《オケル》、露之白珠、相佐和仁《アハサワニ》、此言の意は別卷|開木代來背若子《ヤマシロノクセノワカゴ》云云の下に委く見えて淡騷《アハサワグ》の意にてあはつけくさわき欲《ホル》よと下しわらふ意なり
 
誰人可毛、手爾將卷知布《テニマカムチフ》、」 此歌は相聞の譬喩歌なりと見ゆ
 
○大件坂上郎女晩芽子歌一首、
 
1548 咲花毛、宇都呂波厭《ウツロハウキヲ》、 呂は留に通うつるはうきをなり即散なり【早く咲花も早くうつろふはうきをおくてに遲く咲花の心長きには猶しく物なしとなり拾穗】
 
奥手有《オクテナル》、長意爾《ナカキコヽロニ》、尚不如家里《ナホシカズケリ》、」 此歌も前に同
 
○典鑄正《イモジノカミ》、 伊毛乃奈志を約轉たるなり志を濁は言便
 
紀(ノ)朝臣|鹿人《カビト》至2衛門大尉《ミカドモリノオホマツリゴトヒト》大伴宿禰|稻公跡見庄《イナキミガトミノナリトコロニ》1作歌一首、【典鑄正紀朝臣|麻人《アサヒト》、拾穗如是有り奥人】
 
1549 射目立而《イメタテヽ》、 冠辭
 
跡見乃岳邊之、 前云如大和なり
 
瞿麥、花|總《フサ》手折《タヲリ》、 不左の不は波由の約左は曾波の約にて即波衣曾由の意榮副なり多く手折は榮合てよろし自多意にも云委は別にいふなり
 
吾者|特將去《モチイナム》、 今本に持の字を脱せり一本に仍て補ふ
 
寧良《ナラ》人之爲、」
 
○湯原王鳴|鹿《シカノ》歌一首、
 
1550 秋芽之、落乃亂爾、呼立而、鳴奈流|鹿之《シカノ》、音遙者《コヱノハルケサ》、」 
○市原王歌一首、
 
1551 待時而、落鐘禮能「オツルシグレノ》、零零低《フリ/\テ》、 今本雨令雨收とありて阿米也美弖とよみたれどよしなし上は一字の二字となりし事明かに下は低を收と誤りししるければ字も訓も改ぬ【奥人按に正しくはしぐれの雨といふべきをしぐれ降とては雨を略けるなり雨令雨收低《フリフラデ》もし今本のまゝによらば如右訓べき歟】
 
朝香(ノ)山之、將黄變《モミヂシヌラン》、」 こゝに朝香山といふは陸奥歟未詳一本に朝の上に開と有は猶よしなしとらず
 
○湯原王|蟋蟀《コホロギノ》歌一首、
 
1552 暮月夜、心毛|思努爾《シヌニ》、白露乃、置此庭爾《オクコノニハニ》、蟋蟀鳴毛《コホロギナクモ》、」 此歌の重ね言ぞまことなるものなりかくてこそ古へなれ
 
○衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首、
 
1553 鐘禮能雨、無間零者《マナクシフレバ》、三笠山、木末歴《コズヱアマネク》、色附爾家里、」
 
○大伴家持和歌一首、
 
1554 皇之《オホキミノ》、 冠辭
 
御笠乃山能、黄葉、 一本能と黄の間に秋と有はよしなし
 
今日之鐘禮爾、散香過奈牟、」
 
○安貴王歌一首、
 
1555 秋立而、幾日毛不有者《イクカモアラネバ》、 既いふ如あらぬになり
 
此宿流《コノネヌル》、朝開之風者、手本《タモト》寒母、」
 
○忌部首黒麻呂歌一首、
 
1556 秋田苅、借廬毛|未《イマダ》、壞者《アレザレバ》、 前と同じてにをはにて後の世にはあれずあればといふべかるをつゞめたるなり
 
雁鳴寒、霜毛|置奴柯二《オキヌカニ》、」 柯は今本我とあるは誤しるければ改こゝは清言にて二は添字疑の可なり
 
○故郷(ノ)豐浦(ノ)寺之|尼私房宴歌《アマワタクシツホネニウタゲスルウタ》三首、 
1557 明日香川、逝囘岳之《ユキヽノヲカノ》、 大和の地名
 
秋芽子者、今日零雨爾、落香過奈牟、」
 右一首丹比眞人國人、
 
1558 鶉鳴、古郷之《フリニシサトノ》、秋芽子乎、思人共《オモフヒトドチ》、相見都流可聞、」
 
1559 秋芽子者、盛過乎《サカリスグルヲ》、徒爾、頭刺不挿《カザシニサヽデ》、 今本挿を※[手偏+垂]に誤るしるければ訓によりて字を改
 
還去牟《カヘリナム》跡哉、」
 右二首沙彌(ノ)尼等《アマラ》、
 
○大伴坂上郎女|跡見田庄《トミノナリトコロニテ》作歌二首、
 
1560 妹目乎、 冠辭
 
跡見之丘邊乃、 今本始見之崎乃とあれどしかあるまじく草の手より誤しなるべきよしは冠辭考にくはしさて跡見はとく見むてふ意もてつゞけたり
秋芽子者、此月|其呂波《ゴロハ》、 今本月を日に誤仍て改
 
落許須莫湯目《チリコスナユメ》
 
1561 吉名張乃、 既いふ如く卷二により古を吉に改大和國城上郡なり
 
猪養《イカヒノ》山爾、伏|鹿之《シカノ》、嬬呼音乎、聞之登聞思佐、」 跡見の庄より猪養山はすこしく隔る歟聲きく事のあかぬをうらみてよめり
 
○巫部麻蘇娘子鴈歌《カミコベノマソイラツメガカリノ》一首、
 
1562 誰聞都《タレキヽツ》、從此間《コユ》鳴渡、雁鳴乃、嬬呼音乃、去方知左寸《ユクヘシラサズ》、」 今本去を之に誤方を脱し事次の和歌にてしるければ補さて夫をおもふ意をそへたるか
 
○大作家特和歌一首、
 
1563 聞津哉登、妹之問勢流、雁鳴者、眞毛遠《マコトモヲチノ》、雲隱奈利、」
 
〇日置長枝娘子《ヘキノナカエノイラツメガ》歌一首、
 
1564 秋付者《アキツケハ》、尾花我上爾、置露乃、應消毛|吾者《アハ》、所念香聞、」
 
○大伴家持和歌一首、
 
1565 吾屋戸乃、一村芽子乎、念兒爾、不見令殆《ミセデホド/\》、 ほと/\ははて/\と云に同じ保と波と登と弖も同言なれば遠江國にては末の子をほて子といふははて子なりさて殆を平言の俗訓にほとんどゝいふほどに/\を略通せり爾は中にあればはぬるは例なり
 
令散都類香聞、」 見せずしてありしはて/\に花はちりすぎたりといひて花散まであはぬほどの久しきを云
 
○大作家特秋歌四首、
 
1566 久堅之、 冠辭
 
雨間毛《アママモ》不置、雲隱、鳴曾去奈流、早田雁之哭《ワサダカリガネ》、」
 
1567 雲隱、鳴奈流雁乃、去而將居《ユキテヰム》、秋田之|穗立《ホダチ》、繁之所念《シゲクシオモホユ》、」 集中所念は於毛保由と訓今本是を志曾於毛布と訓誤なり例によりてあらたむ
 
1568 雨隱《アマゴモリ》、情欝悒《コヽロイブセミ》、出見者《デヽミレバ》、 今本許古呂由加志美と訓はいまだしく歌意とほらず例によりて改む
 
春日山者、色付二家利、」
 
1569 雨《アメ》晴而、清照有《キヨクテラセル》、此月夜《コノツクヨ》、 今本都伎與とよめるは此比の例にかなはず
 
又更而《マタサラニシテ》、雲勿田奈引《クモナタナビキ》、」 雲なたなびきそを略て讀るなり
 右四首天平八年丙子秋九月作、
 
○藤原朝臣八束歌二首、
 
1570 此間在而《コヽニアリテ》、春日也何處《カスガヤイヅコ》、雨障《アマザハリ》、出而不行者《イデヽユカネバ》、戀乍曾乎流、」 此歌は三の句を初句の上に置て心得べし
 
1571 春日野爾、鍾禮零所見《シグレフルミユ》、明日從者、黄葉頭刺牟、高圓乃山、」
 
○大伴家持白露歌一首、
 
1572 吾屋戸乃、草花上之《ヲバナガウヘノ》、白露乎、不令消而《ケサズテ》、玉爾《タマニ》、貫物爾毛我《ヌクモノニモガ》、
 
○大伴村上歌一首、 今本利と有は村の誤なり此人既に出たり
 
1573 秋之雨爾、所沾乍居者、雖賤《イヤシケド》、吾妹之屋戸志、所念香聞、」
 
○右大臣橘家宴歌七首、
 
1574 雲(ノ)上《ヘ》爾、鳴奈流鴈之、雖遠《トホケドモ》、 是迄序なり
 
君(ニ)將相跡、手囘來津《タモトホリキツ》、」
 
1575 雲上爾、鳴都流鴈乃、寒苗《サムキナヘ》、芽子乃下葉者、黄變可毛《ウツロハムカモ》、」
 右二首、作者の名を脱せり此作者家持なるべし故にかくておかれけん○【奥人案に拾穗に橘右大臣諸兄公とあり】
 
1576 此岳爾、小牡鹿履起《ヲシカフミオコシ》、宇加※[泥/土]良比《ウカネラヒ》、 うかゞひねらふなり是迄序なり
 
可聞可問爲良《カモカクスラ》久、君故爾許首、」 右大臣家へ從仕してとかくするは君故と云て狩人のうかゞひねらふにたとへたり今本可開とあるは問の誤にて可聞可問か又宇加我比か敝の意ならん
 右一首長門守巨曾倍朝臣津鳥、【奥人案に拾穗作巨曾倍朝臣|津島《ツシマ》】
 
1577 秋野之、草花我末乎《ヲバナカウレヲ》、押靡而《オシナミテ》、備計約倍加世約米なり故に倍米《ベメ》美に通へばなびけてと云に同じ
 
來之久毛知久《コシクモシルク》、相流《アヘル》君可聞、」
 
1578 今朝鳴而《ケサナキテ》、 今本今朝をあさとのみ訓は誤なり
 
行之《ユキシ》雁鳴、寒《サムミ》可聞、此野乃淺茅、色付爾家類、」
 
 右二首阿倍朝臣蟲麻呂、
 
1579 朝扉開而《アサトアケテ》、物念時爾、白露乃、置有《オケル》秋芽子、 萩の露にしほるゝを吾物思ひと同じさまに見しなり
 
所見喚鷄本名《ミエツヽモトナ》、」
 
1580 棹牡鹿之、來立鳴野之《キタチナクノヽ》、秋芽子者、露霜|負而《オヒテ》、落去之物乎《チリニシモノヲ》、」
 右二首|文《アヤノ》忌寸|馬養《ウマカヒ》、
 
 天平十年戊寅秋八月二十日、
 
○橘朝臣奈良麻呂|結集宴《トモドチウタゲスル》歌十一首、
 
1581 不手折而《タヲラズテ》、落者惜常《チリナバヲシト》、我念之、秋(ノ)黄葉乎、插頭鶴鴨、」
 
1582 布將見《シキテミム》、 此しきてみんはしき/\にあひ見ん人になりこを希かといふ説あれどかくて心得らる
 
人爾|令見跡《ミセント》、黄葉乎、手折|曾《ゾ》我來師《ワガコシ》、雨(ノ)零久仁《フラクニ》、」
 右二首橘朝臣奈良麻呂
 
1583 黄葉乎、令落鍾禮爾《チラスシグレニ》、所沾而來而《ヌレテキテ》、君之黄葉乎、挿頭鶴鴨、」
 右一首久米女王、
 
1584 布將見跡《シキテミムト》、吾念君者、秋山、始黄葉爾、似許曾有家禮、」 此歌初もみぢ葉に似たるといへれば後世意もて珍しむ心より布を希《マレ》の誤りとも疑へるならん米豆は言の意感なればしき/\に戀思ふ人に逢は見る度にめでらるゝなればはつもみぢにたとへしなりよりて前の歌ともにしく/\に見まほしまるゝ意と見るぞやすけれ
 右一首長忌寸娘、
 
1585 平《ナラ》山乃、峯之黄葉、取者落《トレバチル》、鍾禮能雨師、無間零良志、」
 右一首内舍人縣犬養宿禰吉男、
 
1586 黄葉乎、落卷惜見、手折來而、今夜插頭津、何物可將念《ナニカオモハム》、
 右一首縣犬養宿禰持男
 
1587 足引乃、 冠辭
 
山之黄葉、今夜毛加、 此加は疑の加なり清て唱べし
 
浮去良武《ウキテイヌラム》、山河之瀬爾、」
 右一首大伴宿禰家持、
 
1588 平山乎、令丹黄葉、 今本是を爾保須毛美治|序《ゾ》と訓しはいまだし
 
手折來而、今夜挿頭都、落者雖落《チラバチルトモ》、」
 右一首|三手代人名《ミテシロノヒトナ》、 紀(聖武)に大倭三手代連麻呂てふ人有同時にて此族ならんさて今本三を之に誤る右によりて改
 
1589 露霜爾、逢有黄葉乎、手折來而、妹挿頭都《イモガカザシツ》、後者落十方《ノチハチルトモ》、」
 右一首秦《ハタノ》許遍《コヘ》麻呂、
 
1590 十月、鍾禮爾|相有《アヘル》、黄葉乃、吹者將落《フカバチリナム》、風之|隨《マニ/\》、」
 右一首大伴宿禰池主、
 
1591 黄葉乃、過麻久惜美、 こはもみぢのちるをすぐといへるにて用なれば冠辭にあらぬこと冠辭に見ゆ(卷十)黄葉の過不勝兒といふに同じ
 
思共《オモフドチ》、遊今夜者《アソブコヨヒハ》、不開毛有奴香《アケズモアラヌカ》、」
 右一首内舍人大伴宿禰家持
以前冬十月十七日集於2右大臣橘卿之|舊宅《フルヘニ》1宴飲《ウタケスル》也、
 
○大伴坂上郎女竹田庄作歌、
 
1592 然不有《ナホモアラヌ》、 隔句なり此句を二三句の下につけて心得べし即五百代に田子苅亂なればたゞもあらぬ田廬《タフセ》になり【然不有《タヽナラズ》、拾穗如是訓見安云いたつらならずなり】
 
五百代小田乎《イホシロヲタヲ》、 【季吟云|五十代《イソシロ》田は一反なり五百代《イホシロ》田は一町なり】
 
苅亂田廬爾《カリミタルタブセニ》、居者《ヲレバ》、京師所念《ミヤコシオモホユ》、」 田廬は田舍なる伏廬なればいぶせきに都しぬばるゝなり
 
1593 隱口乃、始瀬《ハツセノ》山者、色附奴、鍾禮乃雨者、零爾家良思母、」 右天平十一年己卯秋九月作、
 
○佛前唱歌一首、
 
1594 思具禮能雨、無間莫零《マナクナフリソ》、紅爾、丹保敝流山之、 今本敝を敞に誤一本によりて改む
 
落卷惜毛、」
 
 右冬|十月《カミナツキ》皇后宮之維摩講終日《キサキノミヤノユイマコウヲハルヒ》供2養《タテマツル》大唐高麗等《モロコシコマナドノ》 唐に大を加へて尊みすぐせしは此比よりの誤にて皇朝のおもぶせなり
 
種々音樂《クサ/\モノヽネヲ》1爾乃《ソノトキ》唱《トナフ》2此歌詞《コノウタヲ》1、彈琴者《コトヒキハ》市原王忍坂王、 後賜姓大原眞人東麻呂也
 
歌子者《ウタビトハ》田口《タクチノ》朝臣|家守《ヤカモリ》河邊《カハベ》朝臣|東人《アヅマビト》置始連長谷《オキソメノムラジハツセ》等|十數人也《トヲアマリノヒトナリ》、右の歌家持卿なるべし
 
○大伴宿禰|像見《カタミ》歌一首、
 
1595 秋芽子乃、枝毛十尾二、降露乃《オクツユノ》、消者雖消《ケナバケヌトモ》、色出目八方《イロニデメヤモ》、」
 
○大伴宿禰家持到(テ)2娘子門《ヲトメガカドニ》1作歌一首、
 
1596 妹|家之《ヘノ》、門田乎見跡、打出來之、情毛|知久《シルク》、照月夜《テルツクヨ》鴨、」
 
○大伴宿禰家持秋歌三首、
 
1597 秋野爾、開流秋芽、秋風爾、靡流《ナビケル》、上(ヘ)爾《ニ》、秋露置有《アキノツユオケリ》、」 まふけて秋を四つ重ねたれどうるさからで歌の風しらべおもしろかるぞ古へなる
 
1598 棹牡鹿之、朝立野邊乃、秋芽子爾、玉跡見左右、置有《オケル》白露、」 よき調なれば後に此すがたをうつせし歌多、似るべくもなし
 
1599 狹尾牡鹿乃《サヲシカノ》、胸別爾可毛《ムナワケニカモ》、秋芽子乃、散過鷄類《チリスギニケル》、盛可毛行流《サカリカモイヌル》、」 鹿のかたちもて萩をわけ行を云それにや荻のちりもやする花のさかりやいぬると云て萩ををしめる也
 右天平十五年癸未秋八月|見物色作《アリサマヲヨメリ》、
 
○内舍人石川朝臣廣成歌二首、
 
1600 妻戀爾、鹿《シカ》鳴山邊之、秋芽子者、露霜|寒《サムミ》、盛須疑由君《サカリスギユク》、」 たくまずして調べよき歌なり
 
1601 目頬布、君之家有、波奈|須爲寸《スヽキ》、穗出秋乃《ホニヅルアキノ》、過良久惜母、」 集中波|太《ダ》須爲寸とのみあるを此歌のみ波奈とあるはおぼつかなし此奈は太の誤歟筆者の後世にならひて奈と書しならん猶案に新撰萬葉花薄と書其後皆花薄とせり然らば奈良の末にはさもよみし歟
 
○大伴宿禰家持鹿鳴歌二首、
 
1602 山|妣姑乃《ビコノ》、相響左右《アヒトヨムマデ》、妻戀爾、鹿鳴山邊爾、獨耳爲手、」 こも隔句體なり山邊に獨のみして山彦の相とよむまで妻戀に鹿鳴と心得べし
 
1603 頃者之、朝開爾聞者、足日木|箆《ノ》、 冠辭
 
山乎|令響《トヨマシ》、狹尾牡鹿|鳴哭《ナクモ》、」 こを喪の誤とするもあれど思ふに此比專ら唐意をこのむこゝろに哭泣の意もて喪《モ》と訓せしならん
 右二首天平十五年癸未八月十六日作、
 
○大原眞人今城 穗積親王の子なり
 
傷2惜《イタメル》寧樂故郷1 今本郷を卿にあやまれり
 
歌一首、
 
1604 秋去者、春日(ノ)山之、黄葉見流、寧樂乃京師乃、荒良久惜毛、」 こともなくやすらかに京帥のあるゝを惜める歌なり
 
○大伴宿禰家持歌一首、
 
1605 高圓之、野邊乃秋芽子、比日之、曉露爾、開兼可聞《サキニケンカモ》、」 今本兼を葉に誤る
 
 秋相聞
 
○額田姫王|思《オモヒマツリテ》2近江(ノ)天皇(ヲ)1 【天智天皇】
 
作歌《ヨミマセルウタ》一首、 今本額田王とあるは既卷二同別記にいへる如く誤なり男王にはあらで姫王なる事歌にても著し
 
1606 君待跡、 跡はとての畧
 
吾戀居者、我屋戸乃、簾動《スダレウゴカシ》、秋之風吹、」 天皇を待おはする折簾のうごけるも天皇のとはすやとおぼせば秋風の吹て簾をうごかせりとなり此歌次の卷にも出たり
 
○鏡女王作歌、 今本鏡王女とするは誤なりこは紀(天武)に幸鏡姫王之家訊病とある女王なりともに御親しみの御中なれば右の歌になぞらへよませし御親みの相聞なり
 
1607 風乎谷、 使を云
 
戀流者之、 流は卷十三をもて補り
 
風乎谷、將來常思待者《コムトシマタバ》、 使だに必來らば何か歎かん使だに猶ともしと歎かすなり
 
何如將嘆《イカヾナケカム》、」 こは額田女王の歌を聞給ひて擬てよみ給へるなり天皇を戀奉ります御心から風だにをとづるゝをまち得給へりわが爲にはしかる風だに吹こねば風待得給ふなるを何かなげきおほさんとさとし給ふなりけり初の御歌は秋風をよみ出給へるを此歌にて其風の吹をつかひととりなし給ふ物なりさて此歌も前に同じく次の卷にも出たるは既いふ如く家集なれば筆にまかせたるなり
 
○弓削皇子御歌一首、
 
1608 秋芽子之、上爾置有、白露乃、消《ケ》可毛思奈萬思、戀管不有者、」 こも戀て其かひあらずば消も死んてふ事を露にそへしなり此言の例卷二別記に委し
 
○丹比眞人歌一首、 今本こゝに名闕と有は後人の書添取捨
 
1609 宇陀乃野之、 大和
 
秋芽子|師弩藝《シヌギ》、鳴鹿毛、妻爾戀|樂苦《ラク》、 句なり
 
我者不益《ワレニハマサジ》、」 野に鳴鹿も妻に戀るなれどそは秋芽子を妻としあれば戀得るなり吾《ア》はまだ吾《アレ》に得たる妻ならずかくし妻にて戀るおもひのこゝはくなれば鹿の妻戀るは吾には増じ吾こそまされなり
 
○丹生女王贈2太宰帥大伴卿1歌一首、
 
1610 高圓之、秋野《アキノノ》、上(ヘ)乃《ノ》、瞿麥之花、 女王自を花に譬給へり 
末壯香見《ウラワカミ》、 こは上の句にて付て見るべしうらわかみなる故に人のかざせりとなりさて今本末を干とす一本丁又一本下とあれど皆誤なりよりて諸本を合考て畫の消て誤る事しるければ末にあらためぬ
 
人之|插頭師《カザシシ》、 大伴卿を指給ふ
 
瞿麥之花、」 事なりての上のたはむれに花を自らになぞらへてかざし見給へる此花ぞとよみ給へるなり
 
○笠縫《カサヌヒノ》女王歌一首、
 
1611 足日木乃、 冠辭
 
山下響、鳴鹿之、 是迄は序なり扨下の言にかゝる意は多に鳴鹿の聲を言とかけたるにてまことの序なり
 
事乏可母《コトトモシカモ》、 事は借字言なり言たらまほしむは逢事のかたきなり
 
吾情都末《ワガオモヒヅマ》、」 今本情を訓のまゝによみたるはいまだしこは義訓せでやあるべきこゝろ妻とこそあるべきか
 
○石川(ノ)賀係《カケノ》郎女歌一首、 こは大伴坂上郎女などいふ如く石川氏の女の賀係てふ所に住をいふか其地はいまだ考ざるなり
 
1612 神《カミ》佐夫等、 年經りしなり
 
不許者不有《イナニハアラズ》、 今本不許をきかずとよみしはいまだしことわりに訓ばいなとこそよむべけれ
 
秋草乃、 むすぶといはんとておけるながら此頃よりは晩秋に飽《アキ》の意をこめてよみ出初しなれど後の世のごとくゆくりかにはいひ出ざるなり
 
結之紐乎、 古は夫の赤紐は必妻の結事なれば此言を云り
 
解者悲哭《トカバカナシモ》、」 此哭を此まゝ毛と訓べき事既いへりさて歌意は君か年經ぬるとて吾はいなみおもはずさるを吾が飽《アケ》るめりと思し給て捨給はば吾はかなしてふ事を秋草などにそへたるか端詞なければ必は解れねどしかならん
 
○賀茂女王歌一首、 今本長屋王之女母曰阿倍朝臣也てふ事あれど後人の書加しるし一本になきによりぬ
 
1613 秋野乎、旦往鹿乃、跡毛奈久、 是までは序なり旅などに行てさはる事ありて遠放しが跡たえてあはでのちあひしをかくいふならん
 
念之君爾《オモヒシキミニ》、相有今夜香《アヘルコヨヒカ》、」 香は香毛の意なり
 右歌或云|椋橋部《クラハシベノ》女王或云笠縫女王作、 家の集なれば聞傳へさま/”\ならんしかなるべければ撰者の意としてすてつ
 
○遠江守《トホツアフミノカミ》櫻井王奉2天皇1歌一首、 既にも云如く年の號によるに此天皇は後に聖武と申す
 
1614 九月之、其始鴈乃、使爾毛、 一本使を便と有今本によるべし
 
念心者、可聞來奴鴨《キコエコヌカモ》、」 此王淺官ながらかくなめげによみて奉らるゝはいたく御親みありしと見えたり九月の鴈の使にもとおぼしまけしをきこえさせ賜はぬとなり
 
○天皇|賜《タマハスル》2報和《ミコタヘ》1御製《オホミ》歌一首、 製は例によりて補ふ
 
1615 大乃《オホノ》浦之、其長濱爾、 大の浦ときこす譬長き濱とつゞけさせ給ひしか後には必地名とす【拾穗に哥の小注に大浦者遠江國之海濱名也、古今集伊勢歌におほの浦にかたえさしおほひなる梨の云云、加茂翁云おほの浦と云所の名伊勢志摩二國の内に此歌の外によみたるも見えず又物にも見あたらず伊勢の多氣郡に麻續の郷有もし此をみをおほに唱へ誤しか又あこの浦をあやまりしも知られず】
 
緑流浪《ヨスルナミ》、 如を入て心得べし
 
寛公乎《ユタニゾキミヲ》、 波の如くゆたにたえず常におぼすとなり
 
念比日《オモフコノゴロ》、」 大浦は地名長濱は右にいふ如か又地名の何れにも遠江なる事奉る王の任と此御製歌にて明らかなり後によこなまれる説あり
 
○笠郎女贈2大伴宿禰家持1歌一首、 今本贈を賜に誤る
 
1616 毎朝《アサゴトニ》、吾見屋戸乃、瞿麥之、花爾毛君波、有許世奴香裳、」 瞿麥は朝毎に見ればその如く見まほしてふをめづる花にたとへてありこせとねがふなり
 
○山口女王贈2大伴宿禰家持1歌一首、
 
1617 秋芽子爾、置有露乃、風吹而、 是迄序なり落といはんのみ
 
落涙者、留不勝都毛《トヾミカネツモ》、」 露の風にふかれて落如くてふを戀にいひくだせるなり
 
○湯原王贈2娘子1歌一首、
 
1618 玉爾|貫《ヌキ》、不令消賜良牟《ケサデタバラム》、秋芽子乃、宇禮和和良葉爾《ウレワワラハニ》、 宇禮は裏にて末なり和和の和は惠良の約にて惠良/\良波なり扨此惠は東の俗惠良伊惠良幾といふ方言は古言と見ゆ即物多きをいふなりさて惠は元と於保約於なり又於計約惠なれば惠良幾於保幾は同言よりて強き事も惠良伊といふ下の良波は良波の約良にて都良の上畧|連《ツラ》にて人も物も多きにそへ云詞なりさて露多ければたはめはたはゝに近し【奥人按に和々良はやわらと訓て弱《ヤワラ》葉の事とすべし和をやの假字に用る例有】
 
置有白露、」 王の自を消易き露にたとへ娘子心玉を給らんとなり
 
〇大伴家持|至《イキテ》2姑《シウトメ》坂(ノ)上《ヘ》郎女《イラツメ》竹田(ノ)庄《ナリトコロニ》1作歌一首、
 
1619 玉桙乃、 冠辭
 
道者|雖遠《トホケド》、 今本にとほけれどゝあれど集中の例によて訓を改
 
愛哉師《ハシケヤシ》、 既いふ如くこをよしゑやしと訓しは今本の誤なり
 
妹乎|相見爾《アヒミニ》、 坂上郎女の娘を指
 
出而曾吾來之、」
 
○大伴坂上郎女和歌一首、 娘にかはる意にて姑のこたへよみしなり
 
1620 荒玉之、 冠辭
 
月立左右二、 月たつは古へよりいふ朔日もそを通し云をおもへ
 
來不益者、夢西見乍、思曾吾勢思《モヒゾワガセシ》、」
 右二首天平十一年己卯秋八月作、
 
○巫部麻蘇娘子《カミコベノマソノイラツメ》歌一首、
 
1621 吾屋前乃、芽子(ノ)花咲有、見來益《ミニキマセ》、今二日許《イマフツカバカリ》、有者將落《アラバチリナム》、
 
○大伴田村大孃|與《オクル》2坂上大孃1歌二首、
 
1622 吾屋戸乃、秋之芽子開、夕影爾、今毛見師香《イマモミテシカ》、 見てしの師は助辭にて香は欲得《ガモ》の意ねがふなり
 
妹|之《カ》光儀乎、」 こはまことの妹をおもふなり
 
1623 吾屋戸爾、黄變蝦手《モミヅルカヘデ》、 蝦手てふ名はこれが葉の蝦蟆か手に似たるよりの名にて加倍留泥の留を略ていふなり今は一つの木に限てもみぢといへど然云は後なりすべて秋に至りもみづる木の葉を古はもみぢといひて一つの木の名にあらず後世もみぢと呼ものぞ蝦蟆が手に似たればかへでてふ名有なり楓の字をあてゝ云は唐意なり
 
毎見、妹乎懸管、 おもひをかけつゝなり
 
不戀日者無、」 こは妹のうるはしきすがたを戀思をかへる手のもみぢの色よきに譬てよめるなり
 
○坂上大娘秋|稻※[草冠/縵]《イナカツラヲ》贈2大伴宿禰家持1歌一首、
 
1624 吾之蒔有、 一本業有とありて奈禮留とよめるもさる事ながら今本の訓字のまゝにても歌の意同ければ今本によりぬ
 
早田之穗立《ワサタノホタチ》、 此間ににての辭を入て心得べし
 
造有《ツクリタル》、※[草冠/縵]曾、 こゝは句中の句なり
 
見乍、 此句を下へ付て心得べし
 
師奴波世吾背《シヌバセワガセ》、」 古はさか木梅櫻何くれとなく木綿に結びたれて※[草冠/縵]とし又木綿柳あやめなど自しなへなびくは其まゝかつらとする事おほく見えたりさればこゝもわさ田の穗だちのめづらしかれば※[草冠/縵]としおくりたるなめり 
○大伴宿禰家持報贈歌一首、
 
1625 吾妹兒之、業跡造有《ワザトツクレル》、此辭は次の句の秋田にかゝりたるにてはじめの歌に蒔類早田てふ言の答さてはじめの造たるかつらとふ言葉をもこめていらへたり 
秋田(ノ)、早穗乃※[草冠/縵]、雖見不飽可聞、」
 
○又|報《コタフル》d脱《ヌギテ》2著《ツケル》v身《ミニ》衣(ヲ)1贈(ルニ)u家持歌一首、 今本衣を夜とあるは誤なり一本衣とあるによりぬ
 
1626 秋風之、寒比日《サムキコノゴロ》、下爾將服、妹之形見跡、 後世は人のもてならしたる物を其人の死たる後に送るをかたみといふ此比まではすべて其人の形《カタチ》見るてふ言にて常にいひたるを見よ古今集に逢夜のかたみとよみしをも思へ
 
可都毛思努播武、」 かく云は秋風さむかればおくりたる衣を着なんかつかたち見とも見しぬばんてふ二つの言をわかつとてかつとはいふなり
 右三首天平十一年己卯秋九月|往來《オクリコタフ》、
 
○大伴宿禰家持|攀《ヲリテ》2非時《トキシクノ》藤花並芽子黄葉|二物《フタツノモノヲ》1贈2坂上大孃1歌二首、 今本孃を嫌に誤る
 
1627 吾屋戸之、非時藤之《トキジキフヂノ》、 かく云は春の末より夏のはじめに咲もの、秋近き六月まであれば常及《トコジク》の意なればなり
 
目頬布、今毛|見牡鹿《ミテシガ》、妹|之《カ》咲容乎《ヱマヒヲ》、」 藤の花の如めづるなる妹かゑみを今も見てんがなとねがへるなり
 
1628 吾屋前之、芽子乃下葉者、秋風毛、未吹者《イマダフカネバ》、 例のふかぬにといふてにをはなり
 
如此曾毛美照《カクゾモミデル》、」 秋風のふかぬにもみぢせし萩の下葉のにほはしきが妹がゑまひのにほひやかにあかぬに譬ふ
 右二首天平十二年庚辰夏六月往來、
 
○大伴宿禰家持贈2坂上大孃1歌一首并短歌、
 
1629 叩々《ウチ/\ニ》、 これを今本に伊多美伊多美と訓るは笑ふべし是を字の誤として説もあれどもとるにたらずこは撃てふ字なれど裏々《ウチ/\》内々の意の訓に借たるなり論語に以v杖|叩《ウツ》2其脛1字書にも是等を引き微撃也と注せり此頃唐字を專らとする頃なれば戯書にかゝる字を借は常なり
 
物乎念者、將言爲便、將爲《セン》爲《ス》便毛奈之、妹與吾、手携而《テタヅサハリテ》、 今本こゝに拂の字有一本なきによてすつ
 
旦者《アシタニハ》、庭爾出立、夕者《ユフベニハ》、床《トコ》打|拂《ハラヒ》、白細乃、 冠辭
 
袖指代而、佐寐之|夜也《ヨヤ》、やは也打返辭なり夜やながゝらぬ常にありけると下にうけつ
 
常《ツネ》爾有家類、足日木能、 冠辭
 
山鳥許曾婆、峯向爾《ヲムカヒニ》、嬬問爲云《ツマドヒストヘ》、打蝉乃、 冠辭【六帖「ひるは來て夜は別るゝ山鳥が影見る時ぞねはなかれける」】
 
人有我哉、如何爲跡可《ナニストカ》、一日一夜毛《ヒトヒヒトヨモ》、離居而《ハナレヰテ》、嘆戀良武《ナゲキコフラム》、許己念者《ココモヘバ》、 そここゝなといふに同じ言也これをおもへば也
 
胸許曾|痛《イタメ》、其故爾《ソコユエニ》、情奈具夜登、 即|和《ナグ》なり奈久左牟に同意なり
 
高圓乃、山爾毛野爾母、打行而、遊往杼《アソバヒユケド》、花耳《ハナノミ》、 四言
 
丹穗日手有者、毎見、益而所思、奈何爲而、忘物曾《ワスルヽモノゾ》、戀云物乎《コヒトフモノヲ》、」
 
 反歌
1630 高圓之、野邊乃|容花《カホバナ》、 容花の事は卷七に委くいふこゝはかほと云より面とかけしのみ
 
面影爾、所見乍妹者忘不勝裳《ミエツヽイモハワスレカネツモ》、」
 
○大伴宿禰家持贈2安倍郎女1歌一首、 今本女郎とあるは既云誤なり例によりて改む
 
1631 今造《イマツクル》、久邇能京爾、 山城國相樂郡|恭仁《クニ》の京にて聖武天皇遷都の地なり甕《ミカノ》原の京ともいひしなり
 
秋夜乃、長爾獨、宿之《ヌルガ》苦左、」
 
○大伴宿禰家持|從2久邇京《クニノミヤコユ》贈d留2寧樂|宅《イヘニ》1坂上大娘u歌一首、 大孃ならんといふ説もあれど此まゝにてもしか訓べし筆にまかせられたる物なればあらためず
 
1632 足日木乃、 冠辭
 
山邊爾|居而《ヲリテ》、秋風之、日爾異邇、 既いふ如なれば二つの爾を補
 
吹者、妹乎之曾念、」
 
○或者《アルヒト》贈v尼歌二首、
 
1633 手母須麻爾、 既云如く手もやすめずなり
 
殖之芽子爾也、還者《カヘリテハ》、雖見|不飽《アカズ》、情將盡《コヽロツクサム》、」 生したてし女の尼となれるがかなしくて養ひたてし勞をいひ花咲べくもあらねと立かへりてこゝろを盡さんのみとたとへしならん
 
1634 衣手爾、水澁付左石《ミシブツクマデ》、殖之田乎、引板吾波倍《ヒキタワレハヘ》、 鳴子《ナルコ》なりはへは鋼を引|延《ハヘ》なり
 
眞守者栗子《マモレルクルシ》、」 守てふ縁もてかけるのみ苦なりこも前と同じ意なりむこずみもさせてさか行末を見んとおもひまけしたのみなく世すて人となりたるをまもりをるがくるしと譬たるなり
 
〇尼|作《ヨミテ》2頭句《カミノコトバヲ》1令(テ)d誂《アトラヘ》2大伴宿禰家持(ニ)1續《ツガセシ》c末句《シモノコトバヲ》u和歌《コタフルウタ》一首、
 
1635 佐保河之、 今本保佐と有は上下なり一本による
 
水乎塞上而《ミヅヲセキアゲテ》、殖之田乎、【尼作】苅流早飯者《カリハツイヒハ》、獨奈流倍思、」 家持續ぎて尼生育の勞を本の句によめれど上の二首にいらへつる言なければ家持卿にあとらへしに卿は其田の初飯をば人にものせんと生したてつる人のおもひまけにたがひ尼の身一つに初飯までも受得しと末をつきて尼がなげきを譬られしなり【拾穗に云水せき殖つなとして苦勞しながら苅ては獨の早《ハツ》飯ならんとよみて難苦の修行をなしても受用は獨の覺悟なるべしとなり彼筑波の詞の後上句に下句を付る連歌の始め是なりとぞ奥人】
 
 冬雜歌。
 
○舍人(ノ)娘子《イラツメ》雪歌一首、
 
1636 大口能、 冠辭
 
眞神之原爾、 大和の飛鳥郡なり
 
零雪者、甚莫零《イタクナフリソ》、家母|不有國《アラナクニ》、」 【八雲抄に云宿るべき所もなきにと行路の雪を詠り奥人】
 
○太上天皇《オホスメラミコトノ》御製歌一首、 後元正天皇と申奉る
 
1637 波太須珠寸、尾花|逆葺《サカフキ》、黒木|用《モテ》、造有|室者《ヤドハ》、迄萬代、」 假の幸宮をめでさせ賀《ホギ》たまはしゝなり
 
○天皇御製一首、 後に聖武天皇と申奉つる
 
1638 青丹吉、 冠辭
 
奈良乃山有、黒木用、造有|室戸者《ヤドハ》、雖居座不飽不聞《ヲレドアカヌカモ》、」 右聞之御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製《コハヒタリノオホヒマチギミナガヤノオホキミノサホノイヘニトヨノアカリマストキノオホミウタトキケリ》
 
○太宰帥大伴卿冬日見v雪憶v京歌《ツクシノオホミコトモチオホトモノマチキミフユユキヲミテミヤコヲオモフウタ》一首、
 
1639 沫雪、保杼呂保杼呂爾、 既云如くまだらまだらと同言なり
 
零散者、平城京師《ナラノミヤコノ》、所念可聞、」
 
○太宰帥大伴卿梅歌一首、
 
1640 吾岳爾、盛開有、梅花、遺有雪乎《ノコレルユキヲ》、亂鶴鴨《マガヘツルカモ》、」 後のおきまとはせる白菊の花はこれをとれるならん
 
○角朝臣|廣辨《ヒロワキ》雪(ノ)梅(ノ)歌一首、
 
1641 沫雪爾、所落開有《フラレテサケル》、梅花、君之許遣者《キミガリヤラバ》、 君之許は訓の意を得て書し借字なりさてかく云は在所なり君我里妹我里の我は辭なるを言の我に安はこもれば安を略き里加約良なるを里に通して我里といふ良を里に通す例は式の祝詞に御舍御在所御在家を美安良加といふは御在所なり所を加と訓む例は住|所《力》といふに同じ扨此美安良加を御安里加と云もて右を心得にかく言の調にまかせて唱はいにしへの常なり
 
與曾倍弖牟可聞、」 されば君がりやらば吾がめづる心によそへなぞらへて君もめでゝあらんといふなり
 
○安部朝臣奥道雪歌一首、
 
1642 棚霧合《タナギラヒ》、雪毛零奴可、 可は願の意なり
 
梅花、不開之代爾《サカヌガシロニ》、 代は壁代御戸代御杖代などの代に同じくかはりてふ意なり
 
曾倍而谷(ニ)將見、」 曾倍もなぞへて見んと云に同
 
○若櫻部朝臣|君足《キミタリ》雪(ノ)歌一首、
 
1643 天霧之、雪毛零奴可、灼然《イチジロク》、 大に知意なり【伊知の伊は伊加志の約智は多里約志呂は知の意呂久の約留なり下に加幾久計古の言をそへいふのみ】
 
此五柴爾《コノイチシバニ》、 櫟柴なり智比約智なればなり
 
零卷乎將見、」
 
〇三野《ミヌノ》連|石守《イソモリ》梅(ノ)歌一首、
 
1644 引攀而《ヒキヨヂテ》、折者可落《ヲラバチルベク》、梅花、袖爾古寸入(レ)津《ツ》、染者雖染、」 末の句は只添いふのみ一つの體なり歌は四の句迄に首尾せるなり
 
○巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首、
 
1645 吾屋前之、冬木乃上爾、 今の世冬木とこはなる木を指云にはあらず葉有も葉なきも只冬の木を云此次の枚にも冬木の梅と云り
 
零雪乎、梅(ノ)花香常、打見都流香裳、」
 
○小治田(ノ)朝臣東麻呂雪歌一首、
 
1646 夜干玉乃、 冠辭
 
今夜之雪爾、卒所沾名《イザヌレナ》、將開朝爾《サカムアシタニ》、消者惜家牟《ケナバヲシケム》、」 雪をめづる餘によめるなり
 
○忌《イミ》部(ノ)首《オフト》黒麻呂雪歌一首、
 
1647 梅花、枝爾可散登、見左右二、風爾|亂而《ミダレテ》、雪|曾《ゾ》落久類、」 巧める物なり後の歌是より出るならん
 
○紀少鹿《キヲシカノ》郎女梅歌一首、
 
1648 十二月《シハス》爾者、沫雪零跡、不知可毛、梅(ノ)花|開《サク》、含不有而《フヽミアラズテ》、」
 
○大伴宿禰家持雪(ノ)梅歌一首、
 
1649 今日零之、雪爾競而、我屋前之、冬木(ノ)梅者、 こゝをもて見れば前の枚の哥も葉落たる木を云ならん、
 
花開二家里、」
 
○御2在《オハシマシテ》西池邊《ニシノイケノヘニ》1肆宴歌一首《トヨノアカリセストキノウタヒトクサ》、
 
1650 池邊乃、松之|末《ウラ・ムレ》葉爾、 今本須惠と訓たれどこはうら葉かうれ葉か二つながら古ければ暫うらばとして古きによりぬ
 
零雪者、五百重零敷《イホヘフリシケ》、明日左倍母將見《アスサヘモミム》、」  今本こゝに右一首作者未詳但竪子阿倍朝臣虫麻呂傳誦之と有はいかゞ筆にまかせてかゝれたれど既にならひて作者の名有にこゝになければ後人不意に見て書添へたるさかしら言なり前の歌に家持とありてならびてあれば自の歌なる事しるく調も家持に紛なきを見しらぬ人のわざなりけり
 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1651 沫雪乃《アワユキノ》、 【沫は淡の草の手の誤歟今本假字アハと云沫はアワの假字なり奥人案に古事記阿和由岐】
 
比日續而《コノゴロツギテ》、如此落者《カクフレバ》、梅始花《ウメノハツハナ》、散香過南、」
 
○池田(ノ)廣津(ノ)娘子梅歌一首、
 
1652 梅花、折毛不折毛《ヲリモヲラズモ》、見郡禮杼母、今夜能花爾、尚不如家利、 今迄に折とりても見木立に咲まゝに見たれど此夜の花にしくはなしとなり
 
○縣犬養娘子|依v梅發v思《ウメニヨリテオモヒヲオコス》歌一首、
 
1653 如今《イマノゴト》、心乎常爾、念有者、先咲花乃、地爾將落八方《ツチニオチメヤモ》、」 吾心の散みだれし間にかく花はちり過ぬ今の如心は常にやすくぞもつべかりけると梅を見ておもひかへせしなり
 
○大伴坂上郎女雪歌一首、
 
1654 松影乃、淺茅之上乃、白雪乎、不令消將置《ケサズテオカム》、言者可聞奈吉《コトハカモナキ》、」 言は借字事なり松影の雪をめづる餘りに消《ケ》たずておひなん事はなかるまじやと思へるまゝをよめるなり
 
 冬相聞。
 
〇三國眞人人足歌一首、
 
1655 高山之、菅葉之努藝《スガノハシヌギ》、零雪之、 是迄は消といはん序なり
 
消跡可曰毛《ケヌトカイハモ》、戀乃繁鷄鳩《コヒノシゲケク》、」
 
○大伴坂上郎女歌一首、
 
1656 酒杯爾、梅(ノ)花|浮《ウキテ》、念共《オモフドチ》、飲而後者《ノミテノヽチハ》、落去《チリヌ》登母與之、」 太宰の梅の花の歌に本は違て末同じ歌なり
 
○和歌一首、
 
1657 官爾毛《ツカサニモ》、縱賜有《ユルシタマヘル》、今夜耳、將飲酒可毛、散《チリ》許須奈由米、」 梅の花ちりぬともよしとよみかけたれば此樂しきこよひの宴にその梅にゆめ/\散なと花に令せてこたふるなり下の本注にてらし合て見よ
 
右酒者官禁制《コハサケハツカサヨリイマシメタマヘレバ》稱2京中閭里1不2得集宴《ミヤコノウチニウタケスルコトモエセネド》1但親親一二飲樂聽許者《タヾウカラヤカラノタノシミニハユリタマヘレバ》縁v此和人《コヽニヨリテコタフルヒト》作2此發句1焉《コノコトバヲナスノミ》、
 
○藤原(ノ)后宮《キサキノミヤ》奉2天皇1御歌《オホミウタ》一首、 后は光明皇后藤原史公女天皇は後に聖武と申奉
 
1658 吾背兒與、二有見麻世波《フタリミマセバ》、幾許香《イクバクカ》、此零雪之《コノフルユキノ》、懽有麻思《ウレシカラマシ》、」
 
○池田(ノ)廣津《ヒロツカ》娘子歌一首、
 
1659 眞木乃|於上《ウヘニ》、 此眞木はたゞ木の事ともいふべけれと例によらば專ら檜ならん
 
零置有雪乃《フリオケルユキノ》、敷布毛《シク/\モ》、所念可開、佐夜問吾背《サヨトフワガセ》、」 此佐は發語たゞに夜問わがせなり
 
○大伴宿禰駿河麻呂歌一首、
 
1660 梅花、令落冬風《チラスアラシノ》、音耳《オトニノミ》、 是まできくといはん序なり
 
聞之吾妹乎、見良久志|吉裳《ヨシモ》、」
 
○紀少鹿郎女歌一首、
 
1661 久方乃、 冠辭
 
月夜乎清美、梅花、心開而《コヽロヒラケテ》、 心とけての意にいふなり
 
吾念有公《ワガモヘルキミ》、」
 
〇大伴田村|大娘《オホイラツメ》與2妹(ノ)坂上|大娘《オホイラツメニ》1歌一首、 
1662 沫《アワ》雪乃、可消物乎《ケヌベキモノヲ》、至今《イマヽデニ》、流經者《ナガラヘヌレバ》、妹爾相曾《イモニアヘルゾ》、」 こは親みの中の相きこえなり
 
○大伴宿禰家持歌一首、
 
1663 沫雪乃、庭爾零|敷《シキ》、寒夜乎、手枕|不纏《マカズ》、 妹となり
 
一香聞將宿《ヒトリカモネム》、」
 
寛政とふ七年六月廿四日
            穗積奥人五十三齡
 
萬葉集卷十二之考 終
 
萬葉集卷十三之考〔流布本卷弟四〕
 
 相聞。
 
○難波(ノ)天皇《スメラミコトノ》、 【後仁徳天皇と申奉る】
 
皇妹《ミイモウト》、 下の皇兄によるに字を脱せるしるしよて補へり
 
奉《マタシ》d上|在《イマス》2山跡《ヤマトニ》1皇兄《イロセノミコニ》u、御歌《オホミウタ》、 紀應神天皇の御子皇男十人皇女十九人見たりいづれ共不可知なり
 
484 一日社、人母待|告《ツゲ》、 告は借字繼の意なり
 
長氣乎《ナガキケヲ》、如此所待者《カクマタルレバ》、有不得勝《アリガテヌカモ》、」
 
○岳本天皇、 【後舒明天皇と申奉る】
 
御製歌一首并短歌、 今本製の字を脱例によりて補へり
 
485 神代從、生《アレ》繼來者、 阿は宇万約うまれつき/\くればといひ人さはにいひつゞく
 
人多、國爾波滿而、味《アヂ》村乃、 冠辭
 
去來者行跡《イザトハユケド》、 【冠辭考にもいさとはゆけどゝよみしかど心ゆかずいさにはゆけとゝよむべき歟】
 
吾《ワガ》戀流、君爾之|不有者《アラネバ》、 八言
 
晝波《ヒルハモ》、 四言
 
日乃久流留麻弖、夜者《ヨルハモ》、夜之明流|寸食《キハミ》、念乍、寐宿難爾死弖《イネガテニシテ》、 今本死弖の字登とあれど死弖を登の一字と誤る事しるければ改む
 
阿可思追良久茂、長此夜乎《ナガキコノヨヲ》、」
 
 反歌
486 山羽爾、 羽は借宇山の間なり
 
味村騷、去《ユク》奈禮|騰《ド》、吾者左夫|思惠《シヱ》、 此惠は與に通なり
 
君二四|不在者《アラネバ》、」 此歌は長歌の三の句以下五六句までにあたるなり
 
487 淡毎路乃、鳥籠之《トコノ》山有、 (卷四)に狗山鳥籠山有不知也河不知二五寸許須余名告奈と有は不知也川といひていざとうけたり此歌は下にとこしへ戀つゝあらんといはん序にまづ鳥籠山をこゝにいへるなり
 
不知哉川《イザヤガハ》、 いさや此ごろといはんとて地名を重ねいふのみ
 
氣乃己呂其侶波《ケノコロゴロハ》、 氣は許より通せていふのみ則許乃|比比《コロコロ》はといふなりけり
 
戀乍裳|將有《アラム》、」 此歌は長歌の八句め以下をのたまはすにてひるよるとなく戀おぼせどおぼすまゝならねば鳥籠山の名の如とこしへ此日比は戀あらんとなり
 今本歌の左に右今案に高市岳本宮後岳本宮二代二帝各有異焉但稱岳本天皇未審所其指と有るは歌の樣もしらぬ後人の書加へたる事しるかればすてつ此歌此端詞のまゝならば男帝にて女をおぼしめすなりさて家集なる物からしたゝかにも撰まれずうち聞たるままにかゝれたるが傳りたるとのみ此集の樣見ゆれば岳本宮より御代もほどふればしかいひ傳へたるのみならんか長歌のさまも反歌のさまも岡本宮の比のしらべともなしならのはじめの比の歌ならずやと思はる
 
○額田女王、 既云如く卷一別記にくはし
 
思《シヌビマツリ》2近江(ノ)天皇1作歌《ヨミマセルウタ》、 天皇は後に天智天皇と申奉る此歌は既に卷十二に次の歌ともに出たりそこにくはしく云ばこゝに不委
 
488 君待登、 登はとての畧なり
 
吾戀居者、我屋戸(ノ)、簾|令動《ウゴカシ》、秋之風吹、」 今本簾動之秋風吹とあるは字の脱上下したるなり卷十二によりて改
 
○鏡女王作歌、 此女王の事も右に云如し
 
489 風乎太爾、戀流波乏之、風小谷、將來登時待者、何香|將嘆《ナゲカム》、」
 
 大伴家持贈
○□□□□□吹黄(ノ)刀自歌、
 
今本こゝを吹黄刀自歌二首とあるはまたき誤なりこは誰贈云々とありけんを亂れ本のまゝに仙覺などが校合の時改もせで今の如くはなりつらん此歌は歌ざまこと葉まぎるゝ事なき男歌なり次の歌に刀自和歌とありけんをそはみだれて脱しならんさて歌のしらべ家持卿に似たれば此卿との贈答ならんと見ゆよて白圏のかたはらに試にそへたり正しき本を見ん人改めよ
 
490 眞野之浦乃、 後の物に眞野浦によどの繼橋を添よめるは攝津國なるよし見ゆ大和近江にも同名有何れにや
 
與騰乃繼橋、 つぎ橋といふは橋ありて中に淵又島などの有て又其向へ渡る便に橋をかけしをいふなり扨つぎておもふてふ事をいはん序に此地名をとりいでゝよめるなり
 
情由毛《コヽロユモ》、思哉妹之《オモヘヤイモガ》、 おもへやはおもへれやのれを畧云なり
 
伊目爾之|所見《ミユル》、」 たえずおもへれや夢に見ゆとめてゝおくるなり
 
○吹黄刀自和歌、 こゝにかくて有を今本に脱せるなり
 
491 河(ノ)上乃《ヘノ》、 今本の訓しからず
 
伊都藻之花乃、何時何時《イツモイツモ》、來益我背子《キマセワガセコ》、時自異目八方《トキジケメヤモ》、」 此歌は卷七に既出そこに委くいふ
 
○田部忌寸櫟子《タナベノイミキイチヒ》任《マケタル》2太宰《ツクシノツカサニ》1時歌《トキノウタ》四首、 【此歌の右には田部云云妻作歌ともありて其次の二首田部云々櫟子作歌其次には田部云々妻作歌とも歌の右かたに有べき他の例なりされど家集の事なれば必とする事にもあるべからねば始に田部云云が任2太宰1時の四首とのみかゝれしは歌にて作者しらるれば畧てかくもかゝれしにや有けんよて是のみ歌數をしるしてよしは歌ごとにことわれり】
 
492 衣手爾、取等騰己保里《トリトヾコホリ》、哭兒爾毛、益有吾乎《マサレルワレヲ》、 まされる吾とは櫟子が妻の自らをさしていふなり
 
置而如何將爲《オキテイカニセン》、」 四の句の吾乎は君乎の誤なりといふもあれど此歌は旅の別の妹背の相聞の贈答にて妹吾乎とどめ置ていかにしけむとよめるなり
 
493 置而行者、 前の歌の置てといふをうけてよめる背の歌なり
 
妹將戀可聞、敷細乃、 冠辭
 
黒髪布而、 冠辭よりは黒髪しきてぬるになり下へうくる詞はしきりて長き夜と云なり
 
長此夜乎、」
 
494 吾妹兒矣、相令知《アヒシラセヌル》、人乎許曾、 あひ見しはじめの中たちの人をさし云なり
 
戀之益者、恨三念《ウラメシミオモヘ》、」 おもふがあまりにをさなくうらめるなり
 
495 朝日影、爾保敝流山爾、照月乃、 大和國は四方山なれば日の出る方も山なるべしさて下弦の月の山邊をはなれぬほどに日もにほひぬべければそを見るからに背の山越なんをおもひてあかざる序とせり
 
不厭君乎《アカザルキミヲ》、山越爾置手《ヤマコシニオキテ》、」 此歌は又妹のよめるなり
 
○柿本朝臣人麻呂歌、
 
496 三熊野之、浦乃濱木綿、 こは後に濱おもとてふ物にて其莖をへぐに幾重ともなく重なるものなり色白きものなれば眞木綿に向へて濱木綿とは名づけたるなりこはやごとなき御説もていふなり
 
百重成、心者雖念《コヽロハモヘト》、直不相鴨《タヾニアハヌカモ》、」
 
497 古爾、有兼人毛《アリケンヒトモ》、如吾歟《ワガゴトカ》、妹爾戀乍、宿不勝家牟《イネガテニケム》、」 妹こひしらにいねかねて古へ人をさへおもふなり
 
498 今耳之《イマノミノ》、行事庭不有《ワザニハアラズ》、古《イニシヘノ》、人曾益而《ヒトゾマサリテ》、哭左倍鳴四《ネニサヘナキシ》、」
 
499 百重二物《モヽヘニモ》、來及毳常《シキシケガモト》、 來及を今本に伎於與倍《キオヨベ》と訓しは字に泥るなり紀(仁徳)天皇聞d其太后自2山代1上幸u而使3舍人名謂2鳥山1人送2御歌1曰夜麻斯呂邇伊斯祁登理夜麻伊|斯祀伊斯祁《シキイシケ》とよませ給しによるにこゝも斯祀斯祁《シキシケ》とよむべし
 
念鴨、公之使乃、雖見不飽有哉《ミレドアカザレヤ》、」 今本に此疑の句を阿加邪良牟と訓しは字にもあたらず邪は受阿約なり下は有|哉《ヤ》と訓べし
 
○碁檀越《ゴノタンヲチ》、 既出
 
往2伊勢國1時|留妻《イヘナルメガ》作歌、
 
500 神風之、 冠辭
 
伊勢乃濱荻、 葦荻は交りて生れは伊勢濱荻とよめるなり濱邊に有荻なりしかるを何人か物の名も所によりて替りけりなど云はいともひが言なり
 
折伏《ヲリフセテ》、客宿也|將爲《スラム》、荒濱邊爾、」
 
〇柿本朝臣人麻呂歌、
 
501 未通女等之、 冠辭
 
袖振山乃、 【大和の山邊郡の振山を袖振にといひかけしは古へのつゞけの例にてかきくらし雨ふる川攝津國のつが野を吾妹子を聞つがのべなどいへる類なり】
 
水垣之、 冠辭
 
久時從、憶寸吾者、」 (卷四)に此歌既出そこに柴垣てふ冠辭の事もかしこき御説もてくはしくいへれば合見べし
 
502 夏野去、小牡鹿之角乃、束間毛、 一束の間もと云にて少のほどもわすれんやなり
 
妹之心乎、忘而|念哉《オモヘヤ》、」 諸成此言を猶考るに於毛倍の倍は波米の約にてわすれて思はめやなり
 
503 珠衣乃《アリキヌノ》、 冠辭
 
狹藍左謂沈《サヰサヰシヅミ》、 此歌は(卷六)既出こゝに眞淵の考もあれど諸成猶案るに狹藍の爲《ヰ》は和岐の約にてさわぎさわぐをしづめと云なり
 
家(ノ)妹爾、物不語來而《モノイハズキテ》、思金津裳、」 卷六なるは國風なりこゝは此卿のきかれたるまゝにあげられたるなめりさればいさゝか言もてにをはもたがへるは宮風と見すぐすべし
 
○柿本朝臣人麻呂妻歌、
 
504 君家爾、吾住坂乃《ワレスミサカノ》、 大和國宇陀郡墨坂なり契沖云(卷十四)百たらぬ八十墨坂とあり此妻身まかられたる時人麻呂のなげきて「あまとぶやかるの道をばわきもこが里にしあれば」といへり輕の里は高市郡墨坂は高市郡の東にあたりて其間すこし隔るべしといひしにてよくしらる
 
家道乎毛、吾者不忘、命不死者、」
 
○阿倍郎女歌、 今本こゝを安倍とす下皆阿とあるによて改ぬ
 
505 今更、何乎可將念、打|靡《ナビキ》、情者君爾、縁爾之物乎、」
 
506 吾背子波、物莫念、事|之《シ》有者、火爾毛水爾毛、吾莫七國、」 此終の句意は卷一に委いひ(卷十)に奈家奈久爾と假字書もありて明らかなり歌の意は垂仁天皇の后宮火に入まし橘姫命の水に入まして皇子尊の御身につゝがなかりしなどをおもひてよめるならん
 
○駿河(ノ)采女歌、 今本※[女+采]女一本妹と有共に誤しるかれば釆女とあらたむ 
507 敷細乃、 冠辭
 
枕從|久久流《クグル》、涙二曾、浮宿乎思家類、戀乃繁爾、」 古へといへどならとなりてはかく言をかざれる歌あるまゝに古今歌集に至りてはまくらながるゝなどてふもよみなせるもありて花にのみなり行古のまことなる歌をうしなへるなるべし
 
〇三方(ノ)沙彌歌、
 
508 衣手乃、 袖は左右にわかれてあればわかれともつゞくべく又旅行にはわかれぬるなればそをおもひても云べし用に云なせば冠辭ならず
 
別今夜從《ワカルコヨヒユ》、妹毛吾毛、甚戀名《イタクコヒンナ》、相因乎奈美《アフヨシヲナミ》、」
 
○丹比《タヂヒ》眞人笠麻呂下2筑紫國1時作歌并短歌、 紀(文武)大寶元年七月壬辰左大臣正二位多治比眞人島薨大臣宣化天皇之玄孫多治比王之御子也かゝれば皇子(ノ)曾孫なり笠麻呂はみし所なしと契冲もいへり
 
509 臣女乃《オミノメノ》、 今本に末宇刀米と訓しは僻事なり字のたがへるかしからん訓もあらんかしばらく字によるのみ【臣女乃ちふ言集中こゝのみ也恐は臣女は姫の字なれば例の戯書歟さらばたをやめとよまむか清小納言は※[巫+鳥]を巫鳥とかきし類にや天武紀にも巫鳥《シト》と有奥人】
 
匣爾乘有《クシゲニノスル》、鏡成、 海のにはよきをいふなり
 
見津乃濱邊爾、狹丹頬相、 冠辭
 
紐解|不離《サケズ》、吾妹兒爾、戀乍居者、明晩乃《アケクレノ》、 阿計具良計てふ言を約通したる言にて夜明のくらきをいふ
 
旦霧隱《アサキリカクリ》、鳴多頭乃、哭耳之所哭《ネノミシナカユ》、 今本奈伎乃美叙奈久とよみしはいまだしかり
 
吾戀流、千重乃一隔母、名草|漏《モル》、情毛|有哉跡《アルヤト》、家(ノ)當、吾立見者、青楊乃、 冠辭今本音弭と有は誤なるよし冠辭考に委
 
葛木山爾、多奈引流、白雲|隱《ガクリ》、天|佐柯留《サカル》、 冠辭【今本佐我流とある我は濁音なり例によて改】
 
夷乃國邊爾、直向《タヾムカフ》、淡路乎|過《スグリ》、粟島乎、背爾《ソガヒニ》見管、 諸成案に勢牟伎阿比の勢牟の約須なるを曾に轉し伎阿の約加なれば曾加比とは云なりさて勢牟伎は曾牟伎なり
 
朝名寸二、水子《カコ》之|音喚《コヱヨビ》、 今本の訓はいさゝかいまだしかり【紀(應神)日向諸縣君牛とふ者鹿皮を着て毎に浮來て帝の御船に從へり其所を鹿子の御門と云播磨國なり凡水手曰鹿子蓋始起于是時云云拾穗の注に出奥人】
 
暮名寸二、梶之|聲《ト》爲管、浪《ノ》上乎、五十行左具久美《イユキサグクミ》、 具久の約久なり其久と美を約れば伎なり行左伎なり則さけ行なり式祝詞に此言あり
 
磐間乎、射往廻《イユキモトホリ》、稻日都麻《イナビヅマ》、 播磨國印南郡の島なり(卷十)吾妹子が形見に見んを云云の歌にくはしく云【いなみづまの都は助字にていなみしまの略なりさつまつしまの事も島の意なり】
 
浦箕乎過而《ウラミヲスギテ》、 箕は備に通備は邊なり
 
鳥自物、魚津左比去者《ナヅサヒユケバ》、家乃島、 式神名帳に播磨國揖保郡家島神社あり後世繪島と云は誤なり
 
荒礒之宇倍爾、打|靡《ナヒキ》、四時二生有、莫告我《ナノリソガ》、 紀(允恭)十一年三月朔幸於茅渟宮衣通郎姫歌之曰等虚辭陪邇枳彌母阿閉椰毛異舍儺等利宇彌能波摩毛能余留等枳等枳弘時天皇謂衣通郎姫曰是歌不令※[耳+令]他人皇后聞必大恨故時人號濱藻謂奈能利曾毛也此事紀に有をもてもはらいふ言の如くさもおもへど諸成案に莫名者告《ナハノリソ》と奈波の里と言の同じかるを余波の約奈なれば奈乃利曾とつゞめていふならん
 
奈騰《ナド》可聞妹爾、不告來二計謀《ノラズキニケム》、」
 
  反歌
510 白妙乃、 冠辭
 
紐解更而、 今本に紐を袖とあり白妙てふ言よりは袖とつゞくべき言ながら袖は袖結もあればとくともいふべけれど結とくなどこそいはめよしさいふともそは夜床のさまならず白妙の多須寸ともつゞくれば紐ともいふべくおぼゆさて長歌のはじめに紐解不離とあるをもとの句に云とおもへばかた/\改ぬ
 
還來武、月日乎|數而《ヨミテ》、往而來猿尾《ユキテコマシヲ》、」 かへりこん月日をいつとよみかぞへて妹にものりて往て來ましものをと長歌の終の句の意をうたひかへせるなり
 
○幸2伊勢國1時|當麻麻呂大夫妻作歌《タギマノマロノマチキミガメノヨメルウタ》、
 
511 吾背子者、何處將行《イヅコユクラム》、巳津物《オキツモノ》、 冠辭
 
隱之山乎、今日歟越良武、」 此歌は卷一に既出たり又隱の山の事冠辭にくわしく出
 
〇草孃《カヤノヲトメガ》歌、 此草とのみあるは草香《クサカ》の香を落せしかしからば是もいらつめと訓べし
 
512 秋田之、穗田乃苅婆加、 (卷七)に秋田吾苅婆可能過去者てふ歌にくはしくかりはかりてふ言を略て云なり 【苅婆加は苅場所の意成べし卷七なるも同今考得てここにいふ】
 
香縁相者《カヨリアハバ》、 田苅とらばよりあふ物故たとへていふなり
 
彼所毛加人之《ソコモカヒトノ》、 より合ゐたらんにはといふなり
 
吾乎事將成《ワヲコトナサム》、」 人言にいひたてさわきなんと云
 
○志貴皇子御歌《シキノミコノヨミマセルウタ》、
 
513 大原之、 (卷三)吾里爾大雪落有大原のてふ歌に云如く大和國宇智郡にあり
 
此|市柴乃《イチシバノ》、 (卷四)に道乃邊五柴原乃(卷十二)にも五柴と有五市共に言通はいづれにも云べし委はそこにいふなり
 
何時鹿跡《イツシカト》、 今本鹿を庶に誤る一本によりて改む
 
吾念《ワガモフ》妹爾、今夜相有香裳《コヨヒアヘルカモ》、」
 
○阿倍郎女歌、
 
514 吾背子之、着世流衣之《ケセルコロモノ》、 今本着を盖とせるは誤しるかれば改む着《キ》は計にも通へばかくいふか又案に伎世の約計なれば着《キセ》せるてふ言ならん歟とも思へり
 
針目不落《ハリメオチズ》、入爾《イリニ》家良之奈、 心にしむを入といふやがておもひ入なり今本奈を脱せり假字によりて字を補へり
 
我情副《ワカコヽロサヘ》、」
 
○中臣朝臣|東人《アヅマビト》、 和銅四年叙從五位下天平五年三月從四位下
 
贈阿倍(ノ)郎女歌、
 
515 獨宿而、絶西|紐緒《ヒモヲ》、 久しく獨ぬるをいふ
 
忌見跡《ユヽシミト》、世武爲便|不知《シラニ》、哭耳之曾泣、」 (卷五)針者有杼妹之無者|將着哉跡《ツケメヤト》吾乎|令煩《ナヤマシ》絶紐之緒とあるに似たり
 
○阿倍(ノ)郎女答歌、
 
516 吾以在《ワガモタル》、三相二※[手偏+差]流《ミツアヒニヨレル》、 三つ組の緒のつよきを云紀(孝徳)始吾(カ)遠(ツ)皇祖之|世《ミヨ》、以2百濟(ノ)國1爲2内宮家1、譬如2三絞之《ミツアヒノ》綱1、中間以2任那國1屬2賜百濟1、と見ゆ
 
絲用而《イトモチテ》、附手益物《ツケテマシモノ》、今曾悔寸、」
 
○大納言兼大將軍大伴卿歌《オホヒモノマヲスツカサカヌルオホキイクサノミコトモチオホトモノマチキミノウタ》、
 
517 神樹爾毛《ミケニモ》、 神樹を佐賀伎と訓は俗なり紀(景行)阿佐志毛能彌開能佐烏麼志とあるもてこゝも美計とよめり
 
手者|觸云乎《フルトフヲ》、打細丹《ウツタヘニ》、 【打細 奥人按にうちつたへとはたえすにといふ心なりとあれどつたへの約てなり此てはちつけの約にてうちつけにてふ言となすべきか古今にもうちつけにさびしくも有か黄葉も云々と有】既に卷七に云如くうちたへを約言なり
 
人妻跡云者《ヒトツマトイヘバ》、不觸|物可聞《モノカモ》」 歌意は契冲いふ神の領し給ふ木にだに手はふらるゝに人の妻と定りぬれば手ふるゝ事もあたはぬものかといへりしかいふまでなくてきこえたり
 
○石川郎女歌、 下の卷の尼理願の注にいふ如く安麻呂卿の妻なり
 
518 春日野、山邊(ノ)道乎、與曾理無《ヨソリナク》、 與利曾波利を約し云なり無てふ言のそへはこゝは他人に與曾波利そへる心なく一心に通しをいふ
 
通《カヨヒ》之君我、不所見許呂香裳《ミエヌコロカモ》、」
 
〇大伴郎女、 旅人卿の室太宰府にて身まかられし大伴郎女なり今本是をさへ女郎に誤他の誤知べし
 
519 雨障《アマザハリ》、 雨をいとひて來らぬを云
 
常爲公者《ツネスルキミハ》、久堅乃、 冠辭
 
昨夜雨爾《ヨフベノアメニ》、將懲鴨《コリニケムカモ》、」
 
○後人|追和歌《ナソラヘコタフルウタ》、
 
520 久堅乃、 冠辭
 
雨毛落糠、 加は願意俗のふれかしと云に同今本糠を※[禾+康]とするは誤なり
 
雨乍見《アマツヽミ》、 雨をかしこみ慎なり包の意ならず
 
於君副而《キミニヨソリテ》、 よりそひてと云なり
 
此日令晩《コノヒクラサム》、」
 
○藤原(ノ)宇合大夫《ウマカヒノマヘツキミ》、 續紀(元正)養老三年七月始置按察使常陸國守正五位上藤原宇合管安房上總下總三國と見えたり
 
遷任上京《ウツリマケテミヤコニノボル》時常陸(ノ)娘子贈歌《ヲトメガオクルウタ》、 
521 庭立《ニハニタヅ》、 賤家のさまなり則麻生なり(卷十一)に小垣内之麻矣引干妹名根之と有も同じ
 
麻乎苅干、 麻は苅てしきならべほす物故布慕序とせり今本麻手と有は誤なり上に引卷十一の歌によりて乎に改
 
布慕《シキシタフ》、東女乎《アツマヲトメヲ》、忘賜名《ワスレタマフナ》、」
 
○京職大夫《ミヤコツカサノカミ》藤原(ノ)麻呂大夫《マロノマチキミ》、 養老五年六月從四位上藤原朝臣麻呂爲左右京大夫神龜六年詔云京職大夫爲從三位藤原朝臣麻呂云云と見ゆ今本麻呂を脱前の歌の宇合大夫によりて麻呂の字を補へり
 
贈2大伴(ノ)坂上(ノ)郎女1歌、 今本大伴女郎とあるは誤なり大伴郎女は前にいへりこゝは歌の左の注にて其よし明白なれば坂上の二字を補へり又賜と有は贈の誤しるかれば改つ
 
522 ※[女+感]嬬等之、珠篋有《タマクシゲナル》、玉櫛乃、 玉櫛とは釵子なり古は男の五百津爪櫛などに玉を飾れり其の如く釵子にも玉を飾れり則そを玉櫛とはいひしなり 
神家武毛《カ|ミ《ン》サビケムモ》、 諸成云かの玉櫛はよそほふ具なれば背とさたまへる男のこざらんにはうちすてゝもおくべくさればかみさびとはいへり君なくばなに身かざらんなどよめるをおもへ今本にめづらしけんとよめるは歌の意にも神と書けるにもかなはざればあらためつこゝはやごとなき御説によりてかくはいへり
 
妹爾阿波受有者、」
 
523 好渡《ヨクワタル》、人者|年母《トシニモ》、有云乎、 (卷三)に年渡麻弖爾毛人者、有云乎、何時之間|曾《ゾモ》、吾戀爾來、とて己母埋久乃、始瀬之河之、上瀬爾、てふ歌の反歌とて今本に擧しは全此歌なりかく歌主もさだかなる歌なれば撰に入べきならずそこに眞淵委いへる如く後人のわざならめさてもとの句は織女をおもひてよめるなりけん
 
何時間曾毛《イツノマニゾモ》、吾戀爾來《ワガコヒニケル》、」
 
524 蒸被《ムシブスマ》、 むかしふすまは綿入たるあつぶすまをいふ事既にいつ
 
奈胡也我下丹《ナゴヤカシタニ》、雖臥《フセレドモ》、與妹不宿者《イモトシネヽバ》、肌之《ハダシ》寒霜、」
 
○大伴坂上郎女和歌、 こも今本には大伴郎女とのみせり
 
525 狹穗河乃、小石踐渡《サヽレフミワタリ》、 【小石はさしと可訓歟下にも石をしの假字に用ゐたり】
 
夜干玉之、 冠辭
 
黒馬之來夜者《コマシクルヨハ》、 久呂の約古なれば小馬の義に取て冠辭よりつゞけたり
 
年爾母有糠、」 こゝも今本※[禾+康]とせり
 
526 千鳥鳴、佐保乃河瀬之、小浪《サヽレナミ》、止時毛|無《ナシ》、吾戀爾、 此爾はそへたるのみすてゝ心得べし【戀爾奥人按に此所はかへるてにをはにて切る所へかへりて心得るなり只そへたるのみにあらず】
 
527 將來云毛《コムトフモ》、不來《コヌ》時有乎、不來云乎《コジトフヲ》、將來常者|不待《マタジ》、不來云物乎《コジトフモノヲ》、」
 
528 千鳥鳴、佐保乃河門乃、瀬乎廣彌、打橋渡須、奈我來|跡念者《トオモヘバ》、」
 右郎女者《ミキリノイラツメハ》、佐保(ノ)大納言卿之女也《オホヒモノマヲスツカサノマヘツキミノムスメナリ》、 卿は大伴宿禰麻呂卿なり女は家持卿の叔母にて又姑なり
 
初《ハジメ》嫁《ムコスミセリ》2一品穗積皇《ヒトツミクラヰホツミノミ》子|被寵《メデラレマツリシコト》無儔《タグヒナカリシ》而|皇子薨之後《ミコスギマシヽノチ》、 紀(文武元正)知太政官事、紀に(元正)靈龜九年七月薨と見
 
時藤原麻呂(ノ)大夫|嫂2之《ツマドヒセリ》郎女(ヲ)1焉郎女|家《イヘヰセリ》2於坂上里1仍|族氏《ヤカラ》號《ナヅケテ》曰《イヘリ》2坂上郎女1也
 
○又大伴坂上郎女歌、 こゝに又云云と有もて前大伴郎女と有は誤いよ/\しるし契冲は先の歌の連にて又贈麻呂卿歟と云りしか云までもなく又よしもかけるにて著し
 
529 佐保河乃、涯之官能《キシノツカサノ》、 (卷七)に山のつかさ(卷十七)に野づかさすべて高き所をいふ
 
小歴木莫苅焉《シバナカリソネ》、 契冲はちいさきくぬぎはしばにこる故に心を得てしばとよみしか紀(景行)歴木と書てくぬぎとよめりと云り案るにすこし年經て苅て燒ばかりなる意もてかく書るならん今本焉を烏に誤る
 
在乍毛《アリツヽモ》 其小木のありたらばなり
 
張之來者《ハルシキタラバ》、立隱金《タチカクレカネ》、」
 
○天皇賜2海上女王1御製歌、 例によりて製を補女王は續紀(元正)養老從四位下同紀(聖武)神龜元年從三位と見ゆ
 
530 赤駒之、越馬棚《コユルマヲリ》之、 馬棚はませの事を云即馬せきにて埒なり馬場にひをりと云も則此事にて引折の意長くこれをゆふなり今獣など入る物ををりといふに同じ
 
緘結師《シメユヒシ》、 契冲がこゝの意を馬棚をよく/\結かためたれば放れやせんとの心づかひする事なきが如く同じ心に契りおきつればふた心あらんかと疑はしくもおはせぬなりといひしはよし
 
妹情者《イモガコヽロハ》、疑毛奈思、」 今本こゝに右今案此歌擬古之作也但以2往當便《ソノカミノタヨリヲ》1賜2斯歌1歟と有は後人の書加し書體天皇の御製を論ふにはゐやなきなりいとつたなく家持卿の筆ならず契冲かこを取立て云はよしなし
 
○海上女王奉和歌、
 
531 梓弓、爪引夜音之《ツマヒクヨトノ》、 隨身夜の陣にて鳴弦するを序として右の如き御製歌を遠くも聞えさせ給ふをよろこび奉り給ひて和たまふなり
 
遠音爾毛《トオトニモ》、 遠音は遠きおとながらもなり
 
君之御事乎、 上の言の意によるに今本に御幸と有は誤なり御幸の事にしては聞えず事の畫の消しを見誤れるなるべし事は借字言なり
 
聞之好毛《キクハシヨシモ》、」
 
○大伴宿奈麻呂宿禰歌、 養老三年備後守正五位下管安藝周防二國此時其國より女を貢しむる時によめるなり
 
532 打日指、 冠辭
 
宮爾行兒乎、眞悲見《マカナシミ》、 ふかく云んとて眞とはそへつ
 
留者苦《トムレバクルシ》、聽去者爲便無《ヤレバスベナシ》、」
 
533 難波方、鹽干之名疑《シホヒノナゴリ》、 波凝を約いふ言なり言の解は荒良言に云 
飽左右二、人之見兒乎、吾四乏毛、」 旅行道の人もあくまでに見むを見たらほしみすと云
 
○安貴《アキ》王歌並短歌、
 
534 遠嬬(ノ)、此間不在者《コヽニアラネバ》、玉桙之、 冠辭
 
道乎多遠見《ミチヲタトホミ》、 多は發語なり
 
思空《オモフソラ》、安莫國《ヤスカラナクニ》、嘆虚《ナゲクソラ》、不安物乎《ヤスカラヌモノヲ》、水空往《ミソラユク》、雲爾毛欲茂《クモニモガモ》、 今本茂を成とす假字によて改
 
高飛《タカクトブ》、鳥爾毛|欲茂《ガモ》、 こゝの茂も上に同
 
明日去而《アスユキテ》、於妹言問《イモニコトヾヒ》、爲吾《ワガタメニ》、妹《イモ》毛事無、 今本事事無と有は事一字衍なりおもふに此句妹毛事問爲吾妹毛事無とありしを脱せるならん
 
爲妹、吾毛事無久、 こゝも五言一句落しならんか此體の例も有
 
今裳見如、 此言卷一既出そこにくはし
 
副而毛欲得《タグヒテモガモ》、」
 
 反歌
535 敷細乃、 冠辭
 
手枕|不纏《マカズ》、間置而《ヘダテオキテ》、年曾|經來《ヘニケル》、不相念者《アハヌオモヒハ》、」 意明なり
 
右安貴王《ミキリアキノオホキミ》娶《ツマトヒ》2因幡八上采女《イナバノヤカミノウネメヲ》1係念極甚愛情尤盛《オモヒヲカケイタクメヅルコヽロウベサカレリ》於時勅斷《コヽニミコトノリコトハリ》2不敬之罪《ウヤマハヌツミヲ》1退2却《マカラセラル》本郷《モトツクニ》1焉|于是《コヽニ》王意悼怛聊作此歌《コヽロイタミイサヽカニコノウタヲヨミマセリ》也、
 
〇門部王戀歌、
 
536 飫宇之《オウノ》海之、 出雲國意宇郡のならんか出雲風土記に大海宮松崎てふ所有又|意《オ》保美濱てふも有こは出雲郡意保美神社(式にみゆ)と同所ならんされど皆意保の假字にてこゝに云とは他し所ならんとおぼゆ
 
鹽干乃滷之、 片といはん序
 
片念爾、思哉將去《オモヒヤユカム》、道之永手乎《ミチノナカテヲ》、」
 右門部王任2出雲守1時《トキ》娶《ツマドヒタマヘリ》2部内娘子《トモヌチノヲトメヲ》1也|未有幾時既絶2往來《マダホドアラデハヤクユキキタエヌ》1累月之後更越2愛心《ツキヘテノチマタメツルコヽロアリ》1仍作2此歌1贈2致《オクレリ》娘子(ニ)1、 
〇高田女王贈2今城王1歌、
(三)
537 事清《コトキヨク》、甚毛莫言《イトモナイヒソ》、一日太爾、君伊去坐者《キミイニマサバ》、 今君|伊之哭者《キミイシナカハ》と有之は去にて哭は一本莫とあるもともに誤ならん歌の意も不通改るよし下にいふ【君伊之哭者《キミイユキナケハ》一本君|伊之莫者《イユキナハ》奥人按にともに右の如可v訓歟之は字書に往也と見え哭莫共になくと訓はなのかなに可用尤よみを假字に遣ふには下を取例なれど此なくなきなどの下のかなは辭なれば下は取べからす既哭を禰のかなとせしも有は理同じ】
 
痛寸取所物《イタキキズゾモ》、」 今本痛寸取物と有ていたきずぞもと訓たれど所の字なくてはしかはよみがたし例によりて補へり○此歌今本の歌なみ三首めの歌に同じく吾はさのみかゝさじとおもふ心よりよめるなるべしさて歌の意は人のいはん時清くしからずとないひあらそひそそれにさへられて君が一日もこゝをかへりいにまさば苦しからんと云なるべし次に此四首めの歌ありてけさのわかれといふなるべければいよゝ此歌の意きこゆめれさればわたくしの集にて歌のなみもきゝしまゝに書るにて前しりへになりぬと見ゆれば歌毎に試になみをしるしぬ
(二)
538他辭乎《ヒトコトヲ》、繁言痛《シゲミコチタミ》、不相有寸《アハザリキ》、心在如《コヽロアルゴト》、莫思吾背《オモフナワガセ・ナオモヒワガセ》、」 (卷五)人言乎繁三|毛人髪《コチタミ》我兄子乎目者雖見相因毛無と有に似たりさて此歌は二首めなるべし
(一)
539 吾背子師、遂常云者《トゲントイハヾ》、人事者、繁有登毛《シゲクアリトモ》、出而相麻志呼、」 此歌は始の歌なり六首同じ度に贈りしにあらず末の歌にて其よし明なり前云如前後なり
(四)
540 吾背子爾、復者不相香常《マタハアハジカト》、思墓《オモヘバカ》、今朝別之《ケサノワカレノ》、爲便無有都流《スベナカリツル》、 またあはじとおもへるほどの別までによし有しをせんすべなくおもひておくれり
(五)
541 現世爾波《コノヨニハ》、人事繁(ミ)、來生爾毛《コムヨニモ》將相吾背子《アハンワガセコ》、今不有十方《イマナラズトモ》、」
 
542 常不止《トコトハニ》、通之君我、使不來《ツカヒコズ》、今者不相跡《イマハアハジト》、絶多比奴良思《タエタヒヌラシ》、」 多由萬牟多由牟とも云如く末行と波の半濁にも通せていへばたゆみぬらんといふに同じ
 
○神龜元年十月幸2紀伊《キノ》國1之時爲v贈2從駕人1所v誂2娘子1笠(ノ)朝臣金村作歌并短歌、
 
543 天皇之《スメロキノ》、行幸乃隨意《イデマシノマヽニ》、物部乃、 冠辭
 
八十伴(ノ)雄|與《ト》、 從駕のものゝふと共になり
 
出去之《イデユキシ》、愛夫者《ウツクシツマハ》、天翔哉、 冠辭
 
輕路從《カルノミチヨリ》、玉田|次《スキ》、 冠辭
 
畝火乎見管、麻裳|吉《ヨシ》、 冠辭
 
木《キ》道爾|入立《イリタチ》、眞土山、 紀の川をこゆれば眞土山なり紀の路の入口なり背山につゞけり今も眞土峠といふ
 
越良武公者、黄葉乃、散飛見管、親《ムツマジキ》、吾者不念《ワレヲバモハズ》、 むつまじむべき吾をといふ
 
草枕、 冠辭
 
客乎便宜常《タビヲヨスガト》、 よすがは與須留種を略き約めたる言にて旅を云よせぐさとして吾とかくわかれて居給ふならんといふなり
 
思乍《オモヒツヽ》、公將有跡《キミハアラムト》、安蘇蘇二破《アソソニハ》、 あさ/\を略きいふ久久をひさゝといふが如しこを或人うす/\といふはたがへるなり
 
且者雖知《カツハシレドモ》、之加須我爾《シカスガニ》、黙然得不在者《モタモアリエネバ》、吾背子之、往乃萬萬《ユキノマニ/\》、將追跡者《オハントハ》、千遍雖念、手弱女(ノ)、吾身之有者《ワカミニシアレバ》、道守之、 關守山守など云に同
 
將問答乎、言將遣、爲便乎不知跡《スベヲシラズト》、立而|爪衝《ツマヅク》、」 そば立て望さまなり
 
 反歌
544 後居而、戀乍不有者、木(ノ)國乃、妹背乃山爾、有益物乎、」
 
545 吾背子|之《ガ》、跡履求《アトフミモトメ》、追去者《オヒユカバ》、木乃關守、伊將留鴨《イトヾメンカモ》、」
 
〇二年三月幸2三香(ノ)原(ノ)離宮《トツミヤニ》1之時笠朝臣金村|得《エテ》2娘子《ヲトメヲ》1作歌并短歌、
 
546 三香之原、客之屋取爾、珠桙乃、 冠辭
 
道能去相爾《ミチノユカヒニ》、天雲之、外耳見《ヨソノミミ》管、 此下に闇夜爾鳴奈流鶴之外耳聞乍可將有相跡羽奈之爾と云に同じ
 
言將問《コトヽハム》、縁乃無者《ヨシノナケレバ》、情耳《コヽロノミ》、咽乍有爾《ムセツヽアルニ》、天地、神祇辭因而《カミコトヨセテ》、敷細乃、 冠辭
 
衣手易而《コロモテカヘテ》、 かへての倍は波勢の約にて加波せてにてかはしてと云なり
 
自《ワガ》妻跡、憑有《タノメル》今夜、秋(ノ)夜之、 春のみじか夜なれば一しほに秋のながき夜をほりおもふなり
 
百夜乃|長《ナカサ》、有乞《アリコセ》宿鴨、」 今本乞を與として阿留與宿鴨とよめるはいとも誤れり乞を與に誤る事は前にいふが如し宿は奴の假字に借たるのみ集中の例もて改
 
 反歌
547 天雲之、外從見《ヨソニミシヨリ》、吾妹兒爾《ワキモコニ》、心毛身副《コヽロモミサヘ》、 吾心に身さへによるといふなりさへのことばにてふかくおもへるをしらる
 
縁西鬼尾《ヨリニシモノヲ》、」 此ものの一言に契冲か説おなし又齊悼惠王世家を引てさま/\いふはいまだし鬼はもの又しこと訓は常なり既にも出
 
548 今夜之《コノヨルノ》、早開者《ハヤクアクレバ》、 たゞあけばの意なるを計を延ていふなり
 
爲便乎無三、秋百夜乎、願鶴鴨《ネギニツルカモ》、」 今本禰我比都留と訓たるはさもあるべけれどこはのちなり本の句の訓によりてあらためぬ【禰きにとにの詞をそへむよりは有こせのまゝねがひとよむぞあきらかなる】
 
〇五年|太宰少式石川足人朝臣遷任《ツクシノミコトモチスクナイスケイシカハノタリヒトアソミウツリマケ》餞《ウマノハナムケスル》2于|筑前國蘆城驛家《ツクシノミチノクチノクニアシキノウマヤニ》1歌、
 
549 天地之、神毛|助與《タスケヨ》、草枕、 冠辭
 
羈行君之《タビユクキミガ》、至家左右《イヘニイタルマデ》、」
 
550 大船之、念憑師、君之|去者《イナバ》、吾者將戀名、直(ニ)相左右二、」 大船の如あやうからでゆたかにたのめりし君が他し國に行給ひなば吾は戀てのみあらんたゞしく君にあふまではと云なりたゞは布《シク》を畧けるなり
 
551 山跡道之、島乃浦廻爾、 前にあまた出橘の島なるべし
 
縁浪《ヨスルナミ》、間無牟《アヒダモナケム》、吾戀卷者《ワガコハマクハ》、 上の浦を裏の意にとりて戀る心によせたりかゝる所に浦といふ例は三吉野の瀧のうらとも磯のうらともいへり又心をうらといふ事すてに出たり
 右三首作者未詳、
 
○大伴宿禰三依歌、 續記(廢帝)御依と有
 
552 吾君者、和氣乎波死常《ワケヲバシネト》、 和氣は吾《ワガ》といひ吾《ワゴ》といふ事卷八卷十二にいへり
 
念可毛、相夜不相夜《アフヨアハズヨ》、二走良武《フタユキヌラム》、」 卷八と此卷の末に世とありてふたゆくとあるは世の中を云なれば空蝉乃代とさへいへりこゝは逢夜不逢夜といひて二行といへば他妻に通ふをうらみていへるなり
 
○丹生女王《ニブノヒメオホキミ》贈2太宰帥大伴(ノ)卿1歌、
 
553 天雲乃、遠隔乃極《ソギベノキハミ》、 卷十一にもいふ如く野の退《ソキ》山の退といふに同じ
 
遠鷄跡裳《トホケドモ》、 鷄は加禮の約にてとほけれどもなり
 
情志行者、戀物可聞《コフルモノカモ》、」 遠ききはみの國なれど吾心はそこに行けばにや君をまのあたり見る如くこふるものかなと云
 
554 古(ノ)、人乃|令食有《メサセル》、吉備能酒《キビノサケ》、 契冲云今稱備後宇惠酒有旨酒按に備後筑前はいと近し故にこれをいふかといへり是なるべし陶淵明か黍酒の事あれど吾國にはなしされど大伴卿の歌に晋の七賢の事もあればこゝも古人とは淵明をさしていふならんかさてはよくかなへり扨吉備はかり字黍と心得べし【或人云この比火の國の人のいへるを聞に彼國にて黍もて作酒あり然は吾國にはなしとはいひがたしといふもあれど諸成案るに後の世には唐にて作る物何物もうつしなせり奈良朝の比然はあらじかし】 
痛者爲使無《ヤモハヾスベナ》、 やもはゞの毛波の約末にてやまばとの給ふなり酒のみてやまひせばせんすべなしとなりさてかくのたまへるはさしもふかくちぎりなせる中なりしに此卿かれ行心になれ|を《マヽ》かくたとへよみ給へるか前の歌をおもふにさもなくてはこの歌あまりにゆくりかなるさまに見ゆる
 
貫簀贈牟《ヌキスオクラム》、 貫簀は延喜主殿式に三年一請一枚伊勢物語にぬきすをうちやりて又うつほ物語に銀《シロカネ》の御たらひにぢんをまろにけづりたるぬきすなどありたらひの中に置水のはねざる料にまうくる物なり今本贈を賜とするは誤なり歌によりて字をあらたむ
 
○大宰帥《ツクシノオホミコトモチ》大伴卿贈2大貳丹比縣守卿《ツクシノミコトモチノオホスケタヂヒノアガタモリノマヘツギミ》1 今本縣を※[系+貝]とするは誤なり此卿は續紀(元正)にくはしく見ゆ左大臣正二位島公の子なり
 
遷2任《ウツリマケルニ》民部卿《オホミタカラヲサムルカミニ》1歌、
 
555 爲君《キミガタメ》、釀之待酒《カミシマチザケ》、 かみしはかびしにて麹《カンダチ》の事そはやがてかびたちなり且酒はもとかみて作る物なれば合せてかみしとは云なり【待酒は紀〈神功)に見えたり】
 
安野爾《ヤスノヽニ》、 筑前國夜須郡の野なり紀(神功)之年至2層増岐《ソヾキ》野1即擧兵撃羽白熊鷲而滅之云云我心則安故號其處曰安也とみえたり
 
獨哉將飲《ヒトリヤノマム》、友無二思手《トモナシニシテ》、」
 
○賀茂女王  此女王の事卷十二に云
 
贈2大伴宿禰三依1歌、
 
556 筑紫船、未毛不來者《イマダモコネバ》、 今本にまだもこざればとよみしはいまだしこゝはこぬにてふてにをはなればかくよむべし
 
豫《カネテヨリ》、 今本にはあらかじめと訓は意とほらずさて隔句なれば五句上におきて心得べし
 
荒振公乎《アラブルキミヲ》、 遠き筑紫の任に久しくありへてひなびあらぶりみつれし姿をなり
 
見之悲左《ミンガカナシサ》、」 此歌は下に吾妹兒者常世國爾在家良思昔見依變若益爾家利と三依の作るを打返して心得べし
 
○土師宿禰|水通《ミユキ》、 土師宿禰は野見宿禰(ノ)末也土師とは波丹《ハニ》の爾を略き志は奈志の奈を略たるにて波丹奈志を略て云垂仁の御宇に此姓を給へり
 
從《ユ》2筑紫1上京海路作歌、
 
557 大船乎、※[手偏+旁]乃進爾《コギノスサミニ》、 今本須々美爾と訓しは今少後なり
 
磐爾觸《イハニフリ》、 今本布禮とあるは言たらず歌の意もとほらず利は禮利の約にて言とゝのひ意もとほれるを思へ
 
覆者覆《カヘラバカヘレ》、 くつがへらばかへれなり妹戀しらの餘をいふ
 
妹爾|因而者《ヨリテハ》、」 而は弖阿良を約轉して云なり
 
558 千磐破、 冠辭
 
神之社爾、我掛師《ワガカケシ》、幣者將賜《ヌサハタバラム》、妹爾不相國《イモニアハナクニ》、」 前と同じ意にてよめる歟浪風あらく渡りも得じとおもへる時によめるか
 
○大宰大監《ツクシノオホマツリコトヒト》大作宿禰|百代《モヽヨカ》戀《コヒノ》歌、 
559 事毛無、生來之《アレコシ》物乎、老奈美爾、 老並にて老行年|次《ナミ》を云
 
如此戀于毛《カヽルコヒニモ》、 于は於を爾に用ゐしが如し
 
吾者遇流香聞、」
 
560 孤悲死牟《コヒシナム》、後者何爲牟、生日之《イケルヒノ》、爲社《タメコソ》妹乎、欲見爲禮《ミマクホリスレ》、」
 
561 不念乎《オモハヌヲ》、思常云者《オモフトイハヾ》、大野有、 筑前國三笠郡
 
三笠(ノ)社之、神思知三《カミシシラサン》、」 今本かみししるさみとよめるは何の事もなしこはおもふ心は神ぞしらしめさんてふ意なればかく訓べし
 
562 無暇《イトマナク》、人之眉根乎、徒《イタツラニ》、令掻乍《カヽシメニツヽ》、 此言は諺なるよし上にいふ
 
不相《アハヌ》妹可聞、」
 
○大伴(ノ)坂上郎女歌
 
563 黒髪二、白髪|交《マヂリ》、至耆《オイタレド》、如是有戀庭《カヽルコヒニハ》、未相爾《マダアハナクニ》、」
 
564 山菅乃、 冠辭
 
實不成事乎、吾爾所依《ワレニヨリ》、 なき名の吾故たちてなり意をしらせて所依と書も例なり
 
言禮《イハレ》師君者、與孰可宿良牟《タレトカヌラム》、」
 
○賀茂(ノ)女王歌、
 
565 大伴|乃《ノ》、見津跡者|不云《イハジ》、 此いひかけはいとも後の世ぶりかゝるをよしとうつろひぬらん
 
赤根指、照有《テレル》月夜爾、直相在登聞《タヾニアヘリトモ》、」
 
○太宰大監大伴(ノ)宿禰百代|等《ラ》贈2驛使《ハユマツカヒニ》1歌、
 
566 草枕、 冠辭
 
※[羈の馬が奇]行君乎、愛見《メヅラシミ》、 今本うつくしみと訓るはかなはず聞ゆ
 
副而曾來四《タグヒテゾコシ》、鹿乃《シカノ》濱邊乎、」 筑前國の地名既出遠くおくりてよめるなり
 右一首大監大伴宿禰百代、
 
567 周防在、 周防は長門安藝の間より南の海へさし出たる國なりさて信濃の諏訪も湖にさし出たる所なりともに洲濱の意歟諸國の中に周防と伯耆ばかり字の用さまのことなるはなしとかくにはうと訓は後のさたか和名抄に伯耆(淡々岐)周防(須波宇)とあるもおぼつかなし
 
磐國山乎、將超日者、手《タ》向好爲與、荒其道《アラキソノミチ》、」 右一首|少典山口忌寸若《スナイフビトヤマグチノイミキワカ》麻呂、
以※[止/丹]天平二年庚午〔二字傍点〕夏六月|帥《ミコトモチ》大伴(ノ)卿|忽生瘡脚疾苦枕席《ニワカニカサオヒアシナヘコヤセリ》因此馳驛上奏望2請《コヽニハユマシテマウシマツリコヒクタシ》庶弟稻公姪胡麻呂《オトウトイナギミオヒエミシマロヲ》1欲v語2遺言1者《アトノコトノラムトホリステヘレバ》勅《ミコトノリシテ》右兵庫助《ミギノツハモノクラノスケ》大伴(ノ)宿禰稻公 紀(聖武)に從五位上因播守紀(孝謙)正五位下兵部大輔但紀には公を君とせり
 
治部少亟《ヲサメツカサノスナイマツリコトヒト》大伴宿禰|胡《エミシ》麻呂兩人|給驛發遣《ハユマヲタマヒツカハシテ》令v看卿病而逕數旬幸得平復《ミサシメタマヒノヤモヒヲヘテホドヘテマヨクイエタリ》于時《コヽニ》稻公等|以病既療發府上京《ヤモヒイエヌルモテツカサユミヤコニノホル》於是大監《コヽニオホマツリコトヒト》大伴(ノ)宿禰百代少典山口忌寸若呂|及《ト》卿男《キミノコ》家持|等《ラ》相送《オクリテ》2驛使1共到《トモニイタリ》2夷守驛家《エビモロガハユマヤニ》1聊飲悲別乃作《イサヽカウタケシワカレヲカナシミテヨメリ》2此歌《コノウタヲ》1
 
○太宰帥《ツクシノミコトモチノカミ》大伴(ノ)卿《キミ》被v任《マケラレテ》2大納言《モノマウスツカサニ》1臨入京之時《ミヤコニマイラスルトキ》府官人等餞《ツカサノツカサヒトラウマノハナムケスル》2卿《キミニ》筑《ツクシノ》前國蘆城驛家(ニ)1歌、
 
568 三埼廻之《ミサキワノ》、磯荒爾縁《アリソニヨスル》、五百重浪《イホヘナミ》、立毛居毛《タチテモヰテモ》、我念流吉美、」
 右一首筑前掾門部連石足、
 
569 辛人之、衣染云、紫之、 初句今本に辛人とあれば唐人の事ならめど若は淑の草か章の草の畫消しを見誤たるか紫にて衣染るは三位以上の人なればしかいふべしさらは淑人にてよき人のとよむべし
 
情爾染而、所念鴨、」
 
570 山跡邊《ヤマトベニ》、君之立日乃《キミカタツヒノ》、近者《チカケレバ》、野立鹿毛《ヌニタツシカモ》、動而曾鳴、」
 右二首|大典《オホフヒト》麻田(ノ)連|陽春《ハツハル》、 みはるとよまんかと有もしかなるべけれど既此人みはると訓しにしたがふ
 
571 月夜吉、河音|清之《キヨシ》、率此間《イザコヽニ》、 今本率を卒に誤一本によりてあらたむ
 
行毛不去毛、遊而將歸、」
 右防人(ノ)佑《スケ》大伴|四綱《ヨツナ》、 防人佑は正八位上なり今本佑を佐に誤一本によて改
 
○太宰帥大伴(ノ)卿上京之後|沙彌滿誓《サミノマンセイ》贈v卿《キミニ》歌、
 
572 眞十鏡、見不飽者爾《ミアカヌキミニ》、所贈哉《オクレテヤ》、 贈は此比に下りて借字ならん
 
旦夕爾、在備乍將居《サビツヽヲラン》、」 諸成案に佐備は淋に通|淋《サミシ》の志を畧きいふにて曾叙呂和備志を約たる言なり委は荒良言に云
 
573 野干玉之、 冠辭
 
黒髪|變《カハリ》、白髪手|裳《・毛》《シラケテモ》、 こはしろけと云にあらずこはしろくさめを約し言にて別なりこゝのしらけはしらかの事をいふ故に白髪とはなるなり
 
痛戀庭《イタキコヒニハ》、相時有來《アフトキアリケリ》、」
 
○大納言大伴卿和歌、
 
574 此問在而《コヽニアリテ》、筑紫也何處、白雲乃、棚引山之、万西有良志、」
 
575 草香江之、入江二求食、蘆鶴乃、 たつ/\しといはん序なり卷十に委し
 
痛《アナ》多豆多頭思、友無二指天《トモナシニシテ》、」 此歌の草香江を筑前にありと云は此和を筑紫にての事なりと思へるよりひが説をいふなり河内國草香江なり此卿歸京の後こたへ給へるなれば近《チカ》きわたりの地名もてつゞけ給へるなり
 
〇太宰帥大伴卿上京之後筑後守葛井連大成、 續紀(聖武)神龜五年に此人正六位上奉授外從五位下此氏の事孝徳紀桓武紀等に委く見ゆ
 
悲嘆作歌、
 
576 從今者、城(ノ)山道者、不樂牟《サビシケム》、 城山は筑前國下座郡既にいづ
 
吾將通常《ワガカヨハムト》、 帥卿のもとへなり
 
念之物乎、」
 
○大納言大伴(ノ)卿|新袍《アラタマレルウヘノキヌヲ》贈2 一本には此贈新の上に在り
 
攝津大夫《セツノマヘツキミ》高安王1歌、
 
577 吾衣《ワガキヌヲ》、人(ニ)莫《ナ》著曾、網引爲、難波|壯士乃《ヲトコノ》、手爾者|雖觸《フルトモ》、」 契冲も吾心させる衣なればゆめ/\他し人にきせ給ひそ心にかなはずばそのわたりの賤男にたびてそが手にはふれさすともといへりしたしみて謙退せるなりといへりしかならんか諸成案るにきするもえさするも同じことわりなるをおもふに此なには男とは王をさしてよみ給へるならん麻續王をも海人なるやともよみつ此王かく賤官にておはすべきならぬ人の官途の昇進もなく貧くおはせるをいたみて新袍をおくらるゝなれば着給へと申もなめげなれど人になきせ給ひそ御手にのみふれ給ふともとよみ給ひしにてはなきか此王は王孫ながらも國官なればいやし卿は二位の大納言なれば世々臣なれどいと貴ししかればたゞにもをとこ共の給ふべしされども歌なればなぞらへみやびておほらかになにはをとことはよみ給ふべし
 
○大伴宿禰三依悲別歌、
 
578 天地與、共久、住波牟等、念而有師、家之庭羽裳《イヘノニハハモ》、」 古今歌集に「水くきの岡のやかたに妹とわれねての朝けの霜のふりはも」はもは更にたづね向ふ心なり此歌太宰府などの家をわかるゝ時の歌にや(卷二)「天地とともにをへんと思ひつゝつかへまつりし心たがひぬ」とよめるに似たりかくあるもさる事ながら諸成案るに末の庭羽といへるにて裳は添たるのみさてこは自の家を出て國官などの任におもむく別の歌にや太宰府の官なりとも任限あるはもとよりなるに天地と共に住んとはいはじ誰も遠きに在ては古郷をこそ戀思ふべけれ此比心におもはぬ事はよむまじかればなり
 
○金明軍《コンミヤウグン》與2大伴宿禰家持1歌、
 
579 奉見而《ミマツリテ》、未時太爾《イマダトキダニ》、不更者《カハラネバ》、 例のかはらぬにといふなり
 
如年月《トシツキノゴト》、所念君《オモホユルキミ》、」
 
580 足引乃、 冠辭
 
山爾生有、菅根乃《スガノネノ》、懃見卷《ネモコロミマク》、欲君可聞《ホシキキミカモ》、」
 
○大伴坂上家之大娘|報2贈《コタフル》大伴宿禰家祥(ニ)1歌、
 
581 生而|有者《アラハ》、見卷毛|不知《シラニ》、何知毛《ナニシカモ》、 生てありては逢見る事もしらねば何しにかくてあらんとなり
 
將死妹常《シナムヨイモト》、夢所見鶴《イメニミエツル》、」 古今歌集に「命やは何ぞは露のあだものをあふにしかへばさもあらばあれ」後ながら似たるなり
 
582 丈夫毛、如此戀家流乎、 前の歌の言をうけて丈夫すら死んとまで戀けるをと夢見しをいふなり
 
幼婦之《タヲヤメノ》、戀(ル)情爾、比有目八方《タグヒアラメヤモ》、」 比有目をならべらめと今本によみしはいまだし
 
583 月《ツキ《イ》》草之、 冠辭
 
從安久《ウツロヒヤスク》、念可母《オモヘカモ》、 既云如くへは婆米《ハメ》の約なり
 
我念人之、事毛|告不來《ツゲコヌ》、」 事は言なり
 
584 春日山、朝立雲之《アサタツクモノ》、不居日無《ヰヌヒナク》、見卷之欲寸《ミマクノホシキ》、君毛有鴨《キミニモアルカモ》、」 後ながら新撰萬葉に伎美爾麻流鴨と二首假字あり古ければこゝはいよ/\かく訓べし【君毛有と字あるを爾を加へて訓さへ有に毛を萬に轉しよまん例いかゞあるべき君にもあるかもと字のまゝに爾を加へてよみなんかと諸成はおもへり】
 
○大伴坂上郎女歌、
 
585 出而|將去《イナム》、時之波將有乎、故《コトサラニ》、妻戀爲乍、立而可去哉《タチテイヌベシヤ》、」 旅立ときなどによめるか出て行べき時こそあらめ今吾を戀おもふてふに遠く出たつべきならずと云なり
 
○大伴宿禰稻公贈2田村大孃1歌、
 
586 不相見者《アヒミスバ》、不戀有益乎《コヒザラマシヲ》、妹乎見而、本名如此耳《モトナカクノミ》、 契冲云本と由と義同じ由無なり既云如く本は故由と同じもとなきはむなしきとてよしなきなり「諸成案にかく解るにて唐字の義はいかにも明かなりされど唐字なき古へかく解れんやしかれば是を吾國の言を解とは云べからずさて毛刀とは毛は萬穗の約刀は都古の約即唐字に充れは眞穗に著てふ言なりされど今言をわすれたる世に解といへばかくもいふなり上の代にはまほにつくてふ言の自らにかくいはるゝが吾國ぶりなり歌の意を此言もていはゞ妹を見ずばこひもせじ見てまほにつく心のまゝなる事なししかるにかく戀つゝあらば末はいかがせんと云なり
 
戀者奈何將爲《コヒバイカヾセム》、」 今本右一首姉坂上郎女作とある首は云の誤字にて一云《アルニイフ》なるべしと云もあれど家持卿の庶叔父の歌を聞れたるをはし詞もたゞしく書て又自かゝる疑をかゝるべきいはれなし後人のさかしらなる事しるければすてつ 
○笠(ノ)郎女《イラツメ》贈2大伴宿禰家持1歌、
 
587 吾形見、見管之努波世、荒珠、 冠辭
 
年之緒長、吾毛|將思《シヌバム》、」
 
588 白鳥(ノ)、 冠辭
 
飛羽山松之《トバヤママツノ》、 大和の地名待といはん序
 
待乍曾、吾戀度、此月比乎、」
 
589 衣手乎、 冠辭
 
打廻乃里爾《ウチワノサトニ》、有吾乎《アルワレヲ》、不知曾人者《シラデゾヒトハ》、待跡不來家留《マテドコズケル》、」
 
590 荒玉、 冠辭
 
年之|經去者《ヘヌレバ》、今師波登《イマシハト》、 師は助字今はとのみいふなり
 
動與吾背子《ユメヨワガセコ》、吾名告爲莫《ワガナノラスナ》、」 今本|都解須《ツゲズ》とあるは例もなし都具ならばつぐるなどこそいはめ
 
591 吾念乎、人爾|令知哉《シラスヤ》、玉匣、 冠辭
 
開阿氣津跡《ヒラキアケツト》、夢西|所見《ミエヌ》、」 見えぬるの留を略けり歌の意はさしもふかく契てかたみにおもふ心は人にしらさゞりしを人にもしらし給ふやひらきあけてのたまふと夢見しといふなり
 
592 闇夜爾、鳴奈流鶴之(ノ)、 この言迄はよそといはん序ながらあはでふるなげきをひゞかせたり
 
外耳《ヨソニノミ》、聞乍可將有、相跡羽奈之爾、」
 
593 君爾|戀《コヒ》、痛毛《イトモ》爲使無見、楢《ナラ》山之、小松(ガ)下爾《モトニ》、 今本小松がしたとよめりしかよむべき事もとよりながら小松といはんからにたちよるばかりのかげなるはいはじしかれば其松がもとべにたちてなげきしをいふなればもとと訓べしさて此頃のつゞけからなればこは來《コ》松は待を思ひよせしなるべししからでは小松をとりたてゝいふべくもなし
 
立嘆鶴《タチナゲキツル》、」 今本鴨と有一本によりぬ
 
594 吾屋戸之、暮陰草《ユフカゲグサ》乃、 ひとつの草の名をいふにあらず山陰草共云如く夕べの陰さす草をいふなり
 
白露之、 如を入て心得べし
 
消蟹本名《ケヌカニモトナ》、 けぬかにはきえぬからにを約て云加良約加なれば加爾といふなりもとなは既委くいふ
 
所念鴨《オモホユルカモ》、」
 
595 吾命之《ワギノチノ》、將全幸限《マサケンカギリ》、 今本またけんと訓しは字に泥ていまだしまさきからんてふ意もてかければかく訓べし
 
忘目八、彌日異者《イヤヒニケニハ》、 諸成案に此|異《ケ》は古刀の約古なるを計に通しいふなれば義もて異とはかりて書るなれば此異假字ならずしからば爾をそへても訓べし下是にならへ
 
念益十方《オモヒマストモ》、」
 
596 八百日往《ヤホカユク》、濱之沙毛《ハマノマサゴモ》、吾戀二、豈不益歟《アニマサラシカ》、 契冲は豈の下の不を衍字といへり又吾ともがらのいふに可の誤かとすれどかくては歟をつよく見しならん歟はかるく見て字のまゝに訓ぞしからん
 
奥島守《オキツシマモリ》、」 契冲は奥津島姫の事なりといふそれまでもなく野守山守と同じと中良か云るぞよし
 
597 宇都蝉之、 冠辭
 
人目乎繁見、石走《イハバシノ》、 冠辭
 
間近君爾、戀度可聞、」
 
598 戀爾毛曾、人者|死爲《シニスル》、水瀬河《ミナセガハ》、下從吾痩《シタユワレヤス》、 水よりは底の意にかゝりうくる辭にては人しれず吾やすると云なり
 
月日異《ツキニヒニケニ》、」 古今歌集に友則「ことに出ていはぬばかりぞみなせ川下にかよひてこひしきものを」三四の句つゞけから似たり
 
599 朝霧之、 冠辭考にはもれたれど朝霧のおもひまどひてふも朝霧は深立ものにて物の見まどはるゝをいふなればこも深立ておほろかなるよりいふなれば冠辭と云べし
 
欝相見之《ホノニアヒミシ》、人故爾、命可死《イノチシヌベク》、戀度鴨、」
 
600 伊勢(ノ)海之、磯毛動爾、因流浪《ヨスルナミ》、 かしこきといはん序とせるなり
 
恐人爾《カシコキヒトニ》、 かしこきはたふときなり
 
戀渡鴨、」
 
601 從情毛《コヽロユモ》、 まことにおもはぬてふいひなしなり
 
吾者《アハ》不念寸、山河毛、隔莫國《ヘダヽラナクニ》、如是|戀常羽《コヒントハ》、 
602 暮去者、物念益、見之人之、言問爲形《コトヽハスサマ》、今本にことゝひしと訓しは僻事なり爲は過去のしにはなしがたかれば也
 
面景(ニ)爲而《シテ》、」
 
603 念西、死爲物爾《シニスルモノニ》、有麻世波、千遍曾吾者、死變益《シニカヘラマシ》、」
 
604 釼|太刀《ダチ》、 冠辭
 
身爾|取副常《トリソフト》、夢(ニ)見津、何如之怪曾毛《ナニノサガゾモ》、 今本左刀志とよめるは似たる事にてしからずこゝは左我と訓べし夢の祥をいふなればなり
 
君爾|相爲《アハムタメ》、」
 
605 天地之、神理《カミシコトハリ》、無者社《ナクバコソ》、 いのりてことわりなくばなり後ながら源氏明石の卷に何のむくひにか云云波風におぼれたまはん天地ことわり給へとかきしことわりもここと同じ
 
吾念君爾、 二の句神もこゝをおもふと今本によめり神もてふ意にあらずこゝも此頃迄はおは畧例なるに例にたがひて八言によむべからねば改つ
 
不相死爲目《アハデシニセメ》、」 こゝをも今本にあはずとよめるは字になづめるなり例によりてあらためつ
 
606 吾毛念、人毛|莫忘《ワスルナ》、多奈和丹《オホナワニ》、 諸成案に於保奈和爾の奈は爾多の約にて於保爾多和爾てふ言を約めいふなり則|凡爾撓《オホニタワ》にの意にて凡《オホ》に多和多和にやまず吹うら風をいふなり
 
浦吹風之《ウラフクカゼノ》、 如を入て心得べし
 
止時無有《ヤムトキナケレ》、」
 
607 皆人乎《ミナヒトヲ》、宿與殿金者《ネヨトノカネハ》、 宿與殿は亥の時なり式に(延喜陰陽寮)諸時撃皷子午各九下丑未八下寅甲七下卯酉六下炭戌五下己亥四下並鐘依刻數、又紀(天武)逮2人定《ヰノトキ》1大地|震《フル》云云すべて紀に日没酉時昏時戌時とよめるも宿與に同じ
 
打禮杼《ウツナレド》、君乎之念者、寢不勝鴨《イネガテヌカモ》、」 今本いねがてにかもとよみたるは言たらず我弖奴の弖は禰に通ひていねかねぬるかもといふ言なるをおもへ 
608 不相念、人乎|思者《オモフハ》、大寺之《オホテラノ》、餓鬼之後爾《ガキノシリヘニ》、額衝如《ヌカヅクガゴト》、」 佛にむかひて禮拜するは益あり餓鬼のしかも後に物せんは詮なしおもはぬ人をおもふにたとへたるなり
 
609 從情毛《コヽロユモ》、我者不念寸《アハモハザリキ》、 今本にわれはおもはずとあるは寸の字餘れり寸は家利の約なればかく訓べし
 
又更、吾故郷爾、將還來者《カヘリコントハ》、」 此歌は上のうちはの郷より故郷にかへりきてよめる歟
 
610 近有者《チカクアレバ》、雖不見在乎《ミネドモアルヲ》、 あらるゝをの意なり
 
彌遠《イヤトホニ》、君|之《ガ》伊座者、 今本いましなばとあるはいまだし
 
有不勝目《アリカテマシモ》、」 今本目を自としてありてもたへじとよめるは誤なり【我弖の弖は前に同し麻志の約美なり其美は牟に通ひて有我弖牟と云例なり目《モ》はそへて云のみ】
 右二首|相別後更來贈《アヒワカレテノチサラニオクレリ》、
 
○大伴宿禰家特和歌、
 
611 今更(ニ)、妹爾|將相八跡《アハメヤト》、念可聞《オモヘカモ》、 此於毛倍の倍も波米の約におもはめかもといふなり
 
幾許《コヽタ》吾胸、欝悒將有《イフカシカラム》、」
 
612 中中|煮《ニ》、 今本煮を者に誤る
 
黙毛有益呼《モダモアラマシヲ》、何爲跡香、相見始兼《アヒミソメケン》、不遂等《トグトハナシニ》、」 此末の句何によれるにや拾穗抄には等を爾とせり今本にはとけざらなくにと訓たれどしかよむべからねば改
 
○山口女王贈2大伴宿禰家持1歌、
 
613 物念跡、久《人イ》爾|不見常《ミエジト》、 今本見せじとあるは後の俗言なりよて改つ
 
奈麻|強《ジヒニ》、 今の俗のいふに同しなま/\に強て物するなり
 
常念弊利《ツネニオモヘリ》、 おもへればと云なり
 
在曾金津流《アリソカネツル》、」
 
614 不相念、人乎也本名、白細之、 冠辭
 
袖|漬左右二《ヒヅマデニ》、哭耳四泣裳《ネノミシナクモ》、」
 
615 吾背子者、不相念跡裳《アヒモハズトモ》、敷細乃、 冠辭
 
君之枕者、夢爾見乞《イメニミエコソ》、」 此乞を見て上の卷々の與は乞の草とよの草との誤をしれ
 
616 釼|太刃《ダチ》、 冠辭
 
名惜雲、吾者無、君爾不相而、年之經禮者、」
 
617 從蘆邊、滿來鹽乃、彌益荷、念歟君之《オモヘカキミガ》、 おもへばかを畧いふ
 
忘金鶴、」 此歌末の句を心をきみにおもひますかなとして伊勢物語の中の一條とせり
 
○大神《オホワノ》郎女、 於保和と訓は大三輪の畧なり
 
贈2大伴宿禰家持1歌、
 
618 狹夜中爾、友喚千鳥、物念跡、和備居時二、鳴乍本名、」
 
○大伴坂上郎女|怨恨《ウラミノ》歌一首并短歌、
 
619 押照《オシテル》、 冠辭
 
難波乃菅之、根毛許呂爾、君之聞四乎《キミガキコシヽヲ》、 ねもごろに思ふよしを吾にいひ聞えしをなり
 
年深、 奥深末永く不絶といひしなり(卷十四)昔見舊堤者年深池之瀲爾水草生家里といへる年深とおなじいひなしなり
 
長四云者《ナガクシイヘバ》、眞十鏡、 冠辭
 
磨情乎《トギシコヽロヲ》、縱《ユルシ》手師、 吾心を君にゆるしなびきしと云なり
 
其日之極《ソノヒノキハミ》、浪之共《ナミノムタ》、靡珠藻乃《ナビクタマモノ》、云云《カニカクニ》、意者不持、 くさくさに思はでひたぶるにたのみたりしになり
 
大船乃、 冠辭
 
憑有時丹《タノメルトキニ》、千磐破、 冠辭
 
神哉將離《カミヤカレラム》、 おもひたのめし神の守りやかれしといふ
 
空蝉乃、 冠辭
 
人歟禁良武《ヒトカサフラム》、 神哉將離をかれなんこゝをば伊牟良牟と今本によみしはいまだしさふらんはさへるらんと云なり
 
通爲《カヨハセシ》、 是も今本にかよひせしと訓は僻事なり
 
君毛|不來座《キマサズ》、玉梓之、 こをおとづれとよまんかといふもあれど卷二に委云如くなればしからず
 
使母|不所見《ミエズ》、成奴禮婆《ナリヌレバ》、痛《イト》毛爲使無三、夜干玉乃、 冠辭
 
夜者須我良爾、赤羅引、 冠辭
 
日母至闇《ヒモクルヽマデ》、雖嘆、知師乎《シルシヲ》無三、 六言
 
雖念、田付乎白二、幼婦常《タヲヤメト》、言雲知久《イハクモシルク》、手小童之《タワラハノ》、 むだくはかりの兒をいふ之は如を入て心得べし
 
哭耳泣管、徘徊《タモトホリ》、君之使乎、待八兼手六《マチヤカネテム》、」
 
 反歌
620 從元、長謂管、不令恃者《タノメズハ》、 今本令を念とするは誤なり
 
如是念二、相益物歟、」
 
〇西(ノ)海道《ウナヂノ》節度使判官《ムケミツカヒノマツリコトヒト》佐伯《サヘキノ》宿禰|東人妻《アヅマビトノメ》贈2夫君《セギミニ》1歌、
 
續紀(聖武)天平四年八月節度使云云佐伯宿禰東人從五位下
 
621 無間《ヒマモナク》、戀爾《コフルニ》可有牟、 夫の君が戀るなり
 
草枕、 冠辭
 
客有公之、夢《イメ》爾之所見、」
 
 佐伯東人和歌、
 
622 草枕、 冠辭
 
客爾久、成|宿者《ヌレバ》、 奈利の利は禮伎の約にてなれきぬればなり
 
汝乎社|念《オモヘ》、莫戀吾妹《ナコヒソワギモ》、」
 
○池(ノ)邊(ノ)王宴(ニ)誦《トノフル》歌、 此王は紀(聖武)神龜四年正月無位池邊王授從五位下爲内匠頭大友皇子之孫葛野王之子と見えたり
 
623 松之葉爾、月者由移去《ツキハユツリヌ》、 由と宇と言を通しいふ例既に出たり
 
黄葉乃、 冠辭
 
過哉君之《スギヌヤキミガ》、不相夜多焉《アハヌヨオホミ》、」 今本焉を鳥に誤る歌の意は松の葉に待を兼其松は木高かればうつれる月の高く遠きをおもひ黄葉の冠辭に時過行ぬといひかけて逢ふ事のたえて久しきをなげくなり
 
○天皇(聖武)思《シヌバス》2酒人(ノ)女王1御製歌、 此女王傳未詳
 
624 道相而、咲之柄爾《ヱミセシカラニ》、零雪乃、消者消香二《ケナバケヌカニ》、 香は疑の歟なりニはそへたるのみ
 
戀云吾妹《コフトヘワギモ》、 天皇の大御自に戀といへとなり
 
○高安(ノ)王裹(メル)鮒《フナヲ》贈2娘子《ヲトメニ》1歌、
 
625 奥幣往《オキベユキ》、邊去《ヘハユキ》伊麻夜、爲妹、吾漁有、藻臥束鮒《モブシツカブナ》、」 束鮒とは一つかね斗なる小鮒をいふ今も藻などの中にあつまれる小鮒ありされば藻臥とはいふなり其藻臥とは源氏常夏に加茂川の石臥と云が如し石臥は今いふだもはぜの類ひなり石に臥故なり和名に※[魚+臣](伊師布之)と云は別なるか
 
〇八代《ヤシロ》女王獻2天皇1歌、 紀(孝謙)に見ゆ又矢代とも有此天皇は聖武ならんか
 
626 君爾|因《ヨリ》、言之繁乎、古郷之、明日香乃河爾、潔身爲去《ミソギシニユク》、」 天皇のみおぼしのおはしませしか此女王の戀奉るをか、人言しげかりしを后宮などの御ねたみありて明日香の古郷にさけ給ひしか、さけられませし時よみ給へるならん
 一本に云龍田|超《コエ》、三津之濱邊爾、潔身四二由久とあり今本の方しらべもまさりて聞ゆれは今本によれり
 
○娘子《ヲトメ》贈2佐伯宿禰赤麻呂1歌、 今本贈の上に報あるは衍字歟此前に赤麻呂の歌落たりともなし
 
627 吾《ワガ》手本、將卷跡念牟、丈夫者、 今本丈を大に誤る
 
戀水定《ナミダニシヅミ》、白髪生二有《シラガオヒニタリ》、」
 
○佐伯宿禰赤麻呂和歌、
 
628 白髪生流、事者不念、戀水者《ナミタニハ》、鹿※[者/火]藻闕二毛《カニモカクニモ》、定而將行《シヅミテユカメ》、」 今本に求而とありてさだめてゆかんとよめり拾穗には定とせり前の歌によりてあらためつ持行ゆかんと有も例なれど又の例によれり
 
○大伴(ノ)四綱宴席《ヨツナガウタゲノムシロノ》歌、
 
629 奈何鹿《ナニストカ》、使之|來流《キツル》、 故よしをことわる使はなにゝかせんとなり
 
君乎社、左右裳《トニモカクニモ》、待難爲禮、」
 
○佐伯宿禰赤麻呂歌、
 
630 初花之、可散物乎、人事乃、繁爾因而、止息此者《イコフコノゴロ》、」 散初花をおもふ妹にたとへたり人言のしげきにいこひて行ずあらばちりなん物をとなり
 
○湯原(ノ)贈2娘子《ヲトメニ》1歌、
 
631 宇波幣無《ウハヘナキ》、 仙覺は上なきを延ていふといへれどしからず遠江の人うべくもなきといふは人情なきを云よくかなへり下の歌に得羽重無妹二毛有鴨とあるも限もなきかな人はと歎きたる言なるをおもへ諸成案に重は波衣の約にて上榮《ウハハエ》なきものかなといふにて心|榮《ハエ》なかるをなげくならんとおもはる
 
物《モノ》可聞人者、然計《シカバカリ》、遠家路乎、 かく遠道を戀てしぬびこしをと云
 
令還念者《カヘストオモヘバ》、」
 
632 目二破見而、手二破|不所取《トラレヌ》、月(ノ)内之、楓如《カツラノゴトキ》、妹乎奈何(ニ)責《セメ》、」 今本にはこをいかにせんとよみたれど諸成案に責は世米の米と牟と言通へばしかも訓べかれど責をかりたればやすらかに字のまゝに世米とこそよむべけれ
 
○娘子報贈《ヲトメコタフル》歌、 始二首はまたうべなはぬほどなりこゆ下はあひての後ならん
 
633 幾許《イクソハク》、思異目鴨《オモヒケメカモ》、敷細之、 冠辭
 
枕不去《マクラサラズテ》、 今本片去とあるは意とほらず(卷九)多陀爾阿波須、阿良久毛於保久、志岐多閉乃、枕佐良受提、伊米爾之美延牟とあるによりて不にあらためつ
 
夢所見來之《イメニミエコシ》、」
 
634 家二四手、雖見不飽乎、草枕、 冠辭
 
客毛妻與《タビニモツマト》、 夫と共にあるがと云
 
有之乏左《アルガトモシサ》、」 注に維率有《ヰタレドモ》とあればともに行ながら旅屋を隔てあるを見たらまほしむなり
 
○湯原王亦贈歌、
 
635 草枕、 冠辭
 
客(ニ)者《ハ》嬬者《イモハ》、雖率有《ヰタレドモ》、 今本卒とするは僻事なり
 
匣内之《クシゲノウチノ》、珠社所念《タマトコソオモヘ》、」 こも隔てあるを匣の内に譬ふ
 
636 余衣《ワガキヌヲ》、形見爾|奉《マタス》、布細之、 冠辭
 
枕不離《マクラカラサズ》、卷而左宿座《マキテサネマセ》、」
 
○娘子復報贈歌、
 
637 吾背子之、形見之衣、嬬《ツマ》問爾、余身者不離《ワガミハサケジ》、事不問友《コトトハズトモ》、」 歌の意は吾背の形見とておくれる衣はやがて背子がつまどひ來ぬるにひとしかれば身ははなたじものをと云
 
○湯原王亦贈歌、
 
638 直一夜、隔之可良爾、荒玉乃、 冠辭
 
月歟經去跡、心遮《コヽロサヘギル》、」 【遮蔽なり閉なり蓋なり遮遣は思のふさかるをやりすつるにてなぐさむとも訓】今本心遮をおもほゆるかもと訓めりそは義訓なりしかれども遮の字しかよみがたし遮は障切《サヘギル》なれば月歟經去ると吾からさゝへ切て隔ておもはるゝを云なれば意通れり
 
○娘子復報贈歌、
 
639 吾背子我、如是戀禮許曾、 戀ふればのばを畧けり
 
夜干玉能、 冠辭
 
夢(ニ)所見管、寐不所宿家禮《イネラレズケレ》、」
 
○湯原王亦贈歌、
 
640 波之家也思、不遠里乎《マチカキサトヲ》、雲|居《ヰ》爾也、戀管|將居《ヲラム》、月毛不經國《ツキモヘナクニ》、」
 
○娘子復報贈歌、 今本贈の下に和あるは衍字なり
 
641 絶常云者《タユトイヘバ》、和備染責跡《ワビシニセムト》、燒太刀乃《ヤ|キ《イ》ダチノ》、 冠辭
 
隔付經事者《ヘツカフコトハ》、 【冠辭考に云なるは太刀は鞘を隔て身につけてはく物なるを思ふ人の住里の近けれど隔てあはぬに譬たり隔を畧てへとのみ云事は既に出奥人按につかふの約つなり此つは多津の約故たつなり太刀鞘とは纔ばかりの隔なれはすこしの隔に譬歟】
 
幸也吾君《ヨケクヤワギミ》、」
 
○湯原王歌、
 
642 吾妹兒爾、戀而亂在《コヒテミダレレ》、 美陀禮々は美陀禮多禮の畧なり在は者の誤歟とする説はあたらず
 
久流部寸二《クルベキニ》、 糸をよる具なり和名抄に※[糸+參]車(久留倍伎)と有 
懸耐縁與《カケテヨラムト》、 今本かけてしよしとよめるはあたらず糸をよるといひかけたるなればなり
 
余戀始《ワカコヒソメシ》、」
 
○紀郎女怨恨歌、
 
643 世間之《ヨノナカノ》、女爾思有者《ヲミナニシアラバ》、吾渡《ワガワタル》、痛背乃河乎《イモセノカハヲ》、 今本|痛背乃《アナセノ》河乎と訓り穴師《アナシ》はあれどこをあなせとよまん事よりどころもなく妹背のこと葉ならでは歌に用なしさらば痛は疣の誤ならんか伊|凡《ボ》と伊毛と云通へば疣の字をかりしを痛に誤れるか猶考ふべければ假字のみあらたむ
 
渡金目八《ワタリカネメヤ》、」
 
644 今者吾羽《イマハアハ》、和備曾四二結類《ワビゾシニケル》、氣乃緒爾《イキノヲニ》、念師君乎、縱左思者《ユルストオモヘバ》、」 今本縱左をゆるさくとよみしは何のことゝもなし左をさくと訓も例なしこはいのちのをつなと引はりておもひをりし心をゆるめゆるすとおもへばわれはわびぬるといへるなればかくよまであらんや
 
645 白妙乃、 冠辭
 
袖可別《ソデワカルベキ》、日乎近見、心爾|咽飲《ムセビ》、哭耳四所泣《ネノミシナカユ》、」 今本所流とありてながると訓しはわらふべし音《ネ》のながるゝてふ言あらんや一本によりて改つ
 
○大伴宿禰駿河麻呂歌、
 
646 丈夫之、思和備乍、遍多《アマタヽビ》、嘆久嘆乎《ナゲクナゲキヲ》、不負物可聞《オハヌモノカモ》、」 妹が身におもひをおはぬかなり
 
○大伴坂上郎女歌、
 
647 心者、忌日|無久《ナク》、雖念、人之事社、繁君爾阿禮《シケキキミナレ》、 今本末の句を字のまゝに訓しはいまだし
 
○大伴宿禰駿河麻呂歌
 
648 不相見而《アヒミズテ》、氣長久成奴《ケナガクナリヌ》、比日者、奈何好去哉《イカニヨケクヤ》、 【好去契冲は去は在の誤として紀に好在と有てさきくはべりとよみしによれりこゝにてはよかるやとよまむ歟】計久の約久にてよしやと問なりたひらかにあるやと問ことよするなり
 
言借吾妹《イブカシワギモ》、」
 
○大伴坂上郎女歌、
 
649 夏葛之《ナツクズノ》、 夏は葛かつらの這ひろごりて絶ず延へるなれば不絶の序とす
 
不絶使乃、不通有者《カヨハネバ》、言下有如《コトシモアルゴト》、 言は事の借字なり
 
念鶴鴨、」
 右坂上郎女者佐保(ノ)大納言卿女《オホヒモノモヲスツカサキミノムスメ》也、
 
駿河麻呂者、今本此と有は誤なり
 
高市《タケチノ》大卿之孫也、 高市麻呂の孫道足宿禰の子なり
 
 兩卿兄弟之家女孫《フタキミセオト ノイヘノムスメウマコ》、姑姪之族《ヲバメヒノヤカラ》、是以題歌贈答《コヲモテウタヨミシテオクリコタヘ》 今本送と有は誤なり
 
 相問起居《タヒラケキヤヲトフ》、
 
○大伴宿禰三依|離後相歡《ワカレテノチヨロコベル》歌、 今本後を復とし歡を歎とするはともに誤なり
 
650 吾妹兒者、常世(ノ)國爾、住家良思、昔見從、變若益爾家利《ワカエマシニケリ》、」 和加衣の衣は也解《ヤケ》約解は妓に通ひて和加也妓と云なり
 
○大伴坂上郎女歌、 已下十一首は此郎女と駿河麻呂贈答の歌と見ゆれば白圏をしるさず 
651 久堅乃、 冠辭
 
天露霜《アメノツユジモ》、 今本の訓はつたなくきこゆ
 
置二家里、 駿河麻呂國任にありて年經て歸を云ならん
 
宅有人毛、 此郎女と駿河麻呂の相聞の歌四首前にもありて丈夫之思和備とよみ贈り郎女の答に人言の繁き君なれどもとよめればこゝも其意にて駿河麻呂の任より歸りて先とひける折に本妻も待わびなんとよめるなるべし宅有人は本妻をいふなるべし
 
待戀奴|濫《ラム》、」
 
652 玉|主爾《ヌシニ》、 今本玉もりとよめれど主はさはよみがたしやすらかに字のまゝに訓て聞ゆ
 
珠者授而、 珠とは愛る意もていひしなり玉も珠も駿河麻呂を指ていふ主とは本妻をさしていふなり
 
勝且毛《カツカツモ》、 此勝且を倦乍の誤といふ説もあれどかしこき御説に記(神武)天皇云云御心に知ぬ伊須氣余理比賣命於最前以歌答曰賀都賀都母伊夜佐伎陀弖流延袁斯麻加牟とありて加都賀都は古言なりとのたまはすが如いと古くよりいひしなり諸成案るに此言は加和加都とふ言を約いふなり加和加の約加なり都は一ツニツの都に同じくかず又物わかちわかつにいひ入るゝ言なりさて加は既いふごとく唐言に氣と云に同じ花の香人の香の香故人にまれ事にまれ文にまれ其物の香をいふ言なりさればもの/\をわかちいふ時其間に且とはあぐなりここも授而とわかちて枕と吾はといふなりけり【奥人按に且ちふ言は伎波和加の約加にて際分《キハワカチ》なるべし其いひ下す言の際を分て又別ていひ出す時置言なればなりここにては此うへはなどいふ心とせむ歟】
 
枕與吾者、率二將宿《イザフタリネム》、」 今本率を卒に誤る
 
○大伴宿禰駿河麻呂歌、
 
653 情(ニ)者、不忘物乎、儻《タマ/\モ》、 とほま/\てふ言を約いふなり多は刀波の約波は保に同く刀保なり則遠の意萬は米和加の約にて物々の目のわかちあるを萬といふは目《マ》の意なりよてとほまを約そを重ねいひてたま/\とはいふなり
 
不見日數多《ミヌヒアマタニ》、 今本の訓は俗言なり
 
月曾|經去來《ツキソヘニケル》、」
 
654 相見者《アヒミテハ》、月毛|不經爾《ヘナクニ》、戀云者《コフトイハバ》、 今本伊倍婆とよみしはてにをはたがへりよて改
 
乎曾呂登吾乎、 (卷六)可良須等布、於保乎曾杼里能、麻左低爾毛、伎麻左奴伎美乎、許呂久等曾奈久、といへるも乎と宇は同言にて宇曾なりこゝも相見て月へぬに戀といはゞ宇曾といはんとなり呂は良と同言なり
 
於毛保|寒毳《サムカモ》、」
 
655 不念乎、思常云者、天地之、神祇毛知寒《カミモシラサム》、 今本こゝを志留加爾とよみしはゐやなし志良左牟はしろしめさんを畧きいふなればたふとむ意かなへり
 
□□□□《ウタガフナユメ・歌飼名齋》、」 かくありしを草の手より見誤しか今本には邑禮《サトレ》左變とありてさとれさかはりと訓しを管見抄てふものに神通にて僞をもよく悟給ふなりさは助字變は神も人の心に入かはりたるやうにさとれとなり此説を契冲もひきたりかゝる事歌にあるべきかはゆめ/\とるべからずよてこゝろみに左の字をそへていふのみ正しき本を得たらん人たゞしてよ
 
○大伴坂上郎女歌、
 
656 吾耳曾、君爾者戀流、吾背子之、戀云《コフトフ》事波、言乃名具左曾《コトノナグサゾ》、」 戀といひて吾をなぐさむのみなりと云なり
 
657 不念常《オモハジト》、曰手師物乎《イヒテシモノヲ》、翼酢色之、 既出
 
變安寸《ウツロヒヤスキ》、吾意可聞、」
 
658 雖念、知倍裳無跡《シルベモナシト》、 今本倍を僧とするは誤なりよて改
 
知物乎《シルモノヲ》、奈何幾許《ナゾイクバクモ》、 今本などかくばかりとよみたるはかなはず又こゝばくと訓なりとあるもしからず諸成案に前に湯原王に娘子が報歌に幾許をいくそばくとよめるによれりたゞし波久の波は半濁和の如く唱ふる例による
 
吾《ワガ》戀渡、」
 
659 豫《カネテヨリ》、人事繁(シ)、如是有者《カクシアラバ》、四惠也吾背子、奥裳何如荒海藻《オクモイカヾアラメ》、」 奥は末をいふ荒海藻を今本にあらもとよみしは海の字あまれり海藻は米の假字によれり
 
660 汝乎與吾乎《ナヲトワヲ》、人曾離奈流《ヒトゾサクナル》、乞吾君《イデワキミ》、人之中言、聞起名湯目《キヽ|コソ《・タツ》ナユメ》」 今本末の句をきゝたつなゆめとよめるは何の事ともなし起は辭左行に働てこさんこしこすこせこそと働けば乞《コソ》の假字によりたるなり
 
661 戀戀而、相有時谷、愛寸《ウツクシキ》、事盡手四《コトツクシテヨ》、長常念者《ナカクトモハバ》、」
 
○市原王歌、
 
662 網兒之山《アコノヤマ》、 志摩國安虞郡の山なり安虞の浦同所なり
 
五百重隱有《イホヘカクセル》、佐提乃埼《サデノサキ》、 左手といはん序なり(卷十五)河口頓宮にて大御製に妹爾戀吾松原とのたまはせしは上に云同所安虞之松原なり其頃に丹比屋主眞人、後《オクレ》爾之人乎思久、四手能崎、此四手崎相似たる事右歌にもいへりさらばこゝの左手の崎も同所にて言の通ふまゝにいふなるべし
 
左手蠅師子之《サデハヘシコノ》、 左は發語なり手はへしは袖ふりはへと云が如し道行ぶりに見し人のわすれぬさまを云【或人朝戸出の妹がすがたと云如く出榮をいふにやと云は假字をおもはぬなり延《ハヘ》と榮《ハエ》とはたがへり】
 
夢二四|所見《ミユル》、」
 
○安部(ノ)宿禰|年足《トシタリガ》歌、
 
663 佐穗度《サホワタリ》、 大和なる事既に云度はあたりなり
 
吾家之上二、鳴鳥之、 こは序なり如を入て心得べし
 
音夏可思吉《コヱナツカシキ》、愛妻之兒《ハシキツマノコ》、」
 
○大伴宿禰|像見《カタミ》歌、 紀(廢帝)正六位上形見と見ゆ
 
664 石上、 冠辭
 
零十方雨二《フルトモアメニ》、將關哉《サハラメヤ》、 諸成案に左波良米の波は倍良の約良は禮に通ひて左倍良禮米也と云なり則さへられしとかへるてにをはなり
 
妹似相武登、 あはんと妹にと上下していへり
 
言|篆之鬼尾《テシモノヲ》、」 今本篆を義と書誤なる事別記に云
 
○安倍朝臣蟲麻呂歌、
 
665 向座而《ムカヒヰテ》、雖見不飽、吾妹子二、立離往六《タチワカレユカム》、田付不知毛《タヅキシラズモ》、」
 
○大伴坂上郎女歌、
 
666 不相見者《アヒミテハ》、幾久毛《イクヒサシクモ》、不有國《アラナクニ》、幾許吾者《イクソバクアハ》、 今本こゝばくわれはとよめり上に幾久とあれば字のまゝに訓べし
 
戀乍裳荒鹿《コヒツヽモアルカ》、」
 
667 戀戀而、相有物乎《アヒタルモノヲ》、月四有者《ツキシアレバ》、夜波隱良武《ヨハコモルラム》、 十五夜《モチ》の前の月にてまだ明るにはほどある故夜こもるといふ
 
須臾羽蟻待《シバシハアリマテ》、」
 右大伴坂上郎女之|母《ハヽ》石川|内命婦與《ウチノヒメトネト》安倍(ノ)朝臣蟲滿|之《ノ》母安曇外命婦同居《ハヽアヅミノトノヒメトネトトモニヲレリ》、姉妹同氣《アネイモウトハラカラ》 氣は家を誤る氣にてかく訓べし
 之|親《シタシ》焉、縁此郎女蟲滿相見之踈相談既密《ヨテイラツメムシマロカタミニウトブラデカタラヒムツベリ》、聯作戯歌以爲問答也《イサヽカタハレウタヲヨミテトヒコタヘセリ》、
 
○厚見王歌、
 
668 朝爾日爾、色付山乃、 秋山を云
 
白雲之、 如を入て心得べし
 
可思過、君爾不有國《キミナラナクニ》、」
 
○春日王歌、
 
669 足引之、 冠辭
 
山橘乃、 既出
 
色丹出而、語言繼而《カタラヒツギテ》、相事毛將有《アフコトモアラム》、」 媒などもいひつぎやりて相逢事もあらんといふなり
 
○湯原王歌、
 
670 月讀之、光二來益、足|疾《ビキ》乃、 冠辭
 
山乎隔而、 隔てとほからぬなり山はへだてといはん句中の序なり
 
不遠國、」
 
○和歌、
 
671 月讀之、光者清、雖照有《テラセレド》、惑情《マドフコヽロハ》、不堪念《タヘジトゾオモフ》、」 今本不堪念をたへずおもほゆと訓しはあたらず念のみにておもほゆとはよみがたし
 
○安倍朝臣蟲麻呂歌、
 
672 倭文手纏、 冠辭今本文を父に誤るなり
 
數二毛不有、身持《ミヲモチテ》、 今本身を壽に誤れるよしは冠辭倭文手纏の條にあり 
奈何幾許《ナゾイクソバク》、吾戀流《ワカコヒワタル》、
 
○大伴坂上郎女歌、
 
673 眞十鏡、 冠辭
 
磨師心乎《トギシコヽロヲ》、縱者《ユルシテハ》、後爾雖云《ノチニイフトモ》、驗將在八方《シルシアラメヤモ》、」
 
674 眞玉付、 冠辭
 
彼此兼手《ヲチコチカネテ》、 をちは末をいひこちは今をいふ
 
言齒五十戸常《コトハイヘド》、相而後社《アヒテノチコソ》、悔二破有跡五十戸《クヒニハアリトイヘ》、」
 
○中臣郎女贈大伴宿禰家持歌、
 
675 娘子部四《ヲミナヘシ》、咲澤二生流《サキサハニオフル》、 咲澤は大和國女郎花さきといひかけたるなれば今本にさく澤と訓は誤なり春日に咲山咲野有同所なるべし
 
花|勝見《ガツミ》、 花がつみは別に考有別記にいふべし
 
都毛不知《カツテモシラズ》、戀裳摺可聞、」
 
676 海底《ワタノソコ》、奥乎深目手、吾念有、君二波|將相《アハム》、年者|經十方《ヘヌトモ》、」
 
677 春日山、朝居雲乃《アサヰルクモノ》、 おほゞしくといはん序なり
 
欝《オホヾシク》、不知人爾毛、戀物香聞、」
 
678 直相而《タヽニアヒテ》、見而者耳社《ミテバノミコソ》、 既いふ如く見たらばと云なり
 
靈剋《タマキハル》、 冠辭
 
命向《イノチニムカフ》、吾戀止眼《ワガコヒヤマメ》、」
 
679 不欲常云者《イナトイハヾ》、 始よりいなといはゞ我方よりしひんやとなり
 
將強哉《シヒムヤ》、吾背《ワガセ》、菅根之、 冠辭
 
念亂而、戀管|將有《アラム》、」
 
○大伴宿禰家持|與交遊久別《トモガキトヒサシクワカレタル》歌、 標は久の字あり今本にはなし標はとらざる事既に云如し歌の意によて加へつ
 
680 蓋毛《ケダシクモ》、人之|中言《ナカゴト》、聞可毛《キケルカモ》、幾許|雖待《マテドモ》、君之不來益《キミガキマサヌ》、」 君は友をさし云なり
 
681 中々爾、絶年云者《タユルトシイハヾ》、 今本の訓は歌意違へればあらためつ
 
如此許、氣緒爾四而《イキノヲニシテ》、吾將戀八方《ワガコヒンヤモ》」
 
682 將念《オモヒナン》、 吾をおもひなん人にあらぬなり
 
人爾有莫國、懃《ネモゴロニ》、情盡而《コヽロツクシテ》、戀流吾毳《コフルワレカモ》、」 
○大伴坂上郎女歌、
 
683 謂言之《イフコトノ》、恐國曾《カシコキクニゾ》、 ものいひさがなき人言をかしこむなり
 
紅之、色莫出曾《イロニナイデソ》、念死友、」
 
684 今者吾波《イマハアハ》、將死與吾背《シナンヨワガセ》、生十方《イケリトモ》、吾二可縁跡《ワレニヨルベシト》、言跡云莫苦荷《イフトイハナクニ》、」
 
685 人|事《ゴトヲ》、繁哉君乎《シゲミヤキミヲ》、二鞘之《モロザヤノ》、 今も一家《ヒトヤ》の一重の圍をさやと云しかれば吾住方の家にも一重|夫《セ》の住家にも一重圍あればもろさやといふならん古事記(仁徳)諸鞘眞幸兒吾妹《モロサヤノマサツコワギモ》云云とあるは二重をいふならん是によりてもろさやと訓て上の如云よしは別記にいふ
 
家乎隔而、戀乍|將座《ヲラム》、」
 
686 比者《コノゴロニ》、千歳八往裳《チトセヤユキモ》、過與《スギヌルト》、吾哉然念《ワレヤシカモフ》、欲見鴨《ミマクホリカモ》、」 見まほしむまゝにしばしがほどに千年や過ぬるお吾おもはるるとなり
 
687 愛常《ウツクシト》、吾念情、速河之《ハヤカハノ》、雖塞塞友《セキトセクトモ》、 せくといへども水の勢つよき故其塞を崩如思ひあまる涙のひまなきをたとふなり
 
猶哉將崩《ナホヤクヅレム》、」
 
688 青山乎《アヲヤマヲ》、横殺雲之《ヨコギルクモノ》、 横殺雲の如と心得べし今本殺を敬とするは誤なり
 
灼然《イチジロク》、吾共咲爲而《ワレトヱミシテ》、人二所知名《ヒトニシラルナ》、」 此歌前後の歌の意にかなはず駿河麻呂の心なごみ郎女のまめ心に愛るよしなど有をかくよめる歟
 
689 海山毛、隔莫國《ヘダヽラナクニ》、奈何鴨《ナニシカモ》、目言乎谷裳、幾許乏寸《コヽタトモシキ》、」
 
○大伴宿禰三依悲別歌、
 
690 照日《テレルヒ》乎、闇爾見成而、哭涙《ナクナミダ》、衣沾津《コロモヌラシツ》、干人無二《ホスヒトナシニ》、」
 
○大伴宿禰家持贈娘子歌、
 
691 百磯城之《モヽシキノ》、 冠辭
 
大宮人者、雖多有《オホカレド》、情爾乘而《コヽロニノリテ》、所念妹《オモホユルイモ》、」
 
692 得羽得無《ウハヘナキ》、 此言既に上にいへり
 
妹二毛有鴨、如是許、人(ノ)情乎、令盡念者《ツクストオモヘバ》、」
 
○大伴宿禰|千室《チイヘ・チムロ》歌、
 
693 如此耳《カクシノミ》、戀哉將度、秋津野爾、 吉野の中に有て高き野ゆゑ雲をよめるなり
 
多奈引雲能、過跡者無《スグトハナシ》二、」
 
○廣河《ヒロカハノ》女王歌、
 
694 戀草呼、力車二、 人の力もてやる車なり今の大八車と云如し
 
七車、積而戀良苦《ツミテコフラク》、吾心柄《ワガコヽロカラ》、」
 
695 戀者|今葉《イマハ》、不有常吾羽《アラジトワレハ》、念乎《オモヒシヲ》、何處戀其《イヅコノコヒゾ》、附見繋有《ツカミカヽレル》、」 つかみの美は萬比約つかまひといふなり
 
○石川朝臣廣成歌
 
696 家人爾《イヘビトニ》、 廣成の家の此里にありて其家人を戀るよし有て云か又他し人の家なる人を戀るか端詞なければ其よしおもひはかりがたし
 
戀過目八方《コヒスギメヤモ》、 すぐしやりがたきと云なり
 
川津鳴、泉之里爾《イヅミノサトニ》、 川津鳴とさへ冠せたれば泉川のあたりなるべし 
年之歴去者《トシノヘヌレバ》、」
 
○大伴宿禰像見歌、
 
697 吾聞爾《ワガキヽニ》、 今は吾おもひ亂たるもなり吾聞んさまにおもへる人のうへはかけていひそとなり
 
繋莫言《カケテナイヒソ》、刈薦之、 冠辭
 
亂而念、君|之《ガ》直香曾《タヾカゾ》、」 たゞかは正香と云に同じ則たゞはたゞ敷の敷をはぶきたる言なり
 
698 春日野爾、朝居雲之《アサヰルクモノ》、 如をこめていふ
 
敷布二、吾者戀益、月二日二異二、」
 
699 一瀬二波《ヒトセニハ》、千逼障良比《チタビサハラヒ》、 良比は利の延言
 
逝水之、復毛|將相《アヒナム》、今爾不有十方《イマナラズトモ》、」
 
○大伴宿彌家持到(テ)2娘子之《ヲトメガ》門(ニ)1作歌、
 
700 如是而哉、猶八將退《ナホヤカヘラム》、不近《チカヽラヌ》、道之間乎《ミチノアヒダヲ》、煩參來而《ナヅミマヰキテ》、」
 
○河内百枝娘子《カハチノモヽエノイラツメ》贈大伴宿禰家持歌、
 
701 波都波郡爾、 波は比萬の約都は智留の約物の間《ヒマ》と物のちるいさゝかなるほどをたとへていふ言にしてはつかといふ歌に同じ
 
人乎相見而、何將有《イカナラム》、何日二箇《イヅレノヒニカ》、又外二將見《マタヨソニミム》、」
 
702 夜干玉之、 冠辭
 
其夜乃月夜、至干今日《ケフマデニ》、吾者不忘、無間苦思念者《マナクシモヘバ》、」
 
○巫部麻蘇娘子《カミコベノマソイラツメガ》歌、
 
703 吾背子乎、相見之其日《アヒミシソノヒ》、 その日よりしてと云なり
 
至于今日《ケフマデニ》、吾衣手者、乾《ヒル》時毛奈志、」 のちにはこを「わが袖は塩干に見えぬ沖石人こそしらねかわくまもなしと巧を添たり
 
704 栲繩之、 冠辭
 
永命平、欲苦波《ホシケクハ》、不絶而人乎《タエズテヒトヲ》、欲見社《ミマクホリコソ》、」
 
○大伴宿禰家持贈|童女《ヲトメニ》歌、
 
705 葉根※[草冠/縵]《ハネカヅラ》、 はねかづらは放髪なる事卷二に既いふ【見安云はねかづら花かづら同事なり奥人】
 
今爲妹乎、夢見而、情内二、戀渡鴨《コヒワタルカモ》、」
 
○童女|來報《コタフル》歌、
 
706 葉根※[草冠/縵]、今爲妹者《イマスルイモハ》、無四乎《ナカリシヲ》、何妹曾《イカナルイモゾ》、 吾にはあらじをとことわれるなり
 
幾許戀多類《コヽタコヒタル》、」
 
○粟田(ノ)娘子《イラツメ》贈2大伴宿禰家持1歌、
 
707 思遣、爲便乃不知者《スベノシラネバ》、片椀之《カタモヒノ》、 和名抄※[怨の上/皿]和名(末里)俗云毛比云云盛椀を毛比といふ式に土片椀廿口水椀廿口とあり片と云は合子に對へ云にて蓋なきなり又水|瓶《カメ》をも毛比といふ又水をもいふか主水も毛比刀利と云|前張《サキハリ》にみもひもさむしみまくさもよしとうたへり水入椀をみもひといふなり
 
底曾吾者《ソコニゾワレハ》、戀成爾家類《コヒナリニナル》、」 諸成案に歌意は思をやりすぐしぬべきすへのしられねば片おもひよるてふ言を片椀にいひかけ其底にそこりこびつくてふこびとこひと言の同じかれば吾戀の片おもひのこりたるを戀なりにけると云なり【諸成案に片椀の事眞淵の考あたれり毛利の利は辭にて毛良牟毛留毛禮と働けば詞略て毛といふは盛《モリ》の言なり比は萬利の約美より通ふ言にて盛椀《モリマリ》又催馬樂にいふ美毛比の美は水の略毛比の比は半濁伊の如唱ふ此半濁は本濁の備より通はせいふにて水盛備《ミモリビ》にて其備は倍《ベ》より通ふ水盛瓶《ミモリベ》にて釣瓶をもいふべし水椀を美毛比といふは美は水の略なる事右の如毛比は前に云萬利より約いふなり猶委荒良言てふものにいふ】
 
708 復毛將相《マタモアハム》、因毛有奴可、白細之、 冠辭
 
我衣手二、齋留目六《イハヒトヾメム》、」 魂むすびとて人魂を見て紐を結びて袖がへしとて夢を見て衣の袖をかへすなど古へのことわざあるによりていはひとゞめんとはよめるなり
 
○豐前國娘子大宅女《トヨミチノクニノヲトメオホヤケノメガ》歌、
 
709 夕闇者《ユフヤミハ》、路多豆多頭四《ミチタヅタヅシ》、待月而《ツキマチテ》、行吾背子《ユカセワガセコ》、 今本ゆかんと訓はたがへり
 
其間爾母將見《ソノマニモミム》、」 月待給ふほども相見なんといふなり
 
○安都扉娘子《アツミノイラツメガ》歌、 安積氏なるを假字にて書るか扉を美の暇字にかりしならん【安都扉《アトノトボソノ》娘子(安都)は氏扉は名拾穗抄にかく有後の考のたすけにこゝに擧ぐ奥人】
 
710 三空去《ミソラユク》、月之光二、直一目、相三師人之、夢西|所見《ミユル》、」
 
○丹波大娘子《タニハノオホイラツメガ》歌、 今本標に大女姫子とあるもてこゝに大の字脱せしと云もあれど丹波國となければ此丹波は姓ならんさらば娘子もいらつめとよむべき事なり
 
711 鴨鳥之《カモトリノ》、遊此池爾《アソブコノイケニ》、木葉落而《コノハヲチテ》、 うかむと云序なり
 
浮心《ウカベルコヽロ》、吾不念國《ワガオモハナクニ》、
 
712 味酒《ウマサケヲ》、 冠辭
 
三輪之祝我《ミワノハフリガ》、忌杉《イハフスギ》、手觸之罪歟《テフレシツミカ》、君二|遇難《アヒガタキ》、」 神前はしめ繩はへていはひ物するに吾手ふれし歟君にあひかたみといふは本妻などのねたみおもひてあひがたかるにたとへてかくよめるなるべし
 
713 垣穗成《カキホナス》、人辭聞而《ヒトゴトキヽテ》、吾背子之、情多由多比、不會頃者《アハヌコノゴロ》、」 (卷十二「かきほなす人のよこ言しげきかもあはぬ日あまた月のへぬらん」てふも隔を云にて垣穗なすは人の隔さくるをいふ多由多比はたえたゆむを云なりされば前の歌人言をしけくうくべき事をなせし歟本妻のねたみをたとへしなるをしれ
 
○大伴宿禰家持贈娘子歌、
 
714 情爾者、思渡跡、縁乎無三、外《ヨソニ》耳爲而、嘆曾吾爲《ナゲキゾワガスル》、」
 
715 千鳥鳴、 かく冠らする事既出
 
佐保(ノ)河|門《ト》之、清瀬乎、 地につけたる序なり
 
馬打和多思、何時《イツ》將通、」
 
716 夜晝《ヨルヒルト》、云別不知《イフワキシラズ》、吾戀、情蓋《コヽロハケダシ》、夢所見寸八《イメニミキヤ》、」
 
717 都禮毛|無《ナク》、將有人乎《アルラムヒトヲ》、獨念爾《カタモヒニ》、 今本獨を狩に誤るは狩と獨の草の手を見誤れるなり片戀片思に獨と云集中例あればあらたむ
 
吾念者《ワレシモヘバ》、※[戚/心]毛《サビシクモ・ワビシクモ》安流香《アルカ》、」 今本※[戚/心]を感とす卷十一にも※[戚/心]を誤りて惑人とせる※[戚/心]にあらためしによてこも改
 
718 不念爾《オモハヌニ》、妹之咲※[人偏+舞]乎《イモガヱマヒヲ》、夢見而《イメニミテ》、心(ノ)中二、燎管曾呼留《モエツヽゾヲル》、」 いやます思ひのもゆると云なり
 
719 丈夫跡、念流吾乎、如此許、三禮二見津禮《ミツレニミツレ》、 紀に羸身を三都禮と訓るを身勞《ミツカレ》なりと思ふは字になづめるなり也美也都禮の也を畧たるなり此畧考は諸成荒良言に云
 
片思男責《カタモヒヲセメ》、」
 
720 村肝之、 冠辭
 
情摧而《コヽロクダケテ》、如此許、余戀良苦乎、不知香安類良武、」 二の句の情を今本に於と有は誤しるかれば改正しき本を得たらん人正せ
 
○獻2 天皇1歌、 誰奉るともなし家集にかくかけるからは家持の歌ならん拾穗抄に大伴坂上郎女とせり何によれるにや女歌ならず見ゆ佐保山の莊より物奉る時の歌なるべし
 
721 足引乃、 冠辭
 
山二四居者、風流無、 今本與志乎奈美と訓はしからず
 
吾爲類和射乎《ワカスルワザヲ》、害目賜名《トガメタマフナ》、」
 
○大伴宿禰家持歌、
 
722 如是許、戀乍不有者、石木二毛《イハキニモ》、成益物乎、物不思四手《モノモハズシテ》、」
 
〇大伴坂上郎女|從跡見庄《トミノナリトコロユ》贈|留宅女子大孃《イヘナルムスメノオホイラツメニ》歌並短歌、
 
723 常與二跡《トコヨニト》、 【今本常呼二跡と有は全誤しるかれば改つ】 常闇行《トコヤミユク》世にてこゝの常世は黄泉《ヨミ》をいふなり紀(神武)又(雄畧)常世又|大漸《トコヨクニ》と有もともにかみさり給ふをいふと同じさて常世にとてはゆかぬといふなり
 
吾行莫國《ワカユカナクニ》、小金門爾《ヲカナドニ》、 閨なり小金門の事既いふ
 
物悲良爾、念有之《オモヘリシ》、 以上は坂上の家より跡見の庄へ移れりし時娘の刀自と別るゝ時のさまなり
 
吾兒乃刀自緒《ワガコノトジヲ》、野干玉之、 冠辭
 
夜晝跡不言、念二思、吾身者痩奴、嘆丹師、袖左倍沾奴、 上のぬもこゝも二つのぬはぬるの畧なり
 
如是許、本名四戀者《モトナシコヒバ》、古郷爾、此月期呂毛《コノツキゴロモ》、有勝益士《アリガテマシヲ》、」 吾だにかくもとなく戀て有ば古郷の女は其所《ソコ》にはありがてましといひて初句より物かなしらに思へりしてふ上一段の意を結ぶなり
 
 反歌
724 朝髪之、 言を隔て髪の亂と冠らす
 
念亂而、如是許、名姉之戀曾《ナネガコフトゾ》、夢爾所見家留、」 四の句なにのこひぞもとよみたるは意とほらす終の句のてにをはにもいさゝかそむければ改つ
 今本右歌の左に右歌報大孃と有は端詞に不叶一本にもなければかた/\とられず後人の書添なり
 
○獻 天皇歌、
 
725 二寶《ニホ》鳥乃、 かづくといはん序におけり
 
潜池水《カヅクイケミヅ》、 ふかきをしらせていふなり
 
情有者、 ふかき心あらば吾深く戀奉る心をしめし奉と水に令するなり
 
君爾|吾戀《ワガコフ》、 今本にわがこひと訓るはいさゝかたがへり
 
情示左禰《コヽロシメサネ》、」
 
726 外居而、戀乍不有者、君之家乃、池爾住云、鴨二有益雄《カモナラマシヲ》、」 今本二有を爾安良とよめるはいまだし約てよむは集中の例なり
 
○大伴宿禰家持贈坂上大孃歌、 今本こゝに雖2絶數年1復會(テ)相聞往來、とあるは後人の書加云にたらず
 
727 萱草、吾下紐爾、著有跡《ツケタレド》、 萱草の事卷二既いふ
 
鬼乃志許草、 鬼は詈て云言なるよし既いふ
 
事二思安利家理、」 事は惜字言なり忘草は實無と云
 
728 人毛無、國母|有粳《アラヌカ》、 粳(和名宇流志禰)と和名抄に見ゆるをもて疑ふ説もあれど字彙に粳同※[米+亢]俗糠字とあれば粳も奴加と訓べし
 
吾妹兒|與《ト》、携行而《タヅサヒユキテ》、副而將座《タグヒテヲラム》、」
 
○大伴坂上(ノ)大孃《オホイラツメ》贈大伴宿禰家特歌、
 
729 玉有者、手二母將卷乎、 玉釧を云ならん
 
欝瞻乃、 冠辭
 
世(ノ)人|有者《ナレハ》、手二冠|難石《カタシ》、」
 
730 將相夜者、何時將有乎《イツモアラムヲ》、何如爲常香《ナニストカ》、彼夕相而《ソノヨヒアヒテ》、 今本にかのよひあひてとよみしは意通らねば改ぬ
 
事之|繁裳《シゲシモ》、」 今本しげきもとよめるもしからず
 
731 吾名者毛《ワカナハモ》、千名之五百名爾《チナノイホナニ》、 千五百に名の多たつともなり
 
雖立《タチヌトモ》、君之名|立者《クヽバ》、 次の多は言都加良を約ていふからはの波は半濁なるを言便に濁る
 
惜社泣《ヲシミコソナケ》、 我名はたつともをしまじ我名たてば君が名たつからなげかるゝといふなり
 
○又大伴宿禰家持和歌、
 
732 今時者四《イマシバシ》、 今本者を有とせしは全誤なりふたつの志は助字今はなり例は既出【奥人按に今時者四の者は和のごとく唱べし婆と濁りては暫《シバ》しの言となりてこゝとは別言なり】
 
名之|惜雲《オシケクモ》、吾者無、妹丹因者《イモニヨリテハ》、千遍立十方、」 今本|千遍《チヘニ》とよみたれどてにをはの假字なければ契冲が説による上の終の歌にいふ 
733 空蝉乃、 冠辭
 
代也毛二行《ヨヤモフタユク》、 代やふたゝび生《オヒ》行れんや行れぬとかへるてにをはなり(卷八)信二代者不經之《マコトフタヨハユカサリシ》に同じ
 
何爲跡鹿《ナニストカ》、妹爾|不相而《アハステ》、吾獨將宿《ワガヒトリネム》、」 上の二首め將相夜者てふ歌に和へしなり
 
734 吾念《ワガオモヒ》、如此而不有者《カクテアラズバ》、 吾念といへどこは吾身かくてあらずばの意なり
 
玉二毛|我《ガ》、眞毛妹之《マコトモイモガ》、 此眞を毎の誤として常にもの意なりといふ説もあれど、まことも玉釧にもがなとねぎて妹が手にまかれなんとなり妄には改むべからず
 
手二所纏牟《テニマカレナム》、」 上の始の歌に和しなり
 
○同坂上大孃贈家持歌、
 
735 春日山、霞多發|引《ビキ》、 心ぐゝといはん序なり
 
情|具久《グク》、 霞より心くもりといひかけたるなり下の久は久毛留の約心ぐし目ぐしと卷十七に在はこゝろぐるしなりそはそこにいふなり【奥人按に具久の約具なり此具は具留志久の約なり】
 
照月夜爾《テレルツキヨニ》、 春のおぼろ月を云なり
 
獨鴨念《ヒトリカモネム》、」
 
○又家持和坂上大孃歌、
 
736 月夜爾波、門爾出立、夕占|問《トヒ》、足卜乎曾爲之《アウラヲゾセシ》、 足をあとのみいふは足結《アユヒ》足《ア》掻など云に同じ足のはこびを數てうらなふなり古くより此事なせしよしありしならん今もしかする國も有と疊算など云に同しき占なり
 
行乎欲焉《ユカマクヲホリ》、」
 
○同大孃贈家持歌、
 
737 云云《カニカクニ》、人者雖云、若狹道乃《ワカサヂノ》、後瀬山之《ノチセノヤマノ》、後毛將會君《ノチモアハムキミ》、」 今本曾を念にあやまれり
 
738 世間之、苦物爾、有家良久、戀二不勝而《コヒニタヘズテ》、可死念者《シヌベクモフハ》、」 今本念者をおもへばと訓るは同言ながらいさゝかてにをはまたからずこはしぬべくおもふはくるしきものにありけるとまはりてにをはなり
 
○又家持和坂上大孃歌、
 
739 後湍山《ノチセヤマ》、後毛將相|常《ト》、念社《オモヘコソ》、可死物乎《シヌベキモノヲ》、至今毛生有《ケフマデモフル》、」 今本の訓もあしからねど六帖に布留と有ぞまされる
 
740 事耳乎、後毛將相跡、 【今本二句の毛を手に誤一本によれり】
 
懃(ニ)、吾乎令憑而《ワレヲタノメテ》、 多乃米の米は末世の約なり
 
不相可聞《アハザラメカモ》、」
 
○更大伴宿禰家持贈坂上大孃歌、
 
741 夢|之《ノ》相者《アヒハ》、苦有家里《クルシカリケリ》、覺而《オドロキテ》、掻探(レ)友、手二毛不所觸者《テニモフレネバ》、」 契冲云此歌第二第四の歌は皆遊仙窟によれりとさも有べし少貶坐睡則夢見十娘驚覺攪之忽然空乎云々またく此意なり既いふ如くまねぶべからず
 
742 一重耳、妹|之《ガ》將結《ムスバン》、帶乎尚《オビヲスラ》、三重可結《ミヘムスブベク》、吾身者|成《ナリヌ》、」 契冲云遊仙窟に日月衣寛朝々帶緩云云文選古詩衣帶日緩是によれりてふはさもあるべし
 
743 吾戀者、千引乃石乎、七許《ナヽバカリ》、頸二將繋母《クビニカケムモ》、 句なり諸成案にかゝるおもきくるしきわざするに猶其七つの石に神の力をそへてともに押ふせ給ふごとしと吾戀のなるまじきくるしさを云
 
神之諸伏《カミノモロフシ》、」 さてまことはまだ大娘の實にゆるせるやもはかりしらねば前の歌にも吾乎令憑而不相可母などおもふがうへに母坂上郎女のゆるさでともぶしして守りめつよかればいよ/\逢がてなるにたとへたるなり
 
744 暮去|者《ハ》、屋戸|開設而《アケマケテ》、吾將待《ワレマタム》、夢爾相見二、將來云比登乎《コムトフヒトヲ》、」 契冲云遊仙窟に今霧閉戸夢裡向渠邊此二句にてよまれたるなりとこれによるべし
 
745 朝夕二、將見時左倍也、吾妹之《ワキモコガ》、雖見如不見《ミレドミヌゴト》、申戀四家武《マシコヒシケム》、」 今本申を由に誤畫の消しなるべし申《マヲシ》を増に借たり
 
746 生有代爾《イケルヨニ》、吾者未見《ワレハイマダミズ》、事絶而《コトタエテ》、 ほむる言にたえてなり
 
如是※[立心偏+可]怜《カクオモシロク》、縫流嚢者《ヌヘルフクロハ》、」 此袋は衣服令袋從服色云々見えて位階をわかつ朝服の上に佩る袋の類なるべし其袋は何いるゝてふ事は見えねど印《オシテ》の類をいるゝにや奈良に殘りたる古き賢聖障子の繪に朝服の上に袋さげたる有さればこゝの袋も此類をいふべし魚袋は縫て製る物ならねば魚袋など云説は不當
 
747 吾妹兒之、形見乃|服《コロモ》、下着而、直相左右者《タヾニアフマデハ》、吾將脱八方《ワレヌガメヤモ》、」
 
748 戀死六、其毛同曾《ソレモオナジゾ》、奈何爲二《ナニセンニ》、 戀死んも人目に名の立も同じそもいとはぬとなり
 
人目他言《ヒトメヒトゴト》、辭痛吾將爲《コチタクワガセム》、」 わびぬれば今はた同じと後によめるが如し
 
749 夢二谷、所見者社有《ミエバコソアラメ》、如是許、不所見有者《ミエズテアルハ》、戀而死跡香《コヒテシネトカ》、」
 
750 念|絶《タエ》、和備西物尾、中中爾、奈何辛苦《ナニカクルシク》、相見始兼、」 たえて念たりしによし有て相見たるなり
 
751 相見而者、幾日毛不經乎《イクカモヘヌヲ》、幾許久毛《コヽバクモ》、久流比爾久流必《クルヒニクルヒ》、 來日《クルヒニ》/\なり狂ひに/\と見たる説は笑べし【幾日こは伊久比毛とよまんかと我友昌保のいひしによるべし下にくる日に/\とあればなり】
 
所念鴨、」
 
752 如是許、面影|耳《ノミニ》、 こゝにしてを入て心得べし
 
所念者《オモホヘバ》、何如將爲《イカニカナサム》、人目|繁而《シゲクテ》、」 四の句よりつゞくにあらず此句初句の上に置て可心得
 
753 相見者《アヒミテハ》、須臾戀者《シバシモコヒハ》、奈木六香登《ナギムカト》、雖念彌《オモヘドイヨヽ》、戀益來《コヒマサリケリ》、」
 
754 夜之穗杼呂《ヨノホドロ》、 呂は良に同し
 
吾出而來者《ワカデヽクレバ》、吾妹子|之《ガ》、念有四九《オモヘリシク》四《(シ)・ヨ》、 思及也下のしは助字なり諸成案るに此考よし志久の志は曾比の約及は加行に働辭なり思の添を志伎志久といふなり
 
面影二三湯、」
 
755 夜之穗杼呂、出都追來良久《イデツヽクラク》、遍多數《アマタヽビ》、成者吾胸《ナレバワカムネ》、截燒如《キリヤクガゴト》、」 契冲か遊仙窟に未曾飲炭暖熱如燒不憶呑刃穿似割といふをもてよめりといふはさもあるべし此比はもはら唐をおもへり
 
○大伴田村家之大孃贈妹坂上大孃歌、
 
756 外居而《ヨソニヰテ》、戀者苦《コフレバクルシ》、吾妹子乎、次相見六《ツギテアヒミム》、事計爲與《コトバカリセヨ》、」 つづきてあはん事をはかれとなり
 
757 遠有者《トホクアレバ》、和備而毛有乎《ワビテモアルヲ》、里近《サトチカク》、有常聞乍《アリトキヽツヽ》、不見之爲便奈沙《ミヌガスベナサ》、」
 
758 白雲之、多奈引山之、 高々といはん序
 
高々二、 卷五に此言委くいへりこゝはたま/\の意なり
 
吾念妹乎、將見因毛我母《ミムヨシモガモ》、」
 
759 何《イカナラン》、時爾加妹乎、牟具良|布能《ブノ》、 葎生なり粟|生《ブ》豆|生《ブ》の例により濁べし
 
穢屋戸爾《キタナキヤドニ》、 神代記に紀太奈枳と訓による今本にはけがしきとよめり 
入將座《イリマサシメム》、」
 右田村(ノ)大孃坂上大孃|并《ト》是《コハ》右大辨《ミギノオホトモヒ》大伴(ノ)宿奈麻呂卿《スクナマロノキミ》之|女《ムスメ》也《ナリ》卿《マヘツギミ》居《ヰタマヘハ》田村里《タムラノサトニ》號2曰《ナツケリ》田村(ノ)大孃(ト)1但妹坂上大孃者|母《ハヽ》居《ヰタマヘリ》2坂上(ノ)里1仍曰2坂上大孃1于時姉妹|諮問以歌贈答《カタミニウタモテオクリコタフ》、
 
○大伴坂上郎女從2竹田(ノ)庄《ナリトコロ》1贈2賜|女子《ムスメノ》大孃1歌、 【こゝの端詞に大伴坂上郎女從竹田庄云々と有に注に母にも離れて竹田に在て夫もなくて有をあはれむなりといへるは聞えず母郎女は竹田に在て女子は坂上の跡見田庄などに居れるによみてやりし成べし】
 
760 打渡、 冠辭
 
竹田之原爾、鳴鶴之、間無時無、吾戀良久波、」 住里に鳴鶴もて序とせし歌なり
 
761 早河之、湍《セニ》居鳥之、縁乎奈彌《ヨシヲナミ》、 早川の瀬には木草などのより所もなきなり
 
念而有師《オモヒテアリシ》、吾兒羽裳※[立心偏+可]怜《アガコハモアハレ》、」 母にもはなれて竹田にありて夫もなくて有をあはれむなり
 
○紀郎女贈大伴宿禰家持歌、 こゝの小注もとらざる事既にいふ
 
762 神左失跡、不欲者不有《イナニハアラズ》、 郎女我年やゝ/\たけたるもていなとにはあらぬなり
 
八也多八《ヤヽオホハ》、 やゝ/\おほくはといふにて大かたの意也
 
如是爲而後二、佐夫之家牟可聞《サブシケムカモ》、」 年たけて戀せしならんには後は必さびしきおもひせんと末をはかりておぼつかなむなり
 
763 玉緒乎、沫緒二※[手偏+差]《アハヲニヨリテ》、結有者《ムスベラバ》、 ※[手偏+差]て沫緒に結たらばといふなり
 
在手後二毛《アリテノチニモ》、不相在目八方《アハザラメヤモ》、」 かくてあはでありての後もあはざらんやといふなり此歌を上は其まゝにて末を絶ての後もあはんとぞおもふと伊勢物語によみかへつ諸成猶案るに今本沫緒とあるは淡の誤にてはなきか沫と淡の草の手似たれば仙覺など※[手偏+交]合の時字を誤りしならん何ぞといはゞ上に淡《アハ》緒といひて末にあはざらめやもとうけたれはかた/”\沫《アワ》にては本の句よりのいひかけ假字たがへり此緒は中をすかしあはしく結故の名ならんか扨後にもあはぢむすびあはひ結といふもあはの假字なり後とてもかなのたがへる事はいはじ後といふも今の世にいひなしたるにもあらずや、古く聞えたればいと後のいひなしにあらじ
 
○大伴宿禰家持和歌、
 
764 百年爾《モヽトセニ》、老舌出而《オイシタイテヽ》、與余牟友《ヨヽムトモ》、 齒おちしひまより舌のもれいでゝよゝとなくなる口つきをいふ源氏夕貌に舌を出してよゝとなきぬとあるも是なり
 
吾者不厭《ワレハイトハジ》、戀者益友《コヒハマストモ》」 よゝむとも戀はましぬ吾はおいぬるはいとはじと云なり
 
〇在2久邇京《クニノミヤコニ》1思d留2寧樂|宅《イヘニ》1坂上大孃u大伴宿禰家持作歌、
 
765 一隔山《ヒトヘヤマ》、重成物乎、月夜好見《ツキヨヨミ》、門爾出立、妹可將待《イモガマツラム》、」 (卷十五故郷者遠毛不有一隔山越我可良爾念我世思とあるに合見れば山城大和さかひにある山なり歌の意も聞ゆ
 
○藤原郎女|聞之即和歌《コヲキヽテヤガテコタフルウタ》、
 
766 路遠《ミチトホミ》、不來常波知有《コジトハシレル》、物可良爾、然曾將待《シカゾマツラメ》、君之目乎保利、」 家持久邇都にありて古郷の妹こひしらに右の歌をよまれしを此郎女のかたへよりこたへしなり同じみやこの宮女ならん
 
○大伴宿禰家特更贈大孃歌、
 
767 都路乎、遠哉妹之《トホクヤイモガ》、 こは隔句なり誓《ウケヒ》てぬれど都路乎遠しや妹が夢に見えこぬといふなり
 
比來者《コノコロハ》、得飼飯而雖宿《ウケヒテヌレド》、 得飼飯は假字誓ひなりあはんとちかひてぬるなり宇計比は知加比と同言にて宇知古里阿比を約しなり宇知は心なり知を略き古良阿倍の約計なり比は辭なり
 
夢爾不所見來、」
 
768 今所知《イマシラス》、 皇《スヘラギ》の今しらしますの略なり今本の訓はわらふべきなり
 
久邇乃京爾、妹二|不相《アハデ》、久成《ヒサシクナリヌ》、行而早見奈《ユキテハヤミナ》、」 見なんの略なり
 
○大伴宿禰家特報贈紀郎女歌、
 
769 久堅之、 冠辭かくさまにつゞけたるは奈良に至りての轉なり
 
雨之落日乎、直獨、山邊爾居者、欝有來《イブセカリケリ》、」 伊伎夫世の伊伎の約伊なれば伎を略て伊夫世と云なりあやなきかたちなどいふは唐文の意こゝに不v言
 
○大伴宿禰家持從2久邇京1贈2坂上大孃1歌、
 
770 人眼多見、不相耳曾《アハザルノミゾ》、情左倍《コヽロサヘ》、妹乎忘而《イモヲワスレテ》、吾念莫國《ワガモハナクニ》、」
 
771 僞毛《イツハリモ》、似付而曾爲流《ニツキテゾスル》、 まことに似つきたる事をするとなり
 
打布裳《ウツシクモ》、 現の意なりといふ説も有ど現はあり多都てふ事を約し意にて則うつしみうつそみともいひ顯現などの字をあつる言なり諸成案にこは美及《ウツシク・ウツクシ》てふ字を充る言にて宇は惠武の約都は多留の約にて人の面も物のよきもたりたるをもほむる言なり女のかほよきを美《ウツクシ》といふは其かほの惠美たりたるなり物のうつくしは吾惠美のたるなりさればこゝの言は僞をもまことに似たるさまに事美しくしてまことなきをうらめるなり
 
眞吾妹兒《マコトワギモコ》、吾爾戀目八《ワレニコヒメヤ》、」
 
772 夢爾谷、將所見常吾者《ミエムトワレハ》、保杼毛友《ホドケドモ》、 紐解のひを略たる言なりひもひぼといふも同言にてひもといふは半濁なり其濁を下へめぐらして保杼久といふなりさて吾紐解てぬればおもへる人の夢に見ゆてふ其比の諺ありてそれによりてよめる例既出相おもはねばこそ見えざれとよめるなり
 
不相志思《アハジトモヘカ》、諾不所見武《ウベモミエザラム》、」
 
773 事不問《コトヽハヌ》、 ものいはぬなり木といはん料なり
 
木尚味狹藍《キスラアヂサヰ》、 木すらは既いふ如木そのまゝなり木はかれで芽出る物故に木の類とするならし諸成案に阿治左爲の治左の約陀なれば阿陀阿爲といふなるべしさて治左の左にも約し陀にも阿はこもれゝば略て阿治左爲と云べしさてしか名づけしよしは藍の色有花ながら其色の物にうつしもとられぬは然いふを言うつくしくして實なき戀をたとへし序なりさてこゝをば句となすべし
 
諸茅等之《モロチラガ》、 こは大孃の乳母《チオモ》などによりたる人の名にて媒せし人を指て云なり諸茅等は山上臣の憶良等はとよみしと同じいひなしなり
 
棟乃村戸二《ネリノムラドニ》、 練はたねらひて言をたくむをいふ村戸は借字群言《ムレコト》にてたゝみかざりてよきさまにいひなすをいふなり【村戸は牟禮古刀の禮古の約呂なるを良に通して牟良刀といふなり】
 
所詐來《アザムカレケリ》、」 大孃の戀思へる歌前にもおほかれど實なきをうらみてよめるなり
 
774 百千遍、戀跡云友、諸茅等|之《ガ》、練乃言羽志《ネリノコトバシ》、 こゝをもて前の村戸の借字なるを可思
 
吾波不信《ワレハタノマジ》、」 此歌は前の言を解るが如くよめりたのまじを不信と書しをもても前の歌をおもへ此歌ども古人委く解ざりしをひさゝに考て思ひ得たれば云ふ
 
○大伴宿禰家持贈紀郎女歌、
 
775 鶉鳴、 冠辭
 
故郷從《フリニシサトユ》、 奈良の古郷より思ひそめしをいふ
 
念友《オモヘドモ》、何如裳妹爾《ナニゾモイモニ》、相縁毛無寸《アフヨシモナキ》、」
 
○紀郎女報贈家持歌、
 
776 事出之者《コトデシハ》、誰言爾有鹿《タガコトナルカ》、 はじめいひ出たるは君ならずやととがむ
 
小山田|之《ノ》、苗代水乃《ナハシロミヅノ》、中與杼爾四手《ナカヨドニシテ》、」 なはしろ水は所所にせく物ゆゑに中よどみの譬へとす
 
○大伴宿禰家持更贈紀郎女歌、
 
777 吾妹子之、屋戸乃|※[竹冠/巴]乎《マガキヲ》、見爾從者《ミニユカバ》、蓋從門《ケダシカドヨリ》、將返却可聞《カヘシテムカモ》、」 諸成云こはたゞに※[竹冠/巴]を見んといふにはあらず次の歌にまがきのすがた見まくほりと云にて心得べしと吾友藤原中良がいへるによるべし
 
778 打妙爾《ウツタヘニ》、 此言卷七に既出そこにいふなり
 
前垣乃酢堅《マガキノスガタ》、 借字姿なり
 
欲見《ミマクホリ》、將行常云哉《イカムトイヘヤ》、 伊倍の倍は波米の約いはめやなり
 
君乎見爾許曾、」 こは初の歌を解るさまによめりと猶中良がいへるによるべしさて前にもかゝるを眞淵のいへる如く後の世にはこれを一首によみ得てんとすめれどさてはすがたむづかしきなり
 
779 板蓋之《イタブキノ》、黒木乃屋根者、 黒木は皮付の木をいふ事式に見ゆ契冲が山ちかければなほあすもふき板を取てまゐらんなり郎女此時やねを葺あらためられしなるべしといへるはよし但しくはしきにすぎたり家をつくれるとのみいふべくおぼゆ【遷都の頃なれば家造る事あるべしいよ/\屋根ふきかふといふはすぎたり】
 
山近之《ヤマチカシ》、明日取而《アスシモトリテ》、持將參來《モチマヰリコム》、」
 
780 黒樹取《クロキトリ》、草毛刈乍《カヤモカリツヽ》、仕目利《ツカヘメド》、勤和氣登《イソシキワケト》、 功又勤紀に伊曾志と訓はこれによれり今本の訓は誤れり且和を知に誤れり和氣は上に出わかといふに同じ一本に仕登母《ツカフトモ》とあるは今本仕目利とあるによるべし
 
將譽十方不在《ホメムトモアラズ》、」
 右の二首は別に端辭のありしが脱しなるべしこをもても始に歌數有はとらず
 
781 野干玉能、 冠辭
 
昨夜者令還《ヨフベハカヘス》、今夜左倍《コヨヒサヘ》、吾乎|還莫《カヘスナ》、路之長手呼、」 こも右に分ていふ如別に端詞の有しが脱ならん
 
○紀(ノ)郎女《イラツメ》裹物《ツトヲ》贈v友歌、
 
782 風高《カゼタカク》、邊《ヘニ》者雖吹、爲妹《イモガタメ》、 友にと端詞にいへば女の友とするは女なるべしかたみに女は妹と云例既に出
 
袖左倍|所沾而《ヌレテ》、刈流玉藻焉《カレルタマモゾ》、」
 
〇大伴宿禰家持贈|娘子《ヲトメニ》歌、
 
783 前年之《ヲトヽシノ》、 (卷十五)前日毛昨日毛今日毛と有に同じ乎は阿刀の約あとゝたつ日あとゝ立年を約通し云
 
先年從《サキツトシヨリ》、至今年《コトシマデ》、戀跡奈何毛《コフレドナドモ》、妹爾|相難《アヒガタキ》、」
 
784 打乍二波《ウツヽニハ》、更毛不得言《サラニモイハジ》、夢(ニ)谷、妹|之手本乎《タモトヲ》、纏宿常思見者《マキヌトシミバ》」
 
785 吾屋戸之、草《ノ》上白久、置露乃、壽母不有惜《イノチモヲシカラズ》、 今本惜を情に誤る一本によれり
 
妹爾|不相有者《アハザレバ》、」
 
○大伴宿禰家持|報2贈《コタフル》藤原朝臣久須麻呂1歌、 淡海公男武智麻呂孫仲滿子也(後勅改押勝)久須麻呂は第二子也
 
786 春之雨者、彌布落爾《イヤシキフルニ》、梅花、未咲久《イマダサカナク》、伊等若夫可聞《イトワカミカモ》、」 家持の思へるをとめのまだいとわかゝるをたとへてこたへしなり
 
787 如夢、所念鴨、愛八師《ハシキヤシ》、 今本の訓は誤れるよしは卷二の別記にいふ 
君之使乃《キミガツカヒノ》、麻禰久通者《マネクカヨヘバ》、」 禰は奈に通てまなくと云
 
788 浦若見《ウラワカミ》、花咲難寸《ハナサキガタキ》、梅乎|殖而《ウヱテ》、人之事重三《ヒトノコトシゲミ》、念曾吾爲類《オモヒゾワガスル》、」 久須麻呂の家なるをとめを家持の戀おもふなる故殊更に人言のしげきをわぶるなり
 
○又家持贈2藤原朝臣久須麻呂1歌、
 
789 情八十一《コヽログク》、所念可聞、春霞、輕引時二《タナビクトキニ》、事之通者《コトノカヨヘバ》、」 霞覆へる時に通ふ言なれば心ぐるしくおぼつかなみおもふとなりこゝろぐゝは上にいふ
 
790 春風之、聲爾四出名者《オトニシデナバ》、 風よりおとゝはいへどかく言にいづるなればといふなり
 
有去而《アリユキテ》、 此事あり經行くなり
 
不有今友《イマナラズトモ》、君之隨意《キミガマニ/\》、」 つひにこゝろをとげんは君が心にあるべしとなり
 
○藤原朝臣久須麻呂來報歌、
 
791 奥山之、磐影爾生流《イハカゲニオフル》、菅(ノ)根乃、 冠辭上は序なり
 
懃吾毛、不相念有哉《アヒモハザラメヤ》、」 君がねもころ思ふなれば吾もしかおもはざらんやなり
 
792 春雨乎、待常二師有四《マツトニシアラシ》、 春雨のめぐみを久須麻呂の自のなさけにたとへまつとにあるらしと云
 
吾屋戸之、若木乃梅毛《ワカキノウメモ》、未含有《イマダフヽメリ》、」 梅の含を家なるをとめに譬梅もまてばこそふくみてあるといふなり
 
萬葉集卷十三之考終
 
萬葉集卷十四之考〔流布本卷三〕
 
此卷より下おほくは家々に集たる歌どもにてそが中に此卷らは大作家持主の家の歌集なりさて初めは雜歌譬喩歌挽歌とついで、時代の次を心して三の卷の拾遺めきてせられたるをその體もはたさず人のいへるを聞がまに/\おひ/\に書載しかばみたりになりぬ後に正すべかりしをおこたりしまゝに傳れるなるべし其みだりなる事は大伴旅人卿の事を上に大納言大伴卿とありて下に中納言なる時の歌をのせ上に春日藏首老と有て下に此人まだ僧にて辨基といひし時の歌ものり藤原の宮人を下に奈良の宮人を上に擧る類又旅相聞悲歌など所さためず入る此外みだりにて撰める卷にあらずされど此卷に古へのよき歌多くのせつ心をやりて見よ
 
雜歌。 卷一にいへるが如し
 
○天皇、 此よみ人は大寶の比石見へ下りしと見ゆ然は是は其いと前にて持統天皇におはすべし次の歌どもの樣もしかなり【奥人案に此天皇を今本に元正天皇なりと云は誤なり人麻呂は和銅二年の比齡五十二不滿して死せるなれば時代違へり此或本に王とかき卷十九に此體なる二首並て一つは大君老と有を思に皇とのみに書るはおほきみと訓しるしなりけりすめらみことをおほきみとも申す事歌に多し是中々古へぶりなり諸王をおほきみといふは後なり】
 
御2遊《アソバシヽ》雷岳《カミヲカニ》1之時《トキ》、 こは飛鳥の神奈備山なり是を雷岳と名をよばれし事は紀(雄略)を引て卷二の別記にいふさてこゝの歌にいかづちのうへとよみたるは歌の文なり卷二に神岳乃山之黄葉乎此卷の下に登神岳と詞有飛鳥の川をよめるもて雷岳と書しをもかみをかとよむ事を知ぬなる神をかみとのみいふ事古に多し
 
柿本朝臣人麻呂作歌一首、 此卷より下にしるせし歌の數の事は別記に云
 
235 皇者《オホキミハ》、神二四座者《カミニシマセバ》、天雲之《アマクモノ》、雷之上爾《イカヅチノウヘニ》、 右にいふ如くかみをかといふは本雷の事なるをもて雲ゐの雷にとりなしつ
 
廬爲流鴨《イホリスルカモ》、」 行宮をいほりとも云事卷一の歌にあり此さまにいひなすは人麻呂のはじめたるならん注に右或本云獻忍壁皇子也【忍壁皇子は天武天皇の九の皇子にて志貴(ノ)皇子の同母兄なり】其歌曰
 
王神座者雲隱伊加土山爾宮敷座《オホキミハカミニシマセバクモカクレイカツチヤマニミヤシキイマス》是はた人麻呂のよめるすがたなりされど皇子にまうさん事にあらず端詞誤しものなり
 
○天皇賜2志斐嫗《シヒノオミナニ》1御製歌《オホンミウタ》一首、 志斐連は和銅元年の紀新撰姓氏録などに見ゆ○嫗の言は卷三にいへり
 今本是に御歌とのみ有は此集の例に違へりよりて製の字を補へり
 
236 不聽跡雖云《イナトイヘド》、強流志斐|那《・能》我《シヒルシヒナガ》、 志斐|女之《ナガ》なり今本那を能に誤る【志斐能の能も奈より通ぜしにて誤ならず今本のまゝにたすけ置べし卷六に勢奈能我袖母などいへる能にひとしきなり○強語登 今本には此登字なし古本には登字有】
 
強語《シヒイゴトヲ》、此者不聞而《コノゴロキカデ》、朕《ワレ》戀爾家里、」 此老女にをこ物語などせさせ給て常におほ|み《ン》和《ナグ》さめとしませし故に此戯ごとは有つらん
 
○志斐嫗奉和歌《シヒナガコタヘマツルウタ》一首、 【此樣のたゞ言歌此卷に六首有り】
237 不聽雖謂、話禮話禮常《カタレカタレト》、詔許曾《ノレバコソ》、志斐|那《・伊》波奏《シヒナハマウセ》、 今本那を伊に誤る
 
強話登《シヒゴトヽ》言、」 古本に強語と有り話は語か言は告の字にや共に平言の戯歌なり【志斐伊の伊は上にも下にも添ていへる集中に多し繼體紀に倭倶吾伊續紀に藤原仲麻呂伊百濟王福信伊の類紀にも多し今本も不誤なり扨伊の言の考は前にいふ、奥人○紀伊の熊野の方言に人の名の下に伊の言を添て呼といへり〇本居云伊は余と云に同】
 
○長忌寸意吉麻呂詞詔歌《ナガノイミキオキマロガミコトノリノマヽニヨメルウタ》一首、 右と同天皇の幸の度なるべし【卷六に難波宮作歌とて長き短き歌によめるに似たり】
 
238 大宮之、内|二手所聞《マデキコユ》、綱引爲跡《アビキスト》、網子調流《アゴトヽノフル》、海人之呼聲《アマノヨビコヱ》、」 こは本孝徳天皇のおはしましゝ難波豐崎の宮にて海邊の興有事をいひたり○綱引せんとては聲を高く長く何とかやいひて呼に浦人ども足をそらにて行つどひてことなすめり是をあご調ふといふなり
 
○長皇子《ナガノミコ》、 既出
 
遊2獵路(ノ)池1之時《トキ》、 かりぢの池はしらずされど皇子の出で遊給ふからは大和の國の中ならん
 
柿本朝臣人麻呂作歌一首並短歌、
 
239 八隅知之、 冠辭
 
吾大王、高光、吾日乃皇子乃、 此四句は卷一にいひし如く五言六言五言四言にいへる例なるを人麻呂始て末を七言によみしならん且此言を只の皇子にもいふ事卷一にもあり
 
馬並而、三獵|立流《タヽセル》、 三は萬志の約の美にてほむる語なり
弱薦乎《ワカゴモヲ》、 冠辭
 
獵路(ノ)小野爾、十六社者《シヽコソハ》、 鹿《シヽ》こそはなり數の訓を借事此集に多し
 
伊波比《イハヒ》拜目《フセラメ・ヲロガメ》、 上に鹿自物伊波比伏管下に十六自物膝折伏と有に仍てよめり拜も即伏事なればなり【拜《ヲロカミ》推古記に烏呂餓瀰弖と有】 
鶉己曾《ウヅラコソ》、伊波比|囘禮《モトホレ》、四時自物、伊波比|拜《フセリ・ヲロカミ》、 六言
 
鶉成、 冠辭
 
伊波比毛等保理、恐等《カシコシト》、仕奉而《ツカヘマツリテ》、久竪乃、 冠辭
 
天見如久、眞十鏡、 冠辭
 
仰而《アフギテ》雖見、春草之《ワカクサノ》、 冠辭
 
益目頬四寸、 既出
 
吾於富吉美可聞、」
 
 反歌一首
240 久堅乃、冠辭
 
天歸《アメユク》月乎、綱爾刺《ツナニサシ》、 綱にて月を刺取て蓋となし給へりと云なり此綱を今本には網と有によりて説くといへどかなはず綱つけてひかへるものなればかく譬しなり伊勢大神宮式の蓋の下に緋(ノ)綱四條とある是なり後撰歌集に「照月にまさきのつなをよりかけて」ともよみつ
 
我大王者、蓋爾爲有《キヌカサニセリ》、」 きぬかさてふ訓は卷十五にほゝかしはをあをき蓋とよみ和名抄に伎奴加散といへりさて是に月をたとへしはまろ形なるを知べしから文にも圓なるよしにいひたり【周禮爲蓋象天、晋書(ニ)天圓如綺蓋地(ノ)方如碁局、器物綴論てふ物にも蓋爲言覆也形圓象天※[木+燎の旁]于八以象纏星蓋之上爲v部非v部無3以納2※[木+燎の旁]於其旁1】
 儀制令(ニ)蓋(ハ)皇太子(ハ)紫(ノ)衣蘇芳(ノ)裏頂及四角(ニ)覆v錦無v總親王(ハ)紫|大纈《オホユハタ》式大神宮(ノ)蓋にも頂及四角云云とあるは惣ては圓なるに錦と總は四方につくる故に四角と云なるべし是によりて方形ならんと云説あれどもとらざるなり
 
○或本反歌一首、 これもよみ人は人麻呂とするにたがはじ
 
241 皇者《オホキミハ》、神爾之坐者、眞木|之立《ノタツ》、荒山中爾、海成《ウミヲナス》可聞、」
 
大池を海と云事卷一に見ゆ○此歌の意も詞も皇子にいふにあらず仍て或人此池を作らせ給て幸ある時の歌ならんと云に從べし然れば右の反歌にはあらず別に端詞の有けんを或本には落今本は歌ともに落たるものなり
 
○弓削皇子、 既出
 
遊吉野時御歌一首、
 
242 瀧(ノ)上《ヘ》之、 うへのうを略てへをえの如く唱るは例なり
 
三船乃山爾、居《ヰル》雲乃、 如を略なり○或本に立雲之と有
 
常(ニ)將有等《アラント》、和我不念久爾《ワガモハナクニ》、」 げに高山の雲は常にたえぬを見かく人の世の常なきをおもひ給ふなり
 
○春日王奉和歌一首、 志貴皇子の御子なり紀に(文武)三年六月卒と見たり
 
243 王《オホキミ》者、 こは弓削皇子をさし給ふなり
 
千歳爾麻佐武、白雲毛、三船乃山爾、絶日安良米也《タユルヒアラメヤ》、」 ことぶきにとりなされつ
 今本こゝに或本の歌云云三吉野之云云右一首云云とあるは本文なるべからぬ事なれば右の歌上下に小書すよりて一二の卷なとの例によりて皆すてつ
 
○長田王(ヲ) 此王を和銅四年に伊勢へ遣されしは是より前の事ならん【長皇子の孫粟田王の子】
 
被v遣2筑紫1渡2水島1之時《トキノ》歌二首、 紀(景行)に海路より幸て肥後國蘆北の小島に泊まして大御食奉る時島に水なかりけるを山部阿弭古が祖小左てふ人天地の神に祈しかば岸邊水涌出たり故にこれを水島といふ肥後風土記曰|球磨《クマノ》乾《イヌヰ》七里海中(ニ)有島名曰水島出寒水水逐潮高下云云和名抄に肥後國菊池郡に水島郷有 
245 如聞《キクガコト》、眞貴久《マコトタフトク》、奇母《アヤシクモ》、神左備|居賀《ヲルカ》、許禮能水島、」 これのは此なり神さびは幸ふりたるをいふ
 
246 葦北乃《アシギタノ》、野坂乃浦從《ノサカノウラユ》、船出爲而、水島爾|將去《ユカン》、浪立莫勤《ナミタツナユメ》、」
 
○石川(ノ)大夫《マチギミ》和歌一首、 此大夫は卷四に神龜五年太宰少貳石川足人朝臣遷任云云と有ぞあたれる何ぞといはゝ此集の例四位をは姓名の下にかばねを書五位を大夫と書り右の足人朝臣と云しは此遷任の時四位に敍たれはにて今少貳の時は五位なり古注は違へり
 
247 奥浪《オキツナミ》、邊波雖立《ヘナミタツトモ》、 邊は假字にて方《ヘ》の意なり【奥人按に邊は假字にあらず保刀禮の約にて方と其意ひとし委は別に云】
 
和我《ワガ》世故我、 男どちも互にしたしみあがめて吾せこと云事集中に多し
 
三船乃登麻里、瀾立目《ナミタヽメ》八方、」 此二首を思ふにこれらは右の如聞云云の一首の下に有べきなり
 今本こゝの注に石川宮麻呂朝臣と石川朝臣|君子《キミコ》二人を擧たれど是等は四位に敍て大貳とせられし事慶雲二年と養老五年の紀に見ゆれば筑紫に在て大夫と書しにかなはすよりて後人のさかしらしるかればすてつ
 
○又長田(ノ)王(ノ)作歌一首、 右と同し度なれば又と云
 
248 隼人乃、 冠辭
 
薩摩乃|迫門乎《セトヲ》、 和名抄に薩摩國出水郡に勢度郷ありここの海門ならん卷十五に隼人乃、湍門《セト》乃磐母年魚走、芳野之瀧爾、尚|不及《シカス》家里、
 
雲居奈須、遠毛吾者、今日見鶴鴨、」 此王肥後國の班田使《カニハタツカヒ》などにて下り給ひけん仍てさつまゝでは渡らで此迫門を遙に見放給ふなるべし遠くも我はけふ來て見つるの意なり【班田使《カニハタヅカヒ》、奥人按に加は阿加の畧なり此加は加爾波の約(ノ)加なりよりて阿加知田の阿を畧加を延てかにはたと云ならむあかちの知は辭なれば畧きてあかとのみ云】
 
○柿本朝臣人麻呂※[羈の馬が奇]旅歌八首、 此中に上六首は西へ行旅二首は都へかへる時の歌なり【下に同人の筑紫へ下る時とて二首又卷二に出しさぬきの國の歌も有いづれの度にや同し道なるが傳へもらして別に出しもあるべし】
 
249 三津(ノ)埼《サキ》、 難波の三津より船出せし日の歌なり次の歌どものついてをおもふべし
 
浪矣恐《ナミヲカシコミ》、隱江乃、 卷十五に風吹者|浪可將立跡伺候《ナミカタヽントマモロフ》爾都多乃細江爾浦|隱往《カクレイヌ》とよめるに同じこゝろの歌なり
 
舟令寄《フネハヨセナム》、敏馬崎爾《ミヌメノサキニ》、」 かくや有けん今本にこゝの二句を舟公宣奴島爾〔四字右○〕と有てふねこぐきみがゆくかぬじまにと訓たるは字も誤訓もひかわさなり此歌にふねこぐ君てふ言有べきにや宣をゆくと訓べきや此ぬしのしらべをもしらぬ人の強ごとなりこは手をつくべきよしもなけれど後の考の爲にもとて右のことく字も訓もなし試るのみ猶よく心得たらん人正せかし扨三津より船びらきしつれども沖の浪高き時は牟古の浦間につきて敏馬の崎をさして行て風をまもりて淡路阿波明石などへこぐなり且みぬめは名高き崎なればはやく漕行て見ばやてふ心にてもよみしなるべしこの所みぬめと有つらん事次の歌をもてもおもへ卷十に三津能波麻備爾於保夫禰爾、眞可治之自奴伎、可良久爾爾、和多理由加武等、多太牟可布、美奴|面乎左指天《メヲサシテ》、之保麻知弖、美乎妣伎由氣姿、於伎|敝《ベ》爾波、之良奈美多加美、宇良末|欲理《ヨリ》、許藝弖和多禮婆、和伎毛故爾、安波治乃之麻波、由布左禮婆、久毛爲可久里奴、云云敏馬浦の事は下にいと多く出たり【今本敏は奴となり馬と崎は崎のかたへの消たるを嶋の一字とせしなり】
 
250 珠藻苅、敏馬乎過《ミヌメヲスギテ》、夏草之、野島之埼爾、舟近著奴、」 かく敏馬を過てと云てこそ淡路の野島をかけて漕事はいはめ上の歌に難波の三津をいひ且その沖の浪を恐み隱江の舟といひて野島にわたるてふ理あらんや此歌もてかの歌をもしれ
 今本こゝの左の注に一本處女乎過而夏草乃野島我崎爾伊保里爲|吾等者《ワレハ》と云は卷十に新羅への使人の誦《トナ》へ誤しをこゝに引しなり總てそら唱にせしには違る多し妄に引て人まどはすめりよりて此次々なるも皆同しければすてつ
 
251 粟路之、 四言是を今本にあはみちのと訓しは古へよりこゝをば阿波|治《ヂ》とのみいへるをもわすれ又古歌には四言の句有をもしらでせしものなり六百年ばかり前の人も訓誤りたり
 
野《ヌ》島|之《カ》前乃、濱風爾、妹|之《カ》結《ムスビシ》、紐吹|返《カヘス》、」 此紐は旅衣の肩につけたる赤紐なりと見ゆ其よしは別記に委しさて妹が結してふ一言に限なきあはれは有實をいへればなり
 
252 荒栲(ノ)、 冠辭
 
藤江之《フヂエノ》浦爾、 和名抄に播磨國明石郡葛江(布知衣)
 
鈴寸《スヽキ》釣、 古事記に栲繩之千|尋繩打延爲釣海人之口太之尾翼鱸《ヒロナハウチハヘアマガツリスルクチブトノヲヒレスヽキ》訓鱸云須受岐
 
白水郎跡香|將見《ミラン》、 見るらんのるを畧例あり
 
旅去吾乎《タビユクワレヲ》、」 一本に白栲之藤江能浦爾伊射利爲流
 
253 稻日野毛《イナビノモ》、 播磨なり
 
去《ユキ》過勝爾、思省者《オモヘレバ》、 後世おもへるにといふ所を古はおもへればといへり
 
心戀敷、可古能湖所見《カコノミナトミユ》、」 可古は播磨國の郡の名にて郷にも可古川有紀應神に日向の諸縣の君が鹿の皮を着てこゝに船泊しより鹿子(ノ)水門といふと見ゆさて此歌は此國に名細く面白き所多きを船にて見放つゝ通るさまなり○今本此末の言を島所見と有て一本潮と有と注せりこゝに潮みゆとてはわろし潮は湖を誤しものとす此下の枚の湖てふを卷七に明旦石之潮《アカシノシホ》にと誤て入し類なり今の島も湖を誤し事鹿子島といふは物に見えぬにてもしれ
 
254 留火之《トモシビノ》、 冠辭
 
明大門爾《アカシノオホトニ》、 明石浦の海門にて淡路との間をいふ今本是をなだと訓しは入といへるにもかなはず次の歌に自明門てふをも思ひ合よ
 
入日我《イルヒニヤ》、 船こぎ入なん日にやなり然は野島の崎なとに船泊て居る間に此歌はよみしならん
 
※[手偏+旁]將別《コキワカレナン》、家當不見《イヘノアタリミズ》、」 此大門に指入ては島がくれて大和方の山も見えず成なんを悲みたるなり又卷十に新羅への使人の歸さに「わきもこを行てはや見ん淡路島雲ゐに見えぬ家つくらしも」てふを打返し意得べし
 
255 天|離《サカル》、 冠辭
 
夷之長道從、 比奈は日の下てふ言なり都を天といふより其の餘の國は皆比奈なりくはしくは別記にいふ
 
戀來者、自明門《アカシノトヨリ》、 右の大門なり
 
倭島|所見《ミユ》、」 一云|家門《ヤトノ》當見由これはいさゝか思はしからず○古事記に大倭秋津洲てふは今の大和國なるからに畧倭島といふさてこは歸るさに大和の山の見ゆるを悦べるなり【播磨の海に家島てふ島有につけて上の家のあたり見でてふを其島を云といひ且此倭島をも其海にある抔いふはいふにも足らぬ誤なりかの大門に入に家のあたり見でとこそいへ家島は大門を入てより見ゆるなり又歸るさにかの大門より東には島はなしさて卷十に豐前國に下りてしが中のいさり火にやまと島見んとよみしをおもへ次に武庫云云と有一本の歌は亂本にある歌の交入しと見ゆればすてつ】
 
256 武庫(ノ)毎、 今本こゝに飼飯《ケヒノ》海とあるはよしも無き誤なり卷十に此歌を誦たるに武庫能宇美能と有こそよろづかなへれば依ぬさてけふは都に近つけるに見る毎によろこばしく海の面さへなぎて武庫のあたりに到たるこゝちしらる
 
庭好有之《ニハヨクアラシ》、 卷四|庭淨奥方※[手偏+旁]出《ニハキヨクオキベコキイツ》云云海の上ののどかなるを今も庭よしといふなり
 
苅薦乃、亂出所見《ミダレヅルミユ》、海人釣船《アマノツリブネ》、」
 
○鴨(ノ)君|足人《タリヒト》香具山(ノ)歌一首并短歌、
 
257 天降付、 冠辭
 
天之芳來《アメノカグ》山、打靡、 冠辭
 
春去來者、 或本によりぬ今本霞立春爾至者と有はいささか後の言めきたり
 
櫻花、木晩茂爾《コノクレシゲニ》、 今本こゝに松風爾池浪立而と有は言の前後になりしものしるければ或本を用う訓は卷十八に多胡乃佐伎許能久禮之氣爾保登等藝須と有に依ぬさて此言の次に二句落たるなるべし卷十五の寧樂の故郷をよめるに上に春爾之成者云云櫻花|木晩※[穴/牛]貌鳥者《コノクレカクリカホトリハ》間無數なきてふ如くかほ鳥はまなくしばなきなど云事有べくおぼゆ
 
松風爾、池浪立而《イケナミタチテ》、 埴安の池なり
 
邊津方《ヘツベ》爾、 四言今本にはこゝの四句も上下に在今は或本による
 
味村左和|寸《ギ》、 あぢ鴨の群てさわぐなり
 
奥|邊《ベ》波、 四言
 
鴨|妻《メ》喚《ヨバヒ》、 妻は借字にて米は牟禮約なり卷一にも此池にかまめをよみつ
 
百磯城《モヽシキ》之、 冠辭
 
大宮人乃、 こゝに高市皇子尊の宮の在しを薨まして後にさびしく成たるを見てよめるなり
 
退出而《マカリデヽ》、遊船爾波《アソブフネニハ》、 或本※[手偏+旁]來舟者
 
梶棹毛《カヂサヲモ》、無而不樂毛《ナクテサブシモ》、己具人奈四二《コグヒトナシニ》、」 或本※[手偏+旁]與雖思とあるはいさゝか心ゆかず今本も遊しと云べくおぼゆれどしか訓ては調かなはず遊びたるを畧ける物とすべし
 
 反歌二首、
 
258 人不※[手偏+旁]《ヒトコカズ》、有雲知之《アラクモシルシ》、 あるを延て阿良久といふ
 
潜爲《カヅキスル》、鴦與高部共《ヲシトタカベト》、 和名抄に※[爾+鳥](多加閉)一名沈鳥貌似鴨背上に有文
 
船上住《フネノヘニスム》、」 一本住人なきさまをうつし出せり
 
259 何時間毛《イツノマモ》、 間の下に爾を畧く
 
神左備祁留鹿《カ|ミ《ン》サビケルカ》、香山之、鉾椙之末爾《ホコスギガウレニ》、 續紀に杜谷樹八尋桙《ヒラヽキノヤヒロボコ》神名式に伊豆國杉桙別神社大嘗祭式に將v柴爲v垣押v桙と有も皆若木の細く長きをほこといへり○今本には本とあれど末の字を誤りたる歟卷二に妹が名は千代になかれん姫嶋の子松か末に蘿《コケ》生《ムス》までにてふ蘿もひかげの事にて老木の末に生るこけなりさて木の末にひかげかつらのかゝるまで年經ぬるをいへるいまとおなじ
 
薛坐左右二《コケムスマデニ》、」 持統天皇十年高市尊薨まして後年を經てこゝに來て見るにもとは若木の椙の桙立なりしも木末に薛蘿《ヒカケ》の生るまで古びしはいつの間にかく年を經去《ヘニ》たるにかといふなり【桙椙を今本にむすぎと訓しはひが言なりむは字音の轉ぜし物としらずや○木の本に苔の生るは只一年の間にも有事なれば本とては叶ず且此こけは苔にあらず木末に生るこけなり○續紀の杜谷樹《ヒラヽキ》は比良の良は呂波の約にて比呂波良木の八尋と云ならん森或は谷など廣原の木の甚よくのびし杉を稱て廣原木彌廣とたとへ冠せしと覺ゆ】
 今本こゝに注あれど誤りたるなり別記にことわりぬ
 
○柿本朝臣人麻呂獻2新田部(ノ)皇子1歌一首并短歌、
 
261 八隅知之、吾大王、 六言
 
高輝、 五言
 
日之皇子、 四言此書既にいへり
 
茂座《シキマセル》、 敷の誤ならんかといふ説もさる事なれど言の同しかれば敷の言に借て書なり
 
大殿於《オホトノゝベニ》、 於をうへと訓は集中に多し
 
久方(ノ)、 冠辭
 
天傳來《アマヅタヒクル》、 そらより流れ來るを云
 
白雪仕物《ユキジモノ》、 じものは上に出今本白を自に誤る一本により改
 
往來乍益《ユキヽツヽマセ》、 益は借宇にて在《イマセ》なり
 
及萬世《ヨロヅヨマデニ》、」 今本萬を常に誤りてとこよなるまでとよみしは理なく言も古へならず往來とは此皇子の家は八釣に在て藤原の宮へ通ひ給ふを云下の石田王卒時の長歌にも似たる言ありさて今日は此八釣におはせるに人麻呂ふる雪をしのぎて參てよめり 
 反歌一首、
262 矢釣山《ヤツリヤマ》、 紀(顯宗)召2公卿百寮於近飛鳥八釣宮1即2天皇位1と見えたりさて此宮所の跡は十市郡飛鳥の社五町ばかり東北に今もいひ傳て有
 
木立不見《コダチモミエズ》、落亂《チリマガフ》、雪※[足+麗]《ユキニキホヒテ》、 【雪※[足+麗]《ユキノハダレニ》撮要抄】今本※[馬+麗]とあるは黒馬の事なればかなはず一本※[麗+鳥]と有もよしなし仍て※[足+麗]ならんかこはから文に(漢書)※[足+麗]v履起迎注(ニ)履不v著v跟曳之而行也言(ハ)甚|遽《イソグ》也といへれば雪のふるにいそぎきほひて參たる意をしらせて※[足+麗]の字を書しならん歟
 
朝樂毛《マヰリクラクモ》、」 朝は公にいふ言を借て參來るてふ意なり樂も良久の言に借たり來留の留を延て良久といふも樂を良久の言に惜し例多し下に夜渡月競あへんかも卷十九に落《フル》雪を腰爾奈都美※[氏/一]參來之云云○雪もはだらにと訓も或本に雪とはだれのあしたたのしもと訓も共に強言故に言のをさまらぬなり
 
○刑部垂麻呂《オサカベノタリマロ》從《ユ》2近江國1上來時《ノホリクルトキ》作歌一首、 今本の字は上下に成ぬ例又標によりて改
 
263 馬莫疾《ウマナイタク》、打莫行《ウチテナユキソ》、氣並而《イキナメテ》、見※[氏/一]和我歸《ミテモワガコム》、 氣並而は齡の坂を經て此浦を又見に來ん我身ともたのまれねばなごり思はるゝなり和我歸は京へかへり來んといふなり【氣並而、久老はけならべてとよめり此けは岐閉の約にて日數をならべ重るを云記にあら玉の年が來ふれはあら玉の月は岐閉由久と有】
 
志賀爾安良七國《シガニアラナクニ》、」 吾命之、眞幸有者、亦毛將見、志賀乃大津爾縁流白浪と此下によみしよりも垂麻呂は老て又見ざらんとなげくならん
 
○柿本朝臣人麻呂從近江國上來時至、 此字はからさまに置しにてこゝのこと葉に用なしよりてよまず河邊にの爾にあたると心得てよし
 
宇治(ノ)河邊(ニテ)作歌一首、
 
264 物乃部能、 冠辭
 
八十氏河乃、阿白木爾、 あじろは水上の方を廣く下を狹く百千の杭を左右に打並て網を引く形なれば網代といふ【杭を狹く打たる下のはてに床を構ふ其左右の杭にせかれてさわぎ入波に隨て氷魚が彼床の簀の上へ寄を取なり此かた古き繪に見ゆ】
 
不知代經浪乃《イザヨフナミノ》、 【いざよふは下に雲ゐなす心いざよひとよめるも山の雲の立もさらずやすらひつゝあるにたとへたり】
 
去邊白不母《ユクヘシラズモ》、」 其あじろ木のうちへいかめしく打入てさわぎ滯りてある白波の網代木をもり行下は忽にさりげもなきを行|方《ヘ》しらずといへりけふはこと/”\しきもあすしらぬ人の世にとれるならんかの忽にあらされし近江の宮所を見悲て歸る時なればことにはかなき世の中をおもふべし卷八に卷向之、山邊響而往水之、三名沫《ミナワ》如、世人吾等者ともよみつさてゆたかにして雄々敷直くしてあはれふかきはこの人の歌なり
 
○長忌寸奥麻呂歌一首、
 
265 苦毛《クルシクモ》、零來雨可《フリクルアメカ》、神之埼《ミワノサキ》、狹野乃《サヌノ》渡爾、家裳不有國、」 卷八|神前《ミワガサキ》荒石毛不所見浪立奴從何處將行與奇道者無荷てふ同じ所ならん同卷に志長鳥爲奈野をくればありま山夕霧たちぬ宿はなくしてとよめるに體は同じかれど今はことに高しく聞ゆるも地のさまおもひはからるゝなりさて狹野てふ所は紀(神武)に遂《ツヒニ》越2狹野1到2熊野神邑1とあるによるに下に秋風の寒きあさけを佐|農《ヌ》の岡こゆらん君に衣かさましをと有も同く紀伊國牟漏郡なるべし熊野あたりの形書たる物を得たるにみわが崎てふ所有又或人そこの近き所に佐野てふ所も有といへり○古へは農濃の字はぬの假字にのみ用ゐつ野も古へはぬといへり故にこゝは共にぬとよみつされど奈良朝に至ては野は乃といひしと見ゆれば從て訓る所もあり【後世大和の三輪をのみ聞居たる人そこの事とするよしこゝに崎といひし事もなく佐野てふ名も聞えずそれよりも藤原の都の時に三輪の里は家居も立つゞくべきを此都人の奥麻呂のいと近き所にて此歌をよむべきかは○神之崎加美の佐岐とて訓美和のさきとよむはひが事なり神《カミ》とは其所を恐みて云なりと羽根の眞清いへり】
 
○柿本朝臣人麻呂歌一首、
 
266 淡海|乃毎《ノミ》、夕浪千鳥《ユフナミチトリ》、 うるはしきことばなり
 
汝鳴者《ナガナケバ》、情毛思努爾、古所念、」 こゝに來てむかししぬばるゝをりに千鳥の鳴音聞ばいよゝ心もしなえうらぶれて悲しきなり○心もしぬにとは心の愁へしなゆるをいふ後人しのとしゞとを同じことゝ思つるは誤れり小竹をしぬといひすゝきのしのなどの類はしなえるなり木草にしゞに生たる又眞梶|繁《シヾ》ぬきなど都しみゝにしみさびてふもおなじく茂きなり集中をよく見て知べし【しなえの奈延の約禰なるを轉じてぬとも又のともいへり】
 
○志貴(ノ)皇子(ノ)御歌一首、
 
267 牟佐佐婢波《ムサヽビハ》、 卷十五に高圓山によみつ此獣の事別記にいふ【第七卷に三國山木末爾住歴武佐々妣乃待鳥如吾俟將痩此歌によれば今本のまゝにて可然〇※[鼠+吾]鼠《ムサヽヒ》、和名抄曰、状如v猿而肉翼似2蝙蝠1、能從v高下(リテ)不v能2從v下上1、常食火烟、或云犬の子に少大しと云り】
 
木未《コノミ》、求跡《モトムト》、 こは木にすむ物なれば更に梢もとむといふべからず今本の末は未の誤しるかれば改むされども古今六帖にもこずゑと有はやく誤りしならん 
足日木乃、山能佐|都雄爾《ツヲニ》、相爾來鴨《アヒニケルカモ》、」 人の強たる物ほしみして身をほろぼすを譬給ふなり有馬大津の皇子たちなどの事見給てしかおもほすか
 
○長屋王故郷歌一首、 高市皇子命の御子佐保大臣と申すは是なり
 
268 吾背子我、 こは誰ぞ皇子たちなどをさし給ふべし
 
古家乃里之、明日香庭、乳鳥鳴|成《ナリ》、君待|不得而《カネテ》、」 今本君を島に誤此王故郷明日香に有て行給へる時他皇子などの故郷もそこに在故にかくよみて今の藤原の都へ贈られしならんあすかは後の岡本宮まで六代の都なりしかば彼志貴の皇子の袖ふきかへせとのたまひし類多し
 今本左に注あれどいふにたらず
 
○阿部(ノ)郎女《イラツメ》屋部坂《ヤヘサカノ》歌一首、 【姓氏録の河内國の諸蕃に八戸史あり其次に高安造を八戸と同祖といへり是に依に屋部坂は河内國ならん】
 
269 人不見者《シヌビナバ》、 今本しのびにはと訓しはかなはず【人不見者一説に人|爾有者《ナラハ》の誤かと云り】
 
我袖用手《ワガソデモチテ》、將隱乎《カクサンヲ》、所燒乍可將有《ヤケツヽカアラン》、 也加禮の加禮の約氣なればやけつゝといふ故に所燒と云つ
 
不服而坐來《キズテヲリケリ》、」 今本こゝを來來《キニケリ》とあるは上の來は坐の誤しるかれば改さてこは草木なくて赤はだか山なるを見て衣はやかれてかあらん著ずしてをりけりそをしのびかくさんともおもはゞ我袖をだにおほひなんものをはぢ隱すさまともなきと戯よみしならん
 
○高市《タケチノ》連黒人※[羈の馬が奇]旅(ノ)歌八首、
 
270 客爲《タビニシ》而、物戀敷爾、山下(ノ)、赤乃曾保船《アケノソホフネ》、 卷六に麻可禰布久、爾布能麻曾保乃、伊呂爾低※[氏/一]とよめる是にて赭土《アカニ》の名を曾保爾といふなりさて其曾保爾もて赤くぬりたる船をかくいへり卷三に左丹漆《サニヌリ》の小船毛鴨卷十六に奥去哉《オキユクヤ》赤羅小船また卷三に忍照難波乃埼爾引登赤曾朋船など皆おなじ
 
奥(ニ)※[手偏+旁]所見、」 丹漆の船は官船《オホヤケ》なり然れば國司などの都へ上るとて今山下を出て奥へ※[手偏+旁]行を見ていとゞ都戀しくうらやましきなるべし奥へこぐてふ言下に例多し
 
271 櫻田部《サクラダヘ》、 尾張國年魚市郡作良の郷の田なり何ぞなれば卷八に年魚市方潮干にけらし知多乃浦爾とよみ和名抄に同國|愛市《アユチ》郡に厚田、作良、成海の郷あり且其年魚市と知多はつゞきたる海邊なれば此さくら田の所も明らけしさいばらに「さくら人その船ちゞめ島つ田を千町つくれる見てかへりこん」とあるも地のさまなど同じ所なる事しるし【或人此櫻田を紀伊國といへるは此八首の並をも思はざるものなりさくら人てふをも誤れる説有】
 
鶴鳴渡、年魚市方《アユチガタ》、 此所は紀に多く見ゆ市は音便にて濁り方は潟なり
 
潮干二家良進、鶴鳴渡、」 上の言を再いふ例既書
 
272 四極《シハツ》山、打越見者、 【和名抄に三河國幡豆郡磯泊(之波止)と云も有】四極山は卷十五に難波へ幸の時|從千沼田《チヌタヨリ》、雨曾零來、四八津之白水郎、網手綱乾有《アタツナホセリ》、沾將《ヌレテ》堪香聞とよめり千沼は和泉國也(紀にも集にも多出)四極は攝津國なり紀(雄畧)呉(ノ)機織等之住吉(ノ)津(ニ)著(テ)在(ル)ときに此月爲2呉客(ノ)1道通(シ)2磯齒津路1名2呉坂1とあれば此國の西成郡に在山なる事しるし猶委くは古き難波の圖をもて別記にいへり○笠縫の島も其見ゆる海邊を埋て畑としたれば今は分ちなし齋宮式に御輿の料の菅骨など攝津笠縫氏が參來て作といひ其外にも同笠縫氏をめす事の見ゆるは彼島より出る故に氏の名とも成にけん
 
笠縫之、島※[手偏+旁]|隱《カクル》、棚無小舟、」 勝れたるけしきの上に小舟の島※[手偏+旁]かくる、ほどのさま今見るが如し同し人かゝるさまをよみし歌下にも出古今集の「浦こぐ舟の鋼手かなしも」てふも思はる
 
273 磯前《イソノサキ》、 【いそのさき/\とよみしもあれはいそのさきと訓へし】
 
※[手偏+旁]|手囘《タミ》行者、近江(ノ)毎《ミ》、八十之湊爾、 卷三に近江海湊八十在ともよめりさて八十は彌十《イヤソ》にて數の多を云
 
鵠《タヅ》佐波二鳴、」 鵠はくゞひの事ともすれど此歌にはこともなく鶴に用ゐたり唐文にも二かたに用ゐし有○佐波は多きなり既にも書たれと猶いふ
 
274 吾船者、枚乃湖《ヒラノミナト》爾、 今本枚を牧に誤る
 
※[手偏+旁]將泊《コキハテン》、 志賀郡比良の湊
 
奥部莫避《オキヘナサカリ》、 【卷九に奈佐柯里と假字有】とほざかる事なかれてふをかくいへり
 
左夜深|去來《ニケリ》、」
 
275 何處《イツコニカ》、吾將宿《ワカヤトリセン》、高島乃、勝野《カチヌノ》原爾、 卷八に大御舟、竟而佐守布、高島之、三尾(ノ)勝野之、奈伎左思所念ともよみ和名抄に高島郡に三尾郷有り勝野もそこなる事しらる
 
此日暮去者《コノヒクレナバ》、」
 
276 妹母我母、一有加母《ヒトツナルカモ》、三河|有《ナル》、二見自道《フタミノミチユ》、 三河國にも二見ちふ所あるならん
 
別不勝鶴《ワカレカネツル》、」 漆に膠《ニカハ》をまじへて分ちがたき譬に似たり○黒人は三河の任などはてゝ大和へのぼる時よしありて尾張近江山背攝津をめぐりて歸るへければ妻は直に大和へ歸る時の別れををしめるならん次に妻のこたへに獨可將去といへるもて思へ
 一本に三河乃(四言)二見之自道|別者《ワカレナハ》吾勢毛吾毛獨可將去、是は妻の和たる歌なり然れば端に黒人歌八首としるせし中に載べきにあらず思ふに此八首の次に高市黒人妻和歌とて此歌有つらんを今本には脱一本には亂てこゝに入つらん
 
277 速來而母《トクキテモ》、見手益物平《ミテマシモノヲ》、山背(ノ)、 此國は本かく書ぞ理りも聞ゆるを延暦十三年より山城とかゝせらる
 
高槻村《タカツキムラ》、 こゝに國を擧、又姓氏録に高槻氏あれば里の名なる事しるし 
散去奚留鴨、」 こは花か赤葉か花といはで咲といへる類ひ古への常なれはなりされど卷三長歌に百不足、五十《イ》槻(カ)枝丹、水枝指、秋の赤葉とのみしてはやがて槻のもみち葉の事なりとせん
 
○石川(ノ)郎女《イラツメガ》歌一首、 【古本には水郎と有かく字の重々誤れるは心せずはあるべからず】今本少郎と書て左の注に石川の字ぞといへるは甚しきひがことなり別記に云こは必女の類なるを男女の歌の分ちをだに見しらずや
 
278 然之海人者《シカノアマハ》、 紀仲哀に磯鹿(ノ)海人筑前風土記に糟屋郡資珂(ノ)島てふ皆同し
 
軍布苅鹽燒《メカリシホヤキ》、 和名抄軍布は荒海布をいふか又昆布の字を誤りしか昆布は西の海に無けれど借て出べし
 
無暇《イトマナミ》、髪梳乃|小櫛《ヲグシ》、 髪梳はことわりもて書つ實は櫛笥なり
 
取毛不見久爾《トリモミナクニ》、」 此郎女父か夫などの任にしたかひ來てしかの浦のあまを見て夫によせて我うへをよめるならん只海人がさまのみ云とはなし
 
○高市(ノ)連黒人歌二首、
 
279 吾妹兒二、猪名野者令見都《ヰナノハミセツ》、 和名抄に攝津國河邊郡赤奈郷あり 
名次山《ナヅキヤマ》、 神名式に武庫郡名次神社有
 
角《ツヌノ》松原、 和名抄に右同郡に津門郷有是歟|杼《ト》と能と奴は清濁も言も相通例なり卷十七に海原通女伊射里多久火能|於煩保之《オホヽシ》久都努乃松原於母保由流可聞てふ上に武庫のわたりとよめるも有【今武庫郡の西宮ちふ里の北東の方に名次山有角の松原の路も其北方に在古は其邊迄入海にてありしを今は埋れたりと彼西宮に千足眞事とて古事好む人の指さして教たり】
 
何時將示《イツカシメサム》、」 海邊のいと面白き所なりけん黒人こゝに來てまた妹に見せぬを思ふは旅の情なり
 
280 去來兒等《イザコトモ》、 此言卷一に憶良のよみし是によりしにや
 
倭部早《ヤマトヘハヤク》、白管乃《シラスゲノ》、 卷八にも白菅眞野乃榛原とよめりさて白菅も地の名なるべし何ぞなれは遠江の濱名の橋元の里より西に白須賀ちふ驛有そこを後の人の歌に白すげの湊とよめるはこゝの言によりて強言せるなるべし土人は濱のすけを濱すが白砂をしらすなといへり是をおもふに此白菅もしらすがにて地の名なり又或人白菅は眞菅なればその眞を下へめぐらしてしらすげの眞といひかけたり冠辭かといへどおほつかなしと眞淵いへり猶清良諸成案に菅には姫菅野菅山菅など數多の中に此白菅のみさらしかわかして笠にも縫なれば白管まことの菅なれば眞菅とはかさねけんさてこゝの歌並も攝津國猪名野をいひて其次なれば他し國なるべからず大和に近き攝津國の眞野萩原に疑なく殊に笠縫の邊も有て笠縫氏もあなるに合見れば白すけの眞とかけ榛原まてはかゝらぬ歌のいひ下しなる事うたかひなからんものなり
 
眞野乃榛原、 卷四に眞野浦眞野池などよみし皆同じ所にて攝津國|八部《ヤタベノ》郡に在といへり猶考べしさて卷八に旅歌とて古爾有監人之覓乍衣丹摺|拳《ケン》眞野榛原てふをおもふにいと古へより名有所のはぎなれば黒人も家づとゝ思ひつらん榛は借字なる事既にいへり
 
手折而|將歸《ユカン》、」
 
○黒人妻答歌一首、
 
281 白菅乃、眞野之、榛原|往左來左《ユクサクサ》、 諸成案に左は須良の約にて其須良は其まゝちふ言にて往《ユク》まゝも來《クル》まゝもといへるなり
 
君社見良目、眞野之榛原、」 黒人の手折てゆかんとはよみたれど贈るに堪ず歌のみおこせつらん仍てかくこたへしけんかL
 
○春日藏首老歌一首、 此人の事既出
 
282 角障經《ツヌサハフ》、 冠辭
 
石村毛不過《イハレモスキズ》、 【石の群たるを石村とかきしはいはむらと訓此地の名をはいはれといふなり後世共にいはむらと云誤なり】石村は十市郡なり是をいはれと訓は用明紀に舘於磐余曰池邊雙槻宮《イハレニミヤヅクリシテイケノヘノナミツキノミヤトイフ》と有同宮を續紀には石村池邊と書又紀に磐余彦と書たる同事を古事記に伊波禮比古と有など合て知さて飛鳥より東北に今もいはれ山と云あり
 
泊瀬山、何時毛將超《イツカモコエン》、夜者深|去通都《ニツヽ》、」 ふけにはふけいにつゝの畧なり老は本僧なりしを大寶元年に官人となし給へばこは藤原都より出て行か又奈良の都となりての事かさても暮過るほどの道にあらずまして藤原よりは近しよし有ておそく出て暮ぬるにや又藤原よりも奈良よりも初瀬山越て宇多野の方へ行んには石村を經ん事まはり遠くや兎角におぼつかなしもしいまだ僧の時の事なりしを後に聞て姓名をしるしたる歟さる例多きなり
 
○高市連黒人歌一首、
 
283 墨吉乃《スミノエノ》、得名津爾立而《エナツニタチテ》、 和名抄に住吉郡榎津(以奈津)とあるは其比の俗なり【和名抄墨江郡榎津、以奈津、と有は書寫の誤にて其頃の俗と云べからず武藏國男衾郡の榎津は衣奈津と有もて其誤しを知】
 
見渡者、六兒《ムコ》乃|泊從《トマリユ》、出流船人、」 こは上の爲奈野なとの歌と同じ度にても有ぬべきを異度に聞てこゝに書しか
 
○春日藏首老歌一首、 こは官人となりて後駿河の國の任などに下りし時歟
 
284 燒津邊《ヤ|キ《イ》ツベニ》、吾去鹿齒《ワカユキシカバ》、 紀(景行)に日本武尊駿河國に到て獵し給ふに夷ども其野に火をはなちたるを尊釼をもて草をなぎ向へ燒つけて却て夷を燒亡し給ひしより其所を燒津《ヤイツ》と名つけしといふなり【和名抄に駿河國益津郡も益津郷も萬之津と唱てあれど神名式に此郡に燒津神社あると下に引景行紀の文とを合ておもふに益津はもと也伊豆てふ言に植しなり和名の比既誤しなり益はやの假字に用ゐし事佐益郡と續紀にあるをや】
 
駿河奈流、阿倍乃|市道爾《イチヾニ》、 和名抄に此國の阿倍郡に國府有又今の府中の西のはてに阿倍川といふ川あり然れは阿倍の市は即今の府中なりけり〇燒津は府より南の海邊にあるなり
 
相|之《シ》兒等羽裳、」 卷五に紫者灰指物曾海石榴市之八十衢爾相之兒哉誰といへるたくひ多し
 
○丹比眞人笠麻呂從2紀伊國1超2勢能山1之時作歌一首、
 
285 栲領巾乃、 冠辭
 
懸卷欲寸《カケマクホシキ》、妹名乎《イモガナヲ》、此勢能山爾、懸者《カケバ》、 懸負せばなり
 一本|可倍波《カヘハ》伊香爾安良牟と有は直に聞ゆされど懸者も理有て古きいひなしにこそあれ
 
奈何將有《イカヾアラン》、」 これも紀伊へ幸の度ならん笠麻呂も老も從駕にて此山こゆる時故郷の妹がことはさらでも戀しきに若此|背《セ》ちふ名をかへて妹ちふ名を此上にかけて呼ばいかなる心ちせんずらんとはかなくゆくりかにおもへる事をかく問なり
 
○春日藏首老即和歌一首、
 
286 宜奈倍、 既出
 
吾背乃君之、 笠麻呂をさす
 
負來爾之《オヒキニシ》、此勢能山乎、妹者不喚《イモトハヨバジ》、」 妹戀しらはしかながらよろしき吾背子が負こし背ちふ山の名こそうつくしまるれ更に妹とかへん事はおもはずととりなしたり
 
○幸2志賀1時石上(ノ)卿(ノ)作歌一首、 紀(元正)養老元年九月美濃當耆郡へ幸の御かへさに近江の海を見ませしことあり其度にやと思ふを石上麻呂公は既に今年三月に薨せし事同紀に見ゆればその度ならで文武天皇の御時などにもこゝの幸有しにやおぼつかなき事なり【此集に卿と書は大臣大納言などなりさて文武より元正の御始迄に石上氏にて卿と云べきは麻呂公の外はなしよて今本名下に名闕と有はいふにもたらぬ事なり】
 
287 此間爲而《コヽニシテ》、家八方何處《イヘヤモイツコ》、 大和の京をいふなり
 
白雲乃、棚引山乎、超而來二家里、」 大和より近江の湖までには他國を隔て高山ども數しらず重れり
 
○穗積(ノ)朝臣老歌一首、 此人奈良宮の始の紀にあまた見ゆ是も右と同し度なるべし 
288 吾命之《ワギノチノ》、眞幸有者《マサキクアラバ》、亦毛將見、志賀乃大津爾、縁流《ヨスル》白浪、」 よきけしきに向て命を思へる歌ども集中に多し上の垂麻呂の歌の類なり
 歌の左の注はいふにもたらず
 
○間人《ハシウドノ》宿禰|大浦《オホウラガ》初月《ユフツキノ》歌二首、 此人の事しらずくらはし山を出る月を待なれば藤原都人なるべし
 
289 天原《アマガハラ》、振離見者、白眞弓、 檀の木は白ければいふ白檀といふが如し 
張而懸《ハリテカケ》有《タル・タリ》、夜路《ヨミチ》者|將吉《ヨケム》、」 一本將去と有は言おだやかならず
 
290 椋橋乃《クラハシノ》、山乎|高可《タカミカ》、 くらはし山は十市郡の東のはてにて惣て宇多郡を隔つる山並の中に此嶺ぞいと高くてしら雲のゐぬ時もなきなり【今の土人此嶺をおとは山といふは麓に音羽村てふ村有故なり又そこに倉橋村てふも今ありて即崇神天皇の倉橋の宮の跡も同じ御陵もそこに在】
 
夜隱爾《ヨゴモリニ》、 卷十一に夜罕爾と書しも同じくて夜の内にてふ言なりさて卷十三に月しあれば夜波隱良武とよめるは明る時にいひこゝは初夜にて云なり此夜隱をも地の名といふは誤ぬ
 
出來月乃、光|乏寸《トモシキ》、」 夕月の比なればいとまだきより見ゆべきに夜をこめて出來る月の光のかすけきとなりくらはし山の高くて隱ればにやといふなり卷十一に此歌を沙彌女王の歌とて末を片待難とありこは夕月とは聞えず夜に入て月のおそきを待に堪ずして倉橋の山の障るにやおそきといふにて是は心明らかなりこをおもひ合すれば右に夕月乃歌とせしはことわり鮮ならぬところあるめり卷十一の方を正しとす
 
○小田(ノ)事《ツカヘ》勢能山(ノ)歌一首、 【六帖に事主《コトヌシ》と有】小田臣は續紀に出づ事は考がたし是を標につかふと訓しは推はかりなるべけれど異考もあらねば暫したがふなり
 
291 眞木(ノ)葉乃、 檜の葉なり
 
之奈布勢能山、 檜の枝葉はしなえたはめるものなり
 
之奴波受而《シヌバズテ》、 こは故郷の事を思ふに得しのぶに堪ずと云なり卷四に吾妹兒乎聞都賀野邊能|靡合歡木《シナヒネム》吾者|隱不得間無念者《シヌバズマナクオモヘバ》これ上にしなひといひて下にしのばすといひ且隱不得と書しなどもてもこゝと同し意なるをしるべし
 
吾超去者《ワレコエユケバ》、木葉知家武《コノハシリケム》、」 わかしのぶに堪かねて身も心も愁しなたゆひ越ゆくを此眞木の葉も知けんかれもしなえつゝあるはと云なり○しのぶと慕は本同言にてあれば檜の枝のさまと吾心とをいひむかへたり卷八にて雲のたな引山の隱たるわが心をば木の葉しるらんちふをおもへ歌は解誤れる人多けれはくり言云なり○志奈布は志奈延多由布を略
 
○角《ツヌノ》口《兄》麻呂歌四首、 紀(元正)角(ノ)兄麻呂てふ人二所出たりこゝは兄の字脱しならんされどいさゝか思ふ事有て直にはあらためず
 
292 久方乃、 冠辭
 
天之探女之《アメノサクメガ》、 神代紀に阿麻能左愚謎
 
石船乃《イハブネノ》、 一本鳥船とあり船は凡鳥に譬て名付るなり石船は石くす船とて楠木もて作てかたきをほむるなり
 
泊師高津者《ハテシタカツハ》、淺爾家留香裳《アセニケルカモ》、」 或人攝津風土記を引て難波高津は天稚彦の天くだりし時つきて下れる神天探女磐船に乘て此に至る天の磐船の泊し故に高津と號く云云といへり此事を古へよりいひ傳ふる所なればこの歌にもよみしならん○古き難波わたりの圖を見るに高津は西の入江によりてあり今高津といふは後のわざなり
 
293 鹽干乃、 四言今本しほかれのと訓しは古ならず
 
三津之|海女乃《アマメノ》、 難波のみつなり【記、仁徳大后大恨怒、載2具御船1之御綱柏者、悉投2棄於海1、故號2其地1謂2御津(ノ)前《サキト》1也、】
 
久具都持《クヾツモチ》、 藁《ワラ》して袋の樣なる物作りたるに藻草などとり入るぞと或人もいへり田舍にてさる形のものをくゞつと云めり【うつぼ物語に、中納言はきぬのあやを糸のくゞつに入て供養のやうにて三所ばかり奉り給ふ】
 
玉藻|將苅《カルラン》、率行見《イザユキテミン》、」
 
294 風乎疾《カセヲイタミ》、奥津白浪、高有之《タカヽラシ》、海人《アマノ》釣船、濱眷奴《ハマニカヘリヌ》、」 眷は借字
 
295 清江乃《スミノエノ》、木※[竹/矢]《キシノ》松原、 木※[竹/矢]は借字岸之なり
 
遠神《トホツカミ》、 既出
 
我王之、幸行處《イデマシドコロ》、」 みゆきし所とよみしはわろし
 
○田口(ノ)益人大夫《マスビトノマチギミ》任《マケタル》2上野國司《カミツケノヽクニノツカサニ》1時《トキ》至駿河(ノ)淨見(ノ)埼《サキニテ》作歌二首、 紀(元明)に和銅元年三月從五位下田口朝臣益人爲2上野守1と有
 
296 廬原乃《イホハラノ》、 神名式に庵原郡に御穗神社といひ此歌にも見穗とあるをもて見れは郡もみほばらなりけんをかの二字に約められし時庵とはせしなるべし和名抄の比には其字につきていへる上にもあり
 
清見之埼乃《キヨミガサキノ》、見穗乃浦乃、寛見乍《ユタニミエツヽ・ユタケキミツヽ》、 【卷二十海原乃由多氣伎見都々】
 
物念毛|奈信《ナシ》、」 向に見ゆる三ほの松原より此方實にゆららかなる入江のさまを見て旅の愁をなぐさめたるなり
 
297 晝見騰《ヒルミレド》、不飽田兒浦《アカヌタコノウラ》、 右の清見か埼を浦傳ひに東へ行て山下の礒通を通行あたりの入海をすべて田兒浦といふなり下の赤人の歌にくはしくすまことにすぐれたるけしきなり
 
大王(ノ)、命恐、夜見鶴鴨、」 官人の驛馬を給て行に日程定あり且古へ驛次は遠ければ夜をかけて行ことあり【公式令に毎三十里置一驛といへり其三十里は今の五里ばかりなり】故にかくよみたりさて清見か崎は夕くれに通田兒の浦をは夜に入て行つらん
 
○辨基《ベンギカ》歌一首、 此僧は既いへる如く大寶元年に勅して官人とし且春日藏首老てふ姓名を給ひしかば此卷の上に既に其姓名の歌三所に出たるにこゝにしも却て僧名にて有は前に僧の時の歌を今聞得てこゝに載たるものなり然れは右の益人の東へ下りしよりはいと前の歌なり是私の集所さだめず書加へし事をしるべきなり
 
298 亦打山《マツチヤマ》、暮越《ユフコエ》行而、廬前乃《イホサキノ》、角太河原爾《スミダカハラニ》、獨可毛|將宿《ネム》、」 仙覺は是をも紀伊國とせり思ふに角田川ちふ所はかたがたに在は紀伊にも在しならん眞土山はそこにこそ名高ければ專らよるへき事なりそれが上に此下に有三保の石室は紀伊なるをおもふに此庵前を三保崎とよみて又みほと同し所ともすべきか或人此|角《スミ》田川を駿河に在といへるは清見か埼の歌に並ひ載て庵原庵前の名の近きに泥みて辨基の僧俗の時代を思はで誤りしなり【角田川てふ名は古今歌集に武藏と下總のあはひといひ古今六帖には出羽なるあをとの關のすみた川ともよみつ然ればこは紀伊の角田川とすべし】
 
○大納言大伴(ノ)卿歌一首、 旅人卿なり天平二年十月に大宰帥より大納言に轉
 
299 奥山之、菅葉凌《スガノハシヌギ》、 山菅の繁き中を凌をかして雪の降入をいふ卷七に木葉|凌《シヌキ》而霞|霏※[雨/微]《タナビク》ともよめり
 
零雪《フルユキ》乃、消者將惜《ケナバヲシケン》、雨莫零|行年《コソ》、」 行年は借訓にて來曾《コソ》と云なり
 
○長屋王駐馬寧樂山作歌二首、
 
300 佐保過而、寧樂乃|手祭爾《タムケニ》、 佐保過てといへばこは奈良坂の上にて旅の手向し給ひしなりかく都出てはしめて誰も手向する故にそこを手向山といふなりけり古今集に手向山もみぢの錦とよめるもこゝなる事しるし卷十五に近江の相坂にて手向山とよみ卷十に三越路の多武氣爾たちて卷十七にとなみ山手向の神にぬさ奉りとあるも同じ意なりけり【後世山上をたうげと云もさる所にては手向して行より轉ぜるものと契冲がいひしはさる事なりこゝに引卷十の歌は即山上の事を云とも聞ゆさらばはやくよりさもいひしならん】
 
置幣者《オクヌサハ》、 幣は絹布なりさて枝にも著又案の上にも置なり卷四にもあはなくに夕けを問と幣に切我衣手はともよみたるなとをもおもへ
 
妹乎目不離《イモヲメカレズ》、相見染跡衣《アヒミシメトゾ》、」 道の神に手向するは旅路につゝかなからん爲なりさてつゝがなく行歸りて妹を常に見せしめ給へといふなり卷十七長歌に戸並山手向の神爾幣奉吾乞祈ばはしけやし君が直香《タヾカ》をま幸も畧相見しめとそ、このこゝろなり【今京となりては旅には絹布をこまかに切て袋に入てもたるをさるべき所々にて打散し手向て通る事とせり物の實は今京の始より失はれしなり】
 
301 磐金之《イハカネノ》、 磐の根なり
 
凝敷山乎《コヾシキヤマヲ》、 今こりしくと訓てしくは敷を正字と思へるは後人の意なり卷八に磐根凝敷三吉野之又石金之凝木敷山爾この卷に極此疑《コヽシキ》伊與能高嶺乃卷十七に許其志可毛伊波能可牟左備なとこそよみたれたゞ敷は借字にてことはのみなり
 
超不勝而《コエカネテ》、哭者《ネニハ》泣友、色爾|將出八方《イテメヤモ》、」 旅路の有さまより轉して忍びに思ふ妹が事にいひうつせしにやあざやかならぬいひなしなり
 
○中納言安倍廣庭卿歌一首、 紀神龜四年十月中納言に任天平四年二月薨右大臣卿主人の子と見ゆ
 
302 兒等之家道《コラカイヘヂ》、差間遠烏《ヤヽマトホキヲ》、 【古本に差母《ヤヽモ》遠鳥】
 
野干玉乃、 冠辭
 
夜渡月爾、競敢六鴨《キソヒアヘムカモ》、」 月の入むまでに吾も行らんかと云なりあへんかは堪むかなり
 
○柿本朝臣人麻呂下2筑紫國1時海路作歌二首、 此人上の八首にも播磨あたりの歌も有西の國にめつらかに行てしかも古事多き所々の歌のなきは傳らざるにやあらむ
 
303 名細寸《ナクハシキ》、稻見乃海《イナミノウミ》之、奥津浪、千重爾|隱奴《カクレヌ》、山跡島根者、」 稻見の沖に漕出て今は大和の山々も見えずなりて浪のみ遙に立わたるを浪に隱るといひなせるがあはれなり上に明石の門より倭島みゆとよみしと同じ旅なるか
 
304 大王之、遠乃朝庭跡《トホノミカドヽ》、 御食國をは惣てみかどゝいへり卷十に新羅への御使人すめらぎの遠のみかどゝから國に渡る吾背はとしもよめりさて此度は筑紫をさしていふと見ゆ
 
蟻通《アリガヨフ》、 蟻は借字むかし今つくしなどへ通ふとて船よする島門といふなり 
島|門乎見者《トヲミレハ》、 卷上に同人讃岐國歌に天地乃月日共爾|滿將行《タリユカン》神乃面跡次而來留中之水門由船浮而とよみし所をいふなるべし往反の船今もこゝによると云へり
 
神代之所念《カミヨシオモホユ》、」 二御神の生ませし此島のいはれを思ふなり委は卷二にいへり
 
○高市連黒人近江(ノ)舊都(ノ)歌一首、
 
305 如是故爾、不見跡云物乎《ミジトフモノヲ》、樂浪乃《サヽナミノ》、舊都乎、令見乍本名《ミセツヽモトナ》、」 見なば悲しかるべし否といひつる物を吾をゐて來てよしなく愁しむるといふなり黒人は仕ふる所見ゆれば此國へ事につきて來し時の事なるべし且上にあるとは異度か同じきにや
 
○幸2伊勢國1之昨|安貴《アキノ》王作歌一首、 紀(聖武)に天平十二年伊勢の幸有り此王は同元年三月從五位より立後あまた紀に見ゆるなり
 
306 伊勢(ノ)海之、奥津白浪、花爾欲得《ハナニモガ》裹而妹之、家裹爲《イヘツトニセン》、」 つととは藁裹薦裹などいひて物を包たる事なり海山の物はさる物につゝみて人にも贈り家へ取もて來る故につとゝいへりそれを轉じてつゝまぬ花などをもさる度なるをばいふ事に成ぬ集中には山つと濱つと路行つとゝもよみつ
 
○博通法師《ハクツウホウシ》、 傳しらず
 
往2紀伊國1見2三穗(ノ)石室《イハヤヲ》1作歌三首、 或ものに紀伊の日高郡に此石室有といへりよく知る人に問ばや
 
307 皮爲酢寸《ハタスヽキ》、 冠辭
 
久米能|若子我《ワクゴガ》、伊座家牟《イマシケム》、 今本家留と有よりも一本をよしとす終の言も今は雖見不飽鴨と有は此歌の言に似ず
 
三穩乃石室者、雖見不飽鴨、」 これも弘《ヲ》計の命の御事かと冠辭考には書しかどさらば住ける人昔の人などなめげにはよまじかし久米仙人こゝに住けんよし物には見えねど土人のいひ傳ふるまゝよみしにやとおもひなしぬ【久米(ノ)若子は袁祁の王の更名《マタノナ》にもあるもてそれぞと本居のいへるはわろし】〇皮は借字にて旗の事ならんかと冠辭考にいひしを猶思へば穗をはたに含ゆゑに波太《ハタ》と濁りさて籠《コメ》といふ心にて久米にいひかけしならんと覺ゆかくてはなすゝきといふも花の心ならで太《ダ》の濁りと奈の清と通ふ例なれば同じく皮《ハダ》の意にて波奈といふべき事なり然らば紀にも集にも幡旗など書しは借字とすべし集にはあだに戀をはなに戀ふといひしも多く隔つをへなつなど通しいへる例あればなり此事猶いかがあらんこは眞淵の考なり此事は卷八の別記に委くいふなり
 
308 常磐|成《ナル》、 【成は爾有《ニアル》ちふ言に借しなり】
 
石室者今毛、安里家禮騰、住家類人曾、常無《トコナカ》理家留、」
 
309 石室|戸《ト》爾、 戸は門なり【戸は外《ト》の意歟】
 
立在松(ノ)樹《キ》、汝乎《ナヲ》見者、昔(ノ)人乎、相見如之《アヒミルガゴトシ》、」 
〇門部王、 和銅六年正月從五位下より立てくさ/\の官位を歴《へ》て天平三年從四位上そのゝち姓かばねを賜しと見えて大原眞人門部卒とあり猶集中にも其よしに見ゆ
 
眺《ミテ》2東市之樹《ヒムカシノイチノウヱキヲ》1作歌一首、 今は東の上に詠とあれど下に作の字有からは誤しるし眺なるべし試に改む紀(雄畧)に餌香《エカノ》市(ノ)邊(ノ)橘といひ卷二に橘の本に道ふみ八街《ヤチマタ》爾とよめるがごとく都の大路に草樹を植られしかば是も子なる木なりけり
 
310 東市之、殖木乃木足左右《ウヱキノコダルマデ》、 卷六に鎌倉山刀|許太流木乎《コダルキヲ》といへるも老木の枝の下たるをいふなり
 
不相久美《アハデヒサシミ》、宇倍吾戀爾家利《ウベワレコヒニケリ》、」 九言卷三などに九言の句多し古人は物に泥ぬ故三言より十言までの句あまた有也今本にあはぬ君うべと訓しは誤なり君を久美と書しこともなくうへをしか樣に書ける例もなきなり○上に「いつのまに神さびけるか香山の桙杉がうれに蘚生《コケムス》までに」其外かゝる歌多しさて此歌は相聞なり聞得しままにこゝにかき載たるなり
 
○鞍作村主益人《クラツクリノスクリマスビト》從2豐前國1上v京時作歌一首、 紀(推古)に鞍作(ノ)鳥てふ人秀たる工といひ其父は多須那祖父は司馬達といへり本歸化の人なりけり益人も此末にやあらん【村主のかばねをすくりといふ事、和名抄に伊勢國安濃の村主郷を須久利と有からは古へよりの言なり、さて姓氏録に、諸蕃の氏にのみ此かばね有、鞍作も本異國人故しかる歟】
 
311 梓弓、 冠辭
 
引豐國之《ヒキトヨクニノ》、 ひきとよむるといひつゞけたるなり今本ひくと訓しは理なし
 
鏡山、 下の挽歌にも豐前國鏡山と有
 
不見久有者《ミデヒサナラハ》、戀敷牟鴨《コヒシケンカモ》、」 戀しかるらんかなり加良の約加なるを氣に轉じて氣牟といふ例下にもあるなり
 
○式部卿《ミノリノトモノカミ》藤原(ノ)宇合卿《ウマカヒノマチキミ》被v使v改2造《アラタメツクラセラルヽ》難波堵《ナニハノミヤコヲ》1之|時《トキ》作歌一首、 今より後天平九年八月の紀に參議式部卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨太政大臣不比等第三子也と見ゆ○宇合はうまかひてふ言なるを字をかりて宇合と書たり【宇合を後世人のうあひと訓は餘りに古へしらぬわざなり惣て古人の名は古への言をよくしらで訓はひが言なり】かゝる例古へ多しことのよしは天平十二年の紀に太宰少式藤原朝臣廣嗣が僧正玄※[日+方]と下道朝臣眞備を除んといふ表を奉りて却て罪せられし時の詔に詐2※[(女/女)+干]其父故式部卿1と見え又廣嗣式部卿馬養之第一子也とありて此式部卿馬養は宇合と同しき事紀を見る人知べし紀を考るに神龜三年十月此卿知造難波宮事に任て天平四年三月此事なりたり其時よみし歌なりけり
 
312 昔者社《ムカシコソ》、難波|居中跡《ヰナカト》、 【ゐなかてふ言に田舍の字を用るも同意ぞ】居中は田居之所《タヰノカ》てふ言なり田を畧く奈は之に遣ひ加はところをいふ在所《アリカ》の加に同しさて田居とは里人常に住る里作る田所は遠ければ秋は其田所に假庵を作り居て稻を苅干とりをさめ給ひ後本の里へは歸りぬ此居る所を田居といふなり是ぞ國人の業の專らなる故に惣て都の外の國々を田居之所とはいふなり
 
所言奚米《イハレケメ》、今者京《イマハミヤ》□□□《師跡柔《コトニギハ》》備《ヒ》仁鷄里、」 今本に今者京引都□備仁鷄里と有ていまはみやびとそなはりにけりと訓たるはわろし何ぞなれば都を古へ登の假字にせし事なく又其都の下に字を闕て有は落字有し故なるを捨てよみしも強たり備を此歌にてそなはりと訓も此歌にては古ならず聞ゆ又惣ては宮人そなはりにけりてふ意に訓と見ゆれど此時はやく/\造成しのみにて幸などのあらぬ前に宮人のそなはらんよしもなしかゝれば今考に引は師の畫の消しなり都は跡の誤彼闕には柔の字を補ていまはみやことにぎはひにけりと訓つ【契冲|今者京引《イマハミヤコヒキ》、都備仁鷄利《ミヤコビニケリ》、右の如訓なれば今本のまゝに助け置なむ】卷十五に難波へ幸の時の反歌に荒野良爾、里波雖在、大王乃、敷座時波、京師跡成奴、卷一に藤原より奈良へ都をうつさるゝ時の長歌に柔備爾之家乎はなれてそが外にも言ともよし有て改たりにきびともにぎはびともいふに備の假字を共に書しをも思へ且にぎはひとは物のよく調ひたるをいひてこゝは宮造りの成ととのへる事なり○宇合卿神龜三年十月に此勅を奉て天平四年三月に終ぬ其間六年ばかりに功なりし自のよろこびに堪ずてよまれけん意おもふべし
 
〇土理宣令《トリノセンレウガ》歌一首、 此人は紀に養老五年正月詔2刀利宣令等1令v侍2東宮1と見え懷風藻にも此人の詩のりたり【此姓は姓氏録にもれたり】さて宣令てふ名はいかにとなへけん此比は字音のまゝいひし名も多く其中に陽侯史令珍同令住などは必音に喚と見ゆればしばらく從へり猶考べし
 
313 見吉野之、瀧《タキ》乃白浪、雖不知、語之告者《カタリシツケバ》、 告とは書しかど心は繼者なりと或人のいへるによるべし
 
古《ムカシ》所念、」 吉野は上つ代より古事多き中に常に幸ありし蜻蛉津の宮の事か又卷一卷八などに見ゆる古への賢人の住し事にもやあらん
 
○波|多《ダノ》朝臣|少足《スクナタリガ》歌一首、 紀(文武)に波多氏は出しかど少足は見えず
 
314 小浪《サヽナミ》、磯越道有《イソコセヂナル》、 大和國高市郡の巨勢路に波の磯こせるとかけたり卷八に吾せこをこち許世山といへる類なり冠辭考に出
 
能登湍《ノトセ》河、 是も此道に在事知べし卷五に高瀬爾有能登瀬之《コセナルノトセノ》河とあるもこせなると訓べきなり是を越の國といふ説は論にもたらぬ事なり
 
音之清左《オトノサヤケサ》、多藝通瀬毎爾、」
 
○暮春之月幸2芳野離宮1 紀養老二年三月幸ありし事見ゆ
 
時《トキ》中納言大伴卿 旅人卿なり養老二年三月中納言に任と見ゆさて此卷家持卿の家集なる故中納言の時も父の名をしるさゞるなり
 
奉《ウケタマハリ》v勅(ヲ)作歌一首并短歌、 未經奏上《マダタテマツルニオヨバズ》、 この事は自記しおかれしならん
 
315 見吉野之、芳野|離宮者《ミヤハ》、山可良志《ヤマカラシ》、 可良はながらの略卷二に委く出しはしもといひ入る辭なるを毛を略けり此類の志は過にしのしにあらず又たゞの助字にもあらず上に曾許之うらめし獨しぬればなど是なり
 
貴有師《タフトカルラシ》、永《ナガ》可良志、 永は水の誤ならんと村田春毎がいへるしからん【永は水の誤とせしは契冲いへり、さて水可良志として水を加波と訓べきなり、雄略紀(ニ)久米水《クメカハ》、卷二|石水《イシカハ》、卷十二此水之湍爾云云、又三代實録にも鴨水之東也と有なり、と久老いへり】
 
清有師《イサギヨカラシ》、天地與《アメツチト》、長久《ナガクヒサシク》、萬代爾、不改將有《カハラズアラム》、行幸之宮《イデマシノミヤ》、」 離宮と書たるもとつみやともいでましのみやとも訓て共に同事なり下に行幸之宮と所々書しもとつみやどころと訓べし同心ながら調べに從てよむのみ
 
 反歌、
316 昔見之《ムカシミシ》、象乃小河乎《キサノヲガハヲ》、今見者、彌清《イヨヽサヤケク》、成爾來鴨、」 奈良へうつりましては吉野の幸の稀にて從駕も久しくし給はざりしなりけり下の帥の時に「吾命も常にあらぬか昔見し象の小河を行て見ん爲」とよまれしは是より後なり
 
○山部宿禰赤人|望《ミサケテ》2不盡(ノ)山(ヲ)1作歌一首并短歌、 富士山記に、山名富士取2郡(ノ)名1也と云へり【赤人の氏をも時代をも後世は誤ぬれば猶別記にことわりぬ】さて不盡不二富士など書は共に假字のみ且ふじの言のよしをいろいろいふ人あれど皆かなはず郡郷の名はいかなる事にていひそめつらん知がたき多し強ていふはわろし【不盡山十名(秘藏鈔)藤嶽鳴澤高根常磐山|塵《チリノ》山|二十《ハタチ》山三|重《ヘノ》山|新《ニヒ》山|見出《ミタシ》山三上山神路山】○山部氏は古事記(仁徳)に山部大楯連(清寧)山部小楯連とありかくて小楯は來目部氏なりしを播磨國司なりし時億計弘計の王たち難をのがれて其國赤石の縮見のみやけの首《オブト》が家のやつことなりておはせしを顯し申て終に此王たち天皇となりましゝ功によりて山の官として即山部連の氏を賜ひしなり是山部氏の遠祖なりと紀に見えたり扨後清見原天皇の御時連のかばねを宿禰に改させたまひしなり○赤人は人麻呂に次で歌に名高かりしは萬葉卷十七に天平二十年三月越中國にて大伴家持と同池主の贈答歌の端詞に幼年未經山柿之門裁歌之趣詞失于聚林矣又池主の詞に山柿(ノ)歌泉云云といへるを思へ○人麻呂の長歌は雄々敷して廣し赤人の短歌は清くして高しおの/\おもむきことなれども奈良の都となりては赤人ばかりの歌よみなければかくも名だかゝりけん
 
317 天地之、分時從、神佐備手、高|貴寸《タフトキ》、駿河有、布士能高嶺乎、天原《アマツハラ》、振放見者、 振は發言放は遠く見放るなり
 
度日之《ワタルヒノ》、陰毛隱比《カゲモカクロヒ》、 加久里を延て加久呂比といふのみ後人別に有が如く思ふはわろし
 
照月乃、光毛不見、白雲毛、伊去波代《イユキハバ》加利、 伊は發語なり此去を或人左利と訓はわろしはゞかりは紀(天智)に阿箇悟馬能《アカゴマノ》以喩企波婆箇|屡《ル》麻矩儒播羅《マクズハラ》とよめるによるに只とゞこほれることなりそれを恐れてとゞまる樣にいふめり此次にも布士の嶺を高み恐み天雲もいゆきはゞかりたな引物を卷二十にあらし男と多志也波婆可流不破乃世伎《タシヤハバカルフハノセキ》といへり【波代加利、狛大人云、波は比良の約、良は呂に同、比呂の義、代は閉賀多の約、加は久阿の約、よりてひろくへがたくありちふ言にて、其物に障られておもひのまゝに廣く經かたきを云】
 
時自久曾《トキジクゾ》、雪者落家留、語告《カタリツギ》、言繼將往《イヒツギユカム》、 集中に古よりいひつゞくをも今より末にかたり告むをもかくいひたれどこゝは吾行道のさき/”\にかたりつぎいひつぎなんと云なり
 
不盡能高嶺者、」
 
 反歌、
318 田兒之浦從、 こはまづ打出て田兒の浦より見ればと心得べしかく言を上下にして云事集にも古今歌集にも多しさて駿河の清見の崎より東へ行ば今さつた坂といふ山の崖《キシ》の下なるなきさづたひに道有これ古の大道なりその邊より向ひの伊豆の山もとまでの入海を惣て田兒の浦といへりかくて右の岸陰を行はつれば東北へ入たる海のわたの所より富士の嶺はじめて見ゆ故に打出て田兒の浦より見ればてふ心にてかくつゞけたるを知るなり東路のいづこはあれどこゝにあふぎ見るにしくはあらず
 
打出而《ウチデヽ》見者、眞白衣《マシロニゾ》、不盡能高嶺爾、雪波零家留、」 大かたの人一節を思ひ得て本末をつゞくるぞ常なるを古へ人は直にいひつらねしぞ多きそが中に赤人はことにふしあるはいまだしく心ひくき事と思ひけんかくうち見るさまをそのまゝにいひつゞけたるなりさてめでたく妙に聞ゆるが故にむかしより名高きなり後にも此意をしたふ人無としも見えねど聞しる人の無にうみてやめる成べし歌などはたゞ人のほむるによきはなし古へ人を友としてこそあらめ【從を今本爾と訓たるは集の例にもそむき此歌の意にも違ひつ○後世は此歌の三の句をしろたへの五の句をふりつゝとかへてそれにつき意を解はいかにぞやさては心高き此人の歌にあらずなりぬ眞白にぞとて末を何の事もなくふりけるといひとぢめたるにこそ此嶺をふと見さけたる時の樣しられて侍るなれ】
 
○詠《ヨメル》2不盡山1歌一首并短歌、 【奥人按に拾穗抄此標の下に笠朝臣金村と有】 
319 奈麻余美乃、 冠辭
 
甲斐乃園、 六言
 
打縁流《ウチヨスル》、 冠辭
 
駿河能|國與《クニト》、己知其知乃《コチゴチノ》、 彼此《コチコチ》のなり
 
國之|三《ミ》中從、 二つの國の眞中よりなり
 
出立有《イデタテル》、 紀(雄略)に泊瀬乃山波、伊泥※[手偏+施の旁]《イデタ》智能、與|盧《ロ》斯企野磨、この卷の卷三にも初瀧の山云々出立の妙山叙《クハシキヤマソ》てふに同じ今本に出之有と有ていでしあると訓しは誤れり
 
不盡能高嶺者、天雲毛、伊由吉波|代《バ》加利、飛鳥母、翔毛不上《トビモノボラズ》、燎火乎《モユルヒヲ》、雪|以滅《モテケチ》、 六言
 
落雪乎、火用|消通都《ケチツヽ》、言不得《イヒモカネ》、名□不知《ナツケモシラニ》、 付の字落しか
 
靈母《アヤシクモ》、座神香聞《イマスカミカモ》、 山を即神といふ上つ代の例ながらこはことも絶え心も及ばぬ此山の事を神といへるぞ妙なる言なれ【山を神といへる卷十六にも伊夜彦の神の布本爾云々とも見ゆ】
 
石花海跡《セノウミト》、 和名抄に尨蹄子は勢云々兼名苑云石花(ハ)三月皆紫舒v花附石而生故以名v之といひ集中に石花二字を勢の一言に借たる多しさて勢の毎といふは卷六にふじの高根の奈流佐波とよめるこれなり【富士の麓に八の大池有てその中にせの毎といふあるべしといふ人あれど古嶺の上に湖ありしことしるければ專らそれをいふべし度々燒て水をたくはへねば今は只其湖の樣のみ見ゆと云】
 
名付而有毛《ナツケテアルモ》、彼山之《ソノヤマノ》、堤有海曾《ツヽメルウミゾ》、 嶺の上に又峯あまた廻り立たる中にめぐり今の道一里ばかりの湖あり故に其山のつゝめる毎と云なり且池をも海といふ事既にも出たり
 
不盡河|跡《ト》、人乃渡毛、其山之《ソノヤマノ》、水《ミヅ》乃|當烏《タギチゾ》、 當は借字にて沸《タギリ》なり其里と知と通ふ故に集中にたぎちと云多し烏は助字にのみせし歌もあれど曾とも乎とも云辭に用ゐしもあるによりたり【此當は大和の當麻を古事記に多伎麻とあるをもて沸に借しを知べし今本あたりぞと訓しはわろし】
 
日本之《ヒノモトノ》、山跡國乃、 【日の本とは日の神の生みましゝもとつ國と云意なり此發語はこゝの外見えず】
 
鎭十方《シヅメトモ》、座祇可聞《イマスカミカモ》、寶十方、成有山可聞、 紀(顯宗)室賀に築立る柱者此|家長《キミ》御心之鎭也てふも物の大小の異なるのみにて事はひとし又寶とは皇朝のほまれ此上にしく物なければいへり二つの可は疑のかなり定めつべきを假に疑ふは心廣くしてよし
 
駿河有、不盡能高峯者、雖見不飽香聞、」 まことに此嶺の歌といふべく言いかめしく事弘くありさまをつくしたるは誰ぞの歌にかあらんされど將《ハタ》人麻呂などの頃よりはいさゝか後の歌と聞ゆ此下に海若者靈寸《ワタヅミハアヤシキ》物香淡路島中爾立置而云々てふ長歌のしらべに似たり藤原の末奈良の始つかたにかゝる歌よみの有つらん名のもれたるそをしき
 
 反歌、
320 不盡(ノ)嶺爾、零置雪者、六月(ノ)、 六月專ら雷の鳴故に加美奈留月といふを加と留を略て美奈月といふぞと荷田うしのいひしこそまことなれ十月は雷のならねば雷無月と云にむかへたる名なりおのれも此月の名を考に相對へていへるぞ多きなりけり
 
十五日消者《モチニケヌレバ》、 ひるとよるとの程同じければもちといへり他《ヒト》と我と勝負なきをもちといふに同じ然ればこゝはもちの日と云べき事なるを日をば略たり 
其夜布里家利、」 此ひたぶるにいひなせるこそめでたけれ上の赤人の短歌と是とは實に此嶺をよみ得たりけり後世ふじの歌とてよめるは一つだにかなへるなきはすべてこまかなる女歌なればなり古へのますらを歌をここにして思ひ明らめよ
 
321 布士能嶺乎、高見恐見天雲毛、伊去羽計《イユキハバカリ》、田菜引物緒《タナビクモノヲ》、」 此物緒の乎は上へかゝるにあらずなとも曾とも通《カヨ》はして意得るなり卷十二大君の命かしこみさし並し國にいますや吾せの公を卷八に初瀬川白木綿花爾落たぎつ瀬をさやけしと見にこし吾をなど猶有
 注に右一首高橋連蟲麻呂之歌中(ニ)出焉以v類載v此○注に右一首といふは直に一首なり然ればこの田菜引物緒てふは始のは無かりしをかの集に有もて後に加へたるなりさて此歌中に出といふは即蟲萬呂の歌と聞ゆれど右の長歌ともに必其人の歌ならぬ事しるし歌集中と書べきを略にすぎたるものなり下もおなじ
 
○山部宿禰赤人|至《ユキテ》2伊豫(ノ)温泉1作歌并短歌、 此出湯の事次にいへり且赤人はいかなる序にこゝに來りけんしらず
 
322 皇神祖之《カミロキノ》、神乃御言乃、敷座《シキマセル》、國之盡《クニノコト/”\》、 皇神祖てふ事先祝詞に神漏伎と云は其御魂大御神より天照大御神までの神祖の御事なり神賀詞に高天能|神祖《カンロキ》高御魂命と有を合て知べしさて人の世となりても磐余彦天皇此かたの前つ御代々の天皇をば同じく申す事卷十九に皇祖神之《カミロキノ》遠御代三世波とよめる是なり皇神の御嗣となれば理りなり故にこゝの歌も前つ御代々を申すなればかみろぎと訓なり今本にたゞすめらぎとよみしは祖の字をいかにせんとすらん○加美呂伎は神|皇君《スメロギミ》てふ言にて神の御代の嗣々を申なれば即天皇の皇祖神におはせるなり
 
湯者霜《ユハシモ》、 四言
 
左波爾雖在、島山之、宜國跡《ヨロシキクニト》、極此疑《コヾシカモ》、 集中に岩根凝敷又興凝敷などいろ/\に書つれど皆岩根のこゞり重れる事なりそれを略きてこゝにはこゞしといひ且加毛とほめ歎く辭を添たり卷十七に(立山の歌)いにしへゆ有來にければ許其志加毛伊波能可牟左備てふをもて知べしさて極は音轉して借此は假字疑はうたがふ加毛に義もて常に書をこゝはうたがひの加毛ならねどかゝはらで借用ゐしなり今本疑をきの假字としてこゞしきと四言に訓しは誤れり疑は濁言なれば清音に用ゐず且言例を思はぬなり
 
伊豫能高嶺乃、射狹庭乃《イサニハノ》、 いさにはは同國風土記に聖徳皇子こゝへ幸て湯(ノ)岡の側に碑文を立給ふ其所を伊社爾波といひ式にも伊佐爾波神社有○次の言に立之而てふ云々は同風土記に景行天皇より後岡本天皇迄五度の幸有しと云り(聖徳皇子も此うちなり)然れば何れをも申べけれと其次の句を思ふに聖徳皇子また岡本天皇をこゝに申すにや
 
崗爾立之而、歌思《ウタシヌビ》、辭思爲師《コトシスビセシ》、 卷一の軍王の歌の左注に岡本天皇此幸の事記を引て次に一書是時宮の前在二樹木此之二樹|斑鵤《イカルカ》此米《シメ》二鳥大集時勅多掛稻穗而養之作歌云々といへり其歌に古への幸の事のことを慕はるゝ意有けんを歌しぬびとはいひつらん辭しぬびとは同じ時ことばにいにしへ慕はれし事有て云か又はかの聖徳皇子の碑文にも古へを戀給ふ辭のあるをいふにもやあらん【今本此思をおもひと訓しは理りなし思をしぬぶと訓べき例集中に多ししぬぶはしたふ事なり○伊豫國風土記に云湯郡天皇等幸行降坐五度也景行天皇以d大帶上日子與2八坂入姫命1二躯u爲一度也仲哀天皇以d大帶中日子天皇與大后息長足姫命二躯u爲一度也以2上(ノ)宮聖徳皇子1爲一度及高麗慧慈僧葛城王等也立2湯岡側碑文1處謂2伊社爾波1者當士諸人等其碑文欲v見而伊社那比來因謂2伊社爾波1也以岡本天皇并皇后二躯爲2一度1于時於2大殿戸1有v樹云2臣木1其上集2鵤|此米《シメ》1天皇爲2此鳥1繋2稻穗1養賜也以2後岡本天皇近江大津宮御宇天皇清御原宮御宇天皇1三躯爲2一度1此謂2行幸五度1也】
 
三湯之上乃、 三は御なり
 
樹村乎見者《コムラヲミレバ》、 村は群にて木の群りて立るをいふさて風土記に岡本天皇云々於2大殿戸1有v木云2臣木(ト)1又右に引一書に宮前在2二樹木1てふなどはむかしの事なり今赤人の見る時は古の宮もこの木もなくて後に生たる木の茂りあひてあるを見たるなりけり
 
臣木毛《オミノキモ》、生繼爾家里《オヒツギニケリ》、 彼岡本天皇より五御代の後清見原天皇十三年十月に大に地震《ナヰ》ふりて此湯の所うづもれ失て涌出ずと紀に見ゆ其後六代を經て赤人の見たる時はむかし聞えし臣の木は失て後に生繼てそれもよろしきほどにて立るなるべし扨紀(神武)に母木を今|飫弭廼奇《オミノキ》と云は誤りとしるされたり然れば臣と書は借字にて後世樅てふ木にあたれり此事別記にいふ
 
鳴鳥之《ナクトリノ》、音毛不更《コヱモカハラズ》、 かのむかし有けん斑鵤此米などの事をうけていふなるべし
 
遐代爾《トホキヨニ》、神左備將往、行幸處《イデマシドコロ》、」 上つ代より名くはしく在傳はりし幸處のほろびしを惜み思ひたるに今はむかし有けん木など生つぎたるを見ればかく萬代の末かけて古び傳りぬべきをよろこべる意なり此歌上にはいにしへをいひ中には今をいひ下には末をいひつ
 
 反歌、
323 百式紀乃、 冠辭
 
大宮人之、飽《アキ》田津爾、 【久老云、西村重波は毎年に彼國に下りて其地をよく知れるに饒田津と云所も飽《アキ》田津と云所も今猶かしこに在てともに津なるべき所なりといへり】
 
船乘將爲《フナノリシケン》、年不知久《トシノシラナク》、」 いと上つ代の幸の時にもこゝに船のりして遊びけんこと多かるべければ惣てをさしてよめりともいふべし又後岡本宮の御時の度額田姫王のよみし言を用ゐたるに依てはかの幸より多くの年經たるをいふか赤人は專ら聖武天皇の御時に見ゆれば後の岡本の御代より八嗣の御代になりぬ
 
○登2神岳《カミヲカニ》1山部宿禰赤人作歌一首并短歌、
 
324 三諸乃、 四言
 
神名備山爾、五百枝刺《イホエサシ》、繁生有《シヾニオヒタル》、都賀乃樹乃《ツガノキノ》、 冠辭又別記に委
 
彌《イヤ》繼嗣爾、玉葛、 冠辭
 
絶事|無《ナク》、在管裳《アリツヽモ》、不止將通《ヤマズカヨハム》、明日香能、 四言
 
舊京師者《フルキミヤコハ》、 あすかは小治田宮より淨見原の宮まで六の御代の古郷なり
 
山高三、河登《カハト》保志呂之、 卷十七にもかくよめり神代紀に大小魚の三字をとほしろくさきいをと訓し即古言にてとほじろきは何にても大きなる事さきはちいさき事をいふ
 
春日者《ハルビハ》、山|四見容之《シミガホシ》、 容は借字こゝろは集中に見之欲《ミガホシ》と書る是なり常にはみまほしといひならへり
 
秋(ノ)夜者、河四|清之《サヤケシ》、旦雲二《アサクモニ》、多頭羽|亂《ミダレ》、 六言羽は者なり鶴はつらなり飛事なければ亂と云ならん下にもあり
 
夕霧丹、河津者|驟《サワグ》、 鳴さわぐなり其しぬばるゝ所のけしきのよきに中/\に悲しみを増ものなり
 
毎見《ミルコトニ》、哭耳所泣《ネノミシナカユ》、古思者《イニシヘオモヘバ》、」 大よそ人すらかゝる所はしのばしきに赤人のおや/\に此都に代々つかへ奉りけん故にことになげくなるべし紀にそれとは見へねど清見原の御時山部連に宿禰を賜ひしは此父にやありつらん
 
 反歌、
325 明日香河、川余藤不去《カハヨドサラズ》、立霧乃、 如を入て心得べし
 
念應過《オモヒスグベキ》、孤悲爾不有國《コヒニアラナクニ》、」 此川霧のよどみて常に晴る時無がごとくわがこゝをしぬぶ思ひも常にして思ひ過しやりがたしとなり
 
〇門部(ノ)王在2難波1見《ミテ》2漁父《アマガ》燭光《タクヒヲ・トモシビ》1作歌一首、 【和名抄漁父一曰漁翁和名無良伎美と有はこゝの訓に不叶】
 
326 見渡者、明石之浦爾、燒火《タケルホ・トモスヒ》乃《ノ》、保爾曾|出流《イデツル》、妹爾戀久《イモニコフラク》、」 すべて物の顯れ出るをほといふさてこゝは妹てふ事の人にしられてうき事有時の歌ならんさてこは相聞なれど旅に在てよまれつればこゝに入しなるべし
 
○或|娘子等《ヲトメラ》、贈《オクリテ》2裹乾鰒《ツヽメルカラアハビヲ》1、戯2請《タハムレコヘル》通觀僧之咒願《ツウクハンホウシガトコヒヲ》1時《トキ》通觀作歌一首、
 
327 海若之《ワダツミノ》、奥爾持行而、雖放、字禮牟曾|此之《コレガ》、 何れにぞてふ言を常にはうれんぞといひしにや以豆の約宇なり爾をはねて訓は常なり常の言は何となく打いふに延約のあふものなるぞ
 
將死還生《ヨミカヘリナム》、」 よみかへるは黄泉より歸るにて生かへるを云或人莊子が言を引て斗升の水もて急をすくはずしてかく乾魚となりて後はたとひかれが本の大海の澳に放つともいきかへるべからず咒の術もなしと云といへりさる事なり
 
○太宰少貳《ツクシノスナヒスケ》小野老朝臣歌一首、 此人養老三年正六位下より從五位下に叙し天平九年に大貳從四位下にて卒せし事紀に見ゆ
 
328 青丹吉、 冠辭
 
寧樂乃京師者、咲花乃、薫如《ニホフガコトク》、今|盛有《サカリナリ》、」 よく譬て此都の盛を今も見るが如しさて薫は先香氣に用ゐれど日かげ花の色の赤く曇るにもいへばこゝににほふと訓しも色の方にとるべし下に茵花香君之《ツヽジバナニホヘルキミガ》とも又卷十五に丹管士能將薫時能《ニツヽジノニホハントキノ》などあるなり
 
○防人司祐《サキモリツカサノスケ》、 【司佑、撮要抄、祐は誤なり】防人は遠江より陸奥までの軍團の兵士をたゞして筑紫の國に遣て海の崎々を守らしむる故に崎守といふ其司は太宰府の下に在り委くは軍防令に見ゆ
大伴宿禰四繩歌二首、 今本かばねをかゝぬは落し物なれぱくはへつ
 
329 安見知之、吾王乃、敷座在《シキマセル》、 敷坐の座《マ》はますてふに同じ
 
國《・クニ》(ノ)中《・マホラ》(ニ)者《ハ》、京師所念、」
 
330 藤浪之、花者盛爾、成(ニ)來《ケリ》、平城(ノ)京乎、御念八君《オモホスヤキミ》、」 意あはれなる歌なり君とは旅人卿を指ならん
 
○帥大伴卿《ミコトモチテオホトモマヘツキミノ》歌五首、 旅人卿なり帥は九つの國二の島をすべつかさどりて且|外蕃《ソトノクニ》の敵《アダ》に備ふれば世に大なる官なり職員令に委し
 
331 吾盛《ワカサカリ》、復將變八方《マタカヘラメヤモ》、 かへる事無を云卷十五に石綱乃、又變若反、青丹吉、奈良乃都乎、又將見鴨てふも遂に同意におつるなり
 
殆《ホド/\ニ》、 此ことばを殆の字を用ゐたるからは危近き意と誰もいへり卷八卷十の歌はさもやとも聞ゆ卷十一の歌はあたらずさて字もて解くは字になづめるなりこははてはてにての意なり右さかりかへる事なければはてには都を見ずかなりなんとなげくなり保と波と通ふ登と弖と通故にはて/\をほど/\といふ且爾は中下にあればはぬるなればほどに/\をつゞめはねてほとんどゝも云なり又字は同字を用ゐたれど程/\てふ意に用ゐたるもあり【遠江人は果終る事をほてるといへり又庭もはだれをほどろとも卷七によめり】 
寧樂(ノ)京師乎、不見歟將成《ミズカナリナム》、」
 
332 吾命毛《ワギノチモ》、常《ツネニ》有奴可、 奴可約奈にて常にあらなといへる辭なり常にもいふなり
 
昔見之、象《キサノ》小河乎、行見爲《ユキテミムタメ》、」 此卿中納言の時從駕にて此川をよまれし上に在りむかへて見よ
 
333 淺茅原、 冠辭
 
曲曲《ツバラ/\》二、 つまびらかてふをはぶけり
 
物念者、故郷之《フリニシサトノ》、所念可聞、」 次の香山のふりにし里てふに同じくて紀天武元年に大伴氏の家百濟に在と見え又神武天皇の御時に大伴氏の遠祖に賜はりし築坂邑てふも共に同じ所なるべし皆香山の下に在りと見ゆればなり【築坂は諸陵式に高市郡|身狹桃鳥坂《ムサノツキサカ》と見え其|身狹《ムサ》を訛て今は見瀬村といひて香具山近き所なり又卷二の挽歌に百濟原は香具山の下と見ゆかくて天武紀に大伴馬來田と弟吹負のぬしたちの家百濟の地に在なりと見えしを合て知なり】かくて此歌たゞ故郷を思ふといはずくさ/”\に物思ふによりて故郷のおもほゆてふ意なれば考るに神武天皇大伴氏の遠祖道臣命は類なき大功の人故に橿原の大宮近き築坂邑を賜りて住せられ常に寵ましきと紀に見え然るがうへ此氏の末武をもて代代に忠に仕奉且官高くよせ殊にあり經しを今旅人卿太宰に任て六十の齡迄おかるゝ事をなげくまゝに遠祖だちの事を思ひて故郷のしのばるゝとよまれしものなり此事をあらはにいふは時にいめばかくかすかにいひなされけん
 
334 萱草、吾紐二|付《ツケヌ》、香具山乃、故去之里乎《フリニシサトヲ》、將忘之爲《ワススレムガタメ》、」 前の歌にいふごとく遠祖たちの事をしぬばるゝにことさらに大和國の故郷のおもひつゞけらるればそをわすれなんために萱草を吾紐につくとよまれしならん結句の不忘は將と不との草の手の誤歟將忘之爲とあるべくおぼゆよりて改【奥人案に今本に結句|不忘之爲《ワスレヌガタメ》と有】
 
335 吾行者《ワガユキハ》、久者不有《ヒサニハアラジ》、夢乃和太《イメノワタ》、 卷一に芳野作とて夢乃和多とよみしかば吉野川の川わだの名なり此卿右にも卷十五にもこゝをいとしたはれたるなり
 
湍者不成而《セトハナラズテ》、淵有毛《フチニテアルモ》、」 上には殆不見か成なんと思ひ又さりとも今は歸んも久にはあらじもと見し淵瀬もまたかはらずあらんかなど年經て遠き境にあればさま/”\とおもはるゝ事をあはれにいひつゞけられつ卷十五に同卿しばらくも行て見てしが神なびの淵は淺びて瀬にかなるらんともよめり【有毛の毛はかもの略にていまだにもと見しごとく淵にてあるにかもとうたがへるなり、奥人、又こゝを有《アレ》毛とよみて願る意に久老はよめれどあるかもとうたがひていへるは心ふかし】
 
○沙彌滿誓《サミマンセイ》詠v綿《ワタヲ》歌一首、 今本前とあるは首の誤しるかれば改○養老五年五月右大辨從四位上笠朝臣麻呂が太上天皇の御爲に出家せんと請て許されて滿誓と名を改つさて同七年二月に此僧に勅して筑紫の觀世音寺を造らせらると紀に見ゆ然ども此歌はなか/\に京師にてよめるならんとおぼゆ
 
336 白縫《シラヌヒノ》、 冠辭四言によむ例なり白縫は借字にて不知火てふ事なり
 
筑紫乃綿者、身著《ミニツケテ》、未者伎禰杼《イマダハキネド》、暖所見《アタヽカニミユ》、」 つくしの綿は紀に神護景雲二年三月より始て毎年太宰綿二十萬屯輸京庫と有は京庫に運納るをいふのみむかしより貢せしなりされど殊に筑紫の綿をよしとせしにや○或人此歌は綿の徳をいひて人の心のよしあしきが面にあらはるゝ譬なりとせしといへどさまでの意は有べからず打見たるまゝに心得べし
 
○山(ノ)上臣《ヘノオミ》憶良|罷v宴歌《ウタゲノムシロヲマカルウタ》一首、
 
337 憶良|等者《ラハ》、今者|將罷《マカラム》、子將哭《コナクラン》、其彼母毛《ソノカノハヽモ》、吾乎將待曾《ワレヲマタンゾ》、」 かく戯れいひて其席を立けん樣思ひやらるかたくて且おもしろき人と見ゆ
 
○太宰帥大作卿《ツクシノオホミコトモチオホトモノマチキミ》讃《ホムル》v酒《サケヲ》歌十三首、 天平廿一年二月の詔にのらせ給へる如く大伴佐伯の氏は遠つ神祖より傳へて山往ば草むす屍《カバネ》海往ば水漬屍大君の方にこそしなめ乃杼《ノド》にはあらじと言たてゝ今も其言だてゝ此卿の心より藤原奈良の御時に及て他の國風を上も下も好む故にやまと魂はうせてよしなき賢《サカシ》ぶりし又死ての後の事などいふをにくみてもとより好める酒によせてことわられしなり右の詔のごとく惣て此氏人の有さま又家持の族に喩す長歌短歌などをもて此卿のこゝろをしる時は此歌ともこそめてたけれ
 
338 驗無《シルシナキ》、物乎不念者《モノヲオモハズハ》、 かひもなきもの思ひをせざらんとならばなり
 
一坏乃《ヒトツキノ》、濁酒乎、 濁り酒をなりともなり
 
可飲有良帥《ノムベカルラシ》、」 定めすらしといはれしは廣くしてよし下も同じ
 
339 酒(ノ)名乎、聖跡負師《ヒジリトオフセシ》、古者《イニシヘノ》、大聖之《オホキヒジリノ》、言乃宜左、」 酒の清たるを聖濁れるを賢といひしから人の名をかりて酒をめづる辭として下にはかの唐にいふ賢《サカシ》めくを笑ふなりけり【或人儒佛の言を擧て此歌をそしれるはいまだ天下の心を得ざるなり皇朝の人古より酒と色につき代を亂せし事なしかゝる小事と人情をいましむれば人の心に表裏の出來めり皇朝の事他國の文もていふ事なかれ○老子は聖人といへる天地に合へる人なり然れども唐の古に天地に合へる人に見えず一方を得し人をいふのみこゝにかりて云は戯なれば論なし】
 
340 古之、七賢《ナヽノカシコキ》、人等毛《ヒトヽモヽ》、 此卿のやまと魂もて此晋人などを實にとるにあらず時にから學びに泥める人の爲に暫あげていふのみ
 
欲爲《ホリセシ》物者、酒西有良師、」
 
341 賢跡、 やがてから人のいふ賢人なり
 
物言從者《モノイフヨリハ》、酒飲而、醉哭爲師《エイナキスルシ》、益有良之《マサリタルラシ》、」 かの賢人の教などいふは心を作るにて生れながら大道をかくすは皇朝の害なり
 
342 將言爲便《イハンスベ》、將爲便不知《センスベシラニ》、極《キハミタル》、貴物者《タフトキモノハ》、酒西有良之、」 酒てふ物の宜敷事擧盡すべからず
 
343 中々二、 かへりてと云にひとし
 
人跡不有者《ヒトヽアラズハ》、 人と生れあらさらばなり卷五に中々二人跡不有者桑子爾毛成益物乎玉之緒計此外にわくらはに人跡者有乎又人となる事は難しをなどよめる皆同じ
 
酒壺二《サカツボニ》、成而師鬼《ナリニテシモノ》、 今本鬼を鴨とありて願の辭とすれどさて二の句の意に違へり仍て鬼の字の樣かくも誤るべし【こゝは今本鴨と有ぞ聞えやすし】
 
酒二染嘗《サケニシミナメ》、」 嘗は借字此歌は人は萬物長又佛體などいふ勸化の言を笑へり
 
344 痛醜《アナミニク》、 紀神武に大醜乎(鞅奈瀰※[人偏+爾]句《アナミニク》)といへりあなは歎く言葉なり
 
賢良乎爲跡、酒不飲《サケノマヌ》、人乎熟見者《ヒトヲヨクミレバ》、猿二鴨似《サルニカモニル》、」 猿かしこてふ言古よりいひつらん
 
345 價無《アタヒナキ》、寶跡言十方《タカラトイフトモ》、 儒佛のふみにいへる言葉なり
 
一坏乃、濁酒爾、豈益目八《アニマサラメヤ》、」 【古本|八方《ヤモ》と方の字有】
 
346 夜光《ヨルヒカル》、玉跡言十方、 から人の十五城にかへんといひし明月の玉なり 
酒飲而、情乎|遣爾《ヤルニ》、豈若目八目《アニシカメヤモ》、」 皆からの事を擧てかしこをこのむさかしら人をわらふなり
 
347 世間之、遊道爾《アソビノミチニ》、冷者《サブシクハ》、 世は遊び樂みて過すべしもし其遊にも心ゆかぬ時は醉なきして心をやるべしといふなりさてさぶしとは不樂不怜なと書てすさまじきを云【古本怜者今本冷と有誤にや不樂不怜はさぶしとよめば怜はたぬしと可v訓なり】
 
醉哭爲爾、可有良師《アルベカルラシ》、」 此歌は次の歌共をもてしるべし
 
348 今代爾之《コノヨニシ》、樂有者《タヌシクアラバ》、來生者《コンヨニハ》、蟲爾鳥爾毛、吾羽成奈武、」 世の間に生れと生るゝ物人も獣も皆虫の類なるを人にのみ今世來世てふ事あるべきや天地の父母の心にあらずされど人はかしこきによりて他の國人は惡ければ教の言を設ていふなり皇朝の人は惣て直ければさる教をいふは病なき人に藥をあたへて病をおこすが如し只上を貴み吾業をなす外は思ふまゝに遊び樂むべし是ぞ治れる道なる 
349 生者《イケルモノ》、遂毛死物爾有者《ツヒニモシヌルモノナレバ》、今生在間者《コノヨナルマハ》、樂乎有名《タノシクヲアレナ》、」 二世なきをいふ
 
350 黙然居而《モダシヰテ》、賢良爲者《サカシラスルハ》、飲酒而《サケノミテ》、醉泣爲爾、尚不如來《ナヲシカズケリ》、」 から學の中に周公の道は表裡有老子の道は表裡なし皇朝の古へ天地の自なる神代の道に叶て上下表裏なければ上榮え下安し是をもてかの表裏の人をにくめりける
 
○沙彌滿誓歌一首、
 
351 世間乎、何物爾《ナニニ》將譬、 物もて譬とする故に物の字を添つ此集の例なり
 
旦開《アサビラキ》、 冠辭朝明けの事と思ひてあさぼらけと訓はひが事なり朝びらきは船出の事のみさてあさあけをあさぼらけといふ事古へはなし今京の初めよりいへり此分をもしらで此歌を朝ぼらけと訓は誤なり  
 
※[手偏+旁]去師船之《コギニシフネノ》、 いにしを略てにしと云は常なり後世是をこきゆくと唱ふるはひが事なり
 
跡無如《アトキガゴト》、」 こゝろ明らかなり後世こをあとの白波と唱へたるは跡無如と書しを見ず古歌のこゝろ詞をもしらぬものゝわざなり
 
○若湯座《ワカユエノ》王歌一首、 此王の傳は考へず此氏の人は紀に多し訓は誤れる人有
 
352 葦邊波《アシベニハ》、鶴之哭鳴而《タツガネナキテ》、湖風《ミナトカゼ》、 一本潮とあり此歌にては風の下に乃と書べきをなければとらず
 
寒吹《サムクフク》良武、津于能埼羽毛、」 或人近江國淺井郡に都宇郷和名抄に見ゆこゝかといへり是ならばいよゝ潮風はかなはず又伊與の國に在といふ人有いかゞあるらん
 
○釋(ノ)通觀歌一首、
 
353 見吉野之、高城乃山爾、白雲者、行憚而、棚引所見《タナビケルミユ》、」
 
〇日置少老歌一首、
 
354 繩乃《ナハノ》浦爾、鹽燒|火氣《ケムリ》、夕去者、行過|不得而《カネテ》、山爾棚引、」 こは卷八に旅の歌の中に之加乃白水郎之、燒鹽煙風乎|疾《イタミ》、立者不上、山爾|輕引《タナヒク》、てふを誤し歌なり今なるは三四の句言末にうけてことわりたらはす又和句も然を繩に誤りし事知べし此下に繩浦てふあれどそれも疑あれば類となしがたし【繩浦、今本攝津國と云、奥人○加茂翁云今本繩と書るも奈波とよめるも共に誤なり上に黒人の歌に角《ツヌ》の松原とよめるに同所にて攝津國武庫郡なり赤人歌にも綱浦の歌と武庫浦の歌と相並べり】○風俗歌に奈末不利有て奈波乃門不良衣乃波留奈禮波可須見天見由留奈波乃門不良衣
 
○生石村主眞人《オヒシノスクリマヒトガ》歌一首、 紀(孝徳)に正六位上大石村主眞人授外從五位下とあり古へは氏も名もさま/\に字を書例なれば同人なりおほいしの保伊の約比なれば大石をおひしと唱ふるをしらせて生とは書ならん且伊勢國壹師郡に大石と書ておひすと唱ふる里あり
 
355 大汝《オホナムヂ》、 此御名は古事記に大名持神とあるを正しとすさてその毛と牟とを通して大名牟知とも又おほなんぢとも唱へし故に汝の字をも借たるなり
 
小《スクナ》彦名乃、 古事記に神魂御祖神《カミムスヒノミオヤノカミ》の告《ノリ》たまはく汝蘆原(ノ)色許男(ノ)命爲2兄弟1而作2堅其國1故自爾大穴牟遲與2少名※[田+比]古那1二柱神並作2堅此國1と有かゝれば此二神は一つ石室におはせしてふつたへもあるなるべし
 
將座《イマシケム》、志都乃《シヅノ》石室者、幾代將經《イクヨヘヌラム》、」 此石室は出雲にやあらんと思へど風土記にしづのいはやてふは見えず【靜窟、石見國邑知郡に在り祭神大汝命少彦名命也窟は口も廣奥へは至而深と眞風云り】景行天皇御幸ありし時周防國の神夏磯姫磯津山の賢木に劔鏡をつけて參りし事紀に在り且御國に鳧師どもの石窟の多かりし事も同紀に見ゆれば磯津山に此二神のませし石室もあるをよめるにやかの賢木をとりしも殊に貴き荒山なるべけれよし在て聞ゆ
 
○上古麻呂《ウヘノコマロ》歌一首、 紀にも姓氏録にも上村主とありここには村主のかばね脱しなり
 
356 今日可聞《ケフモカモ》、明日香(ノ)河乃、 或本歌發句云明日香川今毛可毛等奈【こゝも卷十の卷なるも例の本無てふ歌ともいふべけれどさては上の可の辭下へかけて見るに用無く意むつかし】かく有をよしとする説もあれど今本のまゝにて心得らるればとらず 
夕不離《ユフサラズ》、 下に夕不去、朝不離など多し是を卷十七に安左左良受きりたちわたりとあるもて訓なりさて夕へ毎にかれず朝ことにかれずてふ心のみなり
 
川津鳴瀬之、清有良武、」 或本の意は是も上の赤人と同く飛鳥の故郷を慕ふべき人なりけん○上の今もかもと云は今も歟なり毛はもとより肋辭奈はいひおさへて歎く辭さて等は添ていふのみ卷十に「おもひつゝぬればか毛等奈奴婆玉乃一夜毛落受伊米にし見ゆる」又「うるはしとわがもふ妹を思ひつゝゆけばか母等奈ゆきあしかるらん」などよめるもみなおなじなり
 
○山部宿禰赤人歌|□□《四首》、 今本六首と有は後人のわざなるべし末の二首は赤人の歌ならず其よし下にいふ
 
357 綱浦徒《ツヌノウラユ》、 上の繩浦は誤れる事既にそこにいへりこゝなるは攝津國に在やと思へど古き據を得ず一本により鋼とす今本繩は誤にて上に出し角松原と同所ならんとおぼゆ武庫に近しと見ればなり【繩と書しとは異なるを見るべし】
 
背向爾所見《ソガヒニミユル》、奥島《オキツシマ》、 背向はうしろの方をいふ奥島は次にいふ粟島とは異にて淡賂島ならん何ぞなれば武庫あたり小舟こぎ廻るか見ゆるといへばなり
 
※[手偏+旁]囘舟者《コキタムフネハ》、釣爲良下《ツリセスラシモ》、」
 
358 武庫(ノ)浦乎、※[手偏+旁]轉《コキタム》小舟、粟島矣《アハシマヲ》、 卷十三に丹比眞人下2筑紫1時云云長歌に夷乃國邊爾直向、淡路乎過、粟島乎、背向爾見管、卷八に「粟島に※[手偏+旁]わたらんとおもへども赤石の門波いまださわげり」などあれば阿波國をあはしまと書しならん
 
背爾見乍、 武庫の浦をこぎ囘り行舟は粟の方をあとゝすればしかいへり見つゝと云に心なし
 
乏小舟《トモシキヲブネ》、」 寛なる海に一つ小舟の※[手偏+旁]行さまこゝに見るが如し
 
359 阿倍乃島、 或人これをも攝津國に有とすれどよしをしらず上に粟島をよみしかば阿波の海部に有島にや冠辭考にもおぼつかなみいへり
 
宇乃住|石爾《イソニ》、 いそと云て即石の事なり
 
依浪《ヨスルナミ》、間無比來《マナクコノゴロ》、日本師《ヤマトシ》、 大和の京なり 
所念、」 こは班田使などの攝津阿波などに月日經て在時よめるにや
 
360 鹽干去者《シホヒナバ》、玉藻|苅藏《カラサメ》、 佐米の約世なり【藏は借字加禮と云言を再延たる言なり例卷一に出○奥人按にからさめの良佐の約良にてからめなりさてめはむと同かればか良牟といへるなり】
 
家(ノ)妹|之《ガ》、濱裹乞者《ハマツトコハバ》、何矣示《ナニカシメサン》、」 右の四首は赤人の歌なり次の一首は妻の歌ならん
 
361 秋風乃、寒朝開乎《サムキアサゲヲ》、 開とは書たれど既いへる如く是も朝景の意なり
 
佐農能岡《サヌノヲカ》、」 此岡は上のみわが崎てふ歌に紀伊に有よしを云つ
 
將超《コユラム》公爾、衣借益矣《キヌカサマシヲ》、」 右にいふ如く妻の都にゐておもへるなれば別に端詞のあるべきを落しか又赤人の歌集に右の歌の末に書添て有しを其まゝこゝに書載しにてあるべし上の黒人の八首と有中に妻の歌一首書入たる類ならん
 此左に今本に載たる歌は相聞にて必此次に載べき歌ならねば小字にしるせり或説にこは赤人のたびにて逢し人につかはしけるにやといへるは歌をよく解得ずしてそらに思へる説ぞ
 
362 美沙居、 和名抄に雎鳩(美佐古)
 
石轉爾生《イソワニオフル》、 一本荒礒生
 
名乘|藻《ソ》乃、 紀(允恭)に濱藻のよる時々にてふ言を人爾莫告そと天皇のおほせられしより其濱藻を莫告藻と名附といへり三の句まてはたゝ序のみなり
 
名者告志弖余、 今本弖を五に誤るなり
 
親者知友、」 一本に父母者と有も同じ實の妻の名を喚ごとく吾名をいひ給へかし父母の聞て嘖ふともと云なりいまた忍び男に名はしらすまじきをしらせ又妻ならぬ女の名を呼こともせぬならはしなれど相思ふが餘りに既に女の名のりたる上にてはかくはよめるなり【名乘藻は今のほんだはらとよぶ物なりと久老がいひき○或本に四の句を告名者告世とあるは理りなし上の告は吾を誤つ扨わか名はのらせと訓ときは右の歌と同じ意なり古への言とならはしをしらぬ故に字をも訓をも誤りし物ぞ此歌は本の歌とせしさへ小書しぬれば或本の歌とて擧しはすてつ】
 
○笠朝臣金村|鹽津山《シホツヤマニテ》作歌二首、 和名抄に近江國淺井郡鹽津(志保津)神名式に同所に鹽津神社有り
 
364 大夫乃、弓上振起《ユズヱフリオコシ》、 神代紀の語なり
 
射都流失乎《イツルヤヲ》、後將見人者《ノチミムヒトハ》、 【古本には得將見《エテミム》人者と有】
 
語繼金《カタリツクガネ》、」 金村は勝れたる弓男なりけん故に其山路の木巖などに大矢をたてゝこれを見ん人後の世に語つきてがなといふなり古へさる類有てせしならんいと後にもかた國の巖などに恠けなる形あるをむかし建男《タケヲ》の物せし跡ぞといふ多なり語繼金は借字にて此上下の卷に我禰と濁り假字を書しを思ふに語つげと云を再ひ延たるなり卷十九に「大夫は名をし立べし後の世に聞繼人もかたり都具我禰」てふに同し意同し言もて知べし此外卷九によろづ世に伊比都久可禰等卷十三にたち隱る金卷七にさてもある金など皆同し【此再の延言は先語|都解《ツゲ》てふ解を一度延れば都我禰となるを其我を延て都具我禰となるなりさて金と書しも多けれど借字は清濁にかゝはらぬなり、奥人按に此再約ちふ言はいともむつかしかたりつぐがねのつぐの約津なり我禰の約解なりよりてかたりつげと云と有なんされどこゝのかねの禰は爾に通してかたりつく我爾と見るぞ安からむ】
 
365 鹽津山、打越|去者《ユケハ》、我乘有《ワカノレル》、馬曾瓜突、家戀良霜、」 卷八に馬爪突家思良志毛、又吾馬なづむ家戀らしもともよめりこは馬も故郷戀る事と一わたりにてはおもはるるを後世のことわざに家人のいと戀れば旅にて馬のつまづくてふをもおもふに家に戀ふらしといふべきをにを畧たるならん此下に家待眞國《イヘマタマクニ》てふは家爾待むになるを爾を畧く類なるべし此例猶下に在
 
○角鹿津《ツヌガノツニ》、 紀(垂仁)に額有v角人乘2一船1泊2于越(ノ)國(ノ)笥飯《ケヒノ》浦(ニ)1故號2其處1曰2角鹿1也と云り今敦賀と書つるがと云は訛なり
 
乘船時《フナノリスルトキ》笠朝臣金村作歌一首并短歌、
 
366 越海之、角鹿乃濱從、大舟爾、眞梶|貫下《ヌキオロシ》、 梶の事既出
 
勇魚取、 冠辭
 
海路爾《ウナヂニ》、出而、阿倍寸管《アヘギツヽ》、 あへぐは梶をおすものゝうめくを云なり然れば次に我といふは總てをいふなり
 
我《ワガ》※[手偏+旁]行者、丈夫乃、 冠辭
 
手結我浦爾《タユヒガウラニ》、海未通、鹽燒|炎《ケムリ》、 炎を專らはかぎろひと訓たれどけぶりはた火の氣なればさもよむべきなり
 
草枕、 冠辭
 
客之有者《タビニシアレバ》、獨爲而《ヒトリシテ》、見知無美《ミルシルシナミ》、 此浦はいと面白き故此なげきあり
 
綿津海乃、 海の神をいふ
 
手二卷四而有《テニマカシタル》、珠手次、 冠辭此三句は其所の事にて序とす
 
懸而之努櫃、日本島根乎、」 大和の國をいふよし上にも見ゆ
 
 反歌、
367 越海乃、手結之浦矣、客爲而、見者乏見《ミレバトモシミ》、 此浦にめづるが餘りにも故郷に遠く離れぬるをたらまほしみしぬばるゝといふなり
 
日本|思櫃《シヌビツ》、」 偲はもとよりにて思をしぬぶと訓こと下に多し凡の意は長歌に同し
 
○石上大夫歌一首、 石上朝臣乙麻呂の土佐へ流さるゝ船路にての歌と見ゆ
 
368 大船二、眞梶繁貫、大王之、御命恐、磯廻爲鴨《イサリスルカモ》、」 凡いさりは海人がわざにのみいひなれしに依て其意とせんには此歌上の大船てふ言の筋違へりさらば此字のまゝにいそめぐりする事として卷六におほきみのみことかしこみ磯に觸りうな原渡る父母をおもふてふ意とせんになほおぼつかなし只上の言にもかゝはらでいひしにやあらん諸成案に伊曾麻波里の曾萬波の約左なれば大船二眞梶繁貫て遠つ國へ渡るに國々の磯廻するをもいさりといふにや土佐日記にかくいさるほどにといふも國の守の大船にていへりこは風守して釣なとする事のあれは海人のいさりをもかりて云へど沖漕ずして磯廻すれば同じ意におつるをおもへ
 注にいふ石上云云任越前守此時歟といへどこは何に據しにや此朝臣土佐へ流さるゝ前に丹波守に任ず土佐より歸て常陸守と成しは紀に見えたれど共に船路にあらず
 
○和歌一首、 乙麻呂の土佐へ行船路の歌を贈りつらん故に都にある友だち此答をなしけん
 
369 物部乃、 こは健き丈夫をいひて氏にあらずゆゑにもののふとはよみつ【物部、奥人按に、麻須良乎の約毛なり許呂の約能なり夫は邊に同く邊の濁は米の清音に通ふ例にて武禮の約米なり仍て眞荒男《マスラヲ》之|比群《コロムレ》てふ言とす古呂は毛許呂のころにひとし】
 
臣之壯士者《オミノタケヲハ》、大王(ノ)、言乃隨意《ミコトノマニマ》、 一に任を言とす然らばみことのまにまと訓べし
 
聞跡云物曾《キクトフモノゾ》、」 死も生も大王の命のまにま聞得てなすを臣の建男とすれば流され人となりぬとも恨まざれといひはげませるなり是ぞ皇朝の人のならはしにて天の下にまたなくうまし國なるを代々に上を犯せるから人のことばゝいとふともいとふべからずや吾國風の歌なり
 注に右作者未詳但笠朝臣金村歌中出也といへり
 
〇安倍(ノ)廣庭卿《ヒロニハノマヘツキミ》歌一首、 既出
 
370 雨不零《アメフラデ》、殿雲流夜之《トノクモルヨノ》、 棚曇りてふに同
 
蟾竢跡《ツキマツト》、立乍居寸《タチツヽヲリキ》、君待香光《キミマチガテラ》、」 【潤濕跡《ウルホヘト・シメシトモ》戀乍居寸《コヒツヽヲリキ》如此訓て今本のまゝにしたかふべし】今本三の句を潤濕跡と有てぬれひでゝと訓しは末の言にかなはず言もぬれひづとてふをぬれひでゝとつゞけし例もなし又次に戀つゝも下の待に重りて聞ゆ是は立を戀に誤りしこと明らかなり仍て考るに蟾を潤竢を濕に誤らんよし此二字ならでもこゝは必月待と有べき所なりさて君持香光は君待が爲てふ言をくゝめたるにて今一つ待ものあらではかなはず故に三の句は月待跡といふべしとす卷一に山のべの御井を見我弖利(此利は良爾の約にて見がてらにと云なり)いせのをとめらあひ見つるかも卷七に梅の花咲ちるそのに吾ゆかん君が使を片待香光此外にも類多し且此すべての意は卷五に足日木乃從山出流月待登人爾波言而妹待吾乎てふに似たり此次にも相聞歌交り入しかばこも相聞とす
 
〇出雲守門部(ノ)王|思京《ミヤコシヌブ》歌一首、 既書
 
371 飫宇海乃《オウノウミノ》、河原之乳鳥、汝鳴者《ナガナケバ》、吾佐保河乃、所念國《オモホユラクニ》、」 良久約留なりにはいひ入て歎く辭なり【奥人考に海に河原といへるは心ゆかずこは海は河の誤にやまた大池にも海と取なしいへるもあればこも飫宇の池河を海と取なして河原といへる歟おぼつかなし今本飫の下に宇の無は落しなり疑なければ加へつ卷十三に同出雲にて飫宇能海之鹽干乃滷之とよみ給ひ出雲風土記にも意宇郡はあれど飫海てふはなければなり】
 
○山部宿禰赤人、 歌は相聞なり端詞の如くては理りたらず登春日野山は衍字歟歌言によりて後人書加たるならんよりて右四字はすてつ
 
作歌二首并短歌、
 
372 春日乎《ハルビヲ》、 冠辭四言【春日乃といはす春日乎といへるは春日を霞こむると云心につゞけたり小苑】
 
春日《カスガノ》山乃、高座之《タカクラノ》、 冠辭
 
御笠(ノ)山爾、朝不離《アササラズ》、雲居多奈引《クモヰタナビキ》、 此言心得がたければ雲居は久毛利てふ事ならんと荷田の大人いはるげに然有べし古事記に倭建命の和歌に和伎幣能迦多由久毛葦多知久母とよみませし又卷四にも香山爾雲位桁曳此外にもくもゐ棚引と言有然ればくもりと意得んものなり【集中に庵に居《ヰル》てふ事をいほゐしてともいほりしてともよめるを思ふにゐとりとを通しいへればくもりくもゐ此類とすべしこゝの次に雲ゐ奈須といへるもくもりなすと心得てかなへり】
 
容鳥能《カホドリノ》、 下に※[日/木]鳥と書は音をかり今は訓を借たるにて喚子鳥なり彼はかほう/\と鳴故にかほ鳥ともいふなり【容鳥の鳴を吾片戀にたとへたるのみなり此鳥ことに片戀するにはあらず卷一に奴要鳥にもいへり】別記にくはし
 
間無數鳴《マナクシバナク》、 間もなく頻に鳴くなりこゝを句とす
 
雲居奈須《クモヰナス》、心射左欲比《コヽロイザヨヒ》、 是より其雲居を轉して吾思をいふ○いざよひは雲のたゞよひて有をわが心の行事なきに譬ふなり
 
其鳥乃《ソノトリノ》、片戀耳爾《カタコヒノミニ》、 其鳥の如くてふを乃にこめて云なり上の雲ゐなすにむかへて見よ片戀とは雄の雌を戀るなり
 
晝者毛《ヒルハモ》、日之盡《ヒノクルヽマデ》、夜者毛《ヨルハモ》、夜之|盡《ツクルマデ》、 此四句の訓の事卷一にいひつ
 
立而居而《タチテヰテ》、 此言集にも紀にもおほし
 
念曾|吾爲流《ワガスル》、不相兒故荷、」
 
 反歌
373 高按之《タカクラノ》、 冠辭
 
三笠乃山爾、鳴鳥之、 即容鳥なり之に如を入て心得べし
 
止者繼流《ヤメバツガルヽ》、 上の間なく數鳴におなじ
 
戀喪爲鴨、」 喪は一本による今本は哭に誤る卷四に君(ガ)著流《キル》三笠乃山爾居雲乃立者繼流戀毛爲加毛と有はいづれか本ならん
 
○石上乙麻呂朝臣歌一首、 名の下にかばねを書は四位の例なれば此歌は土左より相歸されて天平十四年の比よみしか
 
374 雨零者《アメフレバ》、將蓋跡念有《キムトオモヘル》、笠乃山、人爾|莫令蓋《ナキセソ》、霑者漬跡裳《ヌレバヒヅトモ》、」 三の句笠乃山は奈良人の歌なれば是も三笠山か本笠山なるに御とほめいふにやみよしの三くまのゝ如し【神樂歌に笠の淺茅原と謠もあれど別ならん笠の朝臣の氏も本吉備國の加左米山より起れり此笠山にかなはず】五の句は他人のいかになげき戀ともといふなるべし譬喩歌の意交れるなり
 
○湯原(ノ)王(ノ)芳野作歌一首、 此王紀に見えぬはもれしならん歌は次々の卷に多見えたり
 
375 吉野|爾有《ナル》、夏《ナツ》實之河乃、川|余杼爾《ヨドニ》、鴨曾鳴成、山影爾之※[氏/一]、」 夏實川は大瀧と秋津の間にて山の際を落れば淀瀬多しその山陰の淀に鳴鴨をいふのみさてあるがまゝにいひ下されたるにおのづから妙に聞ゆるこそ歌てふものゝうへがうへなれ
 
○湯原王|宴席《ウタゲスルトキノ》歌二首、
 
376 秋津羽之、袖振妹乎、 蜻蛉か羽の如く薄うつくしき衣の袖なり卷三に蜻蛉領巾ともよめり後世蝉の羽といふ類なり
 
珠匣、 冠辭
 
奥爾念乎《オクニオモフヲ》、 【集中奥と云に深き事と又末の事をいふと二つ有】深く愛しむをいふなり
 
見賜吾君《ミタマヘワギミ》、」 あるじまうけの余めでゝつかひ給ふをとめに舞せるなるべし○君はまらうどをさすなり
 
377 青山之、嶺乃白雲、朝爾食爾、 【食は借字古刀約古なるを計に通して計と云なり】集中に委くいへるは朝爾日爾異と有を略てかくいへり其の朝は即日といふに同じくて日々に殊にといふなり
 
恒見杼毛、目頬四吾君《メヅラシワギミ》、」 本の二句は譬なり○めづらしは記(神功)に希見を梅豆邏志といひ卷四に希將見《メヅラシキ》君乎|見常衣《ミントゾ》とある是なり目豆は保米伊豆流てふ事を約通していふなり
 
○山部宿禰赤人|詠《ヨメル》2故大政大臣藤原家之山池《モトノオホキオホイマチギミフヂハラノイヘノソノヽイケヲ》1歌一首、 故云云大公なりこは養老四年八月薨十月に贈官の事紀に見ゆこゝは贈の字落たるか○山池は山薗池を略るなればそのゝいけと訓つ下の山齋をそのゝと訓しに同じこゝろなり別記あり
 
378 昔者之《イニシヘノ》、舊堤者《フルキツヽミハ》、 かくいひて又池のなぎさと云は重れる如くなれど上は大むね下は小別《コワキ》なり
 
年深《トシフカミ》、 年ふりし事を年深きと云言下に有
 
池之|瀲爾《ナギサニ》、水草生家坐、」 名ある薗の古び荒たるさまを有のまゝにいひて歎きのおのづからそなはるは古へ人の歌の妙なるものなり【卷二に御立志々島之荒磯乎今見者不生艸生來鴨唐文にも池塘生春草】
 
○大伴坂(ノ)上《ヘノ》郎女、 佐保大納言大伴麻呂卿の女にて旅人卿の妹なり始穗積皇子にあひてめでられしを皇子薨て後大伴宿奈麻呂の妻となり坂上大孃子と田村大孃子をうめり此事下の注に在別記あり
 
祭神歌一首并短歌、 此祭の意下にいふ
 
379 久堅之、 冠辭
 
天原從《アマノハラヨリ》、生來《アレキタル》、神之命《カミノミコト》、 何れはあれど大伴氏の神祖《カンミオヤノ》天忍日命をいふ事左の古注にいふが如しさてこゝより言を隔て祈奈牟てふにかゝるなり○此命は始天に生れて後天孫の御先に立て天降給ひしを生來と云べし
 
奥山乃、賢木之枝《サカキガエタ》爾、 【眞淵は是を橿ぞといひて其據をも悉く冠辭考に書たれど橿は香をたづねてとめ得ん薫ある木にあらず今俗みやま樒といふものにて今いふ樒專ら深山に有】さか木は榮木にて今俗の樒《シキミ》なり木の子繁くみのる物故|繁子《シキミ》と云なりさて神樂歌に「さか木葉の香をかぐはしみとめくれば八十氏人ぞまとゐせりける」とうたへり皇朝の木に香細物此木の外なしされば佛の前にも奉りたるより墓《オクツキ》の前に必しもたつるものの樣になりけるよりいまはしかる物とだにおぼえたる後の俗のいにしへ神の御前の榮木てふ物ともしらずなりぬめり猶委かしこき御考言を引て別記にいふなり
 
白香付《シロカツク》、 冠辭白香付は借字にて後※[糸+舌]著《シロカツク》なり訓も字も卷十九孝謙天皇の御製歌を正しとすへし志呂は宇志呂の略加は久々里の約支なるを加に通じ云事加利衣は※[糸+舌]衣《クヽリキヌ》なるをおもへ【冠辭考に白髪つくてふ言といひしはたがへり】委はかしこき御考言もて別記にいふ
 
木綿取付而《ユフトリツケテ》、齋戸乎《イハヒベヲ》、 戸は瓮の借字紀神武に嚴瓮を造給ひて云云拔2取丹生川上之|五百箇《ユツノ》眞坂樹(ヲ)1以祭2諸神1自v此|始2有《ハジマレリ》嚴瓮之置《イツベノオキモノ》1也時勅2道臣命1今|以《ナシテ》2高皇靈尊1朕《ワレ》親《ミ》作《ナシ》2顯齋《ウツシイハヒヲ》1用v汝爲2齋主1授2以|嚴姫之號《イツヒメノナヲ》1而名2其所v置|埴瓮《ハニベ》1爲2嚴瓮1云云又紀(崇神)忌瓮(ヲ)和珥の坂にいはひすゑ云云是等古の神祭のありさまなり
 
忌穿居《イハヒホリスヱ》、 酒を釀には瓮《ヘ》を清き所に忌穿居其酒なれゝば其瓮ながら神の御前に奉りぬ式の祝詞に瓶上高知瓶腹滿並又上の卷に哭澤の神社に三輪須惠などあり
 
竹玉乎《タカタマヲ》、 神代紀に使d山雷者《ヤマツチニハ》採《トラセ》3五百箇《ユツノ》眞坂(ノ)樹(ノ)八十玉|籤《グシヲ》1野槌者採c五百箇(ノ)野篶《ヌスヽノ》八十玉籤(ヲ)uてふ共に玉を著る串にて即玉(ノ)祖命の作る玉を此賢木と篶てふ竹に著たるなり此篶につけたる玉をこゝに竹玉といひ絹もて著る故貫垂ともいへり繁にはしげく玉に貫たるをいふ竹を輪に切て著るなどいふは推はかりの事にていふにもたらず
 
繁爾貫垂《シヾニヌキタリ》、里は良之約にてぬきたらしなり
 
十六自物、膝祈伏《ヒザヲリフセ》手、弱女之、 膝折伏は既出
 
押日取懸《オスヒトリカケ》、 古事記に八千矛神(ノ)沼河比賣のがりおはして淤須比袁母、伊麻陀登加泥婆とよみ給ひしは男のおすひなり同記景行に美夜受比賣の意須比之|襴爾《スソニ》月經著ぬるとて歌にもよみたるは女のおすひなり伊勢大神宮式に押日は領巾の次に擧て※[糸+條]としるして領といはず然れば比禮の類にて古へは必かけたる物なりけり【外宮儀式帖に天乃押比蒙※[氏/一]《アメノオスヒカヽフリテ》云云さればかゞふるものと見えたり八千矛神の淤須比は襲《オソヒ》にて袍《ウヘノキヌ》の歌にや】猶別記に委く見ゆ
 
如此《カク》谷裳、 だには上に事を盡して祈るにあてゝいふなり
 
吾祈奈牟《ワレハコヒナム》、 【此奈牟は能武にてこひは乞の意のむは祈《ノム》の意ならんと思へど更に假字書しかは暫奈武を辭とす】
 
君爾不相可聞《キミニアハジカモ》、」 斯くばかりふかく乞祈りなんには君にあはざらめやといふなり
 
 反歌、
380 木綿疊《ユウタヽミ》、 木綿もて織たる布をたゝみて手にさゝげて神に奉るを云木綿の事は冠辭考にくはし
 
手取持而、如此谷母、吾波乞嘗、 嘗は借字
 
君爾|不相鴨《アハジカモ》、」 注に右歌者天平五年冬十一月供祭大伴氏神之時聊作此歌故曰祭神歌と云りこは右にいふ大伴宿奈麻呂のかれ/\に成て後神龜元年二月の間に兄旅人卿に從て太宰へ下り天平二年の冬京へ歸つ其比は生し二女漸生成て人々もつまどふ斗なるに夫の猶うときをわびて此祈もせしなるべし此節女の齡今は三十餘と見ゆれば世の常の戀にはあらじとおぼゆ卷三に載たる同郎女の怨恨の長歌は始宿奈麻呂のかれ行比の事なるべし家の集はうるまゝに載れば前後は云にたらず
 
○筑紫(ノ)娘子《ヲトメガ》 【今本娘子字兒島とあり奥人】
 
贈2行旅《タビユクヒトニ》1歌一首、 筑紫國のをみななり
 
381 思家登《イヘモフト》、 とての畧なり
 
情進莫《サカシラナセソ》、 【情進は疾行疾歸らんとて強て凌事なかれと云なり】
 
風俟《カザマモリ》、 一本候ともにまつ意なればかくも有べし
 
好爲而伊麻世、 往座なり
 
荒其路《アラキソノミチ》、」 こは海路を云卷十三には山路にも此言有
 
〇登2筑波|岳《ネニ》1、 常陸國筑波郡
 
丹比眞人國人作歌一首并短歌、 名を上に書例なるを此卷は定らず
 
382 ※[奚+隹]之鳴、 冠辭
 
東國爾、高山者、左波爾雖有、朋神之《フタカミノ》、 此山には上に二峯並立て男の神女の神むかひておはせば二神といへり卷十一の此山の歌に二並筑波乃山又男(ノ)神毛女神毛とよみつ今本にこゝを明神とかきしは誤なり【古書に明神とも顯神とも有は共にあきつかみと訓て今おはします天皇を申なり仍て上つ代の神を明神と書事古へはなし後世總ての神を明神と云はよしもなき事なり】
 
貴山乃《タフトキヤマノ》、儕立乃《ナミタチノ》、 右にいへる二並に同し
 
見※[日/木]石山跡《ミガホシヤマト》、 見之欲てふ意なり
 
神代從、人|之《ノ》言嗣《イヒツギ》、國見爲、 既出
 
筑羽乃山矣、冬木盛、 こは冠辭考にいへるが如しされどこゝは冠辭にはあらず冬|木盛《コモル》節にて高山に登るべきにあらずといふなり冬木|成《モリ》の事は既に云後冬木|成《ナリ》とよめるはいと誤なり
 
時敷時跡《トキシクトキト》、 即冬こもりの常敷時なりとてといふなり
 
不見而往者《ミズテイナバ》、益而戀石見《マシテコヒシミ》、 本見まくほりせしを今冬盛時とて見ずいなばいよゝます/\戀しからんと云を略きたるなり仍て今本の訓はあしとす
 
雪消爲《ユキケスル》、 冬ながら且消る雪をいふ今も雪どけして山路行れずと云めり○雪消と雪氣は別なれば消を清みて唱ふと云はわろし共に言便にて濁るは唱への例なり理は心にて分ち知るぞ古へなるめり
 
山|道尚矣《ミチスラヲ》、 山道ながらをと心得べしされどながらは後世の意得とは異にて隨の字を用ゐてまゝてふ辭なり此すらてふ言のことわり甚いふ事多ければ卷二の別記に委くす
 
名積敍吾來並二《ナヅミゾワカコシ》、」 なづみはとゞこほるなりこゝはとりわづらふ事と成ぬ下に此言煩の字を書つ【並二はしの言也下に重二とも二二共書る類なり今本は前に誤りつ】
 
 反歌、
383 筑羽根矣、四十耳見乍《ヨソノミミツヽ》、 今本よそに見ながらと訓たれど乍の字をながらと訓は後にて古へ無事なり乍の字をながらとよみし事此集になしと契沖がいひしはよしさてよそにの爾を略くは例なり
 
有金手《アリカネテ》、 ありがたくしてなり
 
雪|消《ゲ》乃道矣、名積來有《ナヅミクル》鴨、」
 
○山部宿禰赤人歌一首、
 
384 吾屋戸爾、韓藍種生之《カラアヰマキオフシ》、雖干《カレヌレド》、 紅花の種子《タネ》を蒔生せしが花を得るも及ばすて枯うせしといへどもと言なりさてまだいとをさなきほどより得んと思ひし女のかひなくてかれにしに今にこりずて得んとおもふとたとへたる歌なり
 
不懲而《コリズテ》亦毛、將蒔登曾念《マカントゾモフ》、」 【今本幹とあるは借字にもあらずまたく韓の誤なり卷八にも韓藍とありよりて改めつこは譬喩歌なれど得たるまゝをこゝに書しものなり或人此卷にしも次第をいへるは誤なり】韓藍と呉藍は同しかれど出る地によりてからともくれとも云別記有
 
 肥前國人登2杵島嶺《キシマガダケ》1宴歌一首一
○□□□□□□□□□□□□、 【杵島和名抄岐志萬】
 今本こゝに仙柘枝《ヤマビトツミノエノ》歌三首とあれど下二首こそは詠柘枝仙の歌なれ始の歌は必他歌にて別に端詞のありつらんがおちうせしをこも柘枝仙をよめる歌ぞと心得て後人みだりにしるせしものぞよりて試に白圏の傍に端詞の字を添てよしは歌の後へにくはしく言つ
 
385 霰零《アラレフル》、 冠辭
 
吉志美我高嶺乎《キシミガタケヲ》、 たかねの加禰の約計なれば多計といふ後世たけのたを濁るはわろし初言を濁る事此國にはなし
 
險跡《サカシミト》、草取可奈《クサトルカナ》、 上の金村の語繼金とよめる所の考に引たる歌にも紀の顯宗室賀の詞にも皆加禰とあり中にもかの御詞(ニ)烏野羅甫屡何禰也《ヲヤラフルカネヤ》と有事今と同言なればここの奈は禰を誤る歟又音を通して奈といふにもあるべしさて彼金村の歌にいへるごとくこは二度延たる言にてまつ草刀肩と令する言なるを其禮を延れば刀良禰となる(良禰約は即禮なり)又其良を延れば草とる加禰と成ぬ(留加約即良なり)然れば此歌の意はさばかり嶮き山に登るには草をとらね草にはあらで妹が手をとるよと他よりねたむさまなり
 
和妹手乎取《ワギモガテヲトル》、」 こはいさゝかも柘枝の仙にあづかれる事なしいかなる人かこゝにはかきけん或人いふ肥前風土記に里人ども春秋の比其國の杵島の嶺に登て宴する時此歌をうたへるをこゝに誤て入つらんとげにさもあるべしかくておもふに記に隼別(ノ)王女鳥女王をゐて倉橋山を登り給ふ時の歌に「はしだてのくらはし山をさかしみと妹は來かねて我手とらすも」と有を所をかへ言をもかへて彼杵島嶺の遊にうたひけんを誤て柘枝仙にあたふる歌とせしか又始に云如くならんか【或人云肥前風土記には草取可弖々妹(カ)手乎取と有奥人案に拾穗抄には何によれるにや草取|可奈和《カナワ》妹(カ)手乎取と有狛大人云卷三長歌に卒和《イサヤ》出弖見武又卷十一に秋柏潤|和《ヤ》川邊之云云和の字を也の假字に用ゐたりされば草取可禰弖|和《ヤ》妹手乎取なりといへりしかれば大人は此注むづかしく歌もかく唱ばやすらかなり奥人案に肥前國風土記曰杵島郡(ノ)縣(ノ)南二里(ニ)有2一《ヒトツノ》孤山1從v坤指v艮三(ノ)峯相連|號名《ナツケテ》曰2杵島1坤者曰2比古《ヒコ》神1中者|毘賣《ヒメ》神艮者曰2御子《ミコ》神1(一名耳子神)閭(ノ)士女堤v酒抱v琴毎歳春秋携v手登望樂飲歌舞曲盡而即歌曰「あられふるきじまがたけをさがしみと草とりかてて妹が手をとる」是杵島(ノ)曲也】
 注に或云吉野(ノ)人味稻與2拓枝(ノ)仙媛1歌也但見2柘枝傳1無v有2此歌1、(傳には必有まじきなり)
 
  ○《詠《ヨメル》2》仙柘枝《ヤマビトツミノエヲ》1歌二首、仙の上に詠と有しを今は落たるか又略に過たるかかくては此仙が歌と聞えてわろしよりて試に白圏を記して傍に字を添ふよしは歌の下にいふ卷十に「常之倍に夏冬ゆくやかは衣扇はなたず山に住人」とよめる左の注に詠仙人形とあり左の注は捨る物ながら歌辭によるに仙をやまびとゝ訓も後のわざにあらず○こは古へ吉野に女仙の有しが同し所に妹稻《ウマシネ》てふ男の川に作梁《ヤナウチ》て魚とるを其女仙柘の枝となりて流來て梁にとゞまりぬ男そをとりて急にうるはしき女と成しを見めでゝ相住つる事なりさて柘枝が傳てふ物ありしといへり今は次の二首歌と懷風藻の詩もて知るのみさて柘枝と化しゝ故に即名によべり右に言如くなれば今本の端詞をこゝにしるし歌の數を二首とするなり
 
386 此暮《コノクレニ》、柘之左枝乃《ツミノサエダノ》、流|來者《コバ》、梁者不打而《ヤナハウタズテ》、 紀(神式)に有2作v梁取魚者1(梁此云椰奈)と有【和名抄桑柘漢語抄云(豆美)蠶所食○懐風藻に此男を在2昔釣漁子1といへり然は浦島子又蹈靜の子などの類歟】
 
不取香聞將有《トラズカモアラム》、」 此よみ人吉野川邊に來てかの古事を思ふに今も柘の枝の流來る事あらんに梁打てとゞめんや又とゞめとらであらんやとゆくりなくおもふまゝをいひつゞけしなりかくやうに云意こそ古への歌なれ是を解がたしといひし人はいかにぞや
 右一首、 こゝに注あれどいふにもたらず【此右云云はむかしの事をおもひて後の人の作し歌なるをしらせし注なりこゝも然なり】
 
387 古爾《イニシヘニ》、梁打人乃《ヤナウツヒトノ》、無有世伐《ナカリセバ》、此間毛有益《コノゴロモアラマシ》、 此頃までも其女仙はありなんと云なり今本の訓はいさゝかたらず
 
柘《ツミ》之妓羽裳、」 彼味稻が梁打し故に柘枝のとゞまりて遂に仙も世間の人と成て命ながらへざりけるをあはれと思ふなり
 右一首|若宮年魚麻呂作《ワカミヤノアユマロカヨメリ》、 こは家持卿のあらため歟 
○※[羈の馬が奇]旅《タビノ》歌一首并短歌、 此歌はじめは人麻呂のよみつる勢ありて末いさゝかよはみたり誰人の歌にや
 
388 海若者《ワタツミハ》、 こは本海を知給ふ神をいふをこゝはたゞ海の事になしてよめり
 
靈寸物《アヤシキモノカ》、淡路島、中爾立置而《ナカニタテオキテ》、白浪乎、 滿汐の波なり
 
伊與爾《イヨニ》囘之《メグラシ・モトホシ》、 紀伊と士左の間よりさし入潮は淡路島の南と北より西へさすなり扨其南なるは西の方伊豫を廻りてやみ北なるは備中にてとゞまりぬ夫より西は西の海のしほの向ひ來て相せくなりかくて此伊與をめぐるしほは卷十五に白浪の五十開囘有《イサキメグレル》住吉乃濱てふおもむきあるなり
 
座待月《ヰマチヅキ》、 冠辭
 
開乃門從者《アカシノトユハ》、 右にいふ北へ廻てさす汐なり
 
暮《ユフ》去者、鹽乎|令滿《ミタシメ》、明去者《アサヽレバ》、鹽乎|令干《ヒサシメ》、鹽左|爲能《ヰノ》、 既云ごとく潮のさわぎなり
 
浪乎恐美、淡路島、磯隱居而《イソガクリヰテ》、 此島の入※[さんずい+入]《ウラ》に泊てゐるなり
 
何時《イツシ》鴨、此夜乃|明跡《アクト》、待從爾《マツマヽニ》、 【一本此夜乃|將明跡《アケムト》】 從は隨に同じ
 
寢乃|不勝宿者《ネラレネバ》、 ねられぬになり
 
瀧(ノ)上《ヘ》乃、 上に瀧の上の御船の山てふは只所のさまなりこゝも淺野てふ所は瀧川の落る上にあれば然いふならん
 
渡野之雉《アサノヽキヾス》、開去歳《アケヌトシ》、 歳は借字志は助辭なり
 
立動《タチトヨム》良之、 寢られぬまゝに聞ば野邊の雉のたつ羽音して鳴とよむ曉になりぬなるべし【雉は曉すらめをよび食をあさるものなり】いざや夜はこもるとも遮《アヘ》て※[手偏+旁]出よといふなり
 
率兒等《イサコドモ》、安倍而※[手偏+旁]出牟、 船人のあへぎてこぐをもあへてこぐといへどこゝはしからずさへぎりてこぎいでんといふなり
 
爾波母之頭氣師、」 既出
 
 反歌、
389 島傳《シマツタヒ》、 淡路より敏馬崎へ來るには島なければこは淡路島を傳ひてみぬめの方へ※[手偏+旁]を云
 
敏馬乃埼乎《ミヌメノサキヲ》、 既云
 
許藝廻者、日本戀久、鶴左波爾鳴、」 左波の左は曾波の約にて曾波奈留てふ言にて物の多きを云鶴のなく音聞て旅の思ひを増る下にもよめり
 右歌若宮年魚麻呂誦也但未審作者、 是も家持卿の注なるべし
 
 譬喩歌。 此集に譬喩と有は皆相聞なり
 
○紀(ノ)皇女(ノ)御歌一首、 天武天皇の皇女にて穗積皇子の御同母妹と紀に見ゆ
 
390 輕池之《カルノイケノ》、 大和國高市郡に在應神天皇此池を作らせ給へり
 
※[さんずい+入]囘往轉留《ウラワユキメグル・ウラミユキタムル》、 今本※[さんずい+入]囘と書ていりえと訓しは字も訓も誤れり池に入江てふ事あるべきかはうらわと訓べし卷二に勾池を水傳磯乃うらとよみて裏のこゝろなればなり
 
鴨尚爾《カモスラニ》、 上にいへる如く鴨隨爾と意得べしすらをだになほと同じといへる人は是に爾とあるを見ずやだにゝなほにてふ言あるべきかは
 
玉藻乃|於丹《ウヘニ》、獨|宿名《ネナ》久二、」
 
○造筑紫觀世音寺|別當《ベタウ》、 かく唱は奈良朝よりなり
 
沙彌滿誓歌一首、 此寺は天智天皇の御願なりしかばいまだ造終らざる事紀(元明)に見えさて養老七年に僧滿誓に勅して造らせらるゝとあり且既にもいふ如く滿誓は本笠朝臣麻呂といひて慶雲元年從五位下養老元年美濃守にて多度山の瀧の幸の時從四位上となり同四年天皇不豫の事有に請て僧と成ぬ○此歌と次の月の歌は僧ならぬ前によみけんを後に聞て載せし故に端詞はあるなり集中に例あり然るを端詞に泥て相聞ならぬ譬喩歌ぞとてあらぬ事を添いふ人侍り次の月の歌をば誰も相聞とするからは右のごとく心得る外なし凡此集に譬喩歌てふに相聞ならぬはなくこゝも前後皆相聞なるを思へ
 
391 鳥總立《トブサタテ》、 冠辭
 
足柄山爾、船木伐《フナキキリ》、 卷六に足加利小船とも足加利乃安伎奈乃也萬爾引船ともよみ又伊豆手船といひむかし枯野てふ大船も伊豆國より奉れり伊豆と相模の足柄は地相交れば何れにいふもひとしきなりさて此山に大なる杉多かりし事右の船木に用ゐ又今も埋杉ありて筥に作るなどおもひ合すべし卷七に登夫佐多底船木伎流等伊布能登乃島山ともよみつ
 
樹爾伐《キニキリ》歸《ヨセ・ユキ》都《ツ》、 なみ/\の材とするなり
 
安多良|船材乎《フナキヲ》、」 あたら船木と重ねいへるを思ふに三の句は船木伐と先いひ擧てさて其船木とすべきよき木をすゞろなる材に伐集め置ぬるよと惜むなり此三の句のいひなし後世かたくななる心もてはえよみあへじかくて譬たる意は我うつくしとおもひ慕ひし女を大内或はよき家などへよびて多くの中になめげにておかるゝををしむこゝろなり 
○太宰大監《ツクシノオホマツリコトヒト》、 職員令に委し
 
大伴宿禰百代梅歌一首、 こは天平の初の歌なり此人同十年兵部少輔十三年美作守十五年筑紫鎭西府を置る時爲2副將軍1也【卷十三天平二年此大監の歌も詞も有】
 
392 烏珠之、 冠辭
 
其夜乃梅乎、手忘而《タワスレテ》、 手は折より出たる言
 
不折來家里《ヲラズキニケリ》、思之《オモヒシ》物乎、」 妹に逢べかりし夜に思ひながらまぎれ過して今遠きさかひに來てくいことするならん
 
○滿誓沙彌月歌二首、 蔭子の出身は二十一歳を例とすさて十年ばかりの勞にて慶雲元年に五位には叙つらんそれより十八年過ぎ僧となりしは五十年の齡なれば然も僧にして女を戀べからず仍て何れにも笠朝臣てふ間の事としるべし右をもこれによれ
 
393 不所見十方《ミエズトモ》、孰不戀有米《タレコヒザラメ》、山之|末爾《ハニ》、 末《マ》の假字にて際の意ともすべけれど此歌の書樣の類に依てはとはよみつ
 
射狹夜歴月乎、外爾《ヨソニ》見而思香、」 音に聞ても思ひ慕ふべき妹なるをましてほのかに見たりしかもとそへたり見てしのては多利の約知なるを弖に轉じていふ次の定てしに同じ香は歎の辭何れはあれといさよひ出る月に譬しに艶なるさま有
 
○金明軍《キンミヤウグムガ》歌一首、 こは大伴旅人卿の資人《ツカヒビト》なる事下の挽歌に見ゆ外蕃より來住る人の氏名を賜らぬは子孫迄もかしこの氏名を用ふ聖武天皇元年に金宅良金元吉などに氏を給ひし事あり此類の氏給らぬなるか又同御代に武藏國に在新羅人五十三人依請金氏と爲と紀に見ゆ是等の中か又延暦二年の紀にも金氏見ゆるなり【活本には金を作v余續日本紀に余氏も見たり奥人按に袋草紙にも余明軍と見えたり又文徳實録云散位從五位下百濟朝臣河成本姓余後改百濟むかしかく多異國人こゝに住しも歌はえよまざりしと見ゆればこは子孫なるべしかの王仁か歌てふは空言なり】
 
394 印結而《シメユヒテ》、我定篆之《ワガサダメテシ》、 今本これを羲之と書てきしと訓たれど字も訓も誤とすよしは集中例を擧て卷三別記に云【卷五に繼而之聞者心|慰《ナキヌ》焉てふを卷七の七夕の歌に擇月日逢《ツキヒエリアヒ》篆之有者てふにむかへ見て繼而之逢篆之とよむを知べし羲之《テシ》本居云王羲之はいみじき手書なれば手師の意にて書る假字なり】
 
住吉之、濱乃小松者、後毛吾松《ノチモワガマツ》、」 心のしめをかく譬る歌多し
 
○笠(ノ)郎女《イラツメ》贈2大伴宿禰家持1歌三首、
 
395 託馬野爾《ツクマノニ》、 遠江國坂田郡
 
生流紫、衣(ニ)染、 古へ染といへるに摺たるもあれどこれはたゞそめたるをいふべし 
未服而《イマタキズシテ》、色爾出來、」 下の歌によるに既契りて深く思へどまだあはぬ間に顯れたるなり
 
396 陸奥之、眞野乃|草原《カヤハラ》、 和名抄陸奥|行方《ナメカタノ》郡に眞野郷有
 
雖遠《トホカレド》、面影爲而《オモカゲニシテ》、所見云物乎《ミユトフモノヲ》、」 中ははるかに隔つともわすられぬ面かげを君としてあらんといとせめて思へるよしをいふ 
397 奥山之、磐本菅乎、根深目手、結之情、忘不得裳《ワスレカネツモ》、」 結ぶは夜によしなし然ば一二句は根深きたとへのことにて末までかゝるにあらず
 
○藤原朝臣|八束《ヤツカガ》梅歌一首、 【寶字四年に名を眞楯と改たれど此集には惣て八束とのみ有】此ぬし紀に天平十二年從五位下と見えてより多の官を經て天平勝寶元年三月に大納言正三位藤原眞楯薨贈正一位太政大臣房前之第三子也度量弘淳有公輔之才といへり
 
398 妹家爾、開有梅之《サキタルウメノ》、 即其妹を云
 
何時毛何時毛《イツモイツモ》、 【久老云梅の花は五|瓣《ヒラ》に咲もの故咲たる梅の五《イツ》とかけていつもといへり】いつにてもなり
 
將成《ナリナム》時爾、事者將定、」 をさなき女を心に標置て末によきほどに至て左も右もせんといふなり卷十三に春雨乎待登二志阿良自吾宿乃若木梅毛未含有てふも似たる譬なり○成はうめの子《ミ》にたとふるなり
 
 或本歌、399 妹家爾、開有花之梅花、實之《ミニシ》成名者、左右將爲、」 こは同歌の聊異なる故に後にせしなり然るを今本の端に二首と書たるは後人のわざなり
 
○大伴宿禰駿河麻呂梅歌一首、 紀(聖武)に天平十五年正六位上より從五位下となり橘奈良麻呂が事に連坐《カヽリ》て流されしか後にゆりて光仁天皇の御時用ゐられて寶龜七年に卒其時の紀に參儀正四位下陸奥按察使兼鎭守將軍勲三等云云贈從三位と見えて終に氏の手風《テブリ》を立し人なり
 
400 梅花、開而落去登、 【梅の花咲とは戀の盛なるにたとへ散は心の外にうつれるに譬ふ】心の外へ移れるにたとふなり
 
人者雖云、吾標結之、枝|將有《ナラメ》八方、」 是も次の歌どもと相はなれぬ意なり然れば此人坂上の家の孃子を戀しに今はた他し花に著て坂上の梅を思はずと人はいへど吾心し異なる事なければそは吾思ふ妹の上にはあらじ誰人の上をいひ違へつらんといふなり卷十二に家持の紀(ノ)郎女に贈歌になでしこは咲而落去登人者雖言吾標之野乃花爾有米八方てふ同じ意なり同時の人なればおのづからに相似たるにもあるべし
 
○大伴坂上郎女|宴《ウタケスル》2親族《ウカラヤカラヲ》1之|日《ヒ》吟《ウタヘル》歌一首、
 
401 山守之、有家留|不知爾《シラニ》、其山爾、標結立而《シメユヒタテヽ》、結之辱爲都《ユヒシハヂシツ》、」 坂上の郎女の女二人有其次の女を駿河麻呂のこふまゝに母もゆるさんとせしを男更に他し女を定めつと聞てかくはよみたるなり
 
○大伴宿禰駿河麻呂即和歌一首、
 
402 山主者《ヤマモリハ》、蓋雖有《ケダシアリトモ》、 かりに上の言をうけていふのみ
 
吾妹子之、 【此吾妹子は郎女の女をいふと思ふ人有ど卷十三に駿河麻呂同じ郎女を吾妹とよみたるに合せてこゝをもしれ古へのいひなしとこゝの理を思ふべし】坂上の郎女をさす
 
將結標《ユヒケンシメ》乎、人將解八方、」 よし始より主はありともそこに結ししめは解事を得まじき故にゆひのはぢはしなじと男のうけがへる意をいへりさて遂に家特は姉女駿河麻呂は弟女を得し事末に見ゆ
 
○大伴宿禰家持贈2同坂上(ノ)家之|大孃子《オホイラツメニ》1歌一首、 今本に大孃とのみあり子は例によりて加ふ○坂上郎女の二の女を家持駿河麻呂ともに戀なり一の女の事ははやくより父宿奈麻呂につきて田村の里にありて妹坂上孃子と歌は贈和せしかど他の事は此集には見えず
 
403 朝爾食爾、 既出
 
欲見《ミマクホリスル》、其玉乎《ソノタマヲ》、 大孃子を譬
 
如何爲鴨、從手不離有《テユカレザラ》牟、」 手從は手よりかれずあらんなり此從を後世は手にといへり古事記に從手とも阿斯|用由《ユユ》久ともありて手の隨《マヽ》足のまゝといふに同じき事なり
 こゝに佐伯宿禰赤麻呂贈娘子と書歌有けんを今は落し物なり左に報といひ又更贈ともあればなり
 
○娘子報贈佐伯宿禰赤麻呂歌三首、 【卷十三にも同人娘子と贈和ありそれにも上に報贈といひて次に和歌とあるは其上に一首脱して見ゆるはいかなる事か歌意は上に一首おちし事しるし】
 
404 千磐破、 冠辭
 
神|之《ノ》社四《ヤシロシ》、無有世|伐《バ》、 赤麻呂に妻など有を云
 
春日之|野邊《ノベニ》、粟種益《アハマカマシ》乎、」 君に主なくば吾心をよせん物をと云
 
○佐伯宿禰赤麻呂更贈歌一首、
 
405 春日野爾、粟|種有世伐《マケリセバ》、待鹿爾《マツシカニ》、 【集中に爾といひ廼と云に如の意を略く多し是を意得ずて此歌を解たがへし人有】待鹿の如くにてふを略けり
 
繼而行益乎、社帥《ヤシロシ》、留烏《トムルヲ》、」 粟まかばそを待はむ鹿のごとく重繼ても通はんをそこには依禁《ヨリトヾムル》神の社ありて人の通ふ事かなはずといふなり○留烏を古本には怨焉《ウラメシ》に作ると久老いへり
 
○娘子復報歌一首、
 
406 吾祭、神者不有《カミニハアラズ》、 右の歌に社しゝるをと強ていへるをとかめてそは事違ひぞといふなり【こは社しうらめしとの給へどその社は吾祭るべき神にあらずそなたに本よりつなきつきて有なればたゝりなき樣によく祭給へよ、されば神の怒もなくて君も繼て來まさむといふ心なり久老云】
 
大夫爾、 赤麻呂の方になり
 
認有《ツナゲル》神祖、 つなぎとゞめて離れぬ神有といへり認はとめたるともよめど紀(齊明)にいゆしゝを都那遇何播坏能《ツナグカハベノ》てふ大御歌を卷十六に所射鹿乎認河邊之と書てのせたるによれり
 
好應祀《ヨクマツルベシ》、」 其所《ソコ》にこそかけつながれる神あればそれをあがみまつりてあれよと戯るゝなり
 
○大伴宿禰駿河麻呂|娉《ツマドヘル》2同坂上家之|二孃《オトイラツメヲ》1歌一首、 坂上孃子と云是なり【田村の大孃子は姉なり坂上大孃子妹なり今坂上二孃とあるは此妹なり是は家持も娉して終に得たり駿河麻呂もかくはやくより戀しかどゆるさざりしなりよりて此後も戀し歌は多かれど得たるよしよめるは見えず家持によりし故駿河麻呂はいひやみし物なり諸成案に前の歌の注には家持駿河麻呂二女を得し事末に見ゆと書しにこゝの冠注とゝのはず此本にかぎらず末を見て前の枚か此枚を改むべし】
 
407 春霞、 冠辭
 
春日(ノ)里之、 今本爾と有は後人の心もて誤れり一本によるなり
 
殖子水葱《ウヱコナギ》、 殖は生立て有を云古事記に意富迦波良能宇惠具佐《オホカハラノウヱクサ》又集中に植竹と有も皆同じ
 
   三帥《ミシ》古本          里《リ》古本
苗有跡云師《ナヘナリトイヒシ》、柄者指爾家牟《エハサシニケム》、」 柄は借字枝なりまたけ成なりといひしが今はよく生成つらん我得て住なんとて親へいふなり○水葱は今水あふひてふ草なり別記に委くいへり
 
○大伴宿禰家持贈同坂上(ノ)家之大孃歌一首、 上に出
 
408 石竹之《ナデシコノ》、其花爾毛我、朝日《アサナサナ》、 下の阿を略て唱る例上下在
 
手取持而、不戀日將無《コヒヌヒナケム》、」 此戀といふはまのあたりに見つゝめづるなり集中に花の盛にむかひ愛しといひ秋の戀の盛など云が如し
 
○大伴宿禰駿河麻呂歌一首、
 
409 一日爾波、千里浪敷爾《チヘナミシキニ》、 敷は例の重及なり
 
雖念、奈何其玉之、手二卷|難寸《ガタキ》、」 海にかづきて取玉によせたり是も坂上二孃を云べし
 
○大伴坂上郎女橘歌一首、
 
410 橘乎、屋前爾殖生《ニハニウヱオフシ》、 むことる事をいふ
 
立而居而、後《ノチニ》雖悔、驗將有八方《シルシアラメヤモ》、」 相住せて後ながゝらずばいかにといひて男の心をおしたゞせりさてこの男は家特か駿河麻呂か次に和歌とのみあるは家持の集なれば名を略きしこともあるか【久老云橘を小女にたとへて扨早そなたの庭にうゑおふせてよそに見給ふ間に他人の取もてゆかば立て居て後にくゆともしるしあらじとなりこは駿河麻呂に二女を配せんと催せる歌にや】
 
○和歌一首、 此卷の上に和歌とのみあるは本よりよみ人しられぬなるべし卷十二におなじ郎女の梅の歌の次にもかくあるはおそらくは家持卿ならん
 
411 吾妹兒之、屋前之橘、 右に男をよせていひしを即うけていふ
 
其近《イトチカク》、殖而師故二《ウヱテシユヱニ》、不成《ナラズ》者|不止《ヤマジ》、」 植たる橘の子なるが如く末はたさずばあらじといへり今本三の句をいとちかしと訓るによつて近親のことといへる説はわろしちかく植てしとつゞけて一度近づき住てからはと心得べし
 
○市原(ノ)王歌一首、 紀に天平十五年五月此王無位より從五位下に叙
 
412 伊奈|太吉爾《ダキニ》、 頂をいふ今も田舍人はいなだきといふ
 
伎須賣流玉者、 伎は久々里の約にて絞なり須賣流は統《スベ》るなりかくて神代紀に御統の玉と云に同じく頭を飾る數々の玉の緒をくゝり統る所に一つ大玉有それを無二と云り 
無二、此方彼方毛、君之隨意《キミガマニ/\》、」 只君獨りをおもふからは左《ト》有事も右有ん時も君が心のまゝにしたがはんといふなり卷十五に此王の獨子を怨む歌あるにつきて子を愛み給ふ事といふ人あれどそは傍の據に付て本を失へり只此譬喩歌前後の例によりて相聞とすべし譬喩歌は此集皆同【或人法華經に以難信之珠久在髻中不忘與人てふを引つれどこゝにかなふ事なし】
 
○大綱公人主宴吟《オホツナノキミヒトヌシノウタケノムシロニウタヘル》歌一首、 此氏續紀にみゆ又同紀大神大網(ノ)造てふもあれば綱はもし網か姓氏録になし
 
413 須麻乃海人之、鹽燒衣乃、藤服《フヂゴロモ》、 集中には山田守|翁《オキナ》か藤衣ともよめり今も山賤は藤の糸もて織たる衣のいとあらきを着るなり
 
間遠之有者《マトホニシアレバ》、 織目の間遠なるをわれと住所の程遠きにとるなり
 
未著穢《イマダキナレズ》、」 所遠ければ來馴ずけふめづらしき席につらなりぬと悦ぶなり是を譬喩の中に入しは本相聞の歌にて住所の隔りて妹がりくる事のまれなるよしなればなりさて今はかりて吟へるなり是を相聞ならぬたとへ歌の類にとりしはよくも考へざりしものなりけり【古今歌集に三の句ををさをあらみ四五の句をまとほにあれや君がきまさぬとあるはいと唱へ誤りつされど戀の部に入しは此歌の本に付し物なり】
 
○大伴宿禰家持歌一首、
 
414 足日木能、 冠辭
 
石根許其思美、 疑々敷の略既出
 
菅根乎《スガノネヲ》、 かく樣にいふは山菅にてそれが根は極て曳取がたき物なり
 
引者難三等《ヒケバカタミト》、標耳曾結焉《シメノミソユフ》、」 たやすく得がたき女をわが心の内にのみ領《しめ》つゝ過るをたとふ○焉又也などの字は徒に添たる例も多し今本焉を烏に誤
 
 挽《カナシミ》歌。
 
○上宮聖徳皇子《カ|ミ《ン》ツミヤノヒシリノミコ》、 橘豐日(ノ)天皇(用明)の皇子なり此皇子の御母后大宮の中を巡り給ふ時馬官の厩戸に當りて忽生れ給ひ御壯《ミサカリ》になりて大政とりふざねますに十人《トタリ》の訴を一度に聞しわきまへ給ひきと且はじめ天皇いと愛みまして上殿《カンツミヤ》に坐給へり故に上つ宮の豐聡耳厩戸皇子命【豐聡耳とは申せど御叔父天皇(崇峻)をころし奉る馬子を見知たまはず後にも友とし給ふは勇なき皇子なりけん】と稱へ奉りぬる事古事記日本紀に見ゆ聖徳と申は古事記日本紀にも本はなし紀の注に聖徳皇子は大王法主王などあり【紀の注の法大王法主王とかく訓來るに依に聖徳のみ字音に唱べからずひしりのみこと申べき事なり】且紀に此皇子命薨給へる事を高麗の憎惠照が聞て齋をなせる時の誓願の文に於日本國有聖人云云以玄聖之徳生日本之國云云などもいへる佛道の方人の後にたゝへ申せしを奈良朝にてはかくも書しなり 
出2遊《アソビタマフ》竹原井《タカハラノヰニ》1之時、 河内に在後に養老元年二月難波幸の時御かへさに竹原井の頓宮に至まして翌日即奈良宮へ還ませし事紀に見ゆれば班鳩宮よりもいと遠からぬなり是紀と違へるよしは下に擧つ
 
見《ミマシテ》2龍田山(ニ)死人《ミマカレルヒトヲ》1悲傷御作歌《カナシミテミヨミマセルウタ》一首、 龍田道を越て竹原の井へおはしゝなり【後に彼飢人を釋達摩といへるは餘りなるをこ人のわざぞこゝに有歌も實の御歌とは見えねど奈良朝よりはいと前の歌なるに其比さる僧なる説あらば家にあらば妹が手まかんとよまんや凡此命はそしらぬ人は天下になし僧のみ方人としてそら言を添てほめ申せど本の實ならねば皆理り通らぬ事なり紀もこの推古天皇の比よりなるは後に加し物にて殊に此命の御事は空言多きなりまして此御傳ちふ物は惣て僞なり】元正紀養老元年二月壬午幸難波宮丙戌自難波到和泉宮庚寅車駕至竹原頓宮聖武紀天平六年十月庚子太上天皇行幸珍努及竹原離宮光仁紀寶龜一年二月庚子幸交野辛丑進到難波宮戊申車駕取龍田道還到竹原頓宮云云
 
415 家(ニ)有者、妹之手|將纏《マカム》、草枕、 冠辭
 
客爾臥有《タビニコヤセル》、 臥をこやせるともくやるとも云は古言なり此皇子命こゝと同事をよみませる御歌紀には即下に引如く許夜勢留と有集中に槻弓のくやり/\も古今集甲斐歌にもあり
 
此旅人※[立心偏+可]怜《アハレ》、」 紀には片岡に遊給ふ時と有何れが實ならん片岡は大和に在扨紀の歌に斯那提流|箇《カ》多烏|箇《カ》夜摩爾伊比爾惠弖許夜勢|屡《ル》諸能《ソノ》多比等阿波禮於夜那斯爾那禮奈理※[奚+隹]迷夜佐須陀氣能枳彌波夜那|祇《キ》伊比爾惠弖許夜勢留|諸能《ソノ》多比等阿波禮とありて古しこゝの歌は飛鳥藤原などの比の人の古への事になぞらへよみしものにて必此命の比の調にあらずされどかく傳れるもあるまゝに此家集には書載し物ならん
 
○大津皇子|被死之時《ツミナハレタマフトキ》、 紀に朱鳥元年十月此皇子皇太子にそむき給ふ事顯れてうしなはれ給ひぬる時の事なり卷二には大津皇子薨後云云とあり謀反し給といへどこゝに死と書しは例ならず
 
磐余池陂《イハレノイケノツヽミニテ》、 既出【今本端詞に陂と御との間に流涕の言有此集のくせなり此時の御悲いへば中々淺しあるべくもあらねばすてつ】
 
御作歌一首、
 
416 百傳、 冠辭
 
磐余(ノ)池爾、鳴鴨乎、今日耳見|哉《ヤ》、雲隱去牟《クモガクレナム》、」 萬のなごりを鴨一つにのたまひつげたり○過給ふを雲がくれにするは天に歸るよしなり下にもよめり此皇子此時の詩懷風藻に金鳥臨西舍、皷聲催短命、泉路無賓主、此夕誰家向、とあり皇朝にて始て作り給ふ詩のかゝるによろづの事思ひはかるべし此左に在注は後人のわざしるかればすてつ
 
○河内(ノ)王(ヲ)、 朱鳥八年四月紀に以2淨大肆1贈2筑紫太宰卒河内王1并賜2賻物1
 
葬2豐前國鏡山《トヨノミチノクチノクニカヽミヤマニ》1之時|手持女王作歌《タモチノヒメオホキミノヨメルウタ》三首、
 
417 王之、親魂相哉《ムツタマアヘヤ》、 太宰府にて卒給へばそこに葬べきを豐前國へ葬送りつけば王の此所をしたしみおほす御心ありてにやとの給ふなり此事卷五に靈合者相宿《タマアヘハアヒヌル》物乎てふも心均し
 
豐國乃、鏡(ノ)山乎、宮登定流、」 上に陵をも墓をも常宮とよめりこゝは常を略なり 
418 豐國乃、鏡(ノ)山之、石戸立《イハトタテ》、 閉をいふなり【立とは戸をよせたてゝ門をふさぐをいふ今も戸をたつるといへり】
 
隱爾計良思、雖待不來座《マテドキマサズ》、」 卷二の挽歌に天(ノ)宮門に入ますよしいへるも同じ
 
419 石戸|破《ハル》、手力毛|欲得《ガ》、手弱寸《タヨハキ》、 四言今本手乎とよみしはいまだし
 
女有者《ヲ|ミ《ン》ナニシアレバ》、爲便乃不知苦《スベノシラナク》、」 神代の天岩戸の状になぞらへてよみ給へり且此女王は河内王の妻にて太宰府に在て作給へる事歌にてしらる
 
○石田(ノ)王|卒之時《ミマカリタマフトキ》丹生《ニフノ》□《女《ヲトメ》》王作歌一首、 今本には丹生云云と有を標には王とあり猶思ふに女の字も落しならん歌さま女のよめると聞ゆさて丹生女王は天平十二年の紀に見えたり
 
并短歌、
 
420 名湯竹乃《ナユタケノ》、 冠辭
 
十縁皇子《トヲヨルミコ》、 六言こゝの句ども古言を其まゝ用られしかば王ながら皇子とはあるならん
 
狹丹頬相《サニヅラフ》、 冠辭○石田王は若くかたち人なりつらん
 
吾大王者、隱久乃《コモリクノ》、 冠辭
 
泊瀬乃山爾、神左備爾、伊都伎|坐等《イマスト》、 神ふりせんとて齋隱《イ|ミ《ン》コモリ》おはせりといひなせり
 
玉梓乃、人曾言鶴、 文の使人のいひしを云
 
於余頭禮可《オヨヅレカ》、吾聞都流、 六言紀にも集にも多婆許登といへるに同じ言なり紀には誣妄をおよづれと訓つ
 
枉言《マガゴト・タハゴト》加《カ》、 直ならぬ言にて上の言にひとし
 
我聞都流母、 加毛てふ言を上に可といひこゝに母と云
 
天地爾、悔事乃《クヤシキコトノ》、世間乃《ヨノナカノ》、悔言者、 言は借字事なりさて二つの事は即終の句の事をいふ
 
天雲乃、曾久|敝能極《ヘノキハミ》、 久敝の約氣にて遠退たる限と云なり紀(仁徳)に雲はなれ曾伎をりとも祝詞に天乃壁立極美國乃退立限といひ集中にも此言多し
 
天地乃、至流左右爾《イタレルマテニ》、杖策毛《ツエツキモ》、不衝毛去而《ツカズモユキテ》、 卷三にもかくよみつ
 
夕衢占問《ユフケトヒ》、 夕につぢに立てする占なり下に後行占といへるも同じ事か卷四にあはなくに夕卜乎|問與《トフト》幣爾置吾衣手波又曾繼倍久といへば是にも幣は置しなり後世つげの櫛を手してひきて歌を唱ふとのみいふはたらずなん
 
石占以而《イシウラモテ》、 此言次の言にてよくもかなはず然ればこゝは何ぞの罪いかなる祟《タヽリ》そてふ事を卜へしりてといふ言ども落しなるべし○石卜とは景行天皇筑紫の士蜘蛛をうち給ふ時祈て大石を蹶給へば石空に上りし事有是をはじめにて後にもさるさまの事する歟
 
吾屋戸爾、御諸乎立而、 檜の葉にて作る假の屋代をいふ
 
牀《トコノ》邊爾、 今本牀を誤て枕とす卷十七に伊波比倍須惠都安我登許能弊爾、卷二十にも伊波倍乎、等許敝爾須惠弖、この外も皆とこといへり此床はいもひして居る齋床なり
 
齋戸乎居、竹玉乎、無間|貫垂《ヌキタリ》、木綿|手次《タスキ》、 【古事記|手2次緊《タスキカケ》天《アメノ》香山之天之日影1而云云、天武紀次此云須岐、忌部氏の襁の如く仕奉るわざある故に是をかくるなり後世只神を敬ふ爲の物と心得はよしなし且木綿もて作る襁なり】
 
可比奈爾懸而、天有《アメナル》、 四言
 
左佐羅能小野之、 冠辭考に出且上に天地の至までといひ下に天川をいへばさゝらの小野も天に有よしなり
 
七相管《ナヽスゲ・ナヽフスケ》、 八とも七とも數の多きにいへるは古への常なり相は相具る意にて眞の言に用う祓に菅を用る據は多し【祓に菅を用る事大祓詞に天津菅曾云云卷十五に菅根取而之奴布草解除益乎行水舟潔而益乎云云○神樂歌に奈加止見乃、古須氣遠佐幾波良比、伊乃利|志《シ》古止波云云、かくて祓つ物にはやくより麻は出て菅の無はいかが猶在の證こそあれ○紀に倒語てふは軍中の謀にてこことは別なり七相管《ナヽフスゲ》 相はあふの布を假字に假しにて七|節《フ》の意其丈の長を云なり久老】
 
手取持而、久堅乃、 冠辭
 
天川原爾、出立而、潔身而《ミソギテ》麻之乎、 犯せる罪によらば天の上地の限にも行て卜をも問祓をしなん物をと悔のあまりにいへるなり思ひわびては及なき事をもおもふを其まゝによむぞ古へ人のまことなる○祓と身潔とは別ながら一度にするわざ故に歌には相かねてもいへるなり
 
高山乃、石穗乃上爾、伊座都流香物、」 墓《ヲクツキ》を云なり
 
 反歌
421 逆言之《サカゴトノ》、 かの誣妄の直からぬを言枉言は上にいひつ 
 
枉言等《マガコトヽ・タハコトト》可聞《カモ》、高山之、石穗乃上爾、君之臥有《キミガコヤセル》、」 山の巖の上におはせると云はもし空かこつけ言のまが言かと云なり
 
422 石上、 冠辭
 
振乃山有《フルノヤマナル》、 山邊郡布留の神宮の山なり
 
杉村乃、思過倍吉《オモヒスグベキ》、 思ひ過しやりがたきを云なり
 
君爾有名國《キミナラナクニ》、」
 
○同石田王卒之時山(ノ)前《クマノ》王|哀傷作《カナシ|ミ《ン》テヨミマセル》歌、 山前王は忍壁皇子の御子なり養老七年十二月散位從四位下にて卒給ふと紀に見ゆ然は石田王の卒たまひしははやき時なり
 
一首并短歌、 此短歌の事は下にいふ
 
423 角障經、 冠辭
 
石村之道《イハレノミチ》乎、朝不離《アサカレズ》、 朝といふやがて日かれずなり
 
將歸人《ユキケムヒト》乃、 歸をゆくと訓る事上にも有○石村あたりに此王の家ありて藤原の宮人通ひ給ひし事をいふなるべし若奈良遷りて卒給ふとも事は前なり
 
念乍、通計萬四波《カヨヒケマシハ》、 通けんを延てけましといふは末四約美なり美をはぬるは例なり【活本四を作v口《ク》】
 
霍公鳥、鳴五月者《ナクサツキニハ》、菖蒲《アヤメグサ》、花橘乎、玉爾貫、 一云貫交〇紀天智に十年正月童謠に「たちばなはおのがえたえだなれれども玉にぬくときおやしをにぬく」とあれば橘を緒にぬくはいと久しき事なりこゝは五月五日の續命縷の事にて時の花菖蒲橘などを五色の糸もて貫ておへは惡氣を除て命ながしと唐事を用ゐたり
 
※[草冠/縵]爾將爲登、 天平十九年五月五日の紀に太上天皇詔者五月之節常用菖蒲爲※[草冠/縵]比來已停此事從今而後非菖蒲※[草冠/縵]者勿入宮中云云
 
九月能、四具禮能時者、黄葉乎、折挿頭跡《ヲリテカザスト》、 常にこゝの興多を此二つもてしらす
 
延葛乃《ハフクズノ》、彌遠永《イヤトホナガク》、 一本云|田葛根乃《クズネノ》遠長爾
 
萬世爾、不絶等念而《タエジトモヒテ》、 一云大船之念憑而
 
將通《カヨヒケン》、君乎婆明日從、 一云君乎從明日香
 
外爾可聞見牟《∃ソニカモミム》、」 末に一言悲むことをいふも一つの體なり
 右一首或云柿本朝臣人麻呂作、【此長歌の左に或云柿本朝臣人麻呂作てふ注有こは人麻呂の歌しらぬものの注なり次の或本の反歌は人麻呂の歌に似たり此長歌は調もいまだしきをや】
 △或本反歌二首、今本是も反歌の無は落たるなりさて此或本の二首は右の長歌の意ともなく體も調もいと異にて必右と同人の歌ならず然れば右の反歌は落失又右の二首は別に端詞のありけんにそれも落しをみだりに引つけて右の反歌とせしものなり
 
424 隱口乃、泊瀬|越女我《ヲトメガ》、 【越は借字のみにて少女の事なり唐國の越女燕姫などの樣にいふにはあらず神代紀少女此云烏等|※[口+羊]《メ》】
 
手二纏在、玉者亂而、有不言八方《アリトイハズヤモ》、」 緒の絶て亂たるに死を譬たり卷二に貝に混りて有といはずやといへるに辭はひとし
 
425 河風、寒長谷乎《サムキハツセヲ》、歎乍《ナゲキツツ》、公之阿流久爾、似人母逢耶《ニルヒトモアヘヤ》、」 或は此歎乍ありくを宮づかへの道の往來の事といへどさらばなげきつゝありくといはんよしなしこは葬し後にのこれる妻の墓へ幾度も詣るをいへり仍てありくにまでは詣る公をいひ似人もは死たる人に夫か似る人もあへかしと云なり卷二に飛鳥皇女の薨時天皇の悲つゝ通ひ給ひしさまと人麻呂の思ふ女の葬たる時道行人もひとりだに似てしゆかねばとよみしに似たる事なり
 注に右二首者或云紀(ノ)皇子薨後山前王代石田王作之也此注もいと拙し先上の長歌を山前王とする時は此二首は別人のよめるさまなればかならず又長歌を人麻呂の歌とせばさもいはるべきを必人麻呂ならず却て此二首こそはいさゝか人麻呂に似たる事はあれ又ここの次の歌は憂にあへる人のうへを他よりいへる意にてこそあれ其人に代りてよめる意はなし總て古歌を能も知らぬ人の注のみ
 
○柿本朝臣人麻呂見2香具山(ニ)屍《ミマカレルヒトヲ》1悲慟《カナシミテ》作歌一首、 後にもかゝる事多かれど歌よみ得る人の無のみならず常多かればなり古へはさる事まれなるに見れば悲に堪すてよめるなり集中に此類の歌どもあれど御代々經て稀なりけり 
426 草枕、 冠辭
 
※[羈の馬が奇]宿爾《タビノヤドリニ》、誰嬬可、 こは女にはあるべからず嬬は例の借字なり
 
國忘有《クニワスレタル》、 【國とは本郷を云なり古今集已來は本郷をふるさとゝいへり集にはふるさとゝいふは皇居の跡をいへり】國も何も打忘れたるさまにてふしたるなり 
家待眞國《イヘマタマクニ》、」 家にの爾を略てよむは例あり眞を今本に莫とあるは誤なり一本によるさて待むのむを延てまくにといふなり或人莫とあるによて云はひが事なり 
○田口廣麻呂|死《ミマカル》之時|刑部垂麻呂《オサカベノタリマロガ》作歌一首、
 
427 百不足、八十(ノ)隈路爾、手向爲者《タムケセバ》、過去人爾、蓋相牟鴨、」 こは伊邪奈伎命の黄泉まで御妹の命をしたひおはしまして逢給ひし事を大名持命の隱去給ふ時の言を用ゐてさて廣麻呂がまかり路の跡を追尋て道の八十隈ごとに手向し祈つゝ遠くとめ行ばあふ事あらんやと云なり上に天地の限天つ川にみそぎてましをとよみし如く切に思ふ心なり○二の句を今本隅坂と有は誤りなれば改たりなぞといはゞ隅坂に八十と云例も理りもなく又隅坂とては意もわかぬなりこは隱路と草にて見まどひて且宇多郡の隅坂は紀にも集にも有に耳なれしまゝに事の意までは思はぬ後の人のさかしらなりけり隈路は古事記に於百不足八十※[土+回]手隱而侍云云神代紀にも同し事を於2百不足八十隈1隱去矣集にも又も有言にて疑なく是なり
 
○士形娘子、 紀(應神)に大山守皇子は土形榛原二氏の祖と見ゆ和名抄に遠江國城飼郡土形(比知加多)また榛原郡もつゞきて有此娘子は采女なる歟
 
火葬《ヒハブリ》2泊瀬山1之時柿本朝臣人麻呂作歌一首、 火葬の事既出たり
 
428 隱口能、泊瀬山之、山(ノ)際爾《マニ》、 山際を山のはと訓て山上の事とするは誤なり
 
伊佐夜|歴《フ》雲者、妹鴨|有牟《アラム》、」 谷に火葬する烟の其山のかひに立もさらず居も定めぬ雲の如く見ゆるをかく云なり
 
○溺死《ミヅニオボレミマカレル》出雲|娘子《イラツメヲ》火2葬吉野1 出雲は氏と見ゆ
 
時柿本朝臣人麻呂作歌二首、
 
429 山(ノ)際從《マユ》、 是も山の間より出る雲とつゞけたり
 
出雲子等者、 一人にも等と云例多し
 
霧有我《キリナルヤ》、吉野山(ノ)、嶺霏※[雨/微]《ミネニタナビク》、」 是よりも谷より立烟の嶺にたな引たるなり
 
430 八雲刺《ヤクモサス》、 冠辭
 
出雲(ノ)子等之、黒髪者、吉野川(ノ)、奥名豆颯《オキニナヅサフ》、」 なづさふは既出○川藻こそあれ娘子が髪の波にゆられとゞこほりてあるを見て悲むなり奥は借字沖なり但此歌前後なるか
 
○過2勝鹿(ノ)眞間|娘子墓《ヲトメガオクツキヲ》1時、 下總國葛飾郡に眞間てふ郷今もあり集中に眞間浦眞間繼橋とよめるもこゝなり
 
山部宿禰赤人作歌、 此娘子が事をよめる歌卷十にも有それには勝れたるかたちなる故に多くの男の慕爭ふにわびて自眞間の江に沈み死たる事を委しくよみ赤人より少し古きさまなり然れば今はそれらにいひし事をはぶきてうはべの事をいひしと見ゆさて古の事とよみしかばいかに遠き世の事にかもありけん
 
一首并短歌、
 
431 古昔(ニ)、有家武人之、 娘子を戀ふる男をいふ【卷七に(七夕)狛錦紐解易之天人乃妻問夕叙吾裳將偲是もひとしき言なりさてこれらに依に男女相かたらふを專らつまどひといひけん○卷六に禰をぞ鳴つる手兒にあらなくにとよめるは只小兒をいへりされども末の子は專ら小兒なるを見ならひて凡のをさな子をも云べきなり手兒の字に泥て掌上の兒の謂と思ふはからざまの心得にてかなはず】
 
倭文幡《シヅハタ》乃、 古へ皇朝に文有物は今の縞てふ物をあやといへり諸成按に志は須知の約豆は太都の約すぢのたつものを文といへるよしなりよりて倭文の字を充つ此男女も上つ代なれば上つ代の織物もて云にや縞も轉語か
 
帶解替而、 男女帶をときかはして寢るをいふさて卷十に上總のすゑの珠名をよめる歌にあまたの人にあひし事をいへり上總國ぶりは男女の相たはくる事を禁ぬを思ふにこゝも隣なる國なれば此娘女もさる類なるべしそれが中にも後まで傳へいふは歌によれるのみなり 
廬屋立《フセヤタツ》、 冠辭
 
妻問《ツマドヒ》爲家武、 是迄は男の方をいふなり
 
勝鹿乃、眞間|之(ノ)手兒名之《テゴナカ》、 今も上總下總などに最弟子《マナオトコ》をてごといへり遠江國にてはそれをはてのこと云|果《ハテ》の子てふ事なり是を思ふにはての子のはてを略きて、てことは云なり總て上總は略言の多き國なり名はをみなを略いふ常の言ぞ【或人云手兒は妙《タヘ》兒の意にやといへり奥人おもふにいにしへにありけむ人といへば果の子なるや初の子なるや知べからねばたへの兒と見むもよからむ】
 
奥|槨《ツキヲ》、 墓なり
 
此間登波聞杼、 今は墓の形も見えず木のみ茂きなりけり
 
眞木葉哉、茂有良武《シゲクアルラム》、 眞木は檜なり諸木とせば次の松の言をいかに〇こゝは卷一に近江荒都の事を大殿者此間雖云霞立春日可霧流夏艸香繁成奴留てふにひとしきなり
 
松|之《ガ》根也、遠(ク)久寸《ヒサシキ》、 遠くはひわたりて世を經るまゝに墓は見えぬならんとおぼめくなり
 
言耳毛、名耳母吾者、不所忘《ワスラエナクニ》、」 墓は見えずともあれ古へより語こし言のみにても聞わたる名のみにも悲しさふかくして忘がたしと云なり言を多く略きつゞけたれどよく見れば理り聞るは赤人のわざなり
 
 反歌、
432 吾毛見都、人爾毛將告、勝牡鹿之、間間能手兒名|之《ガ》、奥津城|處《卜コロ》、」 墓所なり城は訓を借なり
 
433 勝|牡鹿《シカ》乃、眞々乃入江爾、 眞間の浦の入江なり
 
打|靡《ナビク》、玉藻苅兼、手兒名志所念、」 卷十に水を汲しといふはさも有べし藻を苅までの海人ともおもはれずもし身を沈たるを然いひなすのみか
 
○和銅四年辛亥河(ノ)邊宮人見2姫島松原|美人《オミナノ》屍1 卷十二にこゝを孃子と書しも意同じ
 
哀慟作歌□□、 今本こゝに四首とありて左の四首を載たり【上よりして所々にかく後人の書し歌の數の事ありもし此卷にも始歌の數はなかりしにや】然るに左の四首は此端詞の歌にあらず思ふに既卷二に全く此詞にて歌二首あるをこゝにはもし異なる歌ありて載しにやあらんさるを今その歌は落失て端詞のみ殘れるは仙覺か校合すとて或本の歌なとをこゝに引つけしなるべしなぞといはゞ此姫島は卷二に例を引し如く定かに攝津國なり左の三保てふ所は攝津によしなく上に博通法師が紀伊國三穗石室をよめるに久米若子かいましけんといひしをもて必紀伊なる事知るべし且久米若子とは男をいふこゝの端詞に美人とあり古事記に女の事にのみ美人と書り卷二には孃子とも有又無人とは今は世に無き人なり屍を見ててふ詞にいふ事にあらず又下の二首は相聞にて必この悲歌にあらずかゝれば右の詞の歌はうせ又次の二首の端詞も失し物なり仍て考にここの二首は彼博通が歌に和たる歌と見ゆ其よし左の如し
 
 某姓名往紀伊國見三穗石室而和博通法師之歌作歌二首
〇□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□、 かく端詞ありつらんか次の歌は下にいふ
 
434加麻?夜能《カザハヤノ》、 麻はあさのさを用ひしか訓の假字は下の言を用る例なり又座を誤しにも有べしこは所の名なるべく思ひ成ぬ
 
美保乃浦|廻《ハ》之、 三穗の浦てふ名はかた/\に在と既云そか中にこゝは紀伊なり 
白管仕《シラツヽジ》、 時に咲て有を見てよめるなり卷十にもよみつ
 
見十方不怜《ミレトモサブシ》、無人念者《ナキヒトモヘバ》、」 或本云見者悲霜無人念者
 
435 見津見津四、 冠辭【滿々之《ミツミツシ》也つは清て云へし久老云】
 
久米能若子我、 既出
 
伊觸家武《イフレケム》、 伊は發語なり
 
磯之草根乃、干卷惜裳《カレマクヲシモ》、」 左の歌はたゞ相聞にて挽歌に交るべきにあらず何こより亂散てこゝに入つらんされど捨べきにあらねば小字にて添るのみ
 
436 人言之、繁比日《シゲキコノゴロ》、玉有者、手爾卷以而、不戀有益雄、」
 
437 妹毛吾毛、清之河乃《キヨミノカハノ》、 清みはかたみに相思ふ心の疑なきを云さて卷二に飛鳥の淨之宮とよみし如く飛鳥川をかくもいへるなり【是をきよめし川と訓てみそぎしてちかひし事とすれど心ゆかぬ事有】
 
河岸|之《ノ》、妹我可悔、 岸の崩を悔るにそへたり
 
心者|不持《モタジ》、」 事有時男のよめるなり卷十の相聞歌に鎌倉のみこしがさきの伊波久叡乃君我久由倍寸こゝろはもたずとよみたり【此左に後人の注あれどいふにもたらねばすてつ】
 
○神龜五年戊辰太宰帥大伴卿|思2戀《シヌベル》故人《モトノヒトヲ》1歌三首、
 
438 愛《ウルハシキ》、 卷十に宇流波之等安我毛布伊毛乎と有もてよめり宇良具波志の良具の約流なればうらぐはしといふ二の別記にいふ
 
人纏而《ヒトノマキテシ》、敷細之《シキタヘノ》、 冠辭
 
吾手枕乎、纏人將有哉《マクヒトアラメヤ》、」 此故人のごときは又もあらしと思ふ心より出たる歌なるべし今年春の比身まかられしとみゆ【卷十二に式部大輔石上竪魚朝臣の霍公鳥來鳴響云云てふ歌の左に右神龜五年戊辰太宰帥大件卿之妻大伴郎女遇病而長逝焉云云】
 
439 應還《カヘルベキ》、時者成來《トキニハナリク》、 天平二年に歸られたりさて任の限はかねて定あるなり
 
京師爾而、誰手本《タガタモト》乎可、吾《ワガ》將枕《マクラセム・マクラカム》、」 卷九和我麻久良可牟又卷十九
 
440 在京師《ミヤコナル》、荒有家《アレタルイヘ》爾、一宿者《ヒトリネバ》、益旅而《タビニマサリテ》、可辛苦《クルシカルベキ》、」 下に京の家にかへりて此意の歌有【右二首その左に後人の注あれど云にもたらねば捨つ】
 
○神龜六年己巳左大臣長屋王|賜死之後《ミマカラセラレシノチ》、 此王聖武天皇を傾ん謀するよし宮處《ミヤトコロ》の連東人等が告によりて身まからせ給る事續紀同年二月の紀に見ゆ【神龜六年八月に天平元と改らる此後天平十年に大伴宿禰子虫其宮處東人を殺しぬ子虫は初長屋王に仕し人にてあればなりそこの紀に東人は誣2告長屋王(ノ)事1之人也と有然ば王は無實の罪にあひ給ひし】
 
倉橋部(ノ)女王作歌一昔、
 
441 天皇之《スメロギノ》、命恐《ミコトカシコミ》、大荒城乃《オホアラギノ》、 正葬《マハフリ》の前に假にをさむるをあらぎといふは麁籬《アラガキ》の意なり城は借字のみ唐文の殯を假|喪籬《モカリ》と訓も理なれど今少し後の言なり此あらぎを殯の訓ともすべし且大とは天子に申事なるを王にもいへるは歌なればなり
 
時爾波|不有跡《アラネド》、 次の龍麻呂が自死たるをも時爾不在之天といへり
 
雲隱座《クモカクレマス》、」
 
○悲2傷|膳部《カシハデノ》王1作歌一首、 是は長屋王の一の子にて同く死らせ給へりさてよみ人右と同じければしるさぬにや
 
442 世間者、空物跡《ムナシキモノト》、將有登曾《アラントゾ》、 とてそのてを略なり
 
此照月者、滿闕爲家流《ミチカケシケル》、」 いたみ/\て後に理りをとりていさゝか和さめんとするなり
 
○天平元年己巳攝津國(ノ)班田史生《カニハダノフミビト》、 紀に天平元年十一月任2京乃畿内(ノ)班田司1とある是なり令の定め六年毎に諸國の田を改割戸口班給ふ奉行に班田司を任せらるゝなり【奥人按に續紀十曰聖武天皇天平元年十一月任2京及畿内班田司1云云田を班《アカ》ち給ふ故にゐなかをあかたともいふなり】○史生は主典の下に在て事を記すを專らとす
 
丈部龍麻呂《ハセツカヘベノタツマロ》、 和名抄に安房國長狹郡丈部(波世豆加倍)とありかくて安房上總の防人の氏に丈部の多きを思ふに龍麻呂も其國より出て仕るならんと或人いへり
 
自《ミヅカラ》經《クビレ・ワナキ》、 【わなきはわなくゞりなり】
 
死人時《マカレルトキ》判官《マツリコトヒト》大伴宿禰三中作歌一首并短歌、 此人天平十二年に正六位上より外從五位下に敍其後多の官につかへつ
 
443 天雲之、向伏國、 祝詞に四方國者天能壁立極美白雲乃|堕坐《オリヰ》向伏限てふ如く其地のはてをいふなり
 
武士登、所云人者《イハレシヒトハ》、 衛府は武藝に名有人を用らる龍麻呂遠祖よりあひ繼て武名ありけん
 
皇祖之《スメロギノ》、神之御門爾《カミノミカドニ》、 皇祖は前つ御代々の天皇を申事既云が如し然ば龍麻呂が先祖より傳へて衛府に仕奉しをいへり次に名文繼往物與《ナモツギユクモノト》いふをあはせておもふべし
 
外重爾《トノヘニ》、 宮城の門なり龍麻呂は門部か物部なりけん四言なり立|候《サモラヒ》【大内に内中外の三門有て衛門府は宮城の外を守是を外重《トノヘ》といふ左右兵衛府は中重を守是を中《ナカノ》重といふを衛府は内の重を守る是をちかき守といふかかれば今うちはにと訓るはわろし候の字をまちと訓しもこゝには誤なり】
 
内重爾《ナカノヘニ》、 中(ノ)重なり内と書しは兵衛府は中(ノ)重の内閤門の外まで守ればなり此人兵衛にも轉せしなり
 
仕奉《ツカヘマツリテ》、玉葛、彌遠長(ク)、祖名文《オヤノナモ》、繼往物|與《ト》、 右に云が如し
 
母父爾《オモチヽニ》、 下に意毛知々《オモチヽ》共あればさも訓べし【母を先にいふは皇國の古へ母をたふとむならはしなり】
 
妻爾|子等爾《コドモニ》、語而《カタラヒテ》、立西日從、 遠組より公に仕奉て名をひろく顯しゝを其末としていたづらに在べからずと聞せて立出し日よりといふなり
 
帶乳根乃、 冠辭
 
母(ノ)命者、 母父をたふとみて命といふ事上下にも有私の家にては何の限りかあらん 
齋戸乎、 既出
 
前|坐置而《スヱオキテ》、一手者《ヒトテニハ》、木綿取持《ユフトリモチ》、 六言
 
一手者《ヒトテニハ》、和細布奉《ニギタヘマツリ》、 にぎたへと木綿の事は冠辭考にいひつ奉を略てまつるといふは卷一にいへり
 
平《タヒラケク》、 今本に乎とするは字も訓も誤れり
 
間幸座與《マサキクマセト》、 間は借字眞なり
 
天地乃、神祇乞祷、何在《イカナラン》、歳月日香《トシノツキヒニカ》、茵花《ツヽシハナ》、 冠辭
 
香君《ニホヘルキミガ》、 母父の愛思ふ意を押はかりていへり
 
牽留鳥《ヒクアミノ》、 冠辭今本字も訓も誤なる事冠辭考に委し
 
名津匝來與《ナヅサヒコムト》、 遠き都道を漸歸來ん事を網を漸に引よするに譬たり
 
立居而《タチテヰテ》、待|監人者《ケンヒトハ》、王之、命恐、押光、 冠辭四言
 
難波(ノ)國爾、荒玉之、 冠辭
 
年|經左右二《フルマデニ》、 班田の時は其國の司前六年の間戸口の増減田地の興廢の事を例のまゝに按を作るを班田司は臨て正すのみなるべし然るを此歌攝津國に年經たる如くよめるはおぼつかなし思ふに内つ五つの内多くは事成て今こゝに到て死たるをかく云ならん【京畿を兼て一つの班田司を置れしにてしらる】
 
白栲(ノ)、 冠辭
 
衣手|不干《ホサズ》、 只衣をほしほさぬ事をこゝにいふべきにあらず手の落しなり仍て補へりさて思もひたけびては別れ來りつれどさすがに故郷戀るなみだはたえざりしなり【此下にも白細之衣袖不干歎乍吾泣涕とよめり】
 
朝夕《アサヨヒニ》、在鶴公者《アリツルキミハ》、 同し司にてひるよる相見しなり反歌にも有
 
何方爾、念|座可《マシテカ》、欝蝉《ウツセミ》乃、 冠辭
 
惜此世乎、露霜《ツユシモノ》、置而往監、時爾不在之天《トキナラズシテ》、」
 
 反歌、
444 昨日社、公者|在然《アリシカ》、不思爾《オモハヌニ》、濱松之|上《ヘニ》、於雲棚引《クモトタナビク》、」 雲に成てを略且濱邊の葬所に火葬せるなり
 
445 何時然跡《イツシカト》、待牟妹爾《マチナムイモニ》、玉梓乃、事太爾不告、 事は借字言なり
 
往公鴨《イニシキミカモ》、」 家人へふみだにのこさでみまかれるはいかなる故にか有つらんとなり
 
○天平二年庚午冬十二月太宰帥大伴卿|向京上道《ミヤコヘノボル》之|時《トキ》作歌五首、
 
446 吾妹子之、見師鞆(ノ)浦之、天木香樹者《ムロノキハ》、 【牟呂の木今の柏子《ヒヤクシン》に類して香氣有といへり又或云葉は針のごとくなれば俗鼠さしと云鼠の穴を塞によしと】和名抄に※[木+聖]一名河柳(無呂)卷十に新羅へつかはさるゝ人の歌の中にはなれ磯の室の木をよめる二首有それも備中の神島の歌につゞきてあればこゝと同所の木なりけり
 
常世(ニ)有跡、見之人曾奈吉、」 【奥人按に祇注云此已下五首帥大伴卿妻におくれて上京の時の歌なり季吟云任に趣し時もろともに見し人のなくて歸んに此木の常葉なるを見て感哀極る歌なり】
 
447 鞆(ノ)浦之、磯之室木、將見毎《ミンゴトニ》、相見之妹者、將所忘《ワスラレメ・ワスラレン》八方《ヤモ》、」 此相見しは其木を共に見しをいふ
 
448 磯(ノ)上丹、根蔓室木、見之人乎、何在登問者《イヅラトトハヾ》、 いづらは何に在てふ言を再つめたるなりそは伊豆禮爾あるのにあの約奈にていづれなると云を又其禮奈を略ればいづらと成ぬさて其留と良と同言なれば留を略て伊豆良といふ】
 
語將告可《カタリツゲムカ》、」 卷二に岩代の結松を憶良の人こそしらね松は知らんとよめる類ひにていとこそかなしかりけり
 今本こゝに在る注は取にたらずよりてすてつ
 
449 與妹來之《イモトコシ》、敏馬能《ミヌメノ》埼乎、 既云
 
還左爾《カヘルサニ》、獨而見者《ヒトリシテミレバ》、涕具未之毛《ナミダグマシモ》、」 【此末を今本に情悲喪《コヽロカナシモ》と有るは情をつくさず仍一本を用かくてこそ悲しともかなしけれ】
 
450 去左爾波《ユクサニハ》、二吾見之《フタリワガミシ》、此埼乎、獨過者、見毛左可受伎濃《ミモサカズキヌ》、」 共に見しものと思ふに泪のすゝめば見も放《サケ》られずて過來ぬるといふなり左氣良禮受の氣良の約可なり且禮を略て左可受といへりさて遠く見やる事を古へは見さくると云つ
 
○還2入《カヘリテ》故郷《クニノ》家1即作歌三首、
 
451 人毛奈吉、空家者《ムナシキイヘハ》、草枕、 冠辭
 
旅爾益而、辛苦有家里《クルシカリケリ》、」
 
452 與妹爲而、二作|之《シ》、吾山齋者《ワガシマハ》、 佐保の家は本より山邊なるを苑を心して作りおもしろき屋をも建しならん然るに此歌木立の事のみにて屋をいはず卷二十に中臣清麻呂之屋(ニ)集而|屬2目《ミテ》山齋1てふも皆池島などをのみよめり吾山吾門などよめる事多く事の意をしらせんとて字を添るは此集の例なれば今本齋を捨てやまとのみよめるもよし無にあらねばしたかひてもあるべきを彼卷共の詞はやまとのみ訓てはたらはねば彼も是もおしこめてそのと訓なんと覺ゆ苑は事弘ければなり【此上に藤原家山地と有は山薗を略しなれば曾乃能池と訓たりそれにうらうへしてこゝは曾能と訓り】 
木高繁《コダカクシゲク》、成家留鳴《ナリニケルカモ》、」
 
453 吾妹子之、殖之梅樹、 同山齋なり
 
毎見、情咽都々《コヽロムセツヽ》、涕之流《ナミダシナガル》」
 
○天平三年辛未秋七月大納言大伴卿|薨之時《スギタマヘルトキノ》歌六首、 紀に此年月に薨ぬる事有て難波(ノ)朝(ノ)右大臣大紫長徳之孫大納言贈從二位安麻呂第一子也と見ゆ此卿の雄々しくて雅たる眞の臣なる事既にもいへるが如し然るを時にあはで大臣ともならで終りしこそ惜けれ【こゝの薨をすぎぬるときと訓しはいかゝ須妓の約死なり士庶を死といひ五位已上卒三位已上逝中納言已上を薨といふは唐の事なり崩も薨も逝も卒も死なれば此朝の言の例に任てすぎといはんにも崩を加美佐里と訓すれば薨は世を左里など訓むか家持卿此卿の諱をかゝすまして資人の歌なれば少はあがめて世をさらすとも又は世をさらしゝとも訓んかよてこゝの訓を略置ぬ】
 
454 愛八師《ハシキヤシ》、 こゝはなつかしむ言なり卷二の別記に委し今本の訓はひが事ぞ
 
榮之若乃、 卷二にゆふ花の榮時卷七にあしひなす榮之君之皆同
 
伊坐勢波、 在の意にて今まさばなり
 
昨日毛今日毛、吾乎召麻之乎、」
 
455 如是耳、有家類物乎、芽子花、咲而有哉跡、問之君波母、」 はぎの咲たるを見て咲を待問し主のおはさぬをなげくなり
 
456 君爾戀《キミニコヒ》、痛毛《イトモ》爲便奈美、蘆鶴之、 之の下に如くを略く蘆をいふはあし鴨蘆鹿よしきりなど皆住所の物もて云
 
哭耳所泣《ネノミシナカユ》、朝夕四天《アサヨヒニシテ》、」 朝夕とは晝夜を云
 
457 遠長、將仕物常、念有之、君師不座者、心神《タマシヒ・コヽロト》毛奈思《モナシ》、」 此下に家さかりいますわぎもをとゞめかね山|隱《カクリ》つれ精神ともなしてふも吾魂さへ失ふと云なり
 
458 若子乃《ミドリコノ》、 如を略なり
 
匍匐多毛登保里《ハヒタモトホリ》、朝夕《アサヨヒニ》、哭耳曾吾泣、君無二四天、」
 右五首|資人《ツカヘヒト》、 資は古本による【軍防令に資人親王及大臣には數いと多大納言には百人なり又養老三年の記に始以六位内外初位及勲人等子年二十以上爲位分資人八年に一替と見えたり】
 
金明軍、 既出
 
不勝犬馬之慕《ヌシヲシヌブニタヘズ》、 唐文に不勝犬馬戀主之情てふを借たり他國の文の言をもてこゝの言に云はなま/\なる程の言ぞ
 
述心中感緒《コヽロノカナシミヲノベテ》作歌、 述の字今本に無は落しなり今加へつこは家持主の書し注ならん
 
459 見禮杼不飽、伊座之君我、黄葉乃、移伊去者《ウツリイヌレバ》、 うつり過ちるは共に通しいふ例なり
 
悲喪有香、」
 
 右一首|勅《ミコトノリシテ》内禮正縣犬養宿禰人上《ウチノヰイヤノカミアガタノイヌカヒノスクネヒトカミニ》使檢2護《ミサスルニ》卿病1醫藥無驗逝水不留《クスリシルシナクスギタマヘリ》因斯悲慟《ヨリテカナシミテ》即作此歌、 職員令に内禮正一人掌宮内(ノ)禮義云云事は義解に見ゆ
 
○七年乙亥大伴坂上郎女|悲2嘆《ナゲキテ》尼理願死去《アマリグハンガミマカレルヲ》1作歌一首並短歌、
 
460 栲角乃《タクヅヌノ》、 冠辭
 
新羅國從、人事乎、 事は言なり
 
吉跡所聞而《ヨシトキコシテ》、 伎々を延て伎古志といへり日本の天皇は惠み深くて他國の人をもよく養ひ給へば我もやすく行ん國ぞと聞てなり
 
問放流《トヒサクル》、 卷十九に語放、見放《シ》人目、紀(光仁)に誰【爾加毛】我語【比】佐氣牟孰【爾加毛】我問佐氣牟【止】云云後には問やる見やるといへり
 
親族兄弟《ヤカラハラカラ》、無國爾、渡來座而、天皇之、敷坐國爾、内日指、 冠辭
 
京思美彌爾《ミヤコシミミニ》、 繁々を略さて兄弟無國爾よりこゝにつゞく隔句なり
 
里家者《サトイヘハ》、左波爾雖在、何方爾、念鷄目鴨《オホシケメカモ》、都禮毛奈吉、 隔句こゝより死云事爾へつゞく○つれもなきは所由も無といふにひとし別記にくはしつらめなきを約云
 
佐保乃山邊爾、哭兒成、慕來座而《シタヒキマシテ》、布細乃、 冠辭
 
宅乎毛造、荒玉乃、 冠辭
 
年緒長久、住乍《スマヒツヽ》、 須萬比は萬比約美にて須美を延たる言なり萬爲と書は誤なり
 
座之物乎《イマシヽモノヲ》、生者《イケルヒト》、死云事爾《シヌチウコトニ》、不免《マヌカレヌ・ノカロエヌ》、物爾之有者、憑有之《タノメリシ》、人|乃《ノ》盡《コト/”\》、草枕、 冠辭
 
客有間爾《タビナルマヽニ》、 上よりの隔句慕來往而よりこゝにつゞく旅なるまゝは左の注に見ゆ
 
佐保川乎、朝川渡、春日野乎、背向爾見乍、足氷木乃、 冠辭
 
山邊乎指而、晩闇跡《ユフヤミト》、隱益去禮、 益は借字のみ○佐保川ゆ下は葬の道を云
 
將言爲便、將爲須便不知爾、徘徊《タモトホリ》、 とやせんかくやあらんと思ひめぐらすをいふなり【徘徊を今本にたちとまりと訓はいづこにても叶はず】
 
直獨而《タヾヒトリシテ》、 郎女一人
 
白細之、衣手|不干《ホサズ》、嘆乍、吾泣涙、有間山、 左に見ゆ
 
雲居輕引、雨爾零寸八、」 かくいふ類下にも有
 
 反歌、
461 留不得、壽爾之在者、敷細乃、家從者出而《イヘユハイデヽ》、雲隱去寸《クモガクレニキ》、」
 右新羅(ノ)國尼名(ハ)、 名は古本によりてくはへぬ今本無
 曰2理願1也、遠《トホク》感《メデ》2王徳《ミイツクシニ》1歸2化《マウケリ》聖朝《ワガミカドニ》1、 多くは※[(女/女)+干]事有て住わびたる僧侶共の來れるをみだりに信せしは時なるかな
 於時|寄2住《ヨリトヽマリ》大納言大將軍《オホイモノマヲスツカサオホイイクサキミ》大伴(ノ)卿(ノ)家(ニ)1、既經數紀《ヤカテアマタノトシヲフ》焉、 始大納言安麻呂卿の時に來て和銅七年五月此卿薨て後こゝに住て今天平七年に死たるなり
 惟《コヽニ》以天平七年乙亥|忽沈運病《ニハカニヤミシヅミキ》既趣泉界《ヤガテミマカリヌ》於是《コヽニシテ》大家《ハヽトシ》石川(ノ)命婦《ヒメトネ》、 【大家女之尊稱なり石川命婦は旅人卿の後妻なりと契冲いへり】卷三の注に大伴坂上郎女之母石川内命婦といひ惣てを考るにも然なり
 依《ヨテ》2餌藥事《クスリノコトニ》1往《ユキ》2有間温泉《アリマノイテユニ》1而、 攝津國有馬郡
 不v會2此(ノ)哀(ニ)1但郎女獨(リ)留《トヽマリテ》葬2送《オクリ》屍柩《ヒツキヲ》1既訖《オハリヌ》仍作2此歌1贈2入《オクリイル》温泉1、 母の本故に入といふ
 
○十一年《トヲマリヒトヽセ》己卯|夏六月《ミナツキ》大伴宿禰家持悲2傷亡|妾《ヲムナメヲ》1作歌一首、
 
462 從今者《イマヨリハ》、秋風寒、將吹烏《フキナンヲ》、 【天平十一年己卯夏六月云云拾穗】六月の末なり
 
如何獨《イカニカヒトリ》、長夜乎將宿《ナカキヨヲネム》、」
 
○弟大伴宿禰|書持《フミモチノ》即和歌一首、
 
463 長夜乎、獨哉將宿跡《ヒトリヤネムト》、君之云者《キミガイヘハ》、過去人之《スギニシヒトノ》、所念久爾《オモホユラクニ》、」 よみにます人も獨いねがてにすらんといふなり爾は奈に通ひていひおさへてなげく辭なり
 
○又家持見2砌上《ニハヘノ》瞿麥花1作歌一首、
 
464 秋去者《アキサラバ》、 秋にならばなり
 
見乍|思跡《シヌベト》、 こは後の形見にといふにあらず只見つゝ愛したふ事を云古への例なり
 
妹之殖之《イモガウヱシ》、屋前之石竹《ニハノナデシコ》、開家流香聞《サキニケルカモ》、」
 
○移朔《ツキタチニウツリ》、 七月一日なり
 
而後《テノチ》悲2嘆《カナシミテ》秋風1家持作歌一首、
 
465 虚蝉之、 こは冠辭とせずてあるべし
 
代者無常跡、知物乎、秋風|寒《サムミ》、思|弩妣都《ヌビツ》流可聞、」 秋風の肌寒きには常よりも故人《イニシヘヒト》のしたはしきなり
 
○又家持作歌一首並短歌、
 
466 吾屋前爾、花曾咲|有《タル》、其乎《ソヲ》見杼、情毛不行《コヽロモユカズ》、愛八師《ハシキヤシ》、 卷二の別記云
 
妹之有世婆、水鴨成《ミカモナス》、二人|雙居《ナラヒヰ》、手折而毛、令見麻思物乎《ミセマシモノヲ》、打蝉乃、借有身在者《カレルミナレバ》、 こゝの打蝉も冠辭にあらず顯の身のかりなる身と云なり今本情有と有は誤なり一本借と有ぞよけれ
 
露霜乃《ツユシモノ》、 今本霜霑とありてとけじもと訓たるは歌こと葉ともなしこれも古本によりぬ
 
消去之如、足日木乃、 冠辭
 
山道乎指而、入日成、隱去可婆、曾許念爾、 それを思事なり
 
胸己所痛《ムネコソイタキ》、言毛不得《イヒモカネ》、名付毛不知《ナヅケモシラニ》、跡無《アトモナキ》、世間爾有者《ヨノナカナレバ》、將爲須辨毛奈思《セムスベモナシ》、」 
 反歌、
467 時者霜、何時毛將有乎、情哀《コヽロイタク》、 なさけなくといへるに同じ
 
伊去|吾妹可《ワギモカ》、 哉なり
 
若子乎置而《ミドリコヲオキテ》、」
 
468 出行《イデヽユク》、道知末世波、豫《カネテヨリ・アラカシメ》、 【卷十五言卷毛、湯々敷有跡豫兼而知者《ユユシカラントアラカシメカネテシリセハ》】
 
妹乎將留、塞毛置末思乎、」 卷二に大御舟はてしとまりにしめゆはましをとよめる意に同じ
 
469 妹之見師、屋前爾花咲、時者|經去《ヘヌ》、 時過しなり
 
吾泣涙、未干爾《イマダヒナクニ》、」
 
○悲緒未v息《カナシミヤマデ》更《サラニ》作歌五首、
 
470 如是|耳《ノミニ》、有家留物乎、妹毛吾毛、如千歳《チトセノゴトモ》、馮有來《タノミタリケリ》、」 千とせ經ん如く長く思ひたのめしなり
 
471 離家《イヘサカリ》、伊麻須吾妹乎、 【こゝの伊末須は坐在の意にあらず】
 
停不得《トヽメカネ》、山隱都禮、 都禮の禮は良米の約なり禮は禮婆の省
 
精神《タマシヒ・コヽロト》毛奈思、」 此言上にも在り
 
472 世間之、如此耳跡、可都知跡《カツシレド》、 【且奥人按に伎波和加の約加にて際分の意なり上にいひし言を一きは分ちて更に又いひ下す時に云言なり】可都は物二つを一度に云時其間にいふ言なりこゝは世のならひぞと知るとおもひ明らめ得ざるとの間なりされど置難き時は上にも下にもおくなり
 
痛情者《イタムコヽロハ》、不得忍都毛《シヌビカネツモ》、」 今本得の字無は落しなり例によりて加へつ
 
473 佐保山爾、多奈引霞、毎見、 火葬の烟よりしてかすみを悲しめりさて古へかすみはいつもいづれど是もいつとはさしがたし
 
妹乎思出、不泣日者無、」
 
474 昔許曾《ムカシコソ》、外爾毛見之加《ヨソニモミシカ》、吾妹子|之《ガ》、奥槨常念者《オキツキトモヘバ》、波之吉佐保山、」 波之吉は上に出
 
○天平|十六年申申春二月《トヲマリムトセキサラギ》安積皇子薨之時《アサカノミコスギタマヘルトキ》、 此年月難波宮へ幸ある時此皇子御病により櫻井(ノ)行宮より歸て其三日に薨給ひぬ聖武天皇の皇子年十七と紀に見ゆ
 
内舍人《ウドネリ》、 卷十五に天平十二年にも此人内舍人と見ゆ○職員令に内舍人九十人掌d帶(テ)v刀宿衛供2奉雜使1若駕行分c衛前後uと見えたり
 
大伴宿禰家持作歌□□、 こゝはいかに有けん今本に六首とあれど次の歌は三月よめれば別に詞ありけん
 
475 掛卷母、綾爾恐之、言卷毛、齋忌志伎可物《ユユシキカモ》、 此四句既云
 
吾王、御子乃命《ミコノミコト》、萬代爾、食賜麻思《メシタマハマシ》、大日本、久邇乃京者、 山背國相樂郡久邇郷の都の時なり
 
打靡、 冠辭
 
春去奴禮婆、 春になりぬればてふ言なればかくもあるべけれど他皆春去來禮婆と有に依ば奴は玖の誤りにや
 
山邊爾波、花咲乎烏里、 今本に爲と書は誤りなる事既云
 
河湍爾波、年魚子狹走《アユコサバシリ》、 卷九に阿由故作婆期留とあり若あゆをあゆこと云は常に鯉子と云類なり
 
彌日異爾、 既云こゝは日爾異爾を略て云爾は既に云如なれば補
 
榮時爾、 春の榮を皇子《ミコ》の榮にいひよせたり
 
逆言之《オヨヅレノ》、狂言《タハコト》登加毛、白細爾《シロタヘニ》、 白布を轉らして只白き事に用ゐたり此言の事冠辭考にいへり且細布の布をはぶきつ
 
舍人装束而、和豆香山、 相樂郡に在なり
 
御輿立之而《ミコシタヽシテ》、 【御輿は葬車也】
 
久堅乃、 冠辭
 
天所知奴禮、 卷二にも出
 
展轉《コヒマロビ》、 こはこやすともいひて臥事なり
 
※[泥/土]打雖泣《ヒヅチナケドモ》、 ※[泥/土]打既出
 
將爲須便毛奈志《センスベモナシ》、
 
 反歌、
476 吾王、天所知牟登《アメシラサムト》、不思者《オモハネバ》、於保爾曾見谿流《オホニゾミケル》、和豆香蘇麻山、」 卷二に人麻呂の天しらしぬるといひては末も天の事にていへりこは然いひてゝ下に御墓の地をいひぬれば言の筋通らず聞ゆるはいかに天しらさん云云を只薨まさんてふ事に用ゐしなりさらば今少し事行過て聞ゆ既此比にはさもくたれる歟
 
477 足檜木乃、 冠辭
 
山差倍光、 卷二にさゝの葉はみ山もさやにとよめる毛《モ》と此佐倍は意同じくいふ事あるはさへは兼副る意毛は彼も此もと云時ひとしきなり
 
咲花乃、散去如寸、吾|王《オホキミ》香聞、」
 右三首二月三日作歌、
 
478 掛卷毛、文爾恐之、吾王、皇子之命、 同じ安積皇子
 
物乃負能、八十伴(ノ)男乎、 男は借字にてその部をいふ神代紀に五部神を伊都刀毛乃乎乃神多知とよみてその中には女神もあればなり祝詞に伴緒《トモノヲ》と有を正しき字とすべし
 
召集聚《メシツドヘ》、率比|賜比《タマヒ》、 此言卷二に云
 
朝獵爾、鹿猪踐越《シヽフミオコシ》、暮獵爾、鶉雉履立《トリフミタテ》、大御馬之《オホミマノ》、口抑駐《クチオシトヽメ》、御心乎、見爲明米之《メシアキラメシ》、 御心を見晴し給ひと云に同じ古は見る事を目といひし事上にもいひつ
 
活道山《クメヂヤマ》、 こは此反歌又卷十五に天平十六年正月十一日登活道岡云云とて家持ぬしの歌あれば久邇の京近き所とはしるしされど是を後にいくめぢとも訓は何れまことにや知がたし仍今強て考るに神代紀に多くは活律彦と書し同命を末の一書に活目津彦とあり是を思ふに上は皆目を略けるものと見ゆれば何れも訓には又伊を略て久米津比古と唱ふべきなり是によてこゝをも伊を略き米を添てくめぢと訓む猶此地は知人に問べし【紀の文上に活津彦とあるにて下に活目とある目をばよまぬごとくするは僻事なり有を捨て無によるは事にこそよれ】
 
木立之繁爾《コダチノシヾニ》、咲花毛、移爾家里《ウツロヒニケリ》、 皇子の薨給ふをよすこゝは一段なり
 
世間者《ヨノナカハ》、如是耳奈良之、丈夫|之《ノ》、 今本例の丈を大に誤るなり
 
心振起、釼刀、 古事記の倭建命の御歌に都流岐能多知曾能多知波とよみましたりこゝなどつるぎだちとあるは能を略けるなり釼と刀は別と思ふは後のひが心得なり委冠辭考にいづ
 
腰爾取佩、梓弓、靭取負而《ユギトリオヒテ》、天地與、彌遠長爾、萬代爾、如此毛欲得跡《カクシモカモト》、馮有之《タノメリシ》、 一段なり
 
皇子乃御門乃、五月蠅成、 神代紀に如の字を此なすてふ言に書つ諸成案に奈は爾奈の約にて似なすてふ言なり
 
驟騷《サワグ》舍人者、 こは内舍人にあらず大舍人帳内などの人人をいふべし
 
白栲爾、服取著而《コロモトリキテ》、 卷二にもあり
 
常有之《ツネナリシ》、咲比振麻比《ヱマヒフルマヒ》、彌日異爾、 前にいふ
 
更經見者《カハラフミレバ》、 御葬の後を云
 
悲呂可聞《カナシキロカモ》、」 呂の助字を添ふるは下に例多し今本に誤てかなしめすと訓しはいかにぞや諸成案に此呂は助字にあらず集中に良を呂に通す例あり兒等吾等を兒《コ》呂|吾《ア》呂といふに同じ此等の考は荒良言に委く云なり【卷六かなしき兒呂がにのほさるかにと有かく云は眞淵をあしとにはあらず志をつきて誤を補はもとよりの翁が心なり】
 
 反歌、
479 波之吉可聞、 上にも別記にも此言はいへり可聞は歎くことばなり
 
皇子之命乃、安里我欲比、見之活道乃《メシヽクメチノ》、 上の如く見爲之とあるべきを爲を略き書し事しるければめしゝとは訓り今本には見之とあるからは次をいくめぢと訓に他なしとおもひてみしと訓つらめど心を用ゐざる物なり見《メ》しゝとはあがめ言なる事既に云つ
 
路波荒爾鷄里、 すぎましゝ後五十日餘りになるをかくよめる類なり
 
480 大伴之、名負靱帶而《ナニオフユキオビテ》、」 大伴氏の名におふと心得べし神代紀一書に大伴連遠祖天忍日命帥來目部遠祖天穗津大來目負天磐靱云云立天孫之前云云孝徳天皇天つ日嗣に立ませる時までも大伴長徳連帶金靭立壇石と紀に見え姓氏録の大伴氏の條其外にもあまた見ゆ     
 
萬代爾、憑之心、何所可將寄《イヅコヘカヨセム》、」 上の長歌に御子命の萬代にめし給はまし大日本久邇の京と云に此歌を合せ思へば此皇子は皇太子の位におはしけん
 右三首三月二十四日作歌、
 
○悲2傷死妻1高橋朝臣 名は本よりしれざりしか
 
作歌一首并短歌、
 
481 白細之、 冠辭
 
袖指可倍※[氏/一]、靡寢、吾黒髪乃、眞白髪爾、成極《ナリキハムマデ・ナレラムキハミ》、新世爾《アタラヨニ》、 此言卷一には藤原の新京をいひ卷十五には久邇の新京をいへりこゝも同く久邇の新京をいふのみ
 
共《トモニ》將有跡、 此新京の末久しかるらん如く吾と妻と共に長く住ん物と相語ひしなり
 
玉緒乃、不絶射妹跡《タヘジヤイモト》、 射は與に通り
 
結而石《チギリテシ・オモヘリシ》、事者|不果《ハタサズ》、 事は言なり
 
思有之《オモヘリシ》、心者不遂、白妙之、 上の細は布を略此妙は借字のみ
 
手本|矣(ヲ)別《ワカレ》、丹杵火爾之、 此言卷一にもあり
 
家從裳出而《イヘユモイデヽ》、 よく住なしたる家を云
 
緑兒乃、哭乎毛置而、朝霧(ノ)、 ほのかにといはん料のみなりことわりを思ふはわろし
 
髣髴爲乍《ホノニナリツヽ》、 遠く葬やるを云べし
 
山代乃、相樂山乃、 古事記(垂仁)に圓野比賣を丹波へ歸さるゝ時比賣漸して山代の相樂に至て取2懸樹枝1而欲死《ミマカリヌ》故に其地云(ヒ)2懸木《サカリキト》1今云相樂と有後の和名抄にすら此相樂郡を佐加良加としるしたり然は奈良の頃の訓知べし今本さからのと訓しは誤なり
 
山際《ヤマノセニ》、往過奴禮婆、 葬り送る道なり
 
將云爲便、 便一字を須倍と訓し下に多し即此言のこゝろにかなへしなり
 
將爲便不知、吾妹子跡、左宿之妻屋爾、朝庭《アシタニハ》、 庭は借字
 
出立偲《イデタチシヌビ》、夕爾波、入居嘆合《イリヰナゲカヒ》、 奈解伎の伎を延て加比といへり今本舍と書てをりと訓しは云にたらず
 
腋狹《ワキバサム》、 【卷六にわきばさみ持てふは上の言ともにて聞えたるをこゝは不意《ユクリカ》に書たり】
 
兒乃|泣毎《イサツコトニ》、 今本泣母とありて訓も穩ならずこゝは卷六の人麻呂の妻の死し時の長歌をいひうつしたると見ゆるにそれに若兒乃《ミドリコノ》乞泣毎(ニ)取與物之無者烏|徳《トコ》自物脇挿持云云と有は母は毎の誤とす言も調へり
 
雄自毛能《ヲノコシモノ》、負見抱見《オヒミムダキミ》、 俗におひても見いだきても見と云に同じ試にすかす意なり
 
朝鳥之、啼耳哭管、雖戀、効矣無跡《シルシヲナミト》、辭不問《コトトハズ》、 ものいはぬなり
 
物爾波在跡、吾妹子之、入爾之山乎、 葬送し山をいふ
 
因鹿跡叙念《ヨスガトゾオモフ》、」 よすがは由縁《ヨシ》阿留所てふ言なり其志阿留の三言を約れば須となる故に與須と云加は所なり在所住所などいへる例なり且此心によめる上にも下にもあるなり
 
 反歌、
482 打背見乃、世之事|爾在者《ナレバ》、 世間の常の事にしあればなり
 
外爾見之、山矣耶今者、因香跡《ヨスガト》思波牟、」 【因香《ヨスカ》は寄處《ヨスカ》なり久老】卷十六にしがの山いたくな伐そ荒雄等が余須可の山と見乍しぬばん○跡は古本による今本爾と有はよろしからず
 
483 朝鳥之、啼耳可鳴六《ネノミカナカム》、吾妹子爾、今亦更《イママタサラニ》、逢因矣無《アフヨシヲナミ》、」
 右三首七月廿日高橋朝臣作歌也、此十四字は本よりこの歌の左に書て有けんよみ人の名もしられぬに他より知べからねばなり扨此下に名字未審云|奉膳之《カシハテナル》男子焉てふ十二字は後人の書加へしものなりと見ゆ其名しられざるに官のみ知べきよしなし且官をしりてこゝに何かせん○長歌は卷二のはての歌に云し如く古歌をよみうつしたるのみにてみづから得たる樣にもあらず反歌またいとよはし
 
萬葉集卷十四之考 終
 
萬葉集卷十五之考
 
○此卷は今の六の卷なり是を十五の卷とする事は卷一の前記にいへりさて此卷は養老七年をはじめとして神龜に至り天平十六年迄の歌をあげたり末に久邇の京の荒たるを悲む歌有こは天平十八年九月より後の事なり且旅人卿を帥大伴卿とたふとみ擧て名をしるさず此前の卷既いふ如く十一卷以下同集ざまなればなり
○既云如く歌の數を歌毎にあげたれどすべてみだりなりよしは卷十一の卷にくはしくいへりことさらに此卷はみだりなり其一つ二つをいはゞ石上の乙麻呂卿同妻のよめる歌のはじめに三首と擧しは長歌の數なり他の長歌もかく書て反歌とありて其數を何首とかけるに此三首は反歌とかくべき所に其事なく終に反歌一首とあるは其前の長歌の反歌にはあらず又田邊福麻呂歌集中とて二十二首とある歌の數は廿五首有て中に一首他歌紛入たるあり又反歌三首と有て歌は二首あるも有よしはそこにも委しくいへりかくみだりなるをおもふに歌數は後人のさかしらに書加へしと見ゆれば歌の左に在歌數をすてゝ標に歌の數有は委く記し一首なるは數をしるさず
○標は本より後にかきしものならめと見たる事既いへりされど見るにたよりあれば卷一二の考の眞淵ざまにならひて書つらねたり夫が中にも其さまみだりなるは改て標を増減して書りよしは其條の下にいへり
○歌の右に在る注のよしもなきは捨よし有は其よしをいひてこと/”\くあぐる事前の卷の如し
〇年號を擧て支干をすて春正月冬十二月などある春冬の字は唐ざまによりてかけるなれば捨つ此卷などはもはら唐ざまによりてかければしひて吾國ぶりによみなんとするはしひ事なれどもとより端詞なれば試に吾朝廷ぶりによめり見ん人よろしきにつきてとりもすてもせよ
 
萬葉集卷十五之考〔流布本卷六〕
 
 雜歌。
 
○養老七年五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌、 續紀元正に養老七年五月行幸芳野宮と見えたり
 
907 瀧上之、御船乃山爾、 吉野のうちなり
 
水技指《ミヅエサシ》、 水は借字稚枝なり
 
四時爾有生《シヾニオヒタル》、 四時は借字繁なり
 
刀我乃樹能《ツガノキノ》、 冠辭|刀《ツ》を今本に刀《ト》と訓るは誤るよし冠辭にくはし
 
彌繼嗣爾、萬代、如是|二二知三《シシラサム》、 こはしろしめさむといふなり
 
三芳野之、蜻蛉乃宮者、神《カ|ミ《ン》》柄香、貴將有《タフトカルラン》、國柄鹿、見欲將有《ミカホシカラム》、山川乎《ヤマカハヲ》、峻清《タカクサヤケミ》、 山と川の事をいふなれば既にも云如く川を清てとなふべし峻清も山と川の事を云なれば今本の訓は誤れるなり
 
諾之神代從《ウベシカミヨユ》、定《サダメ》家良思母、」 峻清の句の下に一句たらざる古歌に例有されど奈良の朝の歌なれば落しなるべし今本清々とあるも必一字は誤なるべく覺ゆれば改ぬ此所亂しにやとおもはる能本を見ん人改べし
 
 反歌、
908 毎年《トシノハニ》、如是裳|見牡鹿《ミテシガ》、得欲《ガモ》といふに同じくねがふ意なり
 
三吉野乃、清河内之、 加波宇知の波字の約布なれば加布知と書て加宇知の如く唱るは言便なりそをやがて訓にも加宇知と書はひが事なり
 
多藝津白波、」
 
909 山高三、白木綿花(ニ)、 しろき木綿もてつくれる花の如くなりにを如くと心得べきなり
 
落多藝追、瀧之河内者、雖見不飽香聞、」
 
 ○或本反歌
 
910 神柄加、見欲賀藍、三吉野乃、瀧乃河内者、雖見不飽鴨、」 二の句を落句と重る
 
911 三芳野之、秋津乃川之、萬世爾、斷事無、又還將見、」
 
912 泊瀬|女《メノ》、造《ツクル》木綿花、三吉野、瀧乃水|沫《ナワニ》、開來受《サキニケラズ》屋、」 大瀧といひて大石の間をなゝめに落るあり實に此瀧は綿もてつゝむが如し眞淵一とせ大和にあそべり見たるありさま此歌のごとくおもほゆるよしものかたらひしなり
 
○車持朝臣千年作歌、
 
913 味凍、 冠辭
 
綾丹乏敷、鳴神乃、音耳聞師、三芳野之、眞木立山湯、見降者《ミクダセバ》、川之|瀬毎《セゴトニ》、開來者《アケクレバ》、 夜の明をいふ
 
朝霧立《アサギリタチ》、 六言
 
夕去者、川津鳴奈理、 川津鳴奈の下に今本|辨詳《ベシ》と有は誤字なり一本に詳はなくて辨を拜とするも共に誤なり理の草を拜と見し誤として見れば理の字なるべし【夕去者川津鳴|辨詳《ベシ》と今本にある方ならん歟こはあしたに見たるさまをよみたるなれば夕べになりては川津鳴べしとおもひはかるなればなくべしといふならんと藤原昌保のいへるはよしあり今本鳴なべと訓たるは全誤りなり】
 
紐不解《ヒモトカズ》、客爾之有者、吾耳爲而《アノミシテ》、清川原乎、見良久之惜裳、」 今本惜を情とあるは誤しるければ改むさて此歌の反歌を三舟の山をかしこけどゝいへるは言にかけんもかしこかれどゝいふにて高き人を思心に高山をなぞらへよめるなりと眞淵はいひたりげにも長歌はおとにのみきゝし三吉野と見てめづるありさまをいひ下せるなるに川津鳴てふより下は紐とかずといひ吾のみして見るがをしとゝめたるは言にもいひ出かね深く心にしみてやる方なき思ひのあまりか此終の句に言に出たるにて吾のみ見る事のあたらしさにかしこかれど時も日もなくわすられぬ人と共に見ばやてふ意ありと見ゆさなくては此終の句解べきよしなし此雜歌の並にあげしは此歌只に見ては相聞のたとへ歌とも見えぬつゞけがらなればうち見たるまゝにて書れしならん
 
 反歌、
914 瀧上乃、三船之山者、雖畏、思忘、時毛日毛無、」 此歌上の長歌の下に云
 
○或本反歌 かく書るも後人のひがわざならん歌は相聞の歌の他より亂て入しをさかしらにかく書し事しるし
 
915 千鳥鳴、吉野川之、 今本に三吉野川とあるは誤て書けん三吉野川てふ例もなくよみ人もかくは作《ヨム》べからねば誤しるしよりてすてつ
 
川音成《カハトナス》、 今本音の上に川を落せり一本によりておきなへり
 
止時梨二、所思公《オモホユルキミ》、」
 
916 茜刺、 冠辭
 
日不並二《ヒモナメナクニ》、吾戀者、吉野之河之、霧丹立乍《キリニタチツヽ》、」 名の立てふを霧にそへたり 今本こゝに注あるはいふにたらずよりてすてつ
 
○神龜元年十月五日幸于紀伊國時山部宿禰赤人作歌、 【續紀神龜元年十月幸紀伊國云云行至紀伊國那賀郡玉垣頓宮甲午至海部郡玉津島頓宮留十有餘日造離宮於岡東云云又曰改弱浦名爲明光浦宜置守戸勿令荒穢春秋二時差遣官人奠祭玉津島之神明光之靈云云】
 
917 安見知之、 冠辭
 
和期大王之、常宮等、仕奉流、左日鹿野由《サヒカノユ》、 由は從なり六言紀伊國那賀郡|福門《サイカ》郷又同郡|雜賀《サイカ》と言有是歟なともいへれど皆假字たがへり 
背上爾所見《ソガヒニミユル》、奥島《オキツシマ》、清波瀲爾《キヨキナギサニ》、風|吹者《フケバ》、白波左和伎、潮干者、玉藻苅管、神代從、然曾尊吉、玉津島夜麻、」
 
 反歌、
918 奥島、荒磯之、玉藻、潮干滿《シホミチニ》、伊隱去者《イガクレユカバ》、 【菅根本に滿潮耳とありといへり然本有歟今本には潮干滿とあり種本を考て書加ふべし】伊は發語
 
所念武香聞、」 道のみるめを跡になし過行ばかくれ行をありそのみち潮に玉藻のかくるゝにたとへてよめるなり
 
919 若浦爾、鹽滿來者、滷乎無美《カタヲナミ》、 潮滿潟なければ磯邊の蘆有方をさして鳴渡るなり【或人若浦をつばらに見ていへらく妹背山より向の入江際に蘆部村云村有て玉津島につゞけり殺生禁斷の地なりと其蘆部村をさして鶴の行をよめるにて生たる蘆にはあらず此邊には蘆も不生と云り猶其地にてひさぐ繪圖有て所の樣詳なり
 
蘆邊乎指天、 今本蘆を※[草冠/壽]に誤るは草の手を見違へるなり
 
多頭鳴渡、」
 今本こゝに注あるは前の如くよしもなければすてつ
 
○神龜二年五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌、 【續紀神龜二年不載行幸于芳野也】 
920 足引之、 冠辭
 
御山毛|清《サヤニ》、落多藝都、芳野河之、河瀬乃、淨乎見者、上邊者《カミベハ》、 此邊一本に滷とし下邊とす滷は瀬の誤ならんかともいへど邊はもとより借字なり上方にて聞ゆるなり
 
千鳥數鳴、下|邊者《ヘニハ》、 上に河瀬とあれば上方《カミヘ》上つ瀬下方は下つ瀬と見て聞ゆるなり
 
河津都麻喚、百磯城乃、 冠辭
 
大宮人毛、越乞爾《ヲチコチニ》、 こゝをもこえがてにかともいへど遠近の意にて聞ゆ上方下方は遠なり河瀬の清きはまのあたりにて近し今本の訓にしたがふべし
 
思仁思有者《モヒニモヘレハ》、毎見《ミルコトニ》、文丹乏《アヤニトモシミ》、 今本思自仁思有《シヾニシアレ》者と有然れ共或考には自なし其よしもいはず此本のまゝによまば昌保のいへる如くしゞにもへればとよまる猶他本見合考べし此考のまゝ置んには自字除さるよしもなしよりて考書べし】今本丹を舟に誤る上のみるめをせちにいひ入《イル》丹なりよてあらたむ
 
玉葛、 冠辭
 
絶事無、萬代爾、如是霜|願跡《ガモト》、天地之、神乎|曾祷《ゾイノル》、 天神地祇をいのるといふなり
 
恐有等毛《カシコカレドモ》、」 今本かしこけれどもと訓しは字の置ざまにいさゝかたがへればあらたむさて本より神にいのるはかしこかれど宮所の久しからんを祈るもかしこくあれどゝいふなり
 
 反歌、
921 萬代(ニ)、見友將飽八《ミトモアカメヤ》、三芳野乃、多藝都河内之、大宮所、」 離宮所《トツミヤドコロ》をことほげるなり
 
922 人皆乃《ヒトミナノ》、壽毛吾母《イノチモワレモ》、三芳野乃、多吉能床磐乃《タギノトコハノ》、常有沼鴨《ツネアラヌカモ》、 かゝる飽ぬ所を見て吾命の常ならぬをおもふは常なれば上の卷々にもかくよめる例多し
 
○山部宿禰赤人作歌二首、 始めの歌どもは今本歌數を書れど本より一首なるにはあるべくもなし次の歌に端辭のなければこゝは必歌數をしるすべき事なれとおもへば今本のまゝに二首とすさて別の金村の歌にならべ擧たれば同じ度ならんかとふと見ては思はるべけれど前の歌ははし辭に五月と有又行宮行幸の事も此歌にはなくて次の歌の終に春の茂野爾とさへあれば同度ならぬ事しるしよりて白圏を添ぬ
 
923 八隅知之、 冠辭
 
和期大王乃、高知爲、芳野宮者、立名附、青墻隱《アヲカキゴモリ》、河次乃、清河内曾、春部者、 四言
 
花咲乎遠里、 花咲たはむなり卷二の考并別紀に委し
 
秋去者、霧立渡、其山之、彌益々爾、此河之、絶事無、
 
百石木能《モヽシキノ》、 冠辭
 
大宮人者、常將通、
 
 反歌、
924 三吉野乃、象山乃|際乃《マノ》、木末爾波、幾許毛《コヽダモ》散和久、 【散和口《サワク》 拾穗抄】
 
鳥之聲可聞、」
 
925 烏玉之、 冠辭
 
夜乃深去者、久木生留《ヒサキオフル》、 楸なり今本|木少角豆《キサヽケ》といふ
 
清河原爾、千鳥數鳴、」 たくまずあるがまゝをかくつゞくるぞ此人なれ
 
926 安見知之、 冠辭かく有ぞ此言の正字ならん事既も云つ
 
和期大王波、見吉野乃、 見は借字三と書も同じさて三は萬志の約にてほむる辭なり
 
飽津之小野|※[竹/矢]《ノ》、野上者《ノヽヘニハ》、跡見居置而《トミスヱオキテ》、 鹿の跡を置てそをしるべになり
 
御山(ニ)者、射目立渡《イメタテワタシ》、 【古葉略要には固を目とせり奥人考に拾穗抄には御山者|射固立渡《セコタチワタリ》とせり冠辭考に云今本射目を射固と書てせこと訓たれど射をせの假宇に用る例もなくせことては古意にもあらねば古本に依て射目とす射目は射部なり目と部と語の通て且其目は牟例の約なれば群ある事を目とも部とも云り】今本目を固に誤る跡見郡射目郡の事は冠辭考射目たてゝの條に委くいへり
 
朝獵爾、十六履起之《シヽフミオコシ》、夕狩爾、十里※[足+搨の旁]立《トリフミタテ》、 六言
 
馬並而、御獵曾立爲《ミカリゾタヽス》、春之茂野爾、」
 
 反歌、
927 足引之、 冠辭
 
山毛野毛《ヤマニモノニモ》、御|※[獣偏+葛]人《カリヒト》、得物矢手挾、 今本挾を狹に誤る
 
散動而有所見《ミダレタルミユ》、」 吉野の行幸には御狩もありし故かくもあるべし散動こゝは美陀流と訓べし次に海人船散動も其次舟曾動流もともに左和具と訓むべし
 今本こゝに注あるは前と同くいふにたらざればすてつ
 
〇十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌、 【續紀神龜二年冬十月庚申天皇幸難波宮辛未詔近江宮三郡司授位賜録各有差】
 
928 忍照、 冠辭
 
難波乃國者、葦垣、 冠辭
 
古郷跡《フリヌルサトヽ》、 都なりし時はみやびかなりしに今はあし垣となりてあらびふりたるを云
 
人皆之、念息而《オモヒイコヒテ》、 都にあらずとおもひやみおもひのやすめるが加くさびしといふなり
 
都禮母無、 今本無を爲に誤る一本によりて改む卷十四に都禮毛奈吉佐保乃山邊爾哭兒成と有に同じ禮は良禰の約にて都良禰無てふ言なり此事は既にもいひつ
 
有之間《アリシアヒダ》爾、績麻《ウミヲ》成、 冠辭
 
長柄之宮爾、眞木柱、太高敷而、食國乎、收賜者《ヲサメタマヘバ》、奥鳥《オキツトリ》、 冠辭
 
味經乃《アヂフノ》原爾、物部乃、八十伴雄者、廬爲而、都成有《ミヤコトナレリ》、旅者《タビニハ》安禮|十方《トモ》、」
 
 反歌、
929 荒野等丹《アラノラニ》、里者雖有、大王之、敷座時者、京師跡成宿《ミヤコトナリヌ》、」 類多きすがた詞ながらかくしらべのとゝのへるは此人の歌なればなり
 
930 海未通女、棚無小船、※[手偏+旁]出良之《コギヅラシ》、客乃屋取爾、梶(ノ)音所聞《トキコユ》、」 思ふがまゝにてたくまずして調べとゝのひたるもの也
 
○車持朝臣千年作歌、
 
931 鯨魚取、 冠辭
 
濱邊乎清三、打靡、生玉藻爾、朝名寸二、千重|浪縁《ナミヨセ》、夕菜寸二、五百重浪|因《ヨル》、 今本百五とあるは字の上下せるなり
 
邊津浪之、益敷布爾、月二異二、日日(ニ)雖見、 こゝの雖は若欲見の字にて見てしが歟ともいへり諸成案に月二異二日日といひて見るともあきたらめやと隔句にかゝると思へりさて今のみに云云住吉の濱と右のやへかへると見て意明らに聞ゆる歟同は本のまゝをたすけてよむべくさて句の例はあればなり
 
今耳二、秋足目八方、 秋は借宇飽なり
 
四良名美乃、五十開囘有《イサキメグレル》、 五十《イ》は發語開は浪の岩にあたりてさとさけるをいふなり卷六に阿遲可麻乃可多爾差久奈美又神代紀に秀超此云佐岐佗豆屡と見えたり
 
住吉能濱、
 
 反歌、
932 白浪之、千重(ニ)來縁流《キヨスル》、住吉能、岸乃|黄土粉《ハニフニ》、 卷八に岸乃黄土と有今いふへなつちなり粉は借字生なり
 
二寶比天由香名《ニホヒテユカナ》、」 卷一に草枕、旅行君跡、知麻世婆、岸之埴布爾《ハニフニ》、仁寶播散麻思乎、又此卷の下に末の句似たる句あり
 
○山部宿禰赤人作歌、
 
933 天地之、遠我如《トホキガゴトク》、日月之《ツキヒノ》、 四言
 
長我如《ナカキガゴトク》、臨照《オシテル》、 冠辭
 
難波乃宮爾、和期大王、 六言
 
國所知良之《クニシラスラシ》、 句なり長我如しらすらしとかへるなり
 
御食都國《ミケツクニ》、 古御食奉る國をことに御食國といへりさて其奉る國を指て反歌のごとく冠するなり
 
日之|御調等《ミツキト》、淡路乃、 四言
 
野島之海子乃《ヌジマノアマノ》、海底《ワタノソコ》、 冠辭
 
奥津伊久利二、 伊久利の伊は伊志の略なり久利は烏《クリ》なり烏革履《クリカハクツ》と云烏に同く利呂は同言なり海底の黒石を云なり是に鰒などのつきて有なりこは水底の深きにいたり奉る勞をいふなり
 
鰒珠、左盤爾潜出《サハニカヅキデ》、船並而、仕奉|之《シ》、 良志の約利にてつかへまつりなり
 
貴見禮者《タフトムミレバ》、」 海子までがかく勞いとはで天皇をかしこみたふとみつかへ奉るを見れば天地日月の遠く長きが如く御食國しらすらしとなり
 
 反歌、
934 朝名寸二、梶(ノ)音所聞、三食津國、野島乃海子乃、船二四有良信、」 梶のと聞ゆるは御食物奉る野島の毎人が船こぎ出るならんとのみやすくいひ出て長歌の意をうたひかへせり
 
〇三年九月十五日幸2播磨(ノ)國|印南野《イナミノニ》1、 【續紀神龜三年九月云々等十八人爲造宮司將幸播磨國印南野也云云】
 
時笠(ノ)朝臣金村作歌、
 
935 名寸隅乃《ナキズミノ》、 阿波國の地の名
 
船瀬從所見《フナセユミユル》、淡路島、松帆《マツホ》乃浦爾、 【松帆浦は淡格の地名と後の物に見ゆ定家卿のこぬ人を云云の歌はまたくこの歌の詞をとりて縁語おほくつゞけられしと見ゆ】
 
朝名藝爾、玉藻苅管、暮菜寸二、藻鹽燒乍、海未通女、有跡者雖聞、見爾將去、 一本者と有は去の誤なり
 
餘四能無者、丈夫之、情者梨荷、手弱女乃、念《オモヒ》多和美|手《テ》、 徘徊《タモトホリ》、 おもひとまりおもひまどひなり此言止萬利萬杼比をつゞめし言なり
 
吾者衣戀流《ワレハゾコフル》、船梶|雄名三《ヲナミ》、」 あしたに玉藻苅夕に鹽燒さまなど見まほしむまではあるべけれど丈夫の心を失ふ迄はあるまじと卷三處女等麻笥垂有云云てふ歌に眞淵のいひしはさも有べし
 
 反歌、
936 玉藻苅、海未通女|等《ラヲ》、見爾將去、船梶毛欲得、浪高友、
 
937 往囘《ユキカヘリ》、雖見將飽八《ミトモアカメヤ》、名寸隅乃《ナキズミノ》、船瀬之濱爾《フナセノハマニ》、四寸流思良名美《シキルシラナミ》、」 四寸流の流はたゞに辭ならず理久の約にて文字に充ていはゞ頻來《シキリクル》白浪をいふなりさてその志は須志の約にて須々志|來《クル》浪をいふこと葉なり、よて船なくては渡かたし
 
○山部宿禰赤人作歌、 此歌の所を云、播磨の地なれば前の端詞と同度なる從駕にて前の歌は阿波の地を見るよしなり
 
938 八隅知之、 冠辭
 
吾大王乃、神隨、高所知流、 一本高知酢流と有も有六言なり
 
稻見野能、大海乃《オホミノ》原|※[竹/矢]《ノ》、荒妙、 冠辭
 
藤江乃浦爾、 今本藤井とあるは誤なり既反歌に藤江とあり他歌にも藤江浦爾鱸釣とよみ此歌の中に鹽燒ともいひ又反歌に明方《アカシカタ》ともあれば明石の藤江の浦なる事明らけし
 
鮪《シビ》釣等、海人船散動《アマフネサワギ》、 前に云如くこゝは散動を左和伎と訓べし
 
鹽燒等、 二つの等《ト》はとての略なり
 
人曾左波爾有、浦乎|吉美《ヨミ》、宇倍毛釣者爲《ウベモツリハス》、濱乎|吉美《ヨミ》、諾毛鹽燒、蟻往來《アリカヨヒ》、 蟻は借字在なり、存在《ナガラヘアリテ》て通たまはさんことをことほぎ奉りてかくはいへるなりけり
 
御覧母知師《ミマスモシルシ》、清白濱《キヨキシラハマ》、」
 
 反歌、
939 奥浪《オキノナミ》、邊波安美《ヘナミシヅケミ》、射去爲登《イサリスト》、藤江乃浦爾、 播磨明石の藤江浦なり既云如く長歌藤井は誤なり
 
船曾|動流《サワゲル》、」 既いふ如こゝもかく訓べし
 
940 不欲見野乃《イナミノヽ》、淺茅押靡、左宿夜之《サヌルヨノ》、氣長在者、家之小篠生《イヘシシヌハユ》、 之は助字小篠生は借宇志乃婆由なり即|思《シヌブ》を延たる言なり婆由の約夫なり本言夫なれば延て婆由と云卷三人麻呂長歌を引て波由は生なりといふはかなはず
 
941 明方《アカシガタ》、潮干乃道乎、從明日者、下咲異六《シタヱマシケム》、 こは下咲《シタヱミ》なり保々惠牟などいふに同し萬志の約美なりよりて下惠美なり家近くを從駕なれば上に悦ふをはゞかりて下惠むなり【下咲しけむはゑみなりとのみ云ては聞がたし此計は久阿良の約加なるを計もていひしにて明日よりは下ゑましくあらむといへるなり】
 
家近附者《イヘチカヅケバ》、」
 
○過《スグル》2辛荷《カラニノ》島1 仙覺抄に播磨風土記云韓荷島韓人破船所漂之物就於此島故云云とある
 
時山部宿禰赤人作歌、
 
942 味澤|相《ブ》、 冠辭
 
妹目不見而《イモガメミズテ》、 一本不數見とあり
 
敷細乃、 冠辭今本敷を數に誤れり
 
枕毛|不卷《マカズ》、櫻皮纏《カニハマキ》、 櫻皮は船底腋を總て纏着今唐船樗木の薄板にて底をはる虫を不生且行事いと疾といへり又今の舟の舶前を蕨繩して卷たるをすしら卷と云其如く船の舶などを櫻の皮して卷たるを云か
 
作流舟二、眞梶貫、吾※[手偏+旁]來者《ワガコギクレバ》、淡路乃、 四言
 
野島毛|過《スギヌ》、伊奈美|嬬《ヅマ》、 既云如印南島なり
 
辛荷乃島之、島(ノ)際從《マユ》、吾宅《ワギヘ》乎見者、青山乃、 只山をいふなり淡路を西へ過れば古郷の山も見えぬなり
 
曾許十方|不見《ミエズ》、白雲毛、千重爾成來沼、許伎多武流、浦乃|盡《コト/”\》、往隱、島乃埼々、隈毛不置、憶曾吾來《オモヒゾワガクル》、客乃|氣長彌《ケナガミ》、」 既いふ如く氣は時《トキ》の刀を略て計に通して氣長といふ春氣又秋氣など云が如しさて是は唐にて氣《キ》と云に同じ意なり此|氣《ケ》は香にも通ひ物の香も同
 
 反歌、
943 玉藻苅、辛荷乃島爾、嶋囘爲流《アサリスル》、水鳥二四毛有哉《ウニシモアレヤ》、 此あれやは阿利弖阿禮也を約し言なり
 
家不念有六《イヘモハザラム》、」
 
944 嶋|隱《カクレ》、吾※[手偏+旁]來者、乏毳《トモシカモ》、倭邊上《ヤマトヘノボル》」、 【乏はこゝにては羨む心なり倭にこき行舟を見て都戀しらにうらやめるなり注はわろし】邊は半濁
 
眞熊野之船《ミクマノヽフネ》、」 都へ便せんと思ふ熊野舟のすくなきを乏といふ既云如くたらまほしきを約めし言なり
 
945 風吹者、浪可將立跡、伺候爾《マモロフニ》、 風守りなり呂布約流にてまもるを延たるなり
 
都多乃《ツタノ》細江爾、浦隱往《ウラカクレヰヌ》、」 往は借字居ぬるの略浪風たたんとすればかくれ居たるなり【奥人按に拾穗抄に浦隱居《ウラカクレヰヌ》とありて注に風波をうかゝひて此江に隱れ居るとなりと云○菅根本に浦隱|往《イク》とあり往の字ヰヌとは訓がたかるべく覺ゆ細江を※[手偏+旁]隱行意ならん】
 
○過2敏馬浦1時山部宿禰赤人作歌、 是迄同度の從駕又|造宮司《ミヤツコツカサ》十八人の中の歌と見ゆ地の名も同じよりて白圏を添えず
 
946 御食向、 冠辭
 
淡路乃島二、直向《タヾムカフ》、三犬女《ミヌメ》乃浦能、奥部庭、深海松採《フカミルトリ》、 深海松は採《トリ》といふべししかるを都美と訓りこゝを六言によまば下も名告藻苅《ナノリソカリ》と六言に訓べし
 
浦囘庭、名告藻苅《ナノリソカリ》、 六言
 
深見流乃、見卷欲跡《ミマクホシケド》、莫告藻之、己名惜三《オノナガヲシミ》、間使裳、不遣而吾者《ヤラズテワレハ》、生友奈重二《イケリトモナシ》、」 二を重ぬれば四なりみぬめの名によせて妹をみぬ戀しさをよめるなりしぬび妻にても有歟
 
 反歌、
947 爲間乃《スマノ》海人之、鹽燒衣乃、奈禮|名者香《ナバカ》、 鹽燒衣の如くこゝになれてもあらばかといひて下に一日もわすらる日あらんかわすれんやといへり
 
一日母君乎、 此君は妹を誤ならん歟【奥人按に男より女をさして君といへる集中多あれば誤あらず】
 
忘而將念《ワスレテオモハム》、」 はんの約ふなり第三の句になれなばかと疑へりよて五の句になればわすれおもはんと云なり
 今本こゝに注有るは前に云如く論にもたらずよりてすてつ
 
〇四年正月|勅《ミコトノリテ》2諸王諸臣子等《オホキミタチマイツキミタチラニ》1散2禁《ツヽシミヲラシム》於|授刀寮《タテハキノツカサニ》1時作歌、【續紀廢帝天平寶字二年十二月置授刀衞其官員督一人從四位上一人正五位上大尉大志○高野天皇天平神護元年二月改授刀衞爲近衛府其大將一人爲正三位官中將一人爲從四位下將監四人】笞罪に當る程の罪なり
 
948 眞葛延、 其地の物もて冠らするのみ
 
春日之山者、打靡《ウチナビク》、 冠辭
 
春去往跡、山(ノ)上丹《ヘニ》、霞田名引、高圓爾、鶯鳴沼、物部乃、 冠辭
 
八十友能壯者《ヤソトモノヲハ》、切木四哭之《カリガネノ》、 今本切を折に誤木を不に誤哭を喪に誤て折不四喪《ヲリフシモ》と有は誤なるべしさて切木四泣を卷十二にかりがねと訓事は委いへり鴈は秋來春歸るものにあれば來繼比日石、此續、常丹有脊者てふ言の序に置けり鴈は來るよりならび飛もの故來繼ならびといひて又常にあらぬもて身のいましめられ居るに譬へり
 
來繼比日石《キツギナラビシ》、 【奥人按に拾穗抄に折不四表之來繼皆石《ヲリフシモシキツギミナシ》と訓り】並爲《ナラベシ》の意鴈の秋來て春歸るにも並びし如く此繼《コヽニツギ》つゞきてありせばと下の常丹云云へつゞけたり
 
此續《コヽニツギ》、常丹有脊者《ツネニアリセバ》、友名目而、遊物尾《アソバンモノヲ》、馬名目而、往益里乎《ユカマシサトヲ》、待難丹《マチガテニ》、吾爲春乎《ワカスルハルヲ》、缺卷《カケマク》毛、綾爾|恐《カシコク》、言卷毛、湯々敷有者跡《ユヽシカラバト》、豫、兼|而《テ》知者《シリセバ》、千鳥鳴、其佐保川丹、石二生《イソニオフル》、菅根取而《スガノネトリテ》、之努布草《シヌブグサ》、 菅を後には祓の具に用る事見えず集中には多よめりこゝは菅よりしのぶ草とはつゞけり草は借字しのぶ種の意なり春日野の遊をしのぶ心をかねてしらばはらへてましをかゝる罪とならばと云且菅は鎌もて苅拂ものなるに祓の具にさへあればはらへとつゞけり
 
解除而益乎、從水丹、潔而益乎《ミソギテマシヲ》、天皇之、御命恐、百磯城之、 冠辭 
大宮人之、玉桙之、 冠辭
 
道毛不出《ミチニモイデズ》、戀比日《コフルコノゴロ》、」
 
 反歌、
949 梅柳、過良久惜《スグラクヲシミ》、 こは霞鶯などゆ待難にする春てふに對ておけり
 
佐保乃|内爾《チニ》、 春日高圓佐保川に對ておける句なり
 
遊事乎、宮動々爾《ミヤモトヾロニ》、」 左の注の雷などの事にかけて右にいひさわがれしといふなり
 
右神龜四年正月|數王子《ミコタチ》及《ト》2諸臣子等《マイツキミタチ》1集《ツドヒテ》2於春日野1而|作《ナシヌ》2打毬之樂《マリスクヘルアソビ》1其日忽天陰雨雷電《ソノヒニハカニソラクモリアメフリカミナリヌ》此時宮中|無《ナシ》2持從及持衛《オモトビトマタトノイビト》1勅行罸《ミコトノリシテツミナハレ》皆《ミナ》敬2禁《ツヽシミテヲラシム》於|授刀寮《タテハキノツカサヤニ》1而|妄不v得v出2道路《オノカマニトニイヅルヲエズ》1于時《コヽニ》悒憤《ホモホテリテ》即《ヤカテ》作2斯歌1《コノウタヲヨメリ》作者未詳《ヨミヒトシラズ》
 
〇五年幸2難宮時1作歌、 四首 今本難を※[菓+隹]に誤る又標には宮と作の間に時とあり始よりの例然べしよりて加つ歌は相聞の譬喩歌なり三首めは相聞ならずともいふべし
 
950 大王之、界賜跡《サカヒタマフト》、山守居《ヤマモリスヱ》、守云山爾、不入者不止《イラズハヤマジ》、」 君の守め付置給と云ほどの齋女なりともと云なり
 
951 見渡者、近物可良、石隱《イソガクリ》、加我欲布珠乎《カヾヨフタマヲ》、 加我欲布は耀なり欲はやに通ひ布と久も通へば延てなだらかにいふなりさて加我也久の我は解左《ゲサ》の約にて加牙左也久をつゞめし言なり玉鏡などに日の照あへば影ひらめきさわぐごとくなるもの故に物も火も日もてり合をいふ言なり
 
不取不已《トラズハヤマジ》、」 歌の意は打見わたすにかくれて見えぬ如なれど其光のかゞやくは近き物故不取はやまじとなり妹を玉にたとふなり前の歌と同じ人の歌なるか
 
952 韓衣、 冠辭
 
服楢乃里之《キナラノサトノ》、島待爾《シママツニ》、 島の家又橘の小島なども既見ゆる如く奈良に名立る島の地をいへるなるべし【服楢里大和添上(ノ)郡きならの山同所島待は島松なり衣裡寶珠などのよせにて玉を付るにつけてから衣と置るにや拾穗抄】
 
玉乎師付牟、好人欲得《ヨキヒトモガモ》、」 客人などをまちてよめる歌かともいひ又松をほめたる歌ともいへり古くは人を待に玉を敷けば物にめでゝも玉を着まじかれど此五首の歌皆相聞なればそをもて諸成考るに奈良の島まつは男のおのれにたとへ玉は前のかゞよふ玉をいひて其玉を吾によそへなん好人をねぎおもへると見んぞやすからめさらば同じ相聞にて旅の意もおのづからつゝみて然らん卷四に舊衣著楢の山爾鳴鳥之ともよみたり
 
953 竿牡鹿之、鳴奈流山乎、越將去《コエユカム》、日谷八君《ヒダニヤキミニ》、當不相將有《ハタアハザラム》、」 こは右の戀思へる娘子と事なりて男の奈良へかへり行をなげきてよめる歟又別人か何れ女の歌と見ゆ當《ハタ》ははたしてなる事既いふ
 右笠朝臣金村之歌中出也と有は歌と中の間に集の落しならん前の卷の例をおもふにこは此卿のかゝれしならん或云車持朝臣云云とあるは同じ世にありし人を疑て撰者の書べき理りなし後人書添しるしよりてすてつ
 
○膳王《カシハデノオホキミノ》歌、 【續紀天平元年十二月癸酉令王盡其室一品吉備内親王男從四位下膳夫王无位桑田王葛木王釣取王等同亦自縊乃悉捉家内人等禁著於左右衛士兵衛府長屋王子也】
 
954 朝波《アシタニハ》、海邊爾安左里爲《ウナヒニアサリシ》、暮去者《ユフサレバ》、倭部越《ヤマトヘコユル》、 部は假字半濁
 
鴈四乏母《カリシトモシモ》、」
 こゝに注有は論にたらざればすてつ
 
〇太宰少貳石川朝臣足人歌、
 
955 刺竹之、 冠辭
 
大宮人乃、家跡住《イヘトスム》、 家とて住なり
 
佐保山乎者《サホヤマヲバ》、思我毛君《オモフヤモキミ》、」 帥の卿の家は大和の佐保にあれば故郷戀しくおぼすなりとなり卷十四に藤浪之花波盛爾成爾來|平城《ナラノ》京乎|御念八君《オモホスヤキミ》と同じ意なり旅人卿へおくれるなり
 
○帥大伴卿和歌、
 
956 八隅知之、 冠辭
 
吾大王乃、御食國者、日本毛此間毛《ヤマトモコヽモ》、同登曾念、」 天下は皆大王の國なればやまともこゝも同じ心ぞとなり前の卷に天平三年七月此卿薨られし時の歌あり後に聞て加へたるなり家の集なればきらひ無【前の卷に此卿五首の歌は奈良(ノ)京師乎不見歟將成又故郷なり所念可聞あるは萱草吾紐に付香ぐ山の故去之《フリニシ》里乎將忘之爲などよみ給へる歌にくらべて此和歌とはうらうへ言いふ人とおもへる人もあらんか理りをいへば唐さまに似たれど太宰帥は九の國二の島をすべつかさどれるおもき任なり其下司たち皆故郷しのぶ心は同じからんに其帥なる人心弱き和歌よみ給はゞ人々ともに心よはくなりて府《ツカサ》の政亂なんこゝは人心を強らす眞心よりよみ出給へるなり私の思ひをのぶるとは異なり分て見よ】
 
〇十一月太宰官人等奉v拜2香椎※[まだれ/苗]1、 在2糟屋郡1【香椎※[まだれ/苗]は仲哀天皇の※[まだれ/苗]式神功皇后とも云筑前國風土記云到筑前國例先參詣|※[加/可]襲《カシイ》宮】
 
訖退歸《マフデヽマカル》之、時駐2馬于香椎浦1各述懷、
 帥大伴卿歌、
 
957 去來兒等《イザコドモ》、 伊射子等毛(ト)假字の集中にあれば今本の訓は誤りなり
 
香椎乃|滷《カタ》爾、白妙之、 冠辭
 
袖左倍所沾而、朝菜採手六、」 朝菜は朝げに此潟に出たる故に朝といふ夕べならば夕菜と云べしさて他にも似たる意の歌はあれど今はしらべのよろしさにをりからのさまおもひやられてことなり
 
 大貳小野老朝臣歌、
 
958 時風《トキツカゼ》、 潮時の風を云
 
應吹成奴、香椎滷、潮干(ノ)納爾《クマニ》、玉藻苅而名《タマモカリテナ》、」 四の句の納は浦と納と草の手の誤にて浦ならんといふもよしあれど此まゝにて久萬と訓も意通へり
 
 豐前守|宇努《ウヌノ》首男人歌、
 
959 往還、常爾我見之、香椎滷、從明日後爾波、見縁母奈思《ミムヨシモナシ》、」
 
○帥大伴卿遙|思《シヌヒテ》2芳野離宮1作歌
 
960 隼人乃《ハヤビトノ》、 冠辭
 
湍門乃磐母《セトノイハホモ》、年魚走、芳野之瀧爾、尚不及家里《ナホシカズケリ》、」 故郷のしぬばるゝからは何處を見るにもまづおもはるゝなるべし
 
〇帥大伴卿|宿《ヤドリテ》2次田温泉《スイタノイデユニ》1 和名抄筑前國御笠郡に在り
 
聞2鶴喧《ツルノナクヲ》1作歌、
 
961 湯(ノ)原爾、鳴蘆多頭者、如吾、妹爾|戀哉《コフレヤ》、 禮は留米約
 
時不定鳴《トキジクニナク》、」 今本の訓は誤れり時不定は常敷意なればなり此卿年たけ他國の任の中に妻をうしなひ悲の情さりがたく戀思ふ心のまゝをよみ出給へり【時不定鳴《トキワカズナク》 今本の訓なり】
 
○天平二年勅|遣《マタセル》2擢駿馬使《ウマヒキマツカヒ》大伴道足宿禰(ヲ)1時歌、 【擢《タク》玉篇曰擢引也|拔擧《ヒキアグル》也よき馬を擇とる使なり】
 
962 奥山之、磐爾蘿|生《ムシ》、 今本磐を盤に誤る
 
恐毛、問賜鴨、念不堪國、」 かくとはるべしとはおもひあへぬにとひ給ふがかしこしとなり
 右勅使《ミコトノリツカヒ》大伴(ノ)道|足《タリノ》宿禰(ヲモ)饗《アヘス》2于|帥家《ミコトモチノイヘニ》1此日會集衆諸《コノヒツトヘルモロヒト》相2誘《イザナヒ》驛使葛井《ハユマツカヒフヂヰノ》連廣成(ヲ)1言須作歌詞《ウタヨムベシトイヘラク》登時《ソノトキ》廣成《ヒロナリ》應聲《ソノコヱニコタヘテ》即吟此歌《コノウタヲヨメリ》、 【續紀十七天平十二年二月乙丑授從五位下葛井連廣成從五位上云云】 
〇十一月大伴坂上郎女|發2帥家1上v道《カミノイヘユミチダチシテ》超《コユル》2筑前國宗形郡《ツクシノミチノクニムナカタコホリ》名兒《ナゴ》山(ヲ)1之時作歌、 此郎女の事は前の卷神祭歌下に委くいへりこの歌は神祭の歌よりも先の歌なるか既旅人卿の歌にもいへる如く後に聞てのせられたるなり
 
963 大汝《オホナムチ》、 大穴貴命を云
 
少彦名能、神|社者《コソハ》、名著始※[奚+隹]目《ナツケソメケメ》、名耳乎《ナニノミヲ》、名兒山跡負而、吾戀之、千重之一重裳、奈具佐末|七國《ナクニ》、」 此歌上にもいさゝか言の落しか餘りに不意に出たり又反歌もつたはらぬなるべし心傳などに聞給て猶も其郎女に聞て全くせられなんをまづ書て置れしまゝに傳れるならん家の集はさこそあらめ卷八に名草山、事西在來、吾戀、千重一重、名草目名國ともよめるに似たるしらべなり
 
○同坂上郎女|海路《ウナヂニ》見《ミテ》2濱|貝《カヒヲ》1作歌、 今本貝を具に誤一本と歌によりて改
 
964 吾背子爾、戀者苦《コフルハクルシ》、暇有者《イトマアラバ》、 戀るいとまあらばなり
 
拾而將去、 今本拾を捨に誤る一本と訓に依て改む
 
戀忘貝、」 今本忘を戀に誤る改る事上にいふに同じさて上の歌も此歌も夫のかれ/”\になるをなげく事既云如し
 
〇十二月太宰帥大伴卿上京時娘子作歌、 上と同度なれど上は旅是は卿を送る歌なれば白圏を添つ
 
965 凡有者《オホナラバ》、 凡人ならばなり帥は高官なれば遊行女婦《サブルコ》のかしこみ奉るこゝろをいひ下すとていふなり
 
左毛|右《カ》毛將爲乎、恐跡《カシコシト》、振痛袖乎《フリタキソデヲ》、 袖いたくふらんとおもふなりたきはいたき略切なる時にいひそふる言なり今の俗言の度《タキ》といふも同じ
 
忍而有香聞《シヌビタルカモ》、」
 
966 倭道者、雲隱有《クモガクレタリ》、 今見る所をもて後を云
 
雖然、余《ワガ》振袖乎、無禮冬母布奈《ナカレトモフナ》、」 奈加禮の加は久阿の約にてなくあれとおもふなかしこみて袖いたくふらぬと二首にて意を終たり【一本頭書云此歌自本无假字而愚夫試暫如是讀畢云云是右大辨長忠本也】
 右太宰帥大伴卿兼2任大納言1向京上道此日|駐《トヾメテ》2馬《ウマヲ》于|水城《ミヅキニ》1 御笠郡なり
 
顧2望(ミル)府家《ツカサノイヘヲ》1于時《コヽニ》送v卿|府吏之中《ツカサヒトノチニ》有2遊行女婦《サブルコ》1其|字《ナヲ》曰2兒島《コシマ》1於是|娘子《ヲトメノ》傷《イタミ》2此易1v別《コノワカレヤスキヲ》嘆《ナゲキテ》2彼|雜會《アヒガタキヲ》1拭涕自吟振v袖之歌《ナミダナガラソデフルウタヲヨメリ》、 かく有注は自のなるべし
 
○大納言大伴卿和歌、
 
967 日本道乃、吉備乃兒島乎、 備前の兒島なり
 
過而行者《スギテユカバ》、筑紫乃兒島、所念香裳《オモホエムカモ》、」 【所念《オモホエ》の保延の約倍なり其倍は波禮の約にておもはれんを約て延し言なり】
 
968 丈夫跡、念在吾哉《オモヘルワレヤ》、 卷十三に丈夫跡念流吾乎如是計三禮二見津禮片思男責とよみたり
 
水莖之《ミヅクキノ》、 紀(仲哀)に皇后別船(ニテ)自洞海(洞此云久岐)入なり是をもて見れば莖は借字なり
 
水城之上爾《ミヅキノウヘニ》、 紀(天智)三年云云是歳於對馬島壹岐島筑紫國等置防與烽又筑紫大堤貯水名曰水城同十二年云云筑紫大堤貯水城
 
泣將拭《ナミダノゴハム》、」 まことに雄々敷ものゝふの別を惜歌にこそあれ
 諸成云吾友大藏|種《クサ》信は筑前國早良郡岡の者なり種信云水莖の水城と集中によめると水莖の岡とよみしは別地なり水莖の水城とは水くきのみづ/\しきとかけたる意歟此地は博多律より太宰府へ行道にて異國襲來の防堤なり天智紀の二年に百濟國唐新羅の兵に滅され三年に百濟の鎭將劉仁願が使朝散大夫郭務※[立心偏+宗]等太宰府に來れり其十二月に於對馬島壹岐島筑紫國等置防與烽又於筑紫築大堤貯水名曰水城と有是なり今其地を見るに博多の南二里半斗に南往還の左右東西に長く連たる堤有て林木しげれり道の側に關門の礎殘れり堤の内今は田となりて三村有北の出口なるを下水城といへり中間に有を瓦田村といふ南の入口に在を上水城と云り上水城にも同く堤有て今の三村の地全く古への水を貯たる池中にあたれり其長さ南北十四五町東西七八町有是なり
 
〇三年大納言大伴卿|在《マシテ》2寧樂家《ナラノイヘニ》1思2故郷1歌、
 
969 須叟(モ)、去而|見壯鹿《ミテシガ》、 ねがふ加なり
 
神名|火《ビ》乃、淵者|淺而《アサビテ》、漸二香成良武、」
 
970 指進乃《サシズミノ》、 冠辭
 
栗栖乃小野之、芽花《ハギノハナ》、將咲時爾之《サカントキニシ》、 今本落は咲の誤りしるかればあらたむなり
 
行而手向六、」 祖の墓所か又神に手向るか此歌も既前に委くいふ如く香山の下の築坂の邑をおもひてよまれしならん
 
〇四年藤原宇合卿|遣《ツカハサル》2西海道節度使《ニシノウナチノミシルシタマハスミツカヒニ》1時高橋連蟲麿作歌、
 
971 白雲乃、 こは冠辭考にもれたれどこも朝霜のけぬべく或は梓弓引豐國などの如くしらくものたつとのみかゝれり
 
龍田(ノ)山乃、露|霜《シモ》爾、色附時丹、打|超而《コエテ》、客行公者、五百隔山《イホヘヤマ》、伊去割見《イユキサグミ》、 既云如具美の約岐にて行さきといふなり
 
賊守《アタマモル》、 こも冠辭考にもれたる筑紫のさき/”\に防人《サキモリ》をつかはし守らしむよりおのづからかく冠せしなるべし
 
筑紫爾|至《イタリ》、山乃曾伎《ヤマノソキ》、 退《シリソキ》の略此言は志は左伎の約曾は左呂約にて避去《サキサル》にて限を云【左伎の伎は加利の約にて左加利なり左呂の呂は留と同言|離去《サカリサル》てふ言を二度約しなり避去は遠き限なるをおもへ】 
野之衣寸見世常、 衣寸も上と同
 
伴部乎《トモノベヲ》、 かゝる命を蒙り出たつには物部の八十伴男をひきゐ行ば其伴を云
 
班遣之、山彦乃、將應極、 遠く大いなるをいふなり
 
谷潜乃《タニクヾノ》、狹渡極、 狹く少しきをいふ
 
國方乎《クニガタヲ》、 國の形をいふ
 
見之賜而《ミシタマハシテ》、冬木成《フユゴモリ》、 冠辭
 
春去行者、飛鳥乃《トブトリノ》、 冠辭
 
早御來《ハヤキマシナム》、龍田道之《タツタヂノ》、岳邊乃路爾、丹管士乃《ニツヽジノ》、 赤き躑躅を云なり
 
將薫時能《ニホハントキノ》、櫻花、將開時爾、山多頭能《ヤマタヅノ》、 冠辭
 
迎參出六《ムカヘマヰデン》、公來益者《キミガキマサバ》、」
 
 反歌、
972 千萬乃、 今本是を干萬としてそこばくと訓るは誤しるしよりて字も訓もあらためたり
 
軍奈利友、言擧不爲《コトアゲセズ》、 言擧は神代紀に見ゆ一言もいはず敵をとり來べき健男といふなり
 
取而可來《トリテキヌベキ》、男常曾念《ヲトコトゾオモフ》、」
 
〇八月十七日、 今本此上に右於補任文とある五字は後人の書加なればすてつさてこを例によらば天平四年壬申云云とあるべしといへどそも例に違へり前の例元年と書二年と書月の順にしたがひて次々は月と端詞のみを書例なればこゝも月日のみ書て上下の例に合
 
任《マケタマヒテ》2東山《ヒムカシヤマヲ》 中山道とも云
 
山陰西海節度使《ヤマノカゲトモニシノウナヂノミシルシタマハスミツカヒニ》1 【續紀に聖武天平四年八月丁亥從四位上多治比眞人廣成爲遣唐大使云云正三位藤原朝臣房前爲東海山二道節度使從三位多治比眞人縣守爲山陰道節度使從三位藤原宇合爲西海道節度使道|別《コトニ》醫師一人陰陽一人】
 
天皇|賜2酒《ミキタマハス》節度使卿等《ソノミツカヒノマチキミタチニ》1御製歌《オホミウタ》、 今本御歌の間に製の字を脱せり例によりて補へり
 
973 食國(ノ)、遠乃御朝庭爾《トホノミカトニ》、汝等之《ナムヂタチガ》、 今本|汝等之加是《ナレガカク》とよみしはあたらず句も違へり如是は下に附けべし
 
如是退去者《カクマカリナバ》、 今本如是を上に付こゝをいでゝしゆけばと訓しはわらふべし退はまかり去はいなばの略なり
 
平久《タヒラケク》、吾者將遊、手抱而《タムダキテ》、 多は添云言抱は忌抱《イミダク》なり伊美の約伊なれば美を略なり牟多久といふは伊を略き通すなり陀伎の陀は弖加の約にてあやうきをいみて手|掻《カキ》合するを云なりこまぬきとは別の言なりたづさはりを手たづさはり折を手折といふに同意なり【牟陀伎の伎は辭なり牟陀加牟牟陀久と云をおもへさて加伎の伎も加伎久計古に通ひて加伎加久といふも同じ○奥人案に拾穗抄に手抱而《タニギリテ》と訓り注に拱v手と云に同じ】
 
我者將御在《ワレハイマサム》、天皇朕《スメラアガ》、 阿和同言にて皇和我とも通し云べし
 
宇頭乃御手以《ウヅノミテモテ》、 宇頭は伊豆とも通しいひて神代紀に伊豆(ノ)竹鞆とも有又伊我しともいひ伊我志鉾伊我志穗共いひいかしきは大なる事にて俗もおほき事をいかいともおほしともいかしともいふをおもへ此言の考は言ながければ荒良言てふ書にいふ大御手といふと同じと心得べきなり
 
掻撫曾《カキナデソ》、禰宜賜《ネギタマヒ》、 こは願《ネギ》の意にはあらで禰ぎらひ給ひてなりこも言の解は荒良言にくはしくいふなり
 
打撫曾《ウチナデソ》、 左志須世曾同言なれば左世又世左世、世左曾とも約略通しいふにてなでさせなり上の曾も同
 
禰宜賜、將還來日《カヘリコンヒニ》、相飲酒曾《アヒノマンサケゾ》、此豐御酒者《コノトヨミキハ》、」 かく大御自の事をほめもあがめものたまはすはたふとしとも尊き天皇の御句なればなる事既に云つ
 
 反歌、
974 丈夫之、去跡云道曾《ユクトフミチソ》、凡可爾《オホロカニ》、念行勿《オモヒテユクナ》、丈夫之|伴《トモ》、」 正荒男《マサアラヲ》の行と人も云道なるぞおほよそこゝろして行なと戒教させ給ふ大御製歌なり
 右御製歌者太上天皇御製也と有は撰者のかゝれしならん御歌の間に製の字を脱す或云と有は後人の書添しならんと思へばすてつ其御代にありて奉仕る人の人言を待んや
 
○中納言安倍廣庭卿歌、
 
975 如是爲管、 今本管を菅に誤一本によりてあらたむ
 
在久乎好叙《アラクヲヨシゾ》、 よしとぞのとを略て云
 
靈尅《タマキハル》、 冠辭
 
短命乎《ミジカキイノチヲ》、 みじかきと言を隔てゝ命とかゝる冠辭なり
 
長欲爲流《ナガクホリスル》、」
 
〇五年超2草香山1 和名抄和泉國大鳥郡|日下《クサカ》卷十二に忍照難波乎過而打靡草香山乎暮晩爾吾越來者山毛世爾咲有馬醉木乃不惡君乎何時往早將見と見ゆ
 
時|神社忌寸老麻呂《カミコソノイミキオユマロガ》作歌、
 
976 難波方、潮干乃|奈凝《ナゴリ》、 既出
 
委曲見《ツバラミル》、 【一本には委曲見の下在の上に君とあり考るに名の誤にてこゝをよくみてなともよまんかおほくは衍字ならんとおもへどすてがたければこゝにいふ猶よき本を見たらん人あらためよ】今本にはまぐはしみとよみたりされどおちゐぬ訓なり見るこゝろうすく末の句にかけあはずとてつばらみると改
 
在家妹之《イヘナルイモガ》、待將問多米《マチトハムタメ》、」
 
977 直超乃《タヽコエノ》、 紀(雄畧)自2日下之直越道1幸2行河内1云云今のくらがり峠なり
 
此徑爾師弖《コノミチニシテ》、押照哉、 是は冠辭のていならず上よりいひ下しておしとほるといふ意のみよて上の二句も押と云のみに置りと見ゆさらばたゞいひなしのみなり 
難波乃海跡、名附家良思|蒙《モ》、」
 
○山上臣憶良|沈痾之時歌《ヤマヒアツシキトキノウタ》、
 
978 士也母《ヲノコヤモ》、 をのこにしてやの意なり
 
空應有《ムナシカルベシ》、萬代爾、語續可《カタリツグベキ》、名者不立之而《ナハタヽズシテ》、」
 右一首山上憶良臣沈痾之時藤原朝臣|八束《ヤツカ》使2河邊(ノ)朝臣東人1|令v問2所疾之状《ヤメルアリサマヲトハシム》1於是《コヽニシテ》憶良(ノ)臣|報語已畢有頃拭v涕悲嘆口2吟此歌1《コタヘコトヲヘテシバラクシテナミダノコヒテカナシミテコノウタヲニヨヘリ》、 とあるは撰者のかゝれしならん
 
○大伴坂上郎女|與《ト》2姪家持《ヲヒノヤカモチ》1從《ユ》2佐保《サホ》1還2歸《カヘル》西宅《ニシノイヘニ》1歌《ウタ》、
 
979 吾背子我、著衣薄《キタルキヌウスシ》、佐保風者、 既飛鳥風と云に同く其所《ソコ》ゆ吹風をいふなり
 
疾莫吹《イタクナフキソ》、及家左右《イヘニイタルマデ》、」
 
○安倍朝臣蟲麻呂月歌、 續紀天平勝寶四年中務大輔從四位下安倍朝臣蟲麻呂卒と見ゆ
 
980 雨隱《アマコモリ》、 冠辭
 
三笠乃山乎、高御香裳《タカミカモ》、月乃不出來《ツキノイデコズ》、夜者更降管《ヨハクダチツヽ》」
 
○大伴坂上郎女月歌
 
981 ※[獣偏+葛]高乃《カリタカノ》、 姓氏録(右京胡蕃)雁高宿禰あり然はこれも加利多加と訓べし
 
高圓山乎、高彌鴨、出來月乃《イデクルツキノ》、遲將光《オソクテルラム》、」
 
982 烏玉乃、 冠辭
 
夜霧立而《ヨキリノタチテ》、不清《オホヽシク》、照有月夜乃《テレルツクヨノ》、見者悲沙《ミレバカナシサ》、」 歌の意は月はもと清く照るを霧にてきよからぬを見るが悲きとなり此悲は愛の意ならず沙も志奈の約にてかなしゝなどいひ入て照ぬをうしとおもふなりけり
 
983 山葉《ヤマノハノ》、左左良榎壯子《サヽラエヲトコ》、 左々良榎の良榎の約禮なり扨下の左と禮を約れば世となる故左世壯子といふ下の意にかなふ【考に此月は初月《ユフツキ》を云なれば乎刀古の乎は小《ヲ》の意刀は都に通古は伎と同言良榎の約禮なる故左左禮小月ともなればかくは言を延るにて實は初月の山のはにいざよふを見て左世小月といふを言の通ふまゝに乎刀古といふのみ】
 
天原《アマツハラ》、 天津乙女天津風といふをおもへ古事記に求2※[金+暇の旁]人天津麻羅《カタシアマツマラヲ》1(岩戸條)云云と見ゆかしこき御説には紀撰定の時既誤りしかとさへの給はせし況此奈良朝の歌の假字據になし、かたく記によりところ有をや 
門度光《トワタルヒカリ》、見良久之好藻《ミラクシヨシモ》、」 二の句に左世と念《オホシ》て未を見るよしもととめてかなふを見よ
 こゝに注有は論にたらずよて捨つ
 
○豐前國娘子月秋、
 
984 雲隱《クモカクレ》、去方乎無跡《ユクヘヲナシト》、吾戀月哉君之、欲見爲流、」 おもふ人を月に譬て讀かけし歌歟只に月を見ともなし
 
○湯原王月歌、
 
985 天爾座、月讀|壯子《ヲトコ》、幣者將爲《マヒハセム》、 幣は既云如く賄賂の意なり
 
今夜乃|長者《ナガサ》、五百夜繼許増《イホヨツギコソ》、 つゞきつげよとねがふなり
 
986 愛也思《ハシキヤシ》、不遠里乃《マヂカキサトノ》、君來跡《キミクルト》、大能備爾鴨《オホノビニカモ・アクマデニカモ《萬葉集撮要》》、 備《ビ》は倍《ベ》に通て大野べにかも歟|海邊《ウナビ》といふに同じければこを大延かと云説あれど長延などいふ平言の如くていかゞさらば能は奈保の約にて大|直備《ナホビ》と見んぞしからん好に從てとるべし【上のはしきやし下のてりたるにかけ合て考れば大直日と見んぞしからめ大延はあまりに平言なり奥人按に乃杼の約乃にて大乃杼夫利爾なるべし續紀の乃杼爾波不死など云乃杼にてのどやかなるなり】
 
月之照有《ツキノテリタル》、」 てらせるならば例の所照と書べし
 
○藤原八束朝臣月歌、
 
987 待難爾《マチカテニ》、余爲月者《ワガスルツキハ》、妹之著《イモガキル》、 冠辭にはもれたれど妹がめを見そめ又妹が手をとろしの池などを思へば妹が着三笠も冠辭とすべし
 
三笠(ノ)山爾、隱而有來《カクレタリケリ》、」 またいでこぬ月をいふなり
 
○市原王宴|祷《ホギスル》2父安貴(ノ)王1歌、
 
988 春草者、後流落易《ノチハチリヤスシ》、 次下に草木すら春はもえつゝ秋はちりつゝとあれば今も草の秋散をのちとはいへるなり
 
巖成《イハホナス》、常盤御座《トキハニイマセ》、貴吾君《タフトキワギミ》、」
 
○池原王|打酒《ウタゲスル》歌、
 
989 燒刀之《ヤキタチノ》、加度打放《カドウチハナツ》、丈夫之、祷豐御酒爾《ホグトヨミキニ》、吾醉爾家里、」 二の句を考に今しのぎと云は凌の字を用ゆこゝの意今のしのぎをけづると云に似たり又豆牟我利は尖なり尖をかどゝも云べしさて建々敷歌なり此歌形勢心のさま歌もて思ひはかるべし
 
○紀朝臣鹿人|跡見茂崗之松樹作《トミノシミヲカノマツヲヨメル》歌、
 
990 茂岡爾、 今本是をしげをかと訓れどとみの岡べにしみさびたてる松なればしみをかとこそよむべけれ
 
神佐備立而、榮|有《タル》、千代松(ノ)樹乃《キノ》、歳《トシ》之|不知久《シラナク》、」
 
○同鹿人至2泊瀬(ノ)河邊1作歌、
 
991 石走、 冠辭
 
多藝千流留、泊瀬河、絶事無、亦毛來而將見、」 ありふれしすがた詞なり
 
○大伴坂上郎女詠2元興寺之里1歌、 【續紀元正靈龜二年五月辛卯始徙建元興寺于左京六條四坊云云同紀養老二年遷法興寺於新京或記曰法興寺亦曰元興寺亦曰飛鳥寺亦曰建通寺亦曰豐福寺亦曰建祖寺】
 
992 古郷之、飛鳥者雖有、 今本鳥を烏に誤則飛鳥寺なり飛鳥より奈良へうつしてそこをもあすかと云なり
 
青丹吉、平城之明日香乎、見樂思好裳《ミラクシヨシモ》、」 今本好を奴に誤假字によりて改つ
 
 同坂上郎女初月歌
 
993 月立而、直《タヾ》三日月之、 月の眉とかゝりて序なり
 
眉根掻、氣長戀之、君爾|有相鴨《アヘルカモ》、」 初いへる如く年たけたる郎女なればかくよめるも宿奈麻呂の旅より歸るを待しか又氏族を待得し相聞の歌なるべし
 
○大伴宿禰家持初月歌、
 
994 振仰而《フリサケテ》、若月見者《ミカヅキミレバ》、一目見之、人之|眉引《マヨビキ》、所念可聞《オモホユルカモ》、」 こははつかに見し人を思相聞なり
 
○大伴坂上郎女宴2親族1歌、
 
995 如是爲乍、遊飲與《アソビノマムヲ》、 是を例の乞の誤とせんも理は聞ゆれど此歌は本のまゝにて與は呼出しことはかと見ても心とほれゝばあらためず
 
草木|尚《スラ》、春者生管、秋者|落去《チリユク》、」 春もえ秋かるゝ草を生死にたとへたり
 
〇六年|海《アマノ》犬養宿禰岡麻呂應v詔作、 作は例によりて補ふ
 
 
996 御民吾《オホダカラワレ》、生有驗在《イケルシルシアリ》、天地之、榮時爾、相樂念者、 此歌は御遊などの節によめる歟
 
〇三月幸2于難波宮1之時歌、 【續紀天平六年三月辛未行幸難波宮云云】
 
997 住吉乃、粉濱之四時美《コハマノシヾミ》、開藻不見《アケモミズ》、 四時美は借字蜆なりあけも見ず忍びて戀渡らんとなりさて繁見《シヾミ》を思ひ開は飽をふくみていひかけ飽も見ずと云意歟
 
隱耳《シヌビテ》哉、戀度南、」 次下にをとめ等は赤裳すそひく清き濱備をともあれば同從駕に女も有を戀る歟さて此しのびは慕ふ意と見てよみこせのまゝにてよく聞えたり又しぬびをかくす方にとりても聞ゆる歌なり
 右一首作者未詳と有は理りなりしぬびたる事なればかくもあるべし
 
998 如眉《マヨノゴト》、雲居爾所見、阿波乃山、懸而※[手偏+旁]舟、泊不知毛《トマリシラズモ》、」 遠見たるさまを能いひうつせり
 右一首船王作、
 
999 從千沼囘《チヌワヨリ》、 紀(神武)河内國泉郡茅渟海云云紀(神武)五瀬命云云自南方廻幸之時到血沼海洗2其御手之血1故稱血沼海也從其地廻幸紀國男之水門云云續紀元正靈龜二年三月癸卯割河内國和泉日根兩郡令供珍努宮云云夏四月甲子割大鳥和泉日根三郡始置和泉監焉和名鈔國郡部云和泉國國府在和泉郡行程上二日下一日靈龜二年割大鳥日根兩都置此國
 
雨曾零來、四八津之白水郎《シハツノアマ》、 四八津は既出今本白水を泉の字とせるは誤なり假字によりて改つ
 
網手綱乾有《アタツナホセリ》、 今本あみてなはほせりと訓しはいまだし網は網代細引ともいへばあたづなとよまん事しれりつなでてふ言もあれば手づなといふべし一本網を繩に作る又一本綱にもつくれり
 
沾將堪香聞《ヌレテタヘンカモ》」
 右一首遊2覧住吉(ノ)濱(ヲ)1還宮之時道上《ミヤニカヘリマストキミチノホトリニテ》守部(ノ)王|應詔作《ミコトノリノママヨメル》歌、
 
1000 兒等之有者、二人將聞乎、奥渚爾《オキツスニ》、鳴成鶴乃《ナクナルタヅノ》、曉之聲、」 故郷の妹をおぼすなるべし
 右一首守部王歌、
 
1001 丈夫者、御※[獣偏+葛]爾立之《ミカリニタヽシ》、 多他志の他は知萬の約多知萬志なり親王たち大臣等もあればあがめいふ
 
未通女等者、赤裳須素|引《ヒク》、清濱備乎、」
 右一首山部宿禰赤人歌、
 
1002 馬之歩《ウマノアユミ》、押弖駐余《オシテトヾメヨ》、 今本弖を止に誤假字によりて改【奥人按に拾穗抄|押止駐余《シバシトヾメヨ》と有】
 
住吉之、岸乃|黄土《ハニフニ》、爾保比而將去、」 古へは丹摺衣もあればかくは云なり
 右一首安倍朝臣豐繼歌、
 
〇筑後守從五位下葛井連大成|遙2見《ミサケテ》海人《アマガ》釣船1作歌、
 
1003 海※[女+感]嬬《アマヲトメ》、玉求良之《タマモトムラシ》、奥浪、恐海爾、船出爲利所見《フナデセリミユ》、」 玉はあはび玉を云べし五の句はかしこき海にふなでせりと切て見ゆと心得べし後にはふなでせる見ゆといふ今は古なり
 
○鞍作|村主《スグリ》益人作歌
 
1004 不所念《オモホエズ》、來座君乎《キマセルキミヲ》、佐保川乃、河蝦不令聞《カハヅキカセデ》、還都流香聞、」 集中かはづなく神奈備川とも冠せてよみたれば大和の京師後に今京のかはづの聲をめでし事と知るべし
 右|内匠寮大屬鞍作村主《タクミツカサノオホフヒトクラツクリノスクリ》益人|聊設飲饌以《イサヽカウタゲヲマケテ》饗《ミアヘセリ》2長官《ツカサ》佐爲《サヰノ》王(ヲ)1未及日斜《マダヒタヽズ》王既|還歸於時《カヘリマストキニ》益人|怜2惜《ヲシミテ》不厭之歸《アカデカヘリマスヲ》1仍作此歌《コノウタヲヨメリ》、 【續紀神龜五年八月甲午云云是日勅始置内匠寮頭一人助一人大允一人少允二人大屬一人少屬二人史生八人使部已下雜色匠手各有數同紀天平九年八月壬寅中宮大夫兼右兵衛督正四位下橘宿兄佐爲王卒考に紀文かくあり此王等に姓を賜ひしは同年十一月と下に在前へめぐらして書共姓を書けば王とは書べからず王とかけば姓はすつべし紀他本改べし】
 
〇八年六月幸2于芳野離宮1之時山部宿禰赤人應v詔作歌、
 
1005 八隅知之、 冠辭
 
我大王之、見給《メシタマフ》、芳野宮者、山高《ヤマタカミ》、雲曾輕引、河速彌、湍之聲曾清寸《セノトゾキヨキ》、神佐備而、見者貴久《ミレバタフトク》、宜名倍、見者|清之《サヤケシ》、此山之、盡者耳社《ツキバノミコソ》、此河乃、絶者耳社、百師紀能、 冠辭
 
大宮所、止時裳|有目《アラメ》、」 卷一人麻呂のよめるに似り
 
 反歌、
1006 自神代、芳野宮爾、蟻通《アリガヨヒ》、高知者《タカシラスルハ》、山河乎|吉三《ヨミ》、」 此山河をよしと見そなはして遠つ神の御代より世々の天皇いまし通はして芳野宮を高知しますと云
 
○市原王|悲《ナゲク》2獨子1歌、 五百井|女王《ヒメミコ》なり御母は贈一品能登(ノ)内親王光仁天皇皇女なりと契冲云り
 
1007 不言聞《コトヽハヌ》、木尚《キスラ》妹與兄、有云乎、直獨子爾、有之苦者《アルガクルシサ》、」
 
○忌部(ノ)首黒麻呂恨2友※[貝+(ハ/示)]來《トモカキノオソクコシヲ》1歌、 【※[貝+(ハ/示)]宇彙云|奢《シヤ》遠也遲緩爲※[貝+(ハ/示)]】
 
1008 山之葉爾、不知世經月乃《イサヨフツキノ》、將出香常《イデムカト》、我待君之《ワガマツキミガ》、夜者更降管《ヨハクダチツヽ》、」 卷八に山末爾不知夜歴月乎將出香登待乍居爾夜曾降家類同卷に山末爾不知夜歴月乎何時母吾待將座夜深去乍すこしづゝ言のたがへるのみ
 
〇十一月左大辨葛城王等 今本臣と有は誤なり左に從三位とあれば大臣なるべきいはれなし一本によりて辨にあらたむ天平十五年五月諸兄公を左大臣に任續紀に出【續紀天平元年九月乙卯正四位下葛城王爲左大辨】
 
賜2姓橘氏1之時御製歌、
 
1009 橘花者、實左倍花左倍、其葉左倍、枝爾霜雖降《エダニシモフレド》、益常葉《マシトコハ・イヤトコハ》之樹《ノキ》、」
 右十一月九日|從三位《スナイミツノクラヰ》葛城王從四位上佐橘王等|辭《イナム》2皇族之高名《スメウカラノタフトキヲ》1賜2外家之《ホカノイヘノ》橘姓1已訖、於時《コヽニ》太上天皇、 元正
 
大皇后《オホキサキノミヤ》、 今本太上なし一本太上と有は誤なり大皇后とあらたむ
 
共《ト》在《マセテ》2于皇后宮《キサキノミヤニ》1以|爲《セサシテ》肆宴《トヨノアカリ》而|即《ヤガテ》御製賀v橘之歌《タチバナヲイハヒマスオホミウタ》并|賜《タマフ》2御酒《オホミキヲ》宿禰等1也、或云此歌一首太上天皇御歌但天皇皇后御歌各有2一首1者《テヘレハ》歌|遺落《モレタリ》未v得2探求《モトムルニタヘズ》1焉、今※[手偏+驗の旁]2案内《イマヨシヲケミスルニ》1八年十一月九日葛城王等|願《ネギマツリ》2橘宿禰之|姓《ウヂヲ》1上表《フミヲタテマツル》以2十七日1依表乞《コヘルマニ/\》賜(フ)2橘宿禰1、【續紀天平勝寶二年正月庚寅朔乙巳左大臣正一位橘宿禰諸兄賜朝臣姓天平寶字元年春正月庚戌朔乙卯前左大臣正一位橘朝臣薨贈從二位東隈王之孫從四位下美努王之子也】
 
○橘宿禰奈良麻呂應詔作歌、 此端詞を今本一字上て書しは誤なり他とかはるへき理なし作は例によりて補へり且右に引つゝけて此歌を出應詔とさへあれば同時として白圏を不加 
1010 奥山之、眞木(ノ)葉|凌《シヌギ》、零雪乃、零者雖益《フリハマストモ》、地爾落目八方《ツチニオチメヤモ》、」 上は譬なり木にふり増共地に落じと云官位みめぐみあつかる諸兄公の子なるをたとへよめる意なるべし
 
〇十二月十二日|歌舞所諸王臣子等《ウタマヒトコロノオホキミタチマイチキミタチ》集《ツドヒ》2葛井連廣成家1宴歌、
 比來古(キ)※[人偏+舞]|盛興《ミサカリナリ》、 今本與とあり
 今歳漸晩埋宜苦《コトシクレヌコトワリネモゴロニ》 今本共なり又一本による
 盡《キハミテ》2古情《フリニシスガタヲ》1同唱《トモニトナフ》2此歌1故《カレ》擬《ナゾラヘヨ》2此趣《コノヨシニ》1輙《ヤガテ》獻《タテマツリキ》古曲二節《イニシヘブリフタクサヲ》1風流意氣之|士儻《トモカラ》有《アラハ》2此集中《コノツドヒノチニ》1爭2發《オコシ》念《オモヒヲ》1心心《オノガジヽ》和《ナゾラヘヨ》2古體《フルキスガタニ》1、
 
1011 我屋戸之、梅咲有跡《ウメサキタリト》、告遣者《ツゲヤラバ》、來云似有《コチフニニタリ》、散去十方吉《チリヌトモヨシ》、」
 
1012 春去者、乎呼※[こざと+里]爾乎呼里、 此言卷一二別記に委し花咲たはむなり 
鶯之、鳴吾島曾《ナクワガシマゾ》、不息通爲《ヤマズカヨハセ》、」
 
〇九年正月橘少卿并諸大夫等集2彈正尹門部王家1宴歌、
 
1013 豫《カネテヨリ》、公來座武跡《キミキマサント》、知麻世婆、門爾屋戸爾毛、珠敷益乎、」 今の世砂を盛砂を布て地をきよめ餝て客人をまつ意も是ならん
 右一首主人門部王、 此王姓を賜し事は前に出今本こゝに小注有は後人の事なり
 
1014 前日毛《ヲトツヒモ》、 訓は契冲が説による
 
昨日毛今日毛《キノフモケフモ、雖見《ミツレドモ》、明日左倍見卷《アスサヘミマク》、欲寸《ホシキ》君香聞、」
 右一首橘宿禰文成、 同じ時の人こゝに小注の如くかく事あらじよりて捨つ
 
○榎井《エノヰノ》王後追和歌、 志貴皇子の子なり
 
1015 玉敷而、待益欲利者《マタマシヨリハ》、多鷄蘇香仁《タケソカニ》、 多末左加に似たる意なり多末左加は遠間故《トホマサケ》なりこは遠く離なり言の約からは荒良言に委いふ
 
來有今夜四《キタルコヨヒシ》、樂所念《タヌシクオモホユ》、」
 
〇二月諸大夫等集2左少辨巨勢《ヒタリノスナヒトモヒコセノ》宿禰麻呂(ノ)朝臣家(ニ)宴歌、
 
1016 海原之《ウナバラノ》、遠渡乎《トホキワタリヲ》、遊士之《ミヤビトノ》、 今本士を工に誤る
 
遊乎將見登《アソブヲミムト》、莫津左比曾來之《ナヅサヒゾコシ》、」
 右一首|書《カキテ》2白紙《カミニ》1懸2著《ツケリ》屋壁《カベニ》1也|題云《シメシテイヘラク》蓬莱仙媛所賚《トコヨモノヤマビメモタル》、 今本嚢は賚の誤と契冲がいへるによれり
 
 ※[草冠/縵]《カツラハ》爲2作《タメニツクル》風流秀才之士《ミヤビタルウマヒトノ》1矣、作は一本によるされど一本作を所の字の下に置けるは又誤なり文の意とほらず試にかくせり
 
 期凡客不所望見哉《コレオホヒトノミルナラメヤ》、
 
〇四月大伴坂上郎女|奉2拜《ヲカミマツル》賀茂|神社《カミヤシロヲ》1之時、 神名式に山城國愛宕郡賀茂別雷神社賀茂御祖神社二坐○さて山城賀茂神社は天武の御時造給ふと物にいへるさもあらんこゝにも此社へ詣と見え紀聖武三年七月太上天皇不豫御祈に遣使幣帛奉石城、葛木、住吉、加茂等神社と有て加茂葛木とかゝねば高鴨にあらず然れば古へより敬はせし事なり
 
便超2相坂山1望2見《ミテ》近江(ノ)海《ウミヲ》1而|晩頭還來《ユフベニカヘルニ》作歌、
 
1017 木綿疊、 冠辭
 
手向乃山乎、今日越而《ケフコエテ》、何野邊爾《イツレノヽベニ》、廬將爲吾等《イホリセムワレハ》、」 今本子等と有ていほりせんこらと訓しは誤なり一本によりて吾にあらたむ
 
〇十年、 月を脱せり
 
元與寺僧自嘆歌、
 
1018 白珠者《シラタマハ》、人爾不所知《ヒトニシラレズ》、不知友縱《シラズトモヨシ》、雖不知《シラズトモ》、吾之知有者《ワレシシレラバ》、不知友任意《シラズトモヨシ》、」 【拾穗抄云此歌旋頭歌なり白玉を吾身に比して卞和が玉のごとく人に見しらねど我だにしればよしと自得せしなるべし奥人】
 右一首或云元興寺之|僧《ホフシ》獨|覺多智未v有2顯聞《サハニモノシリテヒトニキコエズ》1衆諸狎侮《モロヒトアナドレリ》因此僧作2此歌1自嘆2身才1也《ヨリテコノホフシコノウタヲヨミテミツカラカドアルヲホメリ》、
 
○石上乙麻呂卿配2土佐國1之時歌、 續紀天平十一年二月石上朝臣乙麻呂坐v奸2久米連若賣1配2流土佐國1若賣配2下總國1焉、 【案石上乙麻呂此時從四位下左大辨也然は卿と云べきならずかし若女は天平十二年六月遇赦て入京し乙麻呂も後に遇赦正四位下に叙又從六位に叙せて右は後よりめぐらして卿と書たるなり考の如くならば此端詞にも石上云云時乙麻呂卿妻作歌と有べき事なりすべて此三首の長歌言落たるも有或は反歌前後へとなり或は反歌も落端詞も脱しと見ゆいと亂たるなるべし正本を見ん人正し給へよしは歌の下に云奥人按に拾穗抄に云是乙麻呂みづから人のうへのやうによめるにや但萬葉他本に石上乙麻呂卿配土左國之時歌と有是は他人のよめるやうなり】
 
1019 石上、 冠辭
 
振之尊者、 乙麻呂卿を指
 
弱女乃《タワヤメノ》、惑爾縁而《マドヒニヨリテ》、馬自物、 冠辭
 
繩取附《ナハトリツケテ》、肉自物《シヽジモノ》、 冠辭
 
弓※[竹/矢]圍而《ユミヤカコミテ》、王、命恐、天離《ザカル》、 冠辭
 
夷部爾退《ヒナベニマカリ》、古衣《フルゴロモ》、 冠辭
 
又打山從《マツチヤマヨリ》、 紀伊國なり
 
還來奴香聞《カヘリコヌカモ》、」
 
 反歌、 按に三首の歌に反歌とあれば今本こゝに反歌の字を脱せる事しるしよりて補一本に長歌此反歌書つらねたり亂本可知なり
 
1020 1021 王、命恐見、刺並之《サシナミノ》、 此歌の解は卷十の歌に既委すさすらへと同じ事なり
 
國爾去座耶《クニニイマスヤ》、 今本去を出に誤上の歌にいまさせてといふに同じ言なれば去の誤しるしよりてあらたむ
 
吾背乃公矣《ワガセノキミヲ》、」 こは右の歌の反歌なる事しるしさて乙麻呂卿の家の妹のよめるなるべし
 
繋卷裳、湯湯石恐石《ユヽシカシコシ》、住吉乃、荒大神《アラオホミガミ》、 今本に住吉乃荒人神とありて阿良比刀加美と訓しはいとも誤り此御神をあら人がみといふよしなし紀(神功)に神有v誨曰|和魂《ニギタマハ》服《ツキ》2王身《ミミニ》1而守2壽命《ミイノチヲ》1荒魂《アラタマハ》爲《ナシ》2先鉾《ミサキヲ》1而《テ》導《ミチビキナン》2帥船《ミフネヲ》1此故にかくはよめるなり他に荒人と云事なしまして神を人と申さんいはれなきをしれ
 
船舶爾《フナノヘニ》、牛吐賜《ウシハキタマヒ》、 牛吐は借|主張《ウシバリ》にて其神のいます所の海山をもちしづめます御神を云事既にいひつ
 
付賜將《ツキタマハン》、島之埼前《シマノサキ/”\》、依賜將《ヨリタマハン》、 【將賜と書べきを上下して書けるは將を萬左爾といふ其爾をかりたるなり訓を假字に借るは下の言をかる例なりさて伎志知爾比美伊利非は中下にあればはぬるならはしなれば牟の假字に借たるなり即都伎多萬左牟を萬左爾とよみて其爾をはぬるなりけりこはふと見ては上下したると見ゆればかくうたゝ云なり】
 
磯乃埼前《イソノサキ/”\》、荒浪《アラキナミ》、風爾不令過《カゼニアハセズ》、草管見《クサツヽミ》、 冠辭
 
身疾不有《ヤマヒアラセズ》、急令《スミヤカニ》、變賜根《カヘシタマハネ》、本國部爾《モトノクニベニ》、」 此歌は又打山より紀路に入て紀伊より土佐への船路をいへりこも乙麻呂卿の旅路をおもひやり家の妹の神に乞のみまつるなりさて次の歌の反歌とてあるは此歌の反歌なり次の歌には船路の言なしされど次の歌言の多く落うせぬと見ゆれば其落うせし中には船路の言ありもやしけんされど此長歌に島のさき/”\、磯のさき/”\いひて次の反歌に大磯小濱といひかへ又せまき瀬戸を百船のすぐとさへいへば神のめぐみに事なくとほし給へと此長歌の意をさへうたへると見ゆれば全く此歌の反歌なり
 反歌、次の長歌と此前の長歌の間に反歌とあるべきも落歌は次の長歌の反歌と心得て校合の時かくはなせしなるべし何れの本もさま/”\亂たり前に云如くなれば試に此反歌を引上たりさて次の長歌は乙麻呂卿の自ぬさ奉り旅路をいのれる歌なれば反歌の次に端詞ありしが夫も脱たるなるべし
 
1023 大埼乃、 紀伊國なり
 
神之小濱者、雖小《セマケレド》、百船純毛《モヽフナビトモ》、 下の敏馬浦の長歌に純をかくよめり純は一の字に同じくもはらの意に借たり
 
過迹云莫國《スグトイハナクニ》、」 すぐといはぬかすぐるものをといふてにをはなり此歌はまたく船路のさまなれば次の長歌の反歌ならざる事長歌によみつゞけて二首めの長歌の反歌なるを思へ
 
 石上乙麻呂|於《ニ》2恐坂《カシコサキニ》1爲《スル》2手向《タムケ》1時《トキノ》歌
○□□□□□□□□□□□□□、 こゝにかくも端詞ありしならんか此歌ははじめに言の多落失せしか【恐坂は紀(天武)に將軍吹負云云遣2紀大音1令v守2懼坂(ノ)道1於是賊等退懼坂而居大音之營云云此前後河内と倭との事多し然は倭より河内の方へ越る所の坂なり】
 
1022 父公爾《チヽキミニ》、吾者眞名子叙《ワレハマナゴゾ》、妣刀自爾《ハヽトジニ》、 【妣《ハヽ》玉篇曰母爲妣|刀自《トシ》 和名抄|負《トジ》俗作2刀自1劉向列女傳曰古語老母爲負云云奥人按】
 
吾者|愛兒叙《メテコゾ》、 こゝの間にも言の落しか次の句へつゞかず聞ゆ
 
參昇《マウノボル》、八十氏人乃、手向|爲等《スト》、恐乃坂《カシコノサカ》爾、幣奉《ヌサマツリ》、吾者叙追《ワレハゾオフ》、遠杵《トホキ》土左道乎、」 吾は叙追は船にておうて遠き土佐路に行をいふ土佐日記に湊を追共大湊を追ともあなり又おもふに追は退の誤かさらばまかると訓ていと安らかなりしばらく字も訓も今本による○さて此長歌は大和路より河内へ越る所の手向をいひてそはやがて土左に行とての意なれば土左路の船をおもひ句をとむるのみの歌なり
 こゝに反歌の字も脱歌も脱落しなるべし奈良の頃に反歌なきはなし
 
〇八月二十日宴2右大臣橘家1歌、 【奥人按に拾穗抄に右大臣橘家諸兄公なり葛城王是なり】
 
1024 長門|有《ナル》、奥津借島《オキツカリシマ》、 則長門の地名
 
1025 奥眞經而《オクマヘテ》、 おくまへは末倍の約米にておくめてなりやがてふるめてなどいふに同じ
 
吾念君者、千歳爾母我毛、」
 右一首長門守|巨曾倍對馬《コソベノツシマ》朝臣、
 
奥眞經而《オクマヘテ》、吾乎念流、吾背子者、千年五百歳、有巨勢奴香聞、」
 右一首右大臣和歌、
 
1026 百磯城乃、 冠辭
 
大宮人者、今日毛鴨、暇無跡《イトマヲナシト》、里爾不去將有《サトニユカザラム》、」
 右一首右大臣傳云|故《モトノ》豐島釆女歌、 こは撰者が書れしならん
 
1027 橘《タチハナノ》、本爾《モトニ》、道履、八衢爾、物乎曾念、人爾不所知《ヒトニシラレデ》、」
 
 右一首右大辨高橋安麻呂卿語云、 こゝに故豐島采女云云以下十二字は後人のさかしらならん其世にちかきを語人も撰者もかくは誤るべからざればなり
 三方沙彌|戀《シヌヒテ》2苑臣女《ソノヽオミカメヲ》1、 今本に是を戀2妻《メ》苑臣1と有は字も違ひ上下せしならん己が妻となして後は妻の姓のみをもいはめどもこは娶《ツマトヒ》するをりの歌なればなりよりてあらたむ
 
 作歌也|然《サレバ》則|豐島《トシマノ》采女、 和名抄攝津國豐島(弖志末)ここより出し釆女ならん
 
 當時當所《ソノトキソコニテ》口2吟《トナヘリ》此歌《コノウタヲ》1、 こゝに歟とあるも始の十二字をくはへたる時に書添しならん【卷二に三方沙彌娶 臣生羽之女未經幾時作三首云云橘之蔭履路乃八衢爾物乎曾念妹爾不相而と有こゝは宴の興にうたへるなれば其時によろしきこと葉にうたひかへしならんさるを誤りたりと後人さかしらに注を加けんものならし】
 
○十一年天皇|遊2※[獣偏+葛]《ミカリセス》高圓(ノ)野《ノニ》1之時|小(サキ)獣《ケモノ》迫2走《セマレリ》堵里之中《ミヤコノサトノチニ》1一本迫を遁とす迫にても聞ゆ歌も然なり
 
於是《コヽニ》適《タマサカニ》値《アヒ》2勇士《タケヲニ》1生而見獲《イキナカラトラヘラル》即《ヤガテ》以2此獣(ヲ)1獻2上《タテマツルニ》御在所《ミアラカニ》1副《ソフル》歌、 こゝに獣名云云の小注は歌によりて後人書加しならんよりて捨
 
1028 丈夫之、高圓山爾、迫有者《セメタレバ》、里爾|下流《オリタル》、牟射佐妣曾此《ムサヽビゾコレ》、」 此獣の事は既委く出
 右一首大伴坂上郎女作之也但|未奏而小獣死薨《マヲサズシテケモノミマカレリ》因《ヨリテ》此獻v歌停v之《コノウタタテマツルヲトヽメヌ》、
 
〇十二年冬十月依2太宰|少貳《スナイスケ》藤原朝臣廣嗣|謀反《ソムクニ》1、 【續紀聖武天平十二年九月丁亥廣嗣遂(ニ)起v兵反(ス)勅(シテ)以2從四位上大野朝臣東人(ヲ)1爲2大將軍1從五位上紀朝臣飯麻呂爲2副將軍(ト)1軍監軍曹各四人|徴2發《メシ》東海東山山陰山陽南海五道(ノ)軍一萬七千人(ヲ)1委(ネ)2東人等(ニ)1持(シテ)v節討(シム)v之冬十月己卯勅(テ)2大將軍大野朝臣東人等(ニ)1曰朕縁(テ)v有(ニ)v所v念今月之末暫往(ン)2關東(ニ)1雖v非(ト)2其時(ニ)1事不v能v已(コト)將軍知(テ)v之(ヲ)不v須2驚怖(ス)1壬午行2幸伊勢國(ニ)1乙酉到2伊勢國壹志(ノ)郡河口(ノ)頓宮(ニ)1謂2之關宮(ト)1十一月戊子大將軍東人等|言《マヲス》以2今月一日1於2肥前國松浦郡(ニ)1斬2廣嗣繩手1已(ニ)訖(ヌ)廣嗣(ハ)式部卿馬養之第一之子也】
 
發《オコシテ》v軍《ミイクサヲ》幸2于伊勢國1之時、廣嗣式部卿馬養之第一子也續紀天平十年十二月丁卯從四位下高橋朝臣安麻呂爲太宰大貳從五位下藤原朝臣廣嗣爲少貳
 
1029 河口(ノ)行宮《カリミヤニテ》内舍人大伴宿禰家持作歌、 舍人の宮内を衛を内舍人と云とねりはとのいとゝ云迄なり
 
河口之(ノ)、野邊爾|廬而《イホリテ》、夜乃歴者《ヨノフレバ》、 幾夜もふると云なり
 
妹之手本師《イモガタモトシ》、所念鴨、」
 
○天皇御製歌、
 
1030 妹爾|戀《コヒ》、 冠辭
 
吾乃《アゴノ》松原、 今本吾を和我と訓しは誤れりこは借字|吾王《アゴオホキミ》と訓に同じ意にて阿碁とよむべし冠辭よりは妹に戀明す意につゞけさせ給へども次の句よりは志摩國英虞郡の松原のけしきをよませ給ふなりけり
 
見渡者、潮干乃潟爾、多頭鳴渡、」
 右一首今案吾松原在2三重郡1相2去河口(ノ)行宮1遠矣若疑御2在《オハシマス》朝明《アサアケノ》行宮1之時所製御歌傳者(ノ)誤v之歟、 此小注は必後人の書添しなり家持卿從駕にてうけ給はりし御製歌に何ぞかゝる疑しき事のあらんやよりて此注はすつべきなり
 
○丹比屋主眞人歌、 續紀多治比眞人家主と見ゆ
 
1031 後爾之《オクレニシ》、人乎|思久《オモハク》、 波久の約布にておもふなり旅立人は宿なる人をおもひて神にいのるなり
 
四手能埼《シデノサキ》、 卷十三に市原王、網兒山《アゴヤマヲ》、五百重隱有《イホヘカクセル》、佐提(ノ)埼、左手|蠅之《ハヘシ》子之、夢二四所見、とよめるも同所の山をいひ左堤崎をいへるを考合すれば此四手崎も次の二首も全く從駕によめる歌にて此歌も右の御製の時よめるなればかた/”\同地なり
 
木綿取|之泥《シデ》而、 之泥は垂るなれば木綿襷など其外神事に用るさまをいひて齋而《ユマハリテ》神を祈を云なり
 
將往跡其念《ユカムトゾオモフ》」 今本往を住に誤る住にては本の句にかけ合ずよりて往の畫の消しとして往に改めぬ
 今本爰に右案此歌者不有此行宮之作乎云云の注あれど前にもいふ如く同從駕家持卿直に聞て集にいるゝにかく疑を書てんもの歟後人の注しるければすてつ
○狹殘行宮《サザノカリミヤニ》大伴宿禰家持作歌、 二首めの歌もて見れば志麻の浦を見渡るなればこも河口行宮ゆ出てかりにませし所をさし其地名を云ならん
 
1032 天皇之、行幸之隨《ミユキノマヽニ》、吾妹子之《ワギモコガ》、手枕不卷、月曾歴去家留、」 歴去《ヘイニ》けると云なり
 
1033 御食國《ミケツクニ》、志摩乃海部有之《シマノアマナラシ》、眞熊野之、小船爾乘而、奥部※[手偏+旁]所見《オキベコグミユ》、」 志摩の海人の小船にのり行を見てかくよめるなり熊船は伊豆手船など云類にて歌のしらべに云のみ
 
○美濃國|多藝行宮《タギノカリミヤニテ》大伴宿禰東人作歌、 【續紀(元正)養老元年九月丁未云云丙辰幸當耆郡多度山美泉云云甲子車駕還宮十一月癸丑天皇臨軒詔曰朕以今年九月到美濃國不破行宮留連數日因覧當耆郡多度山美泉自盥手面皮膚如滑亦洗痛無不除癒在朕之躬其驗又就而飲之浴之者或白髪反黒或頽髪更生或闇目加明自飲痼疾皆平癒昔聞後漢光武之時醴泉出飲之者痼疾平癒符瑞書曰醴泉者美泉以養老蓋水之精也寔惟美泉即合大瑞朕雖痛虚何(ゾ)違(ン)天睨(ニ)可大赦天下改靈龜三年爲養老元年云云】
 
1034 從古《イニシヘユ》、人之言來流《ヒトノイヒクル》、老人之《オイビトノ》、變若云水曾《ワカユトフミツゾ》、 わかゆの由は也具の約にてやがて和加也具といふ水といへるなり
 
名爾負瀧之瀬、」
 
○大伴宿禰家持歌、
 
1035 田跡河之《タトカハノ》、 即多度山瀧の流る河をいふ
 
瀧乎清美香、從右《イニシヘユ》、宮作兼《ミヤツクリケム》、 今本作を仕として美也都加倍兼と訓りこは作の誤しるしみやづかへといひては意とほらずよりて作の草の手を誤しとして改つ
 
多藝|乃《ノ》野之上爾《ノヽヘニ》、」
 
〇不破行宮大伴宿禰家持作歌、
 
1036 關無者、還爾谷藻《カヘリニダニモ》、打行而《ウチユキテ》、妹之手枕、卷手宿益乎、 卷十七述戀緒長歌家持、近在者加幣利爾太仁毛宇知由吉底妹我多麻久良佐之加倍底禰天蒙許萬思乎云云てふも是に同じ美濃路あるは近江などのほどにおもへる妹のありし故かくはよまれしならん
 
〇十五年八月十六日内舍人大伴宿禰家持讃2久邇京1作歌、
 
1037 今造《イマツクル》、久邇乃王都者《クニノミヤコハ》、山河之、 山と河をいふなれば河を濁るべからず
 
清見者《キヨキヲミレバ》、 今本伎與久美由禮婆とよみしはいまだし伎與伎乎美禮婆と訓べし
 
宇倍所知良之《ウベシラルラシ》、」
 
○高|丘《ヲカノ》河内連歌、 續紀神龜元年辛未正六位下樂浪河内賜高丘連姓
 
1038 故郷者、遠毛不有、一重山、 卷十三に在久邇京思留寧樂宅妹云云歌一重山重成物乎云云といふをおもへば山城大和の堺に在山なるべし
 
越我可良爾《コユルガカラニ》、念曾吾世思《オモヒゾワガセシ》、」 越が其まゝにおもへるといふをかく云なり【越我可良爾奥人按に東歌惠麻須我可良爾古麻爾安布毛能乎我はことばなり可良は可禮にて故と云に同じ】
 
1039 吾背子|與《ト》、 友を指ていふなり
 
二人之居者、山|高《タカミ》、里爾者月波、不曜十方余思《テラズトモヨシ》、」
 
○安積(ノ)親王宴2左少辨藤原八束朝臣家1之日内舍人大伴宿禰家持作歌、 【續紀聖武天平十六年閏正月乙丑朔乙亥天皇行幸難波宮是日安積親王縁脚病從櫻井頓宮還丁丑薨時十七云云天皇之皇子也母夫人正三位縣犬養宿禰廣刀自從五位|唐之女《本ノマヽ》也】
 
1040 久堅乃、 冠辭
 
雨者零|敷《シク》、念子之《オモフコノ》、屋戸爾今夜者、明而將去、」
〇十六年正月五日|諸卿大夫《モロ/\ノマヘツキミタチ》集2安倍(ノ)蟲麻呂朝臣家1宴歌、 今本こゝに作者不審とある小注後人の書加へしるし何ぞといはゞ蟲麻呂朝臣家云云とありて吾屋戸のと歌によめればあるじならで外をとはんやよりて捨つ
 
1041 吾屋戸乃、君松(ノ)樹爾、零雪乃、行者不去《ユキハユカレジ》、 宴して吾あるじなれば君を迎へに行にゆかれざれば待またなんと云なり
 
待西將待、」 今本西を而になすは誤なり訓によりてあらたむ今本卷一に高津宮皇后の御歌とて載しは誤なりそはことはりて考には除けり古事記輕大娘皇女の君行氣長久成奴云云持者不待とありそはむかへ行なり待にはまたれずとよませるなればこゝには句の意別なり 
○同月十一日登2活道岡《クメヂノヲカ》1、 是を久米道と訓事は前卷に既くはしくす【活道岡《イクチノヲカ》 八雲抄には然か訓り奥人】
 
集2一株松下《ヒトキノマツガネニ》1飲歌《サケタウベルウタ》、
 
1042 一松《ヒトツマツ》、幾代可歴流《イクヨカヘタル》、吹風乃、聲之清者《コヱノスメルハ》、 土佐日記に松の聲のさむきはといへり
 
年深香聞《トシフカミカモ》、」
 右一首市原王作、
 
1043 靈尅、 冠辭
 
壽者不知、松之|枝《エヲ》、結情者《ムスフコヽロハ》、長等曾念《ナカクトソモフ》、」 右一首大伴宿禰家持作、
 
○傷2惜《ヲシミテ》寧樂(ノ)京(ノ)荒墟《アレタルヲ》1作歌 城跡の意もて書るなり
 
1044 紅爾、深染西、情可母、寧樂乃京師爾、年之歴去倍吉、」 歌の意はたぐひなくとゝのひにごみたりし奈良のみやこは心にしみてあればにやかくあらされても猶こゝに吾世はへぬべくおもはるゝとなり紅はふかくそむてふ料におきたれど歌につけてよき冠辭なり 
1045 世(ノ)間乎、常無物跡、今曾知、平城(ノ)京師之、移徒見者《ウツロフミレバ》、」 ならの都は咲花のごとくさかえ行き萬代もとおもひたのまれし都なるにかくあるゝは世のたのめがたきことをおもひつるは大かたにて今ぞふかくしるといへるなり
 
1046 石綱乃《イハツナノ》、 冠辭
 
又變若反《マタワカガヘリ》、 今本若を箸に誤る一本によりてあらためつ
 
青丹吉、 冠辭
 
奈良乃都乎、又將見鴨《マタモミムカモ》、」 又もむかしの如うつしかへされ見んよしもあらんかとなり
 
○悲2寧樂故郷1作歌、 一本悲寧樂故郷作歌標も右に同じよりて京をすてつ
 
1047 八隅知之、 冠辭
 
吾大王乃、高敷|爲《ス》、日本(ノ)國者、皇祖乃、神之御代|自《ヨリ》、敷座流、國爾之有者、阿禮將座、御子之嗣繼《ミコノツキ/\》、天下、所知座跡《シラシマサムト》、八百萬、千年矣兼而、定家牟、平城(ノ)京師者、炎乃、 冠辭
 
春爾之成者、春日山、御笠之野邊爾、櫻花、木晩牢《コノクレガクリ》、 牢は猶籠と字書に有をもてかれる歟
 
貌鳥者、間無數鳴、露霜乃、 冠辭
 
秋去來者、射駒山、 大和なり一本|射釣山《ヤツリヤマ》今本は如v字也都利也萬と兩點ならんかと云説はいまだし今本によりてさだむべし
 
飛火賀嵬丹《トブヒガヲカニ》、 【奥人按に拾穗抄に飛火賀塊丹《トブヒガクレニ》とよめり飛火嵬の事は續紀聖武天平十三年春正月壬辰廢河内國高安(ノ)烽始置高見烽及大和國春日烽以通平城也云云奥人按に右飛火嵬の拾穗抄に云云は違へり續紀に依て糺べし拾穗注に云○元明天皇和銅五年月廢河内國高安烽始置高見烽及大和國春日烽以通平城也なりと有り】嵬を今本塊なり字書に塊は土塊なり蒐崔は高峻又高不平と云一本によるべし
 
芽乃枝乎《ハギノエヲ》、石辛見散之《シガラミチラシ》、狹男壯鹿者、妻呼令動《ツマヨビドヨメ》、山見者《ヤマミレハ》、山裳見貌石《ヤマモミガホシ》、里見者、里裳|住吉《スミヨシ》、物負之、 冠辭
 
八十伴(ノ)緒乃、打經而《ウチハヘテ》、里並敷者《サトナミシケバ》、 今本里を思に誤る一本によりて改つ
 
天地乃、依會限《ヨリアフキハミ》、 天地合てあらぬ限をいふ例は上にもあり
 
萬世丹、榮將往跡、思煎石《オモヒニシ》、大宮尚矣《オホミヤスラヲ》、恃有之《タノメリシ》、名良乃京矣、新世乃、 御代始を云新の意なり
 
事爾之有者、皇之、引乃眞荷眞荷《ヒキノマニマニ》、 天皇の率のまゝになり
 
春花乃、遷日易《ウツロヒカハリ》、 今本うつろひやすきとよめれどこゝは都のかはれるさまをかなしむなればかはりと訓下の反歌にも不可易《カハルベカラズ》ともよめるによれるなり
 
村鳥乃、 冠辭
 
旦立往者、刺竹之、 冠辭
 
大宮人能、蹈平之《フミナラシ》、通之道者《カヨヒシミチハ》、馬裳不行《ウマモユカズ》、人裳往莫者《ヒトモユカネバ》、 かく莫を下に書例も多し
 
荒爾異類香聞、」 【續紀聖武天平十三年春正月癸未朔天皇始御恭仁宮受朝宮垣未就繞以帷帳同紀天平十五年十二月己丑始|運《ハコヒテ》2平城器仗1收置於恭仁宮云云辛卯初(テ)壞平城(ノ)大極殿并歩廊遷造於恭仁宮四年而於茲其功纔畢矣用度賣不可勝計至是更造紫香樂宮仍停恭仁宮造作焉】
 
 反歌、
1048 立易《タチカハリ》、古京跡《フルキミヤコト》、成者《ナリヌレバ》、道之志婆草、長生爾異梨、」 たゞに何事もなくやすらにあれたるさまをいひうつせるなり
 
1049 名付西《ナツキニシ》、 奈禮の約禰なるを奈に通しいふ馴著意なり平言になづくと云も是なり
 
奈良乃京之、荒行者、出立毎爾、嘆思益《ナゲキシマサル》、」
 
○讃久邇新京歌二首、 こゝは歌數もとより有べしこゝに反歌にさへ始に數をしるさずさればはじめより短歌ともにある數は後のわざなり
 
1050 明津神、吾皇之、天下、八島之|中《ナカ》爾、國者霜、多雖有《サハニアレドモ》、 【多雖有をおほくとよみしはたがへり即其次に澤と借字を置しにてもしるし】
 
里者霜、澤爾雖有、山|並之《ナミノ》、宜國跡、川次之、 川次は山並よりつゞきし言にて波の意にあらず大和の川々の山背に至りて皆合へり即川々のつきをいふなり次の立合さとゝ云も波のたつといふにあらず辭のみ
 
立合郷跡《タチアフサトヽ》、山代乃、鹿背《カセ》山(ノ)際爾《マニ》、宮柱|太敷奉《フトシキタテヽ》、高知爲、布當乃宮者《フタイノミヤハ》、 二瀧の意なり當は當麻《タキマ》などいふより借て其伎を例の伊に通して布多伊の宮と云なり
 
河近見《カハチカミ》、湍音叙清《セノトゾキヨキ》、山近見、鳥賀鳴動《トリガネトヨミ》、 今本こゝを伊多牟とよめるは慟と有によれり慟といふ事清といふ對句にいふべくもなく全誤しるかれば動と改さてこをさわぎとよむもあしからねど下の山裳動響にといふをおもへばかならずこゝはとよむと訓べし
 
秋去者、山裳動響爾《ヤマモトヾロニ》、左男鹿者、妻呼令響《ツマヨビトヨメ》、春去者、岡邊|裳《モ》繁爾《シヾニ》、巖者《イハホニハ》、花開乎呼理、痛※[立心偏+可]怜《アナニヤシ》、 こゝも今本の訓誤れり伊止阿波禮とよむべき事ならず
 
布當乃原《フタイノハラニ》、甚貴《イトタカキ》、大宮處、諾己曾《ウベシコソ》、吾大主者、君之隨《キミガマニ》、 神隨《カンナガラ》と云に同
 
所聞賜而《キコシタマヒテ》、刺竹乃、 冠辭
 
大宮|此跡《コヽト》、定異等霜《サダメケラシモ》、」
 
 反歌、
1051 三日(ノ)原、布當乃|野邊《ノベヲ》、清見社、大宮處、此跡標刺《コヽトシメサス》、」 今本定異等霜と有は長歌の終の句紛しなるべし一本の方しらべもまされゝばとれり
 
1052 山|高來《タカク》、 今本|弓高《ヤマタカク》と書るは誤なり訓によりて改つ既いふ如く草の手の誤りなり
 
川乃|湍《セ》清石《キヨシ》、百世左右《モヽヨマデ》、神之味將往《カミシミユカン》、 今本こゝを加美|乃味將往《ノミユカム》とよみしは何の言ともなしこゝは神|繁《シミ》ゆかんといふなりしみは進《サミ》と同言なり
 
大宮所、」
 
1053 吾皇《ワガオホキミ》、神乃命乃、高所知《タカシラス》、布當乃宮者、百樹成《モヽキナル》、 成は生の意なり
 
山者《ヤマハ》木高之、落多藝都、湍音毛清之《セノトモキヨシ》、鶯乃、來鳴春部者、 
巖(ニ)者、 いはほは石穗の意なり
 
山下|耀《ヒカリ》、錦成、花咲乎呼里、左牡鹿乃、妻呼秋者、天霧合《アマギラヒ》、 今本あまぎりあふと訓しはいまだし利阿の約良にてかく訓例なる事既にも出るなり
 
之具禮乎|疾《イタミ》、狹丹頬歴、 冠辭
 
黄葉散乍、八千年爾、安禮|衝之乍《ツカシツヽ》、 卷一に藤原宮の歌に阿禮萬志々と有
 
天(ノ)下、所知食跡《シラシメサムト》、百代爾母、不可易《カハルベカラズ》、大宮處、」
 
 反歌、 こゝに今本五首とあれど一首は此反歌にあらずしかれば歌數を書しは撰者の意ならず後人のわざなり
 
1054 泉川、 山代の國相樂郡
 
往瀬乃水之、絶者許曾、大宮|地《トコロ》、遷往目《ウツロヒユカメ》、」
 
1055 布當山、 同郡なり
 
山並見者、百代爾毛、不可易、大宮處、」
 
1056 ※[女+感]嬬等之、續麻繋云《ウミヲカクトフ》、 是迄は序なりうみ麻をかくる※[木+(上/下)]とつゞけたるなり
 
1057 鹿脊之山、 同郡
 
時之往者《トキノユケレバ》、京師跡成宿、」 歌の意は何となき鹿脊山なりしに時行て今は都となりぬといふなり
 
鹿脊之山、樹立矣繁三《コダチヲシゲミ》、朝不去《アササラズ》、寸鳴響爲《キナキトヨモス》、鶯之音、」
 
1058 狛《コマ》山爾、鳴霍公鳥、泉川、渡乎遠見《ワタリヲトホミ》、此問爾不通《コヽニカヨハズ》、」 【狛山 山城なり拾穗】一云|渡遠哉不通有武《ワタリトホミヤカヨハズアラム》と此歌右の長歌の反歌にあらず長歌は春秋をいひて鶯と鹿はあれど霍公鳥はなし反歌は長歌の事物を云入てうたひかへすぞ反歌の常なるこは他歌の亂て入しなり
 
○春日悲2傷三香原荒墟1作歌、
 
1059 三香原、久邇(ノ)京師者、山高、河之瀬|清《キヨミ》、在吉迹《アリヨシト》、人者雖云、在吉跡、吾者雖念、故去之《フリニシ》、 四言
 
里爾四有者、國見跡、人毛不通、里見者、家裳荒有、波之異耶之《ハシケヤシ》、 一木によりて之をくはへぬ
 
如此在家留可《カクアリケルカ》、天諸著《アモリツク》、 冠辭今本天を三に誤るよしは考に云一本によりて改【三諸著 鹿脊山、詞草小苑云三諸は神社なり三室に齋神といふつゝけなりかみのみを下略してかの一言にかけたり云云】
 
鹿脊山(ノ)際爾《マニ》、開花之、色目列敷《イロメツラシク》、百鳥之、音名束敷《コヱナツカシク》、在※[日/木]石《アリガホシ》、 在之欲《アリカホシ》なり※[日/木]は※[白/ハ]の誤なり既も有如く果の音を假字に借れり
 
住吉里乃《スミヨキサトノ》、荒樂苦惜哭《アレラクヲシモ》、」 一本喪と有はよしされど既にもいふ哭も痛哭の意もて書ればこも毛と訓べし
 
 反歌、 今本こゝに三首とあれど歌は二首なり二を三に誤る歟かく妄なるはとかく思ふに數は撰者の意にあらぬか
 
1060 三香(ノ)原、久邇乃京者、荒去家里、大宮人乃、遷去禮者《ウツロヒヌレバ》、」 
1061 咲花乃、色者不易、百石城乃、 冠辭
 
大宮人叙、立易去流《タチカハリヌル》、」
 
○難波宮作歌、
 
1062 安見知之、 冠辭
 
吾大王乃、在通、名庭乃宮者、不知魚取《イサナトリ》、 冠辭
 
海片就而《ウミカタツキテ》、玉拾《タマヒロフ》、濱邊乎近見、朝羽振、 卷二人麻呂別妻上來歌に玉藻息津藻朝羽娠風社依米夕羽振流浪之共云云羽振は浪風のたつを鳥の羽振に譬ふと眞淵いへりこもよしある事ながらおのれ考るに羽振の羽は比多の約にて濱邊を近見ひたぶる浪の音のさわぎといひて夕和に對へさす句と見ゆ鳥の羽根も音高き物故浪の音の高にもたとへつべけれど鳥は羽ぶり羽ぶきといへりここははぶるといへりひたぶる浪の方然んか眞淵は己に勝る考を待人なれば僻言を云なり
 
浪之|聲躁《トサワキ》、夕|薙丹《ナギニ》、櫂之聲所※[耳+令]《カヂノトキコユ》、 今本|櫂合《カヾヒ》と有合は衍字なり筑波嶺のかゞひと同じくおもひ誤りし人のさかしらなり【櫂合《カヾヒ》奥人按に上の加は加伊の約伎を加に通し下の加は加計阿の約にてかいかけあひの聲也されば誤と云べからず】
 
曉之、寐覺爾聞者、海原之、鹽干乃|共《ムタ》、 【今本|海石《アマイシノ》と有は海原の誤ならんと橘千蔭かいへるはよし原の畫消しならん】今本干を于に誤しるければ改 
※[さんずい+内]渚爾波《イリスニハ》、 渚は借字字音なり洲なり渚は訓ならず【渚音主なり此志由の反須なりよりて字音洲は豐秋州とも有は訓なり】
 
千鳥妻|呼《ヨビ》、葭部爾波、 今本葭を※[草冠/段]に誤る※[草冠/段]は槿と見えて小木の類なりよりて改
 
鶴鳴動《タヅガネトヨミ》、視人乃《ミルヒトノ》、語丹爲者《カタリニスレバ》、聞人之、視卷欲爲、御食向、味原宮者《アヂフノミヤハ》、雖見不飽香聞、」
 
 反歌、
1063 有通《アリカヨフ》、 既いふ如くむかし今と絶す有を有通有乍など云なり
 
難波宮者、海近見、漁童女等之《アマヲトメラガ》、乘船|所見《ミユ》、」
 
1064 鹽|干者《ヒレバ》、葦邊爾躁、白鶴乃、 【白は百の誤ならんかと吾友昌保の見しはよし白鶴の聲高きてふよしも聞ず末の句宮もとゞろといふにもかなふべしさらば訓も毛々多豆乃と有べし】今本あしたつとよめるはよしなし
 
妻呼音者、宮毛動響二、」
 
○過2敏馬浦1作歌、 攝津國なり今本※[敏/馬]と一字にせしはいふにもたらず
 
1065 八千|桙《ホコ之、神之御世自、百船之、泊停跡、八島|國《クニ》、百船|純乃《ビトノ》、 【純は人の借なり】
 
定而師《サダメテシ》、三|犬女乃《ヌメノ》浦者、朝風爾、浦浪左和寸、夕浪爾、玉藻者來依、白沙《シラマナゴ》、清濱部者、去還、雖見不飽、諾石社《ウベシコソ》、見人毎爾、語嗣《カタリツギ》、偲家良思吉《シヌビケラシキ》、 吉は計利の約
 
百世歴而、所偲將往《シヌバレユカム》、清白濱、」
 
 反歌、
1066 眞十鏡、 冠辭
 
見宿女乃浦者、百船、 如を入て心得べし
 
過而可往《スギテユクベキ》、濱有七國《ハマナラナクニ》、」
 
1067 濱清《ハマキヨミ》、浦愛見《ウラメツラシミ》、 今本奈都香之美と訓はいまだし 
神世自、千船《チブネ》湊、大和太乃濱、」 攝津國なり
 〇今本こゝに右云云田邊福麻呂之歌集中出也とあるは前々の卷にも例あれば撰者のかゝれしなるべし歌數二十二首とあるは不合(傷惜寧樂京荒墟作歌とある以下をいへるなるべし其前の歌までは皆作者審なり其作者なき歌をかぞふるに右終の歌迄にて二十四首なり歌の左の數をかけるをもて數れば二十五首なりまことに歌を數るに反歌五首と有る中に一首は他歌の交入たるなり又反歌三首有は歌は二首也かく亂りなるを思ふに歌數は後人の書加しものならん)
 
萬葉集卷十五之考 終
 
萬葉集卷十六之考
 
○此卷より下卷二十の卷まで卷のついで今本とおなじさて此卷に前しりへには古くよしある歌あり中らには歌とも見えず戯くつがへれるを載てさま異なり中に河村王大伴家持としるせし歌も入しかば古き集にあらずこも家持卿の集のうちならんとすあつめぶりも前の卷卷のさまに似たり
〇卷七の卷の始にいへる如く此卷の中竹取翁の歌は眞淵はやく考へ置けりよりて眞淵が注なりされど諸成考も入たるは其よしをいひつ
○前の卷々に出し古歌又奈良に至りての歌にも前の卷の歌の解とたがひし有りそもおのれが考は名をしるしおのれが友の考は友の名をあらはせり前とくらべ考へて人々よろしきをとれ
 
有由縁并雜歌《ヨシアルトクサ/\ノウタ》。 ともに種々の歌なれどもよしあるとよしなき雜歌あり故に并の字をおけるなり
 
昔者《ムカシ》有《アリ》2娘子《ヲトメ》1字《ナヲ》曰《イフ》2櫻兒《サクラゴト》1也|于時《トキニ》有2二壯子《フタリノヲノコ》1共《トモニ》挑《イドミ》2此娘《コノヲトメ》1而《テ》、 伊杼美の伊は阿比の約杼は都與約にてあひつよみなりともにつよみつのるをいどむといふ
 
捐生格競《ミヲステテアラソヒ》貪死|相敵《カタキナム》、於是《コヽニ》娘子|歔欷曰《ナゲキイヘラク》、從古至于今《イニシヘユイマニ》、末v聞未v見一女之身往2適二門《ヒトリノヲトメノフタカドニユキムカフヲミキカズ》1矣、方今壯之意《イマヲトコノコヽロ》、有難和平《ナクサメカタシ》、不如妾死相害永息《シカジヤツコミマカリテアヒソコナフヲヤメム》、爾乃尋林中《シカシテヤガテハヤシノチニイリ》、懸樹經死《キニカヽリワナキミマカル》、其兩壯子《ソノフタリノヲトコ》、不堪表哀慟《カナシミニタヘズ》、血泣漣襟《チノナミダヲナガシ》、各棟心緒《オノカトチオモヒヲノバヘテ》、作歌
 
3786 春去者、挿頭爾將爲跡、我念之、櫻花者、 妹が名櫻兒なれば挿頭よりして妹によせたり
 
散去《チリニケ》流香聞、」 ちりいにたるを畧き云なり
 
3787 妹之名爾、繋有《カケタル》櫻、 こも右に同じ妹か名といひかけたるは卷一に妹が名にかけのよろしきと云が如し
 
花開者《ハナサカバ》、 今本こをちらしとはいかにあやまりけん
 
常哉《ツネニヤ》將戀、彌年之羽爾、」
 
○或曰《アルモノニイフ》昔有三男《ムカシミタリノヲトコアリ》、同娉一女也《トモニヒトリノヲミナヲツマドヒス》、娘子嘆息曰《ヲトメナゲキテイフ》一女之身《ヲミナノミノ》、易滅如露《キエヤスキツユナセリ》、三雄之志《ミタリノヲトコノコヽロ》、難乎如石《ナコシカタクイハホナセリト》、遂乃彷徨池上《ツヒニイケノホトリニタモトホリ》、 【彷徨は彷彿に同じ彷を髣に作は誤なり彷は不審の貌なりよて徘徊の意にとり多母止保利と訓りこはこまりまどひてふ言なり】
 
沈没水底《ミオナソコニシヅミウセヌ》、於時其壯士等《トキニソノヲトコラ》、不勝哀頽之至《カナシミニタヘズシテ》、各陳所心《オノガジヽオモヒヲノバヘテ》作歌三首、 娘子字曰鬘兒也
 
3788 無耳之《ミヽナシノ》、 大和國
 
池羊蹄恨之《イケシウラメシ》、 羊蹄は之の假字なり
 
吾妹兒|之《カ》、來乍|潜者《カヅカバ》、 かつかむにはの意なりにを畧けははと濁べし
 
水波將涸《ミヅハアセナン》、」 阿勢の勢は左米の約にてあさめなん也
 
3789 足曳之、 冠辭
 
山縵之兒《ヤマカツラノコ》、 山縵とは蘿をいへどこゝは妹か名鬘兒によれる歌の調のみ
 
今日往跡、吾爾告世婆  志良世婆の志良の約左なり其左に禮を加へ左禮の約勢なればつけせばとはいふなり
 
還來麻之乎《カヘリコマシヲ》、」 我しらば行てたすけて還りこましをといふなり迅を還に誤る歟といふもあれど還にてもたすけ心得らるれば暫今本によれり
 
3790 足曳之、 冠辭
 
山縵之兒、如今日《ケフノゴト》、 契冲云これよりさきいづれの日か終に身をなげんといふが如く此池にのぞみてかく見置こゝには來りけんと也隈はかくれたる所なりとしからじいともむつかし男の我は今日此くま/\をたづねとめしが如くいもゝたどりきつらんと云をつゝめて云也
 
何隈乎《イヅレノクマヲ》、見《ミ》管來爾|監《ケム》、」
 
○昔《ムカシ》有《アリ》2老翁《オホヂ》1、號《ナヲ》曰《イフ》2竹取翁《タケトリノオヂト》1也、此翁季春之月《コノオホヂヤヨヒノヒニ》、登丘遠望《ヲカニノボリミサゲスルトキ》忽《ニハカニ》値《アヘリ》2煮羮之九筒女子《モノニルコヽノヽヲトメニ》1也、百嬌無儔《モヽノニホヒタグヒナク》、花容無比《ハナノヨソヒナラビナシ》、 【無比今本|無止《ヤムコト》と有】
 
于時《コヽニ》娘子等《ヲトメタチ》、呼《ヨンデ》2老翁1嗤曰《ワラヒテイヘラク》、昇父來乎《オホヂマウキテ》、 【昇一作叔さらばをぢと訓べし○奥人案に來乎の乎一本になしおもふに乎は而字の誤歟】
 
吹《フケ》2此鍋火《コノナベノヒヲ》1也、 一木鍋を燭に作
 
於是翁曰唯唯《コヽニオホヂヲヽトマヲシテ》、漸※[走+多]徐行《ヤヽクユキ》、着接座上《クラノホトリニツキヌ》、良久娘子《ヤヽクシテヲトメタチ》、皆共含咲《ミナトモニヱミテ》、相推讓之曰《ユヅリアヒテイヘラク》、阿誰呼此翁哉《タレカコノオホヂヲヨベルヤ》、爾乃《ヤガテ》竹取(ノ)翁|謝之曰《イヤマヒイヘラク》、非慮之外《オモヒヨラデ》、偶2逢《アヒマツリ》神仙《ヤマビトニ》1、迷惑之心無敢所禁《マヨヘルコヽロタフルコトナシ》、近狎之罪《チカヅケルツミ》、希贖《ネガハクハアガナハム》2以謌《ウタモテ》1、即作歌《トテヨメルウタ》一首并短歌、
 
3791 緑子之《ミドリコノ》、若子蚊見庭《ワカコガミニハ》、 若兒之身爾者なり
 
垂乳泥(ノ)、 【垂乳爲久老考に云卷五にたら知遲ともたら知斯共有て遲と斯も相通ふ足摩乳手摩乳の乳に同くあがまへ親む云なり】冠辭今本爲とあるは誤なる事冠辭考にくはしくいふ
 
母所懷《ハヽニイダカレ》、搓襁《タスキカケ》、 【搓は集中に糸などより合るに用ゐたる字なればこゝも紐してたすきかくるによしあれはかたかた注の如く心得へき歟】此搓襁は上へつくなりしからざれば上にわくごが身にはといへる辭をうくる所なし、襁褓の事とおもへどこは史記の注字書にも負小兒於背上被とあればこゝに叶ともなし源氏に姫君のたすきゆひ色々むねつき云云枕草紙にふたつばかりなるちごのたすきかけにゆひたる腰のかみの白ううつくしき云云又ちこのふたつばかりなるが云云二藍のうすものなど云々なるたゞたすきかけたるがはひ來る云云といへり是等後ながら猶こゝにかなひて聞ゆ今の世の兒皆夏は腹より兩の脇かけたる物を紐してたすき掛に腰のあたりにて結へるも有は似たりよてこゝをたすきがけと訓べくおぼゆ
 
平生蚊《ハフコガ》見庭、 【平生《ハフコ》久老云生は子の誤にて這子也奥人考に今本には母所懷|《衣+卷》襁《タマタスキ》云云和名抄|※[衣+差]襁《ムツキ》は小兒を被也】這《ハフ》兒我身爾者といふなり
 
結經方衣《ユフカタギヌ》、 木綿肩衣なるべし又絹にてもゆふとは云べし(卷九)貧窮問答には布可多衣ともよめり且袖なき肩衣とは古今同じかるべし結經は借字なり
 
氷律裡丹縫服《ヒツリニヌヒキヌ》、 【氷津理は端《ハシ》つゞり歟】今田舍にてちごのえな着といふは袖はなくて肩より身かけて覆ひきたるに左衣の脇をは開きて其開く所をゆるく筋違に縫かけてあり是を今ちどりかけと云それをひつりにといふ歟直ならず引つるといふに似たればなり
 
頸著之《ウナヅキノ》、童子蚊《ウナリガ》見庭、 【頸著之《クビツケシ》久老如此よめりくびは衿《ヱリ》の事にて今もをくびをつけると云是也】童は髪の先を頭《ウナジ》にて切てあれば其髪のさまもてうなゐことはいふよてうなづきのうなゐとは言を重ね云けん
 
結幡《ユフハタ》之、 結は纐纈の事幡は機なり纐纈をゆはたと云は略にてゆふはたと云ぞまさしかるべき絹布を糸して結くゝりて染れば也はたは機して織りたるをすべて云也
 
袂著衣《ソデツケゴロモ》、 右の肩衣にむかふるにこは今少し人となりしわらはの事なれば袖つけたる衣を着るさまなり
 
服我矣《・與に通》《キシワレヲ》、 我といふは翁のむかしを云なりされどすべてをもかぬべし、
 
又と入て心得べし 丹因子等何見庭《ニヨルコラガミニハ》、 【丹因子等《ニヨルコラ》、何四等庭《カシラニハ》、千は樂の誤なり
 撮要抄、又久老解に云丹の上吾の字脱せり吾丹因子等何《ワニヨスコラガ》なり四千は四千庭《ヨチニハ》なり諸成案にこゝの丹因子等何見庭をこをによれる子等が身には、と四言にするもあれどさては上下に五言あれは句例亂る仍て爾與留子等我美爾波と九言によみて一句とす猶思ふに庭は爾波の假字に借る事常なれば暫よれとこゝは庭《テイ》を弖の假字に用ゐて子等何見庭にても其下の言に叶へはしかならんかとおもへりさらば八言にて此歌にふさはし四言九言なと交はるべきしらべならねばなり】丹はさにつらふといふに同しくにほひやかなるかほばせをいふよるはつくと云に意同じく集中に丹つかう妹とよめるにひとし、今本見を四千と有は字の亂て四千と成しなり右に此辭の例みつ迄有て明らかなればあらためつ
 
三名之綿、 冠辭
 
蚊黒|伎《・爲、久老》髮尾、 例によるに爲は伎の誤にてかくろき香美とも云てかは發語のみなり
 
信櫛持《マクシモテ》、 信は例のほむる言萬左の約美に通ふは萬志の約にて同言なるよし既言卷十に此言有
 
於是《コヽニ・コレヲ》蚊寸|垂《タリ》、 こゝには添いふ言よくも聞えず
 
取束《トリツカネ》、擧而裳纏見《アゲテモマキミ》、解亂《トキミダリ》、 髭をとりつかね或はあけ或は解などして人まねびするは女わらへの常するわざなり
 
又を添て見べし
童兒《ウナヰゴノ》、丹成兒羅《ニナスコラ》、 上のによるに同じく譽る言なり此兒を今本には見に誤るなり
 
丹津蚊經色丹《ニツカフイロニ》、 【吾郷の俚言に小兒の面など拭ひやるをよちすると云是なりよろしきを云言なり即|貴人《ウマヒト》を指、久老、童兒丹成見《ウナヰニナシミ》、羅丹津蚊經《サニツカフ》、卷七、清羅色丹名者來】丹に着色にといふなり
 
名著來《ナツカシキ》、 馴著《ナレツカ》ましきなりうるはしみしたしみおもふを云さて紫と云ん序なり
 
紫之《ムラサキノ》、大綾之衣《オホアヤノコロモ》、 大紋の綾を云べし
 
墨江之《スミノエノ》、遠里小野之《トホサトヲノヽ》、 攝津國なり【住吉にをりえてふ所ありて今はうり生野といへりさらばこゝはとほざとならでをり小野ならんかとそこを見し人の云へるもうべなり】
 
眞榛持《マハギモテ》、 榛はかり字なる事既にいふ
 
丹穗之爲衣丹《ニホシヽキヌニ》、 (卷八)住吉之遠里小野之眞榛以須禮流衣乃盛過去とよめるに同じく摺つけし色をにほふといふは例有
 
狛錦、 冠辭
 
紐丹縫著、 よろしき衣の紐には錦をせし事多見ゆ
 
刺部重部《サシヘカサネベ》、 刺部は紐をさし也重部は衣をかさね也其部は米に通ひ米と美は同言故さしみかさねみと云也【部《ヘ》は並《ナヘ》なり久老、丹成兒羅丹津蚊經色丹名着來なと同言を重ね歌の文をいひつゝけしをもなど思はさりけん】
 
波累服《ナミカサネキ》、 【波累服、久老云爰迄は余知《ヨチ》子等か装かざれるさまを云こゝに一段を終と心得べし】波は借字並重着てなり上のさしへ重へとり重て云なり纐纈機をさへ結幡と字を借常に藤並を藤波とかりしをもて契冲が波の重る如く衣をかさねんといひしはわろふべきなり
 
打十八爲《ウチソバシ》、 冠辭なり美麻はにて爲は辭なり
 
麻續兒《ヲミノコ》等、 女兒《ヲナゴ》等てふ事なりなぞといはゞ女は麻を紡績《ウミツムグ》を業とせるよりをうみなてふも云べければなりされど女の言の辭は別に在
 
蟻衣之、 冠辭
 
寶之子等|蚊《ガ》、 【をみの兒等は賤者の女子を云寶之兒は假字|民《タカラ》なり】是より上十五六句は彼女の童の盛り久なる程を云て即九の娘子を云也さて此次の六句ばかりはすべての女の手業を云て稻寸をとめに云つゞくるなり
 
打栲者、 【打栲は借字にて宇知都多倍の智都の約都なれはうつたへといふならん宇知都多倍經て織布てふ言か】美細布はと云なり
 
經而織布《ヘテオルヌノ》、 いづれの織物も先糸を經てさて機物にかけており立ればさらにへておるといふは心得す言つたなきなるべし
 
日暴之《ヒニサラシ》、 先水に漬て後に日にてさらすなり
 
朝手作尾《アサタヅクリヲ》、 (卷六)多麻河泊爾左良須※[氏/一]豆久利とよめりさて朝は借字にて麻なり
 
信巾裳成者《シキモナスハ・マハヽモナセハ久老》、 しきもなすは敷毳《シキカモ》なすなりさてかものかを略くなりなすは似るをいふ言なり
 
之寸丹取爲支《シキニトリシキ》、 重敷と云なりしきは重る事をいふ事紀にも集にも多し取は添いふのみ氈の類古へは東國にて織作りて貢せし事賦役令にも見ゆ夏は毳の代に麻手作を爲と言
 
屋所經《ヤトニフリ》、 (卷二)敷裳相屋常念而とよめるは敷毳を相並へて夫婦の共寐せしをいへり然ればこゝもいなぎをとめがねやの樣を推はかりてかくいへるにや經るとはまだ若くて人にも見えずやどにかくれてあるをいふなり
 
稻寸丁女蚊《イナキヲトメガ》、 【稻寸丁女蚊、久老云稻搗少女と云意成べしさる賤女迄も吾に心を寄來しとや、丁はつよき意なれは是は織女を云ならんと或人はいへど賤か我を戀る事をいひては此歌かなはすと二色の綾の裏沓も賤か贈るものともなしおもふに丁は少の畫の消しものならん】かばねに稻置有さる尸《カハネ》の女の家を戀しことありしを今いひ出るさまによみて次の飛鳥男の言をむかへてあやをなすなり
 
妻問迹、 つま戀するを古はつまどふと云りさて妻は訓の爲に書り實は夫と書べし
 
我|丹《・ニ》所來爲《オクリシ・ゾコシ一段久老云》、 集中に贈と書しによるに來るをもおくると訓べきなり
 
彼方《・浮形歟》《ヲチカタ》之、 此綾は遠より來しを贈るよしか此ことおぼつかなし若は彼は浮の字を誤る歟方は形に借しか次の二綾は二色の後の事か織部式に浮物と二色の綾と條をならべ擧たるは據あらん考べきなり
 
二綾、 【二綾は浮文と地文と二文なるへし久老】
 
裏沓《シタグツ》、 【襪《シタグツ》也久老貴人の女子を云へるなり】裏は下とも訓事なり是はかのをとめが贈るものをはくなり
 
飛鳥(ノ)、 冠辭
 
飛鳥壯士蚊《アスカヲトコガ》、 昔飛鳥の里に沓よく作りし人ありしにや又飛鳥は氏にてさる手人の名高きがありしをいふならんかさる事なるべし
 
霖禁《ナガメイミ》、縫爲黒沓《ヌヒシクロクツ》、 革沓は日能時ぬふが堅きなるべし今本黒沓と訓しは誤なり烏皮による
 
刺佩而《サシハキテ》、庭立《ニハニタヽ》、 【久老 庭立《ニハタチ》、往退《ユキモトホレト》、】
 
※[人偏+至]退《ズメバ》、莫立《ナタテソト》、禁尾迹女蚊《イサムヲトメカ》、 【こゝの尾迹女は上の稻寸をとめにあらで他しをとめか此男を夫問時の事なればとにもかくにもをとめの上禁の下に二言の句なくてはかなはず】禁と尾迹女蚊てふ間に字多く落しものなり妹が屋の庭にたゝずみてうかがふは人目わろしさなせそといさむるなり扨こゝに此事を言ひ終る言ありて又次の事をいふ句二句餘もなくては理とほらず
 
髣髴聞而《ホノキヽテ》、 ほのかに聞及てつまとひの物を贈しなり
 
我|丹《・ニ》所來爲《オクリシ・ゾコシ一段久老》、水縹《ミハナダノ》、 【水縹、久老云是よりは又別に風流の女を云なり】水は借字眞漂なるべし水色の事を云は水になづめる説ならん
 
絹帶尾《タヘノオビヲ》、 たへは緒布にわたりていふ古言なり
 
引帶成《ヒキオビナス》、 【和名抄衿帶和名比伎於比小帶なり釋名衿は禁なり禁(シテ)不得開散なり今幼稚の兒の服に逢付たる帶をひこびと云は是也久老】垂を引といふなり天皇の御名にたらしと申所に帶の字を書し是なり成は借宇似と約し言なる事前にいふ
 
韓帶丹取爲《カラオビニトリナシ》、 唐帶のさまはしられねど紀にも集にも大君の御帶の倭文機むすびたれとよみしをもて思ひはからるさてこゝはよそひのみやびを云言なるべし
 
海神之、殿蓋丹《トノヘイラカニ》、飛翔、爲輕如來、 野山こそあらめ海神の殿をいひし心得す爲輕は螺贏なり既上卷にも云り
 
腰細丹、取飾氷《トリテカザラヒ》、 こしほそきは唐にもこゝにも女にいふを男にとりいふはいかゞ
 
眞《マ》十鏡、 冠辭ながら下のつゞけからこゝは用に取なせれば冠辭ともなし眞十鏡冠辭考に委
 
取雙懸而《トリナメカケテ》、 鏡を前後などにかけるを云
 
己蚊※[日/木]《オノガカホ》、 かほは面のみにあらず姿の事にもいへり神代紀一書に天子はあめのかほつちには地《ツチ》のかほと云に天垢地垢と書しを思ひ合すべし果は音を轉して加保の假字に借し事集中例あり【果上の卷にも云如く貌の誤か】
 
還氷乍見《カヘラヒミツヽ》、 《久老歌解には還氷見乍|吾丹《ワレニ》所來爲、と一句を補へり曰此句無時は水縹の帶以下の言皆翁が壯き時の事と成を女にこそ腰細はめづれ男に何の能事あらんと】鏡にうつる姿をかへり見つゝ是によりてかほを面とのみ思へる人は疑べし
 
春避而《ハルサリテ》《・是は翁の壯きを云久老》、 春になりてなり春さりくればと同じ
 
野|邊尾囘者《ベヲカヘレバ》、 野へ行かひするをいふ
 
面白|見《ミ》、 見は辭なり
 
我矣|思經蚊《オモフカ》、 蚊は訓なるを假字とせしも拙し况上に濁音に借しはいよ/\よしなしさて下は美少年の艶にほこるをいふなり
 
狹野津鳥《サヌツドリ》、 狹は發語きゞしなり
 
來鳴翔經《キナキカケラフ》、 【雉子までも吾みやびたる姿にめで、來鳴かけるといへり】
 
秋|避而《サリテ》、山邊尾往者、名津蚊爲迹、我矣思經蚊、天雲裳、行田菜引《イユキタナビキ》、 (卷十四)の富士の根の歌に天雲毛去|波《ハ》伐加利とよめりこゝに行たな引とのみにてはいさゝかいひ得ても聞えず笛の音に行雲をとゞむるてふをとりなせしと見ゆこゝは雲ならで上の雉子の對に何ぞ有べきを言のゆかざりけん
 
還立《カヘリタチ》、 野よりかへりて都の大路を行をいふなり
 
路尾所來者、 こは道をきたればとよまんか六言にわざとなすべきほどの言ならずよくも聞えずおほくは上に大の字落しならん大とあればおほぢと訓て難なし【我友平勝睿いへらく續紀に從四位上|路《オホチ》眞人大人などの類あまたあればこゝも大の字なくともおほぢと訓べしといへるによるべし】
 
打氷刺、 冠辭
 
宮尾見名《ミヤノヲミナ》、 官女なり
 
刺竹之、 冠辭
 
舍人|壯裳《ヲトコモ》、 とねりはとのゐ人の略なる事既いふ是も宮中の人なれば刺竹と冠らせつ
 
忍經等氷《シヌブラヒ》、 【志乃未良比の良比の約利なり又夫利の約備なれば志奴|備《ビ》なり】しのびを延ていふのみこゝはしたふ事をいふ
 
還氷《カヘラヒ》見乍、 良比は利のゝべ言なり
 
誰子其迹哉《タガコゾトヤ》、 たれ人ぞと云
 
所思而在《モハレタリシヲ》、如此所爲故爲、 かくの如老て醜めく人となりしなり
 
古部《イニシヘノ》、狹狹寸爲我哉《サザキシワレヤ》、 いにしへわかく少くうるはしかりしわれやなり狹々の狹は勢萬の約|狹《サ》は勢婆の約にて狹《セマキ》は少の意其様上に見ゆるがごとし
 
端寸八爲、 集中此言に愛の字をかきたりもとは細きてふ言にてすべてほむる歌に云よし卷二の別記に委し言の解荒羅言に云
 
今日八方子等丹《ケフヤモコラニ》、 こゝははしきやしこらにそふやとつづく意なるを上下にいふも歌の常なり
 
五十狹爾迹《イサニト》哉、 いさはいなにて不知てふ言なり吾盛なるを今いひ聞えてもかゝる醜き翁となりしを見る女共はいかゞ有けんしらなくにと疑ふべきと云なり
 
所思而在《モハレテアラム》、如是所爲故爲《カクゾシコナル》、 かくそしこなるからはと云べきを略ていへるは古歌の様なりさて二度いひて上の言を結ひたり
 
古部之、 是より下は老を尊むためしを擧添云のみ
 
賢人藻《サカシキヒトモ》、後之世之、規監將爲迹《タメシニセント》、 今本堅鹽と書てかたみとよみたれどかなはず規の草を堅に誤れりとしてあらたむ
 
老人矣《オイヒトヲ》、送爲車《オクリシクルマ》、持還來《モテカヘリコシ》、」 こしといひて上のためしにせんといふにむかへり今本にこよと訓しはひが事ぞ○こは孝子傳てふ唐書に祖父の老はてゝあるを父母のすてんとす其子の原穀と云人いさむれども終にすてつ穀も其車にしたがひて行しか車をもて歸りたるを親の見て此凶具を用ゐんやと云を穀後に親の老て捨ん時に更に作らんは堪じといへり親これを聞はぢて祖父を車にてむかへ歸しよく養つるてふことなりかゝれば我老しとてきらひ捨給ひそすてし車やがてきなんにと女共にさとしむめりこはしかるべき事にはあれど唐の古事をこゝの歌にいふは奈良人の歌なる事しるべし人麻呂など世におもしろくもあはれにも正しくもよみし多かれど他《ヒト》の國の事を用ゐしはなし我國の古事にていともたればなり
 
 反歌、
3792 死者水苑《シナハコソ》、 水苑を今本木苑と書たるは誤なり古本一本に皆水苑と有契冲云水苑和名抄水田(古奈太)田埴也又紀(崇神)に云其|軍衆脅遇則追破《イクサヒトオソリアヘバオヒハフリ》於河北《カハノキタヲ》斬首過半《クヒキルコトオホカリ》屍骨多溢《マカルホネサハニアフレ》故號其處《カレソコヲイヒテ》曰《イフ》羽振苑《ハフリソト》と見えたり合て思ふに水苑を故曾と訓べしと云によるべし社と同じく借字なり 
相不見在目《アヒミズアラメ》、生而在者《イキテアラバ》、白髪子等丹《シラガミコラニ》、不生在目《オヒザラメ》八方、」 わかきほどこそあれ年老るまでいきてしあらば今みやびかに見うる娘子にも白髪生て見にくかるべしと云
 
3793 白髪爲《シラカセム》、子等母生名者、如是、將若異子等丹《ワカケムコラニ》、所詈金目八《ノラレカネメヤ》、」 白髪となるまで娘子らも生てありなばわが如く又其時わかからん人にのられかねめやのられなんよと也
 
○娘子等和歌九首、
 
3794 端寸八爲、 既長歌にいふ如くほめ親む歌なるをこゝは翁をほむるに用
 
老夫之歌丹《オキナノウタニ》、大欲寸《オボホシキ》、 【久老 老夫之|歌《ウタニ》、丹太欲寸《ニホホシキ》、にほゝしきは艶《ニホ》はしきなり】欝悒の字をおぼはしきと云大欲寸はかり字なり次の保は乎の如く唱こも半濁にて即暮なり言は於暮呂の暮呂の約暮なればおぼろ/\敷を略云なり
 
九兒等哉《コヽノヽコラヤ》、蚊間毛而將居《カマケテヲラム》、」 紀(孝徳)に感を加米計弖とも又於刀志弖とも訓り加は發語負てなりさればおぼろおぼろ敷はかなき女の心に※[句の口が言]ぬ、はしき翁の歌に負て居らんとなり
 
3795 辱尾忍《ハヂヲシヌビ》、辱尾|默《モタシテ》、 だまりてと云に同じさて言は萬乎左傳阿良志を約し云なり萬乎約母なり傳阿約陀なり左と良は辭故略て約なり
 
無事《コトモナク》、 事は借字言なり
 
物不言先丹《コトトハヌサキニ》、我者|將依《ヨリナム》、」 此依は集中|情憶《ナサケオモヒ》をよする事をいふ例なり
 
3796 否藻諾藻《イナモウモ》、隨欲《オモハンマヽニ・ホリノマニマ久老》、可赦《ユルスベキ》、貌所見哉《スガタミユカモ》、我藻將依《ワレモヨリナム》、」 八人のともゝ同心に見ゆ故に君がおもふまゝに我心をゆるしよりなんとなり
 
3797 死藻生藻《シニモイキモ》、同心跡、結而爲、友八違《トモニヤタガハジ》、我藻|將依《ヨリナム》、」 ともにやたかはじなり八の下に不の字脱たる歟
 
3798 何爲迹《ナニセムト》、違將居《タガヒテヲラム》、 たがひてをらんやなり
 
否藻諾藻、友之波波《トモノナミ/\》、 波は借字並なり
 
我裳將依、
 
3799 豈藻不在《アニモアラズ》、あるにもあらぬなり
 
自身之柄《おのがみのから》、 わが身なればなり
 
人(ノ)子之《コノ》、 人は八人のともを指人々がかくなりとてもわれをかくといはむやなり
 
事藻不盡《コトモツクサジ》、 事は借字言なりかくと言をつくさんやつくさで將依也 
我藻將依、」
 
3800 者田爲爲寸《ハタズスキ》、 冠辭
 
穗庭|莫出《ナデソト》、思而有《シヌビタル》、 しぬびたるは友の心に翁をしのびてあるをいふなり
 
情者所知《コヽロハシレリ》、我藻將依、」
 
3801 墨之江之、岸野之榛丹、丹穗所經迹、丹穗|業寐我八《ハヌワレヤ》、 此八はやはのてにをはなり
 
丹穗氷而|將居《ヲラム》、」 きしのゝはきの花にゝほへれどもそれにふれてもにほはぬ心のわれなれど翁にはまげて心をよするとなり落句心に忍び色には不出と云を上のやはにて通はすなり
 
3802 春之野乃、下草靡《シタクサナビキ》、 よるといはん序なり
 
我藻依、丹穗氷|因將《ヨリナム》、 にほひはいろよろしき春草のにほひに春草のしなひなびくをかけていひそのよる如く翁に心のよるなればにほひよりなん友の心のまゝにといふなりさてこゝの因將もふと見ては字の上下したるさまなること既に言が如し因奈萬左爾の奈萬左の約奈なれば下の爾は例のはぬるならはしにならひよりなんといふなり
 
友之|隨意《マニ/\》、」
 
○昔|有《アリ》2壯士與美女《ヲトコトヲミナ》1也、 茲に姓名未詳と有はとらず
 
不v告《マウサデ》2二親《オヤニ》1竊爲交接《シヌビニアヘリケルガ》於時《トキニ》娘子|之《カ》意《コヽロニ》欲v令2親知《オヤニシラセマクオモヒテ》1、因作v歌詠送2與其夫1歌曰《ヨテウタヲヨミテソノセニオクルウタニイヘラク》、 今本夫を父に誤る
 
3803 隱耳《シタニノミ》、 隱は意をもて書下なり
 
戀者辛苦、山(ノ)葉從《ハユ》、出來月之《イデクルツキノ》、 如くを入て心得べし
 
顯者如何《アラハレバイカニ》、」 今本こゝに右式曰云云十三字あれど撰者の意ともなし後人のさかしらなれば捨つ
 
○昔者|有2壯士《ヲトコアリ》1、新成2婚禮《メヲヨベリ》1也、未v經2幾時《マダホトヘヌニ》1、忽爲2驛使《ニハカニハユマツカヒトナリテ》1、被v遣2遠境《トホキクニヽツカハサル》1、公事有v限《オホヤケゴトカギリアレバ》、會期無v日《アヒヌベクモナシ》、於v是娘子《コヽニシテヲトメ》、感慟悽愴《イタクカナシミテ》、沈臥疾※[病垂/尓]《ヤミコヤセリ》、 【※[病垂/尓] 玉篇同※[病垂/火]熱疾也】
 
累年之後《トシヘテノチ》、壯士還來《ヲトコカヘリマウキテ》、覆v命既了《カヘリコトマウシヌ》、乃詣相視而《ヤガテユイテアヒミルニ》、娘子之姿容、疲羸甚異《イトコトニヤツレテ》、言語哽咽《コトトヒムセヘリ》、于v時壯士、哀嘆流涙《カナシミナゲキテ》、裁歌口號《ウタヲヨメリ》、其歌一首《ソノウタヒトクサ》、
 
3804 如是耳爾、有家流物乎、猪名川之《ヰナガハノ》、 攝津國在(卷四)に居名山ともよめり旅の地名によす
 
奥乎深目而、 (卷二)人麻呂よしの川におきとよめり川にも沖と云あり
 
吾念有米《ワガモヘリケメ》、」 (卷二)神山之山邊眞蘇木綿短木綿如是耳故爾長等思伎とよめるに同じかくばかりみつるゝまで戀なんと我もふかめてくるしくおもひけりといふなり
 
〇娘子臥聞夫君之歌《セノキミガウタヲコヤシナガラキヽテ》、從枕擧頭應聲和歌《カシラモタゲテコヱノマニ/\コタフルウタ》一首
 
3805 烏玉之、 冠辭
 
黒髮|所沾而《ヌレテ》、沫雪之《アワユキノ》、零也來座《フルニヤキマス》、幾許戀者《コヽタコフレバ》、」 わかふかく戀ればくろかみの雪にぬるゝまでふるにも君がかへりますと夫のあさからぬ心をよろこびて和るなり
 今本こゝに今案此歌云云三十二字の注撰者の意とも見えず後人のさかしらしるかれば捨つ
 
3806 事之有者《コトシアラバ》、小泊瀬山乃、石城爾母《イハキニモ》、 死にたとふるなり石城は石の廓なり(卷十一)過蘆屋處女墓長歌の中に玉桙乃道邊近磐構作冢矣とあり古今歌集に「もろこしのよし野の山にこもるともおくれんと思ふ吾ならなくに」おもひ合べし
 
隱者共爾《コモラバトモニ》、莫思吾背《ナモヒソワカセ》、」 かりにも死ことあらばともにと思ふ何かかなしみおもひそと夫をいさめたるなりさて小泊瀬を身のはつるにたとへ石城は墓所なり死してこもらばともにといひきはみたるなり
 右傳云、時《トキニ》有《アリ》2女子《ヲトメ》1、不知父母《オヤニシヌビテ》、竊接壯士也《ミソカニヲトコニアヘリ》、壯士《ヲトコ》悚2タ《ヲソリテ》其親呵※[口+責]《ソノオヤノコロバンヲ》1、稍《ヤヤ》有《アリ》2猶豫之意《タユタフノコヽロ》1、因此娘子《ヨテコノヲトメ》、裁作斯歌《コノウタヨミテ》、贈2與《オクレリ》其夫《ソノセニ》1也、
 
3807 安積《アサカ》山、影副所見《カゲサヘミユル》、山(ノ)井|之《ノ》、 井は筒井板井などは深く影も見えぬばかりなるも有こは山清水の淺らに流るゝなれば影さへみゆると云なり
 
淺心乎、吾念《ワガモハ》莫國、」
 右歌傳云《ミギノウタハツタヘニイフ》、葛城王《カヅラキノオホキミヲ》遣《ツカハサルヽ》2于陸奥國《ミチノクニヽ》1之時《ノトキ》、國司祇承緩怠異甚《クニノツカサモノウケタマハルコトオロソゲナリ》、於時王意不v悦怒色顯面《ソノトキオホキミオモボテリテ》、 眞淵いへらくおもぼてりは面頬照ならん怒ればおもてのてりてあかくなればならんほを濁るは言便といへるもよしありさもあらんおのれ諸成おもふに重腹立《オモクハラタテリ》を約しならんか於毛久の久は辭なれば略き波呂の約保なり良と呂はもとより通へば波呂の約としおもくの久をはぶけば婆呂の約となる故暮と濁るかさて多弖の約弖なれば多を略き弖利と云かさらば於毛暮弖利なりされば理をそへていへばいかさまにもいはるものながら言の約かなへばいふのみ
 
雖v設2飲饌《ミアヘヲマケレト》1、 紀にも饌《ミアヘ》と訓あり阿倍は阿治波倍の治を略波倍の波をはぶきてほむる言をそへてしかいふにや
 
不肯宴樂《タヌシミタマハズ》、於是《コヽニ》有《アリ》2前采女《サキノウネメ》、 采女は諸國郡司以上の女姪姉妹などの中に撰て貢ける例なるが今はまかでてあれば前の釆女なりけん紀(文徳)に大寶二年四月奥は勿貢との制見ゆれば是は其制の先の采女ならんとおぼゆるなり
 
風流娘子《ミヤビタルヲトメ》1、左手《トテニ》捧《サヽゲ》v觴《サカヅキヲ》右手《カクテニ》持《モテ》v水《ミヅヲ》、 水は酒の誤なり又古へは酒を水とも油ともいへり又おもふに水は缶の誤りかといふ説も有されば此次の枚に味酒乎水爾釀成吾待之とあるもまたく酒をいふなれば此まゝにて水《ミツ》とよみなん歟
 
撃之王膝而《オホキミノヒザヲウチテ》、詠其歌《ソノウタヲウタエリ》、爾乃王意解脱《シカシテオホキミノミココロトケテ》、樂飲終日《ヒネモスタヌシミマセリ》、 さて此王を橘諸兄公はじめ葛城王といへればそれならんと云説もあれど大寶二年の先き遠き使などし給ふほどのよはひならず紀(天武)八年七月に葛城王卒とあり此王の事なりけん
 
3808 墨(ノ)江|之《ノ》、小集樂爾出而《ヲツメニイデヽ》、 住吉《スミノエ》の社に今も七十餘度の神事有其時多く集る古へも有けん夫をいふか眞淵がとも朝恒いへらく下野にてわらはべつどひ互におし合事ありそをのうづめといふ乃と乎とかよへばこゝの小集てふもこのこゝろなる歟【奥人案に小集樂《ヲヘラ》と仙抄に訓りをへらとは田舍物の出集りて遊ぶを云なり住吉には年毎に濱にてをくらひとて遊ぶ事あり顯昭説も是に同じ考に乎は男女子の約つめはあつめの略にて其めは萬利の約め美に通てあつまりなり又をへらと云も乎はをとこをみなこつとの約をなる故をとこをみなこつとちふ言にて同言となれり】 
寤爾毛《ウツヽニモ》、己妻尚乎《ワガツマスラヲ》、鑑登見津藻《カヾミトミツモ》、」 鏡は句中に見るてふ序ながらたとへをかねていふなり
 右傳云昔有鄙人、 こゝに姓名未詳也とあるは後人のさかしらなり撰者何ぞ鄙人の名をとめん
 
于時|郷里男女衆集野遊《サトノヲトコヲミナオホクツトヒテノアソビセリ》、是會衆之中《コヽニツトヘルノチニ》、有鄙人夫婦《ヒナヒトノメヲハベリ》、其婦容姿端正《ソノメカホイツクシサ》、秀於衆諸《モロヒトニマサレリ》、乃彼鄙人之意彌増愛妻之情而《カノヒナヒトノコヽロメヲウツクシムノオモヒマサリテ》、作斯歌讃美貌也《コノウタヲヨミテホメツト》、
 
3809 商變《アキガハリ》、 古の賣買は定法ありて私に賜る事ならざるなり契冲云買は物をかはりをつかはして又取かへすなり
 
領爲《メセ》、 【領爲《メセ》 毛杼の約毛なるを免に通し云にてもどせとの御法なり】 
跡之御法《トノミノリ》、 法は借字令なり
 
有者許曾《アラバコソ》、吾下衣《ワガシタコロモ》、變賜米《カヘシタマハメ》、」 【商ひし物を人の違變する法度あらばこそ我參せし形見をも返し給はめさは有べき事かはとなり、拾穗】 右傳云、時有所幸娘子也《トキメケルヲトメアリ》、 今本こゝに姓名未詳と小注有前に云後人のわざなり
 
寵薄之後《イツクシミオトロヘテノチ》、還賜寄物《カタミヲカヘシタマヘリ》、 こゝに俗云可多美とある小注も前に同じければすてつ
 
於是娘子《コヽニシテヲトメ》、怨根聊作斯歌獻上《ウラミテイサヽカコノウタヲヨミテタテマツル》、
 
3810 味飯乎《ウマイヒヲ》、水爾釀成《ミヅニカミナシ》、吾待之《ワカマチシ》、 紀に(持統)待酒と見ゆ
 
代者曾無《カハリハゾナキ》、 まちしかひなきをいふ
 
直爾之不有者《タヾニシアラネバ》、」 たゞにあらねばあだし妻有を云
 右傳云昔者、 今本者を脱す例によりて補ふ
 
有娘子也《ヲトメアリ》、相2別其夫1望戀經年《ソノセニワカレテコヒテトシヲヘタリ》、爾時夫君更娶他妻《ソノトキセノキミサラニアダシツマヲイレテ》、正身不來《ソノミコズ》、徒贈※[果/衣]物《タヾニツトヲオクル》、因此娘子作此恨歌還酬之《ヨテコノヲトメコノウラミノウタヲヨミテコタフル》也、
 
○戀《コフル》2夫君《セノキミヲ》1歌一首並短歌、
 
3811 左耳通良布《サニヅラフ》、 冠辭
 
君|之《ガ》三言等《ミコトヽ》、 君が仰とてなり
 
玉梓乃、 冠辭
 
使毛|不來者憶病《コネバコヒタメル》、 こひはおもひこふなり此ためるはいためるの上略なり其伊多の約は也にてやめるといふに同じ
 
吾身|一曾《ヒトツゾ》、千磐破、 冠辭
 
神爾毛|莫負《ナオフセ》、 【負 古に於波牟、萬に於比又於布】神爾毛莫負(卷六)に和伎毛古爾、安我古悲思奈婆、曾和惠可毛、加米爾於保世牟、許己呂思良寸而、伊勢物語に「人しれずわれ戀しなばあぢきなくいづれの神になき名おほせん」又古今集に在原滋春甲斐の國にあひしりて侍りける人とぶらはんとてまかりける道中にてにはかにやまひをしていまや/\となりにければ云云「かりそめのゆきかひちとぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり」みなにたるさまなり
 
卜部座《ウラベスヱ》、龜毛莫燒曾《カメモナヤキソ》、 神のとかめともおもふな占もするなといふなり
 
戀之久爾、 戀しきる意にて則戀の思ひの繁なり
 
痛苦身曾《イタキワガミゾ》、伊知白苦、身爾|染《シミ》等保里、 今本染保里とあるは染等の二字を一字と見しものか
 
村肝乃、 冠辭
 
心碎而《コヽロクダケテ》、將死命《シナムイノチ》、爾波可爾成奴、今更《イマサラニ》、君可吾乎喚《キミガワヲヨブ》、 目も見えぬまでやみてやせしなれば母の神をうらみ占とはんとするもさなせそと歌にいひ母もかく斗になりにたればかのかくろへ男にあはしめなばいきもやするとよそへるが母とともに枕にありてよぶを今更に君かも吾よぶ又母の御言葉か夕占卜部にもきはみ死ぬべき吾身故にかゝるなげきさするといためるなり
 
足千根乃、 冠辭
 
母|之御事歟《ノミコトカ》、 事は借字言なり
 
百不足、 冠辭
 
八十乃衢爾、夕|占《ケ》爾毛、卜爾毛曾問《ウラニモゾトフ》、應死《シヌベキ》吾之|故《ユヱ》、」
 
 反歌
3812 卜部乎毛、 こは龜卜を云
 
八十乃衢毛、 こは辻占なりちまたもとは衢にてもの意なり
 
占雖問、君乎相見、多時不知毛、
 
 或本反歌曰、
3813 吾命者《ワギノチハ》、惜雲不有《ヲシクモアラズ》、散追良布《サニヅラフ》、 冠辭
 
君爾依而|曾《ゾ》、 【此曾は古曾に通なり故に皆五音第四の音にてうけ】
 
長欲爲《ナガクホリスレ》、」 曾といひて禮とうけたる歌此下に何所曾眞朱穿岳薦疊《イツコニゾマソホホルヲカコモダヽミ》平群乃阿曾我鼻(ノ)上乎|穿禮《ホレ》とあるも右と同じく曾禮とうけたり
 右傳云、時有娘子、姓車持氏《ウヂハクルマモテウヂ》也、其夫久經年序《ソノセヒサニトシヲヘテ》、不作往來《カヨハズ》、于《ニ》v時《トキ》娘子係戀傷心《ヲトメコヒタミツヽ》、沈臥痾※[病垂/尓]《ヤミコヤシ》、痩羸日異《ヒニケニヤセオトロヘ》、忽臨泉路《ミマカリナムトス》、於是遣使《コヽニシテツカヒヲマタシテ》、喚其夫君來而《ソノセノキミヲオヒキタラシテ》、乃歔欷流涕《イトモナゲキ》、口號斯歌《コノウタヲヨミテ》、登時逝沒也《ヤガテミマカリヌ》、
 
○贈歌、
 
3814眞珠者《シラタマハ》、緒絶爲爾伎登《ヲタエシニキト》、聞之故爾《キヽシヱニ》、 由惠の約衣なれば由を略
 
基緒復貫《ソノヲマタヌキ》、吾玉爾|將爲《セム》、」 人のすみつきたるがすまずなりぬときゝてわがすみつきなんとおやの本にいひ送るなり(卷八)照左豆我手纏|古須《フルス》、王欲得《タマモカモ》其緒波加倍弖、吾玉將爲、とあるも似たるさまなり
 
○答歌、
 
3815 白玉之、緒絶者信《ヲタエハマコト》、雖然、其緒又貫、人持去家有《ヒトモテイニケリ》、」 意明なり
 右傳云、時有娘子、夫君見棄《セノキミニステラレ》、改適他氏也《アダシビトニミアヒシキ》、于時或有壯士《トキニアルヲトコ》、不知改適《マタミアヒセシヲシラデ》、此歌贈遣請誂於女之父母者《コノウタオクリテヲミナノオヤニコヘリ》、於是父母之《コヽニオヤノ》、意《オモハク》、壯士未聞委由之旨《ヲトコツバラカナルヨシヲキカズト》、乃依彼歌報送《ヤガテカノウタニコタヘテ》、以顯改適之縁也《マタミアヒセシヨシヲシラセツ》、
 
○穗積親王御歌、
 
3816 家爾有之、櫃爾※[金+巣]刺《ヒツニクギサシ》、 同鎖和名(久良乃加岐)集中にくらにくぎさし共あれはくぎなるべし
 
藏而師《ヲサメテシ》、戀乃|奴之《ヤツコノ》、束見懸而《ツカミカヽリテ》、」 つかみはつかまひなり(卷四)面忘、太爾毛得爲也登、千握而、雖打|不寒《コリズ》、戀之奴《ヤツコハ》(卷五)丈夫之(ノ)、聡神毛《サトキコヽロモ》、今者無、戀之奴爾、吾者可死、(卷十三)廣河女王、戀者今者、有志登《アラシト》、我者|思爾《オモヒニシ》、何處乃戀曾、束見懸有ともあるなり
 右歌一首、穗積(ノ)親王《ミコ》、宴飲之日《ウタケノヒ》、酒酣之時《サカミツキセストキ》、好誦斯歌《コノウタヲトナヘ》、以爲恒賞也《ツネノメデコトヽシタマフ》、 
3817 可流羽須波《カルウスハ》、 唐臼なり
 
田廬乃《タブセノ》毛等爾、吾兄子者、二布夫爾《ニフフニ》、 【二布布、奥人按に二は爾伎の約和なり布々は含《フクム》の約即|和含咲而《ニギフクミヱミテ》なり】
 
咲而《ヱミテ》、 にふゝはにこ/\と云に同
 
立麻爲所見《タチマセルミユ》、」 からうすはたぶせといはん序に下の縁語におけるのみ田のふせ廬の本に兄子かうらなくおもへる面もちにてたちませるを悦びよめるかこゝにたちませるみゆととむる故にからうすと置るなるべし唐臼は立といへばたちませるの縁語にとれりさてこゝの小注に田廬者多夫世反とある反は也の誤なるべしこは訓注と云が如したぶせは田舍にいふこなし小屋なり
 
3818 朝霞、 冠辭
 
香火屋|之《ガ》下爾、 【今本この句の下乃とあるは誤なり】香火は鹿火なり冠辭考に委
 
鳴川津、之奴比管有常《シヌビツヽアリト》、 此しぬぶはしたふなりさて蛙の鳴如く鳴てしたひあるといふ
 
將告兒毛欲得《ツゲムコモガモ》、」 鹿を追ためにかくれて有廬を序としていかで吾方よりおもひを告ぬべき便ある兒にもあれかしとよめるなり
 右歌二首、河村|王《オホキミ》宴居之時《ウタゲスルトキ》、彈琴而即先誦此歌《コトヲヒキテヤガテコノウタヲトナヘテ》、以爲常行也《ツネノアソビトシタマヘリ》、
 
3819 暮立之《ユフダチノ》、雨打零者、春日野之、乎花|之《ガ》末乃《スヱノ》、 今本乎を草とするは乎の草を草と見たる誤なり下に云如卷七に既に出て誤しるかれば改
 
白露於母保遊、」 此歌は(卷七)暮立之雨落|毎《コトニ》(一云打零者)春日野之尾花之上乃白露所念と既出其時或本の語も見ゆれば此卷は又夫より後の集めゆゑかくたがへるならん
 
3820 夕附日《ユフヅクヒ》、指哉河邊爾、構屋之《ツクルヤノ》、形乎宜美《カタヲヨロシミ》、諾所因來《ウベソヨリクル》、」 契冲云晴やかなる川邊に心ある人のよしありて住家には所からといひ人がらといひげにぞあまたの人のこゝによりくるとなりと云しはうち見たるさまをいふのみしからじこは相聞の譬喩歌にて上は序なり景色のよきを容貌のよきにたとへけにもいひよせらるゝといひしなるべしよき妻人のいひよすると云なり諸成案に與曾利の曾は世與の約にて與は世奈利を約めたる言なりけり
 右歌二首、小鯛王《ヲダヒノオホキミ》、宴居之日《マトヰノヒ》、受琴登時《コトヲトレバ》、必先吟詠此歌也《カナラズコノウタヲウタヘリ》、其小鯛王者《ソノヲタイノオホキミハ》、更名置始多久美斯人也《マタノナハオキソメノタクミトフコノヒトナリ》、 
○兒部女王嗤歌《チヒサベノヒメオホキミワロフウタ》、
 
3821 美麗物《ウマシモノ》、何所不飽矣《イツコアカヌヲ》、 此矣を何所の下不飽の上へ引上し意にて訓べし
 
坂門等之《サカトラガ》、 【坂門は地名と見ゆ其地名より出たる姓なるべし下の註に見ゆる如尺度の字なるべし】
 
角乃布久禮爾《ツノヽフクレニ》、 【角乃布久禮てふを吾友平勝睿の云今もふとりたる男をふくれたる男といへればこもたゞふとりたるをいふならんといへるはやすらかなり】新撰姓氏録に角朝臣紀朝臣同祖とありこゝに角といふは角姓の醜男ならんかふくれは獣の面のふくれ見ぐるしきを醜なる男にたとへたり契冲云よきとだにいふものはいづくとて飽ぬ物をと云なり角のふくれは賤しきものゝかたちを鬼にたとへていふなり卷十三《今三》「かくれ居らむおにのしこてをさしかへてねなん君故」とよみたり又牛の角鹿の角など皆下ふくれたれば左樣の男といふか末摘花に下がちなるおもやうといへりといひしはことたがへるさまにおもはる眞淵説と合せて見よ
 
四具比相爾計六《シグヒアヒニケム》、」 四《シ》は發語なり喰合にけりなり牛などの互にかみ合にたとへたりさて越の國の俗はたはけ合を志我美合といふ具と我は同言にて比と美も通へば四具比も志我美も同言なり自ら喰《クヒ》と噛の同じきを思へここはたはけ合を云と諸成が友藤原中良のいへるはよし
 右時(ニ)有娘子、姓尺度《ウチハサカト》氏也、此娘子、不聽高姓美人之所誂《ウルハシキウマヒトノヨバヘルヲキカデ》、應許下姓※[女+鬼]土之所誂也《イヤシキシコヲノヨバヘルニユルセリ》、於是兒部女主裁作此歌《コヽニシテチサコベノヒメオホキミコノウタヲヨミテ》、嗤彼愚也《シレタルヲワラヘリ》、
 
○右歌曰、
 
3822 橘、寺之長屋爾、 【奥人案橘寺八雲抄に河内云】聖徳太子始てつくる寺なり時の人菩提寺と云
 
吾率宿之《ワカヰネシ》、 率《ヒキヰ》て寢しなり
 
童女《ウナヰ》波奈理波、 うなゐの放髪《ハカチ》したるなり
 
髪|上《アケ》都良武可、」 かみ上したらんかとなり
 右歌、椎野《シヒノヽ》連長年、 右のよみ人なり
 
説曰《イヘラク》、 今本脉曰と有は説の誤しるかればあらたむ書下せれば長年説の如見ゆ
 
夫寺者不在俗人寢處《カノテラハヨノヒトノヌルトコロニアラズ》、 此文のさま説曰は時の人の説を云なりけり上の寢處に引つゞけて亦稱若冠女曰放髪草矣云々不可重云著冠之辭哉とあるは放髪の童か髪上する事もしらぬ後人のわざなればすてつ
 
○或本歌、 今本こゝに决曰と有は决は或の誤かまして標和歌は殊更の誤なり聞傳へて書るには寺をてれるとも誤るべし誤しるければしるせり
 
3823 橘之、光有《テレル》長屋爾、吾率宿之、宇奈爲|放《ハナリ》爾、 此てにをはは誤るなり
 
髪擧都良武香、」 こはいと誤たる或本の歌なるべし古へとても傳聞たるには誤あるべし 
○長忌寸意吉麻呂歌、
 
3824 刺名倍爾《サスナヘニ》、 和名抄※[金+丸]子(佐之奈閉俗云左須奈倍)と見えたり
 
湯和可世子|等《トモ》、櫟津乃《イチヒツノ》、 和名抄以知比食經云櫟相似而大於椎子者也、紀(允恭)於是弟姫則從烏賊津使主而來之到倭春日食于櫟井上と見ゆ添上郡春日地
 
檜橋從來許武《ヒバシヨリコム》、狐爾《キツネニ》安牟佐武、」 あむさんはあびせんといふに同じ
 右一首、傳云、一時《アルトキ》衆集宴飲也《ツドヒテウタゲス》、於時夜漏三更《トキニヨフケテ》、所聞狐聲《キツネノコヱキコエ》、爾乃衆諸《ヤガテモロヒト》、誘興麻呂曰《オキマロヲスヽメテイヘラク》、關此饌具雜器《コノミアヘニアヅカルクサ/\ウツハ》、 銚子以下をいふなり
 
狐(ノ)聲河橋|等《ラノ》物、倶作歌《トモニウタニヨメ》、者即應聲《テイレバコヱノマニ/\》、作此歌《コノウタヲヨメリ》、
 
○詠《ヨメル》2行騰蔓菁食薦屋梁《ムカバキアヲナスゴモウツバリヲ》1歌《ウタ》、
 
3825 食薦敷《スゴモシキ》、 和名抄に食單(須古毛)
 
蔓菁|煮將來《ニモテコ》、梁爾《ウツバリニ》、行騰懸而《ムカバキカケテ》、 和名抄縢(旡加波岐)言嚢脚可以跳騰輕便也さてむかばきをぬきて梁にかけやすむ也此公の爲にすごもしきといふ意なり
 
息此公《ヤスムコノキミ》、」
 
○詠2荷葉1歌《ハチスヲヨメルウタ》、
 
3826 蓮葉者、如是許曾有疑《カクコソアルカモ》、 【有疑奥人おもふにあらめとよむべきなり】今本物と有は疑と物との草の誤にてかくこそあるかもなり
 
意吉麻呂|之《ガ》、家|在物者《ナルモノハ》、宇毛乃葉爾有之《ウモノハナラシ》、」 和名抄に以閉都以毛葉似荷其根可食今本宇に以の假字せるはいまだし宇以通へば宇毛共いふべき事なるをや
 
○詠2雙六頭1歌《スクロクノメヲヨメルウタ》、 和名抄頭子(左以)雙六(須久呂久)と見ゆ
 
3827 一二之《ヒトフタノ》、目耳不有《メノミニハアラズ》、五六、三四佐倍有、雙六《スグロク》乃|佐叡《サイ》、」 雙《スグ》を直《スグ》にの意にいひなして一二に非と云り
 
○詠《ヨメル》2香塔厠屎鮒奴《カウタウカハヤクソブナメヤツコヲ》1歌《ウタ》、
 
3828 香塗流《カウヌレル》、 清めとて手などへぬりつくる香なり
 
塔爾莫依《タフニナヨリソ》、 清むるとて塔へもぬるななり
 
川隅乃《カハクマノ》、 かはやの事なり後俗雪隱とさへいふ如くくまはかくれしぬぶ意さてかはやといふはかはり/\行屋なり交屋《カハヤ》の意なり
 
屎鮒喫有《クソフナハメル》、 屎鮒は屑鮒なり小鮒をいふなり
 
痛女奴《イタキメヤツコ》、」 紀に婢(米也都古)と訓契冲云歌の意は清淨なる塔へ穢たるくぞぶな喰し賤の女はよりそふ事なかれとよめるなりと云よし
 
○詠2酢醤蒜鯛水葱《スヒシホヒルタイナギヲ》1歌、
 
3829 醤酢爾、 ひしほと酢につきまぜてなり
 
蒜都伎合而《ヒルツキカテヽ》、 ※[食+柔]《ジウハ》文選加弖と見ゆ和名抄搗蒜※[韮の間に齊の上半をはさむ](比流豆木)※[韮の間に齊の上半をはさむ]《アヘテ》(安不一云阿倍毛乃)擣薑蒜以酢和なりと見ゆ是を云なり
 
鯛願《タヒモガモ》、吾爾勿|所見《ミセソ》、 上のみつをほしみすれば水葱の羮は見せそと云なり
 
水葱乃|煮物《アツモノ》、」 水あふひなり式供奉雜菜水葱四抱准昇五六七八日むかしはくひしものなり
 
○詠2玉掃鎌天木香棗《タマハヽキカマムロノキナツメヲ》1歌、 今本天木を天水に誤れりあらたむ
 
3830 玉掃、苅來鎌麻呂《カリコカマヽロ》、 人の名に用ゐたる折からの心づさみなり奴《イヤツコ》などの名としていひかくるなり
 
室乃樹與、棗本《ナツメガモト》、可《カ》吉《キ・イ》將掃爲《ハカムタメ》、」
 
○詠2白鷺啄木飛《シロキサキノキヲクヒモチテトフ》1歌《ウタ》、
 
3831 池神《イケカミノ》、 借字にて池上なり大和國に在
 
力土※[人偏+舞]可母《リキシマヒカモ》、 右かくいひし舞のありしをいふ
 
白鷺乃、杵啄持而《ホコクヒモチテ》、飛渡良武、」 詩苑を引て云説もあれどそは鷺の羽の事にて此力士舞に合ともなければすつ
 
○忌部首《イ|ミ《ン》ベノオフト》詠2數種物《クサ/\ノモノヲ》1歌、 今本こゝに名忘失とあるは書體共に撰者の意ともなしよてすてつ
 
3832 枳《カラタチノ》、棘原苅曾氣《ムハラカリソケ》、 (卷六)安可見夜麻久左禰可利曾氣とあるは苅|放《ソク》る如く繁き人目を放るにたとふこゝはたゞむばらを苅|放《ゾク》るなり(卷四)夏草乃苅放鞆とも見えたり
 
倉將立《クラタテン》、屎遠麻禮《クソトホクマレ》、 神代紀に送糞此云倶蘇摩屡と見ゆ
 
櫛造刀自《クシツクルトジ》、」 【菅根云櫛は借字にて頭作する事にやと云もよしあり諸成案るにさらば久志の久は加美の約志は奈志の略きにて、はちしかなしのしもなしを略たるなるもておもへば加美|造《ナス》ものは櫛なればかみなしつくる戸自といふならんか】櫛造は女の業なりくらたてんほどに清めよと令る斗なり久叙《クソ》と久志と言通へばかくつづけたるなり刀自は既云如戸主なり
 
○境部王詠數種物歌、 こゝに穗積親王之子也とあるも右に同じく後人のわざと見ゆればすてつ紀に(元明)養老五年正月乙巳授位坂合部王從四位下五年治部卿懷風藻云從四位上治部卿二首(年二十三)と見ゆ
 
3833 虎爾|乘《ノリ》、古屋乎越而《フルヤヲコエテ》、 古屋は地名ならん
 
青淵爾《アヲフチニ》、 枕草紙に名おそろしき物ふち
 
鮫龍取將來《ミヅチトリコン》、 蛟は水中の蛇なり
 
釼刀毛我、」 既云如くもがはねかふ意釼もがななり
 
○作主未詳欺《ヨミヒトシレザルウタ》、
 
3834 成棗《ナシナツメ》、 梨棗に成積《ナシツメ》をいひかけたるなり
 
寸三二粟嗣《キミニアハツギ》、 黍に君をいひかけ其黍に粟はつゞきつきて熟するもていひて逢續《アヒツギ》といひかけたり阿布波都伎を布波の約波なるもていへりさて逢は續《ツギ》つゞくを延田葛《ハフクズ》のはひわかれ又末にはひあふをたとへたることさねかづら後もあはんといひし如く四の句の後もあはんたとへとし落句に葵花咲とて逢日にたとへとめたりさてたはむれにまれまめやかなる事にまれ相聞のたとへ歌なり妹脊の中によしありてかくもたとへよめるか又友どちのまめ/\しきむつびをさるものゝまのあたりにありしをたとへよめる歌ならんかし
 
延田葛乃《ハフクヅノ》、後毛將相跡《ノチモアハント》、葵花咲《アフヒハナサク》、」
 
○獻|新田部親王《ニヒタベノミコニ》歌、 天武天皇第七皇子也天平七年九月薨
 
3835 勝間田之《カツマタノ》、 大和國なり【袖中抄云勝間田の池は人皆美作國に有と思へり是則彼國にかつまたの温泉有其故歟能因歌枕には下總にも美作にも入たり聊不審故美作の湯に罷下し時彼土民より尋侍しかとさる池有と申す侍らさりき】
 
池者我知、蓮無、然言君|之《ガ》、鬚無如之《ヒゲナキガゴト》、」 今本鬚を鬢《ビン》に誤る訓によて改む
 右或有人聞之曰《ミギアルヒトアリテコヲキヽテイヘラク》、新田部親王、出遊于堵裡《ミヤコノチニアソビマス》、御見勝間田之池《カツマタノイケヲミマシテ》、感御心之中《ミコヽロノチニメデタマヘリ》、還自彼池《カノイケユカヘリマシテ》、不忍憐愛《メテマスニタヘタマハズ》、於時語婦人曰《トキニタヲヤメノカタリテイハク》、今日遊行《ケフアソビテ》、見勝間田池《カツマタノイケヲミルニ》、水影濤濤《ミヅキヨク》、蓮花灼灼《ハチスハナキラヽカナリ》、可憐斷賜不可得言《メツシキコトイフバカリナシ》、爾乃婦人《ヤカテタヲヤメ》、作此戯專輙吟詠也《タハレウタヲヨミテシヾニウタヘリ》、
 
○謗2佞人1歌、
 
3836 奈良山乃、兒手柏之、兩面《フタオモテ》、 (卷廿)常陸國(ノ)部領防人使大目《コトリツカヒノオホフヒト》正七位上息長眞人國島進歌十七首云云、中那須郡上丁丈部(ノ)足《タリ》人之歌、布多|富我美《・拜》《フカミ》、阿志氣《・惡》比等《・人》奈里《・也》、阿多由《・與》麻比《・幣》、和我《・我》須流《・爲》等伎《・時》爾、佐伎母里《・防人》爾|佐酒《・差》、まひなひをばとりて則防人にさすふた面にあしき人といふなり
 
左毛右毛《トニモカクニモ》、佞人|之《ガ》友《トモ》、」 之は乃とよむも可なり
 右歌一首|消奈行文大夫作之《セナユキフミノマチギミヨメリ》、 神龜四年十二月丁亥授正六位上消奈公行文正五位下王福信は行文甥也懷風藻に天平九年六月云云賜背奈王姓とあり天平に入ては續紀に見えず甥の福信等に賜し姓の事を始にめぐらしてかくいふならんか
 
3837 久堅之、雨毛落奴可、 冠辭考に云如く此つゞけは後にて天を雨にいひうつせしなり
 
蓮荷爾《ハチスバニ》、渟在《タマレル》水乃、玉爾似有將見、」 今本に似將有見とあるは上下したるなり例によりてあらたむ
 右歌一首傳云、有右兵衛、こゝの小注に姓氏未詳とあるは例の後人のわざなり
 多能歌作之藝也《サハニヨクウタヨムヲワサトセリ》、于時府家備設酒食《トキニミヤケニヲシモノサケヲマケテ》、饗2宴《ミアヘス》府官人等《ミヤケノヒトラヲ》1、於是饌食盛之《コヽニヲシモノモルニ》、皆用荷葉、諸人酒酣《モロヒトサカミヅキシ》、謌舞絡繹《ウタヒマフニタエズ》、
 今本絡繹を駱驛とするは全き誤なりよてあらたむ
 乃誘右兵衛云《ヤカテヒヤウヱヲイサナヒテイヘラク》、 右は始によりて補ふ
 開其荷葉而《ソノハチスハヲアケテ》、作歌者《ウタヨメテイレバ》、登時應聲作斯歌也《ソノトキコヱノマニ/\コノウタヲヨメリ》、 上の作と歌との間に今本此とあるは誤なり一本による
 
○無心所著歌《コヽロノヨルベナキウタ》、
 
3838 吾妹兒之、額《ヒタヒ》爾|生流《オフル》、 句なり
 
雙六《スグロク》乃、事負《コトヒ》乃牛之、 【和名抄特牛(古度比)頭(ノ)大牛也奥人、
 ○事負の事は借字殊なり負は正字なり古刀於比なるを刀於の約刀なれは殊負《コトヒ》といふ】牡牛《コトヒ》大牛なり
 
倉上之瘡《クラノウヘノカサ》、」
 
3839 吾兄子之、牘鼻爾爲流《タブサキニスル》、 【多布左伎は末多布左妓の略なり或人の説による和名抄云史記曰司馬相如著犢鼻褌注韋昭曰今三尺布作之形如牛鼻者也廣韻曰※[衣+公]小褌也漢語抄曰※[衣+公]子ハモノシタノタフサキ、奥人考】
 
都夫禮石《ツブレイシ》之、 圓《ツブラ》石なり丸き小石なり
 
吉野乃山爾、氷魚曾懸有《ヒヲゾサガレル》、」 紀(允恭)に三人の女を一人かへし給へば耻て木にかゝりて死すそこを佐加里と云今はさがらと云誤なり【懸、有友云、住家禮流、家は加の音に用ゐし事なし】
 右歌者、舍人親王、令人侍座曰《サムラフモノニオホセテノタマハク》、或有作無所由之歌人者《ユヱナキウタヲヨムヒトアラバ》、賜以餞帛《セニキヌヲタマハム》、于時大舍人安倍朝臣子祖父《トキニオホトネリアベノアソミコオホヂ》、乃作斯歌|獻上《タテマツル》、登時以所募物錢二千文給之也《ソノトキツノリモノセニフタチアヤヲタマヘリ》、 
○池田朝臣嗤2大神《オホミワノ》朝臣|奥守《オキモリ》1歌、 今本こゝに池田朝臣名忘失とあるは前にも云如くなれば捨つ續紀(元正)養老元年八月正三位安部朝臣宿奈麻呂言正七位池田臣麻呂本系同族非異姓追尋親道理須改正請賜安部池田朝臣姓許之云云
 
3840 寺寺之《テラ/\ノ》、女餓鬼申久《メガキマヲサク》、 契冲云寺に女我鬼男我鬼とてつくりおく事ありとなり
 
大神乃《オホミワノ》、男餓鬼被給而《ヲガキタバリテ》、 奥守をさしていふなり
 
其子|將播《ウミナム》、 契冲云紀(允恭)蕃息《ウマハリテ》、紀(雄略)産兒《ウマハリセヨ》又|蔓生《ウマハリナシ》、紀(仁明)滋殖《マス/\ウマハル》、うまはんはうまんなりと此言よし宇萬波里の波利約備なり備美通へば宇美なればこゝもうみなんとよむべし
 
○大神朝臣奥守報嗤歌、 續紀(廢帝)寶字八年正月乙巳正六位下大神朝臣奥守授從五位下と有
 
3841 佛造、眞朱不足者《マソホタラズハ》、 契冲云和名抄云※[石+朱]砂本作朱丹出辰爲良辰砂水銀朱土(仁豆知)こは別本にても有歟普通の和名抄に此文見えずたゞ和名には丹砂邇似朱砂不解時者也とばかりあり案るに(卷六)爾布能麻曾本乃以呂爾低弖と有しは眞朱はまそほとよむべき事しるし
 
水渟《ミヅタマル》、 冠辭、
 
池田乃阿曾我、 吾兄は朝臣なり則古しへ天皇より臣をしたしみさす稱なり天皇の皇子をは大兄としたしみまし臣をは吾兄との給ひ吾兄臣《アソヲミ》なるを訓の同じければ朝臣と云て例のまゝに美をはぬるなり
 
鼻上乎|穿禮《ホレ》、」
 或云、 此下に可書とてかくかけるのみにて末をおとせしならん次の名をこれにつゞけて見るにはあらず
 
○平群《ヘグリ》朝臣|嗤2咲《ワラフ》穗積(ノ)朝臣1歌、
 
3842 小兒等《ワラハドモ》、草者|勿苅《ナカリソ》、八穗蓼乎《ヤホタデヲ》、 冠辭水蓼のほづみといへるに同じ冠辭なり
 
穗積乃阿曾我、腋《ワキ》草乎可禮、」 腋の下の毛をいふなり
 
○穗積朝臣和歌、
 
3843 何所曾《イツコニゾ》、眞朱穿岳《マソホホルヲカ》、 ほる岳かあらんのこゝろなり
 
薦疊、 冠辭、
 
平群乃阿曾我、鼻(ノ)上《ウヘ》乎穿禮、」
 
○喘咲黒色歌、
 
3844 烏玉之、 冠辭言を隔てゝかゝるなり
 
斐太乃大黒、 飛騨より出る馬を云
 
毎見《ミルゴトニ》、巨勢乃小黒|之《ガ》、 巨勢は大和の地名則其地より出る姓なり
 
所念可聞《オモホユルカモ》、」 (卷十五)大和道乃吉備之兒島乎過而行者筑紫乃小島將所念鴨とあるつゞけがらに似たり飛騨は馬の出る國なり其出る黒馬を見る度に巨勢|姓《ウシ》の色黒き人をおもふとよめるなり
 
○答歌、
 
3845 造駒《コマツクル》、土師《ハシ》乃志婢麻呂、 神代紀天穗日命此云出雲臣武藏國造土師連等遠祖也土師氏は埴をもてさま/”\の物形をつくる事をつかさどるさて此志婢麻呂色黒き人なればかく云
 
白爾有者《シロナレバ》、諾欲將有《ウベホシカラム》、其黒色乎、」
 右歌者傳云、有|大舍人土師宿禰水通《オホトネリハシノスクネミユキ》、字曰志婢麻呂也《マタノナハシヒマロトフヲ》、於時《トキニ》大舍人巨勢朝臣|豐人《トヨヒト》、字曰正月麻呂《マタノナハムツキマロトフヲ》、與巨勢(ノ)斐太(ノ)朝臣(ト)、 島村大夫之男也斐太島村は紀(聖武)にたゞしく見ゆれば改今本名忘失之也島大夫の男と有は誤なり、續紀(元正)養老三年五月從七位巨勢豐人巨勢斐太大男二人並賜姓朝臣と見ゆ
 
兩人、並此彼貌黒白焉、 今本白を色焉を烏に誤
 
於是土師宿禰水通《コヽニシテハシノスクネミユキ》、作斯歌|嗤咲者《ワロヘバ》、而巨勢朝臣豐人|聞之《キヽテ》、即作和歌酬咲也《ヤガテコタヘウタヲヨミテコタヘワラヘリ》、
 
○戯嗤僧歌、
 
3846 法師等之《ホウシラガ》、鬚乃剃杭《ヒゲノソリクヒニ》、 【紀(孝徳)於是古人大兄(中略)諸於是法興寺佛殿剔除髯髪被着袈裟云云】杭は馬つなぐ物そを首として髯のそりくびと云古へはすべて鬚をそる事なし法師のみそる故に鬚のそりくびといふなり、
 
馬繋《ウマツナギ》、痛勿引曾《イタクナヒキソ》、僧半耳《ホフシナカラカモ》、」 法師引さかれ半分にならんと云
 
○法師《ホフシ》報歌、
 
3847 檀越也《ダンオチヤ》、 契冲云舊譯なり檀那は新譯の梵語なり
 
然勿言《シカモナイヒソ》、 しかもないひそはさはいひそに同じ三施の中に財施をなすを布施のおもてとすゑだちはたられたらば布施もなからにならんとなり
 
良戸等我《イヘヲサラガ》、 今本良を※[氏/一]に誤る
 
課役徴者《エタチハタラバ》、 こゝはかくも訓ん歟
 
汝毛半耳《ナレモナカラカモ》、」
 
○夢裡作歌、
 
3848 荒城田乃《アラキダノ》、 新墾《ニヒバリ》の田をいふ
 
師子田《シヽダ》乃稻乎、 猪の來田なり
 
倉爾擧藏而《クラニツミテ》、阿奈于稻于稻志《アナウタウタシ》、 うた/\しはうたてと同じ事の重るを云事既いふ如し藏につみと云より云さて吾戀る心のやみがたきをうたてといはん上の序なり諸成案に宇多弖の宇は阿留の約多は都良の約弖は都米の約又都美の約知なるをも弖に通へば在連積《アリツラナリツム》てふ事なり又弖は在連弖ともいふべし弖を畧て在連るとも云よて心にまたず重る事に云なり
 
吾戀《ワガコフ》良久者、」 戀ふる事のかなひなんは心に待べし戀れども其かひのあらぬに戀る心のいやましなるは心にまたずくるしければうたてしきなり
 右歌一首、忌部|首《オフト》黒麻呂、夢裡作此戀歌《イメノチニコノアヒキコエノウタヲヨミテ》、贈友《トモニオクリ》覺而亦《サメテマタ》、 今本こゝに不と有は亦の誤歟又衍字ならむ歟試に白圏に傍書を加
誦習如前《トノフルコトサキノゴトシ》、
 
○厭世間無常歌《ヨノナカノツネナキヲイトフウタ》、
 
3849 生死之《イキシニノ》、二海《フタツノウミヲ》、 華嚴經云何能度生死海入佛智海 
厭見《イトヒミテ》、潮干乃山乎、 【八雲抄に冥途を潮干山と云云】彼岸にあてゝ云なり潮干を生死の海のかわきたるになしてそれをしのぶは無益の樂果をねがふとなりしほ干の山は名所なりけんをかりて用ゐたるにてもあるべし
 
之努比鶴鴨、」 しぬぶと云は極樂に行事をねがふなり
 
3850 世間之、繁借廬爾、 借庵を假の宿として世の事繁き假のやどりと云
 
住住而《スミ/\テ》、將至國之《イタランクニノ》、多附《タツキ》不知聞、」 ことしげきにのみなづみて安樂國に至りぬべき手着しらずとよめり
 
3852 鯨魚取、 冠辭、
 
海哉|死爲流《シニスル》、山哉|死爲流《シニスル》、死許曾《シネバコソ》、海者潮干而、山者|枯爲禮《カレスレ》、」 契冲云依報正報の中に人身等は無常と思へども依報の山海等は常なる樣におもへるを其も死ありとおどろかして作るなり、(卷三)高山與海社者山隨爾、如是毛現、海隨、然毛直有目、人花物曾、空蝉與人これは海山を常しきことによみこれは海山も死る事ありといふなりさて神代紀に復使青山變枯とも見ゆ
 右歌三首河原寺之 紀(舒明)十一年七月詔曰今年造作大宮及大寺則以百濟川淵爲宮處、續紀(天武)※[耿/衣]書生始寫一切經於川原寺と見えたり古く聞えたる寺なり
 
佛堂裡在倭琴面《ホトケノトノヽチノヤマトコトノオモテニアリ》也、 今本倭を佞に誤るなり今の之は也の誤なり
 
3851 心乎|之《シ》、無何有乃郷爾《ムカウノサトニ》、 なきかあるかの間に心を置ば神にも佛にも成るべしとの意なり
 
置而有者《オキタラバ》、藐姑射膿山《ハコヤノヤマ》乎、見末久|知香谿務《チカケン》、」 歌の意は莊子澹然無爲の界をいふなるべし左の歌上古の歌又上手の言などにはこやの山などはよむ事なし今よまばとこよの山など訓べきなりはこやは仙人のすむほらなり〇莊子逍遥遊篇云藐姑射之山有神人居焉肌膚若氷雪※[さんずい+朝の左]釣若處子不食五穀吸風飲露乘雲氣御飛龍而遊四海之外、又同篇今子有大樹患其无用何不樹之无何有之郷廣莫之野彷徨乎无爲其側逍遥乎寢臥其下不夭斤斧物无割者无所可用安所困節哉、注陸方壺云寂莫虚曠之地喩道之本郷林希逸云言造化自然至道之中自有可樂之地也、
 右藐姑射山歌一首、
 
○嗤咲痩人歌、
 
3853 石麻呂爾、吾物申、夏痩爾、吉跡云物曾《ヨシトフモノゾ》、武奈伎取|食《メセ》、」 むなきは鰻《ウナギ》也横の通もていふ今本こゝに食、賣世反也とあるは後人のさかしらなり乎志乎須乎世とて左志須世曾に通ふ辭なり言を解は本をこそはまづとかめわろふべし
 
3854 痩々母《ヤセ/\モ》、 【今本こゝに報答歌一首と有】
 
生有者將在乎《イケラハアラムヲ》、波多也波多、武奈|伎《キ》乎|漁取跡《トルト》、河爾|流勿《ナガルナ》、 やせたりとも世にあらんをむなぎとるとて河になかればはた身をやはたしなんとよめるなり
 右有2吉田連老1字曰2石麻呂1、所謂仁教之子也、其老爲人身體甚痩、雖喫飲、形似飢饉、因此大伴宿禰家特、聊作斯歌以爲戯咲也、
 
○高宮王詠數種物歌、
 
3855 葛|英爾《ハナニ》、延《ハヒ》於保登禮流、屎葛、 くずかつらより言の通まゝに花にはひおほひたどれるかつらをのりてくそかつらといふなりさて是迄はたゆる事なくといはん序なり於保登禮留と云登は多登約にてはひおほひたどれると云なりおほひのひは辭なればはぶくなり
 
絶事無、官《ミヤヅカヘ》將爲、」
 
3856 婆羅門乃、 梵語にて僧の事なり吾朝にて漢語の譯をつたへて比丘、沙彌、宇婆塞と云に同じ
 
作有流小田乎、喫烏《ハムカラス》、 梵文に云罸にて烏のまぶた腫たりといひつたへたり
 
瞼腫而《マナブタハレテ》、 瞼は目の上下を云
 
幡幢爾居《ハタホコニヲル》、」
 
○戀夫者歌、
 
3857 飯喫騰、味付不在、雖行往、安毛不有、赤根佐須、 冠辭
 
君之情志、忘可禰津藻、」
 右歌一首傳云、佐爲王有近習婢也《スケタメノオホキミメノオモヒトアリ》、于時宿直不遙《トキニトノヰニイトマナク》、夫君難遇《セノキミニアヒガタシ》、感情馳結《ナゲクコヽロヒタスラニ》、係戀實深《オモフコヽロイトフカシ》、於是當宿之夜《コヽニトノヰスルヨニ》、夢裡相見《イメノチニアヒミテ》、覺寤探抱《サメテカイサグレドモ》、曾無觸手《モトユテニフルヽナシ》、爾乃哽咽歔欷《ヤガテムセビナゲキテ》、高聲吟詠此歌《タカクコノウタヲヨメリ》、因王聞之哀慟永免侍宿也《ヤガテオホキミキコシテカナシミテナカクトノヰヲユリス》、 【遊仙窟云、夢見2十娘1、驚覺|攪v之《カキサクルニ》、忽然空手、奥人】
 
3858 比來之《コノコロノ》、吾戀力《ワガコヒチカラ》、記集《シルシアツメ》、 こひにつとめたるをいふちからを入て思ひ日々におもひます事をしらして置なり
 
功爾《クウニ》、 【功の字呉音くうとよむ源氏若紫にもくうつきてそらによむと有も功の字なり】
 
申者《マヲサバ》、五位乃|冠《カウフリ》、」 物の功にいはゞ五位のくらゐにはならんとなり
 
3859 頃者之《コノゴロノ》、吾戀力《ワカコヒチカラ》、不給者《タバラスハ》、 戀力のむくひを不v給ばなり
 
京兆爾《ミサトツカサニ》、 左右京兆は京司なり其|官司《ツカサ》に出て訴んとなり 
出而|將訴《ウタヘン》、」
 右歌二首、 今本標に戀夫君歌二首とせりそこにも云如く此歌夫を戀る歌ともなし又女の歌ともなしよて又こゝの二首のはじめの歌に白圏をそへつ類歌なればならべ擧しよて同じ歌ならぬ事しるし
 
○筑前國志賀(ノ)白水郎《アマガ》歌、
 
3860 王之、不遣爾《ツカハサザルニ》、情進爾《サカシラニ》、 賢たつを心すさみの意を得てかりたるなり
 
行之荒雄良《ユキシアラヲラ》、奥爾袖振《オキニソデフル》、」 令もなきにおのが心すさみに他のわざをうけがひて水におぼれてみまかれるを其妻かなしみてかくよめるなり一本に3864 官許曾《ツカサコソ》、措弖毛遣米《サシテモヤラメ》、精出爾《サカシラニ》、末は上の歌と同じ○さて是は今本の上の歌ゆ五首めの歌なりかゝるは或本の歌又は一云として上の歌の左に書く例なるを家集故聞しまゝに云のみにてしたゝかにも撰さればかゝるもあるべし例によりてこゝに小書してすてつ
 
3861 荒雄良乎、將來可不來可等、飯盛而、門爾出立、雖待不來座、」 丹後の由良湊にて大船の着を見て飯をにぎりて待《マチ》舟近づけば投あたふるよし其國人のいへり此事古へよりの傳へぞと
 
3862 志賀乃山、痛勿|伐《キリソ》、荒雄良我、余須|可《カ》乃山跡、 既云如く與志阿流所てふ言を約しなり志阿流を約れは須となる我は即所にて在所に同
 
見管將偲、」
 
3863 荒雄良我、去爾之日從、志賀乃安麻乃、大浦田沼者、 志賀の大浦田の沼なりまを畧
 
不樂有哉《サブシカルカモ》、」 今本の訓はいまだし集中不怜不樂はさぶしとよめる例なり
 
3865 荒雄良者、妻子之産業《メコノナリ》乎婆、 即字の如くなりはひにて妻子の世わたらひはおもはぬとなり
 
不念呂《オモハヌロ》、 呂は前に同既云
 
年之八歳乎、 彌年なり
 
待騰來不座《マテトキマサズ》、」
 
3866 奥鳥《オキツドリ》、 冠辭
 
鴨云船之、還來者、也良乃崎守、 對馬の地の名なり
 
早告許曾《ハヤクツゲコソ》、」 つげよとこひ願ふなり
 
3867 奥鳥、 冠辭
 
鴨云舟者、也良乃埼、多末弖※[手偏+旁]來跡、 ※[手偏+旁]囘にてこきたはみなり
 
所聞禮《キカレ》許奴可聞、」 聞えこぬかを云り
 
3868 奥去哉、赤羅小船爾、 あけのそぼふねといふに同じく赤丹塗《アカニヌリ》の舟なり公舟の奥行を見るならん
 
裹遣者《ツトヤラハ》、 【裹は只字のまゝならん歟文てふ言もなければ裹をひらくてふ下の言に叶へば然云ならんと平勝睿のいへるは安らかなり】裹《ツト》の訓を假字に借れるのみにて多倍の弖を刀に通すなり即都多倍やらばなり
 
若人見而《モシモヒトミテ》、解披見鴨《ヒラキミムカモ》、」
 
3869 大船爾、小船引副、可豆久登毛、志賀乃荒雄良、潜將相八方《カツキアハンヤモ》、」 入水の人を守るに大小の舟率て水をくゞりかつぎあげなどすともあらをにあはんやとなげきたるなりこは荒雄の水に入しを聞てあるなれば年の八年など云より上に有るべし
 右以|神龜年中太宰府《クシキカメノトシノチニツクシノツカサ》、差筑前國宗像郡之百姓《ツクシノミチノクチノクニムナカタノコホリノミタカラ》、宗形部津麿《ムナカタベノツマロヲサシテ》、充對馬送粮舶柁師也《ツシマニカテヲオクルフネノカヂオサニアツ》、【主税式に凡筑前筑後肥前肥後豐前豐後等國毎年穀二十石送對島以充鳥飼及防人粮】
于時津麿《トキニツマロ》、詣於澤屋郡志賀村白水郎荒雄之許《サハヤノコホリシカノムラノアマアラヲガガリユキテ》、語曰僕有小事《カタラクヤツカリイサヽゲノコトアリ》、若疑不許歟《タノムトモユルサジヤ》、荒雄答曰《アラヲコタヘラク》、我雖異郡《アレサトコトナレド》、同船日久《トモニフナノリスルヒサシ》、志篤兄弟《コヽロサシハハラカラユアツシ》、在於殉死《ミマカルニモシタガハン》、豈復辭哉《ナドイナマンヤ》、津麿曰《ツマロイヘラク》、府官差僕《ツカサヤツカリヲサシテ》、充對馬送粮舶柁師也《ツシマニカテヲオクルフネノカヂトリニアツ》、容齒衰老不堪海路《ミツカレオイオトロヘテウナヂニタヘズ》、故來祗候《カレキタリテウカヾヘリ》、願垂相賛矣《ネカハクハワニカハリテヨ》、於是荒雄許諾遂從彼事《コヽニシテアラヲウツナヒテツヒニソノコトニシタガフ》、自肥前國松浦縣《ヒノミチノクチノクニマツラノアガタ》、美禰良久埼《ミネラクノサキユ》、【見ねらくの島袖中抄云能因坤元儀云肥前國ちかの島此島にはひらこの崎と云所有其所には夜となれば死たる人あらはれて父子相見と云云俊頼我日の本の嶋ならばと詠るは日本にはあらずとなほ考に萬葉第十六自肥前國松浦縣美禰良久崎發舶云云此國と云事一定なり能因はひゝらこと云たれど俊頼見えらくとよみたるは不違今本特を犢に誤る云云俊頼朝臣歌に尼上うせ給て後見えらくの嶋の事を思てよみける「見えらくの我日本の嶋ならは今日もみかげに逢ましものを】
發舶《フナヒラキシ》、直射對馬渡海《タヾニツシマヲカケテワタル》、登時忽天暗冥《ソノトキニハカニソラクラク》、暴風交雨《アメマジリテアラシフキ》、竟無順風《ツヒニマカセナク》、沈没海中焉《ワタノソコニシツメリ》、因斯妻子等不勝特慕《コレニヨテメコラコトニマチカネテ》、裁作此歌《コノウタヨメリト》、或云筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌《アルヒトイヘラクツクシノミチノクチノクニノカミヤマノヘノオクラノオミノコラノカナシメルヲイタミオモヒヲノバヘテコノウタヲヨメリト》、
 
3870 紫乃、 冠辭
 
粉滷乃海爾、 (卷五)越|※[さんずい+解]《ウミ》乃子難※[さんずい+解]乃とあれば越路にあるなり
 
潜鳥、珠潜出者、吾玉爾|將爲《セム》、」 相聞の歌にてなかだちなんどに吾おもふ人をとり得さするか
 
3871 角島之、 角島は筑前なり
 
迫門刀稚海藻者《セトノワカメハ》、 人の友をさす和布なり
 
人|之共《ノトモ》、 共は等《トモ》と同じ意海人等と云に同じ
 
荒有之可杼《アレタリシカド》、
 
吾共者和海藻《ワカトモハワカメ》、」 人の等は荒び老たれど吾友は見きといふのみ端詞なければ意わきがたし
 右二首
 
3872 吾門之、榎實毛利喫《エノミモリハム》、 毛利は其實の所をまもりてはむなり
 
百千鳥、千鳥者雖來、君|曾《ゾ》不來座《キマサヌ》、」 夫をまてる女の歌なり
 
3873 吾門爾、千鳥|數鳴《シバナク》、起余起余《オキヨオキヨ》、我一夜妻、 妻はかり字|夫《ツマ》也初て一夜逢し也
 
人爾|所知名《シラルナ》、」 とも寢せしを人にしらるなと夫をいさめおこす也
 右二首、
 
3874 所射鹿乎《イルシヽヲ》、 冠辭
 
認河邊之《ツナグカハベノ》、 つなぐはつなぎをつくるなど云か如く足跡なとをとめ行意もてつゞけたり都邊の鄙賤の言に見るをつなぐといふなり【つなぐのつは多都の約なくの約奴にて多豆奴ちふ事なり奥人考】
 
和草《ワカクサノ》、身若可倍爾《ミワカキガヘニ》、 紀(齊明)伊喩之々乎、都那遇何播杯能、和何久佐乃、和何久阿理枳刀、和我於毛波奈九爾、とあるは御製歌なりこれによりけん上は序にてわかしといはんためのみ佐宿しの佐は發語終の母もそへたるのみ身のわかくはしきがうへに寢し兒はわすられぬを上の序の言をたとへにとるなり
 
佐宿之兒等波母、」
 
 和歌一首、
 
3875 美酒乎《ウマサケヲ》、今本美を琴に誤り琴酒と有【琴酒は殊酒に借るにてうまさけと訓む歟奥人】
 
押垂小野從《オシタレヲノユ》、 押垂小野は地名ならん未詳酒を押たらすとかゝるか若は小野の小は水の誤歟さらばおしたる水野從《ミノユ》歟猶考るに東鑑に押垂左衛門といふ人ありさらば始にいふごとくに地名なるべし
 
出流水、奴流久波不出、 奴流久は由流久と同言なり
 
寒水之《シミツノ》、 四言
 
心毛|斜夜爾《サヤニ》、 今本計夜と有は誤しるかれは斜にあらたむさてゆら/\出る水は鳴さやきて出れば其水の如く吾心もさやにさやぎおもほゆるは心の見もとがめていひさやぎなんをかしこむなり
 
所念《オモホユル》、音之少寸《オトノスクナキ》、 所念と音の間に落句あらんかと云もあるはよしあれど上に云如く水よりいひくだして音とうけ音は即聲なれば聲は言にて人にいひ立られんをかしこみはゞかりてえことゝひせぬを言のすくなきといひことはれると見ば首尾わかりなんかさらば音は言の誤歟と云説までもあるまじきにや
 
道爾相奴鴨、」 今本次の歌を云つゞけて一首とし末に歌の左に右一首とさへ記したれば一首とおもへるなるべしされど右は女の歌にていひかけたる歌次は男歌にてうけてよめるなりさればこをも歌の數をかけるは後人のさかしらならんさてこはいともしぬびたる言にて道にて互によめる歟又しのびたるつてにやうやくいひおくりこたへたるさまなれば短歌にはいひもをへず反歌などもなくてしらべは後なれど古くうたひたるさまして思へるかぎりを言にまかせしなめり【男の歌などは古へによれるしらべなればかた/”\反歌はあらぬなるべし】
 
少寸四《スクナキヨ》、 よは聞え給ふ如くよと男のうけていへるなり
 
道爾相佐婆《ミチニアヘルサバ》、 佐婆は紀(神武)に見ゆ佐良婆與を約しならん佐良約佐婆與約保なるを本の婆に通すか
 
伊毛雅世流《イモケセル》、 今本毛を呂とせるは全き誤しるかればあらためつ
 
菅笠小笠、吾宇奈|雅流《ゲル》、 うながけるなり
 
珠乃|七條《ナヽヲニ》、取|替毛《カヘモ》、 【ゆくりかにおもふに人のいひさやきなんをかしこめば男のしのび通んため玉はうつくしむものなるにまつへる玉の緒にぬきたるなれば取替なんと云かと諸成いへり】
 
將申物乎《モヲサンモノヲ》、 こゝに言の字を落るか前の歌に音の少寸とあるをかけたる歌なればなり前の歌は水よりいひ下せれば音といひこゝは申さんとあるに言《コトバ》つゞけば言少寸といひかへしを字を落せる成べしとおもはる
 
少寸《スクナキ》、 言となくては句の例もたがひて意もとほらず
 
道爾|相奴鴨《アヒヌカモ》、」 妹か著たる笠と吾首にまけたる玉ととりかへんとだに申さん物をもの言間もなき道にあへるかもとよめるは諺歟何ぞのよし有べし
 右歌二首、今本こゝを一首とせしは始にも云如く全き誤なればあらたむ右聊補といへども落字有るか聞えかぬるさまなり
 
○豐前國(ノ)白水郎歌、
 
3876 豐國、企玖乃池奈流、菱之《ヒシノ》宇禮乎、採跡也妹|之《ガ》、 つむとてやの略なり
 
御袖所沾《ミソテヌレ》計武、」 御は萬にかよひて諸袖《マソテ》なり妹かかたきをしのぎてあひ得て涙にひたす袖をたとへてよめる歌ならんか
 
○豐後國(ノ)白水郎歌、
 
3877 紅爾、染而之衣、雨零而、爾保比波|雖爲《ストモ》、移波米也毛《ウツロハメヤモ》、」 おもふ妹に匂ひつかなんものを雨ふりたりとも外にうつろふ心あらんやもてふたとへならん
 
〇能登(ノ)國歌、
 
3878 楷楯《ハシダテノ》、 地名なり
 
熊來乃夜良爾《クマキノヤラニ》、 【仙覺曰夜良とは水つきて薦芦など生茂りたる浮土を云り田舍者はやはらとも云なり】夜良は沼なり方言なり上總國にては芦薦生たるを夜良と云此歌にても其意なり
 
新羅斧《シラキヲノ》、 契冲云此國の斧にても新羅に作る形になせしは新羅斧といふべし
 
墮入和之《オトシイルヽワシ》、 和之は和主《ワヌシ》の略なり人をさしていふ
 
河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]勿《カモテカケテナ》、 心にかけ/\てなかれといふなり
 
鳴爲曾禰《ナカシソネ》、 加之の約伎にてなきそねと云なり
 
浮出流夜登《ウキイヅルヤト》、將見和之《ミルラムワシ》、」 六言【此歌なども古へ調によりたれば反歌はもとよりあらぬなるべし】
 右歌一首傳云、或愚人墮斧於海底《アルシレビトヲノヲヤラニオトス》、而不解鐵之沈水《カネノミツニシツムコトヲシラズ》、聊作此歌口吟爲喩也《イサヽカコノウタヲヨミテニヨヒテサトシヌ》、
 
3879 楷楯《ハシタテノ》、熊來酒屋爾《クマキサカヤニ》、眞奴良留、 四言|眞詈《マノラル》なり
 
奴和之《ヤヒツコノワシ》、佐須比立《サスヒタテ》、 誘引にてさそひたてなり
 
率而來奈麻之乎、眞奴良留奴和之《マヌラルヤヒツコノワシ》、」 のゝしらるるゝをききてかたはらいたくてともなひこんものをといふなり
 右一首、」
 
3880 所聞多禰乃《カシマネノ》、 和名抄云此國能登郡加島(加之萬)あり所聞多はかしましき義《コトハリ》もて借て云り
 
机之島能、小螺乎《シダヽミヲ》、伊拾《イヒロヒ》、持來而《モテキテ》、 四言
 
都道伎破夫利《ツヽキハフリ》、 【都追伎破夫利の上に今本|以石《イシモチテ》と有り奥人】
 
早川爾、洗濯《アラヘスヽギ》、 六言
 
辛鹽《カラシホニ》、古胡登毛美《コヽトモミ》、 こし/\ともみ洗ふ意なり
 
高坏爾盛《タカツキニモリ》、机爾立而、母爾奉都也《ハヽニマツリツヤ》、 也は與に通ふまつりつるよなり
 
目豆兒乃負《メヅコノマケ》、 設なり目出子はほめいへる子にて愛子をいふなり【契冲云負は二つともに刀自なるべし】
 
父爾|獻都也《マツリツヤ》、身女兒乃負《ミメコノマケ》、 身は譽言をそへしのみなり
 此歌共は端詞もなく左によしをもかゝねばくはしくしられぬなり
 
○越中國歌、 こゝに今本四首とあるもみだりなり次の二首は越後の地名なり此卿越中の守なりしかば越の國はわけてよくしり給はめ越中は南北へ筋違に長く越後は東西へ長く殊に夜彦神社は浦原郡にて東へよりたる地なり越中より見渡すべきにもあらずさればこも歌數は後人のさかしらなるを知べき據なり
 
3881 大野路者《オホノヂハ》、 地名なり礪波《トナミ》郡
 
繁道森徑《シゲヂハシゲヂ》、之氣久登毛《シゲクトモ》、君志通者《キミシカヨハヾ》、經者《ミチハ》廣計武、」 男の意の木の繁をいとひなどせしが間遠くあはでふりしを女のよみておくりしか
 
3882 澁溪乃《シブタニノ》、 既出
 
二上山爾、鷲曾子産|跡云《トフ》、指羽爾毛《サシバニモ》、君|之《ガ》御爲爾《ミタメニ》、鷲|曾《ソ》子生跡云《コウムトフ》」 指羽は翳也天子之蓋也といひて字書にも翳蔽也障也華蓋也と見ゆれば鷲の子うめるは大君の蓋の御爲にうめるてふ唐意もて作るなり【見安云指羽は上箭なり季吟云上利の心にや、奥人】
 
○越後國歌、 前にいふ如くこゝにかくあるべきを校合の時脱せしまゝに傳れるを又後人の前の歌に四首とさへ書しか
 
3883 伊夜|彦《ヒコノ》、 蒲原郡に在り續日本後紀越後國浦原郡伊夜彦神其山を即神に齋しなり香久山の神を祭と見えたり
 
於能禮神佐備、 一本に安奈爾可牟左備と有り此方を取べし
 
青雲乃、田名引|日良《ヒスラ》、霖曾保零《コサメソボフル》、」 霖は※[雨/沐]の誤か字書に霖及時雨曰甘霖又久雨曰霖云云※[雨/沐]は小雨なり
 
3884 伊夜彦乃、神乃布本《カミノフモトニ》、 前に云如くなれば山を則神と云ならんもとより高山はしかなくとも云べし
 
鹿乃|伏良武《コヤスラム》、 今本此三の句を今日良毛加とするは集中の旋頭の句例はわすれて後の古今歌集など誤たる句をおもひてさかしらに上下せしならんとおもへば古へによりて改言のつゞきもあしからず
 
今日良毛加、 等は例の添いふのみ俗のけふあたりといふに同じ
 
皮服着而《カハノキヌキテ》、角附奈我良《ツノツキナガラ》、」 山のいと寒きを思ひてよめる類か
 
○乞食者詠歌《カタヰガヨメルウタ》、 【釋氏要覧云、善見云分衛、此云乞食僧祇云乞食、分2施僧尼1衛護令v修2道業1故云2分衛1、奥人】今本歌とはなし例によりて加ふ
 
3885 伊刀古《イトフルキ・イトコ》、 【本居は伊刀古、名兄乃君居々而、と讀て伊刀古とは人を深くしたしむ稱にていとほしき子と云事なり居々而云云と云を思へば年久敷同居せる者の状なれば名兄とは妻の夫を云さまによめる語也と云り奥人按に加斯古の約古故いとかしこ名兄と云へる成べし乞食かよめるなればまつかしこみていとかしことは云へるなり】いと/\古への人はなり
 
名兄乃君《ナセノキミハ》、 たれともさゝずたふとみてなせといへり
 
居居而《ヲリ/\テ》、 存在の意を居々といふなり
 
伊行跡波《イユクトハ》、 行時はの意なり
 
韓國乃、虎云神乎《トラトフカミヲ》、 古くは虎をもかみといへり冠辭考に大口の眞野原にと云條にいふが如し
 
生取爾《イケトリニ》、八頭取持來《ヤツトリモチキ》、 八は彌《イヤ》なり頭は辭のみ
 
其皮乎、 紀(欽明)六年十一月膳臣巴提使還自百濟言云云、巴提使廻申左手執其虎舌右手刺殺剥取皮還と見ゆ
 
多多彌爾刺、八重疊、 冠辭以上八句序なり
 
平群乃山爾、 大和國平群郡の山をいふなり
 
四月與《ウツキト》、 四言
 
五月(ノ)間《ホド》爾、 四月五月のうち藥狩に天皇幸ありて鹿の角とり給ふ事あり
 
藥獵仕流時(ニ)、足引乃、 冠辭
 
此片山爾、二立《フタツタツ》、 ならび有をいふのみ
 
伊智比河本爾、 比は半濁いのごとくとなふ
 
梓弓、 冠辭
 
八多婆佐彌、 八は借字矢なり五言
 
比米加夫良、 大神宮式に姫靭《ヒメユギ》有そは蒲靱皮靱の製の如くあら/\しくはなくて錦のかぎりもてつゝみたるを云此姫加夫良も基製ちいさく姫めきたるなるべし和名抄に女垣こはひきくしたる垣と見ゆ神代紀海神の條にたかきひめがきとあれば高低にはよらで其結のあら/\しからぬをいふにや
 
八多婆左彌、 五言
 
宍待跡、 宍は鹿なり跡はとての意なり
 
吾居時爾《ワガヲルトキニ》、 御藥に奉仕る人の吾はなり
 
作男鹿乃、來立永嘆久《キタチナゲカク》、 今本來立來嘆久と有來は永か又嗟ならんか字の近ければ暫く永とするなり
 
頓爾《タチマチニ》、吾可死《ワレマカルベシ》、大王爾《オホキミニ》、 御狩人の爲になり
 
吾仕牟《ワレハツカヘム》、 鹿の身まかりて天皇に奉仕る品をこゆ下にあぐ
 
吾角者、御笠乃波夜詩、 鹿の角は御蓋の飾となりてはえあらするをはやしといへり
 
吾耳者、御墨坩《ミスミノツボニ》、 鹿の耳の皮を墨坪にあつる事ありけん
 
吾目良波、眞墨乃鏡、 墨坪といひ鏡といふは只耳のならびたつをいひ目は鏡の如清きをいへるのみ
 
吾爪者、御弓之弓波受、吾毛良者、御筆(ノ)波夜斯、吾皮者、御箱(ノ)皮爾、 御箱皮は雨覆なるべし
 
吾穴者、御奈麻須波夜志、吾伎毛母、御奈麻須波夜之、 鹿の宍は膾ともなりなん膽も膾にもなすなる歟
 
吾|美義《ミキ》波、 こを和名抄を引俗謂※[鹿/米]鹿之|※[尸/矢]《シ》爲味氣此味氣なるべしてふ説は味氣《ミケ》と訓なりとするかそは字音にてあたらず又俗にニレと云にて義は麗の草などの誤にてニレ歟と云は美を※[者/火]に作れるを美麗《ミレ》とよまんとする歟そも音訓交へてあたらぬ説なりそも取べからず外にもさま/”\説あれどこゝまでに角耳目爪皮穴膽とて七つをいひて骨のみ殘りたれば必骨を幹といへるならん既に紀(景行)に小碓命の手足の事を枝打折てとの給ひしをもおもひあはすべししかればこは美義《ミキ》といふべしさらば字もあらためずありこせるまゝなればかた/\しばらくこれによる
 
御鹽乃波夜之、 鹽は醤ならん即今俗の言塩辛なり
 
耆矣奴《オイハテヌ》、 かく老たる鹿七種八種の榮《ハエ》しとなるを七重八重の花咲身と鹿の申さんとなり
 
吾身一爾、七重花佐久、 則角耳目爪皮穴膽の七つにあたる
 
八重花|生跡《サクト》、 幹《ミキ》は骨なればこゝに八重と云さて八つの數に合ふをも猶あはせて思ふべしたゞちに八重といはで七重といふは歌のしらべなり
 
白賞尼《マウサネ》、白賞尼《マウサネ》、」 乞食は身いやしけれど心やすし用ゐらるゝ人はつひに命たゝるゝを鹿にたとへて一首の意をなして鹿をいためるなるべし
 右歌一首|爲鹿述痛作之也《シカヲイタミテヨメリ》、
 
3886 忍照八、 冠辭此八は與の意なり
 
難波乃小江爾、 難波のすこし計の入江をさして小江と云ならん
 
廬作、難麻理弖居、葦河爾乎、 蟹也
 
王召跡、何爲牟爾、吾乎召良米夜、 蟹が言にしてなり
 
明久《アキラケク》、吾知事《ワガシルコトニ》、歌人跡《ウタビトヽ》、 蟹を歌うたふ人とてめさんやなり
 
和乎召良米夜、笛吹跡、 笛吹とてめさんやなり
 
和乎召良米夜、琴|引跡《ヒクト》、 上の句に同
 
和乎召良米夜、 めすらめやめさしそこをとつゞくなり
 
彼毛《ソコヲモ》、 四言
 
令受牟等《ミコトウケムト》、 とてなり
 
今日今日跡、 けふもけふもと云なり
 
飛鳥爾到《アスカニイタリ》、 其時の都を云
 
雖立《タテレドモ》、置勿《オクナ》爾到、 置勿は大和國高市郡今の奥山、奥岡、奥之、三村の舊名なり
 
雖不策《メサネトモ・ツヱセネト》、 こゝの策は對策及第の意を借てかければめさねどもと訓べし今本うたねともとよみしは何の事ともなし
 
都久怒爾到、 都久怒は桃花野なり桃花鳥は※[牟+鳥]《トキ》なり紀の陵に見ゆ
 
東《ヒムガシノ》、中御門由、 桃花野《ツキノ》てふ所御門の東なり
 
參納來弖《マヰリキテ》、命受例婆、馬爾己曾、布毛太志可久|物《モノ》、 絆にてほたしなり此物の事既出物は物をの意なり
 
牛爾己曾、鼻繩波久例《ハナナハハグレ》、足引乃、 冠辭
 
此片山乃、毛武爾禮乎、 楡樅《モミニレ》なるべし
 
五百枝波伎垂《イホエハギタリ》、 【波伎垂の下にしごとくと添て心得べし】 樅楡よりいひ下して五百枝といひ山よりいひ下して樅楡とはいへどまことは其木の皮はぐ如く蟹が手足を波伎とりなり垂の理は良志の約にて手足をとりすつるを五百枝と云手足を枝と云は前にも出
 
天光夜《アマテルヤ》、日乃|異爾干《ケニホシ》、 此氣は日の香共日の氣共いひて花の香春|氣《ケ》秋氣の如く唐字にいひては日の氣《キ》など云が如しこゝにすべて香氣といふ
 
佐比豆留夜、 冠辭
 
辛碓爾舂《カラウスニツキ》、 六言
 
庭立《ニハニタツ》、碓子《カラウス》爾|舂《ツキ》、忍光八、 冠辭
 
難波乃小江乃、始垂《ハツタレ》乎、 始垂はしほの事なり鹽は砂にしめり簀よりたらして製する故にかく云始ははつ花染の初と同じなり
 
辛久垂來弖、陶人乃《スヱヒトノ》、 則陶物作りにて埴《ハニ》土にて器物作る人を云 
所作瓶乎《ツクレルカメヲ》、今日|往《ユキテ》、明日取持來、 多くの蟹を手足より捨て碓子にて舂難波の鹽にて鹽辛うして瓶に納んとて陶人のがり行て瓶をとりもて來りて入るゝをいふなり
 
吾目良《ワガメラ》爾、 目等と云からは舂くだかれし身にもすべてなり
 
鹽|漆給《ヌリタベト》、 鹽漬の醤となるをかく云は蟹の鹽辛は目の藥にもなれば云か 
時賞毛《マヲサモ》、時賞毛《マヲサモ》、 王の召にしたがひてまゐりたれば醤となし給ふまゝに奉仕る賞に目に藥の鹽をぬりたべと申と云て蟹をいためるなり
 右歌一首|爲蟹述痛作之也《カニヲイタミテヨメリ》、
 
○怕物歌《オソロシキモノヽウタ》、
 
3887 天爾有哉《アメナルヤ》、 冠辭
 
神樂良能小野爾《サヽラノヲノニ》、茅草苅《チガヤカリ》、草苅婆可爾《カヤカリバカニ》、 既云如かりばかははかりなり
 
鶉之立毛《ウヅラシタツモ》、」 今本之を乎とするは誤しるかれば改さて天にも地にも此野ありてさるおそろしき所に草苅るが物さみしらに足本より鳥たちて驚く意をよめるなり
 
3888 奥國《オキツクニ》、 黄泉をいふなり
 
領君之《シラセルキミガ》、 閻魔王を云
 
染屋形《ソメヤカタ》、 朱染の屋形なり
 
黄染乃《キソメノ》屋形、 土にて染しなり
 
神之門渡《カミノトワタル》、」 閻魔王宮に至るだにおそろしきに其上に神鳴と云なり
 
3889 人魂乃《ヒトタマノ》、佐青有公之《サアヲナルキミカ》、 佐は發語あをき人魂をさしてきみとはいふなり
 
但獨《タヾヒトリ》、相有之雨夜《アヘリシアマヨ》、非《ヒ》左思久所念、」 雨ふりてさひしらにさるよからぬ物を見れば夜をうしと思ふなり
 右歌三首、
 
萬葉集卷十六之考終
 
萬葉集卷十七之考
 
こゝに前々の卷の如く雜歌ともあるべきを其言なきは越中の任の國の政のいとまにこゝに書集置れて前々の卷の如くあらためらるべきを年々に官位高くいとまなくておかれしまゝに傳れるなるべし此卷は端詞も前の卷々の如く一つらならぬは右に同じ
 
○天平二年十一月太宰帥大伴卿《アメタヒラケキフタトセシモツキツクシノオホミコトモチノマヘツキニ》被v任《マケラレ》2大納言《オホイモノマヲスツカサニ》1、兼帥如v舊|上京之時陪從人等《ミヤコニノボリマストキシタガヘルヒトラ》別《コトニ》取《ヨリ》2海路《ウナヂ》1入京《ミヤコノマヰル》於是《コヽニ》悲2傷※[羈の馬が奇]旅《タビヂヲカナシミテ》1各陳所心作歌《オノガジヽオモヒヲノベテヨメルウタ》、
 
3890 和我勢兒乎、安我松原|欲《ヨ》、 欲は呼出すなりさてあがまつとかくるなり吾待は大伴卿を待と親みてよめるなり
 
見度婆《ミハタセバ》、 序なり
 
安麻乎等女登母、多麻藻可流美由、」
 右一首三野連|石守《イソモリ》歌、
 
3891 荒津乃海《アラツノミ》、 筑前國宗像郡大荒小荒と和名抄に見ゆ
 
之保悲思保美知、時波安禮登、伊頭禮乃時加、吾孤悲射良牟、」 いづれの時卿をこひ奉らであらんの意をこめたり
 
3892 伊蘇其登爾、海夫乃釣船、波底爾家利、我船波低牟、伊蘇乃之良奈久、」 磯邊ことに舶泊たるはあれど卿に別まつらんいたさに我船舶せん磯邊しらぬとなり
 
3893 昨日許曾、敷奈《フナ》底婆勢之可、伊佐魚取、 冠辭なだとかかれり
 
比治奇乃奈太乎、 播磨國なり後にひゞぎのなたといふなり
 
今日見都流香母、」 きのふ船出せしに播磨の地にはやく來れりといひて別の遠きをなげくなり
 
3894 淡路島、刀和多流船乃、可治麻爾毛、吾波和須禮受、伊弊乎之曾於毛布、」 家をおもふは卿のをさめのたゝしくて在經やすきを云て別を惜むなり
 
3895 多麻波夜須、 冠辭
 
武厘能和多里爾、天傳、 冠辭
 
日能久禮由氣婆、家乎之曾於毛布、」 意は右に同じ
 
3896 家爾底母、多由多敷命、 【集中猶豫をたゆたひとよめりためらふ心なり】
 
浪乃宇倍爾、宇伎底之乎禮八、 今本は思之乎禮婆とあり一本の方意とほれゝばよりぬ
 
於久香之良受母、」 家にても別のかなしく命もたゆとおもへるに別なん舟にはたへなん奥|所《カ》もしらずと云なり
 
3897 大海乃、於久可母之良受、 大海のおくかをしらぬを卿に別て末をしらぬにたとふ 
由久和禮乎、何時伎麻佐武等、問之兒等波母、」 家なる妹兒のをさなくいつかきましなんと問ひしをおもひてゝかなしむなり
 
3898 大船乃、宇倍爾之居婆、安麻久毛乃、 冠辭にあらず如くを入て心得べしたゆたふの如くはつゞかすなん
 
多度伎毛思良受、歌乞和我世《ウタカタワガセ》、」 歌乞は借字|空象《ウタカタ》なり冠辭水の沫の條に委し諸成猶案に宇多賀多の宇多の約加和なりよて輪形てふ意なりさて沫てふ言は阿は宇加の約其加は久に通ひて宇久輪なりされは水の沫のうたかたとつゞけしは浮輪の輪形なるを其輪を延て宇多といひて空象《ムナカタ》てふ意にとれるなりそは浮も消も定がたければ定なきにもはかなきにもいふさてこゝは定めがたき意なり今本此歌の下に諸本如此可尋之と有は此歌の事なるべししか云べき事歌になし後人のさかしらなり
 
3899 海未通女、伊射里多久火能、於保煩之久、都努乃松原、 津國なり既前の歌に武庫をよめり和名抄に此郡に津門郷あり角松原とて既にも出たり
 
於母保由流可聞、」 今本こゝに右九首作者不審姓名、と有後人のわざめかしかれど十首の中一首は三野連石守とあなれば九首は未知よし撰者の記すましければ殘しぬ
 
○十年七月七日之夜獨|仰天漢聊述懷歌《アマツガハヲミテイササカオモヒヲノバヘルウタ》、 今本歌を脱せり例によりて加つ天漢を安萬都我波と訓事は既云如く古事記(岩戸の條)に阿萬都波良と假字あるによるあまの川といふは後なり
 
3900 多奈波多之、船乘須良之、麻蘇鏡、 冠辭
 
吉欲伎《キヨキ》月《ツク》夜爾、雲|起和《タチワ》多流、」 雲の波たつをおもひて船のりすらんといふなり
 右一首大伴宿禰家持、
 
○追和太宰之時梅花新歌、
 
3901 民布由都藝《ミフユツキ》、 藝は濁音にて誤なりと云説もあれど安藝にも清言にもよめれば盡《ツキ》の意にす藝は濁言に用ゆれと右の證による
 
芳流《ハル》波吉多禮登、烏梅能芳奈《ウメノハナ》、君所之安良禰婆、遠流人毛奈之、 君は大伴卿をさすそこにましまさねば梅をめづる人もあらじといふなり
 
3902 烏梅乃花、美夜萬等之美爾、 みやまとは奥山の如くしげくといふなり
 
安里登母也、 ありともと云のみやは添たるのみ
 
如此乃未君波、 山の如ありとも梅はといふを君といへり
 
見禮登安可爾勢牟、」 見れどあかぬ事にせんといふなり
 今本勢を氣に誤る歌意とほらねば誤りとして改つ且拾穗抄には何によりけるにや勢とあるなり
 
3903 春雨爾、毛延之揚奈|疑可《ギカ》、 やなぎかものこゝろなり
 
烏梅乃花、登母爾於久禮奴、常乃物香聞、」 梅やなきもろともに咲は世の常の物にも有哉と云なり
 
3904 宇梅《ウメ》能花、伊都波乎良自等、伊止波禰登、佐吉乃盛波、乎思吉物奈利、」 梅の花いつか折じといふ心もなきにさき咲時は折もをしまるゝといふなり愛る餘りなり 
3905 遊内乃《アソブウチノ》、多努之吉庭爾、梅柳、乎理加謝思底|婆《ハ》、意《オ》毛比奈美可毛、」 美は義の誤といふ説もあれどなきといはてなみといひても聞ゆにはにあそべるにうめやなぎを折かざしては外に思ふ事なくたぬしきとなり
 
3906 御苑布能、 既いふ如く御は萬志の約益といふほめ言なり
 
百木乃宇梅乃、落花之、安米爾登妣安我里、雪等敷里家牟、」 花のちりくる事まことに雪と見るからに百木の梅天にあがりてかく雪と降ならんとよめるなり卷九の和何則能爾、宇米能波奈知流、比佐可多能、阿米欲里由吉能、那何列久流加母、てふ主人旅人卿の歌にこたへしなり
 右天平十二年十一月|九日《コヽヌカ》大伴宿禰家持作、
 
○讃2三香(ノ)原(ノ)新都1歌一首並短歌、
 
3907 山背乃、久爾能美夜古波、春佐禮播、花咲乎々里、 花咲たはみなり此は卷二別記(ニ)委
 
秋佐禮婆、黄葉爾保比、於婆勢流《オバセル》、 婆は妣佐の約おびさせるなり
 
泉(ノ)河之、可美都瀬爾、宇知橋和多之、余登瀬爾波、 【日本紀第五崇神に武埴《タケハニ》安彦反逆興v師避2耶羅山1而追到2輪韓《ワカラ》河1挾v河屯v之各相挑焉故時人改名其河曰2挑河《イドミカハ》1今謂泉河訛也】よどみ深き所には舟うけなり宇枳橋は舟を云
 
宇|枳《キ》橋和多之、安里我欲比、 常にあり存《ナカラヘ》かよひといふなり
 
萬代麻底爾、都可倍麻都良牟、」
 
  反歌、
3908 楯並而、 冠辭
 
伊豆美乃河波乃、水緒多要受、 水緒不絶なりこゝまでは序なり
 
都可倍麻都良牟、大宮所、」
 右天平十三年二月|右馬寮頭境部《ミギノウマツカサノカミサカヒベノ》宿禰|老麻呂《オユマロ》作歌也、
 
○詠霍公鳥歌、
 
3909 多知婆奈波、常花爾毛歟《トコハナニモガ》、 欲得と書るに同し願ふ意の言なり
 
保登等|藝次《ギス》、周無等來鳴者《スムトキナカバ》、 すむとて來なかばなり
 
伎可奴日奈家牟、」 橘は常しき花にあれかも常にあらば郭公の住て常に聲聞なんと云なり
 
3910 珠爾奴久、安布知乎宅爾、 玉にぬくは橘を五月の玉にぬくとよみしに同く樗の花をとりて糸なとにつらぬくなり既云如く童の今も椿其外のはなを糸又藁などに貫遊がごとし
 
宇惠多良婆、夜麻霍公鳥、可禮受許武可聞、」
 右四月二日大伴宿禰書持從2奈良宅1贈2兄家持1歌、
 
○橙橘初咲霍公飜嚶《タチハナサキソメテホトヽギスキナキヌ》對《アヒテ》2此時候《コノトキニ》1※[言+巨]不暢志《ナゾコヽロヲノバヘザラン》因作三首短歌《ヨテミクサノウタヲヨミテ》以散欝結之緒耳《オモヒヲヤリツ》、 【橙橘食經云橙は宅耕反和名あべたちはな似柚而小者也奥人】
 
3911 安之比奇能、 冠辭
 
山邊爾乎禮婆、保登等藝須、木際多知久吉《コノマタチクギ》、 吉は具利の約既云如たちくゞりといふなり
 
奈可奴日波奈之、」
 
3912 保登等藝須、奈爾乃情曾、多知花乃、多麻奴久|月之《ツキシ》、來鳴登餘牟流、」 かくいふも橘郭公をめづるかあまりを云なり
 
3913 保登等藝須、安不知能枝爾、由吉底居者《ユキテヰバ》、花波知良牟奈、珠登見流麻泥、」
 右四月三日内舍人大伴宿禰家持從久邇京報2送弟書持1、
 
〇田口(ノ)朝臣|馬長《ウマヲサ》思霍公鳥歌、 今本思霍公鳥歌一首とありて下に田口朝臣馬長作と有例によりて田口云云と改
 
3914 保登等藝須、今之來鳴者、餘呂豆代爾、可多理都久倍久、所念可聞、」
 右傳(テ)云《イヘラク》一時交遊集宴《アルトキトモガキウタゲセリ》、此日此處《コノヒコヽニ》霍公鳥|不喧《ナカズ》、仍作件歌以陳思慕之意《ヨテクタリノウタヲヨミテシヌヘルコヽロヲノベツ》、 今本此下に其宴所並年月未得詳審也と有はまたく後人の書添しと見ゆればすてつ
 
○山部宿禰亦人詠春鶯歌、
 
3915 安之比奇能、 冠辭
 
山谷古延底、野豆可作爾、 既いふ如くつかさは野のすこし小高き所をいふなり
 
今者鳴良武、宇具比須乃許惠、」
 右年月|其處未詳審《ソノトコロハシラズ》但|隨聞之時《キクママニ》記載於茲《コヽニシルシヌ》、
 
○獨|居於平城故宅作《ナラノフルヘニヰテヨメル》歌、 年月日は歌の左にあれば右にかゝざるは例なりけり本に年月を書しは後人のさかしらなりよてすてつ於は例によて補ふ 
3916 橘乃、爾保弊流|香可聞《カカモ》、 橘のかなりこゝは香の散失を下にうつろふといふなり
 
保登等藝須、奈久欲乃雨爾、宇都路比奴良牟、」
 
3917 保登等藝須、夜音《ヨコヱ》奈都可思、安美|指者《ササハ》、 網にてさしふさぎおかばとなり
 
花者須具等毛、可禮受加奈可牟、」 上の加は疑のかなり
 
3918 橘乃、爾保敝流花爾、保登等藝須、鳴等比等都具、安美佐散麻之乎、」
 
3919 青丹余之、 冠辭
 
奈良能美夜古波、布里奴禮登、毛等保登等藝須、不鳴安良奈久爾、」 久邇の都へうつされたる比故此みやこを故郷とせられし惜さはさる物にていとせめてもと聞なれし郭公の今もなくにてかゝりてあるなり古今集にこぞの古聲とよめる類多き中に素性が「いその上ふるき都の郭公聲ばかりこそむかしなりけれ」とよめるも今に似たりされどこはおもしろしと聞えて此歌ばかり身にしみて故郷のさまは覺えず物のまことをいふとそらにたくみたるとのわかちめなり○今本終の句の奈を脱せり意をなさゞれば奈を補へり
 
3920 鶉鳴、 冠辭
 
布流之登《フルシト》比等波、於毛弊禮|騰《ト》、花橘乃、爾保敷許乃屋度、」
 
3921 加吉都播多、衣爾須里都氣、麻須良雄乃、服曾比獵須流《キソヒカリスル》、月者伎爾家里、」 むらさきなるかきつばたの花して摺る衣着てをとこだちの競ひつゝ獵する夏は來るとなりことばおもしろくてかり場のさまもおもひやらるゝ也
 右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿禰家持作、
 
○天平十八年正月|白雪多零《ユキサハニフリテ》積《ツモレリ》2地數寸《コヽニミキハカリ》1也|於時《トキニ》左(ノ)大臣橘卿《オホイマヘツキミタチハナノキミ》率《ヰテ》2大納言《オホイモノマヲスツカサ》藤原|豐成《トヨナリ》朝臣|及《ト》諸王諸臣等《オホキミタチマチキミタチヲ》1參2入《マヰリテ》太上天皇《オホスヘラミコトノ》(元正)御在所《ミアラカニ》1(中宮西院)供2奉掃1v雪《ユキキヨメツカンマツル》於是《コヽニ》降v詔《ミコトノリシテ》大臣參議並諸王者《オホマヘツキミオホマツリコトヒトオホキミタチハ》令2侍《サムラハセ》于大殿上《オホミアラカニ》1諸卿大夫等者《マチキミタチハ》令2侍《サムラハセテ》于南細殿《ミナミノホソトノニ》1而則賜v酒《オホミキタフベテ》、 今本海とあるは誤なり古本一本によりて改
 
肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各姿耳歌《ウタケシタマハントノリタマハクイマシオホキミタチマヘツキミタチイサヽカコノユキヲヨミテオノガジヽソノウタヲマヲセ》、
 
  左大臣橘宿禰|應詔歌《ミコトノリノママニヨメルウタ》、
 
3922 布流由吉乃、 如を入て心得べし
 
之路髪麻泥爾、大皇爾、都可倍麻都禮婆、貴久母安流香、」 ふる雪の如く白髪となるまでつかへまつればみめぐみのつもり/\てたふとしとよみたまへるなり
 
  紀朝臣清人應詔歌、
 
3923 天下、須泥爾於保比底、布流雪乃、比加里乎見禮婆、多敷刀久母安流香、」 こも雪を君のめぐみにたとへそのひかりを見ればたふとしとなり
 
  紀朝臣|男梶《ヲカヂ》應詔歌、
 
3924 山乃可比、曾許登母見延受、乎登都日毛、昨日毛今日毛、由吉能布禮々婆、」 をとつ日よりうちつゞきて雪のふれれば山々の間も見えずふるとなり
 
  葛井連諸會應詔歌、
 
3925 新、年乃波自米爾、 今本婆と有は波の誤しるかれば改む
 
豐《トヨ》乃登之、思流須登奈良之、 瑞の名をもて効の意にかけるなり
 
雪能敷禮流波、」 正月に雪のふれるはとしゆたかなる瑞ならんとなり雪豐年貢てふ唐言によれるのみにて歌もたけ高からず聞ゆ
 
  大伴宿禰家持應詔歌、
 
3926 大宮之、宇知爾毛刀爾毛、比賀流麻泥、零類白雪、 今本零須とありて布流須とよめるは笑ふべし類須の草の手より誤る事しるかればあらためつ
 
見禮杼安可奴香聞、」 大との内外まててるばかりにふる雪を見れどあかぬとなり
 
  藤原豐成朝臣  巨勢奈底麻呂朝臣
  大伴午養宿禰  藤原仲麻呂朝臣
  三原(ノ)王  知努《チヌノ》王
  船《フネ》王  邑知《ヲチ》王
  山田王     林王
  穗積朝臣老   小治田《ヲハリタノ》朝臣|諸人《モロノヒト》、 今本治を脱事しるかれば補
  小野朝臣綱手  高橋朝臣國足
  太《フトノ》朝臣徳太理、 こをおほと訓といへど太《フトノ》朝臣安萬呂と云による【多朝臣とは別なれば布刀と云ふこそよかるべき徳は借字ならん》
  高丘連河内   秦忌寸朝元《ハタノイミキアサモト》
  楢原造《ナラハラノミヤツコ》東人
 右件王卿等應詔作歌、依次奏之《ツイデノマニ/\マヲス》、登時不記其歌漏失《ソノトキソノウタヲシルサズシテウセヌ》、但秦忌寸《タヽシハタノイミキ》朝臣者左大臣橘卿|※[言+虚]曰《タハフレテイヘラク》、 今本諺とあるは誤しるけれは改む
 
 靡堪賦歌以麝贖之因此黙止也《ウタヲエヨマズハザヲモチアガナヘコヽニヨテマヲサヾリシ》、
 
○大伴宿禰家持以天平十八年|閏《ノチ》七月被v任2越中國守《コシノミチノナカツクニノカミニ》1即取2七月1赴任所《ヤカテフミツキニユク》於時、 和名抄に之宇止女(父之姉妹)と見ゆさてはしめに閏七日とありて茲に七月とあるは誤ならん閏六月を誤かとおもへと然らず此次の歌の右に八月七日云云とあるによるにまたくはじめは七月にて茲は閏七月なるを家の集のはし書に前後せしなるべし七月に守に被任閏七月に任にはおもむくなるべし
 
姑《ヲハ》大伴坂上郎女贈家持歌、
 
3927 久佐麻久良、 冠辭
 
多妣由久吉美乎、作伎久安禮等、伊波比倍須惠都、 卷廿にいはひべをとこべにすゑてとあり又いはひべほりすゑともあり皆床の邊にて家の神床を云なり
 
安我登許能弊爾、」
 
3928 伊麻能其|等《ト》、古非之久伎美我、於毛保要婆、伊可爾加母世牟、須流須邊乃奈左、」
 
○更《マタ》贈越中國歌、
 
3929 多妣爾伊仁志、吉美志毛都藝底、伊米爾美由、安我加多孤悲乃、思氣家禮婆可聞、」 
3930 美知乃奈加、久爾都美加未波、多妣由伎母、之思良奴伎美乎《シシラヌキミヲ》、 爲不知《シシラヌ》君をなり俗の任不訓《シナレヌ》ちふに同じ
 
米其美多麻波奈、」
 
○平群郎女《ヘグリノイラツメ》贈越中守大伴宿禰家持歌、
 
3931 吉美爾餘里、吾名波須泥爾、多都多山、 句を隔てしけきとつゞくなり
 
絶多流孤《タエタルコ》悲乃、之氣吉許呂可母、」
 
3932 須麻比等乃、海邊都禰佐良受、夜久之保能、 からくといはん序
 
可良吉戀乎母、安禮波須流香|物《モ》、」
 
3933 阿里佐利底、 在佐利の佐は志加の約にて在志加利弖なりしかなりてに同じ【又あり佐利底の佐は爾阿の約なるを春去はの如く左に通すか春雨も右の例なればこゝも阿利に阿利てといふか何れにても聞ゆ】
 
能知毛相牟等、於母倍許曾、 おもへばこその略なり
 
都由能伊能知母、都藝都追和多禮、」
 
3934 奈加奈可爾、之奈婆夜須家牟、伎美家目乎、 既にいふ如く君が顔と後にいふに同じ紀の意を引て前の卷に云へり
 
美受比佐奈良婆、須弊奈可流倍思、」
 
3935 許母利奴能、 冠辭|隱沼《コモリヌマ》なり
 
之多由孤悲安麻里、 下にてこひあまりと云
 
志良奈美能、 伊智之路久といはん句中の序なり
 
伊知之路久伊泥奴、比登乃師流倍久、」
 
3936 久佐麻久良、 冠辭
 
多妣爾之婆之婆、可久能未也、伎美乎|夜利《ヤリ》都追、安我孤悲乎良牟、」
 
3937 草枕、 冠辭
 
多妣伊爾之伎美我、可敝里許牟、月日乎之良牟、須邊能思良難久、」
 
3938 可久能|未也《ミヤ》、安我故非|乎《ラ》浪牟、奴婆多麻能、 冠辭
 
欲流乃比毛太爾、登吉佐氣受之底、」 まろ寢するを云
 
3939 佐刀知加久、伎美我奈里那婆、古非米也等、母登奈於毛比此、安禮曾久夜思伎、 我住方に君が住里の近からばよけんとばかり思ひしに今は遙にわかれぬれば然思ひしはよしなくくやしきとなり
 
3940 餘呂豆代爾、 世の中にとある事は萬のこりなく心解たる中となり豆と代を切て心得べし
 
許己呂波刀氣底、和我世古我、都美之乎見都追、 つみしはつめる事なりつまむは爪をむかへる事なり
 
志乃備加禰都母、」 心とけたる中らひ故今もたはむれにする如くつめる事をいふなりさも心とけむつまじむものからつみなどせしを思ぬればつゝむにあまりしのびかぬるとなり 
3941 鶯能、奈久久良多爾々、 闇谷《クラダニ》にて地名なる歟又火葬するわたりは人遠き方の山邊の木くらき谷間などにてすめればそをいふか今本多爾之と有之は爾の誤りしるしてにをはを略て助字あらん例なければ誤しるしよてあらためつ
 
宇知波米底、 こゝをもていよ/\火葬所ならん土佐日記にほと/\うちはめてとあり
 
夜氣波之奴等母《ヤケハシヌトモ》、 諸成案にこゝの之奴等母は死奴ともの意ならず燒者雖爲《ヤケハスルトモ》の意にて則くら谷の火葬所にて吾なきからはやけはしぬるとも君をし待たんとちかひたるなり卷二に高山之磐根四卷手など云類なりちか言にもかくよめる類數有いよゝ火葬ならん
 
伎美乎之麻多武、」
 
3942 麻郡能波奈、花可受爾之毛、和我勢故我、於母敝良奈久爾、 敝良の約波にて思はなくになり
 
母登奈佐吉都追、」 松は待をかねていひ吾待てども待人多き君なれば其數にも君がおもはぬによしなく待てふ花のうつくしまるゝ並に吾は待花心の咲ぬるとなり
 右十二首歌者|時々寄便使來贈非在一度所送也《ヲリ/\ツカヒタヨリニヨセテヲクレリヒトタビナラズオクルナリ》、
 
〇八月十七日夜集于守大伴宿禰家持館宴歌、
 
3943 秋田乃、穗牟伎見我底利、 穗の下向にみのりたるなりそを見るなり弖利の弖は多米の約にて見るがためになり則弖利の利は同言なれば良にも通しいふなりさて國官《クニヅカサ》たちなれば穗の出來を見るなり
 
利我勢古我、布佐多乎里家流、 【布佐多乎里は既出】
 
3944 乎美奈敝之香物、」
 右二首守大作伴宿禰家持作、
 
乎美奈敝之、佐伎多流野邊乎、由伎米具利、吉美乎念|出《デヽ》、多母登保里伎奴、」 君がこひしさに多くの野を行くにもたもとほり/\思ひこせる手ずさみに花を折こしとなり右の和なり
 
3945 安吉能欲波、阿加登吉左牟之、思路多倍乃、 冠辭句を隔て衣とかゝるなり
 
妹之衣|袖《デ》、伎牟餘之母我毛、」 むかし人はかくす事なく守なる人の宴の序にも妹おもふよしもつゝまずよめる物から歌のすがた遠き國に在よしもしられてあはれなり
 
3946 保登等藝須、奈伎底須藝爾之、乎加備可良、 丘邊からなり
 
秋風吹奴、余之母安良奈久爾、」 郭公の鳴しは夏なりそは都にありしに其鳴けん丘邊より秋風たちてはださむくなりてみやこしぬばるゝによしなや風の吹きぬとなり都戀しらによめるなりさて前の歌の餘意を云也
 右三首掾大伴宿禰池主作、
 
3947 氣佐能安佐氣、 計左は吉乃阿左の吉乃阿の約加なるを氣に通して氣左といふなりあさけは朝明なり是に朝影をかくいふもあれどもこゝはあしたの秋風の寒を言なれば必あさあけの略なりされば朝の二たび重るなれどかくくはしくをりたちていふには重言も常なり
 
秋風左牟之、登保都比等、 冠辭
 
加里我來鳴牟、等伎知可美香物、」 けさの秋風ことさらに肌さむくなれるは鴈の來らん事もちかきならんと覺ゆる秋の中頃のさまいとおもしろし此頃の歌もて見るにこも都の使をまたるゝよしなり
 
3948 安麻射可流、 冠辭
 
比奈爾月歴奴、之可禮登毛、由比底之紐乎、登伎毛安氣奈久爾、」 遠きたゐ中に月經てあれどもゆひし紐もときさけで丸ねするとよまれしも都こひしらのいとせちなるものなり
 右二首守大伴宿禰家持作、
 
3949 安麻射加流、 冠辭
 
比奈爾安流和禮乎、宇多我多毛、 始十首の歌の九首めに既にいふこゝははかなきにたとふなり
 
比母母登吉佐氣底、於毛保須良米也、」 遠く隔て有をはかなくも妹が戀しぬびて紐ときさけてともねせんずるさましておもひしづみてんとおもひやりてよめるなり
 右一首掾大伴宿禰池主、
 
3950 伊弊爾之底、由比底師比毛乎、登吉佐氣受、念意緒、多禮賀思良牟母、」 母はそへたるのみ丸寢するを妹はしらじと云を誰かしらんとひろくいふは歌なり
 右一首守大伴宿禰家持作、
 
3951 日晩之乃、奈吉奴流登吉波、乎美奈弊之、佐伎多流野邊乎、遊吉追都|見倍之《ミベシ》、」 日晩之鳴けるにも妹こひしらのまされば心やりになまめける女郎花の咲ける野邊を見むと云なり
 右一首秦忌寸八千島、
 右歌一首、大原高安眞人作、 こゝは古歌をとなへ出たれば前の卷にも有如く此並にしるせしを其序ならぬ人の歌をならべ書故古歌一首として姓名は小書せられしならんさらば年月不審ともかくべからず隨聞とは猶更書べくもなし前にしるしおかれしをふと見て後人のさかしらせしならんよりてすてつ
 
3952 伊毛我伊弊爾、 行と伊久は言通へれば伊久理といはん冠辭なり
 
伊久理能母里乃、 式神名に越後國蒲原郡伊久禮神社有是ならん契冲のイクリの神社ありとなりといへるは歌の意ともゝ此宴席にてうたへるにも心づかぬ説にてわらふべし且禮と理は通へば伊久理ともよむべし又|沼垂《ヌタリ》郡に美久理神社もあり
 
藤(ノ)花、伊麻許牟春毛、都禰加久|之見牟《シミム》、」 こは越後國の任にありて高安眞人が朝集使班田使大帳使やうの事にて都に行とて其國伊久理の森の藤の花を見て今こそ妹が家路に行時此花を見て心のよろこばしきに又此國に歸り來ん事有とも藤咲春はいつもかくこそ見る事あれとよめるならん
 右一首|傳誦《ツタヘトナフルハ》僧《ホウシ》幻勝是也、 此僧この宴席につらなり居て人々の妹こひしらに都しぬべるをいさめ言ほぎてうたひ出したるらんよてはし書のさかしらなるを猶おもへ
 
3953 鴈我禰波、都可比爾許牟等、佐和久良武、秋風左無美、曾乃可波能倍爾、」 こは秋さむき頃鴈の來鳴むにたとへて都への使來るを待うけてよまれしならん
 
3954 馬並底、伊射宇知由可奈、思夫多爾能、 越中國射水郡なり末の長歌に射水川二上山をよみて其末に之夫多爾能、佐吉乃安里蘇とあり
 
伎欲吉伊蘇末爾、與須流奈彌見爾、」
 右一首守大伴宿禰家持、
 
3955 奴婆多麻乃、 冠辭
 
欲波布氣奴良之、多未久之氣、 冠辭
 
敷多我美夜麻爾、月加多夫伎奴、」
 右一首|史生《フビトノトモ》土師(ノ)宿禰|道良《ミチラ》、
 
○大目《オホフビト》秦忌寸八千島之館宴歌、
 
3956 奈呉能安麻能、 越中國なり
 
都里須流布禰波、伊麻許曾波、敷奈太那宇知底、安倍底許藝泥米《アヘテコキデメ》、」 ふなだなあるは棚なし小船より少し大船なり其船棚をうちてあへぎこぎいづらめとなり卷三伊佐兒等安倍低漕出牟庭母志都計志と有
 右|館之客屋居望蒼海《タテノマラウトヤニヰナガラウミヲミル》仍《ヨテ》主人《アルジ》八千島作此歌也
 
○哀傷長逝之弟歌一首并短歌、
 
3957 安麻射加流、 冠辭
 
比奈乎佐米爾等、大王能、麻氣乃麻爾末爾、 任の隨なり
 
出而許之《イデヽコシ》、和禮乎於久流登、 おくるとてなり
 
青丹余之、 冠辭
 
奈良夜麻須疑底、泉河、伎欲吉可波良爾、馬|駐《トヽメ》、和可禮之時爾、 弟の送り來て別し時をいふなり
 
好去而、 今本こをよくゆきてとよめるは誤なり事既にいふ
 
安禮可弊里許牟、平久、伊波比底|待登《マテト》、可多良比底、許之比乃伎波美、 日の極なり
 
多麻保許能、 冠辭
 
道乎多騰保美《ミチヲタトホミ》、 多は發語遠くなり
 
山河能、弊奈里底安禮婆、 へだゝりてなり倍太々里倍奈理音通こと既いふ
 
孤悲之家口《コヒシケク》、 計久の約久にてこひしくなり
 
氣奈我枳物能乎、見麻久保里、念間爾《オモフアヒタニ》、多麻豆左能、 冠辭
 
使乃家禮婆《ツカヒノケレバ》、宇禮之美登、安我麻知刀敷爾、於餘豆禮能、 於餘備都良禰の良禰の約禮なれば於餘豆禮といふ備は辭なれば略く字を充れば及連なり【於余豆禮卷十四挽歌に出】
 
多婆《タハ》計登等可毛、 謔言《ソラコト》なり可毛は疑の意
 
波之伎余思、 今本婆と有は波の誤しるかれば改余はやに通てはしきやに同じ
 
奈弟乃美許等《ナオトノミコラ》、 なせの君など云に同じく親みたふとめることなり
 
奈爾之加毛、 疑の加なり
 
時之波安良牟乎、波|太須酒吉《タズヽキ》、 冠辭こも今本婆と有は誤なりよてあらたむ 
 
穗出《ホニヅル》秋乃、芳子花、爾保弊流屋戸乎、 今本こゝに言斯人已下二十六字の小註は後人のさかしらしるしよて捨つ
 
安佐爾波爾、伊泥多知奈良|之《シ》、暮庭爾、敷美多比良|氣受《ゲズ》、 多比良氣はならすなりこゝはならさずなり
 
作保能宇知乃、 これより葬の道をいふ
 
里乎往過、安志比記乃、 冠辭
 
山能許奴禮爾、 木の末《ウレ》なり能字の約ぬなり
 
白雲爾、多知多奈妣久等、安禮爾都氣都流、」 今本に左保山火葬故謂之云云とあるははるか後の世にさへしらるゝ事を自注すべきいはれなく後人のさかしらしるければ捨つ
 
3958 麻佐吉久登、伊比底之物能乎、白雲爾、多知多奈妣久登、伎氣婆可奈思物、」 火葬の煙を思ひてよめるなり
 
3959 可加良牟等、可禰底思理世婆、古之能宇美乃、安里蘇乃奈美母、見世麻之物能乎、」 卷九に久夜斯可母、可久斯良麻世婆、阿乎爾與斯、久奴知許等其等、美世麻斯母乃乎と旅人卿のよめるに同じ
 右天平十八年九月二十五日|越中守《コシノミチナカノクニノカミ》大伴家持|遙聞弟喪感傷作之也《ハルカニイロトノミマカレルヲキヽテカナシミテヨメルナリ》、
 
○相歡歌《ヨロコブウタ》、越中守大伴宿禰家持作、
 
3960 庭爾敷流、雪波知敝之久、思加乃末爾、於母比底伎美乎、安我麻多奈久爾、」 待ほどもなくはやくかへりこしとよろこべるなり
 
3961 白浪乃、余須流伊蘇末乎、※[手偏+旁]船乃、可治登流間奈久、於母保要之伎美、」 はるかにまつべくおもひしよりもはやく歸りこしをよろこべるなり保要の約倍にておもへしと云なり
 右以天平十八年八月|掾《マツリゴトビト》大伴宿禰池主附2大帳《オホフミ》使(ニ)1赴2向《イリテ》京師《ミヤコニ》1而十一月|還2到本任《モトノマケニカヘル》1仍設酒之宴《ヨテウタゲヲマケテ》1彈v絲飲樂《コトヲヒキエラギセリ》是日《コノヒ》也|白雪忽降積尺餘《ユキニハカニフリツミテサカマリ》此時《コノトキ》也|復漁夫之船入v海浮v瀾《マタカフネウミニテウカム》爰守大伴宿禰家持寄情二眺聊裁所心、 ふたつのみさけは漁父と雪とをいふなり
 
○忽洗沈疾殆臨泉路《ニハカニヤマヒアツクホド/\ヨミニミマカラマクナリヌ》、仍作歌詞以申悲緒一首《ヨテウタヲヨミテカナシミヲノバヘルヒトクサト》并短歌、
 
3962 大王能、麻氣能麻爾麻爾、丈夫之、 今本丈を大に誤れれば改む
 
情布里於許之《コヽロフリオコシン》、安思比奇能、 冠辭
 
山坂古延底、安麻射加流、 冠辭
 
比奈爾久太理伎、 伎は計利の約
 
伊伎太爾毛、伊庇太夜須米受、年月毛、伊久良母阿良奴爾、宇都世美能、 冠辭
 
代人奈禮婆、宇知奈妣吉、等許爾許伊布之、 伊はやしの約にて許也之布之なりこやしはころびふしなる事既いふ
 
伊多家|苦之《クノ》、 病のいたづきをいふなり下に伊多家苦乃とあるもてこゝも乃とよめり今本|伊多家苦之《イタケクシ》とよめるは誤なりさて計久の約久にて伊多苦乃といふにてやまひの勞《イタヅキ》のといふなり
 
日爾異爾、 今本に爾を脱す例によて補へり
 
益者《マセバ》、多良知禰乃、 冠辭
 
波波能美許等乃、大船乃、由久良由良久爾、 大ぶねはゆるくしづかに行物故ゆるく/\を由留の約由なれは舟よりはゆくとかゝり下へうつる言には則由は伊都の約にて良は留に通ひいつくる/\といふなり伊都可乃序なり
 
思多呉非爾、 下心に母の戀るを云
 
伊都可聞許武等、麻多須良武、 多は知末の約麻如末須良武と母をあがめ云なり
 
情差夫之苦、波之吉與志、都麻能美許登母、安氣久禮婆、 婆はわの如く唱ふよて濁字を用ゐしなり
 
門爾餘里多知、己呂母泥乎、遠理加弊之都追、 衣手を折かへすは夢に見んとてのことわざもて云なり
 
由布佐禮婆、登許宇知波良比、奴婆多麻能、 冠辭
 
黒髪之吉底、伊都之加登、奈氣可須良牟曾、 加須約久なり
 
伊母毛勢母、 吾子の妹兄を云なり
 
和可伎兒等毛波、乎知許知爾、佐和吉奈久良牟、多麻保己能、 冠辭
 
美知乎多騰保彌、 多は發語なり
 
間使毛、夜流《ヤル》余之母奈之、於母保之伎、 心に思ひほる言もなり
 
許登都底夜良受、孤布流爾思、 思は助字なり
 
情波母要奴、多麻伎波流、 冠辭
 
伊乃知乎之家騰、世牟須敝能、多騰伎乎之良爾、加苦思底也、安良志乎須良爾、 荒男なり志は助辭
 
奈氣枳布勢良武、」
 
3963 世間波、加受奈吉物能可、 年の數すくなきにてはかなきをいふかはかなのはぶきなり
 
春花乃、知里能麻可比爾、思奴倍吉於母倍婆、」 こゝは後世のてにをはならばしぬべくおもへばとあるべきをしぬべきおもへばといふはいにしへなりしぬべきをおもへばの乎を略けるなり本の句のかすなきより末の句もかくいひまはしのあはれさをおもへ
 
3964 山河乃、曾伎敝乎登保美、 曾古比の古比の約伎にて底邊《ソコヘ》といへりこもよしある考ながら諸成案に式の祝詞に國退立限《クニノソキタツカキリ》といふ退と同言にて左と曾と言通ひ加利の約伎にて延ても約てもいふ言にて遠放《トホサカリ》の放を言を通し約いふならん則山河の遠《トホ》く放邊《サカリベ》を遠みと上下していひて通き序にいひしとみゆ此|退《ソキ》立も眞淵考にて祝詞にくはしくいへり此方によるべきなり河と云よりふと曾古比の考に誤し事とおもはるゝなり
 
波之吉余思、伊母乎安比見受、可久夜奈氣加牟、」
 右天平十九年二月廿日越中國守之館|臥《コヤシ》v病《ヤマヒ》悲傷聊作此歌《カナシミテイササカコノウタヲヨメリ》、
 
○守大伴宿禰家持贈掾大伴宿禰池主悲歌、
 忽沈狂疾累旬痛苦《ニハカニアツクヤマヒシツキヲカサネイタヅケリ》祷《コヒノメド》2特而神《カズノカミニ》1且得消損而由身體疼羸筋力怯歟《マタヤセオトロヘテタヾニミイタミツカレチカラナヅサヘ》末v湛《タヘズ》2展謝《イヤノブルニ》1係戀彌深《コヒモフコトイヤフカシ》方今春朝春花流2馥《イマシアシタノハルハナミサカリニ》於春苑《ミソノニ》春暮春鶯囀聲《ユフヘノウグヒスサヤゲリ》於春林《ミハヤシニ》對此節候《コノヲリニマケハベリテ》琴※[缶+尊]可翫矣《コトサケテナラスヘシ》雖v有《アリトヘト》2乘奐之感《オモシロクメヅルコト》1不v耐《タヘズ》2策杖之勞《ツエノイタヅキニ》1獨臥《ヒトリコヤシ》帷幄之裡《トバリノチニ》聊作《イササケハカリヨミ》寸分之歌《ミシカウタヲ》、輕《ウコニ》 【紀應神に宇古と有は後に乎古といふに同じ乎と宇は通し云常なりさて乎は伊登の約古は加呂の約にていとかる/\しきを乎古とも宇古ともいふ嗚呼の言とおもへるは後の俗なりよてこゝの輕を宇古と訓しなり】
 奉《マタシ》2机下《ミモトニ》1犯2解《シヒマツルトテ》玉頤《ミハラヒヲ》1其詞曰《ソヲウタヘラク》、
 
3965 波流能波奈、伊麻波左加里爾、仁保布良牟、乎里底加射佐武、多治可良毛我母、」
 
3966 宇具比須乃、奈枳知良須良武、春花、伊都思香伎美登、多乎里加射左牟、」
 右天平二十年二月二十九日大伴宿禰家持、
 
 忽辱《ニハカニタマフ》2芳音《ミフミヲ》1翰苑凌雲《ソノサマイヤタカク》兼《コトサラニ》垂倭詩《ミウタヲタマフ》詞林舒錦《ソノシラベニシキナセリ》以吟以詠《ウタフニヨムニ》能※[益+蜀]戀緒《シヌベルコヽロヲモラシヌ》春可樂暮春風景最可怜《クレユクハルノサマオモシロク》紅机灼灼戯蝶廻花※[人偏+舞]《モヽサキミダリカハラヒサゴハナニアソヘリ》翠柳依々《ヤナギタワヽニ》嬌鶯隱葉歌可樂哉《ウグヒスハガクリテナキアソヒヌヘキカナ》淡交促席得意《トモドチウタケシテタヌシク》忘言樂矣|美矣幽襟足賞哉《ウマラニコヽロハルケナンカナ》豈慮乎蘭※[草冠/惠]隔※[草冠/聚]琴※[缶+尊]無用空過令節物色輕人乎《オモハヌニタレコメテマセバコトサケイタヅラニトキスギモノヽアリサマスサビヌ》所怨有此不能黙止《コヲウラブレテモタシアヘズ》俗語玄《コトハザニイヘル》以藤續錦《アラタヘモテニギタヘニツキ》聊擬談咲耳《イサヽケミワラヒニナゾラウ》、
 
3967 夜麻可比爾、佐家流佐久良乎、太多比等米、伎|美《ミ》爾|彌西底婆《ミセテハ》、 見せたらばの多良の約多なるを弖に通すなり
 
奈爾乎於母波牟、」
 
3968 宇具比須能、伎奈久夜麻夫伎、宇多賀多母、 此言既にいひつこゝははかなき意にとれり此歌は隔句にて君かてふれず山吹の花のうたがたの如はかなく散らんやと言ほぎよめるなり
 
伎美我手敷禮受、波奈知良米夜母、」
 右|沽洗《・二月也》二日|掾《マツリコトヒト》大伴宿禰池主、
 
○更贈歌一首并短歌、 又家持の池主へおくる歌なりこゝに池主の言をほめたゝへわかきときまなぶことなくいときなき時人麻呂赤人の門にあそばず歌言もしらぬよしいと身をくたりてかける文有もとも歌の端詞ともなく歌の言にあづからざればこゝにすてゝ別記に此文のよしをことはりぬ
 
3969 於保君|民能《ミノ》、麻氣乃麻爾麻爾、之奈|射《ザ》加流、 冠辭
 
胡之乎遠佐米爾、伊泥底許之、麻須良和禮須良、余能奈可乃、都禰之奈家禮婆、宇知奈妣伎、 なびきふしといひ下し冠辭にあらず
 
登許爾己伊布之、 已伊布之の伊は也志の約己也志布之といふ
 
伊多家苦乃、 此言前の長歌に伊多家苦之と有を今本伊多家苦之と訓れどこゝをもて之《ノ》と訓つ
 
日爾異爾麻世婆、 今本二つの爾なし例をもて補
 
可奈|之家口《シケク》、 かなし久の久を延たるのみ
 
許已爾|思出《オモヒデ》、 こゝに思ひ出かなしけくと上下して心得べきなり
 
伊良奈家久、 心いられなげくといへりこゝはなげくにあらず
 
曾許爾念出、 そこにおもひ出いらなけくと上下して心得べし
 
奈氣久蘇良、夜須可良奈久爾、 可良の二つの畫きえしを今本家とせしは誤なりとして暫あらたむ猶考ふべし
 
於母布蘇良、久流之伎母能乎、安之比紀能、 冠辭
 
夜麻伎弊奈里底《ヤマキヘナリテ》、 山來隔たりてなり
 
多麻保許乃、 冠辭
 
美知能等保家波、 遠ければのれをはぶけるなり
 
間使毛、遣縁毛奈美、於母保之吉、 後におもほしきてふに同じく思しきりて言も通はぬなり
 
許等毛可欲波受、多麻伎波流、 冠辭
 
伊能知乎之家登、勢牟須辨能、多騰吉乎之良爾、隱居而《コモリヰテ》、
 
念奈氣加比、奈具佐牟流、許己呂波奈之爾、春花乃、佐家流左加里爾、於毛敷度知、多乎里加射佐受、波流乃野能、之氣美登妣久久、 久久は久具里なり良利留禮呂辭なれば畧てもいふ又草久伎なといふは久具利の久利の約伎なるを物の下にいへは伎の濁を上へめくらしいふなりよて久具の具伎と通にあらず
 
鶯、音太爾伎加受、乎登賣良我、春菜都麻須等、 麻須の約牟にてつむといふなり
 
久禮奈爲能、赤裳乃須蘇能、波流佐米爾、爾保比比豆知低、 豆知の約治にて比治なり則比多志を再延たる言なり
 
加欲敷良牟、時(ノ)盛乎、伊多豆良爾、 先にもいひし如く伊多の約阿なり豆良の約陀にて阿陀てふ言を延ていふなるのみ
 
須具之夜里都禮、思努波勢流、 勢留の約須にてこゝは池主花山吹のめでらるゝをいひこしてわれにしぬばすといふなり
 
君之心乎、宇流波之美、 今本宇を牟にあやまるしるかれば改む又波を沈にあやまるこは一本によりて波に改つ
 
此夜須我浪《コノヨスガラ》爾、伊母禰受爾、今日毛|之賣良爾《シメラニ》、 志美良の美を賣に通せるにて夜波須我良に同しくそのまゝなる事卷一の別記にくはしく見ゆ
 
孤悲都追曾乎流、」
 
3970 安之比奇能、 冠辭
 
夜麻左久良婆奈、比等目太爾、伎美等之見底婆、 見たらばを約め通し云言なる事既に云 
安禮古非米夜母、」 母はそへたるのみ
 
3971 夜麻扶枳能、之氣美登※[田+比]久々、鶯能、許惠乎聞良牟、伎美波登母之毛、」 山吹の花を見つゝそのしげみを飛くゞる鶯をきく者はといひて吾もさこそありたけれとあらまほしみてうらやむなりそを乏といふ
 
3972 伊泥多多武、知加良乎奈美等、許母里爲底、伎彌爾故布流爾、許已呂度母奈思、」 利心《トコヽロ》もなしと云に同じ心利もなしなり此刀は都與を約しなり強心なり度は言便に濁なり
 右三月三日大伴宿禰家持、 今本右を脱例によりて補
 
○今本こゝに七言晩春三日遊覧一首并序と書て暮春野外の景をいひ※[缶+尊]を開とふの言有て詩意も其まゝなり歌にあつからさればこゝにはいはず別記にあら/\にいふさて詩の右に右二月四日大伴宿禰池主とあり又今本こゝに昨日述短懷今朝※[さんずい+干]耳目云々とありて又不遺下賤頻惠徳音など文章歌の端詞に似ずよてすて、別記に云、さて敬和歌其詞云
 
3973 憶保枳美能、彌許等可之古美、安之比奇能、 冠辭
 
夜麻野佐婆良《ヤマヌサハラ》受、 婆は和の如く半濁に唱ふ山にも野にもさはらずなり 
安麻射可流、 冠辭
 
比奈毛乎佐牟流、 鄙をも治るなり
 
麻須良袁夜、 やはよと呼出意なる事既に言
 
奈爾可母能毛布、安乎爾余之、 冠辭
 
奈良治伎可欲布、多麻豆佐能、都可比多要米也、 使は常にたえめや常あるとなり今本余と有は誤なり一本によりてあらたむ
 
己母理古非、 使たえめやしかるをこもりゐて戀と言也
 
伊伎豆伎和多利、之多毛比爾、 今本爾を余に誤る
 
奈氣可布和賀勢、伊爾之弊由、伊比都藝久良之、 【久良之の之は久の誤にて伊比都藝久良久なるべし】
 
餘乃奈加波、可受奈枳毛能|賀《カ》、 賀は加波の意かずなき物かは齡のかず有もありと云なり
 
奈具佐牟流、己等母安良牟等、 上になきものかといひてこゝにこともあらんと云なり
 
安禮爾都具良久、夜麻備爾波、佐久良婆奈知利、 家持命短きならんと下におもふを然はあらじといひ花のさかりすくなくちりすぐとも猶春ふかきなぐさみのかずをいひてかすなきものかはなぐさむ事ありと示す
 
可保等利能、麻奈久之婆奈久、春野爾、須美禮乎都牟等、之路多倍乃、 冠辭
 
蘇泥乎利可弊之、久禮奈爲能、安可毛須蘇妣伎、乎登賣良波、於毛比美太禮底、伎美麻都等、 とての略なり
 
宇良呉悲須奈里、 うらはうちにて心なり下こゝろに戀おもふなり
 
己許呂具志、 既にも云如く心ぐるしなり池主のこゝろにくるしとなり
 
伊謝美爾由加奈、許等波多奈由比、」 多奈由比てふ言は其本刀米禰良比也留倍志なり其刀米の約多なり禰良の約奈なり比は辭にて畧く也留の約由なり倍志の約比にて上に云野山花鳥をとめしか意もたねらひやるべししらぬとなり猶此言の働は荒良言にくはしくす【奥人按に許等は言なり多奈は多禰に同たねらひなり由比の由は伊に同いひなりされば言はたねらひないひそいざ速に出で遊び給へと我朝の出でがてなるを誘ていへるなり】
 
3974 夜麻夫枳波、比爾比爾佐伎奴、宇流波之等、安我毛布伎美波、思久思久於毛保由、」 此歌は長歌の初より十五六句の伊枳豆伎和多利之多毛比爾てふほどにあたれり山吹の花の如くうるはしみおもふ君はしきりにものおもふといふならん五の句の保由の約布なればおもふと云なりされは四の句のおもふは池主の自のおもひをいひ五の句の思ふは家持のおもひをいふなり
 
3975 和賀勢故爾、古非須弊余賀利、安之可伎能、 垣はほかといはんのみ
 
保可爾奈氣加布、 加布は久の延
 
安禮|之《シ》可奈思母、」 わかせこにはやまひにしづみわび給へば戀おもふすべなくてそをよそになげくがかなしといふなり
 右三首五日大伴宿禰池主、 今本右を脱例によて補ふ こゝに家持卿の詩序あれども皇御國ぶりならねばすてゝ別記に云
 
○短歌、
 
3976 佐家理等母、之良受之安良婆、母太毛安良牟、己能夜萬夫吉乎、 山吹を見せ給ひし故よしな心に戀思ふとなり
 
美勢都追母等奈、」
 
3977 安之可伎能、保加爾母伎美我、余里多々志、孤悲家禮許曾婆、伊米爾見要家禮、」 あしがきの外との給へど君がよりたちて戀給へばこそいめに見ゆと言なり多々志の多志の約知なれば多知を延てたゝしと云なり
 右三月五日大伴宿禰家持|臥病作之《ヤミコヤシテヨメル》、 今本右を脱す例によりて補ふ
 
○述戀緒《コフルコヽロヲノブル》歌一首并短歌、
 
3978 妹毛吾毛、許己呂波於夜自、多具弊禮登、伊夜奈都可之久、相見婆《アヒミシハ》、登許波都波奈爾、 常に初花の如くめでらるゝと言なり
 
情具|之《シ》、 契冲が心ぐるしなりと云によるべし具留の約くなれば然云べし
 
眼具之《メグシ》毛奈之爾、波思家夜之、 相見るたびに初花の如くめでらるゝから心ぐるしも目ぐるしもなくはしきおくづまなりといふなり
 
安我於久豆麻、 此麻の下に爾を脱せしかてにをはなくてならぬ爾を略て六言にいはんよしなしといふ説もさる事ながら諸成案に於久豆麻の豆濁言を用ゐたれば奥妻《オクツマ》といふならん深く思ひをとむるを言にて奥の妻の乃を略ける言なれば下もてにをは略て六言とせるならん
 
大王能、美許登加之古美、阿之比奇能、 冠辭
 
夜麻古要野由伎、安麻射可流、 冠辭
 
比奈乎左米爾等、別來之、 上のわがおくづまより六句を隔て此句につゞけり
 
曾乃日乃伎波美、荒璞能、 冠辭
 
登之由吉我弊利、 年の行のかへりの乃をはぶけば我と濁るをしらせて濁字を用ゆ
 
春花乃、宇都呂布麻泥爾、相見禰婆、 その日のきはみより四句を隔てゝこゝにつゞけるなり
 
伊多母須弊奈美、 後の世にいともといふに同じきなり
 
之伎多倍能、 冠辭
 
蘇泥可弊之都追、宿夜於知受、伊米爾波見禮登、宇都追爾之、多太爾安良禰婆、孤悲之家口、知弊爾都母里奴、近在者《チカカラハ》、加弊利爾太爾母、 たちかへりと俗のいふにおなじ言にあたるなり
 
宇知由吉底、妹我多麻久良、佐之加倍底、禰天蒙許萬思乎、多麻保己乃、 冠辭
 
路波之騰保久《ミチハシトホク》、關左閉《セキサヘ》爾、弊奈里底安禮許曾、 へなりてこそあれを言を上下して言
 
與思惠夜之、餘志播安良武曾、 あひ見るよしはあらんぞなり
 
霍公鳥、來鳴牟都奇爾、伊都之加母、波夜久奈里奈牟、字乃花乃、爾保弊流山乎、余曾能未母、布里佐氣見都追、淡海路爾、伊由伎能里多知、 越前より湖水をのりさて伏見より奈良へ出る
 
青丹吉、 冠酢
 
奈良乃|吾家《ワキヘ》爾、奴要鳥能、 冠辭
 
宇良奈氣之都追、 ぬえが聲の恨みなげくが如くなれば恨鳴とかゝりうけたり言は裡歎にて心になげくなり
 
思多戀爾、 うら歎よりつゞけて下戀といふ下心に戀るなり
 
於毛比宇良夫禮、可度爾多知、由布氣刀比都追、吾乎麻都等、奈須良牟妹乎、 夕占をとひ下戀なすらん妹をなり
 
由伎底早見牟、」 今本安比底とあるは言とゝのほらず由伎底の誤ならんとしてあらためつ
 
 反歌、
3979 安良多麻乃、 冠辭
 
登|之《シ》可弊流麻泥、安比見禰婆、許己呂母之努爾、於母保由流香聞、」
 
3980 奴場多麻乃、 冠辭
 
伊米爾波母等奈、安比見禮騰、 いめにあひ見れとよしなしといふ
 
多太爾安良禰婆、 直にあらぬいめのあた事なればと言
 
孤悲夜麻受家里、」
 
3981 安之比奇能、 冠辭
 
夜麻伎弊奈里底、等保家騰母、 山來りへだゝりてといふなり
 
許己呂之遊氣婆、伊米爾美要家里、」
 
3982 春花能、宇都路布麻泥爾、相見禰婆、月日餘美都追《ツクヒヨミツヽ》、 月日をよみかぞへつゝと云なり
 
伊母麻都良牟曾、」
 右|三月二十日夜《ヤヨヒハツカノヨ》裏忽兮起戀情作《イモコヒシヲニヨメル》大伴宿禰家待、
 
○立夏四月既經2累日《ナツタチテヒヲフレドモ》1而由v未v聞2霍公鳥喧1因作2恨歌1《マダホトヽギスノコヱキカサルヲウラミテヨメルウタ》二首、
 
3983 安思比奇能、 冠辭
 
夜麻毛知可吉乎、保登等藝須、都奇多都麻泥爾、奈仁加吉奈可奴、」 なにゝか來なかぬと云なり
 
3984 多麻爾奴久、波奈多知婆奈乎、等毛之美思、 此國に橘のなければ郭公のたらまほしみて來鳴ずあるらんとなり既に此ともしみをたらまほしを約し言なりと云を此てにをはに合ておもへ
 
己能和我佐刀爾、伎奈可受安流良之、」
 右、 今本右を脱例なれば加ふ
 
 霍公鳥者|立夏之日來鳴必定《ナツタテルヒカナラズシモキナク》又|越中風土希有燈橘《コシノミチノナカノクニタチハナマレナリ》因此《ヨテ》大伴宿禰家持|感發《オコシテ》於|懷《オモヒヲ》聊裁此歌《イササカコノウタヲヨメリ》、 今本こゝに三月二十九日とあり既に端辭に四月と有に又月日を云べきいはれなし後人のさかしらしるければすてつ
 
○二上山賦《フタカミヤマヲヨメル》一首、 此山者在2射水《イミヅ》郡1也
 
3985 伊美都河泊、伊由伎米久禮流、多麻久之氣、 冠辭
 
布多我美山者、波流波奈乃、佐氣流左加利爾、安吉乃葉乃、爾保弊流等伎爾、出立底、布里佐氣見禮婆、可牟加良夜、曾許婆多敷刀伎、 【曾許婆久已々婆久の言の解は次の長歌にくはしく云】十數《ソカズ》の量《ハカリ》たふときと云
 
夜麻可良夜、見我保之加良武、須賣加未能、 筑波根のふた神などいふに同く山を尊みあがみていふなりけり
 
須蘇米乃夜麻能、 すそみはすゝみにて神のめで給ふ山なりと云
 
之夫多爾能、 同越中のくぬちなり
 
佐吉乃安里蘇爾、 崎のあらいそなり
 
阿佐奈藝爾、餘須流之良奈美、由敷奈藝爾、美知久流之保能、伊夜麻之爾、多由流許登奈久、伊爾之弊由、伊麻乃乎都豆爾、 うつゝなり宇乎は同言通なり
 
加久之許蘇、見流比登其等爾、加氣底之努波米、」 此山に上つ代いはれ有しなるべし其いにしへをしぬぶといふなり
 
3986 之夫多爾能、佐伎能安里蘇爾、與須流奈美、伊夜思久思久爾、伊爾之弊於毛保由」 
3987 多麻久之氣、 冠辭
 
敷多我美也麻爾、鳴烏能、 四月なれば此鳥霍公鳥なるべし
 
許惠乃孤悲思吉、登伎波伎爾家里、」
 右三月三十日依興作之大伴宿禰家持、
 
〇四月十六日夜《ウツキトヲマリムカノヨ》裏遙聞霍公鳥喧述懷歌《トホクホトヽギスノナクヲキヽテオモヒヲノバヘルウタ》一首、
 
3988 奴婆多麻能、 冠辭
 
都奇爾牟加比底、保登等藝須、奈久於登波流氣之、佐刀騰保美可聞、」 吾居る里より遠くも鳴たる聲かとなり
 右大伴宿禰家持作之、
 
○大目秦忌寸八千島之館餞《オホフビトハタノイミキヤチシマカタチニハナムケスル》守大伴宿禰家持宴歌二首、
 
3989 奈呉能宇美能、意吉都之良奈美、志苦思苦爾、於毛保要武可母、多知和可禮奈波、」 
3990 和家勢故波、 今本我加と有は和我の誤ならんされど奈良に下りては我加と書て書て我加《ワガ》ともよみしか例にたがへれはかくあらたむ
 
多麻爾母我毛奈、手爾麻伎底、見都追由可牟矣、於吉底伊加波乎思、」
 右守大伴宿禰家持以|正税帳《タチカラノフミヲ》、 【諸國に正税公廨と云事有正税とは國々に有天子に奉る田なり、公廨とは國守以下の給ふ田なり、其正税の帳をしるして國司都に持參して解由を取事有云々、拾穗】
須入京師仍作此歌聊陳相別之歎《ミヤコニタテマツルニヨテコノウタヲヨミテイサヽケハカリワカレノナゲキヲノハヘヌ》、四月二十日
 
○遊2覧布勢水海1賦一首并短歌、 此海者在射水郡舊江村也
 
3991 物能乃敷能、 冠辭
 
夜蘇等母乃乎能、於毛布度知、許已呂也良武等、宇麻奈米底、宇知久知夫利乃、 越後と越中の堺にちぶりの湊ありこをもて馬並て打來知夫利といひてしら波にいひかけしならん 
之良奈美能、安里蘇爾與須流、之夫多爾能、佐吉多母登保理、 ちぶりしぶたにのありそへを立とまり又行つするをかく云
 
麻都太要能、 越中の地の名
 
奈我波麻須義底、宇奈比河波、 同じ國中の河の名
 
伎欲吉勢|其《ゴ》等爾、宇加波多知、 鵜河立なり山立川立などもいひ市立なども云立の如鵜に魚をとらすなり
 
可由吉加久遊伎、 夕|庚《ツヾ》のかゆきといふ加は計左の約けさかく行てふつゞけなれば此可も今朝ゆくかく行と云ならん
 
見都禮騰母、曾許母安加爾等、 安加爾の爾は爾伎の約にてあかなきといふなり又にぬを通したるにも有べし
 
布勢能宇彌爾、布禰宇氣須惠底、於伎弊許藝、邊爾己伎見禮婆、 へつかたに漕歸り見ればなり
 
奈藝左爾波、安遲牟良佐和伎、之麻末爾波、許奴禮波奈左吉、 乃宇の約ぬにて木乃宇禮花咲なり
 
許己婆久毛、 諸成按るに許は加曾の約己も加曾の約曾は須に通ひて數々といふなり婆久の久は加留の約|計《ハカリ》なり數々乃計の乃を略ば婆と濁るなり曾己婆久の曾は十《ソ》の意にて十計《ソハカリ》なり己は右に同じ其所《ソコ》此所《コヽ》とは別言なり
 
見乃佐夜氣吉加《ミノサヤケキカ》、 此の加は哉の意なり
 
多麻久之氣、 冠辭
 
布多我彌夜麻爾、波布都多能、 冠辭
 
由伎波和可禮受、安里我欲比、伊夜登之能波爾、於母布度如、可久思安蘇婆牟、異麻母見流其等、」
 
3992 布勢能宇美能、意枳都之良奈美、安利我欲比、伊夜登|偲《シ》能披爾、見都追思努播牟、」
 右守大伴宿禰家持|作之《ヨメリ》、四月廿四日、
 
○敬和d遊2覧布勢水海1賦u一首并一絶、
 
3993 布治奈美波、佐岐底知里爾伎、宇能波奈波、伊麻曾佐可理等、安之比奇能、 冠辭 
夜麻爾毛野爾毛、保登等藝須、奈伎之等與米婆、宇知奈妣久、 冠辭
 
詳已呂毛之努爾、曾己乎之母、宇良胡非之美等、於毛布度知、宇麻宇知牟禮底、多豆左波理、伊泥多知美禮婆、伊美豆河泊、美奈刀能須登利、安佐奈藝爾、可多爾安佐里之、思保美底婆、都麻欲比可波須、等母之伎爾、美都追須疑由伎、之夫多爾能、安里蘇乃佐伎爾、於枳追奈美、余勢久流多麻母、可多與理爾、可都良爾都久理、伊毛我多米、底爾麻吉母知底、 こゝにかつらにつくり妹の爲手にまくなど云事後ながら伊勢物語に「わたつみのかつらにさすをいはふ藻も」といへるが如く古へは玉藻をかつらにさすてふ事ありしならん又|海童《ワタヅミ》のいたゞきてあなるうなつ藻はしかいふ事なくとも海童のかざしとはいふべしこゝは人のかざしか
 
宇良具波之、布勢能美豆宇美爾、阿麻夫禰爾、 あまの船の乃を略てぶねといふなり
 
麻可治加伊奴吉、 眞梶掻拔の加伎の伎を伊に通て加伊奴吉と云の例なり
 
之路多倍能、 冠辭
 
曾泥布理可邊之、阿登毛比底、 阿登毛比の毛は萬刀の約にて阿刀萬刀比弖なりと我友藤原中良のいへるはよし是によるべし
 
和賀己藝由氣波、乎布能佐伎、 同國の布施の海の崎をいふならん
 
波奈知利麻我比、 うの花などを云ふ
 
奈伎佐爾波、阿之賀毛佐和伎、 こゝに阿之賀毛と有る之は知の誤にて阿知賀毛ならん賀は疑の辭毛はそへたるなりといふ説もさる事ながら諸成按に下の思放鷹云云の長歌に安之我母能須太久舊江爾と同人の歌あり五言の句に阿しかものとてにをはをそへてよめれば必蘆鴨ならん同卷に例あれば本のまゝに見ることしからん
 
作射禮奈美、多知底毛爲底母、己藝米具利、美禮登母安可受、安伎佐良婆、毛美知能等伎爾、波流佐良婆、波奈能佐和利爾、可毛加久母、伎美我麻爾麻等、 【君がまにまと前の家持の歌「はや年のはに思ふどちかくし遊ん」などいへるをうけて君か仰のまゝにと云なり、拾穗】
 
可久之許曾、美母安吉良米米、 君がのたまへる如くここの面白さを見あきらめなんとなり
 
多由流比安良米也、」 されど見つくす日あらんやとなり
 
3994 之良奈美能、與世久流多麻毛、余能安比太、 吾世のあひたなり
 
都藝底民仁許武、吉欲伎波麻備乎、」
 右掾大伴宿禰池主作、四月廿六日追和、
 
〇四月二十六日掾大伴宿禰池主之|館《タチニ》餞《オクル》正税帳使《タチカラノツカヒ》守大伴使家持宴歌四首、 今本に歌并古歌三首と有されど三首作者あり終の歌は五の句を直してうたへるなれは并古歌をすて一本によて四首と改む
 
3995 多麻保許乃、 冠辭
 
美知爾伊泥多知、和可禮奈婆、見奴日佐麻禰美、弧悲思家武可母、」 一云不見日久彌戀之家牟加母、 今本見奴日佐等麻禰美とあれど古本に等の字なし卷十八に月可佐禰美奴日左末禰美と同人の歌あれば等はすてつ
 右一首大伴宿禰家持作之、
 
3996 和我勢古我、久爾弊麻之奈婆、 久邇の京を云
 
保登等藝須、奈可牟佐都奇波、佐夫之家牟可母、」
 右一首|介内藏《スケクラノ》忌寸繩麻呂作之、
 
3997 安禮奈之等、奈和備和我勢故、保登等藝須、奈可牟佐都奇波、多麻乎奴香佐禰、」 卷一にいふ佐禰は奴計の計を再延したるなりよしは既にいへり
 右一首守大伴宿禰家持和、
 
○石川(ノ)朝臣|水通《ミユキ》橘(ノ)歌、
 
3998 和我夜度能、花橘乎、波奈其米爾、 波奈其米は、婆奈乎久波倍米なり其《ゴ》はは久波の約加なり其加と倍を約て計となるを古に通して古米とも古牟とも云ふ其と濁は花乎の乎をはぶけばなり
 
多麻爾曾安我奴久、麻多婆苦流之美、」 こは古歌の末の句を直して右の和にうたへるなりゆゑにはじめにも云如く古歌とのみは云べからず
 右一首、轉誦《ウツロハシウタフ》 今本傳とあり他にもまたく古歌のまゝ唱ふるは傳といふこゝは終の句を直しうたふなれはうつろはし誦とあるべし
 主人大伴宿禰池主云爾、
 
○守大伴宿禰家持館(ノ)飲宴歌《ウタケノウタ》、四月廿六日、
 
3999 美夜故弊爾、多都日知可豆久、安久麻底爾、安比見而由可奈、故布流比於保家牟、」 
○立山賦一首并短歌、
 
4000 安麻射可流、 冠辭
 
比奈爾|名可加須《ナカガス》、 可我也加須の我也加の約我なれば可我須と云加我也久は卷十五に委し
 
古思能奈可、久|奴知許登其等《ヌチコトゴト》、 既云如く爾乃宇の約ぬなれば久爾乃宇知を約てかく云なり
 
夜麻波之母、之自爾安禮登毛、加波波之母、佐波爾由氣等毛、 【佐渡爾由氣等毛、多に流れ行けどもなり、拾穗】
 
須賣加未能、宇之波伎伊麻須、 既云如く主張《ウシハリ》なり
 
爾比加波能、曾能多知夜麻爾、 則越中の立山なり前後の川の名同し地の川をいふなり
 
等許奈都爾、 夏もとこしなへに雪ふりしくなり
 
由伎布理之伎底、於婆勢流、 四言婆は妣佐の約おびさせるなり
 
可多加比河波能、伎欲吉瀬爾、安佐欲比其等爾、多都奇利能、於毛比須疑米夜、安利我良比、伊夜登之能播仁、余増能未母、増は僧の誤ならんさて在經つゝ通來て年毎に見んなり 
布利佐氣見都々、余呂豆餘能、可多良比具佐等、伊末太見奴、比等爾母都氣牟、於登能未毛、名能未母伎吉底、登母之夫流《トモシブル》我禰、」 名のみ聞て見ぬ人は見まほしとみせんてふ言を約ていふなり言の解はすでにいひつ我禰はねがふ詞なり
 
4001 多知夜麻爾、布里於家流由伎乎、登己奈都爾、見禮等母安可受、加武賀良奈良之、」 こは初句より十四句めまでをよめり
 
4002 可多加比能、加波能瀬伎欲久、由久美豆能、多由流許登奈久、安里我欲比見牟、」 十五句より下にあたる
 右四月二十七日大伴宿禰家持作之、 右は例によりて補
 
○敬2和《コタヘマツル》立山|賦《ウタニ》1一首并|二絶《フタクサ》、
 
4003 阿佐比左之、曾我比爾見由流、 背向なり山の背は後《ウシロ》なり其後のむかひののを畧けば我比と濁る
 
可無奈我良、彌奈爾於婆勢流、之良久母能、知邊乎於之和氣、安麻曾曾理、 天摩《アマサスリ》なり天《アマ》をさする斗高を云ふ
 
多可吉多知夜麻、布由奈都堵、和久許等母奈久、之路多倍爾、 白栲の如くになり
 
遊吉波布里於吉底、伊爾之邊遊、阿理吉仁家禮婆、 有來去爾《アリキイニ》なり
 
許其志可毛、 凝々敷となり
 
伊波能可牟佐備、多末伎波流、 冠辭
 
伊久代經爾家牟、多知底爲底、見禮登毛安夜之、彌禰《ミネ》太可美、多爾乎布可美等、於知多藝都、吉欲伎可敷知爾、安佐左良受、 朝毎にさらずはたえずと云なり
 
綺利多知和多利、由布佐禮婆、久毛爲多奈※[田+比]吉、 雲居なり多は都良の約にて連靡《ツラナビキ》なり棧引てふ説はいかゝ
 
久毛爲奈須、 その棚引雲に似なして心もしぬにとつづけたるなり
 
己許呂毛之努爾、多都奇理能、 如くを入て心得べし
 
於毛比須具佐受、 山のさまのよろしくとゝのへるはたつ霧の絶ぬ如くおもひすぐしやらぬなり
 
由久美豆乃、 又如くを入て心得べし
 
於等母佐夜氣久、與呂豆余爾、伊比都藝由可牟、加波之多要受波、」 之は助字川は加多加比川をいふなり
 
4004 多知夜麻爾、布里於家流由伎能、等許奈都爾、氣受底和多流波、可無奈我良等曾、」 
4005 於知多藝都、可多加比我波能、多延奴期等、伊麻見流比等母、夜麻受可欲波牟、」
 右掾大伴宿禰池主和之、四月廿八日、
 
○入京漸近悲情難撥述懷《ミヤコニマヰルコトヤヤチカヅケハオモヒヤリガテニヨメル》一首并|一絶《ミジカウタ》、
 
4006 可伎加蘇布、數多我美夜麻爾、可牟佐備底、多底流都我能奇、毛等母延毛、 本はみきなり枝もといふ
 
於夜自得伎波爾、波之伎與之、和我世乃伎美乎、安佐左良受、安比底許登騰比、由布佐禮婆、手多豆佐波利底、伊美豆河波、吉欲伎可和知爾、伊泥多知底、和我多知彌禮婆、安由能加是、 東風を安由乃風と越の國人はいふ下にも此言見ゆ諸成按に卯の風の宇を延ていふならんか
 
伊多久之布氣婆、美奈刀爾波、之良奈美多可彌、都麻欲夫等、須騰理波佐和久、安之可流等、安麻乃乎夫禰波、伊里延許具、加遲能於等多可之、曾己乎之毛、安夜爾登母志美、之怒比都追、安蘇夫佐香理乎、須賣呂伎能、乎須久爾奈禮婆、美許登母知、 天皇大御詔をかしこみもちて都にかへりまゐるなりけり
 
多知和可禮奈婆、 奈は伊奈婆の伊を畧く
 
於久禮多流、吉|民《ミ》波安禮騰母、多麻保許乃、 冠辭
 
美知由久和禮播、之良久毛能、多奈妣久夜麻乎、伊波禰布美、古要弊奈利奈婆、孤悲之家久、氣乃奈我氣牟曾、則許母倍婆、許己呂志伊多思、保等登藝須、許惠爾安倍奴久、 霍公鳥も五月に鳴橘も五月に玉をぬけば合《アヘ》ぬくとはいふなり【安倍の倍は波勢の約にて安波勢奴久を約いふなり】
 
多麻爾母我、手爾麻吉毛知底、安佐欲比爾、見都追由可牟乎、於伎底伊加婆乎思、」
 
4007 和我勢故婆、多麻爾母我毛奈、保等登伎須、許惠爾安倍奴伎、手爾麻伎底由加牟、」
 右大伴宿禰家持贈掾大伴宿禰池主、四月卅日、
 
○忽見入京述懷之作生別悲號斷腸萬囘怨緒難禁聊奉所心一首并二絶、
 
4008 安遠爾與之、 冠辭
 
奈良乎伎波奈禮、阿麻射加流、 冠辭
 
比奈爾波安禮登、和賀勢故乎、見都追志乎禮婆、於毛比夜流、ものおもふ事の凝てやる方なき時も君を見れば其思ひをやりすごすとこゝはいふなり後によそ事をおもひはかるを思ひやるといふとは別なり
 
許等母安利之乎、於保伎美乃、美許等可之古美、乎須久爾能、許等登里毛知底、和可久佐能、 こゝは冠辭ならず※[苔/木]《カラムシ》畿内《ウチツクニ》の人はからむしといひ東の俗はいちびといふさて和名抄に※[草冠/閤](和名以知比編v※[草冠/閤]將2行膝1)とあるはいちびはゞきなり脛巾《ハヽキ》の類むかばきをはじめ錦又は毛皮其外織物にても作るなればこゝはいちひはゞきをあゆひといふにて則草のあゆひとつゞけしならんとおぼゆるなりけり
 
安由比多豆久利、 安由比|手着《テツキ》の伎を延ていふかさらば手は發語にてあゆひつけといふのみかこゝに手作布をいふべからねばなりいづれにも群鳥の冠辭をいはんとておけるのみならん
 
無良等埋能、 冠辭
 
安佐太知伊奈婆、於久禮多流、阿禮也可奈之伎、多妣爾由久、伎美加母孤悲無、於毛布蘇良、夜須久安良禰婆、奈氣可久乎、 なげくを延たるなり
 
等騰米毛可禰而、見和多勢婆、宇能波奈夜麻乃、保等登藝次、禰能未之奈可由、 可由は久の延
 
安佐疑理能、 冠辭
 
美太流流許己呂、許登爾伊泥底、伊波婆由遊思美、刀奈美夜麻、 【刀奈美山、和名抄越中礪波郡云云】
 
多牟氣能可美爾、奴作麻都里、安我許比能麻久、波之家夜之、吉美賀多太可乎、 多太加の多は多備の畧太は太都末左の約にて則たつまさかにて旅立のまそのきはを約ていふなりたむけの神のさきはひまもりたまふを乞のむなり
 
麻佐吉久毛、安里多母等保利、 【多母等保利の等保利の約知なりよてありたもちなり】 
都奇多多婆、等伎毛可波佐受、 時もかはらさずといふなり
 
奈泥之故我《ナデシコガ》、波奈乃佐可里爾、 なでしこの花の盛は夏秋うけていふなり 
阿比見之米等曾、」 あひ見さしめといのるなり
 
4009 多麻保許能、美知能可未多知、麻比波勢牟、 まひは既いふ幣《マヒ》にて賂といふにおなじ
 
安賀於毛布伎美乎、奈都可之美勢余、」 なれつかしめとこひのみまつるなり
 
4010 字良故非之、 此しははしきやしのしの如くいひはなちて下へかゝるなり
 
和賀勢能伎美波、奈泥之故我、波奈爾毛我母奈、安佐奈佐奈見牟、」
 右大伴宿禰池主|報贈和歌《オクルニコタフルウタ》、五月二日、
 
○思《シヌビ》2放逸鷹《ハナレタルタカヲ》1夢見感悦《イメニミテメデヨロコベル》歌一首并短歌、
 
4011 大王乃、等保能美可度曾 美雪落、越登名爾於弊流、安麻射可流、比奈爾之安禮婆、山高美、河登保之呂思、野乎比呂美、久佐許曾|之既吉《シゲキ》、安由波之流、 川登保之呂之よりこゝにつゞく
 
奈都能左加利等、之麻都等利、 冠辭
 
鵜養我登母波、由久加波乃、伎欲吉瀬其登爾、可賀里左之、奈豆左比能保流、露霜乃、 九句上の久佐許曾之既吉よりこゝにつゞくなり
 
安伎爾伊多禮波、野毛佐波爾、等里須太家里等、 既云如く須佐備多計夫てふ言を約てかくは云なり
 
麻須良乎能、登母伊射奈比底、多加波之母、 之は助辭なり鷹はなり
 
安麻多安禮等母、矢形尾乃、安我大黒爾、 大黒者蒼鷹之名也
 
之良奴里能、 【之良の約佐にて佐ぬりのあさくぬりたる鈴か又白塗かそれをあさくも白くもぬる事ゆゑよしいかにそや其道の人に問ふべし】
 
鈴登理都氣底、朝|※[獣偏+葛]《カリ》爾、伊保都登里多底、 五百津鳥なり
 
暮※[獣偏+葛]爾、知登理布美多底、於敷其等《オフゴト》爾、 追毎になり
 
由流須許等奈久、手放毛《タハナレモ》、乎知母加夜須伎、 遠も安きにて加は發語なり 
許禮乎於伎底、麻多波安里我多之、左奈良|弊《へ》流、多可波奈家牟等、 左は發語にてならぶ鷹はなしといふなり
 
情爾波、於毛比保許里底、惠麻比都追、和多流安比太爾、 月日をふるなればかくおもひほこりゑまひて有ほどをわたるあひだと云
 
多夫禮多流、 たはむれたるなり【夫は婆牟の約半濁の波の約りたる故夫を濁なり】
 
之許都於吉奈乃、 醜津翁と詈《ノリ》ていふなり則次の鳥※[獣偏+葛]するとて主にも申さで鷹すゑ出し人を云なり
 
許等太爾母、吾爾波都氣受、等乃久母利、 たなびき曇りといふたな引は既言
 
安米能布流日乎、等我理須等、名乃未乎能里底、三島野乎、曾我比爾見郡追、二上、山登妣古要底、久母我久理、可氣理伊爾伎等、可弊理伎底、之波夫禮都久禮、 之は勢伎の約夫禮は辭にてしばびともしばぶきとも働て物かなしくうちなげく時むせびて咳ともなくてむせびながらものいふさまをしばぶれつぐればといふなりけり都具禮は告くるを云
 
呼久餘思乃《ヲクヨシノ》、 呼は宇母の約母は米に通てうめくよしなり
 
曾許爾奈家禮婆、伊敷須弊《イフスベ》能、 いふすべのそこになければを上下していふそのわけいはんにもいはんすべのなきなり
 
多騰伎乎之良爾、心爾波、火佐倍毛要都追、於母比孤悲、 おもひのひを火にたとふれば火さへもえつゝよりおもひ戀をいふなり
 
伊伎豆吉安麻利、氣太之久毛、安布許等安里也等、安之比奇能、 冠辭
 
乎底母許乃毛爾、 知倍《チベ》の約弖にてをちべなるを約てをてもといふ許乃母は許奈多倍を通しつゞめていふをちべこちべの山野をはぶきいへばあしびきてふ冠辭をかけるなりけり
 
等奈美波里、 等里乃安美の里を略き乃安の約奈なればとなみと云なり
 
母利弊乎須惠底、 守部をすゑてといふなり
 
知波夜夫流、 冠辭
 
神社爾、底流鏡、之都爾等里蘇倍、 倭文織幣《シツオリヌサ》に取添を略き云
 
己比能美底、安我麻都等吉爾、乎登倍良我、伊米爾都具良久、奈我古敷流、曾能保追多加波、 秀鷹《ホツタカ》なりほめていふ
 
麻都太要乃、 越中の松田江なるか
 
波麻由伎具良之、都奈之等流《ツナシトル》、 ※[魚+制]なり東の國のこのしろなり 
比美乃江過底、多古能之麻、等比多毛登保里、 既云如くたもとほりはとまりまどふを約云なり等比は飛なり
 
安之我母能、須太久舊江爾《スダクフルエニ》、 比美乃江、多古能島、須太久ふる江、みな越中の地なり
 
乎等都日毛、伎能敷母安里追、知加久安良波、伊麻布都可|太未《ダミ》、 未は未利の約にて今二|溜《タマリ》と云なり則日數を云日たまらばなり【太末囘も陀美とよめば此心も有べしたわみなり】
 
等保久安良婆、奈奴可乃字知波、須疑米也母、伎奈牟和我勢故、禰毛許呂爾、奈孤悲曾余等曾、伊米爾都氣都流、」 今本米を麻に誤る上の言にて夢にたがひなければ改つ米を末と見し誤りより麻にさへ書しなるべし
 
4012 矢形尾能、多加乎手爾須惠、美之麻|野爾《ヌニ》、 長歌に既出此國の地名なり
 
可良奴日麻禰久、 狩奴日間なくと云なり隙無なり
 
都奇曾倍爾家流、」
 
4013 二上能、乎底母許能母爾、安美佐之底、安我麻都多可乎、伊米爾都氣追母、」
 
4014 麻追我弊里、 待却なり此言卷十一に松反|四臂而有八《シヒニテアレヤ》と有まつかへりてと云なり
 
之比爾底安禮可母、佐夜麻太乃、 佐は發語夜麻太は則山田史君麻呂をさしていふなり
 
乎治我其日爾《ヲヂガソノヒニ》、 長歌に醜津おきなといへるにて山田君麻呂なり
 
母等米安波受家牟、」 あはずありけんを通し約めいふなり
 
4015 情爾波、由流布許等奈久、須加能夜麻、 地名なり次の須可といはん序に置り
 
須可奈久能未也、 よすがなくやといふ
 
孤悲和多利奈牟、」
 右射水郡古江(ノ)村(ニ)取2獲蒼鷹1形容美麗鷙鷙v雉秀v群也於時養吏、【養吏は鷹をかふ者也、拾穗】
 山田史者君呂調試失v節野獵乖v候搏v風(ニ)之翅高翔匿v雲腐鼠之餌呼留靡v驗於v是張設羅網窺乎非常奉幣神祇恃2乎不虞1也粤以夢裡有2娘子1喩曰使君勿d作2苦念1空費2精神u獲2得彼(ノ)放逸(ノ)鷹1未v幾矣須臾|覺寤《サメテ》有v悦2於懷1因作2却恨之歌1式旌2感信1、守大伴宿禰家持、九月二十日作也、
 
○高市(ノ)連黒人歌一首、 今本こゝに年月不審と有後人のさかしらなりこは古歌をとなへしなれば年月用なし
 
4016 賣比能野能、 越中に婦比郡有こを米比《メヒ》とよみて此郡の野ならん
 
須々吉於之奈倍、布流由伎爾、夜度加流|家敷之《ケフシ》、可奈之久於毛|倍遊《ヘユ》、」 倍を愉の誤とするもよしされと倍遊の約も布なり保遊の約も布なればともに延言なりもとより言の國なれば自ら延約にかなふはかくもいふべければありこせるまゝに見つ
 
 右傳《ミギツタヘラク》誦2此歌《コノウタヲトナヘルハ》2三國(ノ)眞人五百國|是|也《ナリ》、
 
4017 東風《アユノカゼ》、 越俗語東風謂安由乃可是也、此言既上の入京漸近云云長歌に安由乃加是と假字書せるにいはでこゝに注《コトワ》るは後人のさかしらなるべし
 
伊多久布久良之、奈呉乃安麻能、都利須流乎夫禰、許藝可久流見由、」
 
4018 美奈刀可世、佐牟久布久良之、奈呉乃江爾、都麻欲比可波之、多豆左波爾奈久、」 二首の奈呉越中にもあるなるべし此歌どもしらべも古くよくとゝのへり一云多豆佐和久奈里とあるはおとれりと見ゆ
 
4019 安麻射可流、 冠辭
 
比奈等毛之流久、許己太久母、之氣伎孤悲可毛、奈具流日毛奈久、」 都戀しらにしぬばるゝばかりなぐさむ事なくかず/\しげくこひおもはるゝはまことにあまさかるひなとしるしとなり
 
4020 故之能宇美能、信濃乃波麻乎、 濱の名なり
 
由伎久良之、奈我伎波流比毛、和須禮底於毛倍也、」 なかき春の日にもわすれんやなり
 右四首、天平二十年春正月廿九日、
 
○大伴宿禰家持|礪波《トナミ》郡雄神河邊作《ヲカミノカハノヘニテヨメル》歌、 神名式越中國礪波郡雄神社と見えたり
 
4021 乎加未河、久禮奈爲爾保布、乎等賣良之、葦附、 今本こゝに水松《ミル》之類とあるは心ゆかず水松は海松なれば川にあるべからず菱の※[殻の左]にて足つく事あれば菱の子を足突といふべしすべて此に注は自の注とも見えぬ事あるは既にもいへり
 
等流登、湍《セ》爾多多須良之、」 多須の約都にてたつらしと云なり
 
○婦負郡渡2※[盧+鳥]坂河邊1時作歌、 神名式越中國※[盧+鳥]坂神社有郡の訓は既云
 
4022 宇佐可河泊、和多流瀬於保美、許乃安我馬乃、 此我馬《コノアカウマ》を略きいふ
 
安我枳乃美豆爾、 足掻の水なり
 
伎奴奴禮爾家里、」
 
〇見《ミテ》2潜※[盧+鳥]人《ウカヒヒトヲ》1作歌、
 
4023 賣比河波能、波夜伎瀬其等爾、可我里佐之、夜蘇登毛乃乎波、宇加波多知家里、」
 
○新河《ニフカハ》郡渡2延槻河《ハヒツキカハヲ》1時作歌、 和名抄に爾布加波郡
 
4024 多知夜麻乃、由吉止久良之毛、 今本由吉之久とある之は止の誤しるかればあらたむ之にてはきこえず
 
波比都奇能、可波能和多理瀬、安夫美都加須毛、」 鐙つくと云なり加須の約久なり毛は添たるのみ
 
〇赴2參《マヰルトテ》氣多大神宮《ケタノオホミカミノミヤニ》1、 契冲云今本多を誤て比に作れり是は神名式に能登國羽咋郡に氣多神社と見ゆ續紀(聖武)天平十三年十二月能登國並越中國依之と見ゆ越中の守なれども能登を治らるゝによりて此神社へまうでらるゝなり
 
行《ユク》2海邊《ウナビヲ》1之時作歌、
 
4025 之乎路可良、 神名式に能登國羽咋郡志乎神社此神のおはす地を云べし【或説に越前國大野郡志母郷を引けるはかなはず】
 
多太古要久禮婆、波久比能海、安佐奈藝思多理、船梶母我毛、」
 
○能登郡、 能登國なり
 
從《ユ》2香島津《カジマツ》1發船《フナヒラキシテ》射2於《サシテ》熊來村《クマキムラ》1、 神名式久麻加夫津阿良加志比古神社有り久麻加夫の約久なれは古くは久麻久村と呼しを言の同じかれは後に久麻伎と呼しなるべし
 
往時作歌、 こゝに往とあれば今本上の船の下に行と有は衍字なればすてつ
 
4026 登夫佐多底、 冠辭
 
船木伎流等伊布、 今本布を有とするは布を有と見たる草の手の語なり有は假字の例にも違へば改む
 
能登乃島、今日見者、許太知之氣思物、伊久代神備曾、」
 
4027 香島欲里、久麻吉乎左之底、許具布禰能、可治等流間奈久、 地の名ゆ舟梶をいひてまなくといはん序とす
 
京師之於母保由、」
 
○鳳至郡、 今本凰と有は誤なり一本鳳至神名式に鳳至郡鳳至神社、和名抄に能登國鳳至郡不布志見ゆさて鳳は保宇なり此保宇の約布なれば布志とよむべし凰は久波宇又和宇又字書に凡にしたがひては音|殊《シユ》とあれば布と唱ふべきのよしなし
 
渡(ル)2饒石《ニギシ》河1時歌、
 
4028 伊毛爾安波受、比左思久奈里奴、爾藝之河波、伎欲吉瀬其登爾、美奈宇良波倍底奈《ミナウラバヘテナ》、」 波倍の約|倍《ベ》にて水之卜部《ミナウラベ》なりきよき水にて占をせし事ありしならん今俗たゞみざんなと云如き類ならんさて底奈の底はてあらなを約云なり底あらの約多なるを底に通してかくはいふなり
 
○從2珠洲郡1發船還2大海郷1之時泊2長濱灣仰見月光作歌、 契冲云和名抄に羽咋郡に大海郷(於保美)有り延槻川をわたりて羽咋郡にまします氣多神宮に詣で能登郡より鳳至に至りそれより珠州に至りて舟にて羽咋へかへらるゝなるべし然れば大海郷の字を誤て大沼郡となせるなるべしと此説によるべし
 
4029 珠州能宇美、安佐比良伎之底、許藝久禮婆、奈家波麻能宇良爾、都奇底理爾家里、 「つきてありにけり」を約通してかく云なり
 右|件歌詞者《クダリノウタハ》依《ヨテ》2春出擧《ハルノタヂカラニ》1、 雜令云凡公私以財物出擧者と見ゆ賜るも貢も財物をもて出すをいふべし
 
巡2行《ユク》諸郡《ムラ/\ニ》1當時《ソノトキ》所屬目作之《ミルマヽニヨメリ》、大伴宿禰家持、
 
○怨《ウラメル》2鶯晩哢《ウグヒスノコヱヲキヽテ》1歌、
 
4030 宇具比須波、伊麻波奈可牟等、可多麻底波、 可多の可は古奈の約古余多麻底波此方のみは片々なるをおもへ諸成按に言は必かく言もて解べし
 
可須美多奈妣吉、都奇波倍爾都追、」
 
○造酒《ミキノ》歌、 酒を贖にして神祭りて上は君|氏族《ウカラ》家族《ヤカラ》の爲に祈なり
 
4031 奈加等美乃、敷刀能里等其等、 中臣のふとのりと言とさへいへば君をいのる事もはらなり
 
伊比波良倍、安賀布伊能知毛、 阿は和に通ひてわかちも同言奈は禰我《ネガ》の約にて則わかちねがふなり賀奈の約賀なれは阿賀奈布の奈を略てあがふともいひ略かてあがなふともいふさていのるに奉る物はねがひみてんとて奉るなればあがとのみはいふなりけり
 
多我多米爾奈禮、」 この禮は良米の約にて則たがためならめと云なり歌に酒の言なし酒を奉り吾命はもとより妻をもいのり歌にはあまれる事をいふさて妻にも奉りたる酒もおくるなれば相聞の意もありけり
 右大伴宿禰家持作之、
 
萬葉集卷十七之考 終
 
萬葉集卷十八之考
 
○天平|二十年三月二十三日《ハタトセヤヨヒハツカマリミカノヒ》左大臣橘卿之使者造洒司令史《ヒタリノオホヒマチキミタチハナノマヘツキミツカヒミキツカサフビト》田邊|福麻呂《サイマロヲ》饗《ミアヘス》2于|守《カミ》大伴宿禰家持|館《タチニ》1爰新歌《コヽニヨメルウタ》并《ト》使《ツカヒ》誦《トナヘ》2古詠《フルキウタヲ》1各述心緒《ヲノガジヽコヽロヲノバヘリ》、
 
4032 奈呉乃宇美爾、布禰之麻志可勢、 舟暫し借と云
 
於伎爾伊泥※[氏/一]、奈美多知久夜等、見底可敝利許牟、」
 
4033 奈美多底波、奈呉能宇良未爾、餘流可比乃、寄る具のなり
 
末奈伎孤悲爾曾、等之波倍爾家流、」 國任の勞久しく都邊こひしき意をよせてよめるなり
 
4034 奈呉能宇美爾、之保能波夜悲波、 鹽の早く干ばなり
 
安佐里之爾、 既いふ如く貝狩を約云なりしはなしの略言
 
伊泥牟等多豆波、伊麻曾奈久奈流、」
 
4035 保等登藝須、伊等布登伎奈之、安夜賣具佐、加豆良爾勢武日、許由奈伎和多禮、」 此歌は卷七の夏雜歌に既出くはしく續紀を引てかつらにせん日の事もいへり此時よりもふるき歌なれば此宴の興にうたへるなりよて古詠と云
 右四首田邊史福麻呂、
 
○于時|期《チギリテ》3之|明日《アクルヒ》將v遊2覧《ミムト》布勢(ノ)水海《ウミヲ》1仍《ヨテ》述《ノバヘテ》v懷《オモヒヲ》各作歌、
 
4036 伊可爾世流、布勢能宇良曾毛、許己太久爾、吉民我彌世武等、和禮乎等登牟流、」
 右一首田邊史福麻呂、
 
4037 乎敷乃佐吉、許藝多母等保里、比禰毛須爾、美等母安久倍伎、宇良爾安良奈久爾、」 一云伎美我等波須母と有は仙覺などが校合の時一本にかく有をかきそへしならん
 右一首守大伴宿禰家持、
 
4038 多麻久之氣、 冠辭言を隔てゝつゞけたり
 
伊都之可安氣牟、布勢能宇美能、宇良乎由伎都追、多麻母比利波牟、」 ふせの海のめでつべきよしを聞てしぬばるゝからにあけなん日なればまちがてにいつしか玉櫛笥あけて見んぞと見る事にいひかけ浦に行て玉もひろはんとはいふなり
 
4039 於等能未爾、伎吉底目爾見奴、布勢能宇良乎、見受波能保良自、等之波倍奴等母、」 年はふるとも都にのぼらじとなり
 
4040 布勢能宇良乎、由吉底之見弖波、 見てあらばをつゞめ云なり
 
毛母之綺能、 冠辭
 
於保美夜比等爾、可多利都藝底牟、」
 
4041 字梅能波奈、佐伎知流曾能爾、和禮由可牟、伎美我都可比乎、可多麻如我底良、」 片待我多米良なり多米の約弖也家持をゐやまひて我行たらば君使を賜らんと云卷七に此歌既出たり
 
4042 敷治奈美能、佐伎由久見禮婆、保等登藝須、奈久倍吉登伎爾、知可豆伎爾家里、」
 右五首田邊史福麻呂、
 
4043 安須能比能、敷勢能宇良末能、布治奈美爾、氣太之伎奈可須、知良之底牟可母、」 【明日行て見ん布勢の浦間の藤なみにはけだし時鳥は鳴まじきかと云なり、拾穗】まだほとゝぎすの時ならねばきかずして藤の花をちらしなんが惜きと福麻呂がこひおもへる霍公鳥の歌に和へたるなり一云保等登藝須こも前に云如く後の一本なり
 右一首大伴家持和之、
 前件八首(ノ)歌者、二十四日宴作之《ハツカマリヨカノヒノウタゲニヨメリ》、
 
〇二十五日往2布勢水海1道中馬上口號《ミチスガラウマノウヘニテヨメル》歌、 今本口號二首と有ど前後によりて歌とせり
 
4044 波滿部余里、和我宇知由可波、宇美邊欲利、牟可倍母許奴可、安麻能都里夫禰、」
 
4045 於伎敝欲里、美知久流之保能、伊也麻之爾、安我毛布伎見我、彌不根可母加禮、」 彼はといふなり
 
○至水邊遊覧之時各述懷作歌《ウナビニユキテアソベルトキオノガジシオモヒヲノベテヨメルウタ》、 治本氷邊今本水邊今一本に水海古本には水邊則多きによりて水邊とせり拾穗には歌によりて書るか垂氷邊遊覧之時云云と有て小書にイに至水毎と書り
 
4046 可牟佐夫流、多流比女能佐吉《タルヒメノサキ》、許伎米具利、見禮登裳安可受、伊加爾和禮世牟、」 此歌の多流比米能佐伎は式に砺波郡比賣神社有此郡は山によれる郡なれども其山の崎の海によれる地ありて云ならん國人に問ふべし
 右一首田邊史福麻呂、
 
4047 多流比賣野、 野を乃の假字に用ゐしは古にあらず
 
宇良乎許藝都追、介敷乃日婆、多奴之久安曾敝、移比都伎爾勢牟、」
 右一首|遊行女婦土師《サブルコハジ》、
 
4048 多流比女能、宇良乎許具不禰、 今本夫と有は不の誤しるしよて改
 
可治末爾母、奈良野和藝敝乎、和須禮※[氏/一]於毛倍也、」
 右一首大伴家特、
 
4049 於呂可爾曾、和禮波於母比之、乎不乃宇良能、安利蘇野米具利、見禮度安可須介利、」 右一首田邊史福麻呂、
 
4050 米豆良之伎、吉美我伎麻佐波、奈家等伊比之、夜麻保等登藝須、奈爾加伎奈加奴、」、 右一首掾久米朝臣廣繩、
 
4051 多胡乃佐伎、許能久禮之氣爾、保登等藝須、伎奈伎等余米婆、波太古非米夜母、」
 右一首大伴宿禰家持、
 前件八首歌者、二十五日作之、
 
○掾《マツリゴトヒト》久米朝臣廣繩|之《ガ》館《タチニ》饗《ミアヘスル》2田邊史福麻呂1宴歌、
 
4052 保登等藝須、伊麻奈可受之弖、安須古要牟、夜麻爾奈久等母、之流思安良米夜母、」 右一首田邊史福麻呂、
 
4053 許能久禮爾、奈里奴流母能乎、保登等藝須、奈爾加伎奈可奴、伎美爾安敝流等吉、」 右一首久米朝臣廣繩、
 
4054 保等登藝須、許欲奈枳和多禮、登毛之備乎、都久欲爾奈蘇倍、蘇能可氣母見牟、」
 
4055 可敝流末能、美知由可牟日波、伊都波多野、 式に越前國敦賀郡五幡神社あり此山路の坂をいふならんこゝを通りて都にかへるなればよめるなり
 
佐加爾蘇泥布禮、和禮乎事於毛波婆《ワレヲシオモハヾ》、」
 右二首大伴宿禰家持、
 前件歌者、廿六日作之、
 
○太上皇《オホスメラミコト》御2在《オハシマス》於難波(ノ)宮(ニ)1、之時(ノ)歌、 今本こゝに清足姫天皇とあれど古本にも一本にもなしよてすてつ
 
4056 保里江爾波、多麻之可麻之乎、大皇之《オホキミノ》、 今本之を乎と有は誤しるければ改つ
 
美敷禰許我牟登、可年弖之里勢婆、」
 
○御製歌《オホミウタ》一首 和《オホンミコタヘ》
 
4057 多萬之賀受、伎美我久伊弖伊布、 悔ていふなり
 
保理江爾波、多麻之伎美弖々、都藝弖可欲波牟、」 一本或云多麻古伎之伎弖とあり卷十九に牟具良波布、伊也之伎屋戸母、天皇之、座牟等知者、玉之賀末之乎、 とあるなり
 右二首件歌《ミキノフタクサクタリノウタ》者|御船泝江遊宴之日《ミフネエヲノボリウタケセスヒ》左大臣奏《ヒダリノオホイマチキミマヲスト》并御製歌、一首、
 
4058 多知場奈能、登之能《トノノ》多知婆奈、 今本波と有初句によりて字をあらたむ 
夜都代爾母、 彌津代にもなり
 
安禮波和須禮自、許乃多知婆奈乎、」 【紀(垂仁)九十年春二月庚子朔天皇命2田道間守《タチマモリ》1遣2常世國1令v求2非時香菓《トキシクノカノコノミヲ》今謂v橘是也云云九十九年秋七月天皇崩明年春三月田道間守至自2常世國1則|賚物非時香菓八竿八縵《トキシクノカコノミヤサヲヤカケ》云云、奥人】
 
○河内女王歌一首、
 
4059 多知婆奈能、之多泥流爾波爾、等能多弖天、佐可彌豆伎伊麻須、 佐加彌豆伎こを沈醉の意といひ又酒身沈を略約していふ説もさる事ながら諸成按に沈醉はもとより唐言にて酒身沈てふ言も吾朝廷の言の意ならずおもはるこをいはゞ酒をたゝへて身を沈てあらんをばさもいひてん吾國の言はあらはに言のまゝ言を延約略てとかん事なりと覺ゆさてこを解んには彌は毛利の約豆伎は都豆伎の略にて字を充むには酒盛續きの意ならんかさて女王の御身にて天皇の御事を酒に身をしづめておはします大君とはよみたまはじかしとおもはるゝ言ならずや人々かゝなへあはせてよろしきによれ
 
和我於保伎美可母、」
 
○粟田(ノ)女王歌一首、 上の例によりて一首と補へり
 
4060 都奇麻知弖、伊敝爾波由可牟、利我佐世流、 吾挿v頭せるなり
 
安加良多知婆奈、 既あかる橘といひし如く色つきたるをいふ今の俗のあからむといふに同じ
 
可氣爾見要都追、」
 右件(ノ)歌者|在《マシテ》2於左大臣橘(ノ)卿之宅《キミノイヘニ》1肆宴御製歌并奏歌《ウタケセサセルオホンミウタトマウスウタ》也、
 
4061 保里江欲里、水乎妣吉之都追、美布禰左須、之津乎能登母波、 賤男《シツヲ》の部《トモ》なり
 
加波能瀬麻宇勢、」 よき瀬をつかへまつれといふなり 【拾穗に水の深みを水尾と云ふ淺瀬は船の行がたければ其案内申せとなり、奥人】
 
4062 奈都乃欲波、美知多豆多都之、 豆は抒留の約たどりたどりしきといふなり
 
布禰爾能里、可波乃瀬其等爾、佐乎左指能保禮、」
 右件歌者|御船以綱手泝江遊宴之日作也《ミフネツナテシテエヲノボリウタケセスヒヨメルナリ》傳誦之人《ツタヘウタヘルヒトハ》田邊(ノ)史福麻呂|是《ナリ》也、
 
〇後追2和《ノチニナヅラフ》橘(ノ)歌(ニ)1二首、
 
4063 等許余物能、 冠辭
 
己能多知婆奈能、伊夜※[氏/一]里爾、和期《ワゴ》大皇波、伊麻毛見流其登、」 橘のいやてりにてる如く天皇は御やまひおはせず老させ給はず御顔てりまさり今見奉る如くましませとほぎ奉れるなり
 
4064 大皇波、等吉波爾麻佐牟、 登吉波は登古伊波の古伊の約吉なればとこいはの事なるを奈良に至りては常葉の古を吉に通して常葉《トキハ》といひしなるべし前にも葉をときはといひつしかして後の世常葉をときはといふならん
 
多知婆奈能、等能乃多知波奈、比多底里爾之※[氏/一]、」 「拾穗に、ひたてりは一向《ヒタスラ》照《テル》なり、奥人考るに刀都良の約多にて一連光なり】
 右二首大伴宿禰家持作之、
 
○射水郡驛館之屋柱題著歌《イミツノコホリハユマウマノヤノハシラニカキツクルウタ》一首、
 
4065 安佐比良伎、伊里江許具奈流、河治能於登乃、 冠辭
 
都婆良都婆良爾、 冠辭考に梶の船ばたにあたる音のつば/\となるおとなるおともてかくつゞけたるにて其つばらはつまびらかてふ言と解り【もと都婆良の都はとゞむの約夫は慕《ボ》留の約婆も暮良の約にて止み欲《ホル》てふ言を約し言なり】諸成按るに都婆良の婆は夫佐の約にて都夫佐良々々々々に吾家おもふと云なり良は既にいふ如く都良の略にてつぶさづらてふ言となる古郷の心にとゞみつらなるをいふなり
 
吾家之於母保由、」
 今本こゝに右一首山上臣作不審名云云とありよる事ありて山上臣作とは家持卿のかゝれもやしけん傳誦歌にさへよみ人のしれざる有り既にもいふ如く柱に書付置る歌よみ人しられざるは本よりならん不審名已下の言は必後人のさかしらならんよてとらず
 
〇四月一日掾久米朝臣廣繩之館宴歌四首、
 
4066 宇能花能、佐久都奇多知奴、保等登藝須、伎奈吉等與米余、敷布里多里登母、」 【拾穗には敷布美と有】ふゝむなりふゝめりのめを略きいふなり
 右一首守大伴宿禰家特作之、
 
4067 敷多我美能、夜麻爾許母禮流、保等登藝須、伊麻母奈加奴香、伎美爾妓可勢牟、」
 右一首遊行女郎土師作之、
 
4068 乎里安加之、許余比波能麻牟、 卷九阿乎夜奈義、烏梅等能波奈乎、遠理可射之、能屋弖能能知波、知利奴得母與斯とよめるも酒の事なり
 
保登等藝須、安氣牟安之多波、奈伎和多良牟曾、」
 二日應立夏節《フツカナツタツヒナレバ》故《カレ》謂《イフ》2之|旦將喧《アスナカムト》1也、
 右一首守大伴宿禰家持作之、
 
4069 安須余里波、都藝弖伎許要牟、保登等藝須、比登欲能可良爾、 可は伎波の約止は例の都良の略にて一夜のきはみらにと云なりゆゑは與留の約由は和計の約ゑにてよるわけてふ言にて其故に似たる言なり
 
古飛和多流加母、」
 右一首羽咋(ノ)郡(ノ)擬主帳能登臣乙美作《フミビトノトノオミオトミガヨメリ》、 こは文章生の擬生に同じ
 
○詠2庭中牛麥花《ニハノナデシコノハナヲ》1歌、 瞿と牛と音かよへるは梵文を引て契冲がいへるによるべしさて歌は例によりて加ふ
 
4070 比登母等能、奈泥之故宇惠之、曾能許己呂、多禮爾見世牟等、於母比曾米家牟、」
 右|先《サキダチ》2國師1從僧《シタカヘルホフシ》清見可v入《マヰル》2京師(ニ)1因《ヨテ》設《マケテ》2飲饌饗《ミアヘヲ》1宴《ウタケスル》于時《トキニ》主人大伴宿禰家持作2此|歌詞《ウタヲ》1送2僧《ホシ》清見1也、 今本僧を酒とせり饌饗とあるに更に酒を送るべからずよて僧とあらたむ
 
4071 之奈|射《ザ》可流、 冠辭
 
故之能吉美羅等、 今本吉美能、一本吉美羅と有今本は誤なる事しるかれば一本によりぬ 
可久之許曾、揚奈疑可豆良|枳《キ》、 加計約計なるを伎に通はせるは着てふ意をふくめる歟
 
多努之久安蘇婆米、」
 右|郡司已下子弟已上諸人多集此會《コホリツカサユシモツカタノコイロトユカミモロビトサハニコヽニマトヘリ》因守大伴宿禰家持作2此歌1也、
 
4072 奴波多麻能、 冠辭
 
欲和多流都奇乎、伊久欲布等、余美都追伊毛波、和禮麻都良牟曾、」 よみかぞへて妹はわれを待らんとなり
 右|此夕月光遲流和風稍扇即因属目聊作此歌也《コノユフベツキトカラズカゼウラヽニフケリヤガテミサクルマヽニイサヽケコノウタヲヨメリ》、
 
○越前國掾大伴宿禰池主|贈來歌《オコセルウタ》、 池主天平十九年まて越中任なりさて越前の掾に遷任たり池主のふる家に家持住るよしなり
 以2今月十四日1到2來深見(ノ)村1望拜《ノゾンデ》2彼北方(ニ)1常念2芳徳1何日能|休《ヤマン》兼(テハ)以2隣近1忽(ニ)増戀(ス)加以《シカノミナラス》先書(ニ)云暮春可v惜促(コト)v膝未期生別(ノ)悲(ニ)兮夫復何(ヲカ)言(ン)臨v紙悽斷(ス)奉状不備、
 三月十五日大伴宿禰池主、
 
 一、古人云《イニシヘヒトノイヘラク》、
 
4073 都奇見禮婆、於奈自久爾奈里、夜麻許曾波、伎美我安多里乎、敝太弖多里家禮、」 卷四、月見(レハ)國同山隔愛妹隔有鴨《クニハオナシクヤマヘタテウツクシイモハヘダテタリケル》、此歌をおもひてすこし言をかふるか
 
 一、屬《ツケテ》物《モノニ》發《オコス》思《オモヒヲ》、
 
4074 櫻花、今曾盛等、雖人云、我《ワレハ》佐美之毛、伎美止之不在者《キミトシアラネバ》、
 
 一、所心歌《オモヘルウタ》
 
4075 安必意毛波受《アヒオモハズ》、安流良牟伎美乎、安夜思苦毛、奈氣伎和多流香、比登能等布麻泥、」
 
○越中國守大伴家持報贈歌、
 
 一、答2古人|云《イフニ》1、
 
4076 安之比奇能、 冠辭
 
夜麻波奈久毛我、都奇見禮婆、於奈自伎佐刀乎、許己呂敝太底都、」
 
 一、答(フ)屬《ツケテ》v物《モノニ》發《オコス》v思《オンモヒヲ》兼|詠2云《ヨメリ》遷任舊宅西北隅櫻樹《ウツリマケタルフルヘノニシキタノスミノサクラヲ》1、 
4077 和我勢故我、布流伎可吉部能、 今本部を都とするは誤しるかれば改垣根ならん歟ともいへど字のちかければ暫部によて改む
 
佐具良波奈、伊麻太敷布賣利、比等目見爾許禰、」
 
 一、答2所心歌《オモヘルウタニ》1以《モテ》2古人之《フルビトノ》跡(ヲ)1代《カフ》2今日之意《ケフノコヽロニ》1、
 
4078 故敷等伊布波、 戀といふ言はといふなり
 
衣毛名豆氣多里、 與計の約衣なり此の計は久に通ひてよくも名づけしといふなり
 
伊布須敝能、多豆伎母奈吉波、安賀未奈里家里、」
 
 一、更《カフル》2矚目《ミサクルニ》1、
 
4079 美之麻野爾、可須美多奈妣伎、之可須我爾、伎乃敷毛家布毛、由伎波敷里都追、」 卷十七に、三島野乎、曾我比爾見都追、二上、山登妣古要底、鷹の長歌に見えたり
 三月十六日、
 
○姑《シウトメ》大伴氏坂上郎女來2贈越中守大伴宿禰家持1歌、
 
4080 都禰比等能、故布登伊敷欲利波、安麻里爾弖、和禮波之奴倍久、奈里爾多良受也、」 なりにてあらずやをつゞめていふ
 
4081 可多於毛比遠、宇萬爾布都麻爾、 布都麻の布は比久の約都は都牟の約にて牽積馬なり則馬子が荷つくる馬を云
 
於保世母弖、故事部爾夜良波、 越方《コシベ》にやらばなり
 
比登加多波牟加母、」 加多爾都加の爾を略て多豆加を約れば陀となるを杼に通して加杼波須とも云こゝは加多波牟といふなり則肩につくてふ言をつゞめてかくいふなり東の俗人をかどはすをかつぐといふにも合て心得よこゝは馬につけし戀を人肩につけになひなんかといふなりさて次の和歌にになひあへんかもといふをもおもへ 【拾穗云、師説にふつまとはふと馬なり太《フト》くたくましき馬なり思ひの重きをいはんとてなり、奥人】
 
○越中守大伴宿禰家持館歌、
 
4082 安萬射可流、 冠辭
 
比奈能|都夜古爾《ミヤコニ》、 都は美と書べきを私事のかきさまなるかみやこにの爾に居てもと添て心得べし【都夜故爾は夜都故の誤乎と或人云り安米比度は貴《アカメ》人なるべし阿賀の約阿なり、奥人】
 
安米比度之、 天人は宮中の人をさして云なれどこゝは只都人と云に同じ則郎女をさして云
 
可久古非須良|波、 するならばといふなり
 
伊家流思留|事《シ》安里、」
 
4083 都禰能孤悲、伊麻太夜麻奴爾、 常に都こひしらのやまざるにといふなり
 
美夜古欲利、宇麻爾古非許婆、 戀を馬につけてこば也
 
爾奈比安倍牟可母、」
 
○別所心《コトニオモヘル》一首、
 
4084 安可登吉爾、名能里奈久奈流、保等登藝須、伊夜米豆良之久、於毛保由流香母、」 これは郎女のおくれる歌をめつる意をそへてよめるなり
 右四日、附使2贈上《ツカヒニヨセテオクリマサル》京師《ミヤコニ》1、
 
○天平感寶元年五月五日|饗《ミアヘス》2東大寺之古墾地使僧平榮《ヒンカシノオホテラノハリタマツリノツカヒホシヘイエイ》等1于時守大伴宿禰家持|送《オクル》v僧《ホシ》歌、 はり田祭は越中に在しかして僧越中に來るなり今本送の下の酒は衍字なれば捨つ
 
4085 夜岐多知乎、 冠辭岐を伊に通して唱ふるはすべての例なり
 
刀奈美能勢伎爾、安須欲里波、毛利|敝《ベ》夜里蘇倍、 守部やり添へなり部は牟禮の約米なるを倍に通せり今昔物語に守めとあるも後ながら證とすべし
 
伎美乎等登米牟、」
 
○同月九日|諸僚《モロツカサ》會《ツトヒ》2少目秦伊美吉石竹之館《スナイフビトハタノイミキナデシコガタチニ》1飲宴於時《ウタケスルトキ》主人《アロジ》造《ツクリテ》2百合花縵三枚《ユリノハナカヅラミヒラヲ》1疊2置《タヽミオキ》豆器《タカツキニ》1捧2贈《マヒラス》賓客《マラヒトニ》1各賦此縵作《オノカジヽコノカツラヲヨメルウタ》、
 
4086 安夫良火能、比可里爾見由流、和我可豆良、佐由利能波奈能、惠麻波之伎香母、」 惠麻波之伎の麻波の約麻なり此麻は美に通ひ下は則麻行に働て惠麻牟惠美惠武と働けりさて此惠は和良倍の約にて則わらはしきといふも同言にてめでよろこぶ限なり
 右一首大伴宿禰家持、
 
4087 等毛之火能、比可里爾見由流、佐由理婆奈、由利毛安波牟等、 卷十二に吾妹兒之、家乃垣内乃、佐由利花、由利登云者、不謌云二似《ヨソヘヌニニル》、とあるもそこにいふ如く由利はよりなりこゝも同し
 
於母比曾米弖伎、」 此宴をかねて思ひねがひつるてふ意なり
 右一首内藏(ノ)伊美吉繩麻呂、
 
4088 左由理波奈、由利毛安波牟等、於毛倍許曾、 よりもあはんとかねてより思へばこそなり
 
伊末能麻左可母、宇流波之美須禮、」 今其時其きはみにあたりてうるはしみするとなり又二首とも後をおもひていふとも聞ゆ
 右一首大伴宿禰家持和、
 
○獨|居《ヰテ》幄裏《トバリノウチニ》1遙聞《トホクキヽテ》1霍公鳥|喧《ナクヲ》1作歌《ヨメルウタ》并《ト》短歌、
 
4089 高御座、安麻能日繼登、 【紀に登天下之位《タカミクラシラシ》と訓高御座は天子の位につかせ給ふ御座なり天津日繼とは日神の御跡を繼せ給ふ心なり】
 
須賣呂技能、可未能美許登能、伎己之乎須、 乎須は宇萬美志安萬美志の約りたる言なり宇萬の約阿なり其阿毛を約れば乎なり毛は萬に通
 
久爾能麻保良爾、 眞は萬佐の約にてまさるとほむる言保は比刀の約にて火の利《トキ》にたとへたる言なりすべて物の高く止るを穗といふも是に同じさて國の穗は國の中なれば中をもまほらと訓む良はそへいふ事既前に云が如し此歌を眞秀の意といふもあたらぬにはあらず則火ときはひいづるなれば意は同じけれど皇國の言は字にて解べからずよて諸成考のよしをいふなり
 
山乎之毛、佐波爾於保美等、 諸成按るに此言に至りてさはを多き意とのみいひては言の意のときがたきをもて言は字をもて解べからずといふをおもへ物のおほきをさはとのみいふときは多にておもひわかるゝなりかく重ねいふは佐は曾波の約にて言は曾波々利を約し意なり物そはりそはるは多き意なれば多といふこゝは字によくあたれりとはいふべし多の意とは解べからずさてこゝは山國にて山々の曾波利そはれは則さはにおほみとはいふなりされば言もて解けばよくかなへるなりけり
 
百鳥能、來居弖奈久許惠、 山おほかれば百の鳥の多きをまづいひて春鳥の聲夏の霍公鳥を愛る序とす
 
春佐禮婆、佐吉能可奈之母、伊豆禮乎可、和枳弖之奴波無、宇能花乃、佐久月多弖婆、米都良之久、鳴保等登藝須、安夜女具佐、 此あやめぐさはあやめを縵とし橘を玉にぬく比をいふとて略きて重ね云なりあやめを玉にぬくてふ事にはあらぬなり
 
珠奴久麻泥爾、比流久良之、 晝くらしにて則ひるはすがらなど云が如し
 
欲和多之伎氣騰、 夜をわたり通しと云夜はしみゝと云も似たり
 
伎久其等爾、許己呂宇呉枳弖、 今本豆呉枳と有は字の草を豆に見たること誤しるかればあらたむ
 
宇知奈氣伎、安波禮能登里等、伊波奴登枳奈思、」
 
 反歌、
4090 由倶敝奈久《ユクヘナク》、 今本具とあり具は濁音なりかたへの消しとして扁を補へり
 
安里和多流登毛、保等登藝須、奈枳之和多良婆、可久夜思努波牟、」 行方しらずとも聲し絶えずはかく迄しのび戀んやなり
 
4091 宇能花能、開爾之《サクニシ》奈氣婆、保等得藝須、伊夜米豆良之毛、
 
名能見奈久奈倍、」 うの花咲うづきの郭公はまことに今を時と名のり鳴をうの花にならへ見聞けるがいやめでらるゝとなり
 
4092 保登等藝須、伊登禰多家口波、橘能、播奈治流等吉爾《ハナチルトキニ》、伎奈吉登余牟流、」 花のさかりにこそ鳴べきに橘の花ちる頃來鳴どよめて物おもはすがねたきとうらむるなりけり
 右四首十日大伴宿禰家持作之、
 
○行《ユク》2英遠浦《アヲウラニ》1之|日《ヒ》作歌《ヨメルウタ》
 
4093 安乎能字良爾、餘須流之良奈美、伊夜末之爾、多知之伎與世久、 白波の立しきりよせくるをいふ
 
安由乎伊多美可聞、」 既に十七の卷に出、そこに云如く東風を云なり、あゆの風いたくふけば白波のいとしきりに立くるをともにいたみ思ふなり
 右一首大伴宿禰家持作之、
 
○賀《ホギスル》2陸奥出金詔書《ミチノオクノクニユコガネヲイダセルトキミコトノリフミヲ》1歌并短歌、
 
4094 葦原能、美豆保(ノ)國乎、安麻久太利、 こゝは言を上下して云あまくだり水穗の國をしらしめしけると云なり
 
之良志賣之家流、須賣呂伎能、神乃美許等能、 瓊々杵尊を申奉るなり
 
御代可佐禰、 神代人の代の天皇の御世々をいふなり
 
天乃《アメノ》日嗣等、 安萬乃日嗣と今本によめりさらば安萬つ日つぎてふことあればそれによるべし天乃とあれば天の常立神よりいやつぎ/\に天の神の日つぎしろしめすを云なれば安米と訓べし【上の長歌に高御座安麻能日繼登とあればこゝも安麻とよむぞよかる】
 
之良志久流、 此國をしらしをさめこし給ふを云
 
伎美能御代御代、之伎麻世流、四方國爾波、山河乎、比呂美安都美等、 上の山河は山と川とをいふなれば川を濁云べからずさて川をひろくすなどり山をふかくあつくとめておほくの人よりして奉れるみつぎものを云ふなり
 
多弖麻豆流、御調寶波、可蘇倍衣受、都久之毛可禰都、之加禮騰母、吾大王能、毛呂比登乎、伊射奈比多麻比、善事乎、波自米多麻比弖、久我禰可毛、 赤銅《アカカネ》白銀黒鐵にむかへて黄金といふを言を通して久我禰といひ又古に通して古我禰ともいふなり
 
多能之氣久安良牟登、於母保之弖、之多奈夜麻須爾、 御心の中におもほしなやますになり○續紀天平十五年歳次癸未十月十五日、發2菩薩大願1、奉v造2盧舍那佛金銅像一躯1、盡2國銅1而鎔v象、削2大山1以構v堂、廣及2法界1爲2朕知識1、遂使d同蒙2利益1共致c菩提u夫有2天下之富1者朕也、有2天下之勢1者朕也、以2此冨勢1造2此尊像1、事之易v成心之難v至、但恐徒有v勞v人、無2能感1v聖、或生2誹謗1、反墮2罪辜1、云云と見ゆこゝにしたなやますとは是等の言をもてよめるならん
 
鷄《トリガ》鳴、 冠辭
 
東(ノ)國能、美知能久乃、小田|在《ナル》山爾、金有等《クガネアリト》、 續紀天平二十一年二月丁巳陸奥國始貢2黄金1、於是奉幣以告2畿内七道諸社1、と見えたり此事なり
 
麻宇之多麻敝禮、 奏《マヲシ》給へれにて則奏上の臣達の言を指云なり
 
御心乎、安吉良米多麻比、天地乃、神安比字豆奈此《カミアヒウツナシ》、 神うべなひと同言なり此歌の解言長ければ近く字に充れば諾相なりくはしくは荒良言にいへり
 
皇御祖乃《スメミオヤノ》、此三つを奈良に至りては今上の御事に用るごとくおもはるゝも有こゝは遠つ御祖の心なりと眞淵いへり今本にかみろぎと訓りしかれどもそは神祖とすべしよてこゝは字のまゝにすめみおやとよむべき事なり
 
御靈多須氣弖、遠代爾、可可里之許登乎、朕御世爾《ワカミヨニ》、安良波之弖安禮婆、御食國波《ミヲスクニハ》、佐可延牟物能等、可牟奈我良、於毛保之賣之弖、毛能乃布能、 冠辭
 
八十件雄乎《ヤソトモノヲヲ》、麻都呂倍乃、牟氣乃麻爾麻爾、 今本牟氣のと訓り諸事案るにまつろへのと上にあれば必こゝをば牟氣と訓べき言なり
 
老人毛《オイビトモ》、女童兒毛《メワラハコモ》、之加願《シガネガヒ》、 こゝは左加延牟物能等より之加とつゞく今本我と有は濁る誤しるければ改
 
心太良比爾、撫賜、治賜婆、許己乎之母、安夜爾多敷刀美、宇禮之家久、伊余與於母比弖、大伴能、遠都神祖乃《トホツカンオヤノ》、其名乎婆、大來目主登、於比母知弖、都加倍之|官《ツカサ》、 同紀同年四月、天皇幸2東大寺1云云、宣命文云又大伴佐伯宿禰【波】常【母】云如、天皇|朝守仕奉事願《ミカドノモリツカウマツルヲネガフ》【奈流】人等爾阿禮波、汝【多知乃】祖【止母乃】云來《イヒケラ》久、海行【波】美【都久】屍、山行【波】草【牟須】屍、王【乃】敝《へ》【爾去曾】死米能杼【爾波】不死【止】、云來流人等【止奈母】聞召【須】云云、此宣命の意をもて大伴佐伯氏の事をいひ末をも天皇の左吉とはよめるなり
 
海行者、美都久屍、山行者、草牟須屍、大皇乃、敝《ヘ》爾許曾|死米《シナメ》、可弊里見波、勢自等許等太弖、大夫乃《マスラヲノ》、伎欲吉|彼名乎《ソノナヲ》、伊爾之|敝欲《ヘヨ》、 此欲は由に通し心得べし
 
伊麻乃|乎追通《ヲツヽ》爾、奈我佐敝流、 佐敝の約勢にて流せるなり
 
於夜能子等毛曾、大伴等、佐伯(ノ)氏者、人祖乃《ヒトノオヤノ》、 兩氏の人の遠祖を云
 
立流辭立《タツルコトタテ》、 いひし辭後の世までもたちてうしなはず
 
人(ノ)子者、 兩氏の人の子孫はと云なり
 
祖名不絶《オヤノナタヽズ》、 遠祖の名をけがしそこなはずなり
 
大君爾、麻都呂布物能等、伊比都|雅流《ガル》、 雅流の約具にていひつぐ言のつかさとつゞく
 
許等能都可佐曾、梓弓、手爾等里母知弖、釼太刀、 冠辭
 
許之爾等里波伎、安佐麻毛利、由布能麻毛利爾、 朝夕をいふはやがて夜晝といふが如し 
大王能、三門乃麻毛利、和禮乎於吉弖、且比等波安良自等、伊夜多弖々、 心を彌立てなり弖の下に弖を補へり契冲も弖の脱たるかといひしなり
 
於毛比之麻左流、大皇乃、御言能左吉乃、 【契冲は御言の幸《サキ》といへり然いひても聞えぬにあらず】一本に左吉乎、御言の末といふが如し則宣命の意
 
聞者貴美《キケバタフトミ》、」 一本には貴久之安禮婆、さてかゝる御言をきけばたふとまる故におもひのまさるといふなり
 
 反歌、
4095 大夫能、許己呂於毛保由、於保伎美能、美許登能佐吉乎、 一本に能とす
 
聞者多布刀美、」 一本に貴久之安禮婆
 
4096 大伴能、等保追可牟於夜能、於久都奇波、 奥ふかくしたる垣の意なり正葬の前に假にをさむるをあらきともあらがきともいふに合てしれさて久を伎に通せておきつきとも云
 
之流久之米多弖、 標《シメ》たてといふなり諸《モロ》成案にしは左伎の約米は美勢の約にて字にあつれば先爲見の意物の序目外題をも標と云は右の意墓てふ事を先見せて人のしるべくかまゆるをいふなり
 
比等能之流倍久、」
 
4097 須賣呂枝能、御代佐可延牟等、阿頭麻奈流、美知能久夜麻爾、 則陸奥の小田郡の山を直にみちのく山といふ事長歌にてしらるかく云は古の常なり
 
金《コガネ》花佐久、」 山に櫻の花など咲くになぞらへてこがね花さくといへるは咲と榮ゆるとは本同じ言なれば集中に春花のさかゆる時もとあるが如し
 天平感寶元年五月十二日於越中國守館大伴宿禰家持作之
 
○爲v幸2行《イデマサントセス》芳野|離宮《トツミヤニ》1之時|儲作歌《カネテヨメルウタ》并短歌、
 
4098 多可美久良、安麻能日嗣等、天下、志良之賣師家流、須賣呂伎乃、可未能美許等能、可之古久母、波自米多麻比弖、多不刀久母、左太米多麻敝流、美與之努能、許乃於保美夜爾、安里我欲比、賣之多麻布良之、毛能乃敷能、 冠辭
 
夜蘇等母能乎毛、於能我於敝流、於能我|名負名負《ナニナニ》、 於能我名負名負を誤字ともしさま/”\説あれど物部のおのが於敝流とよみくだしては義訓に負を荷の意もて爾とよみなん事とおもはるよてしばらくあらためずしてなに/\とす
 
大王乃、麻氣能麻爾麻爾、 今本麻久々々は爾の誤しるかればあらたむ
 
此河能、多由流許等奈久、此山能、伊夜都藝都藝爾、可久之許曾、都可倍麻都良米、伊夜等保奈我爾、
 
 反歌、
4099 伊爾之敝乎、於母保須良之母、和|期《ゴ》於保伎美、余思努乃美夜乎、安里我欲比賣須、」 賣須はしろしめすといふが如し
 
4100 物能乃布能、 冠辭
 
夜蘇氏人毛、與之努河波、多由流許等奈久、都可倍追通見牟、」
 
○爲v贈《オクラムタメ》2京家《ミヤコノイヘニ》1願《ホリスル》2眞珠《シラタマヲ》1歌并短歌、 既に云如くしら玉はあはび玉なる事紀にも見ゆ
 
4101 珠洲《スヽ》乃安麻能、於伎都美可未爾、 海神の意もて沖つみかみと云
 
伊和多利弖、可都伎等流登伊布、安波妣多麻、伊保知毛我母、波之吉餘之、都麻乃美許登能、許呂毛泥乃、 冠辭考にはもれたれど衣の左右の袖やかて衣手なり其袖は左右にあればわかれしとつゞけしならん
 
和可禮之等吉欲、奴婆玉乃、 冠辭
 
夜床加多左里、 卷三に夜床加多左利とあり獨寢にはかたよりふすを云なり
 
安佐禰我美、可伎母氣頭良受、伊泥底許之、 床のべをいでゝ來し也
 
月日余美都追、 妹が月日をよみかぞへつゝなり
 
奈氣久良牟、心奈具佐爾、保登等藝須、伎奈久五月能、安夜女具佐、波奈多知波奈爾、奴吉麻自倍、可頭良爾世餘等、都追美※[氏/一]夜良牟、」
 
 反歌、 今本こゝに反歌となしされば前後の例によて補へり歌の數をかゝざるははじめにいひつ
 
4102 白《三》玉乎、都々美※[氏/一]夜良波、安夜女具佐、波奈多知婆奈爾、安倍母奴久我禰、 【奥人按に我禰の禰は爾に同よて奴久我爾と云なり】安倍母奴計を再延たる事にて我は家の草を我と見たる誤りにてぬく家禰なりともいへど諸成按るに我禰ならん何ぞといはゞすべて我毛てふ言は集中欲得と書てねがふ意とのみ解《トキ》我毛も欲得の意とのみ解はおろそげなり我は許波の約禰は奈米の約にて乞奈米《コハナメ》てふ言なり乞はねがふ意なれば字もて解は欲得とも充べしされどかへす/”\も言は意もて解べかりければかくぞ解かめさて長歌も眞珠を得たる意にあらずほりする意なり此歌もつゝみてやらばてふもとの句にこはなめていふぞよくかなへるをもおもへよりて我も今本のまゝにせり【こゝの約言許波の波を和の如く唱るは半濁なり其半濁則約言にては我の本濁となる且奴久乎許波奈米の乎を略けばかた/\濁音の字を用ゐたり】
 
4103 於《一》伎郡之麻、伊由伎和多里弖、可豆倶知布、 今本具と有は畫の消しなるべしこゝは濁音の字を必書まじければなりよてあらためつ
 
安波妣多麻母我、都々美弖夜良牟、」 諸成按に此反歌前しりへになりしならんよて一二三としるせり此歌は長歌の初句より六句めの意をいふなり次の歌は七句より十二句めまでをいひ其次はこゝの始なる白玉の歌にて十三の句より以下安夜米具左より下の意にあたれり四首めの歌はすべての意をいふにて白玉をほりするなり歌並を改むべけれど家の集の筆にまかせしはかくもあるべし
 
4104 吾《二》妹子我、許己呂奈具佐爾、也良牟多米、於伎津島有、白玉毛鴨、」
 
4105 思良多麻能、伊保都々度比乎、 五百津集なりおほきをこひていふのみなり
 
手爾牟須妣、於許世牟安麻波、牟賀思久母安流香、」 心にかなはぬをそむくといふに對て心にかなふをむかはしくと云なり一本に我家牟伎波毛といふもむかはもといふなり
 右五月十四日大伴宿禰家持|依興作《コヽロスサミニヨメル》
 
○教2喩《ヲシヘテ》史生《フビト》尾張(ノ) 姓なり
 
少《スクナニ》1作《ヨメル》 古本一本皆作なり今本は咋とありて乎具比とよめるは誤なり古本によりてあらためぬ
 
歌并短歌、
 
 七出例云《ナヽユツノタメシニイヘラク》、
 但、犯2一條1即合v出v之、 流は良布の約にてやらふへしなり
 無《ナクテ》2七出《ナヽユツ》1輙棄者《タヤスクスツルハ》徒一年半《ズヒトヽセナカラ》、 【婦有七去、不順父母去、無子去、淫去、妬去、有惡疾去、多言去、竊盗去、○徒一年半、笞《チ》、杖《ヂヤウ》、徒、流、死、謂2之五刑1、徒は其一つなり徒罪とて其者を捕置て下役につかふなり】
 三不去例云《ミツノステザルタメシヲイヘラク》、 【有三不去、有v所v取無v所v歸不v去、與2更《アツカリカハレバ》三年(ノ)喪1不v去、前貧賤後富貴不v去、此不去の法にそむきて女を去たる男は杖刑百となり、奥人】
 
 雖(ヘトモ)v犯《オカスト》2七出《ナヽユツヲ》1不《ズテ》v合《ヘカラ》v棄《スツ》v之《コヲ》違者《タガフモノハ》杖一百《ウツコトヒトモヽ》、唯犯※[(女/女)+干]惡疾《タヾタハクルトアシキヤマヒハ》得《ベシ》v棄《スツ》v之《コヲ》、兩妻例云《フタヽビメトルタメシヲイヘラク》、有《アリテ》v妻《メ》更娶者《フタヽビメトルモノハ》徒一年《ズヒトヽセ》、女家《ヲミナノヤカラハ》杖一百《ウツコトヒトモヽニシテ》離《ステシム》v之《コヲ》、
 詔書云《ミコトノリブミニノタマハク》、
 愍2賜《アハレミタマモノセヨ》義夫《タヾシヲ》節婦《タヾシメニ》1、
 謹|案《カガナフルニ》2先件(ノ)數條《オチ/\ヲ》1、建法之基化道之源也、然《サレハ》則|義夫之道《タヾシヲノワザ》情《コヽニ》存《オモフ》d無《ナク》2別離《コトワクルコト》1一家同財《ヤカラトムツビサカエムト》u、豈《イカニ》有《アラン》2忘舊《モトツメヲステテ》愛《メヅル》v新《アタラシメヲ》之|志《コヽロ》1哉《ヤ》、所以《ユヱニ》綴2作《ツヾケウタヒテ》數行歌《カズノクダリノウタヲ》1令《サス》v悔《クユ》棄《スツル》v舊《モトツメヲ》之|惑《マドヒヲ》1、其詞曰《ソノウタニイヘラク》、
 
4106 於保奈牟知、須久奈比古奈野、神代欲里、伊比都藝家良之、父母乎、見波《ミレバ》多布刀久、妻子見波、可奈之久米具之、
 
宇都世美乃、 冠辭
 
余乃許等和利止、可久佐末爾、 如上之形勢《カクノコトナルアリサマ》にといふなり
 
伊比家流物能乎、世(ノ)人能、多都流許等太弖、 神代よりいひつげるならはしの言をたてたのまひて古郷のいもはわらふ事もわらはずうちなげきおもへる有さまを云
 
知左能花、 山※[木+巨]《ヤマチサ》なり此事は既出こゝは春の時を云なり
 
佐家流沙加利爾、波之吉余之、曾能都末能古等、 古郷の本妻を云
 
安沙余比爾、惠美美惠末須毛、宇知奈氣伎、可多里家末久波、 末久は牟の延言にてかたりけんはといふなり
 
等己之部爾、可久之母安良米也、天地能、可未許等余勢天、春花能、佐可里裳、 こゝは此まゝにては句亂れたり五言四言六言七言とはつゞくべからす五言六言四言とは古體につゝけもしなんおもふに春花能、佐伎乃左可里裳(七言)安多良之家牟(六言)等吉能沙加利曾など有しを仙覺などが校合せしとき三言を脱し其次六言をつゞけしならん
 
安多良之家牟、 六言
 
等吉能沙加利曾、 前の※[木+巨]のさかりを折反しいひて妹かなげきをいとをしみおもふ心をいふなり
 
放居弖《サカリヰテ》、 今本波と有は放の草を波と見し誤りなり此さかりゐてをいはんとて等吉能沙加利曾といひかけたるなれば波はいよゝ誤なるをしれさて吾妻と遠放ゐてなり
 
奈介可須|移母我《イモガ》、 可須の約久にてなげくなり
 
何時可《イツシカ》毛、都可比能許牟等、末多須良無、 多須の約都にてまつらんなり
 
心左夫之苦、 是迄二段なり此言までに本妻の夫に別居てなげくをいひさて次の言をおこすなり
 
南吹《ミナミフキ》、雪消益而《ユキゲニマシテ》、 下の長歌に射水河雪消溢而逝水能伊夜末思爾とつゞけたるによりてこゝも益は溢の畫の消しにて溢而也といへど歌は同しさまならぬを誰もおもふものなるが上そは水かさ伊夜末須といはんとて溢といへり此歌は雪消益而流るか水沫と云なれば益《マシ》といふべく溢といふが古言にてよろしと云にもあらずとかくなるべかるほどは本をたすけよみて必誤なるへきを可v改と諸成はおもへり
 
射水河、流水沫能、余留弊奈美、 こゝ迄は佐夫流兒といはん序なり
 
左夫流其兒爾、 左夫流兒の本語は左須良波須流兒なり其左須良の約左なり波須の約夫なり波を半濁に和の如く唱ふる言の約なれば夫と濁なり流人《サスラヘビト》より流女《ナガレメ》とも云くはしくは荒良言てふにいへり【左夫流兒の事は左須良の約左にて倍不の約夫としてさすらへふる兒ともいふへし同言也】
 
比毛能緒能、 つながりといはん序なり
 
移都我利安比而、 移は發語都が利は都奈奴我利なり都奈の約多なれは多奴加利とあるを再び多奴を約れば都となり故に郡我利といふ字を充れは被連貫《ツナヌカレ》也やがて遊行女|婦《ゴ》につながれてあるをいふなり
 
爾保騰里能、 冠辭
 
布多理雙坐、那呉能宇美能、 今本呉を具に誤る一本によりてあらためつ
 
於伎乎布可米天、左度波世流、 左は發語にて度波世留にて言語《コトヽヒ》をいふ契冲は左萬同言にて萬度波世流といへど横の通に左萬を通はす例を見ずよりて暫發語とすとあれど諸成按るに左度の約曾にて曾波世流といふを五言にいはんため且は歌の文にさとはせると延しか上の言ににほどりのふたりといひかけて猶沖をふかめなどのつゞけからそひてあるを言ならんかとおもへり
 
伎美我許己呂能、須敝母須敝奈佐、」 こゝに小書有て言佐夫流者遊行女婦之字也と書しはいふにもたらぬ後の人のさかしらなり
 
 反歌、
4107 安乎爾與之、奈良爾安流伊毛我、多可多可爾、 既いふ遠くの意
 
麻都良牟許己呂、之可爾波安良|司《ジ》可、」 こは長歌の二段めにいふ妹がなげきを打返し云てしかにはあらじかと云なり
 
4108 左刀妣等能、見流目波豆可之、左夫流兒爾、左度波須伎美我、 長歌にいふ如くそはすきみがといふなり
 
美夜泥之理夫利、」 宮とは官舍を指いひ國の政所を云なり則其官舍を出入する君左夫留兒に里人がうしろ指をさしなん後風《シリフリ》が恥しとはづかしめさとし云なり
 
4109 久禮奈爲波、宇都呂布母能曾、都流波美能、奈禮爾之伎奴爾、奈保之可米夜母、」 紅は左夫流兒なりうかれ女にて又人になれむつみてうつりやすきに譬へ橡《ツルバミ》は古郷の妻のなれてむつましくたのみ有にたとふなり
 右五月十五日守大伴宿禰家持作之、
 
○先妻《コナミ》不v待《マタデ》2夫君之喚使《セノキミノヨビツカヒヲ》1自來時作歌、
 
4110 左夫流兒我、伊都伎之等能爾、 伊は發語都は都々の約伎は計志の約にて都々の濁下へめぐらして伎を濁るなりよりてつゞけしものといふなり【伊都伎の伊は發語にはあらず乎里の約にて居繼しなり、奥人】
 
須受可氣奴、 驛馬には鈴をつくるなりこはしのびて來る故に鈴をかけぬなり【延喜式云驛鈴傳符皆|納《イル》2漆簾子《ヌリスノコニ》1主鈴與2少納言1共(ニ)預(リ)供奉云云、奥人】
 
婆由麻久太《ハユマクダ》禮利、 既云如く也牟の約由にて波也牟麻なり
 
佐刀毛等騰呂爾、」 本妻か夫のさぶる子と遊ひ居る所へ鈴かけず忍びて來るを見て俄なる事に驚きさわくをつよくいはんとて里もとゞろとは云なり
 同月十七日大伴宿禰家持作之、
 
○橘歌並短歌、
 
4111 可氣麻久母、安夜爾加之古思、皇神祖能《スメミオヤノ》、 垂仁天皇をさしまうすなり此皇御祖を今本に須米呂伎と訓つ眞淵も奈良に至りてはこをすめろぎと訓とおもふ所ありとなんいへるは今上の御事をいふといへりこゝはまたく皇祖の天皇をさしてまうすなるにうちぎゝのまぎらはしければかくよむべくおもへればあらためつ
 
可見能|大御世爾《オホミヨニ》、田道間守《タヂマモリ》、常世爾和多利、夜保許毛知、 夜保許は彌竿なり橘の枝のすぐなるを多く持來れる事を紀に八竿《ヤホコ》八|縵《カゲ》とあるなり
 
麻爲泥許之登吉、時支能《トキシクノ》、 常及の事なる事既に云つここの支は及の誤ならんか
 
香久乃菓子乎、可之古久母、能許之多麻敝禮、 一段
 
國毛勢爾、 勢は佐計の約計は伎に通て佐伎なり又其佐は勢萬の約狹といふに同し通し約は古の常なり
 
於非多知左加延、波流左禮婆、孫枝毛伊《ヒコエモイ》都追、 孫枝萌つゝと云なり
 
保登等藝須、奈久五月爾波、波都婆奈乎、延太爾多乎理弖、乎登女良爾、都刀爾母夜里美、之賂多倍能、 冠辭
 
蘇泥爾毛古伎禮、香具播之美、於枳弖可良之美、 木に置てからしみなり乾しの意なり
 
安加流實波、 今本安由流實波とあり土佐人は熟する事をあえと云といへばかた/”\今本によるべけれどあかる橘宇受にさしてふも有又上におきてからしとさへいへばこゝの由は加の誤として改つ卷十二に既にいふ如く安弊奴我爾と有は五月をちかみといひてかくいへば花の時に合をいふ事にて今本の要とありてあえと有るは誤なり橘の實は冬ならでは熟せねは實の事にあらずこゝは六月比迄に實をあかみつけんとておきてからして赤き實をいふ事をせんか
 
多麻爾奴伎都追、手爾麻吉弖、見禮騰毛安加受、 小段なり是迄夏なり
 
秋豆氣婆、之具禮能雨零、阿之比奇能、 冠辭
 
夜麻能許奴禮波、 奴は乃宇の約にて木のうれはといふ則木梢もみぢをいふなり
 
久禮奈爲爾、仁保比知禮止毛、多知波奈能、成流其《ナレルソノ》實者、比太照《ヒタテリ》爾、伊夜見我保之久、 小段なり是迄秋なり
 
美由伎布流、冬爾伊多禮波、霜於氣騰母、 六言
 
其葉毛可禮受、常磐奈須、伊夜佐加波延爾、 是迄冬なり小段なり此さかはえはさかえはゆるてふ言をはぶきいふなり
 
之可禮許曾、神乃御代欲里、 こも天皇の御代をいふ
 
與呂之奈倍、此橘乎、等伎自久能、可久能木實等、名附家良之母、」
 
 反歌、
4112 橘波、花爾毛實爾毛、美都禮騰母、 四季《ヨツノトキ》をこめていふなり
 
移夜時自久爾、奈保之見我保之、」
 閏五月二十三日大伴宿禰家持作之、
 
○庭中花作歌并短歌、 標をもて詠の字加ふべけれど標亂たる事多しよしは十六の卷にいへり詠花とあれば花をよめると訓べしされは作あればくはへず
 
4113 於保伎見能、等保能美可等々、末伎太末不、 任給ふなり伎は加志の約にてまかし給ふなり則國任の事なり太は濁音なるを清音に用るは後なりすべて是に限らず乃に野米に女美に見などの訓を用る事奈良に至てはまゝ有
 
官《ツカサ》乃末爾末、美由伎布流、古之爾久太利來、安良多末能、 冠辭
 
等之能五年、 任限を云よしは既にいひつ
 
之吉多倍乃、 冠辭
 
多枕末可受、比毛等可須、末呂|宿《ネ》乎須禮波、移《イ》夫勢美等、 美は既云如くさみしくをさびしくと通し云ふ如く移夫勢備ともいはれていぶせぶりするをいふなり
 
情奈具左爾、奈泥之故乎、屋戸爾末枳於保之、夏能々之、佐由利比伎宇惠天、開花乎、移低《イデ》見流具等爾、那泥之古我、曾乃波奈豆末爾、左由理花、由利母安波無等、 情奈具左爾より下はこゝをいはんとてよめる也秦石竹百合花縵の歌にも此人ゆりもあはんとよめると同じくよりもあはんといふにて古郷の妻をおもひ出人をやるなりけり
 
奈具佐無流、許己呂之奈久波、安麻射可流、 冠辭
 
比奈爾一日毛、安流部久母安禮也、」 こゝは安良米やをつゝめ云なり良米の約禮なり
 
 反歌、
4113 奈泥之故我、花見流其等爾、乎登女良我、 良とひろくいへど古郷の妻のみをさしていふなり
 
惠末比能爾保比、於母保由流可母、」 此歌は長歌の中比より末七八句前までをいふ
 
4114 佐由利花、由利母相等、之多波布流、 ゆりもあはんと遠國にて心のうちにおもふは則下におもふなり這とは比良美布留てふ言を美の辭をすてゝ約し言にて下に思ふは心の這ごとくなるをたとへて下ばふるとは云則下はふ心とつゝくなり
 
許己呂之奈久波、今日母倍米夜母、」 おもひつゝくる歌をいひ下ばふてふ上の言を自ら解なりこは長歌の末六七句の意にあたるなり
 同閏五月廿六日大伴宿禰家持作、
 
○國掾《クニノマツリコトヒト》久米朝臣廣繩以天平二十年|附《マケテ》2朝集使《ミカドヅカヒニ》1入《マヰル》v京《ミヤコニ》其事畢《ソノコトハテヽ》而天平感寶元年閏五月二十七日|還2到《カヘル》本任《マケトコロニ》1仍|長官《カミ》之《ノ》館(ニ)設《マケテ》2詩酒宴《ウタケヲ》1樂飲《ヱラミセリ》於v時主人守大伴宿禰家持作歌并短歌、
 
4116 於保伎見能、末伎能末爾末爾、等里毛知底、 萬の事命をとりもてつかさどりつかふまつるなり
 
都可布流久爾能、年(ノ)内能、許登可多禰母知、 事かためもちなり禰と女は通へりかためかたむるは物つかぬると同意の言なり北國にて負ふ事をかたぬると云り此里諺かといふ説も有こは思ふにこゝの人もかたげると云と同じ言なり其任の事負ふと云に同じかればさもいひなんか猶かためもちといふぞしからんか
 
多未保許能、 冠辭
 
美知爾伊天多知、伊波禰布美、也末古衣野由伎、彌夜故敝爾、末爲之和我世乎、 參し我兄と云
 
安良多末乃、 冠辭
 
等之由吉|我敝理《カヘリ》、月可佐禰、美奴日佐末禰美、故敷流曾良、夜須久之安良禰波、保止止支須《ホトトギス》、支奈久五月能、安夜女具佐、余母疑可豆良伎、左加美都伎、 此事はじめ十一枚にくはしくせりこゝなと五月五日のせちを云のみなりいまだ酒も呑やのまずせちのさまのみをいふに酒に沈醉するまでをいはんよしなしこゝをもて見ればいよゝ酒盛續てふ事を約めいふ言なり字によりて解は唐樣の事なり
 
安蘇比奈具禮|止《ド》、 なぐさむれどをはぶき云
 
射水河、雪消溢而《ユキゲハフリテ》、逝水能、 上二句は彌増の序なり
 
伊夜末思爾乃末、 おもひむすぼれといはん序なり
 
多豆我奈久、 奈呉江の序なり
 
奈呉江能須氣能、根毛已呂爾、於母比布須保禮、奈介伎都々、安我末門君我、許登乎波里、可敝利末可利天、夏(ノ)野能《ヌノ》、佐由利能波奈能、花|咲爾《ヱミニ》、爾布夫爾惠美天《ニフブニヱミテ》、 俗に云にこ/\といふに同じ意なり【爾布夫、十六卷可流羽須波田廬乃毛等爾の歌に奥人考をいへり】
 
阿波之多流、 逢たるなり
 
今日乎波自米※[氏/一]、鏡奈須、可久之都禰見牟、於毛我波利世須、」
 
 反歌、
4117 許序能《コゾノ》秋、安比見之末々爾、今日見波、於毛夜目都良之、 おもやのやは彌《イヤ》なりと契冲が云しによる
 
美夜古可多比等、」
 
4118 可久之天母、安比見流毛能乎、須久奈久母、年月經禮婆、古非之家禮夜母、」 家は久阿の約にてこひしくあれやなり
 
○聞2霍公鳥喧1作歌、
 
4119 伊爾之敝欲、之奴比爾家禮婆、保等登伎須、奈久許惠伎吉※[氏/一]、古非之吉物能乎、」 古郷の妻などおもふをそへたる意ありと見ゆ
 
○爲《タメニ》d向《マケル》v京《ミヤコニ》之|時《トキ》見《ミ》2貴人《ウマビトヲ》1及《マタ》相《アヒテ》2美人《ヲミナニ》1飲宴之日《ウタケスルヒノ》u述懷儲作歌《カネテヨメルウタ》、
 
4120 見麻久保里、於毛比之奈倍爾、 思し並になり
 
加都良賀氣、香具波之君乎、 女をさす
 
安比見都流賀母、」
 
4121 朝參乃、 四言
 
伎美我須我多乎、 貴人を指ていふ
 
美受比左爾、比奈爾之須米婆、安禮故非爾家里、」 一本云、波之吉與思伊毛我須我多乎と有ははし辭にあはず亂本の一本ならん
 同閏五月廿八日大伴宿禰家持作之、
 
○天平感寶元年閏五月六日以來|起小旱《ヒデリス》百姓田畝稍有凋色《オホミタカラハタケヤヽシホメリ》也|至2于六月朔日《ミナツキツキタチニ》1忽《ニハカニ》見《ミテ》2雨雲之氣《アマモヨヒスルヲ》1仍作雲歌《ヨテクモヲヨメルウタト》并短歌、 今本には短歌を小書し一絶などあれど例によりて改むこは奈良に至りてまたく唐によれは作者の意ならん改るは例のみ
 
4122 須賣呂伎能、之伎麻須久爾能、安米能之多、四方能美知爾波、宇麻乃都米、伊都久須伎波美、 伊は發語にて馬の爪つくすきはみといふ次の舟も伊の發語をいひて泊るといふに對へたるのみの言なり式の神賀詞に白御馬能前足(ノ)爪後(ノ)爪蹈立事波云云下津石根爾蹈凝立振立事波馬耳(ノ)彌高爾天下乎所知食も下にいはん爲の事にてこゝとは別なり
 
布奈乃倍能、伊波都流麻弖爾、伊爾之敝欲、 欲は從といふに同じ由は與留の約なり留は利に通て與利なりよてこゝの與は與留の約の由を本の欲に通し云なり
 
伊麻乃乎都頭爾、 頭は濁音なればこゝに用ゆべからず奈良に至りてはすべてかゝる事みだりなり宇都追とは在足而有てふ事を約し言なり宇は阿留の約都は多留の約下の追は弖阿留の約追なり且留と利は本より通へば阿利多利弖阿留となるよりて則在世の事にも身の事にもうつゝといふを此約に合て見よされば世に久々に在をも在通などいふ古言のつゞまやかなるをおもへ此考諸成考得てこゝに云【宇都追の宇を乎に通し云は宇左妓を乎左妓宇波伎を乎波妓と云類なる事既いふ】
 
萬調《ヨロヅツキ》、 數々の貢といふが如し
 
麻都流都可佐等、 諸成案に官も司も都加左といふ此都は多都の約加は伎波の約左は志奈の約にて字に充は立極品《タツタツキハミノシナ》にて則品のきはみにたつを司といふ諸寮の官《ツカサ》といふも其頭なる人をいふ請司皆其意なり是よりうつりて野も山も其野其山邊の小高き所を野づかさ山のつかさといふそれより轉じてかゝる物も貢の中にむねとあり田畑に作る物々を則調のつかさとはいふもとより品の上にたつてふ意なれば高きと上なる事にいふなるべし
 
郡久里多流、 つくりてあるを約し云なり
 
曾能奈里波比乎、 眞淵の生の義なるべし生合の義かと云しも言の約にかなへり
 
安米布良受、日能可左奈禮波、 日の重ればと云
 
宇惠之田毛、 植し田と云
 
麻吉之波多氣毛、 蒔し畑もといふ
 
安佐其登爾、之保美可禮由苦、曾乎見禮婆、許己呂乎伊多美、彌騰里兒能、知許布我其登久、 乳乞ふが如く
 
安麻都美豆、 天津水にて則雨の本語を云なり
 
安布藝弖曾麻都、安之比奇能、 冠辭
 
夜麻能多乎理爾、許能見由流、安麻能之良久母、和多都美能、於枳都美夜敝爾、 上の願眞珠歌に珠洲乃安麻能於伎都美可未爾といへるは海神の意もていふこゝも同じ只海とのみいふをかくいふは文《アヤ》のみなり
 
多知和多里、 白雲の立わたりと云なり
 
等能具毛利安比弖、 たな曇りといふに同じ棚は借字多は都良の約奈は里を略き云にてつらなり曇なり等能は言を通し云
 
安米母多麻波禰、」 波禰の約倍にて多麻倍なり
 
 反歌、
4123 許能美由流、久毛保妣許里弖、 保と波は言通ひ波妣許里と云に同じさて波利比呂我利を約略通し云言なり
 
等能具毛理、安米毛布良奴可、許己呂太良比爾、」 心にたりて降れなり良比の約利なり 右二首六月一日|晩頭《ユフベ》守大伴宿禰家持作之、
 
○賀2雨落1歌、
 
4124 和我保里之、安米波布里伎奴、可久之安良波、許登安氣世受杼母、 神にいのらずともと云なり
 
登思波佐可延牟、」 年の意のみならで式の祝詞に奥津御年と云如く稻の意も籠るならん 右一首同月四日大伴宿禰家持作之、
 
〇七夕歌《ナヌカノヨヒノウタ》並短歌、
 
4125 安麻泥良須、 下でり日でりなともいへばてを濁言を用ゐしなるべし
 
可未能御代欲里、夜洲《ヤス》能河波、奈加爾敝太弖々、牟可比太知、蘇泥布利可波之、伊吉能乎爾、 既云加く命のきづなにしてなり
 
奈氣加須古良、 六言加須は久の延なり一段
 
和多理母里、布禰毛麻宇氣受、 宇は乎の如く唱
 
波之太爾母、和多之※[氏/一]安良波、曾能倍由母、 其上|從《ユ》もなり
 
伊由伎和多良之、 良之は利の延渡りなり
 
多豆佐波利、宇奈我既利爲※[氏/一]《ウナガケリイテ》、 うなじへ手をかけて有をいふ言なり古事記に此言多くあり心せまりて物かゞなふすがたなるをいふなり又神代紀に嬰頸之瓊《ウナガケルノタマ》ともいふ如くうなじのじを略ていふなり
 
於母保之吉、 此吉は氣利の約
 
許登母加多良比、 良は利安の約にてかたりあひなり
 
奈具左牟流、許己呂波安良牟乎、奈爾之可母、安吉爾之安良禰波、許等騰比能、等毛之伎古良、 六言一段なり
 
宇都世美能、 冠辭
 
代(ノ)人和禮母、許已乎之母、 今本乎を宇と有は誤しるかればあらたむ
 
安夜爾久須之彌、 わたり守る舟もまうけず橋をわたしてあらば其橋をわたり合て心をなぐさむる事あらんを秋ならで逢事なきはわびしと云なり「久須志美の久はこるの約須之の之は須美の約にて須々美なり則心の凝の進むをいふ言にて」逢事のまれなるをいためるをいふ【久須之彌、久はこるの約凝なり、須はせまりの約、之彌は繁の言にて、天にこゝろのこりませる事の多きを云、奥人】
 
往更《ユキカヘル》、年能波其登爾、 諸成案に年の波の波は布良の約良は留に通ひて年の經るをいふ經るは年重るなれば年の毎の字を充
 
安麻能波良、 奈良に至りては古事記の小注の意はすべて安萬乃ともいひしははやく古言をわすれたるなり記には安萬都婆良てふ假字あるをおもへ【古事記の小注の事は古事記解にくはしくす安萬都婆良てふ假字は岩戸の條にありひらきて見よ】
 
布里左氣見都追、伊比都藝爾須禮、」
 
 反歌、
4126 安麻能我波、波志和多世良波、 世良の約左にてわたさばと云なり
 
曾能倍由母、伊和多良佐牟乎、 伊は發語なり良左の約良にてわたらんを延たる言なり
 
安吉爾安良受|得物《トモ》、」
 
4127 夜須能河波、詐牟可比太知弖、 伎久許は皆通し云事にて則來る事なり伎は許志を約いふなり久は許須の約許は久呂の約にて則久留てふなりよて來向をこむかふともこむかひともいふなり
 
等之能古非、氣奈我伎古良河、都麻度比能欲曾《ツマドヒノヨソ》、」
 右七月七日|仰2見《フリサケミテ》天漢《アマツカハヲ》1大伴宿禰家持作之、
 
 こゝに戯て物こふよしの文ありもとより唐意にて唐文めきて書たればはし辭めく訓もなしがたし此文を解とも歌の意のしらるゝにもあらざれば卷九の例によりて別記にあらゝかによしをことわる
 
4128 久佐麻久良、 冠辭
 
多比能於伎奈等、於母保之天、波里曾多麻敝流、 古へは旅行人には針を袋に入ておくり火打袋など送る事はなむけの贈物の例なるよしに見ゆされば家持より池主へ針袋を贈られしなるべしすべて此歌下六首はちかき氏族《ウカラ》のむつまじみておくりこたへしたはれ歌なりけり
 
奴波牟物能毛賀、」 今本賀を負に誤る負にてはよまんよしもなく歌意もわかず誤しるかれば改さて針ばかり賜ひても縫べき衣のなければ衣給へなり終の句はぬふべき衣もがなと乞へる意なり
 
4129 芳理《ハリ》夫久路、等利安宜麻敝爾於吉《トリアゲマヘニオキ》、可邊佐倍波《カヘサヘバ》、 佐倍は勢の延言にてかへせばなりうちかへせばと云が如し
 
於能等母於能夜《オノトモオノヤ》、 おもてもおもやと云なり能と毛と通ひ等と弖も通へば言を通して表も表やといふをかくいふなり
 
宇良毛都藝多利、」 多は弖阿の約にてつぎてありといふおもてうら共にあしきを云
 
4130 波利夫久路、應婢都都氣奈我良《オヒツヅケナガラ》、 負つゞけながらなりたはむれいふなり
 
佐刀其等邇《サトゴトニ》、天良佐比安流氣騰、 此言は既卷八に照佐豆我手爾纏古須云云てふ言に云如く弖は登米の約良は留良の約佐比は志の延言にて敷の略言そは富るらしくてふ言なりさて本語は右の約言なれど後に俗のひけらかすなど云如く既其比の平言などにてるさつてらすなどいひなれたる言ならんか
 
比登毛登賀|米授《メズ》、」 とがめずとはいへどほめずといふが如し後なれど物語に「信濃なるあさまのたけに立|煙《ケムリ》遠近人の見やはとかめぬ」と云に似たり
 
4131 等里我奈久、 冠辭
 
安豆乎佐之天、 遠く行むとおもへるたとへにいふのみなり
 
布佐倍之爾《フサヘシニ》、 此言は既布左手折などいひし如く布は波由の約佐は曾波の約にて曾倍といふが如し之《シ》は奈之の略言にて波衣曾倍にて榮添なしにといふなり此言さまざま説有ど前の三首皆針袋の事をいへり此歌のみに東國の任をのぞむ事などゆくりなくいひ出べきにあらず東までも此針袋の榮をもとめに行んとおもへど針袋は表もよからす裏は縫つぎてさへあれば行んよしも其|實《サネ》もなしと猶しこりていふなり
 
由可牟登於毛倍騰、與志母佐禰奈之、」 與は由惠の約衣なるを與に通し志は左志の約にて故指の意其故を指ていふべきをよしあるといひさしていふべくあらぬをよしなきといふ佐禰の佐は志多の約にて下根なしといふなり實なきも根なきもまことなきをいふことなり其事の根なければかくいふなり
 今本こゝに右歌之返報歌者脱漏不得探求也と有るはいともみだりなり此集家持卿の家集なる事集ぶりすべて端書の樣にてもあきらかに見えたり自らの歌を探求むてふ事あらんや見もわかぬ後人のさかしらに書そへしなりよてすてつ
 
○更來贈歌、
依《ヨテ》d迎《ムカフルノ》2驛使《ハユマツカヒヲ》1事《コトニ》u今月十五日《コノツキトヲマリイツカ》到2來《イタル》部下《シレル》加賀《カガノ》郡(ノ)境(ニ)1面蔭《オモカケニハ》見《ミ》2射水之郷《イミヅノサトヲ》1戀緒《コフルコヽロニハ》結《オモフ》2深海之村《フカミノムラヲ》1身《ミハ》異《コトナレドモ》2胡馬《コマニ》1心(ハ)悲(ム)2北風《コシノカゼヲ》1乘v月徘徊《ツキニマカセタモトホリ》曾(テ)無《ナシ》2所爲《センスベ》1稍《ヤヽ》開《アケミシハ》2來封《コセルフミヲ》1其辭云《ソノコトニイヘラク》著者先《コノゴロサキニ》所v奉《タテマツル》書《フミ》返《カヘリヌ》畏度疑歟《カシコミウタガハナンカ》僕《ヤツカリ》作《ナシ》2囑羅《サガナゴトヲ》1且《マタ》悩《ナヤマス》2使君《キミヲ》1夫乞(テ)v水得(リ)v酒(ヲ)從來《アリコセリ》能《ヨク》口2論時《ヲリヲアゲツロフ》1合v理《コトワリニカナフ》何《ナンソ》題《ナツケナム》2強吏《コハコトビトヽ》1乎《カ》尋《ツイテ》誦《ウタフ》2針袋ハリフクロ1詠《ウタヲ》詞泉酌不v竭《コトノイツミクメトモツキス》。抱v膝《アシヲイタキテ》獨咲《ヒトリヱミ》能《ヨク》※[益+蜀]《ノソク》2旅愁《タビノウサヲ》1陶然《シンハシク》遣v日《ヒヲオクリテ》何慮何思《ナニカオモヒナニカオモハン》短筆不宣《ツタナキフンデニノベエズ》、
  勝寶元年十二月十五日 徴物下司《モノハタリノツカサ》
 謹上 不伏使君《コワカラスミツカサノキミノ》 記室《フドノニ》
 別奉《ワケテマツル》云云《シカ/\ノ》歌、
 
4132 多多佐爾毛、 竪さまにもなり
 
可爾母與己佐母、 左も右もの右を略て横さまにもといふなり
 
夜都故《ヤツコ》等曾、安禮波安利家流、 吾はやつこにこそ有けるを上下して云なり
 
奴之能等能度爾《ヌシノトノトニ》、」 主は家持卿をさす紀(崇神)に戸外爾と有則こゝも戸の外なるべし
 
4133 波里夫久路、己禮波多婆利奴《コレハタバリヌ》、 賜りぬなり
 
須理夫久路、 須は志由の約由は也に通ふ又しやの約左を須に通はすも同じ則乎志也理袋にて食物を入袋なり【奥人按に乎志乎須の乎は體言なれば略べき理なしよておもふに理比の約理にて摺火袋なるべし記(景行)に倭姫の小碓命に賜へる三袋も火打袋なり】紀に美飲喫哉を宇萬良爾乎也良布留と訓り【宇萬良は宇萬豆良の略言乎は食《ヲ》なり佐志須世曾は辭故略くをしをすと云をおもへ也良布の約留にて乎志也留なり】
 
伊麻婆衣天之可《イマハエテシカ》、 得てしがななり
 
於吉奈佐備勢牟、」
 
○宴(ノ)席《ムシロニ》詠《ヨメル》2雪月櫻花1歌、
 
4134 由吉能宇倍爾、夫禮流都久欲爾、烏梅能播奈《ウメノハナ》、乎理天於久良牟、波之伎故毛我母、」
 右一首十二月大伴宿禰家持作之、
 
4135 和我勢故我、許登等流奈倍爾、都禰比登能、伊布奈宜吉思毛《イフナケキシモ》、伊夜之伎麻須毛、」 琴とればなげきすと常人のいふなるを我夫子が琴とるならびにはいやしきりになげきましてめづるといふなり【或人いへらく伊美吉石竹此宴に琴を引けるかといふは然らん】
 右一首少目|秦伊美吉石竹舘宴《ハダノイミキナデシコガタチノウタケニ》守《カミ》大伴宿禰家持作、
 
○天平勝寶二年正月二日|於2國廳《クニノマツリゴトヤニ》1給《タマフ》v饗《ミアヘヲ》諸郡司等宴歌、
 
4136 安之比奇能、 冠辭
 
夜麻能許奴禮能、 木末なり許乃宇禮の乃宇の約ぬなれば約云事既出
 
保與等里《ホヨトリ》天、 和名抄に寄生、寓生、(野杼里支、一名保夜、)これならんかともいへり又穗末など云類ならんかやはらかき若枝の枝を與に通して穗與といふか穗に出て長きを末長きためしにとる
 
可射之都良久波、 良久は例の流の延言かざしつるといふなり
 
知等世保久等曾、」
 右一首守大伴宿禰家持作、
 
○判官《マツリゴトヒト》久米朝臣廣繩之舘宴歌、
 
4137 牟都奇多都、波流能波自米爾、可久之都追、安比之惠美天婆、 安比志惠美天阿良婆なり志は助字弖阿の約多なるを弖に通して天婆と云
 
等枳自家米也母、」 常じくあらんやとこじく有るとかへるてにをはなり母は添て云ふ
 同月五日守大伴宿禰家持作之、
 
○縁《ヨリテ》d檢2察《カカナヘミル》墾田地《ハリタドコロヲ》1事《コトニ》u宿(ル)2礪波郡主帳多治比部北里之家《トナミノフヒトタヂヒヘノキタサトガイヘニ》1于時《トキニ》忽《ニハカニ》起2風雨《カゼマジリアメフリ》不v得2辭去《カヘリエデ》1作歌《ヨメルウタ》、
 
4138 夜夫奈美能、佐刀爾夜度可里、波流佐米爾、許母理都追牟等、 雨づゝみともいひて雨にこもりつゝしむなり
 
伊母爾都宜都夜、」 つげつるやとなり
 二月十八日守大伴宿禰家持作、
 
萬葉集卷十八之考 終
 
 
萬葉集卷十九之考
 
〇天平勝寶二年三月一日之|暮《ヨフベ》眺2矚《ミテ》春苑《ハルソノヽ》桃李花1作歌、
 
4139 春(ノ)苑《ソノ》、紅爾保布、桃花、下照道爾、出立|※[女+感]嬬《ヲトメ》、」 今本いでたてるいもとよみたるはいまだし桃の花の匂ふかげに人々立やすらひて遊び艶なる樣をありのまゝにいふなり
 
4140 吾園之、李(ノ)花可、庭爾落、波太禮能|未《イマダ》、 斑雪の略言なり散亂波太良雪降ともあり
 
遺有《ノコリタル》可母、」
 
○聞2飛翻翔鴫《ハブルシギヲ》1作歌、 今本飛の上に見の字有一本になし夜の歌なればなくてあらん又聞を誤る歟歌をもて見ば誤しるしされど聞ともなくては作の字おかれずよりて補へり又鴫は田鳥の二つを誤ならん
 
4141 春儲而《ハルマケテ》、物悲爾、三更而《サヨフケテ》、在滿云初弦三更月不可有の意もてかけるならんと云り
 
羽振鳴志藝《ハブリナクシキ》、誰田爾加須牟、」
 
〇二日|攀《タヲリテ》2柳黛《ヤナギノエダヲ》1思2京師1歌、
 
4142 春日爾、張流《ハレル》柳乎、 柳の芽はるを云卷六宇良毛奈久和我由久美知爾安乎夜宜乃波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆物能毛比豆都母、似たるなり
 
取持而、見者京之、大路所念《オホヂオモホユ》、」
 
○攀2折《タヲレル》堅香子草花《カタカゴノハナヲ》1歌、 今云かたくりなるべし此花はすみれ草の花に似てもゝ色なるが見るかひ有花なればとりてめづべし越の國にてはかたかごといふ【越の國にて加多加呉といふよしいへば北國の方言ならん】近江安房の山には多しといへり武藏の王子てふ里にも有といへり又陸奥南部にてもかたくりといへり下野二荒山にも有さてかたくりの久は古由の約にて加多古由利にて堅小百合なり加多加古といふ加多は堅にて加は古に通ひ下の古は久に通ひ其久は古由の約にて同言方言か
 
4143 物部能、 冠辭
 
八十乃|※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、※[手偏+邑]亂《ツミミダル》、 今本に是を久美萬我布とよめるは未し※[手偏+邑]は都美とよむべし字書に※[手偏+邑]は酌なりともあれど又取也ともあれば都美と訓べし井によるは中々古意ならずと有は眞淵考にていとよし諸成案るに亂を刀與牟と讀しはいかゞ義訓なれば物によりて亂は刀與牟とはよむべき義ながらこゝは多くのをとめをいふにて艶なるさまなれば刀與牟はいかゞあらん刀與牟は刀は都與の約にてやがて強呼する事なれば郭公などの高く鳴をとよむといふなりをとめは高聲はせじなればこゝはみだれつむを上下していふ言として都美未太留と訓むべし
 
寺井之|於乃《ウヘノ》、堅香子之花、」
 
○見歸雁歌、
 
4144 燕來《ツバメクル》、時爾成奴等、 とての略なり
 
鴈|之鳴者《ガネハ》、本郷思都追《フルサトモヒツヽ》、 本郷はさとゝのみ訓べし布流左刀於毛比都追と九言によむべくもあらずてふ説もさる事ながら諸成按にさとゝのみにては少し言たらはず聞ゆ本郷は全く古郷の意もて書りと見ゆ然ればおもひのおを略くは集中の例なりよて八言によめり
 
雲隱喧、」
 
4145 春去者、歸此雁《カヘルコノカリ》、 今本春|設而如此歸等母《マケテカクカヘルトモ》とあり言はよろしきに似たれど萬計は牟計といふに同く向てなり卷七に鶯之木傳梅乃|移者《ウツロヘバ》櫻花之時片設奴、又夕方設或は秋設弖といふは夕に向ひ秋に向ひにて其時に近づくをいふ言と見ゆ今の俗も春に向秋に向ふと言は冬の末夏の末にいふ言なれば暮春を云にはあたらず春去者初春をいふはもとよりにて櫻咲春になれば桃咲春になれば雁のかへる春になればともいふべければこゝに合へりよて一本による
 
秋風爾、黄葉《モミヅル》山乎、超不來有米也《コエコザラメヤ》、」 今本不超と有は上下せしなり
 
○夜裏《ヨル》聞2千鳥(ノ)喧1歌、
 
4146 夜具多知爾《ヨクダチニ》、寢覺而居者《ネザメテヲレバ》、河瀬尋《カハセトメ》、 とめはもとめにてやがてたづぬるなれば尋を借たるなり
 
情毛|之《シ》奴爾、 聞人の心のしなえなりしぬのぬは奈布の約にてなふなり愛あはれむ心もしなえつゝしぬぶを云
 
鳴知等埋賀毛、」
 
4147 夜降而《ヨクダチテ》、鳴河波知登里、宇倍|之《シ》許曾、昔(ノ)人母、之奴比來爾家禮、」 夜ふけて千鳥の聲をきゝあはれにめでらるゝものかもさればよむかし人もこをしぬび來にけれといふなり
 
○聞曉鳴雉歌、
 
4148 椙野爾《スギノヽニ》、 神名式に婦負《メヰ》郡【米爲の爲は於比の約なる事下にもいへり】に杉原神社あり其神のおはす野を云り【八雲抄に杉野越中なり、奥人】
 
左乎騰流雉《サヲドルキヽス》、灼然《イチシロク》、 ねになかんてふ序なり
 
啼爾之母|將哭《ナカム》、己母利豆麻可母、」 こもりづまはかくし妻なり戀思ひのふかくてねにたてなかんてふ事の序に椙野の雉をいひてすぐにたとへとせり
 
4149 足引之、 冠辭
 
八峯之雉《ヤツヲノキヽス》、 八峯は峯のいや重りたるをいふなり
 
鳴響《ナキヨドム》、朝開之《アサゲノ》霞、見者可奈之母、」 前と同じ譬にてあしたの霞のふかきをこもり妻におもひをこむるになぞらへてなげくのみ
 
○遙(ニ)聞(ケル)2泝江船人唱《エヲノボルフナヒトノウタヲ》1歌、 按に江は河の誤にて河のぼるとありしをかく書るかさばかりの河を江といはん事いぶかし
 
4150 朝床爾《アサドコニ》、 まだ起きいでずしてなり
 
聞者遙之《キケバハルケシ》、射水河、 既上の卷々に云越中の川の名なり
 
朝己藝思都追、唱《ウタフ》船人、」
 
〇三日、 【三月三日今本、奥人】
 
守大伴宿禰家持|之《ガ》舘(ニ)宴歌、
 
4151 今日之爲等《ケフノタメト》、思標之《オモヒテシメシ》、足引乃、 冠辭
 
峯上之《ヲノヘノ》櫻、如此開爾家里、」 心に思ひ標せしまゝに今日咲あひたるをめづるなり
 
4152 奥山之、八峯乃|海石榴《ツバキ》、 つばらかといはん序なり
 
都婆良可爾、 都婆良は都萬妣良加と云に同じく足積てふ言を約し言にて良加は辭なりたひらかやすらかの良加に同じこゝは遊びたらはせよといふをはぶきていへるなりけり
 
今日者久良佐禰、丈夫之|徒《トモ》、」
 
4153 漢人毛、 今日は洞底湖に出て遊ぶといへり
 
※[木+戊]浮而《フネヲウカヘテ》、遊云《アソブトフ》、今日曾和我勢故、花縵世余《ハナカツラセヨ》、」 【字彙に※[木+戊]曰筏又桴大曰筏小曰桴と見ゆ桴の類にて筏なり舟なり】既いふ如く花縵《ハナカツラ》と放縵《ハナチカツラ》の別ある事こゝをもて知れこは男に縵せよといふなればうなゐ子の放縵ならぬ事しらる扨曲水宴の歌は此歌はじめなるか八釣の宮の後薗にて此宴ありし事紀(仁賢)に見ゆ且此縵は葛又木綿の類もて花の小枝を結たるゝなり柳又かつら有る木草は其まゝにても縵とす今少し下りての世には糸もて花の小枝紅葉木なとを結たれしなり此事はかしこき御説なりくはしくは別記にいふべし
 
〇八日詠白大鷹歌並短歌、 【三月八日今本】
 
4154 安志比奇能、 冠辭
 
山坂超而、 任の地迄の山坂なり
 
去更《ユキカハル》、年緒奈我久、科坂在《シナザカル》、 冠辭
 
故志爾之須米婆、大王之、敷座國者、 卷十五に八隅志之、吾大王乃御食國波、倭毛此所毛、同刀叙思と云も同
 
京師乎母《ミヤコヲモ》、此間毛於夜自等《コヽモオヤシト》、 同じと云なり
 
心爾披、念毛能可良、語左氣《カタリサケ》、見左久流人眼、乏等《トモシキト》、於毛比|志《シ》繁《シゲミ》、 一段なり
 
曾己由惠爾、情奈具《コヽロナグ》也等、秋附婆《アキヅケバ》、芽子開爾保布、石瀬野爾《イハセノニ》、馬太伎由吉※[氏/一]《ウマタギユキテ》、 伎《キ》は具利の約にて馬たぐりなりやがて手綱たくりなり
 
乎知許知爾、鳥布美|立《タテ》、白塗《シラヌリ》之、 卷十七に矢形尾乃和我大黒爾白塗云云そこにいふ
 
小鈴毛由良爾、安波勢也里、 鷹を鳥に合せやるなり
 
布里左氣見都追、伊伎騰保流、許己呂能宇知乎、思延《オモヒノベ》、 今の人の氣のべと云ふ如し古今歌集に思ふ心をのばへまし
 
字禮之備奈我良、 此うれしびの備は夫里の約にて則うれしぶりなり國任のうちゆゑに大王の敷ませる國なれば都もこゝも同しと思ひながらも見る人すくなきはおもふ妹はさらなりしたしきうときもすくなければたへがてに野に出て鷹を合せて憤る心をのばへうれしぶりをすると云なりさらば此備は美に通せてうれし美ともいふ言にて俗の悦ぶりと云と同言なりおのれ諸成既はじめよりふりみふらずみ又とまをあらみなどいふ美は皆夫里の約備を美に通すなりといへるをこゝの言にあはせてしれ
 
枕附《マクラツク》、 冠辭
 
都麻屋之内爾、鳥座由比《トグラユヒ》、須惠※[氏/一]曾|我飼《ワガカフ》、眞白部乃多可《マシラフノタカ》、」 部は生《フ》の意又竹の生志《フシ》木の節といふも生《フ》は上に同し志は曾比の約にて生添《フソヒ》なり切生《キリフ》(ウの如唱ふ)則きりふしなり粟|生《フ》豆|生《フ》の生《フ》は其場をいへばしきりの意なりこゝは眞淵の萬左の約にて譽る言白生の鷹なり
 
 反歌、
4155 矢形尾乃《ヤカタヲノ》、麻之路能鷹乎、屋戸爾須惠、 即つまやにすうるなり
 
可伎奈泥見郡追、飼久之余志毛《カハクシヨシモ》、」 波久の約布にてかふしよしと云志は助辭毛はそへて云のみめで飼さまをいひて心やりぐさなるよしをよめるなり
 
○潜※[盧+鳥]歌并《ウヲカフウタト》短歌、 此反歌にかづけてとあれど紀にもうかひがとも集にも同じくよみ又かひのぼりかひ下りなどもいへばこゝは唯に宇乎加布と訓べしうをかづかせるなど訓は字になづめるなりさてこゝを潜※[盧+鳥]歌一首とのみあれど潜※[盧+鳥]歌并短歌とせしなり
 
4156 荒玉能、 冠辭
 
年往更、春去者、花開爾保布、 今本開を耳とするは誤しるしこは七言の句なれば耳にてはいかにとも訓かたし歌意のつゞきからもしかなれば改
 
安之比奇能、 冠辭
 
山下|響《トヨミ》、墮多藝知《オチタキチ》、流辟田《ナガルサキタ》乃、 越中の地名なり
 
河(ノ)瀬爾、年魚兒狹走、島津鳥、 冠辭
 
※[盧+鳥]養《ウカヒ》等母奈倍、 伴並なり
 
可我理左之、奈津左比由氣波、 北國にては歩行にて鵜をつかふといへりよてなづさへ行といへりなづむは奈倍痛を約し云左比は障を約し言なり
 
吾妹子我、可多見我※[氏/一]良等、 古今集戀の部に逢までのかたみとてこそと云かたみに同
 
紅之、八鹽爾染而、於己勢多流、服之襴毛《コロモノスソモ》、等寶利※[氏/一]濃禮奴、」
 
 反歌、
4157 紅(ノ)、衣爾保波之、 則長歌の衣の襴もとほりてぬれぬといふがにほはしなり此反歌は餘意をよめり
 
辟田河、絶己等奈久、吾等看牟《ワレカヘリミム》、」
 
4158 毎年爾、鮎|之《シ》走婆《ハシラバ》、左伎多河、※[盧+鳥]八頭可頭氣※[氏/一]《ウヤツカヅケテ》、 いや加豆加勢※[氏/一]なり其加勢の約計なれば可頭氣底といふなり
 
河瀬多頭禰牟、」
 
○季春九日《ヤヨヒノコヽヌカ》、 既姑洗又晩春など十七卷にあれど其下に三月とはかゝずこゝも季春とのみ有けんを三月は後人のさかしらならん
 
擬《ナゾラヘ》2出擧之政《タミヲメグメルマツリコトニ》1行2舊江(ノ)村1道上《ミチノベノ》屬《フルヽ》v目《メニ》物花之詠并興中所作《モノヲヨメルトコヽロズサミヲヨメル》之歌、 こは此句の歌すべての標にて左の過澁溪埼云云のごとくに標ありて他人の歌も自の歌もありしならんを心にかなへる歌もなかりしか故にもらされしなるか又事多く書もらされて此一首のみ殘りしかしからすは左の標斗ならんわけてかゝるべきよしなし
 
〇過《スグルトキ》2澁溪埼《シブタニサキヲ》1見《ミル》2巖上樹《イハノヘノキヲ》1歌、
 
4159 磯上之《イソノヘノ》、 即巖上にて石上《イソノヘ》と云に同し
 
都萬麻乎見者《ツマヽヲミレバ》、 此木北國にのみ有か國人に問べし【仙覺云つまゝ何木ぞ有識の人に可尋なり、奥人】
 
根乎延而《ネヲハヘテ》、年|深有之《フカカラシ》、神佐備爾家里、」
 
○悲2世間《ヨノナカノ》無常1歌并短歌、
 
4160 天地之、遠始欲、俗中波《ヨノナカハ》、常無毛能等、語續、奈我良倍伎多禮、 良倍の約禮にてなかれなり多禮の多は弖阿の約にて語繼ながれ來てあれと云なり
 
天原、振左氣見婆、照月毛、盈虚之《ミチカケシ》家里、安之比奇能、 冠辭
 
山之|木末毛《コヌレモ》、 既いひし如乃宇の約にてこのうれなり
 
春去婆、花開爾保比、秋|都氣婆《ツケバ》、露霜|負而《オヒテ》、風交《カセマジリ》、毛美知落家利、宇郡勢美母、如是能未奈良之、紅能、伊呂母宇都呂比、奴婆多麻能、 冠辭
 
黒髪|變《カハリ》、朝之咲《アサノヱミ》、暮加波良比《ユフベカハラヒ》、 良比約利なり
 
吹風能、見要奴我其登久、逝水能、登麻良奴其登久、 卷十挽歌の長歌の中に由久美豆乃、加倍良奴呉刀、布久加是乃、美延奴我其登久云云かくあるに似たり
 
常毛奈久《ツネモナク》、宇都呂布見者、爾波多豆美、流H《ナカルヽナミダ》、等騰米可禰都母、」
 
 反歌、
4161 言等波奴、木尚春開、秋都氣波、毛美知遲良久波、 良久は留の延言にてちるはなり
 
常乎奈美許曾、」 一本に常無牟等曾《ツネナケントゾ》と有も聞ゆ今本の方まさるか
 
4162 宇都世美能、 こは句を隔て世と云如くなれとうつゝの身の常なきを用にいへば冠辭ならず
 
常無見者、世間爾、情都氣受底、 うつゝの世の常のはかなきを見れば何に心をとむるともなければ世の中にあるとある事にも心はつけずしてあれどもしかしなからにおもひはすくなからぬと云なり一本に嘆日《ナゲクヒ》曾於保吉と有もあしからずめづるもかなしむもなげくなればよくきこゆ
 
念日《オモヒ》曾於保伎、」
 
〇豫《カネテ》作《ヨメル》2七夕《ナヌカノヨヒヲ》1歌、
 
4163 妹之袖、和禮枕爲牟、 今本枕可牟と有可は爲と有る爲を可と見し草の手の誤とせん下に※[草冠/縵]可牟と有も同じ誤ならんとして改む萬加牟の略とする説もあれどそは辭にて萬加牟萬伎萬久と働は本言を略て加牟とのみは云まじければなり
 
河湍爾、霧多知和多禮、左欲布氣奴刀爾、」 刀爾は刀布爾といふ布を略るなり
 
○慕《シヌベル》v振《タテマクスルヲ》2勇士之名《マスラヲノナヲ》1歌并短歌、
 
4164 知智乃實乃、 冠辭今本寶とあるは全く誤なり
 
父能美許等、 六言
 
波播蘇葉乃、 冠辭
 
母能美己等、 六言
 
於保呂可爾、 可は計良の約にておほろけらにと云おほほしくなど云如く※[足+束]の意に合ふ土佐日記おほろの朝と有、
 
情盡而、念良牟、 一段
 
其子奈禮夜母、 その子にあれやを約めいふ此言を上の句ともの意にかけかく見るべし
 
丈夫|夜《ヤ》、無奈之久|可在《アルヘキ》、梓弓、須惠布理於許之、投矢母知《ナグヤモチ》、 【投矢の事冠辭考に在ればこゝにいはず】
 
千尋射和多之、劍刀、 冠辭
 
許思爾等理波伎、安之比奇能、 冠辭
 
八峯《ヤツヲ》布美|越《コエ》、 二段
 
左之麻久流《サシマクル》、 菅根戸自か差向らるゝなりといへるはよし向をまけともいへばさも云べし
 
情不障《コヽロサハラズ》、後(ノ)代乃、可多利都具倍久、 後の代の名乎立と隔句なり上の句と上下して心得べきなり
 
名乎多郡倍志母、」
 
 反歌、
4165 丈夫者、名乎之立倍之《ナヲシタツベシ》、後(ノ)代爾、聞繼人毛、可多里|都具我禰《ツグガネ》、」
 右二首|追2和《ヲヒナゾラヘル》山(ノ)上《ヘノ》憶良(ノ)臣《オミガ》作《ヨメルニ》1歌、
 
○詠d霍公鳥并時花u歌并短歌、
 
4166 毎時爾、伊夜目都良之久、八千種爾、草木花左伎、喧鳥乃、音《コヱ》毛|更布《カハラフ》、 良布の約留なりかはるといふなり
 
耳爾聞《ミヽニキヽ》、眼爾《メニ》視其等爾、宇知歎、 めづるなり
 
之《シ》奈要宇良夫禮、之奴比都追、 花鳥をめてあそぶ中に殊に霍公鳥をいはんとてなり
 
有爭波之爾《アラソフハシニ》、 あらそふはしなり波之《ハシ》は間の意人麻呂の言にもあり
 
許能久禮|罷《ヤミ》、 冠辭
 
四月|之《シ》立者《タテハ》、欲其母理爾、鳴霍公鳥、從古昔《ムカシヨリ》、可多理都藝都流、鶯|之《ノ》、宇都之眞子可母《ウツシマコカモ》、 愛《ウツクシム》を略きてうつしといふはうつしつまと云に同
 
菖蒲《アヤメグサ》、花橘乎、※[女+感]嬬良我、珠貫麻泥爾、赤根刺、 冠辭
 
晝波|之《シ》賣良爾、 しみらのみを米に通しいふのみなり
 
安之比奇乃、 冠辭
 
八丘飛《ヤツヲトビ》超、夜干玉之、 冠辭
 
夜者須我良爾、曉《アカツキノ》、月爾向而、往還、喧等余牟禮杼、何如將飽足《イカヽアキタラム》、」
 
 反歌、
4167 毎時爾《トキゴトニ》、彌米頭良之久《イヤメツラシク》、咲花乎、折毛不折毛、見良久之餘志母、」 時の花鳥をめつる初句より十一句め迄の一段を此反歌によめるなり
 
4168 毎年爾、來喧毛能由惠、霍公鳥、聞婆之努波久、 婆久の約布にてしのぶなり
 
不相日乎於保美、」 鳴ぬをりのおほしとなり四五月の外を云なり今本こゝに毎年謂之等之乃波と有り一本に無し古言にて自いひ出る辭を自注せらるべきことわりなし後人さかしらしるかればとらず
 右二十日|雖未及時依與豫作《マダトキナラネトコヽロズサミニヨテカネテヨメリ》也、 三月によめるなり
 
○家婦《ワギモガ》爲《タメニ》v贈《オクラン》2在《マス》v京《ミヤコニ》尊母《ハヽノミコトニ》1所v誂《アトラヘラレテ》作歌并短歌、
 
4169 霍公鳥、來喧五月爾、笑《サキ》爾保布、 今本笑を※[竹/矢]に誤る
 
花橘乃、香吉《カグハシキ》、 今本加乎與之美と訓るはわらふべし
 
於夜能|御言《ミコト》、 六言御言は借字にて命なり
 
朝暮爾《アサユフニ》、不關日麻禰久《カケヌヒマネク》、 今本に關を聞に誤る禰を奈とよめるもいまだし既見る日さま禰美など集中例多
 
安麻射可流、 冠辭
 
夷爾之居者、安之比奇乃、 冠辭
 
山乃多乎里爾、立雲乎、余曾能未見都進《ヨソノミミツヽ》、嘆蘇良、夜須家久奈久爾、念蘇良、苦伎毛能乎《クルシキモノヲ》、奈呉乃|海部之《アマノ》、潜取云《カツキトルトフ》、眞珠乃《シラタマノ》、見我保之|御面《ミオモテ》、 御面謂之美於毛和と有は紀によりて訓もしらすはわろからねど自の歌にかく注すべくあらねば撰者の意にあらぬ事しるしよて小書してよしをいふ
 
多太向《タヾムカヒ》、將見時麻泥波《ミムトキマデハ》、松栢乃《マツカヘノ》、 如くを入て心得べし
 
佐賀延伊麻佐禰、 佐禰の約世なり
 
尊安我吉美《タフトキアガキミ》、」 母を指云
 
 反歌、
4170 白玉之、見我保之君乎、不見久爾、夷爾之乎禮婆、伊家流等毛奈之、」
 
○廿四日應立夏四月節也《ハツカアマリヨカナツタテルヲリニアタレリ》因此二十三日之暮忽《ヨテハツカマリミカノヨフベヤガテ》思《オモヒテ》2霍公鳥(ノ)曉喧聲《アカトキナカナモト》1作歌、 卷十七の左注にも立夏之日霍公鳥者來鳴必定云云とあり
 
4171 常人毛《ツネヒトモ》、 吾のみか世の人もなり
 
起《オキ》都追聞曾、霍公鳥、此曉爾、來鳴始音《キナケハツコヱ》、」 上にぞとおさへたれば下はなけと令《オフ》すべし
 
4172 霍公鳥、來鳴響者、草等良牟、 薗庭を掃清め霍公鳥を待なり
 
花橘乎、屋戸爾波|不殖而《ウヱズテ》、」 橘は必霍公鳥のやどりとはいふにそはうゑずてあれど來鳴とよむとならば草をとりて待んとなり【卷十七の左注に越中國希有橙橘也云云と有こゝも其意をよめるならん】
 
〇贈2京|丹比《タチヒノ》家(ニ)1歌、
 
4173 妹乎|不見《ミデ》、越國敝爾《コシノクニベニ》、經年婆《トシフレバ》、吾情度乃《ワガコヽロドノ》、 字に充れば心|利《トキ》なり此度は都與の約にて登伎登久など働かせて云言なり妹戀心のやむ間なくあらびてなごむ日なしとなり思ひのとく切なるを云なり
 
奈具流日毛無、」
 
○追2和《オヒナソラフル》筑紫|太宰之時春※[草冠/宛]梅《オホミコトモチノヲリノハルノソノヽウメノ》歌(ニ)1、 今本※[草冠/宛]を花に誤る字の近かれば見誤れるなるべし
 
4174 春(ノ)裏之《ウチノ》、樂終者《タノシキヲヘバ》、 たのしき事をつくさんとならはなり
 
梅(ノ)花、手折毛致都追《タヲリモチツヽ》、 今本毛致を乎伎と有は乎は毛の誤伎は致の誤しるければ改む
 
遊爾可有《アソブナルベシ》、」 此歌は卷九に武都紀多知、波流能吉多良波、可久斯許曾、烏梅乎乎利都々、多努之岐乎倍米、又烏梅能波奈、乎利弖加射世留、母呂比得波、家布能阿比太波、多努斯久阿流倍斯これらの歌になぞらふなり
 右一首廿七日依興作之、
 
○詠霍公鳥歌、
 
4175 霍公鳥、今來喧曾無、 鳴はじむるなり
 
蒲菖《アヤメクサ》、可都良久麻泥爾、 諸成按に可都良久の久は加久の約にてかづらかくまでにてかづらかくとは既云如く五月五日を云下の長歌に可頭良伎※[氏/一]と有も加計を約め通はせるなればなり
 
加流流日安良米也、」
 毛能波|三筒《ミツノ》辭闕v之、 古今集に同じ文字なき歌の類なり
 
4176 我門從、喧過度《ナキスギワタル》、霍公鳥、伊夜奈都可之久、雖聞飽不足《キケドアキタラズ》、」
 毛能波※[氏/一]爾乎六箇辭闕之、 助字を皆かけるなり按るに古の歌はすがたこと葉やすらかにいひいだせるなりさしもの家持卿なれど遠つ任《マケ》の心やり種にかゝる體をもかゝなへられしなるべしこれらよりして古今集の比に至りては同文字なき歌をかゝなへさま/”\なる事をなすを上手のわざとのみなり行しより古へを失しなるべし
 
〇四月三日贈2越前判官《コシノミチノクチノタテマツリゴトビト》大伴宿禰池主(ニ)1霍公鳥歌、不v勝《タヘデ》2感舊之意《トモヲシヌブニ》1述懷歌并短歌、
 
4177和我勢故等、 池主を指
 
手携而、 既云
 
曉來者、出立向、暮去者、振放見都追、念塢《オモヒヲ》、 四言今本塢を鴨に誤る鴨にては聞えず案に紀に塢を乎の假字に用ゆ此誤りならん
 
見奈疑之山爾、 和《ナギ》しといふ
 
八峯《ヤツヲ》爾波、 池主と隔て住よりいやつ峯と云なり
 
霞多奈婢伎、谿敝爾波《タニベニハ》、海石榴《ツバキ》花咲、宇良悲《ウラカナシ》、春|之《ノ》過者《スグレバ》、
 
霍公鳥、伊也之伎|喧奴《ナキヌ》、 彌重なきの意
 
獨耳、聞婆不怜毛《キケバサブシモ》、 今本|佐備志《サビシ》と有はいまだし集中みな佐夫志《サブシ》とあり
 
君與吾、隔而戀流《ヘダテヽコフル》、利波山《トナミヤマ》、 越中國なるは礪波郡礪波山是は越後國磐船郡利彼郷の山なり
 
飛超去而《トビコエユキテ》、明立者《アケタヽバ》、松|之《ノ》佐枝爾《サエタニ》、暮去者、向月而《ツキニムカヒテ》、菖蒲《アヤメクサ》、玉貫麻泥爾、鳴等余米、安寢不令宿《ヤスイネサセデ》、君乎奈夜麻勢、」
 
 反歌、
4178 吾耳《ワレノミ》、 四言によむことをしらで今本に吾をひとりとよめるはあまりなる僻事にて義訓も事こそよれてにをはもたがへりやすらかに吾のみとよめば意とほれり 
聞婆|不怜毛《サブシモ》、霍公鳥、丹生之山邊爾、 越前國丹生郡丹生郷丹生神社と式神名帳にみゆ今大丹生小丹生てふ地有り【諸成按に式神名帳敦賀郡丹生神社有り丹生郡には丹生神社見えず猶他本考べし】
 
伊去鳴爾毛《イユキナクニモ》、」 たとひ池主の住る丹生の山邊へは行ともこゝにわれのみきけばさぶしとなり爾は可の誤とする説もあれど本のまゝにても聞ゆ
 
4179 霍公鳥、夜喧乎爲管《ヨナキヲシツヽ》、我世兒乎、安宿勿令寢《ヤスイナネセソ》、由米情在《ユメコヽロアレ》、」
 
〇不v飽《アカデ》d感《メヅル》2霍公鳥1之|情《コヽロニ》u述懷作歌《オモヒヲノバヘヨメルウタ》并短歌、
 
4180 春過而、夏來向者《ナツキマケレバ》、足檜木乃、 冠辭
 
山呼等余米、左夜中爾、鳴霍公鳥、始音乎《ハツコヱヲ》、聞婆奈都可之、菖蒲、花橘乎、貫交《ヌキマジヘ》、可頭良|沼《ヌ》久麻而爾、里響、喧渡禮騰母、尚之努波由《ナホシシヌバユ》、」 既いへる言どもなり
 
 反歌、
4181 左夜深而、曉月爾《アカトキツキニ》、影所見而、喧霍公鳥、聞者|夏借《ナツカシ》、」 夏借は借字馴著敷てふ言を略たる言なり後世「郭公なきつるかたをながむれはたゞ有明の月ぞのこれる」てふもこをよみうつせしかすがたまことにして似るものならず 
4182 霍公鳥、雖聞不足《キケドモアカズ》、網取爾《アミトリニ》、 網取は網にてとるてふ意次の獲は用に重ていふのみさてなつけなどいひ次の歌さままたくとり得てかはんと云なり網鳥は籠鳥などの意かとも疑ふ説あれどさらば網鳥といふべし二つのとりは用をいふのみ兼ていふ斗なれば網籠に入る事まではこゝにいふべからずめづるが餘りなり
 
獲而《トリテ》奈都氣奈、可禮受鳴|金《ガネ》、」
 
4183 霍公鳥、飼通良婆《カヒトホセラバ》、今年經而《コトシヘテ》、來向女波《キマケムナツハ》、麻豆|將喧乎《ナキナムヲ》、」
 
○從2京師1贈來歌《オクリマセルウタ》、 家持卿の京の家にとゞめたる郎女の越中なる家持卿の妻におくれる歌なり下の廿三丁に此答敬二首有此返歌にも妹に似る草と見しよりとよめりされば女は互に妹と云例なるべし
 
4184 山吹乃、花執持而《ハナトリモチテ》、都禮毛奈久、可禮爾之妹乎、之努比都流可毛、」
 右四月五日|從《ユ》2留女之郎女《トヾムルヲミナノイラツメ》1所送《オクレリ》也、 留女の女は卿の誤り上に本卿とも有しなりさらばくにゝとゞむるかされど字のまゝにとゞむる女とよまんも安かるべし都をくにとはいふべくもあらねばなり
 
○詠山振花歌并短歌、
 
4185 宇都世美波、戀乎繁美登、春麻氣※[氏/一]、念繁波《オモヒシゲヽバ》、引攀而《ヒキヨヂテ》、折毛不折毛、毎見《ミルゴトニ》、情奈疑牟等、繁山之《シギヤマノ》、谿敝爾|生《オフル》、山振乎、屋戸爾、引植而《ヒキウヱテ》、朝露爾、仁保敝流花乎、毎見、念者不止、 なぐさにとて植つれば中/\におもひはやまずと云なり
 
戀志繁母、」 今本こゝに江家と有は例の後人のわざなり一本になきをよしとす
 
 反歌、
4186 山吹乎、屋戸爾植※[氏/一]波、 うゑてはゝ例の植たればなり
 
見其等爾、念者不止、戀己曾益禮、」
 
〇六日|遊2覧《アソビテ》布勢(ノ)水海《ウミニ》1作歌并短歌、
 
4187 念度知、丈夫能《マスラヲノコノ》、許能久禮能、 今本許能久禮とのみ有はまたく能を脱せるならんこゝを四言にする古體もあれどさらば上の七言も六言にし其次も古體なるべきさもなきはまたく脱せるなりよてこゝに能をおぎなへるなり
 
繁思乎、見明良米、情也良牟等、布勢乃海爾、小船都良奈米、 つらねならべなり連並を約云なり
 
眞可伊可氣、 可伊を船にかけなり可伊の言は既いふ
 
伊許藝米具禮婆、 伊は發語なり
 
乎布能浦爾、霞多奈妣伎、垂姫爾《タルビメニ》、 既云如く礪波郡に比賣神社在り同地なるか
 
藤浪咲而、濱淨久、白浪左和伎、及及爾《シクシクニ》、戀波末佐禮杼、 浪よりいひ下してしく/\といふやがてしき/\にここを戀る心はまされど見あきたらんやといふ
 
今日耳《ケフノミニ》、飽|足《タラ》米夜母、如是己曾《カクシコソ》、彌年能波爾、春花之、繁盛爾《シゲキサカリニ》、秋(ノ)葉能、黄色時爾《モミヅルトキニ》、安里我欲比、見都追思努波米、此布勢能|海《ミ》乎、」
 
 反歌、
4188 藤奈美能、花(ノ)盛爾、如此《カクシ》許曾、浦己藝廻都追《ウラコギタミツヽ》、 浦はうら廻《ワ》といひたわみたる物なりそこをそれがなりにたわみ漕ぐ故にこぎたみといふ多和美の多和の約多なり美は萬利の約にて多和萬利なり諸成考ぬればいふ
 
年爾之努波米、」 年ごとにといふを略ていふ
 
〇贈《オクル》2水烏越前判官《ウヲコシノミチノクチノクニノマツリコトヒト》大伴宿禰池主1歌並短歌、
 
4189 天|離《ザカル》、 冠辭
 
夷等之在者《ヒナトシアレバ》、彼所此間毛《ソココヽモ》、同許己呂曾、離家《イヘサカリ》、等之乃|經去者《ヘヌレハ》、 一段
 
宇都勢美波、物念之氣思、曾許由惠爾、情奈具左爾、霍公鳥、喧始音乎《ナクハツコヱヲ》、橘(ノ)、珠爾安倍貫、 既云ごとくこゝも合せぬきの約言なり
 
可頭良伎※[氏/一]、 上の加豆良久てふ歌に云如くこゝも加計の約計なるを伎に通してかつらかけてといふなり
 
遊波之母《アソベレバシモ》、麻須良乎乎、等毛奈倍立而、叔羅河《シラキカハ》、 今國府の邊に白鬼女川有さらば志良伎川か叔は新の誤り新は志にも借るべし【越前國敦賀郡白城神社又信露貴彦神社有り】
 
奈頭左比|泝《ノボリ》、平瀬爾波、左泥刺渡、早湍爾波、水烏乎潜都追《ウヲカヅケツヽ》、月爾日爾、之可志安蘇婆禰、波之伎和我勢故、」
 
 反歌、
4190 叔羅河、湍乎尋都追、和我勢故波、宇河波多多佐禰、 鵜川多弖を再延たるなり佐禰の約勢なるを次の多と右の勢を合て多勢なり基多勢の約弖なれば則多弖となる卷一に云が如し
 
情奈具左爾、」 上にいふ如く今本こゝに江家と有は後人のわざなり
 
4191 鵜河立、取左牟安由之《トラサムアユノ》、之家婆多婆《シガハタバ》、 或説に之《シ》とは汝なり婆多婆の上の婆は半濁にて腸《ワタ》てふ意なりと云は假字違へり又|婆《バ》は萬に通て待者《マタバ》なりともいへどそは意とほらず諸成案に之《シ》は曾利の約利は禮に通て曾禮と云なり婆は波の誤にて夫《ソレ》が波弖婆とも又波多左婆の略ともいふべしさらば鵜川を立取する安由の事果なば我に其鮎を掻向たべよ吾をおもひしおもひ給はゞといふなり【拾穗抄に云、之家はそれがなり婆多は初なり此鵜に鮎をとらせて初穗を我にむけ與へよとなり奥人按に之は曾と同言多は都と同意なれば夫《ワガ》波都婆にても聞ゆ】
 
吾等爾《ワレニ》可伎無氣、かいやるなどいふかいに同じ伊は伎にて掻なり
 
念之念婆《オモヒシオモハバ》、」
 右九日|附使贈之《ツカヒニオホセテオクル》、
 
○詠霍公鳥并藤花歌并短歌、 今本歌を脱すを補へり一首てふをすつるは上に云
 
4192 桃花、紅色爾、爾保比多流、面輪《オモワ》能宇知爾、 くれなゐ色ににほふと云よりつゞけておもわといふは花のかほなど云によれるなり
 
青柳乃、細眉根乎《ホソキマユネヲ》、 おもわと云よりやがて柳を眉ともいひ下すなり 
咲麻我理《ヱミマガリ》、 眉※[白/ハ]のゑみまかりといふは柳の風になびくなり
 
朝影見都追、※[女+感]嬬良我、 以下は蓋上山てふ序なり
 
手爾取|持有《モタル》、眞鏡、蓋上山爾《フタカミヤマニ》、許能久禮乃、 このくれやみのしげき谷とつゞけたり
 
繁溪邊乎《シゲキタニベヲ》、呼《ヨビ》等與米、 今本呼等米爾と有て米須良米爾とよみたるは何の言ともなし與爾の草の手を見誤りたるが字も上下せしなるへし
 
旦飛渡、暮月夜、可蘇氣伎野邊《カソケキノベニ》、遙遙爾《ハロ/\ニ》、喧霍公鳥、立久久等、 前に木の間たちくゞ鶯と有りたちくゞるの具留の約句なり【卷十二に足引乃、許乃間立八十一、霍公鳥と同し人の歌有り】
 
羽觸《ハフレ》爾知良須、藤浪乃、花奈都可之美、引攀而《ヒキヨヂテ》、袖爾古伎禮都、染婆《ソマバ》染等母、」 卷十二に引攀而折者可落梅花袖爾古寸入津染者雖染と有に同じ
 
 反歌、
4193 霍公鳥、鳴羽觸爾毛《ナクハフレニモ》、落爾家利、盛過良志、藤奈美能花、」 一本に云落奴倍美袖爾古伎禮都藤浪乃花と見ゆ今本の方長歌と言かはりてしらべやすらかに花を惜む情をよくよみかなへたりと見ゆ
 右同九日(ニ)作之、
 
〇更《マタ》怨《ウラメル》2霍公鳥(ノ)※[口+弄]晩《コヱノオソキヲ》1歌、
 
4194 霍公鳥、喧渡奴等、告禮騰毛、 人はつくれどもといふなり
 
吾聞都我受、 一度聞て後に聞つがぬなり則聞續けざるなりよて端辭にさらにと云へし
 
花波須疑都追、」 上の藤の花を云なるべし
 
4195 吾幾許《ワガコヽダ》、斯奴波久不知爾、霍公鳥、伊頭敝能山乎、鳴可將超《ナキカコユラン》、」 卷二秋田穗上爾霧相朝霞何時邊乃方二我戀將息とあるに同じ後のいつくの方といふがごとし
 
4196 月立之《ツクタチシ》、日欲里之伎都追《ヒヨリシキツヽ》、 今本之を乎とあるは誤なり之《シ》ならでは歌も意もとほらねば改む月立日よりしきりつつしのぶといふなり 
敲自努比《ウチシヌビ》、麻低騰伎奈可奴《マテドキナカヌ》、霍公鳥可母、」
 
○贈《オクル》2京人《ミヤコノヒトニ》1歌、 前に從京師贈來歌と有に和たる歌なり
 
4197 妹爾似《イモニニル》、 女どちかたみに妹といふ例前にいふ
 
草等見之欲里、吾標之、野邊之山吹、誰可手乎里之、」 前の歌に山吹の花とりもちてといふをもてこゝに手折しといふなり
 
4198 都禮母奈久、可禮爾之毛能登、人者雖云、不相日麻禰美《アハヌヒマネミ》、 日無間の意にてあはぬ日から間もなく物おもひするといふなり前の歌の三四の句に和へしなり
 
念曾|吾爲流《ワガスル》、」
 右|爲《トテ》v贈《オクル》2留女《トヾムルヲミナ》之郎女1、 既云如く郷の誤か又女ともよむべし
 
 所《ラレテ》v誂《アトラヘ》2家婦《ワギモニ》1作也、 今本こゝに女郎者即大伴家持之妹とあれど此注心得がたし後人の書そへし事しるかればすてつ女郎は郎女を誤事既に前にいへれば小書は今本のことく書り
 
○十二日遊2覧布勢(ノ)水海1船2泊《フネハテヽ》於|多枯灣《タゴノウラニ》1望2見《ミテ》藤花1各述懷作歌、 今本多枯の枯を歌にもこゝにも祐に誤る假字によりて字を改む
 
4199 藤奈美能、影成海之《カゲナルウミノ》、底清美、之都久|石《イシ》乎毛、 之都久は下著《シタツク》を畧き約し言にて則字は沈の意既にしづく白玉など有に同じ
 
珠等曾|吾《ワガ》見流、」 花の匂の底なる石にもうつりて玉と見るとなり
 右守大伴宿禰家持、 今本右を脱す例によりて補へり
 
4200 多枯《タゴ》乃浦能、底左倍爾保布、藤奈美乎、加射之※[氏/一]|將去《ユカム》、不見人之爲、」 よくとゝのひたる歌なり
 右|次官内藏《スケクラ》忌寸繩麻呂、 右を補ふ事前の如し下效之
 
4201 伊佐左可爾、念而來之乎、多枯乃浦爾、開流藤見而、一夜|可經《ヘヌベシ》、」
 右|判官《マツリコトヒト》久米朝臣廣繩、
 
4202 藤奈美乎、借廬爾《カリホニ》、造《ツクリ》、灣廻爲流《イサリスル》、 海人のわざするをもて灣廻とかけるなりされど借庵にはかなはす委く冠辭考いさなとりの條に云【灣廻は海人のわざするをもてかけるなり云々を委くは冠辭考にいふよし有はいさりはいさなとりの畧言なりと有事なるべしこはいまだしき時の考なり眞淵おのれに示されしは伊左利の左は曾加の約にて伊曾加利の約言なりといへり言の約も言の心もよろしくとゝのひし考なりならべて宜きを人のしらん爲に始末をいひてこゝに擧ぬされば造を句とすればかなはざるにあらず】
 
人等波不知爾《ヒトヽハシラニ》、海部等可見良牟《アマトカミラム》、」
 右久米朝臣|繼《ツグ》麻呂、
 
○恨《ウラメル》2霍公鳥(ノ)不喧1歌、
 
4203 家爾去而、奈爾乎|將語《カタラム》、安之比奇能、 冠辭
 
山霍公鳥、一音毛奈家、」
 右判官久米(ノ)朝臣廣繩、
 
○見2攀折保寶葉《タヲレルホホカシハヲ》1歌、
 
4204 吾勢故我、捧而《サヽゲテ》持流、保寶我之婆、 俗のほゝの木てふものにて則厚朴といふ物なりさて言は上の保は波を保に通はせるなり次の寶は比呂の約にて葉廣柏《ハヒロカシハ》てふ言を約通してかくいふなり
 
安多可毛|似加《ニルカ》、 安は歎の辭多は都加の約にてあかつき似たるてふ言を約め通したることばなり
 
青蓋《アヲキキヌガサ》、」
   右|講師惠行《カウジノヱゲウ》、 右を加る事前に云
 
4205 皇祖神《スメロギ》之、遠御代三世波《トホキミヨミヨハ》、射布折《イシキヲリ》、 射は發語布は頻の意にてしきりをるといふなり
 
酒飲等伊布曾、此保寶我之波、」 葉廣なるものから旅などのかりそめには物の葉を坏などにかへて古くは酒たふべけるか飯をも椎の葉にもるともよませしをおもへ柏はいと古くは專らのものなりしか紀(神武)葉盤(此云比良荷)和名本朝式に五位以上葉椀(和名久保弖)又漢語抄云葉手(比良天)又膳部といふ柏津倍《カシハツベ》を約しをも思へ
 右守大伴宿禰家持、
 
○還時《カヘルヲリ》濱上仰見月光《ハマベニツキヲミサクル》歌、
 
4206 之夫多爾乎、 既云如く越中地名
 
指而吾行《サシテワガユク》、此濱爾、月夜安伎※[氏/一]牟、 月を飽てあらんと云なり【牟は美牟の約月夜安伎※[氏/一]美牟なり奥人】
 
馬之末時停息《ウマシマシマテ》、」 前にも宇萬志萬志萬※[氏/一]と有り馬しばしまてといふなり
 右守大伴宿禰家持、
 
〇二十二日贈2判官久米朝臣廣繩1霍公鳥|□□《不告《ツゲザルヲ》》怨恨《ウラメル》歌并短歌、 今本霍公鳥歌怨恨歌と有上の歌は不告など書し草の手の畫の消しを闇に歌の字などゝ見てかく書るか歌にては意をなさず全本を見る迄白圏の傍に字を添
 
4207 此間爾之※[氏/一]、曾我比爾所見、和家勢故我、垣部能谿爾《カキベノタニニ》、 此下の大雪落積云々歌の三首の終の歌にも可伎都とあるも部の誤にてこゝもかきつてふ事有べからす誤しるかれは部に改
 
安氣《アケ》左禮婆、 明になればをかく云事春されば夕さればといふに同し
 
榛之《ハリノ》狹枝爾、 榛の事は卷一に眞淵委く云
 
暮左禮婆、藤之繁美爾、遙々爾《ハロ/\ニ》、鳴霍公鳥、吾屋戸能、殖木橘、花爾知流、時乎麻多之美、 來鳴べき時なるにまたしぶりてなり既云如く美は夫利の約備を美に通はせるなり
 
伎奈加奈久、 奈久は奴の延言なり
 
曾許波不怨、 それはうらみずと云なり
 
之可禮杼毛、谷《タニ》可多頭伎※[氏/一]、 山かたづきてふに同じく谷の方につきてなりこゝをもて垣部の谷と云べきをおもひはかれ
 
家居有《イヘヰセル》、君|之《ガ》聞都都、追氣奈久毛宇之、」 谷部に住て聞て告ぬをうらみたるなりこゝをもて端詞の不告なるべきをおもへ
 
 反歌、
4208 吾幾許《ワガコヽタ》、麻※[氏/一]騰來不鳴、霍公鳥、比等里聞都追、不告君可母、」 長歌の終の句と此五句を合て端詞字の違ひをしれ
 
○詠霍公鳥歌並短歌、 右の歌の和歌なり
 
4209 多爾知可久、伊敝波乎禮騰母、 家居はしてをれどもと云
 
許太加久※[氏/一]、 木高くてと云なり
 
佐刀波安禮騰母、 聞べき里なれともなり
 
保登等藝須、伊麻太伎奈加受、奈久許惠乎、伎可麻久保理登、安志太爾波、 此一首のうちに太五つあり四の太は濁音に用ゐこゝは清音に用ゐたるはおぼつかなしと云説あれど諸成案に奈良に至りては是に限ず清濁をわけぬも見ゆもとより太は清濁音なれば清音の所にも可用おもはるなり
 
可度爾伊底多知、 こゝの底も清音此次の句の由布敝の敝も清音なるに濁音に用しを見よ 
由布|敝《ベ》爾波、多爾乎美和多之、古布禮騰毛、比等己惠太爾母、伊麻太伎己要受、」 
 反歌、
4210 敷治奈美乃、志氣里波須疑奴、安志比紀乃、 冠辭
 
夜麻保登藝須、奈騰可伎奈賀奴、」
 右二十三日|掾《マツリコトヒト》久米朝臣廣繩和、
 
○追2和《ナゾラフル》處女墓歌《ヲトメカツカノウタニ》1一首并短歌、 卷十一過蘆屋處女墓歌に追和るなり
 
4211 古爾、有家流和射乃、久須婆之伎《クスハシキ》、 源氏箒木に清氣つきくすしかるべきと云是に同し卷十八の長歌にも久須之久とあり然れは心も色も黒くなるをくすぼると云心歟と眞淵云り此考よく當れり諸成案に久は計牟の約須は佐牟の約にて煙進の意婆之の約備にてすゝび敷なり久須敷は計牟須左美敷なり言の考よくかなふを見よ【奥人考に久須の須は世萬流の約烟迫の意とせむ歟】
 
事跡言繼《コトヽイヒツグ》、知努乎登古、 和泉國の地名なる事卷十一に既いへり
 
宇奈比|壯子《ヲトコ》乃、宇都勢美能、名乎競爭登《ナヲアラソフト》、玉剋、 冠辭 
壽毛須底※[氏/一]、相爭爾《アラソヒニ》、 こゝを爭を共に改て爭共爾といへる説はよく歌の意にかなへりされど今の訓はあらそふにとあるを安良曾比にとすれば歌の意もとほれりありこせる字のまゝにたすけてよまんぞしからんと諸成がともどちあけつろひてよめるまゝになしぬ
 
嬬問爲家留、※[女+感]嬬等|之《カ》、 事をの意にて畧てよめるかきこえがたし二句ばかりも脱せるか
 
聞者《キケバ》悲左、春花乃、志太要盛《シダエサカエ》而、 今本しを爾と有はしを爾と見たる草の手の誤なり訓はことわりなしこは太要の約傳にて垂《シテ》さかえをのはへたることなりけり
 
秋|葉之《ハノ》、爾保比爾|照有《テレル》、 春の花のやゝにきびたる形にたとへ秋の葉のいともいつくしき色にたとへし對句なれば垂《シテ》なる事あきらかなり
 
惜身之《ヲシキミノ》、壯尚《サカリヲスラニ》、壯夫之《マスラヲノ》、語勞美《コトイタハシミ》、父母爾、啓別而《マウシワカレテ》、離家《イヘザカリ》、海邊爾《ヘタニ》出立、朝暮爾、滿來潮之、八|隔《ヘ》浪爾、靡珠藻乃、節間《フシノマ》毛、惜命乎、露霜之、過麻之爾家禮、 【露霜之過麻之冠辭考にはもれたれど露露のすむともすさむともいはるれば須の一言にいひかけてうけたる言は須々伎としたるをすぐに須伎といひかけたるかかゝる言には清濁はきらひなければなり】
 
奥墓乎《オクツキヲ》、此間爾定而、後代之《ノチノヨノ》、聞繼人毛、伊也遠爾、思努比爾勢餘等、黄楊小櫛《ツゲヲグシ》、之賀左志家良之《シカサシケラシ》、 之は既に云如く曾禮の約にてそれがとさしいふなり
 
生而靡有《オヒテナビケリ》、」 墓に指植てありしをかくいひなせるなるべし櫛より生なびくとはとりなせるなるべし
 
 反歌、
4212 乎等女|等之《ラガ》、後能|表跡《シルシト》、黄楊小櫛、生更生而《オヒカヘリオヒテ》、靡家良思母、」 卷十一の反歌に墓上之、木技靡有、如聞、陳努壯士爾之、依倍家良信母と見えたり枯て又生かはり/\てもとのごとくなびくとなり
 右五月六日依v興大伴宿禰家持作之、
 
4213 安由乎|疾美《イタミ》、 東風をいふ事前にいふ美は夫利の約備に通
 
奈呉能浦廻爾、與須流浪、 是まで千重といはん序なり
 
伊夜千重之伎爾、戀渡可母、」
 右一首贈2京丹比家《ミヤコノタシミノイヘニ》1、
 
○挽歌一首並短歌、
 
4214 天地之、初(ノ)時從、宇都曾美能、 冠辭
 
八十伴(ノ)男者、大王爾、麻都呂布物跡、 紀に不順人をまつろはぬ人と訓る如く不順不仕はまつろはぬなりまつろふはしたがふなり仕なり委くは荒良言に云
 
定有《サタメタル》、官爾之在者《ツカサニシアレバ》、天皇之、命恐《ミコトカシコミ》、夷放《ヒナザカル》、 冠辭
 
國乎治等、足日木(ノ)、 冠辭
 
山河隔、 山と川とを云なれば河を清て訓なり
 
風雲爾《カゼクモニ》、 卷十二風雲波二之岸爾通倍雖とあり
 
言者雖通《コトハカヨヘド》、正不遇《タヾニアハヌ》、日之累者《ヒノカサナレバ》、思戀《オモヒコヒ》、氣衝居爾《イキツキヲルニ》、玉桙之、 冠辭
 
道來人之、傳言爾《ツテゴトニ》、吾爾語良久、波之伎餘之、 右大臣家の二郎君を指す 
君者|比來《コノゴロ》、宇良佐備※[氏/一]、嘆息《ナゲカヒ》伊麻須、世間之、厭家口《ウケク》都良家苦、開花毛、時爾宇都呂布、宇都勢美毛、 今本宇を守に誤る一本によてあらたむ
 
無常《ツネナク》阿里家利、足千根之、 冠辭
 
御母之命《ミハヽノミコト》、 今本おものみことゝするはあたらぬにや神代紀其他の書にも乳於母など云は母の義にあらず唯おもとする事と見ゆよて改むるよし眞淵云りされど御母之命とのみあらんはなめしとおもへりて作者の加へし御なれば下のてにをはの乃をすてゝ美波々之命と諸成はよめり【奥人按に今本おものみことゝするはあたらぬにやといへるは心得ぬ言なり此集の東歌にて阿毛と有は即母の事をいふにて阿は於に通ておもに同言なるをや猶考におもはうみもとの義なりくはしくは古言集に云乳母をちもと云も其乳を呑む故におもに比ひしなりされは源氏には後の物ながら乳母をまゝといへるも眞母の約し成にても知べし】
 
何如可毛《ナニシカモ》、時之波將有乎《トキシハアラムヲ》、眞鏡、 冠辭
 
見禮杼母|不飽《アカヌ》、 今本美禮杼母阿加受と有はいさゝかたらはすあかぬ玉とつゞけしなればあらたむ
 
珠(ノ)緒|之《ノ》、惜盛爾《ヲシムサカリニ》、立霧之、失去如久《ウセヌルゴトク》、置露之《オクツユノ》、消去之如《ケヌルガゴトク》、玉藻成、靡許伊臥、 こやしといふに同じくころびふしなり
 
逝水之、留不得常《トヽメモエズト》、枉言哉《マガコトヤ》、人之云都流、逆言可、 今本逆言乎と有は可の誤歟又上に枉言哉とも書たれば乎を加に用たる歟例なければ暫可に改
 
人之告都流、梓|弧《ユミ》、 冠辭【弧字書に洪弧切音胡木弓也】
 
爪引夜音之《ツマヒクヨトノ》、 梓弓と冠辭あれば爪引とありしを今本爪夜音之とあるは引を脱せしなり卷十三に梓弓爪引夜音之遠音爾毛とあるとまたく同意なればいよゝ脱りとして引を補
 
遠音《トホト》爾毛、聞者悲彌、庭多豆水、 冠辭
 
流涕《ナカルヽナミタ》、留《トヾメ》可禰都母、」
 
 反歌、
4215 遠音毛《トホトニモ》、君之痛念跡《キミガナゲクト》、聞都禮婆、哭耳所泣《ネニノミナカル》、相念吾者、」
 
4216 世(ノ)間之、無常事者、知《シル》良牟乎、情盡莫《コヽロツクスナ》、大夫爾之※[氏/一]、」
 右大伴宿禰家持|弔《トブラフ》2聟南右大臣家《ミナミノミキノオホヒマチギミノトノヽ》藤原|二郎之喪慈母患《ジラウギミノイロハノミマカレルナゲキヲ》1也、
 
○霖雨(ノ)晴日《ハレタルヒ》作歌、
 
4217 宇能花乎、令腐霖雨之《クタスナガメノ》、 くたすの多は知佐約にてくちさすを約なり令朽なり
 
始水逝《ミヅハナニ》、 今も海邊にみつばなと云は初汐なり
 
縁木積成《ヨルコヅミナシ》、 卷二十に堀江與利朝志保美智爾與流許都美加比爾安利世婆都登爾勢麻志乎又卷四にも有そこに云如く木くづなり
 
將因《ヨラム》兒毛我母、」 こは相聞の譬喩歌なり
 
○見2漁夫火光《イサリビヲ》1歌、
 
4218 鮪衝等《シビツクト》、 【鮪和名抄云一名黄頬魚|鮪《シビ》爾雅云大爲2王|鮪《イ》1小爲2叔鮪《シクイ》1、奥人】
 
海人之燭有《アマノトモセル》、伊射里火之、保爾可|將出《イデナム》、吾之下念乎《ワガシタモヒヲ》、」 こも又右同
 右二首五月、
 
4219 吾屋戸之、芳子開爾家理、秋風之、將吹乎待者《フカムヲマタバ》、伊等遠彌可母《イトトホミカモ》、」 古くより芽子は夏より咲しなり今も夏咲て又秋の末かけて咲り
 右一首六月十五日見2芽子(ノ)早花《ハツハナ》1作之、
 
○從2京師1來贈歌并《オクレルウタト》短歌、
 
4220 和多都|民能《ミノ》、可味能美許等乃、美久之宜爾《ミクシゲニ》、 櫛笥の中になり
 
多久波比於伎※[氏/一]、伊都久等布、 齋《イツキ》かしづくと云ふ
 
多麻爾末佐里※[氏/一]、於毛敝里|之《シ》、安我故爾波安禮騰、宇都世美乃、 冠辭
 
與能許等和利等、麻須良乎能、比伎能麻爾麻爾、 率《ヒキヰ》の隨になり
 
之奈謝可流、 冠辭
 
古之|地《ヂ》乎左之※[氏/一]、波布都多能、 冠辭
 
和我禮爾之欲理、 我は濁音なり柯の誤りなる歟
 
於吉都奈美、等乎牟麻欲比伎、 等乎牟は※[木+堯]《タワム》也則波のうねのたわむをいひて次の句の面影にむかへいふなり
 
於保夫禰能、由久良由久良|耳《ニ》、於毛可|宜《ゲ》爾、毛得奈|民延《ミエ》都都、 もとなは既云如くもとなきはむなしくにてよしな見えつゝなり
 
可久古悲婆、意《オ》伊豆久安我未、 秋づくは秋の近づくなり是も同しく老のやゝ近づくとなり
 
氣太《ケダ》志安倍自可母、」 またくあへじかもといふなれば今本こゝを安倍牟と有る牟は自の誤しるければ改む則不堪しかもと云なり
 
 反歌、
4221 可久婆可里、古非之久志安良婆、末蘇可我彌、 冠辭
 
美奴比等吉奈久、 見ぬ日も見ぬ時もなくなり
 
安良麻之母能乎、」
 右二首大伴氏坂上郎女|賜《タマフ》2女子大孃《ムスメノオホイラツメニ》1也、 【大孃は家持卿の妻なり】
 
〇九月三日宴歌、
 
4222 許能之具禮、伊多久奈布里曾、和藝毛故爾、美勢牟我多米爾、母美|知《ヂ》等里※[氏/一]牟、」 とりてんは例のとりてあらんを約て轉せし辭なり時雨もいたくなふりそ吾妹に見せん爲にとりてあらんとなり
 右一首掾久米朝臣廣繩作之、
 
4223 安乎爾與之、奈良比等美牟登、和我世故我、 此宴のはじめの歌主廣繩なり則廣繩が吾妹に見せんとよみしにこたへしなればこゝに奈良人と云は廣繩か妹を指いひてわかせこが妹に見せんとしめせしもみぢはちらじと和なり
 
之米家牟毛美知、都知爾於知米也母、」 おちめやおちじといへるなり
 右一首守大伴宿禰家持作之、
 
○幸於吉野宮之時藤原(ノ)皇后御作歌《キサキノミヤノヨミマセルウタ》、
 
4224 朝霧之、多余引田爲爾、 既諸成いへる如く多奈引の多は都良の約則|連《ツラ》靡てふ言なる事こゝをもておもへ雲ゐとは棚の如くも見ゆれど霧はしからず只一つらにたちこむる物なれど風などある時は風にて霧の絶間有をかくはいひしなり棚引など書しは假字なるをもしれ
 
鳴雁乎、留得哉《トヽメエムカモ》、吾屋戸能波義、」
 右十月五日河邊(ノ)朝臣東人|傳誦云爾《ツタヘトナヘリ》、 今本右のはしこと葉はなくてゝに右一首歌者幸於吉野之時云云但年月末審詳と十月五日云云とあれど集中の例にも違且前の歌同し日のさまにも見えてまぎらはしく書體後の人書加しかとも見らるれば集中の例によりて吉野宮云云をはし辭とし右の下にはうたへる月日とうたへる人のうぢなを書るなり
 
○同月十六日餞2朝集使少目《ミカドツカヒスナイフビト》秦伊美吉|石竹《ナデシコヲ》1時歌、 こも右に同じ委は歌の次にいふ
 
4225 足日木之、山(ノ)黄葉爾、四頭久相而《シヅクアヒテ》、 四頭久は假字|雫《シヅク》なりさて志豆久の志は下の下略下附なりもみぢも時雨も下づきあひてといふなりもみぢの下附はちるなり時雨の下附は時雨の露のちるを云なり
 
將落《チラム》山道乎、公之越麻久、」 麻久は例の牟の延にてこえんと云
 右守大伴宿禰家持作之、 右の歌も前と同く端辭なくて歌の左に右一首同月十六日云云時大伴宿禰云云と有も集中の例にも違歌のよしもわからねば書體をあらたむる事右に云か如し
 
○雪日作歌、
 
4226 此雪之、消遣時爾、去來歸奈《イサユカナ》、山橘之、 卷廿に氣能己里能由伎爾安倍弖流安之比奇之山多知波奈乎都刀爾通彌許奈山城にてはやぶたち花と云東にてやぶかうじと云
 
實光《ミノテル》毛將見、」
 右一首十二月大伴宿禰家持作之、
 
○贈《オクラス》左大臣藤原北卿《ヒダリノオホイマヘツキミフチハラノキタノキミノ》歌并短歌、 今本の標の亂りなるは標にいへり歌の左の注によてこゝもかく改めぬよしは左の注を見よ
 
4227 大殿之、此廻之《コノモトホリノ》、雪莫蹈禰《ユキナフミソネ》、 毛止保利は纏の意毛は萬に通ひ保利の約比なりよて萬刀比なりこゝは大殿に降まとへる雪をいひ下の縁は君になれまつはるみもとの人をのたまふなりけり
 
數毛《シバ/\モ》、不零雪曾《フラザルユキゾ》、山耳爾、零之雪曾、 山にのみふりてこゝにはたま/\ふるなり
 
由米縁乃人哉《ユメモトホリノヒトヤ》、 今本乃を勿として由米|縁勿《ヨルナ》とよみしは笑ふべし縁は近習の人を云事上にもいふ此句十言既云如く例あるなり
 
莫履禰雪者《ナフミソネユキハ》、」
 
 反歌、
4228 有都都毛《アリツヽモ》、御見《ミミ》多麻波牟曾、 天皇のみそなはんとなり
 
大殿乃、此母等保里能、雪奈布美曾禰、」
 右二首歌者三形沙彌|承2贈《キヽマツリテ》左大臣藤原北|卿《キミ》之|語作《ウタヲ》1誦之也《トナヘルナリ》聞之傳者《キヽツタヘルハ》笠(ノ)朝臣|子君《コキミ》復後《マタノチニ》傳讀者越中國掾久米朝拒廣|繩《ツナ》是也《コレナリ》、
 
○天平勝寶三年正月二日|守館集宴於時歌《カミカイヘニツドヒテウタゲスルヒノウタ》、 
4229 新、年(ノ)初者、彌年爾《イヤトシニ》、 年毎にとほぐなり
 
雪蹈平之、常如此爾毛我《ツネカクニモガ》、」 集會を思へるなり【諸成按に終の我は許波の約にて常にもと請《コハ》んと云なりよて願の意と解なり】
 右一首|零雪殊多積有四尺也《フルユキイトサハニツモレリテヨサカナリ》焉|即《ヤガテ》主人《アロジ》大伴宿禰家持作此歌也、
 
4230 落雫乎、腰爾奈都美※[氏/一]、 諸成按に奈豆美は奈延伊多豆久を約し云なり奈由の約奴なるを奈に通し豆は伊多豆久てふ伊を畧き多豆久の三言を約て豆と云よて川をこし山を行或は雪霜をふむ勞をいふ意なりさて下は末行にはたらくなり
 
參來之《マヰリコシ》、印毛有香《シルシモアルカ》、 宴を悦こべるなり
 
年之初爾、」
 右一首三日會2集介内藏忌寸繩麻呂之舘1宴樂時大伴宿禰家持作之、
 
〇于時積雪《トキニツモルユキヲ》彫2成《ツクリナシ》重巖《イハホ》之|起《タテルニ》1奇巧《オモヒカネテ》綵2發《サカス》草樹之花《キクサノハナヲ》1屬此《コヽニシテ》掾《マツリコトヒト》久米朝臣廣繩作歌、
 
4231 奈泥之故波、秋咲物乎、君宅之《キミガイヘノ》、雪(ノ)巖爾、左家理家流可母、」 はしことばの如く雪にていはほを作り木草の花を作りたてたる中なでしこのはなをよめるなり
 
○遊行女婦蒲生娘子《サブルコガマフヲトメガ》歌、
 
4232 雪(ノ)島、巖爾|植有《タテル》、 今本植を殖と有は誤しるければあらたむ
 
奈泥之故波、千世爾|開奴可《サカヌカ》、 ねがへるなり
 
君|之《ガ》挿頭爾、」 右に同し宴にいはひの意をよめり
 
〇于是諸人酒酣更深鷄鳴因此主人《コヽニモロヒトサカミツキテヨクタチトリナキヌヨテアルシ》内藏伊美吉繩麻呂作歌、
 
4233 打羽振、鷄鳴等母《トリハナクトモ》、如此許、零敷雪爾、君伊麻左米也母、」 伊爾麻左米也を畧て云なり卷十に大舟をあるみに出しいます君云云にと云に同
 
○守大伴宿禰家持和歌、
 
4234 鳴鷄者、彌及鳴杼、落雪之、千重爾積許曾、 積と許曾との間に故を入て心得べし 
吾等《ワレ》立可※[氏/一]禰、」 たちがてにすれの略なり
 
〇太政大臣《オホキオホイマヘツキミ》藤原|家之《トノノ》縣犬養命婦《アガタノイヌカヒノヒメドネ》奉2天皇1歌、
 
4235 天雲乎《アマクモヲ》、富呂爾布美安多之、 富呂はほろ/\ともほろろとも又どろ/\といふもふみならす音をいふ事玉のうごく音をゆらぐともゆら/\とも其音をいふに同じ安多之の安は於に通ひ多は杼良の約にて蹈於杼良之といふを通し約め云ふ言なり
 
鳴神毛、 是まではかしこしといはん序なり
 
今日爾|益而《マサリテ》、可之古家米也母、」 加之古久阿良米也を再び約しなり久阿の約加にて加之古加良米也となるを本加良の約加なれば同行のみに通して加之古計米也とはいふなり此歌は藤原家へ御幸などありし折幸をかしこみてかくもよみて奉ける歟
 右一首傳誦掾久米朝臣廣繩也、と有は撰者の意ならん
 
○悲傷死妻《マカレルメヲカナシメル》歌并短歌、
 
4236 天地之、神者無可禮也、愛《ウツクシキ》、吾妻離《ワガツマサカル》、光神《ヒカルカミ》、鳴波多※[女+感]嬬、 此をとめが名を機|娘子《ヲトメ》といひし故機を鳴はたといへばかく冠せしならんと冠辭考に見ゆ
 
携手《タヅサハリ》、共將有等《トモニアラムト》、念之爾《オモヒシニ》、情違奴《コヽロタガヒヌ》、將言爲便《イハムスベ》、將作爲便不知爾《センスベシラニ》、木綿手須《ユフダスキ》、眉爾取掛《カタニトリカケ》、倭文幣乎《シヅヌサヲ》、手爾取持而、勿令離等、和禮波|雖祷《イノレド》、卷而寢之《マキテネシ》、妹之手本者《イモガタモトハ》、雲爾多奈妣久、」 たもとの雲にたなびくとは火葬の煙などを妹かすがたと見なすからに卷きて寢しよりかくつゞけしか
 
 反歌、
4237 寤爾等《ウツヽニト》、念※[氏/一]之可毛、 哉といふに同くいひいるゝなり
 
夢耳爾、手本卷|寢等《ヌト》、 手もとまきぬるといふをしらせて寢《ヌル》てふ字を假字にかりたり
 
見者須便奈之《ミレバスベナシ》、」
 右二首|傳誦《ツタヘトナフハ》遊行女婦蒲生是也《サフルコカマフナリ》、 これはまことの撰者の意にてかゝれしと見ゆ
 
〇二月三日會2集于|守館《カミノタチニ》1宴作歌、
 
4238 君之|往《ユキ》、若久爾有婆、梅柳、誰與|共可《トモニカ》、吾※[草冠/縵]爲牟、」 今本※[草冠/縵]可牟と有可は爲の草の手を見誤る事上に妹之袖和禮枕可牟と有も枕爲牟の誤るよしそこに云如し
 右判官久米朝臣廣繩|以正税帳《タチカラノフミモテ》應v入《イルベシ》2京師《ミヤコニ1仍《ヨテ》守《カミ》大伴宿禰家持作此歌也但越中(ノ)國土《クニブリ》梅花柳絮三月初咲耳、 他國よりおそきなり
 
○詠霍公鳥歌、
 
4239 二上之、峯上繁爾《ヲノヘノシヾニ》、 木の葉しげくこもりたるをいふなり
 
許毛里之波、 今本許毛爾之と有は爾と里の草の誤なり
 
霍公鳥|待騰《マテド》、未來奈賀受《イマダキナカズ》、」 歌の意は木のしげくこもりにしかば今は鳴なんとまてど來なかぬと上下して心得べし
 右四月十六日大伴宿禰家持作之、
 
○春日(ノ)祭神之日《カミマツリノヒ》、 式に二月十一月上の申の日にありとす是は遣唐使によりて臨時の祭なり
 
藤原|太后御作歌《オホキサ|キ《イ》ノミヤノヨミマセルウタ》一首即賜2入唐大使《モロコシニツカハサルオホミツカヒ》藤原(ノ)朝臣清河1、 天平勝寶三年九月任遣唐使以從四位下清河爲大使と見えたり
 
4240 大船爾、眞梶繁貫、此吾子等《コノアゴラ》、 今本等を乎とす古本一本等なり古によりて等にあらたむ吾子は清河等を指てのたまふ
 
韓國邊遣《カラクニヘヤル》、 邊は倍の假字のみ
 
伊波敝神多智、」 伊波敝は波敝の約米にて伊米なり清河等の他の國へ行にあしき事あらんに神たち忌さけ給ひて事なくかへし給はんさまをいのらせたまふなりけり
 
○大使《オホミツカヒ》藤原朝臣清河歌、
 
4241 春日野爾、伊都久|三諸乃《ミモロノ》、 三諸は借字御室なり後に社と云に同じいづれの御社にも云べし
 
梅花、榮而在待《サキテアリマテ》、 さきてといふもさかえてと云に同じ
 
還來麻泥《カヘリクルマデ》、」 此歌の右に即主人卿作之と今本に有て一本になしなきにしたがふべし
 
○大納言《オホイモノマヲスツカサ》藤原(ノ)家《トノニ》餞《ハナムケスル》2入唐使等《モロコシニツカハサルミツカヒヲ》1宴歌《ウタゲノヒノウタ》、
 
4242 天雲乃、 冠辭とすべしこは考にもれたれど天雲の行とかくるかへるは下へつゞく 
去《ユキ》還奈牟、毛能由惠爾、 ながらと心得べし
 
念曾|吾爲流《ワガスル》、別悲美、」
 
○民部少輔多治比眞人土作《オホンタカラノツカサノヲスケタヂヒノマウトハニツクリガ》歌、 續紀天平十二年正月朔日正六位上多治比眞人土作と見えたり
 
4243 住吉爾、伊都久|祝之《ハフリガ》、 つゝがなからん事をいはゐいのる事なり
 
神言等《カ|ミ《ン》ゴトラ》、 其神の言のまゝにいゆくもかへりくも舟もて早くわづらひなくかへりこんとなりさて神言等とは其祝部等集て乞のみ奉るよしもて等とはいへるなり
 
行得毛來等《ユクトモクト》毛、舶波早家無、」
 
○大使藤原朝臣清河(ノ)歌、
 
4244 荒玉之、 冠辭
 
年(ノ)緒長、 隔句なり長く戀ふべきとつゞく
 
吾念有、兒等爾可戀、月近附奴、」 上の句にいふ如くわがもへる兒等に年の緒長く戀ふべきと心得へし次に天雲のそきへの極みわがもへる君にわかれん日は近づきぬといふにおなじ意なり
 
○天平五年贈入唐使歌并短歌、 今本こゝに作者未詳とあり一本なきによりぬ
 
4245 虚見都、 冠辭四言
 
山跡乃國、 六言
 
青丹與之、 冠辭
 
平城(ノ)京師由《ミヤコユ》、忍照、 冠辭四言
 
難波爾久太里、住吉乃、三津爾舶能利、直渡《タヾワタリ》、日(ノ)入國爾、 唐なり 
所遣《ツカハサル》、和家勢能君乎、懸麻久乃、由由志|恐伎《カシコキ》、 ゆゝしもつゝしまるにてかしこきを重ねていふなり
 
墨吉乃、吾大御神、舶乃倍爾、 舳なり
 
宇之波伎座、 既に云如く主張なり
 
舶騰毛爾《フナドモニ》、 艫なり
 
御|立座而《タヽシマシテ》、佐之與良牟、磯乃崎々、許藝波底牟、泊泊爾、荒風《アラキカセ》、浪爾安波世受、平久、率而《ヰテ》可敝理麻世、毛等能|國家爾《ミカドニ》、」 誰人ならんよくよめり
 
 反歌、
4246 奥浪《オキツナミ》、邊波莫起《ヘナミナタチソ》、 今本越と有は起を誤る事しるければ改む
 
君之舶、許藝可敝里來而、津爾泊麻泥、」
 
○阿倍(ノ)朝臣|老人遣唐時奉母悲別歌《オキナビトヲモロコシニツカハサルトキハヽニワカレヲカナシミマツルウタ》、
 
4247 天雲能、曾伎敝能伎波美、 既にいふ如く退《ソキ》にて雲のかぎりをいふ常陸にてはものくはぬをもくひそきるといふは古言の殘るなり
 
吾念有、伎美爾|將別《ワカレム》、日近成奴《ヒチカクナリヌ》、」 【日近成奴《ヒハチカツキヌ》かくよまむ歟】
 右件歌者傳誦之人(ハ)越中大目高安倉人種《コシノナカノクニノオホフヒトタカヤスノクラトタネ》麻呂是|也《ナリ》、但|年月次者隨聞之時載於此焉《トシツキノツイデハキヽノマニ/\トキニコヽニシルシヌ》、
 
○以2七月十七日1越中守大伴家持|遷2任《マケリ》少納言《スナイモノモヲスツカサニ》1仍《ヨテ》作《ヨミテ》2悲別之《ワカレヲカナシメル》歌1贈2貽《オクル》朝集使《ミカトツカヒ》掾久米朝臣廣繩之館(ニ)1、 こゝに今本二首と有は後人の書そへしなり次の文に作悲歌二首と有は作者の文也同じさまに同じ言をならべかゝんやこをもて數を書しは後人のわざとしれ
 
既《スデニ》滿2六載之期《ムトセノホドヲミテヽ》1忽《ニハカニ》植《アヘリ》2遷替之運《ウツリカハリノユクニ》1於是別舊之悽心中欝結拭涕之袖何以能旱《コヽニシテトモニワカルヽカナシミコヽロノチニムスホヽリソデヲウルホスナミタイカデヒナン》因《ヨテ》作2悲(ノ)歌二首1式《モテ》遺《ノコス》2莫忘之志《ワスルナトフコヽロヲ》1其詞曰《ソノコトハニイヘラク》、
 
4248 荒玉乃、 冠辭
 
年緒長久、相見※[氏/一]之、彼心弘《ソコノコヽロヲ》、 今本弘を引に誤る引にてはよむべきよしなしよてあらたむ
 
將忘也毛《ワスラレムヤモ》、」
 
4249 伊波世野爾、 和名抄に越中國新川郡石勢(伊波世)と見えたり
 
秋芽子之努藝、 志努妓志乃具などいふは既いふ如くしなやがしてふ事を約し言にて下なやすといふ意よて馬をならべ行は蹈せなやせばかくいふなり
 
馬|並《ナメテ》、始鷹獵太爾《ハツトカリダニ》、 初鷹狩はとや過てはじめて狩するをいふべけれどこゝは秋來て八月までもまだともに小鷹獵をせざるを云なるべし
 
不爲哉將別《セデヤワカレム》、」 すべての意はしたしき友にわかれなんとする時なれば今一度狩などしてもろ共に遊てわかれざるをくちをしとなり
 右八月四日贈之、
 
○便2附《タヨリニツキ》大帳使《オホフミミツカヒノ》1取|八月五日《ハツキイツカ》應《ベク》v入《イル》2京師(ニ)1因此以《ヨテモテ》四日《ヨカニ》設《マケテ》2國厨之饌《クニノクリヤノアヘヲ》於|介内藏《スケクラノ》伊美吉繩麻呂(カ)館《イヘニ》1餞之于時《ハナムケスルノトキニ》大伴宿禰家持作歌、
 
4250 之奈謝可流、 冠辭
 
越爾五箇|年《トセ》、住住而、立別麻久、惜初夜可毛《ヲシキヨヒカモ》、」 さきには六年といふそは六年にわたるといひこゝに五年といふは任の限をいふなりと契冲がいへるによるべし
 
〇五日(ノ)平旦《アサゲニ》上道《ミチダチセリ》仍《ヨテ》國(ノ)司次官|已《ユ》下《シモ》諸僚皆共視送《モロヅカサトモニミオクレリ》於v時《トキニ》射水郡(ノ)大領《ツカサ》安努君《アヌノキミ》廣島門(ノ)前之林|中《ノチニ》預設《カネテマク》2饌餞之宴《ハナムケノウタゲヲ》1于時《トキニ》大帳使大伴宿禰家持和2内藏伊美吉繩麻呂|捧《サスニ》1v盞《サカヅキヲ》之歌、 和の字は詠の字の誤ならん此字の置ざまにては家持に繩麻呂の和る事に聞ゆれども上道といひ歌に往吾とあれば家持の歌なり和へき繩麻呂が歌もなしいかゞ
 
4251 玉桙之、道爾出立、往吾者、公之|事跡《シハザ》乎、 大帳使を大伴池主のつとめて本任にかへりしを家持の悦びてよめる歌卷十七に見ゆもはら介の役の意なるを池主掾にてもつとめりされば繩麻呂は介なれば公のしはざといひ又任の中交り深りし此宴の設の勞をも兼云、負てゆかんといへるなり
 
負而之將去《オヒテシユカン》、」
 
○正税帳使掾《タヂカラブミノツカヒマツリゴトヒト》久米朝臣廣繩|事畢《ワザオヘテ》退《シリソク》v任《マケヲ》適《ユクリカニ》遇《アフ》2於|越前國掾《コシノミチノクチノクニノマツリゴトヒト》大伴宿禰池主之|館《イヘニ》1、 家持に逢なり
 
仍共飲樂《ヨテトモニサケクメリ》也|于時《トキニ》久米朝臣廣繩|矚《ミテ》2芽子之始花1作歌、
 
4252 君之|家《ヘ》爾、殖有芽子之、始花乎、折而挿頭奈《ヲリテカザサナ》、客別度知《タビワカルトチ》、
 
〇大伴宿禰家持和歌、
 
4253 立而居而、待登待可禰、伊泥※[氏/一]|來之《コシ》、君爾|於是相《コヽナヒ》、 奈は爾安の約にてこゝにあひなり
 
挿頭都流波疑、」
 
○向《マケテ》2京洛《ミヤコニ》1上《ノボレル》依《ヨテ》v興《コヽロスサミニ》預作《カネテヨメル》侍《ハベリテ》v宴《ウタケニ》應《ウケタマハル》v詔(ヲ)歌並短歌、
 
4254 蜻島、山跡國乎、天雲爾、磐船浮《イハフネウカベ》、 紀(神武)に是《コヽニ》饒速日命乘天磐船而翔行大虚也睨是郷而|降之《アマクダリス》故《カレ》因|目之《ナヅケテ》曰2虚見日本國1と見ゆされど神代紀に此言見えず然れば天孫臨幸の事にはあらず此古事をこゝにいひしは如何かなはずきこゆ
 
等母爾倍爾、眞可伊繁貫、伊許藝都追、國看之勢志※[氏/一]《クニミシセシテ》、 之勢は延言國見せしてといふを延たるなり
 
安母里麻之、掃平、千代累、彌嗣繼爾、所知來流《シラシクル》、天之日繼等、神奈我良、吾皇乃《ワガオホキミノ》、天(ノ)下、治賜者、物乃布能、八十友之雄乎、撫賜、等登能倍賜、食國之、四方之人乎母、安末左波受、 安萬左受の左を延ていふのみ今本安夫と有夫は末の誤しるかれば改む
 
愍賜者、從古昔《ムカシヨリ》、無利之瑞《ナカリシミツモ》、多婢末禰久、申多麻比奴、 多は發語ひまなくを通し轉じいふ今本未と有るは末の誤なり
 
手拱而《タムダキテ》、事無御代等、天地《アメツチト》、 今本天地のとよみしはてにをはたがへり天地の月日てふ言はあらず上の句より等を重ねて次の句ともにうけぬ
 
日月等登聞仁《ツキヒトトモニ》、萬世爾、記讀牟《シルシツガム》曾、八隅知之、吾大皇《ワガオホキミハ》、秋花、之我色色爾《シガイロ/\》、 此|之《シ》てふ言を諸成按るにこは曾利の約利は禮に通て曾禮なりよてこゝはそれがいろ/\に見し給ひと云なり
 
見賜、明米多麻比、 酒見附《サカミヅキ》、 此言は既に上にいひつ
 
榮流今日之、安夜爾貴左、」 今本こゝに江家と有は既云如く一本になきによるべし
 
 反歌、
4255 秋時花《アキノハナ》、種爾有等《クサ/\ナレド》、色|別《ゴト》爾、 色毎になり
 
見明良牟流、今日之貴左、」 御壽《ミイノチノ》高く遠く明らけくよろづ見しあかち給ふを秋の草の花のいろ/\なるに喩ていへるなり
 
○爲壽《コトホガントテ》2左大臣橘(ノ)卿1預作歌、
 
4256 古昔爾、君之三代|經《ヘテ》、仕家利《ツカヘケリ》、吾大王波、 諸兄公を指
 
七代|申禰《マヲサネ》、」 母縣犬養宿禰は天皇の御代三代を經て仕奉につれば其子にます諸兄公は七代仕へ給ひて政申し給はねと賀るなり【拾穗抄云是は諸兄公の親母縣犬養橘宿禰の事にや此説よし續日本紀十二曰上歴2淨御原朝底1下逮2藤原(ノ)大宮1事v召致v命移v孝爲v忠と表の文に見ゆ天武持統文武三代につかへしにや其故橘姓を給ふ諸兄卿なれば七代迄仕申給へとなり諸兄公は葛城王なればわが大王と云り】
 
〇十月二十二日於2左大辨紀(ノ)故麻呂《ユヱマロノ》朝臣家1宴歌、 天平元年八月外從五位より從五位下天平寶字元年正月左京大夫同月左大辨六年七月散位從三位紀朝臣故麻呂薨と續紀に見ゆ寶字元年正月より左大辨なり此端辭の左は右の誤歟たゞし極官をしるせし歟
 
4257 手束弓《タツカユミ》、 手にとりつかむ故に手つか弓とは云
 
手爾取持而、朝獵爾、君者立|去奴《イヌ》、多奈久良能野爾、」 式神名帳に山城國綴喜郡棚倉神社有り
 右一首|治部卿船王傳誦《ヲサメツカサノカミフネノオホキミツタヘウタフ》之|久邇《クニノ》京都(ノ)時(ノ)歌|未詳作主《ヨミビトシラズ》也
 
4258 明日香河、河戸乎清美、 河戸は海戸水門などに同じくて左右より出崎有り往來の通ひ有る水口をいふ門戸ありてかよふに似たればなり此事海門の事につけて既いへれど又こゝにくはしくす
 
後居《オクレヰ》而、 河戸の清きにめでゝ見つゝとゞこほるなり
 
戀者京《コフレバミヤコ》、彌遠曾伎奴、」 とほざかりぬと同しそぎへの極み野の曾伎山の曾伎などもいひ雲のそきたつ極みなど皆同言しぞきの上略なり此歌は淨見原の都を藤原へうつされたる後猶淨見原の人のよめるかと契冲がいへるはよし
 右一首|左中辨《ヒダリノナカノトモヒ》中臣《ナカトミ》朝臣清麻呂傳誦古京(ノ)時(ノ)歌也、
 
4259 十月、之具禮能|常可《ツネカ》、 諸成既云如く之はあらしならし木枯風の之《シ》の如く風なり具禮は夕具禮といふ暮に同じく風にくもりくるゝ如なる雲を風晩《シクレ》といふなりよて此歌首尾よく調て聞ゆ後世に思ふ如く時雨てふ物はもみぢをそむる雨なりとのみおもひて此歌とかんよしなし風なればちらんをおもふなり
 
吾世古河、屋戸乃黄葉、可落所見《チリヌベクミユ》、」
 右一首少納言大伴宿禰家持|當時《ソノトキ》矚《ミテ》2梨黄葉1作此歌也、
 
○壬申年之亂平定以後《トシノナノハジメノトシヨノミダレヲサマリテノチノ》歌、 【拾穗抄云題壬申年の亂とは天武天皇の大友皇子と戰ひ給ひし白鳳元年壬申の年なるべし歌の心は駒の腹ばひ伏たりし田も帝の御威光に京となりしとなり天武帝御運を開せ給ひ大和高市郡飛鳥清見原の宮におはしましたる心なるべし、奥人】
 
4260 皇者、神爾之座者、赤駒之、腹婆布田爲乎、 或不v曰2白馬1而曰2赤駒1者、亂之時染血之謂2腹匍1、謂被害馬之貌也、軍時害敵馬爲先と云は違へり東麻呂曰田爲と有によれば田を作るとて馬に田をかへさせるがたちはらばふなりといへるによるぞやすらかなり
 
京師跡奈之都、」
 右一首大將軍《オホイイクサツカサ》、 今本此下に贈右大臣大伴卿作と書つらねたりおもふに此比迄は大將軍は淺官にて右大臣を贈らるゝ人の任なるべからずさらば贈以下の字は左の歌の端辭なるべしさて此右大臣は安麻呂か考へし
 
○贈右大臣大伴卿歌、 右にいふ今本に大將軍云云と書下して作とかけりかく端辭としては作を捨て歌とす
 
4261 大王者、神爾之座者、水鳥乃、須太久水奴麻乎、皇都常成都《ミヤコトナシツ》、」 今本こゝに作者不詳と有はいふにたらねばすてつ
 右件二首天平勝寶四年二月二日聞之即載於茲也、
 
○閏《ノチノ》三月於2衛門督《ミカドモリノカミ》大伴(ノ)古慈悲《コシヒノ》宿禰(ガ)家《イヘ》1餞2入唐副使《モロコシヘツカハサルスケミツカヒ》同《オナジ》胡《エミシ》麻呂宿禰等1歌、 續紀(聖武)に天平九年九月從六位下大伴宿禰古信備等授從五位下と見えたり
 
4262 韓國爾、由伎多良波之※[氏/一]、可敝里許牟、麻須良多家乎爾、美伎多※[氏/一]麻都流、」
 右一首多治比眞人|鷹主《タカヌシ》壽2副使大伴(ノ)胡麻呂宿禰1也、
 
4263 梳毛見自《クシモミジ》、 旅立し人の櫛を取見れば凶事ありとなり
 
屋中毛波可自《ヤヌチモハカジ》、 神代紀に以2川雁1(神名)爲持箒者今俗人|上道而《ミチダチシテ》直禁v帚v席黄泉之時投v櫛亦凶事(ト)依v此自v古二事忌v之乎、仙覺云人の物へありきたる跡には三日家の庭をはかずつかふ櫛を見ずといふ事ありとなり 
久左麻久良、 冠辭
 
多婢由久伎美乎、伊波布等毛比※[氏/一]、」 作者未詳と有は例の一本によりてとらず
 右件歌傳誦大伴宿禰村上同清繼是也、
 
○勅2從四位上高麗朝臣|福信《フクシン》1遣2於難波1賜2酒肴入唐藤原朝臣清河等1御こゝに大又製の字を脱せる歟
 
歌並短歌、 【冠辭考云孝謙天皇御歌なり拾穗抄には聖武なるべしといへり、奥人】
 
4264 虚見都、 冠辭
 
山跡乃國波、水(ノ)上《ヘ》波、地往如久《ツチユクゴトク》、船上波、床座如《トコニヲルゴト》、大神乃、鎭在《シヅムル》國曾、四(ノ)船、 遣唐大使一船副使一船判官一船乘替一船四船なり
 
船能倍奈良倍、平安《タヒラケク》、早渡來而、還事、 事は借字、言なり
 
奏日爾《マヲサンヒニ》、相飲酒曾《アヒノムサケゾ》、斯《コノ》豐御酒者、」
 
 反歌、
4265 四舶、早還|來等《コト》、白香著《シロガツケ・シラガツケ》、 白香は借字|後※[糸+舌]《シロカ》の意此解冠辭考の意と違へりやごとなき御説によれり委は別記にいふ
 
朕裳(ノ)裾爾《コシニ》、鎭而將待《シデテマチナム》、」 鎭は御製の意によりて借字|垂《シテ》とのたまはすなり【冠辭考云木綿は白髪に似たるものなればしらがつくと冠らせいひたり付は其物に似付てふ語のみこゝを木綿を白髪との給たまへるは同じけれど此著は木綿を御|頭《グシ》に著《ツクル》にて右とは別なり木綿を御頭《ミグシ》に著て御|裔《スソ》まで垂つゝおはしますは古へ神祭の齋戒の時のさまなり然ればこの著はつけと訓なり】
 今本云に發2遣《タヽシヤリ》勅使《オホミツカヒラヲ》1並賜酒宴之云云の注は端辭にあはず後人の書加しるかれば捨つ
 
○爲v應《ウケマツランタメ》v詔《ミコトノリヲ》儲作《マケヨメル》歌並短歌、
 
4266 安之比奇能、 冠辭
 
八|峯《ヲ》能宇倍能、都我能木能、 冠辭
 
伊也繼繼爾、松《マツガ》根能、絶事奈久、 此言などは奈良朝の始にもきかぬ言のつゞけがらに侍り
 
青丹余志、 冠辭
 
奈良能京師爾、萬代爾、國所知等《クニシラサムト》、安美|知之《シヽ》、 冠辭
 
吾大皇乃、神奈我良、於母保|之《シ》賣志※[氏/一]、豐宴《トヨノアカリ》、見爲今日者《ミシセスケフハ》、毛能乃布能、 冠辭
 
八十伴(ノ)雄能、島山爾、 大内の御池の島山をいふならん下にも有り
 
安可流橘、 赤良橘とも有もて見れば今本の俗あかるみあからむなど云に同じ
 
宇受爾|指《サシ》、 紀(推古)に辨十二階並以當色※[糸+施の旁]絹之項撮如嚢而著縁焉唯元日著髻華(此云于孺)則是古への冠の製なり後世漆塗冠になりて位品を分ち髻華を金銀もて作るは後の事なり橘をとりて宇受に指は古へのさまなり花實の枝をとりてうずにさしゝなり語の意などはくはしく別記にいふなり
 
紐解放而、 大内の宴なるに紐はなつ例なるはしたしみ和める意なるべし
 
千年保伎、保伎吉等餘毛之、 保伎吉といふ吉かゝる吉は皆家利の約にてほぎけりと云なれどこゝは下の等余毛之てふ言にもつゞかず聞ゆさらば此吉は古伊の約の吉《キ》にて千年ほぎほぎ乞《コヒ》とよもしと云ならんかと諸成考ぬよてよしをくはしくいふなり【奥人考に保伎吉の吉は保伎の略千年保伎保伎々々等余毛之とかさねいふなり
 
惠良惠良爾、 笑なり神代紀に嘘樂《ヱラク》又咲樂などありて笑の聲なり
 
仕奉乎、見之貴左《ミルガタフトサ》、」 こゝに江説とあるも例の一本によて捨つ
 
 反歌、
4267 須賣呂伎能、御代萬代爾、如是許曾、見爲安伎良目米《ミシアキラメヽ》、立年之葉爾、」 毎年なり諸成案に年乃波爾の波は布良の約にて良は留にかよひ年經るなり年を經は毎年の意なり
 右二首大伴宿禰家持作之、
 
○天皇《スメラミコト》、 聖武
 
太后《オホキサキミヤト》、 光明后宮をまうす
 
共《トモニ》幸《イデマス》2於大納言藤原卿家(ニ)1 今本卿家の字なしされども下に藤原卿とあり幸とあれば家はもとよりなれば補へり
 
之|日《ヒ》黄葉《モミチセル》澤蘭《サハアラヽギ》、 和名抄に澤蘭左波阿良々伎一云阿加萬多左と見ゆ
 
一株抜取《ヒトモトヲヌキテ》令v持2内侍佐佐貴山君《ウチツオモトヒトサヽキヤマノキミニ》1遣2賜《マケシタマハル》大納言藤原卿|並《ト》陪從大夫等《サムラフマヘツキミタチラニ》1御歌一首|命婦誦曰《ヒメドネノウタヘラク》、
 
4268 此里者《コノサトハ》、繼而霜哉置《ツギテシモヤオク》、夏野爾《ナツノヽニ》、吾見之草波《ワガミシクサハ》、毛美知多里家利、」 毛美知志弖阿里の助辭を略て弖阿を約て多とのたまはすなり
 
〇十一月八日|在《オハシマシ》2於|左大臣《ヒダリノオホンイマチギミ》橘朝臣|宅《イヘ》1肆宴歌、
 
4269 余曾能末爾、見者有之乎《ミレバアリシヲ》、 堪てあられしをとのたまはすなり
 
今日見者、年爾不忘《トシニワスレジ》、 是を月にわすれじにてはなきにやといふもあれど年にわすれしの方猶もあつかるにや則年のはなどいふに同じく年ごとにもわすれさせおはしまさじとなりさて後なれど「ありぬやと心みがてらあひ見ねばたはむれがたきまでぞ戀しき」といふに似たりといへるはよくかなへり此歌は戀の歌なり
 
所念可母、」
 右一首|太上天皇《オホスメラミコトノ》御歌、 御と歌の間に製を脱か此卷の例製の字なきも有は此比の例なるかかくは有まじかれば云なり
 
4270 牟具良波布、伊也之伎屋戸母、大皇之、座牟等知者《マサムトシラハ》、玉之可麻《タマシカマ》思乎、」 卷四卷十五にも玉之可麻思乎とて上の句はたがへる歌あり
 右一首左大臣橘卿、
 
4271 松影乃、清濱邊爾、玉敷者、君伎麻佐牟可、清濱邊爾、」 庭のさまのめでらるゝを橘(ノ)卿《キミ》の歌にもよりてかくいへるなるべし卷十八に堀邊爾波玉志加萬志乎大王乃御舟將漕登加禰弖志利世婆などよめる類なり
 右一首右大辨藤原八束朝臣
 
4272 天地爾、足之照而《タラシテラシテ》、吾大皇《ワガオホキミ》、 今本|吾大皇《ワガキミノ》とよみしはいまだしかりき
 
之伎座婆可母、 之《シ》は四の句につけてかくよむべき事なるをてにをはに見しはいかに
 
樂伎小里《タヌシキヲザト》、」 皇徳《スメミイキホヒ》の天地にてらしたらはしおはしませば此卿のすめる小里もたのしとなり今本に乎利とよみしは誤なり
 右一首少納言大伴宿禰家持、未奏、
 
○二十五日|新嘗會肆宴《ニヒナヘマツリノトヨノアカリニ》應v詔歌、
 
4273 天地與、相左可延牟等、大宮乎、 新嘗宮を作てつかへ奉るてふ意にてこゝを乎といふ天地とともにさかえまさん宮作してつかふまつれる意とゝのひて聞ゆこを隔句に大宮を貴といふ説は意もよしもとゝのはず
 
都可倍麻都禮婆、貴久宇禮之伎《タフトクウレシキ》、」
 右一首大納言巨勢朝臣、 契冲は奈※[氏/一]麻呂なりといへり
 
4274 天爾波母、五百都綱波布《イホツツナハフ》、 前後新嘗宮の事もとより標にも新嘗會肆宴歌とあれば五百綱は注連にて端出《ハシタシ》の繩の事なりしかれば天照太神を天の岩戸ゆ大御手給はりて引出奉りて御跡へ注連繩引はへてこれゆ内へなかへりましそと垣をなせし意もてこゝはいへり後垣繩《シリクネナハ》の意なり禰《ネ》部《ベ》通ふ言なればしりくねともしりくべとも云故に則今の世のしめ繩の如くはし出せし繩の事を綱といへるなり
 
萬代爾、國所知牟等《クニシラサムト》、五百都《イホツ》都奈波布、」 右に云意にて天皇のよろづ代に御代ながゝれと注連延ふを五百都繩はふと大きにいひなせるなり
 今本こゝに有注は歌しらぬものゝ書加へなり
 右一首|式部卿《ノリノツカサノカミ》石川年足朝臣、
 
4275 天地與、久萬※[氏/一]爾《ヒサシキマデニ》、萬代爾、都可倍麻都良牟、黒酒白酒乎、」 酒を伎と云は酒は釀て造る物なる故加美を約て伎といふ佐計の計と伎を通し云委は荒良言に云
 右一首從三位|文屋知奴麻呂《フミヤノチヌマロノ》眞人、
 
4276 島山爾、照在橘、宇受爾左之、 上の言どもはみな既いへり
 
仕奉者《ツカヘマツルハ》、卿大夫等《マヲチキンダチ》、」
 右一首|右大辨《ミギノオホトモヒ》藤原(ノ)八束《ヤツカノ》朝臣、
 
4277 袖垂而《ソデタレテ》、伊射吾※[草冠/宛]爾、鶯乃、木傳令落、梅(ノ)花見爾、」 十一月二十五日の比梅鶯共にまたき比なれどかくとりなすは歌のとりなしなり契冲云次下の歌梅をしぬばんとよめるは此日の興に梅柳をうゑらるればなり江家次第新嘗會の條を合考べしといへるはよろしきなり
 右一首大和國守藤原|永平《ナカテノ》朝臣、 平を手の誤歟といふ説あれど多比良の約多なればよしもてこを永多とも永弖共よませしか此朝臣新嘗會の事をとるかよて宴の後に諸卿を誘るならん【大嘗會の事は悠基主基二國をあてゝ事をとらす新嘗曾もしからん】 
4278 足日木乃、 冠辭
 
夜麻之多日影、 既出
 
可豆良家流、 かけの約計なればかつらかけけるなり
 
宇倍爾也左良爾、梅乎之奴|波《ハ》牟、」 侍宴の上に又國の守の親侍をよろこびかづらかけ宴たまひし上に又薗に遊て梅を見つゝしのぶをよろこべるなり
 右一首少納言大伴宿禰家持、
 
○廿七日林(ノ)王(ノ)宅餞2但馬按察使《タニマカヾナヘミツカヒ》橘奈良麻呂朝臣1宴歌、
 
4279 能登河乃《ノトカハノ》、 能登瀬川後瀬川ともいへり上に小浪《サヽラナミ》許智巨勢賂なる能登瀬川とよめり大和國巨勢にあり、さて能土と能知と音通へばかく冠らせたり
 
後者《ノチニハ》相牟、之麻之久母、別等伊倍婆、可奈之久母|在香《アルカ》、」
 右一首治部卿船王、
 
4280 立別《タチワカレ》、君我伊麻左婆、之奇島能、 大和國の別名となりてのちに云なり
 
人者和禮自久《ヒトハワレジク》、 此言は人者我爾志久てふ言を約し言なり爾を略けば自久と志を濁るなり此言を志加受といへば我に志加受にて不若《シカズ》なり吾爾|若《シク》といへば我若《ワガゴトク》なり則我如く人もいはひてまたんと云なり【志久の志は曾美知の三言を約し言にて知は都に通て曾美都久てふ意なり久は加行に働て都加牟都伎なる故志加牟志伎志久と云を思へそみつくは則如くの意に通ふしかずはつかぬ意なり】
 
伊波比※[氏/一]麻多牟、」
 右一首|京少進《ミヤコツカサスクナイマツリコトヒト》大伴宿禰黒麻呂、 【京少進イに右京に作る】
 
4281 白雪能、布里之久山乎、越由可牟、君乎曾母等奈、伊吉能乎爾念、」 遠き國に行く君をいのちのたづなとたのまひおもふはむなしきといふなり
 左大臣|換《カヘテ》2尾云《スヱヲノタマフ》伊伎能乎爾須流《イキノヲニスル》1然猶喩曰《シカシテナホサトシタマハク》如前誦之《モトノゴトトナヘヨ》也、
 右一首少納言大伴宿禰家持、
 
○五年正月四日於治部少輔石上(ノ)朝臣|宅嗣家宴《イヘツグガイヘニウタケスル》歌、 
4282 辭繁《コトシゲミ》、不相問爾《アヒトハザルニ》、梅(ノ)花、雪爾之乎禮※[氏/一]、 こを之は助字なりと云もあれど諸成按に折《ヲレ》てとならば梅か枝とあるべし花と有をおもへば凋を云歟集中又新撰萬葉にも萎《シヲ》るは之乎留之乎禮とある事古言梯にもいへり花のしをれちるを云なり
 
宇都呂波牟可母、」
 右一首主人石上朝臣宅嗣、
 
4283 梅花、開有之中爾《サケルガナカニ》、布《フ》敷|賣《メ》流波、戀哉許母禮留、 梅の花も問人を待て不開ふゝみて戀こもりて待かといふなり今本母を脱せり一本によりて補へり
 
雪乎待等可、」 上の歌をうけて開て後に雪ふればしほるるなり故に雪をすごさん爲にまださかずほゝめるも有て問人を待と云なり
 右一首中務大輔|茨田王《マイタノオホキミ》、
 
4284 新、年(ノ)始爾、思共《オモフドチ》、伊牟禮※[氏/一]乎禮婆、 伊は發語なり
 
宇禮之久母安流可、」
 右一首|大膳大夫道祖王《オホミカシハデノマヘツキミサヘノオホキミ》、
 
○十一日大雪落積(テ)尺有二寸《サカマリフタキ》因《ヨテ》述《ノバヘル》2拙懷《オモヒヲ》1歌、
 
4285 大宮能、内爾毛外爾毛、米都良之久、布禮留大雪、莫蹈禰乎之《ナフミソネヲシ》、」 
4286 御苑布能、竹(ノ)林爾《ハエシニ》、鶯波、之波奈吉爾之乎、雪波布利都都、」
 
4287 鶯能、鳴之可伎部爾、 今本に可伎都と有は都は部の誤しるかれば改む上の長歌にも垣部の谷とあるも證となればなり
 
爾保敝理之、梅此雪爾《ウメコノユキニ》、宇都呂布良牟可、」 按此雪てふ言梅の花をいふにも梅の枝をいふにも必乃てふ言又は我ともてにをは入ていふに雪をつゞくるには梅はとか梅曾とか何ぞてにをはを加へていふべきにくはへざるは諾此雪をうめと通はせ働していふならん古くはかゝる言なし下りての歌の働きかゝる言より轉て秀逸の言はいひ始しならん
 
〇十二日|侍《サムラヒテ》2於|内裏《ウチニ》1聞2千鳥(ノ)喧1作歌、
 
4288 河渚爾母《カハスニモ》、雪波布禮禮之《ユキハフレレシ》、 上の禮は留に通ひ次の禮は良に通てふるらしといふなり
 
宮乃|裏《チニ》、智《チ》杼利鳴良之、爲牟等己呂奈美、」 末の句の良之をいはんとて元の句の良之を言をかへて住所|無《ナ》ぶりしてと云なり美は夫利の備より通ふ
 
〇二月十九日、 今本十二月と有は誤なり冬青柳のあるべきよしなし
 
於左大臣橘(ノ)家《トノヽ》宴《ウタケニ》見《ミル》v攀2折《ヲルヲ》柳條(ヲ)1歌、
 
4289 青柳乃、保都枝與治等埋、可豆良久波、 久は加久の約にてかづらかくはといふなり
 
君之屋戸爾之、千年保久等曾、」
 
〇二十三日|依《ヨテ》v興《コヽロスサミニ》作歌、
 
4290 春野爾、霞多奈妣伎、宇良悲《ウラガナシ》、許能暮影爾《コノユフカゲニ》、鶯奈久母、」
 
4291 和我屋度能、伊左左村竹、 伊は發語左は世萬の約にて小の意左々也加などの左に同じ
 
布久風能、於等能可蘇氣伎、 加須加を轉じ延ていへるなり
 
許能由布敝可母、」 春風のうら/\に音しづかなるにめづるなりけり
 
〇二十五日作歌、
 
4292 宇良宇良爾、照流春日爾《テレルハルビニ》、比婆理安我里《ヒバリアガリ》、情悲毛《コヽロカナシモ》、比登里志於母倍婆、」
 
 春日|遲々※[倉+鳥]※[庚+鳥]正啼悽※[立心偏+周]之意非v歌難v撥耳仍《ウラヽニヒバリシバナクアハレムノコヽロウタナラデツクシガテナリヨテ》作2此歌1式展2締緒《モテコヽロヲノハユ》1
 此卷中|不v稱2作者名字1徒録2年月所處縁起1《ヨミヒトノナヲイハデタヾトシツキソノヨシヲシルセルモノハ》者皆大伴宿禰家持|裁作歌詞也《ヨメルウタナリ》、
 右異本の左注なり拾穗抄云常の本に歌ばかりかきて作者の名をかゝざる所あり其故に此注有今所用の本は歌ごとに作者を書たれば此奥書不入用といへり諸成按に此書體後人の書加へとも見えず家持卿のしるされしと見ゆ今本一本には此文脱うせたるなるべし既云如く卷の十一より卷二十まで此卿の家の集なり卷ごとに名をかゝざるも有てそこには家持卿の歌なるべしとことわりたる有り此終の歌より前八首大宮能云云歌已下も作者の名なし此こと書によりて作者なきを此卿の歌と見るぞ正しからん
 
萬葉集卷十九之考 終
 
萬葉卷二十之考
 
○幸2行於山村1之時歌、 和名抄山村(也末無良)欽明紀にも見ゆ大和國添上(ノ)郡なり
 
先太上天皇《サキノオホスメラミコト》詔《ノリタマハク》2陪從王臣《オホミトモノオホキミタチマチキミタチニ》1曰|夫諸王卿等《ソノオホキミタチキミタチ》宜《ベシトテ》d賦《ヨミ》2和歌《コタヘウタヲ》1而《テ》奏《マヲス》u即《ヤガテ》天皇御口號曰《スメラミゴトヨマセタマハク》、 今本に天皇の言なし御製歌なれはあるべき義もて補へり此太上天皇は元正天皇なり下にも云り
 
4293 安之比奇能、 冠辭
 
山行之可婆、山人乃、和禮爾|依志米之《エシメシ》、夜麻都刀曾許禮、」 源氏蓬生にたゞ山人のあかき木のみ一つ云云といへるもこれか靈樹木本草に云不老杖こゝは仙人のごとくとりなさせたまひてよませ給ふなるべし
 
○舍人(ノ)親王|應詔奉和歌《ミコトノリノマニ/\ミコタヘマツラスウタ》、
 
4294 安之比奇能、 冠辭
 
山爾由伎家牟、夜麻妣等能、情母之良受、山人夜多禮、」 仙人などいふ歌のよろしき山人にこそあらめされどその仙人の情はしらずみ杖得たまはすればたれかあらん天皇こそ山人におはせとこたへまふ也
 右天平勝寶五年五月在於大納言藤原朝臣之家時|依《ヨテ》v奉《マヲスニ》v事《コトヲ》而|請問之間《コヒトヘルマニ》、 今本間を問と有は誤しるければ改む
 
少主鈴《スナイミスヽツカサ》山田(ノ)史《フビト》土麻呂《ハニマロ》語《カタラク》2少納言大伴家持1曰昔聞(クト)2此言《コノコトヲ》1即|誦《トナヘツ》2此歌1、 こゝの言にていよゝ先太上天皇は元正天皇なることあきらかなり孝謙天皇の即位五年なり 
○八月十二日、既天平勝寶五年と前の注にあれば年號はかゝぬこそよろしかれ
 
二三大夫等各|提《モチテ》2壷酒《サケヲ》1登《アソビ》2高円(ノ)野《ヌニ》1聊|述所心《コヽロヲノバヘテ》作歌、 高かればとてそのよしもいはでのぼるといふは唐ざまなりよて其意を得てあそぶとよめり高圓といへばと云人も有へけれど卷十四に赤人の端詞に登春日野と有類にてともにこゝの言にはふさはしからぬなり
 
4295 多可麻刀能、乎婆奈布伎故酒、秋風爾、比毛等伎安氣奈、 奈はなんの略なり
 
多太奈良受等母、」 たゞならぬとは常にも物の異さまなる事をいふされば紐ときてくつろぎかましきはたゞならぬことざまのすがたなれども此秋風をば紐解放てすずみとらましとなりなめげなるかたちなれども此おもしろさにいりてはといふなり
 右一首|左京少進《ヒタリノミヤコノスナイマツリコトヒト》大伴宿禰池主、
 
4296 安麻久母爾、可里曾奈久奈流、多加麻刀能、波疑乃之多婆波、毛美知安倍牟可聞、」 安倍てふ言に二つあり一つは堪の意なりこゝはしかして合の意なり即倍は波世の約にてもみちあはせんかもの約言なり卷十八に白玉を云云あへもぬくかに又五月の玉にあへぬかもなどはここと同し卷十四に兒等家路漸間遠乎烏婆玉乃夜渡月爾競將堪鴨此あへんは字の如たえんかもと云なり
 右一首左中辨中臣清麻呂朝臣、
 
4297 乎美奈|弊之《ヘシ》、安伎波疑之努藝、 此言既いへり
 
左乎之可能、都由和氣奈加牟、多加麻刀能野曾《タカマトノヌゾ》、」
 右一首少納言大伴宿禰家持
 
〇六年正月四日|氏族人等《ウカラタチ》賀《コトホギ》d集《ツドヒ》于少納言大伴宿禰家持之宅u宴飲歌、
 
4298 霜(ノ)上《ヘ》爾、安良禮多婆之里、伊夜麻之爾、安|禮婆《レハ》麻爲許牟、 參入來《マヰコ》むといふなり
 
年(ノ)緒奈我久、」 玉の緒|生《イキ》の緒ともいひて年々つゞくをいふなり今本こゝに古人の未詳てふ注有はとるにたらぬ後人の書加なればすてつ諸成案るに緒は伊刀の約の乎にて物の緒も是なり年緒玉緒などは野蠶の糸をくり出すに長く絶ぬを云べし【賀茂大人曰まいるまいでの萬は發語にて即いでいるなりまうづまうではいとうを通するなり又まゐるまゐでと云萬は發語にあらず此ゐはりに通ひてまかりいるまかりでると云意なりよて平生ははしのいなりまゐでは謙退して云ふ時まゐと書なり奥人按に右の言によれは爲麻許牟はまかり來《コン》なり】
 右一首左|兵衛督《ツハモノヽカミ》大伴宿禰千里、
 
4299 年月波、安多良安多良爾、 新々の意なり【古本はいづれも安良多安良多とあり今本に安多良安多良と有は誤なり久老云、奥人云こは本をすてゝ末を云にて本言にくらき言なり】
 
安比美禮騰、安我毛布伎美波、安伎太良努可母、」 あたらしき年をかさねてあひ見れどもあきたらぬぞといふなりこゝの注をすてしよしは前に云り
 右一首|民部少丞《タミノツカサノスナイマツリコトヒト》大伴宿禰村上、
 
4300 可須美多都、春(ノ)初乎、家布|能《ノ》基等《ゴト》、見牟登於毛倍波、多努之等曾毛布、」 末ながかる春のはじめをけふの如くほぎ事せんを見んとおもふはたのしきと云なり
 右一首|左京少進《ヒタリノミヤコノスナイマツリコトヒト》大伴宿禰池主、
 
〇七日、 前の歌に正月四日と有り
 
天皇、 孝謙
 
太上大皇、 元正
 
皇太后、 光明皇后宮なり
 
於2東(ノ)常宮《ツネノミヤノ》南(ノ)大殿1 大安殿なり
 
肆宴歌、
 
4301 伊奈美|野《ヌ》乃、 播磨なり王《オホキミノ》の守地ゆゑ此野を云
 
安可良我之波波、 御宴に※[木+解]を見てよみ給ふなどは枯たる※[木+解]ならん又時はあれどゝ有によれば彼赤芽※[木+解]の事歟又今は※[木+解]なれど是も時ありて紅葉する物なれば時はあれどゝ云べし此二つを合いはゞ今枯たるを見てそれにつけて紅葉せる時を云興し給ひ君をおもひわするゝ時はまことにさねなしとの給ふなり【祇曰心は赤柏は時有て其興あり君を仰く心はいつとなければ時なしとなり】
 
等伎波安禮騰、伎美乎安我毛布、登伎波佐禰奈之、」 諸成按に地名を擧てよみ給へれば其野なる※[木+解]の葉ある時あり葉なき時ありかたし葉と聞ゆる物すら時あれど君を思ふ時はまことに常にて時ある事はまことになしとよみ給へるならん佐禰は佐は曾良の約禰は奈計の約にて虚無《ソラナキ》なり虚言虚事なきは信なりさてそらなきなしといひては僞の如く聞ゆれど佐禰を信の言にいひ定ては信になしてふ言となれば然はよみ給へるなり
 右一首播磨國守|安宿《アスカヘノ》王奏、 こゝに古今云云と有も右と同じかれはすてつ前は歌下こゝは名の下に在り妄なるも後人のわざなり
 
〇三月十九日家持之庄(ノ)門槻(ノ)樹下宴飲歌、
 
4302 夜麻夫伎波、 今長谷の持こし山吹はなり
 
奈泥都々於保佐牟、 なでいつくしみおほさんと云なり【拾穗に云家持のきましてさしかざし給へは鍾愛ことなる花なれは撫つつ生さむなり】
 
安里都々母、 幾年も在經たまひつゝなり
 
伎美伎麻之都都、 長谷か方にも來り給ひつゝなり
 
可射之多里家利、」 ありつゝといふよりかざしたりけりといふもことほぎていへるなり古今集に「ありつゝも君か來まさんみまくさにせん」てふ類なり
 右一首置始連|長谷《ハツセ》、
 
4303 和家勢故家、夜度乃也麻夫伎、佐吉弖安良婆、也麻受可欲波牟、 山吹と云よりやまずといひ咲てある折は君がり行てむつましみなんとなり
 
伊夜登之能婆爾、」 年毎にとことほぎこたふるなりけり
 右一首|長谷攀花提壷到來《ハツセノハナヲタヲリカメニサシテマヰク》因《ヨテ》v是大伴宿禰家持作2此歌1和之、 攀は下より援《ヒキ》上るなりといへり然はこゝは轉して折事に用ゐしか○諸成案に與治てふ言は與は伊也保の約治は刀利の約なり彌穗を刀利のをゝ略ば治と濁なり高山に登るには木の根岩か根の穗に出る物にもすがり登を便とす木にのぼるにも穗に出る枝にいやとり/\してのぼる故彌穗取登るなりよて約て與治と云山吹はのぼりて折ものならねど伊也穗執の言もて花の枝折にかりしなり
 
○同月二十五日左大臣橘卿宴2于山田(ノ)母之宅1歌、 續紀勝寶元年七月正六位上授山田史姫島從五位下七年正月從四位上
 
4304 夜麻夫伎乃、花能左香利爾、可久乃|其等《ゴト》、伎美乎見麻久波、知登世爾母我母、」 けふの此宴の花のさかりに卿《キミ》を見んは千年までにもあれとねがへるなり【諸成按るにすべて集に我母我奈など云我は古波の約にて千年にもと古波母てふ言なり古波の波を半濁に和の如唱ふ半濁より約し云故我と濁なり】
 右一首少納言大伴宿禰家持|矚《ミテ》2時(ノ)花1作|但未出之間《タヾイダサヾルホドニ》大臣《マヘツキミ》罷《ヤメタマフ》v宴《ウタケヲ》而|不擧誦《トナヘアケズ》耳、 今本不の下の攀は擧の誤なりよて改つ
 
○詠霍公鳥歌、
 
4305 許乃久禮能、 木の下暗なり
 
之氣伎乎乃倍乎《シゲキヲノヘヲ》、 岑の上なり
 
保等登藝須、奈伎弖故由奈里、伊麻之久良之母、」 來《クル》らしもなり久留良之の留良の約良なれば然云なり
 右一首四月大伴家持作、
 
〇七夕《ナヌカノユフベノ》歌、
 
4306 波都秋風《ハツアキカゼ》、須受之伎由布弊、等香武等曾、比毛波牟須妣之、伊母爾安波牟多米、」 彦《ヒコ》星になりてよめるなり
 
4307 秋等伊弊婆、許己呂曾伊多伎、宇多弖家爾、花爾奈蘇倍弖、見麻久保里香聞、」 隔句なり花になぞへてかさねかさねことに見まくほりすれば秋といへばこゝろぞいたきと見るべしうたての言は既云り
 
4308 波都乎婆奈、波奈爾見牟|登之《トシ》、 めづらしく見んてふ意なりと契冲がいへるはよしたま/\見るはめづらしければなり
 
安麻乃可波、 天津川と古くはいひし事古事記の小注を引て諸成既いへりされどもこゝに安麻乃可波と假字有を證として古くも天の川といひしならんとおもふ人有らん奈良に至りては既に古言を誤りし事是のみならず扨誤なる語をいはゞ阿萬都曾良安萬津風とは後にもいへどあまのそらあまの風とはいはず又阿萬乃我波の乃をはぶかば我波と濁るべし後の地名橋などをいふ中のはしの乃を略けば中ばしと橋を濁る例なる事古今皆同じ例なり然るに乃を略かで川を濁るも例違へり天津川は天津婆良てふ古き假字有を證と思へ
 
弊奈里爾家良之、 弊奈里隔りなり
 
年緒奈我久、」
 
4309 秋風爾、奈妣久可波備能、爾故具左能、 和名抄に女※[草冠/威]※[草冠/(豕+生)]一名黄芝惠美久佐一名安麻奈と見ゆヒメユリの葉の如きものなり此草既に出たるをそこにいはでこゝに此事眞淵の解し中にかくいへり諸成思ふにかほ花の別記にかしこき御説を擧ていひし如くいにしへゑみぐさ又にこぐさといひしもかほばなの一名ならんか※[白/ハ]花はゑみて咲ものなるに岩はしのまゝに生たるかほ花のとよみしもこゝになびく川びのにこぐさのといひしもよそほひ似たる草におもはるゝにや
 
爾古餘可爾之母、 にこよかのよはやより通しいふにてにこやかと云に同じ
 
於毛保由流香母、」
 
4310 安吉佐禮婆、奇里多知和多流、安麻能河波、 前に云が如し
 
伊之奈彌於可婆、 石並なりいは橋などをおもひてよめるなり
 
都藝弖見牟可母、」 いは橋は水をわたる便にほどよく石をならべつゞけて置ものなれば其石のつゞきて有る如く妹をつぎて見んと譬り
 
4311 秋風爾、伊麻香伊麻可等、比母等伎弖、宇良麻知乎流爾、 紐解はうちくつろきて心待して居るなり
 
月可多夫伎奴、」 六日七日の宵月は四つ時四分八分に入前を云
 
4312 秋草爾、於久之良都由能、安可受能未、安比見流毛乃乎、月乎之麻多牟、」 此初秋の秋草に置露は日も夜もあかぬ心に相見るをあけなば又來ん年の月を待んとなり
 
4313 安乎奈美爾、 白波なり【蒼波《アヲナミ》碧浪《アヲナミ》など唐詩に有もてよめる歟】
 
蘇弖佐閉奴禮弖、許具布禰乃、可之布流保刀爾、 かしは※[牛+戈]※[牛+可]なり既いひつ船を止る杭なりふるとはこをふりたつるをいふ言なり
 
左欲布氣奈武可、」
 右大伴宿禰家持燭仰天漢作之、
 
4314 八千種爾、久佐奇乎宇惠弖、等伎其等爾、左加牟波奈乎之、見都追思努波奈、」 今より又こん月ごとにしのぶ心のたゆまじければいやちくさに草木をうゑてとこしくさかん花を見つゝしぬばんとなり
 右一首同月二十八日大伴宿禰家持作之、
 
4315 宮人乃、 此宮人は奈良の宮人を云天平寶字二年の歌に高圓の離宮は既荒たるよしあれば天平勝寶五年の比は離宮への幸はあるべからねばなり
 
蘇泥《ソデ》都氣其呂母、安伎波疑爾、 今いふはた袖の如くに一幅をそへ付て殊に宮人の長袖なるをかくは云へし
 
仁保比與呂之伎、多加麻刀能美夜、」 宮人の心やらんとて高圓の野をわくれば袖はさながら萩の花ずりとなりえもいはぬ此宮地の秋のさまをおもふなり
 
4316 多可麻刀能、宮乃須蘇未乃、 すそは山のすそなどいふに同し未は備に通ふ則すそべもすそのべなり宮處の下をいふなり
 
努都可佐爾、 野司は野の眞中高き所を云岸のつかさともいへり
 
伊麻左家流良武、乎美奈弊之波母、」 をみなへしは高圓の宮のすそへの野つかさに今さけるらんとまはりてにをはによめるなり
 
4317 秋野爾波、伊麻己曾由可米、母能乃布能、 冠辭
 
乎等古乎美奈能、 こは男花《ヲハナ》女郎花をいふなりさて此集に須々志競とよめるは壯子《ヲトコ》の相いさみあらそふをいふ草のすゝきも物より高く出るは雄々敷さまなれば男花なり草一種に雌雄有のみならず別種にむかへたるさまをいふなれば男花女郎花と云なり
 
波奈爾保比見爾、」 くれなゐにほふ餘光有花ならねど秋野に自てり合て花のつやゝかなる色をにほふとはいふなり
 
4318 安伎能野爾、都由於弊流波疑乎、 露負るなり
 
多乎良受弖、安多良佐可里乎、須具之弖牟登香、」 こゝの弖も弖阿の約多なるを其多と良を約て多良の約多なるを弖に通せるなり
 
4319 多可麻刀能、秋野乃字倍能、安佐疑里爾、都麻欲夫乎之可、伊|泥《デ》多都良武可、」
 
4320 麻須良男乃、欲妣多天思加婆、 狩人などが鹿笛吹てよびたつるをしか云べし
 
左乎之加能、牟奈和氣由可牟、 頭ふりおこし胸にて萩をわけ行をいふなり
 
安伎野波疑波良、」 初句よりして狩人などが鹿笛吹て呼立を云
 右歌六首兵部少輔大伴宿禰家持獨憶2秋野1聊|述《ノハヘテ》2拙懷《オモヒヲ》1作之、
 
○天平勝寶七歳、 【考謙の御宇年の字を止て歳字を用續記十九に見ゆ】
 
乙未二月|相替《アヒカヘテ》遣2筑紫1諸國《スベテノクニノ》防人等歌、
 
4321 可之古伎|夜《ヤ》、美許等加我布理、 蒙てなり
 
阿須由利也、加|曳《エ》我伊牟多禰乎、 第三の句由利の由は與と同言よりと云なり加曳我は遠江國の地名なり古くは延ていひしを今は約て計我といふなり則遠江に計我村在り伊牟多禰の伊は發語|共寐《ムタネ》なり共は風のむたなどと同しやがてとも寐するを云且牟と毛と通へば下に伊毛と云序なり
 
伊牟奈之爾志弖、」 上に云如く牟毛同言なれば毛を牟もていふかくいふもて上に伊の發言はおけるなりさてかかるは東の方言なり
 右一首國造丁長下郡物部秋持、
 
4322 和我都麻波、伊多久古比良之、 此古比良志などの言は右にも云東の方言ながらゆゑなくかく云にあらで言を約め云なるか則其言の本正しかるを考べき事なりとおもへればわづらはしくいはんに此言の本は古倍留良之てふ言なりさて古比の比は倍利の約良志の良は利良の約にて又此良之をも約て里となれば古倍利とも約り又古倍留良之ともなる然は古比良志は延れば右の如約ば古倍利ともなる方言などはしかまうけて延約するならでおのづから延約に合ひて其言のよししらるゝは言魂のさちはふ國の天地のなしのまゝなる言の妙を心得べかるしるべなるにあらでなにぞもやかゝる事をよくわきまへなば言も語もわかりぬべし
 
乃牟美豆爾、加其《カゴ》佐倍美|曳《エ》弖、 影なり牙《ゲ》其《ゴ》同言なれば自かくいふ方言なり
 
余爾和須《ヨニワス》良禮受、」 人をおもへば即人の影見えて吾言をなすは歌詞の常なり
 右一首|主帳《フミヒト》、 軍防令に兒ゆ
 丁|麁王郡《アラタマコホリ》、 遠江なり
 若倭部身麻呂《ワカヤマトベノムグロマロ》、
 
4323 等伎騰吉乃、波奈波作家登母、奈爾須禮曾、 何曾禮《ナニソレ》といふなり
 
波々登布波奈乃、 母子草をいふなり
 
佐吉低|己受祁牟《コズケム》、」 母をおもひて母子草に添てよめるなり己受の受は邪留の約
 右一首防人山名(ノ)郡、 同上
 丈部眞麻呂《ハセツカベノママロ》、
 
4324 等倍多保美《トヘタホミ》、 【遠江は假字には刀保多不美と書は刀保都阿波宇美の都阿の約多なればなり然いふ保を倍不を保に轉して刀倍多保と云なり奥人按波宇の約不なる故刀保多不美と書なり】
 
志留波乃伊宗等《シルハノイソト》、 遠江の磯の名なり
 
爾|閉乃《ヘノ》宇良等、 防人の行て在る浦名なり
 
安比弖之阿良婆、 磯と浦の名もて汁《シル》と贄《ニヘ》の辭とせるなり安比は饗《アヘ》と合《アヒ》と逢《アヒ》の言をおもひてよめるなりけり
 
己等母加由波牟、」 由と余は同言にてかよはんなり妻戀しらに言の通はん事を思ふなり
 右一首同郡|丈部川相《ハセツカヒベノカハヒ》、
 
4325 知知波々母、波奈爾母我毛|夜《ヤ》、久佐麻久良、 冠辭
 
多妣波由久等母、佐々己弖《サヽゴテ》由加牟、」 佐々己弖の己《コ》は解《ゲ》と同言なる事此歌の四首前の歌に影を加其といふにおなじく棒てといふなり
 右一首|佐野《サヤノ》都、 遠江國なり
 丈部|黒當《クロマサ》、
 
4326 父母我、等能能志利弊乃、 父母の住家を殿と云は父母を尊みあがみていふなり志利弊は後をいふなり
 
母母余具佐、 萬年草を云ならん
 
母母與伊弖麻勢、 生《イキ》てませを略いふなり伊伎の約伊なれば伎を略なり
 
和我伎多流麻弖、」
 右一首同郡|生玉部足國《イクタマベノタリクニ》、
 
4327 和我都麻母、畫《エ》爾可伎等良無、伊豆麻母加、 古き注に伊は發語豆麻は妻なり母加は願意なりとあれど諸成按るに既初句に我妻母と有にかき添て妻もがなといふべくもあらぬにや伊豆麻母加は出間もがなと願ふ意にて其つかさだつ人にもよほされておほきみの御ことかしこみいそぎ旅立なれば其出る間もなく繪に書とらんいとまなきをなげくならんしからでは旅行われは見つゝしぬばんと云にあはず聞ゆ猶見ん人心にまかせてとれ
 
多比由久阿禮波、美都都志努波牟、」 都々てふ言既云如く見つ見つを末に都をたゝみていふと眞淵の云へるに合せ見るべし
 右一首|長下《ナガシモノ》郡、 遠江國なり
 物部|古麻呂《フルマロ》、
 
二月六日防人|部領使《コトリツカヒ》、 【諸成按に部領使を古刀利豆加比と訓は古刀の約古なり則ことゝり使を約云にて守介掾目の内にて其役に中《アタル》國々上丁助丁次丁を撰て京師に奉る事をとるもてかくは唱なり】
 
遠江國|史生《フビトノトモ》坂本朝臣|人上《ヒトカミ》進歌數《タテマツルウタノカズ》十八首、但|有拙劣歌《ツタナカルウタ》十一首|不取載《ステツ》之、 此注の如く前の歌數七首有さて姓の下につくかばねはいやしきつかさ人にてもかくべし
 
4328 於保吉美能、美許等可之古美、伊蘇爾布理、 諸成按るに磯にはふれなり波布の約布故に布理といふはふれと云に同じ
 
宇乃波良和多流、 海原なり宇奈の奈と乃は同言故乃もて云なり
 
知知波波乎於伎弖、」
 右一首|助丁《スケヨボロ》、 上に見ゆ
 丈部造人麻呂《ハセツカベノミヤツコヒトマロ》、
 
4329 夜蘇久爾波、 防人等の出る國々をいふなり
 
那爾波爾都度比、 此津に集ひ艤して船出するなり
 
布奈可射里、 則ふなよそひを云ふ
 
安我世武比呂乎、 船飾する日等乎と云なり
 
美毛比等母我母、」 見む人もがなといふにて故郷の父母妻子を始めこひおもふなり
 右一首|足下《アシモノ》郡、 相模國足柄下の郡の柄を略きたるなり
 上《カミツ》丁|丹比部國人《タチヒベノクニヒト》、
 
4330 奈爾波都爾、余曾比余曾比弖、氣布能日夜、伊田弖麻可良武、美流波々奈之爾、」 母をおもふ心のせちなるがあはれなり
 右一首鎌倉郡、 同國
 上丁|丸子《マルコノ》連|多麻呂《オホマロ》、
 
 二月七日相模國防人部領使守從五位下藤原朝臣宿奈麻呂|進《タテマツル》歌數八首但拙劣歌五首者不取載之
 
○追2痛防人悲別之心1作歌并短歌、
 
4331 天皇乃、等保能朝廷等、 他國の吾國に伏奉《マツロヘ》るも大八島の國中の遠き國をもかく云事既出
 
之良奴日、 冠辭
 
筑紫(ノ)國波、安多麻毛流、於佐倍乃|城曾等《キソト》、 眞淵が友藤原宇萬伎いへらく城を伎といふは古訓なり加古美の約伎なり敵もる爲に築たる城廓をふるくは伎といひしなり稻城《イナキ》水城《ミキ》大|城《キ》などいふ伎なりこは加古美てかまふる所なればしかいふならん又地をならすを志呂といふこも古言なり同字を訓し故後には城を志呂と云へり
 
聞食《キコシヲス》、 しろしめすに同じ此言の考は諸成荒良言にくはしくすさて四方の國とつゞけしなり
 
四方(ノ)國爾波、比等佐波爾、美知弖波安禮杼、登利我奈久、 冠辭
 
安豆麻乎能故波、伊田牟可比、 立出向ふからになり
 
加弊里見世受弖、伊佐美多流、多家吉|軍卒等《イクサト》、 つはものかうつはなるをさして人をかく云故に軍卒の字を借か
 
禰疑多麻比、 此禰疑は禰我比の我比を約て禰妓禰具などいふにはあらで賞《ネギラヒ》の意なり禰は奈由の約妓は古比の約にて其人を撫育してなてこひ思はしむる事を云【禰疑の禰は奈傳の約疑は賀多良比の約撫語合也ねぎらひと云もきらの約加にてかたらひなれば同言なり】
 
麻氣乃麻爾麻爾、 任の隨意と云なり
 
多良知禰乃、 冠辭
 
波波我目可禮弖、 母の面見事もならで遠國に行なり【目可禮は和加禮の上略と云説もあれど目加禮世受などいふを思ふに加は伎禮波奈の約にて木葉の枯も皆切|放《ハナル》事を約云言ならんと諸成考ぬ】
 
若草乃、 冠辭
 
都麻乎母麻可受、 妻と枕まかずを略いふなり
 
安良多麻能、 冠辭
 
月日餘美都都、安之我知流、 冠辭
 
難波能美津爾、大船爾、末加伊之自奴伎、 眞※[楫+戈]と同く通しいふなり
 
安佐奈藝爾、可故等等能倍、 六言可故は水主《カコ》なり則※[楫+戈]子の略なり等々能布は手足はすを約いふ言なる事荒良言にいふ
 
由布思保爾、可知比伎乎里、 ※[楫+戈]の折る如くたはめ漕行を強くいふなり
 
安騰母比弖、 既云
 
許藝由久伎美波、奈美乃間乎、伊由伎佐具久美、 伊は發語なり由伎は行なり佐具久美の具美の約伎なり則佐伎にて行|放《サキ》なり式祝詞岩根蹈佐具美と有も同じ蹈分なり言を延ていふのみ
 
麻佐吉久母、波夜久伊多里弖、大王乃、美許等能麻爾末、麻須良男乃、許己呂乎母知弖、安里米具里、古刀之乎波良波、 之は助字
 
都都麻波受、 恙なくつゝみなく共言同、 【都々麻波受の麻波の約麻なりつゝまずにて則無恙なり】
 
可弊里伎麻勢登、 是より下の待かも戀んちふ句へかかる隔句
 
伊波比倍乎、等許敝爾須惠弖、 卷十七に久佐麻久良多妣由久吉美乎佐伎久安禮等伊波比倍須惠都安我登許能弊爾と云もこゝと同じ
 
之路多倍能、 冠辭
 
蘇田遠利加敝之、 臥さまをいふなり以下の言も是よりつゞくなり
 
奴婆多麻乃、 冠辭
 
久路加美之伎弖、奈我伎氣遠、 氣なりしかれ共唐字の氣《キ》の音を計に通すにはあらず唐にて氣《キ》といふをこゝにては香と云なり其香を計に通し云なり加己呂を約て心といふなれば心の事にも四時の氣にも云なり【氣は支婆女の約|際《キハミ》の意にて防人の長ききはみを云べし又伎倍の約來經の意なり奥人】
 
麻知可母戀牟、波之伎都麻良波、」
 
 反歌、
4332 麻須良男能、由伎等里於比弖、 勒《ユキ》なり
 
伊田伊|氣《ケ》婆、和可禮乎乎之美、奈氣伎家牟都麻、」
 
4333 等里我奈久、 冠辭
 
安豆麻乎等故能、都麻和可禮、可奈之久安里家牟、等之能乎奈我美、」 前は女をいひ此歌は男を云
 右二月八日兵部少輔大伴宿禰家持、
 
4334 海原乎、等保久和多里弖、等之布等母、兒良我牟須敝流、比毛等久奈由米、」
 
4335 今替、爾比佐伎母利我、 佐伎毛利てふ言の考は諸成荒良言に云
 
布奈弖須流、宇奈波良乃宇倍爾、奈美那佐伎曾禰、」 花の如く波の放《サキ》わかれ立なり神代紀に秀立《サキタテル》浪穗之上などといふに同く浪の散る事なり
 
4336 佐吉母利能、保里江己藝豆流、 伊豆流の伊を略て伊豆と云かけたり
 
伊豆手夫《イヅテブ》禰、 伊豆手の手は都久禮の三言を約たる云なり禮は里に通て都久里の言にて伊豆作舟といふなり古く物作る人を作|人《ヒト》といひ後世瀬戸手唐津手と陶器をいふに同じ綱手繩手蜘蛛手など云手は別言なり諸成考得つればいふなり
 
可治等流間奈久、 何事もなく上は序にいひかけて妹にまれ親にまれ戀おもふ事の重きをよくたとへてまことなり
 
戀波思氣家牟、」
 右九日大伴宿禰家持作之、 此三首は右の反歌の如く猶おもひいたみて此卿のよみそへたまへるならん
 
4337 美豆等利乃、 冠辭考にもれたり
 
多知能已蘇伎爾《タチノイソギニ》、父母爾、毛能波須伎爾弖《モノハズキニテ》、 物|不言《イハズ》來爾弖の伊を畧けり今本伎を價とするは伎の草を價の草に見あやまれる事しるかれば伎にあらため侍り
 
今叙久夜志伎、」 今本夜を良とよみしはいかゞ字によりて訓を改つ
 右一首上丁|有度部牛麻呂《ウドベウシマロ》、 拾穗抄によりて郡を部に改何によれるか證なくとも部なる事しるく今本誤しるかれば改つ
 
4338 多多美氣米《タタミケメ》、 冠辭考にはもれたり氣《ケ》と古同言たゝみこもをかくいへるにて下へあむとかけし阿をはぶけるなりさて氣米といふは方言なるべし
 
牟良自加|已《イ》蘇乃、 牟良自加已蘇は駿河の國の磯の名なるをあむらしの意にて云 
波奈利蘇乃、 利は禮伊の約にて波奈禮伊曾を約ていふなりさて下に母をはなれてといはん序なり
 
波々乎波奈例弖、由久我加奈之佐、」 言のつゞきはたくめるが如くなるは後に聞故なり地《トコロ》につけたる物と名もて母にわかるゝかなしさを有のまゝによめるなり
 右一首|助丁生部道麻呂《スケヨボロイクベノミチマロ》、
 
4339 久爾米具留、 郡々を轉任してめぐるなり
 
阿等利加麻氣利、 阿等利は吾獨が任りといふなり
 
由伎米具利、可比利久麻弖爾、已《イ》波比弖麻多禰、」 仙覺云國家中吾今當役而獨任防人行自懷吾獨也といへるはよしされどくはしからず吾獨轉任しと云は太宰府に軍團寮ありて軍を習ふなりしかして其郡々に轉任するなり故に先それをいひて吾任を云なり
 右一首|刑部虫麻呂《オサカベノムシマロ》、 刑部省推察罪科之所由也故有此訓乎と見ゆ於之加我奈敝倍の之加の約左なり奈敝の約禰と下の倍を通しめぐらして於左我倍とは唱ふるなり
 
4340 知々波波波、 今本江とあるは波の誤なりしかればあらたむ
 
已《イ》波比弖麻多禰、 多禰の禰は奈米の約まてまたなめなり猶本言をいはゞ米は牟と同言上の奈は阿良の約にて待てあらなんを約いふなり
 
豆久志奈流《ツクシナル》、美豆久白玉《ミヅクシラタマ》、 水《ミヅ》の沈《シヅム》を畧て美豆久といふこを上の酒美豆伎の美は毛利の約豆伎は都豆伎の言なるをしるべし白玉は任のおもきをなし得たるを玉に譬なり
 
等里弖久麻弖爾、」
 右一首川原|虫麻呂《ムシマロ》、
 
4341 多知波奈能、 美の一言に冠せり
 
美衣利乃左刀爾、 駿河國の地名なり
 
父乎於伎弖、道乃長道波、由伎加弖努加毛、」 ゆきがてぬるかもといふ則不行勝てふ字の意なり
 右一首丈部|足麻呂《タリマロ》、
 
4342 麻氣波之良《マケハシラ》、 眞木柱の伎を計に返すなり檜《マキ》柱なり
 
寶米弖豆久禮留、 ほめてつくれるとは古は室賀辭とて宮室を建る時辭をつくりてたゞへ言なせりそをほめてつくれると云り
 
等乃能其等、已麻勢波々刀自、於米加波利勢受、 既見えし如古へはおもてかほの事はめといへり後世とたがへり君がめをほりなどよませ給へる事をおもへよてこゝもおめといへるも於毛の毛を米に通すといふべけれど然のみいひてはくはしからずこれ古の言の東の方言にまさしく殘れる證と云べし
 右一首坂田部(ノ)首《オヒト》麻呂《マロ》、 【私記に忌部首讀2於比止1又元明紀大津連意毘登元正紀聖武紀首と書大人の義にて尸又は長たる人に云と見えたり】
 
4343 和呂多比波、 吾等《ワレラ》旅といふなり我旅はと云に同し
 
多比等於米保等、 旅とおもふほどを通し畧なり
 
己比《コヒ》爾志弖、 故郷の父母妻子のたぐひすべてをいふ
 
於米知夜須良牟《オメチヤスラム》、 今本於を古とするは於古の草を見誤る事しるかれば改つさておもゝちを略通しておめちと云は方言おのづから然なるなりやすらんは痩らんなりおめちは内の略といふはきこえざるなり
 
和可美可奈志母、」
 右一首玉作部(ノ)廣目《ヒロメ》、
 
4344 和須良牟|砥《ト》、 わすれんと云なり
 
努由伎夜麻由伎、 野行山行てくるしみわすれんばかりに旅の勞かさぬれどゝ云なり
 
和例久禮等、和我知々波々波、和須例勢努加毛、」 まことにてあはれなるものなり
 右一首|商長首麻呂《アキノオサオヒトマロ》、 商は氏なるへし
 
4345 和伎米故等、 和伎毛古の毛を米もていふ
 
不多利和我見之、宇知江須流、 冠辭うちよするてふ與を江に通して云
 
須流河乃禰良波、 駿河の根等はといふなり山等はと云に同じ古くは山をば根といひつ諸成案に天地の間におのづから生出《ナリヅ》るものを禰といふ其禰は奈里出の三言を約めいふ扨高きを高根といひ高根の頂上を美禰と云をもて思へ委は荒良言に云【美根の美はほめて云言なり三吉野三熊野の美に同じ眞根ともいふべし】
 
苦不志久米《コフシクメ》阿流可、」 戀布をこふしくといふは古の常なりこふしくめ有かといふは初句の和妓毛古をわきめこと云に同く方言のまゝなるが通ふなり
 右|春日部麻呂《カスカベノマロ》、
 
4346 知知波波我、可之良加伎奈弖、佐久安禮天、 佐伎久あれとなりかく方言に任するも聞ゆるは佐伎久の伎久の約久なれば佐久阿禮とは云なり天と刀はもとより同言なれば自ら聞なり
 
伊比之古度婆曾、 ことばの半濁に濁字を用
 
和須禮加禰津流、」
 右一首丈部|稻《イナ》麻呂、
 二月七日駿河國防人部領使守從五位下布勢朝臣|人主《ヒトヌシ》實《マコトニハ》進《タテマツル》2九日(ニ)1歌數二十首、但|拙劣者不取載之《ツタナキハステツ》、
 
4347 伊閉爾之弖、古非都都安良受波、 此言卷二の別記に委
 
奈我波氣流、 汝が佩ると云
 
多知爾奈里弖母、伊波非弖之加母、」 こゝの弖之はてありしを約しにはあらで家にして汝をこひつ/\して其かひあらずは汝を守る太刀となりてもありたしがもといふを再び約いふなりよて伊波非弖阿良(此良は利に通ふ)多志てふ弖阿良の約多なり此多と次の多を約れば多なるを弖に通して弖志といふなり弖志の志は志伎の略にて言をつよからしむるなり【弖之弖阿利多の約多なるを本の弖に通して弖之といふにていはひてありたしかもと云なり】
 右一首國(ノ)造(ノ)日下部使主三中之《クサカベノヲミミナカガ》母歌、 今本日下を早とせるは二字の一字になりたる事しるかれは改母を文と有は母を父に誤しを文とさへ誤し事しるかればあらためつ次の歌にて母の歌なる事うたがひなかればなり
 
4348 多良知禰乃、 冠辭
 
波波乎和加例弖、麻許等倭例、 實に吾と云なり
 
多飛乃加里保爾、夜須久禰牟加母、」 やすくいねんかと云こは右の歌に三中が答たるなり
 右一首國造丁日下部|使主《オミ》三中《ミナカ》、
 
4349 毛母久麻能、 百隈の居なり
 
美知波紀爾志乎、麻多佐良爾、夜蘇志麻須義弖、和加例加由可牟、」 難波の船出の歌なり
 右一首助丁刑部(ノ)直《アタヒ》三野《ミヌ》、
 
4350 爾波奈加能、 底中なり且こは火たき屋のすのこなき土なる地をいふ
 
阿須波乃可美爾、古志波佐之、 其地々の例にて柴などさして神祭する事有小柴にてかりそめに神籬《ヒモロギ》を作るなり則其祭る神は古事記に大年神子|庭津日《ニハツヒノ》神次阿須波神云云古の竈神なるもて祭なり
 
阿例波伊波波牟、 凶事をいみさけ吉事さきはひのあらん事を乞のみまつるなり
 
加倍理久麻|低《デ》爾、」
 右一首帳、 首帳の間に主の字を脱る歟此卷のはじめ二月六日に進る歌の二首めの右に主帳丁とある類ならんと覺ゆるなり
 丁|若麻續部諸人《ワカヲミベノモロヒト》、
 
4351 多比己呂母、夜豆伎可佐禰弖、 彌津著《イヤツキ》重而なり都は助字著かさねてといふなり
 
伊努禮等母、 寢と云なり
 
奈保波太佐牟志、伊母爾志阿良禰婆、」 防人にさへかゝるまことの妙なるを見よたゞ歌はつくりかざるにはあらずなん
 右一首|望陀郡《ウマクダノコホリ》、 上總國の郡名
 上丁玉作部(ノ)國忍《クニオシ》、
 
4352 美知乃倍乃、宇萬良能字禮爾、 荊にて宇婆良なり宇禮は宇倍にて末なり
 
波保麻米乃、 延《ハフ》豆にて蔓なり乃に如をこめて心得べし
 
可良麻流伎美乎、 搦纏なり豆は此からまるをいはん序なり麻流の約牟にてからむは則まきまとひ合て共寢するをいふなり
 
波可禮加由加牟、」 東にては今も離るゝをはがるゝといへり波は波奈禮波奈留といふ波と同言(此類の波の言も委く荒良言に云)にて可禮はめかれせずあるは思ひのかるゝ又人めかるゝ木草のかるゝといふと同言にて波奈禮加流留を約めいふ(此加留々の加も禮荒良言にいふ)則わかれ行を云ことながら言は別言なり
 右一首|天羽《アマウ》郡、 上總地名なり羽を乎の如く唱べし
 上丁丈部(ノ)鳥《トリ》、
 
4353 伊倍加是波《イヘカゼハ》、 吾家の方ゆ吹來風をいふなり
 
比爾比爾布氣等、和伎母古賀、伊倍其登母遲弖、 家言にて妹が言傳けてくるをいふなり 
久流比等母奈之、」 言傳ふ人さへかよふ事なき遠き方にわぶなり
 右一首朝夷郡、 安房國の地名
 上丁|丸子連大歳《マルコノムラジオホトシ》、
 
4354 多知許毛乃、多知乃佐和伎爾、 多知許毛は多知乃佐和伎といはん句の序立鴨の我を許に通はせるなりやがて旅立のさはきにいひかけたり
 
阿比美弖之、伊母加己々呂波、和須禮世奴可母、」 禮世の約禮なり
 右一首|長狹《ナガサノ》郡、 安房國なり
 上丁丈部(ノ)與呂麻呂、
 
4355 余曾爾能美、美弖夜和多良毛、 句なり
 
奈爾波我多、 難波の汐干潟をいふなるか其潟より船出するよりやがて地の名によべるなり
 
久毛爲爾美由流、志麻奈良奈久爾、」 防人の歌にはしらべ高く聞ゆ
 右一首|武射《ムサノ》都上丁丈部(ノ)山代《ヤマシロ》、
 
4356 和我波波能、蘇弖母知奈弖※[氏/一]、和我可良爾、 我ゆゑになり
 
奈伎之許古呂乎、和須良延努可毛、」 いとあはれにきこゆ
 右一首山邊(ノ)郡上丁物部(ノ)乎刀良《ヲトラ》、 今本乎を手とするは誤なり一本によりてあらたむ
 
4357 阿之可伎能、久麻刀爾多知弖、 諸成案に蘆垣のくま戸といへば縣家の外面は蘆して垣しそれにかりそめに竹など折曲げ蘆結添えてたつる戸をば隈戸と號べしそは隈ある戸なれば然いふべししかるに古事記に久美度邇興而と今の本に有もて閨の戸なりといひこゝもそれもて云は誤なるべし同書美刀阿多波志都と假字ありて興は與の誤なれば久美度邇興而てふ言なり仍て此事こゝにかなはずくはしくは古事記考にいふべしこゝは只門に立て旅立行を見送りしさまのあはれさをありのまゝによみしなり
 
和藝毛古我、蘇弖毛志保保爾、 しぼ/\の下のぼを略保を半濁に乎の如いふなり
 
奈伎志曾母波由、」 なきしぞおもふなり於毛布の於を略布を延て波由といふなり
 右市原郡上丁刑部(ノ)直《アタヒ》千國《チクニ》、
 
4358 於保伎美乃、美許等加志古美、伊弖久禮婆、和努等里都伎弖、 吾にとりつきてなり
 
伊比之古奈波母、」 此奈は横の同行の良より通ひ古奈は兒等といふに同じ
 右一首|種※[さんずい+此]《スヱ》郡、 上總國なり
 上丁物部|龍《タツ》、
 
4359 都久之閉爾、敝牟加流布禰乃《ヘムカルフネノ》、 舳向《ヘムク》るといふなり
 
伊都之加毛、都加敝麻都里弖《ツカヘマツリテ》、 防人の仕奉《ツカヘ》の勞を終てといふなり
 
久爾爾閉牟可毛、」 吾國の方へ舳むかはめなり
 右一首長柄郡、 上に同じ
 上丁|若麻續部羊《ワカヲミベノヒツジ》、
 
二月九日上總國防人部領使少目從七位下|茨田《マムダノ》連|沙彌《サミ》麻呂進歌數十九首、但拙劣歌者不取載之、
 
○陳《ノバヘル》2私拙懷《ヒソカニオモヒヲ》1一首并短歌、
 
4360 天皇乃、等保伎美與爾毛、 難波高津宮をおもひてよめるなり
 
於之弖流、 四言冠辭
 
難波乃久爾爾、阿米能之多、之良志賣之伎等、伊麻能與爾、 今本與を乎に誤るよて改めつ
 
多要受伊比都々、可氣麻久母、安夜爾可之古志、可武奈我良、和其大王乃、宇知奈妣久、 冠辭
 
春(ノ)初波、夜知久佐爾、波奈佐伎爾保比、夜麻見禮婆、見能等母之久《ミノトモシク》、可波美禮婆、見乃佐夜氣久《ミノサヤケク》、母能其等爾、佐可由流等伎登、賣之多麻比、 めしたまひは見給なり次の句のあきらめたまひは見あきらめを二句にわかちていふなり賣之の之は見させ給ひといふ崇め言なるを之に通し左志の約之なる故かくいふなりさて上の和其大王乃より此句につゞくなり宇知奈妣久より佐可由流等伎登までの十句は隔句なり又あきらめ給ひ以下をいふ序なり
 
安伎良米多麻比、之伎麻世流、難波(ノ)宮者、伎己之米須、四方乃久爾欲里、多弖麻都流、美都奇能船者、保理江良里、美乎妣伎之都々、安佐奈藝爾、可治比伎能保里、 眞※[楫+戈]引折とも既にありし如くこゝは※[楫+戈]引たをめてのぼる舟を云
 
由布之保爾、佐乎佐之久太理、安治牟良能、佐和伎伎保比弖、波麻爾伊泥弖、 あさなぎより下の言はあした夕べの舟の登り下りのさまをいひて句中の對とす
 
海原見禮婆、之良奈美乃、夜敝乎流我宇倍爾、 波は彌折《イヤヲリ》重て立居すればかく云なり卷八には八重折|之於爾《ノウヘニ》又古今集に澳にをれ波ともあり
 
安麻乎夫禰、波良良爾宇伎弖、 はら/\の下の波を畧けりうら/\をうらゝといふに同じ則はなれ/\といふなり神代紀にふみはらゝかし今も鮭のはらゝ子といふに同じ委くは荒良言にいへり
 
於保美氣爾、都加倍麻都流等、乎知許知爾、伊射里都利家里、 いざりは磯かりなれば此方なり釣は沖にてするわざなれば遠なりよて上に遠近をいへるなり
 
曾伎太久毛、 曾許婆久を言を轉じ云諸成按るに曾は十の言なり許は加受の約久を許に通すなり婆は其まゝにて加留の約久なりよて十數量《ソカスハカリ》てふ言の轉なり【曾伎太久許々婆久を其所《ソコ》此所《コヽ》と同じとの考のいまだたらはぬをりの説こは貢の多きを擧いふなり下に許己見禮婆とあるをもて思へ】
 
加藝呂奈伎可毛、 諸成按に呂は利毛の約にてかぎりもなきと云なりすべて利呂も同言なれは通しも云べし
 
己伎婆久母、 こも前に同く許々婆久を轉しいふなり己は加曾の約曾は受と同言數なり伎は前の如く數々量てふ事を約めいふなりこも委は荒良言に云り【加藝呂奈伎今本には於藝呂と有よし撰要抄に云り於藝呂は置等也と】
 
由多氣伎可母、許己見禮婆、 始になにはの國といひ同く宮といふより此句にうけたり
 
宇倍之神代由《ウベシカミヨユ》、 諸成案に宇倍の字は於毛布の約にて則|請受《ウケウケ》の言なり加行の語に働せて宇計宇久といふ此宇と同言なるに倍《ベ》は婆米の約にて面向合《オモムケバヘ》てふ事なり古言には宇豆奈比と云は面向著《オモムケヅキ》合てふ言を約云が叶をおもへ
 
波自米家良思母、」 かく四方の國々の山川陸海もこぞりて大王につかへ奉るはうべも神の御代よりはじめさせ給ひけるらしとなり
 
 反歌、 今本反歌二字なし例によりて補ふなり
 
4361 櫻花、 かしこき御説にこゝの櫻は梅の誤りなり長歌に春のはじめに花咲にほひと有櫻は春のはじめにさくものならずとのたまはせり
 
伊麻佐可里奈里、 初句にむかしを思ひ今盛世をあらはしいへりとのたまはせり
 
難波乃毎、於之弖流宮爾、伎許之賣須奈倍、」
 
4362 海原乃、由多氣伎見都々、安之我知流、 冠辭
 
奈爾波爾等之波、倍努倍久於毛保由、」 ゆたかなるにめでゝ年經て住べくおもひなりぬを云
 右二月十三日兵部少輔大伴宿禰家持、
 
4363 奈爾波都爾、美布禰於呂須惠、 防人の乘船も公の舟なれば崇めいふなりおろしすゑのしすの約須なれはおろすゑとはいふなり
 
夜蘇加奴伎《ヤソカヌキ》、 八十※[楫+戈]貫を略きいふ船の傍にぬき出し掛置物故やそかぬきともやそかゝけともいふなり
 
伊麻波許伎奴等、 漕往《コギイヌ》といふなり
 
伊母爾都氣許曾、」
 
4364 佐伎牟埋爾、多多牟佐和伎爾、伊敝能伊毛何、奈流敝伎己等乎、 なるべかる吾家のわざをたにいはず來ぬるといふなり
 
伊波須伎奴可母、」
 右二首|茨城《ウバラキノ》郡|若舍人部廣足《ワカトネリベノヒロタリ》、
 
4365 於之弖流夜、奈爾波能津與利、布奈與曾比、阿例波許藝奴等、伊母爾都岐許曾、」 岐牙《キガ》同言にして都牙といふなり
 
4366 比多知散思《ヒタチサシ》、由可牟加里母我、 雁なり
 
阿我古比乎、志留志弖都祁弖、伊母爾志良世牟、」 常陸國人なれば常陸を指てゆかん雁もがなあが戀をしらして妹にしらせなんといふなり
 右二首|信太《シダノ》郡|物部道足《モノヽベノミチタリ》、
 
4367 阿我母弖能、 我おもてをはぶきて云
 
和須例母之太波、 わすれもしたらばてふたらの約太なれば良をはぶきてかく云
 
都久波尼乎、布利佐氣美都都、伊母波之奴|波尼《バネ》、」 此郷家は筑波より猶東にて夫の行し方を筑波根の方としてしぬべといへりさて今本尼を弖とあるは誤歟本の句に都久波尼と有に依て改
 右一首|茨城《ウバラキ》郡|占部小龍《ウラベノヲタツ》、
 
4368 久自我波波《クジガハヽ》、 久慈郡の母といふつくしの子むさしの母ともいへり又久慈川はさきく有ともひろくいへるかといふ説もありされど我の濁音を書たるに前に引例もあれば木部が竹垣などいへる例もて久慈が母てふことおだやかなるべし
 
佐氣久《サキク》阿利麻弖、志富夫禰爾、 潮舟なり
 
麻可知之自奴伎、和波可敝里許牟、」
 右一首|久慈《クジノ》郡|丸子部佐壯《マルコベノスケヲ》、
 
4369 都久波禰乃、佐由流能波奈能、 さゆりなり言通へり既もよる事にゆりもあはんといへり
 
由等許爾母、 夜床にもなり言の通同上に云
 
可奈之家伊母曾、比留毛可奈|之祁《シケ》、」 こゝにひるもといはんとて上に夜床にもといへり祁は伎と言通へり
 
4370 阿良例布埋、 冠辭
 
可志麻能加美乎、伊能利都々、須米良美久佐爾、 皇御軍なり
 
和例波伎爾之乎、」
 右二首|那賀《ナカノ》郡上丁大舍人部(ノ)千文《チフミ》、今本文一本丈とあり千多計と云名も有なん
 
4371 多知波奈乃、 此多知波奈を山橘といふ説もあれど次々の句下ふく風のかぐはしきとあれば只橘ならん二月と有は歌奉たる時なればかゝはるべからぬにや
 
之多布久可是乃、可具波志伎、都久波能夜麻乎、古比須安良米可毛」、 古郷の母父姉妹をおもふ心にたとへしなり
 右助丁占部(ノ)廣方、
 
4372 阿志加良能、美佐可多麻波理、 嵐も雲も立はゞかり獣も走りがてなる御坂こえ行は天皇の詔なれは道を賜るといふよて御坂たまはりなりと有もさる事ながら諸成按に美佐加は眞坂にて外の山路の坂ゆも嶮きをいふ意多麻波の多は登波の約波は保と同言にて登保萬波里にて遠廻《トホマハ》りならん常陸よりは武藏を經て相摸に廻りて足柄山に登れば遠く廻りかへり見しても筑波山見えざるをいふならん扨次の句をいひあれはこえ行までは足柄をこえ行なり其次の阿良志乎は次々の不破の關を云んとてまづ云ならん【武藏國埼玉郡等母麻呂妻物部刀自賣が歌に伊呂夫可久、世奈我許呂母波、曾米麻之乎、美佐加多婆良婆、麻左夜加爾美無、と下に在此歌賜者の意にては解よしなし坂を賜ふてふ歌も有まじ通る意なり】
 
可閉理美須、 故郷も身をもなり
 
阿例波久江由久、 句なり
 
阿良志乎母、 諸成案にこは嵐の事にあらず荒敷男てふ事ならんと覺ゆなり
 
多志夜波婆可流《タシヤハバカル》、 不破關は大君の詔もてすゑおかす關なれば私の旅にはいかなる健雄荒男もぬかづきはゞかりて通るをいふなりけり
 
不破乃世伎、久江弖和波由久、 諸成按にこゝも句にして前の句ともに二段なり句中の對なり
 
宇麻能都米、 冠辭今本に米を牟に誤一本によりて改諸成案に古江弖を久江天ともいへば米牟同言通しいはんか
 
都久志能佐伎爾、知麻利爲弖、 集り居を略なり
 
阿例波伊波々牟、母呂母呂波、 筑紫に向ふ軍兵をいふか又衆を指歟諸成按に前句阿例はいはゝんとことわるからは吾身のつゝみなく古郷の父母をはじめ皆もろもろさきくあらんをいはゝんこゝろ歟
 
佐祁久等麻乎須《サケクトマヲス》、 祁は伎と同言佐伎久なり
 
可閉利久麻弖爾、」 久江由久を對とし初にかへり見すといひこゝを可閉利久麻弖と句を終ぬ人麻呂のたくみに似て防人の歌にはいとめでらるゝすがたなり言短くしてよくとゝのひし歌なり
 右一首|倭文部《シヅリベノ》、 今本文を父に誤る此姓姓氏録に見ゆ
 可良麻呂《カラマロ》、
 二月十四日常陸國防人部領使大目正七位上|息長眞人《オキナガマツト》國島進歌數十七首、但拙劣歌不取載之、
 
4373 祁《ケ》布與利波、可敝里見奈久弖、意富伎美乃、之許乃美多弖等、 醜てふ言は醜丈夫、四古郭公てふ歌にいへりともにのりて云歌なり
 
伊|※[泥/土]《デ》多都和例波、」 【拾穗云云この御楯といふをしこの御楯と云なり異國の備へに行は敵軍の矢先の楯となる心なり日本紀に捕鳥郡(ノ)萬《ヨロツ》曰|萬《ヨロツ》爲(ス)2天皇|楯《ミタテト》1此心なり】
 右一首|火長今奉部《ホノツカサイマツカサベノ・クハチヤウコムフヘ》與曾布《ヨソフ》、 火長は音にてよむべきか十人の長にて火燒の事をつかさどるとなり
 
4374 阿米都知乃、可美乎伊乃里弖、佐都夜奴伎、 佐都夜は幸矢なり則山の幸などいふ又幸弓なども同じ集中に意を得て得物矢又欲得矢とも字を充つさて金村か佐渡國に行時山路にて矢を放し事有此下にあらしをのいをさ手挾み向ひ立ともよめるはさるべき方に向神をいのりて放て行にや則軍に立時のさまなるべし後世弓人の高山に登て射はらひをするてふも此餘風なるべし
 
都久之乃之麻乎、佐之弖伊久和例波、」 筑紫の嶋を指て行を伊久と云は壹岐の島を雪の島といふに同じきなり伊久の久は計留の約にて射ける我はてふ言をふくみてよめるなるべし
 右一首|火長太田《ホノヲサオホタ》部(ノ)荒耳《アラミヽ》、
 
4375 麻都能|氣《ケ》乃、 松の木のなり
 
奈美多流美禮婆、伊波妣等乃、 家人を言を通しいふなり上にも有右下にも家を伊波てふいと多し
 
和例乎美於久流等、多々理之|母己呂《モゴロ》、」 もごろてふ言既いへり四の句の等はとての略家人の吾を送るとて松のなみたる如く立ちならぶを見ればともごろの人立りとなり多々理はたちてありしを再約いふなり
 右一首火長物部(ノ)眞嶋《マシマ》、
 
4376 多妣由伎爾、由久等之良受弖、阿母志志爾、 あもちゝにて父母をいふをちをしに通しいふか又上の志は止の誤にてあもとじといふか次の歌もて見れば刀自ならん阿と於は通ひて於母なり【諸成猶案に下の信州埴科郡忍男か歌に意毛知々我多米ともあればこゝの志々も知を通し云ならん次のは濁音の自を用ゐこゝ清音の志を用ゐしを思へばなり次にも阿母志々をいひ又下に阿米都之乃ともあれば必通せしなり】
 
己等麻乎佐受弖、伊麻|叙《ゾ》久夜之氣、」
 右一首寒川郡上丁川上巨老、
 
4377 阿母刀自母、多麻爾母賀母夜、伊多太伎弖、美都良乃奈可爾、 鬘の中になり
 
阿敝麻可麻久母、」 合纏んにといふなり
 右一首津守宿禰|小黒栖《ヲグルス》、 拾穗抄然書り今本一本共に宿とのみ有津守氏宿禰なれば然可有なり
 
4378 都久比夜波、須具波由氣等毛、 日月夜は過は行どもなり
 
阿母志志可、 こゝにも志々とあれば前の如くちゝの事を通し云なり
 
多麻乃須我多波、 ほめて云なり
 
和須例西奈布母、」 せなくの久をゆるく云なり久は宇に通ふを其宇より布に通はせるなり卷六に邇久美多奈布と云類なり
 右一首|都賀《ツカノ》郡上丁|中臣部足國《ナカトミベノタリクニ》、
 
4379 之良奈美乃、與曾流波麻倍爾、 西のあら海の波をいふなり曾は須と同言よするといふなり
 
和可例奈波、 さる遠き國にわかれいなばなり
 
伊刀毛須倍奈美、夜多妣蘇弖布流、」 足利郡は下野國にて海なき國なりさてしら浪高き遠き國に行わかれのせんすべなさにこゝにいや度袖ふるなり
 右一首足利郡上丁大舍人部禰麻呂、
 
4380 奈爾波刀乎、己岐※[泥/土]弖美例婆、可美佐夫流、伊古麻多可禰爾、 生駒嶽は大和國平群郡にあり
 
久毛曾多奈妣久、」 なにはの御津をはるかに漕出てかへり見したる樣なりむかしはさきもりの歌すらかゝるも有
 右一首梁田郡上丁大田部(ノ)三成《ミツナリ》、
 
4381 具爾具爾乃、 【上の具は倶の誤にや具は濁首なり】
 
作伎毛利都度比、布奈能里弖、和可流乎美禮婆、伊刀母須弊奈之、」
 右一首河内郡上丁|神麻續部嶋麻呂《カ|ミ《ン》ヲミベノシママロ》、
 
4382 布多富我美《フタホガミ》、 二面神の意を通し云言にてかしら立人を指云卷十六謗佞人歌に奈良山乃兒手柏之兩面云云といへるにおなじ意なり
 
阿志|氣比《ケビ》等奈里、 氣は伎に通ひてあしき人なりとのみ云はくはしからず氣は香より通し云言にあしき香なる人と云なり唐にて雲氣人氣などいふ氣をこゝに人の香花の香なと云もておもへそは香凝を約て許々呂といへはなりよて古今集にこゝろなくをけゝれなくよこぼりふせる佐夜中山ともよめるなり又氣長眞氣長氣遠き氣さやかともいへり源氏物語に天氣をてけなといふはまたく音にてこゝとは別なりけり
 
阿多由麻《アタユマ》比、 あたゆる幣《マヒ》といふ則賄賂なり
 
和我須流等伎爾、佐伎母里爾佐酒、」 やらじといひて幣はとりて防人にさせるをにくめるなり
 右一首那須郡上丁大伴部(ノ)廣成《ヒロナリ》、
 
4383 都乃久爾乃、宇美能奈伎佐爾、布奈餘曾比、多志※[泥/土]毛等伎爾《タシデモトキニ》、 立出も時の多知の知を志に通す
 
阿母我米母我母、」 於母の目もがもといふなり目は既にも出し如|面《カホ》見るよしもと願なり
 右一首鹽屋郡上丁丈部|足人《タリヒト》、
 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣|太戸《オホト》進歌數十八首、但拙劣歌者不取載之、
 
4384 阿加等伎乃、加波多例等枳爾、 こを渠《カレ》は誰《タレ》時なりといふは曉のまだほのくらかれば誰かれとわきがたきよしにてそは久しく聞えたる説なれど諸成按にかれたれといふをかれのれをはぶきてかとはいへどかれのれを畧てかは又かをと云例なし且かれたれの言にはあらで誰渠といふなればかれのれは畧まじきにや思ふに加は計佐の約にて多は刀奈の約今朝となれ時にてほのぐらきにたへで云にや
 
之麻加枳乎、 嶋陰にて枳は牙より通しいふなり又枳は久利の約にて志萬加久利を約しなりといふも聞えたり【夕ぐれのかはたれ時といふも加はこやの約にて今夜刀奈禮時なれば同言もて云ならん】
 
己枳爾之布禰乃、他《タ》都枳之良受母、」 防人の歌にはいとめでたき歌なり
 右一首助丁|海上《ウナカミ》郡|海上《ウナカミノ》國造、他田日奉直《ヲサダヒマツリアタヒ》、 他田日奉は復姓なり代匠記拾穗抄には他田として乎佐太とせしは誤なり諸成按に姓氏録第四卷皇別の末に他田廣瀬朝臣有又和泉國皇別に他田有て膳臣と祖同と見ゆ又左京神別に日奉連有右の復姓は見えず後に復姓又直のかばねを賜し事あるにやいかゞ
 得太理《トコタリ》、 かゝる類は常足《トコタリ》なるを音を假字に借たる歟
 
4385 由古作枳爾《ユコサキニ》、奈美奈《ナミナ》等|惠良比《ヱラヒ》、 浪音の大きなるをいふ於を延れば惠良となり阿を延れは伊加となる伊加志桙の類なり
 
志流敝爾波、 後《シリヘ》べはなり理と留は同言、倍の半濁を部《ベ》の本濁に云なり 
古乎等都麻乎等《コヲラツマヲラ》、於枳弖等母枳奴《オキテラモキヌ》、」 おきつらねてもきぬなり
 右一首|葛飾《カツシカノ》郡|和部石島《ヤマトベノイシシマ》、 姓の時は和をやまとと用ゐたり
 
4386 和加加跡乃、 今本跡を都とするは跡と都との草の手の誤なり
 
以都母等夜奈枳、以都母以都母、於母加古比須奈、 母が戀するなといふなり
 
奈起麻之都々母《ナキマシツヽモ》、」 泣座つゝと云今本起を理とするは起と理の草の手の誤なりと契冲がいひしによれるなり
 右一首結城郡|矢作部眞長《ヤツクリヘノマナガ》、
 
4387 知波乃奴乃、 千葉《チハ》の野なり
 
古乃弖加之波能、 上序なり
 
保保麻例等、 ふゝみまつはれどといふなり
 
阿夜爾加奈之美、於枳弖他加枳奴《オキテタカキヌ》、」 遠きと高きと言通よしは既出|小兒《チゴ》のふところに含りゐたれどせん方なきになきて遠く來ぬると云なり又妹のふゝみまつはれどと云にても聞ゆ
 右一首千葉郡太田郡(ノ)足人《タリビト》、
 
4388 多妣等弊等、 かりそめ旅といへどゝいふなり
 
麻多妣爾奈理奴、 眞旅になりぬにて長き旅路に出立なり
 
以弊乃母加、 仙覺云家の妹を略たり
 
枳世之己呂母爾、阿加都枳爾|迦理《ケリ》、」 古くより迦を計に用ゐこしは梵音に記也《キヤ》といへば通ふまゝに假字にかりたるなり
 右一首占部(ノ)蟲麻呂、
 
4389 志保不尼乃、弊古祖志良奈美、 舳《ヘ》さきにこそを略て云序なり
 
爾波志久母、 俄しくもとあり
 
於不世|他麻保加《タマホカ》、 多麻布を多麻保といふは言の同じき故に云方言なり
 
於母波幣奈久爾、」 於母波の波は比阿の約にて於母比阿弊奈久爾てふ言を約いふなり則おもひ不堪《アヘヌ》にてふ同意なり白波は急によすれば俄に防人の行くなり
 右一首|印波《イニバノ》郡丈部(ノ)直《アタヒ》大歳《オホトシ》、
 
4390 牟浪他麻乃《ムラタマノ》、 奴婆玉を云方言冠辭なり
 
久留爾久枳|作之《サシ》、 久留は枢なり則|烏《クロ》といひかけしなり今の貫拔なり扨こを古へ釘《クギ》といひしならん源氏にくるる戸もあきたりといひ此集にもくるに錠《サテ》さしとも云り
 
加多米|等之《ラシ》、 固なりかためるらしの留良の約良なればかくいふなり
 
以母加|去去里波《コヽリハ》、 こゝろはの呂と里を通すなり
 
阿用久奈米加《アヨクナメカ》母、」 也宇の約由なるを與に通はせるなり奈米の米は計に通ひてなけめなり諸成案にかくても聞ゆれど奈加良の約奈なればあやうく奈久阿良米かもをかく約云ならん歟
 右一首|※[獣偏+爰]嶋《サルジマノ》郡刑部(ノ)志加麻呂、
 
4391 久爾具爾乃、夜之呂乃加美爾、奴佐麻都理、阿加古比須奈牟、 妹を戀思ふ故に行道の國/\の神に手向するなり須奈武はするなるの意となるなり
 
伊母賀加奈|志作《シサ》、」
 右一首結城(ノ)郡|忍海部五百麻呂《オシミベノイホマロ》、
 
4392 阿米都之乃、 之は知に通て都知なり此下に白玉を手にとりもしてと有ももちてなり又其末多知てを多之弖とも有前にも有
 
以都例乃可美乎、以乃良波加、有都久之波々爾、麻多己等刀波牟、」
 右一首|埴生《ハニブ》郡大伴部(ノ)麻與佐《マヨサ》、
 
4393 於保伎美能、美許等爾|作例波《サレバ》、 こは御命爾然者《ミコトニサレハ》と云説にしたがふへし御命にしあれば又御命にぞあればを約しとしても歌の意とほらず故にしかせぬてふ事の意をかくいふとせざればとにかくに歌のとけざるなり【奥人按に作例波の作は志阿の約として御命にしあればと見む方ぞやすらかなるべし歌の心は大君の大御命にあればやむ事をえずて今遠き國方に往なれば父母をば齋瓶なす尊みすゑ置奉りて吾はまかりて來むといふ事とすべし上にも大伴宿禰千里の歌に安禮婆麻爲許牟年緒奈我久と有其所の頭に委記しぬ】
 
知知波波乎、以波比弊等於枳弖、 齋瓶と置てはいはひべといざなひ來置てなりそはたらちねの母の守てふ守と同く父母を率て來て守とせん物をと云を句を別ていふなり
 
麻爲弖枳麻之乎、」 麻は例のまさりててふ言にて眞玉眞くわしの眞に同し率て來ましをなりましの約美にて來《コ》んをなり
 右一首結城郡|雀部《サヽイベノ》廣島、
 
4394 於保伎美能、美己等加之古美、由美乃美仁、 伊由同言なれば由は伊より美は米より通ふ伊米の方言なり後世伊米を由米と云に同じ古は夢は必伊米と云り
 
佐尼加和多良牟、奈賀氣己乃用乎《ナガキコノヨヲ》、」 歌の意は大君の令をかしこみ旅に出て夢のみに古郷を見ん事をたのみてながき夜を寢てかわたらんとなり
 右一首相馬郡大伴部|子羊《コヒツジ》、 子は首の誤にてかばねならんか又前に麻續部羊てふ人もあれば大伴部にもかばねならであらんか一本も子とあれば子羊ならんか諸成按に上に大伴部麻與佐てふも有り是より上に丸子連商長首津守宿禰などありて部てふ言を添しには丈部造、日下部使主、刑部直、丈部直、下に神人部子(首の誤か)忍男、他田部子磐前と見えし類ばかりにて多は部てふ言を添しにかばねなしそは此上の雀部廣島より刑部志加麻呂迄の類多しされど神人部子忍男他田部子磐前を首の誤とすればさだかならず猶考べし
 二月十六日下總國防人部領使少目從七位下縣(ノ)犬養(ノ)宿禰淨人進歌數二十二首、但拙劣歌者不取載之、
 
獨|惜《ヲシム》2龍田山櫻花1歌、
 
4395 多都多夜麻、見都々古要許之、佐久良波奈、知利加須疑奈牟、和我可弊流刀禰、」 終の禰は爾に通はせるか又邇の誤なるか刀は時の略言なり
 
○獨|見《ミテ》2江水浮漂糞《ミヅニウカメルコツミヲ》1怨2恨《ウラミテ》眞玉不依《タマノヨラヌヲ》1作歌、
 
4396 保理江欲利、安佐之保美知爾、 朝潮滿なり
 
與流許都美、 諸成此こづみてふ物をひさゝに考てやゝやゝに其言のよしを得たり許豆美は古豆毛利なり古は久豆呂の約豆美は則豆毛利なり字に充れは屑連積なりさて久豆の久は伎禮留の約豆は豆禮の約太なるを豆もて云なり物の切ちぎれ連れるを屑とは云なり其屑連の積りたるをこづみと云なり卷十九に宇能花乎|令腐霖雨之水始逝縁木積成將因兒毛我毛《クタスナカメノミヅハナニヨルコツミナスヨランコモガモ》此木積もて意を知れ
 
可比爾安里世婆、都刀爾勢麻之乎、」
 
○在《アリテ》2館門《タチノカドヘニ》1見2江南美女《ミナミノヲトメヲ》1作歌、
 
4397 見和多世婆、無加都乎能倍乃、 向つ峯《ヲ》の上《へ》をいふなり
 
波奈爾保比、 美女を花にたとへるなり
 
弖里※[氏/一]多弖流婆、波之伎多我都麻、」
 右三首二月十七日|兵部少輔《ツハモノヽベノスクナイスケ》大伴家持作之、 こゝに右三首とあるに歌ことに一首とは書なしたりける、こをもて歌の右なる數をすてしを知れ 
○爲《タメニ》2防人《サキモリノ》1情陳思《オモヒヲノバヘテ》作歌并知歌、
 
4398 大王乃、美己等可之古美、都麻和可禮、可奈之久波安禮|特《ド》、丈夫《マスラヲノ》、情布里於許之、等里與曾比、門出乎須禮婆、多良知禰乃、 冠辭
 
波波可伎奈※[泥/土]低、 今本泥と有は低の誤なり
 
者草乃、 冠辭
 
都麻等里都吉、平久《タヒラケク》、和禮波伊波波無、好去而、早還來等、麻蘇※[泥/土]毛知、奈美太乎能其比、牟世比都都、言語《コトヽヒ》須禮婆、 今本加多良比すればと有は言の字餘り下の長歌に許等騰比勢牟等と假字書も有かたらひは語合にて利阿の約良なれば約てかたらひとはいふなるものを
 
群鳥乃、 乃に如くをこめて心得なれば群鳥の朝立とたがひ冠辭ならず
 
伊※[泥/土]多知加弖爾、等騰己保里、可弊里美之都々、伊也等保爾、國乎伎波奈利、 吾居る國ゆ來放といふなり
 
伊夜多可爾、 次の句に山をいふなればいや高にとはいへど既いふ如くたかととほとはもと同言にて言通へばいやたかとはいへど則國を放ていや遠とつゞけるなり
 
山乎故要須疑、安之我知流、 冠辭
 
難波爾伎爲弖、 今本きすてと訓しはいかに心得にけん笑べし
 
由布之保爾、船乎宇氣須惠、安佐奈藝爾、倍牟氣許我牟等、 舳向こがんとなり
 
佐毛良布等、 侍にて待うかゞふなり
 
和我乎流等伎爾、春霞、之麻米爾多知弖、 島邊の倍を米に通して之麻米といふなりこを米は未《ビ》の誤なりと未に改むる説もあれど倍と米は常に通していへればあらたむるまでも有べからず
 
多頭我禰乃、悲鳴婆、波呂波呂爾、伊弊乎於毛比※[泥/土]、於比曾箭《オヒソヤ》乃、 防人の負征矢なりといふは負の字にて云にて古言ならねばおもふにおいその風もおきさきの風ならん此そやも佐伎の約の志を曾に通し幸矢の意か俗の物にあたらぬをそやとはそれやを約し言なるべければこゝも矢をほめて云言ならん諸成案に負征矢と云方ならん負も古言ならぬよしもなきか古事記にそびらには千のりのゆぎをおひともあればおひ征矢といふべしさて曾也の曾は勢保の約にて背に穗に出るを曾やといふなれば征矢には風も殊にまつあたりてからとの矢にもひゞきなるべしその上曾也の曾與と同言もて重ね言なればいよゝ征矢なるべし
 
曾與等奈流麻※[泥/土]、奈氣吉都流香母、」
 
 反歌、
4399 宇奈波良爾、霞多奈妣伎、多頭我禰乃、可奈之伎與比波、久爾弊之於毛保由、」 多頭が禰と云よりかなしきとつゞけて古郷をこひおもふなりさて長歌のいや遠に國を來はなるてふにあたれるなり
 
4400 伊幣於毛負等、伊乎禰受乎禮婆、多頭我奈久、安之弊毛美要受、波流乃可須美爾、」 波呂波呂爾家乎於毛比※[泥/土]の句かけてうたひかへせるなり
 右十九日兵部少輔大伴宿禰家持作之
 
4401 可良己呂茂、 すそといはん冠辭に置つ
 
須曾爾等里都伎、奈久古良乎、意伎弖曾伎怒也、意母奈之爾志弖、」 みなし子などを置て來しならん諸成按に古良とは子の事をもいふべければみなし子と有もさる事ながらすべては女をいふなればすそに取つきは前の悲さに泣こやし妹のすそに取つきもすべければそを云ならんかそをかいやり出たつをおもなしとはよめる歟さてつれなきはつらねなきをはぶき約めていふ意なるをこはたゝちにおもてなく見すてゝ出るをおもなしにしてといふなり
 右一首國造、 此間に丁を脱せる歟
 少縣《チサガタノ》郡、 信濃國なり
 他田《ヲサタノ》舍人大島、
 
4402 知波夜福留、 冠辭
 
賀美乃美佐賀爾、 既阿之我良乃加美乃美佐加とよみたればもし信濃より上野に出で足柄を越しか又木曾も奈良の始にひらきたるか又あたし山にても手向する坂は神の美坂共云べし【木曾道は續記に大寶二年始開岐蘇山道と見えたり今昔物語云今はむかし信濃守藤原|陳《ノブ》忠(正五位下菅根孫元方男)と云人有任國に下りて國を治て任終りければ上るとて御坂を越に多のとも人の乘たると荷を懸たるとつゞきて行ける程に守の乘たる馬懸橋の木を踏打て逆に馬共に落入たり底迄何ほどもしらず深ければ千に一つも生て有べくもなし云云、奥人】
 
怒佐麻都里、伊波負伊能知波、意毛知知我多米、」 母父の爲に我命のさきからんをいはひいのるには旅に出て道祖の神に手向するには何れの山にても有べし
 右一首|主帳《フビト》埴科《ハニシナ》郡、 前に同國なり
 神人部《カ|ミ《ン》ドベノ》子|忍男《オシヲ》、 子は曾の誤か又|子忍男《コホシヲ》てふ名か
 
4403 意保伎美能、美己等可之古美、阿乎久牟乃、 牟は毛の誤か同言なればかく云歟方言ならん
 
多奈妣久夜麻乎、古江弖伎怒加毛、」 今本怒を恕に誤る一本によりてあらたむ
 右一首|小長谷部《ヲハツセベノ》笠麻呂、 こはをせべと訓か後にはせべてふ姓もあり
 二月二十二日信濃國防人|部領使上道得病不來《コトリツカヒミチダチシテヤマヒアリテマウコズ》進歌數十二首、拙劣歌者不取載之、
 
4404 奈爾波治乎、由伎弖久麻弖等、和藝毛古賀、都氣之非毛我乎、 今本之をのと訓しは誤なり諸成按るに此紐か緒は赤紐ならんか扨衣をはじめものに付たるをひもといひ緒とは糸をいふなりはた打紐は後なり物のはし裁を紐とし帶とするは古へなり狩衣の帶も同色又他色のはし裁しもて帶とせしは古へなりそは古きが傳しなるべし此比に下りてはすべて打紐を專用ゐしなれば紐の緒とはいひしならん紐てふ言の考へも緒てふ言もくはしく荒良言に云
 
多延爾氣流可母、」 【次の歌につけしひも伊刀爾奈流ともとよみたれば打紐なり】
 右一首|助丁《スケヲ》上毛野牛廿《カミツケノヽウシカヒ》、
 
4405 和我伊母古我、志|濃《ヌ》比爾西餘等、 しぬびものにせよとてなり
 
都氣志比毛、伊刀爾奈流等母、和波等可自等余、」
 右一首朝倉|益人《マスビト》、
 
4406 和我伊波呂、 我家等なり
 
由加毛比等母我、 行む人もがななり
 
久佐麻久良、 冠辭
 
多妣波久流之等、都氣夜良麻久母、」
 右一首大伴部(ノ)節麻呂《フシマロ》、
 
4407 比奈久母理、 冠辭
 
宇須比乃佐可乎、 碓氷を薄日とうけたり
 
古延志太爾、 我住地よりいと近ければ直《タヾ》にこえしばかりなるにといふなり
 
伊毛賀古比之久、和須良延奴可母、」 ありのまゝにやすらかに心のまことをいへるなり 右一首|他田《ヲサタ》部(ノ)子|磐前《イハクマ》、 子は首の誤なるべし【子磐前《コハヘ》拾穗如此訓】
 二月二十三日上野國、 こを下野國と有は誤なり下野は上に出たりよて改
 防人部領使|大目正六位下上毛野君駿河《オホサクワンオホキムツノクラヰノシモノシナカミツケヌノキミスルガヾ》進歌數十二首、但拙劣歌者不取載之、
 
〇陳2防人(ノ)悲v別之情1歌一首并短歌、
 
4408 大王乃、麻氣乃麻爾麻爾、 萬氣は任なり
 
島《サキ》守爾、 諸成既云如く左伎毛利とは志萬久知毛利を約し云なれば島守と書けるをもさきもりとよまん事本よりなるに今本字のまゝによみしは言をしらぬなり
 
和我多知久禮婆、波波蘇婆能、 冠辭
 
波波能美許等波、美母乃須蘇、 美母は眞裳なり妹が美袖など云に同じく美は萬しの約にてまさらましとほむる言なり旅立時の装束のすそをとりあげなづるわざなどするは今も母たるものゝするわざなり言の考は諸成いふ
 
都美安氣可伎奈※[泥/土]、 八言【都美安氣の美は萬美の約にてつまみあげなり且此句を四言四言とする説は誤なり五言の句の次五言の句の前なれば八言とすべし次の八言も同じ】
 
知知能未乃、 冠辭
 
知知能美許等波、多久頭怒能、冠辭
 
之良比氣乃字倍由、 八言
 
奈美太多利、奈氣伎乃多婆久、 乃多萬波久の多萬の約多なれば萬を畧て乃多婆久といふ婆は半濁をしらせて濁音の假字を用る例既多く出たり
 
可胡自母乃、 冠辭言を隔てひとりとかけつ
 
多太比等里之※[氏/一]、安佐刀※[泥/土]乃、 旅立を云なり
 
可奈之伎吾子、安良多麻乃、 冠辭
 
等之能乎奈我久、安比美受波、古非之久安流倍之、今日太仁母、許等騰比勢武等、 物語せんとなり
 
乎之美都々、可奈之備伊麻世、 今本伊麻世と有り世は志の誤として改又婆を脱るか拾穗抄には麻世婆とす何によりけん諸成案にかくあるもよしありされど此世は須禮の約にてかなしびおはすれのすれを約し云ならん歟後の物語にも君はかくしてこそいませしかしてぞおはせなど云世ならんとおぼゆやむ事なければ改るも常なれどたすけてよまんも考のひとつなればくはしく云
 
若草之、 冠辭
 
都麻母古騰母毛、乎知己知爾、左波爾可久美爲、 かくみ居なり古を久に通
 
春鳥乃、 冠辭聲を隔てさまよひとつゞく考に委
 
己惠乃佐庇欲比、 吟といふ
 
之路多倍乃、 冠辭
 
蘇※[泥/土]奈伎奴良之、多豆佐波里、和可禮加弖爾等、比伎等騰米、之多比之毛能乎、天皇乃、美許等可之古美、多麻保己乃、 冠辭
 
美知爾出立、乎可之佐伎、 丘は山を云埼は海邊をいふなり
 
伊多牟流其等爾、 伊は發語多牟は多波美にて海邊は自丸くたはみたるものなれば伊行たはみなり※[手偏+旁]廻行ばなど云に同じ
 
與呂頭多比、可敝里見之都追、波呂波呂爾、和可禮之久禮婆、於毛布蘇良、夜須久母安良受、古布流蘇良、久流之伎毛乃乎、宇都世美乃、 冠辭
 
與能比等奈禮婆、多麻伎波流、 冠辭
 
伊能知母之良受、海原乃、可之古伎美知乎、之麻豆多比、伊己藝和多利弖、安利米具利、 下に我來るといへば在ながらふる意知べし
 
和我久流麻泥爾、多比良氣久、於夜波伊麻佐禰、 上にちゝはゝといひてこゝは約て云
 
都々美奈久、都麻波麻多世等、須美乃延能、 いにしへより舟中の守の皇神にませばかく云なり
 
安我須賣可未爾、奴佐麻都利、伊能里麻宇之弖、 宇乎同言なれば麻宇とも麻乎ともいふ 
奈爾波都爾、舶乎宇氣須惠、夜蘇加奴伎、可古登登能倍弖、安佐婢良伎、和波己藝※[泥/土]奴等、伊弊爾都氣己曾、」
 
 反歌、
4409 伊弊妣等乃、 母父妻子をもつゝめさして云
 
伊波倍爾可安良牟、 神をいはひ枕床をもいはひすゑて旅の全からんを祈るをいふ
 
多比良氣久、布奈※[泥/土]波之奴等、於夜爾麻宇佐禰、」
 
4410 美蘇良由久、久母母都可比等、 風の便てふも古き語なるべし雲の使といひし古言もあるべし神代紀に天照大御神の保食神みまかりませし時文をやらせられしは天雲の事といへり
 
比等波伊倍等、伊弊都刀夜良武、多豆伎之良受母、」
 
4411 伊弊都刀爾、可比曾比里弊流、 ひろひをひりひといふ例既に出たり
 
波麻奈美波、 浦風濱風ともいへば古くは濱波ともいふべし
 
伊也之久之久二、多可久與須禮騰、」
 
4412 之麻可氣爾、我我布禰波弖※[氏/一]、 船泊てなり
 
都氣也良牟、都可比乎奈美也、古非都々由加牟、」
 二月二十三日兵部少輔大伴宿禰家持、
 
4413 麻久良多知、 麻は例の萬左の約の麻なり久良の良は呂に通て眞黒太刀なり六位以下は黒太刀なり
 
己志爾等里波伎、麻可奈之伎、西呂我馬伎己無《セロガマキコム》、 まきは求の字の意此言の意まよりてふ言の約しなりよてまきこんといふなり言の解は荒良言に委云【馬伎己無の伎は加里の約まかり來んなりと種信が云しはよしよるべし】
 
都久乃之良奈久、」 月のしらなくといふなり
 右一首上丁|那河《ナカノ》郡|檜前《ヒノクマノ》舍人|石前之妻《イハクマガメ》、大伴眞足母此五字今本大字なり例によりて小字とす諸成案に此母の字は女の誤ならん檜前石前妻とありて歌にも背等《セロ》とよめるは石前を指れば眞足が母ならんには檜前眞足母と云べししかれば大伴の眞足が母ならで眞足(ノ)女《ムスメ》とありしを誤て母と書るなり大伴眞足女にて檜前舍人石前妻となり夫を戀る歌なり
 
4414 於保伎美乃、美己等可之古美、宇都久|之氣《シケ》、 氣は伎と同言うつくしきなり
 
麻古我弖波奈禮、 麻は例のまさるとほむる言兒は例の女を指ていふなり
 
之末豆多比由久、」
 右一首助丁秩父郡大伴部|少歳《ワカトシ》、
 
4415 志良多麻乎、弖爾刀里母之弖、 上にもおもちゝを阿母志々といへりこゝも毛知を母之と知を之に通し云又|取毛而《トリモシテ》とも聞ゆ
 
美流乃須母、 乃須は奈須なり則如くといふが如し
 
伊弊奈流伊母乎、麻多美弖毛我母、」 今本終の我母を母也とすれど歌の意とほらず玉を手にとり見る如家なる妹をといひ下して我母とねがふ意しるかれば改む
 右一首主帳荏原郡物部|藏徳《トシトコ》、
 
4416 久佐麻久良、 冠辭
 
多比由久世奈我、麻流禰世婆、 旅には紐とかずぬるなり
 
伊波奈流和禮波、 既家を云よし出たり
 
比毛等加受禰牟、」 ともに丸寐するといふなり
 右一首妻|椋椅部刀自賣《クラハシベノトジメ》、 椋は和名牟久なり久良の訓有は字書に子《ミ》の黒きを注す久呂久良言通へば既に始の卷々に椋|橋《ハシ》女王|小椋《ヲクラ》の山にもこを書り諸成按るに字書によるにもあるべけれどたゞに子の黒きもて久呂に借べし
 
4417 阿加胡麻乎、 赤駒既も有りされどこゝは和我を阿に通すならん
 
夜麻努爾波賀志、 山野に放しなり後世の鄙俗もはりたる紙をはなすはがすといふに同じ 
刀里加爾弖、 とりかねての禰を爾に通せり
 
多麻乃余許夜麻、 多麻郡の山をいふ三の句のとりかねてより玉とかけたるなり
 
加志由加也良牟《カシユカヤラム》、」 加知の知を志もていふは毛知弖を毛知といふに同じさて歌意は荒虫が旅に出立しを譬てよめるならん荒虫は拙歌にて不取載之てふ中の防人ならん
 右一首豐嶋郡上丁|椋椅部荒虫《クラハシベノアラムシ》之妻|宇遲部黒女《ウチベノクロメ》、
 
4418 和我可度乃、可多夜麻都婆伎、麻己等奈禮、 禮は良米の約にてならめなり實《ミ》むすばめなりと有も然ならん諸成按に實にまれ花にまれ手ふるれば落やすかるはつばきの常なるをまことなりと云歟
 
和我弖布禮奈奈、 ふれなくにと云なり【本居云古くはむと云べきを那と云しなり殺さなはころさむなり玉藻苅手名は苅てむ君爾因奈名は因なむの類多有されども又云おさふる那有所によりて別つべし下に於妣波等可奈々と有る那などは帶は解なく那といひおさゆる詞なり】
 
都知爾於知母可毛、」 まことは辭なり今むすぶ其子に吾手もふれなくして土に落なんかとをしめるは家戀しらにたとへしならんかくもとらるれど諸成按にこは家人の別れをかなしみて涙おとしなんをかしこみてものもいはで立別れゆくを譬しにて椿こそまことなれわがことゝひせばいよゝかなしさまさりなんよしやものいはでわかれんとよめるにてものいはず來にておもひくるしもてふをうらうへによみたるならん
 右一首荏原郡上丁|物部廣足《モノヽベノヒロタリ》、
 
4419 伊波呂爾波、安之布多氣騰母、 蘆火たけどもなり布といふは方言なり今も安房上總にては比を布といふなり諸成按に今小兒火をふらといふ催馬樂にあまのとあらがたくほのけといひすべて火氣をほのほといへばほよりかよひて布とはいふならん
 
須美與氣乎、都久之爾伊多里※[氏/一]、古布之氣毛波母、」 戀しくおもはんといふを略き約めたり又こひしけんはといふとしても聞ゆるなり
 右一首|橘樹《タチバナノ》郡、 武藏國神奈川の海邊なり和名抄橘樹太知波奈
 上丁物部(ノ)眞根《マネ》、
 
4420 久佐麻久良、 冠辭
 
多妣乃麻流禰乃、比毛多要婆、安我弖等都氣呂、 此呂は良禮與の約なり何ぞといはゞ良禮の約禮なり其禮と與を約は呂となるなり御神樂の人長が聲をとゝのへろ奈引といふも東の俗の物をしかせろかくせろといふも皆禮與の約なり然れば我手してすと思ひてつけられ與と云なり此言の約のよしは諸成語意附言に委いへり然るを契冲いかにおもひけん與の誤なりとせしはくはしからずかし
 
許禮乃波流母之《コレノハルモシ》、」 これの針持なり利と流知と志通ふまゝに云は方言にこそあれ【拾穗抄に云此歌は女の針を送りてよめるなり旅の獨ねに紐たえなばみづからか手とおもひて此針もちて付給へとなり】
 右一首妻|椋椅《クラハシ》部(ノ)弟女《オトメ》、
 
4421 和我由伎乃、 吾行と云なり
 
伊伎都久之可婆、 行盡しなばのこゝろなり
 
安之我良乃、美禰波保久毛乎、 峯這ふ雲なり
 
美等登志怒波禰、」 見つゝしのべといふなり刀と都は同言なれば見つゝを見とと云は方言にりよて見つゝしたへてふこゝろなり
 右一首|都筑《ツキ》郡上丁|服部於由《ハトリベノオユ》、 今本於由と有は由の誤にて老なり
 
4422 和我世奈乎、都久之倍夜里弖、宇都久之美、 夫をうるはしみおもふなり
 
於妣波等可奈奈、 帶は解なくなり
 
阿也爾加毛禰母、」 吾家《アヤ》にかもねんなり次にも阿夜にと有【阿也爾加毛禰母を吾家にかも寐むとては理不聞吾家に不寐して何方にか寐むよて思に阿也は吾也にて吾にと云に同く爾はなけきの約にて帶も解ず吾よなげき寐むと云成べし加毛は歎の加毛なり】
 右一首妻|服部呰女《ハトリベノアタメ》、 古本假字阿太目と有又備中國英賀郡呰部(安多倍)と有
 
4423 安之我良乃、美佐可爾多志弖、 立ての知を志もて云方言なり
 
蘇弖布良波、伊波奈流伊毛波、 家に在妹はなり
 
佐夜爾美毛可母、」 さやかに見んかとなり此毛も美牟に通ふ
 右一首|埼玉《サ|キ《イ》タマ》郡上丁藤原部|等母麻呂《トモマロ》、
 
4424 伊呂夫可久、世奈我許呂母波、曾米麻之乎、美佐可多婆良婆《ミサカタバラバ》、 既上にいふ如く通らばなり多と刀婆と凡は同言なり
 
麻佐夜可爾美無、」 麻は例の萬佐留を約たる言なりさやかに夫の袖振を見んなり佐や加の言の解は荒良言にいふ
 右一首妻物部刀自賣、
 二月二十日武藏國防人部領使掾正六位上|安曇《アヅミノ》宿禰三國進歌數二十首、但拙劣歌者不取載之、
 
4425 佐伎母利爾、由久波多我世登、刀布比等乎、美流我登毛之佐、毛乃母比毛世受、」 防人に行ぬものゝ妻人の夫の防人に行を見て防人に行は誰が夫ぞと問人もなく物おもひをせずとよめるなり防人にゆかぬ人はすくなかるべし
 
4426 阿米都之乃、 天地なり
 
可未爾奴佐於伎、伊波比都々、伊麻世和我世奈、 伊麻世は伊爾麻世にて去座なり下に足柄の八重山古衣弖伊萬志奈倍もおなし
 
阿禮乎之毛波婆、」 われを思ひ給はゞなり
 
4427 伊波乃伊毛呂、 呂は等なり
 
和乎之乃布良之、 慕ふといふなり
 
麻由須比爾、 眞結になり牟の横の通もて云は方言なり
 
由須比志比毛乃、登久良久毛倍婆、」 既に此言出たり人の我をおもへは結の解るてふ諺の有てよめるなり
 
4428 和我世奈乎、都久志波夜利弖、 筑紫へやりて也波は倍に通ふ家を伊波といふにおなじ
 
宇都久之美、叡《ヱ》比波登加奈奈、 惠於同言なれば於比をゑびと云は方言なり【叡は干※[草冠/丙]反にて宇倍の約の惠に合れば惠の假字とすべし】
 
阿夜爾加毛禰牟、」 此歌前の枚に既に出そこには二の句つくしへ四の句於比はとあるぞよきこれは方言のとなへたがへならん
 
4429 宇麻夜奈流、奈波多都古麻乃、 繩絶とは夜は繩結びおきそをときて起しつ又繩付るを夜は又付かふるなりそれをしもかなしき譬とせるなり
 
於久流|我弁《ガヘ》、 【繩絶駒の起立が如く別に共寢せし妹が起立し上にて云たる言を聞置て出越に今思出てかなしと云成べし】
 
伊毛我伊比之乎、於伎弖可奈之毛、」 三の句のおくるがへは越るがうへにて序なり此おきてかなしをいはん料なり妹がはしき言の葉をも旅の獨寢におもひ出て別にいひし事共の起てかなしもと思ひなげきよめるなり
 
4430 阿良之乎乃、 荒之男なり之は助字なり
 
伊乎佐太波佐美、 伊は發語乎佐は小箭《ヲサ》なり五百矢《イホサ》と云説は假名違へり
 
牟可比多知、可奈流麻之都美、 かなぐるましづめといふ也卷六に可奈刀田乎、安良加伎麻由美、比賀刀禮婆、阿米乎萬刀能須、伎美乎等麻刀母、又此卷上にも天地乃、神乎伊乃里弖、佐都夜奴伎、都久之乃之麻乎、佐之弖伊久和例、かくよめる如く出立の時矢を放事あるべし其時諸の防人立並て放つか其矢をかなぐる間にしばししづめて妻にものいひ出てぞ來るといへるなり
 
伊※[泥/土]弖登阿我久流、」
 
4431 佐左賀波乃、 篠が葉のなり
 
佐也久志毛|用爾《ヨニ》、 佐也久とは進動《スヽミユルグ》なり諸成按に佐は須々萬の約也は由良の約にてすゝまはすゝみなり由良はゆるなりよてすゝみゆるぐをさやぐと云風吹て篠の葉などのゆるぎなるばかり風吹霜夜は寒をいふなり
 
奈奈|弊《ヘ》加流、 かと伎は同言通しいふは方言なり七重著るなり
 
去《コ》呂毛爾麻世流、 衣に益せるといふなり
 
古侶賀波太波毛、」 兒等が肌はといふなり
 
4432 佐弊奈弊奴《サヘナヘヌ》、 障《サヘ》あえぬなり御言かしこみと同じ諸成按るに阿衣は肖《アエ》の假字にてあやかる意なり此言は障不合《サヘアヘズ》にて弊《ヘ》は波世の約さへあはせぬ天皇の勅にあればといふとおもへり【奈と阿はしたしく通へば阿波世奴を奈波世奴阿弁奴を奈弁奴といふべし】
 
美許登爾阿禮婆、加奈之伊毛我、多麻久良波奈禮、阿夜爾可奈之毛、」
 右八首昔年防人歌矣、主典刑部《フミヒトオサカベノ》少録正七位上|磐余伊美吉諸君抄寫贈《イハレノイミキモロキミウツシテオクレリ》兵部少輔大伴宿禰家持、
 
〇三月三日|檢2校《カウガヘル》防人1勅(ノ)使《ツカヒト》并兵部使人等同集飲宴作歌、
 
4433 阿佐奈佐奈、安我流比婆理爾、奈里弖之可、美也古爾由伎弖、波夜加弊里許牟、」
 右一首勅使|紫微大弼《タヽシツカサノオホスケ》(彈正)安倍(ノ)沙美麻呂朝臣、 
4434 比婆里安我流、波流弊等佐夜爾、 佐夜とては霞にかなはず夜は倍の誤にて春邊とさへになるべし全本を見たらん人改べし諸成按に佐夜加を畧て佐夜といふなれば雲雀もあかりまことにさやかに春となりぬればと春の至りたるをいふ言なれば可須美は景色にてかゝはるべからぬにやと思はるなり
 
奈理奴禮波、美夜古母美要受、可須美多奈妣久、」
 
4435 布敷賣里之、波奈乃波自米爾、許之和禮夜、知里奈牟能知爾、美夜古敝由可無、」 花の咲らん前に旅に出てかへらんほどをおもひかなしみてよめるならん
 右二首兵部少輔大伴宿禰家持、
 
○昔年相替《イニシトシカハレル》防人(ノ)歌、 前の防人の太宰府へ行道にてよめるを後にきゝてこゝにあぐるなりけり
 
4436 夜未乃欲能、由久左伎之良受、 上は序なり
 
由久和禮乎、伊都伎麻左牟等、登比之古良波母、」
 
○先太上天皇《サキノオホスメラミゴトノ》霍公鳥(ノ)御製歌、 今本天皇御製霍公鳥と有は誤なり例によりて字を上下せるなり【拾穗に、元正天皇とあり】
 
4437 富等登藝須、奈保毛奈賀那牟、 こゝの奈保は猶の意ならで猶は平聲直の意なり(直は去聲)猶はまた/\の意直はたゞ/\の意|直人《ナホヒト》の意なり強てあまりになきそなりしからでは末の言に不合なも覺ゆ
 
母等都比等、 文武天皇をおもほししぬびますならめ
 
可氣都都母等奈、 もとつ人より句を隔てかさねさせ給へり天皇かみさりまさせ給へば何によりてもみおもひかけぬ事なく御いをだにやすく御ねまさねばつよくな鳴そよしなくおもほしかくるとなり
 
安乎禰之奈久母、」 吾を寢之無にて志は助字母はそへたるのみなり前にも此言有
 
○薩妙觀《サツノタヘミ》應詔奉和歌、 今本に※[こざと+輕の旁]妙觀と有るは誤なり續記に神龜元年正月從五位上薩妙觀(ニ)賜阿上忌寸姓、天平九年二月阿上忌寸妙觀大宅朝臣諸婦並正五位下、と見ゆかく姓を給ふ事迄有て明なればあらためつ【拾穗抄云薩妙觀は命婦なりかく御製ある時に近く來なけ時過なん後には鳴しるしあらんや有まじきにとなり】
 
4438 保等登藝須、許許爾知可久乎、伎奈伎弖余、 既いふ如く弖余は來鳴てあれよの約なり
 
須疑奈無能知爾、 鳴行すぎなんのちにはなり
 
之流志安良米夜母、」 此歌御和ともなし前の御製との間に歌おちて端書の殘りあだし歌のこゝに出ける歟といふ説も有諸成按るに郭公なほ/\になけよみおもひかけつゝよしなくみねます事もなくとはのたまはすれど鳴行過てはみおもひかくるしるしだにあらめやせめてみおぼしかくるよすがとしもなればこゝに近く鳴けと令せて和する意にてはなからめやとおもへばいふのみ】
 
○冬日幸2于|靱負《ユゲヒノ》御井1 衛門府のあたりの御井なるべし
 
之時内(ノ)命婦《ヒメトネ》石川(ノ)朝臣應詔|賦《ヨメル》v雪《ユキヲ》歌、 今本こゝに諱曰|色婆《シコハ》と有は後人のかきくはへしならん
 
4439 麻都我延乃、都知爾都久麻※[泥/土]、布流由伎乎、美受弖也、伊毛我、許母里乎流良牟、」
 
于時水主内親王《コヽニミヌシノヒメミコ》(和名抄山城國久世郡水主)寢膳不安累日不參《イネモオモノモヤスカラテヒサヽニマヰラス》因《ヨテ》以|此日《コノヒ》太上天皇勅2侍嬬等《オモヒトラニ》1曰爲(ニ)v遣《マカシタマハン》2水主親王《ミヌシノヒメミコニ》1賦雪作歌奉獻者《ユキヲヨメルウタヲタテマタセタマフ》、 【拾穗抄奉獻二字なし賦v雪作v歌者於是云々と有】
 於是諸命婦等《コヽニヒメトネラ》不堪《タヘデ》作歌《ウタヨムニ》而|此《コノ》石川(ノ)命婦獨作此歌奏之《ヒメトネヒトリコノウタヲヨミテマウシヌ》、
 右件四首|上總《カ|ミ《ン》ツフサノ》國(ノ)大掾《オホマツリコトヒト》正六位上大原眞人|今城《イマキ》傳誦|云《イフ》爾、 今本こゝに年月未詳とあるもたま/\こゝに月日のなければ後人のさがしらなるべし
 
○上總《カミツフサノ》國|朝集使《ミカドツトヘツカサ》大丞大原眞人今城|向京之時《ミヤコニノボルトキ》郡司妻女《コホリツカサノメムスメ》等餞(ノ)歌、
 
4440 安之我良乃、夜敝也麻故要※[氏/一]、伊麻之奈婆、 こも去《イニ》ましなばなり
 
多禮乎可伎美等、彌都々志努波牟、」
 
4441 多知之奈布、 志奈布てふ言は下※[やまいだれ/委]《シタシナヘ》てふ言なり用ゐ樣も荒良言にいふ
 
伎美我須我多乎、和須禮受波、 禮は良禮の約にてわすられずばなり
 
與能可藝里爾夜、 世の限なり
 
故非和多里奈無、」
 
〇五月九日|兵部少輔《ツハモノベノスナイスケ》大伴宿禰家持之宅集飲歌、
 
4442 和我世故我、夜度乃奈弖之故、比奈良|倍《ベ》弖、 日並なり
 
安米波布禮杼母、伊呂毛可波良受、」 和歌によるに少し主をそへたり
 右一首大原眞人今城、
 
4443 比佐可多乃、 冠辭
 
安米波布里之久、奈弖之故我、伊夜波都波奈爾、故非之伎和我勢、」 こも客人をそへて和る歌なり
 右一首大伴宿禰家持、
 
4444 和我世故我、夜度奈流波疑乃、波奈佐可牟、安伎能由布弊波、和禮乎之努波世、」 今ゆ後も花咲なん秋ごとに吾をしのび給へとなり
 右一首大原眞人今城、
 
○即《ヤガテ》聞2鶯哢1作歌、
 
4445 宇具比須乃、許惠波須疑奴等、 五月なれば鶯の鳴時は過ぬとおもへどもといふなり
 
於毛倍杼母、之美《シミ》爾|之《シ》許己呂、奈保古非爾家里、」
 右一首大伴宿禰家持、
 
○同月十一日左大臣橘卿宴2右大辨丹比國人《ミキリノオホトモヒタヂヒクニヒト》眞人之宅(ニ)1歌、
 
4446 和我夜度爾、佐家流奈弖之故、麻比波勢牟、 既いふ如く幣なり
 
由米波奈知流奈、伊也乎知爾左家、」 遠く長く咲と合するなり」
 右一首丹比國人眞人壽左大臣歌、
 
4447 麻比之《マヒシ》都々、伎美我於保世流、奈弖之故我、波奈乃未等波無、伎美奈良奈久爾、」 なでしこにまひして久しかれとのたまへどよし花はちるともその花の時のみ君を思はんやいつとてもとひ來ん君なりとなり
 右一首左大臣歌、
 
4448 安治佐爲能、夜敝佐久其等久、夜都與爾乎、 いやつ代になり
 
伊麻世和我勢故、美都都思努波牟、」
 右一首左大臣|寄《ヨセテ》2味狹藍花《アヂサヰノハナニ》1詠《ヨメル》也、
 
〇十八日左大臣宴於兵部(ノ)卿《カミ》橘奈良麻呂朝臣之宅歌、
 
4449 奈弖之故我、波奈等里母知弖、宇都良宇都良、 現連にて今もうつら/\見ると云なり○かくあるもうつし身のつらね/\見まほしきをいふなればしかならんされど今云うつら/\は夢ともなくうつゝともなく見るをいひ又物うき時見るをいへば諸成按るに都良の約多なれば宇多々々重り見まほしむ言と見たるそは宇多弖を略いふ言にてあなうた/\しとも既にも見えたる言ならんかこはうつり/\見まほしみうつり/\物の重るをいふ言故轉の字を借れる言なり委荒良言にいふ
 
美麻久能富之伎、吉美爾母安流加母、」
 右一首|治部卿船《ヲサメベノカミフネノ》王、
 
4450 和我勢故我、夜度能奈弖之故、知良米也母、伊夜波都波奈爾、佐伎波麻須等母、」
 
4451 宇流波之美、安我毛布伎美波、奈弖之故我、波奈爾奈曾倍弖、美禮杼安可奴香母、」 右二首兵部少輔大伴宿禰家持|追作《ナゾヘヨメル》、
 
〇八月十三日|在《イマシテ》2内南安殿《ウチノミナミノトノニ》1肆宴歌《トヨノアカリセスウタ》、 紀(天武)に十年是親王諸王引入内安殿諸臣皆侍外安殿共置酒以爲宴樂と見ゆ
 
4452 乎等賣良我、多麻毛須蘇婢久、許能爾波爾、安伎可是不吉弖、波奈波知里都々、」
 右一首|内匠頭兼播磨守《タクミノカミカヌルハリマノカミ》正四位下|安宿《アスカヘノ》王|奏《マヲス》之、 續紀に天平勝寶五年正四位下爲播磨守【奥人按和名抄河内郷有2安宿1(安須加倍)】
 
4453 安吉加是能、布|伎古吉之家流《キコキシケル》、 こきおろして花を底にしきたるなり
 
波奈能爾波、伎欲伎都久欲仁、美禮杼安賀奴香母、」
 右一首兵部少輔從五位上大伴宿禰家持未奏、 今本小字一本如此一本に依ぬ
 
○十一月二十八日左大臣集於兵部卿橘奈良麻呂朝臣宅宴歌、
 
4454 高山乃、伊波保爾於布流、須我乃根能、 上は序
 
禰母許呂其呂爾、 菅は根の凝々なる物故ねもごろに冠せ云のみなり神代紀の鹽のこほろ/\を引は過たり
 
布里於久白雪、」
 右一首左大臣作、
 
○天平元年|班田之《アガチタノ》時(ノ)使(ヒ)葛城(ノ)王從(リ)2山背國1贈2薩妙觀命婦等所《サツノタヘミヒメトネラカモトニ》1歌、副《ソフ》2芹子※[果/衣]《セリノツトヲ》1、 薩も今本※[こざと+輕の旁]に誤る事既いへり【班田は孝徳天皇御宇に沙汰有しなり日本紀廿五曰三年自正月至是月班田既訖凡田長三十歩爲段十段爲町段祖稻一束半町祖稻十五束】
 
4455 安可禰佐須、 冠辭
 
比流波多多婢弖、 田をあかちて民に渡すよて晝は暇なかれば夜なん芹を摘ておくるとなり【多々婢弖奥人按に多々は直《タヾ》の意なり婢は波多良支の約なり仍て晝は直に働て暇なきといふなり】
 
奴婆多麻乃、 冠辭
 
欲流乃伊刀末仁、都賣流芹子許禮、」
 
○薩妙觀命婦報贈歌、
 
4456 麻須良乎等、於毛敝流母能乎、多知波吉※[氏/一]、 釼はきてなり
 
可爾波乃多爲爾、 班田の田居なり【加爾波は山城國相樂郡|蟹幡《カニハタ》を云歟標に山背國よりとあれば其國の地名なるべく覺ゆ然らば蟹幡の多を畧き爾を無《ン》とはねたるか和名抄蟹幡(加無波多)と云へりこゝならん歟、種信云】
 
世理曾都美家流、」 まことに正荒男とのみおもへるに芹子摘て贈れる風雅を更にめでゝ和しなり
 右二首左大臣|誦之云爾《トナヘタマヘリトソ》、 今本こゝに左大臣是葛城王後賜橘姓也と小書せしは後人の書加へしなり一本になきをよしとす諸成按に讀を誦と改るもさる事ながら此歌より三首下の歌の右に式部少丞云云池主讀之云云今城先日他所讀歌也ともあればこゝも其意かよめるは作の字を用ゐたれは、讀にてもありなん歟
 
○天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉二十四日戊申太上天皇太皇太后幸2行於河内(ノ)離宮《トツミヤニ》1經信宿以壬子《ヨヲヘテハタチマリナヌカ》傳2幸《一作便》於難波宮1也、 右は此下のはしことばなり
 
三月七日於河内國|伎人郷《テビトノサト》 河内郷名なり和名抄には見えず紀に作乎伎言は諸工也今此郷有此國諸工人集居歟
 
馬(ノ) 姓なり但今本馬國の間に史脱す歟次に同姓同名あり
 
國人之家《クニビトガイヘニ》宴歌、 
 
4457 須美乃江乃、波麻末都我根乃、之多婆倍弖、 下心に思延てなり松の下葉にふかくおもひ隱さるゝ意なり卷十四卷十八にも此歌あり十四なるは足柄のみさかかしこみくもり夜の阿我志多婆倍乎、古知弖都留加毛、くもり夜松がねよりつゞく意同じ
 
和我見流乎努能、久佐奈加利曾禰、」 此歌まことに見るさまを序とせりさてかねてより思ひ慕て今めづらしみ見る野をあらすなと此地を思ひて國人の榮を云ならん
 右一首兵部少輔大伴宿禰家持、
 
4458 爾保杼里乃、 冠辭
 
於吉奈我河波半《オキナガカハヽ》、多延奴等母、伎美爾可多良武、己等都奇米也母、」 今本こゝに古新未詳と小書せり後人の書添しるかれはすてつ息長川は先は近江也又河内に磯長《シナカ》てふ地有磯長は磯長鳥にて則息長鳥なれば河内なるもおき長川と云しか諸成按に家持の歌は難波にてよめると見ゆ其次にのせたれば此歌も難波にてよめるならんちかき程なれば我居る國の地名もてよめる歟息長川といへるに其ながれはたゆとも語らむ言つきじといへり
 右一首主人散位寮、 式部者の屬官なり
 散位馬史國人《サンヰウマノフビトクニヒト》、
 
4459 蘆苅爾、保里江許具奈流、可治能於等波、於保美也比等能、未奈伎久麻泥爾、」 皆きくとは大宮人の聞なり蘆苅は賤がわざなれど大宮のうちまて聞えて興となるをいふなり
 右一首式部少丞大伴池主讀之、 作とかゝで讀と書るは皆古歌を唱ふるなり既此事諸成按に云へり
 或云兵部大丞大原眞人今城|先日他所《サキツヒアダシトコロニテ》讀歌者也、
  此讀は作の誤り
 
4460 保利江己具、伊豆手乃船乃、可治都久米、 かぢつく間なり則※[楫+戈]つかふ間をいふなり米は末の誤り又言を通す歟
 
於等之婆多知奴、 音しば/\立ちぬなり
 
美乎波也美加母、」 水緒はやぶりかもといふなり
 
4461 保里江欲利、美乎左可能保流、梶乃音乃、 間なくといはん序
 
麻奈久曾奈良波、 平城《ナラ》の都をいふなり
 
古非之可利家留、」
 
4462 布奈藝保布、 舟競なり
 
保利江乃可波乃、美奈伎波爾、伎爲都都奈久波、美夜故杼里香蒙、」 是も都戀しき身にたとへてよめるがしらべ高くおのづからなるものなり
 右三首江(ノ)邊作之大伴宿禰家持、 同じ供奉の時なり
 
4463 保等登藝須、麻豆奈久安佐氣、 郭公の初音の朝明なり
 此行幸の歌共の始に三月七日とありそれより三月末四月の始迄難波におはしまししなるべし都を戀る歌あればなり
 
伊可爾世婆、和我加度須疑自、 我門をすぐまじきぞといふなり
 
可多利都具麻※[泥/土]、」 初聲聞しと人にも語つぐまでといふ初聲をめづるなり
 
4464 保等登藝須、可氣都々伎美我、 かけつゝはおもひをかくるをいふなり
 
麻都可氣爾、 松に待をこめて納凉せん日近きを下に云
 
比毛等伎佐久流、都奇知可都伎奴、」 こは同じ供奉の人によみかけしか又は古郷へ贈しか端詞なければ其よし知りがたし
 右二首二十日大伴宿禰家持依興作之、
 
○喩族歌《ヤカラヲヽシフルウタ》一首并短歌、
 
4465 比左加多能、 冠辭
 
安麻能刀比良伎、多可知保乃、 則古事記にいふ日向(ノ)高千穗久志布流乃嶽をいふなりよて上よりかくいひ下せるなり
 
多氣爾阿毛理之、 氣は加禰の約既云如く多加禰を延も約もして云
 
須賣呂伎能、可未能御代欲利、波自由美乎、 梔弓《ハシユミ》をいふ
 
多爾藝利母多之、 手は發語握もちと云
 
麻可胡也乎、 上古角を矢の根とせしなるべし東夷傳に倭人以角爲鏃と有諸本按るに古事記に弓矢を云ふ上には天乃波々古弓天乃麻可胡也といひ下には天乃麻可胡弓天乃波々古矢と見ゆかしこき御説に弓矢の製をいふにあらず羽早《ハハヤ》弓|眞香矢《マカコヤ》とほめていふ言なりとのたまはせしにより奉るべし角《カク》の音を可胡と云にはあるべからず【波々古の古は製をいふにて小の意上古の弓は小製にて半弓の如きも有りとなん】
 
多波左美蘇倍弖、於保久米能、 大久米の命なり記に委く見えたり
 
麻須良多祁乎乎、左吉爾多弖、由伎登利於保世、 今本保と有を伴の誤とせる説もあれど負は波行の語に働て於保於倍於布於比於波牟といへば誤ならず
 
山河乎、伊波禰左久美弖、 此言式の祝詞にあるに同じく久美の約伎にて蹈裂といふなりけり
 
布美等保利、久爾麻藝之都都《クニマギシツヽ》、 國|廻《メグリ》しつゝなり米と未は通ひ具利の約藝なればつゞめて然いふなり
 
知波夜夫流、 冠辭
 
神乎許等牟氣、 牟氣の氣は加波世の三言の約なり此神は惡神をいふまつろひ奉らで背向まつる神をことむかはせてやはし給ふを云
 
波吉伎欲米、 平げまして掃《ハキ》きよめたる如を云
 
都可倍麻都里弖、 大久米命かくつかへ奉り給ふを云なり則大伴氏の遠祖なり
 
安吉豆之萬、 秋津島は皆清て唱こゝに濁音を用ゐしはいかゞ諸成按に五百津岩村玉津島の類もあれば必清のみならず言便もありなんかとおぼゆ
 
夜麻登能久爾乃、可之婆良能、宇禰備乃宮爾、美也婆之良、布刀之利多弖※[氏/一]、 之利の利は伎と通ふ
 
安米能之多、之良志賣之祁流、須賣呂伎能、安麻能日繼等、 天麻《アマ》といひては古くは天麻都日繼といひしなり今も天都《アマツ》風はいひなれしまゝにいふ奈良の比ゆ誤りし事すでにいへり
 
都藝弖久流、伎美能御代御代、加久佐波奴、 佐波の約佐にてかくさぬを延ていふなり
 
安加吉許己呂乎、 安加吉の加は吉良の約にてあきらけきなり
 
須賣良弊爾、 皇|方《ベ》にと云
 
伎波米都久之弖、 武《タケキ》心も忠心も極めつくしてなり
 
都加倍久流、於夜能都可佐等、 おやは遠祖をいひつかさは遠祖より傳し官をいふなり
 
許等太弖※[氏/一]、 陸奥より金を奉りし宣命にも此大伴氏の事をのたまへりしなり 
佐豆氣多麻敝流、宇美乃古能、 子孫なり宇美宇萬里の美宇萬約美なればうみの子といふなり
 
伊也|都藝都岐爾《ツ|キ《イ》ツ|キ《イ》ニ》、美流比等乃、可多里都藝弖※[氏/一]、 次而にてついでゝといふなり
 
伎久比等能、 いや/\つぎ/”\にといふより美流比等の又きく人のと對てこゝはいへるなりけり
 
可我見爾世武乎、 大久米の命より天皇の代々の大伴氏世々の遠祖の功を云なり
 
安多良之伎、 安多良之伎は乎之伎と同言なりあとさみしきを約ていふ言なりくはしくは荒良言に云○季吟云イ本に此句の下に吉用良之伎、宅眞《タマ》爾茂世武乎、安加良之伎、都流藝刀倶敝之、伊爾之敝由安多良曾乃名曾、とありしといへども此數句耳なれずくた/”\しく有て句も亂れ聞えずうたがふらくは僞説なるべくおぼゆれば取らず
 
吉用伎曾乃名曾《キヨキソノナソ》、於煩《オホ》呂加爾、己許呂於母比弖、牟奈許等母《ムナコトモ》、 むなしきさがしら言なとに祖の名をもよごしたつななり
 
於夜乃名多都奈、大伴乃、宇治等名爾於敝流、麻須良乎能等母、」 部《トモ》にてともがらをいふ
 
 反歌、
 
4466 之奇志麻乃、夜未等能久爾爾、安伎良氣伎、名爾於布等毛能乎、己許呂都刀米與、」 こゝを名爾負伴の、雄心と句を切説もあれど安伎良氣伎より句を隔て心つとめよとつづけたるなれば必伴緒と句を切るべき事なり
 
4467 都流藝多知、 冠辭
 
伊與餘刀具倍之、 いよゝの句を隔て刀具とつゞけしなり
 
伊爾之敝由、佐夜氣久於比弖、 こゝを太刀よりつゞけておびてと訓説もあれどこは下の名にかゝれば半濁に比を伊の如く唱ふべしさやけく名に負來にしなりさて比を半濁によみて本濁同意なる中に負《オヒ》と佩《オビ》はいと別なるをしるべし
 
伎爾之曾乃名曾、」
 右縁2淡海《アフミノ》眞人|三船讒言《ミフネガシコジコト》1出雲守大伴|古慈悲《コジヒ》宿禰|解任《ツカサトケタリ》是以《コヲモテ》家持作此歌也、 續紀(十九)天平勝寶八年五月癸亥出雲守從四位上大伴宿禰古慈悲内竪淡海眞人三船坐d誹謗朝廷无c人臣之禮u禁2於左右衛士府1丙辰詔並放免云々、
 
〇臥病悲無常欲修道《ヤミコヤシテツネナキヲカナシミオコナヒナサントテ》作歌、
 
4468 宇都世美波、 冠辭ならず
 
加受奈吉身奈利、 生る間なく死の速なるをいふなり
 
夜麻加波乃、佐夜氣吉見都々、美知乎多豆禰奈、」
 
4469 和多流日能、加氣爾伎保比弖、 夜晝をあらそひて事をはげむなり
 
多豆禰弖奈、伎欲吉曾能美知、 淨土をいふなり
 
末多母安波無多米、」
 
○願壽《ネギホキテ》作歌、
 
4470 美都|煩《ホ》奈須、 水火なすと云
 
可禮流身曾等波、 假の身といふなり
 
之禮々杼母、奈保之禰可比都、知等世能伊乃知乎、」
 以前《サキノ》歌、六月十七日大伴宿禰家持作、
 
○冬十一月五日夜少|雷起鳴《カミナリ》雪|落2覆《フリシキヌ》底1、忽懷感憐聊作短歌《ソノトキアハレトモヒテイサヽカヨメルウタ》、 此端詞の歌は歌脱左の歌は端詞脱たるなり
 
4471 氣能己里能、由伎爾安倍弖流、 安倍の倍は比弖の約にて合照《アヒテレル》てふ意なりあえは阿衣の假字にて肖《アエ》と云は別言なり
 
安之比奇之、 冠辭
 
夜麻多知波奈乎、都刀爾通彌許奈、」 吾ために山橘をつみこよなりさて端詞には庭雪ふりといひ歌には消殘の雪とあるもて此歌の端詞ならざるをしれるなり
 右一首兵部少輔大伴宿禰家持、
 
〇八日讃岐守|安宿《アスカヘノ》王等、 こは出雲守山背王なり奥の注もて誤を知下にもいふべし
 
集於出雲掾|安宿《アスカヘノ》奈杼《ナド》麻呂之家宴歌、
 
4472 於保吉美乃、美許等加之古美、於保乃字良乎、 こは奈杼麻呂朝集使として都に入る此日はなむけの宴するによてよめる歌なり次は守の答歌なり【既云如く意宇浦は出雲にあれど是とは假字違へり大野浦もある歟式神名に同國秋鹿郡に大津野神社あり此社ちかき浦ならんか】
 
曾我比爾美都々、美也古敝能保流、」
 右掾安宿奈杼麻呂、
 
4473 宇知比左須、 冠辭
 
美也古乃比等爾、都氣麻久波、美之比乃其等久、安里等都氣己曾、」 都人に相見し事の如くたひらけくあるてふ事をつげよとなり
 右一首守、 前に云如くこゝに守とあるもて出雲守山背王なる事掾安宿奈杼麻呂と有に合せしらる
 山背王歌也、主人安宿奈杼麻呂|語云《カタラク》、奈杼麻呂|被v差《オモムケラル》2朝集使《ミカドツカヘノミツカヒニ》1擬入2京師1、因《ヨテ》此餞之日各作此歌聊|陳《ノバヘツ》2所心《オモヒヲ》1也、
 
4474 武良等里乃、 冠辭
 
安佐太知伊爾之、伎美我宇倍波、 此君は山背王をさして云なり【奥人思ふに此君は奈杼麻呂を指なるべし】
 
佐夜加爾伎吉都、於毛比之其等久、」 一云於毛比之母乃乎何れにてもよしとす
 右一首兵部少輔大伴宿禰家持|後日追和《ヒヲヘテナヅラヘテ》出雲守山背王(ノ)歌作之、
 
〇二十三日集2於|式部少丞《ミノリツカサノスクナイマツリゴトヒト》大伴宿禰池主宅1飲宴歌、
 
4475 波都由伎波、知敝爾布里之家、故非之久能、 友その外をもこふをいふなり
 
於保加流和禮波、美都々之努波牟、」 歌の意は今日初雪ふりぬ今ゆ後此雪を見つゝ今日の宴の人々をおもへるにもなれむつまんに千重にふりしけといふなり
 
4476 於久夜麻能、之伎美我波奈能、奈乃其等也、 樒の花は夏咲なり今十一月なれどもしく/\と重ん序なりさて六帖木の部に「おく山のしきみの花の名の如くとあるによりてこゝをも補へるなり
 
之久之久君爾、故悲和多利奈無、」
 右十一月兵部大丞大原眞人今城、
 
〇智努《チヌ》女王|卒《ミマカリテ》後|圓方《マドカタノ》女王|悲傷《カナシミテ》作歌、
 
4477 由布義理爾、知杼里乃奈吉志、佐保治乎婆、安良之也之弖牟、美流與之乎奈美、」 智努女王佐保川ちかきあたりに住給ひしなるべし
 
○大原櫻井(ノ)眞人行2佐保川(ノ)邊(ニ)1之時作歌、
 
4478 佐保河波爾、許保里和多禮流、宇須良婢乃、 良は豆良の約にてうすつら氷といふなり
 
宇須伎許己呂乎、和我於毛波奈久爾、」 かの淺香山の歌をおもひて氷を序にてよめるなり
 
○藤原夫人歌、 今本こゝに淨御原御宇天皇之夫人也字曰氷上大刀自也と有は後人の書そへなり卷二にくはし今本に歌一首とあるも誤なり次の歌もまたく同じ夫人の歌なる事歌の樣にて明らけしすべて歌數を書しも後の事なるよし卷七に諸成考をいふなり
 
4479 安佐欲比爾、禰能未之奈氣婆、夜伎多知能、 冠辭
 
刀其己呂毛安禮波、 吾はなり
 
於毛比加禰都毛、」
 
4480 可之故伎也、安米乃美加度乎、 すべての天皇をも斯申奉るべしこれは天武天皇を申給ふなり
 
可氣都禮婆、 此大御事をのみ御おもひにかけ給へればなりよて初の句にかしこきやとの給ふなり
 
禰能未之奈加由、安左欲比爾之弖、」 今本作者未詳と有は後人の書加へなり歌しらぬものゝわざなればすてつ扨右今傳には皆天智天皇の御事を安米乃美加度とすここは實に天武天皇を斯詠じ給ふなり古への御謚天命開別之天皇と申は天智なり天渟名原瀛眞人天皇と申は天武なり皆|天《アメ》と申奉るからは天智に限らずと知べし御謚天と申奉らでも天皇と申奉るからは何れの君をも皆安米のみかどゝは申奉るべき事なれ
 右件四首、 知努女王云云の歌上下四首なり事別なれば白圏をしるしたれど同人傳讀しなり
 
〇三月四日於兵部大丞大原眞人今城之宅宴歌、
 
4481 安之比奇能、 冠辭
 
夜都乎乃郡婆吉、 いやつ岑なり岑ゆうつし植し椿をただちに序とせり
 
都良都良爾、 【仙覺曰椿の葉はつらめきたる物なればつら/\にとよそへよめるなり】 
美等母安加米也、宇惠弖家流伎美、」 君は主人今城をいふなり
 右兵部少輔大伴家持|屬《ミテ》2植椿《ウヱシツバキヲ》1作、
 
4482 保里延故要、 難波の堀江をいふべし播磨に行人をおくるなり
 
等保伎佐刀麻弖、於久利家流、 家《ケ》は伎家の約にて送り來けるを云なり
 
伎美我許己呂波、和須良由|麻之目《マジモ》、」 良由の約流にてわするまじなり目は添たるのみ
 右一首播磨介藤原朝臣|執弓《タラシ》赴《ムカフ》v任《マケニ》悲v別歌、主人大原今城|傳讀云爾《ツタヘトナフルトフ》、
 
○勝寶九歳六月二十三日於2大監物《オホイモノカヾミ》三形《ミカタノ》王(ノ)之宅1宴歌、
 
 【拾穗抄云此歌は勝寶九歳六月三十三日と詞書有此頃は世の變さま/\なる事有此時大納言藤原仲麻呂孝謙天皇の寵臣にて惠美押勝と呼れしなり押勝わが田村の家に招置申せし大炊(ノ)王を東宮にたてまゐらせぬ扨此年の五月に新令の外に紫微内相といふ職を置れて仲麻呂を其職に任ぜしめて内外の諸の兵事を司り其位官禄などは大臣になぞらへ給へり其故に安宿王橘奈良麻呂大伴池主大伴古麻呂などきこえし人々心をおこし合て田村の宮を圍み仲麻呂をころし東宮をかへ參らせんとはからひしに此六月に山背王など其事を孝謙帝に申あらはされければ彼の人々其七月に或は死罪或は流罪に行れたり心うかりし事ありきたとへ家持卿は其事にあづからず共朋友一族此さはぎにあへる折にいかで其心いたましからざらんさしも忠節の先祖の名も口惜く侍けん遠くは大伴の武持の大連近くは父君旅人卿などの事思ひ出給ふべし其心をうつりゆく時見るごとに昔の人し思ほゆるとよみ侍しにや委しくは續日本紀に見ゆ】
 
4483 宇都里由久、時見其登爾、許己呂伊多久、牟可之能比等之、於毛保由流加母、」
 右兵部大輔大伴宿禰家持作、
 
4484 佐久波奈波、宇都呂布等伎安里、安之比奇乃、 冠辭
 
夜麻須我乃禰之、奈我久波安利家里、」
 右一首大伴宿禰家持、 今本こゝに悲怜物色變化作之也と有は前の歌に後人書加へんとしてあやまりて此歌の左に書添しならん前の歌は然もいひなん此歌は花は散る時あれど山菅の根はながしとほぎたる歌にてかなしみおもふ歌ならず
 
4485 時(ノ)花、伊夜米豆良之母、可久之許曾、賣之安伎良米晩《メシアキラメメム》、 賣之は見志なり見しあきらめ給ふらめなり晩は免のあやまりなるべし
 
阿伎多都其等爾、」
 右一首大伴宿禰家持作之、
 
○天平寶字元年、 勝寶九年八月十八日寶字と改
 
十一月十八日於|内裏《オホウチニ》秋宴歌、
 
4486 天地乎、弖良須|日月能《ツキヒノ》、極《キハミ》奈久、 きはみのみは萬利の約にてきはまりなく御さち御代の傳れるをのたまはすなり
 
阿流倍伎母能乎、奈爾加於毛波牟、」
 右一首|皇太子《ヒツギノミコノ》御歌、 【皇太子、淡路帝、舍人親王御子也と拾穗抄に見ゆ】
 
4487 伊射子等毛、多波和射奈世曾、 たはむれの意にて業をな亂らせそとなり則※[(女/女)+干]行にて大にいはゞ謀反をもいふべし
 
天地能、加多米之久爾曾、夜麻登之麻禰波、」 皇御國のうごきなきをほぎ奉られし歌なり【いざ子どもたはわざ云云季吟云此歌も彼の奈良麻呂古麻呂等が仲麻呂をおひやり太子を傾むとせしを嘲てたはわざなせそと讀るにや女帝の寵をたのみておこれる心顯然たり終に寵おとろへて誅せられ廢帝も淡路におはしぬ】
 右一首、内相藤原朝臣奏之、 續紀勝寶九年丁卯以大納言藤原朝臣仲麻呂爲紫微内相云云
 
〇十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌、
 
4488 三雪布流、布由波祁布能末、 明日立春なるをいふなり
 
鶯之、奈加牟春敝波、安須爾之安流良之、」
 右一首主人三形王
 
4489 宇知奈婢久、 冠辭
 
波流乎知可美加、奴婆玉乃、 冠辭
 
己與比能都久欲、可須美多流良牟、」
 右一首大藏大輔|甘南備伊香《カンナビノイカゴノ》、 名なり
 
眞人《マヒト》、 崇名《カバネ》なり
 
4490 安良多末能、 冠辭
 
等之由伎我敝理、波流多々婆、末豆和我夜度爾、宇具比須波奈家、」 後にあら玉のとし立かへるあしたよりとよみしはこれをおもへる歟
 右一首右中辨大伴宿禰家持、
 
4491 於保吉宇美能、 大き海なりみなそこふかきといはん序なり
 
美奈曾己布加久、於毛比都々、毛婢伎奈良之思、 思來《オモヒキ》馴といふなり【裳引ならし通ひ馴し心なり】
 
須我波良能佐刀、」 【菅原里は大和なり宿奈麻呂が在所にや、拾穗】
 右一首藤原宿奈麻呂朝臣之妻石川郎女|薄愛《スサメラレズシテ》離別悲恨作歌也、 こゝに年月未詳とあるは後人の書そへしるかればすてつ今本はじめの宴の歌に歌數を書しかど棄しよしは前の卷にいふ歌數あらでも宴の歌なるは歌にてしられ、作者は歌左にしるせりよて此の歌と前の三首との間にはし詞なけれど歌にてしられ左の注にて歌のよしもしらる
 
〇二十三日於治部少輔大原今城之宅宴歌、 前云兵部大丞大原臣人今城とあり此時大丞故五六位なりしが今任治部少輔爲四位歟今城眞人とかばねを下にかけり
 
4492 都奇餘米婆、伊麻太冬奈里、之可須我爾、霞多奈婢久、波流多知奴等可、」
 右一首右中辨大伴宿禰家持作、
 
〇二年春正月三日|召《メシテ》2侍從竪子《オモトヒトアツマワラハ》王臣等(ヲ)1令v侍《ハベラセテ》2於内裏之《ウチノ》東(ノ)屋垣下《ミヤカ|キ《イ》ノモトニ》1即賜(テ)2玉箒《タマハヽキヲ》1肆宴《トヨノアカリセム》于時《コヽニ》内相《ウチマチギミ》藤原(ノ)朝臣|奉《ウケタマハリテ》v勅《ミコトノリヲ》宣《ノル》2諸王卿等隨堪任意作歌《オホキミタチマヘツキミタチタフルマヽニコヽロニマカセウタヲヨミ》并|賦《ツクレト》v詩《カラウタ》1仍《ヨテ》應詔旨各《ミコトノリノマニ/\オノカシヽ》陳《ノバヘ》2心緒《オモヒヲ》1作《ヨミ》v歌《ウタヲ》賦《ツクル》v詩《カラウタヲ》、(未v得2諸人之|賦《ツクル》詩1并作歌也) こゝに玉帚とあるは詩歌の料に玉かざれる帚をたまはりしか【髄脳云玉はゝ木は蓍と云草なり田舍には其草を小松に取くはへて正月初子の日にこかひする屋を掃はほめて玉箒とは云なり無名抄も同説に聞奥義抄も同○萬卷十六詠玉箒鎌|天木香《ムロノキ》の歌に玉帚、苅來《カリコ》鎌麻呂、室乃樹|與《ト》、棗本可吉|將掃爲《ハカンタメ》、是は今云はゞ木草箒とする草にて丸くこもりかに生る故にいふなり又はゝきに玉を飾る故にや諸成按るに手に取ゆゑにゆるとつゞけたれば玉かざれる箒をいふべし】
 
4493 始春《ハツハル》乃、波都禰乃家布能、多麻波婆伎、手爾等流可良爾、 からはゆゑといふに同じ
 
由良久多麻能乎、」 始春は初音といはん料にて末の句にかけたり由良久の良久の約留にて由留なり玉の緒に貫く玉はゆらぎゆるもの故に玉の音するなり古事記にをぬなとももゆらにといふも玉の音なり扨由良久をたゞちに玉の音として且玉を靈の緒の寛きに譬てよみしなり
 右一首右中辨大伴宿禰家持作、但依2大藏政《オホクラノマツリコトニ》1不堪奏之《コヲマヲスニタヘズ》也、 辨故に諸省の政にもかゝれるなりよて此歌不奏となりこれらぞまことに此卿の筆ならん【大藏の政は諸國の貢物金銀珠玉を出納する事を司るよし職員令に見えたり】
 
4494 水鳥乃、可毛能羽伊呂乃、青馬乎《アヲウマヲ》、家布美流比等波、可藝利奈之等伊布、」 命の限なしとなり白馬早春に見る事は唐の事なり白虎通に出白馬七十疋を引といへり毛附に白馬とあれど他し毛もある事公事根源に元日に唐の書を引ていへりさればこゝに鴨の羽の青馬とあればまたき青馬をも引し事明らかなり猶くはしくはかしこき御説を擧て別記にいふ【青馬は青き馬といふにはあらず白馬なれ共青きは春の色なれば青馬の節會と申よし年中行事公事根源等の説なり、季吟云】
 右一首爲2七日(ノ)侍v宴1右中辨大伴宿禰家持預作此歌、但依2仁王會事1却以六日《ナカ/\ニムユカニ》於2内裡1召2諸王卿等1賜v酒肆宴|給禄《モノタマフ》因《ヨテ》斯不奏也、
 
〇六日内(ノ)庭假植2樹木1以作v林|帷而《トバリシテ》爲2肆宴1歌、
 
4495 打奈婢久、波流等毛之流久、宇具比須波、宇惠木之樹間乎、奈伎和多良牟奈、」
 右一首右中辨大伴宿禰家持、不奏、
 
〇二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌、
 
4496 宇良賣之久、伎美波|母《助也》安流加、夜度乃烏梅能、知利須具流麻※[泥/土]、美之米受安利家流、」 不令見といふ此歌も詩を引て解説もあれどこればかりは自似たるもあるべければたゞに見るべし
 右一首治部少輔大原今城眞人、
 
4497 美牟等伊波婆、伊奈等伊波米也、宇梅乃波奈、知利須具流麻弖、 爾をはぶけり
 
伎美我伎麻世波、」 【伎美我伎麻世波、拾穗抄には伎美我伎麻左奴と有きみがきませばと有不用之、祇注もきまさぬを用ゆと有り】ちりすぐるまでに見せずとよめるにこたへて見んとのたまはゞいなといはじをちりすぐるまでに君がきませばかくちりぬと餘意をこめて前の歌にこたへしなり
 右一首主人中臣清麻呂朝臣、
 
4498 波之伎余之、家布能安路自波、伊蘇麻都能、都禰爾伊麻佐禰、伊麻母美流其等、」 池の磯の松のごとく常にいませ今見る如くにといふなり下に伊蘇にもあるかな又伎美我敝乃、伊氣乃之良奈美、などいふもともにあるじの庭の池の磯を云なり
 右一首右中弁大伴宿禰家持、
 
4499 和我勢故|之《ガ》、可久志伎許|散婆《サバ》、 こせらばなり勢良の約左なり
 
安米都知乃、可未乎許比能美、奈我久等曾於毛布、」 あるじの家持の歌の言をうけてことほぎを云なり
 右一首主人中臣清麻呂朝臣、
 
4500 宇梅能波奈、香乎加具波之美、等保家杼母、 その住所の遠けれどもといふなり諸成按に等保家杼母の家は家禮の約なればつゝめていふなり
 
己許呂母之努爾、伎美乎之曾毛布、」 其家の花をめづるは其主をしのぶによしあるなり 右一首治部大輔市原王、
 
4501 夜知久佐能、 彌千種といふなり
 
波奈波宇都呂布、等伎波奈流、 此伎は刀古伊波の古伊(ノ)約ならで伎古を通して刀古波と云なり
 
麻都能左要太乎、和禮波牟須波奈、」 既松をもてあるじをほぎたればこゝはあるじと吾との契久しからんをいふなり
 右一首右中弁大伴宿禰家持、
 
4502 烏梅能波奈、左伎知流波流能、奈我伎比乎、美禮杼母安可奴、伊蘇爾母安流香母、」 庭の池の磯なり上にもあり次の歌にも有もて庭の池の磯なる事しらる
 右一首大藏大輔|甘南備《カンナビノ》、 姓なり
 
伊香《イカゴ》眞人、
 
4503 伎美我伊敝能、伊氣乃之良奈美、伊蘇爾與世、之婆之婆美等母、 見るともといふがごとし
 
安加無伎彌加毛、」 下に千代にわすれんわがおほきみかもに同じ後世かはといふてにをはなり
 右一首右中弁大伴宿禰家持、
 
4504 宇流波之等、阿我毛布伎美波、伊也比家爾、 日爾異爾といふに同く日に殊にの意なる事既出
 
伎末勢和我世古、多由流日奈之爾、」 あるじのまろうどをいとしたしみおもふよしをいふなり
 右一首主人中臣清麻呂朝臣、
 
4505 伊蘇能宇良爾、都禰欲比伎須牟《ツネヨヒキスム》、 常になき來りすむといふなり
 
乎之杼里能、乎之伎安我未波、 惜と愛する身はなり
 
伎美我末仁麻爾、」
 右一首治部少輔大原今城眞人、
 
○依v興各|思《シヌビテ》2高圓(ノ)離宮處《イデマシノミヤコヲ》1作歌、
 
4506 多加麻刀能、努乃宇倍能美也婆、安禮爾家里、 秋萩のにほひよろしきとよみし高圓の宮なり
 
多多志志伎美能、 今本に多々志伎々美能とあるは字の上下せしなり
 
次の歌もて改さてたちませしきみとあがみ奉る言を略てかくいふなり
 
美與等保曾氣婆、」 御代の遠く退《ソケ》行ばといふなり【高圓山は春日の地に在り志貴皇子の御家ありしをいふかされど此比に此宮のある事あるまじければ元正天皇の離宮のあれしをいふならん、萬葉新撰に眞淵のいへり】
 右一首右中辨大伴宿禰家持、
 
4507 多加麻刀能、乎能宇倍乃美也波、安禮奴等母、多多志志伎美能、美奈和須禮米也、」 右一首治部少輔今城眞人、
 
4508 多可麻刀能、努敝波布久受乃《ヌヘハフクズノ》、 延《ハフ》なり
 
須惠都比爾、知與爾和須禮牟、和我於保伎美加母、」 かはと同意既上にも云り
 右一首主人中臣清麻呂朝臣、
 
4509 波布久受能、多要受之努波牟、於保吉美能、賣之思野邊《メシシノベ》爾波、 賣之思は見し給ひしにて則しろしめしゝのべなり
 
之米由布倍之母、」 母はそへていふのみしめゆひみだりにはせじとなり
 右一首右中辨大伴宿禰家持、
 
4510 於保吉美乃、都藝弖賣須良之、 御靈《ミタマ》とならせ給ひても繼てしろしめすらしといふなり
 
多加麻刀能、努敝美流其等爾、禰能未之奈加由、」 加由約久にてねのみしなくといふなり
 右一首大藏大輔甘南備伊香眞人、
 
○屬2目《ミテ》|山齋《ソノヲ》1作歌、 卷十三に退入故郷家作歌旅人卿、與妹爲而。二作之《フタリツクリシ》、吾山齋者、木高繁、成家留鴨、とあればこゝも曾乃と訓へし右考は卷十三にくはしく云
 
4511 乎之能須牟、伎美我許乃之麻、家布美禮婆、安之婢乃波奈毛、左伎爾家流可母、」
 右一首|大監物御方王《オホモノカヾミノミカタノオホキミ》、
 
4512 伊氣美豆爾、可氣左倍見要底、左伎爾保布、安之婢乃波奈乎、蘇弖爾古伎禮奈、」 古伎禮奈こきいれなんの畧なり
 右一首右中辨大伴宿禰家特、
 
4513 伊蘇可氣乃、美由流伊氣美豆、※[氏/一]流麻※[泥/土]爾、左家流安之婢乃、知良麻久乎思母、」
 右一首大藏大輔甘南備伊香眞人、
 
〇二月十日|於《ニ》2内相宅《ウチノマヘツキミイヘ》1餞2渤海大使小野《コマミツカヒサネヲノヽ》 今本少とあるは書誤れるなり【續日本紀第十曰渤海郡者|舊《モトノ》高麗國也云云渤者海水(ノ)踊騰《ヲトリカケル》貌也彼國殊海水踊漂所也云云】
 
田守《タモリノ》朝臣等1宴哥、
 
4514 阿乎宇奈波良、加是奈美奈妣伎、 順風などいふ如く風も浪もなびきしたがひなり 
由久左久左、都都牟許等奈久、布禰波波夜家無、」 三の句由久左久左の左は須良の約にて行すら來すらにて行まゝ來るまゝなり既に出
 右一首右中辨大伴宿禰家持、
 
○七月五日於2治部少輔大原今城臣人宅餞2因幡守大伴宿禰家特1宴歌、
 
4515 秋風乃、須惠布伎奈婢久、 諸成按に久は加須の約にてこゝはなびかすなり
 
波疑能花、登毛爾加射左受、安比加和可禮牟《アヒカワカレム》、」
 右一首大伴宿禰家持作之、
 
〇三年春正月一日於2因幡國(ノ)廳《ツカサヤニ》賜《タマフ》2饗《ミアヘヲ》國郡司等《クニノコホリツカサラニ》1之宴歌、
 
4516 新《アラタシキ》、 【古葉類聚抄に此歌をあらたしきとよみたり古書には新をあたらしとよめる例なし阿多良は惜の意なるをさいばらに阿多良之伎年のはじめとうたひ誤れり久老云、○狛大人云阿多良之とは伊萬爾知加志ちふ言惜しとは阿刀豆良佐美志ちふ言の約轉せしなり】
 
年之始乃、波都波流能、家布敷流由伎能、伊夜之家餘其騰《イヤシケヨゴト》、」 いやふり及《シケ》の意なり餘其騰は式の祝詞に神賀(ノ)吉言《ヨゴト》を奉るなどいふに同じ吉言《ヨゴト》吉事《ヨゴト》の意なり此歌に傳授ありなど云は後世の事にて論にたらず
 右一首大伴宿禰家持作之、
 
萬葉集卷二十之考 終
                2008年3月13日(木)午後7時58分、入力終了
                2009年11月18日(水)午後1時58分、校正終了
萬葉考別記一之標
 
○卷の次                  三〇五五
○籠母與                  三〇五七
○家告閇                  三〇五七
○山跡國                  三〇五八
○天香具山                 三〇六〇
○中皇女命                 三〇六一
○心乎痛                  三〇六二
○鶴寸                   三〇六二
○金野乃美草刈葺              三〇六三
○熟田津                  三〇六四
○莫囂國隣                 三〇六四
○内(ノ)大臣藤原             三〇六五
○黄葉                   三〇六五
○吹黄刀自                 三〇六六
○耳我嶺                  三〇六七
○柿本朝拒人麻呂              三〇六七
○夷【近江荒都歌】             三〇六九
○宇良佐備 又佐備             三〇六九
〇有云 有知布               三〇七一
○名に負                  三〇七一
○春都者                  三〇七一
○宮柱太數座 高知座            三〇七二
〇嗚呼兒の浦                三〇七二
○短歌                   三〇七三
○宜奈倍                  三〇七三
○引馬野 榛原               三〇七四
○郎女 娘子 女郎             三〇七五
○入唐                   三〇七六
○清江娘子                 三〇七六
○呼兒鳥                  三〇七六
○大行天皇                 三〇七七
○爲當也                  三〇七八
○吾莫勿久爾                三〇七八
○山邊乃御井                三〇七九
○吾兄子 妹兄               三〇八一
○身毛多奈不知 事者棚知          三〇八二
 
萬葉考別記二之標
 
○磐之姫皇后                三〇八四
○戀乍不有者                三〇八四
○端詞之歌數                三〇八六
○鏡女王                  三〇八六
○大伴宿禰                 三〇八七
○藤原夫人                 三〇八八
○大津皇子下伊勢              三〇八八
○多氣婆奴禮 結髪 垂髪          三〇八九
○東人荷前                 三〇九〇
○石川郎女贈大伴宿禰田主          三〇九一
〇田主中郎                 三〇九一
○知《ニギ》多豆 石見           三〇九二
○柿本人麻呂之妻              三〇九二
○挽歌                   三〇九三
○神岳                   三〇九四
○移葬大津皇子屍              三〇九四
○比豆知                  三〇九四
○須良 奈保 陀爾             三〇九五
○生乎烏禮流                三〇九六
○早布屋師 愛八神 縱畫屋師        三〇九六
〇佐名葛                  三〇九七
 
萬葉考別記三之標
 
○神名備山 三室山             三〇九八
〇月の名                  三一〇〇
○眞剋持小鈴文由良爾 手二卷流玉毛湯良羅爾 三一〇二
○雲聚之玉蔭 日蔭             三一〇三
○高々 多加伎奴 八船多氣 馬並而高山   三一〇五
○加良 與利 由惠 奈我良 由 物故    三一〇五
○津禮毛無                 三一〇七
 
萬葉考別記四之標
 
○義之《テシ》 大王《テシ》        三一〇八
〇八鹽乃衣                 三一〇九
○呉藍 韓藍                三一一〇
〇惠具 與具 其和爲            三一一一
 
萬葉考別記五之標
 
○宇多手 于稻于稻志 轉          三一一二
〇梓弓末中三伏一起不通有之         三一一三
〇意具美 心具之 目具之          三一一四
〇於能禮故所詈而云云歌           三一一五
 
萬葉考別記六之標
 
○佐惠佐惠 佐和佐和 曾和惠 又佐夜佐夜  三一一五
〇字家良我波奈 志乃受須寸         三一一六
〇子大葱 大伴駿河麻呂歌          三一一七
 
萬葉考別記標 終
 
(3055) 萬葉考別記一
 
〇卷のついで
 
考にいへる如く、此集の中に古き撰みと見ゆるは、一の卷二の卷なり、それにつぎては今十三十一十二十四とする卷どもゝ、同じ時撰ばれしうちならんとおぼゆ、何ぞといはゞ、其一二には古き大宮|風《ブリ》にして、時代も歌主もしるきをあげ、三には(今の十三)同じ宮|風《ブリ》ながら、とき代も歌ぬしもしられぬ長歌を擧、四五には(今の十一十二)同じ宮ぶりにして、代もぬしもしられぬ短歌を擧、六には(今の十四)古き東《アヅマ》歌を擧て卷を結びたるなるべし、から國の古へ歌は國|風《ブリ》を始めとしたり、こゝには宮ぶりを先にて國ぶりを末とせしものとみゆ、【上つ代の事にからことをむかへいふはわろし、されど藤原奈良(ノ)宮に至て是を集められし比には、からことを好むなれば、したがひて國風の説をいへり、】かくて今の五の卷は山上(ノ)憶良(ノ)大夫の歌集ならん、今の七と十の卷は、歌もいさゝか古く、集め體《ブリ》も他と異にて、此二つの卷はすがたひとしければ、誰ぞ一人の集めなり、今の十五の卷は新羅へ遣されし御使人の歌どもと、中臣朝臣宅守の、茅上《チガミノ》娘子と贈|和《コタヘ》しとをもて一卷とせしにて、又たが集めしともしられず今の十六の卷は、前しりへには古くよし有歌も有を、中らには歌とも聞えず戯くつがへれるを載て樣ことなり、中に河村(ノ)王、大伴家持の歌も入しかば古き集にあらず、【續紀に、川村王は、專ら寶龜より延暦九年まで見ゆ、其前の程知べし、】こは家持卿の集のうちにやあらん、今の三の卷てふより、四六八九十七十八十九二十の卷には、家持卿の家の歌集なること定かなり【九には端詞の樣異なるもあれど、他人の書しまゝにてとり載しものなり、其例あり、さて卷の始のさま、必家持の集ぞ、】かゝれば古へ萬葉集といへるは右にいふ六つの卷にて、其ほかは家家の集どもなりしを、いと後の代に一つにまじりて二十卷とは成しなりけり、(猶下にいふ)しかつどへる上にては、一二の卷の外は何れをそれともしられず亂れにたるを、古への事をよくも思ひ得ぬ人、私に次《ツイデ》をしるせしものなり、仍て三といふ卷より十六の卷までは、事の樣も時代年月もまへしりへに成てけり、故に今委しく考て次を改め立《タテ》こゝろみるに、先一二は今の如し、次は今の十三を三とし、今の十一十二十四を四五六と(3056)するも上にいへるが如し、【今の十一十二の卷に在、人麻呂歌集、古歌集の歌など云は、後に加へしものなり、その事はかの卷に論あり、】今の十を七とす、(凡古歌なるが中に、藤原の古にし里とよめる言あれば、奈良の始の人の集ならん、)今の七を八とす、(是も古歌にて、集の體右とひとし、)今の五を九とす、(末に天平五年六月の歌あり、)今の九を十とす、(天平五年の秋に、遣唐使の發船する時の歌あればなり、)今の十五を十一とす、(中臣宅守は石上乙麻呂と同じ年比に流されしと見ゆれば、天平十一年の比の歌どもなり、)今の八を十二とす、(天平十三年と注せる歌有、又久邇京より奈良の古郷へおくれる歌もあり、)今の四を十三とす、(是にも久邇京より奈良へ贈りし歌あれば、右と同じ年比なり、)今の三を十四とす、(末に天平十六年七月と有、)今の六を十五とす、(久邇京の荒たるを悲む歌有、こは天平十八年九月より後の事なり、)【久邇京は、天平十三年正月此宮にて始(テ)朝儀有しより、同十六年三月難波へいでませしまでを專らとす、かくて後故京と成て、同十八年九月、大極殿を國分寺へ賜はりしよりぞもはら荒けん、】十六は今の如し、(時代は上にいへるが如し、)十七今の如し、(末に天平廿年正月と有、)十八今の如し、(末に天平勝寶二年二月と有、)十九今の如し、(末に天平勝寶五年二月と有、)二十今の如し、(天平寶字三年正月の歌までにて卷を終たり、)かく年月の次でども定かにしるして有なれば、後に前しりへに亂れなりしこと明らけし、其外にも代々の體わかれて、卷の次でのしるきぞ多き、さればその餘り、かつ/”\おぼつかなき事有はいふべくもあらねば改むべし、【此中、今卷三と有には、黒人人麻呂亦人の歌どもの、ことに勝れたる多かれど、後に家持の聞て集めし事、年代の有もて知なり、】○或人問、仙覺が校合の時、多の本をもてすといへど、卷の次の事をいはぬは、本より今の如く有けんやと、答、其本に正しきあらば仙覺もよらんを、正しからねばこそ彼此せれどやゝ今本の如くは有めれ、かゝれば惣て亂れたるにて次でもいふにたらず、又問、さらばいつの比よりか亂れつらんと、答、古今歌集序に、萬葉集にいらぬ古き歌云云と書るを、今その集に萬葉の歌七首ぞある、【古今歌集に萬葉の歌十二首入しが其中大歌所の三首は、既うたひ物の上より取しかばさても有べし、墨けしたる二首有をも除て、猶七首有、】(3057)かの序に書しからは、萬葉を正し見ざらんや、是右にいふ如く古へ萬葉といふは、一二と其外云云の卷の事にて他は家々の歌集なる故に其中よりとりしを、今二十卷惣て萬葉と思ふ故に違ふならん、是はた萬葉と家家の集と別有を知べき一つなり、かゝれば二十卷混せしは、延喜より後の事ならん、○又問、家持卿今年の歌を集めて後に、去年のを傳得て書んには、前後も有なんやと、答、其年月の前後あらばいかで次の卷とせん、そのよしならば家持卿は卷の次では記さゞりしならん、若のちに改めん物として、得るまゝに記し置しならば、こゝろにあらぬ事しるべし、さらば今改むるは古人の意を助るなり、されどこれらは空き論なり、そも/\他の歌を集るには、もし前後の有もせん、身《ミ》の歌におきて前後有べくもなし、然るに此卿天平十六年二月の歌は今の卷三に有て、同人の天平五年八月の歌の今の卷八に載しをばいかゞいはん、是必今の三は、八より下の卷とせではかなはぬなり、是のみならず此類いと多し、おし考ば明らかならん、かゝればやみがたくして改めたり、猶そしる人ありともさて有なん、我は世中にかゝはらず、私にしたしき友とかたらひ、且百とせ後の友を待のみ、
 
○籠毛與《カタマモヨ》、美籠母乳《ミガタマモチ》、布久思毛與《フグシモヨ》、美夫君
 
志持《ミブグシモチ》、【泊瀬朝倉宮御製歌】是を今本に、こもよみこもち、ふぐしもよみふぐしもちと訓しは古意ならず、【毛は乃に通ひて、かたまのよ、ふぐしのよといふに同じ、】依て荷田東《カダノアツマ》麻呂うしの訓《ヨミ》しに從へること、考にしるせしが如し、【此訓の如きなるは、上つ代の人のこゝろことばを、我常とするほどの人ならでは訓出す事なし、】その外に夫君志の夫は、集中皆濁る言にかきたり、然ればこゝも上に美《ミ》の發言を置て、美夫《ミブ》ぐしといふ言便の濁をしらせて夫の字は書しなり、これを推て、上も美《ミ》を次の句の發言として、美《ミ》がたまもちと唱ふべきを知べし、すべて皇朝の言の初めを濁ることなし、然るをその美《ミ》を上の句へ著てよむ時は、初めより夫《ブ》くしと濁られて例に違へば、必此一つにても今本の訓はひがことなるを知べし、
 
○家告閇《イヘノラヘ》、名告沙根《ナノラサネ》、【右に同】 今本此句を家吉閑と書て、
 
いへきかんと訓しは後世の平言《ツネコトバ》なり、字も閑をかんの言に用る事有べくもなく、例もなし、さて吉は古本に依て告とし、閑は例によりて閇《ヘ》とす、即いへのらへと訓べきよし考にいひつ、又(3058)其次の句を、今本になつけさねと訓たるもわろし、告の字を古へつげと訓はまれにて、專ら乃留《ノル》とよみつ、ことに人の名をば、今も名告《ナノル》とこそいひ來るなれ、【から國にては、命令宣告など、字を分ちて事をしらしむ、皇朝には、乃留てふ言は公にも私にもいへるを、公事にはことのり、のりまし、のりたまへなど、あがむる言を添て分てり、】卷十一に(今(ノ)十五)かしこみと、能良受《ノラス》ありしを、み越路《コシヂ》の、たむけに立て、伊毛我名能里都《イモガナノリツ》と、假字にも書たるを思へ此外は考にいへり、【こゝより下の卷々の次《ツイ》では、此度改めたるを以てしるし今本の卷次をば其傍にしるせり、】
 
○山跡乃國《ヤマトノクニ》、【右に同じ】
 
耶萬登《ヤヤト》の國てふ名の事、はやくよりくさ/\いへれど、すべてあたれるは聞えず、近き年比に或人のいへらく、大和は伊駒山の東南の國なれば、山外《ヤマト》の意にてよべるならん、其山の北の國を山|背《シロ》といふに對《ムカ》へる名なりと、今考るに東南西北をもて名づけし郡郷世に多く、成務天皇國縣を分ち給ふにも、山陽《カゲトモ》山陰《ソトモ》をもて爲《ナシ》ませし意にもかなへば、是もよし有る考なり、○又吾友なりし藤原常香てふ人は、大和國の山(ノ)邊(ノ)郡、大和郷《ヤマトノサト》は、古へ名高き郷なり、此郷の名のひろまりて一國の名と成つらん、諸の國に類ひ有といひつ、【やまとの郷を、和名抄に於保夜末止と有、今京このかたの唱か、紀などにはたゝ夜萬登とのみにて郷をいひたり、又同抄に此郷を、城下(ノ)郡に入しはいかに、山邊と城下は入交る故に後にさは成しものと、土人もいへり、大和(ノ)神社は式にも山(ノ)邊郡に入たり、】眞淵考るに、こはたやすくしてよし多し、先駿河國に駿河郡駿河郷有が如く、出雲國其外にも此類あり、又郡は他《アダシ》名にて國と郷の名の同きに、其郷より國の名と成ぬるも見ゆ、後に國郡|建《タテ》らるゝにも、和泉安房加賀其外、郡(ノ)名を國の名とし、郷の名を郡(ノ)名と爲給へるなり、かくて大和郷の事、神武天皇紀の定v功給ふ條に、道(ノ)臣(ノ)命を始めて、共にやまとの國内《クヌチ》の所々を賜れるが中に、珍彦《ウツビコ》をは爲《ス》2倭國造《ヤマトノクニツコト》1とあり、劔根者《ツルギネヲハ》爲2葛城《カヅラギノ》國造(ト)1とも有て、葛城もとより同し國内《クヌチ》なれば、倭は一國をいふならず、山(ノ)邊(ノ)郡の郷の事なり、又崇神天皇紀に、市磯長尾市《イチシノナガヲヂヲ》爲《ス》2倭國魂神之主《ヤマトノクニダマノカミノイハヒヌシト》1てふも、山邊郡|大和《ヤマト》に坐《マス》神を祭なり、又仁徳天皇紀に、皇后(磐之姫命)難波より、葛城の高宮へおはしぬる時の御歌に、山しろ川を、川のぼり、吾のぼれば、青によ(3059)し、ならを過、烏佗低《ヲダテ》、夜莽苔烏輸疑《ヤマトヲスギ》、わが見がほし國は、かづらき高みやとよみ給ふ、葛城へは、多くのさと/”\を經るに、たゞ奈良と夜麻登《ヤマト》をのたまへるは、中にも大名《オホナ》なるをもて擧給ひしものなり、さてその大名なるよしは、此卷の藤原御井歌に、日本乃《ヤマトノ》、青香具《アヲカグ》山といひ、又幸2吉野(ノ)宮(ヘ)1時の歌に、倭《ヤマト》には、鳴てか來《ク》らん、呼《ヨブ》子鳥、象《キサ》の中山、喚《ヨビ》ぞこゆなるといふも、共に大和國内にして、更にやまとゝいふからは、かの山邊郡のやまとを隣郡の、藤原(ノ)都あたりまでも、冠らせいひなれしこと知べし、かく意得ずば、此二首のやまとてふ言を何とかいはん、その類は攝津國の難波は、神名式に依に、もと東生郡《ヒガシイクグニ》の中の一つの名なるを、西生(ノ)郡、住吉(ノ)郡などかけて難波ともいひ、近江國の篠《サヽ》浪てふは志賀郡の中の一つの名なるを、其郡の所々にひろく冠らせいひて、難波國、さゞなみの國など古いひしも、皆|大名《オホナ》なればなり、諸國にもあり、引むかへて見よ、【卷十九に、難波に下り、住吉の、御津に船のりとよみて、御津は本住吉郡なるを難波のみつといひならひ、西生郡の味|原《ハラノ》宮を難波(ノ)宮ともいへるは、難波は大名なる故なり、〇古へ天皇專ら大和に都し給へる故に、大和は大八洲の惣名の如さへ成ひろごりたり、かくて後には日本の字をもやまとに書つ、然るを立かへり大和一國をいふ所にも日本とかき、ましてかの郷をいふ所にしも日本と書しは、餘りたる行かへりごとゝ先は見ゆれど、字は假初とする故にしからず、】然ればやまとの國の名は、此郷名よりはじまれりとするこそゆえよし多けれ、且諸の國も、國魂《クニダマノ》神の坐《マス》所を本郷とすとおぼし、その中に、尾張(ノ)國中島(ノ)郡に、尾張大國|靈《ミタマノ》神(ノ)社、遠江國磐田郡に、淡海《アフミ》國玉(ノ)神社、能登國能登(ノ)郡に、能登|生國玉比古《イククニダマヒコノ》神社などあり、大和も右にいふが如し、難波の國東生郡に、難波生國《ナニハイククニ》、國魂神(ノ)社のおはすも是なり、(此東生西生と郡を分しは後なり、本は生國《イククニ》てふ、地なり、其後ひがしなり、にしなりと云は、俗のわさぞ、)○又我友日下部高豐がいへらく、大和國は東南西に高山ども重廻り、北の奈良坂の方のみ山|低《ヒク》くして開けたれば、そを以て山門《ヤマト》の國といふならずやと、こは眞淵が初め思ひし一つに似たり、そのよしは古事記に、(垂仁天皇條)本牟智和氣王《ホムチワケノミコノ》命の出雲國へおはします時、曙立王《アキタチノミコ》占《ウラ》へてのたまふ、自《ユハ》2那良|戸《ト》1遇《アハン》2路※[生/月]《ミチマケニ》1、自《ユモ》2大坂|戸《ト》1、亦遇(ン)2路※[生/月](ニ)1、唯《タヽ》木戸《キドハ》、是腋戸之吉戸卜而行之時《ワキドノヨキトヽウラベテイテマストキ》(3060)云云、この奈良戸は添下郡の奈良坂を越て、山背へ出る山門《ヤマト》なり、大坂戸は葛《カツラキノ》下郡の大坂てふ山道を越、河内へ出る山門なり、木戸は腋戸といへば、かの奈良坂の東に山背の木津《キヅ》里へ越出る山路今あり、是をいふなり、(其事崇神天皇紀にみゆ、)【紀に(崇神)山背(ノ)埴安彦の反を、神少女の告て、於朋耆妬庸《オホキドヨ》、于介伽卑※[氏/一]、許呂佐務苫、須羅句塢、云云とこたへたり、さて彦はなら坂より、妻はかづらき大坂より攻上らんとすれば、なら坂より遣さるゝ兵どもの、蹈平せし故に、そこを那良山といふといへり、然ば此邊の古名は木《キ》といひし事、右の歌にてしる、さて其大道の所は那良と改り、其腋道の邊は猶古のまゝに木戸といひしなり、】かゝれば此國は四方皆山門より出も入もすめれば、山門てふ名を負《オヒ》しにや、譬は長門國は、豐前國との間、いと狭く長き海門《ウナト》あれば名に負、阿波門《アハト》などいふも同じ、其外|海門《ウナト》島門《シマト》河門《カハト》水門《ミナト》といふも、さる類ひの所なり、かゝれば是も國の名と成べきよし少なからず、何れに依べきや、其中に右のやまとの青|香《カグ》山、吉野にやまとには鳴てか來らん、又やまとのつげの小櫛(卷三に有)などいふは、とかくに郷の大名《オホナ》の一國にひろごりしと見ずば解べからねば、上の考に依べくおぼゆ、よき人正しとらんかし、何こよりもやまとの名には人の深入してたやすき事は聞も入ざるは後世意なり、古への事は解得まゝにやすらなるをや、○かくて國の名は郷の名より始れりとして、其郷の名をやまとゝ云しは、右の大坂門木門などの如く、上代に東へ越る山門有て名付つらん、隣の十市郡に坂|門《ト》てふ名有類なり、よそにも筑後國に山門(ノ)郡山門(ノ)郷あり、その外にも少なからず、
 
○天香具《アメノカグ》山、
 
やまとの國は山々四方にのみ廻り立て、國の中は平らかなるに、香山、耳成山、畝火山の三つのみ各獨り立て、其あはひ各|一里《今の道法》ばかりづゝ有て、物の三つ足有が如し、藤原の宮所は此三の山の中にて、香《カグ》山へよりしなり、さて畝火《ウネビ》は高く、耳成《ミヽナシ》はそれに次、香山は中に低《ヒク》かれど、形は富士の山をちいさく作れる如くて、古へは四方の麓廣く木繁くつゞきて、萬づたらひてうるはしかりければ、取よろふ天の香具山とはよみましゝなり、さて此山の畝尾《ウネヲ》は西へも引、ことに東へは長く曳《ヒキ》渡りけん、今は其畝尾の形いさゝか殘れるが、其畝の本につきて二町四方ばかりの池あり、是ぞ古への埴安《ハニヤス》(3061)の池のゝこれるなり、彼池より八町ばかり東北に、池尻村、池(ノ)内村てふ里今有は、古へ此池の大きなりし事しるべし、それは後にかの畝尾を崩し、池を埋みて田所とし、里居をもなせしものなり、かゝれば此御歌に其池を海原云云ともよみ給ひ、且かの三つの山の中に香具山はなだらかにて、よろづに便りあれば、登りて國見をもし給ひけん、此山の北のすそに櫛眞《クシマノ》神(ノ)社今もおはしぬ、そのむかし有つらん畝尾の末とおぼしき所に、今は異《ヒトノ》國の神の名をいふ社有、是ぞかの哭澤女《ナキザハメ》の神のおはせし所なりと、飛鳥の社の神主飛鳥土左はいひつ、(近き頃の人は、名高き香具山こそ、いと高かるべしとそらに思ひをり、たま/\此國へ行て見て、此山にはあらじといふよ、此集の中大兄(ノ)命の三(ノ)山の御歌、また藤原(ノ)宮の御井の歌、其外此山よめる歌どもを見るに、必今いふかぐ山に違ひなし、ことにとりよろひたる山にて、神の御いづもことならんには、崇むこと高にのみよらんや、されど今はみねもふもとも木をきりあらし、池をも多くは埋みつ、見所なく成にしを悲しと思へば、むかしのふみども以て、有けん状を擧て、古へしぬぶ人に傳へ侍るなり、)
 
○中皇命《ナカツヒメミコノミコト》、
 
こは舒朋天皇の皇女、間人《ハシビトノ》皇女におはすと荷田大人のいひしぞよき、【今本是をなかうしのみことゝ訓しはよしなし、】さてまづ御|乳母《チオモ》の氏に依て間人を御名とするは例なり、それを又|中皇女《ナカツヒメミコ》と申せしならんよしは、御|兄《セ》葛城(ノ)皇子《ミコ》と申す葛城は、御乳母の氏により給ひ、それを中大兄とも申すは、今一つのあがめ名なり、御庶兄《アラメオンセ》を古人大兄《フルヒトノオホエ》と申せしなど、古へ御子たちの御名のさま、此外にもかゝる類あり、こゝに間人(ノ)連|老《オユ》てふ人にて御歌を奉らせ給ふも、老は御乳母の子などにて、御《ミ》睦き故としらる、かゝれば後に孝徳天皇の后に立ましし間人(ノ)皇女《ヒメミコ》は即此御事なり、(中大兄(ノ)命と間人皇女は、御兄弟なる事、本より紀に見えたり、)【皇子王孫の名は乳母の氏をとらるゝ事、古へ皆しかり、後の紀にもそのよしあり〇一人に、名二つ有事も、此御時の紀に見ゆ、又大兄とは皇子を申し、少兄《スクナエ》とは臣をいふ、古への例なり、】かくて崗本(ノ)宮などより次々に、皇太子をば日並知《ヒナメシノ》皇子(ノ)命、高市皇子(ノ)命と申しき、中皇女命は後に皇后に立ましゝ故に、崇て命と申せり、仁徳天皇の御母|仲《ナカツ》姫命と紀に有は皇大后なればなり、允恭天皇の皇(3062)后の御名も忍坂大中姫命《オサカノオホナカツビメノミコト》と紀に有、其頃既に皇太子の外には命としるせるなきを思ふに、共に后に立ませし故にたふとみて申す例なりけり、【その中姫は三世(ノ)王大中姫は二世(ノ)王にて命と申は、皇后ゆゑなり、かゝれば輕(ノ)皇子、阿部(ノ)皇女をも命と申べきに、集にしかしるしたらぬは、後に命の字落しならん、】
 
○心乎|痛見《イタミ》、【軍王歌】
 
此反歌に風乎|時自見《トキジミ》などいふ見《ミ》の言は、萬利《マリ》の約《ツヾメ》にて、痛萬利《イタマリ》、時自萬利《トキジマリ》なり、此|美《ミ》てふ辭百千多かれど皆しかり、其本は痛毛阿利《イタクモアリ》てふを毛阿を約ればいたくまりと成ぬ、又その久《ク》を略《ハブ》き萬利を約れば美と成ぬ、恐《カシコ》まり、恐《カシコ》み、靜《シヅ》まり、靜《シヅ》みなど常いふことにて知べし、かの降《フリ》みふらずみの美《ミ》の類を思ひ違ふ人あれど、是もふりまり、ふらずまり、ふりも有、ふらずもありと意得る時は明らかなり、かくて集中に、しるしを無三《ナミ》とせしをば、六言にしるしをなみと訓ことなるを、今本にしるしななしみと訓たるは誤れり、集中に此辭多かれど、假字には奈美《ナミ》とのみ有て、奈|志《シ》美と書し例なきにても思へ、又先には後の歌に、瀬を早み、風を痛みなど有を、瀬をはやくして、【此早くしてと云は、其言に向ひて意を俄に思ふ故に通らぬ事あり、言と意と古の例とをもてする時は、いづこにもかなへり、】風をいたくしてと心得たりし、その歌どもにはさても聞る如くなれど、集中に、恐美《カシコミ》と、うれしみとなどいふに至りて解がたし、萬利《マり》と解時は惣て滯る所なきなり、後に伊勢物語に、年月ふれどまさりがほなみといへるも、無《ナ》まりといひ流す時は何のきらひなきなり、
 
○鶴寸乎白土《タヅキヲシラニ》、【右同歌】      
 
たづきをしらにてふ言の本は、手著《タヅキ》を不v知にて、手寄《タヨリ》もしらずといふに同じ、そを此歌には、久しき旅の獨居の思ひをやるべきわざをも、おぼえぬ事にいへり、又何にても事のより所なきをもいふめり、此言集中にいと多きを見わたしてしれ○又卷四(今十一)に、大野《オホノラノ》、跡状不知《タヅキモシラ|ニ《ストモ》》、印結《シメユヒテ》、有不得《アリガテマシヤ》、吾眷《ワガカヘリミバ》、この跡状もたづきと訓なり、卷五(今十二)に、思八流《オモヒヤル》、跡状毛我者《タヅキモワレハ》、今者無《イマハナシ》、妹爾不相而《イモニアハズテ》、年之經行者《トシノヘヌレバ》、【思八流云云てふ歌、卷三(今十三)の小治田之云云てふ長歌の反歌として今本にあれど、正に其反歌にあらねばとらず、】また立而居《タチテヰル》、爲便乃田時毛《スベノタドキモ》、今者無《イマハナシ》、妹爾不相而《イモニアハズテ》、月之經去者《ツキノヘヌレバ》、また思遣《オモヒヤル》、爲便乃田時毛《スベノタドキモ》、吾者無《ワレハナシ》、不相而數多《アハズテアマタ》、月之(3063)經去者《ツキノヘヌレバ》、この歌どもいさゝか言のかはれど、心同じきをもて、何れもたづきと訓ことしらる、又卷四(今十一)に、立座《タチテヰル》、態不知《タドキモシラニ》、雖念《オモヘドモ》、妹不告《イモニツゲネハ》、間使不來《マヅカヒモコズ》、この態の字もたづきと訓べき事、右の歌どもに合せ見よ、立て居るべきわざをも忘れをれる意を得て、態とも書しなり、さてたづきともたどきともいふは、言の通ひて同じ事なり、且たづきのつを濁ること、鶴寸の字をかり、多土伎ともかき、言便の濁の例もしかなり【あかつきとも明ときともいひ、桃花鳥《ツキ》をとき、栂《ツガ》をとがなどいふが如く、つきとときの言は通はせり、】
 後世人は古今歌集に、をちこちの、たづきもしらぬ、山中にてふ一首のみを見知て、こは山中のさまなれば、立木もしらぬといふと、空に思ひはかりて誤れり、右に引が如、心のうへのみをいひ、其上、卷二十に、曉の、かはたれ時に、島|かぎ《陰》を、こぎにし船の、他都枳之良受母《タヅキシラズモ》と、海の上にてよみしを立木とせんかは、
 
○金野乃《アキノノノ》、美草苅葺《ミクサカリフキ》、【額田姫王歌】
 
注に※[てへん+僉]《ミルニ》2山(ノ)上(ノ)憶良(ノ)大夫(ガ)類聚歌林1曰、【注とは本文の歌の左に有る注をいふ、下これに同じ○山上憶良大夫は古の物知人と聞ゆるを、此類聚歌林は惣て誤多きを思ふに、後の好事人、憶良の名を借て僞り書し物なり、よりて多くはとらず、されどかほどむかし人の書しかば、たま/\は依べき所も無にあらず、】一書(ニ)戊申(ノ)年幸2比良(ノ)宮1大御歌、(考にもいへる如く、飛鳥川原宮におはせしは、齊明天皇重祚元年乙卯の冬より、二年丙辰の冬までにて、此御時に戊申の年はなし、此注例のよしなし、)但紀曰、五年春正月己卯(ノ)辛巳、天皇至v自2紀(ノ)温湯1、三月戊寅(ノ)朔幸2吉野宮1而肆宴、(此五年は後(ノ)岡本(ノ)宮におはしませば、川原宮にかなはず、ことに三月なればこゝに秋野と有に背けり、)庚辰天皇幸2近江之平(ノ)浦(ニ)1、(この度の事歌に金野と有を思へば、紀に三月の幸と有は誤れるなるべし、凡遠き幸には百官皆御ともをし、經給ふ國々もゆすりて大きなる御事なるを、朔日に吉野におはしまして、三日に近江への幸有べきにあらねばなり、その飛鳥板蓋(ノ)宮燒て、俄に川原(ノ)宮へうつりまし、かりの宮どころ故に、宮(ノ)地をかた/”\求ませるよし紀に見ゆ、仍て近江の穴穗(ノ)宮の舊地など見まさんとて、かの川原(ノ)宮の二年の秋に幸有つらんとおぼゆ、然れば紀を捨て集によるべし、紀の本は後に加へ(3064)しものなるが中に、齊明天智の卷はことに誤れる事多ければ、みだりに取がたきなり、)
 
○熟田津爾《ニギタヅニ》、 後(ノ)崗本(ノ)宮、額田姫王歌
 
注に、右※[てへん+僉]2山上憶良大夫類聚歌林1曰、飛鳥岡本(ノ)宮(ニ)御宇天皇(ノ)元年己丑、(此元年は何の用ともなし、又舒明天皇より齊明天皇まで元年に己丑もなし、)九年丁酉十二月己巳(ノ)朔壬午、天皇太后幸2于伊豫(ノ)湯宮1、(舒明天皇紀に、九年此幸なし、十年十月にあり、伊與風土記に崗本天皇并皇后二躯爲2一度1と有をこゝにはいふと見ゆ、然どもこゝは後(ノ)崗本宮と標せれば、右は時代異にて用なし、)後(ノ)崗本宮(ニ)馭宇天皇七年辛酉、春正月丁酉(ノ)朔壬寅、御船西征、始(テ)就2于海路1、庚戌御船泊2于伊與(ノ)熟田津(ノ)石湯(ノ)行宮(ニ)1、(これより上三十六字のみ後(ノ)岡本(ノ)御代の事にて、こゝの事なり、他は皆用なし、)天皇御2覧昔日猶存之物(ヲ)1、當時忽起2感愛(ノ)情(ヲ)1、所d以因(テ)製(シ)2歌詠1、爲c之哀傷u也、(此天皇と申より下は又注にて甚誤れり、ここに製2歌詠1といふは、右の歌を指に、其歌何の處に感愛の意有とするにや、思ふにむかし天皇と御ともに、おはしましゝ時のまゝによろづは在て、天皇のみおはしまさぬを悲しみ給ふ御心より、むかしの御船のこぎ來れかしとよみ給へりと思ふなるべし、こは今者こぎ乞《コソ》など訓べき乞の字の例をもしらで、こぎこなど訓誤りてよしなき事に取なせるものぞ、乞は集中に多くこそと訓て願ふ意なり、且月立てば汐もかなひといふからは、今は船こぎ出こそといふより外に意なし、古言をも古歌をもしらぬものゝ、憶良の名をかりて人を惑はすなり、)即此歌者天皇(ノ)御製(ナリ)焉、但額田王(ノ)歌者別(ニ)有2四首1、(四首別にあらば何の書とも、何歌ともいふべし、右にいふ如くのひが心よりは、何歌をか見誤ていふらん、上の軍王の歌より始めて古注多かれど、煩はしくてさのみは論ぜず、是らを推てしれ、
 
○莫囂國隣之大相古兄※[氏/一]湯氣、
 
是を今本に、莫囂圓隣之、大相七兄爪謁氣と有のみを守りて、強たる説どもあれど皆とらず、何ぞといはゞ、諸の本に字の違多きを見ず、古言に本づきて訓べき物ともせず、後世意もていふ説どもなればなり、仍て年月に多くの本どもを集へ見るに、まづ古本に、莫囂國隣之と有、古葉略要に、奠器國隣之とす、又一本に、莫哭圓隣之とす、今本と四本かゝるが中に、古本ぞ正しかりき、二の句は古本に大相云兄爪謁氣と有、古葉(3065)略要に、大相土兄瓜氣湯氣とす、一本に大相七兄瓜謁氣とす、又今と四本なり、是を考るに、七も土も古の草より誤り、瓜は※[氏/一]《テ》を誤、謁は湯なり、是を合せもて大相古兄※[氏/一]湯氣となす時、言やすく意通れり、訓は考にいへり、
 
○詔2内大臣《ウチノオホオミ》藤原(ノ)朝臣1、
 
こは鎌足公をいふ、此公を内(ノ)臣といひしは、其比|内外《ウチト》の位有し類にはあらず、内つ宮の事を專らすべ知ればいふなり、元正天皇紀に、(養老五年十一月なり)詔曰、凡家(ニ)有(ハ)2沈痾1、大小不v安、卒發2事故1、汝卿房前、常|作《ナリ》2内(ノ)臣(ト)1、計2曾(シ)内外(ヲ)1、准(テ)v勅(ニ)施行(シ)、輔2翼(シテ)帝業1、永寧(セヨ)2國家(ヲ)1と有は、この鎌足公の内臣《ウチノオミ》になぞらへ給ふと見ゆれば、是をもて古へをも知べきなり、且鎌足公始め内の臣と聞えし時は、大錦冠にて四位に當り、房前公も右の時は三位にて大臣にあらず、然ればともに内の臣と有べきを、紀にも後の極官に依てまぎらはしき所多きが中に、天智天皇三年の紀に中臣の内(ノ)臣と有のみは正しかりけり、【續紀に、藤原魚名公は、寶龜九年大納言にて爲2内(ノ)臣1給ふは、房前公(ノ)内(ノ)臣の如し、其明年爲2内(ノ)大臣1、然は只内(ノ)臣といふは大臣にあらぬ事知べし○鎌足公は薨給ふ日に、大臣位も藤原氏も賜りしを、紀に先だちて藤原内(ノ)大臣など有は史法にあらず、此類は皆後人のわざなり、】然れども此集は奈良の朝に至て書からに、凡極官をしるせる例にして内(ノ)大臣藤原(ノ)卿と書しはさても有べきを、此所にのみ朝臣の加婆禰《カバネ》をしるせしは後人のわざなるべし、仍て考には此集のまゝに藤原卿とかきたり、
 朝臣のかばねは、天武天皇十三年に至て賜て、鎌足公の時は中臣連なりしかど、惣て後に依てしるすからは、かばねもしか有べきかと思ふ人有べけれど、此集の例にたがふ事右にいふ如くなればとらず、
 
○黄葉《モミヂバ》、
 
集中に黄葉と書て毛美治婆《モミヂバ》とよめるは正訓なり、【もみぢばを紅葉と書こと、から國の唐の王維韓愈などが詩に見ゆれば、いとはやくよりかしこには書けん、然るを萬葉には專黄葉と書、又赤葉とも有、紅葉と書しは只一所のみ、】同じ黄葉の字を毛美豆《モミヅ》、毛美|治《ヂ》など訓は略なり、かくて毛美治|婆《バ》てふ言は、眞丹土美出葉《マソホミイヅルハ》てふ事にて、言の約《ツヾメ》などの事は考にいひつ、その中に丹土《ニツチ》の名を曾保《ソホ》といふよしは、卷六(今十四)に、まがね(3066)ふく、爾布能麻曾保乃《ニフノマソホノ》、伊呂爾低※[氏/一]《イロニテヽ》てふ麻《マ》は眞《マ》なり、曾保《ソホ》は丹土《ニツチ》なり、赭字をも書り、卷十四(今三)に赤曾保船《アケノソホブネ》、卷三(今十三)にも赤乃曾|朋《ホ》舟、曾朋舟爾、また左丹漆之小《サニヌリノヲ》舟、卷十六に赤羅小《アカラヲ》船、また佛造《ホトケツクル》、眞朱《マソホ》など有、この左丹漆の左《サ》は曾保の約轉にて、即そほ舟の事なるを、上の爾布《ニフ》の麻曾保に合せ見ば疑なからん、(爾布は丹|生《ブ》にて丹土の有からに、地の名とも成たり、)○曾保|美《ミ》の美を麻利の約といふは、赤み白み黒みを、赤まり白まり黒まりといふ類なり、(考にも、上の條にもいへるを見よ、)○治《ヂ》は出《イヅ》るを略き轉ぜり、其木の葉に本含て有色の、秋寒き露霜にかれんとする時顯れ出るなり、(色をふくまぬ木の葉は、同じ露霜にあへど、散はつるまで色なきにてしる、)○毛《モ》の一言を麻曾保《マソホ》と解は、こと遠しと思ふ人あらん、こは麻曾保の麻曾の約も麻保の約も共に毛一言となるなり、(數《カズ》の言を約て一言にいふは、紀につりばりを約てちといふ類なり、)さてよろづの色に曾美《ソミ》と云は、曾保萬利を約めたるにて、其始(メ)眞丹土《マソホ》をもて衣に摺染しよりの名なるを思へ、【もみぢばといふもみぢは、右の黄、又赤紅などに當り、ばは葉に當れり、然るを近き比に、もみぢばといふ所を紅葉葉と書は、葉一つ餘れり、童の爲とならば、もみぢ葉と、上三つをかなにて、末一つを葉と書べし、此類の事多し、心せよ、】
 
○吹黄刀自、
 
吹黄てふ氏のおぼつかなき事は考にいひつ、○刀自《トジ》は假字にて戸主《トジ》の意なり、紀に(允恭)戸母此(ニハ)云2覩自《トジト》1といひ、卷十三(今四)に、(坂上郎女、そのむすめ大孃子に贈る歌に、)我兒《ワガコ》の刀自ともよみたり、かくてその戸は家なり、自《ジ》は主《アルジ》の略にて、神祇官の宮主を、みやじと唱ふる類なり、後にいせの物語にいへあるじ、又常にいへぬしといふ即是なり、さて紀に戸母と書しは、古へ戸内の事を、母なる人の老はつるまでとりつれば、老母ぞ必|戸《イヘ》ぬしなる故なり、集に我|兒《コ》の刀自とよめるは、母郎女は竹田の庄に住て、此時むすめの大孃子《オホイラツメ》ぞ坂上の家主にても在、又は歌なればいさゝかあがむる意にも有なり、然れば刀自は老女のみをいふならねど、專らなる方によりて戸母の字を用しのみとしれ、さて是らは本をいふのみ、此所の刀自は女の喚《ヨビ》名につきたるものにて、此女は戸主ならず、十市(ノ)皇女のおもと人なるべし、(和名抄に刀自を老嫗とのみいひし(3067)は委しからず、)【後世是をいへとじと云は、戸《ト》は即家なるを思はぬ俗言なり、又其いへとじを言便にてとを濁り、且とうと引ていふを、又の好事は家童子とさへ書て附會の説をいへり、是らの類から學びする人のくせぞ、○續紀以下に、女の名に刀自女《トジメ》といへる多く見ゆ】
 
○耳我《ミヽガノ》嶺、【淨御原宮の大御歌】
 
考にいへる如くこは御缶《ミミガ》の嶺《ネ》てふ意なるを思ふに、此山の形大きなる甕《ミガ》に似たればにやあらん、さて卷三(今十三)に同じ此句を、御金高爾《ミガネノタケニ》と書誤しを思ひ、或は非時《トキジクに雪の降てふにもより、又かくばかり吉野の中にもことなる嶺なるを、此御歌の外に聞えざるを思ふにも、後に金峯《カネノミタケ》といふぞ即是なる事しるべし、【近き比大和の國の事書たるものに、耳我(ノ)嶺を金峯の外に有とせしは、よく考へざりしなり、惣て地の事は古へをよくしらで誤りぬ、又金を埋置て彌勒の出世を待といふが如きは、例の虚ごとの中にもことにひがごとなり】かくて源氏夕顔物語に、御たけさうじにぬかづく聲を聞て、かりの世に何をむさぼるらんと有と、今昔物語に、此嶺にこがね多き事いひしをさかのぼらせ思へば、今京このかたの人、此山は金《コガネ》有故の名と思ひて、式にも金峯とは書しなりけり、皇朝の上つ代いまだ金のあらはれざりし時に、こがねもて名づけん物かは、皆後人ゆくりなく思ひ誤りし事明らかなり、
 
○柿本朝臣人麻呂、
 
柿(ノ)本(ノ)臣《オミ》は、古事記に、葛城(ノ)腋《ワキ》上(ノ)宮(ノ)天皇の皇子、天押帶日子(ノ)命の後、十六氏に別れたる中の一つなり、且|臣《オミ》のかばねなりしに、淨御原(ノ)宮の御時朝臣と爲給へり、かくて此人麻呂の父祖は考べき物なし、紀に(天武)柿本朝臣|佐留《サル》とて四位なる人見え、續紀には同氏の人かた/”\に出て、中に五位なるもあり、されど何れ近きやからか知がたし、さて人麻呂は 崗本(ノ)宮の頃にや生れつらん、藤原宮の和銅の始の頃に身まかりしと見えたり、さて卷二挽歌の但馬(ノ)皇女(ノ)薨後云云(此皇女和銅元年六月薨、)の下、歌數のりて後此人在2石見國1死としるし、【こゝに引し和銅元年と同三年都うつしとの間なれば、和銅二年に死たりといふべし、】其次に和銅四年としるして他人の歌あり、(同三年奈良へ京うつされたり、)すべて此人の歌の載たる次《ツイ》でも、凡和銅の始までなり、齡はまづ朱鳥三年四月、日並知皇子(ノ)命の殯宮(3068)の時此人の悼奉れる長歌卷二に有、蔭子の出身は廿一の年よりなると、此歌の樣とを思ふに、此時若くとも廿四五にや有つらん、かりにかく定め置て、藤原宮の和銅二年までを數るに、五十にいたらで身まかりしなるべし、此人の歌多かれど老たりと聞ゆる言の無にてもしらる、且出身はかの日並知皇子命の舍人《トネリ》にて、(大舍人なり、)【内舍人は大寶元年六月始て補せられしかば、こゝにいふは大舍人なり、されど後世ばかり卑くはあらず、】其後に高市(ノ)皇子(ノ)命の皇太子の御時も同じ舍人なるべし、卷二の挽歌の意にてしらる、筑紫へ下りしは假の使ならん、近江の古き都を悲み、近江より上るなど有は、是も使か、又近江を本居にて、衣暇《イカ》田暇《デンカ》などにて下りしか、【官人五月と八月に、田暇衣暇とて三十日づゝの暇を給、又三年に一度父妣を定省する暇も給へる令の定めなり、】いと末に石見に任《マケ》て、任の間に上れるは、朝集使税帳使などにてかりに上りしものなり、此使には、もろ/\の國の司一人づゝ九十月に上りて、十一月一日の官會にあふなり、其上る時の歌にもみぢ葉をよめる是なり、即石見へ歸りてかしこにて身まかりたるなり、位は其時の歌、妻の悲める歌の端にも死と書つれば、六位より上にはあらず、三位以上に薨、四位五位に卒、六位以下庶人までに死とかく令の御法にて、此集にも此定めに書て有、且五位にもあらばおのづから紀に載べく、又守なるは必任の時を紀にしるさるを、柿本人麻呂は惣て紀に見えず、然ば此任は掾目の間なりけり、此外に此人の事考べきものすべてなし、後世人のいふは皆私ごとのみ、よしや身はしもながら、歌におきて其頃よりしもつ代にしく人なきからは、後(ノ)世にことの葉の神とも神とたふとむべきはこのぬしなり、其言とも龍の勢有て、青雲の向伏きはみのものゝふと見ゆるを、近江の御軍の時はまだわかくしてつかへまつらねば、いさほしをたつるよしなく、歌にのみ萬代の名をとゞめたるなり、 古今歌集の今本の貫之が序に、人麻呂をおほきみつの位と有は、後人の書加へし僞ごとなり、同集の忠岑の長歌に、人まろこそは、うれしけれ、身は下ながら、ことのはは雲の上まで聞えあげといへり、五位ともなれらば身は下ながらといふべからず、まして三位の高き位をや、かく同じ撰者がよめるを擧て、序にこと樣の事かゝんや、すべて古今集には後の好事(3069)の加へし事有が中に、ことに序には加はれる言多し、古へをよく知人は見分べし、そのあげつろひはかの集の考にいへり、又かの眞字序は、皇朝の事を少しもしらぬ人の書しかば、萬葉の撰の時代も、人まろ赤人の時代をも甚誤れり、そもかの考にいへればここは略けり、
 
○夷《ヒナ》、【近江の荒都をよめる人麻呂長歌、】
 
比那《ヒナ》は日之下《ヒノシタ》てふ言なり、【から國には四方に字を分しかど、こゝには夷にても狄にても、かりて書のみなり】何ぞといはゞ、神代紀に、避奈菟謎《ヒナツメ》といへるは、天《アメ》よりして下《シモ》つ國の女を云なり、古事記に、毛々陀流都紀賀延波《モヽタルツキガエハ》、(百|枝《エ》足槻なり)本都延波《ホツエハ》、(上つ枝なり)阿米遠淤幣理《アメヲオヘリ》、略|志豆延波《シヅエハ》、(下つ枝なり)比那袁淤幣理《ヒナヲオヘリ》てふも、【比那袁は日(ノ)下をなり、淤幣理は覆なり、】天に對《ムカ》へて下つ國を比那といへり、さて其天をば日ともいふは、神武天皇を、紀に天神子《アマツカミノミコ》とも日神子孫《ヒノカミノミマゴ》とも申し、天皇をあめすべらぎとも日のみ子とも申し、御門を天つみかどとも日の御|門《カド》ともいひ、後世天の下てふ事を日の下といふも、思ふに古言なり、かくて言を解に、比那の比《ヒ》は日なり、那は乃志多《ノシタ》の三言を約《ツヾメ》たるなり、(數言を一言とするには、上下の二言を約、)【乃多の約那なり、】仍て日の御子の敷ます、宮所《ミヤコ》を天《アメ》とし、外《ト》つ國を天の下として比那とはいふなり、
 
○宇良佐備《ウラサビ》、黒人(ノ)歌
 
宇良は内なり、卷十一(今十五)に、天地の、曾許比能宇良爾《ソコヒノウラニ》、わが如く、君にこふらん、人はさねあらじてふは、天地のとほ放《ザカ》れる内にといふなり、集中に瀧の浦、磯の裏《ウラ》などいひ、海べに浦といふも、もとは裏《ウチ》のことなるよし、卷二の考にいへるが如し、
○又かの内といふより轉て人の心の事をいふぞ多き、されど其中に分ち有、先こゝに國つ御神のうら佐備て、荒たる京てふは、その國しきませる神の御心の冷《スサ》びて荒たりといふなり、(此佐備は冷《スサマシ》き意なるよし、次々に見ゆ)又卷六(今十四)に、君が來まさぬ、宇良毛等奈久毛《ウラモトナクモ》てふも、平《ツネ》言に心もと無てふに同しくて、うらは内々に思ふ、下に思ふなどいふにひとし、又此卷に、浦佐夫流、情佐末禰之《コヽロサマネシ》てふも、右の浦佐備と同じ事成を、次に情といふは、宇良は顯れて心といはぬ言故に、こは輕く取て、次にこゝろといへり、譬ば宇良なくといふは、心にくま無となるを、宇良もなき心ともいふ(3070)が如し、同ことを輕くもおもくも用るは歌文などのならひなり、此外にうら戀し、うら悲し、うらめづらし、うらさびしなどいふ皆是なり、
 
○佐備、
 
こは四くさばかりに轉《ウツ》しいふめり、〇一つは進《スヽ》むるを須佐備《スサビ》、また佐備《サビ》ともいへり、(こは須をはぶく、)古事記に、速須佐之男命《ハヤスサノヲノミコト》、云云、我勝云而《アレカチヌトノタマヒテ》、於2勝左備《カチサビ》1、離《ハナチ》2天照大御神之|營田之阿《ミツクタノアヲ》1、埋《ウヅメ》2其溝《ソノミゾヲ》1、云云、かの命かけ物に勝ましゝ御心勢ひの進(ミ)に、物を荒しなどし給ふを、勝佐備といひて、荒進《アレスヽ》む方にいへり、(右の浦佐備などの事は下にいふ、)【すさびは本|進《スヽ》むことなるを、用る事によりてくさ/”\にわかるゝのみ、】○また卷七(今十)に、朝露に、咲酢左乾《サキスサビ》たるつき草のてふは、たゞ花の咲進むなり、卷十八に翁佐備勢牟《オキナサビセム》てふは、老の心進みせんといふにて、愁いかる時、心の和進《ナグサム》わざするに同じ、心ずさみ、手ずさみなどいふ是なり、卷四(今十一)に、雲だにも、灼《シルク》したゝば、意進《ナグサメニ》、見乍《ミツヽ》をらまし、直《タヾ》にあふまでにてふ、意進の字を思へ、【卷四の歌、今本の訓はわろし、】○神佐備といふも同じ、此卷に、(幸吉野宮)神長柄《カンナカラ》、神佐備世須登《カンサビセスト》、芳野川云云てふ、即天皇の神御《カンミ》心のすさみせさせ給ふよしなり、〇二つには只神ぶりしたる事をも神さびといふ、此卷に、耳爲之《ミヽナシノ》、蒼菅《アヲスガ》山|者《ハ》、云云、神佐備立《カミサビタテリ》、卷六(今十四)に、神さぶる、伊駒《イコマ》高禰などの類多かり、卷二に、宇眞人佐備而《ウマヒトサビテ》、卷九(今五)に、遠等※[口+羊]良何《ヲトメラガ》、遠等※[口+羊]佐備周等《ヲトメサビスト》などいふも、かのすさびより出て、物の有さまをいふことゝも成ぬ、是一轉なり、(ならの中末になりて、神さびを神|備《ビ》とのみもいへるは、轉にはあらで言の略なり、)【後世に雨すさむは雨のすゝみ降なり、雨ふりすさむは降止ことゝいへるは不意ことか、卷七に、朝露に、咲|酢左就《スサビ》たるつき草の、日たくるからに、けぬべくおもほゆ、てふ咲すさびと、かの降すさむと意均しくて進むなり、かの説の如く分ちいへる言古へはなし、】○三つには、かの神布里とするより又轉じて、たゞ古《フル》びたる事とも成ぬ、卷十四(今三)に、いつの間も、神佐備けるか、香具《カグ》山の、ほこ杉が末《ウレ》に、※[草冠/辟]生《コケムス》までに、卷十二(今八)に、神佐夫等《カミサブト》、いなにはあらず、卷七(今十)に、石上、ふるのかみ杉、神佐備而、吾は更々、戀にあひにけりとさへあり○四つにはうらさびといふなり、こは上に擧し勝左備《カチサビ》は、勝たる氣の進みには物(3071)を荒す方と成より轉て、是も國つ御神の心すさびて、國の亂をおこしあらせしとよめり、(あふみの荒都をよめる歌なり、)又かく物を荒すまでにはあらで、心の和《ナグ》さめがたきをいふはことに多し、此卷の末に、浦佐夫流《ウラサブル》、情佐麻禰之《コヽロサマネシ》、卷二に、晝羽裳《ヒルハモ》、浦不樂晩《ウラサビクラシ》、(一云浦不怜、)卷十三(今四)に、旦夕爾《アシタヨフベニ》、左備乍將居《サビツヽヲラム》、又今よりは城山の道は不樂牟《サブシケム》、卷十四に、世中の遊《アソビ》の道爾《ミチニ》冷者《サブシクハ》これらなり、かくさま/”\に轉ぬれど、其本を得る時は皆聞ゆ(不樂も不怜も、今本にうらぶれと訓しは誤れり、)
 
○有云《アリチフ・アリトフ》、
 
こはありちふとも、ありとふとも訓、そは先|安里登以布《アリトイフ》の登以《トイ》の約《ツヾメ》知《チ》なれば、卷九(今五)に、宇既具都遠《ウゲグツヲ・穿沓なり》、云云、ふみぬきて、由久智布比等波《ユクチフヒトハ》、またいたき瘡《キズ》には、鹹鹽《カラシホ》を、灌知布《ソヽグチフ》がごと、卷十二(今八)に誰《タレ》の人かも、手爾將卷如布《テニマカムチフ》など有是なり、又|登布《トフ》と訓は、登以布《トイフ》の以《イ》を略くなり、卷九(今五)に、さよひめが、必禮布理伎等敷《サヨヒメガヒレフリキトフ》きみまつらやま、卷二十に、波々登布波奈《ハヽトフハナ》乃、さきてこずけんなど多し、これを東の國人は、見るちふ聞ちふなど常に今もいへり、然るを今京このかた※[氏/一]布《テフ》といへるは、その知《チ》を※[氏/一]《テ》に通はせるなり、かくて奈良の朝まではてふといはざれば、此集にては右の如く訓べし、今本にてふと訓し時代の言にくはしからぬなり、
 
○名爾負《ナニオフ》、
 
こは二樣に聞ゆれど本同じ意なり、卷四(今十一)に、早人《ハヤビトノ》、名負夜音《ナニオフヨコヱ》、また何《イカサマニ》、名負神《ナニオフカミニ》、幣嚮奉者《タムケセバ》、卷十一(今十五)に、巨禮也己能《コレヤコノ》、名爾於布奈流門能《ナニオフナルトノ》、宇頭之保爾《ウヅシホニ》などは、たゞ何にても其名に負《オヒ》て有をいふなり、【或人名にあふ坂とつゞけしを、かき違へりといへば、猶よし有といふこそをこなれ、古へのことばを、古への假字にたがひてよし有とせんは、此國の人の言にあらず、】今一つは、此卷に、これや此、云云、名二負勢《ナニオフセ》乃|山《ヤマ》、卷十五(今六)に名耳乎《ナノミヲ》、名兒山跡負而《ナゴヤマトオヒテ》、吾戀の、千|重《ヘ》のひと重《へ》も、なぐさまなくになどにて、名に負てふ意は右とひとしきを、是は文《アヤ》にいひしのみなり、且皆負と書たるにて此言の意は明かなり、
 後人是を名に應こゝろといふは、皇朝の古言に字音は無をだにこゝろ得ざるなるべし
 
○春部者《ハルベハ》、幸吉野宮時
 
(3072)部《ベ》は假字なり、仍て春部爾者とかゝぬをば、はるべはと四言に訓なり、今本是をもはるべにはと訓しはひがことぞ、假字の下に辭をそへいふ事なければなり、さてこは春の方《カタ》てふことなれば、正しくは春方と書べし、【行へ古へなどのへは、もと濁る言なれど、言便にてえの如く唱是をえといふは即半濁なり、】古事記に、匍2匐《ハヒモトホリ》御枕方《ミマクラベニ》1、匍2匐|御足方《ミアトベニ》1てふ同じこゝろを、卷九(今五)に、父母波枕乃|可多爾《カタニ》、妻子等母波《メコトモハ》、足乃方爾《アトノカタニ》、圍居而《カクミヰテ》ともいひ、春べに向ひてと云事を、春|方設而《カタマケテ》ともいへばなり、又卷二に、皇子宮人《ミコノミヤヒト》、行方不知毛《ユクヘシラズモ》、卷八(今七)に、因來浪之《ヨリクルナミノ》、逝方不知毛《ユクヘシラズモ》、その外山べ海べなどの、べも皆|方《カタ》てふ事なり、又は此べに邊の字を書も即假字なり、集中に多くあれどみな同じ、然るをべといふ言の相似たるによりて、惣て山べ川べのべを邊の字音の如く思ひ誤る人も有べし心せよ、(右の枕|方《ベ》を、神代紀の一書に頭邊と書しは、からざまに書し物なるを、字に付て言の意を誤る人有、)
○宮柱|太敷坐波《フトシキマセバ》、 高殿乎高|知座《シリマシ》而、
 
高知は高敷といふにひとし、古事記に、於《ニ》2底津石禰《ソコツイハネ》1、宮柱布刀斯埋《ミヤバシラフトシリ》、高天原爾椽多迦斯理《タカマノハラニチギタカシリ》てふ同じものを、祝詞には宮柱|太敷立《フトシキタテ》とかき、卷十五(今六)に、宮柱太敷|奉《マツリ》、高|知爲《シラス》、布當乃《フタヘノ》宮者てふ類多し、又祝詞に瓶上高知《ミカノヘタカシリ》てふは、たけ高き酒瓶《ミカ》ともを繁く並べたるをいひて、即高|敷《シク》てふ言なり、然れば知《シリ》は敷《シク》にて、敷は繁《シゲ》きことなり、知ます國とも、敷ます國ともいひたり、物知《モノシル》人といふも、萬づの事を繁く思ひ布《シキ》たるをいひて、知《シル》と布《シク》は同じきなり、【しるとしくと別ぞと思ふは、から文字にめなれて惑へるなり、】
 
〇嗚呼兒乃浦爾《アゴノウラニ》、船乘爲良武《フナノリスラム》、※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》、
 
此歌の訓のことは考にいひつ、こゝにはあだし事をいはん、これを拾遺歌集に、端を伊勢の御ゆきにまかりてと有は、此歌の端は、幸2伊勢國1時、留(テ)v京作歌と有て、歌も皆其意なるを、萬葉をも見ずおしはかりにそら言せしなり、歌をもいかに意得つらん、又|御御從《オホミトモ》に參るを、まかるといへるもひが言ぞ、まかるとは公より退くをこそいへ、御幸の時いふ事にあらず、又此歌の本を、あふのうらにと訓もよしもなき誤なり、つまどもがと訓もひがことなり、つまとは夫婦にわたりてこそいへ、仍てつまどもてふ言はなし、又是をわぎもこがと訓るも誤れり、そは上に吾といふ字なくてはよ(3073)まぬ事なり、いかで古歌古言をば、はやくよりかくまで誤りぬらん、此後のふみどもにも萬葉の歌を擧たるには誤らぬこそなけれ、かゝれば後を以て古へをいふべからず、
 
○短歌、【輕皇子宿2安騎野1時長歌】
 
長歌の末には反歌と有ぞ例なる、然るに此卷には此所のみ短歌とあり、(藤原御井(ノ)歌にもあれど、彼短歌は別の歌にて一本と見ゆ、其外一所に有も注歌なり、)卷二には五所短歌とあり、(外に三所有は、或本の歌なり、)此外は皆反歌としるせり、卷三より下は二百まり有る長歌に、皆反歌と有、かゝれば一二の卷は家々に書しに、私に短歌ともしるし、又も一書どもには、短歌と有しが、まぎれ入しものなり、故此度は皆反歌とせり、(反歌の事は考にいひ、又歌の數をしるししるすまじき事は下にいへり、)【後世は長歌短歌の事をすら、まとひ誤るてふよしいふか、長きを長とし、短きを短しとする事、古へ今誰かうたがはんや、いふにもたらねばくはしくはいはず、】
 
○宜名倍《ヨロシナヘ》、
 
與呂志てふ言は、物の足《タリ》そなはれるをいふ、よろづ、よろこび、よろひなどいふ皆同じ言より別れたるなり、故此卷に、取與呂布《トリヨロフ》、天(ノ)香具山てふは、山のかたち、麓の木立、池のさまゝでとゝのひ足《タリ》たる山なればなり、耳爲《ミヽナシ》の、青|菅《スガ》山は、宜|奈倍《ナヘ》てふも、山の像《カタチ》のそなはれる事、香具山にいへるが如し、懸乃宜久《カケノヨロシク》、遠津神、吾大王乃とよまれしも、本より百千足《モヽチタル》天皇の御事なれば、申すも更なり、卷十四(今三)に、宜奈倍《ヨロシナヘ》、吾|背《セ》乃君が、負來《オヒキ》にし、此|勢《セ》の山を、妹とはよばじてふも、萬つ足たる君とほめいふなるを知べし、かくて奈倍《ナヘ》てふ言は並《ナベ》の意なり、されども右は別々《コト/”\》に並《ナラ》ぶるにあらず、譬は身一つに數の相《カタチ》を具《ソナフ》と云が如し、【紀に、(應神)あはぢ島、いやふた並《ナラ》び、あづき島、いや二並び、よろしきしま、云云と云は各相並て形の調へるなり、】常志奈倍《トコシナヘ》は常《トコ》しく年を續並《ツギナベ》ゆく事なり、又別物と相むかへて奈倍といひたるぞ多き、卷十一(今八)に、けさの朝け、鴈かね寒く、聞し奈倍《ナヘ》、野べの淺茅ぞ、色付にける、卷七(今十)に、鴈がねを、聞つる奈倍爾《ナヘニ》、高まどの、野の上《へ》の草ぞ、色づきにける、雁がねの、來《キ》鳴し共《ナヘ》に、から衣、立田の山は、もみぢ始《ソメ》たる、雁がねの、聲聞|苗《ナヘ》爾、あすよりは、春日の山は、もみぢそめなん、雁(3074)がねの、さむく鳴|從《ナヘ》、水莖《ミヅグキ》の、岡の葛葉は、色付にけり、雁がねの、喧之從《ナキニシナヘニ》、かすがなる、三笠の山は、色付にけり、はぎが花、咲たる野べに、日ぐらしの、鳴なる共《ナヘニ》、秋風(ノ)吹、あしべなる、をぎの葉さやぎ、秋風の、吹|來苗《クルナヘ》に、鴈鳴渡、この歌ども皆二つの事をむかへて奈倍といへれば、並ぶ意なるよし明らけし、共と書しにていよゝしらる、【或人奈倍は辭とのみいひしはくはしからず、又奈倍と故《ユヱ》を同じ事と思へるは、假字もしりわかぬ俗なり、故はゆゑなりなへは奈倍なり、古今歌集のいな負せ鳥の鳴なべにも、二つの鳥を並べて思り、】從は一つの物に今一つの並したがふよしなり、苗は借字なり、(從をよりと訓しは、此歌どもにてはわろし、上の歌どもをむかへ見よ、)
 
○引馬野爾《ヒクマノニ》、仁保布榛原《ニホフハギハラ》、
 
遠江國敷智(ノ)郡濱松の驛を、古は引馬の宿といひ、(阿佛尼の記にみゆ、)そこの城を近比まで引馬の城といひ、城の傍の坂を引馬坂といひ、其坂(ノ)上をすこしゆけば大野あり、そを古へは引馬野と云つと所にいひ傳へたり、(此野今は三方が原と云、)さて此度參河國へ幸と有て遠江の歌有をいぶかしむ人あれど、集中には難波へ幸とて河内和泉の歌もあり、紀には幸2伊與(ノ)温湯宮1と有同じ度に、集には讃岐の歌もあり、其隣國へは次に幸もあり、又官人の行いたる事も有し故なり、今もその如くなり、且此野は東西二里餘有て、(今の道法)西北は參河に近ければ、此幸近きあたりまで有けんともおもひしが、猶さにはあらじこと下にいへり、榛原てふ事、或人榛と書しは秋はぎにあらず、今はんの木といふ木にて、その皮《カハ》子《ミ》などもて衣を染ればかくよみ、又秋花さくをば皆芽子とかき、又寄v木寄v榛などの題にて有歌は、ことに榛と書り、其上にこの幸は十月にて、はぎが花有ことなしといひたり、眞淵考るに、右はうはべの理りをのみ思ひてふかくさとらざりけり、先卷八(今七)に、「白菅の、眞野の榛原心ゆも、思はぬ君が、衣にぞする又「古へに、有けん人の、もとめつゝ、衣に摺し、まのゝ榛原、卷十四(今三)に、「いざこども、やまとへ早く、白菅の、まのゝ榛原、手折てゆかん、(此答にも榛原といへり、)卷七(今十)に、夏詠v榛とて「思ふ子が、衣すらんに、にほひ乞《コセ》、島の榛原秋|不立《タヽズ》とも、此外にもあれど歌の意は惣て秋はぎなり、何ぞといはゞ何所にも多くて且なつかしからぬはんの(3075)木の枝を、妹が爲に折て來んともおぼえず、卷七(今十)なるは夏にして秋たゝずともにほえと乞は、秋はぎならで何かあらん、此引馬野のはぎも、花ならずば入亂らするとも、衣に色のにほひうつらんかは、古へ人は有がまゝにこそ歌はよみたれ、皮などの汁もて染《ソム》てふ木の立たりとて、即にほふはぎ原とよまんや、又此幸は十月なれど、遠江はよに暖かにて、十月に此花のにほふとしも多かり、まして此野に今は木《コ》はぎのみ有、こはぎはことに遲く咲なれば、古へも木はぎの咲殘りしなるべし、【はぎに夏より咲も有、又いとおそきも有こと、萬葉にも歌あり、○木《コ》はぎは今も野路にはよろしきほどの木と成りて、秋花さけるを見し人多し、吾底にも植生したるあるなり、】又思ふに幸の時は、近き國の民をめし課《オフス》る事紀にも見ゆ、然れば前だちて八九月の比より遠江へもいたれる官人此野を過る時よみしも知がたし、只このはぎに定むべき字なければ、榛芽子のみならず、令式などには※[草冠/秦]とも書たり、仍て字にかゝはらで皆花さくはぎとすべきなり、(榛と芽子をあながちに分んとならば、榛は木《コ》はぎ、芽子は草はぎとやせん、木はぎは木立は枯ずして、春其木より若枝おへり、古今集に古枝に咲る花見ればとよみ、本あらのこはぎなどいひし是なり、草はぎは冬は莖みな枯て、春土よりもえ出めり、されどそれまでを思ひて字を書分しとはおぼえす、上にいへる如くて有べきなり、)
 
○郎女、娘子、女郎、
 
郎女と書たるをいらつめと訓ことは、景行天皇紀を引て卷二の考にいへるが如し、又娘子と書るも、氏の下に有は皆いらつめと訓ことなり、何ぞといはゞ、古事記に(允恭)長田(ノ)大郎女と有を、紀には(同紀)名形大娘皇女とかき、同記に(仁賢)春日大郎女と有を紀には春日娘子と書たる類いと多きをむかへて知ぬ、下の卷に坂上大孃子をおほいらつめと訓も同く、古事記には某の郎女と有を、紀には某の孃、また媛とも書たり、○又集中に末珠名娘子《スヱノタマナヲトメ》、眞間娘子《マヽノヲトメ》、播磨|娘子《ヲトメ》など、所の名の下に娘子と有類は乎登免《ヲトメ》と訓べし、その末(ノ)珠名娘子を、歌にはこしぼその須輕《スガル》をとめがとよみ、古事記に、丹波の出石《イツシ》乃女を、伊豆志袁登賣《イヅシヲトメ》と假字にても有もて、此分ちを知ぬ、また卷二に姫島(ノ)松原(ニ)見2孃子(ノ)屍(ヲ)1、卷十三(今四)に、三香(ノ)原に幸(セシ)時得2娘子1、豐前國娘子|紐子《ヒモノコ》、其外贈2娘子(ニ)1、思2娘子(ヲ)1などの類も、本よりをとめと訓て、(3076)右の珠名娘子よりこなたは、皆少女處女など書とひとしく、若き女の事なり、○今本に女郎と有多かれど、そは皆郎女を後世人なま心得して誤れり、皇朝の古書に女郎てふ字は見えず、まして氏の下にしか書べきならぬを、大伴(ノ)旅人卿の妻、大伴|郎女《イラツメ》を、卷十三(今四)に、大伴女郎と有は、必ひがことなるをもて、惣てをも知べし、【大伴郎女の事、卷十三の古注に見ゆ、】○卷十三(今四)に、石川(ノ)少郎と有は、本は郎女なりし事、氏の下に有にても事の意にてもしらる、委しくは其卷の別記にみゆ、
 
○入唐、
 
大内へまゐるを入といふにならひて、さらぬ宮などへもあがめて入と書しとおぼしき、集に一つ二つあり、然るをから國へ行を入といふはひがことなり、今京と成て意得られしにや、遣唐使と書し時も有し、凡史式などはから文學びし人のかけば、みだりに他の國をたふとびて入唐大唐など書人あり、又延喜式には入2渤海1使、入2新羅1使としも書しかば、入に心をもつけざりし人も有けん、此集の端詞は、みだりに他國たふとみする人の書し文にならひて、おのづからしか書しものなり、ともあれから國の王の制をもうけぬ此國なるに、みだりに他を崇む時は、民うたがひおこりて、あが天皇の御威稜《ミイツ》のおとるわざぞ、遣唐使をも停給ひしこそめでたけれ、しか停られしかど、かれ何をかいふ、ここに何のたらはぬ事かある、
 
〇清江娘子《スミノエノヲトメガ》進2長《ナガノ》皇子(ニ)1、 注なり
 
右に長(ノ)皇子の住吉之|弟日娘《オトヒヲトメ》とよみ給ひし、同じ娘子と思ひて此注はなせるにや、こゝは亂れて時代の前しりへに成たるよし、考にいへる如くなれは、是を大寶元年の幸《イデマシ》としてもその後慶雲二年の幸までは六とせ經べきを、同し娘子の猶在て、同し皇子にめされんことおぼつかなし、注はおしはかりのわざか、
 
○呼兒鳥《ヨブコドリ》、
 
この鳥は集にもはら春夏よめり、そが中に卷十二(今八)に坂上(ノ)郎女の、世の常に、聞は苦しき、喚子鳥、音《コヱ》なつかしき、時には成ぬとよめるは、三月一日佐保(ノ)宅にてよめるとしるしつ、げに山の木ずゑやう/\青みだち、霞のけはひもたゞならぬに、これが物ふかく鳴たるは、なつかしくもあはれにもものに似すおぼゆ、それより五月雨《サミダ》るゝ頃までもことにあはれと聞ゆめ(3077)り、さて鳴こゑものをよぶに似たれば、よぶこ鳥といひ、又其こゑかほう/\と聞ゆれば、集には容《カホ》鳥ともよみたり、ゐ中人のかつぽうどりといふ即これなり、かんこどりてふも喚子鳥のよこなはり言なり、同し鳥をさま/”\に名づくるは常の事ぞ、【集に、かほ鳥の間なくしば鳴春の野のとよみ、後世のものがたりぶみにも卯月にいへり、集に容鳥果鳥など書しは、字の訓また音を借しのみなり、下に見之欲《ミガホシ》てふことを、見容之とも見果石とも書るをむかへて知べし、容の字につきてかほよき鳥ぞなどいふは、例のことにていふにもたらず、此類のひがこと猶も有、みなしたがふことなかれ、】此鳥萬葉に多く出て何の疑もなきに、後の世人は、古今歌集の一つを守りてひがこといふめり、こはいづこの山|方《ベ》にもあれど、下つふさの國にては、何とかや藥にすとてとれるを見しに、凡は鳩にして、かしらより尾かけてうす黒なり、はらは白きにいさゝか赤き氣有て、すゞみ鷹のはらざまなるかた有、くちばしは鳩のごとして少しく長くうす黒し、脊はうす赤にてはとよりも高し、
 
○大行天皇、
 
大行とは天皇崩ましていまた御謚奉らぬ間に申奉る事なれば、大行の幸といふ言はなき事なり、然るをこゝに慶雲三年と標せし條に、大行天皇幸2難波1と有は、同四年六月天皇(文武)崩まして十一月に謚奉りたり、此六月より十一月までの間に、前年の幸の時の歌を傳聞たる人、私の歌集に大行云云としるし載しならん、さて其歌集を此萬葉のうら書にしつるを、今本には表へ出して大字にしも書加へし故にかくことわりなくは成しなりけり、こは左《ト》まれ右《カク》まれ本文ならぬ事明らかなれば、今度の考には小字にしるして分てり、これが次に大行天皇幸2吉野1と有も、右に准らへて知べし、
 持統天皇は十一年八月に御位を皇太子(文武天皇)に讓給ひつ、故その後は太上天皇と申奉りぬ、かくて太上天皇は大寶二年十二月崩ましたりけるを、こゝに慶雲三年と標して太上天皇幸2難波1と有は甚しき誤なり、仙覺が校合せし時、かゝる事をだにいかで正さゞりけん、かく亂れたるが上に裏書をさへ表へとり出して、しかも本文の如く書なしつれば、今となりて正すこと甚かたけれど、年月に思ひてやゝ考の如くはなしぬ、是には猶いふこと多けれど、煩はしさに(3078)やみつ、【文武天皇難波の幸は、紀に即位三年と慶雲三年となり、吉野の幸は、紀に大寶元年二月と同二年七月となり、こゝの歌に風寒といへば元年二月の度の歌なるべし、これは吉野幸も慶雲の下に擧しはひがことなり、○卷十(今九)に、大寶元十月太上天皇大行天皇幸紀伊國と有は紀と違、又目録に只幸とのみ有はかた/”\違有、そはその卷にいふべし、】
 
○爲當也今夜毛我獨宿牟《ハタヤコヨヒモワガヒトリネム》、
 
こゝに爲當也と書しは、今夜も果《ハタ》して獨ねんやてふ意を得て書たるなり、故にいにしへより此三字をはたや〔三字傍点〕と訓つ、然れば波太《ハタ》は果《ハタ》しててふ言ぞとすめり、常にはたと當るといふは、行はてゝ物に當る事にて、終にといふにちかし、【はたは又てふ言とする人あれど、さらばいづこにてもまたといふべし、別にはたと有からは同じからぬなり、ほと/\と云も、此はたの言を轉して且重ねたる言なり、仍てそれもはて/\てふ意なり、下の卷の別記に其理はいへり、】さて其果してを本にて、さし當る事にも、打つけにてふ事にも轉じいへり、卷十五(今六)に、さを鹿の、鳴なる山を、越ゆかん、日だにや君に、當《ハタ》あはざらん、古今歌集に、「わびぬれば、今はた同じ、難波なる、身をつくしても、あはんとぞ思ふ、是らは果してなり、卷十一(今十五)に、命あらば、逢こともあらん、吾ゆゑに、波太奈於毛比曾《ハタナオモヒソ》、(當《ハタ》勿v念なり)命だに經《ヘ》ば、古今歌集に、(郭公の初て鳴を聞て)「ほとゝぎす、鳴聲きけば、あぢきなく、ぬし定らぬ、戀せらるはた、是らは打つけにとこゝろ得て聞ゆ、同集に、「ほとゝぎす、人待山に、鳴なれば、わが打つけに、戀まさりける、といへると右のを合せ見よ、
 
○吾莫勿久爾《ワレナゲナクニ》、【御名部皇女御歌】又|君爾有名國《キミナラナクニ》てふをも次てに云、
 
こは吾|無《ナカ》らなくにてふを約《ツヾメ》て、われなげなくにとはよみ給ひしなり、その奈加良〔三字傍点〕《ナカラ》の加良〔二字傍点〕を約ればか〔傍点〕と成を氣〔傍点〕《ケ》に轉して奈氣〔二字傍点〕といへり、卷(今十一)に、今だにも、目なともしめそ、相見ずて、戀ん年月、久家眞國《ヒサシケマクニ》、【眞國の眞を、今本に莫と有は誤なり、】是も久しからんにてふを、久しけといへるは右に同じ、さて集中に吾|莫《ナケ》勿久爾といふと、君爾有名國《キミナラナクニ》といふは別にて其われなけなくには、つゞまるところ吾|在《アリ》てふ事、君ならなくには君に不v有てふことばなり、しかるを今本に、吾莫勿久爾をも、われならなくにと訓し故に、こゝの御歌も(3079)下なるも、いかにとも解がたく、且莫の字を、ならと訓例も理りもなくて人まどへり、又其君|爾有名國《ナラナクニ》は、君にあら無にてふを、爾阿の約奈なれば、ならなくにと訓て集中に多き言なり、さて右を猶いはゞ、卷十三(今四)に、わがせこは、ものなおぼしそ、事《コト》しあらば、火爾毛《ヒニモ》水にも、吾莫七國《ワレナケナクニ》、こは事あらん時、吾あるからはいかなる苦《クルシ》みにも代《カハ》りなんと云なり、卷四(今十一)に、眞|葛《クス》はふ、小野の淺|茅《チ》を、心ゆも、人ひかめやも、吾|莫《ナケ》名國、こは兼て領《シメ》おける我あるからは、よそ人の心もてはえひきとらめやはと云なり、又君ならなくには、卷十四(今三)に、いそのかみ、ふるの山なる、杉村の、思ひ過《スク》べき、君|爾有名《ナラナ》國と有て、大かたに思ひ過してあらるゝ君にはあらずといふなり、卷十二(今四)に、君|爾不有國《ナラナクニ》と書しも同じ、卷二十に、伎美奈良奈久爾《キミナラナクニ》と假字《カナ》にても有て、其訓定かなり、
○山(ノ)邊乃御井、
 
山(ノ)邊の御井の事、古きもろ/\の書を見、その國人にも問ぬれど、皆よく當れることなかりき、今立かへり此卷三(今十三)の歌を頓に委く見ておもひ得たり、其よしは、先其長歌に、八隅知之、和|期大皇《ゴオホキミ》、高照、日之|皇子之《ミコノ》、聞食《キコシヲス》、御食都國《ミケツクニ》、神風之、伊勢乃國者、國見者《クニミレハ》(こゝも言の落しなり、)之毛《シモ》、山見(レ)者、高貴之《タカクタフトシ》、河見者、左夜氣久清之《サヤケクキヨシ》、水門成《ミナトナス》、海毛廣之《ウミモマヒロシ》、見渡《ミワタス》、島《シマノ》名高|之《シ》、(是までは國形をいふ、)己許乎志毛《コヽヲシモ》、間細美香母《マクハシミカモ》、挂卷毛、文《アヤ》爾恐、山(ノ)邊乃、五十鈴《イスヽ》乃原爾、(鈴を今本師に誤れり、)内日刺、大宮|都可倍《ツカヘ》、(是大神宮に齋王の仕奉給ふをいふめり、)朝日|奈須《ナス》、目細毛《マクハシモ》、暮《ユフ》日奈須|浦細毛《ウラクハシモ》、(仕給ふ樣をほむ、)春山之、四名比盛而《シナヒサカエテ》、秋山之、色|名付思吉《ナツカシキ》、(齋王に從ひ奉る命婦乳母女嬬、その外の女官をさしてかくはよめり、)百磯城之、大宮人者、(これ皆大内の官女なる故に、もゝしき云云と云、)天|地與《ツチト》、日月共《ツキヒトトモニ》、萬代爾母|我《ガ》といへり、【紀に、天照大神誨2倭姫命1曰、是神風伊勢國則常世之浪(ノ)重《シキ》浪歸國也、傍國(ノ)可怜國也、云云、隨2大神教1其祠立2伊勢國1、興2齋《イハヒノ》宮于五十鈴(ノ)川上1、】此上に伊勢國をほめいへるは、推古天皇紀の文の意と同く、己《コ》許をしもてふより大宮とつゞけたるさま、齋宮離宮をいふにあらず、只大神宮の御事なり、然は今本に五十師乃原と有は誤にて、五十鈴乃原なるを知べし、且御使の王臣たちの事をばいはす、只齋王の仕《ツカヘ》奉給ふ三(ノ)時などのさまをのみよめる歌なれば、其(3080)女官たちをほめて、しなひさかえ、色なつかしきといへり、【六月九月十二月の十六十七日の御祭を三(ノ)時といふ、其日は先神宮の玉がきの門を入て、東殿の座に齋王着給ひ、御わざ有、さて内つ神宮に入て拜み給へり、其東殿には、命婦よりして女官多く仕まつれり、】かくて其反歌に 山(ノ)邊乃、五十鈴《イスヾ》乃|御《ミ》井者、(鈴を是も錦と書しは誤なり、)自然成錦乎《オノヅカラナレルニシキヲ》、張流《ハレル》山可母てふを合せ考るに、此大御宮あたり、今も見るごと山の方《べ》にして、廣く平か成故に、山のべの五十鈴の原ともいひてん、かくて其所に名立る御井の眞清水もわきながれ、そこの山みづなどのけしきもことなれば右の如くもよみ、かの長田王も見におはしつらん、且此歌上に御井者と有て下に山かもといへるを思へば、御井は既所の名と成しならん、かの王の御井を見がてりとよみ給へるにもその意有、
 古へ雅言には、五十の字を惣て伊《イ》の一言にのみかき來たるを、こゝにのみ伊曾《イソ》と訓しは古言よむ例をもしらぬみたり訓なり、【古事記日本紀などに正數をいふには、五十四歳《イソヂマリヨトセ》、五十九王《イソマリコヽノハシラノミコ》などよめど、雅に書し五十の字は數しらず多かれど、一所だに伊曾《イソ》と訓ことなし、】式に伊蘇《イソ》上(ノ)社、又同郡の伊曾てふ所に古井在と云も、右の訓と右の歌を思はぬものなりけり、又五十は五千にて萱師(ノ)郡の忘井かなどいふも、そこは山邊にあらず、その上右の長歌反歌の意にもそむけば諸の説皆ひがことなり、萬葉は本《モト》草の手に書しかば、鈴《スヾ》を師《シ》に誤りしにて、五十鈴《イスヾ》の原とするに疑なし、古事は古書に思ひ定めて後に今をもたくらべて正すべきを、後世を以て古へを推おもふ故に、ひがことどもの出來るなり、○右の歌に大宮都可倍てふをもて、天皇の幸の時か又離宮の事かとも思ふべけれど、此長歌よみし比にていはゞ、持統天皇の幸は五月にて、反歌にかなはず、聖武天皇の幸は壹志郡川口(ノ)行宮に留まし、且此歌は女房のさまをのみよみたればかなはず、又離宮の樣とせんも、式を考るに山遠き所なればかなはず、此外くさ/”\心をやりて思ふに、既いひし外にかなへるはすべてなし、さて大神宮に仕奉るを、などか大宮づかへといはざらん、古事記(景行條)には、參《マヰリ》2入伊勢(ノ)大御神(ノ)宮(ニ)1、拜2神朝廷《カンミカドヲ》1とすら書たり、
 又俗説に、同國河曲郡に山部村てふありて、そこに(3081)古井の在を山邊の御井ぞといひ、既赤人の歌有といへど、其歌近世人のよめる體なり、【古へ名ある井などの絶し多かる中に、此神宮には傳ふべけれど、山崩れ川溢て絶ることも世に多し、此外正に傳るべき事の今無が多かればかたくなに思はざれ、】其上氏も地も山部《ヤマベ》と山邊《ヤマノベ》とは、いと別なるよしをだにしらぬ、をこ人の僞事なり、且古へ倭姫命の宮そこに在しといへども又僞なり、右の長歌は藤原(ノ)宮の末、奈良宮の始つ比によめる體なり、倭姫命のおはせし代よりは凡七百年餘に及ぶを、その宮猶在て、官人女房などならの朝までをれりと思ふか、主もなき宮に官女のをる物にあらず、又さる宮は公より修理せさせらるれば、必所司の文書ありて記録に載を、古へより此事記せる物なし、皆論にもたらぬ事なり、【歌の體は世々に異るといふ中にも、大に異るは奈良の朝と今の京との間なり、其中にも赤人は一人のさまにて、後世人の似せいふ事かなはず、かゝる事をもしらぬものみだりに僞るめり、且山邊|山部《ヤマベ》のわかちは、下の卷の別記にいふ、】
 
○吾兄子《ワガセコ》、妹兄《イモセ》、
 
此言の本は、仁賢天皇紀に、於母亦兄於吾亦兄《オモニモセアレニモセ》、弱草吾夫※[立心偏+可]怜《ワカクサアツマハヤ》矣、この古注に、古者不v言2兄弟長幼(ヲ)1、女(ハ)以v男(ヲ)稱v兄《セト》、男(ハ)以v女(ヲ)稱v妹といへるぞ、上つ代より末の代まで通れる事なり、そはまづ古事記に、(神代紀同)伊邪那伎伊邪邪美(ノ)命の生ませし、天照大御神、次に月讀命、次に須佐能男命とついてゝあり、然るに須佐能男(ノ)命の天に上り給ふ時、天照大御神驚(タマヒテ)而|詔《ノリマサク》、我那勢《アガナセノ》命之上(リ)來(マス)由者、云云、其下にも同大御神の同命を那勢《ナセノ》命と詔ましゝ二つ有、これ大御神は御姉におはせど、御弟の男命《ヲトコミコト》に對て勢とのたまひたるなり、又須佐能男(ノ)命出雲國へ天降ませし時、手名づち足なづちの問に答給ふにも、吾者《アハ》天照大御神之|伊呂勢者《イロセナリ》也とのたまひしも、御弟ながら男命におはせればなり、【伊呂は家等にて、東歌に伊波呂といふ是なり、さて伊呂母伊呂|兄《セ》いろといろねも同じく、同母の子は同家に在故に皆母と同く家等《イロ》と云なり、】かゝるを神代紀には右の同事を吾弟之來云云とかき、一書も皆弟と書て、から文ざまに字を置しより、我古言は失れ行べかりしを、さすがに人有てさる文字にのみにはなづみはてず、古事記などに依てよみは古へにかへして、なせのみことゝ訓こしなり、(3082)且末の代までといひしは、光源氏の物語に、うつせみの君は姉、小君といふは弟なるを、光源氏その小君に向ひて、かの姉の事をいもうとゝのたまひしも、即かの男(ハ)以v女稱v妹てふ古言の遺れるなり、○又夫を勢といひ妻を伊毛といふは、かの伊那邪伎伊邪那美命の御妹兄《ミイモセ》夫妻《メヲ》と成給ひしより始りて、後に他人《ヨソビト》どちの夫婦となれるをも、しかいひならへるなり、(雄略天皇紀の注に、稱v妻曰(ハ)v妹蓋古之俗乎といへるは、いと後世人の注と見えて、ことのおもひはかりたらはずきこゆ、)○又男どちの互に吾|兄《セ》子といふは貴み親めるなり、卷十七に、越中(ノ)介繩麻呂の、守家持へ贈る歌に、和我勢古我《ワガセコガ》、久爾弊麻之奈婆《クニヘマシナバ》云云、その家持のこたへに、安禮奈之等《アレナシト》、奈和備和我勢故《ナワビワガセコ》、云云とよみ又同家持池主の贈答にはことにあまた有、その外にも多かり、
 或人問、古今歌集に貫之の、吾せこが衣春雨とよめるに依て、女をも我せこといへりとて、【此我せこを女とせば、女の衣を男の張も染もする事と成ぬ、きぬの張ぬひは女こそすれ、】此卷十二(今八)の赤人歌、吾勢子爾、令見常《ミセント》念之、梅花、其十方《ソレトモ》不所見、雪乃零有者《フレルハ》てふを引たるはいかにと、答右に擧たる言どもの如く、女は男を兄《セ》といひ、又男どち互に我せこといふ如き事は、集中にみちて多く、古き書どもにも見ゆれど、女を指て吾|兄《セ》といふ事は假そめにもなし、然れば其赤人のみならず、男歌に我勢子と云は、右の家持池主などのよめる例のごとく、人を貴み親むことしして、友たちなどに贈歌なる事しるべし、かの古今集の歌をも解得ずしてしらぬ萬葉歌をみだりに引けんこそをこなれ、さて貫之は女のよめらん意もていひなせし歌にこそあれ、古より歌には男にして女の言をも、女にして男の言をもいへること、たまたまはあり、卷十七に三野(ノ)連石守の、我勢兄乎|安我《アガ》松原|欲《ヨ》見渡婆云云と云は、男の女ざまの言をいひ、卷十二(今八)に大伴坂上郎女の、妹目乎跡見《イモガメヲトミ》之丘邊乃秋芽子者とよめるは、女の男めきてつゞけしなり、これは和《ヤハ》らびて面白き心ざまなれば、貫之もしかとりなしたるなり、
 
○身毛多奈不v知《ミモタナシラズ》、 事者棚知《コトハタナシリ》、
 
此卷(藤原宮づくりの歌)其乎取登《ソヲトルト》、(宮材を宇治川にて筏とせんとて取なり)散和久御民毛《サワグミタミモ》、家忘《イヘワスレ》、身毛多奈不和《ミモタナシラズ》云云この言卷三(今十三)卷十(今九)などにもあ(3083)り、さて多奈は多禰てふ言にて、(奈禰は意同)物を心にたねらひ知得る事なり、こゝは民どもの水に浮居などして身の勞もたねらひしらず仕奉《ツカヘマツル》をいへり、(らひは辭なれば添ていひ只たなとのみもいふ、)卷六(今十四)に、とやの野にをさぎねらはりてふは兎をたねらひと云なれば古言なり、又|給《タマヘ》といふも同言なり、(多萬倍の萬倍の約|米《メ》にて禰に通ふ類なれば、禰米は何れにもいふ、)出雲國造(カ)神賀に、國造姓名(カ)恐美恐美毛申|賜《タマハ》久、大祓(ノ)詞に祓給比清(メ)給といひ、後の物語ぶみに、思ひ給へ知て、聞給へてなど自らの事をいふ、皆其事をたねらひ得、聞得るをいへり、(人を崇めて給ふと云も、其事をよくなし得聞得るよしなり、)卷十(今九)に、(菟原《ウナビ》處女)幾時《イクトキ》も生《イケ》らぬものを、何《ナニ》すとか身をたな知てと云も、命のほどなき人の身とたね知ててふ意なれば、身をたまへ知てといひても同し意なり、卷三(今十三)に(長歌に我待君を犬|莫《ナ》ほえこそと有て、反歌に)あし籬の末かき分てきみこゆと、人にな告そ事者棚知てふも、事のこゝろをたまへ知て聲なたてそと犬に教るなり、又卷十七に、(越中守家持、病て都を思ふ長歌を、越前掾池主の答たる長歌に、春野の興などいひて、いざなふ意有て、)己許呂具志《コヽログシ》、伊謝美爾由加奈《イザミニユカナ》、許等波多奈由比《コトハタナユヒ》といへり、此ことは多奈までは、上に同しきに、由比といへる例此外になし、然れば是は別事とす、
 
萬葉考別記一 終
 
(3084)萬葉考別記二
 
○磐姫皇后《イハノビメノキサキ》、
 
今本にかく后の御名を書たるは、ひがわざなる理《コトワ》りは考にいへり、そもすゞろに記す時はさも有べきを、ここは難波高津宮御宇を擧て皇后と申せば、明らかにぞ有が上に、まして恐みて御名はしるさぬ例なるをや、又今本に君之行、氣長成奴、山多都|禰《ネ》、迎|加《カ》將行、待爾|可《カ》將待とて、此皇后の御歌として、その左に、右一首(ノ)歌、類聚歌林載焉としるしたり、考るに、こは古事記に、(允恭天皇(ノ)條)木梨輕太子《キナシカルノヒツギノミコ》を、事有て伊與(ノ)國へ移しまゐらせし時、輕(ノ)大郎女の皇女の、したふに堪ず追ゆき給はんとして、岐美賀由岐《キミガユキ》、氣那賀久那里奴《ケナガクナリヌ》、夜麻多豆能《ヤマタヅノ》、(同記と此集卷十五〔今六〕に、山|多頭能迎《タヅノムカヘ》とつゞけて、たゞ冠辭なるを、今本には類聚歌林の誤のまゝに書し物なり、)牟加閉袁由加牟《ムカヘヲユカム》(袁《ヲ》は助辭なるを、今本に加と有も誤、)麻都爾波麻多士《マツニハマタジ》、(まつにはえ待堪《マチタヘ》じと云なり、今本まちにか待んと有も誤れり、)とよみ給へる歌なるを、類聚歌林に、言をも後世意もて唱へ誤り、よみ人をも誤りしを、みだりにこゝに加へて人まどはせり、その上たれその人か歌の左に古事記日本紀の言を引たれど、皆本を心得ずして擧たれば何のことわりとも聞えず中々人まどはしなれば捨つ、類聚歌林の歌も本より除たり、(其注に古事記と歌林の違をのみいひて、此集の歌との違をいはぬも、此歌、もと此集にはなかりし事しられたり、)
 
〇戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、
 
(此言の類多きが中に、いさゝかことなると、いと別なるとくさ/”\有を、暗《ソラ》には思ひまどはしければ、皆擧てことわきぬ、)此卷、如是許《カクバカリ》、戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》、(かくの如くこひ/\つゝも、終にかひあらざらん事と知ばといふをつゞめていへる歌ことばの一つなり、)高《タカ》山乃、岩禰し卷《マキ》て、死《シナ》まし物を、【かく言をつゝめいふうたことば、集には類多し、古への一つのすがたなり、】同卷、吾妹子に、戀乍不有者、秋はぎの、咲て散ぬる、花ならましを、(花の散を死にたとふ、)卷四(今十一)わぎも子に、戀乍不有者、苅《カリ》ごもの、思ひ亂れて、死まし物を、(是ら如足許といはねど、意は右に同)同卷、かくばかり戀乍あらずは、朝《アサ》に日《ヒ》に、妹が履《フム》らん、地《ツチ》ならましを、卷十三(3085)(今四)かく許、戀乍不有者、石《イハ》木にも、ならまし物を、もの不思《モハズ》して、同卷、外《ヨソ》にゐて、戀乍不有者、君が家の、池にすむ云《トフ》、鴨ならましを、同卷、後居《オクレヰ》て、戀乍不有者、木《キノ》國の妹背の山に、あらまし物を、卷四(今十一)、白波の、來《キ》よする島の、荒磯《アリソ》にもあらまし物乎、戀乍不有者、卷三(今十三)、後《オクレ》居て、戀乍不有者、田籠の浦の、あまならましを、玉藻かる/\、(此九首あらずはてふ言の意ひとし、且これらは過にし方を悔るなり、)
○此卷、おくれゐて、戀管不有者、追及《オヒシカ》ん、道の阿囘《クマワ》に、標《シメ》ゆへ吾《ワガ》せ、卷四(今十一)、住の江乃、津守網引《ツモリアビキ》の、うけの緒《ヲ》の、うかれかゆかん、(君の浮亂るなり)戀乍不有者、卷十三(今四)、我思ひ、此而不有者《カクテアラズハ》、玉にもが、毎《ツネ》にも妹が、手に纏《マカ》れなん、卷四(今十一)、劔刀《ツルギダチ》、もろ刃《ハ》のうへに、去觸《ユキフレ》て、所殺《キラレ》かも死なん、戀乍不有者、卷五(今十二)、いつまでに、いきん命ぞ、凡《オホヨソ》は、戀乍不有者、死上有《シヌルマサレリ》、卷十二(今八)、秋はぎの、上に置たる、白露の、消《ケ》かも死なまし、戀乍不有者、(此六首意は右と同しくて、是は末のことをいへり、)
○卷四(今十一)、かく戀ん、物と知せば、夕べおきて、あしたは消る、露ならましを、卷五(今十二)、かくばかり、戀ん物ぞと、しらませば、其夜はゆたに、あらまし物乎、(意は上の歌どもに似て、ことばのことなるなり、)
○卷九(今五)、おくれゐて、わがこひ世殊波《セズハ》、(我戀せずてあらんとならばなり、此言甚畧きていへり、次の歌とあはせもて心得よ、)【右にいへる如く是も古へ言をつゝめいふ一つの體なり、○今本わがをながと有は誤、】みそのふのうめの花にも、ならましものを、卷四(今十一)、中々に、君二|不戀者《コヒズハ》、(右と同し)ひらの浦の、あまならましを、玉藻かりつゝ、(この二首は意ことなり、)
○卷九(今五)、世の中は、古飛斯企志惠夜《コヒシキシヱヤ》、(世に在ば人戀しきぞ、縱《ヨシ》やかくのみ戀|苦《クルシマ》んよりは、君がそのふの梅の花にもならましをとなり、)【志惠夜はよしゑやしの略なれば、上の言は古飛斯|企《キ》と有べし、今本に宜《ギ》と書しは誤なり、】かくしあらば、梅の花にも、ならまし物乎、(是は一つのさまなり、)
○卷五(今十二)、中々二、人跡不在者《ヒトヽアラズハ》、(人と生れてあらずはなり、)桑子《クハコ》にも、ならまし物乎、玉の緒|許《ヲバカリ》、十(3086)四(今三)、中々二、人跡不有者、(右に同)酒壺《サカツボ》に、成而師鬼《ナリニテシモノ》、酒に染《シミ》なめ、(此二首はいとことなり)
 
○端(ノ)詞の歌數、
 
歌の數をしるせしこと、卷一にはなし、此卷には多し、思ふに一二の卷は同し時の撰にて、萬の體ひとしきを、是のみことなるべからず、仍て委しくするに、難波(ノ)宮(ノ)皇后の御歌に四首と有は、右にいへる如く初一首は此集の歌ならねば三首とこそかゝめ、久米禅師てふ下に五首と有も、こは贈答の歌なれば、初めに數をすべ擧る例なし、これらの如く理りなき事數しらずあり、【卷一に三(ノ)山の御歌にのみ一首とあるは、此端詞いと亂れて見ゆれば、いかなる書よりかうつり來つらん、いふにもたらぬことなり、】然れは數をしるせしは後人のわざなり、大よそもていはんにも數を記すは私に見やすからん爲にして、釋をかねたる事なれば、よろしく撰める物に書べくもあらず、心ゆたかなる古人の意ともなく、古今歌集にも數をしるさぬこそ、おほらかにしてやまとぶりなれ、又長歌に、云云の歌一首、并短歌と書るは、からざまにぞある、或本又末の家々の歌集にならひて、好事の私本に書しを、仙覺などが校合せし時、此卷にもうつし書つらん、其長歌にのみ幾首と有て、反歌に數なきはいかに、又長きをば只歌と書て、短きをのみ短歌と有もことわりつきぬ心ちす、かゝればいよゝ一の卷の例にならひて、二の卷をも數は除きつ、卷(ノ)三(今十三)四(十一)五(十二)六(十四)には惣て數を擧ざるも、古き撰のさまなり、卷(ノ)七(今十)卷(ノ)八(今七)にも數なきは是も古ければなり、只今の卷三と有より下、後の人の歌集と見ゆるには數を擧たり、これらなまじいにから文めきたるものなり、されどそれらが中にすら數につけて疑あれど、それまではこゝにつくさず、
○鏡(ノ)女《ヒメ》王、
 
此卷に天皇賜2鏡(ノ)王(ノ)女1云云、鏡王(ノ)女奉v和歌と有て、鏡王女(ハ)又曰2額田(ノ)姫王(ト)1也と注せしは誤りなり、【今本は落字衍字數しらず多し、こゝの誤は、考にいへり、】卷十三(今四)に、額田王思2近江(ノ)天皇1作歌、(君待登、吾戀居者、吾屋戸之、簾動|之《シ》秋(ノ)風吹、)次に鏡王(ノ)女作歌、(風乎太爾、戀流波乏|之《シ》、風乎谷、將來登時《コントシ》持者、何香將嘆、)これ鏡王(ノ)女、傍より右の歌に和《ナゾラヘ》よめるなり、然れは額田王と鏡王女は別なり、もし是を和《ナゾラヘ》歌ならずと(3087)思ふ人有とも、かく並(ヘ)擧るに同人の名をことに書事やはある、左《ト》にも右《カク》にも別人なる證なり、かゝるを同女王ぞといへるは、紀に(天武)天皇始|娶《イレテ》2鏡王(ノ)女、額田(ノ)姫王(ヲ)1生2十市皇女1と有を、不意に見て誤れるものなり、さてその意を立て鏡(ノ)女王と有は王(ノ)女の誤りぞとて、さかしらに字を上下せし事|顯《アラ》はなり、すべて集中に生羽が女播麻の娘子《ヲトメ》など有は名のしられざるなり、既名の顯なる額田姫王を、又は某女と書へからず、仍て今改て鏡女王とせり、さて此女王は紀に(天武、)幸(テ)2鏡(ノ)姫王之家1訊《トヒタマフ》v病と有は御親き事知へし、然れば天智天皇も同ほどの御親み故に、此大御歌をも賜へるにて、こは常の相聞にはあらぬなるべし、額田姫王と爲時はこゝも次も疑多きなり、【同紀の上に出たる鏡王は男なり下に引しは女王なり且皇子王孫の名は乳母の氏を用るゆゑに、父子兄弟皆かはれり、又乳母はかはれど其氏ひとしければ同し名も有のみ、仍て此鏡王と鏡女王を、兄弟又はおや子などと思ふは古意にあらず、此分ちを思はで誤る人あり、】
 
○大伴(ノ)宿禰、娉《ツマトフ》2巨勢(ノ)郎女(ヲ)1、
 
或人いへらく、此集は家持卿の集めしなり、故に集中大納言より上は名をしるさぬ例なるを、父旅人卿まだ中納言なる時も名をはぶき、祖父の名をもいめりと、此祖父とはこゝの大伴宿禰を、大伴安麻呂としていへるなり、こは卷十四(今三)に在て、其卷など家持卿の家の歌集なれば、しか崇むべきなり、此一二の卷は必家持卿の集めし物ならぬ事上にいへる如くなるを、二十卷皆同人の集とのみ空心得していふなりけり、故ここはたゞ官位高ければ名いはぬ類としてあるべきなり、(官位ひきゝ時よみし歌も、後の高きによりてしるすは此集の例なり、)かくて思ふに大伴宿禰は、大伴|望多《マクダノ》卿、(清御原宮十三年薨、贈2小紫1、)大伴|御行《ミユキノ》卿、(藤原(ノ)宮大寶元、大納言にて薨、贈2右大臣1)大伴安麻呂卿、(同宮、慶雲二年大納言、和銅七年大納言大將にて薨、)などの中にして近江宮の下に擧しからは、望多卿を指べけれど、專ら官位にも依に御行卿ならんか、その若き時近江の宮にしてよまれしものなり、【望多卿の事は、其時の紀にもれたる多く、紀文も落失しかば、明らかならぬ事有り、御行卿は、持統天皇八年に、正廣肆を授て、増2封二百戸1、氏上とす、同十年資人八十人と見ゆ、】
 
(3088)○藤原(ノ)夫人、【清御原宮御宇】
 
紀の今本に、夫人をおほとじと訓たるはひがことなり、上の吹黄|刀自《トジ》の下にいへる如く、戸自《トジ》は一戸の主てふ言にて、紀に(允恭)大中(ツ)姫王の、をさなくて家におはせし時、闘鷄《ツゲノ》國造が、戯れ賤めて戸母《トジ》と申せしなどゐやなかりし故、後に罪なはんとし給ひし事すらあるを、天皇の御《ミ》めに次《ツゲ》る夫人をいふことならず、是をいかにいひけんや得がたかりつるを、藤原|福雄《サチヲ》が、みあらめと訓てんやといひぬるはよし無にあらず、そも/\后《キサキ》の言は、天皇に嫡《ムカ》へば、むかひすべらきてふことにて尊さいふも更なり、その次を御妻《ミメ》と申て、字は妃なり、こは皇女を立給ふ例にて、本より貴さも御親しみもことなれば、后に次たる御妻《ミメ》とすることうべなり、かくて夫人嬪は臣たちの女《ムスメ》にて御妾なれは、御庶妻《ミアラメ》といふべきか、【後宮令に、妃のくらゐには品とかき、夫人嬪には位といひて、品は皇女、位は臣の女なる定めなり、】庶子を、あらめ兄《セ》、あらめ妹《イモ》と紀に訓るは古ことゝ聞ゆ、庶妻《アラメ》は御妻《ミメ》に次たることばなり、しかはいへども私ごとにも似、又常に唱ふべき言ともおほえねばおきぬ、かくて今京こなた女御は古の妃に當れば、是をば御妻《ミメ》と申さんに嫌なし、さらば更衣も古の夫人に當るからは、此訓をもてこゝをもみやすどころと訓て、後の考を待べし、【皇太子の御母を大夫人《オホミヤスミドコロ》と申し、たゝの皇子の御母更衣を夫人《ミヤスドコロ》といふは、今京のことか、續紀に大夫人をおほみはゝと唱へよてふ詔の有は其時の新訓なり、】
 又卷十二(今八)に、同じく藤原夫人と有下の注に、字曰2大原(ノ)大刀自(ト)1と有は、その夫人の名にこそあれ、夫人をいふ唱へにあらず、その上此註は古本にはなければ、いと後人、紀の訓のひがことをもわかでかくは書なせしにや、何れにもいふにたらぬ事ぞ、又大刀自の大によりて、あがむるよしかと思ふ人あらんか、此類の名に大中小《オホナカヲ》といふは、すべて兄弟の數ある時分つことばにてあがめことにあらず、然れば夫人の訓にあらぬ事右にいふが如し、
 
○大津(ノ)皇子竊(テ)2下伊勢(ノ)神(ノ)宮1、【藤原宮御宇】
 
天武天皇(ハ)十五年九月九日崩ましぬ、さて大津皇子、此時皇太子にそむき給ふ事其十月二日にあらはれて、三日にうしなはれ給へりき、此九月九日より十月二日まで、わづかに廿日ばかりのほどに、大事をおぼし立なが(3089)ら、伊勢へ下り給ふ暇はあらじ、且大|御喪《ミモ》の間といひ、かの事おぼすほどに石川郎女をめし給ふべくもあらず、仍て思ふに、天皇御病おはすによりて、はやくよりおぼし立こと有て、其七八月の比に彼大事の御祈、又は御姉の齋王に聞え給んとて伊勢へは下給ひつらん、さらば清御原(ノ)宮の條に載べきを、其天皇崩ましてより後の事は本よりにて、崩給はぬ暫前の事も、崩後にあらはれし故に持統の御代に入しならん、
 
○多氣婆奴禮《タゲバヌレ》、多香根者長寸《タガネバナガキ》、云云、【三方沙彌が歌、】
多氣婆は、髪をたがねゆふをいへり、掻入《カキレ》といふも同じ事なり、(考に委)凡古への女の髪のさま、末にも用あれば委しくいはん、そも/\幼《イトケナ》きほどには目ざしともいひて、ひたひ髪の目をさすばかり生下れり、それ過て肩あたりへ下るほどに、末をきりてはなちてあるを、放髪《ハナリガミ》とも、童放《ウナヰハナリ》とも、うなゐ兒ともいへり、八歳兒《ヤトセゴ》と成てはきらで長からしむ、それより十四五歳と成て、男するまでも垂てのみあれば、猶うなゐはなりとも、わらはともいへり、これらの事、卷三(今十三)に、歳八年乎《トシノヤトセヲ》、斬髪之《キルカミノ》、我《ワガ》□《カタ・何多》乎過《ヲスギ》、卷十(今九)に菟名負處女之《ウナビヲトメガ》、八年兒之《ヤトセゴノ》、片生之時從《カタナリノトキニ》、小放爾《ヲバナリニ》、髪多久麻底爾《カミタクマデニ》、云云、卷十六に、橘(ノ)寺|之《ノ》長《ナカ》屋爾、吾|率宿之《ヰネシ》、童女波奈理波《ウナヰハナリハ》、髪|上都良武香《アゲツラムカ》などあり、【允恭天皇紀に、皇后曰、妾《ワレ》自《ユ》2結髪《カミアゲセシ》1陪《ハンベル》2於後宮1、既經2多年(ヲ)1、かゝれば髪をあげて内に參り給ひしなり、】かくてそのゐねて後に髪あげつらんかといへる、こゝの沙彌が歌と似たり、且髪の事も年のほどをもしるべし、後の事ながら伊勢物がたりに、「ふり分髪も」肩過ぬ、きみならずして、たれかあぐべきてふも是なり、
 上つ代には、男の髪は頂に二ところゆひ、女は頂に一所にゆひつと見ゆ、そのゝちまでも髪あげせしを、いと後に垂し事有か、天武天皇紀に、髪を皆結せられし事有て、又|故《モト》の如く垂髪于背《スベシモトヾリ》せよとの御|制《サダ》ありけり、【古代の髪の樣は、神代紀と神功皇后妃、景行天皇紀などにて見ゆるをよく考へて知べし、こと繁ければ畧けり、】さて持統天皇の紀にはいかにともなくて、文武天皇の慶雲二年の紀に、令《サセタマフ》d天下(ノ)婦女(ヲ)、而(ハ)v非2神部齋宮(ノ)人、及老嫗(ニ)1、皆|髻髪《カミアゲ》u(語在2前記1、至v是重(テ)制也)とあれば、其後すべてあげつらん、かくて今(ノ)京このかたの書にはともかくも見えず、もの語ぶみらには專ら垂たる樣を書たり、只續古事談てふ物に、(3090)高内侍云云、圓融院の御時、典侍|辭《ジ》しけれどもゆるされざりければ、内侍所に屏風をたてゝさむらひて、申す事有時は、髪をあげて女官を多く具して、石灰(ノ)壇にぞ候けると云り、後に垂る御制あらばかくあらんや、あぐるこそ後までも正しとせしこと知べし、うつほ物語の紀伊國吹上の卷に、女は髪あげて唐衣着では御前に出ずといひ、國ゆづりにも皆髪あげすと見えたりかくてそのあげたる形は、内宴の樣書たる古き繪に、舞妓の髪あげたる形と、御食《ミケ》まゐらする采女が髪あげたるひたひの樣、うなぢのふくらなど大かたはひとしくて、舞妓は寶髻をし、釆女はさる餝せぬなり、且和名抄に、假髪(ハ)(須惠)以v假覆2髪上1也といひ、蔽髪(ハ)(比多飛)蔽2髪前1也といへり、雅亮が五節の事書るに、おきひたひすゑびたひといへるも是なり、かの舞妓のひたひの厚く中高きと、采女がひたひのいと高からぬに、此二つの分ち有べし、凡は紫式部日記に、髪あげたる女房の事を、からの繪めきたりと樣に書しもておもひはかるべし、【卷四(今十二)に、おほよそは、たが見んとかも、ぬば玉の、吾くろ髪を、なびけてあらんとよめるは、少女のかみあげせぬ前は、いと長くこちたければ、私にまきあぐる事も有故にいふと見ゆ、譬はおちくぼ物語に、あこぎが一人してよろづいそがしきには、髪をまきあげてわざするに、主の前へ出るには、かきおろして出し事有が如し、いせの物語の高安の女の、髪を卷上て家兒の飯もりしも是なり、此くさ/\を分ていはゞ、うるはしく髪あげするははれなり、たれてをるは常なり、まきあぐるといふは私なり、】
 
○東人之《アヅマドノ》、荷向篋乃《ノザキノハコノ》、荷之緒爾毛《ニノヲニモ》、
 
東の國々より、今年なせる絹布を先として、木綿《ユフ》麻、山海の物までも、始めに公へ御調《ミツキ》奉るを荷前といふ、【式の太神宮九月新嘗祭に、調《ツキノ》荷前(ノ)絹一百十三匹、云云、絲、綿、布、木綿、麻、※[月+昔]《キタヒ》、熟海鼠《イリコ》、堅魚、鰒、鹽、油、海藻以上諸國(ノ)封戸(ノ)調荷前とあり、】さてそを陸路より奉るには、篋《ハコ》に納め緒もて馬につくる故に、祈年《トシゴヒノ》祭の祝詞にも、荷前者《ノザキハ》、云云、自《ユ》v陸《クガ》徃道者《ユキミチハ》、荷緒縛堅弖《ニノヲユヒカタメテ》といへり、且こゝには荷向と書しかど、右の祝詞其外にも荷前と有を正《マサ》しとす、前ははじめの意にて、新稻に初穗といふにひとしければなり、荷をのと唱ふるは、紀に、(神功)肥前(ノ)國の荷持田村を、荷市此云2能|登利《トリト》1て(3091)ふ類なり、又いづこはあれど東の調をいふは、御代の始め西の國々まつろひて、東の國々の平らぎしは後なるに、遂に東までも貢奉るを悦び給ひて、神宮陵墓へも奉り初め給ひしよりの例ならん、から國の貢物をも先神宮などへ奉り給ふと同じ意なるべし、西歌はいはで東歌を擧しも此類ならむ、
 
○石川郎女贈2大伴宿禰田主1、【遊士跡《ミヤビヲト》、吾者聞流乎、云云、】
 
註に大伴田主、字曰2仲郎1、容姿佳艶、風流秀絶、見人聞者、靡v不2歎息1也、時有2石川女郎1、自成2雙栖之感1、恒悲2獨守之難1、意欲v寄v書、未v逢2良信1、爰作2方便1、而似2賤嫗1、己提2鍋子1、而到2寝側1哽音跼足、叩v戸諮曰、東隣貧女、將2取火來1矣、於v是仲郎、暗裏非v識2冒隱之形1慮外不v堪2抱接之計1、任v念取v火、就跡歸去也、明後女郎、既耻2自媒之可1v愧、復恨2心契之不1v果、因作2斯歌1、以贈|諺戯《タハムル》焉といへり、【こは本文にも女郎とあれど、既いへる例もて本文は郎女と改つ、註は後人のわざなればとてもかくても有べし、又郎女とてはから文に似ずとて、強て女郎と書なせしにやあらん、かゝる好事の本文をもあやまりけんか、次皆しかなり、】こは惣て好事の附そへ言ぞ、何ぞといはゞ、まづ仲郎を字《アザナ》といふは、考にいふ如くひがことなるを、ひがことにならひて書はいと/\後のわざなり、且暗夜に老女のまねして、せくゞめ打あへぎものいふに、誰かしかあらじと思はん、いふにたらぬ事ぞ、又隣の貧女と屋を並べて住んは、いか成所に在人とするにや、ことの樣さばかりいやしげにも思はれず又書を寄んには媒の無を、忽歌を贈る便は有しもいかに、注には專ら傳記などをこそ書べきに、そをばしらぬほどにて、かゝる事傳へしるべきかは、後世から文書ならふほどのもの、物の行|方《ヘ》もしらでいへるみだりごとぞ、仍て考には捨つ○歌の於曾能風流士を、後人おぞのたはれをと訓たるにつきて、又の人、獺《ヲソ》は友に戯るゝさまして相喰ふものぞといふは、ひがことを虚《ソラ》言にて咄さんとするなり、しかいひて此歌いかに聞えんやは、遊士風流士をたはれをと訓しは甚誤りしのみならず、獺は和名抄にも乎曾《ヲソ》の假字なり、此言卷十(今九)にもこゝと同じく於曾《オソ》と有からは、癡《オソ》の意にして、理り明らかなるを、古への假字をもしらぬをこ人どもの、説をなして人まどはすめり、
 
○同石川郎女更(ニ)贈2大伴宿禰田主1歌、【今本田主中郎と有は誤なり、】
 
(3092)これも目録に大作宿禰田主とあり、然れば今中郎と書は目録よりも後のわざにさへあるなり、故考には目録の如くせり、上二首は大伴宿禰田主と有を、こゝに忽に異樣に書べからぬを思へ、凡一二の卷にかばねしられたるにかゝぬ事なく、又あざ名を書しもなし、思ふにこゝは氏の下に宿禰をふと書おとして、名の下に書し本の有けんに、しかも草の手に書しを中郎と見誤りて、さかしらに字《アザナ》ぞと注せしならん、【下の卷に、石川郎女を石川女郎に誤、そを又少郎に誤りたる本につきて、少郎は字ぞと注せし、同じ人のひがわざと見ゆ、】
 
○和多豆《ニギタヅ》、渡(ノ)山・屋上(ノ)山、【柿本人麻呂石見國より京へ上る時の歌、】
 
此歌どものこゝろ言を見るに山陰道を上るにぞ有ける、かくて石見國に住て國形しれる人のいへらく、まづ今の濱田城の北に上府《カミフ》村下府村と云在、是古の國府なり、こゝより安藝國へ出ると、備後國へ出ると、北國へ向ふと三の大道あり、(北國と云は出雲伯耆の方なり、然れば是山陰道の事なり、)此北國と備後へ向ふ方、上府より八里に屋上村あり、その近き北方に渡村てふも在と、これにて右の二山も凡しらる、かゝれば此歌にもみぢばの散のまがひに妹が振袖も見えずといひ、又妹が門見んなびけ此山といへるも、凡府をいでゝ七八里までの間にていふべく、入日さすといひ、其夜のこころをいへるも右のほどにかなへり、さて此渡屋上よりも前にいへる和多津は、府を出て即經る所の北海べにあることしるし、今は此名なしといへども他所ならぬ事明らかなり、【和多津は伊與國に名有に依て、石見より大海を廻て長門豐前の間を入て伊與の和多津に泊つらんといふ説は、此歌をよく心得ぬ故のひがことなり、】
 先には出雲に仁多郡あり、因幡に八上郡もあればおぼつかなかりしに、今よく聞得て右の如くはしるしつ、
 
○柿本朝臣人麻呂(ガ)妻、
 
人まろが妻の事はいとまどはしきを、こゝろみにいはんに、始め後かけては四人か、其始め一人は思ひ人、一人は妻なりけんを、共に死て後に、又妻と思ひ人と有しなるべし、【始め二人の中に、一人は妻なり、後二人も一人は妻なりと見ゆ、然るを惣て妻と書しは後に誤れるならん、○石見に別れしは、久しく戀し女に逢初たる比故に、深き悲みは有けん、むかひめはむつまじ(3093)さことなれど、常の心ちには、かりそめの別を甚しく悲むべくもあらず、】何ぞといはゞ、此卷の挽歌に、妻の死時いためる歌二首並載たるに、初一首は忍び通ふほどに死たるを悲むなり、次の一首は兒《コ》ある女の死を悲むめれば、こはむかひめなりけん、(これらは石見の任よりいと前なり、)かくて後に石見へまけて、任《マケ》の中に京へ上る時、妻に別るとて悲しめる歌は考にいふが如し、然れども考るにこは妻といふにはあらで、石見にて其頃通ひ初し女ならん、其歌に、さぬる夜は、いくばくもあらで、はふつたの、別し來ればとよみたればなり、又其別れの歌についでゝ、人麻呂(カ)妻依羅(ノ)娘子、與2人麻呂1別時(ノ)歌とて、思ふなと、君はいへども、あはん時、いつと知てか、吾こひざらんとよみしは、載し次でに依ばかの石見にて別れしは即此娘子とすべきを、下に人まろの石見に在て身まからんずる時、しらずと妹が待つゝあらんとよみ、そを聞てかの娘子、けふ/\とわが待君とよみたるは、大和に在てよめるなれば、右の思ふなと君はいへどもてふは、石見にて別るゝにはあらずこは朝集使にてかりにのぼりて、やがて又石見へ下る時、むかひめ依羅娘子は、本より京に留りて在故にかくよみつらん、【國の任に妻をばゐてゆかざるも、集中に多し、】あはん時いつと知てかといふも、かりの別と聞えざるなり、然ればかの妻の死て後の妻は依羅娘子なるを、任にはゐてゆかざりしものなり、人まろ遠き國に年ふれど、此娘子|他《ヒト》にもよらで在けんも、かりの思ひ人ならぬはしらる、
 
○挽歌、
 
結松の歌に追和たる憶良の歌の左の注に、右件(ノ)歌等、雖v不(ト)2挽v柩之時|所作《ヨメルニ》1、唯擬2歌意1故以載2于挽歌類1焉といへり、此集の挽歌と有下には、右の有馬皇子の御歌の如く、いにしへの事をきゝ傳へしをも載つれば、たゞ悲しみの歌てふことのみなるを、挽歌の字は借たるなり、今更に柩をひきひかぬなどいふは、餘につたなき注なり、○此注の左に、大寶元年辛丑、幸2紀伊國1時、見2結松1作歌一首とて、後將見跡《ノチミムト》、君|之結有《ガムスベル》、磐代乃、子松之宇禮乎、又|將見《ミケム》香聞てふを、今本に書加へしは後人のわざにて、こは上の奥麻呂のを、暗に唱へ誤れるものなれば考には捨つ、されども是を以て上の歌は、大寶元年紀伊(ノ)幸の度の歌とはしらるめれば、ここにしるしてのこすなり、(卷一に、大寶二年幸參河國(3094)時、引馬野に云云を、奥まろの歌とするに、時代相かなへり、)
 
○神岳《カミヲカ》、
 
こは高市郡の飛鳥に在神奈備山なり、そをかみをかといふ事は、雄略天皇の御時、此山の大※[虫+也]神《ヲロチガミ》を見まさんとて、螺羸《スガル》てふ力《チカラ》人にとり來《コ》させ給ひしに、其神光りはためきて畏《カシコ》ければ、本の所へかへさせられ、即その山の名を改めて雷岳《カミヲカ》と喚せ給ひしこと紀に見ゆ、さて此山をこゝにも下にも神岳と書、又下に雷岳とも書たり、然ればいかつちのをかといふべくも思へど、古へ其御名をいはで神《カミ》とのみいひしは、專ら雷のことにしあれば、右の二所に神岳と書しにも依て雷岳と有をもかみをかと訓なり、神名式に飛鳥坐神社四座(並名神大月次相甞新甞)と有四座の中に事代主神を專らと齋奉れり、さて其山林廣く深くして古へ神奈備の御室山といひつるこれなりけり、
 飛鳥村の西五町許に雷村といふ今あり、そこにちひさき岡あれば是やむかしの跡ならんといふ人あれど、式にも雷岳とて別にはなし、其村の名は後に名づけしならん、
 
○移2葬(トキ)大津(ノ)皇子(ノ)屍(ヲ)1、
 
注に、右一首今案不v似2移葬之歌(ニ)1、蓋疑(ハ)從2伊勢(ノ)神宮1還v京之時、路上見2花盛1、傷哀咽作2此歌1乎といへるは何ごとぞや、【集中に、傷哀慟咽など、端詞に無益の言を書し類多し、本文の失しを後補ひしものにて、此注の手ぶりなり、心して取捨べし、】天武天皇朱鳥元年九月九日に崩まし、此|大來《齋王也》皇女の御弟大津皇子は、十月に罪なはれ給ひ、かの齋《イツキ》の皇女は同十一月ぞ京へ還給ひぬ、さて馬醉木《アシミ》の花はつゝじとひとしく三月に咲こと、集中にあまた見ゆ、然るを右の注は紀をも集をも見ず、あしみの花さく時をだにしらぬをこゞとなり、上下にかゝる類多し、仍て今本の注を捨るを思へ、
 
○比豆知《ヒヅチ》、比治《ヒヂ》、
 
此言を集中に※[泥/土]打《ヒヅチ》と書し多かれど、打は借字にて、此卷の末に※[泥/土]漬と書たるぞ正しきなり、【神代紀に、※[泥/土]土此云2于毘尼《ウビヂト》1と有、毘は言便の濁、尼は本濁なり、後世このちを清ていふは誤ぞ、】且此二字を比豆知《ヒヅチ》と訓ことは、下に假字にても有なり、言の意は、物の※[泥/土]《ヒヂ》に漬《ツキ》てぬるゝを本にて、雨露泪などにぬるゝにもいへり、か(3095)くて比豆知は右の※[泥/土]漬の字の如く比治都伎《ヒヂツキ》なり、その比治都伎《ヒヂツキ》の治《ヂ》と豆《ヅ》は音通ひ、都伎の約は知《チ》なれば、比豆知《ヒヅチ》といふ又其|豆知《ヅチ》を約《ヾム》れば治《チ》となる故に、比治《ヒヂ》とばかりもいふめり、
 
○須良《スラ》、奈保《ナホ》、陀爾《ダニ》、佐倍《サヘ》、
 
須良は、佐奈我良《サナガラ》てふ言の約れる辭なり、(此事は下にいふ、)奈保《ナホ》はいまだてふ意なり、然るに此集に、須良にも奈保にも尚の字を借たる所有は、から國の古へ、尚猶の字を通はし書たる事有を見て、不意《ユクリナク》書しものなり、是によりて此須良も奈保も同じことぞと思へる人あり、萬葉などは、言の本を思ひ定めて、字をば大かたに見過すべきなり、【こゝの歌文など書には、から字をかりそめの物とし、からぶみを訓には、こゝの言をかりそめとす、仍て互に誤れる事古へより少なからず、然るを後世は、只其字に從てのみ、こゝの古言を心得んとする故に、ひがことの多きなり、こゝの事はこゝの言の本を尋ね定めおきて、みだりに字に泥ことなかれ、】何ぞといはゞ、集中に柔膚尚乎《ヤワハダスラヲ》、山道尚乎《ヤマミチスラヲ》などいふ言を、やわはだなほを、山道なほをとよむことはなく、虫尚爾《ムシスラニ》、鴨《カモ》尚爾てふをも、虫なほに鴨なほにといひて聞えんやは、凡なほてふ言は、ことばの上にのみいひて下にいはず、須良は、すべての言の下にのみ付て上にいはざれは、此二つ必別なるを知べし、【なほは古へ言の下に付し事なし、然るを古今歌集の今本にのみ、秋は猶てふ言一つ有は、後に書誤れるなり、同古本にも家集にも、此歌秋來ればとこそあれ、後世は其誤を傳へていよゝ誤こと有、】○又|佐倍《サヘ》と陀爾《ダニ》は、すらにひとしといふ人あれど、佐倍はそのうへてふ言の約《ツヾマ》れるにて、副兼《ソヘカヌ》るこゝろにもせり、陀爾は直爾《タヽニ》てふ言を略きたるにて、其物をいひつのる辭なり、故に左倍は上に從ひ下りてなだらかに、陀爾は上の言を助けはげませて強し、此國の言は初めを濁る事なければ、この陀爾《ダニ》の上に略言の有を知べし、故に是はたゞにの略とす、然ば、爾《ニ》は辭なり、其|爾《ニ》の辭の下に又|爾《ニ》の辭をそへいふ事やはある、かの鴨尚爾てふ類はあれど、鴨|陀爾爾《タニニ》てふ言の無にても、佐倍と陀爾の別なるを思へ、此類の言は、おの/\別なるを、常ことには打聞に相通ふごとくおもはるゝ有を、そら意得して誤れる人多し、皇朝の古言は、言と意と相かなふを以て解得たりとす、そらに意と意とを通はせていふは、から字の解にて、こゝに(3096)はかなはず、
 ○右の佐奈加良はそのまゝとも轉しいへり、(言意共に通へり、)木すら鳥すらのすらも即同じくて、木さながらとも、木その隨《マヽ》とも云べし、(鳥すら虫すらも同じ、)夜もすがらも、夜もさながら、夜もそのま、と云てもかなへり、又其佐を略きて神隨《カンナガラ》といふも、神さなから神そのまゝと意得る事なり、又かの佐奈の二つを略きて、神がら國が良などいふもみなひとしく、神|隨《ナガラ》、國|隨《ナガラ》てふ言にて、それがまゝてふことなり、(後世此言を、國體人體などの事とするも右より轉じたるなり、かかる言は後ほど略きいひ且轉ぜり、しか略き轉し行ては、他の言と意の相通ひ聞ゆるも有なり、よく本を極め定めて思ひ下さゞる人はまどひ誤るべし、心つとめよ、)且いにしへにながらといふ言は、後世おもふとことなり、これに隨の字を書しもて分ちを知べし、【乍の字をながらの言とする事いにしへはなし、】
 
○生乎烏禮流《オヒヲヽレル》、【明日香皇女の殯の時】
 
今本に、烏《ヲ》を爲と書しは誤なり、卷十五(今六)に、春部者《ハルベハ》、花咲乎遠里《ハナサキヲヽリ》、また、春|去者《サレハ》、乎呼理爾乎呼里《ヲヽリニヲヽリ》、(花の咲たをみたるを略きいふ、)卷七(今十)に、芽子之花《ハギガハナ》、開之乎烏入緒《サキノヲヽリヲ》、(今本烏を再に誤、)卷十七に、久爾能美夜古波《クニノミヤコハ》、春佐禮播《ハルサレバ》、花咲乎々理《ハナサキヲヽリ》などは正しきなり、卷十四(今三)に、花咲乎|爲〔右○〕里、卷十二(今八)に、開乃《サキノ》乎《ヲ》爲〔右○〕里《リ》、(今本|里《リ》を黒に誤て、おすぐろと訓しは笑べし、)卷十九(今九)に、開《サキ》乎|爲〔右○〕流などの爲の字は誤なり、その故は、乎々里《ヲヽリ》てふ言の本は、藻も草も木の枝も、皆手弱く靡くてふを略きて、た和《ワ》みなびくといふ、其たわみのたわを重ね、言を略きてたわ/\ともいふを、音の通ふまゝに、とを/\ともいひ、其|登乎登乎《トヲトヲ》を、又略きてとをゝといふを、又略きて乎々里《ヲヽリ》といふなり、(里《リ》は美《ミ》に通ひて、とをみてふ辭なり、即右にいへるたわみのみに同じ、)【かくいく度も略きいふこと、上の須良の下にいへるなどをむかへ見よ、言はかくぞ成行めれば、其本を尋ねて轉を知べし、】此言の理りは猶もあり、乎爲里といふべき據は惣て見えぬにても、爲は誤なるをしれ、
 
○早布屋師《ハシキヤシ》、愛八師《ハシキヤシ》、縱畫屋師《ヨシヱヤシ》、
 
早布は訓を借たるにて、細《クハシ》きてふ言の略きなり、屋《ヤ》は與に通ひて細《クハシ》きよなり、下の師《シ》は助辭のみ、そのくはしとほむる言を轉じてかゝる事にいふ時は、したしまれ、(3097)なつかしまるゝことゝなりぬ、仍て此言に愛の字をも書たり、此事上にも冠辭考にもいひつ、猶もいはゞ、古事記に、倭建(ノ)命の思國《クニシヌビ》の御歌三首の一に、夜麻登志宇流波斯《ヤマトシウルハシ》、とのたまへる宇流波斯《ウルハシ》は、字良具波斯《ウラグハシ》の良具《ラグ》の約め流《ル》にて、裏細《ウラクハシ》なり、その三に波斯祁夜斯《ハシケヤシ》、和岐幣能迦多由《ワギヘノカタユ》、久毛韋多知久母《クモヰタチクモ》てふは、右の宇流波斯の宇流を略きて、下に夜《ヤ》と斯《シ》の辭を添給ひしのみにて同言なり、即ともにやまとをなつかしみおぼす御ことばなるを思へ、又卷十四(今三)に、波之吉可聞《ハシキカモ》、皇子之命《ミコノミコト》乃、卷十三(今四)に、波之家也思《ハシケヤシ》、【はしきよし、はしけやし、はしきやしてふ三つは、音通ひて共に同じ言なり、】ま近き里を、卷二十に、波之伎余之《ハシキヨシ》、けふのあろじはなど假字に書しをむかへて、卷十四(今三)に、愛八師《ハシキヤシ》、榮之《サカエシ》君乃てふをも、其外愛妻愛嬬をも、はしきつま、はしづまなど訓べき事さだかなり、然るを今本に、愛八師をよしゑやしと訓たるはいと誤りぬ○卷十四(今三)に、愛八師榮之君乃《ハシキヤシサカエシキミノ》てふを、をしきやしと訓しもひがことなり、卷七(今十)に、忍咲八師《ヨシヱヤシ》、不戀登爲跡《コヒジトスレド》、金風之《アキカゼノ》、寒吹夜者《サムクフクヨハ》、君乎之曾念《キミヲシゾオモフ》てふ忍咲八師をも、或人をしへやしと訓は誤なり、右の愛八師は、惣てはしきやしと訓べきよし上にいふが如し、此忍咲八師は、此卷を始めて、縱畫屋師《ヨシヱヤシ》、能咲八師《ヨシヱヤシ》など書て、心にはあらねどかりにゆるす言なり、然ればこころにこらへしぬびてゆるす意にて忍字を書しものなれば、右の縱の字書しと同じく、よしゑやしと訓て、即同じ意なり、その卷七の歌の意もさてこそ聞ゆめれ、かゝればはしきやしとよしゑやしはいと別《コト》なり、をしきやしてふ言は、すべて古へにも後にもなし、【文字にむかひて、こゝに無ことばをいひたるもの、中比の代より多し、心して取べし、】
 
○佐名葛、佐根葛、
 
こは冠辭につぶさなり、そが中にさなかづらともさねかづらともいふ名は轉じいふにて、眞《サネ》かづらの意と思へりしはいまだしかりき、後に考るにこれには滑《ナメラ》けき汁の有こと、冠辭に古事記を引ていへるが如し、然れば佐は發言、名と根は言の轉にして、實はぬかつらなりけり、ぬはぬる/\となめらかなる汁有を惣ていふ事、池のぬなは海の乃りの如し、(ぬると乃りは音通へり、)
 
萬葉考別記二 終
 
(3098)萬葉考別記三
 
〇神名備山、三室山、
 
神奈備山を神岳ともいへる事、又其社の地などの事は卷二の別記、にいへり、此山にはくさ/”\惑あれば、或人の疑ふまゝに猶いはん、先集中に、三諸の神奈備とも、神祭備の三諸とも、又神奈備、或は三諸、とのみもよめるをすべ擧れば、二十五首ばかり有、そが中に三室とのみ云て、三輪の事なる四首あり、又三輪と神奈備と別がたき五首ばかり有、(此別は下に有、)其餘十六首は、皆飛鳥の神奈備なり、こを分つ事は、卷三(今十三)に、神なびの、三諸の山の、帶にする、飛鳥の川、などいひ、卷十四(今三)に、(長歌)上に、三諸の神なび山といひて、末に、飛鳥の故き都といひ、其反歌に、飛鳥川をよみ、其外故郷の神なび山眞神の原などよみ合せたるは、皆飛鳥の里の神なびなり、又卷十(今九)に、三諸の、神のおばせる、泊瀬川、卷八(今七)に、三諸の、其山なみに、子等が手を、卷向山は、など其近き所の名ある類は三輪山なり、又かのわかちがたきといへる五首の中にも、神なびとのみいひしは飛鳥のもりにて、たゞみもろとのみよみたるは三輪を云なり、何ぞといはゞ、右に引が如く、みもろの山なみにとも、みもろの三輪山見ればなどいふは有て、三輪に神なびとよめるなし、記にも三輪を御室といへり、然ればはやき代より三むろとは三輪、神なびとは飛鳥神社をいひならへるなりけり、○神奈備てふ事は、出雲國造が神賀ノ詞に、大御和の神奈備、葛木の鴨【能】神奈備、宇奈堤【乃】神奈備、飛鳥【乃】神奈備、とあれば、此四所本よりにて、萬づの神の社にても神なびといふべき事なるを、はやくより、飛鳥の神社に專らいひならひしものなり、神の御室てふも何れの社をもいふべきを、專ら三輪の社にいひならはせるが如し、且神奈備は、神之毛理てふ言なり、毛理の約美なり、仍て神奈美と唱ふるを本にて神なびとも云なりけり、美と備の清濁相通はし云言の例なればなり、猶委くは祝詞考にいへり、
○或人問、古今歌集に、「龍田川、もみぢ葉流る、神なびの、御室の山に、時雨ふるらし、てふ歌こそ心得ね、此事契冲僧が古今注にいへる如く、立田山は平群郡伊駒山の西につゞきて河内大和の境なり、高市郡飛鳥の(3099)神なび山は、國の中らよりいと南東へよりて倉梯山多武山に近し、仍て其高市平群二郡の間|他《アダシ》郡もへだゝり他《アダシ》川とも横たてに流れて甚ことなる地なり、然れば古今集右の歌の左の注に、又は飛鳥川とあるこそ理り有なれ、然るを又同じ集の端に、立田山を越て神なび川を渡るとて、と書て、「神なびの、山を過行、秋なれば、立田川にぞ、ぬさは手向る、とよみしは、古へ人も地理をば委しくせざりし物ぞといへるは、誰もしかおもふを、既古今集の撰者のとりしはいかにと、答けらく、凡古へは歌を設てよまず所の名も其所に向ひよめれば違ふ事無かりしを、中つ代の下《クタチ》より歌をそらに設よめる故に違ひの出こしなり、其飛鳥川を立田川と誤りしより山城人は大和の地をしらねばさる事とせしものなり、此歌ぬし立田川もみちば流るてふをそらにおぼへてかの歌を作得し後、其歌にあはせて端詞を作りしものなり、此人々といへど歌をのみよまんとして古を學ばざればかゝる違ひこれのみならずさはなり、ことわざに「おもはねばくらくおもへばあかし」といへる是なり、【後には立田をもみぢの多き山とすれど、萬葉には神なび山をこそもみぢの山とはしたれ、立田などは他所とひとしくまれにのみもみぢはよみしを、彼歌はやくよりや誤けん、貞觀の御時しも立田川のもみぢの事は歌によみたりけり、中つ代より物の實はなくて言にのみよりつゝいひさわぐなりけり、みよ/\萬葉集まではさるかたよれること一つだになかりし事を、】
〇或人又問、神名式に、平群郡にも神岳神社あれど今は知人なし、同郡に立田よりははなれて、今人の神南備の岡と云ちひさき岡有、岡の傍に神南寺てふ寺有、其岡に添て小川有是ぞ立田川なり、と土人はいへり、思ふに是や平群郡の神岳ならん、今も神南寺てふ寺も有はなり、さりとも、式に神岳と擧られしにはよし有んと、答、奈良へ都遷しましては、古郷の大寺などをもうつされたり、此飛鳥の皇神は世に崇み恐みし故に、奈良の宮近くへ其神の御靈《ミタマ》を遷給ひ、世人も故郷の飛鳥は遠かればこゝを崇みし故に、式にも載られつらんか、平安の宮と成て、春日今木などの御靈をうつされし類多きが如く成べし、然ればかの古今集に飛鳥川もみぢばながるてふ歌を好事の立田川と唱かへて、その神岳の歌とせしを、はやくより立田川にのみよりて、本を正さで古今集にも誤りけんかし、
 
(3100)○月の名、
 
牟月より志波須までの月ごとの名は多く此集によめれば古へよりいふ名なりけり、まづむ月は、親む月、きさらきは、衣更着《キサラキ》などいふ意とするは、後世人のゆくりなく思へることゞもにて、古への言を解道にあらず、仍て今考へ云事左のごとし、かくて常にいふ物の名は言少ならではかなはず、故に月の名は甚略きていへり、其略は皆|五十連《イツラノ》音もて知べし、
〇一月を、牟月といふは、元つ月てふ言なり、毛登てふ二言を約れば毛の一言と成を牟に轉じて牟月といへり、言の例をいはゞ集中に、毛登莫てふ言は、本無と云意にて、本なきは空き事なれば、むなしく鳴そ、むなしく戀そといふ事を本無な鳴そなどいへり、【顯昭が説にもとなは由《ヨシ》なてふ事とす、由は由來本來なれば義はかなへり、されど義と義を向へて言を解はから例なり、我古言は五十音を本として義と義を合せ解ことなれば義のみにてはとるべからず、】是を以て本《モト》と武《ム》と言の同じきを知べし、そも/\一年の月の始なれば、是を元《モト》つ月といへる事、日の始を元《モト》つ日といふ義《コトハリ》をもむかへおもへ、(此月は、君臣親族親むこと殊なれば、親む月とも云べきに似たれど略言こそあれ、本言を皆略て下の辭のみを以ていふ例あらんや、又十二の月を名づけし例にも合ねばとらず、)
〇二《フタ》月を伎佐良藝といふは、木草發月《キクサハリツキ》てふ事なり、伎佐は、伎久佐の久を略き、良藝と波利は韻通へり、【藝の濁と利と通ふは、良利留禮呂は本半濁の音なればなり、】こは彌生にむかへし名なり、(是を衣更着といふは、歌のいひなしにこそあれ、此月は本名とおもふは、本言と歌とは別なるもあるをおもはぬなり、)
〇三《ミ》月を也與比月といふは、木草彌生月てふ事なり、木草右にゆづりて略き、也は以也の略き、與は於に通はし、比《ヒ》は本のまゝにいふなり、【いやを略て也とのみいふは、八百《ヤホ》八十《ヤソ》八重《ヤヘ》などの類數へがたし、】木草は二月に芽をはり三月にいやおひに生繁れり、仍て此集に春の繁山春の茂野などいへる多し、此ふたつの月はむかへて意を知べし、
〇四月を宇月と云は、空木花月てふ事なり、集中に、宇の花の、咲月立ば、と四月をいひて、こは此月の專らなる物故に名にすること、早苗《サ》月霜月などの如し、かくて此木は中虚なれば宇都木《ウツキ》といへば其花をうつ木(3101)の花といふべきを略きてうの花といふ、その月の名に呼時は、いよゝ略きてう月といふなり、(或人は宇惠月ぞといへど、植を略ては惠とこそいへ早苗は專ら五月植るなり、又種はまくといへり、萬葉に、種生、と有もまきおふしと訓ことなり、又稻種を蒔は三月なり、四月に或は蒔或は植る所ありとすべけれど、專らなるをこそ月の名とはせめ、)
〇五月を佐都伎といふは、淺苗月てふ事なり、言は、佐奈倍の佐奈の約は佐なり、倍は略く、且その佐奈倍の佐は、阿佐《淺》の略きにて、佐蕨佐百合などの佐に同じ、淺は短く小きをいふ事淺つ葱《キ》淺|茅《ヂ》などの如し、【是をわさ苗といふは若淺苗てふ事にてわさわらびも同じ、然るにわさ稻《テ》わさ穗わさ田などいふ時は、若き事ならねど、若を早き方に轉じていふなり、から字も此轉用はひとし、仍て早苗早稻など書り、されども早を以て佐月の佐に當るは誤なり、字は義を記すのみにて、こゝの本言にあらず、】かくて稻苗を植るは、天下專らなる事故に言を略て此月の名とせり、(或説たゞ小苗月の略とせれど、略かんには葉月倍月と樣にこそいはめ、末の言をたてゝ本言を略くべからねばなり、)
〇六月を美奈月と云は、神鳴月てふ事なり、加と利を略けり、此月は專ら雷のなれゝばいふにて、十月を神無月てふに對たる名なり、(後世水無月と書ことひがことなり、或説もあれどいふにたらず、)【上つ代に其神といはで神とのみいへるは專ら雷の事なり、故にこゝもかみとのみいへり、】
〇七月を布美月といふは、穗含月てふ事なり、保布の約布なり、下の布は略く、五月に植し苗の七月に始めて穗を含めばなり、ふくむを集中には布々牟とも保々萬里ともいへり、秋の三月稻もて名付るも專らなる物なればなり、
〇八月を波月と云は、穗|發《ハリ》月てふ事なり、保波の約は波なり、利は略く、稻穗は此月ぞはり出める、(後世葉月とてもみぢ初ると、八月もみぢ初ること何處にか有や、もみぢは九月の末よりこそ染れ、其外此月葉といふよし惣てなし、)
〇九月を奈賀月といふは、稻苅《イナカリ》月てふ事なり、上の伊と下の利を略きて、此月に稻は苅をさむるなり、(或人拾遺集に、夜を長月といへるを取しはひがことぞ、歌のいひなしにこそあれ、牟《ム》月を鶯の襁《ムツキ》に、二月を衣着(3102)さらぎ、六月を皆盡などいへるみな歌のみ、
〇十月を加美奈月といふは、雷無月てふ事なり、此月は物みなこもれば鳴雷も無といふ、六月に對へ知べし、(或説どもはいふにたらず)
〇十一月を志毛月といふは、霜零月てふ事なり、零は略く、
〇十二月を志波須月といふは、年極《トシハツル》月てふ事なり、上の登と下の留を略く、都と須は韻かよへり、元月に始て年はつる月に終れり、(六月神無月しはすの訓の事は、東麻呂うしのいはれしに依ぬ、後世人師走と書てあらぬ事をいふにや、古言の解樣はさる事にあらず、)
右の名はもとつ月と年はつる月をむかへ、草はり生る二つの月と秋の三月の稻とをむかへ、雷鳴と神無とをむかへて、ひとりいへるはたゞ三つの月のみなり、然れば一つ二つを擧ては盡ず、よりてならべいへり、
 
○眞剋持小鈴文由良爾、手二卷流玉毛湯良羅爾、
 
まきもたる小鈴もゆらには、手節《タブシ》に纏へる釧《クシロ》の鈴どもの搖《ウゴキ》鳴なり、(今本の訓は誤れるよしは考にいひつ、)又次下の歌に、手に卷る、玉も湯良羅に、てふも手に卷玉釧の玉をいへり、然れども此二つ事の樣は均しきに、鈴といひ玉といひ、又日本紀に手玉足玉といひ、手な鈴足ゆひの鈴といふも各異物ともおぼえざるに依て思ふは、一つは手足には小鈴を付るを、鈴の形は玉の如くまろなれば、玉とのみもいひなすか、惣て丸き物をたまといふは古への例なり、今一つは卷六(今十四)に、あづさ弓、末に玉まき、懸《カク》鈴ぞ、ねなくなりにし、奥をかぬ/\、とよめる如く、手足にも玉と鈴を交へ付る故に、或は玉或は鈴とのみも有べし、此二つの事には玉鈴交へ付るかたに吾は依ぬ、【明和の始つ頃、伊勢外宮權禰宜小田主殿てふ人、武藏秩父郡を行廻る事有し時、幾百代經しともしらず古き鏡を見しに、丸鏡のわたり三寸餘なるが廻りに小鈴を六つ付て其音今もさやけしとて圖を書て見せつ、又上總國に在とて〔入力者注、図省略〕かゝる物に鈴五つ付たるを見しに甚古かれど音猶さやけかりき、是らを思へば令に鈴印と云も、鈴を鑄付し金印ならんとおぼゆ、惣て古へは萬の物に鈴を付たるなれば、こゝの手ゆひ足ゆひの鈴もおもひはかるべし、】○由良爾てふ言は、記に(伊邪邪伎命、)御頸珠之玉緒《ミウナタマノタマノヲ》、母由良邇|取《トリ》由良|迦志《カシ》而、賜天照大御神而、云云、又(劔玉の條、)奴那登母、(奴那(3103)登母は、瓊之音の之を那といひ、於登を登といふ、)母由良爾、(母由良は、眞由良なり、由良羅は、ゆらゆらを略けり、うら/\をうらゝと云類多し、振滌《フリスヽキ》云云、神代紀、(一書同條に、)解《トキテ》2其《ソノ》左(ノ)髻所纏五百箇統之瓊綸《ミヅラニマツハセルユツミスマルノヌノヲ》而|瓊響※[王+倉]※[王+倉]《ヲヌナトモモユラニ》1、(瓊響※[王+倉]※[王+倉]此には云2乎奴儺等母母由羅爾(ト)1、○同下に、手玉玲瓏、織紅之少女とも、)こは緒瓊《ヲヌ》之音眞搖にといふなり、別卷、四(今十一)五(今十二)の卷の今本の始に、人麻呂歌集の歌は、此度わかちて別の一卷とす、次々に別卷といふは皆是なり、)玉響、昨日夕見物、と有も玉の音の幽なるを妹をわづかに見しに取、(こゝに引たる玉響を、幽なる事にいふをもておもへば、玉の相觸て鳴はいさゝかの音なるを、こと/”\しくいふは文のあやなり、)これらのゆらは音のごとく聞ゆ、されども右の記に、玉緒も母由良、といひ、卷二十に、ゆらく玉の緒、と云をおもふに、搖は本にて搖時は音有まゝに二つ相かねて聞ゆるなるべし、
 
○雲聚之玉蔭、日蔭、
 
此玉蔭の玉はほめたる言、蔭は日蔭の日を略きいふ事は考にいひて、日蔭は松蘿なる事は卷二、額田姫王の歌にいへるが如し、なほ日蔭の鬘の事には異なる説もあれば委しくする、記に、手2次繋《タスキニカケ》天香山之天之日影(ヲ)1而、爲(テ)v鬘(ト)2天之眞|折《サキヲ》1而、(神代記同じ、)と有を今日蔭を鬘とすてふを疑ひ問ふ人あり、おのれいはく、日蔭を鬘とせし事卷十九に、天平五年十二月二十五日、新嘗會肆宴應詔歌、少納言大伴宿禰家持、足日木乃、夜麻之多日影、可豆良家流、宇倍爾也左良爾、梅乎之奴波牟、と有古へ是を鬘とせし事知べし、【此歌に、山下日蔭といふに、堀川院百頸の苔の題に、「日影はふ、繁みが下に苔むして、緑の深き、山の奥哉、といふを以て日影は繁みが下の土を這ふ苔ぞといふ人有はひが心得なり、日影は既に卷二に、いへるごとく猿をがせともいひて、奥山の繁みの中の古木の枝に生る物なる事疑ふべからず、先神祭の時地を這ふ物を頭に懸べからず、又下に引歌に心得がたき物とするも、只奥山にのみあればなり、地を這ふこけは、里邊の岡林にも常有て得がたからず、さて其山下日影といふは奥山の嶺は風疾日ちかければ生ず、麓の繁木が中に有古木の日も風もあたらぬ枝に生ればいふのみ、かの苔をよめるは、其緑なる地の苔をいはん料に繁みを助けんとて日影をいひしのみなり、日影はかゝる生るなどいふべきを、句もせまりぬ(3104)れば強てはふといひしなり、言によりて強でゝする後世歌の常にて、物の實をいふにとられぬは後世ぞ、】後に延喜式の頃には、組糸を此かはりとせしかども、それを日蔭の鬘といひて頭に懸たり、本より記日本紀に、日影を襁とあらば、天平の頃しかも大嘗祭の應製の歌に右の如くよまんや、式にもしかいはんや、仍て思ふに、二書ともに本は眞折を襁とし、日影を鬘として、と有けるを、いと後に誤て、右の如く日影を襁眞折を鬘とは書しなりけり、眞折の鬘長くして強き物なれば襁とすべく、日影は深山の古木に生る蘚《コケ》にて弱ければ鬘とは懸べく襁にはたふべからず、かた/”\理り明らかなり、○又問、山かづらといふを日影の事とする説有はいかにと、答ふ、日影鬘を山かづらともいひし事、卷六(今(ノ)十四)に、安之比奇能、夜麻可都良加氣、麻之波爾母、之可多伎可氣乎、於吉夜可良佐武、とあるは、山鬘日影と云を、日を略きたる事上の歌に同じ、さて此可氣を懸と心得る人有べけれど、次に得がたき可氣と有、即得難(キ)日影の事とせでは言かなはず、上の句も懸としては一首の意解べからねば、日影の事に定まれり、(歌の意は卷六にいふ、)これを以て古今六帖に、「まきむくの、あなしの山の、山人と、人も見るがね、山かづらせよ、「行がうへにまたもゆけ駒、神なびの、三室の山の、山かづらせん、てふも同じくひかげのかづらを山かづらといへるを知べし、
 
○乞を與と誤り、又乞曾を與具と誤れること、
 
此卷に注せる人麻呂歌集の反歌に、志貴島(ノ)、倭(ノ)國者、事靈之、所佐國叙、眞福在乞曾、【古曾の辭に二ツ有、吾こそ人こそなど云は事を分つ辭なり、告こそ見えこそなどいふは、願ふ言なり、此二ツ事に依て辨へよ、又其願のこそに乞の字を書有、又同願の事に乞曾と書は假字なり、これらよくせずは迷ひなん、】(こは考にいへる如く神の幸給ふを言擧して賀《イハ》ふなれば、命眞さきくありねこそと願ふこそをそへいふなり、さてこその辭は願ふ事なる事上にいへるごとし、)かくてこゝは乞曾と假字に書たるを、今本は乞を與に誤り曾を具に誤れり、(乞《コ》を与《ヨ》と見遂に與と書、そを具と見しなり、)下に、妹に告與具、夢爾所見與、など有も同じく、告乞曾《ツゲコソ》、所見乞《ミエコソ》の誤なり、何ぞといはゞ、同意の歌に、妹爾都氣許曾、夢爾所見社、などいへる數しらず多し、又下の卷に、里遠み、戀わびにけり、まそ鏡、面かげ(3105)さらず、夢所見社、と有、同歌の人麻呂集に入しをば、夢所見與と有、此與は即乞を誤し事右に同じ、その外いと多し、集中をわたり見ば明らか成べし、又具は集中皆濁る假字にのみ書たるを知らば、こゝにあるまじき事、明らけきに、卷七(今(ノ)十、七夕(ノ)長歌)に、曾穗船を具穗船、其次に旗篶木葉裳曾世丹を、旗荒木葉裳具世丹、と今本には誤れゝば、とかくに草の手をも歌をもしらぬものゝわざ也、
 
○高々、多加伎奴、八船多氣、馬並而|高《タカキ》山、
 
此卷、(挽歌、)母父毛、妻毛子等毛、高々丹、來跡將待、人乃悲、○卷四に、高山爾、高部左渡、高々爾、余待公乎、待出可聞、また、豐國、聞乃高濱、高々爾、君待夜等者、左夜深來、など多し、高々には、遠々にてふ言なるよし、此卷の考には、いさゝかいへれば、つぶさにいはん、かくて、卷十三(今四)に、打渡、竹田(ノ)原、云云も、打渡す遠きとつゞけし事、右を以て思ひ定むべし、(冠辭に、いさゝか疑ひいひしは、いまだしかりき、)卷八に、大船乎、荒海爾、※[手偏+旁]出、八船多氣、吾見之兒等之、目見者知之母、この八は彌なり、船多氣【たけは、たきにて、たぐるかと思ひしが、こぎ出る時は、へづなをときこそすれ、たぐる事なし、又たぐるとては、下の意を何といはんとすらん、又氣を古へ、幾の假字に用ゐし事なし、集中皆氣はけの假字也、】は、其湊より海原に※[手偏+旁]出る船の、いよ/\遠く成行ものなるをもて、遠く吾見し兒といはん序とせり、(末の意は其卷にいふ、)卷二十、(防人歌、)ちはの奴の、このでがしはの、ほゝまれど、あやにかなしみ、於枳弖他加枳奴、これにて遠く來ぬるを、たかきぬといひしこと明かなり、卷七に、馬並而、高山、白妙丹、令艶色者、櫻花鴨、(今本梅とあるは誤なり、)これも馬に乘並て、遠く來といひかけたり、これらのつゞけ上の歌どもの例並擧て推ときは事もなく聞ゆめり、後人たゞその一首にのみむかひて思ふ故に通らぬ説の出來るなり、
又たま/\てふ言とも聞ゆる歌有は、遠間/\を略ける言故に、ことならぬ如くなれど、右に引たるおきてたか來ぬなどいふに、たま/\とてはかなはず、
 
○加良、與利、由惠、奈我良、由物故、
 
此卷に、思就西、君自二、戀八將明、とよめる、このから〔二字左○〕は、從とも故《ユヱ》とも聞ゆ、何ぞといはゞ、まづ故は、ゆ(3106)ゑともいひて、物の本あり因有る事をいへり、然れば、上の言の意を受て加留我由惠と云は、此有之由《カクアルガヨシ》てふ言にて、上にいへる事を由緒としていふことばなり、さて此かるがゆゑを約めてかれともいへり、(留我ゆゑの約禮なればなり、)其加禮と加良は音通へり、仍て、君加良爾を、君由惠爾、といひても聞ゆめり、又加良と與利と通ひ聞ゆるは、此所《コヽ》より行彼所より來てふも、此と彼を各本として、それによりて有事をいへり、是は右にいふ由縁《ヨシ》てふ言輕く用ゐしなり、〇二つに、神隨《カンナガラ》、皇子隨《ミコナガラ》、などいふ奈賀良は、神爾阿留加良てふ言なり、その奈は、爾阿の約め、留は略く、加良は右に同くて、神に在より、神に在故、といひても聞ゆ、此言日本紀にも集にも、隨の字を用しは、即その神のまゝてふ事ともなればなり、仍て上には考にも別記にも、まゝと言方より解こゝには言の本といへり、然れば意別の如くなれど、より合所一つとなりぬ、三つに、國加良か、神からか、といふも、國ながら、神ながら、の略にて、國にあるから神に在から、てふ言なる事右に均し、【ながらは、爾在ながら、と云略にて、後人のおもふとはことなるよし、上にいふに同じ、】次下に、倭國者、神柄跡、といふ同言を、其左に引たる人麻呂歌集に、神在隨、と書しを思ふべし、かくてこゝはさるよろしき國の事、或は神の功《イサホ》などを上か又下にいひて、其國にて在よりかと云なり、かゝれば是も其國なる故にといひても意ひとしきなり、四つに、直爾不往、此從《コユ》巨勢道柄、このこゆはこゝよりてふ辭なり、其與利の約は、伊なるを、由に轉じいへるにて、こゝ加良といふに同じき事上にいへるが如し、さて巨勢道からのからも從に同じ、然るをことばは唱へかへて重ねいふは、譬ば、妹にはあれど、兒らにはあれど、など並べいふ類にて、此頻の言は擧つくすべからず、〇五つには、記に、空ゆはゆかず足ゆ行、卷五に、水を給《タバ》れな、妹が直《タヾ》手ゆ、此從に同くて、空より、足より、手より、馬よりともいひ、又各からともいふべし、足のまゝ、手のまゝ、馬のまゝ、と云ても聞ゆ、右のおち/\はいふことばは異なるに似て意はひとしくなる類なり、既にいへる、須良、奈保、太爾、の意相似たる如くして各別なることはうらうへの違なり、かゝること多し心をやりて解知べし、〇六つに、物故と云は、集中に物故といふとたゞ故といふは別なり、【たゞ故とのみ有て、物故の略(3107)なるあり、そは卷二、旅宿鴨爲留、不相君故、又物念痩奴、人能兒故爾、また、短木綿、如此耳故爾、長等思伎、卷五、高麗劔、己之景跡故、外耳、】されど故てふ中には物故を畧きつと覺ゆるもたま/\あり、そは左にあぐ、かくて物故は、卷三に、對面者、面陰流、物柄爾、(女の自いふなり、)繼而見卷能、欲公毳、(物から、物故はひとしき事上にいへり、あふ時はおもはづかしくてよくも見られじを、いかでかく見まくほしくおもふやらんなり、)朝東風爾、井提越浪之、世染似裳、不相思故《アハヌモノカラ》、瀧毛|響《トヾロニ》、浪間從、雲位爾見、粟島之、不相|物故《モノカラ》、吾所依兒等、(あはぬ物故いかで人のわれにいひよすらんといふなり、然れば一首の中にうたがひのことばは自ら籠るなり、)卷四に、橡之、一重衣、裏毛無、將有兒故、戀渡可聞、(何心もなくてあるらん物故とても聞ゆ、)高麗劔、己之景跡故、外耳、見乍哉君乎、戀渡奈牟、(我かげなる物故と聞ゆ、)古へより歌のいひなしにはことなるも集中に多し、さてこゝは古今歌集もて見るべし、そは歌の本と末との心を異樣にいひてはてをらんと留るに、いかでかくはてふうたがひ一首の中にあり、其體十首あまりあれど一二を擧ぐ、「わかれてふ、ことは色にもあらなくに、心にしみて、わびしかるらん、「しるといへば、枕だにせで、ねし物を、ちりならぬ名の、空にたつらん、「わが宿に、咲る藤浪、たちかへり、過がてにのみ、人の見るらん、是らうたがひの言のこもれる事はこゝも同じ、又、「秋ならで、あふことかたき、女郎花、天河原に生ぬ物故、てふを解がたくする人あり、右の此集に仍て、いかで秋ならであふことかたきや、とせば何のうたがひかあらん、
 
○津禮毛無、
 
此卷に、磯城島之、日本國爾、何方、御念食可、津禮毛無、城上宮、同卷の末の反歌に、家人乃、將待物乎、津烈裳無、荒磯矣卷而、偃有公鴨、此次にも同言あり、卷十四(今三)、新羅(ノ)尼が死を悲む坂上郎女の歌に、(新羅よりうからはらからも無、此國に來りし事を云て、)都禮毛奈吉、佐保乃山邊爾、哭兒成、慕來益、卷十五、幸難波宮時云云、難波國者、葦垣乃、古郷跡、人皆之、念|息《イコヒ》而、都禮母無、有之間爾、などあり、かくて右の、何方、御念食可、津禮毛無、城上宮爾、大殿乎、都可倍奉而、といふと、卷二の、日並知皇子命殯宮時、(長歌、)由縁無、眞弓乃岡爾、宮柱、太布座、といひ、同(3108)時、(舍人等の歌に、)所由無、佐田乃岡邊爾、云云、これら均しく御殯の宮所の事をいひて意同じければ、上に擧し四首のつれも無を、よしも無とかへ試るに意皆相かなへり、然れば此言の凡は是にてしり置て、さてその言の本を思ふに、貫《ツラ》ねも無てふ事なるを、良禰の約禮なれば、都禮といへり、其つれを常には同遊同行のものにいへば輕きが如く思ふ人有べけれど、京人は京の貫屬、國人は國の貫屬を公に定給ひぬれば、親族も皆此貫にて重く弘き言なり、且(ツ)由縁貫屬は遂に同事と成故をも思ふべし
 此つれもなきを中世の下りよりは、戀とも我によしなき體にて有を、つれなき人といひなせし事古へはなかれど、右の因《ヨシ》なく貫無より轉ぜしものと聞ゆ、然るを後の人はたゞ其轉ぜしが、上に附て、其言に、強面不顔面、などの字を當て、さる事とのみ思へるは、尾に付て廻る※[亡/(虫+虫)]《アブ》にぞ有ける、
 
萬葉考別記三 終
 
萬葉考別記四
 
○義之《テシ》、大王《テシ》、
 
此卷に、朝宿髪、吾者|不梳《ケヅラジ》、愛《ウツクシキ》、君之手枕、觸義之〔二字左○〕《フレテシ》鬼尾、○印《シメ》結而、我定|義之〔二字左○〕、住吉乃、濱乃小松者、後毛吾松、卷五、大海之、底乎深目而、結義之〔二字左○〕、妹心、疑毛無、卷十三(今(ノ)四)、石上、零十方雨二、將關哉、妹似相武登、言義之〔二字左○〕鬼乎、卷七(今(ノ)十、七夕歌、)持月日、逢義之〔二字左○〕有者、別乃惜有君者、明日副裳欲得、卷八(今(ノ)七、寄玉、)葦(カ)根之、懃念《ネモゴロモヒ》而、結義之〔二字左○〕、玉緒云者、人將解八方、卷四(今(ノ)十二、黒髪、白髪左右跡、結大王〔二字左○〕、心一乎、人解目八方、卷八(今(ノ)七)、世※[間〔日が月〕]、常如是耳加、結大王〔二字左○〕、白玉之緒、絶樂思者、【卷二十、(東歌、)むら玉の、くらにくきさし、加多米等之、いもが心は、あよくな米かも、此としもてしなるを方言にしかいふのみ、】これらの義之も大王も※[氏/一]志てふ辭に書しものぞ、何ぞといはゞ、〇卷三(今(ノ)十三)に、枉言哉《マカコトヤ》、人之云鶴、玉緒乃、長登君者、言手師物乎、○卷四(今(ノ)十一)に、菅根、側隱君、結|爲《テシ》我紐緒、解人不有、同卷、味鎌、鹽津乎射而、水手船之、名者|謂《イヒ》手師(3109)乎、不相將有八方、○卷五(今(ノ)十二)、住吉之、敷津之浦乃、名|告《ノリ》藻之名者告而之乎、不相毛怪、○卷十三(今(ノ)四)、不念常、曰手帥物乎、翼酢色之、變安寸、吾意可聞、この歌どもの心詞皆上に擧し歌どもに均し、さて※[氏/一]志てふ辭の※[氏/一]は、多里の約知なるを弖《テ》に轉じいふにて、いひたりし、むすびたりし、と心得て皆かなへり、【又は集中に、見弖志我《ミテシガ》、相※[氏/一]志賀《アヒテシカ》などいふは、見※[氏/一]阿良志我毛、相而有志賀毛、と願ふ辭にて過さりたるにあらずして、こゝの而師とは異なり、といふ人あればことわりぬ、○後世の歌は、契てし、見てし、聞てし、などいへるてしも、皆契たりし、誓たりし、聞たりし、見たりし、と心得てかなへるは、多利の約知を※[氏/一]に轉じいへるとしるべし、】故に右に結|爲《テシ》とも書しなり、然ればこゝに引し歌どもをむかへて上の義之大王も、女※[氏/一]志とよまざれはその歌の意をなさゞるなり、さて先歌の意をかく定めたる上に思ふに、義は篆の字にて義篆《ギテン》の草甚近き故に誤れるものなり、仍て考には篆と書つ、〇大王を※[氏/一]志と訓は、むかし三韓人はその主を國主といひけんを、彼が言をうけて我朝にてもかれの主をば古伎志《コキシ》といひし如く、唐より使又は來り住ものどもは、其王を天子とも大王ともいひけん故に、大王を即天子といひて、※[氏/一]志の辭に用ゐしものぞ、字音を又の字音になして假字とするは、韓羅を加良と書て辛《カラ》き事に用ゐ、十六を四々と書て鹿にかり、僧を法師として保志の假字とせんが如し、官名を神祇祐より國の掾まで種々の字を用ゐたれど、皆|政《ジヤウ》の音に呼、又滿都里期登毘登、と唱ふるなども似たる事なり、これらは上つ代にあらず、清御原藤原宮の頃よりから字の音をさま/”\に戯てかりし中にはかゝるも有めり、
 今本右の義之をきしと訓て、結來しいひ來してふ言とせしはひがことなり、先義を清てきと唱ふる事なし、もし義の字にや、といふ人あれど、古へも今も、いひこし結こし、とはいひて、いひきし結きし、といへることもなければ、そもいはれず、かの篆之大王を次に擧し、手師結爲云云にむかへて、※[氏/一]志といふ辭なるを思はゞ何か疑はん、
 
〇八鹽乃衣、【呉藍は次の條に擧、】
 
此卷、呉藍之、八鹽乃衣云云、八は、彌《イヤ》の畧にて、あまたゝびの意、鹽は、物によくしみ入故の名なれば、借字ながら言の意は均し、さて是は、八鹽入《ヤシホリ》の衣、と(3110)いふなるを、歌には、入を畧て調へたり、記に、(垂仁天皇條、)八鹽折之紐小|刀《カタナ》、てふは、刀《カタナ》の紐の色をいひて、こゝと同じ、又|釀《カミ》2八鹽折《ヤシホリ》酒(ヲ)1、と有も、物は異なれど、八鹽折の言は均し、(折は借字にて入なり、入を畧て利とのみいふは常なり、)
 是に人の惑《マヨフ》事有、そは卷十九に、梅の花、雪に志乎禮※[氏/一]、と有は、しなひ多乎む事にて、卷七(今(ノ)十)に、爲垂柳《シダリヤナギノ》、十緒《トヲヽニモ》、てふ如く、枝も登乎々とも多和和ともいふに同じく乎の假字なり、(とをむともたわむともいふは、初音の乎と末音の和と隔違に通はしいふ例なり、)こゝにいふ志保里は物を染入方なれば、保のかなにて事の本大に別《コト》なり、古人は、言の意を委に分知て、假字を以てその分ちを定めたり、後世は、其言の意をそらに心得んとする故違多しこはからぶりにこそあれ、
 
○呉藍《クレナヰ》、韓藍《カラアヰ》、
 
くれなゐの事は、此卷右にいへる、呉藍之、八鹽之衣、また三苑原之《ミソノフノ》、鷄冠草花乃、色出目八方、とよみ、和名抄に、辨色立成を引て、紅藍(久禮乃阿爲、)呉藍(同上、)紅花(俗用v之、)といひ、その外にも多し、言は呉乃阿爲の乃阿を約て、久禮奈為といふなり、かくて我朝古へたゞ青藍を以て衣を染しを、呉の國より來たる紅花も同じ衣染るものなれば、紅を呉のあゐとはいひなせしものなり、又から藍てふは、卷十四(今(ノ)三)に、吾屋戸爾、韓藍|種生之《マキオフシ》、卷八(今(ノ)七)に、秋去者、彩毛將爲跡、吾蒔之、韓藍之花乎、誰採家牟、(彩を今本影と有は誤、)卷七(今(ノ)十)に、三苑圃能、辛藍花之、色出爾來、などあり、此呉藍といひ韓藍と云も共に其種は同じものなり、さるをむかし中末までくれなゐてふ名の專らあるをおもへば、始の呉の國よりこし時くれなゐと名つけ、後に韓國よりもこしをからあゐといふならん、さて縫殿式に、韓紅花と有はたゞ深紅の事なり、【式に、韓紅花云云、貲布一端、紅花大四斤云云、中紅花、貲布一端、花大一斤四兩云云、の如く紅花の量の多少のみにて別事なし、】韓にて染るが濃に依てそれが樣に染るを云にて、染種はたゞ紅花のみ、此左に、類聚古集云、鴨頭草又作2鷄冠草1云云、依2此義1者可v和2月草1歟、とあり、【萬葉の訓を和といへる源順の歌集などにあることばなれば、かの梨壺にて訓し時類聚古集を見て注せしにや、】さて是を鴨頭草とするはひがこと(3111)なり、そは多く生るものなれば、殊に御圃に植らるべからず、仍て式にも見えぬなり、鷄冠草は更にも作らせらるべき事なり、此類聚古集てふ物古くともいまだしき人の集と見えたり、此外萬葉の事ははやくよりよく考へしものなしとみゆ、
或人は此卷に鷄冠草花と有によりて、後世見ゆる鷄冠草の事ぞといへるはいふにもたらず、先紅花は莖立の末に丸き房あつまり成て、其房ごとの赤き花の發《サキ》出ぬるさま鷄冠といふべし、さて春種を蒔生し、六月七月の頃にその花を手にて摘とりぬれば、紅の末つむ花ともよみ、又右に引し、秋さらば、彩毛將爲《ソメモシナン》、ともよめるは、夏の末秋の始につみとりてよくほして後に染れば、秋去者云云、とはいひつ、鷄頭花は古書にも見えず、今安房などに多しといへり、然れば後世他國よりこし物なり、もしかしこにては秋とりて染種に爲とも、こゝの古へ聞えぬ事なり、かの式に韓紅花てふ名あるをも見ずや、【和名抄に楊氏漢語抄云、鷄冠木(加倍天乃木、)といへりかへ手は只紅を取ていふのみ、こゝに紅花をいふは形よく似たり、或人此歌を今本のまゝに、影にもせん、と訓て引しは思ひはかりなきなり、木ならば夏蔭をたのみもせめ、草を蔭にせん事やある、ことに秋去者とあるから、秋は凉しければ蔭用なからまし、仍て影は彩の字を誤れりとす、】
○惠具《ヱグ》、與其《ヨゴ》、其和爲《ゴワヰ》、
 
此卷に、足檜之、山澤回具乎、採將去、日谷毛相將、母者|責十方《コロブトモ》、卷七(今(ノ)十)に、爲君、山田之澤、惠具採跡、雪消之水爾、裳裾|所沾《ヌレヌ》、この惠具を東國にては、與其《ヨゴ》といひ、近江遠江越前などにては其和爲《ゴワヰ》といへり、土左國にてはやがて惠具《ヱグ》といふといへり、其士左人のいへらく、葉は藺《ヰ》に似て少さく内空くてやはらかなり、且赤黒なる毛ありて葉の本を包めり、そを取去ば根は白く小き芋有て味少しゑぐし、里人の好み食ふと、是東にてよごといふ物と全く同じ、澤又田やせ所《ド》に生る故に、武藏の江|門《ド》の北西四里ばかりに與其田てふ村の名もあり、過にし年近江の勢田の里屋に休らひしに、女の田草曳に出るとて兒に向ひて、けふはごわゐ採て來んおとなしく待たれよ、といへるを問に、全く右の土左人のいひしが如し、又遠江にて田夫のなす業の鈍《オソ》きをそしりて、晝はごわゐを拾ひて夜は夜田を匍《ハフ》、といへり、(越前にても此語ありといへり、)かゝれば惠具(3112)和藺《ヱグワヰ》てふを本にて、歌には惠具とのみいひ、東には音通へば與其《ヨゴ》といひ、遠江などにて、惠を略き具《グ》と其《ゴ》を轉じて其和藺《ゴワヰ》といふなりけり、
 和名抄芋類に、烏芋(和名久和井、)生2水中1、澤瀉之類也、これは木艸にてはさても有べきを、和名を擧る時は先惠具和爲をいひて、次に烏芋(俗久和井、)とこそかゝめ、此久を清ていふは後世の俗なり、且烏芋はゑぐからねど、葉も芋も似て烏ければ此名をつけし事しるし、又澤瀉はおもだかにて、其類に芋有のみ、是をもくわゐといふは、其芋かの惠具和ゐ烏芋に似たるをもつていと後の俗の呼る名なり、和名抄は委しからぬ事多し、【後世人此ものをよくも尋ねずして、おしはかりにゑぐのわかなといひ、芹の類などいへるはいつもの事ぞ、】
 
萬葉考別記四 終
 
萬葉考別記五
 
〇宇多手、于稻于稻志《ウタウタシ》、轉《ウタヽ》、
 
卷五(今(ノ)十一)、何時《イツト》奈毛、不戀有登者《コヒズアリトハ》、雖有《アラネドモ》、得田弖比來、戀之繁母、○別卷、(人麻呂歌集なり、)若月《ユフツキノ》、清(ニモ)不見《ミエズ》、雲隱《クモガクレ》、見欲《ミマクホシキ》、字多手比日、○卷七(今(ノ)十、譬喩歌、)吾屋前之、毛桃之下爾、月夜指、下心吉、菟楯頃者、○卷十六、荒城田乃、子師田乃稻乎、倉爾擧藏、阿奈于稻于稻志、吾戀良久者、まづこの倉は、屯倉《ミクラ》にて、稻を幾萬束も積重おくに譬て、うた/\しといふもて此言を思ふに物の餘しきまで重れる事なり、さて其宇多々々しうてふ言を略きて、宇多々々志とも宇多々々とのみもいひ、又約轉して、宇多弖ともいへり、(うたゝしのたゝを約ればちと成を、てに轉じてうたてといへり、)かくて右の若月云云は、見まくほしさの餘りあるを此比といひ、何時奈毛云云は、いつよりも戀の重りぬるをいひ、毛桃の下に月夜指云云は、おもしろきけしきの重れるを譬として、思ふごとく妹がなよひ來し時など心うれしさの餘りあるをいへり、かくて記に、須佐能男命の惡《サガナキ》事し給ふを、天照大御神はよろしく(3113)詔雖直猶其惡事不止而轉《ノリタマヒナホシマセドモナホソノサガナキコトヤミタマハデウタテアリ》、といへり、【うたてしく有を略きて、うたて有といふ、】此|轉《ウタテ》は左《ト》しても此《カク》しても惡事のみ重りぬるをいふなり、から文に轉愁然、古今歌集に、うたゝねにてふはまろびねの事にて、此まろぶをうたゝといふぞ此言の始なりける、是より轉りて譬ば、愁有時右にまろばし左にめぐらしても同じきてふ意より、右の如く物の餘りに重れるにもいひ又餘りしくあやにくなる事にもいふなりけり、【事は後世に出ても上つ世の言なるも有、上つ世の文に出たる言にも、轉じたる後の言をさかのぼらせていへるも有めり、】同じ記に、大泊瀬王(雄略天皇)忍齒王を率て近江に御狩し給ける時、忍齒王いまだ明やらぬに馬に乘ながら大泊瀬王の御假屋へおはして、御供人に、早く出たまへ、と申せとのたまひてやがて馬をすゝめて出ゆきませしを、大泊瀬王の御用人《ミモトビト》ら、宇多弖|物云王子《モノヽタマフミコ》慎《ツヽシミ》給ふべし、と申せり、こはまだ曙《アケ》ぬに急ぎ給ふを餘りしくもてふなり、後の物語ぶみに、或は事の重り過或は餘りしきてふ意の所にいへる皆古へにひとし、古今歌集に、「散と見て、有べき物を、梅の花、うたて匂ひの、袖にとまれる、てふはあやにくに餘りしきをいふ、又「花と見て、をらんとすれば、女郎花、うたてあるさまの、名にこそ有けれ、とはよそめに花なりとて立寄折らんとするに、近く見れば花にはあらず、左《ト》見れど此《カク》みれど、其名のごとく女にこそあれ、といふなり、【新撰萬葉に、うたて匂ひのうたてを別樣と書しは、此言を解にはあらず、歌のいひなしの意をいふのみ、】
 
○梓弓|末中三《スヱナカタ》伏(シテ)一起(テ)不通有之《コズアリシ・タユアリシ》、
卷三(今(ノ)十三)に、根毛一伏三向疑呂爾、卷七(今(ノ)十)に、碁三伏向夜《ユフヅクヨ》、など有は、相似たる書體なれど、ことわり各異なる事、其卷の考に云り、こゝのこゝろは、此歌の前後に、梓弓、引見ゆるべみ、思見て、とも、引見疑見、縁西鬼乎《ヨリニシモノヲ》、とも、上卷に、梓弓、引見ゆるへみ、不來は不來云云、ともいふに同じ意にて、言のかはれるのみなり、かくて末中とは末を思ひ、又立かへり中頃をも試るなり、三伏一起は、かの末中とおもひ止ては又思ひ起すをいふ、次下は、その思ひ止たるが又起りて今通ひ來るを、女のよろこびて、こず有し君には逢ぬといへり、その三伏一起は、弓いる始にする行《ワザ》にて、下の梓弓くやり/\も、つく弓のたてり/\(3114)も、といひ、今昔物語に、弓たをしてふ事あるも是にて、射禮の一つなるを以て譬しにて、其弓たをしは始め三度ちいさく起伏して的を見、さて矢をはけて高く打起ならん、且ためててふ言は、物をたをめしなんするより出て、事をよく練試《ネリコヽロミ》るにもいへり、卷六(今(ノ)七)に、をさぎ《兎》ねらわり、といふも、たねらふの略にて、此歌の意にかなへり、平言に、ためつすかしつ、といふも、此弓より出しと聞ゆ、
 
○意具美《コヽログミ》、心具之、目具之、
 
此卷に、淺茅原、茅生爾|足蹈《アシフミ》、意具美《コヽログミ》、吾念兒等之、家當見津、こは心くるしみおもひしてふ其るしの言を略きていへり、【後の物語ふみに、心くるしうおぼす、といふも是に同じ、されど、古へは心くるしとめぐしといひし後には心ぐるしとのみいへり、】○卷十七に、(長歌に、春野に遊ぶ處女らがことをいひて、)君待と、うら戀すなり、己許呂具志、いざ見にゆかん、云云、同卷に、(長歌)妹も吾も、心は同じたぐへれど、いやなつかしく、相見と、常初花に、情具之《コヽログシ》、眼具之毛奈之爾《メグシモナシニ》、云云、これも心苦しく思ふ事もなく、見て苦しと思ふ事もなしと云なり、○卷十(今(ノ)九、筑波山のかがひの歌、)他妻に、吾毛交牟、吾妻に、他も言問、云云、今日耳は、目串毛勿見《メグシモナミソ》、てふも右に均し、○卷十一(今(ノ)八)、情具伎、物にぞ有ける、春霞、棚引時に、戀の繁(キハ)者、卷十三(今(ノ)四)、情八十一《コヽロクヽ》、所念可聞、春霞、輕引時二、事之通者、此二首霞もていへれば、おぼつかなき事のみ思ふはくはしからず、こは遠くへだゝりて、おぼつかなき方にて苦しければ、霞をもて言とせしなり、右の眼具之といへるに、おぼつかなき意はなきもて知べし、○卷四(今(ノ)十一)に、人毛|無《ナク》、古郷爾《フリニシサトニ》、有《アル》人乎、(人は自云、)愍久也《メグクヤ》君|之《ガ》、戀爾令死《コヒニシニセメ》、てふは、まづめぐしといふは上より下をめぐしと思ふ事にて、專ら妻子などにつけていふを、此歌には我うへに取ていへり、さて此意は今人のむごくやなどいふに同じ、めぐしもむごくも音通ひて同言なればなり、且そのむごきといふを常に他《ヒト》の上にも我上にもいふが如し
○神のめぐみ君がめぐみ、といふも即是にて、その御心にも御目にも世の人を苦しとおぼすをいへり、神代紀に、憐愛の字を米具志登於凡須《メグシトオボス》とよみ、右の歌に愍字を書しにてもおもへ、【後世雨のめぐみ露のめぐみな(3115)どいふは、轉々の言にて雅言ならず、】
 
○於|能《ノ》禮故所罵而云云歌、
 
右の歌左の注に、右一首平群(ノ)文屋朝巨益人、傳云昔聞紀皇女竊嫁2高安王1、被責時御作此歌、但高安王左降任之伊與國也、といへり、思ふにかく多き歌の中にたまたまかゝる傳をいふべくもあらず、凡よきほどの事を附しならん、古今歌集などに似つかはしき古注有も皆附そへごとなる類なり、
 
萬葉考別記五 終
 
萬葉考別記六
 
○佐惠佐惠、佐和佐和、曾和惠、又佐夜佐夜、
 
此卷に、安利伎奴乃、佐惠佐惠之豆美、と有は、衣に着たる多の玉の立居すれば相觸てさわぎ鳴を、遠く旅立別れに家の内妻を始めて悲みさわぐに譬たる冠辭なり、此佐惠佐惠の言は記に、尾翼鱸《ヲヒレスヾキ》、佐々和々邇《サワサワニ》、控依騰而《ヒキヨサゲテ》、てふは、鱸をつりあぐる時にさわぐをいふ、又(難波天皇大御歌、)許久波母知、宇知新意保泥、佐佐和々爾、とよませ給ふも、鍬もて多の人の大根を打ほる時の騷ぎに譬て、后の山背へおはせしを聞し驚さわぎ給ひて幸ませし事をのたまへり、さてこゝに佐惠佐惠と有同歌を卷十三(今(ノ)四)にも擧しに、佐|藍《ヰ》住|謂《ヰ》沈、と書、右に引し記には、佐和佐和と書しは共に和爲宇惠於の音を通はせしにて假字も意も相かなへり、かゝれば同卷(今(ノ)十四)の末に、麻都我宇良爾、曾和惠宇良|太《ダ》知、麻比等|其等《ゴト》、また和伎毛古爾、安我古非思奈婆、曾和惠可毛、加米爾於保世牟、てふも、皆人の騷たつることをいひて同言なるを、曾和惠と云は東言なり、かくて記には佐和々々、此卷の上には佐惠云(3116)云、次には曾和惠と有、皆同言なるを知る時は、佐和佐和は本言のみをいひ、曾和惠の惠は辭とすべし、然れば作惠云云は和を略きて惠をいひしなり、且其惠をば辭とするは、記に、(神武)曾婆能微能《ソバノミノ》、須久那祁久袁《スクナケクヲ》、許紀志絶斐《コキシダヒ》惠泥、とあればなり、【記の御歌には、誤字落字も有を、こゝには正して書、今本のは見る人は疑ふべし、且歌の意も諸説とはことなり、】こは狐※[木+陵の旁]の木のみのちいさきをもこきおろし枝葉をもしなへ折てよとのたまふなり、此比惠の約倍なればしなへよてふ意なり、然ればこゝのゑもめに轉じて曾和めく意とすべし、又集中に、縱惠八師《ヨシヱヤシ》、と云は、只よしやと云に惠としを添云なれば、惠を助辭にもおけり、此二つ何れに見ても聞ゆべし、
○又記に、(吉野の國栖が大雀命の御劔をほめ奉る歌、)布由紀能須、加良賀志多紀能、佐夜佐夜、同記、由良能斗能、斗那加能伊久理爾、(海中の石、)布禮多都、那豆能紀能、佐夜佐夜、てふ上は御劔の鞘尻の玉の相觸て鳴音を以て佐邪々々といへり、【卷十(今(ノ)九)に、高島之、阿渡河波者、驟鞆《サワグトモ》、吾者家思、宿加奈之彌、てふ歌は、人麻呂の歌をうつしたる物と見ゆるに、驟の字を書しを以て、かの亂を佐和氣どもと訓ときは、是佐和のかなゝる事考に擧し歌どもと合せて定るなり、】上に擧たる數々皆佐惠の假字なるは、其本は玉なれど是は騷《サワ》ぐ形に取故に言も假字も異なり、譬ば卷二の人麻呂歌に、さゝのはは、三山も清に、亂とも、といふ、上の清は篠の音なり、次に亂ともといふは其形をいふなれば、假字別なるにて事の意分るめり、上に擧し鱸と大根も共に騷ぐ形なるをむかへて知るべし、古人はかく委しく假字を分てり
 
○宇家良我波奈、志|乃受須寸《ノズヽキ》、
 
うけらの事は考にいへり、此草よめる三首有が一首はうけらが花の、色に豆奈《ヅナ》ゆめ、うけらが花の、色に出ずあらん、とよみしをあしく心得て、此花は含てひらけぬ物といへる説あり、かく樣にいひつゞくるは、色に出といふをもて出ことなかれとはいへるなり、此類は、卷十(今(ノ)九)に、石上、振乃早田乃、穗爾波不出、心中爾、戀流此日、卷七(今(ノ)十)に、吾妹兒爾、相坂山之、皮爲酢寸、穗底開不出、戀渡鴨、てふ多かれど、皆ほに出るものを擧て、其如く穗には不出といひ下せる古歌の常なり、此皮ずゝきを強しのずゝきと訓て、(3117)しのずゝきは穗に出ぬものなる故にかくよめりといふはひがことを重ねたり、是をしかいはゞひとしき意につゞけたる右のふるの早田などをもて右の説はとゞかざるを知るべし、
 ○右にひがことを重ねたりといふは、先一つには此歌のごとくほに出るものを擧てほに出ず色に出ずと云下せる例右の如し、二つには皮とあるをしのと訓こと心なきことなり、三つにはしのてふ言はしなふる事を云て、なゆ竹をしの竹といふが如く、すゝきは葉もしなへほもなびけばしのといふ事集中に多かり、是をほに出ぬすゝきぞと思ふは、冬すゝきといひて冬も葉有をおしはかりにいへるものぞ、そも秋はしかも大きなるほ出其外ほに出ぬすゝきは天下に無をや、四つには此歌卷七(今(ノ)十)に、秋相聞と標して皆秋の歌有中に寄花と有て、芽子女郎花朝貌すすきなど多き中に載しかば秋ほに出るすゝきなる事明らかなるを、本集をも見ずして僞ごとせり、此外も多かれど煩らはしくて止ぬ、惣てかゝること多し、其本を極めずばものいふべからず、
 
○子水葱、【大友駿河麻呂歌、】
 
水葱に大小あり、此卷に、奈波之呂乃、古奈伎我波奈乎、伎奴爾須里、奈流留麻爾末仁、安是可加奈思家、てふは水葱の花なり、さて小なぎは田などに生、大なるは沼澤などに花は共に紫にて、小さきは五月より六七月まで、大きなるは六月より七八月までさけり、葉は大きなるは賀茂山の葵の形して、それよりも大きく厚く青黒し花は紫色なり、莖は空《ウツ》らにて冬葱の如し、故に水葱といふなり、小さきは花淺紫なり、莖細く葉いとちひさく細めにて、しべなどの樣もなぎの木の葉に似たり、かの苗代のこなぎとよめる、是苗代とは苗田てふ事にて、三月種蒔しより五月植はつるまでに云名なり【又古へ苗しろ田にはさなへを植ずていとまあらせおけば小なぎ生しげりて有故に夏秋かけてもしかよむべし、】さて小なぎは早くより花咲て苗とる時えり捨などすめり、さてこは延喜式の供奉の雜菜の中に、水葱(准昇五六七八月)和名抄に、水葱※[草冠/穀]水菜可v食也、(奈木、)卷十六に、水葱乃煮物、と云て、古へ食ものとせしなり、式に朱雀大道の溝にはたゞ蓮水葱芹を生ずべしとの定あるも食ものゝ料にて、かつ蓮水葱は花のうるはしくもあればなり、かゝれば後の人の水あふ(3118)ひといふ草ぞ即此ものなり、近き年ごろ是を夏の間に採てあつものとしてくひぬるにいとよし、味は莖立よりはあつく、冬葱よりは淡し、香もなく毒もなし、
 
萬葉考別記六 終
 
(3119)柿本朝臣人麻呂歌集之歌考序
 
今本に、人麻呂歌集の歌とて、旋頭歌十二首、古歌集中出歌とて同旋頭歌五首、次に、人麻呂歌集の五句の歌百四十九首と、合て百六十六首ありて、此卷四の初めに載たり、然るに其人麻呂歌集に標せる、正述心緒寄物陳思問答などは此卷にも皆あり、是一つ卷ならば重ねて標すべからず、又其人麻呂歌集に既に出たる同歌の末に再出たるも少からず、これら別の集なる事しるし、其上人麻呂歌集は歌の助辭を皆略きて此集とは甚異なる書體なり、同時一筆にあらぬ事明かなり、然れば人麻呂集は後に此卷へ加はれる事しるかれば本卷は除きて末に附たり、
○古歌集人麻呂集はこの萬葉を撰集あられしより先の事にあれど、此集を撰まるゝ時はいまだ世に聞えざりし故に萬葉にはとられぬなるべし、【たま/\此萬葉にこの集の歌を載しはかつ/\世の人の唱へしが入しなり、此萬葉どもに人麻呂歌の出たるにても此集の時いまだ聞えざりし事しるし、】此二集既あらば取もらすべからぬ歌ども多きを撰にもれたるにてしるし、人麻呂は和銅の初めに身まかりしこと是一の別記にいへるが如し、此集の撰は天平のなかばの比ならんとおぼゆる事、此卷の歌によし有、かゝれば其間三十年ばかりまでほどなければなり、古歌集は又かたへの人集めしにて、いと後にこそ顯はれつらめ、かゝればその物古しといへども、此集の上に出すべからねば、ことに先此集をたてゝいふからに、かのかたへなるをば末に付て世に遺せり、此下卷も是に同し、
○此人麻呂歌集の歌數、今本に百四十九首と注せしに、今其歌を數ふれば百五十一首あり、(二首剰れり、)又目録に、正述心緒歌(人麻呂集と合いふ、)百四十九首と有に、今其歌を數れば百三十首あり、(十九首不足、)寄物陳思歌(二集合云、)三百二首と有に、今數れば三百四首あり、(二首剰、)かゝれば本亂れて彼此入交りしものなり、又其歌の書體明らかにしるきを以て見れば、其人麻呂集といふ今百五十一首の中に、惣て人麻呂集と體の違へる有は、同し集の一本なるを後に加へしなるべし、又此集上下卷の中にも、人麻呂歌集の書體なる六首ばかり交りたり、是をば人麻呂集へとりて、此集を除きたり、【次々の歌集どもにも、人麻呂集の歌を多く取(3120)し中に書體二つ有、全くこゝの如きと、又常樣なるもいさゝかあり、是は其本二樣にはかゝじ後人の心々と見えし、】
○正述心緒、寄物陳思、問答等は、かの人麻呂集を後に私に書し人から歌めきて書、且其歌體を分て、右の標をも書しものなり、然れば此人麻呂集には在が如く、標題をも擧たり、今本此集にも此標有は後にかの人麻呂集にならひしわざなる事既にもいへる如くなれば除つ、其人麻呂集の本は、かくの如く助辭を略きて詩體にならふさまに書べきにあらず、人麻呂は大き力なる人と見ゆるに、其歌に一事もから言を用ゐざりしなり、かゝる心にて、歌は詩體をまねん事必有べからず、たゞ奈良人の中にも、ひとへにかゝる好みする人のわざとこそ見ゆれ、其よしは、下の寄物陳思てふ中に、近江海と書たり、是は、和銅六年五月詔して、諸國郡郷の名好字を用よと有し時より、淡海を近江に改めしなり、人麻呂は和銅元年の比、藤原宮の時身まかりしかば、その後の人の筆なる事是にて明らけし、【人まろ集の書體、人麻呂の心にあらず、まして標題もしかり、本集をもて奈良人の私にかく樣に書しものなり、】
 
柿本朝臣人麻呂歌集之歌考
 
旋頭歌。
 
上つ代には五言七言七言の三句の歌を專らいへり、古事記に片歌といひたるは、後に小治田岡本宮などの比にや名つけけん、その三句の歌二つを本末として一首によめる歌、古事記の※[言+可]志比宮の條に見ゆ、然れども此時始まれるとは見えず、早くより有けん、これを旋頭歌と名つけしはいと後に大津清御原宮などの比にや有けん、字の置樣いと古へに似たるなり、さてもとをめぐらす歌てふは、先五言は事を起す言、七言は中分の言にて、此句を歌の本といふ、且其七言に今七言を重ねいふ時は、事をいひ終りて歌の末と成りぬ、かく三句もていひ終りて、又更に始の如く五七七の言をめぐらしいひぬれば、しかる名は有なり、【歌の上句を本といひ、下句を末と云、其本とは頭なれば旋頭とも書しなり、濱成式に是を雙本といひしも本は頭なり】
○此體の歌萬葉六の卷の中になきをいぶかしみおもひ兼れど心を得ず、既人麻呂集にはこゝに十五首、(3121)下の卷八には二十三首さへ出しかば、かの片歌こそたえたれ、旋頭歌の體は猶飛鳥宮こなたにも多かりし、されども人麻呂の自の歌には見えず、憶良赤人もいさゝかは有やなしや、これらをおもふに、此撰の時は世に用ゐぬまゝに、はからずもらせしもやあらん、考ふべし、
 
2351 新室《ニヒムロノ》、壁草刈邇《カベクサカリニ》、 新室には壁を專らぬり、壁草も多く刈用るものなれば、そをことばにて、末の草の如てふ言をいはん料に、此本はいへるのみ、されど時に新室作るをもて此言は出しなるべし、
 
御座給《オハシタマハネ》、 來給はねなり、行をも來をもあがめておはすといへり、
 
草如《クサノゴト》、依逢未通女者、 草の茂く生るにたとふ、
 
公(ガ)隨、」
 
2352 新室《ニヒムロヲ》、蹈靜子之《フミシヅノコガ》、 新室は新屋なり、これには種々のいはひ事古今あり、顯宗天皇紀に、又新室ならねど、出雲國造神賀に、白馬【能】前足爪後足爪蹈立(ル)事【波】、大宮御門(ノ)柱【乎】上石根【爾】蹈堅【米】下石根【爾】蹈|凝立《コラシタテ》云云、寶龜元年紀の歌垣の歌に、乎止賣良爾、乎止古多智蘇比、布美奈良須、爾斯乃美夜古波、與呂豆與乃美夜、など地には蹈平し家には路靜むてふ歌うたひてをとりなとする事あるべし、かくてその男の名を靜の子といひしに蹈靜といひかけたるなり、(卷十六)に、足曳之、山縵之兒、(注に名曰2鬘子1、)(卷十九)に、光神、鳴波多|※[女+感]嬬《ヲトメ》、(織少女なり、)てふ類なり、且男の名に、妹子紐(ノ)子など古へはいひつ、
 
手玉鳴裳《タヽマナラスモ》、 古は手足に玉鈴を著しなり、仍て手に鈴、あゆひの小鈴、さく釧、五十鈴、又手玉、玉くしろなどいひ、(卷六)あづさ弓、末に玉まき、かくすゞぞ、ともよめり、右の新室蹈までは序にて、靜子より下は此男の來て手玉をならして妹にしらせんとするを聞て、内へ入給へとさるべき|まかだち《婢》にいひかけたる歌ならん、
玉如《タマノゴト》、所照公乎《テリタルキミヲ》、 此五句は歌のことばなり
 
内等白世《ウチヘトマヲセ》、」
 
2353 長谷《ハツセノ》、 四言、
 
弓槻下《ユツキガモトニ》、 五百を約轉して由といふは神代紀の湯津桂湯津爪櫛の類なり、初瀬に五百枝繁き大槻の有てそこをかくいへるなるべし、下はほとりなり、【卷四の弓槻がたけとは、(卷八)よりして下に多し、其山は初瀬の前に(3122)長くつゞき出れば初瀬の弓槻ともいふべし然は此意か、】
 
吾隱在妾《ワガカクセシツマ》、 かくして住せおく妻なり、
 
赤根刺(シ)、所光《テレル》月(ノ)夜邇、人見|點《テム》鴨、」 【一云、人見豆良牟可、是もひとし、】見てあらむてふ言の、てあの約多なれば、見たらんともいふを、又其多良の約多なるを、天に轉して見てむとはいへり、此卷の別記に思てしといへる類なり、
 
2354 健《マスラ》男之、念(ヒ)武而《タケビテ》、隱|在《セル》其妻、 【一云、大夫乃思多※[奚+隹]備※[氏/一]、是を用、】一本に依て武とす、今亂と有はますらをの意にかなはず、こは健男の武き心を以てよろづの事をきとかまへて隱せしといふなり、
 
天地(ニ)、通(リ)雖光《テルトモ》、所顯目《アラハレメ》八方、」 日の光は隱るといふより譬るのみにていかなる大事にありともてふ意なり、
 
2355 惠得《ウツクシト》、吾念妹者、早裳|死耶《スギネヤ》、 須伎を約して志ともいへり、仍て集中には死の事須伎といへる多し、
 
雖生《イケリトモ》、吾邇應依《ワレニヨルベシト》、人云名國、」
 
2356 狛《コマ》錦、 高麗錦を紐に專らせしなるべし、集中に此紐多く見えたり、
 
紐(ノ)片叙《カタヘゾ》、牀落邇祁留《トコヘオチニケル》、明夜志《アスノヨシ》、將來得云者《キナムトイハヾ》、取置待《トリオキテマタム》、」
 
2357 朝戸出(ノ)、公(ガ)足結|乎(ヲ)、閏露原《ヌラスツユハラ》、 めづらしくよき言なり、
 
早(ク)起(テ)、出乍吾毛、裳|下閏奈《スソヌラサナ》、」 此上に、他眼守、吾之隨爾、余共爾、夙興乍、裳所沾、ともあり、仍て此末をもすそぬらさなと訓す、
 
2358 何爲《ナニセムニ》、命(ヲ)本名、永(ク)欲|爲(セム)、雖生、吾念妹(ニ)、安不相、」
 
2359 息緒(ニ)、吾(ハ)雖念、人目多(ミ)社、 此次下に、小簾之寸鷄吉仁、入通來根、云云、てふ同意なるをこゝは畧きていさゝか調はず、
 
吹風(ニ)有數々《アラバシバ/\》、應相物《アフベキモノヲ》、」
 
2360 人祖《ヒトノオヤノ》、 父母にも祖の字を用るいにしへの例なり、
 
未通女兒|居《スヱテ》、 此上は序なり、(卷三)に、飛鳥の、御室山を、鳴兒守山、とよみしと同じく、こゝも神南備山をいふなり、
 
守山邊柄、 集中に此山邊を通ふ事よめる多きは、飛鳥宮の時の歌なり、
 
朝々《アサナサナ》通(シ)公(ガ)、不來哀《コヌハカナシモ》、」
 
2361 天在《アメナル》、 冠辭、
 
一棚橋《ヒトツタナバシ》、 打橋は只一枚の板を打渡なり、棚板は柱を立貫をなしその上に板を一枚わたせしのみにて瀧川の底深き所は甚わたりわぶめり、
 
(3123)何將行《イカデカモユカム》、穉草《ワカクサノ》、 冠辭、
 
妻|所云《カリトイヘバ》、足莊嚴《アユヒスラクヲ》、」 足纏は下を飾なれば、歩行にまゝならぬ故に、一棚橋はえ渡りかねきなんといへり、莊嚴の下に助字乎の字無は此人麻呂集の體にて、助辭は幾言も添て云事なり、○足緒の事は此次々に多く紀にも有が中に、安康紀に、宮人のあゆひの小鈴とよめれば、おもひはかるべし、
 
2362 開木代《ヤマシロ》、 今の山城の國をいふ、さて代とは地を平めたるをいふ言なり、今山を平むるには先木を切開きて後する故に此三字を書つ、既いふ莫囂國隣之綜麻形、など皆古へ似たる書さまぞ、
 
來背若子、 乙訓郡の來背の郷に在る若き男をいふ、
 
欲云金《ホシト云ワレ》、相狹丸《アフサワニ》、 卷十(今十二)にも有て相佐和仁と書り、こはあはさわと訓て淡騷てふ事とす、此若子かあはつけくさわぎて欲といふよとわらふさまなり、別記に有、
 
吾欲云、開木代來背、」
 
  注に右十二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出、
 
2363 崗|前《ザキノ》、多未足《タミタル》道乎、 多未は多知美にて、山の多乎里といふに同じ、
 
人|莫通《ナカヨヒソ》、在乍毛、公|之來《ガキマサム》、曲道爲《ヨキミチニセム》、」 人の通はであらば君が人目を避《ヨク》る通路にせんなり、古今歌集に、夢の通路人目よくらんなどいふをこゝをもて知るべし、
 
2364 玉垂、 冠辭、
 
小簾之寸鷄吉仁、 すきを延てすけきといへり、玉くしげあしきの川てふ類なり、冠辭考に委し、
 
入通來、足乳根之、母我問(ハ)者《サバ》、風跡將申、」 風の透間もとむるたとへは集中に多し、
 
2365 内日左須、 冠辭、
 
宮道爾相之、 都の中にても是は大内へ參り向ふ道をいふべし、
 
人妻|故《今※[女+后]》、玉緒之、念亂而、宿夜四曾多寸、」
 
2366 眞十鏡、 冠辭、
 
見之賀登念、 此みてしがは見たりしを見てしとにあらず、又たゞ助辭のしにもあらず、見てしもかなを畧くにて必しものしもの類なり、
 
妹相可聞、玉緒之、 冠辭、
 
絶有戀之、繁此者、」 一度中絶し妹の今更に頻戀せらるるは、かねても猶いかでみてしか共と思へる妹に、ふたゝびあはざらんにやといへり、
 
(3124)2367 海原之、路爾乘哉、吾戀居、 上は海路の舟に乘にて乘といはん序なり、さて妹が上に思ひ乘つゝ吾のみなげきをらんことよ、妹は何とも思たらで心ゆたかにのみあらん物なるをとなり、
 
大舟之、由多爾將有、 此大舟はゆたにといはん料辭ながら、此由多は常に物思ふ心定めがたきなどいふとは異にて、此下卷に、如是許、將戀物其跡知者、其夜者由多爾、有益物乎、てふゆたの如く、たゞゆたかになるをいふ、○下の大船の言をうけて上を海原の道に乘といひしは古歌にしては心をやり過したり、かゝるを見てや後の歌はいやしく成つらん、杜子美が詩に、晩唐の言交れりといふらんがごとくなるべし、
 
人兒由惠爾、
 注に右五首、古歌集中出といへり、
 
正述2心緒1。
 
物に寄などもせず、心をたゞちによめる歌どもを集め、此|標《シルシ》を書しなり、本人麻呂はさはせざりけんを、後其集を詩などの如く書なせし分て此標は書つらん、次の寄(テ)v物(ニ)陳《ノブ》v思(ヲ)といふに均し、上の此集にも此標有は、此人麻呂集に依て又の後にさかしらに書し物しるければ捨《ステ》たり、
 ○是より下百五十一首は人麻呂歌集の歌なり、此歌集の歌こゝと次の卷七(今十)八(今七)にも多し其書體助辭を不書して字數甚少く書なせしと、又常體に助辭をも書しと交りてあり、然れば同人麻呂歌集二本有しを、こゝには其助辭不書を擧たるに、後人一本の常さまなる中に、こゝと異なる歌あるを見出て、是へ書加へしもあるなり、仍てこの中に助辭かきし歌十八首交れり、卷七卷八には右二體を擧て、共に同歌集出と注せしにて知べし、
 ○又或本とて言の異なるを注せしは、かの常樣に書し一本の事と見ゆ、
 
2368 垂乳根乃、母之手放、如是許、無爲便事者《スベナキコトハ》、 物思の事はなり、
未爲國《イマダセナクニ》、」 終の爾はいひおさへて歎く辭なり、此書體なるは、同集の一本を後に加へしなる事右にいふが如し、されども他集ならねば今除ず、【是に此書體十六首或本一首を添れば十七首あり、】
 
2369 人所寐《ヒトノヌル》、味宿不寐《ウマイハネズテ》、 うまいはよくぬるなり、萬に調へる事をうましといふ、
 
(3125)早數八四、公目尚欲歎《キミガメスラヲホリテナゲカム》、」 なげかん事など愁ふるなり注に或本歌云、公矣《キミヲ》思(フ)爾《ニ》、曉來鴨、これも聞ゆ、此或本といへるは右にいふ常さまに書し一本の言の異なるをいふなり、
 
2370 戀死、戀(モ)死耶《シネトヤ》、玉桙、 冠辭、
 
路行人(ニ)、事(ヲ)告|兼《ケム》、」 集中に道行人を誰としりてかてふ如く、それとも不知人になげの言傳せしに、いよゝかなしみに堪ぬなり、次下に、戀死、戀死哉、我妹(ガ)吾《ワギ》家門(ヲ)、過(テ)行《ユキケム》、
 
2371 心(ニハ)、千遍雖念《チタビオモヘド》、 ちたびもいはんと思へどもなり、ちへにと訓しは此歌にはかなはず、この外に千遍とあり、(卷二)の挽歌に、一日者、千遍參入之、と有て、必たびと訓ことなり、
 
人(ニ)不云、吾戀|※[女+麗]《ツマヲ》、見依鴨《ミルヨシモガモ》、」
 
2372 是量《カクバカリ》、戀(シキ)物(ト)、知者《シラマセバ》、遠可見《ヨソニミルベク》、有物《アリケルモノヲ》、」
 
2373 何時《イツハトハ》、不戀時《コヒヌトキトハ》、雖不有《アラネドモ》、夕方枉《ユフカタマケテ》、 夕べに向ひてなり、かたとへと同言故に、方の字をかたとも、へとも、よめり、まげはむかひを約め轉せし言なる事、上にいへり、
 
戀無爲《コヒハスベナシ》、」 今本無乏と書てすべなしと訓し、此次下にも二所にあれど、乏の字はことわりなし、爲の草を乏と書しを誤れるものなり、今改、
 
2374 是耳《カクシノミ》、戀度《コヒシワタレバ》、玉切《タマキハル》、 冠辭、
 
不知命《イノチモシラデ》、歳經管《トシヲヘニツヽ》、」 經去の意なり、
 
2375 吾以後《ワレニノチ》、所生人(ハ)、如我《ワガゴトク》、戀爲道《コヒスルミチニ》、相乞勿湯目《アヒコスナユメ》、」今本此乞を與《ヨ》と見て與と書しものなり、此辭此卷にいと多し、次の枚に、如千歳、有不與鴨、また次に、夢所見與、と有も同じ誤なり、その同じ意なるを又此末に、夢所見社、また、神(ヲ)毛吾者、打棄乞、また、絶跡云事乎、有起名湯目、また、妹爾告乞、其末にも、妹に告乞、とあるをむかへて知るべし、【助辭の中に古曾といふは、有が中より是こそと摘あげて云辭にて、こゝとは別なり、】さて乞は願ふ事なり、そこを(二寸)とも訓むは其ところの言便のみ、○湯目は忌謹めなり、上に出づ、
 
2376 健男(ノ)、現心《ウツシコヽロモ》、吾(ハ)無(シ)、夜晝不云、戀(シ)度(レハ)、」
 
2377 何爲《ナニストカ》、命|繼《ツギケム》、吾妹《ワギモコニ》、不戀前《コヒセヌサキニ》、死(マシ)物(ヲ)、」
 
2378 吉惠|哉《ヤシ》、 哉の下に志の助辭は常にはいひ付まじけれど、こゝは例ある言なれば略けるものなり、次のはしきやも同じ、
 
不來座公《キマサヌキミヲ》、何爲《ナニストカ》、不厭吾《イトハズワレハ》、戀乍|居《ヲラム》、」
 
(3126)2379 見度(セハ)、近(キ)渡(リ)乎、 あたりをわたりといふこと古有けん、
囘《タモトホリ》、今哉來座(ト)、戀居《コヒツヽゾヲル》、」
 
2380 早敷哉、 こは下の公をいふなり、その障る人を公かはしきと思ひて、といふにはあらず、
 
誰障鴨、玉桙(ノ)、路|遣《ワスレテカ》、公(ガ)不來座(ヌ)、」 誰人の障て來まさぬか、又路を忘れて來まさぬかと思ひつゝなつかしむなり、○路遺の下にも歟《カ》といふは上の云云鴨と有勢によりぬ、
 
2381 公(ガ)目(ヲ)、見(マク)欲(シテ)、是《コノ》二夜、千歳如(モ)、吾戀(ル)哉《カモ》、」
 
2382 打日刺、 冠辭、
 
宮|道《ヂノ》人(ハ)、雖滿行《ミチユケド》、 朝夕參罷官人おびたゞし、
 
吾|念《モフ》公(ハ)、正一人《タヾヒトリノミ》、」 正は唯なり、
 
2383 世中(ハ)、常|如《カクノミト》、雖念、半多不忘《ハタワスラレズ》、 はたは果しててふ辭なり、世の中はかくとは思ひ明らめてをるとすれど、まだ/\戀る方にひかれて、果して忘られずといへり、なほはまだてふ言、はたは終にてふ意となれり、此二(ツ)をむかへてはたの意を知べし、○今本半乎と有てはてはと訓しは二(ツ)のひがこと有、手をての假字として其下に他の辭を添へ、又はて忘れずとては歌詞ともなし、故に手をての辭とせんも手は言下に置てたと訓む例なし、かゝればたの草を手と見て乎と書し事しるければ改めつ、
 
猶戀布《ナホゾコヒシキ》、」 今本在と有も布の誤なり、
 
2384 我勢古波、幸座《サキクイマスト》、適喪《タマ/\モ》、 今本遍來と有はよしもなし今改む、
 
我(ニ)告|來《クル》、人來《ヒトノコム》鴨、」 こんかといふも願なり、是は夫の旅なるを思ふ歌なり、
 
2385 ※[鹿三つ]玉、五年雖經、吾戀(ル)、跡無戀《シルシナキコヒソ》、 形跡の無きこゝろにて跡と書しかば、しるしなきと訓むべし、
 
不止怪《ヤマズアヤシモ》、」
 
2386 石尚《イハホスラ》、行應通《ユキトホルベキ》、 巖をも押方蹈れて行べきほどの健男といふなり、古事などに依にあらず、
 
健男《タケヲスラ》、戀云事《コヒトフコトハ》、後悔在《ノチノクヰアリ》、」
 
2387 日竝《ヒナラベハ》、人可知《ヒトシリヌベシ》、 今本日位と有はよしなし、次々の言もて位は竝の誤なるをしるべし、
 
今日《ケフノヒノ》、如千歳《チトセノゴトモ》、有不乞《アリコセヌ》鴨、」 今日妹に逢し事、必明日とならば顯れぬべき、有まゝに、今日の日は千歳の如く長くあれかしと願ふなり、日竝とは集中にかた/\によめり、○乞をこゝも與と書しは誤るよし上に委し、さて有こせぬかとは、あれかしと願ふ言なり、然れば不乞(3127)と有べきに、不の字落しものなり、依て補へり、
 
2388 立座《タチテヲル》、態不知《タドキモシラズ》、 態をもたどきとも訓むべき事、卷一のたつきも不知の別記にいへり、
 
雖念、妹(ニ)不告《ツゲネバ》、 妹にかくとも告しらせねば、來れあはんてふ使もこずといへり、
 
間使不來、」 間は眞にてまことに定かなる使をいへど、又眞は發言の如く輕く用ひしも集中に多し、こゝも輕く心得べし、
 
2389 烏玉《ヌバタマノ》、 冠辭
 
是夜莫明、朱引、 冠辭、
 
朝行公(ヲ)、待(ハ)苦《クルシモ》、」
 
2390 戀爲《コヒスルニ》、死爲物《シニスルモノニ》、有者《アラマセバ》、我身(ハ)千遍《タビ》、 上にちたびと訓む例に引つ、
 
死反《シニカヘラナン》、」
 
2391 玉|響《ユラニ》、 聲を以て物の幽なる譬とす、仍てこゝも幽に見し事なり、
 
昨(ノ)夕《ヨフベ》、見物《ミシモノヲ》、今朝《ケフノアシタニ》、可戀物《コフベキモノカ》、」 【後世玉ゆらといひてしばしばかりの事とす、幽なる意よりしばしの意とす、】
 
2392 中々(ニ)、不見有從《ミザリシヨリハ》、相|見《ミテハ》、戀心《コヒセシコヽロ》、益念《マシテオモホユ》、」 此下に淡海海、沈白玉、不知從、戀者今益、同じ意なり、
 
2393 玉桙、道不行|爲《シテ》、有者《アラマセバ》、惻隱此有《ネモコロカヽル》、懸不相《コヒニハアハジ》、」 惻隱を今本に何れもよみ誤つ、
 
2394 朝影、吾身(ハ)成(ヌ)、玉垣《タマガキノ》、入風所見《スキマニミエテ》、去子故《イニシコユヱニ》、」 此玉垣は透籬にて、すき間といはん冠辭なり、さて何處の何の透間にもありなん、かくて玉垣は瑞籬とも書てみづがきとも訓む、其みづは玉のすき通れる樣をいふこと、水の影の通れるに同じければ名もひとし、さて古は萬に玉を貴むからに、殿をも垣をもほめて玉某といへり、【紀に、鵄之瑞をも、とみのみづと訓はわろし、是は祥瑞の方にて瑞と書しかば、とみのさがと訓むべし、此類の例猶多し、】
 
2395 行々《ユケド/\》、不相妹故《アハヌイモユヱ》、久方(ノ)、天(マ)露霜(ニ)、沾在哉《ヌレニタルカモ》、」
 
2396 玉坂(ニ)、 上に遠き多かといひしに同じ事にて、多萬は登保萬なり、【登保の約は登なるを多に轉して、遠間を多萬といひ佐氣佐加は意同じ、】佐可は曾氣なり、仍て物の遠間々々なるを多萬々々といひ、曾氣も間を放離る事にて遠間放を轉略してたまさかといふ、
 
吾見人《ワガミシヒトヲ》、何有《イカナラバ》、依以《ヨシヲモチテカ》、亦一目見《マタヒトメミム》、」 古へを立かへり戀ふ、
 
(3128)2397 暫《シバラクモ》、不見《ミネバ》戀(シモ)、吾妹(ハ)、日々來《ヒニ/\クレバ》、事繁《コトノシゲシモ》、」 吾妹を今本わきもこにと訓しは爾の辭ゐがたし、此度わきもこと訓、古今歌集に「吹風を鳴て恨みよ鶯は、我やは花に手だにふれたる、てふ鶯はの類にて、其三の句を初句の上へ登せて心得るつゞけなり、此例猶も有、
 
2398 年切《タマキハル》、 冠辭、
 
及世定《ヨマデサダメテ》、恃《タノメタル》、公依《キミニヨリテハ》、事繁《コトノシゲシモ》、」 今本ことのしげゝむ、と訓しは理りなし、
 
2399 朱引、 冠辭、
 
秦不經《ハタモフレズテ》、雖寐《ネタレドモ》、心異《コヽロニケシク》、我不念《ワガモハナクニ》、」 經の字を此下にも、浦經居、と用たり、
 
2400 伊田何《イデイカニ》、極太甚《イトモハナハダ》、 此下に極太と有は極勿の誤なれど、極を以て登と訓むべき例とはすべし、
 
利《ト》心(ノ)、及失念《ワスルマデモフ》、戀故《コヒトフカラニ》、」 こは上より四の句までつゞけて終の一句を句とす、さて戀といふ物からには乞《イデ》如何如何と此句を上へ擧て心得べし、
 
2401 戀死(バ)、戀(モ)死|哉《トヤ》、 上に同言あり、
 
我妹(ガ)、吾家門《ワギヘノカドヲ》、過《スギテ》行(ケン)、」
 
2402 妹當《イモガアタリ》、遠見者《マトホクミテハ》、怪《アヤシクモ》、吾(ハ)戀(ラク)、相依無《アフヨシナキニ》、」 とても逢よしなきは知りつゝも、妹が家のあたりを遠く見やりては、戀しく思ふがあやしといへり、今本の訓にては怪の言よくきこえず、
2403 玉久世《タマクゼノ》、 久世は久志呂の事と楫取魚彦がいひたり、まことに然らでは玉の言をいふよしなし、
 
清河原、 山背國久世郡久世郷、和名抄に見ゆこゝの河なり、
 
身祓爲《ミソギシテ》、 古事記に依るにみそぎは身滌、はらへは祓にて別なり、こゝは事を惣略て書たり、
 
齋命《イハフイノチハ》、妹爲《イモガタメコソ》、」 吾命を齋ふは妹が爲といへり、
 
2404 思依《オモフヨリ》、見飽《ミルニハアケル》、物有《モノカラニ》、一日間〔日が月〕《ヒトヒヘタツヲ》、忘念《ワスルトオモハム》、」 今本見依と有は理なし、飽字なることしるければ改めつ、さてへだてゝ思ふ心よりも常相見るには飽くものなれば、一日をおきてゆかんとするを、妹はたゞ我心の忘るとか恨みんといふなり、今本の訓のごとくにては、何のこゝろともなし、
 
2405 垣廬鳴《カキホナス》、 廬鳴は借字にて、垣秀《カキホ》の如といふなり、さて垣は隔つ譬なり、【垣秀垣根と對て秀といひ樣といふに用ゆる事もあり、又言の爲につけていへるも有は歌なり、こゝは只垣如の意のみ、】
 
人(ハ)雖云、狛錦、 上に出づ、
 
(3129)紐解開《ヒモトキサケン》、公無《キミナラナクニ》、」 いまだ紐解て相逢し君にもあらなき物を、人はそねみてさま/”\にいひへだてんとするよと云なり、
 
2406 狛錦、紐解|開《サケテ》、夕(ベ)谷《ダニ》、 今本戸と有は、谷の畫の多く失ひしものなり、
 
不知有命《シラザルイノチ》、戀有《コヒツヽヤアラム》、」 やはの意なり、
 
2407 百積、 積は安積などの如く佐加と訓て十|量《ハカリ》の言に借たり、百十《モヽソ》量はから文にて百尺といふに當れり、【曾波の約は佐なり、加里の里は略く、尺の言に似て別なる事上に見ゆ、】
 
船潜納《フネカヅキイレ》、 紀に、腰なづみ、鈴船とらせてふ如く、多くの船子どもが波に下立て船を潜きつゝ浦へ入るなり、そを浦をを占にいひかけたる序なり、
 
八|占刺《ウラサシ》、 八は彌にて、多くの占かたに指いふなり、
 
母(ハ)雖問《トフトモ》、其名(ハ)不謂《イハジ》、」 多くの占に彼男ぞと指顯はしたるを以て問ふとも、直もだしをらんといへり、上に、しはせ山、責而問とも、其名はいはじ、
 
2408 眉根|削《カキ》、鼻鳴《ハナヒ》紐|解《トケ》、待哉《マタンカモ》、何時見《イツカモミント》、念吾妹《オモヘルワキモ》、」 こは男の妹許行く道の間にてよめるなり、仍て妹とす、今本吾君とあれど、是を妹が歌とせば妹が通ふ事と成て常の理に違ふべし、集中に妹と名を相誤る歌多きに依て今改む、此上に本は同じくて末を何時(カ)毛將見跡、戀來吾乎、と有は、男の通ふ道にての歌なるをむかへておもへ、
 
2409 君戀、浦|經《フレ》居(ハ)、怪《アヤシクモ》、 今本悔とあるは誤、
 
我裏紐(ヲ)、結手倦《ユヒテタユシモ》、」 今本徒と有てたゞにと訓しは何の事ともなし、倦に改む、
 
2410 璞之、年者|竟杼《ヲハレド》、敷白之、 布を略、
 
袖|易子乎《カヘシコヲ》、 乎を今本少とす、假字は均しかれど、少を助辭の所に書し例なし、乎の誤しるし、袖易は手を交るときは袖も同じく交たる故にいふ、袖さしかへてともいへり、
 
忘而念我《ワスレテオモヘヤ》、」 こは既にいへるごとく忘れめやといふなり、
 
2411 白細布(ノ)、袖(ヲ)小端《ハツカニ》、見柄《ミテシカラ》、如是有戀(ヲモ)、吾(ハ)爲鴨、」 【此歌は人麻呂集の一本なる事、考にいへり、】
 
2412 我妹(ニ)、戀(テ)無爲《スベナシ》、 今本乏宇なり、誤なるよし上に云、
 
夢見《イメニミント》、吾雖念《アレハオモヘド》、不所寐《イネラレナクニ》、」
 
2413 故無《ユヱナシニ》、吾|裏《シタ》紐(ヲ)、令解《トカシメテ》、人(ニ)莫知《シラスナ》、及正逢《タヾニアフマデ》、」 正は直なり、
 
2414 戀(ル)事、意進不得《ナグサメカネテ》、 進を今本追に誤れり下も同、
 
(3130)出行者《イデユケバ》、山川《ヤマモカハヲモ》、不知來《シラズキニケリ》、」
 
 寄物陳思。
  上にいへり、
2415 爲女等之、 今本之を乎と有は、をとめらを、袖ふりてまねく意となりぬ、(卷十三)(今四)に、未通女等之、と有こそ常ざまにてよけれ、思ふにこゝは之を乎に誤れりと見ゆればあらためつ、
 
袖振山、 山邊郡の振山を袖振といひかけしは古のつゞけの例にて、かきくらし雨ふる川、攝津國のつか野を、吾妹子をつかのへなどいへる類なり、後世袖振山を別の所とするはいふにもたらず、是はたゞ大和の山邊郡の神社の事なるに、云云袖ふるといひかけて、上は序とこゝろえべし、
 
水垣(ノ)、 水は借字にて、玉垣なり、そは右にいへり、さてこは振山のみづかきにて、甚古にし世より傳れば久しといはん序にいへり、
 
久時由《ヒサシキトキユ》、 (卷十三)(今十四)に、從と有もこゝをもて、ひさしきときゆと訓むことをしれ、今本に、彼をも是をもひさしきよゝりと訓みしはひが事なり、人の戀に久しき世よりてふこと有べきかは、
 
念來吾等者《オモヒコシワレハ》、」 來を(卷十三)には寸とするも意同じ、○此歌は人麻呂の歌の調まがふ事なし、然れば(卷十三)に、柿本朝臣人麻呂とて載たる如く、こゝも人麻呂の自歌などを、家集に古歌と書まじへて書しものなり、後の家持などは、各其名を注せしを、古はさもせざりけん、然らば人麻呂集といふ中に自歌も多かりなん、心をつけて見るべき事なり、【書體に依るに、是は人麻呂集の一本なり、】
 
2416 千早振、神祷在《カミニノミタル》、 命ながゝれと常は神に祈乞《ノミコヒ》しなり、今本に、神持在と有は、神のたもてる命てふ事有べきかは、例なき言なり仍て改む、
命《イノチヲモ》、誰爲《タレガタメニカ》、長欲爲《ナガクホリセン》、」 戀のならずなりて後よめるなり、
 
2417 石(ノ)上、振神杉、神成《カミサビテ》、 神左備てふ言は神ぶりしたる事なるを、古き事にも轉じいへり、其神ふりしたるを、即神となるてふよしにて神成とは書たる、さて右の如く年ふりたる事に取ぬ、此言今本の訓はよしもなし、(卷七)石上、振乃神杉、神左備而、吾(ハ)更々、戀爾相爾家留と有は、此歌のいさゝか言かはりしのみなるをもて、神成の訓をしれ、
 
(3131)戀(ヲモ)、我(ハ)更爲鴨、」
 
2418 何《イカバカリ》、名負《ナニオフ》神(ニ)、幣嚮奉者《タムケセバ》、 御しるし有名高き神をいふ、石田森に心おそく手向しつれば、などいふが如く、いづれの神社てふはさゝず、
 
吾念妹、夢谷見、」 【後世戀を祈る神佛の例などいふはひがことなり、】
 
2419 天地《アメツチト》、言名絶有《イフナノタエテアラバコソ》、汝吾相《ナレニワガアフ》、事止《コトモヤミナメ》、」
 
2420 月見《ツキミレバ》、國同《オナジクニナリ》、山|許《コソハ》、 今本是を隔と有てやまへだつと訓し、
 
愛妹《ウツクシイモヲ》、隔有鴨《ヘダテタルカモ》、」 (卷十八)古人云とて、都奇見禮婆、於奈自久爾奈里、夜麻許曾波、伎美我安多里乎、敝太弖多里家禮、と有はこゝの歌の事なり、その中に是は古歌を唱て家持の友へ贈るなれば、妹を伎美とかへたるのみの違はあれと、他は多く均し仍て思ふに、山許を山隔と見誤て隔と書しものなり、今改む、
 
2421 ※[糸+參]路者《クルミチハ》、石《イシ》踏山(ノ)、無(モ)鴨、吾待公(カ)、馬爪盡《ウマツマツクモ》、」
 
2422 石根|踏《フミ》、重成《カサナル》山(ニ)、雖不有、 路は路行につけていふ、
不相日數、戀度鴨、」 右の答の如くしてしかはあらず、
 
2423 路(ノ)後《シリ》、深津島山、 養老五年紀に、分(テ)2備後國安那郡1置2深津郡1、これより先、景行天皇紀に、日本武尊到2吉備1以渡2穴海1、と有、是は下に其地名をいふ時は、歌には路の後道の口とのみよめり、
 
暫《シマラクモ》、 上はしまらくといはん序のみ、
 
君(カ)目|不見《ミネハ》、苦有《クルシカリケリ》、」
 
2424 紐鏡、 冠辭、
 
能登香山(ハ)、誰故(カ)、 能とかを、莫不解の意にとりなしつ、
 
君|來座在《キマセルニ》、紐|不開寐《トカズネム》、」
 
2425 山科(ノ)、強田山(ヲ)、馬(ハ)雖在《アレド》、歩吾來《カチヨリワガク》、汝念不得《ナヲモヒカネテ》、」 是を後世こはたの里に馬はあれど、かちよりぞ來る君を思へば、となをして唱ふるはひがことなり、此山に馬の有べきよしなし、仍て、山を、と訓て句として、馬はわがもたれど、かちよりぞ來るといふにこそあれ、とかくに後世古歌をなほせしは、理りなき多し、
 
2426 遠山(ニ)、霞被《カスミタナビキ》、益遐《マシトホミ》、妹目|不見《ミズテ》、吾(カ)戀《コフラクモ》、」
 
2427 是《コノ》川(ノ)、 後世歌を誤てよむには、上などに其地名なくて、此川此山などはいはれざると、次に宇治渡ともあれば、かの氏上を是上とも書に合て、是川は即氏川といふならん、と荷田うしの始の説も有しが、猶いにしへかゝる所多くはその地に向ひてよめるからは、後の題詠とは違へり、然れば宇治にも何にもせよ、指よし有てこ(3132)の川といへりとせん、
 
瀬々敷浪、布々《シク/\ニ》、妹(カ)心(ニ)、乘(ニ)在《タル》鴨、」
 
2428 千早人、 冠辭、
 
宇治(ノ)度(ノ)、速(キ)瀬(ニ)、不相有《アハズアリトモ》、 はやくあはずともなり、
 
後(モ)我※[女+麗]、」 速瀬といふのみにて、則速時の事にする、集中の一つの例なり、
 
2429 早敷哉、 上にいへり、
 
不相子故、徒、是川瀬、裳襴潤《ヌラシヌ》、」 上に此集にも此歌をとれるに、不相君故、と有はわろし、こゝによりて上を改めつ、
 
2430 是川、水阿|和《ワ》逆纏《サカマキ》、 水阿和とは書しかど、水乃阿和の乃阿の約なり、故に美那和と唱ふるぞ古訓なる、さかまきは、うづまく瀬々には泡の下より上へ廻りのぼりて終にまき入るをいふ、
 
行水(ノ)、 如を略す、
 
事不反《コトハカヘサジ》、 逆まく泡はあとへ返るをその如くはせじといふなり、事は言なり、
 
思姶爲《モヒソメタレバ》、」
 
2431 鴨川(ノ)、後瀬靜《ノチセシヅカニ》、 山城の鴨川の事か、他にも鴨といふ所多をれば定めがたし、後瀬は下つ瀬をいふ、川後といふに同じ、
 
後(モ)相《アハン》、妹者我(ハ)、雖不今《イマナラズトモ》、」 此末に依るに靜といふに心したるものなり、
 
2432 言出《コトニイデヽ》、云|忌々《ユヽシミ》、 此下卷に、念西、餘西鹿齒、爲便乎那美、吾者五十日手寸、應忌鬼尾、此次にも、妹名告忌物乎、といへると同じ心なるをいはゞ、いみ/\しまりといふ伊火の約由なれば由々しみと、いふのみ、後世の俗はこゝろえ違へり、
 
山川之、當都心《タキツコヽロヲ》、塞耐在《セキゾカネタル》、」
 
2433 水(ノ)上(ニ)、如數書《カズカクゴトキ》、 數とは、一二三の數なり、物の數を□《マヽ》さんとて水にその數を書つくるに、かくがまに/\消行くをはかなき命にたとへしなり、伊勢物語に此言をとりていへる所に、法華經の文を擧ていへるは、つけ添なり、彼是思ひていひし言にあらず、數書といふからは、一二の數を書てふ誰かいはざらん、
吾命妹(ニ)相《アハント》、受日《ウケヒ》鶴鴨、」 受日は誓なり、末遠き誓せし事を自らあやふく思へるなり、
 
2434 荒磯越、外往波乃、外心、吾者不思、戀而死鞆、」 下にまけみそといへる歌の如し、【是は一本なり、】
 
2435 淡海海《アフミノミ》、奥白浪、 上は序、
 
雖不知、妹所云、七日越來、」 その所はしらねども、妹許といはゞ、幾日も海山をも越來りなん、といへり、
 
2436 大船、 冠辭
 
香取(ノ)海(ニ)、 下總國香取郡の海もあれど、【冠辭考に、たゞ下總の香取をのみ出せしはたらさりし、】此前後近江海をいへる中なれば、(卷八)何處可、舟乘爲家牟、高島乃、香取乃浦從、己藝出來船、てふに依て、近江と定めんか、(卷六)東歌に、みちのくの、かとりをとめ、ともよみたれどそれにはあらじ、
 
慍下《イカリオロシ》、 碇下なり、是まで序、
 
何有《イカナル》人(カ)、物不念有、」
 
2437 奥(ツ)藻(ヲ)、隱障浪《カクサフナミノ》、 障は借字にてかくすを延てさふといふ辭のみ、
 
五百重浪《イホヘナミ》、 序ながら千重を深くいはん料の言なり、
 
千重敷々《チヘシク/\ニ》、 敷々は及重なり、
 
戀度鴨、」
 
2438 人言、暫(ク)吾妹、繩手引從海益、深念《フカクシオモホユ》、」
 
2439 淡海《アフミ》、 かく云ては四言の句とす、されど下に今一つ海ありしが落たるか、しからばあふみのみと訓なり、【淡海毎の一字落たるならん上に例あり、あふみと三言の句の例なし、】
 
奥島山、奥儲《オクマケテ》、 儲は向なり、されどかくいへる時向に心なし、おくとは深きことなり、神名式、近江國蒲生郡、奥津島神社、
 
吾念妹(ニ)、事(ノ)繁(シモ)、」 上にも是を今本、しげらん、と訓たれど、末をかねいふ歌ともなければ、めでいと深く思ふ妹につけて、人の言のしげきよと歎とすべし、
2440 近江海《アフミノミ》、 【近江と書は、和銅六年五月の詔有て後なり、此事上にいへり、】
 
奥※[手偏+旁]船(ニ)、重下、 下に重石と書り、こゝは石を略す、
 
藏《カクレテ・シタニモ》公之《キミガ》、事待吾序、」 人にはいはで君が今はと顯はしいはん言を待つとなり、
 
2441 隱沼《コモリヌノ》、從裏戀者《シタユコフレバ》、無爲《スベヲナミ》、 又乏と有はとらず、
 
妹名告《イモガナノリツ》、忌物矣《ユヽシキモノヲ》、」 此上にいへるごとし、【古事記に、(仁徳條)こもり豆の、したゆはへつゝ云云、】
 
2442 大土《オホツチモ》、採雖盡《トレバツクレド》、世(ノ)中(ニ)、不盡《ツキセヌ》物(ハ)、戀(ニシ)在《アリケリ》、」
 
2443 隱處《コモリヅノ》、 冠辭、
 
澤泉有、石根《イハネニモ》、通(ヒテゾ)念《モフ》、吾戀者、」
 
2444 白檀、 冠辭、
 
石邊山(ノ)、常石|有《ナル》、命(モ)哉《カモト》、戀乍居(ン)、」
 
(3134)2445 淡海海、沈白玉、不知《シラズシテ》、從戀者《コヒニシヨリハ》、今益《イマゾマサレル》、」 上に、中中不見有從、云云、同意なり、○水海にも玉をいふよし有か、
 
2446 白玉(ヲ)、纏持《マキテモタレバ》、從今《イマヨリハ》、吾玉爲、知時谷《シレルトキダニ》、」 此知は妹を相知なり、妹にはしめてあふ事は得て、その母などにまだしらねば、末はしらねど、今相知時をだに吾ものと思ひ定めん意なり、
 
2447 白玉(ヲ)、從手纏《テニマキテヨリ》、不忘《ワスレジト》、念《オモフコヽロハ》、何畢《イツカヤムベキ》、」 是も右と同じ時よめるに似たり、
 
2448 白玉(ヲ)、 こを今本に烏玉とあるはよしなき理り冠辭考に云り、
 
間〔日が月〕開乍《アヒダオキツヽ》、貫(ル)緒(モ)縛依《クヽリヨスレバ》、後|相物《アフモノヲ》、」
 
2449 高《カク》山(ニ)、 【是も一本、○高山と香山とまがへる事、既にも有、】
 
雲位衍|曳《ヒキ》、於|保《ホ》々思久、 今本香山とあれど、此歌に香山はゆくりなく聞ゆ、又香山は高からねば、雲の棚引山にあらず、雨けなどならばそのよしをいふべし、依て高山と改む、雲ゐたな引てふ事もくもゐはくもりなり、たな引とは晴たる空に雲霞の棚の如く引を本の名にて、おほゝしきまで曇るをもいふは轉り言なり、
 
相|見(シ)子等乎、後戀牟鴨、」
 
2450 雲間從、狹經《サワタル》月乃、於保々思久、相見子等乎、見因(モ)鴨、」
 
2451 天雲、依相遠《ヨリアヒトホミ》、雖不相《アハズトモ》、異手枕《アダシタマクラ》、吾纏哉《アレハマカメヤ》、」 又あれまかんかもとも訓てん、そのかもはかはの意なり、
2452 雲谷(モ)、灼發《シルクシタヽバ》、意進《ナグサメム》、 今本又追に誤、
 
見乍(シ)居《ヲラム》、及直相《タヾニアフマデ》、」
 
2453 春楊、 冠辭、
 
葛山(ニ)、 きのことばの字を略しけるはおぼつかなし、からさまの文などこそあれ、字落つらん、
 
發雲(ノ)、立(テモ)居《ヰテモ》、妹(ヲシゾ)念《モフ》、」
 
2454 春日山、雲居隱(テ)、雖遠《トホケレド》、家不念、公(ヲシゾ)念、」  春日の里などに住む女の、遠く行しこと有て、そこの男をおもひたる歌なり、
 
2455 我《ワガ》故(ニ)、所云《イハレシ》妹(ハ)、高山之、 【之は、後に加れるならん、】
 
峯(ノ)朝霧、週兼鴨《スギニケムカモ》、」 いと上に、奥波、邊波之來縁、左太能浦、此左太過而、後將戀可聞、といへる如く、其いはれし事、霧の晴行く如くに事過にけんかとおぼつかなむなり、
 
2456 烏玉(ノ)、黒髪山(ノ)、 黒髪山は、(卷八)ぬば玉の、黒髪山を、朝越て木下露にぬれにけるかも、ともよみしかど、何れの國といふことをしらず、
 
(3135)山|草《スゲニ》、小雨零|敷《シキ》、 山草と書しも事の樣山菅なり、さていと繁きものゝ上に、小雨のふりしきるにしほれなびけるは、いよゝ繁りつゞきて見ゆるを譬へて、及《シク》々思ふといへり、
 
益々所念《シク/\オモホユ》、」 益をもかくいひ下してはしくと訓べし、
 
2457 大|野《ノラニ》、小零《今雨被》數(ク)、 ふり重《シキ》るなり、
 
木(ノ)下《今本》(ヲ)、時(トモ)依來《ヨリコ》、我念(フ)人、」 大野の中にて雨にあふ人は一木の松陰へよりつどふものなる如く、何ぞのをりを得て、思ふ人の吾屋どへより來るよしもがなとねがふなり、三四句の間事きれぬ如くなれど、かゝる體も類あり、
2458 朝霜(ノ)、消々《ケナバケナマシ》、念(ヒ)乍、何此夜《イカデコノヨヲ》、明鴨《アカシナムカモ》、」
 
2459 吾背兒我、 切て末へかくるなり、
 
濱行風《ハマユクカゼノ》、彌急《イヤハヤニ》、 浦濱を吹過る風はいと疾ものなれば、風まてふ地の名もあり、
 
急事《ハヤコトナサバ》、益不相有《マシアハザラン》、」 わがせこは事をいそぎ給へど、いそがば中々にます/\事成るべからず、今しばし時を待給へと女のよめるなり、(卷五)をふの下草早ならば、妹が下ひも、解ざらましを、
 
2460 遠妹《トホヅマノ》、振仰《フリサケ》見(ツヽ)、 さけは放成を月故に暫仰とかくのみ、
 
偲《シタフラム》、是月面《コノツキノオモニ》、雲勿棚引《クモナタナヒキ》、」 勿を先いひて、下をかくのみいふは古の例なり、
 
2461 山葉《ヤマノハニ》、 山上の端なり、仍てやまのはといふ時はかく樣に書り、山際といふは、やまのまなり、是を今の訓誤やすし、こゝを以ておもへ、
 
進《サシ》出月、 今本進を追に誤る、
 
端々《ハツ/\ニ》、妹見鶴《イモヲゾミツル》、及戀《コヒシキマデニ》、」 これをばこひしきまでにと訓て、ゆかしきまでに心得べきか、又いとぞ見えつるこひしけとてや、とも訓むべきか、
 
2462 我妹(カ)、吾矣|念者(ハヾ)、眞鏡《マソカヾミ》、照出月、影(ニ)所見來《ミエコネ》、」 面影にあらず、右のはつ/\にといふ如く、ほのかにだにも見え來よといふなり、【一本なり、】
 
2463 久方、天光月、隱去(ハ)、何名副《ナニヽナゾヘテ》、妹(ヲ)偲《シタハム》、」 月は妹がかほともなぞへ見るものなればいふ、
 
2464 若月(ノ)、清不見《サヤニモミエズ》、雲隱《クモガクレ》、見欲《ミマクゾホシキ》、宇多手比日《ウタテコノゴロ》、」 こは、うたて此比、見まくぞほしき、と心得べし、さてうたては、物の重り過たる事をいふ言にて、こゝは妹を見まくほしきにさやにも見えず、見え隱れするにつけて、あやにくに見まくほしさのしきるをいへり、此言はいとさま/”\にとりなせし事あり、仍て別記にことごと(3136)くあげていへり、
 
2465 我背兒爾、吾戀居者、吾屋戸之、草佐倍|思《オモヒ》、浦乾來、」 (卷十四)(今三)眞木の葉のしのぶ背の山、しぬはずて、我こえ來れば、木の葉知けり、(卷五)(今十二)物もふと、いねず起たる、朝けには、わびて鳴なり、かけの鳥さへてふごとくわが思ひ有ときは、見る物聞ものもさるかたに思はるゝとなり、【一本なり、】
 
2466 朝茅原、小野|印《シメユフ》、 上は序なり、こともしめゆひなれば虚言にたとふ、
 
空事(ヲ)、何在云《イカアリトイヒテ》、公(ヲシ)待《マタム》」 いかなる事にいひよせて公を待んといふなり、卷三(今十三)足日木能、山從出、月待跡、人者云而、君待吾乎、○此小野標結てふことは、此上にも次の卷にも有は、人のそら言をたとへ、こゝなるはわがそら言を云へり、
 
2467 路(ノ)邊《ベノ》、草|深《フケ》百合之、後云《ノチモチフ》、 卷十二(今八)わきもこが、家の垣内《カキツ》のさゆり花ゆりといへれば、不※[言+哥]云《ヨソヘヌニ》に似《ニル》、(卷十八)に、さゆり花、ゆりもあはんと、おもへこそ、今のまさかも、うるはしみすれ、さゆり花、ゆりもあはんと、したわぶる、心しなくば、けふも經めやも、なとのやゝ後にもゆりあはんと妹がいひしを、そのゆりに負せて言にはいはぬなり、ゆりは寄意とす、さて譬の言に即事をゆづりていへる例いと多し、後世は文《アヤ》きれなしとおもへり、
 
妹命《イモガイノチヲ》、我(ハ)知《シラメヤ》、」 戯てかくもいへり、○此同一二句、(卷八)(今七)にもあり、(卷十二)夏野の繁みに咲る、姫ゆりの、しられぬ戀は、苦物乎、てふ如く、夏草に交て開小ゆりなれば、草深ゆりとは云り、
 
2468 湖葦《ミナトアシニ》、 今本潮と有は誤れり、湊に湖の字を用ひし例多し、
 
交在《マジレル》草(ノ)、知《シリ》草(ノ)、 和名抄に、藺(鷺尻刺)今も田舍にて田に藺に似て小き草の田溝などに多きを鷺のしりさしといへり、是をしり草といふにや、
人皆|知《シリヌ》、吾|裏念《シタモヒハ》、」
 
2469 山|萵苣《チサノ》、 和名抄に是を知|散《サ》とて菜類に擧て、今あるに同じ、然るを山ちさといふは木にて、其葉かのちさに似たれば山ちさといふならん、此木の事我友の豐後國に在が植置しとてしるして見せたり、木の皮は梨木身は桐の如し、葉は大さ形ともに枇杷に似て薄し、春は採て食ふ、冬は葉落めり、花は秋梨の如く聚咲り、花びら梅のごとくして大きに色少しうるみ有、しべはふ(3137)さ楊枝のごとしといへり、
 
白露重《シラツユオモミ》、浦經《ウラフルヽ》、 露重といへば、秋咲たる花の露にしなべたるを、我しなへうらぶれに取りしなり、
 
心(ヲ)深(ミ)、吾(ガ)戀|不止《ヤミヌ》、」 此うらぶるゝ心深ければ吾戀の止よしなしといふなり、然れども明かならぬ心ちすれば、深は流にてやあらんなど先におもひしも猶よからず、やむ事を得ざれば今本の訓に依のみ、
 
2470 湖《ミナトニ》、 四言是も潮と有はわろし、
 
核延子菅《サネハフコスゲ》、 さは發言にて、根延小菅なり、されど疑あり、
 
不竊隱《シヌハズテ》、 菅葉はしなへ靡くをしぬぶにいひなしゝのみ、上に、聞つる野への、しなひねむ、君にしぬべば、といひつゞけしが如し、さて上よりはしぬぶとつゞけて、さてしぬばずてといひ下せる、かの布留の早田のほには出ずといへる類なり、
 
公(ニ)戀乍《コヒツヽ》、有不勝鴨《アリカテヌカモ》、」 しぬばず顯れてだに君に戀ばや、かく隱しつゝ戀からに堪がたしといふなり、○凡山菅には根といひ、水の菅には葉をのみいへり、仍て葉の繁きもて、此三句をいへるに、さねはふ小菅てふ言よしなく聞ゆ、もし核延は字誤か、猶下卷に、垣津旗、開澤生、菅根之、絶跡也、といふからのひがことなるにいふをむかへ見よ、
 
2471 山代、泉小菅、凡浪、 押並みなり、
 
妹心(ヲ)、吾(ハ)不念、」
 
2472 見渡、三宝(ノ)山(ノ)、石穗菅、 岩の大に秀たるを岩穗といふ、
 
惻隱吾《ネモコロワレハ》、 菅の根とつゞくのみ、
 
片念爲《カタモヒスルモ》、」
 
2473 菅根(ノ)、惻隱《ネモコロ》君《ガ》、結爲《ムスビテシ》、 むすびたりしを約ててしと云なり、別記に委し、
 
我紐(ノ)緒(ヲ)、解人不有《トクヒトアラジ》、」
 
2474 山菅(ノ)、亂(リ)戀耳、令爲《セサセ》乍、不相鴨、年經乍《トシハヘツヽモ》、」
2475 我屋戸(ハ)、甍子太草《ノキノシダクサ》、 六帖にも、のきのしだくさ、とよめり、○此草は、山邊にしだといふ草に似て、冬は枯る葉古き屋根などに毎生るなり、【後にしのぶ草といふは蘚の類にて、しだとは違へど、此卷などにはよまぬを思へば此志太はしのぶといひかへしにはあらずや、】
 
雖生《オフレドモ》、戀忘草、見未生《ミレドイマダオヒズ》、」 忘草は今も萱草と書て音にも呼草なり、枕冊子に六月花の咲よしいへり、然れば違ふことなし、大和物語にはいかに心得違ひしか、又物語に強て解なせしひがことか、伊勢物語の歌をも思(3138)ひ誤れる説有て他をも誤れり、
 
2476 打田《ウツタニモ》、稗數多《ヒエハアマタニ》、雖有《アリトイヘド》、 こは下卷に、水乎多(ミ)、上爾種蒔、比要乎《ヒエヲ》多(ミ)、擇擢我《エラレシワレ》等|曾《ソ》、夜獨宿、と有と同歌なるべし、さて此下卷なるは理聞ゆ、こゝの意は、打返す田にも稗は多しといへども、擇ぬきて捨もせぬを擇捨られし我のみぞ、獨ねをするとなげけり、されど本末の間に言たらはず、又苗の事もいはで打田にも云云、と有も穩ならぬを思ふに、こゝは下卷の歌の變てかく成りしならん、【田稗といふ草苗に交れるを共に植れば、稻害ふ故に擇て捨るものなり、此ことわり卷下なるは明らかなり、】
 
擇爲我《エラレニシワレゾ》、夜一人宿《ヨルヒトリヌル》、」
 
2477 足引、名負山菅、押伏《オシフセテ》、公(シ)結(バヽ)、不相有哉《アハザラメカモ》、」 草を結ぶには、彼と此を押伏せ合て結べばしか譬たり、
 
2478 秋柏《アキカシハ》、潤和川邊《ウルヤカハベノ》、細竹目《シヌノメノ》、 いと上に、本はこゝと同じくて末別なる歌あり、此三句そこに委しくす、
 
人不顔面《ヒトニシヌベバ》、公(ニ)無勝《タヘナク》、」 上のしぬのめをうけて、人にしぬべばといへり、さて人目をしのぶ故に、公に逢がたくして思ひに堪ざるなり、今本の訓にては何の事ともわかず、
 
2479 核葛、 上にいへり、
 
後(モ)相《アハムト》、夢耳《イメヲノミ》、受日渡《ウケヒワタリテ》、年經乍、」 受日は祈なり、此言祈にも誓にもいへり、歌によりて心得べし、〇二句は今逢事はかたければ、心しかはらずば後にもあひことはせん、其間の心遣に夢をだに神に祈りつゝ年を經行といへり、(卷十三)(今四)みやこ路を、遠くや妹が此比は、うけひてぬれど、夢に見えこず、
 
2480 路邊《ミチノベノ》、壹師花《イチシノハナノ》、 上は下、道邊、五柴原、てふ下にいへる、伊知比なども言は近けれど、彼は橿の類にて花にても見えず、壹師は必別物なりけり、されどいまだ其物を知がたし、伊勢の郡名にしもいへれど草などにはあらじや、
灼然、人皆知、我戀※[女+麗]、」
 
2481 大野(ラノ)、跡伏《タツキモ》不知、印結、有不得《アリガテマシヤ》、吾|眷《カヘリミハ》、」
 
2482 水底(ニ)、生玉藻、打靡、心(ヲ)依《ヨセテ》、戀比日、」
 
2483 敷拷之、 冠辭、
 
衣手離而、玉藻成、靡可宿濫、和乎待難爾、」
 
2484 君不來者、形見爲等、我二人、 その君と二人なり、(卷十四)(今三)妹として、二作之などの類なり、
 
植(シ)松(ノ)木、君乎|待出奈《マチデナ》、」
 
(3139)2485 袖振(テ)、可見限(リ)、吾(ハ)雖有、其松枝、隱(レ)在《タリケリ》、」
2486 珍《チヌノ》海(ノ)、濱邊小松、根深、吾戀度、人子故、」 今本故を※[女+后]に誤れり、【或本歌云、血沼之毎之、鹽干能小松、根母己呂爾、戀屋度、人兒故爾、】
 
2487 平山、子松(カ)末《ウレニ》、有虚叙波《アレコソハ》、 あらばこそといふべきをかくいふ類あり、
 
我思妹、不相止|嘗《ナメ》、」 今本者と有は畫の失しなり、上の虚をも廉に誤れり、さて情なき物を擧ていふ中に、今見る物をさして松をばいふのみ、常ざまの事をいへるにぞかくあはれはあるめれ、
 
2488 磯上(ニ)、立(ル)囘香樹《ムロノキ》、 今本樹を瀧に誤たり、(卷十四)(今三)磯上、根蔓室木、見之人乎、又吾もこが、みし鞆浦之、天木香樹者、常世有跡、これを囘香ともいふべし、
 
心|哀《イタク》、 (卷十一)(今十五)はなれそに、立るむろの水、うたかたも、久しき時を、過にけるかも、てふ如く、荒磯の上に根もあらはに立たるを見るに、あやうく心痛をもて我戀に譬へしなり、かくてこゝに引し天平二年と同八年の歌なり、此歌集はいと早きを、同しく磯の上に立るをいへるは、是即備後の鞆浦の室木をよめるなるべくおぼゆ、然ればこゝに引歌ともは是を本にてよみけん、これらを思ふにも、囘香天目香は同じかるべき、
 
何深目、念|始《ソメケム》、」
 
2489 橘(ノ)、本我立、下(ツ)枝|取《トリ》、 是までは序とすべし、實とする時は、先こは男の歌にて我立といひて、次に女の言に君といひ、即かく問子ら女をいふとむつかし、
 
成哉《ナランヤ》君、問(シ)子等《コラハモ》、」 成は婚の成をいふ事、上の室原の毛桃にいへるが如し、さてこゝは今君が方吾方ともに障多かれど、かくても末は成なんやと問たりし妹は、遂にならずなりて、はなれて後おもひ出てゆかしむさまなり、
 
2490 天雲爾、翼打附而、飛鶴乃、多頭多頭思鴨、 心乏しくより所なき心ちするをいへり、末の卷ともに出たるを擧て別記に委しくす、
 
君(シ)不座者《マサネハ》、」 【一本なり】
 
2491 妹(ニ)戀、不寐朝明(ニ)、男爲鳥《ヲシトリノ》、從是|飛《トビ》度(ル)、今本飛を死に誤る、
 
妹(ガ)使(ニ)、」
 
2492 念(フニシ)、餘者《アマリニシカバ》、丹穗《ニホ》鳥(ノ)、足沾來《アシヌラシコシヨ》、 川をかち渡りしがわろきを愧ていふ、
 
(3140)人|見《ミケン》鴨、」 卷五今本に、柿本朝臣人麻呂歌集云、爾保鳥之、奈津柴比來乎、人見鴨、と有、
 
2493 高山(ノ)、峯行宍(ノ)、 序なり、
 
友(ヲ)衆《オホミ》、袖|不振《フラデ》來、忘念勿、」
 
2494 大船(ニ)、眞※[楫+戈]繁貫、※[手偏+旁]|※[間の日が月]《ホトヲ》、極勿戀、 今本勿を太に誤る、
 
年古如何《トシフラバイカニ》、」 ※[手偏+旁]※[間の日が月]といふにむかひて、年をふりなばいかにせんといふなれば、今本に在と有は古の誤りしるべし、又二の星の年の渡をいふとするはゆくりなく、此一句にいふべくもなし、かた/”\在とては穩ならぬなり、
 
2495 足常《タラチネノ》、母(カ)養子、 蠶なり、
 
眉隱、 下の卷に此本全く同しくて在、
 
隱在妹(ヲ)、見依鴨、」
 
2496 狛人、 今本肥人と書てこま人と訓しかど、類聚國史異國類に、肥人薩人をば高麗百濟等の外に擧しかば、肥人をこま人と訓べからず、こは狛を肥に誤りしにて本は狛なりけり、然れば訓はよくて字を後誤りしなり、
 
額髪結在、染木綿(ノ)、 我朝の古へ男は髪を額に二所ゆひたり、狛人も此如く額にゆひしか、彼は必紫の糸もて結しならん、
 
染心、我忘哉、」 【一云|所忘目八方《ワスラレメヤモ》、】
 
2497 早人、 隼人は、公の御門に仕て出入人有とき聲を立るなり、
 
名(ニ)負|夜音《ヨコヱ》、灼然、吾名謂《ワガナハイハム》、※[女+麗]恃《ツマトタノマバ》、」 吾を定るに妻と思ひ頼め給はゞ我名を定かにいはんと言り、
 
2498 劔刀、諸刃利、足踏(テ)、死死《シニヽモシナニ》、公(ニ)依(テハ)、」 上に劔刀、諸刀之於、去而云々とて相似たるあれど、上と是とは別の集なれば嫌なし、
 
2499 我妹(ニ)、戀(ヒ)度(ハ)、劔刀、名|惜《ヲシケクモ》、念不得《オモホエヌカモ》、」
 
2500 朝月日、 朝附日なり、
 
向黄楊櫛、雖舊、 櫛油つきてふるびやすきものなり、
 
何然公、見不飽、」 年經てあへども、いかなればかあかぬ、と云り、
 
2501 里遠、我浦經、 今本我を春に誤る、
 
2502 眞鏡、牀重不去、夢所見|乞《コセ》、」 與と有は誤なり、上に此歌出しに、二句は戀和備爾家里、と有て、末を所見社、とあり、
 
眞鏡、手取以、朝々、雖見君、飽事無、」
 
2503 夕去、牀重《トコノヘ》不去、黄楊枕、何然汝《ナニシカナレガ》、 今本、射然とあるは誤り、
 
(3141)主待固《ヌシマチガタシ》、」 枕の主は男をいふ、
 
2504 解衣、戀(ヒ)亂乍萍《ミダレツヽウキクサノ》、浮吾《ウキテモワレハ》、在度鴨《アリワタルカモ》、」 今本、三句を、浮沙生三字有は誤なり、萍浮二字とすべし、【今本在の字戀に誤、】六帖に此歌を、「ときゝぬの、思ひ亂れてうきくさの、浮ても吾は、ありわたるかも、と有、是ぞ古へ字の正しき時に訓しことしるければ、今右の如くあらためつ、
 
2505 梓弓、引|不許《ユルサズ》、 此下卷に、梓弓、引不縱、ますらをや、
 
有者《アラマセバ》、此有戀(ニハ)、不相《アハザラマシヲ》、」 こは女の歌なり、
 
2506 事靈、 言靈は、いふ言に即神の御靈まして助くるよしなり、さて其言は、うつしみの八十ことのはといへる如く多ければ、八十とつゞけて、且多くの街に問夕占に告る言にしるし有べきよしなり、
 
八十衢、 多くの街、ことに夕占を問ふなり、
 
夕占問、占正(ニ)謂《イヘ》、妹(ニ)相(ン)依《ヨシ》、」 妹に相あふべき由緒を正しく占にのり出せと祈るなり、
 
2507 玉桙、路行(キ)占(ニ)、 是も右と同し占なり、夕の街に隱れゐて、此占をなして往反人の物語して行、その言の我願ふ事に叶ふを取めり、仍て路行占ともいふなり、
占|相《ナヘバ》、 うらあはせを轉約てうらなへといふ、
 
妹(ニ)逢(ント)、我(ニ)謂《イヒツル》、」 人のいひ行を即取て我に謂とす、
 
 問答。
2508 皇祖乃、神御門乎、 是も今の天皇の御門といふなり、別記あり、【一本なり】
 
懼見等《カシコミト》、待從時爾、 男の御門を謹み守る陣に、思ふ女のそこを通りて見しなり、
 
相流公鴨、」 此あへるは只相見たるなり、たま/\に見るも時こそあらめ、かゝる時にしかひなきをなげくよしなり、
 
2509 眞初鏡、雖見言哉、玉蜻、 冠辭、
 
石垣淵乃、 句中の序なり、
 
隱而在※[女+麗]、」 忍び妻を隱れたるいもともいふ、さて御門守る時よそながら見しは、見しといふべくもあらじとこたへてなげくなり【一本なり】
 
2510 赤駒之、足我枳|速者《ハヤケバ》、雲居爾毛、 遠きをいふ、
 
隱往序、袖卷吾妹、」 旅に出んとする時、【一本なり】
 
2511 隱口乃、豐泊瀬道者、常滑乃、 今濟と有は誤此言上に出づ、
 
恐道曾、曉由※[奚+隹]《アカシテヲユケ》、」 今戀由眼、と有はよしなし、曉由※[奚+隹]の草を誤れりとす、こは右の答にはあらず、同じ夜の(3142)歌ともいはゞいひてん、
2512 味酒乎、 今本、乎を之に誤れり、此冠辭に之といへる例なきよしは、冠辭にいへり、
 
三毛侶乃山爾、立月之、 たつ月とては、一月の事にて、こゝにかなはず、しなてるを科立と書しがごとく、たてるを畧きかりて、照月に用ゐしならん、又たゞ光の字を立に誤りしにもやあらん、
 
見我欲《ミガホル》君我、 集に見之欲《ミガホル》と書し意なり、
 
馬之|足音《アト》曾|爲《スル》、」 おとをとゝのみいふは例なれば、あおとのおを畧きて、あとぞと訓しなり是は男のこゝへ來たるを、馬の足音にて知て悦ぶ歌なり、然れば、此次にこたへ歌の有けんを落失たり、右の三首も、定かなる贈答にもあらぬをかく出し、又右五首は、同じ人まろ歌集とても一本と見ゆ、然れば、此に書しには落しを、一本もて後に加へし歌なり、おもふに、こゝは此一本に亂れたりけん、【一本なり】
 
2513 雷神《ナルカミノ》、小動《シバシトヨミテ》、刺雲《サシクモリ》、雨零耶《アメフリナバヤ・アメモフラレヤ》、君《キミガ》將留《トマラム・ヲトヾメム》、」
 
2514 雷神(ノ)、小動、雖不零《フラズトモ》、吾(ハ)將留《トマラム》、妹留者《イモトヾメナバ》、」
 
2515 布細布、枕動(テ)、 我物思ひに、寐がたくて展轉《イネカヘリ》がちなるを、枕の動に負せなすなり、
 
夜不寐《イヲモネズ》、思(フ)人(ニハ)、復相疑《マタモアハムカモ》、」 かくばかりあひがたきをなげきつゝ、いをもねず思ふ人に、終に又あふ時もあらんか、といへり、今本、末を、後(ニ)相物《アハンカモ》、と有は理なし、後は、復を誤る、物は、疑を誤れる事明らけし、上に、此本全く同しくて、下かはれる歌有、
 
2516 敷細布(ノ)、枕人《マクラセバヒト》、事問哉《コトトヘヤ》、」 來りて相語らへといふなり、
 
其枕《ソノマクラニハ》、苔生負爲《コケオヒニタリ》、」 又もあはんかもといへるをうけて、事問といへり、○枕の手ふれず經て、苔生てふ事、上にもよめり、さて或人此末を、こけおひをせり、と訓しは、假字も違事も誤れり、生をせりとは、上に玉藻の生なびくをこそいへれ、且乎爲利の爲は烏の誤なるよし、其別記に委しく論ひたり、負は集中に爾のかなにもちひし例あり、
 注に、以前一百四十九首、柿本朝臣人麻呂之歌集出、としるせり、他の卷に、同歌集出、と注せしも、書體專ら此如くなれば、こは定かなり、さて、右の歌、今は百五十一首有て、二者餘れり、その中に、一本と見ゆる歌十八首あり、彼是もて見れば、其數いづれへもつかず、然れば、此注書し後、或は落、或は加りし歌ども有なりけり、
 
(3143) 正述心緒。
  此標の事上卷にいへり、
 
2841 我背子之、朝明形、吉|不見《ミズテ》、今日間〔日が月〕(ヲ)、戀暮鴨、」 人麻呂歌集に二本有て、かく助辭を書しは其一本なるを、此中にたま/\交りしは、後に加はりしならん、されど今改むべからねば即書り、次々にあるもこれに倣へ、
 
2842 我心|等《ト》、無便念《スベナクモヘバ》、新玉、 冠辭、
 
一(ト)夜(モ)不落《オチズ》、夢(ニシ)見《ミユル》、」 今本、此二三の句を、望使念新夜、と書て、のぞみおもへば、あたらよ、とよみしは、字も訓もひがことにて、理りもなく例もなし、仍て今右のごとく改めつ、委しき論は別記にあり、○ 一夜は、年月の間一夜だに落ちずといふなり、
 
2843 與愛《ウツクシト》、我|念《モフ》妹(ヲ)、人皆(ノ)、如去見耶《ユクナスミルヤ》、手(ニ)不纏爲《マカズシテ》、」 思ふ妹が道行を見て忍べる中故に、大よそ人の道行を見る如くして在となげくなり、
 
2844 比日、寢之不寢、敷細布、手枕纏、寢欲《ネマクシホシモ》、」
 
2845 忘(ル)哉《ヤト》、語《モノカタリシテ》、意遣、 思ひをいかでまぎれ忘るゝやと、人々と種々のものがたりして、おもひをやり過すなり、
 
雖過不過《スグセドスギズ》、猶(ゾ)戀(キ)、」 しかまぎれて思ひをやれど、えやり過すことはあらで、かにかくにまだ戀しきなり、
 
2846 夜(ヲモ)不寢《ネジ》、安(モ)不有《アラジ》、白細布、衣(モ)不脱《ヌガジ》、 まろねするをいふにて、即安もあらじてふなり、
 
及直相、」
 
2847 後(モ)相(ム)、吾莫《ワヲナ》戀《ソト》、妹雖云、戀間〔日が月〕、年經乍、」
2848 直(ニ)不相《アハズ》、有諾《アルハウベナリ》、夢(ニ)谷、何|人《ヒトノ》、事繁、」 人言繁み直目に不相はことわりなるを、夢にだにいかなる人の言繁ければ、見え來ぬにやと疑ふなり、【或本歌曰、寢者、諾毛不相、夢左倍、】
 
2849 烏玉(ノ)、彼《ソノ》夢(ヲスラ)、見繼哉《ミツガムヤ》、 男は夢にも見じやとなり、
 
袖乾日無(ク)、吾戀矣、」
 
2850 現(ニハ)、直不相《タヾニモアハズ》、夢谷、相見與《アフトハミユヨ》、我戀國、」
 寄物陳思。
  人麻呂集には、かく書けん事、上にいへり、
 
2851 人|所見《ミレバ》、表《ウヘヲ》結(テ)、人|不見《ミネバ》、裏《シタ》紐|開《トキテ》、戀日太、」 上にはあはん日までのかために、女の下紐を結ばん、といひしとは、事の心異にて、こは、下紐の解るは、人にあはん前つ祥《サガ》とする故に、強ても解てあはん事をいはふなり、
 
2852 人言、繁(キ)時(ニハ)吾妹(コガ)、衣|有《ナリセハ》、裏服矣《シタニキマシヲ》、」 妹即衣ならばといふ(3144)なり、
 
2853 眞珠|附《ツク》、 冠辭、今附を服に誤る、
 
遠兼《ヲチヲシカネテ》、念《オモホエバ》、 強て事爲は末あしかるべきによりて遠きを兼念と云、
 
一重衣、一人服寢、」 末を思ひて一人ねするといふにて、その一人ねの樣のわびしさを、一重衣といへるがあはれなり、
 
2854 白細布、我紐緒、不絶間〔日が月〕(ニ)、戀結爲、及相日、」 下紐の絶るは人と絶る祥なるべし、仍ていまだ絶はてぬさきに結ばん、といふなり、さて戀結びとは、其戀のかための爲に結ぶといふ、又たえぬ前にむかへ結びするを、乞結びてふ事もや有けん、今神の社に、願結びといふ事するも此意か、
 
2855 新治《ニヒバリ》、今作(ル)路、清《サヤケクモ》、 新路はあざやかなるものなり、
 
聞鴨《キヽテケルカモ》、妹(ガ)於事《ヘノコト・マサカ》矣《・ヲ》、」
 
2856 山代、石田(ノ)社(ニ)、心|鈍《オソク》、 上に出づ、
 
手向爲在、妹相難、」
 
2857 菅根之、惻隱々々《ネモゴロゴロニ》、照日《テレルヒモ》、乾哉《ホスヤ》、 夏日をいふ、
 
吾袖、於妹不相爲、」
 
2858 妹戀、不寢朝(ニ)、吹風(ノ)、妹(ニ)經者《フレナバ》、吾共經《アニモフレナモ》、」
 
2859 飛鳥河、高河|避紫《ヨカシ》、 【紫一本柴と有、】
 
越來《コエテコシ》、 こは言便にて、瀧川を、多加川といふ故に、訓の爲に高の字をかりたり、さて、此川の瀧つ早瀬をよきまゐりこし使をいふ、
 
信今夜、不明行哉、」 右の如く道をめぐりつゝ遠ければ、かへさは明ぬべし、明ば人やしりなんなど、女のくさぐさ思ふなり、
 
2860 八釣河、 此所の事上に出づ、
 
水底不絶、行水、續(テ)戀(ル)、是比歳、」 【或本云、水尾毛不絶、】
 
2861 磯上、生(ル)小松(ノ)、名(ヲ)惜(ミ)、 此磯はたゞ石にて、大なる巖上に一つ生たる松は、顯はに目に立ものなるを、名に顯はるる譬とせり、
 
人不知、戀度鴨、」 【或本、巖上爾、立小松、名惜、人爾者不云、戀度鴨、此本のかた今より増りぬ、】
 
2862 山河、水隱《ミゴモリ》生(ル)、山|草《スゲヲ》、 みこもるは水またにて、水分《ミクマリ》の所をいふべし、一本水隱と有に依て、こもりと訓べし、(卷七)天漢、水陰草、秋風、靡見、時來之、是も秋風になびくといへば、水中にこもる草にはあらず、さて、山草とは書しかど、山菅をいふと見ゆ、
 
不止妹、所思鴨、」
 
(3145)2863 淺葉野、 此地定かならず、
 
立紳有《タチシナヒタル》、 今神古菅根々々、と有て、三字をみわこすげと訓しは何事ぞ、神の字をみわと訓は事にこそよれ、又此集に、菅は甚多かれど、みわこすげてふはなし、又根を次の句へ付ていふときは、次句治らず、故に皆ひが事とす、此紳は、装束の紳にてしなひたるゝ物、古は有を誤るにて、しなひたると訓べく覺ゆ、猶もあらんか考べし、
菅(ノ)根(ノ)、惻隱誰故《ネモゴロタレユヱ》、吾不戀《アガコハナクニ》、」 末は古今歌集に、「誰故に、みたれんと思ふ、我ならなくに、といふが如し、【或本歌云、誰葉野爾、立志奈比有、此立志奈比有を用う、注に、右二十三首、柿本朝臣人麻呂之歌集出、
2944 人言(ヲ)、繁(シ)跡妹(ヲ)、不相(シテ)、情裏、戀比日、」 此歌も定かに、人麻呂集の體なればこゝに出す、
 
3127 度會、 伊勢なり、
 
大河(ノ)邊《ベノ》、若歴木《ワカクヌギ・ヒサキ》、 くぬぎ □類にて今もいへり、是は若を吾に重ねたる序なり、和名抄、歴木、(私記云、久奴木、)
 
吾久在、妹戀鴨、」
 
3128 吾妹子、夢(ニ)見來《ミエコト》、倭路、度瀬別、手向吾爲」 是は旅なり、
 
3129 櫻花、開哉散、及見、誰此、所見散行、」 誰かといへば一人を思ふ相聞にもあらず、古今歌集に、道もさりあへずちりかふ花になどよめる類なり、
 
3130 豐州、聞濱松、□□《不遠》、 今本、心喪と有は、上によしなし、濱松を遙に見るよしにて、不遠の字か、猶もあらんか、
 
何妹相見始、」 今本、見を之に誤れり、見の草なり、注に、右四首柿本朝臣人麻呂歌集出、といひて、書體も鮮に別なれば、これに加へたり、○次々の卷にも、人麻呂歌集に出といふあれど、其卷ともは人々の家に意にまかせて書載しものにて、書體も右と異なれば別に擧ず、只此上下卷は撰める卷なるに、この歌どもの書體ことにて、人麻呂集と注したれば、疑ふことなく右と同じければ、こゝに出せり、
 
(3146)縣居翁の萬葉集の考はすべて六卷にて卷ごとに別記あり又人麻呂集一卷そひたりさるを一二の卷とその別記ははやく板にゑりて三より末はなほ寫まきのまゝにてもたる人はた多からずなむ有ける今は三十とせあまりをちつかた眞幸江戸に在けるをり翁のありし世にわきてしたしく教を受たりし人々の家とひてたま/\得たりけるをその六の卷は翁の自らの手してかゝれたるにて其余の卷どもはとり/\に寫せるなればもじの書たがへ又かきもらせるなども多かりけれどよみかむがふべきこと卷もなくてそのまゝ寫して持歸りつゝ我家のうづ寶とふみばこのそこふかくをさめおきけるをおなじくは國遠くさとさかりて得がてにすといふあたりにもあまねからしめむとていにし文化の七とせといひける年の八月の頃武庫の里の書あき人中村の何がしにはかりて一二の卷とひとしくみなゑりまきになさしめつかくて其板またなからをもゑらぬほどに何かしあつしく病て終にはかなくなりぬをりしも其子まだわかくて事とけむよしなくあまたの年月むなしくすておきつゝ過しつるを今はやゝさかりの年にもなりぬればやうやうおもひおこしてかのゑりさしたる板ともとりいでてまたく彫をへしめつるは父がいさをゝあらはすのみかこのこと思ひたちぬる我心ざしの十まり五とせの春秋いたづらにうもれつゝ有けるをさへはるけぬるはいとしもうれしきまゝにそのよしいさゝかまきのしりに書つけつ文政の七年の八月の二十あまり肥後熊本長潮眞幸
 
柿本朝臣人麻呂歌集之歌考 終
 
明治三十七年三月十五日印刷
明治三十七年三月十八日發行
(賀茂眞淵全集第三)
編 輯 者   國学院編輯部
校 訂 者   賀 茂 百 樹
發 行 者   吉 川 半 七
 束京市京橋區南傳馬町壹丁目拾貮番地
印 刷 者   野 村 宗 十 郭
 東京市京橋區築地參丁目拾五番地
發 行 所   弘 文 舘
 東京市京橋區南傳馬町壹丁目拾貮番地
 
 
             2008年3月13日(木)午後7時58分、全卷入力終了
 
〔入力者注、続群書類從完成会本により補充。振り仮名、返り点等ほぼ省略。〕
 
卷一別記追加
 
○吾|勢子
 
仁賢天皇|記に、於v母亦兄於吾亦兄弱草吾夫※[立心偏+可]怜矣てふ言の○注に、古者不言兄弟長幼、女以男称兄、男以女称妹といへるそ、上つ代より末の世まて通れること也、そのよしはまつ古事記に【神武記】、伊邪那伎・伊邪那美命の生ませしは天照大御神、次に月讀命、吹に須佐能男命、とついてゝあり、然るに須佐能男命の天に上り給ふとき、天照大御神驚而詔、我那勢命之上來由者云々、其下にも同大御神同命を那勢命と詔ひし二所有、これ大御神は御婦なれとも、御弟の男命に對ひ給ひては勢とのたまひしなり、また須佐能男命の出雲の國へ天降ませし時、手名槌の問に答給ふにも、吾者天照大御神の伊呂勢者也とのたまひしも、御弟なれと男におはせはなり、是等をもて右の古注には書たり、かくて日本紀には、右の御事を吾弟之末とかき、一書にもみな弟と書しを、訓はいにしへを傳へて、なせのみことゝ訓來れり、且右に末の代迄もいひしは、光源氏物語に、空蝉の君は姉に小君は弟なるを、光源氏の君小君に向ひて、空蝉の君をいもうとゝのたまひしは、御姉なれとも女なれはなり、然れは紫式部はいにしへを傳へしりて書し也、夫を勢、妻を妹といふ事は、そも/\伊邪那伎・伊邪那美の二大神御兄弟におはしませは、女神は男神を勢とのたまひ、男神は女神を妹とのたまひつらん事、上の如し、しか有て御夫婦となりましても、右の如く御たかひにのたまひて、夫婦を妹勢といふにはあらさりけん、然るを右の二大御神の勢と妹と御夫婦なるより、人代の古へおのつから妹勢は夫婦をいふ事ともなり來りけん、故に紀に【雄略】、称妻曰妹、古之俗乎、と注せしは、上の仁賢夫皇紀の古注と同筆か、俗とは言の轉々して正しからぬを云、また男とちもたかひに貴み、我|兄子《セコ》といふ集中に多き中に、卷十七に、越中介繩万呂の守大伴家持へ贈に、和我勢古我久尓弊麻之奈波ほとゝきすなかん五月は佐夫しけむかも、とよめるを、家持のこたへに、安礼奈之等奈和備和我勢故ほとゝきすなかん五月は玉をぬかさね、とよみ、また家持と掾大伴池王の贈答にも、たかひに吾兄子とよみたる多かり、或人問、古今哥集貫之の哥に、わかせこか衣はる雨降ことに野邊のみとりそ色増りける、てふにつけて、或説女をも我背子といふとて、此集卷十二赤人の、我勢子尓令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者、てふを引たるはいかゝと、答、凡の言の本とするは、古事記・日本紀・万葉なるを、それに背きて何の語をもて女を吾背子と貫之の讀んや、此或説はこの歌をも露しらすして、まして万葉の哥をは、不意にみて引しもの也、既にいへるか如し、
  男とちは我兄子といひたれと、女をさして兄子といひしは、古へ惣してなし、然れは赤人も男とちわかせこといへるもの也、此外端詞なき男歌にわかせこといへるも、みなしか心得て違なし、扨貫之の此歌は女の意となりてよみしものなり、いにしへよりうたには、男にして女の言をもかり、女にして男の言をもいへる事あり、卷十七に、三野連石守か西の國より上るみちにて、我勢兒乎安我松原欲とよみ、卷十二に大伴坂上郎女の、妹目乎跡見之丘邊乃秋芽子者、とよめるも其類にて、一つの格也、
 
〔頭注。古今哥集序古注に、すさのをの命を天照おほんかみのこのかみ也と書るは、此定をたにしらぬものゝわさなり、俗の爲とならは弟とこそかゝめ〕
 
○身毛多奈不知 事者棚知
 
此卷に、【藤原の宮つくりに立民ともの田上の材を宇治川にて取上る時の事を、】散和久御民毛家忘身毛多奈不知云々、此言卷三・卷十・卷十七にも有、かくて多奈は多禰良比にて、事を心にたねらひしり得るをいへり、こゝは民ともの水に浮ゐなとして、我身の上もたねらひしらす仕奉るといふ也、言を解に、多奈は多禰に同じ【同音通】、良比は辞なれは添すてもいへり、かくて卷六に、とやの野に乎佐伎祢良波里てふも、物の隱れに居て弓矢もて兎をたねらふなり、また梓弓未中ためてといふも、ひきみゆるへみためらふにて、ねとめ音通して意均し、また給てふ言も、万倍の約米にて、事を深くため得る事にて、右と同意なり、出雲國造か神賀に、姓名カ申賜久、大祓詞に、祓給清給といふ、後の物かたりふみに、思ふ給ひしるなと、みつからの言にいふも皆是なり、かくて卷九に【菟腹處女】、幾時毛生らぬものを、何すとか身をたなしりてといふも、命の程なき人の身のうへをたねしりていふにて、身を思ひ給へしりてといふに同し、卷三【長歌に、我待公犬莫吠こそとある反哥、】あし籬の末かき分て君こゆと人に勿告そ言者棚知、とあるも、かく教る事を犬すらも思ひたねらひしりて聲を立なといふなり、且此事をはたな知るといふへきも、句のせまれはをもるを略せり、また卷十七に、【越中守家持の病て京を思ふ、よみて贈れるとき掾池主の答たる長歌に春の野の面しろきよしなともて喩《サト》すこゝろをいひし、】己許呂具志【其野を思ふよし也、】伊謝美尓由奈許等波多奈由比、といへり、この許等波多奈まては上におなし、由比は與良比てふ言を通し略きてかくいへるなるへし、【由と與は同音、良比の約は利にて、よりてふ言をかくいへり、】□給によりて左も右もなるものなり、野遊して心を遣給へといふなり、【されと□頼むといふ時は、己が事にまりぬ、】
 右二事は卷の別記に漏Lを追加、
 
〔頭注。女をもせこといはゝ、いもの山せの山といふもいかにこゝろ得ん〕
〔頭注。ためて物し給ふと云も、勝れて事をたねらひ得ますよしなり〕
 
○相狹和
 
別卷に【人万呂歌集】、開木代來背若子欲云余相狹和吾欲云開代來世、卷十二【秋哥】、棹四鹿能能茅二貫置有露之白珠相佐和仁誰人可毛手將卷知布、これを今本のことくあふさわにと訓は、古今哥集にあふさきるさてふに同く、左にも右にもてふ意かと思ひしは、右の歌とも□かなはさりき、今おもふに、淡騷《アハサワキ》の阿波を相と書しとみゆ、【音通へはなり、】仍てあはさわにと訓たり、其騷を佐和といふは、古事記上に、爲釣海人之口大之尾翼鱸佐々和々迩控依騰而、また同記に【難波天皇、】大御歌に許久波母知宇知新意保泥佐々和々とあるも、共に騷きの略なり、且騷は古書みな佐和具の假字なり、よてこゝもかなへり、然れは彼若き男のあはつけき心さわきに我をほしといふに、さるうきたる言によるへきかは、と下にそしる意有、次なるも、さをしかのおのか妻とたのむはきか枝に心つくして玉とぬきおきし露を、誰その人か手に纏んとすらん、あわ/\しくやすらかにせんものかは、と萩の露をいとほめていへるなり、
  卷十五、大能備尓鴨目之照有、卷○の、多奈和尓浦吹風のてふを、こゝにおもひよせていふ人あれと、相と多は假字ことにて、意もいと異なり、其考はかしこにいへり、
 
〔頭注、釣たる魚の水をはなるゝ時は、甚さわくものな○はかく云〕
 
○多頭々々志
 
此卷【人万呂集】、天雲尓翼打附而飛鶴乃多頭々々思鴨君尓不座者、○卷十三【旅人卿の滿誓に答ふ、】草香江之入江二求食蘆鶴乃痛多頭々々思友無二指天、また、夕闇者路多豆多頭四待月而行吾背子其間尓母將見、○卷十一【悼亡妻】、多都我奈伎安之敝乎左之弖等妣和多流安奈多頭々々思比等里佐奴禮婆、此中に、夕闇は路たつ/\しと云は、今もいふことくたとらるゝ也、六帖にはこのうたを擧て、道た/\しとあり、後の物かたりふみに、物のこゝろをよくも尋ね思はぬ事を、深くもたとらすなといへる、これにて、尋ぬるてふも物をたとり求る事也、しかれはたつ/\し・たと/\しは同し言にて、こゝになき物を求る意也、是を本にて、右に君不座とも友無とも、獨ぬれはなとよめるは、より所なく物乏しき意にいへるなり、
 
〔頭注。たつきもしらすをたときもしらすともいへは、たとつとは通ふ例なり、されとたとるとたつきとは言の意異なり、〕
 
皇祖
 
此卷【人万呂歌集問答】、皇祖神御門懼等侍從時尓相流公鴨、卷八【芳野作】、皇祖神之宮人冬薯蕷葛弥常數尓吾反將見、○卷十四【赤人伊豫湯歌】、皇祖神乃御言乃敷座國之盡云々、同卷【増長】、皇祖神之御門尓外重尓立候云々、これら皇祖神云々の字をかみろきと申訓につけて、或人疑問らく、右に祖とあるは、皇祖の天皇を申ことしるし、卷十八【家持卿長哥】、皇神祖能可見能大御世尓田道間守常世尓和多利云々、卷二十【譬喩哥】、多可如保乃多氣尓阿毛理之須賣呂伎能可末能御代欲利云々、も右に同し、然るに同卷十八【同家持卿長哥】、須賣呂伎能可未能美許登能伎己之乎須久尓能麻保良余、てふは、時の天皇を申擧る也、かゝるに、右の高千穗の山獄の事をも、同しくすめろきの神の御代よりとよめるは、皇祖天皇をも今をも、おなしく申事と聞ゆるに、上に擧たる歌ともは、祖の字餘れるにあらすやと、答、此理ある事也、そも/\須米呂伎と申言は、須倍志良須伎美てふ事にて、【米と倍は清濁通也、志良須を良といふは、上下略言なり、】天の下を統《スヘ》知し食《メス》君を申、また祝給言《ノリトコト》に神漏伎と申は、天つ神を統知ます神、皇祖高木神より天照大御神まて申せり、さるを此集に祖の字によらす、すへて須米呂伎とのみ訓ては、事の分ちなし、されともいにしへ人、此分ちを違ふへきにあらす、神漏伎と申は、天に坐皇祖の大神たち、此集に神を須米漏伎の神云々と申は、天孫瓊々杵尊よりこなたの皇祖天皇、たゝ須賣漏伎とのみ申は今の御事と分ち申なるへし、然るに神漏伎の外別に訓もなくして、同しく須米呂伎と申て、その上下の言に依て、御祖と今とをは心得分つ皇朝の例なるを、奈良人は字を目しるしに添て、はやく心得させんとして、皇祖を申には祖字を添しものなり、このよまぬ字を添る事、日本紀と此集多し、古へを深く學ふ人のため、なか/\にまとひなり、
 
〔頭注。次の哥ともは、皆皇祖□の事をいひし事明らかなるを、此神の御門を懼見といへるは明らかならねと、□も□に常の御門にはなくて、神賀故山陰の御門なと守る時ならんか、〕
〔頭注。仍て考ふるに、祝詞なとに神を上に置て、皇朝のいにしへは一言を四・五にも轉して、其分ちに前後の言の意にて知ことなるを、此例記の中にもいと多し、是をよく心得さる時は、古言を解しかたく、奈良人は既に此分を忘れし也、万葉も上つ代の哥は古事記の如く假字にて書しも、藤原・奈良の頃となりて、字の意を交へ書てつひによむましき字をすら添る如くなりぬ、
 
○吾心登望使念新夜【人万呂集】
 
今本望使念新夜と書て、のそみおもへはあたらよに、とあるは、字も訓もひかこと也、何そといはゝ、まつ使の字をすてゝ訓るはいかに、又のそみてふ言は古言に穩ならす、また乞ことに用るは轉々にて、いよゝ古言ならす、まして望み念と言は常言と聞ゆ、仍て思ふに、望は無の草を誤り、使は爲の誤なるへし、さる時は、吾心等|無爲《スヘナク》念となりて、ことわり穩なり、【また此集の四・五に、すへなきてふ言に無乏と書し多けれは、こゝも乏を使に誤りしにや、其乏もなほ誤れるにて、其事考にいへるか如し、仍て便之有ことは近けれと右のことくはいへり、】新夜てふ言、惜む事をあたらとはいふ、新に都うつしませし時の言にて、此一夜なとの言につゝくへからす、然れは夜は珠か玉の誤にて、新玉也、故に新玉とせり、此卷辞、一年の事を含て一夜とか續るよし、冠辞考にいへり、かくてこの上卷人万呂集に、吾妹戀|無乏《スヘナミ》夢見吾雖念不所寐、下の卷に、今更將寢哉我背子荒田麻之全夜毛不落夢所見欲、卷十一おもひつゝぬれはかも□なぬはたまの一夜も落すいめにしみゆる、また、わきも子かいかに思へはぬは玉のひとよもおちすいめにしみゆる、これらをおもふへし、
〔頭注。あたら逢へき夜を夢のみゝて明すことと思ひしにや、さては心行過て外へ走なり、】
 
 萬葉考一・二卷は、別記ともにすてに板にゑりて世に行れぬ、三卷より六卷に至りては、いまた世に行れす、草稿のまゝをはりの黒生ひめおきしをこひもとめて、國胤をして書写させ、また別記草案二本あるを考へ合せて、一本となしてうつしとゝめぬ、
     寛政十まり二とせといふとしの彌生九日のひ写し竟りぬ
                           武藏人   大家高堅
 
 万葉考巻十四別記
 
○妹之結紐吹返《イモガムスビシヒモフキカヘス》【人麻呂旅八首の中】
 
衣の紐のこと、妹がむすびしとよめる多きが中に、下ひもなるもあり、又旅にても、喪《モ》なく早來《ハヤコ》と祝ひて結ひしは、何れの紐とも定めがたく、ふとは思ふべきを、ここに風吹返すとよめるは、必下紐にあらず、旅の摺衣の肩につけたる紐也けり、そのよしは古事記に【仁徳天皇條】、口子《クチコノ》臣が御使して葛城高宮の后の御もとへ參れるに、紅《アカ》紐つけたる摺衣きたるといひ、雄略天皇葛城山の御獵に、百官みな紅紐著たる○摺の衣を著せ給ひ、又天武天皇紀に、大やけ參りの衣に、長紐にても結ひ紐にても、心のまゝに著よとあり、これ衣の肩につくる紅紐也、且その形は大甞祭式に、五位以上紅(ノ)垂紐【淺深相添】、縫殿式に、緋紐の※[此/貝]布《サヨミ》、長二尺五寸、廣六寸、とあるを推はかりもて古へをもおもふべし、此事はこゝにやむことなき衣服の御考有によりぬ、
〔頭注。此紐を式に六寸と有は、料の布のはゞをいふにて、著るにはたゝみ細めて垂る也、其疊めるはゞを、後世雅亮が装束抄に五寸ばかりといへるは其比せばくせしならん、色は後世は蘇芳と緋とを交へぬれど、古へは紅のみなりけん、さて長二尺五寸の紐二筋を、其中らを衣の肩にぬひつけて前後へたるゝ也、後世はたけいと長ければ、あげ卷ゆひて、その末をみなむすびにす、古へはしからじ、〕
 
○四極山【高市黒人旅歌八首の中】
 
考に紀と集とを引ていへる如く、攝津國西成郡の山也、さてかく定め置て、古き難波の圖を見るに、後世とはいと異にて、古へは山も岡も入江もいと遠かりき、然れば住吉の津は、今の四天王寺の南、荒陵山の邊か、【此寺本は玉造の山の北にありし、】それより北なる今の生玉(ノ)社【本は玉造の山の西南に在し】、高津宮などの□や四極山ならん、
【右の圖は河内國の雲董寺にありしを、近き年に或人のうつせる也、外にも古き名所ともの、是によりてしらるゝ多し、難波人すら此圖見ざりし故に、契沖が代匠記にもここのことを誤りつ、】
〔頭注。此山を豐後國に有とて、そこに笠縫てふ所をさへいふものあれど、この八首のついでをも知らぬをこ人のいへるものぞ、〕
 
○赤乃曾保船《アケノソホブネ》【上に同じ】
 
丹ぬりの舟をいふ、さて曾保は赭土《ソホニ》の略にて、それは赤き土なる故に、赤《アケ》の赭《ソホ》ともいふ事、譬ば丹《ニ》も丹土《ニツチ》の名なるに、赤き物故に赤丹《アカニ》ともいふ類ひ也、卷十六に佛造眞朱不足者の眞朱を今はあかにと訓しかど、眞は捨べからぬ字なれば、是もまそほと訓べく覺ゆ、
 
○鴨(ノ)君|足《タリ》人(ガ)香具山哥
 
注に、今案遷2都寧樂1之後、怜v舊作歌歟、といへるはいまだしき説也、考にいひし如く、香《カグ》山の宮は高市(ノ)皇子(ノ)命の宮なる事しるし、この命持統天皇十年七月薨ませし後に、人すまずなりたる事をいたむ歌なれば、まだ同し藤原の宮の末などによみけめ、宮人の遊びし船に、梶棹もなくてさびしといひ、反歌に、人こがであらくもしるくかづきするをしとたかべと船のへにすむ、といへるも、船などまだ失ざるほどの事也、仍此注も捨つ、【桙杉の末に蘿の生といへるは、俄にいと年ふりしさまをいひなせるもの也、歌にはいひなしと實との|とり《(マヽ)》あり】
 
○牟佐々婢《ムサヽビ》
 
凡は考にいひつれど、猶むささびてふもの吾見たる樣は、兎よりいささか大きにて、頭の形兎に似たれど、眼ざしはげし、牙・齒も利《ト》し、耳は短かし、尾は木鼠に似て總やかに大き也、こゑは蝙蝠《カハボリ》の如くして大き也、木に棲て即木の子《ミ》をくらへり、いかき勢ひ有によれば、鳥などをばとりくらふにや、常に頭を下、尾を上にして、さかさまに立てをりぬ、飛時は、腋の下にたたなはれる皮の有を左右へ張に、其張たる皮の四つの端に足あり、其足のはぎは皮の内につゝまれぬれば、たゞ指と爪のみ見ゆ、かの皮を和名抄に肉翼といへり、されど鳥の翼とは異にて、飛時四足をひらくにしたがひて皮の延れば、いさゝか飛いきほひを助るのみにて、遠く飛ものにはあらず、此毛もの、下野の二荒《フタラ》の山のほとりには、里の林などにもをりぬ、卷六に高圓山にもありしこと見ゆ、
 
○石川少郎
 
注に、右今案(ニ)、石川朝臣君子、号曰2少郎子1也、といへり、こは考にも別記の二にもいひし如く、もと郎女と有しを女郎に誤り、そを又少郎と誤し後に、此註のひがことは添たるもの也、かの大伴田主が字を仲郎といふ、といへる同し人のわざなるべし、又或人、此少郎と有につけて、君子は若子てふ人なるかといふは、いよゝさかしらなる事ぞ、いかにそなれば、續日本紀を見るに、和銅六年正月、正七位上石川朝臣君子、授2從五位下1、その後靈龜元年五月、從五位下石川朝臣君子爲2播磨守1、養老四年正月、從五位下石川朝臣若〔右○〕子【今本かくあるは君子を誤りぬ、】授2從五位上1、同年十月、從五位上石川朝臣若〔右○〕子【□誤□】爲2兵部大輔1、同五年六月、從五位上石川朝臣君子爲2侍從1、神龜元年二月、從五位上石川朝臣君子授2正五位下1、同年三月、正五位下石川朝臣君子授2從四位下1、とあり、此二所の若子は必君子を書誤れる事、官位昇進の次で、年代の次でもて明らかに知らるめるを、不意に見て若子てふ人も有と思ふなるべし、史などをも後世の本には誤有を正して引べき也、
〔頭注。又の或人は、此少郎を若子の號といひしをばとらざりしかど、君子・若子を二人そと思ひしはわろかりき、是を二人とせば、君子の官位の次第年月も中絶て、且其進める次第を失ふべし、又若子の別人ならんには、君子の闕の所によくかなひて入べきものかは、又若子てふ人、此外にも見えぬをもても思へ、〕
 
○山部宿禰赤人
 
赤人も、人万呂の如く万葉集の外には見えずして、人万呂よりは暫後の人也、さて此人の歌、万葉卷(ノ)三・六・八に出たるが中に、顯はに時代をしるしたるもて考るに、神龜元年紀伊國へ幸(ノ)時の歌を始めて、同二年・三年と天平八年に吉野へ幸の時までの歌ありて、其後は見えず、然れば此天平八年の後、ほどなく身まかりつらん、其よしは、同十三年より十六年までの間、久邇の新京の事を人々よめる歌多きに、赤人の歌見えず、又同二十年三月、大伴家持と同池主の越中國にて贈(リ)答(ヘ)し歌の序に、幼年末v逕2山柿之門1、また山柿(ノ)歌泉なと書つ、かゝる事は其人の在時に書ものならねば、はやくかの八年の後に故人と成しこと知べし、
山部氏のおこれる由と同遠つ祖の事は考にいひつ、父祖は考るよしなし、さて古今歌集の眞名序に、山邊《ヤマノベノ》赤人と書るは誤れり、赤人は万葉集中に多く出しかど、皆山部宿禰と書り、山部は加婆《かば》禰も本は連なりしを、清御原御時宿禰を賜へるからは、その初め臣別《オミワキ》也、山(ノ)邊はかばね眞人或は公《キミ》にて皇別也、唱へも山部は也麻倍《ヤマベ》、山邊は也麻乃倍《ヤマノベ》なる故に、續紀の延暦年中に、前の天皇と今上の御名を避べしとて、白髪部を眞髪部とし、山部《ヤマベ》を山《ヤマ》と唱へさせられたるに、同し御時の紀に山(ノ)邊(ノ)眞人は本の如く有は、事の筋も唱へも別なれば也、然るをかの序は、姓氏をすら意得ず、万葉集をも見ずして書しもの也、其序惣てから文にのみよりて、皇朝の古事に違へる事多きはうべ也【万葉集を平城天皇の御時の撰として、其御時人万呂・赤人の在し如く思へるなど、餘りしきひかこよ也、】○或説に、赤人は上總國の眞間娘子が墓を過とてよめる歌有につけて、その國の山(ノ)邊郡より出し人ぞといふもおしはかりにて、姓氏の事をしらでいへり、○赤人も人万呂ばかりの人にて、大舍人にそありけん、東へも攝津・阿波の國などへまかりしも、國官とは聞えず、按察使・班田使などの史生にて下りつらん、こはもし神龜より前、養老などの年頃の事か、又天平四年より七年までの間に此人見えねば、其ほどに下りしにや、
〔頭注。よし山邊をいふとも、專ら大和の山邊をこそいはめ、たま/\行過るとてよめる哥一首につけて、上總なとの國の地を擧べきかは、〕
 
○田兒之浦從。打出而見者。眞白衣《マシロニゾ》。不盡能高嶺爾。雪波|零家留《フリケル》。【赤人不盡哥の反歌】
 
此哥の眞白衣《マシロニゾ》と有を、後世しろたへと訓たるはひがごと也、先(ツ)たへとは布をすべいふ名にて、そは本白ければ、白たへといふこと、冠辭考にいへるが如し、さて集中に麁栲《アラタヘ》の藤原、麁たへの藤江、などつゞけたるは、藤布のよしなれば理りあり、其藤の假字は賦治《フヂ》也、この不盡の山は不自《フジ》の假字にて、かなことなれば、絹布の辭を冠らするによしなし、故に此山に白たへてふ辭を冠らせし例なし、又其栲もて織る物なれど、衣の字をたへと訓し例もなし、思ふに、惣て白妙と書は借字なるをもしらぬ人、字につきて妙なる意ぞと思ひ誤れる心より、こゝをもみだりにしろたへと訓しならん、此眞白衣はましろにぞと訓て、常にまつしろにぞてふに同じ、さて田子の浦の山下の道を行過て、にはかに此山をあふぎ見らるるところ有、そこにてこはいかにとおどろきたる心すら、此言にて思ひはからるる也、又末を零家留ととめたるにて、打見たることをそのまゝにつゞけなせる心高さも、其時の心もしられて、及物なくめでたきを、後の人降つゝとなほせしは何ごとぞや、同し人、若の浦に汐みち來ればとよみしも、一ことの隱れなく、いささけの巧もなきにこそ、すがた宮びて心高きかぎりも見ゆめれ、後世に歌は巧みによむ事とのみ思ひならへる人、此こゝろを忘れしもの也、
〔頭注。卷十五に古歌とて、しろたへのふぢ江のうらと唱へしは、そら唱への違にはあれど、白栲の藤てふも、布になるを知上にては意に誤りはあらず、〕
 
○臣木《オミノキ》【伊豫の温泉の歌】又|栂《ツガ・トガ》(ノ)木
 
伊豫國風土記に【湯の宮の事】、於《ニ》2大殿(ノ)戸1有v樹〔右○〕云2臣木《オミノキト》1云云、この木の名は紀に【神武】、初孔舍衛之戰《ハジメクサガノイクサニ》有v人|隠於大樹而得免難《オホギニカクレテイノチタスカレルヒトアリキ》、仍指其樹曰恩如母《ヨリテソノキハオモナスウツクシミアリトテ》、時人因号其地曰母木邑《トキノヒトソノトコロヲオモノキムラトイヘリ》、今|云《イフハ》2飫悶廼奇《オミノキト》1訛《ヨコナハレリ》也、と云に始れり、この木を和名抄には樅【毛美】としるせり、是に二種有て、一つを毛美《モミ》、一つを都我《ツガ》とここにはいへど、本同物なる故に別にから文字なし、されど皇朝にては、はやくより名を異にいへるにつけて、栂の字を作れり、是右の母木の謂もて作れるにて興有事也、且於美を毛美と云は、眞於美《マオミ》てふ事也、【毛は万《マ》於の約、】都我と云は、葉のさき樅よりも尖《ツガ》りて刺《ハリ》あれば、尖《ツガ・トガ》樅《モミ》を略いふなるべし、【郡我と登我は共に尖たるをいふ故に、地によりて都我の木とも登我の木ともいふ、】かくて共に深き山に生るからに、此伊與の湯山にも、吉野の御舟の山、其外にもさる地の歌によみて、里邊にはよまざる也、【卷一の人まろ歌に、樛木《ツガノキノ》彌繼々に、てふは、まだ栂の字作らぬ前に、樛《ツゲ》を借て書しと見ゆ、冠辭考には誤りしを後に正しつ、
〔頭注。風土記に、今有v椹云2臣木1と有は、言も理りなく、字も似つかず、思ふに、樹の字を椹に誤しなれば改めたり、】
 
○保等保登【帥大伴卿五首の中】
 
こは卷一の別記にいへる波多の波を保に轉し、且言を重てほとほとといふ也、然るを此集に殆の字を多く用ゐしかは、其字註に依て危也・近也と誰も注しぬれど、さのみにてはかなはぬ歌も多し、其中に一つ二つをいはゞ、卷八に、吾やとの一村はぎを思ふ兒に、見せで殆《ホト/\》令散つるかも、此ほど/\を危く近き事とせば、末を散せなんかもといふべし、卷十に、春さればすがるなす野のほとゝぎす保等穗跡《ホトホト》妹にあはず來にけり、てふも、右の意ならば、末をあはずこんかもといはではかなはず、仍て此言は右にいふ如く、はて/\と意得て有べき也、外(ノ)例をここに、吾盛またかへらめやも、殆《ホト/\ニ》、ならのみやこを不見か成なん、卷七に、御|幣帛《ヌサ》とる三輪の祝《ハフリ》か齋《イハ》ふ杉村、燎木伐《タキギキリ》、殆《ホト/\》しくに手斧《テヲノ》とられぬ、卷十五に、かへりける人來たれりといひしかば、保|等《ト》保登|之爾伎《シニキ》【死けり也、】君かと思ひて、これらは危近さ意と聞ゆるに、殆の字をも用るからは、其意とすべしと云へけれど、そはから文字の註にして、皇朝の言を解道にあらず、これも果と聞てなとかあしからん、本をいふばかり無はいささか轉せし也、さること上下のいひなしにしたがひてよろつに多し、かの卷一の別記の當《ハタ》の條にそへるをむかへて見るべき也、
〔頭注。言を解には、其言の本を解おきて、轉せし意は次に知こと也、其轉を先とし、或はから文字によりてのみ意を思ふ時は、違ふ事有也、〕
 
○藤原(ノ)家(ノ)山池
 
或人問、此山池は字音に唱ふべく書たるものを、今そのふの池とよむは強たるにやと、こたふ、そはからくせのつきて、ものを一わたりにのみ思へる問也、いで歌は必ずここのことばのみなるに、端の詞をばからこゑにいはんことよしやあしや、たとひ奈良人のからざまにかくををかしと思ひ誤て書ぬとも、其誤りにならひて何にかする、こは山かたづきたる園の池なれば、その意を得て山池とつゞめ書しからは、本につきてそのふのいけとよむこそあたれる訓なれ、から樣につゞめてかき、又ことの心をしらせんとて、よむまじき字を添て書たる所も集中に多し、さる字をばよまでも有と、うらうへして意得よ、下の山齋の字をもそのとよめるをむかへ見よ、
〔頭注。皇朝の文は皇朝の心・ことば也、それにから文字はうゑたるなれば、字の植樣によきあしきあり、そのあしくうゑ、或はまはり遠く、或ははぶき過しなどせしをば、皇朝の意を得ていかにもよむべし、そのよしあしも正さで、字にしたがふはつたなし、〕
 
○押曰《オスヒ》【坂上郎女|祭神《カミマツリ》哥】
 
式の伊勢大神宮御装束に、絹(ノ)比禮《ヒレ》八條【長五尺、二幅、】・帛(ノ)意須比《オスヒ》八條【長二丈五尺、幅二幅、】とあり、此上に、衣には領、裳には腰、この比禮と意須比と帶とには條と書つれば、領・袖あるものならず、帶の類也、さてここに押日と書を思ふに、言の下につけたる日は、神直日・伊奈日・忌日などの如く濁れる多ければ、是も濁るべし、然れば於須|比《ビ》は襲帶《オシオビ》てふ事にて、衣の上を襲《オソ》ふ帶といふなるべし、かくて古き繪に、もの詣する女どもの、細く長き帶の如くなる物を、前をばわなにして、左右の肩をうしろへ引こして、うしろ腰の下までたれて、左右の端を結び合せたるものあり、是ぞ古へのおすびの遺れる形ならん、ここに祭神に、押日とりかけとよめるにもかなへる也、○此もの古事記に、【八千矛(ノ)神、越の沼河比賣の家に到てよみ給ふ、】多知賀遠母《タチガヲモ》、伊麻陀登加受※[氏/一]《イマダトカズテ》、於須比遠母《オスビヲモ》、伊麻陀登加泥婆《イマダトカネバ》、同記に【仁徳條】、女鳥(ノ)王|坐v機而織服《ハタモノニヰテミゾオル》、云云、波夜夫佐和氣能《ハヤブサワケノ》、美淤須比賀泥《ミオスビガネ》、また【景行條】、倭建命云云、尾張の美夜受比賣、其|於《ニ》2意須比之|襴《スソ》1著《ツキヌ》2月經《ツキ》1、故|見《ミマシテ》2月(ノ)經1御歌曰、云云、那賀祁勢流《ナガケセル》、意須比能須蘇爾《オスビノスソニ》、都紀多知邇祁理《ツキタチニケリ》、など見ゆ、
〔頭注。次の度合宮御装束に、絹比禮四條【各長二丈五尺、】帛忍比《ネスヒ》四條【各長二丈五尺、】是に依るに、上には各の字落たる也、〕
〔頭注。於須比の垂たる末をも、すそといふべし、衣の裔とひとしくてあれば也、〕
 
○大伴坂上(ノ)郎女
 
此人の傳まぎらはしければ、下の卷々に出たる事を擧いふ、卷四に、此郎女の四首の歌の注に、右郎女者佐保大納言之女也、【大伴安万呂卿也、】初嫁2一品穗積皇子1被v寵無v儔、而皇子薨之後、時《ヨリ/\》藤原(ノ)大夫娉2之《コノ》郎女1焉、郎女(ハ)家《スミヌ》2於坂(ノ)上(ノ)里(ニ)1、仍|族氏《ウカラノ》号2曰《ヨベルナリ》坂上(ノ)郎女1也、○同卷に、大伴田村家之大孃贈2妹坂上(ノ)大孃1哥四首あり、其注に、右田村(ノ)大孃・坂上大孃、并是右大辨大伴宿奈麻呂脚之女也、卿|居《ヲレハ》2田村(ノ)里1号2田村(ノ)大孃1、但妹坂上大孃者母居2坂上(ノ)里1、仍曰2坂上大孃1、云云、かかれば坂上郎女は、穗積皇子靈龜元年七月薨給ひて後、藤原麻呂の娉せしは果さず、遂に大伴宿禰宿奈万呂の妻と成て、右の二女を生たり、然るをいかなる故か有けん、宿奈万呂はかれて、神龜元年の頃兄旅人脚に從て大宰府へ下り、天平二年に卿と共に歸りて、坂上の家に在し也、其後も宿奈万呂は相問すして、女も姉は父の田村の家に居、妹は母の坂上家に在ば、ともに逢がたきを歎く哥も有也、さて此妹を駿河万呂と家持の娉せしが、遂家持の妻と成し也、そのよし末の卷々に見ゆ、
 
○詠2仙|柘枝《ツミガエヲ》1哥【霰零、吉志美我高嶺乎、險跡、草取加奈和、妹手乎取、】
 
こは柘枝てふ仙女をよめる哥ならぬよしは考にいへり、さてそれにはぶきしことをいはん、肥前風土記に、杵嶋(ノ)郡(ノ)南二里(ニ)有2一孤嶋1、從v坤指v艮三峯相連、是名曰2杵嶋1、坤者曰2比古神1、中者曰2比賣神1、艮者曰2御子神【一名耳子神、】(ノ)士女提v酒抱v琴、毎歳春秋、携v手登望、樂飲歌舞、曲盡歸、歌詞云、阿羅禮符縷《アラレフル》、耆資羆加多※[土+豈]塢《キシビガタケヲ》、嵯峨紫彌台《サガシミト》、區縒刀理|我《・柯》泥底《クサトリカネテ》、伊母我提鴎刀縷《イモガテヲトル》【是杵嶋曲也、】とあり、此歌|吉資麻《キシマ》といはできしびと有は、此嶋もとはきしみが島といへるにやあらん、あられふりといふぞ冠辭の例なるを、あられ符縷《フル》といへるは後のわざ也、又草取かねてとは、心は草に有て妹にうとし、是らは後に誤れること知べし、よりて考るに、こは古事記に、速總別王・女鳥(ノ)王、共(ニ)逃退《ノガレマカリテ》而騰2于倉椅山1、於是速總別(ノ)王歌曰、波斯多弖能《ハシダテノ》、久良波斯夜麻袁《クラハシヤマヲ》、佐賀志美登《サガシミト》、伊毛波伎加泥弖《イモハキカネテ》、和賀弖登良須母《ワガテトラスモ》、てふ歌を、ところをも言をもかへて、霰ふり、吉志美がたけをさがしみと、草取加禰和《クサトルカネヤ》、妹が手をとる、として、杵島の遊に用ゐつらんを、その後里人の誤りて上の如くうたへるまゝに、風土記にはしるせしにや、
〔頭注。あられふるとては、今實に降ことにてかなはず、ふりと切にて理有よし、冠辭考にいへり、〕
〔頭注。よし古事記の哥をとり直したりとも万葉に書たるは言の意古へなり、風土記に載しは、少しの違ひながら古意をよく意得ぬ事見ゆ、奈良の朝の半比より傍には違ひもあり、〕
 
○於余頭禮《オヨヅレ》 枉言等可聞《マガコトトカモ》
 
こは紀に【天智】、禁2斷《イサメタマヘリ》誣妄妖僞《ハコトオヨヅレゴトヲ》1、また紀に【天武】、妖言をもおよづれごとゝよみ、また續紀に【光仁】、永手公の薨られし時の詔に、於與豆禮加母《オヨヅレカモ》、多波許止加毛《タハコトカモ》、この卷十七にも【挽哥】、於余豆禮能《オヨヅレノ》、多波許登等可毛《タハコトトカモ》、とあれば、右の訓しか也、黙れは於余は阿夜《アヤ》に通ひ、【於と阿とは筋達に通ひ、余と夜は同音也、】頭禮は辭にて、くづれ・ひこづれなとのつれに同し、さて恠《アヤシ》く浮たることばをいふ、枉言は古事記に、伊邪那伎命、黄泉より歸りまして、祓滌《ハラヒミソギ》し給ひて先|生《ウミ》給ふを、八十枉津日《ヤソマガツヒノ》神といふ、その枉れる事を直し給はんとて、神|直日《ナホビノ》神を生給へり、さて御門祭の祝詞に、四(ノ)角【與利】踈《ウトビ》荒《ビ》來《キタラ》麻我都比《マガツヒ》云神言《イハ》惡事《マガゴトニ》【○古語、麻我許登、】相麻自許利相口會賜事無《アヒマジコリアヒクチアハセタマフコトナク》、てふあしき神は、即かの八十枉つ日の神をいふ、是に依に、枉言は此神のいはする言にて、直《ナホ》からずたわけたる言也、卷十一に、あぢきなく何枉言《ナニノマガコト》、今更に、小童言爲流《ワラハゴトスル》、老人にして、とよめるも、わが本の心にはあらじ、枉つ日の神の依ていはする枉言にや、てふ意なれば、ここをも思ひ合すべし、○枉言|登《ト》可聞といへる登〔右○〕の辭は、かの枉言といふものの如き歟てふを略ける也、卷○住吉に齋《イツ》く祝が神|言等〔左○〕《ゴトト》などの類ひの等《ト》は、多くは如くの意也、