美濃の家つとの序
世中の人のあらまほしきは實心になむありけるそは萬の道を學ふにこれかれの人のおなし師につきていそしむ年月おなしほとなるにうまく其道を得るとえざるとのけちめこよなきは大かた心のまめなるとさしもあらぬとによりて也けりさるは師も其人のまめ心を見得てなむ心得かてなるふしをもねもころにときさとすものには有けるこゝに我友美濃國大垣の大矢重門はおなしわか 鈴星大人の御許にとし比まゐり通ひて哥の道まなふに此まめ心の人よりはまさりてなむ有ける一とせかのみもとにさもらひて月久にいそしみまなひけるひとつ心のまめなるを此 大人深くめて給ひて新古今集の中に此比の人々のこゝろ深き哥ともをえり出てあるは一もしふたもしの心しらひのいとこまやかなるくまくままてときあらはしてこたみの家つとにもせよかしとさつけ給へりしをおのれひとりつゝみもたらむよりはおなし道しぬふ世中の人ともにもあまねく見せむとてこの比木にゑらせたるはいよゝまめ心のいたれるになむありけるかれ磯足等も此めでたきつとものを得つるよろこひにえたへさるまゝにいさゝか其まめ心をたゝへてかくなむ
                     尾張人藤原磯足
 
美濃家裹序
おきにたつしら波を見てだに。花にもがなと。家づとには。願ひし人もありける海の。清きなぎさに。我しもかゝるたからをひろひ得て。かひありなどは。世の常の事をこそいはめ。うらやましくもと。旅衣かへる袂を。見ぬ人もなかりける。此悦ひを。つたなきおのれ獨やはとて。故郷人にもしめしけるに。故郷人も。かゝるめでたきおきつしら玉。光つゝみて。此里にのみやはとて。世の中にひろめむ事をなむ。せちにそゝのかしあへりけるまゝに。梓の木にうつしゑりて。終に又その板をさへ長きたからと。重門が家のくらのおくに。とりをさめつ。
                     美濃國大垣人大矢重門
 
新古今集美濃の家づと一の卷
 
  大矢(ノ)重門が物まなびに、美濃(ノ)國より來居て、何くれととひける事どもの中に、此集の歌どもの心はへをなん、ことにこまやかにとひたづねたるに、さとしあげつらひたる趣を、おなじくは國にかへらむ家づとに、書しるしてえさせよとこへるまゝに、かきてあたふ、
                             本居宣長
 
春歌上
 
    春たつ心をよみ侍ける           攝政太政大臣
みよし野は山もかすみてしら雪のふりにし里に春は來にけり
  めでたし、詞めでたし、初句はもじ、いひしらずめでたし、のともやともあらむは、よのつねなるべし、
 
    春のはじめの御哥             太上天皇御製
ほの/”\と春こそ空に來にけらし天のかぐ山かすみたな引
  初(ノ)御句、かすみたな引へかゝれり、二の御句へつゞけては心得べからず、空とあるを重く見て、山の名の天といふと、相照してみべし、此集の比の哥は、すべてかゝるところに、こゝろをこめたる物なり、
 
    百首(ノ)哥奉りし時春の歌        式子内親王
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえ/”\かゝる雪のたま水
  めでたし、詞めでたし、下句はさら也、春ともしらぬ松とつゞきたるも、趣の外のあまりのにほひなり、
 
    五十首(ノ)哥奉りし時          宮内卿
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は來にけり
  四の句、雪のなほふる故に、來つる跡はなけれどもなり、春はといへるに、人は來ぬこゝろあらはれたり、
 
    入道前關白右大臣に侍ける時百首哥よませ侍けるに立春のこゝろを    皇太后宮大夫俊成
けふといへばもろこしまでもゆく春をみやこにのみとおもひける哉
  二三の句、かの大式三位が歌とはやうかはりて、くちをし、立春の哥に、ゆく春とはいかゞ、三月盡の哥にもなりぬべし、これらもよさまにたすけていはゞいふべけれど、今(ノ)人のかくよみたらんには、たれかゆるさん、などたつ春とはよまれざりけむ、
 
    題しらず                 西行法師
岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔の下水道もとむらむ
(54)  初句もじあまりいと聞ぐるし、此法師の哥、此病つねにおほし、道もとむらん、よせなし、されどかゝる所此法師の口つきにて、こと人はえいはぬことなり、
 
    述懐百首に若菜              俊成卿
澤におふるわかなゝらねどいたづらに年をつむにも袖はぬれけり
    日吉社によみて奉りける子日の哥
さゝ波やしがのはま松ふりにけりたが世にひける子日なるらむ
  子日の歌とは聞えず、下句、たが世の子日に引るならんといふべきを、さはいひがたき故にかくいへる、つねにあることなり、されど子日は引べきにあらざればいかゞ、
 
    百首(ノ)哥奉りし時           藤原家隆朝臣
谷川のうち出る波も聲たてつうぐひすさそへ春の山かぜ
  めでたし、下句詞めでたし、本歌「谷風にうち出る浪や云々、「風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしるべにはやる、波もこゑたてつるほどに、鶯をもさそひて、聲たてさせよと、山かぜにいへるこゝろなり、
 
    家の百首(ノ)哥合に餘寒         攝政
空は猶かすみもやらず風さえて雪けにくもる春の夜の月
  初句のなほといふ詞は、三四の句へかゝれり、もし霞みもやらずといふへかけていふときは、まだといふなり、これにてなほとまだとのけぢめを心得べし、霞にくもるべき春の月の、雪けにくもるとなり、四の句にて然聞ゆ、月はたらかず、
 
    和哥所にて春山月             越前
山深み猶かげさむし春の月空かきくもり雪はふりつゝ
  春のこゝろはたらかず、猶をすむ、春をよはなどゝかふれば、冬月のさまなり、
    詩をつくらせて哥にあはせ侍りしに水郷春望  左衛門督通光
みしまえや霜もまだひぬ芦の葉につのぐむほどの春風ぞふく
  二の句は、霜のまだ消ぬをいへるか、然らば芦の角ぐむばかりの春風の吹むに、霜のきえぬこといかゞ、又ひぬとは、既にとけたる跡のかわかぬをいへるか、さては俄に春めきたるさまは、さることなれども、とけていまだひぬを、たゞ霜もまだひぬといひては、言たらず、四の句、ばかりのといふべきを、ほどのといへるは、いやしき詞にちかし、
 
                         藤原秀能
夕月夜しほみちくらし難波江のあしのわか葉をこゆるしら波
  下句詞めでたし、夕月夜は、鹽みちくらしに、時よせあり、又眺(56)望にもかゝれり、若葉にてまだみじかき故に、波のこゆるなり、
 
    春のうた                 西行
ふりつみし高根のみ雪とけにけり清瀧川の水のしらなみ
  めでたし、詞めでたし、雪にきゆるといふと、とくるといふとのけぢめ、此歌にてわきまふべし、此けりは、おしはかりて定めたる意なり、水の白波、此集のころ、人の好みてよむ詞なり、よき詞なり、此歌にては、水のまさりて、波の高きさまによめるなり、水の濁れることにいへる説はひがこと、
 
    百首(ノ)歌奉りし時           惟明親王
うぐひすのなみだのつらゝうちとけてふるすながらや春をしるらむ
 
                         前大僧正慈圓
天の原ふじのけぶりの春の色の霞になびく明ぼのゝそら
  下句詞めでたし、上句のもじ五(ツ)重なりたる中に、けぶりのは、俗言にけぶりがといふ意にて、餘ののとは異なり、四の句は、天の原はおしなべて春の色にかすめる故に、煙もその霞へ立のぼるをいひて、家隆(ノ)朝臣の、波にはなるゝよこ雲と同じさまなり、なびくとは、たゞ立のぼりてなびくさまをいへるのみにて、なびくに意はなし、明ぼのよせなし、曙ならずとも同じことなるべければなり、但し此集の比は、春の哥には、かくいつにても有べき事を、明ぼのとよめる、例のことなり、今は心すべきわざぞ、空も、上に天(ノ)原とあれば、よくもあらず、
 
    晩霞                   後徳大寺左大臣
なごのうみの霞のまよりながむれば入日をあらふおきつしら波
  初句のもじ、やとあるべき歌なり、此ながめは、かすみの間ならでも同じことなれば、題の意はたらかず、
 
    をのこども詩をつくりて歌に合せ侍りしに水郷春望  太上天皇御製見わたせば見わたせば山本かすむみなせ川ゆふべは秋となにおもひけむ
  此集秋清輔朝臣の「うす霧のまがきの花の朝じめり秋は夕と誰かいひけむとある歌よりは、上(ノ)御句もまさり、又秋は夕とゝいふは、常のことなるに、夕は秋とあるは、こよなくめづらか也、
 
    攝政家首首歌合に春曙           家隆朝臣
霞たつ末のまつ山ほの/”\と波にはなるゝ横雲のそら
  詞めでたし、二三の句はさらなり、霞たつ末といひかけたり、末の松山を、浪のこゆる物にして、かくよめるなり、かやうの趣は、此集のころのたくみの過たるなり、霞たつとほのぼのとかけ合へり、一首の意、横雲は、なべては峯に於《オイ》てはなるゝ物なるに、是は浪の上に於《オイ》てはなるゝにて、上の慈圓大僧正の、霞になびく烟(56)と同じさま也、哥さまはいとめでたけれど、浪にはなるゝは心ゆかず、或抄に、末(ノ)松山は、山ごしに海の見ゆる所なりといひてときたるは、四の句を心得かねてのしひごとなり、
 
    守覺法親王家五十首歌に          藤原定家朝臣
春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるゝよこ雲の空
  詞めでたし、とだえをいはむために、夢を夢のうき橋とよみ玉へり、さて夢のとだえと、横雲のわかるゝとをたゝかはせたり、三の句の下に、見ればといふ言をそへ、峯にの下に、ももじをそへて心得べし、又は、橋は峯に縁あれば、四の句までを浮橋へつけて、横雲のわかるゝをも、すなはち夢のさむるにしたるにもあらむか、哥さまのめでたきにあはせては、春の夜の詮なし、夢のとだえに、夜のみじかきことを思はせたるべけれど、春のよのみじかきには、中/\に夢はのこるべき物をや、
 
大空は梅のにほひにかすみつゝくもりもはてぬ春の夜のつき
  二三の句は、霞める空に、梅香のみちたるを、かくいひなせるなり、四の句は、たゞ古歌の趣をとりて、春の月のさま也、梅のにほひ、かけ合たる詞なき故に、はたらかず、此句をのぞきて、たゞかすみつゝにても聞ゆればなり、或人の云、「大ぞらはくもりもはてぬ花の香に梅さく山の月ぞかすめる、などあらまほし、
 
    百首(ノ)哥奉りし時           家隆朝臣
梅がゝにむかしをとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる
  いとめでたし、伊勢物語業平朝臣の、「月やあらぬ云々の歌の段をもて、かの朝臣の心にてよめる哥なり、影ぞのぞもじ力あり、すべてかやうのぞには心をつけて見べき也、月影の袖にうつるといふに、いよ/\昔を戀て、なく涙のかゝる意をこめたり、月のこたへぬといひて、梅がゝのこたへぬことも聞えたるは、及びがたきいひざまなり、一首の意は、戀しき昔の事を、かはらぬ梅がかにとへば、梅が香はこたへずして、月ぞこたへがほなるを、それもこたへはせずして、其影の袖にうつるよと也、
 
    千五百番(ノ)歌合に           右衛門督通具
梅花たが袖ふれしにほひぞと春やむかしの月にとはゞや
  めでたし、詞めでたし、二の句、古き哥の詞也、此集のころ、かのなりひらの朝臣の歌をとりて、春やむかしのといふことをよめる哥おほし、そはなべての本歌とれるやうとはかはりて、此一句に、かの哥の一首の意をこめ、或は彼段の意をもこめてとれり、こゝの歌にては、此四の句に、かの上(ノ)句の意をこめて、月はむかしの春のまゝの月なれば、昔の事をもよくしりたるべければ、昔たが袖をふれし名殘のにほひぞと問むと也、
 
(57)                       皇太后宮大夫俊成女
梅花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月
  めでたし、上(ノ)句詞めでたし、梅花あかぬいろかとつゞきたるは、折てなりけりの歌の詞なり、本哥といふには非ず、すべて昔にてといふに二(ツ)有、むかしになりて、今は跡もなき意と、又昔のまゝにてかはらぬ意となり、こゝなるは、後の意なり、此哥もかの伊勢物語の意なり、あかぬとは、梅のうへにいへれども、昔へもひゞかせたる物にて、あかぬむかしの意なり、一首の意は、此見る春の月は、あかぬむかしのかたみなるを、月のみならず、梅の花の色香も、むかしのまゝにて、おなじかた見なるぞとなり、
 
    だいしらず                西行
とめこかし梅さかりなるわがやどをうときも人はをりにこそよれ
  上句、二三一と句を次第して聞べし、四の句、人はといふ詞は、とめこかしの上につけて心得べし、下句此ほうしのふりなり、一首の意、うとき間《アヒダ》なりとてとはぬも、をりからにこそよることなれ、此梅花の盛なる我やどをば、うとき人なりとも、香をとめてとひこよかしと也、白楽天が詩の句引べし、
 
    百首歌奉りしに春の哥           式子内親王
ながめつるけふはむかしになりぬとも軒ばの梅はわれをわするな
  我なくなりて、昔の人になりぬとも、今日かくながめつることをわするなとなり、梅はといへるはもじ心をつくべし、思ひ出る人はあるまじきを、せめて梅はと聞えて、あはれ也、眞木柱(ノ)卷に、「今はとてやどかれぬともなれきつる槇の柱はわれをわするな、とある哥より出たるべし、
 
    土御門(ノ)内大臣(ノ)家にて梅香留袖  藤原有家朝臣
散ぬればにほひばかりをうめの花ありとや袖に春風のふく
  めでたし、詞めでたし、二の句のをもじ、なる物をといふ意なり、散ぬればとは、手折て持たる梅花の散しをいふ、さやうに見ざれば、袖にといふことよせなし、心をつくべし、手折持たることは、詞に見えねども、本歌に「をりつれば袖こそとあるにて、おのづからさやうに聞ゆ、かゝる所、此集のころの歌のたくみなり、本哥のとりざまおもしろし、
 
    百首哥奉りし時              源具親
難波がたかすまぬ波もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に
  いとめでたし、詞めでたし、二三の句と四の句とのかけ合、いとめでたし、とぢめのには、うつるもくもる朧月夜なる故に、かすまぬ波も、おばろ月よにかすみけり、といふ意なり、
 
(58)    攝政(ノ)家の百首(ノ)歌合に    寂蓮法師
今はとてたのむのかりもうちわびぬおぼろ月よのあけぼのゝそら
  めでたし、詞めでたし、上句、二一三と次第してきくべし、田面を、伊勢物語の歌によりて、鴈の哥には、多くたのむとよみならへり、鴈ものももじは、心づよくかへ鴈もの意なり、一首の意、曙は旅だつ時なる故に、今はかぎりとおもへば、田面の朧月よの曙のけしきを、見すてゝ別るゝことを、わびしく思ひて、うちなくとなり、わぶとは、鳴につきていへり、
 
    刑部卿頼輔が歌合し侍けるに、よみてつかはしける   俊成卿
きく人ぞなみだはおつるかへるかりなきてゆくなる明ぼののそら
  めでたし、下句詞めでたし、初二句、よのつねならば、きく人も涙ぞおつるとよむべきを、かくよめる、ぞもじはもじのはたらきに心をつくべし、四の句は、うちひらめなる詞なれ共、此歌にてはめでたく聞ゆ、すべて同じことも、いひなしと上下のつゞきからによりて、よくもあしくもなるわざぞかし、古哥に、「鳴わたる鴈のなみだやおちつらんとあるを、心にもちて、今は鳴て別れゆく鴈なる故に、聞人ぞかなしくて、其涙はおつるとなり、或抄に、鴈は故郷へゆく故に、悦びて、涙はおとさずして、聞人は涙を落す也といへるは、鳴てゆくといへるにかなはず、
 
    歸鴈                   攝政
わするなよたのむの澤をたつかりもいなばの風の秋の夕ぐれ
  めでたし、詞めでたし、澤と稻ばとは、春と秋との田のさまにて、よくかなへり、三の句もは、今はたちてゆくともの意なり、風は、古哥に「秋風に初鴈がねぞ聞ゆなる「秋風にさそはれわたるなど有て、よせあり、はてにをもじをそへて心得べし、或抄に、たのむを、秋をわすれず來むことを頼むといふ義也といへれど、其意はなし、
 
    百首(ノ)歌奉りし時
歸るかりいまはのこゝろありあけに月と花との名こそをしけれ
  詞めでたし、此月花に、鴈の心をとゞめず、見すてゝゆかむは、鴈にめでられぬなれば、あたら月花の名をれぞと、月花のために、名をゝしみたるなり、今はといへるも、心といへるも、下句に正しくあたらず、心有明といへるも、しひたるいひかけなり、又三の句のにもじも、たゞよはしくきこゆ、又月には、有明といへるあへしらひあれども、花のあへしらひの詞のなきも、たらはぬこゝちす、ふるき抄に、月と花とを見すてゝゆく惡名をばいかゞせんと、鴈に教訓したる也といへるは、いみしきひがことなり、
 
(59)    守覺法親王(ノ)家(ノ)五十首(ノ)哥に    定家朝臣
霜まよふ空にしをれしかりがねの歸るつばさに春さめぞふる
  めでたし、霜につばさしをれて來りし鴈の、今又春雨にしをれて歸るとなり、しをれしを、春雨の方へもひゞかせ、つばさを、上へもひゞかせ、又歸るといへるにて、上は、去年の秋來たりしことなること、おのづから聞えたり、かやうの所をよく心得ざれは、昔の歌の趣も見えがたく、みづからの歌も、よきはよみえがたきわざぞかし、
 
    百首(ノ)歌奉りし時           攝政
ときはなる山のいはねにむす苔のそめぬみどりに春雨ぞふる
 むす苔のと切て、そめぬ緑とつゞけて心得べし、むす苔のそめぬとつゞきては、そまぬといはではかなはず、そめぬは、春雨のそめぬなり、ときはも岩根も、そめぬ意をたすけたり、
 
    建仁元年三月歌合に霞隔遠樹        權中約言公經
高瀬さすむつだのよどの柳原みどりもふかくかすむ春かな
  詞めでたし、淀の水の深きにむかへて、緑もふかく霞むとなり、下句、詞はめでたけれど、こゝろまぎらはしく聞ゆ、其故は、深く霞みて、柳の緑の色をへだつる意なるべきに、みどりも深くといへるは、霞む故に緑の深きと云やうに聞ゆればなり、或抄に、柳のみどりもふかく、霞も深きなりといへるは、さらに詞にかなはず、其うへ霞の深くは、いかでか緑の深きは見えん、
 
    千五百番哥合に              藤原雅經
白雲のたえまになびく青柳のかづらき山に春風ぞふく
  めでたし、上句詞めでたし、青柳は、葛城の枕詞なるを、やがて其山に生立る柳に用ひたり、さて柳は、風のふくによりてなびくなるを、たしかにさはいはで、なびく青柳のとまづいひて、春風ぞ吹とゝぢめたるは、柳のなびくによりて、春風の吹が見ゆるさまにて、ゆるやかなる物也、或人、柳は山の上にある物にあらずと難じたれど、かの家隆朝臣の、末の松山波にはなるゝ横雲などをこそ、さもいはめ、山の上に柳をよめるばかりのことは、此集の比にとりては、なてふ事かあらん、
                                                                 有家朝臣
青柳の糸に玉ぬくしら露のしらずいくよの春かへぬらん
  詞めでたし、へぬらんは、糸の縁也、拾遺元輔「青柳の緑の糸をくりかへしいくらばかりの春をへぬらむ、と云哥にことなる所も見えず、玉も用なく聞ゆ、
 
                          宮内卿
うすくこき野べのみどりの若草に跡まで見ゆる雪のむら消
(60)  四の句めづらかなり、よくとゝのへる歌也、跡とは、雪の消果たる後をいへるにて、雪の縁の詞にてもある也、雪は殘らず家果ての後迄、始めの村消の跡の見ゆるよしなり、
                                                                 西行
よし野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる春にもある哉
  ちりてといへる詞、花のかたへひゞけり、下句、此集のころにては、此法師のふりなり、
 
    攝政家首首歌合に野遊           家隆朝臣
思ふどちそこともしらず行くれぬ花の宿かせ野べのうぐひす
  下句めでたし、本哥「春の山べにうちむれて云々、「くれなばなげの花の陰かは、六百番歌合判に、素性が哥をとり過たるやうにいへれど、さはあらず、
 
    百首歌奉りし時              式子内親王
今さくらさきぬと見えてうすぐもり春に霞めるよのけしき哉
  初句いうならず、今といへるは、心をいれてよみ玉へる詞とは聞ゆれど、さしもあらず、此ことばなくても有べきさまなればなり、或抄に、今といふにて、いつか/\と待たる心ありといへれど、其意はえうなき歌なり、二の句は、世のけしきのさやうに見ゆるなり、四の句は、春のけしきにかすめるをいふ、されど此にもじ、少しいやしく聞ゆ、又近き世に、秋に見しなど、多くよむにもじは、殊にいやしき詞なり、心すべし、こは事のついでにいふなり、
 
    花のうた                 西行
芳野山こぞのしをりの道かへてまだみぬかたの花をたづねむ
  よくとゝのへり、
 
    和哥所にて春のうた            寂蓮
かづらきや高間のさくら咲にけり立田のおくにかゝるしら雲
  かの西行が「高ねのみ雪とけにけりと同じさま也、高間のさくら立田のおく、二(ツ)の内に一(ツ)は、山といふ事あらまほし、
 
    百首歌奉りし時              定家朝臣
しら雲の春はかさねて立田山をぐらのみねに花にほふらし
  めでたし、詞めでたし、本哥、萬葉長哥に、「白雲の立田の山の瀧のうへのをぐらの峯に咲をゝる櫻の花は云々とあるを、春はかさねてとゝりなし玉へるめでたし、結句、咲ぬらしとあるべきを、にほふらしとあるは、詞はいさゝかまさりたれど、此哥にては、にほふは似つかはしからず、次なる家衡朝臣のうたもおなじ、
 
    和歌所哥合に※[羈の馬が奇]旅花     雅經
岩根ふみかさなる山を分すてゝ花もいくへの跡のしら雲
  いとめでたし、詞めでたし、下句、いひしらずおもしろし、伊勢(61)物語に「岩ねふみかさなる山にあらねども云々、
 
    五十首歌たてまつりしとき
尋ね來て花にくらせる木の間よりまつとしもなき山のはの月
  二の句、花を見てくらせるにはあらず、尋ねきて、いまだ見ずして、暮ぬるよしなり、花にといへるは、花をたづねての意也、まつとしもなきといへるにて、花は、まて共いまだえみぬ心をあらはせり、もし既に見たるにしては、尋ね來てといへるも詮なく、四の句のかけ合も力なし、新拾遺集俊成卿の哥にも、「山櫻咲やらぬまはくれごとにまたでぞ見ける春のよの月、木の間、花のかたへもひゞけり、下句、おもひかけざりし月を見て、それもおもしろき意にても有べけれども、四の句のさま、さは聞えず、花をこそ見むと思ふに、まちもせぬ月の出たるよと思ひて、月をばめでぬかたに聞えていかゞ、右の俊成卿の哥は、四の句のさま、月をもめづるかたに聞えたり、よく味ふべし、
 
    故郷花                  慈圓大僧正
ちりちらず人も尋ねぬふるさとの露けき花に春風ぞふく
  めでたし、下句詞めでたし、露けき花と云に、見るあるじのさびしく、あはれなる心をもたせたり、一首の意は、春風の吹て、庭の花のちるを、たゞひとりながめて、よめるにて、あはれ故郷ならぬ所の花ならば、ちるやちらずやと、人もたづね來て、かやうにちるを見ば、をしむ人もあまたあるべきものを、とおもへるさまなり、
 
    千五百番哥合に              通具卿
いそのかみふるのゝさくらたれうゑて春は忘れぬかたみなるらん
  「植けん時をしる人ぞなきとあるを、誰うゑてとゝれり、春はと切て、心得べし、忘れぬは、植けむ古へを忘れぬなり、これらは、古今集の中の、よき哥のたぐひ也、
                                                                 有家朝臣
朝日かげにほへる山のさくら花つれなくきえぬ雪かとぞ見る
  めでたし、上句詞めでたし、櫻花の、朝日にあたれる色は、こよなくまさりて、まことに雪のごと見ゆる物也、朝日影匂へる山と云は、万葉の詞にて、それは朝日影の匂へる山なるを、此哥にては、朝日影に山の櫻の匂へるなり、つれなくと云詞、時にかなひていたづらならざるうへに、朝日影にもよせ有、
 
      春歌下
 
    釋阿和哥所にて、九十賀し侍りしをりの屏風に、山に櫻さきたる所を      太上天皇御製
櫻さく遠山どりのしだりをのなが/\し日もあかぬ色哉
(62)  さくらの咲たる遠山を、やがて山鳥の尾への玉ひかけて、長々しの序とし玉へり、下御句、俊成卿の命長きをおぼしめしたるなりといへり、さもあるべし、
 
    千五百番哥合に              俊成卿
いくとせの春に心をつくし來ぬあはれとおもへみよしのゝ花
  二の句、春には、春の花になり、きぬは、來ぬるぞのこゝろなり、結句、いうならず、
 
    百首歌に                 式子内親王
はかなくて過にしかたをかぞふれば花に物思ふ|年《春イ》ぞへにける
  すべて、はかなく過といふは、何の間もなく過ることなり、此哥にては、なすこともなくて、いたづらに過し意をかね玉へりと見ゆ、一首の意は、なせることもなくて、はかなく過來つる、其間の事どもを、かぞへて見れば、ただ花に物思へる年を多くへたるはかりぞとなり、又は春毎に、たゞ花にのみ物思ひて、いたづらに早く過來し、年の數をかぞへてみれば、花に物思ふことも、多くの年をへたるよといへるにも有べし、
 
    千五百番歌合に              俊成卿女
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕のはるのよの夢
  詞いとめでたし、袖のゝのは、俗言にがといふ意にて、餘の五(ツ)ののもじと異なり、一首の意は、風の吹通ふまくらの、春の夜の夢のねざめの袖が、花の香にかをるよといふ意なるを、詞を下上に、いりまじへたるにて、詞のいひしらずめでたき哥なり、三の句を、梅がゝにとして、すべてのさま梅の趣なり、櫻にはうとし、
 
    守覺法親王家五十首哥に          家隆朝臣
此ほどはしるもしらぬも玉ぼこの行かふ袖は花の香ぞする
  初句、此ごろはにてもあらましを、一三四二五と、句を次第して見べし、三四の句、玉びこの道ゆきかふ人の袖はといふべきを、あまりにつゞまり過て、言たらはず、のもじは、殊に心ゆかずなむ、
 
    攝政家五首歌に              俊成卿
又やみんかたのゝみのゝさくらがり花の雪ちる春のあけぼの
  めでたし、詞めでたし、狩は、雪のちる比する物なるを、その狩をさくらがりにいひなし、其雪を花の雪にいひなせる、いとおもしろし、
 
    百首哥めしける時春の歌          具親
時しもあれたのむのかりの別さへ花ちる比のみよしのゝ里
  めでたし、詞めでたし、武藏のみよしのと、大和のみよし野と、一(ツ)になれるは、ことさらにかくよみなせるなり、あやまりてまがひたるにはあらず、これも此集のころの一(ツ)のおもむきなり、
 
(63)    題しらず               西行
ながむとて花にもいたくなれぬれば散わかれ社かなしかりけれ
  ながむは、心ゆかず、古歌に「なるゝを人はいとふべらなりとあるによりて、花にもといへるなり、
                         越前
山ざとの庭よりほかの道も哉花ちりぬやと人もこそとへ
  初句のもじいとわろし、にとあるべき所也、もしはにを寫し誤れるにはあらざるか、散しきたる花を、ふまむことのをしきよし、詞にはあらはさずして、さだかにしか聞えたるは、めでたし、上句を或抄に、山ざとにはあまたの道のなきよしなりといへるは、無用の注なり、
 
    五十首哥奉りし中に湖上花         宮内卿
花さそふひらの山風ふきにけりこぎゆく舟の跡見ゆるまで
  めでたし、詞めでたし、跡見ゆるまで吹にけりといふにはあらず、此けりは、おしはかりて定めたるけりにて、下句は、船の跡の見ゆるまでに、花の散うきたるはといふ意を、いひのこしたるなり、古歌に、「こぎゆく船の跡なきがごとゝありて、船の跡は見えぬ物なるに、みゆる迄といへるは、ちりうきたる花の多きほどを、甚しくいへるなり、契冲が、詞いかめしくして、女の身におはずや、すべて此人の哥は、をのこにかへまほしきが多き也といへるは、心得ず、女の哥ならんからに、つよきをきらふべきにあらず、小町が哥を、つよからぬは、女の哥なればなるべしといへるも、つよからぬをゆるしたるに社あれ、女の哥は、つよからぬをよしといへるにはあらざるをや、
 
    關路花
あふ坂や梢の花をふくからにあらしぞ霞む關の杉村
  下句詞めでたし、逢坂の關の杉村ならで、こと所のこと木にても、同じことなれば、題の關の詮なし、梢のといへるは、四の句のために、高き所をいはんとてなれど、杉むらとゝぢめたれば、杉の梢の花と聞えていかゞ、
 
    最勝四天王院(ノ)障子によし野山かきたる所  太上天皇御製
みよしのゝ高ねのさくら散にけりあらしもしろき春の曙
  おしはかりてさだめたるけりなり、
 
    千五百番(ノ)哥合に          定家朝臣
さくら色の庭の春風あともなしとはゞぞ人の雪とだに見む
  めでたし、詞めでたし、初二句は、嵐もしろし、嵐ぞかすむ、などのたぐひにて、又一きはめづらかなり、梢より花をさそふ春風(64)は、櫻色に見ゆるをいへり、さて上句は、花は殘りなく、庭にちりはてたるさまなり、跡は雪の縁の詞、四の句ぞもじ、力を入られたり、ばぞのてにをは、めでたし、下句本歌、「明日は雪とぞふりなまし云々、
 
    一年大内の花見にまかりて侍しに、散たる花を、硯のふたにいれて、攝政の許につかはし侍し、           太上天皇御製
けふだにも庭をさかりとうつる花消ずはありとも雪かとも見よ
  初(ノ)御句は、結(ノ)御句の見よへかゝれり、うつるはちれる也、四の御句、本哥と詞は全く同じけれど、意は異なり、もゝじは、たゞ輕く添たるにて、よのつねのともの意にはあらず、たゞとといふに同じ、下(ノ)御句の意は、花はちりて、雪となりたれども、消ずにはありと思ひて、せめて今日、雪かとなりとも見よなり、或抄に、四の御句を心得かねて、消る社雪ならめ、花なれば、よし消ずともと注したるは、さらに聞えぬこと也、
 
    御かへし                 攝政
さそはれぬ人のためとや殘りけんあすよりさきの花の白雪
  四の句は、本哥には、「明日は雪とぞふりなましとあるを、これは今日既に雪とふりたれば、明日は又此雪もきえぬべきに、明日きえぬさきのけふのといふ意か、又は雪とはふりたれ共、本哥に、明日は雪とある、その明日よりさきなれば、今日は猶雪とは見ず、花と見るといふ意か、いづれにしても、おもしろくとりなし玉へる詞なり、
 
    五十首歌奉りし時       .     家隆朝臣
さくら花夢かうつゝかしら雲のたえてつれなき峯の春風
  めでたし、本哥「云々しら雲のたえてつれなき君が心か、たえては、上よりは、白雲の絶たる意につゞけきて、たえてつれなきは、俗言に言語道斷のつれなき風ぞ、といふ意にて、つれなく花をちらしたることを、深く恨みたる也、二の句、一夜のほどなどに、俄に散たるさまなり、さて又、しらずをしら雲へいひかけ、又峯の花は、白雲と見ゆる物なれば、白雲の絶るは、散たるよし也、されば白雲の絶てといへるは、本歌の詞なるを、本哥になき趣を、かくさま/”\こめられたるほど、いとたくみなり、下句を或抄に、風のつれなく殘りたることに注したるは、たえてといふ言にかなはず、
 
    題しらず                 俊成卿女
うらみず|や《よイ》うきよを花のいとひつゝさそふ風あらばと思ひけるをば
  めでたし、本哥、「わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水(65)あらばいなんとぞおもふ、初句やとよとのおとりまさりは、よの方は、今少したしかに聞ゆれ共、うきよのよと重《カサ》なりて、しらべおとれり、やは炭ひのやに、いさゝかまぎるゝかたはあれ共、疑ひのやにはあらざることは、一首の趣にてよく聞えたり、此やは、即よの意にて、此歌にては、よといはんよりは、しらべまされり、すべて此集の比の哥は、句のしらべ詞のしらべに、くはしく心をうけて、めでたくいひなしたる物なれば、其心して、一もじといへ共、なほざりには見べからず、二三の句は、本歌のごとく、世をうき物に思ふ我心を以て、花の心をも思ひやりて、早く散行をも、うき世をいとひての故と、おもひなだめて、恨みざる、一首の趣をあらはしたり、四の句、本歌の水を風にかへたる、おもしろし、さて此句、九《ココノ》もじによむはわろし、とは下なる句へつけり、此例多し、結句、をばといへる意は、花の早くちることは、大かたはうけれ共、うき世をいとふ所は、ことわりなれば、それをば恨みずといへるなり、大かた此哥、ほかにはたぐひなき、一(ツ)のさまにて、女の哥には、殊にあはれにおもしろきふりなり、四の句結句ともに、もじの餘りたるも、にほひとなれり、初句を或抄に、恨みずやはあらん、恨むべしとの意也といへるは、むげに哥見しらぬいひごと也、
 
    千五百番歌合に              左近中將良平
ちる花の忘れがたみの峯の雲そをだにのこせ春の山風
  本哥、「そをだに後の忘れがたみに、歌ざまはよろしけれど本歌のとりさまは、詮なきがごとし、
 
    落花.                  雅經
花さそふなごりを雲に吹とめてしばしはにほへ春の山風
  なごりは香をいふ、下ににほへとあるにて知べし、雲は花にまがひて見ゆる物なる故に、雲にとはいへるなり、
 
    殘春                   攝政
よし野山花のふる郷あとたえてむなしき枝に春風ぞ吹
  花の故郷とは、花の散たる跡をいひて、吉野の故郷をかねたり、跡絶ては、花の跡もなくなれるにて、それを花の散たる故に、見にこし人の跡も絶たることに、かね用ひたるなり、春風ぞふくとは、とひくる人は絶て、たゞはるかぜばかり、吹(キ)よる意なり、
 
    百首歌の中に               式子内親王
花はちりその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
  「くれがたき夏の日くらしながむればそのことゝなく物ぞかなしき、こゝの二三の句は、此三四の句により玉へる也、初句、花ちりてといはずして、花はとあるはもじに、あはれなる所あり、(66)二の句は、花の有しほどは、花の色をながめしに、今は何の色をながむとはなしになり、四の句、空は、ながむといふによせ有、結句、さびしきさまにて、花を思ふ情深し、
 
    千五百番歌合に              寂蓮
おもひたつ鳥はふるすもたのむらんなれぬる花の跡のゆふぐれ
  二の句ももじは、鳥は古巣にかへる頼みもあらんをといふ意也、三の句の下に、をもじを添て心得べし、下句は、なれたる花の散にし跡の、夕暮のさびしさは、何をたのみにして、なぐさめんかたもなしといふ意を、いひのこしたるなり、
 
散にけりあはれうらみのたれなれば花の跡とふはるの山風
  初句、けりといへる詞かなはず、ちりにしもなどあらば、事もなからんを、しひていきほひあらせんとてや、かくはいへりけん、一首の意、花をかくちらしたるものは、誰なるぞ、おのれみづからちらしたるにはあらずや、然れば恨みは、おのれにある物を、花の散たるを恨みがほに、跡の梢をとふはいかにと、風をとがめたる也、二の句より下はめでたし、
 
    百首哥奉りし時              攝政
はつせ山うつろふ花に春くれてまがひし雲ぞ峯にのこれる
                                                                 家隆朝臣
よし野川岸の山吹さきにけりみねのさくらはちりはてぬらん
                                                                 俊成卿
駒とめて猶水かはん山ぶきの花の露そふ井手の玉川
  めでたし、下句詞いとめでたし、猶といへる心をつくべし、
 
    五十首哥奉りし時             寂蓮
暮てゆく春のみなとはしらねども霞におつる宇治のしば船
  春のみなとゝは、春のゆきとまる所をいふ、「みなとや秋のとまりなるらむより出たり、船に縁あることなり、下句は、川瀬も何も見えず、立こめたる霞の中へ、くだりゆく柴舟の、ゆくへもみえぬを、くれてゆく春によそへて、ながめやりたる意なるべし、しらねどもといへるは、しらねども、まづこれをそれによそへて見るといふ意なるべし、或妙に、春の湊はしらねども、柴舟はしりたるやらん、霞におちゆくよと也といへるは、いかゞ也、もし其意ならば、三の句しられぬを、などいはではかなはず、
 
    題しらず                 俊成卿女
いそのかみふるのわさ田をうちかへし恨みかねたるはるのくれ哉
  うちかへしは、かへす/”\の意なり、初二句は序にて、さて田をうちかへすは、春のくれによせ有、恨みかねたるとは、恨みてもかひなきをいふ、後撰戀一、「うちかへし君ぞ戀しき石上ふるの(67)わさだのおもひいでつゝ、
 
    山家暮春                 宮内卿
柴の戸をさすや日影のなごりなく春くれかゝる山のはのくも
  初句、にといはでをといへるは、夕暮なれば、戸をさすといふをもかねたるべし、くれかゝるなどいふかゝるは、すこしいやしきに近き詞なれども、これは雲の縁にいひかけたれば、さもきこえず、山(ノ)端に雲あれば、入日のなごりは、いよ/\ある物なるを、名殘なくといへるは、雲にうつりたりしなごりも、なくなるまで、くれかゝりたるをいへる也、雲にへだてゝ、名殘もなしといふにはあらず、
 
    百首哥奉りし時              攝政
あすよりはしがのはなぞの稀にだにたれかはとはんはるのふるさと
  花園といふに、花の有しほどは、まれにも人のとひしこゝろをふくめたり、春のふるさとゝは、春の過いにし跡をいひて、滋賀のふるさとをかねたり、吉野に花の故郷といふに同じ、
 
  夏歌
 
    更衣                   慈圓大僧正
散はてゝ花のかげなき木(ノ)本にたつことやすきなつ衣かな
  めでたし、本歌「けふのみと春を思はぬときだにもたつことやすき花の陰かは、三の句、木(ノ)本はといふべきを、にといへるは、夏衣をたつ方をむねとせればなり、はといひては、衣のかたにうとし、四の句は、本歌の意とむかへて、今はたつことやすきなり、さて又月日のはやくうつりて、夏になれる意をも、かねたるべし、本歌にては、たゞ花の陰の、立さりがたき意のみなるを、かくとりなして、三(ツ)の意をかねたるは、此集のころのたくみのふかきなり、
 
    夏のはじめのうた             俊成卿女
をりふしもうつれはかへつ世の中の人のこゝろのはなぞめのそで
  めでたし、本歌「うつろふ物は世の中の人の心の花にぞ有ける、「世中の人の心は花染の云々、初二句は、人の心のかはりやすきことは、男女の中のみならず、をりふしのうつるにも、うつりかはるよといへるにて、花染衣をすてゝ、夏衣になれることをいへる也、
 
    齋院に侍ける時神だちにて         式子内親王
忘れめやあふひを草に引むすびかりねの野べの露のあけぼの
  草には、草枕に也、三の句、引むすぶと有けんを、ふをひにうつし誤れるか、又はむすぶといひては、宵のほどの事と聞えて、曙にはいかゞとおぼして、本よりむすびとよみ玉へるか、ひにて(68)は、詞のとゝのはぬ哥也、もしむすびといはゞ、むすびしと、しもじあるか、或はかりねせし野べのといはでは、とゝのはず、
 
    最勝四天王院(ノ)障子にあさかの招かきたる所    雅經
野べはいまだ淺かの沼にかるくさのかつ見るまゝにしげるころかな
  野べの草はまだ淺きに、此沼のかつみは、見るがうちにしげるとよめるなり、此趣いかゞ、其故は、野の草のまだ淺きに、かつみのみしげらんこと、よしなければなり、もしかつみは殊にはやくしげるよしあらばこそ、さもいはめ、又野べの草は、まだ淺きが、見るがうちにしげると、野の草のしげるをよめるにて、二三の句は、たゞ淺といひ、かつみるといはん料のみともいはんか、さては淺かの沼の題にかなはず、
 
    入道前關白右大臣に侍ける時百首哥に郭公  俊成卿
むかしおもふ草の庵のよるの雨になみだなそへそ山ほとゝぎす
  めでたし、上句詞めでたし、初句は、世に在し昔をおもふ也、二三の句は、白樂天が詩の句によれり、よるの雨に涙なそへそ、面白し、此歌、ふるき注共、皆ひがことなり、
 
雨そゝく花たちばなに風すぎて山ほとゝぎす雲になくなり
  結句、雲は雨によせはあれども、なくてあらまほし、すべてこの歌、雨風雲おの/\はなれて、くだ/\し、
 
    百首哥奉りし時夏歌の中に         民部卿範光
時鳥なほ一こゑはおもひいでよおいそのもりの夜はのむかしを
  後拾遺に、大江公資「東路の思ひでにせん時鳥おいその杜のよはの一聲、とあるによれり、よはに一聲聞つとよめる、其昔を思ひ出て、猶今も一聲なけと也、三の句も、かの哥の詞によれり、平家物語に、此哥のこと見えたり、
 
    千五百番哥合に              攝政
有明のつれなく見えし月はいでぬ山ほとゝぎすまつ夜ながらに
  初(ノ)二句は、古哥の詞によりて、見えしは、此哥にては、月の見えたるには非ず、出やらぬ氣色の、つれなく見えし也、有明の月に、つれなしと云は、常は、よの明ても、つれなく殘れるをよむを、是は出やらぬ方にいひなして、時鳥のまてど鳴ぬ方へひゞかせたり、結句、ながらには、時鳥はいまだなかで、まつよのまゝなるに、といふ意なり、
 
    後徳大寺左大臣家十首の哥に        俊成卿
 
我こゝろいかにせよとてほとゝぎす雲間の月のかげになくらん
  哥のさま、西行めきたり、初二句の意のせちなるに合せては、下(69)はさしもあらず、上下よくかけあへりとも聞えず、又月にとあらまほしきを、月の影にもわろし、「よはの雲間の月に、などあらばや、初二句を古き抄に、面白き方に注せるは、ひがこと也、あはれにたへざる意に社あれ、
 
    杜間郭公                 藤原保季朝臣
過にけりしのだの杜のほとゝぎすたえぬ雫を袖にのこして
  下句詞めでたし、絶ぬ雫、しのだの杜に似つかはし、
 
    題しらず                 家隆朝臣
いかにせんこぬよあまたのほとゝぎすまたじと思へば村雨のそら
  いとめでたし、詞めでたし、本哥「たのめつゝこぬよあまたになりぬればまたじとおもふぞまつにまされる、ほとゝぎすには、來ぬ夜は、すこしいかゞなるやうなれども、これは本哥の詞によりたれば、妨なし、此集のころ、いかにせんとおけるうた、いと多き、下にかなはざるが多きを、此哥などは、此詞いとよくかなひて聞ゆ、建仁二年水無瀬殿哥合に、寄風戀雅經、「今はたゞこぬ夜あまたのさよふけてまたじと思ふに松風の聲、とあるは、よく似て、いたくおとれり、
 
    百首歌奉りし時              式子内親王
聲はして雲路にむせぶほとゝぎすなみだやそゝぐよひの村雨
  本歌「こゑはしてなみだはみえぬほとゝぎす云々、このうたにては、初句のはもじは、こゝろなし、たゞ本哥の詞によれるなり、雲路、むら雨によせあり、むせぶは、なみだのむせぶにて、むせぶほとゝぎすのなみだといふつゞきなり、一首の意は、本哥には、なみだは見えぬとあれ共、此むら雨は、其涙のそゝくにやあらんと也、
 
    千五百番哥合に              權中納言公經
ほとゝぎす猶うとまれぬ心哉ながなくさとのよその夕暮
  本哥「ほとゝぎすながなく里のあまたあれば云々、本歌の猶うとまれぬのぬは、いはゆる畢ぬなるを、此哥にては、不の意に用ひかへたり、下句は、ながなくさとのあまた有て、よそになけどもの意なり、
 
    題しらず                 西行
きかずともこゝをせにせんほとゝぎす山田のはらの杉のむら立
  二の句せは、戀しきせうれしきせなどのせにて、こゝを聞べき所にせんといふ意也、詮也といふは誤なり、俗言にこゝをせんどといふも、詮にはあらず、せにとゝいふを、音便にせんどゝいふ也、
 
郭公ふかき峯より出にけり外山のすそに聲のおちくる
(70)  けりは、おしはかりたるけり也、深き峯よりといへる、何の用ぞや、峯よりとは、猶いひもすべきを、深きとさへいへる、浅き峯より出たる時鳥は、聲のおちこぬものにや、俊成卿のいたくほめられたるは心得ず、
 
    山家曉郭公                後徳大寺左大臣
をざゝふくしづのまろ屋のかりの戸を明がたになくほとゝぎす哉
  詞めでたし、させるふしもなきうたなり、
 
    五首(ノ)歌人々によませ侍ける時夏のうた 攝政
うちしめりあやめぞかをる時鳥なくやさ月のあめの夕暮
  すべて物のにほひは、しめればまさるものなり、
 
    述懷百首に                俊成卿
今日はまたあやめのねさへかけそへてみだれぞまさる袖の白玉
  二の句ねは、根に涙をかねたり、涙をねといふ也、白玉は涙にて、約玉をかねたり、けふは又といひ、そへてといひ、まさるといへるにて、常に涙のかゝることしられたり、よくとゝのひたる歌也、
 
    釋阿に九十(ノ)賀たまはせける時の屏風に五月雨
小山田に引しめなはのうちはへてくちやしぬらん五月雨の比
  うちはへては、ひたすらになどいはむが如し、それをしめなは引はへたるよりいひかけたるなり、
 
    百首(ノ)哥よませ侍けるに        入道前關白大政大臣
五月雨はおうの河原のまこも草からでやなみの下にくちなん
  おうの河原とは、萬葉三に、飫宇《オウ》(ノ)海の河原の千鳥云々、とある所をよみ玉へるなるべし、出雲(ノ)國なり、
 
    五月雨                  定家朝臣
玉ぼこの道ゆき人のことつてもたえてほどふるさみだれの空
  上句古歌をとられたれど、何の詮も見えず、さみだれに似つかはしからず聞ゆ、
 
    五十首(ノ)哥奉りし時
五月雨の月はつれなきみ山よりひとりもいづるほとゝぎす哉
 
    大神宮に奉り給ひし夏(ノ)哥の中に    太上天皇御製
ほとゝぎす雲井のよそに過ぬなりはれぬ思ひの五月雨の比
  本歌「秋ぎりのともに立出てわかれなばはれぬおもひに戀やわたらむ、四の御句は、五月雨のはれぬをかねて、本哥のこひやわたらんの意をもたせて、よそに過ゆきし時鳥を、こひやわたらむとなり、
 
(71)    題しらず               俊成卿
たれかまた花たちばなに思ひ出む我も昔の人となりなば
 
                         通具卿
行末をたれしのべとて夕かぜに契りかおかんやどのたちばな
  行末は、わがなき跡なり、にといふべき所なれども、三の句のはてのにと重なる故に、をといへり、をのときは、ちぎりおかんへかゝるなり、四の句かもじは、二の句のとての下にある意なり、然れ共そこには置がたき故に、下へおけるにて、こゝろよからねども、ふるくも此例あることなり、一首の意は、我なくなりたらん後、たれ花たち花のにほひに、我を忍べとてかは、今夕風に契りおかむ、しのぶべき人もあるまじき我身なれば、夕かぜに契りおくべきよしもなしとなり、又は、上句を三二一と次第して、夕風のにほはん時、たれにしのべとてか、橘に契りおかむといへるやうにも聞ゆれど、さにはあらじ、
 
    百首(ノ)哥奉りし時夏哥         式子内親王
かへりこぬ昔を今とおもひねの夢のまくらににほふたち花
  めでたし、下句詞めでたし、二の句は、古哥の詞二句を一句につゞめてとれるにて、上句、昔を今になすよしもがなと思ひてねたるよしなり、ともじにてさやうに聞ゆるなり、古哥をかやうにとり用るは、此集のころのはたらきなり、
 
    五十首(ノ)哥奉りし時          慈圓大僧正
五月やみみじかき夜はのうたゝねに花立ばなの袖に凉しき
  たち花のにほひをさそひきて、袖にすゞしく吹風の、心よきまゝに、夜のみじかきを、あかず思へるよしなり、
 
    だいしらず                俊成卿女
たち花の匂ふあたりのうたゝねは夢も昔の袖の香ぞする
 
                         家隆朝臣
ことしより花さきそむる立花のいかで昔の香にゝほふらん
 
    守覺法親王(ノ)家(ノ)五十首(ノ)哥に 定家朝臣
夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風のふくらむ
  二三の句は後撰に、「故郷に君はいづらとまちとはゞいづれの空の霞といはまし、又源氏物語夕※[白/八]卷に、「見し人の煙を雲とながむれば、夕の空もむつましきかな、又葵卷に、かくれ玉ひし葵上の事を、雨となり雲とやなりにけんといひ、其時の哥にも、「雨となりしぐるゝ空のうき雲をいづれのかたとわきてながめむなどあるごとく、なくなりし人のなれる煙の、立のぼりて雲となれることに、朝雲暮雨の意をもかねていへるなり、さればいづれの雲とは、昔のいづれの人のなれる雲といふ意なり、さて風は雲に縁ある物(72)なる故に、その雲の名殘とはいへる也、下句は、詞を下上にして、風の花たちばなに吹らむといふ意也、一首の意は、此夕ぐれの風は、昔のいづれの人のなれる雲の名殘にてか、花たち花には吹らむとなり、たちばなには、むかしのことをよむならひなれはぞ、
 
    攝政(ノ)家(ノ)百首(ノ)歌合に鵜河  寂蓮
うかひぶね高瀬さしこすほどなれやむすぼゝれゆくかゞり火の影
  高瀬をさしこすほどは、船のゆらるゝ故に、かゞりの影もしづかならず、むすばぼれてみゆる也、四の句ゆくは、むすぼゝれて川をくだり行也、やうやくにむすぼゝるゝをいふにはあらず、
 
    千五百番(ノ)歌合に           俊成卿
大井川かゞりさしゆくうかひ舟いくせに夏の夜をあかすらむ
  郭公の鳴一聲に明といふばかりみじかき夏のよを、鵜かひ船は、おほくの瀬々を經てあかすよしなり、
                         定家朝臣
久かたの中なる川のうかひぶねいかにちぎりてやみをまつらん
一二の句は「久かたの中におひたる里なれば云々の意にて、桂川なり、此川は、月の中なる川にて、その光をのみ頼むと、本歌によめるに、うかひぶねは、いかなる契にて、闇を待てかふぞと也、四の句は、俗にいかなる因縁にてといふ意なり、
 
    百首哥奉りし時              攝政
いさり火のむかしの光ほの見えてあしやの里にとぶほたる哉
  初二句は「はるゝ夜の星か河べの螢かも云々、とよみたりし昔のひかりなり、一首の意は、あしやの里にとぶ螢の影の、かのむかしのひかりに思ひよそへらるゝよしなり、
                                                                 式子内親王
まどちかき竹の葉すさぶ風の音にいとゞみじかきうたゝねの夢
  朗詠に、風生(スル)v竹(ニ)夜窓間(ニ)臥(ス)、初句うたゝねによし有、二の句すさぶといふ詞おもしろし、ひたすら吹にもあらず、をり/\そよめくさまにて、夏のよによくかなへり、よのつねならば、そよぐとよむべきを、かくあるにて、殊にけしきあり、一言といへども、なほざりにはよむべからず、心を用ふべきわざなり、四の句はさらでだに夏の夜にてみじかき夢なるにいとゞなり、
 
    五十首(ノ)歌奉りし時          慈圓大僧正
結ぶ手に影みだれゆく山の井のあかでも月のかたぶきにけり
  本哥「むすぶ手の雫にゝごる山の井の云々、山の井を結ぶに夏の意あり、手してむすべば、水の動きて、うつれる月の影のみだるゝ故に、夏の夜のみじかきうへに、いとゞしづかに見る程もなく、(73)あかでかたぶくとなり、
 
    最勝四天王院(ノ)障子に清見潟かきたる所 通光卿
清見がた月はつれなき天の戸をまたでもしらむ波のうへ哉
  二の句は、つれなく殘りて、いまだ入らぬをいふ、三の句、天は結句の浪のうへにむかへていへり、戸は、所からおのづから關の戸にも緑あり、をは、なる物をの意とも聞え、又をまたでとつゞきても聞ゆ、下句は、月の入るをまたで、浪ははやしらみて、夜の明るをいひて、夏の夜のあけやすきさま也、さて四の句、戸の縁に明るといふべきを、さはいはで、しらむといへるは、かへりて巧也、そは二の句も、月は入らぬといふ意なるを、さはいはず、こゝも明るといふ意なるを、ことさらにさはいはずして、共に戸の縁語の、入らぬ明るをば、詞に顯さずして、意にもたせたるものなり、そのうへ波のうへは、あくるといはんよりは、しらむといへるぞ、けしきもまされる、
 
    家の百首(ノ)哥合に           攝政
かさねてもすゞしかりけり夏衣うすきたもとに宿る月かげ
  初句は、衣に月影をかさぬる也、つねに衣を重ぬれば、暑きものなるに、これは月影なれは、すゞしとなり、
 
    攝政の家にて、詩哥を合せけるに、水邊自秋凉といふことを   有家朝臣
すゞしさは秋やかへりてはつせ川ふるかはのべの杉のしたかげ
  めでたし、詞めでたし、題、自(リ)v秋凉(シ)は、漢文にては、凉(シ)2于秋(ヨリ)1と書くことなれども、歌の題にさやうにかゝむは、中々にいうならねば、かく書ならへり、三の句は、恥《ハヅ》といひかけたり、二の句のやもじは、はつの下にある意にて、此ふる川のべの杉の下陰のすゞしさには、秋も却てはぢやせんといふ意なり、題をめづらかによくよみかなへられたり、或抄に、秋やかへりてはてたるといひかけたり、あまりすゞしさに、秋もかへりて、冬になりたるかといへる也といへるは、いみしきひがことなり、秋やかへりてはてたるとは、いかなることぞや、又或説に、秋やかへりてふるさるゝと、四の句へいひかけたりといへるも、ひがことなり、さてはかへりてといふ詞聞えず、
 
    題しらず
道のべにし水ながるゝ柳かげしばしとてこそ立とまりつれ    西行
  しばしと思ひてこそ立とまりたるを、あまりすゞしさに、えたちさらで、思はず時をうつしたることよと也、こそといひ、つれといへるにて、その意見えたり、
 
(74)よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空
  下句詞めでたし、初句は、夏の暑き日影に、草葉のよれしゞみたるをいふ、かげろひてといへるにて、はじめ日影の甚しかりしことしられ、すゞしく曇るといへるにて、おのづから、草葉のもとのごとくのびて、こゝちよげなるほど見えたり、
 
    夏月                   從三位頼政
庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなくすめる月哉
  空さりげなく、おもしろし、夕立のしたる名殘も見えず、清くすめるなり、
 
    百首哥中に                式子内親王
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしのこゑ
  夕立の雲も、殘りなく晴て、とまらず、日もとまらずかたぶく、といふ趣意にやあらん、下句いやしきふり也、玉葉集風雅集に、此格おほし、此内親王の御哥に、「霧のあなたに初鴈の聲共有、又かの二(ツ)の集の内に、「野べは霞に鶯の聲、「尾花が風に庭の月影、などいへるは、殊にいやし、これらのにもじは「かたぶく山に、「霧のあなたに、などあるにとは異《コト》にして、これもありかれもありと、物をならべあぐる間におけるなれは、いと/\いやしきなり、
 
    百首歌奉りし時              攝政
秋ちかきけしきの杜になくせみの涙の露や下葉そむらん
  秋ちかきと、下葉そむと、かけ合たり、此涙を、紅涙也といへる説はわろし、よのつねの露も、木葉を染るはつねのこと也、
 
    五十首哥奉りし時
ほたるとぶ野澤にしげるあしの根のよな/\下にかよふ秋風
  四の句、よは蘆の縁、下にかよふは、根のかけ合なり、
 
    百首哥の中に               式子内親王
たそがれの軒端の荻にともすればほにいでぬ秋ぞ下にことゝふ
 
    夏のうた                 慈圓大僧正
雲まよふゆふべに秋をこめながら風もほにいでぬ荻の上かな
  こめながら、いうならぬ詞也、風もの上か下かに、まだといふ言あらまほし、
 
    大神宮に奉り玉ひし夏の御哥の中に     太上天皇御製
山ざとの峯のあま雲とだえしてゆふべすゞしき槇の下露
 
    千五百番哥合に              宮内卿
かたえさすをふのうらなし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ
  本歌「をふの浦にかたえさしおほひなる梨の云々、かた枝さしおほひたる陰なる故に、秋になりならざるの論なく、夏の程よりし(75)て、風のいとすゞしきよし也、さてかた枝さすとのみにては、すゞしかるべきよしなけれども、本哥のさしおほひといふ詞を、つゞめたるなれば、そのおほひといふに、すゞしきよしは有なり、
 
    百首哥奉りし時              慈圓大僧正
夏衣かたへすゞしくなりぬなり夜やふけぬらん行合の空
  本歌「夏と秋と行かふそらの通路は云々、本哥とれる詮なし、たゞ夏衣といへるのみ、かはれる、その夏衣も、縁の詞だになければ、いたづらごとなり、又なりぬなりといふは、他のうへを見聞ていふ詞にこそあれ、みづからのうへにはいかゞ、これはなりにけりとこそあるべけれ、すべて今の世の人は、かやうのけぢめをえわきまへざれば、たゞ同じことゝぞ思ふらん、此集の比はしも、猶かゝること、むげに分れざるにはあらざりしかども、あながちに詞をいうによまむと、つとめられたりしから、かゝるたがひめは、をり/\あるなり、
 
新古今集美濃の家づと二の卷
 
  秋歌上
 
    百首哥の中に               家隆朝臣
きのふだにとはんと思ひし津の國の生田の杜に秋は來にけり
  本歌「君すまばとはましものを云々、何故にきのふだにとはんとおもひしにか、こゝろ得ず、
 
    最勝四天王院の障子に高砂かきたる所    秀能
吹風の色社見えね高砂のをのへの松に秋は來にけり
  上二句、「秋きぬとめにはさやかに見えねどもの意にて、風は色のみえぬ意と、松なる故に、秋の色の見えぬ意とをかねたり、
 
    百首哥奉りし時              俊成卿
ふしみ山松のかげより見わたせばあくる田面に秋風ぞふく
 
    守覺法親王家五十首歌に          家隆朝臣
明ぬるか衣手寒しすがはらやふしみの里の秋のはつ風
  下句詞めでたし、伏見といふに、寐てある意をもたせたり、さて此哥、委くいはゞ、明ぬるかといへるかもじの疑ひは、夜の明て、秋の初風のふくかと、秋の初風へもかゝらでは、たしかならず、されどかやうの趣は、ほのかなるも哥也、
 
    千五百番哥合に              攝政
深草の露のよすがを契にて里をばかれず秋は來にけり
  めでたし、上句詞いとめでたし、初句、里の名に、深き草の意をかねたり、二の句よすがは、より所にて、露を秋のより所とする意なり、それを露のよすがといふは、たとへば、人の花をながむるを、花のながめといふたぐひ也、ちぎりは縁也、さて此二三の句は、露をよすがにてとか、ちぎりにてとかいひて、ことたれるを、よすがとちぎりとをいへるは、詞の七五にたらざるが故也、四の句は「今ぞしるくるしき物と云々の哥の詞也、
                                
                         通具卿
哀れ又いかに忍ばん袖の露野原の風に秋は來にけり
  又といへるに、もとより袖の露けき意をこめたり、忍ぶはたへ忍ぶなり、野原といふは、えんならざる詞なり、
 
                         具親
しき妙の枕のうへに過ぬなり露をたづぬる秋のはつ風
  めでたし、下句詞いとめでたし、涙にぬれたる枕のあたりに、秋(77)の初風の吹來るを、露をたづぬるといひなせる也、露は秋のよすがなれば、尋ね來るよし也、過ぬなりとは、たゞ吹來る意なり、すぎ去意にはあらざる故に、をといはずして、にといへり、されど此にもじ、過といふには、いさゝか似つかはしからず聞ゆ、此哥、ふるき抄に、いろ/\説あれど、みなひがことなり、
 
                         顯昭
水ぐきの岡のくず葉も色づきてけさうらがなし秋の初風
  めでたし、詞もすべてめでたし、上句、万葉十に、「水ぐきの岡のくず葉も色付にけり、四の句は、後拾遺秋上、「まくず原玉く葛のうら風のうらがなしかる秋はきにけり、うらは葛の縁の詞なり
 
                         越前
秋はたゞ心よりおく夕露を袖のほかともおもひけるかな
  四の句に袖といへるにて、二三の句の、心よりおく露は、涙なることをしらせ、三の句に露といへるにて、四の句の袖の外は、草葉の露なることをしらせたり、かやうの所はたらき也、心得おくべし、一首の意は、秋のほど、露のしげきは、たゞ物おもふ心よりおく、袖の涙なる物を、草葉のうへとのみ思ひけることよとなり、後撰雜に「我ならぬ草葉もものはおもひけり抽より外におけるしら露、
 
    五十首哥奉りし時秋の歌          雅經
きのふまでよそに忍びし下荻の末葉の露に秋風ぞふく
  めでたし、下句詞めでたし、二三の句、よそへは聞えぬやうに、しのびて、下にのみ吹し荻の風なり、下句、末葉といひ露といへる、皆あらはれて吹(ク)意にて、上句に、よそに忍びし下荻といへるに、よくかけ合たり、或説に、二の句を、荻のよそに吹しといへるは、下荻の云々にとある、詞のつゞきにかなはず、
 
      だいしらず              西行
あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原
  詞めでたし、秋風の立ぬるにつきて、宮城野を思ひやれるなり、結句を、初句の上へまはして、みやぎのゝはらは、あはれいかに云々、と心得べし、
 
    崇徳院に百首哥奉ける時          俊成卿
みしぶつきうゑし山田にひたはへて又袖ぬらす秋はきにけり
  本歌万葉八に、「衣手にみしぶつくまで植し田を引板我はへ守れるくるし、夏みしぶつきて、袖ぬれて植し田をもるとて、秋も又露に袖ぬらすよしなり、三の句は、たゞ庵にゐてもるさまをいへるのみ也、それにとりて、ひたはへは、袖ぬらすにはうとき詞なれども、本歌の詞なり、
 
荻の葉も契りありてや秋風の音づれそむるつまとなるらむ
(78)  詞めでたし、初句、もゝじは、はといふべきを、もといへるは、秋風の、荻の葉にまづおとづれそむるも、契有てのことにや、といふ意なればなり、ちぎりは、俗にいはゆる因縁也、つまとは、夫婦たがひにいふつまと、もと同じ意にて、あてどころとなりて、むかふ物をいふ、
 
    だいしらず                七條院(ノ)權(ノ)大夫
秋來ぬと松吹風もしらせけりかならず荻の上葉ならねど
  めでたし、下句詞めでたし、かならずは、俗にあながちといふ意なり、こは哥にはをさ/\よまぬ詞なるを、此哥にては、一首のまなことなりて、めでたし、
 
    百首哥に                 式子内親王
うたゝねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋のはつかぜ
 
    七夕のうた                俊成卿
たなばたのとわたる船のかぢのはにいく秋かきつ露の玉づさ
  初二句は、題の事を、すなはち序にしたる也、露の玉、梶の葉に縁あり、後拾遺に、「天川とわたる船のかぢのはに云々、
 
    守覺法親王家五十首哥に          顯昭
萩が花眞袖にかけて高圓の尾上の宮にひれふるやたれ
  詞はよし、萩が花を袖にかけて、ひれふるといふこと、いと/\心得ず、万葉めきてよみたれど、すぢなきこと也、
 
    千五百番歌合に              左近中將良平
夕されば玉ちるのべのをみなべし枕さだめぬ秋かぜぞふく
  下句めでたし、露を玉ちるといへること、よせなく聞ゆ、
 
    百首哥に                 式子内親王
花ずゝきまだ露ふかしほに出てながめじと思ふ秋のさかりを
  めでたし、本哥拾遺戀、「しのぶればくるしかりけりしのずゝき秋のさかりになりやしなまし、秋のさかりになりやしなましとは、穗にや出ましといふ意也、こゝの哥の意は、此すゝきを見れば、まだ露ふかく、物思はしげなるは、いかなることぞ、今は薄も、しのびて物思ふことはあらじ、皆穗に出たるべしと思はるゝ、秋のさかりなる物をと也、露ふかしといひ、ながむといへる、ともに忍びて物思ふ意也、本哥の初二句にて、然聞えたり、さて秋のさかりをといへる詞にて、その本歌をとれることをしらせたり、よく/\味ふべし、ふるき抄の説、みなひがことなり、
 
    題しらず                 慈圓大僧正
身にとまる思ひを荻の上葉にて此ごろかなし夕暮のそら
  詞めでたし、まづ秋の夕暮は、荻の風の音を、かなしき物によみならへるを、此哥にては、その荻の風にはあらで、我身にとまれ(79)る秋の思ひが、荻の風の如くにて、夕暮にはかなしきと也、さて風ともいはず、秋ともいはざるは、ことさらにはぶきて、詞の外に思はせたるたくみ也、此人の哥、かやうなる趣多し、結句秋の夕暮とある本は、中々わろし、
 
    百首哥に                 攝政
荻の葉にふけばあらしの秋なるをまちけるよはのさをしかの聲
  詞めでたし、秋なるをとは、秋の聲にてかなしき物を、といふこゝろなり、一首の意は、嵐は荻の葉にふけば、かなしき物を、又そのあらしのつてに、鹿の音を待けることよ、何しに待けむ、鹿の音も、きけば又いよ/\かなしさをそふるものをと也、秋なるをといひ、まちけるといふ、詞のいきほひをもて知るべし、古き抄の説ども、みなひがことなり、
 
おしなべて思ひしことのかず/\に猶色まさる秋のゆふぐれ
  めでたし、おしなべては、一(ツ)におしくるめて也、かず/\には、數多くある物を一(ツ)ごとに也、色はかろく見るべし、一首の意は、つねにはたゞ、かなしき事も、一(ツ)におしくるめておもふのみなりしに、秋の夕暮には、猶又その數々の思ひの、一(ツ)ごとにかなしさのまさるとなり、
 
    だいしらず
くれかゝるむなしき空の秋を見ておぼえずたまる袖の露哉
  一二の句のつゞき、聞よからず、四の句もいうならず、すべてよくもあらぬうたなり、
 
    家の百首の哥合に
物おもはでかゝる露やは袖におくながめてけりな秋の夕暮
  上句、物思はぬ人の袖に、かやうに露のおく物かはといふ意也、ながむるも、物思ふと同じことにて、四の句は、物思ひけりなといふ意なり、すべて同じことを、二所にいはではかなはぬ時、一(ツ)は詞をかへて、相照して、それと聞ゆるやうによむこと、一(ツ)のならひ也、此類多し、心得おくべし、
 
    をのこども、詩を作りて、哥に合せ侍りしに、山路秋行といふことを                                   慈圓大僧正
み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲の夕暮の空
  いつよりの下に、かくといふ言を加へて心得べし、題の路(ノ)字行(ノ)字の意も、はたらかず、すべて趣のおかしからぬ哥也、
 
    題しらず                 寂連
さびしさはその色としもなかりけり槇たつ山の秋の夕暮
  めでたし、
 
                         西行
(80)こゝろなき身にもあはれはしられけり鴫たつ澤の秋の夕暮
  めでたし、
 
    西行法師すゝめける百首哥に        定家朝臣
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮
  二三の句、明石(ノ)卷の詞によられたるなるべけれど、けりといへる事いかゞ、其故は、けりといひては、上句、さぞ花もみぢなど有て、おもしろかるべき所と思ひたるに、來て見れば、花紅葉もなく、何の見るべき物もなき所にて有けるよ、といふ意になればなり、そも/\浦の苫屋の秋の夕へは、花も紅葉もなかるべきは、もとよりの事なれば、今さら、なかりけりと、歎ずべきにはあらざるをや、我ならば「見わたせば花ももみぢもなにはがたあしのまろ屋の秋の夕暮などぞよまゝしとぞ、ある人はいへる、
 
   五十首哥奉りし時              雅經
たへてやは思ひありともいかゞせんむぐらの宿の秋の夕暮
  初句詞たらで、とゝのはぬこゝちす、いかゞせんも、よくかなへりとも聞えず、意は、本哥にあたりて、たとひ思ひありとも、堪てやはすまるべきとなり、
 
    秋の哥とて                宮内卿
思ふことさしてそれとはなき物を秋のゆふべを心にぞとふ
  上下の句の間へ、かくかなしきは、いかなることぞとといふことを加へて聞べし、詞たらで、とゝのはぬ哥也、ともじを一(ツ)加ふれは、大かた聞ゆるなり、
 
                         鴨長明
秋風のいたりいたらぬ袖はあらじたゞ我からの露の夕暮
  下句詞めでたし、古歌に「春の色のいたりいたらぬ里はあらじ云々、いたりいたらぬといふ詞、袖には似つかはしからず、下句、我からの露とつゞけて心得べし、
                                                                 式子内親王
それながら昔にもあらぬ秋風にいとゞながめをしづのをだまき
  めでたし、我身も昔のわが身、秋風も昔の秋風のまゝながら、我身のうへの、昔のやうにもあらぬにつけて、秋風のかなしさも、昔にはまさりて、いとゞながめをすると也、結句は、「昔を今になすよしも哉の意をふくめたる詞なり、
 
    千五百番哥合に              通具卿
深草のさとの月影さびしさもすみこしまゝの野べの秋風
  めでたし、詞もめでたし、深草の里の月を、今きて見れば、昔住て見し時のまゝなるが、野べの秋風のさびしさも、又其時のまゝなるよと也、さびしさもといへる、もゝじにて、月の昔のまゝなるといふ意を聞せたる也、月影のさびしといふにはあらず、三(81)の句は下へつけて心得べし、
 
    五十首歌奉りし時杜間月          俊成卿女
大あらきの森の木間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月
 
     守覺法親王家五十首哥に         家隆朝臣
有明の月まつ宿の袖のうへに人だのめなるよひのいなづま
 
     攝政家百首哥合に            有家朝臣
風わたる淺茅が末の露にだにやどりもはてぬよひのいなづま
  やどりはつるは、露の消るまでやどるなり、
 
    水無瀬にて十首哥奉りし時         通光卿
むさし野やゆけども秋のはてぞなきいかなる風の末に吹らん
  ゆけどもは、ゆけども/\也、秋のはてなきとは、秋の旅のかなしさの、つきせぬ意にて、むさしのゝはてなきことをかねたり、下句は、猶行末も、いかにかなしからんといふ意なり、古き抄に、むさし野のおもしろきを賞したる意に注したるは、いみしきひがことなり、
 
    百首哥奉りし時月             慈圓大僧正
いつまでか涙くもらで月は見し秋まちえても秋ぞ戀しき
  めでたし、結句、涙にくもらで見し、昔の秋ぞ戀しき也、又秋をまちえても、涙にくもりて、秋の月のやうにも見えぬ故に、秋のさやかなる影の戀しき、といへるやうにも聞ゆ、
                                  .                              式子内親王
ながめわびぬ秋より外の宿もがな野にも山にも月やすむらん
  めでたし、下句詞めでたし、本哥「いづくにか世をばいとはむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ、初句は、月をながめわびたる也、二三の句は、月を見れば、秋のかなしさのますにつきて、かやうに秋の月のすまぬ宿もがなと、ねがふ也、下句、しかれども、いづくにのがれても、秋ならぬ所はなく、いづこにも/\月はすみて、ながめわぶるにてやあらむと也、野にも山にもといふは、本哥のごとく、世中はいづこも/\といふ意、月すむといふは、秋のかなしくて、ながめわぶる意なるを、たがひに詞を相照して、初句へ、月すむといふことをひゞかせ、結句へ、ながめわぶといふことを、ひゞかせたる物なり、これ上手のしわざにて、一(ツ)のたくみなり、其心を得て見ざれば、いたづきのかひなし、古き注ども、此意を得ざる故に、みなあやまれり、
 
    題しらず                 從三位頼政
こよひたれすゞふく風を身にしめてよしのゝたけの月を見るらん
  めでたし、二三の句殊によろし、月をみてあはれなるまゝに、思ひ(82)やれるなり、四の句、奥といふべきを、たけといへる、おもしろし、たけの月を見るは、おくなる事、おのづから聞ゆ、
 
    和歌所の哥合に湖邊月           家隆朝臣
にほの海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり
  本歌「草も木も色かはれどもわたつみの波の花にぞ秋なかりける、
 
    百首哥奉りし時秋のうた          慈圓大僧正
ふけゆかばけぶりもあらじ鹽がまのうらみなはてそ秋のよの月
 
    だいしらず                俊成卿女
ことわりの秋にはあへぬなみだ哉月のかつらもかはるひかりに
  めでたし、下句詞もめでたし、本哥「ちはやぶる神のいがきに云々、「久かたの月のかつらも云々、ことわりの秋は、此二首の本歌のごとくなることわりの秋なり、あへぬは、えたへぬなり、下句は、秋の影の、つねとはかはりて、殊にさやかなる月を見るによりて、といふ意を表とせり、
 
                          家隆朝臣
ながめつゝ思ふもさびし久かたの月のみやこの明方のそら
  月の都は、いはゆる月宮殿のことにて、それをやがて、月見る此都のことにかねてよめり、二の句、思ふは、此都にて、月宮殿をおもひやる也、結句も、此都の明がたのさびしきにつきて、かの月宮殿の明方のさびしさをも、思ひやる也、
 
    五十首哥奉りし時月前草花         攝政
故郷のもとあらの小萩咲しよりよな/\庭の月ぞうつろふ
  もとあらの小萩は、古今に、露をおもみとある故に、露といはで、露しげきことを思はせて、月ぞうつろふとはよめるなり、此哥、何のふしもなけれど、ふるき姿にて、殊勝なり、此殿の御哥、此たぐひ多し、今もふるきふりをよまむとならは、これらの哥にならふべきなり、
 
    建仁元年三月哥合に山家秋月
時しもあれふるさと人は音もせでみ山の月に秋風ぞふく
  めでたし、下句詞めでたし、時しもあれとは、時|社《コソ》あらめ、月を見て、故郷人を戀しく思ふをりしも、といふこゝろなり、一首の意、山ざとにて月を見て、故郷人をおもふをりしも、故郷人は音づれもせで、秋風の音して、いよ/\さびしさをそふとなり、ふるさと人を戀しく思ふといふことは、詞の外にそなはれり、其意を以て見ざれば、時しもあれといふこと、はたらかず、
 
    八月十五夜和哥所哥合に深山月
深からぬ外山のいほの寐覺だにさぞな木(ノ)間の月はさびしき
(83)  だには、すらの意なり、さそなは、かくの如くぞといふ意也、一首は、外山の庵のねざめに、木(ノ)間の月を見て、さびしきにつきて、深山の月のさびしさを、おしはかりたるなり、されど深山月といふ題に、かくよみてはいかゞ、さぞなを、おしはかりたる詞として、下を深山の事ともすべけれども、さては上句よりのつゞきにかなはず、
 
    月前松風                 寂蓮
月は猶もらぬ木間もすみよしの松をつくして秋風ぞ吹
  めでたし、月の影はもらぬ松の木(ノ)間迄も、こと/”\く殘さず、秋風は吹渡ると也、松をつくして、おもしろし、
                                                                 長明
ながむればちゞに物思ふ月にまたわが身ひとつの峯の松風
  めでたし、本哥「ながむればちゞに物社かなしけれ云々、初二句、本哥の意にて、月は我身ひとつの月にあらず、世(ノ)中おしなべててる月なるすら、ちゞに物がなしきに、そのうへ又なり、下句は、山のおくにすむものは、我一人なれば、此峯の松風は、我身ひとつの秋のかなしさぞとなり、
 
    山月                   秀能
あし引の山路の苔の露のうへにね覺よふかき月を見る哉
  旅寐の哥也、ねざめ夜深きといへるに、とけてねられぬ意をあらはせり、
 
    八月十五夜和哥所哥合に海邊秋月      宮内卿
心あるをしまのあまの袂哉月やどれとはぬれぬものから
  めでたし、下句詞いとめでたし、月宿れとてぬれたる故にはあらざれども、月のやどりたれば、おのづから心あるさまに見ゆとなり、
 
                         宜秋門院丹後
忘れじな難波の秋のよはの空こと浦にすむ月は見るとも
  めでたし、三の句、夜はの月といふ意なるを、月は下句にある故に、詞をかへて、空といひて、下なる月を、こゝへもひゞかせたる也、上下の句の間へ、今より後、と云ことを加へて心得べし、
                                                                 長明
松嶋やしほくむあまの秋の袖月は物思ふならひのみかは
  めでたし、月の袖にやどるは、物思ふ人のならひのみかと思へば、それのみならず、鹽くむあまの袖にも、宿れりとなり、袖とのみいひて、ぬるゝことをいはず、月とのみいひて、やどるといふ事をもいはざるは、ことさらにはぶきて、然聞えさせたるたくみ(84)なり、
 
    和哥所歌合に海邊月            家隆朝臣
秋のよの月やをしまのあまのはら明方ちかき沖のつり舟
  明方ちかき程に、沖につり舟の見ゆるは、をしまのあまの、月ををしむとて、こぎ出たるにやと也、二三の句、いひかけの重なりたるは、少しうるさし、
 
    だいしらず                通光卿
立田山よはにあらしのまづふけば雲にはうときみねの月影
  めでたし、三の句、まづは先也、松とかける本はひがことぞ、此哥、立田山似つかはしからざるやうなれども、然らず、此峯の月は、入かたの月なるを、立田山は、西の方なれば、よせあり、そのうへ万葉九長哥に、「白雲のたつたの山の瀧のうへのをぐらの峯に云々、とあるによりて、白雲の立田山とあれども、雲にはうときといへるなり、一首の意は、秋の月を見るに、曉の雲にあへるが如しと、古今(ノ)序にもいへるごとく、いり方の月には、よく雲のかかるものなれども、いまだかたぶかざるさきに、夜はに先(ツ)あらしの吹はらへる故に、雲にはうとしと也、
 
                         式子内親王
宵の間にさてもねぬべき月ならば山のはちかき物はおもはじ
  めでたし、二三の句は、其むきにして、見すてゝねらるゝほどの月ならば、といふ意なり、下句は、山端近くかたぶきて、惜き物思ひはせじと也、さるはあまりさやかなる月にて、宵の間に、え見すてゝはねざりし故に、今かく山端ちかくなりて、惜き物思ひをはすることよと、ふくめたり、
 
ふくるまでながむればこそかなしけれ思ひもいれじ秋のよの月
  思ひ入といふことを、はじめへもひゞかせて心得べし、思ひいれて、ふくるまでながむればこそかなしけれといふ意也、
 
    五十首哥奉りし時             攝政
雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月を見る哉
  三四の句めでたし、さはるべき雲をばのこさずして、さやけさをそふる風を、のこしおきて見る也、
 
    家の月五十首に
月だにもなぐさめがたき秋の夜の心もしらぬ松のかぜかな
  月だにもなぐさめがたきとは、秋の夜は、月を見るによりて、かなしさをもよほして、なぐさめがたき、それだにあるうへに、猶又の意なり、月見てもなぐさめがたしといふにはあらず、
                                                                 定家朝臣
さむしろやまつよの秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫
(85)  二三の句、詞めでたし、本哥「さむしろに衣かたしき云々、こゝの哥も、思ひやりたるさまなれば、らむなどいふ詞なくてはいかゞ、又月のあへしらひの詞も、あらまほし、又さむしろやとうち出たるも、いせのうみや、難波江やなどいへるとは、やうかはりて、よろしくも聞えず、或人の云、「さむしろにまつ夜の月をかたしきて更行影やうぢの橋姫、などぞあらまし、
 
    五十首哥奉けるに野徑月          攝政
行末は空もひとつのむさし野に草のはらより出る月かげ
  上句、行末に山なき故に、空と野とつゞきて見ゆるなり、さて京にては、月は山より出て、山にいるをのみ見なれたれば、草の原より出るは、いとめづらしきなり、
 
    雨後月                  宮内卿
月を猶まつらん物かむらさめのはれゆく雲の末のさと人
  二の句、まちやすらんの意なり、さて村雨のはれゆくといふ所に、こゝにては、はや月を見る心そなはれり、
 
    題しらず                 通具卿
秋の夜はやどかる月も露ながら袖に吹こす荻のうは風
  めでたし、三四の句は、月を見るに、荻に風のふけば、いよ/\あはれをそへて、たちまち袖になみだのこぼるゝ、其涙にも、同じく月のやどるを、荻のうへより、露とゝもに吹こしたるやうにいひなせるなり、實に荻の露を、袖にふきこしたるにはあらず、
 
秋の月しのに宿かる影たけてをざゝが原に露ふけにけり    源家長
  しのには、しげくにて、さゝのしのをかねたり、影たけてと、露ふけにけりと、かさなりてくだ/\し、
 
    和哥所哥合に田家月            慈圓大僧正
鴈のくるふしみの小田に夢さめてねぬよの庵に月を見る哉
  二の句四の句にもじ重りていかゞ、小田に夢さめてもいかゞ、
 
                         俊成卿女
稻葉ふく風にまかせてすむ庵は月ぞまことにもりあかしける
  稻葉は、風の絶間なく吹渡る故に、それにまかせおきて、守る人は、夜もねぶりなどして、おこたりがちなれば、守るといふ名のみなるを、まことにおこたりなく、もりあかす物は、月にこそあれといへる也、月のすき間をもるを、守ることにかねていふは常也、さきには、風にまかせてとは、風の吹あらすにまかせおきて、つくろひもせぬ意にて、さやうの庵は、月影の、まことにもり明すといへるにて、まことにとは、田の庵に月のもるといふは、つねのことぐさなるが、これはまことにといふ意ならん、と思ひしかど、(86)さては稻葉ふくといふに、かなひがたし、
 
    題しらず
あくがれてねぬよのちりのつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ
  めでたし、月には、月故になり、
 
    百首哥奉りし秋のうた           式子内親王
秋の色はまがきにうとくなりゆけど手枕なるゝねやの月影
  めでたし、上句詞めでたし、上句は、籬なる千種の花の過行をいふ、下句は、次第に月のさやかなる比になりて、手枕になるゝなり、さて千種の花も月も、秋の物なるが、其秋の色は、籬にうとくなれども、手枕にはなるゝといふ趣也、うとくなると、なるゝとをたゝかはせたり、古き抄に、まがきの草などかれ行て、月にさはる物なくて、枕になるゝなりといへるは、いみしきひがことなり、まがきの草は、いかでか月にさはるべき、
 
    秋の御哥の中に              太上天皇御製
秋の露やたもとにいたく結ぶらん長き夜あかず宿る月かな
  長き夜あかずは、よもすがらたゆまず明るまでなり、
 
    千五百番哥合に
さらにまたくれをたのめと明にけり月はつれなき秋のよの空
  今夜はあけぬとも、さらに又くるゝをたのみて、月をはみよとて、夜のあくるとなり、月はいまだ入らずのこれるに、夜のあくるがをしき時に、おもへるさま也、趣めづらし、
 
    經房卿家の哥合に曉月           二條院讃岐
大かたの秋のねざめの露けくは又たが袖に有明の月
  めでたし、下句詞よろし、大かたのは、なべての世の人のといふ意也、露けくはゝ、我如く袖の露けくは也、又といへるにて、我袖に月のやどれることをしらせたり、すべてかくさまに、こゝをいひて、かしこをしらせ、かしこをいひて、こゝをしらするぞ、哥のはたらきなる、
 
    五十首哥奉りし時             雅經
はらひかねさこそは露のしげからめやどるか月の袖のせばきに
  めでたし、詞めでたし、二三の句のてにをは、普通にては心得にくきやうなれども、例多し、言葉の玉の緒にあげたり、此哥にては、いかに露のしげゝればとてといふ意也、四の句、月の宿るかといふことを、詞を下上にせるにて、こよなく勢ひ有て、めでたし、結句は、せばき袖なるにといふ意にて、にもじ重し、一首の意は、はらひかねて、いかに露のしげゝればとても、あまりなることよ、さても/\やどりける哉月影の、此袖のかくせばきにとなり、
 
(87)  秋歌下
 
    和哥所にてをのこども哥よみ侍しに夕鹿   家隆朝臣
下紅葉かつちる山のゆふしぐれぬれてやひとり鹿の鳴らん
  めでたし、詞もめでたし、ひとりとは、妻をこひて鳴意にていへるか、いさゝか心ゆかず、されど此詞にて、殊に哀に聞ゆ、
 
    百首哥奉りし時              寂蓮
野分せし小野の草ぶしあれはてゝみ山に深きさを鹿の聲
 
    百首哥奉りし時秋の哥           惟明親王
み山べの松の梢をわたるなりあらしに宿すさをしかの聲
  嵐の、松の梢を渡る故に、その嵐にたぐひたる鹿の聲も、松の梢をわたるなり、
 
    百首哥よみ侍りけるに           攝政
たぐへくる松の嵐やたゆむらんをのへに歸るさをしかの聲
 
    千五百番哥合に              慈圓大僧正
鳴しかの聲にめさめてしのぶ哉見はてぬ夢の秋のおもひを
  二の句いうならず、秋の思ひをしのぶといふこと、いかにいへるにか、こゝろえず、
 
    題しらず                 西行
小山田の庵ちかくなく鹿のねにおどろかされておどろかす哉
  おどろかされては、目のさむるをいふ、おどろかすは、引板などならして、鹿をおどろかすなり、
 
    百首哥奉りし時              寂蓮
物思ふ袖より露やならひけん秋風ふけばたへぬものとは
  秋風のふけば、え堪ずこぼるゝ物とは、物思ふ人の袖の涙より、露もならひやしけむと也、ふるき抄に、たへぬを、絶ずおくことと注したるは、やがへり、
 
    秋の御哥の中に              太上天皇御製
野原より露のゆかりをたづねきて我衣手に秋風ぞふく
  露のゆかりは、なみだなり、
 
    だいしらず                西行
きり/”\す夜寒に秋のなるまゝによわるか聲の遠ざかりゆく
  下句詞めでたし、物の聲は、高きは近きやうに聞え、よわきは遠きやうに聞ゆるものなる故に、よる/\次第に聲のとほくなるは、よわるかとなり、
 
    守覺法親王家五十首哥に          家隆朝臣
虫の音もながき夜あかぬ故郷に猶思ひそふ松風ぞふく
  長き夜あかぬ、上に出たり、桐壺卷に「すゞ虫の云々、
 
(88)    百首の哥の中に            式子内親王
跡もなき庭の淺茅にむすぼゝれ露のそこなる松虫の聲
  三の句、むすぼゝれてと、てもじなくて、たゞよはしき心地す、されど然いひては、いよ/\あし、松虫を、人まつ意にとりて、跡もなきといふは、人のこぬよし、むすぼゝれも、思ひむすぼゝるゝよし、露の庭なるも、涙の心あるべし、
 
    題しらず                 慈圓大僧正
衣うつ音は枕にすがはらやふしみの夢をいく夜殘しつ
  音はのはもじ、枕にといふへあてゝ心得べし、夢をのこすは、見はてぬをいふ、
 
    千五百番哥合に              公經卿
衣うつみ山の庵のしば/\もしらぬ夢路に結ぶ手枕
  しらぬ夢路とは、はじめの夢は半にさめて、又むすぶには、其はじめの夢の末は見ず、異事を見て、夢のかはるをいふ、古き抄に、しらぬ所をも、ゆきみることゝいへるは、此哥にさらによしなし、又或抄に、しらぬ夢路は、ねぬことなるべし、といひ、又旅のこゝろ也といへるなど、皆ひがこと也、さて此哥、庵は、よそにて衣うつ音をきく庵なるに、衣うつみ山の庵とつゞきたれば、此庵にて衣うつやうに聞えて、いかゞ、其うへきぬたの音の聞えんは、里こそ似つかはしけれ、み山の庵はよしなきを、柴といひかけん料に、しひてみ山の庵といへるもいかゞ、
 
    和哥所哥合に月下擣衣           攝政
里はあれて月やあらぬと恨みてもたれ淺ぢふに衣うつらん
  いとめでたし、詞もいとめでたし、二の句は、かの「春や昔の春ならぬ云々の哥の意にて、昔を忍ぶよし也、三の句てもは、常のてもとは意異にして、もは輕くそへたる詞にて、只恨みてといふこと也、此格のもゝじ、例有ことなり、然るを恨みながらもといふ意に注したるは、いみしきひがことなり、一首の意は、里はあれて、淺茅生になりたる宿に、月夜にきぬたの音のするを聞て、誰ならん、さぞ月やあらぬ云々、と恨みてぞうつらんと、あはれに思へるなり、
 
                         宮内卿
まどろまでながめよとてのすさみ哉麻のさ衣月にうつこゑ
  めでたし、すさみとは、何わざにまれ、たしかにうるはしく物するにはあらで、たゞわざとなく、はかなくするしわざにて、俗になぐさみごとにするといふ意なり、一首の意は、月夜に衣うつ音をきゝて、ねられぬまゝによめる意にて、かやうにさやかなる月夜に、衣うつことは、たゞ聞人にまどろまで月をながめよとての、す(89)さみわざにこそあれといひなせる也、
 
    千五百番哥合に              定家朝臣
秋とだに忘れんと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな
  めでたし、初句、だには、俗になりともといふ意、三の句のをは、なる物をの意、四の句、さもは、俗にさてもといふ意、あやにくには、いぢわろくといふ意也、一首の意は、月のさやかなるまゝに、秋のかなしさのたへがたきにつきて、思へる意にて、せめて秋ぞといふことを、わすれなりともせばやと思ふほどかなしき月影なる物を、さてもいぢわろく、衣うつ音の聞えて、秋といふことのわすられもせぬことよとなり、古き注、上句のときざま、いたくあやまれり、
 
    擣衣                   雅經
みよし野の山の秋風さ夜更て故郷さむく衣うつなり
  いとめでたし、上句詞めでたし、古きすがたにて、古今の、山の白雪つもるらしよりはまされり、
                                                                 式子内親王
ちたびうつきぬたの音に夢さめて物思ふ袖の露ぞくだくる
  うつといふから、くだくるといへり、ちたびうつとは、かの千聲萬聲無2止時1といへる、からうたにより玉へるなるべし、
 
    百首哥奉りし時
ふけにけり山のはちかく月さえてとほちの里に衣うつ聲
 
                         定家朝臣
ひとりぬる山鳥の尾のしだりをに霜おきまよふ床の月影
  下句詞よろし、此哥、二三の句は、長き夜にといふこゝろなるを、本哥によりて、たゞ山鳥の尾の云々といひて、然聞せたるはあまり巧過て、ことわり聞えがたし、しだり尾にといひては、山鳥の尾に霜のおきたるをよめるになりて、床も、山鳥の床とこそ聞ゆれ、又床をしひて我床とする時は、我床のあたりに、山鳥のひとりねたるを置たるが、其尾に霜のおけるやうに聞えて、いよ/\いかゞ、霜おきまよふとは、床に月影のうつれるが、霜のおきたるやうに、見えまがひて、さえたるをいふ、
 
    攝政大將に侍けるとき月哥五十首よませ侍けるに    寂蓮
人目みし野べのけしきはうら枯て露のよすがに宿る月哉
  花のさかりには、人めをも見し野べの、今はうら枯て、たゞ其ころのまゝなる露のよすがに、月のみぞ今は宿れると也、
 
    五十首哥奉りし時
むら雨の露もまだひぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕暮
(90)  めでたし、むら雨は、晴たるが、その露もいまだひぬ間に、又霧の立のぼりて、はれ/”\しからぬ山中のさま也、
 
    秋の御哥とて               太上天皇御製
さびしさはみ山の秋の朝ぐもりきりにしをるゝ槇の下露
  此御初句は、云々槇の下露のさびしさと、終りにおくと同じ心にて、一(ツ)の格なり、此格を心得ぬ人は、うたがふこと也、
 
    河霧                   通光卿
明ぼのや川せの波のたかせ船くだすか人のそでの秋霧
  めでたし、下句詞めでたし、二三の句は、船をくだせば、船にあたる波の音の高きをいふ、人の袖の秋霧とは、經信卿母の哥に、「明ぬるか川せの霧のたえ/”\に遠方人の袖の見ゆるは、とあるをとりて、花やかによみなせる也、されば此句は、袖のたえ/”\に見ゆる意なるを、其詞をば、本哥にゆづりて、人の袖のといふ詞にて、本哥を思はせたる物なり、然るを或抄に、袖は霧にかくれてあるといふことなりと注せるは、いとをさなし、一首の意は、波の音高く聞え、又霧に人の袖のたえ/”\見ゆるにつきて、高瀬舟をくだすにやと思へるさまなり、
 
    題しらず                 俊成卿女
吹まよふ雲ゐをわたる初かりのつばさにならすよもの秋風
  吹まよふと、よものと、相てらしたり、
 
    詩に合せし哥の中に山路秋行        家隆朝臣
秋風の袖に吹まく峯の雲をつばさにかけて鴈もなく也
  上句、山中をゆく時のさま也、三の句、もじあまり、きゝぐるし、下句は、鴈もつばさにかけて鳴也と心得べし、さて鴈も鳴といへるにて、我(カ)わびしきほどをあらはせり、
 
    五十首哥奉りし時菊籬月          宮内卿
霜をまつまがきの菊のよひの間におきまよふ色は山端の月
  菊は、一さかり過て、霜のおけば、又一さかり、うつろひざかりとてある故に、霜をまつとはいふなり、よひの間といふも、霜をまつによしあり、山のはといふも、よひの間によし有、すべて哥は、かくのごとく、何れの詞も、たがひによしあるやうによみとゝのへたるがよき也、おきまよふ色とは、霜のおきたる色にまがふをいふ、此哥まもじ五(ツ)有、
 
    千五百番哥合に              慈圓大僧正
秋をへてあはれも露もふか草の里とふ物はうづらなりけり
  下句、うづらならでは、おとづるゝ人もなき意なり、
 
                         通光卿
入日さすふもとの尾花うちなびきたが秋風にうづら鳴らん
(91)  下句詞よろし、下句の心は、鶉のなくは、たが心の秋風を、うき物に思ひて鳴らんと也、然るに上句は、たゞけしきばかりをいひて、下句にかけ合たる意なし、いかゞ、古き抄に、下句を、秋はたが秋ぞ、汝が時分にてはなきかと、とがめたるなりといへるは、ひがことなり、
 
    題しらず                 俊成卿女
あだにちる露の枕にふしわびてうづらなくなり床の山風
  床の山は、枕のよせなり、
 
    千五百番哥合に
とふ人もあらし吹そふ秋はきて木葉にうづむやどの道芝
  めでたし、とふ人はあるまじき秋の來て、嵐のふきそひぬれば、やどの道も、木葉にうづみて、とふ人なしとなり、又は秋の來て、嵐も吹そひて、道は木葉にうづもれたれば、今はとひくる人もあるまじ共聞ゆ、秋は來てといへるはもじ、人はこじといふ意なり、さて嵐は、あるまじといふ意にいひかけたる也、此いひかけ、古への哥は皆しかなり、あらずといひかけたるにはあらず、然るを近き世の人、此わきまへなくして、嵐を、あらずといふ意にいひかくるは、ひがことなり、帚木卷に「云々嵐吹そふ秋はきにけり、
 
色かはる露をば袖におきまよひうらがれて行野べの秋哉
  千種のさかりに、其色にうつりし、野べの花の露をば、今はわが袖に殘し置て、花はみながらかれゆくことよと也、色かはる露とは、花の色のうつれる露なるを、袖におきまよひといふは、例の紅の涙にて、秋のかなしさの涙也、さることにも、紅の涙をよむは、此集の比のつねぞかし、おきまよひとは、花の露の色にまがふ故にいふ、さて上に露をばといへるをばに合せては、おきまがへといふべきを、まよひといへるは、少しいかゞ、
 
    秋の御哥の中に              太上天皇御製
秋ふけぬなけや霜夜のきり/”\すやゝ影寒し蓬生の月
  「なけやなけ蓬がそまのきり/”\す過行秋はげにぞかなしき、といふ哥よりおぼしめしよれるなるべし、
 
    百首哥奉りし時              攝政
きり/”\すなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねん
  めでたし、上句詞めでたし、霜夜の寒きといひかけたり、此哥、万葉に入ても、古今集に入ても、すぐれたる哥也、
 
    和哥所にて六首哥つかうまつりし時秋のうた 慈圓大僧正
秋ふかきあはぢの嶋の有明にかたぶく月をおくるうら風
  めでたし、淡路嶋を見やりての哥也、上三句のかしら、みなあ(92)もじなり、
    暮秋              
長月もいく有明になりぬらん淺ぢの月のいとゞさびゆく
  いとゞてふ詞、いさゝかかなはず、
 
    攝政大將に侍けるとき百首哥よませ侍けるに 寂蓮
かさゝぎの雲のかけはし秋くれてよはには霜やさえ渡るらん
  鵲の雲のかけはしとはいかゞ、雲井のといふことなるべきを、さはいひがたき故の、しひごとなるべし、又古哥に「おく霜の白きを見れはとあれば、其うへをめづらしくいはむこそほいならめ、たゞ霜やさえ渡るらんとのみにては、いとよわく、何の詮もなし、渡るといふ橋の縁のみ也、
 
    最勝四天王院の障子に鈴鹿川かきたる所   太上天皇御製
すゞか川ふかき木葉に日數へて山田の原の時雨をぞきく
 
    入道前關白太政大臣家に百首哥よみ侍けるに紅葉  俊成卿
心とやもみぢはすらん立田山松はしぐれにぬれぬものかは
 
    百首哥奉りし時              宮内卿
立田川あらしや峯によわるらんわたらぬ水も錦たえけり
  めでたし、二三句詞よろし、
 
    左大將に侍し時家の百首哥合に柞
はゝそはら雫も色やかはるらん杜のした草秋ふけにけり
 
                         定家朝臣
時わかぬ波さへ色にいづみ川はゝその杜にあらし吹らし
  めでたし、上句詞めでたし、古哥に「波の花にぞ秋なかりけるとある波さへ、秋の色に出る也、波の色に出るは、紅葉のながるゝなれば、川上なる柞の杜に、あらしの吹らんことを、思ひやれる也、哥合判に、嵐や、上句にことに相應せず侍らんとあるは、いかゞ、
 
    百首哥奉りし時秋のうた          式子内親王
桐の葉もふみ分がたくなりにけりかならず人をまつとなけれど
  めでたし、「我やどは道もなきまであれにけりつれなき人をまつとせしまに、必しも此本哥のやうに、つれなき人をまつ宿にはあらねどもと也、初秋に一葉おちそめたる桐の葉の、ふみわけがたきまで、ちりつもるは、秋のいたくふけたるよしなり、
 
    千五百番哥合に              家隆朝臣
(93)露しぐれもる山陰の下紅葉ぬるともをらん秋のかたみに
  めでたし、詞めでたし、本哥「しら露もしぐれもいたくもる山は云々、四の句「ぬれつゝぞしひて折ける云々の意あるべし、さてその春を、秋にかへ用ひて、秋のかたみにとはとぢめたるべし、
 
    題しらす                 西行
松にはふまさ木のかづら散にけり外山の秋は風すさふらん
  風すさふは吹あるゝをいふ、古き抄に、すさぶは、物のすがりたるをいふといへるは、此哥にはかなはず、又まさきのかづらの長くつたはりといへど、嵐のはげしきに、散ぬらん、なに事も、はてはある物ぞといふ意を、風すさぶらんとよめる也といへるも、いみしきひがことなり、さる意あることなし、
 
    家の百首の哥合に             攝政
立田姫いまはのころの秋風にしぐれをいそぐ人の袖哉
  めでたし、立田姫は、四の句へかゝれり、今はのころの秋とは、暮秋をいふ、風はしぐれのよせなり、しぐれをいそぐとは、世の人の、秋の別をゝしみてなくなみだのおつるを、立田姫の、しぐれをふらせて、木葉を染るごとくに、人の袖にも時雨をふらせて、そめむとするよしにいひなせるなり、いそぐとは、事をいとなむをいひて、立田姫の、時雨をいそぐといふは、しぐれをふらせて染ることを、いとなむよし也、此うた、いとたくみにして、よくとゝのへり、
 
    五十首哥よませ侍けるに          守覺法親王
身にかへていざゝば秋を惜み見むさらでももろき露の命を
  二の句、さばゝ、さらばなり、下句、秋にかへずとても、もろき命なる物をといへるなり、
 
冬哥
 
    千五百番哥合に初冬            俊成卿
おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそむすべ冬やきぬらん
  めでたし、九月盡の夜、秋をゝしみて、おきあかす袖の涙の、霜になりぬるは、はや冬の來つるにやと也、
 
    春日社哥合に落葉といふことをよみて奉りし 慈圓大僧正
木葉ちる宿にかたしく袖の色をありともしらで行嵐哉
  詞めでたし、袖の色とは、例の紅の涙にそまりたるをいふ、それも紅葉と同じ色なるに、嵐の、これをば有ともしらで、過行よとなり、
                                                                 通具卿
木葉ちる時雨やまがふ我袖にもろき涙の色と見るまで
(94)  一首の意、我袖にもろく落る紅の涙の色と見ゆるまでに、時雨のまがひてふるは、木葉のまじりてふる時雨にてや、かやうに色のまがひて見ゆらんとなり、
 
                         雅經
うつり行雲に嵐の聲すなりちるかまさきのかづらきの山
  いとめでたし、詞めでたし、葛城山を見渡せば、嵐にふかれて、うつりゆく雲に、その嵐の聲のするは、まさきのかづらのちるかと也、下句勢ひあり、此卿の得られたる所なり、
 
                         七條院大納言
初しぐれしのぶの山のもみぢ葉を嵐ふけとは染ずや有けん
   初時雨の初も、しのぶも、下にかけ合なし、もしは初時雨は、はじめよりといふ意、しのぶは、嵐にしられじと忍びし意にいへるにやあらん、三の句のをもじも、いさゝか心ゆかず、結句、あるらんとある本はわろし、古今「たらちねは云々、
 
                         祝部(ノ)成茂
冬の來て山もあらはに木葉ふり殘る松さへ峯にさびしき
  あらはになれる梢のさびしきのみならず、殘れる松の葉はさびしかるまじきことわりなるに、それさへさびしと也、さて此哥、上句少しくだ/\しく、三の句は殊によろしからず、すべててといはでは落居ぬ句を、さはいひがたくて、てをはぶきたるは、聞ぐるしき物なり、此三の句も、必木葉ふりてといふべきを、さはいひがたければ、せんかたなし、下句も、ぞ又はやなどいふてにをはなくして、しきととまりたるは、とゝのはず、後の哥に此格多し、いと聞ぐるしき物也、
 
    五十首奉りし時に             宮内卿
からにしき秋のかたみや立田山ちりあへぬ枝に嵐ふくなり
  本哥「からにしき枝に一むら殘れるは秋のかたみをたゝぬなりけり、から錦は、たつの縁也、ちりあへぬとは、此哥にては、いまだ散までにもいたらぬをいふ、一首の意は、いまだちる迄にもいたらぬ紅葉の枝に、嵐のふくは、秋のかたみを殘さじとて、ことさらにたつにやと也、たつは、たえしむるなり、
 
    題しらず                 西行
月をまつ高根の雲ははれにけり心あるべき初しぐれかな
  四の句、心有けるといふべきを、上のけりと重なる故に、あるべきといへるなるべし、あるべきといふときは、心ありげなるなどいふ意なり、さて此哥、初しぐれとあれば、初冬にて、十月上旬なり、上旬に月をまつといへること、たがへり、もしは九月の末の哥なるを、時雨とあるによりて、冬(ノ)部に入られたるにや、
 
(95)    時雨を                慈圓大僧正
やよしぐれ物思ふ袖のなかりせば木葉の後に何をそめまし
  此哥は、かの時雨をいそぐ人の袖哉といへるとは違ひて、いかゞ、
 
    冬の御歌の中に              大上天皇御製
ふかみどりあらそひかねていかならん間なくしぐれのふるの神杉
  本哥万葉十に「時雨のあめ間なくしふれば槇の葉もあらそひかねて色付にけり、槇の葉も色付といへれば、此神杉もいかならむとなり、
 
    百首哥奉りしに              二條院讃岐
をりこそあれながめにかゝるうき雲の袖もひとつにうち時雨つゝ
  めでたし、下句詞めでたし、をりこそあれは、をりもあらんに、ながめをするをりからといふ意なり、ながめにかゝるとは、ながめをする空にかゝるをいふ、三の句ののは、がといふこゝろなり、
 
    だいしらす                西行
秋しのや外山のさとやしぐるらんいこまのたけに雲のかゝれる
  めでたし、上句詞めでたし、二の句のやは疑ひ也、
 
    千五百番哥合に              具親
今はまたちらでもまがふ時雨かなひとりふりゆく庭の松風
  ちらでもは、松の葉のことなり、今は又とは、今までは、木葉のちりしにむかへていへり、まがふ時雨かなは、時雨にまがふ哉なり、ふりゆくといへる、たゞ時雨の縁の詞のみにて、哥の意によせなし、松の木の年ふりたる意にしても、ゆくといふ詞いかゞ、
 
    二條院讃岐
世にふるはくるしき物を槇の屋にやすくも過るはつしぐれかな
  めでたし、くるしきと、やすく過るとをたゝかはせたり、ふるき抄に、槇の屋は、結構なる屋也、世のうきならひは、此結構なる家に居ても、のがれざりけりと也と注せるは、物をといひ、やすくも過るといへるを、いかに見たるにか、いとをかし、たゞしぐれにてあるべきをも、初時雨とよむは、此集の比の常なり、此哥などは、むらしぐれとあらまほしくこそおばゆれ、
 
    だいしらず                宜秋門院丹後
吹はらふ嵐の後の高根より木葉くもらで月やいづらむ
  詞めでたし、月ぞ出けるといふべき哥なるを、詞をえむにあらせんとて、月や出らんといへるいかゞ、今の人の哥にも、此難つねにあることなり、春は來にけりといふべきをも、春や來ぬらんといふたぐひなり、
 
    春日社哥合に曉月             通光卿
霜こほる袖にも影はのこりけり露よりなれし有明の月
(96)  めでたし、下句詞めでたし、のこりけりは、秋の影の殘れると、明方にのこれることとをかねたり、
 
    和哥所にて六首うた奉りしに冬月      家隆朝臣
ながめつゝいく度袖にくもるらむ時雨にふくる有明の月
 
    千五百番哥合に              具親
今よりは木葉がくれもなけれどもしぐれに殘るむら雲の月
  今よりはといふ詞は、木葉がくれのなきへかゝれるのみ也、下句までへかけては見べからず、下句は、時雨故に、むら雲の殘れる月といふ意にて、木葉は殘らねども、村雲の殘りて夫にさはる月也、
 
    題しらず
はれくもる影をみやこにさきだてゝしぐるとつぐる山のはの月
  しぐるとつぐるは、すなはち上句のさまをいふ、みやこと山端と相對へり、
 
    五十首哥奉りし時             寂蓮
たえ/”\に里わく月のひかりかなしぐれをおくるよはの村雲
  めでたし、上句詞めでたし、
 
    題しらず                 慈圓大僧正
もみぢ葉は《をイ》おのが染たる色ぞかしよそげにおけるけさの霜かな
  三の句、色なるをといふべきを、色ぞかしといへるは、其ことわりを、霜にいひきかせたるさま也、四の句、詞も少しいうならざるうへに、よそといふことも、少しかなはぬやうなり、俗によそ/\しげにといふ意なり、
                                                                 西行
小ぐら山ふもとの里に木葉ちれば梢にはるゝ月を見る哉
  三の句、もじあまりいと聞ぐるし、例の此ほうしの、わろきくせなり、此哥は、小倉山、木葉ちれば、梢にはるゝ月を、ふもとの里に見る哉といふ意なり、かやうに心得ざれば、見る哉といふこと、より所なし、其故は、本のつゞきのまゝにしては、たゞ見るといへるのみ、こなたのうへにて、其外はみな、かなたのうへのみにて、こなたにつきたる詞なき故に、とゝのひわろき也、近き世の哥には、さることいと多し、人の心つかぬこと也、
 
    五十首哥奉りしに             雅經
秋の色をはらひはてゝや久かたの月のかつらに木がらしの風
  二の句、俗言にいへば、はらひはてたかしてといふ意なり、然れ共、疑はずして、はらひはてゝと、治定したるさまにあらまほしき哥也、下句いやしきすがた也、此事春(ノ)部にいへり、
 
(97)風寒み木葉はれゆく夜な/\に殘るくまなき庭の月影
  初句、寒みいかゞ、三の句、にもじいうならず、
 
    千五百番哥合に              俊成卿女
さえわびてさむる枕に影みれば霜ふかき夜の有明の月
  さえわびては、さゆるにわびてなり、
 
                         通具卿
霜むすぶ袖のかたしき打とけてねぬよの月の影の寒けさ
  二の句にてきりて心得べし、袖のかたしき、よくもあらぬ詞也、
 
    五十首哥奉りし時             雅經
影とめし露のやどりを思ひ出て霜に跡とふあさぢふの月
  めでたし、下句詞めでたし、
 
    冬の御哥の中に              太上天皇御製
冬の夜のながきをおくる袖ぬれぬ曉がたのよものあらしに
  須磨(ノ)卷に、枕をそばだてて、四方のあらしを聞玉ふに云々、涙おつともおぼえぬに、枕もうくばかりに成にけり、「冬の夜のながきをおくる程にしも曉がたのつるのこゑ、此哥、契冲ひきおけり、何に出たるか、ふとはおぼえず、
 
    百首哥奉りし時              攝政
さゝの葉はみ山もさやに打そよぎこほれる霜を吹あらし哉
  萬葉二に「さゝの葉はみ山もさやにみだれども云々、
 
    題しらす                 俊成卿女
霜がれはそことも見えぬ草の原誰にとはましあきのなごりを
  めでたし、下句詞めでたし、花宴卷に、「うき身世にやがて消なば尋ねても草の原をばとはじとや思ふ、狭衣に、「尋ぬべき草の原さへ霜枯て誰にとはまし道芝の露、
 
    百首哥の中に               慈圓大僧正
霜さゆる山田のくろのむらすゝきかる人なしに殘る比かな
  此僧正の歌、かゝるたぐひ多し、西行がふりをまねばれたるもの也、
 
    題しらす                 西行
津の國のなにはの春は夢なれやあしの枯葉に風わたるなり
  めでたし、「心あらん人にみせばや云々、とよめる春は、夢なれやとなり、ふるき抄に、二の句を、よの中の事は、何のうへも、夢ぞとなりといへるは、かなはず、もし其意ならば、呑もといふべきをや、
 
さびしさにたへたる人の又もあれな庵をならべん冬の山里
  或抄に、一二の句を、富貴榮花に心をうごかさぬ人あれかしといへるなりといへるは、からごゝろなり、
 
(98)                       俊成卿
かつこほりかつはくだくる山川の岩間にむせぶあかつきのこゑ
  山川の曉の聲とつゞく意也、山川の岩間とつゞくにはあらず、
 
                          攝政
消かへり岩間にまよふ水のあわのしばし宿かる薄ごほり哉
  すべて消かへりわきかへりしにかへりなどいふかへりは、其事をつよくいへる詞なるを、此哥にては、消て又結ぶことによみ玉へるいかゞ、又やどかるといふ詞も、何のよせもなきこと也、又水のこほりたらんに、沫のこほらざることいかゞ、但し薄氷とあれば、こほらぬ所もある故に、沫もたつにや、又山川とも何ともなくて、たゞ岩間とのみいへるも、ことたらはぬこゝちす、
 
枕にも袖にもなみだつらゝゐてむすばぬ夢をとふ嵐かな
  下句めでたし、詞もめでたし、霞塵氷水草みさびなどは、平らかにおほふ物なればこそ、ゐるとはいへ、つらゝにゐてはいかゞ、池の氷などを、つらゝとよめるも、皆わろし、
 
    五十首歌奉りし時
水上やたえ/”\こほる岩間よりきよ瀧川にのこるしら波
  初句やもじわろし、此やはのといふ意と聞えたり、もし疑ひのやならば、二の句にて切るゝ也、岩間より殘るといへる、詞とゝのはず、よりの下に、流れきてなどいふことなくては、たらざる也、又のこるといへることも、心得ず、其故は、水上とあれば、たえ/”\こほれるは、水上のみのことにこそあれ、川下は、すべて氷ることなきなれば、白波はつねのごとく、なべて立べければ、岩間よりのこるなどはいふべきにあらざれば也、もし又結句までを、すべて水上のこととして見れば、清瀧川にとある、にもじおだやかならざるをや、
 
    百首哥奉りし時
かたしきの袖のこほりもむすぼゝれとけてねぬよの夢ぞみじかき
  二の句、ももじは、とけてねぬといふにあたれり、夢ぞみじかきといふに、夜は長き意あり、朝※[白/八](ノ)卷に、「とけてねぬねざめさびしき冬のよにむすぼゝれたる夢のみじかさ、
 
    最勝四天王院の障子に宇治川かきたる所   太上天皇御製
はし姫のかたしき衣さむしろにまつ夜むなしき宇治の明ぼの
 
                         慈圓大僧正
あじろぎにいさよふ波の音ふけてひとりやねぬるうちの橋姫
  冬の意見えず、
 
    百首哥の中に               式子内親王
(99)見るまゝに冬は來にけり鴨のゐる入江のみぎはうすごほりつゝ
 
    攝政家哥合に湖上冬月           家隆朝臣
しがの浦や遠ざかりゆく波間よりこほりて出る有明の月
  「さよふくるまゝにみぎはやこほるらん云々、氷りて遠ざかり行波間より、月もこほりていづる也、
 
    守覺法親王家五十首哥に          俊成卿
ひとり見る池のこほりにすむ月のやがて袖にもうつりぬるかな
  袖にうつるとは、影のさすことゝ、池より袖へうつるとをかねていへり、ひとり見る故に、あはれをもよほして、涙のかゝるよしなり、さて此哥、氷といへるのみにて、氷のあへしらひもなく、すべて冬のさま見えず、たゞ秋の月なるはいかゞ、
 
    五十首哥奉りし時             攝政
月ぞすむたれかはこゝにきの國や吹上のちどりひとりなくなり
  初句ぞもじ、かなへりとも聞えず、三の句、來て見むといはでは、月の詮なければ、たゞきの國やとのみにては、ことたらず、千鳥は、數多くむれゐる物なれば、ひとりといふこと、似つかはしからず、
 
    最勝四天王院障子に鳴海浦かきたる所    秀能
風ふけばよそになるみのかた思ひおもはぬ波になく千鳥かな
  二の句、風にふかれて、よそになり行と、戀のうへの契の、よそにうつれるとをかねたり、三の句、潟といひかけたるなり、四の句も、風にふかれて、思はぬ波のうへに鳴(ク)意と、かた思ひにて、人の我を思はぬとをかねたり、
 
    おなしところ               通光卿
浦人の日もゆふぐれになるみがたかへる袖より千鳥なくなり
  一二のつゞきいかゞ、初句は、四の句の上にある意也、下句もおかしからず、
 
    文治六年女御入内屏風に          季經卿
風さゆるとしまが礒のむらちどりたちゐは波の心なりけり
  土左日記に云々、下旬おかしからず、
 
    五十首哥奉りし時
はかなしやさてもいく夜か行水に敷かきわぶるをしのひとりね
  めでたし、三四の句、本歌「行水に數かくよりもはかなきは思はぬ人をおもふ也けり、此下句の意にて、をしのひとりねに、思はぬ人を思ふを、はかなしといへる也、二の句は、本哥のごとく、思はぬ人を思ふは、はかなき事なるを、さありても猶いくよか、數かきわぶらんといふ意なり、
 
(100)    百首哥に              式子内親王
さむしろの夜はの衣手さえ/\て初雪白し岡のべの松
  下句詞めでたし、初句猶あるべし、下句は、あくる朝に、見わたしたるさまなり、
 
    入道前關白、右大臣に侍ける時家の哥合に雪  寂蓮
ふりそむるけさだに人のまたれつるみ山のさとの雪のゆふ暮
  初句、ふりそめしといはんかたまさるべし、またれつるは、さびしさに、人のまたれたる也、まして降つもりたる夕暮なれば、いよ/\さびしさに、またるゝ意あらは也、古き抄に、ふりそむるを、初雪とし、結句をば、後の事として、ふりそめたる日の夕暮にあらずといへるは、いみしきひがことなり、けさとは、今日の朝をこそいへ、
 
    雪のあした後徳大寺左大臣の許につかはしける   俊成卿
けふはもし君もやとふとながむればまだ跡もなき庭の白雪
 
    かへし                  後徳大寺左大臣
今ぞきくこゝろは跡もなかりけり雪かきわけて思ひやれども
  我は、そなたの庭の雪を、せちに思ひやれば、さだめてそのわが心の跡のつきたらんと思ふに、まだ跡もなしとは、今こそうけ給はりつれ、さては心の跡は、つかぬ物にて侍りけるよとなり、
 
    百首哥奉りし時              定家朝臣
駒とめて袖打はらふ陰もなしさのゝわたりの雪の夕暮
  いとめでたし、万葉三に、「くるしくもふりくる雨かみわが崎さのゝわたりに家もあらなくに、といふをとりて、そのくるしくもふりくるといへると、家もあらなくにといへるとを、袖うちはらふかげもなしとよみなされたる、一きはつよく、意もせち也、其うへ夕暮とあれば、まして宿かるべき家のなき意、詞の外にあり、近き比、万葉風をのみ、ひたすらたふとむ輩の、後の哥をば、しひていひおとさむとて、此哥のこととかく論じたることあれど、かたおちのしひごとなり、袖うちはらふ陰もなしといへるに、くるしき心も、家のなき心も、あくまでそなはりて、いと/\哀なる物をや、
 
    攝政、大納言に侍ける時よませ侍ける山家雪
  めでたし、軒端なる杉に、雪のふりつもりて、次第におもりゆくをみて、待人の來べき、ふもとの道は、絶ぬらむと、おもひやれるなり、
 
(101)    同家にて所の名をさぐりて冬哥よませ侍けるに伏見里の雪  有家朝臣
夢かよふ道さへたえぬくれ竹のふしみのさとの雪の下折
  めでたし、ふしみといふ、夢の縁也、下をれは、下をれの聲に也、よくとゝのへる歌なり、
 
    守覺法親王五十首に            俊成卿
雪ふれば峯のまさかきうづもれて月にみがける天のかぐやま
  月にみがけるとは、雪にうづもれたるうへに、月影のさすをいへるか、もし然らば、雪の詮なし、榊葉を月影にみがく事は、雪にうづまずとも、然いふべければ也、もし又月にみがくべき榊葉は、雪にうづもれて、天の香山の、すべてをみがけるといへる意にや、さるにては、詞たらで、たしかならず、
 
    雪のあした大原にて            寂然
尋ね來て道わけわぶる人もあらじいくへもつもれ庭の白雪
 
    千五百番哥合に              通具卿
草も木もふりまがへたる雪もよに呑まつ梅の花の香ぞする
  春まつといふこと、用なく聞ゆ、
 
    百首哥奉りし時              式子内親王
日數ふる雪けにまさる炭がまの煙もさびし大はらの里
  初二句は、雪の日數へてふれば、寒きまゝに、いよ/\炭を多くやく故にいふ、一首は、烟のしげきは、つねにはにぎはしき事にするを、これは、まさるもいよ/\さびしといふ趣也、
 
    年の暮に人につかはしける         西行
おのづからいはぬをしたふ人やあるとやすらふ程に年のくれぬる
  おのづからは、したふといふへかゝれり、いはぬは、とひ來よともいはぬ也、やすらふは、俗に見あはせてゐるといふ意也、一首の意は、自然とあなたよりしたひて、とひくる人やあると、やすらひて、こなたよりは、とへとも何ともいはずてあるほどに、はや年もくれぬるを、つひにとふ人もなしとなり、
 
    としのくれに               俊成卿女
へだてゆくよゝの面影かきくらし雪とふりぬる年のくれ哉
  初句は、年の重なれば、過しかたは、次第にへだゝりゆくものなれば、年の暮によし有、
 
    題しらす                 西行
昔おもふ庭にうき木をつみおきて見しよにもにぬ年のくれ哉
  こは年の暮に、年木とて、薪をつむことあるをよめるなり、それをうき木とよめるは、浮木の名をかりて、うきことにいへるなり、昔おもふといひ、見し世にも似ぬといへる、うき意なり、ふ(102)るき抄に、昔をこひたるにはあらず、思ひ出たるはかり也といへるは、かなはず、さてはうき木といへる、何のよしぞや、すべてよめる哥を、みな其人の境界にかなへてとかんとするから、かゝるしひごとはいふ也、西行ならんからに、岩木にあらざれば、をりにふれては、などか昔をこふることもあらざらん、歌はおもふ心を、いつはらず、たゞありによみ出ればこそ、めでたき物にはあれ、うはべをつくろひかざりて、いさぎよく見するは、うるさきから國ごゝろ也かし、
                                                                 攝政
いそのかみふる野のをざゝ霜をへて一よばかりに殘る年哉
  夜々をへたることを、笹の縁に、霜をへてとへる也、一よもさゝの縁也、さていそのかみふる野とは、霜の縁のふるのためにいへるのみか、又年のふるくなれる意もあるか、よみ人の心しられず、四の句のにもじ、一よばかりになるとこそいふべけれ、殘るとてはいかゞ、
 
                         慈圓大僧正
年のあけてうきよの夢のさむべくはくるともけふはいとはざらまし
  夢は、夜の明れば、さむる物なる故に、年の明てといへり、されど年に明《アク》といふは、俗にちかし、又いとふといへるも、かなはず、すべていとふとは、物にても事にても、あるをにくみて、なかれと思ふをこそいへ、年のくれゆくを、いとふとはいひがたし、年ならば、來るをいとふとはいふべし、これよく人のあやまる事なり、心得おくべし、此結句は、なげかざらましとあるべきを、後撰集に「花しあらば何かは春のをしからむくるともけふはなげかざらまし、といふ哥ある故に、すこしかへられたるにや、もし然らば、をしまざらましと社あるべけれ、
 
    百首哥奉りし時              入道左大臣
いそがれぬ年の暮こそあはれなれむかしはよそに聞し春かは
  すべて歳暮の哥に、いそぐとよむは、來む年の始のまうけをいとなむこと也、春をはやく來よかしと、まつことゝ心得るは、誤なり、此哥は、入道の御身なる故に、春の始のまうけを、いとなむべきわざもなきよしなり、
 
    土御門内大臣家にて海邊歳暮        有家朝臣
行年ををしまのあまのぬれ衣かさねて袖に波やかくらん
  これは、海人の歳暮のさまを、思ひやりたる意也、かさねては、衣の緑にて、常に波にぬれたるうへに、年をゝしむとて、又涙をやかけそふらんと也、或抄に、作者の身のうへの意に注せるは、やといひ、らんといへるにたがへり、
 
(103)                       寂蓮
老の波こえける身こそあはれなれことしも今は末のまつ山
  二三の句、今年も今はといふにかけ合ず、「又こえん身ぞあはれなる、などぞいはまほしき、或は「又かさねてやこえぬべき、などにても有なむ、
 
    千五百番哥合に              俊成卿
けふごとにけふやかぎりとおもへども又もことしに逢にける哉
  けふやかぎりは、歳の暮にあふも、今年や限ならんの意、四の句ことしは、歳の暮の今日の意也、二の句のけふと、四の句のことしとを、たがひに入かへて心得べし、三の句は、おもひ來つれどもの意なり、いたく老たる人の心、まことに此哥の如くなるべく、思ひやられて哀なり、
 
新古今集美濃の家つと三の卷
 
  賀歌
 
    文治六年女御入内屏風に          俊成卿
山人のをる袖にほふ菊の露うちはらふにも千世は經ぬべし
  いとめでたし、詞もめでたし、本哥のぬれてほす間は、なほしはしの程もあるべきを、打はらふにもとは、又そのうへをいへるなり、
 
    千五百番歌合に              攝政
ぬれてほす玉ぐしの葉の露霜にあまてる光いくよへぬらむ
  玉ぐしの葉は、祭の時の榊葉なり、ぬれてほすとは、古今集の菊の歌を心得あやまりて、よみ玉へるか、此哥にては心得がたし、しひてたすけていはゞ、いくよ經ぬらむといへるにあはせて、ぬれてはかわき、ぬれてはかわきする悪か、猶いかゞ、
                             .                                   俊成卿
君が代は千代ともさゝじ天の戸や出る月日のかぎりなければ
  さゝじ出る、戸の縁なり、三の句やもじ、少しおだやかならず、をといはんかたやまさるべき、
 
    千五百番哥合に              定家朝臣
我道をまもらば君をまもるらむよはひはゆづれ住よしの松
  めでたし、上句、歌の道さかゆる君が代なれば、此道をまもり玉ふ住吉神は、さだめて君をまもり給ふにてあるべしとなり、四の句、松のよはひを君にゆづれなり、
 
    八月十五夜和歌所(ノ)歌合に月多秋友   寂蓮
高砂の松もむかしに成ぬべしなほ行末は秋のよの月
  「高砂の松もむかしの友ならなくに、といふ哥をとりて、此哥にては、その松を友として、さて友といふことをば、いはでしらせたり、又松もむかしの友云々とある、本歌の詞を、松もむかしになりぬべしととりなしたる、おもしろし、一首の意は、千年經む松も、つひに枯て、むかしになりぬべし、其後もなほ友とすべきものは、秋の夜の月ぞとなり、
 
    家の哥合に春祝              攝政
春日山みやこのみなみしかぞ思ふ北の藤なみ春にあへとは
  此御哥、喜撰が歌をとりて、しかぞ思ふといひ、北にむかへて南といへる、たくみなれど、都の南といへることも、何の用なく、しかぞおもふといふことも、たゞ思ふにてこそあるべけれ、しかぞといふこと、あまりて聞ゆ、其うへ結びのとはも、はもじ何の(105)意ぞや、
 
  哀傷哥
 
    定家(ノ)朝臣母のおもひに侍ける春のくれにつかはしける   攝政
春がすみかすみし空のなごりさへけふをかぎりの別なりけり
  上句は、立のぼりし烟のなごりなりし霞さへ也、別(レ)は、うせにし人の別れのうへに、又なごりと見し霞さへ、けふは別れ也といひて、春のわかれをかねたり、
 
    公時(ノ)卿の母みまかりて歎き侍けるころ大納言實國(ノ)卿のもとに申遣しける    後徳大寺左大臣
かなしさは秋のさがのゝきり/”\す猶ふるさとにねをや鳴らん
  詞書、公時(ノ)卿は、實國(ノ)卿の息にて、其母は、中納言家成(ノ)卿の息女、實國(ノ)卿の北(ノ)方なり、歌めでたし、詞めでたし、なほは、此哥にては、いよ/\ことにといふこゝろなり、ふるさとゝは、身まかりし人のなき跡をいふ、一首の意は、かなしきことは、秋のならひなるが、そこにはいよ/\殊に、きり/”\すのごとく、ねをやなき玉ふらむとなり、きり/”\すは、野にも故郷にもよせあり、さが野といへるは、秋のさがといひかけ、又きり/”\すをいはん料のみか、はた實國卿さが野に別庄などありて、此時こもりゐられたるか、しらず、
 
    母の身まかりにけるをさがのほとりにをさめ侍ける夜よみける     俊成(ノ)卿(ノ)女
今はさはうき世のさがの野べをこそ露きえはてし跡としのばめ
  めでたし、初句、さはゝさらばなり、二三の句は、うき世のならひとて、なきからをもとゞめず、送りてをさめし野べといふ意を、嵯峨野へいひかけたる也、きえはてしといふは、たゞきえしといふとは異なり、こゝにては、母の身まかられしが、きえたるにて、そのなきからをだにとゞめず、をさめたるがきえはてしなり、すべて今の世の哥人の、はてしはつるといふ詞を、何心なくみだりにそへてよむは、ひがことなり、
 
    母の身まかりにける秋野分しける日もと住侍りける所にまかりて  定家(ノ)朝臣
玉ゆらの露もなみだもとゞまらずなき人こふるやどの秋風
  めでたし、詞めでたし、たまゆらは、しばしといふ意なりと、八雲御抄に見えて、此哥も、其意によまれたりと聞ゆ、さて露の風にさわぐさま、涙のこぼるゝさま、ともに玉のゆらくに似たれば、其よしをもかねてよみたまへるにや、ふるき抄に、露もなみ(106)だもとはあれども、たゞなみだのことにて、露のごとくふるといふことなりといへるは、かなはず、
 
    父秀宗身まかりての秋寄風懷舊       秀能
露をだに今はかたみのふぢ衣あだにも袖をふくあらし哉
  めでたし、詞めでたし、今は露をだにかたみとおもふ藤衣の袖なるを、あだに吹ちらす嵐哉也、今はといふに心をつくべし、つねには袖の露けきをば、いとふわざなるに、今はなり、
 
    母の思ひに侍ける秋法輪寺にこもりて侍けるに嵐のいたく吹ければ      俊成(ノ)卿
うき世には今はあらしの山かぜにこれやなれゆくはじめ成らむ
  めでたし、詞めでたし、法輪寺は、嵐山に有、歌の意、うき世にはあらじ、今はのがれむと、思ひたつころなれば、此嵐や、程なく此山にかくれ住て、嵐になれゆくべき、はじめならんとなり、
 
    定家(ノ)朝臣の母みまかりて後秋のころ墓所ちかき堂にとまりてよみ侍ける
まれにくるよはもかなしき松風を絶ずや苔の下に聞らむ
  めでたし、まれに來てきくだにかなしき、この松風の音を、苔の下にて、夜ごとに絶ずや聞らむと也、
 
    十月ばかり水無瀬におはしましゝ比、前(ノ)大僧正慈圓のもとへ、ぬれて時雨のなど、のたまひつかはして、つぎの年の神無月、無常の御うたあまたよみ玉ひて、つかはしける中に     太上天皇御製
思ひ出るをりたく柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れがたみに
  おもひ出るをりふしといひかけ玉へるなり、忘れがたみは、けぶりとなりしかたみ也、
 
    雨中(ノ)無常
なき人のかたみの雲やしぐるらむ夕の雨に色は見えねど
  朝雲暮雨の意なり、又初二句は、けぶりとなりしなごりの雲の意をもかね玉へり、ふるき抄に、我ちぎりたる雨ならば、色も有べきに、ちぎらねば、色もなきなりといへるは、ひがことなり、結句は、それとしるき色は見えねどなり、
 
    權中約言通家(ノ)卿の母かくれ侍にける秋攝政の許につかはしける   俊成(ノ)卿
かぎりなきおもひのほどの夢のうちはおどろかさじと歎きこし哉
  通家卿は、光明峯寺殿也、ほどのといひ、うちはといへる、重なりて聞ぐるし、結句もくちをし、
 
(107)    かへし               攝政
見し夢にやがてまぎれぬ我身こそとはるゝけふも先悲しけれ
  めでたし、若紫(ノ)卷「見てもまたあふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるゝわが身ともがな、みし夢とは、人の夢のごとはかなくなりにしをいふ、やがてはそのまゝになり、まぎるゝは、その夢とともにはかなくなるをいふ、
 
    無常のこゝろを             慈圓大僧正
きのふみし人はいかにとおどろけど猶ながきよの夢にぞ有ける
  三の句、どをばとある本は、ひが寫しなり、ばにては聞えず、きのふまで世に有し人の、けふはなくなりたるをば、こはいかにとおどろきながらも、なほえ無常をさとらず、長きよの夢にまよひゐるよと也、長き夜の夢、佛經の詞なり、おどろけどゝいひて、猶長きよの夢といへる、おもしろし、人はといへる、はもじの意は、人のうへをばの意なり、
 
よもぎふにいつかおくべき露の身はけふの夕ぐれあすの明ぼの
  めでたし、二の句にてきれたり、夕暮曙、ともに露の縁なり、ふるき抄に、いつかおくべきといひたるも、まだ末久しきやうなれば、思ひかへして、けふのゆふ暮あすの曙もしらぬといふ哥也といへるは、おもひかへしてといへるまで、いみしきひがことなり、いつかおくべきといふが、すなはちけふ明日もしらぬよしなるをや、
 
我もいつぞあらましかばとみし人を忍ぶとすればいとゞそひ行
  拾遺「世中にあらましかばとおもふ人なきがおほくもなりにけるかな、あらましかばと思ふとは、其人の世にあらば、とあらむかくあらんと、事にふれておもひ出るをいふ、こゝの歌の二の句のともじは、しのぶといふへかゝれり、見し人を、あらましかばとしのぶなり、結句は、本哥の下(ノ)句の意にて、我もいつ其數にいらむとなり、いつぞとは、前の歌の、蓬生にいつかおくべきの意とおなじ、
 
    前參議教長高野にこもり居て侍けるが病かぎりになりぬときゝて頼輔(ノ)卿まかりけるほどに身まかりぬときゝてつかはしける  寂蓮
尋ね來ていかにあはれとながむらむ跡なき山の峯のしら雲
  詞書、頼輔(ノ)卿は、教長卿の兄なり、初句、きては、行ての意なり、すべて今の詞ならば、ゆきてといふべきを、昔ほきてといへる多し、峯のしら雲は、けぶりとなりしなごりの意あるべし、
 
    なげく事侍ける人とはずと恨み侍ければ  西行
(107)あはれとも心におもふほどばかりいはれぬべくはとひこそはせめ
  初句、ともはたゞとゝいふ意にて、もはそへたるのみなり、されど此もはよくもとゝのはず、せんかたなさときこゆ、然るを此もにまどひて、初句を四の句へかけて注したるは、いはれず、二の句へつゞきたる詞なるをや、ほどばかりと重りたるもいかゞ、結句もよわし、
 
    覺快法親王かくれ侍りて周忌のはてに墓所にまうでてよみ侍りける
慈圓大僧正
そこはかと思ひつゞけて來てみればことしのけふも袖はぬれけり
  初句に、墓といふことをこめたり、但しそこはかとなくとこそいへ、そこはかとおもひつゞけてといへるは、聞えぬことなり、上下のかけあひもなき哥なり、
 
        離別哥
 
    守覺法親王家(ノ)五十首(ノ)歌に   藤原(ノ)隆信(ノ)朝臣
たれとしもしらぬ別のかなしきは松浦のおきを出るふな人
  松浦は、もろこしへ渡る海なれば、誰ともしらぬ人のわかれも、かなしとなり、
 
    遠き所に修行せむとて出たちける人々わかれをしみてよみ侍ける    西行
たのめおかむ君も心やなぐさむとかへらむことはいつとなくとも
  詞書、別をしみけるにとか、ければとかあるべきことなり、上句、二三一と句を次第して見べし、たのめおかんは、いつのほどは歸らむと契りおくなり、君もといへるに、我もの意あるべし、
 
さりともと猶あふことをたのむ哉しでの山路をこえぬわかれは
  めでたし、
 
    題しらず                俊成卿
かりそめの旅のわかれとしのぶれど老は涙もえこそとゞめね
  めでたし、かりそめの旅と、引つゞけて見る時は、ちかき旅なり、又かりそめのと切て、旅の別と見る時は、死ぬる別にむかへていふ也、老はとあれば、さも聞ゆるなり、忍ぶは、かなしさをおさへしのぶ也、結句は、旅行人をえとゞめぬに、涙をもえとゞめぬなり、
 
                        定家朝臣
忘るなよやどる袂はかはるともかたみにしぼる夜はの月影
  めでたし、詞めでたし、二三の句は、又こと人と契をかはして、今かたみにしぼる、我袂はかはりて、こと人の袂にやどるともなり、かたみにはたがひになり、「契りきなかたみに袖をしぼりつゝ(109)云々、一首の意は、又こと人とかたらひをなして、袂はかはるとも、今かたみにしぼりあひて、わかれをゝしむ此袂に、やどれる月影をば、わするなとなり、わかれゆく人の哥にて、とゞまる女によみかけたる意なり、
 
  ※[羈の馬が奇]旅歌
 
    守覺法親王(ノ)家(ノ)五十首(ノ)歌に旅   俊成卿
夏かりのあしのかりねも哀なり玉江の月の明がたの空
  下句めでたし、二の句のもゝじを思ふに、此哀なりは、時所のけしきをめでたるかたと聞ゆ、もしかなしきかたならば、かりねぞ哀なる、と有べきこと也、後拾遺「夏かりの玉江のあしをふみしたき云々、
 
立かへり又も來てみむまつしまやをしまのとまや波にあらすな
 
                        定家朝臣
ことゝへよおもひおきつの濱ちどりなく/\出し跡の月影
  いとめでたし、詞めでたし、古今に「君をおもひおきつの濱に云々、此本哥は、たゞ君を思ひて尋ねきつといへるにて、おきつのはまへいひかけたるにはあらざるを、こゝの歌は、思ひおくといひかけたり、思ひをのこしおきて、別れ來つるなり、跡の月影は、別れこし方の空に見ゆる月也、さる故に、わかれ來つる跡の事を、語りて聞せよと、其月にむかひていへるなり、旅の情あはれなり、或抄に、ことゝへよとは、千鳥にいひかけたるなりといへるは、かなはず、千鳥は、たゞなく/\といはむ料のみなり、
 
                        家隆朝臣
野べの露浦わの浪をかこちてもゆくへもしらぬ袖の月影
  いとめでたし、詞めでたし、上句、やどれる月影の、袖にとまらぬ事を、露や波にかこつなり、露波の、袖にかゝるをかこつにはあらず、一首の意は、袖にやどれる月を旅ねのなぐさめに見つるを、其月も袖にとまらぬををしみて、やどしたる露や波に、かこちうらむれども、つひにその月影は、ゆくへもしらず、きえにしよしなり、ゆくへもしらぬといへる、旅によせある詞なり、ふるき注どもは、いふにたらぬひがことなり、
 
    題しらず                西行
都にて月をあはれと思ひしは數にもあらぬすさび也けり
  旅にて見る月のあはれさにくらぶれば、都に在て見しあはれさは、物のかずにもあらぬ、すさびにて有しよとなり、すべてすさびとは、まめやかに心をいれてするにはあらで、たゞ何となくはかなくすることをいふ、手ずさび口ずさびなどのたぐひなり、此すさびを、すまひと書る本は誤なり、
 
(110)月見ばと契りて出し故郷の人もやこよひ袖ぬらすらん
  故郷をわかるゝ時に、月見ばたがひにおもひいでむと、契りおきし人も、こよひわがごとく月を見て、おもひ出て、袖ぬらすらむかと也、
 
    五十首歌奉りし時            家隆朝臣
あけば又こゆべき山の峯なれや空行月の末のしら雲
  めでたし、白雲の下に、はもじをそへて、其下へ上句をつゞけて心得べし、
 
                        雅經
ふるさとのけふの面影さそひこと月にぞ契るさよの中山
  めでたし、別れしまでの面影は、月にうかべども、其後のおもかげは、いかならむしられず、戀しきほどに、今日の面影をさそひきて、見せよと也、佐夜(ノ)中山は、さやの中山なれども、此集の比に至りては、夜の意をこむる時は、さよの中山とよめり、今はなべて然いふなり、
 
    和歌所(ノ)月十首(ノ)哥合の次に月(ノ)前(ノ)旅      攝政
忘れじと契りて出し面影はみゆらむ物をふるさとの月
  三四の句は、我面影の、故郷に見ゆらむ也、結句は、故郷人の見る月なり、さて四の句、物をといへるは、さりとも我ことをわすれはせじ、思ひ出らむといふ意なるべし、されど此詞、少しおだやかならず、
 
    旅のうた                慈圓大僧正
東路のよはのながめをかたらなむ都の山にかゝる月影
  初めに、此(ノ)我(ガ)といふことを添て心得べし、
 
    百首(ノ)歌奉りし時          宜秋門院丹後
しらざりし八十瀬の浪を分過てかたしく物はいせの濱荻
  旅のやうをもしらで、さま/”\ならはぬ事どもの多きをいへる哥也、しらざりしといふに心をつくべし、波を分といふこと、鈴鹿川には、少し似つかぬこゝちす、
                                                                式子内親王
ゆく末は今いく夜とかいはしろの岡のかやねに枕むすばむ
  めでたし、本歌、万葉一に「君が代もわが世もしれやいはしろの岡のかやねをいざむすびてな、君が代もわが世もしれやとあるにつきて、今我(カ)行末の旅ねは、又今いく夜ならむとなり、本哥のよは、代なるを、夜にとりなし玉へるなり、二三のつゞき、いはむといひかけたるにはあらず、二の句より結句へつゞけり、
 
松がねのをしまが礒のさよ枕いたくなぬれそあまの袖かは
(111)  上句詞めでたし、
 
    千五百番(ノ)歌合に          俊成(ノ)卿(ノ)女
かくてしもあかせばいく夜過ぬらむ山路の苔の露のむしろに
  初句のしはやすめことばにて、かくても也、二三の句は、あかせばあかされていく夜過ぬらむなり、
 
    攝政(ノ)家(ノ)哥合に※[羈の馬が奇]中(ノ)晩(ノ)嵐  定家朝臣
いづくにかこよひは宿をかり衣日も夕ぐれの峯の嵐に
  詞つゞきめでたし、
 
    旅のうた
旅人の袖ふきかへす秋風にゆふひさびしき山のかけはし
  秋風夕日山のかけはし、おの/\こと/\にて、たがひに何のよせもなく、其うへに、三の句より下、旅人の縁もなし、かやうにたゞ物をあつめて、けしきをいひならべたるは、玉葉風雅のふりにちかし、
 
                        家隆朝臣
故郷にきゝし嵐の聲もにずわすれね人をさやの中山
  めでたし、詞めでたし、わすれねは、わすれよかしといふ意なり、此ねを、ぬと書る本共は誤也、結句は、さやといふ詞にいひかけたり、さやは、さやうにやはなり、一首の意は、嵐の聲も、故郷にて聞しには似ず、かはりたるに、さのみやは故郷人をわすれず、戀しのぶべき、今は故郷人の事を、忘れよかしと、我心にいふなり、又おもふに、上句、あらしの音さへかはりぬれば、人の心もさぞかはりつらむ物を、といふ意もあるべきか、哥ぬしの心はかりがたし、
 
                        雅經
白雲のいくへの峯をこえぬらんなれぬ嵐に袖をまかせて
  あらしに袖をまかせてとは、嵐のふくまゝに、ふかれてゆくをいふ、
 
                        家長
今日は又しらぬ野原に行くれぬいづれの山か月はいづらむ
  初句、又は、下へつけて心得べし、日々にかはる意あり、下句、月の出る方さへしれぬさま、あはれなり、
 
    和歌所(ノ)哥合に※[羈の馬が奇]中(ノ)暮      俊成卿女
故郷も秋はゆふべをかたみにて風のみおくるをのゝしの原
  初句ももじは、遠くへだゝり來ぬる故郷もの意也、二三の句は、秋はかならず夕暮に風の吹ものなれは、其夕風が形見にて、故郷のかたより、我をおくり來るよしなり、風のみといへるは、風より外には、故郷のかたみとすべき物なきよしなり、さてのみの(112)下へ、はもじを入て心得べし、小野のしの原は、風に縁はあれども、少しはたらかぬこゝちす、
 
                        雅經
いたづらにたつや淺間の夕けぶり里とひかぬる遠近の山
  いとめでたし、いたづらにとは、宿かるべき里のけぶりならば、しるべとなるべきに、これは山の上のけぶりにて、里とふしるべにもならざる故にいふなり、夕けぶりは、宿かるべき時をいへり、をちこちとは、本歌の詞をもていへるにて、かなたこなたの山を、見わたしたるさまなり、
 
                        宜秋門院丹後
都をばあまつ空ともきかざりき何ながむらむ雲のはたてを
  めでたし、本歌「夕暮は雲のはたてに物ぞおもふ云々、此本哥によりて、雲のはたてといへるにて、夕暮になる也、天津空本歌の詞也、
 
                        秀能
草枕ゆふべの空を人とはゞなきてもつげよはつ鴈の聲
  めでたし、上句は、わが旅の夕のさまを、故郷人のとはゞ也、空とは、鴈の縁にて、其時のけしきをもいへり、鳴てもつげよとは、かなしきよしを告るをいふ、かなしきさまを見て、人に告るには、泣るゝ物なれば也、なきてといふを、輕く見ては歌の魂なし、
 
    旅のこゝろを              有家朝臣
ふしわびぬしのゝをざゝのかり枕はかなの露や一夜ばかりに
  詞めでたし、四の句、露の、心なくいふかひなきを、はかなしといへりと聞ゆ、よのつねにいふはかなしの意にては、聞えがたし、一夜ばかりには、一夜ばかりなるにの意なり、ふしもかりも一よも、さゝの縁なり、一首の意は、たゞ一夜ばかりのかりねなれば、露も心すべきことなるに、しげくおきて、かやうにふしわびさするは、さても心なくいふかひなき露かなといへるなり、
 
    石清水(ノ)歌合に旅宿(ノ)嵐
岩がねの床にあらしをかたしきてひとりやねなむさよの中山
 
    旅のうた                藤原業清
たれとなき宿の夕を契りにてかはるあるじをいくよとふらん
  めでたし、詞もめでたし、誰となき宿の夕(ヘ)とは、或抄に、夕になれば、たれとなくやどれば、かくよめりといへるも、さることなり、又思ふに、たれとなきは、宿のあるじのことにてもあるべし、さては四の句とかけ合よろしきなり、夕を契にてとは、ゆふべになれば、必やどるべきを契にてといふ意なり、
 
    ※[羈の馬が奇]中(ノ)夕       長明
(113)枕とていづれの草にちぎるらむゆくをかぎりの野べの夕暮
  三の句、ちぎらましとこそいふべけれ、らむにては、ふる郷人などの、旅なる人のうへを、思ひやりてよめるやうにて、かなひがたし、四の句も、「ゆきとまるをぞやどゝさだむる、といへる意とは聞ゆれども、行をかぎりとのみにては、ことたらはず、
 
    東のかたへまかりける道にてよみ侍ける  民部卿成範
道のべの草の青葉に駒とめて猶ふるさとをかへり見る哉
  めでたし、二三の句詞めでたし、此人は、信西が子なりければ、平治のみだれに、老たる母いときなき子をとゞめおきて、東の國に流されて、くだらるゝ時の哥也、後拾遺に増基法師が、「都のみ歸り見られて東路を駒のこゝろにまかせてぞゆくとよめるは、駒のあへしらへなきを、これは草の青葉にといへるなど、めでたし、
 
    旅のうた                秀能
さらぬだに秋の旅ねはかなしきに松に吹なり床の山風
  四の句、山風の松にふくにつきて、故郷人の我をまつらむと、おもひやらるゝ意なるべし、
 
    攝政(ノ)家(ノ)哥合に秋(ノ)旅   定家朝臣
忘れなむまつとなつげそ中/\にいなばの山の峯の秋風
  本歌「立わかれいなばの山の云々、初句は、故郷のことをおもへばくるしきほどに、いかでわすればやとおもふなり、然るを故郷人の待ときかば、わすれがたかるべきほどに、中々にさな告そとなり、中々には、なまじひになり、二の句の上へうつして心得べし、故郷人のまつといふたよりは、うれしかるべきことなれども忘れんと思ふには、妨となれば、なまじひにまつとな告そと也、此哥、秋(ノ)旅といふ題なるに、秋風といへるのみにて、秋の意なしいかゞ、
 
    百首(ノ)哥奉りし時旅の哥       家隆朝臣
契らねど一夜は過ぬ清見がた故にわかるゝあかつきの雲
  清見がたに旅ねして、曉に立わかるゝ時に、浪のうへに雲もわかるゝを見て、思へるやう、あの雲と契りはせざりしかど、一夜は此浦に諸共にあかしぬることよとなり、但し二の句、一夜はもろともにあかしぬといふことを、過ぬといへるは、たしかならず、されど、ちぎらねどゝいへるにて、然聞えたり、
 
    千五百番(ノ)歌合に
故郷にたのめし人も末の松まつらむ袖に波やこすらん
  めでたし、下句は、我をまちわびて、袖に涙のながるらむといふ(114)意なり、結句、心やかはりぬらんといふやうに聞ゆれども、其意にはあらず、末の松とおけるは、まつらむと詞をかさねて、浪こすといはむ料のみにて、波こすは、たゞ涙のながるゝをいふなり、浮舟卷に「浪こゆるころともしらで末の松まつらんとのみ思ひける哉、三四の句は、此哥によれれど、意はことなり、二の句、人もといへる、ももじにて、我涙を流すことしられたり、
 
    入道前(ノ)關白(ノ)家(ノ)百首(ノ)歌に旅のこゝろを
                        俊成卿
難波人あし火たく屋に宿かりてすゞろに袖のしほたるゝ哉
  めでたし、あし火たくやに、すゝといふことをよむは、万葉十一に「なには人あし火たく屋のすしたれど云々、とあるによれり、すしたるは、煤《スヽ》びたることなり、こゝの哥は、その煤を、すゞろにといひかけたり、ふるき抄に、すゝは蘆の縁語也といへるは心得ず、
 
    述懷百首(ノ)哥に旅
世中はうきふししげししの原や旅にしあれば妹夢にみゆ
  こは旅のうきに、又妹が夢に見えて、さま/”\うきふしのしげきといふ意なるべけれど四の句のやう、其意にかなひがたくや、されど右の意にあらでは、二の句のしげしといふこと聞えず、
 
    天王寺にまゐり侍ける時にはかに雨のふりければ江口に宿をかりけるにかし侍らざりければよみ侍りける             西行
世中をいとふまでこそかたからめかりのやどりををしむ君哉
  めでたし、四の句は、旅の宿に、此世をかりのやどりといふをかねたり、
 
    かへし                 遊女妙
世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
  めでたし、宿かしまゐらせざるは、たゞしか/\と思ふのみにこそあれ、をしむには侍らずと也、
 
    和哥所にてをのこども旅の哥つかうまつりけるに  定家朝臣
袖にふけさぞな旅ねの夢もみじ思ふかたよりかよふ浦風
  めでたし、さぞなとは、夢もえ見ざらむことを、かねておしはかりていふなり、さて夢の見えんにこそ、風をもいとふべけれ、とても夢は見ゆまじければ、思ふかたより吹來る風なれば、我袖にふけとなり、浦といへる、縁なきがごとし、山にても野にても同じ事なれば也、但し須磨(ノ)卷に「戀わびてなくねにまがふ浦なみは思ふかたより風やふくらむ、とあるにより玉へるなるべし、
 
(115)                     家隆朝臣
旅ねする夢路はゆるせうつの山關とはきかずもる人もなし
  下句、ことさらにいへるなれど、同じやうの意かさなりて、わづらはし、關にあらずは、もる人のなきこと、いふにや及ぶ、
 
    詩を歌に合せ侍けるに山路秋行といふこゝろを  定家朝臣
都にも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふつたの下道
  めでたし、詞めでたし、霜ふりて寒き山路の夕暮に、故郷の夜寒をも思ひやりて、今や衣うつらんとなり、霜をはらふとて、手して衣をたゝくさまと、衣うつさまと、似たるにつきて、思ひやれる意も、あまりのにほひにて、おもしろし、うつの山につたの下道をよむは、伊勢物語の詞によれり、
                                                               長明
袖にしも月かゝれとは契りおかず涙はしるやうつの山ごえ
  下句詞めでたし、月をかゝれとは、涙の縁をもていへるにて、かくあれといふをかねたり、四の句は、月影の袖にかゝる故を、我はしらず、涙はしれりやと、問かけたる也、さて此歌、月の縁の詞なし、うつの山の縁もなし、
                                                               慈圓大僧正
立田山秋ゆく人の袖を見よ木々の梢はしぐれざりけり
  秋ゆく人は、秋の比こえゆく人なり、袖を見よとは、袖の色の深きを見よといへるにて、例の紅の涙也、下句は、この袖の色にくらぶれば、木々の梢のもみぢしたる色は、いと淺かりけりといふことを、しぐれざりけりといへる也、立田山といへるにて、下句は紅葉なることをしらせたり、又袖を見よを、たゞ涙のおつることの甚しきよしとして、それにくらぶれば、時雨は物のかずならず、といふ意ともすべし、さやうに見る時は、木々の梢といへるは、かろくして、たゞ時雨のあへしらひのみなり、猶前の意なるべし、
 
    東の方へまかりける時         西行
年たけて又こゆべしと思ひきやいのちなりけり佐夜の中山
  古今に、「年毎に花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり、
 
    旅のうた
おもひおく人の心にしたはれて露分る袖のかへりぬる哉
  思ひおく人とは、故郷人をいふ、のはがの意なり、心は我心也、袖のかへるとは、色のかはるをいひて、故郷にかへるといふ縁なり、野べの草葉などなくて、露わくるといふこと、よせなく聞ゆ、
 
(116)新古今集美濃の家つと四の卷
 
  戀哥一
 
    和哥所歌合に久忍懸          攝政
いそのかみふるの神杉ふりぬれど色にはいでず露も時雨も
  結句は、露にも時雨にもの意なり、されば三の句は、年をへてふるくなりたる意にて、露時雨のかたは、詞の縁のみなり、霞もしぐれも降ぬれどゝつゞく意にはあらず、さては詞とゝのはず、
 
    小野宮歌合に忍戀           太上天皇御製
我戀は眞木の下葉にもる時雨ぬるとも袖の色にいでめや
  時雨の下へ、如くといふ詞をそへて心得べし、
 
    百首哥奉りし時            慈圓大僧正
わが戀は松をしぐれの染かねて眞葛が原に風さわぐなり
  めでたし、二三の句は、人のつれなき意、下句は、うらむる意なるべし、
 
    家の哥合に夏戀            攝政
空蝉の鳴音やよそにもりの露ほしあへぬ袖を人のとふまで
  めでたし、詞いとめでたし、空蝉は、なくねといひ、森といはむ料なり、一首の意は、袖をほしあへず、人のあやしみとふ迄に、なきぬらしたれば、さだめて此なくねも、よそにもりやすらんとなり、結句、人のとふ迄になりぬればと、詞をそへて心得べし、たゞに上へかへりて、人のとふまで鳴音やもりぬらむと、つゞけて見ては聞えず、さては詞もとゝのはざるなり、空蝉卷に、「うつせみの羽におく露のこがくれて忍び/\にぬるゝ袖かな、
                                                               寂蓮
思ひあれば袖にほたるをつゝみてもいはゞや物をとふ人はなし
  本歌「夕されば螢よりけにもゆれども光見ねばや人のつれなき、「つゝめどもかくれぬものは云々、下句は、下上にうちかへして、物をとふ人はなし、いはばやといふ意也、されどつゝみていはゞやとつゞくやうに聞えて、まぎらはしきいひざま也、一首の意は、我は螢のもゆるが如くなる思ひあれば、人の見てとひもやすると、螢を袖につつみてあれども、本哥のごとく、光見ねばや、とふ人はなく、そのかひもなければ、今はたゞにかくと、言に出ていはゞやとなり、
 
    水無瀬にてをのこども久戀といふことをよみ侍りしに 太上天皇御製
思ひつゝへにける年のかひやなきたゞあらましのゆふぐれの空
  本歌後撰に、「おもひつゝ經にける年をしるべにてなれぬる物は(117)こゝろなりけり、上二句に、此本哥のすべての意をこめてよませ給へるなるべし、さればたゞあらましとは、本哥のなれぬるものは心なりといへるによれり、すべてあらましとは、ゆくさきのことを、とせむかくせんと、かねて心に思ひまふくるをいへり、上句の意は、あはむ/\と、年をへて心におもひなれぬるかひやなきなり、三の句、かひもなく又はかひぞなき、などはあらで、やとあるは、末つひにかひなくてやゝみなむの意なり、
 
    百首哥の中に忍戀           式子内親王
玉の緒よたえなば絶ねながらへばしのぶることのよわりもぞする
めでたし、上句めでたし、もぞのてにをはの意、言葉の玉緒にいへるがごとし、
 
わすれてはうち歎かるゝゆふべ哉我のみしりてすぐる月日を
  初句は、我のみしりて、その人はしらぬことゝいふことを忘れては也、とぢめのをは、なるものをの意なり、
 
我戀はしる人もなしせく床の涙もらすなつげの小まくら
  本哥、「我戀は人しるらめや敷たへの枕のみこそしらばしるらめ、「枕より又しる人もなき戀をなみだせきあへずもらしつるかな、
 
    百首歌奉りしに            攝政
かぢをたえゆらのみなとによる船のたよりもしらぬ沖津塩風
  本歌「ゆらのとをわたる船人云々、湊によるたよりもしらぬ、といへるのみにて、さのみ本哥の意にことなることもなきは、いかにぞや、
 
    題しらず               式子内親王
しるべせよ跡なき浪にこぐ船のゆくへもしらぬ八重のしほ風
  本哥「しら波の跡なきかたに行舟も風ぞたよりのしるべなりける、これも本哥とことなる意なし、そのうへ本歌は、三の句のももじにて、戀の哥と聞ゆるを、此御哥は、戀ときこゆべき詞なし、
 
    和哥所(ノ)哥合に忍戀        攝政
難波人いかなるえにかくちはてむあふことなみに身をつくしつゝ
  二三の句、江を縁の意にとりて、終にいかなる縁にかくちはてんとなり、初句は江といひ、浪といひ、みをつくしといはん料に、戀する我身をさしていへるなれど、難波人のくちはつるといふ詞の、いかにぞや聞ゆるなり、
 
    隱名戀                俊成卿
海士のかるみるめを波にまがへつゝなぐさの濱を尋ねわびぬる
  めでたし、二三の句は、海邊なる海松《ミル》めの、浪に隱れて、見うしなひたる意にて、たとへたる意は、一度逢見つれども、その人や(118)どをも名をも隱せる故に、誰といふことをとめうしなひたる也、下句は、なぐさに、名といふことをもたせて、宿をも名をも尋ねわびぬとなり、上にぞ共やともいはで、ぬるととまりたるは、變格にて、尋ねわびぬることよと、うち歎きたる意のてにをは也、さて此歌、くさ/”\まぎらはしきことあり、まづ此前後はみな、いまだ逢ざる戀の哥のみなれば、是もそのこゝろかと思へど、もしいまだ逢ざる意ならば、名を隱すは、此方の名を隠すことなるべきに、さては下句聞えがたし、さればこれは必、かなたの名を隠す意なるに、さては又いまだあはぬさきにはいかゞなり、さればかならず逢見たる後の哥なるに、こゝに入たるは、撰の誤なるべし、さて又二三の句を、彼方よりまがへたることゝ見ては聞えず、其故は、下句は此方の事なるに、つゝといひてつゞけたれば、上の句も、必こなたの事ならでは、詞つゞきかなはず、近き世の人は、すべてかやうのわきまへをしらず、よく/\心をつくべし、又見るめをなみとつゞきたるは、逢事のなきといふやうにきこゆれども、そのいひかけにはあらず、これまたようせずはまぎれぬべし、
 
  戀歌二
 
    五十首(ノ)歌奉りし寄雲戀      俊成卿女
下もえにおもひ消なむけぶりだに跡なき雲のはてぞかなしき
  めでたし、上二句は、煙の縁にて、忍ぶ戀にこひ死ぬる意、煙はなき跡のけぶり也、跡なき雲とは、いづれかけぶりのなれるともわかれず、なべての雲になりはてゝ、煙は跡もなくなれるをいふ、一首の意は、此世にて思ふ人にもしられず、いたづらに消るのみならず、けぶりの未だに、跡もなき雲となりなむことのかなしきとなり、
 
    攝政(ノ)家(ノ)百首(ノ)哥合に  定家朝臣
なびかじなあまのもしほ火たきそめて煙は空にくゆりわぶとも
  くゆるといふ詞を、くゆりとはたらかして用ひられたるを、難じたる、俊成卿の判に、うつるうつりとゞまるとゞまりなどを、例に出されたるは、くはしからず、くゆるは、これらとは格の異なる詞なり、ゆるといふ詞に、ゆりとはたらく例はなきことなり、見ゆる聞ゆるを、みゆり聞ゆりなどはいはぬをもてわきまふべし、されどくゆるは、源氏物語などにも、くゆらせとも、くゆりともいへる例あれば、難にはあらず、なびかじなと、こなたより定めたるこそ、いかゞとは聞ゆれ、
 
    百首歌奉りし時戀哥          攝政
戀をのみすまのあま人もしほたれほしあへぬ袖の果をしらばや
(119)  しらばやといへる、似つかはしからず、袖のはてをしらばやとねがふは、何の心ぞや、
 
    戀のうたとて             二條院讃岐
みるめこそ入ぬる磯の草ならめ袖さへなみのしたにくちぬる
  めでたし、「しほみてば入ぬるいその草なれや云々、礒の草の、波の下に入ぬるのみならず、袖さへといふ趣意なり、此ぬるも、ぬることよと、歎きたるてにをはなり、
 
    左大將に侍ける時家の百首哥合に忍戀  攝政
もらすなよ雲ゐる峯のはつ時雨木葉は下に色かはるとも
  二の句に忍びかくす意あり、三の句は、はじめて逢たる意、下句は、今より後、おもひは深くなりぬともといふこゝろ、もらすなよとは、逢たる人にいふなり、此歌、題も忍戀なり、哥のさまも、いまだ逢ざる戀のごとく聞ゆれども、さてはもらすなよとはいひつくべき人なし、みづからいましむるならば、もらさじなとこそあるべけれ、
 
    戀のうた               殷富門院大輔
もらさばや思ふ心をさてのみはえぞやましろのゐでのしがらみ
  めでたし、四の句、やまじといふには、ぞもじてにをはかなほぬやうなれど、これは山城へいひかけたるなれば、難ならじ、えもといひてはよわし、
 
    和歌所哥合に忍戀           雅經
きえねたゞしのぶの山のみねの雲かゝる心のあともなき迄
  めでたし、初句は、ひたぶるにおもひ死ねと、うちすてゝいふ詞にて、死ねを、雲の縁にてきえねとはいへるなり、さてかゝる所にいふたゞは、すべてひたぶるにといふ意にて、俗言にいッそのことにといふがごとし、かゝるは、かやうなるにて、忍びて思ふをいふ、心の跡もなきまでとは、なき跡に、執着の念ものこらぬまでに、きえはてよなり、
 
    千五百番哥合に            通光卿
限あればしのぶの山のふもとにも落葉がうへの露ぞ色づく
  めでたし、詞めでたし、初句は、忍ぶも、しのばるゝかぎりの有て、つひには忍びはてられぬ物なれば、といふ意にいへるなり、麓といへるは、落葉のよせにて、又忍ぶ山をはなれて、あらはれたる意をもこめたるべし、さて梢の紅葉にても、おなじことなるべきに、落葉といへるは、程をへてはてにはといふ意也、又落葉とのみにてもたりぬべきに、露をいへるは、涙の色の、つひには紅になれるよしにて、涙の色のかはらぬほどは、しのぶれども、紅(120)になりては、え忍びあへぬ意なり、詞ごとに其意よくかなひて、露ばかりもいたづらなることのまじらぬ哥也、すべて歌は、かやうにいたづらなる詞をまじへず、一もじといへどもよしあるやうによむべきわざぞかし、
 
ながめわびそれとはなしに物ぞおもふ雲のはたての夕暮のそら
  本歌、「夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ云々、それとはなしにとは、本哥のやうに、天つ空なる人をこふとにはあらでといふ意なり、或抄に、さしてつらしともうらめしともなく、と注せるは、いみしきひがことなり、
 
    雨のふる日女につかはしける      俊成卿
おもひあまりそなたの空をながむれば霞をわけて春雨ぞふる
  四の句、たゞ何となくいへることゝも聞えず、されど其意いまだ思ひえず、もしことなるよしなくは、詮なきいひごと也、
 
    水無瀬戀十五首哥合に         攝政
山がつのあさのさ衣おさをあらみあはで月日や杉ふけるいほ
  本歌、「すまのあまの塩やき衣おさをあらみまどほにあれや君がきまさぬ、万葉に、「杉板もてふける板目のあはざらば云々、此二首を合せて、間遠にあれや君がきまさぬの意もて、あはでといひ、月日の過るを、杉ふける庵といひかけたるなり、月日のとあるべきを、やと疑ひたるは、たゞ語の勢ひをあらせんためのみか、やにては、行末をかけておもひやる意になる也、杉ふける庵とゝぢめたる、本歌の詞にはあれども、庵は上にいさゝかも縁なければ、無用のはなれものなりいかゞ、然るを或抄に、本哥のとりあはせよろしとて、ほめたるは心得ず、此杉ふける庵、衣に縁あることならばこそ、よくとりあはされたりとはいふべけれ、これは上句と四の句とは、よくとりあはされたれども、二三の句と結句とは、さらにかけあはぬことなるをや、すべて古への名高き人の哥といへば、よくかなへりやかなはずやをも、くはしく考へず、みだりにほめはやすは、後世諸注家のくせなり、そはまことにはよしやあしやをも、えわきまへず、くはしきことをもえしらずて、たゞおしこめて、古人の哥は、及びがたき物とのみ、みづからも思ひ、人にもおもはせて、まぎらかしたるもの也、然るを今歌をまなぶ輩、一すぢにこれを信じて、古(ヘ)の哥はみなすぐれて、手のつけられぬ物とのみ思ひおくゆゑに、そのわろき所を見しることもあたはず、又すぐれたる味を、まことにさとることもあたはず、さるからすべてよきあしきけぢめをわきまふることあたはざれば、みづからも、よき哥をばえよみいでぬぞかし、古(ヘ)の名高き人たちといへども、その歌こと/”\くよき物にはあらず、わろきもま(121)じり、又よき哥にも、疵もあるわざなれば、たとひ人まろ貫之の歌なりとも、よしやあしやを、及ばぬまでも、考へこゝろむべきことなり、つねに然するときは、おのづからよきあしきけぢめは見ゆる物にて、かのみだりなる注釋などには、惑はぬわざぞかし、こは事のちなみにいさゝかいふなり、
 
    百首歌奉りし時            俊成卿
あふ事はかた野の里のさゝの庵しのに露ちるよはの床かな
  しのには、しげくといふ意にて、さゝの縁の詞なり、此哥、初句をのぞけば、二の句より下は、戀の哥にあらずいかゞ、さゝの庵とある故に、たゞさゝの庵の歌とこそ聞ゆれ、
 
    入道前關白右大臣に侍ける時の百首哥に忍戀
ちらすなよしのゝは草のかりにても露かゝるべき袖のうへかは
  詞めでたし、初句は、もらすなよの意なるを露の縁にて、ちらすなよとはいへる也、しのゝのといふに、しのぶといふことをこめたり、かりにてもは、かりにもなり、一首の意は、何となくては、かりにもかやうに袖に露のかかるべきならねば、かならず戀すと、人に見とがめらるべけれは、心して、此露をちらしもらして、人に見とがめらるまじきぞとなり、然るをちらすなよとあるは、人にいひつくる詞なればいかゞ、これはみづからちらさじとおもふをいふなれば、ちらさじよとこそあるべけれ、
 
    夕戀                 秀能
もしほやくあまの礒屋の夕烟立名もくるし思ひたえなで
  題の夕の意はたらかず、
 
    海邊戀                定家朝臣
須磨のあまの袖に吹こす塩かぜのなるとはすれど手にもたまらず
  「なれゆけばうき世なればやすまの海士の塩やき衣間遠なるらむ、といふ哥をとりて、衣を風にかへて、風は袖になれても、手にとられずといへるにて、大かたには馴たる人の、逢がたきをたとへたる也、結句は、いせ物語の哥に、「とりとめぬ風にはありともとあるがごとし、二の句、吹こすは、ふくとのみにてよろしき哥なるを、こすといふことあまりて聞ゆ、ふるき抄に、二三の句を、あだ人によせてよめりといへるは、かなはず、
 
    攝政家歌合に             寂蓮
ありとてもあはぬためしの名取川くちだにはてねせゞの埋木
  めでたし、本哥「みちのくにありといふなる名とり川なき名とりてはくるしかりけり、「名取川瀬々のうもれ木云々 初句は、初の本哥の二の句の詞を、いきながらへて有とてもといふに取なせる、おもしろし、二の句は、なき名とりてはとあるを、あはぬた(122)めしといへる也、四の句のだには、死ぬることを願ひはせねども、あはでなき名をたてられむよりは、死《シニ》なりともせよといふ意なり、
 
    千五百番歌合に            攝政
なげかずよ今はたおなじ名取川瀬々のうもれ木くちはてぬ共
  二三四の句は、「今はた同じ難波なる云々と、「瀬々の埋木あらはれば云々とを、とり合せ玉へり、さて今はた同じとは、今も既にうき名をたてられたれば、朽はてたるも同じことぞといふ意なり、然れば此うへたとひくちはつとても、歎きはせずとなり、
 
    攝政家百首哥に            高松院右衛門佐
よそながらあやしとだにも思へかし戀せぬ人の袖のいろかは
 
    百首歌に               式子内親王
夢にても見ゆらむ物をなげきつゝうちぬるよひの袖のけしきは
  上二句、下とかけ合(ヒ)うとし、二の句を、見せばや人にといひて、とぢめををとかへば、たしかにかけ合べし、けしきとよめる、此集のころの歌におほし、
 
    千五百番哥合に            攝政
身にそへる其面影も消なゝむ夢なりけりとわするばかりに
  めでたし、夢なりけりといふ詞のいきほひは、夢にて有けるよといはむがごとし、
 
    五十首歌奉りし時           前大納言忠良
たのめおきし淺茅が露に秋かけて木葉ふりしく宿の通路
  本哥いせ物語、「秋かけていひしながらもあらなくに木葉ふりしくえにこそ有けれ、秋かけてといへる、本歌の詞なれば、なくてかなはざれども、此歌にてはかなひがたし、其故は、すべてかけてとは、前より後をかくることをいふ詞なれば、秋かけては、夏より秋をかけてにて、俗言に、秋へむけてといふ意なるに、木葉ふりしくは、時節たがへれば也、木葉は、夏より秋へかけてちる物にはあらざるをや、よみぬしの心は、木葉は、冬の初(メ)ちる物なるが、秋の末よりもかつ/”\ちる意にや、されどさやうに後より前をかくることを、かけてといふ例は、ふるくはなきことにて、ことわりもかなはず、
 
    百首歌の中に             通具卿
我戀はあふをかぎりのたのみだにゆくへもしらぬ空のうき雲
  本歌、「わが戀はゆくへもしらず云々、本哥には、あふをかぎりと思ふとある、そのたのみだになきよし也、浮雲は、ゆくへもしらずきえゆく物なれば也、千五百番哥合、顯昭判に、空のうき雲といふ詞いかゞといひて、負としたるは心得ず、
 
(123)    水無瀬戀十五首歌合に春戀     俊成卿女
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしのそでのなみだに
  いとめでたし、面影のかすめる月とは、月を見ればは人の面影のかすみて見ゆる、其月をいふ、春やむかしの袖とは、つゞめていはば、さきに逢見し人のことを、戀しのぶ袖といふ意なり、そは既に春部にいへるごとく、此集の頃、かのいせ物語の、月やあらぬの哥の、一首の意、其歌ぬしの其時の心を、春や昔の、といふ一句にこめてとれる例なり、
 
    冬戀                 定家朝臣
床の霜まくらの氷きえわびぬむすびもおかぬ人のちぎりに
  きえわびぬとは、身も心もきゆるごとく、かなしくわびしきをいふ、きえもむすびも、霜と氷との緑、おかぬも、霜の縁なり、下句、たゞ縁の詞のみにて、させる深き心もなければ、上句の思ひの甚せつなるにかけあはず聞ゆ、
 
    攝政家百首歌合に曉戀         有家朝臣
つれなさのたぐひまでやはつらからぬ月をもめでじ有明の空
  めでたし、つれなさのたぐひとは、有明の月は、つれなき物にいへば、人のつれなきたぐひなるをいふ、までとは、「大かたは月をもめでじ、といふ本歌のごとく、老となるがつらきのみならず、人のつれなきたぐひ迄がつらきとなり、六百番歌合に、右方申云、本歌は、月をつれなしといひたりとは見えず、曉に人をつれなしといひたりとこそ見えたれ、いかゞといへるは、かへりていかゞ、本哥といへる忠岑が哥の、つれなく見えしは、顯昭注に、有明の月は、明るもしらずつれなく見えしなりといへるを、定家卿も、其意にこそ侍らめと注し玉ひ、契冲も同心にて、それにあはずしてかへす人のつれなき體をかねてよめる哥なるべしといへる、まことに其意なるをや、
 
    宇治にて夜戀といふことををのこどもつかうまつりしに  秀能
袖のうへに誰ゆゑ月はやどるぞとよそになしても人のとへかし
  四の句は、よその事になしてなりともといふ意、人は思ふ人なり、或抄に、此涙は、君ゆゑなれども、それとは君がしるまじければ、たれ故ぞと、よそごとになしてもとへかしと也、といへるは、なしてといふ詞にかなはず、すべてかやうのなすといふ詞は、さはあらぬことを、しひてそれになすをいへば、よそになしてとは、我故とはしりながら、よそのことになしてといへるにこそあれ、
 
    家の百首歌合に祈戀          攝政
(124)いく夜われ浪にしをれてきぶね川袖に玉ちる物おもふらむ
  めでたし、下句詞めでたし、本哥和泉式部、「物おもへば云々、「おく山にたぎりて落る瀧つせの玉ちるばかりものなおもひそ、此本哥の玉ちるは、物おもふ心をいへるを、こゝの四の句は、涙を主として、それに本哥の意と、川浪のかゝるとをかねたり、
                                                               定家朝臣
年も經ぬいのる契ははつせ山をのへのかねのよそのゆふぐれ
  二の句以下めでたし、詞もめでたし、下句、尾上の鐘なる故に、よそに遠く聞ゆる意にて、よそとつゞけたり、さてよその夕暮とは、よその人の、入相のかねに、來る人をまちてあふ意也、さてそれは、わが祈る契なるに、わが祈(リ)は、しるしなくしてよその人のあふ契なるよと也、そのよその人にあふ人は、わがおもふ人なり、こはいとめでたき歌なるに、年も經ぬといへること、はたらかず、かけ合へる意なきは、くちをし、
 
    片思                 俊成卿
うき身をば我だにいとふいとへたゞそをだに同じ心とおもはむ
  上句人のいとふにつけて思へる心にて、いとへたゞといへるたゞは、ひたぶるにといふ意也、うき身とは、賤き身をいふ、賤き者は、うきこと多ければ也、人のいとふにつきておもへば、我はいやしき身なれば、我ながらみづからすらいとふなれば、人のいとふはことわり也、よしやこのうへは、人もいよ/\ひたすらにいとへと也、下句は、我は人を思ふに、人は我を思はざるは、同じ心ならざるに、せめては我をいとふ心をなりとも、我とおなじ心ぞと思ひて、なぐさめんとなり、だにといふ詞二(ツ)有、上なるはすらの意、下なるはなりともの意也、
 
    題しらず               殷富門院大輔
あすしらぬ命をぞ思ふおのづからあらばあふ夜を待につけても
  めでたし、下句詞めでたし、本歌拾遺、「いかにしてしばし忘れむ命だにあらばあふよのありもこそすれ、初二句は、明日死なむもしられぬ命なることを、かなしくおもふなり、おのづからあらばは、あらばおのづからといふ意にて、あらばゝ、命のあらばなり、あふよをまつとは、あふよもあらむかと待をいふ、さてかやうのおのづからは、俗言に、もし自然としか/\の事あらばといふ意、又たまさかに自然としか/\の事のあるなどいふ意也、歌に此類のおのづから多し、心得おくべし、
 
                       西行
思ひしる人有明の世なりせばつきせず物は恨みざらまし
  人有明といひかけ、つきせずに月をいへる、いやしきたくみに(125)て、いとうるさし、そのうへ有明の月、此哥にいささかもよせなきこと也、
 
  戀歌三
 
    百首哥に               式子内親王
あふ事をけふまつがえの手向草いくよしをるゝ袖とかはしる
  本歌万葉一に、「白波のはまゝつがえのたむけぐさいくよまでにか年の經ぬらむ、初二句、からうじてはじめて今夜と契りて、逢事をまつなり、しをるゝは、草に縁あり、下句、はじめて逢たる時にいふべきさまにて、こよひとまつ時のさまにはうとし、或抄に、逢戀の哥也といへるは、二の句のまつといへる詞にかなはず、しをるゝといふも、まだ袖のかわかぬほどの詞なり、もし逢ていふならば、しをれしとこそいふべけれ、
 
    題しらず               西行
あふまでの命もがなとおもひしは悔しかりける我こゝろかな
  達見て後、いよ/\思ひのいやまされるにつきておもへば、いまだ逢ざりしほどに死たらむには、かゝる思ひはあるまじき物を、あふまであらむ命を願ひしは、今おもへば悔しとなり、古き抄に、あひぬれば、又いつまでもと命の惜くなりぬれば、あふまでの命と願ひしは、悔しといへるなりといへるは、初二句の詞のさまにすこしかなはず、てにをはのはこびを、こまかに味ふべし、歌ぬしの心、もし其意ならば、「あふまでとをしき命を思ひしは、といひてよろしき也、ともじとをもじとを思ふべし、をしきといふ詞も、今は惜きにて、悔しといふにかけ合べし、然るをあふまでの命もがなといひては、たゞいかにもして、あふまではながらへむと願ふ意なるをや、
 
    二條院の御時曉かへりなむとする戀といふことを   其院讃岐
明ぬれどまだきぬ/”\になりやらで人の袖をもぬらしつるかな
 
    題しらず               西行
面影の忘らるまじきわかれかななごりを人の月にとゞめて
  人のといへる詞、いかにぞや聞ゆ、袖のとあらば、難なく、心も深かるべし、其故は、袖の月といへば、涙にうつれる月なるが、その月をとゞめてといへば、いつまでも涙のかわかぬ意もこもれば也、
 
    後朝戀                攝政
又もこむ秋をたのむの雁だにも鳴てぞかへる春のあけぼの
  めでたし、だにもといへるにて、戀の哥になる也、たのむは、頼むに田面をかねたり、一首の意は、春の曙に、又來む秋を頼みて別(126)るゝ、田面の鴈すら、かなしとて鳴て歸るものを、まして又いつ逢むといふ頼みなき此わかれはとなり、さて此御歌は、すなはち春の曙に別るゝをりしも、歸る鴈の聲をきゝてよみたる意に見ば、下句のさまいよ/\感情深かるべし、
 
    題しらず               藤原知家
これも又長きわかれになりやせむ暮をまつべき命ならねば
  これもは、此今朝の別も也、又とは、此別がやがて又ながき別にもなりやせむといふ意なり、
                                                               西行
有明はおもひ出あれやよこ雲のたゞよはれつるしのゝめの空
  四の句は、横雲の縁に、たゞよはれといへるにて、意はやすらはれつる意なるべし、此哥三の句より下は、はやく有し事にて、初二句は、それを今有明の空に思ひ出たる意なるべし、
 
    西行法師人々によませける百首哥に   定家朝臣
あぢきなくつらき嵐の聲もうしなど夕暮にまちならひけん
  初句は、三の句の次へうつして心得べし、一首の意は、まつ人の來ぬ夕暮には、嵐の音まで、つらくうきにつけて、我は何とてあぢきなくかやうに人をまちならひつることぞとなり、つらき嵐といひて、又うしとは、わづらはしきいひざま也、すべてあぢきなくといふは、俗言に、いらざること、無益のことといふ意也、此哥にては、とてもきもせぬ人をまつは、いらざるむやくのことといへる也、下句を古き抄に、いかなる人の、夕にはまちならひけむといへるは、ひがことなり、
 
    恋御哥とて              太上天皇御製
たのめずは人をまつちの山なりとねなまし物をいさよひの月
  三の句とは、ともの意也、結句は、やすらひてねぬことを、山の縁に、いさよひの月とよませ玉へるなり、
 
    水無瀬戀十五首哥合に夕戀       攝政
何故と思ひもいれぬゆふべだにまち出しものを山の端の月
  待出しとは、此歌にては、わざと月をまちて出たるにはあらず、物おもひて、ながめをするほどに、月の出たるをいふ、一首の意は、何故とさして思ひいれたる事もなかりしほどだに、おのづから月の出るまで、ながめはせし物を、まして今は、思ひ入たる戀に、あけくれながめのみして、月の出るを見ぬ夕暮もなしと也、
 
    寄風戀                宮内卿
きくやいかにうはの空なる風だにもまつに音するならひ有とは
(127)  めでたし、下句詞めでたし、聞やいかにとは、云々のならひ有といふことをば、聞及び玉へりやといふに、其風の音を聞ことをもかねたり、うはの空なるは、俗言にいふと同じ意にて、何の心も情もなき風といふことにて、空をふく縁の詞なり、まつに音するは、松の梢に音するを、人待ところには音づるゝことにとれり、契冲云、此發句、人をことわりにいひつむるやうにて、女の哥には、殊にいかにぞやある也、きくや君といはゞ、まさらむと申す人侍きといへり、まことにいかには少しいひ過して聞ゆる也、
 
    題しらず               八條院高倉
いかゞふく身にしむ色のかはるかなたのむるくれの松風の聲
  後拾遺、「松風は色やみどりに吹つらむ物思ふ人の身にぞしみける、といへる哥によりて、松風はもとより物思ふ人の身にしむ物なるが、たのめたる暮には、又常よりもまさりて身にしむとなり、しむの縁に色といひて、かはるとは、色の常よりも深くなるなり、いかゞふくとは、いかやうにふくことぞといふ意なり、たのむるは、たのめしとあらまほし、此哥、初句のくもじと、二の句のむもじと重なりて、詞がらのびやかならず、すべてくすつぬふむゆるのもじ、かやうに重なる時は聞よからず、
 
                       長明
たのめおく人もながらの山にだにさよふけぬれば松風の聲
  だにといへるにて、戀の哥となれり、我はましてたのめおきたる人のあれば、まつ心のせつなることを、思ひやれとの意なり、さよふけぬればとは、夜のふくるまで、まつ人の來ぬにつけていへる意なり、松風は、例の待意にとれる也、さて松風の聲とゝぢめたるは、此集のころのさまなれども、これは我(カ)待(ツ)ことのなぞらへにいへるなれば、松風ぞふくとあらまほしきなり、聲といひては、よその事のなぞらへのやうにきこゆ、
 
                       秀能
今こむとたのめしことをわすれずは此夕暮の月やまつらむ
  本歌「今こむといひしばかりに長月の云々、こゝの哥は、本歌をうちかへして、こなたよりたのめおきしことゝ聞ゆ、さるはちかきほどに參らむとたのめおきつれども、さはり有て、えゆかぬにつきて、こよひなどは、其人の必我を月出ば來むとまちて、月の出るをまちやすらむと、おもひやれる也、又結句は、「月まつと人にはいひて云々の意によりて、たゞに我をまちやすらんの意にもあるべし、たのめしを、あなたよりたのめたるにしては、下句おだやかならず、
 
(128)    待戀              式子内親王
君まつと閨へもいらぬ槇の戸にいたくなふけそ山の端の月
  本哥「君こずはねやへもいらじ云々、「云々槇の板戸もさゝずねにけり、或抄に、「足引の山より出る月まつと云々を本哥にてよめりといへるは、かなはず、此山端の月は、入かたの月なれば也、
 
    戀のうたとて             西行
たのめぬに君くやとまつよひの間の更ゆかでたゞ明なましかば
  三の句以下は、更行ことなく、よひの間のまゝにて、早く明たらばといふ意にて、其下へ、うれしからむといふ意をふくめたる格なり、うれしからむと思ふゆゑは、たのめもせぬ人なれば、とても來ることは有まじきに、來や/\と夜ふくる迄かやうに待んことは、いとくるしかるべきに、早く明たらば、得心のやむべければ、うれしかるべきなり、此歌、戀の情にあらず、趣意のよろしからぬ哥なり、
                                                               定家朝臣
歸るさの物とや人のながむらんまつよながらのあり明の月
  めでたし、我はまつ夜ながらに、むなしく明ゆく此有明の月を、よその人は、思ふ人に逢て、かへるさのものとや見るらむと、うらやみたる也、或抄に、有明の月のかなしさは、別れてかへるさの物とばかりや、人の思ふらん、といへるは、二三の句の詞にかなはず、
 
    攝政家百首哥合に契戀         慈圓大僧正
たゞたのめたとへば人のいつはりをかさねてこそは又もうらみめ
  たゞたのめは、とやかくと疑はず、たゞひたすらに我(ガ)いふことをたのめと、契る人にいふ也、たとへばといふは、いまだ其事のなき時に、もししか/\の事あらむに、といふ時につかふ言也、此つかひざま、此ころの物には、たゞの文にもをり/\見えたり、此哥にては、いまだ偽を重ねはせざるに、もし此後いつはりのかさなる事あらば、其時にこそといふ意也、人は、こゝにては、我をいふ、かなたのうへよりいへば、我は人なり、結句は、又とは、上のかさねてといふにかけ合はせたり、然れば此哥は、人の恨むるにつきていへる意にて、今までの事は、ともかくもあれ、今より後は、たゞ我を頼み玉へ、此うへ我(ガ)僞(リ)の重なりたらむにこそ、又も恨み玉はめといへるなり、或抄に、たとへばを、たとへば人に僞有とも、まづたゞたのめと注したるは、かなはず、
 
    題しらず               小侍從
つらきをもうらみぬ我にならふなようき身をしらぬ人も社あれ
(129)  我こそ、わがうき身のとがに思ひなして、君がつらきをも恨みね、その恨みざるにならひて、よきことゝ思ひて、人につらくあたり給ふなよ、人は我ごとくには、おもひなだめぬこともあらむにとなり、うき身をしらぬとは、我はうき身なれはといふことをわきまへぬをいふ、
 
                       殷富門院大輔
何かいとふよもながらへじさのみやはうきにたへたる命なるべき
  めでたし、人のつれなきまゝに、死なはやと思ふにつきて、又思ひかへして、さやうに何かは我身をいとはむ、かばかり人のうきには、堪て長くはえあるまじき我命なれば、いとはずとても、よもながらへはせじ物をと也、或抄に、初句を、何かは我をいとひ給ふと、つれなき人にいふ意なり、と注せるは、たがへり、さては命といへることつたなし、我身などこそあるべけれ、命といひては、我命を人のいとふ意になるをや、
 
                       西行
身をしれば人のとがとも思はぬにうらみがほにもぬるゝ袖かな
  かこちがほなるわが涙かなといへる歌と、同じさまなり、
 
    女につかはしける           俊成卿
よしさらば後の世とだにたのめおけつらきにたへぬ身とも社なれ
  めでたし、我は、君がつらきにえ堪ずて、死ぬることもあるべければ、よしや此世にてはつれなくとも、さらば後の世に逢んとだに、契りおけとなり、
 
    かへし                定家朝臣母
たのめおかむたゞさばかりを契りにてうきよの中の夢になしてよ
  めでたし、然らば後の世を契りおくべきほどに、たゞそればかりを、此世にての縁にはして、今迄逢見し事は、夢に思ひなして、今逢がたきことを恨み玉ふなとなり、契は、俗にいふ縁の意也、さてたゞ世の事をもうき世といひて、うきといふにはさのみ意なきも、つねのことなるを、此哥のうき世は、うきといふことはたらきたり、此哥によりてみれば、思ひながら、逢事のなりがたかりし中と聞えてあはれ也、
 
  戀歌四
 
    題しらす               後徳大寺左大臣
うき人の月は何ぞのゆかりぞとおもひながらもうちながめつゝ
  めでたし、二三の句詞めでたし、何ぞのは、何のにて、月はうき人の何のゆかりぞ、なにのゆかりにてもなきにとは思ひながらも、うちながめつゝ、かこたるゝことよと也、
                                       
                       西行
(130)月のみやうはの空なるかたみにて思ひもいではこゝろかよはむ
  月は、うはの空なる形見にて、さてたがひに思ひ出たらむ時に、心の通はむ形見は、其月のみにやあらんといふ意なり、にてといふに心をつくべき哥也、
 
くまもなきをりしも人を思ひ出て心と月をやつしつるかな
 
                       八條院高倉
くもれかしながむるからにかなしきは月におぼゆる人のおも影
  下句詞めでたし、
 
    百首御哥の中に            太上天皇御製
わすらるゝ身をしる袖のむら雨につれなく山の月は出けり
  下句は、むら雨には、空かきくもりて、月は見えぬ物なるに、わが袖の村雨には、さはらず、さりげもなく出たると也、つれなくとあるに、我袖の涙を、あはれともおもはず、しらずがほに出たる月をもかこつ意あり、
 
    千五百番哥合に            攝政
めぐりあはむかぎりはいつとしらねども月なへだてそよそのうき雲
  「わするなよ程は雲ゐになりぬとも云々、結句は、我ならぬ人にあふたとへなり、うき雲といふも用ありて聞ゆ、さて四の句は、こと人にあひて、我中のさはりとなるなといふ意にて、下句は、落着はこと人になあひそといふ意也、
 
我なみだもとめて袖にやどれ月さりとて人の影は見えねど
  下句詞めでたし、「さりとて人にそはぬ物ゆゑ、「さりとて人のしらぬ物故、二三の句いうならず、
 
                       權中納言公經
戀わぶる涙や空にくもるらむひかりもかはるねやの月かげ
  光もとは、人の契のかはりたる意を聞せたる也、光と影とはいかゞ、
 
                       通光卿
いくめぐり空ゆく月もへだてきぬ契りし中はよその浮雲
  めでたし、詞めでたし、本歌のごとく空行月のめぐりあふ迄と、契りおきしは、よその契りになりて、我との中は、へだゝりて、其月も、いくめぐりか經ぬれども、逢こともなしと也、雲は、月もへだてきぬの縁なり、
                                                               通具卿
今こむと契りし事は夢ながら見し夜にゝたる有明の月
  めでたし、下句詞めでたし、本哥「今こんといひしばかりに云々、とよめる時の意にて、有明の月をまち出て見てよめる意也、かやうに見ざれば、初句の詮なし、夢ながらとは、跡もなく夢の如(131)くになりぬれどもといふ意也、見し夜とは、逢し夜といふ意なるを夢の縁の詞にて、見しといへる也、
                                                               有家朝臣
忘れじといひしばかりの名殘とてその夜の月はめぐりきにけり
  めでたし、「わするなよ程は雲井に云々、此本哥の初句も、わするなよ我も忘れじと、たがひにいへる意こもりたれば、それをとりて、わすれじとゝいひても、たがへることなし、二の句のばかりは、月の所へもひゞきて、おのづからその夜の月ばかりはといふ意に聞ゆ、
 
    題しらす               攝政
思ひ出てよな/\月に尋ねずはまてと契りし中やたえなむ
  初二句は、うちかへして、よな/\月に思ひ出ての意也、月見れば、夜毎に思ひ出るよしなり、よな/\たづぬるにはあらず、此所ようせずはまがひぬべし、尋ぬとは、月を見て、まてといひし人の許へおどろかしやるをいふ、そは月夜には必來べきほどにまてとのたまひしが、こよひはいかに、來給ふべしやとやうに、いひやるなり、さてさやうにをり/\おどろかせばこそ、其人も思ひ出て、とひ來ることもあれ、さもせずは、人はわすれ果て、絶やせむとなり、古き抄に、我は忘れず、よな/\尋ね行て、わすれ給ふなと、たび/\いさめたるよしなりといへるは、すべていとつたなし、よな/\尋ね行てといへる、殊に俗意なり、すべたたゞとぶらふことを、尋ぬるとはいはず、尋ぬとは、たとへばさきだちて行し人の跡をとめてゆくやうの意、或は早く有し事の跡をとめ求るやうの事などにいへり、人を尋ぬといふも、さきにあひし跡を尋ねて行意也、尋の字の義を考て知べし、此哥にては、早く契りおきし跡をたづねて、おどろかしやるなり、
 
                       家隆朝臣
忘るなよ今は心のかはるともなれしその夜のあり明の月
  有明の月を、わするなよといへるにて、然いふがすなはちむかしの契をわするなといふ意也、
                                                               秀能
人ぞうきたのめぬ月はめぐりきて昔忘れぬ蓬生の宿
  初句は、うきものは人也といふ意にて、ぞもじ重し、めぐりきてとは、本哥のめぐりあふまでの詞にて、人は昔の契のかはりたる意をこめたるものなり、
 
    八月十五夜和歌所にて月前戀      攝政
わくらばに待つるよひもふけにけりさやは契りし山のはの月
  初二句は、まれにたま/\こむと契りて待宵も也、四の句は、月(132)の山端にかたぶくまでまてとは契らざりしなり、
                                   .                           有家朝臣
こぬ人をまつとはなくて待よひのふけゆく空の月もうらめし
  月ものももじは、まつとはなくてといふよりを受たり、まつとはなくて待よひにも、更行月はうらめしといへる意なり、或抄に、月もを、來ぬ人のうらめしきをこめたる也と注せるは、かなはず、さてはまつとはなくてといふこと詮なし、
 
                       定家朝臣
松山と契りし人はつれなくて袖こすなみにのこる月影
  めでたし、下句詞めでたし、上句は、「君をおきてあだし心をわがもたば云々、と契りし人はつれなく、其契のかはりて也、四の句は、涙にて、かの本歌の詞也、又「かたみに袖をしぼりつゝの哥をも思はれたるなり、又こす波といふ詞に、契のかはりたるよしをこめたり、結句のこるといへるはたらきたる詞也、契は絶て、月影のみ殘りて、忘られぬつまとなるよしなり、
 
    千五百番哥合に            俊成卿女
ならひこしたが僞もまだしらでまつとせしまの庭のよもぎふ
  めでたし、下句詞いとめでたし、千五百番哥合に、四の句ののもじ、にとあり、さてはこよなくおとれり、上句、ならひこしとは、世のならひとなり來りしといふ意にて、契をたがふる僞は、世のならひになり來りしことなれども、我は其ならはしのたが僞も、いまだしらずして也、まだしらでとは、その僞にいまだあはぬをいふ、下句は、それ故人の契りしことをまことと思ひて、まつとせし間に、はやく人は僞にて、とひも來ずして、かくのごとく庭は蓬生とあれたりと也、「我宿は道もなきまであれにけりつれなき人をまつとせし間に、或抄に、上句を、人はたが僞をならひ來て、いつはりするやらむ、わがならはぬ事なれは、まだしらでと也といへるは、笑ふべし、
 
    經房卿家歌合に久戀          二條院讃岐
跡たえて淺茅が末になりにけりたのめし宿の庭のしら露
  二三の句は、後拾遺に、「物をのみ思ひしほどにはかなくてあさぢが末に世はなりにけり、といふをとりて、庭のあれたるさまをかねて、露も淺ぢが末におくやうになりたりと也、
 
    攝政家百首哥に            寂蓮
こぬ人をおもひ絶たる庭の面の蓬が末ぞまつにまされる
  すべては、「たのめつゝこぬ夜あまたに成ぬればまたじと思ふぞまつにまされる、とあるを本哥として、其歌の意なるを、三四の句は、心得がたし、もしは庭の蓬の、いたく立のびて、松よりも高(133)くなりたる意にいひかけたるにや、もし其意ならばいかゞ、すべて物を甚しくいひなすは、つねのことながら、蓬の松よりも高くなれるとは、あまりなるいひざま也、
 
    題しらす               通光卿
たづねても袖にかくべきかたぞなき深き蓬の露のかごとは
  めでたし、蓬生(ノ)卷に、「尋ねても我こそとはめ道もなく深きよもぎの本のこゝろを、といへる哥をとれり、尋ぬるは、上にいへるごとく、昔の事をもとめ出て、いひ出る也、本歌に、本のこゝろをとあるにても知べし、蓬といふから、露といひ、露といふから、袖にかくべきとはいへるにて、二三の句は、かこち恨むべきかたぞなきといふ意也、深き蓬の露のかごととは、深き蓬生の宿とあれて、露しげきことをいひたてゝ、恨むるをいふ、一首の意は、今は早く通ひし跡もなく、蓬生となれる宿にて、其人はたえてとひもこず、たよりも絶ぬれば、昔の契をいひ出て、君がつれなくなれるによりて、かく宿はあれはて侍りぬと、かこち恨むべきやうもなしと也、
 
                       藤原保季朝臣
形見とてほのふみ分し跡もなしこしはむかしの庭のをぎはら
  めでたし、下句詞めでたし、二の句のほのは、三の句へかゝれり、ほのかなる跡もなしの意なり、むかしのは、昔になりしといはむがごとし、一首の意は、人の通ひこしは、昔になりぬる庭の荻原なれば、ふみ分し昔の形見とて、ほのかにのこれる跡だにもなしと也、荻原といへるは、上句に、古歌のより所などある歟、いまだ考へず、もしさることもなくは、蓬生とあらむぞまさるべき、
 
    攝政家百首哥合に           定家朝臣
わすれずはなれし袖もやこほるらむねぬよの床の霜のさむしろ
  床の霜の寒きさむしろに、ひとりねられぬにつけて、思ひやれる意にて、我を忘れずは、馴し人の袖も、此我袖のごとく、こほりやすらむと也、我袖のこほる意は、下句にそなはれり、
                                                               家隆朝臣
風ふかば峯にわかれむ雲をだに有し名殘の形見ともみよ
  上句「風ふけば峯にわかるゝ白雲の、とある古歌の詞によれり、有しなごりは、別れし曉の横雲の名殘也、但し上にいへる、別れむ雲は、よこ雲のことにはあらず、いつにても、風吹て峯に別れむ雲を見ば、それをだに也、だにといへるは、今は逢べきよしもなければ、せめてはそれを見だにせよの意也、名殘のかたみとは、名殘と思ひて、形見とも見よといふ意也、されど何とかや同じことの重なりたるごとく聞ゆ、
 
(134)    百首哥奉りし時         攝政
いはざりき今こむ迄の空の雲月日へだてゝものおもへとは
  いはざりきは、人のいはざりし也、然れどもわがいはざりしやうに聞えていかゞ、二三の句、むつかしきやうなれど、よく聞えて、いとたくみなるいひざま也、そはまづ月日へだててといへるは、月日を經て、久しくあはぬことなるを、それに空なる月日をへだてさふることをかねて、空の雲とはいへる也、雲は月をも日をもへだつる物なれば也、さてそれを今こむまでのといへるは、今近き程に來むとこその玉ひつれ、それ迄のあひだの空の雲に、月日をへだてゝ、待(チ)久しく物思へとはのたまはざりし物をといひかけて、恨むる心なり、さて又雲に物思ふといふよせあり、「夕暮は雲のはたてにものぞ思ふ、などあるごとく、月日を經て、夕暮ごとに待て物思ふ意也、
 
    千五百番哥合に            家隆朝臣
思ひいでよたがかねごとの末ならむきのふの雲の跡のやま風
  詞めでたし、昨日の空とは、風の吹はらひて、消うせて、今日はなき雲をいひて、早くの契の絶たる譬也、跡の山風とは、雲をは昨日吹はらひて、其跡に今も殘りて吹風をいひて、かねごとせし人の、つれなくしらずがほにてあるたとへなり、さてかくいへるは、雲を昨日殘りなく吹はらひたるは、たがしわざにもあらず、此山風のしわざなるぞ、といふ意をいはん料也、一首の意は、昨日の雲の跡にふく山風につけても、はやくのかねごとをおぼし出て、我かく物思ひするを、あはれとおぼせ、今かく絶はてたる契は、たがかね言の未にて侍るぞ、君がかねごとの末にては侍らずやといひて、とがめたる也、かねごとの末とは、かねて契りおきつる事の行末をいひて、此哥にては、其人のかね言の末とほらずして、今契りの絶たる所をさしていへり、千五百番哥合顯昭判に、源氏物語に、「見し人の煙を雲とながむれば夕の空もむつましき哉、もし此哥の心歟といへれど、さらによせ有とも聞えず、
 
    題しらず               西行
うとくなる人を何とて恨むらむしられずしらぬをりも有しを
 
今ぞしる思ひ出よと契りしはわすれんとてのなさけなりけり
  思ひ出るは、忘れたるうへのこと也、もし忘らるゝことなければ、常に思ふなれば、思ひ出るといふことはなき故に、かくはよめり、此歌の趣にては、二の句、思ひ出むとゝいはでは聞えず、出よにてはたがへり、
 
   建仁元年三月歌合に逢不遇戀       土御門内大臣
(135)逢見しは昔がたりのうつゝにてそのかねごとを夢になせとや
  めでたし、詞めでたし、逢見しことは、昔語になりて、今はなごりもなけれど、それは猶うつゝにてありし物を、其時のかねごとをば、夢になせとにやとなり、二三の句、たゞうつゝといひては、今も逢見ることのあるごとく聞ゆるを、むかしがたりのうつゝといへる、おもしろし、
 
                       權中納言公經
あはれなる心のやみのゆかりとも見し夜の夢を誰かさだめむ
  めでたし、詞めでたし、下句の詞殊にめでたし、「君やこし我や行けむ云々、かへし「かきくらす心のやみに云々、此二首をとれり、あはれなる心は、人をあはれと思ふ心也、夢を、心のやみのゆかりといふは、まづ逢と見る夢は、あはれとおもふ心から見れば、心のゆかり也、さて夢は、よる見る物なれば、闇のゆかり也、四の句は、一夜逢見し事也、結句は、本哥には、世人定めよとあれども、此夢を、わが人をあはれと思ふ心のやみのゆかりぞとは、誰か定めむといへるにて、落着は、わがかく深く思ふ心のやみを、思ふ人のおしはかりて、またあへかしと願へども、人はさもあらじと、歎きたる意也、見し夜の夢を定むるは、本哥に、夢うつゝとはこよひ定めよとあるを以て、又逢事にとれるにて、心のやみのゆかりと定むるは、人のわが深く思ふ心をおしはかりて、又逢をいへり、
                                                               通具卿
契りきやあかぬ別に露おきしあかつきばかり形見なれとは
  露おきし云々とは、別れし時の涙の如く、今も曉ごとに袖をぬらすそればかりが形見にてあれとは、契らざりし物をと也、おきしといへる詞、形見に殘しおきし縁有、
 
                       寂蓮
恨みわびまたじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮のそら
  めでたし、下句詞めでたし、上句、恨みわびぬれば、今は待まじき身なれどもの意なり、二の句、今はまたじを、打かへしていへる也、すべて詞を、あるべきまゝにいひくだしてよきと、下上にうちかへしていひてまさるとのけぢめあり、心得置べし、四の句、待なれにしといふ意なるを、思ひなれにしといへるは、待といふこと、上にある故に、詞をかへていへて、上なる待を、こゝへもひゞかせて聞せたる格也、此格もつねに有こと也、心得おくべし、下句は、待なれたる夕暮なれば、今もまたずにはえあらずといふ意なり、
                                                               宜秋門院丹後
(136)忘れじの言の葉いかになりにけむたのめし暮は秋風ぞふく
  めでたし、下句詞めでたし、二三の句、秋風のふけば、木葉はちりうする物故にいへり、秋かぜは、人のこゝろに秋の來て、とひこぬよしなり、
 
    家の百首哥合に            攝政
思ひかねうちぬるよひも有なましふきだにすさべ庭の松風
  めでたし、初句は、まちわびての意なるを、下にまつかぜとある故に、例の詞をかへたる也、四の句は、吹ゆるびだにせよなり、庭の松風の音に、しきりに待心をもよほす故に、ねられもせぬよしなり、
                                                               有家朝臣
さらでだに恨みむと思ふわぎも子が衣のすそに秋風ぞふく
  「わぎも子が衣のすそを吹かへし云々の哥をとりて、裾を風の吹かへせば、裏の見ゆるを、恨みといふにとれる也、此哥、詞のうへのたくみのみにて、情はなし、ついでにいふ、この本哥の初句、わがせことある本はわろし、
 
    題しらず               式子内親王
今はたゞ心の外にきくものをしらずがほなるをぎのうは風
  二三の句、こぬまでも人のまたれしころは、夕暮の荻の上風につけても、心をいためしかども、今は來ぬものになり果て、待るゝ思ひもなければ、たゞ心の外に聞物をと也、しらずがほなるとは、さとはしらずがほに、今も猶むかしのまゝにふく事よ、といふ意なり、
 
    家の哥合に              攝政
いつもきく物とや人の思ふらむこぬ夕暮のまつかぜのこゑ
  めでたし、こぬ夕暮の松風のこゑは、殊にいつよりも身にしみて、かなしき物を、といふ意をふくめたる哥也、六百番哥合判に、こぬ夕暮、何のこぬとも聞えずや、とあるはいかゞ、上に人とある、其人の來ぬなること、あらはなる物をや、
 
    和歌所歌合に逢不遇戀         寂蓮
里はあれぬむなしき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞふく
  下句詞めでたし、「手枕のすきまの風も寒かりき身はならはしの物にぞ有ける、此本哥の意は、逢し夜は、たがひの手枕のすきまの風だに、寒く覺えしを、今はひとりねのみするに、さてもねらるゝを思へば、身はならはしの物にて有けりといへる也、こゝの下句は、それをとりて、逢事も今は絶て、ひとりねのみするころの秋風なり、さて初句は、里はあれてと有べきを、あれぬといへるは、床のあたりまで、秋風の吹ばかりにあれぬといふ意なる(137)べく、又てにては、三の句のまでのでと重りて、少し調べもよろしからぬ故なるべけれど、あれぬといひて、秋風ぞふくとゝぢめては、詞かけあはずいかゞ、かやうにいひ切て、はもじを重ぬること、「秋は來ぬ紅葉は宿にふりしきぬ云々など、一ッの格なれど、それとは、此歌はやうかはれるをや、
 
    水無瀬戀十五首哥合に         太上天皇御製
里はあれぬ尾上の宮のおのづから待こしよひも昔なりけり
  万葉廿、「高圓の野のうへの宮はあれにけり云々、又「高圓のをのへの宮はあれぬとも云々、これらをとらせ給ひて、此御哥にては、尾上の宮は用なけれど、里はあれぬとあるちなみに、此名を出して、おのづからと詞をかさねさせ給へる物なり、さて此おのづからは、たまさかにまれにといふ意也、上にもいへるが如し、
 
                       有家朝臣
物おもはでたゞ大かたの露にだにぬるればぬるゝ秋のたもとを
  めでたし、下句詞めでたし、下句、秋の袂は、ぬるればぬるゝ物をといふ意にて、まして我袖は物思へば也、
                                                               雅經
草枕むすびさだめむかたしらずならはぬ野べの夢のかよひ路
  上句は、本哥「よひ/\に枕さだめむかたもなしいかにねし夜か夢に見えけむ、とある四の句は、いづ方にいかに枕をして寐たりし夜かといへる意也、こゝの意は、今までねならはず、方角もしらぬ野べなれば、枕を定むべき方もしられずと也、結句は、故郷の夢を見まほしく思ひての哥なれば也、通路、野べによし有、哥のおもては、たゞ旅宿の意なれ共、本哥によりて戀にはなる也、三の句いうならず、
 
    和哥所歌合に深山戀          家隆朝臣
さても猶とはれぬ秋のゆふは山雲ふく風もみねに見ゆらむ
  めでたし、二三の句詞めでたし、二の句、秋といへるは、雲吹凰によし有、又人のあきの意也、四の句は、雲を風のふけば、なびく意なり、峯にといへる、見ゆらむによし有、一首の意は、ゆふは山の秋の夕暮に、風の雲を吹て、なびくけしきも見ゆらむ物を、つれなき人は、さても猶なびかずして、とひもこぬとなり、
 
                       秀能
思ひいる深き心のたより迄見しはそれともなき山路かな
  いとゝきがたき歌也、されどこゝろみにいはゞ、心のたよりとは、わが思ひ入たる、深き心のほどは、たとふべき物もなきを、此み山の深きことは、我心の程をたとふべきたよりと迄、かねては(138)見しといふ意にて、さて分入て見れば、此山路も、さらに我心の深きには及はず、さしもなきことよといふ意也、たよりまでとは、たよりと迄の意にて、までは、それほどにまで深き山路と見しといふ意也、或注の説も、此考へと大抵は同じ、されどたよりまでといへる詞の説、たしかならず、又一ッには、み山のおくにすめる人を思ひてよめる意にて、たよりとは、心の行通ふをいひて、それともなきといふへかゝれり、たよりまでそれともなき也、見しはそれともなきとは、早く逢見し人は、心かはりて、昔の如くにもあらず、さるから我心のたよりまで、昔のことくにはあらずなりぬる也、然いふ意は、いまだ人の心かはらで、逢見しころは、我思ひいりぬる心も、たゞ一すぢに戀しとのみ思ひしを、今は恨めしと思ふ心もそひて、昔のごとくにはあらざる也、又、一ッには、「つくは山葉山しげ山云々、といふ哥の下句をとりて、はじめは、思ひいるにはさはらざりしを、今は思ひいるたより迄さはりて、むかしのやうにもあらず、といへるにもあらんか、なほ外に本哥などあるか、よく考ふべし、入といひ、深きといふは、山の縁、たよりも、山路の路に縁あり、或抄に、ふじのねのけぶりも猶ぞ立のぼるうへなき物はおもひなりけり、といふ哥と同じ意なりといへるは、はじめにいへる意か、
 
    千五百番哥合に            通具卿
言の葉のうつりし秋も過ぬれば我身しぐれとふる涙かな
  「今はとて我身しぐれとふりぬればことの葉さへにうつろひにけり、といふ哥をとれり、然るにたゞ涙をいへるのみにて、其外は本歌にさのみかはることもなきは、いかにぞや、そのうへ秋も過ぬればしぐれとふるといふこと、時節の次第はさることなれども、たとへたる戀の意のかたは、過ぬれはといへるは、なにのよしぞや、上句「言の葉もうつろふ人の秋ふけて、などこそあらまほしけれ、
 
                       定家朝臣
消わびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしのもりの下露
  いとめでたし、詞いとめでたし、本哥六帖に、「人しれぬ思ひするがの國にこそ身をこがらしの杜は有けれ、初句は、露の縁語にて、思ひきえてわびしき意なり、
 
    攝政家哥合に             寂蓮
こぬ人を秋のけしきやふけぬらんうらみによわるまつ虫の聲
  初句のをもじ、六百番哥合には、のとあり、のなればこともなし、をとは、此集に改めて入られたるにや、をにては、四の句へかゝれり、こぬ人を秋とはつゞかず、此哥は、やといひ、らんといへ(139)る、たゞ松虫のうへをのみよめるになりて、おのが戀の意をよそへたるにはなりがたし、いかゞ、松虫の聲もなどゝ、もゝじを加ふれば、戀の哥になれども、ももじを置べき所なければ、せんかたなし、
 
    戀の哥とて              慈圓大僧正
我戀は庭のむら萩うら枯て人をも身をも秋の夕暮
  此哥は、いかに思ひめぐらしても、心得がたし、其故は、下句秋といふを、あく心にとらざれば、二ッのをもといふ詞、落着なし、然るに身をあくといふは、さることなれども、人をもあくといふこと、戀の哥に、あるべくもあらざれば也、しかれば三の句のてもじは、もしはぬを誤れるにはあらざるにや、されど拾玉集にも、てとある也、もしぬとせば、うらがれぬは、恨むといふ意にて、人をも身をも恨むる秋のゆふくれと、句をうちかへして見る也、一首の意は、秋の夕暮に、うらがれたる庭の萩をながめて思へらく、我戀は、あのむら萩のごとく、かれぬる中なれば、人をも身をも恨みしをれたりといへる也、三の句、契のかれたる意と、うらむる意とをかねたるべし、万葉十一に、「わがせ子にわが戀をれば我やどの草さへおもひうらがれにけり、或抄に、人をも身をもとは、よし/\人を恨みじ、身をも恨みじ、といふ意也といへるは、いかゞ、うらみじといふ意は、いづくにあるにか、
 
    被忘戀                太上天皇御製
袖の霞もあらぬ色にぞ消かへるうつればかはるなげきせしまに
  四の句は、人の心のかはれるをのたまへり、二三の句は、あらぬ色にかはりてぞ消かへる也、下なるかはるを、こゝへもひゞかせて聞べし、さて消るは、露の縁にて、思ひきゆること、かへるは、消ることをつよくいへる詞なり、古き抄に、もと置しはきえて、さらにおくこと也といへるは、いふにたらず、
                                                               定家朝臣
むせぶともしらじな心かはら屋に我のみけたぬしたのけぶりは
  かはら屋は、瓦をやく屋也、人の心のかはれるにいひかけたり、我のみとは、人は心かはれる故にいへり、後拾遺に、「我心かはらむ物か瓦屋の下たくけぶりしたむせびつゝ、
                                                               家隆朝臣
しられじな同じ袖にはかよふともたが夕暮とたのむ秋風
  おなじ袖とは、むかしも今も同じ一ッの我袖にて、人の契のかはれるにむかへて、我思ふ心の、昔にかはらず、同じき意をこめたり、かよふともは通ふといふことをもの意也、此所よくせずはまぎれぬべし、下句は、思ふ人の、今は我にはうとくなりて、よ(140)その人を頼みて、まつ夕暮の秋風といふ意にて、秋といふに、我方の契のかはりしことをもたせたり、一首の意は、此秋風は、むかし逢見し時の、同じ袖に今も通ひて、我は昔と同じく、戀しく思へば、身にしむ物を、思ふ人は、かくともしらじな、心かはりて、よその人を頼みて、まつ夕ぐれなればといふ意也、此哥、たがといふ事いかゞ、或抄に、たが夕暮と頼むぞやと注したり、よみぬしの意は、さも有べけれど、さては上句とかけ合がたし、これは必よその夕暮といはではかなはぬ哥なるを、さはいひがたきゆゑに、たがといひて、まぎらはしおきたる物也、又或抄に、同じ袖を、其人の袖にも、我袖にも、といへるはひがこと也、
 
                       俊成卿女
露はらふ寐覺は秋の昔にて見はてぬ夢にのこるおも影
いとめでたし、詞めでたし、露はらふは涙にて、露といへるは、秋の縁なり、秋の昔とは、秋は人にあかれたる今のことにて、其今よりいへは、いまだ人のかはらで、逢見しことは、昔なるよしなり、然らばたゞむかしにてとのみいひてもよかるべきに、秋のといへるは、いかにといふに、此哥にては、秋のといふことなくては、逢見し事は昔にて、今はあかれたる意、あらはれがたければ也、一首の意は、人にあかれ忘られたるころ、夢に又逢と見たるが、見はてもせず、早くさめたる時によめる意にて、其夢さめたれば、もとのあかれたる時にて、夢に見たる逢事は、昔のことにて、たゞ其夢の面影のみ殘りて、涙をながすとなり、此哥を、契冲が、女の哥めかずといへるは、いと心得ず、【後撰「はらふばかりの露や何なり、古今「見はてぬ夢の覺る也けり、】
 
    攝政家百首哥合に尋戀         慈圓大僧正
心こそ行へもしらねみわの山すぎのこずゑの夕暮の空
  本哥「わが庵ほ三輪の山本云々、上二句は、人の心の外へうつり行て、いかになれるもしられぬをいふ、心こそといへるてにをはは、やどをば尋ね來つれども、心はいかになれりとも、ゆくへしらぬよし也、三の句より下は、夕暮に其宿へ尋ねきたる意也、又は一二の句は、「我戀は行へもしらず云々をもとり合せて、あふをかぎりと思ひて、尋ね來たれども、人の心こそ、ゆくへもしらず成ぬれ、といへるにも有べし、さやうに見る時は、こその意かはるべし、本哥には、我戀は行へもしらずとあるを、是は人の心こそ也、
 
    百首哥の中に             式子内親王
さりともと待し月日ぞうつり行心の花の色にまかせて
  本哥「色見えでうつろふ物は云々、二の句ぞもじ、もといふべき(141)所なれども、もうつりゆくといひては、しらべいといやしくなる故に、ぞとよみ給へる也、下句は、人の心の花の色のうつろふまゝにといふ意也、
 
いきてよも明日迄人はつらからじ此夕暮をとはゞとへかし
  いとめでたし、詞めでたし、上句は、人のつらきに堪がたければ、明日迄もえいきたるまじければ、此世に在て、人をつらしと思ふも、今日かぎりなるべしといふ意也、然るをあすまで人はつらからじ、とよみ給へる詞のはたらき、いはんかたなし、下句は、とはむとならば、此夕暮にとへかし也、或抄に、上句を心得かねて、わが思ひのせつなるは、人もやう/\見しるべきほどに、明日迄はつれなからじといへるは、いみしきひがこと也、さてはいきてといへる、何の用ぞや、又下句にもかけあひがたし、此哥、いきてといふ詞、少しいうならず聞ゆれば、ありてとあるべきなれども、さては少したしかならざる故に、いきてとよみ給へるなるべし、
 
    曉戀                 慈圓大僧正
曉の涙や杢にたぐふらむ袖におちくるかねの音かな
 
    千五百番哥合に            權中納言公經
つく/”\とおもひあかしの浦ちどり波の枕になく/\ぞきく
  明石卷「ひとりねは君もしりぬやつれ/”\と思ひあかしのうらさびしさを、波の枕とは、涙のかゝるよしなるべけれど、三の句以下、何とかや旅泊めきて、戀の哥とも聞えず、
 
                       定家朝臣
尋ね見るつらき心のおくの海よしほひのかたのいふかひもなし
  めでたし、詞めでたし、上句は、しのぶ山しのびて通ふ道もがな云々の意、おくの海は、万葉三に、飫《オウノ》海とあるは、四の卷にも同人の哥に、飫宇能《オウノ》海とあると同じくて、出雲國の意宇《オウ》(ノ)郡の海なるを、宇の落たる也、然るを飫(ノ)字は、よくの音なる故に、昔誤りて、おくとよめる本の有しによりて、かくはよみ給へるなるべし、下句は、須磨卷に「いせしまやしほひのかたにあさりてもいふかひなきは我身なりけり、
 
    水無瀬戀十五首哥合に         雅經
みし人の面影とめよ清見がた神にせきもる浪のかよひぢ
  詞めでたし、とめよは、關の縁の詞、四の句は、袖の涙を波といひて、清見がたの、縁に、關もるとはいへるにて、畢竟はたゞ袖の涙也、通ぢといへるは、關といひとめよといへる縁なれ共、哥の意に用なくていかゞ、拾遺に「むねは富士そでは清見が關なれやけぶりも波もたゝぬ日ぞなき、
 
(142)                    俊成卿女
ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待とせしまに
  めでたし、本哥「秋かけていひしながらもあらなくに云々、初二句は、袖に時雨はふりにけりの意なり、ふりは、本哥の四の句の詞にて、本哥には、木葉ふりしくとあるを、袖にしぐれのふるにかへたる也、秋かけていひしは、本哥のごとく、秋と契りしことなり、一首の意は、秋と契りしが、むなしく秋も過て、時雨はふりにけりにて、其しぐれは涙をいへり、
 
かよひこし宿の道芝かれ/”\に跡なき霜のむすぼゝれつゝ
  三の句は、人のかれ/”\なるをかねて、跡なきは、其人の通ふ跡のなき也、
 
  戀歌五
 
    水無瀬戀十五首哥合に        定家朝臣
白たへの袖の別に露おちて身にしむ色の秋風ぞふく
  めでたし、詞めでたし、初二句は、万葉の詞也、三の句は、涙なるを、露といへるは、秋風の縁なり、四の句は、紅の涙をいふ、身にしむとは、秋風の身にしむかたをかねたり、六帖に「吹くれば身にもしみける秋風を色なき物とおもひける哉、下句の意は、紅の涙の落るをふく風なる故に、風の色の身にしむ色に見ゆるよし也、落花の哥に、嵐も白しなどよめるは、さることなるを、戀の哥に、かく風の気色を、たくみによまれたるは、あはれなる情はなく聞ゆ、
 
                      家隆朝臣
思ひいる身は深草の秋の露たのめし末や木がらしの風
  めでたし、上句詞めでたし、深草といへるは、伊勢物語の、深草の女の意か、又思ひいることの深きよしをもかねたるべし、三の句は、我身は草葉の露のごとく、はかなくきえぬべしといへる也、たのめし末とは、かねてたのめおきしごとくにもあらず、心のかはりたる所をいふ、さてやとうたがひたるは、たのめし末が木枯の風歟といへるなり、草の露を消しむるものは風なれば也、
 
                      慈圓大僧正
野べの露は色もなくてやこぼれつる袖より過る荻のうはかぜ
  初句、例のもじあまり聞ぐるし、袖は、例の紅の涙のかゝる袖なるを、さはいはで、初二句にて、それと聞せたるもの也、一首の意は、我此袖の紅の涙を吹こぼして、過てゆく、荻の上風は、野べ迄もふき行つらんを、その野べの露は、我袖の涙のごとくなる色はなく、たゞよのつねの色の露にてこぼれたるか、いかゞあらん(143)と也、より過るといへる詞にて、野べゝ吹行(ク)意聞えたり、荻の上風としもいへるは、音のかなしき物なれば也、此哥、事をたくみてよめるのみにて、戀のあはれなる情はなきうたなり、
 
    題しらす              通具卿
とへかしな尾花がもとのおもひ草しをるゝ野べの露はいかにと
  詞めでたし、
 
                      寂蓮
なみだ川身もうきぬべきねざめ哉なごりばかりに
  下句に川の縁あらまほし、
 
    百首哥奉りしに           家隆朝臣
逢と見てことぞともなく明にけりはかなの夢の忘れがたみや
  下句詞めでたし、忘れがたみとは、即夢をいへるなり、夢は昔あひし時の形見なれば也、或抄に、夢の面影をかたみとする意なるべしといへるは、かなはず、もし其意ならば、二三の句を「しばしは殘る面影も、などあらでは、さは聞えがたし、
 
    千五百番哥合に           俊成卿
哀れなりうたゝねにのみ見し夢のながき思ひにむすぼゝれなむ
  初句いうならず、結句むすぼゝれなむことは、あはれ也と、上へかへる意なるべけれど、何とかや拍子のたがひたる心ちす、二三の句は、はかなく逢見しことをいへり、のみは、たゞうたゝねに見しばかりのといふ意也、されど此のみてふ言、見しの上にある故に、いつも/\うたゝねにのみ見しといへるやうに聞えて、いかゞ、其意にては、下句にかけ合あしき哥なり、
 
    題しらす              定家朝臣
かきやりし其黒髪のすぢごとに打ふすほどはおも影ぞたつ
  めでたし、初二句は、ともに来し夜、かきやりし女のかみなり、黒髪をいへるは、すぢごとにと面影とのよせ也、すぢごとにとは、くはしくこまかにといふ意、打ふすほどゝは、今もうちふす時にはといふ意也、其女の面影の、くはしくこまかに見ゆるよしなり、
 
    和歌所哥合に遇不逢戀        俊成卿女
夢かとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつゝならねば
  めでたし、四の句迄詞めでたし、結句は、今は面影も見ることなく、契りし事も跡なくなりぬるをいふ、さて此哥にては、面影は常にいふとはいさゝかかはりて、其人の顔姿をいふなり、
 
    戀のうたとて            式子内親王
はかなくぞしらぬ命を歎きこし我かねごとのかゝりける世に
  下句詞めでたし、上句は、人のかねごとの末のしられぬことをば(144)思はずして、たゞわが命の程のしりがたきことをのみなげきこしは、はかなかりけりと也、結句は、かくのごとくかねごとの末とほらざりける世なるにといふ意也、四の句、わがとあることいかゞ、たゞいたづらなるのみならず、わが人にいひしかねごとのごとく聞ゆるをや、此句、契りの末のなどあらばよけむ、ふるき抄に、わがゝねごとのみこそのこれ、人の契りしことは、跡もなくなりはてたることよと也、といへるは、いみしきしひことなり、
 
                      辨
過にけるよゝの契りも忘られていとふうき身のはてぞはかなき
  過にけるは、契の絶て、昔になれるよしなり、よゝは世々にても、夜々にてもよし、わすられては、今は契の絶ぬることをもおもはずして也、結句、はてとは、今をいふ也、ちぎりのかはりしことを、うらみ/\て、はてには、其事をもおもはず、たゞひたすらうき身をいとふやうになりたる也、然らば四の句、うき身をいとふとあるべきに、いとふうき身のといへるは、我身をいとふやうになりたるうき身のはて、といふこゝろにかねたる也、はかなきとは、いつまでも人をこそうらむべきに、其事をば今は思はで、たゞうき身をいとふは、はかなき事よと也、ふるき抄に、初二句を、生々世々の契といへれど、さては四の句にかけ合がたし、
 
    崇徳院に百首うた奉りしとき     俊成卿
思ひわび見し面影はさておきて戀せざりけむ折ぞ戀しき
  初句、わびといへること、一首の趣にわたりて、殊に力あり、四の句を或抄に、戀といふことせざりしをりといへるは、似たることながらたがへり、これは其人をこひざりし時といふ意なり、けむと疑ひたるいかゞ、これは人のうへをいへるにもあらず、我身の昔のことなれば、けるとこそいふべけれ、又結句のをりもいかゞ、すべてをりとは、たしかにさす事のあるときをいふなれば、戀せしをりとはいふべく、せざりしをりとはいふべからず、こゝはほどとこそあらまほしけれ、
 
新古今集美濃の家づと五の卷
 
  雜哥上
 
    入道前關白家百首哥に立春      俊成卿
年暮しなみだのつらゝとけにけり苔の袖にも春やたつらむ
  とし暮し涙は、年のくるゝを惜みし涙にて、おのづから老後の意もあり、
 
    土御門内大臣家にて山家殘雪     有家朝臣
山陰やさらでは庭に跡もなし春ぞ來にける雪のむらぎえ
  庭の雪のむらぎえたるを、春の來たる跡と見て、それより外には、とひくる人の跡もなきよしなり、春ぞといへるにて、人は來ぬ意有、此哥三四の句、もなしといひて、ぞ來にけるといへる、てにをはのかけ合わろし、二三の句を、「さらでは跡もなき庭に、などやうにあらば、てにをはのかけ合よろしからんを、
 
    近衛づかさにて年久しくなりて後、うへのをのこども大内の花見にまかりけるによめる                   定家朝臣
春をへてみゆきになるゝ花の陰ふりゆく身をも哀れとやおもふ
  めでたし、初二句は、春ごとの行幸に供奉して、なれたるよし也、近衛づかさは、必供奉すること也、三の句、陰なるゝといふによし有、さてみゆきといふに、花の雪をかねて、その緑にふりゆくといひて、我身の昇進もえせで、年のふりゆくにいひかけたり、身をものももじは、わが花の雪とふりゆくをあはれとおもふにつけて、花も又我をあはれとや思ふといふ意なり、「もろともに哀とおもへ山ざくら云々、
 
    最勝寺の櫻はまりのかゝりにて云々  雅經
なれ/\て見しはなごりの春ぞともなどしら川の花のした陰
  詞はめでたし、此なごりは、今俗言にいふなごり也、此詞古はかやうに用ひたるはなかりしを、此集のころより、をり/\見えたり、白川は、最勝寺のある所の名なるを、などしらざりしといふ事にいひかけたる也、されどなどゝいふこと、こゝには正しくはあたらず、正しくいはゞ、なごりの春ぞともしらざりしとあるべき也、そのうへしらざりしといふことを、しら川といひては、詞たらず、しら川にては、しらんといふ意になる也、もし其意かとも思へど、などしらんといひては、此哥はよろしからず、かにかくに是はつたなきいひかけ也、すべて今よむ哥にも、物(ノ)名名所などへしひていひかけむとて、詞をいひまぐること多し、よく心得お(146)くべきことなり、
 
    こもりゐけるころ、後徳大寺(ノ)左大臣しら川の花見にさそひければ、まかりてよみ侍ける                源師光
いさやまだ月日のゆくもしらぬ身は花の春ともけふこそは見れ
  初句のまだは、昨日までは、花の春ともしらざりし意也、されど月日のゆくもまだしらずといへるやうに聞えていかゞ、又としてはいよ/\いかゞ、
 
    世をのがれて後、百首(ノ)哥よみ侍けるに、花のうた  俊成卿
今はわれよし野の山の花をこそやどの物とも見るべかりけれ
  世をのがれたる身なれば、吉野の山にこもり住べき事ぞと也、四の句「我やどの物なりながら云々、
 
    入道前關白家哥合に
春くれば猶この世こそしのばるれいつかはかゝる花を見るべき
  下句、死なば又いつかはかゝる花をば見るべきとおもへば、といふ意なるべけれど、たらぬ詞おほくていかゞ、
 
    同家の百首哥に
てる月も雲のよそにぞ行めぐる花ぞ此世のひかりなりける
 世に月花といへども、月は雲のよそなる物なれば、此世界のひかりは、たゞ花にこそ有けれといへる也、ひかりとは、月にくらべていふ故に、そのよせ也、此哥、上にもぞるといひ、下にもぞけるといへる、てにをはかけ合わろし、舊き抄に、攝政般を花によそへてよめりといへれど、其意はさらになし、
 
    春の比大乘院より人につかはしける  慈圓大僧正
見せばやなしがのからさき麓なるながらの山の春のけしきを
  「心あらむ人に見せばや云々の歌より出たり、二三の句、志賀の辛崎を麓に見るよしなれども、をもじなき故に、さは聞えがたくて、志賀のから崎といふ高山のふもとなるながら山と聞えていかゞ、
 
    題しらず
柴の戸ににほはむ花はさもあらばあれながめてけりな恨めしのみや
  咲る花に心のとまれるを、あるまじきことゝ思ひかへして、花はいかばかりおもしろく咲にほへりとも、さもあらばあれ、世をすてて柴の庵にすむ身の、心をとゞむべきにはあらざるに、はかなくながめてけりなといひて、花に心をとゞめし我身を恨みたる也、上句と下句との間に、何とかや詞たらぬこゝちす、又うら(147)めしの身やといへるも、此歌にはいかゞなるいひさま也、
 
                      西行
世中をおもへばなべてちる花の我身をさてもいづちかもせむ
三の句の下へ、ごとくなりといふ詞をそへ、四の句は、さても我身をとうちかへして心得べし、さてもは、さりとての意也、詞たらずして、とゝのはぬ哥なり、いづちかもせむとは、いづちへ行ていかにかもせむといふ意とは聞えたれど、これも詞たらでとゝのはず、
 
    千五百番歌合に           有家朝臣
春の雨のあまねき御代をたのむ哉霜にかれにし草葉もらすな
  四の句にしを、ゆくと書る本もあり、これは我身をたとへたるにて、次第におとろへゆく意なれば、ゆくもさることなれ共、上句とのかけあひを思ふに、にしにあらざればよろしからず、三の句、かなといへる、近き世の哥ならば、必ぞよといふべし、すべて近き世には、頼むぞよいのるぞよ思ふぞよ歎くぞよなどよむこといと多し、これもといやしげなる詞なれば、此集のころの人は、をさ/\よまぬことにて、此哥もかなとはいへるなり、然れ共此哥は、かなにては、結句の終に、とゝいふ詞をそへざれば、かけ合がたし、されど此集のころには、終におくべきてにをはをはぶき、或は一言二言をも添て心得るやうによめること常也、
 
    五十首歌奉りし時          慈圓大僧正
おのが波に同じ末葉ぞしをれぬる藤さく田子のうらめしの身や
  初句、もじあまり例の聞ぐるし、おのが浪とは、藤は藤波といふ故に、藤のおのが波といふことなれ共、聞えがたし、同じ末葉とは、此僧正藤原氏にとりても、法性寺殿の御子にて、撮政関白にもなる人と、同じ流れなるをいふ、しをれぬるとは、我身は無才無能にて、世に何の勤功もなきことを歎きたるよしなるを、波の縁にしをるゝとはいへるなり、或抄に、御兄弟などに、出家の人あまたあるを、藤原氏のおとろへの故と、述懷し給へるにやといへるは、かなはず、
 
    いつきの昔を思ひ出て        式子内親王
ほとゝぎすそのかみ山のたびまくらほのかたらひし空そ忘れぬ
 
    述懷百首哥の中に五月雨       俊成卿
五月雨はまやの軒端の雨ぞゝきあまりなるまでぬるゝ袖かな
 
    八月十五夜和哥所にてをのこども哥つかうまつり侍しに  民部卿範光
和哥の浦に家の風こそなけれども波ふく色は月に見えけり
  下句は、歌の道の家にあらざる我らまでを、すて給はぬ君のめぐ(148)みは、こよひ此和哥所の集ひにめしくはへられたるにてしられたりといふ意にや、
 
    和哥所歌合に湖上月明        宜秋門院丹後
夜もすがら浦こぐ船は跡もなし月ぞのこれるしがのからさき
  こぎ行ふねは、古哥歌にもよめる如く、跡もなくて、その舟の過し跡には、夜もすがらたゞ月のみ殘りて有と也、よもすがら浦こぎし舟は、跡なくて、夜のあくれば、たゞ月のみ殘れり、といふやうに聞ゆれども、其意にはあらず、夜もすがらは四の句までにかゝりて、夜のうちのけしきなり、月ぞ殘れるは、舟の過し跡に殘れる也、或抄に、殘月のけしき也といへるは、ひがことなり、此哥三四の句、跡もなくて月ぞ殘れる、といふべき詞のはこびなるに、跡もなしといひて、ぞ残れるといへる、てにをはのかけ合わろきこと、上なる有家朝臣の、山家殘雪の哥と同じ、又しがのから崎は、いづれにかへてもおなじことなれば、上句に湖のあへしらひあらまほし、
 
    永治元年、讓位ちかくなれるほど、夜もすがら月を見てよみ侍ける、 俊成卿
忘れじよわするなとだにいひてまし雲ゐの月の心ありせば
  めでたし、詞めでたし、雲井の月とは、禁中にて見る月をいひて、忘れじよは、此禁中の月は、いつまでもわすれはせじと也、わするなは、わがかやうに思ふことを、月もわするなといへるなり、だにとは、名殘をしさはつくしがたきを、せめては一言かやうにいひなりともせむ物をといふ意なり、抑此御讓位は、御心にもあらざりし御事なれば、此歌ことにあはれ深し、
 
    崇徳院に百首哥奉りけるに
いかにして袖にひかりのやどるらん雲ゐの月はへだてゝし身を
  めでたし、詞もめでたし、
 
    百首哥奉りし時           攝政
月見ばといひしばかりの人はこで槇の戸たゝく庭の松風
  上句いひしばかりのとは、「今こんといひしばかりに云々の哥の詞にて、その下句までの意をこめて、有明の月をまち出たるほどまでも、其人はこぬよし也、かやうに見ざれば、ばかりのといへる詮なし、
 
    五十首歌奉りしに山家月       慈圓大僧正
山里に月は見るやと人はこず空行風ぞ木葉をもとふ
  二の句、とはとてなり、空行とは、我をとふにはあらざる意にていへり、吹といはで、行(ク)といへるも其意なり、木葉をもとふは、木葉をとひもするといふ意なり、我をもとひ、木葉をもとふには(149)あらず、或抄に、木葉を落葉と見たるは、ひがこと也、梢なるをいふ、此哥、下句に月のあへしらひあらまほし、此まゝにては、月は何にかへても同じことなればなり、
 
    攝政大將に侍し時月哥五十首よませ侍けるに
有明の月のゆくへをながめてぞ野寺のかねは聞べかりける
  三の句、たづねてぞとある本はわろし、月のゆくへは、西の方なる故に、世の無常を觀じ、極楽を思ひて、曉のかねをば聞べしと也、四一二三五と句を次第して見べし、
 
    同家の哥合に山月          藤原業清
山端を出ても松の木間よりこゝろづくしのありあけの月
  「木間よりもりくる月の云々の本哥と、ことなる意もなければ詮なき哥也、出ても心づくしのあるといひかけたるか、
 
    和哥所哥合に深山曉月        長明
夜もすがらひとりみ山の槇の葉にくもるもすめる有明の月
  よもすがらは、槇の葉にくもるといふへかゝれり、深山の月は、夜もすがら槇の梢にさはりて、くもりたるが、曉に至りて、其槇の梢をはなれて、月のひきくなれる故に、晴てすめると也、
 
    熊野にまうで侍し時奉りし哥の中に  秀能
おく山の木葉のおつる秋風にたえ/”\みねの月ぞのこれる
  四の句、木葉のちるまゝに、たえ/”\見ゆる也、のこれるとは、殘月をいふにあらず、木葉のおつるにむかへて、のこるとはいへる也、二の句よわし、
 
月すめばよものうき雲空にきえてみ山がくれをゆく嵐かな
  めでたし、下句詞いとめでたし、空とみ山がくれとを、相むかへて見べし、浮雲のありしほどは、あらしも其雲を吹て、空をゆくと見えしが、雲の殘らず消て後は、空を吹とは見えず、たゞ山の梢などを吹音の聞ゆるを、み山がくれを行といへる、いとめづらか也、又月のすむは、嵐の雲を吹はらへる故なるに、かへりて、月のすめる故に、雲もきえ、嵐もみ山がくれを行やうにいひなせるもおもしろし、
 
    秋の暮に、病にしづみて、世をのがれ侍ける、又の年の九月十日あまり、月のくまなく侍けれは、              俊成卿
おもひきや別し秋にめぐりあひて又もこの世の月を見んとは
  わかれし秋とは、去年の此ごろ、既に世をのがれて、此世をわかれたる意也、それに、其時死ぬべかりし意をもこめたるべし、
 
    題しらず              西行
(150)月を見て心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐりあひぬる
  上句は、世に在し時のことをいひて、下句は、世をすてたる後、又むかしにかはらぬ秋にあひたる意なり、
 
月の色に心をきよく染ましやみやこを出ぬわが身なりせば
  二の句のきよくは、一本には深くとあり、染といふには、深くの方よくかなへり、清くは、染るによしなき詞也、然れ共此ほうしの歌は、すべて皆心にまかせてよみつれば、きよくにても有べし、歌の意には、清くの方まされり、
 
すつとならばうき世を出るしるしあらん我にはくもれ秋のよの月
  初句もじあまり、例の聞ぐるし、とてもうき世をすつるとならば、すてゝうき世を出たるしるしあるべきことなり、然るに秋の夜のさやかなる月を見れば、猶思ひすてがたし、かくては世をすてたるしるしなければ、我にはくもりて見えよ、然らば月をも思ひすてらるべきほどにと也、或人、初句を、すつとは月の我をすつる也といへるは、かなはず、
 
ふけにける我身のかげを思ふまにはるかに月のかたぶきにけり
  我身の影いかゞ、ふるき抄に、面影也といへれど、我身の面影を思ふとは、いふべきにあらず、月といひ、更にけるといふから、その縁にひかれて、影とはいへるなれど、猶いかゞ、一本には、わがよのと有、それにても猶影はいかゞ也、
 
    五十首哥めしゝ時          慈圓大僧正
秋をへて月をながむる身となれりいそぢのやみを何なげくらん
  月をながむると、やみとを、たゝかはせたる也、四の句は、うきよのやみにまよひて、五十年を經たるよし也、佛經に、生死長夜といふ故也、上句は、世をのがれて、まぎるゝことなく、心しづかに月を見る身のうへとなれる物をといふ意なり、されど詞たらず、三の句もいうならず、
 
    百首哥奉りしに           藤原隆信朝臣
ながめても六十の秋は過にけりおもへばちかし山端の月
  めでたし、下句詞めでたし、初句、もゝじは輕し、下句は、月の山端ちかくなりたるを見て思へば、我身も末近しといふ意也、ちかしをかなしとある本は誤なり、
 
    千五百番歌合に           二條院さぬき
身のうさに月やあらぬとながむれば昔ながらの影ぞもりくる
  上句詞めでたし、上句は、身のうきまゝに、月も昔のやうにはあらぬかと思ひて見れば也、もりくるといへること、よせなし、もるとは、梢或は軒或は雲間など、もる物をいはではいかゞ、
 
    世をそむきなむと思ひたちける比月を見て(151)    寂超法師
有明の月より外にたれをかは山路のともとちぎりおくべき
  月は山端をさしている物なる故に、わが山へいらん道の友といひて、山住して後の友とする意をもかねたり、
 
    長月の有明の比、惟明親王のもとより山里より、「思ひやれ何をしのぶとなけれども都おぼゆる有明の月、とよみておくれりけるかへし、  式子内親王
有明の同じながめは君もとへみやこのほかもあきの山里
  君もとへとは、みづからとひ來玉へといふ意か、されど今歌よみてとひ給へるに、とへとあるはいかゞ、又都の外と山里とを、むかへてよみ給へるもいかゞ、これは齋院にゐ玉へるほどにて、都の外とは、都のほとりといふ意か、されど山里もすなはちみやこの外なるをや、
 
    春日社哥合に曉月          攝政
天の戸をおし明がたの雲間より神代の月の影ぞのこれる
  春日の神天兒屋根命の御事より、かくよみ玉へる也、初二句は、此集古哥、「天の戸をおし明がたの月見れば云々の詞をとれり、雲間よりといひて、殘れるととぢめたる、雲間より見えてといふ意とは聞ゆれどより殘れるといへる詞、かけ合いかゞ、
 
                      右大將忠經
雲をのみつらき物とてあかす夜の月よ梢にをちかたの山
  おつるを、をちかたといひかけたるは、假字ちがひなれば、古(ヘ)はなきことなり、されど此集のころになりては、例多し、月につらき物は、たゞ雲のみと思ひつるに、遠方の山の梢に落るなれば、つらきは雲のみにはあらず、梢もつらしと也、四の句のよもじ、おほくの本にやとあり、其時は、遠方の山の梢にいりやしなむと、後をかけたる意になる也、よの方はるかにまされり、
                                                              藤原保季朝臣
入やらで夜をゝしむ月のやすらひにほの/”\明る山の端ぞうき
  めでたし、上句は、我ねやへも入らで、月見て夜の明るをゝしみて、やすらひ居る也、月のやすらひとは、月故にやすらふをいふ、月のやすらふにはあらず、下句は、我はねやへもいらで、やすらひ居るに、やすらひもせで、山端に入るがうきとなり、或抄に、月は入やらでといへるは、此集の頃のたくみもえわきまへぬ、いみしきひがこと也、我入やらでを、下句の山端へひゞかせて、月は入るがうきといふ意、又我やすらひをも、下へひゞかせて、ほの/”\明るといふ詞にて、月のやすらはで入事をおもはせたる物(152)也、すべて哥のたくみは、かやうの所にあることなるを、え見しらざるは、いとくちをし、
 
    和歌所哥合に海邊月         定家朝臣
もしほくむ袖の月影おのづからよそにあかさぬすまのうら人
  めでたし、上句詞めでたし、もしほをくむすまの浦人は、袖に月をやどして見むとは思はねども、おのづからやどりて、よそならず、月を袖に見てあかすと也、「月やどれとはぬれぬ物からといへると、同じ意ながら、かれにはおとれり、
 
                      秀能
明石がた色なき人の袖を見よすゞろに月もやどるものかは
  此歌くさ/”\論あり、まづ色なき袖とは、例の紅の涙にぬれぬ袖なれど、此哥にては、紅の色のことは、さらに用なければ、たゞぬれぬ袖といふ意なるべきを、色なきといへるは、あまりなることなり、又明石がたも、下にかけ合たる事なければ、はなれて聞ゆ、一首の意は、明石がたの人の袖を見よ、しほくみなどして、ぬれたる袖にこそ月もやどれ、同じ所の人にても、ぬれぬ袖には、月もすゞろにはやどりはせず、然ればすべて月の袖にやどる事は、あはれと見て、涙をこぼして、ぬらす人の抽にこそやどれ、あはれとも見ず、涙にぬれぬ袖には、すゞろにやどる物にはあらず、といふ意なるべし、かやうに見ざれば、たゞ明石がたの人の袖の事のみにては、何の詮もなき哥也、又右のごとく見ても、趣意おかしからず猶いかにぞや聞ゆ、或抄に、色なき人とは、心の色なく、なさけなき海士など也云々といへるは、むげにをさなき説にて、論ずるにたらず、人の袖を見よといふ詞、上なる慈圓大僧正の哥にもあり、いづれか先なりけむしらねども、すべて人のめづらしき詞をよみ出れば、うらやみて、事のさまをかへて、又其詞をぬすみよむこと、此集の頃の人々のくせにて、いとよろしからぬことなりかし、
 
    熊野にまうで侍し時、切目(ノ)宿にて、海邊眺望といふ心を、をのこ共つかうまつりしに、                具親
ながめよと思はでしもや歸るらむ月まつ波のあまのつり船
  めでたし、詞めでたし、海邊にて月をまつ程、月のいづべき方の波の上を、つり船のかへるをながめてよめる意なり、あのつり舟は、我にかくながめよと思ひて、今かへるにてもあるまじきにやあらん、されど月もまだ出ぬ程なれば、おのづから先(ツ)ながめらるゝことよとよめる也、二の句、しもといふ詞は、必しもさやうにてもあらざらめどもといふ味也、歸るといへるも、月まつころに(153)かなへり、すべてかやうの所に心をつけて、かけ合をおもふべきことなり、
 
    八十におほくあまりて後百首哥めしゝによみて奉りし     俊成卿
しめおきて今やとおもふ秋山のよもぎがもとに松虫の鳴
  いたく老ぬれば、かねて墓處をしめおきて、今や/\とおもへども、まだ死にもせず、かくながらへて居れば、そのしめおきたる所の蓬が本に、松虫も我をまちわびてなくとなり、秋山は松虫の縁なり、結句、詞よわし、
 
    千五百番歌合に
あれわたる秋の庭こそあはれなれまして消なん露の夕暮
  めでたし、下句詞めでたし、下句は、今だにかくあれたる庭の、我露と消なば、ましていかにあれなむとなり、夕暮は露のあへしらひにて、死にもよせあり、
 
    寄風懷舊              通光卿
あさぢふや袖にくちにし秋の霜忘れぬ夢をふくあらし哉
  いとめでたし、詞もいとめでたし、二三の句は、涙の露の霜となりて、つひに其霜に、袖も朽はてぬれば、霜もともに跡なくなりぬるよしを、つゞめていへる也、わすれぬとは、詞のうへは、霜を忘れぬにて、意はむかしの事をわすれぬなり、霜は即昔をしのびし涙の縁なれば也、夢をふく嵐とは、秋ふけて枯たる淺茅のうへの霜を、嵐のふく縁より出て、今は其霜を忘れぬ夢をふくといへる也、一首の意は、淺茅生とあれたる宿に、昔をしのびてなく涙の、秋ふけて霜となり、つひには庭の淺茅とともに、袖も其霜にくちて、霜も跡なくなりぬる後までも、猶昔を忘れもやらずして、夢に見たるに、其夢をさへ又嵐の吹て、はかなくさめぬることよと也、忘れぬ夢を、或抄に、夢さめて後、その夢をわすれぬ心にいへるは、ひがことなり、
                                                              俊成卿女
葛の葉のうらみにかへる夢の世を忘れがたみの野べの秋風
  めでたし、詞めでたし、二三の句は、恨みにかへる夢のごとくなる世なる物をといふ意也、うらみにかへる夢とは、つねにあかず恨めしと思ふことも、夢には、しばし思ふごとく、心にかなひて見ゆることあるを、ほどなくさめぬれば、又もとのごとくうらめしきにかへりて、其夢に見しことは、後にこひしのべどもかひなきよし也、葛の葉はうらみにかへるをいはんためにて、結句の野べの秋風、すなはち葛の葉を吹風也、一首の意は、野べの葛葉を吹秋風は、物がなしきまゝに、過し昔の事の思ひ出られて、しのばし(154)ければ、昔の忘れ形見にて有けるよ、昔の事は、夢のごとくにて、戀しのびても、かひなき世中なる物をとなり、
 
    最勝四天王院障子にあふくま川かきたる所    家隆朝臣
君が世にあふくま川のうもれ木も氷のしたに春をまちけり
  めでたし、三の句のもゝじ、君が代にあふといふ所よりの意は、はといふべけれど、埋木につきては、もといはではわろし、結句は、我身のうへをいはむには、春をこそまてといふべけれど、これは我身のうへの意はうらにかくれて、埋木をおもてとしていへる故に、待けりとはよめる也、
 
    雪によせて述懷の心を             俊成卿
杣山やこずゑにおもる雪をれにたへぬなげきの身をくだくらん
  めでたし、詞めでたし、なげきに木をそへたり、くだくは、雪にをれて、裂(ケ)くだくるによせたり、三の句のにもじ、少しおだやかならざるが如くなれど、いひまはせば聞ゆるなり、此哥、かなととぢむべきを、らんととぢめたるは、かなに通ふらむ也、此事言葉の玉の緒にくはしくいへるが如し、然れども此哥は、かなといはではたしかならざるを、らんとよまれたるは、しらべをおもひてなるべし、
 
    題しらす
老ぬとも又もあはむとゆく年になみだの玉をたむけつるかな
  下句、旅行人に、手向の物をおくる意にて、よまれたるなるべし、されどそれは、ゆく/\手向の神にたむくべき料におくるにこそあれ、その旅行人にたむくるにはあらざるを、此哥は行年にたむくるといへるは、ことたがへり、又神に手向るに准へて年にたむくといへるならば、ゆくといふ言にかなふべからず、
 
  雜哥中
 
    五十首哥よみて奉りしに            慈圓大僧正
須磨の關夢をとほさぬ波の音をおもひもよらで宿をかりける
  とほさぬは關の縁、よらでは浪の縁也、結句は、宿をかりけることよといふ意なり、
 
    和歌所歌合に關路秋風             攝政
人すまぬ不破の關屋の板びさしあれにし後はたゞ秋の風
  此結句、むかしよりめであへることなり、まことにめづらかなるいひさまにて、めでたきかたもあれども、させる意もなきに、いうならざる詞也、此おとゞのよみ玉へばこそあれ、今の人のかくよみたらんに、たれかよしとはいはむ、或抄に、此秋の風を、四季ともに秋風のごとくなり、といふ意なりと注せるはかなはず、
 
(155)    千五百番歌合に             正三位季能
水の江のよし野の宮は神さびてよはひたけたる浦の松風
  風より所なし、水の江のよし野の宮とは、丹後國熊野郡熊野神社あれば、此熊(ノ)字を、能に誤れる本などを見て、輿謝郡も同國なれば、おしてよまれたるかと、契冲がいへる、さも有べし、されど此哥にはじめてよまれたるにはあらじ、右の誤りによりて、哥にまれ何にまれ、かくいへることのありしによりてぞ、此哥はよまれけむ、
 
    海邊のこゝろを                秀能
今さらにすみうしとてもいかゞせんなだのしほ屋の夕ぐれの空
  初二句は、うちかへして心得べし、二三の句、我身の事をいへるなるべきに、此人なだのしほやにすめるよしもなければいかゞ、又なだのしほやに住人のうへをよめるにしてもいかゞなり、
 
    海邊霞                    家隆朝臣
見わたせば霞のうちもかすみけりけぶりたなびく塩がまのうら
 
    いせにまかりける時よめる           西行
すゞか山うき世をよそにふりすてていかになりゆく我身なるらん
  二三の句は、都をよそにして、世をすてゝゆく意也、ふりもなりも、鈴の縁の詞なり、
 
    題しらす                   慈圓大僧正
世中をこゝろだかくもいとふ哉ふじのけぶりを身の思ひにて
  心だかくとは、なべての人は、執着する世中を、いとひはなるゝことを、心たかしといへる也、下句は、たかくといへるかけ合に、ふじのけぶりといへるにて、意はたゞおもひのたえぬ故といふことなり、
 
    あづまのかたへ修行し侍けるに富士の山を見て  西行
風になびくふじのけぶりの空にきえて行へもしらぬ我思ひ哉
  初句三の句、例のもじあまり聞ぐるし、下句、思ひのゆくへもしられぬにはあらず、上なる哥の、いかになりゆく我身なるらんと同意にて、身のゆくへもしらぬことを思ふ思ひなり、されど戀のうたと聞えていかゞ、
 
    五十首哥奉りし時               慈圓大僧正
花ならでたゞ柴の戸をさして思ふ心のおくもみよし野の山
  初句は、此世の事に心をとめぬ意なるを、吉野山の縁に、花ならでとはいへるなり、花ならでたゞ柴といへる、詞のつゞきもにほひ有、二三の句は、柴の戸をさしこもりゐて、たゞ佛の道を觀念する意、下句は、よの人は、うき世をすつるとては、吉野の山に(156)こもるなれ共、必しも然らねども、此世の事に心をそめず、さしこもりゐて、佛道を觀念する心は、いづくに在ても、すなはちよし野の山ぞと也、四の句、たゞ心といふことなるを、吉野の縁におくとはいへる也、初句、右のごとくに見ざれば、哥の趣混雜して、聞えがたし、混雜すとは、吉野山は、花をめづるにも、世をいとふにも入る所なれば、世をいとふことゝ混雜して、聞えがたき也、さる故に、花ならでといふ詞は、たゞ吉野山の緑のみにて、意は此世の事に心をそめぬ意也、
 
    題しらす                   西行
よし野山やがて出じと思ふ身を花ちりなばと人やまつらん
  めでたし、やがては、そのまゝといふ意也、花見に吉野山に入て、そのまゝとゞまり住て、二たびいでじと思ふ物を、花ちりなば歸るべしと、故郷人はまちやすらんと也、
 
                           藤原家衡朝臣
いとひても猶いとほしき世なりけり吉野のおくの秋の夕暮
  うき世をば、いとひはなれて、吉野山に住ても、秋の夕暮には、かなしさのたへがたければ、猶いとほしき世ぞと也、
 
    千五百番哥合に                通具卿
一すぢになれなばさてもすぎの庵に夜な/\かはる風の音哉
  一すぢになれなばとは、風の音のいかにはげしく共、始よりかはらずいつも同じ事にてなれたらば也、ふるき抄の説誤れり、
 
    守覺法親王家五十首哥に閑居          有家朝臣
誰かはとおもひたえてもまつにのみ音づれてゆく風はうらめし
  たれかはとひこむと、思ひたえても、風の松におとづるれば、待心のもよほさるゝを、さても我を音信てとふ人はなくて、たゞ松にのみおとづれてゆく風はうらめしと也、風はといへるに、人はこぬ意をもてり、又待心のもよほす意はなくて、たゞ我をばとはずして、松にのみとも見るべけれど、さては初二句とかけ合よろしからず、結句いうならず、
 
    鳥羽にて哥合し侍りしに山家嵐         宜秋門院丹後
山里は世のうきよりも住わびぬことのほかなるみねのあらしに
  めでたし、下句詞めでたし、本歌「山里は物のさびしき事こそあれ云々、ことの外なるといふ詞、哥にはをさ/\よまぬことなるを、よくつかひえてめでたし、
 
    百首歌奉りし時                家隆朝臣
瀧の音松のあらしもなれぬればうちぬるほどの夢は見せけり
  めでたし、詞めでたし、四の句おもしろし、猶とけてのとかにぬ(157)ることはえあらねども、いさゝかまどろむほどの也、
 
    題しらす                   寂蓮法師
事しげき世をのがれにしみ山べにあらしの風も心してふけ
  事しげきといふを、さわがしきことにとりて、嵐の風もさわがしき物なれば、心してふけとよめる也、
                                                                   西行
山ふかくさこそこゝろはかよふともすまで京はしらむ物かは
  めでたし、詞めでたし、山住してあはれなるまゝに思へるやう、世にある人の、山のおくを思ひやりて、あはれなるべしと、いかに心はかよふとても、住て見では、此あはれさはしるべきにあらずと也、
 
山陰にすまぬ心はいかなれやをしまれて入る月もある世に
  かく山陰に住ても、心のすまずして、ともすればうき世の事を思ふは、いかなることぞ、月はなべての世の人にをしまるゝ物なるが、それすら山に入(ル)物を、我はたれをしむ人もなき身なるに、うき世に心をかへすべきことかはとよめる也、又上句を、世の中の人の事として、山陰はかく住よき物なるに、よの人ののがれ來てすまぬは、いかなる心ぞや、月は人にをしまれてすら入(ル)山なるを、といふ意にても有べし、
 
    山家送年                   寂蓮
立出てつま木をりこしかた岡のふかき山路と成にけるかな
  はじめはつま木にをりしほどの小き木も、立のびて大木になりて、生しげりたる山路と成ぬといへるにて、題の送年といふ意を、めづらかによくよみ出たり、立出てつま木をるといへるにて、山家と聞えたり、二の句のこしは、庵にかへりし意と、年來の意とをかねたり、かた岡と深き山路とを、たゝかはせて見べし、はじめのほどは、山路といふばかりの所にもあらず、たゞ岡といふほどの道なりしも、大木の生しげりて、深き山路といふ程になれるよし也、
 
    住吉歌合に山を                太上天皇御製
おく山のおどろが下もふみ分て道ある世ぞと人にしらせむ
  おく山の棘の下の、道なき所までを、ふみ分たづね入て、道ある世なりといふことを、世の人にしらせん、といふ詞の表にて、意は、奥山にかくれすむ賢人隱士までを、尋ねてめし出て用ひて、其人に道ある世なることをしらせんと也、或抄に、上句を、臣下のするわざをもし給ひて、世に道を行はむと也といへるは、かなはず、此おどろはたとへたる意はなし、
 
    百首歌奉りし時                二條院讃岐
(158)ながらへて猶君が代をまつ山のまつとせしまに年ぞへにける
  猶は、ながらへての上におきて心得べし、松山のまつといひかけたり、年ぞへにけるも、松によせあり、
 
    山家松                    俊成卿
今はとてつま木こるべき宿の松千代をば君となほいのるかな
  「住わびぬ今はかぎりと山里につま木こるべきやどもとめてむといふを本哥にて、詞ばかりをとりて、意は、これは既に山住しての哥也、我よはひも老て、末のほどなければ、屋戸の松も、殘しおきて用なければ、今はつま木にこるべきなれども、さはせず、猶のこしおきて、此松の千世を、君がよはひにと祈るとなり、
 
    春日社歌合に松風               有家朝臣
我ながらおもふか物をとばかりに袖にしぐるゝ庭のまつかぜ
  いとめでたし、詞いとめでたし、我ながらとは、我(カ)ことながら、それかとうたがふばかりにといふ意也、二の句、物を思ふかといふことなるを、打かへしていへるにて、こよなく意も詞もいきほひまさりて、いとめでたし、袖にしぐるゝとは、松風の聲の、時雨の音にまがひて、袖に吹をいふ、一首の意は、松風の音の、しぐれにまがひて、袖に吹(ク)が、物をおもひて涙のふるかと、我ながらうたがはるゝばかりなるよとなり、いとめづらかなるいひなし也、
 
    後白川院栖霞寺におはしましけるに、駒引の引分の使にてまゐりて
                           定家朝臣
さがの山千代のふる道跡とめて又露わくる望月のこま
  めでたし、詞めでたし、詞書、駒引のひき分の使の事、江次第公事根源などに見えたり、栖霞寺は嵯峨に有、後撰に「さがの山みゆき絶にしせり川のちよのふる道跡は有けり、三の句は、本歌の詞にて、その昔の行幸の跡とめてなり、露は道の縁にて、又時節にも月にもよせあり、又露分るといへるは、さきにも此使に參りしが、又といふやうに聞ゆれども、其意にはあらず、又は、三の句の事につきて、昔の跡をとめて、又今も嵯峨におはします故に參るよし也、
 
    最勝四天王院の障子に布引瀧かきたる所     有家朝臣
久かたの天つをとめが夏ごろも雲ゐにさらす布引のたき
  布引の瀧にはあらねど、「何仙姫の布さらすらんとよめる、やま姫は、仙女なれば、それをとりて、天津をとめとはよめるか、又さはあらず、たゞ雲井にさらすといふにあはせたるのみにもある(159)べし、夏衣といへるは、此障子の繪の哥、四季に分たる、これは夏の部に入たるが故也、又|撫《ナヅ》ともいひかけたるか、天女のいはほを衣して撫といふことのあれはなり、もしそのいひかけならんにても、そはたゞ詞の縁のみ也、又そのいひかけにはあらぬにもあるべし、雲ゐといへるは、此瀧のいと高きよしなり、或抄に、夏衣は白重の意にて、瀧の白き故にいふといへるは、さも有べし、又布といふ名につきてなるべしといへるは、俗意なり、古へは、夏衣に分て布を用ひしことはなし、
 
    天の川原をすぐとて              攝政
むかしきく天のかはらをたづねきてあとなき水をながむはかりそ
  跡なきは水によせあり、結句いとちからなし、
 
    題しらす                   慈圓大僧正
山里にひとりながめておもふかな世にすむ人のこゝろながさを
  結句ながさ、一本につよさとも有、それもよし、二の句、ひとりといへるは、下句にあたりて、我より外に、山里にこもり住(ム)人のなきことよと思ふ意あり、
                                                                   西行
山里にうき世いとはむ友もがなくやしく過し昔かたらん
  「夢かとも何か思はむうき世をばそむかざりけんほどぞ悔しき、
                                                                   慈圓大僧正
草の庵をいとひても又いかゞせむ露のいのちのかゝるかぎりは
  上二句、「いとひても猶いとはしき世なりけり、と上に有し哥の意にて、世をいとひて、草の庵にこもりても、猶そのうへにもいとはしき也、かゝるかぎりとは、命のあるかぎりなるを、艸に露のかゝる縁をもていへる也、
 
    西行法師百首哥すゝめてよませ侍けるに     家隆朝臣
いつか我苔のたもとに露おきてしらぬ山路の月を見るべき
  世をのがれんの心ざしあれども、かゝづらふ事共有て、いまだえ本意をとげぬよし也、山路といへるは、山へ入事をいふ也、
 
    百首哥奉りしに山家              式子内親王
今はわれ松のはしらの杉の庵にとづべきものを苔ふかき袖
  右の家隆朝臣の哥と同じ心ざしの哥也、四の句、とぢこもるべき物を、といふ意なるべけれど、詞たらずいかゞ、苔ふかきとは、松と杉とに縁は有げなれど、袖にはいかゞ、いかなる袖をか、苔ふかき袖とはいふべき、おほつかなし、此下句、苔の衣をきてとぢこもるべき物を、といふ意なるべけれど、さは聞えがたく、袖をとづるといふやうに聞えたるも、又いかゞ、
 
(160)                        小侍從
しきみつむ山路の露にぬれにけり曉おきのすみぞめの袖
  昔わかくて、世に有し程は、人に逢て、曉におきて、別れの涙にぬれし袖の、今は引かへて、かくの如し、といふ意をこめたるか、
 
                           攝政
わすれじの人だにとはぬ山路かなさくらは雪にふりかはれども
  詞めでたし、わすれじの人とは、忘れじと契りし人をいふ、下句は、ふる物のかはれるにて、春より冬の末まで、時節のうつれることをいへるなり、上下かけ合たる事もなき哥也、山路もよせなし、山ならぬやどにても、同じ事なれば也、或抄に、ふりといふに、月日を經る義をもふくませたりといへるは、ひがことなり、經は、ふるとこそいへ、ふりとはたらく詞にはあらず、すべて近き世の人、經《フル》と奮《フリ》とをまぎらかして、或は年ふると年ふりとを、一ッ詞のごとく心得て、經ることを、ふりとつかふたぐひ、皆ひがことなり、經《フ》は、ふへふるとはたらきて、ふりとははたらかず、ふるき歌にふりとよめるは、舊《フリ》なり、經にはあらず、
 
    五十首歌奉りしに               雅經
影やどす露のみしげく成はてゝ草にやつるゝふるさとの月
  「君しのぶ草にやつゝる故郷は云々の詞をとれり、露のみしげくとは、ほかの物は皆おとろへて、しげくなる物は、霜のみなるをいふ、なりはてゝといふは、あれそめてより後、ふたゝびとりつくろふこともなく、ひたぶるにあれたる意也、すべてはてゝといふ詞は、いづれもかやうの意也、みだりにそへてはよむべからず、
 
    後白川院かくれさせ給ひて後百首哥に      式子内親王
をのゝえのくちし昔はとほけれど有しにもあらぬ世をもふる哉
  結句、をも、一本にはにもと有、同じことなり、遠けれどゝは、其昔のためしは、遠き事なれども、今現に我もといふ意也、下句は、父みかどの世におはしましゝほどゝは、御身のうへ、何事もかはりて、有しにもあらぬよし也、「故郷はみしごともあらずをのゝえのくちし所ぞ戀しかりける、といふ歌をもて見れば、仙洞を戀しくおぼしめす意もあるか、かの王質が斧の柄のくちし所は、仙人の栖なれば也、
 
    述懷百首に                  俊成卿
いかにせむしづが園生のおくの竹かきこもるとも世の中ぞかし
  竹かきこもるとつゞきたるは、竹垣といひかけたる也、然らざれば竹をいへる詮なし、世中は竹の緑の詞也、
 
(161)    題しらず                西行
山がつのかた岡かけてしむる野のさかひにたてる玉のをやなぎ
  初句、一本に山かげのとあるは誤也、三の句のしむるは、山がつのすみかにしめたるをいへば也、さかひは、その山がつのしめたる地と、野との堺なり、たゞ柳にて有べきを、玉のを柳とよめる、此集のころ多し、
 
しげき野をいく一むらに分なしてさらにむかしをしのびかへさむ
  上句は、しげき野いくつを一むらに分なしてかといふ意也、一むらはたゞ、一つにといふ意なるを、野の草につきて、むらとはいへる也、さて一むらに分なすとは、俗言に一いきに分行といはんが如くにて、多くの野を、やすらはず一むらの野の如くに分入をいふ、一首の意は、深く分入事を本意としてよめる意にて、いくつの野を一いきに分入てか、とゞまりて、昔の事をも思ひかへして見む、といへるなるべし、一三の句、しひごとなり、或抄にいへることは、いみしきひがことにて、論ずるにたらず、
 
むかし見し庭の小松に年ふりて嵐の音を梢にぞきく
  二の句、にもじ聞えがたし、もの誤なるべし、下句は、梢に嵐の音を聞ほどになれると也、
 
    百首哥よみ侍けるに              攝政
ふるさとは淺茅が末《原イ》になりはてゝ月に殘れる人のおもかげ
  下旬詞めでたし、
 
    守覺法親王家五十首哥に閑居          定家朝臣
わくらばにとはれし人も昔にてそれより庭の跡はたえにき
  めでたし、詞めでたし、それよりといふこと、あまりていたづらなれ共、此詞かへりてめでたく、一首のにほひとさへなれり、
 
  雜歌下
 
    最勝四天王院障子に大淀かきたるところ     定家朝臣
大淀の浦にかりほす見るめだに霞にたえてかへるかりがね
  めでたし、詞めでたし、上二句は、序の如くにて、すなはち大淀の浦の歸鴈なり、三の句、だにといへる意は、歸る鴈のとまらぬなごりををしみて、せめて空行ほどをなごりとも見おくらんと思ふに、それだに霞にたえて見えぬ意也、伊勢物語に、「大淀のはまにおふてふ見るからに云々、「袖ぬれてあまのかりほすわたつみの見るをあふにてやまむとやする、
 
    五十首歌奉りし時               慈圓大僧正
世の中のはれ行空にふる霜のうき身ばかりぞおき所なき
  一二の句は、みだれたる世の、をさまれる世にかへることゝ聞ゆ、(162)されど世中のはれゆくといへるつゞき、ことやう也、ふる霜は身のふりぬるをいへり、されどおくといへる縁のみにて、霜のよせなく聞ゆ、
 
    題しらず
思はねど世をそむかむといふ人のおなじ數にや我もなりなむ
  世をまことにそむかんとは思はねども、言にのみさいふ人の多きを、我もそのおなじなみにやなりなん、とよめるにて、わが形のみ世すて人にて、心はさもえ世をすてぬことを、恥たる意の哥也、形のみ世をすてゝ、心はすてぬは、言にのみいふと同じことなれば也、
                                                                   西行
數ならぬ身をもこゝろのもりがほにうかれては又かへり來にけり
  うかれてとは、いかなるをいへるにか、何にうかるゝにか、心得がたし、下句のさま、うつし心なき人の、をり/\うつし心になるやうに聞えていかゞ、
 
おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつひのおもひは
  結句おもひは、俗言に料簡といふ意也、おろかなる心のひくまゝに、つねに佛の道にかなはぬ、不料簡なることのみおもへども、さやうにて然らば、命終の時にものぞみての料簡はいかにぞと、みづからいましめたるなり、
 
    守覺法親王家五十首歌に            寂蓮
そむきても猶うき物は世なりけり身をはなれたる心ならねば
  世をうしと思ひて、そむきても、さ思ふ心も、身をはなるゝことあたはず、其身はもとの同じ身なれば、そむきても猶うきことのたえぬ世ぞとなり、
 
    述懷
身のうさを思ひしらずはいかゞせむいとひながらも猶過すかな
  身のうきほどを思ひ知て、早く世をいとひすつべき事なるに、さもえせずて過さば、末いかにせむ、いとはしく思ひながらも、猶えすてずして、年月を過すことのおろかさよと也、いとひながらもは、いとはしく思ひながら也、既にいとひすてゝいふにはあらず、上句と照して心得べし、こはいまだ俗に在しほどの哥なるべし、
 
                           慈圓大僧正
いたづらに過にしことやなげかれんうけがたき身の夕暮の空
  うけがたき人の身に生れながら、一生をいたづらに過さば、今はの時にいたりて、後悔してなげくべしと也、うけがたき身の夕暮といへるつゞきいかゞ、又命終る時の事を、夕暮の空といへる(163)も、上にあへしらひなければ、夕ぐれといへること、俄にていかゞ、
 
うちたへて世にふる身にはあらねどもあらぬすぢにも罪ぞかなしき
  上句、我は出家なれば、ひたぶるに世にある俗人にあらねども、といふ意とは聞えたれど、うちたへてといふ詞いかゞ、下句は、出家の身ながらも、世のならひにて、おのづから罪をおかすことのあるを、かなしみたる意とは聞ゆれ共、あらぬすぢといふこともあたらず、又罪の下に、おかすとかつくるとかいふやうの詞なくては、語とゝのはず、すべて此僧正の歌、西行が、心にまかせて、みだりによみちらしたるふりを、うらやみてよまれたりと見ゆるが多し、その心して見べきなり、
 
    和歌所にて述懷のこゝろを
山ざとに契りし庵やあれぬらんまたれんとだに思はざりしを
  めでたし、はやく遁世をおもひたちて、山里の庵にこもらむと思ひて、契りおきしかども、其後え本意をもとげずして、年をへぬれば、その庵も、さぞあれやしぬらん、そのかみ思ひたちて契りし時には、すみやかにこもらんと思ひしかば、しばらくもまたれんとも思はざりし物をと也、四の句、だにといへるは、あれぬらんといふに對へていへるにて、あれぬらんといふは、あまたの年をへたること、またれんとだにといふは、しばらくもおそきをいふ、さればしはらくもまたるゝほどもやすらひはせじと思ひし物を、おもひの外にあまたの年をへて、其庵のあれぬべきほどになれりといふ意也、
                                                                   通具卿
袖におく露をばつゆとしのべどもなれゆく月や色をしるらん
  上句、袖の涙を、露ぞといひて、しのびかくせども、といへるにて、涙を露といふが、涙をしのぶ也、結句は例の涙の紅になれるをいふ、なれゆくといへるにて、程へたる意あり、人には猶涙をかくして、露といひなせども、はじめよりやどりて、なれきつる月は、色のかはれるにて、涙としるらんかと也、四の句、なれこしといはで、ゆくといへるは、今より後をもかけていへる也、「秋(ノ)夜の露をば露とおきながら云々、
                                                                   定家朝臣
君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまではをしまれじ身を
  めでたし、詞めでたし、「あはずは何を玉の緒にせむ、といへる哥をとりて、君が代にあはずは、何を玉の緒にしてながらへむ、もし君が代にあはずは、その玉のをの長くもがなとまでは、をしまれじと也、何をといへる詞の結びなけれども、これは本歌の詞(164)にていひくだしたるなれば、くるしからず、かくさまにいふぞ、此集のころのすぐれたる巧には有ける、とぢめのをは、なる物をの意にて、下句卑下の意、又述懷の意ありて、君が代にあひたればこそ、命もながくとをしまるれといふ意におつるなり、
                                                                   家隆朝臣
大かたの秋の寐覺のながき夜も君をぞいのる身を思ふとて
  めでたし、「ふして思ひおきてかぞふる萬代は神ぞしるらんわが君のため、二三の句、本歌の初二句を、おもしろくとりなしたり、長き夜の寐覺には、ふしつおきつする物なれば也、大かたのとは、必しも君をいのるべきをりにもあらざる、たゞ何となき寐覺にまでもといふ意也、身を思ふとてとは、めぐみあまねき御代なれば、其御代の長ければ、我身も長く御惠みをかうぶる故にいふ、さて此詞、おのづからねざめによしあり、寐覺には、身のうへをいろ/\とおもふ物なればなり、
 
わかのうらやおきつ塩あひにうかみ出るあはれ我身のよるべしらせよ
  本歌「わたつみのおきつ塩あひにうかぶ沫のきえぬ物からよる方もなし、うかび出る沫といひかけたるは、假字ちがひなれど、此集のころはつねのことなり、本哥の下句の意をもちて、我身哥よみの數にて、年をへてながらへゐながら、そのしるしとて、いまだよる方もなし、此うへよるべをしらせよとよみて、身のなりいでむことを願へる意なり、
 
其山とちぎらぬ月も秋風もすゝむる袖に露こばれつゝ
  いとめでたし、詞いとめでたし、その山と契らぬ月とは、世をすてゝ、そこの山にて見べしとは契らぬ月といへることにて、ちぎらぬは、月にちぎらぬ也、すゝむる袖とは、袖に月のうつり、秋風のふけば、物がなしくて、世をいとふ心の、いよ/\もよほさるゝを、月と風との、遁世をすゝむるといひなせるにて、たぐひなくおもしろし、露のこぼるゝは、それにつけても、いよ/\涙のおつるをいひて、風の縁也、一首の意、いまだその山とさして、月を見るべき所をば、契りおかね共、其月も秋風も袖に來て、早く山へこもれとすゝむるよし也、
 
                           雅經
君が代にあへるばかりの道はあれど身をばたのまず行末のそら
  道はあれどゝは、立身すべき道はあれどゝいふ意なり、四の句は、我身はおろかなれば、その立身のたのみもなきよしなり、行末といへる詞、道によせあり、空とは、たゞ輕くそへたる詞なり、二の句、ばかりは、我身のおろかなる故に、立身すべきことわりはなけれど、輕み深き君が代にあへるのみは、そのたづきあるよし(165)なり、此詞に身を深く卑下したる意こもれり、ふるき抄に、三の句を、歌鞠兩道時にあへるをいへり、といへるは、ひがことなり、
 
                           俊成卿女
をしむとて涙に月も心からなれぬる袖に秋をうらみて
  月のかたむくををしむとて、我心から涙にぬらして、其月もなれぬる袖なるに、秋を恨みて、袖のぬるゝを、秋のとがのやうに思ふことよ、とよめるなるべし、をしむは、秋のくるゝををしむやうにも聞ゆれども、さてはたゞ袖のぬるゝ事ばかりをいひても同じことにて、月をいへる詮なければ、月をゝしむとてなり、然れども此哥、すべて題の述懷の意にうとく、そのうへ月はもとよりあはれなる物なれば、をしむほどならでも、見れば袖ぬらすはつねの事なれば、をしむとてといふ事、詮なく聞ゆ、されば此初句をながむとてといはゞ、述懷のかたにもしたしかるべく、又詮なき難もまぬかるべきか、此初句のとてを、多くの本に、ともとあり、さては心得がたし、然れども其本につきてしひていはゞ、をしむともなしといひかけたるにて、然いへる意は、暮行秋をば、世にをしむならひなれども、我はうらみてをしむともなしといへるにや、二三の句の意は、上に同じ、されどをしむともなみだに云々と、下へつゞきたれば、秋を恨みて、をしむともなし、といふ意にはなりがたく、詞とゝのはず、そのうへ恨むるによりて、秋をゝしまずといふは、哥人の情とも聞えず、されば今は一本にとてとあるによれり、初句と結句のてもじ、二の句と四の句とのにもじ、ともに重りてよからぬ哥也、
 
    題しらす                   攝政
我ながら心のはてをしらぬ哉すてられぬ世のまたいとはしき
  下句は「しかりとてそむかれなくに事しあればまづ歎かれぬあなう世の中、といへる哥の意也、此世をいとはしく思ひながら、さすがにえすてもせず、すてはせねども、又いとはしくおもはれて、とかく一かたに思ひさだめがたき、此心のつひには、何方に思ひさだまるべきことぞ、我ながら其はてをえしらぬと也、三の句、かなとゝぢめて、下句をいとはしきととぢめたる、詞かけあはず、聞ぐるし、いとはしきはと、はもじを添て心得べし、此集のころ、かゝる例多し、このましからぬこと也、
 
おしかへし物を思ふはくるしきにしらずがほにて世をや過まし
  此歌、右の哥にこたへたるやうなり、同時によみ給へるなるべし、初二句、右の哥のごとく、いろ/\とおしかへして考ふれば、くるしきにと也、しらずがほとは、此哥にては、心にかけぬ意也、
 
(166)    五十首歌の中に述懷           守覺法親王
ながらへて世にすむかひはなけれ共うきにかへたる命なりけり
  下句、或抄に、繪合卷、中ごろなきになりて、しづみたりしうれへにかはりて、今までもながらふるなりと、源氏の君ののたまへる詞を引たり、若菜下巻にも、これと同じ意の詞あり、それには、それにかへてや、思ひし程よりは、今までもながらふるなりとあり、うきかはりに、命のながらへてあるといへる也、
 
    五十首哥中に                慈圓大僧正
おもふことなどゝふ人のなかるらんあふげば空に月ぞさやけき
  下句くさ/”\説あれども、歌ぬしの意しりがたし、その意はいかにもあれ、かくさまにさかしだちたる哥は、うるさきもの也、結句ぞといへるてにをは、上になかるらんといへるにかけ合わろし、
 
    大神宮歌合に                太上天皇御製
大空にちぎるおもひの年もへぬ月日もうけよゆく末のそら
  初二句は、結句と合せておもふに、行末の事を、とあるべしかく有べしと、かねて思ひさだめおくをよみ玉へる也、行末の事は、いかにあらんもしられず、たしかにとらへられぬことなる故に、大空とはよみ玉へるにて、そは月日の縁の詞也、四の句は、日神月神に、わがかく思ひ定めおく事を、受て助け守り玉へと也、
 
    題しらず                  俊成卿
うきながら久しくぞ世を過にけるあはれやかけし住よしの松
  身はいやしけれど、かく命の長くてある事は、哥の道に深く心をよするによりて、住吉(ノ)神のあはれみをかけて、守り給ひし故にやと也、松といへるは、二三の句の詞の縁なり、哥の道に云々の意は、詞には見えざれども、住吉にて然聞ゆ、三の句、へにけるとこそあらまほしきを、もじたらで、過にけるとあるは、くちをし、
 
    春日社哥合に松風              家隆朝臣
春日山たにのうもれ木くちぬとも君につげこせみねの松風
  めでたし、上句は、我身のうへをたとへたり、春日山谷のとは、藤原氏のかたはしなるよしにて、身のえなりいでずして、年老たる意なり、峯の松風は、山の縁にて、風は物を吹つたふるたよりなる故に、此よしを君に告申せと也、三の句、ももじは輕く添たる詞にて、常のともとは異なり、
 
    述懷百首に紅葉               俊成卿
あらしふくみねのもみぢの日にそへてもろくなり行我なみだ哉
(167)  めでたし、日にそへてといふは、月日のうつり行まゝに、其事もそれにたぐひて、まさりゆく意なり、さて日にそへて涙のもろくなりゆくは、うきこともまさりて、年の老行故なり、橋姫卷に、「山おろしにたへぬ木葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな、ついでにいはむ、日にそへてを、近き世の人は、日にそひてとのみよめり、詞のことわりをもていへば、そひてといふ方あたれるに似たれども、古の哥には、そへてとのみよみてそひてといへるはなし、心得おくべし、
 
    題しらず                  宮内卿
竹の葉に風ふきよわる夕ぐれの物のあはれは秋としもなし
  竹の葉に、風の吹よわる夕暮の、あはれなることをおもへば、物のあはれは、必秋の夕暮にかぎれることもなしとなり、竹の葉といふに、いつともわかぬ意をこめたり、一首の意、右のごとくにはおしはからるれ共、詞のとゝのひあしき故に、さは聞とりがたくて、此物のあはれなることは、秋のやうにもあらずと、秋の夕暮によめるごとく聞えていかゞ、一本に三の句、夕暮にとあれど、それもわろし、夕暮よとあらまほし、
                                                                  西行
またれつる入あひのかねの音すなりあすもやあらばきかむとすらん
  またれつるは、表は入相の鐘をまてるにて、裏に死ぬることを待意をかねたり、さて下句、その意をもちて、かくては猶明日も死なずてやあらんの意をかねてよめり、四の句、あらば明日もやと打かへして心得べし、
 
    曉のこゝろを                俊成卿
あかつきとつげのまくらをそばだてゝきくもかなしき鐘の音哉
  上句、白樂天が、遺愛寺(ノ)鐘※[奇+攴](テテ)v枕(ヲ)聽(ク)、四の句、上句にあはせては力なく、何の味もなし、
 
    百首哥に                  式子内親王
曉のゆふつけ鳥ぞあはれなるながきねむりをおもふまくらに
  生死長夜の眠を思ふ、寐覺の枕に、鷄のなくを聞て、よみ給へる意なり、曉の鳥のなけば、目のさむる物なる故に、今それを聞につけて、長夜のねむりは、いつかさむべきぞと、あはれにおもはるゝと也、
 
    百首歌に懷舊                俊成卿
むかしだにむかしとおもひしたらちねの猶戀しきぞはかなかりける
  たらちねは、今の如くあまたの年をへざりし程だに、昔の人にて有しを、今はまして遠きむかしと成ぬれば、いかに戀したひても、かひなきことなるに、猶戀しく思はるゝは、はかなき心なるよ(168)となり、
 
    やまひかぎりにおぼえける時、定家(ノ)朝臣中將轉任の事申すとて、民部卿範光許に遣しける、
小ざゝはら風まつ露のきえやらでこの一ふしをおもひおくかな
  めでたし、詞めでたし、二の句は、やまひかぎりなるさまのたとへ、三の句は、此世に心ののこりて、え死にやらぬ意、この一ふしは、此中將轉任の一事をいひて、子をそへ、ふしは笹の縁なり、おくは、此世に思ひおくにて、露の縁の詞也、かぜまつ露といふは、風の早くふけかしとまつ意にはあらず、露は、風のふけば消る物なれば、風のふくまでの露といふ意也、
 
    題しらず                  慈圓大僧正
一かたにおもひとりにしこゝろには猶そむかるゝ身をいかにせむ
  一かたにおもひとるとは、世をいとはしく思ふ心の、ひたぶるなるをいふ、猶そむかるゝは、そむきて出家せしうへにも、猶いとはしき也、一首の意は、もとよりひたぶるに世をいとひし身なれば、そむきたるうへにも、猶いとはしく思はるれば也、既にそむきたるうへなれば、此うへいかにともすべきかたなきよし也、
 
思ふべきわが後の世はあるかなきかなけれはこそは此世にはすめ
  これらは、世にいはゆる道哥などいふ物のたぐひにて、いとうるさし、撰集などに入べき歌ともおぼえず、
 
                          西行
いかゞすべき世にあらばやは世をもすてゝあなうの世やとさらに思はむ
  初句三の句もじあまり、例のいと聞ぐるし、二の句やはゝ、あはれなどいふごとく、歎息の詞なり、此詞、哥にはめづらしけれど、此ころほひの書共に、をり/\見えたる詞なり、一本に此やはを、こそ、とぢめを思はめとあるは、聞えやすけれど、そはやはにては聞えがたしと思ひて、後の人の改めたるなるべし、一首の意は、我猶世にある身ならば、あなうの世やといひて、あはれ今世をすつべき物を、一たび捨たるうへなれば、今はすべき方なし、いかゞすべきと也、かく思ふは、捨たるうへにても、なほうき事のある故也、結句、さらにといふことは、既に世を拾たるうへにて、さらにすてまほしく思ふ心にていへるなれど、さらに思はんといひては、聞えぬこと也、初(メ)にすつる時にしか思ひしが、今又さらに思はんの意也、とたすくべけれど、さては世にあらばといへるにかなはず、世にあるほどならば、初(メ)にすてし事はあるまじければなり、
 
(169)                        入道前關白太政大臣
むかしよりはなれがたきはうき世哉かたみにしのぶ中ならねども
  かたみにしのびて、むつましき男女の中こそ、はなれがたき物なれ、それにはあらねども、昔より、いとひはなれがたきうき世ぞとなり、下句、我とうき世との間をいへるやうにも聞ゆれども、さては中といふこといかゞなるうへに、一首の趣おかしきふしもなかるべし、
 
                          寂蓮
數ならぬ身はなき物になしはてつたがためにかは世をもうらみん
  身のためにこそ世のうきをも恨むべけれ、身をなきものになしはてつるうへは、たがためにか恨みむと也、
 
    守覺法親王家五十首哥に           源師光
 
ながらへていけるをいかにもどかましうき身のほどをよそに思はゞ
  わが如く賤き身の分際を、よその人のうへにして思はゞ、かくうきにたへて、ながらへゐるを、いかばかりかもどかしくおもはん、といへるにて、おのが、うき身ながらも、ながらへゐることをはぢたる意也、或抄に、顯輔卿の「人のうへと思はばいかにもどかましつらきもしらずこふる心は、といへる戀の哥を引たり、同じ意也、
 
    題しらず                  八條院高倉
うきよをば出る日ごとにいとへどもいつかは月のいるかたを見ん
  いとへども月の入かたをいまだえ見ずとこそいふべけれ、いつかはといへるは、上と詞のとゝのひよろしからず、下句は、いつか西方極楽に生れむの意也、出る日といへるは、月の入といふにむかへたる也、此歌、句のかしらごとにいもじ四つ有て、いさゝかかしがまし、
                                                                  清輔朝臣
ながらへば又このごろやしのばれむうしと見し世ぞ今は戀しき
  めでたし、詞めでたし、かやうにこまかなることわりをよみては、必(ズ)歌さまめでたからぬものなるに、此哥はいと/\めづらかなり、
 
    千載集えらび侍ける時ふるき人々の歌を見て  俊成卿
行未は我をもしのぶ人やあらむむかしを思ふ心ならひに
  三の句の下へ、とぞ思はるゝといふことを添て見べし、然らざれば詞たらず、
 
    百首哥に                  式子内親王
くるゝ間もまつべき世かはあだし野の末葉の露に嵐たつなり
(170)  めでたし、詞めでたし、くるゝ間とは、露は夕の物なる縁なり、あだし野は、あだなる意にとる、嵐たつなりとよみ玉へるは、露の今きえむとするさま也、或抄に、嵐に消るが如しといへるは、似たることながら、さては味ひなし、嵐の吹立て、露のきえむとするを見て、世の人の命も、此露のごとくにて、無常の風の吹來なば、暮るまでをも待べきにあらず、今もきえなむ物をと也、二の句のかはといへる詞、世人を深くいましめたる意也、四の句、草葉といはで、末葉といへるも、露のあやふきことを、つよくいへるなり、嵐吹といはで、たつといへる、俄なるさま也、吹にては、のどかなり、すべて哥は、一首の趣にしたがひて、いさゝかのことにも、心をつけて、詞をつかふべきなり、
 
  神祇歌
 
    大將に侍ける時勅使にて大神宮にまうてゝよみ侍ける   攝政
神風やみもすそ川のそのかみにちぎりしことの末をたがふな
  三四の句は、天照大御神と、御先祖天兒屋命と、君臣の間の御事也、結句は、君臣の間いつまでも、そのかみのごとくあらせ玉へと也、かみといひ末といへる、川の縁なり、
 
    同し時外宮にてよみ侍ける          定家朝臣
契りありてけふみや川のゆふかづら長き世までもかけて頼まん
  上句詞めでたし、見るといふこと、ゆふかづらにはしたしからぬ詞なり、但しこれは、見るは、宮川のことにて、木綿かづらへはかゝらぬにも有べし、
 
    大神宮歌中に                太上天皇御製
ながめばや神路の山に雲きえてゆふべの空にいでむ月影
  初句は、見まほしくおばしめす也、二の句より下は、そのかみ東の北條が、よこさまなるしわざに障へられ玉ひて、天の下の政、おぼしめす御心にもえまかせ給はぬことを、雲のさはりにたとへて、うれたくおぼしめす御心を、大御神にうたへ祈り玉ふなるべし、
 
    題しらず                  西行
神路山月さやかなるちかひ有て天の下をばてらすなりけり
  味なき哥なり、神にちかひといふことを多くよむは、佛道の心より出たるひがことなり、かの佛の如くなる誓といふことは、すべて神にはなきことなるをや、
 
    いせの月讀社にまゐりて月を見てよめる
さやかなるわしの高根の雲ゐより影やはらぐる月よみのもり
  二の句は、天竺の靈鷲山にて、佛のことなり、四の句は、これも佛(171)の道の意にて、佛のかりに神とあらはれたるよし也、すべて神祇の歌に、影やはらぐる、光やはらぐ、塵にまじはるなどよむ詞は、から書老子に、和光同塵といへるより出て、意は佛の道の意にてよめるひがことなり、神にさることあらむやは、そもほうしのよまむは、猶さも有べきを、ほうしのいふにならひて、たゞ人もつねによむこととなれるは、いとかたはらいたきわざなりかし、
 
    神祇                    慈圓大僧正
やはらぐる光にあまる影なれやいすゞ川原の秋の夜の月
  月の五十鈴川にうつれるは、神のやはらぐる光のあまれる影ぞと也、
 
    入道前関白家百首歌に            俊成卿
神風やいすゞの川の宮ばしらいく千世すめとたてはじめけん
  四の句、すむは、宮に住にて、川の縁の詞、
 
    社頭納涼                  大中臣明親
五十鈴川空やまだきに秋の聲したついはねの松のゆふかぜ
  空やまだきに秋なるらむ、松の夕風は、秋の聲しけり、といふことを、つゞめてよめる也、三四のつゞきは、秋の聲しけりとのいひかけ也、下つ岩根は、神の宮にいひならはしたることにて、その神の宮の下つ岩根に、松は生る物ならねど、岩根の松といふに、下つ岩根をかりたる也、
 
    八幡宮の權官にて云々            法印成清
榊葉にそのいふかひはなけれども神にこゝろをかけぬ日ぞなき
  二の句、いふに木綿をいひかけたり、假字づかひのみだれたるより、かゝることさへあるなり、
 
    文治六年女御入内屏風に臨時祭かける所    俊成卿
月さゆるみたらし川に影見えて氷にすれる山あゐの袖
  影見えては、山藍の衣きたる人の影の、月によりてうつるなり、四の句は、月の影の、氷の如く見ゆる故にいふ、さて山あゐの衣は、すりたる物なる故に、その縁にすれるとはいへるなり、
 
    十首哥合の中に神祇             慈圓大僧正
君をいのる心の色を人とはゞたゞすのもりのあけの玉がき
  下句、あけの玉垣の色のごとしといふ意なり、古語にあかき心といひ、漢文にも赤心などいひ、又世に丹誠といふも同じ、或抄に、たゞすを、糺す意につゞけたりといふは、聞えぬことなり、
 
    みあれにまゐりて、社のつかさおの/\あふひをかけけるによめる  賀茂重保
跡たれし神にあふひのなかりせは何に頼みをかけて過まし
(172)  すべて神に跡たるといふも、佛法詞なり、
 
    鴨社の歌合とて人々よみ侍けるに月を     鴨長明
石川やせみの小河の清ければ月もながれを尋ねてぞすむ
 
    入道前關白家百首哥に神祇          俊成卿
春日野のおどろの道のうもれ水末だに神のしるしあらはせ
  めでたし、詞めでたし、初句は藤原氏の意、二の句は、大臣の末といふ意、三の句は、我身のうづもれたるよしなり、下句は、我身こそあれ、子孫にだに、かくいのるしるしをあらはして、榮えしめよと也、末は、水の流れの末といふ縁、あらはせも、うもれ水の縁なり、
 
    述懷                    慈圓大僧正
おしなべて日吉の影はくもらぬに涙あやしききのふけふかな
  結句みだりなり、或抄に、たゞ此ごろといふ意なりといひて、たすけたれど、此ごろの意にても、此ごろといふべきよしなくてはいかゞ、
 
もろ人のねがひをみつのはま風に心すゞしきしでの音哉
  下句、おのがねがひをみちたらんにこそ、かくもいはめ、諸人にてはいかゞ、又しでに音も、似つかはしからず、
 
    北野によみて奉りける
さめぬればおもひあはせてねをぞなく心づくしのいにしへの夢
  上句或抄に、和尚の御身のうへに、菅家の讒にあひ玉ひしたぐひのことおはしけるころの御哥にやといへり、さも有べし、さるよし、詞書になくては聞えぬ哥也、下句、菅原大臣のみづからよみ玉へるやうなりいかゞ、あはせては、夢の縁の詞なり、
 
 
  釋教歌
 
    五月ばかりに雲林院の菩提講にまうでゝよみ侍ける  肥後
むらさきの雲のはやしを見わたせばのりにあふちの花咲にけり
  めでたし、紫、あふちの花の色なり、
 
    述懷                    慈圓大僧正
ねがはくはしはしやみぢにやすらひてかゝげやせまし法のともし火
  ねがはくはと、やせましと、意かけ合ず、四の句、猶もかゝげんなどこそあるべけれ、
 
とく御法きくのしら露よるはおきてつとめてきえんことをしぞ思ふ
  本歌「音にのみきくの白露よるはおきて云々、とく御法を聞て、夜のほどは、おき居て行ひて、明朝は忘れて、おこたらんことを思ふとなり、つとめては、明朝なり、或抄に、夜はいねず勤めて(173)のうへに、死なんことを思ふなりといへるは、ひがことなり、もし其意ならば、三の句よるもとこそいふべけれ、はといへるは、つとめてに對へたる詞なり、又ことをしぞ思ふといふは、きえんことをうれへ思ふ詞なり、もし死なんことを願ひ思ふ意ならば、消んとぞ思ふといはではかなはず、又つとめてを、行ひ動むる意に見たるもつたなし、
 
    家に百首歌よみ侍りける時十界のこゝろをよみ侍る縁覺  攝政
おく山にひとりうき世はさとりにき常なき色を風にながめて
  めでたし、題の十界は、佛と菩薩と縁覺と聲聞と天と人と阿修羅と餓鬼と畜生と地獄と也、二三の句は、縁覺を獨覺ともいふ其意なり、下句は、飛花落葉を見て、無常を觀ずる、縁覺の事なり、
 
    攝政家百首哥に十樂のこゝろをよみ侍ける聖衆來迎樂   寂蓮
むらさきの雲路にさそふ琴の音にうき世をはらふ峯の松風
  上句は、來迎の菩薩の音樂也、四の句は、此世をわすれはなるゝ意なるを、はらふといへるは、松風の縁也、松風琴の音に縁あり、すべて釋教に、よき歌は有がたき物なるに、これらは哥さますぐれたり、されど琴のねにうき世をはらふといへれは、峯の松風は、用なく重なりて聞ゆ、よみ人の心は、琴の音は峯の松風にかよひて、うき世をはらふといふ意なるべけれど、さはよみえざりしか、又思ふに、三の句のにもじは、もしははもじを誤れるにはあらざるか、聖衆來迎の琴の音は、うきよをはらふ松風ぞといふ意也、
 
    蓮花初開樂
これやこのうき世の外の春ならん花のとぼそのあけぼのゝ空
  めでたし、題は、極樂の蓮花の内に生れて、其花のはじめて開けたる時の樂也、すべてこれやこの、これぞこのといふ、このは、かのといふ意なり、物語の詞などにも、かのといふべき所を、このといへること多し、此歌にては、うき世の外の春とは、極樂のさまをいへるにて、その極樂のさまを始めて見て、これやつねにねがひし、かの極樂ならんといふ意也、下句は、蓮花のはじめて開けたることを、花の咲る所の戸を、曙にあけたることにたとへていへるなり、
 
    快樂不退樂
春秋もかぎらぬ花におく露はおくれさきだつうらみやはある
  上句は、極樂の樂の不退なるをたとへたる也、彼國の蓮花のことと見るは、ひがことなり、四の句は「末の露本のしづくや云々の哥の(174)意にて、極樂の樂は、さやうのうらみもなしと也、
 
    引接結縁樂
立かへりくるしき海におくあみもふかきえにこそ心ひくらめ
  めでたし、上句は、還(リ)2來(テ)穢國(ニ)1度(ス)2人天(ヲ)1といへる文の意にて、それを網を張(リ)置(ク)にたとへたり、下句は、其中にもとりわきて、縁ある者をまづ度せんとする意なり、世々生々思所知識隨(テ)v心(ニ)引接(ス)と、往生要集にもいへるが如し、深き江に、縁をかねたり、ひくは網によしある詞なり、これまで同じ十樂の内也、十樂といふことは、往生要集といふ書に出、
 
    法華經廿八品の歌よみ侍けるに方便品唯有一乘法の心を 慈圓大僧正
いづくにもわが法ならぬのりやあると空ふく風にとへどこたへぬ
  題の文は、十方佛土(ノ)中(ニ)、唯有2一乘(ノ)法1、無v二亦無v三とあり、四の句は、同經の中に、如d風(ノ)於2空中(ニ)1、一切無c障※[得の旁]u、といへる文によりて、空ふく風は、いづくまでもゆく物なる故に、いづくにも云々といふに合せたり、こたへぬとは、いづくにも此法ならぬ法はなき故に、ありとはえこたへぬとなり、
 
    化城喩品化作大城郭
思ふなようき世の中を出はてゝやどるおくにもやどはありけり
  思ふなよとは、うき世をいでてやどりたる所を、こゝばかりと思ひて、心をとゞむなよ、猶おくにもやどは有こと也、其事は、法華經を見てしるべし、此歌、おもふなよといふこと、詞たらざる故にとゝのはず、
 
    分別功徳品或住不退地
驚の山けふきくのりの道ならでかへらぬやどにゆく人ぞなき
  わしの山は、法華經を説たる所なり、かへらぬやどは、題の不退地なり、山といひ道といひゆくといふ、皆縁の詞也、一首の意は、かへらぬやどにゆくには、此妙法の道ならで、外に道はなしと也、
 
    普門品心念不空過
おしなべてむなしき空とおもひしに藤咲ぬればむらさきの雲
聞v名及見v身、心不念2空過1、能滅2諸有苦1、といへる文の意なり、名といひ身といへるは、觀音の名身にて、觀音の功徳をいへる文なり、上句は、經文にはなき意なれども、かの文の空(ノ)字によりて、意は異なれ共、むなしき空といひて、結句の雲とかけ合せたるなり、四の句は、心念にたとへ、紫の雲は、觀音の感應によりて、能(ク)滅2諸有苦1のたとへ也、よくよみえたり共見えぬ哥也、
 
(175)    法師品加刀杖瓦石念佛故應忍のこゝろを  寂蓮
深き夜のまどうつ雨に音せぬはうき世をのきのしのぶなりけり
  初二句は、加2刀杖瓦石1にたとへ、三の句は、應《ベシ》v忍にたとへ、下句は、念佛故といふにたとへたり、さて結句は、詞のおもては忍草の生たる故也、といふことにて、しのぶといふに、題の忍(ノ)字をよせたるなれども、題の忍の意は、三の句にあれば、此所かの文の意と、まさしくはあたりがたし、されどすべて佛經の文の意をよめる哥は、さまでこまかにはいふべきにあらず、
 
     五百弟子品内秘菩薩行のこゝろを      慈圓大僧正
いにしへの鹿なく野べのいほりにも心の月はくもらざりけり
  上句は、釋迦の鹿野園といふ所にて、阿含經を説しを聞て、富樓那が小乗空理をさとりて、聲聞となりし事、下句は、その後法華經にいたりて、内秘2菩薩行1、外是現2聲聞1とて、かの鹿野園の時のさとりも、外は聲聞なれ共、もとより内には菩薩の行を秘したるなり、と説たる意なり、以上六首の題、みな法華經なり、
 
    人々すゝめて法文百首哥よみ侍けるに二乘但空智如螢火  寂然
道のべのほたるばかりをしるべにてひとりぞいづる夕やみのそら.
  題の二乘は、聲聞と縁覺となり、此二乘は、小乗にて、其智大乘より見れば、たゞ闇夜の營火の如しといへること也、歌の意、はじめにこの小乘をまづさとるをいふ、夕やみの空とは、いまだ大乘の月の出ざる意なり、さてこれも、上なる内秘菩薩行の歌と同じことにて、大乘の月出てこそ、螢火はいふにたらざれ、いまだ其月の出ざる程は、まづ螢火の光をしるべにせし意也、ひとりといへるは、獨覺の意をこめたるべし、縁覺を獨覺ともいへば也、一首の趣、いでゝ行ところなれば、初句もはたらきたり、釋教には、よくとゝのひたる歌なり、
 
    菩薩清凉月遊於畢竟空
雲はれてむなしき空にすみながらうき世の中をめぐる月影
  菩薩は、清凉なる月のごとくにて、畢竟空に遊べども、衆生にまじはる意なり、
 
    栴檀香凰悦可衆心
吹風に花たちばなやにほふらんむかしおぼゆるけふの庭かな
  此題は、釋迦の法華經を説んとする時に、衆喜瑞とて、まづ衆生の心、何となく悦ばしくおぼゆる瑞相のある、是なり、二三一四五と句を次第して心得べし、吹風には、むかしおぼゆるといふへ(176)かゝれり、二の句へつゞけては、意たがへり、其故は、吹風といふが栴檀香風にて、二三の句は、今法華經を説給はんとするならんといふ意を、たとへたるなれば也、然るを初句より二の句へつゞけて、二三の句を、栴檀香風のことゝしては、やといひらんといへる詞かなはず、二三の句は、栴檀香風のことにはあらず、此所よくせずはまぎれつべし、下句は、むかし日月燈明佛の、法華を説んとせし時にも、まづ此瑞相をあらはしたりしことを、文殊の思へる意にて、さて今釋迦佛もさだめて法華を説玉はむとするなるべし、と思へるところが、二三の句也、昔おぼゆるの縁に、花たち花云々とはいへり、
 
    作是教已復至他國
やみ深き木の本ごとに契りおきて朝たつ霧の跡の露けさ
  題は、壽量品の文にて、醫師の譬とて、醫師の、子供に藥をあたへおきて、他國に行しことなり、こまかなることは、經をひらき見てしるべし、初句は、父の子を思ふ心の闇にて、經のたとへの煩腦の深き意も有べし、二の句は、子供なり、朝たつは、他國へたち行なり、霧といへるは、朝たつと、闇ふかきと、露けさとの縁なり、結句は、其父死たりと聞て、跡に子供の泣(キ)歎く意也、以上四首も法華經也、
 
    十戒の哥よみ侍けるに不偸盗戒
うき草の一葉なりとも礒がくれおもひなかけそおきつしら波
  めでたし、三の句は、人にしのびかくれての意、かけそは浪の縁、しら波とは、盗人のことをつねにいへり、よくとゝのへる歌なり、
 
    不邪姪戒
さらぬだにおもきがうへのさよ衣わがつまならぬつまなかさねそ
  めでたし、二三の句詞めでたし、さらぬだにおもきとは、佛法にては、邪婬のみならず、すべて女犯をば、重き罪とする意なり、重きもつまもかさねも、みな衣の縁なり、よくとゝのへり、
 
    不※[酉+古]酒或
花のもと露のなさけは程もあらじゑひなすゝめそ春の山風
  めでたし、二の句のなさけといふに、酒をこめたり、三の句は、此世のたのしみの、いく程もなくはかなきよし也、四の句、長き後のよの罪となることを思へと、いましめたる意なり、春の山は、其所をいへるにて、風も、花と露とにかゝりて、程もあらじといへるによくかなへり、以上三首、十戒の内なり、上にもいへるごとく、すべて釋教のうたに、よくとゝのへるは、ありがたきものなるに、此寂然法師の哥どもの、いづれもかくめでたきは、めづ(177)らかなることなりかし、
 
    百首歌の中に毎日晨朝入諸定         式子内親王
しづかなるあかつきごとに見わたせばまだ深き夜の夢ぞかなしき
  三の句、定に入て觀念する意也、初句のしづかなるといへるにも、定の意あるべし、まだ深き夜の夢とは、煩腦の夢の、いまださめやらぬをいふ、見わたせばといふ詞に、夢は似つかはしからずいかゞ、見渡す物をこそいふべきことなれ、此題は、地藏經といふ物に見えて、地藏の事なるを、此哥は、みづからの事にしてよみ玉へるは、經の意にはかゝはらず、たゞ文面によりてよみ給へる也、かの經には、毎日晨朝、入2於諸定(ニ)1、遊2化(シテ)六道(ニ)1、拔(キ)v苦(ヲ)與(フ)v樂(ヲ)とも、我毎日晨朝入(リ)2諸定(ニ)1、入(テ)2諸地獄(ニ)1令(ム)v離(レ)苦(ヲ)ともあればなり、
 
〔以下の跋文のようなものは、筑摩版から抜粋したもの〕
勢海之濱(ニ)、拾(フ)2文貝(ヲ)1、害(フヤ)v拾(フニ)v實(ヲ)否(ヤ)、縷兮(トシテ)斐具(ハル)、十朋之珍、得(テ)v之(ヲ)歸(ル)者(ハ)誰(レ)與、美濃(ノ)大矢重門、從(ヒテ)2本居翁(ニ)1遊2望天下(ヲ)1、※[塞の土が衣](ゲ)v裳(ヲ)濡(ラシテ)2足(ヲ)于此(ニ)1來(ル)、翁(ハ)勢人(ナリ)也、文(ニ)富(ム)、重門嘗(テ)贏(ミテ)2三月(ノ)糧(ヲ)1、之(ク)2翁之所(ニ)1、受(クルニ)2新古今集(ヲ)1、明(ニ)無(シ)2解(スル)者1、乃(チ)討(ネテ)2之(ヲ)翁(ニ)1曰(ク)、先生雖(モ)v倦(ムト)、勉(メテ)爲(ニ)2小子(ノ)1草(セヨト)v之(ヲ)、以(ニ)※[貝+兄](ル)2於郷人(ニ)1、於(テ)v是(ニ)此書成(ル)矣、既(ニシテ)而郷人(ニハ)不v秘(セ)、觀(ル)者嘖々然(トシテ)稱(ス)v之(ヲ)、自(ラ)有(リ)2之(キテ)參撰(スルコト)1、無(クンバ)v有(ル)2若(シ)解(スル)者之得(ルコト)1、與(ルモ)v古(ニ)爲(ス)v徒(ト)、余、暇日(ニ)取(リテ)而讀(ム)v之(ヲ)、毎篇毎句、各如(クシテ)3余(ノ)意(ヲ)所(ル)2顯出(サ)1而躍如(タリ)也、彼斯之業也、雖(モ)v然(リト)是(レ)乃(チ)其(ノ)餘技、譬(フレバ)v之(ヲ)煥若(タリ)、麗若(タリ)、望(ミ)v之(ヲ)覗(ルニ)v之(ヲ)、雖(モ)v有(リト)v不(ルコト)v同(ジカラ)、無(シ)v害(フコト)、爲(シ)2龍藏之寶(ト)1、謝(シ)v客(ニ)、詩(ニ)曰(ク)、掛(ケテ)v帆(ヲ)拾(フトハ)v海(ニ)者、非(ザレバ)v渉(ルニ)2文海(ヲ)1、誰(カ)能(ク)得(ン)v之(ヲ)乎、無(クンバ)2索(ムルノ)v解(ヲ)人1、雖(モ)v有(リト)2能言1、固(ヨリ)何(ゾ)自(ラ)見(ハレン)乎、翁(ヤ)與(ルモ)v古(ニ)爲(ス)v徒(ト)、今又得(ルモ)若(シ)v無(キガ)v爲(ス)v育(ヲ)、無(キ)v憂者(ハ)其(レ)惟(ダ)翁(ノミ)乎、翁又教(ルニ)v人(ニ)以(テス)v解(スルヲ)2古言(ノ)事(ヲ)1、乃(チ)知(ル)2古情(ナル)者(ヲ)1々(ニシテ)、而記(シテ)與(ツテ)v古(ニ)爲(ル)v人(ト)、世或(ハ)有(ルモ)2勝(ル)v之(ニ)者1、余(ハ)則(チ)不v顧(ミ)、不2惟(ニ)不(ルノミ)1v願(ミ)、亦不v暇(アラ)、
 
                尾張 秦鼎撰
                         〔以上、筑摩版から〕
 
(179)美濃の家つと折添の上の卷
 
   家づとに殘れる花もをりそへつ
      おなじ山路の末をたづねて
 
新勅撰集
 
  春歌上
 
    題しらす               正三位家隆
いく里か月のひかりもにほふらむ梅さく山のみねの春風
  めでたし、詞めでたし、契冲が、結句を、春の山風などとまりたるには似ず、少しもゝじりなるにや、といへるはいかゞ、空よりさす月の光なれば、風も高くいはざれば、かけ合ざるをや、又春風も、晝吹たるとはたがひて、よるはいと興なくやといへるも、いと心得ず、
 
    春の歌とて              後京極攝政前太政大臣
難波津に咲やむかしの梅花いまも春なるうらかぜぞふく
  めでたし、詞めでたし、昔の梅(ノ)花とは、「冬ごもり咲やこの花とよみし、昔の梅花をいふ、下句おもしろし、春なる浦風とは、梅香に匂ふ浦風なり、
 
    守覺法親王家五十首哥に        皇太后宮大夫俊成
梅がゝも身にしむころはむかしにて人こそあらね春のよの月
  いせ物語の、「月やあらぬの哥の段の意にてよめる也、初句のもゝじは、月も梅がゝも也、二三の句は、此ごろは、昔をおもひ出てしのぶ故に、月も梅がゝも、身にしむといふ意と聞えたれば、ころはのはもじは、此ごろはといふ意也、然れども身にしむころは昔にてといへるつゞき、むつかしくいかゞ也、昔にては、むかしのまゝにて也、月も梅がゝも、昔にかはらぬを云、四の句は、人のみぞ昔のごとくにはあらぬといへるにて、人はすなはち我をいふ、月も梅香も身にしむといふも、我身むかしのごとくにもあらぬ故なり、
 
    崇徳院近衛殿にわたらせ給ひて、遠尋山花といふことを講ぜられけるに
面影に花のすがたをさきだてゝいくへこえ來ぬ峯の白雲
  詞めでたし、上句は、まだ見ぬ《峯の白雲に》花の面影の、さきだちて見ゆるをいひて、ゆく道のさきにたつ意をかねたり、
 
    百首哥に               式子内親王
霞ゐる高間の山のしら雲は花かあらぬかかへるたび人
(180)  あの白雲と見ゆるは、花かあらぬかと、かへり來る旅人に問たる也、契冲が、白雲のうへに、又霞のゐたらば、重々にて花かあらぬかとも、見ゆまじくやといへるは、かたおちなり、霞のゐて、高き山のうへなる故に、さだかならぬ也、
 
    千五百番哥合に            家隆卿
けふ見れば雲もさくらにうづもれてかすみかねたるみよしのゝ山
  めでたし、詞めでたし、二三の句は、雲もなくて、櫻のさやかに見えたるを、かくいひなせる也、つねには雲に櫻のうづもるゝ物なるを、返(リ)て櫻に雲もうづもるといへる、いとめづらか也、四の句は、すなはち上の雲のかゝらぬことを、かくいひなせるなり、雲と霞とを二ッに見ては、三の句てもじにかなはず、雲は櫻に埋れてある故に、櫻をへだてむとすれども、えへだてぬを、かすみかねたるといへる也、いとめづらし、
 
  春哥下
 
    建暦二年春詩哥を合せられけるに山居春曙    權中約言定家
名もしるし峯のあらしも雪とふる山さくら戸を曙の空
  めでたし、下句詞めでたし、小倉の山荘に在て、嵐山の落花を見てよみ玉へる意にて、初句は、嵐山と云名もしるく見ゆと也、二三の句は、嵐にさそはれて、櫻花の雪とふれゝば、すなはち其嵐が、雪とふるさまなるをいふ、かの嵐もしろしなどいへるたぐひなり、嵐は色も形もなくて、目に見えぬ物なるを、ちる櫻によりて、よく見ゆる故に、名もしるしとはいへる也、契冲くさ/”\難をあげたれども、皆あたらず、其中に、山櫻戸といふこと、万葉によめる意と、たがへることをいひて、山居の意なしといへるも、時代をわきまへざる難也、此卿のころは、戸のあたりに櫻のある、山家のことによめる也、其うへ此哥は、峯の嵐も雪とふる山とつゞきたれば、たとひ万葉によめる意にとりても、山居の櫻戸なるをや、猶難をいはば、一首の氣色、必しも曙ならずとも同じことなるべければ、題の意はたらかず、又すでに名もしるしとあるうへは、嵐といふことはなくて、それと聞ゆるやうにあらまほしきに、嵐とあるは、少しくちをし、
 
    五十首哥奉けるに花下送日       後京極攝政
ふる里のあれまくたれかをしむらん我世へぬべき花のかげ哉
  本哥、「いざこゝに我よはへなむすがはらや伏見の里のあれまくもをし、本歌は、あれまくをゝしみて、そこに我世へむとよめるを、此哥は、故郷のあれまくをば思はず、花の下に世をへぬべしとなり、
 
    關路花
あふ坂の關ふみならすかち人のわたれどぬれぬ花のしら波
  二の句は、「あふ坂の關の岩かどふみならし云々、といへる詞をとり、三四の句は、「かち人のわたれどぬれぬえにしあれば、またあふ坂の關もこえなむ、とあるをとり玉へる也、
 
    題しらす               西行法師
風ふけば花のしら波岩こえてわたりわづらふ山川の水
  二三の句、詞めでたし、
 
                       參議雅經
春の夜の月も有明になりにけりうつろふ花にながめせしまに
  花のうつろふのみならず、月もうつろひて有明になりにけりとなり、
 
    花の哥                前大僧正慈圓
花ゆゑにとひくる人のわかれまでおもへばかなし春のやま風
                                                               後京極攝政
花はみな霞のそこにうつろひて雲に色づくをはつせの山
  下句詞めでたし、花の有しほどは、霞は花に色づきて見えしを、今は花は散過ぬる故に、霞も雲に色づきて見ゆとなり、霞は、花をつゝめば、花の色に見え、雲をつゝめば、雲の色に見ゆればなり、
 
高砂の尾上の花に春くれて讒りし松のまがひゆくかな
  めでたし、二の句、にもじは、四の句へかゝれり、花に殘りし松とつゞく意なり、三の句に、花のちりたること、又青葉になれることをこめたり、四の句は、春はおしなべて花の咲たる中に、松のみ殘りて、花の絶間なりしをいふ、一首の意は、今は花の梢も、春くれて、みな青葉になりぬれば、花に殘りて、色のわかれて見えし松も、それとまがひゆく也、ゆくとは、次第/\に青葉になりゆく故なり、三の句、散はてゝなどはいはずして、春くれてといへるは、青葉になりゆく意なればなり、下句めづらしき趣なり、
 
    故郷款冬               俊成卿
ふりぬともよし野の宮は河きよみ岸の山ぶき影もすみけり
  ふりぬともよしといひかけたり、結句すみに、住をかけたり、
 
    久安百首哥奉りける時三月盡
ゆく春の霞の袖を引とめてしぼるばかりや恨(ミ)かけまし
  つれなく暮てゆく恨みをいひかけて、泣て、霞の袖をしぼるはかり、涙をかけむとなり、
 
  夏歌
 
    建保六年哥合に夏哥          雅經卿
(182)ほとゝぎすなくや五月の玉くしげ二聲きゝて明る夜も哉
  五月の玉とは、万葉に「時鳥なが初聲を我にもが五月の玉にまじへてぬかむ、「ほとゝぎすいたくな鳴そなが聲を五月の玉にあへぬくまでに、下句は、「時鳥なく一こゑに明るしのゝめ、とあるゆゑによめり、
 
    後法性寺入道前關白家百首哥に五月雨  俊成卿
ふりそめていくかになりぬ鈴鹿川八十瀬もしらぬ五月雨の頃
  初句ふり、二の句なりぬは、鈴の縁也、四の句は、水まさりて、一つになれるよし也、いくかになりぬは、下句にかけ合わろし、
 
    百首哥に               後京極攝政
ほとゝぎす今いくよをか契るらむおのが五月のあり明のころ
 
    家に五十首哥よみ侍けるに江螢     入道二品親王道助
白露の玉江のあしのよひ/\に秋風ちかくゆく螢かな
  詞めでたし、
 
    題しらす               如願法師
明ぬるか木間もりくる月影のひかりもうすき蝉の羽衣
  木間は、せみといへるによせ有、影の光いかゝ、契冲、結句を何の用ともなくやあらんといへり、まことに少し俄なるこゝちはする也、されど我衣にうつる月の光のうすきと、いふを、夏衣のうすきと合せたる、趣なきにはあらず、
 
    六月祓                後京極攝故
早き瀬のかへらぬ水にみそぎしてゆく年なみのなかばをぞしる
  二の句、過行月日のかへらぬ意をこめたり、
 
    寛喜元年女御入内屏風         家隆卿
風そよぐならの小河の夕暮はみそぎぞ夏のしるし也ける
  三四の句は、ゆふぐれのすゞしさは、みそぎのみぞ夏のといふ意なり、契冲、初句をおばつかなしといひて、慈圓西行などならば、風にそよぐとぞよまるべきといへるは、いかゞ、これは風にそよぐといふ意とは異なり、ならの葉に、風のそよぐといふ意を、やがて風そよぐならの小河といひたるなれば、いかでか風にとはいふべき、
 
  秋哥上
 
    題しらす               源具親朝臣
心なき草のたもとも花すゝき露ほしあへぬ秋はきにけり
  めでたし、下句、詞めでたし、四の句は涙の意也、
 
    養和のころ百首哥よみ侍し秋哥
天原おもへばかはる色もなし秋こそ月のひかりなりけれ
 
(183)    後京極攝政左大將に侍ける時月五十首よませ侍けるに
あけば又秋のなかばも過ぬべしかたぶく月のをしきのみかは
  めでたし、初句、又は、秋も又なかば過ぬべしの意也、
 
    入道二品親王家五十首哥に山家月    家隆卿
松の戸をおし明がたの山風に雲もかゝらぬ月を見るかな
  上句詞めでたし、「天の戸をおし明がたの月見れば云々、
 
    和歌所哥合に海邊秋月         小侍從
おきつ風ふけひの浦による波のよるとも見えず秋のよの月
 
    秋哥奉りけるに
すまのあまのまどほの衣夜や寒きうら風ながら月もたまらず
  下句は、うら風と共に、月もたまらず也、月のたまらぬとは、衣の目より、影のとほるをいふなり、浦風も吹とほし、月の影さへとほるばかりの、あらき衣なれば、夜や寒からむとなり、
 
  秋哥下
 
    秋のうた               侍從具定母【俊成卿女同人也】
うき世をも秋の末葉の露の身におきどころなき袖の月影
  めでたし、詞めでたし、上句は、世をもあくばかりながらへて、末になりたる命にて、今きえむもしらぬ身といふ意なり、下句は、おき所もなきまで、涙の露の、袖にしげき意也、此哥にては、月はさのみ用なけれど、露を上にいひたる故に、月影といひて、露をしらせたる也、
 
    建保二年秋哥奉りけるに        雅經卿
身を秋のわがよやいたく更ぬらむ月をのみやはまつとなけれど
  本歌、「有明の月の光をまつほどに我よのいたく更にける哉、契冲、下句てにをはおぼつかなし、かきたがへたるにやといへり、まことにやはといへる詞とゝのはず、新古今雜哥に西行が、「世にあらばやはよをもすてゝ、とよめるやはと同じきかと思へど、是はさも聞えず、もしはさはと有けむを、寫し誤れるにもやあらむ、本歌にかゝりて、さやうに月をのみまつとはなけれどなり、
 
                       家隆卿
かぎりあれば明なむとする鐘のおとに猶長き夜の月ぞ殘れる
 
    澗底鹿                正三位知家
さをしかの朝ゆく谷のうもれ水影だに見えぬつまをこふらん
  續後拾遺集谷鹿定家卿、「さをしかの朝ゆく谷の玉かづら面影さらぬつまやこふらむ、いとよく似たる哥也、いづれかさきに出來つらむ、今此二首のおとりまさりをいはんに、まづ兩方ともに、鹿に(84)朝行谷といふこと、古哥などにより所あるか、然らずは谷の詮なきに似たり、殊に題なれば、たしかに谷の詮あらまほし、さて三の句をくらぶるに、うもれ水は谷によし有、玉かづらは谷にうとし、四の句は面影さらぬは、朝によしあり、よべあひたる妻の面影さらぬなればなり、影だに見えぬは、朝に緑なし、然ればこゝの哥は、二の句を「へだつる谷のと改めば、右の難どもゝなく、へだつるは谷の詮もあるべく、影だに見えぬにも、よくかなふべくや、又定家卿の哥は、題を野鹿などにして、二の句を、「朝ゆく野べのと改めば、野は、朝ゆくにも、玉かづらにも、谷よりはよくかなふべくや、契冲が、谷の玉かづらを難じて、玉かづらといふは、玉鬘にて、草の葛とは別にて、面影とつゞくるは、かの鬘のかたなれば、たがへりといへるは、中々に誤なり、此事は、別に諭有、事長ければ、こゝにはもらしつ、
 
    秋哥                 家隆卿
白たへのゆふつけ鳥もおもひわびなくやたつたの山のはつ霜
  初霜、にはかに聞ゆ、
 
    百首哥奉りけるに           雅經卿
秋のゆく野山の淺茅うらがれて峯にわかるゝ雲ぞしぐるゝ
  峯にわかるゝは、九月晦日の夜の曉をよめる也、然らざれば、此詞よしなし、されば此哥、こゝに入られたるは、いかゞなり、
 
    百首哥の中に             式子内親王
秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへもとぢよつたのもみぢ葉
  めでたし、初句は、「人こそ見えね秋は來にけりの意にて、秋こそ尋ね來たれといへるなり、松はつたによせ有、とても來る人はなければ、とづるならば、いくへなりともとぢよ、いとひはせずといふ意かとも見ゆれども、さてはもみぢ葉といへる詮なければ、紅葉をめでゝ、とぢよとねがへる意なるべし、
 
    秋の暮のうた             雅經卿
秋はけふくれなゐくゝる立田川ゆくせの波も色かはるらむ
  めでたし、秋はけふ暮ゆくなれば、紅くゝるときく立田川も、紅葉のちりて、けふぞ波の色かはるらむと也、二三の句を、今見たるところとしては、下句とかけあはず、くれなゐくゝるといへる立田川といふ意なり、
 
  冬哥
 
    建保五年哥合冬山霜
かさゝぎのわたすやいづこゆふ霜の雲ゐにしろきみねのかけ橋
  めでたし、詞めでたし、「かさゝぎのわたせる橋に云々とよめる、其橋は、いづくなるらん、今見れば、峯のかけ橋に、夕霜の置た(185)るぞ、雲井に白く見ゆると也、本哥に、しろきを見ればとあるにあたりて、四の句のしろきを、重く見べし、
 
    冬のうた               後京極攝政
さびし|さ《きイ》はいつもながめの物なれど雲間のみねの雪のあけぼの
  上句いかゞ、すべてのさま、玉葉風雅のふりにちかし、
 
しもとゆふかづらき山のいかならむ都も雪は間なく時なし
  本哥、「しもとゆふかづらき山にふる雪の間なく時なしわがこふらくは、
 
    入道二品親王道助家五十首哥に年の暮ををしむ   家隆卿
つらかりし袖のわかれのそれならでをしむをいそぐ年の暮哉
  いそぐは、別れの時のは、常にいふ意、年の暮のは、春のいそぎとて、春のまうけをいとなむことなり、初句、正しくかなへりとも聞えず、しもじいかゞ、
 
  ※[羈の馬が奇]旅歌
 
    旅のこゝろを             雅經卿
立かへり又もやこえむみねの雲跡もとゞめぬよものあらしに
  新拾遺集にも、山旅といふ題にて、重ねていれり、跡もとゞめぬとは、今見る峯の雲は、嵐に跡もなくなりて、とどまるまじきに、我は又かへり來て、こえむかと也、わが歸る時まで、雲は跡をとゞめおかじとなり、立かへりは、雲の縁の詞なり、結句のにもじ、四の句へはかゝれども、初二句へかゝらざる故に、たゞよはしく聞ゆ、
 
  懸歌一
 
    百首哥奉りけるに           定家卿
松がねをいそべの波のうつたへにあらはれぬべき袖のうへ哉
  上句詞めでたし、初二句は、詞と意とをかねての序也、「風ふけば浪うつ岸の松なれやねにあらはれてなきぬべらなり、うつたへには、ひたすらになどいはんやうの意なり、
 
    題しらす               雅經卿
まさきちる山のあられの玉かづらかけし心やいろにいづらむ
  詞めでたし、まさきのちりまじる故に、あられも色に出るのいひなし也、然れども、四の句深き心とか、思ふ心とか有てよろしきを、かけし心といへるは、しひて玉かづらへかけたる詞にて、おだやかならず聞ゆる故に、あられの玉かづらも、おだやかならずきこゆ、「み山にはあられふるらし云々、
 
                       侍從具定母
ながれての名をさへしのぶおもひ川あはでもきえねせゞのうたかた
(186)  めでたし、上句詞めでたし、後の名をさへ忍ぶ身なれば、中々にあはでも死ねかしと也、
                                                    家隆卿
おもひ川身をはやながら水のあわのきえでもあはん浪の間も哉
  二の句は、水脉《ミヲ》の早きといひかけたり、さて身をはやながらは、伊勢が哥の詞なり、三四の句も、同伊勢が、「水のあわのうたかた人にあはで消めや、といふ哥によれり、きえでは、きえずして也、死なずして、此身ながらあはまほしき也、もゝじはかろし、契冲、身をはやながらは、身を昔の世のまゝにて、といふ本哥の意なれば、こゝにてはおぼつかなしといへり、まことに此哥にては、此詞かなはぬが如し、されど本哥の詞なるうへ、四の句によりて見れば、消ての後にむかへていへるなれば、深き難にもあらざらむか、
 
  戀歌二
 
    建保五年四月庚申に久戀        定家卿
こひしなぬ身のおこたりぞ年經ぬるあらばあふよの心づよさに
  いきてあらば、さりともあふよもあらむ、と思ふ心づよさに、戀|死《シ》ぬべき身の、おこたりて、戀も死なず、年をへたると也、下句、あふよの心づよさ、詞たらぬやうなれど、拾遺「命だにあらば逢夜の有もこそすれ、といへるによれり、
 
                       雅經卿
つれなしと誰をかいはむ高砂のまつもいとふも年ぞ經にける
  初句結句ともに、松の縁の詞なり、たれをかとは、「誰をかもしる人にせむ高砂の松も云々の哥の詞をとりていへる也、さて初二句の意は、我も、人の心のとくるをまつとて、つれなく年へたれば、人の我をいとふをのみ、つれなしとはいひがたしとの意なり、契冲、四の句を難じていはく、たとへば花にまつもをしむも、月に出るもいるもなど、むかへていへば、こゝも、まつもとはぬもとこそいふべけれ、もしいとふにむかへていはゞ、こふもいとふもなどこそいふべけれ、とやうにいひて、但し此まつは、あはれと思ふことも出來やせんとまつ意也、いとふもといへるにてしるべし、されどこれは、下の意にて、此よし上《ウヘ》に見えねば、まつとは、あふ夜をまつと見ゆれば、此難つひにとくべからずやといへり、まことにしかり、
 
    百首哥奉りけるとき戀哥
みよし野のみくまがすげをかりにだに見ぬ物からや思ひみだれん
  本歌万葉十一、「みよし野のみくまがすげをあまなくにかりのみかりてみだれなむとや、近き世の人は、万葉の哥は、今の世の風(187)にかなはぬ物とのみ心得たるは、ひがこと也、新古今のころの人々など、万葉の哥を、おもしろくとりなされたる歌多し、たとひ本哥にはとらずとも、今もとりてよろしき詞は、おほきぞかし、古今「見る物からや戀しかるべき、
 
  懸哥三
 
    家哥合に夜戀             後京極攝政
みし人の寐くたれ髪の面影になみだかきやるさよの手まくら
  ねくたれ髪の、かきやるものなるにむかへて、なみだかきやるとよみたまへり、
 
    晝戀                 大藏卿有家
雲となり雨となるてふ中空の夢にも見えよよるならずとも
  初二句は、朝雲暮雨の意にて、其朝と暮との中は、晝也、空の夢といふ詞、つゞき少しいかゞ、夢は、本文の雲となり雨となるといふによせ有、
 
    建保六年哥合に戀哥          定家卿
こぬ人をまつほのうらの夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ
  めでたし、本哥万葉六の長哥、夕なぎ、人をまつ時によせあり、
 
    題しらす               平忠度朝臣
たのめつゝこぬ夜つもりのうらみてもまつより外のなぐさめぞなき
  上句、詞よくとゝのひたり、四の句、待に松をもたせたり、下句の意、めづらかにおもしろし、
 
    前關白内大臣に侍ける時百首哥よませ侍けるに名所戀  定家卿
くるゝ夜は衛士のたく火をそれと見よ室の八嶋も都ならねば
 
  戀哥五
 
    旅戀                 有家卿
旅衣かへす夢路はむなしくて月をぞ見つる有明のそら
  初二句は、衣をかへしてぬれば、思ふ人を夢に見るといふによれり、四の句は、ねられぬ意にて、夢は見ずして、月を見るとなり、題の旅の詮なし、初句は、さよ衣としても、同じことなればなり、
 
    題しらす               雅經卿
なげきわびぬる玉の緒のよひ/\はおもひも絶ぬ夢もはかなし
  二の句は、夢をぬる玉といふといふことの有故也、さて絶ぬをいはむために、それをやがて玉の緒といひつゞけたり、四の句のぬは、畢ぬの如く聞ゆめれど、然らず、不の意のぬにて、思ひたえもせぬといふ意なり、一首の意は、うつゝにあふことこそ、今は思ひたえたれ、夢にあふことは、思ひたえもせざるに、歎きわびてぬる故に、其夢も、さだかにはえ見ず、はかなしと也、
 
(188)    建保六年哥合に戀        定家卿
あふことはしのぶの衣あはれなどまれなる色にみだれそめけん
  めでたし、詞めでたし、初句四の句、古今集の長哥に、あふことのまれなる色に思ひそめ、とあるによれり、結句は、忍ぶの衣の縁なり、四の句の色といへることも、結句によし有てよろし、忍ぶ中なる故に、あふ事のまれなる也、
 
    寄木戀                家隆卿
思ひかねながむればまた夕日さすのきばの岡の松もうらめし
  二の句又とは、思ひかねてながむるうへに又なり、結句は、本哥の下句の意にはあらで、たゞ「いつともわかぬとある詞によりて、つれなき意にとりていへるなり、
 
    千五百番哥合に            具親朝臣
後の世をたのむたのみも有なまし契かはらぬわかれなりせば
  結句わかれは、死ぬる別れ也、たゞ別とのみいへるは、逢夜の別の如くにも聞えて、まぎらはしきやうなれ共、上句にて、死ぬる別れなることはしらる、然るを契冲が、逢てかへる朝のことならば、後の世を頼むなど、心得がたしといへるは、下句をこゝろ得たがへたる物なり、下句は、此世にて契かはらずして死ぬる別れならば、後の世の頼みも有べきを、既に此世ながらだに契かはりぬる中なれば、まして後(ノ)世の頼みもなしといふ意也、頼むたのみといへるは、言かさなりてわづらはし、又思ふにたへずして、戀死ぬるよしなどをもいはずして、たゞに死ぬる別のことをいへるも、一首の趣いかゞなり、
 
    戀十首哥に              定家卿
たれも此あはれみじかき玉の緒にみだれて物を思はずもがな
  初句、用なく聞ゆ、三の句のにもじは、みじかき命なるにといふ意にも聞え、又みじかき命の程にといふ意にも聞ゆ、
 
    百首哥に逢不遇戀           後京極攝政
うつろひし心の花に春くれて人もこずゑに秋風ぞふく
  春くれてといはば、夏の事をこそいふべきに、秋風は程とほくていかゞ、
 
  雜歌一
 
    題しらす               如願法師
あだなりと何うらみけむ山ざくら花ぞ見しよの形見也ける
                                                               具定卿母
めぐりあはむわがかねごとのいのちだに心にかなふ春のくれかは
  めでたし、初二句は、くれ行春にむかひて、又來む年、めぐりあはむと、契りおくかねごと也、わが、命へかゝれり、三の句だに(189)といへるは、惜めども、春の暮てゆくが、心にかなはぬは、せむかたもなきを、せめては又來ん年を契りおく、我命なり共心にかなはゞ、なぐさむかたもあらむに、それすら心にかなはぬ也、命のこゝろにかなはぬとは、定めなき世なれば、來ん春までも、たのみがたきよしなり、
 
                       藤原信實朝臣
暮て行空をやよひのしばしとも春のわかれはいふかひもなし
  二三の句は、やよしばしといひて、とゞむる意を、やよひにいひかけたるなり、三の句より結句へつゞけて心得べし、
 
     曉述懷               家隆卿
思ふことまだつきはてぬ長き夜のね覺にまくるかねの音かな
  夜は長けれども、思ふ事はつきせず多くて、猶のこるね覺に、夜ははや明るをよめるにて、下句は、夜の長き方は負《マケ》て、おもふことの多き方は、なほ勝(チ)たるよしなり、かねの音は、夜の明るをいへり、
 
 續後撰集
 
  春歌上
 
    建保四年百番哥合に          順徳院御製
降雪にいづれを花とわぎも子がをる袖にほふ春の梅がえ
  いづれを花、いづれを雪といふことをば、いかに思ひわきて折たるぞと思へば、其袖のにほふほどに、さては匂ひによりてわきたるならむと、しれるよしなり、
 
                       參議雅經
霞みゆく日影は空にかげろふのもゆる野原の春のあわ雪
  二三の句、雪けになれるさまにて、一首の意は、かげろふのもゆる春日の、いとのどかにて、次第に霞の深くなり