長塚節全集第四巻、歌論・旅行日記・病牀日記、春陽堂書店、432頁、1977.3.31
 
歌論
萬葉集卷の十四……………………………… 3
東歌餘談〔1〕 ………………………………13
東歌餘談〔2〕 ………………………………22
万葉口舌〔1〕 ………………………………32
万葉口舌〔2〕 ………………………………42
万葉口舌〔3〕 ………………………………48
歌の季に就いて………………………………56
竹の里人選歌につき…………………………67
寫生の歌に就いて……………………………73
秋冬雜咏に就いて碧梧桐氏よりの來状……78
變體の歌………………………………………83
枯桑漫筆〔1〕 ………………………………85
枯桑漫筆〔2〕 ………………………………92
歌譚抄を讀みて………………………………97
文明・茂吉・柿乃村人評………………… 101
古泉千樫・中村憲吉評…………………… 107
茂吉に與ふ………………………………… 113
千樫に與ふ………………………………… 118
齋藤君と古泉君…………………………… 120
一つ二つ…………………………………… 131
『鵜川』歌評……………………………… 140
『鵜川』選歌評〔一〕…………………… 151
『鵜川』選歌評〔二〕…………………… 156
『馬醉木』選歌評………………………… 158
斎藤茂吉作「七面鳥」書き入れ………… 172
齋藤茂吉著 歌集『赤光』書き入れ…… 176
旅行日記
旅行日記…………………………………… 245
病牀日記
病牀日記〔一〕…………………………… 255
病牀日記〔二〕…………………………… 318
病牀日記〔三〕…………………………… 407
 
歌論
 
(3) 萬葉集卷の十四
 
 萬葉集二十卷いづれの卷か佳作に乏しからむ、佳作と稱すべきもの亦いづれか特色を存せざらむ、而かもその特色たるや概ね萬葉集全部を通じての謂に非るはなし、例令ば悲壯なるもの、雄渾なるもの、奇拔なるもの、温雅なるもの、平淡なるもの等これらの諸作に接することあらむに、凡てこれ萬葉集が有する特色の一に外ならざるが如し。されば萬葉集中の一卷を拔きて炳然たる區劃を立てむことは蓋し難しと雖その間自ら二つの異彩を放てるものを見る可し、即ち卷の十四なる東歌(二十にも東歌たる防人の作あれども大抵同じきを以て暫く言はず)と同十六なる滑稽歌とにありとなす、概括して之を云へば東歌は外形に於て滑稽歌は内容に於て共に他に異なりたるが如し、十六の滑稽歌は嘗て亡師の所論載せて「日本」紙上に在り、敢て蛇足を添へざるべし、東歌に至りてはその珍品と目せらるゝにも拘はらず、これを解剖吟昧せしものありとせむも稀なるが如し。
(4) 萬葉十四は悉く東歌にして短歌二百三十一首を以て成る、試に數首を抄出すれば
   筑波嶺の新桑|繭《まよ》の絹はあれど君がみけししあやにきほしも
   つくば嶺に雪かも降らる〔三字右○〕否をかもかなしき兒ろ〔二字右○〕がにぬ干さるかも〔七字右○〕
   武藏野のをぐきが雉子たちわかれ去にし宵より背ろに逢はなふよ〔八字右○〕
   葛飾の眞間の手古奈がありしかばまゝのおすひ〔三字右○〕に波もとゞろに
   足柄のおてもこのもにさす罠のかなる間しづみ兒ろあれ紐とく
   おふ〔二字右○〕※[木+若]《しもと》このもと山のましはにも告らぬ妹が名かたに出でむかも
   あらたまのきべの林に汝を立てゝ行きがつましも〔七字右○〕妹さきたゝね
等一見して直ちに常態と異なるものあるを知るべきなり。今少しくこれに就きて吟味せむに「筑波嶺」の歌の二の句「新桑繭」は一の造語とも見るべくこれを以て東歌の特色となさんか、造語は萬葉の特色なり。未だ以て東歌の特色となすべからず、況やこの種のもの極めて少きをや、次の筑波嶺の歌内容の妙も頗る見るべしと雖句法の奇拔なるところ比儔すべきもの多からず、東歌中また一ありて二なし、「むさし野」の歌序歌としての巧妙なるは誇るに足るべきものあり、東歌にはこの種のもの最も夥しく例令ば
   (かみつけぬ佐野の舟橋とり放し)おやはさくれどあはさかるがへ
   (あしがりのわをかけ山の殻の木)のわをかつさねもかつさかずとも
   (とやの野にをさぎ狙はりをさをさも)寐なへ子故に母にころはえ
(5)   (赤駒を打ちてさを牽き心びき)いかなる背なかわがりこむといふ
の如き六十首に上る、實に總敷の四分の一強たり、而して措辭の巧妙なること此の如きものあり、以て東歌の特色となすべきか、強ひて言はゞ或は可ならむも序歌は萬葉の特色なり、比較的多きを以て遽に東歌のために氣※[火+稲の旁]を吐くべからず、「葛飾」の歌いひ切らざるところに妙味あるが如くなれどもこの類他に甚だ多く「瀧もとゞろに」と用ゐたる歌「十一」に二つまでもあるが如き更に珍らしとするに足らず。「足柄の歌」の結句は二音の語より成りたる字餘りの句なり、珍らしと雖なほ東歌中他に見るべからざるが如し、即ち以上の見解によりて造語の巧みなるものも句法の奇拔なるものも餘韻を存したるものもこれ等の形式は皆東歌の特色として見るべきものに非るを知らむ。
 東歌の特色は方言訛語の適用せられたる所にあり、萬葉十四の常態と異なるものあるを感ずるは一にこの方言訛語の存在に外ならず、東歌と稱するもの全く之に因由す、前掲の諸詠に見るも「降らる」「兒ろ」「背ろに逢はなふよ」「おすひ」「おふ※[木+若]」「行きがつましも」「あはさかるがへ」「わをかつさねも」「かつさかずとも」「狙はり」「寐なへ子」「母にころはえ」等、いかにその夥しきものなるかを知るに足らむ、而してこれ等の方言訛語がいかに外形の上に鹽梅せられたるかを檢せむと欲す。
 東歌に於ける方言訛語は夥多なるにも拘はらず初句に用ゐられたるは極めて僅なり、例令ば
(6)   足柄を「あしがり」
   妹なねを「妹なろ」
   大※[木+若]を「おふ※[木+若]」
   内日刺すを「内日さつ」
   群萱を「むろがや」
といふの類にして一も活用せられたるものなし、二の句に於て用ゐられたるは二十首の上に出でて初句に比するに活動したるもの多し。
   小峰見過ぐしを「小峰見そぐし」
   こよひと告れるを「こよひと告らろ」
   吾にこふらむを「わぬにこふなも」
   弓束なべ向きを「弓束なべまき」
   岡ろ田に生ふるを「をろ田におはる」
   をさぎ狙ひを「をさぎ狙はり」
の如きなほ「嶺にはつかなゝ」「悲しけしだ」「駒の行このす」等著しく異なりたるを見む、三の句に東語の用ゐられたるものも二十首に上る。
   待ち慕はすを「待つしたす」
   降る雪を「ふろよき」
(7)   かくしつゝを「かくすゝぞ」
   思ふらむを「思ふなむ」
   危ふけどを「あやほかど」「あやはども」
   逢はさればを「逢はなへば」「逢はなはゞ」
   日がてればを「日がとれば」
 これを初句に比するに亦大に活動したるを見るべし、二の句に比すれば稍振はざるが如きも畢竟彼の七言なるに此の五言なるの結果なれども、五言にしてなほ動詞の使用せられたるもの多きは注目すべからずや、四の句に至りては東語の詠み込みあるもの實に四十首ならむとす。
   行きがてましを「行きかつましも」
   吾をかどはせを「わをかづさねも」
   反らしめおきなばを「せらしめきなば」
   吾は音に泣くを「あを音しなくよ」
   流れ行けばを「ぬがなへ行けば」
   逢はぬときもを「逢はなへしだも」
   おもほすらむを「おもほすなもろ」
   忘れはせぬせ「忘れはせなゝ」
   雨を待つなすを「雨をまとのす」
   明日來ざらめやを「明日來せざめや」
(8)著しく活動の度を加へたるを見るべし、結句に至りては更に五十首の上に出づ。
   布干せるかもを「にぬほさるかも」
   みだれそめゝやを「みだれしめゝや」
   背に逢はぬを「背ろに逢はなふよ」
   汝は戀むを「汝はこふばぞも」
   汝を懸けずてあらむを「汝をかけなはめ」
   いざ寐しめよを「いざねしめとら」
   忘れせぬを「忘れせなふも」
   吾は放らめやを「吾はさかるがへ」
   かどはかしめずともを「かずさかずとも」
   そといひて追はじを「吾はそともはじ」
   行末を思ひつゝを「おくをかぬ/\」
   相違はじを「あひはたけはじ」
   寐むと言はぬかもを「寐ろとへなかも」
   な思ひそねを「なもはりそね」
   母に叱られを「母にころはえ」
   汝をいかにせむを「汝をどかもしむ」
   君を待つを「君をとまとも」
(9) なほ一々擧げざるべし、如上の引證に據りて之を略言すれば初句に於ては更に方言訛語の存在を認めずといふも不可なく、二句三句に及びて多く、四句は更に多く、結句に至りて十分の活動を爲したるを見るべし、これ何によりて然るか、曰く萬葉全體に通じたる短歌構成上の大原則を脱せざるが故なり、何をか短歌構成上の原則といふ、曰くはじめは輕からむことを欲し、終は重からむことを欲す、これのみ、萬葉二十卷短歌の數實に四千百七十三首と稱す、未だその一首だに初句の活動したるものを見ず、活動したる句は重し、重きもの初にありて後の輕からざる理なし、萬葉の短歌が初句に於て動詞の僅少なるもの宜なりといふべし、亡師屡予を戒めて曰く初句に言はむと欲する所はこれを二句に、二句に言はむと欲する所は之を三句に以下順次に此の如くして四五の二句にいふべきは能ふべくはこれを終の一句に緊縮せよ、かくの如くせば以て頭重脚輕の弊を免れむ、こゝに至りて枕詞の必要を感ずべしと、爾來萬葉を繙く毎に初句の必ず枕詞に非れば名詞等完全の意義を成さゞる語の多きを見てその明に服せざるを得ざりき、東歌の初句が殆んど無意味のもの多く句毎に活動の度を増すと共に東語の使用せられたるもの亦句毎に多きを加ふるの理を覺るべきなり。
 東語がいかに一首の上に影響せるかを見るに、東歌が朴素の資に富めるもの東人の性情が然りしより出づと雖東語の與つて力あるは論なし、吾人が日常の談話にも言語の如何によりては同意味のことを表示するにも拘はらず聽者の感覺に大なる差異を生ぜしむるが如く内容の甚だ異なる(10)所なきも之を東語に表はす時は殆ど別樣の思ひあり、この點既に東語の特色とも稱すべきも東語の特色は單に茲に止まらず、前にも述べたるが如く東語の適切に使用せられたるが東歌の特色にして萬葉十四の面目全く茲に存するなり、前掲の例歌に於て見るも「にぬほさるかも」といひ「背ろに逢はなふよ」といひ「行きがつましも」といひ「あはさかるがへ」といひ「わをかつさねもかつさかずとも」「寐なへ子故に母にころはえ」といふの類その他
   潮舟のおかねば悲しさねつれば人言しげし汝をどかもしむ〔七字右○〕
   みくゞぬにかものはほのす〔四字右○〕兒ろがうへにことおろ延へて未だ寐なふも〔四字右○〕
   白雲のたえにし妹をあぜせろと〔五字右○〕心にのりてこゝば悲しけ〔六字右○〕
   うべ兒なはわぬにこふなもたどつくのぬがなへ行けばこふしかるなも〔わ〜右○〕
   いかほろに天雲いつぎ鹿沼づく人とおたばふいざ寐しめとら〔七字右○〕
   狹衣の小筑波嶺ろの山のさきわすらえこばこそ汝をかけなはめ〔七字右○〕
   うまぐたの嶺ろの笹葉の露霜のぬれてわきなば汝はこふばぞも〔七字右○〕
 これを平語ならしめむよりは調子の上に於て妙味あることいくばくなるを知らず、東語をして單に訛語のみとなさば東歌は徒に難解の集たるに過ぎざりしならむ、然るに東人の技倆容易に東語獨得の長所を發揮したるがために遂に萬葉集中に異彩を放たしむるに至る、東人亦萬葉の歌人たるに恥ぢずといふべし、余が曩に造語も序歌も句法の奇拔なるものも皆東歌の特色とするに足らずして而かも主として東歌に取るべきは外形にありとなしたるもの誣言に非るを知る可きなり。
(11) 近來漸く單調を厭ふの結果種々の變體を試みむと欲するの傾向を生じたるが如し、余の如きも曾て記紀の歌神樂催馬樂を見て分別なく之を摸したりき、今に至りて顧るにその皮相の見に過ぎざりしを恥ぢざるを得ず、東歌を模せむとするもの亦こゝに見る所なかるべからず、吾人の見て方言訛語となすものは當時に於ける東人の通用語たりしなり、日常の言語を以て作爲したる短歌の成功したるものが即ち東歌なり、成功したる作なるが故に之に使用せられたる方言訛語はしかく活動せるなり、東歌を模せむとする人の動もすればその方言訛語の珍らしきを見て一意之を取らむとするものあり、抑も誤れるの甚だしきものといふべし、東人の東歌を作るや全く自然に出づ、後人の徒らに珍奇を趁ふものと共に語るべからず、東語を用ゐるも普通の語を用ゐるも一首の上に何等の影響をも及ぼさざらむには強て難語を用ゐべきの理なきに非ずや、東語の成句を取りてまでも自家の功名となさむと欲す、吾人はその陋劣なるを認めずんば非ず、東歌に倣ふものは須らく東歌に倣へたるが故に佳なるものたるべし、要は唯これのみ。
 東歌が東語を用ゐたるが故に價値あるものたりと雖稀には一種の厭味を感ずるものなきに非ず、「妹なろ」といひ「背な」といひ「あぜ」といひ「あどすとか」といふの類東歌に在りてはさまでに感ぜざるものなれども今人の頻りに用ゐるに至りては厭惡の念に堪へざらむと欲す、東歌に於けるこれらの語は自然に出でたるが故に調和せりしかも時に厭味のものなからず、今人猥りに襲用せむと欲す、戒めざるべけむや。
(12) 變體を試みむと欲して東歌を參酌するは可なり、徒にその短所を取りて長所の存する所を知らざるが如きは策の得たるものに非るなり。
 東歌に就ていふべきことなほ少なからずと雖餘は之を次號に讓る、執筆の際頭腦病むこと甚だしく殆んど闇中を辿るが如し、一葉にしてやみ數行にしてやむ、意を盡さざる所多きはこれがためなり。
             (明治三十六年六月五日發行。馬醉木 第一所載)
 
(13) 東歌餘談〔一〕
 
 萬葉十四の東歌に就ては、思ふところのあらましは述べたのであるが、更に二三の見るところを附加して見ようと思ふのである、それはどういふことかといふに、東歌にはどんな品物《ひんぶつ》が裝飾として、或は作者の思想を表示する爲にどんな鹽梅に用ゐられてあるか、その品物《ひんぶつ》は萬葉の他の歌に於ける品物とどんな相違があるか、又東歌には言語の異なつて居るのみでなく、境遇の異なつて居るところから、東人でなければ出來ない作が交つてゐるがそれはどんな所を作つたものであるか、東歌といへば萬葉二十の防人の歌も東歌であるが、この「二十」の防人の歌と「十四」の東歌とは相違があるかないか、有ればどんな所が相違して居るのか、これ等の問題と尚ほ吾人の頭腦を刺戟して感覺を起さしめるのは主として目と耳とにあるのであるが、その目よりする「色」と耳よりする「音」とかいふものは東人にはどんな刺戟を與へて居るか、つまり色とか音とかを材料にしてどんな製作物が出されて居るか、凡そこれ等の點から少しく研究して見やうと(14)思ふのである、これを云ふに先つて而かもそれはこれ等の研究に何等の關係をも持つて居らぬことてあるが、東歌の研究も本篇に止める積りであるから、こゝに云はなければ殆んど機を失してしまふの憾があるので、或は少し長くなる爲めに、腰を折るやうな憂もあるがまた止を得ないので云つておかなければならぬ、それは何かといふに重複にはなるが本誌の壹號に論じた東歌の特色即ち東歌は外形の上に大に萬葉集の他のものと異つて居る、東人の方言訛語が自在に適用されて、ために調子の上に著しき動變を生じ、方言訛語なるが故に東歌が存在して居るのであるといふ最も重要なる證據立が粗漏であつた、その以外は割合にこまかでそこが顛倒してゐるのであるから、更に例を引いて論じて見やうとするのである、東語であるために振つてゐるのを一句々々に就て見たのは壹號に詳しいからこゝには云はないが、一首の上に影響したものを調べて見ると
   筑波嶺に雪かも降らる〔三字右○〕否をかもかなしき兒ろ〔二字右○〕がにぬ干さるかも〔七字右○〕
といふのがある、平語にして見ればかうなる
   筑波嶺に雪かも降れる〔三字右○〕否を(と)かもかなしき兒らがぬの干せるかも〔兒〜右●〕
「降らる」が「降れる」よりもよく、「兒ろ」が「兒ら」よりもよく、「にぬ干さるかも」が「ぬの干せるかも」よりもよいのは一目にして瞭然たるものである、尤もこれはこの一首に於ていゝので、他の一切の場合に於てもさうであるといふのではない、次々にいふところ皆それである。
   うべ兒なはわぬに戀ふなもたとつくのぬかなへ行けばこふしかるなも〔兒〜右○〕
(15)これも、
   うべ兒ら〔二字右○〕はわれに戀ふらむたつ月のながらへ行けばこふしかるらむ〔わ〜右○〕
となるが、原作の重厚にして樸素なるには到底相如くことはならない、
   かなと田をあらがきまゆみ日がとれば〔八字右○〕雨をまとのす君をとまとも〔十字傍点〕
「あらがきまゆみ」は「あらがき」は荒掻、「まゆみ」は土の干われること、「日がとれば」は「日がてれば」「まとのす」は「待つなす」「君をとまとも」は「君をし待つも」、これも前評と同じである、殊に「君をとまとも」の「と」の用法の如きは最も注目すべき所であつて、恐らく比を見ないと思ふ、
   相模嶺のをみね見そぐし〔四字右○〕忘れくる妹が名呼びてあをねしなくな〔七字右○〕
「あをなかしむな」といふよりも「あをねしなくな」といふのが流暢である、「吾をねしなくる」も同じやうだ、
   うまぐたの嶺ろの笹葉の露霜の沾れてわきなば汝はこふばぞも〔七字右○〕
「汝は戀ひむぞ」といふよりは遙かに力がある、
   伊香保ろに天雲いつぎ鹿沼づく人ぞおたばふ〔六字右△〕いざ寢しめとら〔〔七字右○〕〕
「いざ寢しめよ」などゝいふよりはこれも非常に力があつて非常に緊密である、
   上毛ぬ佐野の舟橋とり放しおやはさくれどあはさかるがへ〔七字右○〕
「われさからめや」とか「吾さかれやも」とかいふ句はとても及びも付かない、「ぞも」「とら」(16)「がへ」などの用法はたまつたものでない、序にいふが「放し」といふのは通常「放ち」といふべきであるが現在の東國の俗語がこれであるのは面白いではないか、
   武藏野の小岫が雉子たちわかれ去にし宵より背ろに逢はなふよ〔八字右○〕
これは力があつて緊まつて居るといふのではなく鷹揚に悠長である所がおもしろい、これに類した句をつかつたのは、
   みくぐぬに鴨のはほのす〔四字右○〕兒ろが上に言おろ延へて未だ寢なふも〔六字右○〕
   あずへから駒のゆこのすあやはども〔九字右○〕人妻兒ろをまゆかせらふも〔兒〜右○〕
床しく可愛らしく思ふといふことを「まゆかせらふも」といふ使ひ方はほかの言語ではどういつたらよからうか、
   をかによせ我刈る萱りさねかやのまことなごやは寢ろとへなかも〔七字右○〕
   しほ舟のおかれば悲しさねつれば人言しげし汝をどかもしむ〔七字右○〕
「ぬよといはぬかも」「汝をいかにせむ」といふ可きをかく云つてある、この外にも
   あしがりのわをかけ山の穀の木のわをかづさねもかづさかずとも〔わ〜右○〕
   とやの野にをさぎ狙はり〔三字右○〕をさ/\も寢なへ子故に母にころばへ〔六字右○〕
などゝいふのがあるが、いづれも力があつて面白い、要するにこれ等の例證に據つて見ても東語が力量があつて重厚で、それに比類なき樸素の氣を帶びて居ることが明瞭である、東語でなければ到底成し難いといふ所またさうでなくても確かに東語の特色を保つて居て決して他のいかなる(17)ものにも劣らぬ所のあるのはこの例證に由つて了解し待らるゝであらうと思ふ、
 壹號にも仔細に述べてあるが、茲に例に出したものだけでも結句が非常に振つて居る、當時に於ける名もない僻遠の野人の作であつても萬葉の時代はこんなものであつた、現在に於ける吾々の作はどうであらう、東歌に在るやうな序歌の巧妙なものがあるであらうか、句法の變化したものがあるであらうか、力量があるであらうか、緊密であるであらうか、尚又一首の組織上最も緊急なる五の句に注意を怠らぬので、あらうか、これで東語に就いては、ほゞ叙説した積りであるから溯つて東歌に用ゐられてある品物《ひんぶつ》に目を注いで見やうと思ふ、天象地文のことは別にして、禽獣蟲魚草木等の萬葉集に現はれて居るものは頗る夥しいのであるが、これ等の品物は品物そのものを主にしてあるのではなく大抵は作者の主觀を表明するに於てその方便の一として即ち片々ではその主觀を助けるのと、片々では組織の上に裝飾として用ゐられてるものであるが、東歌二百三十一首の中にはまた種々なる品物が引用されてある、さうしてそれがまた賓位に据ゑられてあるのである、萬葉にある品物は悉く作者の眼に映じたものであるから、東歌に用ゐてあるものは大抵は萬葉の他の部分に用ゐられて居るものゝやうであるが、中には東歌にのみ發見し得らるゝものがいくらもある、少しくそれを調べて見やうと思ふが、禽獣蟲魚草木と分つていづれが最も多いかといふにそれは草木即ち植物で、禽獣蟲魚即ち動物は至つて少い、特に蟲魚に至つては全く見出すことができない、唯一つの蠶があるばかりである、植物のうちでは草が多くて木は遙(18)かに少ない。それで東歌にのみ見られる品物といふのも全く草にあるのである、
   いはゐづら、  はまつゞら、  たはみづら、
   山かつら蔭、  おほゐ草、  うけら、
   ねつこ草、
等これ皆東歌の外には見られない品物である、木であつては
   弦葉
だけが外にない品物であるやうである、扨てこれがどう使用せられて居るかといふに悉く序歌の材料になつてゐるので、その作品の價値がどうかといふに、それは決して惡いことはない、悉く巧妙であると稱揚するに憚らないが、これを萬葉の秀逸なるものと比較したならばどうであらうか、否東歌のうちの秀逸なるものと比較してみてもどうであらうか、さういふ段になると頗る遜色あるを免れない、平凡なる品物を材料としたものに却て秀逸が指摘せられるのは面白い現象であるといはねばならぬ、なぜさうであるかといふに、この品物は唯一句を埋めるだけに過ぎないので、一首の骨子たる主観と之を表示する言語との如何によりてその差違が生ずるわけである、
   あどもへかあじくま山の弦葉のふゝまるときに風吹かずかも
の「弦葉」だけは譬喩の作であるから別になつてくる、つまり「弦葉」が主になつて行きわたつてある、それから東歌には平凡な品物が作者の技倆によつて一の熟語にして使用せられたものがある、動物では
(19)   薪桑繭、 小軸が雉子、
植物では
   垣内柳、 椎のこやで、 根やはら小菅、
   根白高萱、若かへる手、 藤のうら葉、
などである、これ等を材料にしたものは序歌にあるがいろ/\ある、
   こひしけば來ませ吾背子かきつ柳〔四字右○〕うれつみからし吾立ちまたむ
   海原の根やはら小菅〔六字右○〕あまたあれば君は忘らすわれ忘るれや
   こもち山わかかへる手〔六字右○〕のもみづまで寢もとわはもふ汝はあどかもふ
あとの三つは序歌である、そのうちで
   おそはやもなをこそ待ため(むかつ丘の椎のこやでの〔六字右○〕)あひはたけはじ
   (はるべさく藤のうら葉の〔六字右○〕)うらやすにさぬる夜ぞなき兒ろをし思へば
の如きは巧妙なる作といふべきである、平凡なる品物を材料としたもので面白いのは
   吾背子を大和へやりてまつしたす足柄山の杉〔右○〕の木の間か
   あしがりの間々の小菅〔二字右○〕のすが枕〔三字右○〕あぜかまかさむ兒ろせ手枕
   うまぐたの嶺ろの笹葉〔二字右○〕の露霜のぬれてわきなば汝はこふばぞも
 なほこの外にこれ等にはずつと立ちまさつた面白いのがあるが、東人でなければ云ひえない歌の例として後段に述べるから、こゝには重複を厭ひてのせない、動物には珍らしいものが一つも(20)ない、萬葉には非常に多い時鳥さへも一首しかない、一々數へ擧げれば種類はあるが皆ありふれたものばかりである、それ等のなかで最も多く用ゐられたのは「駒」であるが、これは作者自らに最も接近したものであるからであらうか、接近したものといへば、東人の目に觸れたものはいくらもあつたらうと思ふのに、それが乏しいといふのは寧ろ怪訝に堪へないのであるが、或は東人の感覺がこんなものには薄かつたのか、歌はあつたが散逸したのかそれは到底分明する期がない、植物であつても「花橘」などは一つしかない所を見ると、京人の稱讃するものが必ず東人を感動せしめたものではなかつたらしい、
   足柄のをてもこのもにさす罠〔右○〕のかなる間しづみ兒ろあれひもとく
   筑波嶺のをてもこのもにもりべ〔三字右○〕据ゑ母はもれどもたまぞあひにける
などのうまい所へ注目されたのを見ると、どうも妙に思はれるのである、しかしかく少ないうちにも極めて面白く用ゐられて居るものはあるのである、
   烏〔右○〕とふ大嘘《おほをそ》鳥のまさでにもきまさぬ君を兒ろくとぞなく
この外にもいくらもあるがこれも後段にいふ折があるから茲には云はない、
かやうに東歌に在つては少ないものが、京人には非常に重く用ゐられて居るが、その代りには東人の用ゐたものは比類のないものもいくらもあるのである、それでそれを活動せしめたところは決して京人に劣つて居るものではないと思はれるのである、
(21)              (明治卅六年八月十日發行。馬醉木 第三所載)
 
(22) 東歌餘談〔二〕
 
 冒頭にも書いてあるが東歌で愉快に思ふのは、どうしても東人でなくては作成しえられないものがいくらも存在して居ることである、例を引いて見れば
   しなぬ路はいまのはり路かりば根に足ふましむな沓はけ吾背
   この川に朝菜あらふ兒なれもあれもよちをぞもてるいで子たばりに
   さなづらの岡に粟まきかなしきが駒はたぐともわはそともはじ
   稻つけばかゞるあが手をこよひもかとのの稚子がとりてなげかむ
   あさをらを苧笥にふすさにうまずとも明日きせざめやいざせ小床に
   にひ室の蠶時《こどき》にいたればはたすゝき穗に出し君がみえぬこのごろ
   妹をこそ逢見にこしかまよ引のよこ山べろのしゝなす思へる
   おして否と稻はつかねどなみのほのいた振らしもよきぞひとりねて
などの作がいかに巧を弄しないうちに、口には現はしえない妙味があるか、東歌のうちに在りて(23)もいかに異彩があるか、東人の伎倆がます/\侮り難いのを認めるのである。「二十」の防人の歌と比較して見るさきに、も一つ調べて見たいのは「駒」を引用した歌がどう變化して居るかである、煩はしいが例を引いて説明すれば、序歌が大分にある、
   (春の野に草はむ駒の)口やまずあをしぬぶらむ家のころはも
   (赤駒を打ちてさを引き)心引きいかなる背なかわがりこむといふ
   (くへ越しに麥はむ駒の)はつ/\に相見し兒らしあやにかなしも
   (※[土+丹]《あず》のうへに駒をつなぎて)あやほかど人妻ころを息にわがする
   (さざれ石に駒をはさせて)心いたみあがもふ妹が家のあたりかも
これだけの變化でもよほど面白いのに、外にもいくらもある、
   赤駒がかどでをしつゝ出でがてにせしを見立てしいへのこらはも
   おのが男をおほになおもひそ庭にたち笑ますがからに駒に逢ふものを
   ひろ橋を馬こしかねてこゝろのみ妹がりやりてわはこゝにして
   さわたりの手兒にいゆき逢ひ赤駒が足掻をほやみ言とはずきぬ
類似して居るやうではあるが「駒」といふものゝ出し方がいづれも變化して居るは頗る注目すべき所であると思ふ、それといま一つ
   おもしろきぬをばな燒きそふる草ににひ草まじり生ひばおふるがに
といふ歌があるが東歌中に在りては極めて珍らしいのである、東歌のうちには各種の品が用ゐら(24)れて居ることは既に言つてあるが、この歌のやうに自然物そのものに昵んでよんだのはない、萬葉全體からいへばなにも珍らしいといふではないが、この一首の爲めに東歌の區域が擴大されたやうな心持がするのでそれが愉快な所なのである。
 「二十」の防人の歌と比較して見ると同じく東人の作であるから、相類似はして居る、例令ば東語が目立つて見える所や朴訥な所が特色になつては居るのであるが、おのづから異つて居るのである、その異つてゐるところを擧げて見ると、大概左の如きものになるであらう
     「十四」
  一、變化自在なり
  一、序歌多し
  一、東語の用ゐられたるもの句毎に多きを加ふ
  一、東語の活動せるもの夥し
  一、序歌その他の裝飾に用ゐられたる品物多し
     「二十」
  一、變化乏し
  一、序歌少し
  一、東語の用ゐられたるもの稍不規則なり
  一、東語の活動せるもの鮮し
  一、品物少し
 「十四」は變化があつて「二十」は變化が乏しいのはどういふ理由かと云ふに、一は決して區域を限られて居ないが一は防人の歌のみであつて、區域がチヤンと極つて居るので隨つて變化の餘地を與へられて居ない、それがために千篇一律に陷り易いのである、然し單に防人の歌のみに就いて見ればその狹小な變化しにくい區域内にあつても隨分變化せしめてあることを發見しえらるゝのである、防人として徴集せられた東人の悲哀の情はいづれの時に最も激しかつたかといふ(25)に、家を出る時と家を出たその當座であつたらうと想像せられるのである、歌を見てもそれが最も多く詠んであるやうである、家を出づるに當りて最も防人の情緒を纏綿たらしめたものは妻である、隨て妻を憶ふの歌が最も多く、次には父母をおもふの歌である、そのうちに父母とならべてあるものと父のみ母のみをよんだものがあるが、父は極めて少くて殆んど悉く母であるといつてもよいのである、家を出づる時の悲哀の情といふので既に區域が狹小になつて居る上に、主眼たるものが父母妻子といふのだから變化のしやうがないのである、
   さきむり〔四字右○〕に立たむ騷ぎにいへの妹がなるべきことを言はずきぬかも
と詠んであるやうに嚴命が下つてから、その徴集は至極急速であつたのであるから作品の上に裝飾を施すだけに心の餘裕がなかつたのでもあつたらう、外界の品物をかりて裝飾をしなければ單に主觀のみになつてしまふ所からそれは各人いくらづゝかの相違はあるにしても陳腐といふ側に傾いてしまふのである、茲に例に出したのは中での珍らしいので、これらはそれらと一つには見られぬのである、それからこの例歌もさうであるが次々に掲げる歌にも東語には圏點を附することにする、
 かくの如くで防人の歌は概ね主觀のみで成立したものであるが、中にはさうでないものもないではない、
むらたまの樞《くる》に釘刺しかためとし妹がこゝりはあよくなめかも〔ここ〜右○〕
(26)   赤駒をやまぬにはがしとりかにて〔八字右○〕玉の横山かし〔二字右○〕ゆかやらむ(妻がよめる)
   わが門の傍《かた》山椿まことなれ我手ふれなな〔四字右○〕土におちもかも〔五字右○〕
   いはろ〔三字右○〕には蘆火《あしび》たけども住みよけ〔四字右○〕を筑紫にいたりてこふしけもはも〔七字右○〕
   草枕旅のまる寢の紐たえばあが手とつけろこれのはるもし〔四字右○〕(妻がよめる)
   厩なる繩たつ駒のおくれがへ〔五字右○〕妹がいひしをおきて悲しも
これ等は孰れも傑出したものであるが、皆なにか品物を捉へて使用してある、そこがこれ等の作品をしてかくの如き奕々たる光彩を放たしめたのである。
   道のへのうまらのうれにはほ豆〔三字右○〕のからまる君をはかれか行かむ
の如きも外界の品物によつて成功したものである、それから
   松のけ〔三字右○〕のなみたる見ればいは人〔三字右○〕の我を見おくると立たりしもころ
これもその類でしかも五の句の如きは頗る珍らしいものである。
   ふたほがみ〔五字右△〕惡しけ〔三字右○〕人なり疝病《あたゆまひ》わがする時に防人にさす
も防人自らの特殊の状態を寫したものであるから珍らしく且つ面白いのである、
   わが妻も畫にかきとらむいつまもが〔五字右○〕旅行くあれは見つゝしぬばむ
といふ如きも畫にかくといふことで既に思想の自在を得て居る所から面白い、その他家を思ふとか妻を思ふとかいふのを直ちにさうは言はないで山河を詠んだものも變化の種になるのである、例令ば
(27)   久慈川はさけく〔三字右○〕あり待てしほ船にまかぢしゞぬきわはかへりこむ
   わぎめこ〔四字右○〕と二人我見しうちえする〔五字右○〕駿河の嶺らはくふしくめあるか〔八字右○〕
   橘のした吹く風のかぐはしき筑波の山を戀ひずあらめかも
の如きである、それにこれとは異つては居るが
   八十國は難波につどひ船かざりあがせむ日ろを見も人もがも〔六字右○〕
   ゆこさきに波なとゑらひしるべ〔ゆ〜右○〕には子をと妻をとおきてともきぬ
の「八十國」及び「と」の用法の如きは狹い區域内に跼蹐しつゝあつた防人のために見逃すべきものではあるまいと思ふ、要するに比較的佳作はあつて伎倆の嘆稱すべきものはあるが、「十四」に比しては到底及ばざるものといふに歸着するのである。
 序歌の「二十」に少いのも裝飾の餘地がなかつたからであらう。
 「十四」には東語が規則的に順次多きを加へたが、「二十」では四の句に三の句よりも少なく初句には比較的多い、しかし初句には活動しない點は同一である、さうして五の句には最も多いのであるから壹號に述べた原則といふものに觸れるやうなことはない。
 「二十」にある東語は「十四」にないものがいくらもあるが、振つて居るものは少い。
   さきくあれとを「さくあれて」
   たち出でむ時にを「たしでも時に」
   戀ふしくもあるかを「くふしくめあるか」
(28)   危ふくあらぬかを「あよくなめかも」
   越えてきぬるかもを「こよてきぬかむ」
   戀ふしく思はむを「こふしけもはも」
   これの針待ちを「これのはるもし」
などは「十四」に無いもので能く活動して居るものであるが、この外に一字二字位替へれば普通語になるものは夥しい、例令ば
   とへたほみ(遠江)   わぎめこ(吾妹子)
   わがいはろ(吾家)   旅とおめほど(おもへど)
   さゆるの花(さゆり)  いづまもが(暇もが)
   しるへには(しりへ) まゆすびに(まむすび)
   うのばら(うなばら)  妹がこゝり(妹がこゝろ)
   えびはとかなな(帶は) いむ(妹)
   さゝごて(捧げて)   おめかはり(面かはり)
   かしゆかやらむ(徒歩) 見とゝ(見つゝ)
等その一班である、「二十」に品物の少ないのも區域の狹いからであらう、「二十」が到底、「十四」に及ばないのは勿論であるが、あとにもさきにも是れ一つといふ長歌のあるのは「二十」のために誇るに足るべきではあるまいか
(29)   足柄の み坂たまはり かへり見ず あれはくえ行く〔四字右○〕 あらし男も たしや憚る〔五字右○〕 不破の關 くえてわは行く 馬の蹄 筑紫のさきに ちまり居て〔五字右○〕 あれは齋はむ もろ/\は さけくとまをす〔七字右○〕 かへりくまでに
家持作の長篇よりも余はこの片言交りの作を愛するのである。
 凡そ吾人が詩歌に就いての感じ即ち面白いとか面白くないとかの判斷の起つて來るのは主として眼のはたらきであるが、半は耳のはたらきである、内容の趣味を感知するのは眼よりするのであるが、外形即ち調子に至つては耳の司る部分であらうと思はれる、故に天然物を寫すにしても全く眼の力にのみ一任してしまふ所の繪畫のやうに明瞭なわけには行かない、文字を以て時間的に説明するものはいかなる微細なる觀察眼を以てしても到底一枚の粗畫程にも明瞭ならしむることは出來ない。まして短歌のやうなものになると同じく自然を寫すにしてもほんのその骨を描くに止まるのみであつて彩色の如きは殆んど問ふの暇がない、殊に萬葉のやうな主觀を表示するの方便として天然物を捉へるやりかたでは尚更のことである、つまり「色」といふものには餘り頓着しないことになるのである、しかし仔細に見れば色を用ゐたものがないではない、
   淺縁そめかけたりと見るまでに春の楊は萠えにけるかも(卷十)
の如きものや萬葉の未になつて家持の作とある
   みづとりの鴨の羽の色の青馬をけふ見る人は限りなしといふ(卷二十)
(30)の如き、よし家持のは拙いにしても孰れも色に重きを置いて詠んだものであるが東歌になるとこんなものは一首もない、一つは口調の上から來た
   白波、白砥、白栲、青柳、赤駒
などの尤も普通の名詞で、一首に纏つたものでは
   こひしけば袖も振らむを(武藏野のうけらが花の)いろに出《づ》なゆめ
   (眞金吹く丹生のまそほの)いろに出でいはなくのみぞあがこふらくは
の二首で共に「いろに出づ」といふための序にしてあるので色その物の説明には力が這入つて居らない、
 東歌にある「音」或は「聲」は色に開したものよりはずつと多い、しかしそれも鷲が鳴くとか、ほとゝぎすの鳴くを聞くとか
   伊香保ろに神な鳴りそね我がへには故はなけども兒らによりてぞ
   つむが野に鈴が音きこゆかむしだのとのゝ仲子《なかち》し鳥狩すらしも
とかいふので音には相違ないが、「音」といふ小部類を立てゝ見ると一向につまらぬものである、この外に音を形容した語は「とゞろに」とか「とゞとして」とかいふのでこれも平凡なものである、かやうに「音」や「聲」に就いては面白いものゝないうちに唯一つ極めて珍らしくはたらかせたものがある、それは既に例に引いた歌であるが、
   烏とふ大嘘鳥のまさでにも來まさぬ君を兒ろくとぞなく
(31)といふのである、「十四」「二十」の東歌三百首の中にせめて一つのこの作のあつたのはいかにも愉快に思はれるのである、
 東歌に對して色や音に關した作の研究をしようとした余が前提はあまり大袈裟過ぎて居ツた、余は更に廣く萬葉全體に渉ツて色と音との研究をして見やうと思ふ、結果が面白かツたら再び本誌の上に掲載する覺悟である。      (明治卅六年十月十三日發行、馬醉木 第五號所載)
 
(32) 萬葉口舌〔一〕
 
     卷の十六の研究
 
 予は曩に十四の研究を公にした時に十六の滑稽を以て東歌と共に萬葉中に異彩を放つものであることを斷つて置いた。東歌は既に概畧の研究を遂げたのであるから其順序として十六の滑稽に就いて論じなければならない。然し單に滑稽のみとすれば正岡先生が甞て評論せられたことがあるから最早言ふの必要が無いのであるけれども、猶ほ方面を異にして研究をして見やうと思ふ。それと同時に十六に於けるは注目す可き點が滑稽のみに限らないのであるから十六惣體に渉つて研究することにした。十四は悉く東人の作であつたから。研究上部類分けをする必要もなく容易なものであつたが、十六となると種類の異つたものがいくらも錯綜して居るから稍々面倒に成つてくる。しかしこれも大別すれば三つとすることが出來る、即ち一つは有由縁歌といふ部に入る可きもので一つは滑稽といふ部に入る可きものである、此二つは分明に部類を立てることの出來る(33)ものである。夫れから他の一つは雜歌として部類を立つ可きもので、これは種々なる歌を含んで居るもので有由縁歌にも滑稽にも入る可きものでないのである。雜歌の中には異つた種類があるのであるから更に部類を立てて見やうとすれば特色を備へたものでなくなる、隨て雜歌といふ漠たる標題の下に置かねばならないのである。かく三つに區分したがこれが果して正しい區分であるかどうかそれは分らない。詰り自分が研究に便利であると訟めた方法に從つた迄である。
 有由縁歌。この部に入れたものは歌そのものゝ由來が説明してあるものであるが、滑稽の調を帶びたものは由縁あるものでもそれは滑稽の部に入れて仕舞つたから茲に此の部に入れるものは悉く眞面目の作のみである。さうしてその作品が僅々二十首に過ぎないのであるから一つの部門を立てるのは薄弱なやうであるが、此の部に屬するものには自ら一つの特色を存じて居る。一言にして盡して見れば各の歌の由て來るところの説明によつて一際その歌に對する讀者の感懷を深からしめる點である、
   春去らば挿頭《かざし》にせむと我がもひし櫻の花は散りにけるかも
   妹が名に繋《かゝ》せる櫻花さかば常にや戀ひむいや年のはに
 この二つの歌を單にこの歌だけにして見たらどうであるか、二つ共に一種の濕やかな沈んだ調子であることは極めて容易に感ずることが出來るけれども、それならば何れの場合に詠んだものであるかと問うたならばそれを限ることは頗る困難である、見る人によつて解を異にするの結果(34)に出でなければならない。隨て見やうによればどうにも成るといふことになるのであるから感情が分離してしまふのである。殊に「春去らば」の如きは唯植物に對して感懷を寄せたに過ぎないものと見られるのである。然れども此の二つの歌の由縁即ち昔その名は櫻兒といふ娘子を吾えむものと二人の壯士が生を捐てて爭つた時に一女の身にして二門に往くといふことは到底出來難いことである、といつて一人のもとに身を任すことは猶更なしえらるゝことではない、いづれへも寄することのならない身であるといつて控へて居れば壯士の爭は劇烈になつてくる、それを見つゝ苦しまむよりは寧ろ死んだがましである、自分が死んだならば壯士の爭ひも留むることが出來やうと萬斛の涙を呑んで林中に入つて樹に懸つて死んでしまつた。つまり自ら犯した罪もないのに、否々罪のないのみならず情ある壯士の愛するところとなつた爲めに却て自己の禍となつて果てた悲惨な事柄である。自分達の執着によつて娘子をしてこの悲惨な死を致さしめた壯士は慟哭せざるを得ない、血に泣いて詠じた歌が即ちこれである。かういふ事柄を知つた上に此の歌に對したならばどうであるか、いかなる場合であつたかといふこともいかなる人が詠んだかといふこともいかなる情を含んで居たかといふことも確乎として動かす可からざるものになる。さうしてこの平凡なやうな調子のうちに涕涙の滂沱たるを認められるのである。即ち平凡に近いこの二つの歌はその事柄の表明によつて人の感情を惹くことの至つて大なるものたるを知るのである。この歌の長々しい説明は徒爾に屬するものではなかつた。
(35)   耳なしの池し恨めし吾妹兒が來つゝ潜《かつ》かば水は涸れなむ
   足曳の山|縵《かつら》の兒けふ往くと吾に告りせばはやくこましを
   足曳の山縵の兒けふの如いづれの隈を見つゝ來にけむ
 この三つの歌も事柄は概ね似たことであるが、さきのは壯士が二人であるのにこれは三人であるのと、さきのは娘子が樹に懸つて死んだのにこれは池に沈んで果てたといふ相違は有るが、悲慘の死を歌つたのであることは同一である。
 この三つの歌になるとさきのよりは歌そのものゝ上に事柄が表明されて居るけれども尚ほ漠たることは免れない。「耳なしの池し恨めし」だけは妹の兒なるものゝ水に趨いたことが分るけれども、たゞこの歌の上のみにては妹の兒なるものが妻であるか一般の女子に對する親しみの意を含めたものであるか判明しない。あとの二つの如きは見やうによつてどうにもなるので敢て悲哀怨恨の情を含んだものとは取れないのである、しかし一旦その由縁を知るに至つては無限の憤りと悲しみとの響きをあらはすやうに感ずるのである。
   かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めて吾がもへりける
   ぬばたまの黒髪ぬれて沫雪のふるにや來ますこゝだ戀ふれば
 この歌であつても調子のどこかに痛切なる響きを存して居るけれどもやつぱり漠として見樣によつては變るものである。猪名川の歌の如きも一二の句などはどんなことがかくのみにありけ(36)るものをなのか分らない、四五の句なども行く先かけて長く思つて居つたといふだけのことに成る。いかにもこの歌だけでは喰ひ足もないやうなあとに何か一品欲しいといふやうな氣がする。あとの歌も概括していへば雪のこのやうに降るのに來て呉れたのかいかにも嬉しい、戀しい戀しいと思つた甲斐もあつたといふことだけは聞えるが、取りやうによつては待つて居た方の女がいそ/\と立つて、火を焚きもてなす有樣をも想像し得らるゝのである。然し乍らこれはそんな事柄に由つて作られたものでは無い。新婚いく程もなきに夫は驛使となつて雲のあなたに隔たつてしまつた、公事の畢らざる間は歸ることもならない、まだうら若い妻の身の思ひ惱んだ末に病に臥して起つことも叶はなくなつたが夫はまだ歸つてこない。慰むるものなき牀のうへに思ひ疲れて死ぬばかりに成つた、その時に及んで夫ははじめて歸つてきた、もう遲い、夫たるものが泣かずに居られようか、そこでかくばかりにも我が身を戀ひ慕つてこのやうに死に瀕するまでに病み煩つて居つたものを知らずに行末長く相睦みて世を過さむと思ひつゝそれのみを樂みに任地に奉公の功を積んで漸く歸つて來たものをこのやうな姿を見なければ成らないとはどうした情ないことであるか、僻遠の地で使の往復も心に任せなかつたとはいひ乍らこんなことではないと思つて居た、待つて居た身は嘸たよりない悲しいことであつたらう、この衰へやうはどうしたことか取り返しもならないことか痛ましいことであるといふ無限の情を含んで詠んだのである。かくのみに有りけるものをといふのが最も適切に悲痛の響きをなして居る、吾念へりけるといひ切つ(37)てないところに注目す可きである。かくの如き夫の悲みを聞いて妻は枕を擡げて應へた。このふる雪のつらきなかを我がかく戀ふるばかりに來られたのであるか、難澁なことであつたであらうにと我が身の苦惱は表はさずに夫の身の上をいたはり思つたその情を思へばこの二つの歌を見れば涙がこぼれるやうな氣がする。この歌をして此の如き情を發せしむるといふのは全くその事柄の表示に因るのである。
 これまで擧げた例は皆平凡といはばいふべく更に奇と稱すべき點を見出さないのであるがこれはどういふ理由かといふに、これ等のものは悉く非常な悲しみに遭遇したその主人公たるものゝ作であるから隨て眞情の溢れて居る所以である、唯それ眞情を歌つたものである、どうして技巧を弄するの暇があるであらう、奇拔なものゝ出ないのは怪しむに足りないのである。この技巧を弄してないところが吾々をして作者の心情を直覺せしむる所以なのである。技巧を弄したものはその技巧の技巧たるを解した後にその内容に及ぼすのであるから見るものゝ感情を惹くことが薄らぐことに成つて仕舞ふ。これがこれ等の作に奇拔な點の無い理由である、夫れから又かういふことがある。同じく物を食ふにしても空腹な時には惣じて味がよい、これは胃の腑の感じを強く敏捷にしておくためである。かゝどの刺は痛くないが腫物には手も觸れることが出來ない。これも感じが敏捷になつて居るからである。こゝに例に出した歌の由縁もつまるところ讀者の感情を強めておく一つの方便といつて宜しい。讀者の感情が鋭く強くなつて居るがためにその歌が浸み(38)透るやうに覺えるのである。夫れから子供がこゝに泣いて居るとする。只泣いて居るのを見たのでは喧嘩して泣いて居るのかどうか分らない。ところがその子が母を見失つて泣いて居るとするとその子供に對する感情が異なつてくる。
 こゝに人が困つたといふ一言を發したとする。手桶の水で足袋を濡らしたことでも困つたといふこともあるであらう。二丁か三丁も迂回すればさきへ行かれる堀江の土橋が崩れて居つても吾々は困つたといふことがあるであらう。尋ねる品が見えないでも困つたといふことがあるであらう。これらの些々たることにも困つたといふことをいふとすると、いかに困つたかの説明がなくては分らないことになる、さうしてその説明によつていかやうにも聞く人の耳に響くのである。「ぬばたまの黒髪ぬれて」の歌の如きもそのいかなる事柄であつたかの由縁が附隨して居るために吾々は悲しく感ずるのである。概括して見ればこゝに述べたことは一の事柄に就て作つたものはどうしてもその事柄を表示してその作つた歌に附隨せしめなければ感じが薄くなるといふに歸するのである。
 馬醉木や鵜川の歌を見ても詞書の必要なものに何にもないものがいくらもある。これはこんなものかといふ想像を下して見てもどうやら覺束ないものが少なくない。殊に人事的のものになると人事そのものは複雜なものでも死んだとか生れたとかいふことになると詮ずるところ悲しいとかうれしいとかいふことになるので有るが、その悲しいにも嬉しいにも歌と詞書と相待つて始(39)めてさま/”\に變化して見られるのである。況やその他のものに在つては猶更のことである。詞書を添へる段になると成たけ離れて作るが肝要になる。詞書が無くても明瞭であるといふ歌よりも、詞書がなくてはならない歌の方が變化せしめ易いのである、素より吾々が常に陷りつゝある、詞書と歌とが重複するやうなことは尤も厭ふべきで、そんなことになると感興を殺ぐこといくらであるか分らない。要は附隨せしむべきものには必ず怠る勿れといふことである。
 これまで引用した歌のやうに由縁の説明と重大な關係を持つて居なくても、即ちこれまでのよりも歌そのもので明瞭なものでも尚ほ説明のために面白さの増すものでは、密に契つた女の方で父母に知らしめむと欲して男の意向を問ふたといふ
   こもりのみ戀ふれば苦し山のはゆ出でくる月の顯さばいかに
の歌や、男女の間を父母に知られて呵嘖せられむことを恐れて男が心のゆるむだのを女が自分の決心を夫に示したといふ
   ことしあらば小泊瀬山の石城にもこもらば共にな思ひ吾が背
の歌や、また鄙人の我が妻が郷人に交つて野遊するを見てよんだといふ
   墨の江の小集樂《をつめ》に出でゝまさめにも己妻すらを鏡と見つも
の歌の如きはなほ説明を待つてはじめて一層の妙味を感ずるのである。なほ面白いものはいくらもあれどこの位に留めておくが以上はすべてその事柄の主人公の作ばかりであつたが、有由縁歌の(40)中には稍異つたものがある、
   家にありし櫃に※[金+巣]《くぎ》さしをさめてし戀の奴のつかみかゝりて
   柄《かる》臼は田廬《たぶせ》のもとに我背子はにふゞに笑みて立ちませり見ゆ
   夕立の雨うち降れば春日野の尾花がうれの白露思ほゆ
抔であるがこれらに附隨した説明は琴を弄ぶ毎にこれを誦したといふだけでこの歌の由て來る所以は缺如たるものである。これまでの作は皆悲哀煩悶等のもので見るものをして明白地にしかく感ぜしめたが、同種のものでも戀の奴の歌の如きは少しく物足らぬやうな感じがする。尤もこれは巧拙といふ方面からの論ではない、面白いことは面白いが技巧を弄したゞけいくらか作り物の感じがするのである。
 ここに擧げた春日野の歌の如きは十六中には異類のもので六、七あたりに入るべきものである。偶々この歌のあつたために余は一つの考を得たのである。それはかくの如き客觀に極めて單純な主觀を交へたものには別に何の説明をも要せないことである。客觀に人事の複雜なるものを交へた時には必ず説明を要することにもなるのであらう。有由縁歌は悉く人事的の作であることを思へばこの説は首肯せらることと思ふ。
 更に立ち戻つていつて見れば余が有由縁歌を一つの部門として論じたのは詞書といふものがどれ程必要なものであるかといふことをまだ心付かなかつた人に知らしめむとするの素志であつた。(41)さうしてこれ等の歌は慥に十六中に異彩を放つて居つて更に萬葉中にあつても特色を存して居るものと思ふ。さうして悲哀の情の深いもの程奇拔なところも異なつたところもなく、悲哀の情や煩悶の情の乏しいものになればその代りに技巧の點がすぐれて居るといふ傾向が見えるやうである。
        (明治三十七年二月十七日發行、馬醉木 第九號所載)
 
(42) 萬葉口舌〔二〕
 
     卷の十六の研究(承前)
 滑稽。滑稽の部に屬するものは分つて二つとすることが出來る。一はその目的の全く滑稽に存ずるもので一はその結果の全く滑稽に出でたるものである。
 目的の滑稽に在るもの即ち滑稽を主として作つたものゝ作例を示せば左の如くである。
   勝間田の池は我知る蓮なししかいふ君が鬚なきが如
   寺々の女餓鬼申さく大三輪の男餓鬼たばりてその子うまはむ
   佛造る眞朱《まそほ》足らずは水たまる池田の朝臣が鼻のへを堀れ
   小兒等は草はな刈りそ八穗蓼を穗積の朝臣が腋草を刈れ
   いづくぞ眞朱堀る丘薦疊平群の朝臣が鼻のへを堀れ
   烏玉の斐太の大黒見る毎に巨勢の小黒し念ほゆるかも
   駒造る土師の志婢麿白なればうべ欲しからむその黒色を
(43)   法師等が鬢の剃杭馬繋ぎいたくな引きそ法師なからかむ
   壇越やしかもないひそさとをさ等が課役《えたち》はたらば汝もなからかむ
   石麿に我物申す夏痩によしといふものぞむなぎとりめせ
   痩す/\も生けらばあらむをはたやはたむなぎをとると河にながるな
   このごろの我戀力しるしあつめ功に申さば五位の冠
   このごろの我戀力たばらずばみやこに出でゝ訴へ申さむ
等であるが悉く皆戯れに人を嗤笑したるに過ぎない、殆んど一時の座興を添へた位のものと見て大なる相違もない。人も自分もその座に笑つて趾はなんにも無く物に譬へれば火花がぱつと開いてぱつと消えたやうに、單純で且つ何物をも捉へないやうな所が厭味の無い所以であらう。こゝに擧げた例歌のうちでもなほ二つに分ちうる、即ち孰れも作者の技倆手腕に俟つて滑稽の趣味を發揮されたには極つて居るが、いくらか滑稽の趣味あるものを土臺にしたのと、更に滑稽の分子を認めないものを全く作者の技倆に依つて滑稽化して仕舞つたものとである。池田の朝臣が痩せこけた大神の朝臣を嗤れば大神の朝臣が相手の鼻の赤いところを捉へて嗤り返す、穗積の朝臣が腋毛の多いのを發かれて更に相手を嗤りかへす、對照が既に滑稽になつて居る。それに作者の技倆が加はるのであるから愈罪の無い面白いものに成るが、「勝間田の池」や「法師等が鬚の剃杭」の如きはその物には聊かも滑稽の分子を含まないにも拘らず、滑稽化せしめた作者の技倆の非凡なるには駭かざるを得ない。
(44) 要するに滑稽の分子を含んだものでも含まないものでも上手に出來たものは甲乙を附するわけに行かない。しかし十六中に在つても滑稽の分子を含んだものから成つたのよりは含まないものから成つたのが遙かに少ない。是れ兩者の間に難易の懸隔があるといふことを慥められるだらうと思ふ。結果の全く滑稽に出でたるものは即ち詠數種物歌であるが、これは前項の例の如く滑稽を主としてのみ作つたものでない、此の滑稽に頗る輕い意味に取るべきものが多い。
   さす鍋に湯沸せ子供櫟津の檜橋よりこむ狐にあむさむ
   婆羅門の作れる小田を喫む烏瞼腫れて幡幢に居り
   こり塗れる塔になよりそ河隈の屎鮒はめる痛き女奴
   枳《からたち》の辣原《うはら》刈りそけ倉立てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
   葛花にはひおほとれる屎葛たゆることなく宮仕へせむ
   食薦しき青菜煮待ちき※[木+梁]に行騰かけて息む此君
   醤酢《ひしほす》に蒜つきかてゝ鯛願ふ我にな見せそ水葱のあつもの
   玉掃刈りこ鎌麻呂室の樹と棗がもとを掻きはかむため
   池神の力士※[人偏+舞]かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
   虎に乘り古屋を越えて青淵にみつちとりこむ劍太刀もが
等であるが、非常な難題を事も無く仕遂げるといふのが主眼になつて居る。只管滑稽を弄するものとは大に相違してくるわけである。窮屈な思ひがけないものを纏めることは困難なことだが、(45)出來るとなれば却つて面白いものをうることが普通である。此等の作例もそれであるが變な了解し憎いやうなところにいふ可からざる妙味を存じて居る。その了解し憎い罪のないところが自ら滑稽に傾いて仕舞ふのである。作者は滑稽を弄する意志でなくてもその取合せが普通でない爲めに知らず識らず滑稽になつてくる。此のうちにも滑稽の表面なものと滑稽といふ程でなくても眞面目でないものとがある。「さす鍋」「婆羅門」「葛花」「枳」など孰れも多少作者が沈思黙考のうちにも滑稽趣味を加へやうとした形跡を認めらる。「食薦しき」「醤酢に」「玉掃」「虎に乘り」等は唯よみおほせたものゝやうに思はれるが、※[木+梁]に行騰をかけるとか、醤酢に蒜つきかてゝ鯛願ふとか、虎に乘つて青淵に蛟をとなといふだけならば不思議はないが古屋を越えてといふの類了解すべきものでないところが滑稽に傾いてくる。
了解し憎いといへば
   吾妹兒が額に生ひたる雙六の犢の牛の鞍の上の瘡
   吾背子が犢鼻にするつぶれ石の吉野の山に氷魚ぞ懸れる
抔もそれであるが、此は固より了解すべからざるものを作るの意であつたのだから一層六かしいわけである。譯の分らないものではあるが、如何にも初二句から三句への接續が巧妙で音調が些の澁滯も無いために欺かれて何物かを言ひ表したものであらうといふやうな感じが卒讀の際には起る。その感じの起るだけこの歌を全く了解した以上には巧妙なる手段に驚かさるゝのである。(46)巧妙なる手段といふのは人を馬鹿にした點にあるので、人を馬鹿にしたところが滑稽である。
 以上掲載したる歌に就て音調の上から見ると――無心所著歌の如きは殊に音調の滑かなる爲めに成立して居るのだから別物として前項の二つの例に就いて見ると一は流暢にして一は拮屈である。一は思想の趨くに任せて些の拘束もないのに一は極端の束縛を蒙つたからである。前者の流暢なる所以は嬉戯の間に成つたのも原因である。普通の談話であつても眞面目な話は重くるしいが笑ひばなしは輕快になる。かう考へて見ると流暢が更に流暢に感ぜられる。後者の拮屈は束縛を受けて居るからであるのは勿論のことだが、即ち材料が夥しいために、全體に非常の重量を感ずる。材料の一つ/\を僅に※[糸+彌]縫し得たに過ぎないのであるから重量が一點に歸着しない、初句でさへも非常に活動して居る。これは慥に萬葉中の破格なものである。しかし幸に結句を疎末にしない爲め一種の平均を保つことが出來た。
 自分は曩に東歌は外形に優れ、滑稽歌は内容に秀でて居るといふことを斷言して置いた。十六の滑稽即ち茲に示した例歌の内容に妙味の存在して居ることは瞭然たる所であるが、外形に於ても頗る見るべきものが少くない、此は丁度東歌の中にも内容を以て誇るべきものがあつたと同一事である。
 十六の滑稽には他に類例のない句法がある。「その子生まはむ」とか「法師なからかむ」とかいふ類がそれである、其他に至つても「鼻のへを堀れ」「腋草を刈れ」「五位の冠」「狐にあむさむ」(47)「痛き女奴」「櫛造る刀自」「幡幢に居り」等孰れも一種の用法である。何故に此の如き珍らしき句が十六には散在して居るかといふに、作者の目的方法が他の場合とは全く相違して居る、言語句法共に變化せしめなければ到底言ひ表しえないものを試みた結果である。それで十六の作者は最初から言語句法の變化を期待して居つたかといふに決してさうとは言はれないことゝ思ふ。出來上つたものが自然に此の如きものを得たのであらうと考へられる。滑稽の作と稱すべきものも當時は十六所載の少數のみでは無かつた、必ず他にも有つたらうがその成功したものが現存して居るのだ。一目して作者の氣乘りがした時分の作であることがわかる。氣乘りのした時分は思ひの外の作をするものである。十六の作者も蓋し作つてから面白いことであつたと心付く位のものであつたらう。
              (明治三十七年五月五日發行、馬醉木 第十一號所載)
 
(48) 萬葉口舌〔三〕
 
      卷の十六の研究(承前)
 
 雜歌。此の部に屬すべきものは明瞭に一の標題のもとに一括することの出來難いものである。
 竹取翁の歌と乞食者の作二篇とは共に理想的で十六中に珍らしいのみでなく萬葉全體に通じて見ることの出來ないものである、此種の作では九の浦島子、勝鹿眞間娘子、菟原處女の如きものがあるけれど、彼れは固より世上に流布したる傳説を基礎としたり、又は土地の古老から聞知したりしたものであるが此は悉く作者自身の頭腦から案出したものである、隨つて彼は客觀的の作であるが此は主觀的の作である(比較的に)。併し孰れも萬葉集中に珍しいのみでなく古往今來歌といふものゝ中に匹儔すべきものがない。萬葉の思想は極めて簡單で、露や梅のやうなものであつてもどれを見ても皆同一であるやうに感ぜられる程であるにも拘らず著しく多方面であつて後世迚ても俤さへ見ることの出來ないものがいくらもあるがこれ等の作はその尤も著しいもの(49)である、
 それ故予は長いのを厭はず三篇とも茲に掲げて少しく意見を述べて見たいと思ふ、
 唯竹取の一篇は古來難解の作で頗る研究を要すべきものであるから暫く避けて他日に讓るのであるが、難解といふのも詰り語句の上に存するので、主意とする所は無常迅速といふ觀念を言ひ表したる至極簡單のものである、故に全然空想より成つて居る、勉めて面白きものにしやうとした結果隨分形容のしやうには苦心慘憺したものである、萬葉古義の作者からは「こちたき漢國の故事を主としてよめるなど、いとうるさく人麻呂赤人の餘風はきよく失《すた》り果てゝ今さだかに解得がたし」とまでいはれ居るのであるが、そこがこの篇の生命の存する所で、少年易老といふ觀念をいふために作者は殆んど自己の有する限りの手腕を振つたものと認められをのである、解し難きは語句であつて主意は至つて見易いものであるといはゞ趣味的に研究する人の爲めには左程に困難でもないと思ふ、
     乞食者詠二首
   いとこなせの君、居り/\て物にい行くと、韓國の虎とふ神を、生けどりに八つとり持ち來、其皮を疊にさし、八重疊平群の山に、四月と五月のほどに、藥獵仕ふる時に、足引の此片山に、二つ立つ櫟がもとに、梓弓八つ手挿み、ひめ鏑八つ手挿み、しゝ待つと我居る時に、小男鹿の來立ち嘆かく、忽ちにあれは死ぬべし、大君に吾は仕へむ、吾角は御笠のはやし、吾耳は御墨の坩《つぼ》、吾目らは眞澄の鏡、吾爪は御弓のゆはず、吾毛らは御筆のはやし、吾皮は御箱の皮に、吾肉はみなますはやし、吾膽も御(50)鱠はやし、吾みげは御鹽のはやし、老いたる奴我身一つに、七重花咲く八重花さくと、白しはやさね、まをしはやさね
      右歌一首爲鹿述痛作之也
   押照るや難波の小江に、廬造りなまりて居る、葦蟹を大君召すと、何爲むに吾を召すらめや、明けく吾は知ることを、歌人と吾を召すらめや、笛吹とわを召すらめや、琴彈と吾を召すらめや、かもかくもみこと受けむと、けふ/\と飛鳥に到り、おかねどもおきなに到り、つかねどもつく野に到り、東の中の御門ゆ、參り來て命うくれば、馬にこそふもだしかくもの、牛にこそ鼻繩はくれ、足引の此片山の、百楡を五百枝はぎ垂り、天てるや日のけに干し、さひづるや柄碓に舂き、庭に立つすり臼につき、押してるや難波の小江の、始垂を辛く垂り來て、陶人の作れる瓶を、けふ往きて明日取り待ち來、吾目らに鹽ぬりたまひ、もちはやすも、もちはやすも
      右歌一首爲蟹述痛作之也
 これも曩に言つた如く普通知られて居たことを極めて面白く作るといふのが目的なのだからその心持で見なければならぬ。それで孰れも鹿自ら蟹自らの言語にしてある、鹿の歌の如きも作者の説明と見るべき句は「八吾疊平群の山云々」の十六句に過ぎない、「伊刀古なせ云々」の十句は序歌である、序歌としても隨分思ひ切つた大膽な用法である、然し一篇の構想は滑稽の分子によつて面白からしめむとしたのであるからこの大膽な用法は寧ろ適切な感じがする。
 蟹の歌には特別なる序歌の如きものはないが、想像の變化があるので鹿の歌よりも面白く感ぜ(51)られる、これも滑稽の分子が充滿して居るのであるが先づ蟹の態度の傲慢らしく見えるのを表はすために「葦蟹を大君召すと」から「みこと受けむ」までいつてある、これを古義の作者は「何の能もなき吾なるに何故に吾を召したまふことぞと疑ふ意なり」といつてあるがそれでは面白くない、傲慢不遜の態度を形容したものとするからはじめて蟹その物が眼前に髣髴として來るのである。「おかねどもおきな」「けふ/\と飛鳥」「つかねどもつく野」や馬にこそとか牛にこそとかいふのも皆一篇の上に關係を及ぼさないものであるが、面白くしやうといふ爲めにかういつてあるのだ。以下の句も皆それである。
 二篇共に左程にもないことを作者の技倆一つで極めて面白くしてあるのは竹取と同一轍である、然し此は事柄の形跡のあるものを基礎としたのであるが竹取は全く假想である、此の一讀明瞭に且つ了解し易いのに竹取の再三再四反覆してなほ不明の感じがするのは、有るものを基礎としたことゝ、無いものから案出したことゝの相違からくるのである。即ち一は隨分無理にも語句を造らなければならないが一は極めて樂にいくからである。
 十六のこの三篇は孰れも面白いのであるから甲乙を附するといふことは六かしいが、有るものを基礎とした鹿蟹の歌の如きは無いものから案出した竹取の如きものよりは變化せしめ易い、それで竹取の如きものは再び出來難いが鹿蟹の如きやり方は趣向の立てやうによつて更にまた出來る望がある。それで鹿の歌と蟹の歌とに就て比較して見ると鹿よりは蟹は變化がある、隨て内容(52)に面白味がおほい、その代りに鹿の歌には蟹の歌にない大膽な序歌が用ゐられてある、恰も鹿の歌に比して竹取の歌が非常に語句に力が費してあるやうな傾きである。
 能登國三首も面白いものである、
   かしま嶺の机の島の、小螺をい拾ひ持ち來て、石もちつゝきはふり、はや川に洗ひ濯ぎ、辛鹽にこゝともみ、高杯にもり机に立てゝ、母にまつりつや、めつこの刀自、父にまつりつや、みめつこの刀自
 此の短い體は十三一卷が悉くそれであるが、只この作の十三にあるものと異つて居るのは、動作の極めて明瞭に表示されてあることである、小螺を料理する状が遺憾なくあらはれて居る、この作は料理する状をいふことの外になんにもいつて無いのだから、之を讀むものゝ腦中には作者がいはむとした動作のみが印象されるからである、萬葉の凡てが茫漠たるものであるのにこの作の如き明瞭なものは洵に珍らしいのである。
   ※[土+皆]楯の熊來のやらに、新羅斧墮し入れわし、かけてかけてな泣かしそね、浮き出づるやと見むわし
      右歌一首傳云或有愚人斧墮海底而不解鐵沈無理浮水聊作此歌口吟爲喩也
   ※[土+皆]楯の熊來、酒屋に、まぬらる奴わし、さすひたて率てきなましを、まぬらる奴わし
 これはさきのとは正反對に極めて茫漠として、新羅斧の如きは殆んど了解し難い程で、解釋して仕舞つては趣味を減却せしめると思ふ位のものである、然しそこが長所のある點で飽くことの知らない理由である、このやうな句法は萬葉集よりは萬葉集以前にあるので、以前といふのより(53)は俗間にあつたのであらう、それが埋れてしまつてこゝに二つ位が保存されたのかも知れない、現今であつても子守唄や手毯唄の中にも何の意味であるか分明でないやうなものに語路の流暢で滑かなためいふべからざる妙味のあるものがいくらもある、この二つの語句の末に「わし」といふ語の附隨して居るなどは頗る面白味を助けて居る。加之この二つは萬葉集中他に類のないものであるに至つては更に面白い。
     厭世間無常歌三首
   生死の二つの海を厭はしみ潮干の山をしぬびつるかも
   世のなかのしき借廬に住み/\て至らむ國のたづき知らずも
   鯨魚《いさな》取り海や死にする山や死にする、死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ
     藐姑射山歌一首
   心をし無何有《むかう》の郷に置きてあらば藐姑射の山を見まく近けむ
 萬葉集に於ける佛教思想といふことで必ず引證される歌であるが、それは茲にいふべき限りでない、此歌はいひ表しが變つて居る、無何有の郷とか藐姑射の山とかも目立つて見えるが殊に「見まく近けむ」の如きは稀な語である、これはうたふべき方面が異なつたからなので、同一方面の作では作者の手腕で變化はあるにしても異なつた方面程に變化し易くはない。
     怕物歌三首
   天なるやさゝらの小野に茅草刈りかや刈りばかに鶉をたつも
(54)   奧つ國知らす君が染屋形黄染の屋形神の門渡る
   人魂の佐青なる君がたゞ獨りあへりし雨夜は久しく思ほゆ
 これもいくらか異なつた方面の作であるがかくの如きものゝ存在は複雜なる十六をして更に複雜ならしめるものである、この他にも單に面白いといへば面白いものもあるが萬葉の全體から見れば普通のものであるけれども唯一つ擧げて見たいのは越中國歌四首の中の
   伊夜彦のおのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そほふる
の莊嚴な感じがあつてしかも極めて寫生的なことである、そこで二の句の「おのれ」が難解であるが、「おのれ」は「尾ぬれ」で山の頂であるといふ考を待つて居るのは左千夫君である。「おのれ」と「をぬれ」では假名が違ふが我輩は「をぬれ」として明瞭に且つ妙味を増す方に左袒せざるをえない、
 畢りに筑前國志賀白水郎歌十首といふもの、これは寧ろ有由縁歌の中に入るべきものであるが、これを山上憶良一人の作であるとすると一つの連作の體をなすので稍々注目すべきものになるが、その變化のない所先づ價値のないものとするが至當であらう、
 要するに萬葉の十六は極めて複雜な卷であることが特色で、有由縁歌が悲哀怨恨の情を歌つたものかと思へば滑稽の歌の如きものがある、而して我々が萬葉十六に學ぶべきは異つた多くの方面に渉つて變化せしむべきことでなければならない。
             (明治三十八年二月二十日發行、馬醉木 二卷一所載)
 
(56) 歌の季に就いて
 
△ホトトギス七の六高濱虚子氏の俳語の一節にかういつてある。
   ……次に又、和歌は李を入れずして趣味あることを得るが、更に其に李を入れたらば更に趣味ある和歌となりはすまいか、言を換へれば從來無季の和歌のあつたのは、俳句に比して未だ至らざること一歩であつたのではあるまいか、といふ問題を先づ呈出して見たい。これは和歌に對しては輕からざる問題で、余の如き局外者が輕率の判斷をなすわけには行かないが、叙情歌は暫く措き、「箱根路」の歌の如き叙景歌に李の無いといふ事は、俳句を作るものゝ目から見ると何となく物足らぬ樣に思はれる。若し春夏秋冬孰れの季かゞ此歌中に明示されて居つたならば其光景が一層判然として、更に一層趣味ある歌となりはすまいかと思はれる。景樹の
     伊勢の海の千尋たく繩永き日も暮れてぞかへるあまの釣舟
といふ歌の如きは「永き日」なる言葉ある爲めに季の感じ確りして、從て風光の上にも種々の連想を惹起せしめる。若し此歌に「永き日」なる言葉が無かつたら臘を喫む如き無趣味なものとなるであら(57)う。此歌と實朝卿の歌との價値を同一に論ずるわけにも行くまいが、彼の歌に季のものがあつたら更に幾多の趣味を添附し得たらうといふ事の反證とはなるであらう。………俳句に季無かる可からざる事を前提として、和歌、少くとも叙情和歌には成るべく季を入るゝ事を歌人諸君に勸め度と思ふ、………
△まことに丁寧穩當の見解であつて、かくの如き考を持つて居るものは天下の歌人中幾人もあるまいと思ふ。此議論で見ると主眼とするところは季に注目せよといふに歸するのであるが、叙情歌に就ては別として叙景歌に李の無いのは趣味の上に價値を減ずるといふので極めて概略の論である。即ち議論としては簡に過ぎて居るやうに思ふ。そこで季といふものに就いての自分が持つて居た考を述べて、歌といふものゝ各種の場合を引いて論究して見たいと思ふ。
△萬葉集の歌に就いて一渡り研究して見れば、萬葉集には無季の傑作が枚擧に遑ない位である。一寸擧げて見ても
   さゞ波の志賀のおは和太よどむとも昔の人にまたも逢はめやも
よひに逢ひてあした面なみ隱《なばり》にかけ長き妹が廬せりけむ
   丈夫がさつ矢手挿み立ち向ひ射るまど潟は見るにさやけし
   丈夫の鞆の音すなり物部の大臣《おほまへつぎみ》楯立つらしも
等の作であつても季はない。然しながら萬葉中の傑作である。高濱氏の「俳句入門」に據て吾々の知つた所は俳句に季のあるのは繪畫に色彩のあるのと同一であるといふことであるが、色彩と(58)いふのは即ち裝飾である。季も亦或意味に於ての裝飾といつて不可なしであらう。又季は空間の連想を惹き起すためのものであるといつてある。俳句は此の如く微妙なる感じを主とし居るが、萬葉の作者は時代の然らしむる所でそんな考は毫末もない。それにも拘らず巧妙なる作を出したのは一つは歌と俳句との間に自ら異なつたる性質のある故であらう。以上の例に見ても或事柄と隨伴して居るものは單に歌その物のみを見るべきでなく事柄とあはせ見てはじめて一層の光彩を放つものである。「さゞ波の」であつても柿本人麻呂が近江の故都を過ぎ、有爲轉變の世の中を悲んで作つたといふ事柄、その事柄よりして壬申の亂を連想して更に此の作に對すれば一層吾々の感じが深くなる。「丈夫がさつ矢手挿み」の如きも從駕の人の作であるといふことを知つて見ると、まど潟の清く潔きを珍らしく思つたことがよく解る。「丈夫の鞆の音」も事柄の隨伴せるによつて面白いものである。さうして此等の作は孰れも事柄と相俟て面白いのみでなく調子の上に於て特に趣味を感ずるのである。歌(暫く長歌を省く)は文字の數に於ては俳句に比して殆んど倍して居るにも拘らず、内容は却て簡單なる場合が多い。この例にしてもそれである。そこが俳句に比して遙にのんびりした所以で、言葉の上に專ら裝飾を施すことが出來るわけである。裝飾の爲めに數多い文字を使用して且つのんびりせしめることは俳句には到底容れ能はざるところである。こののんびりした點が(59)歌の長所の一つで音調の上に餘韻を感ぜしめる。歌は比較的簡單であるから隨て狹くなるがこの音調によつて高さを増すことが出來る。これ即ちこれらの作の傑出したる理由に外ならない。
   憶良等はいまはまからむ子泣くらむその彼の母も吾を待つらむぞ
   人言をしげみこちたみ逢はざりき心あるごと思ふな我背
   丈夫と思へる我や水莖の水城の上に涙のごはむ
   君が行くみちの長手をくりたゝね燒き亡さむ天の火もがも
   琴とればなげき先立つ蓋しくも琴の下樋に嬬やこもれる
等の如きで本より季はない。文字の數《かず》あるだけ感情の由て來る事柄とか、自己の動作とかの一部分が表明されてある。長歌になれば文字の數が無窮大であるだけます/\自在である。然しながら主觀を咏ずるにしても、絶對に他の事物を借りないといふわけには行かない。主觀を咏ずる場合には文學の上に於ける裝飾を施すことも趣味を變化する方法の一つである。例令へば
   秋の田の穗の上に霧合《きら》ふあさがすみいづへの方に我戀やまむ
   大船の※[楫+戈]取の海に碇おろしいかなる人か物思はざらむ
   難波人葦火たく屋のすしたれど己が妻こそとこ珍らしき
   ※[木+巨]※[木+若]《うませ》越しに麥はむ駒の詈らゆれど猶しこひしくしぬびかねつも
   湊入りの葦分小舟さはりおほみいま來む我をこずと思ふな
これは即序詞の體で俳句にはない處だ。單純な意味を詞の飾りで面白くなつてゐる。又直ちに季(60)のものを捉へて作つたものもある。
   葦邊行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕は大和しおもほゆ
   君待つと我こひ居れば我宿の簾動かし秋の風吹く
   我宿の穗蓼|古乾《ふるから》つみおほし實になるまでに君をし待たむ
   ながらふる雪吹く風の寒き夜に吾背の君は獨かぬらむ
   三吉野の山のあらしの寒けくにはたや此宵も我がひとり寢む
それで此の三つのうちで孰れが適切に感情を言ひ表して居るかといへば、裝飾も季もないものと季のものを捉へたものとで、文字の裝飾をしたものは稍劣つて見える。一つは感情の激した折の作であるから、直叙して宜しい、却て裝飾等を嫌ふのである。然しこの方法で成功する場合は少ない。文字の裝飾をするのは比較的輕い場合の仕方で、季のものを捉へるのが適切に且簡易な方法である。萬葉集に在つてさへもかくの如くである。こゝ大に刮目して見なければならぬ。
△これからは叙景の方面に向つて見やう。先づ「箱根路」の歌を吟味して後に萬葉集に及ばんとするのである。「箱根路」には人情を含んで居ない、景色を叙することが主になつて居る。一二の句「箱根路を我が越え來れば」にて作者自身の位置及び動作までが明瞭に説明してある。三句に至りて「伊豆の海」なる地名を拈出し、更に四の句「沖の小島」といひて思想をその海中の一小部分に集め、「波のよる見ゆ」の句を以てその一小部分の現象を説明し盡したるもので、秩序整(61)然粗より細に入り、大より小に至る、一糸紊れずして叙し去りたるところ、かくの如く明瞭な序法は萬葉にも比少きものである。然しながら高邁なる作者の手腕は却て無季の點に於て議せらるゝに至つたのである。もとこの歌は萬葉の句法を襲踏したるもので、萬葉中より例を引けば
   相坂を打ち出でて見れば近江の海白木綿花に浪立ちわたる
の如きで、一見頗る似て居るがこれは簡單である。その内容は只相坂山を越えて來たれば近江の海に浪が立つて居たといふ他に一物をも含んで居ないもので、これは萬葉の作者の長所で後世の人からは珍らしい仕方である。それでこれには季節もなにも問ふの遑がない、只浪が立つて居たから浪が立つて居たといつたまでなのだ。吾々はこの點に少なからず趣味を感ずる。しかも内容の簡單なるだけすべてが茫漠として居るにも拘らず、「白木綿花」といふ句を用ゐて浪の形容までしてある。箱根路の歌はキチンとし過ぎて居る。これはボウツとして居る。箱根山の歌はキチンとして些の餘裕もないために季のないのが物足らず感ずる。然しながら箱根山の歌を以て價値なきものとは思はぬ。さうして季を入れるとした所容易なことではない。これを霞む小島とするといふやうな説もないではないが、それでは折角明瞭な「波のよる見ゆ」が役に立たなくなる。やつぱり箱根山の歌はこの儘でいゝ。これを救ふ方法といへば、時日及び行旅のこと等を前置にしたなら季の感じも確かまつたであらうと思ふ。それから簡單といへば萬葉の
   大海に島もあらなくに海原のたゆたふ浪に立てる白雲
(62)の如きも只平に靜かな海上に雲のむら/\として騰りたるを直叙したるもので季節の如きは關するところではない。一切が茫漠たるものであるのを茫漠と表はしたもので頗る珍らしくまた作者の手腕に驚かされるのである。然しこの種のものは辛くして得べきもので失敗し易い。
△そのほか叙景の作では
   渡津見の豐旗雲に入日さしこよひの月夜きよくてりこそ
   ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
     登筑波山詠歌
   天の原雲なきよひにぬば玉の夜わたる月の入らまく惜しも
   和歌の浦に潮滿ち來れば潟をなみ葦邊をさして田鶴《たづ》鳴き渡る
   伊彌彦の尾ぬれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼ降る
等も季は明瞭に指示してない。指示してないが豐旗雲の歌の如きはどうしても秋の感じで筑波山の如きも同一である。「月傾きぬ」の歌の如きは漠然たる言ひ表し方に趣味を感ずる。その音調の壯重なるところ器局の雄大なるところ、その丈高きところ萬葉集中否古今の短歌中に在りても屈指の作であると思ふ。伊彌彦の如きも落葉樹の茂つて居る時節を見て趣味を感ずるのである。和歌の浦の歌に至つては空間が明瞭に叙せられて居るにも拘らず季がない。然しこの歌が表はして居る音調と風光とは直ちに萬葉集中に異彩を放ちつゝあるものであると感ぜしめる。若し強ひて季の觀念を確めるといふ段になれば、この歌の前書によつてしたいと思ふ。然しそれは冬のこと(63)であるので寧ろそれが無かつた方がいゝと考へる位である。
△眞面目に景を赦し事を叙したるもので季のあるものは
   巨勢山のつら/\椿つら/\に見つゝしぬばな巨勢の春野を
   淺緑染めかけたりと見るまでに春の柳はもえにけるかも
   春過ぎて夏來たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
等であるが、かくの如く叙景叙事を主としたものは萬葉には極めて少ない。却て
   足引の山鳥の尾のしだり尾のなが/\し夜を獨りかも寢む
   ますらをの弓末振り起し獵高の野邊さへ清く照る月夜かも
のやうに主とする點は極めて簡略で文字の裝飾、裝飾といつてもそのために言ふところを一際適切にするの方法を取つて居るものがある。
△箱根路の歌に稍々類似したものでは
   天離る夷の長路ゆこひ來れば明石の門より大和島見ゆ
これは目的が叙情にあるので、季節がいつであらうがそんなことは問ふところでない。只明石の門より大和島の見えたのが嬉しくつてかく作つたのである。
   淡路の野島が崎の濱風に妹がむすびし紐吹きかへす
これも季節には些の關するところではない、然かも吾々は見て以て傑出したる作品と信ずる。目的がやつぱり叙情にあるので、叙情の點に成功して居るからである。
(64)△猶叙景の作中で季のない例をいへば
   櫻田へ鶴《たづ》鳴き渡るあゆち潟汐千にけらし鶴《たづ》鳴きわたる
   しはつ山打ち越え見れば笠縫の島榜ぎ隱る棚なし小舟
   いそ埼を榜ぎたみ行けば近江の海八十の湊に鶴さはに鳴く
   なはの浦にしほ燒く烟ゆふされば行き過ぎかねて山に棚引く
   眉の如くもゐに見ゆる阿波の山かけて榜ぐ舟とまり知らずも
   妹に戀ひあかの松原見わたせば汐千の潟にたづなき渡る
   あま小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦|回《み》に浪立てる見ゆ
さうして却て叙情的の序歌に在つて季のあるのは抑もどういふ理由であるか。萬葉の作者の叙景は多く唯壯大なる、茫漠たるものを選んだため季の有るものが少ない。叙情になると沈んだものが普通である。思ひに沈んで居る時に仰いで壯大なる風光を覩ることはなく、手近のものを探るべきである。隨て序歌の材料が季を有したる秋の田の穗とか、麥とかいふものを用ゐるやうに成るのである。
△萬葉の研究は先づ此位にして之を總括して見ると叙情には季のないものと有るものとがあり、叙景にも季のないものと有るものがある。さうして季のあるものにも傑作があり、ないものにも傑作がある。そこで萬葉はさうであるが今後の歌人はどうすべきであらうか。かういふ考を持つべきだと思ふ。
(65)  一、叙情歌に於ては、勿論無季で佳作を得ることができる。
  一、同じく季なきも序歌又は比喩等によりて文字の上に裝飾的語句を用ゐて佳作をうることが出來る。
  一、季のものを捉へて懷を述べると適切に且つ簡易に言ひ表はしえらるゝことがおほい。故に叙情にも季のあるためにより多く面白味を感ずることが出來る。
  一、叙景歌では、只茫漠とした空間を茫漠と言ひ表はす場合には季の必要が少ない。從て無季の叙景にも佳作を得ることができる。
  一、單純より複雜に入るのは自然の法則で、今人の單純と思意するものは必ずしも古人の單純でなく、古人の複雜としたことが必ずしも悉く今人をして複雜を感ぜしめることは出來ない。同じ句法の上に製作したものでも相坂山の歌と箱根山の歌とが相違して居るのは自ら古人今人の思想の相違を示したものであるといつても差支がない。吾々の頭腦では到底萬葉の單純萬葉の茫漠主義で滿足は出來ない。一草一葉の微なるものまで趣鰺を求めなければならない。季が必要であるのはいふまでもなく、知らず識らず季を有するやうに成る。
  一、叙情叙景共に季を必要とする場合が多いけれど強ち一首のうちに必ず明かに表示されずとも、詞書と歌とをあはせて季の觀念の確めらるべき場合もある。
△詰るところ季は和歌にも必要であるが、俳句とは程度に於て異なつてゐる。俳句は絶對に季を要するが、歌は決してさうでない。
   餅買ひにやりけり春の伊勢旅籠
(66)の如きは一句の上に春の觀念を表はさんがための春の字であつて、自然的の春ではない。寧ろ理屈的規則的に春の字を入れた樣に感ずる。歌にはか程までに要求しない。季は天然の現象を咏ずるに尤も適切にその現象を感知せしむる方便で、季なくして咏出したる天然の現象は讀者の腦中に一種の不安心を生ぜしむるが故に、今后の作歌はこの點に俳句と接近するであらうけれども、性質上一歩の隔てを有し、百歩の隔てを有するのである。そこで高濱氏の「從來無季の和歌のあつたのは、俳句に比して未だ至らざること一歩であつたのではあるまいか」といふ數句だけは粗漏であつたやうに思ふ。(萬葉のうちでも大伴家持の作は大分季のものがはひつて居るが、一つは時代の然らしむるところで、一つはもはや題咏に傾いて來た爲めでもある。それで佳作はその以前のものとは比較にならない程劣つて居る。)   (明治三十七年七月發行、馬醉木 第十二號所載)
 
(67) 竹の里人選歌につき
 
      左千夫に宛てた消息
 惣體の歌に就て僕は、動物、植物、器物、裝飾、食物の五題に分けて調べて見た、興味の無いでもない、
      動物
(獣類)熊、狸、馬−駒−赤駒黒毛の駒、鼠−嫁が君、狐、さを鹿、犬、猫、鬼、ましら、かははり、
(鳥類)鵜−初鷄、鶴−蘆田鶴、鴉、鴨、鷲、雉、梟、つぐみ、鳩、鷹、鶉、鵲、雀、燕−岩燕、眼白、カナリヤ、千鳥、鳩、雁、鷯鷦、木兎、頬白、ひえ鳥、
(虫類) 五月蠅、桑子−繭、糊蝶、谷蟆、こほろぎ、きり/”\す、蟻、龜、蛭、蚯蚓、灯取虫、
(魚貝類) 鰯、ひしこ、目高、鯉、沙魚、めばる、鰆、金魚、鱸、貝−蛤、海鼠、
   (想像の動物)鬼、土蜘蛛、蒼※[虫+礼の旁]、天狗、龍、
     植物                  −
(68)(木) 銀杏の花、栗−栗の實、松、松原一門松−玉松−小松−松の葉、竹−刺竹−むら竹−竹の葉−小笹、梅、椿−白椿、檜原、櫻−鹽金櫻−揚貴妃櫻−姥櫻−小町櫻−西行櫻−墨染櫻−兒櫻、桃、藍毘尼の林、山茶花、杉、楢林−楢の實、茨、八重の緋桃、梨、錦木、はしばみ、白木綿花、樛、しだれ小櫻、李、樫の木、つゝじ、青柳、楓、牡丹、沈の木、伽羅、眞榊、桂、いちしば、えびかつら、辛夷、いぬしだの木、楠、棕櫚の花、桜の芽、白樫の落葉、枇杷の落葉、木犀の芽、接骨木(藤)
 
(草) 麥−麥畑、山慈姑《かたくり》の花、芝、すゞ菜、(日かげかつら)稲−藁、董、萱、白百合、罌粟、(天羅)萩、薄、雪菜、菊−白菊、藍、菖蒲、金盞、蕗の葉、蓬が杣、蕨、(苔)、葱の青鉾、葉廣菜、淺茅原、芍藥、葎生、あづま菊、薊、根芹、蠶豆、蓮−白蓮、羊齒、いちご、青菅、芋、藷、黍の稈、眞菰、瓜、茄子、露草、蒜、夏菊、ねむり草、鳳仙花、
     器物、(衣服類をも含む)
   (括弧内のものはこの類に入るゝは穩かならざれども暫くこの儘にす。その他にもかくの如きものあり)
  鎌、鍬、網、たゞら、ガラスの管、鋸−鋸の齒、逆鉾、板戸、竈、梶、白帆−眞帆−片帆、被帽、机、筧、鉢、瓶、太刀、瓢、琴、罎、(寫眞)、クルップの丸、錦の幕、鐘−釣鐘、遠眼鏡、電燈、扇、(汽車)、(汽船)、球、畫帖、障子、鋏、(足柄小舟)、(ボート)、たふさき、幌、笥、鶴嘴、提籠、(艦)、(砲)、提灯、冕、直垂、(卒都婆)、矢、征箭、弓、(棚なし小舟)、むしろ、針金、釜、※[木+峠の旁]、瓊、フグシ、帶、樋、鑄型、箱、書棚、硯箱、料紙箱、針、菅笠、炭とり、羽箒、(苫舟)、竹〓、繩、衾、白紐、笊、機足、竿、琵琶、玉の櫛笥、旗、火桶、梯、太鼓、毯、初荷車、羽子−羽子板、燒太刀、齋(69)瓮、斧、砧、雪車、紙鳶、罠、麻繩、笛、幟、(あまのつり船)、南蠻鐵の燈籠、
裝飾
※[奚+隹]、アーチ、紙花、錦、櫻色、薔薇色、輪かざり、注連、黄金の鳶、濃染振袖、花籠、
     食物
  餅、屠蘇、雜煮、酒、蜜柑、海苔、栗飯、氷、さくら花潰、乳、菖蒲酒、蓮、林檎、柿、藷、茸、栗の實、茶、ひしこ漬、酢、
 嚴重にしてはおかしな所がある、即ち舟などを器物の中にいれたのがそれであるが、先づ極めて廣義に解することにしてなか/\多數の材料を以て咏じたものだ、しかしこのなかには隨分な無理を冒して遣つたものがある、今日の我々にしては首を捻るものがいくらもある、これはその當時活氣に任せて外形も何も滅茶々々な時分だから出來たことなので隨而佳作に乏しく疵だらけのものである、疵だらけでも現在のやうに萎靡銷沈して平凡に次ぐに平凡を以てするよりも遙かにましだが、これだけの品物《ひんぶつ》の中殊に動植物の中でも全く珍らしいものといふのはいくらもない普通のものでも面白いものゝ出來るのは勿論であるが、出來ることならば珍らしいものを持つて來るがいゝではないか。山慈姑《かたくり》の花なんて僕は知らないが面白さうに思ふ、この歌は
   家づとに妹にやらむと森をあさり摘みてぞかへる山慈姑《かたくり》の花
だが、これでもいゝはいゝが、も少し上手いふと一層よくなる。全體歌人などは動植物の智識などがあんまり無さ過ぎるのだ、少しの心掛けやうによつて、路傍にいくら程やさしい面白い草が(70)あるか知れんといふこともわかる、そんなもので作るとしたならば例令それが非常に上乘な作でないにしても變つたものである。自己の歌ふ所の區域が擴大されるのだ。徒に深山大澤を跋渉するばかりが能事でない、自然は我々にいくらでも手近に面白い動物や植物を分布して置いて呉れる、今後の歌人たるべきものはこの方面にも大に力を致してよからうと思ふ。そこで僕は植物に就て先づ少しばかりの智識をえたいと思つて先輩に問ひ質して見ていろ/\の草の名を知つて歌を作つたがこの間やつた原稿の歌がそれだ、勿論あれは拙いがこれ迄人が注自しなかつたものを取つてした丈は自ら認めるのだ、もとより句法の變化に乏しいといふやうなことは甘じてその譏りに服從する、僕はあれだけでは止めない、出來るだけ作つて見る積だ、新に出來たうちに
   菜の花は咲きのうらべになりしかは莢の膨れを鶸の來て喰ひ
   かぶら菜の莢喫む鶸のとびたちに黄色のつばさあらはれのよき
の如きものがあるが句法その他いひ顯はし方は別問題にしてかういふものが歌に詠まれた、即ちかういふ平凡なやうな微細なことが歌に詠まれたのは餘り見受けられないやうである、菜の花の末になつて莢を結んだ丈ならば前例もある、君も詠んだやうであつたが、鶸が來て喰ふといふところは珍らしいだらうと思ふ。又鶸の逃げ去る時に翅を廣げるためにひら/\黄色い色の見えるといふことも珍らしいではないか、かういふことでやると文字の數多いだけ明瞭に表明しえらるるので決して俳句に劣るまいと思ふ、俳句に劣るまいといふのはこの題が劣るまいといふのでな(71)くてかういふやり方で成功したならばといふことである。人の顧みなかつた清楚なる趣味を捉へてやるといふのが僕の近頃意を注いで居る所なのだ。かういふものになると堅くるしい詞や飾り詞などは必要を感ずることが薄い、有の儘に表はすのが第一に成つてくるのである。それでこれらは皆實景でなければ駄目である。竹の里人選歌中の作でも限前の景物を取つて質實に詠んだものはその當時に評判がなくても見飽がしない、三十三年の春雨の作でも君なんぞのは却て人が馬鹿に見た位だつたらうが今日見るといゝのだ、他の人のは餘り漠として緊りがないといつてもよいのに君のは局所を見付けてしかも珍らしい所なのだ、葱の青鉾が立つて居るとか、葉廣菜に白玉おくとか、赤かつた楓の芽が稍青くなつたとかいふのであるから讀者の胸中に極めて明瞭に印象される。先生の抔でもさうだ芍藥の芽といつて更に紅といつてあるのが面白い、先生のは凡てがこんなやり方で、當時はつまらぬ樣に思つて居たが時立つに從つて却てそれがよくなる。我々の腦髓は古人のやうに雜駁な單純なのではないから、詠ずるものも髓て緻密になるべきである。僕のいふことは一つの體に就てゞあつて、こんなやり方で名山大川を詠まうとしたつてそれは間違だ。なぜならは名山大川と一口にいふことは緻密といふことではないからである。
 纏りもつかないことをいつて居るうちに紙數が馬鹿に殖ゑて仕舞つた、まあこゝらでよしにしやう、只僕は竹の里人選歌には屑が非常にあるが不朽に垂るべき佳什のあるのを窃に喜ぶのである。それと共に連作といふことが非常な注意でないと十首も作らうといふと同一のものが重なつ(72)てしまふといふことゝ、質實なものは場當りがしないでもいつまでも褪めないといふことゝを知りえたといつて置く。
  編者曰、文中「君」とあるのは伊藤左千夫をいうのである。
       (明治三十七年八月二十五日發行、馬醉木 第十三號所載)
 
(73) 寫生の歌に就いて
 
〇萬葉の歌は面白い、萬葉から出たものも亦面白い、萬葉の歌は主觀的である、萬葉から出たものは隨て主觀的に傾くのは見易い道理である、
〇蘆雁の圖といふのが本來面白くないと極つたものではない、粟に鶉の圖も面白くないと定つたものではない、然しいつでも蘆雁の圖いつでも粟に鶉の圖ではその巧拙といふことよりも、陳腐といふことに惱殺されてしまふのである、〇萬葉の歌は面白いが、いつでも萬葉らしいものでは一定の模型を形つてしまふ所から迚ても見るに堪へられなくなる、近來所々から歌が少しも出來ないとかどの歌を見ても薩張り感心しないとかいふ煩悶の聲が聞えるが、それは歌その物の面白い面白くないといふよりはもう甚だしく飽が來て居るのであるといふのが適切であるやうに思ふ、さういふ煩悶の聲を放つ人は自他の製作物が悉く面白くないと共に萬葉を見てもちつとも趣味を感じなくなることであらう、
(74)〇かういふと一般が萬葉を離れることが出來ない、萬葉かぶれで迷つて居るといふやうであるが、萬葉を讀まない人は格別、さうでない人は孰れも萬葉を離れる心掛ではあつてもその距離が近いやうであるといふのである、
〇水は流動しなければ腐敗する、歌も一所に停滯すれば萎靡銷沈するのは同一の理である、現在の趨勢は蓋しそれである、
〇それではこの趨勢を挽回するの方法はどうかといふと、それは大問題である、
〇俳句の基礎は全く寫生であつた、歌が俳句と甚しく基礎を異にして居べき理由はないやうに思ふ、
〇歌は到底主觀を交へなければ成功するものでないといふことは發達した頭腦によつて判斷されて居るやうであるが、各自にその解釋の程度を異にして居ることゝ思ふ、少くとも僕自身の近來の考では、殆んど主觀のないもの、又は純客觀のものでも面白いものが自在に出來ることであらうと思ふのである、
◎これまでのは客觀とはいつても主觀を表はすための方便が大分であつた、僕は暫く之を棄てゝ主觀といふのも客觀が主となるものを作りたいといふのである、これ迄の方法は惡いといふのではない、唯飽が來て居るのである、これまでのは製作の上に確かな方法である、僕のいふ所のものは未成品である、然し此際一個の問題として提出して見るのも強ち無稽の所業でもないであら(75)う、
◎僕がこの考を持つやうに成つたのは一つは客觀的の製作物が好きなのと一つは在來の製作に飽が來た反動である、海岸へ行つて居ると孰れも魚づくめに閉口して菜や大根が欲しくなるやうなものだ、菜や大根は淡白の味である、寫生の歌には平淡清楚の趣味が主になる、
◎水戸の鹽辛屋の主人がいつた、よくなれた鹽辛は汁が濃厚で臭みがない、この汁を桶の菜漬へ注ぎかければその味は匹敵するものがないといふのであつた、疏菜の味でも仕方によつて變化する、平淡清楚に傾く寫生の歌も行く/\各種の面白味が出來ることであらう、それで寫生の歌は菜や大根の味よりは複雜であるべきはいふまでもない、
◎俳句や寫生文は趣味さへ解つて居れば熟練の結果左程に学問の力がなくつても名句名文が出るやうである、寫生の歌もそれである、六かしい詞や裝飾などは却てない方がいゝので、咏ずべき材料をは眞面目に表すといふことが主になるのである、
◎さうであるが寫生文にも金莖の露一杯といふやうな句が振ふ場合があるやうに寫生の歌にも古語が要求せらるゝ場合がある、その程度は俳句や文章よりも遙に切である、
◎寫生の歌を作ることは初め非常に六かしい、俳句であつたら苦もなく言ひ盡せると思ふことがいくら考へても出來ないといふのが普通である、然し乍ら鐵軌の上を押す車は五人七人でやつと動かすものでも力がついて來れば腕一本で樂である如くいくらでも出來るやうになることゝ信ず(76)る、
◎寫生といふ以上素より實況でなければ駄目である、現在に目に觸れないものでも曾て見たことのあるものならば宜しい、空想は失敗し易い、
◎寫生の歌を作るには歌は文字の數が多いだけ俳句で同一の事をいふよりは明瞭にすべきものであるといふことに心掛けなくてはならない、これが寫生の歌の生命ともいふべきであらう、
◎此の間碧梧桐君に逢つた時に寫生の歌に就いて同君の批評を聞いた、「歌が俳句よりも復難にいひ得るかどうかといふのは疑問であるが明瞭にすることが出來るといふのは必然であらう、つまり梅一枝を描くにもそれを緻密にするといふことになるだらう、今までのものが日本畫であつたらこれは油繪に近づいて來たものといふべきである」といふことゝ「これまでが俳句の領域であるこれまでが歌の領域であると極めて仕舞ふのは宜しくないと思ふ」といふことゝであつた、
◎寫生の歌は即ち所謂俳句の領域に一歩を生み込んだもので俳句以外に別途の趣味を表はさむとするものである、
◎かういふ意見で僕はこれまで少しづゝ試みた、本號に載せた三十首もそれであるが、一つでも二つでも物になるのがあつたら滿足である、十首のうちに一つ成功したものがあれば百首作れば十首を得、千首作れば百首を得るの道理である、
◎歌は文學上の小部分である、寫生の歌が一體となることが出來たら歌の區域がいくらかでも擴(77)大される譯である、寫生の歌を作るのは一草一木の微にも及ぶべきであるから必ずしも田園生活に限るべきではないが田園の風物は取つて材料とするに便利である、市街に居住するものは半日の閑を偸んで郊外の散策を試みるのが肝要であると思ふ、
◎僕は江湖の反響を待つのである、   (明治三十八年一月三日發行、馬醉木 第十五號所載)
 
(78)  秋冬雜咏に就いて碧梧桐氏よりの來状
 
今度の秋冬雜咏も面白く拝見してうれしかつた。就いて尚ほ素人の門外評を試みて見やう。第一首
   秋の野に豆曳くあとにひきのこるはぐさがなかのこほろぎの聲
「秋の野に」といふ言ひ出しは從來の歌の調子で別にわるいとも思はず、寧ろ大まかでよいとも考へる。併し其下に叙して來る事柄が段々狹い小さい範圍のものになつて行くと、初めの「秋の野」が餘りぱつとし過ぎるやうに思ふ。歌の主意は小さな足もとの光景を寫すにある。それに「秋の野」と廣く見渡すやうな詞を用ゐるは如何。こゝは少し境を狹くして「畔《くろ》に生ふる」とか、「畔蒔きの」とかしたらどうであらう。田の畔でなけれは「木の間畑に」とか「畑|畝《うね》に」とかしてはわるからうか。尚御一考を煩したい。第二首
   稻幹につかねて掛けし胡麻のから打つべくなりぬ茶の木咲く頃
俳句にも「干胡麻の打つべくなりぬ」といふやうなのがあつたと記憶する。さまで珍らしくもないやうに思ふが、若し寫生の歌といふのが流行すれば、かういふ句は第一に陳腐になるのであらう。第三首
(79)   秋雨の庭は淋しも樫の實の落ちて泡だつそのにはたづみ
樫の實が落つるよりも、樹の雫が落ちて泡の立つ方がよく目に寫ると思ふ。「庭は淋しも」「その潦」共に振はぬやうだ.第四首
   こほろぎのこゝろ鳴くなべ淺茅生の十藥の葉は紅葉しにけり
「こゝろ」は「こゝら」の誤植でないかと思はれる。「淺茅生」といふやうな處に十藥があるのは少し變に思ふ。藪とか森とか裏庭とかにしてはどうであらう。第五首
   桐の木の枝伐りしかばその枝に折り敷かれたる白菊の花
初めの方が稍説明的に傾いてをる。併し桐の枝に白菊の折りしかれた樣は面白い。第六首
   あさな/\來鳴く小雀は松の子をはむにかあらし松葉立ちぐゝ
古舌鳥が榎の實を食ふやうな大間違ではない。が、寧ろ普通の歌であらう。第七首
   掛けなめし稻のつかねをとりされば藁のみだれに淋し茶の木は
茶の木のあるのが稍突然のやうに思はれる。併し面白い。こゝまで讀んで來ると第一首、第二首、第五首、第七首等皆初め十七字が或景色を現す爲めの説明のやうになつてをる。自然歌の形が略似てをる。寫生の歌はいつもこれではこまることであらう。作者の反省を求むべき點でないかと思ふ。第八首
   芋の葉の霜にしをれしかたへにはさきてともしき黄菊一うね
「かたへには」調子が少しゆるむ。強てわるいといふのではない。第九首
   獨活の葉は秋の霜ふり落ちしかば目白は來れど枝の淋しも
「落ちしかば」が矢張何となくたるむやうに思はれてならぬ。「目白は來れど枝の淋しも」といふ光景(80)はうどなどよりも少し適切なものがありさうだ。第十首
   むさし野の大根の青葉まさやかに秩父秋山みえのよろしも
 一讀壯快。第十一首
   はら/\に黄葉散りしき眞北むく公孫樹の梢あらはれにけり
「梢あらはる」といふのは森の上とか山の上とかに見える景色のやうに思はれるが、さうすると「はら/\に」と近く見た景色がどうかと思はれる。面白い歌とは思ふがその邊に少し疑問がある。第十二首
   秋の田に水はたまれり然れども稻刈るあとに杉菜生ひたり
水田の中に杉菜が生へるといふのは變だ。杉菜は春生へて秋の中頃迄には大方枯れてしまふ。作者は杉菜を思ひ違ひて居りはせぬか。
かやうなことをいふてをると際限がない。其あとの歌の中で
   秋の日の蕎麥を刈る日の暖かに蛙が鳴きてまたなきやみぬ
   うらさぶる櫟にそゝぐ秋雨に枯れ/\立てる女郎花あはれ
の二首はつまらぬと思ふ。
尚疊字法の歌が多い。「豆引くあとにひき殘る」「枝伐りしかばその枝に」「秋の日のそばを刈る日の」「鳴きて又なきやみぬ」の類で、これは調子の上でやむを得ぬことであらうが、これをなくすれば今一層詳しく叙することが出來るかも知れぬ。
右妄評多罪々々。一月七日。(河東碧梧桐書状)
(81) 節いふ。馬醉木十五の出たのは一月の六日であるが碧梧桐君の來書にある日付は七日である。即ち馬醉木を手にして殆んど直ちに送らたものであると思はれる。予は俳句の側から此の如き注意を致されたのを驚くと共に感謝の念に堪へないのである。缺點として擧げられた所は自らも缺點と考へるのであるが二の意見を序であるから附け加へて見やう。第一首、「秋の野に」の句は左千夫氏もさう言はれたが、いかにも漠としたものに相違ない。然し自分が見た景色は田の畔とかいふやうなものでなくて少しく廣い畑で莠の一面にぼう/\とした中にそこにもこゝにも※[虫+車]が鳴いて居る所であつた。そこらが皆豆を引いた跡であつたのと、第一の句には輕い句を用ゐるといふ從來の癖とで「秋の野に」と置いたのであつた。第三首、自分が幼少の折にあつた樫の大木のことを思ひ出したのである。考が足らなかつた。第四首「こゝろ」は誤植で「ころゝ」と※[虫+車]の鳴く聲を形容した積であつた。※[草がんむり/(揖の旁+戈)]が淺茅生に無いといふのは間違で藪の中などに却て少ないのである。第五首、明瞭に表はさうといふ爲めには説明的に成り易い。曖昧であることよりは尚ほいゝと思ふ。第七首、突然に茶の木が出るやうであるが毎日眼に觸れた所を作つて見ると自分には左程にも感じない。それで此一首が表し得た所を能く考へて見たならば、いくらか複雜といふ點に至つて居ると思はれる。第九首、獨活に目白の來るのは實を喰ひに來るのである。自然生の獨活は八九尺に及ぶものがあつて一の樹木の形をなして居るものがある。黄になつた廣葉が少しづゝ落ちたさまが感じがよかつたのである。第十一首、公孫樹の梢は常に北を向く性質を有して居る。葉(82)のあるうちはさうはつきりともしないが枯木に成つた所を見ると不思議と見る程である。今その大木の葉が皆眞黄色になつた。上からだん/\に散りはじめる。北を向いた梢がその大きな眞黄色なものゝ中から少しく表はれた。自分が云はうとしたのはこゝである。第十二首、杉菜が春生ずることは定まつたことであるが秋の半ば枯れて仕舞ふといふのは能く杉菜を知らなかつたのである。杉菜は春からいつとなく生ずる。曼珠沙華の外には杉菜ばかり、杉菜の外には曼珠沙華ばかりといふ所も往々ある。粟を刈つて見るとその夥しいのに驚くこともある。水田の中でも容赦なく生へるのであるが、それをいつたのであつた。歌はつまらない。
 それから、形式の同じやうな歌が多いといふことであるが、或る光景を描き出すといふやうなことに腐心して居ると遂他の方面に疎略になる、人の注意によつて心付くやうなものである。然し心付いても口癖としてなか/\脱却しえない。飽の來るまでは續出するかも知れない。
 疊字法も疊字法で面白い時には用ゐるべきであらう。疊字法なしに一層詳しく叙するといふことは心掛けなくてはならないが、それも尻の据わるやうに荷勝ちに成らないやうに調和を保つての上である。さうして非常に困難なことではあるが、すべて習練の後に俟つべきものである。唯予は自分の作の愚劣であることを慚づるのである。
 左千夫氏からの勸めがあつたので碧梧桐氏に通知した後こゝに掲げたのである。       (明治三十八年二月二十日發行、馬醉木 二卷一所載)
 
(83) 變體の歌
 
長塚の節《たかし》炭燒になりぬとたよりしければ變體二つ三つ作りて一粲を博す 碧梧桐
     一
茨城の節《たかし》、年若男、色白男、炭燒くと、眞木を伐る、炭賣ると、俵作る、杣と見まがはし、色黒に化《なり》けむ惜し.
     二
草の庵、寒けれど、こゞゆれど、爐に焚くに事缺く、粥煮るに、餅やくに、俵しば空しき、茨城の炭やく男、早おこせ炭五俵、たゞちにおこせよや。
     三
歌人の節、遑あれや、炭燒くと、眞木を伐る、炭やきの節、時來れば、庵して、歌作る、歌作る時、炭燒くらむ日、何れ樂しき。
     四
炭燒くに、手なれねば、わる炭をやく、いぶり炭をやく、はね炭、かす炭を燒く、たゞ燒きに燒くら(84)し。
     五
小野はいづく、知らえぬに、歌によむ、えせ歌は作らぬに、炭やくと、山に行く、今の歌人.
     六
わが買ふに、櫟炭は値たふとし、楢炭は、次にをる、さくら炭は、かいて焚く、枝炭に、折りて燃す、たゞわるの炭、打割りて、粉な/\になる、君が燒く炭、焚きて見ほしき。
 節いふ變體といふべきもの予は甞て試みたることあり。語句に制限なければ他の體に於て到底いひ能はざることを趣味あるやうにいひなすが變體の特色なり。長短自在の句を斡旋するがためにのび/\として迫らず極めてゆるやかなる調子を成すこともあり。又急速のかたちを成すこともあり、されば人の顧みざるが如き状態なるは狹隘なる和歌のために遺憾とするところなり。碧梧桐氏の作よきもあしきもあれど歌として寧ろ珍らしきものなり、殊に第四首の如きは思ひ切つて名稱を列べたる所七句のうちに燒くといふ語の六つも用ゐある所よく調和をえて頗る面白きものなり、すべての作概ね結句の力あるは注目すべし、唯滑稽ならむとして滑稽とならざりしが如きものあるを憾むのみ。予も亦之に促されて数首をえたり。左に録す。(編者曰、歌集の部を參照すべし)
       (明治三十八年四月十日發行、馬醉木 二卷二所載)
 
(85) 枯桑漫筆〔一〕
 
 〇萬葉の作者を除いては、古來殆んど女流の歌人を認めない。稀に一首二首の傳ふべきものありとするも、それは唯一首一首の傳ふべきものありといふに過ぎないので作者としては何等の價値もない。
 〇萬葉以後は男子すら寥々たるありさまであるから、女子に於て此の如きは少しも異とするに足りない。然し之は過去の事實である。
 〇女子の能力は尤も微細なる點に於て發達して居る、面倒に堪へない糸の縺れでも彼等は丁寧に引き出す。一寸四方のはし切れでも彼等は必ず保存して置く、然して何かの役に立てる。これだけの特色が製作の上に現はれないといふ理由はないのである。即ち男子の領域以外に立派なものが出來ない筈はないのである。
 〇三河の「甲矢」を見て聊か人意を強くするものあるを覺えた。「甲矢」 には女性の作家が一二人(86)に止まらないのみならず、孰れも皆振つて居る。余が見た募集歌にかういふ意味のがあつた。「縁側に機を繊つて居れば雀が芋や切干をひろげてある莚に來て鳴いた」「椿の花の落ちて居る日あたりに人を待ちながら足袋のうらを刺す」といふのであつた。自己を中心とした女子の作として、又尤も普通にして却て人の注目しなかつたものを捉へた點に於て稱揚に値するのである。
〇甞て知己の一夫人が柘榴の花をよんだのを見るに「もみうらの裾色のやうな花」と形容して居つた。女子の作はどこまでも女子の作であると思つた。夫れは却て「赤い眞綿のやうな花」と形容したものよりは遙に卑近で且つ適切である。
〇「甲矢」一の六、「松葉庵小集」には四人の女性の作を連ねてある。
   とりの音にやり戸をくれば葎生のさ庭明るく雪積りけり
   みやしろの五百重の杉にみ笠めす月よみ曇り雪ふりにけり
   山おろし寒けく吹けば穗の原や楢葉くぬぎ葉雪になりゆく
   あかときの星未だ消えず初雪のふりつもりたる山靜なり
卓拔なる作とはいひ難いが孰れも一ふしあつて面白い。楢葉くぬぎ葉の如きは我が郷の現在に思ひ合せて余が注意を惹いた。生育十年内外の檜や椚は冬季も悉く落葉はしない、その枯葉のしがみ付いて居る梢及び散らばつた落葉に雪の降り來るさま、寫生でなければ出來なかつた。
〇女子の特色は微細なる觀察である。女らしき所であるといつたが、以上の四首の如きは之を男(87)子の作といふも疑ふものはあるまい。此の如きは女子の特色はどこまでも女子の特色として存ぜしめて更に大に他の方面に内進むものであるとしたならば則ち我々の希望する所で又各人の理想とすべきものであらう。
〇女子が男子の領域内に踏み込んだ作例としてはてる子の霜の歌を擧げざるを得ない。
   日にうとき背戸の小庭の寒菊に霜を憐む此三朝四朝
   伊良胡崎磯馴松原霜凪に汀に群るゝちり/\千鳥
霜を憐れむの一句が什麼に寒菊に適切であるか、ちり/\千鳥の一句が什麼に彼の足ばやに走つてはツト浪の穗を飛ぶ千鳥を盡して居るか、余は冗漫に流れ易い我國語を以てして斯くも單純なる句で斯くも複雜に描出されたるには驚かざるを得ないのである。伊良胡が崎は此作あつて始て面目を施したといつてもよい。
〇以上列擧した所の作は皆調子が緊つて且つ張りがある。内容の趣味を解すること此の如く、外形の組織に得る所此の如くであつたらば、足袋を刺すひま菜を切るひま、造次も之を忘れなければ遂に卓然として傑出するは必然である。女子の能力が那邊にまで達するものであるかを具躰的に説明したこれ等の作を見て、未だ斯道に入らざるものも奮勵一番大に女子の爲に氣を吐くことを得たならば亦一世の大快事ではあるまいか。
〇「甲矢」六には「アシビ」の短評がある。余の「寫生の歌に就いて」を、「歌の寫生は俳句の(88)寫生よりも一層困難で搗たての餅のやうにダラダラしたものが出來たがる、然し寫生に多少の主音を交へたら宜しからうと思ふ」といつてある。適切な見解である。然し我が輩の所説は決して主觀を没却して仕舞うたものではない。
〇純客觀の作が成立しうるであらうといつた議論に就いては反對がある。「花がさく」といへば純客音である「花にさく」といへば一點の主觀を交へて居る。主觀の句なしに我が輩の製作が成立して居ないといふのがその反對の説である。
〇自分の製作に純客觀のものが無いといふのを以て絶對に純客觀の製作は不可能であるとは我が輩は思はない。時に之を得るであらうと思惟する。寫生の歌には主として客觀を先として主觀を後とするの必要なるを斷言してある。主觀の句があつても我が輩の主張に抵觸したものでない。
〇豆腐は豆の蛋白質であるが、收瀲性の苦鹽によつてはじめて豆腐の形を成す。之を口にするものも其の蛋白質の味なるを知つて苦鹽の味を感ずるものはなからう。寫生歌の主觀なるものも豆腐に於ける苦鹽の如きものがある。寫生歌を通讀する際に客觀的光景を限前に髣髴たらしむることがあつたとしても何等の主觀あることを感じない場合が多いであらう。敏捷なる舌によつて豆腐に聊かの苦味あるを感知する如く、發達したる頭腦によつてはじめて寫生の殆んど總てが多少の主觀あるを感知するのである。即ち明瞭に客觀的光景を寫し出した製作物は我が輩は之を客觀の歌と稱するのである。
(89)〇「ちり/\千鳥」の句の如きも千鳥の動作といふ客觀的の光景を表はして居るが、一面に此の句が主觀的であることは通讀の際には感知しない。客觀が主で主觀が從なるものである。蛋白質と苦鹽とである。
〇寫生歌がぐだ/\として緊りの無いものが出來易いものは尤もその短所とする所である。茫漠たる空間を描き又は主觀を表はす場合には調子の緊密なるを得るけれども、微細なる光景を表はさむとする場合には僅々三十一字が極めて大なる形式の如く感ぜられる。是に於てか配合物を求める必要が起る。縱ひ配合物を得たとするも孰れが主位で孰れが客位に在るか辨じ難いものとなる恐がある。加之一首を構成した上に於ても材料が三十一文字に充實しないかの如く薄弱に見ゆるものがある。
微細なる材料を捉ふるの至難なるはこゝに在る。然しながら成功の域に達したるものは到底他の形式に於て見るべからざる趣味がある。寫生歌は進歩したるものである、之を見る眼はまた進歩したものに俟つの外はない。
〇世事弊害の隨伴せざるものはない。弊害は邪路に迷ふを最とす。唯寫生歌は弊害が隨伴しても其眞面目なる限り常に天然と一致して離れない。
〇寫生といふことが進んで來ると、微細なものは更に微細なものになる。四圍の風物が皆面白くなる。遂には三十一字の形式に不適當である如きものでも取つて材料とする、勢止むを得ないこ(90)とで唯飽くに至るまで進むの外はない。
〇我輩の現在の位置は自ら榛莽を開いて山巓に到達せんとするものである。疲弊困憊することもあらう。反復迂囘することもあらう。他の陳套とすることを自ら清新なりとすることもあるのであらう。本を棄てゝ末に走るの愚をなすこともあるであらう。只目的の地を忘れなければ不可とすべきでない。
〇少しく具體的にいへば取材の大小に拘らず其境が眼前に髣髴としなければ至れるものではない。微細なるものゝ例として庭を描くとするに、先づ自己の庭が果して能く人の腦中に印象さるゝに足るべき特色があるか、ないか、若しあるとしたならば如何に之を表はすべきか、是れ大に先づ考慮せねばならぬ。否特色の有無を問ふ前に作者自身が趣味を感じたかどうかを問ふの必要がある。特色もなければ敢て自ら趣味を感ずるでもないのに漫に三十一字を羅列するも、些の人を動すに足るものゝないのは明白である。「庭の枯木に霜が白く降つた、四十雀が鳴きながら枝移りをする」「菖蒲の葉が枯れて亂れて居る、其古葉を掻きとつて見たればもう赤い芽がふいて居た」といふやうに動作とか特色とかを捉へて始めて興味を覺える。且つ又印象が明瞭になる。作家たるものこゝに注意を致せば得る所がある。
〇其境地の明瞭に表はされて居るものを余は俗謠に見出した。
   朝の出がけに山々見れば雲の掛らぬ山はない
(91)之れは我々の郷里から近くは三春、遠くは相馬の馬市に行く伯樂の常に口にする所である。彼等が五頭十頭二十頭の駒を引き連れて、淋しき奥州の歸途に、汚穢なる馬宿をとぼ/\と立ち出づる朝の光景を寫したものである。いかにも伯樂の口から出づべきもので、光景が明瞭に印象される。何等かの特色を見出し、何等かの趣味を感じて作ることは根本的必要なる法則である。
〇作者が萬葉を獨み萬葉的英氣の充滿せる時は音調滑かに口をついて出で、殆んど咳唾珠を成すの感あるも英氣一たび去つては是に始めて煩悶の聲を發するのである。此の煩悶の状態を脱せんとする人の直ちに自然と接觸することの捷徑たるを悟らないのは甚だ齒痒い思がする。
〇深い學問が無ければ歌が到底出來ないものとしたならば失望するものが多いであらう。然しながら知ること感ずることの全く異つたものであることを悟つたならば樂しんで道に盡すことが出來やう。感ずることを悟つた人、眞率なる寫生の歌を作らむことを希望して止まない。
        (明治三十八年四月十日發行、馬醉木 二卷二所載)
 
(92) 枯桑漫筆〔二〕
 
〇歌譚抄に就いては一應辯じて置いたが尚ほ少しく云ひたいことがある。予の短歌は文字の數が多いだけ俳句よりは明瞭に表はし得るであらうといつたのに對して左千夫氏はそれは俳句が連想に待つものであるといふことを知らぬ謬想であるといふのであつた。
〇山水の圖は空間が廣大で、椿一枝の圖は空間が狹小である。然し山水の圖に傑作がある如く椿一枝の圖も出來がよければ名作である。山水の圖は觀る者の想像する區域が大であるが、椿一枝には殆んど想像の區域がない。然し狹小なるものには花瓣の一片々葉身の繊維をも認めることが出來る。予の明瞭といふことには此の如き趣きがある。
〇抱一の描いたノンコの茶碗に白椿の一輪は空間がどれだけあるか、然し茶碗椿の形状は詳細に表はされて居る。想像の區域の廣大なる雪舟の山水畫にこれはないのである。予の明瞭に寫すといふ歌は區域は狹小になるであらう。夫れは文字の上に事物の位置形状等を比較的動かぬやうに(93)いひ表さむとするからである。俳句には想像の部分が多い。制限ある文字を以ていひ表す以上どこまでも想像を離れることは出來ない。隨て歌にも想像の部分がある。
〇予は何等の場合にも歌が俳句より明瞭に表示し得るとはいはない。俳句が獨特なる微細の描寫をなす以外に比較的長き文字を以て更に他に確然たる描寫によつて其處に趣味を發挿し得ることが出來る場合のあることを信じたのである。制作が之に伴はないのは技倆がまだ足らぬのだ。
   金龜子百合を掠めて飛びにけり
といふ句の百合の花は赤であるか白であるか鹿の子であるか鐵砲であるかこれは見るものゝ想像に一任する外はない。赤とか白とか文字で極めて仕舞へば可否は別として想像の區域はそれだけ狹くなる。明瞭といふことにはこんな俤がある。
〇竹の里歌から例を引いて見る。
   杉垣をあさり青菜の花をふみ松へ飛びたる四十雀二羽
   一うねの青菜の花の咲き滿つる小庭の空に鳶舞ふ春日
此歌に含まれてゐる名詞「杉垣、青菜の花、松、四十雀」や「一うねの青菜の花、小庭、空、鳶、春日」等を以て能く一首の俳句を構成することが出來るだらうか。文字の省略によつて出來たとしても此歌が有する説明の文字(説明といふことは餘情なき乾燥なる説明といふ語とは別である)をも直ちに奪ひ去ることは出來まい。これ等の作は遂に俳句以上に適確なる説明を爲すことの特(94)色を以て自立するものである。
〇左千夫君は予の歌を以て俳趣味の歌であるといつて居る、名義はどうでもよからう。客觀の趣味をいくらでも解し得たならば夫れだけ俳句と接近して來るはいふまでもない。俳句の眞似をしたならば陋劣であらう。趣味を捉へてするに何の惡いことがある。故先生が俳想俳調厭ふべしと或歌に下した評を例に引いて居るが夫れは何年前のことであるか。夫れがどのやうな歌であつたか。俳想俳調厭ふべきものであつたからさういつたのだ、直ちに客觀の趣味に接觸したものに何で厭ふべきものがある。
〇如何に繪畫を見る目があつても専門的微細なる觀察は畫家でなければ出來ない。俳句も俳人でなけれは專門的の觀察は出來まい。然し趣味を解することが出來れば繪畫も俳句も専門以外の人にも面白く感ずるのである。吾々が俳句を面白く感ずるのは趣味に於て一致する點があるからである。俳句の趣味を解するのは主として客觀の趣味を解するのである。客觀の趣味を解して作る歌を俳想なりといふことが出來たならそれもいゝだらうが其時に用ゐる俳想といふ文字の意義は變化して來なければならぬ。俳句が尤も得意とする客觀の趣味を歌にしたものは以前故先生を除いて一人もない。必ずしも俳句獨占の趣味とはいはない少くとも俳句が得意とする客觀の趣味に接觸するといふことは狹隘なる短歌の上にどれだけの功績があるか、いふの必要はあるまい。
〇浮世繪が毛髪を一本々々に描くやうになつて衰へた、油繪の松葉ほ一本々々に描いてないとい(95)ふ譬は面白い事であるが、我々の寫生趣味といふことを根本より打破する議論とはならない。予が製作に毛髪や松葉を一本々々に描いたやうなものがあつたらその製作は惡かつたのである。然し松葉でも一小部分の寫生には若楓に散松葉の掛つて居る油繪のあることを記憶して貰ひたい。
〇我々の調子が千篇一律であることは自分で確に認めて居る。殊に結句の名詞で止めてある所が甚だしい、然しこれは殆んど人の顧ないやうな材料を採つて咏ずる場合に最初には尤も適當と感じ且つ容易な方法であつた。惰力は奈何ともすることが出來ず今日に及んで居る。眞空制動器を用ゐれば能く進行中の機關車を止めることが出來る。然し進行中の機關車を止めることは車輪に若干の損傷を免れない。鬱勃たる英氣を抑へて他に變化の道を發見するまで沈黙する人は沈黙するがよからう。さういふ克己忍耐の精神は蓋し我々に乏しい。
〇信越の國境は雪が深いので樹木は爲めに壓せられて地上に偃してしまふ。それが五間六間にも延長してだん/\太くなれば、五間六間のさきから屈曲して天に向つて生長しはじめるといふことを予は炭竈を見に來た越後の老人から聞いた。發育力の熾なるものには急激の壓迫も效がない。
〇欅の生長には面白い特性がある。一方に股をなして大きな枝があると一方の幹に成る方は非常に曲つて育つ。一方の大きな枝を附き際から伐つてやれば幹はいつの間にか起き直つて矗々として天を刺すやうになる。善く性質を知つて培養の宜しきを得れば此の如きものがある。我々のすることも三年とも五年とも經過しては居ないのであるから周圍の人は宜しく欅に對するの心を以(96)て之に臨むべきではあるまいか、鐵槌を以て打ち壞はすやうな態度は冷酷に過ぎるであらう。(以上五月二十日夜)     (明治三十八年九月六日發行、馬醉木 二卷五所載)
 
(97) 歌譚抄を讀みて
 
〇左千夫氏は歌譚抄一篇を草して予に之に就いての意見をいへといふのである。予は之に對して別に六かしく論ずるの必要は無いと思つた。なぜであるか。左千夫氏の議論には一種浸透の氣があつて、痒きを掻くの感がある。概ね首肯し得らるゝのである。然し其精透なる見解も予の現在の意志を曲げて他に向はしむることは出來ないからである。
〇先づ予は何が故に今日の如き作をなすのであるか。「馬醉木」の十三及び一の十五に於て少しく斷つて置いた筈であるが、最初に主義といふものを立てゝ其主義に合せて歌を作つて居るのではない。自分の趣味が變化して來たと同時に、此の傾向を説明して見やうとしたのが即ち左千夫氏の所謂頻りに唱へて居るといふ説である。
〇近來孰れの作者を見るも我々が滿足する程の變化は更に認めない。必ずしも進歩發達とはいはない。一年二年と時日を經過する間には何等かの變化した現象が認められない筈はないのである(98)が、それが無かつたのである。少くとも予の目には變化と認むべき變化がないのである。自他の製作が漸次飽きて來た。
〇自分をいふの必要がある。予がまだ根岸へ行かなかつた頃は唯日常目に觸るゝものに依つてのみ作つて居た。後に萬葉を見て忽ち萬葉調に變化した。これが殆んど去年の春までつゞいた。飽きの來た時である。菜の花が門の畑にさいて居たが、いつしか花は末になつて莢になつた。鶸が莢を喰ひに來る。或日行つて見ると鶸が二羽飛び出した。黄色い翅がひら/\と表はれる。面白く感じたので歌によんだ。(馬醉木十三に出て居るのがそれである)、予は不圖考へた。直ちに天然に接觸して寫生をするといふのが現在の急務であると考へた。何だか嬉しい氣がする。種々の推測が湧いて出る。萬葉調の歌に傑作を出したもので後に更に聞えないものがあるが、かういふ人の傑作といふものは萬葉のつけ元氣に過ぎない。自分といふものに歸らないから再び奮ひ起ることが出來ないのである、天然を寫生することに努めたならば屹度其弊を除去することが出來やう。こんなことも胸に浮んだ。自分で試みる。面白い、總べての天然物が皆面白い。暫くは此の眞面目な寫生に立脚地を定めやうとした。寫生趣味が表はれて居るとか居ないとか、寫生が可能であるとか不可能であるとかそんなことの穿鑿は念頭になかつた。お化粧をしてお祭に行く子が途中で轉ぶの怪我をするのとそんな考が起らうか。
〇予の歌が未成品である、物足りないとしても予は更に悔いない。料理人が多人數の仕出しをす(99)る。半日一日の間には料理の匂ひも厭になつて、嗽ひをせずには堪へられない。茹でた青菜が絶好の美味になる。青菜は或は分析の上から營養分が少いであらう。然しながら甘く感じた時には甘いに相違ない。予の歌が物足らぬものであつても、變化のない他のものに飽きた目には決して捨て去ることが出來ない。予が心には執着がある。
〇左千夫氏の論は要するに寫生は歌に不可能であるといふことである。非難の點も多くは予の製作に向つて試られて居るやうであるが、予の製作の不完全であることは予も亦認めて居る。製作に向つての非難は尋いで來るべき製作の上に警めとなるべきもので予は窃に悦ぶのである。然しながら「感じを表はす」といふ寫生の目的が歌に不可能であるといふことは服し難い。我々の歌には未來がある。左千夫氏は或は予を以て没分曉漢とするかも知れないが予は闇中に何物かを認めるやうな感じがする。理屈の問題ではない。窮極までは進んで見るのもいゝではないか。山の中途で雨に逢つたと想像せよ。自己の周圍は殆んど見えない。衣物は濡れる。まことに馬鹿氣て居るやうである。予の現在が其のやうな趣があつたとしても、平地よりは位置が高いではないか。
〇予は歌は絶對的に寫生趣味、客觀趣味でなければならぬとはいはぬ。將來如何に發展すべきかは自ら豫知し難い。機械工学の研究のため洋行して地震学者に成つた人も愉快に感ぜられる。鹿の子が出來損つても甘納豆が出來たら面白いと思ふ。,
〇左千夫氏は予の歌を以て寫生に非ず、寫生らしきものにも非ず、寫生臭いものに過ぎないとい(100)つて居る。それもいゝ。又いくら寫生々々と騷いでも、連作の必要を自覺せぬ間は、耳はかされぬといつて居る。それもいゝ。まあじつとして見て居て貰ひたい。夏の短夜でも明けるまでには時間がある。
〇飽きるまではやるのである。  (明治三十八年五月二十九日發行、馬醉木 二卷三所載)
 
(101) 文明・茂吉・柿乃村人評
 
   (大正二年アララギ第六卷第一號の伊藤左千夫、長塚節合評中長塚節の評を摘録 編者)
 
       一、土屋文明評
 文明君に就いての評は、アララギ第五卷十一月號所載『ゆふべ』六首に就いての評である。
 ▲節いふ。面白くないには面白く無い。僕にはこの歌はよくほ分らんが、僕には何だか無理に絞り出した樣な感じがしてならない。今夜の座談に木曾の藪原の櫛を挽くのが濕つぽく苦しい感じがすると云ふ事が出たが、この歌も何だかさういふ苦しい感じがする。併し其櫛を挽く音の苦しさは惡い意味にも取れようが非常に好い意味に於ての苦しさとも取れるだらう。此歌から受ける感じの苦しさは殘念ながら惡い意味に於てばかりである。要するに前にも云つた樣に、頭の中に無いものを無理に絞り出した苦しさを吾々は感ずるのである。だから、青竹をスカツと割つた(102)な心持は何處にも求められない。其點は僕は近頃のアララギの歌全體に亘つて浴びせかけたい評である。
      ゆふべ            土屋文明
 此の獣盲ならば友を求めて行かむ。明あるものはされど離れ々々に歩む。並べる友の神の形にあらざるを見ればなり。悲しきは夜なり。彼等が野にも夜なからむや。生けるすべてに明を奪ふ夜のなからむや。悲しきは夜なり。
   西方にいり日を追ひて行かむとす野の上の道のはるかなるかな
   すゑつひに空しかることそれにだに依せむかあはれ此のいきの緒を
   めぐる天めぐりをとゞめ此の道のきはまりたりと君をうべしや
   ゆき暮れてとはの夕にわれ立つと遠きくにべに聞かむ君はも
   われを恐れあら野に放てあはれあはれ君さへ野路にゆきくれぬらむ
   へだてたれ其の日來らば相よらむ君が名よびてあかりある邊に
 
       二、齋藤茂吉評
 茂吉君に就いての評は、矢張りアララギ十一月號の『郊外の半日』十八首に就いての評である。
 ▲節いふ。全體として非常に血のめぐりの惡い樣なそしてゐて其中に意外に鋭敏な處のある樣な氣のする歌である。さう云ふ處が之を讀んで一寸驚かされる。而して自分には迚も出來さうに(103)もないと思ふ。それでゐて、一つ一つは、何だか、獨立し得られない樣な感じがする。それはネ、かう繁つた杉の林の中に、たまたまポツリポツリと生へて居る眞竹が杉の林と一處にあれば始めて立つて居る事が出來るけれども、杉の木を切つて仕舞ふとヒドク淋しくなるばかりでなく、時には自分で立つ力を失つて倒れるものがある樣に、その一首一首で立つて行け相にもないものゝ樣に感じられる。今の僕から云へば、かういふ事は散文で言ひ現はした方が大へん言ひ現し好いと思ふ。つまり、この歌の中で僕が鋭敏だと驚く分子も僕等が散文で書き現す場合には極めて容易に出來る樣な感じがする。さういふ頭で全體を見ると短歌といふ形式で之を現したといふ事に大なる缺陷がある樣にも思はれる。
      郊外の半日              齋藤茂吉
   今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に來て寒氣をおぼゆ
   郊外はちらりほらりと人行きてわが息づきは和むとすらん
   郊外にいまだ落ちゐぬこころもて※[虫+奚]※[虫+斥]《ばつた》にぎれば冷たきものを
   秋のかぜ吹きてゐたれば遠かたの薄のなかに鼻珠沙華赤し
   ふた本の松立てりけり下かげに曼珠沙華あかし秋かぜが吹き
   一面の唐辛子畑に秋のかぜ天より吹きて鴉おりたつ
   一面に唐辛子赤き畑みちに立てる童子《わらべ》のまなこ小さし
   曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現し身に似ぬ囚人は出づ
(104)   草の實はこぼれんとしてゐたりけりわが足もとの日の光かも
   赭土《はに》はこぶ囚人の眼の光るころ茜さす日は傾きにけり
   トロツコを押す一人《いちにん》の囚人はくちびる赤し我をば見たり
   片方に松二もとは立てりしが囚はれ人は其處を通りぬ
   秋づきて小さく結《な》りし茄子の果を籠に盛る家の日向に蠅居り
   女《め》のわらは入日のなかに兩手《もろ》もて籠に盛る茄子のか黒きひかり
   天傳《あまつた》ふ日は傾きてかくろへば栗煮る家にわれ急ぐなり
   いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯食せばかなしこよなし
   コスモスの闇にゆらげはわが少女《をとめ》天の戸に殘る光を見つゝ
   歸りゆかばわれに仕ふる女中はやわが室《へや》に來て床をとるらむ
 【連れ。中村健吉君。すゑ子さん年十四、のぶ干さん年十二。】
 
       三、柿乃村人評
 柿人君に就いての評は、矢張り十一月號の『病院の前の下宿の座敷』といふ長い題のある歌に就ての評である。
 ▲節いふ。何事を云つても非常に悲觀した樣になつて居なければ氣がすまないと云ふ樣なのは近頃の此作者の態度である。實際に於て悲觀して居るのかどうかは分らない、場合が多い樣である。だから、辛いとか悲しいとか失望したとか云ふ樣な意味の言葉が多い割合には哀韻が吾々の(105)耳に響き足りない感がある。今云つた樣な意味の言葉が殆ど使用されないで吾々の心にひしひしと響いて來る歌が古人の歌に幾らもある事を振返つて見て貰ひたい。それから此作者に一番多い事は第一句に言葉(文字)の足りないのが澤山にある。それが甚しく一首の調子を破つて居る樣に聞える。又第一の句に文字の足りない例では、古事記にある、
   ちばの、かど野を見れは、もゝちたる、家庭も見ゆ。國の秀も見ゆ。
かういふ行き方を考へて見て貰ひたい。作者の他の句は順當に一直線に連續してゐるにも拘らず、第一句だけが孤立して居る。そこが甚だ不調和に感ぜられる所である。
      病院の前の下宿の座敷         柿乃村人
   まだ解かぬ荷のかたはらにあはれなる我が子をおきぬ毛の布をきせて
   膝の前のつめたき穴に重も/\と幾日《いくひ》の灰のしめり居るかな
   疊の久しき冷えが三人を待ちて居しよな坐わり心かな
   あはれなる父はゝとなりてすわり居るあが膝すらを疑ひにけり
   いづこに今日來りしか知らぬゆゑに母のひざべに安く寢るかな
   すぐそこに見ゆる怖れをもだしつゝうつろの部室を見まはしにけり
   疲れつつ眠り入りたる子のそばに帶をほどきぬあはれなる妻は
   寂しき二人ごころのしたしみに茶のみ茶碗を買ひに行くなり
   ひそましき障子のけはひに來て觸るゝ夕日にも心寄る我らかな
(106)   庭の土にものうち棄つれ美しく七つの星のしめる夜なかに
       (大正二年一月一日發行、アララギ 第六卷第一號所載)
 
(107) 古泉千樫・中村憲吉評
 
       一、古泉千樫評
 千樫君に就いての評はアララギ五卷十一號の『富士ゆき』に就いての評である。
 ▲節いふ。僕には富士登山の經驗がないから分らないが、此歌に現れた所でみると熔岩の原といふものはつまらない處の樣である。元より絶對につまらないといふ處は何處にもあるべき筈は無いが、充分の興味を以て觀察しないと、つまらぬといひ去るべき場處は隨分あるであらう。熔岩の原も上の空で素通りすれば矢張りつまらぬに相違ない。而して此作者は熔岩の原に向つて深い興味を持つてゐない樣に思はれる。つまらぬ處を強ひて特別に面白く詠み、面白い處を見免して詠んだのは此熔岩の原の歌である。だから根本に於て已に大なる缺陷がある。だからもう藥の盛りやうはない。此作者には相當の腕は養ひ得られてゐる。だから何でも歌にする事が出來るやうになつてゐる。而してその弊害に陷つてゐるのである。吾々が甞て一度通つた邪路に向つて一(108)足踏込んでゐるのである。
      富士ゆき(其二)            古泉千樫
   うちわたす熔岩《らば》の流れの黝きうへに木叢《こむら》さ青く日に光りたり
   裾野原熔岩のながれのたかだかに今もたぎちてながるゝごとし
   熔岩の上の低き木叢のあをあをと日は燃ゆるなり物の音もせず
   溶岩のながれ光り走れりくれなゐの聲なき嵐吾をつゝめり
   熔岩の原|黙《もだ》し笑へばくれなゐのくちびるあまた目に見ゆるかな
   をんなを刺し殺さんとするかなしさに熔岩原ひかり息づきにけり
   熔岩原の木叢にそゝぐ照り雨に我が額《ぬか》青く濡れ濡れにけり
   なやましく照り雨そゝぐ熔岩原に摘みては捨てし紅きなでしこ
   熔岩原の夕影青葉うらがなしひとり捨てられし吾れなるかなや
   夕日よどむ溶岩の流れの青葉かげひと聲鳴ける鳥のさびしさ
   山頂をくるくるめぐる白雲のたはむれかなし照り雨の降る
   焦砂《やけすな》にしとどまぶれしわが足に照りつくる日の痛くしもよし
   山肌にふもとの森にきはやかに夕日の色のながれたるかな
   夕の色にはかにせまるすそ原や荷ぐるまのおとの遠く消え行く
   裾原に湧ける白雲しづしづと山おほひ行く暮れのかなしさ
   宵ふかみ外《と》をうかがへばしらしらと靜かに雨は降りてゐるかな
(109)   窓近き富士の高嶺は直肌《ひたはだ》にこの夜のあめに濡れてゐるらむ
 
       二、中村憲吉評
 憲吉君の評も『曉は動くに』『太陽の愁』の評である。
 ▲節いふ。現今亂作をして居る或種の小説家の作品を讀んで見ると、所謂気分といふ事を八ケ間敷云つて居るにも拘らず、幾らか只其気分を味ふ事が出來るといふに過ぎないものが可なりに多いやうである。憲吉君の歌も通讀すれば或種の氣分を味ふ事が出來る。然しながら僕はアララギ歌壇からしばらく疎遠になつてゐた爲めか、一首一首に就いて見ると其一首一首を了解して氣分をよく味ふといふ事が至難の業になつてゐる。つまり僕には何だか分り難いのが可なり澤山にあるといふ事になる。其で全體として或種の氣分を味ふことが出來ても一首一首の境界線が甚だ不明瞭だとも云へる。一首一首の讀立が甚だ曖昧だとも云へる。極端に惡く云つて見れば、どうも駄菓子のおこしの樣なところがある。目に見てあられの一粒一粒が明瞭に分つてゐるが、飴か砂糖でねばりつけてあるので一粒一粒を噛みしめて味ふ事が出來ないやうなものである。散文の一句二句であれば其でもよいが、然し短歌である以上は今少し其區劃がはつきりとしてゐて貰ひたい。それと、も一つは、蘭引にかけたものゝ樣にも少し力を入れて、數が少しは減じても一首一首はもつと確かに味はれる樣にあつて欲しい。最後に以上の全體を総括していへば、本月號に限(110)らず、本誌の近頃の主觀的の作品は寒い晩に足をちゞめて、寐て夢をみた時の樣な感じがする。夢の中で或おそろしい者に追はれて逃げようと思つても思ふやうに逃げる事が出來ないで苦しむやうな、何だか一種の壓迫されるやうな苦しみを感ずるのである。
      曉は動くに               中村憲吉
   しづかに眼《まなこ》をあけて他《ほか》にまだ何かゞありし吾がこゝろかな
   あが目にはただほそ/\と有明の燈《ひ》が眠りたる不思議なりけり
   灯《ひ》の色のなかを靜かにながれつゝ心かへりて行くところかも
   にこよかに胸にもたれし物あればふと手に取りて思ひ出でつも
   ひとり寢のいつものやうな心にて目覺めしことも何かさぶしき
   紅《くれなゐ》はいまは萎《しな》へてあが胸にさみしく倚りて眠りたるかも
   きその夜はにごる燈《ほ》かげに赤々とあが目に咲きし笑まひなりけり
   くれなゐの優《やさ》しき息は椚《ほ》なかより身に細やかに觸りて來るかな
   戸の外の世のあかつきは海に似てとほく寂しく動きゆくらん
   なに鳥か幽かに鳴きぬこの微温《ぬる》きまなこの底に灯のうつるなり
   疲れたる人の面わにあかつきと灯とほそ/”\と移りゆくかな
   ともし火は際涯《はて》なき方の曉にふと誘はれてしづむことあり
   何もかもおびやかされてふと覺めし哀れなるものは又ねむりたり
   かすかにも眠りて行きし息なれば手に觸《ふ》りかねつ明けてゆくかもよ
(111)   髪などを撫でつゝ居れば彼のまなこ再び笑みてひらき來にけり
   眼底《まなぞこ》に笑みて靜かに光りつゝ吾をまてるものゝこゝろ悲しも
   灯火はいつか全く消えはてぬあが身もいまはかくれをはりぬ
   市街《まち》の音《おと》のそとに遠くに覺むるころ遂にひそかによりにけるかも      太陽の愁ひ
   太陽《ひ》の愁ひしみゝに降れば人の世のみやこはあはれ朝よ曇りぬ
   たづ/\と雨にもならず太陽《ひ》の息に都會《みやこ》くもれる今日のなつかし
   ものゝ音も街ゆく影もこの世には曇り隔たるあが思ひかも
   曇影《くもり》ふる街の底べのおぼろより知らざる顔があまた出て來るも
   舗石《いし》の上にくもり踏みつゝたま/\に己が足《あ》の音《と》にさめ返るかな
   なにはなく寂しき街にぞろ/\と人ながれつゝ曇りゆきけり
   霧おもく下り沈みたる街並にふと微かなる柳ゆれたり
   街々の動きのなかは霧くらく降りてゐるらんとほく/\行かな
      〇
   雨だれの氣倦《けだ》るき宵のふけ行くになほ私語《さざ》めくは嫉たき人かも
   かゝる夜をものゝ音たゝば尾をゆりて遠く幽かに消えいりぬべし
      〇
   ひとり行くこの月の夜に見えくるは皆あが知れる人の家かも
(112)   山河もよりて眠れる故郷はひとり覺めつゝ行くにさぶしき
   稻の露にぬれつゝ歩む夜のはだへ坐ろに人によりたくなりぬ
   をさなくて吾が倦きたるほどに垂乳根にだかれざりしがさぶしき夜なり
   山かげの寂しきなかの安らかな稻のいろには抱かれても見たし
   道々のつゆ凝る草になく虫にきゝ甘まえつ1行くこゝろかな
     古くなつて溌剌の氣の失せたる過去一年の歌をまとめることは苦しかつた。それでも自分は更に新らしい衣にぬぎかへるに苦しむためにこの歌を作りたかつた。  (大正二年二月一日發行、アララギ 第六卷第二號所載)
 
(113) 茂吉に與ふ
 
      〇
 到頭體温が八度七分まで昇つて、痩せたこと自分ながら驚いた。赤光の評とても出來ようとは思はない。仕方がないと諦めてくれ給へ。
 アララギ三月號早速拜見した。歌がどれもこれも君の模倣ばかりなのには喫驚してしまつた。
      〇
 摩羅の論非常に面白い。然しあれは 自身の辯護になつて居る點のおほいのが遺憾である。議論が如何にも精細であるが、實際には遠ざかつて居る。白秋氏のあの歌は第一句法等の全部が遲緩して居る。自分はさういふものを藝術とは思つてゐない。作歌の動機がどうであらうと出來あがつた其ものが詰らなくては仕方が無い。今の評論界では只思想の方面ばかり論じて品位といふ事を閑却してゐる。今の歌界には品位といふものが探しても無い。これは赤光評の時に云はうと(114)思つて居たが何時書けるか知れないから一寸書添へる。死んだ伊藤君は感情はすべて調子によつて表はされると云つてゐたが、其道理の解つてる人が殆んどない樣だ。僕は千萬言の議論よりも一首を構成して居る言葉に弾力のあるかないかを見るのが第一と思ふ。だがそんな人は少ない。それゆゑどの歌もどの歌も皆遲緩して居る。皆ぼくの考へてゐる藝術とは縁の遠いものはかりだ。今も體が熱い。寐てゐる。
      〇
 赤光を見ると品位……藝術界ばかりでなく人間界の萬事に於て第一の要素である……といふものを理解して居ない事が直ぐ分る。それにも拘はらず僕が赤光を尊敬して居るのは他にある。『ほのかなるものなりければ少女ごはほゝと笑ひてねむりたる……』の如き却つて純潔な作を出したからである。君が白秋氏の摩羅の歌の如き藝術的要素の缺乏した極めて劣等な作品などをさう辯護するには至らぬ。どんなに君が作者の製作當時を聯想して絶叫して見ても肝腎の製作その者が値打なければ何にも成らぬ。中澤臨川氏は白秋氏の彼の一首を論じたので決して君を一言でも譏つては居ない。君の議論は全體の筋は面白いが今少し冷靜にならないと判斷を誤る。君には殊に此の失がおほいと思ふ。
 君は帝劇へ行つても女優が出れば只それで滿足でたまらぬといふくらゐの男だ。それは作者としては實に難有い事にて到底他人の持つ事の出來ない處が君にあるのは其處だと思ふ。だがそれ(115)は批判の際には禁物である。何が何でも無闇に感心したのでは批評は出來ない。何でも彼でも其者を讃嘆して畢ふならばよろしい。さもなくて評論をするには冷靜が必要である。摩羅の論の大體には異存は無い。只白秋氏の一首が劣等の作であるから君の折角の論は空論だと思ふ。箕際の議論はその實際を全部離れてしまつては困る。頭が惡いから云ふ事が前後して駄目だが、曲つてもくねつても僕には今自ら得た信念のある事を自覺して居る。
      (三月八日 鬼怒川歸帆の繪はがきと筑波山の繪はがき)
      〇
 今少しいひたい。君に向つて品位を理解して居ないといふのは君の作全體を通じて品位が無いといふのでは無い。『ほのかなる茗荷の花を見守るとき……』『赤茄子の腐れてゐたるところより……』等の如きは幾ら何と云つても相當の品位を有して居る。人間は誰でも時として清淨無垢の純潔境に住し得る事がある。さういふ時に無心にして出來たものには高潔で品位を保つたものがある。けれども僕は今一歩進んで其品位といふことを理解してもらひたいと思ふ。與謝野夫人の作の如きも皆この品位を缺いて居る俗才の産物だから少しも感服しない。君には作者としての場合には幸にも眞實といふものがある。詩人はいつでも只嘆美して居ればいゝのである。だが反覆していふが評論の際には判斷が要る。同時に冷靜なる事を求める。僕は君に鑑賞といふことに今少し眼を養ふ必要があると思ふ。いつぞや時事新報に出た、百人一首の中から只一首選出した際(116)の君の眼を僕は少なからず疑つた。僕は今世間を餘りにかけ離れて高い藝術を求めて居るのだから、いふ事が君と一致しない場合が多いかも知れぬ。だから今の僕自身をば赤光の批評を書く折には告白したいと思つたのであつた。僕を滿足させる藝術が現はれて呉れればいゝと願つて居る。僕は滿足するのでは無く全身を捧げて尊敬したい。只そればかりだ。幾ら云つても出立するところは其處からだ。さうして歸着するところもそこだ。何もありやしない。僕は大たわけだ。         (三月九日 常陸下妻砂沼の繪はがき)
      ○
 八度から八度三分位までの熱を出してしまつたから當分何も書くことは出來まいと思ふ。四五日じつとして居て早速伊豆の伊東へ行く積りです。今度は暖かになるまで居ます。東京で一度御目にかかりたいと思ひます。到頭平幅君へ山水隨縁記の御禮をしずにしまひました。からもう駄目です。僕の藝術論から出立すると寫生の歌といふものはなかなか八釜敷い條件があります。然し今ここにはいふことが出來ません。赤光の評も四月號にはとても間に合ひますまい。僕の健康状態を洞察して延期して下さい。山水隨縁記に就いては僕等にはなかなかものいふことが出來相にありません。君のアララギ一二月號で云つてある根岸短歌會での配合論と津田青楓氏の日本畫の線に就いての斷定とに就いては少し胸中の磊塊を吐きたいと思ひますが今度もこれも止めです。平福君へは山水隨縁記の御無沙汰をよく御わびして下さい。繪はがきなどへ書いたのでは、惡い(117)と思ふし、長い手紙など億劫だし其内手紙の書きやうがなくなつてしまつたのです。同君は何か思つて居られるか懸念です。
 中村憲吉君の鳳凰堂の議論に就いて非常に失望した事があります。同時に書生論に憤慨したからそれも詳しく書く積りで書く事が出來ません。只中村君は未だ古代の藝術を論議する資格がないと思ふ丈を卒直にいつて置きます。同時に君達にはまだ俳句に就いての理解が少いやうに見えます。恐らく君達には古來の名句といふ範圍に屬して居るものでもつまらなく見えるのが多いだらうと思ひます。さういふ時に面白く感じないからといつて即時にそれを破壞し毀却することを企てたら其は暴氣ではありませんか。僕は只一言これだけを云つて置きます。あとでゆつくり申します。中村君に就てはどうで一遍云はなければ氣が濟まないのです。寐て居て書いたので見苦くなりました。(二月十六日)        (大正三年四月一日發行、アララギ 第七卷第四號所載)
 
(118) 千樫に與ふ
 
 またこんな處にうづくまる身になりました。
 この病院で讀賣新聞をとつて居るので、端なくも大兄の感想を見ました。アララギの三月號と併せて見て興味をもつたといふのは大兄の齋藤君に對する態度であります。さうして僕はかう思つたのです。今アララギには齋藤君の模倣が充滿して居て殆んど鼻持もならぬ。しん/\といふ言葉でも實に驚くほど多く使用されて居る。惡口をいへば三月號はしん/\號と改めてもいゝ位です。 齋藤君は僕も尊敬して居る作者であります。それは其全部でありません。有體にいへば其一小部分であるのです。七面鳥にしても『十方にまつぴるまなれ」の如きは實によく彼の倨傲にして尊大な七面鳥を道破して居るのです。七面鳥といはずして七面の鳥といつた彼の一首に就てはそこに僕には難があります。さういふところを大兄はどう見ましたか、十九首の内僕は四五首をと(119)つて他を棄てます。それを大兄は全部に讃嘆の聲を發するのですか。僕が殘念に思ふのは其處です。
 世間の歌風が齋藤君にかぶれたといふことですが、あれは昔からの馬鹿者だから不思議はないが、大兄の如きまでが只醉つてしまつて醒めて見ることの出來ないのは悲しむべき現象だと思ひます。
 他人の美を讃すといふことは結構だが冷靜に見ることが出來なくても困ります。人間といふものは、自分の天分を發揮する外に何もありやしません。だから個性のことは八釜敷いふのです。えらい天分を持つたものはえらくなります。それは眞似ることは出來ません。そのえらいえらくないも一樣ではありません。人の下男に終つても百世に傳へらるべき人間もあります。いさゝかでも模倣は許されません。どうですか。(三月十九日朝)
       (大正三年四月一日發行、アララギ 第七卷第四號所載)
 
(120) 齋藤君と古泉君
 
      〇
 近來アララギの歌は殆ど齋藤君の模倣であると斷言して憚らぬ事は前號にも一寸言つて置いた事であるがアラヽギの作者全體から言へばさう嚴重な事も言へない理由もある。或歳月の間非常な努力した結果でなければ彼の八釜しく言はれてゐる個性の發揮といふやうな事は不可能である。だから近來歌を詠み始めたといふやうな人々が齋藤君にかぶれるのは不快な現象ではあるけれども已むを得ない事である。さういふ人々でも眞實といふ事を土臺にして努力してさへ行けば其處に自己といふものが確立されるに極まつて居る。要するに比較的後進の人には一概にやかましい事を言つても却つて其進路を阻礙するやうなものである。どんな天才の製作でも全體を通じて見れば屑が非常に多い。アララギ一部を取つて見て拙劣な模倣の歌が充滿してゐても深く咎むる必要はない。寧ろ結束を固くして進んで行くうちに漸次いゝ結果が生じて來るだらうと思はれる位(121)である。
 一體藝術の方面に於ては自分は全く先輩とか後輩とかいふ區別を付ける事が無意義であると信じて居るのであるが或る期間の間はさういふ區別も已むを得ない場合がある。一日の長ある先輩が後輩の爲めに途を開いてやるといふことは必要な事である。多少にても自覺の域に達しない内はそれで仕方がない。でなければ後進の人々には殆ど取り付く筋が無くなるからである。アララギの作者でも比較的後進の人に向つては極めて寛大な態度を取りたいと思つてゐる。さういふ人々の中に少しでも個性の閃きを認め得る時は心中に非常な愉快を感じつゝある。
 それがアララギの幹部即ち先輩の態度なり製作なりに向つては殆ど殘酷なほど嚴重な眼を※[目+爭]りたいと思ふ。それは人に依つて進むのに多少の遲速はあるけれども大抵は相當に議論もあるし自覺といふ域にもある點迄は達してゐべき筈であるからである。それにも拘らず自分の眼には其人人の間にさへ模倣といふ事が累をなしてゐるやうに見える。自分の考では一般の藝術界を通じて多少の除外例はあるにしても模倣といふ事が一種の罪惡であるかのやうに感ぜられる。茲には深く理窟は述べないけれども殊に文藝の方面に於ては自分は極端に模倣を排斥する。何でも自己の藝術的良心に訴へて聊かでも滿足し得らるゝ程度にまで努力して行きさへすればそんなに他人の模倣に墮するやうな憂ひは無い筈である。趣味の上に共通な點の多い人々の間には互に相似るといふ事は免れない事で却つてそれが自然であるとも言ひ得るけれどもそれは皆自己といふものに(122)立脚して居なければならない。藝術的の生命は其所にあると信じて居るからである。
 大分餘計な事を並べたけれどもアララギに對する不平の一端を開陳するに就いて是れ丈けの絮説も強ち不必要とは思はない。アララギに於て模倣の中心になつてゐるものは齋藤君の製作である。隨分智識も理解もある筈の古泉君が模倣者の一人である事を深く遺憾とする。併し此の二人者は其製作に於て全く相違してゐべき性質のものである。事實全く相違はしてゐるが古泉君に於て部分々々に顰蹙すべき模倣の跡があるだけである。その一小部分が作者としてむしろ大なる耻辱であるとまで自分は信じてゐるので何時でもそれが不快で堪らないのである。それと同時に二人者の郷土が非常に異つてゐる點に就いて自分は深い興味を有つて見てゐるのである。
 齋藤君は出羽の人である。出羽といふても天然に截然として一區域を劃された最上の地で生れてゐる。さうしてそこで成長してゐる。自分の見た最上の自然は豪宕である。彼の松本平から西方一帯の連山が半空に聳えて居るのは天下に比すべきものはないけれども最上の平は松本平よりも小さいだけ却つて一帶が切實な感を與へる。恐ろしいばかりにうね/\と走つてゐる奥羽山脈が一帯の平地を威壓して其間にあつて巨人の如く中心點をなしてゐるものは蔵王山である。松本平から見る連山の甚しい大小の区別が無いのとは違つて蔵王山は何處迄も其主眼點である。從つて最上の平野の人々の心には宗教的な偉大な感化を蒙つてゐるやうである。自分は一度十月の末に秋田の方から汽車で此の平野を縱に通過した事がある。曩に恐ろしいやうな山脈といふたが其(123)時滿目の連山が雪戴いて車窓を壓してゐる所は息がつまるやうな心持であつた。最上は水田のよく開けてゐる所である。さうして其の稻の生育の旺な事は自分の今迄に見た處では一つも夫れに匹敵するものは無い。從つて藁が立派で稈心《みご》が非常に長い。だから自然に藁細工が發達して稈心から造る麻裏草履の表は最上の特産として東京に輸出される位である。是れは何處の山國でも同一であるがその桑の木は自然のまゝに高く立つてゐる。自分が殊に忘れ難い印象を與へられたのは藏王山の方向に下がつた龍卷の黒い雲であつた。其日は浮島で有名な大沼山を立つて山形の方へ獨り寂しく下つて來つゝあつた。平野が近くなつて穰々たる水田が直ぐ足許に近くなつたとき、ふと、その龍卷の雲が柱の如く立つてゐるのを認めた。段々平地に近づく頃龍卷の雲の柱は周圍が烟の如きものに包まれたかと思ふと其烟の如きものはスーツと消えて空へ登つてしまつた。後には少し細くなつた柱が依然として立つてゐる。幾度か烟のやうな者が空に消えて柱は段々針金のやうに細くなる迄殘つた。二三の村を過ぎて行く頃丁度小学校の放課の時間と見えて一時に吐き出された生徒が、朝の内に雨があつたと見えて手に手に傘を開いて稻の丈高く稔つた田圃の道を嬉々として歸つて行きつゝあつた。勿論彼等は藏王山の方面に於ける此の奇異な現象に注目するものは無かつた。
 間もなく雄偉な藏王山は霽れた。最上の平野に幾十年の生を享けてゐる人が幾度斯ういふ現象を目撃しゐたかと想像して見る時に偶ま他郷に放浪する自分に於て竊かに誇りを感ずるのであつ(124)た。自分の眼に映じた最上の自然は一言にして盡せば豪宕にして着實である。齋藤君は斯ういふ郷土の佛教信者の家に生れたのである。此の點に興味を有つて自分は齋藤君の作品を讀んでゐる。
 古泉君の成長した房州の自然は非常に相違の點を有してゐる。繊細にして優雅な趣が房州の到る處に存在してゐる。靈岸島から汽船に乘つて最初に目に觸れる鋸山でも只岩石の皺が多いだけの事で要するになだらかな山である。それでも周圍が餘りに平板であるために獨り目に立つに過ぎないのである。船が外洋に出て半島に沿うて北に向つて進む間一つでもゴツ/\とした山を見ない。一帯になだらかな丘陵が斷續してゐる丈けである。五月の末の頃であつたがその丘陵は凡べて黄褐色に彩られてあつた。それは麥の熟したのであつた。外洋に漕ぎ出す漁師が目標にするといふ清澄山でも夫れほど高い山ではない。海から一里半も行けば頂上である。山の上で毎日新鮮の鰹の刺身が食べられる。全山著莪の花で飾られてゐる。其の中には六尺もある樣な木苺が大きな黄色な房を垂れてゐる。淺い流に無数の河鹿が鳴いて居る。どうしても清澄山は爽やかな感じを與へるだけである。外洋に沿うて南の方へ辿つてくれば既に成熟した麥の收穫をしてゐるのに一人でも鎌で苅つてゐるものはなかつた。みんな根元を手で攫んで拔いてしまふのである。砂地の畑であるだけにいかにも手輕な作業である。段々野島ケ崎の方に近くなると民家が皆槇の木の生垣で圍まれてある。道も庭も砂だから見るからにさつぱりとしてゐる。夫れでゐて所々に大きな葭の叢があつて濱邊の趣を添へて居る。野島ケ崎は流石に松が土を偃うてゐるけれども土は(125)短い青芝をもつて掩はれて居る。その芝が時々刈込みをしたやうな綺麗なものである。その芝の間には都草の花が黄色に咲き連つて居る。その配合《うつり》がいかにもいゝ。野島ケ崎から道がすつかり濱邊へ出ると外洋は單調を破つて大島が大きく段々に小さく三宅島や新島がそつと置いたやうに連つて居る。漁師の女房は搗布《かぢめ》を苅るために海へ這入つて寒くなると濱邊に火を焚いてぶる/\震へ乍らあたつて居る。乾いた砂の中には豌豆の花のやうな草や濱晝顔の花が咲き亂れてゐる。人參の花に似たやうな防風の花がうつかりすると見付けそこなふやうに足もとに咲いてゐる。夫れは砂の色と甚だ紛らはしいからである。内海の方へ行つて見ても濱べの花は同樣である。田の畔には蟹が鋏をさし上げてチヨロ/\と走つて居る。牛が所々にのつそりと草を食つて居る。自分の眼に映ずる房州は小さいながらに何處でも只休息して居る所がない。天惠に浴してゐる土地と言つたら房州などは先づ最初に指を折るべき所である。特に冬になると濱べに近く水仙の花が咲くさうである。若い百姓の女などがその水仙を刈り集めて夕方問屋に持つて行く。夫れが東京の花屋の店頭に飾られるのである。白い波のさし引く濱べに水仙の花の咲くといふ事は現實を離れた色々な想像を逞しくさせる。古泉君の歌にこの自然の感化が爭はれないのは當然の事である。
 齋藤君のは強い力の藝術である。さうしてうまく成功して横行闊歩してゐるものである。古泉君のは一體に優しい藝術である。只遺憾乍らうまく成功してゐるものに逢着する事が少ない。
 齋藤君の歌は男性的で、古泉君の歌は寧ろ女性的である。從つて知らず識らずの間に古泉君が(126)齋藤君に縋つて行くやうな傾向のあるのが己むを得ない現象であらうけれども自分の特色を傷ける場合のあるのを深く遺憾とするのである。即ち古泉君には齋藤君の摸倣の痕が甚だ顯著である。それでは全然摸倣であるかといふのに決してさうではない。自分が兩君の郷土の自然を思ひ出させるやうに兩君の間の相違は明かに認める事が出來る。夫れにも係らず模倣といふ事をいふのは夫れが僅かな部分であるにしても甚だ全體の統一を缺いてゐる場合が多いからである。極端な事例を擧げて見ると
   赤々と一本の道とほりたり玉きはるわが命なりけり(茂吉)
   山の上に朝あけの光ひらめけりよみがへり來るいのちなりけり(千樫)の二首である。一讀して齋藤君の原作には言外に何物かが潜んでゐるやうに見える。最上の天然は豪宕で着實であるけれども房州の天然の如く足の爪先にも美しい材料の充滿してゐるやうなものではない。さゝやかな草花を以て彩られてゐるやうな場所を想像して見る事が出來ない。夫れでは一帯に潤澤が乏しいかといふのにさうではない。自分が關山峠を越えて天童町近く來た時に荒莚の上に甜瓜をごろ/”\と轉がしたまゝ賣つてゐる百姓があつた。その邊は非常な瘠地のやうであつたがそのむき肌が深潭の水の如きつやゝかな色をした甜瓜は非常に佳味かつた。百姓はさういふ立派な甜瓜を作つてゐながら關東には甘薯が出來るからいゝと云つて心底から美しがつてゐた。最上には林檎も出來る。一切の果物の魁をなしてゐる櫻挑もある。だが皆深く噛みしめて(127)の味で一見したばかりで心を奪はれるやうな美しさはない。齋藤君には一人離れて何物も寄り付けないといふやうな立派な特色があるのだけれども自分にない他の特色を想ひ到る時それが自分のものよりは遙かに小さいものであつてもそれを非常に羨しく思ふものは是れも人間の至情である。だけれども夫れは焦心苦慮しても到底得られるものでない。そこに聊か煩悶が伴ふ筈である。其結果出來たのが此の歌である。我に與へられた一筋の大道が曠野の間に通じてゐる。我はこの大道を踏むより外に自分の生きる道はない。これやがて我が全生命であると解釋するのが當然であらう。一方に於ては大なる確信の歌であるけれども一方に於ては全く諦めの歌である。そこに悲痛の分子を抱藏してゐる。だから一讀して痛切に何物かを感じない譯には行かない。所が古泉君の歌になると何があるのか自分にほ殆ど捕捉する事が出來ない。原作者といふものは自己の物を建設するのに非常な努力を惜まないのである。模倣者はその慘憺たる苦心の存在してゐるものを極めて容易に自分の手に採り入れて居る。そこに著しく力の懸隔を生じて來る。從つて原作をこえて立派な模倣品の生ずべき理由は發見されないのである。模倣といふ事のどれほど無意義であるかといふ事は是れ丈けでも了解されるべき筈である。齋藤君の歌は關口の瀧のやうなものである。どうつと落ちて渦卷きかへる水の勢を見る丈けでいゝのである。そこには岸から掩ひかぶさつた深い緑が強い力の趣を添えてゐる。猫の死骸や或は犬の死骸がそこらの一點に漂うてゐても深く異とするに足らぬ。併し櫻草の咲き盛つてゐる柔かな春の野を流れるさゝやかな清い流に(128)は猫の死骸どころか鼠の死骸でも目に立てて厭はねばならぬ。墨痕淋漓たる雲龍の畫には墨痕の一滴が誤つて落ちても大抵の場所では累ひにならぬ。ところが整然たる草花の卷物には一點の汚點も嫌はれねばならぬ。古泉君の歌には齋藤君の歌と違つて斯ういふ傾がある。古泉君の歌の特色の一つとして我々の眼に映ずるところは優しいさつぱりとした淡々しい趣味である。だからさういふものに齋藤君の正反對な趣味の一部分が餘り多く濾過される事もなく寧ろそのまゝ採り容れられる時は直に非常な不調和を感ずる。木に竹を接いだやうなのが殊更目につく。木に竹を接いだといふも弓のやうであれば宜しい。他人の長所に私淑しても深く自分の心に練り上げたものであればいゝのは勿論である。古泉君を模倣者といふのは此の練り方の足らないのから言ふ事である。強い力といふものは他を壓倒する。さうして人は動もすると自己の個性をも没却してそれに追隨しようとする。さういふ人は力といふものゝ理解がないからである。大力士になるために猛烈な稽古を敢てする事には非常な力が籠つてゐるけれども風にも堪へぬやうな少女の姿に扮するために非常な苦心をする俳優の態度にも強い力が籠つてゐる。鐵槌を以てすれば人の頭骨を碎く事が容易である。それは恐しいに相違ない。併し絲の如き銀の鍼を以てしても人の生命を斷つことが出來る。要するに核心に觸れゝばいゝのである。夫れは自己の眞實から根ざしたものでなければならぬ。人にはどんな弱いものでも何處かに一つの強い力を持つて居る。夫れで無ければ社會に生存して行く事は出來ない譯である。房州の自然は最上の自然に比して弱いといふ事も言(129)ひ得るであらう。最上の稻は容易な力では成熟の期に及んで拔く事は出來まい。房州の砂地の麥は先きにも言つたやうに皆根ごしにする。だが海岸に根ざして咲く防風や濱晝顔は彼の乾燥した砂に生育しなければならないために恐しく深く喰ひこんで居る。あの深い根を完全に掘り取るといふ事は蓋し容易な事ではない。やさしい果敢ない草にこれ丈けの力が籠つてゐる所を見ると我々は深く考へさせられなければならぬ。凡べてが自分の力でなければならぬ。只それ丈けである。それ以外に何もある筈はない。自己の盡實に立脚し自己の藝術的良心に背かない限り模倣は罪惡である事を自覺せぬばならぬ。古泉君は製作の當時に於て非常に骨を折るといふ事を聞いてゐる。さうして見ると僅かに今一歩の差である。自分は是れが惜しくて堪らない。だから齋藤君と比較して是れ丈けの事をいふたのである。
 餘談に俳句の例を擧げて見る。
   若竹や橋本の遊女ありやなし   蕪村
   筍や目黒の美人ありやなし    子規
 一見して模倣とも剽窃とも云ひ得るやうであるが、筍の句は目黒の牡丹亭で筍飯を食つて、夜になつて打連れて歸る時に、宿から無紋の提灯を呉れた。先刻から席に侍した美人が途中迄送つて呉れて小石を一つ拾つて提灯の中へ投げ入れて別れた。さういふ事實を十年の後に其時の友人が一寸手紙に書いてよこした。作者は記憶を喚び返事をしながら其末端に此一句を書付けたので(130)ある。非常な興味を持つたと見えて、瀕死の病人が一篇の文章迄作つてある。其を見ると筍の句に溌剌たる生命のある事を認める。眞に自己の感興から出たものは殆ど批評の限ではない。(五月十二日午後、赤彦記す)                 (大正三年六月一日發行、アララギ 第七卷第五號所載)
 
(131) 一つ二つ
 
 病院もなか/\暑い處です、一帶の砂地でそれが燬けるもんだから夜になつてもさう凉しくはありません大勢で居る室は却て涼し相ですが、私は一人で一室を占領してゐるのですから少し位は暑くても結構です、白い一輪挿に暫く花がなくなつて居たので、ふと散歩の序に蚊帳釣草を採つて來て挿して見ました、長い儘に構はずに立てましたが意外に凉しい心持がして居ます、依然として汗はながれて居ますが、
 アラヽギ七月號の齋藤君の「おたまじやくし」は少しく議論もあり相ですが、それにはもつと精讀してからでなくてはいけないし、私の體力が此の暑では困りますからいひません、「折にふれて」の方は同君としては先づ平易に分り憎い所が少いやうです、其内の一つ
   朝どりの朝立つわれの靴下のやぶれもしるく夏さりにけり
に就いて私は種々な問題を提供したいと思ひます、勿論此の歌は作者自身に於てもさうたいして(132)自信も持つて居るかどうか疑問であるし、一首の有無は同君の爲めに毫も影響がない筈であるけれども、此の際私の考などを述べて見るのに大變いゝ都合に思ひますから特に一首を抽出して見ました、簡單に靴下の破れによつて季節の感じを現はさうとした處は寧ろ俳句などにある手段ですけれども、まだ俳人だとてさう目をつけて居ない境地でせう、かういふ微妙な感覺に訴へることは「赤光」などにもかなり散在して居て意外な成功を示して居るのですから、此の一首の如きは却て普通にも思はれるけれど、季節の感じといふことに就いて同君は勿論他の諸君にも更に注意して貰ひたいと思つて吟味して見るのです、季節に就いての微妙な感覺を極度にまで發揮させたのは日本には俳人の一團があるばかりです、それが元禄の昔に於てさうなのだから驚嘆の外はありません、だけれども俳句は他の人には聊かの理解もし能はぬ程の微妙な方面に細かく精しく突き進んで居る結果、それを明瞭に的確にする必要に迫られて如何なる場合でも季題と分離することが出來なくなつて居ます、季題といふものが俳句に無かつたら唯曖昧なものに畢らなければ成りません、隨つて俳句は自然を主とする藝術だといふ解釋を一方に下すことが當然であるやうに成つたのです、然るに短歌の方に成ると遙に茫漠として居るだけそれだけ甚だ自由な所があります、我々の將來は何といつても官能の世界に住しなくてはならないのです、さうして短歌は俳句に比して多く肉感的に發達して行かなければ成らぬ運命を有して居ます、かういふ傾向に進んで行つても赤彦君の所謂永久に渉る力を持つたものは生れて來ます、要するに何處まで進歩發展(133)したところで短歌と俳句とは全然其の性質を異にして居るのですが、我々は從來の短歌の作者よりはもつと季節に對して敏感でなければならないと思ひます、現在に於ては或方面の人々は却て俳人よりも異なつた點に微細な注意を拂つても居るやうですが、兎に角俳句は二百幾十年の前に大成して以後幾多の傑出した人物によつて繼承されて來て居るのですから、我々の思ひ到らぬ境地の開拓が遂げられて居るのです、だから我々は十分敬虔の態度を以て此を研究してさうして其の長所を體得することが必要であると思ひます、それで此の季節の變化に對する俳人の感覚の鋭敏なことに想到すると齋藤君の靴下の破れは甚だしく不明瞭な憾を生じます、「夏さりにけり」といふ感じが適切に響いて來ないのです、靴下の破れを發見したことは慥に進歩した作者の手柄で、かういふことを全然閑却しては我々の世界は極めて狹小なものになつて畢ふと思ふばかりであります、だけれども季節と交渉を保たせるにはも少し肉感的でありたいと思ひます、假りに私が此處にふと思ひついた儘を例に引いてみれば
   朝ごとに穿く靴下のやぶれより冷たき冬は身にしみにけり
といふやうなものが有つたとすると此はどうなりますか、勿論これは私が氣まぐれに三十一文字を排列して見たので小技巧に墮して居る非難はあるにしても、此處の冷たいといふ感覺も古靴下の脂染みた冷たさもあるが、寧ろ實感を離れて詩材として取扱ふ時分には其破れた穴に對して意を注ぎたいと思ふのです。齋藤君の取扱つたのは夏の靴下ですがそれにしても
(134)   靴を穿いて居ると汗じみて來て痒くなつた、それから靴を脱いで掻いてみたが其の靴下の破れ目が快く爪の先を肌に觸れしめた
とかういふことも餘りに複雜ではあるが、實際に遭遇したことゝすれば必ず單純にすることは容易であると考へられます、齋藤君の儘では第一二の句は何でもないことで第四の句に主として夏の感じが現はされねば成らないのに「破れもしるく」だけでは「夏さりにけり」と強く結んだ句に相當して居ないのです、夏に成つたから靴下の破れの早いのが目に立つといふ丈では餘りに緩漫です換言すれば毫も夏らしい感じを起させないのです、殊に此の一首の如く第四の只一句に夏の趣を寓しようとするには容易なことではない筈です、そこへ行くと俳人は五字或は七字に非常な力を保たせる工夫が行き屆いて居ます、短歌と俳句とは組織の上から全然性質を異にして居るのですが、反覆していふ如く我々はそれ等の人々の大なる苦心の存在して居る點に没交渉ではならないのです、それから齋藤君は枕詞を使用して居ますが、現在の私には少し異存があるのです、以前萬葉集を耽讀した頃は最初に何の必要があつて彼の時代の作者は斯の如く頻々として言詞を使用したかと疑つて、軈て彼の時代の作風に密接な關係を有して居るのに氣がついて其の巧妙な使用法に驚嘆すると同時に必要缺くべからざるものであつたことをつく/”\と感じたのです、萬葉の時代を通じて其作品は概ね悠容として迫らない一種の風格を有して居ます、だから一首の意義に直接の關係を有たない枕詞を以て裝飾されることは極めて適切な方法であつたのです、そ(135)れに簡單な思想を詠じた彼の時代に在つては作者の全感情を傳へるのには只其の調子に俟つたのであります、だから其語句は壓窄して緊張させる必要があります、殊に結末に近づくに從つて力強く成らねばなりません、第一の句に於て全く空位を生ずる程次へ/\と意義ある語句を繰下げねばならない場合が生ずるのです、さういふ時に枕詞の存在の重大な意義が慥まるのです、私はかういふ意味に於て現代の作家が枕詞を使用することに毫も異存はないのです、人はどんなに切破つまつた際にも幾分の餘裕を有し得るのだから、我々が微妙な感覺の世界に住して居ても、裝飾としての枕詞を使用して悠容たる態度を示すに妨げはないが、三十一字の僅少な内に五字までも空しくした時は只の一句を以てして一首の生命を支配する程のものを撚出する用意が結乏しては成りません、要するに現在の我々の傾向に於ては枕詞を使用することはそれ自身に一首の上に微妙な響を傳へ得るか左もなくては前述の如き要求を滿たさない限り非常に難しいことゝ思ふのです、然るに齋藤君の使用した枕詞は一首の上に更に面白味を添へて居ないし、肝腎な第四の句に毫も力の或物を有して居ないのです、然しかう書いて見ると齋藤君の全部を非難したやうに當りはしないかと懸念もするのであるが頭初に斷つてある如く此一首が私の考を述べるのに非常に都合がよかつたばかりに論じて見たので單に同君のみにいはうとしたのではないのです、雜誌の經營をし編輯をして居る際には紙面の都合上心ならぬ作まで掲載しなくては成らぬ場合もあるのでせう、私などでも現に一首か二首の爲めに體裁に關係があるといへば其の一首か二首はどうに(136)でもします、然し一時に幾十首の短歌を連ねて私等の目からは散文と何處が違ふのかと思ふやうなものが、アララギ以外の雜誌には散見するのです、さういふものに成ると其一首々々の更に其一句一句を分離させて見るといひやうもないみじめなものに成ります、いふまでもなく短歌は一首々々が個體なのですからさういふ人々にも少しく反省して貰ひたいと思ふのです、
 六月號の批評の中で赤彦君のに對しては齋藤君のは私の賛同する處です、同君は矢張り作歌に苦勞して來たことが明瞭であります、短歌は短歌としての値打が第一の問題です、動機がどうでも境地がどうでも現はれたものゝ善惡です、
 齋藤君の侏儒ひとりに對して古泉君はもつと侏儒の肉體を描いて貰ひたいとあつたが、此は當つて居ます、然し無理な註文です、中村君ならば女の眼葢《まなぶた》にほんのりとした赤みが増して夏が來たといつてあるが、此は侏儒の作者には難かしい、同君は「赤光」であれ程女の歌を澤山に作つて居ながら、單衣に替へた女の美しさに注目して居ないのです、然しそれがない替り表面の何物も見ないで女の本體に直入する處に同君の生命は存在して居ます、隨つて憾む處はないが作者自身にそれを能く知り悉して居る必要はあります、
 六月號の中村君の蒼き渚は散々に苦勞して反覆してみました、あの歌を解釋する前提として私は作者が或人の爲めに胸に餘る思を包んで居たとします、何等かの理由で海岸に行つたとします、旅宿に着いたのは丁度黄昏に近く、凡ての物象幾分づゝ薄い戸帳を以て掩はれて行くやうな心持(137)で何となく手頼りなく感ぜられる、さうして内地ならばもう冷かに成るべき時刻なのに海の水は生温い潮の香藻の香を送つていひ知らず人の心を唆る、絶えぬ思の或物が一部分はぼんやりと然かも一部分は強烈に頭を擡げて作者に刺戟を與へるとかういふ種々なことを描いて置く必要があると思ひます、
   潮ざゐの夕香はぬるく身をそそれ戀はじとはすれど渚潮ざゐ
 段々見つめて行くと前にいつた條項の或物に該當します、暮れ行く渚のぬるい一種の臭が身をそそつて人戀ひじと思ひながら感情がむら/\と湧いて止まないといふことを甚だ明瞭にいつてない所に蒼然たる暮色の中に居る作者が能く表はされて居ると思ひます、其語句の斡旋が一見不條理な樣な處に却て表現の方法を得たと思ひます、蒼き渚の長所は景と情との相纏綿した處を不即不離の態度を以て巧に斡旋した點に在ります、すり硝子を隔てゝ美人の品隲をする趣であります、これは餘りに極端でありますが、襖一枚隔てゝ帶解く音を聞いた丈で其女の美醜をも判斷させるやうな歌であります、それで居ながら上等な宇治の玉露を啜つた時に微妙な味が舌の根に殘つて容易に消えない樣に語句の以外に餘情を存して居ます、要するにかういふ行き方は我々の同人には餘りなかつた樣に思はれます、同時に世間の凡てを通じて絶無にして僅有ではないだらうかと思ひます、極言すればかういふ細く軟かで然かもしつかと強い處を有つた、さうして懷しい温かさを有つた境地は或は中村君の獨擅であるかも知れません、
(138) それで蒼き渚に對し不完全ながらこれだけいふのには曩にもいつた如くかなりに苦勞を要しました、從來中村君の行き方と私の行き方は非常な相違があるのですから、其長所を認めて敬意を表するといふよりも其短所と認むべき點、殊に私の目からはいつも措辭の難澁であることに苦しめられたのです、然し蒼き渚は相當の敬意を表して迎へて讀んだのでありますから最初に不審に思はれた語句もかういふ場合止むを得ぬことであると自然の間に承認するやうに成りました、それにも拘らず第一首の「遠白波の渚は蒼く」でも白波の打ち寄する渚が蒼然として暮れて行く光景をいひ表はしたものとして別に異存はないけれども「幾重にも」といふ句が其上に接續して居ます、幾重の遠白波といふと作者はうね/\と寄する白波と直角の度を保つて段々と沖にまで視線を向けたことに解釋されます、さうだとすれば讀者をも沖の方へ引つ張つて行つて突然渚は蒼くと其間に何の斷りもなく直ぐ足もとの光景をいつてあるのは讀者の注意力を攪亂して甚だしい不安の念を起させるのです。作者は或は旅宿の二階あたりから渚と平行に視線を放つた場合蒼然たる渚も幾重の白波も遠くは凡て一眸の裡に聚る故にかういつたまでだと辯解するか知れないなれど幾重の遠白波ではさうは解するに無理なのです、一歩讓つてさうも解釋の出來ないこともないとして見てもそれでは孰れにも歸着しない曖昧なものに墮して畢ひます、其他の一首々々に就いても成るべく作者と一緒に成つて見たいと思つても猶「戀はじとすれど」「消ゆるらく」等の語句を見遁すことが出來ないのです、我々の祖先が幾百千年の間に自然の約束から成りたつた言語(139)は我々は自分の意志を表現するのにはどうしても其約束に從はねば成りません、其他にも今は止むを得ないと作者に荷袒して居ても最初に疑を持つたのは、第二首の「蒼き潮ざゐ」の續きに粘着力が足りないと思つたこと、第三首の「夕蒼く」が殊更で連續が不十分に感じたこと等幾らもありました、然し一切の語句や一首々々を離れてぢつと味つて見ると此の六首には以前にいつたやうな長所がどうしても讀者を感服させずには置かないのです、それはいふまでもなくかういふ境地に手をつけた點に外ならないのです、だが自己の意志の表現は全然言語に俟たねばならないのですから言語其ものに不安を感ずるに於ては短歌としての存在に大なる缺陷を有して居るのです、だからぢつと想を蒼然たる渚に馳せないで、此の六首の語句によつて作者の趣味を味はうとすると索然たらざるを得ないのです、要するに詩想と言語の離れて居るのを惜むのです、同時に私は一般の讀者が私のいふことに目を透して短所は短所として更にアラヽギの同人中には此の如き微妙な境地に到達して居るものゝあることを深く味はつて貰ひたいと切望するのであります、大きな事實だからであります、      (大正三年八月一日發行、アララギ第七卷第七號所載)
 
(140) 『鵜川』歌評
 
 鵜川へも久しく疎遠になつた、頃ろ五六册披いて見るのにいつでも歌の方は少ない、全くは俳句七分和歌三分とも行かないものであるにした所で、この鵜川といふのは一面名古屋短歌會の機關であるのである、さうして短歌會設立の初めにあつて隨分名を連ねて居た人もあつたやうであった、素よりその人達が分離して仕舞つたといふことも聞かないのであるが作品が一向見えない、これには内部に立ち到つて見なければ分らないこともあるだろうがつまる所は熱心でないといふのに歸着するであらう、尤も誰でも一度は氣ばかりあせつて作るものは一向心に滿たず、また作れもしないといふ時代があるのではあるが、薩張り作品が見えないといふ現在の状況では誠に頼み少ないのである、六かしい作れないといふので煩悶に煩悶を重ねるのは自分に在つては非常につらい、さういふ時に會々同人の佳作が顯れるといふやうなことがあればほんとに涙が出る程口惜しいものではあるが、飜つて考へて見るとこれが正しく進歩の一階段でそれは非常に喜ぶべき(141)現象であるといはなければならない。短日月の間に於ける僕のことを振り返つて見てもそんなことが再三であつた、かういふ時には仕方がないからじつと落付いて居なければならない、心の中では絶えず注意をして歌その物に縁をつないで居るのが肝要である、最も手近で最も有功なのは會神の作を讀むことと萬葉を見ることなどは殊に必要缺くべからざることである、萬葉の何所でも厭はない、解らないものがならんで居てもそんなことには構はない、頭にはいらなくつても構はない、跡で萬葉から感得した或物が殘ればそれでよいのである、苟も今日の歌人に萬葉を讀めといふのはいかにも迂愚なことではあるが、實際に於て歌に心が乘つて來てどし/\作るといふやうな時には餘り本など見る暇のないといふのが普通のことで、そのどし/\出來るといふ時期を通り過ぎて煩悶の時代に移るのであるから先づ大抵は萬葉に遠ざかつて居るものと見て差閊がない、そんな時であるのだから萬葉を繙いてそれに心を傾けるといふのは尤も時宜に適したことで、僕などはいつもそれで救はれて居た、名古屋の短歌會に名を連ねて居る人はこの位なことを知らない筈はないのだが序だから云つて置くのである、
 そこで果して諸君は煩悶の時代に遭遇して居るのであらうか、煩悶しつゝあるならば更に進路を見出す工夫に怠らないであらうか、僕なども煩悶に煩悶して五六ケ月の長き間を空費して仕舞つたこともある、鵜川の出てからはまだ一年とも經たないのだから諸君が煩悶の時代もまた盡きないのであらうか、例令ば俄かに貧乏になつた人のその貧乏になつた際には非常な苦しみを感じ(142)て恢復を企てるのは殆んど皆同じであらうけれども日月の經過するに從つて我慢が少しでも弛んでくると遂には貧乏に安んずるのみではなくて、貧乏に馴れてしまふことになる、貧乏に馴れるといふことは非常に恐るべきことでもうそうなつては恢復することは難いのである、歌を作つた人が進路に横つた大難關を破り兼ねて暫く休養するのは極めていゝことであるが、安逸に馴れて再び勇を鼓することも出來なくなつたとしたならば貧乏になつた人の貧乏に馴れたのと少しも撰ぶことが無いではないか、歌が六かしくなつたといつて碌々勉強するでもなし、はじめのうちこそ同人の佳作を見ても興奮したものが、だん/\とその感じも鈍くなつてまだく追付くのにわけもないことだ抔と多寡を括つて自分でいゝ加減に自分を慰めて居るうちに他の人は先へ出る、稀には自分も作ることがあつたにしても、目録以下の撃劍家が稽古を怠つて居たやうなもので、氣ばかり確かで齒は立たない、こんな鹽梅で暇取るうちに世の中はもう昔の儘ではなくなつて、自分もいつしか鋭氣が挫ける、成功に近ついて行く同輩を見ても、なあにあれも元は自分の下であつた、自分もやりさへすりやあれなんぞに負けるんでは無いが抔といふやうになつたら情ないことではないか、名古屋の短歌會は時日が淺い、そんなものゝあらう筈はない、然しながら時は一刻も我々を待たない、うつかりすればそんな境遇に立ち到らないとも限らない、お互にしつかりしなければなるまい、顧れば根岸短歌會といふものが成立された時は兎にも角にも活氣が充實して居た、それが先生の衰弱と共に會員も減少して先生没後の今日では『馬醉木』といふのは出(143)て居るが、絶えず勉強して居るものは非常に滅却して仕舞つた、中央の歌壇がそんなであるのに『馬醉木』に一歩を先んじた鵜川は立派なものであつた、鵜川の歌壇を飾るものは名古屋短歌會の諸君でなければならない、長良川の鵜飼は夏のことであるさうだ、名古屋短歌會の鵜川は絶ゆる時があつてはなるまい、作つて下手なのは仕方がない、作らないのが惡いといふのである、一寸腰掛で一杯といふやうな心持で歌を詠まれたのでは困る、中央歌壇の大なる味方を以て目せられた鵜川の歌壇はその望みに背いては耻辱である、信州には比牟呂とかいふ雜誌が出來たといふことである、僕はまだ見たことがないがその會員であるといふ人の名が鵜川にも出て居る、馬醉木にも出て居る、さうしてそれがいづれもうまい、勿論それらの人々は自分の比牟呂へも投稿して居る上にその餘力がまたかく及んでるではないか、鵜川の歌人は益々奮勵して進まなければなるまい、
 僕のいま言つたことは跡で見ると隨分酷いことであつた、然しながらこれは怠惰なる人に向つていひたいことなので、勉強して居る人には素より見當違ひのことである、然し乍ら一般にして諸君の休養が餘り長いのではあるまいか、 餘り雜駁なことばかり言つても要領を得ない、僕はこれから近刊の鵜川に於ける作品の短評を試みたいと思ふ、鵜川の歌壇も賑かなことがあつた、しかしそれは名古屋短歌會同人の作ばかりでなく中央歌壇の應援がその大部を占めて居たといつても過言ではなかつた、殊に左千夫君の歌(144)評の如きは頗る珍品であつた、諸君の作も絶えず出て居つた、それが六號までつゞいた、七號の淋しかつたことは殆んど論外であつた、八號になつては又漸く活氣を呈した、左千夫君の歌評は再び見ることは出來ないにしてもこれ位ならばと思ふ程賑かである、尤もそれは中央歌壇の應援があつたのは初めの如くあつたものゝ聊か心持がよかつた、僕はこの八號からの歌を評して見やうと思ふ、水が寸隙をも殘さず浸み透るやうな評は左千夫君に一任する外はない、僕のはほんの概評に止めるのであるから首肯し難き個所が多いかも知れない、
 八號には奥島君の百中五十首といふのがある、さうして百中五十首といふ所以の説明がしてある、僕はこれを讀んで一種の厭味を感じた、百中五十首といつたりその説明をしたりした所が甚だ氣に喰はなかつたのである、苟且にも根岸趣味の歌を作らうとする人に死なれた正岡先生の百中十首といふものがあつたことを記憶して居ないものはあるまい、それが嘗て日本に掲載された時はいま奥島君がしたやうな方法によつてせられたことも忘れないのであらう、いふまでもなく百中十首は千載このかた出なかつた大人物の新調を創設して世に呼號した最初の作であつたのである、我が國の歌学史上に特筆すべきことで、こんなことは先生にあつても一度あるべく二度あるべきものではない、況や末輩の徒にして之に擬せんとするは少しく遠慮すべきことではあるまいか、理窟をいへば先づこんなものである、しかし年少氣鋭のものが何事によらずいゝものを眞似て見たいといふのは是非もないことで、或點からいふと寧ろ喜ぶべきことで、これがあるから(145)進歩といふことがあるのである、そこで奥島君にあつても別にどうといふことはなく當時の百中十首が目覺しかつたことを思ひ出して自分も一つやつて見たいといふ出來心からしたことで心中些の邪念もなかつたに相違ない、つまり邪念はなかつたにしても表面に顯はれたところはさきにもいつたやうに厭味なものである、これは確かに奥島君千慮の一矢とも言ふべきものであらう、こんな長々しいことも一言にして掩へば出しかたが惡かつたといふだけで歌その物には關係はない、そこで歌に就ていつて見ると調子は在來の君の作に比較して調つて居るやうである、餘程苦心もしたやうで割合に面白いところが見付けられてある、
   頂きに白雪さわぐ近江路や伊吹の根ろに秋立つらしも
   庭掃くと朝出て見れば吾庵の壁はま萩の露にぬれけり
などは取れる、その他も一寸面白いものはある、即ち
   田の畦の路のかたへの青草をつゞりて咲ける晝顔の花
なども面白いやうではあるが、初句が惡い、「芦の洲の」などもさうである、だが惣體にいつて見ると實景をよんだといふよりは或場合を想像したやうに見える、これが爭はれないもので隱しても隱しきれない、どうも想像に成つたものはいゝやうでもどこかに今一息といふ所がある、この十首のうちでも「磯の邊の」「散りがたの」「天の河」「芦の洲の」などもいかにも平凡陳腐ではあるまいか、これが單に想像だからである、この病弊は奥島ばかりではない、鵜川の投稿者全躰に(146)通じて居る、想像も惡いことはない、しかし實際のある場合に遭遇した時そのことについての想像ならばいゝのであるが單に頭のなかでの想像ばかりではよくないやうだといふのである、尤も嘗て見聞したことを追想するのは別物である、これも嚴密な詮議からいふとさうであるがこれはちと無理である、冒頭にも論じたやうに現下のところは作るといふのが肝心なのだから何でも餘計に作ればよいとしなければならぬ、澤山作つた中に一つでも二つでも佳作があればよい、その作ることが重なれば隨て佳作も殖える、まあそれでよいのである、そこで奥島君のは百首作つたとしてあるが想ふに調子の上に於て得た所鮮くないだらう、これから以後の奥島君の作が進境に入つたとすればこの百首はその階段であつたことに成らなければならぬ、標題の出しかたは惡かつた、しかし百首作つたことはかうした理由で大賛成である、非な所は非な所としてあと四十首も是非出して貰ひたい、見るべきものがあるであらう、
 不關坊君の病中の吟といふのは面白くない、尤もこれは消息のはしに書き付けてやつたのを編者が獨斷で出したといふのだから作者を攻めるわけには行かぬ、しかし不關坊君には
   すくひ網すくふは水に散る櫻吾戀しきはまな子櫻子
のやうな調子をやつた頃のやうに立ち戻つて一骨折つて貰ひたい、だが君の本分は俳句にあるので歌の方は餘力に過ぎないといはれゝばそれまでゞあるが、我々のためには骨折つてやつて貰へばそれにましたことはないのである、
(147) この他八號への投稿者諸君にはどし/\作つて貰ひたいといふことをなほ改めていつておく、
 それから九號の分を少し評して見やうと思ふが、堀川集の長歌は非常にまづい、惡口をいへば賽の河原で小石を積むやうに、少し積んだと思ふとがら/\つと崩れるやうな鹽梅で折角物に成り相で調子がめちや/\である、記、紀の歌を模倣しやうと思つて仕損ねたものであらう。記、紀の歌を見ると壯大にして高朗なる調子に心醉して仕舞つて何となく眞似て見たくなる、僕などもさうであつた、所がその眞似ることがえてこんな鹽梅に成り易いのである、しかしこの失敗が惡いかどうかといふと僕は惡いとは思はない、なんでも出來る限り種々な方面に延びるがよい、尤もそれは眞面目を缺いては駄目である、眞面目に種々の方面に手を延すのは至極宜しい、そこで失敗は失敗であるから失敗の作は自分でも失敗の作であるといふことを認識しなくてはいかない、自信といふことは必要だが虚心になつて考へることも更に必要である、この掘川集の長歌なども調子が非常に惡いのであるが、その惡い所が作者の苦心の存ずる所でまた作者の自ら負ふ所であらう、僕の經驗でもさうだ、全くおかしな調子であつてもそれが自分には大層よく響くもので少なからず愉快に感ずるものであるが時日を經過すれば惡いことが分るやうになる、眞面目にならなければ分らない、自分の惡いことが分らなくてはこゝ甚だ危險なことになる、堀川集の作者大に顧みなければなるまい、なほ集中に相聞の歌が六首ある、調子やなにかは別物として僕はかういふものに賛成が出來ないのである、戀といふことが實際であつたならばそれは面白いに相(148)違ない、萬葉の戀が面白いのは實情であるからだ、實情でない戀には實情は籠らない、かういふやり方も脩業のためには成るが始終こんなこと計りやつたのでは宜しくないと思ふ、次に出て居る左千夫兄に贈るといふ歌は大に面目を異にして居る、相聞の歌と調子にさしたる變化もないがこれは實情である、序歌であらうが何であらうが吾々には面白く感ずるのである、茲の所も大に注目して貰ひたいのである、
 芳琴女史の作を見て僕は非常に驚いた、嘗て女に本の講義をした人の話に女といふものは萬葉集の長所などを説明してもなか/\納得しない、素より格別爭ふことはしないがどうしても萬葉調の歌を作りたがらぬものであるといふことを聞いたのであるが、芳琴女史は啻に萬葉調をやつて居るのみならず芳琴女史といふ名を除いたならば何人と雖女子の作であるといふことに勘付くものは無からうと思はれる位である、啻に男子の作と思はしむるばかりでなく歌がいかにもいきいきして居る、
   打ちよする波をかしこみ和田つ海の潮にも浴みずをとめ子にして
   磯の邊をそゞろありけは月代に島山かげの波にうつる見ゆ
   松が根による白波のよる/\も家なる母のおもほゆらくに
   波のよる小島を見れば草まじりさ百合の花のあまた咲くかも
   わが庭にうつさまほしも寶飯の海の沖の波間の百合さける島
   涼しさに父と二人がたもとほる濱松原のなつの夜の月
(149)等調子に於て申分なきのみでなくその境があり/\と眼前に顯宗はれ來るのである、歌といふものゝ目的は略達せられたものといつても過言ではない、しかしかく稱揚してもこれ以上にいゝ歌がないといふのではない、この歌はよいといふのである、芳琴女史のこの作はいかにも鷹揚な所がある、これはまことによいことであるがどうか種々の方面に渉つて婦人の特性である所の微細なことにまで注目して貰ひたい、それはこんな立派な調子を失つてのことではない、この調子はこの調子でやつて更に他の方面にも延びて貰ひたいといふのである、芳琴女史の作がいつでもかういふものであるといふわけには行かないにした所で、つまり一時たるむことがあつたにした所でこれ程の才を抱いて居れば成功は疑ひない、どし/\作つて鵜川に投稿したまへ、女子の作家は馬醉木にもない、芳琴女史の作は鵜川に於て異彩を放つものであらう、
 野村菫雨君の作も或点は得て居る、しかし僕の疑念といふのはこれが實際であるかどうかといふことである、實際でも想像でもどうでもいゝが今一息といふ所である、面白い場所ではあるが今少し面白く行かないかと思ふのである、そこがどうも想像ぢやなからうかと思はれる所なのである、しかし先づ五首でも六首でも連作になつて居るのは躰に於て進んで來たので喜ぶべきことで董雨君たるもの益々奮發してしつかとした實のあるものを出したまへ、これが實況であつたらもつと注意して材料を見付けたまへ、今一息で堂に上ることが出來よう、ゆるんでは駄目である、
 篠原千洲君の
(150)   乳ものまず飯も食はずいた/\に齒をやむ吾兒を見ればいたしも
は佳作であると思ふが、詞書があれば更によいのである、すべてこの作のみでなく實況を詠じたものには是非共詞書をつけて欲しい、僕はとほからこの方針でやつて居る、この詞書のことに就いては他日萬葉を論ずる折に詳しくいはうと思ふ、
 それから僕が曩にいつたどし/\作るがいゝといふことも成丈ならば實際の場合を自ら見付け出してそれに就てやつて貰ひたい、さうして三十七年の歌壇には面目を一新して打て出たまへ、
    (明治三十六年十一月十三日發行、鵜川 第一卷第九號所載)
 
(151)     『鵜川』選歌評〔一〕
 
    衣
 
    ヽ                       志都兒
   綿入をかさね/\て着けれども寒きこの夜はさむくしありけり
   あさごろも作らふ妹は冬籠り麻てふものを日ねもすにうむ
    人                       蓼園
   垂乳根の母が手籠めし冬衣つけたる我は寒けくもなし
    地                       星山 月秋
   草の戸に野分吹き過ぎ雁來紅も衣干す竿の脚も倒れぬ
    天                       江渚 漁人
   にひ裁ちの木綿の衣を我はきてうらすが/\し絹にあらねども
 作者が六人で五十一首のうちからこれだけ選出して見たが、素より粗漏でないとは斷言し難い。(152)そこで自分が選者の側に立つて思ひ付いたことゞもをいつて見る積である。こゝへ出したものでも自分が小しづゝ手を入れたのもある、「麻衣の歌の結句は原作「日ねもすうむもとある、改作の方穏かならむかと思ふ。「垂乳根の歌「母が手籠るを籠めしと改めた、籠るといふのはなさけが籠るといふやうな場合に適して居るだらうと思はれる。「草の戸の歌は二の句以下は「野分し吹きて雁來紅に衣干すてふ竿倒れたるとあるので隨分纏まりのつかない歌になつてゐる、雁來紅に衣干すといふのも一寸解しかねたことであるのに、衣干すてふ竿倒れたるは更に酷いのである。衣といふ語をわざ/\入れたといふ跡が歴々として見える、それのみならず衣を干す竿といふものは倒れるといふいひかたもどうしたものか、倒れるといふのは立つて居るものに用ゐる語でなければならない。竿を竪にして衣干すといふことも有る可きでない。しかしいひ表し方はこのやうに支離滅裂になつて居るが、この歌が表はして居る場所を同情の眼を以て見れば面白いものになる。それで改作のやうにすると兎に角に明瞭といふことはいひえらるゝであらう、素より改作のやうにしても不完全ではあるが、課題の衣を賓位に置いて純客觀を詠じたのは至極珍らしかつたので暫く拔いて地位に据ゑた、それからこの作でも一ついつて置きたいのは、嘗て遭遇したことでも現在に目撃しつゝあることでも實際の場合をいひ表したものはいひやうは惡くても直せば物に成るといふことである。向後歌を作らうといふ人であつてもこゝの邊にいくらか注意すべきであらう。調子もさまで惡い事もなく、といつて内容にも些の見るところの無いといふのは殆んど始末(153)に困るのである、平凡であつても大なる平凡ならば宜しい、平凡なる平凡は避けることに努めなければならぬ。異聞等も一たび陷つたことであるが題が出れば必ず作らうとする、それだけは至極いゝことである。しかしその作るといふことになれば何か見付けなければならない。どうしても見付からなかつたら止めてもよい。止めるのが遺憾ならば出來るだけ作るがよい。作つたならばそれが果して物になるかどうか冷かに考へて見るのが必要である。そこで駄目であると思つたら捨てゝしまふがよい。自分で惡いと思つてもひよつとしたら選者が取らぬものとも限らないといふやうな僥A心に驅られるといふのは大抵の人が必ずすることのやうに思ふがこれは大に注意すべきことであらう。姑しなか/\出來ないにしたところでその心掛けがなければ悛まるの時がないだらうと考へるのである。それに就ても「衣」の投稿者で十首づゝ作つた人が一首も拔けないのがある、これらの人に對しては如何にも氣の毒の念に堪へないが是非ないことゝ諦めて貰はなければならない、さうして自分が今までいつたことに引き較べて考へて貰はなければならない。天位に据ゑた歌は恐らく難のないものといつてよからう、これ等は極めて平凡なことをいつて成功したものである。
 この外に選に入らなかつた歌に就て少しくいふの必要がある。「あまさかる夷の少女等秋されば晝を稻刈り夜を衣縫ふも」といふのがあるが作者はいくらか四五の句のいひ表しに自ら負ふところがあるだらうがそこがよくない、かういふことは有り相で決してないといつて閊ないかも知れ(154)ぬ、稀にはこんなこともあるにしたところでこの歌の表し方が惡い、秋さればといふ句は漠とした大きなことになる、然るにその次には明かに晝と夜との動作を説明してあるがこれで見ると秋になれば必ず日中稻を刈り夜分衣を縫ふといふやうにも聞えて感じが乘らない、作者の地方に於てはこれが實況だといふかも知れぬが稻を刈る頃などはなか/\夜裁縫をするといふやうな暇のあるものでもなくまた日々稻を刈るやうな夷少女が衣縫ふとことはる程の衣を縫ふ筈のものでもない、かた/”\感じが乘らない。それから「小山田に雁鳴き來れば稻刈りの背子に着せまく衣縫ひて居りといふのがあつたがこれも前例と相似て居る。同じく極惡いのだが、小山田などゝいふ幼稚な句などにはまあ物をいはないことにして二の句まではこれもおほまかな行き方である。そこで稻刈の背子に着せる衣といふのは仕事着のことをいふであらうが「衣縫ひて居りといふ句がひどく惡いのである、この句の表はすところは現在の状況でしかも衣を縫ふといふ或時間のうちの短いところであるが、最初のおほまかないひ方と合はない。こゝのところは「衣縫ふかもといふやうなその動作を漠といひ表した方がよく、またさうでなければならないのである。おほまかに結べば意は聞えるがこれも作りごとのやうで一向感じが乘らない、これ選に入らない所以なのである。
 應募者に對する非難は大抵こんなものであるが自分の追詠がまだいまいつたうちの或物に觸れて居るのである。まことは捨てゝ仕舞ふべきであらうが選者詠といふものがなければならない義(155)理なので出すことにした。應募者の諸君は篤と選者詠の欠点を見出して見るのも利益であらう。自分のものは慾があつて欠点の分りにくいものだが他人のものはなか/\よく分るものである。それから最後にいふのは凡そ先輩と自分が思つて居る人のものになると惡いものでもいゝものゝやうに思ひ込む弊がよくある。疑のあるものは了解するまで質問すべしであるが質問するまてゞもなく惡いといふことが自分に分ることもある。さういふことであつてもどうかするとこれでもいゝ所があるのかといふやうな疑念があつて決せないものであるが、惡いと信じたなら惡いとして仕舞ふべきである。熱心に尊敬の念を拂ふのもいゝが、冷酷に見降して見るのも必要であると思ふ、これが各自の見識といふものである。
      アイヌが日常の器具などを陳列せるを見てよめる歌三首
  アイヌ等がアツシの衣は麻の如見ゆ。うべしこそ樹の皮裂きて布は織るちふ。
  アイヌ等がアツシの衣冬さらば締かも入るゝ蒲のさ穗かも。
  アイヌ等は皮の衣きて冬獵に行く、鮭の皮を袋にむきし沓はきながら。                (明治三十七年三月二十日發行、鵜川 第一卷第十二號所載)
 
(156) 『鵜川』選歌評〔二〕
 
      輸卒の辛艱のさまを偲びてよめる
                              阿都志
   眞向ひに岩山聳ゆたく繩の綜《よ》りの細路に轍しるさむ
   篝焚く火邊の圓居に飯盡し投ぐる足指は水に腐れり
 輸卒難一篇のうち削減したるものに就て作者の特色と認むべき語句を擧ぐれば「秋雨の沼深路」「梶柄冷かにしむ豆手かも」「八雲岫山」「岩槌の足は曳きつゝ」等なり、すべて他人の殆んと如何ともする能はざる拮倔なる語句も一たび作者の坩堝中に投ずれば悉く皆一種の調和をうるが如し、隨て不自然の感を免れざることありと雖その不自然の間遂に捨つるべからざるものあるは盖し怪奇なるものなり、予は石原君の將來に就て深き興味を有するものなり、
 
   糸萩を呉るゝがまゝに挿しゝかど手桶を淺みよろぼひはみ出る    つたふ
(157)幼稚なるいひやうむげに棄つべからず  (明治三十七年十一月二十日發行、鵜川 第二卷第五號所載)
 
(158) 『馬醉木』選歌評
 
     課題「雲の峰」
                             蕨橿堂
   矢刺の浦遙に雲の峰見えて磯の夕※[さんずい+和]蜑等鯵引く
   蒼雲のまほらがなかに天そゝり怪しく立てる八重雲の峰
   あやしくも奇しく立てる雲の峰踏みて登らむ天の業もが
                             茜の城
   石山の石裂く人の日に燒けて鎚ふるうへに立つ雲の峰
   鳴る神のほのかに鳴りて麻畑の茂りにたてる八重雲の峰
   高槇の梢にはれし夕立の空朗かに雲の峯はゆ
                             丸山彩堂
   太しげる向日葵西に傾きて夕照る空に雲の峰湧く
   雲の峯天そぎ立ちぬ錢苔のかはける庭に水打つ夕
(159)                           放江
   海幸の鰹釣舟漕ぎ來れば新治《にひぬ》の門より雲の峯見ゆ
   うろこ雲たふさき垂雲《たりも》くさ/”\の雲より集ひ峰つくりすも                                   里靜
   播磨潟舞子の濱の夕※[さんずい+和]に崩れむとする雲の峰見ゆ
   木綿たゝみ雲の峰たつ砂浜にか黒少女が塩田するかも
                              本吉柊村
   葦雀のしき鳴く川の高樓のながめ遙に立つ雲の峰
                              烏※[牛+建]
   陽炎のゆふ日かゞよふ雲の峰見つゝし居れば崩らえにけり
                              松田逸奇
   ゐの子飼ふ小屋の藁屋のもえ草に夕日かぎろひ雲の峰見ゆ
                              左都志
   近江の海瀬田のうなゐが蜆とる眞日のさかりに立の雲の峰
     選者咏
   おしなべて豆は曳く野に雲の峰あなたにも立てはこなたにも見ゆ
   雲の峰ほのかに立ちて騰波の湖の蓴菜の花に波もさやらず
附言、題の六かしきが爲ならん、投稿者の僅少なりしと共に佳作とすべきもの亦尠かりき、そ(160)の此の如く振はざりしは雲の峯といふ語の調和が極めて困難なると、配合すべき材料を見出すことの容易ならざるとが大なる原因なりしなるべし、たとへ配合物を見出し得たりとするも俳句が易々として一首を構成するととは正反對に如何にして調和せしむべきか殆んと策なきに至るべし、短歌の形式が自らかくの如くならしむるものなりとはいへ、作者の技倆及び努力の程度にもよるべし、然りと雖題の徒らに六かしきものよりは易きものを撰ふが順序ならん、予は次號に現はるべき「收穫雜咏」に望みを囑せり、出題の時期は得たりと信ず、唯投稿諸君の努力に待つ切なり、
 なほ別項雲の峯七首愚劣の作なりと雖あはせて見られんことをのそむ、
 
      課題「秋の收穫雜詠」
                              放江
   みちのくの伊具の山田は霜をはやみ夜刈りすらしも松をともして
   狹沼田の水つく深田に刈る稻の穗には垂れども虚籾《シナ》おほみかも
   かそけくも夕日てり映え麓田の挾樹《ハサギ》の掛稻時雨はれたり
                              松田逸奇
   箒なす黍の穗束は我妹子が衣干す竿に割り掛にすも
   澁張の張子の籠に入れほせるいさゝか黍は餅好き故に
 稚きいひやうをとる
   稻刈ると泥ふか田踏み處なみ板しきなめてふみ渡り刈る
(161)                            津掌
   うまし芋堀るべくなりぬ眞垣なる黄菊の花に霜のふれゝば
   堀り穫たる芋は積りぬ桶にして三桶四桶もありぬべきかも
                              本吉柊村
   すが/\し青藁ゆひし米俵柊さしぬ鼠防ぐと
   やまがたの甘藷を藏むる小春日の梅の下枝に鶲たゝくも
                              志紀臣
   秋の霜ふるべくなりぬ畠なる露取草を掘りつくす頃
   我蒔きしみしろ田秀でゝ此秋は穗長き稻を刈るがうれしも
                              星山月秋
   蕎麥刈りていく日もへぬに男らが畑打ち返す麥蒔くらむか
   霜おけど刈らずありたる山畑の陸稻を鹿に荒されにけり
                              秀技
   利鎌もち山田の畔に吾立てば八束いかし穗秋風に鳴る
                              岡本倶伎羅
   にひばりのすゞろ作りの馬鈴薯のにへさに根いり堀れどつきぬかも
 却て區域も廣く變化もおほかるべしと思ひしに反して集まりし歌は概して平凡陳腐選評を嚴にすれば取るべきもの殆んとなからむとす、作者のおほくは實際を詠ぜずして全く想像に走りたる(162)は主なる原因なるが如し、
(明治三十八年一月三日發行、馬醉木 第十五號所載)
 
     課題「霜」
                              山百合
 
   小春日の庭におひたる藥ぐさ藁ゆひ掛けて霜掩ひすも
   信濃びと夜苅りしをへしかへり路のさや/\霜夜月かたぶきぬ
 山百合君の作としてはふりたるべし
   つくね芋きのふ堀りたる庭畠のにひ土の上にはたら霜おく
 二の句殊更なり
                              星山月秋
   このあした霜ふりおける庭の木に四十雀《シジラカラメ》は啼き移りすも
   梨棚のしたに散りたる梨の葉の霜ふみ渡りみそさゞい鳴く
                              阿都志
   霜がれの菖蒲の古葉掻きとればしたふく赤芽乏しらに見ゆ
 面白き見付所なれど第一句動くの憾あり
   山吹の枝の亂れをつかねたる藁に霜おき眞白けく見ゆ
 俳句にていはゞ難なからんと思ふ事柄も歌にていふ時は耳ざはりになることあり、そは文字の數のおほきため殊更に聞ゆるなるべし、此歌の如きもいさゝかその譏あらんか、されど見付所は(163)面白し
志紀臣
   浅茅生の草の紅葉にうす霜のおくこの朝は見のさや/\し
   天馳すや旅なる神のかへります此朝宮に霜白くおく
 感じのよき歌なり
                              胡桃澤勘内
   我庭の垣になみ立つ檜葉の木の黄金なす葉に霜おきにけり
   おしね刈る山田の篝燃えつきて夜のふけ行けば霜おきわたす
                              在ダルニー 柳本城西
   涸れ沼のみきはによりし萍の枯葉のうへに霜ふりにけり
   支那槇の上葉眞白におく霜のあさあけの庭に駒なきすさぶ
                              浦上李邑
   あまたゝび霜ふりしかど豆柿はいさゝか澁し干してばよけむ
                              都登夫
   あさ/\に霜ふり畑の土凍てゝ堀りのこりたる芋は腐りぬ
                              いさを
   鬼薊かれたる野邊のあさ霜に小鳥飛び立ち聲も鳴かなく
                               蕨橿堂
   杉の葉も赤ばみ行きておく霜のいよ/\深く冬かたまけぬ
(164) 霜のいたくふるやうになりて杉の葉の赤ばむは常に見る所なり、されどこれを歌にせんとするものは稀ならん、予はその珍らしきを悦ぶ。
 〇題を設けて歌をよむことは便利なる方法なり。漫然として思を凝らす時、殆んと何物をも獲難きに至らんに何等かの題を課せられんには思想の一所に集中するために五首十首を容易に得ることあるべし。されど一方に於ては不便の伴ふ所あり。霜をよむにも、題なかりしならば霜といふ語の耳障にも成らざるべしと思ふ所も、題ある時は殊更に聞ゆること多し。即ち霜といふ語を一部及全體を通して調和せしむべきことに苦心せざるべからず。題咏の六かしき所以なり。惟眞面目の寫生に於て此れ等の幣に陷ること少なからん。霜の歌は收穫雜咏よりは佳作おほけれど、殆んと日々目撃しうべき材料を映じたるものとしては頗る滿足し難きものあり。空想を避けて努力せざりし罪なり。天下いづれにか勞力なしの報酬あらんや。
   (明治三十八年二月二十日發行、馬醉木 二卷一所戟)
 
     課題「鮭」
                              胡桃澤勘内
   うまし國信濃をきよみ犀川に子産むとふ鮭の上り來らしも
(165)   さい川にい上る鮭は遠々し越の海邊ゆ幾夜經ぬらむ
   犀川にい上る鮭を待ち遠み川の隈回に灯せる見ゆ
   子供等は川にな入りそ鮭の尾をしが食ひしごと獺にはまれむ
   うつはりにつるす乾鮭榾火たく煙をしげみすゝ垂れにけり
                              星山月秋
   鮭の子のヤマメに何たる黒斑まだら鮭の子叉手にすくひつ
   水ぬるむ春の小川にみどりせる藻草がくりにむるる鮭の子
   春川の藻草をすくひとり獲たる鮭の子放ちみる金盥
   北の海の西別《にしべつ》の海は潮黒み荒浪たかみ鮭の名どころ
                              紅東
   義經明神《うきくるみ》神の御前に蝦夷人《あいぬ》等は初鮭供へうたげするかも
   義經明神|龍神《たまねかもい》に御幣《いなを》立て蝦夷人の伴等鮭とるらしも
                              山百合
   草のやの柱にかけし乾鮭に冬の蠅とぶ機織日和
                              梅津愚久子
   枝川に鮭のぼれりと魚扠《やす》になひあさ霜踏みて人立ち騷ぐ
                              ふもとのや
   み竈に乾鮭燒けば焚く柴に交る生木の水泡かゝれり
(166)                            幾句拙
   生鮭の油垂り/\金箸の柴たくが如燃えに燃えたつ 
                              古屋夢拙
   爐の鍋や輪切すゞしろ干鮭の頭うち込みくた/\に煮る 
                              志村南城
   爐にたきしとろ/\榾火烟たちくゆる火棚に鮭つるしあり 
                               都登未
   大根《スヾシロ》のうま煮のうちに賽の目鉈押し切りに鮭はよろしも 
                               豁山人
   しぐるゝや家にこもりて子等とをす阿賀のうま鮭うまくしありけり
                               本吉柊村
   夜綱曳くと利根川尻に鮭待てば沖に立つ波とゞろ/\に
 惣體に歌の數は少なかりしが、作者の數を加へ來りたるが如き傾向を見るは窃に悦ぶ所なり。俳句に於て散々に道破せられたる鮭の如き人事的趣味あるものを比較氣の利かざる和歌に咏せむことは蓋し至難なるものなり。集中殆んど佳什を見ざるは偏に題の惡しきなり。
    (明治三十八年四月十日發行、馬粹木 二卷二所載)
 
(167)     課題選歌
                               幾句拙
   刈り込みの檜葉の茂枝に此頃や巣をくひそめし松せゝり二羽
   一つ來り又一つ來り幾屑の糸を引き拔き檜葉に飛び去る(松せゝりの動作をみて)
   にはとりの尾羽をおもみ梨の木の下枝にのぼりくはへ返すも(同)
   梨の根につみし綿の木ひきに引きそゝくれ立てて遂に去にけり(同)
   綿の木の綿ひきかねてそのもとにつめる薪に飛び移り鳴く(同)
 松せゝりの歌はじめの一つを除けば何物を映じたるか不分明なり、惟之を松せゝりの動作なりとして見る時は若干の面白味あり、
        (明治三十八年五月二十九日發行、馬醉木 二卷三所載)
 
     課題「晩春、初夏の花」
                               胡桃澤勘内
   はちす田の水を乏しみ新葉まくはちすが下の田がらしの花
   五月田に水引きしかば畦のべに水にぬれさくたがらしの花
   土かひて薹とりしける庭畑のオランダ苺花さきにけり
   庭畑の葉ぼたむの葉は眞玉とけ莖のびたちて花さきにけり
   石垣の隙ゆ生ひ立ち莖のびて黄色にさける自屈菜《クサノワウ》の花
(168)   筑摩野の田居の榛原枝をしみ下に乏しきげむげむの花
   五月田に水引くなへに※[土+夕]の上に蔓のびてさく猿猴草の花
   井戸尻の濁れる水の落ちたまる溝に生ひさく毒芹の花
   さい川の川原に生ふるはゝ子ぐさ名をなつかしみ吾つみにけり
   犀川の岸になみ立つ胡桃の木雄花はさけど雌花乏しも
   安曇なる小倉松原松の木の花さきみちて曇る此頃
   茜さす日かげやさしみ生垣の蔭に生ひさく踊子草の花
                               古屋夢拙
   霜よくとまだき焚きたる松の葉の灰吹きつくる蒲公英の花
   髪ゆふと妹が採り來しかつら革草げに結ぶべくいまだ短し
   錢になれと黄金になれと幼兒の丸めて嘗めて手に打つ茅花
   馬にやると刈りし門田の畔草のはこべの花は金糸雀にやる
   籔址に放つ兎のくひのこす蒲公英の花は苦しくあるべし
   石垣にさきたる猫の茶殻草蛇の茣蓙草抜きて捨つべし
   はら/\と樫の落葉の散る庭にまろく茂りてさける※[耕の扁+屡]斗菜《をだまき》
   葉をもぐと※[木+解]木攀ぢて見下せば鐵仙さけり枇杷の木ぬれに
                             烏※[牛+建]
   異草にまじらひ生ふる燕母草《めはじき》の花うつくしみ鉢に移しつ
(169)  少女子のさ庭の茉莉つみとりて髻にかさゝむ茶にかあへらむ
月秋
   白獅の狂ふに似ると見る花の崩れむとするその白牡丹
   沼川の赤錆水の岸のべに濃き紫の菖蒲花さく
                             ふもとのや
   奥山に炭燒く暇の作り畑くれ行く春をさける菜の花
   くさ/”\の春の物種蒔きおへし夕の雨にゆすらうめ散る
                             志村南城
   麥畑につゞく焦田《こがしだ》積藁のところ/”\にげむげ花さく
   小柴垣小柴にまじるつゝじの木小さく赤く花さきにけり
                             卜生
   白つゝじいや白々にさき滿つる神の苑生に月さやに照る
                             幾句拙
   柴の外側の四ひら皆散りてなかの四ひらはさかぬ※[耕の扁+屡]斗菜 今囘課題は應募者の熱心と勉強とに因りて陳腐の域を脱したるもの多かりき。在來更に用ゐたらざりし材料の夥しきは喜ぶべく誇るべきものならん。其弊としては只管珍奇なるを求めて却て人に解し難きものを出したるの嫌はあれど其解し難しといふもの一半は慥に讀者の罪なり。歌人の側より俳句の歳事記を飜かはば記の花卉のおほきに驚くなるべし、俳句に於て縱横に咏ぜらる(170)る草木花卉の歌に咏じ難き理はあらざれど、歌人の智識が此點に著しく缺亡せる爲め吟咏の中に入らざるなり、敢て智識といはず路傍に生ずる草花の一二を取つて之を咏ずるも直ちに珍奇たり難解たるに至るは決して誇るべき所以に非るなり。
 清新なるこれらの作も難解と感ずる人には些の興味もなかるべし、されど予は佳作と認むべきものを捨て去るに忍びず。胡桃澤君の作は直叙して其性質を描き調子の流暢なるを得たるは其特色なり、田がらし、白屈菜、猿猴草、毒芹、踊子草の如き然りとす。古屋君の作は人事的趣味を加へて複雜ならしめたるが其特色なり、直叙するものは變化に乏しからんとし、人事を加味せんとするものは幼拙ならんとする弊あり。選外の歌にして未だ多く咏ぜられざる材料を擧げんに連理草、九輪草、小手まり、ひな菊、垣どほし、つめ草、梅花藻、河原松葉、ドウダン、狐の牡丹、しびびいびいの花、株草、ポンポコ茶釜の花、犬芹、籔豆、金米糠の如し、狐の牡丹以上は胡桃澤君の作中に在りて一般に通ずる名稱なれども後者は古屋君の作中に在りて一地方の名稱なるが如し。志村君の作中には尚ほ風草、蛇苺の花等ありき。多くの作中これらの珍奇なる材料に富みたるは其可不可は論ぜず予は一種の興味を惹くを禁ぜざりき。
 要するに材料に於ては極端まて珍奇なるを得たれど句法は甚だ單調なり、結句に何々の花といふが如き是れなり。此の如きは一首を構成するに容易にして且つ流暢なるを得るの結果自然に茲に至るものゝ如し、之を改むるは蓋し難事なり。
(171) 予は諸君の勞力の大なるを想像すると共に此の如き勞力を此の如きものに向てのみ注くは大に顧慮すべきものに似たりと信ず。珍奇と感ずべきもの程之を再三すれば直ちに陳腐たらん、又路傍の一小草花の如き之を直叙せんには特色を捉ふること難からん。向後これ等に向つて取るべき方法は正面より叙することに非ずして何等かの場合に之を賓位に据うることなり。これ大切なる條件なり。
     (明治三十八年七月十八日發行、馬醉木 二卷四所載)
 
(172)     齋藤茂吉作「七面鳥」書き入れ
 
    七面鳥                    齋藤茂吉
     百穗畫伯の庭前にて
  >さ庭べにさるすべりの木はだかに立ちしんしんと立ち七面鳥ゐる
只單に庭の叙述に過ぎない。しん/\と立つといふことには數多くを意味する。
   穏田《をんでん》に家ゐる繪かき繪をかくと七面鳥を見らく飽かなく
只普通のことにて句法等も在來のまゝで、少しも創意を出した處がない。
   穏田の繪かきの庭に歩みゐる七面鳥をわれも見て居り
同上。
   ひさしより短か垂氷《たるひ》の一ならび白い光が滴つてゐる
一寸おもしろいことをいつて居る。短か垂氷に就いては、作者の苦心談もあるが、上三句の品のいゝいひ方に續いて下二句は如何にも卑野ないひ方である。木に竹を接いだやうな感じである。
(173)  >ゆづり葉の木かげ斜にをんどりの七面鳥の急ぎたり見ゆ
單にかういふことをいふと、昔のことになつた動く動かぬの論も持ち出したくなる。歌は繪をかく場合とは違ふ。二つのものを結びつけるには、感情より外にない。ゆづり葉と七面鳥との間をもつと強く作者の感情が結びつけて置いてくれねば讀者には不安がある。不安があれば感興は薄くなる。
   垂氷より光のかたまり落ちて來る七面鳥は未だつるまず
垂氷からは光のかたまりがぽたり/\と落ちて居る。閑寂な庭の容子である。さうして作者は只管に七面鳥の動作を見守つて居る。何か欲しい。一度はつるんでも見さうなものだと思つて居るのにまだ交尾しない。物足らぬといふ意と見るが、是は非常に深入りしすぎた解釋なので、さうと受取れるがまだ足らない。
  >ゆづり葉の莖の赤きがよろしけれ七面鳥は未だつるまず
此の一首になると評者は辯解のしやうがない。
  〇すなはち七面鳥のをんどりの羽ばたき一つ大きかりけり
七面鳥が非常によく出て居る。七面鳥を只管見守つて居たといふことを前提にして見ると、此の羽ばたき一つが庭の閑寂を破つて居る。如何にも大きい、滑稽な程倨傲な七面鳥の動作が、其儘そつくりと受取ることが出來る。第一の句の言葉の足らぬのを許容して十分である。大きいとい(174)ふ詞が殊に適切である。
  〇十方に眞《まつ》ぴるまなれ七面の鳥はじけんばかり膨れけるかも
此一首も強い七面鳥を描いて十分である。白晝日光の照り輝いてゐる下で、七面鳥ははち切れ相に膨れて居る。只それ丈をいつた處に厭味もなければ汚濁もない。一二の句の如きは殊に強い力を持つた句である。だが、惜しいことに作者は一首の調子を理解して居らぬ。短歌は俳句と違つて殆んど途中で切れることの出來ない連續體のものである。俳句よりは其性質上のんびりとした傾きがある。それに最初に殊更強い句を置いてゐるから、次に來るものはとても弱くなつて聞こえねばならぬ……。作者は得意だけれど。
  △七面鳥の體《たい》しんしんと膨れたち我に正面《まとも》に居たるたまゆら
  〇一ぱいの光のなかに首《かうべ》あげ七面の鳥身ぶるひをせり
   七面鳥ふたつい竝びふくれたち一心に我に近づきにけり
   ひばの木の下技《しづえ》にほうつと一あがり七面鳥のかうべ紅しも
   あかねさす日もすがら見れどめんどりの七面鳥は靜けきものを
雄鳥の倨傲尊大な態度を熟視した一方にめんどりの靜かな容子を忘れなかつた作者に敬意を表する。靜けきが如何にもしづかである。
   七面鳥ほうっほっほっと一瞬《たまゆら》に何か眞赤な力を吐けり
作者の捉へた處はいゝけれど、むしろ滑稽にきこえる丈だ。二の句は我々には聲を讀むことにす(175)ら恥を覺える程卑しい調子である。
   七面鳥の腹へりしかば夫人《おくさん》はこまごまと切る青き菜を切る一二句に對して四五の句がどれ程輕卒になつて居るかを吟味する必要がある。   天なるや廻轉光も入りかかり七面鳥はつひにつるまず
廻轉光といふ如き語を用ゐることは度重れば重る程すぐに陳腐に陷るのである。つるむといふこともかう執拗くつるむと反覆されると反感を起したく成る。   七面鳥ねむりに行きて殘り立つゆづり葉の莖の紅くかなしも
     (大正三年三月一日發行、アララギ第七卷第三號所載「七面鳥」の歌の餘白に書き入れられたるもの)
 
(176)     斎藤茂吉著 歌集『赤光』書き入れ
 
 「悲報來」
   ひた走るわが道暗ししんしんと堪《こら》へかねたるわが道くらし
三四の句不熱なるべし。
   ほのぼのとおのれ光りてながれたる螢を殺すわが道くらし
例の道草である。
 「屋上の石」
   あしびきの山の峽《はざま》をゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも此歌の如きは紀行文的のものにして終つてゐる。
   しら玉の憂のをんな戀ひたづね幾やま越えて來りけらしも
一二の句はいさゝか厭味である。
(177)  〇めん※[奚+隹]ら砂あび居たれひつそりと剃刀|研人《とぎ》は過ぎ行きにけり
特色を見る。時間のない單純な空間をよんだ然かも相互に何等關聯も無いものを取つて來た處作者は只其時の閑寂な光景に感興を湧出したのである。例の癖がよく出たのである。めんどりの砂をあび居るところが既に地味な閑寂な趣である。剃刀研人も亦如何にもぽさぽさした派手でない容子をしたものである。兩者にはそこに一縷の連絡を有してゐる。(〇印は長塚節氏が附けられたものである.佳作のしるしであるらしい.以下同じ.古泉千樫註記。)
 「麥奴」
   飯《いひ》かしぐ煙ならむと鉛筆の秀を研ぎて居て煙を見るも
特色を見る。煙が二つ重つて居る。然しこれはいい。句を徒らに重ねたのとは違ふ。
   ひた赤し煉瓦の塀はひた赤し女刺しし男に物いひ居れば
女を刺し殺した凶人を診斷して居る作者は其事が既に自分の心を亢奮させて居る。其時に彼は只其囚人を見て居ない。赤い煉瓦塀がつき纏うて居るのである。
   卷尺を凶人のあたまに當て居りて風吹き來しに外面《そとも》を見たり五の句只ごとである。調和があらうがなからうが、構はぬ作者の癖が惡く働いて居る。
   まはりみち畑にのぼればくろぐろと麥奴《むぎのくろみ》は棄てられにけり
特色を見る。
(178)   監獄に通ひ來しより幾日《いくひ》經し蜩《かなかな》啼きたり二つ啼きたり
特色を見る。作者が慣用手段である蜩なきてふと幾日通つたであらうかと反省する處聞えたり。
   よごれたる門札おきて急ぎたれ八尺《やさか》入りつ日ゆららに紅し
八尺入りつ日は却つて一首を害するものである。
大正二年に至りては八尺入りつ日の如き殊更なる語句を用ゐつゝあるのが、むしろ怪しまれる位である。作者の如き非常に微細な點に長所を有して居るものは、目に立つ語句などはなるべく使はぬがよろしい。さもなくば其語句のために興味が索然としてしまふ。
「みなづき嵐」
  〇どんよりと空は曇りて居りたれば二たび空を見ざりけるかも
   蚊帳のなかに蚊が二三匹ゐるらしき此寂しさを告げやらましを
特色を見る。
   狂院の煉瓦の角を見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり
かばの用法は例の作者の癖なれど、別段其爲に一首の値打を増す事もなく、むしろ平凡に終つてゐる。
「おひろ」
大正二年度に於て此大作を得たことを喜ぶ。藝術のための藝術ではなくて作者はもう藝術といふ(179)ものの範圍を越えて濶歩しようとして居る。其處に恐ろしい力を抱藏して居る。それと同時に一讀した際には、讀者は惘然たらざるを得ない程、露骨に大膽に然かも極めて細心に歌つて居る。作者の戀が、眞に賣春婦の無情なものから、可憐な少女のしみじみとした情愛の爲に泣いた趣が明瞭である。だが我々は作者の動機がどんなでも、要するに第三者である。出來上つたものの上から批判する外はない。さうして作者が今一轉化することを切望して止まぬ。それと共に時々熱烈な戀を歌つて居ながら、道草に屈托して居る樣な態度を深く自ら警めてもらひたい。
  〇夜くればさ夜床に寢しかなしかる面わも今は無しも小床も
  〇淺草に來てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが歸るなる
  〇はつはつに觸れし子なればわが心今は斑《はだ》らに歎きたるなれ
  〇紙くづをさ庭に焚けばけむり立つ戀《こほ》しきひとははるかなるかも  〇ひつたりと抱《だ》きて悲しもひとならぬ瘋癲學の書《ふみ》のかなしも
  〇うづ高く積みし書物に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば
  〇つとめなればけふも電車に乘りにけり悲しきひとは遙かなるかも
  〇ほのぼのと目を細くして抱《いだ》かれし子は去りしより幾夜か經たる  〇あさぼらけひと目見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
  〇しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか
  〇あはれなる女の瞼戀ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり
(180)  〇このこころ葬らんとして來りぬれ畑《はた》には麥は赤らみにけり
  〇この心葬り果てんと秀《ほ》の光る錐を疊にさしにけるかも
  〇ひんがしに星いづる時汝が見なばその眼ほのぼのとかなしくあれよ
   (以上の歌には〇印あるのみ、古泉千樫註記)
   放り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱《いだ》きてゐたりさびしくてならぬ五の句は却つて反感を起させたいばかりでなく、滑稽に聞える。かういふ場合以ての外である。
   しら玉の憂のをんな我に來り流るるがごと今は去りにし
二の句例の癖。
   おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲の如かなしきかなや
五の句が殊更でいかぬ。
   たまきはる命ひかりて觸《ふ》りたれば否とは言ひて消《け》ぬがにも寄る
二の句例の如く不解。
   この雨はさみだれならむ昨日よりわがさ庭べに降りてゐるかも
   つつましく一人し居れは狂院のあかき煉瓦に雨のふる見ゆ
例の道草である。
   夏されば農園に來て心ぐし水すましをばつかまへにけり
   麥の穗に光ながれてたゆたへば向うに山羊は啼きそめにけれ
(181)たゞこれだけでは、前後の熱烈なものに比して餘りにそつけない。何だか折角の急用を控へて道草を食つてるやうなものである。
   藻の中に潜むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし
やゝ前者に近し。
   すり下す山葵おろしゆ滲みいでて垂る青みづのかなしかりけり
特色を見る。但し他の幾首とは離して見るべきであるが。
   啼くこゑは悲しけれども夕鳥は木に眠るなりわれは寢なくに
むしろ普通で他の獨特の點を有するものと同一には取扱ふことが出來ぬ。
「きさらぎの日」
   杵あまた竝べばかなし一樣につぼの白米《しろこめ》に落ち居たりけり   杵あまた馬のかうべの形せりつぼの白米に落ちにけるかも
二首共に幼い處に面白味がある。かういふことは他人には不可能であらう。
   平凡に涙をおとす耶蘇兵士あかき下衣《ちよつき》を着たりけるかも
けるかもといふ句を以て結ぷ程、此歌には感情が鋭くあらはれて居らぬ。
   きさらぎの天のひかりに飛行船ニコライでらの上を走れり
この作者の癖なるべし。
   二月ぞら黄いろき船が飛びたればしみじみとをんなに口觸るかなや
(182)作者は明瞭に物をいつてくれぬ。
   この身はも何か知らねどいとほしく夜おそくゐて爪きりにけり
二の句卑俗に近し。爪きるは作者の獨特。
「口ぶえ」
大正元年以前のものにはなかつたものがここには出て來て居る。それは女といふものに對する作者の心持が極度に無遠慮にあらはされて居ることである。普通の藝術といふ解釋に超越して居ることである。
   このやうに何に顴骨《ほほぼね》たかきかや觸《さや》りて見ればをんななれども
女と同衾して居る時の歌である。他人には到底いふことの出來ぬものである。   目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり
特色を見る。五の句に注意すべし。
   あかねさす朝明けゆゑにひなげしを積みし車に合ひたるならむ
平生の作者の晏起なことも想像されるのである。
「神田の火事」
   これやこの昨日の夜の火に赤かりし跡どころなれけむり立ち見ゆ
   天明けし燒跡どころ燒えかへる火中に音の聞えけるかも
(183)漫然と只火事といふことを歌にしただけで感じが淺い。
亡ぶるものは悲しけれども目の前にかかれとてしも赤き火にほろぶ
   たちのぼる灰燼のなかにくろ眼鏡白き眼鏡を賣れりけるかも
ここには作者が出てゐる。
「女學院門前」
此五首は散漫である。趣味の中心點がない。
   驢馬にのる少年の眼はかがやけり藥のうたは向うにきこゆ
此歌になると、題材の連絡に無頓着にあるのが、只無頓着に終つて居る。少年が今目前に在つて、藥賣りが既に去つたことはわかつて居るが、その少年なるものが不明である。
   芝生には小松きよらに生ひたれば人間道の藥かなしも
理解し兼ねるのを遺憾とする。
「呉竹の根岸の里」
   にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり
只他人ならば赤子でいゝ處でも、作者は人間と斷らねば承知が出來ぬ。すらすらと滯りなくいつて退けることが、作者には物足らぬのである。さうして子守が笑つてないといふ。赤子と子守は作者によつて一種の凄いやうなものに作りあげられて居る。
(184)   日あたれば根岸の里の川べりの青蕗のたう搖《ゆ》りたつらんか
天然物になるとまだどうもまづい。
   春のかぜ吹きたるならむ日のもとの光のなかに塵うごく見ゆ
特色を見る。例の些末な點にわたれば出來榮がまるで違つて來る。只二の句の如き普通でない云ひ方は其癖である。
   天のなか光りは出でて今はいま雪さんらんとかがやきにけり
只ひねくつただけである。
   角兵衛のをさな童のをさなさに涙ながれて我は見んとす
例の作者の同情から出立して居る。
   笛の音のとろりほろろと鳴りたれば紅色の獅子あらはれにけり
惜しいことに散文の一節たるに過ぎぬ。
   ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり
此も惜しいことに、讀者は作者と一つ心になることが出來ない。
   あかあかと日輪天にまはりしが猫やなぎこそひかりそめぬれ
   くれなゐの獅子のあたまは天《あめ》なるや廻轉光にぬれゐたりけり
「あかあかと」の三の句、「くれなゐの」の四の句共に例のひねくりである。
(185)「さんげの心」
作者は自分自身を憐み愛する心が、強いと同時に、自己の薄弱なものを嘆ずるの情も切なるものがある。從來の句法には一向無頓着で却てそのために、自己の思ふ處を存分に表現し得て居るものがある。
   雪のなかに日の落つる見ゆほのぼのと懺悔《さんげ》の心かなしかれども
三四の句作者の癖である。
   こよひはや學問したき心起りたりしかすがにわれは床にねむりぬ
破調。作者のいふべきことである。
   風引きて寢てゐたりけり窓の戸に雪ふる聞ゆさらさらといひて
甚だ感銘の深い作とはいひ憎いけれども、如何にも病者の歌である。さうしていひ方が作者である。
   あわ雪は消なば消ぬがにふりたれば眼悲しく消ぬらくを見む
陳套の感を免れぬのは一つは措辭の點にある。
   腹ばひになりて朱の墨すりしころ七面鳥に泡雪はふりし
一向に題材の連絡も何も省みないといふのが一つの癖である。多くは弊に陷るが此一首に於ては幾らかそれを免れてゐる。
(186)   ひる日中床の中より目をひらき何か見つめんと思ほえにけり
   雪のうへ照る日光のかなしみに我がつく息はながかりしかも
かうなると獨合點がおほくなる。
  〇家ゆりてとどろと雪はなだれたり今夜は最早幾時ならむ
整うた作である。如何にも床上に横はれる病者の作である。
   しんしんと雪ふる最上の上の山弟は無常を感じたるなり
   ひさかたのひかりに濡れて縱しゑやし弟は無情を感じたるなり
作者の心に憂あるその一端を讀者にも分つてもらはねば迷惑である。
   電燈の球にたまりしほこり見ゆすなはち雪はなだれ果てたり
特色を見るべし。一見しては晝夜の區別がないやうで居ながら、電燈の球の埃といふので晝間のことであることが明瞭である。床上に仰臥して、日も既に高くなつたと思ふ頃、赤かつた電燈は消えて見つめる球には埃が發見されるのみである。閑寂として居る室内である。さうして昨夜からの雪は日光のためになだれるだけはなだれて了つて、これも閑寂の趣を添へてゐる。
   天霧らし雪ふりてなんぢが妻は細りつつ息をつかんとすらし
破調。
   家にゐて心せはしく街ゆけば街には女おほくゆくなり
女。作者にしてはじめて街上女のおほきを感ずるのである。
(187)「墓前」
   ひつそりと心なやみて水かける松葉ぼたんはきのふ植ゑにし
一二の句作者の常套手段。
「雪ふる日」
   わが庭に鶩ら啼きてゐたれども雪こそつもれ庭もほどろに
同じ雪とか雨とか風とかを歌ふにも作者がぢつとして居た時のものがいゝのである。三の句は作者の癖。
   枇杷の木の木ぬれに雪のふりつもる心|愛憐《あはれ》みしまらくも見し
これもよろし。四の句癖。
   さにはべの百日紅のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る
四の句厭味の癖である。
   天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ
四五の句、折返したるにも拘はらず更に通ぜぬ。
「宮益坂」
   馬に乘りりくぐん將校きたるなり女難の相か然にあらずか
獨特々々。
(188)   向ひにほ女は居たり青き甕もち童子になにかいひつけしかも
女の好きな作者には只女が出たばかりでうれしいのであらうが讀者にはうけとれぬ。
「折に觸れて」
   くろぐろと圓らに熟るる豆柿に小鳥はゆきぬつゆじもはふり
只季節の變化をいつただけである。目前の小鳥の動作に感興を催したのでも何でもない。
   藏王山に雪かもふるといひしときはや斑《はだら》なりといらへけらずや
五の句の強い力を含み得るが只その句だけのことになつて居る。
   をりをりは腦解剖書讀むことありゆゑ知らに心つつましくなり
これも作者獨特の境地である。
   この里に大山大將住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり
如此無造作なことは他人には眞似の出來ないことである。例令四の句が聊か例の癖を出したとはいふものの、然も其處に滑稽の分子も含まれてゐる。
「青山の鐵砲山」
叙事叙景に短なる作者が、漫然と只目前の事物を捉へた時には、何時でも成功したことがない、此數首の如きも何物をも讀者に傳へて居らぬ。
   銃丸を土より堀りてよろこべるわらべの側を行き過《よ》ぎりけり
(189)只それだけより外はない。五の句いひ方は異つてゐるけれど。
   青竹を手に振りながら童子來て何か落ちゐぬ面もちをせり
これも足らぬ。作者特有のしみじみと感じてから作つたのでないからだ。
   ゆふ日とほく金にひかれば群童は眼《め》つむりて斜面をころがりにけり
金にひかればひねくりである。
「ひとりの道」
無理に作つた歌らしい。殊に叙景の方面に短なる作者として、漫然こんなものに手を出すのは、誤りである。
   霜ふれば帰ろほろと胡麻の黒き實の地につくなし今わかれなむ
わかり兼ねたるいひ方なり。
   夕凝りし露霜ふみて火を懸ひむ一人のゆゑにこころ安けし
一人といふのは誰であるか。
   白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに
注意すべし。句調の整ひたる歌なり。それは只擬古的に然るのみで、内容は空疎である。
   もみぢ斑に照りとほりたる日の光りはざまにわれを動かざらしむ
只露骨な自己の説明である。
(190)「黄涙餘録」
狂人の自殺したるを火葬に附してこれを悲しんだといふ、それだけでいゝのである。只幾十首が、自殺を悲しむの情を以て、一貫されて居れば、甚だ其體を得て居るけれど、作者は時々何等の關係もない、途中の出來事位に目を移して、平然とそれを歌つて居る。だから折角の好題材を捉へて居ながら、感興を殺がされること夥しい。それから又動物園の作の如きも、餘りに突然に感ずる。これを二つに分けて、詞書がついたとしたならは、どうであるか。火葬の場から歸つて、まだ悲哀につつまれて居るとすれば、鶴の頭が悲しいも、鰐の子が死にさうにないのも、獣が餌を求めて鳴くのも、山椒魚の愚なるが如きも、みな涙の種と成り得るであらう。作者獨がさうである場合、讀者は或點まで、作者がさうならねばならぬ動機を知らしてもらふ必要がある。短歌は藝術品である。玉石を淘ひ分けねばならぬ。金銀には黄金が含有されて居るには相違ない。然しながら、それは直ちに黄金ではない。勿論特殊の智識あるでなけれは見わけがつかない。此幾十首の如く支離滅裂なものでは、我々はこれを純粹な藝術品として待遇するに躊躇する。金鑛を以て黄金とはなし難いのである。惜いことである。此を淘汰すれば立派なものが殘るのである。
   自殺せし狂者の棺《くわん》のうしろより眩暈して行けり道に入日あかく
特色。作者そのものを見ることは出來る歌であるが、只成功して居らぬ。
   陸橋にさしかかるとき兵來れは棺はしまし地《つち》に置かれぬ
(191)只の叙述に過ぎない。
   泣きながすわれの涙の黄なりとも人に知らゆな悲しきなれば
詞は切實なやうに用ゐてあるが、態度がよそよそしい。
   鴉らは我はねむりて居たるらむ狂人の自殺果てにけるはや
第一句作者のひねくる癖出て居れどわからぬ。
   死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院のよるに
赤いものの刺戟を受けることに、しみじみするらしい作者が、しろきは珍らしい。歌は普通のことのみである。
   歩兵隊代々木のはらに群れゐしが狂人のひつぎひとつ行くなり
兵隊には勇ましい只積極的な分子をのみ發見し得る。それに狂人の然かも自殺した患者の柩を守りて行くといふ、寂しい對照は受取れるが、感情の動きが足らぬ。
   赤光の中に浮びて棺ひとつ行き遙けかり野は涯《はて》ならん
作者は太陽の光、夕日の光と率直にいふことが出來ないのである。
   わが足より汗いでてやや痛みあり靴にたまりし土ほこりかも
五の句のかもに力がない。足にいささかの痛みがある、靴ずれであらう。いためたために其いたい靴を思はず見る、それに埃がたまつてゐた、それ丈には解せるが連絡が乏しい。
(192)   火葬場に細みづ白くにごり來も向うにひとが米を磨ぎたれば
これでは只目前の光景を漫然と描いたに過ぎない自分の主觀を以て連絡させて居ない。
   死はも死はも悲しきものならざらむ日のもとに木の實落つたはやすきかも
要するにいひ樣が足らぬ。散文でいへば明瞭であるのに、歌であるために不十分になつた。
   兩手をばズボンの隱しに入れ居たりおのが身を愛《は》しと思はねどさびし
自らに同情する態度。
   葬り火は赤々と立ち燃ゆらんか我がかたはらに男居りけり
光景甚だ不明瞭である。三の句何故になりしか。
   うそ寒きゆふべなるかも葬り火を守るをとこが欠伸をしたり
率直にいふことは、惡いことではないが、かういふ場合、五の句の用法は愼しむべきものがある。滑稽に墮するよりも反感を起し易い。
   骨瓶《こつがめ》のひとつを持ちて價を問へりわが口は乾くゆふさり來り
此作者の心事を了解することは出來るが、歌として表はされた上からは、物足らぬのである。此も散文でいへは何の苦もないのだ。
   納骨の箱は杉の箱にして骨がめは黒くならびたりけり
何故の破調であるか。
(193)   上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を
くれなゐは作者の好んで用ゐる處である。
   おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡のほこり拭ふなりけり
特色を見る。自己に同情する態度。がつかりとした容子も明瞭である。些末のことはどうしても作者の特長である。
   自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戰きにけり
をののくといふやうなことをいふのも、強烈な刺戟を欲する作者の常態である。然し此も未成品だ。
   けだものは食《たべ》もの戀ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは特色を見る。同情ある作者を目前に見るやうである。
   ベリガンの嘴《くちはし》うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光《みづひかり》かも
前の作と共に破調である。かもが一向きいて居らぬ。
   わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを
狂人の死を葬り、更に動物園に來りて、衷心の悲しみいまだ深くして、物毎に悲哀を感ずるとも受けとれる。
   けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明く息づきにけり
(194)いひ方ひねくつた處がある。
   支那國《しなこく》のほそき少女の行きなづみ思ひそめにしわれならなくに
技巧が下手に巧んである。
   さけび啼くけだものの邊《べ》に潜みゐて赤き葬りの火こそ思へれ
露骨にいつた處に感情を殺ぐ虞れがある。
   くれなゐの鶴のあたまを見るゆゑに狂人守をかなしみにけり
意味の了解に苦しむ處がある。
   たのまれし狂者はつひに自殺せりわれ現なく走りけるかも
四五の句は自分だけがわかつて居る句だ。
   おのが身はいとほしければ赤棟蛇も潜みたるなり土の中ふかく
自己に同情する態度。
   世の色相《いろ》のかたはらにゐて狂者もり黄なる涙は湧きいでにけり四の句感興を殺ぐ。
   やはらかに弱きいのちもくろぐろと甲《よろ》はんとしてうつつともなし
作者には非常な強味がある。それは感情の働である。同時に非常に弱い處がある。それも感情の働である。
(195)   かの岡に瘋癲院の立ちたるは邪宗來より悲しかるらむ
四の句例のひねくりなり。
  〇みやこにも冬さりにけり茜さす日向《ひなた》のなかに髭剃りて居る
特色を見る。如何にも冬である。日常些末のことにいつでも成功して居る作者は憎らしい程である。
  〇鰐の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子は
  〇泥いろの参照魚は生きんとし見つつしをればしづかなるかも
「郊外の半日」
此章幸に曼珠沙華、唐辛子畑、茄子等の材料があつた爲に、稍平生の叙事叙景とは異つて居れど、仔細に玩味して居ると、曼珠沙華赤しの一首を除きては、叙景は到底拙である。平素のやうなしみじみと感じて作つてないから、折角の囚人もそれほどに生きない。散文的である。
   今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に來て寒けをおぼゆ
此歌、全體の序の如くなれども散文的である。
   郊外はちらりほらりと人行きてわが息づきは和むとすらん
ここにも自己の態度の説明がある。
   郊外に未だ落ちゐぬこころもて※[虫+奚]※[虫+斥]《ばつた》にぎれば冷たきものを
(196)三の句まで説明である。五の句餘情を存したるが如きも至らず。
  〇秋のかぜ吹きてゐたれば遠《をち》かたの薄のなかに曼珠沙華赤し
特色を見る。二の句作者の苦心の存する處、語格の上より議すべきものあらんも、そのため却て一首の落つきを得て、秋風の騷がしき感おほく、曼珠沙華のいやが上にも赤きを覺ゆる。然しながら一歩を誤れば、只作者のいひ方を苦にする例の弊に陷るのである。二の句は實に危機を抱藏してゐる句である。
   ふた本の松立てりけり下かげに曼珠沙華赤し秋かぜが吹き
存在の必要なし。前者に比して到底同日の談にあらず。
   いちめんの唐辛子畑に秋のかぜ天《あめ》より吹きて鴉おりたつ
五の句唐突なやうで然かも秋風の吹いて居る樣子が此一句で生きて來る。然しながら天より吹きてといふやうないひ方が聊か弊をなしてゐる。
   いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童《わらべ》のまなこ小さし
四五のつゞき、到底前者の五の句の如く、密接なものでない。感情の表現がない。
   曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現身に似ぬ囚人は出づ
まだ足らぬ。
   草の實はこぼれんとして居たりけりわが足元の日の光かも
(197)三の句までは矢張り自己の足もとを見て居たのだけれども、日の光は唐突の嫌がある。かもの用法はただ麁笨である。
   トロツコを押す一人《いちにん》の囚人はくちびる赤し我をば見たり
作者には唇の赤きが一種の刺戟であるかも知らぬがさうして其赤き唇の恐ろしげなる囚人が、自分を見たといふ處に心を動かす或物が有つたであらうが、それが、讀者に受けいれられない。
   片方に松二もとは立てりしが囚はれ人は其處を通りぬ
下手な叙事に過ぎない。
   秋づきて小さく結《な》りし茄子の果を籠《こ》に盛る家の日向に蠅居り
第三句までは長い時間を含む。籠に盛る家までも同樣である。然るに五のすの蠅居りは殆ど時間も何もなき目前の光景である。作者には時間と空間との觀念が明瞭でない。だから一讀甚だ不安の念を生ぜしめる。到底叙景には下手である。
   女のわらは入日のなかに兩手もて籠《こ》に盛る茄子のか黒きひかり
これもくだくだとして、單純なる材料の統一が出來てない。技巧も拙である。「海邊にて」
   海の香は山の彼方に生れたるわれのこころにこよなしかしも
五の句不解。
(198)   あぶらなす眞夏のうみに落つる日の八尺の紅《あけ》のゆらゆらに見ゆ
四の句殊更である。すべて殊更の語句は感興を殺ぐこと大である。
   いささかの潮のたまりに赤きもの生きて居たれば嬉しむかな
破調。
   海のべに紅毛の子の走りたるこのやさしさに我かへるなり
同情あるもの。
大正元年になりても、作者はまだ八尺の紅などいふ殊更な句を用ゐて居る。どうしても作者は目前些末の事項にしみ/”\と感じ入つた時でなければ駄目である。空濶なる海邊に來て、それを漫然と歌によまうとしても、迚も思想が纏らないのは當然である。其内から珠玉を探り出す工夫がなければ成らぬ。作者の短所がそこにある。
「狂人守」
   うけもちの狂人も幾たりか死にゆきて折をりあはれを感ずるかな
   かすかなるあはれなる相《すがた》ありこれの相に親しみにけり
共に調を成さず。
   くれなゐの百日紅は咲きぬれど此きやうじんはもの云はずけり
百日紅が突然である。此も確かに作者の癖である。
(199)   としわかき狂人守りのかなしみは通草の花の散らふかなしみ
通草の花は前にもある。作者は頗るこの花を思ふこと切であると見える。然しこの一首はもう通草の花の粕である。
   氣のふれし支那のをみなに寄り添ひて花は紅しと云ひにけるかな
誰が赤しといひしか。作者自身とすれば説明が足らぬ。
   ゆふされば青くたまりし墓みづに食血《じきけつ》餓鬼は鳴きかゐるらむ
四の句、此も作者が技巧の弊として、一意珍奇なる語句を好めるからである。   あはれなる百日紅の下かげに人力車《じんりき》ひとつ見えにけるかな何があはれなるかわからぬ。                    .
「土屋文明へ」
   夕さればむらがりて來る油むし汗あえにつつ殺すなりけり
この「なりけり」は、作者の好んで用ゐる語なれども、此際は不調和なり。却て一首遲緩して聞ゆ。
   かかる時|菴羅《あんら》の果をも戀ひたらば心落居むとおもふ悲しみ作者の何か珍奇の物を求むる癖現れて居る。
   むらさきの桔梗のつぼみ割りたれば蕋あらはれてにくからなくに
(200)特色を見る。果然微細の方面には手腕の延ぶるを見る。五の句全く力なし。
   秋ぐさの花さきにけり幾朝をみづ遣りしかとおもほゆるかも
同情の發露である。
「夏の夜空」
大分墓の歌がある。
   目をあげてきよき天の原見しかども遠の珍《めづら》のここちこそすれひねくる癖がある。
「折々の歌」
作者の主觀の力が足らぬため、折角何か有りさうでどうしても不明瞭に陷るものがある。又散文的のものもある。成功したものは漸次圓熟し來つて、遂に他人の追隨を許さない。
   とろとろとあかき落葉火もえしかば女《め》の男《を》の童《わらは》をどりけるかも
突然で興味の中心が不明瞭である。
   雨ひと夜さむき朝けを日の下《もと》の死なねばならぬ鳥見て立てり
特色を見る。作者の同情といふことが主になつて居るけれどまだ成功したものではない。
   をんな寢《ぬ》る街の悲しきひそみ土ここに白霜は消えそめにけり
白霜といふ語もどういふものか。さうして霜をいふために、力を入れて居るが、それが何の爲に(201)さうかと疑ひたい程である。
   猫の舌のうすらに紅き手の觸《ふ》りのこの悲しさに目ざめけるかも
特色を見る。些末の點に成功して居る長所は十分にあらはれて居る。
  〇ほのかなる茗荷の花を見守《みも》る時わが思ふ子ははるかなるかも
特色を見る。作者はほのぼのといふ語を好んで使用するが、此歌の如きは其ほのぼのとした處に好味を有して居る。茗荷の花は如何にもほのかなものである。さうして茗荷の花は地味な目につかぬものである。だから作者は見守るといふ語を用ゐて居る。しみじみと見なければ目につかぬ花である。其のしみじみとして居る時に、わが思ふ子を思ひうかべた。其の子は自分に覺束ない感じを與へる。遙かは作者の位置を説明したのでなくて、感じを説明したものとしたい。
  〇をさな兒の遊びにも似し我《あ》がけふも夕かたまけてひもじかりけり(研究室)
特色を見る。自己の態度を説明して居るけれど、かう讀者の胸にひしと來れば十分である。
  〇みちのくの我家《わぎへ》の里に黒き蠶《こ》が二たびねぶり目ざめけらしも
特色を見る。しみじみとしてゐる。何でもないことだが三句黒き蠶が生きて居る。作者が蠶の二眠位の時の容子を能く知つて居るから、かういふことが出來た能く見て居たところにしみじみとした感を起させる力がある。
   曼珠沙華ここにも咲きてきぞの夜のひと夜の相《すがた》あらはれにけり
(202)不解。
   秋に入る練兵場のみづたまりに小蜻蛉《こあきつ》が卵を生みて居りけり
   現身のわれをめぐりてつるみたる赤き蜻蛉《とんぼ》が幾つも飛べり
   酒の糟あぶりて室に食むこころ腎虚のくすり尋ねゆくこころ
共に特色あり。
   何ぞもとのぞき見しかば弟妹《いろと》らは龜に酒をば飲ませてゐたりただごとである。
   太陽はかくろひしより海のうへ天の血垂りのこころよろしき
天の血垂といふのは單に詞の技巧である。それが只一句使用された爲に歌に生命を注入することは不可能である。
   狂院に寢てをれば夜は温《ぬ》るし我《あ》に觸るるなし蟾蜍《ひき》は啼きたり
特色あり。作者の捉へさうな所であるが、僅かに怪談咄の一端にありさうな感じがするだけである。
   伽羅ぼくに伽羅の果こもりくろき猫ほそりてあゆむ夏のいぶきに
作者は自ら知らぬものにも珍らしいものを書物の上などで發見して興がる癖がある。此歌などもさうであるらしい。
   ほそき雨墓原に降りぬれてゆく黒土に烟草の吸殻を投ぐ
(203)只目前の事實を寫しただけで、それに伴ふ感情の働きが足らぬから駄目だ。
   萱草をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ
五の句措辭の上に落つきを見ない。
   病院をいでて墓原かげの土踏めば何になごみ來しあが心ぞも
自己の態度の説明がいたつて居らぬ。
   松風の吹き居るところくれなゐの提灯つけて分け入りにけり
散文の或句を取離して見ただけで前後の連結も何もない只それだけのことである。
「さみだれ」
   にはとりの卵の黄味の亂れゆくさみだれごろのあぢきなきかな
特色を見る。日常些事のことになれば得意である。只五の句平凡な爲めに大に遺憾とするのである。
   胡頽子の果のあかき色ほに出づるゆゑ秀《ほ》に出づるゆゑに歎かひにけり(おくにを憶ふ)
其なげきが人に傳はらぬ。句を重ねる弊がまた出て來た。
   ぬば玉のさ夜の小床にねむりたるこの現身はいとほしきかな
態度の説明。この歌斷然除くべし。
   しづかなる女おもひてねむりたるこの現身はいとほしきかな
(204)特色を見る。
   あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき
特色を見る。無造作ないひ方のうちに、同情ある作者を見ることが出來る.
   けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりて食むも
特色を見る。作者が出てゐる。
「兩國」
   肉太《ししぶと》の相撲とりこそかなしけれ赤き入り日に目《ま》かげをしたり
その悲しさが不明瞭である。
   川向の金の入日をいまさらに今さらさらに我も見入りつ
作者の癖を見る。金の入日、これがひねくつた作者の癖である.
   猿の肉ひさげる家に灯がつきてわが寂しさは極まりにけり
作者の態度の説明に過ぎぬ。
   きな臭き火繩おもほゆ藥種屋に龜の甲羅のぶらさがり見ゆ
一二の句に作者らしき處を見る丈の物である。
   冬河の波にさやりてのぼる舟橋のべに來て帆をおろしつつ
叙景は短所である。
(205)「犬の長鳴」
透明なガラスの板に、何かくつついて、それが拭いてもとれないといふぢれつたさよりも、手にくつついた油が、ねつ/\として、洗つても容易にとれないといふやうな感じのする歌がある。いひ方がひねくつてあつたり、ことさらに誇張した句があつて、讀者に作者の感情を強ひるやうな傾きのあるのも、大なる原因だらうと思ふ。
   よる深くふと握飯食ひたくなり握めし食ひぬ寒がりにつつ
作者の長所をいつたものでありながら、五の句が説明で力がない。
   わが體ねむらむとしてゐたるとき外はこがらしの行くおときこゆ   からだがほかほかと暖かくなつて來てはじめて寒い夜には眠れるものである。そのうとうととして來た時に、耳に凧のおとをきくといふ。此も作者の長所にいひいたつて居るのだけれど、なぜもつと率直にうとうととして來た時云々といはぬのだらう。これも誇張の弊か。
   遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風《はやち》は行きにけるかも此灯如何なる灯かわからず。
   長鳴くはかの犬族《けんぞく》のなが鳴くは遠街《をんがい》にして火は燃えにけり
此の火は何が燃えてゐるのか、火事のことか、火事とすると稍變だ。三句までの續きに異存がある。
(206)   さ夜ふけと夜の更けにける暗黒にびようびようと犬は鳴くにあらずや
暗黒の夜にびようびようと犬が鳴くだけがいひ表はされたのでは足らはぬ。作者の感情が毫も傳へられぬからである。
   たちのぼる炎のにほひ一天《ひとあめ》を離《さか》りて犬は感じけるはや
犬族の感覺の鋭敏なことをいつたものだけれど、只さういふ智識が作者に在り得たといふ外多くを發見し得ぬ。
「木こり」
   常《とこ》赤く火をし焚かんと現し身は木原へのぼるこころのひかり
五の句でわからなくして居る。初句は例の癖。
   山腹の木はらのなかへ堅凝りのかがよふ雪を踏みのぼるなり
三の句を考へたのだらうけれど、ただそれだけで何ものもない。
   天のもと光にむかふ楢木はら伐《こ》らんとぞする男とをんな
以下全部作者の弊の誇張に陷つた外に取るべき點がない。依然として作者は叙事叙景に短なるものである。
   斧ふりて木を伐《こ》るそばに小夜床の陰《ほと》のかなしさ歌ひてゐたり
特色を見る。此處には明かに陰といつてある。作者の稍々不透明なつやけしのガラスの如きいひ方(207)によつて無事に納つて居る。
   雪のべに火がとろとろと燃えぬれば赤子は乳をのみそめにけり
木こりの妻の容子はあらはれて居れど、ただそれだけで、餘り深い感じは起らない。
   杉の樹の肌《はだへ》に寄ればあな悲しくれなゐの油滲み出《いづ》るかなや
どうしてさう悲しく感ぜられるのか不明である。殊に五の句のいひ方が餘りに誇張である。
   遠天《をんてん》に雪かがやけば木原なる大鋸《おが》くづ越えて小便をせり
特色を見る。朝の景色だらう。五の句此作者だからこれほど無造作にいふのだけれど、それにしても藝術的でない。
「木の實」
成功したものは傑作であると同時に、不成功のものは一首の意味を了解するにさへ、讀者は非常に苦しむ。さうした苦しみが徒勞に屬してゐる。
   しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな
ただ雪を雪といはずに、何とか、ひねくつて見ねば氣が濟まぬ例の癖である。
   赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり
特色を見る。俳句には只文字の解釋だけではわからぬものがある。此歌もさうである。一見しては、何のことか不明である。然し呆然と何か考へて歩むことすら意識しないやうな場合があつた(208)として、さうして暫く時が經つたと思つて、ふと氣がついて見ると、先刻は赤茄子の腐れて居た處に居て、やがて其處を立つて來たのであつたが、まだ幾らも歩いては居ないのだつたと、驚いた樣子が表はれて居ると思へは如何にもさう見える。他の人の作にかういふ例があるかないかは知らぬが、短歌に於て慥に一生面を開いて居るものである。
   滿ち足らふ心にあらぬ 谷つべに酢をふける木の實を食むこころかな
これも受取り憎いものである。
   山ふかく谿の石原しらじらと見え來るほどのいとほしみかな
四の句まで説明である。
   かうべ垂れ我《あ》がゆく道にぽたりぽたり橡の木の實は落ちにけらずや
五の句強過ぎてかけ合はず。
   ひとり居て朝の飯《いひ》食む我《あ》が命は短かからむと思《も》ひて飯はむ
特色を見る。何のために作者は斯く觀ずるかを穿鑿の餘地はない。佳作。
「睦岡山中」
これまでの處、作者は叙景が下手である。只漫然と山中を歩いただけで、一歩々々に目に觸れるものを捉へてよんで見ても、平生のやうなしみじみした處が出て來ない道理である。特に叙景の不得意な作者としてはさうである。
(209) 寒ざむとゆふぐれて來る山のみち歩めば路は濕れてゐるかな
普通の物に過ぎない。
   山ふかき落葉のなかに夕のみづ天より降りてひかり居りけり
題材が題材だけに餘りにわざとらしく聞えるのを憾みとする。
   何ものの眼《まなこ》のごときひかりみづ山の木はらに動かざるかも
一二の句に作者らしい處はあるが、只平凡なことだ。
   現し身の瞳かなしく見入りぬる水はするどく寒くひかれり
平凡。
   都會のどよみをとほくこの水に口觸れまくは悲しかるらむ
作者の感情が激して居るらしくて、然かも讀者には其一部をも受取ることが出來ない。
   天さかる鄙の山路にけだものの足跡を見ればこころよろしき
けだものの足跡を見てうれしいといふのが讀老には分らないのである。
   なげきより覺めて歩める山峽に黒き木の實はこぼれ腐りぬ
此作者の「なげき」とか「悲しさ」とかいふのは、恐ろしく頻繁に出て來るのだが、どうも多くは受取ることの難澁なものである。
   寂しさに堪へて空しき我《あ》が肌に何か觸れて來《こ》悲しかるもの
(210)何か有りさうで居て足らぬ。
   ふゆ山にひそみて玉のあかき實を啄《ついば》みてゐる鳥見つ今は
力がない。
   風おこる木原をとほく入りつ日の赤き光りはふるひ流るも
普通のことをいつたまでだ。
   赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきゆめごころかな(一月作)作者の主觀が悪い道を歩いて居るのである。
「或る夜」
非常におもしろいものが出來て居る。作者獨特の點に於ての成功であるから、餘裕もあるし深さもある。然し、ここにも其の弊に陷つて居る處が遺憾である。卑俗な語句の存在するのも惡癖である。
   くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは愼《つつま》しきかなわれのこころの此一首は説明の處がわるい。
  〇をさな妻をとめとなりて幾百日《いくもゝか》こよひも最早眠りゐるらむ
特色を見る。些の澁滯もなく、此一首を構成するまでの長い道程も明瞭に然かも渾然と描き出されて居る。作者の特色を遺憾なく發揮し得たる傑作である。
(211)  〇寢ねがてにわれ烟草すふ烟草すふ少女は最早眠りゐるらむ
特色を見る。二三の句重ねたる處に聊かだれ氣味の處はあるが、そんな事は少しも累することがない。作者の態度がありありと目前に映じて來る。
  〇いま吾は鉛筆をきるその少女安心をして眠りゐるらむ
特色を見る。此一首も措辭に難はある。四の句の如きは實に危險な使用法であるにも拘はらず、それが耳障りにならぬ。感情がすべてを掩うて居るからである。
   わが友は蜜柑むきつつ染じみとはや抱《いだ》きねといひにけらずや
特色を見る。少し露骨な處に難がある。然し此もこの作者でなければいひ能はぬ。只從來思ひ切つたことを平氣でいつてのける内にも、周圍に氣兼するやうな態度が、此作者には些も見えなかつたのだけれど、さうして讀者も平氣で居られたけれど、此作にはそれが聊か缺けて居るやうである。
   けだものの暖かさうな寢《いね》すがた思ひうかべて獨りねにけり
特色を見る。途方もないことをいふ作者の習癖はここにも表はれて居る。
   寒床《さむとこ》にまろく締まりうつらうつら何時のまにかも眠りゐるかな
平凡。
   水のべの花の小花の散りどころ盲目《めしひ》になりて抱《いだ》かれて呉れよ
(212)特色を見る。三句までは只作者がほのぼのと腦裡に思ひ浮べたことをいつたまでであると解釋すればいいと思ふ。さうきめて見ると面白い點も發見されるが、此も露骨に過ぎて、且五の句卑俗である。
「此の日頃」
   よるさむく火を警むるひようしぎの聞え來る頃はひもじかりけり
何事もないが採れる。
   この宵はいまだ淺けれ床ぬちにのびつつ何か考へむとおもふ
些末なことをいうて成功しないものである。
   さだめなきものの魘《おそひ》の來る如く胸ゆらぎして街をいそげり
むしろ獨合點である。惜しいことに製作の動機が不明である爲に讀者は霧中に迷ふの感がある。集中それがどれ程かわからぬ。
「おくに」
此處に卑野な俗ないひ方が出て居る。
   なにか言ひたかりつらむその言《こと》も言へなくなりて汝《なれ》は死にしか
率直ないひ方ではあるが、餘りに卑野の感がある。
   これの世に好きななんぢに死にゆかれ生きの命の力なし我《あれ》は
(213) 二の句俗である。
〇やすらかな眠もがもと此の日ごろ眠ぐすりに親しみにけり
特色を見る。些末なことになると段が違ふ。
  〇しみ到るゆふべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなつかしきかも
特色を見る。一二の句に多少の難がある。かう無理に強くいはぬ方が宜しいと思ふ。
  〇何も彼もあはれになりて思ひづるお國のひと世はみぢかかりしか
  〇現身のわれなるかなと歎かひて火鉢をちかく身に寄せにけり
  〇ちから無く鉛筆きればほろほろと紅《くれなゐ》の粉が落ちてたまるも特色を見る。(以上三首のうち第一種を除いた作に對する評言 古泉千樫註記)
   灰のへにくれなゐの粉の落ちゆくを涙ながしていとほしむかも
特色を見る。五の句がむしろわざとらしく聞える。
「うつし身」
自己の態度を只説明して居る弊が夥しい。破調句を成さぬものがある。下品な語句を使用して來た。それは何とかおなじいひ方でも變化させて見たいといふ作者の弊である。
   雨にぬるる廣葉細葉のわか葉森あが言ふ聲のやさしくきこゆ
森も説明なれば、他も説明である。
   いとまなき吾なればいま時の間の青葉の搖も見むとしおもふ
(214)同じく説明である。
   しみじみとおのに親しきわがあゆみ墓はらの蔭に道はそるかな
どうも説明だ。
   やはらかに濡れゆく森のゆきずりに生《いき》の疲の吾をこそ思へ
説明である。四の句など殊にさうである。
   よにも弱き吾なれば忍ばざるべからず雨ふるよ若葉かへるで
破調、句を成さぬ。
   にんげんは死にぬ此《かく》のごと吾《あ》は生きて夕いひ食《を》しに歸へらなむいま
いひ方を只變らせただけだ。
   青山の町蔭の田の水《み》さび田にしみじみとして雨ふりにけり
作者がしみじみと感ずることを讀者にはうけ入れ難いのである。他の一首(うちどよむ衢のあひの森かげに殘るみづ田をいとしくおもふ)もさうである。
   寂し田に遠來《とほこ》し白鳥《しらとり》見しゆゑに弱ければ吾《あ》はうれしくて泣かゆ
五の句別段に力もない。それを他人は眞似たがる。陋といふべし。
   くわん草は丈やゝのびて濕りある土に戰げりこのいのちはや
五の句に作者の感慨がこめてあるやうなれど、全體の上に表はされないので態とらしいやうに聞(215)える。
   はるの日のながらふ光に青き色ふるへる麥の嫉くてならぬ
五の句は下品だ。
   うごき行く蟲を殺してうそ寒く麥のはたけを横ぎりにけり
二三の句のつゞきに取るべき處はある。
「うめの雨」
作者は散文にすべきものを、只三十一文字に排列したものがある。それから何とかいひ方をかへようと苦心する結果厭味なものも交るやうである。
   おのが身をいとほしみつつ歸り來る夕細道に柿の花落つも
其時節の景物をよみ込むのは餘程むづかしい。
   はかなき身も死にがてぬこの心君し知れらば共に行きなむ
能く通ぜぬ。
   さみだれのけならべ降れば梅の實の圓《つぶら》大きくここよりも見ゆ五の句ここといふのは何處だか分らぬ。然しながらそんなことは頓着なしにさつさといつて了ふのが又此の作者の特色の一つともいひ得る。
   かぎろひのゆふさりくれど草のみづかくれ水なれば夕光《ゆふひかり》なしや
(216)此頃になつて無暗に哀れつぽいことをいはねば氣が濟まぬといつた有樣である。それが讀者にひしと通ずればよし、然らざれば失敗あるのみ。
   ゆふ原の草かげ水にいのちいくる蛙はあはれ啼きたるかなや
どんな小さなものにでも、感動すれば同時に人を動かすものが出來るのであるが、それには、全體の調子の上にそれが表現されねばならぬ。此歌のやうに五の句にのみ強い詞を用ゐたのは、只不調和を感ずるだけである。
   うつそみの命は愛《を》しとなげき立つ雨の夕原《ゆふはら》に音《ね》するものあり
五の句獨合點である。
   道のべの細川もいま濁りみづいきほひながる夜《よる》の雨ふり
只普通のことである。
   汝兄《なえ》よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも
恐ろしく複雜な事實をいつたのである。さうしてそれが甚だ滑稽に聞えて來る。然しまた其點が無邪氣でおもしろいともいへる。
   あぶなくも覺束なけれ黄いろなる圓きうぶ毛が歩みてゐたり
散文と擇ぶことなし。
   見てを居り心よろしも鷄の子はついばみ乍らゐねむりにけり
(217)特色を見る。些末な處に手のとどくのが長所である。初句は惡し。
   乳のまぬ庭とりの子は自づから哀れなるかもよもの食《は》みにけり
特色を見る。但し四の句がいひ過ぎて居る。
   たまたまに手など觸れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり
特色を見る。些細な點に目をつけて成功して居る。
   ものがくれひそかに煙草すふ時の心よろしさのうらがなしかり
四五の句作者に珍らしい厭味のものである。
   青葉空雨になりたれ吾はいまこころ細ほそと別れゆくかも
通じない。
「藏王山」
   藏王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ
只普通のいひ方である。
   たち上《のぼ》る白雲のなかにあはれなる山鳩啼けり白くものなかに
同上。あはれなる山鳩をあはれに感ぜしめる何ものも含まれてないのである。
   あまつ日に目蔭《まかげ》をすれば乳いろの湛《たたへ》かなしきみづうみの見ゆ
   死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁《ちしる》の色のみづ見ゆるかな
共に普通である。
(218)   秋づけははらみてあゆむけだものも酸《さん》のみづなれば舌觸りかねつ
特色を見る。はらむといふことをいふ必要もないところへはらむといふ。然かも作者はいひたくてたまらぬのであるから、不調和の如くにしていさゝか落つきを得て居るのである。
   赤|蜻蛉《あきつ》むらがり飛べどこのみづに卵うまねばかなしかりけり
特色を見る。
   ひんがしの遠空《とほぞら》にして絹いとのひかりは悲し海つ波なれば三の句が多少晦澁である。
「秋の夜ごろ」
   玉きはる命をさなく女童《めはらは》をいだき遊びき夜半のこほろぎ
五の句が突然でわからぬ。
   ことわりもなき惣怨《ものうらみ》み我身にもあるが愛《いと》しく蟲ききにけり
微妙な何物かを捉へようとしてまだ足らぬものである。
   少年の流されびとのいとほしと思ひにければこほろぎが鳴く
後の「秋の風ふきてゐたれば」と同一句法に出て居るがあれは目前に形が明瞭に表はされて居るからいいが此はそれと違つて大いに離れ離れである。
   秋なればこほろぎの子の生れ鳴く冷たき土をかなしみにけり
(219)特色を見る。秋なればといふ初句が勝つて居て耳障りである。
   少年の流され人はさ夜の小床に蟲なくよ何の蟲よといひけむ
特色を見る。作者の同情があらはれて居る。然し句法は粗笨である。
   かすかなるうれひにゆるるわが心蟋蟀聞くに堪へにけるかな
自己の態度の説明だからいかぬ。
   蟋蟀の音にいづる夜の靜けさにしろがねの錢かぞへてゐたり
特色を見る。目前の些末の事柄をしみじみと見ていふ作者の特長が十分見えて居る。秋の夜に白がねの錢をかぞへるなどは、一寸俳人でも思ひうかべぬであらう。只一二の句は、作者がどうかするといひ方をひねくる癖があるのを十分證明して居る。
   紅き日の落つる野末の石の間のかそけき蟲にあひにけるかも
五の句「あひにけるかも」などは、餘り物のいひ樣が誇張に過ぎて居る。
   足もとの石のひまより靜けさに顫ひて出づる音に頼《よ》りにけり
五の句不解。
   入りつ日の入りかくろへば露滿つる秋野の末にこほろぎ鳴くも
   うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝る原にわれは來にけり
   星おほき花原くれば露は凝りみぎりひだりにこほろぎ鳴くも
   こほろぎのかそけき原も家ちかみ今ほほ笑ふ女《め》の童《わらは》きこゆ
(220)   はるばると星落つる夜の戀がたり悲しみの世にわれ入りにけり
以上五首例の作者のしみじみとした處がないから只文字を排列して或意味を傳へたといふに過ぎぬ。
   濠のみづ干《ひ》ゆけばここに細き水流れ會ふかな夕ひかりつつ
五の句で打壞してゐる。
   女の童をとめとなりて泣きし時かなしく吾はおもひたりしか
此も獨合點、前後に讀者が作者の悲しみを了解しうべき何ものもない。
   こほろぎはこほろぎゆゑに露原に音をのみぞ鳴く音をのみぞ鳴く
四五の句を重ねていふやうなことは如何なる場合にも短歌として不適當である。固より短い形式のものである、僅に七字と雖も、一首といふものの上からは大なる部分を占めて居る。隨つて四五の句或は他に於て重ねていふ時は、第二の句は直ちに陳腐になつて力なく響くのである。
「折に觸れて」
此頃から、散文と詩といふものの區別を没却して居るものがある。獨合點が甚だしい。
   なみだ落ちて懷しむかもこの室《へや》にいにしへ人は死に給ひにし(子規十周忌)
二の句に自分の態度の説明があるのは非常に惡い。四五の句に作者の特色は幾分表はされて居る。
   自《みづ》からをさげすみ果てし心すら此夜はあはれ和みてを居ぬ(同上)
(221)此も露骨になつて居る。
   しづかに眼をつむり給ひけむ自《おの》づからすべては冷たくなり給ひけむ(同上)
表現の方法に於て未だ足らぬ。
   涙ながししひそか事も、消ゆるかや、吾《あ》より秋なれば桔梗《きちかう》は咲きぬ(録三首)
   きちかうのむらさきの花萎む時わが身は愛《は》しとおもふかなしみ
   さげすみ果てしこの身も堪へ難くなつかしきことありあはれあはれわが少女《をとめ》
以上三首獨合點でわからぬ。亂調の弊に陷つて居る。
   栗の實の笑みそむるころ谿越えてかすかなる灯に向ふひとあり(録三首)
   かどはかしに逢へるをとめのうつくしと思ひ通ひて谿越えにけり
   うつくしき時代《ときよ》なるかな山賊はもみづる谿にいのち落せし
以上三首もよくわかりかねる歌である。さうして、山賊のかどはかしといふものを、一篇の錦繪のやうに見て居る處に、作者の感情も覗ふことも出來るけれどもかういふことは、自己の感情をもつと細かに述べて一篇の散文にした方がどれ程いゝか知れない。感情に訴へて周圍はむしろ想像即ち聯想に任せるといふ韻文の本性を没却して作者は事實其物を興味の中心にして作つて居る。事實を描寫することは斯くの如き短詩形のものの能くする處ではないのである。
   死に近き狂人を守《も》るはかなさに己が身すらを愛《は》しとなげけり
自己の態度の説明が勝つて居る。
(222)   つかれつつ目ざめがちなるこの夜ごろ寢よりさめ聞くながれ水かな
作者の尤も得意なる題材を捉へて居るがまだ到つて居ない。
   土のうへの生けるものらの潜むべくあな慌し秋の夜の雨
すべての物に同情のある作者を目前に見ることが出來るが、まだ足らない。次の三首皆さうである。
   秋のあめ煙りて降ればさ庭べに七面鳥は羽もひろげず
   寒ざむとひと夜の雨のふりしかば病める庭鳥をいたはり兼ねつ
   ほそほそとこほろぎの音はみちのくの霜ふる國へとほ去りぬらむ
此にも途方もなきことをいふ作者の特色を見る。(ほそほその作についての評 古泉千樫註記)
「Pluma loci」
   ほのかなるものなりけれはをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ
特色を見る。此歌は作者のものとして非常に注目を値する。少女の陰毛を題材としたものである。春の下萌の如き陰毛を歌つたものである。作者はかういふ事を考へたりすることが非常に嬉しいのである。それで臆面もなく一首を構成して居る。然しながら生理學者が自己の研究の材料として居る樣に些も卑猥の感を起させない處に獨特の長所が存在して居るを思ふ。
「田螺と彗星」
(223)作者の弊としては、透明なガラスの板に、ペンキか何かがくつついて居て、幾らごしごしやつても、拭き取れぬぬやうなぢれつたい心持の惡い處がある。然しそれは一度成功したものになると、甚不透明な分り兼ねる所に、いふべからざる興趣を有してゐる。此田螺などは其例である。田螺といふものには、幾分の滑措が含有されて居る。だからいつもの作者の滑稽の分子が附纏つて居ても、却て自然であり得る。そして此田螺では滑稽がなかなか落付いて重みを持つて居る。
   とほき世のかりようびんがのわたくし兒田螺はぬるきみづ戀ひにけり
かりようびんがなどいふ途方もないものを持つて來ても、兎に角に落つきを得てるのが、作者の特長である。ぬるき水も田螺に適切である。わたくし兒などいふところ女好きな作者の獨特の處だらう。
   田螺はも脊戸の圓田《まろた》にゐると鳴かねどころりころりと幾つもゐるも
滑稽に聞えるけれどもよろし。
   わらくずのよごれて散れる水無田《みなしだ》に田螺の殻は白くなりけり
よろし、叙景の作として珍らしく成功したもの。
   氣ちがひの面まもりてたまさかは田螺も食べてよるいねにけり
作者の例の弊も出てゐる。狂人と田螺との趣味の上の連絡が不明瞭である。
   赤いろの蓮《はちす》まろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし
(224)特色を見る。女好の作者は直ぐみごもるといふやうなことをいふ。此場合は非常にいい.
   味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉佛うれしがり鳴る
かうなると獨よがりに墮して居る。
   南蠻の男かなしと戀ひ生みし田螺にほとけの性ともしかり
これもまだ到ることとほし。
   ためらはず遠天に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる
彗星の歌は皆失敗である。何故に田螺と一緒にして出してあるかが疑問である。
「南蠻男」
一讀再讀わからぬ歌である。自分のいふことが讀者によくわかるやうに心掛けることも、作者の大なる義務である。
   南蠻のをとこかなしと抱かれしをだまきの花むらさきのよる
よるの語が不解である。
   瞳青きをとこ悲しと島をとめほのぼのとしてみごもりにけり
身ごもるなどいふことも、此作者特有のいひ方である。女好の作者であるから、かういふことになる。然し惡いといふ意味でない。
「をさな妻」
(225)此處になると非常に獨合點の作が多い。作者の主觀の動き方がまだ足らぬ。まだ不熟である。さうしてをさな妻といふものを、どう作者は取扱つて居るのかも不明瞭である。漫然と雜多な歌を交ぜ合せて居るから、肝腎の幼妻といふものが疎略になるのである。
   木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
特色を見る。三の句と其以下とは何等の關係もないやうで居ながら、どうにか連結がついて居て、此外にはいひ樣のないものの樣に感ぜられるも、恐らく作者自身にも何處に連結があるかと問はれても、答に窮することであらうと思ふ。然し作者が此一首を構成する時には、只何となくかういひたくて堪らなかつたであらう。そこに二つの無關係のものをぎつと結びつけて放さない力がある。
   目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に戀ふるもさみしかるかな
獨合點。難解の譏りがかういふ處から起つて來る。
   このゆふべ塀にかわけるさび紅《あけ》のべにがらの垂りをうれしみにけり
獨合點、何のためだかわからぬ。
   公園に支那のをとめを見るゆゑに幼な妻もつこの身|愛《は》しけれ
これもよくわからぬ。
   ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路ゆきつつかへりみるかも
(226)   嘴《はし》あかき小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばは悲しきろかも
   水さびゐる細江の面に浮きふふむこの水草はうごかざるかな
   汗ばみしかうべを垂れて拔け過ぐる公園に今しづけさに會ひぬ
   をだまきの咲きし頃よりくれなゐにゆららに落つる太陽《ひ》こそ見にけれ
これらの歌すべて幼妻に縁のない、關係のない歌である。
   細みづにながるる砂の片寄りに靜まるほどのうれひなりけり
餘りに説明である。をさな妻に關係がない。
   をさな妻をさなきままにその目より涙ながれて行きにけるかも
その目といふのはをさな妻の目であらうが、どうして涙が流れたのかわからぬ。
「悼堀内卓」
上乘の作でない。むしろ普通のものである。誰がやつてもこの位のことに過ぎまい。
「折に觸れ」
   黒き實の圓らつぶらとひかる實の柿は一本《いつぽん》たちにけるかも一本といふやうな強い語調が好きである。
   本よみて賢くなれと戰場のわが兄《え》は餞を呉れたまひたり
特色を見る。此頃から作者にはしみじみしたものならよかつたのである。
   戰場のわが兄《え》より來し錢もちて泣きゐたりけり涙が落ちて
(227)特色を見る。五の句に力乏し。聊か滑稽に墮する嫌もなからず。
   桑畑の畑のめぐりに紫蘇生ひてちぎりて居ればにほひするかも
四五の句の如きも作者の特色をあらはし掛けたものだ。
   はるばると母は戰を思《も》ひたまふ桑の木の實は熟みゐたりけり
かういふいひ方が後々までつづくけれど、今少し前後の連絡を顧慮する必要がある。
   けふの日は母の遽邊にゐてくろぐろと熟める桑の實食みにけるかも
   かがやける眞夏日のもとたらちねは戰を思ふ桑の實くろし
かがやけるの歌、ここにも桑の實があれど、戰との連絡が不十分である。
本よみての歌以下六首は、前後のものと全く別途に出て居るのに、作者は前書といふことを疎略にして居るので、折角のものが、或點まで興味を殺がれる。殺がれるといふよりも、讀者は作者の心持を受け入れるのに、非常の苦痛を感ずる。前書があれば、すぐに歌の出來た成立がわかつて、さうして更に深く其周圍までも、想像して見ることが出來るのである。
   馬屋《まや》のべにをだまきの花乏しらにをりをり馬が尾を振りにけりをだまきの花も動くし、又全體が長閑さをいふには足らぬ。
   數學のつもりになりて考へしに五目竝べに勝ちにけるかも
餘りに普通である。然し作者はこんなことにも平氣で力を竭して居る。同時に滑稽な感がある。
(228)   入りかかる日の赤きころニコライの側の坂をば下りて來にけり
作者の主觀が甚だ不足である。
   さ庭べの八重山吹の一枝ちりしばらく見ねばみな散りにけり
八重山吹がさう潔くはらりと散るものでないやうだ。
   日輪がすでに眞赤になりたれば物干にいでて欠伸せりけり
滑稽滑稽。
   ゆふさりてランプともせばひと時は心靜まりて何もせず居り
特色を見る。
「地獄極楽圖」
失敗の作。誰もこんなことをいはぬ内に、たまたま試みたといふならば、幾らか斬新といふ處に取るべき點もあるが、全然模倣だから何等の手柄もない。
「螢」
   あかときの草の露たま七いろにかがやきわたり蜻蛉《とんぼ》生《あ》れけり
   あかときの草に生れて蜻蛉《あきつ》はも未だ軟らかみ飛びがてぬかも此二首には、いささか作者の特色が表はれかかつて居る。然し未だしきものである.
「折に觸れて」
(229)普通の言ひ方ばかりである。作者の特色と見るべきものがまだ表はされぬ。
   病癒えし君がにぎ面《おも》の髯あたり目にし浮びてうれしくてならず(蕨眞氏病癒ゆ)
俗語の厭ふべきもの既にここに胚胎す。
「蟲」
失敗だ。此もしみじみと感じた處がない。机の上の想像などで通り一遍のことをいつて見ても、到底物にならぬ。
   とほ世べの戀のあはれをこほろぎの語り部が夜々つぎかたりけり
語りべ、これも變つた語が使つて見たいほんの一とほりのことだけだ。
「雲」
雲は失敗の作である。作者はほのばのとか、つくづくとか、しみじみとかいふ語を好んで使用するが、日常些末の現象に對してしみじみと感じたものに、絶唱を發見する。しみじみと感ずるだけの餘地のないものは駄目である。
   いなびかりふくめる雲のたたずまひ物ほしにのりてつくづくと見つ
作者はつくづくとか、しみじみとかいふ語が好きであるが、其しみじみと見たものでなければ、單なる叙景などは駄目である。凝然と見入る作者をこの歌などが僅にあらはして居る。
「苅しほ」
(230)おなじ叙事叙景にしても、作者の感情が動いて居れば、一の主觀の句がなくても、人を動かす力は強い。此作には其境に達しないものがおほい。まだ作者の内生活とは何等の關係なきものがある。
   秋のひかり土にしみ照り苅しほに黄ばめる小田を馬が來る見ゆ
一通りのことなり。かくの如き歌とは、世間も作者も既に一時代を劃して居る。
   竹おほき山べの村の冬しづみ雪降らなくに寒に入りけり
冬しづみ、作者はどうしても主觀の句を挟まなければ承知しない癖がある。作は一通りのこと。
   ふゆの日のうすらに照れば並み竹は寒ざむとして霜しづくすも
さむ/”\。もう作者の癖が出て居る。
   窓の外《と》に月照りしかば竹の葉のさやのふる舞あらはれにけり
むしろ陳腐である。
   しもの夜のさ夜のくだちに戸を押すや竹群が奥に朱《あけ》の月みゆ
具備した歌である。然しながら感情の動きが足らぬ。
   竹むらの影にむかひて琴ひかば清掻《すががき》にしも引くべかりけり集中に存在の要なし。陳腐なり。
   月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾など欲りしてをらむ
作者の特色を認むべきもの、一二句のつづきはととのはず、只譯もなく面白く覺ゆる歌なり。人(231)の意表に出でたる處に妙味あり。
   猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり
目のくりくりが一首の特色である。然し、一方には又此句のために何となく滑稽の感を免れず。人の意表に出ること、しみじみとして居ながら滑稽の感を免れざる。
「留守居」
全部失敗の作。
   まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
第一句全體とかけ合はず、五の句餘りに突然にして興うつらず。二三句入り日に飛びきたりも餘り説明的なり。
   一人して留守居さみしら青光る蠅のあゆみをおもひ無《な》に見し
眞におもひ無なれば、おもひ無といはず。調子の上よりも思なげに聞えず。態度の説明にして感情の表現に非ざればなり。
   留守をもるわれの机にえ少女《をとめ》のえ少男《をとこ》の蠅がゑらぎ舞ふかも
餘りに拵へ物なり。留守をもるの句が又荷が勝ちすぎたり。
   秋の日の疊の上に飛びあよむ蠅の行ひ見つつ留守すも
留守居は長き時間を意味す。然るに、蠅の行ひは一時の現象なり。只單に蠅の行ひのみを興がり(232)ていふならば、却て留守居の徒然をいふことを得べけれど、何事にも留守々々と斷る故に惰うつらぬなり。
   入り日さすあかり障子はばら色にうすら匂ひて蠅一つとぶ
此には前數首の弊なけれども、さてさしての特色もなし。
   事なくて見ゐる障子に赤とんぼかうべ動かす羽さへふるひ
事なくてが矢張説明で感情を表現し得て居ない。全體の調子に事なき樣が現はれねば駄目なり.
   まもりゐのあかり障子にうつりたる蜻蛉は行きて何も來ぬかも
此一首稍徒然の樣をいひ得た。
   留守もりて入り日紅けれ紙ふくろ猫に冠せんとおもほえなくに
留守もりてが仇をして居る。
「新年の歌」
作者はかういふ殆んど極つた形式的の題材を捉へても、相應にこなして居るだけの特色を有つて居る。それを近來の傾向と對照して見ると興味がある。
   今しいま年の來《きた》るとひむがしの八百うづ潮に茜かがよふ
普通の作なり。新年の歌などに今しいまなどいふ急迫の態は宜しからず。
  〇高ひかる日の母を戀ひ地の廻り廻り極まりて天《あめ》新たなり
(233)作者の長所を十分に発揮したる作なり。科學の知識もかう應用されゝば最上なり。
  〇年のはの眞日のうるはしくれなゐを高きに上り目蔭して見つ
普通なれど、題が題なれば。
  〇新裝《にひよそ》ふ日の大新の清明目《あかしめ》を見まくと集ふ現しもろもろ
頗る新年の體を得て居る。
  〇天明《あめあか》り年のきたるとくだかけの長鳴鳥がみな鳴けるかも
何でもない事なれど、五の句で生きて居る。作者が物を能く深く見る長所がこゝにも現はれて居る。
  〇沖つとりかもかもせむと初春にこころ問して見まくたぬしも
體を得て居る。
  〇くれなゐの梅はよろしも新たまの年の端に見れば特によろしも
取立てゝいふ程のことなく、すらすらと普通な處が題意に叶つて居る。
「雜歌」
   あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて來にけり
三句までは説明に陷つて居る。曉の畑の土のしめつた處へ桐の花の散つた處はいゝぞといふ説明なり。五の句がそれほど説明しなければならぬものを受けるには力が足らぬ。
(234)   青桐のしみの廣葉の葉かげよりゆふべの色はひろごりにけり
未だ到らざるものである。
  〇ひむがしのともしび二つこの宵も相寄らなくてふけわたるかな
作者の特色をうかゞふべし。作者はかういふことのいひ得る人である何でもないことに深い感情がこもつて居る。
   うつし世は一夏《いちげ》に入りて吾がこもる室の畳に蟻を見しかな
五の句に力がない。語句の異つたものを見つけて興がつて居る癖がこゝに出て居る。
   荒磯ねに八重寄る波のみだれたちいたぶる中の寂しさ思ふ
作者の特色が發揮されざるものである。失敗の作である。四の句の如き折角強さうなことをいひながら、非常に弱くなつて居る。
  〇秋の夜を灯《ともし》しづかに搖るる時しみじみわれは耳かきにけり
日常些細のことに深き感情を遇するは、他人の及ばざる處である。作者の特色がうかがはれるもの。
  〇ほそほそと蟲啼きたれば壁にもたれ膝に手を組む秋のよるかも
作者の特色がうかがはれるもの。
   旅ゆくと井に下り立ちて冷々に口そそぐべの月見ぐさのはな
(235)一の句も全體とかけ合はず、五の句が四の句までの働きと合體せぬ。
「鹽原行」
作者にはよくしみじみといふ語がある。しみじみと考へたり見たり感じたりしなければ到底出來ないのが作者であるらしい。鹽原行は四十首以上もあるが、殆ど皆しみじみとした處がない。誰が行つても、容易にうまく出來る筈もないが、特に作者は此時まだ叙景などには不熟であつた樣だ。たつた二首、それでも作者の作らしいものがある。
   晴れ透るあめ路《ぢ》の果てに赤城根の秋の色はも更け渡りけり
只普通のものである。
   小筑波を朝を見しかば白雲の凝れるかかむり動くともせず
これも。
   山角《やまかど》にかへり見すれば歩み來し街道筋は細りてはるけし
四五の句僅に作者の特色を見るべきのみ。それも只それだけのこと。他には何もなし。
   夕ぐれの川べに立ちて落ちたぎつ流るる水におもひ入りたり
おもひ入りたりが少しも利かぬ。
   谷川の音をききつつ分け入れば一あしごとに山あざやけし
説明の歌の標本なり。
(236)   三千尺《みちさか》の目下《ました》の極みかがよへる紅葉のそこに水たぎち見ゆ
少しも深い溪の容子があらはれぬ。
   山がはの水のいきほひ大岩にせまりきはまり音とどろくも
折角せまりきはまりなどといつても、其句に力がない。
   もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
うつとりとしてあかるい紅葉の中に立つたといふことだけは承知出來るが朗かな紅葉のけしきが少しも現はされて居らぬ。
   しほ原の湯の出でどころとめ來れはもみぢの赤き處なりけり
此歌却てよろしい。目前のことのみをいはずに、一度作者の心で溶かして、作者のものとして出したからである。されどまだたいしたことはないが、鹽原の歌としては上乘の分ならんか。
   まぼろしにもの戀ひ來れば山川の鳴る谷際《たにあひ》に月滿てりけり稍作者の特色を發挿しかけた作である。月滿てりけりがきいて居る。
「折に觸れて」
   宵あさくひとり居りけりみづひかり蛙《かはづ》ひとつかいかいと鳴くも
宵あさく、留守居の弊なり。
   かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな
(237)作者が物をしみじみ見る癖がある爲か、水の無心に湧くさへ作者にはしみじみとして見えるのである。
   夏晴れのさ庭の木かげ梅の實のつぶらの影もさゆらぎて居り
叙景は駄目だ。
   春蘭けし山峽の湯にしづ籠り※[木+怱]《たら》の芽食しつつひとを思はず
   馬に乘り湯どころ來つつ白梅のととのふ春にあひにけるかも
共にいかぬ。
   ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見つつうれしも
作者の特色、まだ滑稽には墮して居らぬ、辛うじて。作者の特色はかういふ處に現はれて居る。他人に眞似は出來ない。他人がやらうとする輕浮に陷る處を、作者がやれば本気に聞える。
   干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり
作者の弊をいささかながら出して居る。
   ゆふぐれのほどろ雪路をかうべ垂れ濕れたる靴をはきて行くかも
特色ややあらはれて居る。
   世のなかの憂苦《うけく》も知らぬ女《め》わらはの泣くことはあり涙ながして
作者の特色を見る。
   春の風ほがらに吹けばひさかたの天の高低《たかひく》に凧が浮べり
(238)四五の句に働がある。然し、叙景は得意ではない。
   萱ざうの小さき崩《もえ》を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
十分に作者の感情を表現して居ながら、滑稽に墮して居る。かういふ句調が無闇に員似されて居るのだから厭になる。
   明けがたに近き夜さまのおのづから我心にし觸るらく思ほゆ
作者でなくてはいひ得ぬ樣で居て、獨合點の譏を免れぬ。
   八百會《やほあひ》のうしほ遠鳴るひむがしのわたつ天明《あまあけ》雲くだるなり
古語を用ゐたといふ以外に何もない。
「細り身」
   やまひ去り嬉しみ居ればほのぼのに心ぐけくもなりて來るかも
作者の特色あり。但し少し足らぬ。かういふことは此作者でなければ、なかなかいひ得ぬ處だけれど、其作者自身の特色を發揮しえたと思ふ四五の句に、却て又作者の弊がある。其調子の上からさう成つて來る。多少の厭味があるともいへる。他人は變つたところを眞似たがる。さうしてもつと厭味になる。
   病みぬればほのぼのとしてあり經たる和世《にごよ》のすがた悲しみにけり
作者はいひ方、いひ方といふよりも、言語などに妙に一種のひねくつたいひ方をしたがる癖があ(239)る。和世《にごよ》のすがたなどもさうである。作者の工夫には相違ないが耳障りでもある。
   いはれ無《な》に涙がちなるこのごろを事更《ことさら》ぶともひと云ふらむか
他人のおもはくなどを氣にして居ると、感情はうすく成つてしまふ。萬葉集などにもかういふいひ方がおほいが、自分はいつもいゝ心持で見ない。
   閉づる目ゆ熱き涙のはふり落ちはふり落ちつつあきらめ兼ねつ
何故とも讀者にはわからぬ。
   やみ恍《ほほ》けおとろへにたれさ庭べに夕雨ふれば嬉しくきこゆ
如何にも病衰の人の心をいひあらはして居る。暑い季節といふと殊にさうである。本當に到達しては居ないが。特色あるもの。
   熱落ちておとろへ出で來もこのごろの日八日夜八夜《ひやかよやよ》は現しからなく
微妙な感情を表現すると成ると、聊かでも耳ざはりの語など有つては成らぬ。
  〇恣にやせ頬にのびし硬《こは》ひげを手ぐさにしつつさ夜ふけにけり
特色を見る。殆ど作者の上乘の作といふとかういふ微細の點にある。
   おのが身し愛《いとほ》しければかほそ身をあはれがりつゝ飯《いひ》食《を》しにけり
特色を發揮しようとして少し臭い。
   病みて臥すわが枕べに弟妹《いろと》らがこより花火をして呉れにけり
(240)いささか見るべし。
  〇とめどなく物思ひ居ればさ庭べに未だいはけなく蟋蟀鳴くも
特色として見る。四の句に同情がある。
   さ庭べに何の蟲ぞも鉦うちて乞ひのむがごとほそほそと鳴くも
四の句の如きは作者の働がその弊に陷らぬものである。
   神無月の土の小床《をどこ》にほそほそと亡びのうたを蟲鳴きにけり
四の句は厭だ。
   よひよひの露冷えまさる遠空をこほろぎの子らは死にて行くらむ
遠空をなどいふ少し縁の離れた句を平氣でいふのも此作者の特色である。
「分病室」
   隣室に人は死ねどもひたぶるに帚《ははき》ぐさの實食ひたかりけり
帚草の實といふものがどういふのか、只では分らぬ。時々作者は分らぬことを平氣でいふのである。其突梯な處に興味を感ずるけれど、前後の關係が趣味の上から理解されなければ困る。
   熱落ちてわれは日ねもす夜もすがら稚ら兒のごと物を思へり
ある點までいひおほせたもの。
   古泉千樫註記。この評語のほかに、赤、あかあか、女、かなし、あはれ、などいふやうの言葉がある(241)と、その歌の上に其言葉だけを抄出してある。試みにそれを數へて見る。長塚氏はこの評語中「赤光」の作者を女好きであると幾度もいつて居る。「赤光」中、女といふ字は三十五、少女といふ字が十五ある。その他、をさな妻、みごもる、孕む、つるむ、惚れ、わたくし兒、ほと、といふやうな言葉があれば一々皆抄出してある。
 また、赤といふ字が百二十餘、光が五十餘、黒が二十ばかり、くろぐろが六、かなしが約八十、あはれが三十、うれへが十、なげく、なげかひが十五、ほのぼの、ほのかが約二十、いとほしむが十餘りある。
 それから、しんしん、しみじみ、つくづく、ほろほろ、ひつたり、ほそほそ、さむざむ、しとしと、ひつそり、うつうつといふやうな言葉も一々抄出してある。
  (大正九年發行、アララギ 弟十三卷第一・第二・第≡・第四號所載)
 
旅行日記
 
(245)旅行日記(大型手帳)
 
      八月八日(明治三十六年)
三戔 梅田ヨリ櫻ノ宮マデノ汽車賃
九十五戔 サクラノ宮ヨリ山田マデノ汽車賃半割
五戔五厘 四条畷ニテ朝飯の代
五戔 手帳
二戔 大坂毎日新聞一枚
十戔 龜山ニテ寿司一折代
十五戔 ハガキ十枚代
六戔 切手二枚代
二戔 ラムネ一本山田ニテ
(246)一戔五厘 氷水一杯山田ニテ
  合計金壹円五十五戔
      仝九日
二戔 内宮内厩の飼料代
十戔 内宮の守札五つ
四十戔 宿料
二戔五厘 朝熊山楠目峠の茶店にて樒柑水一本
二十戔 朝熊山豆腐屋にて支度
二十戔 朝熊村より二見浦まで人力車
一円〇四戔 鳥羽より勝浦まで汽船三等の上陸卷、但し二割引の賃銀
六戔 ラムネ二本及び切符取扱の老婆へ心付
三戔 本船までのはしけ
二戔 船中にて茶菓子
  合計二円九戔五厘
      十日
三戔 本船よりはしけ
(247)十四戔 天滿といふ所にて支度
壹戔五厘 仝草鞋代
三戔 那智山に飴湯三杯
五戔 那智大瀧拜觀料
二十戔 那智瀧案内料
  合計四十六戔五厘
      十一日
四十戔 宿料但し辨當付
五戔 那智青岸瀧寺の守三つ、但し錦襴の袋に入りたるものは一個三戔
二戔 宿屋にて砂糖水一杯
二戔 用意の草鞋一足
五厘 小川の渡せん
三戔 小雲取峠の下り口「マツハタ」といふ所に休み砂糖湯を飲む
六戔 熊野本宮の守三つ
三戔 キンツバ燒き、これは空腹を覺えたるを以てなり
  六十一戔五厘
(248)       十二日
四十五戔 宿料辨當付
三戔 渡場三ケ所渡せん
五戔 内三錢草鞋二足及び蕗※[者/火]付二皿、内一餞もなか二つ、内一戔茶代
五十戔 瀞八丁の舟賃
七錢五厘 はがき五枚
  一円十戔五厘
      十三日
三十五戔 宿料辨當付
二戔 草鞋一足
二戔 通船を待つ間茶店にて一文菓子を貰ふ
二十五戔 通船料
三戔 あめ湯二杯くす湯一杯
一戔 熊野川の渡しにて菓子二つ
三厘 渡船料
三戔 新聞紙代
(249)   七十一錢五厘
      十四日
十六戔五厘 内九戔木賃、内七戔五厘米代
一戔 椿桃
三戔 レモン水二本
一戔 波多須ニテ茶代
十五戔 二木嶋ニテ晝飯代
五戔 仝、茶代
壹円十戔 鳥羽までの汽船
三戔 はしけ
  一円五十四戔五厘
      十五日
三戔 上陸はしけ
二戔 鳥羽丸へはしけ
四十五戔 鳥羽より師崎までの切符
四戔五厘 師崎ニテ白真桑一本
(250)八戔 仝、燒團子
二十五戔 師崎より福江までの切符
二戔 はしけ
二戔五厘 船中ニテラムネ一本
三戔 上陸はしけ
一戔 甘酒一杯
一戔五厘 草鞋一足
  九十四銭五厘
      十六日
十戔 宿泊料
五戔 畠村ニテ甘酒五杯
二戔 同、うどん一杯
二戔 同、よね饅頭
一戔五厘 畠村ニテはかき一枚
四戔 野田道にて白眞桑一本
二戔 同所ニテ革鞋一足
(251)   二十六戔五厘
      十七日
二十五戔 宿料
二戔 枇杷葉湯
一円十二戔 豊橋ヨリ靜まで
六戔五厘 食パン一斥
三戔 甘酒三杯
二戔五厘 ラムネ一本
三十戔 宿泊料
  一円八十戔
      十八日
三戔 西瓜一切レ
四十戔 沼津まで切符
三戔 (【二字不明】)貫にて西瓜二切レ
五戔 沼津ニテ大福餅
五戔 三嶋マデ馬車賃
(252)一戔 心天
二戔 草鞋一足用意ノタメ買フ
五戔 笹原のさくらやといふ休所にて伊豆の天城山を望みながらラムネ一本他に茶代、ラムネは三戔五厘なり
一戔 箱根ニテ茶代
  六十五戔
      十九日
五十戔 宿料辨當付
三戔 畑ニテ飴二つ二戔茶代一錢
十五戔 小田原ヨリ沼津マデ電車
七十戔 オキツヨリ新橋マデ
三戔 沖津にて茶
二戔 同、よみうり新聞
六戔 新橋ヨリ淺草橋マデ馬車
三戔 兩國ヨリ本所マデ馬車
  一円六十戔
 
 病牀日記
        〔何字分欠とか、ママとかいう編注が多いが、すべて省略した、入力者〕
(255)     病牀日記〔一〕(中型手帳)
          自明治四十四年十一月二十一日 至大正元年十二月六日          自大正二年三月十四日    至大正二年四月二十五日
    明治四十四年
十一月廿一日より木村へ通ふ
      廿八日
夜一回吸入
      廿九日
朝吸入。朝少時、熱六度七分。三時、六度八分。五時、六度六分。八時、六度六分。夜中、六度五分。
(256)      卅日
朝七時、六度七分。二時、六度五分。(歩行後直チニ)。五時、六度七分。六時、六度六分。
      十二月一日
朝七時、六度五分。一時、六度七分。(歩行シ來リシ後直チニ)。七時半、六度六分。八時牛、同。
      二日
朝七時、六度七分。十二時、同。三時、同。七時、六度六分。
      三日
朝七時、六度七分。三時半、七度。七時半、六度四分。
      四日
朝、六度六分。十二時半、六度五分。
      五日
朝、六度五分。十二時、六度五分。(此處二字不明)根岸。根岸養生院へ午後四時入院。晩。鯖煮付。菜浸物少許、但し硬し。漬物澤庵の刻みたるものへ醤油を注ぐ。箸をつけず。附添看護婦丸山はな。白山前町四〇。奈良看護婦會。同モト。電話番號二九九二番。此日快晴。
      六日
(257)自辨。牛乳二合。倉田龍次郎氏へ手紙。朝菜汁一杯、菜は硬きこと前夜と同じ。晝魚のフライ。半分開いたる儘骨もとらぬ。形の小さくなるを嫌ふなり。キヤベツは硬し。里芋の鉢。但芋六個。晩。切身照燒(鮪ならん)。豆腐菜の吸物一杯。二、五、新聞紙。三、半紙一帖。三五、附添車賃。
今日より半乳二合。(計四〇、五)
      七日
自辨牛乳一合。刺身一皿。朝、牛乳一合、パン半斤に改む。二、五、新聞。七、手拭。三、五、花紙。晝。小魚煮付。鉢、隱元少許。漬物食ふべからず。此日より午飯毎に刺身一皿を添ふることにす。門間春雄、久保田俊彦氏へ手紙。中村不折氏を訪問す。順次郎來る。(計一三)
      八日
朝、牛乳一合、卵一ツ。岡君來る。坂本岡埜の菓子。三八、木綿類。二、五、新聞。七五、水菓子。六五、空也。(計二、〇三)。第一囘手術。
      九日
寺田憲氏よりひしほ、新小説、手紙。七二、玉川堂。七、ココア。九、電車。(計八八)
      十日
四、八○、看護婦。二五、七五。四〇、刺身。二、切手。一、二四、洋食。左千
夫、茂吉、中村憲吉君來る。順次郎來る。諸道具持參。(計三二、二一)。倉田龍次郎氏より手紙。(258)胡桃澤より葉書。
      十一日
一五、理髪。三、湯。五、牛乳。木村芳雨君來る。(計二三)。夜雨より葉書。
      十二日
四五、正岡家へ土産。四六、。(計九一)。とし子より手紙。河東を訪ふ。
      十三日
飯田氏來る。順次郎來る。小布施より廣島來り、肉漬物とどく。久保田より手紙。八○、卵。二二、石鹸。一五、茶菓。(計一、一七)
      十四日
五〇、團子。正岡家を訪ふ。(計五〇)
      十五日
寺田憲氏より書状。同氏よりひしほ、書籍三册。岡君來る。第二囘手術。
      十六日
三〇、鳳梨。一五、ネーブル。五〇、牛。(計九五)
      十七日
母、順次郎來る。三、湯。七、西洋洗濯。(計一〇)。不折を訪ふ。
(259)      十八日
小布施より肉、カステラ、漬物屆く。碧梧桐を訪ふ。(計ナシ)
      十九日
母午後より來る。同伊藤君。不折を訪ふ。(計ナシ)
      廿日
四〇、七五、病院へ拂。八、〇〇、看護婦日當。一、〇〇、卵。一〇、牡蠣。五、酢。三、湯。理髪、一〇。二、二〇、刺身代。二〇、電報料。五〇、牛肉。九、電車。厩橋へ行く。(計五三、〇二)。門間より手紙。
      廿一日
蕨氏より來状。芳雨を訪ふ。格堂より手紙。一四、砂糖。四、八百屋。(計一八)
      廿二日
渡邊剛三氏宅より手紙。四五、梅仙墨。二〇、茶菓。二、蕪。二、洗濯石鹸。第三囘手術。(計六九)
      廿三日
三五、硯。三、鉛筆。八〇、湖沼の研究。一五、西洋洗濯。伊藤君來る。岡君來る。一〇、牡蠣。岡君梅月の菓子を持ち來る。伊藤君鶫の麹潰。(計一、四三)
(260)      廿四日
三、湯。一五、理髪。六〇、牛肉。五〇、芝居。黒田照子來訪、合はず。寢卷を見舞に贈らる。
順次郎來る。(一、二八)
      廿五日
岩田實來る。九、切手。一五、食鹽。一、五、蕪。(計二五、五)
      廿六日
黒田昌惠氏來訪。一、〇〇、卵。四、玉葱。五〇、バタ。(計一、五四)
      廿七日
小布施より葡萄の液汁一瓶。同蕪酢漬、鳥肉、蜜柑十個。石塚峻來訪。
      廿八日
伊藤君來る。一六、小包料。一一、上草履。一、五、齒磨粉。(計二八、五)      廿九日
古泉幾太郎君來る、會はず。一八、電車切符。五〇、扇。二三、卷紙。一、四六、五、榛原。一○、トメ鋲。一、〇〇、橋田病院珍察料。二、五、輪飾。五、牛乳。一〇、燒芋。(計三、六五))
      卅日
五三、一〇、病院へ支拂。順次郎來る、切餅、牛佃※[者/火]、雀燒。(計五三、一〇)
(261)      卅一日
夜、六度七分、脈搏七六。朝、六度五分、八四。夜、六、七、七四。二、二〇、刺身代。二九、新聞紙代。一五、斬髪。三、湯。九、電車。七、〇〇、マント。五〇、牛肉。一〇、豆粉。一〇、砂糖。一、五、蕪。卵、八七、五。八、醤油。三五、日かげかつら。堤定次郎氏父子來訪、會はず。一〇、洗濯屋。五、牛乳。(計二、八九)。宅より雜記帳屆く。
 
    明治四十五年
 
      一月一日
堤氏父子を西黒門町中島松次郎氏宅に訪ふ。寺田憲氏より雜誌新年號贈らる。
      二日
〇記載事項なし。
      三日
午前木村芳雨來訪。午後猪瀬宏、菓子折を持ちて來訪。岡君虎屋の菓子を持ちて年賀。順次郎夜來る、蜜柑を贈らる。一〇、牡蠣。(計一〇)
      四日
三、湯。一〇、顔剃。伊藤君來る。(計一三)
(262)      五日
石塚峻來る。二九、齒科。二五、鳥肉。(計四〇)
      六日
五、博物館。五〇、カステーラ。三〇、子持栗。一五、齒科。(計一、〇〇)      七日
一〇、齒科。五、酢。三、梅干。一〇、牡蠣。六〇、牛肉。(計八八)。順次郎入院。
      八日
三、湯。柳澤氏歸京、土産物贈らる。夜平福君來訪、土産を贈らる。(計三)。第四囘手術。
      九日
一〇、齒科。一五、理髪。九、電車。順次郎を橋田病院に訪ふ。(計三四)
      十日
四八、五〇、病院拂。二、一三、刺身。武井準氏、横瀬夜雨氏代として見舞に來り青柳の菓子。正岡先生母堂來訪、土産物。一〇、齒科。一、〇〇、卵。六〇、肉。六、葱頭(計五二、三九)
      十一日
三、湯。(計三)
      十二日
(263)十八、電車。一、〇〇、橋田病院診察料。三〇、蜜柑。一、新聞。順次郎を訪ふ。四、花紙。(計一、五三)
      十三日
川仲子新井善二郎氏來訪、卵一折。一〇、洗濯料。一〇、梅干。潮音より白柿一箱。一〇、牡蠣。(計三〇)
      十四日
宅より寢卷小包ニテとどく。五〇、※[奚+隹]肉。一〇、砂糖。三、葱。三、湯。四〇、鼠骨へ蜜柑。(計一、〇六)
      十五日
二七、文章世界。一〇、髭剃。三〇、葉書廿枚。一二、切手四枚。一二、小包料。(計九一)。古泉幾太郎氏來訪。第五囘手術。
      十六日
渡邊叔母剛三君と來訪、銚子水戸屋の菓子。九〇、切手帳。五二、花籠三册。四〇、美術新報。三〇、深呼吸(?)。三、湯。中村不折氏來訪、菓子折。七、半紙二帖。五、齒磨。(計二、二七)
      十七日
小布施より肉、葱頭等贈らる。木村芳雨氏、岡三郎氏來訪、歡談、夜九時に歸る。五〇、酒五合。(264)七五、刺身三人前。(計一、二五)
      十八日
順次郎を訪ふ。野々村氏に病室にて合ふ。卵かすていら。二、新聞。二五、刺身。(計二七)
      十九日
三、湯。一二、小包料。九、電車。二〇、刺身。九、醤油。二〇、齒科。(計七三)
      廿日
一、一五、刺身代。四一、六〇、病院拂。八、〇〇、看護婦日當。一五、刺身。一〇、牡蠣。一〇、梅干。四、湯。夜雨集とどく。(計五一、一四)
      廿一日
一〇、齒科。中山椿之助氏來訪、岡野の菓子。石塚峻君來る。寺田憲氏より書籍二册贈らる。一〇、齒科。一〇、牡蠣。(計三〇)。夜伊藤君來る。平福君の畫を獲。
      廿二日
一〇、齒科。一五、理髪。二〇、刺身。齋藤茂吉君來る。(計四五)
      廿三日
一〇、牡蠣。(計一〇)
      廿四日
(265)七〇、牛肉。二〇、刺身。(計九〇)。岩田叔父來る、折一つ。
      廿五日
一〇、牡蠣。一五、刺身。四、湯。(計二九)
      廿六日
二〇、刺身。夜、父來る。第六囘手術。一、〇〇、附添。(計一、二〇)。鼠骨君來る、菓子一折.
      廿七日
九、電車。一、〇〇、橋田病院診察料。五〇、林檎。五〇、廣島へ。源五郎叔父より殿中一折。順次郎を訪ふ。夜に入りて高濱虚子君來る。一五、原稿紙。(計二、二四)
      廿八日
四、湯。二〇、刺身。(計二四)
      廿九日
一五、理髪。五五、鷄肉百目。二五、刺身。一〇、 佃煮。(計一、〇五)
      卅日
木村芳雨氏來訪、うに一瓶。三、葱。一五、刺身。(計一八)
      卅一日
二五、齒科。一〇、牡蠣。四二、三〇、病院拂。八、味醂一合。九、電車。齋藤隆三君來訪、果(266)物一籃。(計四二、八二)。順次郎ヲ訪フ。
      二月一日
一八、電車。齒科醫志村ヘ行ク.順次郎ヲ訪フ。一五、刺身。(計三三)。志村。
      二日
      三日
一〇、洗濯料。二〇、刺身。二、切手。(計三二)
      四日 日曜
蕨直次郎君より鱧漬一箱。小久保喜七氏より南鍋町風月堂カステイラ一折。小堀貢君來る。塚原、柳澤君來る。九、電車。二、新聞。二七、鷄肉。塚原へ行く。森田草平氏を訪ふ。(計三八)
      五日
一八、電車。一、五〇、塚原診察料。四、湯。一五、理髪。順次郎を訪ふ。此日より志村の治療。不在中伊藤君來る。(計一、八七)
      六日
九、電車。一、三〇、扇一本。一五、刺身。九、醤油。八九、足駄。伊藤君蕨君來る。蕨君果物一籃。不折君來る。志村。(計二、六三)
(267)      七日
九、電車.一〇、牡蠣。一〇、梅干。(計二九)。志村。碧梧桐を訪ふ。
      八日
九、電車。志村。二〇、刺身。父來る。(計二九)
      九日
九、電車。二〇、煮物。伊藤景一君來る。柳澤君來る。一五、刺身。(計四四)
      十日
一八、電車。二三、橋善。七五、榛原。一、三〇、扇子。四三、七五、病院拂。七五、下駄。四、湯。一〇、棕。夜鼠骨氏を訪ふ。(計四七、一〇)
      十一日 日曜
一〇、理髪。六六、晝餐二人分。一八、電車。五二、空也草紙。岡君來る、名譽饅頭一折。齋藤君を訪ふ。平福君を訪ふ。扇子三本揮毫。夜カフヱー、プランタンへ行く。(計一、四六)
      十二日
九、電車。七、ちり紙。一五、刺身。(計三一)
      十三日
九、電車。八〇、牛肉。三、古雜誌一册。一〇、洗濯料。一〇、砂糖。(計一、一二)。木村芳雨(268)氏來り銅印を贈らる。夜岡君來る。寺田氏より。
      十四日
午前父來る。一二、手巾。順次郎を訪ふ。一八、電車。二〇、刺身。五、顔剃。(計五五)
      十五日
九、電車。二〇、刺身。寺田君より新小説。(計二九)
      十六日
九、電車。三〇、萬年筆。二〇、刺身。一八、文章世界。笠間叔父より見舞として佐城雪四折。(計七七)
      十七日
二〇、ちらし。一八、電車。一、六〇、扇子。柳澤君來る。外池達之助君來る。國民新聞社に平福君を訪ふ。二〇、刺身。(計二、一八)
      十八日
四、湯。一八、電車。一六、白樺展覽會。二七、足袋。順次郎を訪ふ。二〇、刺身。(計六五)
      十九日
二七、電車。六〇、ちらし三つ。五〇、筆代。國民新聞社に平福君を訪ふ。岡君を訪ふ。樋渡氏より見舞。順次郎今日退院の筈。(計一、三七)
(269)      廿日
退院。七十八日日。四三、〇〇、病院拂。朝松村修平氏來訪。三五、一月分新聞代。九、電車。二五、蜜柑不折へ。四五、葉書卅枚。二、〇〇、看護婦二人へ心づけ。二二、那須館へ車賃。五〇、看護婦車賃。(計四六、八六)。那須館へ移る。二、〇〇、茶料。五〇、番頭へ。三〇、切手十枚。三〇、女中。二、牛乳。(計三、二二)
      廿一日
四〇、木村治療代。九、電車。四、牛乳。三〇、晝餐。(計八三)
      廿二日
九、電車。一、五四、三越にてリボン。三四、空也草紙。五〇、林檎。三〇、女中へ。(計二、七六)
      廿三日
二〇、女中へ。一八、電車。禿氏春陽堂番頭來り土出版のことを取極む。五〇、養生院診察料。三五、洗濯料。三〇、新聞代。(計一、五三)
      廿四日
九、電車。九〇、棕五把。五〇、萬年筆。夏目、池邊。森田氏を訪ふ。一二、理髪。(計一、六一)
(270)      廿五日 日曜日
一八、電車。八〇、シウクリーム。三、新聞。二〇、風呂番。(計一、二一)。高田へ行く、堤氏に逢ふ。永樂病院に黒田氏を訪ふ、松田善四郎氏に逢ふ。      廿六日
一八、電車。一八、文章世界。二七、鮨。三〇、女中へ。一、乞丐。(計九四)。岡君を訪ふ。土出版に就いて謝儀を贈る。
      廿七日
一八、電車。五〇、養生院。二〇、蜜柑。五〇、林檎蜜柑。胡桃澤君より見舞品。夜左千夫、千樫、本衛君來る。一二、鮨。五〇、萬年筆。五、髭。(計二、〇五)
      廿八日
一八、電車。寺田氏午前來訪。午後伊藤君、寺田君三人會合。夜柳澤不在へ來る。(計一八)
      廿九日
九、電車。三、切手。二、五、新聞。二五、果物。一〇、子持栗。小瀬、柳澤君來る。三〇、女中。(計七九、五)
 
      三月一日
(271)一八、電車。二五、晝餐。一、新聞。(計四四)
      二日
九、電車。一、一〇、帽子。四〇、赤奉書。二四、空也草紙。二、五、新聞。一九、電、新聞。三五、カフエー。柳澤と有樂座へ行く滿員。歌舞伎座を覗く。(計二、一五、五)
      三 日
二七、電車。五二、空也草紙。四、五、新聞。一、五〇、有樂座。三、切手。七五、晩餐。柳澤、古泉兩君と共に有樂座活動寫眞を見る。(計三、一一、五)
      四日
四〇、養生院治療代。岡君來る。古泉君來る。春陽堂番頭來る。(計四〇)
      五日
二〇、理髪。一八、電車。一、〇八、棕。八〇、空也。高田へ行く。國民新聞社に平幅君を訪ふ、不逢。一一、郵税。一七、六八、宿拂。(計二〇、〇五)      六日
一二、美術協會。六、五、博物館。(計一八、五)
      七日
歸郷。一五、番頭へ。九六、汽車賃。四、五、新聞。一二、牛乳。三五、鰻。一、馬車茶代。二、(272)同。三五、馬車賃。八〇、大坂屋。
      八日
一〇、理髪。馬場  訪問。
      九日
梅の枝剪定。
      十日
三二、蕎麥。下妻へ行く.
      十一日
梅の剪定。
      十二日
      十三日
一〇、理髪。
      十六日
五、 。二〇、車夫。四、新聞。九六、汽車賃。三〇、急行券。三五、鰻丼。六、牛乳。三〇、正岡家へ土産。三〇、名刺。五五、果物。五〇、診察料。平福君來る。(計三、六一)
      十七日
(273)一八、電車。一五、葉書。順次郎ヲ訪フ。夏目氏ヲ訪フ。齋藤茂吉君ヲ訪フ。(計三二)
      十八日
五、髭。九、電。二、三〇、シャツ上下。一、〇〇、橋田病院。四、牛乳。一一、展覽會。四〇、診察。四、牛。二〇、まかた(?)迄。(計四、三三)
      十九日
五、三四、那須館。五、電車。四〇、シウクリーム。四、赤帽。二五、辨當。六、牛乳。(計六、一四)。靜岡泊。
      廿日
七、五、新聞。一二、牛乳。.一五、辨當。(計三四、五)。名古屋泊。
      廿一日
三、五、新聞。一五、辨當。一〇、鍵屋が辻。五、月ケ瀬途上。三〇、人力車賃。七〇、梅花糖。三六、五、給葉書。一〇、繪葉書。三〇、切手。二〇、女中へ。(計二、三〇)
      廿二日
一、〇〇、月ケ瀬宿料。六〇、馬車。一、途中茶料。九、繪葉書。一、山葵の花莖。五、茶店。一〇、笠置案内料。二一、繪葉書。二四、鮎味噌。四〇、梨酒。五、笠置絶頂茶店。二錢草履.一五、笠置停車場にてすし卵。六、笠置ニテ梨一ツ。一、〇〇、龜利茶料。(計三、九九)
(274)      廿三日
五〇、番頭へ。二、手荷物保管料。五、三十三間堂。六六、同繪葉書。三、博物館。大學病院に松田君ヲ訪ヒ草間君ニ合フ。四〇、芋棒。五〇、番頭へ。一五、硼酸。三、切手。(計二、三四)
      廿四日
二〇、女中。一二、理髪。八、電。八、電。五、インキ。一二、蜜柑。一〇、女中。(計七五)。河井長藏氏を訪ふ。
      廿五日
大學病院にて診察を受く。一〇、電車。三〇、蜜柑ネーブル。九、切手。二八、男山往復電車賃。五、同所茶料。四、新聞。二〇、繪葉書。一五、硯。四、五、齒磨。九、封緘葉書。三〇、切手十枚。四五、切手卅枚。二、男山内觀料。(計二、一一、五)
      廿六日
三、七〇、龜利四泊ノ拂。三〇、大學病院マデ車質。三錢、印紙。八、五、紙。四、五、草履。一五、スリツパ。一、新聞。(計四、三二)。此日入院。
      廿七日
手術を受く。草間君、松田君來る。
      廿八日
(275)六〇、バナヽ。ネーブル。七、茶碗。六、顔剃。(計七三)。谷田善太郎氏來る。草間君宿直。
      廿九日
草間君來る。
      卅日
四〇、菓子。草間君より菓子を贈らる。美術倶樂部を見る。(計四〇)
      卅一日
六、〇〇、入院料。六八、賄。一、〇〇、鳥打帽子。二八、電車。一二、繪葉書。松田君と山陽の山紫水明處を見る。祇園の櫻を見る。二〇、ネーブル。(計七、三八)
      四月一日
終日蟄居。
      二日
一〇、新古美術展覽會。五、動物園。三、電車。六九、洋食。三〇、蜜柑。五、貸本料。九、繪葉書。(計一、三一)
      三日
一五、西洋洗濯。四五、封緘葉書、切手。一二、理髪。四〇、シウ。一〇、繪葉書。(計一、二(276)二)
      四日
四四、洋食。一二、下鴨にて。(計五六)
      五日
一〇、銀閣寺見料。一〇、同繪葉書五枚。八、シウ。三五、卵。四五、蜜柑一箱。三七、洋食。(計一、四五)。福田靜處を訪ふ。
      六日
一〇、青楓展覽會。五、五、新古美術展覽會。三、電。四八、シウ。三七、夕餐。五、智思院。祇園の櫻まだ散らず僅に蕾もあり。(計一、一二、五)。中岫家より見舞として五圓を贈らる。
      七日
一六、二條四條堀間電車往復。二〇、嵐山往復。五、花より嵯峨にて。五、渡船。五、天龍寺。一〇、繪葉書。三七、洋食。(計九七)。嵐山へ行く。
      八日
五、岡崎展覽會。五、動物園。一〇、動物園繪葉書。四〇、洋食。(計六〇)。智恩院説法。
      九日
一〇、電車。三、豐公社。三、博物館。五、刷物。二五、ネーブル。二四、小包料。(計六〇)
(277)      十日
五一、賄へ。一〇、〇〇、入院料。一〇、〇〇、手術料。二〇、車代。二〇、按摩。一五、藥。(計二一、〇六)。此日退院、十六日目。夕方東山大佛近傍散歩。
      十一日
三〇、含嗽料。一五、風邪の藥。昨日發熱今日殆んど就褥。(計三五)
      十二日
一、五三、吉野に往復券。二〇、辨當。五、牛乳。五、蜜柑。五五、六田まで人車。二五、繪葉書。二、新聞。二〇、女中。(計二、八五)。吉野一泊。
      十三日
一五、水分神社守。二〇、雲井茶屋。四、新聞。一四、五、繪葉書。三〇、切手廿枚。(計八三、五)
      十四日
一、八二、吉野旅宿拂。三、一二、鮨屋。一〇、女中。五、東坂蜜柑。二五、馬車。一二、吉野口。一〇、牛乳二瓶。二、新聞。歸京。(計三、八八)
      十五日
一〇、電車。一〇、治療券。三七、晝食。一五、ロダン展覽會。四、牛乳。一、五、葉書。此日(278)病院へ行く。和辻博士の診察を受く。二五、電報料。二、五、洗濯料。(計一、一四)
      十六日
一〇、電車。二八、洋食。六三、岡田式靜坐法。三二、五、ネーブル。四、牛乳。一二、理髪。
      十七日
五、電車。一、〇二、藥價。三七、洋食。五、展覽會。五、妙法院。三、同所繪葉書。五、豊公廟。二、新聞。大學病院にて笠間博士の診察を受く。(計一、七三)
      十八日
一〇、電車。一〇、治療券。四〇、シウ。二〇、女中。(計八〇)
      十九日
一二、電車。五、大佛。一五、方廣寺繪葉書。四七、洋食。宅より小包にて乘車券とゞく。一五、切手。四、牛乳。三六、小包料。七、八六、龜利拂。(計九、二〇)
      廿日
一七、五、洗濯料。二〇、車。八、五、新聞。二五、辨當。二三、岡山公園。三八、洋食。京を立つて廣島。六、梨子。(計一、二八)
      廿一日
一、〇〇、廣島宿料。一、三、五、地圖。一〇、車代。一九、岩國電車。四、新聞。一五、錦(279)帶橋繪葉書。三〇、洋食。六、ラムネ。一二、牛乳。錦帶橋ヲ見ル。(計三、〇八)。馬關へ夜つく。
      廿二日
八○、宿拂。二〇、女中へ。五、 僧。一二、ネーブル、門司ニテ。四、五、新聞。三五、博多東公園中食。一〇、博多停車場へ電車往復。(一、六六、五)
      廿三日
一〇、電車。八一、洋食。三、新聞。西公園ヲ見ル。二〇、女中へ。一五、理髪。(計一、四九)。二〇、ネーブル。
      廿四日
一〇、〇〇、久保氏への謝儀。一五、切手五枚。一五、封緘葉書。(計一〇、三○)
      廿五日
三、四五、大坂屋拂。五、五、新聞。三〇、熊本中食。五、清正公寶物見料。五、本妙寺停留場。一一、本妙寺より水前寺まで輕便鉄道。五、水前寺。七、水前寺より輕便。一五、地圖。(計四、二八、五)
      廿六日
八〇、熊本研屋拂。四、新聞。二五、人吉中食。一〇、同牛乳。六、ザボン。(計一、二五)
(280)      廿七日
一、〇〇、宿料。五三、かごしまより山川まで汽船賃。三、汽船茶菓。三、艀。一〇、山川にて。(計一、六九)
      廿八日
開聞登山。六五、川尻宿料。五〇、開聞案内。六〇、鹿児島まで汽船賃。二〇、女中。三八、下駄。二二、柑橘。四二、繪葉書。三、艀。三一三、足袋。(計三、三三)
      廿九日
一、二〇、鹿児島宿料。三三、中食。五五、文旦砂糖漬。一〇、カルカン。六、繪葉書。三〇、切手廿枚。七、顔剃。二五、安樂まで馬車賃。一、〇〇、驗温器。(計三、八八)
      卅日
一○、按摩。八〇、宿料。一〇、女中へ洗濯料。(計一、〇〇)
      五月一日
一、〇〇、新湯拂。一〇、安樂茶代。二五、馬車賃。三五、哭府中食。二、新聞。一〇、牛乳。二五、辨當。(計二、〇七)
      二日
(281)五一、宇土宿料。一、〇五、三角の際崎より長崎行汽船。二〇、際崎辨當茶代。三、艀。五、長崎上陸棧橋通行券。四、船中菓子・二、新聞。(計一、九〇)
      三日
二二、蜜柑。四、新聞。一八、理髪。六、繪葉書。一、六一、長崎カステーラ。三七、足袋。六、雜誌。(計二、四四)
      四日
一、七九、長崎宿料。二〇、車賃。一〇、女中。一、二〇、中津マデ汽車賃。五、新聞。三〇、中津中食。二、渡錢。三〇、住ノ江マデ車錢。(計三、九六)
      五日
住ノ江滯在。
      六日
三五、車賃。一一、佐賀行切符。四〇、川上まで車代。四〇、川上中食。三、渡鐵橋錢。二、新聞。六、馬車。二、保管料。(計一、三九)
     七日             .
一、〇〇、佐賀宿料。二七、鳥栖まで切符。二、新聞。七、鐵造馬車。卅餞、太宰府中食。五、梅が枝餅。七、繪葉書。二四、觀世音寺繪葉書二組。二六、同寺へ。一五、都府樓跡繪葉書。一(282)〇、繪葉書。五、電車。(計二、六八)
      八日
久保氏の診察を受く。三〇、切手。四、新聞。(計三四)。夜武井氏と博多市中散歩。
      九日
八、香椎切符。一、五〇、妙見中食。三、宮崎ラムネ。一〇、繪葉書。四、新聞。一五、チリ紙。四、鳴門蜜柑。七、顔剃。(計二、一一)
      十日
三〇、切手。四、〇〇、宿拂。六、新聞。五、電車。一七、汽車賃。四、夏蜜柑。(計四、六二)。武藏温泉に來る。
      十一日
二、五、草履。一、一五、宿拂。一二、繪葉書。三、夏蜜柑。(計一、三二、五)。天拜山に登る。
      十二日
一、〇〇、大丸拂。四、新聞。一〇、坂中食。三、ラムネ。一二、觀 音寺繪葉書。一一、太宰府繪葉書。二、保管料。(計一、四二)
      十三日
九〇、武藏拂。一七、汽車賃。四六、洋食。四、新聞。一五、切手。(計一、七二)
(283)      十四日
一五、理髪。五、繪葉書。二、七四、卵索麺。三〇、女中へ。四、新聞。八、蜜柑。(計三、三六)
      十五日
一、五〇、卵索麺。七、繪葉書。三〇、切手。一五、葉書。九、電車。四、新聞。(計二、一五)
      十六日
三、切手。二四、小包料。六、牛乳。二、新聞。七、繪葉書。一、下足。六、ザボン。(計四九)
      十七日
六、朱欒。一六、地圖。一、下足。四、新聞。(計二七)
      十八日
六、六五、大坂屋拂。三、三五、呉服。二、湯。(計一〇、〇二)
      十九日
二、湯。四、新聞。一八、朱欒。(計二四)
      廿日
一〇、繪葉書。二〇、文章世界。二、湯。(計三二)
      廿一日
(284)三〇、切手十枚。二〇、朱欒。一〇、水族館。三、電車。二、湯。(計六五)
      廿二日
燒く。二〇、卵索麺。二、湯。(計二二)
      廿三日
二〇、志賀島汽船。三〇、志賀島中食。二、草履。二、渡船。二四、汽車。(計七八)
      廿四日
二、湯。一、五、新聞。(計三、五)
      廿五日
一五、理髪。二六、下駄。二、湯。(計三三)。此夜久保博士の好意にて博多節をきく。
      廿六日
一七、二日市マデ汽車賃。二二、中食。三〇、繪葉書。六、切手。四〇、二日市夕食。一七、汽車。(計一、三二)
      廿七日
六、電車。四五、切手。三〇、枇杷。(計八一)
      廿八日
二、湯。四、筥崎見世物。二、三五、卵索麺。(計二、四一)
(285)      廿九日
二五、藥代。二、湯。二八、小包料。(計五五)
      卅日
七、剃。二、湯。(計九)
      卅一日
四〇、寒暖計。一八、藥。一二、〇三、五、宿料一切。一、五、新聞。五一、羽犬塚マデ汽車賃。一〇、牛乳。三、螢籠。(計一三、二七)
      六月一日
一、二〇、宿料。二〇、女中。二二、繪葉書。一〇、硼酸六グラム。三、新聞。(計一、九一)
      二日
一、二〇、宿料。二〇、車賃。五一、汽車賃。五、電車。三、五、新聞。二、湯。一六、果物。(計二、一七、五)
      三日
六〇、〇〇、入ル。一〇、枇杷。二、湯。一、〇〇、卵索麺カステーラ。二〇、女中へ。(計一、三二〕
(286)      四日
五二、小包料。二、湯。一〇、枇杷。一〇、瓜掛。(計七四)
      五日
一五、理髪。三〇、翠雲華(?)。一一、枇杷夏燈。二、電車今川橋より。二、湯。(空六八)
      六日
五、電車。九、雜餉隈マデ汽車。二〇、國分寺。一〇、關屋。一七、博多マデ汽車。三、五、新聞。二、湯。(計六六、五)
      七日
二、湯。一、五、新聞。二一、枇杷。(計二四、五)
      八日
二、湯。(計二)
      九日
二、湯。七、顔剃。二一、バナヽ。(計三〇)。久保夫人ヲ訪フ.
      十日
一〇、硼酸。一〇、枇杷。五〇、東光院。二、湯。(計七二)
      十一日
(287)二一、電車。芥屋往復切符。三五、繪葉書切手。一〇、渡海船。二五、午餐。二、湯。五、
      十二日
一〇、枇杷。二、湯。六五、卵索麺。三、七〇、反物。一五、さらし。三、五、新聞。一二、小包料。(計四、六七、五)
      十三日
一八、吉塚より二日市マデ。九六、二日市惠蘇宿間軌道往復。二五、惠蘇宿中食。五〇、普門院.一〇、圓清寺。三〇、南淋寺。四、五、繪葉書三枚。(計二、三三、五)
      十四日
三、切手二枚。八〇、武藏宿料。一八、吉塚マデ汽車賃。二、湯。(計一、〇三)
      十五日
      十六日
一五、理髪。二、湯。四、繪葉書。(計二一)
      十七日
五五、懐中電燈。二五、下駄。一〇、硼酸。二〇、卵索麺。三〇、切手。二、湯。五、繪葉書。(計一、四七)
 
 
       (288)      十八日
二、湯。一〇、枇杷。(計一二)
      十九日
二、湯。一〇、藥。(計一二)
      廿日
一五、東光院。一〇、枇杷。一〇、湯札。八、博多座。(計四三)
      廿一日
七、顔剃。二〇、卵索麺。(計二七)
      廿二日
四〇、桃。一九、枇杷。(計五九)
      廿三日
三、博多築港まで電車。一、八二、嚴原まで乘船賃。一〇、艀。二〇、藥。一〇、硼酸。(計二、二五)
      廿四日
一〇、嚴原艀。二〇、女中へ。二〇、繪葉書。(計五〇)
      廿五日
(289)三五、横濱まで馬車。四、ラムネ。一〇、竹敷へ。四〇、竹敷中食。二〇、渡船。六、ぼた餅二つラムネ一。四、夏蜜柑。三〇、繪葉書。三〇、馬車。(計一、七九)
      廿六日
一〇、嚴原にてカス卷二つ。三〇、切手廿枚。四、〇八、嚴原拂。一、三一、勝本まで汽船。二〇、番頭へ。一〇、艀。一〇、勝本艀。(計六、一九)
      廿七日
三〇、勝本宿料。三〇、馬車。一二、繪葉書。(計七二)
      廿八日
六〇、湯本拂。一〇、女中へ。二、山桃二合。三、龜石にて夏橙。五、同所サイダー。五〇、郷ノ浦中食。二二、馬車。(計一、五二)
      廿九日
二、五、瀬戸にて胡瓜一本。六、同所中食。二五、繪葉書。六、切手四枚。一、二〇、勝本宿料。一五、女中へ。一、三一、乘船費。一〇、艀。(計三、.一五、五)
      卅日
一〇、博多艀。一五、理髪。三、電車。一、二九、新聞代。二、山桃。(計一、五九)
(290)      七月一日
五、電車。一七、博多より二日市。一〇、觀世音寺。一二、天滿宮茶店。一二、天滿宮守。一七、二日市より博多まで。二、新聞。七、繪葉書。三、五、夏橙。(計八七、五)
      二日
二〇、文章世界七月號。一、六五、※[奚+隹]卵索麺。三、五、夏橙。(一、八八、五)
      三日
一五、切手十枚。二四、小包料。三、夏橙。(計四二)
      四日
博多をたつ。二、山桃。六、切手。二、一五、洋食。二四、七六、宿料。二、〇〇、宿茶料。三〇、小包料。(計二九、二九)
      五日
二〇、番頭へ。一、一二、中津まで汽車。一〇、牛乳。二五、辨當。一五、中津茶代。一五、同番頭。八〇、中津より中廣(?)迄馬車。二、耶馬溪立場茶代。(計二、八九)
      六日
四五、中津宿料。五、柿坂まで荷物運賃。五、槻木にて茶代菓子。三、豐前坊にて力飴茶代。(計五八)
(291)      七日
二五、彦山案内。三〇、切手廿枚。七〇、 。(計一、二五)
      八日
五、髯剃。(計五)
      九日
三〇、女中。(計三〇)
      十日
五、〇〇、彦山拂。五、豐前坊。二〇、槻木辨當。六、ケモト茶店。二八、柿坂まで馬車賃。(計五、四九)
      十一日
二、山移草鞋。二〇、シギラ中食。五〇、鴫良にて捲柿二ツ。五、鹿倉にて。(計七七)
      十二日
一、二五、捲柿。七〇、山移宿料。二〇、茶料。二、草鞋。八〇、柿坂拂。二五、青まで馬車。一〇、羅漢寺案内。一〇、羅漢寺寶物見料。一〇、三旗亭茶代。五、青立場。三、半紙。二〇、女中。(計三、八〇)
      十三日
(292)四五、青宿料。一三、サイダー。九〇、捲柿三。三五、馬車。二、立場茶代。五、馬車屋。七五、繪葉書五組。(計二、六五)
      十四日
一、四〇、中津宿拂。二四、宇佐まで汽車賃。一〇、馬車。二〇、人力車。二〇、神宮。二〇、中食。一、〇〇、大樂寺。五〇、汽車賃。二、荷物預賃。九、ミルクホール。一〇、牛乳一壜。(計四、〇五)
      十五日
一五、理髪。三〇、卵。一四、刺身。五、牛乳。三、新聞閲覽料。五、桃。三〇、人性(?)見料。一、三五、柏木ヂアスターゼ。九、五、紙。(計二、四六、五)
     十六日
八、桃二〇。一〇、奈良漬。八、ミルクホール。三〇、※[奚+隹]卵。二〇、平野水。四、新聞。(計八〇)
      十七日
四四、小包料。三〇、切手。二〇、藥。二〇、牛肉。一二、砂糖。二〇、番頭。一〇、傳授本。(計一、五六)
      十八日
二六、大分往復電車賃。三、ラムネ。二〇、刺身。一五、繪葉書。六、ミルクホール。三、桃。(293)一〇、女中。(計八三)
      十九日
四、八二、濱脇拂。一三、洗濯料。一〇、番頭。三〇、ボーイ。五、赤帽。一五、高濱道後間汽車賃。五〇、道後茶代。二〇、女中。(計六、二五)
      廿日
五、松山道後間電車往復。(計五)
      廿一日
一三、麻裏。四、飴湯。(計一七)
      廿二日
五、松山往復切符。一一、中食。一〇、西瓜。二五、松山高濱切符。二三、高濱道後。(計七四)
      廿三日
二七、繪葉書。六、松の辻電車。一、九六、五色素麺。五、五四、道後鮒屋拂。二〇、女中。五、赤帽。四、五、切手。一五、高濱迄切符。二〇、女中。(計七、四五、五)
      廿四日
一、五〇、太山寺保存會寄附。三、桃。一一、古町まで切符。二、松山城。九、三津まで電車。一、五、切手。(計一、七六、五)
(294)      廿五日
二、五〇、高濱拂。一〇、女中。五、赤帽。二〇、ボーイ。五、新聞。五〇、宇品中食。二〇、同女中。五、赤帽。三六、宮島行。二〇、宮島女中。(計四、二一)
      廿六日
一九、繪葉書。六、桃。一、下足。一〇、宮島宮殿案内料。五、寶物拜觀料。一、辻占。六九、繪葉書。八、林檎。六、林檎。五、ラムネ。(計一、三〇)      廿七日
二、一四、嚴島大根屋拂。一〇、赤帽。五、新聞。三〇、ボーイ。一二、尾の道理髪。二〇、女中。二、半紙。(計二、九三)
      廿八日
五一、尾道大三島間汽船券。五、船中茶菓子。一、〇〇、大山祇神社保存會へ。(一、五六)
      廿九日
七五、宮ノ浦拂。五一、尾ノ道までもどり汽船。四、船中茶菓子。三、尾ノ道西瓜。三、千見寺ラムネ。一五、尾ノ道繪葉書。一、二五、尾ノ道拂。一〇、女中。三〇、ボーイ。五、赤帽。
(計三、二一)
      卅日
(295)五〇、高松宿料。一七、車賃。(計六七)
      卅一日
三九、切手。(計三九)
      八月一日
一五、栗林公園。一一、鼻緒。(計二六)
      二日
三七、志度往復電車。一〇、五、屋島途中。八五、屋島頂上中食。三、壇ノ浦ラムネ.四、同桃.三、志度ラムネ〇二、今橋飴湯。(計一、四六、五)
      三日
五、顔剃。九、西瓜。(計一四)
      四日
一八、鴨川まで汽車賃。二、新聞〇六、神谷にて飴湯。一八、高松まで。(計四四)
      五日
四七、高松琴平間。二、新聞。六〇、琴平中食。五、牛乳。一、草履。二〇、土産。二五、招猫。四七、琴平より高松。(計二、〇七)
(296)      六日
ナシ
      七日
二七、國分まで往復。二、國分寺鐘縁起。二〇、時計修繕料。(計四九)
      八日
三〇、高松赤十字病院診察料。二五、桃。五六、下駄。一五、繪葉書。(計一、二六)
      九日
一〇、散髪料。(計一〇)
      十日
一、九七、高松大坂間汽車切符。二、新聞。一五、辨當。三五、書寫まで人力車。五、西瓜。一〇、時間表。書寫茶店。八、白甜瓜二ツ。二五、人力車。一〇、茶料。(計三、二〇)
      十一日
一、二〇、加古川宿拂。三〇、刀田山〇三、尾上鐘。一二、刀田山繪葉書。六、加古川繪葉書。五、電車。一五、シトロン。二、新聞。四、甘酒。五  。二五、辨當。六、牛乳。七三、和歌山切符。二五、和歌山紀三井寺往復。三、飴湯。(計三、一四)
      十二日
(297)一、四〇、和歌浦宿拂。二、和歌山天主。二、新聞。四二、和歌山高野口。四、粉河にて西瓜。五、粉河寺拜觀料、五、粉河にて牛乳。二八、高野口より椎出まで人力車。一〇、椎出にて茶料。三、五、橋錢。一六、五、途中卵桃。五〇、荷物持案内。二、不動前茶料。(計三、一〇)
      十三日
一、二五、高野山珠數。二〇、繪葉書。一、五、線香。五、金剛峰寺内覽料。(計一、五一、五)
      十四日
三〇、切手廿枚。六、繪葉書。五、金堂内覧料。五、洗濯料。(計四六)
       十五日
二、草履。六、繪葉書。三、〇〇、繪葉書帳。二〇、不動守。一〇、羊羹。(計三、三二)
      十六日
五、〇〇、高野山。五、下山途中梨子。二、五、橋錢。六、切手。二五、椎出より高野口まで人力車。六、停車場手荷物預料。一七、高野口より五條まで切符。八、西瓜。二〇、辨當。四一、五、法隆寺切符。(計六、三一)
      十七日
五、髭剃。九二、法隆寺大 屋拂。一、四九、法隆寺繪葉書等。三二、晝食。五、甜瓜二本。二〇、法輪寺見料。二、飴湯。(計二、九七)
(298)      十八日
三〇、興福寺。三〇、牛乳食パン。七、西瓜。四、甘酒。三〇、女中。一〇、博物館。(計一、一一)
      十九日
一〇、牛乳。一六、大佛前茶店。三、博物館。一〇、洗濯料。三〇、切手。三、西瓜。(計七二)
      廿日
三、ラムネ。五〇、淨瑠璃寺。四、甜瓜二本。(計五七)
      廿一日
四、九六、奈良小刀屋拂。九、人力車。二九、奈良より高田驛。一五、當麻繪葉書。六、牛乳。一〇、法隆寺人力車。四、新聞。六、牛乳。六、高田驛西瓜。六、同牛乳。六、高田より畝傍。二〇、畝火館まで人力車。(計五、九三)      廿二日
八〇、畝火館拂。二〇、久木寺。二〇、岡寺。一〇、橘寺。九、甜瓜二本。二〇、岡中食8
      廿三日
一、〇〇、櫻井驛拂。二二、奈良まで切符。二、新聞。六〇、西京往復車錢。二〇、唐招提寺。二〇、藥師寺。一二、牛乳。三、博物館。二〇、辨當。一二、理髪。六、一時預料。一〇、牛乳。(299)二、飴湯。二〇、女中。(計三、〇八)
      廿四日
二、〇〇、奈良拂。三、車。四四、京都まで切符。四、新聞。四、荷物預料。五、荷物配達料。三、京都電車。(計二、七八)
      廿五日
三、四條小橋マデ。三、熊野まで。八、電事。一〇、藥。(計二四)
      廿六日
三、切手。三、四條西洞院まで電車。一〇、嵐山まで電車。一三、嵯峨龜岡間汽車。三、五、ラムネ。三、五、梨。二五、穴太寺開帳。二四、龜岡より京。二、五、新聞。三、電車。二〇、女中。(計一、一〇、五)
      廿七日
二〇、女中。三、博物館。五、智積院(?)。六、封緘葉書。一〇、牛乳。一〇、梨子。(計五四)
      廿八日
三、七條まで電車。二、新聞。九、山科まで切符。三〇、三寶院。二、上醍醐途上不動。六〇、上醍醐。一〇、法界寺。二四、法界寺繪葉書二組。二、西瓜。四、梨子。五、電車。(計一、五一)
(300)      廿九日
二、新聞。一二、木幡まで切符。六五、宇治中食。三、宇治坂錢。四、五、切手。五〇、鳳凰堂。一、八五、茶。三、葉書。一七、宇治より汽車。五、電車。(計二、九六、五)
      卅日
五、ヒゲソリ。一五、切手十枚。三、博物館。一〇、梨子。一六、西陣行電車往復。一、飴湯。(計三九)
      卅一日
五〇、羊羹。五、電車。四、新聞。一七、宇治行切符。一〇、電車。一〇、繪葉書。一、二〇、五條易斷所。三〇、番頭。(計二、四六)
      九月一日
七、五〇、龜利拂。六〇、洗濯料。一五、卵子。一八、サイダー二本。九〇、洗張。五〇、茶料。一五、三井寺繪葉書。四、新聞。一八、馬場まで切符。二五、辨當。一五、車賃。(計一〇、六九)
      二日
九、 山まで汽船。二五、辨當。六、牛乳。二一、大津より石部間切符。六、荷物預料.(301)三六、善水寺繪葉書。一、〇〇、車賃。(計二、〇三)
      三 日
一、〇〇、石部拂。一五、車賃。四四、石部河瀬間切符。三〇、金剛輪寺。一、〇〇、車賃。一四、河瀬米原間切符。三、切手。一〇、理髪。(計三、一六)
      四日
二〇、米原   間。七、新聞。三〇、坂口飴。六一、木下大垣間。(計一、一八)
      五日
九、大垣穗積間切符。二、保管料。(計一一)
      六日
      七日
      八日
      九日
一〇、荷物保管料。(計一〇)
      十日
二、新聞。五、岐阜電報(話?)。三二、名古屋まで切符。三〇、女中。(計六九)
      十一日
(302)六、電車。四、理髪。一、五〇、宿料。(計一、六〇)
      十二日
      十三日
一〇、荷物預料〇二、七九、名古屋新橋間切符。一三、岡崎電車往復切符。一〇、胃散。二〇、女中。(計三、三二)
      十四日
八〇、岡崎宿料。二五、辨當。六、牛乳。三、新聞。(計一、一四)
      十五日
五〇、急行券〇五、新聞。六、牛乳。一、六〇、山北鮎鮨十箱。二、山北牛乳。九、電車、七八、下駄。(計二、一九)
      十六日
一八、電車。一、新聞。二〇、手巾。四、牛乳。一五、葉書。(計五八)
      十七日
九、電車。一二、理髪。(計二一)
      十八日
九、電車。五〇、もなか。一、〇〇、夕食。(計一、五九)
(303)      一九日
五、新聞.六五、神崎へ土産。九五、郡まで切符。(計一、六五)
      廿日
九五、上野まで切符。四、新聞。一、〇〇、茶料。三〇、女中。(計二、二九)
      廿一日
一〇、電車。(計一〇)
      廿二日
      廿三日
二〇、番頭。一〇、切手。五、髭剃。四五、空也。齋藤隆三氏宅へ。九、電車。一、新聞。(計九〇)
      廿四日
九、電車。一〇、理髪。一八、博物館外展覽會。一五、博物館繪葉書。二四、足袋。
      廿五日              .
九、〇五、那須館拂。一〇、車夫。一〇、小者。五、赤帽。八七、買物。九六、下館マデ如符。四、五、新聞。一、〇〇、小山鮎鮨。一二、牛乳。四五、馬車。一二、下妻大寶問人力車。
      廿六日
(304)二七、五、繪葉書。三〇、下妻國生間人力車。八七、柏屋藥品。
      廿七日
一〇、梨。
      廿八日
五、理髪。
      廿九日
三四、下妻中食。九八、胃散。一五、葉書。二〇、人力車。
      卅日
一〇、梨。
      十月三日
一〇、理髪。
      五日
二四、切手。
      六日
三五、下妻中食。七〇、下駄。二五、唾壺。五五、ヂアスターゼ。二四、石鹸。三〇、名刺。二、
(305)コルク。一二、馬車。(計二、五三)
      十六日
一〇、理髪。
      廿日
三〇、菓子。三〇、樟脳。(計六〇)
      廿三日
五、理髪。(計五)
      廿四日
五〇、切手葉書。(計五〇)
      廿五日
五〇、長塚三郎へ酒肴料。(計五〇)
      廿六日
一、二〇、柏木ヂアスターゼ。一〇、ナフタリン。一〇、藥匙。三〇、繪葉書。五二、五、豚肉百五十匁。(計二、二二、五〕
      卅日              .
三五、豚。一〇、柿。(計四五)
(306)      十一月一日
一〇、理髪。(計一〇)
      二日
四〇、樽柿。(計四〇)
      三日
三七、紺足袋。九、切手。二五、人力車。(計七一)
      四日
二〇、柿。
      五日
一〇、理髪。
      六日
二、渡船場。二六、五、車夫。九六、上野まで切符。五、新聞。三、五、小山にて蕎麥。二〇、蒸気辨當。一二、大宮牛乳。一〇、那須館まで人力車。(計一、七五)
      七日
一、〇〇、下駄。一二、文展。六、博物館。三〇、同中食。九、電車。二、芝公園展進(覽?)會。一八、文展繪葉書。四〇、養生院。一、〇〇、茶料。一五、切手。二〇、女中。(計三、五二〕
(307)      八日
二〇、女中。一八、電車。四〇、養生院。一、〇〇、橋田病院。一三、錦町牛乳。四五、秀眞へ手土産。一二、電車。一〇、拓博。一三、手巾。(二、七一)
      九日
九、電。六、汽船。五五、三橋堂。六、封緘葉書。
      十日
一一、美術協會。四〇、養生院。二〇、番頭。一〇、理髪。
      十一日
九、電車。三、新聞。
      十二日
五五、空也、夏目先生。九、電。(計六四)
      十三日
二、新聞。三一、文展。一〇、拓博。九、電。五〇、養生院。(計一、〇二)           十四日
九、電。五〇、養生院。六、讀賣展覽會。五〇、番頸。一、〇〇、風月堂。五〇、番頭。(計二、六五)
(308)      十五日
一、八〇、喉頭注射器。九、電。五〇、子持栗。二〇、女中。九、葉書。
      廿三日
五、顔剃。
      廿四日
一二、書留、寺田憲へ。一、一〇、松皮(?)煎餅。一四、黒子(?)。一〇、車夫。九六、上野まで切符。二〇、寶餅。四、新聞。一二、牛乳。三〇、女中。二〇、番頭。一二、さらし。
      廿五日
一、新聞。四、電。九、電車。一、〇〇、茶料。(計一、一四)
      廿六日
一三、拓博。六五、人三 。五〇、北海道土産。四、電。二〇、臺灣茶。二〇、すし。二三、菓子。四〇、神尾醫院。
      廿七日
一八、電。一、〇〇、橋田病院診察料。一九、ミルクホール。四〇、富有柿。九、電。四、電9
      廿八日
四、電。四、新聞。三三、上野中食。九、電。六、博物館。一〇、理髪。(計六六)
(309)      廿九日
九、電。五、新聞。
      卅日
四、電。三、新聞。九、電。四六、空也、伊藤へ。
      十二月一日
四、電。二、新聞。九、電。一、〇〇、靜坐謝儀。(計一、一五)
      二日
一二、讀賣新聞社展覽會。一八、電車。
      三日
五、田端電車。二、新聞。
      四日
九、電。一、新聞。
      五日
二〇、女中。九、電〇六三、中食。三、五五、袖地。一、新聞。二、〇〇、洋袴下。一、五〇、襯衣二枚。七五、青木堂。三〇、女中。
(310)      六日
九、電。二四、中食。五一、風月堂。二〇、半紙さらし。
 
    大正二年
 
      三月十四日
二〇、番頭。九、電。四、新橋一時預。一八、ミルクホール。二、七〇、風月堂土産物。二、夕刊。六、牛乳。一〇、旅行案内。七、〇八、博多まで切符。一六、鮎鮨。(計一〇、六三)。他ニ六、博物館。八、七五、那須館拂。(通計一九、四四)
      十五日
四、新聞。一二、牛乳。五、天王寺電車往復。一二、住吉神社往復。二五、辨當。五、蜜柑。(計六三)
      十六日
一、〇〇、岡山宿料。一八、岡山西大寺間往復。一三、長岡觀音間往復。二〇、觀音志納。五、青山梅林。四二、岡山中食。一二、牛乳。七、五、鐘繪葉書。(計二、一七、五)
      十七日
一、五〇、廣島宿料。二〇、牛田不動院繪葉書志納。四、新聞。一八、牛乳。二〇、辨當。一〇、(311)蜜柑。(計二、二二)
      十八日
九〇、長府宿料。七〇、長府長生飴。七、長府一宮間切符。一一、住吉神社繪葉書縁起。二五、下關中食。二〇、赤間田島間。宗像神社。二、新聞。(計二、二五)
      十九日
六〇、田島宿料。一〇、宗像神社繪葉書。二〇、同社志納。五、赤間迄馬車。二、湯錢。二〇、理髪。(計一、一七)
      廿日
二〇、長宮院志納。二、湯。一〇、小僧へ。一〇、蜜柑。(計四二)
      廿一日
一、〇〇、茶料。三〇、女中へ。二一、風邪藥含嗽料。二、新聞。(計一、五三)
      廿二日
九、ネーブル。二、湯。
      廿三日
一八、吉塚二日市間。一七、二日市惇多間。二、新聞。七、顔剃。一五、觀音寺繪葉書。一〇、湯札。(計六九)
(312)      廿四日
一二、小包料。(計一二)
      廿五日
七、朱欒。(計七)
      廿六日
四六、志賀島往復汽船。一〇、志賀神社。一〇、蜜柑。(計六六)
      廿七日
一七、鼻緒。一〇、胃散。(計二七)
      廿八日
三六、吉塚二日市往復。九四、二日市惠蘇宿往復。一〇、普門院。二、新聞。四五、切手。(計一、八七)
      廿九日
九、蜜柑。(計九)
      卅日
二、八〇、※[奚+隹]卵素麺。五、電車。二〇、農業世界。二〇、理髪。(計三、二五)
      卅一日
(313)三〇、切手二十枚。一九、切符。三〇、觀世音寺へ土産。八、大宰府軌道。二〇、女中へ。(計一、〇七)
      四月一日
三、半紙。五、繪檜葉書五枚。一、〇〇、太宰府泉星宿料。一入、二日市吉塚間。一二、小包料。(一、三三)
      二日
三、往復葉書。(計三)
      三日
二〇、宇佐行汽車賃。四、雜餉隈顔剃。六、同うどん。二、湯錢。二四、小包料。一九、三〇、平野旅館拂。(一九、八六)
      四日
八八、博多下關間切符。一〇、小僧。一一、下關門司間。四〇、下關中食。三〇、下關國分寺。(一、七九)
      五日
四〇、ボーイ。二四、宮島大願寺繪葉書。五、茶菓。二〇、光明院志納。一五、 山二(314)ケ所茶料。二七、繪葉書。二〇、女中。(一、五一)
      六日
四〇、ボーイ。六、竹原ネーブル。五、同饂飩。五、宇品にて新聞。(五六)
      七日
二〇、ボーイ。六、門司ネーブル。二、下關門司間。二八、下關。二、新聞。一六、赤間宮繪葉書。一二、下關繪葉書。二〇、女中。(一、一六)
      八日
一、五〇、下關宿料。一〇、渡船。六、門司驛手荷物保管料。一〇、赤帽。(一、七六)
      九日
五〇、ボーイ。四、赤帽。一五、車。七七、三ノ宮より京都行切符。二、新聞。五、手荷物配達。五、電車。(一、五八)
      十日
三、切手。三、電車。三、博物館。三六、京極中食。一二、博物館繪畫一覽。二、八坂塔。三〇、切手廿枚。五〇、番頭。(一、三九)
      十一日
一〇、散髪。四一、大阪まで電車。五、新聞。一四、大阪市電。五、住吉電車。一一、中食。四(315)一、京まで電車。二五、女中。一五。葉書。(計一、六七)
      十二日
二五、女中。一、00、茶料。九、電車。七、嵐山電車。三五、嵐山中食。五、渡船。二五、繪葉書。一〇、嵐山より京電車。二〇、女中。(二、三一)
      十三日
二七、紺足袋。九、電往復。五、岡崎新古美術展覽會。九、電車。二、新聞。四〇、奈良行切符。(九二)
      十四日
一、〇〇、奈良宿料。三、奈良博物館。一、二〇、特別觀覽券。七、〇〇、博物館寫眞版。三五、ミルクホール。二〇、新藥師寺。四四、切符。五、電車。五、顔剃。(一〇、二四)
      十五日
五〇、羊羹。二、新聞。二〇、幅知山辨當。五、牛乳。二〇、女中。(九七)      十六日
一、〇〇、安來宿料。六、雲樹寺繪葉書。六、同。(一、一二)
      十七日
一一、大社神寶拜觀。一〇、繪葉書。一〇、神符。三〇、守。(六八)
(316)      十八日
一、〇〇、杵築宿料。二、二四、出雲若布小包料等。三五、  まで車。一一、鰐淵寺。二七、今市中食。二、新聞。二〇、鳥取辨當。六、同牛乳。四〇、下駄。(四、六五)
      十九日
五〇、香住宿料。五〇、大乘寺。三、新聞。一〇、牛乳。一五、辨當。五、電車。(一、三三)
      廿日
九、電車。三、博物館。一、〇〇、寫眞版。二、新聞。一七、五條橋より橋本まで。一、五、山崎渡し。六〇、山崎向日町間車代。二〇、向日町茶料。一五、向日町停車場迄車賃。一四、向日町京都間二等切符。五、電車。二〇、女中。(二、六三、五)
      廿一日
五、電車。二、〇〇、博物館特別觀覽。五〇、寫眞版。二一、中食。一〇、理髪。六、半紙。(二、九二)
      廿二日
七、五六、龜利拂。二〇、番頭。一〇、停車場まで車代。一、六〇、七條駿河屋羊羹。二、新聞。九、大津電車。一三、三井寺行車代。二五、大津辨當。五、大津牛乳。一六、大津繪葉書。四、蜜柑二つ。一、長良川渡錢。
(317)      廿三日
五、五、新聞。二〇、岐阜鮎鮨。六、牛乳。(三一、五)
      廿四日
五、新聞。二、荷物保管料。一二、配達料。九、電。(四、八六)
      廿五日
二〇、女中。二〇、使賃。一、〇〇、橋田病院。一、二〇、下駄。一六、山北鮎鮨。九、電車。一、一〇、見舞品。一三、理髪。八〇、スツポンスープ。一〇、使賃。
 
(318)     病林日記〔二〕(小型手帳)
         自大正二年十一月二十四日 至大正三年十一月十六日
 
大正元年十一月廿四日。小石川下瀬氏  岡田氏  の教授を受く。爾來滿一年怠慢にして成績  見るべからず。本年春より身體  を感ず  八度に昇る。明日より力めて實行せんとして書を
 
    大正二年
 
      十一月廿四日
晴。六時十五分起床。朝六、七。午后七、六。夕七、二。昨夜イヒチオールヲ塗リシタメ冷水浴ヲ休ム。四十分間靜坐。夜休。此日地目變換に就き役場員と共に終日歩行。夜胃痛。
(319)      廿五日
八時起床。朝七、三。正午六、八。二時過七、五。夜七、六。午後一時靜坐三十分餘。
      廿六日
     (かつ子見舞)靜坐ヲ怠ル。
      廿七日
(同)行く。同怠。
      廿八日
(同)同怠。順次郎來ル。
      廿九日
(同)夜三十分。二囘。
      卅日
(同)行く。夜十五分。
      十二月一日
中岫へ。夜光明寺に宿り三十分。
      二日
(320)夜三十分。
      三日
夜二十分。
      四日
夜三十分。
      五日
夜三十分。
      六日
青木轍兒君來る。八度二分。寒し。夜三十分。
      七日
七、一。六、五。七、九。七、六。夜三十五分。
      八日
七、○。七、九。夜七、八。玄米食。夜三十分。
      九日
六、八。一時半七、一。四時七、七。夜七、九。午后三十分。夜三十分。二囘一時間。
      十日
(321)六時四十分起床。午前三十分。午後十五分。夜二十五分。三囘一時間十分。八椀。
      十一日
七時起床。晝七、〇。夕七、四。夜七、五。夜三十分。八椀。
      十二日
六時四十分起床。朝七、一。九時半六、七。正午七、三。夕八、三。夜八、〇。午前三十五分。夜十五分。八椀。二囘四十五分。
      十三日
八時。朝七、一。十時半六、六。二時七、七。夕七、九。夜七、九。夜三十分。八椀。
      十四日
朝七、二。一時半七、四。夕八、三。夜三十五分。八椀。
      十五日
朝七、一。正午七、〇。夕七、九。夜七、八。午前三十五分。夜三十分。六椀。二囘一時間。
      十六日
朝七、一。夕七、八。夜八、〇。午后三十分。七椀。  捨松氏來ル。母奥田ヘ行ク。便通二。
      十七日
(322)朝六、八。夕七、八。夜八、〇。八時起床。午後三十分。六椀。章魚ヲ三食共ニ一皿ゾツ。昨夜來積雪。便通二。昨日ヨリ午後臥床ノ際行火ヲ用ヰ、然ルニ熱ノ高度ニ達スベキ夕ヨリ夜ニ於テ二度ヲ増ス。明日行火ヲ廢セント思フ。發熱ノ度モ以前ト甚ダシク相違ナキガ如クナレドモ、時ニ八度ヲ越ユルコトアル爲カ、身體ノ疲弊ヲ感ズ。頭惡シ。感冒モ加ハリ居ルカト思フ。昨朝ヨリ冷水浴場ヲ湯殿ニ改ム。数日來咽喉俄ニ痛シ。人々皆風氣咽喉モ冒サレタリトイヒ合フヲ聞ク。一昨夜來含嗽ス。昨日アタリヨリ咳少シク出ヅ。肋骨ノ痛ミ既二十日ニ至ル未ダシ。
      十八日
七時十五分起床。朝七、〇。一時七、二。夕八、二。入浴後七、八。午後十分。今日三時より四時の間まで端坐セシニ平日の如く惡寒を感ぜず。然るに熱度を檢すれば八度二分に達せり。朝來氣分宜しからず。遂に靜坐を怠る。實は午後一囘試みしに僅に十分弱にして堪へ得ず。食事も朝一囘にして晝体。夜おそく二椀、一日僅に四椀。夜體量を檢す。纔に十一貫四百匁。實に一貫匁より一貫二百匁を減じたるなり。便通なし。
      十九日
朝七、一。午前中六、一。正午六、三。一時六、七。二時七、三。三時半七、八。夜八、〇。便一。午前四十五分。午後三十分。夜三十五分。三囘一時間五十分。六椀。
      廿日
(323)一時七、一。夕八、〇。八、二。便一。午前三十分。夕食前十五分。夕食後三十分。三囘一時間。十五分。四椀。
      廿一日
朝七、〇。七時半起床。夕七、五。夜七、六。便一。午前三十五分。午後二十分。朝寐二十五分。朝休。五椀。三囘一時間廿分。
      廿二日
朝七、四。七、三。一時七、一。夕七、九。夜七、六。便一。夜四十分。昨日終日臥床セズ。昨夜安眠を得ず。其爲カ朝熱高シ。晝二椀。夜三椀。五椀。
      廿三日
三時七度六分。上京神尾ノ診察ヲ受ク。披裂軟骨ニ米粒の半位ナル潰瘍あり。今手術スルハ寒クシテ宜シカラズ。故ニ平塚ノ海岸アタリニ行キテ潰瘍ノ部分擴大セザレバ、徐ロニ春暖ヲ待チ、約一ケ月神尾ニ入院シテ手術ヲ受クルコト。兎ニ角二週日間平塚ニテ經過ヲ見、患部擴大スル容子ナラバ直チニ手術スルコト。手術ハ只一囘ニテ十分トイフ。夜順次郎宅ニテ三十五分。
      廿四日               .
一時七、七。夕七、九。便通ナシ。午前四十五分。井村君ニ診察ヲ受ク。
      廿五日
(324)七、二。正午七、六。夕八、四。便一。靜坐ヲ怠ル。神尾ニ手術ヲ受クル約ヲナス。
      廿六日
朝七、〇。午前六、六。二時半七、八。四時七、九。夜八、四。午前約五十分。爲ニ空腹ヲ覺ヱタリ。夕十分。夜廿分。三囘一時間廿分。神尾ヘ入院三時過。前夜多量ニ冷水ヲ嚥ミタル爲メカ夜明ニ下痢アリ。然シナガラ午前五十分ノ靜坐ノ效アリ。九時朝食。十二時午餐ニテ而カモウマク、夜六時過ノ夕食待遠クシテ殆ド堪ヘ難カリキ。八、四ノ熱ニテ如此ハ珍ラシトイフベシ。「三〇」葉書。
      廿七日
朝七、一。三時七、六。四時半同。六時七、七。午前二十分。夜二十五分。二囘四十五分。岡君午前十時過來訪。菓子富士の雪一折持參、泡雪羹なり。三時まで話して歸る。氣分少しく宜しからず。三時過手術を受く。器械宜しからざる爲め潰瘍の一端を摘みしに過ぎず。更に明日を期す。廿四日井村學士の診察を受くるまで痛かりし肋骨今日手術の際、コカイン多く氣管に入りしらしく咳嗽甚だしかりしが、更に痛みを感ぜず。既に一兩日然るが如し。今夜肋骨を指にて押すにかすかに痛みを覺ゆるに過ぎず。今日朝未明の頃便通を催したりしが、八時近く起床せしになし。昨日下痢の後故ならん。今日只眠きが如く而かも眠られず。下痢發熱等の爲め疲弊せしならんか。午前の靜坐も漸くにして廿分に達せり。昨夜より下熱劑を用う。今日三時まで話して聊か氣分す(325)ぐれざるに遂に七、七なるは其爲なるべし。
      廿八日
朝七、一〇一時半七、一。二時同。四時半七、二。六時半七、三。八時七、四。午後卅分。便通一。「七〇」鰻。今日正午手術せんとせしにコカイン效を奏せず、中止す。神尾曰く、喉頭の手術に於て二囘の失策は始めてなり。三四日過ぎてコカイン奏效を見て手術することゝなる。
      廿九日
朝六、九。十時七、一強。三時半七、五。五時同。七時七、六。八時同。朝食前十五分。午前食前十五分、十五分。夕食前十五分、十分。夜廿分。六囘二時間半。何故か氣分少しよろしからず。晝間眠る。而して寒し。小布施より肉果物を贈らる。便通一。
      卅日
夕七、一。十時七、三。二時半七、四。四時七、六。五時半七、四。七時七、二。八時半七、三。朝廿分。午前廿分。夜卅分。三囘一時問十分。便通。昨夜右を下に寐れば肋骨にまだ痛みあるを感ず。午前手術成功。手術後却て患部の痛みなし。手術前は一旦傷けたる箇所に疼痛あり、稍苦しみたり。宅より鐵道小荷物とゞく。八、原稿紙。二〇、石鹸入。六、石鹸。一七、實業之日本。一四、インキ半紙二帖花紙。一五、理髪。計八〇。
      卅一日
(326)朝七、一。二時七、三。三時同。四時半同。六時半同弱。七時半七、○。朝廿分。午後卅五分。夜廿五分。三囘一時間廿分。午前中眠る。午睡の爲か頭重し。一、二〇、入院料。五〇、手術料。三〇、客膳。二、〇〇、女中二人へ。計一九、三〇、〇〇。入院後通計二一、一〇、〇〇。
 
    大正三年
 
      一月一日
朝七、○。一時七、一。四時七、三。五時七、一。朝四十分。午后卅分。夜廿分。三囘一時間半。便通一。朝食雜煮三杯。餅六箇。刺身一皿。其他。九時半なり。午餐一時半。夕食五時半。いささか苦しかりき。然しながら朝は空腹に堪へざる程なりき。
      二日
正午七、五。二時半七、六。四時同。八時同。通。朝廿五分。午前廿分。夜三十分。三囘一時間十五分。朝食九時。終りて齋藤茂吉君來る。心地惡し。今日晝より復た玄米食、卅一日夕より白米食なりき。夕方よりぼかつく。此日南風強し。いささか風邪の氣味もありと思はる。
      三日
七時六、八。十一時七、三。一時七、〇。五時六、五。八時七、一。十一時半同。朝卅分。夕卅(327)五分。二囘一時間五分。通。此日より上京後怠り居たる冷水浴を始む。整四郎より書留の手紙とどく。順次郎來る。武井氏の畫到着す。夜中村憲吉君來り十一時まで話し行く。爲めに夜の靜坐を廢す。九椀。
      四日
朝六、五。九時半七、三強。一時七、六。二時七、一。五時七、三強。朝卅分。夜食前廿五分。卅分。一時間廿五分。朝手術後吐くが如き血痰を吐く、昨夜話過ぎたる爲か。一昨年七月一囘。昨年十一月一囘。合せて三囘。但し前二囘は錆びたるが如き濃厚なるもの混じ、今囘のは泡立ちたる痰に淡紅色を呈す。よく見れば血線なり。終日頭痛し。昨夜騷がしく夜半より能く睡眠せざるが爲なるべし。又夜なかも惡かりしならん。血痰も其結果と思ふ。血痰は手術の傷より出でたるならんといふ、然らん。通一。
      五日
六時四十分六、五。一時七、五。五時七、三。八時七、五強。朝卅分。夕食前十分。就褥前卅五分。三囘一時間十五分。通二。二、四〇、島文買物。四五、洋食。計二、八五。整四郎來る。夜歸隊。朝三椀。これ宜しからざるが如し。三日の九椀も過ぎたり。朝は比較的空腹を覺ゆるも必ず二椀を越ゆべからず。      六日
 
 
      (328)七時六、六。十時六、九。一時七、三。五時廿分七、五。朝四十五分。夕二十分、五分。夜十分。三囘一時間廿分。通。平福君夜來る。十時近く歸る。三保に避寒を勧めらる。
      七日
朝七、一。二時七、六。五時七、五。朝廿分。夕四十分。夜十五分。三囘一時間十五分。通。九、電。五、博物館。一、同。一五、理髪。計四〇。朝二椀の掟。一囘も守らず。今朝三椀を喫して腹苦し。博物館を見る。此日はじめてヨーグルトを飲む。
      八日
十二時半六、九。三時七、六強。五時半七、四強。朝五十分。午前卅分。午后十五分。夕食前十分。夜十五分。五囘二時間。三〇、切手。今日午前暖かにして氣分宜しく、三時迄臥床セズ。然ルニ午后ニ至りて寒キ爲メ驚キテ横ハル。既ニ六分強アリ。午餐ノ後直チニ用心スベカリシナリ。朝右ノ咽喉少シク痛カリキ。通一。
      九日
朝七度。正午七、一。四時半七、二。二時七、三。六時七、三。朝四十五分。五分。午前廿分。午后十分。夜廿五分。五囘一時間四十五分。整四郎より蜜柑とゞく、昨夜少しく書見に過ぎたるらしく、今日頭痛し。鼻かぜまだ癒らず鼻孔も痛し。一昨夜より今朝にかけてドーブル散を飲む。其爲か食慾少し減退の感あり。今日よりヨーグルト朝夕二回の筈なりしも夕配達なし。今日気分(329)稍よし。夕食もうまし。通一。
      十日
正午七、〇。三時半七、三半。五時七、〇。朝四十分。夕十五分。五分。夜廿分。四囘一時間廿分。通二。宅より小包とゞく。今日曇。氣分宜しからず。夜平福君來る。二、號外。計二。
      十一日
朝六、八五。十一時半七、一五。四時七、二。六時七、三五。朝五十分。夜十分。十五分。三囘一時間十五分。通二。今日午後はじめて外出して入浴す。體量を驗するに十一貫九百匁なり。四、風呂。計四。
      十二日
朝六、八五。十一時七、四。二時七、三。四時七、〇。八時七、五。朝一時間。午後十五分。夜十分。三囘一時間廿五分。通一。一五、葉書。今日氣分惡し。夜來よろしからず。朝食も空腹を感ぜず。
      十三日
朝六、八五。三時七、二。夜中十分。朝四十分。夜五分。五分。四囘一時間。朝通じありて一時気分よろし。二五、腹巻。一五、繪葉書。本郷まで行く。四、入浴。一日臥床セズ。疲レズ。入浴時體重ヲ檢ス。十二貫百匁。日中一睡モセザル爲メカ、夜忽チニ睡眠ヲ催ス。計四。
(330)      十四日
九時半七、一。三時半七、三。通一。朝四十五分。午前十分。夕食前廿分。夜廿分。一時間卅五分。門間君、竹松、柳澤君、直子來る。門間君ころ柿、直子蜜柑一寵、西洋生菓子一折。柳澤君林檎ネーブル一籠を贈らる。
      十五日
朝六、七五。三時七、二。通。夜〇時廿分迄廿分。朝三十分。午后十分。夜廿分。十五分。五囘一時間卅五分。一五、切手。六錢顔剃。五十錢丼代。計七一。
      十六日
十時七、〇。四時七、七。六時七、五。朝四十分。夜二十五分。十分。三囘一時間十五分。九、實業之日本。通二。計九。朝より正午頃まで本郷通を歩く。それより門間君を萬佐に訪問、歸りて七、七なるに驚く。今日朝より稍身體疲勞を感じ居たりき。今日退院の筈にて少しく延ばす。便通よろしく、腹の工合よろし。但し便通宜しき爲か、食事の後と雖下腹部の膨脹少し。
      十七日
六時六、九。十二時半六、九強。五時同。通一。朝五十五分。午前十分。五分。夜廿五分。四囘一時間卅五分。三、風呂。計三。風呂へ行き體量を驗するに十二貫四百匁。十椀。
      十八日
(331)六時六、六。一時七、三強。四時六、六。七時六、八。朝四十五分。廿五分。午前十五分。中食前五分。午後廿分。夜廿分。六囘二時間十分。昨夜寝衣のまゝふかしたる爲めか、今日少しく氣分宜しからず。一時過二時近く就眠。五時半醒む。睡眠不足の爲めか、靜坐の時間たつに從つて身體の非常に    覺ゆ。一五、葉書。計一五。
      十九日
十二時半七、二。五時七、四。十一時半七、二。朝五十分。夕卅分。五分。夜廿分。四囘一時間四十五分。九、電車。七八、    二七、麥作改良法。五、梅干。計一、一九。午前京橋まで行く。昨夜も十一時過   朝六時前醒めしが、遂七時過までとろ/\とする。京橋よりかへりて疲弊を覺ゆ。今夜は入浴して早く寢んとす。齋藤茂吉君來る。今日より力めて饒舌を愼む。可成的低聲に談話すること。通一。二時迄不眠。
      廿日
六時半六、七。一時六、八。三時六、七。五時半六、八。通二。朝四十五分。午後廿分。二囘一時間五分。昨夜二時頃までうと/\とする。今日氣分宜しからず。一つは雨模樣なるにもよらん。朝一椀を減ず。昨日頃より少し舌苔あり。門間君、平福君來る。夜十一時に成りて歸る。宅より夜書留とゞく。夜二時まで不眠。
      廿一日
(332)六時六、五。十時七、〇。一時半六、九。朝五十五分。夕十分。夜十五分。三囘一時間廿分。一、〇〇、鰻。一〇、理髪。三、入浴。計一、三一。體重十二貫六百匁。夜門間君を訪ふ。
      廿二日
十時七、一。五時七、一強。通一。朝四十五分。午前廿五分。夕十五分。夜十分。四囘一時間三十五分。巣鴨に齋藤君を訪ふ。九、電車。一、新聞。計一〇。
      廿三日
十二時六、六。四時七、三。朝五十分。夜十分。二囘一時間。歸國の途に就き神崎へ行く。五、五〇(?)、醫院拂(内四六、〇〇、入院料。二、六六、ヨーグルト。六五、新聞。一、〇五、食料。二〇、洗濯)。一五、車賃。四五、横濱へ運賃。一五、石下へ。九五。郡へ切符。八五、土産。一五、赤幅。二、新聞。一五、辨當。六、成田電車。五〇、栗羊羹。一〇、旋行案内。一二、車。七、成田休憩。計五五、二二。通計八二、九七。
      廿四日
一時過六、八。四時過七、九。朝一時間。午前五分。二囘一時間五分。通。一、〇五、郡より石下まで切符。一〇、心付。五、五、新聞。一五、辨當。四、茶。計二、三二。昨夜少しくふかし過ぐ。前日早起なりしため眠かりしなり。咽喉右の方も少しく痛む。體温九分に昇る。隨つて寒し。歸宅。
(333)      廿五日。
朝七、一。四時七、二。朝四十五分。夜二十分。二囘一時間五分。通。
      廿六日
朝七、二。四時六、九強。六時半七、五弱。朝卅分。夜食前卅分。二囘一時間十分。鼻風邪容易にぬけず。夕刻散歩を試みて體温を驗するに七、五に近し。寒氣に觸れたる故ならん。通。
      廿七日
朝七、三。三時七、五。夜八時廿分六、七。通一。午前十一時半より四十五分。夕廿五分。十分。夜十五分。四囘一時間卅五分。
      廿八日
朝六、八。十二時六、六。四時七、〇。朝廿分。午餐前廿五分。夜四十五分。三囘一時間卅分。通一。
      廿九日
朝六、七。一時半六、六。四時七、二。朝卅分。午餐前三十分。夕食前十五分。夜廿分。四囘一時間卅五分。通一。屋根替第三日。昨日平福君より山水隨縁起とゞく。
      卅日
十二時六、九。二時半七、〇。四時七、一。朝四十分。午餐前卅五分。夕食前四十五分。夜廿分。(334)四囘二時間廿分。一五、顔剃。
      卅一日
一時七、一。四時七、三。朝四十分。午餐前廿分。夕食前十分。三囘一時間十分。三四日以來夜能く眠れども、晝間眠し。左肋骨の神經痛癒えず。夜體重を驗するに十二貰二百匁なり。在京中のは衡器不完全なりしならん。四百匁を減ずる理なし。
      二月一日
朝七、二。四時七、六。夜卅分。此日朝九時起床。朝晝共に食はず。午後四時僅に三椀を喫す。空腹を感ぜざるが故なり。或は兩三日カステーラを過食したるが爲か。空腹を覺えざる程胃を害したるならん。身體疲憊を感じ靜坐を怠る。通一。
      二日
朝六八。十二時半七、一。三時半六、八。朝四十五分。夜三十分。二同一時間十五分。夙に吹か
れて外出す。林の作業を見る。入浴後臥床す。疲勞を覺ゆ。通一。
      三日
朝七、一。三時半七、一。十二時六、八。朝三十五分。午前廿五分。午後十五分。卅分。夜三十分。廿分。六囘二時間卅五分。まだ毎日疲勞を感ず。屋根替終る。
(335)      四日。
朝六、五。正午六、八。三時半七、四弱。通一。朝廿分。午前卅五分。午後卅五分。夜十五分。四囘一時間四十五分。夕食少しくうまし。
      五日
朝六、八。一時六、八強。三時半七、〇。通一。朝卅五分。午後十五分。夜卅分。廿五分。四囘一時間四十五分。二三日前より聲に變化を來す。
      六日
朝七、一。三時半六、九。通一。朝五十分。夜廿分。二囘一時間十分。二〇、蜜柑。一二、理髪、計三二。
      七日
朝七、四。晝六、九。三時六、九。通一。夜食前五十分。夜卅分。二囘一時間廿分。昨朝六時起床。終日眠く靜坐を怠る。今日八時迄寢る。午前寢る。食事は行く。藥朝までにて切れる。肋まだ痛し。聊かも減ずることなし。
      八日
十一時六、六。一時六、六。四時半七、一。朝十分。午前五分。夕一時間十分。夜廿分。四囘一時間四十五分。入浴後臥床せず。七、一に歸る。日中より雪。
(336)      九日
晝七、三〇夜七、一〇午前四十分。夜十五分。二囘五十五分。通一。雪。寒甚し。寢る。中食休。
      十日
朝七、一。二時七、二五。朝十分。午前一時間。午後五分。夜十五分。四囘一時間卅五分。通二〇午後より寒氣。食慾減退す。七日の晝より藥切れたるも原因せるならん。時候の寒冷なるも原因せるならん。血色も衰ふ。早々轉地せざるべからず。
      十一日
朝七、一五。朝卅分。下妻行。中岫一泊。夜おそく寢る。靜坐を怠る。
      十二日
此日熱度を檢せず。朝四十分。此日より水散藥を飲みはじむ。光明寺へ泊る。夕方惡寒あり。顔ほてる。浴後直に寢る。
      十三曰
四時八、三。夜七、三。朝三十分。光明寺にて晝食欲しからず。午後三時渡場より宅までの歩行にて八、三おどろく。
      十四日
朝七、二。晝七、二。夜七、二。夜三十分。終日臥床遂七、二に終る。
(337)      十五日
朝六、九。三時半七、九。夜七、六。午後三十分。夜四十分。計一時問十分。今(日脱?)午前より午後に至り林中を歩く、七、九なり。朝食うまからず。晝食せず。夕食普通。昨日あたりより左の肋骨のあたりも疼痛を感ず。
      十六日
午後三時七、八。夜七、六。午後四十分。夜食前四十分。十分。夜十分。計一時間五十分。通一〇
      十七日
朝六、九。午後七、四。午後十分。此日倦怠を呈し遂に靜坐を怠る。一日梅の剪枝す。熱昇る。食慾不進。朝食はずして然かも午餐うまからず。夕食も漸くに濟ます。玄米食は胃に宜しからざるが如きは焚方によるならん。通一。
      十八日
朝七、〇。正午過七、五。午後三時過七、三。朝五十分。午後四十分。二囘一時間卅分。梅畑に立ちたるが爲め晝頃熱高かりしならん。朝一椀にして過ぎたるが如く成りしが、不思議に食慾を恢復す。通一。
      十九日
午後四時七、七。午後三十五分。食慾朝は旺盛。午後眠りし爲か空腹を感ぜず。
(338)      廿日
午後三時八、二。夜八、〇。靜坐を怠る。食慾更になし。午後三時迄客と對談。惡寒を催す。
      廿一日
朝六、七。午後二時七、二。四時七、四。朝五十分。今日食慾あり。
      廿二日
朝五十分。夜四十分。二囘一時間十分。
      廿三日
午後七、七。通ナシ。朝三十五分。
      廿四日
午後七、六。通一。靜坐怠る。
      廿五日
朝六、七。正午七、三。三時七、二。夜七、九。朝一時問五分。夜十五分。一時問廿分。終日臥床。
      廿六日
朝六、六。正午七、〇。夕七、五。通。夜卅分。
      廿七日
(339)朝六、六。正午七、〇。三時七、八。通ナシ。朝四十分。午後廿五分。計一時間五分。
      廿八日
朝七、二。三時七、六。夜七、九。通一。午後廿分。
      三月一日
朝七、一。三時八、六。朝四十分。發病以來はじめての高度の發熱。午後まで惡寒を感じながら出歩きたる爲めならん。
      二日
朝七、一。三時八、一。朝五十分。午前十分。計一時問。通ナシ。
      三日
朝七、一。午後七、六。通一。朝五十五分。小倉直枝、松山貫道兩氏來る。
      四日
朝七、〇。午後七、二。夕七、五。朝一時間。
      五日              .
午後七、五。通。朝一時間。
      六日
(340)正午七、九。夕八、七。朝一時間。午前中横臥せず。疲弊を感ず。果し 高度の熱 あり。三日以來食慾なし。
      七日
午後七、六。南風暖に過ぎて心地惡しく、靜坐を怠る。
      八日
午後七、九。同怠る。
      九日
朝七、二。午後七、九。通。朝四十分。食慾稍恢復。
      十日
七、二。午後八、一。通。朝四十分。小倉直枝氏來訪。
      十一日
六、七。午後七、四。朝一時間。
      十二日
朝、正午七、○。三時七、二。夕七、四。靜坐を怠る。
      十三日
上京。熱を檢せず。通一。一、二七、孔雀送料。七八、切符。四、新聞。一、〇〇、奈良漬。一(341)八、電車。五〇、神尾。一七、配達料。三〇、中食。一六、人力車。二〇、女中。計四、六一。
      十四日
一時半八、〇。三時半八、五。夜八、三。朝廿分。九、電。四六、茶菓。一、二八、野田檢温器。他修繕。一七、五、實業之日本。五〇、神尾。一、〇〇、三國館。二五、車。一、〇〇、足駄。一三、ハンケチ、齒磨。計四、七七、五。三〇、葉書。計五、〇七、五。橋田病院へ入院。流動食。二七、半紙花紙、石鹸。昨夜あつくて半 まで就眠出來ず。
      十六日
七・一。六、二。夜七、三。七、五。齋藤君來る。中村憲吉、赤木桁平兩君來る。
      十七日
朝七、三。七、〇〇。晝六、九。午後七、〇。七、三。五〇、丼代。平福君來る。三〇、水飴。
      十八日
朝六、七。六、七。正午六、九。三時六、五。夕七、五。夜七、〇。宅より荷物とゞく。二五、支那饅頭。
      十九日
朝七、二。六、九。六、六。七、二。七、二。夜七、五。
      廿日
(342)朝六、七。六、八。六、五。六、五。夕七、〇。夜七、二。齋藤茂吉君來り直ぐ歸る。一五、切手。三〇、支那饅頭。夕順次郎來る。
      廿一日
朝七、一。六、八。七、四。七、四。夜七、二。寺田憲君より小包來る。
      廿二日
朝六、九。六、四。正午七、〇。七、一。夕七、五。夜七、〇。五、洗濯。齋藤隆三君、平福君來る。
      廿三日
朝六、九。六、七。正午六、六。三〇、丼。門間君より菓子とゞく。
      廿四日
朝六、八。六、八。正午七、〇。七、一。七、一。夜六、九。齋藤君より伊豆牛島とゞく。
      廿五日
朝六、五。六、八。六、八。七、〇。門間武夫君果物一籠を贈らる。
      廿六日
朝六、七。六、八。六、八。六、六。六、九。二〇、孤兒院賣品。
      廿七日
(343)朝六、八。六、六。六、八。夕七、三。夜七、四。二〇、(343)高野の叔母見舞に來らる。
      廿八日
六、八。六、八。六、六。六、九。此日附添替る。坂本四方太君來訪、果物一籠贈らる。二〇、新聞。夜齋藤茂吉君、古泉千樫君來訪。古泉君殘りて十時まで話して歸る。其爲か、日中寢臺を替へたる爲か、三時頃まで眠らず。此日附添代る。茂吉君文章世界。
      廿九日
六、八。六、六。七、二。何となく苦し。昨夜の睡眠不足の爲ならん。それに二三日來胃に變調あり。尤も晝飯のうまからざるは久し。晝間の短きによると思ふ。それにも拘らずつめ込みしが障ならん。それと野菜の缺乏も原因ならん。三〇、切手。
      卅日
六、三。六、六。六、七。夜順次郎來る。パウンドケーキ、シウクリーム、ネーブル。
      卅一日
六、二。六、四。六、七。朝廿分。午後四時十五分。計三十五分。今日より靜坐を始む。病勢大に宜しきを以て、四月一日より始むる心算なりしが、今朝ふと氣が向きたり。齋藤隆三君來る。二三日來胃の工合宜しからず。例の絶食すれは必ず治する癖なり。蓋し廿七日頃過食せしに因す(344)るならんか。
      四月一日
朝六、五。六、六。六、八。朝三十分。夜三十分。一時間。三〇、葉書。八、うきよ。一七、六合雜誌。計五五。數日來便通一日に三乃至四囘。消化の宜しからざるが爲ならん。
      二日
朝六、四。六、三。六、八。朝三十五分。午前十分。午後三十分。三囘一時間十五分。二三日殊に早起。今朝昨朝四時五十分位、爲めに午前眠し。腹少しくよく成る。一一、五、タオール。
      三日
朝六、三。六、五。六、六。朝五十分。夜十分。二囘一時間。五〇、支部饅頭。一〇、梅ひしほ。一二、理髪。計七二。夜齋藤茂吉君來る。此日理髪の爲めに始めて外出。食慾十分。齋藤君來りしため意外に長く横臥せずして語つたから明日を氣遣ふ。
      四日
六、五。七、〇。午後五時半六、八。夜七、五。七、三。朝自五時至六時五分、一時問五分。午前卅分。十五分。三囘一時問五十分。入院以來早起なれども二三日殊に早く、昨今共に四時頃醒む。昨日迄は午前に眠りしが、今日は午後に眠る。正午七、〇に昇りしは昨夜の影響か、或は今(345)日靜坐の長かりし爲か、孰れかならん。或は昨夜より飽食の結果ならんも知るべからず。或は今日稀有の天候降雪夜に入りて止まず、氣候の影響なりともいふべきか。十八日に支那饅頭を飽食す。十九日共に七、五に昇る。廿日は低きも、夜食の後二時間位に支那饅頭飽食。廿一、廿二日共に四分五分。二十三日より廿五日迄順調。最高七度一分なりしが食慾の十分なりし爲め、廿六日ビステキ一皿を食ふ。廿七日七、四に昇る。而して昨日より同饅頭を飽食して七、五なり。各種の原因ありと雖食事の分量と大なる關係あるを見るべし。
      五日
七、〇。六、四。七、〇。七、三。朝五分。午前八時前約により上野精義軒に久保博士を訪ひ、診察を受く。相共に美術學校記念展覽會を見る。九州行を約して別る。正午近く病院に歸る。疲勞す。然かも正午六、四。夜六時七、三なり。但し朝食を喫せず。午餐も空腹を感ぜず。夕食も注意す。明日解熱せん。夕方中村憲吉君來る。九、電車。三〇、(空也草紙)り三三、繪葉書。計七二。
      六日
六、四。六、六。六、七。六、六。六、六。朝卅分。昨夜ふと歌一首成る。十一時半頃より曉に及んで眠らざりし爲めなり。つとめて食事に注意す。此日發熱なし。此夜就眠前歌成る。遂に二時過まで眠らず。支那饅頭を食ふ。
(346)      七日
六、二。六、五。六、六。六、七。六、八。朝廿分、十分。三十分。日中眠る。昨夜よりの歌の添刪をなす。支那饅頭を食はず、夜眠ることを得たり。
      八日
六、七。六、六。六、六。六、五。六、七。五分。三四日間力めて少食に過ぎたる爲か。身體に疲勞を感ず。靜坐にたへず。
      九日
六、六。六、四。六、八。六、五。夜四十分。朝來非常に氣分よろしかりしが、尚疲勞去らざれば、日中眠さを催す。頭は依然よろしからず。鼻孔やや痛し。解熱剤の爲か、今日食事うまく、量を増す。
      十日
六、七。六、六。六、八。午前廿分。一八、電車。五〇、神尾。五七、五、色奉書。計一、二五、五。齋藤茂吉君來る。小布施直子二兒をつれて來る。逢はず。工科大學朝鮮藝術展覽會を見る。食事はうまし。疲勞も感ぜず。
      十一日
七、〇。六、七。六、六。六、九。七、〇。朝廿五分。午前廿五分。夜十分。計一時間。夕食よ(347)り普通食。筍飯四椀。但し少量づつ。うまし。隨てヨーグルトもうまし。頭痛あり。昨日外出の爲か七、〇に昇る。痰多し。
      十二日
六、七。六、七。六、八。七、〇。七、一。朝卅五分。門間氏兄弟來る。郷里の母堂よりの贈物とて奈良漬一折。朝靜坐の折發汗の爲め單衣一つに成りし爲か、鼻感冒を發し頭痛あり。遂に七、一に昇る。昨夜四椀の飯今朝ひもじ。晝もうまかりき。然し夕食はまづし。六〇、もみぢ山。九椀。
      十三日
六、四。正午六、三。六、四。七、〇。夜三十分。此日も九椀。但し夜おそくす。三十一日目にして始めて入浴す。昨夜頓服一服せし爲か、頭痛もとれ聊か心地よろし。九椀。
      十四日
六、六。六、五。七、〇。七、三。朝卅五分。夜廿分。二囘五十五分。昨夜十二時頃まで眠らず。文章一篇構想成る。朝食うまし。二、一六、ヨーグルト三月廿五日迄の分。此日より散藥變更。九椀。
      十五日
六、七。六、八。七、二。七、二。朝四十五分。昨夜少しく安眠足らず。昨日餘りに眠りしが爲(348)ならむ。鼻風邪以來頭痛おほし。午後理髪す。聊か頭惡しと思ひしに七、二あり。夕醫員より少しく運動を勸めらる。一二、理髪。二ニ、タオール。朝四椀は過ぎたり。夕二椀とし九椀。
      十六日
朝六、八。六、八。七、八。七、六。朝卅五分。昨日朝食過ぎたるため、晝夕共に食慾不進。既に朝食も空腹を感ぜざりしに無理なりき。少しく腹工合惡しき折は、却て過食することあるなり。過食の爲の熱と思ふ。
      十七日
六、六。六、一。六、七。七、三。朝四十五分。朝一椀。晝一椀。夕二椀。計四椀。それにても胃が下からつきあげられる樣にて苦し。九、實業の日本。一〇、梅びしほ。五、梅干。二、干がき。計三一。散藥復舊。五、石鹸。
      十八日
朝六、五。六、三。六、八。六、九。朝四十五分。飯は晝半椀のみ。平福君來り毬二箇。六〇、シウ。一〇、砂糖。五、鋲。計七五。
      十九日
六、八。六、六。六、九。六、七。朝十分。晝はじめて二椀を喫す。今朝靜坐、聊か大儀なるは食事の減じたるが爲なりしならむ。一昨夜と少しく睡眠不足なり。
(349)      廿日
六、七。六、二。六、五。六、六。深夜二十五分。朝ヨーグルト。晝二椀。夕二椀。二三日夜間熟睡を得ざるを以て晝眠る。今日午後約二時間眠る。身體午前中は力なく、晝もどかしかりき。夜一時半頃まで眠らず。順次郎夜來る。整四郎の話して歸る。
      廿一日
六、三。六、四。七、〇。六、九。朝卅分。午前平福君を訪ふ、不在。歸途疲勞す。昨夜の睡眠不足にもよらむ。十一時歸りて眠る。夕齋藤隆三君來る。夜まで話して歸る。朝二椀。晝二椀。夕二椀。何故か朝食後胃痛聊かありき。一八、電車。六〇、シウクリーム。四五、玉川堂紙類買物。四五、もみぢ山。一五、雜誌。一、八三。島久より保温器取よせる。三時頃ヨーグルト製造を試む。
      廿二日
六、四。六、四。六、八。六、九。朝十五分。五〇、丼。一、七六、和田ヨーグルト。四、敷布洗濯。計二、三〇。朝一椀。晝夕二椀づつ。ヨーグルト水分離してねばり多く酸もおほし。食して心持よからず。夕方の分も凝結せずしかも酸十分なり。久保田君來り久しく語りて行く。齋藤君朝一寸來る。入浴。
      廿三日
(350)六、二。三時七、〇。六、八。朝卅分。十五分。暖く漸く時候快復。午前平福君を訪問。父來る。九、電車。七〇、洋食二人分。一、〇〇、附添へ。計一、七九。此日父の來訪の爲め、院長も來り會談、夕方に至るまで談笑。頗る疲勞す。
      廿四日
六、三。六、四。六、八。六、六。靜坐怠る。五椀。終日殆んど臥床せず。聊か疲勞せしも熱は昇らず。
      廿五日
六、三。六、六。六、七。朝卅分。小布施直子來る。果物。牛肉。漬物。
      廿六日
六、二。六、八。七、〇。六、九。朝四十分。夜齋藤隆三君來る。菓子一折(青木堂)。六〇、色奉書。二五、 一つ。一四、電車。六、〇〇、和亭の畫表裝。四、小包。一二、理髪。計七、一五。七椀(朝三椀)。
      廿七日
六、一。六、八。六、九。朝五十分。宅より荷物とゞく。寺田君より小包とゞく。眠し。六椀。
      廿八日
六、五。六、四。六、三。六、五。朝四十分。八椀。昨夜滿腹の爲め惡夢を見る。手紙。
(351)      廿九日
六、六。六、六。六、八。朝四十分。朝二。晝二椀。少しく苦し。昨日あたりより咽喉少しく痛し。夜一椀。三五、新聞紙。四、鼻紙。計三九。
      卅日
六、六。六、六。六、九。怠る。朝食せず。午前岡君を訪問、不在。四五、繪葉書。五〇、シウ。九、電車。一〇、實業之日本。一、二八、島久ヨーグルト。一八、電。二〇、夕食。計二、八二。午後三時巣鴨の病院に齋藤君を訪問。共にいろは館に久保田君を訪ひ、太田水穗、中村憲吉君と會す。夜久保田、齋藤、中村三君と共に、傳通院前にて會食。
      五月一日
六、六。六、八。六、九。朝卅分。今日昨日のたゝりあるべきかを懸念したれども、左程にもなく、只いさゝか心部(?)に疲勞あるが如く覺えしのみ。睡眠の昨夜やゝ不足なりしも今日影響少く、葉書十五枚書く。夕方齋藤隆三君來る。直ぐ歸る。三〇、切手廿枚。一五、夏蜜柑。計四五。
      二日
六、七。六、三。六、九。午後五分。夜廿分。計廿五分。二〇、肉。五、玉葱。五、卷紙。計三(352)〇。六椀。夜半醒めて睡眠不足。浮世繪のことなど考へる。
      三日
六、八。六、三。六、九。朝卅分。四〇、シウ。黒田てる子午前十一時頃來り、三時まで話して行く。天氣惡しく小雨。中食せず。然かも夕食もうまからず。夜半さめて暫くして眠る。
      四日
六、〇。六、三。朝五十分。午前一寸齋藤茂吉君來り歸る。てる子の手紙とゞく。夜久保田君來る。二五、ネーブル.
      五日
六、六。六、八。七、一。七、一。朝卅分。昨夜までに三夜一時頃醒めて眠られず。前日午後頭の少しく惡きを感じたりしが、今日食慾不振、氣分落つかず、苦しきこと限りなし。夜ねむり藥をのむ。一體五月に入りて茶の芽つむ頃は、從來身體の工合宜しからぬ時なり。三〇、切手。一九、繪葉書。
      六日
七、○。七、三。七、四。七、五。怠る。午後四時頃てる子來る。九時まで話して行く。此日工合惡しく熱高し。此間の入浴時に風邪を引きたるならん。てる子菓子一折。草花、きんせん、ひめじおん、をだまき、たてふぢ、牡丹。
(353)      七日
七、〇。六、六。七、〇。六、八。怠る。四、敷布洗濯。夜橋詰氏父子來る。      八日
七、〇。六、七。六、八。六、八。朝五十分。夜四十分。計一時間半。十五、切手。齋藤茂吉君出勤前一寸來り、平福君より貰ひたりといふ漬物を贈らる。夜平福君一寸來てかへる。今日氣分午前中宜しく、午睡の後少しく惡し。
      九日
六、四。七、三。七、四。朝卅分。午前久保田君來り談話を筆記して行く。談話中發熱あり、或ほ靜坐の時間過ぎたるに非ずやとも思ふ。大に注意の要あり。午前神尾へ行く。此一週間位咽喉の宜しかりし由いひしが、矢張惡し。夜中三時頃少量の下痢あり。夜中の便通既に三四囘つゞく。注意を要す。一二、理髪。五〇、神尾。三五、にしき。一〇、電新。計一、〇七。
      十日
六、九。六、七。七、三。怠る。午後二時てる子來り、夜九時迄居て行く。  鐵砲百合、スウヰトビー。彼女の歸りし後はいつも心中に泣く。夜うと/\として眠足らず。夜半下痢を催すが如き感ありしが下痢もなし。數日前非常に咳多かりし時に比して稍少くなれり。三、八〇、愛光舍。
(354)      十一日
七、〇。六、七。七、〇。七、〇。同。午前少しく眠る。一囘便通、下痢の感ありて下痢に非ず。便通後もいさゝか厭惡の感ありしが癒る。頭くら/\して蒲團を掩ひおくにいつも汗にじむ。數日來の曇天氣分に障ること多大なりしが、今日午後小雨に變ず。一五、葉書。睡眠剤第二囘目。
      十二日
六、九。七、〇。七、四。同。午前日本橋榛原まで行く。かへりは徒歩。お濠のほとりにアカシヤの花咲く。無花果の嫩葉。午後久保田、中村、齋藤君來る。岡君來り夜まで居て行く。三、一〇、扇。二三、封筒。計三、三三。
      十三日
六、七。六、五。七、〇。六、九。同。昨夜能る(く?)眠りし爲めに心地よろし。午前中市村惟五(?)氏來訪。平福一寸來る。畫を置いて行く。午後てる子を訪ふ。決心をきく。一〇、電新。三五、にしき。計四五。
      十四日
六、九。六、六。七、〇。七、〇。同。午後岡君來り筆を置いて行く。てる子の手紙とゞく。夕方より久保田君を訪ふ。齋藤君其他にあふ。一〇、新電。夜熟睡を得ず。久保田君方に在りて林檎を過食――量おほからざれど――せし爲か。夜半一時半頃下痢。
(355)      十五日
六、八。六、六。六、九。六、六。同。睡眠不足の爲めか頭痛し。一四、繪葉書。二、切手。
      十六日
六、七。六、七。六、八。午後久保田君來る。齋藤隆三君來る。久保田君九時迄居て行く。
      十七日
六、五。六、八。七、二。六、三。同。六、理髪。八五、日本美術史講話。計九一。頭惡しく甞てなき程の氣分なり。夜半睡眠劑を服す。
      十八日
六、四。七、三。七、〇。同。博覽會見物。朝根岸養生院へ見舞に行く。見物十一時前より四時過まで。最初餘り疲れざりしが、午後にいたりて脚いたく成る。歸來七、三あり。安靜ならば平熱なるべき日なり。睡眠劑の爲めに午前中ぼんやりす。一〇、新電。四〇、シウ。四〇、養生院。一五、觀覽卷(券?)。三〇、鮨。五〇、當り餅。一五、ケーブルカー。四、石鹸。三五、にしき。計。疲勞して夜足いたし。按摩し且つアルコールを塗り、睡眠劑を服す。父來る。
      十九日
七、〇。六、九。六、九。六、六。睡眠劑を服したる後は必ず眠ることながら頭ぼんやりす。午前中うと/\と成る。午後も暫時うと/\。長場氏來る。果物。入院當初肛門にしこりありて痛(356)かりしが、昨日より再發。夕はじめて石田英一氏と話す。夜バナヽ三つ食す。其爲か夜十二時前便通あり。
      廿日
六、八。七、〇。七、一。七、二。南風吹き空曇りて、一日氣分惡しき天候。六、切手。
      廿一日
七、〇。六、五。七、〇。午後小布施來る。菓子一折。
      廿二日
六、五。六、七。六、七。六、八。午後父來り、久保田君來る。珍らしく氣分よき日。朝てる子の手紙とゞく。黒田昌惠氏の手紙とゞく。熱湯を被りし感あり。夜半より眠らず。三五、にしき。
      廿三日
六、七。六、九。七、二。六、六。朝てる子へ手紙書く。速達便に托せんとして果さず。睡眠不足のため頭痛し。終日悲しみ去りやらず。一二、理髪。
      廿四日
六、七。六、七。七、二。六、八。終日悲し・二〇〇
      廿五日
六、七。六、七。六、九。てる子の手紙まだ出し難し。朝少し書き足す。九、繪葉書。昨日の刺(357)身の爲か、腹少しとけて夜二時半頃一囘下痢、夕方縁日散歩。疲勞を感ず。
      廿六日
六、五。六、八。七、二。七、〇。夜間一囘の下痢の爲か大儀。午後平福君扇を持つて來てくれる。夜久保田君來る。附添數日前より罹病今夜休む。
      廿七日
六、六。七、〇。六、五。てる子へ手紙小包共に速達便にて出す。二五、速達。四五、切手。一二、包紙。六、顔剃。二、五〇、石原純君歡迎會。夜十時に歸る。
      廿八日
六、三。七、三。七、五。昨夜一睡もせず。午前平福君を訪ふ。久保田君來り、岡君來り、齋藤隆三君來る。小布施來る。九、電。三、〇〇、袱紗。六三、シウ。二、二四、島牛乳店。三二、新聞。一二、一〇、反物。一〇、〇〇、表裝代。三、〇〇、心つけ。夜古泉君。計三一、三八。
      廿九日
六、三。七、三。昨夜睡眠劑を服す。今日も氣分宜しからず。咳嗽も多し。三、三五、愛光舍。二九、澁紙麻繩。一二、小包料。二五、車代。二〇、女中。九、電。計四、〇一。退院三國館へ泊る。夜久保田君を訪ふ。
      卅日
(358)雨。歸郷。八〇、宿料。二〇、車。五、五、新聞。七八、切符。一五、荷物。一〇、赤帽二五、辨當。一、〇〇、菓子。四九、車渡錢。計三、八二、五。雨中を歩く。氣分惡し。
      卅一日
六、六。七、五。七、三。七、三。晴。
      六月一日
正午七、〇。七、三。七、一。午後から雨ふる。出あるく。夜安眠せず。
      二日
一時過七、五。夕七、二。雨中出あるく。
      三日
正午七、二。三時半七、〇。雨。下妻へ行く。光明寺にて松山貫道氏に逢ふ。      四日
正午七、二。四時七、〇。晴。はじめて單衣に成る。
      五日
朝六、九。朝雨後晴。上京。二、渡。七八、切符。三〇、  土産。五、配達。二七、電。一五、合ノ子。五〇、神尾。計二、〇七。夜齋藤隆三君を訪ね、久保田君を訪ぬ。中村君、齋藤(359)君、河西省吾君等に會ふ。十二時歸宿。徹宵不眠。咳嗽やまず。
      六日
朝久保田君を訪ふ。河西君と三人美術學校に展覽會を見、博覽會に入る。一八、電。一、新。一〇、時間表。三六、行李。四五、入場料。二七、腰卷。五〇、番頭。四〇、女中。計二、一七。夜順次郎來り、久保田君來る。
      七日
五、電。五、洗濯。一、四〇、土産。一、二〇、帽子。二五、卷紙。九、電。一、八五、宿料。五〇、神尾。一〇、番頭。七、〇八、博多まで切符。三二、牛乳。一、新聞。靜岡泊り。計一三、一七。
      八日
二五、辨。一二、牛乳。四、新。三〇、女中。計七一。神戸泊り、十三時間。一五、衛生展覽會。山北すし。一二、
      九日
神戸より下関、十三時間。途中麥商人と邂逅。一、三〇、神戸宿料。四、新聞。二五、鯛めし。一八、牛乳。二〇、女中。一八、下關理髪。計二、一五。
      十日
三時七、七。惇多着、午頃久保夫人を訪ふ。二時半久保博士の診察を受く。八〇、宿料。二、新(360)聞。二、保管料。一五、人力車。計九九。
      十一日
午六、五。三時四時七、三。夕七、三。夜七、〇。二〇、女中。三、新聞。計二三。午前診察を受け 咯痰の檢査。午後久保博士夫人を訪ふ。五時過まで居る。朝夫人の訪問を受く。夜よくねる。
      十二日
朝七、一。午七、三。三時四時七、一。六時七、四。午前十時診察を受く。咯痰に黴菌あり。一、〇〇、茶代。一〇、髭剃。計一、一〇。寐る。
      十三日
朝六、六。十時六、八。六時七、四。午前病院。多くは寐る。二、入浴。
      十四日
朝六、九。一時過七、六。六時七、六。午前福岡郵便局まで徒歩往復。近來朝食うまからず。無理に食ふ。毎食皆然り。故に氣分惡し。午後久保博士夫人を訪ふ。琉球の西瓜をもてなさる。二、下足。二八、帶。計三〇。
      十五日
朝六、八。十時七、一。一時七、三。六時七、三。此日より雨。病院へ行く。第二内科研究室に高崎義行氏を訪ねて會はず。今日より梅雨ふりいづ。午後高崎義行君に面會。二〇、茶。二〇、
(361)紙ばさみ。一〇、湯卷。一六、枇杷。計六六。
      十六日
朝七、一。午前七、〇。三時七、四。六時七、六。病院、内科第二の教授の診察を受く。高崎氏の好意なり。午後四時第二内科研究室に高崎氏を訪ふ。診察の模樣をきく。三〇、處方箋。計三〇。
      十七日
朝七、一。三時七、二。六時七、二。病院へ行く。此日まで雨。靜臥したるため熱昇らざるならむ。夜高崎君來り十一時頃まではなして行く。茶を喫したる爲か眠り難く、徹宵うつら/\に過し小便數囘。歌の成りしも不眠の原因なりしならむか。國華を讀む。
      十八日
朝七、三。正午七、〇。三時七、二。六時七、〇。朝來ねむし。昨夜の不眠のために熱高し。然るに安靜を保ちたる爲か、思ひの外に熱低し。朝少し空を見て    。二〇、理髪。計二〇。
      十九日
朝七、〇。午七、四。六時八、〇。九時七、八。十時七、六。昨夜もよく眠らず、午睡の爲ならむ。病院に行く。一兩日中に入院することを得べしと。朝來少し氣分惡し。天候の故にもよるべし。朝袱紗へ歌を書く。昨日夕方より食慾なし。午食はうまかりしが、不審と思ひしに果して發(362)熱八、〇風邪ならむ。然かも今朝は氣分宜しかりしなり。今日午後再度久保夫人を訪ねて逢はず。夜同じくうつら/\。
      廿日
朝六、八。三時入院して七、六。六時七、三。昨夜睡眠惡し。午前久保夫人を訪ふ。午餐を饗せらる。三時入院朝來雨止まず。入院匆々高崎君一寸來らる。一四、五三、旅館弗。三八、スリツパ、箸。三、印紙。三〇、心附。計一五、二四。夜隣室の喧しさも加はり眠り難し。不眠幾夜に渉るを以て、睡眠劑を服す。此日エニグマ一册贈らる。
      廿一日 日曜
三時七、〇。六時六、九。此日藥さめず、一日昏々たり。朝晝共に食はず。夕より粥食とする。力なし。午前久保夫人、久保令妹見舞はる。ベコニヤの一輪挿しと、福島の櫻桃一包送らる。午前博士より西洋の畫の雜誌貸與さる。すべて   のうちに過ぐ。夫人令妹ために早速歸らる。夜看護婦蚊帳を釣りながら一輪挿を顛覆して葉一枚折る。第三室の喧しき爲め一室に移る。夜曾田氏來りて語る。
      廿二日
朝六、六。午六、七。三時六、八五。助手掛下氏來りて診察。日誌を作る。氏は久保令妹と婚約ある人なり。漸く醒めて人心地つく。午後高崎氏來る。三、食鹽。九、福神漬。一三、濕布材料。(363)二五、ビフテキ。一〇、   。計六二。夕方看護婦長來り親切のはなし。高崎君來る。
      廿三日
朝六、五。午六、九。三時七、三。六時七、五。夜廿分。昨夜睡眠殆んど成らず。午後平野女中來る。五〇、鰻丼。一、二〇、切手葉書。一四、洗濯料。三、五、パン。二七、  。二、  。二、一六、五。平福君より繪葉書來る。昨夜の眠不足にして今日熱アリ。夜體量を量る、四十五キロ、十一貫二百五十匁なり。身體疲勞を感じ居る筈なり。夜間は相應睡眠。就眠前はじめて靜坐廿分。
      廿四日
朝六、六。午七、〇。三時七、三。六時七、三。夜卅分。午餐の際久保夫人より菓子惣菜を贈らる。いさゝか氣力の快復を感ず。午後體重廿五匁を増す。昨春に比して一貫三百匁以上の相違あり。凡て大儀にして日中も眠る道理なり。夜博士辭林を持ち來らる。二、新。一〇、胡瓜。夕食まだ空腹ならざりし爲か、夜苦しかりき。
      廿五日
朝五時六、三。午六、七。三時七、〇。六時七、四。夜廿五分。昨夜一夜不眠。朝氣分宜しからず。今朝までに蚤十五匹とる。午餐時久保氏ベコニヤの白きを贈らる。さきのは既に散りつくしたり。はじめて入浴。午後高崎氏來り五時過まで話す。久保夫人より粽、つくだ※[者/火]、昆布細工を(364)贈らる。話し過ぎたる爲めの熱ならむ。遂に午睡せず。夕、四五キロ 昨より廿五匁減。二、新。三、五、パン。一四、奈良漬。八、鯛味噌。六、顔剃。計三三、五。
      廿六日
朝六、三。三時七、二。六時七、六。夜三十分。昨夜おそく眠りし爲か、今朝ねむく五時起床。洗面の後復た七時までねむる。夜机の上にベコニヤの一輪散る。蚊帳の裾觸れたるならむ。久保夫人より紫蘇びしほ等、バナヽ二ツ。平野より胡瓜三本。隣宅よりフリーヂヤ一鉢。入浴。二、新。五〇、共進亭。七、パン。計五九。朝凉しく晴れ、やがて曇りて霧雨。又晴れ蒸暑きことおどろくばかりなりき。眠りたる次の日熱ありて不眠の次の日熱なし。夜空冴えて天の川低くうるほひを見る。
      廿七日
朝六、八。三時七、六。六時七、八。夜三十分。昨夜眠らず。蚤七匹を獲る。これにて廿二匹なり。夜半胃の消化         今朝は凉し。晴れて   。午睡す。雷雨。注射不完全にして手術不能。二、新。三、五、パン。八、鯛味噌。今日熱高きは昨夜の不眠と、今日の注射とによるならん。夜睡眠藥を服す。四十五キロ、八百。
      廿八日
朝六、八。夕七、五。朝まで眠し。午後一時間午睡、近來聲に變化を來す。右の聲帶赤く腫れた(365)る故といふ。然し以前の如く成るべしと博士の談。快晴。暑し。只稀に凉風來る。蚤廿八匹。久保博士倫敦學會の復命書印刷成りて贈らる。七、パン。三〇、ビステキ。一一、草履。八、鯛味噌。二、新聞。計五八。夕方はじめて構内の散歩。平福君より鴨の葉書。四十五キロ。八百五十。
      廿九日
朝六、三。三時七、五。夜八、五。朝七時半より卅分。昨夜僅ながら眠る。まだ全く明けぬに下痢の氣味にて起く。蛙の聲を聞く。散歩。蛙聲の來る處を知る。朝少しも食はず。喉頭直達檢査。成功す。直ちに吸入せしに氣分變になる。晝食うまからず。二時頃尿の甚だ出憎きを感ず。今朝咳甚だ少し。晴天。夜寐冷したりと思ひしが、下痢四囘遂八、五といふ稀有の熱昇る。風邪の氣味にもよらむか。入浴も惡しかりしならむか。午後順次郎來る。櫻桃、洋菓。二、新。三〇、チキン。計三三。
      卅日
朝七、四。三時七、一。六時七、一。晴天暑氣甚だしく汗を流す。午後佐々木好母氏來訪。第三室の病老死す。下痢止りたるらしけれど、尚腹の氣持よろしからず。蚤三十一匹。宅より手紙。便通なし。四十五キロ。二五、丼。三〇、新聞代。一三、洗濯。計六八。
 
      七月一日
 
(366)朝六、六。三時七、二。暑し。朝構内散歩。晝久保夫人より手紙、羊羹、煎餅を贈るらる。午後高崎君來りし由なるが不在。松林に憩ふ白雨來る。入浴す。食慾少し出づ。今日便通。四十五キロ百五十。九、漬物。一二、理髪。二五、洋食。一一、實業之世界。計五七。
      二日
朝六、九。午七、三。三時六時七、五。午前高崎君來る。午後久保夫人來る。久保博士と語る。アラヽギとゞく。門間君の繪葉書。武井君の手紙。八、鯛みそ。二五、洋食。計三三。四五キロ五五。少しく曇りて昨日より凉し。昨夜は非常の暑氣。寒暖計八六度なりき。内科の診察を受く。蚤三十二匹。夜武井氏返書來る。
      三日
朝六、六。三時七、三。六時七、五。昨夜夜中非常の暑氣なりしが眠る。夜明に蛙聲を聽く。稍凉し。今日第二室の人退院。今日はじめて其人と語る。三、五、パン。二五、洋食。計二八、五。蚤三十五匹。午睡す。
      四日
朝六、四。四時七、四。六時七、三。昨夜も眠る。蚤四十匹。曉凉しく、寢冷せずやと懸念せし程なり。午後外出、久保夫人を訪ふ。ベコニヤの小鉢一つ貸與さる。平野旅館へ立寄る。八、鯛味噌。一、〇〇、平野旅館へ。一七、タオル。計一、二五。
(367)      五日
朝六、六。三時七、一。六時六、九。朝、晝共に午睡に耽る。夜も眠る。今日平野より副食物を持ち來ることゝす。スリツパを掏り替へらる。三、五、パン。日中少しく驟雨あり。曇ることありて屋凉し。夕方却て風なし。松林に行きたれども。
      六日
朝六、八。午六、九。四時七、二。七時七、九。午後工科大學の觀覽。少しく雲あり。時に凉風を送れども往路は未知の地理なるを以て徒歩す。二時過より四時近くまで電氣の講話をきく。氣分少しく惡しかりき。箱崎より電車にて歸る。夕方熱高きは歩行過ぎたるが爲ならむと思ふ。過日も福岡郵便局まで歩きて八度に達したりき。七、パン。二七、スリツパ。三、電。計三七。此日平野より山桃。
      七日
朝六、九。午六、七。三時七、〇。七時七、四。六、理髪。雨、冷かなり。然れど我が室は暑きことおほし。入浴。四五キロ百なり。食餌の美なるをとりて如此は如何の理由ならむ。蚤五十匹をとりて二三日安し。齋藤、久保田兩君の葉書つく。午睡。夜おそく眠る。蚊帳の中の蚊おほし。
(368)      八日
朝六、〇。午六、〇。四時七、〇。六時七、三。四四キロ八百。二五、ビステキ。一八、ナラ漬。一四ホータイ。二一、五、バナヽ。計七八、五。朝少しく雨。後晴れて暑し。午睡。滋味を攝取して漸次體量の減ずるは如何ならん。高崎氏を訪うてあはず。
      九日
七、四まで。此日も高崎氏に逢はず。深更蚊帳に月さす。一一、ホータイ。夜まで原稿を書く。
      十日
七、三まで。午後高崎氏の診察。暫く右肋骨に疼痛ありしが一兩日以來きびし。然るに右肺下部にラツセルありといふ。昨年十一月然りといひしが、時々起るものと見えたり。此夜までに三夜不眠。第二囘の手術。
      十一日
七、二まで。二八、奈良漬。一二、  。計四〇。ねむり藥をのむ。
      十二日 日曜
四時七、五。午後博多の山 見に行く。暑し。久保惇士夫人を訪ふ。下痢ありしとて逢はず。アラヽギの原稿とゞく。宅より手紙とゞく。返事出す。アラヽギ原稿おくる。此夜も不眠。二、九五、平野へ。五、電。三、五、パン。九、桃。五、砂糖。計三、一七、五。
(369)      十三日
六、九。四時六、八。夕七、五。入浴。午睡。順次郎より電報。國華を讀み盡す。一八、洋食。如何にしけむ夕食うまからず。
      十四日
朝六、六。四時八、〇。五時七時八、三。昨夜涼しく十一時過ねる。意外に夜ねむりて朝さめず。朝食せず。晝もうまからず。午後入浴。久保夫人を訪ふ。熱あるにおどろく。尤も今日も暑きに八通の手紙を書く。藥の塗布なし。吸入も一囘。一二、理髪。夕食はうまし。
      十五日
三時四時六、九。六時七、五。晝食うまく、夕食一時間早かりし爲かやゝうまからず。十二時順次郎來り三時まで居て行く。色奉書へ歌を書く。今朝はじめて蝉鳴をきく。一日風凉し。四〇、檢温器辨償。
      十六日
朝六、五。三時四時七、二。六時七時七、三。晝六、四。二〇、新聞。一〇、使へ。計三〇。夕はじめて海岸へ行く。歌心動く、成らず。今日も凉風あり。温度高し。
      十七日
三時四時まで六、五。六時七時七、一。睡眠不足にて気分惡し。午睡。暑し。夕方松林を行き海(370)岸に凉む。松林に油蝉をきく。一八、あさひ漬。
      十八日
朝六、五。三時四時七、七。六時七、八。晝飯前高崎君來る。はじめ外來に訪ねて逢はざりしなり。ハンモツクより落つ。夜高崎君より電話にて十二病棟に行き内科圖書室にて十時半まで語る。久保夫人よりおくりもの。五、砂糖。九、福神漬。二二、バナヽ。四七、バナヽ。計八三。
      十九日 日曜
六、五。三四時七、〇。五六時六、八。一日よくねる。夜久保博夫人と共に病棟に來る。夫人と語る。夫人のおくりものは金澤の名物もみこのかす漬といふ、紫蘇の葉に卷けり。夜雨の手紙つく。
      廿日
朝六、三。三四時七、二。七、三。朝凉しく午後暑し。土用の入り。博士に少しく患部に就きてきく。六、顔剃。一二、繪葉書。一二、 。七、夏みかん。三五、鰻。計七二。今日より肉類をやむ。過食なりしなり。夕食後衣類共に四五キロ二百。正味四四、四にして一、四を減ず。
      廿一日
三時四時七、二。午後雨あり。其前のむし暑さいふべからず。然かも其前夜不眠に終りしため一(371)日午睡す。夜も熟睡す。五、砂糖。
      廿二日
六、四。七、三。七、七。朝少しく凉し。今日直達を見る。一七、五、バナヽ.一四、飴。計三四、五。三、せんたく。   成りつゝねむり難し。昨夜の睡眠藥を服す。
      廿三日
朝六、七。三時六、九。六時七、一。七、パン。一八、フキヨセ。計二五。久保令妹より桔梗一りん。高崎君來る。
      廿四日
朝六、三〇四時七、三。六時七、五。博士に逢ひて手術を要求。夕近頃になりてはじめて海岸に行く。歌成り手圓の造語あり。香物南瓜など他の   貰ふ。三、五一、平野へ。六六、浴衣地。二、ラムネ。五、繪葉書。計四、二四。夜ねむられざるべしと思ひ居りしに眠りて暁さむ。
      廿五日
六、六。七、〇。七、四。手術を受く。第三囘目。二、ラムネ。一〇、砂糖。計一二。二三日以來しきりに茶をのむ。自らおどろく如く、爲に發汗も甚だし。
      廿六日
(372)六、三。七、一。七時七、七。依然として食慾なし。西瓜、南瓜を貰ふ。寺田憲より見舞として五圓。整四郎より藥。一日菴法を廢す。肋骨の痛みまだ少しあり。咳多し。二〇、新聞。一二、理髪。二五、五、バナヽ。計五五、五。
      廿七日
六、八。六、四。六、九。一日菴法せず。咳多し。久保夫人より夕方西瓜。五、夏蜜柑。
      廿八日
六、六。菴法す。博士夫人より東京の鹽煎餅。二五、鰻丼。六、石ケン。三〇、切手。一〇、繪葉書。計七一。夕方はじめて外出。風さわがしく雨來る。今日松林に行きて見る。南瓜畑は空しく成り居たり。然れどもねて汗出づ。みかん、瓜をもらふ。午睡。凉し。夜眠らず。
      廿九日
四時六、七。七時七、二。赤い朝顔一つさく。午後久保夫人を訪ふ。西瓜二切。夜高崎君を訪ふ。共に海岸にいづ。氏は卅一日歸省。診察。夜ねむる。正午頃川邊君來訪。
      卅日
朝六、六。四時六、七。夕七、二。朝一しきり庭の松に蝉鳴く。午後佛教講習會。非常に草臥る。二室より久留米の鰻と茨の葉もち。二、ラムネ。五、夏みかん。朝顔の花昨日より小さくさく。
      卅一日
(373)六、七。夕七。三。直達を見る。朝顔の花今朝も一つ。晝近く雨いたく降り出づ。エニグマもらふ。午後佛教講演をきく。白胡瓜。夕今日も疲れて一時遣り場なき氣分。
      八月一日
四時七、○。七、五。朝顔赤二つ、藍一つ、うす青一つ殖えたり。一一、實業の日本。二九、飴。五、インキ。二五、鰻丼。計七〇。
      二日
朝七、三。四時六、九。夕七、四。二五、丼。一〇、顔剃。計三五。朝顔赤うす色。暑し。小布施より小包。
      三日
朝六、八。三、五、パン。一〇、カステーラ。二、ラムネ。計一五、五。朝顔一つもなし。第二病棟の箱庭に一つ地を偃ふ。整形外科の蔭に垣根の朝顛あるを夕方知る。夕食後海岸へ行く。久保博士にきく處あり。
      四日
朝七、三。九、鯛味噌。二、ラムネ。一八、桃。五、砂糖。二五、ビステキ。計五九。朝顔只藍一つ。整形外科の蔭の垣根見に行く。小雨。正午頃驟雨。今日朝手術室にて診察を受く。蝉一し(374)きり鳴く。三度目。
      五日
四時七、二。夜七、三。一、一三、新聞代。一〇、新聞。二〇、平野の小僧。一〇、同。一二、理髪。計一、六五。素麺南瓜を貰ふ。久保夫人よりアラヽギを借る。朝顛赤一つ。
      六日
四時七、五。夜七、九。朝顔只白ばかり。おほく地を偃ふ。午後久保夫人を訪ひ寫眞版を借る。博士の診察なし。二五、ビステキ。三、五、パン。二、 。計三〇、五。夜曾田氏の當直室をおどろかす。月夜(滿月)松林を行く。
      七日
朝六、四。四時六、八。夜七、五。午後久保夫人より西瓜をおくらる。二五、丼。二、ラムネ。四、繪葉書。計三一。今日朝顔いろ/\おほし。蝉一しきり鳴く。海岸散策。
      八日
七、二。四時七、〇。七、五。朝顔かず/\おほくさく。立秋。博士診察なし。二五、五、桃梨。二五、鰻丼。博士と暫時語る。蝉一しきり。
      九日
七、一。六、七。七、六。蝉一しきり。非常に暑し。午睡。五、砂糖。一二、桃。計一七。夜藤(375)田式をはじめて行ふ。アラヽギの原稿を書く。
      十日
四時七、〇。六時七、一。夜三十分。二五、丼。八、味噌。二、切手。九、バナヽ。一〇、新聞。二〇、アイスクリーム。計六四。蝉鳴く。夕方外出。入日を見る。山 より料理。アラヽギの原稿おくる。
      十一日
四時六、八。六時七、二。朝三十分。夜三十分。計一時問。三、五、パン。一五、桃。一〇、カステーラ。計二八、五。蝉鳴く。朝顔咲く。午睡。靜坐。疲ならむ。此日便通三囘。下血あり。今日靜坐して腹を刺戟せるよりのことゝはじめて心づく。此日朝食す。
      十二日
六、七。七、三。朝十五分。朝ねむし。靜坐  にして飽く。蝉。五、繪葉書。一〇、桃。計一五。
      十三日
朝六、七。四時七、五。午前〇時過三十五分。朝顔。蝉。順次郎來る。八、みそ。一〇、顔そり。一四、桃。二五、ビステキ。前夜ねむれず。丹田呼吸をなす。眠る。
      十四日
(376)四時七、五。夕七、四。夜三十五分。退院。今日も便通おほし。但し昨日中より靜坐ぜざるためか下血なし。食慾乏し。二五、ビステキ。三〇、夕アイスクリーム。四四キロ、八百。
      十五日
三時七、四。夜三十分。朝病院へ行く。午前久保夫人を訪ふ。午後午睡。博多へ行き葛素麺。三、切手。八、五、洗濯。一、五〇、葛そうめん。一〇、桃。三四、新聞。六、九八、宿弗。計九、〇三、五。
      十六日
六時七、九。八時四十三分吉塚發小林へ向ふ。人吉在林温泉泊り。一、五、切手。三〇、女中小僧へ心付。二、一八、小林まで切符。二、新聞。一五、辨當。二〇、牛乳。二五、人吉林間人力車。六、西瓜。計三、一七、五。
      十七日
五時六時七、六。午後五時迄努力、三十分。人吉十時に立つ。三時小林着。日向は火山茨の地埃立つ。一、〇〇、林弗。三五、人力車。一五、辨當。一五、 松西瓜。二〇、女中。計一、八五。
      十八日
三時四時八、三。六時八、〇。殆んど休。四時起床。五時小林町を馬車にて立つ。午後二時十四(377)里餘を宮崎につく。一、二五、宮崎小林間馬車賃。八五、小林宿料。四、野尻驛。五、高岡驛。一五、宮崎にて理髪。七、西瓜茶料。五、荷物持料。二〇、女中。計二、六六。馬車中に九時間を費したる爲か、宿について氣分非常に惡し。八、三にいたる。五時迄入浴。其前より幾分快く成りしが、六時八度に下る。入浴の折惡寒を感ぜり。夜武井氏訪問。平松氏にあふ。
      十九日
朝六、九。夜九時七、七。午前中十分。三十五分努力。計四十五分。午前十時より十二時迄縣廳にて稻葉氏に面會。午後武井氏訪問。午後四時赤江發青島。夜平松氏來る。料氏歸る。時化。青島へ渡り難し。夕飯うまし。一、四〇、宮崎宿料。一〇、青島梨瓜。計一、五〇。
      廿日
朝六、八。三時七、五。六時七、四。十時三十分努力   四十分。計四十分。望洋館より戊申館へ移る。午前青島へ行く。午後同宿の神   と語る。五〇、望洋館。八、青島西瓜。一、外良。三、ラムネ。一、席料。計六三。
      廿一日
三時七、一。六時七、一。二十分努力。計廿分。午後宿換を請求さる。肺患なるべしとの故なり。土木技手と知合に成る。宿を探す。
      廿二日
(378)六時七、七。二十分努力。計二十分。今日時化甚だし。朝散歩に出てぬれる。一九、梨瓜、外良。手紙を書きてまだ出さず。技手によりて宿定まる。今日何となく氣分惡し。潮風の吹く故にもよらむ。
      廿三日
三時七、五。六〇、切手。六、顔剃。三、西瓜。二、二〇、宿料。計二、八九。時化凰南にかはる。驟雨。夕食後松琴亭へ移る。
      廿四日
午七、〇。四時七、五。時化風益加はる。午前佐々木氏、午後石川氏來る。朝食後籠居。はじめて青島より手紙書く。
      廿五日
三時半七、四。六時七、五。夜八時努廿分。夜半過努約十分。後熟睡。計三十分。大吹降り。三時頃一寸やみ、ほのかに日見えしが、ま(た脱?)曇り時々細雨。猿の蟹をくふ處おもしろし。今日朝八時半さむ。氣分惡しく食不進。昨日の手紙まだ出し得ず。夜猿を見る。
      廿六日
朝六、六。午七、四。三時七、二。朝努十五分。夜半迦努卅分、結迦丹十五分。夜結迦努卅五分、丹五分。計一時間四十分。宿換を請求さる。引越しの翌日戊申館主人遊びに來りしが、蓋し余を(379)疑問の病者として告げたるならむ。午前佐々木技手と橋梁の工事の場所に行く。引越しのことは佐々木氏へ主婦よりの談なり。此家に來れるは佐々木氏の口入なればなり。今日漸く晴天に復す。佐々木氏のために宿見つかる。久保夫(人脱?)へ葉書かく。七、瓜。
      廿七日
朝六、二。夜八時八、〇。朝結四十分。午前同十五分。計五十五分。五時半起床。青島へわたり散策。霧晴れて快し。今日宮崎に來る。三、五〇、松琴亭拂茶料共。一〇、ラムネ。一九、汽車賃。一五、車。計三、九四。武井氏を訪ひ松原氏と語る。夜に入りて熱出でたるが如し。暑くして汗あゆ。武井氏來り十時に歸る。非常に眠かりしに松原氏の共に來らざりしは幸なりき。
      廿八日
四時七、七。午前十時努廿分。丹十分。計三十分。昨夜のおそねなればか、一日氣分宜しからず。午前武井氏に到り夕方までごろ/\する。目的の講演もきゝに行かず。葛葉麺西瓜。晝餐せず。食慾なきなり。夜早くねる。よく眠る。二〇、女中。一、〇〇、藥代。計一、二〇。
      廿九日
朝六、五。四時七、七。六時七、九。夜五分。一時三十分努二十五。丹十。三時丹二十五分。計一時間。朝起氣分宜しからず。散歩。橋上より霧島を見る。十時人力車にて宮崎宮に賽す。午後武井氏を訪ふ。梨瓜。
(380)      卅日
夜内海へつき入浴して八、一。朝努三十分。午前九時より十二時迄小川博士内田學士の講演。武井氏を訪ふ。午後五時五十分赤江發。七時内海着。今日氣分甚だ惡し。二〇、女中。四〇、メートル。七、インキ、ペンサキ。三、八〇、宿料。二〇、人力車。二九、切符。五〇、武井氏へ藥價。計五、三九。
      卅一日
三時七、四。朝二十分。午後十分。計三十分。内海より青島へもどり、更に内海に來り、二時十五分發の汽船にて三時十五分鵜戸着。休息。小蒸汽船とてやはり氣分惡し。頭腦惡し。六〇、内海宿料。二二、青島内海間。五七、船賃。一〇、青島茶店。五、松亭。一〇、鵜戸にて夜西瓜二切。計一、六四。
      九月一日
七、〇。夕七、一。朝十分。計十分。午前鵜戸神宮參拜。疲れる。ねる。午後の汽船にて佐々木氏來る。今日氣分宜しく成る。其爲か熱昇らず。五、鵜戸山茶店。五、飴。
      二日
一時七、一。夕七、〇。佐々木氏と別れ、馬車にて油津。油津より飫肥。二〇、女中。一、三〇、(381)鵜戸拂。三〇、油津まで馬車。二、西瓜。一、立場。九、飫肥迄切符。三〇、油津中食。一〇、女中。計二、三二。草臥れる。午前中氣分非常によかりしが。
      三日
朝六、八。三時七、二。夜七、三。夜努二十分。計二十分。飫肥に見るものなし。午前油津へかへる。八〇、飫肥拂。四、繪葉書。五、西瓜。九、油津行切符。四五、油津繪葉書。三〇、切手。計一、七三。今日盆といひて漁船出でず、生魚乏し。繪葉書三十枚を書く。其ためか夕氣分惡し。
      四日
午前七、三。一時七、九。三時七、九。六時七、二。朝努二十分。午食後努三十分。丹十分。計一時問。前夜眠りしも、夜明に冷えたり。朝氣分惡し。葉書のためもあるならむ。朝食後徒歩(跣足)にて梅が濱へ行く。案外つまらぬ。歸來十時檢温七、三なり。氣分惡しく晝食もうまからず。二一、繪葉書。一五、切手。一〇、西瓜。一、二〇、宿拂。二〇、女中。二四、油津外ノ浦間船切符。計二、一〇。四時油津發。五時外の浦着。波大なりしも時間の短きためか、只氣分の惡しき位にて醉はず。
      五日
朝六、八。一時七、二。三時七、五。七時七、二。夜四十分。計四十分。今日汽船出でず。爲めに目井津迄馬車に乘る。馬車を尋ねて往復約十町以上半里位歩きしならむ。疲る。目井津につき(382)て眠る。熱高きは朝の疲勞の爲ならむか。六〇、外浦拂。一三、馬車。六、顔剃。四、西瓜。計八三。
      六日
五時六、九。七時過七、九。汽船後れて九時半目井津發、一時過内海着。浪高く油津以北暫時困憊す。上陸停車場に休息中一時半非常に空腹を感じ、休憩所にて中食す。二時二十分發、青島に行く。旋館を定む。中食後却て船暈の氣分に成り聊か頭腦の惡しきを感ず。八○、目井津宿拂。七三、内海行切符。二五、中食。五、青島茶店。計一、八三。夜佐々木氏を訪ふ。
      七日
朝七、五。四時七、二。午前努四十分。午後努三十分。計一時間十分。昨夜蚊と枕の堅き爲か一睡もせず。其爲朝の熱高きならむ。今日も波高し。繪葉書書く。二二、繪葉書。五、ウイロ。計二七。夜佐々木氏を訪ふ。
      八日
朝寢起七、二。朝努十分。午前同二十分。同十分。計四十分。時化に成る。午前佐々木氏と橋へ行き見る。午後ねる。前夜も熟睡を得ざりし故なり。夜佐々木氏を訪ふ。順次郎より手紙來る。驟雨來る。晝夜共に。一〇、茶料。一〇、ウイロ。計二〇。
      九日
(383)朝七、五。夜九時過八、三。朝三十五分。午神宮崎に來る。午後稻葉氏を訪ふ。私邸に同道饗應を受け九時過歸る。發熱の原因ならむ。寢てからの氣分たとふるにものなし。然れども眠れり。四時頃さめ復たねむる。四〇、青島ウイロ。一九、切符。二五、人力車。計八四。
      十日
朝七、三。三時七、五。九時七、五。今日意外に風靜かになる。但し時々雨は來る。一日外出もせずねる。咳出る。夜武井氏を訪ふ不在。
      十一日
朝六、八。四時七、七。夜七、五。午前武井氏を訪ふ。食餌療法を問ふ。牛乳六合。※[奚+隹]卵十二。但し黄味ばかり。肉三十匁。飯三杯づつ。蛋白質一瓦、四、七カロリ。炭水族素同、同。脂肪同、九、一カロリ。夜武井氏來り、十時半まで話して行く。ねむし。ねつくまでの苦しさ。
      十二日
四時七、五。夜七、七。午前武井氏へ行く。身體のだるきこと甚し。風靜かに成りたれど、雨は時々來る。暑し。午後も武井氏へ行く。近來便通の工合面白からず。澁り居たるが如くにして、時々ゆるむことあり。下腹いたむこと多し。二〇、女中。一五、理髪。計三五。
      十三日
夜七、八。青島へもどる。武井夫人より梨を贈らる。此日海荒れて青島のあたりは濛々たり。五、(384)一五、廣瀬拂。二〇、人力車。一九、青島行切符。二四、小包料。計五、七八。夜佐々木氏を訪ふ。宅より手紙を見る。
      十四日
三時七、二。七時八、四。海漸く※[さんずい+和]ぐ。青島より内海。二日氣分惡し。然し八、四には一驚を喫す。宿騷がしく十二時を過ぎて眠る。天候快復。海路を る故に或はよからむかと想ふ。氣分すぐれざる爲め呼吸法も行はず。
      十五日
朝七、〇。十二時七、五。四時七、二。七時七、五。今日※[さんずい+和]なれども船來らず。豐後のあたり時化にあらずやといふ。氣分惡しく終日ねる。食慾不進おどろくべし。夜幾分よろし。安養を保ちたる故ならむ。明日必ず汽船來るべしといふ。先づよく眠る。六、ラムネ。
      十六日
乘船。ために體温を檢せず。一〇、饅頭。三、菓子。計一三。波立たず。瀬戸内海を行くが如し。但夜は眠らず。
      十七日
一時七、二。七時七、四。九時別府上陸。ねむる。午後郵便局へ行き久保夫人の葉書受取る。五〇、船中。六、荷物。七、顔剃。五、五、新聞。計六八、五。夜呼吸法を行はむとして、大儀に(385)して止む。
      十八日
夜八、一。午前大分に到り、直ちに元町植田村等の石佛を見る。午後四時電車に乘り五時別府。二五、電車往復切符。二〇、女中。六、梨。二、渡船。五〇、東植田村大字岡永富丈之助方晝食。一、五〇、人力車。二、新聞。一〇、饅頭。計二、六五。植田より歸途必ず八度以上ならんと思ひしに果して然り。夕冷氣甚だしく襯衣をきる。
      十九日
朝八時半七、一。七時七、八。午後廿分。今日一日寢る。されど全く熱去らず。今日按摩器を母に送る。明日も寢んと思ふ。午後一時神氣爽快となる。今夕は暑し。一〇、繪葉書十枚。二、二〇、按摩器。七〇、羊羹。一五、同。八、新聞。計三、二三。
      廿日
七時七、九。午前廿分。午後十分、十分。計三十分。今日團體客の砂  浴を見る。今日午後呼吸法を行ふに岡田式は直ちに動揺す。即ち足の組方を岡田式にして呼吸を止むる方法を藤田式に從ひ見るに却て宜しきが如し。一五、切手十枚。三六、土産。四、新聞。二〇、  。計七五。
      廿一日
(386)朝六、九。夜七、七。昨夜蒸暑く寢苦しかりき。朝食更に進まず。連日無理に食事せし故ならむ。九時半別府を立つ。中津に下車して白 寺を空しく引取る。小倉泊り。遠方雨ありて夕冷氣深し。一日腹いたし。且つぶつ/\す。朝牛乳を飲みたるにもよらむか。二三日來便通の工合橋田病院入院當時の如し。中津にて一囘輕く下痢。中食せず。四、四〇、別府拂。一五、車。一、六四、切符。四、新聞。三〇、中津車。五〇、中津。四〇、女中。一五、理髪。計七、九三。
      廿二日
三時七、七。七時七、九。夜四十分。六時廿五分小倉博多にもどる。午前午後共久保夫人を訪ねて逢はず。午睡。今日も朝より冷氣なり。昨日より空模樣惡し。一、〇〇、宿拂。一八、バナヽ。二、新聞。一五、人力車。二、風呂。計一、三七。
      廿三日
午前十時七、〇。三時七、九。夜八、〇。午前四十分。午後十分。夜十分。計一時問。午前久保博士診察を受く。今日朝晝共三椀づつ。流石に夜空腹を感ず。從來過食の弊あり、愚なり。便通もよく成る。今日も久保夫人に遇はず。熱高きは大分以來の失敗と、過食して消化を害したるとより來りしなるべし。人皆痩せたりといふ。二、湯。計二。
      廿四日
朝七、二。三時八、〇。七時八、一。彼岸中日。朝十分。午前一時間。午後廿分。夜三十分。計(387)二時間。朝四時さめて復た眠る。七時さむ。朝一杯。晝二杯。夕空腹二杯。今日より肺全湯をのみはじむ。午前一寸久保夫人を訪ひあとは寢る。減食しはじめてより靜坐苦しからず。愚なりときく。八度の熱にて空腹を感ずること妙なり。明日より吸入もはじめんと思ふ。武井氏の依頼品を滴羽兩軒へ渡す。熱さめず。然る時眞に空腹を感じて   。再び入院の希望達すべしや。一一、氷砂糖。
      廿五日
朝八時半六、九。三時七、四。夜七、六。今夕吸入をはじむ。朝廿分。午前廿分。計四十分。昨夜時(々脱?)眼さめて且咳出づ。昨日の冷氣に少しく風邪の氣味あり。鼻つまれるによる。今朝少しく身體だるし。昨日は靜坐するに姿勢を考へたる爲か、心地よかりしが、今朝はだるくて思ふ樣ならず、昨日過ぎたる爲か。胃の工合よろし。夜高崎義行氏來訪。十一時まで居て歸る。故に夜の靜坐を廢す。六、繪葉書。三三、酒精。計三九。
      廿六日
十時七、〇。三時七、六。夜七、八。食朝(朝食?)前卅分。同後卅分。夜五分。計一時間五分。病院よりかへりてねる。靜坐  間ならむ。
      廿七日 日曜
一時二十分七、六。三時同。七時同。午前宮川源二郎(?)氏來る。午後四時過高崎氏を訪ふ。在(388)(不在?)。今日腰部に聊か疼痛らしく感ずることありき。一日冷氣。五、切符。
      廿八日
三時七、五。七時八、二。朝廿分。九時四十五分。計一時間五分。朝昨日の約履行し難き旨久保夫人より通知あり。今朝何となく氣分すぐれず。然し診察の際熱出づるを恐れて、熱灼を見合すべしといひわたさる。明朝夫人を訪ひ、尚懇談する處あるべし。今日食慾十分なれど、夕方にいたりて身體熱く、遂に八、二にいたる。遺憾なり。一五、切手。
      廿九日
朝七、〇。十時七、四。三時七、五。六時七、七。朝十五分。午前三十分。計四十五分。病院へ出掛けに雨ふる。十一時過診察。其時まで腰掛に横に成る。歸りに高崎氏をたづね診察を受く。十二時過歸宅。寐る。身體熱し。久保夫人を訪はず。博士在宅の折篤と相談すべし。夜高崎君藥を持ち來らる。二〇、女中。
      卅日
三時七、〇。七時六、六。雨。今日博士治療早し。宮川氏より本を借る。今日より下宿に成る。順次郎より整四郎出征の旨通知し來る。九、繪葉書。一、〇〇、宿へ茶料。三〇、切手。計一、三九。如何なるものか今日熱低く、食慾甚だし。夜牛肉を攝取す。一日雨。朝顔昨日終日萎まざりし爲か、今日一つもさかず。
(389)      十月一日
三時七、〇弱。六時同。午後久保夫人を訪ふ。面會を得ず。今日昨夜少しく飽食したる爲か、食慾稍感(減?)ず。然れども以前の如き直ちに胃を害したる如き感なし。一八、酒精。一〇、顔。一二、繪葉書。計四〇。
      二日
三時七、一弱。六時半六、六。博士休む。夫人急遽上京の爲め下關まで見おくりたりといふ。曾田氏の診察を受く。父より手紙、當地に來るべしといふなり。一日ねる。食事うまし。夜飯惡く食ふに不堪。九、石鹸。二、ペンサキ。計一一。
      三日
朝六、六。正午七、二。三時七、一。七時八、二。蒲團厚くて時々まくりしためか、風邪氣に成りしならむ、今朝頭痛し。朝久保令妹一寸來らる。宅より小包とどく。朝來頭いたかりしが、風邪の爲か、遂に八、二に昇り、例の如く不快なり。食慾十分ならざるに無理に攝取したる傾あり、愚なり/\愚なり/\。明日必ず減食。一時熱の引きしは減食の故ならむ。可驚。七、パン。二、
湯。一四、プダウ。一〇、  。計三三。夜半咳出でしが今日は痰甚だ少し。吸入午後までに終る。殆んど過不及なし。八時頃入浴してみる。
(390)      四日
正午七、八。三時七、六。六時牛七、七。朝三十分。朝の内一寸手紙を書き、やがてねるに厚き蒲團にても寒し。熱あるべしと思ひしに、果せるかな正午に七、八なり。午後一時約束にて久保博士を訪ふ。胸部に甚だしき異状なければ手術すといふことに成る。順次郎の手紙に、整四郎は大阪より乘船といふ。逢ひ難し。今朝靜坐を試みしに、力を餘計に入れざれば樂なり。一〇、一五、宿の拂。二五、ザボン。一五、ブダウ。計一〇、五五。今日飯食ひたからず、夜少量にとゞめて果物を食ふ。腹ふくる。過ぎたるならむか。
      五日
朝九時六、八。正午七、四。四時七、四。六時半七、四強。朝果物のみ食ふ。晝二椀半にして滿腹苦し。夜僅に一杯。病院に歸りて一日ねむる。夜中島松次郎氏を不老館に訪ふ。十一時過まで居て歸る。此夜不眠四時過ぎまで。明方とろ/\として六時十分さむ。
      六日
六時過七、四。朝中島氏父子來る。朝十分。食後廿五分。計卅五分。病院にて日光にて咽喉を檢査す。深處に爛れあり。高き處の下、そこに痰たまる。鉗子を以ては手術し難し。身體別に異状なければ、も一度燒くべしといふ。高崎氏を訪ね博士のはなしをたのむ。午後よくねむる。朝もねむくて熟睡す。高崎氏より健胃劑をもらふ。一四、ブダウ。五、氷砂糖。七、顔剃。計三〇。
(391)      七日
夜十時八、〇。朝廿五分。朝中島氏來る。午前病院(に等脱?)中島氏を見舞うて正午まで居る。疲る。午後また行く。四時迄。中島氏と同伴一方亭にて  く。十時過ぎてかへる。今日從來の掟を破ること甚だし。しかも一方亭に在る間は氣分惡からざりしが歸來八、〇あり。此日食慾十分なりき。
      八日
正午八、二。五時七、九。八時八、四。朝四十五分。夜十五分。計一時間。朝中島氏來る。手術に就き博士と熟談の歸途なり。中島氏を病院に訪はず。一日ねる。然かも果して發熱あり。朝久保博士の女中、整四郎の寫眞を持ち來る。二〇、甲州葡萄。
      九日
朝七、三。正午七、九。三時七、七。夜八、二。朝曾田君と語る。二十分。此日工合惡し。中島氏を訪ふ。昨日入院せし由なり。今日父共に手術。熱あれども食事はうまし。病院に少しはやく行き、おそく歸る。二四、甲州葡萄。
      十日
十二時七、五。三時七、四。七時七、九。朝一時問。午後仰臥して二三十分。更に一時間。朝早く出る。掛下君と一緒に成る。診察前中島父子を訪ふ。同前はじめて吸入す。歸來寒きこと甚(392)だしく蒲團着て容易に暖まらず。朝一時間の靜坐のため大熱に非ずやと思ふに然らず  食慾昨日の如くならず。蓋し昨夜の過食に起因すべし。午後仰臥して息ひ調和法を行ふ。二七、藥代。一三、プダウ。六、切手。計四六。      十一日
正午七、三。夜七、三。朝四十分。夜一時間。計一時間四十分。朝入浴して午前中熟睡す。午後理髪して中島氏を病院に見舞ふ。夕方まで話してかへる。熱低し。夜靜坐の後眠難く明方に眠る。六時半起く。二〇、理髪。二〇、プダウ。二〇、女中。二、風呂。計六二。朝小豆飯三杯。
      十二日
正午八、〇。四時七、五。朝四十分。夜二十五分。計一時間五分。午前中島氏を訪ひ少しく疲を覺えたり。午後一睡す。午餐甚だ過ぎたるが如く苦しかりき。夜高崎氏 來り十一時まで話して行く。夕食は非常におそく喫す。却て工合よろし。母より手紙。二〇、ブダウ。
      十三日
夜七、五。朝一時間。夜四十五分。計一時間四十五分。中島氏を訪問して午後五時頃まで居る。歸りて眠る。其ため晝まで旺盛なりし食慾少しく減ず。夜屋外散歩。少しく冷ゆ。其ためか夜明に熱出づ。今日の如く晝起たることなし。順次郎より藥とどく。
      十四日
(393)三時八、〇。七時七、三。朝三十分。午後二十分。朝靜坐の後入浴、別段食慾を催したる程に非るも一杯非常にうまし。故に二杯半を喫す。夜半さめたる後暫く眠らざりしによりねむく、少しく氣分惡しかりしが、今日も午後四時まで病院にありしを以て、遂に熱出づ。二時半過中食。其前二十分の靜坐により空腹を感ず。然し食後胸惡く、夜九時に成りていさゝか食思起る。夜高崎君來る。病院にて訪問したるために藥を持參されたるなり。今朝吸入をはじめたれども、食慾に影響するが如きを以て、一囘にて見合せ。久保博士へ高崎君  れし由  君よりきく。一〇、湯札。三三、バナゝ。二五、饅頭。二九、紙類。四、繩。
      十五日
三時八、〇。七時七、六。朝一時間。夕四十分。計一時間四十分。午前病院にて中島氏と海岸を散歩。午餐、朝來腹工合宜しからざりしが、午前中腹に力を貯へたるためか、非常に空腹を感じ三杯を喫す。午後五時迄ねむる。七、縄。一三、プダウ。七、顔剃。計二七。
      十六日
三時半七、五。七時七、六。朝三十五分。整四郎の手紙。靜岡よりの藥とゞく。午前病院より歸り、福岡局へ行く。徒歩して歸る。ねむる。夕方中島氏名島よりかへりによる。今日雨三日來の胃の工合惡しかりしが遂に食慾不進なり。九、電。三〇、赤城叢書。三〇、菓子。一、三〇、素麺。一三、包紙。一五、ブダウ。計二、二七。夜半火事あり。
(394)      十七日
夜八、七。朝二十分。祭日。雨。中島氏を訪ね雜談に過ぎて午後五時頃迄居てかへる。胃の工合もよく昨日と非常の相違にて、氣分もよかりき。歸宿後夜荷造りなど精出して後檢せしに八、七おどろく。一五、切手。一二、平福君へ小包料。二〇、内紫。計四七。痰おほく咳おほし。
      十八日 日曜
朝七、九。正午七、三。四時七、五。夜八、四。朝入浴してねる。朝食殆んど取らず。晝二椀。夕方父三人連にて來る。雜談其ための熱ならむか。中島氏午後令息同道にて來る。三日以來暖きに熱あるを以て暑し。二〇、氷糖。今日より肺全湯を用ゐ、今日全く靜坐を休む。
      十九日
朝七、三。三時同。夜八、一。今日中島氏を訪問せずして歸る。午前胃痛。午後も然り。午前も午後もねる。夕近く父等宰府より歸る。夜中島氏父を訪ねて來る。七時父久保博士を訪問。西公園菊人形見に行く。
      廿日
朝七、〇。三時半七、七。九時の汽車にて父歸る。父の見舞品を持ちて中島氏を訪問、一時にかへる。中食約三椀。昨日まで非常にほかつきしが夜來天候惡しく、今日陽氣もとにかへる。夜中島氏來る。晝晩大に十分に食ふ。夜八、〇に昇りしならむ。
(395)      廿一日
朝七、六。三時半同。七時八、四弱。朝來氣分惡し。一つは非常に  よりしならむ。中島氏を訪ね氣分惡しき爲め壹時頃かへる。入浴す。中食後ねる。夜中島氏訪ね來り、長時間話してかへる。自分は寐たる儘挨拶す。八、顔剃。朝非常に寒し。
      廿二日
朝七、六。三時七、七。夜八、二。學生の豫診日なりしを以て博士多忙、十二時頃診療を受く。氣分惡し。然れども晝は三椀。夜中島氏來る。子息を殘して歸京の決心をなせりとてなり。二時間以上語りて行く。夜葡萄百目を喰ふ。滿腹にて聊か苦し。熱の下らざるは夜過食せし故ならむ。明日より改めん。夜藥につき順次郎より、小 川の件に就き母より消息あり。二〇、葡萄。五四、書留小包料。計七四。
      廿三日
朝七、六。一時七、七。七時七、四。朝食とらず。九時病院に行き電氣燒灼を受く。今日苦しからざりき。鉗子に伐り採りて後燒灼。十一時より約廿分以上かかる。氣分直らざる爲め歸宿せしは十二時半なり。直に寐る。二時頃食事せしに味なく通らず。夜七時二椀。中島氏來る。都府棲のかへりなり。
      廿四日
(396)朝七、七。一時八、一。七時八、〇。病院にて中島氏に逢ふ。今夜割烹店に行かんと勧められたれど辭退す。晝はうまし。歸宿後寒かりしが暫時にしてやむ。今朝より吸入をはじむ。三、切手。三〇、酒精。二〇、女中。七、バナヽ。計六〇。夜中島氏來る。夜   氏來る爲めなり。
      廿五日 日曜
朝七、五。一時七、三。夜七、七。入浴。朝中島氏來る。  氏に面會す。寐る。午後中島氏を病院に訪ふ。菓子を食ふ。中島氏を博多停車場に送る。歸來ねる。夜食菓子のためうまからず。二、入場券。咽喉は痛し。一〇、女中。計一〇。
      廿六日
朝七、八。一時半七、七。六時七、八。病院にて十二時過まで待つ、博士來らざる爲なり。身體の疲勞甚だしきを覺ゆ。身體の熱くして、ともすれば汗ばむに困却す。朝食意外にうまく飯二杯。晝菓子の爲めに如何かと思ひしにうまし。午後五時近く  氏來り羊羹、鑵詰を贈らる。今日中島氏を訪ねざるにわざ/\他の如し。昨日より暖かなり。一五、ブダウ。計一五。
      廿七日
朝七、八。四時八、一。七時八、三。仰臥のまゝ腹力を試む。午前中島氏を訪ひ、後れて診察を受けず。然れども却て手術に就き、きくを得たり。中島氏肺尖に異状ありといふ。午後久保夫人を訪ふ不在。中食栗うまかりしが過ぎたりと思ひしに、果して然り。熱出づる所以ならむ。夜咳(397)出づ。二〇、理髪。
      廿八日
朝六時過八、〇。九時七、三。七時八、三。午後二時間。夜約卅分。中島氏を訪ふ。西卷氏に解熱藥を貰ふ。今日聊か咽喉の痛み薄らぐ。今日門間君より書物とゞく。午後寐ながら温泉の話をよむ。其間新聞と共に二時間腹に力を入れる。晝の過食和らぐ。夜服藥(解熱劑)の後汗しきりなり。
      廿九日
朝七、三。正午六、八。三時半六、九。七時七、八。今日も仰臥して、解熱劑の爲ならむ、疲勞を感じたれど、朝食二椀。中島氏を一寸訪ふ。昨夜は咳出でず大に樂なりき。正午熱下りたるを以て、服藥は二服にて止む。正午頃病院より歸る。何となくだるく氣分惡し。一つは藥の爲なり。夜朱欒を食ふ。滿腹苦し。二五、朱欒。昨日の疲れか腹力十分に入らず。
      卅日
朝七、〇。三時半八、二。七時七、〇。同。朝入浴す。九時久保夫人を訪ね十時半まで話してかへる。氣分よかりしが中島氏を訪ひ一時頃かへる。少しく惡寒を感じて遂に熱出づ。止むを不得解熱藥二服。中島氏退院二人して夜來る。鷄卵素麺一箱を贈る。二、〇五、卵素麺。昨夜夜中咳なし。
(398)      卅一日
朝六、八。一時過七、二。四時六、八。七時七、五。十時半八、二。同。一日寐る。食慾十分ならず。今日朝食はざるべしと思ひしに食ふ。但し少許。晝も空腹ならざるに食ふ。時々眠る。中島氏へ返事書く。門間へ送物。六、不足料。六、切手。五、〇〇、新聞紙。五、〇〇、宿へ。一一、雜費。今夜  の強健法を試む。計五、七三。
      十一月一日
朝六、八。三時七、七。七時八、一。同。昨夜殆んど眠らず。然れども如何にかしけむ。非常に空腹を感ず。午前入浴して一眠り。午後も一眠り。順次郎より羊羹。宅より衣類とゞく。昨夜の疲れか今日呼吸法十分ならず。一、四七、宿拂不足分。一二、ブダウ。八、小包料。計一、六七。
      二日
朝六、九。一時七、五。八時八、一弱。病院より歸りて氣分非常に惡し。朝來然り。朝二椀にして、晝非常に胃の工合惡し。食後ごろ寐す。整四郎へはじめて手紙書く。午後中島哀浪氏來り夕食後歸る。其間起きて居る。昨夜も殆んど不眠に陷らんとしたれば、仰臥して腹力を行ふ、百囘以上。いつの間にかねむる。昨夜寐しなに少しく胸むづかゆかりしが、夜明に少し咳出で朝また出づ。日中も少し出づ。今夜も不眠に陷らんとせしが、腹力により漸く免る。三、切手。
(399)      三日
朝七、三。四時七、六。九時過七、五。同。夜明に少し咳出づ。久保令妹結婚。中島氏へ體温表をおくる。飯非常にうまし。朝二。晝二半。夜三椀。西卷曾田二氏へ菓子をおくる。手紙三本書く。家より外套とゞく。今日も咳少しあり。割合に痰おほし。八、顔剃。九、切手。計一七。
      四日
朝七、二。正午過七、七強。入時八、〇。今朝も少し咳出づ。頭惡し。病院にて右肺より 顆を取り出したるを見る。呉服町丸善にて大健康法を買ふ。一、〇〇、本。一九、バナヽ。バナヽの爲め夜滿腹。計一、一九。
      五日
朝七、四。正午過七、五。四時七、三。夜八、三。本日高崎君と談じ診察受け損ず。午後久保夫人を訪ふ、四時まで。昨夜の過食のため朝一杯にせしに、晝空腹三杯。病院より歸りて一日寐ず。久保夫人を訪ねたるよりなり。夜三杯の爲に聊過食、夜ねむり難く、朝にいたりてねむし。解熱一服夜。一五、切手。
      六日
朝七、三。三時七、八。七時八、〇。朝服藥の爲ならん食慾なきに二杯、更に羊羹。晝滿腹。氣分惡しく午後ねる。近頃のどはれる、聲變る。放屁多し。過食の時腹力を加ふれば然り。]光線(400)を見る。一一、實業之世界。
      七日
朝七、二。晝七、五。三時七、三。七時七、四。午後四時入浴。高崎君の診察を受けて、博士の診察を受け損ず。曾田氏に診て貰ふ。朝一杯。晝食慾なし。今朝咳多し汗出づ。晝一、夜一半。然して夜葡萄及びカステーラを食ふ。藥をつくらしむ。五日分。五〇、藥。二二、菓子果物。計七二。三四日以來非常に寒し。青島陷落。
      八日 日曜
朝七、二。正午六、九。三時六、八。七時七、三。九時七、〇。朝宅へ手紙出す。朝汁一椀にとどむ。晝約三椀。副食物多量。少し滿腹。午後よく眠る。夢を見る、よろしからず。五、切手封筒。今日腹力少し怠る。晝食過ぎたるため夜不進一椀に止む。
      九日
朝六時七、〇。八時七、三。正午六、七。三時六、四。七時六、九。朝甚だ力なし。理髪して病院へ行く。今一度手術すべしといふ。暖かなり。曇り。朝汁のみに止む。卵二個。晝空腹にたへず。而して我慢し難く二杯半。後睡眠のためいさゝか停滯なり。夜バナヽ五ツ、飯約二椀。一、新聞。一八、バナヽ。一四、理髪。計三三。
      十日
(401)朝六、八。晝七、一。六時七、一。七時七、二弱。腹力なまける。但し少しやる。數日來身體倦怠を感じ、晝食に際し何となく不安らしく感ぜらる。それも一時問の横臥睡眠にて治す。三時近く久保夫人を訪ふ。五時近くまで居てかへる。如此して直ち(に脱?)はかりて七、一はうれし。それ故頭のぐら/\することなし。夜入浴。二二、切手、石鹸、卷紙。
      十一日
朝七、二。晝六、七。三時六、八。七時七、〇。咽喉の日光浴をはじむ。高崎君を訪ふ。午後眠る。一五、切手。三五、鏡。計五〇。
      十二日
朝六、九。晝六、七。四時六、六。七時七、二。雨あり、午後。咽喉反射の稽古くもりて出來ず。昨夜より今朝痰おほし。夕方入浴。一九、バナヽ。一〇、湯札。計二九。中島松次郎氏より菓子とゞく。
      十三日
朝八時廿分。朝食後七、五弱。十一時七、〇。正午七、〇。三時六、六。六時七、一。七時六、九。夜半跏丹田。三十分眠る。朝高きは昨夜一時過まで不眠に卷りたるによるならむ。今日注意を要す。十一時病院より歸り直ちに體温をはかる。今日咽喉日光反射うまく行く。一昨日あたりより非常に暖かなり。二〇、女中。
(402)      十四日
朝六、九。正午六、九。四時六、八。六時半七、〇強。夜同十分。曇りて日光反射行ひ難し。今日診療早し。今日もよく眠る。夕顔剃。夜七時久保博士を訪ね相談す。一五、洗たく。七六、燒炭研究社へ。二、新聞。七、顔剃。計一、〇〇。
      十五日
朝六、八。正午六、七。七時六、八。夜端坐卅分。昨夜雨強し。午前ねむりて、午後西公園に中山博士を訪ひ五時頃まで話してかへる。午後晴る。秋色皆珍らし。發熱なきを喜ぶ。此日朝二椀。晝同。夜三椀。留守中久保夫人より赤飯を贈らる。然し日中の睡眠の爲め夜半まで眠らず。近來時々如此。九、電車。      十六日
朝六、九。正午六、九。三時六、七。七時七、二。夜同廿分。  共に一時間なり。病院にて六十餘歳の老人の鷄の骨の咽喉につかへたるを取り出す處を見る。昨夜來咳嗽少し。午前曇りて日光反射まづし。四時過ぎ喉頭鏡買ひに出づ。七五、喉頭鏡。三〇、鷄卵素麺。二二、防水紙。三五、手帳。一一、實業之日本。計一、五三。寺田よりひしほとゞく。
 
(403)    餘白記載
 
   咳藥止處方
セネカ浸(四、〇〇〇)一〇〇、〇〇〇
燐酸コデイン       〇、〇五〇
杏仁水          四、〇〇〇
苦 丁          二、〇〇〇
單舍           八、〇〇〇
重曹            二、〇〇
※[ワに濁点]オタール   〇、七
ホミカエキス        〇、五       三服
ビラミトン         〇、五
 右神友學士の醫院に在りし當時の處方
        〇
大竹義道著 著  手間肥料の改良     九〇、送料 八、
堀 正太郎 著  農作物醫談     一、二〇、送料一二、
   東京日本橋區通三丁目成美堂書店 振替口座東京一七一九
【石井傳一・加藤馨次】麥作改良法     三〇、送料不要 有隣堂
横濱市西戸部八九八 小島久太
同 市 本町四丁目 高野鷹藏
【學説術語】便覽 特價六五、山陽堂   上野櫻木町卅九 香川眞治
      大正三年一月七日 表慶館
(404)徑山無準書 宋代
國寶阿彌陀三尊 蓮華三昧院 藤原時代
同 廿五菩薩來迎 八幡講
同 松崎天神縁起 鎌倉末期
同 牛皮華鬘 教王護國寺 藤原時代
同 古羅漢 鎌倉時代  神奈川縣光明寺
博物館 普賢菩薩 藤原時代
同  愛染明王 鎌倉時代
本郷區駒込千駄木町三十六番地木村方 門間武夫
仙臺市北三番町三六 石原 純
本郷曙町五    蕨 一郎
福島縣岩城郡平町長坂 太田 勇
  大正三年五月十一日 表慶館
博物館 鎌倉時代 淨土曼陀羅
寶樓閣曼陀羅 〇
京都 隨川院愛染曼陀羅 藤原時代
博物舘春日本地曼陀羅 鎌倉初期
大覺寺五大虚空藏 藤原末期 〇
(405)鎌倉時代 光明寺當麻曼陀羅 〇
博物館兜卒曼陀羅 鎌倉末期
光明寺當麻曼陀羅縁起 〇
法然院徳川中期鶴州初名住吉慶復觀音功徳圖屏風 〇
     山水、波十二幅、山水七幅、他四幅 〇
  大正三年二月五日 表慶館
松尾寺 孔雀明王 藤原時代
大阪府護國寺般若明王 同時代
岐阜縣永保寺千手觀音 宋代
鳥取縣豐乘寺揚柳觀音
博物館地藏尊
法然寺觀音功徳圖屏風
松崎天神縁起
觀智院應業雲龍屏風
 
江南竹 京都乙訓郡大原野村大字上羽八番戸 福井種次郎
向原寺 長谷川繁太郎
乙訓村長法寺 山下徳次郎
(406)同郡大山峰村大字圓明寺 木村六助
同所       大北寅吉
丹後班竹
綴喜郡大住村松井 堀口彌市 長二間 四寸五本二圓
雲 竹
麩屋町通高辻上ル 中林喜三郎 一本五六寸三本ニテ六圓
葛野郡川岡村川島 中林良吉 雛竹 一本四十錢鏡ヨリ二圓
 
     〇         炭酸グワヤコール 一、〇
稀鹽酸 一、〇        柏木ヂアスターゼ  一、〇
單舍  一〇、〇 【杏仁水 四、〇
          赤酒 一五、〇】重曹     二、〇
水  一〇〇、〇        龍膽末    適宜〇、三
 
(407)病牀日記〔三〕 (小型手帳)
          自大正三年十一月十七日 至大正四年一月八日
 
    大正三年
 
      十一月十七日
朝六、七 正午七、〇 三時七、三 六時七、〇 七時七、一
今日受療早し、曇りて反射不能、午前高崎君と語り歸る、午後食後少し憩の後惇多へ行く、喉頭鏡の柄を取かへるため、少しく疲る、歸着直ちに檢温、七、三 一五、アルコールランプ、一一、實業之世界、五、電車、四、柿、計三五、樽多行の往復共稍力を充實す、(408)四時半端卅分普通と併せ二時間近し
      十八日
朝六、八 正午七、三 四時七、〇 七時七、〇強
昨夜おそくまで歌に筆とる、眠られぬ故なり、今朝ねむし、反射の練習、病院よりかへりて、昨夜のねふ足のため久保夫人を訪問せんとして果さず、鯛温も高し、三時半まで眠る
      十九日
朝六、八 午七、三弱 七時七、三
病院にてはじめてよく聲帶を見る、午前久保夫人を訪ふ、感冒にかゝり居る由、逢はず、午後西公園に木下讃太郎氏を訪ふ、久保博士の紹介なり、夕方歸り食後箱崎に高崎君を訪ふ、十時過ぎて辭す、昨夜も亦三時まで眠らざりしを以て日中眠れば、復た今夜も眠り難きを思ひ、如此訪問す、故に七時に七、三より下らざるなり、胃少しく痛し、食後程を經ざるに腹力を強めたる故ならん、今日寒し、夜など歩きしため稍咳出づ、七、貌剃九、電一、新聞五、電 一二、五、電、計三四、五
      廿日
朝七、一二時七、一 四時六、七 七時七、二 雨寒し
今日電氣燒灼の手術あり此前に比して手術の身體疲れず熱は下降して以來力づきし印ならんか、(409)宿にかへりてねむる、前囘と異り晝も少しは食事す、夜は普通、晝間ねむりて夜もねむる、
      二十一日
朝六、七 正午六、六 四時六、七 七時七、四
今日曇りて朝非常に寒し、昨夜來の風止まぬ故なり、棉入一枚襲ぬ、例により藥つけ、又吸入して歸る、痛おほし、寒くて鼻つまる、夜の熱はそれ故ならむ、午前よくねむる、六時頃さむ、風邪ならん頭痛し、
      二十二日
朝七、〇 正午七、〇 四時六、四 七時七、〇
寒し日曜一日ねる、午後四時過までねむる、五時近く中島哀浪來り前日の如し、作日より咽喉痛し、
      二十三日
朝七、〇 八時七、三
朝おそし故に汁一杯を吸ひし上に飯二杯、ふと思ひ立つて觀世音寺へ行く、晴れて心地よき筈なるに何としたるか倦怠を覺ゆ、宰府より午後二時頃觀世音寺、住持東坊、修繕主任に面會、夕寒く立つて夜歸宿、夜食飽食苦し、一つは疲れと其ためとか眠れず、二三日寒かりし爲め風邪ならむ咳出づ
(410)三五、二日市往復切符、一四、宰府往復切符、三〇、宰府 計七九、
      二十四日
朝七、〇 午七、三強 三時七、〇
日光反射うまく行く、燒灼後はじめて見るなり、今日も呼吸せはし、三時過入浴起きては眠く昨夜の不眠のため心地よろしからざれどねれば樂なり、日中眠れもせず嚔おほし、夜卅分二、湯 三、柿
      二十五日
朝七、〇 午過六、八 三時七、一七時七、五
昨夜一時をきゝてねむる、息切れしてだるきは此ためなり、食事は十分なり、午前中病院に在りて何となく倦怠を覺えたり、午食後ねたるも眠り得ず、遂に七、五に昇る、夜殘りの解熱藥一服を飲む、くさめ、
五、柿一五、葡萄 計二〇、此日燒灼後の上部もよく成りし由博士の言
夕卅分 夜卅分 計一時問
      二十六日
朝六、五 午七、〇 三時七、二 七時七、三
昨夜よくねむり後さめたるは七時頃、朝食三椀、晝二、夕三、咽喉はまだ痛し、夜理髪のあとに(411)て久保夫人より長崎カステーラ二斤入一鑵贈らる、整四郎の手紙もとゞけられる、此夜も服藥、一五、理髪 五、柿 計二〇
朝十分 夕若干時 夜五十分 計一時問二十分許
      二十七日
朝六、七 三時七、三 七時七、一
朝如何にしても腹に力入らず食後もふくれず食慾も十分ならず夜の服藥の爲ならんか、午後久保夫人を訪ひて五時に歸る、三、切手、五、柿 計八、此頃夜歌の推敲す
朝廿分 晝十五分 夜廿五分 計五十五分
      二十八日
朝七、一午六、九 三時六、八 七時六、五
咽喉まだ痛し、昨日より無理して食事したる上今日遂にカステーラを食ふ、かた/”\夜藥をのみ食ふ、午前病棟にて語り日中の眠さを怺へて横臥せず、然るに却て熱なし、數日來の風邪氣去りたるならんか
二〇、丸善原稿紙 五、ペンサキ 五、電車 二、湯 六〇、蝋燭 計九二
      二十九日
朝六、七 三時八、〇 七時七、七 十二時七、一
(412)朝八時四十三分にて田代に向ふ、松崎に三原氏の遺族を訪ふ、此朝降霜甚だしく、松崎に至る車上、寒さ骨に徹す、遂に俄に八、〇に昇る、田代驛の時間の都合惡しく六時乘車、七時吉塚不用意のために失敗、發熱の持續せざるを願ふのみなり
六四、田代往復 一、橋錢 一、〇〇、人車代 計一、六五
此日より玄米乳、
熱度の甚だしく下降したる羽音は注意を要す
      三十日
朝七、二 午七、八 三時七、三 六時七、一 七時六、八
氣何となく惡し ねる割合に食事はいく、晝眠らず、夜治療上に就き相談ありて久保悸士を訪ふ、博士風邪にて臥す、合はず、
五〇、新聞一〇、小僧へ 計、六〇、
昨日に比して暖し
      十二月一日
朝七、〇 十一時七、五 午七、六 三時仝 五時七、五 六時七、二 七時七、五
近來如何にせしか息切して苦し、今朝なども然り、昨夜書きものしたるためにとねむる、然し今(413)朝つかる、晝ねむらず、歌に骨折る、頭少しいたし、夜久保博士を訪ねんとして今夜も風邪といふ、
三、封筒 二、湯 計、五、
      二日
朝六、九 午六、九 三時六、八 七時七、三
昨日午後啖甚だしかりしが、其爲か今朝少し、午後博士を教授室に訪ふ、即事燒灼のこと決す、
二、湯 五、貌剃 計七、
      三日
朝七、二 午七、二弱 四時六、七 七時七、四
今日博士の診察休み、曾田氏に手當を乞ふ、午後久保夫人を訪ふ、外出にて逢はれず、郵便局へ行く、呉服町までの歸途徒歩少し疲る、歸來直ちに檢温して六、七なりしは意外なりき、二、三日以來頭疲れ然して晝はねむれず、今日四時より約二時間ねむる
一四、電車、一四、原稿紙、三〇、シウ 計、五八、
      四日
朝七、〇 午七〇 三時七、二 七時六、七
昨夜二時頃迄眠らざりし爲ねむし午後うと/\する、
(414)九、果物一五、切手一、耳かき 計二五
      五日
朝七、三 三時六、五 七時過七、三
夕方よくねる、平福君より毯とゞく、入浴、
一〇、湯札一、切手 計一一、
      六日
朝七、〇 午六、五 七時七、三
雨、午後曾田氏を訪ふ夕方歸る、山岡氏より優待券とゞく
七、貌剃、一〇、シウ 四五、菓子、二〇 足駄、一五 葉書
      七日
朝七、三 三時七、五 七時七、三
午前久保夫人を訪ひ毬おくる午後まで居て話してかへる、アラヽギの原稿を整理 入浴
      八日
朝六、九時七、五 一二時七、三 七時過七、五
原稿をアラヽギヘおくる、寒し雨ふり又てる、夜就牀前入浴
五、切手一二、書留、切手 六、蜜柑 計二三、一〇、女中 計三三
(415)夕はじめ雀の首筋白きに氣づく
      九日
朝七、一 午七、七
八時半病院、九時注射十時燒灼、三十分を要す、今日は患部の突起したるを少し削りとる、電氣の刺戟以外になし、前面より手術を受くるに樂にして身體の疲勞もなし、日光反射により手術部明かに見えたり、三、切手 計三
      十日
朝六、九 三時七、二 七時七、四
今日患部さまで痛からず以前程に腫れざる由なり、晝間ねむくてねる、午餐もて來たれどもくふ勇氣もなし、一時間   
      十一日
朝七、五 二時六、八 七時七、六
昨夜眠らず、朝如何にも起きて外出するを快く感じたりしが果して七、五なり、飯僅かに一杯、
晝二、夜二、午前高崎君を訪ね診察を受け尿も檢し喀痰檢査をなす、睡眠劑もらうてかへる、近來腹に力なし、痰非常に多し、病院より歸りて夜までに壺一杯なり、
      十二日
(416)朝七、六 午七、五 四時仝 七時七、四
昨夜睡眠約二度のみたれど熟睡し難ししかも今日晝はぼんやりなり、食慾更になし、久保夫人より午後越の雪一箱八橋若干おくらる、復た夜に成りて眼さゆ、昨夜の咳にはおどろきたり、二三日來掛蒲團二枚近來晝照ること稀、今日も然り夕方時雨、雷鳴をきく、夜アラレふる中に火事、夜霜相當、
三〇、カステーラ 三、切手 計三三、
      十三日
朝七、三 一時七、〇 四時七、一 七時七、五
一日ねる、ぼんやりする、昨夜約一服半のみてうまくねられず、午後高崎君來訪、越の雪おくる、夜十時入浴す、今日少し談話す、痰咳共に昨日より少し、此日あたりより仰臥して腹力をこころむ
      十四日
朝七、四 七時過七、四
食慾なし、夜理髪して更に談話す寒かりき服約せずしても少しねむれて夜半さむ前日來同樣歸宿後ねむることおなじ、晝雨、久保夫人よりアラヽギを借る。其手紙やつと書く
三、封筒 三、切手、一五、理髪、計二一
(417)      十五日
朝七、三 午七、五 四時過八、〇 七時八、八 八時過仝弱 十時過八、五昨夜の理髪など惡かりしならむ、今日惡寒遂に熱突發す、昨夜もよくねむらずおなじく午後ねむる、近來何としても二杯の食事をなせば腹苦し此熱出づる前兆なりしならむか、又近來便ゆるむ且下痢に近し、手術後の疼痛また甚し痰おほきためかまた手術の大なりし爲か
三五、ミルク 二〇、女中 一〇、柿 計六五、
      十六日
朝七、一 午七、六 三時八、一弱 七時八、七
依然夜は本當に不眠、然れども今日日中は餘り不眠正午頃頭も少しよく成りたりしが三時頃より惡寒、粥を食ふに過日來とは少しく異りて食慾あるが如く感せらる、高崎君へ手紙にて懇請したる爲め點灯後歸途立寄り診察せらる、夕食時西卷氏久保博士の命により見舞に來らる感謝に堪へたり、昨日は三時頃渇きを覺えたりしが今日はなく日中痰少し減じたりしたが夜は出づ、夕方惡寒あり服約してねて却て苦し
      十七日
朝八、五 三時七、五 七時七、七
今日もねる、夕方惡寒なし、夜曾田君來訪先生の命なり入院のことに就き更に高崎君を訪ぬべし(418)といふ、夜割合にねる、
一五、切手、
      十八日
朝七、四一時七、〇 五時七、〇 七時七、〇
午前ねむる、午後もねむる、今日天気少しよく、日光さし掛けたる爲か氣分非常によく血色もよし、午食普通の飯にて少し過ぐ、然し夕食もおそくとりたればうまし只夕食の過ぎたるかして食後氣分宜しからず日中餘りよく眠りたる爲ならむ眠り難く又歌一首浮びたるため頭疲る、夕方高崎君來り博士と入院に就き相談の經過を語るいづれにも空牀なし暫時こゝに靜養のことゝす
      十九日
朝七、七 午七、二 四時七、一 七時六、八
昨夜ねむらねば頭は惡し、今朝少し食慾不振たべすぎなり、午前ねむり午後はねむらず、久保夫人へ書物を返す、夕食後、ねむかりしが十二時過さむ、目さえて明方うと/\
      二十日
朝七、○ 午七、三 四時七、二 七時過八、〇 十時近く七、五
朝食甚だうまし、午食甚だまづし、如何にせしか頭非常に惡し、午前午後共にねむる、夜八、〇は遺憾なり、今日も曇り、午後少し日射す寒し、日曜
(419)痰非常におほく殊に黄色なるも絶えずからむ間食午後汁粉、夜柿三つ、一〇、柿
      二十一日
朝七、七 午七、三 四時七、三 七時過七、八
山岡氏へ優待券を返す、一時頃さむ前夜におなじ、朝起頭惡し、如何にしても夜熟睡せざる故なり、午後理髪入浴、今日はじめて病院へゆく、歸來夜まで服を解かず却てからだはしまる、三時入浴後少しくうと/\す午前はねむらず、今日より天氣よく成り鏡取り喉頭を見る、手術のあとぎざ/\として居る、夜四時間は眠りたるべし
七、貌剃 三五、ミルク 計四二、
      二十二日
朝七、七 午六、七 三時七、三 七時過七、一
一日雨、病院へゆく、咽喉の痛み餘程よろし、三時まで服を解かず日中殆んと不眠夜十一時頃ねむる、割合よくねる、
      二十三日
朝七、〇 午七、〇強 三時六、六 七時七、一
夜來空風吹く、病院行やすむ、朝來腹へらず、朝便通の際下血心持よろしからず、一日ねる、午(420)後ねむく成り少しうと/\す、成るべく眠らざる考なり、頭は惡し、時々霰いたる、終日風ふく、意外に痰出でず外出せざる爲か咽喉のいたみもうすらぐ咳もそれにつれたるならむか、夜十一時まで話してねる、
      二十四日
朝六、九 午六、六 四時六、八 七時七、二
病院へゆく、午後久保夫人を訪ふ不在歸途入浴す、後臥牀ねむくして約二時間うと/\す、時々日さしかくるかと思へば曇り時に雨はら/\とす、今日も咳少し、夜頭痛し、夜宮川氏畷乞に來る、大阪商船より手紙、靜座を試みるに太儀なり、
午前靜座十分 夜もすこし
      二十五日
朝七、〇 午七、二 四時七、五 七時七、八
昨夜も眠り難く、加之夜食後菓子の過食のためもあらむか輾輾反側して苦しきこと限りなし、病院へ行く、咽喉の右方此間の發熱時痰嗽甚だしかりし以來疼痛去らざりしが今も少しく突起を生じたる由なり、いつになりて入院叶ふやらむ、日少しさしかけて又曇る、非常に寒さ身にしむ、宅より手紙つく、午後またうと/\す、頭痛少し去る、熱のためか午食より食慾なし、朝すこし 午食前四十分 十五分 夕食前十分
(421)三〇、女中 三五、ミルク 計六五
      二十六日
朝七、六 午七、三 四時七、一 七時七、三
昨夜うまく眠れたりと思ひしに十一時過さむ、其間一時間餘のみ、あとはさめ又うと/\して夜明く病院へ行く、北風に逆ひて非常に寒く困難す教授は休み、曾田氏に入院のことくれ/\依頼す、午食後眠る、少し咳出づ、時々日さしかけるかと思ひしに曇る險惡の空なり
午前は來分惡しく靜坐し難し、胃の工合非常に惡く困却したれど靜坐の爲か夕食いく、十一時まで宿の者と話して蜜柑をたべるやがて嘔氣を催し蜜柑の汁だけ吐く心持惡しくねられず 夕方二十分、二十五分
      二十七日
朝七、四 一時八、三 四時八、六 夜仝 夜中七、八
朝來食慾少しもなく朝汁少し吸ひ晝牡蠣一皿をくひしのみしかも暫時にして牡蠣は少許を吐く、正午過高崎君來り貌剃の處を急いて行く、夜眠ること約一時間位身の置處なく苦しむ、就眠前按摩す
二一、水菓子、二五、按摩、計四六、
      二十八日
(422)朝七、五 午六、四 四時六、六 七時七、九
朝漸くおも湯同樣の粥をすゝる、如此にして却て梯子段の昇降に息切れ少し晝間少しうと/\す病院へ手紙やる耳鼻科へ入院益難し、高崎君夕刻來る筈にて來らず夕食うまからず熱來のためなり四時頃より頭はよくなりたるを感じたりき昨夜間の苦しみはなし不眠は同し
三、封筒
      二十九日
朝八、四弱 午六、九 四時六、九 夜八、〇弱
朝の熱甚だ高かりしも非常に空腹を感じたり、恢復の徴か否か、晝食僅に三時半にて食す十分なり、夕食もよし、重ねて食後柿六つ、昨日も少し天氣よかりし、今日より晴天日中暖かし、夕方高崎君睡眠約を持ち來らず、二階に上らず多忙なりといふ、近來便通の工合は非常によし、
五〇、新聞代 二、五、耳かき 一〇、柿 二〇、女中 計八二、五
夜藥のまず 時々さめざれどいつもよりよくねむる、貌剃の爲ならむ
順次郎より俳書佃煮、アラヽギ五册
      三十日
朝八、三 午六、九 四時牛六、九 八時七、九
朝昨日程空腹ならず柿の過ぎたるならむ、昨夜は其爲か三囘も便所へ立つ、少し過ると思ひなが(423)ら二杯を食して、旦一午食早きに過ぎたるためか胃痛晩にいたりて止まず、其儘夜食却て止む
一五、理髪 二一、水藥 二、〇〇、宿へ茶代 計二、三六
      三十一日
朝八、六 午七、一 四時七、〇 七時過七、七
昨夜十一時まで話す 服藥してねる 三時過さむ、朝の八、六は十一時までの話が惡かりしならむ、此前も十一時まで話して熱出でたり、午食空腹を感ずしかも夕方少しく胃痛、久保夫人より神戸の牛肉の味噌潰一樽おくらる、入浴す、朝來雨夕晴
四〇、玄米乳 六、石鹸、三〇、プダウ酒 計七六
 
    大正四年
 
      一月一日
朝七、八 五時近く七、三 八時八、三
朝來晴天、昨夜二時にさめ夜明うと/\、此宿の縁起にて戸家毎にあかず、雜煮二杯、晝牛肉味噌漬を食ふ、一日うと/\眠し、午後咽喉を見るに燒灼の後はぎざ/\會厭も左三分一位腫れ其他周圍はれ物しみて遺憾なり、夜一服のんで眠れず二服のむ、
      二日
(424)朝八、一 午七、四 三時七、五 六時八、五 八時九、一
一日曇り
朝から食慾惡し、うと/\す二時頃高崎君來り病院に全く空牀なきを語る益々困却す夕方よりぞく/\せしが九、一とは全く意外千萬なり、されど先頃の如く梯子段の昇降に息切れなしあれども餘程少きなり、
二〇、女中一五、卵一〇、砂糖 二〇、番頭 五、箱崎への電車賃一〇、子雪梅 計八○、
九、一に昇りしを以て高崎君へ使をやる解熱劑二服おくらる、十時過まで子守に按摩をとらせる、卵湯二杯のむ、
九時二十分解熱藥服用十一時八、三 十二時二十分解熱藥、一時睡眠藥ねむる
      三日
朝八、午八、八 三時九、一 夜九、〇
午後高崎君來る、右肺の病熱進みたるらしといふ、久保博士へ相談に行く、午八、八は未曾有なり、午前藥の爲かうと/\す、夜五目飯三杯食ふ、
      四日
朝八、四 午八、一 夜八、七
昨夜多量に食したる割合に今朝たべられる 午前うと/\す睡眠藥服したれども本當に眠らざり(425)し故なり、午高崎君來り隔離へ入院叶ひらる由告げらる
六〇、切手類 八、人車
點爐後南隔離へ入院、夜不眠、入院の際少し歩きたれども、比較疲れず
      五日
朝七、五 七、七 一時八、四 四時過八、六 六時七、九 七時七、一
朝晝共に食慾なかりしが夕快し氷にて冷したるによるならむ
久保博士來診、高崎君來診、此日より附添、
一、六三、買物 五〇、宿拂の不足 一〇、小僧 計二、二三
夜服薬したれど本當に眠らず苦し
      六日
朝七、五 七、三 一時七、九 七、六
朝からうと/\食慾なけれど無理に粥全部食す、中食に菓子を食したる宜しからず、武谷博診察
曾田君治療一日うつら/\として氣分惡しく痛甚だし、新聞讀みて疲る、昨夜一囘下痢の爲ならむ昨夜は一昨夜より少し咽喉痛み少しされど散藥のむ際咽せて咳出づ附添かはる病院は暖かなり
二六、五、買物 一九、買物 六〇、附添へ 計一、〇五、五 晴天
今日附添代る
(426)      七日
朝七、五 三時七、九 七、三 七時七、七 夜中四時八、八
昨日晴なりしが今日は雨、朝少しの食慾もなし下痢が聊かさはる、
二時頃鰻丼一杯食す、夕へらず入時漸く粥一杯、日中うと/\
午前曾田君午後高崎君、
昨夜以来氷嚢をあて居りし爲か寒くて三時半さむ附添湯婆を入れてくれるあつき程暖く成る、
十時頃より三時半まで眠りしは昨夜はじめてなり、身體疲勞を感ず
五、石鹸 二〇、丼 計二五
      八日
朝八、八 九、一 午七、九 七、七
昨日丼を一杯たべし故かへらず夜食粥僅に一杯なりしがそれにても苦しく宵の内少しうと/\して二時半復惡寒にてさむ湯婆にて漸く暖まる水湯呑へ二杯、四時に念のためはかりしに、八、八あり苦しきこと限りなし、然し咳は出でず便所へ立つに足のふら/\に驚く、順次郎より手紙來る、十日頃來訪すへといふ、曾田君、高崎君、仝君は二度來て一度注射す、久保博士もおそく來り、又後來るべしとて去る、博士宅より御馳走到来、霰たばしる
三、錐 八、五、タイミソ 三、五、パン 計一五、
 
(427)      餘白記載
 
 佐賀縣基山村小松大興善寺(天部二部)
〔2022年4月15日(金)午後7時47分、入力終了〕