(97)萬葉集目安補正第五
多
高照《タカテラス》一 是は、高光、高輝と書しも、共に高ひかるとよむへし。其證、古事記景行の卷に、たかひかる日の都、同雄略の卷に、たかひかる日の宮人と云詞有といはれしは、誠により所有は、是に從ふへきを、又按するに、天照す大御神と申奉るは、高天《タカマノ》原にいまして、天の下を照しまする尊號にて、天照す、高照す、全く同義ならずや。令盟《テラス》は御威徳の實用也。ひかるは餘光の形状にて、語義聊違ふへし。古事記と云書は、日本紀撰奏の後は、朝庭に御用ひなく、僥倖に世に留まりしかと、其全くはあらて有しを、中世に補ひしにやと思ふ事、所々有。此語も、高光と書るに、ふと意得て、高ひかるとよむへく補ひなせしか。高光と書も、高てらすとよむへし。高照とあるを、高ひかるとはよみかたけれは、古事記にはともあれ、是は古點のまゝに高てらすとよむへし。
棚引《タナヒク》三 霏※[雨/微]《タナビク》九 物、空中に横たはれる状《サマ》をいふ。雲、霞、又、霧を、たなぎらひと云。又、棚橋、棚機と云も、物の横たはれる語也。
田廬《タブセ》八 伏屋、ふせ庵とも云。いにしへは、里遠き田所には、刈をさむる間《ホド》のやとりを作るに、(98)柱はほり入、覆屋《ヤネ》は草を刈て取ふきて、押ふせたらん状《サマ》なる、かり初の屋なり。それを本にて、いやしき者の家をも、ふせ屋と云。
疊有《タヽナハル》一 山の立かさなり、巖のこりかさなれるをも、たゝなはる、又たゝみなしたるとも云。又たゝなつくとは、山の立並著《タチナミツク》と云也。
多|藝《キ》津|河内《カフチ》一 瀧川の見わたしを云。(以下頭注)たぎと濁りてよめと云はわろし。
珠水激《タマチラフ》一 玉水とよむは、わろし。岩はしるとよめと云り。玉ちらふとよむへく思ゆ。
田井《タヰ》九 田居の義として、田舍と云も同しと云り。赤駒の腹ばふ田井とよめは、家のさまならす。たゝ田所の事にて、西土の井田と云語を、こゝには田井と云歟。
橘|之蔭履路《ノカゲフムミチ》二 いにしへは、橘果を殊に賞玩ありしかは、實《ミ》植して其木の多く成しを、都わたりの大路には植並たるか。其木陰ゆくを、陰ふむ道の八岐《ヤチマタ》とは云也。
多未足《タミタル》道十一 上り下りて、打たはみたる道と云約言也。今も邊國には、峠《タフケ》をたわと云も是也。
瀧之宮古《タキノミヤコ》一 吉野の離宮也。今は宮瀧村と云所也。
河の南北の岸、すへて宮庭なるへし。櫻木の社には、天武を相殿していはひ祭り、御園の森と云も、吉野川の南の岸に立り。瀧の流、いと面白き所也。今は柴橋と云て、人尋ね見る也。里は河の北に在。
多義能御門《タギノミカト》二 多吉、太寸とも書は、必濁てよむにはあらじ。是は、飛鳥の郷の橘の島の御門と云て、草壁の太子の御所也。こゝも瀧の流の面白かりし名なるへし。流は即あすか川也。
(99)橘寺十六 同所なるへし。寺號は菩提寺と云。
立田山《タツタヤマ》一 大和の平群郡に屬して、河内に跨《マタカ》れり。今は龜瀬越、立野越とも云。
高野原《タカノハラ》一 同添下郡也。
高|圓《マド》山二 同郡春日山の南に在。高松と書たるもみゆ。通音なから違へて云歟。
高|城《キ》山三 吉野の山中に在。
竹田(ノ)原四 同十市郡に、竹田(ノ)神社、式に見ゆ。神武紀に猛田《タケタ》と書て、名義見ゆ。
手向《タムケノ》山六 佐保過て奈良の手向におく幣《ヌサ》はとよめは、奈良山の神に手向する也。相坂山の事と云は、今の京の人の、東國へ行に、先そこに手向して行故に、しか名付し也。菅家の、紅葉の錦神のまに/\とありしは、宇多上皇、大和の布留の瀧の御幸の時の哥なれは、是も奈良坂也。いつれの山路こゆるにも、其嶺には、山づみいのましませは、必幣を奉りて、手向して行事なりし。
多武《タムノ》山九 同十市郡に、今はたうの峯と呼。藤氏の祖廟なる事、三代實録に見ゆ。始は、津の國の島上郡の藍の郷に在しを、こゝに改葬有し也。
高橋《タカハシ》十二 石上《イソノカミ》の布留の高|梯《ハシ》也。是は、階梯《ハシ》を高く作りたるにて、橋梁《タナハシ》には非す。此事、垂仁の御時に、神寶の御庫《ミクラ》を作りて、是に登る料の高梯也。此典故を失ひて、諸社にも、池沼|小渠《コカハ》に高橋をわたせるは無實の事也。垂仁紀に見るへし。
玉久世《タマクセ》十一 山城の久世郡也。玉くせの清き河原とは、泉河の流《スヱ》の、井出の里にくたりて、井出(100)の玉川とも、玉水とも呼が、久世の郷にては、玉久世の清き河原と云也。
多奈久良野《タナクラノ》十九 山城の綴喜郡、棚倉の郷在。
高槻村《タカツキムラ》三 山城の高槻村は散にけるかもとよめる、此|村《サト》は、いつこかしらすと云り。高槻の樹《キ》はと有しを、誤れる成へし。
高|津《ツ》三 天の探女《サクメ》が石《イハ》船の泊《ハテ》し高津はあせにけるかもと云は、今も本國の東成郡に在。此丘の西畔まては、昔は海潮《ウシホ》の滿干《ミチヒ》有けん。仍てはやくに淺《アセ》にけんとは云。
垂水《タルミ》七 同豐島郡に、垂水の郷在。垂水の社と申も在。新撰姓氏録に、孝元の御世に、天下旱魃して、井河悉涸たり。時に阿利眞の君と云人、高樋を作りて、四山の垂水《タルミ》を通はしめて、宮中の眞名井に備ふ。其功に、垂水の公(ノ)姓を賜へりと見ゆ。孝元の皇宮は、大和の輕の境原《サイハラ》なれは、事明らかならす。たゝ四山の垂水《シタヽリ》を、田に灌《ソヽ》ぎしなるへし。阿利眞は有馬郡の人なるへし。
高師《タカシノ》濱一 大件の三津の下に、已に云。和名抄、和泉の大島郡に、高石《タカシ》の郷見ゆ。今は高いしと呼。
田上《タナカミ》山一 近江の栗原郡に在。
高|嶋《シマ》七 竹《タカ》島同 同高島郡の海中に竹《タカ》島と云島あり。竹生島と云も同郡歟、非す歟。
田跡《タド》河六 美濃の當耆《タキ》郡の多度山より流出るとそ。
高北之八十一隣《タカキタノクヽリノ》宮十三 景行紀に、美濃の國の泳《クヽリ》の宮見ゆ。八十一《クヽ》は戯訓。
玉浦《タマノウラ》七 紀の國の玉津島を云かと云り。哥の次手にては、備前備中の國に在か。今も玉島と云郷、(101)備中に在。又肥前の長崎を瓊《タマノ》浦と云は、別《コト》なる歟。
玉津嶋《々マツシマ》六 紀の若の浦を云。
絶等寸笶《タユラギノ》山九 小序に、播磨の娘子と有につきて、播磨の國と云り。未詳。
手結我《タユヒガ》浦三 多由比我多《タユヒカタ》十四 式に、越前の敦賀郡に、田結の神社見ゆ。其地歟。
多知夜麻《タチヤマ》十七 越中の國、今はたて山と云。
多流比賣能佐吉《タルヒメノサキ》十八 同國|礪波《トナミ》郡に比賣《ヒメノ》神社有。そこの洲碕にやと云。
田兒乃浦《タコノウラ》二 駿河の國不盡の山下也。
多古能海《タコノウミ》十七 多古能島同 越中の國也。
多期能伊利《タゴノイリ》十四 上野の國の哥に入たり。元明紀に、上野の國(ノ)甘良《カラ》郡の四郷、緑野《ミドノ》郡の三郷を割《サキ》て、多期郡を置ると見ゆ。伊利は入江を云歟。
高角《タカツノ》山二 石見の國に在。
多麻之麻《タマシマ》二 肥前の松浦の玉嶋川也。
多可知保乃多氣《タカチホノタケ》二十 日向の高千穗の峯《タケ》、火邇伎《ホニギ》の尊《ミコト》の降臨の地也。
玉江《タマエ》七 三島江の玉江、本國三島郡の江也。玉久世の清き流と云に同し。此江の流の清きを云也。
手節之《タフシノ》崎二 志摩國の答志郡也。
手綱乃濱《タツナノハマ》九 紀の國といへと、たしかならす。
玉纒田《タママクダ》井十 上總の國かといへと、たしかならす。
多可之伎《タカシキ》十七 對馬の上縣郡に竹敷《タカシキノ》崎、續日本紀に見ゆ。
※[采+女]女《タヲヤメ》一 女の婉※[巒の山が女]《ナヨヤカ》なる形を云。※[采+女]は※[女+朱]の字の誤歟。※[女+朱]《スウ》は美色也。
風流士《タハレヲ》二 遊士《タハレヲ》十六 共に宮人《ミヤヒヲ》とよめといふ。おもふてよるへし。
(102)手童兒《タワラハ》二 たは虚辭。わらはとは、童子の髪を放ちて亂たるを、草木の末葉のなびくをわくらはと云ひ、絹綿のみたれをわゝけたりと云より云歟。
帶乳根《タラチネ》三 赤子を養ひ立るに、日を足《タラ》すほとを、母の慈愛なれは、足《タラ》ちねと云て、母と聞へく云り。重日足姫《イカシヒタラシヒメ》の尊號には、日足《ヒタラシ》と有に、語とゝのへり。日と云語を略して云ん事、古言とも思えす。是は乳兒の養ひは、乳哺の足るを宗とす。又母の胸前《ムナサキ》に、乳の垂たる状を云とも云へし。猶考へし。
多良志比※[口+羊]《タラシヒメ》五 神功の尊號、息長足《オキナガタラシ》姫と申奉る、是におもへは、日足しの由もて、たらちねと云にはあらし。押足彦《オシタラシヒコ》なと申は、男君の尊稱也。さらは語義別なるへし。
玉|主《ヌシ》四 玉守とよめと云り。いかゝあるへき。
棚機《タナハタ》十 織女を、たなはたと云は、棚はた女《メ》の略也。棚ばたづめとも。
龍田彦《タツタヒコ》九 延喜式に、大和のへぐり郡龍田に坐《マス》、天津社、國津社、龍田比古、龍田比賣の社見ゆ。風神にて、五穀成就の祈年《トシコヒ》祭ありし事、日本紀にみゆ。後世、龍田姫は木の葉を染る神也と云は、文言によりて神名を汚し奉る也。此立田山は、いにしへ杣を入す。秋葉の茂くありしをもて、此姫神の手わさに染たまふと云戯れし也。此哥は、勤此花を風に散すなと、風神なれは、あつらへ告る也。神山なれは杣は入さる也。
多牟氣能可美《タムケノカミ》十七 已にも云。旅に立人は、山をこゆる時、先其|山祇《ヤマツミ》に幣散して手向をし、此旅恙なかれと祈る也。
(103)珠手次《タマタスキ》一 宮人武人とも、袖の長きには、事をなすには、必|手助《タスキ》を掛て袖をあぐる、其|手繦《タスキ》に玉をよそひしなるへし。
珠裳《タマモ》一 上に云如く、衣の袖|裳《スソ》に玉を裝ひし也。機織女の足玉も手玉もゆらにおる機とよめり。
玉|釧《クシロ》九 釧は、手臂《タヒヂ》に環をまとふを訓《クシロ》と云。古事記に、女鳥王の御手の玉釧みゆ。
玉|鉾《ホコ》一 神代紀に瓊矛《ヌボコ》と有も、玉鉾也。玉を沼《ヌ》と云は、滑《ナメ》らかなるをほめたる也。滑《ナメ》を、ぬとは約言。※[猶の旁]矛《ナガホコ》に玉を付たる也。
玉|※[草冠/縵]《カヅラ》二 かづら髪に、玉を貫《ヌキ》たる絲もて、結くゝりたるなり。梅柳かづらにかけてと云は、かづら糸に比して、かさしにする也。
玉|匣《クシゲ》二 櫛笥《クシケ》の清らなるをほむる也。玉匣とのみには、玉くしげとよみかたし。
玉|垂《ダレ》二 簾の清らなるを云。
玉(ノ)緒四 玉の緒もて貫つなぐ、それには長短有故に、人命のたとへに云也。
玉|纒之眞可伊《マキノマカイ》八 舟※[楫+戈]の柄《ツカ》に、葛緒《カツラヲ》等をうつくしげにや卷たらん。
竹玉《タカダマ》三 神代紀に、野篶八十玉籤《ノスヾノヤソタマグシ》と有は、さゝ竹の串を、玉とほむる也。今も遠國の神社に、竹《タカ》玉とて、竹をつぶ/\と切て、糸に繋きて幣《ヌサ》に奉る事有とそ。
玉|勝間《ガツマ》十二 玉かだまとも云は、籠を編る竹のうつくしきを云也。
玉松|之《カ》枝二 老松の、葉の圓《マロ》く成しを云といへと、それは一種にや。松子を、玉とほむるにも有へし。松の子《ミ》は、老松に成て子《ミ》も大きくなる也。
玉|葛《カツラ》二 かづら草に子《ミ》あるを云。
(104)玉|掃《ハヾキ》十六 玉箒|刈來《カリコ》とよみたれは、草の名と云り。今も泊瀕の山中に、一種の玉はゞきと云草は、地膚《ハヽキヾ》のことくにて、漆《ウルシ》付たるばかりの光澤《ヒカリ》有て、子《ミ》は蜀黍《トウキヒ》に似たり。又興福寺の什寶に、草箒に玉を著たるも有。彼山中の物に、かたとりしなるへし。
玉響《タマユラ》十 貫たる玉の、相觸て、動く状《カタチ》也。玉の緒を人命にたとふるも、此|状《サマ》を云也。
多麻古須氣《タマコスケ》十四 山菅の子《ミ》を玉と云。
靈合者《タマアヘバ》十二 心魂の相|合《カナ》ふを云。又大君の親魂《ムツダマ》あへやとは三御心にかなひて、むつましくおぼす也。
玉梓之《タマヅサノ》使二 書信の事を、玉づさとは、誰も心得れと、是そ聽へき説なし。
玉|令泳《オボラス》七 白玉を手にはまかずて、箱にのみおけりし人ぞ、玉おぼらするとは、玉を秘めて置は、水底に溺らすに似たりと云て、親のかしづくむすめを、親の心の頑愚《カタクナ》なるにたとへし也。
多麻提佐斯迦閇《タマデサシカヘ》五 眞玉手の玉手さしかへとは、男女相枕する時、玉腕をかたみに指かへて臥也。
多麻波夜須《タマハヤス》十七 玉を愛して取はやす也。
多麻伎能多麻《タマキノタマ》十五 海神《ワタヅミ》の手にまきもたる玉と云て、海底の鰒《アハヒ》玉をほむる也。
多可美久良《タカミクラ》十一 高座之《タカクラノ》三 神にも君にも其おはします玉座を去り。即位、朝賀、蕃客拜朝の日は、いにしへ大極殿に高|御座《ミクラ》をおきて、出御に蓋《キヌカサ》をさしおほひ奉るを、高|牀《クラ》の御笠山とはとりなして云り。
棚無小船《タナナシヲフネ》二 已に云。大船には舟棚と云物有。小舟にはそれなき也。
(105)栲衾《タクフスマ》十四 栲布の衾也。一には、たへ布と云。
栲領巾《タクヒレ》三 栲紲《タクナハ》二 栲角《タクツヌ》三 同布の領巾、繩、綱等也。是は、手輿の挽鋼、唐櫃等の物を荷ふ料の繩綱なるへし。今は綿布をもて製す。角《ツヌ》は綱の假言也。
多都可豆惠《タツカツヱ》五 手束《タヅカ》弓十九 弓にも杖にも手にとる所の一束《ヒトツカ》を名とす。
經緯《タテヌキ》六 織物の糸の經緯を云より、東西を日の經《タテ》と云、南北を日の緯《ヌキ》とも又日の横とも云。
拜奈禮能許等《タナレノコト》五 手馴たる琴也。
多田有《タタリ》十二 今も、機の具に、糸を卷おく物の古名也。大神式に金絡※[土+朶]《カネノタヽリ》見ゆ。木竹の制のみならす。
犢鼻《タブサキ》十六 犢鼻褌《トクビコン》と云、下袴也。足の犢鼻《トクビ》の穴《ケツ》をかぎりて製せし物故に、名付し也。たぶさきは、末の尖《ホソ》りたる形也。
多母登乃久太利《タモトノクダリ》十四 衣の袂《ソデ》の破裂《ヤレクダリ》たるを云。
疊薦《タヽミコモ》十二 薦もて製せし疊席也。
高杯《タカツキ》十六 杯の腰の高き也。
高部《タカヘ》三 和名抄に、※[爾+鳥]をたかべとよみて、似(テ)v鴨(ニ)有2小背文1と見ゆ。今かいつぶりと云物か。
多頭《タヅ三 鶴は、古言にたづと云し歟。たづきもしらぬと云に、鶴寸《タヅキ》と假言して書り。天《アメ》の鶴むらも、たづむらとよむへき歟。
多都乃馬《タツノマ》五 龍馬也。
多爾具久《タニクヽ》五 谷潜《タニグヽ》六 山|蝦《カハヅ》の一名也。溪流《タニカハ》をくゞりて遊ふ故に谷ぐゝと云。
雪穗《タヘノホ》十三 楮《タヘ》の莟《ホ》也。雪は白色の假訓。
玉藻吉《タマモヨシ》二 海に川に實《ミ》ある藻草を云。よしとはほむる也。一説あれと用ひかたし。
(106)手向草《タムケクサ》一 手祭種にて、幣帛を始、種々《クサ/\》の物を神に佛に奉るを云。
鶴寸《タヅキ》一 手著《タヅキ》にて、手寄《タヨリ》と云に同し。
多奈不知《タナシラズ》一 是は手練《タネラ》ひしらずと云にて、役民の君の爲に勞身を忘るゝと云り。さらは身もたゞしらずと云にて聞ゆる歟。たねらひと云語、外に見當らず。たな、たゞ、通音。
多氣嬰《タゲバ》奴禮二 束《タガ》ぬれば髪のさね葛《カツラ》の汁にぬれぬれとする也。
手火《タビ》二 夜行には手松明《テタイマツ》をかゝけて行也。
黙然居《タヾニヰ》而二 字の如く、むだに居る也。
直《タヾ》二 直香《タヽカ》四 直向《タヽムカフ》同 字の如く直《ヤヾ》にと云也。ただかは直所《タヾカ》也。其所にたゞにと云也。まさかと云も同意也。
多何禰《タガネ》九 つかねと云に同し。
多久《タグ》九 たぐる也。蜑の繩たぎとは、網引の綱を引たぐる也。
多夫手《タブテ》八 礫をつぶ手と云通音也。
田本欲《タモトホリ》七 他囘《タモトホリ》、徘徊の義にて、立もとほる也。
建怒《タケビ》九 神武紀に、雄誥の字をたけびとよめり。誥は叶はず。たけび、をたけぴ、共に雄猛の義也。
多夫禮《タブレ》十七 戯れ也。
多波和射《タハワザ》二十 いざ子ども、たはわざなせそとは、おろそげに打誇りて、戯れはかりの事はせなと示す也。此子どもは、嬰兒にあらず。叛人等を指て罵《ノリ》て云也。
高知坐而《タカシリマシテ》一 高敷とも云。王宮の高く望まるゝを云。
絶多日《タユタヒ》二 猶豫不定《タユタヒ》二 下なるは、義もて書り。(107)心の定まらねは、ためらふ也。
邂爾《ダマサカ》六 邂逅の義也。行適相直《ユク/\アヒアフ》と注するを、稀に逢に轉して云也。一所|多鷄蘇可《タケソカ》と云語見ゆ。多|鳴《メ》蘇可にて、たまさかと通音なるへし。
谷《ダニ》二 たゞにと云を上略して云。是は必、上にうくる語の有て云也。
手寸十名相《タキソナヘ》十 植し名しるく出見れはと云は、たぎは、たがねにて、束《ツカ》ねそなへて植し也と云説あり。猶未v詳。
多頭《タヅ》々々思《シ》十一 たど/\しと云に同し。事のすすみかぬる也。道ゆくに、はかどらぬにも云。
一伏三起《タメテ》十二 梓弓末中ためてとよめり。弓に弦はぐる業ぞと云へと、字につきては、そのかみの業《ワザ》はかりかたし。
高々《タカ/\》爾十二 遠々にと云に同し。
多豆久利《タツクリ》十七 足結《アユヒ》たづくりと云は、手造《タツク》りにて開ゆ歟。たは虚辭とも云り。
楯《タテ》一 和名抄に、楯、又云歩楯。狹而長(キヲ)曰2歩盾(ト)1。歩兵(ノ)所v持也と見ゆ。
栲《タヘ》 楮の字の誤かと云り。栲は物たかへは、しかるへし。
知
知可能岫《チカノクキ》五 肥前の松浦郡値嘉の島山の岫也。
千沼囘《チヌワ》六 陳奴乃海《チヌノウミ》七 珍《チヌノ》海十二 今の攝泉の境の津、いにしへの血沼灣《チヌワ》也。
千江之浦《チエノウラ》八 近江かと云り。未v評。
知多能浦《チタノウラ》七 尾張の知多郡に在。
知具麻能《チクマノ》河十四 信濃の筑摩郡に在。
知利比治《チリヒチ》十五 塵土也。物の小《イサヽカ》なる譬《タトヘ》に云。
(108)千引之石《チヒキノイシ》四 神代紀に千人引《チヒキノ》石と有は義字也。
千早人《チハヤヒト》七 國に仇する人を云。又千はやぶる人とも云り。又ちはや人氏とつゝくるは、物の部の八十氏川に同し。
力車《チカラクルマ》四 字の如く、物多く積て、人の力におし立行也。
知々之實《チヽノミ》十九 何の木子《コノミ》そ。東俗の銀杏樹を、ちちの木と云といへり。
千名之五百名《チナノイホナ》四 名の立て、あまたに云さわかるるを云。八百に千に人は云とも十二 とよめるも有。
千重《チヘ》乃|一隔《ヒトヘ》四 俗に千に一つと云に同しく、たまさか事を云。
津
月讀《ツキヨミ》四 月讀|壯子《ヲトコ》、月人|壯《ヲトコ》なとも見ゆ。月の神の御名にて、神代紀に月弓(ノ)尊《ミコト》とも申せり。月人男は、彦星の上にいふ。
月之内(ノ)楓《カツラ》四 月中(ニ)有v河、水上(ニ)有2桂樹1、高(サ)五百丈と云、道家の説を指て云也。楓の字、かつらの木の下に已に云り。
月(ノ)船七 片われ月の状を見立し也。
追都美《ツヽミ》井十四 堤井と云は、いかゝにや。一には池水を放《ヤル》細川の水也と云り。さらは堤|堰《ヰ》の義也。又|筒三《ツヽミ》井と云は、異にうけかたし。(以下頭注)後世に井を夕に封せるを包井と云。
妻吹風《ツマフクカセ》一 衣のつま吹かへす風也と云り。一本に、妻は雪の字、雪吹《フヽキ》の風と有。此方宜し。
都夫禮石《ツブレイシ》十六 つぶて石也と云。いかゝにや。
管木之《ツヽキノ》原十二 山城の綴喜郡に在と云り。
(109)劔池《ツルキノイケ》十三 大和の高市郡に在。應神紀に、此池を堀事見ゆ。又舒明皇極の二紀に、瑞蓮此池に生す。今香具山の南の麓にある池なりと、大和志にみゆ。
海石榴《ツバキ》市十二 初瀬の郷に隣る事、後の物語ぶみに見ゆ。
都賀野《ツカノ》十一 仁徳紀に、兎餓野《ツカノ》と見ゆ。高津の皇宮近き所に在へし。
角《ツヌノ》松原三 津の國武庫郡西の宮の驛の東に、津門《ツト》村在。つぬ、つと、通音。
都多乃細江《ツタノホソエ》六 未考。播磨、津(ノ)國の間に在へしと云り。今の兵庫の津に、細江と書て、さび江とよむ所在。
筑波根《ツクハネ》八 筑波山九 常陸の國にかくれなし。
都久麻《ツクマ》十三 近江の坂田郡筑摩の郷。
角《ツヌ》島十六 長門の國かと云り。
都武賀野《ツムガノ》十四 未考の國の部に入。
机之《ツクヱノ》島十六 未考。
角農《ツヌノ》浦二 石見の野賀郡|都農《ツヌ》の郷在。高角《タカツヌ》山はそこに在へし。
筑紫《ツクシ》三 筑前筑後を筑紫といひ、肥の前後を火の國といひ、豐の前後をとよ國と別ちて云しを、後には薩摩大隅日向をかけて、筑紫九ケ國と呼事と成ぬ。
嬬屋《ツマヤ》二 妻を居《スヱ》おく室也。八重垣造る其八重垣をの神詠は、是也。家に來て妻屋を見れはといへば、同居の内にて住わかてる状也。
官《ツカサ》八 百官各つかさ有。和名抄官職の部に見るへし。
裹《ツト》三 字の如く、物を取つゝみをさむる也。旅に(110)出て其國々の産物をつゝみ取て、家に歸るを、家づとゝ云。山に山づと、海邊には濱つとゝ云。つとは略語也。
橡衣《ツルハミノキヌ》七 和名抄、染色の具に入。橡《ツルハミ》の子《ミ》を煮て、其汁にて、何の色にも下染にせしと也。苦※[木+諸]《アカカシ》、甜※[木+諸]《シラカシ》、いつれの子《ミ》にや。橡の字は當らすと云り。
露分衣十 朝參の人の、夙《ツト》に起て參るより、旅行に朝夕の露ふかく、衣のぬれとほるを云。
嬬喚《ヅマヨブ》舟十 妻|迎《ムカヘ》舟九 二星物語に云。
列々《ツラ/\》椿二 此花は、つらなりて咲物故に云。別につら/\椿と云種あるに非す。椿は大樹當らす。山茶の一種と云り。又海石榴と書も當らす。
槻《ツキ》乃木二 今はとがと云木也。
柘之《ツミノ》左枝三 和名抄に、桑柘をつみとよ(め脱カ)り。桑の類に柘なし。但蠶書に、柘葉飼v蠶と見えしによりて、桑、柘、一種にあやまれり。二木の葉、共に摘て飼蠶《コカヒ》する故に、つみの木とは云へし。左枝は早枝也。
妻梨《ツマナシ》十 梨の木也。妻なしと云は文言也。
爪木《ツマキ》七 すへて材の屑《ハシ》をつま木と云。
月草《ツキクサ》四 和名抄に、鴨頭草と書は、此集に同し。鴨跖草の誤也。染つきやすき花故に、つき草とは云歟。月は假言。今は露草と呼也。山藍摺に對して、野摺とも云。花は、朝に開きて夕に凋む。故に、つき草の假なる命、又消へき戀十 ともよめり。
土針《ツチハリ》七 和名抄に、王孫一名黄孫、つちばりとよめり。
都保須美禮《ツボスミレ》八 菫二品有。花の色紫に葉|尖《ホソ》きと、(111)又花少く藍を帶て葉圓きを圓《ツボ》菫と云。木工の墨斗《スミツホ》に似たる状そとも云り。圓《ツボ》やかなる方にや云へき。
茅《ツ》花八 此物を囓《クラ》へは、肥健《コユル》よしによめれは、そのかみは食品なりしか。はやく延喜式の菜類に見えす。茅《ツ》花、又|茅生《チブ》、淺|茅《ヂ》とも云て、葉の秋に色よきをもよめり。
都萬々《ツマヽ》十九 越中の國産、岩上の樹とあれと、いかなる木にや、知らす。國人に問へし。
都奈之《ツナシ》十七 今は※[制/魚]魚《コノシロ》の小なるを云。
燕來《ツハメクル》時十九 禮記の月令に、仲春之月鴻鴈歸、是月也玄鳥至と見ゆ。
角之布久禮《ツノノフクレ》十六 牛鹿等の角|※[暴+皮]《フクレ》たる状を、人の面の下ふくれなるにたとへたり。
束間毛《ツカノアヒタ》一 手一束のわづかなるを、しはしの間にたとへたり。
爪引夜音《ツマヒクヨト》四 宿直《トノイ》人の弓弦引鳴して守明す音也。撮《ツマ》みて引故に云歟。
嬬問《ツマドヒ》四 女に懸想して言よるを云。
都良々々《ツラ/\》一 都良々十五 徒然の状を云。又つれつれとも、又|班列《ツラナル》にも云。哥詞に分つへし。
都豆之呂比《ツヽシロヒ》五 つゞしりを延て云。一口づゝ物を喰つむ事より、物かたりするをも、つゞめくと云。又つゞしりうたふとも云は、打つゞかす云状也。又文をつゝると云も、すみやかならぬ也。
都々美無《ツヽミナク》五 いにしへ恙《ツヽカ》と云蟲の、山野に人を害せしかは、旅ゆく人のさはりなきを、つゝみなくと云し也。今は恙無しと云。
集有《ツドヘル》九 物の集るを云。朝參の人々の、夙《ツト》めて集《アツマ》(112)るを云か本義也。
都伎合《ツキガテ》十六 食菜を搗まじへるを云。今の韲《アヘ》物也。
傳言《ツテコト》十九 言を人に傳ふる也。
都麻和可禮《ツマワカレ》二十 東《アツマ》男の妻別れ、防人《サキモリ》の門出の状也。
乍《ツヽ》一 此語は、物を云重ぬる也。雪は降つゝは、雪はふりつ、雪はふりつと云義にで、他もすへて此ことわり也。後世に、さま/\の義ありと云は、古語を解得ぬ惑ひより、よみし詞章に煩はさるゝ也。さて乍の字をつゝとよむ事、字例無し。是は忽也暫也と注す。按するに、乍の古字、〓と書を、仝の字にや見たかへけん。西土の書法に、行行看看《ユクユクミルミル》を行二看二と書は、仝の略字を二と書し也。國語には、行二看二《ユキツヽミツヽ》とよむへし。此書法を、そのかみの人の見たかへけんかと思ゆるは、いかに。
都禮毛無《ツレモナク》四 列なくにて、獨行の義より轉して、人をつれなしとは云。
都婆良《ヅバラ》々々々十八 今はつまびらかと云語也。冠辭の淺茅原械の音等に云るに見るへし。
天
手兒《テゴ》乃|欲比左賀《ヨビサカ》十四 手兒の呼坂也。駿河の國かと云は、彼國の風土記に、此哥を神詠として入たるによれり。もとより神の哥ならぬ事、此集に明らか也。夫《ヲトコ》の旅ゆきを送り出て、影見ゆる迄呼かはしたる坂路の、名におひたるものそ。ひれふる山と云に同し。國は未v詳。
寺井《テラヰ》十九 越中の國にての哥なれは、かしこに在。よき等《(マヽ)》泉なるへし。
(113)照左豆《テルサツ》七 天良左比《テラサヒ》十八 てるとは、衒賣の義。俗に、世にてらふと云は、己か所業《シワザ》を、世に照かゝや《(マヽ)》す嗚呼者《ヲコモノ》の態《ワサ》也。さつは幸《サツ》人にて、狩人の獲《エ》物に誇りたるを、てるさつと云といへり。てらさひは延言。
手染之糸《テソメノイト》七 河内女の手染の糸といへは、賤しきものゝ所業《シワザ》と意得るは、いにしへならす。高貴《タカキ》人も、染ぬふ業はみづからせし也。
手斧《テヲノ》七 和名抄に※[金+斤]の字を用ふ。
手玉《テタマ》十 手玉足玉の事、已に云り。
手母須麻《テモズマ》八 此語知かたし。北越の方言に、手づからせし物を、手もづら物と云は、大方に心かなへる也と云し人有。
手越折《テヲヲル》八 指《ユヒ》を屈《ヲル》と云に同し。
手豆久利《テツクリ》十四 調布を手づくりとよめば、調貢《ミツキ》の布は、殊に搗晒《ツキサラシ》よくして奉る。是《コ》は手作り也なと奏せしにや。和名抄に、白絲布を手づくりとよむも、精製の義と思ゆ。
登
豐旗雲《トヨハタグモ》一 豐は大なる状也。是は、雲の靡きの、大幡に似たるを云也。
常闇《トコヤミ》二 神代紀に、天照す神の岩屋戸こもりに、世は常住の闇と成しと云より、人の上にも、よき人の世に亡《ナク》成しを云。
殿雲流《トノグモル》三 棚《タナ》曇るの通音。中空に雲の棚びきて曇るなり。
時風《トキツカゼ》二 時雨、時風は、十雨、五風と云に同しく、日次《ヒナミ》つがひよく吹風也。
時自久《トキジク》一 雨風雪なとの、しき/\に降くるを云。(114)不v時(ナラ)の義也。
年之緒《トシノヲ》四 年の緒、息の緒、玉の緒の命なとのに同しく、連續の義也。
毎年《トシノハ》六 年々の始と云、略語也。
年功《トシキハル》十一 玉|極《キハ》るに同しく、年の終る迄を云。
豐之登之《トヨノトシ》十七 豐年《トヨトシ》とも云。有年の事也。字書に豐は大也。大年とも云。年は稔也。穀熟と見ゆ。國語に、登之《トシ》と云は、即穀子の事也。晩稻を奥津御年《オキツミトシ》と祝詞《ヨコト》に見ゆ。豐はこゝには大に盛なる義とす。大聲を、とよむ、とよみと云は、用語也。鹿の音を山下とよみと云類、又水の音にもしかよめり。
豐國《トヨクニ》三 豐の前後の國也。
鞆《トモノ》浦三 備後の國に在。
鳥籠《トコノ》山三 近江の犬上郡に在。
飛羽《トバ》山四 大和の國歟。笠の娘子《ヲトメ》か京によめる哥なれはと云り。
遠里小野《トヲサトヲノ》七 攝津の住吉の社の東南に在。
遠津之濱《トホツノハマ》七 遠津大浦十一 近江の高島郡かと云り。
跡見乃丘《トミノヲカ》八 神武紀に、弓弭《ユハズ》に金色の鵄《トビ》のとまりしより、其地を鵄《トミ》の郷と云由也。式に、城上郡に等彌の神社見ゆ。
取石《トロシノ》池十 聖武紀に、和泉(ノ)國|取石頓宮《トロシノカリミヤ》在。
取替《トリカヒ》川十二 和名抄に、大和の添下郡に鳥貝の郷在。津(ノ)國島下郡にも鳥飼の郷在。
遠知《トホチ》十三 近江の坂田郡に在と云り。
刀比能可布知《トヒノカフチ》十四 足柄《アシガリ》の土肥《トヒ》の河内《カフチ》、相摸の國也。
等夜乃野《トヤノノ》十四 國郡未考の部に入。
(115)刀奈美夜麻《トナミヤマ》十七 刀奈美能勢伎十八 共に越中の礪波郡に在。
常世《トコヨノ》國四 海外に、其名たしかならぬ國を云。西土より此國を蓬莱洲と云に同し。又浦島子の哥に、常世方《トコヨベ》と云るは、いつちしらす。白雲の立なびきて去也。
常宮《トコミヤ》二 帝都の久しきを云より、轉して、至尊、太子の陵墓をも、長く宮居し給ふと云也。西土に長夜の室の格也。
礪津宮地《トツミヤトコロ》十二 外《トツ》宮にて、離宮の地を云。
遠乃朝廷《トホノミカド》三 筑紫路の遠の御門とは、海内のかきり、大君の御門《ミカト》の中そと云也。畿内を御垣の内つ國と云格也。又國府を、いつこにも鄙《ヒナ》の都とよむ也。人丸の哥に、大君の遠の御門と、有かよふ島門を見れはと有は、石見の任の往來の道ゆきふりにて、筑紫の事にあらぬを、小序《ハシ》に、筑紫に下向の時と有は、此遠の御門とは必筑紫の事そと思ひて、後人の小序《ハシ》脱《オチ》たるに補ひしなるへし。人丸筑紫に下向の事あらは、彼國々にも行程《ミチ/\》にも詠哥有へし。集中に小序を脱せし哥には、後人の補ひて、又後の惑ひとなる事、往々見ゆ。
常滑《トコナメ》一 事物に付て久しく變らぬを云。常並の義也。
床磐《トコイハ》六 常磐《トキハ》は約言也。
遠津神《トホツカミ》一 至尊を崇稱する事、已にあきつ神の下に云り。
常處女《トコヲトメ》一 長く相見んのいはひ言也。
舍人《トネリ》二 殿守《トノモリ》を約めて言。殿舍の所々に參りて仕ふる故に、舍人と書也。
刀自《トジ》四 允恭紀に、戸母を覩自《トジ》とよめり。戸主と(116)云に同しく、人の妻《メ》は家の小事を主《ツカサ》どるを云。老女の事とするは違へり。坂上の郎女《ヲトメ》の、我|女《ムスメ》を我子の刀自《トジ》と云しは、家持卿の妻《メ》也。後の物語に、家とうじと云語見ゆるは、轉訛の俗語也。又下世に、いはらじと云語は、戸主《イヘアルシ》の略語なれは、古言のとじにかなへり。
富人《トミビト》五 字の如く、富豪の人也。
伴雄《トモノヲ》六 伴部《トモベ》同 八十伴男《ヤソトモノヲ》は、すべて武人の事を云。大伴部は武官の始也。
遠嬬《トホヅマ》八 任國に出、又遠國に使する人の、都なる妻を云。又筑紫の防人《サキモリ》に差れて、我本國なるをも云。
時守《トキモリ》十一 漏刻を司《ツカサ》どりて、十二時を鐘皷に奏する人なり。
等富都比等《トホツヒト》五 遠津人十二 遠國に在る人を本語にて、鴈の常世の國より來たるをさへたとへて遠つ人と云。
鞆《トモ》一 鞆は左の臂に著て、袂《タモト》をおさへ、弓弦のかへりを遮る具也。弦のあたりて音すれは、丈夫《マスラヲ》の鞆《トモ》の音す也とはよむ。
飛火《トブヒ》六 狼煙に變事を告る火也。軍防令に委し。狼の糞の烟は高く上ると云り。
鳥※[土+而]二 鳥の寐牀《ネグラ》也。
鳥網張《トナミハル》十三 網を張かまへて鳥を捕る業也。
豐御酒《トヨミキ》六 大御酒《オホミキ》と云に同し。
解洗衣《トキアラヒキヌ》七 垢つきし衣を解て洗ふ也。解衣《トキギヌ》とも云。
樛木《トガノキ》一 つかの木とも云。
常葉之樹《トキハノキ》六 とこはとよむにつきて、石にはときは、水にはとこはと云別つへく云は、惑へり。冬青の木の常なるを、石のときはにたとへし也。(117)かゝる語は、文章につきて分つを、何のことわりめきて云や。
常花《トコハナ》十七 橘花を云。橘は常《トコ》にもがもとは、此花常にも咲よかし、時鳥の音も絶ましと云也。花は常なき故に願ふ也。
等許余物能己能多知婆奈《トコヨモノノコノタチハナ》十八 常世物、此橘子はと云は、常世の國の物そと云也。
登乎能多知婆奈《トヲノタチハナ》十八 常世物に同しく、遠き國の物そと云也。遠は、とほの假名也。登乎《トヲ》とは法則いかに。
取與呂布《トリヨロフ》一 取そろふと云に同し。
侍宿《トノイ》二 一に殿居《トノヰ》の義とすれと、居るとは晝夜を分ぬ事也。宿直は、殿中の所々に、官司《ツカサ/\》の夜の守りをする義也。とのい物とて、臥具等をまて持せゆくは、殿寐《トノイ》の義也。
磨師情《トギシコヽロ》四 君に仕へて丹心を顯すを、刀劍鏡等を麿《トグ》にたとふ也。
利心《トコヽロ》十一 疾《ト》心とも。
鳥獵《トガリ》七 初鳥獵は、秋に成て、鷹の手つがひを始る也。打まかせての鳥狩は冬也。
友之驂《トモノゾメキ》十七 友のぞめきと云語、いぶかし。一説に、さわぎとよめと云り。驂は、乘(ル)v車(ニ)に法有と云字也。猶未詳。
等乎牟麻欲比伎《トヲムマヨヒキ》十九 おきつ波とをむ眉引《マヨヒキ》とは、波の立居のたわむを、黛《マユスミ》に見立し也。
鳥總立《トブサタテ》三 是は、宮材《ミヤギ》船材《フナギ》等を、山に入て伐るに、先其樹の最末《ホズヱ》を伐て、山の神に奉りて後、斧を入る事とそ。今の俗に、高き木の末を、とぼさきと云は、似たる語也。島總《トブサ》は假言、遠尖《トホサキ》の義歟。
(118)乏《トモシ》一 少《スクナ》き義より轉して、古言には、必珍らしき事に用ふ。等乃斯久《トノシク》五 とも云は、通音と云り。
十依《トヲヨル》七 十緒《トヲヽ》十 たわゝと云に通して、とをゝ、とをよるとも云り。十《トヲ》は假言ながら、假名の法は、とほ也。とをに言を假るは、是も法則無き者也。
萬葉集目安補正第六
奈
鳴神《ナルカミ》六 常には雷鳴《カミナリ》と云。
夏影房《ナツカゲノネヤ》 夏は涼しき陰を寐牀とす。影は假言、陰なり。
九月《ナカツキ》十二 拾遺集に、夜は長月とよむに皆從へど、夜を略しては語義なし。一説、稻苅月《イナカリツキ》を約めて言とす。猶可考。
霖禁《ナガメイミ》十六 霖雨にさへられてこもりをる、雨づゝみ、雨ざはり等に同し。
浪之共《ナミノムタ》 共《ムタ》の下に云。風のむたとも見ゆ。共の字につきて、波とゝもにと云義とす。一に波の立重なるを、物の二重なれば、むだ事と云也といへと、それは強《シヒ》たることわり也。むだは、むなしきと云に同しけれは、共の字を用ふるに由なし。古語には、いかにとも今は解しかたき事あり。あなかちに云とも、人|肯《ウク》へからす。
奈々勢能與杼《ナヽセノヨド》五 松浦川七瀬の淀、鈴鹿川八十瀬(119)と云に同しく、淀瀬の多き也。
奈美乃保《ナミノホ》十四 神代紀に、浪穗《ナミホ》之上と云詞見ゆ。波の花といふに同しく、波かしらの事也。
奈良能山《ナラノヤマ》一 大和の添下郡に在て、山城の相樂郡の界《サカヒ》也。名義は、崇神紀に、官軍屯衆(シテ)、※[足+滴の旁]2※[足+且]《フミナラス》草木(ヲ)1、因以號2其山(ヲ)1、曰2那羅山(ト)1。
哭澤之神社《ナキサハノモリ》二 古事記に、坐2香山之畝尾(ニ)1泣澤女(ノ)神と見えたり。かく山に、今もかぐ山の辨才天の社と申は、それを兩部家に混したる歟。
夏箕《ナツミ》川三 吉野川の流の、夏見の里に來て、なつみ川と云也。
平城之明日香《ナラノアスカ》六 元正の靈龜元年に、飛鳥の法興寺を、奈良の六條の第四街に遷されて、元興寺と改めさせ給。是を奈良のあすか寺と云也。
莫越《ナコセノ》山十 巨勢山也。我せこをなこせの山と云しは文言也。
浪柴野《ナミシバノ》十 よなばりの波柴野とまめは、宇陀郡の吉隱《ヨナバリ》に在べし。
名木《ナギノ》川九 和名抄に、山城の久世郡に那紀の郷在。泉河の未の、こゝにては名木川と云歟。
難波《ナニハ》之|國《クニ》三 本國西成郡の今宮の莊に、今は難波と書て、なんばと呼郷あれと、そこを見るに、上古は海潮の滿干ありて、人の住へき所とも思えす。又河邊郡に、今は尼が崎と云郷の北に、灘波村在。此あたりなるべく思ふ事在。我國號篇に説有。こゝには略す。
長柄《ナガラノ》宮六 孝徳紀に、津(ノ)國の長柄の豐碕に都を遷し給ふとみゆ。今の西成郡の長柄の本莊と云郷に、午頭天王の祠有森を、宮址也と云り。本莊は、長柄の本莊にて、東に長柄南北の二村在。(120)長柄川其北に流る。然とも古書古哥を按するに、里も川も地圖《クニカタ》いにしへに非す。此皇都の考へも、難波の宮も、國號篇に附て言り。こゝには言長けれは略す。
名次《ナツギ》山三 同國武庫郡に、名次の神社、式に見ゆ。今の西の宮村の北に在べし。
奈呉《ナゴノ》海七 住の江のなごの海といへは、そのかみは兎原武庫の海上を云しかと思ゆ。
名寸隅《ナキズミ》乃船瀬六 播磨の加古郡に在し魚住の湊也。此泊を船所《フナセ》と云なるへし。此湊、風波に崩れて、船の通ひ、むなしくこゝを過る故に、破損多く、旅人の命を殞《オト》す事を歎きて、三善の清行卿の異見封事の第十二个條に、奏聞の事見ゆ。哥に名寸隅《ナキスミ》と見ゆれは、魚住もなきずみとよむへき歟。
名草《ナグサ》山七 紀の名草郡在。
名高《ナダカノ》浦十一 紀の國の名高の浦とよめり。
連庫《ナミクラ》山七 さゝ波のなみくら山とよめは、近江の滋賀郡に在。
鳴門《ナルト》十五 周防の玖珂郡大島の鳴戸也。
長門(ノ)浦十三 小序に、安藝(ノ)國長門(ノ)宮(ノ)船泊(ニテ)作哥五首十五 と見えたり。
中之水門《ナカノミナト》二 讃岐の那珂郡に在と云り。
毛無之丘《ナラシノヲカ》八 神なひの岩瀬の森をよみ合せたれは大和也。毛無は戯訓。
七賢人《ナヽノカシコキヒト》三 晋の七賢、阮籍、山濤、劉伶、※[禾+(尤/山)]康、阮咸、向秀、王戎等也。
哭兒成《ナクコナス》二 嬰兒の親をしたふ如く、別れを悲しむ状《サマ》也。
弟乃命《ナセノミコト》九 名兄《ナセ》乃君十一 兄弟長幼を云ず、兄と(121)稱して云事、已に云り。
鳴波多※[女+感]嬬《ナルハタヲトメ》十九 機おり女《メ》也。機は織るに音高きをいふ。
奈加弭《ナカハズ》一 古弓の製に、弦の中央《ナカラ》に、金の空洞《ウツロ》なる物を著《ツケ》て、それを糸にて卷立て、矢を夾む所を定む。是軍に出て、矢つぎ早ならん料也。それか弓反《ユカヘ》りして、鞆《トモ》にあたりて鳴故に、中弭の音すとよめり。大和の興福寺の什寶に、弓弦の中ほとに、輪の如き物を付たるか、圖に見ゆ。製たかひたれと、同用の物なるへし。弓法の人は、中弭《ナカハズ》、又|弭金《ハズガネ》、中弦《ナカヅル》などゝ呼と也。
奈麻余美《ナマヨミ》三 生弓也。生木の弓は、ねぢれて弓反《ユカヘ》りのあしき由也。
投矢《ナグルヤ》九 投箭《ナグヤ》十三 弓射るを、いにしへは投ると云し。神代に、天稚彦《アメワカヒコ》の射上し矢を投下し給事見ゆ。和名抄に、遠射を、とほなげとよめり。別に射るとも云しかは、投るは射る中の一法有し歟。投左《ナグルサ》十三 と有も、投箭《ナゲヤ》の事也。
七《ナヽ》車四 車の數多きを云。
七種之寶《ナヽクサノタカラ》五 金、銀、瑠璃、車渠、馬瑙、珊瑚、琥珀を、七寶といふ。
奈禮其呂毛《ナレゴロモ》十四 着馴したる衣也。
水葱乃煮物《ナギノアツモノ》十六 延喜の内膳式にも見えて、いにしへの食菜也。此物審ならす。今は水葵と呼物と云り。
名乘藻《ナノリソ》三 允恭紀に、濱藻を莫告藻《ナノリソモ》と呼せ給ふ事見ゆ。神馬藻と呼物也。形状もて繩菜《ナハノリ》とも云也とそ。海藻には品種多けれは、名のりそ藻、繩のり、別種にや。しらす。
石竹《ナデシコ》三 和名抄に、瞿麥、一名大蘭、とこなつと(122)も云。打まかせて、夏花とすれと、秋の七草の一種にみゆ。
奈用竹《ナヨタケ》二 なゆ竹とも云。篠竹の一種也。
七相菅《ナヽフスゲ》三 菅の節《フシ》多きを云也。十節《トフ》の菅菰《スガゴモ》とも云て、數定り無し。
夏|葛《クズ》四 葛は、夏より秋かけて花さけは、是も秋の七種の一種によめり。
夏虫《ナツムシ》九 飛蛾、燭蛾とも、燈火にあつまりて身を失ふを云。
奈波多都古麻《ナハタツコマ》二十 繋きおきし駒の、繩を斷《タチ》て放れたる也。
名凝《ナゴリ》四 波の、よせてかへりたる跡の、洲濱に、渟潦の如く、汐の殘りたるを云。餘波と云は、義字也。轉しては、雨の名殘、別れの名殘、年の名殘なと云。
奈利《ナリ》五 家業をなりはひといふは、奈利の延言也。
奈加等美能敷刀能里其等《ナカトミノフトノリゴト》十七 神祇官中臣氏は、禊除《ハラヒ》を司《ツカサ》どらする事、天智紀に、中臣(ノ)連金《ムラジカネ》の大臣、太勅言《フトノリトゴト》を作りて、神を和《ナゴ》め奉る事見ゆ。祝詞、諄辭、壽詞等を、のつとゝよむは、本義ならす。のつとは勅言《ノリコト》の訛言。祝詞等は吉言《ヨゴト》とよむを宜しとす。言吉《コトヨク》奏して神を和《ナグ》さめ奉る也。
無禮《ナメシ》 孝徳紀には、輕の字をなめしとよむ。圭角なく、なめらかなるを云。
名細《ナグハシ》一 名の宜しと云也。
和爲《ナゴス》二 千はやぶる人を和爲《ナゴス》とは、惡き人を取鎭むる也。和の字は、人を和すると云より、神を祭る司を、神《カン》なぎと云は、神慮を和《ナグ》さめ奉る也。又風の吹絶しを、和《ナギ》たりと云。千はや人は、上(123)に云、殘賊凶暴の人を、皇軍《ミイクサ》に和平給へる也。
奈|倍《ベ》二 其並にと云義にて、なべ、なみ、なめ、通音なり。此語は、必上の詞をうけて云。宜しなべは、よろしき事の其並にと云也。
奈麻強《ナマジヒ》四 己《オノレ》も覺《サト》り得ぬ事を強《シヒ》て云也。
煩《ナヅム》四 名積《ナツム》同 名豆颯《ナヅサフ》三 事にかゝりてすゝみかたきを云。煩は義字、泥むと書は形容也。
奈保々々爾《ナホ/\ニ》五 此語は直々《タダ/\》と云か古義也。たゞと、なほとは、常にも通はして云。常の衣を直衣《ナホシ》といひ、常倫を、たゞ人とも、なほ人とも云。未々《マダ/\》也、彌也《イヨヽ》と云は、轉してさも聞ゆれと、本語ならす。
爾
庭好《ニハヨク》三 庭上をにはと云は平均《タヒラカ》なるを云より、海上の風波なく、平らかなるを、にはよしと云。日和《ヒワ》よしと書けんより、晴天を日和と云ならはせし也。
庭多泉《ニハタツミ》二 和名抄に、潦は雨水也。にはたづみとよむ。雨の後の庭になかれ、或は渟《トヽ》まるを云。庭泉《ニハタツミ》の義也。
西(ノ)市七 都の東西に市場を立て、市(ノ)正《カミ》、是を司とり、商《アキ》物を檢閲《ケミ》して、藏むへきを收め、餘りは市人に交易なさしむ。國々の府にもあれと、東西に日を定めるまては聞えず。東之市三 とも見ゆ。
新治《ニヒバリ》九 春の田を墾《カヘ》すを、新墾《ニヒバリ》とも、又あらきばりとも云。新ばりの今造る道とは、あらたに開く道也。
丹生《ニブノ》河二 大和の宇智郡に在。
熟田津《ニギタツ》一 伊與國(ノ)熟田津の温泉に、齊明の行幸有しは、西征の御時の便なるへし。風土記には、(124)美枳多津《ミキタヅ》と見ゆ。
爾比多夜麻《ニヒタヤマ》十四 上野の新田郡に在へし。
爾比可波《ニヒカハ》十七 越中の新河郡也。
爾藝之《ニギシ》河十七 能登の鳳至《ホシ》郡|饒石《ニギシ》川。
爾閇《ニベ》乃宇良二十 筑前の國と云り。
爾倍《ニベ》十四 爾布奈米《ニフナメ》同 熱《ニベ》は、山海の物の、御食《ミケ》の下菜《ソヘモノ》にめさるゝかきりを奉る。是を大熱《オホニベ》と云也。にぶなめは、新甞《ニヒナメ》にて、年々新穀を始、種種の物を、君に神に先供へ奉るを申也。年々の朝廷の薪甞祭は、君の、かたしけなくも皇祖神《ミオヤカミ》に奉らせ給ふ也。
丹穗之爲衣《ニホシシキヌ》十六 艶《ニホ》はせし衣也。此哥は、住の江の遠里小野の榛《ハリ》ずり衣也。
仁寶鳥《〓ホトリ》四 和名抄に、※[辟+鳥]〓《ヘキコ》をにほとよむ。俗にかいつむりと呼鳥也とそ。たかべと云も、同種歟、別歟。
丹管士《ニツヽジ》六 赤き躑躅也。
庭津島《ニハツトリ》七 常は庭鳥と呼。神の庭、人の家にも飼はなちおく名也。
似兒草《ニコグサ》十一 新草、若草なと云。春草の和《ニコ》やかなる名也。
爾比具波麻欲《ニヒクハマヨ》十四 新桑繭《ニヒクハマユ》也。
仁寶播散麻思乎《ニホハサマシヲ》一 將v艶乎《ニホハサマシヲ》と云也。にほひは、其物の色にも、香にも、餘韵を云。古哥は多く光澤《ヒカリ》を云、故に匂の字を用ひたり。香の事に云は後也。
柔備《ニギビ》一 賑ひ也。賑々しきと云に同し。
新裳《ニヒモ》九 あらたに喪《モ》に隱《コモ》り居《ヲ》る也。
奴
(125)幣《ヌサ》四 神に君に奉り物を云より、祓除《ハラヒ》の大麻《オホヌサ》と云事も有。其|故《モト》は、絹布糸等を、色々に染ても奉りし也。幣帛と書は其義也。旅には、其を絹又染紙をも刻《キサ》みて、幣嚢《ヌサブクロ》といふ物に入て、行々道の神に散して、手向する也。ぬさ袋の制、大小定りなし。落くほ物語に、扇を百本入たりと云事見ゆ。又|籠《コ》に作りて、鉾の末に※[敬/手]げ、神の御幸《ミユキ》の御前《ミサキ》に立て振たつれは、幣《ヌサ》散亂れて、御目を文《アヤ》に和《ナグ》さめ奉るもあり。(以下頭注)ぬさと云語義しるへからす。
布可多衣《ヌノカタギヌ》五 肩はかりに打かけたる、わび人の布衣なり。
沾衣《ヌレギヌ》六 雨露にぬるゝ衣也。後世には、無名《ナキナ》おふ事を、沾《ヌレ》衣着ると云事有。是に説あれと、引書たしかならず。たゞ難澁なる意にて云なるへし。
貫簀《ヌキス》四 盥《タラヒ》の上に手布《テヌグヒ》等を置料に、木竹にて編《アミ》てわたす具也。
奴婆珠《ヌバタマ》二 黒玉、夜干玉、烏玉とも書り。射干《ヤカン》といふ草の子《ミ》の黒きを、野なる眞玉と稱して云也とそ。今見るに、射干の子《ミ》は黒きのみに美ならす。物と字と、例の當違へるにや。漢の馬援《バエン》が、夷國より※[草がんむり/意]以《ヨクイ》の子《ミ》を、七《ナヽ》車に積てかへりし事有。此|實《ミ》は、食料且藥用に備へ、黒色に光澤《ヒカリ》有て、是そ野の眞玉と賞すへき物也。馬援、是か爲に讒にあひしとや。和漢とも、上古の人は、衣食材用の益ある物をこそ取めでたれ。千里を車に運ひし事をおもへ。
奴要子《ヌエコ》鳥一 宿兄《ヌエ》鳥二 和名抄に、※[空+鳥]は怪鳥也と見ゆ。音鳴あしき鳥也。
寐夜不落《ヌルヨオチズ》一 一夜も落なくとは、夜かれせぬと云(126)也。
額拜《ヌカヅキ》五 額衝四 頭を地につけんとすれは、額《ヌカ》の先地に著也。拜と書は、義を假る也。祝詞《ヨコト》に頸根著《ウナネツキ》ぬきとも見ゆ。
禰
宿與殿金《ネヨトノカネ》八 令寢鐘《ネヨトノカネ》也。亥の刻の時の鐘也。
合歡木花《ネムノハナ》八 和名鈔に、其葉、朝(ハ)舒《ノヒ》暮(ニ)斂《ヲサム》と云て、ねぶりの木と云り。古今六帖に、合歡の音もてがうかと云題見ゆ。
禰自呂多可我夜《ネシロタカカヤ》十七 根白高|草《ガヤ》也。高く生たる草根の、白くあらはるゝ也。
根都古具佐《ネツコクサ》十四 いまた考へす。
勤《ネモコロ》二 慇懃の義也。心地《コヽロネ》をあらはして見するとは聞ゆれと、釋しかたし。
禰宜《ネギ》六 ねぎといひ、ねぐと云。延言には、ねがふと云。願の字義也。神官を禰宜と云は、人の願ひを神に奏する名義也。
能
野島《ノシマ》一 沼《ヌ》島とも云。淡路と紀の國との間の海中に在船泊り也。今現にしかれと、西海に行へき順路ならす。人丸の石見の下向に、こゝに泊りて、明石の門《ト》に入日をよめる事、いぶかし。いにしへの野島は、所たかへりや。
能登湍《ノトセ》川三 さゝれ波磯こせ路なるのとせ川とよめは、巨勢路にて、吉野川に落あふ川歟。
能登川十 三笠山によみ合せたり。春日高まどの山峽《ヤマノハ》に瀧川あり。是歟。
能登香山十一 未v考。
(127)野豆可佐《ノツカサ》二 野づかさ、山のつかさ、其所にて少し高き丘を云。
荷向篋《ノサキノハコ》二 昔は、東國の貢調《ミツキモノ》は、海路を恐れて、陸道《カチチ》を來たる。其荷は馬に負せたるに、緒繩《ヲツナ》もてかたく結たるへし。荷《ニ》を能《ノ》とよむは、東俗の方言歟。荷前《ノサキ》は、初荷《ハツニ》、前荷《サキニ》なと云に同しく、是も新熱《ニヒナベ》の例に、新調の物を奉る也。
甍子太草《ノキノシタクサ》十七 軒の下方に生る草也。
野鳥十三 雉を、野《ヌ》つ鳥と古事記に見ゆ。西土には野鷄と呼。
能杼《ノド》一 廣き見わたしを、野所《ノド》なと云にや。さてのどか、のどまるなど云て、心の閑然なるを云事となりぬ。
言《ノル》三 人に物云を、告《ノ》ると云は古言也。勅語を、みことのりと云は、上より告言《ノリコト》をおほせ給ふ也。
野守一 御狩野を守人也。飛火の野守は、春日野の烽火臺あるあたりを飛火野と云。即|禁野《シメノ》の守部也。
萬葉集目安補正第七
波
春|去者《サレハ》十 波流佐良婆五 已に秋去者の下に云。春にそあれは也。
旗嵐《ハタアラシ》十 初嵐也。旗は假言、且通音といへと、哥の詞章には、しかも聞えす。猶可v考。
(128)赤土小屋《ハニフノコヤ》十一 埴土もて塗こめたる、いやしきものの家のさま也。
埴安《ハニヤスノ》池一 大和の香《カク》山の梺邊に在し事、哥の章にしらる。池の堤をいひ、又鴎の立ゐる海原と云しは、大池なる事もしらるゝ也。今跡無し。
泊瀬《ハツセ》山三 長谷小國《ハツセヲクニ》十三 初瀬の國とも。
羽易《ハガヘ》山二 羽買とも書て、共に羽がへ山とよむか。春日山の山脈に在へし。
八信《ハシリ》井七 相坂山の走井、かしこに在はしるけれと、いつこにも涌溢《ワキアフ》れて走流るゝを云。
波豆麻《ハツマノ》君七 住の江のはづまの君といへは、地名かと云り。猶可考。
早見《ハヤミ》濱風一 難波の舟出の哥なれは、早見の濱在かと云り。濱風はやみと云を、言のつゞけからにかく云歟。後にも嵐の庭の雪と云類に聞ゆ。又豐後に速《ハヤ》見郡あれと。
筥根《ハコネ》七 相摸の足柄山也。あしからの箱根ともよめり。
波爾思奈《ハニシナ》十四 信濃の埴科《ハニシナ》郡也。
波久比乃海《ハクヒノウミ》十七 能登の羽咋《ハクヒ》郡の海也。
貌姑射《ハコヤノ》山十六 莊子に、藐姑射山、有2神人1居《ヲレリ》v焉《コヽニ》と云を所由《ヨシ》にて、仙家の事とし、後世には、太上宮を、はこやの山、霞の洞とも稱す。
驛路《ハユマヂ》十一 波由馬宇馬夜十四 早馬を約《ツヽ》めて、はゆまと云。驛馬の事也。はゆまうまやは、傳馬を出す驛長か家也。驛路《ハユマチ》は官道也。
隼人《ハヤビト》一 神代に、火酢芹命《ホノスセリノミコト》の裔《ミスヱ》にて、薩摩の國祖なる事見ゆ。約言に、はいとゝも云り。大甞祭に、宮門を守て犬の音鳴《ネナキ》する役立《ヱタチ》を仕ふまつれり。
兄弟《ハラカラ》二 同腹の兄弟姉妹を云り。轉しては異腹《コトハラ》を(129)もいふ。
祝《ハフリ》四 神祇官の下司也。上古、人死すれは、葬《ハフ》りて靈をいはひ祭る。故に祝の字を書。祝部《ハフリベ》は、埋葬を司《ツカサ》どり、又帚除の役をも主《ツカサ》どる也。
婆羅門《バラモン》十六 天竺四姓の一氏也。梵天種にて、淨行を專らとし、國政をも宰《ツカサ》とる。和漢にては武人也。
埴布《ハニフ》一 岸の埴生《ハニフ》ににほはさましを。上古は色よき赤土《ハニ》もて面《オモテ》を艶《ニホ》はせしにや。
翼酢色《ハネズイロ》四 天武紀に、初(テ)定(ム)2明位以下進位以上之朝服(ノ)色(ヲ)1。淨位以上(ハ)並(ニ)著(ク)2朱華(ヲ)1。此注に波泥孺《ハネズ》と見ゆれは、赤色はしるけれと、濃淡、《コキウスキ》、且何物をもて染しにや。唐棣《トウテイ》花を、夏まけて咲たるはねすとよみしかは、夏花なる事もしらる。いにしへと今、物の名呼かはりしか多かれは、分明ならす。此花の色に似たるもて云歟。唐棣花は、今ざいふり花と呼て、色は白く小《コマ》かなる花の、萎《ナヘ》たる状也。朱花の字當らす。
葉根※[草冠/縵]《ハネカヅラ》四 花かづら也。通音にて云。又一説に、今のはね元ゆひと云物とそ。猶可v考。
橋立《ハシタテ》七 階梯也。垂仁紀に、石上《イソノカミ》の神庫《カンホグラ》の高きに梯《ハシタテ》して登る事見ゆ。和名抄に、木階をかけはしとよめり。
芳理夫久路《ハリフクロ》十八 行旅《タビ》に糸針を納《イル》る※[代/巾]也。縫ざまはいかなりけん。
波自由美《ハシユミ》二十 神代紀に天梔弓《アメノハシユミ》見ゆ。梔の字、物とたかへり。櫨《ハジ》にて作りし弓也。
籏爲須寸《ハタスヽキ》一 既にしの薄《スヽキ》の下に云。波奈爲須寸八 と云も、奈は太の濁音に通すとや。さらは花すすきと云て、尾花の事とする由也。皮《ハタ》ごもりの(130)義とは違へり。
榛原《ハリハラ》一 針原十一 已に衣針原の下に云。
濱松一 いつこの濱邊なるをも云。
濱木綿《ハマユフ》三 三熊野の浦の濱ゆふ百重如《モヽヘナス》と云は、波頭をゆふ花に見立し格によりて、濱ゆふの花の、百重《モヽヘ》に立かさなりくるを云也。近世、一種|千瓣《チヘ》さく草の花を、濱ゆふと云は、譌物也。其状、蕃《バン》種にて、こゝの物にあらす思ゆ。紀伊は暖國なれは、さる蕃種のよく育つをもて、植たるが廣ごりしより、後に譌れるなるへし。
濱荻《ハマヲキ》四 たゞ濱邊の荻なり。濱松に同し。蘆荻一種類なれは、伊勢人の濱荻と云也。
花勝見《ハナガツミ》四 三河の國よりかつみの粉と云物を得たりとて、亡友|雄《ヲトリ》か餉りしを試しに、味も色も蕎麥粉《クロムキノコ》に似て、團子《ダンス》に作り、切麥にもして食すへき物也。蒋《コモ》の子《ミ》を製せし也と聞ゆ。陸奥の淺香の沼に生ると云も、菰蒋《コモ》の一種にて、子《ミ》は小《コマ》かく黒き物にて、それを粉に磨《スリ》碎きて篩《フル》ひなせりと云。
芽子《ハギ》一 秋芽《アキハギ》とも書は、漢名をしらぬ故に、花の状をもて、芽の字をや用ひし。萩の花すりとて、花を摘て衣に搨つけしは、班文《マダラ》にのみやは有し。今試るに、花に見しよりは紫色まさり、且花のかたちも損はれす、文《アヤ》なせらるゝ也。
母蘇原《ハヽソハラ》九 和名抄に、柞を、ゆし、又はゝそともよめり。今俗のはうそがしと呼物也。秋は黄葉《ウスモミヂ》して、ながめいとよし。※[木+解]の字當れり。
濱久木《ハマヒサギ》十一 濱邊に生る叢木也。西國の人の云る、濱ひざつきと呼て、黄楊《ツゲ》の状して、低き木也とそ。楸の字に當て、野におふ物とは違ふ歟。
洛|都豆良《ツゞラ》十四 此哥はいかなる物を云か、知へか(131)らす。和名抄に、蔓荊を濱はひと云を、今は濱つゞらと呼。
濱※[果/衣]《ハマツト》二 濱邊の行手に、珍らしき物をつゝみて取て、家の人に見する也。山には山づとゝ云。
羽振《ハブキ》十六 羽ぶりとも云。鳥の羽を打ふる状を、波の立に見なして、夕浪朝波の羽ぶきと云。ふり、ふき、通音。神代紀に、いざなぎの神の御劔を、後手《シリヘデ》に振《フキ》つゝしてと云格也。
泊流《ハツル》二 船は風に順《マカ》するにも、吹果る所に泊《トマ》るなれは、舟泊を舟はつると云。
波思吉《ハシキ》二 くはしきを上略せし語也。上のくはしの下に云り。
針目不落《ハリメオチズ》四 物縫する針並《ハリメ》の宜しきを云。
羽裹《ハグクム》九 羽具久毛流十五 鳥の子を育るに、羽間《ハガヒ》に雛をこもらせて、あたゝむるを云。我子羽ぐゝめ天の鶴むらと、母の旅ゆく子を悲しみてよめる也。さて轉しては、人の子を養ひ立るにも云。
鼻鳴《ハナヒ》十一 俗に嚔《クサメ》すると云。鼻屁《ハナヒ》をすれは、いにしへは、人の我を思ふ祥《サガ》ぞと、喜《ウレ》しみしを、今は我を誹《ソシ》るよと云なり。
土師《ハジ》十六 土工を土師《ハニジ》と云。はじは略言。
始鷹狩《ハツタカガリ》十九 秋に成て、鳥屋《トヤ》出の鷹をつかひ初る也。
爲當《ハタ》一 はたしてと云に同し。事の果、物の果を、はたや今宵もなと云。將の字をはたとよむは、後はたしからんと云義也。
波都々々爾《ハツ/\ニ》四 小端《ハツカ》七 事|小《ワヅカ》なるを云。はつ/\と語を重ぬれは、いたりてわつかなる義也。
波漏《ハロ》々々五 杳《ハルカ》を重ねて語を篤《アツ》くする也。
驪《ハタラ》二 雪のはたら、はたら雪、たゝはたらとのみ(132)も云は、班文《マダラ》と同し。雪の降うづまぬほとを云。はとまは通音。
徴《ハタル》十六 責はたると云て、罪を問ひ、又課役を令《オホ》するか頻《シキリ》なるに云。徴は懲の誤字か。易經に、懲《ハタリ》v忿(ヲ)窒《セムル》v慾(ヲ)の義なるへし。
波良々々《ハラ/\》廿 物の散漫する形也。
比
日經《ヒノタテ》一 日緯《ヒノヌキ》同 成務紀に、以2束西(ヲ)爲(シ)2日(ノ)縱《テテト》1、以(テ)2南北1爲(ス)2日(ノ)横(ト)1云々。
日方《ヒカタ》七 一説に、日方吹とは、未申の間より吹風也と云り。又筑後の御《ミ》原郡に、日方の郷在といへと、飛鳥風、難波風の例に、其郷に吹風を云歟といへり。
牽星《ヒコボシ》八 和名抄に、一名河皷、ひこ星、又いぬがひ星。
比登欲能可良《ヒトヨノカラ》十八 一夜の故《カラ》にと云。一夜のみ寐たりしからに十九、 一夜のみ寐たる故《カラ》に也。故の字、語の上に有は、かれとよむ故、開闢の初の格也。下に有は云云《シカ/\》之|故也《カラナリ》と云、由縁の義有をもて、上に有て、かるがゆゑにと云は、屍をかばねとのみ云へきを、しかばねと云類の剰語也。ゆゑは由縁の字音、國語に非す。かれ、からは、上下の用につきて、となへかふる也。
光神《ヒカルカミ》十九 雷光也。
日繼《ヒツキ》十八 日(ノ)神の、嗣々《ツキ/\》世をしろしめす也。
比奈久母理《ヒナクモリ》廿 日の曇り也。
直土《ヒタツチ》五 直土に藁《ワラ》打敷てと云は、賤しき家のさま也。土の上に臥を、ひたぶしと云。たゞ土にとよめとも云り。
(133)引手《ヒキデ》乃山二 大和の山邊郡也と云り。疋田《ヒキダ》と云郷名、方々に有。是も疋田の山かと云り。
檜隈《ヒノクマ》山三 同國高市郡。和名抄には、檜前、ひのくまとよめり。さひのくま檜のくま川、三よし野の吉野の例に、さは虚辭也。
人國《ヒトクニ》山七 秋津野によみ合すれは、吉野の離宮在し所の上方に在へし。
廣瀬川《ヒロセカハ》七 天武紀に、祭(ル)2大忌神(ヲ)於廣瀬(ノ)河曲《カハワニ》1と見ゆ。今も此邊に河合《カハヒ》と云所在。
斐太細江《ヒタノホソエ》十二 同國巨勢の邊に在し也。姓氏録に、巨勢|※[木+威]田《ヒタノ》朝臣の祖荒人に、葛城の長田を佃《ツクラ》しめ給ふ時、長※[木+威]《ナガヒ》を造りて、水を灌《ソヽ》ぎし功によりて、※[木+威]田《ヒタ》の姓を賜ふ事見ゆ。
姫島《ヒメシマ》二 攝津國に在。安閑紀に、宜v放(ツ)3牛(ヲ)於難波大隅(ト)與《トニ》2姫島(ノ)松原1と見ゆ。西成郡に稗《ヒへ》島と云里在。是かといへり。其處を見るに、古跡とも見えす。昔は定めて海潮滿干の中なるへき所也。
日笠浦《ヒカサノウラ》七 播磨の明石郡に在へし。推古紀に、舍人《トネリ》姫を赤石の檜笠の岡に葬ると見ゆ。
直海《ヒタミ》川十三 小序に見れは備後の國也。
引津《ヒキツ》七 筑前(ノ)國に引津の亭あり。
平《ヒラ》山九 枚《ヒラノ》浦十一 枚《ヒラノ》海十二 近江の國也。
引馬野《ヒクマノ》一 遠江の敷智郡、今の濱松の驛《ウマヤ》、いにしへのひくまの宿なる事、十六夜の記に見ゆ。
比美乃江《ヒミノエ》十七 越中の國に在と云。
比治奇《ヒヂキ》乃奈太十七 今播磨にひゞきの灘と云處そと云り。いかゝにや。
比多我多能伊蘇《ヒタガタノイゾ》十四 國郡しられぬ部に入。
日賣《ヒメ》菅原七 大和の添下郡の菅原なるを、天上のひめ菅原と云名のあるによせて云歟。天のかく(134)山、天の安河の例也。
夷之長道《ヒナノナガチ》三 夷《ヒナ》のひなは、都に對して云り。すへて邊國田舍を指て、ひなと云。語釋説々あれと、從ふへきを思えす。夷は義もて書る也。鄙《ヒナ》の長道は、石見より船路のはるけきを云。いつこにも云へし。
一隔《ヒトヘ》山四 いつこにも山一重隔たるを云。此哥は奈良と三日の原は、奈良山の隔たるを云。
日久入國《ヒノイルクニ》十九 西土を指て云。隋の時に、推古の勅書に、日没《ヒノイル》國|之《ノ》天子と見ゆ。
斐太《ヒダ》人七 雄略紀に、猪名部眞根《ヰナベノマネ》と云|木工《タクミ》を、飛彈(ノ)國より召れしか、巧妙なる故に、木工を飛彈人と云也。
人嬬《ヒトヅマ》一 吾|妻《メ》ならぬを云。
一夜妻十六 いにしへは朝《アシタ》に逢見るを朝妻といひ、夜に見るを一夜妻と云しと也。
比例《ヒレ》九 領巾《ヒレ》八 天武紀に、膳夫釆女等《カシハデノウネメラ》之|手繦《タスキ》、肩巾《ヒレ》、並(ニ)莫v服(ルコト)と見ゆ。膳夫は男子也。大祓《オホハラヒ》の詞に、領巾《ヒレ》掛《カク》る伴男《トモノヲ》、手繦掛る伴(ノ)男とも見えて、女のみの服に非す。和名抄の比に至りて、領巾は婦人頂上(ノ)餝也と見ゆ。頂は項の誤か。此服製、いかなりともしられす。今世の掛領《カケヱリ》と云物、其遺風なるへく思ゆ。たゞ長短の製は計るへからす。
引板《ヒタ》八 山田に鹿《シヽ》驚かすとて、板に繩を著て、時時引鳴す具也。
引綱《ヒキヅナ》十 和名抄に、牽伎を、つな手とよみて、挽(ク)v船(ヲ)繩也と見ゆ。されと、繩を著て引事、何物にも有へし。
紐鏡《ヒカヽミ》十一 古製の鏡は、裏に紐を穿《ツク》る所有て、其(135)紐を鏡臺に掛る料とす。
比米加夫良《ヒメカブラ》十一 鏑矢《カフラヤ》の小なるを云歟。
久木《ヒサギ》六 濱久木の下に云り。
日晩《ヒグラシ》八 集中に詠(ム)v蝉(ヲ)と云題に、こと/\日ぐらしとよみ、たゞ一首、岩走る瀧もとゝろに鳴蝉の聲をし開けは都しおもほゆ十五 と見ゆ。蝉を夏、日くらしを秋と分る事は、後の定《サダ》也。中世の哥にも、朝またぎ日くらしの聲聞ゆなり、こや明ぐれと人のいふ覽とは、朝よりも鳴によみし也。朝より鳴出て、夕影まても鳴と云名義にや。
日影可豆良《ヒカケカツラ》十六 和名抄に、女蘿の字を當《アテ》て、山谷に生《オフ》る苔の一種也と見ゆ。又山かつらとて、いにしへの神事には、是を冠の巾子《コジ》に纒ひて、縵《カツラ》とせし也。後世梅の作り花もて、是か上を壓《オサ》へ、其上を日蔭の糸とて、色の糸にて締《クヽ》り、其緒の末を蜷《ニナ》に結ひて垂おく事と成ぬ。古今集に、卷向の穴師の山の山人と人も見るかに山かつらせよと云哥を、鎭※[云/鬼]祭のうたひ物に、わぎも子かあなしの山の山の本、人も見るかに山かつらせよと見え、又古今六帖には、我せ子があなしの山のと有。此神事に、此哥うたふは、必夜の明かたなる故に、山かつらといひて、明ゆく空の事とする歟。影は借字、蔭の義也。
額髪《ヒタヒカミ》十一 肥《コマ》人のひたひ髪ゆふ染ゆふのと云は、高麗人は、額《ヒタヒ》上にて髪をとき分て、色ある糸にてゆひしと也。
蒜搗《ヒルツキ》十六 和名抄に、搗(キ)2蒜〓(ヲ)1擣(キテ)2薑蒜(ヲ)1以(テ)v醋(ヲ)和(ス)v之(ヲ)と云て、ひるつき一にはあへ物と見ゆ。蒜搗合《ヒルツキガテ》てとは、和《アヘ》ると云に同。蒜は、いにしへ饗膳(ノ)下菜也し事、景行紀に、日本武(ノ)尊の食菜の蒜《ヒル》を、(136)白鹿の眼に彈《ハチ》きかけたまふ事見ゆ。古事記に、仁徳紀の御製に、いざ子ども野蒜つみにとよみませしも見ゆ。佛家に葷菜《グンサイ》を忌むより奉らず成ぬ。
氷魚《ヒヲ》十六 和名抄に、※[魚+小]を氷魚とよめり。※