長塚節全集第四巻、歌論歌話・病床日記、春陽堂、514頁、1926(大正15)、12.28
 
歌論歌話
 
(1) 萬葉集卷の十四
 
 萬葉集二十卷いづれの卷か佳作に乏しからむ。佳作と稱すべきもの亦いづれか特色を存せざらむ。而かもその特色たるや概ね萬葉集全部を通じての謂に非るはなし。例令ば悲壯なるもの、雄渾なるもの、奇拔なるもの、温雅なるもの、平淡なるもの等これらの諸作に接することあらむに、凡てこれ萬葉集が有する特色の一に外ならざるが如し。されば萬葉集中の一卷を拔きて炳然たる區劃を立てむことは蓋し難しと雖その間自ら二つの異彩を放てるものを見るべし。即ち卷の十四なる東歌(二十にも東歌たる防人の作あれども大抵同じきを以て暫く言はず)と同十六なる滑稽歌とにありとなす。概括して之を云へば東歌は外形に於て、滑稽(2)歌は内容に於て共に他に異なりたるが如し。十六の滑稽歌は嘗て亡師の所論載せて「日本」紙上に在り。敢て蛇足を添へざるべし。東歌に至りてはその珍品と目せらるるにも拘はらず、これを解剖吟昧せしものありとせむも稀なるが如し。萬葉十四は悉く東歌にして短歌二百三十一首を以て成る。試に數首を抄出すれば
   筑波嶺の新桑|繭《まよ》の絹はあれど君がみけししあやにきほしも
   つくば嶺に雪かも降らる〔三字右○〕否をかもかなしき兒ろ〔二字右○〕がにぬ干さるかも〔七字右○〕
   武藏野のをぐきが雉子たちわかれ去にし宵より背ろに逢はなふよ〔八字右○〕
   葛飾の眞間の手古奈がありしかば眞間のおすひ〔三字右○〕に波もとどろに
   足柄のおてもこのもにさす罠のかなる間しづみ兒ろあれ紐とく
   おふ〔二字右○〕※[木+若]《しもと》このもと山のましはにも告らぬ妹が名かたに出でむかも
   あらたまのきべの林に汝を立てて行きがつましも〔七字右○〕妹さきだたね
等一見して直ちに常態と異なるものあるを知るべきなり。今少しくこれに就きて(3)吟味せむに「筑波嶺」の歌の二の句「新桑繭」は一の造語とも見るべくこれを以て東歌の特色となさんか、造語は萬葉の特色なり。未だ以て東歌の特色となすべからず。況やこの種のもの極めて少きをや。次の筑波嶺の歌内容の妙も頗る見るべしと雖句法の奇拔なるところ比儔すべきもの多からず。東歌中また一ありて二なし。「むさし野」の歌序歌としての巧妙なるは誇るに足るべきものあり。東歌にはこの種のもの最も夥しく例令ば、
   (かみつけぬ佐野の舟橋とり放し)おやはさくれどあはさかるがへ
   (あしがりのわをかけ山の殻の木)のわをかづさねもかずさかずとも
   (とやの野にをさぎ狙はりをさをさも)寐なへ子故に母にころはえ
   (赤駒を打ちてさを牽き心びき)いかなる背なかわがりこむといふ
の如き六十首に上る。實に總敷の四分の一強たり。而して措辭の巧妙なること此の如きものあり。以て東歌の特色となすべきか。強ひて言はば或は可ならむも序(4)歌は萬葉の特色なり。比較的多きを以て遽に東歌のために氣※[火+稲の旁]を吐くべからず。「葛飾」の歌いひ切らざるところに妙味あるが如くなれどもこの類他に甚だ多く、「瀧もとどろに」と用ゐたる歌「十一」に二つまでもあるが如き更に珍らしとするに足らず。「足柄の歌」の結句は二音の語より成りたる字餘りの句なり。珍らしと雖なほ東歌中他に見るべからざるが如し。即ち以上の見解によりて造語の巧みなるものも句法の奇拔なるものも餘韻を存したるものもこれ等の形式は皆東歌の特色として見るべきものに非るを知らむ。
 東歌の特色は方言訛語の適用せられたる所にあり。萬葉十四の常態と異なるものあるを感ずるは一にこの方言訛語の存在に外ならず。東歌と稱するもの全く之に因由す。前掲の諸詠に見るも「降らる」「兒ろ」「背ろに逢はなふよ」「おすひ」「おふ※[木+若]」「行きがつましも」「あはさかるがへ」「わをかづさねも」「かづさかずとも」「狙はり」「寐なへ子」「母にころはえ」等、いかにその夥しきものなるかを知るに足ら(5)む。而してこれ等の方言訛語がいかに外形の上に鹽梅せられたるかを檢せむと欲す。
 東歌に於ける方言訛語は彩多なるにも拘はらず初句に用ゐられたるは極めて僅なり。例令ば、
   足柄を「あしがり」
   妹なねを「妹なろ」
   大※[木+若]を「おふ※[木+若]」
   内日刺すを「内日さつ」
   群萱を「むろがや」
といふの類にして一も活用せられたるものなし。二の句に於て用ゐられたるは二十首の上に出でて初句に比するに活動したるもの多し。
   小峰見過ぐしを「小峰見そぐし」
(6)   こよひと告れるを「こよひと告らろ」
   吾にこふらむを「わぬにこふなも」
   弓束なべ向きを「弓束なべまき」
   岡ろ田に生ふるを「をろ田におはる」
   をさぎ狙ひを「をさぎ狙はり」
の如きなほ「嶺にはつかなな」「悲しけしだ」「駒の行このす」等著しく異なりたるを見む。三の句に東語の用ゐられたるものも二十首に上る。
   待ち慕はすを「待つしたす」
   降る雪を「ふろよき」
   かくしつつを「かくすすぞ」
   思ふらむを「思ふなむ」
   危ふけどを「あやほかど」「あやはども」
(7)   逢はさればを「逢はなへば」「逢はなはば」
   日がてればを「日がとれば」
 これを初句に比するに亦大に活動したるを見るべし。二の句に比すれば稍振はざるが如きも畢竟後の七言なるに此の五言なるの結果なれども、五言にしてなほ動詞の使用せられたるもの多きは注目すべからずや。四の句に至りては東語の詠み込みあるもの實に四十首ならむとす。
   行きがてましを「行きがつましも」
   吾をかどはせを「わをかづさねも」
   反らしめおきなばを「せらしめきなば」
   吾は音に泣くを「あを音しなくよ」
   流れ行けばを「ぬがなへ行けば」
   逢はぬときもを「逢はなへしだも」
(8)   おもほすらむを「おもほすなもろ」
   忘れはせぬせ「忘れはせなな」
   雨を待つなすを「雨をまとのす」
   明日來ざらめやを「明日來せざめや」
著しく活動の土を加へたるを見るべし。結句に至りては更に五十音の上に出づ。
   布干せるかもを「にぬほさるかも」
   みだれそめめやを「みだれしめめや」
   背に逢はぬを「背ろに逢はなふよ」
   汝は戀むを「汝はこふばぞも」
   汝を懸けずてあらむを「汝をかけなはめ」
   いざ寐しめよを「いざねしめとら」
   忘れせぬを「忘れせなふも」
(9)   吾は放らめやを「吾はさかるがへ」
   かどはかしめずともを「かずさかずとも」
   そといひて追はじを「吾はそともはじ」
   行末を思ひつつを「おくをかぬかぬ」
   相違はじを「あひはたけはじ」
   寐むと言はぬかもを「寐ろとへなかも」
   な思ひそねを「なもはりそね」
   母に叱られを「母にころはえ」
   汝をいかにせむを「汝をどかもしむ」
   君を待つを「君をとまとも」
 なほ一々擧げざるべし。如上の引證に據りて之を略言すれば初句に於ては更に方言訛語の存在を認めずといふも不可なく、二句三句に及びて多く四句は更に多(10)く、結句に至りて十分の活動を爲したるを見るべし。これ何によりて然るか。曰く萬葉全體に通じたる短歌構成上の大原則を脱せざるが故なり。何をか短歌構成上の原則といふ。曰くはじめは輕からむことを欲し、終は重からむことを欲す。これのみ。萬葉二十卷短歌の數實に四千百七十三首と稱す。未だその一首だに初句の活動したるものを見ず。活動したる句は重し。重きもの初にありて後の輕からざる理なし。萬葉の短歌が初句に於て動詞の僅少なるもの宜なりといふべし。亡師屡予を戒めて曰く初句に言はむと欲する所はこれを二句に、二句に言はむと欲する所は之を三句に以下順次に此の如くして四五の二句にいふべきは能ふべくはこれを終の一句に緊縮せよ。かくの如くせば以て頭重脚輕の弊を免れむ。ここに至りて枕詞の必要を感ずべしと。爾來萬葉を繙く毎に初句の必ず枕詞に非れば名詞等完全の意義を成さざる語の多きを見てその明に服せざるを得ざりき。東歌の初句が殆んど無意味のもの多く句毎に活動の度を増すと共に東語の使用せられ(11)たるもの亦句毎に多きを加ふるの理を覺るべきなり。
 東語がいかに一首の上に影響せるかを見るに、東歌が朴素の資に富めるもの東人の性情が然りしより出づと雖東語の與つて力あるは論なし。吾人が日常の談話にも言語の如何によりては同意味のことを表示するにも拘はらず聽者の感覺に大なる差異を生ぜしむるが如く、内容の甚だ異なる所なきも之を東語に表はす時は殆ど別樣の思ひあり。この點既に東語の特色とも稱すべきも東語の特色は單に茲に止まらず。前にも述べたるが如く東語の適切に使用せられたるが東歌の特色にして萬葉十四の面目全く茲に存するなり。前掲の例歌に於て見るも「にぬほさるかも」といひ「背ろに逢はなふよ」といひ「行きがつましも」といひ「あはさかるがへ」といひ「わをかづさねもかずさかずとも」「寐なへ子故に母にころはえ」といふの類その他、
   潮舟のおかれば悲しさねつれば人言しげし汝をど〔三字右○〕かもしむ
(12)   みくぐぬにかものはほのす〔四字右○〕兒ろがうへにことおろ延へて未だ寐なふも
   白雲のたまにし妹をあぜせろと〔五字右○〕心にのりてここば悲しけ〔六字右○〕
   うべ兒なはわぬにこふなもたとつくのぬがなへ行けばこふしかるなも〔なは〜右○〕
   いかほろに天雲いつぎ鹿沼づく人とおたばふいざ寐しめとら〔七字右○〕
   狹衣の小筑波嶺ろの山のさきわすらえこばこそ汝をかけなはめ〔七字右○〕
   うまぐたの嶺ろの笹葉の露霜のぬれてわきなば汝はこふばぞも〔七字右○〕
 これを平語ならしめむよりは調子の上に於て妙味あることいくばくなるを知らず。東語をして單に訛語のみとなさば東歌は徒に難解の集たるに過ぎざりしならむ。然るに東人の技倆容易に東語獨得の長所を發揮したるがために遂に萬葉集中に異彩を放たしむるに至る。東人亦萬葉の歌人たるに恥ぢずといふべし。余が曩に造語も序歌も句法の奇拔なるものも皆東歌の特色とするに足らずして而かも主として東歌に取るべきは外形にありとなしたるもの誣言に非るを知る可きなり。(13)近來漸く單調を厭ふの結果種々の變體を試みむと欲するの傾向を生じたるが如し。余の如きも曾て記紀の歌、神樂催馬樂を見て分別なく之を摸したりき。今に至りて顧るにその皮相の見に過ぎざりしを恥ぢざるを得ず。東歌を模せむとするもの亦ここに見る所なかるべからず。吾人の見て方言訛語となすものは當時に於ける東人の通用語たりしなり。日常の言語を以て作爲したる短歌の成功したるものが即ち東歌なり。成功したる作なるが故に之に使用せられたる方言訛語はしかく活動せるなり。東歌を模せむとする人の動もすればその方言訛語の珍らしさを見て一意之を取らむとするものあり。抑も誤れるの甚だしきものといふべし。東人の東歌を作るや全く自然に出づ。後人の徒らに珍奇を趁ふものと共に語るべからず。東語を用ゐるも普通の語を用ゐるも一首の上に何等の影響をも及ぼさざらむには強て難語を用ゐべきの理なきに非ずや。東語の成句を取りてまでも自家の功名となさむと欲す、吾人はその陋劣なるを認めずんば非ず。東歌に倣ふもの(14)は須らく東歌に倣へたるが故に佳なるものたるべし。要は唯これのみ。
 東歌が東語を用ゐたるが故に價値あるものたりと雖稀には一種の厭味を感ずるものなきに非ず、「妹なろ」といひ「背な」といひ「あぜ」といひ「あどすとか」といふの類東歌に在りてはさまでに感ぜざるものなれども今人の頻りに用ゐるに至りては厭惡の念に堪へざらむと欲す。東歌に於けるこれらの語は自然に出でたるが故に調和せりしかも時に厭味のものなからず。今人猥りに襲用せむと欲す、戒めざるぺけむや。
 變體を試みむと欲して東歌を參酌するは可なり。徒にその短所を取りて長所の存する所を知らざるが如きは策の得たるものに非るなり。
 東歌に就ていふべきことなは少なからずと雖余は之を次號に讓る。執筆の際頭脳病むこと甚だしく殆んど闇中を辿るが如し。一葉にしてやみ數行にしてやむ。意を盡さざる所多きはこれがためなり。
(15)        (明治三十六年六月五日發行。馬醉木《あしび》第一號所載)
 
(16) 東歌餘談〔一〕
 
 萬葉十四の東歌に就ては、思ふところのあらましは述べたのであるが、更に二三の見るところを附加して見ようと思ふのである。それはどういふことかといふに、東歌にはどんな品物《ひんぶつ》が装飾として、或は作者の思想を表示する爲にどんな鹽梅に用ゐられてあるか、その品物《ひんぶつ》は萬葉の他の歌に於ける品物とどんな相違があるか、又東歌には言語の異なつて居るのみでなく、境遇の異なつて居るところから、東人でなければ出來ない作が交つてゐるが、それはどんな所を作つたものであるか、東歌といへば萬葉二十の防人の歌も東歌であるが、この「二十」の防人の歌と「十四」の東歌とは相違があるかないか、有ればどんな所が相違して居る(17)のか、これ等の問題と尚ほ吾人の頭脳を刺戟して感覺を起さしめるのは主として目と耳とにあるのであるが、その目よりする「色」と、耳よりする「音」とかいふものは東人にはどんな刺戟を與へて居るか、つまり色とか音とかを材料にしてどんな製作物が出されて居るか、凡そこれ等の點から少しく研究して見ようと思ふのである。これを云ふに先つて而かもそれはこれ等の研究に何等の關係をも持つて居らぬことてあるが、東歌の研究も本篇に止める積りであるから、ここに云はなければ殆んど機を失してしまふの憾があるので、或は少し長くなる爲めに、腰を折るやうな憂もあるが、また止を得ないので云つておかなければならぬ。それは何かといふに、重複にはなるが本誌の壹號に論じた東歌の特色即ち東歌は外形の上に大に萬葉集の他のものと異つて居る。東人の方言訛語が自在に適用されて、ために調子の上に著しき動變を生じ、方言訛語なるが故に東歌が存在して居るのであるといふ最も重要なる證據立が粗漏であつた。その以外は割合にこまか(18)でそこが顛倒してゐるのであるから、更に例を引いて論じて見ようとするのである。東語であるために振つてゐるのを一句々々に就て見たのは壹號に詳しいからここには云はないが、一首の上に影響したものを調べて見ると、
   筑波嶺に雪かも降らる〔三字右○〕否をかもかなしき兒ろ〔二字右○〕がにぬ干さるかも〔七字右○〕
といふのがある。平語にして見ればかうなる。
   筑波嶺に雪かも降れる〔三字右○〕否を(と)かもかなしき兒らがぬの干せるかも〔兒ら〜右●〕
「降らる」が「降れる」よりもよく、「兒ろ」が「兒ら」よりもよく、「にぬ干さるかも」が「ぬの干せるかも」よりも、よいのは一目にして瞭然たるものである。尤もこれはこの一首に於ていいので、他の一切の場合に於てもさうであるといふのではない。次々にいふところ皆それである。
   うべ兒なはわぬに戀ふなもたとつくのぬがなへ行けばこふしかるなも〔兒な〜右○〕
これも、
(19)   うべ兒ら〔二字右○〕はわれに戀ふらむたつ月のながらへ行けばこふしかるかも〔われ〜右○〕
となるが、原作の重厚にして樸素なるには到底相如くことはならない。
   かなと田をあらがきまゆみ日がとれば〔八字右○〕雨をまとのす君をとまとも〔十字傍点〕
「あらがきまゆみ」は「あらがき」は荒掻、「まゆみ」は土の干われること、「日がとれば」は「日がてれば」「まとのす」は「待つなす」「君をとまとも」は「君をし待つも」、これも前評と同じである。殊に「君をとまとも」の「と」の用法の如きは最も注目すべき所であつて、恐らく比を見ないと思ふ。
   相模嶺のをみね見そぐし〔四字右○〕忘れくる妹が名呼びてあをねしなくな〔七字右○〕
「あをなかしむな」といふよりも「あをねしなくな」といふのが流暢である。「吾をねしなくる」も同じやうだ。
   うまぐたの嶺ろの笹葉の露霜の沾れてわきなば汝はこふばぞも〔七字右○〕
「汝は戀ひむぞ」といふよりは遙かに力がある。
(20)   伊香保ろに天雲いつぎ鹿沼づく人とおた延ふいざ寢しめとら〔人と〜右△〕
「いざ寢しめよ」などといふよりはこれも非常に力があつて非常に緊密である。
   上毛ぬ佐野の舟橋とり放しおやはさくれどあはさかるがへ〔七字右○〕
「われさからめや」とか「吾さかれやも」とかいふ句はとても及びも付かない。「ぞも」「とら」「がへ」などの用法はたまつたものでない。序にいふが「放し」といふのは通常「放ち」といふべきであるが、現在の東國の俗語がこれであるのは面白いではないか。
   武藏野の小岫が雉子たちわかれ去にし宵より背ろに逢はなふよ〔八字右○〕
これは力があつて緊まつて居るといふのではなく、鷹揚に悠長である所がおもしろい。これに類した句をつかつたのは、
   みくぐぬに鴨のはほのす〔四字右○〕兒ろが上に言おろ延へて未だ寢なふも〔六字右○〕
   あずへから駒のゆこのすあやはども〔九字右○〕人妻兒ろをまゆかせらふも〔兒ろ〜右○〕
(21)床しく可愛らしく思ふといふことを「まゆかせらふも」といふ使ひ方は、ほかの言語ではどういつたらよからうか。
   をかによせ我刈る萱りさねかやのまことなごやは寢ろとへなかも〔七字右○〕
   しほ舟のおかれば悲しさねつれば人言しげし汝をどかもしむ〔七字右○〕
「ぬよといはぬかも」「汝をいかにせむ」といふ可さをかく云つてある。この外にも、
   あしがりのわをかけ山の穀の木のわをかづさねもかづさかずとも〔わを〜右○〕
   とやの野にをさぎ狙はり〔三字右○〕をさをさも寢なへ子故に母にころはえ〔六字右○〕
などといふのがあるが、いづれも力があつて面白い。要するにこれ等の例證に據つて見ても東語が力量があつて重厚で、それに比類なき樸素の氣を帶びて居ることが明瞭である。東語でなければ到底成し難いといふ所、またさうでなくても確かに東語の特色を保つて居て決して他のいかなるものにも劣らぬ所のあるのは、(22)この例證に由つて了解し待らるるであらうと思ふ。
 壹號にも仔細に述べてあるが、茲に例に出したものだけでも結句が非常に振つて居る。當時に於ける名もない僻遠の野人の作であつても萬葉の時代はこんなものであつた。現在に於ける吾々の作はどうであらう。東歌に在るやうな序歌の巧妙なものがあるであらうか。句法の變化したものがあるであらうか。力量があるであらうか。緊密であるであらうか。尚又一首の組織上最も緊急なる五の句に注意を怠らぬのであらうか。これで東語に就いては、ほぼ叙説した積りであるから溯つて東歌に用ゐられてある品物《ひんぶつ》に目を注いで見ようと思ふ。天象地文のことは別にして、禽獣蟲魚草木等の萬葉集に現はれて居るものは頗る夥しいのであるが、これ等の品物は品物そのものを主にしてあるのではなく、大抵は作者の主觀を表明するに於てその方便の一として即ち片々ではその主觀を助けるのと、片々では組織の上に装飾として用ゐられてるものであるが、東歌二百三十一首の中にはま(23)た種々なる品物が引用されてある。さうしてそれがまた賓位に据ゑられてあるので、萬葉にある品物は悉く作者の眼に映じたものであるから、東歌に用ゐてあるものは大抵は萬葉の他の部分に用ゐられて居るもののやうであるが、中には東歌にのみ發見し得らるるものがいくらもある。少しくそれを調べて見ようと思ふが、禽獣蟲魚草木と分つていづれが最も多いかといふにそれは草木即ち植物で、禽獣蟲魚即ち動物は至つて少い。樽に蟲魚に至つては全く見出すことができない。唯一つの蠶があるばかりである。植物のうちでは草が多くて木は遙かに少ない。それで東歌にのみ見られる品物といふのも全く草にあるのである、
   いはゐづら、  はまつづら、  たはみづら、
   山かつら蔭、  おほゐ草、  うけら、
   ねつこ草、
等これ皆東歌の外には見られない品物である。木であつては、
(24)   弦葉
だけが外にない品物であるやうである。扨てこれがどう使用せられて居るかといふに悉く序歌の材料になつてゐるので、その作品の價値がどうかといふに、それは決して惡いことはない。悉く巧妙であると稱揚するに憚らないが、これを萬葉の秀逸なるものと比較したならばどうであらうか、否東歌のうちの秀逸なるものと比較してみてもどうであらうか、さういふ段になると頗る遜色あるを免れない。平凡なる品物を材料としたものに、却て秀逸が指摘せられるのは面白い現象であるといはねばならぬ。なぜさうであるかといふに、この品物は唯一句を埋めるだけに過ぎないので、一首の骨子たる主観と之を表示する言語との如何によりてその差違が生ずるわけである。
   あどもへかあじくま山の弦葉のふふまるときに風吹かずかも
の「弦葉」だけは譬喩の作であるから別になつてくる。つまり「弦葉」が主にな(25)つて行きわたつてある。それから東歌には平凡な品物が作者の技倆によつて一の熟語にして使用せられたものがある。動物では、
   薪桑繭、 小軸が雉子、
植物では、
   垣内柳、 椎のこやで、 根やはら小菅、
   根白高萱、若かへる手、 藤のうら葉、
などである。これ等を材料にしたものは序歌にあるがいろいろある。
   こひしけば來ませ吾背子かきつ柳〔四字右○〕うれつみからし吾立ちまたむ
   海原の根やはら小菅〔六字右○〕あまたあれば君は忘らすわれ忘るれや
   こもち山わかかへる手〔六字右○〕のもみづまで寢もとわはもふ汝はあどかもふ
あとの三つは序歌である。そのうちで、
   おそはやもなをこそ待ため(むかつ丘の椎のこやでの〔六字右○〕)あひはたけはじ
(26)   (はるべさく藤のうら葉の〔六字右○〕)うらやすにさぬる夜ぞなき兒ろをし思へば
の如きは巧妙なる作といふべきである。平凡なる品物を材料としたもので面白いのは、
   吾背子を大和へやりてまつしたす足柄山の杉の木の間か
   あしがりの麻萬《まま》の小菅〔二字右○〕のすが枕〔三字右○〕あぜかまかさむ兒ろせ手枕
   うまぐたの嶺ろの笹葉〔二字右○〕の露霜のぬれてわきなば汝はこふばぞも
 なほこの外にこれ等にはずつと立ちまさつた面白いのがあるが、東人でなければ云ひえない歌の例として後段に述べるから、ここには重複を厭ひてのせない。動物には珍らしいものが一つもない。萬葉には非常に多い時鳥さへも一首しかない。一々數へ擧げれば種類はあるが皆ありふれたものばかりである。それ等のなかで最も多く用ゐられたのは「駒」であるが、これは作者自らに最も接近したものであるからであらうか。接近したものといへば、東人の目に觸れたものはいく(27)らもあつたらうと思ふのに、それが乏しいといふのは寧ろ怪訝に堪へないのであるが、或は東人の感覺がこんなものには薄かつたのか、歌はあつたが散逸したのかそれは到底分明する期がない。植物であつても「花橘」などは一つしかない所を見ると京人の稱賛するものが必ず東人を感動せしめたものではなかつたらしい。
   足柄のをてもこのもにさす罠〔右○〕のかなる間しづみ兒ろあれひもとく
   筑波嶺のをてもこのもにもりべ〔三字右○〕据ゑ母はもれどもたまぞあひにける
などのうまい所へ注目されたのを見ると、どうも妙に思はれるのである。しかしかく少ないうちにも極めて面白く用ゐられて居るものはあるのである。
   烏とふ大嘘鳥のまさでにもきまさぬ君を兒ろくとぞなく
この外にもいくらもあるがこれも後段にいふ折があるから茲には云はない。
かやうに東歌に在つては少ないものが、京人には非常に重く用ゐられて居るが、その代りには東人の用ゐたものは比類のないものもいくらもあるのである。それ(28)でそれを活動せしめたところは決して京人に劣つて居るものではないと思はれるのである。
   (明治卅六年八月十日發行。馬醉木第三號所載)
 
(29) 東歌餘談〔二〕
 
 冒頭にも書いてあるが東歌で愉快に思ふのは、どうしても東人でなくては作成しえられないものがいくらも存在して居ることである。例を引いて見れば、
   しなぬ路はいまのはり路かりば根に足ふましむな沓はけ吾背
   この川に朝菜あらふ兒なれもあれもよちをぞもてるいで子たばりに
   さなづらの岡に粟まきかなしきが駒はたぐともわはそともはじ
   稻つけばかがるあが手をこよひもかとのの稚子がとりてなげかむ
   あさをらを苧笥にふすさにうまずとも明日きせざめやいざせ小床に
   にひ室の蠶時《こどき》にいたればはたすすき穗に出し君がみえぬこのごろ
(30)   妹をこそ逢見にこしかまよ引のよこ山べろのししなす思へる
   おして否と稻はつかねどなみのほのいた振らしもよきぞひとりねて
などの作がいかに巧を弄しないうちに、口には現はしえない妙味があるか、東歌のうちに在りてもいかに異彩があるか、東人の伎倆がますます侮り難いのを認めるのである。
「二十」の防人の歌と比較して見るさきに、も一つ調べて見たいのは「駒」を引用した歌がどう變化して居るかである。煩はしいが例を引いて説明すれば、序歌が大分にある。
   (春の野に草はむ駒の)口やまずあをしぬぶらむ家のころはも
   (赤駒を打ちてさを引き)心引きいかなる背なかわがりこむといふ
   (くへ越しに麥はむ駒の)はつはつに相見し兒らしあやにかなしも
   (※[土+丹]《あず》のうへに駒をつなぎて)あやほかど人妻ころを息にわがする
(31)   (さざれ石に駒をはさせて)心いたみあがもふ妹が家のあたりかも
これだけの變化でもよほど面白いのに、外にもいくらもある。
   赤駒がかどでをしつつ出でがてにせしを見立てしいへのこらはも
   おのが男をおほになおもひそ庭にたち笑ますがからに駒に逢ふものを
   ひろ橋を馬こしかねてこころのみ妹がりやりてわはここにして
   さわたりの手兒にいゆき逢ひ赤駒が足掻をほやみ言とはずきぬ
類似して居るやうではあるが「駒」といふものの出し方が、いづれも變化して居るは頗る注目すべき所であると思ふ。それといま一つ、
   おもしろきぬをばな燒きそふる草ににひ草まじり生ひばおふるがに
といふ歌があるが東歌中に在りては極めて珍らしいのである、東歌のうちには各種の品が用ゐられて居ることは既に言つてあるが、この歌のやうに自然物そのものに昵んでよんだのはない。萬葉全體からいへばなにも珍らしいといふではない(32)が、この一首の爲めに東歌の區域が擴大されたやうな心持がするのでそれが愉快な所なのである。
「二十」の防人の歌と比較して見ると同じく東人の作であるから、相類似はして居る。例令ば東語が目立つて見える所や朴訥な所が特色になつては居るのであるが、おのづから異つて居るのである。その異つてゐるところを擧げて見ると、大概左の如きものになるであらう。
     「十四」
  一、變化自在なり
  一、序歌多し
  一、東語の用ゐられたるもの句毎に多きを加ふ
  一、東語の活動せるもの夥し
(33)   一、序歌その他の装飾に用ゐられたる品物多し
     「二十」
  一、變化乏し
  一、序歌少し
  一、東語の用ゐられたるもの稍不規則なり
  一、東語の活動せるもの鮮し
  一、品物少し
「十四」は變化があつて「二十」は變化が乏しいのはどういふ理由かと云ふに、一は決して區域を限られて居ないが、一は防人の歌のみであつて區域がチヤンと極つて居るので隨つて變化の餘地を與へられて居ない。それがために千篇一律に陷り易いのである。然し單に防人の歌のみに就いて見れば、その狹小な變化しにくい區域内にあつても隨分變化せしめてあることを發見しえらるるのである。防人として徴集せられた東人の悲哀の情はいづれの時に最も激しかつたかといふに、家を出る時と家を出たその當座であつたらうと想像せられるのである。歌を見てもそれが最も多く詠んであるやうである。家を出づるに當りて最も防人の情緒を纏綿たらしめたものは妻である。隨て妻を憶ふの歌が最も多く、次には父母をおもふの歌である。そのうちに父母とならべてあるものと父のみ母のみをよん(34)だものがあるが、父は極めて少くて殆んど悉く母であるといつてもよいのである。家を出づる時の悲哀の情といふので既に區域が狹小になつて居る上に、主眼たるものが父母妻子といふのだから變化のしやうがないのである。
   さきむり〔四字右○〕に立たむ騷ぎにいへの妹がなるべきことを言はずきぬかも
と詠んであるやうに、嚴命が下つてからその徴集は至極急速であつたのであるから、作品の上に装飾を施すだけに心の餘裕がなかつたのでもあつたらう。外界の品物をかりて装飾をしなければ単に主觀のみになつてしまふ所から、それは各人いくらづつかの相違はあるにしても陳腐といふ側に傾いてしまふのである。茲に例に出したのは中での珍らしいので、これらはそれらと一つには見られぬのである。それからこの例歌もさうであるが、次々に掲げる歌にも東語には圏點を附することにする。
かくの如くで防人の歌は概ね主觀のみで成立したものであるが、中にはさうでな(35)いものもないではない
むらたまの枢《くる》に釘刺しかためとし妹かここりはあよくなめかも〔ここ〜右○〕
   赤駒をやまぬにはがしとりかにて〔八字右○〕玉の横山かし〔二字右○〕ゆかやらむ(妻がよめる)
   わが門の傍《かた》山椿まことなれ我手ふれなな〔四字右○〕土におちもかも〔五字右○〕
   いはろ〔三字右○〕には蘆火《あしび》たけども住みよけ〔四字右○〕を筑紫にいたりてこふしけもはも〔七字右○〕
   草枕旅のまる寢の紐たえばあが手とつけろこれのはるもし〔四字右○〕(妻がよめる)
   厩なる繩たつ駒のおくるがへ〔五字右○〕妹がいひしをおきて悲しも
これ等は孰れも傑出したものであるが、皆なにか品物を捉へて使用してある。そこがこれ等の作品をしてかくの如き奕々たる光彩を放たしめたのである。
   道のへのうまらのうれにはほ豆〔三字右○〕のからまる君をはかれか行かむ
の如きも外界の品物によつて成功したものである。それから
   松のけ〔三字右○〕のなみたる見ればいは人〔三字右○〕の我を見おくると立たりしもころ
(36)これもその類でしかも五の句の如きは頗る珍らしいものである。
   ふたほがみ〔五字右△〕惡しけ〔三字右○〕人なり疝病《あたゆまひ》わがする時に防人にさす
も防人自らの特殊の状態を寫したものであるから珍らしく且つ面白いのである。
   わが妻も畫にかきとらむいつまもが〔五字右○〕旅行くあれは見つつしぬばむ
といふ如きも畫にかくといふことで既に思想の自在を得て居る所から面白い。その他家を思ふとか妻を思ふとかいふのを、直ちにさうは言はないで山河を詠んだものも變化の種になるのである。例令ば、
   久慈川はさけく〔三字右○〕あり待てしほ船にまかぢしじぬきわはかへりこむ
   わぎめこ〔四字右○〕と二人我見しうちえする〔五字右○〕駿河の嶺らはくふしくめあるか〔八字右○〕
   橘のした吹く風のかぐはしき筑波の山を戀ひずあらめかも
の如きである。それにこれとは異つては居るが、
   八十國は難波につどひ船かざりあがせむ日ろを見も人もがも〔六字右○〕
(37)   ゆこさきに波なとゑらひしるべ〔ゆこ〜右○〕には子をと妻をとおきてともきぬ
の「八十國」及び「と」の用法の如きは、狹い區域内に跼蹐しつつあつた防人のために見逃すべきものではあるまいと思ふ。要するに比較的佳作はあつて伎倆の嘆稱すべきものはあるが、「十四」に比しては到底及ばざるものといふに歸着するのである。
序歌の「二十」に少いのも装飾の餘地がなかつたからであらう。
「十四」には東語が規則的に順次多きを加へたが、「二十」では四の句に三の句よりも少なく、初句には比較的多い。しかし初句には活動しない點は同一である。さうして五の句には最も多いのであるから、壹號に述べた原則といふものに觸れるやうなことはない。
「二十」にある東語は「十四」にないものがいくらもあるが、振つて居るものは少い。
(38)   さきくあれとを「さくあれて」
   たち出でむ時にを「たしでも時に」
   戀ふしくもあるかを「くふしくめあるか」
   危ふくあらぬかを「あよくなめかも」
   越えてきぬるかもを「こよてきぬかむ」
   戀ふしく思はむを「こふしけもはも」
   これの針待ちを「これのはるもし」
などは「十四」に無いもので能く活動して居るものであるが、この外に一字二字位替へれば普通語になるものは夥しい。例令ば、
   とへたほみ(遠江)   わぎめこ(吾妹子)
   わがいはろ(吾家)   旅とおめほど(おもへど)
   さゆるの花(さゆり)  いづまもが(暇もが)
(39)   しるへには(しりへ) まゆすびに(まむすび)
   うのばら(うなばら)  妹がここり(妹がこころ)
   えびはとかなな(帶は) いむ(妹)
   ささごて(捧げて)   おめかはり(面かはり)
   かしゆかやらむ(徒歩) 見とと(見つつ)
等その一班である。「二十」に品物の少ないのも區域の狹いからであらう。「二十」が到底、「十四」に及ばないのは勿論であるが、あとにもさきにも是れ一つといふ長歌のあるのは「二十」のために誇るに足るべきではあるまいか。
   足柄の み坂たまはり かへり見ず あれはくえ行く〔四字右○〕 あらし男も たしや憚る〔五字右○〕 不破の關 くえてわは行く 馬の蹄 筑紫のさきに ちまり居て〔五字右○〕 あれは齋はむ もろもろは さけくとまをす〔七字右○〕 かへりくまでに
家持作の長篇よりも余はこの片言交りの作を愛するのである。
(40)凡そ吾人が詩歌に就いての感じ、即ち面白いとか面白くないとかの判斷の起つて來るのは主として眼のはたらきであるが、半は耳のはたらきである。内容の趣味を感知するのは眼よりするのであるが、外形即ち調子に至つては耳の司る部分であらうと思はれる。
 故に天然物を寫すにしても全く眼の力にのみ一任してしまふ所の繪畫のやうに明瞭なわけには行かない。文字を以て時間的に説明するものはいかなる微細なる觀察眼を以てしても、到底一枚の粗畫程にも明瞭ならしむることは出來ない。まして短歌のやうなものになると同じく自然を寫すにしても、ほんのその骨を描くに止まるのみであつて、彩色の如きは殆んど問ふの暇がない。殊に萬葉のやうな主觀を表示するの方便として天然物を捉へるやりかたでは尚更のことである。つまり「色」といふものには餘り頓着しないことになるのである。しかし仔細に見れば色を用ゐたものがないではない。
(41)   淺縁そめかけたりと見るまでに春の楊は萠えにけるかも(卷十)
の如きものや萬葉の未になつて家持の作とある
   みづとりの鴨の羽の色の青馬をけふ見る人は限りなしといふ(卷二十)
の如き、よし家持のは拙いにしても孰れも色に重きを置いて詠んだものであるが、東歌になるとこんなものは一首もない。一つは口調の上から來た
   白波、白砥、白栲、青柳、赤駒
などの尤も普通の名詞で、一首に纏つたものでは、
   こひしけば袖も振らむを(武藏野のうけらが花の)いろに出《づ》なゆめ
   (眞金吹く丹生のまそほの)いろに出でいはなくのみぞあがこふらくは
の二首で共に「いろに出づ」といふための序にしてあるので、色その物の説明には力が這入つて居らない。
東歌にある「音」或は「聲」は色に開したものよりはずつと多い。しかしそれも(42)鷲が鳴くとか、ほととぎすの鳴くを聞くとか、
   伊香保ろに神な鳴りそね我がへには故はなけども兒らによりてぞ
   つむが野に鈴が音きこゆかむしだのとのの仲子《なかち》し鳥狩すらしも
とかいふので音には相違ないが、「音」といふ小部類を立てて見ると一向につまらぬものである。この外に音を形容した語は「とどろに」とか「とどとして」とかいふのでこれも平凡なものである。かやうに「音」や「聲」に就いては面白いもののないうちに唯一つ極めて珍らしくはたらかせたものがある。それは既に例に引いた歌であるが
   烏とふ大嘘鳥のまさでにも來まさぬ君を兒ろくとぞなく
といふのである。「十四」「二十」の東歌三百首の中にせめて一つのこの作のあつたのはいかにも愉快に思はれるのである。
東歌に對して色や音に關した作の研究をしようとした余が前提はあまり大袈裟過(43)ぎて居つた。余は更に廣く萬葉全體に渉つて、色と音との研究をして見ようと思ふ。結果が面白かつたら再び本誌の上に掲載する覺悟である。
      (明治卅六年十月十三日發行。馬醉木第五號所載)
 
(44) 萬葉口舌〔一〕
 
     卷の十六の研究
 
 予は曩に十四の研究を公にした時に十六の滑稽を以て東歌と共に萬葉中に異彩を放つものであることを斷つて置いた。東歌は既に概畧の研究を遂げたのであるから、其順序として十六の滑稽に就いて論じなければならない。然し單に滑稽のみとすれば正岡先生が甞て評論せられたことがあるから最早言ふの必要が無いのであるけれども、猶ほ方面を異にして研究をして見ようと思ふ。それと同時に十六に於けるは注目す可き點が滑稽のみに限らないのであるから十六惣體に渉つて研究することにした。十四は悉く東人の作であつたから、研究上部類分けをする必(45)要もなく容易なものであつたが、十六となると種類の異つたものがいくらも錯綜して居るから稍々面倒に成つてくる。しかしこれも大別すれば三つとすることが出來る。即ち一つは有由縁歌といふ部に入る可きもので、一つは滑稽といふ部に入る可きものである。此二つは分明に部類を立てることの出來るものである。夫れから他の一つは雜歌として部類を立つ可きもので、これは種々なる歌を含んで居るもので、有由縁歌にも滑稽にも入る可きものでないのである。雜歌の中には異つた種類があるのであるから、更に部類を立てて見ようとすれば特色を備へたものでなくなる。隨て雜歌といふ漠たる標題の下に置かねばならないのである。かく三つに區分したがこれが果して正しい區分であるかどうかそれは分らない。詰り自分が研究に便利であると訟めた方法に從つた迄である。
 有由縁歌。この部に入れたものは歌そのものの由來が説明してあるものであるが、滑稽の調を帶びたものは由縁あるものでもそれは滑稽の部に入れて仕舞つ(46)たから茲に此の部に入れるものは悉く眞面目の作のみである。さうしてその作品が僅々二十首に過ぎないのであるかち一つの部門を立てるのは薄弱なやうであるが、此の部に屬するものには自ら一つの特色を存じて居る。一言にして盡して見れば、各の歌の由て來るところの説明によつて、一際その歌に對する讀者の感懷を深からしめる點である。
   春去らば挿頭にせむと我がもひし櫻の花は散りにけるかも
   妹が名に繋《かか》せる櫻花さかば常にや戀ひむいや年のはに
 この二つの歌を單にこの歌だけにして見たらどうであるか。二つ共に一種の濕やかな沈んだ調子であることは極めて容易に感ずることが出來るけれども、それならば何れの場合に詠んだものであるかと問うたならばそれを限ることは頗る困難である。見る人によつて解を異にするの結果に出でなければならない。隨て見やうによればどうにも成るといふことになるのであるから感情が分離してしまふ(47)のである。殊に「春去らば」の如きは唯植物に對して感懷を寄せたに過ぎないものと見られるのである。然れども此の二つの歌の由縁即ち昔その名は櫻兒といふ娘子を吾えむものと二人の壯士が生を捐てて爭つた時に一女の身にして二門に往くといふことは到底出來難いことである、といつて一人のもとに身を任すことは猶更なしえらるることではない。何れへも寄することのならない身であるといつて控へて居れば壯士の爭は劇烈になつてくる。それを見つつ苦しまむよりは寧ろ死んだがましである。自分が死んだならば壯士の爭ひも留むることが出來ようと萬斛の涙を呑んで林中に入つて樹に懸つて死んでしまつた。つまり自ら犯した罪もないのに、否々罪のないのみならず、情ある壯士の愛するところとなつた爲めに、却て自己の禍となつて果てた悲惨な事柄である。自分達の執着によつて娘子をしてこの悲惨な死を致さしめた壯士は慟哭せざるを得ない。血に泣いて詠じた歌が即ちこれである。かういふ事柄を知つた上に此の歌に對したならばどうであ(48)るか、いかなる場合であつたかといふことも、いかなる人が詠んだかといふことも、いかなる情を含んで居たかといふことも、確乎として動かす可からざるものになる。さうしてこの平凡なやうな調子のうちに、涕涙の滂沱たるを認められるのである。即ち平凡に近いこの二つの歌は、その事柄の表明によつて人の感情を惹くことの至つて大なるものたるを知るのである。この歌の長々しい説明は徒爾に屬するものではなかつた。
   耳なしの池し恨めし吾妹兒が來つつ潜かば水は涸れなむ
   足曳の山|縵《かつら》の兒けふ往くと吾に告りせばはやくこましを
   足曳の山縵の兒けふの如いづれの隈を見つつ來にけむ、
 この三つの歌も事柄は概ね似たことであるが、さきのは壯士が二人であるのにこれは三人であるのと、さきのは娘子が樹に懸つて死んだのに、これは池に沈んで果てたといふ相違は有るが、悲惨の死を歌つたのであることは同一である。
(49) この三つの歌になるとさきのよりは歌そのものの上に事柄が表明されて居るけれども尚ほ漠たることは免れない。「耳なしの池し恨めし」だけは妹の兒なるものの水に趨いたことが分るけれども、ただこの歌の上のみにては妹の兒なるものが妻であるか一般の女子に對する親しみの意を含めたものであるか判明しない。あとの二つの如きは見やうによつてどうにもなるので敢て悲哀怨恨の情を含んだものとは取れないのである。しかし一旦その由縁を知るに至つては無限の憤りと悲しみとの響きをあらはすやうに感ずるのである。
   かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めて吾がもへりける
   ぬばたまの黒髪ぬれて沫雪のふるにや來ますここだ戀ふれば
 この歌であつても調子のどこかに痛切なる響きを存して居るけれどもやつぱり漠として見樣によつては變るものである。猪名川の歌の如きも一二の句などはどんなことがかくのみにありけるものをなのか分らない。四五の句なども行く先か(50)けて長く思つて居つたといふだけのことに成る。いかにもこの歌だけでは喰ひ足もないやうな、あとに何か一品欲しいといふやうな氣がする。あとの歌も概括していへば雪のこのやうに降るのに來て呉れたのかいかにも嬉しい。戀しい戀しいと思つた甲斐もあつたといふことだけは聞えるが、取りやうによつては待つて居た方の女がいそいそと立つて、火を焚きもてなす有樣をも想像し得らるるのである。然し乍らこれはそんな事柄に由つて作られたものでは無い。新婚いく程もなきに夫は驛使となつて雲のあなたに隔たつてしまつた。公事の畢らざる間は歸ることもならない。まだうら若い妻の身の思ひ悩んだ末に病に臥して起つことも叶はなくなつたが夫はまだ歸つてこない。慰むるものなき牀のうへに思ひ疲れて死ぬばかりに成つた。その時に及んで夫ははじめて歸つてきた。もう遲い。夫たるものが泣かずに居られようか。そこでかくばかりにも我が身を戀ひ慕つてこりやうに死に瀕するまでに病み煩つて居つたものを、知らずに行末長く相睦みて世を(51)過さむと思ひつつそれのみを楽みに任地に奉公の功を積んで漸く歸つて來たものを、このやうな姿を見なければ成らないとはどうした情ないことであるか。僻遠の地で使の往復も心に任せなかつたとはいひ乍らこんなことではないと思つて居た。待つて居た身は嘸たよりない悲しいことであつたらう、この衰へやうはどうしたことか取り返しもならないことか痛ましいことであるといふ無限の情を含んで詠んだのである。かくのみに有りけるものをといふのが最も適切に悲痛の響きをなして居る。吾念へりけるといひ切つてないところに注目す可きである。かくの如き夫の悲みを聞いて妻は枕を擡げて應へた。このふる雪のつらきなかを我がかく戀ふるばかりに來られたのであるか、難澁なことであつたであらうにと、我が身の苦悩は表はさずに夫の身の上をいたはり思つたその情を思へば、この二つの歌を見れば涙がこぼれるやうな氣がする。この歌をして此の如き情を發せしむるといふのは全くその事柄の表示に因るのである。
(52) これまで擧げた例は皆平凡といはばいふべく更に奇と稱すべき點を見出さないのであるが、これはどういふ理由かといふに、これ等のものは悉く非常な悲しみに遭遇したその主人公たるものの作であるから、隨て眞情の溢れて居る所以である。唯それ眞情を歌つたものである。どうして技巧を弄するの暇があるであらう。奇拔なものの出ないのは怪しむに足りないのである。この技巧を弄してないところが吾々をして作者の心情を直覺せしむる所以なのである。技巧を弄したものはその技巧の技巧たるを解した後にその内容に及ぼすのであるから見るものの感情を惹くことが薄らぐことに成つて仕舞ふ。これがこれ等の作に奇拔な點の無い理由である。夫れから又かういふことがある。同じく物を食ふにしても空腹な時には惣じて味がよい。これは胃の腑の感じを強く敏捷にしておくためである。かかどの刺は痛くないが腫物には手も觸れることが出來ない。これも感じが敏捷になつて居るからである。ここに例に出した歌の由縁もつまるところ讀者の感情を強(53)めておく一つの方便といつて宜しい。讀者の感情が鋭く強くなつて居るがためにその歌が浸み透るやうに覺えるのである。夫れから子供がここに泣いて居るとする。只泣いて居るのを見たのでは喧嘩して泣いて居るのかどうか分らない。ところがその子が母を見失つて泣いて居るとすると、その子供に對する感情が異なつてくる。
 ここに人が困つたといふ一言を發したとする。手桶の水で足袋を濡らしたことでも困つたといふこともあるであらう。二丁か三丁も迂回すればさきへ行かれる堀江の土橋が崩れて居つても吾々は困つたといふことがあるであらう。尋ねる品が見えないでも困つたといふことがあるであらう。是等の些々たることにも困つたといふことをいふとすると、いかに困つたかの説明がなくては分らないことになる。さうしてその説明によつていかやうにも聞く人の耳に響くのである。「ぬばたまの黒髪ぬれて」の歌の如きもそのいかなる事柄であつたかの由縁が附隨して(54)居るために吾々は悲しく感ずるのである。概括して見ればここに述べたことは一の事柄に就て作つたものはどうしてもその事柄を表示してその作つた歌に附隨せしめなければ感じが薄くなるといふに歸するのである。
 馬醉木や鵜川の歌を見ても詞書の必要なものに何にもないものが幾らもある。これはこんなものかといふ想像を下して見てもどうやら覺束ないものが少なくない。殊に人事的のものになると人事そのものは複雜なものでも死んだとか生れたとかいふことになると、詮ずるところ悲しいとかうれしいとかいふことになるので有るが、その悲しいにも嬉しいにも歌と詞書と相待つて始めてさまざまに變化して見られるのである。況やその他のものに在つては猶更のことである。詞書を添へる段になると、成たけ離れて作るが肝要になる。詞書が無くても明瞭であるといふ歌よりも、詞書がなくてはならない歌の方が變化せしめ易いのである。素より吾々が常に陷りつつある、詞書と歌とが重複するやうなことは最も厭ふべき(55)で、そんなことになると感興を殺ぐこといくらであるか分らない。要は附隨せしむべきものには必ず怠る勿れといふことである。
 これまで引用した歌のやうに由縁の説明と重大な關係を持つて居なくても、即ちこれまでのよりも歌そのもので明瞭なものでも、尚ほ説明のために面白さの増すものでは、密に契つた女の方で父母に知らしめむと欲して、男の意向を問ふたといふ
   こもりのみ戀ふれば苦し山のはゆ出でくる月の顯さばいかに
の歌や、男女の間を父母に知られて呵嘖せられむことを恐れて男が心のゆるむだのを女が自分の決心を夫に示したといふ
   ことしあらば小泊瀬山の石城にもこもらば共にな思ひ吾が背
の歌や、また鄙人の我が妻が郷人に交つて野遊するを見てよんだといふ
   墨の江の小集樂《をづめ》に出でてまさめにも己妻すらを鏡と見つも
(58)の歌の如きはなほ説明を待つてはじめて一層の妙味を感ずるのである。なほ面白いものはいくらもあれどこの位に留めておくが、以上はすべてその事柄の主人公の作ばかりであつたが、有由縁歌の中には稍異つたものがある。
   家にありし櫃に※[金+巣]《くぎ》さしをさめてし戀の奴のつかみかかりて
   柄《かる》臼は田廬《たぶせ》のもとに我背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ
   夕立の雨うち降れば春日野の尾花がうれの白露思ほゆ
抔であるがこれらに附隨した説明は琴を弄ぶ毎にこれを誦したといふだけでこの歌の由て來る所以は缺如たるものである。これまでの作は皆悲哀煩悶等のもので見るものをして明白地にしかく感ぜしめたが、同種のものでも戀の奴の歌の如きは少しく物足らぬやうな感じがする。尤もこれは巧拙といふ方面からの論ではない。面白いことは面白いが、技巧を弄しただけいくらか作り物の感じがするのである。
(57) ここに擧げた春日野の歌の如きは十六中には異類のもので、六、七あたりに入るべきものである。偶々この歌のあつたために余は一つの考を得たのである。それはかくの如き客觀に極めて單純な主觀を交へたものには別に何の説明をも要せないことである。客觀に人事の複雜なるものを交へた時には必ず説明を要することにもなるのであらう。有由縁歌は悉く人事的の作であることを思へばこの説は首肯せらることと思ふ。
 更に立ち戻つていつて見れば余が有由縁歌を一つの部門として論じたのは、詞書といふものがどれ程必要なものであるかといふことを、まだ心付かなかつた人に知らしめむとするの素志であつた。さうしてこれ等の歌は慥に十六中に異彩を放つて居つて更に萬葉中にあつても特色を存して居るものと思ふ。さうして悲哀の情の深いもの程奇拔なところも異なつたところもなく、悲哀の情や煩悶の情の乏しいものになれば、その代りに技巧の點がすぐれて居るといふ傾向が見えるや(58)うである。
        (明治卅七年二月十七日發行。馬醉木第九號所載)
 
(59) 萬葉口舌〔二〕
 
     卷の十六の研究(承前)
 滑稽。滑稽の部に屬するものは分つて二つとすることが出來る。一はその目的の全く滑稽に存ずるもので、一はその結果の全く滑稽に出でたるものである。目的の滑稽に在るもの、即ち滑稽を主として作つたもの、作例を示せば左の如くである。
   勝間田の池は我知る蓮なししかいふ君が鬚なきが如し
   寺々の女餓鬼申さく大三輪の男餓鬼たばりてその子うまはむ
   佛造る眞朱《まそほ》足らずは水たまる池田の朝臣が鼻のへを穿れ
(60)   小兒等は草はな刈りそ八穗蓼を穗積の朝臣が腋草を刈れ
   いづくぞ眞朱穿る丘薦疊平群の朝臣が鼻のへを穿れ
   烏玉の斐太の大黒見る毎に巨勢の小黒し念ほゆるかも
   駒造る土師の志婢麿白なればうべ欲しからむその黒色を
   法師等が鬢の剃杭馬繋ぎいたくな引きそ法師なからかむ
   壇越やしかもないひそさとをさ等が課役はたらば汝もなからかむ
   石麿に我物申す夏痩によしといふものぞむなぎとりめせ
   痩す痩すも生けらばあらむをはたやはたむなぎをとると河にながるな
   このごろの我戀力しるしあつめ功に申さば五位の冠
   このごろの我戀力たばらずばみやこに出でて訴へ申さむ
等であるが悉く皆戯れに人を嗤笑したるに過ぎない。殆んど一時の座興を添へた位のものと見て大なる相違もない。人も自分もその座に笑つて趾はなんにも無く、(61)物に譬へれば火花がぱつと開いてぱつと消えたやうに、單純で且つ何物をも捉へないやうな所が厭味の無い所以であらう。ここに擧げた例歌のうちでもなほ二つに分ちうる。即ち孰れも作者の技倆手腕に俟つて滑稽の趣味を發揮されたには極つて居るが、いくらか滑稽の趣味あるものを土臺にしたのと、更に滑稽の分子を認めないものを全く作者の技倆に依つて滑稽化して仕舞つたものとである。池田の朝臣が痩せこけた大神の朝臣を嗤れば大神の朝臣が相手の鼻の赤いところを捉へて嗤り返す。穗積の朝臣が腋毛の多いのを發かれて更に相手を嗤りかへす。對照が既に滑稽になつて居る。それに作者の技倆が加はるのであるから愈罪の無い面白いものに成るが、「勝間田の池」や「法師等が鬚の剃杭」の如きはその物には聊かも滑稽の分子を含まないにも拘らず、滑稽化せしめた作者の技倆の非凡なるには駭かざるを得ない。
 要するに滑稽の分子を含んだものでも含まないものでも上手に出來たものは甲(62)乙を附するわけに行かない。しかし十六中に在つても滑稽の分子を含んだものから成つたのよりは含まないものから成つたのが遙かに少ない。是れ兩者の間に難易の懸隔があるといふことを慥められるだらうと思ふ。結果の全く滑稽に出でたるものは即ち詠數種物歌であるが、これは前項の例の如く滑稽を主としてのみ作つたものでない。此の滑稽に頗る輕い意味に取るべきものが多い。
   さす鍋に湯沸せ子供櫟津の檜橋よりこむ狐にあむさむ
   婆羅門の作れる小田を喫む烏瞼腫れて幡幢に居り
   こり塗れる塔になよりそ河隈の屎鮒はめる痛き女奴
   枳の辣原刈りそけ倉立てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
   葛花にはひおほとれる屎葛たゆることなく宮仕へせむ
   食薦しき青菜煮待ちき※[木+梁]に行騰かけて息む此君
   醤酢《ひしほす》に蒜つきかてて鯛願ふ我にな見せそ水葱のあつもの
(63)   玉掃刈りこ鎌麻呂室の樹と棗がもとを掻きはかむため
   池神の力士※[人偏+舞]かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
   虎に乘り古屋を越えて青淵にみつちとりこむ劍太刀もが
等であるが、非常な難題を事も無く仕遂げるといふのが主眼になつて居る。只管滑稽を弄するものとは大に相違してくるわけである。窮屈な思ひがけないものを纏めることは困難なことだが、出來るとなれば却つて面白いものをうることが普通である。此等の作例もそれであるが變な了解し憎いやうなところに、いふ可からざる妙味を存じて居る。その了解し憎い罪のないところが自ら滑稽に傾いて仕舞ふのである。作者は滑稽を弄する意志でなくてもその取合せが普通でない爲めに、知らず識らず滑稽になつてくる。此のうちにも滑稽の表面なものと滑稽といふ程でなくても眞面目でないものとがある。「さす鍋」「婆羅門」「葛花」「枳」など、孰れも多少作者が沈思黙考のうちにも滑稽趣味を加へようとした形跡を認め(64)らる。「食薦しき」「醤酢に」「玉掃」「虎に乘り」等は、唯よみおほせたもののやうに思はれるが、※[木+梁]に行騰をかけるとか、醤酢に蒜つきかてて鯛願ふとか、虎に乘つて青淵に蛟をとなといふだけならば不思議はないが、古屋を越えてといふの類、了解すべきものでないところが滑稽に傾いてくる。了解し憎いといへば、
   吾妹兒が額に生ひたる雙六の犢の牛の鞍の上の瘡
   吾背子が犢鼻にするつぶれ石の吉野の山に氷魚ぞ懸れる
抔もそれであるが、此は固より了解すべからざるものを作るの意であつたのだから一層六かしいわけである。譯の分らないものではあるが、如何にも初二句から三句への接續が巧妙で音調が些の澁滯も無いために欺かれて何物かを言ひ表したものであらうといふやうな感じが卒讀の際には起る。その感じの起るだけこの歌を全く了解した以上には巧妙なる手段に驚かさるるのである。巧妙なる手段とい(65)ふのは人を馬鹿にした點にあるので、人を馬鹿にしたところが滑稽である。
 以上掲載したる歌に就て音調の上から見るとーー無心所著歌の如きは殊に音調の滑かなる爲めに成立して居るのだから別物として前項の二つの例に就いて見ると一は流暢にして一は拮屈である。一は思想の趨くに任せて些の拘束もないのに、一は極端の束縛を蒙つたからである。前者の流暢なる所以は嬉戯の間に成つたのも原因である。普通の談話であつても眞面目な話は重くるしいが笑ひばなしは輕快になる。かう考へて見ると流暢が更に流暢に感ぜられる。後者の拮屈は束縛を受けて居るからであるのは勿論のことだが、即ち材料が夥しいために、全體に非常の重量を感ずる。材料の一つ一つを僅に※[糸+彌]縫し得たに過ぎないのであるから重量が一點に歸着しない。初句でさへも非常に活動して居る。これは慥に萬葉中の破格なものである。しかし幸に結句を疎末にしない爲め一種の平均を保つことが出來た。
(66) 自分は曩に東歌は外形に優れ、滑稽歌は内容に秀でて居るといふことを斷言して置いた。十六の滑稽即ち茲に示した例歌の内容に妙味の存在して居ることは瞭然たる所であるが、外形に於ても頗る見るべきものが少くない。此は丁度東歌の中にも内容を以て誇るべきものがあつたと同一事である。
 十六の滑稽には他に類例のない句法がある。「その子生まはむ」とか「法師なからかむ」とかいふ類がそれである。其他に至つても「鼻のへを穿れ」「腋草を刈れ」「五位の冠」「狐にあむさむ」「痛き女奴」「櫛造る刀自」「幡幢に居り」等孰れも一種の用法である。何故に此の如き珍らしき句が十六には散在して居るかといふに、作者の目的方法が他の場合とは全く相違して居る。言語句法共に變化せしめなければ到底言ひ表しえないものを試みた結果である。それで十六の作者は最初から言語句法の變化を期待して居つたかといふに決してさうとは言はれないことと思ふ。出來上つたものが自然に此の如きものを得たのであらうと考へられる。滑稽(67)の作と稱すべきものも、當時は十六所載の少數のみでは無かつた。必ず他にも有つたらうが、その成功したものが現存して居るのだ。一目して作者の氣乘りがした時分の作であることがわかる。氣乘りのした時分は思ひの外の作をするものである。十六の作者も蓋し作つてから面白いことであつたと心付く位のものであつたらう。
   (明治卅七年五月五日發行。馬醉木第十一號所載)
 
(68) 萬葉口舌〔三〕
 
      卷の十六の研究(承前)
 
 雜歌。此の部に屬すべきものは明瞭に一の標題のもとに一括することの出來難いものである。
 竹取翁の歌と乞食者の作二篇とは共に理想的で十六中に珍らしいのみでなく、萬葉全體に通じて見ることの出來ないものである。此種の作では九の浦島子、勝鹿眞間娘子、菟原處女の如きものがあるけれど、彼れは固より世上に流布したる傳説を基礎としたり、又は土地の古老から聞知したりしたものであるが、此は悉く作者自身の頭脳から案出したものである。隨つて彼は客觀的の作であるが、此(69)は主觀的の作である(比較的に)。併し孰れも萬葉集中に珍しいのみでなく、古往今來歌といふものの中に匹儔すべきものがない。萬葉の思想は極めて簡單で、露や梅のやうなものであつても、どれを見ても皆同一であるやうに感ぜられる程であるにも拘らず、著しく多方面であつて、後世迚ても俤さへ見ることの出來ないものがいくらもあるが、これ等の作はその最も著しいものである。
 それ故予は長いのを厭はず三篇とも茲に掲げて、少しく意見を述べて見たいと思ふ。
 唯竹取の一篇は古來難解の作で頗る研究を要すべきものであるから暫く避けて他日に讓るのであるが、難解といふのも詰り語句の上に存するので、主意とする所は無常迅速といふ觀念を言ひ表したる至極簡單のものである。故に全然空想より成つて居る。勉めて面白きものにしようとした結果、隨分形容のしやうには苦心惨憺したものである。萬葉古義の作者からは「こちたき漢國の故事を主として(70)よめるなどいとうるさく、人麻呂赤人の餘風はきよく失《すた》り果てて今さだかに解得がたし」とまでいはれ居るのであるが、そこがこの篇の生命の存する所で、少年易老といふ觀念をいふために、作者は殆んど自己の有する限りの手腕を振つたものと認められをのである。解し難さは語句であつて主意は至つて見易いものであるといはば趣味的に研究する人の爲めには左程に困難でもないと思ふ。
     乞食者詠二皆
   いとこなせの君、居り居りて物にい行くと、韓國の虎とふ神を、生けどりに八つとり持ち來、其皮を疊にさし、八重疊平群の山に、四月と五月のほどに、藥獵仕ふる時に、足引の此片山に、二つ立つ櫟がもとに、梓弓八つ手挿み、ひめ鏑八つ手挿み、しし待つと我居る時に、小男鹿の來立ち嘆かく、忽ちにあれは死ぬべし、大君に吾は仕へむ、吾角は御笠の飾《はやし》、吾耳は御墨の坩《つぼ》、吾目らは眞澄の鏡、吾爪は御弓のゆはず、吾毛らは御筆の飾《はやし》、(71)吾皮は御箱の皮に、吾肉はみなます榮《はや》し、吾膽も御鱠はやし、吾みぎは御鹽のはやし、老い果てぬ我身一つに、七重花咲く八重花さくと、白しはやさね、まをしはやさぬ
      右歌一首爲鹿述痛作之也
   押照るや難波の小江に、廬造りなまりて居る、葦蟹を大君召すと、何爲むに吾を召すらめや、明けく吾は知ることを、歌人と吾を召すらめや、笛吹とわを召すらめや、琴彈と吾を召すらめや、かもかくもみこと受けむと、けふけふと飛鳥に到り、おかねどもおきなに到り、つかねどもつく野に到り、東の中の御門ゆ、參り來て命うくれば、馬にこそふもだしかくもの、牛にこそ鼻繩はくれ、足引の此片山の、百楡を五百枝はぎ垂り、天てるや日のけに干し、さひづるや柄碓に舂き、庭に立つすり臼につき、押してるや難波の小江の、始垂を辛く垂り來て、陶人の作れる瓶を、けふ往きて明(72)日取り待ち來、吾目らに鹽ぬりたまひ、もちはやすも、もちはやすも
      右歌一首爲蟹述痛作之也
 これも曩に言つた如く、普通知られて居たことを極めて面白く作るといふのが目的なのだからその心持で見なければならぬ。それで孰れも鹿自ら、蟹自らの言語にしてある。鹿の歌の如きも作者の説明と見るべき句は「八吾疊平群の山云々」の十六句に過ぎない。「伊刀古なせ云々」の十句は序歌である。序歌としても隨分思ひ切つた大膽な用法である。然し一篇の構想は滑稽の分子によつて面白からしめむとしたのであるからこの大膽な用法は寧ろ適切な感じがする。
 蟹の歌には特別なる序歌の如きものはないが、想像の變化があるので鹿の歌よりも面白く感ぜられる。これも滑稽の分子が充滿して居るのであるが、先づ蟹の態度の傲慢らしく見えるのを表はすために「葦蟹を大君召すと」から「みこと受けむ」までいつてある。これを古義の作者は「何の能もなき吾なるに何故に吾を(73) 召したまふことぞと疑ふ意なり」といつてあるがそれでは面白くない。傲慢不遜の態度を形容したものとするから、はじめて蟹その物が眼前に髣髴として來るのである。「おかねどもおきな」「けふけふと飛鳥」「つかねどもつく野」や馬にこそとか牛にこそとかいふのも、皆一篇の上に關係を及ぼさないものであるが、面白くしようといふ爲めにかういつてあるのだ。以下の句も皆それである。
 二篇共に左程にもないことを作者の技倆一つで極めて面白くしてあるのは竹取と同一轍である。然し此は事柄の形跡のあるものを基礎としたのであるが竹取は全く假想である。此の一讀明瞭に且つ了解し易いのに、竹取の再三再四反覆してなほ不明の感じがするのは、有るものを基礎としたことと、無いものから案出したこととの相違からくるのである。即ち一は隨分無理にも語句を造らなければならないが、一は極めて樂にいくからである。
 十六のこの三篇は孰れも面白いのであるから、甲乙を附するといふことは六か(74)しいが、有るものを基礎とした鹿蟹の歌の如きは、無いものから案出した竹取の如きものよりは變化せしめ易い。それで竹取の如きものは再び出來難いが、鹿蟹の如きやり方は趣向の立てやうによつて更にまた出來る望がある。それで鹿の歌と蟹の歌とに就て比較して見ると、鹿よりは蟹は變化がある。隨て内容に面白味がおほい。その代りに鹿の歌には蟹の歌にない大膽な序歌が用ゐられてある。恰も鹿の歌に比して竹取の歌が非常に語句に力が費してあるやうな傾きである。能登國三首も面白いものである、
   かしま嶺の机の島の、小螺をい拾ひ持ち來て、石もちつつきはふり、はや川に洗ひ濯ぎ、辛鹽にここともみ、高杯にもり机に立てて、母にまつりつや、めつこの刀自、父にまつりつや、みめつこの刀自
 此の短い體は十三一卷が悉くそれであるが、只この作の十三にあるものと異つて居るのは、動作の極めて明瞭に表示されてあることである。小螺を料理する状(75)が遺憾なくあらはれて居る。この作は料理する状をいふことの外になんにもいつて無いのだから、之を讀むものの脳中には作者がいはむとした動作のみが印象されるからである。萬葉の凡てが茫漠たるものであるのに、この作の如き明瞭なものは洵に珍らしいのである。
   ※[土+皆]楯の熊來のやらに、新羅斧墮し入れわし、かけてかけてな泣かしそね、浮き出づるやと見むわし
      右歌一首傳云或有愚人斧墮海底而不解鐵沈無理浮水聊作此歌口吟爲喩也
   ※[土+皆]楯の熊來酒屋に、まぬらる奴わし、さすひたて率てきなましを、まぬらる奴わし
 これはさきのとは正反對に極めて茫漠として新羅斧の如きは殆んど了解し難い程で、解釋して仕舞つては趣味を減却せしめると思ふ位のものである。然しそこ(76)が長所のある點で飽くことの知らない理由である。上のやうな句法は萬葉集よりは萬葉集以前にあるので、以前といふのよりは俗間にあつたのであらう。それが埋れてしまつてここに二つ位が保存されたのかも知れない。現今であつても子守唄や手毯唄の中にも何の意味であるか分明でないやうなものに語路の流暢で滑かなためいふべからざる妙味のあるものがいぐらもある。この二つの語句の末に「わし」といふ語の附隨して居るなどは頗る面白味を助けて居る。加之この二つは萬葉集中他に類のないものであるに至つては更に面白い。
     厭世間無常歌三首
   生死の二つの海を厭はしみ潮干の山をしぬびつるかも
   世のなかのしき借廬に住み住みて至らむ國のたづき知らずも
   鯨魚《いさな》取り海や死にする山や死にする、死ねこそ海は潮干て山は枯れすれ
     藐姑射山歌一首
(77)   心をし無何有《むかう》の郷に置きてあらば藐姑射の山を見まく近けむ
 萬葉集に於ける佛敦思想といふことで必ず引證される歌であるが、それは茲にいふべき限りでない。此歌はいひ表しが變つて居る。無何有の郷とか藐姑射の山とかも目立つて見えるが殊に「見まく近けむ」の如きは稀な語である。これはうたふべき方面が異なつたからなので、同一方面の作では作者の手腕で變化はあるにしても異なつた方面程に變化し易くはない。
     怕物歌三首
   天なるやささらの小野に茅草刈りかや刈りばかに鶉をたつも
   奧つ國知らす君が染屋形黄染の屋形神の門渡る
   人魂の佐青なる君がただ獨りあへりし雨夜は久しく思ほゆ
 これもいくらか異なつた方面の作であるが、かくの如きものの存在は複雜なる十六をして更に複雜ならしめるものである。この他にも單に面白いといへば面白(78)いものもあるが、萬葉の全體から見れば普通のものであるけれども、唯一つ擧げて見たいのは越中國歌四首の中の、
   伊夜彦のおのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そほふる
の荘嚴な感じがあつてしかも極めて寫生的なことである。そこで二の句の「おのれ」が難解であるが、「おのれ」は「尾ぬれ」で山の頂であるといふ考を待つて居るのは左千夫君である。「おのれ」と「おぬれ」では假名が違ふが我輩は「おぬれ」として明瞭に且つ妙味を増す方に左袒せざるをえない。
 畢りに筑前國志賀白水郎歌十首といふもの、これは寧ろ有由縁歌の中に入るべきものであるが、これを山上憶良一人の作であるとすると、一つの連作の體をなすので稍々注目すべきものになるが、その變化のない所先づ價値のないものとするが至當であらう。
 要するに萬葉の十六は極めて複雜な卷であることが特色で、有由縁歌が悲哀怨(79)恨の情を歌つたものかと思へば、滑稽の歌の如きものがある。而して我々が萬葉十六に學ぶべきは、異つた多くの方面に渉つて變化せしむべきことでなければならない。
   (明治三十八年二月二十日發行。馬醉木第二卷第一號所載)
 
(80) 歌の季に就いて
 
△ホトトギス七の六高濱虚子氏の俳語の一節にかういつてある。
   ……次に又、和歌は李を入れずして趣味あることを得るが、更に其に李を入れたらば更に趣味ある和歌となりはすまいか。言を換へれば從來無季の和歌のあつたのは、俳句に比して未だ至らざること一歩であつたのではあるまいか。といふ問題を先づ呈出して見たい。これは和歌に對しては輕からざる問題で、余の如き局外者が輕率の判斷をなすわけには行かないが、叙情歌は暫く措き、「箱根路」の歌の如き叙景歌に李の無いといふ事は、俳句を作るものの目から見ると何となく物足らぬ樣に思はれる。若し春夏秋冬(81)孰れの季かが此歌中に明示されて居つたならば其光景が一層判然として、更に一層趣味ある歌となりはすまいかと思はれる。景樹の、
     伊勢の海の千尋たく繩永き日も暮れてぞかへるあまの釣舟
といふ歌の如きは「永き日」なる言葉ある爲めに季の感じ確りして、從て風光の上にも種々の連想を惹起せしめる。若し此歌に「永き日」なる言葉が無かつたら臘を喫む如き無趣味なものとなるであらう。此歌と實朝卿の歌との價値を同一に論ずるわけにも行くまいが、彼の歌に季のものがあつたら更に幾多の趣味を添附し得たらうといふ事の反證とはなるであらう。………俳句に季無かる可からざる事を前提として、和歌、少くとも叙情和歌には成るべく季を入るる事を歌人諸君に勸め度と思ふ。………
△まことに丁寧穩當の見解であつて、かくの如き考を持つて居るものは天下の歌人中幾人もあるまいと思ふ。此議論で見ると主眼とするところは季に注目せよと(82)いふに歸するのであるが、叙情歌に就ては別として叙景歌に李の無いのは、趣味の上に價値を減ずるといふので極めて概畧の論である。即ち議論としては簡に過ぎて居るやうに思ふ。そこで季といふものに就いての自分が持つて居た考を述べて、歌といふものの各種の場合を引いて論究して見たいと思ふ。
△萬葉集の歌に就いて一渡り研究して見れば、萬葉集には無季の傑作が枚擧に遑ない位である。一寸擧げて見ても、
   さざ波の志賀のおは和太よどむとも昔の人にまたも逢はめやも
   丈夫がさつ矢手挿み立ち向ひ射るまど潟は見るにさやけし
   丈夫の鞆の音すなり物部の大臣《おほまへつぎみ》楯立つらしも
等の作であつても李はない。然しながら萬葉中の傑作である。高濱氏の「俳句入門」に據て吾々の知つた所は俳句に季のあるのは繪畫に色彩のあるのと同一であるといふことであるが、色彩といふのは即ち装飾である。季も亦或意味に於ての(83)装飾といつて不可なしであらう。又季は空間の連想を惹き起すためのものであるといつてある。俳句は此の如く微妙なる感じを主とし居るが、萬葉の作者は時代の然らしむる所でそんな考は毫末もない。それにも拘らず巧妙なる作を出したのは、一つは歌と俳句との間に自ら異なつたる性質のある故であらう。以上の例に見ても或事柄と隨伴して居るものは單に歌その物のみを見るべきでなく事柄とあはせ見てはじめて一層の光彩を放つものである。「さざ波の」であつても柿本人麻呂が近江の故都を過ぎ、有爲轉變の世の中を悲んで作つたといふ事柄、その事柄よりして壬申の亂を連想して更に此の作に對すれば一層吾々の感じが深くなる。「丈夫がさつ矢手挿み」の如きも從駕の人の作であるといふことを知つて見ると、まど潟の清く潔きを珍らしく思つたことがよく解る。「丈夫の鞆の音」も事柄の隨伴せるによつて面白いものである。さうして此等の作は孰れも事柄と相俟て面白いのみでなく、調子の上に於て特に趣味を感ずるのである。歌(暫く長歌を省く)は(84)文字の數に於ては俳句に比して殆んど倍して居るにも拘らず、内容は却て簡單なる場合が多い。この例にしてもそれである。そこが俳句に比して遙にのんびりした所以で、言葉の上に專ら装飾を施すことが出來るわけである。装飾の爲めに數多い文字を使用して且つのんびりせしめることは俳句には到底容れ能はざるところである。こののんびりした點が歌の長所の一つで音調の上に餘韻を感ぜしめる。歌は比較的簡單であるから隨て狹くなるがこれらの作の傑出したる理由に外ならない。
   憶良等はいまはまからむ子泣くらむその彼の母も吾を待つらむぞ
   人言をしげみこちたみ逢はざりき心あるごと思ふな我背
   丈夫と思へる我や水莖の水城の上に涙のごはむ
   君が行くみちの長手をくりたたね燒き亡さむ天の火もがも
   琴とればなげき先立つ蓋しぐも琴の下樋に嬬やこもれる
(85)等の如きで本より季はない。文字の數《かず》あるだけ感情の由て來る事柄とか、自己の動作とかの一部分が表明されてある。長歌になれば文字の數が無窮大であるだけますます自在である。然しながら主觀を咏ずるにしても、絶對に他の事物を借りないといふわけには行かない。主觀を咏ずる場合には文學の上に於ける装飾を施すことも趣味を變化する方法の一つである。例令へば、
   秋の田の穗の上に霧合《きら》ふあさがすみいづへの方に我戀やまむ
   大船の※[楫+戈]取の海に碇おろしいかなる人か物思はざらむ
   難波人葦火たく屋の煤たれど己が妻こそとこ珍らしき
   ※[木+巨]※[木+若]《うませ》越しに麥はむ駒の詈らゆれど猶しこひしくしぬびかねつも
   湊入りの葦分小舟さはりおほみいま來む我をこずと思ふな
これは即序詞の體で俳句にはない處だ。單純な意味を詞の飾りで面白くなつてゐる。又直ちに季のものを捉へて作つたものもある。
(86)   葦邊行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕は大和しおもほゆ
   君待つと我こひ居れば我宿の簾動かし秋の風吹く
   我宿の穗蓼|古乾《ふるから》つみおほし實になるまでに君をし待たむ
   ながらふる雪吹く風の寒き夜に吾背の君は獨かぬらむ
   三吉野の山のあらしの寒けくにはたや此宵も我がひとり寢む
それで此の三つのうちで孰れが適切に感情を言ひ表して居るかといへば、装飾も季もないものと季のものを捉へたものとで、文字の装飾をしたものは稍劣つて見える。一つは感情の激した折の作であるから、直叙して宜しい。却て装飾等を嫌ふのである。然しこの方法で成功する場合は少ない。文字の装飾をするのは比較的輕い場合の仕方で、季のものを捉へるのが適切に且簡易な方法である。萬葉集に在つてさへもかくの如くである。ここ大に刮目して見なければならぬ。
△これからは叙景の方面に向つて見よう。先づ「箱根路」の歌を吟味して後に萬
(87)葉集に及ばむとするのである。「箱根路」には人情を含むで居ない。景色を叙することが主になつて居る。一二の句「箱根路を我が越え來れば」にて作者自身の位置及び動作までが明瞭に説明してある。三句に至りて「伊豆の海」なる地名を拈出し、更に四の句「沖の小島」といひて思想をその海中の一小部分に集め、「波のよる見ゆ」の句を以てその一小部分の現象を説明し盡したるもので、秩序整然粗より細に入り、大より小に至る、一糸紊れずして叙し去りたるところ、かくの如く明瞭な序法は萬葉にも比少きものである。然しながら高邁なる作者の手腕は却て無季の點に於て議せらるるに至つたのである。もとこの歌は萬葉の句法を襲踏したるもので、萬葉中より例を引けば
   相坂を打ち出でて見れば近江の海白木綿花に浪立ちわたる
の如きで、一見頗る似て居るがこれは簡單である。その内容は只相坂山を越えて來たれば近江の海に浪が立つて居たといふ他に一物をも含んで居ないもので、こ(88)れは萬葉の作者の長所で後世の人からは珍らしい仕方である。それでこれには季節もなにも問ふの遑がない。只浪が立つて居たから浪が立つて居たといつたまでなのだ。吾々はこの點に少なからず趣味を感ずる。しかも内容の簡單なるだけすべてが茫漠として居るにも拘らず、「白木綿花」といふ句を用ゐて浪の形容までしてある。箱根路の歌はキチンとし過ぎて居る。これはボウツとして居る。箱根山の歌はキチンとして些の餘裕もないために季のないのが物足らず感ずる。然しながら箱根山の歌を以て價値なきものとは思はぬ。さうして季を入れるとした所容易なことではない。これを霞む小島とするといふやうな説もないではないが、それでは折角明瞭な「波のよる見ゆ」が役に立たなくなる。やつぱり箱根山の歌はこの儘でいい。これを救ふ方法といへば、時日行旅のこと等を前置にしたなら季の感じも確かまつたであらうと思ふ。それから簡單といへば萬葉の
   大海に島もあらなくに海原のたゆたふ浪に立てる白雲
(89)の如きも 平に靜かな海上に雲のむらむらとして騰りたるを直叙したるもので、季節の如きは關するところではない。一切が茫漠たるものであるのを茫漠と表はしたもので頗る珍らしくまた作者の手腕に驚かされるのである。然しこの種のものは辛くして得べきもので失敗し易い。
△そのほか叙景の作では、
   渡津見の豐旗雲に入日さしこよひの月夜きよくてりこそ
   ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
     登筑波山詠歌
   天の原雲なきよひにぬば玉の夜わたる月の入らまく惜しも
   和歌の浦に潮滿ち來れば潟をなみ葦邊をさして田鶴《たづ》鳴き渡る
   伊弥彦の尾ぬれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼ降る
等も季は明瞭に指示してない。指示してないが豐旗雲の歌の如きはどうしても秋(90)の感じで筑波山の如きも同一である。「月傾きぬ」の歌の如きは漠然たる言ひ表し方に趣味を感ずる。その音調の壯重なるところ器局の雄大なるところ、その丈高きところ萬葉集中否古今の短歌中に在りても屈指の作であると思ふ。伊弥彦の如きも落葉樹の茂つて居る時節を見て趣味を感ずるのである。和歌の浦の歌に至つては空間が明瞭に叙せられて居るにも拘らず季がない。然しこの歌が表はして居る音調と風光とは直ちに萬葉集中に異彩を放ちつつあるものであると感ぜしめる。若し強ひて季の觀念を確めるといふ段になれば、この歌の前書によつてしたいと思ふ。然しそれは冬のことであるので寧ろそれが無かつた方がいいと考へる位である。
△眞面目に景を赦し事を叙したるもので季のあるものは、
   巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつしぬばな巨勢の春野を
   淺緑染めかけたりと見るまでに春の柳はもえにけるかも
(91)   春過ぎて夏來たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
等であるが、かくの如く叙景叙事を主としたものは萬葉には極めて少ない。却て
   足引の山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を獨りかも寢む
   ますらをの弓末振り起し獵高の野邊さへ清く照る月夜かも
のやうに主とする點は極めて簡畧で文字の装飾、装飾といつてもそのために言ふところを一際適切にするの方法を取つて居るものがある。
△箱根路の歌に精々類似したものでは、
   天離る夷の長路ゆこひ來れば明石の門より大和島見ゆ
これは目的が叙情にあるので、季節がいつであらうがそんなことは問ふところでない。只明石の門より大和島の見えたのが嬉しくつてかく作つたのである。
   淡路の野島が崎の濱風に妹がむすぴし紐吹きかへす
これも季節には些の關するところではない。然かも吾々は見て以て傑出したる作(92)品と信ずる。目的がやつぱり叙情にあるので、叙情の點に成功して居るからである。
△猶叙景の作中で季のない例をいへば、
   櫻田へ鶴《たづ》鳴き渡るあゆち潟汐千にけらし鶴《たづ》鳴きわたる
   しはつ山打ち越え見れば笠鍵の島榜ぎ隱る棚なし小舟
   いそ埼を榜ぎたみ行けば近江の海八十の湊に鶴さはに鳴く
   なはの浦にしほ燒く烟ゆふされば行き過ぎかねて山に棚引く
   眉の如くもゐに見ゆる阿波の山かけて榜ぐ舟とまり知ちずも
   妹に戀ひあかの松原見わたせば汐千の潟にたづなき渡る
   あま小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦囘に浪立てる見ゆ
さうして却て叙情的の序歌に在つて季のあるのは抑もどういふ理由であるか。萬葉の作者の叙景は多く唯壯大なる、茫漠たるものを選んたため季の有るものが少(93)ない。叙情になると沈んだものが普通である。思ひに沈んで居る時に仰いで壯大なる風光を覩ることはなく、手近のものを探るべきである。隨て序歌の材料が季を有したる秋の田の穗とか、麥とかいふものを用ゐるやうに成るのである。
△萬葉の研究は先づ此位にして之を總括して見ると、叙情には季のないものと有るものとがあり、叙景にも季のないものと有るものがある。さうして季のあるものにも傑作があり、ないものにも傑作がある。そこで萬葉はさうであるが今後の歌人はどうすべきであらうか。かういふ考を持つべきだと思ふ。
  一、叙情歌に於ては、勿論無季で佳作を得ることができる。
  一、同じく季なきも序歌又は比喩等によりて、文字の上に装飾的語句を用ゐて佳作をうることが出來る。
  一、季のものを捉へて懷を述べると適切に且つ簡易に言ひ表はしえらるることがおほい。故に叙情にも季のあるためにより多く面白鰺を感ずることが(94)出來る。
  一、叙景歌では、只茫漠とした空間を茫漠と言ひ表はす場合には季の必要が少ない。從て無季の叙景にも佳作を得ることができる。
  一、單純より複雜に入るのは自然の法則で、今人の單純と思意するものは必ずしも古人の單純でなく、古人の複雜としたことが必ずしも悉く今人をして複雜を感ぜしめることは出來ない。同じ句法の上に製作したものでも、相坂山の歌と箱根山の歌とが相違して居るのは、自ら古人今人の思想の相違を示したものであるといつても差支がない。吾々の頭脳では到底萬葉の單純、萬葉の茫漠主義で滿足は出來ない。一草一葉の微なるものまで趣鰺を求めなければならない。季が必要であるのはいふまでもなく、知らず識らず季を有するやうに成る。
  一、叙情叙景共に季を必要とする場合が多いけれど、強ち一首のうちに必ず(95)明かに表示されずとも、詞書と歌とをあはせて季の觀念の確めらるべき場合もある。
△詰るところ季は和歌にも必要であるが、俳句とは程度に於て異なつてゐる。俳句は絶對に季を要するが、歌は決してさうでない。
   餅買ひにやりけり春の伊勢旅籠
の如きは一句の上に春の觀念を表はさんがための春の字であつて、自然的の春ではない。寧ろ理屈的規則的に春の字を入れた樣に感ずる。歌にはか程までに要求しない。季は天然の現象を咏ずるに最も適切にその現象を感知せしむる方便で、季なくして咏出したる天然の現象は、讀者の脳中に一種の不安心を生ぜしむるが故に、今後の作歌はこの點に俳句と接近するであらうけれども、性質上一歩の隔てを有し、百歩の隔てを有するのである。そこで高濱氏の「從來無季の和歌のあつたのは、俳句に比して未だ至らざること一歩であつたのではあるまいか」といふ(96)數句だけは粗漏であつたやうに思ふ。(萬葉のうちでも大伴家持の作は大分季のものがはひつて居るが、一つは時代の然らしむるところで、一つはもはや題咏に傾いて來た爲めでもある。それで佳作はその以前のものとは比較にならない程劣つて居る)。
   (明治三十七年七月發行。馬醉木第十二號所載)
 
(97) 竹の里人選歌につき
 
      左千夫に宛てた消息
 惣體の歌に就て僕は、動物、植物、器物、装飾、食物の五題に分けて調べて見た。興味の無いでもない。
      動物
(獣類)熊、狸、馬−駒−赤駒黒毛の駒、鼠−嫁が君、狐、さを鹿、犬、猫、鬼、ましら、かははり、
(鳥類)鵜−初鷄、鶴−蘆田鶴、鴉、鴨、鷲、雉、梟、つぐみ、鳩、鷹、鶉、鵲、雀、燕−岩燕、眼白、カナリヤ、千鳥、鳩、雁、鷯鷦、木兎、頬白、ひえ鳥、
  〔以下省略〕
       2010年12月28日(火)午前10時20分、入力終了