増補本居宣長全集第七巻、吉川弘文館、1927年1月10日、増訂再版発行
(3)萬葉集玉の小琴 本居 宣長
萬えふ集は、師の常にいはれける如く、草の文字してかきつたへてければ、後見る人の見まがへつゝ、はやくよりあらぬ文字に寫しひがめつることのみ多かる本の、後の世には殘りにたるを、ひがよみは更にもいはず、さるひが文字の儘にしも、強て訓きつるが故に、いかなる心とも、さらに明らめしられぬ歌なも多かりける、かれこゝをもて、聊も疑はしと所念る歌は、必僻寫しの文字あらむことをし思ひて、それ思ひめぐらすぞ、萬葉學びの旨なると師はいはれにき、誠にしかにはあれども、それ將いと難き業にして、たは安く思ひうべくも有ざりけるを、今の世の人どもは、其かみの心言葉のふりをも、うまらには悟り知らずて、未しき程より、惟僻文字僻文字となも、いひ詈りつつ、猥に改めなほすめるは、中々なる物そこなひも多かれど、しかいひて又さる本にのみ、かゝつらひつゝ、猶文字の儘に訓み得てむとするには、かにかくに思ひめぐらせ(4)ども、遂に古の心言葉は、得難くて、中々に横さまに、強たることにもなりゆくめれば、猶此僻文字考る教はしも、捨がたく動くましかりければ今はた其教に順ひて、これ彼思ひ得つることどもを、猶ねもころに、かたへの歌なる、同じ詞の屬ひをも、尋ね合せ、同じ心の友がきにも、語らひはかりて、我も人も惡からじと、定めたる限りをなも、試みかてら、文字も訓みも、改め直しなど、あらゆる人皆の、得がてにすなる、歌の心を思ひ得たるなど、かきあつめたる此ふみぞ、猶よからむや、あしからむや、これよりうへのさだめは、たゞ後見む人の心になも、
かきならすたまのをことをこゑしりて
よけくあしけくきかむひともか
安永八年己亥十一月五日
(5)萬葉集一之卷
○籠毛與、云々【七丁】菜摘須兒、なつむすこと訓るは誤也、なつますこと訓べし、つますは、十七卷【二十七丁】に、をとめらが、春菜都麻須等、とあると同くて、つむを延たる詞也、十卷【四十丁】に、山田守酢兒、是もゝるすと訓るは誤にて、もらすこ也、總てすこと云稱はなきこと也、七卷【二十七丁】に、小田刈爲子、九卷【十九丁】に、伊渡爲兒者、などあるも同じ例也、思ひ合せて知べし、
吾許曾居、師吉名部手、本に、居師と師の字を上の句へつけて、をらしと訓るは誤也、こゝはをらしといひては、語とゝのはず、をれと訓べし、又吉の字を告に誤りて、つげなへて、のりなへてなどよむも、いかゞ、のりなへてと云こと心得ず、こは必吉の字にてしき也、しきは太敷坐、又敷坐國などいへるしき也、
我許者、わをこそと訓べし、われこそといひては、こゝは宜しからず、又者の字は曾を誤れるなるべし、
○山常庭、云々怜※[立心偏+可]國、考に※[立心偏+可]怜と下上に、改られたるは宜し、※[立心偏+可]の字は諸の字書に見えず、漢にはなき字也、書紀には皆可怜とかけり、是正しかるべし、えを可愛とかゝれたると同じ例也、然るに此集にあるは皆、※[立心偏+可]とかけり、こは此方にて扁を加へたるものなるべし、(追考)
〇八隅知之、云々朝庭、云々夕庭、本のまゝにあしたにはと訓べし、ゆふべにはも同じ、
奈利弭、利を加に誤れり、考には留の誤とせられたれど遠し、利と加とよく似たり、(追考)
朝獵爾、云々暮獵爾、朝と暮と二つながら今たゝすらしといへること、誰も疑ふめり、こは朝かりとは、朝饌の料をとるをいひ、夕かりとは、夕饌の料をとるを云名にて、其獵する時を云に非ず、されば時に拘らず、朝獵をも、夕獵をもすると也、(追考)
(6)○霞立、云々【八丁】多豆肝之良受、多を和に誤れり、多と和とよく似たり、(追考)
卜歎居者、本のまゝに訓べし、十七卷【三十二丁】にぬえとりの、宇良奈氣之都追、
懸乃宜久、よろしきといはずして、久と云るに心を付べし、こは六句を隔てゝ、下の朝夕爾還比奴禮婆、といふ所へかゝる詞にて一首の眼也、そはいかなを意ぞといふに、旅にては早く本國へ歸むことを、願ふ物なる故に、かへるといふことを悦ぶ也、然るに今、行幸能山越の風の吾袖に、朝夕かへるかへる吹くるを、かけのよろしくとはよめる也、かの業平朝臣の、うらやましくも、かへる浪かな、と云歌をも思ひ合すべし、此詞を遠神云々へかけて見るはひがこと也、(追考)
○金野乃、美草刈葺、【九丁】美草はをはなと訓べし、貞觀儀式大嘗祭の條に、黒酒十缶、云々以美草※[食+芳]之、又次に倉十代輿、云々※[食+芳]以美草、と見えて延喜式にも同く見ゆ、然れば必一種の草の名也、古薄を美草と、書傚へるなるべし、もし眞草の意ならむには、式などに美草と、美字を假字に書べき筋なし、
〇熟田津爾、云々今者許藝乞菜、【十丁】乞の字は弖の誤ならむと、田中道麻呂いへり、さもあるべし、こそなといへる例もなく、句の調べもわろし、こきてなはこきてむと云に同じ、道麻呂は美濃の國人にて尾張の名古星に住り、おのがもとへ常に文かよはして物とふ人也、
○香山波、云々【十一丁】如此爾有良之、云々然爾有許曾、如此爾はかくにと訓べし、かくにしかにと、上下詞をかへて重ねいふぞ、古歌の常なる、
相挌良之吉、相挌はあらそふと訓べし、二卷【三十四丁】に、相競あらそふ、十卷【十丁】に、相爭あらそふなど、相字を加へて二字に書ける例也、又挌の字をあらそふに用るは、十六卷【六丁】に、有二壯士、共挑此娘而、捐生挌競、などもあり、嬬をあひうつといひては、理り聞えがたし、○冬木成、云々【十二丁】山乎茂、入而毛不見、此不見を本に不取とかけるは誤也、入てもとらず、取ても見ずとてはいかゞならむ、次の句を考に、たをりても見ずと訓れたるもわろし、そは本の儘に訓べし、さて不取は、三井高蔭が、不見の誤な(7)るべしといへる考宜し、取と見と草の手似たり、かくて入ても見ず、とりても見ず、と對しいへるは、古歌の例によく叶へり、(追考)
曾許之伶之、秋山吾者、恨の字は怜の誤也、そこしおもしろしと訓べし、うらめしにては聞えず、とじめの句は、あき山われはと訓べし、それがおもしろければ、吾は秋山也と云意也、秋山そと、そを加へては中々におとれり、
○味酒、云々【十三丁】情無、雲之隱障倍之也、こゝろなく句也、雲の又句也、此雲之を、上句へ附るも下の句へ附るもわろし、三言の句例多し、九言十言の句は例なし、此たぐひ皆二句に訓べし、
○茜草指云々、紫野ゆき、しめのゆき、君が袖振を、野守は見ずやと云意地、此外よそへたる意なし、
○柴草能、云々【十四丁】人嬬故爾、集中に人つまゆゑにといへることいと多し、皆人の妻なるものをと云意也、俗語に人の妻じやのにと云が如し、此歌の意は妹とはすべて、女をさしていふ稱にて、こゝは額田王をの玉ふ也、にくゝあらば、何か戀む、人の妻なるものをと云意也、此歌考の説は痛くしひこと也、人の妻故にといへること、集中他の歌の例にも叶はず、言の意にもそむけり、さて此太子の額田王を、人妻との玉ふことを疑ふ人あるべけれど、此額田王のことは猶論あり、別に云べし、
○打麻乎、云々【十五丁】白水郎有哉、有哉は本の儘に、なれやと訓べし、なればにやと云意のことにて、例いと多し、なるやと訓ては聞え安きやうなれど、古のふりに非ず、集中に例なし、
○淑人乃、云々【十六丁】良人四來三、四來三或人のよくみと訓るを用ふべし.みとのみいひても、見よと云意になる古言の例也、よき人よきみといへる訓は心得ず、
〇玉手次、云々阿禮座師、神之盡、盡を本に書とあるは寫誤也、盡とは神武大皇より始めて、御代御代の天皇、悉く大倭國に、官敷いましゝよし也、(追考)
倭乎置而、青丹吉、平山越而、本に平山乎越とあるよりは、一本に平山越而とある方宜し、倭乎置而の而文字は、猶必有(8)べき也、此而文字なくては、いとわろし、而の重なるは古歌古文の常なり、
春草之、茂生有、霞立、春日之霧流、はる草し、茂く生たりと訓べし、之はやすめ詞也、さて此二句は、宮の痛く荒たることを歎きて云也、次に霞立云々は只見たるけしきのみにて、荒たる意を云には非ず、春日のきれる、百磯城之、云々と續けて心得べし、春艸之云々と、霞立云々とを同意に並べて、見るはわろし、一本の趣とは異なり、こは一本の方は春日と夏草と時節の違へるもわろく、二つの疑ひの香も心得難し、
○樂浪之、云々【十七丁】雖幸有、本の儘にさきくあれどゝ訓べし、大宮人之、云々下句は志賀の辛崎の大宮人の船を待得ぬ也、作者の待得ぬとよめるには非ず、(追考)
○左散難彌乃、云々 考に昔の人にあはむと思はめや、船待兼しは、はかなかりきと今知たる也とあるはわろし、待兼は、爰は俗にいふ、待かぬる意には非ず、集中不得と書る意にて待得ざる也、
昔人二、云々 下の句は、是も志賀の大わたの昔人に、又もえあはじと云也、もし作者のえあはじと云意にしては、三の句よどめどもといはざれば叶はず、志賀の大わたよ、いつまで淀むとも、昔の人には、又もえあはじと云意也、よどめどもといはずして、よどむともと云るに心を付べし、(追考)
〇八隅知之、云々【十八丁】夕河渡、ゆふかはわたると訓切べし、わたりと訓て下へ續けてはわろし、
○安見知之、云々 【十九丁】青垣山、山神乃、青垣山のと、の文字を添るはわろし、あをかきやまと訓べし、青垣山は花挿頭持と續く意也、
春部.此へは方の意と、誰もふと思ふめれど、春にのみいひて、夏へ秋へ冬へと云ことなければ、方には非ず、春榮はるはえを約めたる言也、故此言は春の物毎に榮ることによれる時にのみ云り、
鵜川乎立、立は本の儘にたてと訓べし、是は御獵立、又は射目立、などのたてと同くて、鵜に魚とらする業を、即鵜川といひて其鵜川をする人共を立するを云也、
(9)山川母、依※[氏/一]奉流 本の儘につかふると訓べし、つかへるは今の世の鄙俗の言也、凡て下をくる、する、つる、ぬる、ふる、むる、ゆる、るゝ、うると云言を、ける、せる、てる、へる、ねる、めるえる、れる、ゑると云は皆鄙俗の言て古になき事也、稀に、時雨の雨の、そめる也けり、峯まではへるなどあるは、染有延有の意にて、そむるはふると云とは異也、
〇嗚呼兒乃浦爾、云々 【廿丁】珠裳、本の儘にたまもと訓べし、廿卷【四十七丁】に多麻毛須蘇婢久とあり、珠をあかとは訓難し、二卷【三十一丁】に越の大野の、朝露に、玉藻はひつちともあり、
○吾勢枯波、云々己津物、隱乃山乎、起を己と書るは、古偏を省て書ける例也、健を建と書、書紀又式などに石村を石寸と書、古事記に蜈※[虫+公]を呉公と書る、此類猶多し、さて隱の山は、伊賀國名張郡の山也、大和の京の頃伊勢へ下るには伊賀を經ること常也、此卷【二十五丁】に、よひに逢て朝おもなみ、隱にか、八卷【三十五丁】に隱野、などあるは皆同所也、さて名張を隱とかくことは、天武紀に則隱郡とあり、又大和の地名に、吉隱あり、是等をもて爰の隱の山も、なばりの山なることを、思ひ定むべし、さてなばりとは即かくるゝことを云、古言と見えて、已津藻と云も、又朝面無と云も、かくるゝ意の續け也、十六卷【三十丁】に忍照、難波の小江にいほ作り、難麻理※[氏/一]居、葦蟹、云々是かくれて居ることを、なまりておると云り、是をかたまりてと訓るは、忌敷僻こと也、
〇八隅知之、云々 【廿一丁】荒山道乎、此乎は初瀬の山は、荒き山路なる物をと云、意のを也、
○阿騎乃野爾、云々宿良目八方、ぬらめやもと訓べし、ねらめと訓は鄙俗の語の格也、
○※[女+采]女乃、袖吹反、云々 【廿三丁】反は本の儘に、かへすと訓べし、こは今飛鳥の川の邊を女の行に、風の袖を吹返すを見てよめる也、昔京にて有しときならば、京人の見てめづべき物を、今は故郷と成て、見る人もなければ、美人の袖を吹かへすも、いたづらこと也と也、又はたわやめの袖をも、吹かへす飛鳥風なれども、今は京遠く成ぬれば、さる女も行通はねば、いたづらに吹と云るにても有べし、何れにても反は、かへす也、考の説はむつかし、(追考)
〇八隅知之、云々春山跡、春山は青山の誤なるべし、此歌の凡ての詞どもを思ふに、分て春と云むこといかゞ、其上畝火(10)乃、此美豆山者、彌豆山跡、と云るに對へても、青香具山者、青山跡と有べきもの也、
畝火乃、此美豆山者、日經能、大御門爾、畝火山は正しくは、西の御門に當るべけれど、日の經は既に云れば、実は必日の緯といはでは、宜からぬ所なる故に、少し強てかく云るも、西南ながら、南の方へよれる山なれば也、
○藤原之、云々【廿四丁】安禮衝哉、云々之吉召賀聞、召の字は必、呂の誤にて何しきろかも也、之吉の上に言落たる也、其言は未思ひ定めず、其言に從ひて、上の哉宇も、武の誤にても有べし、
道麻呂云、結句の之の字は、乏の誤、召は呂の誤也と云り、此考宜し、さては三の句の哉は、愈、武の誤にて、あれつかむ也、(追考)
○朝毛吉、1云々【廿四丁】此歌の意は、眞土山のけしきの面白きを見捨て、過行ことの惜きにつきて、此紀の國人の常に往來に見るらむが、浦山敷と云る也、乏は浦山し也、其意によめる例は、五卷【廿二丁】に、まつら川、玉嶋の浦に、わかゆつる、妹らを見らむ、人の乏さ、六卷【十八丁】に、嶋かくり、吾榜くれば、乏かも、倭邊のほる、眞熊野の船、七卷【十九丁】に、妹に戀、わが越くれば、せの山の、妹にこひすて、有が乏さ、又吾妹子に、吾戀ゆけば、乏くも、ならひをる鴨、妹と勢の山、十七卷【四十丁】に、人にもつけむ、音のみも、名のみも聞て、ともしふるかね、是等と合せて思ふべし、又眞土山のけしきを面白きことによめるは、四卷【廿三丁】に、眞土山、越らむ君は、黄葉の、散飛見乍、したしくも、吾をば思はず、草枕、旅を宜と、思ひ乍、君はあらむと、云々とあり、
○在根良、【廿六丁】在は布の誤にて布根也、良は稻掛の大平が考に、竟の誤なるべしと云り、されば此枕詞は、舟泊ると云こと也、泊を竟と書ること他卷に例あり、(追考)
○霰打、云々 此歌は七卷【九丁】に、佐保川の、清き河原に、鳴千鳥、河津と二つ、忘れ金つも、とよめる河津は蛙には非ず、佐保川の川津にて、千鳥と此川の氣色の、面白きと、二つながら忘れ難しとよめると同意にて、此弟日娘と、あらゝ松原と、二つ見れど飽ぬ鴨也、かの七卷の歌と、考合せて知べし(追考)
○大伴乃、云々枕宿杼、家之所偲由、杼は※[夜の草書]の誤にて、まきてぬるよはと訓べし、松が根を枕にしてぬる夜は、物悲くて(11)家を思ふと也、考にまきてしぬれどゝ訓て、かく面白き濱の松がねを、枕とまきてぬれとゝはいはれつれど、此説いかゞ、面白き濱なればとて、松が根をまきてねむには、何の面白き心あらむ。
○吾妹子乎、早見濱風【二十八丁】 見濱は御濱にて、見むといひ縣たる也、
○吾大王、物莫御念、【二十九丁】二の句ものなおもほしと訓べし、下のそを畧きて、かく云こと集中に例多し、おぼしそと訓はわろし、おもほしをおほしと云こと、集中に例なし、後のこと也、
〇一書云、太上天皇御製、是は飛鳥云々の歌を一書には、持統天皇の御時に、飛鳥より藤原へ遷り玉へる時の、御製とするなるべし、然るを太上天皇と云るは、文武天皇の御代の人の書る言葉也、又和銅云々の詞につきて云はゞ、和銅の頃は持統天皇既に崩玉へども、文武の御時に申ならへる儘に、太上天皇と書る也、此歌のさまを思ふに、誠に飛鳥より藤原へ遷り玉ふときの御歌なるべし、然るを和銅三年云々と云るは、傳への誤なるべし、
○山邊乃、御井、【三十丁】伊勢國鈴鹿郡にあり、其よしは、十三卷【五丁】に五十師原の所に委く云べし、
浦佐夫流、情佐麻禰之、さまねしのさは發語にて、まねしは物の多きこと、緊きこと也、爰は浦淋き心の繁き也、二巻【三十七丁】眞根久往は、人知ぬべみ、四卷【五十九丁】に君が使の、まねく通へば、是等しげき意也、十七卷【三十八丁】に玉桙乃、道爾出たち、別なば、見ぬ日さまねみ、戀しけむかも、又【四十六丁】に屋形尾の、鷹を手にすゑ、みしま野に、からぬ日まねく、月そへにける、十八卷【三十丁】に月かさね、みぬ日さまねみ、戀るそら、やすくしあらねば、十九卷【十六丁】に朝よひにきかぬ日まねく、天さかる、夷にし居ば、又【二十三丁】につれもなく、かれにしものと、人はいへど、あはぬひまねみ、念ひぞ吾する、是等日數の多きを云り、二卷【廿八丁】の數多成塗も、まねくなりぬるにて、此外數多と書るに、まねくと訓て宜き所多し、今本の訓は誤れり、さてまねくの言を、間無の意とするは、右の十七卷十八巻十九卷の歌どもに叶はず、續紀三十六卷【三十丁】に氏門乎毛滅、人等麻禰久在、
(12)○秋去者、云々【三十一丁】鹿將鳴山曾、凡て集中に、鹿の字は皆かと訓べし、しかと訓ては何れも、文字餘りてわろし、しかには必、牡鹿と、牡の字を添て書けり、心をつくべし、鹿の一字を、しかと訓て宜き所は、集中に纔一つ二つ也、和名鈔にも鹿、和名加とあり、
(13)萬葉集二之卷
○如此許、戀乍不有者、【八丁】戀乍不有者のこと、詞瓊綸の古風の部に委く云り、考の説は聞えぬこと也、
〇玉匣、將見圓山乃、【十一丁】圓の字は、まろの、まを畧て、ろの一音に取れるには非ず、凡て畧て取例は、多けれどもことによる也、まろと云ことを、まを畧くやうの例はなし、こは上に將見と云、むとまと、通音なる故に、自らみまろと云やうにも、ひゞくからに圓字を書る也、
○東人之、云々妹情爾、乘爾家留香聞、妹は心にと訓はわろし、は文字穩ならず、本の儘に妹がと訓べし、我心に妹が乘る也、必がと云べき語の例也、
〇三吉野乃、玉松之枝者、【十四丁】玉松と云こと、此外に例なし、玉の字は山の誤也、十六卷【七丁】にも足曳之、山縵とある山の字を、玉に誤れり、是明らかなる例證也、
○秋田之、穂向乃、穂向はほむきと訓べし、十七卷【十七丁】に秋田乃、穂牟伎とあり、むけと訓は叶はず、凡てむけと云時は、物を向は令るを云言也、是は穂の自むくを云るなれば、むきと訓べき理り也、
○君爾因奈名、因奈名はよりなむ也、凡て古言に、んをなと云ること多し、ゆかんをゆかな、やらんをやらな、など云るが如し、さててんを、てなといひ、なむをなゝと云る也、猶詞瓊綸に委し、
○芳野河、云々【十五丁】不通事無、不通はよどむと訓べし、集中此類の不通の字皆然訓べき也、
○暮去昔、云々【十六丁】玉藻刈手名、刈てなは刈てむ也、此なのこと前に云るが如し、考の説いと心得ず、
○遊士跡、云々於曾能風流士、遊士風流士を、考にみやひとゝ訓れたるにつきて、猶思ふにさては宮人と聞えてまぎらはし、然ばみやびをと訓べし、此稱は男に限れり、八卷【十六丁】にをと嬬等が、頭挿の多米に、遊士の、鬘のため等、云々是をとめに對へて云れば、必男と云べき也、
(14)〇古之、嫗爾爲【十八丁】嫗を考におよなと訓れたるは強事也、およなと云稱あることなし、をみなにむかへて、嫗をおむなと云ことは、和名鈔のみならず古書に是彼見えたるものをや、
○石見乃海、云々浦者無友、云々瀉者無鞆、無友無鞆は共に、なけどもと訓べし、なけれどものれを畧て、然云は古言の例にて集中に多し、
和多豆乃、石見國那賀郡に、渡津村とてて海邊に今もあり、是也、此句四言に訓べし、多豆の二字を音に書たれば、和も字音に書ることしるし、然るににぎたづとしも訓るは、伊豫の熟田津のことを思ひて、ふと誤れるものなるを、今迄其誤を辨へたる人なし、
益高爾、此類の益の字をますとも、ましとも訓るは皆誤也、いやと訓べし、益をいやと訓證例は、此卷【四十丁】に去年見而之、云々相見し妹は、益年さかる、七卷【廿三丁】に佐保川爾、云々益河のぼる、十二卷【三十三丁】近有ば、云々こよひゆ戀の、益まさりなむ、是等也、
○角彰經、云々【十九丁】幾毛不有、十七卷【廿二丁】に年月毛、伊久良母阿良奴に、是に依て訓べし、
嬬隱有、是をつまこもると訓ことは、假字書の例あれば動かず、然るに隱有と有の字を添てかけるはいかゞ、有の字あれば必こもれると訓例也、されば有は留の字などの誤にや、
屋上乃山乃、自雲間、渡相月乃、雖惜隱比來者、屋上の山のと切て、隱ろひくればと云へ續く也、惜けども屋上の山の隱れて見えぬ由也、さて雲間より渡らふ月のと云二句は、只雖惜の序のみ也、纔なる雲間をゆく、間の月は惜きよしの序也、若此月を此時の實の景物としては、入日さしぬれと云に叶はず、此わたり紛はし、よく弁ふべし、
○天原、云々【廿三丁】御壽者長久、天足有、四五の句、みいのちはながく、あまたらしたりと訓べし、
○人者縱、云々玉※[草冠/縵]影爾、玉※[草冠/縵]の玉の字は山の誤也、上の玉松と考合すべし、さて十四卷【三十三丁】に、あし引の、山かづらかげ、ましばにも、えがたきかげを、おきやからさむ、とよめるかげは蘿ひかげ也、蘿を山かつらと云故に、山かづらかげ(15)とも、續けよめる也、今の御歌の山かつらは、影の枕詞にて其續けの意は、是も山かつら蘿と云意也、さて影に見えつゝの歌の意は面影に見えつゝ也、
○空蝉師、云々脱時毛、無吾戀、君曾、無吾戀は、なくわがこひむと訓べし、一つ所に居て思ふをも、戀ると云例多ければ、衣ならばぬぐ時もなく、身を放たずて思ひ奉らむ君と云意也、此無の字をなみと訓るもわろし、又わが戀る君と訓るもわろし、上にも吾戀る君とあれば也、同じことを再び返して云は、古歌の常なれども、此歌のさまにては吾戀る君と二度云てはわろし、又無宇考にはなけむと訓れたれど、さては愈下の詞遣ひに叶難し、
○鯨魚取、云々【廿四丁】嬬之念鳥立、此とぢめの句本の儘にても聞えはすめれど、猶思ふに嬬之命之と有けむを、之の重れるから、命之の二字を脱せるにや、
〇八隅知之、云々恐也、御陵奉仕流、恐也をかしこみや、かしこしやなどゝ訓るはわろし、かしこきやと訓べし、やは添たる辭にて、恐き御陵と云こと也、廿卷【五十四丁】に可之故伎也、安米乃美加度乎、この例也、又八卷【三十丁】に宇禮多伎也、志許霍公鳥、是等の例をも思ふべし、奉仕流はつかふると訓べし、つかへると訓るは誤り也、
盡、二つの盡共にこと/”\と訓べし、古事記神代の歌に、妹はわすれじ、世のこと/”\に、と有と同じ、是も世の限りと云なれば也、爰も夜の限り晝の限り也、十七卷【三十九丁】にこしのなか、國内こと/”\、山はしも、是も國内の限りにと云ことにて同意也、(追考)
○神山之、云々、【廿五丁】如此耳故爾、かくのみゆゑには、かくのみなる物をと云意也、一卷【十四丁】に人づまゆゑにとある所に云るが如し、故にと云詞まぎらは敷也、
○山振之、立儀足、儀は誤字にて必しなひと云べき所也、字は靡か※[馬+麗]か猶考ふべし、廿卷【四十四丁】に多知之奈布とあり、(追考)
〇八隅知之、云々召賜良之云々問賜良志、二つながらたまふらしと訓べし、十八卷【廿三丁】にみよしぬの、此大宮に、ありかよひ、賣之多麻布良之、ものゝふの、云々是と同じ格也、常のらしとは意かはりて、何とかや心得にくき云ざま也、廿卷(16)【六十二丁】に大きみの、つぎてめす良之、たかまとの、野邊見るごとに、ねのみしなかゆ、此めすらしも常の格にあらず、過し方を云ること今と同じ、是等の例に依て今も、たまふらしと訓べきこと明けし、本にたまへらしと訓るは誤也、考に良は利に通ひて、たまへりし也と有もいかゞ、
○向南山、云々星離去、月牟離而、青雲之と云は青空にある星と云意也、青雲と星との離るには非ず、一首の意は星の漸くに移り行て、夜をふる儘に近かりしも、遠き方にさかり行ものなれば、そを見玉ひて、天皇の崩り座しほどの、遠ぞき行ことを悲み賜へる也、月も離ても星と同くうつり行を云、考の説は後の世めきて聞ゆ、さて向南は誤字には有ざるか、こは山の名なるべき也、(追考)
○欲見吾爲、【廿六丁】吾爲はわがすると訓べし、
馬疲爾、馬疲は本の儘に訓ても有べけれど、猶うまつかるゝにとや訓まゝし、さては愈古るかめり、(追考)
○天地之、初時之、【廿七丁】時之は本の儘に訓べし、ときのと訓はわろし、
神集集、座而、本にかみあつめと訓るは僻こと也、考にかむつまりと訓れたるも誤也、かむつまりとは別こと也、此神集の集は古事記に、都度比と訓註あれば動かぬ言也、
天照日女命、此天照大御神の御事を、爰にかく申せるは不要なるが如く聞ゆれども、下に要あり、そこに云べし、天をば所知食とは、天をば既に此大御神の、しろしめすによりてと云むが如し、(追考)
天乎波、所知食登、しろしめすとゝ訓べし、考にしろしめしぬと訓れたるもわろし、
依相之極、所知行、神之命等、所知行はしろしめせと訓も宜しかるべし、命等の等は、八百萬神の議りてかくの如く定めましたる由也、上の所知食登と云る、登とは意異也、(追考)
神下、座奉之、十五卷【三十四丁】に比等久爾々、伎美乎伊麻勢※[氏/一]、とあれはいませまつりしと訓べし、いませは令座の意也、
高照、日之皇子波、凡て高照日の御子と申すは、御代御代の天皇皇太子皇子を申す稱也、かくて爰は、大方に右の如くに(17)て當代の天皇をも、こめて申ながら、日竝皇子の命を主として申せる也、さて神下、云々より引續けて申せるは、凡て皇孫はいく萬代を經坐しても、神代に天降ましたる御孫の命と、一體にまし座が故也、さて日之皇子波と云るみて句を切べし、こは下の天原石門乎、云々へ續きたり、飛鳥へ續けては見べからず、(追考)
飛鳥之、とぶとりのと訓べし、其由は國號考に云り、(追考)
天皇之、敷座國等、飛鳥之より是迄は、當代の天皇の御事にて敷座國は、この葦原の水穂之國を云也と、大平が考たるぞ、誠に宜かりける、然云意は、天地の、依相のきはみ、しろしめせと、神代より定めたる、此葦原の中つ國は、今の天皇の敷座國として、日並皇子尊は天の原へ登り玉ふと云也、斯の如く見ざれば、始よりの詞の續き明かならず、能々味ふべし、考に敷座國を天を敷ます國として、登りますと云へりと、註せられたるは誤也、さては上に飛鳥の、淨之宮に、云々と云こといたづら也、其上天原を天皇の敷座國と云ては、上に天をば天照大御神のしろしめし、蘆原中國をば、日皇子のしろしめすと、分て申せるに叶はず、(追考)
石門乎開、神上、上座奴、開は閉の誤にて、たてと訓べし、三卷【四十五丁】に豐國乃、鏡山之、石戸立、隱にけらしと、ある類也、開と云べき所に非ず、石門を閉て上ると云ては、前後違へるやうに思ふ人有べけれど、神上りは隱れ給ふと云に同じ、天なる故に上りとは申す也、
天原、石門乎開、日之皇子波、天原の石門を閉て上り給ふと續く意也、(追考)
神上、上座奴、上に神下、座奉之、と云ると相照して見べし、神代に此葦原の中國を、しろしめせと天より下し奉りし日の御子にませども、其蘆原の中國は、今の天皇の所知食國として、御自は又天に登り玉ふと云也、かく云なせること、人麻呂の歌の妙なる巧にして、古今に及ぶ人なき所也、能々味ふべし、さて上にまづ天をば、日女の命のしろしめすと云置たるは爰の要也、皇子の命は、葦原の中國をこそ、所知食すべけれ、天原は日女命の所知食せば、登り玉ふべき所には非ざるを、其蘆原の中國は、今の天皇の遠く長く、所知食す御國なればとして、天原には上り賜ふと也、さて斯の如く云るに、(18)當代の天皇の御代の、遠長かるべきことを、ほぎまつる意も自こもれるは、是又妙なる巧也(追考)
貴在等、 たふとからむと、と訓べし、たふときと云ことは、古はめでたきことにも多く云り、貴の字に拘りて、只此字の意のみと思べからず、此事古事記の傳に委く云り、考に貴とは花に云言葉に非ずとて、賞の字に改められしは、中々にわろし、
由縁母無、眞弓乃岡爾、 三卷【五十四丁】に、何方に、念ひけめ鴨、都禮毛奈吉、佐保乃山へに、十三巻【廿九丁】に、何方に、おもほしめせか、津禮毛無、城上宮爾、是等によるに、爰の由縁母無、又下【三十丁】なる所由無、佐太乃岡邊爾、などをもつれもなきと訓べきこと也、
數多成塗、 まねくなりぬると訓べし、まねくのこと一卷に云るが如し、爰をあまたになりぬと訓るはわろし、塗の字ぬと訓べき由なし、
○外爾見之、云々【廿九丁】侍宿爲鴨、 侍宿の假字を、考にとのいと定められたるはわろし、殿居の意にてゐの假字也、若宿の字によりていの假名也とせば、とのねとこそ云べけれ、ねといとは、聊意異也、ねは形につきていひ、いは睡眠の方に云也、侍宿は形につきて、殿にてぬるとは云べけれど、殿にて睡眠するとは云べきことに非ず、集中にも宿字は、ぬ又ねには書れどもいにはかゝず、とのゐのゐは、居にて夜殿に居と云こと也、晝をとのゐといはざるは、晝は務ること有て只には居ぬ物也、夜は務ることなくて.只居る故に夜をとのゐとは云也、さて務ることなき故に、寐もすることなれども寝るは、主とすることには非ず、侍宿は殿に居るを主とすることなる故に、とのゐとは云也、眠るを主としてとのいと云べき由なし、
○夢爾谷、云々 作日之隈回乎、 作日は一本に佐田とあるを用べし、
〇八多籠良我、【三十一丁】やたこらと訓て奴等、とするもさることなれども、奴ならば、やつこと云べきを、やたこと云るもいかがなる上に、籠の字をしも書むこと、いかゞなれば旁心ゆかず、故思ふに、良は馬の誤にで、はたごうまなるべし、族籠(19)馬と云こと蜻蛉日記ににも見えたり、
○飛鳥、云々 流觸經、 此字をながれふれふると訓るは僻事也、考にふらへりと訓れたるも心得ず、經の字は、へとかふるとかは訓べし、へりへるなど訓べき由なし、是はふらばへと訓べき也、古事記雄畧の段の歌に、ほつえのえのうらばは、中つえに、おちふらばへ、とあり、
○敷妙乃、云々【三十二丁】將相八方、 あはめやもと訓べし、考にあはむやもと訓れたるはわろし、
○飛鳥、云々打橋渡、打橋を打渡す橋と心得るはいかゞ、打渡さぬ橋やはあるべき、故思ふに打は借字にてうつしの約りたる也、爰へもかしこへも、遷しもてゆきて、時に臨て假そめに渡す橋也、
生乎烏禮留、 此言を考にたわみ靡く意として、とを/\を畧きてをゝりと云とあるはいとむつかし、今按此言は五卷【三十丁】に、みるのごと、和々氣さがれる、八巻【五十丁】に秋萩の、うれ和々良葉に、などよめる此わゝけ、わゝらば、は俗語に髪がわゝ/\としてあるとも、髪がをわるとも云、をわるはわゝるの通音にて、わゝけ、わわらば、是等と同意也、又木の枝の繁りてをぐらきを、うちをわると云も、わゝると通音也、然ばをゝりは、わゝりにてわゝ/\と繁く生てあるを云也、花咲をゝりも、わゝ/\と繁く、花の咲けるを云也、
益目頬染、益はいやと訓べきこと上に云る如し、
爲便知之也、 此一句は誤字有べし、せむすべをなみ、又せむすべしらになど有べき所也、
音耳母、名耳母、 二つの耳はせめて、名のみなりとも絶ずと云意也、
御名爾懸世流、 かゝせると訓べし、
形見何此焉、 爰をと云を.考にこゝをばの意とあるはわろし、をばにては上の詞に叶はず、此をは輕くして、よと云むが如し、集中さる例多し、○挂文、云々【三十三丁】天下、治賜、云々不奉仕、國乎治跡、此二つの治を、考には一本を取て、上を掃賜而とし、下を掃部跡(20)とせられて、治をわろきが如く、いはれたれども、二つ共に治にてもわろからず、又下なるは、をさめとゝ訓て、をさめよと云意になる古言の格也、
齊流、皷之音者、 とゝのふるは、三卷【十二丁】に、網子調流、海人之呼聲、とも有て軍士を呼起し調ふるを云り、考に皷吹調練のことを引れたるは、爰をも調練の意とせられたるにや、そはいかゞ、とゝのへると訓れたるも、調練したると云意にて訓れしかいかゞ、とゝのふることを、とゝのへると云は、鄙俗の語の格也、
大雪乃、亂而來禮、 きたればと云べき所を、ばを畧きてきたれと云は、長歌の中に殊に一つの格也、凡て上と下と事の轉ずる所の境には、如此云こと古の長歌の常也、其例は委く詞瓊綸古風の部に云り、考に者を補てくればと訓れたるは中々にわろし、
佐母良比不得者、 者の字は草書似たれば、天を誤れるなるべし、必かねてといはでは語調はず、
佐麻欲比奴禮者、 さまよひぬるにと云意也、次のおもひも、いまだつきねばも、盡ぬにと云意なると同じ、古言の格也、常のぬればの意としては、下へかゝる所なし、
常宮等、高之奉而、 定を高之の二字に誤れる也、上の長歌にも、常宮跡、定賜とあり、考に高知座と改められつるは字形遠し、
安定座奴、 しづまりと訓べし、考にしつもりと訓れたるは、古言めきては聞ゆれど、證例なきこと也、
○久堅之、云々【三十六丁】君故爾、 君なるものをと云意也、此こと上に委く云れど、こは人の心得誤ることなる故に又云へり、
○哭澤之、云々雖祷祈、 こひのめどゝ訓べし、此言は五卷【四十丁】に、天神、阿布藝許比乃美、とあるを始て、十一卷【十七丁】十三卷【七丁】十七卷【四十四丁四十六丁】廿卷【六十丁】などにも見えて、疑ひなし、又こひなむともあり同言也、(追考)
○王者、云々【三十七丁】五百重之下爾、 孝に下を上と改められたるは僻事也、下は裏にて、うちと云に同じ、うへは表なれば違へり、表に隱るゝと云ことやはあるべき、上下の字にのみなづみて、表裏の意をわすれられし也、
(21)○神樂浪之、云々常丹跡、云々所念有計類、常はつねと訓べし、結句はおもほせりけると訓べし、考におぼしたりけると訓れたれど、おぼしと云ことは集中に例なし、
○天飛地、輕路者、云々不止行者、 かるのみちはと六言に訓べし、をはと訓はわろし、不止は本の儘に、やまずと訓べし、下なるも同じ、十七卷【四十一丁】廿卷【十二丁】に、やまずかよはむとあり、
眞根久、 上に云り、無間の意には非ず、繁くの意也、
玉梓之使、 考に玉はほむる詞、つは助辭、さは章の字の音にやとあるは、いと心得ぬ説也、今按上代には梓の木に玉を着たるを、使の印に持てあるきしなるべし、そは思ひかけたる人の門に、錦木を多くたてしと、心ばへの似たることにて、凡て使を遣る音信の志を顯す印に、玉付たる梓を持て行くなるべし、さて後に文字渡り來て、書を通はす世になりて、消息文は使のもて來るものなる故に、かの玉梓に準へてそれをも、同く玉づさと云るなるべし、
遣悶流、情毛有八等、 遣悶流はなぐさもると訓み、有八はあれやと訓べし、あるやと訓はわろし、
玉手次、云々音母本所聞、 音は妹が音也、玉手次、云々の三句は序也、(追考)
○打蝉等、云々【三十八丁】天領巾隱、 あまひれかくり、といひては理り聞え難ければ、只にあまぐもと訓かたまさりぬべし、前にはあまぐもと訓つれども、雲を領巾とせむこといかゞ也、故思ふに葬送の時の旗を、領巾と云るにて、字の儘にひれと訓べきか、領巾と旗と、其さま似たればかくも云べし、其上此言朝立いましてと云詞の上にあれば、葬送のさまとおぼしき也、さて下に又隱にしかばと有を思ふべし、(追考)
取與物、之無者、 考に物は人也とあれどいかゞ、兒を取與とは云べからず、物は玩物にて泣をなぐさめむ料の物也、
浦不樂晩之、考にうらぶれと訓はわろしと有れど、卷々に浦觸裏觸と云ることいと多し、又五卷【廿五丁】十七卷【三十二丁】などに假字にも、宇良夫禮とかければわろからず、
石根左久見手、 さくみを考に、裂のきを延て、くみと云とあるはいかゞ、きを延てくみと云むもいかゞなる上に、石根を(22)蹈裂と云こと、有べくも非ず、今按は古事記傳の石拆神根拆神の下に云り、
○衾路乎、云々【三十九丁】、生跡毛無、いけるとゝ訓べし、此跡は、てにをはに非ず、燒太刀のと心、又心利もなし、など云る利にて、生るともなしは、心のはたらきもなく、はれて生る如くにもなきを云也、此言集中に多し、皆同じこと也、十九卷【十六丁】に、伊家流等毛奈之、とある流の字は前に、若くは理の誤かと云るは僻事也けり、てにをはのとなれば、必上を伊家理と云ざれば叶はず、去ど能思へば、てにをはには非ざる也、(追考)
○吉備津采女、【四十丁】 吉備津を、考に此釆女の姓のよしあれど、凡て釆女は出たる地を以てよぶ例にて、姓氏を云例なし、其上反歌に、志我津子とも凡津子とも、よめるを思ふに、近江の志我の津より出たる釆女にて、爰に吉備と書るは、志我の誤にて、志我津の釆女なるべし、
○秋山、云々朝露乃如也、夕霧乃如也、如也は、ごとゝ訓べし、也の字は焉の字などの如く、只添て書るのみ也、ごとやと訓ては、や文字調はず、さて此終りの四句は、子等が朝露のごと、夕霧のごと、時ならず過ぬると次第する意、如此見ざれば語調はざる也、さて朝露夕霧は、上に云置たる、露と霧とを結べる物也、
○樂浪之、云々【四十一丁】罷道之、 道は邇の誤なるべし、爰はまかりぢにてはわろし、
○玉藻吉、云々國柄加、雖見不飽、 本の儘に、あかぬと訓べし、考にあかずと訓れたるは、上の加に叶はず、
〇鴨山之、云々【四十二丁】不知等、 しらにとゝ訓べし、
○直相者、【四十三丁】 たゞのあひはと訓べし、直にあふをかく云は、逢を體言に云る物也、其例は四卷【五十一丁】に、夢之相者、苦かりけり、と有是も夢に逢ことをいめのあひと云り、(追考)
相不勝、 本の儘に、あひもかねてむと訓かた、穩にて能當れり、不勝をかねと訓例も多き也、考にあひかてましをと訓れたるは、ましをの辭爰に叶はず、
○梓弓、云々【四十四丁】何鴨、本名言、聞者、云々語者、 言はいへる、聞者はきけばと三言の句、語者はかたれば、と訓べし、(23)さて本名と云は何れも、皆今世の俗言に、めつたにと云と同じ、めつたには、猥にと云と同意にて、みだり、めつた、もとな、皆通音にて元同言也、さて集中にもとなと云は、實にみだりなるには非ざれども、其ことを厭ふ心より、猥なるやうに思ひて云こと也、爰の歌にていはゞ、聞ばねのみなかれ心痛き物を、何ぞ猥に云ると云也、
○高圓之、云々將散、 本の儘に、ちるらむと訓かたまされり、
右一二の卷の中に、考の説の宜しからぬことは、猶是彼あれども、おのれが未だ思得ぬことは皆漏しつ、今より後又考得たらむまに/\、書つぎてむ、
(24)萬葉集三の卷
一二の卷は、師の考有て、世に廣まれゝば、いと明か也、此三の卷より下つかたは、其書未だ出ねば、世の人師の説をしらず、おのれはた、千里を隔て在しかば、毎々には得きゝ明らめずて、やみにき、去ど文もて、廿卷みながら、二かへりまで疑はしきことゞも、問聞つれば、今其趣を揚て、わろきはわろしとことわり、又聞漏しつることゞもは、おのが考を出しぬ、其が中にも早く師の云れつることも、必有なめど、知らぬをばいかゞはせむ、
直孫子云、二かへりまで疑はしきことゞも、問聞つればとかゝれたれば、其書こそ探り見まほしけれと、思ひつるを、難波にて、萬葉集問目纔に七卷を得たり、懸居翁の答あり、再問あり、再答あり、全からぬはあかぬことながら、こも枚合して、活字の梓につきて彫りてむかし、
○不聽跡雖云、云々【十二丁】志斐能我、此能は聊むつかしけれど例あり、十八卷【十四丁】に、しなさかる、こしの吉美能等、かくしこそ、此能と同じ、又十四卷【十一丁】に、勢奈能我そでも、是も同じ、同卷【三十一丁】に、勢奈那登ふたり、此那も通音也、
強語、しひがたりと訓べし、次の歌の強話登言を、しひがたりと云も同じ、
○不聽雖謂、云々詔許曾、 のらせこそと訓べし、のらせばこそと云べきを、ばを略くは古言の格也、
志斐伊波奏、 師は伊を那の誤と云はれつれどわろし、又やの意とするもわろし、只伊は助辭也、凡て言の上に伊と云ことは常にて人皆知れり、夫のみならず、下にも置例多し、詞瓊綸に出せり、さて爰に志斐伊と云は、我姓を云て、下に伊の助辭を置る也、歌の心は、いなかたらじと申せども、かたれ/\とせめ玉へばこそ、此志斐の嫗は物語を申せ、然るをしひがたりとの玉ふは、いかにぞと云也、
〇八隅知之、云々【十三丁】 立流、たゝせる、
拜目、 をろがめ、
(25)恐等、 かしこみと
春艸、 はるくさ
益、 いやと訓べし
○久堅乃、云々網爾刺、 網は綱の誤也、
〇三津崎、云々【十五丁】 舟八毛何時、寄奴島爾、ふねはもいつか、よせむぬじまに、と有けむを、八毛を公の一字に誤り、何時を脱し、寄を宜に誤れる也、はものもは、助辭にてつねのこと也、
○一本云、處女乎過而、 處女と云地名有べくも非ず、是はみぬめを傳へ誤れる僻事也、葦屋の處女塚のある所を云など云る説は取に足らず、十五卷【八丁】に、乎等女と書るも誤を傳へたる也、
○粟路之、 即淡路國也、
妹之結、 いもがむすべると訓べし、
○留火乃、明大門爾、入日哉、榜將別、家當不見、【十六丁】 明石の門に入らぬ前には、大和の方も見えしが此門に入ては、見えぬやうに成なむと云也、こぎわかるゝとは、今迄みえたる方の見えず、なるを別ると云也、家のあたり見ずは、四の句の上へ移して見べし、
○天離、云々倭島、凡て大和の方をかく云也、別に此島有と云説は取らず、さて大和の方をさして、倭島と云は、船にまれ、浦にまれ、海を隔てあなたにあるときに云稱也、此卷【二十四丁・三十五丁】十五卷【十七丁】の歌などによめる、皆然也、廿卷【五十六丁】に、天地のかためし國ぞ、やまとしまねは、とよめるは、大八洲を凡ていへれば別事也、
〇一本云家門、門は乃の誤か、
○一本云、武庫乃海、般爾波有之、 ふなにはならしと訓べし、舟庭とは舟を海上へ榜出すに、よき日和をいへり、
○八隅鮒之、云々【十七丁】茂座、 敷座の借字也、
(26)及常世、 及萬世、よろづよまでにの誤と、或人の云る然るべし、
○馬莫疾、云々氣並而、師の説の如く、日數を重ねて也、
見※[氏/一]毛和我歸、 ※[氏/一]を耳の誤と、或人の云るはわろし、歸はゆくと訓べし、一首の意は、此志賀浦は、いと面白く見るに飽ねども、日數を重ねて見て行ことは叶はねば、暫しだに馬を止て、見まほしきに馬を、とく打早めてな急ぎそと也、
○吾背子我、古家乃、【十八丁】ふるいへのと訓べし、
島待不得而、 島は君の誤也と師説なり、
○阿部女郎屋部坂歌、【十九丁】 屋部坂は、三代實録卅八卷に高市郡夜部村とある所の坂なるべし、
○客爲而、云々山下赤乃、 やましたと訓べし、こは赤の枕詞也、さる故は古事記に、春山乃、霞をとこ、秋山の、したひ壯子と見え、十卷【五十丁】に、秋山の、舌日が下とも有て、冠辭考に、したひは紅葉の由いはれしが如し、然ば山下ひ赤と續く意也、猶又十五卷【二十七丁】に、あし引の、山下ひかる、もみぢばの、とよめるも同じ、又十八卷【十一丁】に、たちばなの、したてる庭に、六卷【四十四丁】に、巖には、山下ひかり、錦成、花咲をゝり、是等も下は借字にて赤きこと也、此二首を見れば、只紅葉のみには限らず、赤く照ること也、爰の歌も字の如く、山のもとゝしては、此言船に由なし、奥に榜とさへあれば、山の下にては愈由なし、十九卷【四十五丁】に、あし引の、山した日影、是は、蘿ひかげなれば、赤きことに依らずげに聞えたり、
○然之海人者、云々【廿丁】髪梳乃少櫛、髪梳は道麻呂が、ゆすると訓るぞ能當れる、つげのをぐし、くしげのをぐし、などよめるは更に叶はず、ゆするは髪梳と書つべきもの也、(追考)
○椋橋乃、云々【廿二丁】此歌九の卷【廿四丁】にも出てあれば、只月の歌にて未だ出ぬをよめれば論なし、爰には初月の歌とあれば心得難し、實は初月の歌には有ざるか、然ども暫初月にして強ていはゞ、四の句の來の字を、こしと訓て、晝より早く出し月の、夜に入れば早く隱て光の乏き也、かく見るときは、椋橋山を西方にして、此山の高き故に、早く隱るゝかの意也、さて夜隱とは、夜の末の長く殘りて多き也、後の物語文に、年若き人を世ごもれると云も、末の長くこもりて多き意なれ(27)ば、夫と同意也、未夜の末長く殘て多きに、早く山へ入て、纔の程ならでは見えぬ由也、
○眞木葉乃、云々 此歌の意は、勢の山をめで偲びて、暫くは立も止るべきに、さもあらで只に越行けば、めでられぬことを、眞木の葉も知ぬらむ夫を、うきことに思ひて、しなぶれてあるよとよめる也、
○亦打山、云々【廿三丁】此歌のこと師の云、此角大河は定かならねど、紀の國にあるべし、駿河とするは誤也、上の田口の盆人が上野國へ、下りし時とは別也、上の歌共によりて、思ひ惑ふ可らずと云れき、今思ふに誠に然也、此角太川説々あれども皆誤也、亦打山云々とあれば、廬前も角大河も紀の國也、さて此角太河を古より、すみだ川と心得たるも僻事也、角を古すみと訓る例なし、すみには、隅の字をのみ用ひたり、然ば爰は、つぬだか、つぬぼかなるべし、
〇皮爲酢寸、云々【廿五丁】此歌は下【三十三丁】生石村主眞人の歌に大汝、少彦名乃、將座、志都乃石室者、幾代將經、と云歌と、上の句の入り違ひたるにて、紀の國の三穗の石室に座せしは、大汝少彦名神、播磨國の志都の石室に座せしは、久米の若子也、其故は書紀に、弘計天皇、更名來目稚子と見え、又此御兄弟播磨國に、隱れ座しゝことも見えたれば也、又かの歌の作者の、姓の生石は、播磨の地名と聞えたり、かの志都の石室を今生石子と稱すと也、さて億計天皇の更名大石尊、又大爲大脚、などあるも、生石と一つにて、播磨國に坐し時、其國の地名を取れる御名と聞えたり、
○常磐成、ときはなすと訓べし、成は如也、五卷【十丁】に等伎波奈周とあり、
○東、云々久美宇倍、 茱萸、くみと、郁子、うへと、二つ也、和名鈔※[草冠/(瓜+瓜)]類に、郁子和名牟閉是也、※[草冠/(瓜+瓜)]類に入たれども、木菓也、さて不相は、いまだ實のなる時にあはざる也、戀にけりは實のなるを待戀る也、又うへは諾にてもあるべし、
〇奈麻余美乃、云々【二十七丁】國之三中從、出之有、くにのみなかゆ、いでたてる、出立有の立を、之に誤れり、出でし、とのみ云ては山に叶はず、出は輕く、立を主と云る言也、
石花海、三代實録八卷【廿七丁】又十一卷【十七丁】に、※[賤の旁+立刀]海とあり、是をせのうみと訓べし、又日本記畧に、承平七年十一月某日甲斐國言、駿河國富士山神火埋水海、とあれば此時に絶たるなるべし、
(28)水乃當鳥、 當を師はたきちと訓れたり、然らば知の字脱たるか、當麻などの例にたきとは訓べし、たきちとは訓難からむ、
日本之、山跡國乃、 此日本は必、ひのもとゝ訓べし、日本と云國號を立られたるも、日のもとつ國と云意なれは、爰も其意にて云るか、されど爰にては、國號には非ず、山跡をほめて云る也、古書にひのもとゝ云るは、是のみ也、餘は日本と書ても、やまとゝ唱ること也、夫に付て又思ふに、爰は飛鳥とぶとりの、飛鳥あすか、春日はるひの、春日かすが、と云例にも似たれば、やまとを、日本と、書故に其字の正訓を、やがて枕詞にしたるが如くも、聞ゆれど、はるひの、かすがと云も、上代の歌にも有れば、春日の字によれる枕詞にはあらず、然ば、爰も唯日の本つ國の倭と云意の外なし、
○皇神祖之、云々【廿八丁】極此疑、 こゝしかもと訓べし、十七卷【四十一丁】に、立山の歌に、許其志可毛、歌思、辭思爲師、是を古く、うたふ思ひ、いふ思ひせし、と訓るは僻事也、契沖が、うた思ひ、こと思ひせし、と改つるは宜し、但此訓も、猶いさゝかわろし、うた思ひ、こと思はしゝと訓べし、おもひせしと訓ては、二つ共に思ひと云詞、體になる、體言にてはわろし、其上せしといひては、皇太子の御ことを申すにはいかゞ也、思はしゝと訓ときは、歌を思ひ、辭を思ひ賜ひしと云意にて、二つの思ひ、共に用言になり、又おもはしゝと云は、古言にて、思ひ玉ひしと、たふとみて云意になる也、(追考)
臣木、 師云、樅の木也、古へ椛栂などを凡て、おみの木と云しを、やゝ後に樅をば眞おみと云、まお、を約むればも也、栂は剃りあれば尖りたる意にて、つがとも、とがとも、云しなるべし、神武紀に、草香の戰に此木に隱れて、命たすかりし人の有し故に、母木おものき、と其處を名付し由あり、是に依て後に、栂の字を作りし也、
〇三諸乃、云々【廿九丁】河登保志呂之、 とはしろしは、あざやかなることなり、凡てあざやかなることを、しろしと云、いちじろきも是也、又御火しろくたけと云事も、あざやかに也、續世繼に、其大納言の御車の、もむこそ、きらゝかにとほしろく侍りけれと有、中頃までもいひし言にて、古の意と同じ、歌に遠白妙と云も、物あざやかなるを云り、
○海若之、云々【三十丁】宇禮牟曾、 いかむぞ、なむぞ、など云詞か、外にみえずと、契冲云り、師も同意也、今考るに、十一(29)卷【十二丁】に、なら山の、子松の末の、有廉叙波、わがもふ妹に、あはずやみなむ、此第三の句うれむぞはと訓べし、子松がうれのうれと、重たる歌なり、
將死還生、 或人是をよみがへらましと、訓るは宜し、但しよみがへりなむ、と訓方まさるべし、
〇吾盛、復將變八方、 またをちめやも、と訓べし、其由は五卷【十八丁】に、わがさかり、云々の歌の所に委くいふべし、
○萱草、云々不忘之爲、此結句は忘れぬやうにと、云が如く聞ゆる故に、さる意もて解る説あれど僻事也、忘れぬ故にと云はむが如し、然ば忘れぬ故にいかにもして、忘むとて萱草を紐に付る也、
○吾行者、云々【三十一丁】夢乃和太、 行をたびと訓るもさることなれど、廿卷【四十丁】に、和我由伎乃ともあれば、本の儘に訓て即旅のこと也、夢のわだは吉野にあること、七卷【十丁】の歌にてしるく、又懷風藻に、吉田連宜從駕吉野宮の詩にも、夢淵と作れり、世の中は夢のわたりの、浮橋か、打渡しつゝ、物をこそ思へ、とよめる歌も、爰に渡せる橋をよめる也、
○世間之、云々【三十二丁】冷者、 冷は怜の誤にて、たぬしきはと訓べし、さぶしを不怜とも、不樂とも、通はして書れば、たぬしきにも、怜の字をも書べき也、世の中の遊びの道の中にて、第一の樂きことはと云意也、師は冷をさぶしくはと訓れしかど、さては道爾と云爾と、爲爾と云爾とに叶はず、能味ふべし、
○生者、云々有名、あらなと訓べし、あらむの意也、んをなと云は古言の一の格也、
○繩浦從、云々【三十三丁】釣爲良下、 つりせすらしもと訓べし、つりをすらしもと訓ては、を文字拙し、
○阿倍乃島、云々石爾、いそにと訓べし、
○秋風乃、云々【三十四丁】此歌は旅宿の遊女などのよみて、赤人に贈れるを、自の歌の中に同く書入、おかれしなるべし、(追考)
○雨不零、云々【三十五丁】潤濕跡、零は霽の誤にて雨はれず也、集中とのぐもると云には、必雨ふるよしを皆よめり、十二卷【十九丁】十三卷【十三丁】十七卷【四十五丁】十八卷【三十三丁】の歌どもを考ふべし、第三の句はぬれひづとと訓べし、或人此句を誤字として、つきまつとゝせれども、其字も遠く、初句にも叶はざれば取難し、香光と云る言には、月待と云が能叶へるに似たれども、月待(30)と戀乍をるとは、何を戀つゝをるにか、戀乍は必待人を戀乍なれば、かてりのことは猶慥ならず、かてりの言は居きと云へ、あたりて見るべし、をるは寐ずして、起てある也、ぬれひぢてわびしく、ねられぬ故に、君を戀乍起て居る也、さて然起て居るは、若や君が來もせむかと、且は待がてら也、
○昔者之、云々【三十七丁】年深、 者は省の誤にて、むかし見し也と、道麻呂云り然なり、三の句は六帖に、としふかみとあるぞ宜き、
○※[奚+隹]之鳴、云々【三十八丁】明神之、 明は朋の誤にて、ふたがみの也と、或人の云へる誠に然るべし、大和國なる、二上山も二神の意也、
儕立乃、 なみたちと訓べし、九卷【二十二丁】に二竝、ふたならび、つくばの山、とよめる意也、
吾來前二、 前は並の誤也、
○筑波根矣、云々來有鴨、 來有の二字を、けると訓べし、此けるは辭のけるには非ず、即來有きたると云意にて、書紀などに參れることを、まうけりと訓る是も、まゐり來たりと云ことにて同じ、
○吾屋戸爾、云々雖干、かれぬれどゝ訓べし、かれぬともと訓ては、不懲而と云に叶はず、さて集中に屋戸屋外屋前などと、書るやどゝ、宿と書るやどゝは、本より別の名にて、屋戸などゝ書るやどは、後に所謂前裁庭のことにて、屋外と書る字の如く、家の外地、屋前と書るも此意也、故に屋戸屋外屋前と書るやどは、何れも草木などのことをよめり、さて宿はやどり共いひて、旅などにてとまりて夜を明す所を云、右の屋外とは別也、されば草木などのことに云るやどには、宿字を書る例一つもなし、然るを後には此二つを一つに混じて、住宅を宿と云ことになれるから、後世の人は本より一つに心得て、古は別なりしことを辨へ知らぬ也、集中の歌共に、心をつけて古のやうを辨ふべし、
○霰零、云々【三十九丁】草取可奈和、 和をやと訓は僻事也、わと訓べし、誤字とするもわろし、可奈和と云言心得難きが如くなれど、本此歌は古事記に、速總別王の御歌に、はしたての、くらはし山を、さかしみと、岩かきかねて我手とらすも、(31)と云歌の轉じたる物也、然ば草とりかなわとは、彼歌の岩かきかねてと同意なるが、詞の轉じたる也、岩かきかねてとは、山路の嶮きに巖へ掻付きて、登らむとすれども、登り兼て我手へ取付て登ると云意也、然ば爰も草に取付ても登り兼て、妹が手に取付くと云也、但し妹が手を取るとは、意をかへて戀の心にも有べし、されど四の句の意は、古事記の歌と同くて、可奈は不得の意也哉には非ず、さて和は下に付たる辭にて、書紀に、いざわ/\と有も、いざ/\とさそふ意なるに同じ、十三卷【三十九丁】にも率和いざわとある也、右の古事記の歌の四の句を、妹は來かねての誤也と、師は云れつれど僻事也、さて此あられふりの歌を、柘枝の歌とするは、柘枝がよめりとにはあらで、柘枝にあたへたる歌と云ことか、然らざれば、妹が手をとると云こと叶はず、とにかくに、此一首は柘枝のことにてはあらじを、傳への誤れるなるべし、
○此暮、 このゆふべとも訓べし、
不取香聞、 魚をとらすかも也、
○海若者、云々鹽乎令干、しほをひしむと訓切て、上のあやしき物かと云るを鈷ぶ也、さてほさしむと訓ずして、ひしむと訓故は、本ほすと云は、令干也、ほとひと通音にて同言の活ける也、さてほさしむと云ときは、さはほすのすの活けるなれば、令の意也、然るを又しむと云ては令令干と、令の言重なる也、
待從爾、 從を契冲は、からと訓れどわろし、是は候の字の誤にてまちまつにと訓べし、又二字をさもらふとも訓べし、
寐乃不勝宿者、 いのねかてねば、
開去歳、 あけぬとしと訓べし、
○不所見十方、【四十一丁】 此十方は雖の意には非ず、とにもの助辭を添たるとも也、上二句の意は、凡て月は出るを待兼ぬる物にて、未だ出ぬ程は誰かは戀ざらむ、未だ見えぬ事かなと、誰も皆待かぬると云意也、さて出たらむをよそながらも、早く見ま欲きと也、
○印結而、我定義之、 義之はてしと訓べし、此外四卷【四十一丁】に、言義之鬼尾、七卷【三十一丁】に、結義之、十卷【三十丁】に、織義之、又(32)逢義之、十一卷【廿丁】に、觸義之鬼尾、十二卷【廿丁】に、結義之、是當皆同じ、てしと訓べきこと明らけし、さて是をてしと訓は、義字をての假字に用たるには非ず、故に義之と續けるのみにて、義とのみ云るは、一つもなし、義は皆羲の字の誤にて、漢國の王羲之と云人のこと也、此人書に名高きこと、古今に竝びなし、御國にても古より、此人の手跡をば、殊にたふとみ賞する故に、手師の意にて書る也、書のことを手と云は、いと古きことにて、書紀廿一巻【十九丁】にも、書博士を、てのはかせとも、てかきとも訓たり、さて又七卷【三十一丁】十一卷【廿二丁】に、結大王、十卷【三十三丁】に、定大王、十一巻【四十七丁】に、言大王物乎、是等の大王もてしと訓て義理明か也、古くはかく訓べきことを知らずして、痛く誤り訓り、是も彼王羲之がことにて、同く手師の意也、其故は羲之が子の、王獻之と云るも、手かきにて有ければ、父子を大王小王と云て、大王は羲之がことなれば也、かゝればかの羲之と、此大王とを、相照し證して共にてしと訓べきことをも、又王羲之なることをも、思ひ定むべし、師の説には、義之をてしと訓は、義は篆の誤也といはれしかど、篆を假字に用ひたる例なく、又義之と續けるのみにて、義と放して一字書る所もなければ、義之と二字續きたる意なること疑なし、又大王は天子の意也と、いはれしかど、天子の字音をとりて、訓に用べきにも非ず、又其意ならば、直に天子と書る所もあるべし、天皇などゝも書る所もあるべきに、いづこも只大王とのみ書るは、決て其意には非ずと知べし、
○陸奥之、云々雖遠、みちのくの、まのゝかや原は、只遠きことにのみ云る也、面影と云にかゝることには非ず、
○春日野爾、云々【四十二丁】社師留烏、 鴉は戸母二字の誤にて、やしろしるとも也、娘子の歌に、神の社し、なかりせば、とよめる故に其社は知とも、繼て行む也、
○吾祭、【四十三丁】 此初句をわがまつる、と訓るは僻事也、さては一首の意心得難し、わはまつると訓べし、吾はそなたの祭るべき、神には非ずの意也、さて三の句より下は、そなたに本よりつきたる神を、よく祭り玉ふべきこと也と云なり、
○橘乎、屋前爾殖生、 うゑおふせと訓べし、早くそなたの屋前に、うゑおふし玉への心也、
○吾妹兒之、云々【四十四丁】甚近殖而師故二、 いとちかくと訓べし、うゑてし故には、うゑてし物をの心也、
(33)○伊奈太吉爾、云々此方彼方毛、 かにもかくにもと訓べし、
○足日木能、云々引者、 ひかばと訓べし、
結烏、烏は焉の誤にてゆふ也、
○石戸破、云々【四十五丁】手弱寸、たよわき、
女有者、めにしあればと訓べし、古事記の歌に、阿波母與【句】賣爾斯阿禮婆とあり、
○名湯竹乃、云々神左備爾、爾は而か※[氏/一]かの誤也、
無間貫垂、しゞにと訓べし、まなくもわろからねど、他の例によりて訓べき也、
七相菅、 師のなゝますげと訓れたるは心得ず、なゝふは七節なゝふし也、陸奥の、とふの菅こも、七ふには、君をねさせて、三ふにわがねむ、とあり、
天河原爾、出立而、 此國ならぬ、天上の河原迄、出立てと云は、もろこしのよしのゝ山に、こもるとも、とよめる心ばへに同くて、悲みの餘りに事をつよくいはむとて、設て叶ふまじきこと迄を云也、
伊座郡流香物、 座はませと訓べし、令座の意也、ましと訓ては、自ら往玉ひし意になるを、是は自ら往玉ひし意にてはわろし、いはほの上へ、令座奉りし意也、
○逆言之、枉言等可聞、【四十六丁】 逆言を、さかことゝ訓れども、およづれと訓べき也、爰の長歌にも、於余頭禮枉言といひ、十七卷【廿一丁】にも、於餘豆禮能、多婆許登等加毛とよみ、光仁紀の宣命にも、於與豆禮加母、多波許止加母、とあり、然ば集中枉言と並べて云る逆言、何れもおよづれと訓べき也、天武紀に妖言を、およづれと訓めり、さて右の十七巻の歌、又光仁紀宣命に傚ひて、枉言も枉は狂の誤として、たはごとゝ訓べき也、
○角障經、云々朝不離、あさゝらずと云例也、
將歸、 ゆきけむと契冲が訓める宜し、
(34)折挿頭跡、をりかざゝむとゝ訓べし、上の※[草冠/縵]に將爲登、といへる同じ例なれば也、
○草枕、云々【四十七丁】家待莫國、 師説に莫は眞の誤として、家またまくに也といはれき、十一卷【廿丁】に、今だにも、目な乏しめそ、云々久家莫國、この莫も一本に、眞とあれば、師説は論なく宜きが如くなれども、十四巻【十丁】に、をつくばの、しげきこのまよ、立鳥の、めゆかなを見む、さね射良奈久爾、是もさねざるにの意也、十五卷【三十二丁】に、思はずも、まことありえむや、さぬるよの、夢にも妹が、見え射良奈久爾、是も見えざるに也、十七卷【廿二丁】に、庭にふる、雪はちへしく、しかのみに、思ひて君を、あが麻多奈久爾、是も我待に也、此外もあれど右なるは、殊に論なき例也、又かてと云も、かてぬと云も、同じ意に落るをも思ふべし、いねがてと云も、いねがてぬと云も、同きが如し、然ばまたなくにと云て、待むにと云ことになゐべき也、中昔の物語などにも、此格あり、おぼろげならぬと云べき所を、おぼろけとのみ云るが如し、後世の語にも例あり、怪、けしかると云べきを、けしからぬといひ、はしたと云べきを、はしたなと云るが如し、
○古昔、云々【四十八丁】手兒名、手兒は、妙兒たへこか、貴兒あてこか、の意なるべし、ほめたる稱也、名もほめて云也、又いとけなき兒を、人の手に抱がれてある意にて、手兒と云は是と別也、
○大皇之、命恐、大荒城乃、【五十丁】 大荒城は殯也とある師説明か也、
〇天雲之、云々【五十一丁】和細布奉乎、 師説に乎は平の誤にて、にぎたへまつり、たひらけく也とあり、
○昨日社、云々不思爾、おもはぬにと訓べし、五卷【三十九丁】於毛波奴爾とあれば也、
濱松之上於雲、棚引、 上於雲は、うへのくもにと訓べしと、道麻呂が云るさること也、上にといはむには、於の字を下には書べからねば也、
○君爾戀、云々【五十三丁】哭耳所泣、ねのみしなかゆと訓べし、
○見禮杼不飽、伊座之、 いましゝ、
伊去者、いぬればと訓べし、
(35)○栲角乃、云々【五十四丁】所聞而、 きかして、(追考)
晩闇跡、隱益去禮、 くらやみと、かくりましぬれ、こは地下に葬る意をもて云也、(追考)
徘徊、たもとほりと訓べし、(追考)
○秋去者、【五十六丁】見乍思跡、 しぬべとゝ訓べし、(追考)
○虚蝉之、云々秋風寒、 さむみと訓べし、
○吾屋前爾、云々惜有身在者、惜を借に改て、かれるみなれば、又かりなるみなれば、とも訓べしと、契冲云り、廿卷【五十三丁】に、みづほなす、可禮流身ぞとは、とあれば論なし、
霜霑乃、露霜の誤也、とけしもと云事ことなしと師説也、
曾許念爾、 そこおもふにと訓べし、
○時者霜、云々伊去吾妹可、 いにしわぎもか、可は哉の意也、すみて訓べし、
若子乎置而、 わくごをおきてと訓べし、
○妹之見師、屋前爾花咲、【五十七丁】 やどにはなさきと訓べし、花咲まで時を經ぬる也、花咲時には非ず、花咲時はへぬと訓ては、花の時過ぬる意になれば長歌に、花ぞ咲たる、とあるに叶はず、時はへぬは、死てより月日の經たるを云也、
○如是耳、 かくのみと訓べし、(追考)
○離家、云々停不得、とゞみかねと訓べし、五卷【九丁】に、等々尾迦禰とあり、(追考)
情神毛奈思、 道麻呂が、こゝろともなしと訓るぞ宜き、假字書の例にてしらる、(追考)
○世間之、云々不忍郡毛、しぬびかねつもと訓べし、契冲が云る如く、不の下に得の字落たる也、(追考)
○昔許曾、云々奥槨、 おくつきと訓べし、(追考)
○掛卷毛、云々逆言之.枉言登加聞、 およづれの、たはごとゝかも、と訓べし、枉の字は狂の誤也、(追考)
(36)御輿立之而、みこしたゝして、
天所知奴禮、 あめしらしぬれ、ち訓べし、しられと訓るは僻事也、契冲が天にしられぬればの意也と云るは心違へり、
○吾王、云々【五十八丁】天所知牟登、 あめしらさむとゝ訓べし、
〇足檜木乃、云々光、ひかり、
散去、ちりぬると訓べし、
○掛卷毛、云々大御馬之、おほみまのと訓べし、五卷【廿五丁】に美麻とあり、
口抑駐、道麻呂が、くちおしとゞめと訓るぞよき、(追考)
見爲明米之、活道山、 みしあきらめし、いくぢやまと訓べし、いくめぢやま、と訓るは心得ず.是は活目と云地名もある故に、思ひまがへたるなるべし、只いくぢと訓べし、八雲御抄にもいくぢ山山城とあれば、古本には、いくぢと訓りけんを、仙覺がさかしらに、いくめぢとは改つるにや、尾張國知多郡にも、生道いくぢ村と云ありて、式外伊久智神社あり、尾張本國帳に載たり、凡て地名は、諸國に同きが多き物なれば、いくぢと云例とすべし、反歌の第四の句、見之活道乃も、みしゝいくちのと訓て宜し、見しをみしゝと云は古言也、長歌に、見しあきらめし、とあるみしも只見あきらめ也、
悲召可聞、かなしきろかもにて、召の字は呂の誤なり、(追考)
○大伴乃、名負靫帶而、【五十九丁】景行紀に、日本武尊居甲斐國酒折宮、以靫部賜大伴連之遠祖武日、と見え、姓氏録には、天靫負を大伴室屋大連に賜へること見ゆ、大伴の名に負ふ靫とは是也、
何所可將寄、 いづくかよせむと訓べし、
○白細之、云々不絶射妹跡、 射をやと訓はわろし、やの音もあれども、さる異なる音を用ふべきに非ず、只いと訓べし、此いの助辭のことは、上に既にいへり、
髣髴爲乍、おほになりつゝと訓べし、是は相樂山へ葬り行を、見送りたるさまにて、漸くに遠く成て、おほゝしくかすか(37)に成行を云也、四卷【三十一丁】に、朝霧の、鬱相見之、此鬱をも、おほにと訓べし、ほのかにと訓るは誤也、
入居嘆舍、 舍は合の誤にて、なげかひ、ならむと稻掛茂穗いへり、
兒乃泣母、 母は毎の誤なり、二卷【三十九丁】に、若兒乃乞泣毎とあり、
〇打背見乃、世之事爾在者、【六十丁】 是を後世人ならば、世のさがなればとよむべきを、事なればとよめるは、いかゞなるやうに聞ゆれども、古風也、今世の言に浮世のことなればと云に、能當れり、凡て某のことなればと云こと多し、(追考)
○朝鳥之、啼耳鳴六、 ねのみしなかゆと訓べし、鳴六は之鳴を誤れるなるべし、なかむといひてはわろき歌なり、
(38)萬葉集四の卷
〇一日社、云々【十二丁】如此所待者、有不得勝、 所は耳の誤にて、かくのみまてばなるべし、※[所の草書]と※[耳の草書]とも似たり、又可の誤にて、まつべくはなるか、※[可の草書]と※[耳の草書]とも似たり、結句は師は、ありかてなくもと訓れたり、道麻呂は勝は鴨の誤にて、ありかてぬかもかと云り、(追考下皆同)
○神代從、云々去來者行跡、 かよひはゆけどゝ訓べし、鳥にかよふと云こと、朝鳥往來爲君などあり、
寐宿難爾○○【句】○○○○登【句】阿可思、 此所六言脱たるべし、試にいはゞ、いねかてにして、きみまつと、阿可思つらくも、など有べき也、
○淡海路乃、云々 上三句はたゞ氣の序也、川の氣と云が川霧を云也、氣のころ/\とは、師説氣は日々の事也、ころころは日ごろ/\と云が如し、
○眞野之浦乃、云々【十三丁】思哉、 おもへやと訓べし、此歌は繼橋の、つぎて思へばにや、心から妨が夢に見ゆると云意也、思哉はおもへばにやの意也、女どちにても妹と云こと常也、
○河上乃、云々時自異目八方、 凡て時じくとは、非時と書る意にて、其時ならざることを云也、されば時じけめやもとは、來るべき時に非ずと云ことなく、いつも/\來ませと云也、
○衣手爾、云々吾乎置而、如何將爲、きみをおきて、いかにせむ、吾は君の誤と云はれたる考の説よろし、是は四首共に櫟子が歌にて、君とは妹を云る也、
○朝日影、云々【十四丁】照月乃、 上二句は其時の景也、照月のは不厭の序のみにて、歌の意には預らず、此續け十二卷【四十丁】にもあり、考合せて知べし、
不厭、 あかざると訓べし、
(39)○百重二物、來及毳常、 二の句きたりしけかもと訓べし、しけかもは及かしとながふ意に聞ゆ、常は次の句の頭へつくべし、都てとゝ云詞次の句へ續く例多し、
○衣手乃、別今夜從、【十五丁】 わかるこよひゆ、
甚戀名、 いたくこひむなと訓べし、かく云例は此巻付【廿四丁】に、吾者將戀名とあり、
○臣女乃、【十六丁】 臣女は少女の誤成べし、をとめと訓べし、少と臣と草書似たり、
匣爾乘有、くしげにのれる、
哭耳之所哭、 ねのみしなかゆ、
有哉跡、 あれやと、
白雲隱、しらくもかくりと訓べし、爰迄は三津の濱邊に居る間のこと也、
夷乃國邊爾、直向、 直向と云は、船をこぎ出て、海路に出るを云也、たゞむかひと訓べし、たゞむかふ淡路と云ことには非ず、
鳥自物、魚津左比去者、 凡てなづさふと云詞、中古の物語文などには、したしく馴そふやうの意にも云る故に、此集なるをも、人皆其意とのみ思ふめれども、此集なるは其意には非ず、集中に此詞多くあるは、何れも海川などによみて、水に浮び、又は水の上を渡ること也、其中に海とも川とも云ざるもあれども、それも海川を渡ること也、三卷【五十一丁】に、引網の、なづさひこむと、是も舟にて來ることを云る也、九卷【廿一丁】に、暇有者、なづさひ渡り、是も渡りとあれば川をかなたへ渡りて也、十二卷【十二丁】に、爾保鳥之、なづさひこしを、是も準へて知べし、此外に十所ばかりあるも、皆海或は川に云り、心を付て考べし、
莫告我、 我は茂の誤なるべし、もは辭には非ず、なのりそ藻と云也、書紀允恭卷に見ゆ、
不告、 のらずと訓べし、
(40)〇白妙乃、袖解更而、 袖は紐の誤ならむと或人は云り、又思ふに、男女別れて旅に行時に、袖を解放ちて、互に更てかたみとすることの、有しにも有べし、
月日乎數而、 つきひをよみてと訓べし、
○吾背子者、何處、【十七丁】 此歌既に一卷【廿丁】に出て、其所に云べきことは云り、さて何處は、いづくと訓べき也、古事記應神段大御歌に、此蟹や、伊豆久の蟹、云々よこさらふ、伊豆久爾いたる、とあり、是を證として、何れも皆いづくと云ぞ古言なる、いづこと云ることは、萬葉以上に見えず、又いづちと云は何路の意也、
○秋田之、穗田乃刈婆加、 刈婆加とは道麻呂云、尾張美濃などにて、今田を植るにも刈にも、幾はかと云ことあり、たとへば三人して三はかに植、五はかに植、或は五人して三はかに植、などゝ云也、其圖左の如し※[三つに仕切った田んぼの図]【ウヱハジメ一ハカ二ハカ三ハカ】此圖は三人して三はかにうゝる圖也、餘も是に準へて知べし、刈時も是に同じ、是は關東の國々にても云こと也とぞ、さて其一はかは、三人にもあれ、五人にもあれ、男女打交りて一つ所に寄合て、植も刈もする物なる故に、かよりあふの序とせる也、
○吾背子之、蓋世流、 けせると訓べし、古事記倭建命の段に、汝之祁勢流、おすひのすそに、又我祁勢流、などあり、著てあると云意の言也、
〇雨障【十八丁】 大平云次の歌によりて、是をもあまづゝみと訓べし、雨づゝみと云こと猶集中に例あり、又つゝみなくと云も、障なくと云に通へり、
○狹穗河乃、云々【十九丁】黒馬之、こまを黒馬と書るは、たゞ字音をとれる假字のみ也、うめを烏梅と書る類也、黒の字に意なし、道麻呂が云、ぬば玉のは、來夜の夜にかゝれる枕詞也、
年爾、 年の字は常の誤なるべし、
○千鳥鳴、云々吾戀爾、 わがこふらくはと訓べし、とぢめの爾の字一本に者とある宜し、
○赤駒之、越馬柵乃、【廿丁】 馬柵はうませと訓べし、十四卷【三十丁】に、字麻勢胡之、麥はむ駒の、是によりて知べし、又十二(41)卷【二十八丁】に、※[木+巨]※[木+若]越爾、麥咋駒乃、此※[木+巨]※[木+若]も、うませと訓べし、後世にませ垣と云も、馬柵の如く結たる垣也、
○梓弓、云々君之御幸乎、 師云幸字は事の誤也、御言の意也
聞之好毛、きかくしよしもと訓べし、
○遠嬬、云々【廿一丁】安莫國、 やすけくなくに、
雲爾毛欲成、くもにもがもと訓べし、かもを欲成と書るは、爰の意を以て書る也、
高飛、 たかとぷは天飛と云と同じ、高は天を指て云也、高く飛と云ことには非ず、
爲吾、 わかためと訓べし、
○敷細乃、云々間置而、 あひだおきて、
不相念者、あはぬおもへばと訓べし、
○他辭乎、云々巧【廿一丁】莫思吾背、 なおもひわがせと訓べし、下にそと云ことなき例多し、
○現世爾波、人事繁、しげしと訓べし、
○常不止、 つねやまずと訓べし、此言例有、とことはにと訓ては叶はぬ所也、
○天皇之、 すめらぎの、
行幸乃隨意、 いでましのまにま、
親、 したしくも、
吾者不念、 わをばおもはず、
不知跡、 しらにとゝ訓べし、
○吾背子之、云々【廿三丁】木乃關守伊、將留鴨、きのせきもりい【句】とゞめてむかも、又とゞめなむかも、伊は關守の下につける助辭也、下に伊とつけて云例古言に多し、
(42)〇三香之原、云々自妻跡、 おのづまとゝ訓べし、十四卷【三十五丁】に、於能豆麻乎とあるに依てなり、
百夜乃長、游與宿鴨、 もゝよのながく、ありこせぬかも、長はながくと訓べし、百夜の如くと云意也、ながきと云は古言の格に非ず、宿は不の意の借字のみ也、
○天雪之、云々【廿四丁】心毛身副、 心も依り身さへ依ると云こと也、
〇五年戊辰、云々蘆城驛家、 蘆城は三笠郡にて、宰府の南に今も有村也、昔宰府より京へ登る道の驛にて、此所より米山と云を越て行し也と彼國人の説也、
○大船之、云々去者、 いなばと訓べし、
○山跡道之、云々浦廻爾縁、浪間無牟、 うらまによるなみの、あひだもなけむ、と訓べし、
○吾君者、和氣乎淡、 和氣のこと古來よく説得たる人なし、此稱の出たる歌何れも、紛らは敷故に、説誤て我を云と思ふは僻事也、和氣とは人を賤しめてよぶ稱也、集中に見えたるを、皆爰に委くいはむ、先爰なるは、君と指て云る人の方より、我を指て云る詞にて、汝と云むが如し、汝は死ねと君は思ふにやと云也、さて其汝はよみ人の我なれども、君が然思ふ方より云詞なる故に、汝と云に當る也、又此卷【五十八丁】に、黒樹取云々いそしき和氣と、ほめむともあらず、是もよみ人の我なれども、君がいそしき汝と、ほむべきに非ずと云意にて、爰と同じ、又八卷【二十一丁】に、戯奴、反云和氣、又吾のみ見むや、和氣さへに見よ、とある吾の字を君と誤れり、君にては聞えぬ歌也、さて此二首の和氣も汝也、歌の意を考て知べし、此二首は紀女郎が、家持におくる歌なれば、賤しめて、汝などゝは云べきに非ざるを、かく云るは、戯れて殊更に云る也、故に戯奴と書て奴の如く人を賤しめて、戯れ云る意を顯はせる也、次に家持の答歌に、吾君に、戯奴はこふらし、是は自稱に似たれども、さには非ず、紀女郎が歌に、たはぶれて和氣と云おこせたる、詞をうけて、其和氣との玉ふ我はと云意也、彼方より云る戯言をうけて、此方よりも其儘に云こと、今の世にもかゝる類あること也、戯奴と書る由も、右の如く見て明けし、
(43)○天雲乃、遠極乃極、【二十五丁】 そきへのきはみと訓べし、さて此二首は大伴の卿よりよみおこせし歌有て、其答歌と聞えたり、又二首ともに戯れたる歌也、戀る物かもといへるは戯れ也、
○古、人乃令食有、 をさせると訓べし、酒を呑をもをすと云は古言也、例あり、
痛者爲便無、 痛者は酒に醉て、痛みなやむを云、やめばすべなしとも訓べし、
貫簀賜牟、 たばらむと訓べし、たまはらむと云に同じ、貫簀はたらひなどの上に置て、吐を受て側はらへ、とばしらざらしめむ料に賜はらむと乞也、賜牟を或人の贈むの誤と云るは僻事也、さて此歌はさきに大伴卿の方より、酒をおくられたりしこと有て、其答と聞えたり、此贈賜へる酒を飲て、醉痛み吐などせば、すべなかるべきものを、其料に貫簀をも、賜らまほしと戯れたる也、
○爲君、云々安野爾、 安野は宰府より南の方に、東小田、四三島、鷹場、三村の間に方一里の野あり是也、今は七杉原と云と國人の説なり、
○筑紫船、來毛不來者、 この句いまだもこねばと訓べし、こねばはこぬにと云意の古語也、歌の意は三依筑紫船のくるを待て、筑紫に下らむとする程のことなるべし、然るに其筑紫船も、未だ來ざる先に早よそになりて、吾方へはうと/\敷なれるが悲と也、
荒振、 よそになりて依つかぬこと也、
○事毛無、生來之、 生は此字の儘ならば、あれこしと訓べし、又ありこしならば、在の字の誤なるべし、此二つの内ありこしの方まされり、
○不念乎、云々【廿六丁】大野有、三笠杜之、 大野は三笠の森の邊より、束南の方四王子山の麓迄を、凡て大野と云ふ、大野山は、其東の方にあり、三笠の杜は三笠郡にて、博多より宰府へ行道に、雜餉隈さつしやうくまと云所あり、そこより二町東北にあり、今は昔の森の楠二株殘れりと、筑前の國人の説也、
(44)神思知三、 かみししらさむと訓べし、
○無暇、 いとまなくと訓べし、なきと訓は僻事なり、
○黒髪二、白髪交、至耆、 しろかみまじり、おゆるまでと訓べし、
○山菅乃、云々吾爾所依、 われによせと訓べし、
○野干玉之黒髪變白髪手裳、【廿八丁】 二三の句、くろかみしろく、かはりてもと訓べし、變白髪と書るは意を以て書る也、
○從今者、城山道者、【廿九丁】 城山は三笠郡也、宰府の坤方に山口村と云あり、其南なる高山也、宰府より筑後に行道也と、國人の説なり、
不樂牟、 さぶしけむと訓べし、
○吾衣、 わがころもと訓べし、此歌の意は、必君が著玉へ、人には著せ玉ふなと云意なるを、高安王を攝津大夫なる故に、難波をとこと云て、さて言葉の上は都て、難波をとこどもの手には、觸ること有とも著せ玉ふことは、し玉ふなと云也、
〇生而有者、 道麻呂云、初句いきてあらばと訓べし、生ながらへてだにあらば、又逢見むことの有べきもしらぬを、何とて遂に逢難かるべき物のやうに思ひて、死むとは、夢に見え玉ふぞと也、
不知、 しらにと訓べし、
○衣手乎、打廻乃里爾、【三十丁】 折廻里にて、をりたむ里なるべし、訓をうちわと誤れるから、後に又誤りて、乃の字は書添たるにや、さて折廻里とは、爰よりゆくに肱折まがれば、やがて至る近き里の意也、十一卷【三十四丁】に、神名火、打廻前乃、石淵とあるも、折廻前をりたむくまにて、神無備川の瀬の、折まはりたる所の隈にある淵也、隱りの序也、是と相照して考べし、
○吾念乎、人爾令知哉、云々夢西所見、【三十一丁】 わがおもふを、ひとにしらせや、云々いめにしみえきと訓べし、しらせやは、しらせばにやの意也、
(45)○君爾戀、云々 此歌は奈良山の道を行時に、君が戀しさのすべなくて、小松が下に立留りて、歎息をせしと也、
○八百日往、濱之沙毛、 八百日往は、加萬目往の誤ならむか、一卷にも加萬目と書り、かまめゐる濱とは、鵜のすむ磯、みさごゐるありそなど云類也、さてかく云故は、戀の繁きを甚しく云むには、只濱の砂子にて足ぬべきこと也、其上を猶甚く云なさむは、後世のことなるべし、縦令又猶甚くいへばとて、八百日往とは、いかでか云べき、百日しも行かぬ、松浦路などよめるは、行路の程を云るなれば事異なり、
豈不益歟、 あにまさらじかと訓べし、
○戀爾毛曾、云々水瀬川、下從吾痩、 みなせ川とは、水無瀬川の意にて、何れにまれ、上べは水なくて、水は砂子の下を潜りて、流ゆく川を云なり、名所には非ず、此歌は下從の序也、したゆわがやすと訓べし、
○朝霧之、鬱相見之、 おほにと訓べし、
○伊勢海之、云々【三十二丁】恐人爾、 かしこくと訓べし、此時家持さのみ、貴人に有ざれば、かしこき人と訓べきに非ず、
○從情毛、吾者不念寸、 こゝろゆも、わはもはぎりき、と訓べし、此ひらの裏なるも同じ、
○暮去者、云々言問爲形、 こととふすがたと訓べし、
○念西、 おもふにしと訓べし、
○天地之、神理無者社、 かみしことはり、なくばこそ、と訓べし、
○吾毛念、云々多奈和丹、 三の句あさにけにの誤ならむか、且爾氣丹か、おほなわと云言、例もなくいかゞに聞ゆ、おほさわと云ことは有ども、爰はおほさわにても聞えぬ也、朝にけにといへば、止時無と云に能叶へり、
無有、 無爾なしにの誤ならむか、
〇近有者、云々禰遠、君之伊座者、右不勝自、 いやとほく、きみがいまさば、ありかてましも、にて自は目の誤也、
○今更、云々【三十三丁】鬱悒將有、 おほゝしからむと訓べし、
(46)〇中々者、云々不遂等、 者の字も等の字も、一本に爾とある宜し、さてとげざらなくにと云て、とげぬにと云意になる、
古言の一格也、此例多し別に委く云り、
○物念跡、人爾不見跡、 みえじとゝ訓べし、
○不相念、云々泣裳、 なかもと訓て、なかむと云ことなり、
○從蘆邊、云々念歟、 おもへかと訓べし、おもへばにやの意也、
○押照、云々【三十四丁】君之聞四乎、 乎は手の誤にて、君がきこして也、きこすはのたまふと云意に、用ひたる詞也、下に云者とあるに、重なるやうなれども、かく重て云が古語の常也、さてのたまふと云ことを、きこすと云こと例多し、
其日之極、 こは其日の盡るまでと云意にて、其日の毎日毎日過行て、極まり盡るまでにて、いつ迄もと云意になる也、十七卷【廿丁】に、來し日のきはみとも」又【三十二丁】に、其日のきはみとも有、其日よりして、今日迄と云ことに用ひたり、
神哉將離、 かみやさけゝむ、
人歟禁良武、 ひとかさふらむ、
通爲、 かよはしゝと訓べし、又かよひたるとも訓べし、
○無間戀爾可有牟、【三十五丁】 あひだなく、こふれにかあらむ、と訓べし、こふれにかは、戀ればにやと意也、
○松之葉爾、云々過哉君之、不相夜多鳥、 哉は去の誤也、結句はあはぬよおほみと訓べし、鳥は身の誤か、又焉の字にてもよし、歌の意は、みまかりぬる友などを思ひ出て、其人にあはで多くの夜を經ぬるゆゑに、月の影のさす所も、移り變りぬるよと思ふ意也、松の葉にと云は、其月影のさす所の變りて、松の葉へさすを見てよめる也、其人と共に見し時は、其の所へさしたるが、今は松の葉へとのみ、委く言ざるは古風也、
○道相而、咲之柄爾、 ゑましゝからにと訓べし、
戀云吾妹、 云は念の誤也、念と云と草書似たり、こひおもふ也、
(47)○吾手本、云々【三十六丁】 此歌は丈夫者と云を、始へ移して心得べし、ますらをはわが袂を、まかむと思ふならむ、我は涙に沈みて、白髪生たりと云也
○奈何鹿、 なにすとか、
來流、 きたる、
左右、 かにもかくにもと訓べし、
○初花之、云々止息、 よどむと訓べし、
○宇波弊無、 此言は中昔の物語どもに、あへなきと云ると同意也、あへなきは即此うはべなきの、約りたる言也、今俗言にあはひないといひ、あいそもないと云に似たり、あはひないも、うはべないの轉言なるべし、此言の意さだかには云取難し、遠路を經てわざ/\來つるに逢ずして、徒に歸る時の心持を思ひて、自さとるべき也、此卷【四十五丁】にも此言あり、無表邊うはべなき、無上うへなきなど云説更に叶はず、
○目二破見而、云々不所取、 とられずとか、とらえずとか、訓べし、又とられぬと訓もあしくは非ず、
○幾許、【三十七丁】 いかばかりと訓べし、五巻【廿五丁】に、伊加婆加利とあり、
枕片去、 まくらかたさると訓べし、十八卷【廿三丁】に、夜床加多古里、とある古は左の誤にて、是もかたさり也、夫の他所に有ほどは、夜床を片避てぬる也、さて爰の歌もそれと同じことにて、夜床を片避て、枕を一方へ寄てぬる也、さて其かたさりてぬる夜の夢にと云ことなるゆゑに、かたさるいめと訓べき也、五卷【十一丁】に、しきたへの、枕さらずて、夢に見えけむ、とあるは夢に見え來る人の、枕をさらぬにて別事也、思ひまがふべからず、
○家二四手、云々客毛妻與、有之乏左、 大平云、與は乃の誤也、乃与似たり、妻の旅にあるがともしと云也、妻は夫を云る也、
○草枕、客者嬬者、雖率有、匣内之、 たびにはつまは、ゐたらめど、くしげのうちの、三の句大平云ゐたらめどゝ訓べ(48)し、率て來て有べけれどもと云也、然れども匣の内なる玉の如く、奥深く隱りてある嬬なれば、率て來がたしと也、
○絶常云者、云々【三十八丁】幸也吾君、初句たゆといはゞと訓べし、幸也は、道麻呂云|辛也《カラシ》也、へつかふは、絶もせずはなれもせず也、
○吾妹兒爾、戀而亂在、云々縁與、在は者の誤り、縁與は、よせんとゝ訓べし、
2007年9月29日(土)11時11分、入力終了
強い寒冷前線の南下で昨日までの蒸し暑さが嘘のように涼しい。今23度。数日前はこれが32度だった。