池永秦良著・上田秋成補・武田祐吉校訂 萬葉集目安補正、古今書院1926.3.25、萬葉集叢書第七輯、1972.11.5臨川書店版

 

(1)   新刊萬葉集|目安補正《めやすほせい》解説

 

 源氏物語專門の辭書としては、はやく南朝の長慶院天皇の御撰に係る仙源鈔の如き、いろは引の整頓した辭書が出來たが、萬葉集專門の辭書は、これに比してやゝ後れたやうである。しかも江戸時代以降、萬葉集流行の盛運は、この方面にも一方ならぬ發達を來し、萬葉集の辭書で、管見に入つたものだけでも、海北若冲の萬葉集類林、佚名氏の古言礎を始め十數部に上つてゐる。これらはいづれも萬葉集中の語を摘出して、これに一定の排列を與へ、解釋を附したものである。この以外にも、枕詞、人名、地名、品物、東語等、萬葉集の特殊辭書もまた少くない。

 而してこれらの萬葉集の辭書中には、名著と稱すべきものがあり、今の世に繙いて利益の無いといふものは無い。今數多き萬葉集の辭書のうちから、萬葉集叢書の第七輯として目安補正を選んだのは、この書が比較的廣く行はれて、他の註釋書等の上に相當に影響のある點、五十音圖によつて分つてゐるので、今日の讀書子に親まれ易い點、上田秋成が全部書き直してゐるので、その著書として見てもよい點、分量が一冊の單行とするに適してゐる點等の理由に基くものである。

 萬葉集目安補正の成立に關しては、その書の初に、寛政八年十月、難波人餘齋の名によつて書かれた序文によつて知ることが出來る。難波人餘齋は、すなはち上田秋成である。今これをもととして成立の次第を述べよう。

(2) これより先、多分足利時代の成立と思はれる書に萬葉集|目安《めやす》、一に萬葉集|見安《みやす》といふ書がある。この書は著者未詳であるが、或は堯以法印の撰であるともいふ。この事は版本もあつて、今も諸處に傳つてゐるが、萬葉集の詞句を順次に抽き出して、極めて簡略なる註解を加へたものである。然るに秋成の門人池永|秦良《はだら》といふもの、博く諸書に考へ、諸家の説をも集めて、この目安に補正を加へ、當時京都に居た師の閲を乞うたのが、寛政七年の冬である。秋成はこれを見もやらず打ち捨ておいた處、翌八年の六月に、秦良は齡いまだ三十年にも足らずしてこの世を去つた。こゝに書肆葛城某が尋ねて來て、秦良生前の志なりし由を言ひ立てて、強ひて秋成の閲を求めたので、やむを得ずして十卷二百餘枚を書き改めて與へたといふ。本書の終に連署して、文化六年己巳九月、書林、京都額田庄三郎、江戸須原茂兵衛、西村源六、西村宗七、大阪【宣英堂奈良屋】葛城長兵衛とある、その最後のもの、秋成のいはゆる葛城某で、本書の實際の出版主であらう。この秋成自筆の目安補正の原稿は、東京帝國大學の附屬圖書館にあつたが、大正十二年九月一日の地震に因る火炎の爲に、ふたゝび見ることを得なくなつた。秋成自筆本の寫眞一葉は、掲げて校本萬葉集の諸本輯影のうちに在る。

 その祖本が目安とも見安とも言つたやうに、補正もまた、本の表題には萬葉集見安補正とあり、内題には萬葉集目安補正とある。もと/\目安に補正を加へて成つたものではあるけれども、その組織および内容は全く別種の書となつてゐる。目安は萬葉集中の順序に從つて詞句を抽き出してゐるが、目安補正は項目をアイウエオで分つて、辭書の體を成してゐる。註解は補正にあつても、詳審といふ(3)ことを得ぬが、目安に比ぶればいちじるく精細になつてゐる。なほ補正では、項目をアイウエオによつて分つてはあるけれども、その一音の中では、語句の第二字以下をも五十音の順にすることをしないで、天文、地理、人儀、器具、動物、植物、雜の順に並べてある。固有名詞のうち、地名は收めてあるが、人名は收めてゐない。

 著者の池永秦良は秋成の門で、他に和歌新呉竹集の著がある。上田秋成は、學銃は賀茂眞淵の門人加藤美樹から出て居り、その學術的著書は上田秋成全集の第二に集められてゐる。萬葉集に關するものとしでは、萬葉集會説、金砂、金砂剰言、古葉剰言、歌聖傳、冠辭考續貂等がある。而して目安補正も、その萬葉集研究の一端を窺ふに足るものである。その説くところには、取るべきと取るべからざるとがあつて、書を讀むものゝ取捨を待たねばならぬのは勿論であるが、殊に今日から見て奇異に感ぜられるのは、假名遣を無みした諸條である。その主張は靈語通に強く現れてゐるのであるが、要するに、いはゆる假名遣は人爲の法則であつて、古語の假名は音便によつて動搖するものであると爲すのである。これは一面に於いてはその通りであらうけれども、そはある條件内に局限すべきものであつて、秋成のやうに、この主張を廣く應用して古言を解すべきものではあるまい。しかしかういふ偏りがあるといふ理由によつて、本書を輕視するには及ばないので、吾人は本書の良い所を利用すればよいのである。

 

(1)     新刊萬葉集目安補正 凡例

 

一、今のこの事は、文化六年の版本によつて印行した。

一、原本の名は、表題には萬葉集見安補正、内題には萬葉集目安補正とあつて一定しない。今すべて萬葉集目安補正の名に一定した。

一、詞句の下に、六號活字で組み入れてある數字は、萬葉集の卷數を示すものである。例へば天原二とあるは、天原といふ語が、萬葉集の卷二にあることを示すものである。

一、印行に際して新に句讀點を加へた。濁點、返り點等は原本のまゝである。

一、本文を二段組としたのは、今の便宜のためであつて、原本は一段である。

一、原本には、欄上に往々頭注が加へられてある。今(以下頭注)として、その項の本文の未に移した。

一、校訂者の識語は、すべて括弧を加へて原文と分つた。

一、刊行に際して新に加へた部分と、原本の文字とを明に區劃する爲に、特にその間に色紙の扉を挿むこととした。

一、本書の校正に際しては、同窓の學友安藤英方君より多大の助力を得た。

 

(1)     序

 

萬葉集目安一云見安といふふみは、何人のしるしおかれしをしらず。或は堯以法印のえらひなりと云につきて、いてそのかみをおもへは、かゝる古言のこゝろことわりを解あかさん事の、いともかたき世にしも有を、是かい著せし、志はいたしたれと、打あらひ心もゆかぬものに、今は誰とりみぬ古江の藻屑なるを、ふる郷人池永秦良、昔の人のまめ心にめてゝ、是補はまくすとて、いにしへより此集にちからいりてときなせし人々の、ことわりのかれ是、えたりとおほしきを、さかしけにぬきえらひ、つゝりなしつるあまりには、これか便の哥合、難陳の状、詞林採葉等の、古ことの梯立なるかきりをあなくりとめつゝ、今の世のさかし言をまで耳とゝめて、補正の二字を加へ、さぬる年の冬、我都の旅寐の枕をおとろかし來て、是一わたりよみてよと云。あな煩らはし。鶉すむ野、風をいたみて、鏡作りの神の、目ひとつ光を失ひし後は、今一かたのいたはりに、なへての事かいふてゝ、をちこち定めすしあるくは、たた/\心のゆくまゝにあらんをとなるを、かゝることいかてと云。さらはおのれよみてん。耳にたに觸させよと。いな目も耳も心のやつこなり。聞ゆとも夢路に過へしとて、つよく綱ひきしかは、打泣て、見せ奉りて教へたは覽とてこそ、こゝらの年月をつとめたれ。せめてとゝめ給へ。こん春のことほきにまうてゝ、取もてまかりなんとて、物の中にさし入て去ぬるか、年かへりて春の末よりなやましうして、みな月の峯なす夕雲とゝもに、煙に立昇りぬと告來たる。あないとほし。齡はまた三そちにたに足さりしを、初もとひの比より、庭のをしへをかたしけなくして、唐やまとのふみよむ事を怠らさりしと(2)や。父にはあけ卷にて離れ、母をも三とせのいにしへ人になして、おのれさへ泣子の如したひてきぬる事よ。此とゝめしふみは、老に似氣無きかたみにとてやさしおきけん。さるは見安の、めやすからぬをとて、取出る事もなくなん過ぬ。ふみあき人葛城の何かし、ゆくりなくとひ來て、なき人の書あつめたる卷々、御許にとうけたまはり侍る。かねて櫻木にゑりつへき事、はかりあはせて侍れは、いさ給へと云。打おとろかれて、いそき披きみれは、おほかたはことわり氣なるか、はし/\今はおろそけに人いふめる事も少なからす。是をいかてといへは、其爲にこそさゝけては參られたれ。おのか物や君ゆるし給はすとも、たゝ此まゝにと云。いかにせん。よみ路に使やらむたよりもしらす。さあれ、閲て後にこそ、ともかうもせよと云へは、したり顔にて、親ともつかふまつりし人の御手向くさ、是はかりのまめわさはおはさしとて、下ゑみしていぬ。はかられつとはおもへと、もとよりのすき心にいさなはれて、書改むとはなしに、十卷二百餘り幾ひらとちめて、煩らはしきまゝにあたへぬ。はたら/\、魂たにかへり來て、せめて筆執かはれよかし。

 一、此集の書法、正訓、義訓、假言、假音、戯訓の別有か中に、正訓と云も、そのかみの世に字を當たかへて、後には意うましきか有。まして其か餘りなるは、言のみ專ら假て、ふとは讀うましきから、字に付てはことわりをもとむましき也。古き代の書は、言を君とし字はやつことする教へ、心におかすは、しもと原まよひ入ん。唐こと學ふ人は、此こゝろを前しりへに踏たかへて、あらぬ方にさかし(3)らはすなりけり。

 一、字を奴僕とするのみかは。此集には言をのみ假つゝ、たやすからぬ物に見惑はせる事のあやにくさに思ふ。そのかみのさかし人の、心して、かくてはしかもよむへきなと、わさとに工みなし、はかなき戯れわさにはせられけん。戯訓と云きさみに至りては、もろ越人の黄絹幼婦の例にや擬ひし。いとも/\おほやけさまならぬいたつら遊ひそかし。

 一、物を字に當るは、大かた人、源大夫順の和名鈔によれる、寔にいにしへをつたふる便りは、此書になん。されと、中比の世のあやまりを後に傳ふるも、はたこのふみそ。心もちひて見よ。

 一、高き代のものこゝろをしらまくするは、假名そ梯立なると云教への、心にそみておほえしかは、先是よりそ昇り初たるか。はし/\こはいかてかくとおほゆるも、さき/\の教へのまゝに見過せしか。近き世のかしこき君の御説に、假名の法とて推戴くは、なまさかしきものゝ心そと、獨こたせ給ふと云事を、こち吹風の便に聞て侍りしかは、かの明魏法師の云つることを、いて其かたのことわり、まかひ路也とも尋見まく、古きふみ古き歌、おのか口につゝしりよみ、且聲にもあけてうたひ試むるに、彼うたかはしかりし書樣も、おのつからにかなへりとこそ思ゆれ。又すみ濁る字の定も、いたつらなるか有て、御説の、其言のつらぬたに意得なんにはとのらせ給へるを、寔にしかり/\とおほしかしこみて、後かんなの法をかへり見れは、うへもけつり花のかさしのにほひにおほしゝかは、我靈(4)語通の第五卷に、わつかなから書出たりけり。さは假名の法とはいはて、例とのみ心得をらむに、科有ましきものそ。言のこゝろ、文にも哥にも、始終のつらねにのみ眼をつけてよまゝし。あたなる法にまとはんやは。此集の書さま、たはれくつかへり、わさとに假なしたるをさへ、言のつらねをうまく讀得ん人、おほならすもこそ解なすへかめれ。

 一、御國の言靈の幸はひには、延るとつゝむるのくすしき事有を、先こゝろとせよ。こは、唐囀りにはあらぬさかしわさそ。是をなんこと玉のたすくる國とは云。

 一、いにしへ人の事著せしふみともは、うつゝの人に聞しらすへき爲ならすや。後にことわりをくはふるは、世隔り言のうつろひゆくめるまゝに、やんことなくとさまかうさま、おのか心をさへそへつつ云よ。ある人の云る、いなおのれ心得かたきものから、ことわりはくはふるそと、そはたはれ言なから、うへしかりけんものとも思ゆかし。

 一、假名の法を推戴く人のいきあはぬふし/\は、是はこれか字のたかへるなり。是の草の書より誤りしそとおほすまゝに改る。よからぬたはわさなり。それか中には、一文字をたに改むましきにはあらす。打見るよりしかおほゆるは、我訂字篇におほろかなからあらはし置ぬ。

 一、此集の歌數、四千五百餘りのこゝろことわりを、悉に解あかす人有とや。さてはしひ言あなくり言して、おのれ盡せりと打ほこりたらむも人うけされは、あはれいたつら言そかし。たゝ我前に膝折(5)ふせたらん、をさないか友の、千々幾百人參りつとへりとも、くしの御弟子のひとりにもあらしは、何にかは。あなしれ/\し。

 一、秦良かかいつめしには、それの抄、その人の考へとて、つはらに著はせしを、老やみならぬ目のくらきには、ひとたひ本のふみにわたり見ん事のわつらはしさに、大そらに思ひめくらせし事少からす。それらのふみ積もたらむ人は空にも知るへく、もたらぬうひ學ひには、こちたく目安からぬわさそとてかいやりぬ。かゝる物、老たる人の見へきかは。それとまれ、おいさりては、よろつにおのれやすけならむとする/\、目安の見安からぬものに成もやせし。

 

寛政八年の冬かんな月、粟田山のふもとのやとりにて閲改めぬ。

 

                           難波人餘齋

 

萬葉集目安補正第一

 

     阿

 

天原《アマノハラ》二  天の曠遠《ヒロキ》を云。海原、國原、野原等の原も、平らかに廣きを云。

天海《アメノウミ》七  蒼天《ソラ》の蒼海《ウミ》にひとしきを云。

天河《アマノガハ》五  天の河原、又天の安河《ヤスカハ》十  安《ヤス》の渡《ワタリ》同  是は西土《モロコシ》の天漢《アマノカハ》二星の物かたりを、こゝの神代の傳説《ツタヘ》の天の安河、安のわたりの名に附會《ツケアハ》せてよめる文言也。

天橋《アマハシ》十三  伊邪奈伎《イサナキ》いさなみの二神、此橋上に立て、瓊矛《ヌホコ》もて海底をかきなし給ふと云。天の浮橋の事也。

天傳日《アマツタフヒ》二  日の大虚《ソラ》をわたるを云也。久方の天傳ひくる雪じものとよめるも三、雪の降くるは天路《アチ》をつたひつゝ來ると云文言也。

天《アメ》乃|御蔭《ミカケ》一  高知《タカシル》や天の御蔭、天知《アメシル》や日の御蔭の水こそはと云は、天の陽光《ヒカリ》を禀《ウケ》て、美泉《ヨキミツ》の涌(ク)と云也。天は地を覆《オホ》へは、天の御蔭と云。日の御蔭は、即陽光によりてと云也。

天印《アマツシルシ》十  久方の天つしるしと、水なせ川隔ておきし、神代し恨めしと云は、二星の浮たる言を、ここの神代物かたりにとりなして云也。天つしるしは、こゝにては封疆《サカヒメ》の事にいへと、天璽《アマツシルシ》と云か本義にて、天孫の御しるしの、國つ寶の事也。

天津領巾《アマツヒレ》十  是も二星の哥に、秋風の吹たゞよはす白雲は、たな機(タ)つめのあまつ領巾《ヒレ》かもと云(2)也。白拷《シロタ》の天領巾《アマヒレ》ごもる二と云は、白雲を見たてし也。ひの部に委し。

安米乃火《アメノヒ》十七  燒《ヤキ》ほろぼさん天の火もがもと云は、いたく切《セマ》れる心に、あらぬ事を願なから、天に陽火のあれは云也。

安麻曾々理《アマソヽリ》十七  越中の立山の屹立《ソバタテ》るを、天にすすろぎあがるかと云也。劔か嵩とて、高く嶮しき山也。

天原《アマノハラ》石門《イハト》を開《ヒラ》き二  天《アメ》の刀《ト》ひらき二十  是は、誰もしりたる、天照す大神の、石窟を立てこもりませしをたとへに云て、天の戸を押明がた、天の戸明るとも言て、夜の明方に後の歌にはいへと、古哥には、至尊の御うへに、出入ますにも、神あがりますにも、岩戸ごもりなと云り。

天水《アマツミヅ》二十八  天の神の降《クタ》し給へる皇孫の御膳《ミケツ》水の事なるは、台記の壽詞《ヨゴト》に見えたり。それより轉《ウツ》して、旱天《ヒテリ》に雨を待事に、天つ水仰きて待と云也。天《アメ》の眞名井《マナヰ》といふも、御食水《ミケツミツ》を天よりくたし給ふ名義也。雨とのみにあらす。(以下頭注)天をあめ雨をもあめとは古言にも云たかはさる者也。

天雲《アマクモ》二  天にたなひく雲也。たゞよひたゆたひなと云ては、心のつく方なきにたとへ、ゆくらゆくらと云ては、心のゆたかなるにもいふ。

青雲《アヲクモ》二  白雲の事なりと云り。

赤根刺《アカネサス》二  日の將出《イテナン》時の赤雲氣也。あかねさす紫野一  といふも、紫霞の事に掛たる也。仍て野とまではかゝらす。

朝月日《アサヅクヒ》七  附著の義にて、月の事にあらぬ假言也。夕月日も同しく、日影の朝夕につきたる比を云といへり。いかゝにや。

(3)朝月夜《アサツクヨ》一  同しく夜の明方に著と云也と。

旦明《アサアケ》八  朝明《アサアケ》の略言也。夜の明離し也。

朝|不去《サラズ》三  朝|離《カレ》ずと云も、同しく朝毎に事怠らぬを云。

沫雪《アワユキ》八  こまかにふる雪也。寒極りて水氣つき、泡沫のごとく降なり。此事、靈語通の假字名物等の篇に云り。

霞打《アラレウツ》三  霰の玉打する如く音たてゝふるを云。

明日香風《アスカカセ》一  大和の明日香の故京《フルサト》に來て、此吹風を感するは、昔を慕《シノ》ふ故ありて也。すへて其所にいきて、難波風、初瀬風、伊香保風なと云。風の名にあらす。

安由乃風《アユノカセ》十七  越の國の俗言《ナラハシ》に、東風をあゆのかせと云事見ゆ。今も彼國の人は、戌亥の風を、あひの風と云とぞ。方たかへるはいぶかし。

朝羽振《アサハフル》六  あしたに海の波風のさわぐを、大鳥の羽打ふる音にたとふ。夕羽ぶりも同し。

蜻島《アキツシマ》一  神武紀に、※[口+兼]間丘《ホヽマノヲカ》に國見し給ひて、此國は蜻蛉《アキツムシ》の臀※[口+占]《トナメ》する形《カタチ》ぞとのたまひしより、大和を秋津島と呼しが、後には海内をやまとゝ稱するに同し。

秋津野《アキツノ》一  秋津の小野とも云。吉野の今の宮瀧の河の南北を云歟。里は河の北に在。秋津野の名義、雄略紀に見るへし。秋津島とは事たかへり。

天香山《アメノカクヤマ》一  大和の十市郡《トヲチコホリ》に在。神代に天上にある山の名に同しとて、天のかく山と云。伊與風土記には、天上の山の一片はこゝにおちたる故に即天上に有し香山と云由に聞ゆ。又青かぐ山一  と云しは、春夏の間の盛茂なるを云。

明日香《アスカノ》里一  高市《タケチ》郡に在。こゝは、允《イン》恭の遠つ飛(4)鳥《アスカ》の都を始に、近飛鳥|八釣《ヤツリ》、岡本、後《ノチ》の岡《ヲ》本、清見原、代々の皇宮ありし故郷《フルサト》なり。

朝爾食爾《アサニケニ》三  食は人の常事なれは、常にと云に食《ケ》と書たるは義訓なり。褻衣《シウエ》をけの衣と云も、是也。朝に常にとも書たるか有。常例を本とする語なり。

朝名佐名《アサナサナ》三  毎朝を朝々と云に、なは假初の虚辭也。朝な佐名は下のあを略して云。

朝|菜寸《ナギ》七  朝に風雲無く、日影の和《ナゴ》やかなるを云。海には風波なきを和《ナギ》たりと今も云り。

朝|去者《サレハ》三  朝にぞあればと云を約《ツヽ》めて云。春されば又延ては秋ざりくればと云り。秋にそなれはと云義也。古言の、今は解しかたきは是等也。後に夕ざれはとよむを、叶へりとせんに、清濁は、歌腔《ウタノフシ》にて定まりなき事と思ゆれば、いかさまにとも云つのるへき事にあらす。

明晩《アケグレ》三  夜の明んとするに、しはし闇きを云。

曉降《アカツキクダチ》十  曉に成ゆく也。夜の更行を夜くだちと云。

鷄明露《アカツキヅユ》二  明時《アカトキ》は露ことに多し。

在明月《アリアケツキ》十  十六夜より下の月の明殘るを云。

明星《アカボシ》五  あか星の明る朝《アシタ》とは、曉の明朝を云。和名抄に、歳屋一名明星あかぼし。

雨隱《アマゴモリ》六  雨の日朝參せす、こもり居る也。

雨障《アマザハリ》四  雨にさへられ、公私共に怠る也。

雨乍見《アマツヽミ》四  雨につゝしみする如くこもりゐる也。

雨間茂不置《アママモオカズ》八  間なくふる雨なり。

雨間明《アママアケ》十  しばしやみて猶降なん空也。

雨腫之《アマバレノ》雲十  雨の晴がたの雲也。

阿騎野《アキノ》一  あきの大野とも。同國宇※[馬+施の旁]郡也。

阿婆野《アハノ》一  皇極紀に、をち方のあは野の雉子《キス》とよ(5)めり。大和の飛鳥のあたりに在へし。添上《ソフノカミ》郡のいさ川に阿波の神社あり。そこかといへり。いかゝあらん。

青根《アヲネ》が峯《ミネ》七  吉野山安禅寺の上方に在。

痛足《アナシ》山十一  痛背《アナセ》川四  穴|礒《シ》、穴師など書り。同|磯上《シキノカミノ》郡にあり。

朝妻山《アサツマヤマ》十  高市《タケチ》郡也。新撰姓氏録に、太秦《ウツマサ》の先祖を大和の朝津間の腋上《ワキガミ》に居《ヲラ》しむと見ゆ。

阿保山《アホヤマ》十  伊賀の名張《ナハリ》郡也。昔は、大和より伊勢へこゆる官道なり。今もあほ山越と呼り。

嗚呼見《アミノ》浦一  見は兒の寫誤にで、あごの浦也。志摩の國安虞《アゴノ》郡の浦邊と云り。此哥再ひ入て、泰胡《アゴ》の宇良十五と書たれは、此説よし。然とも、此持統六年三月の行幸は、同月に車駕還(ル)v宮(ニ)と見え、又五月に御(ス)2阿胡(ノ)行宮(ニ)1とも見ゆ。さはかりの間に、又出まさん事いぶかし。又六の卷に天平十二年十月幸(ス)2于伊勢國(ニ)1之時、於《ニテ》2河口(ノ)行宮1家持(ノ)作哥と有て、次に型式の御製に、妹に戀《コフ》吾《アガ》の松原と有て、注に今按吾(ノ)松原在2三重《ミヘ》郡(ニ)12去(コト)河口行宮(ヲ)1遠(シ)矣。若(シ)疑(ラクハ)御2在|朝明《アサケノ》行宮(ニ)1時所製御哥、傳寫誤歟と云。阿胡、嗚呼兒、吾《アガ》、同所歟。哥は、人丸の京に在て、杳に思ひやりてよめるにて、其所に到りてにはあらすは、名のみ聞てよめるなれは、地方たかふ事も有へし。

阿胡根浦《アコネノウラ》一  阿|後尼《コネ》之原十三  一説に、浦は紀の國の和哥の浦の事と云り。紀の行幸の時の歌なれは強《シヒ》て云歟。七の卷に、阿胡の海、吾兒の濱は、住の江にて、奈呉の浦とも云は通音なりと云り。いつれ和哥の浦にはあらじ。あこねの原は同所歟、異《コト》國歟。

(6)飽等《アクラノ》濱十一  紀の國也と云り。

味經《アチフノ》原六 味經(ノ)宮同  和名抄に、津の國 東生郡に、味原見ゆ。此疑しきは、聖武の難波に行幸の時にて、長柄宮に眞木柱ふと高しきて、食國《ヲスグニ》を治め給へは、おきつ鳥味經の原に、物の部の八十件の男は廬《イホリ》してとよみしかは、西成郡の長柄の宮に君ましまさんに、從駕守衛の人々、難波の大江を隔て東の郡に在ん事いかゝにや。猶長柄の下に云へし。攝津志には、島下郡の味舌と云郷を味經とせられしは、字の近きにまとへる也。和名抄の味原は、後に河たかへなと有て、郡のたかひしにや。今もさる事、此河そひには見ゆ。

淺香《アサカノ》浦六  住(ノ)江のあさかの浦とよめは、津の國なる事明らか也。朝香方十一 といふは、同所歟。又|東《アツマ》哥に十四、安齋|可我多《カガタ》と有は、東國にて、國郡未v詳の中に入。若是は、陸奥の淺香山の方にや。

淺澤小《アササハヲ》野七  同住の江の里に在。

阿倍《アヘ》乃島三  津(ノ)國武|庫《コノ》浦の哥に次《ツイテ》たり。今住吉の祠の北に、阿倍野と云地あり。いにしへは、海邊なるへけれは、阿倍の島ともよむへし。十二の卷にも見ゆ。共に阿波の國|海部《アマヘ》郡かと云は、推はかり言也。

上小竹葉野《アゲサヽバノ》十一  哥の次序によりて、津の國と云のみをより所にて、後の哥に三津の濱によみ合せしは、たしかならず。攝津志には、西成郡の、讃楊をさゝはと、しひてよむは、いかにそや。孝徳紀に、難波狹屋部邑是也と云説は宜し。

足代《アデ》七  足代《アデ》過て糸鹿《イトカ》の山とよめは、共に紀の國(7)かといへり。平氏太子傳に、河内の澁川郡に足代村《アデノサト》見ゆ。河内を歴て紀の國に行も、一つの大路也。

安太部《アダベ》七  あだべゆく小爲手《ヲステ》の山、紀の國と云り。是も前後の哥の次序《ツイテ》によるのみ。あだの大野、あだ人十一、たしかならす。

相坂《アフサカ》山十三  近江の滋賀郡也。今の古關《コゼキ》越と云坂路歟。

吾跡《アト》川七  足疾水門《アトノミナト》九  同國高島郡に在。

年魚市方《アユチガタ》三  尾張の愛智《アイチ》郡なり。

安波乎呂《アハヲロ》十四  遠江の阿波々が嵩かと云。乎は岡の略、ろは虚辭。

足柄《アシカラ》山三  東歌《アヅマ》にあしがり十四、相摸(ノ)國也。

安伎奈乃《アキナノ》山十四  足がりのあきなの山と云り。

荒藺之《アラヰガ》碕十一  遠江の濱名の渡に、今は新《アラ》井と書る有。是か。武藏の多摩《タマ》郡の青謂かと云は、推はかりのみ。

阿倍《アベノ》市三  駿河の阿倍郡也。市あれは國府《コウフ》也。

東方之《アツマノ》坂十三  上野の碓氷《ウスヒ》山を云か由なれと、字につきて坂東にこゆる坂路には云へし。天武の美濃のわざみが原に軍立し給ふを、吾妻《アツマ》の國の御《ミ》軍をあともひ給ひとよめるは、東國の軍民を催したまふ事也。

あし保山十四  常陸の筑波山に背《ソムケ》て立る山也。同國隣國、いつれをしらす。

安蘇《アソ》山十四  安素《アソ》乃|河泊《カハ》同  いつれも下野の阿蘇郡に在へきを、上野の國|風《ブリ》に入しはいぶかし。川は下野の哥に入。

安禮之碕《アレノサキ》三  尾張三河遠江の間にあるへし。

味鎌《アヂカマ》十一  あぢかまの潟、あちかまのかけの湊十四  東哥の國郡未v詳の部に入たれは、近江より東に在へし。

淺葉乃野良《アサハノノラ》十一  國郡未v評。和名抄に、武藏の入間郡に麻羽、遠江の佐野郡に麻葉あり。

安武隈《アブクマ》川十四  陸奥の亘理《ワタり》郡に、安福麻《アブクマノ》神社、神名帳に見ゆ。中世より、あふくまを、おゝくまの如くとなへ、又の後の世には、阿を略して、武隈《タケクマ》の松なとゝいひ、神も竹駒の社といふ由を聞。

安積香《アサカ》山十六  同國安積郡なり。

安太多良乃禰《アダタラノネ》十四  同國|安達《アダチ》郡也。あだち、あだた、音通す。安達《アダチ》の岑《ネ》にて、良は虚辭のみ。

安比豆禰《アヒヅネ》十四  同國|會津《アヒツ》郡の高峰也。

安自久麻山《アジクマヤマ》十四  國郡未v詳の部に入。已に出せし味鎌と音通す。同所歟、あらぬ歟。

(8)安治麻野《アチマノ》六  越前の今立郡に味眞の郷あり。

有乳《アラチ》山十二  同國同郡。中世に、荒乳《アラチ》の關を置れし山路也。

安乎《アヲ》能|宇良《ウラ》十八  越中の英遠《アヲ》の浦なり。

明石(ノ)大門《オト》三  播磨の明石の湊也。

粟路《アハチ》三  淡路の國なり。あは路《ミチ》とよむへからす。

粟島《アハシマ》四  粟(ノ)小島九  阿波の國也と云り。紀の名草郡に粟島あり。

網乃浦一  讃岐にての哥なれば、網《アミ》は綱《ツナ》の誤にて、鵜足郡の津野也といへり。安益《アヤノ》郡にてよむとあれは、別に網《アミ》の浦在にや。

阿波乃《アハノ》山九  阿波の國の山也と云り。

惡木《アシキ》山十二  筑前かと云り。葦城野《アシキノ》、葦木《アシキ》河八、 共に同所歟。

荒津之濱《アラツノハマ》  同國かといへり。

(9)葦《アシ》北三  肥後の國の郡名也。

安佐治《アサチ》山十五  對馬の國なり。

在根良《アリネヨシ》一  是は同國に在明山と云高根あり。かたち都の比叡《ヒエ》に似てよろしけれは、あり岑《ネ》よしと云歟。

淺茅《アサヂ》原三  茅《ツ》花ぬく淺茅の原ともいへは、名所に非す。茅《ツ》花といひ、淺茅と云、音通す。秋はもみちする草也。

青垣《アヲガキ》山一  山の盛茂して立めぐり、皇居の御《ミ》垣の如くなると云也。さるは、大和の地圖《クニガタ》を云しなれと、今の都のさま、又いつこにても、垣のめくれるに似たらは云へし。

青淵《アヲブチ》十六  河池江沼の分なく、深きを云。

安良禮松原《アラレマツハラ》一  住の江のあられ松原とつゝけたるから、名所とすれと、神功紀に、をち方のあらら松原あら/\にとあるは、宇治のわたりの松原なれは、いつこにてもさる所には云へし。あられ、あらゝ、通音。

淺小竹原《アサシヌハラ》十一  淺茅原の類に、小竹《サヽ》原の丈《タケ》だちたらぬを淺しと云。

上《アゲ》に種《タネ》蒔《マキ》十二  神代紀に、兄《セガ》作(ラハ)2高田《アゲタヲ》1者、汝《ナハ》可v作(ル)2※[さんずい+夸]田《クボタヲ》1と見ゆ。今は高畠《タカダ》と云。

葦火燎屋《アシビタクヤ》十一  難波人あし火たく屋とよめり。いつこにもさる小屋には云へし。

葦垣《アシカキ》三  芦もてゆへる恒也。穗の末の亂るゝまゝなれは、思みたるゝにたとふ。又|間《ヒマ》のあら/\しけれは、間遠《マドホ》に逢ぬにもいふ。又芦のあら垣は、ふりたる郷のさまに云。

朝宮《アサミヤ》二  夙《ツト》めて宮つかへに參るを云。

明津神《アキツガミ》六  いにしへは、今の御代しらせます大君(10)を、あきつ神、あらみ神、遠津神とも崇稱《アガメマヲ》せし也。神の御名には名神と書しは、延喜の神名式に見ゆ。明神と書事、後の世也。

天《アメ》乃|日嗣《ヒツギ》十八  日の神より繼々御代しらせますを、あまつ日つぎしらすと申。又東宮を日つぎの太子《ミコ》と申也。

安米《アメ》乃|美加度《ミカド》二十  天智天皇の御事也。天開別命《アメヒラクワキノミコト》と申せしを略せし也。

安米比度《アメヒト》十八  二義有。一は彦星をあめ人男と云十。一は都人を云は、書の上人と云に同し。

阿須波乃神《アスハノカミ》二十  庭中《ニハナカ》のあすはの神と申は、古事記に、庭津日《ニハツビノ》神に次《ツイテ》たり。是は座摩五神の一座也。座摩、古語拾遺に、大宮地之神也と見ゆ。さらば地公《ツチキミ》にて、訓はヰザスリと云を、ヰカスリと寫たがへて、井の神とするは、五神の内、三神は生《イク》井、榮《サク》井、八綱《ヤツナ》井と申に、ふと思ひたかへし也。二神は、阿須波の神は、庭上を守り、波比祇の神は、瑞籬《ミヅガキ》を守り、すべて五座を座摩の神と申也。井泉の三神は、御膳の眞名《マナ》井の神にして、事分明也。伊勢の神宮に、猿田彦を、土公《ツチキミ》と申は、地主の義也。座摩も生島の地主と云へけれと、是は生島の神と申か別におはすれは、座摩は、皇居の地のみを守り給へる也。坐の訓、居《ヰ》の義、井泉の假訓にあらす。座摩《ヰナラシ》と故《モト》は訓《ヨミ》しにやと思ゆ。

天之探女《アマノサクメ》三  此神、難波の高津に天くたり給ひしと云傳説もて、よめる歌也。

荒人神《アラヒトカミ》六  住の江の荒人神とよめるは、いぶかし。荒御神なる事は、神功紀に見えたれと、荒人と申へき來由《イハレ》なし。人は大の誤にて、荒大神《アラオホガミ》と云(11)にや。

阿我農斯《アガヌシ》五  我大人《アガウシ》と云を約《ツヽ》めて、我ぬしと云也。後にはぬしとのみも、崇稱の言となりて、ぬしや誰なとゝよめり。

阿曾《アソ》十六  吾兄《アカセ》と云を、音通ひて、あそと云也。朝臣の字は、義もて書たる也。君より老たる臣を、吾兄《アセ》と呼せたまふ事、推古紀に見ゆるか始なるへし。

阿毛刀自《アモトジ》二十  阿母志々同  阿母は、おもと云におなしく、母の事也。母戸主《ハヽトジ》といふ語也。あもしゝは、母父《アモチヽ》也。父を、しゝと音の通ひて云、束國の方言也。

安路自《アロシ》二十  家主也。あるしと云に同。

東人《アツマド》二  東女《アツマメ》四  あづま人《ド》、又あづまづとも云。ひろく東國の人をいふ。

阿自呂人《アシロヒト》七  網代《アシロ》守る人也。

網子《アゴ》三  網子《アゴ》とゝのふる蜑の呼聲《ヨヒゴヱ》とは、漁翁《ムラキミ》か聲につきて、多くの網引等《アビキラ》の、網手綱《アダヅナ》に手をかけて引也。とゝのふは、調練するなり。

荒振公《アラブルキミ》四  あらぶる妹十一 絶て相見ず、疎《アラ》ぶると云也。荒は假言、疎遠の義。

阿志氣比等《アシケヒト》二十  惡《アシキ》人なり。氣《ケ》、き、通音。

荒山中《アラヤマナカ》三  荒山道、あらき其道なと云。山路の嶮《ケハ》しきをいふ。あら野は、草ふかき野也。あり磯《ソ》は、波打に石《イハ》むらありて音の荒き也。

縣《アガタ》七  いにしへは、公田を民戸の口員《ヒトカズ》に充《アテ》て、分《アカ》ち作らしむより、田舍をあがたと云也。五年に一度班田使と云を遣はされて、民の力《ツトメ》を檢察《ケミ》して、班ち代しむ公令也。あがた物がたりと云は、年の豐凶をかたる事よりうつして、たゞ田舍の(12)事をかたるにも云也。

梓弓《アツサユミ》一  あづさの木もて作れる弓なり。

荒妙《アラタヘ》一  妙は絶妙の義を假也。栲と云字用ひたれと當らす。楮の誤字かと云り。たへ布は精麁あり。あらたへは麁布也。

青籏《アヲハタ》二  是は白《アヲ》雲|白《アヲ》馬の例にて、白幡《シラハタ》の事なり。大祭禮には、大小の幡多く立たる。令式等に見えたり。青籏の忍坂《オホサカ》山十三 とかけしは、降人犯人を推問《オシトヒ》て、其罪を白幡に書あらはし、押來たる故に、忍《オ》坂を刑部《ヲサカベ》にかけしと云は、假名の法をおしいたゝく人の言とも思へす。忍坂はおさか、刑部はをさかべ也。是等の事、法にかなはぬが有。若は白幡《シラハタ》の大坂《オホサカ》とかけて、幡の多きにかけし歟。

阿白木《アシロギ》三  早川の瀬に、杙《クヒ》をひまなく打て、簀《ス》の子を水と均《ヒト》しくおきかまへ、杙の間より入くる魚を、簀の上にをどりあがらしむるやうに作りたり。其打杙をは網代木と云。

赤《アケ》乃|曾保船《ソホフネ》三  赤羅《アカラ》小舟十六  赭土《ソホニ》とて、赤土もて塗たる舟なり。官船の裝《ヨソ》ひ也。

價無寶《アタヒナキタカラ》三  價しられぬ寶と云事也。法華經の無價(ノ)寶珠と云をとれる言なり。

秋津羽乃袖《アキツハノソテ》三  蜻蛉の羽の羅衣に似たりと云也。又秋津葉のにはへる衣十 ともよめり。此蟲は、一種|赤卒《アカエンバ》と云あり。又青色なるも有。それを羅衣の色あるにたとへし也。秋津葉と書しは、秋の葉の誤かと云り。黄葉の歌にあらねは、いか

かおほゆ。

麻被《アサブスマ》五  麻布の被衾《フスマ》也。

沫緒《アワヲ》四  あわ緒むすびとて、物の封《トヂ》めに、打見ては(13)解がたき樣に入たがへ、組からみたる結びざま也。とけやすけれは、沫緒といふ。

足結《アユヒ》七  脛巾《ハヾキ》也。足纒《アシマキ》とも云。

足速《アシハヤ》乃小船七  今は早舟と呼て、疾《トク》漕《コグ》を宗とせし作りさまなり。

足玉《アシタマ》十  いにしへの服製には、袖|裳《スソ》に玉を著く。それを手玉足玉と云しと也。

秋|去《サリ》衣十  秋來て衣を重ねる也。

育衿《アヲヱリ》七  麻衣《アサキヌ》に青衿つけてと云り。いやしき人は領巾《ヒレ》にかたとりてやよそひし。

綾席《アヤムシロ》十一  絹布いつれにも今は製すれと、いにしへは毛織《ケオリ》、又|蒲《カマ》藺《ヰ》にても、文《アヤ》を織たる席也。

桃花褐《アラソメ》十二  あら染のあさらの衣は、今云、桃色染の事也。退紅とも書て、紅の淺らなる也。仕丁、駕輿丁等の著用也。

赤裳《アカモ》六  あか裳すそ引、又裳ひきの姿、女の袴を裳長《スソナガ》に引也。

粟嗣《アハツギ》十六  一説に、粟をよく搗《ツキ》て、竹の筒にたくはへ、旅の糧《カテ》に持事と云り。嗣の字、つきと清《スミ》てよみ、搗の義に借るはいふかしとて、一説には、粟蒔の誤とし、さて欲逢《アハマク》の借言也といへり。いかゝにや。

葦附《アシツキ》十六  草の名也とそ。水草の類と注すれは、芦の根節《ネフシ》に《(マヽ)》なとに、つきて生る水藻《カハモ》の一種にや。

葦若未《アシガヒ》二  芦の芽を、あしがひと云。

安夫良火《アフラヒ》十八  燈火也。中世の物語に、殿中の燈火を、おほとなぶらと云。大殿油火と云を、其世の俗言《ナラハシコト》也。

青駒《アヲコマ》一  青馬《アヲウマ》二十  ※[馬+総の旁]馬《アヲウマ》十二  大分青馬《アシゲウま》十三  和名抄に、※[馬+総の旁]は青馬也。新撰字鏡に、あをうまと(14)訓《ヨメ》り。又大分青馬を、ましろのこまとよめとも云り。※[馬+総の旁]は青白を駁《マシ》へし斑馬の、老て白毛のみに變るを、吉事也とて御覽する也。一種圓形の斑なるを、連餞あし毛と呼也。今の白馬とて、眼の赤く濁たるは、又一種にて、病相也と云り。※[馬+総の旁]の老て純白なるをこそ、白馬とは云と、馬術の人のかたりき。此説宜し。

味村《アヂムラ》三  味澤相《アチサハフ》同  あぢと云鴨は、屯《ムレ》をなして飛わたる故に、あちむらと云。又|多《サハ》に屯《ムレ》わたる故にあぢ多《サハ》を延て、あぢさはふと云り。

朝鳥《アサトリ》二  鳥のすべて塒《ネグラ》を朝立ゆくを云。

年魚小狹走《アユコサハシリ》二  和名抄に、※[魚+夷]魚、一名鮎魚と見ゆ。鮎の音に通はせて、年魚と書也。されと鮎の字は鰻の類にて當たがへたれは、年魚とて年の始に喰つみものとする事、無味なりといふへし。の字あたれり。小は子の假言、さばしるのさは虚辭なり。春は、此魚早瀬をよく走のぼる也。

麻手《アサテ》四  麻手作屋《アサタヘツクルヤ》十六  安佐提古夫須麻《アサテコフスマ》十四  麻栲《アサタヘ》を約《ツヽ》めて云となり。小衾《コブスマ》は麻布の衾のせばき也。

味狹藍《アヂサヰ》四  和名抄に紫陽花《アチサヰ》と云り。又あぢさゐの八重咲如く二十。 後の哥に四《ヨ》ひらの花ともよめり。(以下頭注)味藍ウマアヰトヨムヘシ。

朝菜《アサナ》六  朝食《アサゲ》の料の菜也。菘《ナ》のみに非す。魚をもなと云。下菜下物の惣名也。

秋沙《アキサ》七  鴨の一種也とそ。

安之妣《アシビ》七  あしびの花二十  此花いかなる物にや。色は純紅にかかやかしけれは、山下照すとも、又あしび如《ナス》榮えし君ともいへり。春山にさる色有。花は躑躅《ツヽジ》のほかに、木瓜《モケ》の花かと云は、推はかり言のみ。後の哥に、みちのくの玉田構野(15)のはなれ駒、つゝじがけたにあぜみ花さくとよみたるを思へは、荊《アサミ》の紅紫なるを云か。あしび、あせみ、あさみ、通音也。今世、馬醉木の和名を、あせぼと云につきて、集中に馬醉木と有を、あしびとよめと云も、いかにぞや。あせほは、花の色白くこまかに咲て、山下照すへくもあらす。馬醉木をつゝじとよみしは、羊躑躅《モチツヽジ》の一種の名よりや、當たかへけん。茲|審寄《ツバラ》ならす。

青角髪《アヲミツラ》七  是は、神代紀に、天吉葛《アマノヨサツラ》と云し物そと云り。青かつらの子《ミ》も、青き物多かれは、いつれ定めかたし。よさつらは、瓠也といへり。是もたしかならす。

石著玉《アハビダマ》七  鰒玉十一  鰒は正字也。石につくは義訓也。玉は、眞珠と稱して、藥用の物なれと、哥は鰒貝の彩色を云のみ。

相市《アフチナ》花十  楝樹花也。俗にせんたんの花と云。樗の字は當らす。

秋柏《アキカシハ》十一  朝柏とも云。秋がし葉、いにしへは下葉を廣葉柏に盛、又|杯《ツキ》の中に敷ても盛し也。延喜式に、供御、神供の料に、干※[木+解]《ホシガシハ》、青※[木+解]《アヲガシハ》を、日毎に畿内より奉ると見ゆ。又|市坊《イチマチ》にも、朝々賣あるきし故に、朝かしはとも云也。秋は商物の義なりと云り。

阿倍《アベ》橘十一  甘《アメ》橘也。和名抄に、橙の字を出せと、相當らす。今も一種|柑子《カンジ》の大さ蜜柑に似て、皮薄く、味は劣れる有。是歟。聖武の勅語に、橘は菓子之長上、入(ノ)所v好也と有しも、今の蜜柑にはあらぬなるへし。蜜柑は、後來渡りし物とそ。あべとあめと通音、飴をあめとよむも、甘味の義也。

(16)有間菅《アリマスゲ》十一  津(ノ)國の有間郡の山菅なり。昔は、大甞祭の御笠を、津の國の笠縫氏か奉りしとそ。難波すが笠と、中世の歌に見ゆ。

葦荷《アシニ》十一  苅たる芦を舟につむ、難波人の有さま也。

安奈由牟古麻《アナユムコマ》十四  葦疲《アナヤム》馬也。

朝果《アサガホ》十  木槿花也。牽牛花を云は後也。果の字、かほとよむ事いぶかし。杲も亦あたらす。牽牛子は藥用に後に渡りし也。

安吉能葉《アキノハ》十六  秋葉也。諸木のもみぢする也。

安可良多知波奈《アカラタチバナ》十八  山橘の子《ミ》の照也。

 

安可良我之波《アカラカシハ》二十  苦※[木+諸]《アカガシ》、甜※[木+諸]《シラガシ》。橿樫は譌字。

安由留實《アユルミ》十八  橘の子の玉に肖《アヤ》かると云也。

朝獵《アサカリ》一  夕狩に對す。狩は朝夕を時とす。

足痛《アナヘグ》二  和名抄に、蹇をあしなへ、又なへぐ。

足掻《アガキ》二  馬にも水鳥にも、足かくひまなきを云。

安騰毛比《アトモヒ》三  誘率の字を用ふ。跡より催す義也。

相競端爾《アラソフハシニ》二  行鳥のあらそふはしとは、吾おくれじと、鳥の飛ゆく也。間《ハシ》の義にて、あらそふあひだにと云事也。

有我浴比《アリガヨヒ》二   蟻通三  たゞかよふと云にて、有は虚辭也。打出、かきかぞふの類也。

蟻待《アリマテ》四  安里和多流十八  有は上に同例也。

安禮衝哉《アレツゲヤ》一  生來《アレキタル》三  是も、あれは、上のありに同し。衝は、繼《ツケ》の假言、生《アレ》は有の假言のみ。生の字、神代紀にあれますとよむは、生誕の義也。

阿倍寸《アヘキ》三  喘の字の義。息《イキ》の斷苦《ツキクル》しきなり。

阿佐里《アサリ》五  求食《アサリ》  礒廻三  一説に、足にて物をさぐりとる也。鳥の物求むるより云。蜑の貝な(17)とを踏てさくりしる類也と云り。

足須里《アシズリ》五  いにしへの人、痛《イト》切《セ》めて悲しき時は、足摺《アシスリ》と云事をして、泣さけひしとそ。源氏の蜻蛉《カケロフ》の卷に、足すりと云事をして泣さま、若き子供のやう也と見ゆ。今は、童のみ、さる事はす也。

賊守《アタマモル》六  筑紫の海の碕々に、防人を置て、異國の賊に備ふる、是防人をさきもりとよむ。

商日許里《アキジコリ》七  商賣をあき人と云は、秋穀を收めてそれにで物を交易《カヘコト》する義也。しこりは、しきりと云に同しく、進《スゞ》ろぎ過るわ今は云。

商變《アキガハリ》十六  物を交易《カヘコト》して、後に心變りして、かへもとすをいふ。商變|領《シルシ》とは、かへもとす事、市の法に非すと云也と云り。一説に、領は顧の誤字にて、かへすとよめといへり。

朝面無美《アサガホナミ》三  朝面|羞《ナミ》八  男に逢てのあした、面《オモテ》ぶせなるを云。羞は義也。

朝宿《アサイ》十  今の俗に、麻寐と云。寐を伊と云は、古言也。いぬるを、ぬる、ねると云は、略言也。眠たきを、いきたなしと云。

朝戸出《アサトテ》十  朝とく家を出る也。

跡無戀《アトナキコヒ》十一  刊本、路無戀と有。路は、跡の誤字かと云り。哥の意しか聞ゆ。

異情《アダシココロ》十五  外こゝろを云。

異手枕《アダシタマクラ》十一  手枕のいたづら臥なるを云。

足占《アウラ》十二  心に定かぬる事を、あゆむ數もてうらなふ也。

阿邪左結垂《アサヽユヒタレ》十二  朝々髪を結たるゝ也。たるゝといへは、結の字義もて、かきたれとよむかと云り。一説には、阿邪佐は、何都良《カツラ》の誤かともいへ(18)り。

安乃於登《アノオト》十四  足音也U

安夜抱可等《アヤホカト》十四  危きかと云歟。東俗の言語は、釋するも無益の力だてか。

安賀布伊能知《アカフイノチ》十七  罪《ツミ》を贖《アカ》ふに、物を奉りて、命を免《ノカ》るゝ事、今も過料と云てある法令也。哥は神に物奉りて、罪科をあがなふ也。

安加吉許々呂《アカキココロ》二十  赤心丹心の義にて、心のあか らさまなるを云。あかきはあきらかにて、清きと云に同し。

安等利加麻氣利《アトリカマケリ》二十  吾一人退哉《アヒトリカマカレト》也といへり。東俗の鄙語、鳥語のことし。

阿多由麻比《アタユマヒ》二十  篤疾《アツキヤマヒ》かと云り。

綾爾《アヤニ》二  あやは文理にて、えもいはれぬ義也。さて喜怒哀樂ともに云得られぬ事を、あやに、あやにくなと云。あやなしと云へは、文理のわからぬを云。

小豆無《アヅキナキ》一  無味、無益の義也。あぢきなくと通音也。

痛《アナ》三  事の切なる時、あなと痛歎す。

※[立心偏+可]怜《アハレ》三  上におなしく、喜怒哀樂倶に用ふる言也。

豈《アニ》四  字義は非v然と云。國語にては、何と云に同し。あにまさらめやは、何まさらめやなり。

在杲《リガホシ》六  有《アラ》まほし也。見たきを見がほしと云に同し。

恠《アヤシ》七  文理のあやより轉して、奇怪なる事の云解かたきに云。

在有而《アリ/\テ》十一  ありつゝと云に同しく、語を重ねて意を深むる也。

安多良思吉《アタラシキ》十  惜《アタラシ》同  あたら/\二十  是は、事(19)物に愛感のあまりに、惜む情のたこるをもて、義もて惜の字を書。又、新代《アタラヨ》一 と云は、只今の御代、又|前々《サキ/\》の代も、事にあたりて思出ては云也。新の字、事物倶に新調を喜ふ事、貴賤同しけれは、新らしきと云。又|※[立心偏+〓]夜《アタラヨ》九 といへは、夜の明行ををしむにも云也。新代を、あらた代とよめと云説もあれは、思ふて從ふへし。(以下頭注)新の字にて、あらた代とよめといふ説わろし。

秋乃香《アキノカ》十  秋の草木の、花|子《ミ》に香あるを云。後に草のかうなとも云り。

安里能許等々々《アリノコト/\》五  有事のかきりにて、有んかきりといふに意得らる。(以下頭注)有の事々にてよし。かきりと語をそへす、よし。

安是《アセ》十四  束俗の語、なぜにと云に同し。

安波受麻《アハズマ》十四  あはずも也。こりぬ事を、こりすまと云に同し。

安倍奴伎《アヘヌキ》十七  橘子を玉に肖《カタド》りて、相交へ貫くを云。肖の字は、法にあえと書を、こゝにはあへと書るにつきて、相貫かと云。既にも、あゆる實《ミ》二十 と云は、肖の義なる事をもて思ふへし。假字の法、かくゆきあはぬ所々多し。

安布藝《アフギ》十八  天《アメ》を向《ムキ》見ると云より、卑《ヒク》き身の高貴《アテヒト》にむかへるにいふ。さらは、あをぎと書へきを、あふぎと書事、いかにそや。あをむきのむを、ぶの濁音に通はせて書と云へと、さらは、あふき、あむきと唱ふへし。をの音には迂遠也。かかる事猶あり。(以下頭注)天を仰き見るなれは、あをぐ、よし。

安多加毛《アタカモ》十九  恰の字義とす。あたれるかもの約言也。神代の歌に、あたはぬかもやと見ゆ。相(20)當らぬかもや也。

安天左派受《アテサハズ》十九  當らず障《サハ》らずの義かと云り。一説には、天|未《マ》の誤字にて、餘《アマ》さずを延て、あまさはずと云かと云り。

 

     伊

 

伊狹夜歴《イザヨフ》月三  伊佐夜歴雲同  不代經《イサヨフ》浪同  集中に、徘徊の義とす。たゞよふと云に同し。後世十六夜の月をのみ云は、日入てしばしいざよひて出るを云也。

伊香保可是《イカホカセ》十四  上野の伊香保の山風也。あすか風の下に云。伊香保ろのね同 は伊香保の岑也。呂は虚辭。

伊去波伐加利《イユキハハカリ》三  不盡《フシ》の嶺《ネ》の高きには、天《アマ》雲も行はゞかると云にて、伊は虚辭のみ。此伊は語の(20)下に有て、杙《クヒ》を久比伊、椎を志比伊、君なくはを君伊し無くば、是そのかみには、うたふか爲に、曲調に延て言也。

伊倍可是《イヘカゼ》二十  旅に在ては、我故郷のかたより風ふけは、吾家より吹かと云也。後世家の風と云て、家勢の盛なる事に云は別言也。

彌年放《イヤトシサカル》一  彌は、いよ/\と今は云にて、年をかさね遠放《トホサカ》るを云。疎の字、正義。

石走《イハバシル》二  伊波婆之流十六  瀧川の早瀬に石のころび流るゝ也。石はしる垂水《タルミ》十二  石はしりたぎち流るゝ初瀬川の格也。

磐床《イハドコ》一  岩床の根はへる門十三  夜の雪降、いは床と云は、氷雪の凝《コリ》たる也。岩牀の根はへる門は、礎《イシスヱ》のしたゝかなる家の門也。又石棺を大床《オホドコ》とも石牀《イハドコ》とも云。

(21)磐構作冢《イハカマヘツクルツカ》九  石を作かまへて冢とす。高貴は、奥深く築かまふる、是を奥槨《オクツキ》と云。其中に石棺を納む。是を大牀《オホドコ》とも石床《イハドコ》とも云。

石船《イハフネ》三  神代に天石楠船《アマノイハクスブネ》と云。楠をもて造れる船也。此木は、石 化する故に、石楠《イハクス》舟と云、略して石《イハ》船と云也。今も處々に、神の乘捨給ふと云石の船有。楠の舟の石に化したるも有へし。又神を鎭坐し奉るに、御船代《ミフネシロ》とて、木石の類にて船の形を作り、其上に祀ひ祭る事、故實也。其御船代の社祠、壞れて後に、捨られたる化石も有へし。

石城《イハキ》十六  石もて築かまへし城廓也。

伊波久叡《イハクエ》十四  鎌倉の見こしか碕の岩くえのと云は、荒き波の打ませて、磯山のくえくづるゝ也。

磐垣淵《イハガキブチ》二  石垣沼《イハガキヌマ》十一  巖《イハホ》立《タチ》めくりたる中にある淵沼也

石根佐久見《イハネサクミ》二  石裂《イハサク》神と申は、太古《イニシヘ》に、石山を切ひらきて、道を通《トホ》し給ふ名の神也。又瀧川の流に、岩切とほし行水と云は、水勢の文言也。石山を打こゆるを、石根|裂《サク》みて行と云も、文言也。

石轉《イソワ》三  磯邊の入廻れる所を云。浦廻といふも同し。

石戸柏《イハトカシハ》七  景行紀に、筑紫の柏峽《カシノヲ》の大野に到給ひて、大石の道に横たはれるを見て、祈《ウケヒ》給はく、朕《ワレ》凶黨《アタ》を亡《ホロホ》さんには、試みに此石を蹴《ケ》て、柏葉《カシハ》の風に吹あげんが如くならばやとて、蹴給ふに、かろ/\と揚りしより、石を岩戸かし葉と名づく。又玉柏と云も、玉は即石也。

(22)伊久里《イクリ》一  石の海河の底に沈みて、色の黒めるを云。今もくり石ていへは、伊は虚辭のみ。くりは黒色を云。

納江《イリエ》三  入流磯《イリヌルイリ》七  海江河にも、灣曲の所を云。納は假言。(以下頭注)納は※[さんずい+内]の誤なるへし。

五百重《イホ(》波四  五百重山六  五百重|隱《ガクリ》四  山には重疊したるを云。波は重波《シキナミ》にて、風あらくいくへにもよせくるをいふ。又|天《アマ》雲のいほへがくりは、人死て天にかへる事に云なしたり。五百《イホ》は、百千《モモチヾ》なとに同しく、多數の義也。

色附《イロヅク》山四  秋の山のけしき也。

石《イハ》井十四  石井能水七  山の井の石間《イハマ》より涌出るを云。

生死之二海《イキシニノフタツウミ》三  華嚴經に、何(ソ)能(ク)度(リテ)2生死(ノ)海(ヲ)1、入(ン)2佛智海(ニ)1と云語を取たる也。

磐余《イハレノ》池二  石村《イハレ》三  大和の畝火《ウネヒ》山の邊にあるへし。神武創業の磐余《イハレ》のかし原の都の地なり。高市郡に屬す。

石瀬杜《イハセノモリ》三  同郷也と云り。

石上《イソノカミ》四  同國山邊郡也。

活米道《イクメヂ》三  同國十市郡に、久米の郷在。又山城の相樂郡にも同名在。活の字、伊久の伊は虚辭。刊本、米の字を脱す。

卒去《イサ》川七  同添(ノ)上(ノ)郡|卒《イサ》川、三枝《サイクサ》祭の神洞あり。

不知《イサノ》國一  是は、藤原の宮を作らるゝに、近江の田上山の木を伐て、宇治川を下し、泉河を泝《ノボ》らせつゝ、泉の里より陸路を運ふ間の地名に、不知《イサ》の國より巨勢路よりと云り。是も卒《イサ》川の郷を不知《イサ》の國と言し歟。昔は人多く住つきたる所は必國と呼し也。初瀕の國、吉野(ノ)國、難波(ノ)國、印(23)南《イナミ》國原の例也。是藤原へ行へき順路也。巨勢は吉野川の邊に在て、今五瀬と呼里也。是は又紀の路より材を運ひしなるへし。

雷之上《イカツチノヘ》三  飛鳥の郷の並ひに、いかづち村在。雷岳と書るを、神岡とよむはわろし。

今來《イマギノ》嶺九  今城(ノ)岳《ヲカ》同  欽明紀に、大和に今來郡見ゆ。和名抄には、此郡名なし。雄略紀に、新漢と書て、今木とよむ。吉野へこゆる山路の中に、車坂と云は、今木の岑か。ふもとに今木村在。

板田之橋《イタタノハシ》十一  小治田《ヲハリタ》の板田の橋といへは、高市郡か。一説、坂田の誤字とす。元亨釋書に、小墾田《ヲハリタ》の坂田の尼寺見ゆ。是は金剛寺と云て、推古紀に、鞍作《クラツクリ》の鳥と云|木工《タクミ》に、近江の坂田郡の水田を賜りしかは、鳥は天皇の御爲に此寺を作りて、其田を寄附《ヨセ》し故に、坂田寺と呼しと云事見ゆ。南淵山、多武の嶺より、水落あひて、渡となるに、橋をわたせるを坂田の橋と云。此事、皇極紀に見ゆ。

石倉小野《イハクラノヲノ》九  岩くらの小野|從《ユ》、秋津に立わたりとよめは、吉野川の邊に在へし。

射行相《イキアヒ》乃坂九  龍田山越に、道狹く二人は通りかたき所の名なるへし。

石田《イハタノ》小野九  石田の森、山科のいは田とよめは、山城の宇治郡なるへし。又久世郡に在といへり。

泉河一  泉之里四  山城の相樂郡、今の木津川の渡也。崇神紀に、挑河《イトミガハ》と有か名義也。音かよひていづみと呼。

泉乃杣《イツミノソマ》十  是は和泉の國和泉郡の人の、木を伐る事工なれは、諸山に入て業をなす故に、いつみ(24)の杣といへり。今も猶其郡内の郷々の人、此業をなすとそ。

射駒《イコマ》山十一  大和河内に胯《マタ》かりて、かくれなき高嶺也。(以下頭注)伊古麻谷は大和ノ平群郡在。伊古麻彦ノ神社モソコニ在。長髓彦ヲマツルト云リ。

磐白《イハシロ》一  紀伊の牟漏(ノ)郡の海畔に在。

妹之《イガ》島七  同國に在と云り。

妹背山七  紀の川の南北の岸に在。河の北に背山村在。

糸鹿《イトカノ》山七  同國と云り。

五十師之《イシノ》一十三  師は鈴の誤にて、五十鈴《イスヾ》の原也と云り。

石邊《イソベノ》山十一  伊勢志摩の二國にさかひたる山歟。里は志摩の國に屬す。近江の野洲郡にも同名あり。

去來見《イサミ》乃山一  是もいそべの山か。佐曾又みべ通音也。伊勢の行幸の時、此山の高きに、大和の見えぬはとよみたれは、今の伊曾部の郷と朝《アサ》熊山との間に、山伏|嶺《タウゲ》と呼高嶺の事にや。

不知哉《イサヤ》川四  近江の犬上郡に在。源氏物語、古今六帖にも、近江のいさゝ川と有は、いさや川の誤かと云り。

伊香《イカゴ》山四  同聞伊香郡に在。

出入《イデイル》乃河七  納《イルノ》野同  是は、入野の入野川を、妹が門出入の川と云は文言也。山城の乙訓《オトクニ》郡に在。丹波にも同名あり

伊久里熊森《イクリノモリ》十七  未詳。一説に、奈良の片邊に、いくりの神あり。其森かと云り。

庵碕《イホサキ》三  駿河の庵原郡也。いほ原の清見か碕の田(25)子の浦とよめり。

伊豆能多可禰能奈流左波《イツノタカネノナルサハ》十四  是は、駿河哥に、不二の高根の鳴澤と云。下の注に見ゆ。うたかはしき事也。

伊豆流湯《イツルユ》十四  相模の足柄山なる温泉《イヅルユ》也。湯の涌出るは、いづこにてもいふへし。

伊奈良能奴麻《イナラノヌマ》十四  同國の、哥也。沼の名高きにや。

伊利麻治《イリマチ》十四  武藏の入間郡の入間路也。

磐城《イハキ》山十二  駿河也と云り。陸奥にも岩城山あれと、磯碕のこぬみの濱とよめは、海邊也。

伊都波多乃佐加《イツハタノサカ》十八  越前の敦賀郡に五幡《イツハタノ》神社あり。其わたりの坂路歟。

伊美都河泊《イミヅガハ》十七  越中の射水郡に在。

石瀬野《イハセノ》十九  同國|新《ニヒ》川郡に在。

伊奈美國原《イナミクニハラ》一  稻見乃海三  稻日野同  播磨の加古郡|印南《イナミ》野の原也。國と云事、既に云。

家之島《イヘノシマ》四  同國|揖保《イボ》郡の海上に在。

伊素末乃《イソマノ》浦十五  神島のいそまの浦とよめり。備中の小田郡の神島なるへし。

磐國《イハクニ》山四  周防の玖珂《クカ》郡岩國山也。

伊波比島《イハヒシマ》十五  同國玖珂郡祝島。

伊良虞《イラゴノ》島一  因幡(ノ)國へ麻績《ヲミノ》王を流さる時の哥也。小序《ハシ》に伊勢とあるは誤也。

石水《イシカハ》二  石見の國、鴨山、石川、同所なるへし。水は川の誤かといへり。

射狹庭《イサニハ》岡三  伊與風土記に、伊社邇波之《イサニハノ》岡見ゆ。温泉ある所なり。

齋《イツキノ》宮二  伊勢の多氣郡に在。後世、竹の都と云。齋宮の御所也。

石室戸《イヤド》三  石室《イハヤ》同  天の岩屋戸をはしめ、太古に(26)は、巣居、穴居多かりしと見ゆ。今も山谷の間に、昔をとゝめたる石窟多かり。

板蓋之黒木《イタブキノクロキ》乃屋根十  黒木の柱に板ぶきせし屋根と云也。上古の宮室のさま也。大甞會の悠紀主基の殿作、其遺風也。齊明帝の板蓋の宮と申は、名義別也。(以下頭注)名義同シ宮アリテ、カリソメノ宮居ナレハ、板モテ先フキシ也。

伊垣《イカキ》十一  和名抄に、瑞籬、俗に云、美豆加紀、一(ニ)云伊賀岐と有は、其比の説也。上古に云伊垣は、忌《イミ》垣にで、木にも石にも、垣をめくらせて、穢《ケカ》しきを忌さくる垣也。みづ垣は、即神のいます叢林《ハヤシ》を云。(以下頭注)ミツ垣ハ喬叢ミツ/\シキ林也。

伊多|斗《ド》五  板戸也。板|敢《マ》十  板目十一  板目は、板の文理也。板間は板戸のいきあひの間《ヒマ》なり。

伊毛呂十四  伊波呂同  家室《イヘムロ》。家《イヘ》呂のろは虚辭。東俗の鳥語といへとも、音はかよへり。

伊夜彦《イヤヒコ》十六  越中の蒲原郡、伊や彦の神社也。

齋槻《イハヒツキ》十一  大和の高市郡の、輕《カル》の社《ヤシロ》の神木也。三輪の忌《イム》杉も、同し神社のみづ垣の中の、年ふる木には、神のやどらせ給ふとて、忌垣《イガキ》をめくらし、禁繩《シメナハ》を引かまへて、けがしきを忌を云。

齋戸《イハヒベ》三  神に御酒《ミキ》奉るに、いにしへは、酒瓮を地に穿居《ホリスヱ》て釀《カモ》し、熟するを待て覆《フタ》を取て、其まゝに奉る也。忌てけがれなかれとするをいはふと云。いはふは、いむを延て言也。戸《ベ》は假言、瓮缶瓶等の字にて、かめと云を略して、べと云。めべは音かよふ也。この瓮《カメ》は、底を圓《マロ》くして、地にほり入て居《スヱ》おく故に、穿居《ホリスヱ》ともいへり。今の人、行基燒とて、墓所《ハカハラ》のけかれ物とするは、上(27)古をしらぬ也。佛教わたらぬ以前《サキ》は、人死て靈《カミ》と奠《マツ》る、其祭器也。

五百機《イホハタ》十  多くの機《ハタ》物と云事なるへし。

伊奈太寸爾伎須賣流玉《イナタキニキスメルタマ》三  頸《ウナジ》に玉を緒に貫《ヌキ》て掛るに、緒を締《クヽリ》しむる所に、太玉《オヤダマ》あるをいふ。いなだきは、いたゞきと云は、通音也。其|太《オヤ》玉は、ふたつなしと云也。頸《ウナ》がける玉とも云り、(以下頭注)頸ニカケルト頂ニカケルトハ別ナリ。

伊奈武之呂《イナムシロ》十一  いなうしろ八  通音也。上古は寢るに敷むしろを皮にてつくりし也。

石枕《イソマクラ》十  山にも海邊にも旅寐する文言也。

重石《イカリ》十二  慍《イカリ》十一  和名抄に、海中以v石|駐《トム》v舟(ヲ)曰v碇(ト)と見ゆ。昔は、船の大小に由て、石をえらみて綱に付て海に沈め、舟をやらぬ料にせし故に、重石の字を書しか。慍の字は、假云のみ。後世の木鐡に製する事は、なかりしと思ゆ。

伊豆手《イツテ》夫|禰《ネ》二十  船械《フナカヂ》二人を一手にして、五手《イツテ》十人に漕する故に、五手《イツテ》船と云。大船に眞械《マカヂ》しじぬきと云、是也。

五百都綱《イホツヅナ》十八  此哥は、神の御裔《ミスヱ》の代々久しくおはすを、天にもいほつ綱をや引はへ給ひけんと云文言也。

五百都|集《ツドヒ》十  白玉のいほつゝどひとは、玉を多く緒にぬきたる也。又湊入の船をも、いほつゝどひとも、五百津船とも云。

石戸破手力《イハトワルタヂカラ》三  神代物かたりに誰も知たる、天の岩屋戸を、わりなく開きし神の膂力おはすを、手力雄《タチカラヲ》と申す。

家人《イヘヒト》四  家なる妹と云に同しく、家にある人也。

家(ノ)子五  上に同しく、男女にわたりて云。

(28)妹一  仁賢紀に、古者《イニシヘハ》不v2兄弟長幼(ヲ)1、以v男稱(シ)v兄《セト》、女稱(ス)v妹《イモト》。すへて若き女の稱也。

稻日都麻《イナヒヅマ》四  播磨の印南野《イナミノ》に、忍ひてかよふ妻《メ》を云。伊勢をとめ、難波女、河内女、すへて所の名に呼のみ。

伊波比|嬬《ヅマ》七  いはひ兒《コ》九  共に親夫のいつきかしづくを云。神をいはふと云にならへり、

射目《イメ》人九  射部《イベ》を立てとも云は、狩にも、軍役《イクサ》にも、射人《イテ》をえらひたるを、射部《イメ》人と云也。べめ通音。いにしへは、弓を伏射《フセイ》とて、斜にして射し也。

磐本管《イハモトスゲ》三  岩下に生する山菅也。根ふかめでは、堀得かたき也。

伊都藻之花《イツモノハナ》四  たゞ藻の花也。いつもといはんとて、出入野川の格なり。

市柴《イチシハ》四  五《イツ》柴原十一  いち、いつ、通音。櫟《イチ》柴也。

石綱《イハツナ》六  絡石《ツタ》のはひめくるを云。

壹師花《イチシノハナ》十一  花はいかなる物ぞ、しらす。

伊波爲都良《イハヰツラ》十四  石藺蔓《イハヰツラ》かと云り。ひかばぬるぬると云しには、さねかづらの類に、草の液《シル》のなめらかなる物なるへし。(以下頭注)石藺と云物、分明ならず。いはいのかな也。ゐは、誤と云んより、上古にかなはす。式は人の作にて、口に同しく、いなり。

磯貝《イソカヒ》十一  磯邊の貝也。片われなるかあれは、片戀に云かくるなり。

家鳥《イヘツドリ》十一  ※[奚+隹]は、戸々《イヘ/\》に飼故に、家つ鳥と云。

伊我流我《イカルガ》十三  日本紀に斑鳩を當たり。和名抄に鵤の字を用ふ。

伊左々村竹《イサヽムラタケ》十九  小竹《サヽ》の篁《タカムラ》なす也。伊は虚辭。

(29)伊都母等夜奈枳《イツモトヤナキ》二十  我門の五本柳と云、五柳先生の故事ならすとも、其數あるを云か。

伊吹惑之《イフキマトハシ》二  伊は虚辭、吹まとはす也。風は級津彦《シナツヒコノ》神の息なりとて、息吹《イブキ》かとも云り。

伊波比伏《イハヒフス》二  鹿《シヽ》じものいはひ伏とは、鹿は足を折ふせてをるを、人の敬《ヰヤマ》ひする形に似たりと云。是も伊は虚辭。はひふす也。

伊波比囘《イハヒモトホ》禮三  鶉のあゆみを、人のうやまひする形にたとふ。是も伊は虚辭也。もとほれは、膝行膝退するに似たり。

磐根四卷《イハネシマキ》二  岩根を枕にする也。しは助辭なり。

磐隱坐《イハカクレマス》二  天照す神の石窟《イハト》ごもりを始にて、人のむなしく成しを云。此哥は草壁《クサカヘ》の太子の薨御を申也。

潜《イサリ》三  伊射りたく火十七  あさりの下に云へと、是は磯狩を約めて言といふか宜しき歟。いさり火は漁火也。

氣並而《イキナメテ》三  馬と人と息を合して乘事と云り。

家果衣《イヘツト》三  行手に珍しき物をつゝみ取て、家の人に見せんとするなり。

石占《イシウラ》三  足占して石をふみかぞふる也。

息乃緒《イキノヲ》四  息の出入の絶ねを、人の命の緒に取なして云。玉の緒と云て、命の事にするも同し。

幼見《イトケミ》五  稚子の物いひの分《ワキ》なきを云。

命幸《イノチサキク》七  我命眞さきくとも、命だに幸ひにして世にあらはと云也。逢見る事は命なりけりとよめるも、後にいのち也けりさやの中山と云も、命幸ひにしてと云也。

妹許《イモガリ》八  妹|等許《ラカリ》九  妹がもとゝ云を、かりと云事、かの部に云へし。

(30)家離《イヘサカリ》三  家を遠ざかる也。旅いきにのみ云へきを人の死たるにもいへり。

命《イノチニ》向四  命にむかふ仇敵《アダカタキ》ぞと云也。

齋《イハヒ》七  忌の字をも用ふ。物のけがしきを忌さくれは、清きより吉《ヨキ》を、いみじきと云。又吾に穢《ケガレ》あれば、忌こもる故に、詞のつゞきにてあしきをいみじとも云。鎭齋七を、いはふとよむも、神をいはひ、君をいはふなとも、いむ、いみを延たる言也。

伊都我利《イツカリ》九  伊は虚辭。つかりは、著《ツク》を延たる言也。紐の子にいつかりませばと云は、名の由にて、紐と云より、著そひませばと云也。袋の紐を緒つかりと今もいふ言也。

家出《イヘテ》十三  字の如に、家を出、他に行を云。日本紀に、出家、出俗を、いへ出とよむは別也。

伊蘇婆比《イソハヒ》十三  伊は虚辭。そばひは、そばへと云にて、まつはれたはるゝ也といへり。又一説に、伊は阿の通音、あそばひにて、遊ぶを延て言也と云り。

伊良奈家久《イラナゲク》十七  仁徳紀の哥にも見ゆる詞也。いらは大なる義、痛切甚しき也。(以下頭注)いらハ大ナルト云ニハタカフヘシ。苛ノ字ヲイラトヨム。手ノツケラレヌニタトヘテ、聲イカメシクタヲゝ泣也。

去來《イザ》一  不知《イザ》、卒《イザ》等、可否《ヨシアシ》をかへり見ずして、先事をなす也。不知は義字。去來は進退をわかぬ形、卒は、いざなふの假言也。すゝめるを、いさむと云も、いさを用語に云也。いざ、いさ、清濁の論あり。古言になまわたりなる説也。清濁は音便にまかせて定まりなし。

(31)伊縁立天之《イヨセタテテシ》一  伊は虚辭。物を倚《ヨセ》立置也。

彌嗣繼《イヤツギツギ》一  いや、いよ、物の重なる語なり。いよいよとも云。皇孫の綿々《ツギ/\》に世をしろしめすに云。

伊蘇波久《イソハク》一  いそぎ、いそぐを延て云也。勤務等の字義。日給の官人の功勞を云。今は急卒の事にのみ云は、日勤のいとまなきより轉し來たる也。是をつとめとのみ言よ。官人は夙《ツト》に起て朝參する故に、つとめて參ると云。おのつから義は通へれと、語は別也。

無用《イタヅラ》一  徒《イタヅラ》二  なさても有へき事を、いたづら事と云。いたづらに過す月日など云。

痛《イタク》二  疾の字をも用ふ。又傷の字をも。是は事物につきて感痛する義也。人をいたはり、いとほしむも、皆是より轉して云なり。いとおもしろなと云も、甚、※[うがんむり/取]、切等の字を用ふれと、本は一語也。

不聽《イナ》三  否の義。心に肯《ウケ》ぬに云。

將言爲便《イハンスベ》三  せんすべとも云て、今はせん方なく悲しむ語なり。尤深切のいたり也。

何時間《イツノシマ》毛三  いつの間にと云に同し。しは助辭。

未《イマダ》三  略して、まだと云。事のなりがたき也。

何時《イツ》毛/\三  いつなりともと云に似たり。

率比《イザナヒ》三  率尓《イザナミ》十  既にいざと云下に云。心もなくすゞろぎ立にて、さて人をすゝむる也。

幾許《イクラ》四  事物にかぎりなき數を云。

欝《イブカシキ》四  欝悒は、事の明らかならぬ也。いぶせきもあやしく分明ならぬ也。烟薫をいぶすと云も是なり。

伊左々目《イサヽメ》七  いさゝかめきたる也。

乞《イデ》四  允恭紀に厭乞と書。わりなく物を乞より、(32)すゝみ過たる事に云り。

今師波《イマシハ》四  今は也。しは助辭。

今毛香聞《イマモカモ》八  今もかと推量《オシハカリ》りて云也。

伊香登《イカド》/\八  伊は虚辭。門々と云事なりと云へと、いかで/\と云通音歟。

灼然《イチジロク》二  さだかに見明らめたる語也。

滿《イハメリ》十一  滿の字は充滿の字義にて書るか。當らぬ物に思ゆ。屯の字、宜しき歟。(以下頭注)馬鳴ヲイハムト云。人ニモ物ニモ多キ《(マヽ)》アツマリヲ、聲高クアクル也。ヨリテ滿の字ハアテタリ。

競《イソヒ》八  立向ひいそひし時にと云は、既に云。勤務のいそしき、いそはくより轉して、いさむ、いそふとも云。

 

     紆

 

宇能花具多思《ウノハナクタシ》十  五月雨に、卯の花の朽しほむを云。くだすは、令朽《クダシムル》也。春されは卯花くだしふる雨とも云る有。春の末に早咲して、春雨に朽くさるを見て、めづらしみよむ歟。古哥は、まさ目の物にむかひていふ。後々の四時を定《ノリ》式立て云にはたかひで、心も言も廣き也。

宇能花月夜《ウノハナツクヨ》十  花の白きを月色にたとへて云歟。月と花と相照す歟。

海原《ウナハラ》一  海の曠遠なるを云事、既に云。

海邊《ウナベ》二  宇奈比十四  べ、び、通音。又、びとみ通ひて、浦べを浦みとも云り。俗に、海ばた、河ばたと云も、海べた、河べたなり。

宇良未《ウラマ》四  浦囘かと云。是も浦邊歟。

宇頭之保《ウツシホ》十五  潮に瀧泉に渦《ウヅマク》文を云。

打橋《ウチハシ》二  一片《ヒトヒラ》わたせる板橋也。打は虚辭。

(33)打田《ウツタ》十一  うつくしと、田を美《ホム》るなりと云り。是は春の畠うつと云事にや。

宇須良婢《ウスラヒ》二十  薄氷也。

兎道宮子《ウヂノミヤコ》一  應神の太子、宇治の稚郎子《ワキイラツコ》の御所にて、後は行在所《アンザイシヨ》となりし也。うぢ川の邊に在し也。

内乃大野《ウチノオホノ》一  大和の宇智郡に在。

雲根火《ウネヒ》一  畝火《ウネヒ》山、畝傍《ウネヒ》とも書。高市郡也。

宇治間山《ウシマヤマ》一  同國吉野郡に在と云り。

宇駝大野《ウタノオホノ》二  安騎野《アキノ》とも云。宇多は郡名也。

打廻《ウチワノ》里四  打廻(ノ)前《サキ・クマ》十一  神なみのうちわの前《サキ》とあれは、高市郡かと云り。津の國、又河内にも、神南《カウナミ》あり。

植槻《ウヱツキ》十三  淡海公、興福寺草創より前《サキ》に、植槻寺にて維摩會修行有し事見ゆ。神樂の小前張《コサイバリ》に、植つきや田中の社見ゆ。大和の磯上郡に此寺ありし事、今昔物語に見えたり。

卯奈乎之神社《ウヽナラデノモリ》七  高市郡、雲梯《ウナテ》の郷在。

馬咋《ウマクヒ》山九  山城の綴喜《ツゞキ》郡に、咋岡《クヒヲカノ》神社あり。春草を馬くひ山は、文言のみ歟。

氏川《ウチカハ》七  宇治(ノ)度《ワタリ》十一  山城の宇治郡なり。

浮田森《ウキタノモリ》十一  山城の賀茂の西に在と云。

牛窓《ウシマド》十一  備前の海上に在。

海上潟《ウナガミガタ》七  上總の海上郡に在と云り。

宇麻具多能禰呂《ウマタタノネロ》十四  同國|望駝《マウタ》郡のまうだの岑かと云り。呂は虚辭。

宇須比乃山《ウスヒノヤマ》十四  宇須比乃坂二十  上野の碓氷山《ウスヒノヤマ》也。既に云、あづまの坂もこゝなり。

宇奈比河波《ウナビガハ》十七  越中の射水郡に、宇納の郷を宇なみと云。みとびと通音。(以下頭注)納の字はイ(34)ツレノ字の誤なるへし。

宇佐可河泊《ウサカガハ》十七  同國|婦負《フヒ》郡|※[盧+鳥]坂《ウサカ》川。

宇良能《ウラノ》山十四  國郡未v詳の部に入。(以下頭注)浦への山にて、いつれの國にも在へし。

虚蝉《ウツセミ》一  顯身の義にて、うつし身と云を、うつせみは通音也。現世を、うつせみの世、今在る人を、うつし人と云。虚蝉、空蝉の假言より、蝉の殻《カラ》の事として、はかなき世、はかなき人と云るは、中世よりの轉訛也。古今集に、うつ蝉は殻を見つゝもとよみしは、馬くひ山の例なるを、これより皆思ひたかへり。

宇眞人《ウマヒト》二  うま人の子五  よき人を云也。うまし國、味酒、うまし稻《ネ》、皆よき事に云。

愛人《ウツシヒト》三  愛妹《ウツシイモ》十一  愛夫《ウツシツマ》四  うつくしむと云、寵愛の語なり。

浦島兒《ウラシマノコ》九  雄略紀に、丹波(ノ)國【今の丹後】餘社《ヨザノ》郡|管《ツヽ》川の人と見ゆ。住の江に遊ひての哥に思出たるはいふかし。(以下頭注)海上に遊ふより、この物かたりを思出て云たるなるべし。

童子《ウナヰコ》十六  童女《ウナヰメ》は、頸《ウナジ》かきりに髪を剔《ツキ》て、未を放ちおけは、放《ハナチ》髪とも云。其そぐは、年の八歳《ヤチセ》とよめは、七八歳の比にする事也。剔て後は、男するまて、まゝにおく故に、うなゐをとめと云は、世情《ヨコヽロ》をしるまての稱也。(以下頭注)うなゐのゐ、必なるへからす。こゝは八とせに髪そぎて後に、おとなびし女なり。故に、いゐの式なく、うない髪は、櫛上ぬ女の打放たるを云へし。

歌人《ウタヒト》十六  雅樂寮の人也。うた舞すれは、舞人をも云。

鵜養我登母《ウカヒガトモ》十七  鵜飼が徒《トモ》なり。

(35)宇美乃古《ウミノコ》二十  古語拾遺に、子孫八十連《ウミノコノヤソツヽキ》と書て、うみの子のやそつゞきとよめり。

牛掃《ウシハク》神九  牛吐なとゝも書は、假言にて、大人《ウシ》はると云義。主張の字に當れり。勢ひを張ると云事を、今も俗に何ばると云は是也。住の江の神の、船路を守らせ給ふを、船上に現形《ケギヤウ》ませるものに云といへり。

味酒《ウマサケ》一  美酒なり。

宇既具都《ウキグツ》五  小序に、輕(ンジ)2於脱※[尸/徙](ヨリ)1と見え、哥には、ぬぎつるか如くふみぬぎてと云は、うぎはぬぎに通ふに非す。沓をはくを、穿沓と書るにつきては、沓に兄さし入るを、うがつ、うげなと云歟。

裏沓《ウラグツ》十六  二綾裏沓《フタアヤウラクツ》と云は、綾絹にて裏粘《ウラバリ》したる沓也。(以下頭注)沓のうら強なるは、反古にても張しかは、此沓をしらすにはきし人、雷にうたれたりといふ事、袁中郎か陰隲録に云は、經文にて張しを穿し罪也とそ。

表荷《ウハニ》五  馬荷同  馬に上荷|負《オホ》すと云。後撰集に、年の數つまんとすなる重荷《オモニ》にはいとゞ小着《コヅケ》をとりもそへなんとよめり。

筌《ウベ》十一  山川に魚を捕るとて、竹簀の片方を括《クヽ》りてほそくし、口の方を廣く、水の落くるにむかへおくに、魚の流入て、後《シリ》の方にあつまるを※[穴/兪]《ミ》て取上る具也。和名抄に、捕(ル)v魚(ヲ)竹筌也と見ゆ。

浮笑緒《ウケノヲ》十一  和名抄に、泛子《ヘンシ》をうけとよむ。網にも釣の緒にも泛子《ウケ》を著る也。

薄染衣《ウスソメノコロモ》十一  紅のうす染衣淺はかにと云は、桃花染《アソメ》とは違ふ歟。同色歟。

雲聚玉蔭《ウズノタマカゲ》十三  髻華《ウズ》は、髪をあげ卷にして、髻を(36)波文《ナミ》の渦《ウズ》の形にする歟。上宮太子のひさご髪も、あけ卷して瓢形によそひしなるべし。それに玉を裝ひしがかゝやくを、玉影と云なるへし。蔭の字は假言。

宇奈雅流珠《ウナゲルタマ》十六  頸《ウナジ》に掛る玉也。下照姫の哥の、うながせる玉は、頸《ウナジ》に令掛《カケシム》と云詞也。玉を緒にあまた貫て、頸項《クビ》にかくるは、上古の裝ひ也。

鶉鳴故郷《ウツラナクフルニシサト》四  鶉は、草深き所にすむ故に、ふりにし郷、あれにし郷に云。

鶯之卵乃中能霍公鳥《ウクヒスノカヒコノナカノホトトキス》九  鶯のうつし眞《マ》子。鶯の巣に、子規の子を生《ウミ》おく事、今も山中にある事とそ。寵子《ウツシゴ》と思ひて、鶯の羽くゝみ育つる也。

打背貝《ウツセガヒ》十一  是は空洞《ウツロ》なる石花貝《セガヒ》と云り。實《ミ》なき貝には皆云歟。

宇波疑《ウハギ》二  乎《ヲ》波ぎとも云。今云よめがはき也と云り。然ば※[奚+隹]兒腸《ケイジチヤウ》と云物なるを、薺蒿《セイカウ》と云字を用ひたり。當たがへたる歟。新撰字鏡にも、茵※[草がんむり/陳]蒿《インチンカウ》、をかはらうはぎとよめり。食菜、いにしへの物、今用ひざるか多し。薺蒿をも喰しにや。知らず。

宇毛能葉《ウモノハ》十六  芋《イモ》の葉也。

宇之花《ウノハナ》山十  卯花咲比の山也。卯月山、やよひ山の例也。

宇家良我《ウケラガ》花十四  白朮の花。をけらとも云。

宇惠木之樹間《ウヱキノコノマ》二十  前栽の木の間也。

宇禮和々良葉《ウレワヽラハ》八  うれは末也。わゝら葉は、末葉の嫋《ヤハラ》かなる也。

鵜川《ウカハ》一  鵜矣八頭漬《ウヲヤツヒタシ》十三  鵜をつかふ河瀬を云。八頭《ヤツ》は多數の義。

卜歎《ウラナキ》一  うらなきは、憂《ウラ》聲に鳴也。ぬえ鳥の咽音《ノトコヱ》(37)に鳴は、憂《ウレ》はしきを、人の忍ひて嘆《ナケキ》するにたとふ。卜《ウラ》は假言。

宇良《ウラ》一  宇良は心裏也。

宇良夜須《ウラヤス》十四  心裏に思ふ事なき也。

浦左備《ウラサビ》一  浦は假言、上に同し。さびは、すさびの約言、すゝみと云に同しく、心ずさみぞ暇《イト》なかりけると云に意得べし。思ふ事のよしあしにつきて、心のすゝむ也。

裡悲《ウラカナシ》八  是も上に同しく、よしあしに心の深くそみて歎かるゝ也。

裏觸《ウラブレ》七  思ひ裏《ウチ》に有て人目に見ゆる状《サマ》也。

裏儲《ウラマケ》七  おもひまうけたる事を云。

浦若見《ウラワカミ》四  心ばへ花々しき也。

浦妙《ウラグハシ》十三  心によく物事を心得たる人なり。くはしと云事、久の部に云。以上|心裏《ウラ》の義也。

宇良毛無《ウラモナキ》十二  心に表裏なき也。

宇良毛等奈久《ウラモトナク》十四  心もとなく也。

宇禮多伎《ウレタキ》  憂痛《ウレヒイタム》也。

宇良敝可多也伎《ウラベカタヤキ》十四  古は心に定かぬる事を、人に問試る故に、うらどふと云。心《ウラ》、占《ウラ》、同訓也。ふとまにの占《ウラ》と云、太は美稱の語、まには、心に爾《シカ》有《アラ》んと思ふ隨《マヽ》を云試る也。其|卜《ウラ》なふ人の賢智《カシコキ》によりて、事定むる也。是は神代に、思兼《オモヒガネ》の神の智|量《トリ》かしこきにはしまれり。いにしへの占は、鹿の肩骨《カタホネ》を拔取て、それを燒て、其|圖《カタ》を見て、吉凶を定むる事、古語拾遺に見ゆ。是を卜部圖燒《ウラベカタヤキ》と云。龜卜《カメノウラ》は西土の傳來にて、こゝの遺風に非すと也。

卜部坐《ウラベスヱ》龜毛|莫《ナ》燒|曾《ソ》十六  既に云、西土の龜卜の、こゝにはやく傳はりし也。

(38)占刺《ウラサシ》十一  うらなひて如是《カク》ぞと指す也。

得飼飯《ウケヒ》四  受日《ウケヒ》十一  祈願する也。神は祈《ウケ》ずもと云は是也。我心に肯《ウケ》たる事も、神の肯《ウケ》ひたらんも同義也。さて、うけひ、うけはしきと云て、呪咀する事に用ふ。

愛三  うつくしみ、美麗、端正、寵遇を、うつくしみと云。愛《アイ》形ある人なり。

宇頭《ウヅ》乃|御手《ミテ》六  うづは、いづと通音。威嚴の義。物の老大に生《オヒ》たるをも云。いづ橿《カシ》が本《モト》と云は、老大の樹也。稜威をみいづとよむは、武《タケ》き御勢ひ也。うづの御手は、御手づからを崇むる語なり。貴人を今もうづたかしと云。又物を高く積はへたるを、うづまさと云語、推古紀に見ゆ。

現心《ウツシココロ》十一  現人《ウツシヒト》、現身《ウツシミ》に同しく、現《ウツシ》ある心也。又移情十二と書て、うつしこゝろとよむ。移の字、假言にあらす。月草のうつし心といへは、轉移《ウツリ》ゆく情にて別なれと、現心より轉したる語なるへし。

嘯鳴《ウソフキ》九  字鏡に、嘯をうそむとよむは、うそぶきの約言也。筑波山にうそぶき登ると云。西土にても高岡《タカキ》に登る人のするわさに見ゆ。いかなるわざかしらず。假面《ケメン》にうそ吹と云形は、口吻《クチ》を尖《トガ》らしていと、見醜《ミニク》きさま也。うそふくさまを摸《ウツ》せしなるへし。高きに登るは、喘《アヘ》ぎて苦しきを吹やるに、おもしろき音をや吹なすらん。今知へからぬさま也。

味宿《ウマイ》十一  熟睡《ウマイ》也。

命號貯《ウナカブシ》十三  項首《ウナカウヘ》を伏る也。命號の字は、號令に同しく、君の命令を、項首《ウナジ》を伏せて承ると云義也。貯の字をそへしは、命令を心にをさむる義(39)歟。

宇波弊無《ウハベナキ》四  面をのみつくらふを、うはべはかりの情と、源氏の箒木に見ゆ。是はうはべのみならずと云也。

宇豆奈比《ウツナヒ》十八  相うづなひとも云。うべなふと云に同しく、肯《ウケ》がへる状《サマ》也。

歌思《ウタシヌビ》、辭思《コトシヌビ》三  共に昔を慕《シノ》ひて、言に出、音《コヱ》永くもうたふ也。

宇禮牟曾《ウレムゾ》三  うべもぞにて、禮は部の誤、牟は毛のたがひとすれと、いかゞにや。禮と敝、牟と毛、通音也とも云べし。又いづれもぞの約言かと云り。わたつみの沖にもていきて放つとも、うれむそ是がよみかへりなん。乾鰒《カラアハビ》を祈りて生《イカ》しめよと驗者に云戯るゝにこたへし哥也。(以下頭注)いつれもそと云にて、俗になんても云に似たり。

徙《ウツロヒ》四 月草のうつし心と云に同しく、色香のさめゆくなり。

宇之等夜佐之等《ウシトヤサシト》五  世のいとはしく恥かしきと云也とそ。やさしを愧《ハヂ》ある事に云。いと意得かたき事也。屋の部に云。

諾《ウベ》六  又宜の字をも用ふ。諾《ウケ》がひては、宜しとも思ふ也。諾名《ウベナ》/\十三 げにも/\と云に用ふ。

宇多手《ウタテ》十一  兎楯《ウタテ》十  事物によしあし共に縛《ウ》りゆくを云。さて物のあまりにかさなるをもいとひて、憂《ウ》たてと云なり。

歌方《ウタカタ》十二  水の泡をうたかたと云。空形《ウタカタ》の義とす。未必の語を、うたかたとよみしは、物のなりかたまらて消《ケ》やすきの轉語か。うたかた人と(40)よみて、没《ムナ》しき人を云は義近し。

于稻々々志《ウタ/\シ》十六  疎《ウト》々し也。

宇都良《ウツラ》々々々二十  現《ウツラ》々也。なてしこの花取持てうつら/\見まくのほしき君にも有かも。土佐日記に、目もうつら/\鏡に神の心をこそ見つれ。共に現の字義也。

打筌《ウチアクル》八  打羽振《ウチハブリ》十九  打はへて十四  打渡す四  打靡《ウチナヒク》一  いつれも打は虚辭のみ。

打細《ウツタヘ》爾四  是も同しく虚辭にて、堪の義。細《タヘ》は假言と云り。うつたへに鳥は食《ハマ》ねと、うつたへに問垣の姿見まくほり、うつたへに忘れんとにはあらて、是等よく思へは、絶《タエ》て鳥ははまねと、絶て見ぬを見まくほし、絶て忘れんとにはあらぬと云に、絶てと云を、言をゆるべて、たへにと云也とおほゆ。堪はたへ、絶はたえの法に泥みて、解わつらへる也。堪の義にては、いともむつかしくおほゆ。

宇都※[氏/一]々波《ウツテヽハ》五  打捨てはの約言也。

表者奈佐我利《ウヘハナサカリ》五  是は、表《ウヘ》は假言、上の字をあたりともよむ義にて、子の寐ふしたるあたりを離《サケ》なと云也と云り。意得かたき古語也。

宇加涅良比《ウカネラヒ》八  窺《ウカヾ》ひ練《ネラ》ふなり。斥候をうか見とよむ。

 

     衣

 

得名津《エナツ》三  住の江の榎津《エナツ》とよめり。和名抄、住吉郡に榎津見ゆ。

江林《エハヤシ》七  江と林也。地名にあらす。

柄者指爾家牟《エハサシニケム》三  苗也といひし、枝はさしにけん也。柄は假言、枝也。

(41)枝毛十尾《エタモトヲヽ》八  とをゝ、たわゝ、同しく、枝のたわむを重ねて、たわゝと云也。

課役《エダス》六  えだちとも。えは役の字音也。役民《エキミン》をたつ民とよむは、役立《エタチ》の民也。たつ、たす、通音。古語にも、たま/\字音あり。(以下頭注)役の字、音にても云し也。古言と云とも、事廣く心廣き人の云しはしか也。

 

萬葉集目安補正第二

 

     於

 

大汝小彦《オホナモチスクナヒコナ》三  大汝持、小名彦と有し歟。日本紀には大|己貴《ナムチ》、古事記には大穴牟遲、いつれも己汝は假訓、穴はあなのあを略す。共に名の義。大名持と申は、御國開造の大功の大名《オホナ》を申也。持は保持の義、牟遲《ムチ》は持の通音、小名彦《スクナヒコ》奈は大名《オホナ》に對する也。下の奈は慮辭のみ。此二神、御心を合せて、御國を開かせ給ふ也。(以下頭注)大名持七名あり。大國主、芦原|醜男《シクヲ》、八千矛ノ神、現露《アラハ二》ノ神なり。大國靈、宇都志國玉、今一名は忘シカ、是ハ隱ノ神也。下ノ社ノ本社ノ前ニ小祠アリ。相ムカヒテ立マス。

大國靈《オホク〓タマ》五  大名持の神さりましての稱號也。現神《ウツシカミ》にては、大國主《オホクニヌシ》、八千矛《ヤチホコノ》神とも申せしなり。

於可美《オカミ》二  大神の略也。※[靈の巫が龍]《オカミ》の字を用ひしは、雨を(42)たまへる神なれは也。我岡の於が美と云は、雨雪を守らせると云哥也。一に※[靈の巫が龍]に作る、能(ク)興(ス)2雲雨(ヲ)1と字注に見ゆ。(以下頭注)※[靈の巫が龍]ノミニアラズ、スヘテ大神ニ云ヘシ。

於伎蘇能可是《オキソノカセ》四  我なげくおきその風と云。我|嘆息《ナゲキ》の、風と成てそこにいたらんと云也。おき、いき、通音。曾は虚辭。風は氣吹戸主《ケフキトヌシ》の神の息也とそ。

大和太《オホワタ》一  海河江の灣曲の所をわだと云。

於思敝《ナシベ》十四  於すぴ、共に東俗の語にて、礒邊と云也とそ。通音なから鳥語也。

大船《オホフネ》二  字の如し。大御船三 御料の舟也。

大山守《オホヤマモリ》二  山海の守部《モリベ》を置せ給ふ。是は山守なり。山部とも云。此事、應神紀にはしまれり。海國には海人部《アマベ》と云も守部也。

大作乃|遠津神祖《トホツカミオヤ》十八  大久米主《オホクメモリ》同  於保久米能麻須良多|祁乎《ケヲ》二十  大伴氏の祖《ミオヤノ》道|臣命《オミノミコト》、一には大久米|主《モリ》と申。久米|部《ベ》は、神武の御時の兵部《モノノベ》を云。此ものの部を主《ツカサ》とりて、大久來主と申せし也。大久米の丈夫《マスラタケヲ》と云も同し。

大伴乃三津《オホトモノミツ》一  攝津(ノ)國、又和泉の高石《タカシ》の濱にもいへり。此事、冠辭續貂に云。

大和太乃《オホワタノ》濱六  大灣《オホワタ》の事、上に云。此哥、敏馬《ミヌメ》の濱と見ゆれは、今の兵庫の津を和田の碕と云も、みぬめの和田の碕也と見ゆ。

押垂水野《オシタルミノ》十三  同國島下郡に垂水《タルミノ》神社あり。此事も續貂に云り。

大島(ノ)嶺《ネ》二  大和なる大島の嶺《ネ》とあれは、國は明らかにて、在所しられすと云り。大和の國を大和島根ともいへは、それを延て、大和なる大島の(43)嶺とは云歟。近江の都よりおくらせし御哥なれは、廣く大和島根とのたまへるにや。

大原《オホハラ》四  大原の古郷《フリニシサト》二  同國高市郡飛鳥の東邊に在。藤原寺ある郷也。

大口能眞神《オホクチノマカミ》乃原二  飛鳥の郷の北に在。あすかの苫田《トタ》、又清見が原とも呼し地なり。此名は欽明紀に、二狼の噛《クヒ》あひし故事によりて、眞神の原と云。狼は口の大いなる獣故に、大口の眞狼《マガミ》と云。おほかみと云は略語也。すへて獣類《ケモノ》の靈あるをは、神と云は古語なり。唐國の虎と云神ともよめり。

大荒木《オホアラキ》野七  是は同國宇智郡に、荒(ノ)木神社在地かと云り。是は大|麁垣《アラガキ》とて、崩御の後、陵墓《ミハカ》を築せらるゝ間、皇居の外に殯宮《モガリノミヤ》を修造せられ、其|外重《トノヘ》を、麁《アラ》垣して繞らせ|る《マヽ)ゝ也。大あら木の時には成ねとよめるにしるし。殯宮の地のけがしき故に、大荒木の森の下草おひぬれと駒もすさめす刈人もなしと云也。荒木野は、此内外の野らなるを云へし。さらは、いつれの殯宮の跡をも云ならんを、神社は、たゝに其君を祭りし也と思ゆ。山城なる浮田の杜も、誰の君のもがりの宮地なるへし。

忍坂《オホサカ》山十三  比介《ヒケ》の忍《オ》坂と云。同國城(ノ)下(ノ)郡に在。大坂の義也。

巨椋《オホクラ》乃入江九  山城の久世宇治二郡の間に在。里は久世郡に屬す。今|小倉《ヲグラ》江とよべど、大《オ》くら江也。

大津《オホツノ》宮一  天智紀に、六年二月、飛鳥の岡本の宮を、近江の滋賀(ノ)郡に遷し給へり。今の大津の郷也。後世に志賀の都とよむを、顯輔の判に、さ(44)さ波や大津の宮は聞しかと志賀の都はいつちなるらんと難せられしも、後には大津の宮と云人なく成ぬ。

於吉奈我河《オキナガカハ》二十  同國坂田郡に、舒明の皇祖母の息長《オキナガノ》墓見ゆ。其邊なるへし。

奥《オキノ》嶌山十一  同國|蒲原《カンバラ》郡に奥《オキ》津島の御社あり。其地か。

大《オホ》乃浦八  於保乃宇良二十  遠江の國也。古今集の伊勢哥に、おほの浦見ゆ。一説に、あごの浦かと云は、いかにそや。

大野我《オホヤガ》原十一  於保屋我波良十四  武藏の入間郡に在と云り。

大崎《オホサキ》六  大崎の神の小濱、紀の國といへり。

大我野《オホガノ》九  大和には聞えもゆくかおほが野とよめは、紀の國かと云り。

大江《オホエ》山十二  丹波路《タニハヂ》の大江山、今はおいの坂と呼て、都遠からぬ山道なり。

大野路《オホノチ》十六  越前の礪波《トナミ》郡に、大野、小野、和名抄に見ゆ。

大野《オホノ》五  大野山五  筑前の三笠郡也。

大城《オホキ》山八  同國也。城《キ》の山とも云。

飫《オウノ》海三  出雲の意宇《オウ》郡の海上也。

大葉《オホバ》山七  國郡未v詳。

大君《オホキミ》三  王、大王とも書り。至尊、諸皇子、諸王をも、すべ今ぞかるを大君と稱すは、むかひ奉りての語也。

臣《オミ》三  百官の總稱也。

大臣《オホオミ》二  おほまへつ君とも云は、重職の稱なり。

大名兒《オホナゴ》三  石川の娘子《ヲトメ》を云は、美稱の語にて、名の高きをとめそと云か如し。

(45)於毛《オモ》十二  阿毛と通して、母を云。和名抄に、※[女+爾]母を乳母《チオモ》とみゆ。

嫗《オヨナ》二  老女を云。和名抄に於む奈と有は轉訛也。およな、おゆなに通す。老をおゆとよむ。

弟日嬬《オトヒヲトメ》一  仁賢紀に弟日僕等《オトヒヤツコラマ》と見ゆ。男女共に年|弱《ワカ》きを云。今もいとし子を、おと子《ゴ》と云り。

於吉奈左備《オキナサヒ》十八  翁めかしきと云に同し。さひは、すゝみの約言也。

老舌出《オイシタイデ》而四  老舌出てよゝむと云は、老ては齒落《ヌカハ》を舌のもれ出る也。よゝむは、涕泣の音を云。よゝ/\と泣と云詞、物語に見ゆ。漢文にも吐(ク)v舌(ヲ)と云は、涕泣の貌也。是は老若の分なき語也。

老奈美《オイナミ》四  齡に似つかしくおとなびしを云。

意伊豆《イイヅ》久十九  およつけとも云。老に附と云て、老くろしなと云義也。わかき人にも云。およずけとも書は、次《ヅギ》を、すきとも云例也。

勅旨《オホミコトノリ》五  みことのりとも。

大御食《オホミケ》一  供御也。

奥城《オキツキ》三  奥槨《オキツキ》の事、既に云。棺車を、きの車と云也。

奥津《オキツ》鳥六  海上に遊ふ鴈鳧の屬也。

息津藻《オキツモ》二  海藻の海上にたゝよふなり。

覆羽《オホヒバ》十  鴈の翅のおほひ羽とは、鴈の群飛て、翅に物をおはふはかり也と云。

於保乎曾抒里《オホヲソドリ》十四  烏と云大をそ鳥と云は、此鳴は、來比《コゴロ》/\と聞ゆれと、君來まさぬは、大僞《オホウソ》云鳥ぞと罵言《ノリコト》せし也。乎《ヲ》宇通音。

思草《オモヒクサ》十  此草何物そ。一説に、龍膽といへと、それは和名抄にゑやみ草と見ゆ。

(46)於保爲具佐《オホヰクサ》十四  いならの沼のおほゐ草といへは、莞を和名抄におほゐと云物か。是は席《ムシロ》に織る水草也。

念之萎《オモヒシナヘ》一  物思ふに心《ウア》ぶれたる状を、草木のしなへたるにたとふ。

思遣《オモヒヤル》一  解悶《オモヒヤル》を、本語にて、想像《オモヒヤリ》に云は轉語也。

於余頭禮《オヨヅレ》三  天智紀に、妖僞の二字をよみたり。怪しく實《マコト》ならぬ語説《カタリゴト》を、およづれ言と云て、妖言と書なり。義をしらす。

※[立心偏+可]怜《オモシロキ》一  古語拾遺に、阿波禮阿那於茂之呂と見ゆ。皇太神の石窟《イハト》を出ませし時の語也。漢文にも、面色を以て喜怒哀樂の別を云。面白は喜色也。轉して感賞の語にいふ。

面隱《オモガクリ》十一  女は人に面を見《アラハ》ならぬ用意する也。

面變《オモガハリ》一  久しく見ぬ人の、おとなぴたるにも、おとろへしにも云。

各寺師《オノガジシ》十二  己《オノ》が手《テ》にと云は、諺解のみ。又自恣の字音とするは、古言に非ず。己《オノ》が作爲《シシ》と云にて、清濁は音便のみ歟。

意空《オモフソラ》八  おもふ空安からなくにと云は、心も中空にありて安からぬ也。

思共《オモフドチ》十  心に相思ふ共《ドチ》也。

奥手《オクテ》八  奧能手九  左手の我奥の手と云は、左手は右に後《オク》れて事をなす故に云歟。又、奥爾念《オクニオモフ》三、奥香《オクカ》無十二、於久|鴨不知《カモシラズ》十三、 おくてなる長き心なと云。深くつゝしみつゝ思ふ也。晩稻《オシネ》をおくてと云。遲きなれは魯鈍の義にも云。おくかなきは、奥深くはかりしられぬを云。

凡可爾《オホロカニ》六  於保良可《オホラカ》八  大空をあふぎて、はかりしられぬを云。ろは虚辭。おほとのみも云り。(47)かは在(リ)所《カ》なと云に同し。

欝悒《オホホシク》二  おほつかなしともよめは、おほ/\しくは、言をかさねて、意は深き也。

於良比《オラビ》九  大聲に叫《サケ》ぶを云古語也。

押禰利《オシネリ》九  おしひねりの略也。燒太刀《ヤキダチ》のたかひ押ねり、太刀の柄をおしひねりていざと云|状《サ》也。

於曾《オソ》三  鈍《オソ》五  魯鈍《ココロオソキ》人をいふ。

於須比《オスヒ》  大神宮儀式帳に、押帶《オスヒ》三條《ミスチ》と見ゆ。是いかなる物ぞ。其製しられず。一説に、女裝束の上にかけて、背にてむすびたるゝ物也。前にてむすぶを手繦《タスキ》といふといへり。

於夜自《オヤジ》十七  同じと云也。通音といへと、例なき語也。

         (以上目安補正第一冊)

 

(48)萬葉集目安補正第三

 

     加

 

影友《カゲトモ》一  向(フ)v陽(ニ)を中に、專ら南面を云。北面を背面《ソトモ》と云對語也。

加波多例等伎《カハタレトキ》二十  曉方、人の面のおぼろけにて、彼《カレ》は誰《タレ》と云をもて、かはたれ時と云とぞ。

炎《カギロヒ》二四  玉蜻《カゲロフ》二  かげろふとも云。日光にも燈火にも影のかゞやくを云。春氣の烟のやうに立靡く也。後世、遊絲をいとゆふとよむも是也。蜻蛉の種に、赤※[衣/十]《アカヱンマ》と云を、あかゑんばと和名にいへは、彼飛かけるをかゞやくと見て、玉蜻の字は假しか。玉現の誤そとも云り。

風|乎時自見《ヲトキジミ》一  時しらす、しき/\に吹風を云。一に時なくと云に明らか也。

風|交《マゼ》八  風|雜《マジリ》六  雪又雨にも風のそふ也。

風|之共《ノムタ》十  共にと云へきを、むたにと云は、いふかしき詞也。浪の共《ムタ》二とも云。

風|守《マモリ》七  舟長か風に逆らはしと守る也。風待と云より、義おもく聞ゆ。

風|祭《マツリ》九  立田、廣瀬の神々を祭る也。五穀成就の祈りに、暴《アシキ》風を吹すなと奏《マヲ》す也。

可是乃等《カセノト》十四  風の音也。國杳なる便にも云。

可美《カミ》十四  此哥には雷公を云。凡不測の靈有には、神祇に次て、禽獣をも神と崇む。

(49)霹靂《カミトケ》十三  和名抄に所v歴《フルレハ》破折(ス)也。かみとけ、一にかみおつとよめり。

十月《カミナツキ》八  神無月とて、出雲の杵築《キツキ》の社へ、諸神の集《ツド》ひ玉へは、彼國には神有月と云といへり。雷鳴ざる月と云も、從ひかたし。又神に新嘗《二ヒナメ》奉る故に、神なめ月と云也と云もいかにそや。大嘗《オホナメ》新嘗《ニヒナメ》、共に十一月に行はるゝ事、今相違はず。仍ていつれも從ひかたし。

神|之御門《ノミカト》十二  皇宮十二門の事也。神とは、至尊《オホキミ》を稱《マヲシ》奉る。さて畿内を御垣の内國《ウチツクニ》といひ、筑紫をも遠の御門と云て、海内は皇宮の御門の内そと云也。

神長柄《カミナガラ》一  神|隨《ナカラ》、神|柄《ガラ》とも云。長柄は假言、隨の字を義とす。代々の至尊を崇めて、あきつ神、あらみ神、うつし神、遠つ神と申奉る。其神のなしませる事をは、神ながらにとは申す。神がらは略也。又山には山祇《ヤマツミ》、河には河伯《カハガミ》のましまして、其山河に生《ナリ》出る物を、神のなしませると云を、神がらかと云。

神佐備《カミサヒ》一  神|備《ビ》十  さびは、已に云、進みの約言也。世にふりたる事は、神代、上つ代の心せらるゝと云也。後世に上久の字を用ふるも當れり。神びは、神さびの略也。をとめらがをとめさびすとは、女々《メヽ》しき立ふるまひを云。男さび爲《ス》五 も同じ。すさの男の神の勝さびしたまふと云も、勝すゝみを云。勝にほこりて、あしき事をすゝみてなし給ふをいふ也。

神集《カミヅトヒ》二  神豆麻利《カンヅマり》五  神々のあつまり給ふ也。かんづまりは、あつまりの略也。

神分《カンハカリ》二  神の御《ミ》はかりと云て、至尊の御おもひが(50)ねに定給ふ事也。分量分配の義もてはかりとよむ歟。

神上《カミアガリ》二  崩御也。神さりますとも云。皇太子にも申す哥見ゆ。

神|之御面《ノミオモ》二  古事記に、二神|生《ウミマス》2伊與(ノ)二名《フタナ》嶌(ヲ)1。此島者、身一》而有2面四《ミヒトツニニオテヨツアリ》1。毎(ニ)v面有v名とて、伊與、土佐 阿波、讃岐の國々を云故事也。國一つを二面と云。

神之|諸伏《モロブシ》四  主《ヌシ》ある女は、神のかゝりて居ますにたとへ、諸ぶしし給ふと云也。

神之宮人《カミノミヤヒト》七  神に仕ふる神部《カンドモ》を云。

神主部《カンザネ》十三  神事を主《ツカサ》どる官人也。後世には神ぬしと云。此|官《ツカサ》は、常にあらずて、神事の日、朝庭より遣はさるゝ使を云也。今も伊勢の祭主の御家、其例也。宮司《ミヤジ》、社司を、神ぬしと云は、古しへにあらす。

神依坂《カミヨリイタ》九  神奈備の神より坂にする杉のと云は、神託《カミヨリ》板とて、神の遷座に、神輿へ板もて渡し奉るを云といへり。諸社にさま/\の例有て、一ならず。神南《カミナミ》の社にはさる事ある歟。いぶかしき語也。神託と書て、神がゝりと、神功紀に訓《ヨメ》り。神をわたらせます板ならは、たゞに梯《ハシ》なるを、神のよらせるとは云まじく、是は若《モシ》杉は板に造る良材なれは、神なみの神の教へより、板にする杉ぞと云文言にはあらぬ歟。もろこしに桃符《モモノフダ》なと云物あるに思ひまどひて、神託《カミヨリ》板と云事に思へるなるへし。推はかり言は信せられす。

可未許等余勢天《カミゴトヨセテ》十八  神辭因而《カミゴトヨセテ》四  神を降《クダ》し奉りて、神言《カミゴト》に誓ひよする也。

神乃社爾底流鏡《カミノヤシロニテルカヽミ》十七  神の御前に鏡を置奉るは、(51)即幣帛の類にて、神代に、天の香山の竪木《サカキ》の上枝《カミツエ》下(ツ)|枝《エ》に鏡劍|穀皮《ユフ》を掛て、神のみそなはしを和《ナグ》さめ奉りし事を故《モト》に、今は御前に掛るなるへし。是に後世附會の説あり。信しかたき事也。照はてらすの義也。

恐《カシコキ》山七  岩たゝみかしこき山とは、巖石《イハホ》の疊みかさなれる山路を云。かしこきとは、こゝには嶮岨を云。

鴨乃羽色能青《カモノハイロノアヲ》山八  春夏の間の山の盛茂なるを、青鳧《アヲカモ》の羽色に見なしたり。

河門《カハド》四  河の落合を云歟。又河舟の泊《トマリ》する所歟。河口ぞと云は、いかゞあらん。(以下頭注)よし野に河戸と云り。よし野川の川戸有て、今は少し奥まてに山路に在。

隱沼《カクレヌ》二  かくれ沼《ヌ》、こもり沼《ヌ》とよむといへり。木立水草に、立こめられたる沼也。

滷無《カダナシ》二  滷無《カタヲナミ》三  かだなしは、荒礒にて干潟《ヒカタ》の常もなき也。潟をなみは、汐のさし來て、干潟のなくなる也。

河登保之呂志《カハトホシロシ》十七  大河の見わたしを云。大道を遠しろき道と云は、轉語也。

垣津能谿《カキツノタニ》十九  久米の廣繼か家の、谷にめくりしをいへど、いつれの家にも、さる處に云へき歟。

垣津田《カキツタ》十三  山田には、猪鹿なとを越《コ》させしとかまへたる垣也。

苅場可《カリバカ》十  田刈ぬへき時をはかりて云也とそ。又字のまゝに、苅場所《カリバカ》とも云り。所をかといふかよし。

神乃|香《カク》山三  大和の十市郡にある事、已に云り。(52)高山と書て、かぐ山とよむは、意得すとて、高は香の誤かと云り。神の鎭めしかく山也。

橿原《カシハラ》一  同國高市郡畝火山の傍に在。神武の皇居の磐余《イハレ》の宮の地なり。

輕路《カルヂ》二  輕(ノ)市同  輕(ノ)池三  獵路(ノ)小野同  是もうねび山のあたり也。

神並《カミナビ》三  神奈火乃淵六  神奈備(ノ)里七  同郡飛鳥の郷に在。三諸《ミモロ》山、神丘《カミヲカ》なとも云り。又神なびと云所、方々にも聞ゆ。

笠乃山《カサノヤマ》三  みかさ山と同しと云り。是は布留山の奥、初瀬山の背《ウシロ》に、笠の荒神の社ある山なるへし。山部郡に屬す。

葛木《カツラキ》山四  同國なり。此山に屬《ツキ》て、葛城の上下二郡あり。高間山は、同し山脈にて、今は金剛山《コンカウセン》と呼高嶺也。頂上は、河内の國に屬す。

春日山三  添(ノ)下郡也。春日之里三。

片岡《カタヲカ》七  葛下郡片岡(ノ)神社、達磨寺あるあたり也。片岡のあしたの原と云もこゝ也。

鹿背《カセ》山六  山城の相樂《サガラカ》郡三日の原の上方に在。

可爾波乃多井《カニハノタヰ》二十  樺《カニハ》の田井、同郡也。延喜の雜式に、泉河|樺井《カニハヰノ》渡見み。

鏡山《カヽミヤマ》二  山科の鏡の山は、山城の宇治郡に在。近江、豐前にも同名あり。

鴨川《カモカハ》十一  同國|愛宕《オタギ》郡宇治の郡を經て、淀の大澤に落る流也。

勝野《カツヌノ》原三  高島のかつ野の原、近江の高島郡也。

香取《カトリノ》浦十一  同國同郡。一説に、香取は香つぬの誤かといへり。

辛碕《カラサキ》一  同國滋賀郡也。

杏人《カラヒトノ》濱九  から碕の事かと云り。

(53)片足羽《カタアスハ》川九  河内の交野郡に在。小序《ハシ》に河内の大橋と見ゆ。

笠縫《カサヌヒ》島三  しはつ山とよみ合せたり。又|血沼灣《チヌワ》より雨ぞふりくる、しはつの蜑とよめは、津の國の浦山と云り。雄格紀に、礒齒津《シハツ》山を越て呉《クレ》人のゆきしを、呉坂と云事見ゆるも、津(ノ)國也。茅沼《チヌ》は、今の和泉の堺の津也。又笠ゆひ島、しはつ山、共に豐後に在と云は、八雲(ノ)御抄によりての附會也。笠ぬひを笠ゆひと有は、今の古今集の誤也。

風莫《カサナギノ》濱九  紀の國の哥に次てたれは、彼國と云り。一説には、なぎの濱なるを、風|和《ナギ》とかけたりと云り。

可麻久良夜麻《カマクラヤマ》十四  鎌倉山、相摸の國也。

神之三坂《カミノミサカ》九  かしこしや神の三坂、足柄山によみたれど、いつこにも嵯峩しき山路には云へし。山は山祇《ヤマヅミ》にて、其山の神也。

笠島《カサシマ》十二  あらゐの碕の笠島、武藏の國かと云

り。

勝牡鹿《カツシカ》三  上野の葛餝《カツシカ》郡也。

鹿島之碕《カシマノサキ》九  鹿嶌二十  常陸の國也。香島十七 越中(ノ)國能登郡にも在。

加多可比《カタカヒ》河十五  越中(ノ)國也。

可古乃《カコノ》島  かこの湖《ミナト》、播磨の加古郡也。湖の字、みなとゝよむは、大陂といふよりの義訓かと云り。かこのみなと、名寸隅《ナキスミ》の湊を云。魚住と書たるは、三善相公の異見封事に見ゆ。

神之渡《カミノワタリ》十三  神嶌十四  備中の小田郡に在。

加波流《カハル》九  豐前の田河郡香春。

鏡山《カヽミヤマ》三  梓弓ひく豐國の鏡山、豐前風土記に、昔(54)神皇《(マヽ)》后の御鏡をおかせしか、化して岩となれりと見ゆ。

香椎《カシヒ》乃|滷《ガタ》六  筑前の糟屋《カスヤ》郡也。

金之御碕《カネノミサキ》七  同國|宗像《ムナガタ》郡。稱徳紀に造(ル)2金(ノ)崎(ノ)舟瀬《フナセヲ》1と見ゆ。

可太之於保之麻《カタノオホシマ》十五  同國穗波郡|堅磐《カタシハ》と云り。應神紀に、天皇|生《アレマス》2筑紫之|蚊田《カタニ》1と見ゆ。其所《ソコ》の大島歟。

可良等麻里《カラトマリ》十五  播磐の國に在へし。三善清行の異見封事に、韓泊見ゆ。

梶(チ)島《シマ》九  筑紫の内に在へしといへり。

可良能《カラノ》浦十五  周防の熊毛《クマゲ》郡に在。

可家乃彌奈刀《カケノミナト》四  味鎌《アヂカマ》のかけの湊、未v詳。

行宮《カリミヤ》二  頓宮とも書。行旅《タビ》の御やとり也。

借五百《カリイホ》二  借廬《カリホ》二  秋田を苅るに、里遠き田處には、假初の廬を作りて、刈收るまてそこに宿るを云。又行幸の從駕の人々の宿りをも云。又遠き國の御使の、驛舍なき所の山野には、俄に作らする宿りをも云。五百は假言、廬の字、正訓也。

鹿火屋《カヒヤ》十  蚊火《カビ》十一  是は山田の穗に合《フヽ》めるより、刈收るまてを、鹿猪等に拔はまさじとて、守小屋に夜すから蚊やりを焚より、夜寒にいたりても、是を友と焚次つゝ居明すを云。蚊は正字、鹿は假言のみ。

可豆之加和世《カツシカワセ》十四  上野の葛餝郡の早稻也。紀の國の牟婁《ムロ》の早稻《ハヤシネ》の類に、他より稻(ノ)子《ミ》の早く熟するを云。

糟湯酒《カスユサケ》五  濁酒《ニコリサケ》の糟を湯にかきたてゝのむ、貪しき者のありさまなり。

(55)堅鹽《カタシホ》五  鹹鹽《カラシホ》同  辛鹽は味を云。堅鹽は一塊の状也。和名抄に、俗呼(テ)2黒鹽(ヲ)12堅鹽(ト)1と見ゆ。延喜式に、堅鹽《キタシ》十顆とも見ゆ。

加禮比《カレヒ》五  旅にもたする粮《カテ》也。餉の字を正とす。糯米《モチコメ》を飯に炊《カシ》き、さて于《ホシ》さらして、食する時、水に漬《ヒタ》して熟せしむる也と。試るに、熱湯《アツユ》にあらされば太《フト》びず。和名抄に、餉をかれひ、糒をほしひとよむ。干す、乾《カル》る、同用なるを、君糒は粳米《ウルコメ》の飯を于たるに別ちし歟。粳飯の方は、頓には和熟せす。

釀《カミ》四  釀成《カミナス》  酒は、上古に米を噛なして、水に漬《ヒタ》し熟せしむと云り。

片※[土+完]《カタモヒ》四  神供料式に、片※[土+完]十七口と見ゆ。碗皿の類の蓋《フダ》なきを云。※[土+完]の字は當たかへるにや。碗の誤字かといへり。

辛碓《カラサス》十六  和名抄に、碓は踏舂《フミウス》と云。※[齋の下半が韮の下半]《カラキ》を受る用に云歟。又|唐舂《カラウス》と云歟。

櫻皮纒造《カニハマキツクレル》舟六  樺皮《カニハ》もて纒《マキ》つゝみたる舟、今見ざる製也。

加伊《カイ》二  奥津加伊邊津加伊《オキツカイヘツカイ》二  梶《カチ》十  加伊、加治、通音歟。棹※[木+世]※[木+堯]等の字、梶は僞のみ。※[+]の音加伊かといへと、※[木+戒]は刑具にで、物たかへり。加良加治十四 とも云。製異なる歟。※[楫+戈]揖混して、多|藝《キ》之と名つくるは、柁の字にて、正(ス)v船(ヲ)具也。日本武尊の、伊吹山の毒蛇の氣に觸て、御足|楫《タギシ》の如しと云に、其形を思ふへし。

桂梶《カツラカチ》十  月の船うけ桂かち、月中の桂樹にて、かちを作りしと云文言也。

可志《カシ》七  繋(ク)v船(ヲ)杙《クヒ》。和名抄に、〓柯を加志とよむ。今はかせと呼。加志振たてと云は、杙《カシ》を打振て、(56)舟競《フナギホ》ひする状《サマ》なり。

水手《カコ》四  ※[木+世]子《カヂコ》の略也。

懸佩之小劔《カケハキノコタチ》九  太刀は帶取に懸て佩《ハク》なり。小太刀と云か、即帶劔なるへし。

韓衣《カラコロモ》六  西土の服製、推古の朝より專ら用ひ給へは、から衣の名有。韓唐の字、からとよみて、異有にあらす。

韓帶《カラオヒ》十六  西士の製の上帶也。

裘《カハコロモ》九  此哥は、仙人《ヤマヒト》の著せしを云。御國にも冬の服には用ひけん。蛾葉之《カハノ》衣十一 とも見ゆ。一説に、其は、蛾と云蟲の羽に似たる羅衣《ウスモノ》也といへと、蛾の羽を蛾羽《カハ》とは云へからす。源氏物語に、常陸の宮の著ならし給ふ事見ゆ。

肩之間亂《カタノヤヨヒ》七  麻衣《アサキヌ》の肩のまよひ、和名抄に、※[糸+比]は※[糸+曾]之《カトリノ》欲(ス)v壞(ント)と有て、まよふとも、よるとも見ゆ。羅衣にはすへて云へし。

片絲《カタイト》七  片よりの絲也。諸搓《モロヨリ》に對して云。

笠乃借手《カサノカリテ》十一  笠の借手のわざみ野とは、笠の緒のつかりに、輪をや著けん。それを和※[斬/足]《ワザミ》野に掛し也。

加萬目《カマメ》一  かもめ通音、鴎也。

鴨自物《カモシモノ》一  犬しもの、鹿子しもの、男しもの、諺解して鴨と云物と云也とそ。思ふに、しもは助語、鴨の、犬のと云也。自は濁音とすれと、濁るとも音便のみ。

鴨|云《トイフ》船十六  鴨の水に浮《ウク》状《サマ》を、船に見なせる文言也。舟の名に非す。

雁之兒《カルノコ》二  是はかる鳧《ガモ》とて、夏もこゝに住て、子をも生《ウム》也〕雁の字、假言。かり、かる、通音也。仁徳紀に、此鳥、河内の茨田《マンダ》堤にて子を生《ウミ》し事(57)見ゆ。鴻雁は、此土にて子をうむ事なし。紀には鷹の字を書たれと、哥には箇利と見ゆ。雁の誤字なるへし。

雁可音《カリガネ》十  雁|之音《ガネノ》聲とも見ゆ。雁が鳴音の其聲と、かへしてうたふ詞也。時鳥を、あはれ其鳥と云し格也。後世、雁金と書て、一名とするは、轉訛也。

雁乃使《カリノツカヒ》九  是は、漢の蘇武か故事もて、文の使に 云。

貌鳥《カホトリ》二  かほう/\と鳴聲もて、かほ鳥と名に呼と云り。郭公は、春夏の間、山野の木隱れに鳴鳥也。貌の字につきて、面《カホ》うつくしき鳥と云はいかゝなれと、かつほう鳥と云も推はかり也。物の名、今古に呼たかへて、今は知ましき物多し。

可鷄《カケ》乃|垂尾《タリヲ》七  神樂哥に、庭鳥はかけろと鳴と見ゆ。古事記にも、にはつ鳥かけは鳴と有。すへて、其鳥の聲につきて名を呼事、和漢に多し。神代に、とこ世の長鳴《ナガナキ》鳥と云は、本は外國の鳥歟。垂尾《タリヲ》は尾の長き也。

可加奈久和之《カガナクワシ》十四  筑波|嶺《ネ》にかゞ鳴鷲 此鳥、形のみならす、聲も恐しき也。

河津《カハヅ》九  かはづ鳴神なび川、大田の淀、いづみの里、佐保川、井出の玉川、それが住所の名に冠らせし也。此物、蝦蟇の一種にて、山川にのみすむ。音は、小さき鈴をふり立るやうに、さやかにおもしろし。今の人の河鹿《カジカ》と呼物也。此集には秋の題に入たりしかと、春の末より鳴出る也。秋にいたりて盛にや鳴らん。中世より田野陂澤に鳴物によむは、轉訛也。

(58)養蠶《カフコ》十二  かひ子とも云。野生なるは山|繭《マユ》と呼て、こゝに神代より有と見ゆ。桑子《クハコ》は西土より渡せし種なり。是は飼に業《ワザ》あれは、かふ子、かひ子と云。

楓《カツラ》四  和名抄に、一名※[木+聶]と見え、是を男かづらと云、楓をめかつらと云。桂の説は、稽食の南方草木状に云、葉(ハ)如2栢皮(ノ)1赤者、爲2丹桂(ト)1。菓似(タル)v柿(ニ)者、爲2菌桂(ト)1。葉似2枇杷(ニ)1者、爲2牡桂1と云。牡桂の名を云ず。楓の字、香楓の名有。故に當《アテ》違へる歟。

貌花《カホバナ》八  草の花のうつくしきを、貌よき人にたとへて云。朝貌花、夕貌花、晝貌なと云、一種の名に非す。水草にも石《イハ》はしの間々におひたるかほ花とよめるにつきて、後世にはかきつばたをかほよ花と云り。面高《オモタカ》と云も推はかりのみ。

影草《カケクサ》十  山の陰草、水陰草、陰の茂き附に生たるを云。影は假言。

壁草《カベクサ》十一  新室の壁草刈にといへは、壁をぬるに、草を刈て土に交へし歟。今は、稻藁《ワラ》を切交ふる也。

堅香子之《カタカゴノ》花十九  山百合の花也。此根を製して、かたくりと云食品あり。東奥の産、上品なり。かたかご百合《ユリ》を約言して、かたくりと呼也。

柏《カヘ》十九  今のかやと呼。此實を、和名抄に榧子と書て、かへとよむ。かや、かへ、通音に非す。

韓藍之《カラアヰノ》花七  延喜の織殿式に、韓紅花(ノ)綾一疋に紅花大四斤と見ゆ。西土の産にて、韓藍《カラアヰ》、呉藍《クレナヰ》と呼。今の紅花の事也。

河靜菅《カハノシヅスケ》七  倉橋川に河のしつ菅、山菅の流の底に生沈《オヒシヅ》めるを云。靜の字、假言。

(59)可伎都楊疑《カキツヤギ》十四  垣津柳也。青やぎの格に云。

可敝流※[氏/一]《カヘルデ》十四  かへ手とも云。葉の形の蝦手《カヘルテ》に似たる也。今もみぢ葉と云物、漢名をしらす。春の芽《メ》がひ也。

蚊青《カアヲ》二  玉藻おきつ藻、香青なると云。かは虚辭、青き藻也。

畏美《カシコミ》一  おそれつゝしめるに云。

片戀《カタコヒ》二  片戀|嬬《ヅマ》二  片|念《オモヒ》四  女より男より、我のみ戀しのぶ也。

挿頭《カザシ》二  時々の花を折て、冠の髻《ウス》にさす故に、かざしと云。

語言《カタラヒ》四  かたりあふの約言也。

可利※[氏/一]《カリテ》五  借代也。宿を借て價なけれは、かりてはなしにと云。

可多知都久保里《カタチツクホリ》五  容止《カタチ》つくりを延たる言也。つくほりのほは、をの如くとなふ。

加我欲布《カガヨフ》六  かゞやくに同し。日光、燈火、いつれにも影のきら/\しきを云。

擢合《カヾヒ》之聲六  船子のうたふ棹の哥也。

加賀布※[女+燿の旁]歌《力ガフカヾヒ》九  ※[女+燿の旁]哥、東俗(ノ)語(ニ)曰2賀我比(ト)1。筑波山の神事に、例歳九月、此事有とそ。其時の哥曲なるへし。上の棹の哥を合せて、共に聲をかけ合してうたふを、かゞひと云歟。※[女+燿の旁]は蠻夷(ノ)哥と云義字也。

語繼《カタリツキ》九  上古には、字に記する事なく、口にかたりつぎし口碑の義也。

加多羅比具佐《カタラヒクサ》十七  萬代のかたらひ種《グサ》とは、古代の事、叉今の事をも、後にかたりなくさむ也。

片生《カタナリ》九  八歳子《ヤトセゴ》の片なりの時と云。まだ生《ナリ》とゝのはぬを云。又|容貌《カタチ》のなま/\なる女をも云へし。

(60)片就《カタツキ》十  山片づき、海片づき、漢文に、山(ノ)一方、河(ノ)一方と云に同し。

片設《カタマケ》十  時|片向《カタマケ》でとは、時の來たるに向てと云也。春かたまけてと云も同し。

異所縁《カタヨリ》二  片因《カタヨリ》四  是も一方によれる也。

可多思吉《カタシキ》八  臥具《トノイモノ》無しに、衣の袖を片方《カタヘ》のみ敷て寢る也。

左右將爲《カニカクニセン》三  鹿煮藻闕《カニモカク》二毛四  今はとにかくにと云。左右は義訓なり。

香縁相者《カヨリアハヽ》四  香は虚辭、よりあはゞ也。

彼依此依《カヨリカクヨリ》二  自v彼自v此《カヨリカクヨリ》也。

香細寸《カグハシキ》十  香の殊に宜しき也。くはしの語、久の部に云。

髪上《カミアゲ》十六  女の、男を得て、髪を結《アゲ》初る也。それまては、及髪《ハナリ》とて※[髪の友が會]《モトヒ》する事なし。允恭紀に、妾自2結髪《カミアケシ》1陪(ス)2後宮(ニ)1と見ゆ。

難麻里氏居《カタマリテヲリ》十六  菴作りかたまり居《ヲリ》とは、芦蟹の穴すみして屯居《アツマリヲル》を云。

苅除《カリソゲ》十六  刈はらふと云に同し。

可豆良枳《カヅラキ》十八  可都良久十九  ※[草冠/縵]牟《カヅラカン》同  梅柳かつらにまきてと云に明らか也。かづらきは、※[草冠/縵]に纒《マキ》てなり。かづらくは、かづらにまく、かつらかんは、かづらにまかんの略也。

漢人《カラヒト》毛|※[木+伐]]浮而遊云《フネヲウカヘテアソフトフ》十九  上巳の日、河邊に出て、祓除《ハラヒ》するに、舟を浮べ、身禊《ミソギ》して、後に遊ふ也。曲水の宴、こゝには顯宗紀に始て見ゆ。

懸《カケ》乃|宜久《ヨロシク》一  かけて申もよろしきと云也。君にも神にも其御上を思ひかけん事、恐《カシコ》けれど、申さでは、えあらぬを、掛まくはかしこけれともと云り。

(61)懸而小竹櫃《カケテシヌビツ》一  是も、かけるは、上古にも遠き所にも、思ひを懸て慕《シノ》ぶ也。小竹櫃は戯訓。

勝且《カツガツ》毛四  都而《カツテ》毛四  かつとは、事|二《フタツ》用にかゝる語、是を作《ナシ》ながら、又|彼《カレ》をも爲《ナス》に云。此義より轉して、少つゝをかつ/”\と云。

勝《カテ》五  かては難の字、かたき也。勝は假言。

可伎數《カキカゾフ》八  かきは處辭、たゝ數ふる也。

如《コトキ》2數書《カスカク》1我命《ワカイノチ》十一  涅槃經に、是身《コノミ》無(シ)v常、暴水幻炎、亦念々|不v住《トヾマラズ》、猶(シ)2電光(ノ)1。又如vv水(ニ)隨v書《カクマヽニ》隨v合《アヘリ》と云詞章を取て、水の上に數かく如き命ぞと云也。

合《カテ》而十六  物と物を和合するは難《カタ》き也。和名抄に、大麥をかちがたと云は、一物をも和しかたきを云。

可年※[氏/一]《カネテ》十八  今より將來《キタラン》をはかる語也。后がね、坊がね、聟がね、皆内々の定めにかなへるを云。思ひがねは、未來を思ひはかる也。思ひがね妹がりゆけはとはうつりて云也。

可多禰母知《カタネモチ》十八  結束の義とす。さらばたがね持とこそ云へき。年の内の事かたねもちと云には、俗にかたげ持と云に似たり。

加々布理《カガフリ》二十  命《ミコト》かゞぶり、命令を破《カウム》る也。

可良麻流《カラマル》二十  所縛纒《カラメマカルル》也。

加多古里《カタコリ》十八  夜牀かたこり、牀の傍に凝《コリ》たる状《サマ》して居明す也。獨寢の状《サマ》也。

隱久《カクラク》七  かくるを延へて云也。

香聞《カモ》二  哉の字を云。中世よりは、かなと云語也。かも、かな、共にかの一言にて、助語に、も、奈は加へし也。たのしくも有かと云ても、同しく感慨の語になる也。

(62)冀名《ガモナ》一  欲得《モガモ》 是は上に同語なるか、一言を加へて、もがも、がもなと云へは、得がたき事を願ふ義となる。略して、がも、もがとも云。此語は濁りて、義をことわる例也。

籠《カタミ》一  神代紀に無目籠《マナシカダマ》見ゆ。かだみ、かたまは通音、かごは略言、籠物《コモノ》と云は、いよゝ略せし也。

 

     幾

 

吉倍由久等志《キベユクトシ》五  來歴去《キベユク》年にて、來るに對し、經《ヘ》は過ると云義也。

伎賊乃夜《キソノヨ》二  昨夜也。去年をこぞと云。其別義、窺ひかたし。たゝ詞章につきてこゝろ得へし。

涯之官《キシノツカサ》四  野つかさなとも云。見わたしの高所《タカキ》を云。官は假言。

霧十  霧流《キレル》一  霧相《キラフ》二  霧は體言にて、霧《キレ》る、霧合《キラフ》は、用語也。物の隔をさへぎると云に思ふへし。

清河内《キヨキカフチ》二  瀧川の兩岸の間を河内《カフチ》と云。

城《キ》二十  寇守るおさへの城《キ》と云。今はしろと云は、一構への義にて、別也。

象乃中山《キサノナカヤマ》一  象能小川三  吉野の山中の宮の瀧の南の岸より登《ノボ》る山路也。きさの小川は、其山の下《スソ》を流れて吉野川に落る也。

淨之《キヨミノ》宮二  同國高市郡、天武の皇居、清見原の都也。飛鳥の郷の北に在しとそ。

木※[瓦+缶]《キノベノ》宮二  同國廣瀬郡也。皇都にあらす。皇太子皇女の殯宮也。

服楢《キナラ》之里六  古衣著ならしと云文字を、奈良に云かけたり。

清隅《キヨズミ》之池十三  高市郡に在と云。

(63)木人《キヒト》一  紀伊の國人也。本は木の國と云。

木乃關守《キノセキモリ》四  紀の川邊背山村に關は在しと云。

清見碕《キヨミカサカキ》三  駿河の廬原《イホハラ》郡也。

伎倍《キベ》十四  遠江の麁玉《アラタマ》郡、城戸《キベ》人とも見ゆ。

伎波都久乃乎加《キハツクノヲカ》十四  一説常陸風土記に見ゆと云。きはづくの岡。

聞濱《キクノハマ》十二  企玖《キク》之池十六  菊の高濱、又菊の長濱ともよむ。豐前の國也。

城《キ》乃山四  筑前の下の朝倉郡。天智紀に、水城《ミツキ》を築し事、既に云。

吉志見我嶺《キシミカダケ》三  肥前の杵島《キシマ》郡の高嶺也。きしみは通音。

服曾比獵《キソヒガリ》十七  藥獵《クスリガリ》とも云。此獵は、五月五日を節とす。競《キソ》ひ立て狩する状《サマ》なり。大旨は、鹿の角を取て藥用に蓄《タクハ》へ給ふ也。仍て藥獵とは云。

紀之許之暮《キノコノクレ》二十  木の晩闇《クレヤミ》とも云。木のこの闇は、木の此闇と云歟。後世、木の下闇と云。夏の樹陰《コカゲ》のくらきを云。

蟋蟀《キリ/\ス》十  今の本に、きり/\すと點せしにては、哥毎に調《シラベ》あしく、言は剰《アマ》りたり。こほろぎとよめと云は、詞章よろしく聞ゆ。

蓋《キヌガサ》三  君をはしめ奉り、皇太子、親王の出ませるには、絹蓋《キヌカサ》をさしかけ奉る也。儀式令に其製見ゆ。

吉備乃酒《キヒノサケ》四  黍《キビ》にて釀《ツク》る酒也。

鑽髪《キルカミ》十三  年の八歳にきる髪、上にも云り。

 

     久

 

雲居奈須《クモヰナス》三  如の字をなすとよむ。如《ナス》2五月蠅《サハヘ》1、如《ナス》2草木1等の格也。是は、山にも島にも、遠く見はるかして、雲かといふ也。

(64)雲乃波《クモノナミ》七  雲のいざよふを、波の立ゐに見なす也。

久毛保比許里《クモホヒコリ》十八  雲の幅《ハビ》こると云也。

雲隱《クモガクリ》三  諒闇をたとへて云也。

隈《クマ》毛|不落《オチズ》一  隈は物の隱《カクレ》を云。それを落ずは、俗に落たる事なしと云にて、隈々殘りなき也。道の八十隈《ヤソクマ》、行路《ミチ》のまがり道多きを云。

國見一  高岡《タカキ》に登りて、國内を見わたす也。

國原一  國の平遠の地を云。

國乃|鎭《シツメ》三  不盡山の大造なるは、御國の鎭め也と云。爾雅に、國之大山者、其國乃鎭守也と云事見ゆ。是に由《ヨリ》てよみし歟。

久奴知《クヌチ》五  國の内也。約言にくぬちと云。

久爾能麻保良《クニノマホラ》五  國の眞原也。國原と云に同しきが、是は稱して云歟。

國之意之迦《クニノオクカ》五  國の奥所《オクカ》也。國内の曲隈を云。

國方《クニガタ》六  國の圖《カタ》にて、地理の事也。

國乃波多※[氏/一]《クニノハタテ》八  一説に國の極《ハテ》と云り。一説には國の廣遠《ヒロキ》を云と云り。盡をはてとよむを見れは、極《ハテ》の方ことわりめきたれと、櫻の哥に、國のはたてに、をとめらかかさしの爲に、宮人のかつらの爲とよめは、猶しかるへからす思ゆ。雲の旗手と云をむかへては、國の標木《ミツケ》の義にて、同義とも云へし。猶可考。

久邇波夫利《クニハブリ》十八  國をはぶれ行也。落はぶるゝと云にで、國を離散する也。落はぶるゝと云に同し。

久邇乃都《クニノミヤコ》六  山城の相楽《サガラカ》郡三かの原也。聖武の天平十二年に、皇居をこゝに遷され、大養徳恭仁《オホヤマトクニ》の大宮と號《ナツケ》給へりし所也。

八十隣《クヽリ》之宮十三  景行紀に、美濃の國に泳《クヽリ》の宮見(65)ゆ。行在所《カリミヤ》也。八十をくゝとよむは戯訓。

來背《タゼノ》社七  山城の久世郡に在へし。今の綾戸の祠かと云り。

栗栖乃小野《クルスノヲノ》六  大和の忍海《オスミ》郡、山城の宇治郡に同名在。(以下頭注)今の高野といふあたり也といふ。加茂の神領にて在しとそ。

椋橋《クラハシ》山三  倉橋川、大和の十市郡に在。

國栖《クス》十  吉野の山中、樫丘《カシノヲ》の山下、吉野川の邊に在。今十八村を國栖の莊と云。

草香江《グサカエ》四  草香山九  河内の河内郡、生駒山の内に在。江は今悉く水田となれり。今里(ノ)名を日下と書も古訓也。

百濟野《クタラノ》八  百濟乃原二  大和のかく山の邊に在し歟。天武紀に、大伴|吹負《フケヒ》か家に思ゆ。後に廣瀬郡に屬《ツケ》しと云説はいかに。十市、廣瀬の間には、葛下郡を隔たり。

黒牛之《クロシノ》海七  黒牛方《クロシガタ》九  紀の國と云り。今の和泉の南畔に、半の首の瀬門《セト》と呼有。紀の國に界《サカ》ひたれは、是にはあらぬか。

倉無之《クラナシノ》濱九  一説に、豐前(ノ)國と云り。一説、是は紀の奈木の濱也。風なぎの濱の格と云り。風和《カセナギ》のと云は聞ゆ。蔵無きのは、語とゝのはす思ゆ。

朽網《クダミ》山十一  豊前と云り。出雲風土記にも見ゆ。

熊來《タマキ》十六  能登の能登郡に此郷名見ゆ。

玄髪《クロカミ》山七  下野の日光山の山脈に在。

久米能若子《クメノワクコ》三  顯宗帝の幼名にてまします。又は、三穗の石室《イハヤ》にこもりしは別人か、しらす。

久自我波々《クジカハヽ》二十  是は、常陸の久慈郡の人の、筑紫の防人《サキモリ》に差《サヽ》れて、故郷り久慈に在る母の事を思ひて云る也。

(66)國都美神《クニツミガミ》一  さゝ波の國つ御神と申すは、近江の篠波《サヽナミ》の地靈《クニダマ》と申也。

頸著之童子《クビツキノウナヰコ》十六  是は、頭は頸の誤字にて、うなつきのをとめとよむかと云り。又衣の製に、頸著《クビツギ》と云か有かとも云り。

草枕《クサマクラ》一  昔は、旅の宿りの儲なき所にては、木陰岩陰に帷幕を張わたしても、又かり初の庵つくりても、やとりしを云文言也。

久具都《クグツ》三  藁にて小《チヒサ》き畚を作り、貝礒菜等を摘入て、海人《アマ》の携ふる具也。

久流部寸《クルベキ》四  和名抄に、蠶絲の具に反轉をくるべきとよむ。今|機《ハタ》おり女《メ》の、くり臺と呼物也。

久志呂《クシロ》九  手臂《ヒヂ》にまく環也。和名抄にひぢまきと有は、其世の名也。釧の字也。上古は玉を手足|頭《クヒ》頸《ウナシ》にかざり、手臂には釧環《クシロ》を著し状、佛像に肖《ニ》たり。

具穗舟《クボフネ》十  大木を節《ホド》に伐《キリ》て、穴洞に鐫《ヱ》りて舟とす。うつぼ舟とも呼也。一説、具は其の誤字、其穗舟《ソボブネ》かと云り。已に云、朱《アケ》のそほ舟。

黒沓《クログツ》十一  烏靴、黒※[潟の旁]、黒き革の製也。

呉藍《クレナヰ》十一  已に韓藍《カラアヰ》の下に云。

桑子《クハコ》十二  蠶は、桑の葉に養はれて生長する故に桑子と云。

藥獵《クスリガリ》十六  きそひ狩の下に云。推古天智の二紀を例に、五月五日の行事とす。

黒酒白酒《クロキシロキ》十九  黒酒《クロキ》は、くさ木の灰を入て清《スマ》す清酒《スミサケ》の、西土の玄酒とて、水を祭器に盛るに似たりとて、名とせし歟。又武烈紀に、影姫の鮪《シビ》の臣《オミ》を手むくる哥に、玉笥《タマケ》には飯《イヒ》さへ盛《モ》り、玉碗《タマモヒ》に水さへ盛りとよめれは、即玄酒にて、水を供(67)ずる事とも思ゆ。上古は白酒《ニゴリザケ》のみにて、清酒《スミサケ》の製はなかりしにや。

草深由利乃花《クサフカユリノハナ》七  夏野の草深きゆく手に、百合の咲たるを見て、草ふか百合の花と云し歟。百合は必草深き所に生《オフ》ると云説わろし。

草具吉《クサグキ》十  鵙の草ぐさと云は、此鳥の蟲を食《ハム》とて、草深き所をくゞりあるくを云。草くゞり、約めて草くきと云は、木末《コヌレ》立くゞ時鳥とよみしに同じく、此鳥は草深き所をくゞりあるく也。

九々多知《クヽタチ》十四  春菘《ワカナ》の莖立《クキダチ》する也。

久々美良《クヽミラ》十四  韮《ミラ》の莖也。古言にはみらと云、今にらといふ。かみらとも云は、かは虚辭。

糞葛《クソカツラ》十六  和名抄に細子草の名也。

草管見《クサツヽミ》六  草つゝみとは、恙《ツヽガ》と云蟲は、入(テ)v腹(ニ)食(ス)2人心(ヲ)1、古人草居(シテ)被(ル)2此害(ヲ)1、故(ニ)相問(テ)無v恙乎と云事、西土の書に見ゆ。此國にも上古は此害にあひしかは、旅ゆきする人をいはひて、事なく喪《モ》なく恙なくと云おくる也。草枕にはつゝしめと云也。

屎鮒《クソブナ》十六  眞鮒《マブナ》に對して云歟。

梳《クシ》毛|見自《ミジ》十九  櫛も見し、家内《ヤウチ》も掃《ハカ》しとは、旅に出し人の爲に、何事もさはりなかれとて、手は觸ぬと云也。そのかみのならはせ有しなるへし。

久須波之伎《クスハシキ》十九  くすしきを延たる言也。くしとのみも云て、靈奇なる義也。くしみたま五は、靈の字の義、神の不測を云。

口|不息《ヤマズ》九  口やます我戀る子とは、言を絶す云おくる也。

欝之思《クレシオモヒテ》十  心のかきくらみて物思ひする也。

細《クハシ》一  既に云精細細妙の義もて、こゝには、美稱、(68)上なき事を、くはしと云に用ひたる字也。日本紀には、微の字をよめるも、微細微妙の義也。花くはし櫻、名ぐはし吉野、良馬をくはし馬《マ》なと云格也。此語も靈妙をくすはしきと云より來たりて云と思ゆ。後世にくはしきと云は、上古につはらかと云し也。今もつまびらかと云。

久多知《クタチ》五  我さかりいたくくだちねと云は、世にくだりしと云に同し。夜のふくるを夜くだちと云。此語、轉して物の腐爛するにも云。朽網《クタミ》山、卯花|朽《クダシ》、又富人のくだし捨《スツ》らん絹綿もはやとも、名をくだすとも云。令下《クダス》の義ともなる也。

 

     計

 

今朝之旦開《ケサノアサケ》八  朝明《アサアケ》の略也。

煙寸《ケブキ》十  山霧のけぶき、今も烟の中に立こめられて、けぶたきと云に同し。

飼飯《ケヒノ》海三  越前の敦賀郡也。

笥爾盛飯《ケニモルイヒ》二  和名抄に、笥《ケハ》盛v食(ヲ)器と見ゆ。上古は木をもて作りしのみならす、竹|藺《ヰ》等にも製せし也。説文に、笥は飯(ト)及《トノ》v衣之器と見ゆ。一説に、笥は衣を納《イレ》、箪には飯を盛。又云、箪は圓く、笥は方也と。

毛桃《ケモヽ》七  桃の木の一種也。

毛許呂裳《ケコロモ》二  革衣に毛有まゝなるをは本とし、羽毛を織交たる絹をも云。

氣長《ケナガキ》二  是は、一説に、息を長く吹を云といへり。氣吹戸主《ケフキドヌシ》と申神名の由に見れは、しかりと思ゆ。一説に、月日の來去《イキカヒ》を來歴《キベ》と云。其|來經《キベ》を約《ツヽ》めて、氣と云にて、月日長くと云を、氣《ケ》長く、又|長氣《ナカキケ》と云也と云り。いかゝ有へき。又月に日に(69)氣にの氣は常《ケ》にと云義にて、食を氣《ケ》と云より來たるか。常の衣を藝衣《ケコロモ》とよむ、此格也。又異殊勝等の字をも氣《ケ》とよむは、世に殊なる人を殊《ケ》也と云。小野の毛人《ケヒト》と云名は、毛《ケ》は假言にて、殊《ケ》人の義なるへし。然とも、氣《ケ》と云一語の、かくさま/\に義のかはる事、意得かたし。思ひ得たりと云人の説も、委しくは行あはす。猶可考。

蓋《ケダシ》二  物事を推はかりて云也。字義も未vv究(ルコト)と見えしは、國語にも通する歟。

消蟹《ケヌカニ》四  氣能古里《ケノコリ》二十  きゆるを約めてけと云。不消歟《ケヌカニ》、消殘《ケノコリ》。

 

     古

 

※[雨/沛]霖《コサメ》二  小雨と點せしは違へり。氷雨《ヒサメ》とするも亦違ふへし。此哥、志貴(ノ)親王の棺車を送る時のかなしみなれは、玉鉾の道ゆき人の泣涙、しぐれにふれは、白妙の衣ひづちてとよみて、※[雨/沛]霖をしぐれとよむへく思ゆ。

東風《コチ》十一  風を暴風《ハヤチ》東風《コチ》なと云語義、知へからす。

許騰伎《コドキ》十四  蠶《コ》を養《カ》ふ時也。三四月の間を云。

言靈能佐吉播布《コトダマノサキハフ》國五  國語の妙用を、言靈の幸ひする國ぞ、御國はと云也。又言玉の助くる國とも見ゆ。言語の靈妙によりて、上下意を通する也。上古言語は、ことゝのみ云て、ことの葉、こと葉と云事はなし。萬葉集の題名を撰ひし人、劉熈の釋名と云書によりて、葉の字を歌の義とす。又是によりて、延喜の比に、ことの葉と云語を設たる也。猶委しくは、靈語通の詠哥篇に云り。

巨勢山《コセヤマ》一  巨勢路、今は五瀬とよこなまる。又|乞(70)許世《コチコセ》山七 も、こちへ來《コ》せとかけしにて、巨勢山かと|ゝせ《(マヽ)》否此方來夫《イナコチコセ》山にて、背の山そと云る夫《セ》にかけしとも、巨勢山にても聞ゆ。吉野川の邊、紀の路にかよふ道に在。

強田《コハタ》山十七  木幡《コハタノ》里 山城の宇治郡也。

越《コシ》乃大山十二  一説に、加賀の白山を云といへり。越の國には高山多し。いつれな覽。

子難懈《コカタノウミ》十二  粉滷之《コガタノ》海十六  越前越中一諸あり。懈の字假言、小滷の海也。

古思能奈可《コシノナカ》十七  越中の國也。

粉濱《コバマ》四  住の江の小濱也。

兒毛知夜麻《コモチヤマ》十四  國郡不知の部に入。

凝敷《コリシク》山三  こゞしき山とも云。岩根|凝《コリ》つみたる山路也。

衣針原《コロモハリハラ》七  衣を張ると掛て、榛《ハリ》の木原を云。針は假言。そのかみの賤服に、秦《ハリ》染と云有。秦《ハリノ》皮を剥《ハギ》て染る、其料に、處々秦の木を植しむ。郡名郷名に、はい原と云は是也。雄略紀に、舍人が怒猪《イカリヰ》を避て※[しんにょう+外]のぼりし事見ゆる時の哥に、婆利我曳《ハリガエ》とよみしは、秦が枝也。この由にて、舍人子《トネリコ》と云名、後世に云り。はりと書ても、秋芽《ハギ》の通音にて、はり染は、萩の花ずり衣也と云説はわろし。萩が枝にいかで舍人の※[しんにょう+外]|登《ノボ》らんや。

隱處《コモリヅ》十一  こもりづの澤泉なると云は、字のまゝにも意得へし。又|隱水《コモリヅ》とも云り。

小金門《コカナド》四  門の扇扉《トヒラ》に銅銕のかためあれは、金戸《カナド》に對し、小金門《コカナド》は腋《エキ》門歟。

木枕《コマクラ》二  字の如し。

狛錦《コマニシキ》十  高麗國の製の錦也。

狛劔《コマツルキ》二  彼國の製は、劔の柄に環あり。

(71)衣手《コロモテ》一  衣手《ソテ》とも云。袖と袂《タモト》は違へり。哥には混してよむ。

薦枕《コモマクラ》九  大甞會の神牀《カントコ》に、八重のこも疊を敷て、上の方にてかい卷て高くなすを、薦枕と云。又坂枕とも云は、自然に高く上《ノボ》らする義也。

薦疊《コモタヽミ》十六  八重疊とも云て、薦を編《アミ》て、幾重も疊《カサ》ぬる也。

小簾《コス》七  小簀垂簾《コスノタレス》十一  簀は假言。小簾はをすともよむ。

小菅乎笠《コスケノヲガサ》十一  小菅の小笠也。

許之伎《コシキ》五  和名抄に、甑《コシキ》は炊《カシク》v飯(ヲ)器と見ゆ。

琴之下樋《コトノシタヒ》七  琴の製、腹内の下樋に似たるをたとふ。下樋は、地中に水を通はする製也。

腰細之※[虫+果]〓《コシボソノスガル》遠登女九  ※[虫+果]〓《スガル》と云虫の形を、女の細腰にたとへし。飛かけるすがるの如きこしほそに十六 ともよめり。

隱嬬《コモリヅマ》十  人妻の、あらはならす、こもり居る也。いつも八重垣妻ごめにとは、何時《イツ》も隱《コメ》おく妻の爲に、垣を作らす也。

肥《コマ》人十  高麗人は、なべて肥大なれは、肥人と、義もて書しと云り。いぶかしき説也。

木足《コダル》三  樹※[木+少]《コズヱ》の生垂《オヒタル》る也。足は假言。

樹村《コムラ》三  和名抄に、木枝相交(リ)下陰(ヲ)曰v※[木+越](ト)。こむらとよめり。竹《タカ》むら、杉むら、こゝには蔭森たるを云。村は假言。

許奴禮《コヌレ》五  樹奴禮我之多十三  木《キ》の未《ウレ》を約めて、こぬれと云。

木晩罕《コノクレガクリ》六  許能久禮罷《コノクレヤミ》十九  既に云木の下闇に同し。罷は假言。

木積《コヅミ》七  材屑也。木のはしをつま木と云。積は假(72)言。

蘿席《コケムシロ》七  苔の茂りて席《ムシロ》の如き也。

兒手柏《コノテカシハ》十六  側柏の葉の、童の手ひろけたるに似たりとて名付し也。

牡牛《コトヒウシ》九  和名抄に、特牛をことひとよみて、頭大(ナル)牛也と見ゆ。牡牛の物を負《オフ》事、殊に勝れりとて、殊負《コトヒ》牛と云り。刊本牡を牝に誤る。

言佐敝久《コトサヘグ》二  言語《モノイヒ》の、鳥の囀に似たりとて、異國人を唐さへづりとも云。物いひさわがしき也。

辭不問《コトトハヌ》木三  神代紀に、磐根木株草葉猶能言語《イハネコノネクサノカキバモナホヨクコトドフ》とよめり。草木物いふべからす。民を蒼生と書て、青人《アヲヒト》草と云か如く、下民たもよく言《コト》問ひかはすと云也。

言痛《コチタミ》四  言いたみを約めて、こちたみ、こちたきと云。物いひしらで、言《コト》の多きは、聞苦しきと、たゞ言《コト》に出がたく痛《イダ》めるに云。

言能名具佐《コトノナグサ》四  なぐさ、和《ナグ》さむ也。言に打出て云《イヒ》なぐさむを云。

言擧《コトアゲ》六  思ふ事を言に擧ると云は、即詠哥するなり。又言のさわがしきに云は、千萬《チヨロヅ》の軍《イクサ》也とも、言擧《コトアゲ》せず、捕《トリ》て來ぬべき武人《タケヲ》とぞおもふとよめり。

事二思安理家理《コトニシアリケリ》四  事は假言、言にし有けり也。言に云のみと云也。

事|許《ハカリ》四  はかり事と云に同し。

心乎痛三《コヽロヲイタミ》一  心うく痛傷する也。

情《コヽロ》左麻|彌之《ミシ》一  一説に、彌は禰の誤にて、心の間《ヒマ》なしといふ也とそ。又|情欲《コヽロザマ》見し也とも云り。猶可v考。

情久々《コヽログヽ》四  情具伎《コヽログキ》八  いづれも霞に言よせて、心(73)に隱《コメ》て物おもふ也。こもりを約めて、ぐゝ、くきと云。

心|摧《クダケ》八  心を粉碎にする也。何事にも、心を悩むに云。心肝恰(モ)欲(ス)v摧(ント)と、遊仙窟によめり。

心|鈍《オソク》十二  魯鈍の人は、萬にさとりおそき也。

乞祷《コヒノム》三  日本紀に、叩頭を、義もて、のむとよむは、願望を祈乞也。食飲をのむと云も、欲する事なれは歟。

戀草《コヒクサ》四  人を戀由のあるを云。戀種《コヒグサ》にて、思ひの種《タネ》と云に同し。

戀|之奴《ノヤツコ》十一  人を戀れは、其おもひ人の爲に、奴僕《ヤツコ》となりてつかはるゝよと云也。

戀力《コヒチカラ》十六  戀に力を盡す也。

反側《コイマロヒ》八  こけまろぴと云に同しく、こいまろぶと云也と云り。伊とけは、横行にだも通せす。此格、古言にあるを、五十字文を推戴く人は、いかに云や。展轉反側の語、こけまろひとよむへし。

手拱《コマヌキ》十九  こまぬきて事無き御代とは、手をむなしくて有也。漢人の拱手は、禮拜の状《カタチ》也。國のたがひては、禮儀も異《コト》なれど、此拱手は空手の當たかへりなり。

乞菜《コソナ》一  物を乞願ふ事切なるに、こそと云。乞の字、正訓也。社の字をよむは、神社には、物事を乞願ふ義訓也。さて有が中より取出る義と云。人の名にも、うつぼ物語に、田子《タゴ》こそ、【今の本にたゞこそと有は誤也。】源氏の夕顔にも、右近を指て、こそと呼は、おとな人を云也。

此《コレ》也|是《コノ》一  事二つにかけて云語也。

己智碁智《コチゴチ》二  をちこちと云に同しく、彼方此方《カナタコナタ》を(74)云。

幾許《コヽタク》四  こゝたとも云。又こゝらともいふ。いくばくと云に同しく、多數の語也。

來云似有《コチフニニタリ》七  來ると云に似たり也。

古寸入津《コキレツ》八  袖にかき入つと云、同し。かきちらすを、こき散すとも云。

 

萬葉集目安補正第四

 

     佐

 

左佐良榎壯子《サヽラエヲトコ》六  月の一名也と注に見ゆ。

前日《サキツヒ》六  さいつ日とも。

挾夜中《サヨナカ》四  さは虚辭、夜中は夜の深《フケ》たる也。

小石《サヽレイシ》四  字の如く小石也。さゞれとのみも云。

小浪《サヽレナミ》三  波文の小さきを云。さゝら波とも。

澤泉《サハイツミ》十三  澤水と云に同し。

左久奈美《サクナミ》十四  波の立を花のさくと云也。

樂浪《サヽナミ》一  近江の滋賀郡狹々波山、日本紀に見ゆ。此訓は、神樂聲波《サヽナミ》と書か、戯訓の由にて、神樂《カミアソヒ》のはやし詞の哥の終には、必さゝと云そへし事、神功紀の御製、武内の大臣の應制にも見ゆ。うたひものには、おけや、あらめもよなと言そへて、調をかなへる事、後々にもみゆ。神樂聲と書て、佐々とよむへき戯訓を、神樂と略して、又樂とのみも略せし也。

佐保川《サホカハ》一  佐保山七  佐保之内六は、佐保の山中(75)を云。佐保風は六、難波風、はつせ風に同し。今の奈良の町の西北に在。

佐田之岡《サタノヲカ》二  同十市郡の檜隈《ヒノクマ》の邊に在。眞弓の岡に並ひて。

佐檜之熊《サヒノクマ》六  佐は虚辭、檜の隈の郷也。

佐紀山《サキヤマ》十  同添上郡に在。神功太后の狹城盾列墓《サキノタテナミミハカ》ある地也。

坂手《サカタ》十二  景行紀に、坂手の池を造ると見ゆ。高市郡の坂門《サカト》の郷かと云り。

相樂《サガラカ》乃山三  山城の相樂郡也。本語は懸木《サガリキ》、日本紀仁徳の卷に見ゆ。

鷺坂山《サキサカヤマ》六  同國久世郡。くせの鷺坂とよめり。

左日鹿《サヒカ》野六  狹日鹿《サヒカノ》浦七  紀の若の浦の東邊に在。今は雜賀と書く。

狹野乃渡《サノノワタリ》三  佐農能岡三  同牟漏郡。三輪か碕と云名、今も有。神碕はかみの碕也と云説あり。

佐提乃崎《サテノサキ》四  志摩の安虞《アコ》郡に在と云り。又伊勢の國也とも云り。

前玉之小崎《サキタマノヲサキ》九  武藏の碕玉郡也。佐吉多滿の津十四 も見ゆ。

辟田《サキダ》川十九  越中の國に在と云り。

狹岑之《サミノ》島二  佐美の山とも。讃岐の海中に在島山なり。

刺並之《サシナミノ》國六  是は、伊與讃岐土佐阿波を四面《ヨオモテ》の國と云事、古事記に見ゆれは、さしならひたる國の士左と云なるへし。

佐伯《サヘキ》山十  安塾の佐伯郡也。

左太之《サタノ》浦十  筑前の國と云り。

小竹《サヽ》島七  石見の國といへと、未v詳。

佐奈都良《サナツラ》能|丘《ヲカ》十四  國郡未v知の部に入。

(76)左佐羅乃小野《サヽラノヲノ》三  神楽《サヽラ》の小野十六  天なるやさゝらの小野、天のかぐ山、天の安河の例に、天上に同名のあれは云る文言也。さゝらの小野、國郡未v詳。神樂と書は、さゝ波の例也。

櫻田《サクラタ》三  尾張の愛智《アユチ》郡に在。

五月山《サツキヤマ》十  地名にあらず。五月の比の山、やよひ山の例也。又春山秋山と云に同し。

佐都雄《サツヲ》三  狩に獲物有を幸《サチ》と云事。神代紀に、海之|幸《サチ》、山の辛と云によりて、さつ男《ヲ》とは、即狩人の事を云。佐豆人十とも。

島守《サキモリ》七  崎守十六  大寶の軍防令に、兵士守(ル)v邊(ヲ)者(ヲ)、名(ク)2防人(ト)1と見えて、さき守とよめり。異國の寇《アタ》の來たらんに備へて、筑紫の島々碕々に、人を居《スヱ》て守らしむ。其兵士は、必東國の人を差《サヽ》るゝ也。

佐夫流兒《サブルコ》十八  さぶる其|兒《コ》ともよめり。注に、遊行(ノ)女婦也と見ゆ。興の字を、こゝろすさびとよむ義にて、宴に興をそふる者を、さぶる子とは云歟。中世に、遊び女と云、後にはくゞつなとも云屬也。

左手蠅師子《サデハヘシコ》  さは虚辭、手を指延《サシハヘ》て相枕せし女をいふ。

小網刺渡《サデサシワタシ》一  和名抄に、※[糸+麗]をさでとよめり。指わたすとは、其網を扇打ひろけたらんさまにして、漁父の取あつかふ也。

五月《サツキノ》玉八  藥玉とも云。風俗通に、五月五日以2五彩絲(ヲ)1v臂(ニ)、辟(ク)2鬼及兵(ヲ)1、一名長命縷、又云續命縷。

狹丹塗之《サニヌリノ》小舟九  既に云|朱《アケ》の赭土《ソホ》舟也。さは虚辭。

(77)指進《サシズミ》六  今も番匠の墨斗《スミツボ》を、墨さしと云、是也。指進は假言。

狹織之《サヲリノ》ど帶十一  狹は狹席《サムシロ》の例にて、幅《ハヾ》せぱく織たる帶也。帶は裝束の上帶下帶等有。

酢衣《サゴロモ》十一  是も狹は上に同しく、せばき衣かと云へど、さは虚辭のみ。

※[糸+巣]刺《ザウサシ》十六  和名抄に、※[金+巣]は鐵※[金+巣]也。藏のかぎと見ゆ。此哥も樞《クル》に※[金+巣]《カギ》さしとよめと云り。

刺名倍《サスナベ》十六  和名抄に、銚子を佐之奈|閇《ベ》、俗云さすなべと見ゆ。手取|鐺《ナベ》の類也。

指羽《サシバ》十六  翳の字、さしばとよむ。是は柄《ヱ》長き團扇の状して、出御の時、おほん面をあらはならしめす、覆ひ奉る具也。唐土に便面扇と云、是也。

佐那須伊多斗《サナスイタト》五  鎖爲《サシナス》板戸也。

酒屋《サカヤ》十六  酒殿也。造酒寮を原《モト》に、民戸の酒造る所をもいふ。

狹野榛《サノハリ》一  さは虚辭、野の榛《ハリ》の木原也。

狹名葛《サマカヅラ》二  和名抄に、五味をさねかづらとよむ。近き世迄も、髪を結《アグ》るには、是か蔓を刻《キリ》て、水に漬《ヒタ》しおき、其水の黏《ネバキ》にゆひつかぬる也。さなかづら束《タゲ》ばぬるぬるとよめるは是也。又|狹野方《サヌガタ》は子《ミ》にならずとも花にのみ十、狹野《サヌ》がたは實に成にしを同といふ贈答は、さねかづらを約めて、さぬがたと云也。葛野《カドノ》、瓠葛《ヒサガタ》等の例に、葛《カヅラ》をかだとよむ。子《ミ》とは即五味子也。

冬薯蕷《サネカツラ》七  是はまさきづらとよめと云り。薯預は、冬青の物にあらす。字樣あやしけれは、古訓いかさまによみけん。さねかづら、まさ木づら、共に從ひかたし。

三妓《サキクサ》五  此物審ならす。一説に、さゆり花かと云(78)は、暗推のみ。和名抄に、※[草がんむり/場の旁]《テウ》をさきくさとよめど、注は、西土の福草の事を引出たれは、無用也。上古有て今無き物有、いにしへなくて今有物もあれは、強《シヒ》て定めんも無益也。又古今に名の呼かはれる物、少からす。

賢木《サカキ》三  神木《サカキ》とも書。僞字に榊とも書り。冬青《トキハ》樹の|の《(マヽ)》中に、質の堅きを云とも、又|榮木《サカエキ》の略也とも云り。今神社に多く用ふる物、漢名を知ず。近き比、莽《シキミ》草を是上古のさか木ぞと云説有。信用しかたき事也。其木は、葉は枯死《カレ》ても香有物故に、佛家には焚香《タキモノ》に用ひたれと、子《ミ》は毒有て、此木の茂き山下の流水《ナガレ》には魚すまぬ由にて、しきみとは、あしき子《ミ》と云名なりとも云り。いつれ香木は、佛家にこそえらみとれ、こゝの上古にさる物の撰み有事、見わたらす。素戔男尊《スサノヲノミコト》を、牛頭天皇と申す牛頭は、香の名をもて崇稱《アガメ》申は、御子の韋檀君尊《ヰダキソ》を檀君と申せしによりて、香木の稱ある事、例の兩部家の譌妄也。上古さか木の枝に物を取かけしは、几案の製、いまたあらす。物を奉るに、冬青樹《トキハキ》の枝に掛て、さゝけ參りし也。百取《モゝトリ》の机代《ツクヱシロ》と云、即さか木の枝々也。木の枝に物取かくる事、後の物語にも、をちこち見ゆ。延喜式に、※[木+若]臺《シモトツクヱ》とて、黒木に作れるは、故實にて、枝にかくるによれるなるへし。今も神社の奉り物を、黒木の机に供へまゐる事有。彼しきみは、葉は香はしくとも、子は當《マサ》に毒有物を、いかてえらみて神にはさゝくらん。いと穢《ケカ》しき事也。本草には、毒有部に入て、莽草と云名は、香木の毒ある由もて、王莽にや比《タグ》ひけん。木を草と名呼事、西土にも宋の代|以來《コノカタ》(79)のあだ名なれは、古名は今のさか木と云物に同しく、考ふへからす。賢木《サカキ》は、賢良をさがしとよむ假言のみ。伊勢の神宮、且國内に、しきみを立春の門に立る事、別に思ふ所あれと、こゝにはしるさす。又云、奥山のしきみの花ともよみたる哥、集中に見ゆれは、一種別也。

刺竹《サスダケ》六  佐須陀氣十五  篠《サヽ》竹の通音と云。

佐宿木《サネギ》乃花十  なぎの花也。さは虚辭。

櫻|麻《ヲ》二  櫻|麻《ヲ》は、よき麻苧の出る地名かと云り。男梶苧《ヲカヂヲ》の類也。其地未v考。

刺楊《サシヤナキ》十三  柳は、枝を折て地にさしおけは、生《オヒ》やすく、根植は、かへりて育たぬ物也。

佐《サ》々|良乎疑《ラヲギ》十四  さゝらは、さゝれ波、さゝれ石の類に、小荻《サヽラヲギ》也といへど、荻は丈《ダケ》だちてさゝやかなるは見ず。若是は風に聲ある、其音を、ささら荻なと云か。

佐禰加夜《サネカヤ》十四  さねは、美《ホム》る語といへり。いかゝにや。いにしへ、かやと云は、草の名にて、苅つみて、家を葺には、かやとよび、野なるまゝを草と云しは、草野姫《カヤノヒメ》と申神名の例也。

左由利波奈《サユリハナ》十八  五月咲の一種を、さゆり花といふとそ。

開乃乎爲黒《サキノヲスグロ》  是は、乎烏里《ヲヲリ》と有を誤しといへり。春山の咲のをゝりは、春花の枝の重《オモ》げなるまて咲たはめるをば、たわゝ、とをゝとも云。其とをゝを略して、をゝりといふとそ。後世にすぐろの薄《スヽキ》と云は、春野の燒原に萠出て、末の黒みづけるを云。

狹野津《サヌツ》鳥十六  さは虚辭、野つ鳥にて、雉子の事なり。古事記に、ぬつ鳥きゞしはとよむと見ゆ。(80)西土にても野鷄と云り。

坂鳥《サカトリ》一  朝《アシタ》に、鳥の塒《ヤトリ》を出て、山を飛こゆるを、坂鳥といふ。朝鳥と云も同し。

左男鹿《サヲシカ》六  左は處辭、牡鹿也。

五月蝿蠅《サハヘ》三  人の立さうどくを、五月蠅《サハヘ》なすにたとふ。蠅のむら立さま也。

幸《サチ》一  さきとも、又さきく、さきはひなと延て言。功績あらすして福禄を得る也。

賢良《サカシラ》三  情進《サカシラ》十六  既にかしこきの下に云り。情進の方は、こゝろさびとよむへき歟。

逆言《サカコト》三  今の俗にさかしま言といふ。よきをあしきに轉倒して讒《シコ》つなり。

耳言《サヽメキ》七  漢文に、附(テ)v耳(ニ)言の義もて出たり。又|微音《コゴヱ》に物いふ事を、さゝめき、さゝめくと云。

左丹著《サニヅカフ》七  挾丹頬相《サニヅラフ》三  丹は赤きを云。字の如し。顔に紅を粧ふを、さにづかふ、さにづらふと云。さは虚辭、丹著《ニツク》を延て言也。

佐比豆留《サヒツル》十六  鳥の囀る也。韓《カラ》さへづりと云は、異國人の物いひを鳥語と云也。

佐可彌豆伎《サカミツキ》十八  酒に沈酵するを云。酒水漬《サカミヅキ》也。

澤《サハ》一  多數をさはと云事、用語篇に云。

左備《サヒ》一  進みの約言也。古事記に勝さびと見ゆ。素尊の、勝にすゝませ給ふなり。

副《サヘ》九  字の如く、そへ加ふる語也。花さへ實《ミ》さへ其葉さへの御製にしるし。

清《サヤ》二  字の如く清亮なるを云。さやか、さゆるも同し。又物の音のさやくと云は、貫珠《タマ》の相觸て清亮《サヤカ》なる音有を、さゐ/\、さゑ/\とも云。今も音のさゆると云。是はやゆゐゑの音かよひて、假名の法合かたし。

(81)伺侍《サモラフ》二  侍守布《サモラフ》七  朝參にをこたらぬ状《サマ》也。侍所《サモラヒトコロ》と云は、それの人の參りをる所也。

佐《サ》麻|欲比《ヨヒ》一  春鳥のさまよふと云。さは虚辭、迷ふ義なり。鳥の、春の梢を枝うつりして遊ふさまを云。又吟行の義に云も、同しく遊ぶさまは變らず。吟の字をさまよふと云にはあらす。

皆悉《サナカラ》二  それなからの約言也。皆悉の字義をもて書とすれと違ふへし。是はこと/\くとはよむへし。

左具久美《サククミ》四  割見《サクミ》六  岩根さかしき山路、かしこき波路をわたるを、岩根さくみ、海上をいゆきさくみと云は、文言也。神に磐開《イハサク》神と申も、嶮岨をひらかせ給ふ功績の御名也。

邑禮左變《サトレサガハリ》四  神は人の虚實をよくさとり給ふ也。さがはりの、さは虚辭。神よ、人の心に入變りて、さとらしめ給へと云也。邑は假言。

祥《サガ》三  恐《サガシ》四  さがとは、神代紀に、神性の字をよむは、神にも人にも性質の僻あるを云。あしき心ねをさがなしと云は、よき心くせなしと云をはたらかせたる語也。又祥瑞をさかと云は、其事につきて、よきしるしあるとするより、惡きにはあしきさがと、ことわりを延て言也。恐の字をさかしとよむは、賢良をさかしと云より轉したり。賢良の人は、圭角ある故に、さかしと云。

障良比《サハラヒ》四  さはりを延て云也。

核不所忘《サネワスラレヌ》九  さねは、神主《カンザネ》、使主《ツカヒザネ》の例にて、心の宗とも主ともするを、さねと云也。さて心に、しはしも忘られぬ也。核《サネ》は假言。

沙渡《サワタル》十  さは虚辭、たゝ渡る也。

狹夜藝《サヤギ》十  神武紀に、聞喧擾之響焉を、さやける(82)なりとよみ、又應神紀に、琴の音を、其音|鏗鏘《サヤカニ》而遠(ク)聆(ユ)とよみ、御製にも、佐夜《サヤ》/\と見ゆ。清亮の音を本にて、さて物の音のよからぬにも云也。物類の音に、さやぎといひ、人の上には、さわぐと書分つとするは、法則にて、さやぎ、さやか、さわぎ、其本分別なく、文章の義につきて心得らるゝ也。

左之麻久流《サシマクル》十九  差向るの通言也。

 

     志

 

白縫《シラヌヒ》三  斯良農比《シラヌヒ》五  景行紀に、肥後の八代《ヤツシロノ》縣豐村と云處に、火の光を尋めて、御船著たる、其火は神の火也とで、其國を名付て火の國と呼せ給ふ事見ゆ。しらぬ火とは、此由也。白縫は假言。肥(ノ)國也。

霜雲入《シモグモリ》  霜は、雪の誤かと云り。今も冬の夕曇するを、霜おれたりと云にて、古しへよりも云歟。

十二月《シハス》八  年の極《ハツ》るといふを延たる言也。

小竹之米《シヌノメ》十一  篠《シノ》の芽《メ》のほそきを、曙の空のしらみたる状《サマ》に似たりと云り。思ひよせかたきたとへ言也。

四具禮《シグレ》二  秋冬の空に、しき/\ふる雨を、しくれの雨と云を、しくれと略しても云也。和名抄に、※[雨/衆]の字を用ひたれと、それは小雨なれは、いつにても有へし。十月爲(ス)v〓(ヲ)と云には、此字や當るへき。一に※[雨/易]と書。時雨は時じくの雨と云國語より云る歟。

白眞弓《シラマユミ》三  白眞弓張て掛たる夜道はよけんとよみて、月の弦《ユミハリ》なるを聞せたれは、擬《ナラ》ひて月の一名(83)とはなるへし。

牡鹿之須賣《シカノスメ》神七  神名帳に、筑前の糟屋郡志加の海の神社見ゆ。是は表筒男中筒男底筒男の神といへは、皇神《スメカミ》と申が別にましますへし。

島(ノ)宮二  島(ノ)御門とも。是は飛鳥の川島に、橘の島といふか在て、蘇我の馬子の宅地《イヘヰ》して、島の大臣と申せし、其地を、後に草壁の太子の宮所となりし也。橘の島の宮の略語也。今橘寺立るあたりにや。

志都《シヅ》之|石室《イハヤ》三  近年石見の國の人。かたり言に、彼國に志豆明神と申社地の山中に、しづの石屋といふ大小の石室あり。太古、大名持少名彦の二神の住給ひし所なりと云傳ふ。元録《(マヽ)》それの年、此祠に靈驗の事有。長文こゝに略す。

磯城《シキ》島九  敷野十一  崇神紀に、都を磯城に遷す。是を瑞籬《ミヅガキ》の宮と申。又欽明紀に、磯城(ノ)郡のしき島に都を遷す。是を金刺《カナザシ》の宮と申すと見ゆ。二朝の皇居久しかりしかは、しき島の久しき時とは云を、後世に哥よむ事を、しき島の道と云は、所謂《イハレ》なき事也。

司馬《シハ》乃野十  吉野の國栖の郷の中に在とそ。

思賀辛碕《シガノカラサキ》一  思我津七  近江の滋賀郡也。

鹽津山《シホツヤマ》三  同國淺井郡に鹽津の郷在。鹽津|菅《スガ》浦九と云も、其あたりにや。

四極《シハツ》山三  四八津六  雄略紀に、呉國(ノ)使|手伎才伎漢織呉織衣縫等《テビトサエビトアヤノハトリクレノハトリキヌヌヒラ》を貢奉る時、住(ノ)吉《エノ》津より磯齒津路《シハツチ》を踰て、都に入。其坂路を呉《クレ》坂と名付し事見ゆ。其坂道、今は定かならす。茅沼灣《チヌワ》より雨そ降くる、しはづの蜑|網手綱《アタヅナ》ほせり、濡たへんかもとよめるは、南の風にむら雨をさそひ來て(84)干たる網取入んとて、蜑人のあはたゝしけなる状《サマ》也。茅沼《チヌ》は、今の堺の津也。さらは津の國の中に、海を南にうけし處にや。住の江の津の事、すの部に云へし。豐後に、しはづ山、笠ゆひ島在と云は、八雲の御抄によりて作りて云也。

師齒迫《シバセ》山十二  四極《シハツ》山の事といへと、荒熊のすむ山といへは違ふへし。猶未v詳。

下檜《シタヒ》山九  攝津風土記に、下樋山の由來《イハレ》見ゆ。其地指定かたし。

島熊山《シマクマヤマ》十二  是も津の國といへと、未詳。

白月《シラツキ》山十二  未詳。

四泥能《シデノ》崎六  伊勢の國也といへり。

茂《シゲ》岡六  紀の國也と云り。

白《シラ》崎九  同國。

白神《シラカミノ》濱  同國。

志賀麻江《シカマエ》七  思可麻|河泊《ガハ》十五  播磨の餝摩郡也。

師付《シヅク》之田井九  常陸の筑波山の茂けれは、麓《フモト》田を滴《シヅク》の田井と云也。

志留波乃伊宗《シルハノイソ》二十  遠江の國也と。

叔羅《シクラ》河十九  越中の國也。

信濃乃濱《シナヌノハマ》十七  同國なり。

澁渓《シブタニ》十七  同國なり。

然《シカ》三  和名抄、筑前の糟屋郡に志加の郷在。今現に那珂郡に志加島在と云。

新羅《シラギ》三  崇神紀に鷄林をしらぎとよめり。三韓の中の辨韓也。

鹽氣能味香乎禮流國《シホケノミカヲレルクニ》二  伊勢の國にての哥なれは、必彼國の海のみ鹽氣の薫れるとすれと、いつこにも海濱には云へし。此語は、神代紀に、我所v生《ウメル》之國(ハ)、唯有朝霧而薫滿哉《タヽアサギラヒテカヲリミテルカモ》と有を取たる(85)也。

潮干《シホヒ》乃山十六  生死の二つの海をいとひ見て潮干の山をしのびつるかもと云は、生死の二海を厭ひて、彼岸を願ふと云也といへど、潮干の山と云て、彼岸とは聞得へくも非す。且語義も通しかたし。

島曲《シマワ》一  島の、灣曲《メクリ》てさし入たる所をいふ。

嶋|門《ド》三  島に入江在て、舟泊りすへき所と聞ゆれと、古哥には海中ならぬ海邊をも島といへは、いつこの水門《ミナト》にも云へし。

標野《シメノ》一  標之《シメシ》野八  御狩野を云。常には禁制有て狩人の入ましき所也。しめは禁の字義、標は標木を立おかるゝ義也。

私田《シノビダ》七  是を、朝家に知せす作る田也。由てしのび田とよむと云説はわろし。さらば隱田《オンデン》とて、罪せらるゝ法有。いにしへの班田の法に、位田職分田功田守田神田私田等の別有事、令の義解に見ゆ。私田は口分田也。令に云、凡俗之口分田者、男(ハ)二段、女(ハ)減(ス)2三分之一(ヲ)1と見ゆ。十六歳以上は、口分に作るへき田を給はる。是を私田ともいへは、哥にはおのが田とよむへしと云り。口分とは人口《ヒトカズ》を檢《カンカ》へて、分ちあたへ給ふ也。

鹿猪田《シシタ》十二  小山田のしゝ田守るといひて、かれ等が荒す田と意得ん事、いかゝ。

科坂在《シナサカル》十九  越の國々へ行には、必坂路を越るとて、こしの國と云。坂路は科第の例に漸々に登るによりて書る字也。科品級、いつれもしなとよむ。

四忌屋《シキヤ》十三  醜の字義にて、いやしく見苦しき家也。鬼之《シコノ》志幾手同は、いかにも穢《ケカ》れに汚れたる(86)手也。しこの御盾二十は、我は云がひなき兵士ぞと云也。しこのしこ草四は、憂を忘草といへと、我には驗《シルシ》なきそと罵語《ノリコト》したる也。しこつ翁も、見くるしき翁ぞと云也。芦原國には、並ひなき見にくき男そとて、大名持の神を、芦原|醜男《シクヲ》と云|剃《ソシ》れり。しき、しく、しこ、通音。

愚人《シレヒト》九  しれたる人ともよめり。白痴の義にて、しら/\しく物に染ぬ故に、あからさまにて、たのもしからぬ人也。又世のしれ者そと、謙退して表にはいへと、裏《ウチ》には誇言とも聞ゆる有。

白玉之人《シラタマノヒト》九  君をも親をも妻子《メコ》をもうつくしみて、白玉とも玉とのみもたとへて、愛敬する也。又元興寺の僧の、己《オノ》か才學のあらはれぬを憤りて、白玉はよししらずともと誇りし言見ゆ。

之多敝之《シタベノ》使五  神代紀に、根《ネノ》國は下邊也と見ゆ。黄泉《ヨミチ》より使の來て迎へられん時、除《ヨギ》て通さんと云也。

色妙之《シキタヘノ》子十  敷寢の衣を敷妙と云より、馴々しき妻《メ》を敷たへの子と云なり。栲の字を當れりとするは誤也。たの部に云。

白妙《シロタヘ》一  たへ布の精製の白色をほめて、妙の字は書なり。

倭文幡《シヅハタ》三  倭文布《シヅオリ》也。釋日本紀に、大藏寮に古布有。白布に青條《アヲスヂ》を織交へたる文布《アヤヌノ》也。是古代のしづ織也と云り。倭文機《シヅアヤハタ》とは、異國の製にあらす。此國にて織初しかは、倭文とは書り。文の字は、青すちの文《アヤ》を云。大君の御帶のしつ機とよめは、賤服の義にあらす。思ふに、しつとは、沈の義にて、地の白色を織しづめ、青き絲を浮《ウケ》て文《アヤ》なせし歟。今の世に浮織《ウケオリ》と云物、是なるへ(87)し。浮沈は、反對の語なれは、しづりうけ織とも呼かはるへく思ゆ。倭文手纏《シヅダマキ》四、しづ織の糸を、卷子《ヘソ》にまくを云。すへて苧手卷《ヲダマキ》と云り。倭文幣《シヅヌサ》十七  しづりを幣《ヌサ》に奉るなり。

志都久良《シツクラ》十一  和名抄に、韈をした鞍とよむ、しづ、した、同音。車馬の鞁と云物とそ。

敷藻相《シキモアフ》二  敷毳《シキカモ》と云、略して敷毛と云。革疊《カハタヽミ》、毳席《カモノムシロ》、上古の臥具也。

信濃乃眞弓《シナヌノマユミ》二  弓は、昔甲斐信濃の國々より良弓を奉りし也。

白檀弓《シラマユミ》十  檀は弓の良材也とて、眞弓の木と云とそ。白檀の木、弓に製せしにや。恐らくは物違ふへし。

志之岐羽《シノギバ》十三  鷹の凌羽《シノギバ》をして、矢に矧《ハギ》たる也。風切の羽なり。

新羅斧《シラギヲノ》十六  辨韓國の製の斧なるへし。

之良奴里能鈴《シラヌリノスノ》十七  白金もて作りし鈴歟。ぬりのりは虚辭。いにしへ玉を奴と云語有。しろ金の鈴を玉とほめて云なるへし。

斯乎布禰《シヲフホ》十四  志富夫禰二十  河舟にむかへて汐船とは云。海をわたる船也。乎と富《ホ》と假名たかへり。いかに。

椎之葉爾盛《シヒノハニモル》二  家にあれは笥《ケ》に盛飯を、旅にしあれは椎の葉に盛ると歎き玉へるは、有馬の皇子の、捕はれて紀の國に召るゝ時、晝食《ヒルケ》をやきこしめしけん。飯笥《イヒケ》なくて廣葉かし葉なともあらす。さゝやかなる椎の葉に奉りしとそ。

白管自《シラツヽジ》三  躑躅花の白きを、今は朝鮮つゝじ、平戸つゝじなと云也。

四垂《シタリ》柳十一  和名抄には、小楊を、したり柳とよ(88)む。今見るに、多くは大樹の軟條なるこそ、しなへたるゝなれ。

白牡材《シラカシ》十  甜※[木+諸]《テンシヨ》と云木也。苦※[木+諸]アカラカシハ也。

四比乃故夜提《シヒノコヤデ》十四  東哥なれは、方言にて椎の小枝を云といへり。

之努布草《シヌフクサ》六  和名抄苔の部に、垣衣一名烏韮しのふ草と見ゆ。屋遊とも云て、屋の上の苔也とも云。今しのふ草と云物は、山谷に生《オヒ》て、軒のしのふなとはよむへきにあらす。

白木綿《シラユフ》花六  是は、楮《カヂ》の木の花の、むらかりて白く咲を、瀧川のむせぶにも、海の波がしらにも見立て云也。

白菅《シラスゲ》三  菅は簑笠に作りては、白き物の故に、しら菅と云とするを、否菅は砂の假言にて、白砂《シラスガ》也ともいへり。

皮爲醉寸《シノススキ》三  篠に似て、年靡くを云とす。一説は、皮の字、檜皮《ヒハタ》なと云例に、穗の皮《ハタ》こもりなるを、はたずゝきと云とそ。

白鳥《シラトリ》四  すべて羽毛の白きを云へは、鷺又|鵠《クヽヒ》をもしら鳥と云事、日本紀に見ゆ。倭姫の世記には、白眞名鶴とも見ゆ。

宍串呂《シヽクシロ》九  宍の肉を串にさして炙《アフリ》物にす。ろは虚辭。

鮪《シビ》六  鮪は大魚なるを、釣とよみしは、いかに。古事記には、鮪つくと有。大魚を捕へき業とおほゆ。上古は高官の人の名に付たまへるは、食料にものされしなるへし。

四時見《シジミ》六  住の江の小濱の蜆と云は、洲濱にさくりとるなり。

志長《シナガ》鳥七  尻長なる鳥の略也と云り。尾の長きを(89)後《シリ》長といはん事、いかにそや。又鳰鳥の水に入て息を長く堪るを、しなか鳥と云といへり。共に從ひかたし。

此米《シメ》十三  和名抄に、※[旨+鳥]は小青雀也。しめとよめり。今俗のあをじと呼物歟。

小螺《シタヽミ》十六  和名抄に、小※[羸の羊が女]子貌(ハ)似(テ)2田螺(ニ)1小口、有2白玉之|蓋《フタ》1者也。細螺とも云とそ。本草には、大如2小拳(ノ)1、青黄色、長(サ)四五寸、諸※[羸の羊が女]中肉最厚(シ)といへは、物たかへる也。

之麻津鳥《シマツトリ》十七  鵜也。此鳥、河洲に遊ひて、魚を捕る故に、洲《シマ》津鳥と云。つは虚辭。

強語《シヒコト》三  誣の字の義、言を加《ソ》へて云也。

布慕《シキシノブ》四  頻にしたふは、思ひに堪かたき也。

下言借《シタイブカシ》十一  心裏《シタ》にうたかふ事有。又|下咲《シタヱミ》しけんは、心地《シタ》に定めて喜《ウレ》しからんと也。

四具比《シクヒ》十六  物の咋合《クヒアヒ》をしくはすと今も云。

級照《シナテル》九  師名立《シナタテル》十三  階梯を云。さて其上りくたりを、山路に譬へし。照は假言。

之美佐備《シナサヒ》一  木草の茂盛するを云。しみは茂み也。さひはすゝむ也。後の哥に、木草の茂りゆくを、生《オヒ》すがふと云も同義也。

白土《シラニ》一  不知《シラズ》と云語を、下章につゞく時、しらにと云也。白土は假音。

思名比《シナビ》十三  春山のしなび榮ゆとは、嫋葉《ワカバ》の状、秋山の下部《シタブ》る妹と云も、秋葉の、露霜に嫋《ナヨ》やかなるを云。又木草の、冬にあひて、萎《シナ》ぶ凋《シボ》むと云も、同語にて、其時とかたちに付て、義は文章の意に聞ゆる也。假名の法則もて、萎凋はしなび、嫋葉はしなえ也と分つか如くいへと、此春山の榮えを、いかて萎凋の義とせん。又秋山(90)のしたぶる妹と云も、紅葉の色ににほひてなよやかなるをこそいへ。したぶ、しなぶ、通音。

示《シメス》三  今は事を教へしめすとす。古哥には、角《ツマ》の松原いつかしめさんと云は、家の妹にいつか見せんと云意そと云り。是も家に歸りて面しろかりし事をいひしめさんの義とせは、今古かなふへし。

之加須我爾《シカスカニ》四  しかしながらを約めて言。

凌《シノキ》六  物を侵《ヲカ》すと、物と競《キソ》ふとに云。奥山の菅の葉凌ぎ降雪は、きそふ也。雨をしのぐは、侵す也。めくらせて同義のみ。

漸々《シバ/\》七  屡の字かなへり。漸は進の義也。

沈《シツク》十一  しづく白玉は、水中に沈める玉石也。

思許里《シコリ》十二  しきりに同し。頻の字。

終《シミラ》十三  志賣良《シメラ》十七  晝はしみらにといふて、夜はすがらにと云に對語とのみにあらす。晝といへとも、物おもへは繁《シミ》らに、心のいとま《(マヽ)》く、夜はそれなからに寢もせで明すと云也。終日を、ひねもす、ひめもすなと云とは違へり。

鎭《シデ》而十九  之泥而《シデ、》六  神代紀に、懸の字をしでとよみ、古事記には、取垂なしでゝとよむ。鎭は取しつむる義を假て、しだゝると云を約めて、しでと云か語義也。

 

     須

 

渚崎《スサキ》一  海河の干潟に洲の差出たる也。

住吉《スミノエ》一  古事記に、墨江と書は假言にて、集中に、清江と書しは義字なるへし。日吉の社をひえの社とよみし哥、拾遺集に見ゆ。吉の字、共にえとよむを、中世より、住よし、日よしと轉訛す。(91)住の江、今の津守に在《イマ》すは、やゝ後の事にて、神功紀に見れは、長田生田廣田に並ひて、大津の渟名倉《ヌナクラ》の長峽《ナガヲ》に、始て住の江の神を鎭座せしめ給ふと有。さらに武庫|兎原《ウバラ》八部《ヤタベ》の三郡の間にして、今の兎原の里なる祠そ、いにしへの跡なるへく思ゆ。國郡の制《サダ》めなかりし上古の事なれど、神々を並びの丘にいはゝせしは、違はざるべし。又津の國の津々浦々の里々に、此神を祭らさるはわつかなるを、今も見れは、今の津守の祠も、其一所にてこそあらめ。伊勢物語に、住よしの郡、住よしの里、住吉の濱と云は、郡里の制めの後の事にて、今の住吉郡の津守の事なるはしるし。

住境《スミサカ》四  既に八十墨坂の下に云。名義は神武紀に見るへし。大和の宇陀郡の炭坂也。

菅原《スカハラ》六  同國添下郡に、菅原の伏見の里と云所也。

爲間《スマ》六  須磨と書て、常に意得れと、洲廻《スマ》の義なるへし。浦囘《ウラワ》を浦間とも云格也。津の國矢田部の郡也。

角田河原《スミタカハラ》三  廬崎の角田河原は、駿河也と云り。出羽武藏に同名在。

末之腹野《スヱノハノ》十一  末九  上總の周淮郡の原野かと云り。

酢我《スガ》島十  近江の淺井郡に鹽津菅浦とよめれは、菅島もそこに在かと云り。

須我能安良能《スカノアラノ》十四  信濃の國に在と云り。菅の荒野。

須蘇末乃山《スソマノヤマ》十七  皇神《スメカミ》のすそ末の山と云は、二上《フタカミ》山の哥也。高圓の宮のすそ末十九 と云も見ゆ。(92)又たゝに須蘇囘九 ともあるは、山の梺の廻りを云也。二上山を皇神《スメカミ》とよめは、二神《フタカミ》は伊邪諾《イサナキ》册《ナミ》の二神の鎭ります山也。

珠洲能《スズノ》海十七  能登の珠洲郡の海也。

須賣《スメ》神  打まかせては、天照す大神の御事にて、さて代々の帝を、すめらきとも、又すめ神とも崇稱し奉る也。

少名彦《スクナヒコ》三  大名持に對せし御名也。古事記に神産巣日《カンムスビ》乃神の御子也と云り。

賤兒《スゴ》一  酢子《スゴ》十  しづの子の約言と云り。是は菜つむ子、山田もる子を延て、菜つます子、山田もらす子と云也。

陶人《スヱビト》六  和名抄に、陶者すゑ物つくると見ゆ。

須米良美久佐《スメラミクサ》二十  皇御軍《スメラミイクサ》、官軍也。

墨繩《スミナハ》四  木工等《タクミラ》か規矩《ノリ》に、墨繩を引て曲直をはかる也。

搨衣《スリコロモ》十一  秋芽《ハギ》、鴨跖草《ツキクサ》の類を摘て、衣にすりつけ染るなり。

須我麻久良《スカマクラ》十四  是は菅もて束ねたる枕なるへし。大甞祭には、菅薦《スカゴモ》の端を卷て枕とする事あり。薦《コモ》枕とも云り。

食薦《スゴモ》十六  和名抄に食單、延喜式に葉薦と書て、共にすごもとよめり。飯を炊くに、竹或は芦|稻藁《イナガラ》の類を編《アミ》て、甑《コシキ》に入、蒸す料の具なり。布單を敷て蒸す事、中世よりあれは、食單とは書る歟。

須里夫久路《スリフクロ》十六  和名抄行旅の具に、※[竹/鹿](ハ)》竹器也。すりとよむ。いにしへは、旅行に、すり※[代/巾]、針※[代/巾]、火打※[代/巾]、ぬさ※[代/巾]等を取そろへて持し也。是等總て※[代/巾]の名有には、故《モト》は絹布もて縫たるを、(93)後には竹に編たる葛篋《ツヽラバコ》の類に作りて持たらん。中世の哥に、旅人はすりもはたごも空《ムナ》しきをとよみしには、衣服臥具を入るは旅籠《ハタゴ》といひ、※[竹/鹿]《スリ》は調度を入て持たるへし。※[竹/鹿]の字は、高篋也と見え、又書籍をも入ると有には、今のつゞら箱の類なるをしらるれと、此哥のすり※[代/巾]と云は、いまた布※[代/巾]にて、竹の※[竹/鹿]《スリ》はなかりし世なるへく思ゆ。和名抄に泥《ナツ》むへからす。

菅能根《スカノネ》二  菅乃|實《ミ》七  菅は水草にて、根長きもの也。又山に生するを山菅と云。

菅藻《スカモ》七  菅に似たる食品の藻草也。

須美禮《スミレ》八  和名抄に、菫菜、俗謂2之(ヲ)菫葵(ト)1と見ゆ。延喜式にも食菜に入たれば、中世までは食品也し事しるし。又つぼ菫と云は、葉の圓《ツボ》みたる一種を云歟。

未摘花《スヱツムハナ》十  紅藍の花は、末より摘とるを云。

菅《スガ》鳥十二  今よし原雀といふ物也とそ。未v詳。

渚《ス》鳥七  打まかせて千鳥を云。何鳥にも浮洲に遊ふにはいふへきを。

須輕《スガル》九  〓〓は、腰細き蟲也。女の細腰をすかるをとめと云。蜂の屬也とそ。

須受可氣奴波由麻《スヽカケヌハユマ》十八  鈴かけぬ驛馬《ハユマ》也。官馬には鈴を掛しむる事、孝徳紀に見ゆ、早馬を約めて、はゆまと云。驛鈴の製、朝々に改まりしか。其かたち種々有。

漁有《スナトリ》四  いさなどりを約《ツヽ》めて云。

多集《スダク》七  字の如く物の集りてをるを云。

須《ス》々|呂比《ロヒ》五  食飲を啜《スヽ》る也。すゝろひは延言。

酢四手雖有《スシタレド》十一  芦火焚屋は煤《スシ》たれどは、貧しき家の煤《スヽ》ごりたる也。すゝ師|競《キソヒ》九 伏屋燒《フセヤタキ》煤《スヽ》しきそ(94)ひてと云は、おしふせたらん状の小屋の、煙にすゝたるゝ也。きそふといへは、小家並ひの燒火の煙の、さしもいぶせきさまなるへし。

酢左備《スサビ》十  すゝみ也。

寸鷄吉《スケキ》十一  簾の透間を云。

須惠之多禰《スヱノタネ》十五  末世の業因を種《ウヽ》る也。

爲便乎奈美《スベヲナミ》二  周弊《スベ》奈伎五  爲方《センカタ》なしと、今は云語也。是は古意には、いと初《セ》めてなすべき方もなく心地まどひするに云。語義甚深重也。

 

     世

 

勢能山《セノヤマ》一  紀の國也。孝徳紀に、凡畿内、東(ハ)自2名墾《ナバリ》河1、南(ハ)自2紀伊(ノ)兄《セ》山1、西(ハ)目2赤石(ノ)櫛淵1、北(ハ)自2近江狹々浪1以來(ヲ)爲2畿内國(ト)1。帝畿内の製、そのかみは違へるを知らる。紀の川の北邊に在て、背山村と云郷名在。是紀の關ありし地なりと云。

石花之《セノ》海三  駿河の不二山の麓に、石花《セ》、河口、木栖《コス》等の湖水ありし。貞觀の炎異に、此海とも燒埋れし事、三代實録に見ゆ。

兄一  勢枯《セコ》一   仁賢紀の注に、古《イニシヘ》不(ハ)v2兄弟長幼(ヲ)1、女(ハ)以v男(ヲ)稱(シ)v兄《セ》、男(ハ)以v妹《(マヽ)》(ヲ)稱v妹《イモト》と見えたり。我|夫《ヲトコ》又|兄《アニ》のみならす、此集には友どちも兄と云あひし也。

 

     曾

 

背友《ソトモ》一  背面《ソトモ》の義、影面《カケトモ》に對して云。背面《ソガヒ》三は、背《ソ》むけと云に同し。せそ通音。

曾伎《ソギ》六  野のそぎ、山のそぎは、野山の極《ハテ》を云。天雲のそぐ敝《ヘ》の極《キハ》み三とは、天地四方の極《ハテ》までと云也。そぐへは、底方《ソコベ》の義と云り。天地の極《カギリ》の、其《ソノ》極邊《キハベ》にて、曾伎は其《ソノ》極《キハ》を約めて言なるへ(95)し。

染屋形《ソメヤカタ》十六  是は意得かたき詞也。おそろしき物をよむと有哥にて、奥國領君之《オキツクニシラスルキミガ》 染屋形神|之門渡《ノトワタル》と云は、おきつ國は黄泉也。其國は、奥※[幽+頁]にしてはかりかたし。其國を領せる君とは、閻羅王也。黄染乃館は、閻羅の王宮也。地下に在と云に付て、黄は土色なるをもて、黄染の館と云へきを、略して染屋形と云也。神は雷にて、黄泉《ヨモツ》坂に那岐《ナキ》の大神を追せまりし、八十《ヤソ》の雷の事也。門《ト》渡るとは、其恐ろしき神か、常に出入わたる館なりと云事かといへと、猶あやしく聞わきかたし。是等の事、ことわり得て何にかせん。

虚見津《ソラニミツ》一  天爾滿《ソラニミツ》同  是は虚爾見つと有を、宜しとす。其故は、饒速日《ニギハヤビノ》神の、天の石楠《イハクス》船に乘て、國々を見巡り給ひて、今の大和の國を、難波の海より天《ソラ》に望み給ひ、我住へき國そと定めたまひしと也。西海より望まは、伊駒葛城の嶺々こそ、あふきて見たまふへけれ。それは今は河内の國也といはんに、神代の昔、國郡の制《サタ》なかりしかは、すへて此あたりを、大和島といひけん。猶やの部の日本《ヤマト》の下に云。虚見つの方は、爾を付讀にすへし。滿《ミツ》は假言。

袖振山《ソテフルヤマ》十一  布留山也。袖ふる事、いにしへ人のする業を云かけたり。古衣著ならの里、衣かすがのよし木川の格なり。

宗我《ソガ》乃河原十二  高市郡に、宗我都比古(ノ)神社、式にみゆ。其邊にやと云り。

蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》十四  岨《ソヒ》の榛原也。岨は山にそひたる道也。そひそはとも云。

(96)袖|指代《サシカヘ》八  是は、相枕するには、かたみに袖の入たかふなり。眞玉手の玉|腕《デ》さしかへと云に同し。

袂著衣《ソデツケゴロモ》十五  宮人の袖つけ衣は、西土の服製にならひ、袖を別《コト》に縫つぎたる也。

袖振《ソテフル》二  いにしへ人は遠き國に行を送るに、高き丘にのぼり、其人の影見ゆるまで、長き袖或は領巾《ヒレ》をも打振て、招きあひつゝ別れを惜む事せし也。

袖|續《ツグ》八  棚機の袖つぐ三更《ヨヒ》の曉はと云。此語この外には聞しらす。袖さしかはすを、つぐと云し歟。又廣瀬川袖|衝《ツク》ばかり浅きをやとは、彼河水を掬《ムス》ふに、宮人の袖の長けれは、淺瀬に漬《ツク》と云也。

染木綿《ソメユフ》十一  白ゆふを色々に染る也。

其津彦眞弓《ソツヒコマユミ》十一  葛城の襲津彦と云人、強弩《ツヨユミ》を引たるより、其製の弓を、そつ彦眞弓と云也。此人の事、仲哀神功應神仁徳の卷々に見ゆ。

曾箭《ソヤ》廿  和名抄に、征箭と見ゆ。哥におふ曾箭のそよと鳴までとよめるは、箭の行羽音の事にや。羽によりて、音の高きか有。背《ソ》びらに負箭と云義歟。

空事《ソラコト》十一  大空に定めかたき言也。それをは、僞言にも云也。事は假言。(以上目安補正第二册)