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萬葉集略解、与謝野寛他編、日本古典全集本
 
(1)萬葉集 卷第一
 
雜歌 行幸王臣の遊宴、其ほかくさぐさの歌を載せたれは斯くいふ。
 
泊瀬朝倉《ハツセアサクラノ》宮(ニ)御宇天皇代 大泊瀬稚武《オホハツセワカタケノ》天皇後に雄略と申す〔七字□で囲む〕ここに御名を書けるは後人の註なるを、今本文の如く書けるは誤なり。既に古本には小字なれば、かかる事はすべて小字にせり。下これに准ふべし。
 
天皇御製歌
 
1 籠毛與。美籠母乳。布久思毛與。美夫君志持。此岳爾。菜採須兒。家吉閑。【吉閑ハ告閇ノ誤】名告沙根。處見津。山跡乃國者。押奈戸手。吾許曾居師。告名倍手。吾己曾座。我許【許ノ下曾ヲ脱ス】者。背齒 告目。家乎毛奈雄毛。
かたまもよ。みかたまもち。ふぐしもよ。みぶぐしもち。このをかに。なつますこ。いへのらへ。なのらさね。そそらみつ。やまとのくには。おしなべて。われこそをらし。のりなべて。われこそをれ。われこそは。せとしのらめ。いへをもなをも。
籠を神代紀カタマと訓めり。毛は助辭、與は呼出す詞、古事記、阿波母與、めにしあれば、顯宗紀、おきめ暮與、淡海の置目、などある類なり。美カタマの美は、眞と同じく褒むる辭、集中み熊野、眞くまの、推古紀、まそがよ、蘇我の子ら、古事記、美延しぬの、延しぬなどある類なり。布久思は保留の約布にて、(2)ほる串と言ふなるべし。倭名鈔に?土具也、加奈布久之と有る類と見ゆ。美ブグシの美は、右に同じ。ミのことより續け唱ふる時は、ブを濁るべき例なれば、濁音の夫の字を用ふ。此ノ岡ニ菜採須兒とは、天皇いづこの岡にもあれ、菜を摘む少女を見給ひて詠み給へるなり。卷十七長歌をとめらがわかな都麻須等云云と有るに同じく、然訓むべし。ツマスはツムを延べたる詞なり。卷七小田|刈爲子《カラスコ》、卷十長歌|伊渡爲兒《イワタラスコ》など詠めるも、同じ例なる由、本居宣長早く言へり。今本ナツムスコと訓めるより、舊説須は志豆の約にて賤兒とせしは誤なり。卷十山田守酢兒も、モラスコと訓むべき事猶其所に言ふべし。吉閑、一本告閑と有り、閑は閇の誤にて告閇とす。家ノラヘは住所を申せなり。告を古ノルと言へり、乃禮を延べて乃良閇と言ふなり。名ノラサネは名を告げよなり。ノラサネを約れば乃禮となりて、名のれと言ふに同じ。ソラミツは枕辭。饒速日《ニギハヤヒノ》命大空をかけりて、空より見て降り給へるより、やまとの枕辭とせり。ヤマトは今の大和一國の事にて、大八洲をヤマトと言ふ事、此御時の頃にはいまだ無かりしなり。我コソヲラシは、天皇大和に都して、天の下知しめすによりて、斯くのたまひて天下知らする事となれり。告ナベテはみことのり敷きならべてと言ふなり。今本吾許の下曾の字を脱せり。セトシノラメは、セは夫なり。齒はトシの借字にて、シは助辭なり。又背の下登の字脱ちたるか、さらばセトハと訓むべしと翁は言はれき。されどヲラシの詞ここに協はず。ノリナベテの詞も穩ならず。宣長説に、居師と師の字を上句へつけて訓めるは誤なり。師の下の告の字は、吉の字の誤りなるべし。さて師を下へ付けてワレコソヲレ、シキナベテ、ワレコ(3)ソマセ、と訓むべし。シキは太敷座、又シキマス國などいへるシキなり。我許者はワヲコソと訓むべし。者の字は曾を誤れるならむと有り、是然るべく覺ゆ。御歌の意は、籠ふぐしを持ちて菜を摘む女が家をも名をも告げよ。天の下はおしなべてわがしろしめせば、われをこそ夫とも思ひて名のらめとのたまふなり。古の女、夫とすべき人にあらでは、家も名も顯はさぬ由は、集中に多く見えたり。
 參考 ○籠(代)カタミ(考)カタマ(古、新)コ○布久思云々(古)フクシモヨ、ミフクシモチ○家吉閑(代〕イヘキケ(古)「家告勢」イヘノラセ(新)イヘキカナ○吾許曾云云(代)ワレコソヲラシ、告ナベテ(古)アレコソヲレ「師吉」シキナベテ○吾己曾座(古)アレコソマセ○我許者云云(古)我乎許曾背跡齒告目アヲコソ、セトハノラメ(新)「者」を衍として、ワレコソハノラメと一句とす。
 
高知崗本《タケチヲカモトノ》宮御宇天皇代 息長足日廣額《オキナガタラシヒヒロヌカ》天皇後に舒明と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇登2香具《カグ》山1望v國之時御製歌
 
かぐ山は大和國十市郡、國見は神武天皇|?間《ホホマ》の岳に國見し給ひしを始めて、古の天皇せさせ給ひしなり。
 
2 山常庭。村山有等。取與呂布。天乃香具山。騰立。國見乎爲者。國原波。煙立籠。海原波。加萬目立多都。※[?+可]怜【※[?+可]怜ヲ今怜※[?+可]ニ誤ル】國曾。蜻島。八間跡能國者。
やまとには。むらやまあれど。とりよろふ。あめのかぐやま。のぼりたち。くにみをすれば。くにばらは。けむりたちこめ。うなばらは。かまめたちたつ。うましくにぞ。あきつしま。やまとのくには。
(4)ムラ山は、大和國は四方に群りて山あればなり。トリヨロフは、取は詞、ヨロフは山の形の足り整へるを褒め給ふなり。天ノカグ山は、古事記の歌に、比佐加多能阿|米《メ》能迦具夜麻とあれば、アメノカグヤマと訓むべし。國バラは、廣く平けき所をすべてハラと言ふ。煙立コメは、人家の煙、又は霞にても、遠く見及ぼし給ふさまなり。海原は香山の麓|埴安《ハニヤス》の池いと廣く見ゆるを、海原と詠み給へるなり。卷三獵路池にて人麻呂、大君は神にしませばま木の立つ荒山中に海をなすかも、同卷香山の歌に、池波騷ぎ沖邊には?よばひとも詠めり。カマメは、倭名鈔唐韻云、?和名加毛米。タチタツは、かの鳥の群れて飛立ち遊ぶさまなり。ウマシ國ゾは、神代紀に可怜小汀をウマシヲバマと訓めるに據る。ウマシはほむる詞なり。蜻島ヤマトノ國とは、神武紀、天皇ほほまの丘に登りまして、大和の國形を見やり給ひて、蜻蛉《アキツ》の臀|?《ナメ》せる如しとのたまひしより大和の國の一の名と成りたり。御歌の心は明らけし。
 參考 ○煙立籠(古、新)ケブリタチ「龍」タツ。
 
天皇遊2獵|内野《ウチノ》1之時|中皇命《ナカノミコノミコト》使d2間人連老《ハシウトノムラジオユ》1獻u歌
 
天皇右に同じ。内野は大和國字智郡。中皇女は舒明天皇の皇女。後孝コ天皇の后に立ち給ひ、間人皇后と申せしなり。中皇の下、女の字を脱せるか。歌の字の上御の字有るべし。間人連老は、孝コ紀中臣間人連老と見えて、即ち中皇女の御乳母方と見ゆ。目録に歌の字の下、并短歌の三字有り。ここには脱せり。
 
3 八隅知之。我大王乃。朝庭。取憮賜。夕庭。伊縁立之。御執乃。梓弓之。奈加弭乃。音爲奈利。朝獵爾。今立須良思。暮獵爾。今他田渚良之。御執。梓弓之。奈加弭乃。音爲奈里。
(5)やすみしし。わがおほきみの。あしたには。とりなでたまひ。ゆふべには。いよせたててし。みとらしの。あづさのゆみの。なかはずの。おとすなり。あさかりに。いまたたすらし。ゆふがりに。いまたたすらし。みとらしの。あづさのゆみの。なかはずの。おとすなり。
 
ヤスミシシ枕詞。アシタ庭夕べ庭の庭は、借れるにてことばなり。トリナデタマヒは神武天皇天つしるしとし給ひしも只弓矢なり。是を以て天下を治め知ります故に、古の天皇是を貴み愛で給へり。イヨセタテテシのイは發語にて意無し。よせ立てしめ給ふなり。ミトラシは御執らしめの意。且つ弓は色色の木もて造れど延喜式にも御弓は梓なるよし有り、古よりしか有りしならむ。ナカ弭解き難し。卷十四、梓弓末に玉まきなども詠めれば、弓射るに、殊更に弦の弭にあたりて鳴るべくせるを、鳴弭《ナリハズ》と言ひしか。さらば加は利の字の誤りならむ。朝ガリニ今立スラシ云云、タタスは立たしめ給ふを約めて尊む詞なり。卷六、朝狩にししふみ起、夕狩に鳥ふみたて、馬並て、御狩ぞたたす、春のしげ野にとも詠めり。み歌の心は明らけし。
 參考 ○伊縁立之(考)イヨセタタシシ(古、新)イヨリタタシシ○奈加弭(代)ナガハズ(考)ナ「留」ルハズ、(古、薪)ナ「利」リハズ。
 
反歌
 
(6)これは長歌の意を約めても、或るは長歌に殘れる事をも、短歌に打返し詠む故にカヘシ歌と言ふ。長歌に短歌を添ふるは古事記にも此集にも、いと上つ代には見えずして、ここに有るは、此しばし前つ頃よりや始まりつらむ。
 
4 玉刻春。内乃大野爾。馬數而。朝布麻須等六。其草深野。
たまきはる。うちのおほぬに。うまなめて。あさふますらむ。そのくさふけぬ。
 
玉キハル枕詞。野を古すべて奴《ヌ》と言へり。假字書には奴と多くあればなり。馬ナメテは、馬を並べてなり。朝フマスラムは、右に引ける卷六に、朝狩にししふみ起、夕狩に鳥ふみたて、馬なめて、云云と言へるに同じ。草フケヌは、深きを約轉して下へ續くる時、夜ノフケ行と言ひ、田の泥深きをフケ田と言ふが如く草深き野なり。心は明らけし。
 參考 ○深野(考〕フケノ(古、新)フカヌ。
 
幸2讃岐國|安益《アヤノ》郡1之時軍王見v山作歌
 
舒明紀十一年十二月伊豫の湯宮へ幸《イデマ》して、明年四月還りませしと見ゆ。此春ついでに讃岐へも幸《ミユキ》有りしなるべし。軍王は考ふるもの無し。
 
5 霞立。長春日乃。晩家流。和豆肝之良受。村肝乃。心乎痛。奴要子鳥。卜歎居者。珠手次。懸乃宜久。遠神。吾大王乃。行幸能。山越風乃。獨座。吾衣手爾。朝夕爾。還比奴禮婆。丈夫登。念有我母。草枕。客爾之有者。思遣。鶴寸乎白土。綱能浦之。海處女等之。燒鹽乃。念曾所燒。吾下心。
かすみたつ。ながきはるびの。くれにける。わづきもしらず。むらきもの。こころをいたみ。ぬえこどり。(7)うらなけをれば。たまだすき。かけのよろしく。とほつかみ。わがおほきみの。いでましの。やまごしのかぜの。ひとりをる。わがころもでに。あさよひに。かへらひぬれば。ますらをと。おもへるわれも。くさまくら。たびにしあれば。おもひやる。たづきをしらに。つののうらの。あまをとめらが。やくしほの。おもひぞやくる。わがしたごころ。
 
ワヅキモは分ち著《ツキ》も不v知なり。手著《タツキ》と言ふに似て少し異なり。ムラキモノ枕詞。心ヲ痛ミは、痛くしての意なりと東萬呂翁言へり。ヌエコ鳥云云、?が鳴音は恨み鳴くが如きよし冠辭考に出づ。ウラナケは裏歎にて、人の下に歎くなり。卷十七にぬえどりの宇良奈|氣《ケ》之都追とあり。玉ダスキ枕詞。カケノヨロシクは、卷十、子らが名にかけのよろしき朝妻の云云と詠みて、言に懸けて言ふも宜しきと言ふ意にて、下のカヘラヒと言ふ詞へ懸かるなり。遠ツ神ワガ大君は、人倫に遠きを崇め言ふなり。山ゴシノ風とは、此幸せし山を吹き越す風を云ふ。衣手は袖なり。衣を古語ソといへり。されば衣の手にて、袖と同じ語なり。還ラヒヌレバは山風の常に吹き通ふを言ふ。卷十一、吾衣手に秋風の吹返者《フキカヘラヘバ》立ちてゐるたどきをしらにと詠めるも(8)同じ。今は家に歸らまほしく思ひをる程に、風の吹きかへらば、かけのよろしくとは言へるなり。マスラヲは益荒男にて男男しきを言ふ。丈を大に作るは誤れり。下同じ。クサマクラ枕詞。オモヒヤルは、己がもの思ひをほかへ遣り失ふを言ひて、後世想像するを言ふとは異なり。鶴寸は借字にて手著なり。便りも知らずと言ふに同じ。白土は借字にて不v知ニと言ふなり。卷十三、心乎|胡粉《シラニ》と書けり。卷十七に、見れど安可爾《アカニ》けむと訓めるは不v飽ことなり、是らを以て知るべし。ツノノ浦、神祇式に讃岐國綱|丁《∃ボロ》、和名抄同國鵜足郡に津野郷有り、そこの浦なるべし。綱をツノと言ふは古語なり。アミノウラと訓むは誤なり。アマヲトメラガヤク鹽ノは、燒鹽の如くと言ふ言を省けり。思ヒゾヤクルは、卷五、心はもえぬと言ふに同じ。ここは燒鹽ノと言ふより續ければ、ヤクルと言ふべし。下情をシヅココロとも訓むべし。しづ枝、しづ鞍など言ふが如し。
 參考 ○和豆肝之良受(古〕和は手の誤にてタツキモ、又、豆を衍としてワキモシラズ(新)ワキモシラズ○卜嘆居者(新)ウラナキヲレバ○山越風乃(新)ヤマコスカゼノ○綱能浦之(考)「綱」ツナノウラノ(古)同(古)一説「綾」アヤノウラノ。
 
反歌
 
6 山越乃。風乎時自見。寢夜不落。家在妹乎。懸而小竹櫃。
やまごしの。かぜをときじみ。ぬるよおちず。いへなるいもを。かけてしぬびつ。
 
(9)時ジクを紀にも集中にも非時と書きて、時ならずと言ふ意なり。ヌルヨオチズは、一夜も漏れずなり。集中隈もおちずなど言へるオチズに同じ。家ナル妹は、都の家に在る妹なり。カケテシヌビツは、吾をる所より遠く妹が家をかけて慕ふと言ふなり。シヌブは慕ふの意なり。
 
右?2日本書紀1【紀今記ニ誤】無v幸2於讃岐國1亦軍王未v詳也、但山上憶良大夫類聚歌林曰、紀曰天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸2于伊豫温湯宮1云云。一書云、(伊與風土記也)。是時宮前在2二樹木1此之二樹班鳩此米二鳥【鳥ヲ烏ニ誤】大集。時勅多掛2稻穗1而養v之、乃【乃元仍ニ作ル】作歌云々、若疑從2此便1幸v之歟。風土記鵤比米と有り。
明日香川原《アスカカハラノ》宮御宇天皇代 天豐財重日足姫《アメトヨタカライカシヒタラシヒメノ》天皇 後に齊明と申す〔七字□で囲む〕
 
此天皇再の即位は、飛鳥|板葺《イタブキ》宮にてなし給へり。其年冬其宮燒けしかば、同飛鳥の川原宮へ俄に遷り給ひ、明年冬また岡本に宮造して遷りましぬ。されば川原宮には暫くおはしましたり。
 
額田《ヌカタノ》王歌 未詳
 
未詳二字後人の書加へしなり。額田王の事、考の別記に委しかれど、猶考ふるに、額田王は鏡王の女にて鏡女王の妹なるべし。初め天智天皇に召されたる事卷四思2近江天皇1と言へる歌有るにて知るべし。さて天武天皇は太子におはしませし御時より、此額田王に御心をかけ給ひし事、次下の紫草の匂へる妹を云云の御歌にて知らる。天智天皇崩れ給ひし後、天武天皇に召されて、十市皇女を生み給へり。此集女王に(10)皆某女王と書ける例なれば、額田王も女王と有るべく思はるれど、古へ男王女王ともに某王と言へれば、額田王はもとより古きものに書けるままにてしか記せりと見ゆ。強ひて女の字を加ふべからず。鏡女王を女王と書けるは父鏡王とまがふ故にしか書けるならむよしは、宣長も論らへり。 
7 金野乃。美草《・をばな》苅葺。屋杼禮里之。兎道乃宮子能。借五百磯【磯今※[火+幾]ニ誤】所念。
あきののの。みくさかりふき。やどれりし。うぢのみやこの。かりほしおもほゆ。
 
ミクサは眞草と同じ。ここは秋の百草を言ふ。宣長云、美草はヲバナと訓むべし。貞觀儀式大嘗祭條に、次黒酒十缶云云以2美草1飾v之。また次食代十輿云云飾以2美草1と見えて、延喜式にも同じく見ゆ。然れば必一種の草の名なり。右はススキを美草と書きならへるなるべしと言へり。元暦本にヲバナと訓めるも協へり。卷八に草花と書きてヲバナと訓めり。ウヂノ都は幸の時、山城の宇治に造られたる行宮を言ふ。カリホシ云云は、五百は訓をかり、磯《シ》は助辭、※[火+幾]に作るは誤なり。行宮をカリ廬と云ふは、下にも類有り。カリホはカリイホを約め言へり。所念と書けるは凡てオモホユと訓む例なり。御歌の心は、秋野の草を刈り葺きたる假宮に宿れりしを、面白く覺えて後までも忘れ難しとなり。卷八、はたすすき尾花さかぶき黒木もて造れる家は萬代までも、卷十、秋の野のをばなかりそへ秋萩の花を苅らさね君が借廬にとも詠めり。
 參考 〇借五百云云(古、新)カリイホシオモホユ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。一書【書ノ下一本曰ノ字アリ】戊申年幸2比良宮1大御歌。但紀曰。五年春(11)正月己卯朔辛巳。天皇至v自2紀温湯1三月戊【今戊ヲ戌ニ作ル。辰ノ下日ノ字有ルハ誤ナリ。紀ニ日字旡ニヨル】寅朔天皇幸2吉野宮1而肆宴焉。庚辰天皇幸2近江之平浦1
 
飛鳥川原宮におはせしは、齊明天皇重祚元年乙卯の多より、二年丙辰の冬までにて、此御時戊申の年無し。是は誤れり。又五年は後崗本宮におはしませば、川原宮にかなはず。ことに三月なれば、ここに秋野と有るに背けり。歌に秋野と有るを思へば、紀に三月の幸とあるは誤りにて、かの川原宮の二年の秋に幸有りつらむと覺ゆ。紀に誤れる事少なからねば、此集に據るべきよし、考の別記に委し。
 
後(ノ)崗本《ヲカモトノ》宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇位後即位後崗本宮
 
右同じ天皇重ねて即位ましまして、本の舒明天皇の崗本の宮の地に、宮造りして遷りませし故に、後崗本宮と申す。註の位後以下、後人の筆なる上、誤りあるべし。
 
額田王歌
 
8 熟【今熟ヲ※[執/火]ニ誤】田津爾。船乘世武登。月待者。潮毛可奈比沼。今者許藝乞菜。
にぎたづに。ふなのりせむと。つきまてば。しほもかなひぬ。いまはこぎこな。
 
齊明紀伊豫國云云、熟田津此云2爾枳陀豆1と有り。月マテバ潮モカナヒヌは、月も出で潮も滿ちぬとなり。或人乞は弖の誤にて、漕ギテナならむと言へり。コギテナは漕ぎてむと言ふに同じ。是は外蕃の亂をしづめ給はむとて、七年正月筑紫へ幸のついでに、此湯宮に御船泊り給へる事紀に見ゆれば、其時額田女王も(12)御供にて、此歌は詠み給ひしなるべし。さてそこより筑紫へ向ひ給ふ御船出の時、月を待ち給ひしならむ。
 參考 ○許藝乞菜(考)コギコソナ(古)コギ「弖」テナ(新)コギイデナ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。飛鳥崗本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午。天皇大后幸2于豫湯宮1。後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅御船西【今西ヲ而ニ※[孰/火]ヲ※[執/火]ニ誤】征始就2于海路1庚戌御船泊2于伊豫熟田津石湯行宮1天皇御2覽昔日猶存之物1當時忽起2感愛之情1所以因製2歌詠1爲2之哀傷1也。即此歌者天皇御製焉。但額田王歌者別有2四首1
 
舒明紀に九年此幸無くて、十年十月に有り。伊豫風土記に崗本天皇并皇后二?爲2一度1と有るをここには言ふか。然れどもここは、後崗本宮と標せれば時代異なり。天皇御覽以下四十八字は又註にて、是は歌の意を心得ぬ者の書けるにて誤れり。別有2四首1と言ふも、實にさる事あらば、何の書とも、何の歌とも言ふべきを、何の事とも無きはいといぶかしき由、考の別紀に言はれき。すべて類聚歌林は、はやく憶良の名を假りて僞り作れる物と見えて、うけがたき事多し。猶彼の別記を見て知るべし。
 
幸2于紀温泉1之時額田王作歌
 
齊明紀四年十月批幸有。
 
9 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本
 
此歌荷田東萬呂翁、キノクニノヤマコエテユケワガセコガイタタセリケムイヅカシガモトと訓めり。其(13)故は、古本莫囂國隣之と有り。古葉略要集には、奠器國隣之とあり。又一本に莫器圓憐之と有り。二の句古本大相云兄爪謁氣と有り。古葉略要に大相土兄瓜湯氣とあり。一本に大相七?竭氣と有り。是らを合せ考ふるに、七も土も古の字の誤り、瓜は?を誤り、謁は湯を誤れるなるべし。さてかくくさぐさの中にて正しきを取りてみれば、莫囂國隣之は、神式紀に依るに、今の大和國を内つ國といへり。其内つ國をここには囂《サヤギ》なき國と書けり。同紀に雖2邊土末1清2餘妖猶梗1而中洲之地無2風塵1の十七字を、とつくにはなほさやげりといへども、うちつくにはやすらけしと訓めるを以て、囂《サヤギ》なき國は大和なれば、其隣とはここは紀伊をさせり。されは此五字キノクニノと訓まる。大相古兄?湯氣の七字、ヤマコエテユケと訓むよし考に見ゆ。平春海云、大相土三字にてヤマと訓むべし。さらば大相土見乍湯氣にて、ヤマミツツユケと訓まむか。一本に兄を見に作りたるもあれば、今見に作れるを用ひて、爪を乍の誤りとなさむかと言へり。さも有るべし。吾瀬子之射立爲兼五可新何本の十三字、ワガセコガイタタセリケムイヅカシガモトと訓むべし。嚴に五の訓を借りて、清濁に拘はらぬは借字の常なり。山コエテユケ云云、又山見つつゆけ云云、是はいづれにても、此女王の尊み親み給ふ者の先きに、此山路を往き給へる事を思ひ出て、從駕の人にのたまふなるべし。イタタセリケムのイは發語、立たせたまひけむなり。イヅカシは垂仁紀天照大神磯城|嚴橿《イヅカシ》が本に座すといひ、古事記美母呂能伊都加斯加母登加斯賀母登と云ふに同じ。かかれば神を齋へる山路の橿にて、後世神木と言ふものなり。其木の本に、吾背子の立せ給ひし事を傳へ聞しめして、詠み給へるな(14)るべし。さて元暦本には、草囂云云爪湯氣と有りて、瀬の下子の字無し。千蔭が持たる古葉略類聚抄には莫器、圓隣云云湯氣と有り。此歌はいたく誤りたりと見ゆ。此初句キノ國ノと訓むも強ひたる事の樣なり。理りもいかがに聞ゆ。されど、今外に考へ得たりと思ふ事も無ければ、暫く右の説を擧げつ。猶考ふべき事なり。
 參考 ○(代)ユフ月シ、覆ヒナセソ雲、吾セコガ、イタタセリケム、イツカシガモト 謁は靄の誤とす(考)莫囂國隣之、大相古見?湯氣、吾瀬子之、射立爲兼、五可新何本木ノ國ノ、山越エテ行ケ、吾セコガ、イ立タセリケム、イツ橿ガ本(古)奠器圓隣之、大相土見乍湯氣、吾瀬子之、射立爲兼、五可新何本。ミモロノ、山見ツツ行ケ、吾ガ背子ガ、イタタセリケム、イツカシガモト(新)訓を附けず。
 
中皇【今皇下女字ヲ脱】女命往2于紀伊温泉1之時御歌 一本伊字無し。目録歌下三首と有り。
 
10 君之齒母。吾代毛所知哉。磐代乃。岡之草根乎。去來結手名。
きみがよも。わがよもしれや。いはしろの。をかのくさねを。いざむすびてな。
 
ここに君と言ひ、又次に吾せこと詠み給へるは、御兄中大兄命にいざなはれてやおはしけむ。さらば此君はかの命をさし給ふべし。磐代は紀伊日高郡、ヨはヨハヒなり。磐代の名に依りて、其岡の草を結びてよはひを契るなり。結ビテナは結ビテムと言ふに同じ。シレヤの詞いささか心得難し。宣長は哉は武の誤りにて、所知武《シラム》なるべくやと言へり。卷二、磐代の濱松がえを引結びまさきくあらば又歸りみむ。
(15) 參考 ○所知哉(考)シルヤ(古)シラ「武」ム。
 
11 吾勢子波。借廬作良須。草無者。小松下乃。草乎苅核。
わがせこは。かりほつくらす。かやなくは。こまつがしたの。かやをからさね。
 
昔は旅ゆく道に、假庵作りて宿れりしなり。コ松ガ下ノ云云は、小松交りに薄萱などの生ひたるを見て詠み給へるなり。萱とは屋を葺草をすべ言ふ名なり。核は借字、この言上に出でたり。
 參考 ○小松下乃云云(考)コマツガモトノカヤヲ(古)考と同じ(新)コマツガシタノクサヲ。
 
12 吾欲之。野島波見世追。底深伎。阿胡根能浦乃。珠曾不拾【今拾ヲ捨ニ誤ル。元拾ニ作ル】。
わがほりし。ぬじまはみせつ。そこきよき。あこねのうらの。たまぞひろはぬ。
或頭【元頭宇無し】云。吾欲|子島羽見遠《コジマハミシヲ》
 
是は或本のコジマハミシヲとある方然るべし。野島は淡路の地名なれば、此處によし無し。兒島は紀伊なり。アコネノ浦も紀伊にあるべし。兒島は見給へれど、まだあこねの浦へおはさぬ故に、詠み給へるのみにて、心明らけし。
 參考 ○野島波見世追(考)「子」コジマ「羽」ハミシ「遠」ヲ、(古、新)考と同じ○不拾(代)ヒリハヌ(古)代と同じ(新)略と同じ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。天皇御製歌云云。
 
(16)中大兄《ナカノオホエ》 近江御宇天皇 三山歌一首 後に天智天皇と申す〔九字□で囲む〕
 
今本近江宮御宇天皇の七字を本文とせり。古本小字なるに依れり。中大兄命三山御歌とあるべきを、かく誤れりと見ゆ。近江宮云云七字は、後人の書入れしなり。三山は香山、畝火、耳成の三なり。考の別記に委し。是は此三山を見まして詠み給へるにはあらず。仙覺註に、播磨風土記に、出雲國阿菩大神聞2大和國畝火香山耳梨三山相闘1以2此謌1諫v山上來之時。到2於此處1乃聞2闘止1覆2其所v乘之船1而坐之。故號2神集之覆形1とあるを引けり。此古事を聞きまして、播磨にて詠み給へるならむ。今も播磨に神詰《カンヅメ》と言ふ所ありとぞ。
 
13 高山波。雲根火雄男志等。耳梨與。相諍競伎。神代從。如此爾有良之。古昔母。然爾有許曾。虚蝉毛。嬬乎。相挌【今挌ヲ格ニ誤元ニヨリテ改ム】良思吉。
かぐやまは。うねびををしと。みみなしと。あひあらそひき。かみよより。かくなるらし。いにしへも。しかなれこそ。うつせみも。つまを。あらそふらしき。
 
高山の高は、香の誤かとも思へど、高も音もてカグと訓むべければ、暫く今本に依るべし。さて契沖が説の如く、かぐ山をばと言ふ意に見るべし。ヲヲシは、うねびは男神にて男男しきを云ふ。ミミナシは是も男神なり。香山、耳梨は十市郡、畝火は高市郡なり。アヒアラソヒキは、香山の女山を得むとて、二の男山の爭ふなり。神代より云云、ニアルを約めてナルと言へり。然なればこその、バを略く例なり。ウツセミは(17)冠辭考に委し。現身なり。神代にもかく妻を相爭ひしかば、今現在人の爭ふはうべなりとなり。相挌二字にてアラソフと訓むは、卷二相競、卷十相爭など、アラソフと訓む所に、みな相の字を加へたり。又挌を爭ふと言ふに用ひしは、卷十六に有2二壯士1共挑2此娘1而捐v生挌競なども書けり。ラシキのキは、後の物語ぶみに何するかし、何すらむかし、などのカシと同じ語にて、強く言ひ定むるやうの詞なり。推古紀おほきみのつかはす羅志枳。また卷十六しぬび家良思吉とあるも同じ。
 參考 ○男志時(古)「曳」エシト(新)ヲシト○如此爾有良之(考)シカナルラシ(古、新)略と同じ○相挌(代)アラソフ(考)アヒウツ(古、新)代に同じ。
 
反歌
 
14 高山與。耳梨山與。相之時。立見爾來之。伊奈美國波良。
かぐやまと。みみなしやまと。あひしとき。たちてみにこし。いなみくにばら。
 
畝火は爭ひ負けて、かぐ山と耳梨と逢ひしなり。立チテ見ニ來シは、かの阿菩大神の來り見し事を宣へり。印南《イナミ》は播磨の郡名、古は初瀬(ノ)國吉野(ノ)國とも云ひて、一郡一郷をも國と云へり。原は廣く平らなるを云ふ。
 
15 渡津海乃。豐旗雲爾。伊理比沙之。今夜乃月夜。清明己曾。
わたづみの。とよはたぐもに。いりひさし。こよひのつくよ。あきらけくこそ。
 
ワタヅミは則ち海なり。冠辭考わたのそこの條に委し。トヨハタ雲、文コ實録に、天安二年六月有2白雲1(18)竟v天自v艮至亘v坤。時人謂2之旗雲1とあり。これはただ旗の如き雲の棚引けるをのたまひつらむ。豐は大きなる事なり。入日サシ云云は、入日の空の樣にて、其夜の月の明らかならむを知るなり。紀に清白心をアキラケキココロと訓みたれば、清明をアキラケクと訓むべし。是も同じ度に、印南の海邊にて詠み給へる故に、次いで載せしならむ。
 參考 ○清明己曾(古)キヨク「照」テリコソ(新)略に同じ。
 
右一首歌。今案不v似2反歌1也。但舊本以2此歌1載2於反歌1故今猶載v此歟。【歟元次ニ作ル】亦紀曰。天豐財重日足姫天皇先四年乙巳立【立下爲元ニ旡シ】爲天皇爲2皇太子1
 
爲天皇三字衍文なるべし。
 
近江|大津《オホツノ》宮御宇天皇代 天命開別《アメミコトヒラカスワケ》天皇後に天智と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇詔2内(ノ)大臣藤原朝臣1競2憐春山萬花之艶秋山千葉之彩1時額田王以v歌判v之歌
 
藤原卿は鎌足卿なり。下の例によるに藤原卿とあるべし。又次に近江へ遷り給ふ時の歌を載せたれば、ここは後岡本宮にて有りし事ならむ。さらば内臣中臣連鎌足と有るべきを、斯く書けるは、後より崇みて書きたるなるべし。朝臣のかばねをさへ書きたるはいよいよひが事なり。猶考の別記に委し。
 
16 冬木成【成ハ盛ノ誤リ】。春去來者。不喧有之。鳥毛來鳴奴。不開有之。花毛佐家禮抒。山乎茂。(19)入而毛不取。草深。執手母不見。秋山乃。木葉乎見而者。黄葉乎婆。取而曾思奴布。青乎者。置而曾歎久。曾許之恨之。秋山吾者。
ふゆごもり。はるさりくれば。なかざりし。とりもきなきぬ。さかざりし。はなもさけれど。やまをしみ。いりてもとらず。くさふかみ。たをりてもみず。あきやまの。このはをみては。もみづをば。とりてぞしぬぶ。あをきをば。おきてぞなげく。そこしうらめし。あきやまわれは。
 
冬木成の成は盛の誤りなるべし。集中冬隱春去來者と書けるに同じく、冬は萬の物内に籠りて、春に成りてはり出づるより云へる枕詞なり。春サリクレバの去は借字にて春になりくればなり。夕さりくればと同じ。山ヲシミは茂くしてなり。此集には、春の繁山、春の茂野など言ひて、暮春の頃の草木を茂き事とすれば春の草木の茂き事を女王の傳へ聞きまして、かく詠み給へるならむ。入リテモ不取は、折取ぬ事なり。されど又手折リテモとあるからは、取は見の誤りにて、ミズにても有らむか。モミヅヲバ取リテゾシヌブ云云は、木の葉のもみぢせしを取りて愛るなり。毛美豆は赤出《モミイヅル》を略き言へり。言のもとは考に委し。シヌブは慕ふ意を言へり。青キヲバオキテゾナゲクは、まだ染まぬをば、折りとらずして置くを恨みとするなり。ソコシウラメシ云云、ソコはソレなり。シは助辭、うら枯るる秋は、山に入り安ければ、秋山のもみぢに心をよするとなり。宣長は恨は怜の誤りにて、ソコシオモシロシならむと言へり。是に依るべく覺ゆ。
 參考 ○不取(古、新)「不聽」キカズ○執手母不見(考)タヲリテモミズ(古、新)トリテモミズ○恨之(古)「怜」タヌシ(新)ウラメシ、又はタヌシ○秋山吾者(考、新)アキヤマ「曾」ソレハ。
 
(20)額田王下2近江國1時作歌井戸王即和歌
 
天智紀六年二月近江大津へ遷都の事有り。さて此端詞集中の例に違ひて、和歌をかく續けて書くべき謂れ無し。井戸王と言ふ名も氏も物に見えず。ここはいたく亂れたりと見ゆ。是は左註の類聚歌林を合せ考ふるに、大海人《オホアマノ》皇子下2近江國1時御作歌と有るべし。さて次の綜麻形の歌は、額田女王の歌なるべく見ゆれば、其所に額田王奉v和歌と有るべきなり。考に委しく論はれき。此集すべて和歌と有るは答歌なり。
 
17 味酒。三輪乃山。青丹吉。奈良能山乃。山際。伊隱萬代。道隈。伊積流萬代爾。委曲毛。見管行武雄。數數毛。見放武八萬雄。情無。雲乃。隱障倍之也。
うまさけ。みわのやま。あをによし。ならのやまの。やまのまに。いかくるるまで。みちのくま。いさかるまでに。つばらにも。みつつゆかむを。しばしばも。みさけむやまを。こころなく。くもの。かくさふべしや。
 
ウマサケ、青ニヨシ、枕詞。みわの山をとヲの詞を添へて見るべし。飛鳥岡本宮より三輪へ今の道二里ばかり三輪より奈良へ四里餘有りて、其間平らかなれば、奈良坂越ゆる程までも、三輪山は見ゆるとぞ。其奈良山を越ゆるまでは、山の際より見むとおぼして、かへり見し給ふままに、稍遠ざかりて、雲の隔てたるなり。山際の下從の字を脱せるか、山ノマユと有るべし。道ノクマ云云、クマは入り曲りたる所を言へど、此處は其れまでも無く、ここかしこと言はむが如し。伊積流、イツモルと訓みたれど東麻呂翁がイサカルと訓めるによる。積はサカの假字に借れり。伊は發語、サカルは離るるなり。ツバラは審らかと云ふに同じ。(21)又古事記に麻都夫佐と言ふ詞もあれば、ツブサニモとも訓むべし。シバシバは度度なり。見放くけ遠く見やることなり。カクサフはカクスを延べたる言にて、雲の心無く隱すべしやと言ふなり。宣長はココロナ雲ノと訓みて、心ナは心ナヤの意とせり。み歌の心は、奈良より飛鳥の方は、此山の方に當りたる故に、故郷の名殘を此山に負せて惜み給ふなり。
 參考 ○山際(考)ヤマノマ「從」ユ(古)考と同じ(新)略と同じ○伊隱萬代(古、新)イカクルマデ○伊積(考、古、新)イツモル○委曲毛(考)ツバラニモ、又、ツブサニモ(古)ツバラカ「爾」ニ(新)ツバラニモ○見放武(古)ミサカム(新)略に同じ。
 
反歌
 
18 三輪山乎。然毛隱賀。雲谷裳。情有南畝。可苦佐布倍思哉。
みわやまを。しかもかくすか。くもだにも。こころあらなむ。かくさふべしや。
 
シカモは如此もなり、カは哉の意にて、下たに歎く詞。畝一本武に作れり。いづれにても有るべし。
 
右二首歌。山上憶良大夫類聚歌林曰。遷2都近江國1時御2覽三輪山1御歌焉。日本書紀【今紀ヲ記ニ誤ル】曰。六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷2都于近江1
 
例によるに、山上の字の上、檢の字を脱せしか。右に御覽御歌など有りて、天皇皇太子の御歌なる事しるければ、右に言へる如く、此時の皇太子大海人皇子命の御歌なるべし。
 
(22)19 綜麻形乃。林始乃。狹野榛能。衣爾著成。目爾都久和我勢。
みわやまの。しげきがもとの。さぬはりの。きぬにつくなす。めにつくわがせ。
 
右に言へる如く、此歌額田王奉和歌と端詞有るべきなり。綜麻形を東麻呂翁ミワヤマと訓めり。古事記に、大神美はしき男と成りて、活依《イクヨリ》姫の許へよるよる通ひ給へるを、姫其男君の家所を知らばやとて、卷子《ヘソ》の紡紵《ウミヲ》を、ひそかに針して男の裔に著けたるを、君は引きて歸りぬ。さてあとに紵は唯|三勾《ミワ》殘りたりけり。やがて其糸すぢをとめて、御室山の神の社に到りぬ。故《カレ》三輪山と言ふと記されたり。其紵の三?《ミワゲ》殘れる形を思得て、綜麻形と書きてミワヤマとは訓ませたるなり。仙覺註に、土左國風土記云。神河訓2三輪川1(中略)皇女思奇以2綜麻1貫v針。及2壯士之曉去1也。以v針貫v襴。及v旦也着v之云云。シゲキガモトは繁樹が下なり。狹野榛はサヌハギと訓みて、サは發語、榛は借字にて、野萩なりと翁は言はれき。さるを先人(枝直)は、榛と書けるは花咲く萩にあらず。波利《ハリ》と訓みて、今|波武《ハン》の木と云ふ物なりと言へり。末の引馬野の歌の下に委しく言ふべし。衣ニツクナス云云、ナスは集中皆如クと意得て協へり。神代紀如2五月蠅1をサバヘナスと訓めり。さて榛の皮は古衣を摺るものにて、物に移りつきやすきをもて、吾せこがわが目につくに譬へたり。卷十、あたらしきまだら衣は面著《メニツキ》てとも詠めり。此歌を女王の御答とする時は、ワガセとは大海人皇子命をさし奉りしならむ。
 參考 ○綜麻形乃(代、新)ヘソガタノ(古)代に同じ○林始乃(代)ハヤシノサキノ(古)代に同じ(23)○狹野榛能(代)サノハリノ(考)サヌハギノ(古)略に同じ。
 
右一首歌。今案不v似2和歌1但舊本載2于此次1故以猶載焉。
 
此註、右の歌を訓み得ざりし後人の書き入れならむ。
 
天皇遊2獵|蒲生《カマフ》野1時額田王作歌
 
蒲生野は近江國蒲生郡。此獵は七年五月五日なり。卷十六に、う月とさ月の間に、藥狩つかふる時に、と言ひ、又卷十七、天平十六年四月五日の歌に、かきつばたきぬに摺りつけますらをが競狩する月は來にけりなど有りて、唐國の醫の書どもに、四五月|鹿茸《シカノワカヅノ》を取る事見え、又五月五日に百草を採る事も見ゆれば、此二つをかねたる幸なるべし。
 
20 茜草指。武良前野逝。標野行。野守者不見哉。君之袖布流。
あかねさす。むらさきのゆき。しめのゆき。のもりはみずや。きみがそでふる。
 
アカネサス枕詞。紫草の生ふる野と言ふのみにて地名に非ず、シメ野は御獵し給はむ爲にしめおかかる野なり。かゆきかくゆき君が袖ふり給ふを、野守は見奉らずやと言ふにて、外によそへたる意無し。
 參考 ○武良前野(古)ムラサキヌ○標野、野守(古)シメヌ、ヌモリ。
 
皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
集中皇太子をば、日並知皇子命など書く例なれば、ここも大海人皇子命と有るべきなり。 
(24)21 紫草能。爾保敝類妹乎。爾苦久有者。人嬬故爾。吾戀目八方。
むらさきの。にほへるいもを。にくくあらば。ひとづまゆゑに。われこひめやも。
 
是は額田女王を指して、紫の如く匂へるとのたまふなり。ニホフは色の餘光有る事に多く言ひて、美はしきを言ふ。妹とはすべて女をさして言ふ事にて、ここは額田女王を宣ふなり。人ヅマ故ニとは、人妻ナルモノヲと言ふ意にて、にくくあらば何か戀ひむ、人の妻なる物をとなり。卷十に、人づま故に我戀ひぬべし。卷十二に、人づま故に我戀ひにけりと言へるも、人妻なる物をと言ふ意にて聞ゆ。
 參考 ○吾戀目八方(考)ワガコヒメヤモ(古)アレコヒメヤモ(新)略に同じ。
 
紀曰。天皇七年丁卯【紀、丁卯ヲ戌申ニ作ル】夏五月五日、(天皇二字ここに有るべし)縱2【紀、縦ヲ遊ニ作ル】獵於蒲生野1于v時大【今大ヲ天ニ誤ル、元ニヨリテ改ム、】皇弟諸王内臣及群臣皆悉【元悉字旡シ】從焉
 
明日香清御原宮御宇【今御宇ノ字ヲ脱ス】天皇代 天渟中原瀛眞人《アメヌナハラオキノマヒト》天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
十市《トホチノ》皇女參2赴於伊勢神宮1時見2波多《ハタノ》横山1吹黄《フキノ》刀自作歌
 
皇女は天武天皇の長女、御母は額田女王。紀四年二月此皇女と阿閇皇女も共に參り給ふ事見ゆ。波多横山は神名帳に伊勢國壹志郡波多神社。和名抄に同郡|八太《ハタ》郷有り。今も八太里横山と言ふ有りて、大なる岩ども川邊に多しとぞ。吹黄刀自は卷四にも見ゆ。天平七年の紀に、冨紀朝臣の姓見ゆ。是か。刀自はもと戸主《トジ》の意なるを、喚名にもつきしなり。外に例有り。
 
(25)22 河上乃。湯都磐村二。草武左受。常丹毛冀名。常處女煮手。
かはのへの。ゆついはむらに。くさむさず。つねにもがもな。とこをとめにて。
 
ユツ岩村、神代紀五百箇村、祝詞に湯津磐村と書きて、イホを約め通はしてユと言へり。石の多く群がるを言ふ。ヲトメは神代紀少女、此云2烏等刀sヲトメ》1と有り。石の常に草も生ひぬ如く、とこしなへにをとめにてましませとなり。ガモナは願ふ詞。卷廿、いそ松の都禰《ツネ》にいまさね今も見るごとと詠めり。
 參考 ○河上乃(考)カハヅラノ(古)略と同じ(新)カハカミ、又はカハノヘ○常丹毛(考)トコニモ(古、新)略に同じ。
 
吹黄刀自未v詳也。但紀曰。天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥。十市皇女阿閉皇女參2赴於伊勢神宮1
 
麻續《オミノ》王流2於伊勢國|伊良虞《イラゴノ》島1之時人哀傷作歌
 
左註に言へる如く、麻續王は因幡に配せらる。ここに伊勢國と有るは、後人の書き加へしなるべし。猶いらごの島の事末に言ふべし。人の字の上更に時字有るべし。
 
23 打麻乎。麻續王。白水郎有哉。射等籠荷四間乃。珠藻苅麻須。
うちそを。をみのおほきみ。あまなれや。いらごがしまの。たまもかります。
 
ウチソヲ枕詞。アマナレヤは、海人ニテ有レバニヤなり。マスはオハシマスなり。玉藻は藻の子《ミ》は白く玉の如くなれば言へり。
(26) 參考 ○打麻乎(代)ウチソヲ(考、新)ウチソヲ(古)ウツソヲ
 
麻續《ヲミノ》王聞v之感傷和歌
 
24 無蝉之。命乎惜美【惜ヲ今情ニ誤ル、元ニヨリテ改ム、夷ヲ今美ニ誤ル】。浪爾所濕。伊良虞能島之。宝藻苅食。
うつせみの。いのちををしみ。なみにぬれ。いらごのしまの。たまもかりをす。
 
ウツセミノ枕詞。紀に御食を美袁志《ミヲシ》と訓む。物食ふをヲスと言ふ。右に島人と成り給へば、海人の業しておはすらむと、憐みまつりて詠めるを受けて、かくても命は捨て難く、藻を苅りてをし物にしてながらふると宣まへるなり。所濕元暦本ヒヂと訓む。ヒヂはヒヅチと同じく、元は泥付《ヒヂツキ》の意にて、ぬるる事に言へり。ここは所の字ヌレのレの言に當て書ければ、ヌレと訓まむ方まされり。
 參考 ○所濕(代)ヒヂ又はヌレ(考、新)ヌレ(古)ヒヂ○苅食(代)カリハム(考)カリヲス(古)カリハム(新)カリヲス、又はカリハム。
 
右案2日本紀1曰。天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯【紀四月甲戌朔辛卯三位ト有リ】三品麻續王有v罪流2于因幡1一子流2伊豆島1一子流2血鹿島1也。是云v配2于伊勢國伊良虞島1者。若疑後人縁2歌辭1而誤記乎。
 
此註はよろし。イラゴガ崎、三河國より志摩の答志の崎へ向ひて、海へさし出でたる崎なり。後の物ながら、古今著聞集に、伊豫國にもイラゴと言ふ地有り。因幡にも同名有りしにや。
 
天皇御製歌
 
(27)25 三吉野之。耳我嶺爾。時無曾。雪者落家留。間無曾。雨者零計類。其雪乃。時無如。其雨乃。間無如。隈毛不落。思乍叙來。其山道乎。
みよしのの。みみがのみねに。ときなくぞ。ゆきはふりける。ひまなくぞ。あめはふりける。そのゆきの。ときなきがごと。そのあめの。ひまなきがごと。くまもおちず もひつつぞくる。そのやまみちを。
 
或本歌
 
26 三芳野之。耳我山爾。時|自久《ジク》曾。雪者|落等言《フルトフ》。無間曾。雨者落等言。其雪。不時《トキジクガ》如。其雨。無間如。隈毛不墮。思乍叙來。其山道乎。
 右句句相換。因v此重載焉。
 
ミヨシノのミは眞と同じく褒むる辭。ミミガノ山と言ふも吉野に有るなるべし。時ナクも時ジクも意は同じ。雪ハフルトフは、トイフを約め云ふ。後世テフと言ふに同じ。雨ハフリケル、卷十六、越後彌彦の山を、青雲のたな引く日すら小雨そぼふると詠みし如く、高山は常に雨雪降ればなり。クマモオチズ云云、此山のくまぐまを漏さず見まして、面白く思めしつつ山道を幸《イデ》ますとなり。考に卷十三、此歌の同言なる歌に、御金高とあれど、金は缶の誤りなり。ここに耳我と書きしに合せて知らる。後世金のみ嶽と言ふは、吉野山にも勝れ出でたる嶺にて、即ち此御歌の詞共によく協ひぬ。然れば古も美はしく御美我禰《ミミガネ》と言ひ、常には美我嶺とのみ言ひけむ、其ミガネを金の義と思ひたる後世心より、金嶽とはよこなはれるな(28)りと書かれたり。猶外に證あらむか、考ふべし。
 參考 ○耳我嶺爾(代)ミカノミネニ(考、新)ミミガノミネニ(古)ミカネノタケニ○間無曾(古)マナクゾ(新)ヒマ、又はマ○思乍叙來(古、新)オモヒツツゾクル○或本歌、不時如(新)トキジキガゴト。
 
天皇幸2于吉野宮1時御製歌
 
同天皇同吉野の御歌なるを、端詞を異にして並び載せしは、此天皇の紀に吉野の幸は稀に見ゆるを、上の御歌の意はあまた度幸ませしと聞ゆ。然らば又皇大弟と申す御時の事なりけむ。もし此山に逃れ入ます時の、御歌にやとも思はるるなり。されば上なるは時も定かならず。ここのは大御位の後にて定かなれば、殊更に幸と記せしならむよし考に言へり。吉野宮は應神紀に見ゆ。齊明紀に吉野宮を造ると有るは、改め造らしめ給ふなり。
 
27 淑人乃。良跡吉見而。好常言師。芳野吉見與。良人四來三。
よきひとの。よしとよくみて。よしといひし。よしのよくみよ。よきひと|よきみ《よくみつ》。
 
ヨキ人とは、上代に在りし賢き人をさしてのたまふなり。吉野は世に異なる所ぞと、褒めたる歌、集中に多し。されば古よき人吉野をよく見て實によしと言へり。今の心有るよき人は君にこそあれ、よく見よかしとのたまふなり。古天皇より臣下をさして、君とのたまへる例多し。ここは從駕の人の中に、さし(29)給ふ人有りしならむと翁言はれき。僻案抄にはヨキ人ヨクミと訓み、荷田御風はヨクミツとよめり。ヨクミツと言ふは、上の句を打ち返して、再び言ひ收むる古歌の一體にて然らむ。卷七、妹が紐|結八川内《ユフハカフチ》を古の淑人見つとこを誰か知る。卷九、古の賢き人の遊びけむ吉野の河原みれどあかぬかも。
 參考 ○良人四來三(考)ヨキヒトヨキミ(古)ヨキヒトヨクミ(新)ヨキヒトヨクミツ。
 
紀曰。八年己卯五月庚辰朔甲申。幸2于吉野宮1
 
藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫《タカマノハラヒロヌヒメノ》天皇 後に持統と申す〔七字□で囲む〕
 
藤原は持統文武二御代の宮なり。
 
天皇【今皇ヲ良ニ誤ル】御製歌
 
天皇まだ清御原宮におはします時の御歌なる事、下の歌にて知らる。されど天武天皇崩じましてよりは、藤原宮の中に入る例なり。
 
28 春過而。夏來良之。白妙能。衣乾有。天之香來山。
はるすぎて。なつきたるらし。しろたへの。ころもほしたり。あめのかぐやま。
 
白タヘは絹布を總べ言ふ名にて、妙は借字のみ、冠辭考に委し。夏の始ごろ、天皇|埴安《ハニヤス》の堤の上などに幸し給ひて、香山の邊の人家に、衣懸けほして有るを見給ひて、實に夏の來たるならむと宣へるのみなり。夏は萬の物打ち濕めれば、乾すは常の事なり。上は卷十、寒《フユ》過《ス》ぎて暖《ハル》來《キタ》る良之と言ふに同じ。下は卷十四、(30)つくばねに雪かもふらるいなをかもかなしき|ころ《子等》が|にの《布》ほ《乾》さるかもと言ふに似たり。
 參考 ○衣乾有(代)コロモサヲセリ、又はコロモホシタリ(考)コロモホシタル(古、新)略に同じ。
 
過2近江荒都1時柿本朝臣人麻呂作歌
 
古本柿本云云七字、過の字の上に有るをよしとす。天智天皇六年飛鳥岡本宮より、近江大津宮へ遷り給ひ、十年十二月崩じたまひ、明年五月大海人大友二皇子の御軍有りしに、事平らぎて、大海人皇子命は飛鳥清御原宮に天下知しめし、近江の宮は故郷と成りぬ。人麻呂は崗本宮の頃に生れて、藤原宮和銅の始、奈良へ遷都より前にみまかられしなり。日|並知《ナメシノ》皇子命の大舍人にて、後|高市《タケチノ》皇子命皇太子の御時も、同じ大舍人なるべし。末に石見の掾目などにや有りけむ。此人はすべて紀に見えず。考の別記に委し。
 
29 玉手次。畝火之山乃。橿原乃。日知之御世從。(或云自宮)阿禮座師。神之盡【今盡ヲ誤テ書ニ作】。樛木乃。彌繼嗣爾。天下。所知食之乎。(或云食來)天爾滿。倭乎置而。青丹吉。平山乎越。(或云、虚見、倭乎置、青丹吉、平山越而、)何方。御念食可。(或云所念計米可、)天離。夷者雖有。石走。淡海國乃。樂浪乃。大津宮爾。天下。所知食兼。天皇之。神之御言能。大宮者。此間等雖聞。大殿者。此間等雖云。春草之。茂生有。霞立。春日之霧流。(或云、霞立、春日香霧流、夏草香、繁成奴留)百磯城之。大宮處。見者悲毛。(或云、見者左夫思母)
たまだすき。うねびのやまの。かしはらの。ひじりのみよゆ。あれましし。かみのことごと。つがのきの。いやつぎつぎに。あめのした。しろしめししを。そらにみつ。やまとをおきて。あをによし。ならやまをこえ。いかさまに。おもほしめせか。あまざかる。ひなにはあれど。いはばしの。(31)あふみのくにの。ささなみの。おほつのみやに。あめのした。しろしめしけむ。すめろぎ《おほきみ》の。かみのみことの。おほみやは。ここときけども。おほとのは。ここといへども。はるくさの。しげくおひたる。かすみたつ。はるびのきれる。ももしきの。おほみやどころ。みればかなしも。
 
日ジリノミヨユを、或本ミヤユと有り。これはミヨユの方然るべし。或本の、イヤツギツギニ、アメノシタシロシメシケルの方まされり。ソラニミツも例に違へり。或本の、ソラミツヤマトヲオキ、アヲニヨシナラヤマコエテの方まされり。オモホシメセカ、或本オモホシケメカの方まされり。春草ノシゲク云云。或本の、カスミタツハルビカキレル、ナツクサカシゲクナリヌルの方まされり。ミレバカナシモ、或本の、ミレバサブシモ、いづれにても有るべし。玉ダスキ、ツガノ木ノ、ソラミツ、青ニヨシ、アマザカル、イハバシノ、ササナミノ、百シキノ、枕詞。カシ原ノヒジリノ御世は、神武天皇を申す。日知は神代紀月讀命夜之|食《ヲス》國を知ろしめせと有るにむかへて、日之食國知ろし給ふは大ひるめの命なり。これよりして、天の日つぎ知ろしめす御孫の命を、日知と申し奉れり。ユはヨリの古語。アレマシシは生れ給ひしなり。神武天皇より以來、生ひ繼ぎ給ひし御孫のみことは、專ら大和國に皇居し給へるを言ふ。神の書一本盡と有るをよしとす。卷三長歌、人乃|盡《コトゴト》、又同卷國之|盡《コトゴト》などもあれば、カミノコトゴトと訓むべし。翁は今本(32)神之書も、一本の盡と有るも誤りにて、神之御言と有りしが誤れるならむ。然らば神ノミコトノと訓むべき由、考に言はれつれど、暫く一本によるべく覺ゆ。神武天皇より此方の御世御世を言ふ。イヤツギツギニ云云は、かく御代御代皇居し給へる大和を捨て置きてなり。ナラ山コエテは、下の淡海ノ國と言ふへ隔句に懸けたり。オモホシメセカは、オボシメセバカと言ふを略けり。ヒナは都の外を言ふ。語のもとは考の別記に委し。大津ノ宮は今の大津なり。アメノシタシロシメシケム|スメロギ《おほきみ》ノ云云、こは天智天皇を申奉る。大宮ハココト聞ケドモ大殿ハ云云、宮と言ひ、殿と言ふも異ならず。文《アヤ》に言ふのみ。霞立春日カキレル云云、キレルは曇り隔つるを言ふ。皇居はここときけども、そことも知られぬは、霞のくもり隔てたるか、夏草の生ひ繁りて隱せるかと疑ふなり。春霞と言ひ、夏草と言へるは、時の違へりと見ゆれど、いかなる事ぞと思ひまどひて、をさなく言ひ出だせるなれば、中中に面白くこそ。大宮所見レバ云云、皇居の見えぬを疑ひながら見るに、すさましく物悲しきなり。サブシはサビシなり。集中に冷又は不樂など書けり。今本春草之春日之とある二の之の字は、歟の字の誤れるか。ここは之の詞にてはかなはず。宣長云、平山乎越と有るよりは、一本に平山越而と有る方よろし。さても倭乎置而の而文字は猶必ず有るべきなり。而の言の重るは古歌の常なり。さて春草之云云は、ハルクサシシゲクオヒタリと訓むべし。之はやすめ辭なり。此二句は宮の荒れたる事を歎き言ひて、次に霞立云云は、ただ見たる景色のみにて、荒れたる意を言ふにあらず。春日ノキレルモモシキノ云云とつづけて心得べし。春草之云云と、霞立云云(33)とを同意にならべて見るはわろし。一本の趣とは異なり。また一本の方は、春日と夏草と時節のたがへるもわろく、二つの疑の香も心得難しと言へり。
 參考 ○夷者雖有(古)ヒナニハ「雖不有」アラネド(新)略に同じ。
 
反歌
 
30 樂浪之。思賀乃辛崎。雖幸有。大宮人之。船麻知兼津。
ささなみの。しがのからさき。さきくあれど。おほみやびとの。ふねまちかねつ。
 
ササナミノ枕詞、サキクアレドは、何にてもかはらで有るを幸《サキ》く在りと言へり。宮人達の船遊せし所なれば、其船のよするやと待てど待ち得ず。只辛崎のみ元のままにて有りと言ふなり。卷二、やすみしし吾大きみの大御ふね待ちか戀ひなむしがのからさき。卷三、百しきの大宮人の退出て遊ぶ舟には梶さをもなくてさぶしも漕ぐ人なしに。
 
31 左散難彌乃。志我能(一云比良乃)大和太。與杼六友。昔人二。亦母相目八毛(一云|將會跡母戸八《アハンットモヘヤ》)
ささなみの。しがのおほわだ。よどむとも。むかしのひとに。またもあはめやも。
 
比良の大わだにてもいづれにても有りぬべし。神代紀曲浦ワダノ浦と訓めるに同じく、和太は入江の水の淀を言ふ。マタモアハメヤモにても、アハムトモヘヤにても同じ意なり、いづれにても有るべし。心は、志賀の大わだよ、いつまでよどみて待つとも、昔の人に又逢はめやと言ふなり。アハムトモヘヤは、(34)集中忘レメヤと言ふ意を、忘レテオモヘヤと言へる類にて、只逢ハメヤと言ふ事なるを、そは心に念ふものなれば、念の言を加へたるのみなり。
 
高市《タケチノ》古人感2傷近江舊堵1作歌 或書云高市連|黒人《クロヒト》
 
古人と有るは誤なり。歌の初句を訓み誤りて、後人のかく記せしものなり、或書を用ふべし。黒人の傳は知られず。堵は都に同じ。
 
32 古。人爾和禮有哉。樂浪乃。故京乎。見者悲寸。
いにしへの。ひとにわれあれや。ささなみの。ふるきみやこを。みればかなしき。
 
今本假字いたく誤りたり。古一字を初句とせし例下に多し。古今六帖に、此軟をいにしへのとあるは、古き例の殘れるなり。アレヤはアレバニヤを略けり。ここを見てかくの如く甚悲しきは、われここの古へ人にや有らむと、幼く疑ひて詠めるなり。
 
33 樂浪乃。國都美神乃。浦佐備而。荒有京。見者悲毛。
ささなみの。くにつみかみの。うらさびて。あれたるみやこ。みればかなしも。
 
此國ツミ神とは、志賀郡などに齋《イハ》へる神なるべし。卷十七|みちの中《越中》、國つみ神とも有るに等し。ウラサビは浦は假字にて裏なり、心と言ふに同じ。作備は下に不樂不怜など書きて、慰め難き意なり。神左備、ヲトコサビ、翁サビなどのサビとは異なり、まがふこと無かれ。國津御神の御心の冷《スサ》び荒びびて、遂に世の亂(35)も起りて、都の荒れたるを言ふ。考の別記に委し。
 
幸2于紀伊國1時|川島《カハシマノ》皇子御作歌 或云山上憶良作
 
川島皇子は天智天皇の皇子なり。
 
34 白浪乃。濱松之枝乃。手向草。幾代左右二賀。年乃經去良武。
しらなみの。はままつがえの。たむけぐさ。いくよまでにか。としのへぬらむ。
一云|年者經爾計武《トシハヘニケム》。
 
此歌卷九に松之木と有るを、古本には松之本と有り。之はマツガネと訓むべし。ここの松之枝は根の字を誤れるなるべし。松ガネにあらざれば解き難し。手向グサの草は借字にて、種なり。何にてもあれ手向の具を言ふ。卷十三、相坂山に手向ぐさぬさとり置きてと有り。幾代マデニカ云云は、そのかみ幸有りし時、ここの濱松のもとにて、手向せさせ給ひし事を傳へ言ふを聞き給ひて、松は猶在りたてるをありし手向種の事は、幾らの年をか經ぬらむと詠み給へるなり。初句白浪ノ濱と言へる續き、古き歌の續けざまに有らず。もし浪は神の誤りなるか。卷九、同國に白神の磯と詠めり、又催馬樂に紀の國の之良良の濱とうたへるに依らば、白良ノと四言の句にても有りつらむか。卷九に、此歌白那彌之とあれば、ここも今の本のままにて疑なきに似たれど、續けざまいといぶかし。恐らくは、卷九も白加彌之と有りしにやあらむと考に言へり。仙覺も既に白浪ノ濱松ガ枝と續けたる事、おぼつかなき由言ひき。按ずるにこは本のままに(36)白浪にて、白浪のよする濱と言ふべきを、言を略きてかく續けしが却りて古意ならむ。今をも、卷九をも、誤字とせむは強ひごとなるべし。宣長云、古事記八千矛神の御歌、幣都那美曾爾奴伎宇弖《ヘツナミソニヌキウテ》は、於2邊浪磯1脱棄也と師説なり。さて浪のよる磯などとこそ言ふべきを、直ちに浪磯とては言つづかぬに似たれど、ここの白浪ノ濱松ガ枝と詠めるも同じさまなり。土左日記の歌に、風による浪の磯にはとも詠めりと言へり。
 參考 ○白浪乃(考)シラ「神」カミノ、又はシラ「良」ラノ(古、新)略に同じ。
 
日本紀曰。朱鳥四年庚寅秋九月。天皇幸2紀伊國1也。
 
紀を見るに、持統天皇四年此幸あり、則朱鳥五年なり。ここは誤れり。
 
越2勢能山1時|阿閉《アベノ》皇女御作歌
 
右と同じ度なるべし。勢の山は孝コ紀、畿内の國の四方を記すに、南自2紀伊兄山1以東と有り。この皇女は天智天皇の皇女、日並知皇子の御妃、文武天皇の御母なり。
 
35 此他是能。倭爾四手者。我戀流。木路爾有云。名爾負勢能山。
これやこの。やまとにしては。わがこふる。きぢにありとふ。なにおふせのやま。
 
是ヤ此の辭は、此ハカノと言ふ意なり。凡てカノと言ふべき事を、コノと言へる例多し。さて上の是は、今現に見る物をさして言ふ。カノとは常に聞居る事、或は世に言ひ習へる事などを指して言ふ。是れや彼の(37)云云ならむと言ふ意なり。此御歌にては、此山や、倭にして我戀ひ奉る夫の君の、そのせと言ふ言を名に負へる、かの木路に在りて、かねて聞き居るせの山と言ふ意なりと宣長言へるぞよき。夫は則ち日並知皇子をさし奉る。
 參考 ○木路爾有云(考)キヂニアリトフ(古)キヂニアリチフ(新)トフ、チフ兩樣。
 
幸2于吉野宮1之時柿本朝臣人麻呂作【今作以下八字ヲ脱ス。目録ニ依リテ補フ】歌二首并短歌二首
 
36 八隅知之。吾大王之。所聞食。天下爾。國者思毛。澤二雖有。山川之。清河内跡。御心乎。吉野乃國之。花散相。秋津乃野邊爾。宮柱。太敷座波。百磯城乃。大宮人者。船並?。旦川渡。舟競。夕河渡。此川乃。絶事奈久。此山乃。彌高良之。珠水激。瀧之宮子波。見禮跡不飽可聞。
やすみしし。わがおほきみの。きこしをす。あめのしたに。くにはしも。さはにあれども。やまかはの。きよきかふちと。みこころを。よしののくにの。はなちらふ。あきつののべに。みやはしら。ふとしきませば。ももしきの。おほみやびとは。ふねなめて。あさかはわたり。ふなぎほひ。ゆふかはわたる。このかはの。たゆることなく。このやまの。いやたかからし。いはばしる。たぎのみやこは。みれどあかぬかも。
 
ヤスミシシ、ミココロヲ、モモシキノ、イハバシル、枕詞。キコシヲスは、天下聞しめすなり。總て身に着くるを、ヲスともメスとも言ふ。國ハシモのシモは、事をひたすらに言ふ詞。サハは物の多きを言ふ古語。(38)山川ノは山と川と二つを言ふ故、カハを清みてとなふ。清キカフチは、川の行き廻れる所を言ふ。花チラフはチルを延べ言ふなり。秋津ノ野邊は蜻蛉野にて、此野の名の始は雄略紀に見ゆ。宮柱フトシキは、下津磐根宮柱太敷立と古語に言ひ、又は高知高敷など同じ語なり。天皇離宮におはしますを言ふ。太敷の語、考の別記に委し。大宮人は從駕の王臣を言ふ。舟ナメテは並ベテなり。駒ナメテも同じ。舟ギホヒは競ひ漕ぐなり。さて夕河渡ルと言ふまでを一段とす。此川ノ絶ユル事ナク此山ノ云云、此高良之の高の字の下加の字を落せしか。此川の絶えざるが如く、常に幸し給ひ、此山の高く動きなきが如く、いつまでも宮ゐし給はむ事を壽《コトブ》けるなり。瀧ノ都は今吉野の夏箕河の下に宮の瀧村と言ふ有り。古へ此の宮の在りし跡なるべし。卷六、此川の盡きばのみこそ此川の絶えばのみこそ百しきの大宮所止む時もあらめ。其反歌に、神代より芳野の宮に在り通ひ高しらするは山川をよみ。
 參考 ○珠水激(考)イハバシル(古)「隕」オチタギツ(新)は考、古の兩訓。
 
反歌
 
37 雖見飽奴。吉野河之。常滑乃。絶事無久。復還見牟。
みれどあかぬ。よしののかはの。とこなめの。たゆることなく。またかへりみむ。
 
トコナメは常しなへにいつも變る事なく滑かなる由なり。それをやがて體にトコナメと言ひなして、事の絶えせぬたとへにとりて、瀧の都を幾返りも見むとなり。卷十一、豐初瀬路は常滑のかしこき道ぞと(39)詠めるも、此川を詠めるなり。
 
38 安見知之。吾大王。神長柄。神佐備世須登。芳野川。多藝津河内爾。高殿乎。高知座而。上立。國見乎爲波。疊有。青垣山。山神乃。奉御調等。春部者。花挿頭持。秋立者。黄葉頭刺理。(一云|黄葉加射之《モミヂバカザシ》)遊副之。神母。大御食爾。仕奉等。上瀬爾。鵜川乎立。下瀬爾。小網【網ヲ今綱ニ誤ル】刺渡。山川母。依?奉流。神乃御代鴨。
やすみしし。わがおほきみ。かんながら。かんさびせすと。よしのがは。たぎつかふちに。たかどのを。たかしりまして。のぼりたち。くにみをすれば。たたなはる。あをがきやまの。やまづみの。まつるみつきと。はるべは。はなかざしもち。あきたてば。もみぢかざせり。ゆふかはの。かみも。おほみけに。つかへまつると。かみつせに。うかはをたて。しもつせに。さでさしわたし。やまかはも。よりてつかふる。かみのみよかも。
 
長柄は借字にて、神ナガラとは、天皇は即ち神におはしますままにと言ふ意なり。此下|神隨爾有之《カンナガラナラシ》と詠めるは是なり。孝コ紀、惟神我子應治故寄の八字を、カンナガラモワガミコノシラサムモノトヨザシと訓み、その古註に、謂隨2神道1亦自有2神道1也と言へり。神サビセストの作備は、古事記、勝佐備《カチサビ》と言へるも、勝誇る意にて、サビは進の語より出でたり。手ズサミ、心ズサミなど言ふも同じ。セストとは、神さびさせ給ふと謂ふなり。多藝ツ河内云云、タギはタギル意にて、濁音の字を書けり。キの言濁るべし。カフチも、高知も上の歌に言へり。さて其高殿に登り立ちて、國見し給へばとなり。タタナハル枕詞。青垣山(40)云云は、青山垣の如く峙てるを言ふ。山ヅミは、山を保ちます神を言ふ。山ツ持の意なり。マツルミツキとは、タテマツルを略きて言ふ。卷十五、まそ鏡かけてしぬべと麻都理太流《マツリタル》と言へり。春べのべは方の意なり。古事記、御枕方《ミマクラベ》御足方《ミアトベ》と有り。山べ、川べ、行へ等すべて方の意にて明らけし。花カザシモチのモチは添へたる詞のみ。秋タテバモミヂカザセリ。一本モミヂバカザシ、いづれにても有るべけれど、ここは今本の定かに言ひ切りたるによるべし。ユフ川は今宮の瀧の末にユ川と言ふ野あり、是か。又卷八、結八川内《ユフハカフチ》と詠める是ならむか。大ミケニ云云、川の神も供御に奉らむとなり。鵜川ヲタテは、宣長言へる如く、御獵立タス、又は射目立テなどの立と同じくて、鵜に魚をとらする業を即ち鵜川と言ひ、其鵜川をする人どもを立たするを言ふなり。サデサシ渡シ、和名抄、〓|佐天《サデ》網如2箕形1、狹v後廣v前名也と言へり。卷十九、平瀬には左泥《サデ》さしわたしとも有り。川川モヨリテ云云、山のかざしとせる花黄葉を即ち山神のみつぎとし川にとれる魚を、即ち川神のみつぎとして、山も川もよりなびきつかへまつるとなり。天皇は即神にまします心にて、神ノ御世と言へるなり。
 參考 ○疊有(古、新)タタナ「著」ヅク○青垣山(古、新)ノを訓み添へず○鵜川乎立(考、新)ウガハヲタチ。
 
反駁
 
39 山川毛。因而奉流。神長柄。多藝津河内爾。船出爲加母。
(41)やまかはも。よりてつかふる。かんながら。たぎつかふちに。ふなでせすかも。
 
長歌にも仕へ奉ると有るべき仕を略けり。ここも同じ。かくの如く山川の神たちも仕へ奉る天皇は、即ち神にておはしまして、ただ今船出し給ふを見奉るが貴きとなり。
 
右日本紀曰。三年己丑正月天皇幸2吉野宮1八月幸2吉野宮1四年甲寅二月幸2吉野宮1五月幸2吉野宮1五年辛卯正月幸2吉野宮1四月幸2吉野宮1者未v詳2知何月從駕作1歌
 
幸2伊勢國1時留v京柿本朝臣人麻呂作歌
 
持統紀六年三月に此伊勢の幸有りて、志摩をも過ぎ給ふ事見ゆれば、其時阿胡の行宮におはせしなり。左註は紀を見誤れり。猶末に言ふべし。
 
40 嗚【今鳴ヲ嗚ニ兒ソ見ニ誤】呼兒乃浦爾。船乘爲艮武。※[女+感]嬬等之。球裳乃須十二。四寶三都良武香。
あごのうらに。ふなのりすらむ。をとめらが。たまものすそに。しほみつらむか。
 
アゴノ浦志摩國|英虞《アゴ》郡。ここに行宮あれば、京よりおしはかりて詠めるなり。今本兒を見に誤りて、アミノ浦と訓めるは由無し。卷十五に、安胡《アゴ》の浦にふなのりすらむをとめらが安可毛《アカモ》の裾に潮みつらむかと、あるは即ち此歌なり。其歌の左に、柿本朝臣人麻呂歌曰、安美能宇良と書けるは後人のさかしらなり。ここは球裳を赤裳とは訓むべからず。卷廿、多麻毛須蘇婢久《タマモスソビク》とも有れば、ここはタマモと訓むべし。玉はほむる詞のみ。海人少女ならで、御供の女房の裳に、汐滿ち來らむはめづらしと詠めるなり。
(42) 參考 ○球裳(考)アカモ(古、新)略に同じ。
 
41 釧【今釧ヲ釼ニ誤ル】著。手節乃崎二。今毛可母。大宮人之。玉藻苅良武。
くしろつく。たぶしのさきに。いまもかも。おほみやびとの。たまもかるらむ。
 
クシロツク枕詞。タブシノ崎志摩國|答志《タブシ》郡なり。今本釧を釼に誤りて タチハキノと訓みたるはいはれ無し。クシロは手に卷く物なれば、くしろを着くる手の節と懸けたるなり。今モカモの二のモは助辭にて、今ヤと言ふなり。是も右の歌の如く、大宮人の藻を刈るらむがめづらしとなり。
 參考 ○釼著(古)「釵卷」クシロマク(新)ツク、マク兩訓。
 
42 潮左爲二。五十良兒乃島邊。榜船荷。妹乘良六鹿。荒島回乎。
しほさゐに。いらごのはまべ。こぐふねに。いものるらむか。あらきしまわを。
 
シホサヰのヰは和藝の約め言にて、鹽サワギなり。汐の滿ち來る時波の騷ぐを言ふ。イラゴは參河國なり。其崎長くさし出でて、志摩のたぶしの崎と遙に向へり。其間に神島、大つつみ、小つつみなどの島島あり。其等を古へイラゴノ島と言ひしか。されど其島あたりは波荒く、舟遊びなどすべき所にあらず、是は京にて凡そに聞きて、おしはかりに詠めるなるべし、妹は御供の女房なり。島ワは浦マなどの如く、島のめぐりを云ふ。潮の滿ち來て浪の騷ぐに、馴れぬ女房のわぶらむと、思ひはかりて詠まれたるなり。
 參考 ○島回(古、新)シマミ○古、新はかかる所の回は總べてミと訓む。以下參考には略す。
 
(43)當麻眞人麻呂《タギマノマヒトマロガ》妻作歌
 
43 吾勢枯波。如所行良武。己津物。隱乃山乎。今香越等六。
わがせこは。いづくゆくらむ。おきつもの。なばりのやまを。けふかこゆらむ。
 
オキツモノ枕詞。宣長云、巳は起の字の省けるなり。隱はナバリと訓むべし。伊賀國名張郡の山なり。大和より伊勢へ下るに、伊賀を經るは常なり。又大和の地名に吉隱《ヨナバリ》もあれば、名張の山なる事を思ひ定むべし。さてナバリは即ち隱るる事の古語なるべし。オキツモノと言ふも、又此卷の末、朝《アシタ》面《オモ》なみ隱《ナバリ》にかと詠めるを見るに、皆隱るる意の續けなり。卷十六、難波の小江にいほ作り難麻理弖居葦蟹《ナマリテヲルアシガニ》を云云、是れ隱れて居る事をナマリテヲルと言へりとぞ。麻《マ》と婆《バ》は常に通へば、ナバリもナマリも同じ。心は明かなり。
 參考 ○隱乃山(代)ナバリノヤマ(考)カクレノヤマ(古、新)代に同じ。
 
石上大臣《イソノカミノオホマヘツキミ》從駕作歌
 
麻呂卿なり。慶雲元年右大臣になり給ひて、此時いまだ大臣ならねど、後よりしか書けるなり。
 
44 吾妹子乎。去來見乃山乎。高三香裳。日本能不所見。國遠見可聞。
わぎもこを。いさみのやまを。たかみかも。やまとのみえぬ。くにとほみかも。
 
ワギモコは、ワガイモコを約めて言ひて妻なり。イサミノ山知られず。式に、伊勢國伊佐和神社、志摩國伊佐波神社など言ふ有り。此國國の中に、イサミノ山と言ふも有りしか。又ナラ山をフル衣キナラノ(44)山と、言ひ下せし類にて、作美(ノ)山など言ふに、イサミと言ひ懸けしか。大和なる妻のあたりの見ゆるやとて、見やれども見えぬは、其山の高くて隔てたるにや、國の遠ければにやと言へるなり。
 
右日本紀曰。朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰。以2淨廣肆廣瀬王等1爲2留守官1。於v是中約言三輪朝臣高市麻呂脱2其冠位1フ2上於朝1。重諫曰。農作之前車駕未v可2以動1。辛未天皇不v從v諫。遂幸2伊勢1。五月乙丑朔庚午御2阿胡行宮1。
 
朱鳥六年は誤なり。持統天皇六年と有るべし。さて五月乙丑以下は紀を見誤りたるものなり。紀に五月乙丑朔庚午御阿胡行宮1時、進v贄者紀伊國牟婁郡人阿古志海部河瀬麻呂等兄弟三戸、服2十年調?1云云とありて、五月庚午に阿胡行宮におはしませるには有らず。ここは前に此行宮におはしませし時の事を記せるなり。
 
輕皇子《カルノミコ》宿2于|安騎《アキ》野(ニ)1時柿本朝臣人麻呂作軟
 
古本の傍註に、皇子枝別記を引きて、文武少名|河瑠《カル》皇子天武皇太子|草壁《クサカベ》皇子尊之子也と有り。草壁皇子は日並知皇子とも申せり。此御父尊、前にここに御獵有りし事卷二の歌にも見ゆ。あき野は天武紀菟田野云云到2大野1とあり。式に、宇陀郡阿紀神社と有り。其所の野なり。又此御歌はいまだ王と申せし時なるを、皇子と書けるは後より尊みて書きしか。
 
45 八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。神長柄。神佐備世須登。太敷爲。京乎置而。隱口乃。泊瀬山者。眞木立。荒山道乎。石根。禁【禁ハ楚ノ誤】樹押靡。坂鳥乃。朝越座而。玉。【限ハ蜻ノ誤】夕去來者。三雪落。阿騎乃大野爾。旗須爲寸。四能乎押靡。草枕。多日夜取世須。古昔念而。
(45)やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。かむながら。かむさびせすと。ふとしかす。みやこをおきて。こもりくの。はつせのやまは。まきたつ。あらやまみちを。いはがねの。しもとおしなべ。さかどりの。あさこえまして。かぎろひの。ゆふさりくれば。みゆきふる。あきのおほぬに。はたすすき。しのをおしなべ。くさまくら。たびやどりせす。いにしへおもひて。
 
ヤスミシシワガ大キミ高ヒカル日ノミコは、古事記に、多加比加流比能美古《タカヒカルヒノミコ》、夜須美斯志和賀意富岐美《ヤスミシシワガオホキミ》と言ひ集中にも此詞所所に出づ。天に高く光る日と言ふ意に續けて、日ノミ子とは、日の神の御繼繼なれば、天皇御一人の上を申奉る古語なり。古事記にかく書きたれば、高照と書きてもタカヒカルと訓むべき物なり。冠辭考に委し。神ナガラ云云前に出づ。太シカス京ヲオキテ云云、太は廣き意。祝詞にも太前廣前とも云ふ如く、廣敷ます都を捨置きてとなり。隱口、枕詞。泊瀬ノ山ハ眞木立云云、眞木は檜にて深山に生ふればなり。シモトオシナベ、今本禁樹と書きて、フセキと訓めれど理り無し。禁は楚の字の誤なるべし。然らばシモトと訓むべし。シモトは若き木立の茂きを言ふ。從駕の人人の押靡かせて越ゆるさまなり。坂トリノ、カギロヒノ、枕詞。今本玉限と有りて、タマキハルと訓めるは誤なり。卷十(46)五、玉蜻《カギロヒノ》夕去來者と有るによれば、限は蜻の誤りにて、カギロヒと訓むべきなり。夕サリクレバは、前に春サリクレバと有るに同じく、夕になりくればなり。ミ雪のミは眞と同じく賞むる詞なり。深雪と必ず書く事と思ふは僻事なり。眞と賞むるには、大きなるも深きもこもりて有り。ハタズスキ、秋の野の中に薄は物より高く顯れて、葉も長くて幅有るなれば、幡薄と言ふならむ。又皮の字を書きたるによれば、ハタのダを濁りて膚の意とし、穗を皮に含みて、漸に開き出づるなれば、はだ薄と言ふらむとも覺ゆ。冠辭考に委しくせり。シノヲオシナベは、其薄のしなひをおし靡かせなり。クサマクラ枕詞。旅ヤドリセス云云、旅の宿りせさせますと言ふを約め言ふ。古ヘ念ヒテは、御父母を慕ひ給へばなりと言ふなり。
 參考 ○高照(代、新)タカテラス(考、古)タカヒカル○玉限(代)カゲロフノ(考)玉「蜻」カギロヒノ(古)別考にタマカキル(新)タマカギル○四能乎押靡(古)シ「奴爾」ヌニオシナベ(新)シノニオシナベ○昔念而(考)イニシヘオホシテ(古)「古」昔「御」念而、イニシヘオモホシテ(新)略に同じ。
 
短歌
 
集中多く反歌と有り。されど短歌とも書くまじきに有らねば改めず。
 
46 阿騎乃野【今野ヲ脱ス】爾。宿旅人。打靡。寢毛宿良目【目ヲ自ニ誤ル】八方。古部念爾。
あきのぬに。やどるたびびと。うちなびき。いもねらめやも。いにしへおもふに。
 
(47)今本野を脱せる事明らかなれば補ひつ。旅人は從駕の人を言ふ。イモヌラメヤモのイは寢入る事なり。うちなびきぬるとは、身をなよらかに臥すさまなり。臣たちの心にも、古への幸を思ひ出でて、うまいせらるまじとなり。自一本目と有るによる。
 參考 ○宿旅人(古、新)ヤドレルタビト。
 
47 眞草苅。荒野二【今二ヲ脱】者雖有。【葉ノ上黄ノ字有ルベシ】葉。過去君之。形見跡曾來師。
まくさかる。あらぬにはあれど。もみぢばの。すぎにしきみが。かたみとぞこし。
 
眞草は薄茅などを言ふべし。アラ野はアラ山と言ふが如く、人氣遠きを言へり。野の下一本二の字有るをよしとす。モミヂバノ過ギニシ君云云、今本葉の上黄の字を落せしなりと契沖が言へるぞよき。今は訓も由無し。卷九、黄葉《モミヂバ》の過ぎにし子らとたづさはり遊びし磯ま見ればかなしも。其外人の死ぬるを木の葉の散り行くに譬へて、もみぢばの過ぎにしと詠みたる事集中に多し。ここは過去り給ひし御父尊のかたみとおぼして、ここに幸し給へるなり。歌の心は卷九、鹽げ立つありそには有れど行く水の過にし妹がかたみとぞこしと言ふに同じ。
 
48 東。野炎。立所見而。反見爲者。月西渡。
ひむがしの。ぬにかぎろひの。たつみえて。かへりみすれば。つきかたぶきぬ。
 
今本釋甚たがへり。卷十五にも。炎《カギロヒ》の春にしなればと詠めり。カギロヒは廣く光有る事に言ひて、ここ(48)は明けそむる光を言へり。曙に東の方を見やりて、さて西をかへり見れば、落ちたる月の殘れるを言ふ。廣野に旅寢したるさまを詠めるなり。
 
49 日雙斯。皇子命乃。馬副而。御獵立師斯。時者來向。
ひなめしの。みこのみことの。うまなめて。みかりたたしし。ときはきむかふ。
 
初句之の詞を添へ訓むべし。ウマナメテは馬並べてなり。時ハ來ムカフは、其時のめぐり來たる意なり。卷二に、此皇子殯宮の時の歌に、毛衣を春冬|片設《カタマ》けていでましし、うだの大野はおもほえむかもと言へるは即ちここの事なり。
 參考 ○日雙斯(古、新)ヒナミ「能」ノ○時者來向(考)トキハキマケリ(古、新)略と同じ。
 
藤原宮之役民作歌
 
此宮は、持統天皇八年十二月清御原宮よりここに遷り給ふ。其初宮造に立てる民の中にて詠めるなり。宮の所は十市郡にて、香山耳梨畝火三山の眞中なり。
 
50 八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。荒妙乃。藤原我宇倍爾。食國乎。賣之賜牟登。都宮者。高所知武等。神長柄。所念奈戸二。天地毛。縁而有許曾。(49)磐走。淡海乃國之。衣手能。田上山之。眞木佐苦。檜乃嬬手乎。物乃布能。八十氏河爾。玉藻成。浮倍流禮。其乎取登。散和久御民毛。家忘。身毛多奈不知。鴨自物。水爾憂居而。吾作日之御門爾。不知國依。巨勢道從。我國者。常世爾成牟。圖負留。神龜毛。新代登。泉乃河爾。持越流。眞木乃都麻手乎。百不足。五十日太爾作。泝須良牟。伊蘇波久見者。神隨爾有之。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。あらたへの。ふぢはらがうへに。をすぐにを。めしたまはむと。みあらかは。たかしらさむと。かむながら。おもほすなへに。あめつちも。よりてあれこそ。いはばしの。あふみのくにの。ころもでの。たながみやまの。まきさく。ひのつまでを。もののふの。やそうぢがはに。たまもなす。うかべながせれ。そをとると。さわぐみたみも。いへわすれ。みもたなしらず。かもじもの。みづにうきゐて。わがつくる。ひのみかどに。しらぬくにより。こせぢより。わがくには。とこよにならむ。ふみおへる。あやしきかめも。あたらよと。いづみのかはに。もちこせる。まきのつまでを。ももたらず。いかだにつくり。のぼすらむ。いそはくみれば。かむながらならし。
 
アラタヘノ枕詞。食國ヲメシタマハムト、此メシはミシと同じく、天の下の人を見知ろしめす事なり。枕詞のヤスミシシも、天下の事無く安く見給ふ事にて、此卷の下藤原の御井の歌の、在立之見之賜者《アリタタシメシタマヘバ》と言へるも、メシとよみて、見させ給ふ事なり。集中例多し。ミアラカは高シラサムトとは、宮殿の事を言へるなれば斯く訓めり。卷二、御在香《ミアラカ》を高知りましてとも有り。ミアラカは則ち御在所《ミアラカ》の意なり。オモホスナヘニのナヘは、並ニと言ふ言にて、おほしめすままにと言ふ意になれり。天地モヨリテアレコソは、上に山川も(50)よりて奉《ツカフ》ると詠める類にて、此大宮造に天つ神國つ神も御心を寄せ給ひて有ればこそとなり。アレコソは、アレバコソのバを省けり。集中例多し。イハバシノ、衣手ノ、枕詞。田上山は近江栗本郡。マキサクヒノツマデは、そま人の斧もてさきて木造りせし材を言ふ。ツマデの事冠辭考に委し。開き見るべし。玉モナスは玉藻の如くなり。ウカベナガセレは、例の流セレバのバを略ける詞なり。ソヲトルト云云、田上の宮材を宇治川まで流して、宇治にて取り止めて、陸へ上げて、さて泉川へ持ちこすなり。下に持チコセルとある是なり。家忘レ身モタナシラズは、國國より參集りたる民どもの、吾家をも身をもかへり見ずして仕ふるを言ふ。タナシラズは東麻呂翁はタダシラズと言ふなるべしと言へり。太《ダ》の濁音と奈《ナ》と通へるは常なればなり。タダは直《ヒタ》の語に同じく、物を強く言ふ語なり。卷十三、事者棚知《コトハタナシリ》も直知と意得べく覺ゆ。此語の事考の別記にも委しく説かれつれど猶穩ならず。鴨ジ物枕詞。水ニウキヰテ、ここは暫く切りて、下の泉ノ川ニ持チコセル云云の詞へ續けて見るべし。ワガツクル日ノ御門ニは、ワガは民どもが自ら言ふなり。日ノ御門は則ち藤原の宮を言ふ。知ラヌ國ヨリコセヂヨリは、諸の國國よりも宮材引く中に、一つの陸路の事を言ひて、他の道道をも知らせたり。巨勢は高市郡なり。我國ハ常世ニナラムは、常しなへにかはらぬ國と言ふなり。フミオヘル神龜モ新代トは、から國の禹王の時、龜負v圖出2洛水1と言ふ事を思ひ寄せたり。アタラヨは新京に御代しろしめすを言ふ。泉河は山城國相樂郡なり。さて我國はと言ふより新代と言ふまでほぎ言をもていづと言ふ序とせり。モチコセルは上の宇治川へ流したる材を泉河にて筏として、藤原の(51)宮所へ川のまにまに上すなり。百タラズ、枕詞。イカダニ作リノボスラムは、田上の宮材に仕まつる者のおしはかりて言へるなればラムとは言へり。イソハク見レバ云云、敏達紀に勤乎をイソシキと訓めると同じ詞なり。かく民どもの務むるも、天皇の神におはします故なるべしと言へるなり。
 參考 ○郡宮者(代)ミヤコヲバ(考〕ミアラカハ(古)オホミヤハ(新)考、古の、兩訓○身毛多奈不知(古)ミモタナシラニ(新)略に同じ○新代登(古、新)アラタヨト○神隨爾有之(新)カムガラナラシ。
 
右日本紀曰。朱鳥七年癸巳秋八月幸2藤原宮地1。八年甲午春正月幸2藤原宮1。冬十二月庚戌朔乙卯遷2居藤原宮1。
 
從2明日香宮1遷2居藤原宮1之後志貴皇子御作歌
 
志貴皇子は天智天皇の皇子、光仁天皇の御父なれば、後追尊みて春日宮御宇天皇と申せり。
 
51 ?女乃。袖吹反。明日香風。京都乎遠見。無用爾布久。
たわやめの。そでふきかへす。あすかかぜ。みやこをとほみ。いたづらにふく。
 
?は※[女+委]の誤りなるべし。※[女+委]は字書に弱好貌と有れば、手弱女の意に書けるなり。タヲヤメとも訓むべけれど、タワヤメの方古し。アスカ風は、集中佐保風、伊香保風など言へる如く、其所に吹く風を言へり。都ヲ遠ミは、藤原ノ都ヲ遠ミなり。明日香に宮所有りし時、たわやめの袖かへせし風の今は徒に吹くと(52)のたまへるなり。
 參考 ?女乃(古)ヲトメノ(新)略に同じ○袖吹反(考)ソデフキカヘセ(古、新)略に同じ。
 
藤原宮御井歌
 
歌に藤井ガ原と詠めるを思へば、此所に昔よりことなる清水有りて所の名とも成りしにや。香山の西北に今清水有りとぞ。
 
52 八隅知之。和期大王。高照。日之皇子。麁妙乃。藤井我原爾。大御門。始賜而。埴安乃。堤上爾。在立之。見之賜者。日本乃。青香具山者。日經乃。大御門爾。春山跡。【跡ヲ今路ニ誤】之美作備立有。畝火乃。此美豆山者。日緯能。大御門爾。彌豆山跡。山佐備伊座。耳高【高ハ爲ノ誤】之。青菅山者。背友乃。大御門爾。宜名倍。神佐備立有。名細。吉野乃山者。影友乃。大御門從。雲居爾曾。遠久有家留。(53)高知也。天之御蔭。天知也。日御影乃。水許曾波。常爾有米。御井之清水。
やすみしし。わごおほきみ。たかひかる。ひのみこ。あらたへの。ふぢゐがはらに。おほみかど。はじめたまひて。はにやすの。つつみのうへに。ありたたし。めしたまへば。やまとの。あをかぐやまは。ひのたての。おほみかどに。はるやまと。しみさびたてり。うねびの。このみづやまは。ひの(よこ、ぬき)の。おほみかどに。みづやまと。やまさびいます。みみなしの。あをすがやまは。そともの。おほみかどに。よろしなへ。かむさびたてり。なぐはし。よしののやまは。かげともの。おほみかどゆ。くもゐにぞ。とほくありける。たかしるや。あめのみかげ。あめしるや。ひのみかげの。みづこそは。(つねにありなめ。とこしへならめ)みゐのましみづ。
 
和期は即|我《ワガ》にて、下の大《オホ》へ續く音便なり。ワガのガの言よりオへ續け言へば、おのづからゴと成れり。アラタヘノ、枕詞。御門と言ひて宮殿も籠れり。埴安ノ堤云云、香山の尾長く池の東北に廻りて有りし故、其れに引き續きて西の方に堤の有りしなるべし。卷二、埴安の池の堤と詠めり。在立シは、すべて集中在通フ、在リツツモなど多く有るに同じく、昔今と絶えせぬ事に言へば、天皇はやくより此堤に立ち給ひて見やり給ひしを言ふなり。メシタマヘバのシは添へたる辭にて、見給ふと同じ。ヤマトノ、日本は借字、大和なり。此下に幸2吉野1時、倭《ヤマト》爾者鳴きてかくらむと詠めるは、藤原の都方を倭と言へるなり。然れば香山をも然か言へるなるべし。後に山邊郡の大和の郷は古は大名にて、其隣郡かけてヤマトと言ひしなり。考の別記に委し。青カグ山は、木の繁く榮ゆる故に香山をかく言へり。日ノタテノ、成務紀以2東西1爲2日縱1南北爲2日横1と言へり。ここは香山は東の御門に向へり。春山ト、今本路は誤りにて跡の字なるべし。宣長云、春山の春は青なり。上に青香山と言へる青を受けて言へり。次なるミヅ山は云云、ミヅ山トと有ると照して知るべしと言へり。シミサビタテリは、春は茂り榮れば言ふ。シミは茂の意、サビは神サビを略き言ふな(54)り。畝火ノコノミヅ山、ミヅは、集中若枝を美豆枝と言へる如く、みづみづしく、若やかなるを褒め言ふ。ここは木の若く美はしきを言ふべし。日ノヌキは、南北にて、ここは畝火は南の御門に向へるを云ふ。紀によりてヨコとも訓むべし。神サビイマスは、其山を即ち神とする例なる故に然か言へり。耳高は、耳爲の誤なるべし。ミミタカと言ふ山は無ければ、ミミナシなる事疑無し。青スガ山は、別に山の名に有らず。常に常葉なる山菅の茂れる山と言ふ事なり。山菅とは麥門冬を云ふ。宣長は菅は借字にて、すがすがしき意なるべしと言へり。紀に清をスガスガシと有り。ソトモノ云云、成務紀、山陽曰2影面1山陰曰2背面1と有り。影面背面はカゲトモソトモと訓む。耳梨は北の御門に向へり。ヨロシナヘのヨロシは備り足りたる意。奈倍は並なり。卷二、宜奈倍吾せの君が負來にしこのせの山を妹とは言はじとも詠めり。又應神紀にあはぢ島いやふた並びあづき島いや二並びよろしき島云云と有るを以ても知べし。考の別記に委し。名グハシは名高シと言ふに同じく枕詞。ヨシ野ノ山ハ云云、南の御門に當りて、遠く見遣らるるなり。高知ルヤ天ノ御蔭、天知ルヤ日ノ御影云云は、祈年祭祝詞に皇御孫命乃|瑞《ミヅ》能|御舍《ミアラカ》仕奉?天御蔭日御蔭隱座?云云と言へるは、雨露を覆ふ義なるを、あやにかく稱へしなり。ここはまた異にて、天の影日の影のうつる清水と言へるなり。影と言ひて、やがてうつる意はこもれり。大神宮儀式帳に、大神の御蔭川の神と言ふ有り。是れ日の御影のうつる川と言ふ意なり。マシ水のマは眞にて例の褒むる詞。
 參考 ○見之賜者(古、新)メシタマヘバ ○春山跡(古、新)「青」アヲヤマト ○日緯能(考)ヒ(55)ノヨコノ(古、新)考に同じ○大御門從(代)オホミカドニ(考)オホミカドユ(古)オホミカドヨ(新)ユ、兩君○常爾有米(古)常「磐」トキハニアラメ(新)トコシヘナラメ。
 
短歌
 
ここにかく書けるは、此歌を右の長軟の反歌と思ひしなり。是れは必ず右の反歌には有らじ。別に端詞有りしが闕けたるならむ。
 
53 藤原之。大宮都加倍。安禮衝哉。處女之友者。之吉召賀聞。
ふぢはらの。おほみやづかへ。あれつげや。をとめがともは。しきめさるかも。
 
アレツゲヤは生繼者ニヤなり。卷四、神代よりあれつぎ來れば人さはに云云の類なり。ヲトメガトモは、少女が輩なり。神武紀、うかひが等茂《トモ》など有るに同じ。シキは重の字をシキと訓める意にて、頻と言ふも同じ。女帝におはしませば、女(ノ)童を多く召給ひし事有りけむ。宣長説、アレツゲヤと訓みては、終のカモの詞とかけ合はず、一首の意も聞えがたし。哉は武の誤りにて、アレツガムか。結句之は乏の誤、召は呂の誤りにて、乏吉呂《トモシキロ》カモならむとあり。かくては乏はめでたき意とすべし。卷六、見るごとにあやにともしも。卷十三、うずの山《今本玉》かげ見れば乏しもと同じ意なり。呂は助辞なり。
 參考 ○安禮衝哉(代、考、略)同じ(古、新)アレツガ「武」ム○之吉召賀聞(代)シキメサムカモ(古、新)「乏」トキシキ「呂」カモ。
 
(56)右歌作者未v詳。
 
大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸2于紀伊國1時歌
 
持統天皇なり。文武紀、此月同國幸の所に天皇とのみ有るはいぶかし。
 
54 巨勢山之。列列椿。都良都良爾。見乍思奈。許湍乃春野乎。
こせやまの。つらつらつばき。つらつらに。みつつおもふな。こせのはるのを。
 
藤原の京より、巨勢路を經て紀の國へ行くなり。和名抄、椿(豆波木)又女貞(比女都波木)など見ゆ。ツラツラ椿は多く生ひつらなりたるを言ふ。卷二十、やつをの椿つらつらにとも詠めり。ツラツラはつらねつらねねもごろなるを言ふ。オモフナのナは、言を言ひおさふる詞なり。此時九月なれば、花咲かむ春を戀ふるなるべし。紀に、此木の油をとりて、唐國へ贈られし事も見ゆれば、多く植ゑおかれしなるべし。
 參考○思奈(古、新)シヌバナ。
 
右一首|坂門人足《サカトノヒトタリ》。
 
55 朝毛吉。木人乏母。亦【亦ヲ今赤ニ誤】打山。行來跡見良武。樹人友師母。
あさもよし。きびとともしも。まつちやま。ゆきくとみらむ。きびとともしも。
 
アサモヨシ、枕詞。マツチ山は、下に木路に入立つまつち山とよみて、大和に近き所の紀伊の山なり。此歌の意、眞土山の景色の面白きを見捨てて、過ぎ行く事の惜しきにつけて、此紀の國人の常に往來に見るら(57)むが羨しきと言へるなり。乏は羨しなり。其意に詠める例は、卷五、まつら川玉島の浦にわかゆつる妹らを見らむ人のともしさ。卷六、島がくりわが漕ぎ來ればともしかもやまとへのぼる眞熊野の舟。卷七、妹に戀ひわが越えゆけばせの山の妹に戀ひずて有るがともしさ。其外同卷にも、卷十七にも此例有り。又眞士山の景色をおもしろき事に詠めるは、卷四長歌にも見ゆる由宣長の言へるによるべし。さなくては一首穩かならず。
 
右一首|調頸淡海《ツキノオフトアフミ》
 
或本歌
 
56 河上乃《カハノヘノ》。列列椿。都良都良爾。雖見安可受《ミレドモアカズ》。巨勢能春野|者《ハ》。
 
これは春見て詠める歌にて、此幸の時の事とは聞えず。
 參考 ○河上乃(古)カハカミノ。
 
右一首|春日藏首老《カスガクラノオフトオユ》
 
二年壬寅太上天皇幸2于參河國1時歌
 
此幸の事紀に見ゆ。冬十月の三字を落せしなるべし。
 
57 引馬野爾。仁保布榛原。入亂。衣爾保波勢。多鼻能知師爾。
ひくまぬに。にほふはりはら。いりみだり。ころもにははせ。たびのしるしに。
 
(58)引馬野は遠江國敷智郡なり。阿佛尼の記に 今の濱松の驛を引馬のうまやと言へり。此野は今三方が原と言ふ。ニホフは色なり。入りミダリは入り亂ラシなり。旅には摺衣著る事、古への習ひなればかく言へり。榛は今の花咲く萩なりと翁は言はれき。先人(枝直)説、集中芽子の歌百五十首餘有りて皆花の咲き散るなど詠み、雁鹿又露など詠み合はせたり。榛と書けると、針、波里など書ける十首餘有りて、皆花を詠める事無く、雁鹿露など詠合せたるも無し。されば榛は今の萩にあらず。波里と訓みて、今ハムノ木と言ふ物なり。此木の皮もて摺れば、よくうつる物なれば、古へ摺染めにせしなるべし。契沖が説によるべき由言へり。宣長の説も然り。衣服令に秦と有るもハリにて、ハンノ木の事なるよし。やむごとなき御説もあればいよよ先人の説に從へり。
 參考 ○榛原(代)ハリハラ(考)ハギハラ(古、新)略に同じ。
 
右一首|長忌寸奧麻呂《ナガノイミキオキマロ》。紀に見えず。卷二、意寸《オキ》麻呂とあり。
 
58 何所爾可。船泊爲良武。安禮乃崎。榜多味行之。棚無小舟。
いづくにか。ふなはてすらむ。あれのさき。こぎたみゆきし。たななしをぶね。
 
何所はイヅクと訓むべし。イヅコと言ふは後なり。船のとまりを古へハツルと言ふ。アレノ崎は和名抄、美濃國不破郡荒崎見ゆ。此幸に美濃を經給ふよし紀に見ゆれば是か。されど三河ならむか。猶尋ぬべし。コギタミはコギタワミにて、漕ぎめぐるなり。集中回又は轉の字をタミと訓ませたり。棚無ヲ舟は、和名(59)抄、笊s奈太那、大船旁板也と有りて、小舟には其たな無ければ然か言へり。
 參考 ○何所爾可 イヅコニカ(古、新)略に同じ。
 
右一首高市連黒人
 
譽謝《ヨサノ》女王作歌
 
續紀、慶雲三年八月卒と見ゆ。
 
59 流經。妻吹風之。寒夜爾。吾勢能君者。獨香宿良武。
ながらふる。つまふくかぜの。さむきよに。わがせのきみは。ひとりかぬらむ。
 
ナガラフルは長ラ經ルにて、寢衣のすその長きを言ふ。ツマは衣の端なり。夫君の旅寢をめぎみの京に在りて、深くおぼしやり給ふなりと翁言はれき。されど衣と言はずして、直ちにツマと續くべきに有らず。誤字有るべし。久老は妻は雪の誤りならむと言へり。猶考ふべし。
 參考 ◎妻吹風(古、新) 「雪」ユキフクカゼ
 
長《ナガノ》皇子御歌
 
天武天皇の皇子靈龜元年六月薨。是も京に在りて詠み給ふなり。續紀、奈賀親王と書けり。例に依るに御作歌と有るべし。
 
(60)60 暮相而。朝面美無。隱爾加。氣長妹之。廬利爲里計武。
よひにあひて。あしたおもなみ。なばりにか。けながきいもが。いほりせりけむ。
 
集中に夜をも初夜をもヨヒと詠めり。ここはただ夜の事なり。面ナミは恥ぢて面隱しするを言へば、新枕せしあしたなど面隱しするを序としたり。隱はナバリと訓みて、伊賀國名張郡なる事、宣長既に言へり。さてナバリはナマリと同じく、隱るる古言とす。ケナガキは月日久しく別れ居たる事を、集中に多く氣長クナリヌと言へり。ここも其意なり。此ケは來經《キヘ》の約なり。古事記、倭建命の御歌に、あら玉の年がきふればあらたまの月は岐閉由久《キヘユク》と有るなりと宣長曰へり。イホリは則ち行宮を言ふ。此幸に長皇子のめぎみも出で立てるか。又は從駕の女房の中に皇子の指し給へる人有りて、京より思ひやりて詠み給へるならむ。
 
舍人《トネリノ》娘從駕作歌
 
卷二、同じ娘子舍人皇子と詠みかはせし歌あり。
 
61 丈【丈ヲ今大ニ誤】夫之。得物矢手插。立向。射流圓方波。見爾清潔之。
ますらおが。さつやたばさみ。たちむかひ。いるまとかたは。みるにさやけし。
 
マスラヲは益荒男の義なり。得物矢は、神代紀彦火火出見尊は山の幸おはして、弓矢もて鳥獣を得給へば、さち弓さち矢と言ふ。其意を得てかく書きたり。サチヤをサツヤとも言へり。仙覺抄に伊勢風土記を引きて、的形浦者。此浦地形似v的故以爲v名也。今已跡絶成2江湖1也。天皇行2幸浦邊1歌云。麻須良遠能佐都(61)夜多波佐美加比多知、伊流|夜麻度加多波麻乃佐夜氣佐《ヤマトカタハマノサタケサ》と有り。立チムカヒは的に立ち向ふなり。上は序にて、的形と言ふに言ひ懸けたり。マトカタは神名帳、伊勢國多氣郡服部麻刀方神社とあれば、ここの浦なるべし。
 參考 ○大夫之(代、考)マスラヲノ(古、新)略に同じ。
 
三野連《ミヌノムラジ》【名闕】入v唐時春日藏首老作歌
 
古本傍註に、大寶元年正月。遣唐使民部卿粟田眞人朝臣以下六十人、乘2船五隻1小商監從七位中宮少進美奴連岡麻呂云云と有り。續紀に、栗田朝臣其外の人は有りて、美奴連は見えねど、類聚國史には見えたれば、續紀今の本後に誤りて脱せし事明らけし。名闕の字は後人の書けるなり。此あたりの歌ども前に入るべきを、亂れてここに入りたるならむよし、考に委しく論らへり。
 
62 在根良。對馬乃渡。渡中爾。幣取向而。早還許年。
    つしまのわたり。わたなかに。ぬさとりむけて。はやかへりこね。
 
在根良は布根盡の誤りにてフネハツルか。又は百船能の誤り歟。卷十五、毛母布禰乃波都流對馬云云、又は百都船の誤りか。是も津と續くべしと翁言はれき。宣長は、布根竟の誤りとせり。何にもせよ、アリネラとては解くべきやうなければ必ず誤字なり。ワタナカは渡の中なり。海路平らかならむ事を祈りて、海神にぬさ奉れとなり。
(62) 參考 ○在根良(考)「百船能」モモブネノ、又は「百都船」モモツフネ(古)「大夫根之」オホブネノ。
 
山上臣憶良《ヤマノヘノオミオクラ》在2大唐1時憶2本郷1歌
 
目録に歌字上作の字有り。ここは脱か。是も右と同じ度なり。續紀、大寶元年春正月乙亥朔丁酉。以2守民部尚書直大貳粟田朝臣眞人1爲2唐執節使1云云、無位山於憶良爲2少録1云云。
 
63 去來子等。早日本邊。大伴乃。御津乃濱松。待戀奴良武。
いざこども。ほやもやまとへ。おほともの。みつのはままつ。まちこひぬらむ。
 
イザは誘ふ言。子とは船中の諸人を言へり。卷三、いざ子ども倭へ早もしらすげの、卷二十、いざ子どもたはわざなせそなど詠めり。卷十五、わぎもこは伴也母《ハヤモ》こぬかと、又よわたる月は波夜毛《ハヤモ》いでぬかもなど有れば、ハヤモと訓めり。日本と書きて集中にヤマトと訓みたり。されどここはから國へ行きて詠みしかば、ヒノモトと訓むべきかとも思へど、欽明紀、大葉子が新羅に在りて、袖ふらすもよやまとへむきて、と詠みしを思へば、ヤマトと訓むべきなり。ハヤモヤマトヘの句の下、歸ラムと言ふ詞を略けり。大トモノ枕詞。津の國の御津は、西國へ行きかふ船の出入りする所なれば言へり。松を家人の待つにかね言へり。
 參考 ○早日本邊(考、新) ハヤクヤマトヘ(古) ハヤヤマトヘニ。
 
慶雲三年丙午幸2于難波宮1時
 
例によるに、丙午の下秋九月の三字有るべし。目録によるに、時の下歌の字有るべきか。文武紀、今年九(63)月幸有りて十月還り給ふ事見ゆ。
 
志貴皇子御作歌
 
64 葦邊行。鴨之羽我比爾。霜零而。寒暮夕。和之所念。
あしべゆく。かものはがひに。しもふりて。さむきゆふべは。やまとしおもほゆ。
 
羽ガヒは羽交にて羽を打ちちがへたる所を言ふ。夕和二字家の一字を誤りたるにてイヘシオモホユなるべし。其故はヤマトに和の字を用ひられたりしは奈良の朝よりの事にて、藤原の朝までは倭の字を書かれし由考に委し。今按ずるに卷七、若浦に白浪立ちて沖つ風寒き夕べは山跡《ヤマト》しおもほゆと末は全く同じ。されば夕は者の誤り、和はもと倭と有りけむを、いづれにても同じ事に思へる者の、ふと書き誤りたるなるべし。倭を和に誤れる事、令にも書紀にもあり。
 參考 ○寒暮云云(考)サムキユフベハ「家」イヘシオモホユ(古)略に同じ 但し「和」は「倭」の誤。
 
長皇子御歌
 
例によるに御の下作の字有るべし。
 
65 霰打。安良禮松原。住吉之。弟日娘與。見禮常不飽香聞。
あられうつ。あられまつばら。すみのえの。おとひをとめと。みれどあかぬかも。
 
(64)霰ウツは、アラレ松原と重ね言へるのみの枕詞なり。神功紀、をちかたの阿邏々摩菟麼邏《アララマツバラ》と有るは、山城の宇治川のあなたに、あらあらと立ちたる松原を言ふなり。禮と羅と通はし言へり。住吉は攝津國住吉郡、かく書きても住ノエと訓むが古訓なり、日枝《ヒエ》を日吉《ヒエ》と書くが如し。オトヒヲトメは、顯宗紀、やまとは云云弟日僕是也を、オトヒヤツコラマゾコレと訓む。是は御兄弟の御事にて、後世オトトヒと言ふ事なり。ここも姉妹の遊行女婦などがまゐりたるをもて、かく詠み給へるならむ。御歌の心は、松原とをとめと二つ竝べ見給へども厭かぬとなり。卷七、さほ川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも。是も佐保の川津と千鳥と二つをめづるにて心同じ。
 參考 ○霰打(古)アラレウチ(新)略と同じ。
 
太上天皇幸2于雖渡宮1時歌
 
66 大伴乃。高師能濱乃。松之根乎。枕宿杼。家之所偲由。
おほともの。たかしのはまの。まつがねを。まきてしぬれど。いへししぬはゆ。
 
大伴ノ、枕詞。高師は和泉國大鳥郡に有る事、紀に見ゆ。或人、此高師は難波に有りて、和泉の高師にあらずと言へり。猶土人に問ふべし。卷十、君が手もいまだまかねばなど有りて、枕スルをただマクとのみ言へる事多し。シヌバユはシノバルに同じ。面しろき濱の松が根を枕として寢たれど故郷の戀しきとなり。宣長は、杼は夜の字の誤りにて、マキテヌル夜ハならむと言へり。
(65) 參考 ○枕宿杼(代)マクラニヌレド(考)略に同じ(古)マキチヌル「夜」ヨハ(新)マキテシヌレバか。
 
右一首|置始東人《オキソメノアヅマド》 紀に、置染と書けるも同氏なるべし。
 
67 旅爾之而。物戀之伎乃。鳴事毛。不所聞有世者。孤悲而死萬思。
たびにして。ものこふしぎの。なくことも。きこえざりせば。こひてしなまし。
 
鷸《シギ》の鳴くを物戀ひて鳴くに言ひなして、さてそのしぎの聲を聞けば、せめて旅の心を慰むと言ふ意なり。モノコヒシギと訓みたれど、かかる言懸けざま集中に例無ければ、ひが言なるよし宣長言へり。
 參考 ○物戀之伎乃(新)モノコヒシキニ○鳴事毛(古、新)「家」ィヘゴトモ。
 
右一首|高安大島《タカヤスノオホシマ》 目録には作者未詳と有り。
 
68 大伴乃。美津能濱爾有。忘貝【今貝ヲ貝ニ誤ル】。家爾有妹乎。忘而念哉。
おほともの。みつのはまなる。わすれがひ。いへなるいもを。わすれておもへや。
 
大伴ノ、枕詞。ミツは難波の御津なり。其濱にある忘貝を即ち序に設けて、妹は忘れぬと言ふなり。忘レテオモヘヤは只忘レムヤと言ふ事なり。此語の例上にも言へり。忘貝と言へるは何貝を指して言へるか知られず。卷十五、長歌の反歌に、玉の浦の沖つ白玉ひろへれど又ぞおきつる見る人をなみ。其次に、秋さらば吾舟はてむ忘貝よせきておけれ沖つ白浪。これ白玉と忘貝を二首に詠みて反歌とせり。猶考ふべし。
 
(66)右一首|身人部《ムトベノ》王 續紀に、天平元年正月正四位下六人郡王卒と見ゆ。
 
69 草枕。客去君跡。知麻世婆。岸之埴布爾。仁寶播散麻思乎。
くさまくら。たびゆくきみと。しらませば。きしのはにふに。にほはさましを。
 
草枕、枕詞。左の註の如く、住の江のをとめが、長皇子にまゐらする歌とする時は、此皇子は今も旅なるに、又旅行く君と言ふは京へ歸り給ふ時を言ふか。キシは住の江の岸なり。卷六、白浪の千重にきよするすみのえの、岸のはにふににほひてゆかな。其外も此類有り。和名抄、埴土黄而細密曰v埴和名波爾と有りて、古事紀に、丹摺之袖《ニヌリノソデ》とも有りて、古へかかる物にて衣を摺り、色どりしと見ゆ。ニホハサマシヲはニホハセムモノヲとなり。
 
右一首清江娘子進2長皇子1 姓氏未v詳 清江すなはちスミノエと訓む。前の弟日娘女とは異なるべし。姓氏未詳の四字後人の書き入れしならむ。
 
太上天皇幸2于吉野宮1時高市連黒人作歌
 
紀に、大寶元年八月吉野の幸有り。されど其度の歌とも定めがたし。いづれにもあれ、黒人從駕にて詠めるなり。
 
70 倭爾者。鳴而歟來良武。呼兒鳥。象乃中山。呼曾越奈流。
やまとには。なきてかくらむ。よぶこどり。きさのなかやま。よびぞこゆなる。
 
(67)藤原あたりをすべて倭と言ふ。鳴キテカ來ラムは行クラムと言ふに同じ。呼子鳥は嶋く聲ものを呼ぶに似たれば名付けたるなるべし。今の俗カツコ鳥、あるひはカツホウと言ふものならむと翁言はれき。象ノ中山は吉野の内秋津の宮に近き所なれば、鳴き越ゆるこゑ聞ゆべし。
 
大行天皇幸2于難波宮1時歌
 
文武天皇を指し奉る。崩れましていまだ御謚奉らぬ間を大行天皇と申奉れば、其ころ前にありし幸の度の歌ども傳へ聞きて記し置きしを、其ままに書けるなるべし。考に委し。
 
71 倭戀。寐之不所宿爾。情無。此渚崎爾。多津鳴倍思哉。
やまとごひ。いのねらえぬに。こころなく。このすのさきに。たづなくべしや。
 
ネラエヌのエはレと通ふ。集中例多し。心はさらぬだに旅寢のうまいせられぬに、鶴の鳴くを聞きて、いよよ物悲しければ、旅やどり近き洲崎に心もなく鳴かんものかとなり。
 
右一首|忍坂部乙麻呂《オサカベノオトマロ》
 
72 玉藻苅。奧敝波不榜。敷妙之。枕之邊。忘可禰津藻。
たまもかる。おきへはこがじ。しきたへの。まくらのあたり。わすれかねつも。
 
シキタヘノ、枕詞。旅ねする浦のさまの厭かねば、沖へ漕ぎ出でむ事は思はずとなり。
 
右一首式部卿藤原宇合 ウマカヒと訓むべし。此時、宇合卿まだ童にて御供すべからず。宇合卿の歌にあ(68)らじと考に言へり。
 參考 ○枕之邊(古)マクラノホトリ(新)略に同じ。
 
長皇子御歌
 
73 吾妹子乎。早見濱風。倭有。吾松椿。不吹有勿勤。
わぎもこを。はやみはまかぜ。やまとなる。わをまつつばき。ふかざるなゆめ。
 
ハヤミは地名なるべし。豐後に速見郡有り。攝津國にも有るか。妹を早く見むと讀け、はた京にて妹が吾を待つべきと言ふを、其園に有る松椿に言ひ續けたり。フカザルナユメは不v吹アルナユメにて、フケカシと言ふ意になれり。吾は妹を早く見む事を思ひ、妹は吾を待つべきを、其間の便りせむに、風だに吹き通へと詠み給へるなり。吾をワとのみ言ふは古語なり。ユメはもと忌み慎むより出て、ツトメヨと言ふ事に多く言へり。
 參考 ○吾松椿(代)ワガマツツバキ(考、新)略に同じ(古)アヲマツツバキ。
 
大行天皇幸2于吉野宮1時欧
 
大行と申す事上の如し。
 
74 見吉野乃。山下風之。寒久爾。爲當也今夜毛。我獨宿牟。
みよしのの。やまのあらしの。さむけくに。はたやこよひも。わがひとりねむ。
 
(69)和名紗、嵐山下出風也と言ひ、集中に、アラシを山下、阿下、下風など略きて書ければ、ここもアラシと訓むべし。ハタは又と言ふに同じ。ここは今夜も又や獨ねむと言ふ意なり。爲當をハタと訓むは欽明紀、日本後紀宣命、令集解等に見ゆ。みな又何何せむ歟の意なり。
 
右一首或云天皇御製駄 端詞に御製と無きは皆從駕の人の歌なり。且つ難波吉野などの幸は御心ずさみの爲なるを、かくわびしき御歌よませ給ふべきにあらず。此左註は誤れるよし考に委し。
 
75 宇治間山。朝風寒之。旅爾師手。衣應借。妹毛有勿久爾。
うぢまやま。あさかぜさむし。たびにして。ころもかすべき。いももあらなくに。
 
ウヂマ山は吉野にあり。心明らかなり。男女の衣を互に借りて著る事いにしへの常なり。
 
右一首長屋王 高市皇子命の御子、大寶元年正月無位より正四位上を授くるよし紀に見ゆ。
 
和銅元年戊申天皇御製歌
 
例によるに戊申の下、冬十一月とあるべし。且つここに寧樂宮御宇天皇代の標有るべきなり。天皇は天津御代豐國成姫《アマツミヨトヨクニナリヒメノ》天皇にて、後に元明と申來れるなり。
 
76 丈夫之。鞆乃音爲奈利。物部乃。大臣。楯立良思母。
ますらをの。とものおとすなり。もののふの。おほまへつぎみ。たてたつらしも。
 
鞆は神代紀、臂着2稜威之高鞆《イツノタカトモ》1と有る是なり。左臂に着けて、弓弦の觸れて鳴る音を高からしめむ爲な(70)り。音を以て威《オド》す事|鳴鏑《ナリカブラ》なども同じ。此事古事記傳に委し。モノノフノ大マヘツギミは御軍の大將を宣まへり。タテタツラシモは、此時陸奧越後の蝦夷ども叛きて、和銅二年討手の使をたてらる。ここは其前年御軍のならし有りし時、鼓吹の聲鞆の音などのかしがましきを聞こしめして、御位の初に事有るを歎きおぼしめす御心より、かく詠み給へるなるべし。次の御答への歌と合せて其御心を知るべし。此時大將軍巨勢麻呂佐伯石湯にして、右の物部は氏に非ず。されば彼モノノフ又は大臣と有るは、其將軍を宣まひしなり。
 
御名部《ミナベノ》皇女奉v和御歌
 
此皇女は天皇の御姉なり。
 
77 吾大王。物莫御念。須賣神乃。嗣而賜流。吾莫勿久爾。
わがおほきみ。ものなおもほし。すめがみの。つぎてたまへる。われなけなくに。
 
スメガミは皇統の神を申す。皇神のよざし繼がせ給へる天皇の御位ぞと、三四の句を初句の上へ廻らして意得べし。これ隔句の體なり。結句古訓ワレナラナクニを、翁はワレナケナクニと訓まれつ。ナケナクニは、吾無キニアラズと言ふ言にて、約めては吾在りと言ふ事となるなり。ナケナクの詞の例は、卷十五、旅と言へばことにぞやすきすくなくも妹を戀ひつつ須敝奈家奈久爾《スベナケナクニ》とも言ひて、こもすべなきことのすくなくも有らぬなり。凡ての意は、皇神の嗣嗣《ツギツギ》に寄《ヨザシ》立しめ給へる吾天皇の御位におはしませば物な思ほしそ、御代に何ばかりの事か有るべき、若しはたゆゆしき御大事ありとも、吾あるからは、如何なる御(71)事にも代り仕へまつらむと申し慰め奉り給ふなり。卷四、わがせこは物なおもひそ事し有らば火にも水にも吾莫亡國と言ふも、ワレナケナクニと訓みて、心は同じ。此ナケナクニと、ナラナクニとのけぢめは、翁の考の別記に委し。開き見て知るべし。宣長は、吾莫勿久爾の吾は、君の字の誤れるならむかと言へり。しかする時は上よりの續き穩かに聞ゆ。
 參考 ○吾莫勿久爾(古)「君」キミナケナクニ(新)ワレナケナクニ。
 
和銅三年庚戌春三月【今三月ヲ二月ニ誤ル】從2藤原宮1遷2于寧樂宮1時御輿停2長屋原1?【?一本回ニ作ル】望2古郷1御作歌
 
今本二月とあれど、紀によるに三月なり。長屋原は和名抄山邊郡長屋郷あり。
一書云太上天皇御製 宣長云、此歌を一書には、持統天皇の御時に飛鳥より藤原へうつり給へる時の御歌とするなるべし。然るを太上天皇と言へるは、文武天皇の御代の人の書ける詞なり。又和銅云云の詞につきて言はば、和銅の頃は持統天皇既に崩じ給へば、文武の御時に申し習へるままに太上天皇と書けるなり。此歌のさまを思ふに、まことに飛鳥より藤原宮へうつり給ふ時の御歌なるべし。然るを和銅三年云云と言へるは、傳への誤りなるべしと言へり。
 
78 飛鳥。明日香能里乎。置而伊奈婆。君之當者。不所見香聞安良武。一云君之當|乎《ヲ》、不見而香毛安良牟《ミズテカモアラム》
とぶとりの。あすかのさとを。おきていなば。きみがあたりは。みえずかもあらむ。
 
(72)飛鳥ノ、枕詞。右の如く飛鳥より藤原宮へうつり給ふ時の御歌とせざれば聞えず。君とは明日香に留り給ふみこたちなどを、指し給へるならむ。
 
或本從2藤原京1遷2于寧樂宮1時歌
 
是は一本には無くて或本に有れば、斯くしるせるならむ。作者の姓名を落せり。
 
79 天皇乃。命畏美。柔術爾之。家乎擇【擇ハ放ノ誤】。隱國乃。泊瀬乃川爾。?浮而。吾行河乃。川隈之。八十阿不落。萬段。顧爲乍。玉桙乃。通行晩。青丹吉。楢乃京師乃。佐保川爾。伊去至而。我宿有。衣【衣ハ床ノ誤】乃上從。朝月夜。清爾見者。栲乃穗爾。夜之霜落。磐床等。川之氷凝【凝ヲ今疑ニ誤ル】。冷夜乎。息言無久。通乍。作家爾。千代二手來【來は爾ノ誤ナリ】。座牟【牟今多ニ誤ル】公與。吾毛通武。
すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。にきびにし。いへをさかりて。こもりくの。はつせのかはに。ふねうけて。わがゆくかはの。かはぐまの。やそくまおちず。よろづたび。かへりみしつつ。たまぼこの。みちゆきくらし。あをによし。ならのみやこの。さはがはに。いゆきいたりて。わがねたる。ころも《とこ》のうへ|ゆ《より》。あさづくよ。さやにみれば。たへのほに。よるのしもふり。いはどこと。かはのひこごり。さゆるよを。いこふことなく。かよひつつ。つくれるいへに。ちよまでに。いまさむきみと。われもかよはむ。
 
スメロギノ云云天皇のみことのりを恐れてと云ふなり。ニキビニシ云云|調和《ニギハヒ》しを云ふ。擇は放の字なりけ(73)むを、擇の略択と書きし字に見誤りしなるべし。サカリは離れてなり。コモリクノ枕詞、ワガ行ク河ノ云云此川三輪にては三輪川とも言へど、其始初瀬なればかく言へるなり。末は廣瀬の河合にて落合なれば、そこまで舟にて下りて、河合より廣せ川をさかのぼりに佐保川まで引のぼる。末にては人は陛にのぼりて行けば陸の事も言へり。ヤソクマは、川の曲の多きを言ひて、其くま毎にかへり見するなり。玉ボコノ、枕詞。道行クラシは人は陸にのぼりても行けばなり。青ニヨシ、枕詞。サホ河ニイ行キのイは發語。ワガネタル衣は床の誤りなるべし。トコノウヘヨリと有るべし。まだ假廬なれば夜床ながらに月影の見えてわびしきさまなり。朝月夜は在明月なり。栲ノホニ云云、栲は白布の事にて、ホは色のにほひの顯れたるを言ふ。其白布の如くにと言ふを略きて、タヘノホニと言へり。集中、栲をタヘともタクとも訓めり。冠辭考、白たへ、たくぶすま等の條に委し。栲は楮の字の誤れるならむと翁言はれき。イハ床ト川ノヒコゴリは、ヒは氷なり。集中、岩ねこごしきと言へる如く、氷の磐の如くに凝り堅まれるなり。イコフ事ナク云云、藤原の都より行き通ふいたづきを言ふ。作レル家ニ千代マデニ、來座多公與云云、來は爾の誤りなるべし。多は古本に牟に作れるによる、今の訓はことわりを成さず。此歌、初めにはみことのりのままに皆人所をうつす心を言ひ次に藤原より奈良までの道の事を言ひ、次に寒き頃家造りせし勞を言ひ、末に成りて新室をことぶく言もて結べるなり。これは貴人の家を親しき人の事とり作りて、其作れる人は他所に住める故に吾も通はむと詠めるならむ。又親王諸王たちの家も、即ち造宮使に取造らしむべければ、其司人の中に詠みしか。
(74) 參考 ○天皇(新)オホキミノ○家乎擇(考)イヘ「毛」モ「放」サカリ(古)イヘヲ「釋」オキ(新)イヘヲ「放」サカリ○衣乃上從(考)「床之上」トコノウヘヨリ(古)コロモノウヘ(新)「有」を補ひアリソノウヘユ○清爾見者(考)サヤニミユレバ(古)サヤカニミレバ(新)サヤニミユレバ○川之冰凝(代)カハノヒコリテ(古)カハノヒコホリ(新)カハノ「水」ミヅコリ○冷夜乎(代)ヒユルヨヲ(考)「夜冷」サムキヨヲ(古)略に同じ(新)サユルヨ「毛」モ○息言無久(古〕ヤスムコトナク(新)イコフ。
 
反歌
 
80 青丹吉。寧樂乃家爾者。萬代爾。吾母將通。忘跡念勿。
あをによし。ならのいへには。よろづよに。われもかよはむ。わするとおもふな。
 
今よりは長くしたしく通はむ。疎ぶる事あらむとは思ふなとなり。
 參考 ○忘跡念勿(古)ワスルトモフナ(新)ワスレテオモフナ。
 
右歌作主未v詳
 
和銅五年壬子夏四月遣2長田王于伊勢齋【齋ヲ今齊ニ誤ル】宮1時山邊御井作歌
 
長田王は續紀、和銅五年正五位下と見ゆ。三代實録に、長親王の御子なる事見えたり。卷十三長歌、山邊の五十師《イシ》の原に云云、反歌に山邊の五十師《イシ》の御井はと有り。考に師は鈴の誤りとせり。其所に委しく(75)言ふべし。宣長云、伊勢に山邊村と言ふ有りて、そこに御井の跡なれとて今も殘れりと言へり。
 
81 山邊乃。御井乎見我?利。神風乃。伊勢處女等。相見鶴鴨。
やまのべの。みゐをみがてり。かむかぜの。いせをとめども。あひみつるかも。
 
見ガテリは見ガテラと同じく、物を相かねて見るを言ふ。ラもリも添へたる詞なり。此御井を見る時、よき處女らに行き逢ひて興を増したる意のみにて、深き心無し。
 參考 ○山邊乃(古、新)ヤマヘノ○伊勢處女等(考)イセノヲトメラ(古、新)略に同じ。
 
82 浦佐夫流。情作麻彌之。久堅乃。天之四具禮能。流相見者。
うらさぶる。こころさまみし。ひさかたの。あめのしぐれの。ながらふみれば。
 
ウラサブルは久しき旅ゐを愁へて、慰め難く心すさましと言ふなり。考に、彌は禰の字なるべし。サは發語にて、間無クの意なりと有り。宣長云。マネシは物の多き事、繁き事なり。ここはうらさびしき心の繁きなり。卷二、まねく行かば人知りぬべみ、卷四、君が使まねく通へば、是らは繁き意なり。卷十七玉ぼこの道に出立ち別れなば見ぬ日さまねみ戀しけむかも、又、やかたをの鷹を手にすゑみしま野にからぬ日まねく月ぞへにける、卷十八、月かさね見ぬ日さまねみ戀ふるそらやすくしあらねば、卷十九、朝よひに聞かぬ日まねく天さかるひなにしをれば、又つれもなくかれにし物と人はいへど逢はぬ日まねみ思ひぞわがする、是ら日數の多きを言へり。此外數多と書けるにマネクと訓みてよろしき所多し。此マネシの言を間無の意(76)とする時は、右の十七、十八、十九の歌どもに叶はず。續紀三十六の宣名に、氏人乎毛滅(ス)人|等麻禰久《ドモマネク》在とも有りと言へり。げにも數多き事とする時はいづこにも協へり。久カタノ、枕詞。天ノシグレノ云云。古は雨雪などの降るを流ルとも言へり。ラフはルを延べ言ふなり。
 參考 ○情佐麻彌之(古、新)ココロサマ「禰」ネシ。
 
83 海底。奧津白浪。立田山。何時鹿越奈武。妹之當見武。
わたのそこ。おきつしらなみ。たつたやま。いつかこえなむ。いもがあたりみむ。
 
ワタノソコ、冠辭考に委し。二の句までは立つと言はむ序なり。立田山は大和國平群郡にて河内の堺なり。伊勢の國とは地も違へれば左の註あり。
 
右二首今案不v似2御井所1v作、若疑當時誦2之古歌1歟。
 
註に言へる如く、立田山の歌は殊にここに由無し。端詞などの落ちしか。
 
寧樂宮 ここにかく標せるは誤りなり。
 
長《ナガノ》皇子與2志貴《シキノ》皇子1於|佐紀《サキ》宮倶宴歌
 
佐紀宮は長皇子の宮なるべし。續紀、添下郡佐貴郷高野山陵と有り、神名帳、添下郡佐紀神社。
 
84 秋去者。今毛見如。妻戀爾。鹿將鳴山曾。高野原之宇倍。
あきさらば。いまもみるごと。つまごひに。しかなかむやまぞ。たかのはらのうへ。
 
(77)今見る如くに行末も變らじと言ふなり。ここの興の盡くすまじきにつけて、志貴皇子を常にこひ迎へて遊ばむと言ふ事を、鹿の妻戀にそへ給ふなるべし。
 參考 ○秋去者(新)アキサレバ ○鹿將鳴山曾(古)カナカムヤマゾ(新)將を衍として、シカナクヤマゾ。
 
右一首長皇子
 
萬葉集 卷第一終
 
(78)卷一追加
 
野を集中奴と假字書にせり。古事記にも、ミヨシ野を美延斯努《ミエシヌ》など書きたれば、野はすべて奴とのみ訓むべけれど、卷十七、波流能能爾《ハルノノニ》、巻十八、夏能能之《ナツノノノ》、卷十四、すがのあら能《ノ》などもあれば、調によりて稀には乃とも訓みたりと見ゆ。例へば、あかねさす紫野行きしめ野行き野もりは見ずや、など言ふ御歌の野を、奴とはとなへがたければ、是らは乃とせり。猶此類有り。
○山常庭云云。宣長云、※[?+可]伶の※[?+可]、諸の宇書に見えず。からには無き字なり。紀にはみな可怜と書けり。これ正しかるべし。エを可愛とかかれたると同じ例なり。然るに此集には所所に有るみな※[?+可]と書けり。こは此方にて?を加へたる物ならむと言へり。仁賢紀に.吾夫※[?+可]怜《アヅマハヤ》矣、字鏡※[言+慈]の字の註に※[?+可]怜也などあれば、此集のみにあらず。
○藤原ノ大宮ヅカヘ安禮衝哉云云。宣長云、哉は武の誤りなるべし。さて衝は繼の意にはあらじ。卷六長歌にも八千年爾安禮衝之乍とも有りて、繼とは清濁もたがへりと言へり。借字には清濁にかかはらぬ例ながら、かく二所まで清みて書けるは、いかさまにも別に意有る事ならむ。猶考ふべし。
 
(79)萬葉集 卷第二
 
相聞 是は相思ふ心を互に告げ聞ゆればかくは言へり。後の集に戀と言ふにひとし。されど此集には、親子兄弟の相したしみ思ふ歌をも載せて事廣きなり。
 
難波高津《ナニハタカツノ》宮御宇天皇代 大鷦鷯《オホササギノ》天皇 後に仁コ天皇と申す〔七字□で囲む〕
 
仁コ紀元年正月、難波に都し給ひて、高津宮と言ふ由見えたり。
 
盤姫《イハノヒメノ》皇后思2天皇1御作歌四首
 
仁コ天皇の后、履中紀に葛城|襲津《ソツ》彦が女とあり。履中天皇の御母なり。皇后の御名は書くべきにあらず。後人のしわざなるべし。
 
85 君之行。氣長成奴。山多都禰。迎加將行。待爾可將待。
きみがゆき。けながくなりぬ。やまたづね。むかへかゆかむ。まちにかまたむ。
 
右一首歌。山上憶良臣類聚歌林載焉。
 
是は皇后の御歌にあらず。誤りて入りたり。此末に言ふべし。字も誤れり。
 參考 ○山多都禰(新)ヤマタヅ「能」ノ○迎加(新)ムカヒカ。
 
86 如批許。戀乍不有者。高山之。磐根四卷手。死奈麻死物乎。
かくばかり。こひつつあらずは。たかやまの。いはねしまきて。しなましものを。
 
(80)此歌より三首、后の御歌なり、戀ヒツツアラズハは、カク戀ヒツツ在ラムヨリハと言ふ意なり。集中此類數多あり。皆なぞらへ知るべし。卷四、かくばかり戀つつあらずは石木にもならまし物を物もはずして。高山ノ云云は、いづくにも有れ、山に葬らむさまを言へり。マクは枕にするを言ふ。シナマシモノヲは、死ナムモノヲと言ふなり。
 
87 在管裳。君乎者將待。打靡。吾黒髪爾。霜乃置萬代日。
ありつつも。きみをばまたむ。うちなびく。わがくろかみに。しものおくまでに。
 
アリツツモは在り在りて來ますまで待たむとなり。卷五かぐろき髪にいつの間に霜の降けむと有りて、皆奈良の比には打ちまかせて、白髪を霜とのみも詠みたれど、此御歌は仁コの御時にて、いと古ければいまだ然かる事は有らじ。是れは左の或本の歌、又は卷十二、君待と庭にのみをればうちなびく吾黒髪に霜ぞ置きけるなどある歌にまがへて、古歌の樣よくも意得ぬ人の書き誤れるならむ。此成本并に卷十二の歌は共に一夜の事にて實の霜を詠めるなり。
 
88 秋之田。穗上爾霧相。朝霞。何時邊乃方二。我戀將息。
あきのたの。ほのへにきらふ。あさがすみ。いづべのかたに。わがこひやまむ。
 
キラフはクモリを言ひて用の語なり。霞みは其くもりの體の語なり。イヅベノカタはイヅレノ方と言ふなり。卷十九、ほととぎす伊頭敝熊《イヅベノ》山乎鳴きか越ゆらむとも詠めり。いづかたへ思ひをやりてか、我戀をは(81)るけむと言ふを、田面の霧の立ちこめて晴るる方なきに譬へ給へり。古へは春山の霧とも詠みて、後世の如く、霞は春、霧は秋の物とする事無し。
 參考 ○將息(新)「將遣」ヤラム。
 
或本歌曰。89 居《ヰ》明而。君乎者將待。奴婆《ヌバ》珠乃。吾黒髪爾。霜者零騰文。
 
ヰアカシテは起き明してなり。卷十八乎里安加之こよひは飲まむとも詠めり。是は右の在りつつもと言へるとは異にて、居明してと有るからは、實の霜にして、白髪となれる事にあらず。
 
右一首古歌集中出。
 
古事記曰。輕太子奸2輕大郎女1。故其太子流2於伊豫湯1也。此時衣通王不v堪2戀慕1而遣【記ニ遣ヲ追ニ作ル】往時歌曰。90 君之行《キミガユキ》。氣長久成奴《ケナガクナリヌ》。山多豆乃《ヤマタヅノ》。迎乎將往《ムカヘカユカン》。待爾者不待《マツニハマタジ》。此云2山多豆1者。是今造v木者也。
 
衣通王は輕大郎女の別名なり。此歌を唱へ誤り、且つ讀人をも誤りて前に載せし物なり。然るを前の歌誤りたれば、後人の又ここに亂し載せたりと見ゆ。心は氣長くは前に出でし如くにて、さて待つにはえ待堪へじと言ふなり。前に出でたるには、山タヅ能を禰に誤りたれば、ことわりわき難し。山タヅの事は、冠辭考に委し。右の歌を今本本文に擧げしは誤りなり。かれ今改めて註とせり。
 
右一首歌。古事記與2類聚歌林1所v説不v同。歌主亦異焉。因?2日本紀1曰。難波高津宮御宇。大鷦鷯天皇廿二年春正月。天皇語2皇后1納2【紀納ノ上曰ノ字有リ】八田皇女1將v爲v妃。時皇后不v聽。爰天皇歌以乞2於(82)皇后1之。【元三ノ上之ノ字ナクテ云云ト有リ】三十年秋九月乙卯朔乙丑。皇后遊2行紀伊國1到2熊野岬1【岬ヲ今?ニ誤ル】取2其處之御綱葉1而還。於v是天皇伺2皇后不1v在而娶2八田皇女1納2於宮中1。時皇后到2難波濟1。聞3天皇合2八田皇女1大恨之云云。亦曰。遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚【稚ヲ今雅ニ誤ル】子宿禰天皇廿三年春正月甲午朔庚子。木梨輕皇子爲2太子1。容姿佳麗。見者自感。同母妹輕大娘皇女亦艶妙也云云。遂竊通。乃悒懷少息。廿四年夏六月。御【紀御下膳字有リ、羮ヲ今美に誤凝ヲ疑ニ誤ル】羮汁凝以作v氷。天皇異之卜2其所由1。卜者曰。有2内亂1。盖親親相姦乎云云。仍移2大娘皇女於伊與1者。今案二代二時不v見2此歌1也。
 
近江|大津《オホツノ》宮御宇天皇代 天命開別《アメミコトヒラカスワケノ》天皇 後に天智天皇と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇賜2鏡王女1御歌一首
 
鏡王女とあるは誤りにて鏡女王なり。下皆同じ。此女王は額田女王の姉にて、此姉妹ともに天智天皇に召されたりと見ゆ。御の下製の字脱ちたるか。
 
91 妹之家毛。繼而見朝思乎。山跡有。大島嶺爾。家母有猿尾。
いもがいへも。つぎてみましを。やまとなる。おほしまのねに。いへもあらましを。
 
一云。妹之當《アタリ》繼而|毛見武爾《モミムニ》。一云。家|居《ヲラ》麻之乎。
 
和名抄大和國平群郡額田郷あれば、此女王はそこに住み給へるなるべし。近江へ遷りませし後も、此女王は大和に居給ひし故に、かくは詠み給へるならむ。さらば大島嶺も、平群郡に有るなるべし。ツギテ(83)見マシヲは、打ツヅキテモ見ムなり。高き嶺に住み給はば、女王の方を常に見む物をとのたまふなり。
 
鏡王女奉v和御歌一首 鏡王女又曰2額田姫王1也。
 
右に言へる如く王女は女王の誤りなり。さて此註は、額田姫王と同人と思ひ誤れる後人の書入れなり。歌の上御の字目録に無きをよしとす。
 
92 秋山之。樹下隱。逝【逝ヲ今遊ニ誤】水乃。吾許曾益目。御念從者。
あきやまの。このしたがくり。ゆくみづの。われこそまさめ。みおもひよりは。
 
遊、元暦本逝に作る。隱レテと言ふをカクリと言ふは例なり。秋は水の下れば、山下水の増るに譬へて、吾戀奉る事こそ君よりも増りたれと言ふなり。
 參考 ○吾許曾益目(古)アコソマサラメ(新)略に同じ○御念從者(古)オモホサムヨハ(新)略に同じ。
 
内大臣藤原卿娉2鏡王女1時鏡王女贈2内大臣1歌一首
 
藤原卿は鎌足卿なり。王女は女王の誤なり。此女王此時天皇の寵衰へたるを、鎌足卿よばひしなるべし。
 
93 玉匣。覆乎安美。開而行者。君名者雖有。吾名之惜毛。
たまくしげ。おほふをやすみ。あけていなば。きみがなはあれど。わがなしをしも。
 
玉クシゲ。枕詞。匣の蓋は覆ふ事も安しと言ふよりアクルと續けたり。さて夜の明くる事に言ひ懸けたる序のみ。三の句に依るに、此卿の來て夜更れども歸り給はぬを、女王のわびて言ひ出だせる歌なるべし。(84)按ずるに、君吾二字互に誤りつらむ。吾名は有れど君が名し惜しもと有るべし。六帖に此歌を、わが名はあれど君が名惜しもと有り。卷四、吾名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名たたばをしみこそ泣けと詠めるをも思へ。宣長は玉クシゲは開くるへかかれり。覆は字の誤れるにやと言へり。
 參考 ○覆乎安美(古)カヘルヲ「不安」イナミ(新)略に同じ○開而行者(考)アケテユカバ(古、新)考に同じ○君名云云(代)「君」は「吾」「吾」は「君」の誤としてワガナハアレドキミガナヲシモ(古、新)略に同じ
 
内大臣藤原卿報2贈鏡王女1歌一首
 
王女は女王の誤なり。
 
94 玉匣。將見圓山乃。狹名葛。佐不寐者遂爾。有勝麻之目。
たまくしげ。みむろのやまの。さなかづら。さねずはつひに。ありがてましも。
或本歌云。玉匣|三室戸《ミムロト》山乃。
 
玉クシゲ、枕辭。ミムロ山とは三輪を言ふ。ミムロと訓める由は冠辭考に委し。サナカヅラは、和名抄に、五味佐禰加豆良と言へるなり。三句までは、サネズハと言ふ序に設けたり。サは發語にて、不v寢ハなり。有リガテマシは在難カラムと言ふ詞にて、モは助辭なり。心は明けぬ間に歸れとのたまへども、遂に逢はずしては堪ふまじきとなり。或本の三室戸山と言へるは心得難し。卷七、珠くしげ見諸戸山と有る(85)は、旅の歌の中に有りて、西國の歌どもに交れれば、備中國のみむろどなるべし。山城宇治に三室戸と言ふあれど、後の事と見ゆ。ここは大和の都にて、備中のみむろどを詠むべきに有らず。古へ故なく他國の地名を設けよむ事など無き事なればいぶかし。按ずるに或本の戸は乃の誤りなるべし。
 參考 ○有勝麻之目(新)アリカツマシジ。
 
内大臣藤原卿娶2采女安見兒1時作歌一首
 
采女は古へ諸國より女を召し上げられしよりして、後に國造郡司などの、女兄弟姪などを撰びて貢する事と成りたり。
 
95 吾者毛也。安見兒得有。皆人乃。得難爾爲云。安見兒衣多利。
われはもや。やすみこえたり。みなひとの。えがてにすとふ。やすみこえたり。
 
モは助辭にて、吾ハヨなり。安見子は此采女の名なり。皆人此采女を思ひ懸けたれども受け引かざりしを、吾は是をしも得たりと誇りかに詠めり。
 參考 ○吾者毛也(古)アハモヤ○皆人乃(古)ヒトミナノ(新)ミナビトノ。
 
久米禅師娉2石川郎女1時歌五首
 
久米は氏、禅師は名なり。下の三方沙彌も是に同じ。續紀に阿彌陀、釋迦など言ふ名も有りしを禁ぜられし事見ゆれば、是は俗人の名なり。景行紀、郎姫此云2異羅菟比刀sイラツヒメ》1と有り。又藤原伊良豆賣とも續紀に見ゆ。
 
(86)96 水篶【今篶ヲ薦ニ誤ル】苅。信濃乃眞弓。吾引者。宇眞人佐備而。不言常將言可聞。禅師
みすずかる。しなぬのまゆみ。わがひかば。うまびとさびて。いなといはむかも。
 
ミスズカル、枕辭。篶は小竹なり。薦は誤なり。弓は古へ甲斐信濃より貢しつれば然か言へり。紀に大寶二年信濃國より梓弓一千二十張を獻る。景雲元年信濃國より弓一千四百張を獻る。又甲斐國槻弓八十張、信濃國梓弓百張奉る由見ゆ。ウマ人は貴人を言ふ。紀に君子、縉紳、良家の字などを然か訓めり。サビはスサビなり。をとめさび、翁さびのサビに同じ。さて本は譬へにて、郎女がうま人なる心ならひにて、吾をたぐひに有らずとて、いなむかと言ふなり。不言を元暦本に不欲に作る方まされり。
 參考 ○水薦苅(考)ミ「篶」スズカル(古)ミコモカル(新)ミスズカル。(薦を誤とせず。)
 
97 三篶【今篶ヲ薦ニ誤ル】苅。信濃乃眞弓。不引爲而。強【強は弦ノ誤リ】作留行事乎。知跡言莫君二。郎女
みすずかる。しなぬのまゆみ。ひかずして。をはぐるわざを。しるといはなくに。
 
左に都良絃取波氣と言ふも、則ち弓弦を懸くるをハグルと言へば、強の字は、契沖が言へる如く弦の誤なり。弓を引かぬ人の弦懸くるわざを知ると言ふ事無し。其如く我を引見ずしては、否と言はむやいなやも知るべからずと言ふなり。
 
98 梓弓。引者隨意。依目友。後心乎。知勝奴鴨。郎女
あづさゆみ。ひかばまにまに。よらめども。のちのこころを。しりがてぬかも。
 
(87)引カバマニマニは、引クニシタガヒテなり。ヨラメドモは、古今集に、ひけばもとすゑ吾かたへよるこそまされなど詠める如く、弓にヨルと言ふ言多し。シリガテヌは知リガタキなり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも、古へ同じ詞にて、マタナクニと言ひてマタムニと言ふ意になるが如し。卷三草枕云云。家待莫國《イヘマタナクニ》と言ふ歌の所に、猶委しく言ふべし。歌の意は、實は引かば寄るべき心有れども、後いかがあらむと言ひ固むるなり。
 參考 ○勝奴(古、新)カテヌ。
 
99 梓弓。都良絃取波氣。引人者。後心乎。知人曾引。禅師
あづさゆみ。つらをとりはげ。ひくひとは。のちのこころを。しるひとぞひく。
 
ツラヲは、宣長云、蔓緒《ツラヲ》の意なり。かかるたぐひの物を凡て蔓《ツラ》と言ふ。草の蔓も其一つなりと言へり。右の後の心を知りかぬると言ふに答ふるなり。
 參考 ○都良緒取波氣(古、新)ツラヲトリハケ。
 
100 東人之。荷向篋【今篋ヲ篋ニ誤ル】乃。荷之緒【緒ヲ結ニ誤ル】爾毛。妹情爾。乘爾家留香聞。禅師
あつまどの。のざきのはこの。にのをにも。いもがこころに。のりにけるかも。
 
荷向はいづれの國にても、年ごとに始に奉る調物を荷前と言ふ。是は東國より貢るのざきに就きて詠めるのみ。そは箱に納めて紐して馬に結ひつけて上る故に、荷の緒と言ひ、乘と言ふなり。荷ノヲニモは、荷ノ(88)緒ノ如クニモと言ふを略けり。ノルは卷十四東歌に、白雲の絶えにし妹はあぜせろと許許呂爾能里弖許許婆《ココロニノリテココバ》かなしけと言ふをもて見れば、妹が事の常に吾心のうへに在るを言ふなり。
 參考 ○東人(代)アツマノ又はアツマツノ(考)アツマドノ(古、新)アヅマヒトノ○妹情爾(考)イモハココロニ(古、新)略に同じ。
 
大伴宿禰娉2巨勢《コセノ》郎女1時歌一首
 
元暦本に、大伴宿禰諱曰2安麻呂1也。難波朝右大臣大紫大伴長コ卿之第六子、平城朝任2大納言兼大將軍1薨也とあり。
 
101 王葛。實不成樹爾波。千磐破。神曾著常云。不成樹別爾。
たまかづら。みならぬきには。ちはやぶる。かみぞつくとふ。ならぬきごとに。
 
葛は實なるもの故に、次の言をいはむ爲に、冠らせたるのみなり。さて實のなると言ふまでに言ひ懸けて、不成の不までは懸けぬ類ひ、集中に多し。樹とは葛の事にあらず。何にもあれ、實なる樹を言ふ。チハヤブル、枕詞。神ゾツクトフのトフはトイフなり。實なる木の實ならぬには、神の領し給ふと言ふ諺有りしなり。心は女のさるべき時に男せねば、神の依り給ひて、遂に男を得ぬぞと譬へ言ふなり。
 參考 ○神曾著常云(古)カミゾツクチフ(新)略に同じ。
 
巨勢郎女報贈歌一首
 
(89)元暦本に、即近江朝大納言巨勢卿之女也とあり。
 
102 玉葛。花耳開而。不成者。誰戀有目。吾孤悲念乎。
たまかづら。はなのみさきて。ならざるは。たがこひならめ。わはこひもふを。
 
右の實ならぬ木と言ふに答へて、花のみ咲きて實ならぬ如く、誠なきは、誰が上の戀にか有らむ。我は花のみには有らず。誠に戀思ふ物をと言ふなり。又タガコヒナラモとも訓むべし。
 參考 ○誰戀爾有目(代)タガコヒニアヲモ(古)タガコヒナラモ(新)略に同じ。
 
明日香清御原御宇天皇代 天渟中原瀛眞人《アメノヌカハラオキマヒト》天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇賜2藤原夫人1御歌一首
 
紀に藤原内大臣の女氷上娘、また妹五百重娘ともに夫人と見ゆ。御の下製の字脱ちしなるべし。
 
103 吾里爾。大雪落有。大原乃。古爾之郷爾。落卷者後。
わがさとに。おほゆきふれり《みゆきふりたり》。おほはらの。ふりにしさとに。ふらまくはのち。
 
大原は續紀に、紀伊へ幸の路をしるせしに、泊瀬と小治田の間に大原と言ふ所見ゆ。今も大原村有り。即ち藤原とも言へり。藤原氏の本居なり。そこに夫人の下り居給ふ時の事なるべし。ここ許《もと》には雪多く降りて面白し。大原わたりへは後にこそ降らめと、戯れよみ給へるなり。
 
藤原夫人奉v和歌一首
 
(90)104 吾崗之。於可美爾言而。令落。雪之摧之。彼所爾塵家武。
わがをかの。おかみにいひて。ふらせたる。ゆきのくだけし。そこにちりけむ。
 
神代卷に、斬2軻遇突智1爲2三段1云云。一段爲2高?1。註に?此云2於箇美《オカミ》1。豐後風土記。球珠《クスノ》郡球覃郷此村有v泉。(中略)即有2蛇?1曰2於箇美1とも見ゆ。これ雨雪をしたがふる龍神なり。それにおほせて降らせたりとなり。クダケシのシは過去の言なり。御戯れ言を受けて答へ奉り給へり。
 參考 ○言而(古)「乞」コヒテ(新)略に同じ ○令落(古)フラシメシ(新)フラサセシ。
 
藤原宮御宇天皇代 元高天原廣野姫天皇、今天皇謚曰2持統天皇1、
 
大津皇子竊下2於伊勢神宮1上來時|大伯《オホクノ》皇女御作歌
 
天武紀太田皇女を納れて、大來皇女と大津皇子を生み給ふとあれば、御はらからなり。故に大事をおぼし立つ御祈、且御姉齋王にも告げ給ふとて下り給ひつらむ。大伯皇女は、天武天皇白鳳三年に、齋王に立ち給ひ、持統天皇朱鳥元年に歸京し給へり。
 
105 吾勢枯乎。倭邊遣登。佐夜深而。?鳴露爾。吾立所霑之。
わがせこを。やまとへやると。さよふけて。あかときつゆに。われたちぬれし。
 
大津皇子は御弟なれど、女がたよりセと宣まふ事例なり。曉はアカトキと言ふが本語なり。み歌の心は明らけし。
(91) 參考 ○吾立所霑之(新)ワガタチヌレシ。
 
106 二人行杼。去過難寸。秋山乎。如何君之。獨越武。
ふたりゆけど。ゆきすぎがたき。あきやまを。いかでかきみが。ひとりこえなむ。
 
二人越えぬとも、秋は物寂しきとなり。此二首の調べのいと悲しく聞ゆるは、大事をおぼすをりの御別なればなるべし。
 参考 ○如何君之(新)イカニカキミガ。
 
大津皇子贈2石川郎女1御歌一首
 
107 足日木乃。山之四付二。妹持跡。吾立所沾。山之四附二。
あしびきの。やまのしづくに。いもまつと。われたちぬれぬ。やまのしづくに。
 
山ノシヅクニと言ふより、立チヌレヌと懸かるなり。
 
石川郎女奉v和歌一首
 
108 吾乎待跡。君之沾計武。足日木能。山之四附二。成益物乎。
あをまつと。きみがぬれけむ。あしびきの。やまのしづくに。ならましものを。
 
アはワレなり。
 
大津皇子竊2婚石川女郎1時。津守連|通《トホル》占2露其事1皇子御作歌一首
 
(92)續紀津守連通、陰陽の道勝れたりとて、從五位下を授け、戸口を賜へる事見ゆ。
 
109 大船之。津守之占爾。將告登波。益爲爾知而。我二人宿之。
おほぶねの。つもりがうらに。のらむとは。まさしにしりて。わがふたりねし。
 
大ブネノ、枕詞。益は借字にて正なり。されども爲《シ》の言例無し。宣長云、卷十四、むさしののうらへかたやき麻左?《マサデ》にもとあれば、ここの爲は?の誤りならむと言へり。翁はマサテは正定《マササダ》の意ならむと言はれき。心明らけし。
 參考 ○將告登波(新)「將出」イデムトハ○益爲爾知而(古)「兼而乎」カネテヲシリテ(新)略に同じ。
 
日並《ヒナメシノ》皇子贈2賜石川女郎1御歌一首 女郎字曰2大《元》名兒1也
 
日並の下、知の字有るべし。目録に贈の字無きをよしとす。今本註に、大名兒三字を脱せり。皇子は天武天皇の皇子、御母は?野讃良《ウノサララノ》皇女なり。
 
110 大名兒。彼方野邊爾。苅草乃。束間毛。吾忘目八。
おほなこを。をちかたのべに。かるかやの。つかのあひだも。われわすれめや。
 
大名兒は女郎の字也と註せれど、是は其女をあがめて宣まへるなるべし。姉をナネ、兄をナセなど言へり。又|大名持《オホナモチ》など、名もて褒めごととせしは、古への常なり。束の間は一握の間にて、暫の間にとるな(93)り。二三の句はツカノ間と言はむ料にて、初句より末の句へかかるなり。
 
幸2于吉野宮1時|弓削《ユゲノ》皇子贈2與額田王1歌一首
 
持統天皇吉野の夏の幸多ければ、いつとも分きがたし。弓削皇子は長皇子の御弟なり。歌の上御の字有るべし。
 
111 古爾。戀流鳥鴨。弓弦葉乃。三井能上從。鳴渡【元渡ヲ濟ニ作ル】遊久。
いにしへに。こふるとりかも。ゆづるはの。みゐのうへより。なきわたりゆく。
 
御井は秋津の離宮の邊に在るなるべし。イニシヘニ戀フルとは古ヘヲ戀フルなり。妹ニコヒと言ふも、妹を戀ふると言ふ例なり。此鳥は郭公を言ふ。御父帝の暫く入らせおはしましたる所なれば、かの姫王も同じく戀ひ奉られむ事故に贈り給ふなるべし。古今集、昔べや今も戀ひしき郭公古郷にしも鳴きて來つらむとも詠みて古へを戀ふる事に言へり。
 
額田王奉v和歌一首 元從2倭京1進入
 
112 古爾。戀良武鳥者。霍公鳥。蓋善哉鳴之。吾戀流其騰。
いにしへに。こふらむとりは。ほととぎす。けだしやなきし。わがこふるごと。
 
其鳥はほととぎすならむとおしはかりて、さてわが如く戀鳴しやとなり。ケダシは集中ケダシクモとも訓めり。若《モシ》と言ふ詞なり。
 
(94)從2吉野1折2取蘿生松柯1遺時額田王奉v入歌一首
 
是は深山の古木に生ふる日蔭の事なり。和名抄、蘿。日本妃私記曰。蘿比加介女羅也。和名萬豆乃古介。一云。佐流乎加世と有り。遺、目録に遣と有り。
 
113 三芳野乃。玉松之枝者。波思霧香聞。君之御言乎。持而加欲波久。
みよしのの。たままつがえは。はしきかも。きみがみことを。もちてかよはく。
 
玉は褒むる辭、又は繁く圓らかなる篠を玉ザサと言ふ如く、老いたる松の葉は、圓らかにしげければ玉松と言ふか。宣長は玉は山の誤なり、集中山を玉に誤れる事多し。玉松と言へる例無しと言へり。さも有るべし。ハシキは集中に波之氣也思と云ふを、愛計八師とも書きて、めづる心なり。カモは歎辞。君は弓削皇子を指すべし。通ハクは通フを延べ言ふ。松にそへてのたまふ意有りしを、即ち松の持ち通ふと言ひなし給へり。
 參考 ○玉松之枝(古、新)「山」ヤママツガエ。
 
但馬皇女在2高市皇子宮1時思2穗積皇子1御歌一首
 
此三人の皇子皇女御母を異にせる御はらからなり。續紀和銅元年六月三品但馬内親王薨と見ゆ。目録に宮下之の字、御下作の字有り。
 
114 秋田之。穗向之所縁。異所縁。君爾因奈名。事痛有登母。
(95)あきのたの。ほむきのよれる。かたよりに。きみによりなな。こちたかりとも。
 
卷十に是と本同じき歌有りて、三の句片縁と書きたれば、ここもカタヨリと訓めり。卷十七、秋田乃穗牟伎とあれば、ホムケと訓むはわろし。稻の穗は一方により靡けば譬ふ。ヨリナナはヨリナムと言ふなり。ゆかムをゆかナ、やらムをやらナと言へるが如し。古言に撥ぬる言を奈と言へる例多きよし宣長言へり。コチタカリトモは、言痛く言ひ騷がるともなり。
 參考 ○穗向之所縁(代)ホムキノヨレル(考)ホムケノヨレル(古、新)略に同じ。
 
勅2穗積《ホヅミノ》皇子1遣2【遣ヲ今遺ニ誤ル】近江志賀山寺1時但馬皇女御作歌
 
志賀山寺は、天智天皇の建て給へる崇福寺なり。此つづきの歌どもを思ふに、かりそめに遣はさるるにはあらで、右の事顯れたるに依りて、此寺へうつして法師に爲し給はむとなるべし。
 
115 遺居而。戀腎不有者。追及武。道之阿囘爾。標結吾勢。
おくれゐて。こひつつあらずは。おひしかむ。みちのくまわに。しめゆへわがせ。
 
戀ツツアラズハは前に出づ。オヒシカムはオヒオヨバムなり。仁コ紀やましろにいしけとりやま伊辭鷄之鷄《イシケシケ》と言ふイは發語、シケは及ぶなり。是に同じ。クマワは道の隈隈を言ふ。シメは山路などには先づ行く人の、しるべの物を結ふを言へり。木など立て繩引渡して標とするもあり。事に依りて心得べし。
 參考 ○道之阿囘(古、新)ミチノクマミ。
 
(96)但馬皇女在2高市皇子宮1時竊接2穗積皇子1事既形而後御作歌一首
 
今本而の下後の字無し。目録にかく有るをよしとす。
 
116 人事乎。繁美許知痛美。己母世爾。未渡。朝川渡。
ひとごとを。しげみこちたみ。おのもよに。いまだわたらぬ。あさかはわたる。
 
人ゴトは人言にて、言痛みと重ね言へり。母は我の誤りにて、オノガヨニと有りしか。アサ川渡ルは、卷四、世の中のをとめにしあらば吾渡る妹背の川を渡りかねめやなど有りて、男女相逢ふを川を渡るに譬へたる事外にも有り。これはアサは淺き心にて、人言により中絶え行くは淺き中なるかなと歎き給へるか。又は事顯れしに依りて、實に朝けに道行き給ふ事の有りて、皇女の馴れぬわびしさに逢ひ給へるを、詠み給へるか。宣長云、己母世爾の爾は、川か河か水かの字の誤にて、イモセガハならむかと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○己毎世爾(代)イモセニ(考)オノモヨニ(古)「生有」イケルヨニ(新)オノガヨニ。
 
舍人《トネリノ》皇子御歌一首
 
天武天皇の皇子なり。此端詞、贈2與舍人娘子1と言ふ事落ちしなるべし。
 
117 丈【丈ヲ今大ニ誤ル、下皆同ジ】夫哉。片戀將爲跡。嘆友。鬼乃益卜雄。尚戀二家里。
ますらをや。かたこひせむと。なげけども。しこのますらを。なほこひにけり。
 
男男《ヲヲ》しき身として、相も思はぬ人を戀ひむ物かと思ひ歎けども、え思ひやまれずとなり。シコは紀に醜(97)女を志古米《シコメ》と訓みて、集中鬼醜相通じて書けり。鬼之|四忌手《シキテ》、或は鬼乃|志許草《シコグサ》などの鬼みなシコと訓むべし。ここは自ら罵りて言ふ詞なり。ナホ戀ヒニケリは、戀せじと思へど、まだ戀はるとなり。
 
舍人娘子奉v和歌一首
 
娘子は詳かならず。
 
118 歎管。丈夫之戀。亂許曾。吾髪結乃。漬而奴禮計禮。
なげきつつ。ますらをのこひ。みだれこそ。わがもとゆひの。ひぢてぬれけれ。
 
二三の句おだやかならず。古點マスラヲノコノ戀フレコソと有れば、もと亂は禮と有りけむか。戀フレコソは、戀レバコソのバを略けるなり。ゆひたる髪を則ちもとゆひとも言ふ。ヒヂは集中泥漬と書きて、ヒヅチと訓めるを思ふに、ヒヂツキを約めてヒヅチと言へるを、ヒヂとも言へるなり。本は水につきてぬるるより出でたる詞なり。考の別記に委し。ヌレケレは、此下に多氣婆奴禮《タケバヌレ》と詠めるに同じく、髪のぬるぬるとおのづから解くるを言ふ。鼻ひ紐解など言へる類ひにて、人に戀らるれば、髪の自ら解くると言へる諺の有りて詠めるならむ。
 參考 ○大夫云云(古、新)マスラヲノコノ、コフレコソ。
 
弓削《ユゲノ》皇子思2紀《キノ》皇女1御歌四首
 
皇女は穗積皇女の御はらからなり。御の下作の字有るべし。
 
(98)119 芳野河。逝瀬之早見。須臾毛。不通事無。有巨勢濃香毛。
よしのがは。ゆくせのはやみ。しましくも。よどむことなく。ありこせぬかも。
 
一二の句は序なり。有リコセヌは、アレコソと同じく願ふ意なり。かくあれかしと言ふを、かくあらぬかと平語に言ふにひとし。卷五、梅の花今咲ける如散過ずわぎへの園にありこせぬかもと言ふに同じ。不通をタユルと訓むはわろし。
 參考 ○逝瀬之早見(新)ユクセ「乎」ヲハヤミ○須臾毛(考)シハラクモ(古)略に同じ○不通事無(考〕タユルコトナク(古、新)略に同じ。
 
120 吾妹兒爾。戀乍不有者。秋芽【芽ヲ今茅ニ誤】之。咲而散去流。花爾有猿尾。
わぎもこに。こひつつあらずば。あきはぎの。さきてちりぬる。はなならましを。
 
かく戀ひつつ有らむよりは、死なむ物をと言ふを、萩の散るに添へたり。
 
121 暮去者。鹽滿來奈武。住吉乃。淺香乃浦爾。玉藻苅手名。
ゆふさらば。しほみちきなむ。すみのえの。あさかのうらに。たまもかりてな。
 
譬喩歌なり。女を玉藻に譬へて、事故なきうちに、妹をわが得ばやと言ふ意なり。刈手名はカリテムと言ふに同じ。
 
122 大船之。泊流登麻里能。絶多日二。物念痩奴。人能兒故爾。
(99)おほぶねの。はつるとまりの。たゆたひに。ものもひやせぬ。ひとのこゆゑに。
 
本は序なり。舟の行きつきたるをハツルと言ひ、そこに留まり宿るをトマリと言ふ。されどそれを略きてハツルとのみ言ひて、とまる事を兼たるも多し。タユタは集中ユタノタユタともよみて、ユタユタなり。ヒは辭にて、タユタフとも言へり。大舟の水に浮びて、ゆらゆらと動くさまを、物思ふ心に譬へたり。是はいまだ得ぬ程なれば、他の兒と言ふべし。人ノ子ユヱニとは人ノ子ナルモノヲの意なり。
 
三方《ミカタノ》沙彌娶2園臣生羽《ソノノオミイクハ》之女1未v經2幾時1臥v病作歌三首
 
三方は氏、沙彌は名か。又持統紀六年十月、山田史御形に務廣肆を授く、前に沙門と爲て新羅に學問と有る此人か。臥病の下作の字は時の誤りなるべし。沙彌一人の歌にあらざればなり。
 
123 多氣婆奴禮。多香根者長寸。妹之髪。比來不見爾。掻入津良武香。 三方沙彌
たけばぬれ。たかねばながき。いもがかみ。このごろみぬに。かきれつらむか。
 
タケバはタカヌレバを約め言ふなり。卷九、をばなりに髪多久までに、卷十一、若草を髪に多久らむなど詠めり。油づきめでたき髪の、たかぬればぬるぬると延び垂れ、たか無《ナ》ければ長きと言ふなり。さて童にて垂れたるを、髪あげして結ふを、かきいるると言ふべければ、此ごろ病に臥して行きて見ぬ間に、髪上げしつらむがゆかしきと言ふ意なり。卷十六に、うなゐはなりは髪上つらむかとも見ゆ。掻入の入は上の誤にて、カキアゲツラムカなるべしと宣長言へり。
(100) 參考 ○掻入津良武香(代)カキレツラムカ(古、新)掻「上」カカゲツラムカ
 
124 人皆【元人者皆ト有】者。今波長跡。多計登雖言。君之見師髪。亂有等母。 娘子
ひとみなは。いまはながしと。たけといへど。きみがみしかみ。みだれたりとも。
 
髪のいと長くて髭上すべき程なれば、たかねよと人は言へども、君に見え初めしさまを私に變へじと思へば、亂れて有りとも其ままにて有らむと言ふなり。伊勢物語に、くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして誰か上べきと言ふも此類ひなり。さて十五六の歳頃まで髪を垂れて在るを、ウナヰハナリとも、ワラハとも言ふ。其年比には髪いと長く成りぬる故に、笄して頂へ擧げ結ふを髪上と言へり。古の女の髪の事考の別記に委し。
 參考 ○今波長跡(古)イマハナガミト(新)略に同じ。
 
125 橘之。蔭履路乃。八衢爾。物乎曾念。妹爾不相而。 三方沙彌
たちばなの。かげふむみちの。やちまたに。ものをぞおもふ。いもにあはずて。
 
古へ都の大路、市の衢などに、木を植ゑし事有りしにや。雄略紀※[食+甘]香市邊橘木と言ひ、巻十三、東《ヒムガシノ》の市の殖木のこたるまでと詠み.又大道に菓樹を植ゑられし時も有りしなり。ヤチマタのヤは數の多きを言ふ詞にて、衢の多きを言ふ。ここは一すぢならず思ふ事の多きを、ちまたに譬へたり。これも沙彌病に臥して、妹が家へ行きがたき思ひを詠めるなるべし。
 
(101)石河女郎贈2大伴宿禰|田主《タヌシニ》1歌一首 元即大納言大伴卿之第二子。母曰2巨勢朝臣1
 
126 遊士跡。吾者聞流乎。屋戸不借。吾乎還利。於曾能風流士。
みやびをと。われはきけるを。やどかさず。われをかへせり。おそのみやびを。
 
此遊士、風流土ともにミヤビヲと訓むべき由、荷田御風言へり。古訓タハレヲとあれど、卷六、諸大夫等集2左少辨1云云、宴歌とて、うな原の遠き渡を遊士の遊ぶを見むとなづさひぞこしと言ふ歌の左に、右一首云云、蓬莱仙媛所v作嚢縵爲2風流秀才之士1矣と書けり。此遊士風琉秀才は、其會集の大夫たちを指すを、タハレヲと言はば、客人になめげならむ。然ればいづくにても、ミヤビヲと訓むべきなり。さて風流人ぞと聞きし故、夜はに戀ひて來つるをいたづらに歸せしは、心にぶき風流人ぞと戯れ言へるなり。於曾の言は、卷九浦島子の歌に、當世べに住べきものをつるぎだちなが心から於曾や此君と言ひ、其長歌に、世中の愚人のと有るを合せて知るべし。
 參考 ○遊土跡(考)ミヤビトト(古、新)略に同じ○吾乎還利(新)ワレヲカヘシ「都」ツ。
 
大伴田主字曰2仲郎1。容姿佳艶風流秀絶。見人聞者靡v不2歎息1也。時有2石川女郎1自成2雙栖之感1恒悲2獨守之難1。意欲寄v書未v逢2良信1。爰作2方便1。而似2賤嫗1。己提2鍋子1。而到2寢側1。哽音跼足。叩v戸諮曰。東隣貧女將2取v火來1矣。於v是仲郎暗裏非v識2冐隱之形1。慮外不v堪2拘接之計1。任v念取v火。就跡歸去也。明後女郎既恥2自媒之可1v愧。復恨2心契之弗1v果。因作2斯歌1以贈諺【諺ハ譌ノ誤カ】戯焉。
 
(102)大伴宿禰田主報贈歌一首
 
127 遊士爾。吾者有家里。屋戸不借。令還吾曾。風流士者有。
みやびをに。われはありけり。やどかさず。かへせるわれぞ。みやびをにはある。
 
其れと知らずして還せしとは言はずして、打ちつけなる人に宿借さば、あさはかなるべきを、ただに還せしこそ、みやびたる人のする業なれと言ふなり。
 參考 ○令還吾曾(古)カヘセシアレゾ(新)カヘシシワレゾ○風流士者有(代)タハレヲニアル(考〕ミヤビトニハアル(古、新)ミヤビヲ「煮」ニアル
 
同石川女郎更贈2大伴田主中郎1歌一首
 
目録に同の字中郎の字旡し。
 
128 吾聞之。耳爾好似。葦若末【末ヲ今未ニ誤】乃。足痛吾勢。勤多扶倍思。
わがききし。みみによくにば。あしかびの。あしなへわがせ。つとめたぶべし。
 
アシカビノ枕即。和名抄、蹇阿之奈閇と有り。吾キキシ耳ニヨク似バとは、吾聞が如くならばと言ふをかくいへり。卷十一、戀といへば耳にたやすし。ツトメは紀に自愛の字をツトメと訓みたるが如し。タブベシは給フベシなり。未は末の誤りにて義訓なり。宣長云、若末をカヒとは訓み難し。卷十長歌に、小松之若末爾と有るはウレと訓めれば、ここも葦ノウレノと訓みて、足痛はアナヘクと訓まんか。蘆芽はな(103)ゆるものにあらず、一本若生と有るに據らば、カビと訓むべしと言へり。
 參考 ○耳爾好似(古、新)ミミニヨクニツ○葦若未乃(代)アシワカノ(考)アシカビノ(古)アシノ「末」ウレノ○足痛(代)アナヘク(考)代に同じ(古)略に同じ(新)アシヒク、又は、アシナヘグ。
 
右依2中郎足疾1贈2此歌1問訊也。
 
大津皇子宮侍【侍ヲ今待ニ誤】石川女郎贈2大伴宿禰宿奈麻呂1歌一首
 
元暦本待を侍に作る。註に女郎字曰2山田郎女1也。宿奈麻呂宿禰者、大納言兼大將軍卿之第三子也と有り。考に云、大津皇子宮侍と書けるはいぶかし。此宮に侍りしは朱鳥元年の秋暫の間にて、皇子罪せられ給ふ後は、他にこそあらめと有り。春海云、古へ皇子のみもとに仕る婦人に、宮侍と唱へし名目有りしか。宮に侍ると言ふ意ならば、かくは書くまじきなり。さて皇子死を賜ひし後も、もとの名目をもて書きしにや。
 
129 古之。嫗爾爲而也。如此許。戀爾將沈。如手童兒。
ふりにし。おむなにしてや。かくばかり。こひにしづまむ。たわらはのごと。
 
フリニシは齡の古(リ)しを言ふ。和名抄、嫗於無奈と有り。績紀老女を音那《オムナ》と書きたるによりて、オムナと訓めり。考に於與奈と訓まれしはよからず。タワラハは母の手さらぬほどの童を言ふ。心明らけし。
(104) 參考 ○嫗(代)オムナとも訓ず(考)オヨナ(古、新)オミナ。
 
一云|戀乎太爾忍《コヒヲダニシヌビ【元忍ヲ思ニ作ル》金手武多和良《カネテムタワラ》《良ヲ今即ニ誤元ニ良ニ作】波乃如《ハノゴト》
 
長皇子與2皇弟1御歌一首
 
此皇弟は弓削皇子なり。
 
130 丹生乃河。瀬者不渡而。由久遊【遊ヲ今篋ニ誤元ニ依テ改】久登。戀痛吾弟。乞通來禰。
にふのかは。せはわたらずて。ゆくゆくと。こひたきわがせ。いでかよひこね。
 
丹生は大和國吉野、宇陀、宇智の郡に同名有り。其河を隔てて住み給ふなり。ユクユクトは、物思ひに思ひたゆたふにて、卷十二、あまのかぢ音ゆくらかに、卷十三、大舟のゆくらゆくらになど有るに同じ。戀痛はいと戀しきを強く言ふ詞なり。愛るを愛痛《メデタキ》と言ふが如し。ワガセは親しみ敬ふ言。實を以て弟の字を用ひたり。和名抄、備中賀夜郡弟翳勢庭妹(爾比世)なども有り。イデは字の如く物を乞ふ詞なり。允恭紀二年云云、謂2皇后1曰云云、壓乞戸母云云、註に壓乞此云2異提《イデ》1戸母此云2覩自《トジ》1と有り。
 參考 ○戀痛吾弟(考、新)コヒタムワガセ(古)コヒタムアヲト ○乞通來禰(代、古)略に同じ。(考、新)コチカヨヒコネ。
 
柿本朝臣人麻呂從2石見國1別v妻上來時歌二首并短歌
 
是は人麻呂朝集使にて暇に上るなるべし。それは十一月一日の官會にあふなれば、石見より九月の末十(105)月の初め頃に立つべきなり。人麻呂の妻の事は考の別記に委し。これは嫡妻には有らざるべし。
 
131 石見乃海。角乃浦回乎。浦無等。人社見良目。滷無等。(一云磯無登)人社見良目。能咲【咲ヲ今嘆ニ誤元ニ依テ改】八師。浦者無友。縱畫屋師。滷者(一云礒者)無鞆。鯨魚取。海邊乎指而。和多豆乃。荒磯乃上爾。香青生。玉藻息津藻。朝羽振。風社依米。夕羽振。浪社來縁。浪之共。彼縁此依。玉藻成。依宿之妹乎。(一云波之伎余思。妹之手本乎)露霜乃。置而之來者。此道乃。八十隈毎。萬段。顧爲騰。彌遠爾。里者放奴。益高爾。山毛越來奴。夏草之。念之奈要而。志恕布良武。妹之門將見。靡此山。
いはみのみ。つぬのうらまを。うらなしと。ひとこそみらめ。かたなしと。ひとこそみらめ。よしゑやし。うらはなけども。よしゑやし。かたはなけども。いさなとり。うなびをさして。にぎたづの。ありそのうへに。かあをなる。たまもおきつも。あさはふる。かぜこそよせめ。ゆふはふる。なみこそきよれ。なみのむた。かよりかくより。たまもなす。よりねしいもを。つゆしもの。おきてしくれば。このみちの。やそくまごとに。よろづたび。かへりみすれど。いやとほに。さとはさかりぬ。ましたかに。やまもこえきぬ。なつくさの。おもひしなえて。しぬぶらむ。いもがかどみむ。なびけこのやま。
 
紀にあふみの海を、阿布彌能彌《アフミノミ》と有れば、ウミのウを略き訓めり。角ノ浦は和名抄、石見國那賀郡|都農《ツヌ》と有り。浦マは浦のめぐりを言ふ。浦は裏にて?江《イリエ》なり。角の浦には、古へよき湊無かりしなるべし。(106)ナケレドモのレを略きて、ナケドモと訓むは例なり。人コソ見ラメは見ルラメの略。潟ナシトは、北海には潮の滿干のわからねば、鹽干潟の無きなり。或本の磯は無と有はとるべからず。ヨシヱヤシは、ヨシヤと言ふにて、ヱとシは助辭なり。其の浦も滷も無くともよしや、我は愛る妹有りと言ふ心なるをここには言はず、次に句を隔てて依寢シ妹と言ふにて知らせたり。イサナトリ枕詞。此海邊と言ふより、十句餘は其の海の事を言ひて、妹が事を言はむ序とす。和多豆は宣長云、石見國那賀郡の海邊に渡津《ワタヅ》村とて今有り、ここなるべし。さればワタヅノと四言の句なり。或本の歌柔田津と書けるは、和多豆をニギタヅと訓み誤れるにつきて出來たる本なるべしと言へり。アリソはアライソを約め言ふなり。香青のカは發語、集中カ黒キ髪と言ふが如し。玉藻オキツ藻の同じ物なるを、詞のあやに重ね言へり。息は借字にて沖なり。朝ハフル云云、玉藻は朝夕の風浪こそ寄すべけれとなり。羽振は、風浪の立つを鳥の羽振に譬ふ。卷四、風を痛み其振《イタフル》浪の、卷十八、打|羽振涙《ハブキ》鷄は鳴けども、古事記、爲釣乍打|羽擧《ハブキ》來人、又天日矛の持來し寶に振浪《ナミフル》比禮、風振《カゼフル》比禮などと言ふ事も有り。浪ノムタは、浪と共にと言ふなり。卷十五、君が牟多《ムタ》ゆかましものを。其外にも多し、皆共の意なり。玉モナスの成スは如くなり。ヨリネシイモヲは、玉藻の如く靡きあひ寢し妹をとなり。或本のハシキヨシは愛る詞。露霜ノ枕詞。オキテシ云云は、妹を捨て置くなり。是より下は皆陸路のさまなり。里ハサカリヌは、遠ざかると言ふに同じ。すべて行く道のさまを言ふ中に、別を悲しむ情あり。益高に、宣長云、すべて益はイヤと訓むべし。此卷の下に、こぞ見てし(107)云云、あひ見し妹は益《イヤ》年さかる。卷七、さほ川に云云、益《イヤ》河のぼる。卷十二、ちかくあれば云云、こよひゆ戀の益《イヤ》まさりなむ。これらイヤと訓めりと言へり。此益高には、マシタカニとても有るべけれど、イヤと訓まずしてかなはぬ所多し。夏草ノ枕詞。オモヒシナエテは、なよよかにうなだれて物思ふさまを言ふ。シヌブは慕ふなり。シノブを古くシヌブと言へり。ナビケ此山は、卷十三、靡けと人はふめども、かく依れと人は衝けども、心なき山のおきそ山、みぬの山といふに同じき意なり。切なる餘りにをさなく願ふ心を詠めり。卷十二、あしき山梢ことごとあすよりはなびきたれこそ妹が當り見むなど言ふも是をとれるか。
 參考 ○角乃浦回(古、新)ツヌノウラミ○浦者無友(古、新〕ウラハナクトモ○滷者無鞆(古、新)カタハナクトモ○海邊乎指而(古、新)ウミベヲサシテ○和多豆乃(古、新)ワタヅノ○風社依來(考)カゼコソヨラメ(古)カゼコソ「來依」キヨセ(新)略に同じ○彼縁此依(古、新)カヨリカクヨル○益高爾(古、新)イヤタカニ。
 
反歌
 
132 石見乃也。高角山之。木際從。我振袖乎。妹見都良武香。
いはみのや。たかつのやまの。このまより。わがふるそでを。いもみつらむか。
 
この也は與に通へり。上に吾ハモヤなど言ふに同じ。木ノ間ヨリと言ふより次の四句を隔てて、妹見ツラ(108)ムカと續なり。人麻呂道に出でてかへり見して振る袖を、妹は高角山に登りて見返りつらむかとなり。
 參考 ○木際從(考)コノマユ「文」モ(古、新)略に同じ。
 
133 小竹之葉者三山毛清爾。亂友。吾者妹思。別來禮婆。
ささのはは。みやまもさやに。さわげども。われはいもおもふ。わかれきぬれば。
 
サヤニは神武紀、聞喧擾之響を左椰霓利奈離《サヤゲリナリ》と有る如く、小篠の風に鳴る音を言へり。亂ドモをサワゲドモと訓むは、卷十二、松浦船亂ほり江の亂をサワグと訓みたるに同じ。越る山道のかしましきにも紛れず。吾は別れし妹を戀ふるとなり。卷二十、佐左賀波乃さやぐ霜夜と詠めれば、初句ササガハハとも訓むべし。
 參考 ○小竹之葉者(代)ササガハニ(考)ササノハハ(古、新)ササガハハ○亂友(代)マガヘドモ(考〕サワゲドモ(古)ミダレドモ(新)サヤゲドモ。
 
或本反歌
 
134 石見|爾有《ナル》。高角山乃。木間|從文《ユモ》。吾|袂《ソデ》振乎。妹見|監鴨《ケンカモ》
 
135 角?經。石見之海乃。言佐敝久。辛乃埼有。伊久里爾曾。深海松生流。荒磯爾曾。玉藻者生流。玉藻成。靡寐之兒乎。深海松乃。深目手思騰。左宿夜者。幾毛不有。(109)延都多乃。別之來者。肝向。心乎痛。念乍。顧爲騰。大舟之。渡乃山之。黄葉乃。散之亂爾。妹袖。清爾毛不見。褄隱有。屋上乃(−云室上山)山乃。自雲間。渡相月乃。雖惜。隱比來者。天傳。入日刺奴禮。丈夫跡。念有吾毛。敷妙乃。衣袖者。通而沾奴。
つぬさはふ。いはみのうみの。ことさへぐ。からのさきなる。いくりにぞ。ふかみるおふる。ありそにぞ。たまもはおふる。たまもなす。なびきねしこを。ふかみるの。ふかめてもへど。さぬるよは。いくらもあらず。はふつたの。わかれしくれば。きもむかふ。こころをいたみ。おもひつつ。かへりみすれど。おほぶねの。わたりのやまの。もみぢばの。ちりのまがひに。いもがそで。さやにもみえず。つまごもる。やがみのやまの。くもまより。わたらふつきの。をしけども。かくろひくれば。あまづたふ。いりひさしぬれ。ますらをと。おもへるわれも。しきたへの。ころものそでは。とほりてぬれぬ。
 
ツヌサハフ、コトサヘグ枕辭。イクリ、應神紀、由羅のとのとなかの異句離《イクリ》云云、釋日本紀、句離謂v石也、異助語也と有り。深ミルは宮内式の諸國の貢物に、深海松長海松の二有り。海底に生るを深ミルと言ふか。玉藻は靡くと言はむ料、深ミルは深メテと言はむ料なり。サヌルのサは發語。ハフツタノ枕詞。別シクレバは、ぬる夜はいくばくも無くて別ると言へば、國にて逢ひ初めし妹と聞ゆ。依羅娘子ならぬ事明らけし。キモムカフは心と言ふへ冠らせたる枕詞なり。冠辭考に漏されたり。大舟ノ枕詞。渡ノ山は府より東北八里の所に在りと言へり。散ノマガヒに云云、紅葉散かふまぎれに、妹が振る袖のさやかに見えぬなり。(110)ツマコモル枕詞。屋上の山も渡の山と同じ程の所と言へり。さて府を立ち去りて、此山遠からぬ所に宿りて詠めるなるべし。ワタラフ月はカタブク月をいふ。妹が當りの山に隱るる惜しさを、月の雲隱るるに添へて言へるのみにて、此月は實の景物にあらず。屋上ノ山ノと切りて隱レ來レバと言ふへ續けて心得べし。アマヅタフ枕詞。入日サシヌレは、ヌレバのバを略けり、前にも此例出づ。夕べに成りて彌思ひまさるなり。敷タヘノ枕詞、是は夜の物をいふ詞なり。ますらをと思ひ誇りて在りし吾も下に重ねし衣の袖まで涙に濡れ通りしとなり。
 參考 ○左宿夜者(古、新)サネシヨハ ○幾毛不有(代)(考)イクバクモアラズ(古)イクダモアラズ(新)イクダ又はイクラ○散之亂爾(古)チリノミダリニ(新)略に同じ ○屋上乃山乃(古)略に同じ(新)ヤカミノヤマ「爾」ニ ○雖惜(代)ヲシケレド(古、新)略に同じ ○隱比來者(古)カクロヒキ「乍」ツツ(新)略に同じ。
 
反歌二首
 
136 青駒之。足掻乎速。雲居曾。妹之當乎。過而來計類。(一云當(ハ)者|隱來《カクレキニ》計留)
あをごまの。あがきをはやみ。くもゐにぞ。いもがあたりを。すぎてきにける。
 
アガキは、馬は足にて士をかくが如く歩めばしか言ふ。卷二、赤駒のあがき早くは雲ゐにも隱れ行かむを袖まけわがせと有り。躬弦云、ここも青は赤の誤りならむか。
 
(111)137 秋山爾。落黄葉。須臾者。勿散亂曾。妹之當見。一云|知里勿《チリナ》亂曾
あきやまに。おつるもみぢば。しまらくは。なちりみだれそ。いもがあたりみむ。
 
ちり亂るる事なかれと言ふを、古くは斯く言へり。集中暫の事を、シマラク、シマシクなど假字書あり。
 參考 ○落黄葉(古)チラフモミヂバ(新)略に同じ○勿散亂曾(考、古)ナチリミダリソ(新)略に同じ。
 
或本歌−首并短歌
 
138 石見之海。津乃浦乎無美。(是は津能乃浦囘乎の能と囘を脱し、無美は紛れて入たりと見ゆ)浦無跡。人社見良目。滷無跡。人社見良目。吉咲八師。浦者雖無。縱惠夜思。滷者雖無。勇魚取。海邊乎指而。柔田津乃。荒礒之上爾。蚊青生。玉藻息都藻。明來者《アケクレバ》。浪己曾來依(リ)。夕去者《ユフサレバ》。風己曾來依。浪之共。彼依此依。玉藻成。靡吾宿之《ナビキワガネシ》。敷妙《シキタヘ》之。妹之手本乎《イモガタモトヲ》。露霜乃。置而之來者。八十隈毎。萬段。顧雖爲。彌遠爾。里|放來奴《サカリキヌ》。益高爾。山毛越來奴。早敷屋師。吾嬬乃兒我《ワガツマノコガ》。夏草乃。思志萎而。將嘆《ナゲクラン》。角里將見《ツヌノサトミン》。靡此山。
 
反歌
 
139 石見之海。打歌山乃。木際從。吾振袖乎。妹將見香。
 
この打歌山をウツタノヤマと假字つけたれど、いと由なし。打歌の下角の字の脱ちたるなるべし。然ら(112)ば打歌はタカの假字書にて、タカツノヤマと訓むべきなり。初句石見の海と有るも誤れりと見ゆ。長歌短歌ともに或本は取られぬ事多し。
 
右歌體雖v同。句句相替因v此重載。
 
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子與2人麻呂1相別歌一首
 
これは人麻呂假に上りて、又石見へ下る時、京に置きたる妻の詠めるなり。
 
140 勿念跡。君者雖言。相時。何時跡知而加。吾不戀有牟。【今牟ヲ乎ニ誤】
なもひそと。きみはいへども。あはむとき。いつとしりてか。わがこひざらむ。
 
有乎は有牟の誤れる事明らけし。
 參考 ○勿念跡(考)オモフナト又はナモヒソト(古、新)ナオモヒト。
 
挽歌 柩を引く歌の名目を借りたるのみにて、後の集の哀傷なり。
 
後崗本宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇 後に齊明と申す〔七字□で囲む〕
 
有間《アリマノ》皇子自傷結2松枝1歌二首
 
孝コ紀、阿倍倉梯麻呂女小足媛、有馬皇子を生むと見ゆ。齊明天皇四年十月、天皇紀伊の牟漏の湯へ幸ありし時、此皇子叛き給ふ事顯れしかば、紀伊へ召しけるに、其國の岩代の濱にて御食《ミヲシ》まゐる時、松が枝を結びて、吾此度幸くあらば又還り見むと契り給ひし御歌なり。其あくる日藤代にて命うしなひまゐらせ(113)つ。歌の上御の字を脱せり。
 
141 磐白乃。濱松之枝乎。引結。眞幸有者。亦還見武。
いはしろの。はままつがえを。ひきむすび。まさきくあらば。またかへりみむ。
 
磐白既に出づ、幸クも前に同じ、御歌の心明らかなり。
 
142 家有者。笥爾盛飯乎。草枕。旅爾之有者。椎乃葉爾盛。
いへにあれば。けにもるいひを。くさまくら。たびにしあれば。しひのはにもる。
 
和名抄、笥和名計、盛v食器也。武烈紀|影姫《カゲヒメノ》歌に、多摩該?播伊比左倍母理《タマケニハイヒサヘモリ》、此タマケは丸笥なり。鎭魂祭式に飯笥一合云云、即盛v〓笥など有り。今も檜の葉を折敷きて強飯を盛る事有るが如く、旅にてはそこに有りあふ椎の小枝を折敷きて盛りつらむ。椎は葉の細かに繁くて平かなれば假初に物を盛べき物なり。
 
長忌寸意吉麻呂《ナガノイミキオキマロ》見2結松1哀咽歌二首
 
今本二の字を脱せり。意吉麻呂は文武天皇の御時の人にて、後なれど、事の次でを以てここに載せたり。歌の上作の字有るべし。
 
143 磐代乃。岸【元ニ岸ヲ崖ニ作】之松枝。將結。人者反而。復將見鴨。
いはしろの。きしのまつがえ。むすびけむ。ひとはかへりて。またみけむかも。
 
皇子の御魂の結枝を又見給ひけむかと言ふなり。
 
(114)144 磐代乃。野中爾立有。結松。情毛不解。古所念。
いはしろの。のなかにたてる。むすびまつ。こころもとけず。いにしへおもほゆ。
 
結ぶと言ふより解けずと言へり。此松結ばれながら生ひ立ちて、此時迄も有りしなるべし。
 
未詳 此二字紛入りたりと見ゆ。
 
山上臣憶良《ヤマノヘノオミオクラ》追和歌一首
 
憶良は意吉麻呂より後なり。和は答へ歌の心にあらず、擬ふと言ふが如し。
 
145 鳥翔成。有我欲比管。見良目杼母。人社不知。松者知良武。
つばさなす。ありがよひつつ。みらめども。ひとこそしらね。まつはしるらむ。
 
翔は翅の誤りなるべし。成スは如クなり。此歌にてはツバサと言ひて即ち鳥の事なり。アリガヨヒは在り通ひなり。集中に多し。皇子の御魂の在在て、飛鳥の如く天かけり通ひて見給ふらむを、人は知らねども松は知りて有らむなり。履中紀、鳥往來羽田之汝妹《トリカヨフハダノナニモ》とあり。
 
右件歌等韋v不2挽v柩之時所1v作。唯擬2歌意1故以載2于挽歌類1焉。
 
挽歌の字に泥みて、只哀傷の歌と心得ぬ者の書き加へたるなり。
 
大寶【寶ヲ今實ニ誤】元年幸丑幸2于紀伊國1時見2結松1歌一首
 柿本朝臣人麻呂歌集中出也。
 
146 後將見跡。君【君ヲ今若ニ誤元ニ依テ改】之結有。磐代乃。子松之宇禮乎。又將見香聞。
(115)のちみむと。きみがむすべる。いはしろの。こまつがうれを。またみけむかも。
 
ウレは末を言ふ。皇子の御魂の又見ましけむかとなり。考に、是は右の意吉麻呂の始めの歌を唱へ誤れるを、後人ここに書き加へしにやと有り。
 
近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇 後天智と申す〔六字□で囲む〕
 
天皇聖窮不豫之時大后奉御歌一首
 
天皇其十年九月より不豫、十二月崩ましぬ。大后は則ち皇后にて、天皇の御庶兒|古人大兄《フルヒトノオホエノ》皇子の卸女|倭《ヤマトノ》姫王と申ししなり。奉の下獻の字を脱せしか。
 
147 天原。振放見者。大王乃。御壽者長久。天足有。
あまのはら。ふりさけみれば。おほきみの。みいのちはながく。あまたらしたり。
 
フリサケミレバは、振アフギ見レバなり。推古紀に、吾大君の隱ます、天の八十蔭いでたたす、み空を見れば萬代に、かくしもがも云云の歌をむかへ思ふに、天を御殿とし給ふ天つ御孫の命におはしませば、御命も長く天と共にたらひ給はむと、天を仰ぎてほぎ奉り給ふなるべし。四五の句もとの訓はひがことなり。宣長のかく訓めるによるべし。
 參考 ○御壽者長久云云(代)長クアメタレリ(考)ミヨハトコシクアマタラシヌル(古〕ミイノチハナガクアマタラシタリ。
 
(116)一書曰。近江天皇聖體不豫御病急時。太后奉v獻御歌一首。
 
此一書は天原の御歌に附きたるなり。さて左の青旗の御歌の前に、天皇崩御云云の端詞有りて、青旗乃と人者縱の御歌を竝べて載せたりけむを、今本亂れたるなるべし。
 
148 青旗乃。木旗能上乎。賀欲布跡羽。目爾者雖視。直爾不相香裳。
あをはたの。こはたのうへを。かよふとは。めにはみれども。ただにあはぬかも。
 
青旗は白旗なり。木旗木は小の誤りか。然らば同じ言に、小《ヲ》の發語を置きて重ねたるなり。是は大殯宮に立たる白旗どもの上に、今も御面影は見えさせ給へど、正しく相見奉る事なしと歎き給へるなり。白旗の事は孝コ紀の葬制に、王以下小智以上帷帳に白布を用ひる由有り。卷十三、大殿を振さけみれば白細布《シロタヘ》に、飾りまつりて内日さす、宮の舍人は雪穗《タヘノホ》の、麻衣きれば云云。又喪葬令に、大政大臣旗二百竿と有るを見て知らる。且成務紀神功紀に、降人素幡を立て參る事有り、死につくよしなれば、是らをも合せ知るべし。仙覺抄常陸風土記を引きて、葬具儀赤旗青旗交雜云云と有るも由あり。
 參考 ○目爾者雖視(代)目ニハ見ルトモ(古、新)メニハミユレド。
 
天皇崩御之時倭太后御作歌一首
 
右に言へる如く、此端詞は青旗の御歌の前に有るべきなり。倭と言へる御名も誤りて入れるか。
 
149 人者縱。念息登母。玉蘰。影爾所見乍。不所忘鴨。
(117)ひとはよし。おもひやむとも。たまかづら。かげにみえつつ。わすらえぬかも。
 
玉カヅラ枕詞。宣長云、玉は山の誤りにて山カヅラなり。卷十四、あし引の山かづらかげましばにも云云と詠めるカゲは蘿《ヒカゲ》なり。蘿を山カヅラと言ふ故に、山カヅラカゲと續けたり。此御歌の山カヅラは影の枕詞なるよし委く論へり。影ニミエツツは、面影に見エツツなり。
 參考 ○玉蘰(古)略に同じ(新)「山」ヤマカヅラ○不所忘鴨(代)ワスラエヌカモ(考)ワスラレヌカモ(古、新)代、略に同じ。
 
天皇崩時婦人作歌一首 姓氏【氏ヲ今民ニ誤】未詳
 
150 空蝉師。神爾不勝者。離居而。朝嘆君。放居而。吾戀君。玉有者。手爾卷持而。衣有者。脱時毛無。吾戀。君曾伎賊乃夜。夢所見鶴。
うつせみし。かみにたへねば。はなれゐて。あさなげくきみ。さかりゐて。わがこふるきみ。たまならば。てにまきもちて。きぬならば。ぬぐときもなく。わがこひむ。きみぞきぞのよ。いめにみえつる。
 
ウツセミは顯《ウツツ》の身なり。シは、シモと言ひ入る詞を略きたるなり。神ニタヘネバは、神となりて天かけり給へば、わが現の身にして從ひ奉るに堪へずして、離れをるとなり。朝嘆クは夢に見奉りたるあしたに嘆くなり。サカリヰテ云云、サカルもハナルルと同じ意なり。玉ナラバ釧とて手に玉を纏く事の有ればかく言へり。さて玉か衣ならば、身を放たずして思ひ奉らむ君と言ふなり。卷三、人ごとのしげき此(118)ころ玉ならば、手にまき持ちて戀ず有らまし。キゾノ夜は昨夜なり。卷十四、伎曾《キゾ》もこよひもと詠めり。夢は集中伊米と書きて、伊は寢る義、米は目にていねて物を見ると言ふ意なり。後に轉じてユメと意ふ。
 參考 ○神爾不勝者(新〕カミニアヘネバ○離居而(古、新)サカリヰテ○朝嘆君(新)「吾」ワガナゲクキミ。○放居而(考)サカリヰテ(古、新)ハナレヰテ。
 
天皇大殯之時歌二首
 
大殯は崩たまひて、山陵造る程假にをさめ奉るを言ふ。仲哀紀に。殯2豐浦宮1爲2旡v火殯斂1。此謂2褒那之阿餓利《ホナシアカリ》1。このアガリの言、すなはち殯に當れり。
 
151 如是有刀【刀ヲ今乃ニ誤】。豫知勢婆。大御船。泊之登萬里人。標結麻思乎。
かからむと。かねてしりせば。おほみふね。はてしとまりに。しめゆはましを。
 
額田王 官本竝拾穗本に此三字有り。ここの汀に御船のつきし時、しめ繩引き渡して永く留め奉るべかりし物をと。悲みの餘りに悔るなり。古事記。布刀玉命以2尻久米繩1控2度其御後1。白言從v此以内不v得2環入1と有るも同じ類ひなり。乃は刀の誤なり。
 
八隅知之。吾期大王乃。大御船。待可將戀。四賀乃辛崎。
やすみしし。あごおほきみの。おほみふね。まちかこふらむ。しがのからさき。
 
舍人吉年 官本竝拾穗本に此四字有り。吾をアゴと言ふ事前に出づ。しがの辛崎が大御船を待ち戀ふらむと(119)言ふなり。
 參考 ○待可將戀(代、新)マチカコヒナム(古)略に同じ。
 
大后御歌一首
 
153 鯨魚取。淡海乃海乎。奧放而。榜來船。邊附而。榜來船。奧津加伊。痛勿波禰曾。邊津加伊。痛莫波禰曾。若草乃。嬬之。念鳥立。
いさなとり。あふみのうみを。おきさけて。こぎくるふね。へつきて。こぎくるふね。おきつかい。いたくなはねそ。へつかい。いたくなはねそ。わかくさの。つまの。おもふとりたつ。
 
イサナトリ枕詞。オキサケテは沖ヲ遠ザカリテなり。邊ツキテは汀ニ附キテなり。カイは?なり。古へカイとカヂを一物とせり。集中|眞梶繁貫《マカヂシジヌキ》とも、末加伊之自奴伎《マカイシジヌキ》とも言へり。オキツカイ、ヘツカイは、沖コグカヂ、汀コグカヂなり。ワカクサノ枕詞。ここのツマは天皇をさし奉れば、夫と書くべきを古へは言をとりて字に關はらぬ例なり。此鳥は下の日並知皇子尊の殯の時、島の宮池の上なる放鳥と詠める如く、放ち飼にし給ひし鳥の崩りまして後、湖に猶すめるを見給ひて詠み給へるなるべし。宣長云、嬬之命之《ツマノミコトノ》と有りけむ、命之二字脱せるにやと言へり。しかるべし。
 參考 ○奧放而(新)オキサキテ○嬬之念鳥立(古)ツマノ「命之」ミコトノオモフトリタツ。
 
石川夫人歌一首
 
(120)154 神樂浪乃。大山守者。爲誰可。山爾標結。君毛不有國。
ささなみの。おほやまもりは。たがためか。やまにしめゆふ。きみもまさなくに。
 
ササナミノ枕詞。大山は御山なり。大宮近き山なれば殊に山守を置かれしなり。シメは人を入らしめぬしるしなり。有は在の誤りならむか。
 參考 ○君毛不有國(新)キミモアラナクニ。
 
從2山科御陵1退散之時額田王作歌一首
 
諸陵式山科陵は、天智天皇山城國宇治郡と有る是なり。紀に十年十二月乙丑、天皇崩2近江宮1癸酉殯2新宮1と見ゆ。さて亂有りて天武天皇三年に至りて此陵は造らせ給へり。御葬御陵つかへも此時有りしなるべし。
 
155 八隅知之。和期大王之。恐也。御陵奉仕流。山科乃。鏡山爾。夜者毛。夜之盡。晝者母。日之盡。哭耳呼。泣乍在而哉。百磯城乃。大宮人者。去別南。
やすみしし。わごおほきみの。かしこきや。みはかつかふる。やましなの。かがみのやまに。よるはも。よのあくるきはみ《ことごと》。ひるはも。ひのくるるまで《ことごと》。ねのみを。なきつつありてや。ももしきの。おほみやびとは。ゆきわかれなむ。
 
(121)カシコキヤのヤはヨに通ふ詞、卷二十、可之故伎也天のみかどをと有り。御ハカ喪葬令義解に、帝王墳墓如v山如v陵故謂2之山陵1と有り。後にはミサザキとのみ言へど古くはミハカと言ひしなるべし。山科の鏡の山山城なり。近江豐前にも同名の山有り。夜ルハモ云云、卷四、晝波日乃|久流留麻弖《クルルマデ》、夜者夜之|明流寸食《アクルキハミ》と書きたるに依るに、これはいと古言にて、古言をば古言のままに用ひる事集中に例多し【追加ニ云ヘリ】。百シキノ枕詞。大宮人ハ云云、葬まして一周の間は、近習の臣より舍人まで、御陵に侍宿する事と見ゆ。
 參考 ○恐也(考)カシコシヤ(古、新)略に同じ○夜之盡(代)ヨノコトゴト(考)ヨノアクルキハミ(古、新)ヨノコトゴト○日之盡(代)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ(古、新)ヒノコトゴト。
 
明日香清御原宮御宇天皇代 天の中原瀛眞人天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
 
皇女は前に出づ、七年四月宮中にて頓に薨じ給ふ。
 
156 三諸之。神之神須疑。已具耳矣自得見監乍共。不寐夜叙多。
みもろの。かみのかみすぎ。       いねぬよぞおほき。
 
已の字より下十字、今本イクニヲシトミケムツツトモと、假字つきて有れど分きがたし。具一本目、矣一本笑に作る。翁は矣免乃美耳將見管本無と有りしが誤れるにて、イメノミニ、ミエツツモトナならむ(122)と言はれき。なほ考ふべし。
 參考 ○已具耳云云(代)イクニ惜ト、ミケムツツムタ。又はミミツツトモニ(古)如是耳荷有得之監乍、カクノミニ、アリトシミツツ(新)已目耳太耳將見得念共、イメニダニミムトモヘドモ
 
157 神山之。山邊眞蘇木綿。短木綿。如此耳故爾。長等思伎。
かみやまの。やまべまそゆふ。みじかゆふ。かくのみからに。ながくとおもひき、
 
三諸も神山も神岳と三輪とにわたりて聞ゆるが中に、集中をすべ考ふるに、三諸と言ふは、三輪と聞ゆる方多し。神なびの三室。又神奈備山と言へるは飛鳥の神岳なり。しかればここは二つともに三輪か、されど此神山を今本おしてミワヤマと訓みしは覺束なし。木綿は穀《カチ》の皮なり。委くは冠辭考を見て知るべし。さて木綿麻など割きて用ひる物を曾《ソ》と言ふ。其中に木綿を褒めて眞曾と言ふなり。式にも木綿を貴み、麻を賤しめり。短木綿云云、木綿は長きも短きも有るを、短きを設け出でて、此御命の短きによそへ給へり。カクノミカラニのカラは、字の如くユヱニと同じくして、人妻|故《ユヱ》ニと多くよめる故と同じ意なり。かくのみ短き物を長くと思ひしよと歎き給ふなり。卷五、はしきよし加久乃未可良爾したこひしいもが心のすべもすべなさ。
 參考 ○如此耳故爾(古)カクノミユヱニ(新)ユヱ、又はカラ
 
158 山振之。立儀足。山清水。酌爾雖行。道之白鳴。
(123)やまぶきの。たちよそひたる。やましみづ。くみにゆかめど。みちのしらなく。
 
和名抄、?冬一名虎鬚、和名夜末不不木、−云、夜末布木、萬葉集云、山吹花と見ゆ。?冬とせしは違へり。字は何にもせよ、今有る山ブキなり。山吹の花は集中に妹に似る由よみたり。さて山吹は、深き山の谷水のほとりなどに咲きたわむ物なれば、山水もて詞を續け給へり。葬りませし山邊には、皇女の今も此花の如くたをやぎおはすらむと思へども、尋ね行かむ道の知られねばかひ無しと、幼く詠み給へるなり。宣長云、儀は纏などの誤りにて、立チシナヒタルと有るべし。卷二十、多知之奈布きみがすがたを云云と詠めり。
 參考 ○立儀足(古)タチ「茂」シゲミタル(新)略に同じ。
 
天皇崩之時大后御作歌一首
 
朱鳥元年九月九日、清御原宮に天皇崩給ふ。此大后後に持統天皇と申す。
 
159 八隅如之。我大王之。暮去者。召賜良之。明來者。問賜良之。神岳乃。山之黄葉乎。今日毛鴨。問給麻思。明日毛鴨。召賜萬旨。其山乎。振放見乍。(124)暮去者。綾哀。明來者。裏佐備晩。荒妙乃。衣之袖者。乾時文無。
やすみしし。わがおはきみの。ゆふされば。めしたまふらし。あけくれば。とひたまふらし。かみをかの。やまのもみぢを。けふもかも。とひたまはまし。あすもかも。めしたまはまし。そのやまを。ふりさけみつつ。ゆふされば。あやにかなしみ。あけくれば。うらさびくらし。あらたへの。ころものそでは。ひるときもなし。
 
召賜の召は借字にて見給ふなり。問賜はいかにと問ひ給ふを言へり。此二つの良之は常言ふとは異なり。卷二十、大君のつぎてめす良之たかまとの野べみるごとにねのみしなかゆ。此の良之と同じく、過去の詞にも言へり。神岳は飛鳥の神南備山の事なり。雄略天皇の御時、此山の名を改めて、雷岳と呼ばせ給ひし事紀に見ゆ。古へ雷をカミとのみ言ひしなれば、雷岳と書きてもカミヲカと訓むべし。ケフモカモ問ヒ給ハマシ云云は、おはしましなば問はせ給はむ物をとなり。其山ヲフリサケ見ツツは、今大后御獨のみ見給ひつつなり。アヤニ云云のアヤはアナと言ふも同じく、何事にまれ、切に思ひ歎く詞なり。古事記沼河日賣の歌に、阿夜爾那古斐岐許志《アヤニナコヒキコシ》、其外集中に例多し。ウラサビは心スサマジキなり。アラタヘノ云云、アラタヘは庶人の服にて、令集解に大御喪には細布を奉る由有れど、其細布も大后の御心にただ人の着るあらたへの如くおぼして、斯く宣まふなるべし。
 
一書曰。天皇崩之時太上天皇御製歌二首。
 
此太上は持統天皇に當れり。天武天皇崩りませし後、四年に即位、十一年八月御位を文武天皇に讓りたまひて後、太上と申奉る。天武崩りませる時、太上と書けるはひがごとなり。
 
160 燃火物。取而裹而。福路庭。入澄不言八面。智男雲、
(125)もゆるひも。とりてつつみて。ふくろには。いるといはずやも。しるといはなくも。
 
智一本知に作る。今本イルトイハズヤ、モチヲノコクモと點あれど由なし。翁試みに言はれしは、澄は登の誤り、智は知曰二字ならむか。然らばイルトイハズヤモ、シルトイハナクモと訓むべし。是は後世火をくひ、火を踏むわざを爲なれば、其御時在りし役ノ小角か輩の、火を袋に包みなどする恠き術する事の有りけむ。さてさる怪きわざをだにするに、崩り給ひし君に逢ひ奉らむ術を知ると言はぬがかひなしとにや。契沖云、卷十二に、面知君が見えぬ此ごろとも詠みたれば、智は知の誤りにて、イルトイハズヤ、オモシルナクモと訓まむか。見なれ奉り給へる御面わの見え給はぬを戀奉り給へるなりと言へり。智を知に作れる本もあれば、面知とせむ方も然るべくも思はるれど、猶穩ならず。考ふべし。
 
161 向南山。陣雲之。青雲之。星離去。月牟離而。
きたやまに。たなびくくもの。あをぐもの。ほしはなれゆき。つきもはなれて。
 
星雲は白雲なり。さて雲の星を離ると懸かれり。牟は毛の誤りなるべし。是は后をも臣をも、おきて神あがりませるを、月星に放れて、よそに成り行く雲に譬へ給へりと翁言はれき。宣長云、星雲之星は青天に有る星なり。雲と星と離るるには有らず、二つの離はサカリと訓みて、月も星もうつり行くを云ふ。ほどふれば星月も次第に移りゆくを見給ひて、崩り給ふ月日の、ほど遠く成り行くを悲しみ給ふなりと言へり。是おだやかなり。
(126) 參考 ○陣雲之(新)ツラナルクモノ ○星離去(考)ホシハナレユク(古)ホシサカリユキ(新)「日毛」ヒモサカリユキ ○月牟離而(古、新)ツキ「毛」モサカリテ。
 
天皇崩之後八年九月九日奉v爲2御齋【齋ヲ今齊ニ誤】會1之夜夢裏習賜御歌一首
 
習は誦の誤りか。此次に藤原宮御宇と標して、右同天皇崩りませる朱鳥元年十一月の歌を載せ、其次に同三年の歌有るを、ここに同八年の歌載すべきに非ず。且持統天皇の御歌とせば御製と有るべし。かたがたいぶかしき由考に言へり。此御齋會の事、持統紀二年二月の詔に、自v今以後毎v取2國忌日1要須v齋也と有り。
 
162 明日香能。清御原乃。宮爾。天下。所知食之。八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。何方爾。所念食可。神風乃。伊勢能國者。奧津藻毛。靡足波爾。鹽氣能味。香乎禮流國爾。味凝。文爾乏寸。高照日之御子。
あすかの。きよみはらの。みやに。あめのした。しろしめしし。やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。いかさまに。おもほしめせか。かむかぜの。いせのくには。おきつもも。なびきしなみに。しほげのみ。かをれるくにに。うまごり。あやにともしき。たかひかるひのみこ
 
靡足舊點にナビキシと有るからは、足をシの假字に用ひしか。又は之の誤りならむ。潮の滿る時くもるをカヲルと言ふ。神代紀に我所v生之國。唯有2朝霧1而薫滿之哉。又神樂歌に、いせじまやあまのとめら(127)かたくほのけおけおけ、たくほのけいそらがさきにかをりあふおけおけ。又卷九に、鹽氣たつありそにはあれどなども詠めり。合せ考ふべし。冠辭考朝ガスミの條にも委し。味ゴリ枕詞。此歌いと心得がたし。強て言へば、天皇吉野より伊勢の國へ幸有りて、桑名におはせし事を、尊きおほむ身にて、荒海の邊におはせしが、めづらかに忝なき由か。
 參考 ○靡足波爾(考〕ナミタルナミニ(古)ナビ「合」カフナミニ(新)香乎禮流國爾以下脱有るか。
 
藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫天皇 後に持統と申す〔七右□で囲む〕
 
大津皇子薨之後大來皇女從2伊勢齋宮1上京之時御作歌二首
 
朱鳥元年十一月なり。
 
163 神風之。伊勢能國爾母。有益乎。奈何可來計武。君毛不有國。
かむかぜの。いせのくににも。あらましを。なにしかきけむ。きみもあらなくに。
 
神カゼノ枕詞。君は大津皇子をさし給へり。
 參考 ○君毛不有國(古)キミモマサナクニ(新)略に同じ。
 
164 欲見。吾爲君毛。不有爾。奈何可來計式。馬疲爾。
みまくほり。わがするきみも。あらなくに。なにしかきけむ。うまつかるるに。
 
是も上に同じさまにて、言を少し變へたるも、古しへ有りし一つの體なり。馬ツカルルニと言ひて、我(128)心身をもそへ給へり。
 參考 ○馬疲爾(考、新)ウマツカラシニ(古)略に同じ。
 
移2送大津皇子屍(ヲ)於葛城二上山1之時大來皇女哀傷御作歌二首
 
二上山は葛下郡にあり。
 
165 宇都曾見乃。人爾有吾哉。從明日者。二上山乎。弟世登吾將見。
うつそみの。ひとなるわれや。あすよりは。ふたがみやまを。いもせとわかみむ。
 
今現にてある我にして、此山を兄弟と見てや有らむずらむと歎き給ふなり。卷七、木路にこそ妹山有りとへ三櫛上の二上山も妹こそ有りけれ。是はもと妹を葬りし故か。卷三、うつせみの世の事なればよそに見し山をや今はよすがと思はむと言ふも相似たり。もとは男女の兄弟をもイモセと言ひしなり。
 參考 ○弟世云云(考)「奈世」ナセトワガミム(古)「吾世」ワガセトアガミム(新)、「吾弟」ワガセトヮガミム。
 
166 礒之於爾。生流馬醉木乎。手折目杼。令視倍吉君之。在常不言爾。
いそのうへに。おふるあしびを。たをらめど。みすべききみが。ありといはなくに。
 
古へはただ石をイソとも言へば、此二上山の石有るあたりに生ひたるあしびを言ふなり。ホトリの事をウヘと言ふは常なり。卷十、かはづ鳴よしのの川の瀧上の馬醉之花云云と有るを、今本ツツジと訓む。六(129)帖に此歌をアセミノ花とて載せたれば、古くはアセミと訓みしならむ。よりてここもアセミと訓むべけれど、卷七に安志妣成《アシビナス》、卷廿に安之婢《アシビ》と書けるをもて、ここはアシビと訓めり。六帖にアセミと有るは、音の通へばやや後にはしか唱へしなるべし。さてアセミは木瓜《ボケ》の花なるべし。三月のころ野山に、躑躅とひとしく赤く咲くものにて、集中に多し。冠辭考、アシビナスの條に委し。からぶみに馬醉木と言へるは、こと物なるべく聞ゆれど、字に泥《ナヅ》む事なかれ。此み歌も移葬の日に、皇女も慕ひ行きたまひて、此花を見て詠み給へるなり。古へはかかる時、皇子皇女もそこへおはする事、紀にも集にも見えたり。左註は後人のしわざなるべし。
 參考 ○馬醉木(代)ツツジ、又はアセミ(考、古)略に同じ(新)アセミ。
 
右一首。今案不v似2移葬之歌1。蓋疑從2伊勢神宮1還v京之時。路上見2花盛1傷哀咽作2此歌1乎。
 
日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
並の下知の字有るべし。朝臣の字を脱せり。目録に依りて補ふ。此皇子朱鳥三年四月薨じましし事紀に見ゆ。草壁皇子尊とも申せり。天皇の外は殯宮をばせられねども、葬の後一周御墓仕へする間をば殯と言ひしと見ゆ。今本誤りて右の左註より、此端詞を書き續けたり。
 
167 天地之。初時之。久堅之。天河原爾。八百萬。千萬神之。神集。(130)集座而。神分。分之時爾。天照。日女之命。(一云指上日女之命、)天乎波。所知食登。葦原乃。水穗之國乎。天地之。依相之極。所知行。神之命等。天雲之。八重掻別而。(−云天雲之、八重雲別而、)神下。座奉之。
あめつちの。はじめのときし。ひさかたの。あまのかはらに。やほよろづ。ちよろづかみの。かむつどひ。つどひいまして。かむはかり。はかりしときに。あまてらす。ひるめのみこと。あめをば。しろしめすと。あしはらの。みづほのくにを。あめつちの。よりあひのきはみ。しろしめす。かみのみことと。あまぐもの。やへかきわけて。かむくだり。いませまつりし。
 
久堅ノ、枕詞。紀に天の安河原と有るを安を略けり。八百萬千萬神ノ云云は、天孫を水穗の國へ降しまゐらせむとの神議《カムハカリ》なれば、天照の句以下四句を隔てて、葦原云云と言ふへかかれり。此四句の事は、右の神はかり有りしよりも前の事なるを、言を略きて句をなすとて前後に言へり。天テラス云云、一本のサシノボルも同じ事なり。天をば既に日女の命の長くしろしめせば、天孫は豐葦原の國を地と久しく知らさむものとて、降し奉り給ふとなり。水穗の水は借字にて、稚稚《ミヅミヅ》しき穗なり。天地ノヨリ相ノ極ミは、既に天地の開分れしと言ふに對へて、又依合はむ限までとなり。神ノ命ト云云、即ち天孫彦火瓊瓊杵命を申す。天雲ノ云云の詞は、神代紀祝詞など同じ古言なり。神下リイマセマツリシ、宣長云、卷十五、ひとぐににきみを伊麻勢弖と有るによりて、ここもイマセマツリシと訓むべし。イマセは令v座の意なりと言ふによれり。ここにて一段にして、これまで天孫の御事なり。
(131)  參考 ○神分(古〕カムアガチ(新)カンクハリ、クバリシトキニ○所知食登(考)シロシメシヌト(古、新)略に同じ○神下(新)カムクダシ○座奉之(考)イマシマツラシ(古、新)略に同じ。
 
高照。日之皇子波。飛鳥之。淨之宮爾。神隨。太布座而。天皇之。敷座國等。天原。石門乎開。神上。上座奴。(一云、神登座爾之可婆。)
たかひかる。ひのみこは。あすかの。きよみのみやに。かむながら。ふとしきまして。すめろぎ《おほきみ》の。しきますくにと。あまのはら。いはとをひらき。かむあがり。あがりいましぬ。
 
タカヒカル云云、此日の皇子は日並知皇子尊を申すなり。此句にて暫く切りて、天原云云と言ふへ懸る。此國士は天皇の敷座國《シキマスクニ》なりとして、日並知尊は天へ上り給ふと言ひなしたり。此時天皇は持統天皇にて、淨御原宮におはしませり。是れ二段なり。開は閉の誤りにてタテテと訓むべし。卷三、豐國の鏡の山の石戸立《イハトタテ》隱れにけらしと有る類ひなりと、宣長説なり。一本の神ノボリ、イマシニシカバの方は、句つづきよからず。本文を用ふべし。
 
吾王。皇子之命乃。天下。所知食世者。春花之。貴在等。望月乃。滿波之計武跡。天下。(一云|食國《ヲスクニ》)四方之人之。大船之。思憑而。天水。仰而待爾。(132)何方爾。御念食可。由縁母無。眞弓乃崗爾。宮柱。太布座。御在香乎。高知座而。明言爾。御言不御問。日月之。數多成塗。其故。皇子之宮人。行方不知毛。(一云、刺竹之《サスタケノ》、皇子宮人《ミコノミヤヒト》、歸邊不知爾爲《ヨルヘシラニシテ》
わがおほきみ。みこのみことの。あめのした。しろしめしせば。はるはなの。たふとからむと。もちづきの。たたはしけむと。あめのした。よものひとの。おほぶねの。おもひたのみて。あまつみづ。あふぎてまつに。いかさまに。おもほしめせか。つれもなき。まゆみのをかに。みやはしら。ふとしきいまし。みあらかを。たかしりまして。あさごとに。みこととはさず。つきひの。まねくなりぬる。そこゆゑに。みこのみやびと。ゆくへしらずも。
 
吾王皇子ノミコト云云、ここも日並知尊の御事なり。春花ノ貴カラムとは則ちめでたきを言ひて褒むる詞なり。貴の字義に拘はる事莫かれと有る、宣長説に據るべし。望月ノ云云、卷十三もちづきの多田波思家武《タタハシケム》とあるによりて、契沖しか訓めり。湛ふるは則ち滿つる意にて、御惠の足らひなむと言ふなり。天ノ下或本のヲスグニ、いづれにても有るべし。食國はしろしめす國なり。大船ノ、枕詞。天ツ水は、水かれたる時に、雨を待ち乞ふ如くと言ふなり。由縁モナキは、三卷、都禮毛奈吉《ツレモナキ》さほの山べに、卷十三、津禮毛無城上宮爾由《ツレモナキキノヘノミヤニ》、是等によりて、ここもツレモナキと訓まむと宣長言へり。則ち故由も無き意なり。眞弓岡、式に高市郡眞弓丘陵見ゆ。宮柱云云、上に見ゆ。ここは陵にて宮殿は有らねど、常の御殿になぞらへ言へり。アサゴトニ、言は借字にて、日毎ニと言ふ意なり。ミコトトハサズ、古へもの言ふをコトトフ、モノイハヌをコトトハヌと言へり。數多成塗、マネクナリヌルと訓むこと、卷一に既に言へり。ミ子ノ宮人(133)云云、一云、サスタケノミコノ宮人云云とあれど、數多ナリヌルと言ふより、ソコユヱニと續ける方まされれば一本はとらず。ここは御墓づかへの日數終りて退散を言へり。さて下の高市の皇子尊の殯の時、人麻呂の長歌などを見るに、春宮舎人にて此の時も詠まれしなるべし。然ればここの宮人の事を言ふなり。
 參考 ○貴在等(代)タノシカラムト(考)メデタカラムト(古、新)略に同じ ○由縁母無(代)ヨシモナキ(古、新)略に同じ ○太布座(新)フトシキタテ ○數多成塗(考)アマタナリヌル(古、新)マネクナリヌレ。
 
反歌二首
 
168 久堅乃。天見如久。仰見之。皇子乃御門之。荒卷惜毛。
ひさかたの。あめみるごとく。あふぎみし。みこのみかどの。あれまくをしも。
 
これは島の宮の御門なり。次の舍人等の歌どもにも、此御門の事を專ら言ひ、下の高市皇子尊の殯の時、人麻呂の御門の人と詠みしを思ふに、人麻呂即ち舍人にて、其守る御門を申せしなるべし。アレマクヲシモは、アレムガ惜シキとなり。
 
169 茜刺。日者雖照有。烏玉之。夜渡月之。隱良久惜毛。
あかねさす。ひはてらせれど。ぬばたまの。よわたるつきの。かくらくをしも。
 
(134)アカネサス、枕詞。是は皇子の御事を月に譬へ奉り、上の日ハ照ラセレドと言ふは、月の隱るるを歎くを強く言はむ爲なり。カクラクはカクルルを延べ言ふなり。此日を天皇を指し奉るにやと言ふ説もあれど、天武天皇崩りまして、三年に此皇子薨じ給ひ、其明る年大后位に即き給へれば、此時天皇おはしまさず、はたなめげにも聞ゆれば然らず。
 
或本云。以2件歌1爲2後皇子尊【尊ヲ今貴ニ誤ル】殯宮之時反歌1【反歌ヲ倒置】也。 後皇子は高市皇子尊を申すなり。此註もつたなき書きざまなり。後人のわざと見ゆ。
 
或本歌一首
 
170 島宮。勾乃池之。放鳥。人目爾戀而。池爾不潜。
しまのみや。まがりのいけの。はなちどり。ひとめにこひて。いけにかづかず。
 
是は右の反歌にはあらず、次の舍人等が歌どもの中に入るべきなり。勾《マガリ》は高市郡にて、安閑天皇の皇居の有りし所なるを、日竝知皇子の尊、領《シリ》給ひて住み給へるなるべし。そこに池島も有りし故、島ノ宮とも言ひしなり。契沖云、橘の島の宮とも詠めれば、橘寺の有るあたりならむと言へり。天武紀十年秋九月。周芳國貢2赤龜1乃放2島宮池1。はなち鳥は水鳥の翅など切りて放ち飼ふを言ふ。其鳥の馴れし人目をなつかしみ思ひて、水の上にのみ浮きゐて、底へかづき入る事をせずと言ふなり。
 參考 ○不潜(新)カヅカヌ。
 
(135)皇子尊宮舎人等慟傷作歌二十三首
 
傷、目録にタに作る。職員令春宮大舍人六百人と有り。尊の薨後島宮の外重《トノヘ》を守ると、佐太岡の御喪舍に侍宿すると有る故に、ここかしこにての歌ども有るなり。
 
171 高光。我日皇子乃。萬代爾。國所知麻之。島宮毛。
たかひかる。わがひのみこの。よろづよに。くにしらさまし。しまのみやはも。
 
日ノ皇子は日並知皇子尊を申す。ハモのモは助辭。
 
172 島宮。池上【池上今倒置】有。放鳥。荒備勿行。君不座十方。
しまのみや。いけのうへなる。はなちどり。あらびなゆきそ。きみまさずとも。
 
上池と有るは誤りなり。一本池上と有るをよしとす。是は勾の池にて、島の宮の中に有りしなるべし。アラビナユキソは、放ち飼はせたまひし鳥どもだに、人に疎くな成り行きそと言ふなり。
 參考 ○上池有(考、新)「池上有」イケノウヘナル(古)「勾池之」 マガリノイケノ。 
173 高光。吾日皇子乃。伊座世者。島御門者。不荒有益【益ヲ今蓋ニ誤ル】乎。
たかひかる。わがひのみこの。いましせば。しまのみかどは。あれざらましを。
 
御門は舍人の守る所なれば專ら言へり。益を今蓋に誤れり。
 
(136)174 外爾見之。檀乃岡毛。君座者。常都御門跡。侍宿爲鴨。
よそにみし。まゆみのをかも。きみませば。とこつみかどと。とのゐするかも。
 
眞弓ノ岡は上に出づ。葬り奉りてよりは、ここを常の御殿と思ふ心を言へり。
 
175 夢爾谷。不見在之物乎。欝悒。宮出毛爲鹿。作日之隅【隅ハ隈ノ誤】回乎。
いめにだに。みざりしものを。おほほしく。みやでもするか。さひのくまわを。
 
作日、一本佐田と有り。宮出は御門を出入りするを言ふ。佐は發語にて檜隈なり。檜隈の郷の内、眞弓岡、佐太岡は續きたる岡と見ゆれど、一本佐田と有るからは、ただちに佐田の方を用ふべきなり。いかなる事にて、此佐田の岡の御陵の侍宿所を出入りするにやと、忘れてはおぼめかるる意なり。佐田とする時は、隈回は道ノクマワなど詠めるに同じかるべし。
 參考 ○昨日之隅回乎(古)サヒノクマミヲ(新)「佐田」サタノクマミヲ。
 
176 天地與。共將終登。念乍。奉仕之。情違奴。
あめつちと。ともにをへむと。おもひつつ。つかへまつりし。こころたがひぬ。
 
皇子を天地と共に久しからんと思ひしとなり。
 
177 朝日?流。佐太乃岡邊爾。群居乍。吾等哭涙。息時毛無。
あさひてる。さだのをかべに。むれゐつつ。わがなくなみだ。やむときもなし。
 
(137)朝日夕日をもて、山岡宮殿などの景を言ふ事、集中また古き祝詞などにも多し。ここも只其所の景色を言ふのみ。此御陵の侍宿所は、佐太岡、眞弓岡にわたりて在りしなるべし。
 
178 御立爲之。島乎見時。庭多泉。流涙。止曾金鶴。
みたたしし。しまをみるとき。にはたづみ。ながるるなみだ。とめぞかねつる。
 
皇子の御池を御覽ずるとて、をりをり立たせ給ひし島なり。もと此池島に依りて、所の名とも成りしなるべけれど、ここに詠めるは所の名に有らずして、其池島なるべし。ニハタヅミ、枕詞。
 
179 橘之。島宮爾者。不飽鴨。佐田乃岡邊爾。侍宿爲爾往。
たちばなの。しまのみやには。あかねかも。さだのをかべに。とのゐしにゆく。
 
皇子の宮にとのゐし飽かねばか、佐田の岡邊までとのゐしに行くと、幼く言へり。アカネカモとよみて、アカネバカモのバを略ける捌なり。
 參考 ○不飽鴨(代)アカズカモ(考)アカヌカモ(古、新)略に同じ。
 
180 御立爲之。島乎母家跡。住鳥毛。荒備勿行。年替左右。
みたたしし。しまをもいへと。すむとりも。あらびなゆきそ。としかはるまで。
 
是も放鳥の此池に猶住めるが、人うとくならずして、來む年までも有れかしとなり。
 參考 ○島乎母家跡(新)シマヲバイヘト。
 
(138)181 御立爲之。鳥之荒礒乎。今見者。不生之草。生爾來鴨。
みたたしし。しまのありそを。いまみれば。おひざりしくさ。おひにけるかも。
 
御池に岩などたてて、荒磯のさま作られしを言ふなるべし。
 
182 鳥〓立。飼之雁乃兒。栖立去者。檀岡爾。飛反來年。
とぐらたて。かひしかりのこ。すだちなば。まゆみのをかに。とびかへりこね。
 
トグラは御庭に立ておかれし鳥|籠《コ》なり。ここのカリはカル鳧《ガモ》の事なり。夏鴨とも言ふものにて、後の物語ぶみに、カリノ子と言へるも是なり。冠辭考にくはし。巣を立ち去らば皇子の御陵へ來れとなり。〓は栖の誤りか。
 
183 吾御門。千代常登婆爾。將榮等。念而有之。吾志悲毛。
わがみかど。ちよとことはに。さかえむと。おもひてありし。われしかなしも。
 
トコトハは、トコシナヘニ、トコ磐ニと言を重ねて、限りなき事を強く言ふなり。
 
184 東乃。多藝能御門爾。雖伺侍。昨日毛今月毛。召言毛無。
ひむがしの。たぎのみかどに。さもらへど。きのふもけふも。めすこともなし。
 
池に瀧有る方の御門を、かく名付けしなるべし。
 
185 水傳。礒乃浦回乃。石乍自。木丘開道乎。又將見鴨。
(139)みづつたふ。いそのうらまの。いはつつじ。もくさくみちを。またみなむかも。
 
水ヅタフ、枕詞。上の瀧の邊の磯のさまなり。浦マは既に出づ。イハツツジ和名抄、羊躑躅、和名以波豆豆之と有り。春の末撚ゆるが如き花なり。木丘サクは、紀に薈の字をモクと訓む、字註草木の繁き事とせり。又見ナムカモは、今よりは此宮に參るまじければ、よろづになごり惜しきなり。
 參考 ○石乍自(古)イソツツジ(新)イハツツジ。
 
186 一日者。干遍參入之。東乃。大寸御門乎。入不勝鴨。
ひとひには。ちたびまゐりし。ひむがしの。おほきみかどを。いりがてぬかも。
 
今本タギノミカドと訓めり。寸は假字なれば、タキノと訓まむには乃の字有るべし。入リガテヌは入りカヌルなり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも義同じ。
 參考 ○大寸御門乎(古)タキ「能」ノミカドヲ(新)タギノミカドヲ。
 
187 所由無。佐太乃岡邊爾。反居者。島御橋爾。誰加住舞無。
つれもなき。さだのをかべに。かへりゐば。しまのみはしに。たれかすまはむ。
 
ツレモナキは既に言へり。カヘリヰバとは、行きかへり分番交替してあるを言ふ。ミハシは御階なり。スマハムとはトノヰスラムと言ふなり。
 參考 ○所由無(代)ヨシモナキ(古、新)略に同じ ○反居者(古、新)「君」キミマセバ。
 
(140)188 旦覆。日之入去者。御立之。島爾下座而。嘆鶴鴨。
あさぐもり。ひのいりゆけば。みたたしし。しまにおりゐて。なげきつるかも。
 
旦覆は天靄の誤り歟、然らばアマグモリと訓むべし。日ノ入去レバは暮レユケバと言ふなり。契沖云、日の入るは夕にこそあれ、朝日の入ると詠めるは、皇子の東宮にてましませしかば、朝日の出づる如く思奉れるを、俄にかくれたまへば、朝の間に曇りて、日の入りたると言ふ心なりと言へり。いかがあらむ。例に據るに、立の下爲の字落ちたるか。宮の外に池島有りて、日暮れゆけば其ほとりの舍へ下りをるなるべし。
 參考 ○旦覆(考)「天靄」アマグモリ(古)「茜指」アカネサス(新)「天傳」などの誤か ○日之入去者(古、新)ヒノイリヌレバ。
 
189 旦日照。島乃御門爾。欝悒。人音毛不爲者。眞浦悲毛。
あさひてる。しまのみかどに。おほほしく。ひとおともせねば。まうらがなしも。
 
オホホシクはオボソカナクなり。にぎはひし御門の内に、人音のせねば、忘れてはおぼつかなく思はるるなり。眞はマコトニと言ふ意、ウラは心なり。
 
190 眞木柱。太心者。有之香杼。此吾心。鎭目金津毛。
まきばしら。ふときこころは。ありしかど。このわがこころ。しづめかねつも。
 
眞キバシラ、枕詞。丈夫心も失せて、思ひしづめ難く悲しきを言ふ。
 
(141)191 毛許呂裳遠。春冬片設而。幸之。宇陀乃大野者。所念武鴨。
けごろもを。はるふゆかたまけて。いでましし。うだのおほのは。おもほえむかも。
 
和名抄、裘、加波古路毛と有り。古へ御狩に摺衣を着せ給ひしは稀にて、專ら皮衣と見ゆ。今のむかばきは其遺れるならむ。片設の片は誤りにて、取の字なるべし。然らばトリマケと訓むべし。毛衣を設け着る意なり。片設とは春冬に向ひてと言ふ言とも聞ゆれど、衣を張るを春に言ひかくる樣の事、今の京と成りての事にて、古へ無ければ、此歌にかなへりとも覺えず。ウダノ大野は、前に出でし宇陀の安騎野にて、人麻呂の、御狩たたしし時は來にけりと詠みし御狩の事をここにも言ひて、今よりは、此有りし御狩の事を思ひ出でては、慕ひ奉らむと歎くなり。
 參考 ○春冬片設而(代)ハルフユカタマケテ(考)ハルフユ「取」トリマケテ(古)略に同じ(新)冬を衍とし、ハルカタマケテ。
 
192 朝日照。佐太乃岡邊爾。鳴鳥之。夜鳴變布。此年己呂乎。
あさひてる。さだのをかべに。なくとりの。よなきかはらふ。このとしごろを。
 
鳴鳥ノは、鳴ク鳥ノ如クと言ふを略けり。舍人等の歎きつつかはるがはる夜の宿直するを、此岡に夜る鳴く鳥に譬へ言へり。カハラフは上に反居者と言へるに同じく、侍宿の交替を言ふ。さて四月より四月まで一周の間なれば、年比と言へるなり。
(142) 參考 ○夜鳴變布(代)ヨナキカハラフ(古)ヨナキカヘラフ (新)ヨナキ「度布」ワタラフ
 
193 八多籠良家。夜晝登不云。行路乎。吾者皆悉。宮道叙爲。
やたこらが。よるひるといはず。ゆくみちを。われはことごと。みやぢにぞする。
 
家は我の誤りならむ。ヤタコラは奴等なり。神功紀、于摩比等破于摩譬苫奴知野伊徒姑播茂伊徒姑奴池《ウマヒトハウマビトドチヤイツコハモイツコドチ》、このヤイツコに同じきを、ツをタに通はして言ひしにや。若くは多は豆の誤りか。賤しき里人どもが通路を、吾等が宮づかへの道とするは、思ひかけぬ事かなと歎く意なり。契沖云、八をハとよみてハタゴラならむか。馬をかして口とるをのこを言へるにやと言へり。宣長説、良は馬の誤りにて、ハタコウマなるべし。旅籠馬と言ふ事、蜻蛉日記にも見え、宇治拾遺にもハタゴ馬皮子馬など來つぎたりと有りと言へり。猶考べし。
 參考 ○皆悉(新)サナガラ。
 
右日本紀曰。三年已丑夏四月癸未朔乙未薨
 
柿本朝臣人麻呂獻2泊瀬部皇女忍坂武皇子1歌一首并短歌
 
歌の左或本を引きたるぞ正しかるべき。是は天智天皇の皇子にして、此皇女の御兄忍坂部皇子に兼ね獻るよし有るべき事なく、ただ御|夫婦《メヲ》の常の有樣をのみ言ひて、かの皇子の事無し。忍坂部皇子の五字は、次の明日香皇女木※[瓦+缶]殯宮云云の端詞に有りしが、ここに入りしものなり。
 
(143)194 飛鳥。明日香乃河之。上瀬爾。生玉藻者。下瀬爾。流觸經。玉藻成。彼依此依。靡相之。嬬乃命乃。多田名附。柔膚尚乎。劔刀。於身副不寐者。烏【烏ヲ今鳥ニ誤】玉乃。夜床母荒良無(一云阿【阿ヲ今何ニ誤】禮奈牟)所虚故。名具鮫魚天氣留。敷藻相。屋常而念(一云公毛相哉登)。玉垂乃。越乃大野之。且露爾。玉藻者?打。夕霧爾。衣者沾而。草枕。旅宿鴨爲留。不相君故。
とぶとりの。あすかのかはの。かみつせに。おふるたまもは。しもつせに。ながれふらばへ。たまもなす。かよりかくより。なびかひし。つまのみことの。たたなつく。やははだすらを。つるぎだち。みにそへねねば。ぬばたまの。よどこもあるらむ。そこゆゑに。なぐさめてげる。しきもあふ。やどとおもひて。たまだれの。をちのおほぬの。あさつゆに。たまもはひづち。ゆふぎりに。ころもはぬれて。くさまくら。たびねかもする。あはぬきみゆゑ。
 
流觸經は、宣長云、ナガレフラバヘと訓むべし。古事記、那迦都延爾游知布良婆閉《ナカツエニオチフラバヘ》と有るに同じ意にて、流レフルルを延べ言ふなりと言へり。ナビカヒシはナビキアヒシを約め言へり。嬬は借字にて夫の意、タタナツクは枕詞、ヤハハダスラヲのスラは、ソレヲと言ふ詞と心得べし。委しくは考の別記に有り。ツルギダチ、枕詞。身ニソヘネネバは、夫君の薨後皇女の御獨寢を言ふ。ヌバタマノ、枕詞。夜ドコモ荒ルラムは、古へ旅行きし跡の床をあやまちせじと謹む事なり。死にたる後も、一周は其如くすればかく言へり。或本の(144)アレナムも同じ意なり。今阿を何に作るは誤りなり。ソコユヱニはソレ故ニなり。名具鮫魚天氣留云云、久老去、魚は兼の誤り、留は田の誤りにて、ナグサメカネテ、ケダシクモと訓むべしと言へり。しか改むれば、或本の公モアフヤトと有るにもよく續けり。初めの儘にては聞えず。玉ダレノ、枕詞。ヲチノ大野、今コスと訓めるはわろし。天智紀|小市《ヲチ》岡上陵、又天武紀幸2越智1、式に越智崗上陵(高市郡)など有るは、皆同じ。齊明天皇の御陵なり。さればヲチと訓むべきなり。玉モは裳なり。ヒヅチは前に出づ。夕霧ニ云云は、其野を分け過ぎて、夕べに宿り給ふまでを言ふ。草枕、枕詞。タビネカモスルアハヌ君故は、アハヌ君ナルモノヲの意なり。古へ新喪に墓所の傍に廬作りて、一周の間人しても守らせ、あるじもをりをり行きてやどりしとみゆ。次《ヤドル》2于墓所1と言ふ事、舒明紀にも見ゆ。
 參考 ○流觸經(考)ナガレフラヘリ(古、新)ナガレフラフ ○柔膚尚乎(古、新〕ニギハダスラヲ ○名具鮫云云(代)ナグサメテケル、ケダシクモ(考)ナゲサメテケルシキモ云云(古、新)ナグサメ「兼」カネテケ「田」ダシクモ ○相屋常念而(代)アフヤトオモヒテ(考)シキモアフ、ヤドトオモヒテ(古)アフヤト「御」オモホシテ(新)アフヤトモヒテ。
 
反歌
 
195 敷妙之。袖易之君。玉垂之。越野過去。亦毛將相八方。
しきたへの。そでかへしきみ。たまだれの。をちのにすぎぬ。またもあはめやも。
(145)一云、乎知《ヲチ》野爾過奴。
 
シキタヘノ、枕詞。袖カヘシは袖を交《カハ》すなり。袖さしかへてとも詠めり。玉ダレノ、枕詞。スギヌは既に薨じまして、をち野に葬りたる事をつづめて言へり。マタモアハメヤモは、又はアフマジキと言ふなり。
 參考 ○越野過去(新)ヲチヌヲスギヌ。
 
右或本曰。葬2河島皇子越智野1之時。獻2泊瀬部【今部ヲ脱ス】皇女1歌なり。日本紀曰。朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑。淨大參皇子川島薨。
 
明日香皇女|木※[瓦+缶]《キノベ》殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
明日香皇女は天智天皇の皇女にて、文武天皇四年四月薨じ給へるよし紀に見ゆ。木※[瓦+缶]は式和名抄等廣瀬郡に有りて、此次|城上《キノヘ》殯宮と有るも同じ。長歌に夫君の歎き慕ひ給ひ、木の※[瓦+缶]へ往來し給ふさま、上の泊瀬部の皇女の乎知野へ詣で給ふと同じさまなり。されば此歌は夫君忍坂部皇子へ獻りしなるべし。端詞人麻呂の下、獻2忍坂部皇子1歌と有りしが亂れしなるべし。
 
196 飛鳥。明日香乃河之。上瀬。石橋渡。【一云石浪】下瀬。打橋渡。石橋。(一云石浪)生靡留。玉藻毛叙。絶者生流。打橋。生乎爲【爲は烏ノ誤】禮流。川藻毛叙。干者波由流。
とぶとりの。あすかのかはの。かみつせに。いはばしわたし。しもつせに。うちはしわたし。いはばしに。おひなびける。たまももぞ。たゆればおふる。うちはしに。おひををれる。かはももぞ。かるればはゆる。
 
(146)イハバシは石を數數竝べ渡すを言ふ。卷二十に、あまのがは伊之奈彌於可婆《イシナミオカバ》と詠める則ち是なり。冠辭考に委し。一本の石浪は借字にて石竝なり。打ハシは板にても何にても假初めに渡したるを言ふ。宣長説、打は借字にてウツシの約りたるなり。ここへも、かしこへも遷しもてゆきて、時に臨みてかりそめに渡す橋なり。生ヒナビケル云云、石の竝びたるあたりに生ひ靡くなり。タユレバオフルは、人死にて又歸らぬを言はむとてなり。ヲヲレルは、打橋の邊に生ひたる藻の靡くを言ふ。此爲は烏の誤りなるべし。卷六に、春べには花|咲乎遠里《サキヲヲリ》、また春されば乎呼理《ヲヲリ》爾ををりなどあまた有り。ヲヲリはタワミの意なり。考の別記に委し。川藻モゾカルレバハユルも、詞を變へたるのみにて生ふるなり。是れ一段なり。
 參考 ○打橋渡(古、新)ウチハシワタス。
 
何然毛。吾王乃。立者。玉藻之如。許呂臥者。川藻之如久。靡相之。宜君之。朝宮乎。忘賜哉。夕宮乎。背賜哉。
なにしかも。わがおほきみの。たたせば。たまものごとく。ころぶせは。かはものごとく。なびかひし。よろしききみが。あさみやを。わすれたまふや。ゆふみやを。そむきたまふや。
 
ワガオホキミは皇女をさす。タタセバは立タセタマヘバなり。コロブセバは、下にも自伏と書きてころびふすなり。ヨロシキ君、ヨロシキは萬づ足らひ備はれるを言ふ。朝宮ヲ云云は、御心にかなはずやと言ふなり。是れ二段なり。
(147) 參考 ○立者(代)タタセレバ(考)タタスレバ(古、新)略に同じ。
 
宇都曾臣跡。念之時。春部者。花折挿頭。秋立者。黄葉挿頭。敷妙之。袖携。鏡成。雖見不厭。三五月之。益目頬染。所念之。君與時時。幸而。遊賜之。御食向。木※[瓦+缶]之宮乎。常宮跡。定賜。味澤相。目辭毛絶奴。
うつそみと。おもひしときに。はるべは。はなをりかざし。あきたてば。もみぢばかざし。しきたへの。そでたづさはり。かがみなす。みれどもあかず。もちづきの。いやめづらしみ。おもほしし。きみとをりをり。いでまして。あそびたまひし。みけむかふ。きのべのみやを。とこみやと。さだめたまひて。あぢさはふ。めごともたえぬ。
 
ウツソミとは、現身にておはします時になり。春ベハより、モミヂバカザシまでは、其|現《ウツツ》におはせし時の年月の御遊びを言ふ。敷妙ノ、枕詞。袖タヅサハリよりして、御|夫婦《メヲ》の親しきさまを言ふ。鏡ナスは見ると言はむ爲、望月はいよよめづらしみ思ふと言はむ爲なり。君トヲリヲリ、是は忍坂部皇子をさす。ミケムカフ、枕詞。木ノベノ宮を云云は、出で遊び給ひし所、即ち御墓と成りたるを言ふ。味サハフ、枕詞。メゴトモタエヌは、あひ見る事の絶えしを言ふ。辭は借字のみ。是れ三段なり。
 參考 ○時時(古、新)トキドキ
 
(148)然有鴨。(一云所己乎之毛)綾爾憐。宿兄鳥之。片戀嬬。(一云爲乍)朝鳥。(一云朝露)往來爲君之。夏草乃。念之萎而。夕星之。彼往此去。大船。猶預不定見者。遣悶流。情毛不在。其故。爲便知之也。音耳母。名耳毛不絶。天地之。彌遠長久。思將往。御名爾懸世流。明日香河。及萬代。早布屋師。吾王乃。形見何此焉。
しかれかも。あやにかなしみ。ぬえどりの。かたこひづま。あさどりの。かよはすきみが。なつくさの。おもひしなえて。ゆふづつの。かゆきかくゆき。おほぶねの。たゆたふみれば。なぐさもる。こころもあらず。そこゆゑに。すべしらましや。おとのみも。なのみもたえず。あめつちの。いやとほながく。しぬびゆかむ。みなにかかせる。あすかがは。よろづよまでに。はしきやし。わがおほきみの。かたみかここを。
 
シカレカモは、シカアレバハカモなり。此カモの詞ここにゐず。一本のソコヲシモの方かなへり。アヤニカナシミ、是より御墓所へ夫君の詣で給ふを言ふ。ヌエ鳥ノ、枕詞。カタコヒヅマ、一本のシツツの方かなへり。朝鳥ノ、枕詞。一本朝露と有るは誤りなり。夏草ノ、枕詞。オモヒシナエテは、愁ひ給ふ時の姿を言ふ。夕ヅツノ、枕詞。、カユキカクユキは、足もえふみ定めずと云ふなり。大舟ノ、枕詞。タユタフミレバは、歩みたまふさまを言ふ。ナグサモル心モアラズは、夫君の悲み給ふさまを見る吾さへ、心を慰め難きと言ふなり。スベシラマシヤは、今はせん方も無しや、せめて此皇女の御名をだに、萬世に傳へ聞えよと思ふとなり。爲便知之也、宣長説、此一句誤字有るべし。セムスベヲナミとか、又セムスベシラニな(149)ど有るべき所なりと言へり。オトノミモ名ノミモタエズ云云は、音も名も同じ事におつれども、詞のあやに重ねたり。二つのノミは、せめて名のみなりとも絶えずと言ふ意なり。アメツチノ云云、天地と共に長く慕ひまゐらせむとなり。御名ニカカセルは、皇女の御名に負ひたると言ふなり。ハシキヤシのハシキヤは、細シキヨの略にて、愛づる詞、下のシは助辭のみ、考の別記に委し。吾オホキミは皇女を指す。カタミカココヲとは、則ち明日香河を言へり。宣長云、形見何の何は荷の誤りなり。カタミニココヲと訓みて、ここを形見にしのび行かむと上へ返る意なりと言へり。
 參考 ○遣悶流(代、考)オモヒヤル(古、新)ナグサムル ○爲便知之也(古)セムスベシラニ ○形見何此焉(代)ココヲ(古、新)カタミニココヲ
 
短歌二首
 
197 明日香川。四我良美渡之。塞益者。進留水母。能杼爾賀有萬思(一云、水乃與杼爾加有益。)
あすかがは。しがらみわたし。せかませば。ながるるみづも。のどにかあらまし。
 
此川も塞かばとむべければ、皇女の御命も、留めまゐらせん由の有るべき物をと言ふなり。ノドは、一本のヨドと同じ心にて淀むを言ふ。
 
198 明日香川。明日谷(一云左倍)將見等。念八方。(一云念香毛)吾王。御名忘世奴。(一云、御名不所忘《ワスラエヌ》)
あすかがは。あすだにみむと。おもへやも。わがおほきみの。みなわすれせぬ。
 
(150)オモヘヤモのオモヘの言は、附けて言ふ言にて、明日ダニ見ムヤハの意なり。明日だにも今は見奉る事あるまじきを、明日香川を見れば、御名のわすれ難き事よとなり。一本のサヘはかなはず。オモヘカモはよくかなへり。御名ワスラエヌもことわりかなへり。
 
高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
朱鳥三年四月日並皇子尊薨後、此尊皇太子に立ち給ひしが、持統天皇十年七月薨じ給ふ。人麻呂これを惜み悲しみ奉りて、尊のまだただの皇子なりし時、大友皇子との亂有りしに、其御軍の事とり給ひて平らげ給ひ、其後大政まをさせ給ひ、すべて此尊の世に勝れ給ひし事を詠めり。此陵、式に廣瀬郡三立岡と有り、城上《キノヘ》はそこの大名《オホナ》なるべし。
 
199 挂文。忌之伎鴨。(一云由遊志計禮杼母)言久母。綾爾畏伎。明日香乃。眞神之原爾。久堅能。天津御門乎。懼母。定賜而。神佐扶跡。磐隱座。八隅知之。吾大王乃。所聞見爲。背友乃國之。眞木立。不破山越而。狛劍。和射見我原乃。行宮爾。安母理座而。天下。治賜。(一云拂賜而)食國乎。定賜等。
かけまくも。ゆゆしきかも。いはまくも。あやにかしこき。あすかの。まがみのはらに。ひさかたの。あまつみかどを。かしこくも。さだめたまひて。かむさぶと。いはがくれます。やすみしし。わがおほきみの。きこしめす。そとものくにの。まきたつ。ふはやまこえて。こまつるぎ。わざみがはらの。かりみやに。(151)あもりいまして。あめのした。をさめたまひ。をすぐにを。さだめたまふと。
 
カケマクモ云云は、いやしき心に懸けて慕ひ奉らむも、恐れみつつしましきと言ふなり。ユユシキは忌忌シキなり。イハマクモは、詞に懸けて言はむもなり。眞神ノ原と言ふより下七句、天武の御陵の事を先づ言へり。紀又は式に、檜隈大内陵と有るはもと明日香檜隈つづきてあれば、大内は其眞神原の小名なるべし。崇峻紀、始作2法興寺此地1。名2飛鳥眞神原1亦名2飛鳥苫田1とあり。天つ御門を云云は、右に天原いはとを開き神あがりと言ふに均しく、崩り給ふ事を言ふ。神サビは神|進《スサビ》の意、前に出づ。吾大キミノキコシメス云云、是は天武の御代しろしめす時の事を立ちかへり言ふ。美濃は大和の北なれば背面と言ふ。眞木立、枕詞。不破山は美濃不破郡なり。此時よりここに關は有りつらむ。是は天皇初め吉野を出でまして、伊勢の桑名におはしませしを、高市皇子尊の申給ふに依りて、桑名より美濃野上の行宮へ幸の時、此山を越え給ひしを言ふ。狛ツルギ、枕詞。ワザミガ原是も不破郡なり。安母理イマシテは天降なり。和?《ワザミ》に皇子のおはしまして、近江の敵をおさへ、天皇は野上の行宮におはしましつるを、其野上よりわざみへ度度幸して、御軍の事聞しめしたる事紀に見ゆ。天下云云、一本拂ヒタマヒテと有る方よろし。食國も天下も同じ意なれども重ね言ふは文《アヤ》なり。
 參考 ○綾爾畏伎(新〕アヤニカシコ「之」シ○磐隱座(古、新)イハガクリマス
 
鳥之鳴。吾妻乃國之。御軍土乎。喚賜而。千磐破。人乎和爲跡。不奉仕。國乎治跡。(一云|掃部等《ハラヘト》)皇子隨。任賜者。大御身爾。大刀取帶之。大御手爾。弓取持之。御軍士乎。安騰毛比賜。齊流。鼓之音者。雷之。聲登聞麻低。吹響流。小角乃音母。(一云|笛《フエ》之音波)敵見有。虎可叫吼登。諸人之。協流麻低爾。(一云|聞惑麻低《キキマドフマデ》)
(152)とりがなく。あづまのくにの。みいくさを。めしたまひて。ちはやぶる。ひとをやはせと。まつろはぬ。くにををさめと。みこながら。まけたまへば。おほみみに。たちとりおばし。おほみてに。ゆみとりもたし。みいくさを。あともひたまひ。ととのふる。つづみのおとは。いかづちの。こゑときくまで。ふきなせる。くだのおとも。あたみたる。とらかほゆると。もろびとの。おびゆるまでに。
 
鳥ガナク、枕詞。御いくさにて軍人の事とす。伊勢尾張はもとより、東海東山道の軍土を召したる事紀に見ゆ。チハヤブル、枕詞。人ヲヤハセとは、いちはやき人を和《ヤハ》せと言ふなり。卷二十、麻都呂倍奴比等乎母夜波之《マツロヘヌヒトヲモヤハシ》とあれば、ヤハセと訓むべし。マツロハヌは、こなたへ纏ひつかぬ國と言ふなり。古事記、荒夫流神及|麻都樓波奴《マツロハヌ》人等とあり。ヲサメトと言ひて、ヲサメヨトの意になる古言の例なり。一本國ヲハラヘト、いづれにても有るべし。ハラヘトは卷二十に、波吉伎欲米《ハキキヨメ》仕へまつりてと言ふに同じ。ミコナガラは、神隨とひとしく、皇子におはしながら、軍のつかさに任けたまへばなり。大御身に云云、則ち高市皇子の御身なり。アトモヒは率《ヒキ》ウルを言ふ。紀に誘をアトモヒと訓めり。トトノフルツヅミ云云は、軍土を呼びととのふる鼓吹なり。吹キナセルは、ナラセルなり。和名抄、大角、波良乃布江、小角、久太能布江(153)と有る是なり。されどここは、小角ノ音モと有るモの詞、前後の例にも違へば、一本のフエノオトハと有る方よし。アタミタル云云は、虎の敵に向ひて怒れる聲かと恐るるなり。虎カのカは清みて讀むべし。
 參考 ○喚賜而(考)メシタマハシテ(古、新)略に同じ ○任賜者(代)ヨザシタマヘバ(考)マケタマヘレバ(古)マキタマヘバ(新)マケタマバ○大刀取帶之(新)タチトリハカシ。
 
指擧有。幡之靡者。冬木成【成は盛ノ誤下同】。春去來者。野毎。著而有火之。(一云冬木成春野燒火乃)風之共。靡如久。取持流。弓波受乃驟。三雪落。冬乃林爾。(一云由布乃林)飄可母。伊卷渡等。念麻低。聞之恐久。(一云諸人、見惑麻低爾、)引放。箭繁計久。大雪乃。亂而來禮。(一云霰成、曾知余里久禮婆)
ささげたる。はたのなびきは。ふゆごもり。はるさりくれば。ぬごとに。つきてあるひの。かぜのむた。なびけるごとく。とりもてる。ゆはずのさわぎ。みゆきふる。ふゆのはやしに。あらしかも。いまきわたると。おもふまで。ききのかしこく。ひきはなつ。やのしげけく。おほゆきの。みだれてきたれ。
 
冬木モリ、枕詞。成は盛の誤りなるべき事既に言へり。ツキテ有火は、野に火をつけて燒くを言ふ。一本に、春野ヤク火ノと有る方よし。赤旗を火に譬へたり。ユハズノサワギ云云、一本、由布乃林と有るは布由の上下に成れるなり。飄はツムジとも訓むべし。和名抄に、?、豆無之加世と有り、冬枯の林の梢さわがしてつむじの吹きまくに、多くの弓弭の動くを譬ふ。イマキのイは發語なり、聞ノカシコクは、ここは見る事なれば、一本の見マドフマデニと有る方然るべし。大雪ノ亂レテキタレ云云、キタレバのバを略けり。(154)一本アラレナス、ソチヨリクレバもよし。ソチは彼方と言はむが如し。
 參考 ○靡如久(古、新)ナビクガゴトク○取持流(古、新)トリモタル○亂而來禮(代、新)略に同じ(考)ミダレテクレ「者」バ(古)ミダリテキタレ。
 
不奉仕。立向之毛露霜之。消者消倍久。去鳥乃。相競端爾。(一云朝霜之、消者消言爾、打蝉等、安良蘇布波之爾、)渡會乃。齋宮從。神風爾。伊吹惑之。天雲乎。日之目毛不令見。常闇爾。覆賜而。定之。
まつろはず。 たちむかひしも。つゆしもの。けなばけぬべく。ゆくとりの。あらそふはしに。わたらひの。いつきのみやゆ。かむかぜに。いふきまどはし。あまぐもを。ひのめもみせず。とこやみに。おほひたまひて。さだめてし。
 
マツロハズ云云、以下六句は敵方を言ふ。露霜ノ云云は、命を捨てて向ふなり。ユク鳥ノ云云は、群り飛ぶ鳥の、おのれ劣らじと競ひ進むが如となり。アラソフハシニは爭フ間ニなり。一本のアサ霜ノケナバケトフニは、消ゆると言ふ如くになり。風は神の御息よりおこれば、神風と言ふより、い《息》ぶきと續けたり。天雲ヲ日ノメモミセズ云云、天武紀、天皇野上の行宮におはします夜、雷雨甚しかりしに、天皇祈りたまへば、やみつる事などあれば、此御軍の時、神のしるし有りし事あまた有るべきを、紀にも委しからねば傳へ失せしなるべし。
(155) 參考 ○消言爾(代)ケテフニ(古)ケヌ「香」ガニ ○天雲乎(新)「大空」オホゾラヲ
 
水穗之國乎。神髓。太敷座而。八隅知之。吾大王之。天下。申賜者。萬代。然之毛。將有登。(一云如是毛安良無等)木綿花乃。榮時爾。
みづほのくにを。かむながら。ふとしきまして。やすみしし。わがおほきみの。あめのした。まをしたまへば。よろづよに。しかしも。あらむと。ゆふはなの。さかゆるときに。
 
水ホノ國以下五句、天皇の御事なり。天ノ下申シタマヘバ云云は、高市皇子尊太政大臣に任《マ》け給ひし事を言ふ。マヲシ給フとは政を執り申す義なり。萬代ニ云云、一本、シカモアラムトも同じ事にて、いつまでも政を執り給はむとと言ふなり。ユフ花ノ、枕詞。榮ユル時ニは、俄に薨じ給ふ事を言はむ爲なり。
 參考 ○太敷座而(古)「而」を衍として、フトシキイマス(新)略に同じ ○如是毛安良無等(代)シカモアラムト(古)カクシモアラムト(新)略に同じ。但し一句とす。
 
吾大王。皇子之御門乎。(一云刺竹、皇子御門乎、)神宮爾。装束奉而。遣便【便は使ノ誤】。御門之人毛。白妙乃。麻衣著。埴【埴ヲ今垣ニ誤】安乃。御門之原爾。赤根刺。日之盡。鹿自物。伊波比伏管。烏玉能。暮爾至者。大殿乎。振放見乍。鶉成。伊波比廻。雖侍侯。佐母良比不得者【者ハ天ノ誤】。春鳥之。佐麻欲比奴禮者。
わがおほきみ。みこのみかどを。かむみやに。よそひまつりて。つかはしし。みかどのひとも。しろたへの。あさごろもきて。はにやすの。みかどのはらに。あかねさす。ひの|くるるまで《ことごと》。ししじもの。いはひふしつつ。(156)ぬばたまの。ゆふべになれば。おほとのを。ふりさけみつつ。うづらなす。いはひもとはり。さもらへど。さもらひかねて。はるとりの。さまよひぬれば。
 
ワガ大君ミコノミカドヲ、一本サスタケノと有るも同じ意なり。神宮は殯なり。卷三にも、殯宮の事を白たへに飾まつりてと有り、遣便は遣使の誤りにて、ツカハシシは、つかはし給ひしの意。御門ノ人は舍人を言ふ。白妙ノ麻()衣は喪服を言ふ。埴安御門原、下に香久山ノ宮と有るは即ち是にて、其御門の前なる野原を言へり。赤ネサス、シシジモノ、ヌバタマノ、枕詞。イハヒフシツツは、イは發語にて、鹿の如く這ひ伏すと言ふなり。大殿ヲフリサケミツツは、夜に至れば御門の外の舍に侍宿すれば、殿の方を仰ぎ見やりて彌戀ひ奉るなり。ウヅラナス、枕詞。イは發語にて、鶉の如く這ひめぐるなり。サモラヒ得ネバにては、句の續きよからず。宣長云、不得の下、者は天の誤りにて、サモラヒカネテならむと言へるぞよき。春鳥ノ、枕詞、ウグヒスノと詠めるはわろし。サマヨヒヌレバは、サマヨヒヌルニと言ふ意なり。サマヨフは紀に吟の字を書きて、歎き呼ぶ意なり。舍人等が御門或は御階のもとを守るさまなり。
 參考 ○装束奉而(代)カザリマツリテ(考)代に同じ(古、新)略に同じ ○遣便(代)タテマタス、便を使とす(考)ツカハセル(古、新)略に同じ ○日之盡(代、古)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ ○不得者(代、考)エネバ(古、新)略に同じ。
 
(157)嘆毛。未過爾。憶毛。未盡者。言左【左ヲ今右ニ誤】敝久。百濟之原從。神葬。葬伊座而。朝毛吉。木上宮乎。常宮等。高之奉而。神隨。安定座奴。雖然。吾大王之。萬代跡。所念食而。作良志之。香來山之宮。萬代爾。過牟登念哉。天之如。振放見乍。玉手次。懸而將偲。恐有騰文。
なげきも。いまだすぎぬに。おもひも。いまだつきねば。ことさへぐ。くだらのはらゆ。かむはふり。はふりいまして。あさもよし。きのべのみやを。とこみやと。たかく《さだめ》まつりて。かむながら。しづまりましぬ。しかれども。わがおほぎみの。よろづよと。おもほしめして。つくらしし。かぐやまのみや。よろづよに。すぎむともへや。あめのごと。ふりさけみつつ。たまだすき。かけてしぬばむ。かしこかれども。
 
イマダ盡ネバは、此ネバの詞の下、さはあらじと思ふにと言ふ詞を略ける古歌の例にて、ツキネバと言ひて、ツキヌニと言ふと同じ事に落つるなり。卷八、秋立ちていくかもあらねばこのねぬる朝けの風は袂涼しもと言へる、アラネバにひとし。コトサヘグ、枕詞。クタラノ原、此原も香山宮に近きなるべし。ハブリイマシテは、去《イニ》マシテの略なり。アサモヨシ、枕詞。高之奉而の之の字久の誤りにて、タカクマツリテと有りしか。今の訓タカクシタテテと有るは由無し。宣長説、高之の二字定を誤れるならむ。上の長歌に、常宮跡定賜と有りと言へり。さも有るべし。萬代ニ過ギムトモヘヤのモヘヤは、例の添ひたる詞にて、過ギ失セメヤなり。萬代とほぎ作られし宮なれば失する代あらじ。是をだに御形見と仰ぎ見て(158)あらむとなり。
 參考 ○葬伊座而(新)ハフリイマセテ。○高之奉而(考)タカ「知座」シリマシテ(古、新)サダメマツリテ。
 
短歌二首
 
200 久堅之。天所知流。君故爾。日月毛不知。戀渡鴨。
ひさかたの。あめしらしぬる。きみゆゑに。つきひもしらに。こひわたるかも。
 
天シラシヌルは、上に天原石門を開云云と言へるにひとしく、薨じ給ひし皇子を申せり。皇太子は天皇にひとしく申奉ればなり。君ユヱニは、君ナルモノヲの意なり。シラニは、シラズニの意。かくよむは例なり。さて是皇子過ぎまししより、世はとこやみゆく心ちして、月日の過ぐるも覺えず、戀ひ奉ると言ふなり。日月と書きたれど、字に泥まずしてツキヒと訓むべし。
 參者 ○日月毛不知(考)ツキヒモシラズ(古、新)略に同じ。
 
201 埴安乃。池之堤之。隱沼之。去方乎不知。舍人者迷惑。
はにやすの。いけのつつみの。こもりぬの。ゆくへをしらに。とねりはまどふ。
 
是は堤にこもりて水の流れ行かぬを、舍人の行かむ方を知らぬ譬に言ふなり。
 
或書反歌一首 是は左註に言へるによるべし。
 
(159)202 哭澤之。神社爾三輪須惠。雖?祈。我王者。高日所知奴。
なきさはの。もりにみわすゑ。いのれども。わがおほきみは。たかひしらしぬ。
 
古事記、坐2香山之畝尾木本1名泣澤女神と有り。かかれば香山の宮にて專ら祈りごとすべき社なり。仍りて是も高市皇子尊を傷み給ふ歌とす。ミワは酒を釀る※[瓦+缶]を言ふ。其釀る※[瓦+缶]のまま居《ス》ゑて奉る故に、ミワスヱと言へり。高日シラシヌは、上に天シラシヌルと言ふに同じ。
 參考 ○雖?祈(代)クミノメド(考)略に同じ(古)ノマメドモ(新)イノレドモ、叉はコヒノメド。
 
右一首類聚歌林曰。檜隈女王怨2泣澤神社1之歌也。案日本紀曰。持統天皇十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨。
 
但馬皇女薨後、穗積皇子冬日雪落遙望2御墓1悲傷流v涕御作歌一首
 
是皇女和銅元年六月薨。下の和銅四年と有る所に寧樂宮と標せれど、一の卷の例によれば、其標ここに有るべきなり。
 
203 零雪者。安幡爾勿落。吉隱之。猪養乃岡之。塞爲卷爾。
ふるゆきは。あはになふりそ。よなばりの。ゐかひのをかの。せきならまくに。
 
安は佐の誤りにて、サハニナフリソか、サハは多き事にて、雪は深く降る事なかれと言ふなり。又宣長云、近江の淺井郡の人の云く、其あたりにては、淺き雪をばユキと言ひ、深く一丈もつもる雪をばアハと言(160)ふとなり。ここによくかなへり。古今集の雲のあはだつも、雲の深く立つ意なるべしと言へり。古言は田舍に殘れる事も有れば、さる事にや有らむ、猶考ふべし。吉隱、ヨゴモリと訓みたれど、持統紀幸2菟田吉隱1と見え、今も初瀬山こえて、宇多の方にヨナバリと言ふ村あり。又式に吉隱陵在2大和國城上郡1と記し、卷五、跡見庄の歌とて、よなばりの猪養の山と詠めれば、今トビ山と言ふ邊のこなたかなた、皆ヨナバリなる事を知りぬ。さて一周の間は家人墓の傍へ行き宿る事なれば、雪深く降らば、往き通ふ道も絶えむ事を悲しみて詠み給へるなるべし。
 參考 ○安幡(考)「佐幡」サハ(古、新)アハ○塞爲卷爾(古)セキナサマクニ(新)セキトナラマクニ。
 
弓削皇子薨時|置始東人《オキソメノアヅマビト》歌一首并短歌
 
文武紀三年七月薨と有り。右の但馬皇女の薨より九年前なり。此卷年の次を立てたるを、此年次のみ違へり。歌のさまも左に言へる如く、彼是疑はしき由考に言へり。東人の下作の字を脱せり。
 
204 安見知之。吾王。高光。日之皇子。久堅乃。天宮爾。神隨。神等座者。其乎霜。文爾恐美。晝波毛。日之|盡《・ことごと》。夜羽毛。夜之|盡《・ことごと》。臥居雖嘆。(161)飽不足香裳。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。ひさかたの。あまつみやに。かむながら。かみといませば。そこをしも。あやにかしこみ。ひるはも。ひのくるるまで。よるはも。よのあくるきはみ。ふしゐなげけど。あきたらぬかも。
 
ヤスミシシ云云は、天皇を申す古言にして、轉じては皇子にも言へり。天宮ニ云云は、神となりて天路しろしめすと言ふ意なり。さてそれをかしこみて起き臥し嘆くとなり。此歌古言をもて言ひ續けしのみにて、吾歌なるべき事も見えず。此卷などに斯かるは見えねば、紛れて入りたるならむ由、考に委し。
 參考 ○日之盡(代)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ(古、新)ヒノコトゴト。○夜之盡(代)ヨノコトゴト(考)ヨノアクルキハミ(古、新)ヨノコトゴト。
 
反歌一首
 
205 王者。神西座者。天雲之。五百重之下爾。隱賜奴。
おほきみは。かみにしませば。あまぐもの。いほへがしたに。かくりたまひぬ。
 
五百重ガ下の下は、上の誤りならんと翁言はれき。宣長云、下は裏にてウチと言ふに同じと言へり。卷三に本全く同じき歌有り。
 參考 ○五百重之下爾(考、新)イホヘガ「上」ウヘニ(古)略に同じ。○隱(考)カクレ(古、新)略に同じ。
 
又短歌一首
 
(162)206 神樂波之。志賀左射禮浪。敷布爾。常丹跡君之。所念有計類。
ささなみの。しがさざれなみ。しくしくに。つねにときみが。おもほせりける。
 
ササナミは近江志賀郡の地名、冠辭考に委し。サザレナミは小波なり。シクシクは重重と言ふ意。しくしくによる浪の常なるが如く、とこしなへにとおぼして在りしとなり。是は右の反歌には有らず、別に端詞の有りしなるべし。
 參考 ○所念有計類(代)オモホエタリケル(考)オボシタリケル(古〕オモホヘタリケル(新)略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首并短歌
 
此二首の長歌の意、前一首は忍びて通ふ女の死にたるをいたみ、次なるは子さへ有りし嫡妻の死にたるを嘆くと見ゆ。
 
207 天飛也。輕路者。吾妹兒之。里爾思有者。懃。欲見騰。不止行者。人目乎多見。眞根久往者。人應知見。狹根葛。後毛將相等。大船之。思憑而。玉蜻。磐垣淵之。隱耳。戀管在爾。度日【日を今目に誤】乃。晩去之如。照月乃。(163)雲隱如。奧津藻之。名延之妹者。黄葉乃。過伊去等。玉梓之。使乃言者。梓弓。聲爾聞而。(一云聲耳聞而)將言爲便。世武爲便不知。聲耳乎。聞而有不得者。
あまとぶや。かるのみちは。わぎもこが。さとにしあれば。ねもごろに。みまくほしけど。やまずゆかば。ひとめをおほみ。まねくゆかば。ひとしりぬべみ。さねかづら。のちもあはむと。おほぶねの。おもひたのみて。かぎろひの。いはがきぶちの。こもりのみ。こひつつあるに。わたるひの。くれぬるがごと。てるつきの。くもがくるごと。おきつもの。なびきしいもは。もみぢばの。すぎていにしと。たまづさの。つかひのいへば。あづさゆみ。おとにききて。いはむすべ。せむすべしらに。おとのみを。ききてありえねば。
 
天飛ブヤ、枕詞。輕は高市郡。ミマクホシケドは、ケレドモの略。眞根クは、卷一、浦さぶる心さまねしの歌に言ふ如く、敷多き事なり。卷十七、十八、見ぬ日さまねみ、卷十九、きかね日まねくなど、外にも例多し。サネカヅラ、大ブネノ、枕詞。末長く逢はむと思ひたのみてなり。カギロヒノ、枕詞。イハ垣淵ノ云云は、み谷などの岩の垣の如くそばだち廻れるを、岩がき淵と言へば、忍びかくれて戀ふるに譬ふ。オキツモノ如クと言ふを略けり。過ギテは死を言ふ。玉ヅサノ云云、此詞すべて集中|書《フミ》かよはす使の事に冠らせ言へる枕詞なり。梓弓、枕詞。音ニキキテは、音ヅレノミ聞キテと言ふなり。一本のオトノミキキテと有る方よし。イハムスベ云云は、同言を重ねて次の言を起せり。
 參考 ○不止行者(考)ツネニユカバ(古、新)略に同じ ○玉蜻(古)の別考にタマカギル(新)タマカギル ○晩去之如(考)略に同じ(古、新)クレユクガゴト ○過伊去等(考、古)略に同じ(新)スギテイニキト。
 
吾戀。千重之一隔毛。遣悶流。情毛有八等。吾妹子之。不止出見之。輕市爾。吾立聞者。玉手次。畝火乃山爾。喧鳥之。音母不所聞。玉桙。道行人毛。獨谷。似之不去者。爲便乎無見。妹之名喚而。袖曾振鶴。
(164)わがこふる。ちへのひとへも。なぐさもる。こころもあれやと。わぎもこが。やまずいでみし。かるのいちに。わがたちきけば。たまだすき。うねびのやまに。なくとりの。おともきこえず。たまぼこの。みちゆくひとも。ひとりだに。にてしゆかねば。すべをなみ。いもがなよびて。そでぞふりつる。
 
遣悶、もとオモヒヤルと訓みたれど、句の續きわろし。ナグサモルと宣長の訓めるぞよき。ナグサムルを古くかく言へり。輕ノ市、かるの里の廛有る所を言ふべし。玉ダスキ、枕詞。ナク鳥ノまでは句中の序にて、オトモキコエズは妹が聲の聞えぬなり。玉ボコノ、枕詞。その市路を群れ行く人に、一人も妹に似たる人の行かねば、妹が名を呼び袖して招きしとなり。
 參考 ○遣悶流(代、考)オモヒヤル(古、新)ナグサムル ○情毛有八等(古、新)ココロモアリヤト ○不止出見之(考)ツネニデテミシ(古、新)略に同じ○音母(古、新)コエモ。
 
或本有謂之名耳聞而有不得者句、 これはここにかなはず、謂之二字衍文か。
 
短歌二首
 
208 秋山之。黄葉乎茂。迷流。妹乎將求。山道不知母。(一云|路不知而《−ミチシラズシテ》)
あきやまの。もみぢをしげみ。まどはせる。いもをもとめむ。やまぢしらずも。
 
(165)卷七、秋山のもみぢあはれとうらぶれて、入りにし妹は待てど來まさぬと言ふに似たり。一本はわろし。
 參考 ○迷流(新)マドヒヌル。
 
209 黄葉之。落去奈倍爾。玉梓之。使乎見者。相日所念。
もみぢばの。ちりぬるなへに。たまづさの。つかひをみれば。あへるひおもほゆ。
 
妹が在りし時、使を待ち得て行きて逢ひし日に、もみぢの散りたりしを、けふも又もみぢの散るに使の來たるを見れば、逢ひし時のここちすると言ふなり。ナヘは並になり。考の別記に委し。
 參考 ○相日所念(考)略に同じ(古、新)アヒシヒオモホユ。
 
210 打蝉等。念之時爾。(一云宇都曾臣等念之)取持而。吾二人見之。?出之。堤爾立有。槻木之。己知碁智乃枝之。春葉之。茂之如久。念有之。妹者雖有。憑有之。兒等爾者雖有。世間乎。背之不得者。蜻火之。燎流荒野爾。白妙之。天領巾隱。鳥自物。朝立伊麻之?。入日成。隱去之鹿齒。
うつせみと。おもひしときに。たづさへて。わがふたりみし。はしりでの。つつみにたてる。つきのきの。こちごちのえの。はるのはの。しげきがごとく。おもへりし。いもにはあれど。たのめりし。こらにはあれど。よのなかを。そむきしえねば。かぎろひの。もゆるあらぬに。しろたへの。あまひれがくり。とりじもの。あさだちいまして。いりひなす。かくれにしかば。
 
(166)ウツセミ、ウツソミ同じく現身なり。念之は添へて言ふ詞のみ。取持而、左の或本に携手と書きたれば、ここはタヅサヘテと訓むべきなり。吾二人見シは妻と共になり。ハシリ出は門近き所を言ふ。槻は今ケヤキと言ふ木の類ひなり。コチゴチは此彼なり。春ノ葉ノ云云、前にも言へる如く、春を葉しげき事に集中多く言へり。妹と言ひ兒等と言ふは、同じ詞を重ねたるのみ。ヨノ中云云は、常なき世の習はし背く事の得ざればなり。カギロヒノモユル荒野ニ云云は、廣き野には陽炎の立つ物なれば然か言ひて、妹を廣野に捨てぬる悲しみを言ふなり。白タヘノ天ヒレ隱リは、葬送の旗を言ふ。柩の前後左右に旗を立て持ち行くさまなりと宣長説なり。鳥ジ物、枕詞。朝立イマシテはイニマシテなり。ここまでは葬送の事を言ふ。
 參考 ○取持而(古)略に同じ(新)タヅサヒテ ○?出之(代、考、新)略に同じ(古)ワシリデノ。
 
吾妹子之。形見爾置。若兒乃。乞泣毎。取與。物之無者。鳥穗【鳥穗は烏コノ誤】自物。腋挾持。吾妹子與。二人吾宿之。枕付。嬬屋之内爾。晝羽裳。浦不樂晩之。夜者裳。氣衝明之。嘆友。世武爲便不知爾。戀友。相因乎無見。大鳥。羽易乃山爾。吾戀流。妹者伊座等。人之云者。石根左久見手【今手ヲ乎ニ誤ル】。名積來之。吉雲曾無寸【寸ヲ十ニ誤ル】。打蝉跡。念之妹之。珠蜻。髣髴谷裳。不見思者。
わぎもこが。かたみにおける。みどりごの。こひなくごとに。とりあたふ。ものしなければ。をとこじもの。わきばさみもち。わぎもこと。ふたりわがねし。まくらつく。つまやのうちに。ひるはも。うらさびくらし。よるはも。いきづきあかし。なげけども。せむすべしらに。こふれども。あふよしをなみ。おほとりの。は(167)がひのやまに。わがこふる。いもはいますと。ひとのいへば。いはねさくみて。なづみこし。よけくもぞなき。うつせみと。おもひしいもが。かぎろひの。ほのかにだにも。みえぬおもへば。
 
トリアタフモノシナケレバ、宣長云、此モノは玩物にて、兒の泣くをなぐさめむ料の物の無きなりと言へり。鳥穗自物、今本トリホジモノと訓みて、説説あれど、此末に載せたる或本に、男自物と書き、其外集中雄自毛能負ひみ抱きみと言ひ、又男土物や戀ひつつをらむなど言ひて、ここはヲトコジモノと有るべきなり。されば鳥穗二字は烏コと言ふ字の誤りならむ。枕ヅクは枕詞。浦不樂クラシ、是も或本浦不怜晩と有りて、ここもウラサビと訓むべきなり。イキヅキは嘆息なり。大鳥ノ、枕詞。羽ガヒノ山、卷十、かすがなる羽買山と詠めり。此山に葬りしなるべし。石根サクミテは、岩がねを蹈裂くと言ふ詞なり。サキを延べてサクミと言ふ。祝詞|磐根木根履佐久彌弖《イハネコノネフミサクミテ》とあり。ナヅミは卷四、道のあひだを煩參來《ナヅミマヰキ》てと書き、卷八、わがくろかみに落名積《オチナヅム》天の露霜なども言ひて、とどこほる事なり。ここは山路の勞を言ふなり。ヨケクモゾナキは、ヨクモナキと言ふなり、現《ウツツ》の身と思ひし妹なれば、逢ふ事あらむかとて、山路分け入りしかひも無く、ほのかにだに見えぬと歎くなり。
 參考 ○若兒乃(代)ワカコノ(考、新)略に同じ(古)ワカキコノ ○吾戀流(考、古、新)「汝」ナガコフル。
 
(168)短歌二首
 
211 去年見而之。秋乃月夜者。雖照。相見之妹者。彌年放。
こぞみてし。あきのつくよは。てらせれど。あひみしいもは。いやとしさかる。
 
妻の死にたる明くる年詠めるなり。サカルは遠ザカルに同じ。
 參考 ○雖照(考、古)略に同じ(新)テラセドモ。
 
212 衾道乎。引手乃山爾。妹乎置而。山徑往者。生跡毛無。
ふすまぢを。ひきてのやまに。いもをおきて。やまぢをゆけば。いけりともなし。
 
引手山は羽ガヒノ山と一つ所なるべし。冠辭考にフスマヂを枕詞か、又枕詞に非ずして、諸陵式に、大和國山邊郡衾田墓と言ふ有れば其所にて、さて引手の山は、大和のひき田ならむかとも覺ゆる由あれど、右の長歌を合せみるに、羽がひの山と一つ所ならずしてはかなはねば、ひき田にてはあらず。心は其山に妹を葬り置きて、山路を通へば、吾さへ生けるものとも覺えぬと、悲しみの餘りに詠めるなり、
 參考 ○生跡毛無(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
或本歌曰
 
213 宇都曾臣等。念之時。携手《テタツサヘ・タツサハリ》。吾二見之。出立《イデタチノ》。百兄《モモエ》槻木。虚知期知爾。枝刺有如《エダサセルゴト》。春葉。茂如。念有之。妹庭雖在。恃有之。雖庭雖有。世中。背不得者。香切火之。燎流荒野爾。白栲。天領巾隱。鳥自物。朝立(169)|伊行而《イユキテ》。入日成。隱西加婆。吾妹子之。形見爾置有。緑兒之。乞哭別。取委《トリマカス》。物之無者。男自物《ヲトコジモノ》。脇挿持。吾妹子與。二吾宿之。枕附。嬬屋内爾。且者《ヒルハ》。浦|不怜《サビ》晩之。夜者《ヨルハ》。息衝明之。雖嘆。馬便不知。雖戀。相縁無。大鳥。羽易山爾。汝戀。妹座等。人云者。石根割見而。奈積來之。好雲叙無。宇都曾臣。念之妹我。灰而座者《ハヒニテマセハ》。
 
トリマカスは、物をとりあたへて其兒の心にまかせて玩ばしむる意ならむ。灰ニテマセバは疑はし。灰は仄《ホノカ》の誤りにて、其外文字の落ちたるか。火葬と見ては、明くる年まで骨をもをさめざりし樣にて、ことに人麻呂のまだ若かりし時と見ゆれば、文武天皇四年三月始めて道昭を火葬にせしよりは前とおぼゆるよし考に委し。
 參考 ○携手(古)テタヅサヒ(新)タヅサハリ○灰而(代)ハヒシテ(古、新)誤字か。
 
短歌三首
 
214 去年見而之。秋月夜。雖度《ワタレドモ》。相見之妹者。益《イヤ》年離。
215 衾路。引出山、妹置。山路|念邇《オモフニ》、生刀毛無。
 
前に出でたる長歌短歌とかはれる所ばかり假字付けたり。其外は書きざまは替りても訓同じ。
 
216 家來而。吾屋乎見者。玉床之。外向來。妹木枕。
いへにきて。わがやをみれば。たまどこの。ほかにむきけり。いもがこまくら。
 
(170)玉床は按ずるに、續後紀第十四、甲斐國言、山梨郡人伴直富成女年十五にて、郷人三枝直平麻呂に嫁、平麻呂死にて後靈床を敬ふ事存日の如しと見えたる靈床にて、卷十、七夕の歌に玉床と詠めるとは異なり。是は羽易の山に妻はいますと聞きて尋ね行きしに、ほのかにも見えざれば、又家に歸りて見るに、むなしき床に枕はかたへに打ちやられて有りとなり。古へ一周の間、床をも其まま置く事前にも言へり。
 參考 ○吾屋(考)ツマヤか〔古、新)ツマヤ ○外向來(古)トニムカヒケリ(新)略に同じ。
 
吉備津采女死時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
宣長云、吉備津を考に、此采女の姓なる由あれど、凡て采女は出でたる地をもて、呼ぶ例にて、姓氏を言ふ例無く、其上反歌に志我津子とも、凡津子とも詠めるを思ふに、近江の志我の津より出でたる采女にて、ここに吉備と書けるは志我の誤りにて、志我津采女なるべしと言へり。時、目録に後に作る。
 
217 秋山。下部留妹。奈用竹乃。騰遠依子等者。何方爾。念居可。栲紲之。長命乎。露己曾婆。朝爾置而。夕 者。消等言。霧己曾婆。夕立而。明者。失等言。梓弓。音聞吾母。髣髴見之。事悔敷乎。布栲乃。手枕纏而。(171)釼刀。身二副寐價牟。若草。其嬬子者。不怜彌可。念而寐良武。時不在。過去子等我。朝露乃如也。夕霧乃如也。
あきやまの。した|べ《ぶ》るいも。なよたけの、とをよるこらは。いかさまに。おもひをれか。たくつぬの。ながきいのちを。つゆこそは。あしたにおきて。ゆふべには。きゆといへ。きりこそは。ゆふべにたちて。あしたには。うすといへ。あづさゆみ。おときくわれも。ほのみし、ことくやしきを。しきたへの。たまくらまきて。つるぎだち。みにそへねけむ。わかくさの。そのつまのこは。さぶしみか。おもひてぬらむ。ときならず。すぎにしこらが。あさつゆのごと。ゆふぎりのごと。
 
古本念而寐良武の句の下、悔彌可《クヤシミカ》、念戀良武《オモヒコフラム》の二句有り。今本脱ちたるなり。秋ヤマノ、枕詞。シタベルは紅顔に譬ふ。シタブルとも訓むべし。ナヨ竹ノ、枕詞。トヲヨルはたをやかなる姿を言ふ。オモヒヲレカは、ヲレバカのバを略く例なり。栲ヅヌノ、枕詞。長キ命は、若くして末長き齡を言ふ。オトキク吾モは采女が死にたる事は、露と霧との詞の中にこめて、さて其事をよそに聞きたる吾さへと言ふなり。ホノミシ、反歌に於保ニ見シとあれば、ここもオホニミシとも訓むべし。ツルキダチ、ワカクサノ、枕詞。其ツマノ子は夫を言へり。嬬は例の借字、夫有るからは前の采女なるべし。時ナラズ過ギニシ子ラガは、上の長き命と言ふにむかへて、ゆくりなく死にしと言ふなり。宣長云、朝露乃如也。夕霧乃如也の二の也は、焉の字の如くただ添へて置けるにて、朝霧ノゴト、夕霧ノゴトと訓むべしと言へり。いかさまにも也の詞有りては調ひ難し。
 參考 ○下部留(古)シタベル(新)シタブル ○奈用竹(代)ナヨタケ(考)ナユタケ(古、新)略に同じ。○念居可(代、考)オモヒヲリテカ(古、新)オモヒマカ ○栲紲之(代、考)略に(172)同じ(古、新)タクナハノ ○夕者(古、新)ユフベハ ○消等言(考)ケヌルトイヘ(古)ケヌトイヘ(新)略に同じ ○明者(古、新)アシタハ ○失等言(考)ウセヌトイヘ(古、新)略に同じ ○髣髴見之(代)ホノニミシ(考、古、新)オホニミシ ○時不在(代、古、新)略に同じ(考)トキナラデ ○過去子等我(古、新)スギニシコラカ(カを清む)。
 
短歌二首
 
218 樂浪之。志我津子等何。(一云志我津之子我)罷道之。川瀬道。見者不怜毛。
ささなみの。しがつのこらが。まかりぢの。かはせのみちを。みればさぶしも。
 
ササナミ、地名。罷道は葬送の道を言ふ。光仁紀、永手大臣の薨時の詔に、美麻之大臣乃罷通母《ミマシマヘツキミノマカリヂモ》云云、ここは黄泉の道をのたまへども、言は同じ。宣長云、罷道の道は邇の誤りにて、マカリニシなるべし。ここはマカリヂにてはわろしと言へり。川瀬の道は、大和のうちいづこの川か、さしがたし。
 參考 ○罷道之(古、新)マカリニシ。
 
219 天數。几津子之。相日。於保爾見敷者。今叙悔。
そらかぞふ。おほつのこが。あひしひに。おほにみしかば。いまぞくやしき。
 
ソラカゾフ、枕詞。おほよそに見しが悔しきとなり。
 參考 ○天數云云(代)アメノカズオヨソ(考、新)略に同じ(古)「樂敷」ササナミノ、オホツノコガ。
 
(173)讃岐|狹岑《サミノ》島視2石中死人1柿本朝臣人麻呂作歌−首并短歌
 
狹岑は反歌に佐美とあればサミと訓む。今讃岐國那珂郡にサミ島有りと言へり。石中はただ磯邊を言ふなり。例によるに讃岐の下、國の字有るべし。
 
220 玉藻吉。讃岐國者。國柄加。雖見不飽。神柄加。幾許貴寸。天地。日月與共。滿將行。神乃御面跡。次來。中乃水門從。船浮而。吾榜來者。時風。雲居爾吹爾。奧見者。跡位浪立。邊見者。白浪散動。鯨魚取。海乎恐。行船乃。梶引折而。彼此之。島者雖多。名細之。狹岑之島乃。荒礒面【面ハ回ノ誤】爾。廬作而見者。浪音乃。茂濱邊乎。敷妙乃。枕爾爲而。荒床。自伏君之。家知者。往而毛將告。妻知者。來毛問益乎。玉桙之。道太爾不知。(174)欝悒久。待加戀良武。愛伎妻等者。
たまもよし。さぬきのくには。くにがらか。みれどもあかぬ。かむがらか。ここたたふとき。あめつち。ひつきとともに。たりゆかむ。かみのみおもと。つぎてくる。なかのみなとゆ。ふねうけて。わがこぎくれば。ときつかぜ。くもゐにふくに。おきみれば。しきなみたち。へたみれば。しらなみさわぐ。いさなとり。うみをかしこみ。ゆくふねの。かぢひきをりて。をちこちの。しまはおほけど。なぐはし。さみのしまの。ありそわに。いほりてみれば。なみのとの。しげきはまべを。しきたへの。まくらになして。あらどこに。ころぶすきみが。いへしらば。ゆきてもつげむ。つましらば。きもとはましを。たまぼこの。みちだにしらず。おほほしく。まちかこふらむ。はしきつまらは。
 
玉モヨシ、枕詞。日月ト共ニタリユカムは、神代紀に、面足命又天足國足など言ふ古言どもに依りてタリと訓む。神ノ御面、古事記に、伊邪那伎命云云、生2伊豫之二名島1。此島者身一而有2面四1。毎v面有v名とて、伊與、讃岐、粟、士左の四つの國の神の御名有るを言ふ。中ノ港、讃岐那珂郡有り。其湊なるべし。時ツ風は潮の滿來る時起る風を言へり。シキ浪立、跡位は、敷座《シキマス》と言ふ意を以ての借字なり。卷十三にも跡《シ》座浪と書けり。シキは重なり。カヂはカイと同じ。引折りは引きたわめて漕ぐさまを言ふ。島ハオホケドは、多ケレドモの略。名細シは、よろしき名の聞えしと言ふ事なり。荒礒面の面は囘の誤りなり。荒床は、荒川荒野の荒の如し。コロブスはおのれと伏すを言ふ、上にも出でたり。ここにては死にたるを言へり。道ダニシラズ云云は、家の妹が心を言ふ。ハシキはうつくしむなり。
 參考 ○次來(古、新)「云」イヒツゲル ○邊見者(古、新)ヘミレバ ○廬作而見(代)イホリヲツクリテミレバ(考)イホリシテミレバ(古、新)略に同じ○枕爾爲而(考、古)略に同じ(新)マクラニシテ。
 
反歌
 
221 妻毛有者。採而多宜麻之。佐美乃山。野上乃宇波疑。過去計良受也。
(175)つまもあらば。とりてたげまし。さみのやま。ぬのへのうはぎ。すぎにけらずや。
 
トリテタゲマシは、死屍をとりあぐる事なり、タゲは髪タグなどのタグと同言なり。此死屍をウハギにたとへて、うはぎの時過ぐるまで、つみとる人も無きに譬へたるならむと宣長言へり。皇極紀童謠、いはのへにこざるこめやくこめだにも多礙底《タゲテ》とほらせかまししのをぢ、此タゲも同じ。ウハギ内膳式、蒿、また和名抄、莪蒿(於八木)と有り。今ヨメガハギと言ふ是なり。
 參考 ○採而(考、古、新)ツミテ。
 
222 奧波。來依荒磯乎。色妙乃。枕等卷而。奈世流君香聞。
おきつなみ。きよるありそを。しきたへの。まくらとまきて。なせるきみかも。
 
ナセルは古事記八千矛神御歌、伊波那佐牟遠《イハナサムヲ》、又|伊遠斯那世《イヲシナセ》などのナスにて、寢ね臥す事なり。ここは臥したるさまにて死にて在るを言ふ。
 
柿本朝臣人麻呂在2石見國1臨v死時 自傷作歌一首
 
式、凡百官身亡者。親王及三位以上稱v薨。五位以上及皇親稱v卒。六位以下達2於庶人1稱v死と有りて、ここに死と書ければ、人麻呂六位以下の人なる事知るべし。委しくは卷一の考の別記を披き見るべし。
 
223 鴨山之。磐根之卷有。吾乎鴨。不知等妹之。待乍將有。
かもやまの。いはねしまける。われをかも。しら|ず《に》といもが。まちつつあらむ。
 
(176)鴨山は石見の内にて、常に葬する山なるべし。卷ケルは枕スルなり。シラズトはシラズテと言ふに同じ。卷四、爲便《スベ》を不v知|跡《ト》立ちて爪づくとも言へり。
 參考 ○不知等妹之(代)シラズ(考)シラズトイモガ(古、新)シラニトイモガ。
 
柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首
 
224 且今日且今日。吾待若者。石水。貝爾(一云谷爾)交而。有登不言八方。
けふけふと。わがまつきみは。いしがはの。かひにまじりて。ありといはずやも。
 
石川は鴨川の麓に有るなるべし。貝を詠めるからは海へ落つる處ならむ。一首の意心得難し、猶考ふべし。
 
225 直相者。相不勝。石川爾。雲立渡禮。見乍將偲。
ただにあはば。あひもかねてむ。いしがはに。くもたちわたれ。みつつしぬばむ。
 
ただちに逢ひがたかりなむとなり。せめて雲と成りてだに立ちわたれ、それを見て忍ばむと言ふなり。山ならねど遠き境なれば、雲をもて言へるなるべし。卷四、いめのあひはと詠めれば、ここもタダノアヒハと詠まむよし宣長言へり。
 參考 ○直相者(新)タダノアヒハ ○相不勝(考)アヒカテマシヲ(古)略に用じ(新)アヒカツマシジ。
 
丹比眞人(名闕)擬2柿本朝臣人麻呂之意1報歌一首
 
(177)226 荒浪爾。縁來玉乎。枕爾置。吾此間有跡。誰將告。
あらなみに。よせくるたまを。まくらにおき。われここなりと。たれかつげなむ。
 
枕ニ置キは枕邊に置きなり。われここに在りと、誰か古郷人に告げなむとなり。これは丹比眞人が、人麻呂の心に成りて詠めるなり。
 參考 枕爾置(代、古)略に同じ(考)マクラニ「卷」マキ(新)マクラニ「爲」シ ○誰將告(代)タレカツゲケム(考)タレカツゲマシ(古、新)略に同じ。
 
或本歌曰
 
227 天離。夷之荒野爾。君乎置而。念乍有者。生刀毛無。
あまざかる。ひなのあらぬに。きみをおきて。おもひつつあれば。いけりともなし。
 
 參考 ○念乍有者(考)モヒツツアレバ(古)略に同じ ○生刀毛無(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
右一首歌作者未v詳。但古本以2此歌1載2於此次1也。 これは依羅娘子が意に擬へて詠めると見ゆ。
 
寧樂宮 和銅三年奈良へ遷都なれば、上の例によるに、此標同元年の所へ出だすべし。
 
和銅四年歳次2辛亥1河邊宮人姫島松原見2孃子屍1悲歎作歌二首
 
古事記幸2行日女島1。安閑紀元正紀媛島と有り。難波の邊と見ゆ。
 
(178)228 妹之名者。千代爾將流。姫島之。子松之末爾。蘿生萬代爾。
いもがなは。ちよにながれむ。ひめじまの。こまつがうれに。こけむすまでに。
 
ひめ島のこ松の年ふりて、日蔭のかづらの生ふるまで、妹が名を言ひ傳へむとなり。
 參考 ○子松之末爾(古)コマツノウレニ(新)略に同じ。
 
229 難波方。鹽干勿有曾禰。沈之。妹之光儀乎。見卷苦流思母。
なにはがた。しほひなありそね。しづみにし。いもがすがたを。みまくくるしも。
 
アリソネのネはナと通ひて添ひたる詞、ミマクは見ムを延べたる詞なり。汐の干なば、妹が姿の見えて見るに堪へじ、汐干る事勿れとなり。
 
靈龜元年歳次2乙卯1秋九月志貴親【今親ヲ視ニ誤ル】王薨時作歌一首并短歌
 
續紀靈龜二年八月薨とあり。紀には志貴親王と記されつれど、集中の例によれば皇子と有るべし。作者の名脱ちしなるべし。
 
230 梓弓。手取持而。丈夫之。得物矢手挿。立向。高圓山爾。春野燒。野火登見左右。燎火乎。何如問者。玉桙之。道來人之。泣涙。※[雨/泳]霖爾落者。(179)白妙之。衣?漬而。立留。吾爾語久。何鴨。本名言。聞者。泣耳師所哭。語者。心曾痛。天皇之。神之御子之。御駕之。手火之光曾。幾許照而有。
あづさゆみ。てにとりもちて。ますらをの。さつやたばさみ。たちむかふ。たかまとやまに。はるぬやく。ぬびとみるまで。もゆるひを。いかにととへば。たまぼこの。みちくるひとの。なくなみだ。ひさめにふれば。しろたへの。ころもひづちて。たちとまり。われにかたらく。なにしかも。もとないへる。きけば。ねのみしなかゆ。かたれば。こころぞいたき。すめろぎの。かみのみこの。いでましの。たびのひかりぞ。ここたてりたる。
 
梓弓以下五句的と言はむ序なり。高圓山は春日の内に有り。野火トミルマデ云云は、葬送の人人の手火《タビ》なり。ヒサメ和名抄、霈、大雨なり。日本紀私記大雨(比佐米)。ヒヅチは泥に漬きて濡るるをもとにて、雨露泪などに濡るるにも言へり、考の別記に委し。吾ニカタラクにて句なり。カタラクはカタルを延べ言へり。モトナはヨシナに同じ。聞ケバは、語るを聞きしかばと言ふなり。ナカユはナカルと言ふに同じ。何鴨以下の訓、モトナイヒツル、キキツレバ、ネノミシナカユ、カタラヘバと訓みたれど、ここの書きざま短句に訓まん方まされり。オホキミノ神ノ御子の神は、天皇の方へつけて見るべし。タビに、神代紀、秉炬此云2多妣《タビ》1とあり。
 參考 ○大夫之(古)マスラヲガ(新)略に同じ ○本名言(代)モトナイヒシヲ(考)モトナイヒツル(古)略に同じじ(新)モトナイフ ○聞者(代、考)キキツレバ(古、新)略に同じ ○語者(180)(考)カタラヘバ(古、新)略に同じ。
 
短歌二首
 
此歌二首ともに右の反歌にはあらじ。薨じまして暫後に詠めりと見ゆ。目録にも右の長歌の反歌は無し。
 
231 高圓之。野邊乃秋芽【今芽ヲ茅ニ徒ヲ從ニ誤ル】子。徒。開香將散。見人無爾
たかまとの。ぬべのあきはぎ。いたづらに。さきかちるらむ。みるひとなしに。
 
志貴皇子の宮、高圓に有りし故にかく詠めり。
 參考 ○開香將散(考)サキカチリナム(古、新)略に同じ。
 
232 御笠山。野邊往道者。己伎太【太ヲ大ニ誤ル】雲。繁荒有可。久爾有勿國。
みかさやま。ぬべゆくみちは。こきだくも。しじにあれたるか。ひさにあらなくに。
 
コキダクは、ココバクと同じく許多なり。シジは繁き事の古言なり。
 參考 ○繁荒有可(考)「荒爾計類鴨」アレニケルカモ(古)シゲクアレタルカ(新)或本に從ふ。
 
右歌笠朝臣金村歌集出
 
或本歌曰
 
233 高圓之。野邊乃秋芽子。勿散禰《ナチリソネ》。君之形見爾《キミガカタミニ》。見管思奴幡武《ミツツシヌバム》。
 
(181)234 三笠山。野邊遊久道者《ヌベユユクミチハ》。己伎太久母。荒爾計類鴨《アレニケルカモ》。久爾有名國。
 
萬葉集 卷第二 終
 
(182)卷二 追加
夜者母夜之盡晝者母日之盡、卷四に、晝波日乃久流留麻弖《ヒルハヒノクルルマデ》、夜者夜之明流寸食《ヨルハヨノアクルキハミ》と書けるによりて、これも凡て、ヨルハモヨノアクルキハミ、ヒルハモヒノクルルマデと、翁の訓まれつるはさる事ながら、宣長は古事記神代の歌に、伊毛波和須禮士《イモハワスレジ》、余能許登碁登邇《ヨノコトゴトニ》とあるも、世のあらむ限りと言ふ事なれば、かく書けるは、ヨノコトゴト、ヒノコトゴトと訓むべし。日のかぎり夜のかぎりの意なりと言へり。此説まさりぬべし。
 
          2009年7月6日午後4時45分、巻二入力終了。
 
 
(183)萬葉集 卷第三
 
雜歌《クサクサノウタ》 行幸、覊旅、遊宴、挽歌、其ほかくさぐさの歌を載せたり。
 
天皇御2遊|雷山岳《イカツチヤマ》1之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
 
持統天皇なるべし。次の歌ども、持統の大御時の歌なればなり。雷岳は雄略紀七年、天皇三諸岳の神形を見まくほりし給ひて、少子部蘇羸《チヒサコベノスガル》に詔せしかば、すがる三諸岳に登りて、大蛇を取りて奉る。其雷光りて、目かがやけるに畏れ給ひて、岳に放たしめ、名を改めて雷とする由見えたり。則ち大和國高市郡雷村にある、飛鳥の神奈備山にして、カミヲカと訓むべきなりと、翁は言はれつれど、歌にイカヅチノウヘと有るからは、イカヅチヤマと訓むべきよし宣長は言へり。さて其山に行宮在りて幸《ミユキ》し給ひし時、人麻呂も御供にて詠みしなるべし。
 
235 皇者。神二四座者。天雲之。雷之上爾。廬爲流鴨。
おほきみは。かみにしませば。あまぐもの。いかづちのうへに。いほりせるかも、
 
オホキミは、則ち天皇を申す。現神《アキツガミ》、遠つ神など申して、天皇則ち神にてましませば、雲ゐにかしこき雷の上に、廬せさせ給ふと言ふなり。イカヅチの名は、瞋槌《イカツチ》なる由契沖言へり。ツチは、凡て神の御名につけ言ふたたへ言にて、野槌《ノヅチ》足摩乳《アシナヅチ》などの豆知に同じ。イホリは、假に造りなして旅ゐする所を言ふ。(184)又卷十三、三諸の山のとつ宮所と詠みたれば、ここに離宮有りしにや。流は須の誤りにて、イホリセスカモと有りしならむと、ある人は言へり。
 參考 ○雷之上爾(考、古〕イカヅチノヘニ(新)略に同じ ○廬爲流鴨(考、新)イホリスルカモ(古)略に同じ。
 
右或本云。獻2忍壁皇子1也。其歌曰。王《オホキミハ》。神座者。雲隱《クモガクル》。伊加土山爾。宮敷座《ミヤシキイマス》。
 
忍壁皇子は、天武天皇の皇子なり。續紀慶雲二年五月薨と見ゆ。此皇子の宮雷山の邊に在りしにや。雲ガクルは雷にかかる言なり。敷は知と同じく領知《シリ》給ふと言ふなり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ。
 
天皇賜2志斐嫗《シヒノオムナニ》1御歌一首
 
天皇は持統天皇なるべし。續紀和銅元年六月志斐連の姓を賜る事あり。姓氏録、志斐連大中臣同祖のよしあり。
 
236 不聽跡雖云。強流志斐能我。強語。此者不聞而。朕戀爾家里。
いなといへど。しふるしひのが。しひがたり。このごろきかずて。われこひにけり。
 
宣長云、シヒ能の能は、卷十八、しなさかるこしの吉美能等《キミノラ》かくしこそ。卷十四、勢奈能我《セナノガ》そでも、又|勢奈那登《セナナト》ふたり云云。又|伊母能良《イモノラ》、妹根等《イモネラ》とも有りて、此能は那も根も同じく貴むる言に言へりと言ふ(185)説によるべし。猶卷十四にも委しく言はむ。此者は比者の誤りならむ。此老女、強ひて物語などするを聞し召し飽かせ給ふ時も有りしかど、久しく絶えては、又更に戀ひおぼしめす由なり。
 參考 ○志斐能我(考)シヒ「那」ナガ(古、新)略に同じ ○強語(考)シヒゴトヲ(古、新)略に同じ ○不聞而(代、古、新)キカズテ(考)キカデ。
 
志斐嫗奉v和歌一首 嫗名未詳
 
237 不聽雖謂。話禮話禮常。詔許曾。志斐伊波奏。強話登言。
いなといへど。かたれかたれと。のらせこそ。しひいはまをせ。しひ|ごととのる《がたりといふ》。
 
嫗は否かたらじと申せどもの意なり。志斐伊の伊は、宣長云、下に置ける助辞なり。繼體紀、ト那能倭倶吾伊《ケナノワクゴイ》。續紀宣名、藤原仲麻呂伊、百濟王福信伊、續後紀宣名、帶刀舍人伴健岑伊。集中卷四、木の關守伊、卷十二、家なる妹伊など例あり。ノラセコソは、ノラセバコソのバを略き言ふ例なり。強語の話の字、荒木田久老がもたる古本に、語に作れりとぞ。然らば話は誤りとすべし。
 參考 ○詔許曾(考〕ノレバコソ(古、新)略に同じ ○志斐伊波奏(代)シヒヤハマウス又はシヒイハマウセ(考)シヒ「那」ナハマウセ(古、新)略に同じ ○強語登言(古、新)シヒガタリトノル。
 
長忌寸|意吉《オキ》麻呂應v詔歌一首
 
(186)右同じ天皇難波豐崎の宮へ幸し給ひし度の事なるべし。
 
238 大宮之。内二手所聞。網引爲跡。網子調流。海人之呼聲。
おほみやの。うちまできこゆ。あびきすと。あごととのふる。あまのよびこゑ。
 
二手は、左右手をマデの假字に用ひたると同じ。網をかけむとて、多くの人を呼び集むるを網子調フルと言へり。海邊近き大宮なれば、其聲の聞えしを珍しく思ひて、詠みて奉れるなり。
 
右一首 ここに難波へ幸の時の事有りしが闕けたるなるべし。
 
長皇子遊2獵|獵路《カリヂノ》池1之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
天武天皇の皇子、續紀靈龜元年六月薨と見ゆ。獵路は、大和十市郡鹿路村と言に有り。そこならむか。卷十二、遠津人獵路池とも詠めり。今本一つの獵の字を脱せり。活本に據りて補へり。池は野の誤りなるべし。歌にカリヂノヲ野とあり。
 
239 八隅知之。吾大王。高光。吾日乃皇子乃。馬並而。三獵立流。弱薦乎。獵路乃小野爾。十六社者。伊波比拜目。鶉己曾。伊波比回禮。四時自物。伊波比拜。鶉成。伊波比毛等保理。恐等。仕奉而。久堅乃。天見如久。眞十鏡。仰而雖見。春草之。益目頬四寸。吾於富吉美可聞。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。わがひのみこの。うまなめて。みかりたたせる。わかごもを。かりぢのをぬに。ししこそは。いはひをろがめ。うづらこそ。いはひもとほれ。ししじもの。いはひをろがみ。(187)うづらなす。いはひもとほり。かしこみと。つかへまつりて。ひさかたの。あめみるごとく。まそかがみ。あふぎてみれど。はるくさの。いやめづらしき。わがおほきみかも。
 
日ノミコは、長の皇子を指す。此言皇子にも申せし例有り。ワカゴモヲ、枕辭。シシは猪鹿をすべ言ふ名なり。十六は四四の言に借りたり。イハヒのイは發語。拜、フセラメ、フセリと古く訓みたれど、宣長説の如く、ヲロガメ、ヲロガミと訓むべし。ヲロガムは、折レカガムの約言にて、やがてヲガムに同じ。推古紀、烏呂飢彌弖《ヲロガミテ》と有り。モトホルはメグルと言ふ古言なり。集中回の字を書けり。マソカガミ、ハル草ノ、枕詞。冠辭考ワカクサとせれど、ここはハルクサと訓まむ方まされり。益イヤと訓むべし。卷十二、こよひゆ戀の益《イヤ》まさりなむ。其外イヤと訓まずして、かなはざる所ども有ればなり。末は見れど見れど彌飽かぬと言ひて、みこを褒め奉れるなり。
 
反歌
 
240 久堅乃。天歸月乎。網【網は綱ノ誤】爾刺。我大王者。葢爾爲有。
ひさかたの。あめゆくつきを。つなにさし。わがおほきみは。きぬがさにせり。
 
右の長歌に、まそ鏡仰ぎて見ればと言ひし如く、皇子を仰ぎ見て、葢《キヌガサ》を月に見なしたるなり。網は綱の誤りなるべし。葢は綱を付けたる物なり。和名抄、葢、伎奴加散。儀制令、葢皇太子紫表蘇方裏。頂及四(188)角覆v錦垂v總。親王紫大纈云云。令の所は、四角にて、僧家に用ひる葢のさまなるべく見ゆれど、月に譬へしからは、古へは圓かりしなるべし。周禮に爲v葢象v天、晋書に天圓如2倚葢1と言ひ、其外からぶみに、葢のまろき事見ゆ。さて葢の左右に綱を付けて、侍臣のひかへつつ行く故に、綱にさしと言へるなるべし、伊勢太神宮式の葢の下に、緋綱四條とある是なり。
 
或本反歌一首。
 
241 皇者。神爾之坐者。眞木之立。荒山中爾。海成可聞。
おほきみは。かみにしませば。まきのたつ。あらやまなかに。うみをなすかも。
 
是は右の反歌とは聞えず。歌の樣皇子に申すにあらず、此池を掘らせ給ひて、幸有りし時の歌にて、前に端詞有りしが落ち失せしなるべし。荒は荒野の荒にて、人氣遠きを言ふ。海はすべて水廣く有る所を言へり。是も人麻呂の歌なるべく覺ゆ。
 
弓削皇子遊2吉野1時御歌一首
 
此皇子の事既に出づ。
 
242 瀧上之。三船乃山爾。居雲乃。常將有等。和我不念久爾、
たぎのへの。みふねのやまに。ゐるくもの。つねにあらむと。わがもはなくに。
 
ウヘのウを略きて、ヘをエの如く唱ふる例なり。三船ノ山、吉野の内なり。オモハナクのオを略くも例な(189)り。ナクはヌの延言て、オモハヌなり。一首の意は、吉野の離宮に遊び給ひて、面白くおぼして、常にあらまほしかれど、現身の事なれば、此山の雲の常なる如くには、在り經まじきと歎き給へるなり。卷六、人皆の命も我もみよし野の瀧のとこはのとこならぬかもと有るに似たり。
 參考 ○瀧上之 (古)略に同じ(新)タキ(ノ)ウヘノ。
 
春日王奉v和歌一首
 
志貴親王の子、大寶三年六月卒と見ゆ。
 
243 王者。千歳爾麻佐武。白雲毛。三船乃山爾。絶日安良米也。
おほきみは。ちとせにまさむ。しらくもも。みふねのやまに。たゆるひあらめや。
 
王は弓削のみこをさす。白雲も絶ゆる日あらじ。御齡も千歳まさむと、ことぶきにとりなし給へり。
 
或本歌一首
 
244 三吉野之《ミヨシヌノ》。御船乃山爾。立雲之。常將在跡。我思莫苦二。
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
長田王被2遣2筑紫1渡(レル)2水島(ニ)1之時歌二首
 
長皇子の御孫、栗田王の子なり。續紀天平九年六月卒と見ゆ。
 
245 如聞。眞貴久。奇母。神左備居賀。許禮能水島。
(190)ききしごと。まことたふとく。くすしくも。かむさびをるか。これのみづしま。
 
景行紀十八年海路より幸して、肥後國葦北小島に泊りまし、大御食《オホミケ》進奉る時、島中水無きによりて、神に折りければ、寒泉崖より湧き出づ、よりて其島を水島と言ふ。其泉猶在るよし見ゆ。和名抄、肥後國葦北郡葦北、菊池郡水島とあり。仙覺抄に、風土記云、球磨乾七里海中有v島、稍可2七十里1。名曰2水島1。島出2寒水1逐v潮高下云云。奇、クスシと訓むべし。卷十八、七夕の歌、あやに久須志美、卷十九、久須波之伎ことといひつぎなどあり。神サビは、上に出づ。居賀の賀は哉《カモ》の意、コレノは此と言ふに同じ。
 
246 葦北乃。野坂乃浦從。船出爲而。水島爾將去。浪立莫勤。
あしぎたの。ぬざかのうらゆ。ふなでして。みづしまにゆかむ。なみたつなゆめ。
 
野坂ノ浦も、葦北の郡に有るならむ。ユメはツツシメと言ふ言にて、勤の字を書けり。浪立つ事なかれと言ひ教ふるなり。
 
石川大夫|和《コタフル》歌一首 名闕
 
247 奧浪。邊波雖立。和我世故我。三船乃登麻里。瀾立目八方。
おきつなみ。へなみたつとも。わがせこが。みふねのとまり。なみたためやも。
 
ワガセコは、長田王をさす。浪立ツナユメと言ふを受けて、たとひ浪は立つとも、みことのりをうけたまはりて、行きます旅なれば、御船のはつるさきざき、障りあらじと答へまゐらするなり。
 
(191)右今案。從四位下石川宮麻呂朝臣。慶雲年中任2大貳1。又正五位下石川朝臣吉美侯。神靈年中任2少貳1。不v知3兩人誰作2此歌1焉。 此集大夫と有るは、五位の人を言へり。續紀を考ふるに、宮麻呂は此註に言へる如く、四位なれば大夫と書くべからず。吉美侯は、養老五年侍從と見えて、少貳に任じたる事見えず。されば此石川大夫は、宮麻呂にも吉美侯にもあらず。卷四に、神龜五年戊辰、太宰少貳石川足人朝臣選任餞2于筑前國蘆城驛家1歌三首と有り、此の足人なり。左註は誤れり。
 
又長田王作歌一首
 
248 隼人乃。薩摩乃迫門乎。雲居奈須。遠毛吾者。今日見鶴鴨。
はやひとの。さつまのせとを。くもゐなす。とほくもわれは。けふみつるかも。
 
右と同じ度なれば、端詞に又と言へり。ハヤヒトノ、翁は枕詞とせり。宣長云、この隼人は國名なるべし。隼人の國は、續紀に見ゆ。此時は、薩摩はいまだ國の名にあらず。隼人國の内の地名なりと言へり。是を紀の訓にハイトと有れど、眞名の訓註も無し。和名抄、隼人司、波也比止乃都可左と有るを思へば、ハイトと言ふは、後の略稱なり。和名抄薩摩國出水郡に勢度《セトノ》號有り、ここの入海なるべし。卷六、隼人の湍門の岩ほもあゆはしる云云とも詠めり。此王肥後國の班田使などにて下れるならむ。されば、薩摩までは渡らずして、此瀬戸を遙に見て詠めるなるべし。雲ヰナスは、雲ヰノ如クなり。
 
柿本朝臣人麻呂※[羈の馬が奇]旅歌八首
 
(192)249 三津埼。浪矣恐。隱江乃。舟公。宣奴島爾。
みつのさき。なみをかしこみ。こもりえの。ふねこぐきみが。ゆくかぬしまに。
 
舟公宣奴島爾の六字、今の訓よし無し。字の誤れるならむ。試に言はば、舟令寄敏馬崎爾なども有りけむ。さらばフネハヨセナム、ミヌメノサキニと訓むべし。宣長は、舟八毛何時寄奴島爾と有りけん。八毛を公一字に誤り、何時を脱し、寄を宣に誤れるならむとて、フネハモイツカ、ヨセムヌジマニと訓めり。いづれにても有るべし。是は西の國へ旅行くとて、難波の御津《ミツ》より船出せし日の歌なり。卷六、風吹かば浪か立たむと候ふにつだの細江に浦隱れつつと言へる類ひなり。
 參考 ○舟公宣奴島爾(代)丹公、フネコグキミニ 宣不明(考)舟令寄敏馬崎爾(古)舟寄金津奴島崎爾フネヨセカネツヌシマノサキニ(新)奴島は敏島の誤。
 
250 珠藻苅。敏馬乎過。夏草之。野島之崎爾。舟近著奴。
たまもかる。みねめをすぎて。なつくさの。ぬじまがさきに。ふねちかづきぬ。
 
玉モカルは、いづくにても海川などに冠らする詞なり。夏草ノ、枕詞。ミヌメは攝津。野島は淡路なり。
 參考 ○敏馬乎過〔古)ミヌメヲスギ(新)略に同じ ○野島之崎爾(代)ノジマガサキニ(古)ヌジマノサキニ(新)ヌジマノ又はヌシマガ。
 
一本云。處女乎過而。夏草乃。野島我崎爾。伊保里爲吾等者《イホリスワレハ》。
 
(193)卷十五に誦古歌と有りて、右の如く載せたり。處女は敏馬《ミヌメ》の誤れるなり。 
251 粟路之。野嶋之前乃。濱風爾。妹之結。紐【紐ヲ?ニ誤ル】吹返。
あはぢの。ぬじまがさきの。はまかぜに。いもがむすびし。ひもふきかへす。
 
初句四言、則ち淡路國なり。集中に、イモガ結ビシと言ふ事多くて、下紐又はいづれの紐とも無くて、旅行く時いはひて結ぶ事と見ゆ。ここは、風吹返スと詠みたれば、下紐には有らで、旅の衣の肩に付きたる紐なり。古事記(仁コ)口子臣紅紐つきたる青摺衣をきる故、水潦紅紐を拂ひて、皆紅色變るよし有り。其外にも天武紀に、長紐結紐など着る事見え、大甞祭式、縫殿式にも見ゆ。雅亮装束抄に見ゆるは、たたみて付けたりと見ゆれば、ことに吹返すと言ふべき物なり。
 參考 ○野島之前(新)ヌシマノ、又はヌシマガ ○妹之結(考)略に同じ(古、新)イモガムスビシ。
 
252 荒栲。藤江之浦爾。鈴寸釣【釣ヲ鈎ニ誤ル】。白水郎跡香將見。旅去吾乎。
あらたへの。ふぢえのうらに。すずきつる。あまとかみらむ。たびゆくわれを。
 
アラタヘノ、枕詞。和名抄、播磨國明石郡葛江(布知衣)、卷六長歌、荒妙の藤井が浦に鮪釣と云云と有りて、其反歌に、藤江の浦に船ぞとよめると詠めり。今と同所なり。古事記に、爲釣海人之口大之提翼鱸《ツリスルアマガクチヒロノヲヒレノスズキ》
 
一本運。白栲乃。藤江能浦爾。伊射利爲流《イザリスル》。
 
卷十五にも、かくて載せたり。白栲は誤りなり。
 
(194)253 稻日野毛。去過勝爾。思有者。心戀敷。可古能島所見。
いなびぬも。ゆきすぎがてに。おもへれば。こころこひしき。かこのしまみゆ。
 
イナビ野は、播磨國印南郡。可古は應神紀、播磨國|鹿子水門《カコノミナト》へ諸縣君《モロガタノキミ》牛鹿皮をかかぶりて來りしより、其處を鹿子水門と言ふよし有り。思ヘレバは、例のオモヘルニの意なり。いなび野の景色も、行き過ぎ難く思へるに、又向ふにも戀しと思ふかこの島の見ゆるとなり。久老説、可古は阿古を誤れるならん。阿古は吾子《アコ》の意に詠みなしたるなり。阿古の島は、卷七、雨は降りかりほは作る何暇《イツノマ》に吾兒《アゴ》の鹽ひに玉はひろはむ。時つ風吹かまく知らに阿古の海のあさけの鹽に玉藻は刈らなと有りて、其前後に、住吉の名兒《ナゴ》の濱邊とも、奈胡の海の朝けのなごりとも詠みたれば、アゴもナゴも一つ所と見えて、攝津國なるべきよし言へり。心戀ヒシキと詠めるを思へば、阿古とせん方然るべし。
 參考 ○心戀敷(古)ココロコホシキ(新)略に同じ。
 
一云、潮見《ミナトミユ》
 
潮は湖の誤りなり。集中ミナトと訓める例有り。かこの島と言ふは他に見えず。是はカコとする時は、ミナトの方をよしとす。
 
254 留火之。明大門爾。入日哉。榜將別。家當不見。
ともしびの。あかしのおどに。いらむひや。こぎわかれなむ。いへのあたりみず。
 
(195)トモシ火ノ、枕詞。大門は海門にて、橘の小門を乎登《ヲト》と云ふにむかへて知るべし。次に明門《アカシノト》と言へる則ち同じ事なり。ある人、明大門はアカシオホトと訓むべし。大をオとのみ言ふ例無き由言へれど、卷十三、奧十《オキソ》山三野之山と有るオキソも大吉蘇を略きたるなり。また大父大母をオヂ、オバと言ふも例とすべし。宣長云、明石の門に入らぬ前は、大和の方も見えしを、此門に入りては見えず成りなむと言ふなり。コギワカルルとは、今まで見えたる方の見えずなるを、別ルと言ふなり。家當不見は、イヘアタリ見エズと訓みて、さて四の句の上へうつして見るべしと言へり。然なるべし。此歌までは、西へ行く度の歌にして、次の二首は歸る時の歌なり。又下に人麻呂筑紫へ下る時の歌とて載せたるは、此時も同じたびなるを、後に聞きて別に書き入れたるにや、又こと時にや、知られず。
 參考 ○明大門(代)アカシノナダ(考)アカシノオホト(古、新)アカシオホト ○入日哉(考)イルヒニヤ(古、新)略に同じ ○家當不見(代)イヘノアタリミデ又はミズ(考)ミデ(古、新)ミズ。
 
255 天離。夷之長道從。戀來者。自明門。倭島所見。
あまざかる。ひなのながぢゆ。こひくれば。あかしのとより。やまとじまみゆ。
 
アマザカル、枕詞。ヒナは、都遠き所をすべ言ふ。いつかいつかと戀ひ來ればなり。ヤマトジマは、大和國を大倭秋津|州《シマ》と言ふによりて、略きて倭島と言へり。卷十五にも、新羅へ使人の豐前國にて、うな原の沖べにともしいさる火はあかしてともせやまと島見むと有り。卷二十、天地のかためし國ぞやまと島ねは(196)と有るは大八洲を言ふにて、今とは別なり。
 
一本云、家門當所見。
 
門は乃の誤りなるべし。
 參考 ○家門當(代)イヘノアタリ(考)ヤドノアタリ。
 
256 飼飯海乃。庭好有之。苅薦乃。亂出所見。海人釣船。
けひのうみの。にはよくあらし。かりごもの。みだれいづるみゆ。あまのつりふね。
 
ケヒは越前なり。此地名ここに出づべくも覺えず。一本の武庫の海と有るをよしとす。久老説、或人言ふ、淡路に氣比野と言ふ地ありとぞ、さらばそこの海にやと言へり。土人に問ふべし。ニハヨクは、海の上の平らかなるを言ふ。カリゴモノ、枕詞。古郷近くなりては、見る物毎によろこばしく、今日しも海の和ぎたるを、嬉しと思ふ心もおのづから見えて、必ず武庫あたりに到りたる樣しるし。
 參考 ○亂出所見(考)ミダレヅルミユ(古、新)ミダレイヅミユ。
 
一本云。武庫《ムコ》乃海。舶爾波有之《フナニハナラシ》。伊射里爲流《イザリスル》。海部乃釣船。浪上從所見《ナミノヘユミユ》。
 
武庫は攝津國、フナニハとは、舟を出だすによき、のどかなる時を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○舶爾波有之(代)ニハヨクアラシ(古)フネニハアラシ(新)ニハヨクアラシ ○浪上從所見(古)略に同じ(新)ナミノウヘユミユ。
 
(197)鴨(ノ)君|足人《タリヒト》香具山(ノ)歌一首并短歌
 
續紀天平寶字三年十月、天下諸君字を公字に換ふと有り。是より前に書きたるなり。高市皇子尊薨じ給ひて後、香久山宮に住む人無き由を詠めるなるべし。卷一、近江荒都を過ぐる時の、人麻呂の歌に同じ意なり。
 
257 天降付。天之芳來山。霞立。春爾至婆。松風爾。池浪立而。櫻花。木晩茂爾。奧邊波。鴨妻喚。邊津方爾。味村左和伎。百磯城之。大宮人乃。退出而。遊船爾波。梶棹毛。無而不樂毛。己具人奈四二。
あもりつく。あめのかぐやま。かすみたつ。はるにいたれば。まつかぜに。いけなみたちて。さくらばな。このくれしげに。おきべには。かもめよばひ。へつべに。あぢむらさわぎ。ももしきの。おほみやびとの。まかりでて。あそぶふねには。かぢさをも。なくてさぶしも。こぐひとなしに。
 
アモリツク、枕詞。池波は埴安の池なり。コノクレシゲニは木グラキなり。卷十八、許能久禮之氣爾と假字にて書けり。ここはコノクレシゲニは、シゲクシテと言ふ意か。又は此句の下、二句ばかり脱ちたるか。オキベは埴安池の沖なり。カモメのメは群《ムレ》の約なり。味村のムラとむかへて知るべし。遊ブ舟ニハとは、遊ブベキ舟ニハと言ふなり。梶サヲモナクテは、反歌によるに、舟人の無き事を言へるなり。
 參考 ○木晩茂爾(古)コノクレシゲ「彌」ミ(新)古の訓か又はコノクレシキニか ○鴨妻喚(代)カモツマヨバヒ(考)カモメヨバヒ(古、新)カモツマヨバヒ。
 
(198)反歌二首
 
258 人不榜。有雲知之。潜爲。鴦與高部共。船上住。
ひとこがず。あらくもしるし。かづきする。をしとたかべと。ふねのへにすむ。
 
アラクはアルを延べ言ふなり。和名抄、崔豹。古今註云、鴛鴦、乎之。同抄爾雅註云、?、多加閉とあるなり。
 
259 何時間毛。神左備祁留鹿。香山之。鉾椙之本爾。薛生左右二。
いつのまも。かむさびけるか。かぐやまの。ほこすぎがもとに。こけむすまでに。
 
イツノホドニカモと言ふなり。カムサビケルカのカの言は、イツノ程ニカのカを、下へ廻して言へるにて疑ふ言なり。鉾椙は、杉の若木は鉾の如くなれば言ふべし。さて木のもとに、苔の生ふるは常なり。思ふに、すべて木と言ふべきをモトと言へる事、集中に多し。然れば、若き杉の木に苔生ふるまでにと言ふ意なるべし。卷二、妹が名は千代に聞えん姫島の子松が末に蘿生までにとも言へれば。或人は本は末の誤りならんかと言へり。持統天皇十年、高市皇子尊薨じまして後、年經てここに來て見るに、もと若木なりし杉の木立に、薛蘿の生ふるまで古びしは、いつの間にかく年の經にけんと言ふなり。
 參考 ○鉾椙之本爾(考)ホコスギガ「末」ウレニ(古、新)ホコスギノモトニ。
 
或本歌云、
 
(199)260 天降就。神《カミ》乃香山。打靡《ウチナビク》。春去來者《ハルサリクレバ》。櫻花。木晩茂。松風丹。池浪|?《サワギ》。邊津返者《ヘツベニハ》。阿遲村|動《トヨミ》。奧邊者。鴨妻喚。百式乃。大宮人乃。去出《マカリデテ》。?來舟者《コギケルフネハ》。竿梶母《サヲカヂモ》。無而佐夫之毛。榜與雖思《コガムトモヘド》
 
右今案遷2都寧樂1之後。怜v舊作2此歌1歟。 此註は後人のしわざなり。香久山の宮と聞ゆれば、皇子尊薨後荒れたるを言へり。この都うつしは和銅三年なり。
 參考 ○池浪|?(古、新)イケナミタチ ○阿遲村動(古)アヂムラサワギ(新)略に同じ ○?來舟者(古)コギ「去」ニシフネハ (新)略に同じ、
 
柿本朝臣人麻呂獻2新田部皇子1歌一首并短歌
 
天武紀次夫人五百重娘新田部皇子を生むと見ゆ。
 
261 八隅知之。吾大王。高輝。日之皇子。茂座。大殿於。久方。天傳來。白【白、今自ニ誤ル】雪仕物。往來乍益。及常【常ハ萬ノ誤】世。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。しきます。おほとののへに。ひさかたの。あしづたひくる。ゆきじもの。ゆききつつませ。よろづよまでに。
 
日ノミコ、ここは新田部の皇子を申す。茂座は敷座の借字なり。自雪、一本白雪とせり。二字ユキと訓むべし。常は萬の誤りなるべし。アマヅタヒクル云云、空ヨリ降リ來ル雪ノ如クとなり。集中雨雪に流ラフと詠めり。此傳フも同じ意なり。ユキキツツマセと有るからは。此皇子飛鳥の八釣に山莊の有りて、藤原(200)の都より往來し給ふに、人麻呂參り來て詠みたるなるべし。降りしく雪の如くに、年つもりて榮えませと言ふ意なり。久老云、常は座の誤りにて、往來乍益及座世を、ユキカヨヒツツイヤシキイマセと訓むべし。及座は敷座なりと言へり。さも有るべきか。猶考へてん。
 參考 ○輝(新)タカテラス、又は、タカヒカル ○茂座(考)シキマセル(古)略に同じ (新)シキイマス ○往來乍云云(古、新)ユキカヨヒツツ、イヤシキ「座」イマセ。
反歌一首
 
262 矢釣山。木立不見。落亂。雪驪。朝樂毛
やつりやま。こだちもみえず。ふりみだる。ゆきはたらなる。あしたたぬしも。
 
矢釣、一本矣駒とせり。ヤツリは顯宗紀近飛鳥八釣宮とあれば、飛鳥の地に有るなり。皇子の山荘此山近き所に有りと見えたり。驪をハタラと訓みたれど、驪は馬深黒色とあれば、ハタラと訓むべからず、駁の字の誤りならんか。然らばハタラと訓むべし。翁は驪は?の誤りなるべし。?は字書に履不v著v跟曳v之而行言2其遽1也とあれば、キホヒテと訓むべし。さて結句マヰリクラクモと訓みて、人麻呂の皇子の殿にまゐりこし勞を言へりと言はれき。卷八に、今日降りし雪に競而《キホヒテ》わが宿の冬木の梅は花咲きにけりとも詠めれば、さて有りなんか。猶考ふべし。
 參考 ○落亂(代)フリマガフ、又はチリミダル(考)チリマガフ(古)略に同じ(新)フリマガフ(201) ○雪驪(代)ユキニクロコマ(考、新)ユキニ「?」キホヒテ(古)ユキニ「※[足+聚]」サワギテ ○朝樂毛(代)マヰデクラシモ(考)マヰリクラシモ(古)マヰラク「吉」ヨシモ(新)マヰルタヌシモ
 
從2近江國1上來時刑部垂麻呂作歌一首
 
目録に刑部垂麻呂從2近江1云云と有るをよしとす。例しかり。
 
263 馬莫疾。打莫行。氣並而。見?毛和我歸。志賀爾安良七【七ハ亡ノ誤】國。
うまないたく。うちてなゆきそ。けならべて。みてもわがゆく。しがにあらなくに。
 
ケナラベテは日並ベテと言ふに同じく、日數を重ねてなり。此地は景色のいと面白くて見るに飽かねども、日並べて見て行かん事はかなはねば、しばし馬をとどめて見んに、馬を打ちはやめて急ぐ事なかれと言ふなり。此人大津宮の御時に生れて、近江は本つ郷なれば、衣暇田暇などにて歸りて、今上る故に、ここのなごりを思ひて詠めるにも有るべし。七は亡の誤りなり。
 參考 ○馬莫疾(古)「吾馬」アガマイタク(新)莫を衍として、ウマイタク ○氣並而(考)イキナメテ(代、古、新〕略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂從2近江國1上來時至2宇治河邊1作歌一首
 
264 物乃部能。八十氏河乃。阿白木爾。不知代經浪乃。去邊白不母。
もののふの。やそうぢがはの。あじろぎに。いさよふなみの。ゆくへしらずも。
 
(202)モノノフノ、枕詞。アジロ木は早川の中に、水上を廣く下を狹く網を引きたる形に、左右に透間なく杭を打ちたてて、其下に床を水に漬るほどに作る。さて其網形なる杭木の内へせかれて流れ入る浪の、床の簀の子に打ちよすれば、水は漏れて、流れ來し氷魚のみ殘るを、守る者の居ながらとるなり。イサヨフは此卷末にも卷六にも、いさよふ月と詠めるは、月の出でんとして滯るを言へば、此イサヨフ浪も、あじろ木に暫く淀むを言ふべし。不知をイサの假字に用ひたるは、集中イサヤ川を不知也川とも書ける例なり。其よどめる浪の遂に行方知らず成り行くを、人世の常無きに取れり。近江の故き都べより歸るにつきて、殊に物悲しくも思はれしなるべし。卷七、人麻呂歌集、卷向の山べ響みて往水のみなわの如し世の人吾は。又末は、同卷に、大伴のみつの濱べをうちさらしよりくる波のゆくへしらずもと、言へるに同じ。
 
長忌寸奧麻呂歌一首
 
265 苦毛。零來雨可。神之埼。狹野乃渡爾。家裳不有國。
くるしくも。ふりくるあめか。みわがさき。さぬのわたりに。いへもあらなくに。
 
神之崎、卷七、みわが崎ありそも見えず浪立ちぬと、言ふに同じ所ならん。今ミワガ崎と言ふは、紀伊國牟漏郡にて、新宮より那智へ行く道の海邊なり。新宮より今の道一里半ばかり有り。其續きに佐野村も有りと宣長言へり。狹野は神武紀に、狹野を越えて熊野神邑に到ります由あり。渡りは舟して渡る所なる故言へり。後に邊《アタリ》と言ふべきを、ワタリと言ふとは異なり。此卷、秋風の寒き朝けにさぬの岡と詠め(203)るも牟漏郡なり。大和の三輪なりと言ふ人もあれど、崎と言へる事も無く、そこにサ野と言ふ所も聞かず。且つ此詠み人は藤原の朝の人なれば、時の都近き三輪のあたりにて、家モアラナクニなど、わびしき旅の心を詠むべきにあらず。
 參考 ○神之埼(古)カミノサキ(新)ミワノサキ。
 
柿本朝臣人麻呂歌一首
 
266 淡海乃海。夕浪千鳥。汝鳴者。情毛思努爾。古所念。
あふみのうみ。ゆふなみちどり。ながなけば。こゝろもしぬに、いにしへおもほゆ。
 
紀の歌に、阿布瀰能瀰《アフミノミ》とあればかく訓めり。夕浪千鳥は、夕浪に立ち騷ぐ千鳥をかく言へり。心モシヌニは、卷十に、朝霧に之努努にぬれて、同卷、ほととぎす小竹野《シヌヌ》にねれてと言へば、シヌも共に同じく、今の俗、シトシト、シボシボなど言ふと同じ語なり。さらぬだにあるを、此夕の千鳥の聲に催されて、いとど心もしめり愁ひて、ここの昔天智の宮所の在りし時、盛りなりしなどをしのばれしなり。
 
志貴《シキノ》皇子御歌一首
 
天智天皇の皇子、靈龜二年八月薨。追尊して春日宮天皇と稱す。
 
267 牟佐佐婢波。木末求跡。足日木乃。山能佐都雄爾。相爾來鴨。
むささびは。こぬれもとむと。あしびきの。やまのさつをに。あひにけるかも。
 
(204)和名抄本草云、?鼠、一云?鼠、和名毛美、俗云無佐佐比云云と見ゆ。卷六卷七にも詠めり。サツヲは幸人にて、獵する人を言ふ。此御歌は人の強ひたる物ほしみして身を亡すに譬へ給へるにや。此皇子の御歌にはさる心なるも又見ゆ。大友、大津の皇子たちの御事などを、御まのあたり見給ひて、しかおぼすべきなり。
 參考 ○木末求跡(考)「木米」コノミモトムト(古、新)略に同じ。
 
長屋《ナガヤノ》王故郷歌一首
 
天武天皇の御孫にて、高市親王の御子なり。佐保大臣と號《ナヅ》く。
 
268 吾背子我。古家乃里之。明日香庭。乳鳥鳴成。島【島ハ君ノ誤】待不得而。
わがせこが。ふるへのさとの。あすかには。ちどりなくなり。きみまちかねて。
 
ワガセコは、親しき皇子たちなどを指したるなり。明日香に此王の住み給ふ所有りて、行き給ひたるに、他の皇子の故郷もそこに有る故に、明日香より藤原の都へ贈り給へるなるべし。されば古家とは、其親しき皇子《ミコ》のもと住み給ひし家どころを言ふべし。島は君の誤れるならん。
 参考 ○古家(古)略に同じ(新)フルイヘ。
 
右今案從2明日香1遷2藤原宮1之後。作2此歌1歟 端詞に故郷と有るからは、此註に及ぶまじきなり。後人の註なり。
 
(205)阿倍女郎屋部坂歌一首
 
三代實録、高市郡夜部村と有る所の坂なるべし。
 
269 人不見者。我袖用手。將隱乎。所燒乍可將有。不服而來來。
ひとみずは。わがそでもちて。かくさむを。やけつつかあらむ。きずてきにけり。
 
此歌解くべからず。試に言はば、屋部坂と言へるは、草木も無くあかはだかなる山なるを見て、衣は燒かれてか有るらん。着ずしてをりけり。それをしのび隱さんと思はば、我袖だに覆ひなん物を、恥忍ぶ樣とも無きはと、戯れて詠めるにや。然らば來來は坐來の誤りにて、ヲリケリと訓むべし。
 參考 ○人不見者(考、古)シヌビナバ(新)【人爾有者】ヒトナラバ ○所燒乍可將有(新)ヤカレ「手」テカアラム ○來來(考)ヲリケリ(古)マシケリ(新)略のヲリケリに從ふ。
 
高市連黒人覊旅歌八首
 
270 客爲而。物戀敷爾。山下。赤乃曾保船。奧榜所見。
たびにして。ものこひしきに。やまもとの。あけのそほぶね。おきにこぐみゆ。
 
卷十四、まがねふく爾布能麻曾保《ニフノノマソホ》の色に出てと有りて、赭土をソホニと言へり。アケノソホ舟は、其赭土もて塗りたる船なり。卷十三、左丹塗のを船もがも、又なにはの崎に引登るあけのそほ舟、卷十六、おき行くや赤羅《アカラ》小舟など有り。アケと上に置きて重ね言へるなり。さて色どりたるは官船にて、官人の(206)船ならん。磯山もとよりさる舟を漕ぎ出でて沖へ行くは、都方の船ならんと、いとど都戀しく思ふをりにて、羨まるる意なるべし。宣長云、山下、ヤマシタと訓むべし。こは赤の枕詞なり。さる故は、古事記に春山の霞壯士、秋山の下氷壯士と見え、卷十、秋山の舌日下とも有りて、冠辭考にシタヒは紅葉の由いはれしが如し。しかれば山下ひ赤と續く意なり。卷十五、あし引の山下ひかるもみぢばの、又態十八、橘のしたてる無に、卷六、春べはいはほには山下ひかり錦なす花咲ををり。これらも下は借字にて赤き事なり。此二首をもてみれば、ただ紅葉のみに限らず。赤く照る事なりと言へり。
 參考 ○物戀敷(古)モノコホシキ(新)コヒシキ、又はコホシキ ○山下(古)ヤマシタノ ○奧?所見(古)略に同じ(新)オキヲコグミユ。
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271 櫻田部。鶴鳴渡。年魚市方。鹽干二家良之。鶴鳴。
さくらだへ。たづなきわたる。あゆちかた。しほひにけらし。たづなきわたる。
 
アユチは紀に尾張國|吾湯市《アユチ》村、また和名抄、尾張國愛知郡(阿伊知)そこに作良郷有り、則ち其郷の田なり。催馬樂は、さくら人其舟ちぢめ島つ田を千町つくれる見て歸りこむと言へどもここならんと契沖言へり。
 
272 四極山。打越見者。笠縫之。島?隱。棚無小舟。
しはつやま。うちこえみれば。かさぬひの。しまこぎかくる。たななしをふね。
 
(207)卷六難波宮幸の時、千沼回より雨ぞ降りくる四八津のあまと詠めり。此チヌは和泉にして、シハツは攝津なり。雄略紀に呉より獻る手末才伎云云と有りて、住吉津に泊る。此月呉の客の道をつくりて、磯齒津《シハツ》の路に通ふ。呉坂と名づくるよし有り。此シハツの坂路を越えて、見やらるる海に、笠縫の島と言ふ有りしなるべし。齋宮式に御輿の料の菅骨など、攝津の笠縫氏が參來て作るなど有るを思ふべし。其島に小舟の榜隱るるけしき今見る如くなり。棚無小舟、既に出づ。
 
273 礒前《・いそざきを》。榜手回行者。近江海。八十之湊爾。鵠佐波二鳴。
いそのさき。こぎたみゆけば。あふみのみ。やそのみなとに。たづさはになく。
 
ヤソはすべて數多きを言ふ事にて、此湖湊の多きを言へり。又近江國坂田郡に磯崎村《イソサキムラ》と言ふ今もありて湊なり。彦根に近し。八十の湊は今|八坂村《ハチサカムラ》と言ふ所なりと言へり。いかさまにも、此歌の八十の湊は一所の名と聞ゆるよし宣長言へり。鵠、和名抄、久久比とあり。久老のもたる古本に鵠を鸛に作る。又五雜爼、鵠即鶴也とあれば、鵠にてもタヅと訓むべし。
 參考 ○磯前(古、新)イソノサキ
 
未詳 今本此二字誤りて入りたり。除くべし。
 
274 吾船者。牧【枚ヲ牧ニ誤ル】乃湖爾。榜將泊。奧部莫避。左夜深去來。
わがふねは。ひらのみなとに。こぎはてむ。おき|へ《エ》なさかり。さよふけにけり。 
(208)比良は近汀志賀郡なり。湖、集中ミナトと訓めり。ナサカリは卷五、奈左柯里《ナサカリ》と書けり。沖の方へ避け放るる事なかれと言ふなり。卷七に、二の句を明旦石の湖として再び載せたり。
 
275 何處。吾將宿。高島乃。勝野原爾。此日暮去者。
いづくにか。われはやどらむ。たかしまの。かちぬのはらに。このひくれなば。
 
卷五、卷十四、伊豆久と書けり。古事記歌に伊豆久能迦爾。また伊豆久爾伊多流など有りて、奈良の朝までにはイヅコと言へる事無く皆イヅクなり。カチ野は、近江高島郡三尾郷勝野の原なるべし。卷七、大御舟はててさもらふ高しまの三尾の勝野のなぎさしおもほゆと有りて、其前後近江の地名のみの歌なるにても知らる。其野の廣くて宿りすべき家ゐ遠きなるべし。二の句六帖にかく有るによれり。
 參考 ○何處(考)イヅコニカ(古)イヅクニ(新)略に同じ ○吾將宿(考)ワガヤドリセム(古)アハヤドラナム(新)略に同じ。
 
276 妹母我母。一有加母。三河有。二見自道。別不勝鶴。
いももわれも。ひとつなれかも。みかはなる。ふたみのみちゆ。わかれかねつる。
 
一ツナレカモは、妹と吾身の二つならぬ心ちするを、一ツナレバカモと言ふなり。三河にも二見と言ふ地有るなるべし。黒人三河の任などにて、任はてて上る時、よし有りて、近江山城攝津などを廻りて大和へ歸るに、妻は直に大和へ歸るとて、別るる時詠めるなるべし。一ツナレカモと言ひ、又三河二見な(209)ど求めて、數を重ねよめるなり。
 參考 ○我母(古)アレモ ○一有加毛(考)ヒトツナルカモ(古、新)略に固じ。
ハ(ノ)
 
一本云
 
水河乃。二見之自道。別者。吾勢毛吾毛。獨河毛將去。
みかはの。ふたみのみちゆ。わかれなば。わがせもわれも。ひとりかもゆかむ。
 
是は吾せと言ひ、歌の意も妹が黒人に答へたる歌なる事明らけし。黒人妻和(フル)歌とて、八首の次に載せたりしが、端詞おちて亂れしものなり。
 參考 ○水河乃(古)ミカハ「有」ナル(新)略に同じ ○吾勢毛吾毛(古)ワガセモアレモ。
 
277 速來而母。見手益物乎。山背。高槻村。散去奚留鴨。
とくきても。みてましものを。やましろの。たかつきのむら。ちりにけるかも
 
古へは某の村と、みな之(ノ)を添へて言へる例なり。其村のもみぢの散りたりと言ふをかく言へり。下に春日の山は咲きにけるかもなど、其外花もみぢと言はずして、咲きちるとのみ言へる類ひ多し。
 參考 ○速來而母(古、新)ハヤキテモ ○高槻村(古)タカツキノムラ、又は、タカツキムラノ(新)タカツキムラ。
 
石川少郎歌一首
 
(210)左註に、石川君子の事とせるはおぼつかなし。歌も女の歌と見ゆれば、少は女の誤りならむ。
 
278 然之海人者。軍布苅鹽燒。無暇。髪梳乃小櫛。取毛不見久爾。
しかのあまは。めかりしほやき。いとまなみ。くしげのをぐし。とりもみなくに。
 
シカは神功紀に磯鹿海人《シカノアマ》と有り。筑前風土記糟屋郡|資珂《シカノ》島とあれば筑前なり。メは和海藻《ニキメ》、滑海藻《アラメ》、昆布《ヒロメ》の類ひなり。ある人軍は葷の誤りなりと言へり。さらば葷昆同音なれば、かくは書けるならんと久老説なり。髪梳と書きたれど實は櫛匣なり。クシケヅルと言ふ言の意を得て借りて書けるか。又髪梳二字ユスルと訓みて、ユスルノヲグシならんと或人言へり。猶考ふべし。
 參考 ○髪梳乃小櫛(代)クシノヲグシモ(古)略に同じ(新)ケヅリノヲグシ。
 
右今案、石川朝臣君子號曰2少郎子1也。 何の據《ヨリドコロ》も無し。後人書き加へしか。
 
高市【市ヲ高に誤ル】連黒人歌二首
 
279 吾妹兒二。猪名野者令見都。名次山。角松原。何時可將示。
わぎもこに。ゐなぬはみせつ。なすぎやま。つののまつばら。いつかしめさむ。
 
和名抄、攝津國河邊郡爲奈。神名帳、攝津國武庫郡名次神社あり。次を古くスギと言へり。ツノノ松原は和名抄、武庫郡津門(都止)是なるべし。卷一、綱の浦と有り。また卷十七、都努乃松原おもほゆるかもと詠めり。シメサムはこの卷に何矣示《ナニヲシメサン》。卷四に、示佐禰《シメサネ》など有りて、見せしめんの意なり。
(211) 參考 ○名次山(考)ナツギヤヤ(古、新)略に同じ。
 
280 去來兒等。倭部早。白管乃。眞野乃榛原。手折而將歸。
いざこども。やまとへはやく。しらす|げ《が》の。まぬのはりはら。たをりてゆかむ
 
此眞野は攝津八田部郡なり。白菅は地名なるべし。遠江白須賀と言ふ驛有り。そこを後の人の歌に、白スゲノ湊と詠めるは、ここの言によりて強ひごとせるなり。白菅を眞野の枕詞とする説は取られず。卷七羇旅の歌に、古に有りけむ人のもとめつつ衣に摺りけむ眞野のはり原と詠めるは古歌と見ゆれば、黒人も古への事を思ひて、此野の榛を旅づとにせんとて詠めるなるべし。イザ子ドモは旅路に從へし人人を言へり。榛は既に出づ。
 
黒人妻答歌一首
 
281 白管乃。眞野之榛原。往左來右。君社見良目。眞野之榛原。
しらす|げ《が》の。まぬのけりはら。ゆくさくさ。きみこそみらめ。まぬのはりはら。
 
行クサクサのサはサマなり。君コソミラメは、榛を言ふに有らず。其地の景色を賞でて、君こそは旅のゆき來に見給ふらめ。吾は女の身にして、又も見ん事の難ければ、よく見て行かんと言ふ意なり。
 
春日藏首老《カスガクラノオフトオユ》歌一首
 
續紀、和銅七年正月、正六位上春日椋首老に、從五位下を授くと有り。
 
(212)282 角障經。石村毛不過。泊瀬山。何時毛將超。夜者深去通。
つぬさはふ。いはれもすぎず。はつせやま。いつかもこえむ。よはふけにつつ。
 
ツヌサハフ、枕詞。イハレは大和十市郡なり。紀に磐余《イハレ》池邊雙槻宮と書き、續紀に同じ所を、石村《イハレ》池邊宮と書きて、いづれにてもイハレと訓めり。フケニツツのニはイニ《去》の略。老は本僧なりしを、大寶元年に官人となし給へば、是は藤原の都より行くか。又奈良の都と成りての事か。いづれにも有れ、暮過ぐる程の道に有らず。まして藤原よりは近し。よし有りて遲く出でて暮れぬる事有りしか。
 
高市連黒人一首
 
283 墨吉乃。得名津爾立而。見渡者。六兒乃泊從。出流船人。
すみのえの。えなつにたちて。みわたせば。むこのとまりゆ。いづるふなびと。
 
是をスミヨシと言ふは後なり。これは上の猪名川などの歌と、同じ度にても有るべきを、異《コト》たびに聞きて別に書き載せしにや。和名抄、攝津國住吉郡榎津(以奈豆)武庫郡武庫とあり。
 
春日藏首老歌一首
 
284 燒津邊。吾去鹿齒。駿河奈流。阿倍乃市道爾。相之兒等羽裳。
やきつべに。わがゆきしかば。するがなる。あべのいちぢに。あひしこらはも。
 
老、官人と成て、駿河の國の任などにて、下りし時詠めるか。ヤキツは景行紀四十年、日本武尊駿河に(213)至ります事有りて、悉く其賊を焚く故、其處を燒津と言ふと有り。神名帳、駿河國|益頭《ヤキツ》郡云云、燒津神社とも見ゆ。アベノ市、和名抄、駿河國阿部郡に國府あり、今の府中是なり。府の西をあべ川と言ふ。然れば市は則ち府なり。兒等ハモのハモは、心をとめて思ふ詞なり。下に問ひし君はもなど詠めるにひとし。
 
丹比眞人笠麻呂往2紀伊國1超2勢能山1時作歌一首
 
285 栲領巾乃。懸卷欲寸。妹名乎。此勢能山爾。懸者奈何將有。
たくひれの。かけまくほしき。いもがなを。このせのやまに。かけばいかにあらむ。
 一云|可倍波伊香爾安良牟《カヘバイカニアラム》
 
タタヒレノ、枕詞。是は紀伊の幸の度の事ならん。笠麻呂も老も同じく此山を越ゆるままに、古郷の妹を心にかけて戀しきに、せめて此山の背と言ふ名を變へて、妹と言ふ名をかけ負はせて呼ばばいかに有らんと、戯に老に問ふなるべし。カヘバイカニアラムは、一本には有らで、佛足石の御《ミ》歌の如く、一句餘れるなるべし。
 參考 ○妹名乎(古、新)イモノナヲ。
 
春日藏首老即和歌一首
 
(214)286 宜奈倍。吾背乃君之。負來爾之。此勢能山乎。妹者不喚。
よろしなへ。わがせのきみが。おひきにし。このせのやまを。いもとはよばじ。
 
ヨロシナヘは既に出づ。ワガセは笠麻呂をさす。妹戀しき事はさる事ながら、吾はただ君が負ひこしせと言ふ山の、名こそよろしけれ。更に妹と變へんとは思はずと、とりなし答ふるなり。
 
幸2志賀1時石上卿作歌一首 名闕
 
續紀、元正天皇養老元年三月、美濃國に幸して近江國に到りて、淡海を見給ふよし有り。集中、大臣大納言を卿と書けり。文武の御末より元正に至るまで、石上氏にて卿と言ふべきは、左大臣麻呂公のみ。然るを麻呂公同年三月薨ずとあれば、誰をさせるにか詳ならず。久老云、大寶二年太上天皇(持統)三河國美濃國に幸の事見ゆ。そのをり志賀にも幸し給ひけん。さては麻呂公として叶へりと言へり。
 
287 此間爲而。家八方何處。白雲乃。棚引山乎。超而來二家里。
ここにして。いへやもいづく。しらくもの。たなびくやまを。こえてきにけり。
 
家は奈良都の家なり。大和より近江の湖まで、他國を隔てて山山重なれり。卷四、此間在《ココニアリ》てつくしやいづく白雲のたな引山の方にし有らしと見えたり。
 
穗積朝臣老歌一首
 
續紀、養老六年正月、罪有りて佐渡島へ配流と有り。
 
(215)288 吾命之。眞幸有者。亦毛將見。志賀乃大津爾。縁流白浪。
わがいのちし。まききくあらば。またもみむ。しがのおほつに。よするしらなみ。
 
右と同じ度なるべし。眞サキクは既に出づ。よき景色に向ひて命を思ふ歌、集中に多し。上の垂麻呂が歌の類なり。卷十三、此人の配流の時、天地を歎き乞のみ幸あらばまたかへり見むしがのから崎、と詠めるも同じ意なり。
 參考 ○吾命之(考、古)ワガイノチノ(新)略に同じ
 
右今案不審2幸行年月1。 一本行幸と有り。されど古事記其外の書みな幸行とあり。行幸とせる方は、かへりて後人のさかしらなるべし。
 
間人《ハシウドノ》宿禰大浦初月歌二首
 
大浦紀氏見六帖の七字後人の書入れなり、除くべし。此人の事知られず。くらはし山を出づる月を待つなれば、藤原の都の人なるべし。
 
289 天原。振離見者。白眞弓。張而懸有。夜路者將吉。
あまのはら。ふりさけみれば。しらまゆみ。はりてかけたる。よみちはよけむ。
 
まゆみの木はことに白き物なれば、白マユミと言ふべし。やがて弓張月に言ひ續けたり。ヨケムはヨカラムと言ふなり。吉、一本去に作る。さらばユカムともユカナとも訓むべし。一本の方勝れり。
(216) 參考 ○張而懸有(代、古、新)ハリテカケタリ ○將吉(古)「將去」ユカム(新)略に同じ。
 
290 椋橋乃。山乎高可。夜隱爾。出來月乃。光乏寸。
くらはしの。やまをたかみか。よごもりに。いでくるつきの。ひかりともしき。
 
クラハシ山は大和十市郡なり。古事記、はしだての久良波斯夜麻をさかしみと云云。ヨモゴリは夜と成りて遲く出づるにて、夜深くと言ふが如し。此一首の意は、くら橋山の高くして、其山にさへられて、月の出でくるが遲ければ、見る程の乏しきなり。さて此歌全く初月の歌にあらず、別に端詞有りしが脱ちたるならん。卷九沙彌女王歌として、結句片待難きと變れるのみにて、全く同歌を載せたり。又卷四に、戀ひ戀ひて逢ひたるものを月しあれば夜はこもるらむしばしはあり待て、と詠めるは、夜の末の殘れるを言へるにて今とは異なり。
 
小田事勢能山歌一首
 
古今六帖に、此歌の作者ををだのことぬしと有り。ここは主の字を脱せるか。
 
291 眞木葉乃。之奈市勢能山。之奴婆受而。吾超去者。木葉知家武。
まきのはの。しなふせのやま。しぬばずて。わがこえゆけば。このはしりけむ。
 
まきは檜なり。檜の枝葉は、しなやかなる物なれば言ふ。シヌバズテは慕フニ堪ヘズシテなり。今は忍びあへず愁ひしなへて越えゆけば、木の葉も吾心を知りけん、彼もしなひ垂れて有りと言ふなり。是は故郷(217)の妹を慕ふなるべし。卷七、天雲の棚引山の隱りたる吾心をば木の葉しるらむと言ふに似たり。
 
角麻呂歌四首
 
續紀、從五位下|?兄《ロクノエ》麻呂有り。ここは?を角に誤り、兄を脱せしなるべし。續紀に、此氏を録とも?とも書けり。字書は?音録とあれば、通はし用ひし物なり。
 
292 久方乃。天之探女之。石船乃。泊師高津者。淺爾家留香裳。
ひさかたの。あまのさぐめが。いはふねの。はてしたかつは。あせにけるかも。
 
神代記、阿麻能左愚謎《アマノサグメ》と註せり。天稚彦、高産靈尊にそむきまつり、歸り申しせざりし時、無名雉天稚彦の門前に飛び降るを、天探女見出だせる事有り。磐船は石楠船とて、楠もて造りて、堅きをほめ言ふならん。神武紀、天神之子天磐船に乘りて降止り、櫛玉饒速日命と申すよし有り。天探女は紀にては地神と覺しきを、批歌によれば、是ももとは天稚彦の?見よとて、天より降し給ひしが、天稚彦に媚びて在りし神にや。名に天と言へるもよし有り。且つ饒速日命の如く、此神も石船に乘りて、天降れる傳へ有りしにや。契沖云、攝津國風土記云、難波高津者天稚彦天降時屬v之神天探女乘2磐舟1而至2于此1其磐舟所v泊故號2高津1云云と有るを言へりとぞ。此事を古より言ひ傳ふる所なれば、此歌にも詠めるならん。古き難波わたりの圖を見るに、高津は西の入江によりて、今|高津《カウヅ》と言ふは古の跡には非ず。アセニケルカモは、所のさま變りて淺く成りたるを言ふ。
 
(218)293 鹽干乃。三津之海女乃。久具都持。玉藻將苅。率行見。
しほひの。みつのあまめの。くぐつもち。たまもかるらむ。いざゆきてみむ。
 
三津は難波の三津なり。海女アマと訓みて、六言の句とすべく思へど、女と書けるからはアマメと訓むべし。袖中抄に、久久都とは藁にて袋の樣に編みたる物なり。それに藻貝などを入るるなり。童蒙抄に、クグツとはカタミを言ふと有り。うつほ物語さがの院の卷に、きぬあやを糸のくぐつに入れてと見ゆ。
 參考 ○鹽干乃(新)シホヒ「爾」ニか ○海女乃(古、新)アマノ。
 
294 風乎疾。奧津白浪。高有之。海人釣船。濱眷【眷ヲ※[眷の目が日]に誤ル】奴。
かぜをいたみ。おきつしらなみ。たかからし。あまのつりぶね。はまにかへりね。
 
眷はかへり見ると言ふ意の字なるを、カヘルと言ふ言に借りて書けるにや。
 
295 清江乃。木笶松原。遠神。我王之。幸行處。
すみのえの。きしのまつばら。とほつかみ。わがおほきみの。いでましどころ。
 
清江は住吉なり。トホツカミ、枕詞。笶は和名抄に、和名夜と有れど、卷十に、足日木|笶《ノ》とノの假字に用ひし例有り。木の下志の字を脱せしか。
 
田口益人大夫任2上野國司1時至2駿河淨見埼1作歌二首
 
續紀、和銅元年三月、從五位下田口益人を上野守とすと有り。
 
(219)296 廬原乃。清見之崎乃。見穗乃浦乃。寛見乍。物念毛奈信。
いほばらの。きよみがさきの。みほのうらの。ゆたけきみつつ。ものもひもなし。
 
和名抄、駿河國廬原郡廬原(伊保波良)神名帳、廬原郡御穗神社あり。今ミホと言ふ所は、清見が崎より入海ごしに向に有り。さて其入海かけて、即ちミホノ浦と言へば斯く詠めり。寛見乍、卷二十に、海原の由多氣伎見都都とあれば、ここも然か訓むべし。此の浦のひろらかに、見渡さるるを見れば、物思も無きとなり。
 參考 ○物念毛奈信(古)略に同じ(新)モノオモヒモナシ。
 
297 晝見騰。不飽田兒浦。大王之。命恐。夜見鶴鴨。
ひるみれど。あかぬたごのうら。おほきみの。みことかしこみ。よるみつるかも。
 
田兒は清見が崎より、浦傳ひに東へ行手に見ゆる入海を言ふ。夜をこめて通れるならん。公式令を見るに、いにしへは驛路遠ければ、かかる事も有るべし。任にて下る度なれば、御言カシコミと言へり。
 
弁基歌一首
 
續紀に、大寶元薙三月勅して還俗、春日藏首老と言ひて、既に此卷の上に、其姓名にて歌あまた擧げたり。ここに至りて却つて僧名を出だせるは、僧なりし時の歌を、後に傳へ聞きて書き入れしなるべし。
 
298 亦打山。暮越行而。廬前乃。角太河原爾。獨可毛將宿。
まつちやま。ゆふこえゆきて。いほぎきの。すみだがはらに。ひとりかもねむ。
 
(220)卷四、木路に入立信士《イリタチマツチ》山と有りて、大和國に近きわたりの紀伊の山なり。スミダ川と言ふ所、古今集には武藏下總のあはひと言ひ、古今六帖には、出羽《イデハ》なる青との關のすみた川とも有りて、かたがたに見えたれど、ここは紀伊國と定むべし。仙覺は、すみだ川は紀伊國にも、出羽にも、下總にもあり。待つち山は紀伊國に名高き山なりと言へり。さて右の田口大夫の歌の次第にて見れば、これも駿河にての歌のやうに見ゆれど、さには有らじ。駿河國廬原郡に、今イハラ川と言ふ川を、此歌のスミダ川なりと言ふ説あれど、僻事《ヒカゴト》にて、廬前も角太河も紀の國なり。
 參考 ○角太河原爾(古、新)スミダノハラニ「河」を衍とす。
 
右或云、弁基者春日藏首老之法師名也。 紀に見ゆるを或云と書けるなど、後人のしわざなる事著し、
 
大納言大伴卿歌一首 未詳 此二字後人の書入なり、除くべし。
 
續紀、天平三年七月、大納言從二位大伴宿禰旅人薨。難波朝右大臣大紫長コ之孫、大納言贈從二位安麻呂第一子也とあり。
 
299 奧山之。菅葉凌。零雪乃。消者將惜。雨莫零行年。
おくやまの。すがのはしぬぎ。ふるゆきの。けなばをしけむ。あめなふりこそ。
 
菅は山菅にて麥門冬なり。シヌギは繁き葉のあはひまで降り入りたるを言へり。コソは願ふ詞。行年は借りて書けるか。宣長云、行年をコソと訓まむ由無し。すべて行は所の誤りにてソネと訓むべしと言へり。(221)ソネは雨ナフリソと言ふにネの言を添へたるなり。ネは願ふ詞。
 參考 ○行年(古、新)ソネ。
 
長屋王駐2馬(ヲ)寧樂山1作歌二首
 
300 佐保過而。寧樂乃手祭爾。置幣者。妹乎目不雖【雖ハ離ノ誤】。相見染跡衣。
さほすぎて。ならのたむけに。おくぬさは。いもをめかれず。あひみしめとぞ。
 
佐保は大和なり。さて奈良坂の上に、旅の手向する所有りて、やがてそこを手向山と言ふならん。今|峠《タウゲ》と言へるも其なり。後に同じ奈良にて、菅原贈太政大臣の手向山と詠み給ひしもここなるべし。幣は絹布なり。枝にも付くれど、又物にすゑても奉れば置くとは言へり。今の京と成りては、絹布のこまかに切りたるを、袋に入れて持《モ》たるを、さるべき所にて打ち散らして手向くる事となりぬ。是をキリヌサともタチヌサとも言へり。相見シメトゾは令相見《アヒミシメ》タマヘとなり。都を旅立ちてここに至りて妹のもとへ詠み贈り給へるなるべし。歌の意は、卷十七長歌に、戸並山手向の神に、幣まつり吾乞のめば、はしけやし君が直香《タダカ》を、眞宰も(中略)相見しめとぞと言ふに同じ。雖は離の字の誤りなる事しるし。
 
301 盤金之。凝敷山乎。超不勝而。哭者泣友。色爾將出八方。
いはかねの。こごしきやまを。こえかねて。ねにはなくとも。いろにいでめやも。
 
磐ガネは磐根なり。コゴシキは凝り固まれるなり。卷十七、許其志河毛《コゴシカモ》いはのかむさびなど、假字書あ(222)ればかく訓めり。コエカネテは、おくれたる妹を戀ひつつ、行きがてにする意なり。色ニ出デメヤモは色には出ださじと言ふなり。
 參考 ○凝敷山乎(古)コゴシクヤマヲ(新)略に同じ。
 
中納言安管倍廣庭卿歌一首
 
續紀、神龜四年中納言に任、天平四年二月薨。右大臣從三位御主人之子と見ゆ。
 
302 兒等之家道。差間遠烏。野干玉乃。夜渡月爾。競敢六鴨。
こらがいへぢ。ややまどほきを。ぬばたまの。よわたるつきに。きそひあへむかも。
 
卷十八、ぬば玉の夜わたる月をいくよふと共詠みて、大空を渡る月と言ふなり。キソフは爭ふ意。アヘムカモは堪へムカなり。妹がりの間近からねば、月の早く行くには爭ひ得じ。吾はおくれんかの意なり。
 參考 ○競(古、新)キホヒ。
 
柿本朝臣人麻呂下2筑紫國1時海路作歌二首
 
303 名細寸。稻見乃海之。奧津浪。千重爾隱奴。山跡島根者。
なぐはしき。いなみのうみの。おきつなみ。ちへにかくりぬ。やまとじまねは。
 
名グハシキ、枕詞。イナミ前にも出づ。ヤマトジマは此上にも下にも有りて、大和の國の事なり。いなみの沖に漕ぎ出でて、今は大和の方の山も見えず成りて、ただ浪のみ遙に立ち渡るを、浪に隱ると言ひなせ(223)るがあはれなり。上に留火《トモシビ》のあかしのおどと詠まれし同じ度なり。
 參考 ○千重爾隱奴(古)略に同じ(新)チヘニカタレヌ。
 
304 大王之。遠乃朝庭跡。蟻通。島門乎見者。神代之所念。
おほきみの。とほのみかどと。ありがよふ。しまとをみれば。かみよしおもほゆ。
 
ミカドはもと宮城の御門を言ふより出でたる詞にて、遠ノミカドは其國國の府、又は西國にては太宰をさして言へり。卷八、越中の國府をヒナノ都と詠めるに同じ。物がたりに吾みかど六十餘州など言へるは後世轉り誤れるなり。アリガヨフは、蟻は借字にて在なり。人人の昔より行き通ふを言ふ。島門は讃岐の水門《ミナト》を言ふか。卷二に同じ人の讃岐の歌に、神の御面《ミトモ》と次ぎて來る中の水門ゆ船浮けてと詠みたるに、同じ地と見ゆればなり。さて此海渡る舟は、春の末より夏秋の半までは、專ら讃岐の方へ寄せて漕ぐとぞ。神代シ云云は、是も右の神の御面と言ふに同じ。シは助辭。
 
高市連黒人近江舊都歌一首
 
近江の上見の字、歌の字の上作の字|脱《オ》ちしか。
 
305 如是故爾。不見跡云物乎。樂浪乃。舊都乎。令見乍本名。
かくゆゑに。みじといふものを。ささなみの。ふるきみやこを。みせつつもとな。
 
此人故郷は見るに中中愁増されば、見じと言ひしを、人に誘はれ來りて、さればよと思ひて詠めるなり。(224)モトナはヨシナキなり。卷十七、咲けりとも知らずし有らばもだも有らむ此山吹を見せつつもとな。
 
右謌。域本曰2小辨作1也。未v審2此小辨者1也。
 
幸2伊勢國1之時安貴王作歌一首
 
續紀、天平十二年十月伊勢國幸の事有り。同紀、天平元年三月旡位|阿紀《アキ》王に從五位下を授くと見ゆ。
 
306 伊勢海之。奧津白浪。花爾欲得。※[果/衣]而妹之。家※[果/衣]爲。
いせのうみの。おきつしらなみ。はなにもが。つつみていもが。いへづとにせむ。
 
花ニモガのガは願ふ詞にて、實の花ならば、包みもて歸らん物をと言ふなり。ツトとは藁※[果/衣]《ワラヅト》など言ひて物を包みたる事なり。海山の物を包みて人にも贈り、家へも、もて來るよりツトと言へるを、轉じて包まぬ物をも然か言ふ事となれり。集中、山ヅト、濱ヅト、旅行キヅト、道行キヅトなども詠めり。
 
博通法師往2紀伊國1見2三穗石室1作歌三首
 
博通傳知れず。
 
307 皮爲酢寸。久米能若子我。伊座家留。(一云|家牟《ケム》三穗石室者。雖見不飽鴨。(一云|安禮爾家留可毛《アレニケルカモ》)
はたずすき。くめのわくごが。いましける。みほのいはやは。みれどあかぬかも。
 
ハタズスキ、枕詞。顯宗紀|弘計《ヲケノ》天皇(更名|來目稚子《クメノワクコ》)云云と有りて、天皇|億計《オケノ》王と共に難を避けて、丹波に行き給ひ、近臣|余社《ヨサノ》郡使主播播磨國|縮見《シジミ》山の石室にて自ら經《クビ》り死にし事あり。かかれば皇子も播磨に到りま(225)して縮見石室に暫くおはしけん、それを紀伊にも言ひ傳へてかく詠めるにや。紀に、みこ石室に住みませしとは見えねども、其臣ここに入りて經死せる事あれば、此みこも爰におはせしにやとも思はるれど、弘計天皇の御事を、かくなめげに詠むべくも無し。久老説の如く久米部の稚子にて、天皇の御事に有らぬ事は、次の歌にても知るべし。
 
308 常盤成。石室者今毛。安里家禮騰。住家留人曾。常無里家留。
ときはなる。いはやはいまも。ありけれど。すみけるひとぞ。つねなかりける。
 
卷五、等伎波奈周《トキハナス》かくしもがもと書ければ、ナスとも訓むべけれど、ここは石と續けたれば、ナルと訓むべし。住みける人は久米のわく子を言ふ。
 參考 ○常盤成(代、古)トキハナス(新)略に同じ。
 
309 石室戸爾。立在松樹。汝乎見者。昔人乎。相見如。
いはやどに。たてるまつのき。なをみれば。むかしのひとを。あひみるごとし。
 
イハヤドは石室の門なり。汝は松を指して言ふ。昔ノ人は久米のわくごを言へり。
 
門部王詠2東市之樹1作歌一首
 
一本に、舊本曰。後賜2姓大原眞人1。敏達天皇六代孫。舒明天皇之後也と註せり。此舒明天皇の四字は誤字なるべし。續紀、和銅六年正月旡位門部王に從五位下を授くと有りて、それよりくさぐさの官位を歴て(226)天平三年從四位上と見ゆ。作の字衍文か。
 
310 東。市之殖木乃。木足左右。不相久美。宇倍吾【吾ハ衍文】戀爾家利。
ひむがしの。いちのうゑきの。こだるまで。あはずひさしみ。うべこひにけり。
 
市は東西に有り。卷七に、西の市にただひとり出てとも詠めり。雄略記、餌香市邊橘と言ひ、卷二に、橘の蔭ふむ道のやちまたにと詠める如く、都の大路に菓樹を植ゑられしなり。木ダルは老木となれば、枝垂るる物なれば言ふ。卷十四、かまくら山の許太流木乎《コダルキヲ》とも詠めり。妹を久しく相見ぬを言はんとてなり。ウベは承諾《ウベナ》ふ意、宇倍の下吾の字古本に無し。誤りて入りたるなり。
 參考 ○不相久美(考)アハデヒサシミ(古、新)略に同じ。
 
?作村主益人《クラツクリノスクリマスヒト》從2豐前國1上v京時作歌一首
 
卷六に、同人の歌ありて、左註に内匠寮大屬とあり。此?の字鞍の省文なるべし。
 
311 梓弓。引豐國之。鏡山。不見久有者。戀敷牟鴨。
あづさゆみ。ひきとよくにの。かがみやま。みずひさならば。こひしけむかも。
 
アヅサユミ、枕詞。引キタヲムを引キトヨと通はし言へるなり。冠辭考にくはし。鏡山下の挽歌にも詠めり。豐前なり。コヒシケムは戀シカラムなり。是も相聞にて、鏡と言ふより見ルと言ひかけたり。
 參考 ○戀敷牟鴨(古)コホシケムカモ(新)略に同じ。
 
(227)式部卿藤原|宇合《ウマカヒノ》卿被v使v改2造難波堵1之時作歌一首
 
續紀、天平九年八月。參議式辞卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨。太政大臣不比等第三子也と見ゆ。さて馬養と書けるも、宇合と書けるも同じ人なる事、紀を見て知るべし。されば宇合もウマカヒと訓むべきなり。神龜三年十月、此卿知造難波宮の事に任じて、天平四年三月此事成りぬ。其時の歌なり。堵は都と通はし書けるかと契沖言へり。
 
312 昔者社。難波居中跡。所言奚米。今者京引。□備仁鷄里。
むかしこそ。なにはゐなかと。いはれけめ。いまはみやこと。そなはりにけり。
 
難波は、仁コ天皇は高津宮、孝コ天皇は長柄宮にましまし、持統天皇も大宮造りまして、もと帝都の地なれど、久しく故郷となりて居中《ヰナカ》と言はれつるなり。居中は田居中《タヰナカ》の義なり。集中、都はツの假字にて、トの假字に用ひし例無く、ソナハリニケリも雅ならず。都の字の下、一字闕けたりと見ゆるによりて、狛諸成は引は師の誤り、都は跡の誤りにて、さて柔の字落ちしか。然らば今者京師跡柔備仁鷄里、イマハミヤコトニギハヒニケリと訓むべしと言へり。契沖は、イマミヤコビキミヤコビニケリと訓めり。都ビニケリはさも有べし、ミヤコビキと言ふ詞は無し。春海云、引は斗か刀の誤りにて、イマハミヤコトミヤコビニケリと訓むべし。
 參考 ○今者京引云云(代)イマミヤコヒキ、ミヤコビニケリ(考)「今者京師跡柔備仁鷄里」イマハ(228)ミヤコト、ニギハヒニケり(古)イマハミヤコト「引ヲ利トス」ミヤコビニケリ(新)イマハミヤコト、ミヤゴビニケリ。
 
土理宣令《トリノセンリヤウ》歌一首
 
續紀、養老五年正月刀利宣令に詔して、東宮に侍らしむる由あり。
 
313 見吉野之。瀧乃白波。雖不知。語之告者。古所念。
みよしぬの。たぎのしらなみ。しらねども。かたりしつげば。むかしおもほゆ。
 
卷一よき人のよしとよく見てよしと言ひしと詠ませ給ひ、卷七、古のかしこき人の遊びけむなど言ひて、此山は昔よりほめ來れる事どもの有ればかく詠めり。告は借字にて繼ぐなり。
 參考 ○語之告者(代)ツグレバ(古、新)略に同じ ○古所念(古、新)イニシヘオモホユ。
 
波多《ハタノ》朝臣|少足《ヲタリ》歌一首
 
紀に、浪多氏は見ゆれど、少足と言ふは見えず。
 
314 小浪。礒越道有。能登湍河。音之清左。多藝通瀬毎爾。
さざれなみ。いそこせぢなる。のとせがは。おとのさやけさ。たぎつせごとに。
 
大和高市郡巨勢なり。サザレ浪イソコスと言ひ懸けたるにて、集中、布留川を、かきくらし雨ふる川と言ひ懸けたる類ひなり。卷十二、高湍《コセ》なるのとせの川とも詠めり。
 
(229)暮春之月幸2芳野離宮1時中納言大伴卿奉v勅作歌一首并短歌 未v逕2奏上1歌
 
逕は經の誤りか。是らは家持卿の自註なるべし。續紀、神龜元年三月吉野宮に幸有り。大伴卿は旅人卿なり。養老二年中納言に任ぜらる。
 
315 見吉野之。芳野乃宮者。山可良志。貴有師。永【永ハ水ノ誤】水可良思。清有師。天地與。長久。萬代爾。不改將有。行幸之宮。
みよしぬの。よしぬのみやは。やまからし。たふとかるらし。かはからし。さやけかるらし。あめつちと。ながくひさしく。よろづよに。かはらずあらむ。いでましのみや。
 
宮も所からか、いよよ貴きと言ふなり。山カラシ、水カラシのカラはナガラの意。シは助辭なり。永は水の誤りなるべきよし、契沖が言へるぞよき。されどミヅと訓めるは未たし。天地ト長ク久シクは、神代紀、寶祚之隆當d與2天壤1無uv窮者矣と有るに同じ。離宮をイデマシノミヤとも、トツ宮とも言へり。調べに從ひて訓むのみ。
 參考 ○貴有師(代)タフトクアラシ、又は、カシコクアラシ(考)略に同じ(古、新)タフトクアラシ○清有師(考)イサギヨカラシ(古、新)サヤケクアラシ。
 
(230)316 昔見之。象乃小河乎。今見者。彌清。成爾來鴨。
むかしみし。きさのをがはを。いまみれば。いよよさやけく。なりにけるかも。
 
此卿同じ京に在りながら、久しくしてここの御供しつれば、かくは詠まれけるならん。此下にも大宰帥にて昔見し象のを河をと詠めり。
 
山部宿禰赤人望2不盡山1歌一首并短歌
 
山の下作の字を脱せり。山部氏は、古事記山部大楯連山部小楯など有りて、かばねはもと連《ムラジ》なるを、宿禰は後に賜れり。赤人は此集の外所見無し。舍人にや有りけん。幸の御供にて詔をうけて詠みし歌あり。後東に下りしは國官にてはあらじ。班田使などの時なるべし。
 
317 天地之。分時從。神左備而。高貴寸。駿河有。布士能高嶺乎。天原。振放見者。度日之。陰毛隱比。照月乃。光毛不見。白雲母。伊去波代【代ハ伐ノ誤】加利。時自久曾。雪者落家留。語告。言繼將往。不盡能高嶺者。
あめつちの。わかれしときゆ。かむさびて。たかくたふとき。するがなる。ふじのたかねを。あまのはら。ふりさけみれば。わたるひの。かげもかくろひ。てるつきの。ひかりもみえず。しらくもも。いゆきはばかり。ときじくぞ。ゆきはふりける。かたりつぎ。いひつぎゆかむ。ふじのたかねは。
 
振放のフリは詞。サケは遠く仰ぎ見るなり。カクロヒは、カクリを延べ言ふ。イ行キハバカリのイは發(231)語。ハバカリは、雲も此山を越えがてにして、滯るを言ふなり。代は伐の誤りなり。時ジクは非時とも書きて時ナラヌと言ふなり。語リツギ言ヒツギユカムは、末の世まで語り繼ぎなんと言ふ事を、あやに重ね言へるなり。告は借字にて繼ぐなり。告を繼ぐに借りたる例あり。かたり|つ《告》げの意とするは僻事なり。
 
反歌
 
318 田兒之浦從。打出而見者。眞白衣。不盡能高嶺爾。雪波零家留。
たごのうらゆ。うちでてみれば。ましろにぞ。ふじのたかねに。ゆきはふりける。
 
駿河の清見が崎より東へ行けば、今薩?坂と言ふ山の下の渚に昔の道あり。そこより向ひの伊豆の山の麓までの海、田兒の浦なり。右の岸陰の道を東へ打ち出づれば、其入海越しに富士見ゆるとぞ。されば田兒の浦より東へうち出て見ればと言ふ意にかくは詠めり。ユはヨリとと言ふ詞ながら、ここはいと輕ろく意得べし。何事も無けれども今も見る如し。 參考 ○眞白衣 (考、新)略に同じ(古)マシロクゾ。
 
詠2不盡山1歌一首并短歌
 
319 奈麻余美乃。甲斐乃國。打縁流。駿河能國與。己智其智乃。國之三中從。出立【立ヲ之ニ誤】有。不盡能高嶺者。天雲毛。伊去波伐【伐ヲ代ニ誤ル】加利。飛鳥母。翔毛不上。燎火乎。雪以滅。(232)落雪乎。火用消通都。言不得。名不知。靈母。座神香聞。石花海跡。名付而有毛。彼山之。堤有海曾。不盡河跡。人乃渡毛。其山之。水乃當烏。日本之。山跡國乃。鎭十方。座神可聞。寶十方。成有山可聞。駿河有。不盡能高峯者。雖見不飽香聞。
なまよみの。かひのくに。うちよする。するがのくにと。こちごちの。くにのみなかゆ。いでたてる。ふじのたかねは。あまぐもも。いゆきはばかり。とぶとりも。とびものぼらず。もゆるひを。ゆきもてけち。ふるゆきを。ひもてけちつつ。いひもえず。なづけもしらに。あやしくも。いますかみかも。せのうみと。なづけてあるも。そのやまの。つつめるうみぞ。ふじかはと。ひとのわたるも。そのやまの。みづのたぎちぞ。ひのもとの。やまとのくにの。しづめとも。いますかみかも。たからとも。なれるやまかも。するがなる。ふじのたかねは。みれどあかぬかも。
 
ナマヨミノ、ウチヨスル、枕詞。コチゴチは彼方此方《カナタコナタ》なり。今アチコチと言ふに同じ。ミナカは眞中なり。出立、今出之と有るは誤りなり。古葉略類聚によりて改めつ。タカネのネは嶺の本語にして、ミの言を添へてミネと言へり。ミは眞なり。イマス神カモは則ち此山を神と言へり。セノ海とは鳴澤の事なり。三代實録、貞觀六年五月富士燒て大山西北本栖水海埋れし事有り。同七年十二月|?《セノ》海を埋むる事千許町と有り。日本紀略、承平七年十−月甲斐國言、駿河國富士山神火水海を埋むとあれば、此時に絶えたるなるべし。石花と書けるは、和名抄、崔禹錫食經云、尨蹄子(和名勢)云云、兼名苑注云、石花二三月皆紫舒2紫花1附v(233)石而生、故以名v之とあれば、セの假字に用ひたり。山上に峰あまた廻りて今の道一里ばかりの湖有り、故に其山の包めるとは言へり。且つ池をも海と言ふ言既に言へり。水乃當の下知の字落ちしか。烏をゾの假字に用ひたるは外にも有れど、ゾと訓むべき由無し。曾か焉の字の誤れるならん。日本をヒノモトと訓める事古くは無し。續後記、興福寺の僧の長歌に、日本《ヒノモト》の山馬臺《ヤマト》の國と訓めると、此歌のみなり。こは枕詞にて、日のもとつ國の倭と言ふ意なりと、宣長委しく論へり。シヅメトモは、守りと言はんが如し。顯宗紀室賀に、筑立柱者此家御長心之鎭也《ツイタツルハシラハコノイヘヲサガココロノシヅメナリ》とも言へり。ナレルは生れるにて、なり出でたると言ふなり。此歌したたかにして、有樣をよく言ひ盡したるは、誰人の詠みけるにか。
 參考 ○雪以、火用(古、新)ユキモチ、ヒモチ ○言不得(代、古、新)イヒモカネ ○名不知(代)ナツケモシラズ(代、古、新)略に同じ ○靈母(古、新)クスシクモ。
 
反歌
 
320 不盡嶺爾。零置雪者。六月。十五日消者。其夜布里家利。
ふじのねに。ふりおけるゆきは。みなづぎの。もちにけぬれば。そのよふりけり。
 
かかる諺の有るを、其國人の語りけんままに詠めるなるべし。さりともよく此山にかなへり。六月をミナ月と言ふ如き月の名の考は、考の別記に委し。
 
321 布士能嶺乎。高見恐見。天雲毛。伊去羽計。田奈引物緒。
(234)ふじのねを。たかみかしこみ。あまぐもも。いゆきはばかり。たなびくものを。
 
雲も山の半までたなびけば斯く言へり。モノヲのヲはヨに通ひて助辭の如し、集中かかる例多し。
 
右一首高橋瀲蟲麻呂之歌中出焉以類載此 歌の字下集の字脱ちたり。右のタカミカシコミの歌ばかり、虫麻呂家集に有りしなり。長歌と反歌は蟲麻呂にあらず。
 
山部宿禰赤人至2伊豫温泉1作歌一首并短歌
 
天武紀十三年十月己卯朔壬辰大地震云云と有りて、伊豫湯泉没して不出と有り。此歌には猶古へのさまなれば赤人の見し頃又昔の樣に還りしなるべし。
 
322 皇祖神之。神乃御言乃。敷座。國之盡。湯者霜。左波爾雖在。島山之。宜國跡。極此疑。伊豫能高嶺乃。射狹庭乃。崗爾立之而。歌思。辭思爲師。三湯之上乃。樹村乎見者。臣木毛。生繼爾家里。鳴鳥之。音毛不更。遐代爾。神佐備將往。行幸處。
かみろぎの《すめろぎの》。かみのみことの。しきます。くにのことごと。ゆはしも。さはにあれども。しまやまの。よろしきくにと。こごしかも。いよのたかねの。いさにはの。をかにたたして。うたしぬび。ことしぬびせし。みゆのうへの。こむらをみれば。おみのきも。おひつぎにけり。なくとりの。こゑもかはらず。とほきよに。かむさびゆかむ。いでましどころ。
 
(235)カミロギは祝詞、神賀詞に出でて、皇統の神を申す。又前前の御代をも指せり。卷十九、皇祖神の遠御代御代はと詠めるも、前前の天皇を申奉れり。宣長は猶舊訓のままに、スメロギと訓まんと言へり。コゴシは前に出づ。ここは岩根の詞を略き言へり。カモは辭なり。イサニハは神名帳、伊與温泉郡伊佐爾波神社有り。そこなるべし。岡ニ立タシテ云云は、上にかみろぎと申せしは、既に云ふ如く上古の天皇を申す。ここに立タシと言へるは、其後後の天皇を申奉るなり。舒明紀、十一年十二月、伊與温湯宮に幸の事有り。仙覺抄に風土記を引きて、湯郡天皇等於v湯幸行降坐五度也。景行天皇以3大帶日子與2八坂入姫命二?1爲2一度1也。仲哀天皇以2大帶日子天皇與2大后息長足姫命二?1爲2一度1。以2上宮聖コ皇子1爲2一度及1。(○侍 脱カ)高麗惠慈僧高(○葛カ)城王等也。立2湯岡側碑文1(○其立2碑文1 脱カ〕處謂2伊社爾波(○之岡1他所v名伊社邇波 脱カ)者當土諸人等其碑文欲v見而伊社那比來。因謂2伊社爾波1(○本 脱カ)也。以2岡本天皇并皇后二?1爲2一度1。于v時、於2大殿戸1有2樹木1。云2臣木1、其上集2鵤比米1【此句「風土諏逸文」に有3椹與2臣木1於2其上1集3鵤與〔右○〕2比米鳥1。」とあり】。天皇爲2此鳥1(○枝 脱カ)繋2稻(○稻 衍カ)穗(○等1 脱カ)養賜也。以2後岡本天皇近江大津宮御宇天皇清御原宮御宇天皇三?1爲2一度1此謂2行幸五度1也とあり。卷一、類聚歌林を引ける所に、一書云、是時宮前有2二樹木1、此之二樹班鳩此米二鳥大集。時勅多掛2稻穗1而養v之乃作v歌云云とも言へり。此時の歌どもの中に、是より前幸有りし事などの心を、古木につけて言ひ、或は辭に言ひ慕ひし事有りけん、其事を、歌シヌビ、辭シヌビセシとは言へるなるべし。思をシヌビと(236)も集中に多く訓めり。卷十一、麻柏潤八河邊のしぬのめの思而《シヌビテ》ぬればと有るなど、シヌビテと訓まではかなはず。宣長云、ここは歡オモヒ、辭《コト》オモハシシにて、上宮太子の歌を思ひめぐらし、文を思ひめぐらし給ひしと言ふ事なり。文は風土記に見えたる碑文なりと言へり。猶考ふべし。コムラは木群なり。和名抄に纂要云、木枝柑交下陰曰?、和名古無良とあれど、是は強ひて字をおし當てたるものなり。ミユは眞湯なり。オミノ木は今言ふモミノ木なり。神武紀、孔舍衛《クサヱ》の戰、人大樹に隱れて難を免かる。其樹の恩母の如しとて、時人其地を母木邑と言ふ。今|飫悶廼奇《オモノキ》と言は訛れるよし見ゆ。トホキヨニ云云、上には昔を言ひ、中に今を言ひ、下に末の世をかけて言へる物なり。
 參考 ○皇神祖(古、所)スメロギノ○敷座(代)シカジマス、又は、シキマセル(考)シキマセル(古)代に同じ○歌思(代、古、新)ウタオモヒ○辭思爲師(代)コヒオモヒ云云(古、新)コトオモハシシ○三湯之上乃(古、新)ミユノヘノ。
 
反歌
 
323 百式紀乃。大宮人之。飽田津爾。船乘【乘ヲ垂ニ誤ル】將爲。年之不知久。
ももしきの。おほみやびとの。にぎたづに。ふなのりしけむ。としのしらなく。
 
飽は饒の誤りなるべし。ニギタヅは伊與なり。既にも出づ。久老云、或人其地のさまよく知れるに聞きしは、饒《ニギ》田津と言ふ地も、飽《アキ》田津と言ふ地も今猶有りとぞ。猶考ふべし。赤人は專ら聖武の御時と見ゆれば(237)岡本宮よりは八つぎの御代と成りぬ。それよりさきざきも幸有りしなれば、年の數も知られぬ由言へり。
 參考 ○飽田津(代)ニギタヅ(考)アキタヅ(古)アキタヅ。
 
登2神岳1山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
324 三諸乃。神名備山爾。五百枝刺。繁生有。都賀乃樹乃。彌繼嗣爾。玉葛。絶事無。在管裳。不止將通。明日香能。舊京師者。山高三。河登保志呂之。春日者。山四見容之。秋夜者。河四清之。旦雲二。多頭羽亂。夕霧丹。河津者驟。毎見。哭耳所泣。古思者。
みもろの。かみなびやまに。いほえさし。しじにおひたる。つがのきの。いやつぎつぎに。たまかづら。たゆることなく。ありつつも。つねにかよはむ。あすかの。ふるきみやこは。やまたかみ。かはとほしろし。はるのひは。やましみがほし。あきのよは。かはしさやけし。あさぐもに。たづはみだれ。ゆふぎりに。かはづはさわぐ。みるごとに。ねのみしなかゆ。いにしへおもへば。
 
ミモロノ云云、前に出づ。ツガノ木ノ、玉カヅラ、枕詞。在リツツモは在り在りてなり。あすかの古き都は飛鳥河原宮もあれど、年近き淨御原宮處を、ここにては慕ふならん。トホシロシはいちじろく鮮やかに見ゆる事を言へり。神代紀の大小魚の三字をトホシロクサキイヲと訓めるは、かへりて轉りたるなるべし。ミガホシは目かれず見まほしきなり。サワグは蛙の鳴き騷を言ふ。所泣は卷十五に、禰能未之奈加由《ネノミシナカユ》と(238)書きたれば、ここもナカユと訓めり。帝都の在りし時の盛りなりしを思ひ出でて、ねに鳴くと言へり。赤人は明日香にて生れし人なるべければ、所の景色のよきに付けても哀れを添へしなるべし。
 參考 ○神名備(古、新)カムナビ○不止將通(考、古、新)ヤマズカヨハム。
 
反歌
 
325 明日香河川。余騰不去。立霧乃。念應過。孤悲爾不有國。
あすかがは。かはよどさらず。たつきりの。おもひすぐべき。こひにあらなくに。
 
所の樣をやがて序とせり。立つ霧の川淀去らぬ如く、古京を戀ひしのぶ心のやり過ぐさむ方無きとなり。
 
門部《カドベノ》王在2難波1見2漁火燭光1作歌一首
 
續紀、和銅三年正月、無位門部王に從六位上を授く、後に大原眞人の姓を賜ふよし見ゆ。 
326 見渡者。明石之浦爾。燒火乃。保爾曾出流。妹爾戀久。
みわたせば。あかしのうらに。ともすひの。ほにぞいでぬる。いもにこふらく。
 
見ワタスは見ヤルを言ふ。卷十五、いさりする安麻能等毛之備《アマノトモシビ》、卷十九、しびつくとあまが燭有《トモセル》いさり火のと有れば、トモスヒと訓めり。ホはすべての物顯れ出づるを言ふ詞なり。上はいさり火を見て、やがて其けしきを序として、妹戀ふる事の人に知られたるを詠めり。是は相聞の歌なれど、旅に在りて詠める故、ここに次《ツイ》でたるなり。
 
(239)或娘子等賜2※[果/衣]乾鰒1戯請2通觀僧之咒願1時通觀作歌一首
 
目録に、或娘子等以2※[果/衣]乾鰒1戯請2通觀僧1戯請2咒願1云云とあり。これ然るべし。通觀は傳知れず。
 
327 海若之。奧爾持行而。雖放。宇禮牟曾此之。將死還生。
わたづみの。おきにもちゆきて。はなつとも。うれむぞこれが。よみがへらまし。
 
海若と書たれどもただ海なり。ウレムゾは伊ヅを約むれば宇となりて、ムとモと通へば、イヅレモゾと言ふなり。宣長云、卷十一に、平山の子松が末の有廉叙波《ウレンゾハ》わが思妹にあはでやみなめと言へるウレムゾに同じく、イカムゾの意なり言へるぞよき。ヨミガヘリナムは、黄泉より歸ると言ふ詞にて、生きかへるを言ふ。此僧死にたる者を呪《トコヒ》いかす術する聞え有りける故に、乾鰒もて來て戯に呪を請ひしなるべし。
 參考 ○將死還生(考、古、新)ヨミガヘリナム。
 
大宰少貳|小野老《ヲノノオユ》朝臣歌一首
 
續紀、天平九年六月太宰大貳從四位下にて卒す。
 
328 青丹吉。寧樂乃京師者。咲花乃。薫如。今盛有。
あをによし。ならのみやこは。さくはなの。にほふがごとく。いまさかりなり。
 
アヲニヨシ、枕詞。下に茵花《ツツジバナ》香君之と書けるもニホヘル君と訓む。又卷六に、つつじの將薫時と書けるもニホハムと訓むべければ、ここも薫をニホフと訓みて、色の事に用ひたるを知るべし。元明天皇の御時(240)奈良に都を遷されしより、聖武天皇の御時に至りて、彌《イヨイヨ》盛りなりしなるべし。
 
防人《サキモリ》司佑【佑ヲ祐ニ誤ル】大伴|四繩《ヨツツナ》歌一首
 
防人は太宰府の屬官なり。軍防令に守v邊者名2防人1云云。大伴の下宿禰の字落ちしか。繩目録に綱に作れり。
 
329 安見知之。吾王乃。敷座在。國中者。京師所念。
やすみしし。わがおほきみの。しきませる。くにのなかには。みやこおもほゆ。
 
大祓の詞に、四方之國中登とあるを、神武紀の國之|墺區《マホラ》と言へるを引きて、ヨモノクニノマホラと翁の訓まれたれば、ここも然か訓むべけど、猶舊訓のままなる方も穩かなり。
 參考、○國中者(考)クニノマホラハ(古、新)クニノナカ「在」ナル○京都所念(代)略に同じ(古、新)ミヤコシオモホユ。
 
330 藤浪之。花者盛爾。成來。平城京乎。御念八君。
ふぢなみの。はなはさかりに。なりにけり。ならのみやこを。おもほすやきみ。
 
ふぢは花ぶさ靡く物なるをもてフヂナミと言へり。此君と言ふは旅人卿を言ふか。よみ人佑なれば、帥を指して然か言ふべし。卷六、太宰少貳足人の歌に、刺竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君と詠めるも帥大伴卿をさせり。
 
(241)帥大伴卿哥五首
 
旅人卿なり。
 
331 吾盛。復將變八方。殆。寧樂京師乎。不見歟將成。
わがさかり。またをちめやも。ほとほとに。ならのみやこを。みずかなりなむ。
 
此二の句、マタカヘラメヤモと訓みては調ひがたし。宣長云、卷五、わがさかりいたくくだちぬ雲に飛ぶ藥はむともまた遠知《ヲチ》めやも。又、雲に飛ぶ藥はむよは都見ばいやしきあが身また越知《ヲチ》ぬべし。其外にも、初へ返る事を乎知《ヲチ》と言ふ事有りて、ほととぎすのヲチカヘリ鳴クなども此類ひなり。されば今もヲチメヤモと訓むべし。ホトホトは邊《ホト》り邊りの意にて、ここは奈良の都を得見ぬに近き意なりと言へり。歌の意はわれ又若きに還るべき由無ければ、太宰に老い果てて、奈良の都を見る事あらじとなり。
 
332 吾命毛。常有奴可。昔見之。象小河乎。行見爲。
わがいのちも。つねにあらぬか。むかしみし。きさのをがはを。ゆきてみむため。
 
アラヌカはアレカシと願ふ心に言へる事、集中に多し。象ノヲ河は吉野に有り。
 
333 淺茅原。曲曲二。物念者。故郷之。所念可聞。
あさぢはら。つばつばらに。ものもへば。ふりにしさとの。おもほゆるかも。
 
アサヂハラ、枕詞。ツバラはツマビラカの略。次の歌に香具山のふりにし里と詠まれたれば、其山のあ(242)たりに此卿の家在るなるべし。
 參考 ○故郷之(古)フリニシサトシ(新)略に同じ。
 
334 萱草。吾紐【紐ヲ?ニ誤ル】二付。香具山乃。故去之里乎。不忘之爲。
わすれぐさ。わがひもにつく。かぐやまの。ふりにしさとを。わすれぬがため。
 
和名抄、兼名苑云、萱艸一名忘憂、漢語抄(和須禮久佐)と有りて、六月比花咲く草なり。卷四、わすれ草わが下ひもに付けたれど鬼《シコ》のしこ草ことにし有りけりとも詠めり。ワスレヌガタメは、忘れむとすれども忘られぬ故に、いかにもして忘れむが爲にと言ふ意なり。
 參考 ○吾紐二付(考)ワガヒモニツケバ(古、新)略に同じ。
 
335 吾行者。久者不有。夢乃和太。湍者不成而。淵有毛。
わがゆきは。ひさにはあらじ。いめのわだ。せとはならずて。ふちにあるかも。
 
卷七に、芳野作とて夢ノワダをよみ、懷風藻に、吉田連宜從2駕吉野宮1詩にも夢淵と作りたれば、象河《キサノカハ》のあたりならん。和太はすべて淀にて淵なり。されば變らで有らんと言へり。上にも奈良の都を見ずか成りなむと言ひ、今又歸らむも久にはあらじ、もと見し淵も變らず有らむなど言へるは、遠き境に年經ては、さまざまに思はるる事を、哀れに言ひ續けられたるなり。毛は毳の誤りなりと翁は言はれき。宣長は有の下也の字を脱せるか。フチニアレヤモにて、淵ニテアレと言ふ意なりと意へり。
(243) 參考 ○湍者(古)略に同じ(新)セニハ○淵有毛(代)フチニアレ「八毛」ヤモ(考)フチニテアルモ(古、新)フチニアリコソ。「毛ハ乞ノ誤」。
 
(1)萬葉集略解 卷三 下
 
沙彌滿誓詠v緜歌一首【首ヲ前ニ誤ル】
 
續紀、養老五年右大辨從四位上笠朝臣麻呂出家入道の事有りて、同七年二月滿誓に勅して筑紫に觀音寺を造らしむと見ゆ。
 
336 白縫。筑紫乃綿者。身著而。未者伎禰杼。暖所見。
しらぬひの。つくしのわたは。みにつけて。いまだはきねど。あたたかにみゆ。
 
シラヌヒノ、枕詞。ツクシノ綿は、紀に神護景雲三年三月より始めて毎年太宰綿二十萬屯輸2京庫1と有りて、昔より貢せしなり。唯だ其綿を多く積み重ねたるを見て詠めるなるべし。
 參考 ○白縫(代、古、新)シラヌヒ ○暖所見(古、新)アタタケクミユ。
 
山上臣憶良罷v宴歌一首
 
337 憶良等者。今者將罷。子將哭。其彼母毛。吾乎將待曾。
おくららは。いまはまからむ。こなくらむ。そのかのははも。わをまつらむぞ。
 
ソノ彼ノとは子を言ひて、カノ母とは則ちわが妻なり。卷十八、和禮麻都良牟曾とあれば、ワヲマツラムゾと訓むべし。
(2) 參考 ○其彼母毛(古)ソモソノハハモ(新)ソノ「子」コノハハモ○吾乎(古)アヲ(新)ワヲ。
 
太宰帥大伴卿讃v酒歌十三首
 
338 驗無。物乎不念者。一杯乃。濁酒乎。可飲有良師。
しるしなき。ものをおもはずは。ひとつきの。にごれるさけを。のむべかるらし。
 
かひなき物思ひをせんよりは、濁れる酒なりとも飲むべしとなり。
 參考 ○物乎不念者(考、古、新)モノヲモハズハ○可飲有良師(古、新)ノムベクアラシ
 
339 酒名乎。聖跡負師。古昔。大聖之。言乃宜左。
さけのなを。ひじりとおほせし。いにしへの。おほきひじりの。ことのよろしさ。
 
魏略云。太祖禁v酒而人竊飲。故難v言v酒。以2白酒1爲2賢者1。清酒爲2聖人1。是れを思ひて詠めるなり。
 
340 古之。七賢。人等毛。欲爲物者。酒西有良師。
いにしへの。ななのかしこき。ひとどもも。ほりするものは。さけにしあるらし。
 
七賢は稽康、阮籍、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎。
 參考 ○七賢(古、新)ナナノサカシキ○人等毛(古)ヒトタチモ(新)略に同じ ○欲爲(考、古、新)ホリセシ○有良師(古)アラシ(新)略に同じ。
 
341賢跡。物言從者。酒飲而。醉哭爲師。益者良之。
(3)かしこしと。ものいふよりは。さけのみて。ゑひなきするし。まさりたるらし。
 
かしこげに物言ふを憎めるなり。スルシのシは助辭。
 參考 ○賢跡(古、新)サカシミト○物言從者(古)モノイハムヨハ(新)略に同じ。
 
342 將言爲便。將爲便不知。極。貴物者。酒西有良之。
いはむすべ。せむすべしらに。きはまりて。たふときものは。さけにしあるらし。
 
酒のコは擧げ盡すべからず、貴き物ぞと言ふなり。知ラズをシラニと言ふは例なり。酒ニシのシは助辭。
 參考 ○酒西有良之(古〕サケニシアラシ(新)略に同じ。
 
343 中々二。人跡不有者。酒壺二。成而師鴨。酒二染嘗。
なかなかに。ひととあらずは。さかつぼに。なりにてしがも。さけにしみなむ。
 
中中ニはカヘリテと言ふに似て、俗言にナマナカニと言ふに當れり。人トアラズハは、人トアラムヨリハと言ふ意なり。卷十二、中中に人とあらずは桑子にもなりなましものを玉のをばかりとも詠めり。呉志に、鄭泉臨v卒時語2同輩1曰。必葬2我陶家之後1。化而爲v土。幸見v取爲2酒壺1。實獲2我心1矣。嘗は借字にてことばなり。
 參考 ○成而師鴨(考〕ナリニテシ「鬼」モノ(古、新)ナリテシガモ。
 
344 痛醜。賢良乎爲跡。酒不飲。人乎熟【熟ヲ※[就/烈火]ニ誤ル】見者。猿二鴨似。
(4)あなみにく。さかしらをすと。さけのまぬ。ひとをよくみれば。さるにかもにる。
 
神武紀大醜乎を鞅奈瀰?句《アナミニク》と訓めり。卷十六|情出《サカシラ》、情進《サカシラ》など書きたり。是も賢人振りたるを憎めり。
 參考 ○人乎※[就/火]見者(代、古、新)ヒトヲコクミバ○似(代、古、新)ニム。
 
345 價無。寶跡言十方。一杯乃。濁酒爾。豈益目八。
あたひなき。たからといふとも。ひとつきの。にごれるさけに。あにまさらめや。
 
佛經に無價寶珠と云ふ事有るを言へり。
 參考 ○豈益目八(古)略に同じ(新)アニマサ「目八方」メヤモ。
 
346 夜光。玉跡言十方。酒飲而。情乎遣爾。豈若目八目。(一云八方)
よるひかる。たまといふとも。さけのみて。こころをやるに。あにしかめやも。
 
史記隋侯祝元陽因之齊云云。以2珠光能照1v夜、故曰2t夜光1と言へるを詠めり。
 
347 世間之。遊道爾。冷者。醉哭爲爾。可有良師。
よのなかの。あそびのみちに。さぶしくは。ゑひなきするに。ありぬべからし。
 
遊の道は萬づにわたりて言ふ。サブシクハは友無きをも、心に愁有るをも兼ね言ふ。宣長は冷は怜の誤にて、タヌシキはと訓まんと言へり。然るべし。
 參考 ○冷者(代)オカシキハ(古)「洽」アマネキハ(新)「怜」タヌシキハ○可有良師(考)アル(5)ベカルラシ(古)略に同じ(新)アルベカルラシ。
 
348 今代爾之。樂有者。來生者。蟲爾鳥爾毛。吾羽成奈武。
このよにし。たのしくあらば。こむよには。むしにとりにも。われはなりなむ。
 
蟲にも鳥にも成りなんと言ふなり。
 參考 ○樂(考、古、新〕タヌシク。
 
349 生者。遂毛死。物爾有者。今生在間者。樂乎有名。
【うまるれば、いけるひと。】つひにもしぬる。ものなれば。このよなるまは。たのしくをあらな。
 
タノシクヲのヲは助辭、アラナはアラムと言ふに同じ。
 參考 ○生者(考、新)イケルモノ(古)ウマルレバ。
 
350 黙然居而。賢良爲者。飲酒而。醉拉爲爾。尚不如來。
もだしゐて。さかしらするは。さけのみて。ゑひなきするに。なほしかずけり。
 
物いはで心に人をおとしめ、己れさかしらぶるを憎む。シカズケリはシカザリケリと言ふに同じ。宣長は、卷十七に母太毛安良牟《モタモアラム》と有ればモダヲリテと訓まんと言へり。
 參考 ○黙然(古、新)モダヲリテ。
 
沙彌滿誓歌一首【首ヲ前ニ誤ル】
 
(6)351 世間乎。何物爾將譬。旦開。?去師船之。跡無如。
よのなかを。なににたとへむ。あさびらき。こぎにしふねの。あとなきがごと。
 
朝に纜解きて船出するをアサビラキと言ふ。朝朗《アサボラケ》とは異なり。卷十七、珠洲《スス》の海に阿佐比良伎之底《アサヒラキシテ》と有り。漕ギニシは漕ギイニシの略。
 參考 ○跡無如(古、新)アトナキゴトシ。
 
若湯座《ワカユヱノ》王歌一首
 
傳知れず。古事紀、取2御母1、定2大湯坐若湯座1、宜2日足奉1と有り。是れより出でたる氏なるべし。
 
352 葦邊波。鶴之哭鳴而。湖風。寒吹良武。津乎能埼羽毛。
あしべには。たづがねなきて。みなとかぜ。さむくふくらむ。つをのさきはも。
 
津乎ノ埼、或説伊與とも武藏とも言へり。和名抄、近江國淺井郡|都宇《ツウ》郷有り。若し其處にや。考ふにべし。湖一本潮に作る。
 
釋通觀歌一首
 
353 見吉野之。高城乃山爾。白雪者。行憚而。棚引所見。
みよしぬの。たかきのやまに。しらくもは。ゆきはばかりで。たなびけるみゆ。
 
高城ノ山、吉野の中なるべけれど、ここのみに出で外に所見無し。上の富士の山の歌に、白雲モイ行キ(7)ハバカリと詠めり。
 參考 ○棚引所見(古、新)タナビケリミユ。
 
日置少老《ヒオキノスクナオユ》歌一首
 
傳知られず。
 
354 繩乃浦爾。鹽燒火氣。夕去者。行過不得而。山爾棚引。
なはのうらに。しほやくけむり。ゆふされば。ゆきすぎかねて。やまにたなびく。
 
風俗歌に、奈末不利(抽中抄繩振。)奈波乃川不良衣乃波留奈禮波可須見天見由留奈波乃川不良衣《ナバノツブラエノハルナレバカスミテミユルナバノツブラエ》。是れを或人遠江に有りと言へれど、此國に由無し。名寄に顯昭、雪降れば蘆のうらばも浪越えてなにはも分かぬなはのつぶらえと詠めれば、攝津にて、則ちこの繩の浦か。又卷七、之加のあまの鹽やくけむり風をいたみ立ちはのぼらず山にたな引くと言ふに似たり。若しての之加の海人の歌の唱へ誤まれるにや。
 參考 ○繩乃浦爾(考)「綱」ツヌノウラニ(古)略に同じ。
 
生石村主眞人《オイシノスクリマヒト》歌一首
 
續紀、天平勝寶二年正月正六位上大石村主眞人に外從五位下を授くるよし見ゆ。
 
355 大汝。少【少ヲ小ニ誤ル】彦名乃。將座。志都乃石室者。幾代將經。
おほなむち。すくなひこなの。いましけむ。しづのいはやは。いくよへぬらむ。
 
(8)神代紀、大己貴命少彦名命と共に天の下を經營したまふ由あれば、かく並べ申せるなり。さて志津の石室に住ましし事物に見えねど、景行紀、十二年周芳國に到ります事有りて、磯津《シツ》山(ノ)賢木を拔き、上枝に八握釼を掛け、中枝に八咫鏡を掛け、下枝に八尺瓊を掛け、又素幡を船舳に立てて參向云云と有りて、此大和にては天香山の如く崇むる山と聞ゆれば、そこに此二神おはしましし石室有りしかと翁言はれき。宣長云、石見國邑知郡の山中に岩屋村と言ふ有りて、其山をしづの岩屋と言ひて甚だ大なる窟あり。高さ三十五六間ばかり、内甚だ廣し。里人の言傳へに、大汝少彦名の神の隱れ給へる岩屋なりと言ふ。祭神をばしづ權現と申すなり、こは正しく其里人の語る所なり。此所此歌を以て附會するやうなる所には有らず、いと深き山奧にてよそ人の知らぬ所なり。然れば志都の石室は是れにて、もしくは生石村主石見の國のつかさなどにて、彼國にて詠めるにやと言へり。
 
上古《ウヘノフル》麻呂歌一首
 
村主のかばねを脱せしか。元正紀姓氏録に此氏見えたり。
 
356 今日可聞。明日香河乃。夕不離。川津鳴瀬之。清有良武。
けふもかも。あすかのかはの。ゆふさらず。かはづなくせの。きよくあるらむ。
 
或本歌發句云、明日香川|今毛可毛等奈《イマモカモトナ》
 
今の下日は目の誤りか、イマモカモと訓むべし。或本の今モカモトナは、今モ歟にてモトナは辭のみ、例の(9)無v由の義にあらずと翁は言はれき。宣長云、すべてモトナは無v由《ヨシナキ》には有らず、事のすすみ甚しきを言ひて、ここは蛙の頻りに鳴くを言ふなりと言へり。猶考ふべし。夕サラズは夕ゴトニと言ふにひとし。卷十七、安佐左良受《アササラズ》霧立ち渡るとも有り。
 參考 ○今日可聞(代、考、古、新)イマモカモ○清有良武(古、新)サヤケカルラム。
 
山部宿禰赤人歌六首
 
357 繩浦從。背向爾所見。奧島。榜囘舟者。釣爲良下。
なはのうらゆ。そがひにみゆる。おきつしま。こぎたむふねは。つりせすらしも。
 
ナハノ浦は上に言へり。ソガヒはうしろの方を言ふ。コギタムは榜《コ》ギタワムにて、榜《コ》ぎめぐるなり。
 參考 ○繩浦從(代)ナハノウラユ、又は、ウラニ(考)「綱」ツヌノウラユ(古)略に同じ○釣爲良下(古)ツリシスラシモ(新)略に同じ。
 
358 武庫浦乎。榜轉小舟。粟島矣。背爾見乍。乏小舟。
むこのうらを。こぎたむをぶね。あはしまを。そがひにみつつ。ともしきをぶね。
 
粟島は古事記生2淡島1と有り。仙覺抄に、讀岐國屋島北去(コト)百歩許有v島名曰2阿波島1と有り。卷四、卷七にも出づ。卷十九に粟小島と言へるも是れか、猶よく尋ぬべし、武庫の浦を榜《コ》ぎ廻る舟、粟島を跡とすればソガヒと言ふなり。トモシキは賞むる詞にて、ここのトモシキは粟島を舟より見る人の心なり。舟(10)を言ふには有らず、粟島をともしく思ふなり。コギタム小舟は、此作者の乘れる船にて、結句のヲ舟も同じ。粟島をともしく見る小舟と言ふ意なりと宣長言へり。
 
359 阿倍乃島。宇乃住石爾。依浪。間無比來。日本師所念。
あべのしま。うのすむいそに。よるなみの。まなくこのごろ。やまとしおもほゆ。
 
八雲御抄に、阿倍の島攝津國と書かせ給へれど、此國に有る事を聞かず。猶考ふべし。イソと言ひて即ち石の事なり。日本と書けれど大和の京を言ふなり。此歌は班田使などにて、攝津阿波などに月日經て在る時詠めるにや。
 參考 ○依浪(考、古、新)ヨスルナミ。
 
360 鹽干去者。玉藻刈藏。家妹之。濱※[果/衣]乞者。何矣示。
しほひなば。たまもかりつめ。いへのいもが。はまづとこはば。なにをしめさむ。
 
宣長云、卷十六荒き田のしし田の稻を倉爾擧藏而《クラニツミテ》と書けり。藏をツムと訓むは、倉に物を積み置く意なりと言へり。
 參考 ○苅藏(考)カラサメ(古)カリコメ(新)藏は誤か。
 
361 秋風乃。寒朝開乎。佐農能崗。將超公爾。衣借益矣。
あきかぜの。さむきあさけを。さぬのをか。こえなむきみに。きぬかさましを。
 
(11)佐ヌは紀伊なるべし。上にも出づ。此一首は、赤人の妻の都に居て詠める歌なるべく覺ゆ。右に六首と有るは疑はし。
 參考 ○將超公爾(古、新)コユラムキミニ。
 
362 美沙居。石轉爾生。名乘藻乃。名者告志五【五は?ノ誤】余。親者知友。
みさごゐる。いそわ《ま》におふる。なのりその。なはのらしてよ。おやはしるとも。
 
卷十二、四の句|吉名者不告《ヨシナハノラセ》(此の不は令の誤)と變れるのみにて同じ歌を載せたり。ミサゴは和名抄、?鳩(美佐古)。ナノリソは允恭紀、濱藻を號けて奈能利曾毛と言ふよし有り。和名抄、本朝式云、莫鳴菜(奈奈里曾)云云と見ゆ。ノラシテヨは告ゲテヨなり。五は弖の誤なり。本は序にて、さて妻と成る時ならでは、女の名は告げぬ事既に言へるが如し。是れは忍びて逢ふ女に名を告げよと詠めるなり。此歌相聞なるを、紛れてここに入りたるならん。
 參考 ○石轉(考)イソワ(古、新)イソミ。
 
或本歌曰
 
363 美沙居。荒磯《アリソ》爾生。名乘藻乃。告名者|告世《ノラセ》。父母者《オヤハ》知友。
 
卷十二の歌によるに、告名者の告は吉の誤りにて、ヨシナハノラセなるべし。
 參考 ○告名者告世(考)「吾」ワガナハノラセ。
 
(12)笠朝臣金村|鹽津《シホツ》山作歌二首
 
神名帳、近江國淺井郡鹽津神社、和名抄、鹽津(之保津)
 
364 丈【丈ヲ大ニ誤ル】大之。弓上振起。射都流矢乎。後將見人者。語繼金。
ますらをの。ゆずゑふりたて。いつるやを。のちみむひとは。かたりつぐがね。
 
神代紀、振起弓?をユハズフリタテと詠めり。此人弓力の勝れたりけん、後世にも言ひ傳へよと、山中の木岩などに矢を射つけたると見ゆ。カネは兼べて、其料にまうけ待つ意の詞なる事既に言へり。
 參考 ○弓上振起(考、古、新〕ユズエフリオコシ。
 
365 鹽津山。打越去者。我乘有。馬曾爪突。家戀良霜。
しほづやま。うちこえゆけば。わがのれる。うまぞつまづく。いへこふらしも。
 
家人の戀ふれば、馬の爪づくと云ふ諺の有りしなるべし。卷七にも、妹が門入出水河(今本誤字有り)の瀬を速み吾馬爪衝家思らしも、家に戀ふらしものニの言を略けり。
 
角鹿《ツヌガノ》津乘v船時笠朝臣金村作歌一首竝短歌
 
垂仁紀、額に角有る人船射に乘りて越國|笥飯《ケヒノ》浦に來りしより、其處を角鹿と言ふよし見ゆ。今敦賀と書きてツルガと言ふ所なり。
 
366 越海之。角鹿乃濱從。大舟爾。眞梶貫下。勇魚取。海路爾出而。阿倍寸管。(13)我榜行者。大夫乃。手結我浦爾。海未通女。鹽燒炎。草枕。客之有者。獨爲而。見知師無美。綿津海乃。手二卷四而有。珠手次。懸而之努櫃。日本島根乎。
こしのうみの。つぬがのはまゆ。おほぶねに。まかぢぬきおろし。いさなとり。うみぢにいでて。あへぎつつ。わがこぎゆけば。ますらをの。たゆひがうらに。あまをとめ。しほやくけむり。くさまくら。たびにしあれば。ひとりして。みるしるしなみ。わたつみの。てにまかしたる。たまだすき。かけてしぬびつ。やまとしまねを。
 
アヘギは喘にて、梶とる人のうめくを言ふ。手結浦、神名帳越前國敦賀郡|田結《タユヒ》神社あり。そこの浦なり。丈夫ノ、枕詞。見ルシルシナミは、獨して見るは見るかひも無しとなり。ワタツミノ云云、海神の手に纏ひたる玉と言ひかけて、さて玉ダスキの枕詞へ續けて序とす。ツヌビツは大和の人に見せばやとしのぶなり。
 
反歌
 
367 越海乃。手結之浦矣。客爲而。見者乏【乏ヲ之ニ誤ル】見。日本思櫃。
こしのうみの。たゆひのうらを。たびにして。みればともしみ。やまとしぬびつ。
 
トモシミ、ここにてはメヅラシク、見タラヌなど言ふ意なり。
 
石上《イソノカミノ》大夫歌一首
 
續紀、天平十一年三月石上朝臣乙麻呂罪有りて土左國へ配流と見ゆ。此時の歌なるべし。
 
(14)368 大船二。眞梶繁貫。大王之。御命恐。礒廻爲鴨。
おほぶねに。まかぢしじぬき。おほきみの。みことかしこみ。あさりするかも。
 
眞梶は左右に梶たつるを言ふ。シジヌキはシゲク漕グなり。アサリはすべて魚とる業を言ふ。卷五、阿佐理《アサリ》するあまの子どもと人はいへどと有り。ここはアサリスルと言へるは、實に漁するには有らで、斯かる旅なれば、海邊或は海上を行くを、海人のあさりする如くに言ひなせるなり。
 參考 ○礒廻(考)イサリ(古、新〕イソミ。
 
右今案石上朝臣乙麻呂任2越前國守1蓋此大夫歟。  此人越前守に任じたる事紀に見えず。
 
和《コタヘ》歌一首
 
乙麻呂の、土左より都の友へ詠みておこせしに答へしなるべし。
 
369 物部乃。臣之壯士者。大王。任乃隨意。聞跡云物曾。
もののふの。おみのおとこは。おほきみの。まけのまにまに。きくといふものぞ。
 
モノノフは武夫を言ふ。又石上氏はもと物部氏なれば、モノノベノとも訓まんか。末は聞き得て從ふと言ふ意。さて生も死も大君の御言のままにするこそ、臣の壯士の心なれと言ひ勵ますなり。古本任を言に作る。ミコトノマニマと訓むべし。
 參考 ○壯士(者)タケヲ(古、新)略に同じ○任乃隨意(考)「言」ミコトノマニマ(古、新)略に(15)同じ
 
右作者未v審。但笠朝臣金村之歌中出也。 歌下集の字を脱せり。
 
安倍廣庭《アベノヒロニハノ》卿歌一首
 
續紀、天平四年中納言從三位阿部朝臣廣庭薨。右大臣御主人子也と有り。ここに朝臣の字を脱せり。
 
370 雨不零。殿雲流夜之。潤濕跡。戀乍居寸。君待香光。
あめふらで。とのぐもるよの。ぬれひづと。こひつつをりき。きみまちがてり。
 
翁の言へらく、待チガテリは集中物二つを兼ね待つ意に詠めり。此歌にてはガテリの詞解し難し。若し潤濕は蟾竢の誤、戀は立の誤にて、ツキマツトタチツツヲリキと有りつらんかと言はれき。されど其字も遠し。宣長は零は霽の誤にて、アメハレズならん。集中トノグモルと言ふには必ず雨降る由を詠めり。十二、十三、十七、十八の卷に例有り。第三の句はヌレヒヅトと訓むべし。居は寢ねずして起きて居るなり。ぬれひぢて、わびしく寢られぬ故に、君を戀ひつつ起きて居るなり。さて然か起きて居るは、若しや君が來りもせんかと且つは待ちがてらなりと言へり。按ずるに雨ハレズの詞もいささか穩かならず。雨不の二字霖の字の誤にてコサメフリならん。卷十六、青雲のたな引く日すら霖曾保零《コサメソボフル》と有り。
 參考 ○雨不零(考)アメフラデ(古)コサメフリ○殿雲流夜之(代)トノグモルヨシ(古)トノグモルヨ「乎」ヲ〇潤濕跡(代、古)略に同じ(考)「蟾竢」ヌレヒヅト○戀乍(考)「立」タチツツ(16)○君待香光(考)キミマチガテラ(古)略に同じ。
 
出雲守門部王思v京歌一首
 
371 ※[食+拔の旁]海乃。河原之乳鳥。汝鳴者。吾佐保河乃。所念國。
おうのうみの。かはらのちどり。ながなけば。わがさほかはの。おもほゆらくに。
 
卷四、同じ王の出雲にての歌に、飫宇能海《オウノウミ》の鹽ひのかたのとあれば、これも出雲意宇郡の海なるべし。字書に※[食+拔の旁]與v飫同と有り。※[食+拔の旁]の下宇の字脱ちたり。海と言ひて河原と言へるは、其海へ流れ出づる河の有りて言へるにや、作保は大和なれば、我が古郷の佐保河を思出づるとなり。オモホユラクニはオモホユルニなり。
 參考 ○※[食+拔の旁]海乃(代)※[食+拔の旁]宇海乃(考、古)オウノウミノ。
 
山部宿禰赤人登2春日野1作歌一首竝短歌
 
是れは相聞の歌なれば、斯く端詞有らんものとも覺えず。歌の詞に依りて、登2春日山1などと後人の書けるならん。
 
372 春日乎。春日山乃。高座之。御笠乃山爾。朝不離。雲居多奈引。容烏能。間無數鳴。雲居奈須。心射左欲比。其鳥乃。片戀耳爾。晝者毛。日之盡。(17)夜者毛。夜之盡。立而居而。念曾吾爲流。不相兒故荷。
はるびを。かすがのやまの。たかくらの。みかさのやまに。あささらず。くもゐたなびき。かほとりの。ま(17)なくしばなく。くもゐなす。こころいさよひ。そのとりの。かたこひのみに。ひるはも。ひのくるるまで。よるはも。よのあくるきはみ。たちてゐて。おもひぞわがする。あはぬこゆゑに。
 
ハルビヲ、タカクラノ、枕詞。和名抄大和添上郡春日(加須加)姓氏録號2糟垣臣1改爲2春日臣1と見ゆ。春日をカスガと訓む事冠辭考を見つべし。御笠山は春日山の内なり。カホ鳥は呼子鳥の一名ならんと翁は言はれき。さて此歌、雲と鳥とを設け出で、序として戀の心を詠めるなり。クモヰと言ひて唯だ雲の事とせる例古へ多し。古事記、わぎへのかたゆ久毛葦《クモヰ》立ちくも、又卷十一、香山に雲位《クモヰ》たなびきなど詠めり。イサヨヒは物のとどこほるを言ふより轉じて、心の動き定まらぬを言ふ。其鳥ノ云云、吾片戀に言ひ寄せたるのみにて、容鳥の片戀する物故に言ふに有らず。立チテ居テは立チテモ居テモのモを略き云へり。
 参考 ○日之盡(代、古、新)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ○夜之盡(代、古、新)ヨノコトゴト(考)ヨノツクルマデ。
 
反歌
 
373 高按之。三笠乃山爾。鳴鳥之。止者繼流。戀喪【喪ヲ哭ニ誤ル】爲鴨。
たかくらの。みかさのやまに。なくとりの。やめばつがるる。こひもするかも。
 
戀の下今哭と有るを、一本喪に作るに據る。鳴烏は則ち容鳥なり。ヤメバツガルルは、長歌に間ナクシ(18)バ鳴クと言ひて我戀に譬へしに同じ。卷十一、君が着る三笠の山にゐる雲の立者繼流《タテバツガルル》戀もするかもと有り。いづれかもとならん。
 
石上乙麻呂朝臣歌一首
 
374 雨零者。將盖跡念有。笠乃山。人爾莫令蓋。霑者漬跡裳。
あめふらば。きむとおもへる。かさのやま。ひとになきせそ。ぬれはひづとも。
 
如何なる事有りとも他《あだ》し人に逢ふ事なかれ、唯だ吾のみ得んと言ふ事を譬へたり。是れも奈良人なれば、三笠山を言へるならん。又神樂歌に、植槻《ウヱツキ》や田中の森やもりやてふかさの淺茅原にと言へるも、植槻は大和敷下郡なれば、そこを詠めるにやと言ふ説も有れど、右の三笠山の歌に並びたれば、是れは三笠山とすべし。
 參考 ○雨零者(代)アメフレバ、又は、アメフラバ(考)アメフレバ(古、新)略に同じ○將蓋跡念有(代)ササム、又は、キム(古)キナムトモヘル(新)略に同じ ○人爾莫令蓋(代)ヒトニササスナ、又は、ヒトニナキセソ(古、新)ヒトニナキシメ。
 
湯原《ユバラ》王吉野作歌一首
 
此王紀に見えず、歌は次次の卷にも出でたり。
 
375 吉野爾有。夏實之河乃。川余杼爾。鴨曾鳴成。山影爾之?。
(19)よしぬなる。なつみのかはの。かはよどに。かもぞなくなる、やまかげにして。
 
ナツミ川は吉野の大瀧と秋津の間にて、山の際を落つれば淀瀬多し。
 
湯原王宴席歌二首
 
376 秋津羽之。袖振妹乎。珠匣。奧爾念乎。見賜吾君。
あきつはの。そでふるいもを。たまくしげ。おくにおもふを。みたまへわぎみ。
 
蜻蛉の羽の如き薄ものの袖を言ふ。玉クシゲ、枕詞。オクニオモフとは深く愛づる意なり。是れは其席にて立ち舞ふ小女《ヲトメ》を、主人《あるじ》の自ら褒め言ふなり。見タマヘはまらうどを指して言へり。
 參考 ○見賜吾君(考、古)略に同じ(新)ミタマヘワガキミ。
 
377 青山之。嶺乃白雲。朝爾食爾。恒見杼毛。目頬四吾君。
あをやまの。みねのしらくも。あさにけに。つねにみれども。めづらしわぎみ。
 
上は序なり。食は借字にて、ケは日と言ふに同じ。ケ長キなどのケにて、朝ニ日ニとも詠めるにひとし。是れはまらうどを愛でて詠めり。メヅラシは愛《メデ》ほむる詞なり。
 參考 ○目頬四吾君(考、古)略に同じ(新)ミヅラシワガキミ。
 
山部宿禰赤人詠2故太政大臣藤原家之山池1歌一首
 
淡海公の造らせ給へる別莊の山池なり。養老四年十月贈官の事、紀に見ゆ。
 
(20)378 昔者之。舊堤者。年深。池之瀲爾。水草生家里。
いにしへの。ふるきつつみは。としふかみ。いけのなぎざに。みくさおひにけり。
 
昔者の者は看の誤にて、ムカシミシならんと或人言へり。然るべし。古キ堤ハと先句と見るべし。斯くて又池のなぎさにとては、事重れるにやと思はるれど、上に大むねを言ひて、下にまた言ひ解く一つの體なり。荒れたる樣を有りのままに言ひて、おのづから歎き籠れるなり。
 參考 ○昔者之(古、新)ムカシ「看」ミシ○年深(考)トシフカシ(古、新)略に同じ。
 
大伴坂上郎女《オホトモサカノヘノイラツメ》祭v神歌一首竝短歌
 
佐保大納言大伴安麻呂卿の女にて、旅人卿の妹なり。
 
379 久堅之。天原從。生來。神之命。奧山乃。賢木之枝爾。白香付。木綿取付而。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】戸乎。忌穿居。竹玉乎。繁爾貫垂。十六自物。膝折伏。手弱女之。押日取懸。如此谷裳。吾者祈【祈ヲ折ニ誤ル】奈牟。君爾不相可聞。
ひさかたの。あまのはらより。あれきたる。かみのみこと。おくやまの。さかきがえだに。しらがつく。ゆふとりつけて。いはひべを。いはひほりすゑ。たかだまを。しじにぬきたり。ししじもの。ひざをりふせ。たわやめの。おすひとりかけ。かくだにも。われはこひなむ。きみにあはじかも。
 
神ノ命は大伴氏祖天忍日命なり。ここは神ノ命ヨと言ふ意にて、其神に向ひて呼ぶ言なり。シラガツク、枕(21)詞。イハヒベは酒?なり。紀に嚴?《イツベ》忌?《イムベ》など言へる是れなり。古へ士を掘りて瓶を据ゑ置きて釀せしままにて神に奉れば、ホリスヱと言ふ。竹玉は玉に緒を貫きて小竹に付くるなり。シジは繁にて、竹玉の數多きを言ふ。オスヒは古事記、八千矛神沼河比賣の許へおはして御歌に、淤須比《オスヒ》をも未だ解かねば云云、是れは男のおすひなり。同記|意須比之襴《オスヒノスソ》に月經《ツキ》著《ツ》きぬと有るは女のおすひなり。式太神宮装束云、帛意須比八條長二丈五尺廣二幅と有り。オスヒは襲の意にて、古へ上に襲ひし服なるべし。コヒナムの奈牟は辭にあらず、コヒノムと言ふに同じ。コヒノムと言へる例集中に有り。カクダニモ云云は、カクバカリ事を盡し祈るからは、遂に逢はざらんやと言へるなり。齊は齋の誤、折奈牟の折は祈の誤なり。
 參考 ○生來(古)アレコシ(新)略に同じ○白香付(考、古)略に同じ(新)シラガツケ○繁爾貫垂(考、古)略に同じ(新)ツジニヌキタレ○膝折伏(考)ヒザヲリフセテ(古、新〕略に同じ○押日取懸(考、古)略に同じ(新)オシヒトリカケ○不相可聞(古)アハヌカモ(新)略に同じ。
 
反歌
 
380 木綿疊。乎取持而。如此谷母。吾波乞甞。君爾不相鴨。
ゆふたたみ。てにとりもちて。かくだにも。われはこひなむ。きみにあはじかも
 
木綿もて織りたる布を疊みて、手に捧げて神に奉るなり。ここは枕詞に有らず。タタミのタを清みて唱ふべし。乞ヒナムは長歌にあると同じくコヒノムなり。甞は借字。
(22) 參考 ○不相可聞(古)アハヌカモ(新)略に同じ。
 
右歌者。以2天平五年冬十一月1供2祭大伴氏神1之時。聊作2此歌1故曰2祭神歌1。 卷四の左註に、郎女初め穗積皇子に愛でらしを、皇子薨後大伴宿奈麻呂の妻となりて、坂上大孃子と田村孃子を生めり。然るを後は宿奈麻呂の田村の家に相住まず成りて、坂上の家に住みし事有り。此時の祈などにや有らん。
 
筑紫娘子贈2行旅1歌一首
 
筑紫の國の女にて、誰とも知れず。
 
381 思家登。情進莫。風俟【侯ヲ俟ニ誤ル】。好爲而伊麻世。荒其路。
いへもふと。さかしらなせそ。かぜまもり。よくしていませ。あらきそのみち。
 
故郷を思ふとても、歸らんのいそぎに、強ひて波風を凌ぐ事なかれ。風をまもり、善くして徃《い》にませよと言ふなり。俟一本侯と有るぞ善き。其路は海路なり。
 參考 ○情進莫(考)略に同じ(古、新)ココロススムナ。
 
登2筑波岳1丹比眞人國人作歌一首并短歌
 
常陸國筑波郡。
 
382 鷄之鳴。東國爾。高山者。左波爾雖有。明【明ハ朋ノ誤】神之。貴山乃。儕立乃。(23)見杲石山跡。神代從。人之言嗣。國見爲。筑羽乃山矣。冬木成【成ハ盛ノ誤】。時敷時跡。不見而往者。益而戀石見。雪消爲。山道尚矣。名積叙吾來前【前ハ並ノ誤】二。
とりがなく。あづまのくにに。たかやまは。さはにあれども。ふたがみの。たふときやまの。なみたちの。みがほしやまと。かみよより。ひとのいひつぎ。くにみする。つくはのやまを。ふゆごもり。ときじくときと。みずていなば。ましてこひしみ。ゆきげせる。やまみちすらを。なづみぞわがこし。
 
トリガ鳴ク、枕詞。サハは多キト云ふ古語。明神は朋神の誤なり。明ツ神とは天皇を申し奉りて、古く神に言へる事無し。此山は二峰並び立ちて、男神女神向ひおはせば、朋神《フタガミ》と言へり。ナミ立チは並ビ立チなり。見ガホシは見マクホシキなり。杲は音を借りて書けり。冬木モリ、ここは枕詞に有らず。時ジク時とは時ナラズと言ふなり。マシテコヒシミは、山を不v見して徃《い》なば、後に彌《いや》悔《く》いなんとてと言ふ意なり。雪消スルは、冬ながら且つ降り且つ消ゆる雪を言ふ。ナヅミはトドコホル意なり。前二は並二の誤。四の義をもて書けり。
 參考 ○冬木成の下、時敷時跡の間(代、新)春サリクレト白雪乃を補ふ(古)二句脱か、一句は代の「春去來跡」にて今一句は考ふべし○時敷時跡(新)トキジキトキト○不見而往者(古、新)ミズテユカバ○雪消爲(考、古、新)ユキゲスル。
 
反歌
 
383 筑波根矣。四十耳見乍。有金手。雪消乃道矣。名積來有鴨。
(24)つくはねを。よそのみみつつ。ありかねて。ゆきげのみちを。なづみけるかも。
 
ヨソニのニを略く。アリカネテは在リガタクシテなり。ナヅミケルカモのケルは詞にあらず。參リ來ルをマウケルなど言ふ如く、來ルを略きてケルとは言へり。
 參考 ○來有鴨(考)クルカモ(古、新)略に同じ。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
384 吾屋戸爾。幹藍種生之。雖干。不懲亦毛。將蒔登曾念。
わがやどに。からあゐまきおほし。かれぬれど。こりずてまたも。まかむとぞおもふ。
 
カラアヰは紅花なり。其たねを蒔き生《オフ》して、後に花を得ずして枯れぬるともと言ひて、早くより思ひし女の來ざりしに懲りず、又も思ひ懸くるに添へたるなり。幹もカラと訓まるれど、一本韓に作るを善しとす。
 參考 ○種生之(代)マキオフシ、又は、ウヱオフシ(考、古、新)略に同じ○將蒔登曾念(考、古)マカムトゾモフ(新)略に同じ。
 
仙|柘枝《ツミノエ》歌三首
 
此上に詠の字を脱せしか、文略きて書けるか。此仙が詠める歌と思ふ事なかれ。和名抄桑柘、漢語抄云、豆美、蠶所v食と言ひ、桑の棘有るものなり。
 
(25)385 霰零。吉志美我高嶺乎。險跡。草取可奈和。妹手乎取。
あられふり。きしみがたけを。さかしみと。くさとりかなわ。いもがてをとる。
 
アラレフリ、枕詞。左註に言へる如く、げに歡の意も次二首と異にて、柘枝を詠める事とも無し。是れは前に端詞有りて此歌は載せけんを、端詞の失せたるにやあらん。キシミノタケ吉野に聞えず。肥前風土記に杵島《キシマ》の郡杵島有り。其れによりて肥前に有りと思はる。さて風土記に、四の句を區縒刀理我泥?《クサトリカネテ》として、杵島の嶺に里人の遊ぶ時歌ふ歌と言へり。宣長説に、此歌は古事記速總別王の御歌に、波斯多?能《ハシタテノ》くらはし山をさかしみと岩かきかねて我手とらすも、と云ふ歌の轉じたるものなり。然れば草トリカナワとは、彼歌の岩カキカネテと同じ意なるが、詞の轉じたるなり。可奈は不v得《カネ》の意、和は下に付けたる辭にて、神武紀に怡奘過怡奘過《イサワイサワ》(過音倭)と有るも、いさいさとさそふ意なるに同じ。右の古事記の岩カキカネテは岩へ掻付きて登らんとすれども登りかねて我手へ取付きて登ると言ふ意なりと有り。又按ずるに卷十三、長歌に十羽《トバ》能松原みどり子と、率和出將見《イサワデテミン》云云、卷十一、秋柏潤和《アキカシワウルワ》川邊、又朝柏|潤八《ウルヤ》河邊と有るを思ふに、和と也と通ひ用ひしと見ゆれば、此歌の可奈和はカネヤと言ふに同じく、嶮しき山を登る時、かづら草などに手を懸けすがるにかねて、妹が手を取ると言ふなるべし。さて柘枝と言へるは、古へ吉野の男女仙と成りて在りしが、同じ所に味稻《ウマシネ》と言ふ男の川に梁打ちて魚とるに、其仙女柘枝と化《な》りて流れ來て其梁にとどまりぬ。男それを取りて置くに、美はしき女となりしを愛でて、相住みけると言ふ(26)事なり。此事懷風藻の詩に作れり。仁明紀の長歌にも出でたり。事長ければ略きつ。さて柘枝と化りし故に、其れを則ち仙女の名に呼べるなり。
 參考 ○草取可奈和(代)クサトルカナヤ(考)クサトルカナ(古、新)クサトリカ「禰手」ネテ○妹手乎取(考)「和」ワギモガテトル(古、新)略に同じ。
 
右一首或云。吉野人味稻與2柘枝仙媛1歌也、但見2拓枝傳1無v有2此歌1  後人の註なるべし、
 
386 此暮。柘之左枝乃。流來者。梁者不打而。不取香聞將有。
このゆふべ。つみのさえだの。ながれこば。やなはうたずて。とらずかもあらむ。
 
ヤナウツは梁ヲ作ルを言ふ。神武紀有2作v梁取v魚者1○梁此云2揶奈1)と有りて、古訓作梁をヤナウチテとあり。或人云、此歌の意昔の人はよくこそ梁を打ちて拓枝を得たれ。今時は梁は打たずて有れば、たとひ柘の流れ來るとも、取得ざらんかとなりと言へり。
 
右一首 此下無v詞諸本同。 此七字後人の書入れなり。
 
387 古爾。梁打人乃。無有者世伐。此間毛有益。柘之枝羽裳。
いにしへに。やなうつひとの。なかりせば。ここもあらまし。つみのえだはも。
 
ココモアラマシは、此比までも有らんとなり。彼味稻が梁打ちし故に、柘枝が止まりて、遂に仙女も人間と成りしかば、ながらへざりしを言へりと翁は言はれき。宣長は四の句ココニモアラマシと訓みて、(27)古へに川上に梁打ちてどどめし人の無かりせば、此あたりまでも其柘は流れ來て有らましをと言ふならんと言へり。
 參考 ○此間毛有益(代)コノマ(考)コノゴロモアラマシ(古)ココニモアラマシ(新)イマモアラマシ。
 
右一同若宮年魚麻呂作。
 
羇旅歌一首并短歌
 
388 海若者。靈寸物香。淡路島。中爾立置而。白浪乎。伊與爾囘之。座待月。開乃門從者。暮去者。鹽乎令滿。明去者。鹽乎令干。鹽左爲能。浪乎恐美。淡路島。礒隱居而。何時鴨。此夜乃將明跡。待從爾。寢乃不勝宿者。瀧上乃。淺野之雉。開去歳。立動良之。率兒等。安倍而榜出牟。爾波母之頭氣師。
わたつみは。あやしきものか。あはぢしま。なかにたておきて。しらなみを。いよにめぐらし。ゐまちづき。あかしのとゆは。ゆふされば。しほをみたしめ。あけされば。しほをひしむ。しほさゐの。なみをかしこみ。あはぢしま。いそがくりゐて。いつしかも。このよのあけむと。まつからに。いのねがてねは。たぎのへの。あさぬのきぎし。あけぬとし。たちとよむらし。いさこども。あへてこぎでむ。にはもしづけし。
 
ワタツミは海神の名なるを、やがて海として言へり。物カのカはカモに同じ。紀伊と阿波の間より入る潮(28)は、淡路の左右より滿ちて、明石の門より西までさし行きて、備中と伊豫の間に至りぬ。其西は西の海の潮さし來て迎へせく故に、其潮響きて、鳴戸の沖より伊豫を廻りて止まれるとぞ。令干をヒサシムと訓むべく思へりしかど、卷十七長歌、花のさかりに阿比見之米《アヒミシメ》とぞ、卷二十、われに依志米《エシメ》し山つとぞこれ。是ら令見、令得をミシメ、エシメト訓めるなど例とすべければ、宣長説の如くヒシムと訓むぞ善き。さてヒシムと言ひて、上のアヤシキ物カと言ふを結べり。ヰ待月、枕詞。アカシノトは、かの鳴戸の潮さし引く道なり。鹽サヰは前に出づ。鹽サワギなり。瀧ノヘノ淺野、地名か、考ふべし。明ケヌトシは夜ノ明ケヌルとなり。シは助辭。アヘテコギデムは、上に阿倍寸《アヘキ》つつ我が持ちゆくと有ると同じ。はた待從は侍候の誤にて、サモラフニなるべし。從をカラと訓める例無しと宣長言へり。
 參考 ○伊與爾回之(古)イヨニモトホシ(新)メグラシ、又は、モトホシ○鹽乎令干(考)シホヲヒサシメ(古、新)シホヲヒシム○將明跡(考)「明跡」アト(古、新)略に同じ○待從爾(代)マツカラニ(考)マツマニ(古、新)「侍候」サモラフニ○淺野之雉(考)アサノノキギス(古、新)略に同じ○明去歳(代)アケヌトシ、又は、アクレコソ(考、古、新)略に同じ。
 
反歌
 
389 島傳。敏馬乃埼乎。許藝廻者。日本戀久。鶴左波爾鳴。
しまづたひ。みねめのさきを。こざためば。やまとこひしく。たづさはになく。
 
(29)淡路島より明石まで多くの島島を漕ぎ廻るなり。末は鶴《たづ》の鳴くを聞けば、倭戀しき情を益すと言へり。
 參考 ○日本戀久(古)ヤマトコヒシク(新)略に同じ。
 
右|若宮年魚《ワカミヤノアユ》麿誦v之、但未v審2作者1。
 
譬喩歌 此集にたとへ歌と言ふは皆戀なり。
 
紀(ノ)皇女御歌一首
 
天武皇女、穗積皇子の御はらからなり。
 
390 輕池之。納【納ハ?ノ誤】回往轉留。鴨尚爾。玉藻乃於丹。獨宿名久二。
かるのいけの。うら|わ《ま》ゆきめぐる。かもすらに。たまものうへに。ひとりねなくに。
 
輕は大和高市郡なり。應神紀十一年作2輕池1とあり。卷二、勾《マガリノ》池を水傳ふイソノウラ|ワ《マ》とも詠みて、ウラは裏の意なり。能は?の誤なり。
 參考 ○納回往轉留(考)ウラワユキメグル、又は、ウラミユキタムル(古)ウラミモトホル(新)ウラミユキメグル○鴨尚爾(古、新)カモスラ「毛」モ。
 
造筑紫觀世音寺別當沙彌滿誓歌一首
 
滿誓の事上に出づ。俗にて在りし時の歌を、僧と成りて後に聞きて載せたるなり。
 
(30)391 鳥總立。足柄山爾。船木伐。樹爾伐歸都。安多良船材乎。
とぶさたて。あしがらやまに。ふなききり。きにきりゆきつ。あたらふなきを。
 
トブサタテ、枕詞。アシガラは相模足柄郡。集中あしがら小舟などと詠みて。專ら此山より舟材を伐り出せしと見ゆ。古訓キニキリヨセツと有れど、宣長云、歸は集中ユクとのみ訓める例なり。さて四の句、キニキリユキツは、舟木ニと言ふべきを、上に讓りて舟の言を略けるなり。あたら舟木を、よそへ舟木に伐りて行きつと言ふなりと言へり。譬へたる意は、我物と思ひ意ひし女を、他し人の得たれば惜み歎くなり。
 參考 ○樹爾伐歸都(代、考)キニキリヨセツ(古、新〕略に同じ。
 
太宰大監大伴宿禰|百代《モモヨ》梅歌一首
 
續紀、天平十五年十一月始めて筑紫に鎭西府を置かれ、外從五位下大伴宿禰百世を副稱軍と爲す由見ゆ。
 
392 烏珠之。其夜乃梅乎。手忘而。不所來家里。思之物乎。
ぬばたまの。そのよのうめを。たわすれて。をらずきにけり。おもひしものを。
 
ヌバタマノ、枕詞。タワスレのタは發語。吾戀ふる女を、物のまぎれにえ逢ふ事もせずして、今遠き境に來て悔ゆるなり。
 
滿誓沙彌月歌一首
 
393 不所見十方。孰不戀有米。山之末爾。射狹夜歴月乎。外爾見而思香。
(31)みえずとも。たれこひざらめ。やまのはに。いさよふつきを。よそにみてしか。
 
此集|山際《ヤマノマ》と書ける所多ければ、ここも末はマの假字とも見るべけれど、此歌の書きざま末を假字に用ひたりとは見えず。宣長云、米は牟の誤にてコヒザラムなり。さて山のはにいさよふ月を誰こひざらん、見えずともよそに見てしかと、三四二一五と句をついでて見るべし。結句はよそながらも見まほしと言ふなりと言へり。女を月に譬へたるのみにて、添へたる心あらはなり。
 參考 ○孰不戀有米(古)タレコヒザラ「牟」ム(新)略に同じ。
 
金明軍《コンノミヤウグン》歌一首
 
旅人卿の資人《ツカヒ》なる事此下の挽歌に見ゆ。聖武紀に金氏を賜ひし事有り、其子孫ならん。
 
394 印結而。我定義之。住吉乃。濱乃小松者。後毛吾松。
しめゆひて。わがさだめてし。すみのえの。はまのこまつは。のちもわがまつ。
 
まだ幼き女を、後は吾妻と思ひ定めしなり。義之をテシの假字に用ひたる事、翁の別記に委しけれど未だし。宣長云、義之は羲之の誤なり。卷七、卷十一には、テシの假字に大王と書けるを合せ見るに、から國の王羲之は、手の師と言ふ事ぞ。さて羲之を大王と言ひ、其子獻之を小王と言へる事あれば、この大王も同じ意なりと言へり。げにテシの假字、手師と書ける所、集中に三つ四つ見えたれば、其れより思ひよりて、例の戯れ書ける物なるべし。我朝早く羲之が書を慕へりしと見ゆれば、さも有るべきなり。
 
(32)笠女郎贈2大伴宿禰家持1歌三首
 
395 託馬野爾。生流紫。衣染。未服而。色爾出來。
つくまぬに。おふるむらさき。きぬにそめ。いまだきずして。いろにでにけり。
 
ツクマ野 近江坂田郡。衣ニソメは摺りて色の沁みたるを言ふべし。契りてまだ逢はぬ間に顯れたるなり。
 參考 ○衣染(古、新)コロモシメ ○色爾出來(古、新)イロニイデニケリ。
 
396 陸奧之。眞野乃草原。雖遠。面影爾爲而。所見云物乎。
みちのくの。まぬのかやはら。とほけども。おもかげにして。みゆとふものを。
 
陸奧行方郡眞野郷あり。一二の句は、ただ遠ケドモと言はん料のみ。トホケレドモと言ふべきを、トホケドモと言ふは例なり。はた一二の句、おも影云云のことに懸かるに非ず。物ヲのヲは詞なり。
 參考 ○雖遠(代、古、新)略に同じ(考)トホカレド ○所見云物乎(考、新)ミユトフモノヲ(古)ミユチフモノヲ
 
397 奧山之。磐本菅乎。根深目手。結之情。忘不得裳。
おくやまの。いはもとすげを。ねふかめて。むすびしこころ。わすれかねつも。
 
一二の句は、深めてと言はん序なり。結ぶと言ふまでへ懸かるに有らず。
 
藤原朝臣|八束《ヤツカ》梅歌二首
 
(33)贈正一位太政大臣房前公の子、天平寶字四年名を眞楯と改む。天平神護元年三月大納言正三位と紀に見ゆ。
 
398 妹家爾。開有梅之。何時毛何時毛。將成時爾。事者將定。
いもがいへに。さきたるうめの。いつもいつも。なりなむときに。ことはさだめむ。
 
梅を妹に譬ふ。イツモイツモはイツニテモなり。ナリナムは梅の實のなるをもて、逢ひたらん時にと言ふに譬ふ。
 參考 ○妹家爾(古〕イモガヘニ。
 
399 妹家爾。開有花之。梅花。實之成名者。左右將爲。
いもがいへに。さきたるはなの。うめのはな。みにしなりなば。かもかくもせむ。
 
此歌は前と心詞全く同じ。或本歌と有りしが落ちしなり。右に二首とせしは後人のわざなり。
 
大伴宿禰|駿河《スルガ》麻呂梅歌一首
 
大伴道足の子なり。聖武の御時、天平十五年橘奈良麻呂の事に連坐して流されしが、後に赦されて、光仁の御時、參議正四位下陸奧按察使兼鎭守府將軍と見ゆ。
 
400 梅花。開而落去登。人者雖云。吾標結之。枝將有八方。
うめのはな。さきてちりぬと。ひとはいへど。わがしめゆひし。えだならめやも。
 
(34)チリヌトは心の變れるに譬ふ。是れも次次の歌どもと相離れぬ意なり。此人もと坂上家の次の娘子に逢ひしに、今はた他し女に住みて、彼の次娘をば思はずやと人の言へど、此人の心はことなる事無ければ、其れは我が思ふ妹の事には有らで、他人の上を言ひ違へしにやと言ふなるべし。卷八、家持の紀郎女に贈る歌とて、初句をナデシコノとなし、末を花ニアラメヤモとせしのみにて、全く同じ歌あり。猶其所に言ふべし。
 
大伴坂上郎女宴2親族1之日吟歌一首
 
401 山守之。有家留不知爾。其山爾。標結立而。結之辱爲都。
やまもりの。ありけるしらに。そのやまに。しめゆひたてて。ゆひのはぢしつ。
 
坂上郎女の女二人有り。弟女を駿河麻呂の戀ふるままに、母も許さんとせしを、男更に他し方に寄ると聞きて、其宴に駿河麻呂も在りしかば斯く詠めるなり。集中吟とあるは多く古歌を誦するを言へど、是れは古歌には有らじ。
 
大伴宿禰駿河麻呂即|和《コタフル》歌一首
 
402 山主者。葢雖有。吾妹子之。將結標乎。人將解八方。
やまもりは。けだしありとも。わぎもこが。ゆひけむしめを。ひととかめやも。
 
ケダシは若《モシ》と言ふ事に見るべし。實に妻有るには有らで設けて言ふなり。上には我が注繩《しめ》結ひし枝なら(35)じと言ひ、ここには其母郎女の、我にと注繩《しめ》結へる意を言ひて、よし人は隔つとも、隔て敢へじと言へる意を示すなり。
 
大伴宿禰家持贈2同坂上家之大孃1歌一首
 
例に由るに孃の下子の字有るべし。大伴坂上郎女の一女なり。
 
403 朝爾食爾。欲見。其玉乎。如何爲鴨。從手不離有牟。
あさにけに。みまくほりする。そのたまを。いかにしてかも。てゆかれざらむ。
 
玉は大孃子を譬ふ。如何にせば、其玉を常に手より放たず有らんやとなり。
 參考 ○欲見(古)ミマクホシケキ(新)略に同じ。
 
娘子報2佐伯宿禰赤麻呂1贈歌一首
 
此端詞の前に、佐伯宿禰赤麻呂何氏の娘子に贈歌とて有るべきを、歌も端詞も落ち失せしなるべし。
 
404 千磐破。神之社四。無有世伐。春日之野邊。粟種益乎。
ちはやぶる。かみのやしろし。なかりせば。かすがのぬべに。あはまかましを。
 
神(ノ)社は本妻を言へり。君にぬし無くば我心を留《と》めんものをと言ふに、粟蒔をもて譬へたるなり。
 
佐伯宿禰赤麻呂更贈歌一首
 
(36)405 春日野爾。粟種有世伐。待鹿爾。繼而行益乎。社師留烏。
かすがぬに。あはまけりせば。まつしかに。つぎてゆかましを。やしろしとむるを。
 
そこの言へる如くならば、粟を待ち食む鹿の如くに頻に繼ぎても通はんものを、そこに守る神の有りて、人を通はさぬと言ふにて、社は神と言ふに同じ。トムルは留まり護る意にて、次の歌に認《と》めたると詠めり。宣長云、烏は戸母二字の誤にて、ヤシロシルトモと訓むべし。娘子か歌に、神の社し無かりせばと詠める故に、其社は知るとも繼ぎて行かんとなり。待鹿は誤字ならん。猶考ふべきよし言へり。
 參考 ○待鹿爾(代、考)略に同じ(古、新)シシマチニ。○社師留烏(考)略に同じ(古、新)ヤシロシ「有侶」アリトモ。
 
娘子復報歌一首
 
406 吾祭。神者不有。丈夫爾。認有神曾。好應祀。
わがまつる。かみにはあらず。ますらをに。とめたるかみぞ。よくまつるべき。
 
トメタル神とは、右にトムルと詠めるに同じ言なり。娘子の方に心とむる神有りて、通ひ難しと言へるを咎めて、そなたに元より附きたる神を、よく崇めてあれかしと戯るるなり。齊明紀の歌に、いゆししを都那遇《ツナグ》河邊の若草の云云を、卷十六に認河邊と書きたり。是れに依れば此處もツナゲルと訓まんか。宣長云、初句ワハマツルと訓むべし。吾はそなたの祭るべき神にはあらずの意なり。さて三の句より下(37)はそなたに元より附きたる神を善く祭り給ふべき事なりと言ふなりと言へり。按ずるに神は社の誤にて、ワガマツルヤシロハアラズと有らん方穩かなり。
 參考 ○吾祭(古)アハマツル(新)ワガマツル。○神者不有(新)「社」ヤシロハアラズ○認有(考)ツゲナル(古、新〕ツキタル。
 
大伴宿禰駿河麻呂娉2同坂上家之二孃1歌一首
 
卷四註に、田村大孃坂上大孃并是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也。卿居2田村里1。號曰2田村大孃1。但妹坂上大孃者母居2坂上1。仍曰2坂上大孃1と有り。宿奈麻呂卿は佐保大納言第三子なり。さて此二孃は則ち坂上大孃なり。是を家持卿娉して遂に得たり。駿河麻呂卿は早くより戀ひしかど、許さざりしによりて、此後も戀ひし歌多かれど、得たるよし詠めるは見えず。家持によりし故に、駿河麻呂卿は思ひ絶えしなり。
 
407 春霞。春日里爾【之ヲ爾ニ誤ル】殖子水葱。苗有跡云師。柄者指爾家牟。
はるがすみ。かすがのさとの。うゑこなぎ。なへなりといひし。えはさしにけむ。
 
古本里之と有るぞ善き。殖コナギは和名抄、水葱、〓水菜可v食也(奈木)と見え、式供奉の雜菜の中に水葱見ゆ。今水アフヒと云ふ物なるべきよし、別記に委し。ウヱは生《オフ》し立てて有るをすべて言ふ。宇惠草なども言へり。柄は枝なり。まだ片なりなりと言ひしが、今はよろしき程に成りつらんと、思ひ測りて詠(38)みて贈れるなり。
 參考 ○苗有跡云師(古)略に同じ(新)ナヘナリト「三」ミシ。
 
大伴宿禰家持贈2同坂上家之大孃1歌一首
 
408 石竹之。其花爾毛我。朝旦。手取持而。不戀日將無。
なでしこの。そのはなにもが。あさなさな。てにとりもちて。こひぬひなけむ。
 
ニモガは願ふガなり。コヒヌ日ナケムは、目の前に見つつ慕ふなり。
 參考 ○石竹之(古)ナデシコガ(新)略に同じ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
409 一日爾波。千重波敷爾。雖念。奈何其玉之。手二卷難寸。
ひとひには。ちへなみしきに。おもへども。なぞそのたまの。てにまきがたき。
 
端詞に同女に贈るとか有るべきなり。敷は重重なり。上に波と言へば、下に海にかづき取る玉に寄せたり。
 
大伴坂上郎女橘歌一首
 
右の女を駿河麻呂のよばふにつけて、母の詠めるなり。ここに橘の歌とせるは、後人のわざなるべし。
 
410 橘乎。屋前爾殖生。立而居而。後雖悔。驗將有八方。
たちばなを。やどにうゑおほせ。たちてゐて。のちにくゆとも。しるしあらめやも。
 
(39)ウヱオホセとは、早く其處の庭に植ゑおほせよかしと言ひて、疾く我物にせよと言ふを添へたり。此男は家持卿にや、駿河麻呂にや。次に和歌とのみ有るは、此卷、家持卿の集と見ゆれば、名を略きしならんか。
 參考 ○屋前爾殖生(代)オフシ(考)ニハニウヱオフシ(古、新)略に同じ。
 
和《コタヘ》歌一首
 
411 吾妹兒之。屋前之橘。甚近。殖而師故二。不成者不止。
わぎもこが。やどのたちばな。いとちかく。うゑてしゆゑに。ならずはやまじ。
 
イト近クは、近づきて相住まんからは、末遂げざらめやはと言ふを、植ゑし橘の必ず實なるに譬ふ。ウエテシ故ニは、ウヱシモノヲの心なり。
 
市原《イチハラノ》王歌一首
 
安貴王の子なり。續紀、天平十五年五月、無位より從五位下を授くるよし見ゆ。
 
412 伊奈太吉爾。伎須賣流玉者。無二。此方彼方毛。君之隨意。
いなだきに。きすめるたまは。ふたつなし。こなたかなたも。きみがまにまに。
 
イナダキは神代紀、髻鬘と書きて頂なり。キスメルのキはククリの約言か。スメルは統ブルなり。右紀に御統《ミスマル》の玉と言ふに同じく、頭を餝《かざ》る數數の玉の緒を括《くく》り寄する所に有る、一つの大きなる玉を言へり(40)と翁は言はれき。宣長云、伎は笠ヲキルなどのキルに同じ。頂に置くを云ふ。スメルは統にて、二ツナシとは玉の數を言ふにはあらず、條べたる玉の類ひ無き由なり。類ひ無しと言はんが如しと言へり。さて君一人を思ふからは、と有らんにも斯からんにも君が心のままに寄りなんと言ふなり。此方彼方、カニモカクニモとも訓むべし。
 參考 ○批方彼方毛(古、新)カニモカクニモ。
 
大綱(ノ)公《キミ》人主《ヒトヌシ》宴吟歌一首
 
續紀寶龜九年、大網《オホアミ》公廣道と言ふ見ゆ。されば綱は誤にて、網ならんか。此氏、姓氏録に見えず。
 
413 須麻乃海人之。鹽燒衣乃。藤服。間遠之有者。未著穢。
すまのあまの。しほやきぎぬの。ふぢごろも。まどほく|に《し》しあれば。いまたきなれず。
 
藤布の織目のあらく間遠きを、住所の程遠きに言ひなしたり。此歌は相聞にて、所遠くて人にえなれずと詠める古歌なるをとなへて、吾が此宴にたまたま來り會へるを悦ぶにとりなせり。
 參考 ○間遠之有者(古、新)マドホククシアレバ。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
414 足日木能。石根許其思美。菅根乎。引者難三等。標耳曾結焉。【焉を鳥ニ誤ル】。
あしびきの。いはねこごしみ。すがのねを。ひかばかたみと。しめのみぞゆふ。
 
(41)鳥は焉の誤|著《し》るければ改めつ。コゴシミは凝る意。菅は山菅にて麥門冬なり。是れが根は引き取り難き物なれば、たやすく得がたき女を、心の中に領めて過ぐる程に譬へたり。
 
挽歌
 
上宮聖コ《カンツミヤシヤウトコノ》皇子出2遊|竹原井《タカハラノヰ》1之時見2龍田山死人1悲傷御作歌一首
 
推古紀、元年四月|厩戸豐聰耳《ウマヤドトヨトミミノ》皇子を立てて皇太子と爲す由見ゆ。竹原は光仁紀難波宮に至る由有りて、車駕龍田道より竹原行宮に還到と有り。竹原は河内なり。
 
415 家有者。妹之手將纏。草枕。客爾臥有。此旅人※[?+可]怜。
いへならば。いもがてまかむ。くさまくら。たびにこやせる。このたびとあはれ。
 
コヤセルともクヤルとも言ひて、臥す事の古語なり。推古紀、厩戸皇子命片岡に遊びます時、道に飢人の臥したるを見給ひて、しなてる、かたをかやまに、いひにゑて、こやせる、そのたびとあはれ、おやなしに、なれなりけめや、さすたけの、きみはやなき、いひにゑて、こやせる、そのたびとあはれと有り。是れぞまことに古への樣なる。今のは後に擬《なぞら》へ作れる物ならん。端詞も後人誤りて添へたるものなり。
 參考 ○家有者(代、考、古、新)イヘニアラバ。
 
大津《オホツノ》皇子被v死之時|磐余《イハレノ》池般【般ハ陂ノ誤】流v涕御作歌一首
 
(42)般、目録に陂に作るを善しとす。大津皇子は天武天皇第三皇子なり。皇太子に叛き給ふ事顯れてうしなはれ給ひぬ。磐余池は履中天皇二年十月作られし事紀に見ゆ。
 
416 百傳。磐余池爾。鳴鴨乎。今日耳見哉。雲隱去牟。
ももづたふ。いはれのいけに。なくかもを。けふのみみてや。くもがくりなむ。
 
モモヅタフ、枕詞。よろづのなごりを鴨一つに宣まひ續け給へり。死にては天に歸る由にて、古へより雲隱ると言ふ。此時皇子詩をも作らせ給へり。懷風藻に、金烏臨2西舍1。鼓聲催2短命1。泉路無2賓主1。此夕離v家向と見ゆ。
 參考 ○百傳(古、新)「角障」ツヌサハフ。
 
右藤原宮朱鳥元年冬十月。
 
河内《カフチノ》王葬2豐前國鏡山1之時|手持《タモチノ》女王作歌三首
 
持統紀八年四月筑紫太宰率河内王に淨大肆を贈り、賻物を賜ふ由見ゆ。太宰府にてみまかり給へば、そこに葬るべきを、豐前に葬れるは由有るべし。
 
417 王之。親魄相哉。豐國乃。鏡山乎。宮登定流。おほきみの。むつたまあへや。とよくにの。かがみのやまを。みやとさだむる。
 
此鏡山は王の心に叶ひて、むつまじくおぼせばにやと言ふなり。ムツタマアヘヤは、卷十四に、靈合者《タマアヘバ》あ(43)ひぬるものをと詠めるが如し。アヘヤはアヘバヤのバを略ける例なり。さて右に言ふ如く、府より遠き所に葬りつれば、斯く詠み給ふなり。宮と定むるは上に常宮と有るに同じ。
 
418 豐國乃。鏡山之。石戸立。隱爾計良思。雖待不來座。
とよくにの。かがみのやまの。いはとたて。かくりにけらし。まてどきまさず。
 
死に給ふを、御墓の石門に隱れます由に、幼く言へり。
 參考 ○隱爾計良思(古)コモリニケラシ(新)コモリ、又は、カクリ。
 
419 石戸破。手力毛欲得。手弱寸。女有者。爲便乃不知苦。
いはとわる。たぢからもがも。たよわき。をみなにしあれば。すべのしらなく。
 
神代紀、乃以2御手1細開2磐戸1窺v之時、手力雄神則承2天照太神之手1引而奉v出と言ふを詠めり。此女王は河内王の妻にて、太宰府にて詠み給へる事歌にて知らる。
 參考 ○手弱寸(古)タワヤキ(新)略に同じ ○女有者(考)ヲミナニシアレバ(古)メニシアレバ(新)略に同じ。
 
石田《イハタノ》王卒之時|丹生《ニフノ》女王作歌一首并短歌
 
今本女王の字脱ちたり。目録には丹生王と有り。二王ともに傳知れず。
 
420 名湯竹乃。十緑皇子。狹丹頬相。吾大王者。隱久乃。始瀬乃山爾。神左備爾。(44)伊都伎座等。玉梓乃。人曾言鶴。於余頭禮可。吾聞都流。枉言加。我聞都流母。天地爾。悔事乃。世間乃。悔言者。天雲乃。曾久敝能極。天地乃。至流左右二。枚策毛。不衝毛去而。夕衢占問。石卜以而。吾屋戸爾。御諸乎立而。枕邊爾。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】戸乎居。竹玉乎。無間貫垂。木綿手次。可此奈爾懸而。天有。左佐羅能小野之。七相菅。手取持而。久堅乃。天川原爾。出立而。潔身而麻之乎。高山乃。石穗乃上爾。伊座都流香物。
なゆたけの。とをよるみこ。さにづらふ。わがおほきみは。こもりくの。はつせのやまに。かむさびに。いつきいますと。たまづさの。ひとそいひつる。およづれか。わがききつる。まがごとか《たはこと》わがききつるも。あめつちに。くやしきことの。よのなかの。くやしきことは。あまぐもの。そくへのきはみ。あめつちの。いたれるまでに。つゑつきも。つかずもゆきて。ゆふけとひ。いしうらもちて。わがやどに。みもろをたてて。まくらべに。いはひべをすゑ。たかだまを。まなくぬきたれ。ゆふだすき。かひなにかけて。あめなる。ささらのをぬの。ななふすげ。てにとりもちて。ひさかたの。あまのがはらに。いでたちて。みそぎてましを。たかやまの。いほほのうへに。いませつるかも。
 
ナユタケノ、サニヅラフ、枕詞。トヲヨルミ子は姿のたをやかなるを言ふ。サニヅラフも紅顔の事なれば美はしき大君にや有りけん。コモリクノ、枕詞。神サビニイツキイマストは、みまかりては、即ち神と齊(45)きをもて、泊瀬山に葬れるを、神さびせんとていつかれましますと言ふなり。玉ヅサは事告ぐる文の使を言ふ。その玉ヅサと言ふ事は、くさぐさ説あれどさだかならず。春海云、みちのくにて男女のけさうするに、玉づさと言ふものをかたみに贈る事あり。殊に桃生郡玉造郡などの山里にては、常にする事にて、厚き紙を折りて結ぶさま五十種ばかり有り。其結びやうにて事の故よしを知ると、其國人の語るを聞けりと言へり。千蔭も早く村井敬義がみちのくへ行きて歸りし時、其結びたる紙を見せて、然か語れるを聞きつ。古へよりせしわざにや有りけん。オヨヅレは流言、マガゴトは横言なり。宣長云、すべて枉は狂の誤にてタハコトと訓むべしと言へり。聞キツルモのモは添へたる詞。曾クベは卷五、遠隔乃極と書きて、ソクヘノキハミと訓めり。式、祈年祭祝詞に、天能|壁立極《カベタツキハミ》國能|退立限《ソキタツカギリ》と言ふも同じく、遠く隔たれる意なり。夕ケトヒは夕つ方道のちまたにうら問ふ事にて、上にも出づ。石ウラは石を踏みて占ふ事なり。景行紀、拍峽大野にやどり給ふ。其野の石を柏葉なして擧げん、とのたまひて取りたまふ時、柏の如く大虚に上りぬ。放《カ》れ其名を踏石と言ふよし有り。さて此句の下五言七言二句落ちたるか。ミモロヲタテは、神の御室を齋き立つるなり。イハヒベ、竹玉、上に出づ。無間と書きたれど、例に由りてシジニと訓まんも然り。ササラノヲ野は、卷十六にも、天なるやささらのを野にちがやかりとも詠みて、天に斯く言ふ野有りと言ふ諺の有りしならん。契沖は地名ならんとも言へり。猶考ふべし。七は唯だ數の多きを言ふ語にて、多くの菅と言ふ事のみ。宣長云、こはナナフスゲと訓むべし。集中、みちのくのとふ(46)のすがごもななふにはと詠める七フにて、七節の義なりと言へり。かつ祓に菅を用ひる事は、大祓詞に、天津菅曾云云、卷六、菅(ノ)根取りてしぬぶ草はらへてましをと詠み、神樂歌に、なかとみのこすげをさきはらひなど見ゆ。天の川原に云云は、悔ゆる餘りに天地の限りにも行きて見せばやとまで思ふなり。高山の云云は墓所を言ふ。
 參考 ○神左傭爾(古、新)カムサビ「手」テ○枉言加(考)マガコトカ、又は、タハコトカ(古、新)タハコトカ○石卜以而(考)イシウラモテ(古)略に同じ○枕邊爾(考、新)「牀」トコノヘニ無間貫垂(考)ヌキタリ(古)シジニヌキタリ(新)マナク、又は、シジニ○七相菅(代)ナナヒスゲ(考〕ナナスゲ、又は、ナナフスゲ(古、新)「石相菅」イハヒスゲ○天川原(古)アメノカハラニ。
 
反歌
 
421 逆言之。枉言等可聞。高山之。石穗乃上爾。君之臥有。
およづれの。まがごと《たはこと》とかも。たかやまの。いほほのうへに。きみがこやせる。
 
ここの長歌に於余頭禮枉言と言ひ、其外枉言に並べ言ふは皆オヨヅレなり。逆言をサカゴトと訓むは惡ろし。天智紀、妖僞の字をオヨヅレと訓めりと宣長言へるに由るべし。はた是れも枉は狂の誤ならんと言へり。トカモは何何トセムカの意なり。
(47) 參考 ○逆言(考)サカゴトノ(古、新)略に同じ○枉言(古、新)タハゴト。
 
422 石上。振乃山有。杉村乃。思過倍吉。君爾有名國。
いそのかみ。ふるのやまなる。すぎむらの。おもひすぐべき。きみならなくに。
 
布留は山邊郡。もとは思ヒ過グベキと言はん序のみ。
 
同石田王卒之時|山前《ヤマザキノ》王哀傷作歌一首
 
山前王は忍壁皇子の御子にて、葦原王の父なり。續紀養老七年十二月從四位下にて卒と見ゆ。ここの同の字は後に書き入れしか。
 
423 角障經。石村之道乎。朝不離。將待人乃。念乍。通計萬四波。霍公鳥。鳴五月者。菖蒲。花橘乎。玉爾貫。(一云|貫交《ヌキマシヘ》)蘰爾將爲登。九月能。四具禮能時者。黄葉乎。折挿頭跡。延葛乃。彌遠永。(一云|田葛根乃彌《クズノネノイヤ》遠長爾)萬世爾。不絶等念而。(一云|大船之《オホフネノ》、念憑而《オモヒタノミテ》)。將通。君乎婆明日從。(一云君乎|從朗日香《アスユハ)【香は者ノ誤】外爾可聞見牟。
つぬさはふ。いはれのみちを。あささらず。ゆきけむひとの。おもひつつ。かよひけましは。ほととぎす。なくさつきには。あやめぐさ。はなたちばなを。たまにぬき。かづらにせむと。ながづきの。しぐれのときは。もみぢばを。をりかざさむと。はふくずの。いやとほながく。よろづよに。たえじとおもひて。かよひけむ。きみをばあすゆ。よそにかもみむ。
 
(48)此王の莊、いはれよりかなたに有りて、藤原都の家より通ふなるべし。朝サラズと言ひて則ち日月の事なり。オモヒツツは、下の折リカザサムトと言ふ句より返して見るべし。通ヒケマシハは、通ヒケムハと言ふなり。アヤメグサ云云、天智紀童謠に、たちばなはおのがえだえだなれれども、たまにぬくときおやじをにと有りて、橘を緒に貫く事いと古き事なり。又聖武紀、天平十九年九月太上天皇の詔に、昔は五日節菖蒲縵せるを、此頃此事止みぬ。今より菖蒲縵あらずは宮中に入る事なかれと有り。ハフクズノ、枕詞。末の一句にのみ悲みを述べたるも一つの體なり。或本のヌキマジヘ、クズノネノイヤトホナガク、大ブネノオモヒタノミテは何れにても善し。キミヲアスユカと有るは惡ろし。明日香の香一本に者に作るを善しとす。
 參考 ○朝不離(考)アサカレズ(古、新)略に同じ○通討萬四波(古、新)カヨヒケマ「口」クハ○鳴五月者(古、新)「來鳴」キナクサツキハ○折挿頭跡(代、古、新)略に同じ(考)ヲリテカザスト○不絶等念而(考)タエジトモヒテ(古)略に同じ○君乎婆初日從(古、新)キミヲ「從」ユアスハ。
 
右一首或云。柿本朝臣人麻呂作。 人麻呂の歌に似るべきものに有らず。後人の書き入れしなり。
 
或本反歌二首
 
右の反歌に有らず。別に端詞有りしが落ちしなるべし。
 
(49)424 隱口乃。泊瀬越女我。手二纏在。玉者亂而。有不言八方。
こもりくの。はつせをとめが。てにまける。たまはみだれて。ありといはずやも。
 
左の註に由るに。紀皇女を玉に譬へて、さて亂れて在りとは、みまかり給ふを言ふなるべし。此皇女泊瀬わたりに住み給へるに由りて、斯く詠めるならん。
 
425 河風。寒長谷乎。歎乍。公之阿流久爾。似人母逢耶。
かはかぜの。さむきはつせを。なげきつつ。きみがあるくに。にるひともあへや。
 
是れは契沖が言へる如く、紀皇女諸王などに嫁し給ひてみまかり給ひし後、その夫君のとぶらひ給ふなるべし。似ル人モアヘヤは、皇女に似たる人にだに逢へかしと言ふなり。
 
右二首者。或云。紀皇女薨後山前王代2石田王1作之也。 今本、山前の下主の字をおとせり。
 
柿本朝臣人麻呂見2香具山屍1悲慟作歌一首
 
426 草枕。※[覊の馬が奇]宿爾。誰嬬可。國忘有。家待莫國。
くさまくら。たびのやどりに。たがつまか。くにわすれたる。いへまたなくに。
 
嬬と書きたれど夫なるべし。家に待たんにと言ふを斯く言へり。宣長云、翁の説に莫は眞の誤として、イヘマタマクニなりと言はれき。卷十一に、今だにもめなともしめそ云云久家莫國、この莫を古本眞と有れば、翁の説論無くよろしきが如くなれども、卷十四、さね射良奈久爾《ザラナクニ》と言ふはサネザルニの意。卷(50)十五、見え射久《ザラ》奈久爾と言ふもミエザルニなり。卷十七、あが麻多《マタ》奈久爾、これも我ガマツニなり。然れば此ナクは、後世ハシタと言ふべきをハシタナクなど言ふナクにて、詞とすべしと言へり。此説に由るべし。
 參考 ○家待莫國(考、新)イヘマタ「眞」マクニ(古)略に同じ。
 
田口廣麿《タグチノヒロマロ》死之時刑部垂麻呂作歌一首
 
廣麻呂は傳知られず。垂麻呂は前に出づ。
 
427 百不足。八十隅坂爾。手向爲者。過去人爾。盖相牟鴨。
ももたらず。やそ|すみさか《のくまぢ》に。たむけせば。すぎにしひとに。けだしあはむかも。
 
百タラズ、枕詞。隈坂は隅路の誤りか。さらばクマヂニと訓むべし。古事紀に、百不足|八十※[土+囘]手《ヤソクマデ》に隱りて侍らむと有り。クマデは即ち隈路なり。墨坂と言ふ所紀にかたがたに見え、集中にも我任住坂《ワレスミサカ》と詠めれど、すみ板に八十と言はん由無し。伊邪那伎命の黄泉に慕ひ幸《イデマ》して、女神に逢ひませし事をもとにて詠めるものなり。みまかりいにし跡を慕ひて、道の八十くま毎に手向し祈りつつゆかば、逢ひ見る事も有らんかとなり。
 參考 ○八十隅坂爾(考、古、新)ヤソノクマ「路」ヂニ。
 
土形娘子《ヒヂカタノヲトメ》火2葬泊瀬山1時柿本朝臣人麿作歌一首
 
(51)428 隱口能。泊瀬山之。山際爾。伊佐夜歴雲者。妹鴨有牟。
こもりくの。はつせのやまの。やまのまに。いさよふくもは。いもにかもあらむ。
 
火葬の煙を雲と言ひなせり。此歌卷七にも、こもりくのはつせの山に霞立ちたなびく雲はとて載せたり。
 
溺死|出雲《イヅモノ》娘子火2葬吉野1時柿本朝臣人麿作歌二首
 
429 山際從。出雲兒等者。霧有哉。吉野山。嶺霏?【?ヲ霞ニ誤ル】。
やまのまゆ。いづものこらは。きりなれや。よしぬのやまの。みねにたなびく。
 
山の間より出る雲とつづけたり。一人にも等と言へる例あり。
 
430 八雲刺。出雲子等。黒髪者。吉野川。奧名豆颯。
やくもさす。いづものこらが。くろかみは。よしぬのかはの。おきになづさふ。
 
溺死の歌有りて、さて火葬の歌有るべきを、此二首前後せり。ヤクモサス、枕詞。川にても岸より遠き所を沖と言へり。
 
過2勝鹿眞間《カツシカノママ》娘子墓1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
舊本朱書云、東語云、可豆思賀能麻末能?胡《カツシカノママノテゴ》、是れを詠めるは卷十九にも有り。其れには容《すがた》の世に勝れたる女故に、多くの男の爭ひに佗びて、みづから眞間の入江に沈みて死にたりと見ゆ。此歌よりは前に詠めるならん。眞間は下總國葛飾郡に今も有り。
 
(52)431 古昔。有家武人之。倭文【文ヲ父ニ誤ル】幡乃。帶解替而。廬屋立。妻問爲家武。勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。眞間之手兒名之。奧槨乎。此間登波聞杼。眞木葉哉。茂有良武。松之根也。遠久寸。言耳毛。名耳母吾者。不所忘。
いにしへに。ありけむひとの。しづはたの。おびときかへて。ふせやたて。つまどひしけむ。かつしかの。ままのてごなが。おくつきを。こことはきけど。まきのはや。しげりたるらむ。まつがねや。とほくひさしき。ことのみも。なのみもわれは。わすらえなくに。
 
倭文は上に出づ。卷十一に、古へのしづはた帶を結びたれと言へれば、ここも古への樣なり。廬屋立は、翁はフセヤタツと訓みて枕詞とせり。思ふに是れは古訓の儘にフセヤタテと訓むべし。フセヤは集中に、田ブセともフセイホとも詠めり。タテは妻ごひせん料に廬を建つるなり。古へ妻どひするには先づ其屋を建てし事、すさのをの尊のつまごみにやへがきつくると詠み給へるをも思へ。宣長説も然り。ツマドヒは卷十、狛錦紐解きかはし天人の妻問ふよひぞとも詠みて、男女相逢ふを言へり。さて是れまでは男の方を言ふなり。テコはハテノ子と言ふ意、ナは女なりと翁は言はれき。宣長は愛兒《メテゴ》の意なるべし。褒めたる稱なり。ナも褒めて言ふ詞なりと言へり。奧槨、卷十八於久都奇とあり。マキノハ云云。まきは檜なり。卷一、大殿はここと云へども霞立つ春日かきれる夏草かしげく成りぬると云ふに等しき意なり。松ガネヤ云云は、代代遠く久しき老木の松の根の這ひわたりて墓を隱せるなり。また也は之の誤にて、マツガ(53)ネノならんと宣長言へり。然らば遠ク久シキと言はん爲めの枕詞とすべし。末の意は、よしや今は見えずとも、言ひ傳へこし言のみにても名のみにても、聞けば悲しさの忘られぬなり。
 參考 ○廬屋立(考)フセヤタツ(古、新)略に同じ○茂有良武(代、考)シゲクアルラム(古)シゲミタルラム(新)略に同じ。
 
反歌
 
432 吾毛見都。人爾毛將告。勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿之。間間能手兒名之。奧津城處。
われもみつ。ひとにもつげむ。かつしかの。ままのてごなが。おくつきどころ。
 
長歌に、墓を尋ねる樣を言ひて、反歌にて見し處を言へり。
 
433 勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。眞眞乃入江爾。打靡。玉藻苅兼。手兒名志所念。
かつしかの。ままのいりえに。うちなびく。たまもかりけむ。てごなしおもほゆ。
 
眞間の江に身を沈めたるを、斯く言へるにも有るべし。
 
和銅四年辛亥河邊宮人見2姫島松原美人屍1哀慟作歌四首
 
此端詞は卷二に全く同じくて出でたり。ここの歌は女の屍を見て傷める歌とも聞えねば、此歌の端詞は落ち失せて、卷二の端詞亂れて入りたりと見ゆ。
 
434 加麻【麻ハ座ノ誤カ】?夜能。美保乃浦廻之。白管仕。見十方不怜。無人念者。
(54)かざはやの。みほのうら|わ《ま》の。しらつつじ。みれどもさぶし。なきひとおもへば。
 
上の博通法師紀伊國三穗石室の歌と、此歌并に左のみつみつしの歌、共に同じ意なり。然れば是れは紀伊の美保にて、カザハヤも地名なるべし。端詞に言へる姫島は、攝津に在りと見ゆれども、美保と言ふ所攝津には有らず。無人と詠めるも久米若子を詠めるに似たり。麻は座の誤か。
 參考 ○浦廻(古)ウラミ○無人念者(考)ナキヒトモヘバ(古)略に同じ。
 
或云。見者悲霜《ミレバカナシモ》。無人|思丹《オモフニ》。
 
435 見津見津四。久米能若子我。伊觸家武。礒之草根乃。干卷惜【惜ヲ情ニ誤ル】裳。
みつみつし。くめのわくごが。いふれけむ。いそのかやねの。かれまくをしも。
 
ミツミツシ、枕詞。上にハタズスキクメノワクゴと詠めり。イフレのイは發語。
 參考 ○久米能若子我(古)クメノワカゴガ ○伊觸(古)イフリ(新)イフレ、又はイフリ。
 
436 人言之。繁比日。玉有者。手爾卷以而。不戀有益雄。
ひとごとの。しげきこのごろ。たまならば。てにまきもちて。こひざらましを。
 
吾が思ふ妹が玉にてあらばなり。
 
437 妹毛吾毛。清之河乃。河岸之。妹我可悔。心者不持。
いももわれも。きよみのかはの。かはぎしの。いもがくゆべき。こころはもたじ。
 
(55)右二首相聞の歌にて、挽歌に入るべきに有らぬを、亂れて入りたる物なり。清ミノ川は、卷二|淨之《キヨミノ》宮とも有りて、飛鳥の清見原の川なるべし。さて其清みの川を言ひ出でしは、たがひに心清く二心無き意にて、岸のくえ落つるより悔ゆるに續けたり。卷十四、鎌倉のみこしの崎の岩くえの君が悔ゆべき心はもたじと、末は同じ。
 
右案。年紀并所處乃【乃ハ及ノ誤】娘子屍作歌人名已見v上也。但歌辭相違。是非難v別。因以累2載於茲次1焉。
 
神龜五年戊辰太宰帥大伴卿思2戀故人1歌三首
 
故人の下歌字今卿に誤れる事しるければ改めつ。
 
438 愛。人纏而師。敷細之。吾手枕乎。纏人將有哉。
うるはしき。ひとのまきてし。しきたへの。わがたまくらを。まくひとあらめや。
 
此卿の妻、太宰府にてみまかられし事卷七に見ゆ。心は他人に又逢はじと言ふなり。卷十、宇流波之等《ウルハシト》とあり、ウラグハシと言ふに同じ語なり。シキタヘは枕詞。
 參考 ○愛(考)略に同じ(古、新)ウツクシキ。
 
右一首。別去而經2數句1作歌。
 
439 應還。時者成來。京師爾而。誰手本乎可。吾將枕。
かへるべき。ときにはなりく。みやこにて。たがたもとをか。わがまくらかむ。
 
(56)天平二年此卿京へ歸られたり。宣長云、來は去の誤りにてナリヌなりと言へり。卷五、和我魔久良可武《ワガマクラカム》と有り。マクラマカムと言ふを約めたる言なり。
 參考 ○應還(代)カヘルベク(考、古、新)略に同じ ○時者成來(代)トキハナリケリ(考)略に同じ(古)トキハ「來來」キニケリ(新)トキニハナリ「去」ヌ。
 
440 在京師。荒有家爾。一宿者。益旅而。可辛苦在。
みやこなる。あれたるいへに。ひとりねば。たびにまさりて。くるしかるべし。
 
帥にて久しく居給へばなり。
 
右二首。臨v近2向v京之時1作歌。
 
神龜六年己巳左大臣長屋王賜v死之後、倉橋部女王作歌一首
 
神龜六年八月に天平と改めらる。倉橋部女王は傳知れず。
 
441 天【天ヲ太ニ誤ル】皇之。命恐。大荒城乃。時爾波不有跡。雲隱座。
すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。おほあらきの。ときにはあらねど。くもがくります。
 
アラキは、荒籬の略にて殯を言ふ。下に龍麻呂が自經死にたるをも、時ナラズシテと言へる如く、ここも殯の時に非ずしてと言ふにて、おのづからなる齡を終へ給はぬを知らせたり。今天を太に誤れり。
 參考 ○大皇之(古、新)オホキミノ。
 
(57)悲2傷|膳部《カシハデベノ》王1歌一首
 
長屋王の子なり。續紀神龜元年二月無位膳夫王に、從四位下を授くと有り。
 
442 世間者。空物跡。將有登曾。此照月者。滿闕爲家流。
よのなかは。むなしきものと。あらむとぞ。このてるつきは。みちかけしける。
 
アラムトテゾのテを略けり。
 
右一首。作者未v詳。
 
天平元年己巳攝津國班田史生|丈部龍麿《ハセツカベノタツマロ》自經死之時判官大伴宿禰|三中《ミナカ》作歌一首并短歌
 
續紀、天平元年十一月、京畿内の班田司を任ずる由見ゆ。班田の事は田令に委し。三中は天平十二年正六位上より外從五位下に叙する由、其外にも紀に多く見えたり。此時は班田使の判官なるべし。和名抄、安房國長狹郡丈部(波世豆加倍)とあれば、此氏を斯く訓めり。
 
443 天雲之。向伏國。武士登。所云人者。皇祖。神之御門爾。外重爾。立侯。内重爾。仕奉。玉葛。彌遠長。祖名文。繼往物與。母父爾。妻爾子等爾。語而。立西日從。帶乳根乃。母命者。齋忌戸乎。(58)前座置而。一手者。木綿取持。一手者。和細布奉。平【平ヲ乎ニ誤ル】。間幸座與。天地乃。神祇乞?。何在。歳月日香。茵花。香君。之牛【之牛ハ牽ノ誤】留鳥。名津匝來與。立居而。待監人者。王之。命恐。押光。難波國爾。荒玉之。年經左右二。白栲。衣不干。朝夕。在鶴公者。何方爾。念座可。鬱蝉乃。惜此世乎。露霜。置而往監。時爾不在之天天。
あまぐもの。むかぶすくにの。もののふと。いはれしひとは。かみろぎ《すめろき》の。かみのみかどに。とのへに。たちさもらひ。うちのへに。つかへまつりて。たまかづら。いやとほながく。おやのなも。つぎゆくものと。おもちちに。つまにこどもに。かたらひて。たちにしひより。たらちねの。ははのみことは。いはひべを。まへにすゑおきて。ひとてには。ゆふとりもたし。ひとてには。にぎたへまつり。たひらけく。まさきくませと。あめつちの。かみにこひのみ。いかならむ。としつきひにか。つつじはな。にほへるきみが。ひくあみの。なづさひこむと。たちてゐて。まちけむひとは。おほきみの。みことかしこみ。おしてる。なにはのくにに。あらたまの。としふるまでに。しろたへの。ころもでほさず。あさよひに。ありつるきみは。いかさまに。おもひませか。うつせみの。をしきこのよを。つゆしもの。おきていにけむ。ときならずして。
 
天雲ノ云云は、祈年祭祝詞に四方(ノ)國者天能|壁立極《カベタツキハミ》云云、白雲能|墜居向伏限《オリヰムカブスカギリ》と言ふに同じく、天地のはてを言ふ。ここにては天地のかぎり並びなき武士と言ふ意なり。皇祖ノ云云は、龍麻呂先祖より傳へて仕へ奉りし故に、前つ御代云云をかねて斯く言へるなり。久老説、皇祖をスメロギと訓めり。其説長ければここに略きぬ。外重とは宮城門を言ひて、衛門府守れり。内重とは閣門を言ひて、兵衛府守れり。龍(59)麻呂は衛門府の門部か物部より、兵衛府にも轉りしなるべし。玉葛、枕詞。イヤ遠長ク云云、斯く御門守りを爲しうへに、班田使に附きて他國へ出で立つに由りて、功を立て、先祖の名をも繼ぎなんと、父母妻子語りて都を立ちしを言ふ。母ノミコトは親をうやまひて言ふ詞。さて立チテヰテ待ツと言ふ句までは、此人の恙無からん事を母の齋ひ待つさまなり。ニギタヘは絹をすべ言ふ。平を今本乎に誤れるより由無き訓を付けたり。イカナラム云云は、いつかと待つ意なり。ツツジ花は枕詞。ニホヘル君は若やかなる面を言ひて、龍麻呂をさす。宣長は、香をカグハシと訓むべし。唯だクハシと言ふべきをカグハシと言へる例有りと言へり。之牛二字或本牽一字とせり。然らば牽留鳥にてヒクアミノと訓みて枕詞なり。留鳥をアミと訓むは、羅網は鳥をとどめて取らん料の物なればなり。ナヅサヒコムトは、遠き都道を漸く歸り來ん事を、網を漸くに引き寄するに譬へたり。待チケム人は龍麻呂をさす。年フルマデニとは、畿内の班田多く事成りて、攝津國に至りて死にたるなるべし。班田に年經て歸る故に、田に立つ心をもて、衣手ホサズと言ふか。衣の下手の字落ちしならん。朝夕ニ在リツル公とは、三中も同じ司なれば、日日に見馴れしを言ふなり。ウツ蝉ノ、露霜ノ、枕詞。時ナラズシテは、右の大荒城の時には有らねど云云に同じ。
 參考 ○武士登(古、新)マスラヲト ○所云人者(古)イハエシヒトハ ○木綿取持(考、古)ユフトリモチ(新)モタシ、又は、モチ○何在(古)イカニアラム(新)略に同じ ○歳月日香(考)トシノツキヒニカ(古)略に同じ○之牛留鳥(代)クロアミノ(古)「爾富鳥」ニホトリノ、又は「牽」(60)ヒクアミノ(新)ニホドリノ ○念座可(考)マシテカ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
444 昨昨社。公者在然。不思爾。濱松之上於。雲棚引。
きのふこそ。きみはありしか。おもはぬに。はままつのへの。くもにたなびく。
 
火葬の煙を言へり。シカのカは清む例にて、必ずコソの下に置く詞なり。
 參考 ○濱松之上於雲棚引(新)ハママツノウヘニクモトタナビク。
 
445 何時然跡。待牟妹爾。玉梓乃。事太爾不告。往公鴨。
いつしかと。まつらむいもに。たまづさの。ことだにつげず。いにしきみかも。
 
事と書きたれど心は言なり。
 
天平二年庚午冬十二月太宰帥大伴卿向v京上道之時作歌五首
 
446 吾妹子之。見師鞆浦之。天木香樹者。常世有跡。見之人曾奈吉。
わぎもこが。みしとものうらの。むろのきは。とこよにあれど。みしひとぞなき。
 
鞆ノ浦は備後なり。和名抄、樫一名河柳(無呂)とあり。卷十五、天平八年新羅へ使人の歌どもの中に、はなれその室の樹を詠める二首あり。それも難波を出でて備中の神島の歌に次いであれば、ここと同じ鞆の浦の樫の木ならん、天木香と書けるは猶考ふべし。先にみまかりし妻を思ひ出でて詠めるなり。
 
(61)447 鞆浦之。礒之室木。將見毎。相見之妹者。將所忘八方。
とものうらの。いそのむろのき。みむごとに。あひみしいもは。わすらえめやも。
 
相見シは其木を共に見しなり。卷十七、はなれそにたてるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかもと有り。
 參考 ○將所忘八方(考)ワスラレメヤモ、又はワスラレムヤモ(古、新)略に同じ。
 
448 礒上丹。根蔓室木。見之人乎。何在登問者。語將告可。
いそのうへに。ねはふむろのき。みしひとを。いかなりととはば。かたりつげむか。
 
見し人は如何なると、むろの木に問はばなり。名にしおはばいざこと問はむ都鳥の類ひなりと宣長言へり。むろの木の我に問はばと言ふ意とも見ゆれど、さては終のカの詞にかなはず。
 參考 ○礒上丹(古)イソノヘニ(新)略に同じ ○何在登(考、新)イヅラト(古)略に同じ。
 
右三首過2鞆浦1日作歌
 
449 與妹來之。敏馬能埼乎。還在爾。獨而見者。涕具末之毛。
いもとこし。みぬめのさきを。かへるさに。ひとりしてみれば。なみだぐましも。
 
ミヌメは攝津國、歸ルサのサはサマなり。
 參考 ○獨而見(古、新)ヒトリ「之」シミレバ。
 
(62)450 去左爾波。二吾見之。此埼乎。獨過者。惰悲喪。
ゆくさには。ふたりわがみし。このさきを。ひとりすぐれば。こころかなしも。
 
哀一本喪に作る。ユクサのサは歸ルサのサに同じ。
 
一云、見毛左可受伎濃《ミモサカズキヌ》。 末の句なり。見放《ミサケ》もせず來ぬるとなり。妻なくなりて今は見るに堪へぬ意なり。
 
右二首過2敏馬埼1日作歌。
 
還2入故郷家1即作歌三首
 
451 人毛奈吉。空家者。草枕。旅爾益而。辛苦有家里
ひともなき。むなしきいへは。くさまくら。たびにまさりて。くるしかりけり。
 
是れは前に、旅にまさりて苦しかるべしと詠みしを思ひて、又詠まれしなり。
 
452 與妹爲而。二作之。吾山齋者。木高繁。成家留鴨。
いもとして。ふたりつくりし。わがやどは。こだかくしげく。なりにけるかも。
 
佐保の家なるべし。卷二十、屬2目(ヲ)山齋1作歌三首、皆池島などを詠みたり。されば、ここも山齋をソノなども訓むべけれど、古今六帖に此歌を載せて、ワガヤドハと有れば、暫く是れによりてヤドと訓めり。其樣を知らせんとて山齋とは書けるならん。
 參考 ○吾山齋者(代)ワガヤマハ(考)ワガソノハ(古、新)アガシマハ。
 
(63)453 吾妹子之。殖之梅樹。毎見。情咽都追。涕之流。
わぎもこが。うゑしうめのき。みるごとこ。こころむせつつ。なみだしながる。
 
同山齋の梅を詠めるなり。
 
天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首
 
聖武紀、此年月に大納言從二位大伴宿禰旅人薨。難波朝右大臣大紫長コ之孫。大納言贈從二位安麻呂第一子也とあり。歌の上作の字を脱せり。
 
454 愛八師。榮之君乃。伊座勢波。昨日毛今日毛。吾乎召麻之乎。
はしきやし。さかえしきみの。いましせば。きのふもけふも。わをめさましを。
 
455 如是耳。有家類物乎。芽子花。咲而有哉跡。問之君波母。
かくのみに。ありけるものを。はぎがはな。さきてありやと。とひしきみはも。
 
此卷末に。かくのみに有りけるものを妹も吾もちとせのごともたのみたりけると言ふは、かくばかりはかなき命なるをと言ふなり。ここも其れと同じ意にて、終の句より一二の句へ打返して見るべし。
 
456 君爾戀。痛毛爲便奈美。蘆鶴之。哭耳所泣。朝夕四天。
きみにこひ。いたもすべなみ。あしたづの。ねのみしなかゆ。あさよひにして。
 
イタモはイタクモなり。集中に例あり。アシタヅノ如クと言ふを略けり。蘆鴨、蘆鹿など皆其住む所の(64)物をもて名とせり。アサヨヒと言ひて晝夜と云ふ意なり。
 參考 ○痛毛(考)イトモ(古、新)略に同じ。
 
457 遠長。將仕物常。念有之。君師不座者。心神毛奈思。
とほながく。つかへむものと。おもへりし。きみしまさねば。こころどもなし。
 
ココロドは、利心《トゴコロ》と詠めるに同じ。
 參考 ○心神(考)タマシヒ(古、新)略に同じ。
 
458 若子乃。匍匐多毛登保里。朝夕。哭耳曾吾泣。君無二四天。
みどりこの。はひたもとほり。あさよひに。ねのみぞわがなく。きみなしにして。
 
ミドリ子ノ如クと言ふを略けり。宣長云、齊明紀に、うつくしき阿我倭柯枳古弘《アガワカキコヲ》と有れば、ワカキコノと訓むべしと言へり。タモトホリは徘徊を訓めり。
 參考 ○若子(古)ワカキコ(新)ミドリコ、又は、ワカキコ。
 
右五首資【資ヲ仕ニ訳ル】人金明軍不v勝2犬馬之慕1心中感緒作歌。 今仕人と有り。舊本資人に作るに據る。慕の下、述の字有るべし。資人は軍防令に大納言百人と有り。養老三年の紀に委し。
 
459 見禮杼不飽。伊座之君我。黄葉乃。移伊去者。悲喪有香。
みれどあかず。いまししきみが。もみぢばの。うつりいぬれば。かなしくもあるか。
 
(65)移リイヌレバは、集中多くモミヂバノ過ギニシと言ふに同じく、みまかるを言へり。イヌレバのイは發語。
 參考 ○移伊去者(考)略に同じ(古、新)ウツリイユケバ。
 
右一首勅2内礼正縣犬養宿禰人上1。使v檢護卿病1。而醫藥無v驗。逝水不v留。因v斯悲慟。即作2此歌1。 職員令義解に、内禮正一人。掌2宮内禮義1云云とあり。
 
七年乙亥大伴坂上郎女悲2嘆尼理願死去1作歌一首并短歌
 
左註に有る如く、此尼新羅より來りて、和銅七年五月安麻呂卿の時より此家に寄居て、二十年餘を經て天平七年に死にたりと見ゆ。
 
460 栲角乃。新羅國從。人事乎。吉跡所聞而。問放流。親族兄弟。無國爾。渡來座而。天【天ヲ太ニ誤ル】皇之。敷座國爾。内日指。京思美彌爾。里家者。左波爾雖在。何方爾。念鷄目鴨。都禮毛奈吉。佐保乃山邊爾。哭兒成。慕來座而。布細乃。宅乎毛造。荒玉乃。年緒長久。住乍。座之物乎。生者。死云事爾。(66)不免。物爾之有者。憑有之。人乃盡。草枕。客有間爾。佐保河乎。朝河渡。春日野乎。背向爾見乍。足氷木乃。山邊乎指而。晩闇跡。隱益去禮。將言爲便。將爲須敝不知爾。徘徊。直獨而。白細之。衣袖不干。嘆乍。吾泣涙。有間山。雲居輕引。雨爾零寸八。
たくづぬの。しらぎのくにゆ。ひとごとを。よしときかして。とひさくる。うからはらから。なきくにに。わたりきまして。すめろぎ《オホキミ》の。しきますくにに。うちひさす。みやこしみみに。さといへは。さはにあれども。いかさまに。おもひけめかも。つれもなき。さほのやまべに。なくこなす。したひきまして。しきたへの。いへをもつくり。あらたまの。としのをながく。すまひつつ。いまししものを。いけるひと。しぬちふことに。まぬかれぬ。ものにしあれば。たのめりし。ひとのことごと。くさまくら。たびなるほどに。さほがはを。あさかはわたり。かすがぬを。そがひにみつつ。あしびきの。やまべをさして。ゆふやみと。かくりましぬれ。いはむすべ。せかすべしらに。たもとほり。ただひとりして。しろたへの。ころもでほさず。なげきつつ。わがなくなみだ。ありまやま。くもゐたなびき。あめにふりきや。
 
タクヅヌノ、枕詞。人事は借字にて人言なり。ヨシトキカシテは、左註に言へる遠く王コに感じて、聖朝に歸化すと言ふに當れり。問ヒサクルは卷五、石木をも刀比佐氣斯良受《トヒサケシラズ》、光仁紀、誰爾加毛我語比佐氣牟孰爾加毛我問佐氣牟止《タレニカモワレカタラヒサケムタレニカモワレカタラヒサケムト》云云と有りて、もの言ひ遣る意なり。シミミは繁繁なり。オモヒケメカモは思ヒケムカなり。ツレモナキは、卷二、由縁無と書けり。シキタヘノ、枕詞。年ノ緒長クは年の續く事に言へり。スマヒツツは、スミを延べ言ふ詞なり。タノメリシ人ノコトゴト云云は、左註に言へる大家石川命婦、有馬の温泉へ行きたる間に死にしかば然か云ふ。佐保川ヲ云云、是れより葬の事を言ふ。ユフヤミトとは、夕ヤミノ如クと言ふ意なり。宣長はクラヤミトと訓まんと言へり。タモトホリは思ひ迷ふさま(67)なり。タダヒトリシテは、左註に言へる如く、坂上郎女一人留り居たるを言ふ。有馬山は攝津なり。雲ヰタナビキ云云は、温泉へ行きたる母刀自の許をさして言ふ。下の歌に、我が嘆くおきその風に霧立ち渡ると詠める類ひなり。
 參考 ○所聞而(代)キカシテ(考)キコシテ(古、新)略に同じ ○親族(考)ヤカラ(古、新)略に同じ ○太皇之(古)オホキミノ(新)スメロギノ ○生者(肯)ウマルレバ(新)イケルモノ ○不免(考)マヌカレヌ、又は、ノガロエヌ(古)ノガロエヌ(新)マヌカレヌ ○客有間爾(考)タビナルママニ(古、新)略に同じ ○晩闇跡(古、新)クラヤミト。
 
反歌
 
461 留不得。壽爾之在者。敷細乃。家從者出而。雲隱去寸。
とどめえぬ。いのちにしあれば。しきたへの。いへゆはいでて。くもがくりにき。
 
右新羅國尼名曰2理願1也。遠感2王コ1。歸化聖朝1。於v時寄2住大納言大將軍大伴卿家1。既※[しんにょう+至]2數紀1焉。惟以天平七年乙亥忽沈2運病1。既趣2泉界1。於v是大家石川命婦依2餌藥事1徃2有馬温泉1。而不v會2此哀1。但郎女獨留葬2送屍柩1。既訖仍作2此歌1贈2入温泉1。 舊本尼の下名の字有り。※[しんにょう+至]を經に作る。哀は喪の誤か。石川命婦は卷四の註に、大伴坂上郎女之母石川内命婦と有り。安麻呂卿の室なり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ。
 
(68)十一年己卯夏六月大伴宿禰家持悲2傷亡妾1作歌一首
 
462 從今者。秋風寒。將吹焉。如何獨。長夜乎將宿。
いまよりは。あきかぜさむく。ふきなむを。いかでかひとり。ながきよをねむ。
 
六月のいと末と見ゆ。
 參考 ○如何(古)略に同じ(新〕イカニカ。
 
弟大伴宿禰|書持《フミモチ》即|和《コタフル》歌一首
 
463 長夜乎。獨哉將宿跡。君之云者。過去人之。所念久爾。
ながきよを。ひとりやねむと。きみがいへば。すぎにしひとの。おもほゆらくに。
 
黄泉の人も獨り寢ねがてにすらんと言ふなり。オモホユラクニのニは言ひ抑へて歎く詞なり。拾穗本去の下之の字有り。
 
又家持見2砌上瞿麥花1作歌一首
 
464 秋去者。見乍思跡。妹之殖之。屋前之石竹。開家流香聞。
あきさらば。みつつしぬべと。いもがうゑし。やどのなでしこ。さきにけるかも。
 
見つつしのべとてかの意なり。
 參考 ○屋前(考)ニハノ(古、新)略に同じ。
 
(69)移v朔而後悲2嘆秋風1家持作歌一首
 
七月一日なり。
 
465 虚蝉之。代者無常跡。知物乎。秋風寒。思努妣都流可聞。
うつせみの。よはつねなしと。しるものを。あきかぜさむみ。しぬびつるかも。
 
秋風の肌寒きには、常よりも古びとの慕はしきとなり。
 
又家持作歌一首并短歌
 
466 吾屋前爾。花曾咲有。其乎見杼。情毛不行。愛八師。妹之有世婆。水鴨成。二人雙居。手折而毛。令見麻思物乎。打蝉乃。借【借ヲ惜ニ誤ル】有身在者。露霜【露霜ヲ霜霑ニ誤ル】乃。消去之如久。足日木乃。山道乎指而。入日成。隱去可婆。曾許念爾。胸己所痛。言毛不得。名付毛不知。跡無。世間爾有者。將爲須辨毛奈思。
わがやどに。はなぞさきたる。そをみれど。こころもゆかず。はしきやし。いもがありせば。みかもなす。ふたりならびゐ。たをりても。みせましものを。うつせみの。かれるみなれば。つゆしもの。けぬるがごとく。あしびきの。やまぢをさして。いりひなす。かくりにしかば。そこもふに。むねこそいため。いひもかね。なづけもしらに。あともなき。よのなかなれば。せむすべもなし。
 
水鴨ナスは鴨ノ如クと言ふなり。惜舊本借と有るに由る。顯身は借れる物の如きを言ふ。卷二十、みづ(70)ほなす可禮流身《カレルミ》ぞとはと有り。霜霑一本露霜と有るぞ善き。ソコモフニはソレヲオモフニなり。
 
反歌
 
467 時者霜。何時毛將有乎。情哀。伊去吾妹可。若子乎置而。
ときはしも。いつもあらむを。こころいたく。いにしわぎもか。わくごをおきて。
 
時も有るべきに、まだいわけなき子を捨て置きて死にし事よと言ふなり。ココロイタクは、ナサケナクモと言ふに同じ。ワギモカのカは哉の意。清《ス》むべし。
 參考 ○伊去吾妹可(古、新)イユクワギモカ ○若子乎置而(古)ワカキコヲ置《オキ》テ(新)ミドリゴヲオキテ、又は、ワカキコヲオキテ。
 
468 出行。道知末世波。豫。妹乎將留。塞毛置末思乎。
いでてゆく。みちしらませば。かねてより。いもをとどめむ。せきもおかましを。
 
豫はアラカジメとも訓むべし。
 參考 ○出行(古)イデユカス ○豫(考)カネテヨリ、又は、アラカジメ(古、新)アラカジメ。
 
469 妹之見師。屋前爾花咲。時者經去。吾泣涙。未干爾。
いもがみし。やどにはなさく。ときはへぬ。わがなくなみだ。いまだひなくに。
 
右の長歌の初句にも有る如く、宿に花咲きて、時を經たるを言へり。
(71) 參考 ○屋前爾花咲(古)略に同じ(新)ヤドノハナサキ。
 
悲緒未v息更作歌五首
 
470 如是耳。有家留物呼。妹毛吾毛。如千歳。憑有來。
かくのみに。ありけるものを。いももわれも。ちとせのごとも。たのみたりける。
 
かくばかりはかなき命にて有るを、千年相住むべき如くも頼みし事よとなり。
 參考 ○如千歳(古、新〕チトセノゴトク ○憑有來(古)タノミタリケリ(新)タノミタリケル。
 
471 離家。伊麻須吾妹乎。停不得。山隱都禮。情神毛奈思。
いへざかり。いますわぎもを。とどめかね。やまがくりつれ。こころどもなし。
 
卷五、とと尾《ミ》かねと書きたれば、トトミカネとも訓むべし。山隱は葬を言ふ。ツレバのバを略く例なり。妹をとどめかねて、終に妹が山隱れつれば、我|利心《トゴコロ》も無しとなり。
 參考 ○停不得(古)トドミカネ(新)略に同じ ○情神(考)タマシヒ、又は、ココロド(古、新)略に同じ。
 
472 世間之。常如此耳跡。可都知跡。痛情者。不忍都毛。
よのなかし。つねかくのみと。かつしれど。いたきこころは。しぬびかねつも。
 
ヨノ中シのシは助辭。さてシレドカツと心得べし。宣長云、忍の上得の字脱ちたり。
(72) 參考 ○痛情者(考)イタムココロハ (古)略に同じ。
 
473 佐保山爾。多奈引霞。毎見。妹乎思出。不泣日者無。
さほやまに。たなびくかすみ。みるごとに。いもをおもひでて。なかぬひはなし。
 
火葬の煙より、霞をもあはれむなり。
 參考 ○思出(古、新)オモヒデ。
 
474 昔許曾。外爾毛見之加。吾妹子之。奧槨常念者。波之吉佐寳山。
むかしこそ。よそにもみしか。わぎもこが。おくつきともへば。はしきさほやま。
 
ハシキは愛づる意なり。
 
十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舍人大伴宿禰家持作歌六首
 
續紀。天平十六年閏正月云云。安積親王縁2脚病1從2櫻井頓宮1還。丁丑薨。時年十七云云と有り。職員令内舎人九十人、掌3帶刀宿衛供奉雜使若駕行分2衛前後1とあり。
 
475 掛巻母。綾爾恐之。言卷毛。齋忌志伎可物。吾王。御子乃命。萬代爾。食賜麻思。大日本。久邇乃京者。打靡。春去奴禮婆。山邊爾波。花咲乎爲【爲ハ烏ノ誤】里。(73)河湍爾波。年魚小狹走。彌日異。榮時爾。逆言之。枉言登加聞。白細爾。舎人装束而。和豆香山。御輿立之而。久堅乃。天所知奴禮
。展轉。泥打雖泣。將爲須便毛奈思。
かけまくも。あやにかしこし。いはまくも。ゆゆしきかも。わがおほきみ。みこのみこと。よろづよに。めしたまはまし。おほやまと。くにのみやこは。うちなびく。はるさりぬれば。やまべには。はなさきををり。かはせには。あゆこさばしり。いやひけに。さかゆるときに。およづれの。まがごとと《たはことと》かも。しろたへに。とねりよそひて。わづかやま。みこしたたして。ひさかたの。あめしらしぬれ。こいまろび。ひづちなけども。せむすべもなし。
 
此皇子は儲がねにておはしけん。大日本、ここは大八洲の意なり。久邇京は山城國相樂郡なり。續紀、大養コ恭仁《オホヤマトクニノ》大宮と書けり。春サリヌレバも、春サレバに同じく、春ニ成リヌレバなり。乎烏里、今本に乎爲里とせるは誤なる事既に言へり。年魚小の小は子の誤りなるべし。日ニケニは日日ニと言ふに同じ。榮エシ時は、春のさかえを皇子の御榮に言ひ寄せたり。白タヘは白布の事なるを轉じて唯だ白き事に言ふ。白細布と有るべきを略き書けり。和豆香山、相樂郡。御コシは御葬の車なり。天シラシヌレは薨じ給ふを言ふ。此詞卷二にも出でたり。さて例のヌレバのバを略けり。コイマロビは臥シマロビなり。ヒヅチは既に出づ。
 參考 ○食賜麻思(代、古、新)ヲシタマハマシ(考)略に同じ ○枉言(考、古、新)タハコト。
 
反歌
 
(74)476 吾王。天所知牟登。不思者。於保爾曾見谿流。和豆香蘇麻山。
わがおほきみ。あめしらさむと。おもはねば。おほにぞみける。わづかそまやま。
 
太子がねの皇子《ミコ》なれば斯く言へり。オホはオボロケ、オホヨソなどの意なり。わづか山に葬りまつれば斯く言ふなり。
 
477 足檜木乃。山左倍光。咲花乃。散去如寸。吾王香聞。
あしびきの。やまさへひかり。さくはなの。ちりにしごとき。わがおほきみかも。
 
山も照るまでに咲ける色に譬へまつれり。
 参考 ○光(考〕テリテ(古、新)略に同じ ○散去如寸(古、新)チリヌルゴトキ。
 
右三首二月三日作歌。
 
478 掛卷毛。文爾恐之。吾王。皇子之命。物乃負能。八十伴男乎。召集。聚率比賜比。朝獵爾。鹿猪踐起。暮獵爾。鶉雉履立。大御馬之。口抑駐。御心乎。見爲明米之。活道山。木立之繁爾。咲花毛。移爾家里。世間者。(75)如此耳奈良之。丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。心振起。劔刀。腰爾取佩。梓弓。靭取負而。天地與。彌遠長爾。萬代爾。如此毛欲得跡。憑有之。皇子乃御門乃。五月蠅成。驟騷舍人者。白栲爾。服取著而。常有之。咲比振麻比。彌日異。更經見者。悲呂【呂ヲ召ニ誤ル】可毛。
かけまくも。あやにかしこし。わがおほきみ。みこのみこと。もののふの。やそとものをを。めしつどへ。あともひたまひ。あさがりに。ししふみおこし。ゆふがりに。とりふみたて。おほみまの。くちおしとどめ。みこころを。みしあきらめし。いくぢやま。こだちのしじに。さくはなも。うつろひにけり。よのなかは。かくのみならし。ますらをの。こころふりおこし。つるぎだち。こしにとりはき。あづさゆみ。ゆぎとりおひて。あめつちと。いやとほながに。よろづよに。かくしもがもと。たのめりし。みこのみかどの。さばへなす。さわぐとねりは。しろたへに。ころもとりきて。つねなりし。ゑまひふるまひ。いやひけに。かはらふみれば。かなしきろかも。
 
八十伴男は多くの部類を言ふ。アトモヒはイザナフに同じ。大ミマノ云云は、御馬をとどめて見はらし給ふなり。活道山は卷六に、天平十六年正月十一日登2活道岡1集2一株松下1飲歌とて、市原王家持卿などの歌あり。ここも同年二月にて、花も移ろひなど詠みたれば、久邇京より近きなるべし。續紀に藤原朝臣伊久治と言ふ女の名も見えたり。移ロヒニケリは薨じ給ふを言ふ。サバヘナス、枕詞。召は一本呂と有るを善しとす。ロは等と同じく助辭なり。古事記歌に登母志岐呂加母、其外例あり。
 參考 ○口抑駐(古、新)クチオサヘトメ ○見爲明米之(古、新)メシアキラメシ ○活道山(代、古)略に同じ(考)クメヂヤマ ○木立之繁爾(古)略に同じ(古)コダチノシゲニ。
 
(76)反歌
 
479 波之吉可聞。皇子之命乃。安里我欲比。見之活道乃。路波荒爾鷄里。
はしきかも。みこのみことの。ありがよひ。みししいくぢの。みちはあれにけり。
 
ハシキカモは、皇子《ミコ》を愛で褒むる詞。ミシシは見サセ給ヒシと言ふなり。長歌に見シ明ラメシの見シも同じ。常に狩におはせしが今絶えたるを言ふなり。
 參考 ○見之活道乃(考)メシシクメヂノ(古、新)メシシイクヂノ。
 
480 大伴之。名負靭帶而。萬代爾。憑之心。何所可將寄。
おほともの。なにおふゆぎおびて。よろづよに。たのみしこころ。いづくかよせむ。
 
神代紀一書に大伴連遠祖天忍日命云云。負2天磐靱1云云。立2天孫之前1云云。又景行紀に日本武尊甲斐國酒折宮に居まして、靱部を以て大伴連之遠祖武日に賜ふと見え、姓氏録大伴宿禰の條に、天孫天降りたまひし時の事を言ひて、然後以2大來目部1爲2靱負部1。天靱負之號起2於此1也云云など見ゆ。大伴の名におふ靱とは是れなり。
 參考 ○萬代爾(古)略に同じ(新)ヨロヨフ「跡」ト。
 
右三首三月二十四日作歌。
 
悲2傷死妻1高橋朝臣作歌一首并短歌
 
(77)481 白細之。袖指可倍?。靡寢。吾黒髪乃。眞白髪爾。成極。新世爾。共將有跡。玉緒乃。不絶射妹跡。結而石。事者不果。思有之。心者不遂。白妙之。手本矣別。丹杵火爾之。家從裳出而。緑兒乃。哭乎毛置而。朝霧。髣髴爲乍。山代乃。相樂山乃。山際。徃過奴禮婆。將云爲便。將爲便不知。吾妹子跡。左宿之妻屋爾。朝庭。出立偲。夕爾波。入居嘆舍【舍ハ合ノ誤】。腋挾腋鋏【挟ヲ狹ニ誤ル】。兒乃泣母【母ハ毎ノ誤】。雄自毛能。負見抱見。朝鳥之。啼耳哭管。雖戀
。効矣無跡。辭不問。物爾波在跡。吾妹子之。入爾之山乎。因鹿跡叙念。
しろたへの。そでさしかへて。なびきねし。わがくろかみの。ましらがに。ならむきはみ。あたらよに。ともにあらむと。たまのをの。たえじいいもと。むすびてし。ことははたさず。おもへりし。こころはとげず。しろたへの。たもとをわかれ。にきびにし。いへゆもいでて。みどりこの。なくをもおきて。あさぎりに。ほのになりつつ。やましろの。さがらかやまの。やまのまに。ゆきすぎぬれば。いはむすべ。せむすべしらに。わぎもこと。さねしつまやに。あしたには。いでたちしぬび。ゆふべには。いりゐなげかひ。わきばさむ。このなくごとに。をのこじもの。おひみいだきみ。あさとりの。ねのみなきつつ。こふれども。しるしをなみと。こととはぬ。ものにはあれど。わぎもこが。いりにしやまを。よすがとぞおもふ。
 
抽サシカヘテはサシカハシテなり。新世は卷一に藤原新京をアタラ代と詠めるによりて、久邇の新京の(78)事として、共ニアラムトは、此新京の末久しからん如く、吾も妻も共に長く住まんものと相かたらふなりと、翁は言はれき。宣長云、此アタラヨは唯だ世と言ふなり。卷二十、としつきはあたらあたらにあひみれどと詠めるも、新しきとしを重ぬる事なりと言へり。此説然るべし。射は助辭なり。此伊の助辭を詞の下に添ふる事上に既に言へり。射をヤと訓みたれど、ヤの假字に用ひたる例無し。事は言なり。ニキビニシは卷二、柔備爾之《ニキビニシ》家をさかりと有り。朝霧ノはホノと言はむ料なり。ホノニ成リツツは、相樂山へ葬り行くを見送りて、やうやくに遠く成り行くを言ふ。相樂山、古事記山代の相樂に到りて懸樹枝《サガリキノエダ》を取りて死なんとす。故其地を懸木と云ふ。今相樂と言ふよし有り。和名抄、相樂(佐加良加)とあれば、サガラカヤマと訓むべし。便一字にてスベと訓める例有り。サネシのサは發語。舍は合の誤にてナゲカヒなり。カヒはキを延べたる詞。挾今本狹とせるは誤なり。泣母の母は毎の誤にてナクゴトニと訓むべし。卷二、乞泣毎にと詠めり。ヲノコジモノ既に出づ。オヒミイダキミは負ヒモシ抱キモシなり。コトトハヌはモノイハヌなり。入リニシ山は葬リシ山なり。ヨスガは由縁處《ヨスガ》の意なり。宣長曰く、髣髴はオホニと訓みて、オホホシクの意なりと言へり。
 參考 ○成極(考)ナリキハムマデ、又は、ナレラムキハミ(古)カハラムキハミ(新)ナラムキハミ ○新世爾(古)アラタヨニ(新)略に同じ。○朝霧(古、新)アサギリノ ○髣髴爲乍(古、新)オホニナリツツ ○山際(考)ヤマノセニ(古)ヤマノマユ(新)ヤマノマヲ ○朝庭(古)アサニ(79)ハニ(新)略に同じ ○雄自毛能(古、新)ヲトコジモノ ○抱見(考)ムダキミ(古)ウダキミ(新)イダキミ、又は、ウダキミ。
 
反歌
 
482 打背見乃。世之事爾在者。外爾見之。山矣耶今者。因香跡【跡ヲ爾ニ誤ル】思波牟。
うつせみの。よのことなれば。よそにみし。やまをやいまは。よすがとおもはむ。
 
因香の下、爾一本跡と有るに由れり。卷十六、しがの山いたくな伐りそあらをらが余須可《ヨスガ》の山とみつつしぬばむ。
 
483 朝鳥之。啼耳鳴六。吾妹子爾。今亦更。逢因矣無。
あさとりの。なきのみなかむ。わぎもこに。いままたさらに。あふよしをなみ。
 
朝トリノ如クと言ふを略けり。宣長云、鳴六は之鳴の誤りにて、ネノミシナカユか。ナカムと言ふべき所にあらずと言へり。
 參考 ○啼耳鳴六(考)ネノミカナカム(古)ネノミシナカム(新)ネノミヤナカム。
 
右三首七月二十日高橋朝臣作歌也。名字未v審。但云奉膳之男子焉。
 
續紀、神護景雲二年、高橋安曇二氏の内膳司に任ずる者を以て奉膳とす云云と見え、式にも其由見ゆ。名字より下には後人の筆を加へしなるべし。
 
(80)萬葉集 卷第三 終
 
(81)卷三 追加
 
竹玉 もとは神代紀に言へる五百箇野篶八十玉籤《イホツヌススノヤソタマクジ》にて、玉を緒に貫きて、小竹に付けて、神を齋ふ事に用ひたるならんを、やや後に成りて、玉の代りに竹をくだの如く切りて、緒を貫けるなるべし。竹玉を八十玉くじの事としては、其竹に付けたるを、竹玉ヲシジニとは言ひ難し。さて其竹玉は−□−□−□−□−□−斯くの如く貫きたるなるべしと宣長言へり。
○抂言 抂はすべて狂の誤にて、タハコトと訓むべしと宣長言へり。卷十七、長歌に多婆許等《タハコト》と書ける有りてマガゴトと言へる假字書きも見えず。光仁紀の詔にも、多波許止とあればなり。さればすべて枉は狂の誤として、タハコトと訓まんぞ然るべき。字鏡に訛(太波己止)と見ゆ。
○天皇、皇祖 皇祖神の訓は、久老考に、スメロギと申すは皇祖の御事なり。故《カレ》當集多く皇祖と書けり。又天皇と書けるも皇祖の意に申せる所も有り。又皇祖と書きて、當代の天皇の如く聞ゆるもあれど、其れも御代御代に、廣く渡る事に言へり。正しく天皇をスメロギと申せる事は無し。古今集序などに、スメラギと有るは、スメロギの轉にて、當代の御事に申せるは、今の京に成りての事なるべしと言へり。宣長云、卷二十に家持卿の、すめろぎの御代よろづよと詠めるは、當代天皇の如く聞ゆれども、是れも御代御代天津日嗣を廣く申せるにもあらん。又家持卿の頃、既に轉じて當代の御事にも言へるか。カミロギには皇祖神、神祖など書けり。唯だ皇祖とのみ有るはスメロギなり。天皇をば、スメラとも、スメラミコトとも、オ(82)ホキミとも訓むべしと言へり。此説の如くならざれば、解き難たき事あり。猶次次に言ふべし。
 
(83)萬葉集 卷第四
 
相聞
 
難波天皇(ニ)妹《イモウトノミコ》奉d上在2山跡1皇兄《イロセノミコニ》u御歌一首
 
妹の上皇の字有るべし。天皇は仁コ天皇なり。皇子十人皇女九人おはしませば、何れと指し奉るべくもあらず。皇子は其皇子の御中なり。
 
484 一日社。人母待吉。長氣乎。如此耳待者。有不得勝。
ひとひこそ。ひともまちつげ。ながきけを。かくまたるれば。ありがてなくも。
 
ツゲは繼ぐ意にて待チツヅクルなり。長き氣は、月日久しく成るを言ふ。有リガテナクモは待ち堪へ難きなり。宣長は、所は耳の誤にて、カクノミマテバと有りしならんと言へり。
 參考 ○人母待告(古)ヒトヲモマチ「志」シ(新)ヒトモマツ「吉」ベキ ○如比所待者(古、新)カク「耳」ノミマテバ。
 
岳本天皇御製一首竝短歌
 
製の下、歌の字を落せり。
 
(84)485 神代從。生繼來者。人多。國爾波滿而。味村乃。去來者行跡。吾 戀流。君爾之不有者。晝波。日乃久流麻弖。夜者。夜之明流寸食。念乍。寐宿難爾登。【登ハ死弖二字ノ誤カ】阿可思通良久茂。長此夜乎。
かみよより。あれつぎくれば。ひとさはに。くににはみちて。あぢむらの。いざとはゆけど。わかこふる。きみにしあらねば。ひるは。ひのくるるまで。よるは。よのあくるきはみ。おもひつつ。いねがてにして。あかしつらくも。ながきこのよを。
 
アレ繼ギは生れ繼ぐなり。味ムラノ、枕詞。都の大路の人の誘《イザ》なひつれて行くさまなり。登は死弖二字の誤なるべし。又は管の誤にても有るべし。さらばイネガテニツツと訓むべし。イネガテニシツツのシを略く例有りと、翁は言はれき。アカシツラクモは、アカシツルを延べ言ふ。モは助辭。是れは舒明天皇、女を思召す由を詠ませ給へるなり。若し後岳本《ノチノヲカモト》の御歌とせば、齊明天皇未だ后に立ち給はぬ程に、舒明天皇を戀ひ奉らせて、詠み給へるともすべし。宣長云、去來、イサトハと訓みては聞えず。カヨヒハユケドと訓まんか。さてイネガテ爾と、登の言の間六言脱ちたるなるべし。試みに補はばイネガテニシテ君戀登《キミコフト》などかと言へり。
 參考 ○去來者行跡(古)サワギハユケド(新)カヨヒハユケド ○寐宿難爾登(考)イネガテニ「死弖」シテ(古)イネガテニ「乃三」ノミ(新)イネガテニシテキミマツトの宣長説を掲ぐ。
 
(85)反歌
 
486 山羽爾。味村騷。去奈禮騰。吾者左夫思惠。君二四不在者。
やまのはに。あぢむらさわぎ。ゆくなれど。われはさぶしゑ。きみにしあらねば。
 
あぢ鳧《ガモ》は多く群れ飛ぶ故に言へり。冠辭考味サハフの條に委し。サブシエはサビシヨと言ふに同じ。長歌に人サハニ滿チテハアレド云云と詠み給へる如く、味鳧を群れ行く人に譬へ給へり。
 
487 淡海路乃。鳥籠之山有。不知哉川。氣乃己呂【呂ハ乃ノ誤】其侶波。戀乍裳將有。
あふみぢの。とこのやまなる。いさやがは。けのこのごろは。こひつつもあらむ。
 
卷十二、狗上のとこの山なるいさや川とも詠めり。氣《ケ》は右に言へる如く、日日と言ふに同じ。宣長云、呂は乃の誤なりと言へるぞ善き。是れはイサヤ河と言ふ地の名を、やがて女の情をイサ不v知《シラズ》と言ふに取りなし給へり。末の繼橋と言ひて、直ちに繼ぎて思ふ事に言へる類なり。
 參考○氣乃己呂其侶波(代、考、新)ケノコロコロハ(古)略に同じ ○戀乍裳將有(新)コヒツツカアラム。
 
右今案。高市崗本宮後岡本宮二代二帝各有v異焉。担稱2岡本天皇1末v審2其指1。 後人の書き加へしなり。
 
額田王思2近江天皇1作歌一首
 
天皇は天智天皇なり。額田王初め天智天皇に召されしを、天武天皇太子にておはしませし時より、御心(86)を懸け給へる事、卷−の歌にて知らる。委しくは其所に言へり。
 
488 君待登。吾戀居者。我屋戸之。簾動之。秋風吹。
きみまつと。わがこひをれば。わがやどの。すだれうごかし。あきのかぜふく。
 
待つ心より見れば、簾の風に動くをも、君が入り來ますかと思はるると言ふなるべし。卷八に重出して、秋之風吹くと書けるに由る。
 
鏡王女作歌一首
 
天武配に天皇初娶2鏡王女1(今本女の字脱ちたり。釋日本紀に女の字有るに由る)額田姫王生2十市皇女1云云と見ゆ。ここに王女と有るは誤にて、鏡女王と有るべし。さて鏡女王は則ち鏡王の女にて、額田女王の姉と見ゆ。宣長云、此父王は近江野洲郡の鏡里に住み給ひし故に、鏡王と申せしならん。其女子ももと父の郷に住み給ひし故、鏡王と呼べるなり。然れども父と紛《マギ》るべき時は、女の方をば鏡女王と言ひて分ちたるならん。次に内大臣の娉《ヨバ》ひたる歌あるは、未だ天皇召し給はざりし前の事なるべき由言へり。
 
489 風乎太爾。戀流波乏之。風小谷。將來登時待者。何香將嘆。
かぜをだに。こふるはともし。かぜをだに。こむとしまたば。なにかなげかむ。
 
必ず來んものと思ひて待たば何かは嘆くべき。風だに戀ふる時は乏しくて必ずしも來ぬ故に嘆くなり。(87)宣長云、三の句の風ヲダニは、上なる詞を重ねたるのみなり。風ヲダニ戀ツルハトモシと言ふ二句を重ねいふ意なりと言へり。此歌は右の額田女王の、天皇へ奉れる歌を聞きて、斯く詠めりと見ゆ。右君侍ツトの歌と此歌共に卷八にも竝べ載せたり。
 
吹黄刀自歌二首 既出
 
490 眞野之浦乃。與騰乃繼橋。情由毛。思哉妹之。伊目爾之所見。
まぬのうらの。よどのつぎはし。こころゆも。おもへやいもが。いめにしみゆる。
 
眞野浦、攝津なり。水の淀みに渡せる橋なるべし。繼橋は今の瀬田の橋の如く、中に島の如き所有りて、また懸け渡せるを言ふなり。さて繼橋と言ふを、やがて繼ぎて思ふ意にとりなしたり。心ユモは心ヨリモなり。オモヘヤはオモヘバヤのバを略けり。伊目は夢なり。是れもとイメと言ひし證なり。寢て見るものなればイメとは言ふなりと契沖言へり。此歌妹と言へるからは男の歌なり。吹黄刀自へ男より贈ると言へる端詞有りしが落ち失せたりと見ゆ。さて次の歌は、刀自が和《コタ》へ歌と見ゆれば、ここも端詞亂れ失せたるなるべし。
 
491 河上乃。伊都藻之花乃。何時何時。來益我背子。時自異目八方。
かはのへの。いつものはなの。いつもいつも。きませわがせこ。ときじけめやも。
 
イツは五百津にて、多く生ひたる藻と言ふなるべし。さてイツモイツモと言はん序のみ。自異は假字に(88)て、時ならぬと言ふ事無く、いつにてもと言ふなり。此ヤモの詞は反語にて、時ジケメヤ、時ジク事ナクと言ふなり。
 參考 ○河上乃(古)カハカミノ。
 
田部忌寸|櫟子《イチヒコ》任2太宰1時歌四首 傳知られず。
 
492 衣手爾。取等騰己保里。哭兒爾毛。益有吾乎。置而如何將爲。 元舍人千年
ころもでに。とりとどこほり。なくこにも。まされるわれを。おきていかにせむ。
 
母の衣に兒の縋り哭くに勝《マサ》りて別を惜むとなり。元暦本に作者の名あり。櫟子が旅立つ時、此千年が詠めると見ゆ。
 參考 ○益有吾乎(新)マサレル「君」キミヲ。
 
493 置而行者。妹將戀可聞。敷細乃。黒髪布而。長此夜乎。 元田部忌寸櫟子
おきてゆかば。いもこひむかも。しきたへの。くろかみしきて。ながきこのよを。
 
元暦本に據るに、是れ櫟子が歌なり。是れは右の答には有らず。妹は櫟子が妻を言ふ、クロカミシキテは、妹が髪の自《オノヅカ》ら下に敷かるるを言ふ。
 
494 吾妹兒乎。相令知。人乎許曾。戀之益者。恨三念。
わがもこを。あひしらしめし。ひとをこそ。こひのまされば。うらめしみもへ。
 
(89)初めに媒せし人を、今は中中に恨み思ふとなり。是れも櫟子なり。
 參考 ○相令知(考)アヒシラセヌル(古)略に同じ。
 
495 朝日影。爾保敝流山爾。照月乃。不厭君乎。山越爾置手。
あさひかげ。にほへるやまに。てるつきの。あかざる|きみを《元いもを》。やまごしにおきて。
 
有明の景色の面白きを言ひて、やがて厭かざると言はん序とせり。櫟子が旅立つ時、妻を置きて別るるを悲めるか。又は君と言へるからは、右の千年などを指して言へるか。
 
柿本朝臣人麻呂歌四首
 
496 三熊野之。浦乃濱木綿。百重成。心者雖念。直不相鴨。
みくまぬの。うらのはまゆふ。ももへなす。こころはもへど。ただにあはぬかも。
 
熊野は紀伊、ミは眞なり。濱ユフは今濱オモトと言ふ。其莖の皮幾重も重なりて、七月花咲けり。花の形、木綿《ユフ》の如く白く垂るれば然か言ふならん。今も熊野の濱べに多しとぞ。其皮の重なれるをもて、百重に重なれる如くと言はん序に設けたり。タダニアハヌカモは、タダチニ相見ヌと言ふなり。
 
497 古爾。有兼人毛。如吾歟。妹爾戀乍。宿不勝家牟。
いにしへに。ありけむひとも。わがごとか。いもにこひつつ。いねがてにけむ。
 
古ニ在リケム人は、誰と指せる事にはあらず。イネガテニケムは、イネガタクシニケムなり。
(90) 參考 ○宿不勝家牟(代、新)イネガテズケム(考、古)略に同じ。
 
498 今耳之。行事庭不有。古。人曾益而。哭左倍鳴四。
いまのみの。わざにはあらず。いにしへの。ひとぞまさりて。なきさへなきし。
 
我如く苦しき戀の、いにしへ人も有りし習ひなりと言ひて、自ら尉むるなり。
 參考 ○哭左倍鳴四、(考、古、新)ネニサヘナキシ。
 
499 百重二物。來及毳常。念鴨。公之使乃。雖見不飽有哉。
ももへにも。きおよべかもと。おもへかも。きみがつかひの。みれどあかざらむ。
 
及ブは重ぬる意にて、使の幾度も來よかしと、心に思へばかも、來れど來れど使を厭かず思ふと言ふなり。宣長は二の句キタリシケカモにて句として、三の句トオモヘカモと訓まんと言へり。哉は武の誤なるべし。
 參考 ○來乃毳常(代)キシケカモト(考)シキシケカモト(古、新)キシカヌカモト。
 
碁檀越《コノダンヲチ》往2伊勢國1時留妻作歌一首
 
碁は氏、檀越は名なるべけれど、物に見えず。碁、古本及目録に基に作る。
 
500 神風之。伊勢乃濱荻。折伏。客宿也將爲。荒濱邊爾。
かむかぜの。いせのはまをぎ。をりふせて。たびねやすらむ。あらきはまべに。
 
神風ノ、枕詞。和名抄、荻(和名乎木)これは濱に生ひたる荻なり。蘆とは異る物なり。
 
(91)柿本朝臣人麻呂歌三首
 
501 未通女等之。袖振山乃。水垣之。久時從。憶寸吾者。
をとめらが。そでふるやまの。みづがきの。ひさしきときゆ。おもひきわれは。
 
ヲトメラガ、枕詞。大和石上の布留山に抽振ると言ひ下したり。ミヅガキノ、枕詞。唯だ早くより我は思ひけりと言へるのみ。巻十一、同歌を載せて、久シキ時由《トキユ》と書けり。
 
502 夏野去。小牡鹿之角乃。束間毛。妹之心乎。忘而念哉。
なつぬゆく。をしかのつぬの。つかのまも。いもがこころを。わすれてもへや。
 
鹿は夏の初めに角落ちて生ひ變るが、未だ短ければ、束ノ間と言はん序とせり。心は暫しも思ひ忘れんやと言ふなり。
 
503 珠衣乃。狹藍左謂沈。家妹爾。物不語來而。思金津裳。
たまぎぬの。さゐさゐしづみ。いへのいもに。ものいはずきて。おもひかねつも。
 
珠衣は冠辭考に、卷十四、安利伎奴乃、巻十六、蟻衣之と書けるに由りて、珠衣をもアリギヌと訓めれど、猶思ふ旨あれば、暫くここは古訓に從へり。附録に言ふべし。サヰサヰはサヤギサヤギなり。シヅミは鎭メなり。夫の遠き旅に出で立つ時、妻が歎き騒ぐを鎭めんとて、物をもえ能く言はで別れ來て、今更に思ひ堪へ難しと言ふ意なり。卷二十、水鳥の立ちのいそぎに父母に物いはずきて今ぞ悔しきとも(92)詠めり。此歌卷十四東歌に、安利伎奴乃|佐惠佐惠之豆美《サヱサヱシヅミ》云云、末は於毛比具流之母《オモヒグルシモ》とて載せたり。全く同歌なり。右歌の左に人麻呂歌集中に出づと記せり。此歌集にはみづからのも、又他人の歌をも、聞くに任せて書きたりと見ゆれば、人麻呂の歌とも定め難く、右歌集は殊に東歌の撰よりも後の物と見ゆれば、東歌に載せたるを本とすべく覺ゆ。
 參考 ○珠衣乃(考、古)アリギヌノ(新)略に同じ ○狹藍左謂沈(新)サヰサヰ「染」シミ ○物不語來而(古)モノイハズキニテ(新)略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂妻歌一首
 
504 君家爾。吾住坂乃。家道乎毛。吾者不忘。命不死者。
きみがいへに。われすみさかの。いへぢをも。われはわすれじ。いのちしなずは。
 
神武紀、菟田《ウダ》高倉山の巓に登りて、國中を見給ふ事有りて、墨坂に?炭を置くと有り。大和宇陀郡なり。此妻は卷三人麻呂長歌に、天飛や輕の道をば吾妹子が、里にしあればと言へりし妻か。さて輕は高市郡にて、墨坂は往きかふ道にやと、翁は言はれき。宣長云、此歌君ガ家ニ吾と言ふ意は、唯だ住と言はん序のみか。又は坂は誤字ならんか。かにかくに宇陀の墨坂とは思はれず。彼地は大和の東の邊地にて、京人の常に行き通ふべき所には有らずと言へり。古へ女の許へ通ふを住むと言へり。伊勢物語に、業平の有常が女に住みしなどの類ひなり。是れは女の歌なれば斯くは言ふべからず。是等も訝《イブ》かし。猶考ふ(93)べし。
 參考 ○君家爾(古)キミガヘニ ○吾住坂乃(古)ワガスミサカノ(新)略に同じ。
 
安倍《アベノ》女郎歌二首 目録に阿部と書けり。
 
505 今更。何乎可將念。打靡。情者君爾。緑爾之物乎。
いまさらに。なにをかおもはむ。うちなびき。こころはきみに。よりにしものを。
 
卷十四、道のべのを花が下の思草今更に何物かおもはむとも詠めり。
 
506 吾背子波。物莫念。事之有者。火爾毛水爾毛。吾莫七國。
わがせこは。ものなおもひそ。ことしあらば。ひにもみづにも。われなけなくに。
 
卷一、吾大きみ物なおもほしすめがみのつぎてたまへる吾|莫勿久爾《ナケナクニ》と有る所に委しく言へる如く、ナケナクニとは、吾ナカラナクニと言ふ意にて、たとへ火に入り水に入る程の事有りとも、吾あるからは、物念ふ事なかれと言へるなり。卷九菟原處女の歌に、水に入り火にも入らむと立ちむかひ云云。垂仁天皇の皇后狹穗火に入り給ひ、日本武尊の妃橘姫の水に入りしなどの古事もあれど、それまでも有るまじきなり。
 
駿河(ノ)?女《ウネメ》歌一首
 
古書に?女を綵と書けり。
 
507 敷細乃。枕從久久流。涙二曾。浮宿乎思家類。戀乃繁爾。
(94)しきたへの。まくらゆくくる。なみだにぞ。うきねをしける。こひのしげきに。
 
枕よりくぐるなり。古今集、涙川枕ながるるうきねにぞと詠めるも、此歌より詠みしなるべし。
 
三方沙彌歌一首
 
508 衣乎乃。別今夜從。妹毛吾母。甚戀名。相因乎奈美。
ころもでの。わかるこよひゆ。いももわれも。いたくこひむな。あふよしをなみ。
 
常の後朝の別には有らで、故有りて再び逢ひ雛き別なるべし。
 
丹比眞人笠《タヂヒノマヒトカサ》麻呂下2筑紫國1時作歌一首并短歌
 
丹比は紀に多治比氏あり。笠麻呂は傳知られず。
 
509 臣女乃。匣爾乘有。鏡成。見津乃濱邊爾。狹丹頬相。紐解不離。吾味兒爾。戀乍居者。明晩乃。且霧隱。鳴多頭乃。哭耳之所哭。吾戀流。千重乃一隔母。名草漏。情毛有哉跡。家當。吾立見者。青※[弓+其]乃。葛木山爾。多奈引流。白雲隱。天佐我留。夷乃國邊爾。直向。淡路乎過。粟島乎。背(95)爾見管。朝名寸二。水手之音喚。暮名寸二。梶之聲爲乍。浪上乎。吾十行左具久美。磐間乎。射往廻。稻日都麻。浦箕乎過而。鳥自物。魚津左比去者。家乃島。荒磯之字倍爾。打靡。四時二生有。莫告我。奈騰可聞妹爾。不告來二計謀。
たをやめ《みやびめ》の。くしげにのれる。かがみなす。みつのはまべに。さにづらふ。ひもときさけず。わぎもこに。こひつつをれば。あけぐれの。あさぎりがくり。なくたづの。ねのみしなかゆ。わがこふる。ちへのひとへも。なぐさもる。こころもあれやと。いへのあたり。わがたちみれば。あをはたの。かづらきやまに。たなびける。しらくもがくり。あまざかる。ひなのくにべに。ただむかひ。あはぢをすぎ。あはしまを。そがひにみつつ。あさなぎに。かこのこゑよび。ゆふなぎに。かぢのとしつつ。なみのへを。いゆきさぐくみ。いはのまを。いゆきもとほり。いなびづま。うらみをすぎて。とりじもの。なづさひゆけば。いへのしま。ありそのうへに。うちなびき。しじにおひたる。なのりそも。などかもいもに。のらずきにけむ。
 
臣女マウトメと訓みたれど、然《サ》る詞の例無し。此二字は姫の字の誤れるにてタヲヤメと訓まんか。又臣女、ミヤビメとも訓むべし。宣長は臣は少の誤にてヲトメノかと言へり。鏡ナスは鏡の如くなり。三津は難波、サニヅラフは紅なる事の枕辭なれば、赤紐と續けたり。さて紐解かず旅居するなり。アケグレは、夜の明方まだ暗き程を言ふ。すべてクレと言ふはクラキ事なり。木のクレなども然り。鳴クタヅは、其朝の景色をやがて序に設けて、己が泣くに言ひ下したり。ナグサモルは慰ムルなり。※[弓+其]は柳の字の誤ならん。然らばアヲヤギと訓むべし。カヅラキと言ふへ冠らせたる詞なり。天ザカル、枕詞。カの詞濁音の字用ひたる例無し。我は柯の字などの誤れるにや。粟島は卷三、武庫の浦を?ぎたむをぶね粟島をそがひに見つつと詠める所に同じ。ソガヒは背向《ソガヒ》にてウシロに見ナスなり。イ行キサグクミのイは發語、祈年祭祝詞に磐根木(ノ)根|履佐久彌?《フミサクミテ》と云ふに同じく、踏分けなど言ふに同じ。稻日都麻は播磨印(96)南郡に附ける海中の島なるべし。卷六、伊奈美都麻辛荷《イナミヅマカラニノ》島と續けたり。浦箕は海べをウナビと言ふに同じく、浦ビなるをヒとミは通へれはウラミと言へりと翁は言はれき。宣長は、すべて浦廻と書きてもウラワと訓むは惡ろし。假名書皆うら麻とあればウラマと訓むべし。ここも其マとミと通へば、ウラミは則ちウラマなりと言へり。鳥自物は水鳥ノ如クと言ふ意。ナヅサヒは既に言へり。家島、神名帳に播磨|揖保《イホ》郡家島神社有り。後世繪島と云ふなりと言ふ説あれど強ひ言なり。ナノリソモは濱菜に同じ。允恭紀衣通姫の歌に、海の濱藻の寄る時時にと言ふを、天皇此歌他人に聞かすべからず。皇后恨み給はんとのたまひしより、時人濱藻を奈能利曾毛と言へる事既に言へり。さて告《ノ》ラズと言はん料なり。宣長云、莫告の下我は茂の誤にて、ナノリソモと訓むべしと言へり。
 參考 ○臣女乃(代)マヲトメノ(考、古)オミノメノ(新)タワヤメノ ○匣爾乘有(考)クシゲニノスル(古)クシゲニ「齋」イツク(新)略に同じ ○名草漏(代、考、新)略に同じ(古)ナグサムル ○有裁跡(考)アルヤト(古)略に同じ(新)アリヤト ○直向(考、古、新)タダムカフ ○淡路乎過(考)アハヂヲスグリ(古)略に同じ ○浪上乎(新)ナミノウヘヲ ○莫告我(古、新)ナノリソ「能」ノ。
 
反歌
 
510 白妙乃。袖解更而。還來武。月日乎數而。往而來猿尾。
(97)しろたへの。そでときかへて。かへりこむ。つきひをよみて。ゆきてこましを。
 
袖は紐の誤にて、ヒモトキカヘテなるべし。上二句は相寢し事を云ふ。さて歸り來ん月日をいつ頃と數へて、妹にも其由を告げて、筑紫へ往きて來んものを、然《サ》る事も言はずて立ちにしを悔ゆる意なり。長歌の結句にノラズキニケムと言ふにて知らるる由、翁は言はれき。宣長は本のままにて、袖解キカヘテとは、袖を解き放して、男女互に形見として行くなりと言へり。
 參考 ○袖師更而(考)「紐」ヒモトキカヘテ(古〕ソデトキカヘテ。
 
幸2伊勢國1時當麻麻呂大夫妻作歌一首
 
511 吾背子者。何處將行。已津物。隱之山乎。今日歟超良武。
わがせこは。いづくゆくらむ。おきつもの。なばりのやまを。けふかこゆらむ。
 
此歌卷一に有り。ここに重ねて載せたり。
 參考 ○何處(考)イヅコ(古)略に同じ。
 
草孃歌一首
 
草の下香を落せしか。然らばクサカノイラツメと訓むべし。
 
512 秋田之。穗田乃刈婆加。香縁相者。後所毛加人之。吾乎事將成。
あきのたの。ほだのかりばか。かよりあはば。そこもかひとの。わをことなさむ。
 
(98)穗田は刈リゴロノ田なり。刈婆加は刈計りの略にて、稻の刈る程になれるを言ふなるべし、香ヨリアハバの香は發語。さて刈る程に成れば稻みのりて靡き寄り合ふを、男女の合ふに譬へたるならん。末は然か寄り會ひ居たらば、其れをも人の言繁く言ひ騷がんと言へるなりと、翁は言はれき。卷十、秋の田の吾刈婆可の過ぎぬれば、卷十六、草《カヤ》刈婆可爾なども有り。宣長云、刈バカとは田を植うるにも刈るにも、其外にも、一ハカ二ハカなど言ふ事有り。男女相交はりて、其ハカを分けて植ゑも刈りもするなり。カヨリアフとは、其一ハカの内の者は寄り合ひ竝びて物する故に、斯く續け言へり。ハカの事は今の世にも言ふ事にて、例へば一つ田を三つに分けて、一ハカ二ハカと立てて、一ハカより植ゑ始め刈り始めて、二ハカ三ハカと植ゑ終り、刈り終る事なりと言へり。斯くてはカヨリアフと言ふに善くかなへり。猶田舍人に問ふべし。
 
志貴皇子御歌一首
 
513 大原之。此市柴乃。何時鹿【鹿頗ヲ庶ニ誤ル】跡。吾念妹爾。今夜相有香裳。
おほはらの。このいちしばの。いつしかと。わがもふいもに。こよひあへるかも。
 
大原は大和なり。卷二に吾岡にみ雪ふりたり大原のふりにし郷にふらまくは後とある大原なり。イチシバは櫟《イチヒ》柴なり。イツシカと言ふ序のみ。卷十一、道のべの五柴原のいつもいつもと詠めるも同じ。
 
阿倍女郎歌一首
 
(99)514 吾背子之。蓋世流衣之。針目不落。入爾家良之。我情副。
わがせこが。けせるころもの。はりめおちず。いりにけらし|も《な》。わがこころさへ。  
古事記、那賀祈勢流《ナガケセル》【勢ヲ今藝ニ誤ル】おすひのすそに云云、此ケセルは着る事の古言なり。蓋は音を取れり。良之の下毛か奈の字か落ちたるなり。針メ落チズは針目も殘さずの意、入リニケラシはオモヒ入ルを言ふ。
 參考 ○家良之(考、古、新)ケラシ「奈」ナ。
 
中臣朝臣東人贈2阿倍女郎1歌一首
 
續紀和銅四年從五位下と見ゆ。
 
515 獨宿而。絶西紐緒。忌見跡。世武爲便不知。哭耳之曾泣。
ひとりねて。たえにしひもを。ゆゆしみと。せむすべしらに。ねのみしぞなく。
 
久しき獨寢を言ふ。ユユシミとは、ユユシサニと言ふ意なり。卷十二、針はあれど妹しなければつけむやと我をなやまし絶ゆる紐の緒と言へるに同じ。
 
阿倍女郎答歌一首
 
516 吾以在。三相二搓流。絲用而。附手盛物。今曾悔寸。
わがもたる。みつあひによれる。いともちて。つけてましもの。いまぞくやしき。
 
(100)孝コ紀、三絞之綱云云。出雲風土記、三身之綱打挂弖云云【身ハ交ノ誤カ】共にミツアヒノツナと訓むべし。三つ組に縒《ヨ》れるにて、強く絶え難き糸を言ふ。搓は廣蒼云、以v手搓v糸爲v綫。
 
大納言兼大將軍大伴卿歌一首
 
安麻呂卿か御行卿なるべし。
 
517 神樹爾毛。手者觸云乎。打細丹。人妻跡云者。不觸物可聞。
さかきにも。てはふるとふを。うつたへに。ひとづまといへば。ふれぬものかも。
 
ウツタヘは打ツは詞、タヘは堪への意にて.ヒタスラニと言ふ意に言へり。下に、うま酒をみわの祝がいはふ杉手觸し罪か君に逢ひがたきと有るに似たり。宣長云、神樹、カミキと訓むべし。サカキとては、唯だ山に有るさか木にまがひて、此歌に叶はずと言へり。
 參考 ○神樹(代)カミキ(考)ミケ(古、新)カムキ ○手者觸云乎(代)テハフルテフヲ(古)テハフルチフヲ。
 
石川郎女歌一首 元即佐保大伴大家也。
 
安麻呂の妻なり。
 
518 春日野之。山邊道乎。與曾理無。通之君我。不所見許呂香裳。
かすがぬの。やまべのみちを。よそりなく。かよひしきみが。みえぬころかも。
 
(101)ヨソリナクは、寄るべき便りも無き意なり。卷十四、和爾余曾利は吾ニ依リなり。其外にも此詞見ゆ。元暦本與を於に作る。オゾリナクは、恐れ憚る事も無き意と聞ゆれど雅《ミヤ》びならず。
 
大伴女郎歌一首 元今城王之母也。今城王後賜2大原眞人氏1也。
 
旅人卿の妻にて、太宰府にて死にしなり。
 
519 雨障。常爲公者。久堅乃。昨夜雨爾。將懲鴨。
あまざはり。つねするきみは。ひさかたの。きのふのあめに。こりにけむかも。
 
雨ザハリは、雨に憚りて家を出でぬを言ふ。此下に、いそのかみふるとも雨にさはらめやとも詠めり。又次に雨乍見と有れば、雨障と書きても、アマヅツミと訓まんと宣長は言へり。公は男を指す。
 參考 ○雨障(古)アマヅツミ(新)略に同じ ○昨夜雨爾(代)ヨムベノアメニ(考)ヨフベノアメニ(古)キソノアメニ(新)キソノヨノアメニ。
 
後人|追和《オヒテコタフル》歌一首
 
今和を同とせり。一本に據りて改む。
 
520 久堅乃。雨毛落糠。雨乍見。於君副而。此日令晩。
ひさかたの。あめもふらぬか。あまづつみ。きみにたぐひて。このひくらさむ。
 
フラヌカは、フレカシナと言ふなり。雨ヅツミは、雨ヅツシミの略。
(102) 參考 ○於君副而(考)キミニヨソリテ(古、新)略に同じ。
 
藤原|宇合《ウマカヒノ》大夫遷v任上v京時常陸娘子贈歌一首
 
續紀養老三年七月、常陸國守正五位上藤原朝臣宇合管2安房上總下總三國1とあり。同紀馬養とも書きて同人なり。馬養はウマカヒと訓むべければ、宇合も然か唱ふべし。斯く字音を用ひたるは古書に例多し。贈太政大臣不比等第三子也と見ゆ。
 
521 庭立。麻乎【手ハ乎ノ誤】刈干。布慕。東女乎。忘賜名。
にはにたち。あさをかりほし。しきしのぶ。あづまをみなを。わすれたまふな。
 
本は賤が家のさまなり。卷九、小垣内の麻|矣《ヲ》苅干と有れば、ここも手は乎の誤りなり。麻手小ブスマとは事異なり。さて庭ニタチは、麻の事には有らず。おのれ庭に下り立ちて麻を刈るを言ふ。刈れる麻がらを敷並べて干すをもてシキシノブと言ひ下したり。シキシノブは重ね重ね慕ふ意。東女は自《みづか》ら言ふなり。
 參考 ○庭立(考)ニハニタツ(古、新)略に同じ。○布慕(考)シキシタフ(古、新)ツキシヌブ。
 
京職大夫藤原大夫賜2大伴郎【郎ヲ良ニ訳ル】女歌三首
 
目録に原下麻呂の字有り。ここは脱ちたり。續紀養老五年六月。從四位上藤原朝臣麻呂爲2左右京大夫1と見ゆ。贈と有るべきを賜と書ける事、集中に多し。通じ書けるなり。
 
522 ※[女+感]嬬等之。珠篋有。玉櫛乃。神家武毛。妹爾阿波受有者。
(103)をとめらが。たまくしげなる。たまぐしの。かみさびけむも。いもにあはずあれば。
 
神家武、古訓メヅラシケムモと有るは由無し。契沖カミサビケムモと訓める方まされり。神サビは、すべて古びたる事を言ふ。櫛の垢づき古りたるを言へり。玉は褒め言ふのみ。神サビケムモのモはカモの略。末は唯だ逢はぬと言ふのみなり。源氏物語若菜上の卷に、さしながら昔を今に傳ふれば、玉の小櫛《ヲグシ》ぞ神さびにける。此歌をや思ひ寄りけん。宣長は神は誤字ならんか、猶善く考ふべしと言へり。
 參考 ○神家武毛(古、新)タマシヒケムモ ○有者(新)アラバ。
 
523 好渡。人者年母。有云乎。何時間曾毛。吾戀爾來。
よくわたる。ひとはとしにも。ありとふを。いつのまにぞも。わがこひにける。
 
卷十三、年わたるまでにも人はありとふをいつのひまぞもわがこひにけると全く同じ。此ワタルは逢はずして、堪へて程を經渡るを言ひて、能く堪ふる人は、一年も堪へて在りと言ふを、吾は逢ひて程も無きに戀ふると言ふなり。
 參考 ○有云乎(代)アリトイフヲ(古)アリチフヲ。
 
524 蒸【烝ハ蒸ノ誤】被。奈胡也我下丹。雖臥。與妹不宿者。肌之寒霜。
むしぶすま。なごやがしたに。ふしたれど。いもとしねねば。はだしさむしも。
 
古事記八千矛神のみ歌に、牟斯夫須摩《ムシブスマ》なごやがしたに云云、あたたかなる衾の和《ナゴ》やかなるを言ふ。烝は(104)蒸の誤なり。三の句コヤセレドと翁は訓まれき。コヤスは臥すなり。二のシは助辭なり。霜はシモの詞に假りて書けり。
 參考 ○奈胡也我下丹(新)「尓」ニコヤガシタニ○雖臥(考、新)フセレドモ。
 
大伴郎女和(ル)歌四首  大伴の下、坂上の字を落せるか。
 
525 狹穗河乃。小石踐渡。夜干玉之。黒馬之來夜者。年爾母有糠。
さほがはの。さざれふみわたり。ぬばたまの。こまのくるよは。としにもあらぬか。
 
和名抄、細石説文云礫(佐佐禮以之)ヌバタマノ、枕詞。アラヌカは、アレカシと言ふにて、せめて年に一たびなりとも、變らず來れかしとなり。宣長云、黒の字はコクの音を取れるなり。烏梅《ウメ》と書ける梅《メ》の字の如し。さてヌバ玉ノは下の夜と言ふへ懸れりと言へり。
 參考 ○小石(新)コイシ ○黒馬之來夜者(代)クロマ(考)コマシクルヨハ(古、所)クロマノクヨハ。
 
526 千鳥鳴。佐保乃河瀬之。小浪。止時毛無。吾戀爾。【爾ハ者ノ誤】
ちどりなく。さほのかはせの。さざれなみ。やむときもなし。わがこふらくは。
 
本は序なり。コフラクはコフルを延べ言ふ。元暦本爾を者に作るを善しとす。
 
527 將來云毛。不來時有乎。不來云乎。將來常者不待。不來云物乎。
(105)こむといふも。こぬときあるを。こじといふを。こむとはまたじ。こじといふものを。
 
來んと言ふ人だに來ぬ事もあるに、まして來たるまじと言へば、來らんと思ひては持たじ、來らじと言ふものをと、くり返し言ふなり。
 參考 ○將來云(代)コンテフモ(考)コントフモ(古、新)略に同じ ○不來云乎(考)コジトフヲ(古)略に同じ。
 
528 千鳥鳴。佐保乃河門乃。瀬乎廣彌。打橋渡須。奈我來跡念者。
ちどりなく。さほのかはとの。せをひろみ。うちはしわたす。ながくともへば。
 
打橋は既に言へり。ナガクトモヘバは、汝ガ來ト思ヘバなり。
 
右郎女者。佐保大納言卿之女也。初嫁2一品穗積皇子。被v寵無v儔。而皇子薨之後時藤原麻呂大夫娉2之郎女1焉。郎女家2於坂上里1。仍族【族ヲ※[弓+矣]ニ誤ル】氏號曰2坂上郎女1也。
 
佐保大大納言は安麻呂卿なり。郎女は家持卿の叔母にて又姑なり。
 
又大伴坂上郎女歌一首
 
529 佐保河乃。涯之官能。小歴木莫刈鳥【鳥ハ焉ノ誤】。在乍毛。張之來者。立隱金。
さほがはの。きしのつかさの。しばなかりそ【元わかくぬきなかりそ】。ありつつも。はるしきたらば。たちかくるがね。
 
旋頭歌なり。ツカサは高き所を言ふ。古事記歌、やまとのこのたけちにこたかる伊知能都加佐《イチノツカサ》とも有り。(106)歴木はクヌギなり。小きを柴に刈りて燒けば斯く書けり。鳥は焉の誤。集中ゾともヤとも訓むべき多し。アリツツモは在り在りてなり。張は借字にて春なり。シは助辭。君と共に立ち隱れて忍び逢はんと言ふなり。ガネは既に言へり。
 參考 ○小歴木莫刈鳥(考、古、新)シバナカリソネ。鳥を烏の誤とす ○立隱金(考)タチカクレカネ(古)略に同じ。
 
天皇賜2海上《ウナカミノ》女王1御歌一首
 
續紀養老七年正月從四位下と見ゆ。天皇は聖武天皇なり。御の下製字を落せり。
 
530 赤駒之。越馬柵乃。緘結師。妹惰者。疑毛奈思。
あかごまの。こゆるうませの。しめゆひし。いもがこころは。うたがひもなし。
 
馬柵をウマヲリと訓みたれど、宣長云、卷十四、宇麻勢胡之《ウマセゴシ》云云、卷十二、??越爾、これもウマセゴシニと訓むべければ、ここもウマセと訓むべし。セはセキなるべしと言へるぞ善き。
 參考 ○馬柵乃(考)マヲリノ(古)略に同じ(新)コサヌウマセノ。
 
右今案、此歌擬古之作也。但以2往當便1賜2斯歌1歟。
 
源道別云、擬は疑の誤、往は時の誤にて、且つ當時と有りしが轉倒したるならん。さらば疑《ウタガフラクハ》古之作也。但以2當時便1云云と有りしなるべし。卷十八、以2古人之跡1代2今日之意1、また卷十五、當所誦2詠古歌1(107)など言へる類ひなりと言へり。此説に由るべし。契沖は文選擬古詩の事を引きて、くさぐさあげつらへれど、ことわりさだかにも聞えず。歌に然《サ》る例無ければ取るべからず。
 
海上《ウナカミノ》女王奉v和歌一首  元志貴皇子之女也。
 
531 梓弓。爪引夜音之。遠音爾毛。君之御幸乎。聞之好毛。
あづさゆみ。つまびくよとの。とほとにも。きみがみゆきを。きくはしよしも。
 
幸は事の字の誤ならん。ミコトと訓むべし。事は借字にて御言なり。隨身が夜の陣に弦を鳴らすを爪引と言ふ。ヨトノトホトは、二つながらオトのオを略きて重ね言ふなり。よそながらも君がのり給ふ御言を聞けばよろしきとなり。
 參考 ○御幸乎(考、古、新)「御事」ミコトヲ ○聞之好毛(代、新)キカクシ(考)略に同じ(古)キカクシヨシモ。
 
大伴|宿奈《スクナ》麻呂宿禰歌二首首  元佐保大納言第三之子也。
 
續紀養老三年、備後守正五位下管2安藝周防二國1と見ゆ。此國より女を貢せし時の歌か。
 
532 打日指。宮爾行兒乎。眞悲見。留者苦。聽去者爲便無。
うちひさす。みやにゆくこを。まがなしみ。とむればくるし。やればすべなし。
 
打日サスは枕詞。マガナシミは、集中カナシキ子ラなど言へるに等しく、愛づる意。マは褒むる詞なり。(108)去るを許すは遣《ヤ》るなれば義をもて聽去と書けり。
 參考 ○留者苦(古)トドムハクルシ(新)略に同じ。
 
533 難波方。鹽干之名凝。飽左右二。人之見兒乎。吾四乏毛。
なにはがた。しほひのなごり。あくまでに。ひとのみるこを。われしともしも。
 
ナゴリは餘波なり。其景色の面白きを愛づる如く、人人の飽かず見るべき妹を、吾は見る事の少なしとなり。卷七、なごの海の朝けのなごりけふもかもいその浦まに亂れてあらむとも詠めり。
 參考 ○人之見兒乎(古)人ノミムコヲ(新)略に同じ。
 
安貴王謌一首竝短歌
 
534 遠嬬。此間不在者。玉桙之。道乎多遠見。思空。安莫國。嘆虚。不安物乎。水空往。雲爾毛欲成。高飛。鳥爾毛欲成。明日去而。於妹言問。爲吾。妹毛事無。爲妹。吾毛事無久。今裳見如。副而毛欲。
とほづまの。ここにあらねば。たまほこの。みちをたとほみ。おもふそら。やすけくなくに。なげくそら。やすからぬものを。みそらゆく。くもにもがも。たかくとぶ。とりにもがも。あすゆきて。いもにことどひ。わがために。いももことなく。いもがため。われもことなく。いまもみしごと。たぐひてもがも。
 
遠ヅマとは、左註に言へる八上采女なり。八上は因幡の郡名なり。そこの前《サキ》の采女を迎へて、愛で給へ(109)るを、本郷へ退けられけるを悲めるなり。タトホミのタは發語。思フソラ歎クソラと言へるは、空の事に有らずして、サマなど言ふ詞に用ひたる事、集中に多し。今俗何何スルソラモナキと言ふに同じ。雲鳥と成りても逢はん事を願ふなり。吾モ事ナクの下、五言一句落ちたるか。但し此體も集中に多ければ元より斯く有りしか。今モ見シゴトは、宣長云、京に在りし時見し如く今もと言ふ意なりと言へり。今本妹毛事無事と有り。一の事は衍字なれば除く。タグヒテモガモは添ひ居て在りなんかしと言ふなり。
 參考 ○安莫國(考、古、新)ヤスカラナクニ ○曇爾毛欲成(代)クモニモナリシガ(考)クモニ「毛欲茂」モガモ(古、新)略に同じ ○高飛(古、新)タカトブ ○鳥爾毛欲成(代)トリニモナリシガ(考、古)トリニモガ「茂」モ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
535 敷細乃。手枕不纏。間置而。年曾經來。不相念者。
しきたへの。たまくらまかず。あひだおきて。としぞへにける。あはぬおもへば。
 
シキタヘノ、枕詞。相の下日の字落ちたるか。アハヌ日オモヘバと有るべき由翁は言はれき。されど結句猶穩かならず。若しくは念の字誤字かと宣長は言へり。猶考ふべし。
 參考○間置而(考)ヘダテオキテ(古)略に同じ(新)ヘダタリテ ○不相念者(古)アハナクモヘバ(新)アヒオモハネバ。
 
(110)右安貴王娶2因幡八上釆女1、係念極甚。愛情尤盛。於v時勅斷2不敬之罪1、退2却本郷1焉。于v是王意悼?。聊作2此歌1也。
 
門部壬戀歌一首
 
536 飫宇能海之。鹽干乃滷之。片念爾。思哉將去。道之永手呼。
おうのうみの。しほひのかたの。かたもひに。おもひやゆかむ。みちのながてを。
 
和名抄出雲國|意宇《オウ》郡あり。そこの海ならん。本は片思と言はん序なり。永手のテはチに通ひて、やがて道なり。これは往來を絶ちて後、出雲の任より歸る時、道にて更に想ひ出でて、詠みて贈れる歌なるべし。
 
右門部王任2出雲守1時。娶2部内娘子1也。未v有2幾時1既絶2往來1。累月之後更起2愛心1。仍作2此歌1贈2致娘子1。
 
高田女王贈2今城王1歌六首
 
卷八の註に高安之女也と有り。
 
537 事清。甚毛莫言。一日太爾。君伊之哭者。痛寸取物。
ことぎよく。いともないひそ。ひとひだに。きみいしなくは。いたききずぞも。
 
末の君伊の伊は下へ付くる助辭。シも助辭。哭は借字。無の意にして、君無くはと言ふなるべけれど、一(111)首解き難し。猶考ふべし。
 參考 ○甚毛莫言(代)イタクモイフナ(考、古、新)略に同じ ○痛寸取物(代)イタキトルモノ (古)「偲不敢物」シヌビアヘヌモノ。
 
538 他辭乎。繁言痛。不相有寸。心在如。莫思吾背。
ひとごとを。しげみこちたみ。あはざりき。こころあるごと。なおもひわがせ。
 
あだし心有りて逢はぬやう思ふ事なかれとなり。卷七、人言をしげみこちたみよどめらばゆゑしもあるごと人の見らくにと載せたり。
 
539 吾背子師。遂當云者。人事者。繁有登毛。出而相麻志呼。
わがせこし。とげむといはば。ひとごとは。しげくありとも。いでてあはましを。
 
シは助辭にて、ワガセコガなり。此歌初めに贈れるなるべし。歌の次第は悉く前後せり。
 
540 吾背子爾。復者不相香常。思墓【墓ヲ基ニ誤ル】。今朝別之。爲便無有都流。
わがせこに。またはあはじかと。おもへばか。けさのわかれの。すべなかりつる。
 
又逢ふ事は有らざらんかと思ひし故かなり。墓今本基に誤る。元暦本に據りて改めつ。
 
541 現世爾波。人事繁。來生爾毛。將相吾背子。今不有十方。
このよには。ひとごとしげし。こむよにも。あはむわがせこ。いまならずとも。
(112) 參考 ○人事繁(考)ヒトゴトシゲミ(古、新)略に同じ。
 
542 常不止。通之君我。使不來。今者不相跡。絶多比奴良思。
つねやまず。かよひしきみが。つかひこず。いまはあはじと。たゆたひぬらし。
 
常に通ひし君も通ひ來ず、使さへ來ぬは、今よりは逢はざらんと、思ひたゆむならんと言ふなり。
 參考 ○常不止(考)トコトハニ(古、新)略に同じ。
 
神龜元年甲子冬十月幸2紀伊國1之時爲v贈2從駕人1所v誂2娘子1笠朝臣金村作歌一首竝短歌。
 
續紀十年辛卯、紀伊へ幸の事見ゆ。
 
543 天皇之。行幸乃隨意。物部乃。八十伴雄與。出去之。愛夫者。天翔哉。輕路從。玉田次。畝火乎見管。麻裳吉。木道爾入立。眞土山。越良武公者。黄葉乃。散飛見乍。親。吾者不念。草枕。客乎便宜常。思乍。公將有跡。安蘇々二波。且者雖知。之加須我仁。黙然得不在者。吾背子之。往乃(113)萬萬。將追跡者。千遍雖念。手弱女。吾身之有者。道守之。將問答乎。言將遣。爲便乎不知跡。立而爪衝。
すめろぎの《おほきみの》。いでましのまに。もののふの。やそとものをと。いでゆきし。うつくしづまは。あまとぶや。かるのみちより。たまだすき。うねびをみつつ。あさもよし。きぢにいりたつ。まつちやま。こゆらむきみは。もみぢばの。ちりとぶみつつ。したしくも。わをばおもはず。くさまくら。たびをよろしと。おもひつつ。きみはあらむと。あそそには。かつはしれども。しかすがに。もだもえあらねば。わがせこが。ゆきのまにまに。おはむとは。ちたびおもへど。たわやめの。わがみにしあれば。みちもりの。とはむこたへを。いひやらむ。すべをしらにと。たちてつまづく。
 
八十伴の男と共にと言ふなり。天飛ブヤは枕詞。輕ノ路は卷一に既に出づ。其歌に、輕の市にわが立ち聞けば玉だすき畝火の山に鳴く鳥の音も聞えず。この音は妹が聲に言ひ懸けたり。然れば輕とウネビは近しと見ゆ。眞土山は大和と紀伊の堺なり。卷九、あさもよしきへ行く君がまつち山と詠めり。今もマツチノ峠と云ふ有りとぞ。吾を親しみ思はずして、幸をかごとに別れて、旅居をよろしき事と思ふとなり。アソソは淺淺にて、君の心の淺淺しきをば知れどもと言ふか。シカスガはサスガに同じ。モダモエアラネバは、物語文にナホアラジニと言ふに等しく、タダニモアラレネバなり。萬萬は音を借り用ふ。道守、次に關守と言へり。同じ事なり。スベヲシラニトとは、セムカタヲ知ラズシテと言ふ意なり。
 參考 ○天皇之(古、新)オホキミノ ○入立(代、新)イリタツ(考、古)イリタチ ○親(考)ムツマジキ(古、新)シタシケク ○吾者不念(考)ワレヲバモハズ(古)アヲバオモハズ(新)ワヲバオモハズ ○客乎便宜常(考)タビヲヨスガト(古、新)略に同じ ○黙然得不在者(考)モダモアリエネバ(古、新)略に同じ ○千遍雖念(古)チタビオモヘドモ(新)略に同じ。
 
(114)反歌
 
544 後居而。戀乍不有者。木國乃。妹背乃山爾。有益物乎。
おくれゐて。こひつつあらずは。きのくにの。いもせのやまに。あらましものを。
 
戀ひつつあらんよりは、妹せの山にて有らば、斯く別るる事は有らじとなり。
 
545 吾背子之。跡履求。追去者。木乃關守伊。將留鴨。
わがせこが。あとふみもとめ。おひゆかば。きのせきもりい。とどめてむかも。
 
木ノ闘守伊と伊を上の句に付くべし。これは志斐伊は申せ、又家なる妹伊、此上にも君伊しなくばの伊に同じく、下へ付くる助辭なり。
 參考 ○將留鴨(古、新)トドメナムカモ。
 
二年乙丑春三月幸2三香原離宮1之時得2娘子1作歌一首竝短歌笠朝臣金村
 
聖武天皇二年五月壬申朔乙亥甕原離宮へ幸あり。ミカノ原は山城國相樂郡なり。笠朝臣金村の五字時の字の下に有るべし。書所例に違へり。此娘子は紀路の遊女ならん。
 
546 三香乃原。客之屋取爾。珠桙乃。道能去相爾。天雲之。外耳見管。言將問。縁乃無者。情耳。咽乍有爾。天地。神祇辭因而。敷細乃。衣手易(115)而。自妻跡。憑有今夜。秋夜之。百夜乃長。有與【與ハ乞ノ誤】宿鴨。
みかのはら。たびのやどりに。たまぼこの。みちのゆきあひに。あまぐもの。よそのみみつつ。こととはむ。よしのなければ。こころのみ。むせつつあるに。あめつちの。かみことよせて。しきたへの。ころもでかへて。おのづまと。たのめるこよひ。あきのよの。ももよのながく。ありこせぬかも。
 
タビノヤドリは、幸の時從駕の人の假菴を言ふ。道ノ行キアヒは離宮へ行く路にて行合ひしを言ふ。アマ雲はヨソにと言はん料なり。ヨソノミ見ツツはヨソニノミと言ふを略けり。コトヨセテは、宣長云、事依《コトヨサシ》と同意にて、神の依《ヨ》せ給ひてと言ふなりと言へり。シキタヘノは枕詞。衣手カヘテは抽サシカヘテと言ふに等し。自妻、オノヅマと訓むべし。卷十四、於能豆麻乎ひとのさとにおきと有り。モモ夜ノ長クは、百夜ノ如クと言ふを略けり。與は乞の誤。アリコセヌカモはアレカシと願ふ辭なり。
 參考 ○神祇辭因而(新)カミコトヨシテ ○自妻跡(代、古、新)略に同じ(考)ワガツマト ○百夜乃長(考)モモヨノナガサ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
547 天雲之。外從見。吾妹兒爾。心毛身副。縁西鬼尾。
あまぐもの。よそにみしより。わぎもこに。こころもみさへ。よりにしものを。
 
心さへ身さへと言はんが如し。モノと言ふ言に、鬼の字を借れるは、史記齊悼惠王世家に、舍人恠v之以爲v物而伺v之。(索隱曰姚氏云物恠物)又和名抄、鬼(安之岐毛乃)など有り。
 
548 今夜之。早開者。爲便乎無三。秋百夜乎。願鶴鴨。
(116)このよらの。はやあけぬれば。すべをなみ。あきのももよを。ねがひつるかも。
 
 參考○今夜之(代)コヨヒノ、又は、コヨヒノヤ(考)コノヨルノ(古、新)略に同じ ○早開者(代、考、古、新) ハヤクアケナバ。
 
五年戊辰大宰少貳石川|足人《タルヒトノ》朝臣遷任餞2于筑前國蘆城驛家1歌三首
 
續紀和銅四年四月丙午朔壬午。授2正六位下石川朝臣足人從五位下1と有り。其外にも見ゆ。
 
549 天地之。神毛助與。草枕。羇行君之。至家左右。
あめつちの。かみもたすけよ。くさまくら。たびゆくきみが。いへにいたるまで。
 
550 大船之。念憑師。君之去者。吾者將戀名。直相左右二。
おほぶねの。おもひたのみし。きみがいなば。われはこひむな。ただにあふまでに。
 
大ブネノは枕詞。コヒムナのナは事を言ひ抑《ヲサ》ふる詞。
 
551 山跡道之。嶋乃浦廻爾。縁浪。間無牟。吾戀卷者。
やまとぢの。しまのうらわ《ま》に。よるなみの。あひだもなけむ。わがこひまくは。
 
大和へ上る度《タビ》なれは斯く言ふにて、島ノウラは筑前志摩郡志摩郷あれば、そこの浦を言ふなるべし。コヒマクハはコヒムはなり。
 參考 ○浦廻(古、新)ウラモ ○縁浪(古、新)ヨスルナミ。
 
(117)右三首作者未v詳。
 
大伴宿禰|三依《ミヨリ》歌一首
 
續紀天平寶字三年五月甲戌朔王午。從五位下大伴宿禰御依爲2仁部少輔1と見ゆ。
 
552 吾君者。和氣乎波死常。念可毛。相夜不相夜。二走良武。
わがきみは。わけをばしねと。おもへかも。あふよあはぬよ。ふたゆきぬらむ。
 
君は女を指す。和氣は自稱詞なりと翁は言はれき。宣長云、すべて人の名又姓のかばねなどにワケと云ふは、尊みたる稱なるに、集中に言へるワケは異にして一種なり。集中のワケは人を賤しめて言ふ稱なり。此歌も君ハ汝ハ死ネトオモフニヤと言ふ意にて、其汝は即ち詠み人の我なれども、あなたの思ふ方より言ふ詞なる故に、汝と言ふ意に當るなり。此卷末にいそしき和氣と【今和ヲ知ニ誤ル】ほめんともあらず、と言へるは右と同じ。卷八、戯奴《ワケ》が爲め吾手もすまに春の野に云云、是れは固より汝が爲めなり。其次に晝はさき云云、吾のみ見むや【今吾ヲ君ニ誤ル】和氣さへに見よと言ふも汝なり。さて此八の卷なる二首は、紀女郎が家持卿へ贈る歌なれば、賤しめて汝とは言ふべくも有らぬを、然か言へるは戯れなり。故に戯奴と書きて戯れなる事を顯はせるものなり。戯れに奴の如く賤しめて言へる意なり。家持卿答へ歌に、吾君にわけは戀ふらし云云、是れはワケと云ふは、我を言へるなれども、紀女郎が歌に、戯れてわざと家持卿をワケと賤しめて言へるを受けて、其ワケとのたまふ我はと言ふ意なり。彼方《アナタ》の戯れの詞(118)を受けて、其ままに言ふ事、今の世にも此類ひ有る事なりと言へり。ワケを自稱としては聞えぬ歌あれば、右の説に由るべし。二《フタ》ユクのユクは、古事記に葦原中國悉闇。因v此而|常夜往《トコヨユク》とあるユクにて、時刻の經行く事なり。卷九、とこしへに夏冬ゆけやなど言ふも、夏と冬と經行くなり。此下にうつせみの世やも二行と有るは、世やは二たび經行くなり。ここのフタユキヌラムは、逢ふ夜と逢はぬ夜と經行くを言ふ。走は誤字なるべしと宣長言へり。若しくは走は去の誤ならんか。三の句のオモヘカモは、オモヘバカの意なり。
 參考 ○二走良武(古)フタツユクラム(新)ナラビユクラム。
 
丹生《ニブ》女王贈2大宰帥大伴卿1歌二首
 
續紀天平勝寶二年七月。從四位上丹生女王授2正四位上1と見ゆ。
 
553 天雲乃。遠隔乃極。遠鷄跡裳。情志行者。戀流物可聞。
あまぐもの。そきへのきはみ。とほけども。こころしゆけば。こふるものかも。
 
ソキヘは祝詞|退立極《ソキタツキハミ》、集中、山ノソキ野ノソキなど言ふと等し。キハミは物のハテを言ふ。トホケドモは遠ケレドモなり。
 參考 ○遠隔乃極(代)ソクヘノキハミ、又は、ソキヘ(考)略に同じ(古)ソクヘノキハミ。
 
554 古。人乃令食有。吉備能酒。痛【痛ハ病ノ誤】者爲便無。貫簀賜牟。
(119)いにしへの。ひとのをさせる。きびのさけ。やめばすべなし。ぬきすたばらむ。
 
古ノ人とは則ち帥卿を指す。ヲサセルは令v飲《ヲサセ》にて、欽む事をもヲスと言へり。酒に言へるは、應神紀の歌に、かめるおほみきうまらにきこしもち塢勢《ヲセ》。キビノ酒は吉備の國より出だせる酒なるべし。或説、から國の陶淵明が傳を引きて、黍《キビ》にて作れる酒を言ふならんなど言へど、吾國にて然《サ》る事も聞えず。貫簀は主殿式三年一請2貫簀一枚1と有るにて、簀を編みて盥の上にかけて、水の散らぬ用意にする物なるを、ここは酒に醉病みて、嘔吐《タグリ》する料にせんと言ふなり。此歌は帥卿の許より、女王へ酒を贈られたるに答へて、戯れに詠める歌なり。醉ひて病めばすべなきに貫簀をも賜はらんと乞ふなり。痛、元暦本に病と有り。
 參考 ○古(古、新)フリニシ(新)略に同じ ○人乃令食有(考)ヒトノメサセル(古)ヒトノタバセル ○賜牟(考)「贈牟」オクラム(古)略に同じ。
 
太宰帥大伴卿贈2大貳|丹比縣《タヂヒノアガタ》【縣ヲ※[糸+頁]ニ誤ル】守《モリノ》卿遷2任民部卿1歌一首
 
續紀和銅三年三月癸卯。從五位下多治比眞人縣守爲2宮内卿1。其外にも見ゆ。
 
555 爲君。釀之待酒。安野爾。獨哉將飲。友無二思手。
きみがため。かみしまちざけ。やすのぬに。ひとりやのまむ。ともなしにして。
 
崇神紀、おほものぬしの介瀰之瀰枳《カミシミキ》と有りて、酒を造るをカムと言ふ。卷十六に、味酒を水に釀《カミ》なし吾待ちしと言ひ、古事記に、其御祖息長帶日賣命釀2待酒1以獻と有りて、古へ人を待つに、殊更に釀《カミ》する(120)を待酒と言へり。ヤスノ野は筑前|夜須《ヤス》郡なり。神功紀元年|層増岐《ソゾキ》野に到りまして、熊鷲を取得給ひて、我心安しとのたまひしより、其所を安《ヤス》と言ふ由見えたり。君が爲め釀みて今日相飲むとも、別れなば獨や飲まんとなり。
 
賀茂女王贈2大伴宿禰三依1歌一首  元故左大臣長屋王之女也。
 
卷八註に、長屋王之女母曰2阿倍朝臣1也と有り。
 
556 筑紫船。未毛不來者。豫。荒振公乎。見之悲左。
つくしぶね。いまだもこねば。あらかじめ。あらぶるきみを。みるがかなしさ。
 
コネバはコヌニと言ふなり。此詞例多し。卷一、みたたしし島をも家と住む鳥も荒備《アラビ》な行きそと詠める如く、アラブルは踈くなる意なるべし。
 參考 ○見之(考、古)ミムガ(新)略に同じ。
 
土師《ハニジ》宿禰|水通《ミミチ》從2筑紫1上v海路作歌二首  傳知れず。
 
557 大船乎。?乃進爾。磐爾觸。覆者覆。妹爾因而者。
おほぶねを。こぎのすすみに。いはにふり。かへらばかへれ。いもによりてば。
 
ススミと言ふもスサミと言ふも同じ。フリはフレなり。故郷の妹に逢はんとて急ぐ心を言へり。テバはタラバなり。
(121) 參考 ○而者(新)テハ。
 
558 千磐破。神之社爾。我揖師。幣者將賜。妹爾不相國。
ちはやぶる。かみのやしろに。わがかけし。ぬさはたばらむ。いもにあはなくに。
 
上の歌を合せ見るに、歸路の海の穩かならずして、日を經るままに詠めるなるべし。タバラムは幣を返し給はれと言ふなり。
 
太宰大監大伴宿禰百代戀歌四首
 
559 事毛無。生來之物乎。老奈美爾。如是戀于毛。吾者遇流香聞。
こともなく。ありこしものを。おいなみに。かかるこひにも。われはあへるかも。
 
オイナミは年|次《ナミ》の次《ナミ》に同じく、やうやう老い行くを言ふ。宣長云、生は在の誤なりと言へり。古訓もアリコシとあれば、字の誤れる事明らけし。何事無くて在り來りしをと言ふ意なり。又生來ならば、アレコシと訓みて、ウマレシヨリと言ふ事とすべけれど、そは善からず。次の郎女の歌に、共に老いたる由を言ひしかば、此時郎女太宰に在るにつけて、百代の戀ひたるなるべし。然れば此次の郎女の歌は答へ歌ならん。
 參考 ○生來之物乎(代、考、古)アレコシモノヲ(新)略に同じ。
 
560 孤悲死牟。後者何爲牟。生日之。爲社妹乎。欲見爲禮。
(122)こひしなむ。のちはなにせむ。いけるひの。ためこそいもを。みまくほりすれ。
 
元暦本、後お時に作る。
 
561 不念乎。思常云者。大野有。三笠社之。神思知三。
おもはぬを。おもふといはば。おほぬなる。みかさのもりの。かみししらさむ。
 
和名抄、筑前大野郡有り。神功紀、熊鷲を撃たんとし給ふ事有りて、御笠風に隨ふ故、其所を御笠と言ふと見ゆ。神シのシは助辭。卷十二、おもはぬをおもふといはば眞鳥住むうなての森の神ぞ知るらむ。
 
562 無暇。人之眉根乎。徒。令掻乍。不相妹可聞。
いとまなく。ひとのまゆねを。いたづらに。かかしめつつも。あはぬいもかも。
 
人に戀ひらるれば、眉の痒《カユ》きと言ふ諺有りて、集中に多し。卷十二にも、いとのきてうすき眉根を徒らに掻かしめつつも逢はぬ人かも。
 參考 ○眉根(古)マヨネ。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
563 黒髪二。白髪交。至耆。如是有戀庭。未相爾。
くろかみに。しろかみまじり。おゆるまで。かかるこひには。いまだあはなくに。
 
郎女未だ老いたる程には有らじを、百代が歌に答ふる故に、斯く白髪交りなどと詠めるものなり。次の(123)歌に據るに、實に逢ひしには有らず。卷十七、ふるゆきの之路髪麻泥爾《シロカミマデニ》と書きたれば、シラカミと訓むは惡ろし。
 參考 ○至耆(代、新)オユルマデ(考)オイタレド(古)オユマデニ
 
564 山菅之。實不成事乎。吾爾所依。言禮師君者。與孰可宿良牟。
やますげの。みのらぬことを。われによせ。いはれしきみは。たれとかぬらむ。
 
山菅は、和名抄、麥門冬(夜麻須介)、實有るものなり。集中、菅の子とりにもと詠めり。ここは唯だ實と言はん爲めのみにて、ナラヌと言ふ詞までは懸からず。所依はヨセと訓むべし。我と事有る由無き名立ちて人に言はれし君は誠は誰に逢ふらんと言ふなり。
 
賀茂女王歌一首
 
565 大伴乃。見津跡者不云。赤根指。照有月夜爾。直相在登聞。
おほともの。みつとはいはじ。あかねさし。てれるつくよに。ただにあへりとも。
 
オホトモノは枕詞。さてミツは難波の御津なるを、やや言ひ馴れ來りて、見ツルと言ふに言ひなしたり。赤ネサシ、枕詞。
 
太宰大監大伴宿禰百代等贈2驛使《ハユマヅカヒニ》1歌二首
 
566 草枕。羈行君乎。愛見。副而曾來四。鹿乃濱邊乎。
(124)くさまくら。たびゆくきみを。うるはしみ。たぐひてぞこし。しかのはまべを。
 
シカノ濱は筑前なり。タグヒテゾコシは、遠く送り來れるを言ふ。
 參考 ○愛兒(代)ナツカシミ、ウルハシミ(考)メヅラシミ(古、新)ウツクシミ。
 
右一首大監大番宿禰百代。
 
567 周防在。磐國山乎。將超日者。手向好爲與。荒其道。
すはうなる。いはくにやまを。こえむひは。たむけよくせよ。あらきそのみち。
 
和名抄、周防玖阿郡石國。
 
右一首小典山口忌寸若麻呂。
 
以?天平二年庚午夏六月。帥大伴卿忽生2瘡脚1。疾苦2枕席1 。因v此馳v驛。上奏望2請庶弟|稻公《イナギミ》姪|胡《エミシ》麻呂欲v語2遺言1者《テヘレバ》。勅2右兵庫助大伴宿禰稻公治部少丞【丞ヲ烝】大伴宿禰胡麻呂兩人1。給v驛發遣令v看【看元省ニ作ル】2卿病1。而※[しんにょう+至]2數旬1幸得2平復1。于時稻公等以2病既療1【療ハ癒ノ誤カ】發v府上v京。於v是大監大伴宿禰百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相2送驛使1。共到2夷守《ヒナモリノ》驛家1聊飲悲v別乃作2此歌1。
 
太宰帥大伴卿被v任2大納言1臨2入v京之時1府官人等餞2卿筑前國蘆城驛家1歌四首 
天平二年十月大納言に任ぜらる。
 
568 三埼廻之。荒礒爾縁。五百重浪。立毛居毛。我念流吉美。
(125)みさき|わ《ま》の。ありそによする。いほへなみ。たちてもゐても。わがもへるきみ。
 
ミサキ廻、地名に有らず。和名抄、汀、水際、平砂也。(和名三左木)廻《ワ》は浦廻島廻の廻の如し。上は立チテモヰテモと言はん序のみ。
 參考 ○三埼廻之(古、新)ミサキミノ。
 
右一首筑前掾門部連|石足《イソタリ》。
 
569 辛人之。衣染云。紫之。情爾染而。所念鴨。
からびとの。ころもそむとふ。むらさきの。こころにしみて。おもほゆるかも。
 
本は心に染むと言はん序のみ。辛は借字にて韓《カラ》なり。又は辛は淑の誤にてヨキ人か。宣長は辛は宇萬二字かと言へり。
 參考 ○辛人之(代)カラビトノ(考)「淑人」ヨキヒトノ(古)「宮人」ミヤビトノ ○染云(代)ソムテフ(古)シムトフ。
 
570 山跡邊。君之立日乃。近付者。野立鹿毛。動而曾鳴。
やまとへ。きみがたつひの。ちかづけば。ぬにたつしかも。とよみてぞなく。
 
大和の方へなり。鹿すらも名殘を惜みて鳴くと言ふなり。今本、近の下付の字を脱せり。元暦本に據りて補へり。
(126) 參考 ○山跡邊(考〕ヤマトベニ(古)ヤマトヘニ(新)略に同じ ○近付者(考)チカケレバ(古)略に同じ。
 
右二首大典|麻田《アサダノ》連陽春。  此名ヤスと訓まんか。續紀、神龜元年五月辛未、正八位上※[塔の旁]本陽春賜2麻田連姓1とあり。
 
571 月夜吉。河音清之。率【率ヲ欒ニ誤ル】此間。行毛不去毛。遊而將歸。
つくよよし。かはのときよし。いざここに。ゆくもゆかぬも。あそびてゆかな。
 
行くとは帥を指す。不去《ユカヌ》は府の官人を言へり。ユカムと言ふをユカナと言ふは例なり。
 參考 ○河音清之(古)カハトサヤケシ。
 
右一首防人佑大伴|四綱《ヨツツナ》。  佑を今本佐に誤れり。
 
太宰帥大伴卿上v京之後沙彌滿誓賜v卿歌二首   賜、元暦本贈と有り。
 
572 眞十鏡。見不飽君爾。所贈哉。旦夕爾。左備乍將居。
まそかがみ。みあかぬきみに。おくれてや。あしたゆふべに。さびつつをらむ。
 
贈の字は借にて後ルルなり。又端詞の轉《ウツ》りて誤れるにも有るべし。左備云云は、心サビシクヲラムなり。
 
573 野干玉之。黒髪變白髪。手裳。痛戀庭。相時有來。
(127)ぬばたまの。くろかみしろく。かはりても。いたきこひには、あふときありけり。
 
前に大伴坂上郎女が、黒髪に白髪まじりと詠める如く、年經ても男女の戀は逢ふ時あるを、此別は再び逢ひ難きを歎くなり。イタキは痛く堪へ難き意なり。
 參考 ○黒髪云云(考、古)クロカミカハリシラケテモ(新)略に同じ。
 
大納言大伴卿和(フル)歌二首
 
574 此間在而。筑紫也何處。白雲乃。棚引山之。方西有良思。
ここにありて。つくしやいづく。しらくもの。たなびくやまの。かたにしあるらし。
 
京に歸りて後答へたるなり。シラクモは後世の如く、不v知《シラズ》と云ふ意に言ひかけたるには非ず。
 
575 草香江之。入江二求食。蘆鶴乃。痛多豆多頭思。友無二指天。
くさかえの。いりえにあさる。あしたづの。あなたづたづし。ともなしにして。
 
草香江、河内なり。本はタヅタヅシと言はん序ながら、鶴の獨り寂しげに立てるさまに比《ヨソ》へたり。タヅタヅシは心もとなき意にて、後の物語ぶみなどに、多くタドタドシと有るに同じ。卷十五、たづが島あしべをさして飛びわたるあなたづたづし獨りさ寢《ヌ》れば。
 
太宰帥大伴卿上v京之後筑後守葛井連大成悲歎作歌一首
 
續紀、神龜五年五月、正六位上葛井連大成授2外從五位下1。其外にも見ゆ。
 
(128)576 從今者。城山道者。不樂牟。吾將通常。念之物乎。
いまよりは。きのやまみちは。さびしけむ。わがかよはむと。おもひしものを。
 
卷八、大伴坂上郎女、今もかも大城の山に云云。卷五、百代が歌、この城の山になど詠めり。太宰府より筑後へ越ゆる道の高山なりとぞ。吾通ハムト云云は、帥卿のもとへ常に通はんとなり。
 參考 ○不樂牟(古、新)サブシケム。
 
大納言大伴卿新袍贈2攝津大夫高安王1歌一首
 
贈の字一本卿の下に有り。此時衣服の製改まれるか。又は新しく縫ひたるを言ふか。
 
577 吾衣。人莫著曾。網引爲。難波壯士乃。手爾者雖觸。
わがころも。ひとになきせそ。あびきする。なにはをとこの。てにはふるとも。
 
吾心ざせる衣なれば、ゆめ外の人などにな得させ給ひそ。たとひ心にかなはずは、其わたりの賤しき男に賜《タ》びて、其れが手に慣らすとも言へり。親しみて謙退するなりと契沖は言へり。然れども穩かならず。宣長云、若しくは雖の下不の字落ちたるか。然らばテニフレズトモと訓むべし。三四の句は、高安王を戯れて言へるなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○吾衣(考)ワガキヌヲ(古、新)略に同じ ○手爾者雖觸(古)テニハフレレド(新)フルレド、又はフレドモ。
 
(129)大伴宿禰三依悲v別歌一首
 
578 天地與。共久。住波牟等。念而有師。家之庭羽裳。
あめつちと。ともにひさしく。すまはむと。おもひてありし。いへのにははも。
 
太宰の任中の屋の庭を上京の時詠めるか。ハモは古今集、水ぐきの岡のやかたに妹と吾れと寢ての朝けの霜の降りはもなど言ふに等しく、更に立ち出でて歎く詞なり。卷二、天地と共にを經んと思ひつつ仕へまつりし心たがひぬと言ふに似たり。
 
金(ノ)明軍與2大伴宿禰家持1歌二首  明軍者大納言卿之資人也。
 
579 奉見而。未時太爾。不更者。如年月。所念君。
みまつりて。いまだときだに。かはらねば。としつきのごと。おもほゆるきみ。
 
カハラネバは、例のカハラヌニと言ふなり。
 
580 足引乃。山爾生有。菅根乃。懃見卷。欲君可聞。
あしびきの。やまにおひたる。すがのねの。ねもころみまく。ほしききみかも。
 
本はネモコロと言はん序のみ。
 
大伴坂上家之大娘報2贈大伴宿禰家持1歌四首
 
581 生而有者。見卷毛不知。何如毛。將死與妹常。夢所見鶴。
(130)いきてあらば。みまくもしらに。なにしかも。しなむよいもと。いめにみえつる。
 
契沖云、今こそ逢ひ難けれ、かたみに長らへば又相見んも知られぬを、などか、吾夢に君が入り來て、斯く逢はで有らんよりは戀ひ死なんと、見えつらんと詠めり。
 
582 丈夫毛。如此戀家流乎。幼婦之。戀情爾。比有目八方。
ますらをも。かくこひけるを。たわやめの。こふるこころに。たぐへらめやも。
 
女の一つ心に戀ふるを言へり。さてタグヘラメヤモは、タグフベケムヤと言ふが如し。卷十一、ますらをはともの騷ぎになぐさむる心もあらむをわれぞくるしき。
 參考 ○比有目八方(考)タグヒアラメヤモ(古、新)略に同じ。
 
583 月草之。徙【徙ヲ今徒ニ誤ル】安久。念可母。我念人之。事毛告不來。
つきくさの。うつろひやすく。おもへかも。わがもふひとの。こともつげこぬ。
 
ツキ草は集中鴨頭草とも書きて、濃縹色の花咲けり。今ツユクサと言ふ物なり。花をもてきぬに摺り附くれば、よく附きて、早く色の變る物なれば、人の心の變り易きに譬ふ。オモヘカモは思ヘバカのバを略けり。心カモと後に言ふが如し。事は借りたるにて言なり。
 
584 春日山。朝立雲之。不居日無。見卷之欲寸。君毛有鴨。
かすがやま。あさたつくもの。ゐぬひなく。みまくのほしき。きみにもあるかも。
 
(131)雲は立居せる物なれば、斯く言へり。さて居ぬ日無きが如くと言ふを略き言へり。
 參考 ○不居日無(新)ヰヌヒナミ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
585 出而將去。時之波將有乎。故。妻戀爲乍。立而可去哉。
いでていなむ。ときしはあらむを。ことさらに。つまごひしつつ。たちていぬべしや。
 
旅だつ時詠めるにや。出でて行く時こそ有らめ、今われを思ふと言ひつつ、出で立ちて行くべき事にはあらぬとなり。
 
大伴宿禰|稻公《イナギミ》贈2田村大孃1歌一首  大伴宿奈麻呂卿之女也。
 
續紀、天平十三年十二月、從五位下大伴宿禰稻君爲2因播守1と見え、上にも帥大伴卿病時、驛使に贈歌の左に庶弟稻公と見えたり。
 
586 不相見者。不戀有益乎。妹乎見而。本名如此耳。戀者奈何將爲。
あひみずは。こひざらましを。いもをみて。もとなかくのみ。こひばいかにせむ。
 
モトナは故由《ユヱヨシ》も無くなり。戀ヒバは行末戀しくはと言ふなり。
 
右一首姉坂上郎女作。 首は云の誤なるべし。
 
笠女郎贈2大伴宿禰家持1歌廿四首
 
(132)587 吾形見。見管之努波世。荒珠。年之緒長。吾毛將思。
わがかたみ。みつつしぬはせ。あらたまの。としのをながく。われもおもはむ。
 
見つつ慕ひ給へとなり。年ノ緒は、玉ノ緒、氣《イキ》ノ緒の緒に等しく、年も長く續くものなるをもて、緒の言を加ふるならん。
 參考 ○將思(古、新)シヌバム。
 
588 白鳥能。飛羽山松之。待乍曾。吾戀度。此月比乎。
しらとりの。とばやままつの。まちつつぞ。わがこひわたる。このつきごろを。
 
白トリノ、枕詞。トバ山、大和の内に有るか。山しろの鳥羽には有らず。本はマチツツと言はん序のみ。
 
589 衣手乎。打廻乃里爾。有吾乎。不知曾人者。待跡不來家留。
ころもでを。うちわのさとに。あるわれを。しらずぞひとは。まてどこずける。
 
衣手ヲ、枕詞。ウチワノ里は、卷十一、神なびの打廻前のいはぶちにと詠みたれば、大和の神なびの邊かと翁は言はれき。宣長云、打廻里の打は折の誤にで、ヲリタムサトと訓むべし。ヲリタムとは、道を折りまはれば至る里にて、いと近き由なり。乃の字は訓を誤りて、傍に附けたるが本文に成れるならん。十一の卷の打廻前も同じく打は折の誤にて、ヲリタムクマなるべし、地名には有らじと言へり。猶考ふべし。
(133) 參考 ○打廻乃里(古)「折」ヲリタムサト ○不知曾(考)シテデゾ(古、新)略に同じ。
 
590 荒玉。年之經去者。今師波登。勤與吾背子。吾名告爲莫。
あらたまの。としのへゆけば。いましはと。ゆめよわがせこ。わがなのらすな。
 
今ハとなり。シは助辭のみ。相離れて年久しきに心ゆるみて、吾名を人に告ぐる事なかれとなり。
 參考 ○年之經去者(考、古、新)トシノヘヌレバ。
 
591 吾念乎。人爾令知哉。玉匣。開阿氣津跡。夢西所見。
わがおもひを。ひとにしらせや。たまくしげ。ひらきあけつと。いめにしみえつ。
 
シラセヤはシラセバニヤなり。下に、劔刀身にとりそふといめに見つ何のさがぞも君にあはむ爲めなど詠めり。昔の言ひ習はしなるべし。
 參考 ○令知哉(考)シラスヤ(古)略に同じ(新)シラスレヤ。
 
592 闇夜爾。鳴奈流鶴之。外耳。聞乍可將有。相跡羽奈之爾。
くらきよに。なくなるたづの。よそのみに。ききつつかあらむ。あふとはなしに。
 
聲のみ聞きて相見ぬに譬へたり。
 參考 ○闇夜爾(代、古、新)ヤミノヨニ ○外耳(考)ヨソニノミ(古)略に同じ。 
593 君爾戀。痛毛爲便無見。楢山之。小松之下爾。立嘆鴨。【鶴ヲ今鴨ニ誤ル】
(134)きみにこひ。いたもすべなみ。ならやまの。こまつがもとに。たちなげきつる。
 
鶴を今本鴨に作る。一本に依りて改む。スベナミはセンカタナサニなり。
 參考 ○小松下爾(考、古)略に同じ(新)コマツガシタニ。
 
594 吾屋戸之。暮陰草乃。白露之。消蟹本名。所念鴨。
わがやどの。ゆふかげぐさの。しらつゆの。けぬかにもとな。おもほゆるかも。
 
夕陰草は草の名にあらず。水陰草、山陰草と言へるに同じく、庭の夕陰の草なり。本は消《ケ》と言はん序のみ。ケヌカニは、消エモ失スルホドニと言ふ意なり。
 
595 吾命之。將全幸【幸ハ牟ノ誤】限。忘目八。彌日異者。念益十方
わがいのちの。またけむかぎり。わすれめや。いやひにけには。おもひますとも。
 
將全幸はマサケムと詠みて、マサキクアラムの意ともすべけれど、元暦本、幸を牟に作るに由りて、マタケムと訓まんかた穩かなり。
 參考 ○將全幸限(代、考)マサケムカギリ(古、新)略に同じ。
 
596 八百日往。濱之沙毛。吾戀二。豈不益歟。奧嶋守。
やほかゆく。はまのまさごも。わがこひに。あにまさらじか。おきつしまもり。
 
ヤホカ往クは、多くの日數を歩み行くと言ふにて、限り無く遠き濱と言ふ意なり。島守は野守、山守など(135)言へる類ひなり。其所のさまに由りて假に島守に問を設くるなり。
 參考 ○沙(古、新)マナゴ。
 
597 宇都蝉之。人目乎繁見。石走。間近君爾。戀度可聞。
うつせみの。ひとめをしげみ。いはばしの。まぢかききみに。こひわたるかも。
 
ウツセミノ、イハバシノは枕詞。
 
598 戀爾毛曾。人者死爲。水瀬河。下從吾痩。月日異。
こひにもぞ。ひとはしにする。みなせがは。したゆわれやす。つきにひにけに。
 
戀にも人は死ぬるものにぞ有るらんとなり。下ユは底ヨリと同じく、人知れず我が戀ひ痩するなり。水ナセ川は、卷十一、水無川又水無瀬川と有り。ここは水の下無の字落ちたるか。是れは地名にあらず、川の水の砂の下をくぐりて、うはべに水の無き川を言ふなり。されば下從《シタユ》と言はん序とせり。
 
599 朝霧之。欝相見之。人故爾。命可死。戀渡鴨。
あさぎりの。おほにあひみし。ひとゆゑに。いのちしぬべく。こひわたるかも。
 
朝ギリは、オホと言はん料のみ。人故ニは、人ナルニと言ふ意なり。
 參考 ○鬱相見之(考)ホノニアヒミシ(古、新)略に同じ。
 
600 伊勢海之。礒毛動爾。因流浪。恐人爾。戀渡鴨。
(136)いせのうみの。いそもとどろに。よするなみ。かしこきひとに。こひわたるかも。
 
本はカシコキと言はん序なり。貴き人を言ふか。又は親しからぬをも言ふべし。
 參考 ○恐人爾(新)カシコクヒトニ。
 
601 從情毛。吾者不念寸。山河毛。隔莫國。如是戀常羽。
こころゆも。あはもはざりき。やまかはも。へだたらなくに。かくこひむとは。
 
心よりは、我は思はざりけりと言ふなり。アハモハザリキと言ひて、後に思ひきやと言ふ意になれり。次に、心ゆもあはもはざりき又更に吾故郷に歸り來むとは、と言ふを合せ見るべし。ヘダタラナクニは、ヘダタラヌニなり。カハのカは清みて訓むべし。山と河と二つを言へばなり。
 參考 ○隔莫國(新)ヘダテナクニカ。
 
602 暮去者。物念益。見之人乃。言問爲形。面景爾而。
ゆふされは。ものもひまさる。みしひとの。こととはすさま。おもかげにして。
 
コトトハスは、モノイフなり。宣長は、コトトフスガタと訓まんと言へり。
 參考 ○言問爲形(代、古、新)コトトフスガタ(考)略に同じ。
 
603 念西。死爲物爾。有麻世波。千遍曾吾者。死變益。
おもふにし。しにするものに。あらませば。ちたびぞわれは。しにかへらまし。
 
(137)シニはすべて死の音と思ふ事なかれ。過去《スギイニ》を約《ツヅ》めたることなり。
 
604 劔大刀。身爾取副常。夢見津。何如之怪曾毛。君爾相爲。
つるぎたち。みにとりそふと。いめにみつ。なにのさがぞも。きみにあはむため。
 
劔ダチ、ここは枕詞に非ず。サガは祥の字の意。是は何のさがぞと問ひを設けて、君に逢はんとてならんと自ら答ふるなり。刀は男の具なれば、其れを身に添ふるは、男に逢はんさとしとすべし。
 參考 ○何如之怪曾(古、新)ナニノシルシゾモ ○君爾相爲(新)キミニアハム「鴨」カモ。
 
605 天地之。神理。無者社。吾念君爾。不相死爲目。
あめつちの。かみしことわり。なくばこそ。わがもふきみに。あはずしにせめ。
 
舒明紀、天神地祇共證v之と有る證を、コトワリタマヘと訓みて、コトワリナクトは祈るしるし無くばと言ふが如し。
 參考 ○神理(新)カミニコトワリ。
 
606 吾毛念。人毛莫忘。多奈和丹。浦吹風之。止時無有。
われもおもふ。ひともなわすれ。おほなわに。うらふくかぜの。やむときなかれ。
 
オホナワの詞心ゆかず。卷十一、アフサワニと言ふ詞とも異なり。くさぐさ考へれど、とかくに誤字なるべし。宣長は旦爾祁丹の誤りにて、アサニケニならんかと言へり。猶考ふべし。
(138) 參考 ○多奈和丹)(古)「有曾海乃」アリソウミノか ○止時無有(新)ヤムトキナシ「爾」ニ。
 
607 皆人乎。宿與殿金者。打禮杼。君乎之念者。寐不勝鴨。
みなひとを。ねよとのかねは。うつなれど。きみをしもへば。いねがてぬかも。
 
ネヨトノ鐘は亥の時なり。天武紀、人定《ヰノトキ》と見ゆ。亥の時に人寢ねて靜まれば然か言へり。イネガテヌカモは、イネカヌルなり。集中、イネガテと言ふも、イネガテヌと言ふも、皆イネカヌルと言ふ一つ言にて、ヌは添ひたる詞のみ。打の下奈の字落ちたるなるべし。金は借字なり。
 參考 ○皆人乎(古)ヒトミナヲ。
 
608 不相念。人乎思者。大寺之。餓鬼之後爾。額衝如。
あひおもはぬ。ひとをおもふは。おほてらの。がきのしりへに。ぬかづくがごと。
 
佛に向ひて、禮拜せば益あらんを、餓鬼の然かも後《シリ》へに拜せんは益無きを、思はぬ人を思ふに譬ふ。卷十六、寺寺の女《メ》餓鬼まをさく云云と有りて、昔は慳貪の惡報を示さん爲めに、伽藍の有る所には餓鬼を作りて置けるなるべしと契沖言へり。
 參考 ○額衝如(古、新)ヌカツクゴトシ。
 
609 從情毛。我者不念寸。又更。吾故郷爾。將還來者。
こころゆも。あはもはざりき。またさらに。わがふるさとに。かへりこむとは。
 
(139)契沖云、さきの歌に、なら山のこ松が下に立ちなげく、と詠めるを思ふに、そこに戀ひも死なずして、打廻の里の故郷まで歸り來んとは思はざりけりと言ふなるべしと言へり。思ふに此歌と次の歌は、左に相別後更來贈とあれば、近く女の來り住めるか。又故有りて遠く隔たりて後、詠みて贈れるなるべし。
 
610 近有者。雖不見在乎。彌遠。君之伊座者。有不勝自。【自ハ目ノ誤】
ちかくあれは、みねどもあるを。いやとほく。きみがいまさば。ありがてましも。
 
ミネドモアルヲは、見ズシテモアラルルヲなり。アリガテマシモは、在リカネムと言ふなり。モは助辭。自は目の誤なり。
 參考 ○近有者(新)チカカラバ。○雖不見在乎(新)ミズトモアラムヲ ○彌遠(考)イヤトホニ(古、新)略に同じ ○君之伊座者(代、新)キミガイマセバ(古)略に同じ(新)アリガツマシジ。
 
右二首相別後更來贈。
 
大伴宿禰家持和(フル)歌二首
 
611 今更。妹爾將相八跡。念可聞。幾許吾胸。欝悒將有。
いまさらに。いもにあはめやと。おもへかも。ここたわがむね。おほほしからむ。
 
アハメヤはアハムヤハ、アハジと言ふ意に言ふ例なり。オモヘカモはオモヘバカモなり。歌の意は今更(140)に相隔たりて逢はざらんと思へばか、そこばく末のおぼつかなさの増さると言ふなるべし。是れは相別れて後贈れる二首の答へなり。
 參考 ○鬱悒將有(考)イブカシカラム(古、新)略に同じ。
 
612 中々者。【者ハ煮ノ誤】黙毛有益呼。何爲跡香。相見始兼。不遂等。【等ハ爾ノ誤】
なかなかに。もだもあらましを。なにすとか。あひみそめけむ。とげざらなくに。
 
者、一本煮に作る。等、一本爾に作る。モダモは物語ふみにナホアラジニと言ふに同じ。唯だに在らんものを、何しに相見初めけんとなり。トゲザラナクニは、トゲザルニなり。是れも別れて後の答へ歌なり。
 
山口女王贈2大伴宿禰家持1歌五首
 
613 物念跡。人爾不所見常。奈麻強。常念弊利。在曾金津流。
ものもふと。ひとにみえじと。なまじひに。つねにおもへど。ありぞかねつる。
 
なまじひに物思ふと見えじと、常に思へども在り堪へぬと言ふなり。
 
614 不相念。人乎也本名。白細之。袖漬左右二。哭耳四泣裳。
あひおもはぬ。ひとをやもとな。しろたへの。そでひづまでに。ねのみしなかも。
 
ナカモはナカムと言ふに同じ。上の人ヲヤのヤの詞を結べり。
 
615 吾背子者。不相念跡裳。敷細乃。君之枕者。夢所見乞。
(141)わがせこは。あひもはずとも。しきたへの。きみがまくらは。いめにみえこそ。
 
せめて枕なりとも夢に見えよと願ふなり。元暦本、夢の下爾を所に作る。
 
616 劔太刀。名惜雲。吾者無。君爾不相而。年之經去禮者。
つるぎだち。なのをしけくも。われはなし。きみにあはずて。としのへぬれば。
 
ツルギダチ、枕詞。卷十二、本は同じくて、末、此比の間の戀のしげきにと有り。
 
617 從蘆邊。滿來鹽乃。彌益荷。念歟君之。忘金鶴。
あしべより。みちくるしほの。いやましに。おもへかきみが。わすれかねつる。
 
本はイヤマシニと言はん序のみ。オモヘカは思ヘバカなり。君を忘れかぬると言ふを、君が云云と言ふは例なり。
 
大神《オホミワノ》女郎贈2大伴宿禰家持1歌一首
 
618 狹夜中爾。友喚千鳥。物念跡。和備居時二。鳴乍本名。
さよなかに。ともよぶちどり。ものもふと。わびをるときに。なきつつもとな。
 
大伴坂上郎女怨恨歌一首并短歌
 
此郎女後に大伴宿奈麻呂の妻と成りて、二女を生めりと見ゆ。卷三、祭神歌など有るを思ふに、此宿奈麻呂につけてくさぐさ物思ひの有りて、是れをも詠めるなるべし。
 
(142)619 押照。難波乃菅之。根毛許呂爾。君之聞四乎【乎ハ手ノ誤】。年深。長四云者。眞十鏡。磨師情乎。縦手師。其日之極。浪之共。靡珠藻乃。云云。意者不持。大船乃。憑有時丹。千磐破。神哉將離。空蝉乃。人歟禁良武。通爲。君毛不來座。玉梓之。使母不所見。成奴禮婆。痛毛爲便無三。夜干玉乃。夜者須我良爾。赤羅引。日母至闇。雖嘆。知師乎無三。雖念。田付乎白二。幼婦常。言雲知久。手小童之。哭耳泣管。徘徊。【徘徊ヲ今俳徊ニ誤ル】君之使乎。待八兼手六。
おしてる。なにはのすげの。ねもころに。きみがきこして。としふかく。ながくしいへば。まそかがみ。とぎしこころを。ゆるしてし。そのひのきはみ。なみのむた。なびくたまもの。かにかくに。こころはもたず。おほぶねの。たのめるときに。ちはやぶる。かみやさけけむ。うつせみの。ひとかさふらむ。かよはせる。きみもきまさず。たまづさの。つかひもみえず。なりぬれば。いたもすべなみ。ぬばたまの。よるはすがらに。あからひく。ひもくるるまで。なげけども。しるしをなみ。おもへども。たつきをしらに。たわやめと。いはくもしるく。たわらはの。ねのみなきつつ。たもとほり。きみがつかひを。まちやかねてむ。
 
オシテル、枕詞。菅は根と言はん料のみ。四の下乎は手の誤なりと宣長言へり。キコシテは、ノタマヒテなり。年深クは、卷三、昔者《イニシヘノ》ふるき堤は年深みとも言ひて、年經るを言ふ。ここは末末長く絶えじと言へばとなり。トギシ心ヲユルシテシは、此下にも同語出でて、すくよかなる心にて有りしを、ゆる(143)べて人に靡きしを言ふ。集中、梓弓引きてゆるさずあらませばかかる戀にはあはざらましをと言ふ心なり。ソノ日ノ極ミは、其日ヨリシテコノカタと言ふが如し。ムタは共ニの古語にて上に出づ。カニカクニ心ハモタズ云云は、浪のままにかなたこなたへ靡く藻の如くには有らで、一すぢに思ひたのむと言ふなり。神ヤサケケムは、我中ヲ神ノ避ケマセシニヤと言ふなり。離の字は、はなす意にて書けり。人カサフラムは、人ノササヘツラムヤなり。アカラ引、枕詞。タワヤメは手弱女にて、女の手力も無く、きびはなるを言ふ。イハマクシルクは、イハムモシルクなり。タワラハは掌にのするばかりの童と言ふなり。如と言ふを略けり。歌の意は初めねもごろに言ひ聞かせし故、一すぢに思ひ頼みて在りしを、男も訪ひ來ず使も見えず成りたれば、せんすべ無くて、よるひる思ひ歎けども其かひも無くして、唯だ立ちもとほりて使の來るをのみや待ちかねてんとなり。
 參考 ○君之聞四乎(代)キミガキコシヲ(古、新)略に同じ○神哉將離(代)カミヤサクラバ(考)カミヤカレケム(古、新)略に同じ ○通爲(代)カヨヒシ(考)カヨハセシ(古)略に同じ(新)カヨハシシ ○幼婦常(考)タヲヤメト(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
620 從元。長謂管。不令恃者。如是念二。相益物歟。
はじめより。ながくいひつつ。たのめずは。かかるおもひに。あはましものか。
 
(144)不の下の念は、令の誤なるべしと契沖言へり。タノメズハはタノマシメズハなり。是れは長歌に、年深ク長クシイヘバマソ鏡トギシ心ヲユルシテシと言ふにあたりて、初めより長くと言ひて頼ませずはと言ふなり。
 
西海道節度使判官|佐伯《サヘキノ》宿禰|東人《アヅマド》妻贈2夫君1歌一首
 
續紀天平四念八月丁酉云云、授2外從五位下1と見ゆ。
 
621 無間。戀爾可有牟。草枕。客有公之。夢爾之所見。
あひだなく。こふれにかあらむ。くさまくら。たびなるきみが。いめにしみゆる。
 
夫が戀ふればにか有らん。夢に見えつるはと言ふなり。
 參考 ○無間(考)ヒマモナク(古、新)略に同じ ○戀爾可(考)コフルニカ(古、新)略に同じ。
 
佐伯宿禰東人和歌一首
 
622 草枕。各爾久。成宿者。汝乎社念。莫戀吾妹。
くさまくら。たびにひさしく。なりぬれば。なをこそおもへ。なこひそわぎも。
 
ナヲコソは妻を指して言ふ。あまりに戀ひ悲む事なかれと慰むるなり。
 
池邊《イケベノ》王宴誦歌一首
 
續紀神龜四年正月。無位池邊王授2從五位下1。大友皇子之孫。葛野王子之。淡海眞人三船之父也と見ゆ。
 
(145)623 松之葉爾。月者由移去。黄葉乃。過哉君之。不相夜多焉。【焉ヲ烏ニ誤ル】
まつのはに。つきはゆつりぬ。もみぢばの。すぎぬやきみが。あはぬよおほみ。
 
ウツルをユツルとも言ふは例なり。モミヂバノは枕詞。過ギヌヤ君ガ云云は、君に逢はぬ夜のあまた過ぎぬるよとなり。上は松を待《マツ》に言ひなして、さて時の見る景色を言へり。焉を今烏に誤る。元暦本に據りて改めつ。
 參考 ○過哉君之(古)スギシヤキミガ(新)スギヌヤキミガ ○不相夜多焉(新)アハヌヨオホク。
 
天皇思2酒人《サカビトノ》女王1御製歌一首 元女王者穗積皇子之孫女也。
 
聖武天皇なり。女王は光仁天皇の皇女。續紀寶龜元年二月己未朔甲子。授2從四位下酒人内親王三品1と見ゆ。
 
624 道相而。咲之柄爾。零雪乃。消者消香二。戀云吾妹。
みちにあひて。ゑまししからに。ふるゆきの。けなばけぬかに。こふとふわぎも。
 
ケヌカニは消ヌルホドニの意。末句解き難し。宣長は云は念の誤にて、コヒオモフワギモならんと言へり。女王の笑みませしを見そなはして、み心を掛け給ふなり。
 參考 ○咲之柄爾(代)エマスガカラニ(考)エミセシカラニ(古、新)略に同じ ○戀云吾妹(考)コフトヘワギモ(古、新)「戀念」コヒモフワギモ。
 
(146)高安《タカヤスノ》王|裹鮒《ツツメルフナ》贈2娘子1歌一首 元高安王者。後賜2姓大原眞人氏1。
 
續紀天平十一年四月甲子、從四位上高安王云云。賜2大原眞人之姓1と見ゆ。
 
625 奧弊徃。邊去伊麻夜。爲妹。吾漁有。藻臥束鮒。
おきべゆき。へにゆきいまや。いもがため。わがすなどれる。もふしつかふな。
 
今ヤは今ヨなり。藻フシツカ鮒は、藻ニ臥セル一ツカホドノ鮒と言ふにて、源氏物語に石臥《イシブシ》と言ふ類ひなり。本は妹が爲めにと漁れるいたづきを言ふのみ。宣長は伊麻夜をイソヤと訓みて、勤《イソシ》の義とせり。猶考ふべし。
 參考 ○邊去(新)ヘヲユキ。
 
八代《ヤシロノ》女王獻2 天皇1歌一首
 
續紀天平寶宇二年十二月丙午。毀2從四位下矢代女王位詑1。以d被v幸2先帝1而改uv志と有り。
 
626 君爾因。言之繁乎。古郷之。明日香乃河爾。潔身爲爾去。
きみにより。ことのしげきを。ふるさとの。あすかのかはに。みそぎしにゆく。
 
一尾云|龍田超《タツタコエ》。三津之濱邊爾《ミツノハマベニ》。潔身四二由久。
 
人の妬み言ふ事の繁きによりてみそぎするとなり。ミソギは既に出づ。
 
娘子報2贈佐伯宿禰赤麻呂1歌一首
 
(147)娘子誰とも知られず、報は衍字か。又前に贈歌有りしが落ちたるか。
 
627 吾手本。將卷跡念牟。大夫者。變水定。白髪生二有。
わがたもと。まかむとおもはむ。ますらをは。なみだにしづみ。しらがおひにたり。
 
マカムは枕ニセムと言ふなり。宣長云、此歌は三一二四五と句を次いでて見るなり。さて四の句の頭へ、我ハと言ふことを添へて心得べしと言へり。誠に然か見ざれば聞えず。戀水は義をもて書く。定はシヅマル意もて借りたり。
 參考 ○生二有(古)オヒニケリ ○(新)此歌解し難し、二句マカムトカオモフ、尾句シラガオヒニタルヲか。
 
佐伯宿根赤麻呂和(ル)謌一首
 
628 白髪生流。事者不念。戀水者。鹿煮藻闕二毛。求而將行。
しらがおふる。ことはおもはず。なみだをば。かにもかくにも。もとめてゆかむ。
 
上の歌を受けて詠めり。娘子がよし白髪おふるとも厭はじ。かにかくに其泪を慕ひ求めて行きて逢はんとなり。
 參考 ○不念(古)オモハズ(新)略に同じ ○求而(代、古、新)略に同じ(考)「定而」シヅミテ。
 
大伴四綱宴席歌一首
 
(148)629 奈何鹿。使之來流。君乎社。左右裳。待難爲禮。
なにすとか。つかひのきつる。きみをこそ。かにもかくにも。まちがてにすれ。
 
此宴に來らぬ人へ贈れるなり。障り有りて來ぬ由の使を何にかせん、君をこそ待てとなり。
 參考 ○奈何鹿(代)ナニシカ(考、古、新)略に同じ ○使之來流(古)ツカヒノキタル(新)略に同じ。
 
佐伯宿禰赤麻呂歌一首
 
630 初花之。可散物乎。人事乃。繁爾因而。止息比者鴨。
はつはなの。ちるべきものを。ひとごとの。しげきによりて。よどむころかも。
 
思ふ女の家に花の木有るが、今は散らんと思へど、人目の憚り有りて止《トド》まれるか。又は思ふ女を花に譬へたるか。
 參考 ○止息比者鴨(考)「止息此者」イコフコノゴロ(古、新)略に同じ。
 
湯原王贈2娘子1歌二首  志貴皇子之子也。
 
631 宇波弊無。物可聞人者。然許。遠家路乎。令還念者。
うはへなき。ものかもひとは。しかばかり。とほきいへぢを。かへすおもへば。
 
此下に、得羽重無《ウハヘナキ》妹にも有るかもとも言へり。仙覺云、うへも無きなり。是れ程の情無《ツレナ》き事は又上も有(149)らじと云ふなり。契沖云、無表邊《ウハベナキ》なり。源氏物語に、唯だうはべばかりの情《ナサケ》にて走り書き、折りふしの答《イラ》へ心得て打し云云、又うはべの情《ナサケ》はおのづからもて附けつべきわざをや云云と有るに同じく、遠き道をつれなく還すは、深き心よりも、先づさしあたりうはべの情《ナサケ》も無しと言ふ心なりと言へり。宣長云、此詞は俗にアイソナキと言ふ意にて、中昔の物語などにアヘナキと言へる言は、批ウハヘナキの轉じたるにて、同じ意に聞ゆと言へり。按ずるに、ウハヘは上重にて、ナキは添ひたる詞ならん。物語にウハヘと言へるも此上重なるべし。心は人は如此《カク》うはへばかりのものにも有るかなと歎くなり。
 參考 ○告還念者(代)カヘラスオモヘバ(考)カヘストオモヘバ(古)カヘセシモヘバ(新)略に同じ。
 
632 目二破見而。手二破不所取。月内之。楓如。妹乎奈何責。
めにはみて。てにはとられぬ。つきのうちの。かつらのごとき。いもをいかにせむ。
 
和名抄に、兼名苑月中有v河。河上有v桂。高五百丈と有り。ここにも早くより言へる事と見ゆ。和名抄楓(乎加豆良)桂(女加豆良)と有りて通じ用ふ。
 參考 ○不所取(古)トラエヌ(新)略に同じ ○月内之(古)ツキヌチノ(新)略に同じ。
 
娘子報贈歌二首
 
633 幾許。思異目鴨。敷細之。枕片去。夢所見來之。
(150)いかばかり。おもひけめかも。しきたへの。まくらかたさる。いめにみえこし。
 
卷五、ゆくふねをふりとどみかね伊加婆加利《イカバカリ》こほしくありけむ、と詠めれば、幾許を斯く訓めり。前の二首は末だ承け引かざりし内にて、此歌は既に逢ひて後なり。卷五、麻久良佐良受提《マクラサラズテ》いめにしみえむ、と有るを思へば、ここも片は不の字にて、マクラサラズテならんと翁は言はれき。宣長云、卷十八、夜床加多古里《ヨトコカタコリ》と有るも、古は左の誤にて、夫の他に在るほどは床を片|避《サ》りて寢《ヌ》るなり。さて此歌も湯原王に逢はで寢《ヌ》る故に、枕を片避りて片わきに寄りて寢《ヌ》る夜に、吾夢に見えしと言ふ意なりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○幾許(代、古、新)略に同じ(考)イクソバク ○枕片去(代、古)マクラカタサル(考)マクラ「不去」サラズテ(新)マクラカタサリ。
 
634 家二四手。雖見不飽乎。草枕。客毛妻與。有之乏左。
いへにして。みれどあかぬを。くさまくら。たびにもつまと。あるがともしさ。
 
次に率《ヰ》タレドモと有れば、引き具して旅屋に隔て居る故、斯くは詠めるならん。是れより四首は旅の歌なり。或人云、與は乃の誤なり。妻は夫にて湯原王を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○客毛妻與(古)タビニモ「妻之」ツマノ(新)略に同じ。
 
湯原王亦贈歌二首
 
635 草枕。客者嬬者。雖率【率ヲ今欒ニ誤ル】有。匣内之。珠社所念。
くさまくら。たびにはいもは。ゐたれども。くしげのうちの。たまとこそおもへ。
 
旅路までひきゐ來たりつれども、匣中の玉の如く愛で思ふとなり。或人云、三の句ヰタラメドと訓むべし。率て來て有るべけれども、匣の中の玉の如き妻にて、いざなひ來りがたしと言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○嬬者(古、新)ツマハ ○雖率(古)ヰタラメド(新)略に同じ。
 
636 余衣。形見爾奉。布細之。枕不離。卷而左宿座。
わがころも。かたみにまたす。しきたへの。まくらからさず。まきてさねませ。
 
マタスは、遣の字を訓めり。カラサズは、離サズなり。又枕ヲサケズとも訓むべし。マキテは纏きてなり。サは發語。是れも旅路ながら隔てぬる故有りて、斯くは詠み給へるか。又或人の説の如くならば、娘子は家に留まりて、衣を形見に遣れるとすべし。
 參考 ○余衣(考)ワガキヌヲ(古、新)略に同じ ○奉(考)マカス(古、新)マツル ○枕不離(新)マクラヲサケズ。
 
娘子復報贈歌一首
 
637 吾背子之。形見之衣。嬬問爾。余身者不離。事不問友。
わがせこが。かたみのころも。つまどひに。わがみはさけじ。こととはずとも。
 
(152)嬬ヲヨバフをツマドヒと言ふ。ここは形見の衣は物言はずとも、吾背と思ひて身放さじと言ふなり。
 
湯原王亦贈歌一首
 
638 直一夜。隔之可良爾。荒玉乃。月歟經去跡。心遮。
ただひとよ。へだてしからに。あらたまの。つきかへぬると。おもほゆるかも。
 
卷十二、うつせみの常のことばと思へども繼ぎてしきけば心遮焉。これをココロハナギヌと訓めり。遮は遮斷の意にて、思ひを止《ト》むる心なるべし。ここは其うらうへなれば、遮の字の上不の字有るべし。心ハナガズと訓まんかと契沖言へり。然れどもナガズと言ふ詞無し。古點の如くオモホユルカモと有るべき歌なり。道別云。所思毳など有りしが斯く心遮二字に誤りたるならんと言へり。
 參考 ○心遮(代)「心不遮」ココロハナガズ(考)ココロサヘギル(古)の一訓ココロマドヒヌ(新)ココロマドヒヌ。
 
娘子復報贈歌一首
 
639 吾背子我。如是戀禮許曾。夜干玉能。夢所見管。寐不所宿家禮。
わがせこが。かくこふれこそ。ぬばたまの。いめにみえつつ。いねらえずけれ。
 
コフレバコソのバを略けり。イネラエズケレは、ネラレザリケレと言ふに同じ。
 
湯原王亦贈歌一首
 
(153)640 波之家也思。不遠里乎。雲居爾也。戀管將居。月毛不經國。
はしけやし。まぢかきさとを。くもゐにや。こひつつをらむ。つきもへなくに。
 
ハシケヤシは愛づる心なり。逢ひて後月は經ねども、くもゐの如《ゴト》遠く隔たりたるここちするとなり。
 
娘子復報贈和(ル)歌一首  目録に和の字無し。
 
641 絶常云者。和備染責跡。燒大刀乃。隔付經事者。幸也吾君。
たゆといはば。わびしみせむと。やきだちの。へつかふことは。よけくやわぎみ。
 
燒太刀ノ、枕詞。ヘツカフは、刀は鞘を隔て身に着く物なるに譬ふ。下に奈何好去哉吾妹《イカニヨケクヤワギモ》とも有れば、ここもヨケクと訓む意を得て幸とは書けるか。されど歌の意穩かならず。宣長云、或人言ふ、幸は辛の誤にて、カラシヤと訓むべし。ヘツカフは絶えもせず逢ひもせぬを言ふと言へり。
 參考 ○絶常云者(代、古、新)略に同じ(考)タユトイヘバ ○幸也吾君(古)「苛」カラシヤワギミ(新)ヨケクヤワガキミ。
 
湯原王歌一首
 
642 吾妹兒爾。戀而亂在。【在ハ者ノ誤】久流部寸二。懸而縁與。余戀始。
わぎもこに。こひてみだれば。くるべきに。かけてよせむと。わがこひそめし。
 
在は者の誤なるべし。和名抄云、辨色立成反轉(久流閉枳)漢語鈔説同。?車唐韻云、?(訓、久流)絡(154)糸取也。(異本、取の下絲の字有り)など有り。戀ひ戀ひて思ひ亂るる心を絲に譬へて、くるべきに懸けて妹が方へ寄せんとこそ戀ひ始めつれとなり。
 參考 ○戀而亂在(代)コヒテミダレリ(老)コヒテミダレレ(古、新)略に同じ ○懸而縁與(代、考)カケテヨラント(古、新)略に同じ。
 
紀郎女怨恨歌三首  鹿人大夫之女名曰2小鹿1。安貴王之妻也。
 
643 世間之。女爾思有者。吾渡。痛背乃河乎。渡金目八。
よのなかの。をみなにしあらば。わがわたる。あなせのかはを。わたりかねめや。
 
初めは世の常の女ならばと言ふ意なり。アナシと言ふは有れど、アナセと言へる所を聞かず。集中、卷《まき》むくの痛足川と詠めれば、背は足の誤にてアナシか、又は廣背の誤にてヒロセか。廣瀬川は卷七に詠めり。宣長は吾は君の誤りにて、キミガワタルなるべしと言へり。猶考ふべし。次の二首を合せ見るに、夫に離るる事有りて詠める歌と見ゆ。
 參考 ○女爾思(古)メニシ(新)略に同じ ○吾渡(古)「直渡」タヾワタリ(新)略に同じ○痛背乃河乎(考)「疣」イモセノカハヲ(古)アナ「足」シノカハヲ(新)略に同じ。
 
644 今者吾羽。和備曾四二結類。氣乃緒爾。念師君乎。縱左【左ハ久ノ誤】思者。
いまはあは。わびぞしにける。いきのをに。おもひしきみを。ゆるさくおもへば。
 
(155)イキノヲは命を言ふ。ユルサクは、ユルスを延べ言ふにて、ゆるべ放つ意なり。眞名伊勢物語に、左をトの假字に用ひたり。左手を外《ト》テ、右手をカクテと言へばなり。されば今もユルストオモヘバとも訓むべけれど、一本左を久に作れれば、左は誤にて、一本に據るべく覺ゆ。
 參考 ○縱左思者(代)ユル「左久」サク(考)ユルストオモヘバ(古)ユル「左久」サクモヘバ(新)ユルサク。
 
645 白細乃。袖可別。日乎近見。心爾咽飯。哭耳四所泣。
。【泣ヲ流ニ誤ル】
しろたへの。そでわかるべき。ひをちかみ。こころにむせび。ねのみしなかゆ。
 
泣、今流と有り。一本に據りて改めつ。飲、元暦本飯に作る。四の句ムネニムセビテにても有らんかと、宣長は言へり。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
646 大夫之。思和備乍。遍多。嘆久嘆乎。不負物可聞。
ますらをの。おもひわびつつ。たびまねく。なげくなげきを。おはぬものかも。
 
タビマネクは既に言へり。わが歎きを、妹が思ふまじきやとなり。物語ぶみに、恨みを負ふなども言へり。
 參考 ○遍多(考)アマタタビ(古、新)略に同じ。
 
(156)大伴坂上郎女歌一首
 
647 心者。忘日無久。雖念。人之事社。繁君爾阿禮。
こころには。わするるひなく。おもへども。ひとのことこそ。しげききみにあれ。
 
左註に云ふ如く、近親の贈答ならば、末の意は如何なる事有りて斯く詠めるにか知られず。事は言なり。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
648 不相見而。氣長久成奴。比日者。奈何好去哉。言借吾妹。
あひみずて。けながくなりぬ。このごろは。いかによけくや。いぶかしわぎも。
 
ケ長クは上に多く出でり。ヨクを延べてヨケクと言ふ。ヨケクは平安なりやと問ふなり。集中|幸《サキ》クと言ふに同じ。契沖云、去は在の誤か。齊明紀、好在と書きて、サキクハベリヤと訓めりと言へり。言借は借字にて、心は訝《イブ》かるなり。
 參考 ○好去哉(代) ヨクユケヤ(考)略に同じ(古、新)サキクヤ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
649 夏葛之。不絶使乃。不通有者。言下有如。念鶴鴨。
なつくずの。たえぬつかひの。よどめれば。ことしもあるごと。おもひつるかも。
 
宣長云、夏は蔓の誤にて、ハフクズノならんと言へり。タエヌと續く枕詞なり。絶えず來りし使の此頃(157)通はねば、何事か有るやうに思へりとなり。言は事、シモは助辭。
 參考 ○夏葛之(古、新)「蔓」ハフクズノ ○不通有者(代)カヨハザレバ(考)カヨハネバ(古、新)略に同じ。
 
右坂上郎女者。佐保大納言卿之女也。駿河麻呂此【者ノ誤カ】高市大卿之孫也。兩卿兄弟之家女孫|姑姪《ヲバメヒ》之族。是以題v歌送答相2問起居1。 佐保大納言は安麻呂卿、大卿は高市麻呂卿なり。
 
大伴宿禰三依離復相歡歌一首  歡今本歎とあり。目録及元暦本に據りて改めつ。
 
650 吾妹兒者。常世國爾。住家良思。昔見從。變若益爾家利。
わぎもこは。とこよのくにに。すみけらし。むかしみしより。わかえましにけり。
 
ワギモコは、大伴坂上郎女を指す。ワカエは若ガヘル事なり。
 參考 ○變若益爾家利(古、新)ヲチマシニケリ。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
651 久堅乃。天露霜。置二家里。宅有人毛。待戀奴濫。
ひさかたの。あめのつゆじも。おきにけり。いへなるひとも。まちこひぬらむ。
 
ツユジモは、暮秋薄く置く霜を言へり。シの言濁るべし。是れは太宰にての歌ならん。家なる人は、駿河麻呂の妻を言ふなるべし。
 
(158)652 玉主爾。珠者授而。勝且毛。枕與吾者。率二將宿。
たまぬしに。たまはさづけて。かつがつも。まくらとわれは。いざふたりねむ。
 
宣長は玉主、タマモリと訓むべし。カツガツモは、初句の上に有る意なり。玉は女《ムスメ》を譬へ、玉守は駿河麻呂を譬へたり。吾女をば駿河麿へかつがつも渡して、吾は枕と二人寢んとなり。今までは女をかたはらに寢させたる故に、斯く詠めるなり。さてカツガツの詞は、古事記神武條、加都加都母伊夜佐岐陀弖流延袁麻加牟《カツカツモイヤサキダテルエヲシマカム》と有りて、且つ且つにて、事の未だ慥ならず、はつはつなるを言ふ詞なり。例へば且つ且つ見ゆるとは、さだかには見えず、はつはつに見え初むるを言ふ。そは慥に見ゆると未だ見えざるとの中らなる故に、且つ見え且つ見えずと言ふ意にて、且つ且つと重ね言ふなるべし。此歌は且つ且つも玉主に玉をば授けてと言へるにて、未だうけばりて授け畢りぬるには有らざれども、先づはつはつに授け初めたる意なりと、傳に委しく言へり。
 參考 ○玉主爾(古、新)タマモリニ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌三首
 
653 情者。不忘物乎。儻。不見日數多。月曾經去來。
こころには。わすれぬものを。たまたまも。みざるひまねく。つきぞへにける。
 
タマタマは思ヒカケズ不意ニなり。さて相見ぬ日の多くて月を經ぬるとなり。マネクの詞は、卷一に委(159)しく言へり。
 參考 ○不見日數多(代)アマタニ(古、新)ミヌヒサマネク。
 
654 相見者。月毛不經爾。戀云者。乎曾呂登吾乎。於毛保寒毳。
あひみては。つきもへなくに。こふといはば。をそろとわれを。おもほさむかも。
 
卷十四、からすとふ於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》まさでにもきまさぬきみをころくとぞなく。今僞言云ふを宇曾と言へり。古へは乎曾と言へるなるべし。呂《ロ》は等《ラ》に同じく添ひたる辭なり。
 
655 不念乎。思常云者。天地之。神祇毛知寒。邑禮左變。
おもはぬを。おもふといはば。あめつちの。かみもしらさむ。
 
末の句をサトレサカハリと訓みて、管見抄の説を契沖も採れれど、斯かる詞は無き事なり。字の誤れるならん。試みに言はば、ウタガフナユメなど言ふ句有るべきなり。寒はサムの假字に上にも用ひたれば、シラサムと訓むべし。結句は猶考ふべし。上におもはぬをおもふといはば大野なる三笠のもりの神ししらさむ。卷十二にも似たる歌有り。
 參考 ○邑禮差變(考)「歌伺名齋」ウタガフナユメ(古)「言借名齋」イブカルナユメ。
 
大伴坂上郎女歌六首
 
656 吾耳曾。君爾者戀流。吾背子之。戀云事波。言乃名具左曾。
(160)われのみぞ。きみにはこふる。わがせこが。こふとふことは。ことのなぐさぞ。
 
コフトフは戀フトイフ事ハなり。ナグサは心を和《ナゴ》すより出でたる詞にて、吾心を慰めんとてぞと言ふなり。
 
657 不念常。曰手師物乎。翼酢色之。變安寸。吾意可聞。
おもはじと。いひてしものを。はねずいろの。うつろひやすき。わがこころかも。
 
ハネズは、天武紀十四年秋七月、淨位以上並朱華を着る由ありて、朱華、ここには波泥孺《ハネズ》と言ふと註せり。卷八、唐棣花を詠める由端詞ありて、夏まけて咲きたる波禰受ひさかたの雨打降らばうつろはむかもと詠めり。卷十一にも見ゆ。或人今俗に庭梅と言ふ物なりと言へり。春夏の間に赤き花開けり、是れならん。思はじと言ひて、又戀ふるも心の變《ウツロ》ふなり。
 
658 雖念。知僧裳無跡。知物乎。奈何幾許。吾戀渡。
おもへども。しるしもなしと。しるものを。なぞここばくも。わがこひわたる。
 
僧は信の誤なるべし。
 參考 ○知僧(考)「知倍」シルベ(古、新)略に同じ ○奈何幾許(代、新)ナニカココバク(考)ナゾイクバクモ(古)イカデココバク。
 
659 豫。人事繁。如是有者。四惠也吾背子。奧裳何如荒海藻。
あらかじめ。ひとごとしげし。かくしあらば。しゑやわがせこ。おくもいかにあらめ。
 
(161)シヱヤはヨシヤと見ては此歌聞えず、歎息の聲なり、と宣長は言へり。かねてより人の言ひ騷げば、末も如何があらんと言ふなり。コソと言はずしてメと留むるは如何がなれども、アラムと言ふをアラメ、戀ヒムヤと言ふをコヒメヤなど言ふは集中に例多し。
 參考 ○豫(考)カネテヨリ(古、新)略に同じ ○如是有者(代、新)カクシアレバ(考、古)略に同じ ○奧裳何如荒海藻(考)オクモイカガアラメ(古、新)略に同じ。
 
660 汝乎與吾乎。人曾離奈流。乞吾君。人之中言。聞起名湯目。
なをとわを。ひとぞさくなる。いでわぎみ。ひとのなかごと。ききこすなゆめ。
 
なんぢと我れとをなり。イデは乞ふ意、キキコスナは聞く事なかれと願ふ言葉なり。卷十一、戀する道にあひこすなゆめ、又絶ゆとふことをありこすなゆめと詠めり。起はオコスのオを略きて假字に用ひたり。又越の誤か。
 參考 ○汝乎與吾乎(新)乎を衍としてナレトワヲ○乞吾君(代)イデアガキミ(古)略に同じ(新)イデワガキミ ○聞起(代)キキタツ(考)キキコソ、又はキキタツ(古、新)略に同じ。
 
661 戀戀而。相有時谷。愛寸。事盡手四。長常念者。
こひこひて。あへるときだに。うるはしき。ことつくしてよ。ながくともはば。
 
事は言なり。末句は長く逢はんと思はばなり。
(162) 參考 ○愛寸(代)ナツカシキ、ウルハシキ、オモハシキ(考)ウツクシキ(古)略に同じ。
 
市原王歌一首
 
662 網兒之山。五百重隱有。佐堤乃埼。左手蠅師子之。夢二四所見。
あごのやま。いほへかくせる。さでのさき。さではへしこが。いめにしみゆる。
 
アゴノ山は、志摩|英虞《アゴノ》郡の山なるべし。卷六、河口行宮に幸《ミユキ》の時の歌に、おくれにし人をおもはく四泥能崎《シデノサキ》と詠めり。宣長云、神名帳伊勢朝明郡に、志?《シデ》神社あり、今もしで崎と言ふ。さて此處の佐堤の佐は信か詩の誤にて、此處もシデノサキなるべしと言へり。サデは和名抄、?(佐天)と有り。其崎にて魚とる業する女を思ひ出でて詠めるなるべし。
 參考 ○子之(考)コノ(古、新)略に同じ。
 
安部宿禰|年足《トシタリ》歌一首
 
目録に部を都に作る。安部はかばね朝臣なれは安都なるべし。續紀慶雲元年二月、從五位上上(ノ)村主百濟に阿刀連の姓を賜ふと有りて、養老三年五月阿刀連人足に宿禰姓を賜はりし事見ゆ。年足は知られず。
 
663 佐穗度。吾家之上二。鳴鳥之。音夏可思吉。愛妻之兒。
さほわたり。わぎへのうへに。なくとりの。こゑなつかしき。はしきつまのこ。
 
大和の佐保を渡りて來るなり。ワギヘは吾ガイヘなり。本は聲ナツカシキと言はん序のみ。又四の句コヱ(163)ナツカシエとも訓まんか。エはヨと言ふに同じ。
 
大伴宿禰|像見《カタミ》歌一首
 
續紀、天平寶字八年十月正六位上大伴稱禰形見授2從五位下1と兒ゆ。
 
664 石上。零十方雨二。將關哉。妹似相武登。言義之鬼尾。
いそのかみ。ふるともあめに。さはらめや。いもにあはむと。いひてしものを。
 
イソノカミ、枕詞。けふ逢はんと妹に言ひ契りしかば、雨も厭はざらんと言ふなり。義は羲の誤なる事前に言へり。
 參考 ○將關哉(古)ツツマメヤ(新)略に同じ。
 
安倍朝臣蟲麻呂歌一首
 
續紀、天平九年九月正七位上阿部朝臣虫麿授2外從五位下1と見ゆ。
 
665 向座而。雖見不飽。吾妹子二。立離往六。田付不知毛。
むかひあて。みれどもあかぬ。わぎもこに。たちわかれゆかむ。たづきしらずも。
 
左註を見るに、大伴坂上郎女へ戯れに詠みて贈りしなり。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
666 不相見者。幾久毛。不有國。幾許吾者。戀乍裳荒鹿。
(164)あひみぬは。いくばくひさも。あらなくに。ここばくわれは。こひつつもあるか。
 
 參考 ○不相見者(古)アヒミズ「而」テ(新)略に同じ ○幾久毛(考)イクヒサシクモ(古、新)略に同じ ○幾許吾者(考)イクソバクアハ(古)ココダクアレハ(新)略に同じ。
 
667 戀戀而。相有物乎。月四有者。夜波隱良武。須臾羽蟻待。
こひこひて。あひたるものを。つきしあれば。よはこもるらむ。しましはありまて。
 
夜ハコモルとは、物語文に年若き人を世ゴモレルと言へる如く、夜の末の殘れるを言ふ。卷三、卷九の、くらはしの山を高みか夜隱りに出で來る月の、と詠めるは、夜と成りて出づる月を言ひて、こことは少し異なり。シマシハアリマテは、暫く持ちて有れと言ふなり。
 參考 ○須臾羽(考)シバシハ(古、新)略に同じ。
 
右大伴坂上郎女之母石川内命婦與2安部朝臣蟲滿之母安曇外命婦1同居姉妹。同氣之親焉。縁v此郎女蟲滿相見不v踈。相談既密。聊作2戯歌1以爲2問答1也。
 
厚見《アツミノ》王歌一首
 
續紀、天平勝寶元年四月授2無位厚見王從五位下1と見ゆ。
 
668 朝爾日爾。色付山乃。白雲之。可思過。君爾不有國。
あさにけに。いろづくやまの。しらくもの。おもひすぐべき。きみにあらなくに。
 
(165)色付山は秋の黄葉を言へり。本は見飽かぬ譬に言へり。オモヒ過グベキは思ひを遣り過すべきなり。心は、見あかぬ妹故に我が思ひを遣り過さん方無く思ふとなり。此末、かくしのみ戀ひやわたらむ秋津野にたな引く雨の過ぐとは無しに。
 參考 ○朝爾日爾(古、新)アサニヒニ。
 
春日《カスガノ》王歌一首  元志貴皇子之子母曰2多紀皇女1也
 
669 足引之。山橘乃。色丹出與。語言繼而。相事毛將有。
あしびきの。やまたちばなの。いろにでて。かたらひつぎて。あふこともあらむ。
 
式、大嘗會供物註文に山橘子と有り。今ヤブカウジとて赤き實なる物なり。色に出でてと言はん序のみ。カタラヒツギテは、妹をもて言ひ繼がんと言ふ意とも聞ゆれども穩かならず。宣長云、四の句此ままにては結句にかなはず。言は者の誤にて、カタラバツギテならんと言へり。
 參考 ○語言繼而(古、新)「語者」カタラバツギテ。
 
湯原王歌一首
 
670 月讀之。光二來益。足疾乃。山寸隔而。不遠國。
つきよみの。ひかりにきませ。あしびきの。やまをへだてて。とほからなくに。
 
月ヨミは月夜持の意にて、紀に月弓尊、月夜見尊など書けり。ここはやがて月の事に言へり。山も隔て(166)ず道遠からぬになり。
 參考 ○月讀之(古、新)ツクヨミノ。
 
和《コタヘ》歌一首 元不v審2作者1、
 
671 月讀之。光者清。雖照有。惑情。不堪念。
つきよみの。ひかりはさやに。てらせれど。まどへるこころ。たへじとぞおもふ。
 
月の光には道は惑はじを、心の惑ひは晴るけあへじとなり。
 參考 ○光者清(古、新)ヒカリハキヨク ○惑情(考)マドフココロハ(古)略に同じ(新)「情惑」ココロゾマドフ ○不堪念(古)タヘジトゾモフ(新)タヘヌオモヒニ。
 
安倍朝臣蟲麻呂歌一首
 
672 倭文【文ヲ父ニ誤ル】手纒。數二毛不有。壽持。奈何幾許。吾戀渡。
しづたまき。かずにもあらぬ。いのちもて。なにかもここた。わがこひわたる。
 
シヅタマキ、枕詞。壽は身の草書より誤れるにて、ミヲモチテならん。又吾身二字の誤にて、ワガミモテにても有るべし。卷五、しづたまき數にもあらぬ身二波在等と同じ續けざまなり。
 參考 ○壽持(考)「身持」ミヲモチテ(古)「吾身持」ワガミモチ(新)ミヲモチテ ○奈何幾許(代、新)ナニカココバク(考)ナゾイクソバク(古)イカデココダク。
 
(167)大伴坂上郎女歌二首
 
673 眞十鏡。磨師心乎。縱者。後爾雖云。驗將在八方。
まそかがみ。とぎしこころを。ゆるしては。のちにいふとも。しるしあらめやも。
 
此卷上に同じ人の長歌に、此本と全く同じ句有り。すくよかなる心をゆるべて人に靡く意なり。ノチニイフトモは、後悔ゆるともの意なり。
 參考 ○驗將在八方(考)シルシアラメヤモ(古、新)略に同じ。
 
674 眞玉付。彼此兼手。言齒五十戸常。相而後社。悔二破有跡五十戸。
またまつく。をちこちかねて。ことはいへど。あひてのちこそ。くいにはありといへ。
 
マ玉ツク、枕詞。ヲチコチは今と後とを言ふ。男の方より今も後も變らじと言へども、逢ひての後悔ゆる事もこそ有らめとなり。悔の下二の字は衍字か。
 參考 ○言齒五十戸常(考、新)略に同じ(古)イヒハイヘド ○悔二破(古、新)クイハ。
 
中臣女郎贈2大伴宿禰家持1歌五首
 
675 娘子部四。咲澤二生流。花勝見。都毛不知。戀裳摺可聞。
なみなべし。さきさはにおふる。はながつみ。かつてもしらぬ。こひもするかも。
 
ヲミナベシはサキと言はん爲めのみ。咲澤は地名なるべし。春日にサキ山サキ野有り、若し其處ならんか。(168)花ガツミは、和名抄、酢漿(加太波美)、是れと同じ類ひにて水に生ふる物なり。四ひらにて葉則ち花の如くなれは、花がつみと言ふならんと翁は言はれき。されど花と言ふべくも無き物なり。陸奧にて今花菖蒲に似て花の四ひらなる物をカツミと言へり。是れぞまことの物なるべき。さてカツテと言はん序なり。末は今まではかつて知らぬ戀すると言ふ意なり。都の字を用ひたるは、契沖が云く、都はスベテと言ふ意を以て、紀にフツニと訓めり。世にひたすら見ず聞かずと言ふを、ふつに見ず聞かず、かつて見ず聞かずなど意ふ同じ心の詞なりと言へり。
 參考 ○不知(考)シラズ(古、新)略に同じ。
 
676 海底。奧乎深目手。吾念有。君二波將相。年者經十方。
わたのそこ。おきをふかめて。わがもへる。きみにはあはむ。としはへぬとも。
 
初めは深メテと言はん料のみ。
 
677 春日山。朝居雲乃。鬱。不知人爾毛。戀物香聞。
かすがやま。あさゐるくもの。おほほしく。しらぬひとにも。こふるものかも。
 
一二の句はオホホシクと言はん序のみ。オホホシクは、おぼつかなき意なり。
 
678 直相而。見而者耳社。霊尅。命向。吾戀止眼。
ただにあひて。みてばのみこそ。たまきはる。いのちにむかふ。わがこひやまめ。
 
(169)直ちに逢ひ見てあらばなり。玉キハル、枕詞。命ニムカフは命トヒトシキと言ふが如し。乞をコソと訓む故に、社には物を祈り乞ふ由にて、コソの言に社の字を借れるにや。
 
679 不欲常云者。將強哉吾背。菅根之。念亂而。戀管母將有。
いなといはば。しひめやわがせ。すがのねの。おもひみだれて。こひつつもあらむ。
 
吾背子が否と言はば我れ如何で強ひて言はんや、吾獨り思ひ亂れて有らんとなり。スガノネノ、枕詞。
 參考 ○將強哉(代、古、新)シヒメヤ(考)シヒムヤ。
 
大伴宿禰家持與2交遊1別歌三首  目録には別の上久の字有り。
 
680 盖毛。人之中言。聞可毛。幾許雖待。君之不來益。
けだしくも。ひとのなかごと。きけるかも。ここたまてども。きみがきまさぬ。
 
ケダシクモはモシモと言ふ意なり。男友どちを戀ふるなり。
 參考 ○聞可毛(古、新)キカセカモ ○幾許雖待(考)――マテドモ(古)ココタクマテド(新)兩訓。
 
681 中中爾。絶年云者。如此許。氣緒爾四而。吾將戀八方。
なかなかに。たえむとしいはば。かくばかり。いきのをにして。わがこひめやも。
 
中中はカヘリテと言ふ程の事なり。交を絶んとも無ければ、命の限り戀ふるとなり。
(170) 參考 ○絶年云者(考)タユルトシイハバ(古、新)タユトシイハバ。
 
682 相【相ヲ將ニ誤ル】念。人爾有莫國。懃。情盡而。戀流吾毳。
あひおもふ。ひとにあらなくに。ねもころに。こころつくして。こふるわれかも。
 
相を今將に作るは誤れり。一木に據りて改めつ。
 參考 ○相念(古)オモフラム(新)略に同じ。又は「將相思」アヒオモハムか。
 
大伴坂上郎女歌七首
 
683 謂言之。恐國曾。紅之。色莫出曾。念死友。
いふことの。かしこきくにぞ。くれなゐの。いろにないでそ。おもひしぬとも。
 
カシコキはオソロシキにて、人言のさがなき國ぞと言ふなり。拾遺集に、ここにしも何匂ふらむ女郎花人の物言ひさがにくき世に、と詠めるも同じ。紅《クレナヰ》は色に出づと言はん料のみ。
 參考 ○謂言之(古、新)モノイヒノ。
 
684 今者吾波。將死與吾背。生十方。吾二可縁跡。言跡云莫苦荷。
いまはわは。しなむよわがせ。いけりとも。われによるべしと。いふといはなくに。
 
イフトイハナクニは、すべて、言ふ、思ふ、と云ふ言を添へて言ふ例多し。ここも然り。唯だ吾に由るべしと言はぬになり。集中思ふを添へて言ふ例は、ワスレテオモヘヤと言ふも、唯だワスレムヤと言ふな(171)り。又雖の字をイヘドモ、イフトモなど訓むも、唯だドモにて、イフは添へたる詞のみなり、と宣長言へり。
 
685 人事。繁哉君乎。二鞘之。家乎隔而。戀乍將座。
ひとごとを。しげみやきみを。ふたさやの。いへをへだてて。こひつつをらむ。
 
二サヤは二重に圍みたる家を言ふか。今ひとやのさやと言ふも然り。人のさがなさに障《ササ》へられて、逢ひ難きに譬へしなるべし、と翁は言はれき。宣長はフタサヤは隔《ヘダテ》の枕詞なり。家には關はらずと言へり。猶考ふべし。
 
686 比者。千歳八徃裳。過與。吾哉然念。欲見鴨。
このごろに。ちとせやゆきも。すぎぬると。われやしかもふ。みまくほれかも。
 
別れては久しからぬを、千とせも過ぐる心地するは、わが見まく欲りする心より斯く思ふにかとなり。ホレカモは、ホレバカのバを略けり。卷十一、卷十四に、相見ては千とせや徃《イ》ぬる云云。
 參考 ○比者(古、新)コノゴロハ ○千歳八云云(代)チトセハユキモスギヌルカ(考、古)略に同じ(新)チトセヤユキモスギニシト○欲見鴨(古)ミマクホリカモ(新)略に同じ。
 
687 愛常。吾念情。速河之。雖塞塞友。猶哉將崩。
うつくしと。わがもふこころ。はやかはの。せきとせくとも。なほやくづれむ。
 
(172)早河を塞《セ》きに塞けども、塞き敢へず崩るるを、我が戀ふる心を鎭《シヅ》め敢へぬに譬ふ。將崩、クエナムと訓むべし。
 參考 ○愛常(古)ウルハシト(新)略に同じ ○雖塞塞友(代)セクトモセクトモ(古)セキハセクトモ(新)略に同じ ○將崩(古)クエナム(新)クヅレム、又はクエナム。
 
688 青山乎。横※[殺の異体字]雲之。灼然。吾共咲爲而。人二所知名。
あをやまを。よこぎるくもの。いちじろく。われとゑまして。ひとにしらゆな。
 
青山、地名に有らず。青き山に白き雲のたなびきて、色のけぢめ著《シ》るき如く、吾に對ひ笑みて、人に其れと知らるなとなり。※[殺の異体字]は※[殺の異体字]の誤なり。※[殺の異体字]は殺の俗字。
 
689 海山毛。隔莫國。奈何鴨。目言乎谷裳。幾許乏寸。
うみやまも。へだたらなくに。なにしかも。めごとをだにも。ここたともしき。
 
目ゴト云云は見る事すら稀なりと言ふなり。言は借字のみ。卷二、あぢさはふ目辭《メゴト》も絶えぬとも詠めり。
 參考 ○目言(代)マコト(古)メコト(新)メゴト。
 
大伴宿禰三依悲v別歌一首
 
690 照日乎。闇爾見成而。哭涙。衣沾津。干人無二。
てれるひを。やみにみなして。なくなみだ。ころもぬらしつ。ほすひとなしに。
 
(173)衣干すなども專《モハ》ら女のわざなればなり。卷十二、ひさにあらむ君を思ふに久方の清き月夜も闇にのみ見ゆ。宣長が日は月の誤にて、テルツキヲなりと言へるぞ善き。
 參考 ○照日乎(古)テレルヒヲ(新)テルツキヲ。
 
大伴宿禰家持贈2娘子《ヲトメニ》1歌二首
 
691 百礒城之。大宮人者。雖多有。情爾乘而。所念妹。
ももしきの。おほみやびとは。おほかれど。こころにのりて。おもほゆるいも。
 
卷十一、内日さす宮ぢの人は道ゆけどわがもふ君はただひとりのみ、と言へるに同じ。心ニノリテは既に出づ。
 參考 ○雖多有(古)オホケドモ(新)略に同じ。
 
692 得羽重無。妹二毛有鴨。如此許。人情乎。令盡念者。
うはへなき。いもにもあるかも。かくばかり。ひとのこころを。つくすおもへば。
 
此卷の上に宇波弊無物かも人は云云と有りて、そこに言へり。人は吾を言ふ。ツクスと言ひて即ちツクサスル意になる言なり。
 參考 ○令盡念者(古)ツクセルモヘバ(新)略にはじ。
 
大伴宿禰|千室《チムロ》歌一首 未詳
 
(174)693 如此耳。戀哉將度。秋津野爾。多奈引雲能。過跡者無二。
かくしのみ。こひやわたらむ。あきつぬに。たなびくくもの。すぐとはなしに。
 
秋津野は既に出づ。下に春日野に朝ゐる雲と詠みて、遠く見わたす雲を、其野にたな引く如く詠めり。スグトハナシニは思ひを遣り過《スグ》されぬなり。
 參考 ○如此耳(古、新)カクノミニ。
 
廣河《ヒロカハノ》女王歌二首
 
續紀天平寶字七年正月、無位廣河王授2從五位下1と有り。不破内親王に次で載せたれば此女王なるべし。
 
694 戀草呼。力車二。七車。積而戀良苦。吾心柄。
こひぐさを。ちからぐるまに。ななくるま。つみてこふらく。わがこころから。
 
戀グサは唯だ戀なり。クサは添へたるのみ。力車は物を積みて引く車なり。七は數多きを言ふ。戀ふる心のあまたの車に積むばかりなるは、吾心づからぞと言へるなり。
 
695 戀者今葉。不有常吾羽。念乎。何處戀其。附見繋有。
こひはいまは。あらじとわれは。おもひしを。いづくのこひぞ。つかみかかれる。
 
卷十六、家に有りて櫃に?さしをさめてし戀の奴の束見懸りてと言ふに同じさまなり。今は吾心に戀と言ふ事は無くなりにたりと思ひて在りしを、何方よりか又吾身に攫《ツカ》み附く如くなるぞと言ふなり。
(175) 參考 ○念乎(古、新)オモヘルヲ ○何處(考)イヅコノ(古、新)略に同じ。
 
石川朝臣|廣成《ヒロナリ》歌一首
 
續紀天平寶字二年八月、從六位上石川朝臣廣成授2從五位下1と見ゆ。
 
696 家人爾。戀過目八方。川津鳴。泉之里爾。年之歴去者。
いへびとに。こひすぎめやも。かはづなく。いづみのさとに。としのへぬれば。
 
戀ふる心をえ遣り過し難きなり。泉の里は山城相樂郡泉川の邊《アタ》りを言ふべし。久邇の都へ遷されし後、奈良の故郷に妻を置きて詠めるならん。
 
大伴宿禰像見歌三首
 
697 吾聞爾。繋莫言。苅薦之。亂而念。君之直香曾。
わがきくに。かけてないひそ。かりごもの。みだれておもふ。きみがただかぞ。
 
カリゴモノ、枕詞。タダカは凡て人のうへの實事實説を隔てて聞く事に言へり。宣長云、集中正香と書けるも皆タダカと訓むべきを、今マサカと訓めるより、紛らはしくなれりと言へり。マサカは目《マ》のあたり相見る其時の事を言ふ詞にて、タダカとは用ひざま異なる事、げにも其歌にて分かれて聞ゆ。此歌の意は吾思ひ亂れて在るをりに、君がと有りし斯かりしなど、人の言ふを聞きても堪へ難きここちすれば、君が事を言に掛けて言ひ出づる事なかれとなり。
(176) 參考 ○吾聞爾(考、古、新)ワガキキニ。
 
698 春日野爾。朝居雲之。敷布二。吾者戀益。月二日二異二。
かすがぬに。あさゐるくもの。しくしくに。われはこひます。つきにひにけに。
 
野末の雲の重なれるをもて、重重《シクシク》と言ひ下したり。
 參考 ○吾者戀益(古)アハコヒマサル (新)ワハコヒマサル。
 
699 一瀬二波。千遍障良比。逝水之。後毛將相。今爾不有十方。
ひとせには。ちたびさはらひ。ゆくみづの。のち|もあひてむ《にもあはむ》。いまならずとも。
 
サハラヒは、サハリを延べ言ふ。本は序にて、今は障り有りとも後に逢はんとなり。
 參考 ○千遍障良比(代、考、新)略に同じ(古)チタビサヤラヒ ○後毛將相(代、古、新)ノチニモアハム(考)ノチモアヒナム。
 
大伴宿禰家持到2娘子之門1作歌一首
 
700 如此爲而哉。猶八將退。不近。道之間乎。煩参來而。
斯くしてや。なほやまからむ。ちかからぬ。みちのあひだを。なづみまゐきて。
 
かく遠き道をなづみ來て、妹に逢はずして、門より歸る事よと言ふのみ。集中マヰリ來ムをマヰコムと言へば、マヰキテとも言ふべし。
 
(177)河内百枝《カフチノモヽエ》娘子贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
701 波都波都爾。人乎相見而。何將有。何日二箇。又外二將見。
はつはつに。ひとをあひみて。いかならむ。いづれのひにか。またよそにみむ。
 
ハツハツは卷七に小端と書きたり。ハツカニと言ふに同じ。又いつの時か外《ヨソ》ながらも見んとなり。
 參考 ○何將有(古)イカニアラム(新)略に同じ。
 
702 夜干玉之。其夜乃月夜。至于今日。吾者不忘。無間苦思念者。
ぬばたまの。そのよのつくよ。けふまでに。われはわすれず。まなくしおもへば。
 
ソノ夜とは初めて逢ひし夜を言へり。
 
巫部麻蘇《カンコベノマソ》娘子歌二首  巫部宿禰の姓有り。
 
703 吾背子乎。相見之其日。至于今日。吾衣手者。乾時毛奈志。
わがせこを。あひみしそのひ。けふまでに。わがころもでは。ひるときもなし。
 
ソノ日ヨリと言ふを略けり。
 
704 栲繩之。永命乎。欲苦波。不絶而人乎。欲見社。
たくなはの。ながきいのちを。ほしけくは。たえずてひとを。みまほしみこそ。
 
タクナハノ、枕討。命長かれと思ふは、常に吾夫《ワガセ》を見ん事を願へばこそ有れと言ふなり。
(178) 參考 ○欲見社(考、古)ミマクホリコソ(新)ミマクホレコソ。
 
大伴宿禰家持贈2童女1歌一首
 
705 葉根蘰。今爲妹乎。夢見而。情内二。戀渡鴨。
はねかづら。いま|する《せし・せむ》いもを。いめにみて。こころのうちに。こひわたるかも。
 
ハネカヅラは、少女の髪の飾にする物なるべし。其詳かなる事は知り難し。卷七、波禰蘰今爲妹をうらわかみとも詠めり。宣長云、今セシと訓むべし。此今は新たにの意にて、此頃はねかづらをせしなり。今來《イマキ》、新參《イママヰリ》などのイマの如し。又今セムとも訓まんか、其時は近き程にせんの意なりと言へり。
 參考 ○今爲(古)イマセス(新)イマスル。
 
童女來報歌一首
 
706 葉根蘰。今爲妹者。無四呼。何妹其。幾許戀多類。
はねかづら。いま|する《せし・せむ》いもは。なかりしを。いづれのいもか。ここたこひたる。
 
ハネカヅラは、いとをさなき時の樣にて、此答へし童女は、十五六にも成るべければ、はねかづらする年比は過ぎつるを、我事には有らじ、何れの妹をか夢に見給ひつらんと言ふなるべし。四は物の誤ならんかと宣長言へり。モノヲと有るべきなり。
 參考 ○今爲(考、新)イマスル(古)イマセル ○無四乎(古、新)ナキ「物」モノヲ ○妹其(考)(179)イモ「曾」ソ(古)イモソ(新)イモゾ。
 
粟田女娘子贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
707 思遣。爲便乃不知者。片?之。底曾吾者。戀成爾家類。 <[注土之中]>
おもひやる。すべのしらねば。かたもひの。そこにぞわれは。こひなりにける。
 
オモヒヤルは思ひを遣り過すなり。?は椀の誤なり。和名抄、説文云?(字亦作v椀。辨色立成云、末里、俗云毛比)小盂也。また式に、土椀廿口水椀廿口と有り。片と言ふは合子に對して葢《フタ》無きを言へり。主水をモヒトリと言ふも、此語より出でて、轉じては飲水の事になれり。宣長云、カタモヒは唯だ底と言はん料のみなり。さて底になるとは、戀の至り極れると言ふなり。紀に底寶《ソコタカラ》と有るも寶の至極と言ふなりと言へり。
 參考 ○爲便乃不知者(古、新)スベノシレネバ。
 
708 復毛將相。因毛有奴可。白細之。我衣手二。齋留目六。
またもあはむ。よしもあらぬか。しろたへの。わがころもでに。いはひとどめむ。
 
アラヌカはアレカシと願ふ詞。今一度逢ひてあらば祝ひとどめんと言ふなり。人だまにタマムスビ、夢に袖返シなど言ふ類ひに、古へ然《サ》る祝ひ事有りしなるべし。
 
豐前國娘子|大宅女《ナホヤケノメ》歌一首  大宅は氏なるべし。
 
(180)709 夕闇者。路多豆多頭四。待月而。行吾背子。其間爾母將見。
ゆふやみは。みちたつたづし。つきまちて。いませわがせこ。そのまにもみむ。
 
タヅタヅシは既に出づ。イマセはイニマセなり。新勅撰に四の句を、かへれわがせこ、とて載せたり。
 參考 ○行吾背子(考)ユカセワガセコ(古)略に同じ。
 
安都扉《ヤツミノ》娘子歌一首  安都美氏ならんか。
 
710 三空去。月之光二。直一目。相三師人之。夢西所見。
みそらゆく。つきのひかりに。ただひとめ。あひみしひとの。いめにしみゆる。
 
丹波《タニハノ》大娘子歌三首  目録に大の下女の字有り。衍文なるべし。丹波は氏ならん。
 
711 鴨鳥之。遊此池爾。木葉落而。浮心。吾不念國。
かもとりの。あそぶこのいけに。このはおちて。うかべるこころ。わがもはなくに。
 
本はウカブと言はん序のみ。我れは浮きたる心ならずとなり。
 參考 ○木葉落而(古)コノハチリテ(新)略に同じ。
 
712 味酒呼。三輪之祝我。忌杉。手觸之罪歟。君二遇難寸。
うまさけを。みわのはふりが。いはふすぎ。てふれしつみか。きみにあひがたき。
 
味サケヲ、枕詞。祝等《ハフリラ》が注繩《シメ》など引き延《ハ》へたる齋木に手觸れし罪にや、祈るかひ無くて、君に逢ひ難き(181)となり。
 參考 ○手觸之(古、新)テフリシ。
 
713 垣穗成。人辭聞而。吾背子之。情多由多比。不合頃者。
かきほなす。ひとごとききて。わがせこが。こころたゆたひ。あはぬこのごろ。
 
垣の如く中を隔つる人の言を吾夫《ワガセ》が聞きて、是頃|猶豫《タユタヒ》て訪ひ來ぬとなり。垣ホのホは凡て現はるる物を言ふ詞なり。宣長はカキホナスは繁き事なり。隔つる事としてはホの詞|徒《イタヅ》らなりと言へり。
 
大伴宿禰家持贈2娘子1歌七首
 
714 情爾者。思渡跡。縁乎無三。外耳爲而。嘆曾吾爲。
こころには。おもひわたれど。よしをなみ。よそのみにして。なげきぞわがする。
 
逢ふべき由の無さになり。
 
715 千鳥鳴。佐保乃河門之。清瀬乎。馬打和多思。何時將通。
ちどりなく。さほのかはとの。きよきせを。うまうちわたし。いつかかよはむ。
 
大和の佐保なり。妹がり行かん道なるべし。
 
716 夜晝。云別不知。吾戀。情盖。夢所見寸八。
よるひると。いふわきしらず。わがこふる。こころはけだし。いめにみえきや。
 
ワキはワカチなり。
(182) 參考 ○云別不知(古、新)イフワキシラニ。
 
717 都禮毛無。將有人乎。獨【獨ヲ狩ニ誤ル】念爾。吾念者。惑【惑ハ?ノ誤】毛安流香。
つれもなく。あるらんひとを。かたもひに。われはおもへば。わびしくもあるか。
 
ツレモナクアルラムは、吾につらく有らん人をと言ふなり。獨、今本狩に作る。一本に據りて改めつ。惑は?の誤りなるべし。ここはマドヒモアルカとは言ふべからず。字書に?は憂也と有り。
 參考 ○惑毛(代、新)ワビシクモ(考)サビシク、又は「?」ワビシク(古)「愍」メグシクモ。
 
718 不念爾。妹之咲?乎。夢見而。心中二。燎管曾呼留。
おもはぬに。いもがゑまひを。いめにみて。こころのうちに。もえつつぞをる。
 
思ひがけず夢に見しより、心にこがるるなり。
 
719 大夫跡。念流吾乎。如此許。三禮二見津禮。片念男責。
ますらをと。おもへるわれを。かくばかり。みつれにみつれ。かたもひをせむ。
 
ワレヲは、我ナルヲと言ふ意か。されどワレヤと無くては末句にかなはず。乎は也の誤か。紀に羸をミツレと訓めり。身ヤツレの約言なり。責はセムの詞に借りたり。寒をサムの詞に借り用ふるが如し。
 參考 ○吾乎(新)ワレ「也」ヤ ○責(考)セメ(古、新)略に同じ。
 
720 村肝之。情【情ヲ於ニ誤ル】揣而。如此許。余戀良苦乎。不知香安類良武。
(183)むらきもの。こころくだけて。かくばかり。わがこふらくを。しらずかあるらむ。
 
村キモノ、枕詞。情を今於に誤る。一本に據りて改めつ。
 
獻2 天皇1歌一首
 
誰が獻れるにか知られず。或説に坂上郎女の歌とせるは、此下にも獻2天皇1歌二首と有りて、其上に跡見庄にての歌あり。ここも佐保の山里などより獻りつらんとも見ゆれば、推して然か言へるにや。此郎女、宮中へ親しく參る事外に見えず。若し是れは其母の内命婦の歌にや。
 
721 足引乃。山二四居者。風流無三。吾爲類和射乎。害目賜名。
あしびきの。やまにしをれば。みやびなみ。わがするわざを。とがめたまふな。
 
何ぞ山里びたる物奉れるに添へたるなるべし。風流をミヤビこ訓む事、卷三に言へり。
 參考 ○風流無三(代)タハレ、又ミヤビナミ(古)ミサヲナミ(新)略に同じ ○吾爲類(古)ワガセル(新)略に同じ。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
722 如是許。戀乍不有者。石木二毛。成益物乎。物不思四手。
かくばかり。こひつつあらずは。いはきにも。ならましものを。ものもはずして。
 
本の心は既に言へり。情《ココロ》無き石木に成りて、物思はずして有らんをとなり。
 
(184)大伴坂上郎女從2跡見庄1贈2賜留宅女子大孃歌1一首并短歌
 
723 常呼二跡。吾行莫國。小金門爾。物悲良爾。念有之。吾兒乃刀自緒。野干玉之。夜晝跡不言。念二思。吾身者痩奴。嘆丹師。袖左倍沾奴。如是許。本名四戀者。古郷爾。此月期呂毛。有勝益土。
とこよにと。わがゆかなくに。をかなどに。ものがなしらに。おもへりし。わがこのとじを。ぬばたまの。よるひるといはず。おもふにし。わがみはやせぬ。なげくにし。そでさへぬれぬ。かくばかり。もとなしこひば。ふるさとに。このつきごろも。ありがてましを。
常世ニトは、ここは異國を言ふ。呼は與の誤りか。ヲカナドは鎖《ヂヤウ》などさすを言ふ。安康紀歌に、おほまへをまへすくねが訶那杜加礙《カナドカゲ》(今杜ヲ社ニ誤ル)云云。卷九、金門にし人の來立てば夜中にも身はたなしらず出てぞ逢ひける。卷十四にも二所に見ゆ。物悲シラニと言ふまでは、別るる時の樣なり。刀自は老女のみにあらず、家あるじを言へり。既に出づ。オモフニシ、ナゲクニシのシは助辭。モトナ、既に言へり。コヒバは戀フルナラバを略けり。アリガテマシヲは、在り堪へじと言ふなり。坂上郎女は宿奈麻呂卿の妻ながら、坂上里に在りしを、其むすめ大孃をば其家に留めて、わが跡見の庄へ移り居るべき事有りて、別れ居し程の歌なり。されば此古郷と言へるは跡見の庄なり。しばしの間に、大孃を斯くまで戀ふる心から、月日久しくは此處にえ在りかねんと云ふなり。
(185) 參考 ○有勝益土(新)アリカツマシジ。
 
反歌
 
724 朝髪之。念亂而。如是許。名姉之戀曾。夢爾所見家留。
あさがみの。おもひみだれて。かくばかり。なねがこふれぞ。いめにみえける。
 
朝髪ノ、枕詞。ナネのナは崇《アガ》むる詞。ネは姉の意。母より贈れども、古へは敬ひ言ふが常なり。コフレゾはコフレバゾのバを略けり。宣長云、四の句コフレゾナネガと打返して心得べし。わが戀ふればぞなねが吾夢に見えたると言ふなり。然らざれば、カクバカリと言ふに叶はずと言へり。
 
右歌報2賜大孃1歌也。  一本此註無きを善しとす。
 
獻2 天皇1歌二首  是れは上に言ふ如く、坂上家の内命婦の歌ならんか。
 
725 二寶鳥乃。潜池水。情有者。君爾吾戀。情示左禰。
にほどりの。かづくいけみづ。こころあらば。きみにわがこふ。こころしめさね。
 
和名抄、??、(和名爾保)野鳧、小而好没2水中1也と有り。本は深き事を言ふのみ。其池の如く深く思ひ奉る心を知らせ奉れと池水に言ふ意なり。且つ常の戀ならで、唯だ君を思ひ奉るにや有らん。然《サ》る事に斯くも詠むが古への歌なり。
 參考 ○潜(代)クグル ○吾戀(新)ワガコフル。
 
(186)726 外居而。戀乍不有者。君之家乃。池爾住云。鴨二有益雄。
よそにゐて。こひつつあらずは。きみがいへの。いけにすむとふ。かもならましを。
 
按ずるに、天皇へ奉るに、君が家など言はんは、いと非禮《ナメゲ》なり。別時の歌なるを、類を以て後人の竝べ載せたるなるべし。
 參考 ○鴨二有益雄(古、新)カモニアラマシヲ。
 
大伴宿禰家持贈2坂上家大孃1歌二首  雖v絶2數年1。後會相聞徃來。
 
727 萱草。吾下紐爾。著有跡。鬼乃志許草。事二思安利家理。
わすれぐさ。わがしたひもに。つけたれど。しこのしこぐさ。ことにしありけり。
 
萱草を帶れば、憂を忘ると言ふ事既に出づ。鬼をオニと訓みたるより、紫苑、遠志などなりと言へり。此二つはシヲニ、ヲニシの假字、鬼はオニの假字にて、假字たがへれば當らず。ここはシコノシコグサと訓むべきなり。さて其れは一草の名にあらず。忘れん爲めに萱草を下紐に著けたれども、忘れぬ故に、忘草と言ふは言《コト》のみにて惡ろき草なりと罵りて言へるのみ。鬼は醜に通じ用ふ。卷十三、かがりをらむ鬼《シコ》のしき手をさしかへて、其外シコノマスラヲ、シコホトトギスなど言ふに同じ。言ニシ有リケリは、卷七、戀忘貝言にしありけり、同卷、名草山言にし有けりなど言ふに同じく、言のみにて實無きを言ふ。今名バカリと言ふに等し。卷十二、忘草垣もしみみに植ゑたれど鬼《シコ》の志許草《シコクサ》猶戀ひにけり。是れも同歌(187)なり。
 
728 人毛無。國母有粳。吾妹子與。携行而。副而將座。
ひともなき。くにもあらぬか。わぎもこと。たづさひゆきて。たぐひてをらむ。
 
クニモアラヌカは願ふ詞なり。粳は糠の誤なるべし。
 
    大伴坂上大孃贈2大伴宿禰家持1歌三首
729 玉有者。手二母將卷乎。欝瞻乃。世人有者。手二卷難石。
たまならば。てにもまかむを。うつせみの。よのひとなれば。てにまきがたし。
 
瞻はセミの假字に用ふ。
 
730 將相夜者。何時將有乎。何爲常香。彼夕相而。事之繁裳。
あはむよは。いつもあらむを。なにすとか。そのよひあひて。ことししげきも。
 
逢ふべき夜は彼《カノ》夜ならでも、いつも有るべきものを、如何なれば折惡しく人目繁き夜に逢ひて、人に言ひ騷がるろ事ぞとなり。
 參考 ○事之繁裳(考、新)コトノシゲシモ(古)略に同じ。
 
731 吾名者毛。千名之五百名爾。雖立。君之名立者。惜社泣。
わがなはも。ちなのいほなに。たちぬとも。きみがなたたば。をしみこそなけ。
 
吾名はなり。モは助辭。千名ノ五百名は、名の繁く立つを言ふ。吾名は厭はず君の名が惜しさに泣かる(188)るとなり。
 參考 ○君之名立者(古)キミガナタテバ(新)略に同じ。
 
又大伴宿禰家持|和《コタフル》歌三首
 
732 今時有【有ハ者ノ誤】四。名之惜雲。吾者無。妹丹因者。千遍立十方。
いましはし。なのをしけくも。われはなし。いもによりては。ちたびたつとも。
 
イマシハシの二つのシは助辭にて今はなり。有ハ者ノ誤。
 
733 空蝉乃。代也毛二行。何爲跡鹿。妹爾不相而。吾獨將宿。
うつせみの。よやもふたゆく。なにすとか。いもにあはずて。わがひとりねむ。
 
卷七、世間《ヨノナカ》はまこと二代は往かざらし過ぎにし妹に逢はぬ思へば、とも詠めるに同じく、此世は二たびやは經行《ヘユ》く、如何なる事あればとて、妹に逢はずして、獨寢をせんやと言ふなり。上に逢ふ夜逢はぬ夜|二行《フタユ》きぬらむと言ふは、この歌とは異にて夜を言へり。そこに委しく言へり。
 
734 吾念。如此而不有者。玉二毛我。眞毛妹之。手二所纒乎。
わがおもひ。かくてあらずは。たまにもが。まこともいもが。てにまとはれむ。
 
如此《カク》思ひつつ有らんよりはの意なり。玉ニモガのガは願詞。
 參考 ○手二所纒乎(考、古、新)テニマカレナム、古、一本の牟を乎と有るに依ればテニマカレム(189)ヲと訓む。
 
同坂上大孃贈2家持1歌一首
 
735 春日山。霞多奈引。情具久。照月夜爾。獨鴨念。
かすがやま。かすみたなびき。こころぐく。てれるつくよに。ひとりかもねむ。
 
心グクはクグモルにて、おぼつかなき事に言へり。此未に情八十一《ココログク》おもほゆるかも春霞、とも言へり。さて此歌、月は照れるなれば、本二句は心グクと言はん序のみにて、其處の景色を言ふに有らず。念は音を借りたるにて將v寢《ネム》なり。
 
又家持和2坂上大孃1歌一首
 
736 月夜爾波。門爾出立。夕占問。足卜乎曾爲之。行乎欲焉。
つくよには。かどにいでたち。ゆふけとひ。あうらをぞせし。ゆかまくをほり。
 
アウラは足蹈みて占ふ事あり。アシを古へアとのみ言へり。宣長云、乎は卷の誤にて、ユカマクホシミならんと言へり。
 
同大孃贈2家持1歌二首
 
737 云云。人者雖云。若狹道乃。後瀬山之。後毛將念【念ハ會ノ誤】君。
かにかくに。ひとはいふとも。わかさぢの。のちせのやまの。のちもあはむきみ。
 
(190)念は會の誤なり。後瀬ノ山は後と言はん料のみ。
 
738 世間之。苦物爾。有家良之。戀爾不勝而。可死念者。
よのなかの。くるしきものに。ありけらく。こひにたへずて。しぬべきおもへば。
 
戀と言ふものは、世の中の苦しきものに有りけるとなり。ラクはルを延べ言ふなり。
 參考 ○可死念者(古、新)シヌベキモヘバ。
 
又家持和2坂上大孃1歌二首
 
739 後湍山。後毛將相常。念社。可死物乎。至今日毛生有。
のちせやま。のちもあはむと。おもへこそ。しぬべきものを。けふまでもいけれ。
 
オモヘバコソのバを略けり。六帖に、けふまでもふると有るは、上にコソと言ふにかなはず。
 參考 ○生有(代、古、新)略に同じ(考)フレ。
 
740 事耳乎。後手【手ハ毛ノ誤】相跡。懃。吾乎令憑而。不相可聞。
ことのみを。のちもあはむと。ねもころに。われをたのめて。あはざらめかも。
 
言葉にのみ後も逢はんと言ひて、我れを頼ませても、後に逢はざらんとなり。宣長云、結句|不相奴妹可聞《アハヌイモカモ》とか、不相有可聞《アハズアルカモ》とか有りけんを、一字脱ちたるなりと言へり。手は毛の誤なり。
 參考 ○不相可聞(古、新)アハヌ「妹」イモカモ。
 
(191)更(ニ)大伴宿禰家持贈2坂上大孃1歌十五首
 
741 夢之相者。苦有家里。覺而。掻探友。手二毛不所觸者。
いめのあひは。くるしかりけり。おどろきて。かきさぐれども。てにもふれねば。
 
夢に逢ふと見るなり。契沖云、遊仙窟の少時睡則夢見2十娘1。驚覺|攪《カキサグルニ》v之忽然空v手と言ふに據りて詠めるなり。卷五、山上憶良遊仙窟を引かれたるを見れば、疾く此國に渡り來れりと見えたりと言へり。
 
742 一重耳。妹之將結。帶乎尚。三重可結。吾身者成。
ひとへのみ。いもがむすばむ。おびをすら。みへむすふべく。わがみはなりぬ。
 
卷十三、二つなき戀をしすれば常の帶を三重に結ぶべく我身は成りぬ、とも詠めり。是れも遊仙窟に、日日衣|寛《ユルビ》、朝朝帶|緩《ユルブ》と言ふ似たり。
 
743 吾戀者。千引乃石乎。七許。頸二將繋母。神之諸伏。
わがこひは。ちびきのいしを。ななばかり。くびにかけむも。かみのもろふし。
 
神代紀、以2千人所v引磐石1云云、是れ千引なり。ナナバカリは七ツホドにて、數多きを言ふ。神の諸伏は解き難し。試みに言はば神の依りまして共寢し給ふを言ふか。カケムモは、カケタラムホドと言ふ意。モは助辭なり。千引の石をあまた頸に結ひ付けたらん如くに、苦しき戀はすれども、神の共寢し給ふ故に逢ひ難きと言ふか。卷二、玉かづら實ならぬ木にはちはやぶる神ぞ附くとふならぬ木ごとに、と言へ(192)るも、神の依りまして、遂に男を得ぬ事に譬へ言へり。古へ然《サ》る諺有りしならんと翁は言はれき。されど結句穩かならず。誤字有るべきなり。猶考ふべし。
 參考 ○千引乃石乎(古、新)チビキノイハヲ ○神之諸伏(古)カミノ「隨似」マニマニ。
 
744 暮去者。屋戸開設而。吾將待。夢爾相見二。將來云比登乎。
ゆふさらば。やどあけまけて。われまたむ。いめにあひみに。こむとふひとを。
 
アケマケは、アケマウケテなり。是れも、遊仙窟に、今宵莫v閉v戸。夢裏向2渠《カレガ》邊1と有るを詠めり。
 
745 朝夕二。將見時左倍也。吾妹之。雖見如不見。由戀四家武。
あさよひに。みむときさへや。わぎもこが。みともみぬごと。なほこひしけむ。
 
吾妹子は、たとひ朝夕に逢ひ見んにもせよ、然かありてさへ、猶逢へども逢はぬ如くに戀しからんとなり。見トモは見ルトモなり。由は猶と通じてナホと訓むべし。
 參考 ○由(考)「申」マシ(古、新)略に同じ。
 
746 生有代爾。吾者未見。事絶而。如是※[?+可]怜。縫流嚢者。
いけるよに。わはいまだみず。ことたえて。かくおもしろく。ぬへるふくろは。
 
コトタエテは詞にも述べ難き程なり。大孃が縫へる袋を得たるなり。
 
747 吾妹兒之。形見乃服。下著而。直相左右者。吾將脱八方。
わぎもこが。かたみのころも。したにきて。ただにあふまでは。われぬがめやも。
 
(193)748 戀死六。其毛同曾。奈何爲二。人目他言。辭痛吾將爲。
こひしなむ。それもおなじぞ。なにせむに。ひとめひとごと。こちたみわがせむ。
 
戀ひ死なん思ひも、人に見とがめられ、言ひ騷がれん思ひも、同じ事なれば、何ぞや人言いたしと思はんとなり。コチタミは、コトイタミの約言なり。
 參考 ○其毛同曾(古)ソレモオヤジゾ(新)ソレモオナジゾ、又はソコモオヤジゾ。
 
749 夢二谷。所見者社有。如此許。不所見有者。戀而死跡香。
いめにだに。みえばこそあらめ。かくばかり。みえずしあるは。こひてしねとか。
 
宣長云、四句の有の下念の字落ちたるか。ミエザルモヘバと有るべしと言へり。
 參考 ○所見者社有(古)ミエバコソアレ(新)略に同じ ○不所見有者(古、新)ミエズ「而」テアルハ。
 
750 念絶。和備西物尾。中中荷。奈何辛苦。相見始兼。
おもひたえ。わびにしものを。なかなかに。なにかくるしく。あひみそめけむ。
 
宣長云、此ワビは、此下に、遠くあれば佗びても有るを、と言ふワビに同じ。初めより思ひて切りて佗びつつ有りしものを、なまなかに逢ひ初《ソ》めて、何しに斯く苦しき目を見る事よと言ふなりと言へり。古今集、いましはと佗びにしものを云云と詠めり。
(194) 參考 ○奈何辛苦(古)イカデクルシク(新)ナニカクルシク。
 
751 相見而者。幾日毛不經乎。幾許久毛。久流比爾久流必。所念鴨。
あひみては。いくかもへぬを。ここばくも。くるひにくるひ。おもほゆるかも。
 
物狂はしきまでに覺ゆるなり、
 參考 ○幾許久毛(古)ココダクモ(新)ココバクモ、又はココダクモ。
 
752 如是許。面影耳。所念者。何如將爲。人目繁而。
かくばかり。おもかげのみに。おもほえば。いかにかもせむ。ひとめしげくて。
 
人メシゲクテは、四の句より續くに有らず。忍びて人目故に逢はで、斯く面影のみにして、はてはては如何にせんと言ふなり。
 
753 相見者。須臾戀者。奈木六香登。雖念彌。戀益來。
あひみては。しましもこひは。なぎむかと。おもへどいよよ。こひまさりけり。
 
ナギムカトは和《ナゴ》ムヤトなり。ナグサムと言ふも同じ。
 參考 ○相見者の者(古、新)バと濁る ○須臾(古、新)シマシク。
 
754 夜之穗杼呂。吾出而來者。吾妹子之。念有四九四。面影二三湯。
よのほどろ。わがでてくれば。わぎもこが。おもへりしくし。おもかげにみゆ。
 
夜ノホドロは、宣長説、曉がたうすうすと明くる時を言ふ。まだほのぐらき中《ウチ》なり。ホドとホノと同韻(195)なり。あわ雪のほどろほどろに降りしけば、と有るも、うすうすと降り敷くなり。されば此歌まだほのぐらきうちに出てくればと言ふなり。卷八に雁の歌、夜の穗杼呂にも鳴きわたるかも、と詠めるも同じと言へり。オモヘリシクは、今オモフラシゲと言ふに同じ。末のシは助辭なり。別れに臨みて名殘を思ふ顔《ガホ》に見えしが、面影に見ゆるとなり。
 參考 ○吾出而來者(古)アガデテクレバ(新)ワガイデクレバ。
 
755 夜之穗杼呂。出都追來良久。遍多數。成者吾?。截燒如。
よのほどろ。いでつつくらく。たびまねく。なればわがむね。きりやくがごと。
 
クラクは來るを延べ言ふ。夜のまだほのぐらき程に、出て來る事のあまた度になればの意なり。遊仙窟云。未2曾飲1v炭。腹熱如v燒。不v憶v呑v刃。腸穿似v割。またく是れに由れり。
 參考 ○截燒如(古、新)タチヤクゴトシ。
 
大伴田村家之大孃贈2妹坂上大孃1歌四首
 
756 外居而。戀者苦。吾妹子乎。次相見六。事計爲與。
よそにゐて。こふればくるし。わぎもこを。つぎてあひみむ。ことばかりせよ。
 
此ワギモコは、まことの妹《イモウト》なり。事計セヨは事を計れとなり。
 
757 遠有者。和備而毛有乎。里近。有常聞乍。不見之爲便奈沙。
(196)とほからば。わびてもあらむを。さとちかく。ありとききつつ。みぬがすべなさ。
 
遠く隔たりて有らばなり。
 參考 ○和備而毛有乎(古)ワビテモ「有牟」アラム(新)略に同じ。
 
758 白雲之。多奈引山之。高高二。吾念妹乎。將見因毛我母。
しらくもの。たなびくやまの。たかだかに。わがおもふいもを。みむよしもがも。
 
本はタカダカと言はん序のみ。翁の説、タカダカはタマタマなりと有り。宣長云、すべて此言は仰《アフ》ぎ望む意より言ふ言なり。アフギコヒノミなどのアフギの意にて、乞ひ願ふ意有り。常に物を願ふ事を望むと言ふも、高きを望むより出でたり。卷十二、もちの日に出でにし月の高高に君をいませて何をか思はむ、と詠めるも、望み願ひたる心の如く、君を待ちつけたるなりと言へり。此説に由るべし。
 
759 何。時爾加妹乎。牟具良布能。穢屋戸爾。入將座。
いかならむ。ときにかいもを。むぐらぶの。いやしきやどに。いりまさせなむ。
 
卷十九、むぐらはふ伊也支伎やども、と有れば、ここは斯く訓めり。されど字のままに、キタナキヤドと訓まんも惡しからじ。ムグラブは葎の生ひ茂りたるなり。和名抄、葎草(毛久良)と有り。
 參考 ○何(古)イカニアラム(新)略に同じ ○穢屋戸爾(考、新)キタナキヤドニ(古)略に同じ ○入將座(古、新)イリイマセナム。
 
(197)右田村大孃坂上大孃竝是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也。卿居2田村里1。號曰2田村大孃1。但妹坂上大孃者母居2坂上里1。仍曰2坂上大孃1。于時姉妹諮問以v歌贈答。
 
大伴坂上郎女從2竹田庄1贈2女子大孃1歌二首
 
神武紀、皇師|立誥之《タケビタル》處是謂2猛田1。式、大和國十市郡竹田神社有り。大孃は家持卿の妻なり。
 
760 打渡。竹田之原爾。鳴鶴之。間無時無。吾戀良久波。
うちわたす。たけだのはらに。なくたづの。まなくときなし。わがこふらくは。
 
打渡ス、枕詞なりと翁は言はれき。宣長は枕詞に有らず、ウチワタスは遠く見やる事なり。ここは見渡したる竹田の原と言へるなりと言へり。古今集、打渡すをちかた人に、など詠めるも然り。鶴の子を思ひて鳴くに寄せたり。
 
761 早河之。湍爾居鳥之。縁乎奈彌。念而有師。吾兒羽裳※[?+可]怜。
はやかはの。せにゐるとりの。よしをなみ。おもひてありし。わがこはもあはれ。
 
早河の瀬に住める鳥は、草木などの寄り所も無ければ、我子の便無きに譬ふ。上に此子の別れがてにせし事長歌に見ゆ。
 
紀女郎贈2大伴宿禰家持1歌二首  女郎名曰2小鹿1也。
 
762 神左夫跡。不欲者不有。八也多八。如是爲而後二。佐夫之家牟可聞
(198)かみさぶと。いなにはあらず。ややおほは。かくしてのちに。さぶしけむかも。
 
神サブは、年ふけたるを言ふに。卷七、夏影のねやの下庭に衣裁つわぎも裏儲けて吾爲め裁たば差《ヤヤ》大《オホ》に裁て。此ヤヤオホニは漸大にて、今とは意違へり。宣長云、八也多八は八多也八多《ハタヤハタ》と有りしが、文字の脱ち.或は上下して誤れるなり。卷十六、痩痩もいけらばあらむを波多也波多《ハタヤハタ》、と詠めるを合せ見るべしと言へり。心は老いたりとていなには有らねども、逢ひての後はた心うつろひて、厭はれなん時、心寂しからんと、後を思はるるなり。
 參考 ○八也多八(古、新)「八多也八多」ハタヤハタ。
 
763 玉緒乎。沫緒二搓而。結有者。在手後二毛。不相在目八方。
たまのをを。あわをによりて。むすべれば。ありてのもにも。あはざらめやも。
 
アワ緒は、後に訛りてアワビ結ビ、又はアハヂ結ビなど言へり。玉の緒を縒《ヨ》りてあわをに結びたればと言ふなり。さて在り在りての後も、行き合はんと言ふに譬へたり。伊勢物語に絶えて後にもと、四の句を作り變へたり。拾遺集に、春くれば瀧の白糸いかなれやむすべどもなほあわに見ゆらむ。枕草子に、薄氷あわに結べる、と詠めるも是れなり。搓は此卷上にも三相によれると言ふに此字を用ひたり。又字鏡にも搓、與留《ヨル》と見ゆ。
 參考 ○結有者(代、古、新)略に同じ(考)ムスベラバ。
 
(199)大伴宿禰家持和(ル)歌一首
 
764 百年爾。老舌出而。與余牟友。吾者不厭。戀者益友。
ももとせに。おいじたいでて。よよむとも。われはいとはじ。こひはますとも。
 
ヨヨムは、齒おちたる老びとの物言ふ聲を言ふ。物語文に、よよと泣くと言ふも、泣く聲を云へる由宣長言へり。意は老いて戀は増しぬとも吾は厭はじとなり。
 
在2久邇京1思d留2寧樂宅1坂上大孃u大伴宿禰家持作歌一首
 
765 一隔山。重成物乎。月夜好見。門爾出立。妹可將待。
ひとへやま。へなれるものを。つくよよみ。かどにいでたち。いもかまつらむ。
 
一重山は地名にあらず。久邇は奈良とは山一重隔てたればなり。ヘナレルはヘタダレルなり。心は山を隔てて住めば、たやすく通ひ難きを、月夜好しとて、妹は門に立ちて待ちつつか在らんとなり。可は清《ス》むべし。
 
藤原郎女聞v之即和歌一首
 
是れは久邇の都の宮女なるべし。右の歌を坂上大孃に贈れるを聞きて、大孃の心を思ひはかりて詠めるなり。
 
766 路遠。不來常波知有。物可良爾。然曾將待。君之目乎保利。
(200)みちとほみ。こじとはしれる。ものからに。しかぞまつらむ。きみがめをほり。
 
物カラニは物ナガラニなり。シカゾはサゾと言ふに同じ。メヲホリは相見ん事を欲りしてなり。
 
大伴宿禰家持更贈2大孃1歌二首【今二ノ下首ヲ脱ス】
 
767 都路乎。遠哉妹之。比來者。得飼飯而雖宿。夢爾不所見來。
みやこぢを。とほみやいもが。このごろは。うけひてぬれど。いめにみえこぬ。
 
都は久邇の京なり。トホミヤは遠サニヤなり。神武紀、祈をウケヒと訓めり。誓又は祈ることの古語なり。卷三、卷十二に、ケヒノ海に飼飯と書けり。ともに詞は笥《ケ》の誤なるべしと宣長言へり。心に祈りて寢《ヌ》れど、都路の遠き故にや妹が夢に見え來ぬとなり。
 
768 今所知。久邇乃京爾。妹二不相。久成。行而早見奈。
いましらす。くにのみやこに。いもにあはず。ひさしくなりぬ。ゆきてはやみな。
 
今新たに皇のしろしめす久邇の京に居て、古京に妹を留め置きて久しく逢はねば、行きて早く見んとなり。
 
大伴宿禰家持報2贈紀女郎1歌一首
 
769 久堅之。 雨之落日乎。直獨。山邊爾居者。欝有來。
ひさかたの。あめのふるひを。ただひとり。やまべにをれば。いぶせかりけり。
 
(201)大伴宿禰家持從2久邇京1贈2坂上大孃1歌五首
 
770 人眼多見。不相耳曾。情左倍。妹乎忘而。吾念莫國。
ひとめおほみ。あはざるのみぞ。こころさへ。いもをわすれて。わがもはなくに。
 
心まで妹を思ひ忘れんやとなり。上に忘レテオモヘヤと言ふ如く、思フは添ひたる詞なり。
 參考 ○不相耳曾(古)アハナクノミゾ(新)略に同じ。
 
771 偽毛。似付而曾爲流。打布裳。眞吾妹兒。吾爾戀目八。
いつはりも。につきてぞする。うつしくも。まことわぎもこ。われにこひめや。
 
ウツシクモは、現又は顯の字の意にて、げにげにしく誠に吾を戀ふるには有らじとなり。卷十一、僞も似付きてぞするいつよりか見ぬ人戀に人のしにする、と詠めり。
 
772 夢爾谷。將所見常吾者。保杼毛友。不相志思者。諾不所見有武。
いめにだに。みえむとわれは。ほどけども。あひしもはねば。うべみえざらむ。
 
ホドケドモはヒボトケドモを略けるか、母と保の濁音は通へば紐を略きて保と言へるを、保を清みて杼を濁るは音便なり。今常言に解く事をホドクと言ふもヒモトクと言ふ事なるべし。こなたの下紐を解きて寢《ヌ》れば、かしこに夢に見ゆると言ふ諺有りしなるべし。心は妹が方より思はぬを、わが方にて夢に見んとするから見えぬもうべなりと云ふなり。不相志思の志は助辭なるを、斯く返りて讀む書きざまに助(202)辭の假字を置く例無し。志は衍文にて、アヒオモハネバなるべし。元暦本、不所見の下、有の字あり。宣長云、若しくは杼は邪の誤にて、ホザケドモにても有らんか、神代紀に祝を保佐枳《ホザキ》と有ればなり。又志は者の誤にて、不相思者を下上に又誤れるかと言へり。
 參考 ○將所見常(新)ミエナムト ○保抒毛友(古)「得經」ウケヘドモ ○不相志思(代)アヒシ、又は、アハヌシオモヘバ(考)アハジトモヘカ(古)「不相思者」アヒモハザレバ(新)アヒオモハネバ、又はアヒモハザレバ。
 
773 事不問。木尚味狹藍。諸茅等之。練乃村戸二。所詐來。
こととはぬ。きすらあぢさゐ。もろちらが。ねりのむらどに。あざむかれけり。
 
 參考 ○所詐來(古)アザムカエケリ。
 
774 百千遍。戀跡云友。諸茅等之。練乃言羽志。吾波不信。
ももちたび。こふといふとも。もろちらが。ねりのことばし。あれはたのまず。
 
此二首、其時の諺か或は古事など有りて詠めるならん。今解くべからず。人人の考《カウガ》へつる事も、己れが思へるも有れど、當れりとも思はず。アヂサヰは和名抄にも紫陽花とて出でたり。言羽の下の志、元暦本、者に作る。
 參考 ○練之言羽志(古)略に同じ(新)ネリノコトバ「者」ハ ○木信(考、古、新)タノマジ。
 
(203)大伴宿禰家持贈2紀女郎1歌一首
 
775 鶉鳴。故郷從。念友。何如裳妹爾。相縁毛無寸。
うづらなく。ふりにしさとゆ。おもへども。なにぞもいもに。あふよしもなき。
 
ウヅラナク、枕詞。故京の奈良に居たりし時より思ひ初めしとなり。
 
紀女郎報2贈家持1歌一首
 
776 事出之者。誰言爾有鹿。小山田之。苗代水乃。中與杼爾四手。
ことでしは。たがことなるか。をやまだの。なはしろみづの。なかよどにして。
 
初め詞を出だせしは誰ぞや。そこより言ひ出だして、即ちそこの中よどを置き給ふは如何にとも言ひ知らずとなり。山川などを苗代へ塞《セ》き入れたる苗代田にて、淀めども又末へ流るる故に、其苗代を中よどとは言ふなり。
 
大伴宿禰家持更贈2紀女郎1歌五首
 
777 吾妹子之。屋戸乃芭乎。見爾往者。盖從門。將返却可聞。
わぎもこが。やどのまがきを。みにゆかば。けだしかどより。かへしなむかも。
 
唯だ笆《マガキ》見に行くにあらぬ事は、次の歌にてことわれり。
 
778 打妙爾。前垣乃酢堅。欲見。將行常云哉。君乎見爾許曾。
(204)うつたへに。まがきのすがた。みまくほり。ゆかむといへや。きみをみにこそ。
 
ウツタヘはヒタスラなり。ユカムトイヘヤは、ユカムトイハメヤと言ふ意にて、笆のさま見んとて行くにはあらず、實は君を見にこそ行くなれとなり。
 
779 板盖之。黒木乃屋根者。山近之。明日取而。持將参來。
いたぶきの。くろぎのやねは。やまちかし。あすしもとりて。もちてまゐこむ。
 
遷都の頃なれば家造る事有るなるべし。黒木は皮の付きたるを其儘用ふるなり。續紀神龜元年十一月。太政官奏言云云。其板屋草舍中古遺制。難v營易v破と言ふ事あれば、其頃は專ら板屋根なり。宣長云、取の上伐の字脱ちたるか、アスキリトリテなるべしと言へり。
 參考 ○明日取而(〔代)アスモトリツツ、又はアケムヒトリテ(考)略に同じ(古、新)アスノヒトリテ ○持將参來(考、古、新)モチマヰリコム。
 
780 黒樹取。草毛苅乍。仕目利。勤和【和ヲ知ニ誤ル】氣登。將譽十方不在。
くろきとり。かやもかりつつ。つかへめど。いそしきわけと。ほめむともあらず。
 
一云。仕登母《ツカフトモ》。
 
和を今本知に誤れるより訓も由無し。和氣は汝と云ふ事なり。上に委く言へり。イソシは紀に勤の字を訓めり。續紀、天平勝寶二年三月、東人等賜2勤臣《イソシオミノ》姓1と有りて、同卷、伊蘇志《イソシ》臣東人と見えたり。吾は(205)君が奴の如く仕ふべけれど、汝よく勤めたりと褒めらるべく有らず、と戯れ詠めるなり。右二首は別に端詞有りしが失せたるか。
 參考 ○草(古、新)クサ ○勤知氣登(代)ツトメシリキト(考、古、新)略に同じ。
 
781 野干玉能。昨夜者令還。今夜左倍。吾乎還莫。路之長手呼。
ぬばたまの。よべはかへしつ。こよひさへ。われをかへすな。みちのながてを。
 
長手は長路《ナガヂ》と言ふに同じ。道の長道と重ね言ふなり。
 參考 ○昨夜者令還(代)キソハカヘセリ、又はキソノヨハカヘス(考)ヨベハカヘス(古、新)キソハカヘシツ。
 
紀女郎裹物贈v友歌一首  女郎名曰2小鹿1。
 
782 風高。邊者雖吹。爲妹。袖左倍所沾而。刈流玉藻烏。
かぜたかく。へにはふけれど。いもがため。そでさへぬれて。かれるたまもぞ。
 
邊は海ばたなり。烏は焉の誤なり。妹とは女友だちを指せるなるべし。
 參考 ○邊者雖吹(所)ヘニハフケドモ。
 
大伴宿禰家持贈2娘子1歌三首
 
783 前年之。先年從。至今年。戀跡奈何毛。妹爾相難。
(206)をととしの。さきつとしより。ことしまで。こふれどなぞも。いもにあひがたき。
 
ヲトトシは、遠つ年にて去去年なり。其先つ年よりなり。卷六、をととひもきのふもけふもと詠めるヲトトヒは、遠つ日にて同じ意なり。
 
784 打乍二波。更毛不得言。夢谷。妹之手本乎。纒宿常思見者。
うつつには。さらにもえいはず。いめにだに。いもがたもとを。まきぬとしみば。
 
現《ウツツ》には今更に逢はんとはえ言はじ。夢にだに逢ふと見ば嬉しからんとなり。
 參考 ○更毛不得言(代、考、古)サラニモイハジ(新)サラニモイハズ。
 
785 吾屋戸之。草上白久。置露乃。壽母不有惜。妹爾不相有者。
わがやどの。くさのへしろく。おくつゆの。いのちもをしからず。いもにあはざれば。
 
置ク露ノ如キと言ふべきを略けり。惜を今情に誤れり。元暦本に據りて改めつ。宣長は、壽は身の誤にて、ミモヲシカラズならんと言へり。身を壽に誤れる例さきにも有りき。
 參考 ○壽(新)「身」ミ。
 
大伴宿禰家持報2贈藤原朝臣久須麻呂1歌三首
 
續紀、天平寶字三年。授2從五位下藤原惠美朝臣久須麻呂(ニ)從四位下1と有り。また訓儒麻呂とも見ゆ。
 
786 春之雨者。彌布落爾。梅花。未咲久。伊等若美可聞。
(207)はるのあめは。いやしきふるに。うめのはな、いまださかなく。いとわかみかも。
 
譬歌なり。シキフルは重重降るなり。まだいと若き女を戀ふるならん。末の答歌に、吾宿の若木の梅と有るからは、久須麻呂の妹などなるべし。
 
787 如夢。所念鴨。愛八師。君乃使乃。麻禰久通者。
いめのごと。おもほゆるかも。はしきやし。きみがつかひの。まねくかよへば。
 
現《ウツツ》の心とも無きとなり。マネクはシゲキ意にて上に出づ。
 
788 浦若見。花咲難寸。梅乎殖而。人之事重三。念曾吾爲類。
うらわかみ。はなさきがたき。うめをうゑて。ひとのことしげみ。おもひぞわがする。
 
ウラは草木の末を言ふ。ここは梢の若きなり。ウヱテと言ふに思ひ置く心あり。コトシゲミは言《コト》に言ひ騷ぐなり。
 
又家持贈2藤原朝臣久須麻呂1歌二首
 
789 情八十一。所念可聞。春霞。輕引時二。事之通者。
こころぐく。おもほゆるかも。はるがすみ。たなびくときに。ことしかよへば。
 
心グクは、上に春日山霞たなびき心ぐく、と詠めり。此時春なれば、霞める空さへおほほしきを言ふなり。
 參考 ○事之通者(古、新)コトノカヨヘバ。
 
(208)790 春風之。聲爾四出名者。有去而。不有今友。君之隨意。
はるかぜの。おとにしでなは。ありさりて。いまならずとも。きみがまにまに。
 
風の音を答《イラ》へするに譬へて、如何にも答へだに有らば、在り在りて君の言はん儘に待つべきとなり。
 參考 ○有去而(代、古、新)略に同じ(考)アリユキテ。
 
藤原朝臣久須麻呂來報歌二首
 
791 奧山之。磐影爾生流。菅根乃。懃吾毛。不相念有哉。
おくやまの。いはかげにおふる。すがのねの。ねもころわれも。あひもはざれや。
 
本はネモコロと言はん序のみ。アヒモハザレヤは、相思ハズ有ルカハ、相思フと言ふなり。
 
792 春雨乎。待常二師有四。吾屋戸之。若木乃梅毛。未含有。
はるさめを。まつとにしあらし。わがやどの。わかぎのうめも。いまだふふめり。
 
フフメリはツボメルなり。まだいわけなければ。よろしからん時を待つらんと言ふに譬ふ。
 
萬葉集 卷第四 終
              〔2010年2月6日(土)午前9時20分、巻四終了〕
 
(209)萬葉集 卷弟五
 
雜歌
 
大宰帥大伴卿報2凶問1歌一首
 
此報2凶問1は、卷八に神龜五年大伴卿之妻大伴郎女遇v病長逝焉と見えたると同じ時にて、大伴郎女みまかれる後、都より時の公卿の兩人の許よりとぶらひおこせし時、其れに答へて詠まれしなり。大伴郎女のみまかれるは、春の末か夏の初めなるべし。今は勅使よりも遲く、酬報も便に從ひて遲かるべし。卷三に、神龜五年太宰帥大伴卿思2戀故人1歌とて擧げたるも、此悲しみを詠めるなり。さて批書牘に兩君と有るを、稻君、胡麻呂を指すと言ふ説あれど、然らず。大伴卿病有りて、稻君、胡麻呂の太宰へ下りしは、天平二年六月にて、是れよりは後の事なり。其事は卷四に有り。然れども凶問累集と言ひ、依2兩君大助1傾命纔繼と有るは、妻の喪の後、又自ら病篤くて、京より兩使の下りしに報ぜしとせん事、ことわりは善くかなひたるやうなり。唯だ年號合はねば、然《さ》には有らざる事|著《シ》るし。この凶問累集と言ひ、依2兩君大助1と言へる故、別に有るべし。そは今考ふべき由無し。
 
禍故重疊。凶問|累《シキリニ》集。永懐2崩心之悲1。獨流斷腸之泣1。但依2兩君大助1。傾命纔繼耳。筆不v盡v言。古今所v歎。
 
禍故《クワコ》は禍の事と言ふ意。司馬相如諫獵書に出でたる字なり。崩心斷腸《ホウシンダンチヤウ》は心をいたましむるを意ふ。兩君(210)は誰とも知れ難し。傾命《ケイメイ》は年老いて齡傾ける意。纔繼《ワヅカニツグ》と言へるは、大伴卿の自らの病の癒えたるを言ふ。筆不v盡v言は、易繋辭に書不v盡v志、言不v盡v意と言ふに本づけり。
 
793 余能奈可波。牟奈之伎母乃等。志流等伎子。伊與余麻須萬須。加奈之可利家理。
よのなかは。むなしきものと。しるときし。いよよますます。かなしかりけり。
 
知ル時シのシは、シモの意なり。
 
神龜五年六月二十三日。
 
○左の序と詩との題、目録にも見えず。こは題の落ち失せたるならん。
 
盖聞。四生(ノ)起滅。方《アタリテ》v夢(ニ)皆空。三界(ノ)漂流。喩2環(ノ)不1v息。
 
四生は胎生、卵生、濕生、化生の四つを言ふ。起滅は生死と言ふが如し。皆佛典に出でたる字なり。方夢は莊子に方《アタリテ》2其|夢《ユメミルニ》1也、不v知2其夢1也と有るを採りて書けり。三界は欲界、色界、無色界の三を言ふ。漂流はその三界の内にただよひて在り經《フ》るを言ふ。環不息は、越絶書に、終而復始如2環之無1v端と有るより言ふ事にて、物の極まり無き由なり。
 
所以(ニ)維摩大士在2乎方丈1。【丈ヲ大ニ誤ル】有v懷(クコト)2染v疾之患1。釋迦能仁坐2於雙林1。無v免2【免ヲ兎ニ誤ル】泥?《ナイオン》之苦1。
 
維摩方丈の室に在りて疾を現ぜし事あり。能仁は釋迦を漢語に譯せし語なり。ここは梵語と漢語を重ね(211)言へり。雙林は娑羅雙樹林にて、釋迦の滅度を示したる所なり。泥?は梵語なり。是れを漢語に譯して滅度と言へり。
 
故(ニ)知(ル)二聖至極。不v能v拂(フコト)2力負之|尋《ツギテ》至(ルヲ)1。三千世界誰能逃(ン)2黒闇之|捜《サグリ》來(ルヲ)1。
 
二聖は維摩と釋迦を言ふ。至極は聖コの至極を言ふ。力負は、莊子に、藏2舟於壑1。藏2山於澤1。謂2之固1實(ニ)然(リ)。夜半有v力者負v之而走。昧者不v知也とあるを本として、力負と言へり。是莊子の語は死生の變化の逃れ難き事を言へり。黒闇は涅槃經聖行品に、功コ大天、黒闇と言へる姉妹有りて、功コ天は生を言ひ、黒闇は死を言ふと見ゆ。ここは死の來り催す事に言へるなり。
 
二鼠競爭。而度v目之鳥且(ニ)飛。四蛇爭侵。而過v隙之駒夕(ニ)走。
 
二鼠は瑯?代醉編に、佛書、人有2迯v死者1。入v井則遇2四蛇傷1v足。而不v能v下。上v樹則逢2二鼠咬1v〓。 而不v能v升。四蛇以喩2四時1。二鼠以譬2日月1とあり。此事は賓頭盧説法經などに見えたり。度v目之鳥は、人生の早く過ぎ去るに譬ふ。文選張景陽雜詩に、人生瀛海内、忽如2鳥過1v目と言へるより出でたり。又四蛇は地水火風の四を四毒蛇に譬へ、人の身を四毒蛇のかはるがはる侵すと言へる事、最勝王經に出でたり。過v隙之駒は、光陰の遷り易き事に譬ふ。是れは莊子、史記などに見えたり。
 
嗟乎痛哉。紅顏共2三從1長逝。素質與2四コ1永滅。
 
紅顔、素質は婦人の事を云ふ。三從は大戴禮に有りて、女は親に從ひ夫に從ひ子に從ふものなるを言ふ。(212)四コは周禮禮記などに見ゆ。婦言、婦コ、婦容、婦功の四つを言ふ。
何(ゾ)圖(ン)偕【偕ヲ階ニ誤ル】老違2於要期1。獨飛生(ゼントハ)2於半路1。
 
偕老は毛詩に出でたる語にて、夫婦ともに老に到るを言ふ。要期は必ずと契り置く事を言ふ。獨飛は人の獨り別れて行くを、李陵が詩に然か言へり。半路は夫婦の契の半なるに別るるを言ふ。
 
蘭室(ノ)屏風徒(ニ)張。斷腸之哀彌(ヨ)痛。枕頭(ノ)明鏡空(シク)懸。染?之涙逾(ヨ)落。
 
蘭室は婦人の閨房を言ふ事、六朝の頃の詩などに多く見えたり。さて屏風明鏡は、婦人の身近く用ひ慣れし物の徒らに殘れるを言ふ。染?は舜の妃娥皇、女英の二人舜を慕ひ、その涙にて竹を染めたる事、博物志に見ゆ。ここは其染竹の事を假りて染?とせり。?は竹の總名なり。一本に?を※[竹/(工+叩の旁)]に作れり。何れにても有るべし。
 
泉門一掩。無v由2再見1。嗚呼哀哉。
 
泉門は黄泉の門を言ふ。掩は閉づるなり。
 
愛河(ノ)波浪已(ニ)先(ヅ)滅。苦海(ノ)煩惱亦無(シ)v結(コト)。從來厭2離(ス)此穢土(ヲ)1。本願託(セン)2生(ヲ)彼淨刹(ニ)1。
 
愛河は人情は愛に溺るるもの故河に譬ふ。苦海は世間の苦しきを指して言ふ。共に佛典に出でたる語なり。無結とは人死にては再び此世に生を結ばぬを言ふ。穢土は此土を言ひ、浮刹は淨土を言ふ。
 
日本挽歌一首
 
(213)目録に、筑前守山上臣憶良挽歌一首竝短歌と有り。右のから文と詩に向へて殊更に日本と書けり。後世の和歌と書く類にあらず。
 
794 大王能。等保乃朝廷等。斯【斯ヲ期ニ誤ル】良農比。筑紫國爾。泣子那須。斯多比枳摩斯提。伊企陀爾母。伊摩陀夜周米受。年月母。伊摩他阿良禰婆。許許呂由母。於母波奴阿比?爾。宇知那比枳。許夜斯努禮。伊波牟須弊。世武須弊期良爾。石木乎母。刀此佐氣斯良受。伊弊那良婆。迦多知波阿良牟乎。宇良賣斯企。伊毛乃美許等能。阿禮乎婆母。伊可爾世與等可。爾保鳥能。布多利那良?爲。加多良比斯。許許呂曾牟企?。伊弊社可利伊摩須。
おほきみの。とほのみかどと。しらぬひ。つくしのくにに。なくこなす。したひきまして。いきだにも。いまだやすめず。としつきも。いまだあらねば。こころゆも。おもはぬあひだに。うちなびき。こやしぬれ。いはむすべ。せむすべしらに。いはきをも。とひさけしらず。いへならば。かたちはあらむを。うらめしき。いものみことの。あれをばも。いかにせよとか。にほどりの。ふたりならびゐ。かたらひし。こころそむきて。いへさかりいます。
 
遠ノミカドは既に出づ。期は斯の誤なり。ナク子ナスは泣ク子ノ如クなり。イキダニモ云云は、道を急ぎ來て息苦しく忙しきなり。是れは妻の都より來りて、程無くみまかりしを言はんとて斯く言へり。イマダアラネバはアラヌニなり。心ユモは心ヨリモなり。オモハヌアヒダニはオモヒカケズの意なり。ウチナビキ云云は.身の萎《ナ》え臥すを言ふ。コヤシヌレ、短句も有る事ながら、七言の所を五言に言ふは、此(214)頃の歌には如何があらん。禮の下婆の字落ちたるなるべし。コヤシヌレバにて即ち死を言ふなり。推古紀、聖コ太子の御歌に、許夜勢?諸能多比等阿波禮《コヤセルソノタビトアハレ》。石木ヲモトヒサケシラズは、問分シラズと言ふなるべし。石木にだに語りて慰めんを、非情物なれば分ち知らずとなり。宣長云、トヒサケは言とひて思を晴らしやる意なるべしと言へり。カタチハアラムヲは.宣長云、カタチは死屍を言ふ。さてイヘサカリイマスと言ふは、則ち葬送を言ひて、ここは葬せずして有らば、せめて屍なりとも有らんにと言ふなりと言へり。妹ノミコトは尊ぶ詞なり。父ノミコト、母ノミコトなど言へり。ニホドリノ、枕詞。心ソムキテは背向なり。世をそむくと言ふに同じ。
 參考 ○伊摩他阿良禰婆(古、新)「伊久陀毛」イクダモアラネバ ○刀比佐氣斯良受(新)「由伎」ユキサケシラズ。
 
反歌
 
795 伊弊爾由伎弖。伊可爾可阿我世武。摩久良豆久。都摩夜左夫斯久。於母保由倍斯母。
いへにゆきて、いかにかあがせむ。まくらづく。つまやさぶしく。おもほゆべしも。
 
枕ヅク、枕詞。ツマヤは閨房を言ふ。サブシクはサビシクなり。オモホユベシモのモは助辭。是れは葬り送りて歸る折の歌にて、家は筑紫の館を言へり。
 
796 伴之伎【伎ヲ枝ニ誤ル】與之。加久乃未可良爾。之多比己之。伊毛我己許呂乃。須別毛須別那左。
(215)はしきよし。かくのみからに。したひこし。いもがこころの。すべもすべなさ。
 
ハシキヨシは、ハシキヤシと同じく愛《ウツ》くしむ詞。カクノミカラニは、カクミマカリナムカラニなり。スベモスベナサは、セムカタナサと言ふを重ね言へるのみ。
 
797 久夜斯可母。可久斯良摩世婆。阿乎爾與斯。久奴知許等其等。美世摩斯母乃乎。
くやしかも。かくしらませば。あをによし。くぬちことごと。みせましものを。
 
悔しきかな斯くあらんと知りて有りせばなり。久老云、アヲニヨシは古事記の阿那邇夜志《アナニヤシ》と有ると同意にて、妻を愛《ウツ》くしみて意ふ詞。國中《クヌチ》は筑紫の國中なりと言へり。上にシタヒコシと有るからは、京より來れる妻なるを、アヲニヨシを奈良の事としては此歌解くべからず。猶久老委しき考あり。是れに由るべし。クヌチは國中、コトゴトは悉クなり。卷十七長歌、こしのなか久奴如許登其等とも有り。又同卷、家持卿弟書持みまかりたるを聞きて越中にて、かからむとかねて知りせばこしの海のありその浪も見せましものを、と詠まれたるも心は同じ。
 
798 伊毛何美斯。阿布知乃波那波。知利奴倍斯。和何那久那美多。伊摩陀飛那久爾。
いもがみし。あふちのはなは。ちりぬべし。わがなくなみだ。いまだひなくに。
 
和名抄、楝(阿布智)と見ゆ。今俗センダンと言ふ木なり。奈良の家のあふちを詠めるなるべし。みまかられし比は五月の初めにや。
 
799 大野山。紀利多知和多流。和何那宜久。於伎蘇乃可是爾。紀利多知和多流。
(216)おほぬやま。きりたちわたる。わがなげく。おきそのかぜに。きりたちわたる。
 
筑前御笠郡大野。宣長云、オキソは息嘯《オキウソ》なり。神代紀、嘯之時《ウソブクトキニ》迅風邪忽起と有りと言へり。又息を霧に言ひなせるは、同紀に吹棄氣噴之狹霧《フキウツルイブキノサギリ》と有り。ナゲキも長息《ナガイキ》にて、物を思ひて息の長くつかるるを言ふ。大野山に立つ霧は、則ち吾なげきぞと言ふなり。卷十三わがなげくやさかの歎、卷十五、君が行く海べの宿に霧立たば君立ちなげく息と知りませ、なども詠めり。
 
神龜五年七月廿一日筑前國守山上憶良上  契沖云、憶良の妻みまかりし時、いたみて作られけるを、大伴卿か或るは別人に見せらるる時、憶良上と書けるかと言へり。
 
令v反2惑情1歌一首并序
 
是れも目録に、山上臣憶良と有り。これは惑情を諭《サト》して本情に返らしむる意なり。
 
或(ハ)有v人知v敬2父母1。忘2於侍養1。不v顧2妻子1。輕2於脱履(ヨリ)1。自稱2畏俗先生1。意氣雖v揚2青雲之上1。身體猶在2塵俗之中1。未《ズ》v驗(シアラ)2修行得道之聖(ニ)1。蓋是亡2命山澤1之民。所以(ニ)指2示三綱1更開2五教1。遣(クルニ)v之(ニ)以(シテ)v歌。令v反2其或1。歌曰
 
宣長云、知の上不の字脱ちたるか。畏は異の誤かと言へり。畏一本離に作る。脱履は履を脱ぎ捨つる事なり。史記に、吾誠得(バ)v如(コトヲ)2黄帝(ノ)1。吾視(コト)v去(ルヲ)2妻子1如2脱蹤(ノ)1耳と有るに據れり。青雲は東方朔答却難に見えたり。心の高きを言ふ。盍は盖の誤ならんと宣長言へり。亡命は楊雄が解嘲に出でたる字なり。身を放《ハフ》(217)らして徒らに家を逃れ出づるを言ふ。三綱は君臣父子夫婦を言ふ。五教は父義(ニ)、母慈(ニ)、兄友(ニ)、弟恭(ニ)、子孝なるを言ふ。
 
800 父母乎。美禮婆多布斗斯。妻子見禮婆。米具斯宇都久志。余能奈迦波。加久叙許等和理。母智騰利乃。可可良波志母與。由久弊斯良禰婆。宇既具都遠。奴伎都流其等久。布美奴伎提。由久智布比等波。伊波紀欲利。奈利提志比等迦。奈何名能良佐禰。阿米弊由迦婆。奈何麻爾麻爾。都智奈良婆。大王伊摩周。許能提羅周。日月能斯多波。雨麻久毛能。牟迦夫周伎波美。多爾具久能。佐和多流伎波美。企許斯遠周。久爾能麻保良叙。可爾迦久爾。保志伎麻爾麻爾。斯可爾波阿羅慈迦。
ちちははを。みればたふとし。めこみれば。めぐしうつくし。よのなかは。かくぞことわり。もちどりの。かからはしもよ。ゆくへしらねば。うけぐつを。ぬぎつるごとく。ふみぬきて。ゆくちふひとは。いはきより。なりてしひとか。ながなのらさね。あめへゆかば。ながまにまに。つちならば。おほきみいます。このてらす。ひつきのしたは。あまぐもの。むかぶすきはみ。たにぐくの。さわたるきはみ。きこしをす。くにのまほらぞ。かにかくに。ほしきまにまに。しかにはあらじか。
 
一本、宇都久志の下、遁路得奴兄弟親族遁路得奴老見幼見朋友乃言問交之《ノガロエヌハラカラウカラノガロエヌオイミイトケミトモガキノコトトヒカハシ》の二十二字有り。此歌の書體とも異なれば、恐らくは非なるべし。メグシは神代紀、特(ニ)鍾憐愛以崇養《メグシトオボスココロヲオキテ》と有り。此集には愍の字を用ひたる所有り。メグミと言ふ語も是れより出づ。ウツクシは愛の意なり。父母をば崇めて孝養すべく、妻子をば惠み愛《ウツ》くしむべく、世上は斯くの如きぞ理《コトワ》りは有るものをと言ふなり。序に言へる三綱の中、ここま(218)で其二綱を言へり。モチドリノ、枕詞。カカラハシモヨは黐《モチ》に懸かれる鳥の如く立ち離れ難く、親に關かはりて遁れ難き理りを言ふ。此句の下一句落ちたるか。ウケグツは穿《ウケ》破れたる沓なり。ウケはウガタレの約なり。宇を一木乎に作るは非なり。宣長云、奴伎都流の都流は棄《スツル》なり。辭のツルにては叶はざる由言へり。ここは序文に言へる脱履の事にて、たやすく妻子を去るを言へり。ユクチフは行くと言ふなり。家を出でて行く人を言ふ。イハ木より云云、斯く世に變りたるは、石木よりも生れ出でたる人か、汝が名を名|告《ノ》れとなり。ノラサネはノレを延べたる言にて既に出づ。アメヘユカバ云云は、天へのぼる術をも得たらば汝が心のままにせよ。其術をも得ずば、常の道を行くべしとなり。ツチニアラバ云云、地に在らば皇《オホギミ》おはしますなり。コノテラス日月ノ下云云は、天ノ下と言ふが如し。天雲は、祈年祭祝詞、白雲能|墜坐向伏限《オリヰムカフスカギリ》、また谷蟆能狹度極《タニグクノサワタルキハミ》など言ひて、雲は遠く望めば低きく伏せる如く見ゆる物なれば言へり。谷グクは蝦蟆にて、み谷の草木をも安く潜《クグ》る故言ふ名なり。然からば谷久具と下のクを濁るべけれど、古くは潜を久久留と清音に言ひしと見ゆ。サワタルのサは發語にて、其|蝦蟆《カヘル》の隈《クマ》も無く歩み行くをワタルと言へり。白雲と谷具久とを擧げたるは、天地の涯《ハテ》と言はんが如し。キコシヲスはキコシメスなり。此詞は上の大王イマスより掛けて見るべし。クニノマホラは、景行紀、やまとは區珥能摩保邏摩《クニノマホラマ》と有り。マは眞にて褒むる詞。ホはすべて物につつまれ籠りたる事を言ふ古語なり。ラは助辭なり。されば日本紀私紀にも奧區也と言へり。應神紀、くにのほもみゆと詠ませ給へるは、國の秀《ホ》にて、(219)マホラとは異なり。ホシキマニマニ云云は、欲するままに然《サ》は有るまじき事にては無きかと言ふなり。アラジカのカは疑ふ詞なり。是れは序文に言へる親族をもかへり見ず、おのれ獨り高ぶり家を放れて、みづから某先生と稱へて居たる人に示されたるなり。
 參考 ○由久弊斯良禰婆(代)此上一句脱カ(考)「其輩乃」ソノトモガラノなど脱カ(古)「波夜可波乃」ハヤカハノなど脱カ(新)脱句無し ○宇既に具都遠(考)ヲケグツヲ(古、新)略に同じ ○奴伎都流(考)「奴伎提都流」ヌギデツル(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
801 比佐迦多能。阿麻遲波等保斯。奈保奈保爾。伊弊爾可弊利提。奈利乎斯麻佐爾。
ひさかたの。あまぢはとほし。なほなほに。いへにかへりて。なりをしまさに。
 
ナリは業にて、ナホナホは、卷十四、した奈保那保爾とも有りて、心のかれこれと思ふ事無く、穩やかなる事に言へり。猶猶の意に有らず。長歌に言へる如く、天に登らんは遠ければ、家に歸りて業をせよとなり。シマサニはシマセを延べ云ふなり。爾は禰の誤なるべし。
 參考 ○奈利乎斯麻佐爾(新)ナリヲシマサ「禰」ネ。
 
思子等歌一首并序
 
釋迦如來金口正(ニ)説。等(シク)思(フコト)2衆生1如2羅?羅1。又説(ク)愛無v過v子。至極(ノ)大聖尚有2愛v子之心1。況乎世間(ノ)蒼生誰(220)不v愛v子乎。
 
最勝王經に、吾觀2衆生1無2偏黨1如2羅?羅1。愛無v過v子。誰不v愛v子乎と有り。如來は金身なれば金口と言へり。羅?羅は釋迦の子なり。
 
802 宇利波米婆。胡藤母意母保由。久利波米婆。麻斯提斯農波由。伊豆久欲利。枳多利斯物能曾。麻奈迦比爾。母等奈可可利提。夜周伊斯奈佐農。
うりはめば。こどもおもほゆ。くりはめば。ましてしぬばゆ。いづくより。きたりしものぞ。まなかひに。もとなかかりて。やすいしなさぬ。
 
イヅクヨリ云云は、如何なる過去の因縁にて吾子と生れこし物ぞとなり。マナカヒは眼之間《マナカヒ》にて、常に目前に在る如く思ふ意か。ヤスイシナサヌのシは助辭にて。安く寢《ヌ》る事をせぬなり。古事記|伊遠斯那世《イヲシナセ》と有るも寢《ヌ》る事なり。筑紫にて京に留まれる子等が、瓜を食み栗を食むにも然《サ》らぬ時にも、面影に見ゆるを言へり。
 
反歌
 
803 銀母。金母玉母。奈爾世武爾。麻佐禮留多可良。古爾斯迦米夜母。
しろがねも。こがねもたまも。なにせむに。まされるたから。こにしかめやも。
 
此卷の下に、世の人のたふとび願ふ七くさの寶も吾は何かせむ、吾中の生れ出でたる白玉の吾子古日云云とも詠めり。
(221) 參考 ○金(古、新)クガネ。
 
哀2世間難1v住歌一首并序
 
易v集難v排八大辛苦。難v遂易v盡百年賞樂。古人所v歎、今亦及v之。所以因作2一章之歌1。以撥2二毛之歎1。其歌曰。
 
排は押し開き退くる意。八大辛苦は、生、老、病、死、愛別離、怨憎會、求不得、五陰成の八を言ふ由佛典に出づ。賞樂は賞心樂事なり。二毛は左傳に出でたる字なり。老いて白毛の交り生ふるを言ふ。又潘岳が秋興賦序にも二毛を歎ずと言へり。契沖云、憶良は天平五年に七十四歳にて卒せらる。此歌の左に神龜五年と有るに由りて逆推するに、六十九歳の作なれば、秋興賦の意に叶はず。左傳によりて老いを歎く心を歌に作れりとすべし。唯だ二毛之歎と言へるは、秋興賦のおもかげなりと言へり。
 
804 世間能。周弊奈伎物能波。年月波。奈何流流其等斯。等利都都伎
。意比久留母能波。毛毛久佐爾。勢米余利伎多流。遠等刀y塔柱トニ誤ル】良何。遠等刀y呼ニ誤ル】佐備周等。可羅多麻乎。多母等爾麻可志
(【或有此句云|之路多倍乃《シロタヘノ》。袖布利可伴之《ソデフリカハシ》。久禮奈爲乃《クレナヰノ》。阿可毛須蘇毘伎《アカモスソビキ》。】)
余知古良等。手多豆佐波利提。阿蘇比家武。等伎能佐迦利乎。等等尾迦禰。周具斯野利都禮。
よのなかの。すべなきものは。としつきは。ながるるごとし。とりつづき。おひくるものは。ももくさに。せめよりきたる。をとめらが。をとめさびすと。からたまを。たもとにまかし。よちこらと。てたづさはりて。あそびけむ。ときのさかりを。(222)とどみかね。すぐしやりつれ。
 
年月は水の流るる如く過ぐるに、其れに續きて追ひ來るやうに、樣樣の愁の責め來るを言ひて、一首の大意とす。ヲトメラガ云云は、政事要略に、淨御原天皇吉野宮におはしませしに、神女の舞ひ歌ひし歌とて、乎度綿度茂《ヲトメドモ》。※[竹/邑]度綿左備須茂《ヲトメサビスモ》。可艮多萬乎《カラタマヲ》。多茂度邇麻岐底《タモトニマキテ》。乎度綿左備須茂《ヲトメサビスモ》と言ふ歌を載せたれど、神女の歌へると言へるは後の傳へにて、誠は續紀、天平十五年五月、詔して五節の樂造らせ給へる時に、作りて歌はせられしなるべし。今は右の歌の類ひなり。ヲトメサビは處女進《ヲトメスサミ》にて、ヲトメノフルマヒスと言ふ意なり。マカシはマキを延べたる詞。ヨチコラは、宣長云、同じころほひの子等を言ふ。卷十四、此川に朝な洗ふ子汝れも吾も余知乎曾母弖流《ヨチヲゾモテル》、卷十六長歌、四千庭《ヨチニハ》、など有るも同じと言へり。手タヅサハリテ云云、手を組み合ひなどして遊び歩りくさまなり。時ノ盛ヲ云云、盛の時を止《トド》めかね過ぐし遣りつればの意なり。ツレバのバを略けるは例なり。
 
美奈乃和多。迦具漏伎可美爾。伊都乃麻可。斯毛乃布利家武。久禮奈爲能。(【一云、爾能保奈酒】)意母提乃宇倍爾。伊豆久由可。斯和何伎多利斯。(【一云|都禰奈利之惠麻比麻欲毘伎散久伴奈能宇都呂比爾家利余乃奈可伴可久乃未奈良之《ツネナリシヱマヒマヨビキサクハナノウツロヒニケリヨノナカハカクノミナラシ》、】)
みなのわた。かぐろきかみに。いつのまか。しものふりけむ。くれなゐの。おもてのうへに。いづくゆか。しわかきたりし。
 
ミナノワタ、枕詞。いつの程にか白髪生ひたりと言ふなり。クレナヰノ云云、紅顔にいつよりか皺掻垂《シワカキタリ》(223)しと言ふ意なり。又|何《カ》をここは濁音にのみ用ひたれば、イヅクユカ皺ガ來タリシと言ふかとも覺ゆれど、古語の體にあらず。一本のニノホは、卷十三、丹《ニ》の穗にもみづとも詠みて、ニは丹にて、ホは物の顯はるるを秀《ホ》と言へり。則ち紅顔の事なり。ヱマヒは笑《ヱミ》なり。マヨビキは眉なり。咲く花の如くうつろふと言ふなり。ここまでは女の若きが老ゆるを言ふ。
 
麻周羅遠乃。遠刀古佐備周等。都流伎多智。許志爾刀利波枳。佐都由美乎。多爾伎利物知提。阿迦胡麻爾。志都久良宇知意伎。波比能利提。阿蘇比阿留伎斯。余乃奈迦野。都禰爾阿利家留。遠等刀y塔柱トニ誤ル】良何。佐那周伊多斗乎。意斯比良伎。伊多度利與利提。麻多麻提乃。多麻提佐斯迦閉。佐禰斯欲能。伊久?母阿羅禰婆。多都可豆惠。許志爾多何禰提。可由既婆。比等爾伊等波延。可久由既婆。比等爾邇久麻延。意余斯遠波。迦久能尾奈良志。多麻枳波流。伊能知遠志家騰。世武周弊母奈斯。
ますらをの。をとこさびすと。つるぎだち。こしにとりはき。さつゆみを。たにぎりもちて。あかごまに。しづくらうちおき。はひのりて。あそびあるきし。よのなかや。つねにありける。をとめらが。さなすいたどを。おしひらき。いたどりよりて。またまでの。たまでさしかへ。さねしよの。いくだもあらねば。たつかづゑ。こしにたがねて。かくゆけば。ひとにいとはえ。かくゆけば。ひとににくまえ。およしをば。かくのみならし。たまきはる。いのちをしけど。せむすべもなし。
 
ヲトコサビはヲトメサビと對して男|進《スサミ》なり。サツ弓は幸弓にて、山の幸、野の幸など言ふ幸なり。シヅクラは和名抄、?(之太久良)と有り。下《シ》ヅ鞍なり。物具装束抄、切付(號2下鞍1)小豹(公卿及四位用v之)(224)云云。アソビアルキシ、ここは句なり。ヨノ中ヤ常ニ有リケルは、世中は常にはあらずと言ふ義なり。ここにて又切れて、イクダモアラネバと言ふへ懸かるなり。サナス板戸ヲは、サは眞《マ》と同じく發語にて、ナスは令v鳴《ナラス》なり。古事記、八千矛神の御歌に、遠登賣能那須夜伊多斗遠《ヲトメノナスヤイタトヲ》と言ふも令v鳴にて、即ち戸を閉《サ》す事を然か言へり。古への戸は多く開き戸にて、開閉に音有る故なるべしと宣長言へり。ここも是れと同じ。マ玉手の云云は、うるはしき手をさしかはしぬるさまなり。ここも八千矛神のみ歌の、麻多麻傳多麻傳佐斯麻岐《マタマデタマデサシマキ》と有るに同じ。繼體紀、まきさく檜《ヒ》の板戸を押し開き云云、いもが手を我れにまかしめ我が手をばいもにまかしめ云云と有るにも似たり。サネシのサは眞《マ》に同じく發語。イクダモアラネバはイクバクモアラヌニなり。タツガ杖は手束弓に同じく、手握る杖と言ふなり。コシニタガネテは束《ツカ》ヌるにて、杖に倚《ヨ》りそふさまなり。イトハエはイトハレなり。禮と衣を通はし言へり。ニクマエも同じ。オヨシヲバは、老イシ人ヲバと言ふなりと翁は言はれつれど、猶おだやかならず。オヨソハなりと契沖が言へるに由らんか。猶考ふべし。カクノミナラシは、世間は斯くの如くのものに有るらしと言ふな。タマキハル、枕詞。命ヲシケドは、ヲシケレドモの略なり。
 參考 ○余乃奈迦野(考)ヨノナカノ(古、新)略に同じ ○可久由既波(古)カユケバ(新)略に同じ ○比等爾邇久麻延(新)ヒトニニクマ「由」ユ ○意余斯遠婆(新)オ「保」ホシ「余」ヨハ。
 
反歌
 
(225)805 等伎波奈周。迦久斯母何母【今何母二字ヲ脱ス】等。意母閉騰母。余能許等奈禮婆。等登尾可禰都母。
ときはなす。かくしもがもと。おもへども。よのことなれば。とどみかねつも。
 
今本、斯母の下何母の字脱ちたり。拾穗本、何母の字有るは然《サ》る本有りしなるべし。トキハナスは常磐ノ如クなり。トドミはトドメに同じ。モは助辭。
 
神龜五年七月廿一日。於2嘉摩郡1撰定。筑前國守山上憶良。
 
○目録に太宰帥大伴卿相聞歌二首答歌二首と有り。初めにも書牘の前に題あれば、ここも題有りしが落ちしならん。
 
伏(シテ)辱(クス)2來書(ヲ)1。具(ニ)承(ケ)2芳旨(ヲ)1。忽成(シ)2隔v漢(ヲ)之戀(ヲ)1。復傷(マシム)2抱v梁之意(ヲ)1。唯羨去留無v恙。遂待2披雲1耳
 
隔漢は牽牛織女の銀漢を隔て在るを言ふ。拘梁は尾生と言へる者、女と梁下《ハシノシタ》に期せしに、女子來らずして水到りければ、抱v梁而死と言へる故事にて、莊子などの書に多く見ゆ。羨は冀の誤かと契沖言へり。さも有るべし。披雲は晋の樂廣が事を、若d披2雲霧1而覩u2青天1と言へる事の有るより、人に逢ふ事を尊みて言ふ時に披雲と言へり。
 
○是れは大伴旅人卿より京に在る人の許へ歌を贈られし時、京の人の答への歌と書牘なるを、旅人卿よりの贈歌をも、後に一つなみに書き記るせしものなり。末に淡等と有るは則ち旅人卿の事にて、蘇我|妹子《イモコ》を因高と書けるに等しく、淡等にてタビトと訓むべし。ここはいたく亂れたりと見ゆ。歌を見るに、初(226)め二首は旅人卿、次の二首は京人の答へ歌なり。さればここの書き樣《ザマ》、此書牘の前に端詞有りて、多都能馬母の歌と宇豆都仁波の歌有りて、其所に大伴淡等謹?と有るべし。さて右の伏辱2來書1云云の書牘有りて、其なみに多都乃麻乎の歌と多陀爾阿波須の歌有りて、其作者の名有るべき物なり。
 
歌詞兩首 太宰卿 大伴卿
 
806 多都能馬母。伊麻勿愛弖之可。阿遠爾與志。奈良乃美夜古爾。由吉帝己牟丹米。
たつのまも。いまもえてしが。あをによし。ならのみやこに。ゆきてこむため。
 
周禮、凡馬八尺以上爲v龍と言へるを思へるなり。日本紀竟宴歌に、十つゑあまり八つゑをこゆるたつのこまと詠めり。
 
807 宇豆都仁波。安布余志勿奈子。奴婆多麻能。用流能伊昧仁越。都伎提美延許曾。
うつつには。あふよしもなし。ぬばたまの。よるのいめにを。つぎてみえこそ。
 
夢ニヲのヲは助辭。繼ぎて見んとなり。コソは願ふ詞。
 
答歌二首
 
808 多都乃麻乎。阿禮波毛等米牟。阿遠爾與志。奈良乃美夜古邇。許牟比等乃多米。【米ヲ仁ニ誤ル】
たつのまを。あれはもとめむ。あをによし。ならのみやこに。こむひとのため。
 
アレは吾なり。多米、今本多仁と有り。一本に依りて改めつ。
(227) 參考 ○多仁(代)タニ(考)タニ、又は、タ「米」メか(古、新)タニ。
 
809 多陀爾阿波須。阿良久毛於保久。志岐多閉乃。麻久良佐良受提。伊米爾之美延牟。
ただにあはず。あらくもおほく。しきたへの。まくらさらずて。いめにしみえむ。
 
ただちに逢はず有る月日の重なるなり。アラクはアルを延べ云ふ。夜毎に枕去らず夢に見えんとなり。贈歌に夢ニ見エコソと願へるを受けて詠めり。於保久の久は之の誤ならんと宣長言へり。
 參考 ○阿良久毛於保久(古、新)アラクモオホシ。
 
大伴(ノ)淡等《タビト》謹?。
 
○目録に帥大伴卿梧桐日本琴贈2中衛大將藤原卿1歌二首と有り。前後の例に據るに、ここにも題有りしが落ちしならん。
 
梧桐|日本《ヤマト》琴一面(對馬結石山孫枝也) 雅樂式云、和琴一面長六尺二寸と有り。結石を仙覺、ユフシと詠めり。孫枝は?康琴賦に、乃劉2孫枝1淮2量所1v任。白氏文集に、梧桐老去長2孫枝1と有り。又卷十八橘の歌に、孫枝《ヒコエ》もいつつとも詠めり。枝の下、也の字今本に無し。一本に據りて補へり。
 
此琴夢化2娘子1曰。余託(シ)2根(ヲ)遙嶋之崇巒1。晞《サラス》2幹(ヲ)於九陽之休光1。
 
琴賦に、椅梧之所v生今託2峻嶽之崇岡1云云。又且(ニ)晞2幹(ヲ)於九陽1云云。また吸2日月之休光1と有るをもて書けり。崇巒は高き峰なり。九陽は王逸が楚辭の註に、九陽謂2九天之涯1也と有り。また文選の註には、(228)九(ハ)陽(ノ)數也、陽日也とも言へり。休光は註に休は善也と有りて、好き光と言ふ意なり。
 
長(ク)帶2烟霞1。逍2遙山川之阿1。遠(ク)望(ミテ)2風波1。出2入(ス)雁木之間(ニ)1。
 
莊子に、周山に入りて、大樹の茂りたるが下を、杣人の過ぎながら伐らねば、其故を問ふに、用無き木なりと言へり。斯くて莊周此木の不材なるをもて天年を終る事を知りぬ。さて山を出でて人の家に宿りしに、雁を殺して烹けるが、聲の好きをば殺さで、惡ろきを殺せり。斯くて又惡ろき物とても天年を終へざる事あるを知れりと言ふ故事に由りて、不材なりとて人に採らるまじきや、又人に採らるべきやの間に出入すと言ふ意なり。
 
唯恐(クハ)百年之後。空(シク)朽(ルコトヲ)2溝壑(ニ)1。【壑ヲ額ニ誤ル】偶遭(テ)2良匠(ニ)1。散(シテ)爲(ラバ)2小琴(ト)1。不v顧2質麁(ニシテ)音少(トナルコトヲ)1。恒(ニ)希(フ)2君子(ノ)左琴(タランコトヲ)1。即歌曰。
 
溝壑は孟子の字にて、河谷などの事を言ふ。左琴は古列女傳、楚の於陵子終が妻の言へる言に、左v琴右v書。樂在2其中1と言ふより出でたり。
 
810 伊可爾安良武。日能等伎爾可母。許惠之良武。比等能比射乃倍。和我摩久良可武。
いかにあらむ。ひのときにかも。こゑしらむ。ひとのひざのへ。わがまくらかむ。
 
一二の句は、いつの時、いづれの日にかと言ふなり。聲シラム人は、伯牙善く琴を彈き、鍾子期善く聽けりと言ふ故事もて詠めり。ヒザノヘは膝上なり。枕カムは、集中、楊カヅラキ、又カヅラカムなども(229)有れば、カムは詞にて、枕セムと言ふに同じ。古今六帖に、マクラセムと直して載せたり。
 
僕報2詩詠1曰
 
詩は謌と一本に有れど、此卷の末にも又卷十七にも謌を詩と言へる事有り。
 
811 許等等波奴。樹爾波安里等母。宇流波之吉。伎美我手【手ヲ拜ニ誤ル】奈禮能。許等爾之安流倍志。
こととはぬ。きにはありとも。うるはしき。きみがたなれの。ことにしあるべし。
 
物言はぬ木には有れども、うるはしき人の手ならす琴と成りて有らんとなり。
 參考 ○樹爾波安里等母(新)キニハア「禮」レドモ。
 
琴娘子答曰
 
敬奉2コ音1幸甚幸甚
 
是れ琴の答へにして、此下は作者の詞なり。
 
片事覺(メテ) 即感(ズ)2於夢言(ニ)1。慨然(トシテ)不v得2黙止(スルコトヲ)1。故(ニ)附2公使(ニ)1。聊以(テ)進御(スル)耳。 謹?不具。
 
右二首の歌を別行に書きて有れど、もとは書牘の文の中に續けて書きしなるべし。琴娘子答曰と言ふをも、今の本、題の如く放ちて書けるは誤れるなり。
 
天平元年十月七日附v使進上。
謹(テ)通2 中衛高明閣下1謹空。
 
(230)續紀に、神龜四年八月、置2中衛府1云云。また公卿補任に、大同二年四月廿二日。改2近衛1爲2左近衛1。改2中衛1爲2右近衛1と有り。閤は閣の誤なり。謹空は敬ふ時書く事なり。後世左白なども書きて、書牘の末を白く餘し置くを敬とするなり。東寺にある空海の書牘などにも總べて斯く書けり。本朝文粹にも見ゆ。
 
○目録に、中衛大將藤原卿報歌一首と有り。ここにも題の別に有りて落ちしか、又前の書牘の題に此返書の事も書きこみて有りしか。
 
跪(テ)承2芳音1嘉懽交(モ)深(シ)。乃知(ル)龍門之恩。復厚(キコトヲ)2蓬身之上(ニ)1。戀望殊念。常(ニ)心(ニ)百倍(ス)。謹(テ)和2白雲之什1。以奏2野鄙之歌1。房前謹?。
 
龍門は後漢の李膺が門に入り難きを龍門に登る事の難きに譬へ、其門に入るを榮とする事に言へり。今は大伴卿を指して龍門と言へるなり。蓬身は毛詩、自2伯之東1首如2飛蓬1と言ふ事に依りて、蓬頭とは常に言へり。蓬身も其意か。白雲は白雪の誤なるべし。文選、宋玉が楚王の問に答ふる文に、白雪之什と見ゆ。
 
812 許等騰波奴。紀爾茂安理等毛。 和何世古我。多那禮之美巨騰。都地爾意加米移母。
こととはぬ。きにもありとも。わがせこが。たなれのみこと。つちにおかめやも。
 
ワガセコは旅人卿を指す。ミコトとは御琴なり。移は神功紀、{人爾波移《シタガヘルヒトニハヤ》と有りて、移の字の傍に、私(231)記、野とせり。また欽明紀、宮家《ミヤケ》を彌移居《ミヤケ》と書けり。是れら移をヤの假字に用ひたる證なり。
 
十一月八日附2還使大監(ニ)1。  大監は大伴宿禰百代なり。卷三、卷四に見ゆ。
 
謹通2尊門記室1。  尊門は人を尊稱する語なり。
 ○目録に、山上臣憶良詠2鎭懷石1歌一首并短歌と有り。是れも題の有りしが落ちしなるべし。
 
筑前國|怡土《イト》郡|深江《フカエ》村|子負《コフノ》原。臨v海丘上有2二石1。
 
歌に、おきつ布可延《フカエ》のうなかみの故布《コフ》のはらに、と有り。
 
大者長一尺二寸六分。圍一尺八寸六分。重十八斤五兩。小者長一尺一寸。
圍一尺八寸。重十六斤十兩。並皆橢【橢ヲ堕ニ誤ル】圓?如2鷄子1。其美好者不v可2勝論1。所謂徑尺璧【璧ヲ壁ニ誤ル】是也。([或云此二石者肥前國|彼杵《ソノキ》郡平敷之石、當v占而取之)
 
令に、權衡二十四銖爲v兩。三両爲2大兩1。十六兩爲v斤。義解に、以2秬黍中者百黍重1爲v銖。廿四銖爲v兩と有り。橢又楕にも作る。字書に、他果反、圓而長者曰v橢と有り。徑尺は淮南子に聖人不v貴2尺之璧1と有るより出でて、大なる玉と言ふ意なり。註に平敷と有るは地名か。又地に敷きて有りしを言ふにや。平、一本、于と有り。筑前風土記、兒饗石。怡土郡云云。一顆長一尺二寸。太一尺。重四十一斤。一顆長一尺一寸。太一尺。重四十九斤。と有り。
 
去2深江驛家1二十許里。近(ク)在2路頭1。公私(ノ)徃來。莫v不2下馬跪拜1。古老相傳(テ)曰。往者|息長足日女《オキナガタラシヒメノ》命征2討(232)新羅國1之時用2茲兩石1挿2著御袖之中1。以爲2鎭懷1([實是御裳中矣) 所以行人敬2拜此石1。乃作v歌曰。
 
神功紀に、既而室后云云躬欲2西征1。于v時也追當2皇后之開胎1。皇后則取v石押v腰祈之曰。事竟還日産2於茲土1。其石今在2于伊覩縣道邊1と見えたり。怡土郡は仲哀紀、筑紫|伊覩《イト》縣主祖|五十迹手《イトテ》が瓊、鏡、釼を天皇に奉る事有りて、天皇五十迹手を美《メ》で給ひて、伊蘇志とのたまふより、五十迹手が本土を伊蘇國と言ふ。今伊覩と言ふは訛れる由有り。
 
813 可既麻久波。阿夜爾可斯故斯。多良志比刀B可尾能彌許等。可良久爾遠。武氣多比良宜弖。彌許許呂遠。斯豆迷多麻布等。伊刀良斯弖。伊波比多麻比斯。麻多麻奈須。布多都能伊斯乎。世人爾。斯梼z多麻比弖。余呂豆余爾。伊比都具可禰等。和多能曾許。意枳都布可延乃。宇奈可美乃。故布乃波良爾。美弖豆可良。意可志多麻比弖。可武奈何良。可武佐備伊麻須。久志美多麻。伊麻能遠都豆爾。多布刀伎呂可?
かけまくは。あやにかしこし。たらしひめ。かみのみこと。からくにを。むけたひらげて。みこころを。しづめたまふと。いとらして。いはひたまひし。またまなす。ふたつのいしを。よのひとに。しめしたまひて。よろづよに。いひつぐがねと。わたのそこ。おきつふかえの。うなかみの。こふのはらに。みてづから。おかしたまひて。かむながら。かむさびいます。くしみたま。いまのをつつに。たふときろかも。
 
ムケタヒラゲ、既に出づ。イトラシテのイは發語にて、取ラセタマヒシなり。イハヒタマヒシは、神にうけひませし事を言ふ。マ玉ナスは眞玉ノ如クなり。イヒツグガネのガネの語既に出づ。萬代まで言ひ繼がん爲めにと言ふ意なり。ワタノ底、枕詞。地名の深江に奧深きと言ひ懸けたり。ウナカミは地名には(233)有らじ、序に臨v海丘上と有る所を言ふか。コフノ原、序に言へる地名なり。紀に、伊覩の道の邊と言へる所なるべし。オカシタマヒテは置カセタマヒテなり。クシミタマは、神代紀に、奇魂をクシミタマと訓めり。クシはアヤシキなり。神功紀に、和魂は玉身に從ひ、荒魂は先鋒として、と言ふ義有るを、此二つの石の事に言ひなせるなり。ミタマは眞玉と言ふが如く、褒むる詞なり。ヲツツは現なり。タフトキロカモのロは助辭にて、貴哉と言ふなり。仁コ紀に、介辭古耆呂介茂《カシコキロカモ》とも有り。
 
814 阿米都知能。等母爾比佐斯久。伊比都夏等。許能久斯美多麻。志可志家良斯母。
あめつちの。ともにひさしく。いひつげと。このくしみたま。しかしけらしも。
 
反歌なり。天地と共に世に語り傳へよとの御心にて、此神靈の石を敷《シカ》しけらしと言ふなり。アメツチ能の能の言は、トに通ひて聞ゆる一つの體なる由、宣長言へり。
 參考 ○志可志(新)「意」オカシ。
 
右(ノ)事傳(ヘ)言(ハ)、那珂《ナカノ》郡|伊知《イチノ》郷|蓑島《ミノシマ》人建部(ノ)牛麻呂是也。
 
こは右の石の尺寸などを此人の言ふを聞けるままに、斯く記るせしなり。
 
梅花歌三十二首并序
 
目録に大宰帥大伴卿宅宴梅花云云と有り。
 
天平二年正月十三日。萃《アツマル》2于帥老之宅1。申(ル)2宴會1也。于v時初春令月。氣淑風和。梅披(キ)2鏡前之粉(ヲ)1。蘭薫(ラス)2珮(234)後之香(ヲ)1。加以《シカノミナラズ》曙嶺移v雲(ヲ)。松掛v羅而傾v蓋(ヲ)。夕岫結v霧。鳥封v?而迷(フ)v林(ニ)。庭(ニ)舞(ハセ)2新蝶(ヲ)1。空(ニ)歸(ラシム)2故雁(ヲ)1。
 
帥老は大伴卿を言ふ。此序は憶良の作れるならんと契沖言へり。さも有るべし。鑑前之粉は、宋武帝の女壽陽公主の額に梅花の落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅花粧と言ふ事起れりと言へり。是れに由りて言へるなり。珮後之香は屈原が事に由りて言へり。傾蓋は松を偃蓋など言ふ事、六朝以後の詩に多し。對?は宋玉神女賦に、動2霧?1以徐歩と有り。?はこめおりのうすものなり。さて霧を?に譬へ、?を霧にも譬へて言へり。契沖は對は封の誤かと言へり。
 
於v是蓋v天坐v地。促(テ)v膝(ヲ)飛(シ)v觴(ヲ)。忘(ル)2【忘ヲ忌ニ誤ル】言(ヲ)一室之裏(ニ)1。
開(ク)2衿(ヲ)煙霞之外(ニ)1。淡然(トシテ)自放(ママニ)。快然(トシテ)自足。若(シ)非(ズハ)2翰苑(ニ)1何(ヲ)以(テ)?(ベシ)v情(ヲ)。請(フ)紀2落梅之篇(ヲ)1。古今夫(レ)何(ゾ)異(ラン)矣。宜(シク)d賦(シテ)2園梅(ヲ)1聊(カ)成(ス)v短詠(ヲ)u。
 
劉伶酒コ頌に、幕v天席v地と言へるを取りて、蓋v天坐v地と言へり。促v膝は梁睦陲(ガ)詩に、促v膝豈(ニ)異人(ナランヤ)。
 
註に促(ハ)近v膝坐也と言へり。飛觴は西京賦に羽觴|行而《メグリテ》無v算。註に羽觴作2生爵形1と有り。忘言は莊子に言者所2以在1v意(ニ)。得v意而忘v言と有るより出でて、ここは打解けて物語などする事を言ふ。さて蘭亭叙に、語2言一室之内(ニ)1と有るに倣へり。批序は初めの書きざまよりして、すべて蘭亭叙をまなびて書けり。開衿は胸襟を開くなどとも言ひて、心を開く事なり。
 
815 武都紀多知。波流能吉多良婆。可久斯許曾。烏梅乎乎岐都都。多努之岐乎倍米。  大貳紀卿
むつきたち。はるのきたらば。かくしこそ。うめををりつつ。たぬしきをへめ。
 
(235)年ごとに春來らばなり。カクシのシは助辭にてカクコソなり。樂キヲヘメは樂シヲキハメムと言ふ意なり。卷十九、春のうちの樂しき終《ヲ》へばと詠めり。古今集大歌所の歌の、樂しきをつめと有るも、タノシキヲヘメなりけんを、見|混《マガ》へたるなるべし。大貳は相當四位なれど、三位の人を任ぜし故、卿と書けるならん。
 
816 烏梅能波奈。伊麻佐家留期等。知利須義【義ヲ蒙ニ誤ル】受。和我覇能曾能爾。阿利己世奴加毛。  少貳小野大夫
うめのはな。いまさけるごと。ちりすぎず。わがへのそのに。ありこせぬかも」
 
須義を今須蒙と書けるは、蒙の草書より誤りたるものなり。ワガヘは吾家の略。有リコセヌカモは在乞《アリコソ》と願ふ詞。ヌカは打返し言ふ詞なり。小野大夫は小野朝臣老なり。
 
817 烏梅能波奈。佐吉多流僧能能。阿遠也疑波。可豆良爾須倍久。奈利爾家良受夜。  少貳粟田大夫
うめのはな。さきたるそのの。あをやぎは。かづらにすべく。なりにけらずや。
 
集中、柳を鬘《カヅラ》に懸くる事あまた見ゆ。
 
818 波流佐禮婆。麻豆佐久耶登能。烏梅能波奈。比等利美都都夜。波流比久良佐武。  筑前守山上大夫
はるされば。まづさくやどの。うめのはな。ひとりみつつや。はるびくらさむ。
 
見ツツヤは見ツツヤハの意なり。山上大夫は憶良なり。
 
819 余能奈可波。古飛斯宜志惠夜。加久之阿良婆。烏梅能波奈爾母。奈良麻之勿能怨。  豐後守大伴大夫
よのなかは。こひしけしゑや。かくしあらば。うめのはなにも。ならましものを。
 
(236)コヒシケは戀シキなり。シヱヤはヨシヱヤシと言ふに同じくヨシヤなり。宜は濁音の假字なれは、企の誤にて、コヒシキならんと翁は言はれき。宣長云、戀|繁《シゲ》し、ゑやなり。ヱヤは其戀のしげき事を歎息したる詞なりと言へり。カクシアラバのシは助辭。斯く世の中戀しくは非情の梅にも成らんをとなり。是れは古郷の妹などを戀ふる心より詠めるならん。此卷の未に、おくれゐて汝が戀ひせずはみそのふの梅の花にもならましものを。大伴大夫は三依なるべし。
 參考 ○古飛斯宜志惠夜(代、古)コヒシゲシエヤ(考)「古飛志企」コヒシキシヱヤ(新)コ「登」トシゲシヱヤ。
 
820 烏梅能波奈。伊麻佐可利奈理。意母布度知。加射之爾斯弖奈。伊麻佐可利奈理。  筑後守|葛井《フヂヰ》大夫
うめのはな。いまさかりなり。おもふどち。かざしにしてな。いまさかりなり。
 
オモフドチはオモフ友ドチなり。シテナはシテムの意なり。葛井大夫は大成なり。
 
821 阿乎夜奈義。烏梅等能波奈乎。遠理可射之。能彌弖能能知波。知利奴得母與斯。  笠沙彌《カサノサミ》
あをやなぎ。うめとのはなを。をりかざし。のみてののちは。ちりぬともよし。
 
梅柳を折り挿し以て酒代み遊びての後は、花は散るともよしとなり。沙彌、俗人の名なるべし。
 參考 ○烏梅等能波奈乎(新)ウメノハナトヲか。
 
822 和何則能爾。宇米能波奈知流。比佐可多能。阿米欲里由吉能。那何列久流加母。  主人
(237)わがそのに。うめのはなちる。ひさかたの。あめよりゆきの。ながれくるかも。
 
集中降ルを流ルと多く言へり。旅人卿なり。
 
823 烏梅能波奈。知良久波伊豆久。志可須我爾。許能紀能夜麻爾。由企波布理都都。  大監伴氏百代
うめのはな。ちらくはいづく。しかすがに。このきのやまに。ゆきはふりつつ。
 
チラクはチルを延べ言ふなり。シカスガはシカシナガラ、サスガなど同語なり。キノ山は筑前下座郡三城、卷四、城山道はさびしけむかも、と詠める同じ所なり。
 
824 烏梅乃波奈。知良麻久怨之美。和家【家ハ我ノ誤】曾乃乃。多氣乃波也之爾。于具比須奈久母。  小監阿氏|奧嶋《オキシマ》
うめのはむ。ちらまくをしみ。わがそのの。たけのはやしに。うぐひすなくも、
 
家は我の草書より誤れるならん。次も然り。花の散るを惜みて鶯鳴くとなり。モはカモと言ふに同じ。阿部氏か阿跡《アト》氏か。
 
825 烏梅能波奈。佐岐多流曾能能。阿遠夜疑遠。加豆良爾志都都。阿素?久良佐奈。  小監土氏百村
うめのはな。さきたるそのの。あをやぎを。かづらにしつつ。あそびくらさな。
 
クラサナはクラサムなり。士師氏なり。
 
826 有知奈?久。波流能也奈宜等。和家【家ハ我ノ誤】夜度能。烏梅能波奈等遠。伊可爾可和可武。  大典史氏大原
うちなびく。はるのやなぎと。わがやどの。うめのはなとを。いかにかわかむ。
 
ウチナビク、枕詞。家は我の誤なり。柳と梅と何れ優さり劣りも無しと愛づるなり。史部氏なり。
 
(238)827 波流佐禮婆。許奴禮我久利弖。宇具比須曾。奈岐弖伊奴奈流。烏梅我志豆延爾。  小典山氏若麻呂
はるされば。こぬれがくりて。うぐひすぞ。なきていぬなる。うめがしづえに。
 
コヌレガクリは木闇隱《コノグレカクレ》にて、木陰に隱るるなり。イヌナルのイは發語。夜る宿《ヌ》るを言ふと翁は言はれき。宣長云、コヌレは木末なり。イヌルは往ヌナルなり。コヌレは他の木の梢にて、梅の下枝に居たる鶯の、他の梢へ隱れていぬるを云ふと言へり。猶考ふべし。山口忌寸若麻呂なり。
 
828 比等期等爾。乎理加射之都都。阿蘇倍等母。伊夜米豆良之岐【岐ヲ波ニ誤ル】。烏梅能波奈加母。  大判事舟氏麻呂
ひとごとに。をりかざしつつ。あそべども。いやめづらしき。うめのはなかも。
 
岐、今波に誤れり。一本に據りて改めつ。舟、一本丹と有り。丹氏は丹治比氏か。
 
829 烏梅能波奈。佐企弖知理奈波。佐【佐ヲ脱ス】久良婆那。都伎弖佐久倍久。奈利爾弖阿良受也。  藥師張氏|福子《サキコ》
うめのはな。さきてちりなば。さくらばな。つぎてさくべく。なりにてあらずや。
 
今本、久良の上、佐の字を落せり。尾張氏なるべし。
 
830 萬世爾。得之波岐布得母。烏梅能波【婆ニ誤ル】奈。多由流己等奈久。佐吉和多留倍子。  筑前介佐氏|子首《コオフト》
よろづよに。としはきふとも。うめのはな。たゆることなく。さきわたるべし。
 
今本、波奈の波を婆と書けるは、誤|著《シ》るければ改めつ。キフトモは來リ經ルトモなり。佐伯氏なり。
 
831 波流奈例婆。宇倍母佐枳多流。烏梅能波奈。岐美乎於母布得。用伊母禰奈久爾。  壹岐守板氏安麻呂
はるなれば。うべもさきたる。うめのはな。きみをおもふと。よいもねなくに。
 
(239)春なればことわりにも咲けるかな、梅の花を思ふとて待つ程は、夜も寢ねざりしなり。ヨイは夜寐なり。吾とは梅を指して言へり。板、一本榎に作るを善しす。
 
832 烏梅能波奈。乎利弖加射世留。母呂比得波。家布能阿比太波。多努斯久阿流倍斯。  神司荒氏|稻布《イナブ》
うめのはな。をりてかざせる。もろびとは。けふのあひだは。たぬしくあるべし。
 
833 得志能波爾。波流能伎多良婆。可久斯己曾。烏梅乎加射之弖。多努志久能麻米。  大令史野氏|宿奈《スクナ》麻呂
としのはに。はるのきたらば。かくしこそ。うめをかざして。たぬしくのまめ。
 
卷十九歌の註に、毎年謂2之|等之乃波《トシノハ》1と有り。ノマメは酒飲まんと言ふなり。小野氏なるべし。
 
834 烏梅能波奈。伊麻佐加利奈利。毛毛等利能。己惠能古保志枳。波流岐多流良斯。  小令史田氏|肥人《ウマビト》
うめのはな。いまさかりなり。ももとりの。こゑのこほしき。はるきたるらし。
 
モモトリは百鳥なり。コホシキは戀シキなり。齊明紀、きみがめの姑褒之枳舸羅?《コホシキカラニ》はてしゐてと有り。卷十一歌に、肥人をウマビトと訓めり。田口氏か田部氏か。
 
835 波流佐良婆。阿波武等母比之。烏梅能波奈。家布能阿素?爾。阿比美都流可母。  藥師高氏義通
はるさらば。あはむともひし。うめのはな。けふのあそびに。あひみつるかも。
 
梅の咲くに逢はんと思ひしなり。高橋氏か。
 
836 烏梅能波奈。多乎利加射志弖。阿蘇倍等母。阿岐太良奴比波。家布爾志阿利家利。  陰陽師礒氏|法《ノリ》麻呂
うめのはな。たをりかざして。あそべども。あきたらぬひは。けふにしありけり。
 
(240)磯部氏なるべし。
 
837 波流能努爾。奈久夜?隅比須。奈都氣牟得。和何弊能曾能爾。?米何波奈佐久。  ?師志氏大道
はるのぬに。なくやうぐひす。なつけむと。わがへのそのに。うめがはなさく。
 
野に鳴く鶯を、吾家の苑になづけんとて梅の咲くよとなり。志紀氏か、志斐氏か。
 
838 烏梅能波奈。知利麻我比多流。乎加肥爾波。宇具比須奈久母。波流加多麻氣弖。  大隅目榎氏鉢麻呂
うめのはな。ちりまがひたる。をかびには。うぐひすなくも。はるかたまけて。
 
チリマガヒは散亂なり。ヲカビは岡邊なり。春カタマケテは春方向《ハルカタマケ》なり。方はべと言ふに同じ。片設と言ふ樣にも聞ゆれど少しむづかし。まだ春の始めなれば向ふと言ふべし。
 
839 波流能努爾。紀理多知和多利。布流由岐得。比得能美流麻提。烏梅能波奈知流。  筑前目田氏眞人
はるののに。きりたちわたり。ふるゆきと。ひとのみるまで。うめのはなちる。
 
野を古く奴と言へり。されど斯くざまに書けるも所所に見ゆれば、ヌ、ノ、通はし言へるなり。卷十、春山の霧に迷へる鶯もとも詠めり。田口氏か、矢田部氏か。
 
840 波流楊那宜。可豆良爾乎利志。烏梅能波奈。多禮可有可【可ヲ脱ス】倍志。佐加豆岐能倍爾。  壹岐目村氏|彼方《ヲチカタ》
はるやなぎ。かづらにをりし。うめのはな。たれかうかべし。さかづきのへに。
 
今本、初句奈那とある一の那は衍字なれば除けり。今本、有倍志と有り。一木有の下可の字有るに據れり。かづらにせんとて折りし梅を、誰か盃の上に浮べしと言ふなり。ハルヤナギはカヅラの枕詞のみな(241)りと宣長言へり。
 
841 于遇比須能。於登企久奈倍爾。烏梅能波奈。和企弊能曾能爾。佐伎弖知流美由。  對馬目高氏|老《オユ》
うぐひすの。おときくなへに。うめのはな。わぎへのそのに。さきてちるみゆ。
 
源氏物語初子の卷にも、鶯のおとせぬ里はと言へり。ナヘは並ニなり。
 
842 和我夜度能。烏梅能之豆延爾。阿蘇?都都。宇具比須奈久毛。知良麻久乎之美。  薩摩目高氏|海人《アマ》
わがやどの。うめのしづえに。あそびつつ。うぐひすなくも。ちらまくをしみ。
 
家は我の誤なるべし。鶯の梅の散るを惜みて鳴くと言ふなり。
 
843 宇梅能波奈。乎理加射之都都。毛呂比登能。阿蘇夫遠美禮婆。彌夜古之叙毛布。  土師氏|御通《ミミチ》
うめのはな。をりかざしつつ。もろびとの。あそぶをみれば。みやこしぞもふ。
 
都シのシは助辭。モフはオモフなり。御通は、卷四、水通と有りし人なるべし。
 
844 伊母我陛邇。由岐可母不流登。彌流麻提爾。許許陀母麻我不。烏梅能波奈可毛。  小野氏國堅
いもがへに。ゆきかもふると。みるまでに。ここだもまがふ。うめのはなかも。
 
妹が家なり。ココダはソコバクに同じ。
 
845 宇具比須能。麻知迦弖爾勢斯。宇米我波奈。知良須阿利許曾。意母布故我多米。  筑前椽門氏|石足《イソタリ》
うぐひすの。まちがてにせし。うめがはな。ちらずありこそ。おもふこがため。
 
マチガテは待チ難クセシにて、待ちかねしなり。コソは願ふ詞。オモフ子は女を言へり。見せまほしく(242)思ふなり。門部氏か。
 
846 可須美多都。那我岐波流卑乎。可謝勢例杼。伊野那都可子岐。烏梅能波那可毛。  小野氏|淡理《アハマロ》
かすみたつ。ながきはるびを。かざせれど。いやなつかしき。うめのはなかも
 
今本、那我の下の比は、衍字なれば除けり。
 
員外思2故郷1歌兩首
 
右の多くの歌の外と言ふ意にて員外とせり。憶良の歌と見ゆ。員外二字目録に旡《ナ》し。 
847 和我佐可理。伊多久久多知奴。久毛爾得夫。久須利波武等母。麻多遠知米也母。
わがさかり。いたくくだちぬ。くもにとぶ。くすりはむとも。またをちめやも。
 
クダチヌはクダリヌにて、齡の傾きたるを言ふ。雲に飛ぶ藥は淮南王劉安の仙藥の臼に殘れるを、?犬が嘗めて天へ登りしと言ふ故事を言へり。遠知メヤモは落チメヤモと心得るは誤なり。落は於知の假字にて違《タガ》へり。翁の言へらく、遠知は若變《ワカガヘ》ることを言ふ由は無きか、考ふべし。二首ともに若がへる意とする時は聞ゆと言はれき。宣長説に、遠知とは初めの方へ返るを云ふ言なり。卷十七の長歌に、手放れも乎知《ヲチ》もかやすきとは、鷹の本の手へ返り來るを言ふ。卷廿、我やどに咲けるなでしこ云云、伊也乎知《イヤヲチ》に咲け、是れは初めへ返り返りして幾度も咲けなり。又常にほととぎすの歌に、乎知かへり鳴く、と言ふも、初めの方へ又返り來て鳴く事なり。さて老いたる人の若がへるを言ふも初めへ返る事なり。今(243)の又ヲチメヤモは若ガヘルベキカハにて、次の歌のヲチヌベシは若ガヘルベシなりと有り。
 
848 久毛爾得夫。久須利波牟用波。美也古彌婆。伊夜之吉阿何微。麻多越知奴倍之。
くもにとぶ。くすりはむよは。みやこみば。いやしきあがみ。またをちぬべし。
 
ヨハは、ヨリハの意なり、仙藥を食《ハ》まんよりは、賤しき吾身には、都のめでたきを見ば、忽ちに若返るべし、と詠めるなり。
 
後追和(ル)梅歌四首
 
前後の續きを見るに、是れも憶良の歌なるべし。
 
849 能許利多留。由棄仁末自例留。宇梅能半奈。半也久奈知利曾。由吉波氣奴等勿。
のこりたる。ゆきにまじれる。うめのはな。はやくなちりそ。ゆきはけぬとも。
 
雪は消えぬるとも、花は散る事なかれとなり。
 
850 由吉能伊呂遠。有婆比弖佐家流。有米能波奈。伊麻左加利奈利。彌牟必登母我聞。
ゆきのいろを。うばひてさける。うめのはな。いまさかりなり。みむひともがも。
 
851 和我夜度爾。左加里爾散家留。牟【牟ハ宇ノ誤】梅能波奈。知流倍久奈里奴。美牟必登聞我母。
わがやどに。さかりにさける。うめのはな。ちるべくなりぬ。みむひともがも。
 
今本、牟梅と有るは宇梅の誤なるべし。梅をムメと言へる例、集中には無し。
 
(244)852 烏梅能波奈。伊米爾加多良久。美也備多流。波奈等阿例母布。左氣爾于可倍許曾。
うめのはな。いめにかたらく。みやびたる。はなとあれもふ。さけにうかべこそ。
 
一云。伊多豆良爾《イタヅラニ》。阿例乎知良須奈《アレヲチラスナ》。左氣爾宇可倍許曾。
 
イメは夢なり。ミヤビは都ビにて、風流の文字を訓めり。アレモフは吾思ふなり。梅の娘子などに化して夢に入りたる由設けて詠めるなり。我が自ら風流の花と思へば、酒に浮かべなんと願ふなり。もろこしの羅浮山の梅、美人となりて、夢に見えし故事などをも思へるならん。
 
遊2於松浦河1序
 
余以d暫往2松浦之縣1逍遥u。聊臨2玉嶋之潭1遊覽。忽値2釣魚女子等1也。
 
神功紀に、夏四月北到2火(ノ)前國松浦縣1。而|進2食《ミヲシタテマツル》於玉島里(ノ)小河之側(ニ)1云云。因以擧v竿乃獲2細鱗魚1。時皇后曰2希《メヅラシキ》見物(ナリ)1。故時人號2其處1曰2梅豆邏《メヅラノ》國(ト)1。今謂(ハ)2松浦(ト)1訛焉。是以其國女人毎v當2四月上旬1。以v鉤投(テ)2河中1捕2年魚1。於v今不v絶。唯男夫雖v釣不v能v獲v魚と見ゆ。
 
花容無v雙。光儀無v匹。開2柳葉(ヲ)於眉中(ニ)1。發2桃花(ヲ)於頬上1。意氣凌v雲。風流絶v世。
 
文鏡秘府論に引きたる六言句例に、訝(カリ)2桃花之似(タルヲ)1v頬(ニ)、笑(フ)2柳葉之如(キヲ)1v眉と有り。
 
僕問曰。誰(カ)郷誰(カ)家(ノ)兒等(ゾ)。
若(クハ)疑(ラクハ)神仙者乎。娘等皆咲答曰。兒等者漁夫之舍兒。草菴之微者。無v郷【郷ヲ卿ニ誤ル】無v家。何足2稱云1。
 
(245)東征賦に、訖v于今1而稱云と有り。
 
唯性便v水。復心樂v山。或臨2洛浦1。而徒羨2王魚1。乍臥2巫峡1。以空望2烟霞1。
 
曹植洛神賦に洛浦の神女の事を言ひ、宋玉高唐賦に巫山の神女の事を言へるを借りて、此魚を釣る女子を神女の如く言ひなせるなり。王魚は巨魚の誤か。
 
今以2邂逅(ヲ)1。相2遇貴客1。不v勝2感應1。輙(チ)陳2?【?ヲ歎ニ誤ル】曲1。而今而後《イマヨリシテノチ》。豈可(ヤ)v非2偕老(ニ)1哉。
 
邂逅は毛詩の字、ゆくりなく逢ふ意なり。陳2?曲1は心の誠を述べつくすなり。而今而後は論語の字なり。
 
下官對曰。唯々。敬奉2芳命1。于v時日落2山西1。驪馬將v去。遂(ニ)申2懷抱1。因贈2詠歌1曰。
 
文選應休連書に徒(ニ)恨(ム)宴樂始(メ)酣(シテ)白日傾v夕。驪駒就v駕。意不2宣展1と有り。懷抱は心に思ふ事を言ふ。さて此序と歌とは作者誰とも知れ難し。次下憶良も吉田連宜も皆此歌を和へたる歌有りて、未だここを見ざる由を言へり。
 
853 阿佐里須流。阿末能古等母等。比得波伊倍騰。美流爾之良延奴。有麻必等能古等。
あさりする。あまのこどもと。ひとはいへど。みるにしらえぬ。うまびとのこと。
 
シラエヌはシラレヌなり。上に人ニイトハレをイトハエと言ふに同じ。ウマビトは顯宗紀、貴人をウマビトと訓み、欽明紀、良家子をウマビトノコと訓めり。あまの子なりと卑下し給へども、良家の子なり(246)とは、見るから知らるるとなり。アサリは求食と集中に有りて、鳥は足もて探り求めて啄《ツイバ》むもの故に、アシサグリの約言なるを、轉じては漁のかたにも言へり
 
答謌曰
 
今本、謌を詩に誤れり。
 
854 多麻之末能。許能可波加美爾。伊返波阿禮騰。吉美乎夜佐之美。阿良波佐受阿利吉。
たましまの。このかはかみに。いへはあれど。きみをやさしみ。あらはさずありき。
 
ヤサシミはハヅカシムなり。此卷下に、世のなかをうしとやさしと、其外後の物語ぶみにも、ヤサシと言へるは、皆同じく恥かしきを言へり。
 
蓬客等更贈歌三首
 
今本、客を容に誤れり。
 
855 麻都良河波。可波能世比可利。阿由都流等。多多勢流伊毛何。毛能須蘇奴例奴
まつらがは。かはのせひかり。あゆつると。たたせるいもが。ものすそぬれぬ。
 
ヒカリは川瀬も照るばかりに美はしきを言ふ。タタセルはタテルを延べ言ひて敬ふ心有り。
 
856 麻都良奈流。多麻之麻河波爾。阿由都流等。多多世流古良何。伊弊遲斯良受毛。
まつらなる。たましまがはに。あゆつると。たたせるこらが。いへぢしらずも。
 
(247)857 等富都比等。末都良能加波爾。和可由都流。伊毛我多毛等乎。和禮許曾末加米。
とほつひと。まつらのかはに。わかゆつる。いもがたもとを。われこそまかめ。
 
遠ツ人、枕詞。ワカユは若鮎《ワカアユ》なり。我こそ妹と相寢せめとなり。
 
娘等更(ニ)報(ル)歌三首
 
858 和可由都流。麻都良能可波能。可波奈美能。奈美邇之母波婆。和禮故飛米夜母。
わかゆつる。まつらのかはの。かはなみの。なみにしもはば。われこひめやも。
 
ナミニシモハバは並ミニ思ハバなり。シは助辭。古今集に、みよしのの大河のべの藤なみのなみにおもはば我が戀ひめやも、と言へるは是れを取れり。
 
859 波流佐禮婆。和伎覇能佐刀能。加波度爾波。阿由故佐婆斯留。吉美麻知我弖爾。
はるされば。わぎへのさとの。かはとには。あゆこさばしる。きみまちがてに。
 
ワギヘは吾家なり。アユコは年魚子なり。サは發語。マチガテニは、此時の興を見せまほしく仙女が待ちかぬるを言ふ。
 
860 麻都良我波。奈奈勢能與騰波。與等武等毛。和禮波與騰麻受。吉美遠志麻多武。
まつらがは。ななせのよどは。よどむとも。われはよどまず。きみをしまたむ。
 
七瀬は瀬の數多きを言ふ。思ひたゆまぬを水に寄せて言へり。君ヲシのシは助辭。
 
(248)後人追和(フル)之詩三首  都帥老
 
詩は謌の誤か。又もとより此卷からぶみめきて書きたれば、歌を詩と書けるにも有るべし。都帥老の字後人の書き加へしなるべし。大伴卿ならば後人とは書くべきに有らず。都の字一本に無し。されど、こは都府樓とも言へば、都帥とも言へるか。目録には、帥大伴卿追和歌と有り。
 
861 麻都良河波。可波能世波夜美。久禮奈爲能。母能須蘇奴例弖。阿由可都【都ヲ脱ス】流良武。
まつらがは。かはのせはやみ。くれなゐの。ものすそぬれて。あゆかつるらむ。
 
一本、流の上都の字有るを善しとす。今本に脱ちたり。
 
862 比等未奈能。美良武麻都良能。多麻志末乎。美受弖夜和禮波。故飛都都遠良武。
ひとみなの。みらむまつらの。たましまを。みずてやわれは。こひつつをらむ。
 
ミラムは見ルラムなり。
 
863 麻都良河波。多麻斯麻能有良爾。和可由都流。伊毛良遠美良牟。比等能等母斯佐。
まつらがは。たましまのうらに。わかゆつる。いもらをみらむ。ひとのともしさ。
 
トモシは、ここは羨ましき意なり。卷一、あさもよし木人ともしも、卷六、島がくり我がこぎくれば乏しかも、其外あまた例あり。卷一に既に言へり。
○目録に吉田連宜と記るして、下に有る歌毎の題を擧げたり。こは此下に有る四首の歌は、此書牘に添(249)へて、一時に贈れるなれば、此書牘の前に四首の歌の事を總《ス》べたる題の有るべきなり。下に天平二年云云とあるは、此書牘と歌との末に記るせしものなり。
宜《ヨロシ》啓(ス)。伏奉2四月六日賜書1。跪開2封【封ヲ對ニ誤ル】函1。拜2讀芳藻1。
 
宜は續紀に、天平五年十二月從五位上吉田連宜爲2圖書頭1と見ゆ。又懷風藻に宜が詩二首を載せて年七十と有り。
 
心神開朗。以v懐2泰初之月1。鄙懐|除?《ノゾキノヂツ》【?ヲ私ニ誤ル】若v披2樂廣之天1。
 
世説に、夏侯玄が事を朗朗如2日月之入1v懷と言へる事有り。泰初は玄が字なり。晋書に、衛?見2樂廣1而奇v之嘆曰。若d披2雲霧1而覩c青天u也と有り。?今本私とあり。一本に據よりて改つ。又拂に作れり。
 
至v若(ニ)d羇2旅邊城1。懐2古舊1而傷v志 年矢不v停。憶2平生1而落uv涙。但達人安(ズ)v排。君子無v悶。
 
邊城は太宰府を指して言ふ。古本城を域に作る。年矢は年の過ぎ往く事の早きを言ふ。安排は莊子に安v排而去化と有りて、註に排は推移也と有り。物と共に推し移りて、安んじ居るなり。無悶は心のふさがぬなり。
 
伏冀(クハ)朝(ニ)宣(ベ)2懐《ナツク》v?之化1。暮(ニ)存(ス)2放v龜之術(ヲ)1。架(シ)2張趙於百代1。追(ハン)2松喬(ヲ)於千【千ヲ十ニ誤ル】齡(ニ)1耳。
 
?は山雉なり。後漢の魯恭と言へる人、民を治めてコ化の聞え有りしを、袁安と言へる人疑ひて、肥親と言ふ人をして見せしめしに、魯恭が領する所の阡陌に、雉の過ぎるを、童子の在りけるが、其雉を(250)見て取らんともせざりしかば、肥親が、など取らざると言ひしに、雉の雛を養ふ時なれば取らずと答へしにて、其コ化の至れるを知れりとぞ。晋の孔愉と言へる人、道を行きしに、人の龜を籠に入れて持ちたるを見て、買ひて水に放ちやりしかば、龜あまた度かへり見て行きぬ。其後侯に封ぜられて、印を鑄しに、其印紐の龜の頭かへり見たるやうに出できしを、改め鑄れども直らざりしかば、孔愉彼の放ちたる龜の報にて侯に封ぜられし事を知りぬ、張趙は杜甫集に預(メ)傳(フ)藉藉新京兆、青史無v勞數2張趙1と有り。註に、漢の趙廣漢、張敞といふ人人、宣帝の時京兆尹となりて、民を治めて善跡有りし事を記せり、是れを憶良になぞらへ云へる也。松喬は赤松子、王子喬を言ふ。
 
兼奉2垂示1。梅花(ノ)芳席。群英|※[手偏+離の左]《ノベ》v藻。松浦(ノ)玉潭。仙媛(ノ)贈答。類2杏壇各言之作1。疑2衡皐税駕之|篇(カト)1。耽讀吟諷。感【感ヲ戚ニ誤ル】謝歡怡。
 
杏壇は孔子杏壇の上に在りて、諸弟子書を讀み琴を引きし事莊子に有り。又各言(ヘ)2爾(ガ)志(ヲ)1と論語に有るを取り交じへて言へり。杏壇は杏樹の有る壇なり。衡皐は文選の註に、?皐(ハ)香草之澤也と有り。又?(ハ)杜?也とも言へり。
 
宜戀v之誠。誠(ニ)逾2犬馬1。仰vコ之心。心同2葵?1。而碧海分v地。白雲隔v天。徒積2傾延1。何慰勞緒1。
 
葵?は日に從ひて其花のめぐる物故に、人に心の從ふ事に譬ふ。文選曹子建が表に、臣竊自比2葵?1と有り。傾延は傾首延領の字を切り用ひたるにや、詳ならず。
 
(251)孟秋|膺《アタル》節。伏願萬祐日新。今因2相撲|部領《コトリ》使(ニ)1謹付2片紙1。宜謹啓不次。
 
相撲の事垂亡紀に見ゆ。部領を紀に古登利と訓めり。是れは宜より憶良への返書なり。
 
奉v和2諸人梅花歌1一首
 
864 於久禮爲天。那我古飛世殊波。彌曾能不乃。于梅能波奈爾母。奈良麻之母能乎。
おくれゐて。ながこひせせずは。みそのふの。うめのはなにも。ならましものを。
 
ナガコヒは、卷十二、玉勝間島熊山の夕霧に長戀しつつ寢ねがてぬかも、と有りて、長く戀ふる意なりと宣長言へり。こゝは汝《ナ》が戀と見ては此歌解くべからず。卷十一、中中に君に戀ひずは枚《ヒラ》の浦のあまならましを玉藻刈りつつ、此意と同じく、後れ居て長く戀ひんよりは、其梅の花にも我身はならんものをと言ふなり。
 
和2松浦仙媛歌1一首
 
宜の歌也
 
865 伎彌乎麻都。麻都良乃于良能。越等賣良波。等己與能久爾能。阿麻越等賣可忘。
きみをまつ。まつらのうらの。をとめらは。とこよのくにの。あまをとめかも。
 
雄略紀、蓬莱山をトコヨノクニと詠めり、ここも其意にて君を待ちつけし處女は、蓬莱島より來れる海人少女《アマヲトメ》ならんと言ふなり。
 
(252)思v君未v盡重題二首
 
宜の歌なり
 
866 波漏婆漏爾。於忘方由流可母。志良久毛能。智弊仁邊多天留。都久紫能君仁波。
はろばろに。おもほゆるかも。しらくもの。ちへにへだてる。つくしのくには。
 
ハロバロはハルバルなり。由は流に通ひて、オモハルルと言ふをオモハユルと言へり。
 
867 枳美可由伎。氣那我久奈理奴。奈良遲那留。志滿乃己太知母。可牟佐飛仁家里。
きみがゆき。けながくなりぬ。ならぢなる。しまのこだちも。かむさびにけり。
 
卷二、君が行《ユキ》氣《ケ》長く成ぬ山多豆の云云、島は卷九、難波に經宿して明日還來時と端書せる長歌に、島山をい行きめぐれる河ぞひのをかべの道ゆ云云、末に、名に負へるもりに風祭せな、と有りて、島は大和の地名なり。奈良へ通ふ道なるべし。憶良の家其わたりに在りしなるべし。神サビは古びたるなり。
 
天平二年七月十日
 
○目録に山上臣憶良松浦三首と有り。ここも題の有りしが落ちたるか。
 
憶良誠惶頓首謹啓。憶良聞方岳諸侯。都督刺【刺ヲ判ニ誤ル】史。並依2典法1。巡2行部下1。察2其風俗1。意内多端。口外難v出。謹以2三首之鄙歌1。欲v寫2五蔵之鬱結1其歌曰。
 
文選于令升晋紀總論曰。方岳無2鉤石之鎭1。關門無2結v草之固1。潘安仁爲2賈謐1作贈2陸機1詩。潘岳作v(253)鎭、輔2我京室1と有り。
 
868 麻都良我多。佐欲比賣能故何。此列布利斯。夜麻能名乃尾夜。伎伎都都遠良武。
まつらがた。さよひめのこか。ひれふりし。やまのなのみや。ききつつをらむ。
 
領巾振《ヒレフル》山を詠めり。此事下に出づ。
 
869 多良志比賣。可尾能美許等能。奈都良須等。美多多志世利斯。伊志遠多禮美吉。
たらしひめ。かみのみことの。なつらすと。みたゝしせりし。いしをたれみき。
 
一云|阿由都流等《アユツルト》。
 
上に神功紀を引ていへり、なは魚の古語也、紀に魚此云v儺《ナ》、つらすは釣しますといふ也みたゝしせりしは御立し給ひし也、川邊の石上に立ませし其石とて、後にいひ傳へたる石有しなるべし
 
870 毛毛可斯母。由加奴麻都良遲。家布由伎弖。阿須波吉奈武遠。奈爾可佐夜禮留。
ももかしも。ゆかぬまつらぢ。けふゆきて。あすはきなんを。なにかさやれる。
 
モモカは百日にて、唯だ久しきを言ふ。、サヤレルはサハレルなり。神武紀歌に、うだのたかきに云云しぎは佐夜羅孺《サヤラズ》いすぐはしくぢら佐夜離《サヤリ》云云、此卷の下にも子らにさやりぬと詠めり。右三首は名たたる所へ行きて見ぬを倦《ウ》んじて詠める也。
 
天平二年七月十一日筑前國司山上憶良謹上
 
(254)○目録に詠2領巾麾嶺1歌一首と有り。ここも題の落ちしならん。
 
大伴|佐提比古《サテヒコノ》郎子特被2朝命1。奉2使藩國1。艤v棹|言歸《ココニユキ》。稍《ヤウヤク》赴2蒼波1。
 
宣化紀に二年冬十月以3新羅寇2於|任那《ミマナ》1詔2大伴金村大連1。遣3其子磐|與《ト》2狹手彦1。以助2任那1。是時磐留2筑紫1執2其國政1。以備2三韓1。狹手彦往鎭2任那1。加《マタ》救2百濟1。また欽明紀に、二十三年八月遣2大將軍大伴連狹手彦1。領2兵數萬1伐2于高麗1と有り。艤は字書に整v舟也と言へり。
 
妾也松浦。(佐用嬪面)嗟2此別(ノ)易1。
歎2彼(ノ)會(フノ)難1。即登2高山之嶺1。遥望2離去之船1。悵然斷v肝。黯【黯ヲ今黙ニ誤ル】然銷v魂。遂脱2領巾1麾v之。傍者莫v不v流v涕。因號2此山1曰2領巾麾之《ヒレフル》嶺1也。乃作v歌曰。
 
黯然銷魂は文運江淹が別賦の語なり。領巾は天武紀、肩巾、此云2比例《ヒレ》1と見ゆ。右の憶良の歌に由れば、此山は未だ見ねども、其いはれに由りて憶良の詠めるなるべし。
 
871 得保都必等。麻通良佐用比米。都麻胡非爾。比例布利之用利。於返流夜麻能奈。
とほつひと。まつらさよひめ。つまごひに。ひれふりしより。おへるやまのな。
 
遠ツ人、枕詞。欽明紀、調吉士伊企儺《ツキノキシイキナ》新羅にて殺されて、其妻|大葉子《オホハコ》又|虜《トリコ》にせられし時の歌に、からくにのきのへにたちておほはこは比例ふらすもやまとへ向きて、或人和へて詠める歌も同じさまなれば載せず。今の佐用媛に似たり。
 
後人追和
 
(255)872 夜麻能奈等。伊賓都夏等可母。佐用比賣何。許能野麻能閇仁。必例遠布利家無。
やまのなと。いひつげとかも。さよひめが。このやまのへに。ひれをふりけむ。
 
さよひめがおのが名も、山の名と共に言ひ繼げと思ひてか、領巾をふりけんとなり。山ノヘは山ノ上なり。
 
最後人《イトノチノヒト》追和
 
873 余邑豆余爾。可多利都夏等之。許能多氣仁。比例布利家良之。麻通羅佐用嬪面。
よろづよに。かたりつげとし。このたけに。ひれふりけらし。まつらさよひめ
 
ツゲトシのシは助辭。タケは嶽にて、高しと言ふより出でたる語なればタを清《ス》むべし。
 
最最《イトイト》後人追和二首
 
今本、後の字の下、人の字落せり。目録に據りて補へり。
 
874 宇奈波良能。意吉由久布禰遠。可弊禮等加。比禮布良斯家武。麻都良佐欲比賣。
うなばらの。おきゆくふねを。かへれとか。ひれふらしけむ。まつらさよひめ。
 
フラシはフリを延べ言ふなり。
 
875 由久布禰遠。布利等騰尾加禰。伊加婆加利。故保斯苦阿利家武。麻都良佐欲比賣。
ゆくふねを。ふりとどみかね。いかばかり。こほしくありけん。まつらさよひめ。
 
(256)領巾振りて留めかねと言ふべきを略き言へり。コホシクは戀シクなり。
 
書殿餞酒日倭歌四首
 
天平十二年十二月帥大伴卿大納言に任ぜられて京へ登る時、憶良の家にてうまのはなむけせらるる歌なり。すべて歌を今和歌と言ふ如く書ける事此集に無し。和歌と有るは皆答へ歌なり。ここは送別の詩有りし故に、其れに對して倭歌とことわれるなるべし。前にも詩に竝べて日本挽歌と書ける事あり。書殿は書院と言ふが如し。
 
876 阿麻等夫夜。等利爾母賀母夜。美夜故麻提。意久利摩遠志弖。等比可弊流母能。
あまとぶや。とりにもがもや。みやこまで。おくりまをして。とびかへるもの。
 
オクリマヲシテは送リ奉リテなり。空飛鳥にて有れかし、君を送りまつりて、又飛び歸らんものをと言ふなり。
 
877 比等母禰能。宇良夫禮遠留爾。多都多夜麻。美麻知可豆加婆。和周良志奈牟迦。
ひともねの。うらぶれをるに。たつたやま。みまちかづかば。わすらしなむか。
 
人皆をヒトモネと言へる例無し。宣長云、母禰は彌那を下上に誤り、又那を母に誤れるなるべしと言へり。歌の意は太宰府に後れ居る人人は別れ惜みて侘び居るに、龍田山へ御馬近づきなば、太宰府の人人をば忘れ給はんかと言ふなり。都多の下都の字有り。古本に無きを善しとす。
(257) 參考 ○比等母禰能(古)ヒト「彌那」ミナノ。
 
878 伊比都都母。能知許曾斯良米。等乃斯久母。佐夫志計米夜母。吉美伊麻佐受斯弖。
いひつつも。のちこそしらめ。とのしくも。さぶしけめやも。きみいまさずして。
 
別れに臨みて別後のあらましを言へど、別れて後こそ能く知らめとなり。トノシクはトモシクなり。トモシクサブシケメヤモは返る詞にて、少しく寂しからめやと言ふなり。按ずるに乏シクをトノシクと言へる例無し。等乃の乃は母の誤ならんか。又宣長云、或人説に斯良米の斯は阿の誤、等乃は志萬の誤にて、ノチコソアラメ、シマシクモと訓むべし。一首の意は戀しなどいひつつも、後には然《サ》ても有るべけれど、此暫くの程も、君いまさで寂しからんかなり。ケムと言ふべきをケメと言へるは、推古紀、おや無しに那禮奈理鷄迷夜《ナレナリケメヤ》と有るも、ナレナリケムヤなりと言へり。然か字を改めみれば、いと穩かなり。
 
879 余呂豆余爾。伊麻志多麻比提。阿米能志多。麻乎志多麻波禰。美加度佐良受弖。
よろづよに。いましたまひて。あめのした。まをしたまはね。みかどさらずて。
 
卷二、高市皇子薨じ給ひし時の長歌に、吾大君の天の下まをしたまへば萬代にしかしもあらんと、と言ふ(258)如く、政執り行ふをマヲスと言へり。こゝは大納言をオホキモノマウスツカサと言へば、然《サ》る心もて言へりとも見ゆ。タマハネはタマヘを延べ言ふ。ミカドは朝廷なり。すめらぎを申し奉るは後なり。
 
聊布2私懷1歌三首
 
是れも憶良にて、先の歌は別れの情を述べ、是れは七十に餘るまで遠國の任に居るを、大伴卿へ愁へ言ふなり。
 
880 阿麻社迦留。比奈爾伊都等世。周麻比都都。美夜故能提夫利。和周良延爾家利。
あまざかる。ひなにいつとせ。すまひつつ。みやこのてぶり。わすらえにけり。
 
スマヒはスミを延べ言ふなり。テブリは風俗を言ふ。ワスラエはレとエと通ひてワスラレニケリと言ふに同じ。すべて延べ言ふ時は閉の假字なり。斯く衣の假字を用ひたるは例の延言に有らず。
 
881 加久能未夜。伊吉豆伎遠良牟。阿良多麻能。吉倍由久等志乃。可伎利斯良受提。
かくのみや。いきづきをらん。あらたまの。きへゆくとしの。かぎりしらずて。
 
イキヅキは息衝にて、長息《ナゲキ》と言ふに同じ。キヘユクは來經行《キヘユク》なり。アラタマノの枕詞より年と隔てて詠めるは、ぬば玉のかひの黒駒と言へる類なり。古事記美夜受比賣の歌に、あらたまのとしが岐布禮《キフレ》ばあらたまのつきは岐閉由久《キヘユク》云云、と言ふに同じ。
 
882 阿我農斯能。美多麻多麻比弖。波流佐良婆。奈良能美夜故爾。桃イ宜多麻波禰。
(259)あがぬしの。みたまたまひて。はるさらば。ならのみやこに。めさげたまはね。
 
アガヌシは吾主なり。紀に君主、大人同じく宇志《ウシ》と訓めり。或人ヌシは何ノウシと言ふべきを、乃宇《ノウ》の約|奴《ヌ》なればヌシと言ふと言へるは僻《ヒガ》ことなり。アガのガの詞則ち之《ノ》なればワガと言ひて、乃宇之《ノウシ》とは言ふべからず。ヌとウと通ひて、奴之《ヌシ》則ち宇之《ウシ》と同じ語なり。されどいと古くは宇志とのみ言ひき。ミタマは御魂なり。紀に神祇之|靈《ミタマ》、天皇之|頼《ミタマ》など言へるが如し。メサゲタマハネは召上《メシアゲ》給へなり。志阿《シア》を約《ツヅ》むれば佐《サ》となればなり。
 
天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上
 
三島王後追和2松浦佐用|嬪面《ヒメ》1歌一首
 
續紀、寶龜二年七月從四位下三島王之女河邊王葛王配2伊豆國1、至v是皆復2屬籍1と見ゆ。
 
883 於登爾吉岐。目爾波伊麻太見受。佐容比賣我。必禮布理伎等敷。吉民萬通良楊滿。
おとにきき。めにはいまだみず。さよひめが。ひれふりきとふ。きみまつらやま。
 
松浦山則ち領巾振山也。君待つと言ひ懸けたり。此君は夫を言ふ。フリキトフはフリケリトイフと云ふなり。
 
大伴君|熊凝《クマゴリ》歌二首 (大典麻田陽春作)
 
目録に由るに、大典麻田連陽春爲2大伴君熊凝1述v志歌と有るべし。熊凝が傳、次に委し。
 
(260)884 國遠伎。路乃長手遠。意保保斯久。許布夜須疑南。己等騰比母奈久。
くにとほき。みちのながてを。おほほしく。こふやすぎなむ。ことどひもなく。
 
オホホシクはオホツカナクなり。コフヤ過ギナムは、道の長手をと言ふより戀ひや行き過ぎなんと言ふなり。コトトヒモナクは、次の長歌に由るに、父母に物言ふ事も無きを言ふ。
 
885 朝露乃。既夜須伎我身。比等國爾。須疑加弖奴可母。意夜能目遠保利。
あさつゆの。けやすきわがみ。ひとくにに。すぎがてぬかも。おやのめをほり。
 
ヒトグニは他國を言ふ。過ギガテヌカモは過ぎ行き難く思ふ意なり。親ノメヲホリは見まく欲りするなり。
 參考 ○朝露乃(考)アサ「霜」シモノ。
 
筑前國司守山上憶良敬和d爲2熊凝1述c其志u歌六首并序
 
一本敬和以下の九字、序の下に有り。國司は掾目まで廣く言ふ詞なれば、國司守と書けるなり。
 
大伴君熊凝者。肥後【後ヲ前ニ誤ル、一本ニ依リテ改む】國|益城《マシキノ》郡(ノ)人也。年十八歳。以2天平三年六月十七日1。爲2相撲《スマヒ》使某(ノ)國司官【官ヲ宮ニ改ム】位姓名從人1。參2向京都1。爲(ルカナ)v天不幸。在v路獲v疾。即於2安藝國|佐伯《サヘキノ》郡高庭驛家1身故(ス)也。
 
身故を物故の誤かと契沖言へり。されど死を指して唯だ故とばかりも言はんか。猶考ふべし。
 
(261)臨v終之時。長歎息曰。傳聞假合【合ヲ令ニ誤ル】之身易v滅。泡沫之命難v駐。所以(ニ)千聖已(ニ)去。百賢不v留。況乎凡愚(ノ)微者。何(ゾ)能(ク)逃(レ)避(ケン)。
 
假合は佛典に四大假合と言ふ事有り。假に地水火風を組合せたる身と云ふ事なり。泡沫は金剛般若經に、一切有爲法(ハ)。如2夢幻泡影1と有り。千聖百賢は、史記に五帝之聖而死、三王之仁而死、五伯之賢而死など言へる類ひを言ふなり。
 
但我老親。並在2菴室1。侍v我過v日。自有2傷心之恨1。望v我違v時。必致2喪v明之泣1。
 
戰國策に王孫賈之母曰。汝朝出晩來。吾則倚v門而望v汝。また檀弓に、子夏喪2其子1而喪2其明1とあり。
 
哀哉我父。痛哉我母。不v患2一身向v死之途(ヲ)1。唯悲二親【親ヲ説ニ誤ル】在v生之苦(ヲ)1。今日長別。何世(カ)得v覲(ルコトヲ)。乃作2歌六首1而死。其歌曰。
 
覲は 父母の起居を問ふを言ふ。さて是れは熊凝に代りて憶良の作れるなり。
 
886 宇知比佐受。宮弊能保留等。多羅知斯夜。波波何手波奈例。常斯良奴。國乃意久迦袁。百重山。越弖須疑由伎。伊都斯可母。京師乎美武等。意母比都都。迦多良比遠禮騰。意乃何身志。伊多波斯計禮婆。玉桙乃。道乃久麻尾爾。久佐太袁利。志婆刀利志伎提。等計【計ハ許ノ誤】自能。宇知許伊布志提。意母(262)比都都。奈宜伎布勢良久。國爾阿良婆。父刀利美麻之。家爾阿良婆。母刀利美麻志。世間波。迦久乃尾奈良志。伊奴時母能。道爾布斯弖夜。伊能知周疑南。
うちひさす。みやへのぼると。たらちしや。ははがてはなれ。つねしらぬ。くにのおくかを。ももへやま。こえてすぎゆき。いつしかも。みやこをみむと。おもひつつ。かたらひをれど。おのがみし。いたはしければ。たまぼこの。みちのくまみに。くさたをり。しばとりしきて。とこじもの。うちこいふして。おもひつつ。なげきふせらく。くににあらば。ちちとりみまし。いへにあらば。ははとりみまし。よのなかは。かくのみならし。いぬじもの。みちにふしてや。いのちすぎなむ。
 
一云|和何余須疑奈牟《ワガヨスギナム》
 
ウチヒサス、枕詞。受は數の誤か。濁音の假字を用ひたる例無し。宣長は須の誤れるならんと言へり。タラチシヤ、冠辭考に云、斯は禰の誤か。夜、一本能に作れり。さらばここもタラチネノと訓むべき由有り。今按ずるに卷十六に垂乳爲《タラチシ》と書けり。タラチは日足《ヒタラシ》にて、育て日を足らしむる義ににして、シヤは助辭とも言ふべく思はる。國ノオクカは奧處《オクカ》なり。カタラヒヲレドは、共に旅行く人と語らひつつ行くなり。オノガ身シのシは助辭。イタハシケレバは、勞にて、病を言ふ。玉桙ノ、枕詞。道ノクマミ、一本、乃の下久の字有るを善しとす。クマミは曲方《クマベ》にて、折れ曲れる所を言ふ。集中是れをクマビと訓めり。尾の字ビとも訓まるれど、多くミの假字に用ひたり。浦方《ウラベ》を浦備《ウラビ》とも浦|箕《ミ》とも云ふが如し。クサタヲリ云云、タは發語、草を折り、しばを敷きてなり。等計は等許の誤なり。トコジモノにて床ノ如クと言ふなり。先人説、等は箇の誤ならんか。カコジモノと有らん方穩かなりと言へり。ウチコイフシは、ウ(263)チは詞。コイフシは轉臥なり。フセラクはフスを延べ言ふなり。國ニアラバは、吾住む國にあらばなり。トリミマシはトリアゲ見ルなり。卷一「妻もあらばとりて多宜《タゲ》ましと言ふに同じ。カクノミナラシは、カクノ如キ物ナルラシと言ふなり。犬ジ物は犬ノ如クなり。一云のワガヨは吾齡なり。さて左の歌より五首は反歌なり。
 參考 ○多羅知斯夜(考)タラチ「禰能」ネノ(古、新)タラチシ「能」ノ ○等計自母能(新)「乎」ヲト「許」コジモノ。
 
887 多良知遲能。波浪何目美受提。意保保斯久。伊豆知武伎提可。阿我和可留良武。
たらちしの。ははがめみずて。おほほしく。いづちむきてか。あがわかるらむ。
 
按ずるに遲は進《シ》の誤なるべし。官本多良遲子と有り。みまかりていづ方へ向きてか往《イ》ぬるならんと云ふなり。
 參考 ○多良知遲能(考)タラチ「泥能」ネノ(古)タラチ(斯)シノ(新)タラチ「子」シノ ○阿我和可留良武(新)アガワカレナム。
 
888 都禰斯良農。道乃長手袁。久禮久禮等。伊可爾可由迦牟。可利弖波奈斯爾。
つねしらぬ。みちのながてを。くれくれと。いかにかゆかむ。かりてはなしに。
 
クレクレは宣長云、齊明紀歌に、于之盧母倶例尼《ウシロモクレニ》と有るクレなり。クレは闇き意にておぼつかなきさま(264)なり。今俗言にもウシログラキなど言ふと言へり。カリテは旅に宿かりて、其代りに宿主に取らする直《アタヒ》を言ふ。新撰萬葉、郭公の歌に沓代《クツテ》と書けり。日本紀通證の説に、粮糧、和名抄|加天《カテ》と有り。カテはカリテの約言なり。カリテは餉直《カリテ》なり。禮比の約|利《リ》なりと有り。直をテと言ふはアタヒの略言なるべし。一云、カレヒは餉なり。乾飯《カレイヒ》の略言なり。
 
889 家爾阿利弖。波波何刀利美婆。奈具佐牟流。許許呂波阿良麻志。斯奈婆斯農等母。 一云|能知波志奴等母《ノチハシヌトモ》
いへにありて。ははがとりみば。なぐさむる。こころはあらまし。しなばしぬとも。
 
長歌に、母とり見ましと言ふに同じ。
 
890 出弖由伎斯。日乎可俗閇都都。家布家布等。阿袁麻多周良武。知知波波良波母。  一云|波波我迦奈斯佐《ハハガカナシサ》
いでてゆきし。ひをかぞへつつ。けふけふと。あをまたすらむ。ちちははらはも。
 
アヲマタスラムは、吾ヲ待ツラムなり。
 
891 一世爾波。二遍美延農。知知波波袁。意伎弖夜奈何久。阿我和加禮南。  一云|相別南《アヒワカレナム》
ひとよには。ふたたびみえぬ。ちちははを。おきてやながく。あがわかれなむ。
 
按ずるに、天平勝寶年中に、奈良の藥師寺に建てられたる佛足石の碑の歌、みあとつくるいしのひびきはあめにいたりつちさへゆすれちちははがために、もろびとのために、よきひとのまさめにみなむみあとすらをわれはえみずていはにゑりつく、たまにゑりつく、など悉く結句を二樣に詠めり。右の反歌此(265)體に同じ。此頃斯かる體も有りしにや。されば長歌の終に和我余須疑奈牟と有るは、次の多良知遲能云云の短歌に添ひたるが、誤りて長歌の終に入りしなるべし。
 
貧窮問答歌一首并短歌
 
892 風離【離ハ雜ノ誤】。雨布流欲乃。雨雜。雪布流欲波。爲部母奈久。寒之安禮婆。堅塩乎。取都豆之呂比。糟湯酒。宇知須須呂比弖。之可【之可ハ之波ノ誤】夫可比。鼻?之?之爾。志可登阿良農。比宜可伎撫而。安禮乎於伎弖。人者安良自等。富己呂倍騰。寒之安禮婆。麻被。引可賀布利。布可多衣。安里能許等其等。伎曾倍騰毛。寒夜須良乎。和禮欲利母。貧人乃。父母波。飢寒良牟。妻子等波。乞乞【乞乞ハ乞弖ノ誤ナリ】泣良牟。此時者。伊可爾之都都可。汝代者和多流。
かぜまじり。あめふるよの。あめまじり。ゆきふるよは。すべもなく。さむくしあれば。かたしほを。とりつづしろひ。かすゆざけ。うちすすろひて。しはぶかひ。はなびしびしに。しかとあらぬ。ひげかきなでて。あれをおきて。ひとはあらじと。ほころへど。さむくしあれば。あさぶすま。ひきかかぶり。ぬのかたぎぬ。ありのことごと。きそへども。さむきよすらを。われよりも。まづしきひとの。ちちははは。うゑさむからむ。めこどもは。こひてなくらむ。このときは。いかにしつつか。ながよはわたる。
 
風の下の離は雜の誤なり。堅鹽ヲ云云、和名抄、石鹽一名白鹽、又有2黒鹽1、今按俗呼2黒鹽1爲2堅鹽1、日本紀私記云、堅鹽|木多師《キタシ》是也。固まりたる鹽を食ひかき食ひかきして酒飲むなり。源氏物語帚木に、つづしりうたふと言ふも、一口づつきりきりに歌ふを言へり。糟湯酒は、酒の糟を湯にひでて啜るな(266)り。ウツは詞。ススロヒはススリを延べ言ふなり。之可、一本之波に作るを善しとす。シハブカヒはシハブキを延べ言ふなり。鼻ビシビシは嚔《ハナヒ》なり。ハナヒシハナヒシと重ね言ふを略きて言へり。シカトアラヌはサモアラヌと言ふか。又古本志の字無し。是れは非才をカドナキと言へば、カドアラヌと言ふにや。アレヲオキテは吾を除きてなり。ホコロヘドは、ホコレドと言ふを延べ言ふなり。引きカカブリは被るなり。布カタギヌ、卷十六竹取翁の長歌に、結經方衣《ユフカタギヌ》と言ひて、短くて肩ばかりに著る物なるべし。アリノコトゴトは、有ルカギリ悉クなり。キソヘドモは着襲《キオソ》ヘドモなり。飢寒カラムは、吾が糟湯酒を飲むに對へて、貧人を思ひやりて言へり。乞ヒテ位クラムは妻子が飯を乞ひ泣くなり。乞乞は乞弖の誤なるべし。ここまで問ひの意なり。是れより末は答へにて別なるやうなれども、ここにて先づ自ら問ひ畢りて、此次の句よりは自ら答ふるなり。二首には有らじと翁言はれき。されば反歌も一首なり。
 參考 ○飢寒良牟(考、新)「肌」ハダサムカラム(古)略に同じ。
 
天地者。比呂之等伊倍杼。安我多米波。狹也奈理奴流。日月波。安可之等伊倍騰。安我多米波。照哉多麻波奴。人皆可。吾耳也之可流。和久良婆爾。比等等波安流乎。比等奈美爾。安禮母作乎。綿毛奈伎。布可多衣乃。美留乃其等。和和氣佐我禮流。可可布能尾。肩爾打懸。布勢伊(267)保能。麻宜伊保乃内爾。直土爾。藁解敷而。父母波。枕乃可多爾。妻子等母波。足乃方爾。圍居而。憂吟。可麻度柔播。火氣布伎多弖受。許之伎爾波。久毛能須可伎弖。飯炊。事毛和須禮提。奴延鳥乃。能杼與比居爾。伊等乃伎提。短物乎。端伎流等。云之如。楚取。五十戸良【良ハ長ノ誤】我許惠波。寝屋度麻低。來立呼比奴。可久婆可里。須部奈伎物能可。世間乃道。
あめつちは。ひろしといへど。あがためは。せばくやなりぬる。ひつきは。あかしといへど。あがためは。てりやたまはぬ。ひとみなか。われのみやしかる。わくらばに。ひととはあるを。ひとなみに。あれもなれるを。わたもなき。ぬのかたぎぬの。みるのごと。わわけさがれる。かがふのみ。かたにうちかけ。ふせいほの。まげいほのうちに。ひたつちに。わらときしきて。ちちははは。まくらのかたに。めこどもは。あとのべに。かくみゐて。うれへさまよひ。かまどには。けぶりふきたてず。こしきには。くものすかきて。いひかしぐ。こともわすれて。ぬえとりの。のどよひをるに。いとのきて。みじかきものを。はしきると。いへるがごとく。しもととる。さとをさがこゑは。ねやどまで。きたちよばひぬ。かくばかり。すべなきものか。よのなかのみち。
 
右に言へる如く、天地は以下答の意なり。アガは吾なり。アカシは明ラケシなり。人皆カのカは清むべし。疑フ詞なり。ワクラバニは、タマタマと言ふ事なり。卷九長歌、人となることは難きを和久良婆爾《ワクラバニ》なれる吾身は云云など詠めり。人ナミニアレモナレルヲは、生れたるをと言ふなり。宣長云、作はツクルと訓むべし。今世にもツクリヲスルと言へば、田畠を作る事なればツクルとのみも言ふべしと言へり。海松ノゴトワワケサガレルは、うつぼ物語に、かたびらのわわけたるを着てと言ひ、集中、秋萩のうれ(268)わわらばと言ふに同じ意なり。カガフは宣長云、字鏡に※[巾+祭]、先列反、殘帛也、也不禮加加不《ヤブレカガフ》と有るなりと言へり。猶袖中抄顯昭云、つづりさせてふきりぎりすなくとは、世話にきりぎりすは、つづりさせ、かがはひろはんとなくと言へり。かがとはきぬ布の破《ヤ》れて何にもすべくも無きを言ふなり云云と有るも是れなり。肩ニ打カケは上に言へる布肩衣を言へり。フセイホは卷十六、かるうすは田廬のもとに云云の歌の註に、田廬者|多夫世《タブセ》とあり。フセヤと言ふなり。マゲイホは曲りよろぼひたるを言ふ。ヒタ土ニ云云は、ただちに土の上へ藁敷きたるなり。神代記、脚邊此云2阿度倍《アトベ》1と有れば、ここもアトノベニと訓むべし。ウレヘサマヨヒは、春鳥のさまよひぬればと前に出でたるに同じく、うめき鳴くを言ふ。コシキ、和名抄、甑(和名古之伎)炊v飯器也。本草云、甑帶(和名古之伎和良云云)と有り。ヌエ鳥ノ、枕詞。イトノキテはイトドと言ふ言なり。此卷未にも、伊等能伎提《イトノキテ》いたききずには云云と有り。ミジカキ物ヲ云云、此末の沈痾慈哀文に、諺曰、痛瘡灌v鹽、短材截v端、今も此意なり。シモトは笞杖なり。五十戸良、此良は長の字の誤なり。戸令云、凡戸以2五十戸1爲v里。毎v里置2長一人1と言へるをもてサトヲサと訓めり。又イヘヲサとも訓むべし。貧しくて田租賦?等お責《ハタ》らるるさまなり。ネヤドは寢屋處《ネヤド》なり。此里長が笞杖を持ち來て屋の戸に立ちてはたるを言ふなり。
 參考 ○狹也奈理奴流(代、古、新)サクヤナリヌル(考)略に同じ ○日月波(考)日波月波(古、新)略に同じ ○吾耳也(古)アノミヤ(新)ワレノミ、又はアノミ ○安禮母作乎(考、古)ア(269)レモツクルヲ(新)略に同じ ○足乃方爾(古、新)アトノカタニ ○憂吟(古、新)ウレヒサマヨヒ。
 
893 世間乎。宇之等夜佐之等。於母倍杼母。飛立可禰都。鳥爾之安良禰婆。
よのなかを。うしとやさしと。おもへども。とびたちかねつ。とりにしあらねば。
 
反歌なり。うしと思ひ恥かしと思へどもと言ふなり。
 
上憶良頓首謹上
 
好去好來歌一首 反歌二首
 
天平五年三月、多治比眞人廣成遣唐使にて出立つ時、憶良の詠みて贈れるなり。長歌に、つつみなくさきくいましてはやかへりませ、と止められたれば、其意をもて斯く端詞書けるなり。
 
894 神代欲理。云傳介良久。虚見津。倭國者。皇神能。伊都久志吉國。言霊能。佐吉播布國等。加多利繼。伊比都賀比計理。今世能。人母許等期等。目前爾。見在知在。人佐播爾。滿弖播阿禮等母。高光。日御朝庭。神奈我良。愛能盛爾。天下。奏多麻比志。家子等。撰多麻比天。勅旨。([反云大命)戴【戴ヲ載ニ誤ル】持弖。唐能。遠境爾。(270)都加播佐禮。麻加利伊麻勢。
かみよより。いひつてけらく。そらみつ。まとのくには。すめがみの。いつくしきくに。ことだまの。さきはふくにと。かたりつぎ。いひつがひけり。いまのよの。ひともことごと。めのまへに。みたりしりたり。ひとさはに。みちてはあれども。たかひかる。ひのみかどを。かむながら。めでのさかりに。あめのした。まをしたまひし。いへのこと。えらびたまひて。おほみこと。いただきもちて。もろこしの。とほきさかひに。つかはされ。まかりいませ。
 
イヒツテはイヒツタヘの約言なり。皇神ノイツクシキ國は、嚴《イツ》かしき國と言ふなり。此二句は下にもろもろの大御神たち云云の事を言はんとて先づ言ふなり。言靈ノ云云の二句は、即ち此歌にも神靈有りて、つつがなく歸り給はんの意を以て言へり。イヒツガヒはイヒツギを延べ言ふ。今ノヨノ人モコトゴト云云、宣長云、此四句は、上の件の事は今の世の人も能く見て知りたる事なりと言ふ意なりと言へり。是れをミマシシリマスと訓みつれど、さては今ノ世ノと言ふことに叶はずなん。さて見タリ知リタリにて句なり。愛盛、宣長がメデノサカリと訓みたるに由るべし。ウツノサカリと訓みたれど、ウツクシミをウツと言へる事無し。孝謙紀の詔、愛盛一二人等冠位上賜云云。また文コ實録に、御意愛盛云云など見ゆ。ともにメデノサカリと訓むべし。天下マヲシ給ヒシ家ノ子とは、文武天皇の大寶元年に薨ぜられし、左大臣正二位多治比眞人島公は、宣化天皇の御玄孫にて、多治比王の子なり。廣成は其子か孫なるべければ然か言へり。イマセバのバを省けるは例多し。戴を今載に誤る。續紀宣命に、祖名戴持而など有り。
 參考 ○見在知在(代、考)ミマシシリマス(古、新)略に同じ ○日御朝廷(考)ヒノミカドニハ(271)(古、新)略に同じ ○愛能コ盛爾(考)メヅノサカリニ(古、新)略に同じ。
 
宇奈原能。邊爾母奧爾母。神豆麻利。宇志播吉伊麻須。諸能。大御神等。船舳爾。(反云布奈能閇爾)道引麻遠志。【遠志ヲ志遠ニ誤ル】天地能。大御神等。倭。大國霊。久堅能。阿麻能見虚喩。阿麻賀氣利。見渡多麻比。事畢。還日者。又更。大御神等。船舳爾。御手打掛弖。墨繩遠。播倍多留期等久。阿庭可遠志。智可能岬【岬ヲ岫ニ誤ル】欲利。大伴。御津濱備爾。多太【太ヲ大ニ誤ル】泊爾。美船播將泊。都都美無久。佐伎久伊麻志弖。速歸坐勢。
うなばらの。へにもおきにも。かむづまり。うしはきいます。もろもろの。おほみかみたち。ふなのへに。みちびきまをし。あめつちの。おほみかみたち。やまとの。おほくにみたま。ひさかたの。あまのみそらゆ。あまがけり、みわたしたまひ。ことをはり。かへらむひには。またさらに。おほみかみたち。ふなのへに。みてうちかけて。すみなはを。はへたるごとく。あてかをし。ちかのさきより。おほともの。みつのはまびに。ただはてに。みふねははてむ。つつみなく。さきくいまして。はやかへりませ。
 
神ヅマリは神集リなりと翁は言はれき。宣長云、神ヅマリは神|鎭《シヅマ》リなり。神留と同じ。鎭り坐《イマ》す神たちと言ふなり。集りにてはここは聞え難し。海邊は常に神の集りいますべき由無し。若し又此舟を守らん爲めに集りますならば、ウシハキと言ふ語聞えず。されば是れは此海邊又澳の島島などに鎭り坐して、其處《ソコ》をうしはきいます其|處處《トコロドコロ》の神たちを言ふなりと言へり。ウシハキイマスは、古事記建御雷神は降到て大國主神に問ひ給はく、汝之宇志波祁流《イマシノウシハケル》葦原(ノ)中(ツ)國者、我御子|所知國言依賜《シロシメサムクニトコトヨサシタマフ》云云。式、崇神祝詞、(272)山川清地遷出奉?。吾|地《クニ》宇須波伎《ウスハキ》坐世止云云。枕ウシハキもウスハキも同じくウシ夫理《フリ》と言ふ言の轉じたるなり。ウシは神代紀、大脊飯三熊之大人《オホセセヒノミクマノウシ》(大人此云2于志1)と有りて、尊み言ふ言にして、言のもとはウとヌと通ひて、主と言ふに同じ。其所を領じ給ふ神を申す事なり。道引麻遠志、今本志遠と有り。一本に據りて改めつ。倭ノ大國ミタマ。崇神紀に、日本《ヤマトノ》大國魂神と見え、垂仁紀に、倭大神と見ゆ。アマガケリは出雲國造神賀詞に、天八重雲押別?。天翔《アマカケリ》國翔?。天下見廻?云云と有り。スミナハ、和名抄、繩墨(須美奈波)と見ゆ。ハヘタル如クは引キ延シタル如クとなり。阿庭可遠志の庭を一本遲に作る。先人云、阿は間か聞の誤、遠は邊の誤にて、モチカヘシなるべし。御手打カケテと有るからは、持チ返シとも言ひしかと言へり。宣長はアヂカヲシは智可の枕詞と聞ゆ。アチカ、智《チ》カと言の重なる枕詞なり。さてアチカは未だ考へず。ヲシはヨシと言ふに同じと言へり。猶考ふべし。岫は岬の誤なる事|著《シ》るし。智カは肥前松浦郡|血鹿《チカノ》島にて、其みさきを言へり。タダハテニは、船の直《タダ》ちに着かん事を言ふなり。
 參考 ○道引麻志遠(古)略に同じ(新)ミチビキマシ、「遠」を衍とす ○還日者(古)略に同じ(新)カヘラムヒハ ○阿庭可遠志(代)アテガヲシ(考)「問遲《モヂ》可邊志」(古、新)未考。
 
反歌
 
(273)895 大伴。御津松原。可吉掃弖。和禮立待。速歸坐勢。
おほともの。みつのまつばら。かきはきて。われたちまたむ。はやかへりませ。
 
大トモノ、枕詞。カキは詞、掃き拂ふなり。良比《ラヒ》を約むれば利となるを、伎《キ》に通はしてはキと言へり。
 
896 難波津爾。美船泊農等。吉許延許婆。紐【紐ヲ?ニ誤ル】解佐氣弖。多知婆志利勢武。
なにはづに。みふねはてぬと。きこえこば。ひもときさけて。たちばしりせむ。
 
トキサケは解き放ちにて、紐結ふまでも無く、急ぎ迎へてんと言ふなり。
 
天平五年三月一日(良宅對面、獻三日)山上憶良
謹上 大唐大使卿記室。
 
良宅以下の七字今本に本行にせり。もと小字に書けるなるべし。良は憶良の略、獻れるは三日なりとは、朔日に此歌どもを詠みて、其れを大使へ見せたるは三日と言ふ事なるべし。續紀に天平四年八月從四位上多治比眞人廣成を遣唐大使と爲し拾ひ、同五年三月廣成等に節刀を授くる由有りて、同四月已亥遣唐四船難波津より發《タ》ちて、同七年三月丙寅唐國より歸る由見ゆ。
 
沈v痾自哀文  山上憶良作
 
竊(ニ)以(ミルニ)朝佃2食山野1者。猶無2災害1而得v度v世。(謂常執2弓箭1不v避2六齋1、所※[がんだれ/自]禽獣不v論2大小1、孕(ト)及2不孕1、並皆殺食、以v此爲v業者也)
 
(274)契沖云、朝の下夕暮などの字を落せしならんと言へり。次の句の晝夜と對する所なれば必ず落字なり。佃、はかりして獣を捕る事を言ふ。註に※[がんだれ/自]と有るは値の誤なるべし。一本に位と有るは理《コトワ》り無し。或人は有の誤かとも言へり。
 
晝夜釣2漁河海1者。尚有2慶福1而全經v俗。(謂漁夫潜女各有v所v勤。男者手把2竹竿1能釣2波浪之上1。女者腰帶2鑿籠1潜採2深潭之底1者也)況乎我從2胎生1迄2于今日1。自有2修善之志1。曾無2作惡之心1。(謂v聞2諸惡莫作諸善奉行之教1也)所以禮2拜三寶1。無2日(トシテ)不1v勤。(毎日誦經、發露懺悔也)敬2重百神1。鮮2夜有1v闕。(謂v敬2拜天地諸神等1也)嗟乎?哉。我犯2何罪1。遭2此重疾1。(謂未v知2過去所造之罪若是現前所v犯之1過1、無v犯2罪過1何獲2此病1乎、)初沈v痾已來。月稍多。(謂v經2十餘年1也)是時年七十有四。鬢髪斑白。筋力?羸。不2但年老1。復加2斯病1。諺曰。痛瘡灌v鹽。短材截v端。此之謂也。
 
?は?弱にてよわきを言ひ、羸は羸痩にて痩せたるを言ふ。諺は此時常に言ひ馴れたることわざなるべし。次の歌に、いたききずにはかた鹽をそそぐちふがごと、とも言へり。註の發露は罪過を自ら現はすを言ふ。
 
四支不v動。百節皆疼。身體太重。猶v負2釣石1。(二十四銖爲2一兩1十六兩爲2一斤1。三十斤爲2一釣1。四釣爲2一石1。合一百二十斤也。)懸v布欲v立。如2折v翼之鳥1。倚v杖且歩。比2跛足之驢1。
 
懸布は布を梁などに懸けて、其れに縋《スガ》りて起つことにて、病める樣を言へるならん。文字の出所詳なら(275)ず。折翼はつばさの折れたるを言ふ。跛足は足の痿《ナ》えたるなり。
 
吾以(フニ)身已(ニ)穿俗。心亦累塵。欲v知2禍之所v伏。祟之所1v隱。
 
穿俗は未た詳ならず。累塵は俗累とも塵俗とも言ひて、煩はしき俗に混じ居るを言ふ。禍之所v伏云云は、老子に禍兮福所v倚、福兮禍所v伏と有る意なり。
 
龜卜之門。巫祝之室。無v不2徃問1。若實若妄。隨2其所1v教。奉2幣帛1。無v不2祈?1。然而彌有v増v苦。曾無2減差1。吾聞前代多有2良醫1。救2療蒼生病患1。至v若2楡樹、扁鵲、華他、秦(ノ)和緩、葛稚川、陶隱居、張仲景等1。皆是在v世良醫。無v不2除愈1也。(扁鵲姓秦。字越人。勃海郡人也。割v胸採2心腸1。而置v之投以2神藥1。即寤如2平也1。華他字元化。沛國?人也。若有2病結積沈重者1。在v内者刳v腸取v病。縫復摩v膏。四五日差v之)
 
楡樹は兪※[足+府]の誤なるべし。史記扁鵲傳に、上古之時醫有2兪※[足+府]1云云と言ひ、註に黄帝時將也と言へり。和緩は醫和、醫緩とて二人ともに秦國の名醫なり。左傳に見えたり。葛稚川は葛洪なり。陶隱居は陶弘惠なり。皆晋の代の名醫。張仲景名は機、後漢の人なり。註文に、如平也とある也は生の誤なるべし。元化を無他に誤れり。
 
追2望件醫1。非2敢所1v及。若逢2聖醫神藥者1。仰願割2刳五藏1。抄2探百病1。尋達2膏肓之?處1。(肓鬲也。心下爲v膏。攻v之不v可。達v之不v及。藥不v至焉。)欲v顯2二竪之逃匿1(謂晉(ノ)景公疾、秦醫緩視而還者可v謂v爲2鬼所1v殺也。)
(276)抄探、拾穗本には抄採に作る。左傳に、晋侯疾病。求2醫2于秦1。秦伯使2醫緩|爲《ヲサメ》1v之。未v至。公夢爲2二豎子1曰。彼(ハ)良醫也。※[骨+瞿](ラクハ)傷(ン)v我。焉(ンカ)逃(レン)v之。其一曰。居2肓之上膏之下1。若v我何。醫至。曰。疾不v可v爲(ム)也・在2肓之上膏之下1。攻v之不v可。達不v及。藥不v至焉。不v可v爲也。公曰。良醫也。厚爲2之禮1而歸v之と有り。
 
命根既(ニ)盡。終2其天年1。尚爲v哀。(聖人賢者一切含靈。誰免2此道1乎。)何況生録未v半。爲《ラル》)2鬼(ニ)枉殺(セ)1。顔色壯年。爲《ラル》2病(ニ)横困(セ)1者乎。在(ノ)v世大患。孰甚(シカラン)2于此(レヨリ)1。(志恠記云、廣平前太守北海徐玄方之女。年十八歳而死。其靈謂2馮馬子1曰。案2我生録1。當2壽八十餘歳1。今爲2妖鬼1所2枉殺1。已經2四年1。此遇2馮馬子1。乃得2更活1。是也。内教云。膽浮洲人壽百二十歳。謹案2此數1非2必不1v得v過v此。故壽延經云、有2比丘1名曰2難達1。臨2命終時1。詣v佛請v壽。則延2十八年1。但善爲者天地(ト)相畢。其壽夭者業報所v招。隨2其修短1而爲v半也。未v盈2斯?1、而|?《スミヤカニ》死去。故曰v未v半也。)
 
志恠記より未半也までを今本大字に書けるは誤なり。遇馮馬子、一本遇を過に作る。善爲は爲善の誤なるべし。?は算の古字なり。
 
任徴【徴ヲ微ニ誤ル】君曰。病從v口入。故君子節2其飲食1。由v斯言v之。人遇2疾病1。不2必(シモ)妖鬼(ノタメ)1。夫醫方諸家之廣説。飲食禁忌之厚訓。知易行難之鈍情。三者盈v目滿v耳。由來久矣。
 
任徴君は梁の任ム、字元昇と言へる人なり。厚、一本原に作る。
 
抱朴子(ニ)曰。人但不v知2其當v死之日1。故不v憂耳。若誠知2羽?可v得延v期者1。必將v爲v之。以v此而觀。乃(277)知我病蓋(シ)斯(レ)飲食(ノ)所v招。而不v能2自治1者乎。
 
羽?は道を得て飛行する事を言ふ。仙術を得し人を羽客とも言へり。
 
帛公略説(ニ)曰。伏思自氏iニ)以2斯長生1。生可v貪也。死可v畏也。天地之大コ曰v生。故死人不v及2生鼠1。王侯1、一日絶v氣。積v金如v山。誰爲v富哉。威勢如v海。誰爲v貴哉。遊仙窟(ニ)曰。九泉下(ノ)人。一錢不v直。孔子曰。受2之於天1。不v2變麺1者(ハ)形也。受2之於命1。不v可2請益1者(ハ)壽也。(見2鬼谷先生相人書1)故知2生之極貴。命之至重1。欲v言言窮。何以言v之。欲v慮慮絶。何由慮v之。惟人無2賢愚1。世無2古今1。咸悉《コトゴトクミナ》嗟歎(ス)。歳月競(ヒ)流。晝夜不v息。(曾子曰。往而不v反者年也。宣尼臨v川之嘆。亦是矣也。)老疾相催。朝夕侵動。一代(ノ)歡樂。未v盡2席前1。(魏文惜2時賢1詩曰。未v盡2西苑夜1。劇(ニ)作2北望塵1也。)千年愁苦更繼2座後1。(古詩云。人生不v滿v百、何懷2千年憂1矣。)
 
北望は北?に同じ。文選今本には常懷2千歳憂1と有り。
 
若夫群生品類。莫v不d皆以2有v盡之身1。竝求c無窮之命u。所以道人方士。自負2丹經1入2於名山1。而合藥之者。養v性怡v神。以求2長生1。
 
合藥、今本合藥に作るは誤なり。
 
抱朴子(ニ)曰。神農云。百病不v愈。安得2長生1。帛公又曰。生(ハ)好物也。死(ハ)惡物也。若不幸而不v得2長生1者。猶以d生涯無2病患1者u爲2福大1哉。
 
(278)帛公、今本帛出に作るは誤なり。生好物也、死惡物也は左傳の語なり。
 
今吾爲2病見1v惱。不v得2臥坐1。向v東向v西。莫v知v所v爲。無福至甚。ハ集2于我1。人願(テ)天從(フ)。如《モシ》有v實者。仰(ギ)顧(ハクハ)頓(ニ)除2此病1。頼《サイハヒニ》得v如v平。以v鼠爲v喩。豈不v愧乎。(已見上也。)
 
ハ集于我の上、脱語あるべし。以鼠爲喩は、毛詩相v鼠有v皮。人而無v儀。人而無v儀不v死何爲。已見上也の四宇一本に無し。
 
悲2歎俗道假合即離易v去難1v留詩一首竝序
 
竊以釋慈之示教。(謂2釋氏慈氏1)先開2三歸(謂v歸2依佛法僧1)五戒1。而化2法界1。(謂一不殺生、二不偸盗、【今盗上ノ偸、邪上ノ不ヲ脱ス】三不邪淫、四不妄語、五不飲酒也。)周孔之垂訓。前張2三綱(謂君臣、父子、夫婦)五教1。以齊(シク)濟(フ)2郡國1。(謂父義、母慈、兄友、弟順、子孝。)
 
慈氏は彌勒を言ふ。契沖云、化字の上、普、或は遍などの字落ちたるべし。下の以齊濟郡國と言ふ句と對すべき句なればなりと言へり。今考ふるに官本には齊の字無し。さらば今のままにて然るべし。郡國、一本邦國に作るを善しとす。
 
故(ニ)知(ル)引導雖v二。得v悟惟一也。但以世无(シ)2恒質1。所以陵谷更(ニ)變。人无(シ)2定期1。所以壽夭不v同。撃目之間。百齡已(ニ)盡。申臂之項。千代亦空。
 
陵谷更變は詩に高岸爲v谷、深谷爲v陵と有るより、世の移り變る事に言へり。撃目は莊子に目撃而道存矣(279)と有り。申臂は同書に交2一臂1而失v之と有りて、共に須臾の間の譬なり。目撃を撃目と變へ、交臂を甲臂と變へたるは文章の常なり。亦、一本且に作る。
 
旦《アシタニ》作2席上之主1。夕《ユフベニハ》爲2泉下之客1。白馬走來。黄泉何(ゾ)及(バン)。隴上(ノ)青松空(シク)懸2信釼(ヲ)1。野中(ノ)白楊但吹2悲風(ニ)1。
 
白馬は白駒の隙を過ぐると言ふより出でて、日月の過ぐるを云ふ。信釼は季札が徐君の家に釼を懸けたるを言ふ。委しくは史記に見えたり。白楊は墳墓に植うるものなり。古詩などに多く見ゆ。
 
是(ニ)知(ル)世俗本無2隱遁之室1。原野唯有2長夜之臺1。先聖已去。後賢不v留。如《モシ》有2贖而可(キ)v免者1。古人誰無2價金1乎。未v聞2獨存(シテ)遂(ニ)見(ル)2世(ノ)終1者u。所以維摩大士。疾2玉體于方丈1。釋迦能仁。掩2金容乎雙樹1。
 
維摩病を方丈の室に現じ、釋迦沙羅樹の下にて涅槃を示したるを言ふ。
 
内教(ニ)曰。不《ズバ》v欲(セ)2黒闇之後(ニ)來(ルヲ)1。莫v入2コ天之先(ニ)至1。(コ天者生也。黒闇者死也。)故知(ル)生必有v死。死若|不《ズバ》v欲(セ)。不v如(カ)v不(ニハ)v生(レ)。況乎縱(ヒ)覺(ルモ)2始終之恒數(ヲ)1。何(ゾ)慮(ラン)2存亡之大期1者也。
 
内教は聖行品なり。黒闇コ天の事、上に言へり。不知は不如の誤。
 
俗道變化猶2撃目1。人事(ノ)經紀如2申臂1。空(シク)與2浮雲1行2大虚1。心力共盡無v所v寄。
 
俗道、拾穗本、世路に作る。
 
(280)897 霊剋。内限者。(謂瞻州人壽一百二十年也)平氣久。安久母阿良牟遠。事母無。裳無母阿良牟遠。世間能。宇計久都良計久。伊等能伎提。痛伎瘡爾波。鹹鹽遠。灌知布何其等久。益益母。重馬荷爾。表荷打等。伊布許等能其等。老爾弖阿留。我身上爾。病遠等。加弖阿礼婆。晝波母。歎加比久良志。夜波母。息豆伎阿可志。年長久。夜美志渡礼婆。月累。憂吟【吟ヲ今ニ誤ル】比。許等許等波。斯奈奈等思騰。五月蠅奈周。佐和久兒等遠。宇都弖弖波。死波不知。見乍阿礼婆。心波母延農。可爾可久爾。思和豆良比。爾能尾志奈可由。
たまきはる。うちのかぎりは。たひらけく。やすくもあらむを。こともなく。もなくもあらむを。よのなかの。うけくつらけく。いとのきて。いたききずには。からしほを。そそぐちふがごとく。ますますも。おもきうまにに。うはにうつと。いふことのごと。おいにてある。わがみのうへに。やまひをら。くはへてあれば。ひるはも。なげかひくらし。よるはも。いきづきあかし。としながく。やみしわたれば。つきかさね。うれへさまよひ。ことことは。しななとおもへど。さばへなす。さわぐこどもを。うつてでは。しにはしらず。みつつあれば。こころはもえぬ。かにかくに。おもひわづらひ。ねのみしなかゆ。
 
玉キハル、枕詞。モナクは多く喪の字を用ふ。わざはひ無きを言ふ。ここも裳は喪の誤なるべし。ツラケク、神代紀、最惡不順教養云云、此最惡をイトツラクと訓めり。イトノキテ、上に出づ。痛キ瘡ニハ云云、上の沈痾自哀文に諺曰とて書ける詞なり。重き馬荷云云。後撰集に、年の數積まむとすなる重荷にはいとど小付《コヅケ》をこりも添へてむ、と有るに同じ。今俗に小付《コヅケ》を打つ、中荷を打つなど言ふは添へ付くる(281)事なり。老イニテアルは老い去《イ》にたるなり。ヤミシのシは助辭。憂吟、今本今に作る。一本本吟に作るに據れり。コトコトは契沖が言ふ如く、悉の意にあらず、異事なり。いときなき子を殘し置く外の辛苦の餘りには、死なんと思へど、と言ふなり。サバヘナス、枕詞。ウツテテハは、ウチステテはなり。知須《チス》の約|都《ツ》なればなり。シニハシラズは、え死なぬと言ふ意なり。心ハモエヌは、卷一、思ひぞ所燒我下情《ヤクルワガシタゴコロ》と言ふに同じ。ナカユはナカルなり。
 參考 ○灌知布何其等久(古、新)何を衍としてソソゲチフゴトク ○憂吟(考、古、新)ウレヒサマヨヒ ○斯奈奈等思騰(古、新)シナナトモヘド ○死波不知(考)シナニハシラズ(古、折)略に同じ。
 
反歌
 
898 奈具佐牟留。心波奈之爾。雲隠。鳴往鳥乃。禰能尾志奈可由。
なぐさむる。こころはなしに。くもがくれ。なきゆくとりの。ねのみしなかゆ。
 
鳴き行く鳥の如く音《ネ》に泣かるるなり。
 參考 ○雲隱(古、新)クモガクリ。
 
899 周弊母奈久。苦志久阿礼婆。出波之利。伊奈奈等思騰。許良爾佐夜利奴。
すべもなく。くるしくあれば。いではしり。いななとおもへど。こらにさやりぬ。
 
(282)走り出でて如何ならん所へも徃《イ》なんと思へど、子等に障《サ》へらるるとなり。サヤリは上に出づ。
 參考 ○伊奈奈等思騰(古、新)イナナトモヘド。
 
900 富人能。家能子等能。伎留身奈美。久多志須都良牟。※[糸+包]綿良波母。
とみびとの。いへのこどもの。きるみなみ。くたしすつらむ。きぬわたらはも。
 
富める人の家に着すべき子の少なくて、衣は多きを、着ル身無ミと言ふなるべし。クタシは腐《クタ》シなり。※[糸+包]は袍の誤なるべし。此歌と次の麁妙の歌は、貧窮問答の反歌の紛れて此處に入りたるなるべし。
 
901 麁妙能。布衣遠陀?爾。伎世難爾。可久夜歎敢。世牟周弊遠奈美。
あらたへの。ねのぎぬをだに。きせがてに。かくやなげかむ。せむすべをなみ。
 
アラタヘは布の總べたる名なり。
 
902 水沫奈須。微命母。栲繩能。千尋爾母何等。慕久良志都。
みなわなす。もろきいのちも。たくなはの。ちひろにもがと。ねがひくらしつ。
 
水の泡の如くとなり。
 
903 倭文【文ヲ父ニ誤ル】手纒。數母不在。身爾波在等。千年爾母何等。意母保由留加母。
しづたまき。かずにもあらぬ。みにはあれど。ちとせにもがと。おもほゆるかも。
 
シヅタマキ、枕詞。
 
(283)(去神龜二年作v之。但以v類故更載2於茲1。) 右シヅタマキ云云の一首は、神龜三年に詠みしかども、天平五年六月右の長歌一首短歌三首を作りて、此一首も同じ類ひなれば此處に載せたりと言ふなり。
 
天平五年六月内申朔三日戊戌作。
 
戀2男子名|古日《フルヒ》1歌三首(長一首、短二首)
 
904 世人之。貴慕。七種之。寶毛我波。何爲。和我中能。産禮出有。白玉之。吾子古日者。明星之。開朝者。敷多倍乃。登許能邊佐良受。立禮杼毛。居禮杼毛登母爾。戯禮。夕星乃。由布弊爾奈禮婆。伊射禰余登。手乎多豆佐波里。父母毛。表者奈佐我利。三枝之。中爾乎禰牟登。愛久。志我可多良倍婆。何時可毛。比等等奈理伊弖天。安志家口毛。與家久母見武登。大船乃。於毛比多能無爾。
よのひとの。たふとみねがふ。ななくさの。たからもわれは。なにせむに。わがなかの。うまれいでたる。しらたまの、わがこふるひは。あかぼしの。あくるあしたは。しきたへの。とこのべさらず。たてれども。をれどもともに。たはふれ。ゆふづつの。ゆふべになれば。いざねよと。てをたづさはり。ちちははも。うへはなさかり。さきくさの。なかにをねむと。うつくしく。しがかたらへば。いつしかも。ひととなりいでて。あしけくも。よけくもみむと。おほぶねの。おもひたのむに。
 
七クサノ寶は金、銀、瑠璃、??、瑪瑙、珊瑚、琥珀、又は金、銀、瑠璃、頗梨、車渠、瑪瑙、金剛。何セムニの下、七言一句落ちたるか。白玉ノは玉の如く愛《メ》で思ふを言へり。アカ星、和名抄兼名苑云、歳(284)星一名明星、此間云2阿加保之1。トコノベは床ノ方《ベ》なり。ヲレドモトモニの下、一句半落ちしならん。ユフヅツ、和名抄兼名苑云、太白星一名長庚、暮見2於西方1爲2長庚1、此間云2由不豆豆1と有り。表者は遠者の誤ならんか。トホクハナサカリと訓むべし。遠く放《サ》け離るる事なかれとなり。奈佐の下の我の字濁音なれば、柯の字などの誤れるならん。宣長云、表《ウヘ》はそのほとりを言ふなりと言へり。サキクサノ、枕詞。シガカタラヘバは己《シ》がなり。則ち古日が事を言ふ。アシケクモヨケクモミムトは、善くも惡しくも生ひ先きを見んと、と言ふなり。
 參考 ○貴慕(代)タフトビシタフとと訓む(考、古、新)略に同じ ○何爲の下(考)加奈志伎妹與の脱とし(古)子《ネ》ガヒホリセムの脱とす ○和我中能(新)ワガナカ「爾」ニ ○尾禮杼毛登母爾の下(考)比留波母。牟都禮の脱とす(古)カキナデテ。コトトヒの脱とす(新)父母ト。アソビの脱とす ○表者奈佐我利(代、古)ウヘハナサカリ(考)略に同じ(新)「遠」トホクナサカリ「者」は衍とす ○愛久(考、新)略に同じ(古)ウルハシク。
 
於毛波奴爾。横風乃。爾布敷可爾布敷可爾。覆來禮婆。世武須便乃。多杼伎乎之良爾。志路多倍乃。多須吉乎可氣。麻蘇鏡。弖爾登利毛知弖。天神。阿布藝許比乃美。地祇。布之弖額(285)拜。可加良受毛。可賀利毛。神乃末爾麻爾等。立阿射里我。【我ノ下例衍文ナレバ除ク】例乞能米登。須臾毛。余家久波奈之爾。漸々。可多知久都【久都ヲ都久ニ誤ル】保里。朝朝。伊布許等夜美。霊剋。伊乃知多延奴禮。立乎杼利。足須里佐家婢。伏仰。武禰宇知奈氣吉。手爾持流。安我古登婆之都。世間之道。
おもはぬに。よこかぜの。         おほひきぬれば。せむすべの。たどきをしらに。しろたへの。たすきをかけ。まそかがみ。てにとりもちて。あまつかみ。あふぎこひのみ。くにつかみ。ふしてぬかづき。かからずも。かかりもかみの。まにまにと。たちあざりわが。こひのめど。しばらく《しましく》も。よけくはなしに。ややややに。かたちくづほり。あさなさな。いふことやみ。たまきはる。いのちたえぬれ。たちをどり。あしずりさけび。ふしあふぎ。むねうちなげき。てにもたる。あがことばしつ。よのなかのみち。
 
オモハヌニは思はザルニなり。横風乃の下十字訓むべからず。宜長云はく、横風乃の下、布敷は爾波の誤にて、爾母は亂れて横風乃の下へ入りたり。下の布敷可爾は一本に無ければ衍文にて、横風乃|爾波可爾母覆《ニハカニモオホヒ》來禮婆と有りしなるべしと言へり。タドキはタツキに同じ。襷ヲカケ云云は神を祈るさまにて、既に言へり。コヒノミは乞?なり。紀に叩頭をコヒノムと訓めり。カカラズモカカリモ云云は、神の御惠《ミメグミ》に掛からんも掛からざらんも神のままにと言ふなり。立チアサリは、心いられして立ち騷ぐを俗にアセルと言ふ意ならん。我の下、今本例の字有り、一本の無きに據れり、カタチ久都ホリ、今本都久と有るは誤なり。クヅホルなり。崩ると言ふも同じ言なり。タエヌレはタエヌレバなり。立チヲドリ云云、卷九、浦島が子を詠める歌にも、立走りさけび抽ふりこいまろび足ずりしつつと云へるに同じ。手ニモタルアガ子トバシツ。掌珠一顆兒三歳と言へる如く、手に持ちたる玉を失ひたらんやうに覺ゆるなり。
(286) 參考 ○横風乃(代、古、新)ヨコシマカゼノ(考)略に同じ ○爾母布敷可爾布敷可爾(代)布敷可爾を衍とし、爾波可爾母布敷爾の誤としてニハカニモ、シクシクニ(考)奧爾母、邊爾母布浪(古、新)爾波可爾母の誤としニハカニモ ○覆來禮婆(代、考、新)略に同じ(古)オホヒキタレバ ○可賀利毛(古)下に「吉惠天地乃」の五字脱、「仁」を衍とし、カカリモヨシヱ、アメツチノ、カミノマニマト(新)脱句有りとす ○立阿射里我例乞納米登(考、古)タチアザリ、ワガコヒノメド「例」は衍とす(新)タチア「何」ガリ、ワガ乞《コヒ》ノメド ○須臾毛(古、新)シマシクモ ○漸漸(考)略に同じ(古)ヤウヤウニ(新)兩訓を附して決せず ○可多知都久保里(代、考)可多知久都保里(古)カタチツクホリ、又はカタチ久都ホリ(新)クヅホリか。
 
反歌
 
905 和可家禮婆。道行之良士。末比波世武。之多敝乃使。於比弖登保良世。
わかければ。みちゆきしらじ。まひはせむ。したべのつかひ。おひてとほらせ。
 
マヒは幣の字を訓めり。マヒナヒセムと言ふなり。シタベノ使は下方《シタベ》にて、紀に根(ノ)國、底(ノ)國など言へると同じく、黄泉を言ふ。神代紀一書、素盞嗚尊曰云云、蒼生奧津棄戸將臥之具云云、棄戸此云2須多杯《スタベ》1と有るも是れなり。吾子の稚くて道知るまじければ、黄泉の使負ひて行けかしと言ふなり。トホラセはトホレを延べ言ふ。光仁紀、左大臣藤原永手薨の時の詔に、美麻之《ミマシ》大臣罷道母宇之呂輕久心母意太比爾念而平久罷止冨良須倍之《マカリトホラスベシ》と有り。
 
906 布施於吉弖。吾波許比能武。阿射無加受。多太爾率去弖。阿麻治思良之米。
ぬさおきて。われはこひのむ。あざむかず。ただにゐゆきて。あまぢしらしめ。
 
布施はヌサと訓むべし。又ただちにフセとも訓むべきなり。ここに乞ヒノムと言へるは佛に乞ふて、神に?るとは事異なれば、幣と言はで布施と言へるなり。施を?の誤としてフシオキテ《臥起》と訓めるは僻事《ヒガゴト》なり。アザムカズタダニヰユキテ云云は、經文に説き置きたる如くに欺く事無く、直ちに天上へ率《ヒキ》ゐ行き給へとなり。天も六道の一つなる故にアマヂとは詠めり。
 參考 ○布施於吉弖(代)フセ「伏」起(考)フシ「伏し(古、新)フセオキテ。
 
右一首作者未v詳。但以3裁v歌之體似2於山上之操1載2此次1焉。
 
是れも後人の書き加へしなり。此卷憶良の家集と見ゆれば、自らの名書かざりし所も有るべし。
 
萬葉集 卷第五 終
 
 
(1)萬葉集 卷第六
 
此卷、養老七年より神龜、次に天平十六年までの年號を擧げたり。且つ帥大伴卿をのみ名をしら(○らハるノ誤カ)さぬは、家持卿の家に集めたる事知るべし。
 
雜歌
 
養老七年癸亥夏五月幸2于芳野離宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、元正天皇此幸の事見ゆ。金村、傳知れず。
 
907 瀧上之。御舟乃山爾。水枝指。四時爾生有。刀我乃樹能。彌繼嗣爾。萬代。如是二二知三。三芳野之。蜻蛉乃宮者。神柄香。貴將有。國柄鹿。見欲將有。山川乎。清清。諾之神代從。定家良思母。
たぎのうへの。みふねのやまに。みづえさし。しじにおひたる。とがのきの。いやつぎつぎに。よろづよに。かくししらさむ。みよしぬの。あきつのみやは。かむがらか。たふとかるらむ。くにがらか。みがほしからむ。やまかはを。きよみさやけみ。うべしかみよゆ。さだめけらし。
 
吉野の瀧の上に有る御舟の山なり。ミヅ枝はみづみづしきにて、若枝を言ふ。シジは繁キなり。刀我ノ(2)木ノ、枕詞。集中皆|都賀《ツガ》ノ木ノとのみ有り。刀と都と通へば、トガとてもツギツギと續くべけれど、猶思ふに、外みな都賀とのみ有れば、若しくは刀は都の字のかたはら缺けたるが、刀、となれるにもや有らん。カクシのシは助辭にて、萬代も斯くの如くしろしめさんとなり。神ガラ國ガラのカラは故の意。神とは此山を敷座《シキマ》す神を言ふ。清清二字のうち一字は誤れるならん。試に云はば、峻清などや有りけん。然らばタカミサヤケミと訓むべし。清清の下一句足らざるは古歌に例有れど、是れは奈良の朝の歌なれば然は有らじ。句の落ちたるならん。此離宮いつの御時造られしか知られず。神代とも言ひつべく、いと上つ代より有りけらし。
 參考 ○瀧上之(古)タギノヘノ ○刀我乃樹能(考、古、新)ツガノキノ ○清清(代〕サヤニサヤケシ、又はスガスガシミ(考)「峻」タカクサヤケシ(古)「淳」アツミサヤケミ(新)キヨミサヤケミ ○清清の下(古)オホミヤト、又はトツミヤト脱か(新)トツ宮ト脱か。
 
反歌
 
908 毎年。如是裳見壯鹿。三吉野乃。清河内之。多藝津白浪。
としのはに。かくもみてしが。みよしぬの。きよきかふちの。たぎつしらなみ。
 
トシノハは年ゴトニなり。既に出づ。見テシガは願ふ詞。カを濁るべし。鹿の字を書きたれど、斯かる所に、清濁にかかはらず字を借りたる例多し。カフチは河の廻れる所を言ふ。
 
(3)909 山高三。白木綿花。落多藝追。瀧之河内者。雖見不飽香聞。
やまたかみ。しらゆふばなに。おちたぎつ。たぎのかふちは。みれどあかぬかも。
 
ゆふもて作る花の如くにと言ふなり。ユフは木綿にて既に言へり。
 
或本。反歌曰。
 
910 神柄加《カンガラカ》。見欲賀藍《ミガボシカラム》。三吉野乃。瀧乃河内者。雖見不飽鴨。
 
ミガボシは見マホシに同じ。例に由るに瀧の下之の字有るべし。
 參考 ○見欲(古、新)ミガホシ ○瀧河内者(考)瀧乃河内者(古)タキツカフチハ、又は一本に據りタキノカフチハ(新)タキツカフチハ。
 
911 三吉野之。 秋津乃川之《アキツノカハノ》。萬世爾《ヨロヅヨニ》。斷事無《タユルコトナク》。又還將見《マタカヘリミム》。
 
川の絶ゆる事無きが如く、行きかへり行きかへり見んとなり。
 
912 泊瀬女《ハツセメノ》。造木綿花《ツクルユフバナ》。三吉野。瀧乃|水沫《ミナワニ》。開來受屋《サキニケラズヤ》。
 
たぎり落つる水の泡の、木綿花《ユフバナ》の如く見ゆるを言ふ。大瀧と言ひて、大石の間を斜めに落つるが、實に綿を岩間に流す如く見ゆるとぞ見し人の言へる。
 
車持《クルマモチノ》朝臣|千《チ》【千ヲ干ニ誤ル】年《トシ》作歌一首并短歌
 
(4)千年、傳知れず。今千を手に誤る、元暦本に據りて改む。
 
913 味凍。綾丹乏敷。鳴神乃。音耳聞師。三芳野之。眞木立山湯。見降者。川之瀬毎。開來者。朝霧立。夕去者。川津鳴奈辨。【辨ハ利ノ誤。辨ノ下、今詳字有リ衍ナリ】紐【紐ヲ綛ニ誤ル】不解。客爾之有者。吾耳爲而。清川原乎。見良久之惜【惜ヲ情ニ誤ル】裳。
うまごりの。あやにともしく。なるかみの。おとのみききし。みよしぬの。まきたつやまゆ。みくだせば。かはのせごとに。あけくれば。あさぎりたち。ゆふされば。かはづなくなり。ひもとかぬ。たびにしあれば。あのみして。きよきかはらを。みらくしをしも。
 
ウマゴリノ、枕詞。アヤニは嗚呼《アナ》なり。トモシクは賞《メヅラ》シキと云ふなり。ナル神ノ、枕詞。明ケ來レバは夜ノ明クレバなり。辨、古葉略要に利に作るを善しとす。元暦本には拜に作れり。ナヘにては此處はかなはず。今本辨の下詳の字有り。一本無きを善しとす。ヒモトカヌは、吉野從駕の旅なれば、紐解かでまろ寢するなり。アノミシテは吾而已シテなり。ミラクは見ルを延べ言ふ。シは助辭。惜、今本情と有るは誤なり。元暦本に據りて改めつ。モは助辭。
 參考 ○味凍(古、新)ウマゴリ ○川津鳴奈辨(古、新)略に同じ。但し辨を利の誤とす。
 
反歌一首
 
914 瀧上乃。三船之山者。雖畏。思忘。時毛日毛無。
(5)たぎのへの。みふねのやまは。かしこけど。おもひわするる。ときもひもなし。
 
宣長云、雖畏にては聞え難し。畏は見の誤にて、見ツレドモなるべし。下句は故郷人を忘れぬなり。長歌の末の詞、又次なる反歌にて知るべしと言へり。
 參考 ○雖畏(古、新)「雖見」ミツレドモ。
 
或本反歌曰。
 
915 千鳥鳴《チドリナク》。三吉野川之《ミヨシヌカハノ》。【之ノ下川字ヲ脱ス】音成《カハトナス》。止時梨二《ヤムトキナシニ》。所思公《オモホユルキミ》。
 
古葉略要に、成を茂に作る。元暦本にも、シゲミと訓みたれど非なり。之の下一本川の字あり。カハトナスと訓むべし。川音の如くの意なり。今の訓は由無し。さてミヨシ野ガハと詠めるは、卷七、馬並て三芳野河乎見まくほりとも有り。
 參考 ○三吉野川之(考)「三」を衍とす(古、新)略に同じ。
 
916 茜刺《アカネサス》。日不並二《ヒナラヘナクニ》。吾戀《ワガコヒハ》。吉野之河乃。霧丹立乍《キリニタチツツ》。
 
アカネサス、枕詞。日並ヘナクニは、日ヲモ重ネヌニと言ふなり。キリニ立は歎きの霧なり。
 參考 ○日不並二(代)ヒモナラベズニ、又はヒナラベナクニ(考)ヒモナメナクニ(古、新)略に同じ。
 
右年月不v審 但以2歌類1載2於此次1焉。或本云。養老七年五月幸2于芳野離宮1之時作。
 
(6)神龜元年甲子冬十月五日幸2于紀伊國1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
續紀。神龜元年十月天皇幸2紀伊國1。癸巳行至2紀伊國那賀郡玉垣頓宮1。甲午至2海部郡玉津島頓宮1。留十有餘日。戊戌造2離宮於岡東1云云。又詔曰。登v山望v海此間最好。不v勞2遠行1。足2山遊覽1。故改2弱濱名1爲2明光《アカノ》浦1云云と見ゆ。
 
917 安見知之。和期大王之。常宮等。仕奉流。左日鹿野由。背上爾所見。奧嶋。清波瀲爾。風吹者。白浪左和伎。潮干者。玉藻苅管。神代從。然曾尊吉。玉津島夜麻。
やすみしし。わごおほきみの。と|こ《つ》みやと。つかへまつれる。さひかぬゆ。そがひにみゆる。おきつしま。きよきなぎさに。かぜふけば。しらなみさわぎ。しほひれば。たまもかりつつ。かみよより。しかぞたふとき。たまづしまやま。
 
ワゴはワガに同じ。サヒカは紀伊海部郡に雜賀《サヒカ》の庄有り。若浦の邊なりとぞ。常宮と詠めるは離宮なり。宣長云、常宮はトツミヤと訓むべし。常は借字にて外《ト》ツ宮の意なりと言へり。シカゾはカクノ如クゾなり。
 參考 ○常宮(古、新)トツミヤ。
 
反歌
 
(7)918 奧島。荒磯之玉藻。潮干滿。伊隱去者。所念武香聞。
おきつしま。ありそのたまも。しほひみち。いかくろひなば。おもほえむかも。
 
磯に生ふる藻の打靡く景色が、潮滿ちて隱れなば惜しからんとなり。イは發語。潮干滿は今潮干なるが、後に滿ちん事を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○潮干滿(考)シホミチニ(古、新)干を衍とし、シホミチテ ○伊隱去者(考)イカクレユカバ(古、新)イカクロヒナバ。
 
919 若浦爾。鹽滿來者。滷乎無美。葦【葦ヲ今ニ誤ル】邊乎指天。多頭鳴渡。
わかのうらに。しほみちくれば。かたをなみ。あしべをさして。たづなきわたる。
 
カタヲナミは、潮の滿ち來て干潟の無くなりたるなり。葦を今〓と書けるは誤なり。
 
右年月不v記。但?從2駕玉津島1也。因今?2注行幸年月1以載v之焉。
 
?を今〓に誤れり。?は古稱字なり。
 
神龜二年乙丑夏五月幸2于芳野離宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
績紀、此年月此行幸を載せず。
 
920 足引之。御山毛清。落多藝都。芳野河之。河瀬乃、淨乎見者。上邊者。(8)千鳥數鳴。下邊者。河津都麻喚。百磯城乃。大宮人毛。越乞爾。思自仁思有者。毎見。文丹【丹ヲ今舟ニ誤ル】乏。玉葛。絶事無。萬代爾。如是霜願跡。天地之。神乎曾?。恐有等毛。
あしびきの。みやまもさやに。おちたぎつ。よしぬのかはの。かはのせの。きよきをみれば。かみべには。ちどりしばなく。しもべには。かはづつまよぶ。ももしきの。おほみやびとも。をちこちに。しじにしあれば。みるごとに。あやにともしみ。たまかづら。たゆることなく。よろづよに。かくしもがもと。あめつちの。かみをぞいのる。かしこかれども。
 
御山とは宮所あればなり。上ベ下ベは上ツ瀬下ツ瀬なり。大宮人モヲチコチニの詞解き難し。翁は乞兒をカタヰと言ふより、コエガテニと訓まん。コエガテニは、從駕の外、在京の宮人は、みだりに越え來り難きを言ふなるべしと言はれつれど、ことわり聞え難し。思自仁思有者は繁く有ればと言ふ事にて、ここにかなはず。古本自の字無し。さらばモヒニモヘレバトと訓まんか、されど猶穩かならず。字の誤有るべし。猶考へてん。文の下、丹を今本舟に誤れり。元暦本に據りて改めつ。アヤニは既に言へり。トモシミはメヅラシキにて、ここはめでたき意なり。此離宮の萬づ世斯くの如く有れかしと神に願ふなり。
 參考 ○思自仁思有者(代、古、新)略に同じ(考)「思仁思う」モヒニモハレバ。
 
反歌二首
 
921 萬代。見友將飽八。三吉野乃。多藝都河内乃。大宮所。
(9)よろづよに。みともあかめや。みよしぬの。たぎつかふちの。おほみやどころ。
 
見るとも飽かんやなり。
 
922 人皆乃。壽毛吾母。三吉野乃。多吉能床磐乃。常有沼鴨。
ひとみなの。いのちもわれも。みよしぬの。たぎのとこはの。つねならぬかも。
 
元暦本.皆人と有り。人の世も吾が世もと意ふが如し。トコハは常磐なり。ツネナラヌカモは、磐の如く常に有れかしと願ふなり。
 參考 ○多吉能床磐乃(考)略に同じ(古、新)トキハノ。
 
山部宿禰赤人作歌二首并短歌
 
923 八隅知之。和期大王乃。高知爲。芳野離者。立名附。青墻隱。河次乃。清河内曾。春部者。花咲乎遠里。秋去【元、去ヲ部ニ作ル】者。霧立渡。其山之。彌益益爾。此河之。絶事無。百石木能。大宮人者。常將通。
やすみしし。わごおほきみの。たかしらす。よしぬのみやは。たたなつく。あをがきごもり。かはなみの。きよきかふちぞ。はるべは。はなさきををり。あきされば。きりたちわたる。そのやまの。いやますますに。このかはの。たゆることなく。ももしきの。おほみやびとは。とはにかよはむ。
 
離の下、宮の字を脱せり。タタナツク、枕詞。青ガキゴモリは、青山四方にそばたち廻れるなり。河ナ(10)ミは山竝に同じ。ヲヲリは卷二に出づ、咲き撓む意なり。其山ノ云云、其河ノ云云は、其山ノ如ク、此河ノ如クと言ふを略けり。
 參考 ○常將通(古、新)ツネニカヨハム。
 
反歌二首
 
924 三吉野乃。象山際乃。木末爾波。幾許毛散和口。鳥之聲可聞。
みよしぬの。きさやまのまの。こねれには。ここだもさわぐ。とりのこゑかも。
 
象山、吉野の内に有り。コヌレは木のウレにて、則ち梢なり。集中コズヱと假字書にせる事無し。
 
925 烏玉之。夜之深去者。久木生留。清河原爾。知鳥數鳴。
ぬばたまの。よのふけゆけば。ひさきおふる。きよきかはらに。ちどりしばなく。
 
ヒサキは楸なり。俗に木ササゲと言ふ物なり。
 參考 ○夜乃深去者(古、新)ヨノフケヌレバ。
 
926 安見知之。和期大王波。見吉野乃。飽津之小野笶。野上者。跡見居置而。御山者。射目立渡。朝獵爾。十六履起之。夕狩爾。十里?立。馬並而。御?曾立爲。春之茂野爾。
やすみしし。わごおほきみは。みよしぬの。あきつのをぬの。ぬのへには。とみすゑおきて。みやまには。いめたてわたし。あさかりに。ししふみおこし。ゆふがりに。とりふみたて。うまなめて。みかりぞたた(11)す。はるのしげぬに。
 
ト見は鳥獣の跡をもとめ見る人を言ふ。イメは射部《イベ》にて、弓射る人を言ふ。多く立て連ぬるをタテ渡スと言ふなり。今本、射固と有るは誤なり。古葉略要及び元暦本に、射目と有るに據れり。馬ナメテは乘りならべてなり。
 
反歌一首
 
927 足引之。山毛野毛。御?人。得物矢手挟。【挾ヲ今狹ニ誤ル】散動而有所見。
あしびきの。やまにもぬにも。みかりびと。さつやたばさみ。みだれたるみゆ。
 
サツヤは、幸箭なり。既に出づ。
 參考 ○散動而有所見(代)トヨミタルミユ(考)略に同じ(古)サワギタリミユ(新)ミダレタリミユ。
 
右不v審2前後1。但以v便【便ヲ今使ニ誤ル】故載2於此次1。
 
吉野の幸には、或日は御狩も有りし故に斯くも有るべし。
 
冬十月幸2于難波宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、此幸の事見ゆ。
 
(12)928 忍照。難波乃國者。葦垣乃。古郷跡。人皆之。念息而。都禮母爲。【爲ハ無ノ誤】有之間爾。續麻成。長柄之宮爾。眞木柱。太高敷而。食國乎。收【收、元ニ治ニ作ル】賜者。奧鳥。味經乃原爾。物部乃。八十伴雄者。廬爲而。都成有。旅者安禮十方。
おしてる。なにはのくには。あしがきの。ふりぬるさとと。ひとみなの。おもひいこひて。つれもなく。ありしあひだに。うみをなす。ながらのみやに。まきばしら。ふとたかしきて。をすぐにを。をさめたまへば。おきつどり。あぢふのはらに。もののふの。やそとものをは。いほりして。みやこなしたり。たびにはあれども。
 
オシテル、アシガキ、枕詞。オモヒイコヒテは思ひたゆむなり。又息の字は誤ならんか。猶訓み方あらんか、考ふべし。ツレモナク、爲は無の誤なり。卷三、つれもなきさほの山べに泣兒なすしたひきまして云云、由も無きと言ふに同じ。ウミヲナス、枕詞。ナガラノ宮云云、孝コ紀に、難波長柄豐崎に都遷りし給ふと見ゆ。オキツ鳥、枕詞。アヂフノ原、和名抄、東生郡|味原《アヂフ》郷有り。原をフと訓むは茅原《チフ》苧原《ヲフ》の類ひなり。桓武紀、攝津國|鰺生《アヂフ》野と有り。八十伴ノヲハ云云、從駕の官人假廬に居るを言ふ。都ナシタリ云云は、幸に由りて、旅とは言へども都の如しと言ふなり。
 參考 ○古郷跡(考)畧に同じ(古、新)フリニシサトト ○念息而(代、古、新)オモヒヤスミテ(13)(考)略に同じ ○都成有(考、古)ミヤコトナレリ(新)ミヤコヲナセリ。
 
反歌二首
 
929 荒野等丹。里者雖有。大王之。敷座時者。京師跡成宿。
あらのらに。さとはあれども。おほきみの。しきますときは。みやことなりぬ。
 
此里は荒野の中に有りしかどもと言ふなり。
 
930 海末通女。棚無小舟。?出良之。客乃屋取爾。梶音所聞。
あまをとめ。たななしをぶね。こきづらし。たびのやどりに。かぢのときこゆ。
 
棚無小舟、既に出づ。タビノヤドリは官人の假廬を言ふ。
 
車持朝臣千年作歌一首并短歌
 
931 鯨魚取。濱邊乎清三。打靡。生玉藻爾。朝名寸二。千重浪縁。夕菜寸二。五百【五百ヲ今誤リテ百五トセリ】重波因。邊津浪之。益敷布爾。月二異二。日日雖見。今耳二
。秋足目八方。四良名美乃。五十開廻有。住【住ヲ往ニ誤ル】吉能濱。
いさなとり。はまべをきよみ。うちなびき。おふるたまもに。あさなぎに。ちへなみより。ゆふなぎに。いほへなみよる。へつなみの。いやしくしくに。つきにけに。ひびにみるとも。いまのみに。あきたらめやも。しらなみの。いさきめぐれる。すみのえのはま。
 
(14)イサナトリ、枕詞。五百を今百五に作るは誤なり。邊津浪は濱邊の浪なり。益シクシクニは彌重重なり。ケニは既に出づ。雖は欲の誤にて、日日ニミガホシならん。見ルトモとては末へ續かず。イサキメグレルは、卷十四、阿遲かまのかたに左久奈美云云、神代紀、秀起浪穗之上云云。其下に、秀起此云2左岐陀豆?1と有り。(按ずるにこの豆は弖の誤なるべし、サキタテルと有るべきなり)然《さ》れば、イは發語にて、サキメグルとは浪の高く起ち廻るを言へり。住、今本往と有り。元暦本に依りて改む。住吉は古へ住ノエとのみ言へり。日吉、日枝、ともにヒエと訓むが如し。和名抄にスミヨシと有るは、其比より住ヨシとも言ひけん。
 參考 ○五百重波因の下(古、新)オキツナミ、イヤマスマスニの脱とす ○日日雖見(代)ヒビニミルトモ(考)ヒヒニ「欲見」ミテシガ(古)ヒビニミガホシ(新)ヒビニミマホシ ○五十開回有(代)イサキメグレバ(考、新)略に同じ(古)イサキモトヘル。
 
反歌一首
 
932 白浪之。千重來緑流。住吉能。岸乃黄土粉。二寶比天由香名。
しらなみの。ちへにきよする。すみのえの。きしのはにふに。にほひてゆかな。
 
卷一、草枕|旅行者《タビユクキミ》としらませば岸のはにふににほはさましを、と言ふ同じ。此卷末にも同じ事あり。ユカナはユカムなり。粉は音を借りてフニの言に用ふ。
 
(15)山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
933 天地之。遠我如。日月之。長我如。臨照。難波乃宮爾。和期大王。國所知良之。御食都國。日之御調等。淡路乃。野島之海子乃。海底。奧津伊久利二。鰒珠。左盤爾潜出。船並而。仕奉之。貴見禮者。
あめつちの。とほきがごとく。ひつきの。ながきがごとく。おしてる。なにはのみやに。わごおほきみ。くにしらすらし。みけつくに。ひのみつきと。あはぢの。ぬじまのあまの。わたのそこ。おきついくりに。あはびだま。さはにかづきで。ふねなめて。つかへまつるが。たふときみれば。
 
國シラスラシにて句なり。さて貴キミレバと言ふより返して見べし。ミケツ國は御食《ミケ》の物奉る國を言ふ。日ノミツキは日次の貢なり。ワタノ底、枕詞。イクリは海底の石なり。アハビダマは則ち鰒の貝を言ふ。サハは多くなり。タフトキはメデタキ意なり。海人までが斯く勞を厭はで仕へ奉るを見れば、天地と共に久しく御食國しろしめすと言ふなり。
 參考 ○日月之(考)ツキヒノ(古、新)略に同じ ○日之御調等(古、新)ヒビノミツキト ○仕奉之(代)ツカヘマツルモ(考、新)ツカヘマツラシ(古)ツカヘマツルカ ○貴見禮者(代、古、新)タフトシミレバ(考)タフトムミレバ。
 
反歌一首
 
(16)934 朝名寸二。梶音所聞。三食津國。野島乃海子乃。船二四有良信。
あさなぎに。かぢのときこゆ。みけつくに。ぬじまのあまの。ふねにしあるらし。
 參考 ○梶音所聞(代)カヂオトキコユ(古、新)略に同じ。
 
三年丙寅秋九月十五日幸2於幡磨印南野1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、此月此幸有り。 〔參考 ○幡磨(古)幡ヲ一本に據り播トス〕
 
935 名寸隅乃。船瀬從所見。淡路島。松帆乃浦爾。朝名藝爾。玉藻苅管。暮菜寸二。藻鹽燒乍。海未通女。有跡者雖聞。見爾將去。餘四能無者。丈夫之。情者梨荷。手弱女乃。念多和美手。徘徊。吾者衣戀流。船梶雄名三。
なきずみの。ふなせゆみゆる。あはぢしま。まつほのうらに。あさなぎに。たまもかりつつ。ゆふなぎに。もしほやきつつ。あまをとめ。ありとはきけど。みにゆかむ。よしのなければ。ますらをの。こころはなしに。たわやめの。おもひたわみて。たもとほり。われはぞこふる。ふねかぢをなみ。
 
ナキズミ、船瀬、播磨なるべし。手わやめの如くと言ふを略けり。オモヒタワミテはシナヘウラブレと言ふにひとし。從駕にて播磨に在りて、淡路の海人等が業を見る由の無きを歎きて、實に舟無きには有らねど、舟梶無くして得行きがたき由にかこちて詠めり。
 
反歌二首
 
(17)936 玉藻苅。海未通女等。見爾將去。船梶毛欲得。浪高友。
たまもかる。あまをとめども。みにゆかむ。ふねかぢもがも。なみたかくとも。
 
 參考 ○海未通女等(考)アマヲトメラヲ(古、新)略に同じ。
 
937 往回。雖見將飽八。名寸隅乃。船瀬之濱爾。四寸流思良名美。
ゆきめぐり。みともあかめや。なきずみの。ふなせのはまに。しきるしらなみ。
 
卷十七、をみなべし咲きたる野へを由伎米具利と詠めり。ミトモは見ルトモなり。シキルは重る意。
 參考 ○往回(考、古)ユキカヘリ(新)略に同じ。
 
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
右に同じ幸の時なり。
 
938 八隅知之。吾大王乃。神隨。高所知流。稻見野能。大海乃原笶。荒妙。藤井乃浦爾。鮪釣等。海人船散動。鹽燒等。人曾左波爾有。浦乎吉美。宇倍毛釣者爲。濱乎吉美。諾毛鹽燒。蟻往來。御覽母知師。清白濱。
やすみしし)わがおほきみの。かむながら。たかしらしぬる。いなみぬの。おほうみのはらの。あらたへの。ふぢゐのうらに。しびつると。あまぶねさわぎ。しほやくと。ひとぞさはなる。うらをよみ。うべもつりはす。はまをよみ。うべもしほやく。ありがよひ。みますもしるし。きよきしらはま。
 
(18)イナミ野、既に出づ。アラタヘノ、枕詞。藤井ノ浦、和名抄、播磨明石郡葛江(布知衣)卷三、あらたへの藤江の浦にすずきつると詠めり。ここも井は江の誤なるべし。和名抄、鮪(之比)と見ゆ。有リガヨヒ見マスモシルシとは、さきさきよりも幸し給ひて、見ますもうべなる事と言ふ意なり。白濱は白マナゴなど言ふにひとしくて和名に有らず。
 參考 ○大海乃原笶(新)オホミノハラノ ○藤井乃浦爾(考、古、新)フチ「江」エノウラニ ○海人船散動(考、古)略に同じ(新)アマフネミダレ ○御覽母知師(代)「御覽」オホミ(考)略に同じ(古、新)メサクモシルシ ○清白濱(新)キヨミシラハマともよむべし。
 
反歌三首
 
939 奧浪。邊波安美。射去爲登。藤江乃浦爾。船曾動流。
おきつなみ。へなみしづけみ。いざりすと。ふぢえのうらに。ふねぞざわげる。
 參考 ○船曾動流(考、古)略に同じ(新)フネゾトヨメル。
 
940 不欲見野乃。淺茅押靡。左宿夜之。気長在者。家之小篠生。
いなみぬの。あさぢおしなべ。さぬるよの。けながくしあれば。いへししぬばゆ。
 
オシナベはオシナビケなり。サヌルのサは發語。シヌバユはシノバルに同じく、慕はるるなり。
 參考 ○氣長在者(古)略に同じ(新)ケナガクアレバ。
 
941 明方。潮干乃道乎。從明日者。下咲異六。家近附者。
あかしがた。しほひのみちを。あすよりは。したゑましけむ。いへちかづけば。
 
歸路におもむきて、心の内によろこばしくて、打笑まるるを言へり。
 參考 ○下咲異六(代、古)略に同じ(新)シタヱミ「往」ユカム。
 
過2辛荷嶋1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
和名抄、播磨餝磨郡辛室(加良牟呂)といふ有り。此あたりにや。仙覺か抄播磨風土記を引きて、韓荷島韓之破船所v漂之物就2此島1。故云2韓荷島1と有り。
 
942 味澤相。妹目不數見而。敷【敷ヲ今數ニ誤ル】細乃。枕毛不卷。櫻皮纏。作流舟二。眞梶貫。吾榜來者。淡路乃。野島毛過。伊奈美嬬。辛荷乃島之。島際從。吾宅乎見者。青山乃。曾許十方不見。白雲毛。千重成來沼。許伎多武流。浦乃盡。往隱。島乃埼埼。隈【隈ヲ隅ニ誤ル】毛不置。憶曾吾來。客乃気長彌。
あぢさはふ。いもがめしばみずて。しきたへの。まくらもまかず。かにはまき。つくれるふねに。まかぢぬき。わがこぎくれば。あはぢの。ぬじまもすぎ。いなみづま。からにのしまの。しまのまゆ。わぎへをみれば。あをやまの。そこともみえず。しらくもも。ちへになりきぬ。こぎたむる。うらのことごと。ゆきかくる。しまのさきざき。くまもおかず。おもひぞわがくる。たびのけながみ。
 
(20)味サハフ、枕詞。妹ガメシバミズテは、シバシバ見ズシテなり。按ずるに敷の字は衍文か。イモガメミズテと有るかた調べ善し。亦宣長は不雛見而にて、カレテと訓まんと言へり。シキタヘ、枕詞。敷を今數に誤る。例に據りて改めつ。カニバマキは、今舟の舳を蕨繩して卷く如く櫻の皮もて卷きたるならん。イナミヅマは既に出づ。青山ノソコトモミエズは、淡路島を西へ過ぐれば、古郷の山も見えぬを言ふ。コギタムルは漕ぎ廻る意。浦ノコトゴトは、卷二、敷ませる國のことごとと言ふ如く、コトゴトクなり。ユキ隱ルは、吾が舟の島に漕ぎ隱るるを言ふ。隈、今本隅と有り。元暦本に依りて改む。ケナガミは日久シクシテなり。
 參考 ○妹目不數見而(考)妹目不見而《イモガメミズテ》(古、新)イモガメカレテ ○野島毛過(考)スギヌ(古、新)略に同じ ○伊奈美嬬(新)此の下に二句脱歟 ○白雲毛(新) シラ「浪」ナミモ
 
反歌三首
 
943 玉藻苅。辛荷乃島爾。島回爲流。水烏二四毛有哉。家不念有六。
たまもかる。からにのしまに。あさりする。うにしもあれや。いへもはざらむ。
 
鵜ニシモアレヤはアレカシと願ふなり。心無き鳥ならば家を思ふまじきにとなり。
 參考 ○島回爲流(古、新)シマミスル。
 
944 島隱。吾?來者。乏毳。倭邊上。眞熊野之船。
(21)しまがくり。わがこぎくれば。ともしかも。やまとへのぼる。まくまぬのふね。
 
都戀しき時なれば、やまとの方へ行く舟の羨しきなり。乏をうらやましき事に詠めるは、卷一、朝もよし木人乏しもと言へる歌に既に言へり。
 參考 ○眞熊野之船(代)ミクマ野ノ舟(考)ミクマノノフネ(古、新)略に同じ。
 
945 風吹者。浪可將立跡。伺候爾。都太乃細江爾。浦隱往。【往ハ居ノ誤】
かぜふけは。なみかたたむと。さもらふに。つたのほそえに。うらがくれをり。
 
サモラフは浪を恐れ窺ふ意なり。長歌にも往き隱る島のさきざきと詠めるをもて、ここの浦隱るさま知らる。元暦本、往を居に作るに據るべし。都多細江、播磨か。
 參考 ○伺候爾(代)略に同じ(考)サモロフニ(古、新)サモラヒニ。
 
過2敏馬浦1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
946 御食向。淡路乃島二。直向。三犬女乃浦能。奧部庭。深海松採。浦回庭。名告藻苅。深見流乃。見卷欲跡。莫告藻之。己名惜三。間使裳。不遣而吾者。生友奈重二。
みけむかふ。あはぢのしまに。ただむかふ。みぬめのうらの。おきべには。ふかみるとり。うらまには。なのりそかる、ふかみるの。みまくほしけど。なのりその。おのがなをしみ。まづかひも。やらずてわれ(22)は。いけりともなし。
 
ミケムカフ、枕詞。ミヌメは攝津。深ミルは見マクと言はん料。名ノリソはおのが名と言はん料のみ。ホシケドはホシケレドの略。間使は字の如く折折消息するを言ふべし。重二は四の假字なり。
 參考 ○深海松採(考)略に同じ(古、新)フカミルツミ ○生友奈重二(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
947 爲間乃海人之。鹽燒衣乃。奈禮名者香。一日母君乎。忘而將念。
すまのあまの。しほやきぎねの。なれなばか。ひとひもきみを。わすれておもはむ。
 
鹽ヤキ衣はなるると言はん序なり。近く居て馴れたらば、思ひ忘れん日も有らんかと言ふなり。思ハムは添ひたる詞の例なり。
 
右作歌年月未v詳也。但以v類故載2於此次1。
 
四年丁卯春正月勅2諸王諸臣子等1散2禁於授刀寮1時作歌一首并短歌
 
續紀。廢帝天平寶字三年十二月。置2授刀衛1云云。同紀。高野天皇天平神護元年二月。改2授刀衛1爲2近衛府1云云。獄令義解云。凡禁囚死罪枷※[木+(刃/一)]。婦女及流罪以下去v※[木+(刃/一)]。其罪散禁云云。散禁は今禁足と言ふなるべし。
 
(23)948 眞葛延。春日之山者。打靡。春去往【往ヲ住ニ誤ル】跡。山上丹。霞田名引。高圓爾。?鳴沼。物部乃。八十友能壯者。折木四哭之。來繼皆石此續。常丹有脊者。友名目而。遊物尾。馬名目而。往益里乎。待難丹。吾爲春乎。決卷毛。綾爾恐。言卷毛。湯湯敷有跡。豫。兼而知者。千鳥鳴。其佐保川丹。石二生。菅根取而。之努布草。解除而益乎。往水丹。潔而益乎。天皇之。御命恐。百礒城之。大宮【宮ヲ官ニ誤ル】人之。玉桙之。道毛不出。戀比日。
まくずはふ。かすがのやまは。うちなびく。はるさりゆくと。やまのへに。かすみたなびき。たかまとに。うぐひすなきぬ。もののふの。やそとものをは。かりがねの。  かくつぎて。つねにありせば。ともなめて。あそばむものを。うまなめて。ゆかましさとを。まちがてに。わがせしはるを。かけまくも。あやにかしこし。いはまくも。ゆゆしからむと。あらかじめ。かねてしりせば。ちどりなく。そのさほがはに。いそにおふる。すがのねとりて。しぬぶぐさ。はらへてましを。ゆくみづに。みそぎてましを。すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。ももしきの。おほみやびとの。たまぼこの。みちにもいでず。こふるこのごろ。
 
マクズハフは、葛は山に這ふ物ゆゑに言へるのみ。打ナビク、枕詞。往、今住に作るは誤なり。此末に春去行カバと有りて、春に成り行くを言ふ。折木四哭之は、卷十、さをしかのつまとふ時に月をよみ切木四之泣きこゆいましくらしも。此の切木四之泣五字カリガネと訓めるをもて、ここもカリガネノと訓む。(24)此書きざまに付きて、くさぐさの説あれど、是れと定め難く、來繼皆石の字も訓み難ければ、諸人の説をことごとく擧げて言はん。或人云、折は斷の誤なり。孟莊子造v鋸截2斷木1器と有り。四は器の誤なるべし。鋸の音かりかりと聞ゆれば、カリの假字に用ひたるならんと言へり。來繼皆石、翁は皆は春の誤にて、之來繼春石五字を、シキツギハルシと訓むべし。さらば雁ガネはシキツギと言はん枕詞とせん。意は春の及次つつ在る物ならばと言ふならんと言はれき。契沖はカリガネノシキツギミナシと訓みて、四の字心得がたけれと、折木切木は同じく苅と言ふ意に、鴈に用ひたるべし。さて鴈は友をしたしみ戀ふるものなれば、其如く思ふどち皆來りつぎて、絶えず常に有りせばと續けたり。ミナシのシは助辭なり。正月の歌なれば、鴈の歸る頃なるに、渡り來る時の心はかなはずやと難ずる人有らん。是は只友だちの思ひあへるを鴈に寄せて言ふなり。時に拘るべからずと言へり。今按ずるに、古への歌は、鴈の秋來て春歸る物ときはめて詠めりとは見えず。卷十、秋の鴈を詠める歌多き中に、秋風に山とへ越ゆる鴈がねは彌遠ざかる雲隱りつつ、吾宿に鳴きし鴈がね雲の上に今夜鳴なり國へかも行など詠めるが中に、鴈がねきこゆ今し來らしもなども詠めるを見れば、古へ人は春秋を言はず、聲をしも聞けば、行くさまにも來るさまにも廣く詠めりしなり。さればここは、皆は比日二字を一字に誤り、石は如の誤にて、來繼比日はキツギコノゴロと訓む。如比續はカクツギテと訓むべし。宣長考も符合せり。さて意は宣長の言へる如く、鴈ガネノは、來ツギと言はん序にて、キツギは、春の來つぎて、此比の如く斯く續きて常(25)に春なりせばと言ふなり。さて八十トモノヲハと云ふは、友ナメテへ懸かれり。決は缺の字と通じ書けるなるべし。ユユシカラムトアラカジメ云云は、斯く忌忌しからんと豫て知りて有らばなり。菅ノ根トリテ云云は、祓は菅もて掃き清むればなり。ミソギは水もて身をそそぐなり。シヌブ草は、ここは草に有らず、種なり。春日野の春の遊びの忍び難くて出でたるを、斯く散禁に逢はんと豫て知りせば、祓身そぎしても然《さ》る罪に逢はざらん物をとなり。
 參考 ○來繼皆(代)キツキテミナシ(考)キツギ「比日之」ナラビシ(古)キツギ「比日」コノゴロ(新)キツグ「比日」コノゴロ ○此續(考)ココニツギ(古)「如此續」カクツギテ(新)「如此讀」コノゴロヲ ○綾爾恐(考、新)アヤニカシコク(古)略に同じ ○湯湯敷有跡(代)ユユシクアラムト(考)ユユシクアラバト(古、新)略に同じ ○解除(古、新)ハラヒテマシヲ ○天皇之(古)「天」オホキミノ(新)スメロギノ。
 
反敬一首
 
949 梅柳。過良久惜。佐保乃内爾。遊事乎。宮動動爾。
うめやなぎ。すぐらくをしみ。さほのうちに。あそびしことを。みやもとどろに。
 
佐保ノウチは大和の佐保の地の内と言ふなり。春の時過ぎんを惜みて出で遊びしを、宮中に言ひ騷がるる由なり。元暦本、動の下重點無きを善しとす。
 
(26)右神龜四年正月。數王子及諸日子等。集2於春日野1而作2打毬之樂1。其日忽天陰雨雷電。此時宮中無2侍【侍ヲ待ニ誤ル】從及侍衛1。勅行2刑罰1。皆散2禁於授刀【刀ヲ力ニ誤ル】寮1。而妄不v得v出2道路1。于時悒憤即作2斯歌1。 作者未詳。
 
和名抄、打毬(萬利宇知)と見ゆ。
 
五年戊辰幸2于難波宮1時作歌四首
 
神龜五年行幸紀に見えず。歌意は相聞なり。此端詞誤れるか。目録に宮の下、時の字有り。 
950 大王之。界賜跡。山守居。守云山爾。不入者不止。
おほきみの。さかひたまふと。やまもりす|ゑ《ゐ》。もるとふやまに。いらずはやまじ。
 
サカヒ給フトは、限りて界を立つを言ふ。是れは親の守る女などを戀ふる譬喩歌なり。
 參考 ○山守居(古、新)ヤマモリスヱ ○守云(古)モルチフ(新)チフ、トフ兩訓。
951 見渡者。近物可良。石隱。加我欲布珠乎。不取不已。
みわたせば。ちかきものから。いそがくり。かがよふたまを。とらずはやまじ。
 
カガヨフはカガヤクなり。あはびの石に隱れて、見えぬ如くして、其光は目に近く輝けば、近くて逢ひ難き妹に譬へたり。
 
952 韓衣。服楢乃里之。島待爾。玉乎師付牟。好人欲得。
(27)からころも。きならのさとの。しままつに。たまをしつけむ。よきひともがも。
 
卷十二、舊《今戀》衣著楢の山と詠めり。ただ奈良ノ里なるを、衣キナラシと言ひ懸けたり。島は卷五、君がゆきけ長くなりぬ奈良路なる島のこだちもかむさびにけりと詠める所なるべし。待は松なり。玉ヲシのシは助辭。奈良の里に住まへる女のうるはしきを見て、うま人にめでさせまほしく思ふ意にや。宣長云、此卷の下、吾やどの君松の樹にと詠めれば、ここも島は君の誤にて、好は取の字の誤ならん。キナラノサトノキミマツニ云云、結句トラムヒトモガと訓むべしと言へり。
 參考 ○島待爾(考)略に同じ(古、新)「君」キミマツニ ○好人欲得(考、古)略に同じ(新)ヨキ「玉」タマモガモ。
 
953 竿壯鹿之。鳴奈流山乎。越將去。日谷八君。當不相將有。
さをしかの。なくなるやまを。こえゆかむ。ひだにやきみに。はたあはざらむ。
 
秋旅行く事有るころ女を戀ふるなるべし。ハタは既に出づ。元暦本、當の字無くて、アハズシテアラムと訓めり。
 參考 ○日谷八君(代、考、古)略に同じ(新)ヒダニヤキミハ。
 
右笠朝臣金村之歌中出也。或云。車持朝臣千年作之也。
 
歌の下、集の字脱ちたり。
 
(28)膳王歌一首
 
954 朝波。海邊爾安左里爲。暮去者。倭部越。雁四乏母。
あしたには。うなびにあさりし。ゆふされば。やまとへこゆる。かりしともしも。
 
ウナビは海べなり。アサリ、集中求食と書けり。旅の歌なるべし。部はエの如く唱ふべし。トモシはウラヤマシなり。集中例有り。
 參考 ○海邊(考)略に同じ(古、新)ウミベ。
 
右作歌之年不v審也。但以2歌類1便載2此次1。
 
太宰少貳石川朝臣足人歌一首
 
955 刺竹之。宮人乃。跡住。佐保能山乎者。思哉毛君。
さすたけの。おほみやびとの。いへとすむ。さほのやまをば。おもふやもきみ。
 
サスタケノ、枕詞。大伴卿の家佐保に在ればかく詠めり。君とは旅人卿を指す。卷三に、防人司佑四繩が旅人卿へ、ならの京をおもほすや君と詠みて贈れるに似たり。
 
帥大伴卿和(ル)歌一首
 
956 八隅知之。吾大王乃。御食國者。日本毛此間毛。同登曾念。
やすみしし。わがおほきみの。みけつくには。やまともここも。おなじとぞおもふ。
 
(29)日本と書きしかども大和國なり。ココとは太宰を言ふ。卷十八、月見れば於奈自くになりとも詠めり。
 參考 ○御食國(古、新)ヲスクニハ ○同登曾念(古)オヤジトゾモフ。
 
冬十一月太宰官人等奉v拜2香椎《カシヒノ》廟1訖退歸之時(ハ)馬駐2于香椎【椎ヲ推ニ誤ル】浦1各述v懷作歌
 
神功紀、皇后熊鷲を撃ち給ひて、橿日《カシヒノ》宮より松峽《マツヲノ》宮に還り給ふよし有りて、又皇后橿日浦に還り給ふ事有り。香椎廟は皇后を齋ひ奉るなるべし。和名抄、筑前糟屋郡香椎(加須比)と有り。筑前國風土記云。到2筑紫1例先參2謁于拍P宮1。拍P可紫比也と有り。
 
帥大伴卿歌一首
 
957 去來兒等。香椎乃滷爾。白妙之。袖左倍所沾而。朝菜採手六。
いざこども。かしひのかたに。しろたへの。そでさへぬれて。あさなつみてむ。
 
子ドモは從者を指す。カタは干潟なり。朝菜は朝食の料に礒菜摘むなり。干潟にて、裾濡るるを本として袖サヘとは言へり。
 
大貳小野|老《オユ》朝臣歌一首
 
續紀。天平九年六月甲寅。太宰大貳從四位下小野朝臣老卒と見ゆ。
 
958 時風。應吹成奴。香椎滷。潮干?爾。玉藻苅而名。
ときつかぜ。ふくべくなりぬ。かしひがた。しほひのうらに。たまもかりてな。
 
(30)時ツ風は汐のさし來る時の風を言ふ。?は水の曲《クマ》を言ふ。刈テナは刈テムなり。
 參考 ○潮干?爾(考)シホヒノクマニ(古、新)略に同じ。
 
豐前守|宇努首男人《ウヌノオフトヲヒト》歌一首
 
959 往還。常爾我見之。香椎滷。從明日後爾波。見縁母奈思。
ゆきかへり。つねにわがみし。かしひがた。あすゆのちには。みむよしもなし。
 
帥大伴卿遙思2芳野離宮1作歌一首
 
960 隼人乃。湍門乃磐【磐ヲ盤ニ誤ル】母。年魚走。芳野之瀧爾。尚不及家里。
はやびとの。せとのいはほも。あゆはしる。よしぬのたぎに。なほしかずけり。
 
ハヤビトノ、枕詞をやがて薩摩として詠めり。和名抄、薩摩出水郡勢度有り、是か。薩摩は太宰の所部の國なれば行きて見られしなり。シカズケリはシカザリケリなり。
 
帥大伴卿宿2次田《スイダノ》温泉1聞2鶴喧1作歌一首
 
和名抄。筑前御笠郡次田。
 
961 湯原爾。鳴蘆多頭者。如吾。妹爾戀哉。時不定鳴。
ゆのはらに。なくあしたづは。わがごとく。いもにこふれや。ときわかずなく。
 
湯原も御笠郡なり。コフレバヤのバを略けり。
 
(31)天平二年庚午勅遣2擢駿馬使大伴道足宿禰1時歌一首
 
今本、勅の字より別に上げて書けるを、元暦本は引き續けて書けり。下皆同じ。もとはすべて書き續けて有りけん。續紀。和銅元年三月。從五位下大伴宿禰道足爲2讃岐守1と有り。其外にも見ゆ。
 
962 奧山之。磐【磐ヲ盤ニ誤ル】爾蘿生。恐毛。問賜鴨。念不堪國。
おくやまの。いはにこけむし。かしこくも。とひたまふかも。おもひあへなくに。
 
山深き岩ほの苔むせるは、物凄く恐ろしげに見ゆるを序として、歌詠めと有るをかしこめるなり。卷七に、奧山の岩に苔むしかしこしとおもふ心をいかにかもせむ。是れは譬喩歌なるを、今は宴に思ひ出でて、少し引き直して吟ぜしなるべし。
 
右勅使大伴道足宿禰饗2于帥家1。此日會2集衆諸1、相2誘驛使葛井連廣成1、言v須v作2歌詞1。登時廣成應v聲即吟2此歌1。
 
續紀天平三年正月。授2葛井連廣成外從五位下1と見ゆ。
 
冬十一月大伴坂上郎女發2帥家1上道、超2筑前國宗形郡【郡ヲ部ニ誤ル】名兒山1之時作歌一首
 
郎女は上に言へる如く、佐保大納言安麻呂卿の女にて、旅人卿の妹なり。かれ太宰へ下りて、今旅人卿の京へ上る時共に上るなり。
 
963 大汝。小彦名能。神社者。名著始?目。名耳乎。名兒山跡負而。吾戀之。(32)干重之一重裳。奈具佐末七【七ハ亡ノ誤】國。
おほなもち。すくなひこなの。かみこそは。なづけそめけめ。なのみを。なごやまとおひて。わがこひの。ちへのひとへも。なぐさまなくに。
 
神代紀、大己貴命少彦名命とみ心を一つにして、天の下を經營し給ふ由あれば斯く言へり、ナグサムの言のもとは和《ナゴ》なれば、名兒山に懸けて詠めり。卷七、名草山ことにし有けり吾が戀の千重の一重も名草目名國。按ずるに舊訓ナグサメナクニと有るからは、ここも末は米の誤なるべし。此歌大汝の句の上に、猶句の有りしが落ちしにや。又反歌も有りしが、傳はらぬなるべし。
 參考 ○奈具作末七國(古、新)ナゲサ「米」メナクニ。
 
同坂上郎女海路見2濱貝1【貝ヲ具ニ誤ル】作歌一首 元暦本郎女の下、向京二字有り。
 
964 吾背子爾。戀者苦。暇有者。拾【拾ヲ捨ニ誤ル】而將去。戀忘貝。
わがせこに。こふればくるし。いとまあらば。ひろひてゆかむ。こひわすれがひ。
 
冬十二月太宰帥大伴卿上v京時娘子作歌一首 目録によるに、時の上之の字有るべし。
 
965 凡有者。左毛右毛將爲乎。恐跡。振痛袖乎。忍而有香聞。
おほならば。かもかもせむを。かしこみと。ふりたきそでを。しぬびたるかも。
 
おほよその人ならば袖を振らんを、貴人なれば畏みて、袖振らず有りとなり。カモカモはカモカクモな(33)り。
 參考 ○左毛右毛(代)カモカクモ又はカモカモ(古、新)略に同じ ○恐跡(考)カシコシト(古、新)略に同じ
 
966 倭道者。雲隱有。雖然。余振袖乎。無禮登母布奈。
やまとぢは。くもがくれたり。しかれども。わがふるそでを。なめしともふな。
 
本は先づ歸路の遠き事を言ひて、然れども見えず成るまでも、袖を振らんを、なめげなりとな思ひ給ひそと言ふなり。
 參考 ○雲隱有(考)略に同じ(古、新)クモガクリタリ ○無禮(代、古、新)略に同じ(考)ナカレ。
 
右大宰帥大伴卿兼2任大納言1向v京上道。此日馬(ヲ)駐2水城1。顧2望府家1、于時送v卿府吏之中有2遊行女婦1。其字曰2【曰ヲ日ニ誤ル】兒島1也。於是娘子傷2此易1v別。嘆2彼難1v會。拭v涕自吟振v袖之歌。
 
大納言大伴卿和(ル)歌二首
 
967 日本道乃。吉備乃兒島乎。過而行者。筑紫乃子島。所念香聞。
やまとぢの。きびのこじまを。すぎてゆかば。つくしのこじま。おもほえむかも。
 
神代紀、吉備(ノ)子洲を生むと有り。コジマは備前なれども、都へ上る道なれば、ヤマト路と言へり。娘子が名兒島なれば、吉備子島を過ぐる時思ひ出でんとなり。
 
(34)968 大夫跡。念在吾哉。水莖之。水城之上爾。泣將拭。
ますらをと。おもへるわれや。みづぐきの。みづきのうへに。なみだのごはむ。
 
天智紀三年十二月云云。是歳對馬島壹岐島筑紫國等に防と烽を置く。又筑紫に大堤を築きて水を貯ふ。名づけて水城と言ふよし有り。水城の上と言ひてほとりと言ふが如し。ミヅグキは、宣長云、ミヅミヅシキ莖と言へる枕詞にて、ミヅキと重ねたるなりと言へり。猶卷七、みづぐきのをかのみなとの歌に言ふべし。卷四、丈夫とおもへる我をかく斗《バカリ》みつれにみつれ片もひをせむ。
 
三年辛未大納言大伴卿在2寧樂家1思2故郷1歌二首
 
969 須臾。去而見牡鹿。神名火乃。淵者淺而。瀬二香成良武。
しまらくも。ゆきてみてしが。かみなびの。ふちはあさびて。せにかなるらむ。
 
故郷は神南備里なり。暫の間も打きて見なんと願ふなり。物の變るをアセと言ふもアサビの語より出でたり。
 參考 ○須臾(代)シバラクモ(古)シマシクモ(新)兩訓 ○見牡鹿(古、新)ミシカ ○淵者淺而(考)アサビテ(古、新)フチハアセニテ。
 
970 指進乃。栗栖乃小野之。芽【芽ヲ?ニ誤ル】花。將落時爾之。行而手向六。
さしずみの。くるすのをぬの。はぎがはな。ちらむときにし。ゆきてたむけむ。
 
サシズミノ、枕詞。和名抄、大和忍海郡栗栖。今萩の盛りにはとても行く事能はざれば、行きて手向けむ頃は早や散りぬべしと言ふなり。故郷の神か、又は先祖の墓などへ手向けせんとなるべし。
 參考 ○指進乃(代)サシススノ(考)略に同じ(古)「村王」ムラタマノ(新)フルサトノ歟。
 
四年壬申藤原宇合卿遣2西海道節度使1之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌
 
續紀。天平四年八月丁亥。從三位藤原朝臣宇合爲2西海道節度使1。同紀。天平九年八月丙午。參議式部卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨。贈太政大臣不比等之第三子也とあり。
 
971 白雲乃。龍田山乃。露霜爾。色附時丹。打超而。客行公者。五百隔山。伊去割見。賊守。筑紫爾至。山乃曾伎。野之衣寸見世常。伴部乎。班遣之。山彦乃。將應極。谷潜乃。狹渡極。國方乎。見之賜而。冬木成。【成ハ盛ノ誤】春去行者。飛鳥乃。早御來。龍田道之。岳邊乃路爾。丹管土乃。將薫時能。櫻花。將開時爾。山多頭能。迎參出六。公之來益者。
しらくもの。たつたのやまの。つゆじもに。いろづくときに。うちこえて。たびゆくきみは。いほへやま。いゆきさくみ。あたまもる。つくしにいたり。やまのそき。ぬのそきみよと。とものべを。わかちつかはし。やまびこの。こたへむきはみ。たにぐくの。さわたるきはみ。くにがたを。みしたまひて。ふゆごもり。はるさりゆかば。とぶとりの。はやくきまさね。たつたぢの。をかべのみちに。につつじの。にほはむときの。さくらばな。さきなむときに。やまたづの。むかへまゐでむ。きみがきまさば。
 
シラ雲ノは立つと言はん爲の枕詞、露霜は露と霜とを言ふに有らず、早霜を言ふ。シは濁るべし。イユキサクミは、卷二、石根左久見てなづみこしと有り。イは發語なり。アタマモルは、西蕃の賊を守る爲に、筑紫のさきざきに防人を遣し置かるる故に言へり。山ノソキ野ノソキは、上にも言へる如く、遠く放るるを言ふ。古事記歌に曾岐袁理登母和禮和須禮米夜《ソキヲリトモワレワスレメヤ》と有るも此ソキなり。谷グク、既に出づ。國ガタは國の形にて、其所の有さまと言ふが如し。冬木成の成は盛の誤なる事上に言へり。飛鳥の如く早く歸り來ませとなり。ニツツジは紅躑躅なり。山タヅは既に出づ。迎へんと言はん爲なり。マヰデムは字の如くマヰリイデムなり。
 參考 ○野之衣寸見世常(古)ヌノソキメセト(新)略に同じ ○班遣之(古、新)アカチツカハシ ○見之賜而(考)ミシタマハシテ(古、新)メシタマヒテ ○早御來(代)ハヤクミキタリ(考)ハヤキマシナム(古)ハヤ「却」カヘリコネ(新)略に同じ。
 
反歌一首
 
972 千【千ヲ干ニ誤ル】萬乃。軍奈利友。言擧不爲。取而可來。男常曾念。
ちよろづの。いくさなりとも。ことあげせず。とりてきぬべき。をのことぞおもふ。
 
干、元暦本に千と有るに據れり。コトアゲは神代紀、興言又は高言とも書けり。ここは常の詞に、モノ(37)イハズニと言ふ意なり。
 參考 ○男常曾念(代)マスラ又はヲノコトゾ思フ(考、古、新)ヲトコトゾモフ。
 
右?2補任文1。八月十七日任2東山山陰西海節度使1。  是は後人の註なり。
 
天皇賜2酒(ヲ)節度使卿等1御歌一首并短歌
 
天皇は聖武天皇なり。續紀、天平四年正三位藤原朝臣房前爲2東海東山二道節度使1。從三位多治比眞人縣守爲2山陰道節度使1。從三位藤原朝臣宇含爲2西海道節度使1。よし見ゆ。例に依るに御の下、製の字有るべし。
 
973 食國。遠乃御朝庭爾。汝等之。如是退去者。平久。吾者將遊。手抱而。我者將御在。天皇朕。宇頭乃御手以。掻撫曾。禰宜賜。打撫曾。禰宜賜。將還來日。相飲酒曾。此豐御酒者。
をすぐにの。とほのみかどに。なむぢらが。かくまかり|なば《ゆけば》。たひらけく。われはあそばむ。たむだきて。われはいまさむ。すめらわが。うづのみてもて。かきなでぞ。ねぎたまふ。うちなでぞ。ねぎたまふ。かへらむひ。あひのまむきぞ。このとよみきは。
 
タムダク、紀に拱をムダクと訓む。タは手、ムダクは身抱クにて、こまぬくを言ふ。書武成に、垂拱而天下治と言へる註に、垂v衣拱v手而天下自治と有り。ウヅノミテモテ、宇頭は祈年祭祝詞に、皇御孫命能(38)宇豆能幣帛と言ふに同じく、俗にウヅ高キと言ふ語なり。ここは大御手と言ふに等し。カキナデゾ云云は、カキは詞にて、撫愛給ふなり。ネギはネギラフにて、勞はる意なり。打撫でもかき撫でに同じ。豐御酒は大御酒なり。此時酒を賜に、事終へて、又眞幸くて還り來ん時、此大御酒をきこしめし、賜りもせんと宣ふなり。
 參考 ○汝等之(考)略に同じ(古)イマシラシ(新)イマシラガ又はナムヂラガ ○如惟退去者(代)如是は前の句に付けてマカリシユケバ(考、古、新)カクマカリナバ ○手抱而(代、考)略に同じ(古)テウダキテ(新)タウダキテ ○宇頭乃御手以(考)略に同じ(古、新)ウヅノミテモチ ○禰宜腸(代、古、新)兩所とも略に同じ(考)ネギタマヒ但し考は次のには訓無し ○將還來日(代、古、新)カヘリコムヒ(考)カヘリコムヒニ ○相飲酒曾(考)アヒノマムサケゾ(古、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
974 丈夫之。去跡云道曾。凡可爾。念而行勿。丈夫之伴。
ますらをの。ゆくとふみちぞ。おほろかに。おもひてゆくな。ますらをのとも。
 
オホロカはオホヨソなり、ますらをの行く旅ぞと人も言ふ道なるぞ。おほよそ心にて、な行きそと教へさせ給ふなり。
(39) 參考 ○去跡云道曾(考、新)略に同じ(古)ユクチフミチゾ。
 
右御歌者。或云太上天皇御製也。  元正天皇なり。元暦本、小字に書入れあれば元、無かりしなるべし。
 
中納言|安倍廣庭《アベノヒロニハ》卿歌一首
 
續紀、天平四年二月。中納言從三位兼催造長官知河内和泉等國事阿倍朝臣廣庭薨と見ゆ。
975 如是爲管【管ヲ菅ニ誤ル】。在久乎好叙。靈剋。短命乎。長欲爲流。
かくしつつ。あらくをよみぞ。たまきはる。みじかきいのちを。ながくほりする。
 
アラクヲヨミゾは、アルヲヨクシテゾと言ふなり。何事か歡び有る時詠めるならん。
 參考 ○在久乎好叙(代、古、新)略に同じ(考)アラクヲヨシゾ。
 
五年癸酉超2草香山1時|神社忌寸老《カミコソノイミキオユ》麻呂作歌二首
 
草香は河内國河内郡。
 
976 難波方。干乃奈凝。委曲見。在家妹之。待將問多米。
なにはがた。しほひのなごり。よくみてな。いへなるいもが。まちとはむため。
 
シホヒノナゴリは既に出づ。一本、見の下、君の字有り。君は名の誤か。ヨクミテナと有るべし。ミテナは見てんなり。卷八、おしてる難波を過ぎて打なびく草香の山を夕ぐれにわが越くれば云云と有り。
 參考 ○委曲見(代)マクハシミム(考)ツバラミル(古、新)ヨクミテム。
 
(40)977 直超乃。此徑爾師弖。押照哉。難波乃海跡。名附家良思裳。
だだごえの。このみちにして。おしてるや。なにはのうみと。なづけけらしも。
 
古事紀、大長谷若建命自2日下《クサカ》之直越道1幸2河内1云云と有り。此歌の押シテルは、河内國より直路《タダミチ》に押し越えて、難波へ到れば斯くは言へるなり。枕詞のオシテルナニハを此意なりと思ふべからずと、或人の言へるは善しと冠辭考に言へり。宣長云、二の句は結句へ懸かれり。オシテルヤは難波の海へ懸かれり。此歌は三四一二五と句をついでて見るべし。はたオシテルの事、久老考あり。海上のなぎて靜かなる事を今もテルと言ふ是れなりと言へり。猶考ふべし。
 
山上臣憶良沈痾之時歌一首
 
978 士也母。空應有。萬代爾。語續可。名者不立之而。
をのこやも。むなしかるべき。よろづよに。かたりつぐべき。なはたたずして。
 
男ニシテヤと言ふ意なり。
 參考 ○土也母(代)マスラヤモ(考)略に同じ(古)ヲトコヤモ(新)ヲトコ、ヲノコ兩訓 ○空應有(代)ムナシクアルベキ(考)ムナシカルベシ(古、新)略に同じ。
 
右一首山上憶良臣沈痾之時。藤原朝臣八束使2河邊朝臣東人1令v問2所v疾之?1。於v是憶良臣報語已畢。有v須拭v涕悲嘆。《元歸》口2吟此歌1。
 
(41)續紀、神護景雲元年正月。從六位上川邊朝臣東人授2從五位下1と見ゆ。須の下、臾を脱せるかと契沖云へり。
 
大伴坂上郎女與2姪家持1從2佐保1還歸2西宅1歌一首
 
979 吾背子我。著衣薄。佐保風者。疾莫吹。及家左右。
わがせこが。けるきぬうすし。さほかぜは。いたくなふきそ。いへにいたるまで。
 
ケルは著タルと言ふ意の古言なりと宣長言へり。卷十五、わが旅は久しくあらし許能安我家流いもがころものあかつくみればと有り。サホ風は飛鳥風など言ふが如く、其所に吹く風を言ふ。
 參考 ○著衣薄(考)キタルキヌウスシ(古、新)略に同じ。
 
安倍朝臣蟲麻呂月歌一首
 
續紀、天平勝寶四年三月。中務大輔從四位下安倍朝臣虫麻呂卒と見ゆ。
 
980 雨隱。三笠乃山乎。高御香裳。月乃不出來。夜者更降管。
あまごもり。みかさのやまを。たかみかも。つきのいでこぬ。よはくだちつつ。
 
雨ゴモリ、枕詞。更クルを集中にクダツと多く言へり。
 
大伴坂上郎女月歌三首
 
981 ?高乃。高圓山乎。高彌鴨。出來月乃。遲將光。
(42)かりたかの。たかまとやまを。たかみかも。いでくるつきの。おそくてるらむ。
 
姓氏録、右京諸蕃雁高宿禰の氏あれば地名なり。
 參考 ○出來月乃(考、新)略に同じ(古)イデコムツキノ。
 
982 烏玉乃。夜霧立而。不清。照有月夜乃。見者悲沙。
ぬばたまの。よぎりのたちて。おほほしく。てれるつくよの。みればかなしさ。
 
月はもと照るなるを、霧に覆はれて澄まぬを見るが悲しとなり。此カナシは愁の深きなり。月夜の悲しきと隔てて續けたり。
 
983 山葉。左佐良榎壯子。天原。門度光。見良久之好藻。
やまのはの。ささらえをとこ。あまのはら。とわたるひかり。みらくしよしも。
 
ササラは小さき意、ササラ形錦など言へるも文《アヤ》の細かなるを言へり。エは美《ヨ》き意にて則ち月を褒め言へり。見ラクは見ルを延べ言ふ。シは助辭。
 
右一首歌或云、月別名曰2佐散良衣壯士1也。縁2此辭1作2此歌1。 後人の書き入れなり。
 
豐前國娘子月歌一首 (娘子字曰2大宅1姓氏未v詳也)
 
984 雲隱。去方乎無跡。吾戀。月哉君之。欲見爲流。
くもがくり。ゆくへをなみと。わがこふる。つきをやきみが。みまくほりする。
 
(43)拾遺集、戀しさは同じ心にあらずともこよひの月を君見ざらめやと、言ふに似たり。
 參考 ○月哉君之(新)「之」は毛の誤か。
 
湯原王月歌二首
 
985 天爾座。月讀壯子。幣者將爲。今夜乃長者。五百夜繼許増。
あめにます。つきよみをとこ。まひはせむ。こよひのながさ。いほよつぎこそ。
 
月ヨミヲトコは則ち月を言ふ。マヒは上に出づ。
 參考 ○月讀壯子(古、新)ツクヨミヲトコ。
 
986 愛也思。不遠里乃。君來跡。大能備爾鴨。月之照有。
はしきやし。まぢかきさとの。きみこむと。おほのびにかも。つきのてりたる。
 
大ノビ、諸説從ひ難し。誤有らんか。もし大野|方《ベ》の意か考ふべし。君が通ひこん爲に月も照らせるかと言ふならん。宣長は君來跡之我待《キミコトシワガマツ》ニカモと有りしが誤れるかと言へり。
 參考 ○君來跡(考)キミクルト(古、新)略に同じ ○大能備爾鴨(代、新)略に同じ(考)オホノビニカモ又はアクマデニカモ(古)「云知信」イフシルシニカモ。
 
藤原八束朝臣月歌一首
 
987 待難爾。余爲月者。妹之著。三笠山爾。隱而有來。
(44)まちがてに。わがするつきは。いもがきる。みかさのやまに。こもりてありけり。
 
妹ガキル、枕詞。いまだ出でぬ月を詠めり。
 參考 ○妹之著(考、新)略に同じ(古)イモガケル ○隱而有來(代、考)カクレタリケリ(古)コモリタリケリ(新)略に同じ。
 
市原王宴?2父安貴王1歌一首
 
988 春草者。後波落易。巖【巖ヲ嚴ニ誤ル】成。常磐【磐ヲ盤ニ誤ル】爾座。貴吾君。
はるくさは。のちはうつろふ。いはほなす。ときはにいませ。たふときわぎみ。
 
草は春萠えて秋枯るるなれば、とこしなへなる巖《イハホ》に寄せて祝ふなり。祝詞に竪磐《カキハ》爾|常盤《トキハ》奉と言ふが如く、トキハはトコイハの約なり。木の常葉《トコハ》とは異なり。此下にかくしつつ遊びのみこそ草木すら春は生ひつつ秋は落去《カレユク》と有れば、落易カレヤスシとも訓むべし。
 參考 ○春草者(代、新)ハル「花」ハ ○後波落易(代、考、新)ノチハチリヤスシ(新)略に同じ ○貴吾君(代)タフトキアガキミ(考)略に同じ(古)タフトキアギミ(新)タフトキワガキミ。
 
湯原王打酒歌一首
 
宣長云、打は祈の誤か。さらばサカホカヒと訓むべしと言へり。
 
989 燒刀之。加度打放。大夫之。?豐御酒爾。吾醉爾家里。
(45)やきだの。かどうちはなつ。ますらをが。ほぐとよみきに。われゑひにけり。
 
燒刀は唯だ刀を言ふ。カドは稜《シノギ》を言ふべし。今シノギヲケヅルと言ふ事に似たり。ツルギはツ《尖》ムガリの約なれば、カドとも言ふべし。?は賀《ホグ》心に書けるなり。契沖はノムと訓みて飲む意にとれり。されど右の市原王の歌の端詞、ほぎするに?の字を用ひたれば、ここもホグの方なるべし。
 參考 ○加度打放(考)略に同じ(古、新)カドウチハナチ ○丈夫之(古、新)マスラヲノ ○?豐御酒爾(代)「擣」ウツ(考、古)略に同じ(新)ノムトヨミキニ。
 
紀朝臣|鹿人《カビト》跡見茂岡《トミノシゲヲカ》之松樹歌一首
 
續紀、天平九年九月、正六位より外從五位下を授く。跡の字、今本に落せり。一本によりて補ふ。
 
990 茂岡爾。神佐備立而。榮有。千代松樹乃。歳之不知久。
しげをかに。かむさびたちて。さかえたる。ちよまつのきの。としのしらなく。
 
卷八、鹿人の跡見の庄の歌に跡見の岡べと詠めり。茂岡、其處なるべし。千代待つと言ひ懸けたり。
 
同鹿人至2泊瀬河邊1作歌一首
 
991 石走。多藝千流留。泊瀬河。絶事無。亦毛來而將見。
いはばしる。たぎちながるる。はつせがは。たゆることなく。またもきてみむ。
 
石バシル、枕詞。
(46) 參考 ○石走(代)略に同じ(古、新)イハバシリ。
 
大伴坂上郎女詠2元興寺之里1歌一首
 
992 古郷之。飛鳥【鳥ヲ烏ニ誤ル】者雖有。青丹吉。平城之明日香乎。見樂思奴【奴ハ好ノ誤】裳。
ふるさとの。あすかはあれど。あをによし。ならのあすかを。みらくしよしも。
 
元興寺は飛鳥寺なり。飛鳥より奈良へ移して其處をも飛鳥と言へり。猶末に言ふ。奴は好の誤れる事|著《シ》るし。
 
同坂上郎女初月歌一首
 
993 月立而。直三日月之。眉根掻。氣長戀之。君爾相有鴨。
つきたちて。ただみかづきの。まゆねかき。けながくこひし。きみにあへるかも。
 
三日月は眉と言はん序のみ。是れを初月歌と端書せるは如何にぞや。相聞の歌なり。戀ヒシは戀ヒタリシの意。
 參考 ○眉根掻(古)マヨネカキ(新)マユネ又はマヨネ。
 
大伴宿禰家持初月歌一首
 
994 振仰而。若月見者。一目見之。人乃眉引。所念可聞。
ふりさけて。みかづきみれば。ひとめみし。ひとのまよびき。おもほゆるかも。
 
(47)仲哀紀、如2美女之?1有2向津國1。註に?此【紀、此ノ下、云ヲ脱ス今補フ】云2麻夜弭枳《マヨビキ》1と有り。宋王招魂に峨眉曼?など見ゆ。
 
大伴坂上郎女宴2親族1歌一首
 
995 如是爲乍。遊飲與。草木尚。春者生管。秋者落去。
かくしつつ。あそびのみこそ。くさきすら。はるはおひつつ。あきはかれゆく。
 
榮えて有らん程は、遊び樂まん事を願ふなり。與は乞の誤ならん。
 參老 ○遊飲與(代、古、新)略に同じ(考)アソビノマムヲ ○春者生管(考)ハルハモエツツ(古、新)ハルハサキツツ ○秋者落去(考、新)アキハチリユク(古)アキハチリヌル。
 
六年甲戌|海犬養《アマノイヌカヒ》宿禰岡麻呂應v詔歌一首  歌の上、作の字有るべし。
 
996 御民吾。生有驗在。天地之。榮時爾。相樂念者。
みたみわれ。いけるしるしあり。あめつちの。さかゆるときに。あへらくおもへば。
 
アヘラクはアヘルを延べたるなり。和名抄古本に日本紀私記云人民(比度久佐或説於保多加良)と有れば、オホタカラワレとも訓むべけれど、卷一長軟に、さわぐ御民《ミタミ》も家忘れと有るに據りてミタミと訓めり。
 
春三月幸2于難波宮1之時歌六首
 
續紀、天平六年三月辛未此幸あり。
 
(48)997 住吉乃。粉濱之四時美。開藻不見。隱耳哉。戀度南。
すみのえの。こはまのしじみ。あけもみず。こもりのみやも。こひわたりなむ。
 
粉濱、住吉に有る地名なるべし。字鏡、蜆、小蛤|之自瀰《シジミ》と有り。シジミは明ケモ見ズと言はん序のみ。同じ度に、をとめらが赤裳すそ引と詠めれば、從駕の女房を戀ふるなるべし。コモリは下ニと言ふに同じく、心の中に戀ふるなり。
 參考 ○隱耳哉(代)コモリテノミヤ(考)シヌビテ(古)略に同じ(新)カクシテノミヤ。
 
右一首作者末v詳
 
998 如眉。雲居爾所見。阿波乃山。懸而?舟。泊不知毛。
まゆのごと。くもゐにみゆる。あはのやま。かけてこぐふね。とまりしらずも。
 
眉の如は前に紀を引けるが如し。カケテは阿波の方へ懸けて行くなり。
 參考 ○眉(考、古)マヨ。
 
右一首船王作。 續紀、天平十五年五月、從四位下より從四位上を授く。
 
999 從千沼回。雨曾零來。四八津之白水【白水ヲ泉ニ誤ル】郎。網手綱乾有。沾將堪香聞。
ちぬ|わ《ま》より。あめぞふりくる。しはつのあま。あみてなはほせり。ぬればたへむかも。
 
チヌは、古事記五瀬命云云。到2血沼海1洗2其御手之血1。故謂2血沼海1也云云。紀に河内國泉郡茅淳海と(49)有り。續紀、靈龜二年三月。割2河内國和泉日根兩郡1令v供2珍努宮1云云と有りて今は和泉なり。シハツは既に出づ。住吉の東方なり。白水郎、今本泉郎に作るは誤なり。綱、一本繩に作る。翁の説、一本の繩は誤にて、網手綱をアタツナと訓まんか。網の大づななるべしと言はれき。されどさる詞有りや覺束なし。又一本網を細に作れり。按ずるに網は綱の誤にて、綱手繩と有りしか。さらばツナデナハと訓むべし。舟の大綱なり。ヌレバタヘムカモは用ふるに堪へじと言ふなり。
 參考 ○從千沼回(考)チヌワヨリ(古、新)チヌミヨリ ○網手綱乾有(代)アミタヅナ(考)アタツナホセリ(古)ツナデホシタリ「綱手乾有」の誤とす(新)アミ「乎」ヲホシタリ「手」を「乎」の誤、「綱」を衍とす ○沾將堪香聞(考)ヌレテタヘムカモ(古)ヌレアヘムカモ(新)ヌレクチムカモ「堪」を「朽」の誤とす。
 
右一首遊2覽住吉濱1還v宮之時。道(ノ)上(ニテ)守部王應v詔作歌。
 
今本、王の字重なれり。一の王は衍文なれば除きつ。續紀、天平十二年正月、無位より從四位下を授く。
 
1000 兒等之有者。二人將聞乎。奧渚爾。鳴成多頭乃。曉之聲。
こらがあらば。ふたりきかむを。おきつすに。なくなるたづの。あかときのこゑ。
 
コラとは故郷の妹を指せり。
 參考 ○兒等之有者(古)略に同じ(新)コラシアラバ ○曉之聲(古)アカツキノコヱ(○?者云。(50)古義、アカツキと此所に付訓せるは誤植か、アカツキは訛言なる由卷一に云へり)
 
右一首守部王作。
 
1001 丈夫者。御?爾立之。未通女等者。赤裳須素引。清濱備乎。
ますらをは。みかりにたたし。をとめらは。あかもすそびく。きよきはまびを。
 
タタシはタチを延べ言ふ。ハマビは濱|方《ベ》なり。
 
右一首山部宿禰赤人作。
 
1002 馬之歩。押止駐余。住吉之。岸乃黄土。爾保比而將去。
うまのあゆみ。おして《おさへ》とどめよ。すみのえの。きしのはにふに。にほひてゆかむ。
 
止、一本上に作る。弖の誤なるべし。黄土、上に言へり。此馬は吾が乘れる馬にて、トドメヨは從者に言ふなり。
 參考 ○抑止駐余(代)オサヘ(考)オシテトドメヨ(古、新)略に同じ。
 
右一首安倍朝臣豐繼作。  續紀、天平九年二月、外從五位下より從五位下を授く。
 
筑後守外從五位【位ヲ倍ニ誤ル】下葛井連大成遙見2海人釣船1作歌一首
 
1003 海※[女+感]嬬。玉求良之。奧浪。恐海爾。船出爲利所見。
あまをとめ。たまもとむらし。おきつなみ。かしこきうみに。ふなでせりみゆ。
 
(51)玉は則ちアハビなり。舟出セリと切りて、見ユと言へるは古へぶりなり。
 
?作村主益人《クラツクリノスクリマスヒト》歌一首
 
1004 不所念。來座君乎。佐保川乃。河蝦不令聞。還都流香聞。
おもほえず。きませるきみを。さほがはの。かはづきかせず。かへしつるかも)
 
君ヲと言ふよりカヘシツルカモと隔てて續くなり。後の歌にせば君ニと言ふべし。
 參考 ○來座君乎(新)キマシシキミヲ。
 
右内匠大屬?作村主益人聊設2飲饌1。以饗2長官|佐爲《サヰノ》王1。未v及2日斜1。王既還歸。於時益人怜2惜不厭之歸1。仍作2此歌1。  續紀、天平九年八月。中宮大夫兼右兵衛督正四位下橘宿禰佐爲卒と見ゆ。
 
八年丙子夏六月幸2于芳野離宮1之時。山部宿禰赤人應v詔作歌一首并短歌
續紀聖武〔二字□で囲む〕六月乙亥此幸の事有り。
 
1005 八隅知之。我大王之。見給。芳野宮者。山高。雲曾輕引。河速彌。湍之聲曾清寸。神佐備而。見者貴久。宜名倍。見者清之。此山乃。盡者耳社。此河乃。絶者耳社。百師紀能。大宮所。止時裳有目。
やすみしし。わがおほきみの。みしたまふ。よしぬのみやは。やまたかみ。くもぞたなびく。かははやみ。せのとぞきよき。かむさびて。みればたふとく。よろしなへ。みればさやけし。このやまの。つきばのみこ(52)そ。このかはの。たえばのみこそ。ももしきの。おほみやどころ。やむときもあらめ。
 
見シタマフは見サセ給フなり。神サビテは山を言ふ。ヨロシナへは川を褒め言へり。此詞既に出づ。此山河の絶え盡きんにのみこそ、此宮所も止む時も有らめ。さらでは止む時無からんと言ふなり。
 參考 ○見給(考)略に同じ(古、新)メシタマフ。
 
反歌一首
 
1006 自神代。芳野宮爾。蟻通。高所知者。山河乎吉三。
かみよより。よしぬのみやに。ありがよへひ。たかしらせるは。やまかはをよみ。
 
山と川となり。カを清むべし。
 參考 ○高所知者(考)タカシラスルハ(古、新)略に同じ。
 
市原王悲2獨子1歌一首
 
1007 言不問。木尚妹與兄。有云乎。直獨子爾。有之苦者。
こととはぬ。きすらいもとせ。ありとふを。ただひとりごに。あるがくるしさ。
 
木スラ妹トセとは、人の子の中に兄弟有る如く、木にも蘖《ヒコバエ》など言ひて、子孫と言ふべき物有れば斯く言へるか。宣長は一本のみならず、同じ列らに幾もとも生ひ立てるを言ふならんと言へり。拾遺集、我のみや子もたるてへば高砂のをのへにたてる松も子もたりとも詠めり。契沖云、卷三此王の、いなだきに(53)きすめる玉は二つなしと詠みませるも、此王の御女《ミムスメ》五百井女王の事にて、此獨子と有るも、此女王なるべしと言へり。然れども市原王能登内親王を娶りて、五百井女主、五百枝王生むよし、續紀(光仁)に見えたれば、人の子の上を詠みませしなるべし。卷三の歌も五百井女主の事を詠み給へりと言ふ證無し。
 參考 ○有云乎(古)アリチフヲ(新)トフ、チフ兩訓。
 
忌部首黒《インベノオフトクロ》麻呂恨2友(ノ)?《オソク》來1歌一首
 
續紀、寶字三年十二月、忌部首黒麻呂等賜2姓連1よし有り。
 
1008 山之葉爾。不知世經月乃。將出香常。我待君之。夜者更降管。
やまのはに。いさよふつきの。いでむかと。わがまつきみが。よはくだちつつ。
 
月を待つ如く友を待ちつつ、夜の更けぬるを言ふなり。イサヨフは卷三、いさよふ浪の行へしらずもと有りて、タユタフと言ふに同じ。ここも月の出でんとしてたゆたふ程を言へり。十六夜をのみイサヨヒノ月とするはいと後なり。君ガの下、來ラズシテと言ふ語を略けり。卷七、山末にいさよふ月を出でむかと持ちつつ居るに夜ぞ降《クダ》ちける。同卷、山末にいさよふ月をいつとかも吾待ちをらむよは深去《フケニ》つつと同じ物なり。
 參考 ○我待君之(新)ワガマツキミ「乎」ヲ歟。
 
冬十一月左大辨【辨ヲ臣ニ誤ル】葛城王等賜2姓橘氏1之時御製歌一首
 
(54)今本、左大臣と有り。一本臣を辨に作るに據れり。續紀、天平元年九月。正四位下葛城王爲2左大辨1。同十五年五月。以2右大臣從一位橘宿禰諸兄1拜2左大臣1と有り。目録、賜2橘姓1と有り。
 
1009 橘者。實左倍花左倍。其葉左倍。枝爾霜雖降。益常葉之樹。
たちばなは。みさへはなさへ。そのはさへ。えだにしもふれど。いやとこはのき。
 
サヘの詞はソノウヘと言ふ言の約め言にて、副はる心有り。トコハは冬枯せぬを言ふ。常磐はトキハにて別なり。續紀養老五年詔に、其地者皆殖2常葉之樹1云云。橘は實も花もめでたく、葉も霜置けどもいよよ榮ゆるをもてほぎ給へる御歌なり。
 參考 ○益常葉之樹(代)マシトコハノキ(考)マシトコハノキ又はイヤトコハノキ(古、新)略に同じ。
 
右冬十一月九日、從三位葛城王。從四位上佐爲王等。辭2皇族之高名1。賜2外家之橘姓1。已訖於v時太上天皇皇后共在2于皇后宮1。以爲2肆宴1。而即御2製賀v橘之歌1。并賜2御酒宿禰等1也。或云。此歌一首太上天皇御歌。但天皇皇后御歌各有2一首1者其歌遺落。未v得2探求1焉。【焉ヲ爲ニ誤ル】今?2案内1。八年十一月九日。葛城王等願2橘宿禰之姓1上表。以2十七日1依2表乞1賜2橘宿禰1。
 
續紀、天平八年十一月、葛城王佐爲王上表、橘宿禰の姓を賜はらん事を願ふによりて、詔して橘宿禰を賜ふ由有り。同紀天平勝寶二年正月、左大臣橘宿禰諸兄に朝臣姓を賜ふ由有り。太上天皇は元正天皇なり。於時太上天皇の下、天皇の二字を落せり。或皇后二字則ち天皇を誤れるか。下に共在2于皇后宮1と(55)有れば皇后と言はずとも、おはします事明らけし。
 
橘宿禰奈良麻呂應v詔歌一首
 
奈良麻呂は諸兄卿の男なり。續紀、天平十二年五月、無位より從五位下を授く。寶字元年六月左大辨に至る。例によるに詔の下、作の字有るべし。
 
1010 奧山之。眞【眞ヲ直ニ誤ル】木葉凌。零雪乃。零者雖益。地爾落目八方。
おくやまの。まきのはしぬぎ。ふるゆきの。ふりはますとも。つちにおちめやも。
 
本はフルと言はん序のみ。姓を賜はる詔に、辭2皇族之高名1。請2外家之橘姓1。尋2思所執1。誠得2時宜1。一依v表令v賜2橘宿禰1。千秋萬歳相繼無v窮と有るを受けて、元皇族なれば、年は經るともなりは下らじと言へる心なるべし。
 參考 ○眞木葉凌(考、新)略に同じ(古)マキノハシノギ。
 
冬十二月十二日|歌?所《ウタトコロ》之諸王臣子等集2葛井連廣成家1宴歌二首
比來古?盛興【興ヲ與ニ誤ル】。古歳漸晩。理宜3共盡2古情1。同唱2此歌1。故擬2此趣1。輙獻2古曲二節1。風流意氣之士。儻《モシ》在【在ヲ有ニ誤ル】2此集之中1。爭2發念1。心心和2古體1。
 
1011 我屋戸之。梅咲有跡。告遣者。來云似有。散去十方吉。
わがやどの。うめさきたりと。つげやらば。こちふににたり。ちりぬともよし。
 
(56)コチフに似たりは、來レカシと言ふに似たりとなり。かく告げ遣りたらば、來れかしと言ふ事と、かなたにも思ひはかりて、必ず訪ひ來るべし。さて後は花は散りぬともよしと言へるなり。
 參考 ○來云似有(代)コテフニニタリ(考、古、新)略に同じ。
 
1012 春去者。乎呼理爾乎呼里。?之。鳴吾嶋曾。不息通爲。
はるされば。ををりにををり。うぐひすの。なくわがしまぞ。やまずかよはせ。
 
ヲヲリは集中トヲヲ、タワワ、又ウレワワラバなど言ふにひとしく、枝撓むまで花の咲きたるを言ふ。然れば、これも花のとををに咲き撓む頃、鶯の鳴くを言へり。卷三に、高槻の村散にけるかも、卷十に、三笠の山は咲にけるかもなど、花紅葉と言はで唯だ咲き散るとのみ言へる如く、今もヲヲリニヲヲリにて花と知らせたるなり。ワガ島は家の庭に作れる池の中島などを言ふべし。宣長云、島は唯だ庭を言ふ。伊勢物語に、島このみ給ふ君と有りと言へり。
 
九年丁丑春正月橘少卿并諸大夫等集2弾正尹門部王家1宴歌二首
 
少卿は橘宿禰佐爲なり。
 
1013 豫。公來座武跡。知麻世婆。門爾屋戸爾毛。珠敷益乎。
あらかじめ。きみきまさむと。しらませば。かどにやどにも。たましかましを。
 
門ニモヤドニモなり。
(57) 參考 ○豫(代、古、新)略に同じ(考)カネテヨリ
 
右一首主人門部王(後賜2姓大原眞人氏1也)  一本此註無し。
 
1014 前日毛。昨日毛今日毛。雖見。明日左倍見卷。欲寸君香聞。
をとつひも。きのふもけふも。みつれども。あすさへみまく。ほしききみかも。
 
卷十七、山のかひそこともみえず乎登|都《ツ》日毛きのふもけふも雪のふれればと有れば、ヲトツヒと訓むべし。
 
右一首橘宿禰|文成《フミナリ》(即少卿之子也)  一本此註なし。續紀、天平勝寶三年九月、賜2文成王甘南備姓1と有り。橘氏を再び改めて、甘南備の姓を賜はれるにや。
 
榎井《エノヰノ》王後追和(ル)歌一首
 
續紀。寶字六年正月、無位より從四位下を授く。志貴親王の御子なり。
 
1015 玉敷而。待益欲利者。多鷄蘇香仁。來有今夜四。樂所念。
たましきて。またましよりは。たけそかに。きたるこよひし。たぬしくおもほゆ。
 
タケは、集中タカタカと言へる詞に同じ。ソカはオロソカの意なるを合せ意ふ詞なり。玉敷き設けて待たれんより。たまたま來れるが樂しきとなり。
 參考○待益欲利者(考)略に同じ(古)マタ「衣四」エシヨリハ(新)マタエムヨリハ。
 
(58)春二月諸大夫等集2左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家1宴歌一首
 
續紀、神龜五年五月。正六位下より外從五位下を授く。
 
1016 海原之。遠渡乎。遊士【士ヲ土ニ誤ル】之。遊乎將見登。莫津左比曾來之。
うなばらの。とほきわたりを。みやびをの。あそぶをみむと。なづさひぞこし。
 
遊士ミヤビヲと訓む事既に言へり。ナヅサヒ、既に出づ。遊士たちを見んとて、仙女の蓬莱より遠き海路を渡り來りし由、あるじ方の女房などの戯れて詠みて壁に懸けしなり。莫はナとも訓むべけれど、魚の誤なるべし。
 
右一首書2白紙1懸2著屋壁1也。題云。蓬莱【莱ヲ菜ニ誤ル】仙媛所嚢。蘰爲2風流秀才之士1矣。斯凡客不v所2望見1哉。
 
契沖云、嚢は賚の誤なりと云へり。字書に賚は賜也と有り。春海云、所の下、一本作字あり。されば嚢は焉の誤、蘰は謾の誤にて、仙姫所v作焉。謾爲2風流秀才之士1矣なるべし。
 
夏四月大伴坂上郎女奉v拜2賀茂神社1之時。便超2相坂山1。望2見近江海1。而晩頭還來作歌一首
 
神名帳、山城國愛宕郡賀茂別雷神社。賀茂御祖神社二座云云と有り。相坂は神功紀忍熊王兵を曳て退く。武内宿禰兵を出だして追ひて逢坂に遇へり。故《カレ》號《ナヅ》けて逢坂と言ふよし有り。
 
1017 木綿疊。手向乃山乎。今日越而。何野邊爾。廬將爲子等。
(59)ゆふだたみ。たむけのやまを。けふこえて。いづれのぬべに。いほりせむこら。
 
子等、一本吾等と有り。ワレと訓むべし。ユフダタミ、枕詞。手向ノ山は則ち相坂山の坂上に有るべし。卷三、佐保過て奈良の手向におくぬさはと詠み給へるは奈良坂の上を言へり。旅立つ人の先づ手向する所なる故に言ふなり。子等は從へる女房などを指すべし。吾と有りてもよし。
 參考 ○子等(代)「吾等」ワレ(考)ワレハ(古)アレ(新)コラ。
 
十年戊寅元興寺之僧自嘆歌一首
 
嘆、一本賛とせり。續紀、靈龜元年五月。始建2元興寺于左京六條四坊1云云。同紀養老二年八月、遷2法起寺新京1云云。元亨釋書に元起寺者。上宮太子討2守屋1時。蘇馬子又誓營v寺。故於2飛鳥地1創v之。推古四年成。始曰2法興寺1と見ゆ。
 
1018 白珠者。人爾不所知。不知友縱。雖不知。吾之知有者。不知友任意。
しらたまは。ひとにしらえず。しらずともよし。しらずとも。われししれらば。しらずともよし。
 
旋頭歌なり。自ら白玉に譬へたり。心は明らけし。
 參考 ○人爾不所知(考)ヒトニシラレヌ(古、新)略に同じ。
 
右一首或云。元興寺之僧獨覺多智。未v有2顯聞1。衆諸狎侮。因此僧作2此歌1。自嘆2身才1也。  嘆、一本賛に作る。
 
(60)石上乙麻呂卿配2土左國1之時歌三首并短歌
 
續紀、天平十一年三月。右上朝臣乙麿?2久米連若賣1配2土左國1。若賣配2下總國1と有り。然るを斯く十年の中に載せしは如何なる事にか。此長歌の中、石上振の尊はと言へると、其次なるは、乙麿妻作歌と有るべきを、端詞の文字落ちしなるべし。凡てここはいと亂れたりと見ゆ。猶末に言ふべし。
 
1019 石上。振乃尊者。弱女乃。惑爾縁而。馬自物。繩取附。肉自物。弓笶圍而。王。命恐。天離。夷部爾退。古衣。又打山從。還來奴香聞。
いそのかみ。ふるのみことは。たわやめの。まどひによりて。うまじもの。なはとりつけ。ししじもの。ゆみやかくみて。おほきみの。みことかしこみ。あまざかる。ひなべにまかる。ふるごろも。まつちのやまゆ。かへりこぬかも。
 
石上、布留、共に山邊郡なり。石上氏はもと物部氏なるを、居地によりて賜はれる氏なるべし。されば石上布留と續けたり。ミコトは凡てあがまへ言ふ詞なる事前に言へり。則ち乙麿卿を指す。タワヤメノマドヒニヨリテは紀に記されたる如く、久米連若賣を?せし事を言ふ。馬ジ物、シシジ物は既に言へり。搦められたるを、馬に繩懸けたるさまに言ひ、弓矢とりてもののふの打圍み行くを、狩人の猪鹿を狩るさまに見なしたるなり。古衣、枕詞。マツチ山は紀伊なり。紀路より船にて土左へ渡る故に、まつ(61)ち山を越えて歸り來ぬ由詠めり。
 參考 ○惑爾縁而(考、新)略に同じ(古)サドヒニヨリテ ○繩取附(考)ナハトリツケテ(古、新)略に向じ ○弓笶圍而(代)カコミテ、又はカクミテ(考)カコミテ(古、新)略に同じ ○夷部爾退(考)ヒナべニマカリ(古、新)ヒナベニマカル ○又打山從(考)マツチヤマヨリ(古、新)マツチノヤマユ。
 
1020 王。命恐見。刺並之。國爾出座耶。吾背乃公矣。
おほきみの。みことかしこみ。さしなみの。くににいでますや。わがせのきみを。
 
宣長云、或人の説に、此王命恐云云は次なる長歌の初めなり。さて出座の下、文字脱ちたり。國爾出座。○○○《ハシキ》耶○《シ》。吾背乃君矣。繋卷裳。云云と續くなり。卷十九長歌に、虚見津云云、和我勢能君乎懸麻久乃由由志恐伎云云と有るを合せ見て知るべき由言へり。此説いと善し。サシナミは卷九長歌、指並(ノ)隣の君はと有りて、ここは紀伊と土左と海を隔ててさし向へば言へるなり。
 參考 ○刺並之(代、古、新)サシナミノ(考)サシナミシ ○國爾出座耶(考)クニニ「去」イマスヤ(古)クニニイデマス、ハシキヤシ(新)「土佐」トサノクニニ、イデマスヤ ○(古、新)王。命恐見云去の歌を次の長歌の初とす。
 
1021 繁【繁ハ繋ノ誤】卷裳。湯湯石恐石。住吉乃。荒人神。船舳爾。牛吐賜。付賜將。(62)島之埼前。依賜將。礒乃埼前。荒浪。風爾不令遇。草管【管ヲ菅ニ誤ル】見。身疾不有。急。令變賜根。本國部爾。
かけまくも。ゆゆしかしこし。すみのえの。あらひとがみ。ふなのへに。うしはきたまひ。つきたまはむ。しまのさきざき。よりたまはむ。いそのさきざき。あらきなみ。かぜにあはせず。くさづつみ。やまひあらせず。すむやけく。かへしたまはね。もとつくにべに。
 
右に言へる如く、王ノ命恐ミの歌を此歌の初めとすべし。今本、繁は繋の字の誤れるなり。荒人神、景行紀、日本武尊云云、吾是現人神之子也。和名抄、現人神(安良比止加美)と有り。是れは天皇を指し奉るなり。ここは荒人神と言へるは事違へり。翁は人は大の誤にて、アラオホミタマか。神功紀に神有誨曰|和魂《ニギミタマ》は玉身につきてみ命を守り、荒魂《アラミタマ》は先鋒と爲てみ舟を導くと言ふを以てなりと言はれき。船ノ舳ニウシハキ給ヒ、上に出づ。草ヅツミ、枕詞。賜將は下上せる書きざまなれど、外にも斯かる例あれば、將をムの假字の如く用ひたりと見ゆ。急は、卷十五、須牟也氣久と有るに據りて然か訓めり。タマハネはタマヘを延べ言ふ。國部は國|方《ベ》なり。右の長歌二首の反歌は落ち失せしなるべし。又左の大崎の神の小濱はと言へる歌、船路を言へれば、ここの反歌にて、次の歌の反歌落ち失せしも知られず。左の長歌は乙麻呂卿の歌なり。さればここに端詞有るべきを、是れも落ちしならん。
 參考 ○荒人神(考)アラ「大」オホミガミ(古、新)略に同じ ○草管見(考)略に同じ(古、新)(63)「莫」ツツミナク ○身疾不有(代、古)ミヤマヒアラズ(考)略に同じ(新)「身」は衍、「不」の下「令」を補ひヤマヒアラセズ ○急(考)「急令」スミヤカニ(古、新)略に同じ。
 
1022 父公爾。吾者眞名子叙。妣刀自爾。吾者愛兒叙。参昇。八十氏人乃。手向爲等。恐乃坂爾。幣奉。吾者叙追。遠杵土左道矣。
ちちぎみに。われはまなごぞ。ははとじに。われはめづこぞ。まゐのぼる。やそうぢびとの。たむけすと。かしこのさかに。ぬさまつり。われはぞおへる。とほきとさぢを。
 
是れ乙麻呂卿の歌なり。マナ子は實ノ子と言ふなり。メヅ子は愛子なり。メヅ子ゾの句の下、猶句有るべきを落ちしなるべし。宣長云、マヰノボルは、乙麻呂卿ののぼるにて、カシコノ坂へ續く詞なり。さて八十氏人云云の二句は、唯だ恐と言はん序なり。手向するとて恐《カシコ》むと言ふ續けざまなりと言へり。手向爲の下、等の字一本に無し。カシコノ坂、倭より河内へ越ゆる所の坂なり。天武紀に、將軍|吹負《フケヒ》云云紀臣大音を遣|懼《カシコノ》坂を合せ守る、ここに財等懼坂を退きて、大音の營に居云云と有り。ヌサマツリは乙麻呂卿の幣なり。ワレハゾオヘル、士左日記になはの湊をおふ、又大みなとをおふと有れば、さる意にやと思へれど、宣長は追は退《マカル》の誤なりと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○妣刀自爾(考、新)略に同じ(古)オモトジニ ○吾者愛兒叙(考)メデコゾ(古)アレハマナゴゾ(新)ワレハマナゴゾ ○參昇(代、新)略に同じ(考)マウノボル(古)マヰノボリ ○手向爲等(考)(64)略に同じ(古、新)タムケスル「等」を衍とす ○吾者叙追(代)略に同じ(古、新)アレハゾ「退」マカル。
 
反歌一首
 
1023 大埼乃。神之小濱者。雖小。百船純毛。過迹云莫國。
おほさきの。かみのをばまは。せまけれど《ちひさけど》。ももふなびとも。すぐといはなくに。
 
大崎、今紀伊に在り。神の字ミワと訓むべきか。卷七、神前《ミワノサキ》ありそも見えず浪たちぬと詠めり。是れは紀伊に今カウザキととなふる所有り。其處なるべし。此小濱も同所ならんか。宣長云、大崎ミワ共に紀伊に在れど土左への道とはいたく違へりと言へり。考ふべし。百船純、此卷末にも斯く書けり。純一の意にてヒトの假字に借りたるか。神代紀純男をヒタヲノカギリと訓む。心は舟人も過ぎがてにする景色なるを、我のみただに過ぎ行くと言ふなり。又此歌、妻《メ》ぎみの長歌の反歌としても然《サ》る意にとるべし。
 參考 ○雖小(考)セマケレド(古)セマケドモ(新)セマケドモ又はセバケレド。
 
秋八月廿日宴2右大臣橘家1歌四首
 
1024 長門有。奧津借嶋。奧眞經而。吾念君者。千歳爾母我毛。
ながとなる。おきつかりじま。おくまへて。わがもふきみは。ちとせにもがも。
 
カリ島、長門の地名。オクマヘテは心ニフカメテと言ふに同じく、オクメテなり。メはマヘの約なり。集中、フカクオモフをオクニ思フとも言へり。オクメテと言はん料に、對馬朝臣の任國の地名を言ひ出だ(65)せり。
 
右一首長門守|巨曾倍對馬《コソベノツシマノ》朝臣。  續紀、天平四年八月、山陰道節度使判官巨曾倍津島に外從五位下を授くと見ゆ。
 
1025 奧眞經而。吾乎念流。吾背子者。千年五百歳。有巨勢奴香聞。
おくまへて。われをおもへる。わがせこは。ちとせいほとせ。ありこせぬかも。
 
セコは對馬朝臣を指す。アリコセヌはアレカシと願ふなり。
 
右一首右大臣(ノ)和(ヘ)歌。
 
1026 百礒城乃。大宮人者。今日毛鴨。暇無跡。里爾不去將有。
ももしきの。おほみやびとは。けふもかも。いとまをなみと。さとにゆかざらむ。
 
里は家を言ふ。こは宴にあづかれる歌とも聞えず。何となく誦したるなるべし。
 參考 ○暇無跡(代、古、新)略に同じ(考)イトマヲナシト ○里爾不去將有(古)サトニ「不出」イデザラム(新)略に同じ。
 
右一首右大臣傳云 故豐|嶋《シマノ》采女歌。
 
1027 橘。本爾道履。八衢爾。物乎曾念。人爾不所知。
たちばなの。もとにみちふむ。やちまたに。ものをぞおもふ。ひとにしらえず。
 
(66)卷二、三方沙彌娶2園臣生羽之女1云云。橘の蔭ふむ道のやちまたに物おぞおもふ妹にあはずてと言ふを、覺え迷へるなるべし。
 參考 ○本爾道履(古)モトニミチフミ(新)略に同じ。
 
右一首右大辨高橋安麻呂卿語云。故豐嶋采女之作也。但或本云。三方沙彌戀2妻苑臣1作歌也。然則豐嶋采女當時當所口2吟此歌1歟。  右の歌卷二に有るをも知らで、ここに又載せたるは、一、二、其外、考に言へる卷卷の外は家家の集なる事著るし。豐島は和名抄、攝津豐島(天之萬)武藏豐島(止志末)と見ゆ。何れより出でしか。
 
十一年己卯天皇遊2?高圓野1之時。小獣泄【泄一本遁ニ作ル】走2堵【堵一本都ニ作ル、目録里之ノ二字無シ】里之中1。於v是適値2勇士1。生而見v獲。即以2此獣1獻2上御在所1副歌一首([獣名俗曰2牟射佐妣1)
 
大和添上郡高圓。和名抄、※[鼠+田三つ]鼠一名?鼠(毛美俗云無佐佐比云云)今下野二荒山の邊には樹上を多くかけるとぞ。俗ノブスマと言ふ物なり。
 
1028 大夫之。高圓山爾。迫有者。里爾下來流。牟射佐妣曾此。
ますらをが。たかまとやまに。せめたれば。さとにおりくる。むささびぞこれ。
 
 參考 ○里爾下來流(考)サトニオリタル(古、斯)サトニオリケル。
 
(67)右一首大伴坂上郎女作v之也。但未v逕v奏而小獣死斃。因v此獻v歌停v之。
 
十二年庚辰冬十月依2大宰少貳藤原朝臣廣嗣謀反發1v軍。幸2于伊勢國1之時河口行宮内舍人大伴宿禰家持作歌一首
 
續紀、天平十二年九月丁亥。廣嗣遂起v兵反。同年冬十月壬午。行2伊勢國1云云。是日到2山邊郡竹谿村塀越頓宮1。癸未車駕到2伊賀國名張郡1。十一月甲申朔到2伊賀阿保頓宮1宿。大雨途泥人馬疲煩。乙酉到2伊勢國壹志郡河口頓宮1。謂2之關宮1也。丙戌遣2少納言從五位下大井王並中臣忌部等1。奉2幣帛於太神宮1。車駕停御2關宮1十箇日と有り。廣嗣は式部卿馬養之第一子なり。天平十年十二月太宰少貳と見ゆ。
 
1029 河口之。野邊爾廬而。夜乃歴者。妹之手本師。所念鴨。
かはぐちの。ぬべにいほりて。よのふれば。いもがたもとし。おもほゆるかも。
 
右に續紀を引ける如く、十一月二日、河口頓宮に宿りして詠めるなり。夜ノフレバは夜ヲ重ネテと言ふに同じ。
 
天皇御製歌一首
 
1030 妹爾戀。吾乃松原。見渡者。潮干乃潟爾。多頭鳴渡。
いもにこひ。あがのまつばら。みわたせば。しほひのかたに。たづなきわたる。
 
イモニコヒ、枕詞。吾はアゴと訓みて、志摩|英虞《アゴノ》郡なり。アゴを吾と書けるは、吾王に集中和期、吾期(68)など書けるが如しと翁の説にて、冠辭考にも委しく言はれたり。然るを宣長の言へらく、吾をアゴと言ふは、我王と續く時に限る事なり。是れはオへ續く故におのづからゴと言はるるなり。唯だに吾をアゴと言ふ事無し。こは吾自松原《ワガマツバラユ》と有りしが、自を乃に誤れるにて、初句は|ま《待》つへ懸かる枕詞なり。何處にまれ、唯だ松原よりと言ふなり。地名に有らずと言へり。卷十七、わがせこを安我松原|欲《ヨ》みわたせばとも詠めれば、此説に據るべし。
 參考 ○吾乃松原(考)アゴノマツバラ(古)アガマツバラヨ「乃」を「自」の誤とす(新)ワガマツバラユ「乃」を「自」の誤とす。
 
右一首今案。吾松原在2三重郡1相2去河口行宮1遠矣。若疑御2在朝明行宮1之時所v製御歌。傳者誤v之歟。  後人の註也。
 
丹比屋主《タヂヒノヤヌシ》眞人歌一首
 
續紀、寶字四年三月。散位從四位下多治比眞人家主卒と見ゆ。
 
1031 後爾之。人乎思久。四泥能埼。木綿取之泥而。將住【住ハ往ノ誤】跡其念。
おくれにし。ひとをおもはく。しでのさき。ゆふとりしでて。ゆかむとぞおもふ。
 
オモハクはオモフを延べ言ふ。シデは垂ルルを言ふ。今住と有るは往の誤なり。卷四、網兒《アゴノ》山いほへかくせる佐提の崎左手はへし子の夢にし見ゆると有るを思ふに、共に英虞郡なるべき由翁の説なり。され(69)ど神名帳、伊勢國朝明郁|志?《シデノ》神社有りて、朝明は三重に續ければ、其處の崎を言へるなるべし。卷四の佐提の崎の佐も、詩か信の誤にて、シデなるべき由卷四に言へり。心は旅行きし跡に留まれる妹を思ひて神に祈りつつ行くなり。
 參考 ○人乎思久(考)略に同じ(古、新)ヒトヲシヌバク。
 
右案此歌者不v有2此行宮之作1乎。所2以然言1v之。勅2大夫1從2河口行宮1還v京。勿v令2從駕1焉。何有d詠2思泥【泥ヲ沼ニ誤ル】埼1作歌u哉。  後人の註なり。
 
狹殘行宮大伴宿禰家持作歌二首
 
是れも同じ幸の度なれば、河口の行宮より出で給ひて、假りにおはしましし所なるべし。サザムと訓まんか。猶考ふべし。
 
1032 天皇之。行幸之隨。吾妹子之。手枕不卷。月曾歴去家留。
すめろぎ《おほきみ》の。いでましのまに。わぎもこが。たまくらまかず。つきぞへにける。
 
マニはママニなり。
 參考 ○天皇(古、新)オホキミノ。
 
1033 御食國。志麻乃海部有之。眞熊野之。小船爾乘而。奧部榜所見。
みけつくに。しまのあまならし。まくまぬの。をぶねにのりて。おきべこぐみゆ。
 
(70)オキベは沖方なり。志摩の浦、熊野浦、海は續きたれど、いと隔たりたるを、斯く言へるは故よし有らんか。猶考ふべし。
 
美濃國多藝行宮大伴宿禰|東人《アヅマド》作歌一首
 
續紀(元正)養老元年九月丁未。天皇行2幸美濃國1。戊申行至2近江國1觀2望淡海1云云。甲寅至2美濃國1云云。丙申幸2當耆郡多度山美泉1云云。甲子車駕還宮。十一月癸丑天皇臨v軒詔曰。朕以2今年九月1到2美濃國不破行宮1。留連數日。因覽2當耆郡多度山美泉1。自盥2手面1。皮膚如v滑。亦洗2痛處1。無v不2除癒1。在2朕之躬1其驗。又就而飲浴者。或白髪反v黒。或頽髪更生。或闇目如v明。自餘痼疾皆平癒云云。改2靈龜三年1爲2養老元年1。云云と見ゆ。
 
1034 從古。人之言來流。老人之。變若云水曾。名爾負瀧之瀬。
いにしへゆ。ひとのいひくる。おいびとの。わかゆちふみづぞ。なにおふたぎのせ。
 
人ノイヒクルは言ヒ傳ヘコシなり。ワカユはワカヤグを言ふ。
 參考 ○從古(考、新)略に同じ(古)イニシヘヨ ○人之言來流(考、新)略に同じ(古)ヒトノイヒケル ○變若云水曾(考)ワカユトフミヅゾ(古、新)ヲツチフミヅゾ。
 
大伴宿禰家持作歌一首
 
1035 田跡河之。瀧乎清美香。從古。宮仕兼。多藝乃野之上爾。
(71)たどかはの。たぎをきよみか。いにしへゆ。みやつかへけむ。たぎのぬのへに。
 
タド河は則ち多度山より流るる河なり。ミヤツカヘはツの言を清みて訓むべし。宮を仕へ奉ると言ふにて、即ち宮作る事にもなれりと宣長言へり。
 
不破《フハノ》行宮大伴宿禰家持作歌一首
 
1036 關無者。還爾谷藻。打行而。妹之手枕。卷手宿益乎。
せきなくは。かへりにだにも。うちゆきて。いもがたまくら。まきてねましを。
 
卷十七家持卿長歌、近からば加弊利爾太仁毛うちゆきて妹がたまくらさしかへてねてもこましを云云と詠めり。カヘリは俗に、立ち歸りに行きて來んと言ふなり。ウチは詞のみ。
 
十五年癸未秋八月十六日内舍人大伴宿禰家持讃2久邇京1作歌一首
 
續紀、天平十三年十一月戊申云云。號爲2大養コ恭仁《オホヤマトクニノ》大宮1と見ゆ。
 
1037 今造。久邇乃王都者。山河之。清見者。宇倍所知良之。
いまつくる。くにのみやこは。やまかはの。きよきをみれば。うべしらすらし。
 
山と川となり。シラスはシロシメスを言ふ。
 參考 ○清見者(考)略に同じ(古、新)サヤケキミレバ ○之宇倍所知良之(代)シラス(考)ウベシラルラシ(古、新)略に同じ。
 
(72)高丘河内《タカヲカノカフチノ》連歌二首
 
續紀、神龜元年五月。正六位下樂浪河内賜2姓高丘連1と見ゆ。
 
1038 故郷者。遠毛不有。一重山。越我可良爾。念曾吾世思。
ふるさとは。とほくもあらず。ひとへやま。こゆるがからに。おもひぞわがせし。
 
一重山は唯だ一重(ノ)山と言ふにて、地名に有らず。卷四、一|隔《ヘ》山重なるものをとも詠めり。越ユルガカラニは故ニと同じ。
 
1039 吾背子與。二人之居者。山高。里爾者月波。不曜十方余思。
わがせこと。ふたりしをれば。やまたかみ。さとにはつきは。てらずともよし。
 
ワガセコは友を指す。山に月を隔てたるなり。
 參考 ○二人之居者(新)フタリシヲラバ。
 
安積親王宴2左少辨藤原八束朝臣家1之日内舍人大伴宿禰家持作歌一首
 
安積親王、既に出づ。
 
1040 久方乃。雨者零敷。念子之。屋戸爾今夜者。明而將去。
ひさかたの。あめはふりしく。おもふこが。やどにこよひは、あかしてゆかむ。
 
オモフコはあるじ八束朝臣を言へるか。又思ふに相聞の古歌なるを、其時誦したるならんか。
(73) 參考 ○雨者零敷(考)略に同じ(古、新)アメハフリシケ。
 
十六年甲申春正月五日諸卿大夫集2安倍蟲麿朝臣家1宴歌一首  作者不v審。一本此四字無し。
 
1041 吾屋戸乃。君松樹爾。零雪乃。行者不去。待西【西ヲ而ニ誤ル】將待。
わがやどの。きみまつのきに。ふるゆきの。ゆきにはゆかじ。まちにしまたむ。
 
而、一本西と有るに據れり。松に待つを兼ねたり。ここよりは訪ひ行かじ、唯だ待ちて有らんとなり。古事記、君が行《ユキ》けながくなりぬ云云の歌を、誤りて卷二に載せたり。其末、待つにはまたじと言ふとは、同じきやうにて意異なり。
 
同月十一日登2活道《イクヂノ》岡1集2一株松下1飲歌二首
 
いくぢ、卷三に出づ。
 
1042 一松。幾代可歴流。吹風乃。聲之清者。年深香聞。
ひとつまつ。いくよかへぬる。ふくかぜの。こゑのすめるは。としふかみかも。
 
卷三、古き堤は年深みとも詠みて、年久しきを言ふ。
 參考 ○聲之清着(新)コエノキヨキハ。
 
右一首市原王作。
 
1043 霊剋。壽者不知。松之枝。結情者。長等曾念。
(74)たまきはる。いのちはしらず。まつがえを。むすぶこころは。ながくとぞおもふ。
 
卷二、有馬皇子の磐白の濱松が枝を引結びと詠み給へるに似て、是れは松は久しく年經るものなれば、齡を契るなり。玉キハル、枕詞。
 參考 ○念(考、古、新)モフ。
 
右一首大伴宿禰家持作。
 
傷2惜寧樂京荒墟1作歌三首  作者不v審。
 
1044 紅爾。深染西。情可母。寧樂乃京師爾。年之歴去倍吉。
くれなゐに。ふかくそみにし。こころかも。ならのみやこに。としのへぬべき。
 
紅は深く染みしを言はん爲のみ。賑ひたりし奈良の都の、深く心にしみて有ればにや、斯く荒れ行きても、猶ここに、吾が世經ぬべく思はるるとなり。
 參考 ○深染西(古、新)フカクシミニシ ○年之歴去倍吉(新)トシノヘヌ「禮者」レバ歟。
 
1045 世間乎。常無物跡。今曾知。平城京師之。移徒見者。
よのなかを。つねなきものと。いまぞしる。ならのみやこの。うつろふみれば。
 
盛なりし都の、荒れ行くを見て、世の常無きを知るなり。
 
1046 石綱乃。又變若【若ヲ著ニ誤ル】反。青丹吉。奈良乃都乎。又將見鴨。
(75)いはづなの。またわかがへり。あをによし。ならのみやこを。またもみむかも。
 
石ヅナノ、枕詞。わが命の若がへりてあらば、二たび又奈良を都とせらるるをも見んとなり。卷三、吾盛また將變《ヲチメ》やもほとほとにならの都を見ずか成なむと言ふも似たり。今本、著と有るは誤なり。一本若と有るによれり。
 參考 ○又變若反(考)略に同じ(古、新)マタヲチカヘリ ○又將見鴨(考)略に同じ(古、新)マタミナムカモ。
 
悲2寧樂故京郷1作歌一首并短歌  一本京の字無きに據るべし。
 
1047 八隅知之。吾大王乃。高敷爲。日本國者。皇祖乃。神之御代自。敷座流。國爾之有者。阿禮將座。御子之嗣繼。天下。所知座跡。八百萬。千年矣兼而。定家牟。平城京師者。炎乃。春爾之成者。春日山。御笠之野邊爾。櫻花。木晩?。【?ヲ※[穴/干]ニ誤ル】貌鳥者。間無數鳴。露霜乃。秋去來者。射鉤山。飛火(76)賀塊丹。芽乃枝乎。石辛見散之。狹男牡鹿者。妻呼令動。山見者。山裳見貌石。里見者。里裳住吉。物負之。八十伴緒乃。打經而。里【里ヲ思ニ誤ル】並敷者。天地乃。依會限。萬世丹。榮將往迹。思煎石。大宮尚矣。恃有。名良乃京矣。新世乃。事爾之有者。皇之。引乃眞爾眞荷。春花乃。遷日易。村鳥乃。旦立徃者。刺竹之。大宮人能。蹈平之。通之道者。馬裳不行。人裳徃莫者。荒爾異類香聞。
やすみしし。わがおほきみの。たかしかす。やまとのくには。かみ《すめ》ろぎの。かみのみよより。しきませる。くににしあれば。あれまさむ。みこのつぎつぎ。あめのした。しらしまさむと。やほよろづ。ちとせをかねて。さだめけむ。ならのみやこは。かぎろひの。はるにしなれば。かすがやま。みかさのぬべに。さくらばな。このくれがくり。かほどりは。まなくしばなき。つゆじもの。あきさりくれば。いこまやま。とぶひがをかに。はぎのえを。しがらみちらし。さをしかは。つまよびとよめ。やまみれば。やまもみがほし。さとみれば。さともすみよし。もののふの。やそとものをの。うちはへて。さとなみしけば。あめつちの。よりあひのきはみ。よろづよに。さかえゆかむと。おもひにし。おほみやすらを。たのめりし。ならのみやこを。あたらよの。ことにしあれば。おほきみの。ひきのまにまに。はるはなの。うつろひかはり。むらとりの。あさたちゆけば。さすたけの。おほみやびとの。ふみならし。かよひしみちは。うまもゆかず。ひともゆかねば。あれにけるかも。
 
タカシカスは高シラセマスなり。ヤマトは大和なり。皇祖の訓の事は、卷三の追加に言へり。アレマサムは生レ繼ギ給ハムなり。將座、一本座將と有り。此卷上にも例有り、何れにても有るべし。カギロヒノ、枕詞。カホ鳥は、呼子鳥と同じ物ならんと翁言はれき。射釣山、一本射駒と有り。又今本のままにて、(77)近津飛鳥の八釣山ならんかと翁の説なり。宣長云、イコマ、ヤツリ皆ここに叶はず。羽飼《ハカヒ》の誤ならん。卷十に、春日なる羽買の山ゆ云云と詠めりと言へり。猶考ふべし。飛火ガ塊、一本嵬と有り。何れにても有るべし。續紀、和銅五年正月、大和國春日烽を置きて平城に通ず由見ゆ。トヨメはトヨマセの約、令の字を書きて知らせたり。打ハヘテは、ウチは詞、ハヘは延なり。思並、一本里並と有るを善しとす。天地ノ依リアヒノキハミは、天地の相合ふまでと言ふにて、天地の有らん限りと言ふが如し。往の下の迹、一本コに作る。是れもトの假字なり。新ラ代は唯だ代と言ふ事なる事既に言へり。引ノマニマニは、天皇の率ゐさせ給ふままにと言ふなり。春花ノは、移り變ると言ふに冠らせたり。村鳥ノ、枕詞。往莫は下上とすべけれど、上にも斯かる例有り。さてこの都移しは、續紀、聖武天平十三年正月朔。天皇始御2恭仁宮1受v朝。宮垣未v就。繞以2帷帳1云云。天平十五年十二月辛卯初壞2平城大極殿并歩廊1。遷2造於恭仁宮1。四2年於1v茲。其功纔畢云云。此歌は、右のあくる年の歌なれば、其頃はや人も馬も、通はざりしさま著《シ》るし。
 參考 ○皇祖乃(古、新)スメロギノ ○所知座跡(代)シラシイマセト(考)シラシマサムト(古)シロシメサムト(新)略に同じ ○間無數鳴(古) マナクシバナク(新)略に同じ ○射鉤山(代)イカコヤマ(考)射駒山(古)「羽飼山」ハガヒヤマ (新)イツリヤマ ○飛火賀塊丹(考)略に同じ。但し塊を嵬とす(古)トブヒガタケニ(新)ヲカ ○妻呼令動(新)ツマヨビトヨム ○依會(78)限(代、新)ヨリアヒノカギリ(考)ヨリアフキハミ(古)略に同じ。
 
反歌二首
 
1048 立易。古京跡。成者。道之志婆草。長生爾異梨。
たちかはり。ふるきみやこと。なりぬれば。みちのしばくさ。ながくおひにけり。
 
長歌に、春花のうつろひかはりと言ふを繰返して詠めり、立カハリのタチは詞なり。
 
1049 名付西。奈良乃京之。荒行者。出立毎爾。嘆思益。
なつきにし。ならのみやこの。あれゆけば。いでたつごとに。なげきしまさる。
 
ナツキニシは馴付シなり。末は山で立ちて見るたびにと言ふなり。
 
讃2久邇新京1歌二首并短歌
 
布當《フタギノ》宮、三香原都と言ふも是れなり。共に山城相樂郡なり。卷十七にも讃2三香原新都1歌有り。
 
1050 明津神。吾皇之。天下。八嶋之中爾。國者霜。多雖有。里者霜。澤爾雖有。山並之。宜國跡。川次之。立合郷【郷ヲ卿ニ誤ル】跡。山代乃。鹿脊山際爾。宮柱。太敷奉。高知爲。布當乃宮者。河近見。湍音叙清。山近(79)見。鳥賀鳴慟。秋去者。山裳動響爾。左男鹿者。妻呼令響。春去者。岡【岡ヲ罔ニ誤ル】邊裳繁爾。巖者。花開乎呼理。痛※[?+可]怜。布當乃原。甚貴。大宮處。諾己曾。吾大王者。君之隨。所聞賜而。刺竹乃。大宮此跡。定異等霜。
あきつかみ。わがおほきみの。あめのした。やしまのうちに。くにはしも。おほくあれども。さとはしも。さはにあれども。やまなみの。よろしきくにと。かはなみの。たちあふさとと。やましろの。かせやまのまに。みやはしら。ふとしきたてて。たかしらす。ふたぎのみやは。かはちかみ。せのとぞきよき。やまちかみ。とりがねとよむ。あきされば。やまもとどろに。さをしかは。つまよびとよめ。はるされば。をかべもしじに。いはほには。はなさきををり。あな|にやし《あはれ》。ふたぎのはら。あなたふと。おほみやどころ。うべしこそ。わがおほきみは。きみのまに。きこしたまひて。さすたけの。おほみやここと。さだめけらしも。
 
明神吾皇は則ち天皇を指し奉る。山並云云、山しろは山山つらなりたれば言へり。河次も山並と言ふに同じく、川川の續けるを言ふなり。されば立チ合フサトと言へり。立チは詞のみ。郷、今本卿と有るは誤なり。鹿脊山、相樂郡なり。續紀、?山と書けり。フタギノミヤ、此地滝川の二すぢ落ち合ふ所にて、二(タ)多藝の意なるべし。慟は動の誤なるべし。岩ホニハ花咲キヲヲリは、岩ほに花の咲きかかりたるさまを言ふ。アナニヤシにても、アナアハレにても有るべし。同じく褒むる詞なり。君ガマニは、神ナガラと言ふに同じ、斯く山川の宜しき國と聞し召して、よろしくも大宮作りし給へる哉と言ふなり。刺竹ノ、枕詞。
 參考 ○八島之中爾(考)ナカニ(古、新)略に同じ ○太敷奉(考)略に同じ(古)フトシクマツ(80)リ(新)訓はフトシキタテテなれど誤字有る歟 ○慟(考)トヨミ(古、新)トヨム ○痛※[?+可]怜(考)アナニヤシ「※[?+可]」を「阿」とす(古)アナオモシロ(新)アナウマシ ○布當乃原(考)フタイノハラニ(古、新)フタギノハラ ○甚貴(考)イトタカキ(古、新)イトタフト ○君之隨(考)キミガマニ(古)略に同じ(新)「神隨《カムナガラ》」の誤字か ○所聞賜而(考、新)略に同じ(古)キカシタマヒテ。
 
反歌二首
 
1051 三日原。布當乃野邊。清見社。大宮處。 定異等霜。
みかのはら。ふたぎのぬべを。きよみこそ。おほみやどころ。さだめけらしも。
 
結句一本、此跡標刺とあり。ココトシメサセと訓むべし、シメユフと言ふにひとし。
 
1052 山【山ヲ弓ニ誤ル】高來。川乃湍清石。百世左右。神之味將往。大宮所。
やまたかく。かはのせきよし。ももよまで。かみしみゆかむ。おほみやどころ。
 
山、今本弓に作る。先人云、山の草書の弓と成れるなりと言へり。此集もと今の如く楷書ならねば、草書より見誤れる事少なからず。之味は佐備と通ひて、神サビと言ふに同じ。
 參考 ○弓高(代)ユタケク(古)略に同じ(新)「山」ヤヤタカ「未」ミ ○神之味(代)カミシミ(考)略に同じ(古、新)カムシミ。
 
(81)1053 吾皇。神乃命乃。高所知。布當乃宮者。百樹成。山者木高之。落多藝都。湍音毛清之。?乃。來鳴春部者。巖者。山下耀。錦成。花咲乎呼里。左牝【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。妻呼秋者。天霧合。之具禮乎疾。狹丹頬歴。黄葉散乍。八千年爾。安禮衝之乍。天下。所知食跡。百代爾母。不可易。大宮處。
わがおほきみ。かみのみことの。たかしらす。ふたぎのみやは。ももきなす。やまはこだかし。おちたぎつ。せのともきよし。うぐひすの。きなくはるべは。いはほには。やましたひかり。にしきなす。はなさきををり。さをしかの。つまよぶあきは。あまぎらふ。しぐれをいたみ。さにづらふ。もみぢちりつつ。やちとせに。あれつがしつつ。あめのした。しらしめさむと。ももよにも。かはるべからぬ。おほみやどころ。
 
百樹成の成は例の如クと言ふ意なれど、ここに叶はず。宣長云、成は盛《モル》の誤なり。モルは茂《シゲ》る事にて、森《モリ》の用語なりと言へり。錦ナスは如クなり。鹿の上の壯、一本牡に作るを善しとす。アマギラフ云云は、天の陰り含ひてしぐるるなり。サニヅラフ、枕詞。アレツガシは生れ繼がせ給ひてと云ふなり。卷一、藤原の大宮づかへ安禮衝|武《今哉》とも詠めり。
 參考 ○百樹成(考)モモキナル(古、新)モモキモル ○天霧合(代、古、新)略に同じ(考)アマギラヒ ○安禮衝之乍(考)アレツクシツツ(古)略に同じ(新)アレツカシツツ「ク」を清む ○所知食跡(考)略に同じ(古、新)シロシメサムト ○不可易(考)カハルベカラズ(古、新)(82)略に同じ。
 
反歌五首
 
1054 泉川。往瀬乃水之。絶者許曾。大宮地。遷往目。
いづみがは。ゆくせのみづの。たえばこそ。おほみやどころ。うつろひゆかめ。
 
泉川、相樂郡なり。
 
1055 布當山。山並見者。百代爾毛。不可易。大宮處。
ふたぎやま。やまなみみれば。ももよにも。かはるべからぬ。おほみやどころ。
 
1056 ※[女+感]嬬等之。續麻繋云。鹿脊之山。時之往者。京師跡成宿。
をとめらが。うみをかくとふ。かせのやま。ときのゆければ。みやことなりぬ。
 
鹿脊山も相樂郡に有るべし。をとめらが績《ウ》みたる麻《ヲ》を掛くる?《カセ》と言ひ下だして序とせり。?は四時祭式に加世比、また古語拾遺以v??v之と見えて、うみをを卷き掛くる具なり。卷十九、おほきみは神にしませは赤駒の腹ばふ田ゐを京師となしつと言ふに同じ。
 參考 ○續麻繋云(考)略に同じ(古)ウミヲカクチフ(新)兩訓 ○時之往者(考)略に同じ(古、新)トキシユケレバ。
 
1057 鹿脊之山。樹立矣繁三。朝不去。寸鳴響爲。?之音。
(83)かせのやま。こだちをしげみ。あささらず。きなきとよもす。うぐひすのこゑ。
 
朝サラズは朝ゴトニの意。
 
1058 狛山爾。鳴霍公鳥。泉河。渡乎遠見。此間爾不通。
こまやまに。なくほととぎす。いづみがは。わたりをとほみ。ここにかよはず。
[一云。渡遠哉《ワタリトホミヤ》、 不通有武《カヨハザルラム》。
 
狛山は相樂郡なり。長歌は春秋をのみ言へるを、反歌に、ほととぎすを詠めるはつきなし。此一首は別の歌なるべし。反歌五首と始に有れども、すべて歌數を書けるには採られぬ事所所にあり。
 
春日悲2傷三香原荒墟1作歌一首并短歌
 
續紀天平十五年十二月。更造2紫香樂《シカラキノ》宮1。仍停2恭仁宮(ノ)造作1焉とありて、未だ全く成らざる程に停められしなり。
 
1059 三香原。久邇乃京師者。山高。河之瀬清。在吉迹。人者雖云。在吉跡。吾者雖念。故去之。里爾四有者。國見跡。人毛不通。里見者。家裳荒有。波之異耶【耶下之ヲ脱ス】之。如此在家留可。三諸著。鹿脊山際爾。開花之。色目列敷。百鳥之。(84)音名束敷。在杲石。住吉里乃。荒樂苦惜喪。【喪ヲ哭ニ誤ル】
みかのはら。くにのみやこは。やまたかく。かはのせきよみ。ありよしと。ひとはいへども。ありよしと。われはおもへど。ふりにし。さとにしあれば。くにみれど。ひともかよはず。さとみれば。いへもあれたり。はしけやし。かくありけるか。みもろつく。かせやまのまに。さくはなの。いろめづらしく。ももとりの。こゑなつかしく。ありがほし。すみよきさとの。あるらくをしも。
 
宣長云、或人の説に、後の在吉の在は住の誤なるべし。末にアリガホシ住ヨキ里と有ればなりと言へり。是れ然るべし。耶の下、一本之の字有るに據る。されど此ハツケヤシの下、二句ばかり句の脱ちたるか。三諸著、一本天諸著と有り。共に誤れりと見ゆ。或説に、三諸は生緒の字の誤なるべし。さらばウミヲツク?と續けたるなり。生緒は績苧の借宇なりと言へり。宣長は著は繋の誤にて、ウミヲカクならんと言へり。在杲石、字典に杲は古老切、又下老切と有りて、カウの音なるをカホの假字に借りたるか。卷三にも見杲石《ミガホシ》と有り。集中カホ鳥を杲鳥と書けり。詞は在ガ欲シにて、居らまく欲しと言ふなり。見マクホシを見ガ欲《ホ》シと言ふ類ひなり。哭、一本喪に作るに據る。アルラクはアルルを延べ言ふなり。
 參考 ○山高(古、新)ヤマタカミ ○住吉跡(古、新)「住」スミヨシト ○波之異耶之の下(古)は脱無しとし(新)は脱有りとす ○三諸著(代、古)ミモロツク(考〕「天」アモリツク ○音名束敷(考)略に同じ(古、新)コヱナツカシキ。
 
反歌二【二ヲ三ニ誤ル】首
 
1060 三香原。久邇乃京者。荒去家里。大宮人乃。遷去禮者。
(85)みかのはら。くにのみやこは。あれにけり。おほみやびとの。うつりいぬれば。
 
ウツリイヌレバは、紫香樂《シガラキノ》宮所へ移り去ればと言ふなり。
 
1061 咲花乃。色者不易。百石城乃。大宮人叙。立易去流。
さくはなの。いろはかはらず。ももしきの。おほみやびとぞ。たちかはりぬる。
 
花の色は變らねども、大宮人は在りしに變れるなり。
 
難波宮作歌一首并短歌
 
續紀、天平十六年二月甲寅。運2恭仁高御座并大楯於難波宮1。又遣v使取2水路1。運2漕兵庫器仗1。乙卯恭仁京百姓情願v遷2難波宮1者恣聽v之と見ゆ。
 
1062 安見知之。吾大王乃。在通。名庭乃宮者。不知魚取。海片就而。玉拾。濱邊乎近見。朝羽振。浪之聲※[足+參]。夕薙丹。櫂合【合ハ衍文】之聲所聆。曉之。寐覺爾聞者。海石之。鹽干【干ヲ子ニ誤ル】乃共。?【?ヲ納ニ誤ル】渚爾波。千鳥妻呼。葭部爾波。鶴鳴動。視人乃。語丹爲者。聞人之。視卷欲爲。御食向。味原宮者。雖見不飽香聞。
やすみしし。わがおほきみの。ありがよふ。なにはのみやは。いさなとり。うみかたつきて。たまひろふ。はまべをちかみ。あさはふる。なみのとさわぎ。ゆふなぎに。かぢのときこゆ。あかときの。ねざめにきけば。あまいしの。しほひのむた。うらすには。ちどりつまよび。あしべには。たづなきとよみ。みるひと(86)の。かたりにすれば。きくひとの。みまくほりする。みけむかふ。あぢふのみやは。みれどあかぬかも。
 
在リ通フは、難波宮は度度幸も有りしなれば斯く言へり。海片ヅキテは、海邊に寄りたるを言ふ。濱邊一本濱徑に作る。ハマヂと訓むべし。朝羽フル、卷二、玉も沖つも朝羽振風|社《コソ》よせめと有るに同じ。※[足+參]、一本躁に作る。干禄字書、※[足+參]、躁(土俗下正)櫂は和名抄、棹、釋名云、在v旁撥v水曰v櫂。(亦作v棹漢語抄云、加伊)櫂1水中1且進v櫂也と有り。ここはカヂと訓むべし。合の字は衍文ならん。海石、按ずるに石は原の誤れるにや。ウナバラノと有るべし。又は若の誤にてワタヅミならんか。ムタは共と言ふ古語。納、一本?に作るを善しとす。集中多くウラと訓めり。其景色のよきを見て、其人の語り繼げば、其を聞く人は見まく欲りすると言ふなり。ミケムカフ、枕詞。味|原《フ》は攝津東生郡にて、則ち此難波の宮所なり。集中同じ地を味|經《フ》とも書けり。
 參考 ○玉拾(考、新)略に同じ(古)タマヒリフ ○海石之(考)「海原」ウナハラノ(古)ウミ「近」チカミ(新)「海若」ワタツミノ ○鶴鳴動(考)タヅガネトヨミ(古、新)タヅガネトヨム。
 
反歌二首
 
1063 有通。難波乃宮者。海近見。漁童女等之。乘船所見。
ありがよふ。なにはのみやは。うみちかみ。あまをとめらが。のれるふねみゆ。
 
1064 鹽干者。葦邊爾※[足+參]。白鶴乃。妻呼音者。宮毛動響二。
(87)しほひれば。あしべにさわぐ。あしたづの。つまよぶこゑは。みやもとどろに。
 
※[足+參]、一本躁とあり。同字なり。シラタヅと訓める例も無ければ、斯くてもアシタヅと訓めり。
 參考 ○白鶴乃(代)アシタヅ又はシラタヅ(考)白は百か(古、新)アシタヅノ。
 
過2敏馬浦1時作歌一首并短歌
 
1065 八千桙之。神乃御世自。百船之。泊停跡。八島國。百船純乃。定而師。三犬女乃浦者。朝風爾。浦浪左和寸。夕浪爾。玉藻者來依。白沙。清濱部者。去還。雖見不飽。諾石社。見人毎爾。語嗣。偲家良思吉。百世歴而。所偲將徃。清白濱。
やちほこの。かみのみよより。ももふねの。はつるとまりと。やしまぐに。ももふなびとの。さだめてし。みぬめのうらは。あさかぜに。うらなみさわぎ。ゆふなみに。たまもはきよる。しらまなご。きよきはまべは。ゆきかへり。みれどもあかず。うべしこそ。みるひとごとに。かたりつぎ。しぬびけらしき。ももよへて。しぬばえゆかむ。きよきしらはま。
 
八千ホコノ神は大己貴命の一の御名にして、上に言へる如く、少彦名命と共に、天の下を經營し給ふ神なれば、斯く言へり。船純、上にもフナビトと訓めり。ケラシキ、卷一、相挌良思吉《アラソフラシキ》と言へるに同じ詞なり。昔より良き湊にて、景色の見飽かぬを詠めるなり。
(88) 參考 ○所偲將往(考)シヌバシユカム(古、新)略に同じ ○清白濱(古)略に同じ(新)キヨミシラハマとも訓むべし。
 
反歌二首
 
1066 眞十鏡。見宿女乃浦者。百船。過而可徃。濱有七【七ハ亡ノ誤】國。
まそかがみ。みぬめのうらは。ももふねの。すぎてゆくべき。はまならなくに。
 
マソカガミ、枕詞。景色の見過し難きを言ふ。
 
1067 濱清。浦愛見。神世自。千船湊。大和太乃濱。
はまきよみ。うらうるはしみ。かみよより。ちぶねのはつる。おほわだのはま。
 
長歌は八千戈の神を言へれば、ここも神世よりと言へり。大ワダ、攝津なり。
 參考 ○浦愛見(考)ウラメヅラシミ(古、新)ウラウルハシミ ○湊(代)ツドフ(古、新)略に同じ。
 
右二十一首。田邊福麻呂之歌集中出也。
 
萬葉集 卷第六 終
 
(89)卷六 追加
瀧上の御舟の山に云云、清清は、藤原濱臣云、※[山+青]清の誤なるべし。字鏡、※[山+青]※[山+宮]深冥也。保良又|谷《タニ》と有り。慧林一切經音義に、※[山+青]※[山+營]、深冥高峻也と有り。さらばフカミサヤケミと訓むべくや。又高峻の意もて、タカミとも訓むべしと言へり。峻清の誤ならんと註しつれど字も似寄らず。※[山+青]の誤と爲ん方然るべし。さてフカミにては字義には善く適へれど、此歌にてはタカミと訓むべし。
 
(91)萬葉集 卷第七
 
此卷は古歌にて、誰が集とも知れ難きよし考の別記に言へり。
 
雜歌
 
詠v天
 
1068 天海丹。零之波立。月船。星之林丹。?隱所見。
あめのうみに。くものなみたち。つきのふね。ほしのはやしに。こぎかくるみゆ。
 
大空を海と見なせるより、雲を浪、月を舟と言ひ、星を林になずらへて、?ぎ隱ると言へり。人麻呂の心詞なり。
 
右一首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
詠v月
 
1069 常者曾。不念物乎。此月之。過匿卷。惜夕香裳。
つねはかつて。おもはぬものを。このつきの。すぎかくれまく。をしきよひかも。
 
常は惜とも思はぬ夜なれど、月の入る故に、此夜の惜まるるとなり。舊訓ツネハゾモと詠みたれど、卷十、木高くは曾木不植《カツテキウヱジ》、其外もカツテと詠めればかく訓みつ。
(92) 參考 ○常者曾(代、古、新)略に同じ(考)ツネハサゾ。
 
1070 丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。弓上振起。借高之。野邊副清。照月夜可聞。
ますらをの。ゆずゑふりおこし。かりたかの。のべさへきよく。てるつくよかも。
 
弓末振リオコシは、獵と言はん序のみ。卷六、獵高の高まと山と詠めり。大和添上郡なり。野ベサヘのサヘは輕く心得べし。野べも何處もと言ふが如し。
 
1071 山末爾。不知夜歴月乎。將出香登。待乍居爾。與曾降家類。
やまのはに。いさよふつきを。いでむかと。まちつつをるに。よぞくだちける。
 
夜更けて、やや出でんとする月を詠めり。卷六、山之葉にいさよふ月の出でむかとわが待君が夜はくだちつつ、此卷末にも、一二の句同じくて、いつとかも吾持ちをるに夜は更けにつつと有り。
 
1072 明日之夕。將照月夜者。片因爾。今夜爾因而。夜長有。
あすのよひ。てらむつくよは。かたよりに。こよひによりて。よながからなむ。
 
明日の夜をも今宵に合せて、あくまで月を見まほしとなり。ヨヒと言ひて、古へ一夜の事にも言へり。
 
1073 玉垂之。小簾之間通。獨居而。見驗無。暮月夜鴨。
たまだれの。をすのまとほり。ひとりゐて。みるしるしなき。ゆふづくよかも。
 
玉ダレノ、枕詞。二の句より結句へ續く。見ルシルシナキは、獨り見ては見るかひ無きとなり。
(93) 參考 ○小簾之間通(考、古、新)ヲスノマトホシ。
 
1074 春日山。押而照有。此月者。妹之庭母。清有家里。
かすがやま。おしててりたる。このつきは。いもがにはにも。さやけかりけり。
 
オシテはオシナベテと言ふに同じ。妹が家にて、春日山を見やりて詠めるなるべし。
 參考 ○押而照有(代)略に同じ(考)ナベテテリタル(古、新)オシテテラセル ○清有家里(考)略に同じ(古、新)サヤケカル「羅思」ラシ。
 
1075 海原之。道遠鴨。月讀。明少。夜者更下乍。
うなばらの。みちとほみかも。つ|き《く》よみの。あかりすくなき。よはくだちつつ。
 
遲く出でたる月の、見る程も無くて更け過ぐるは、海路を出でし程の道の遠かりしにやと言ふなり。
 參考 ○月讀(古、新)ツクヨミノ ○明少(代、古)ヒカリスクナキ(考)ヒカリスクナク(新)「照遲」テラサクオソキ。
 
1076 百師木之。大宮人之。退出而。遊今夜之。月清左。
ももしきの。おほみやびとの。まかりでて。あそぶこよひの。つきのさやけさ。
 
宮中より出づるを、マカリ出テと言ふなり。後に物へまかるなど言ふは、やや轉じたるなり。
 
1077 夜干玉之。夜渡月乎。將留爾。西山邊爾。塞毛有糠毛。
(94)ぬばたまの。よわたるつきを。とどめむに。にしのやまべに。せきもあらぬかも。
 
アラヌカはアレカシなり。モは助辭。
 
1078 此月之。此間來者。且今跡香毛。妹之出立。待乍將有。
このつきの。ここにきたれば。いまとかも。いもがいでたち。まちつつあらむ。
 
宣長云、おのが家にて、月の影さす所を見て、早やここまで月の影の來つれば、夜は更けたり。妹が待つらんと言ふ意なりと意へり。
 參考 ○此間來者(代)ココニモ(考)コノコロクレバ(古、新)略に同じ。
 
1079 眞十鏡。可照月乎。白妙乃。雲香隱流。天津霧鴨。
まそかがみ。てるべきつきを。しろたへの。くもかかくせる。あまつきりかも。
 
マソ鏡、枕詞。いまだ月の出でぬを、白雲の立ち隱せるか、霧のおほひて見せぬかと言ふなり。
 
1080 久方乃。天照月者。神代爾加。出反等六。年者經去乍。
ひさかたの。あまてるつきは。かみよにか。いでかへるらむ。としはへにつつ。
 
年を經て月の光の變らぬは、神代へ立ちかへりては出づるならんと言ふなり。
 
1081 烏玉之。夜渡月乎。※[?+可]怜。吾居袖爾。露曾置爾鷄類。
ぬばたまの。よわたるつきを。おもしろみ。わがをるそでに。つゆぞおきにける。
 
(95)ワガヲルは、吾ガ見ツツ居ルと言ふを略けり。
 參考 ○※[?+可]怜(代、古、新)略に同じ(考)アハレトテ。
 
1082 水底之。玉障清。可見裳。照月夜鴨。夜之深去者。
みなぞこの。たまさへさやに。みゆべくも。てるつくよかも。よのふけゆけば。
 
玉は石なり。玉サヘは後に玉マデと言ふ詞の意なり。
 參考 ○玉將清(考、古、新)タマサヘキヨク ○可見裳(考、古)ミツベクモ(新)略に同じ ○夜之深去者(考、新)略に同じ(古)ヨノフケヌレバ。
 
1083 霜雲入。爲登爾可將有。久堅之。夜渡月乃。不見念者。
しもぐもり。すとにかあらむ。ひさかたの。よわたるつきの。みえぬおもへば。
 
夜霜くだらんとて、霧の如く陰るを霜グモリと言ふ。今俗モヤと言へり。見えぬを思へばと言ふべきヲの言を略けり。
 參考 ○不見念者(考)略に同じ(古)ミエナクモヘバ(新)兩訓。
 
1084 山末爾。不知夜經月乎。何時母。吾待將座。夜者深去乍。
やまのはに。いさよふつきを。いつとかも。わがまちをらむ。よはふけにつつ。
 
上に少し異にて載せたり。
 
(96)1085 妹之當。吾袖將振。木間從。出來月爾。雲莫棚引。
いもがあたり。わがそでふらむ。このまより。いでくるつきに。くもなたなびき。
 
卷二、石見海高角山の木の間ゆも吾ふる袖を妹見つらむかと言へる如く、妹があたりへ向ひて吾が振る袖を、木の間より月に見るらんに、雲なたな引きそとなり。
 
1086 靱懸流。伴雄廣伎。大伴爾。國將榮常。月者照良思。
ゆぎかくる。とものをひろき。おほともに。くにさかえむと。つきはてるらし。
 
卷三、安積皇子薨時、内舍人家持卿の長歌に、靱取負て天地と彌遠長に云云と詠みて、反歌に、大伴の名に負ふ靱負ひて萬代に憑《タノメ》し心いづくかよらむとも詠めり。大伴氏は武官の名有る家にて、さて其輩多き故に、伴の雄廣きと言へり。大伴ニと言ふは、衛門府の陣をさして言へるならん。心は大伴氏の護れる御門に、斯く月のくま無く明らかなるを見れば、ますます國榮えまさんと、大御國をも我家をも祝ひて詠めるなるべし。
 
詠v雲
 
1087 痛足河。河浪立奴。卷目之。由槻我高仁。雲居立【立ノ下、有ノ字ハ衍也。一本ニ依テ除ク】良志。
あなしがは。かはなみたちぬ。まきむくの。ゆつきがたけに。くもゐたつらし。
 
アナシ川、ユヅキガ獄、大和城上郡、古事記、麻岐牟久能比志呂乃美夜《マキムクノヒシロノミヤ》と書けり。其外マキムクと訓むべ(97)き證多し。雲ヰは古事記、和岐弊能迦多由久毛韋多知久母《ワギヘノカタユクモヰタチクモ》と有りて、唯だ雲の事を言へり。今本、雲居立の下、有の字有り。活本、有の字無きを善しとす。
 參考 ○卷目(古)略に同じ(新)マキモク ○雲居立有良志(代)クモヰタテルラシ(考)「雲立良志」クモゾタツラシ(古、新)略に同じ。
 
1088 足引之。山河之瀬之。響苗爾。弓月高。雲立渡。
あしびきの。やまがはのせの。なるなへに。ゆづきがたけに。くもたちわたる。
 
右二首共に、雨降ると言はずして知らせたり。
 
右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1089 大海爾。嶋毛不在爾。海原。絶塔浪爾。立有白雲。
おほうみに。しまもあらなくに。うなばらの。たゆたふなみに。たてるしらくも。
 
島には必ず山有れば、雲の立つものなるが、是れは島も無きに雲の立てると言ふなり。タユタフは、集中、猶豫不定と書けり。
 
右一首伊勢從駕作。 斯く書ける程にて名の無きは如何が。是れも後人の加へしならん。
 
詠v雨
 
1090 吾妹子之。赤裳裙之。將染?。今日之??爾。吾共所沾名。【名ヲ者ニ誤訳ル】
(98)わぎもこが。あかものすその。ひづちなむ。けふのこさめに。われさへぬれな。
 
染?は義を以て書けり。此字の書きざまをもて、ヒヅチ、ヒデの語釋すべし。今本、所沾者と有るは誤なり。者、一本名に作るに據れり。ヌレナはヌレムなり。心は妹が濡れなん雨にわれも濡れんと言ふなり。
 參考 ○將染?(代)シミヒヂム(考、新)略に同じ(古)ヒヅツラム ○吾共朗沾者(代)ワレトモニヌレバ(考)ワレモヌルレバ(古)アレサヘヌレ「名」ナ、又はアレモヌレナバ(新)略に同じ。
 
1091 可融。雨者莫零。吾妹子之。形見之服。吾下爾著有。
とほるべく。あめはなふりそ。わぎもこが。かたみのころも。われしたに|きたり《けり》。
 
下に著たる衣まで濡れ通るべく雨な降りそとなり。著有をケリとも訓むべし。
 參考 ○吾下爾著有(考)ワレシタニキタリ(古)アレシタニケリ(新)ワレシタニキタリ、又はケリ。
 
詠v山
 
1092 動神之。音耳聞。卷向之。檜原山乎。今日見鶴鴨。
なるかみの。おとのみききし。まきむくの。ひばらのやまを。けふみつるかも。
 
ナルカミノ、枕詞。
 
1093 三毛侶之。其山奈美爾。兒等手乎。卷向山者。繼之宜霜。
みもろの。そのやまなみに。こらがてを。まきむくやまは。つぎのよろしも。
 
(99)此ミモロは三輪山なり。考に委し。山ナミは山並なり。コラガテヲ、枕詞。下は山並の續きたるを褒め言ふなり。古今六帖につぎてよろしもと有れど、見のよろしも、着《キ》のよろしもなどの如く、ツギノと言へるかた古し。
 參考 ○繼之宜霜(代)ツギテシヨシモ(考、古)略に同じ(新) ツグガヨロシモ。
 
1094 我衣。色服染。味酒。三室山。葉黄葉爲在。
わがころも。いろにそめなむ。うまさけを。みむろのやまは。もみぢしにけり。
 
宣長云、色服は服色と有りしが、誤りて下上に成れるなり。意は三室山はもみぢしたり。吾衣も色に染めんとなり。在と書けるを必ずケリと訓むべき歌、集中に多しと言へり。
 參考 ○色服染(代)「服色染」イロニソメタリか(脂は初句につく)(考)イロヅキソメツ(古)「色將染」イロニシメナム(新)イロニシメテム ○味酒(考、古、新)ウマサケ ○黄葉爲在(考)モミヂシタルニ(古、新)略に同じ。
 
右三首、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1095 三諸就。三輪山見者。隱口乃。始瀬之檜原。所念鴨。
みもろつく。みわやまみれば。こもりくの。はつせのひばら。おもほゆるかも、
 
ミモロツクの詞例も無ければ、就は能の誤にて、三モロノと四言の句なるべし。又卷六、三諸著鹿脊山(100)と有るは、こことは異なり。其所に言へり。三輪の檜原を見て、初瀬の檜原を思ひ出づると言ふなり。
 參考 〇三諸就(考)「天」アモリツク(古、新)ミモロツク。
 
1096 昔者之。事波不知乎。我見而毛。久成奴。天之香具山。
いにしへの。ことはしらぬを。われみても。ひさしくなりぬ。あめのかぐやま。
 
 參考 ○我見而毛(古)アレミテモ(新)ワガミテモ。
 
1097 吾勢子乎。乞許世山登。人者雖云。君毛不來益。山之名爾有之。
わがせこを。こちこせやまと。ひとはいへど。きみもきまさず。やまのなならし。
 
コセは、神名帳、大和葛上郡巨勢山口神社と有り。吾背子をこなたへ來らせと言ふ意にて、コチコセ山と續けて、さてコセとは言へど、君も來らず、唯だ山の名のみならんと言ふなり。地名を斯く言ひ續くるは、奈良の里を、ふる衣きならの里と詠めるが如し。
 參考 ○乞許世山登(代、考、新)略に同じ(古)イデコセヤマト ○山之名爾有之(考、新)略に同じ(古)ヤマノナニアラシ。
 
1098 木道爾社。妹山在云。櫛【櫛ノ上ノ三ノ字脱ス】上。二上山母。妹許曾有來。
きぢにこそ。いもやまありとへ。みくしげの。ふたがみやまも。いもこそありけれ。
 
此下にも、木國の妹背の山にとも有り。妹山は川の此方なれど、大方に紀路と言へるなり。在リトヘは(101)在リトイヘなり。拾遺集に、あれのみやこもたりてへばと言ふテヘ詞に同じ。古くトフ、チフなど言へるを、後にテフとのみ言へるが如し。櫛の上、一本三の字有り。上はアゲの略にてミクシゲノと訓むべし。三は眞の意なり。さてフタと言はん枕詞なり。神名帳、大和葛下郡葛木二上神社と有り。卷二、大津皇子を二上山に葬る時、大來皇女の御《み》歌に、うつせみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世《イモセ》と吾見むと有るは異にて、今は此山の峰二つ並べるを妹有りと言ふなり。
 參考 ○在云(代)アリテヘ(考)略に同じ(古、新)アリトイヘ ○櫛上(代)クシゲノ(考、古)略に同じ(新)「玉」タマクシゲ。
 
詠v岳
 
1099 片崗之。此向峰。椎蒔者。今年夏之。陰爾將比疑。
かたをかの。このむかつをに。しひまかば。ことしのなつの。かげになみむか。
 
神名帳、葛下郡片岡坐神社有り。ムカツヲは向ヒノ岑なり。陰は日をさへん爲、ナミムカは、生ヒ竝ムカと言ふなり。又比は成の誤にてナラムカなりしにや。
 參考 ○陰爾將比疑(古)略に同じ、但し「比」は「化」の誤とす(新)カゲニ「化」ナラムカ。
 
詠v河
 
1100 卷向之。病足之川由。往水之。絶事無。又反將見。
(102)まきむくの。あなしのかはゆ。ゆくみづの。たゆることなく。またかへりみむ。
 
病は痛の字の誤か、此上にも然か書けり。行水ノ如クと言ふを略けり。又カヘリミムは、則ち其山川のさまを絶えず見んと云ふなり。
 
1101 黒玉之。夜去來者。卷向之。川音高之母。荒足鴨疾。
ぬばたまの。よるさりくれば。まきむくの。かはとたかしも。あらしかもとき。
 
山の嵐の疾《はや》ければにや、川音の高く聞ゆると言ふなり。
 
右二首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1102 大王之。御笠山之。帶爾爲流。細谷川之。音乃清也。
おほきみの。みかさのやまの。おびにせる。ほそたにがはの。おとのさやけさ。
 
大キミノ、枕詞。三笠山は添上郡、惣名春日山なり。細谷川は地名に有らず。古今集に、一二句まがねふくきびの中山とて載す。也は徒に添へたり。
 
1103 今敷者。見目屋跡念之。三芳野之。大川余杼乎。今日見鶴鴨。
いましくは。みめやとおもひし。みよしぬの。おほかはよどを。けふみつるかも。
 
イマシクハは、今はなり。シクは助辭。此卷下に玉|拾之久《ヒロヒシク》、又そがひに宿之久《ネシク》と言へるクは助辭にて、今も是れにひとし。今は又も見る事は有るまじく思ひし吉野河を、今日見つるよと喜ぶ意なり。
(103) 參考 ○今敷者(考)略に同じ(古、新)イマシキハ ○見目屋跡念之(老、古、新)ミメヤトモヒシ。
 
1104 馬並而。三芳野河乎。欲見。打越來而曾。瀧爾遊鶴。
うまなめて。みよしぬがはを。みまくほり。うちこえきてぞ。たぎにあそびつる。
 
山路を馬にて越えて來て、吉野の瀧のもとに遊ぶなり。初句を四の句の上に置きて見るべし。
 
1105 音聞。目者未見。吉野川。六田之與杼乎。今日見鶴鴨。
おとにきき。めにはいまだみぬ。よしぬがは。むつたのよどを。けふみつるかも。
 
六田を、今ムタと言ふとぞ。
 參考 ○目者未見(考)メニハマダミヌ(古、新)略に同じ。
 
1106 河豆鳴。清川原乎。今日見而者。何時可越來而。見乍偲食。
かはづなく。きよきかはらを。けふみては。いつかこえきて。みつつしぬばむ。
 
今日見て又いつか見んと言ふなり。シヌバムは、此卷下に、よする白浪見つつしぬばむと詠めるも、目前に慕ふ意なれば、ここも又再び來りて、見つつめでんと意ふ意に詠めり。コエキテは、吉野山を越え來てなり。
 參考 ○何時可越來而(新)イツカ「又」マタキテ。
 
1107 泊瀬川。白木綿花爾。墮多藝都。瀬清跡。見爾來之吾乎。
(104)はつせがは。しらゆふばなに。おちたぎつ。せをさやけみと。みにこしわれを。
 
白木綿花ノ如クニと言ふなり。ユフ花は既に言へり。ワレヲのヲは助辭なり。卷六、おほきみのみことかしこみさしなみの國に出でますやわがせのきみをと言へる類ひなり。卷九、山高み白ゆふ花に落たぎつ夏みの川とみれどあかぬかも。
 
1108 泊瀬川。流水尾之。湍乎早。井提越浪之。音之清久。
はつせがは。ながるるみをの。せをはやみ。ゐでこすなみの。おとのさやけく。
 
水尾は、水脈にて水筋を言ふ。ヰデは堰なり。既に言へり。久は左か。又上にも例有りつれば也などの誤にて、サヤケサと有るべきにやと思へど、此下にも淨奚久《サヤケク》と有れば、斯くも言ひしなるべし。
 
1109 佐檜乃熊。【熊ヲ能ニ誤ル】檜隈川之。瀬乎早。君之手取者。將縁言毳。
さひのくま。ひのくまがはの。せをはやみ。きみがてとらば。よせいはむかも。
 
和名抄、大和高市郡檜隈(比乃久末)サは眞と同じ語の發語にて、ヒノクマを重ね言へり。ミヨシ野ノヨシ野などいふ類ひなり。河を渡る時瀬の早ければとて、手を取りなば、それによりて人の言ひ立てんかとなり。
 參考 ○將縁言毳(代)ヨラムワレカモ(考、古)コトヨセムカモ(新)略に同じ。
 
1110 湯種蒔。荒木之小田矣。求跡。足結出所沾。此水之湍爾。
(105)ゆだねまく。あらきのをだを。もとめむと。あゆひでてぬれぬ。このかはのせに。
 
ユダネは齋種なり。水口祭などして蒔けば言ふなり。アラキは、神名帳、大和宇智郡荒木神社有り。そこか。又は墾田を言へるか。アユヒは皇極紀歌に、やまとのをしのひろせをわたらむと阿庸比?豆矩梨《アヨヒタヅクリ》云云とも有りて、足を結ぶ物なり。和名抄、行纏本朝式云脛巾(俗云波波岐)と有る類ひなり。あゆひして出でて濡れぬると言ふなり。求の詞解き難し、誤字ならんか。考ふべし。是れは譬喩にて、人の齋兒を我物にせんとして、妨げられしを添へたるにや。宣長云、出は者の誤にて、アユヒハヌレヌなるべしと言へり。
 參考 ○求跡(考)アサラント(古、新)略に同じ ○足結出所沾(考)略に同じ(古)アユヒ「者」ハヌレヌ(新)アユヒ「曾」ゾヌレヌ。
 
1111 古毛。如此聞乍哉。偲兼。此古川之。清瀬之音矣。
いにしへも。かくききつつや。しぬびけむ。このふるかはの。きよきせのとを。
 
フル川は、初瀬にも石上にも有り。いづれにか。古人も此河の瀬の音を聞きてや、今吾が慕ふ如く慕ひつらんとなり。
 
1112 波禰蘰。今爲妹乎。浦若三。去來率去河之。音之清左。
はねかづら。いまするいもを。うらわかみ。いさいさがはの。おとのさやけさ。
 
(106)神名帳、大和添上郡率川坐大神御子神社と有り。ハネカヅラは、卷四にも言へり。今スル妹とは少女を言ふ。上はイサと言はん爲の序なり。さていさなふ意のみ。川の名は、イサ河なるを、イサイサ川と言ふは、上に巨勢山をコチコセ山と續けたるが如し。ウラ若ミのウラは、裏にて心の意なれば、ウラ若キと言ひて、いとけなき程を言へり。卷十一、本は全く同じくて、末、ゑみみいかりみ着てし紐とくと有り。
 參考 ○去來率去河之(古、新)イザイザカハノ。
 
1113 此小川。白氣結。瀧至。八信井上爾。事上不爲友。
このをがは。きりぞむすべる。たぎちゆく。はしりゐのうへに。ことあげせねども。
 
瀧、元暦本流とせり。ナガレユクと訓むべし。ハシリヰは、此卷下にも、落ちたぎつ走井水の清ければと有り。逢坂にも伊勢にも有り。神代紀、天照大神素盞嗚尊の十握の劔をこひとり、三きだに打折り、天の眞名井にふりすすぎて、吹きうつるいぶきの狹霧に生ませる神のみ名を、田心姫《タゴリヒメ》と曰ふと言へる事の有れば、今も井の上に霧立てるを見て、其古事を思ひて詠めるなり。言擧は前に出でたり。
 參考 ○白氣結(考、新)略に同じ(古)キリタナビケリ ○瀧至(代)至は去の誤か(考、新)略に同じ(古)「落瀧」オチタギツか ○八信井上爾(考)略に同じ(古)ハシヰノウヘニ(新)ハシリヰノヘニ ○事上不爲友(考、古)略に同じ(新)「事上」を「嗟」の誤字としナゲキセネドモ。
 
1114 吾紐【紐ヲ?ニ誤ル】乎。妹手以而。結八川。又還見。萬代左右荷。
わがひもを。いもがてもちて。ゆふ|は《や》がは。またかへりみむ。よろづよまでに。
 
結八川、吉野の内に有り。わが衣の紐を妹が手をもてゆふと懸けたる序なり。結八は、ユフヤにても有るべき歟。元暦本にユフヤと訓めり。
 參考 ○結八川(考)ユフバガハ(古)ユフヤガハ(新)ユフハ、ユフヤ兩訓。
 
1115 妹之紐。結八川内乎。古之。并【并ハ淑ノ誤】人見等。此乎誰知。
いもがひも。ゆふ|は《や》かふちを。いにしへの、よきひとみきと。こをたれかしる。
 
并人、舊訓ミナヒトと有れど、淑人の誤なるべし。吉野の地は、卷一、淑人のよしとよく見てよしといひしと詠み給ひ、卷九、古への賢き人の遊びけむなど言ひ、ある仙人も住める所なれば、斯くは言へるにや。よき人見きと言ひ傳ふれど、其人を誰かよく知ると言ふ意ならんか。下句穩かならず。直考ふべし。
 參考 ○結八川内乎(考)ユフバカフチヲ(古)ユフヤカフチヲ(新)ユワハ、ユフヤ兩訓 ○并人見等(代)ミナヒトミメド(考、新)略に同じ(古)「人并見管」ヒトサヘミツツ ○此乎誰知(考)略に同じ(古)ココヲ「偲吉」シヌビキ(新)「聞手」キキテタガシルか。
 
詠v露
 
1116 烏玉之。吾黒髪爾。落名積。天之露霜。取者消乍。
ぬばたまの。わがくろかみに。ふりなづむ。あめのつゆじも。とればきえつつ。
 
(108)ナヅムは滯る意にて、露霜の置き溜まると言ふなり。露霜は秋の末の早霜なり。卷二或本歌、ゐあかして君をば待むぬば玉の吾黒髪に霜はふるともと言へると同じ心なり。
 參考 ○取者消乍(考)略に同じ(古)トレバケニツツ(新)兩訓。
 
詠v花
 
1117 島廻爲等。礒爾見之花。風吹而。波者雖縁。不取不止。
あさりすと。いそにみしはな。かぜふきて、なみはよるとも。とらずはやまじ。
 
アサリは、鳥の食を求むるをもとにて、漁をも言へり。たとひ逢ひ難くとも、逢はずはやむまじと思ふ妹を、磯邊の花にそへたり。
 參考 ○島廻爲等(考)略に同じ(古、新)シマミスト ○波者雖縁(考)略に同じ(古)ナミハヨストモ(新)兩訓。
 
詠v葉
 
1118 古爾。有險人母。如吾等架。彌和乃檜原爾。挿頭折【折ヲ?ニ誤ル】兼。
いにしへに。ありけむひとも。わがごとか。みわのひばらに。かざしをりけむ。
 
かざしの爲めに折るなり。吾等はワガと訓むべき所に斯く書ける例多し。さて此古へに有りけん人は、指す人有りて詠めるなるべし。
 
(109)1119 往川之。過去人之。手不折者。裏觸立。三和之檜原者。
ゆくかはの。すぎにしひとの。たをらねば。うらぶれたてり。みわのひばらは。
 
ユク川ノ、枕詞。過ギニシ人は上に言へる古への人を言ふ。ウラブレは既に出づ。
 參考 ○過去人之(代、考、古)略に同じ(新)スギユクヒ()。
 
右二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
詠v蘿
 
1120 三芳野之。青根我峰之。蘿席。誰將織。經緯無二。
みよしぬの。あをねがみねの。こけむしろ。たれかおりけむ。たてぬきなしに。
 
アヲネは青嶺なり。こも一の名の如くなりたれば、又峰と重ね言ふなり。コケムシロは、筵を敷きたる如く苔むせるを云ふ。
 參考 ○青根我峰之(古、新)アヲネガタケノ。
 
詠v草
 
1121 妹所等。我通路。細竹爲酢寸。我通。靡細竹原。
いもがりと。わがかよひぢの。しぬずすき。われしかよはば。なびけしぬはら。
 
妹ガリは、妹ガ許なり。シヌはシナフを約め言ふ、細竹は借宇なり。ワレシのシは助辭。通路の道さま(110)たげなれば靡きよれと言ふなり。シヌハラは則ちシノズスキを言ふ。
 參考 ○我通路(古)アガユクミチノ(新)ワガカヨフミチノ。
 
詠v鳥
 
1122 山際爾。渡秋沙乃。往將居。其河瀬爾。浪立勿湯目。
やまのまに。わたるあきさの。ゆきてゐむ。そのかはのせに。なみたつなゆめ。
 
アキサは俗アイサと言ふ小鳧なり。無名抄、頼政、澄のぼる月の光に横ぎれてわたるあきさの音の寒けさとも詠みて、或人越後にては、今も雁をアイサと言ふと言へり。山のたわみを越え行く鳥のあさりせん河の瀬に、浪な立ちそとなり。
 
1123 佐保河之。清河原爾。鳴知鳥。河津跡二。忘金都毛。
さほがはの。きよきかはらに。なくちどり。かはづとふたつ。わすれかねつも。
 
千鳥の聲も蛙の聲も共に忘られぬとなり。卷三、おもほえず來ませる君をさほ河の蛙きかせず歸しつるかもと詠めり。宣長は河津は蛙に有らず。河津にて、千鳥の聲と其所の景色と二つなりと言へり。
 
1124 佐保河爾。小驟千鳥。夜三更而。爾音聞者。宿不難爾。
さほがはに。あそぶちどり。よくだちて。ながこゑきけば。いねがてなくに。
 
二の句六言に訓むべし。小驟の訓み猶有らんか、考ふべし。イネガテナクニはイネガテと言ふに同じく、(111)ナクは詞なり。
 參考 ○小驟千鳥(考)アソブチドリノ(古)サヲドルチドリ(新)シバナクチドリ「小」を衍とし驟の下に「鳴」を加ふ。
 
思2故郷1
 
1125 清湍爾。千鳥妻喚。山際爾。霞立良武。甘南備乃里。
きよきせに。ちどりつまよび。やまのまに。かすみたつらむ。かみなびのさと。
 
立ツラムと言へるに故郷を偲ぶ心有り。
 參考 ○千鳥妻喚(代、古、新)略に同じ(考)チドリツマヨブ。
 
1126 年月毛。未經爾。明日香河。湍瀬由渡之。石走無。
としつきも。いまだへなくに。あすかがは。せぜゆわたりし。いはばしもなし。
 
故郷を離れて年月も經ぬに、河瀬より渡りし岩橋も今は無しとなり。イハバシは、川瀬を踏み渡るべく、石を並べ置くを云ふ。
 
詠井
 
1127 隕田寸津。走井水之。清有者。度者吾者。去不勝可聞。
おちたぎつ。はしりゐのみづの。きよくあれば。わたりはわれは。ゆきがてぬかも。
 
(112)走井、上に出づ。水の清らなるに飽かねば、吾は渡りてはえ行かぬといふ意なり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも、同じ意に落つる事上に言へり。度、元暦本癈に作るは誤なり。
 參考 ○走井水之(古)ハシヰノミヅノ(新)略に同じ ○清有者(考)キヨカレバ(古)略に同じ(新)キヨケレバ ○度者吾者(代、考)ワタラバ(古)ワタラ「布」フアレハ(新)ワタリ「而」テワレハ。
 
1128 安志妣成。榮之君之。穿之井之。石井之水者。雖飲不飽鴨。
あしびなす。さかえしきみが。ほりしゐの。いはゐのみづは。のめどあかぬかも。
 
アシビナス、枕詞。此井を掘りし人は誰とも知られねど、指す所有りて詠めるなるべし。
 
詠2和琴1
 
1129 琴取者。嘆先立。蓋毛。琴之下樋爾。嬬哉匿有。
こととれば。なげきさきだつ。けだしくも。ことのしたひに。つまやこもれる。
 
下樋は、琴の腹のうつろなる所を言ふ。ケダシは若《モシ》と言ふ意なり。琴をとれば先づ歎かるるは、下樋の中に若し吾が思ふ妻やこもれると、はかなく詠めり。
 
芳野作
 
1130 神左振。磐根己凝敷。三芳野之。水分山乎。見者悲毛。
(113)かみさぶる。いはねこごしき。みよしぬの。みくまりやまを。みればかなしも。
 
古事記、天之水分神(訓v分云2久麻理1)神名帳、吉野水分神社あり。カナシモは愛づる詞なり。
 參考 ○神左振(古、新)カムサブル ○水分山乎(代)ミコモリヤマヲ(考、古、新)畧に同じ。
 
1131 皆人之。戀三吉野。今日見者。諾母戀來。山川清見。
みなひとの。こふるみよしぬ。けふみれば。うべもこひけり。やまかはきよみ。
 參考 ○皆人之(古)「人皆之」ヒトミナノ(新)畧に同じ。
 
1132 夢乃和太。事西在來。寤毛。見而來物乎。念四念者。
いめのわだ。ことにしありけり。うつつにも。みてこしものを。おもひしもへば。
 
夢ノワダ、吉野の内に有り。卷三、吾行は久にはあらじ夢のわだ云云と詠めり。事には言になり。シは助辭。夢とは詞に言ふのみにて、思ひに思へば、現に見て來りしとなり。
 
1133 皇祖神之。神宮人。冬薯蕷葛。彌常敷爾。吾反將見。
すめろぎの。かみのみやびと。まさき《ところ》づら。いやとこしきに。わがかへりみむ。 
皇祖神とは書きたれど、ここは上つ代の天皇を申すなれば、スメロギと訓むべし。神ノ宮人は則ち宮人を云ひて、御代御代傳へて仕へ來しと言ふ意なり。末は葛《カヅラ》の如くいやとこしなへに吉野を行き返り見んとなり。冬薯蕷、古訓サネカヅラと有れど據どころなし。和名抄本草云、薯蕷一名山芋(和名夜萬都(114)以毛)と有りて、冬薯蕷と言へる物見えず。六帖にすべらぎの神の宮人まさきづらいやとこしきに我かへり見むと有るによりて、しばらくマサキヅラと訓みつ。宣長は是れをトコロヅラと訓めり。古事記(景行條)御歌に、伊那賀良爾波比母登富呂布登許呂豆良《イナガラニハヒモトホロフトコロヅラ》と有るをもてなり。トコロは、和名抄、?(和名土古呂)と有りて、薯蕷とは異なれど、相似たる物なれば斯くも書けるか。トコロヅラとする時は、トコシキと詞を重ねん爲の序にて、是れ然るべく覺ゆ。
 參考 ○冬薯蕷葛(代)マサカヅラ(考)フユモツラ(古、斯)トコロヅラ ○彌恒敷爾(代)畧に同じ(古、新)イヤトコシクニ。
 
1134 能野川。石迹柏等。時齒成。吾者通。萬世左右二。
よしぬがは。いはとがしはと。ときはなす。われはかよはむ。よろづよまでに。
 
宣長云、石迹柏は石常磐《イハトコシハ》なり。堅磐をカタシハと言ふ例なり。イハをシハと云ふは、稻《イネ》をシネと言ふに同じと、言へり。トキハも則ち常磐にて、同じ詞なれど、其磐のときはなるが如くにと重ね言へるのみ。
 
山背作
 
1135 氏河齒。與杼湍無之。阿自呂人。舟召音。越乞所聞。
うぢがはは。よどせなからし。あじろびと。ふねよばふこゑ。をちこちきこゆ。
 
アジロは、よどみなき所に杭打ちわたす物なれば、斯く言へり。さて渡る瀬のいづこと言ふ定まりも無(115)きにや。彼方《アチ》にも此方《コチ》にもあじろ守る人の舟呼ぶ聲の聞ゆとなり。
 參考 ○舟召音(考)フネヨブコエハ(古、新)畧に同じ。
 
1136 氏河爾。生菅藻乎。河早。不取來爾家里。※[果/衣]爲益緒。
うぢがはに。おふるすがもを。かははやみ。とらずきにけり。つとにせましを。
 
菅藻と言へる一種有るか。又スガは清の意か。都人の珍らしむ物故に、家づとにせんとなるべし。
 參考 ○不取來爾家里(考)トラデキニケリ(古、新)畧に同じ。
 
1137 氏人之。譬乃足白。吾在者。今齒王【王ハ与ノ誤】良増。木積不來【來ハ成ノ誤】友。
うぢびとの。たとへのあじろ。われならば。いまはよらまし。こづみならずとも。
 
氏人は宇治の里人を言ふ。王良増、舊訓、キミラゾと有れど由無し。王、一本生に作る。与の誤か。來は成の誤なるべし。一二の句は、物の部の八十氏川と、はやく詠めれば、斯く言ひて宇治川の事なるか。さて、足代はわれにて有らば、思ふ人の吾によらん物を、こづみに有らずともと言ふなり。木ヅミは流れ寄る芥を言ふ。按ずるに二の句誤字有らん。猶考ふべし。宣長云、吾は君の誤なるべしと言へり。
 參考 ○譬乃足白(考)畧に同じ(古、新)タトヒノアジロ
○吾在者(考、新)畧に同じ(古)「君」キミシアラバ ○今齒王良増(考)「王」を「世」の誤とすイマハヨラマシ(古)略に同じ(新)イマハサラマシ「王」を「去」の誤とす ○木積不來友(考、古)略に同じ(新)コツミコズトモ。
 
(116)1138 氏河乎。船令渡呼跡。雖喚。不所聞有之。?音毛不爲。
うぢがはを。ふねわたせをと。よばへども。きこえざるらし。かぢのともせず。
 
ワタセヲは、ワタセヨと言ふにひとし。ヨバヘドモは、ヨベドモを延べ言ふなり。
 參考 ○?音毛不爲(考、古)畧に同じ(新)カヂノ音モセヌ。
 
1139 千早人。氏川浪乎。清可毛。旅去人之。立難爲。
ちはやびと。うぢがはなみを。きよみかも。たびゆくひとの。たちがてにする。
 
チハヤ人、枕詞。タチガテニスルは、立ち去り難く思ふなり。古今集、けふのみと春をおもはぬ時だにも立つ事やすき花の陰かは、と言へる類ひなり。
 
攝津作
 
1140 志長鳥。居名野乎來者。有間山。夕霧立。宿者無爲。
しながとり。ゐなぬをくれば。ありまやま。ゆふぎりたちぬ。やどはなくして。
 
シナガトリ、枕詞。和名抄、河邊郡爲奈。神名帖、豐島郡爲奈都比古神社有り。何れにか、土人に問ふべし。有間山は、同國有馬郡の山なり。
 
一本云。猪名乃|浦廻乎榜來者《ウラマヲコギクレバ》。
 
是れは、ヤドハナクシテと言ふにかなはざれば惡ろし。
 
(117)1141 武庫河。水尾急嘉。赤駒。足何久激。沾祁流鴨。
むこがはの。みづをはやみか。あかごまの。あがくそそぎに。ぬれにけるかも。
 
ムコ河は武庫部。アガク足掻クなり。
 參考 ○武庫河(考、新)略に同じ(古)ムコノカハ ○水尾急嘉(考、新)ミヲヲハヤミカ(古)ミヲヲハヤミト「嘉」を三等の誤とす ○足何久激(考)略に同じ(古、新)アガクタギチニ。
 
1142 命。幸久吉。【吉ハ在ノ誤】石流。【流ハ激ノ誤】垂水水乎。結飲都。
いのちを。さきくあらむと。いはばしる。たるみのみづを。むすびてのみつ。
 
初句四言、イハバシル、枕詞。垂水は攝津豐島郡なり。垂水と言へる所は、かたがたに有れど、津國の垂水は、姓氏録に、孝元天皇御世天下旱魃。河井涸絶。于v時阿利眞公造2作高樋1。以垂2水(ヲ)四山1、基v之令v通2水(ヲ)宮内1。供2奉御膳1云云と有りて、其水の名高ければ、結びて飲むに命も延ぶる由言ひ傳へたるなるべし。宣長云、吉は在の誤なりと言へり。流は激の誤なり。
 參考 ○幸久吉(考)サキクヒサシキ(古、新)サキクアラムト「吉」を「在」の誤とす。
 
1143 作夜深而。穿江水手鳴。松浦船。梶音高之。水尾早見鴨。
さよふけて。ほりえこぐなる。まつらぶね。かぢのとたかし。みをはやみかも。
 
仁コ紀十一年、宮北の郊原を掘りて、南水を引きて西海に入らしむ。よて其水を堀江と言ふ由あり。肥(118)前松浦の船の行き通ふなり。
 
1144 悔毛。滿奴流鹽鹿。墨江之。岸乃浦回從。行益物乎。
くやしくも。みちぬるしほか。すみのえの。きしのうらまゆ。ゆかましものを。
 
汐の滿ち來て、浦廻を歩み行き難きなり。
 參考 ○岸乃浦回從(古)キシノウラミヨ(新)キシノウラミユ。
 
1145 爲妹。貝乎拾等。陳奴乃海爾。所沾之袖者。雖凉常不干。【干ヲ十ニ誤ル】
いもがため。かひをひろふと。ちぬのうみに。ぬれにしそでは。ほせどかわかず。
 
チヌは和泉、上に出づ。常の字餘れれど、此卷下に、雖干跡不乾とも書きたれば、ここも常は添へたるのみなり。式に曝凉を曝者陽乾、凉者風凉也と有れば、凉をホスと訓むべし。
 參考 ○貝乎拾等(古)カヒヲヒリフト。
 
1146 目頬敷。人乎吾家爾。住吉之。岸乃黄土。將見因毛欲得。
めづらしき。ひとをわぎへに。すみのえの。きしのはにふを。みむよしもがも。
 
メヅラシキは、愛づる意、ワギヘは吾イヘの略、スムとは男女相住むなり。本はスミと言はん序のみ。
 參考 ○人乎吾家爾(古)略に同じ(新)ヒト「与」トワギヘニ。
 
1147 暇有者。拾爾將往。住吉之。岸因云。戀忘貝。
(119)いとまあらば。ひろひにゆかむ。すみのえの。きしによるとふ。こひわすれがひ。
 
紀氏新撰にも、古今集墨滅のうちにも、戀忘草として、詞少し變へたるのみにて、同じ樣の歌有り。契沖云、ワスレ貝は美しき貝ゆゑに、見れば憂き事を忘るとて名付くと言へり。
 參考 ○拾爾將往(古)ヒリヒヒニユカム(新)ヒロヒニユカム ○岸因云云(古)キシニヨルチフ(新)略に同じ。
 
1148 馬雙而。今日吾見鶴。住吉之。岸之黄土。於萬世見。
うまなめて。けふわがみつる。すみのえの。きしのはにふを。よろづよにみむ。
 
於は、ニの假字に用ひたる例有り。
 
1149 住吉爾。往云道爾。昨日見之。戀忘貝。事二四有家里。
すみのえに。ゆくとふみちに。きのふみし。こひわすれがひ。ことにしありけり。
 
忘貝と言ふは、言のみにて、住吉の景色の忘られぬとなり。
 參考 ○往云道爾(代、古、新)ユキニシミチニ「云」を「去」の誤とす(考)略に同じ。
 
1150 墨【墨ヲ黒ニ誤ル】吉之。岸爾家欲得。奧爾邊爾。縁白浪。見乍將思。
すみのえの。きしにいへもがも。おきにへに。よするしらなみ。みつつしぬばむ。
 
此岸に家居《イヘヰ》せば、沖にも邊にもよる浪を、常に見つつ賞《メ》でんとなり。ここのシヌバムは此卷上に、河づ(120)なく清き川原をけふ見てはいつかこえきて見つつしぬばむと、詠めるにひとしく、今見るさまを言ふなり。
 參考 ○家欲得(代)イヘモガモ、又はイヘモガ(考、古、新)イヘモガ。
 
1151 大伴之。三津之濱邊乎。打曝。因來浪之。逝方不知毛。
おほともの。みつのはまべを。うちさらし。よりくるなみの。ゆくへしらずも。
 
オホトモノ、枕詞。卷三、物のふの八十氏河のあじろ木にいさよふ浪の行へしらずもと、言ふに同じ意なり。サラシは、アラフと言ふに同じ。
 參考 ○因來浪之(考、古)ヨセクルナミノ(新)ヨセコシナミノ。
 
1152 梶之音曾。髣髴爲鳴。海未通女。奧藻苅爾。舟出爲等思母。
かぢのとぞ。ほのかにすなる。あまをとめ。おきつもかりに。ふなですらしも。
 
一云。暮去者《ユフサレバ》。梶之音爲奈利。
 
1153 住吉之。名兒之濱邊爾。馬並【並ヲ立ニ誤ル】而。玉拾之久。常不所忘。
すみのえの。なごのはまべに。うまなめて。たまひろひしく。つねわすらえず。
 
並、今本立と有り。一本に據りて改めつ。玉拾シクは、此卷上に今しくはと詠み、卷十四、やますげのそがひに宿思久《ネシク》いましくやしもと詠めるに同じく、ここは久を助辭と見るべし。名兒は住吉郡なり。
 
(121)1154 雨者零。借廬者作。何暇爾。吾兒之鹽干爾。玉者將拾。
あめはふる。かりほはつくる。いつのまに。あごのしほひに。たまはひろはむ。
 
アゴは、專ら志摩|英虞《アゴノ》郡なれど、住吉のナゴを、アゴとも稱へしにや、次にも阿胡と詠めり。イツノマニは、イツノヒマニカと言ふ意なるを、知らせんとて斯く書けり。
 參考 ○吾兒(代、古、新)アゴ(考)「名」ナゴ ○玉者將拾(古)タマハヒリハム(新)略に同じ。
 
1155 奈呉乃海之。朝開之奈凝。今日毛鴨。磯之浦回爾。亂而將有。
なごのうらの。あさけのなごり。けふもかも。いそのうらまに。みだれてあらむ。
 
アサケは、朝明の略。ナゴリは朝潮の引きたる餘波なり。ウラは裏なり。亂レテアラムは、玉藻海松の類ひを言ふなり。
 參考 ○朝開之奈凝(古)略に同じ(新)「潮干」シホヒノナゴリ ○今日毛鴨(古)略に同じ(新)イマモカモ「日」を衍とす ○浦回(古、新)ウラミ。
 
1156 住吉之。遠里小野之。眞榛以。須禮流衣乃。盛過去。
すみのえの。とほざとをぬの。まはりもて。すれるころもの。さかりすぎゆく。
 
遠里小野、住吉に有る地名なり。榛もて摺れる衣の日を經て、色の變りたるを詠めり。卷十六長歌、住吉の遠里を野のまはりもてにほししきぬに云云。天武紀、蓁《ハリ》摺御衣と有る是れなり。
(122) 參考 ○遠里小野之(古)ヲリノヲヌノ(新)略に同じ ○眞榛以(考)マハギモテ(古、新)マハリモチ ○盛過去(古、新)サカリスギヌル。
 
1157 時風。吹麻久不知。阿胡乃海之。朝明之鹽爾。玉藻苅奈。
ときつかぜ。ふかまくしらに。あごのうみの。あさけのしほに。たまもかりてな。
 
汐時の風の吹かんも知らねば、朝明の和《ナゴ》やかなる程に、玉藻刈らんと言ふなり。
 參考 ○吹麻久不知(古)略に同じ(新)フカマクシラズ。
 
1158 住吉之。奧津白浪。風吹者。來依留濱乎。見者淨霜。
すみのえの。おきつしらなみ。かぜふけば。きよするはまを。みればきよしも。
 
オキツ白浪と言ふより、來ヨスルと句を隔てて續くなり。
 
1159 住吉之。岸之松根。打曝。縁來浪之。音之清羅。【羅ハ霜ノ誤】
すみのえの。きしのまつがね。うちさらし。よりくるなみの。おとしきよしも。
 
羅、一本霜と有るに據るべし。舊訓オトノサヤケサと訓みたれど、羅をサの假字に用ひんやう無し。
 參考 ○縁來浪之(古)ヨセクルナミノ(新)兩訓 ○音之清羅(古)略に同じ(新)オトノサヤケサ「羅」は「紗」か。
 
1160 難波方。鹽干丹立而。見渡者。淡路島爾。多豆渡所見。
(123)なにはがた。しほひにたちて。みわたせば。あはぢのしまに。たづわたるみゆ。
 
羇旅作
 
1161 離家。旅西在者。秋風。寒暮丹。雁喧渡。
いへさかり。たびにしあれば。あきかぜの。さむきゆふべに。かりなきわたる。
 
イヘサカリは、家を出で離れてなり。
 
1162 圓方之。湊之渚鳥。浪立也。【也ヲ巴ニ誤ル】妻唱立而。邊近著毛。
まとかたの。みなとのすどり。なみたてや。つまよびたてて。へにちかづくも。
 
マトカタは、伊勢風土記に、的形浦者此浦地形似v的。故以爲v名也と有り。ス鳥は洲に住む鳥なり。也今本、巴に作るは誤なり。浪タテヤは、タテバヤのバを略けるなり。
 
1163 年魚市方。鹽干家良思。知多乃浦爾。朝?舟毛。奧爾依所見。
あゆちがた。しほひにけらし。ちだのうらに。あさこぐふねも。おきによるみゆ。
 
アユチは、和名抄、尾張愛智郡(阿伊知)チダは同國智多郡有り。其處の浦なり。
 參考 ○知多乃浦爾(古)「爾」は「乎」の誤か。
 
1164 鹽干者。共滷爾出。鳴鶴之。音遠放。礒回爲等霜。
しほひれば。ともにかたにいで。なくたづの。こゑとほざかる。あさりすらしも。
 
(124)二の句古訓、トモカタニイデテと有る故に地名と聞ゆれど然らず。是れは潮干れば、やがて共に干潟と成るままに、鶴の遠く出でてあさるを詠めり。
 參考 ○共滷爾出(代)ムタカタ(考)トモガタニデテ「鞆浦の潟とす」(古〕トモニカタニデ(新)「干」ヒガタニイデテ ○音(代、古、新)略に同じ(考)オト ○礒回爲等霜(考)略に同じ(古、新)イソミスラシモ。
 
1165 暮名寸爾。求食爲鶴。鹽滿者。奧浪高三。己妻喚。
ゆふなぎに。あさりするたづ。しほみてば。おきなみたかみ。おのがつまよぶ。
 
 參考 ○己妻喚(代)オノツマヲヨブ(考、新)略に同じ(古)オノヅマヨブモ。
 
1166 古爾。有監人之。覓乍。衣丹摺牟。眞野之榛原。
いにしへに。ありけむひとの。もとめつつ。きぬにすりけむ。まぬのはりはら。
 
牟を拾穗本に監に作る。マ野は、卷三、高市黒人二首の内、一首は眞野のはり原を詠み、一首は猪名野、名次山など詠みたれば攝津なり。右の黒人のはり原を詠めるも、古へ人のめでけん由有りて詠めるならん。
 
1167 朝入爲等。礒爾吾見之。莫告藻乎。誰島之。白水【白水ヲ泉ニ誤ル】郎可將刈。
あさりすと。いそにわがみし。なのりそを。いづれのしまの。あまかかるらむ。
 
(125)アサリはイサリなり。此卷上にあさりすと磯にみし花風吹て浪はよるともとらずはやまじと言へるに似たり。これも譬喩歌にて、吾が見そめし妹を、誰か我ものにすらんと言ふ意なるべし。誤りて旅の歌に入れしならん。
 參考 ○白水郎可將刈(考、古)略に同じ(新)アマカカリナム。
 
1168 今日毛可母。奧津玉藻者。白浪之。八重折之於丹。亂而將有。
けふもかも。おきつたまもは。しらなみの。やへをるがうへに。みだれてあらむ。
 
卷廿長歌、しらなみの夜敝乎流我宇倍爾《ヤヘヲルガウヘニ》とあり。ヤヘヲルは、いや折りしく意なり。浪は、物を折りかへすさまに見ゆる物なれば言へるならん。古今集大歌所の歌の、めさしぬらすな沖にをれ浪と言へるも同じ。
 參考 ○八重折之於丹(代、古、新)略に同じ(考)ヤヘヲリノウヘニ。
 
1169 近江之海。湖者八十。【十ヲ千ニ誤ル】何爾加。君之舟泊。草結兼。
あふみのみ。みなとはやそぢ。いづくにか。きみがふねはて。くさむすびけむ。
 
十、今本千に作るは誤なり。一本に據りて改めつ。周防守康定主の考に、者は有の誤にて、ミナトヤソアリなりと有り。卷十、天の川河門八十有り。卷十三、近江の海泊八十有など、例多ければ此説に據るべし。集中多く八十の湊とも詠みて、いと廣くて湊の數多き事に言へり。草を結ぶは、旅行く道の標なり。(126)いづれ湊に船着きて、いづくの道をか行くらんと、旅行く人を思ひて詠めるなり。
 參考 ○湖者八十(考、新)略に同じ(古)ミナト「有八十」ヤソアリ。
 
1170 佐左浪乃。連庫山爾。雲居者。雨曾零智否。反來吾背。
ささなみの。なみくらやまに。くもゐれば。あめぞふるちふ。かへりこわがせ。
 
ササナミは、冠辭考に委し。近江の地名なり。其|篠並《ササナミ》に有るナミクラ山なり。家に留まれる妻の歌なるべし。
 
1171 大御舟。竟而佐守布。高島之。三尾勝野之。奈伎左思所念。
おほみふね。はててさもらふ、たかしまの。みをのかちぬの。なぎさしおもほゆ。
 
和名抄、近江高島郡三尾郷あり。同郡角野(津乃)と言ふも有り。按ずるに、角野、古へカド野と言ひしにや。さらば此勝野は、其處なるべし。是れは從駕の人の歌にて、勝野に由有りて詠めるならん。
 
1172 何處可。舟乘爲家牟。高島之。香取乃浦從。己藝出來船。
いづくにか。ふなのりしけむ。たかしまの。かとりのうらゆ。こぎでくるふね。
 
香取浦も高島郡なり。
 參考 ○己藝出來船(考、新)略に同じ(古)コギテコシフネ。
 
1173 斐太人之。眞木流云。爾布之河。事者雖通。船曾不通。
(217)ひだひとの。まきながすとふ。にふのかは。ことはかよへど。ふねぞかよはぬ。
 
ヒダ人は、賦?令、斐陀國庸調倶免、毎v里點匠丁十人云云と見えて、古へ飛騨の國より匠の出でたれば、木だくみをも、そま人をもヒダ人と言ふなり。丹生河は大和なり。是れは譬喩歌なるべし。旅の歌にて、まのあたり見るさまならば、眞木流ストフとは詠むべからず。其河は、眞木流すによりて舟の通はぬを、言はかたみに言ひ通へど、逢ひ難きに添へたるなるべし。
 參考 ○眞木流云(考、新)略に同じ(古)マキナガスチフ ○不通(考)カヨハズ(古、新)略に同じ。
 
1174 霰零。鹿島之崎乎。浪高。過而夜將行。戀敷物乎。
あられふり。かしまのさきを。なみたかみ。すぎてやゆかむ。こひしきものを。
 
アラレフリ、枕詞。鹿島は常陸なり。其地のさまの戀ひしけれど、浪荒ければ、あかで過ぎ行かんとなり。
 
1175 足柄乃。筥根飛超。行鶴乃。乏見者。日本之所念。
あしがらの。はこねとびこえ。ゆくたづの。ともしきみれば。やまとしおもほゆ。
 
アシガラは相模なり。都の方へ稀に飛び越えて行く鶴を見て、いとど故郷の思はるるなり。
 
1176 夏麻引。海上滷乃。奧津洲爾。鳥者簀竹跡。君者音文不爲。
なつそひく。うなかみがたの。おきつすに。とりはすだけど。きみはおともせぬ。
 
(128)夏ソ引、枕詞。海上ガタは、和名抄、上總海上郡有り。其處の海を言ふ。スダクは集るなり。鳥は集り騷げど、旅行く君は音信もせぬと言ふなり。
 參考 ○君者音文不爲(考)キミハトモセズ(古、新)略に同じ。
 
1177 若狹在。三方之海之。濱清美。伊往變良比。見跡不飽可聞。
わかさなる。みかたのうみの。はまきよみ。いゆきかへらひ。みれどあかぬかも。
 
和名抄、若狹三方郡有り。其處の海なり。イは發語にて行きかへりなり。
 
1178 印南野者。往過奴良之。天傳。日笠浦。波立見。
いなみぬは。ゆきすぎぬらし。あまづたふ。ひがさのうらに。なみたてるみゆ。
 
イナミ野、日笠、播磨なり。既に出づ。天傳フ、枕詞。
 參考 ○波立見(考)略に同じ(古、新)ナミタテリミユ。
 
一云。思賀麻江者《シカマエハ》。許藝須疑奴良思《コギスギヌラシ》。
 
飾磨、播磨の郡名。宣長云、こは一云の方まさりて聞ゆ。
 
1179 家爾之?。吾者將戀名。印南野乃。淺茅之上爾。照之月夜乎。
いへにして。われはこひむな。いなみぬの。あさぢがうへに。てりしつくよを。
 
いなみ野過ぐる時、月の面白かりしを、家に歸りて戀ひんと、後をかねて詠めり。
 
(129)1180 荒磯超。浪乎恐見。淡路島。不見哉將過。幾許近乎。
ありそこす。なみをかしこみ。あはぢしま。みずやすぎなむ。ここたちかきを。
 
元暦本、過を去に作りて、ミズテヤイナムと有り。
 參考 ○不見哉將過(考)ミズテヤスギム(古、新)略に同じ ○幾許(古、新)ココダ。
 
1181 朝霞。不止輕引。龍田山。船出將爲日者。吾將戀香聞。
あさがすみ。やまずたなびく。たつたやま。ふなでせむひは。われこひむかも。
 
龍田山にて句とすべし。難波を舟出せん日より、故郷の龍田山を戀ひんとなり。龍田山は、西は河内東は大和なり。
 參考 ○吾將戀香聞(古)アレコヒムカモ(新)ワガコヒムカモ。
 
1182 海人小船。帆毳張流登。見左右荷。鞆之浦回二。浪立有所見。
あまをぶね。ほかもほれると。みるまでに。とものうらまに。なみたてるみゆ。
 
鞆の浦 備後なり。浪の立つを帆をあげたるかと見るなり。
 參考 ○浦回(古、新)ウラミ○浪立有所見(考)略に同じ(古、新)ナミタテリミユ。
 
1183 好去而。亦還見六。丈夫乃。手二卷持在。鞆之浦回乎。
よくゆきて《まさきくて》。またかへりみむ。ますらをの。てにまきもたる。とものうらまを。
 
(130)三四の句は、鞆と言はん序のみ。好去、義を以てマサキクテとも訓むべし。
 參考 ○好去而(考)ヨクユキテ(古)マサキクテ(新)サキクユキテ ○浦回(古、新)ウラミ。
 
1184 鳥自物。海二浮居而。奧津浪。※[馬+參]乎聞者。數悲哭。【哭ハ喪ノ誤】
とりじもの。うみにうきゐて。おきつなみ。さわぐをきけば。あまたかなしも。
 
哭は喪の誤なるべし。舟路にて、浪の立ちさわぐ音を聞きて悲むなり。卷八、たぶてにもなげこしつべき天の川へだてればかも安麻多須辨奈吉《アマタスベナキ》。
 參考 ○數多哭(考)ココダカナシモ「哭」は「共」をとる(古)アマタカナシモ「哭」にてよしとす(新)アマタカナシモ。
 
1185 朝菜寸二。眞梶?出而。見乍來之。三津乃松原。浪越似所見。
あさなぎに。まかぢこぎでて。みつつこし。みつのまつばら。なみごしにみゆ。
 
目に近く見つつ漕ぎ出でし三津の、遙に浪ごしに見ゆるなり。
 
1186 朝入爲流。海未通女等之。袖通。沾西衣。雖干跡不乾。
あさりする。あまをとめらが。そでとほり。ぬれにしころも。ほせどかわかず。
 
袖トホリは、袖の濡れとほりたるなり。跡の字を添へたるは、上にも例有り。
 
1187 網引爲。海子哉見。飽浦。清荒礒。見來吾。
(131)あびきする。あまとやみらむ。あくらの。きよきありそを。みにこしわれを。
 
三の句四言。卷十一、木國の飽等濱の忘貝と詠めり。今、加太庄加太村の西に有りとぞ。
 參考 ○飽浦(考)アカノウラノ(古)アクラノ又は浦の下「海」の脱にてアクラノミか(新)アクウラノ。
 
右一首。柿本朝臣人麿之歌集出。
 
1188 山越而。遠津之濱之。石管自。迄吾來。含而有待。
やまこえて。とほつのはまの。いはつつじ。わがくるまでに。ふふみてありまて。
 
卷十一、あられふり遠津大浦によする浪とも詠めり。ここの次でを思ふに、紀伊ならんか。フフミテアリマテは、ツボミテ待チテ有レと、躑躅におほするさまに詠めるなり。宣長云、山越えては遠と言ふへ懸かる枕詞なりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○石管自(考、新)略に同じ(古)イソツツジ ○迄吾來(考)略に同じ(古)カヘリコムマデ「吾」を「返」の誤とす(新)カヘリクルマデ「吾」を「返」とす。
 
1189 大海爾。荒莫吹。四長鳥。居名之湖爾。舟泊左右手。
おほうみに。あらしなふきそ。しながどり。ゐなのみなとに。ふねはつるまで。
 
シナガドリ、枕詞。ヰナ、既に出づ。此集ミナトに湖の字を多く用ひたり。ハツルは泊るなり。
 
(132)1190 舟盡。可志振立而。廬利爲。名子江乃濱邊。過不勝鳧。
ふねはてて。かしふりたてて。いほりせむ。なごえのはまべ。すぎがてぬかも。
 
和名抄、唐韻云??(〓柯二音漢語抄云加之)所2以繋1v舟と有りて、丹繋ぐべき所へ立つる木なり。今も舟人の詞に、カシヲフルと言へり。ナゴ江は、此卷上に有りし石見の海の濱べにや。越中の名ご江にては有らじ。心は舟はてて泊らんと思へども、海づらの景色のあかず面白さに、漕ぎ過ぐるに堪へぬと言ふ意と聞ゆれば、いほりせんと詠めり。
 參考 ○廬利爲名子江乃濱邊(考)イホリスル、ナゴエノハマベ(古)イホリセナ、コガタノハマベ「名」を上に付けて讀切りとし「江」を潟とす(新)略に同じ。
 
1191 妹門。出入乃河之。瀬速見。吾馬爪衝。家思良下。
いもがかど。でいりのかはの。せをはやみ。わがうまつまづく。いへもふらしも。
 
按ずるに、卷九、妹が門|入出見川《イリイヅミガハ》のとこなめにと有れば、是れも入出水河と有りしを、入出を下上に誤り、水を乃に誤れるものなり。さて泉川なるを、妹が門入出と言ひ下したり。家モフラシモは、家ニのニを略けるにて、家人の我を思ふらんと言ふ意なり。卷三、鹽づ山打こえゆけばわがのれる馬ぞつまづく家こふらしもと言ふに同じ。
 參考 ○出入乃河之(考)イデイリ(古)イリイヅミガハノ「入出水河」の誤か(新)イデイリノガ(133)ハノ ○家思良下(代)イヘオモフラシモ、又は家戀か(考、古、新)略に同じ。
 
1192 白栲爾。丹保有信士之。山川爾。吾馬難。家戀良下。
しろたへに。にほふまつちの。やまがはに。わがうまなづむ。いへこふらしも。
 
麗はしき白土と言ふを、山の名に言ひ下したり。ニホフほ、集中、住吉の岸のはにふににほはさましをなど詠めるに同じ。マツチ山は、紀伊なり。末は右のわが馬つまづくいへもふらしもと詠めると同じ意なり。
 
1193 勢能山爾。直向。妹之山。事聽屋毛。打橋渡。
せのやまに。ただにむかへる。いものやま。ことゆるせやも。うちはしわたす。
 
二つの山を、やがて人の妹と背になして、妹がうけ引きしにや、紀の川に、打橋渡したるはと詠めるなり。事ユルセヤモは、事ユルセバ歟の意なり。ウチ橋は、既に言へり。契沖云、紀の川を中に隔てて、背の山は北の川づらに、妹の山は、南の川づらに有りと言へり。
 參考 ○事聽屋毛(代、考)コトユルスヤモ(古、新)略に同じ。
 
1194 木國之。狹日鹿乃浦爾。出見者。海人之燈火。浪間從所見。
きのくにの。さひかのうらに。いでてみれば。あまのともしび。なみまよりみゆ。
 
サヒカは雜賀なり。既に出づ。元暦本及び活本、此歌より以下十四首、末の玉津島雖見不飽の歌の次に(134)入れたり。
 參考 ○浪間從所見(考)略に同じ(古、新)ナミノマユミユ。
 
1195 麻衣。著者夏樫。木國之。妹脊之山二。麻蒔吾妹。
あさごろも。きればなつかし。きのくにの。いもせのやまに。あさまくわぎも。
 
宣長云、ナツカシは、俗に云ふとは異にて、親くむつましき意なり。吾も麻衣を着てあれば、麻まく妹よ、縁有りて睦しく思はるると言ふなりと言へり。吾がならでもワギモと詠めるは、集中に多し。
 參考 ○著者夏樫(古、新)ケレバナツカシ ○麻蒔吾妹(新)アサ「苅」カルワギモ。
 
右七首者。藤原卿作未v審2年月1
 
契沖云、藤原北卿にて、房前卿なるべし。ここに七首と有れども、八首なり。亂れたるならん。
 
1196 欲得裹登。乞者令取。貝拾。吾乎沾莫。奧津白浪。
つともがと。こはばとらせむ。かひひろふ。われをぬらすな。おきつしらなみ。
 
家づともがなと乞はば、とらせん爲にとなり。
 參考 ○欲得裹登(代、考)イデツトト(古、新)略に同じ ○貝拾(古)カヒヒリフ。
 
1197 手取之。柄二忘跡。礒人之曰師。戀忘貝。言二師有來。
てにとりし。からにわすると。あまのいひし。こひわすれがひ。ことにしありけり。
 
(135)戀忘貝を手にとれば必ず忘るると、海人が言ひつるは言なしばかりなりとなり。礒人は義を以て書けり。
 參考 ○手取之(考)略に同じ(古、新)テニトルガ。
 
1198 求食爲跡。礒二住鶴。曉去者。濱風寒彌。自妻喚毛。
あさりすと。いそにすむたづ。あけゆけば。はまかぜさむみ。おのづまよぶも。
 
卷十四、於能豆麻乎《オノヅマヲ》ひとのさとにおきてと詠めり。結句のモは助辭のみ。
 參考 ○自妻喚毛(考)ナガツマヨブモ(古、新)略に同じ。
 
1199 藻苅舟。奧?來良之。妹之島。形見之浦爾。鶴翔所見。
もかりふね。おきこぎくらし。いもがしま。かたみのうらに。たづかけるみゆ。
 
カタミノ浦、神名帳、紀伊名草郡|堅眞《カタマ》神社あり、是れ歟。八雲御抄にも紀伊と有り。妹が嶋も同じ所なるべし。
 
1200 吾舟者。從奧莫離。向舟。片待香光。從浦?將會。
わがふねは。おきゆなさかり。むかへぶね。かたまちがてら。うらゆこぎあはむ。
 
遠ざかり行くとも、沖よりな漕ぎ行きそ、浦につきて過ぎ行けとなり。片待ガテラは、迎への舟を持ちがてらなり。
 參考 ○從奧莫離(考、新)略に同じ(古)オキヨナサカリ ○向舟(考)略に同じ(古・新)ムカ(136)ヒブネ ○片待香光(考)略に同じ(古、新)カタマチガテリ。
 
1201 大海之。水底豐三。立浪之。將依思有。礒之清左。
おほうみの。みなそことよみ。たつなみの。よらむともへる。いそのさやけさ。
 
浪の音は、海底に響きて聞ゆれば、水底|動《トヨ》みと言へり。末に二の句、磯モトユスリとして、結句濱ノサヤケクと、替りたるまでにて、全く同じ歌を載せたり。右は譬喩歌と聞ゆ。吾が言ひ寄らんとすれば、人の言ひ騷ぐと言ふ意なるべし。
 參考 ○將依思有(考、新)略に同じ(古)ヨセムトモヘル
 
1202 自荒礒毛。益而思哉。玉之浦。離小島。夢石見。
ありそゆも。ましておもへや。たまのうら。はなれこじまの。いめにしみゆる。
 
玉浦は、紀伊なりと契沖言へり。ここの次でを見るに、さも有るべし。もし玉津島を言ふにや。卷十五にも、玉浦を詠めり。されどこことは別なり。心はありそよりも勝りて、離小島をめで思へばにや、夢に見ゆると言ふなり。
 參考 ○離小島(考)略に同じ(古)サカルコシマノ(新)ハナレヲジマノ。
 
1203 礒上爾。爪木折燒。爲汝等。吾潜來之。奧津白玉。
いそのへに。つまぎをりたき。ながためと。わがかづきこし。おきつしらたま。
 
(137)爪木は、物の端をツマと言ひて、小技を云ふ。又はここに書ける字の意にて、指先にて、折るばかりの細き木をも言ふべし。白玉は鮑なり。鮑とる海人が海を出づれば、必ず燒火して身を暖むるとぞ。
 
1204 濱清美。礒爾吾居者。見者。白水郎可將見。釣不爲爾。
はまきよみ。いそにわがをれは。みむひとは。あまとかみらむ。つりもせなくに。
 
此末に、鹽早み磯まにをればの歌是れに似たり。見者にてミムヒトとも訓むべけれど、ここは人の字脱ちたるか。
 參考 ○見者(考)ミルヒトハ(古、新)ミム「人」ヒトハ。
 
1205 奧津梶。漸漸志夫乎。欲見。吾爲里乃。隱久惜毛。
おきつかぢ。しはしはしふを。みまくほり。わかするさとの。かくらくをしも。
 
宣長云、志夫乎の三字、爾水手の誤にて、ヤヤヤヤニコゲなるべし。靜かにゆるらかに漕げと云ふなりと言へり。末はわが見まくほりする方の隱れ行くが惜しきと云ふなり。
 參考 ○漸漸志夫乎(代)ヤウヤク(考)ヤヤトシヅマヲ(古)ヤウヤウ「莫水手」ナコギ(新)「暫莫水手」シマシクナコギ。
 
1206 奧津波。部都藻纏持。依來十方。君爾益有。玉將縁八方。
おきつなみ。へつもまきもち。よりくとも。きみにましたる。たまよらめやも。
 
(138)是れは、戀の歌なり。祝詞、奧津藻葉邊津藻葉と言ひて、ヘツモは海べたの藻なり。
 參考 ○依米十方(考、新)略に同じ(古)ヨセクトモ ○君爾益有(考、古、新)キミニマサレル ○玉將縁八方(代)タマヨラメヤモ(考)タマヨラムヤモ(古、新)タマヨセメヤモ。
 
一云。澳津浪。邊波布敷《ヘナミシクシク》。緑來登母。
 
1207 粟島爾。許枳將渡等。思鞆。赤石門浪。未佐和來。
あはしまに。こぎわたらむと。おもへども。あかしのとなみ。いまださわげり。
 
卷三、むこの浦を漕ぎたむを舟粟嶋を云云と詠めり。そこに委しく言へり。
 
1208 妹爾戀。余越去者。勢能山之。妹爾不戀而。有之乏左。
いもにこひ。わがこえゆけば。せのやまの。いもにこひずて。あるがともしさ。
 
此トモシは、羨しき意にて、集中例多し。既に言へり。兄山の常に妹山に對ひゐて、戀ひぬを羨むなり。次の並びをるかもと言ふ歌と同じ意なり。
 
1209 人在者。母之最愛子曾。麻毛吉。木川邊之。妹與背之山。
ひとならば。ははがまなごぞ。あさもよし。きのかはのべの。いもとせのやま。
 
マナ子は眞子なり。人にて有らば、母のうるはしく思ふ同胞《ハラカラ》の子ならんと言ふなり。麻モヨシ、枕詞。
 參考 ○母之最愛子皆(代)ハハ(考)ハハガメヅコゾ(古、新)ハハノマナゴゾ。
 
(139)1210 吾妹子爾。吾戀行者。乏雲。並居鴨。妹與勢能山。
わぎもこに。わがこひゆけば。ともしくも。ならびをるかも。いもとせのやま。
 
上の妹にこひの歌と同じ。吾は妹に逢はずして、戀ひつつ行くを、此二つの山は羨ましく竝びをるよとなり。
 
1211 妹當。今曾吾行。目耳谷。吾耳見乞。事不問侶。
いもがあたり。いまぞわかゆく。めのみだに。われにみえこそ。こととはずとも。
 
メノミダニは、目ニノミのニを略けり。妹山のあたりと言ふ意ならば、妹ノと訓むべし。按ずるに此歡は、唯だ戀の歌にて、心明らけきを、妹と有るを妹山の事と見誤りて、ここに載せたりと見ゆ。強ひて妹山の事とするは、前後の次でに據れるのみにて、外にいはれ無し。
 
1212 足代過而。絲鹿乃山之。櫻花。不散在南。還來萬代。
あてすぎて。いとかのやまの。さくらばな。ちらずもあらなむ。かへりくるまで。
 
宣長云、持統紀、三年八月云云、紀伊國|阿提《アテ》郡云云。また續紀、大寶三年の所に阿提。同紀天平三年の所に阿?《アテ》と見ゆ。是れ今の在田郡なり。されば、此足代はアテと訓むべし。糸鹿は、在田郡に今も有りと言へり。代をテと訓めるは例有り。
 參考 ○足代過而(考)ア「太」タスギテ(古、新)略に同じ ○不散在南(考、古、新)チラズア(140)ラナム ○還來萬代(古)カヘリコンマデ(新)略に同じ。
 
1213 名草山。事西在來。吾戀。千重一重。名草目名國。
なぐさやま。ことにしありけり。わがこひの。ちへのひとへも。なぐさめなくに。
 
紀伊名草郡に有る山なり。卷六長歌に、名兒山とおひて吾戀の千への一重もなぐさ末《マ》なくにと読めり。
 參考 ○吾戀(古)アガコフル(新)ワガコヒノ、又はワガコフル。
 
1214 安太部去。小爲手乃山之。眞木葉毛。久不見者。蘿生爾家里。
あだへゆく。をすてのやまの。まきのはも。ひさしくみねば。こけむしにけり。
 
和名抄、紀伊在田郡|英多《アタ》郷有り是れなり。ヘはエの如く讀むべし。又和名抄、紀伊名草郡誰戸郷有り。是れならんか。西宮記に、問云阿多禮と言ふは、誰と言ふ事なれば、此地名アダベと訓むべし。さらばへを濁るべきなり。紀伊牟?郡緒捨山、今も有り。蘿は日蔭カヅラなり。
 參考 ○安太部去(考)略に同じ(古)アタヘユク(新)アテヘユク。
 
1215 玉津島。能見而伊座。青丹吉。平城有人之。待間者如何。
たまづしま。よくみていませ。あをによし。ならなるひとの。まちとはばいかに。
 
三代實録に、玉出島神社と書ければ、ツを濁るべし。玉いづると言ふをもて名付けたる所なり。うつぼ物語の歌に、玉いづる島と詠めり。青ニヨシ、枕詞。イマセは行き給へなり。
 
(141)1216 鹽滿者。如何將爲跡香。方便海之。神我手渡。海部未通女等。
しほみたば。いかにせむとか。わたづみの。かみがてわたる。あまをとめども。
 
卷十七長歌、珠《ス》洲のあまのおきつ美可未《ミカミ》にいわたりてかづきとるといふあはび玉云云、此沖ツ御神は、海底の神の宮を言ふと見ゆ。然らば、ここも海神の手と言ふなるべし。地名には有らじ。心は今鹽干にだに恐《カシコ》く見ゆるを、潮滿ちなば如何にせんとてかと言ふなり。方便海と書けるは、佛説の方便のはかり無きを海に譬へて、はかり無き海と言ふ意にて書けるか。
 參考 ○方便海之(考、古)略に同じ(新)「方丈」の誤にてムロノウミノ ○神我手渡(代)カミガトワタル(考)略に同じ(古)カミガ「戸」トワタル(新)カミガ「等」トワタル。
 
1217 玉津島。見之善雲。吾無。京往而。戀幕思者。
たまづしま。みてしよけくも。われはなし。みやこにゆきて。こはまくおもへば。
 
また見まく慕はしからんを、なまじひに玉づ島見つる事よと言ふなり。
 參考 ○戀幕思者(考)コハマクモヘバ(古、新)コヒマクモヘバ。
 
1218 黒牛乃海。紅丹穗經。百磯城乃。大宮人四。朝入爲良霜。
くろうしのうみ。くれなゐにほふ。ももしきの。おほみやびとし。あさりすらしも。
 
卷九、紀伊國へ幸の時、從駕の人の歌の中に久漏牛《クロウシ》方鹽ひのうらにと詠めり。宣長云、黒牛、名草郡な(142)り。今は海部郡に入れり。今黒瀬と言ふ所なりと言へり。此前後、從駕の人の歌と見ゆ。大宮人は供奉の女房を指すなるべし。人シのシは助辭。
 
1219 若浦爾。白浪立而。奧風。寒暮者。山跡之所念。
わかのうらに。しらなみたちて。おきつかぜ。さむきゆふべは。やまとしおもほゆ。
 
卷一、あしべ行かも鴨のはがひに霜ふりてとて、末は全く同じ歌有り。
 
1220 爲妹。玉乎拾跡。木國之。湯等乃三埼二。此日鞍四通。
いもがため。たまをひろふと。きのくにの。ゆらのみさきに。このひくらしつ。
 
 參考 ○玉乎拾跡(古)タマヲヒリフト。
 
1221 吾舟乃。梶者莫引。自山跡。戀來之心。未飽九二。
わがふねの。かぢはなひきそ。やまとより。こひこしこころ。いまだあかなくに。
 
?を荒ららかに使ふを、かぢ引きをりと集中に多く詠めるに同じ。大和の家より此海邊の景色を戀ひつつ來て、めで飽かねば、急ぎ漕ぐ事なかれと言ふなり。
 參考 ○梶者莫引(考、新)略に同じ(古)カヂヲバナヒキ。
 
1222 玉津島。雖見不飽。何爲而。裹持將去。不見入之爲。
たまづしま。みれどもあかず。いかにして。つつみもてゆかむ。みぬひとのため。
 
(143)四の句、ツトニモテユカムとも訓むべし。
 參考 ○裹持將去(古、新)ツツミモチエカム。
 
1223 綿之底。奧己具舟乎。於邊將因。風毛吹額。波不立而。
わたのそこ。おきこぐふねを。へによせむ。かぜもふかぬか。なみたたずして。
 
ワタノソコ、枕詞。沖と言ふまでへ懸かるのみなり。波は立たずして、うなばたへ寄せなん風の吹けかしと言ふなり。
 參考 ○波不立而(古、新)ナミタテズシテ。
 
1224 大葉山。霞蒙。狹夜深而。吾船將泊。停不知文。
おほばやま。かすみたなびき。さよふけて。わがふねはてむ。とまりしらずも。
 
美作に、大|庭《バ》郡有れど大山無し。八雲御抄に紀伊と有り。さも有るべし。卷九、母山霞棚引の歌、全く同じ歌なり。此母山は、母の字の上、祖の字落ちたるなり。卷九見合はすべし。
 
1225 狹夜深而。夜中乃方爾。欝之苦。呼之舟人。泊兼鴨。
さよふけて。よなかのかたに。おほほしく。よびしふなびと。はてにけむかも。
 
ヨナカノカタは、卷九、夜中をさして照る月のと言へる如く、夜半に向ひてと言ふ意なりと翁は言はれき。宣長云、夜は度の誤にて、トナカノカタニなり。古事記に、由良能斗能|斗那加能《トナカノ》伊久理爾と有りと(144)言へり。さも有るべし。
 參考 ○夜中乃方爾(古)ヨナカノカタニ(新)「度」トナカノカタニ。
 
1226 神前。荒石毛不所見。浪立奴。從何處將行。與寄道者無荷。
みわのさき。ありそもみえず。なみたちぬ。いづくゆゆかむ。よきぢはなしに。
 
ミワノ崎、紀伊なり。卷三、くるしくも降くる雨かみわがさきと詠める所なり。ヨギヂハナシニは、よぎて行くべき道の無きなり。今道ヲヨケルと言ふに同じ。
 參考 ○神前(考、新)略に同じ(古)カミノサキ ○從何處將行(考)イツコユユカム(古、新)略に同じ ○與寄道者無荷(代)ヨキミチ(考、古、新)略に同じ。
 
1227 礒立。奧邊乎見者。海藻苅舟。海人?出良之。鴨翔所見。
いそにたち。おきべをみれば。めかりぶね。あまこぎづらし。かもかけるみゆ。
 
和名抄、海藻(和名、爾木米、俗用和布)と有り。ワカメなり。鳥の立つを見て、海人の舟漕ぎ出づらんと詠めり。
 參考 ○海藻(代、古、新)略に同じ(考)モ。
 
1228 風早之。三穗乃浦廻乎。?舟之。船人動。浪立良下。
かざはやの。みほのうら|わ《ま》を。こぐふねの。ふなびとさわぐ。なみたつらしも。
(145)ミホ、紀伊なり。卷三、紀伊三穗石室の歌有り。卷十五、風早の浦を詠めるは備後にて、こことは異なり。紀伊に風早と言ふ地有るならん。玉葉集に此歌を載せて、初句、風ハヤミとせり。然《サ》る本も有りしにや。
 參考 ○風早之(考、新)略に同じ(古)カゼハヤノ ○浦廻(古、新)ウラミ
 
1229 吾舟者。明【明ノ下、且ハ衍ナリ】石之潮爾。?泊牟。奧方莫放。狹夜深去來。
わがふねは。あかしのはまに。こぎはてむ。おきへなさかり。さよふけにけり。
 
今本、明且石と有るは誤なり。元暦本且の字無きを善しとす。ハマに潮の字を用ひたる例無し。宣長は、潮は浦の誤にて、アカシノウラニなりと言へり。卷三、二の句|枚《ヒラ》の湖《ミナト》にと有りて、上下全く同じき歌有り。
 參考 ○明石之潮爾(代)シホニ、又はミナトニ(考)アカシノ「滷」カタニ(古)アカシノ「浦」ウラニ(新)アカシノ「湖」ミナトニ。
 
1230 千磐破。金之三崎乎。過鞆。吾者不忘。牡鹿之須賣神。
ちはやぶる。かねのみさきを。すぎぬとも。われはわすれじ。しかのすめがみ。
 
金ノ三崎、筑前三笠郡なり。續紀、景雲元年八月、筑前宗形郡大領外從六位下宗形朝臣深津(ニ)授2外從五位下其妻無位竹生王(ニ)從五位下1。並以d被2僧壽應(ニ)誘1造c金埼船瀬u也と有り。シカノスメ神は、神名帳、筑前糟屋郡志加神社と有り。三代格、宗形神社修理料の賤代徭丁を、同國宗形郡金崎徭丁十八人と有り。さて其解?を考ふるに、恐らくは此金崎にも、彼の糟屋郡の宗形神を齋《ユハ》へるにて、彼此同體なれば斯く詠(146)めるなるべし。
 參考 ○過鞆(代)スグルトモ(考)スグレトモ(古、新)略に同じ ○吾者不忘(代、新)略に同じ(古)アヲバワスレジ。
 
1231 天霧相。日方吹羅之。水莖之。崗水門爾。波立渡。
あまぎらひ。ひかたふくらし。みづぐきの。をかのみなとに。なみたちわたる。
 
ヒカタは、未申《ヒツジサル》の方より吹く風なり。土左人は日中の南風を日カタと言ふとぞ。ヲカノミナトは、神武紀、十有一月云云。至2筑紫崗水門1。仲哀紀、八年云云。入2崗浦1到2水門1云云。和名抄、筑前遠賀郡と有り。仙覺抄に筑前國風土記云。?舸《ヲカ》縣之東側有2大江口1。名曰2?舸水門1云云。宣長云。水莖はみづみづしき莖と言ふ詞にて、ヲカと續ける枕詞なり。ヲカは稚《ワカ》と通ずる由委しく論らへり。
 
1232 大海之。波者畏。然有十方。神乎齋【齋ヲ齊ニ誤ル】禮而。船出爲者如何。
おほうみの。なみはかしこし。しかれども。かみをいはひて。ふなでせばいかに。
 
浪は恐《カシコ》けれども、神を祈らばつつみ無からんかとなり。
 參考 ○神乎齋禮而(新)齊禮は齊祈の誤か(古、新)齊を誤とせず。
 
1233 未通女等之。織機上乎。眞櫛用。掻上拷島。波間從所見。
をとめらが。おるはたのへを。まぐしもて。かかげたくしま。なみまよりみゆ。
 
(147)タク島は、和名抄、出雲島根郡多久と有り。此處なるべし。機《ハタ》織るに、糸筋のまよはぬために、櫛をもて掻き上ぐるを言ふ。タクはタグルの約言にて、機をかかげたぐると言ひ下したり。本はタクと言はん爲の序のみ。
 
 參考 ○眞櫛用(代、考)略に同じ(古、新)マグシモチ ○波間從所見見(考)略に同じ(古、新)ナミノマユミユ。
 
1234 鹽早三。礒回荷居者。入潮爲。海人鳥屋見濫。多比由久和禮乎。
しほはやみ。いそ|わ《ま》にをれば。かづきする。あまとやみらむ。たびゆくわれを。
 
シホハヤミは、潮の疾きなり。卷三、荒たへの藤江の浦にすずき釣あまとかみらむたび行われをと言ふに似たり。入潮、舊訓アサリと訓めり。宣長は、入潮は、朝入の誤にて、アサリスルならんと言へり。
  參考 ○礒回(古、新)イソミ ○入潮爲(考)略に同じ(古)「朝入」アサリスル(新)アサリスル。
 
1235 浪高之。奈何梶取。水鳥之。浮宿也應爲。猶哉可?。
なみたかし。いかにかぢとり。みづとりの。うきねやすべき。なほやこぐべき。
 
和名抄古本に、唐令云挾抄(加知度利)水鳥の如く浮寐せんや、猶漕がんやとなり。
 
1236 夢耳。繼而所見。小竹島之。越礒波之。敷布所念。
いめのみに。つぎてみゆれば。ささじまの。いそこすなみの。しくしくおもほゆ。
 
(148)八雲御抄に、ささ島石見と有り如何が。和名抄、隱岐海部郷佐作郷有れば、ここの海の島にやとも思へど、宣長云、小は八の誤にて、ツギテミユレ八《バ》竹《タカ》島ノと有りしなるべしと言へり。タカ島は次にも詠める竹島なり。此説然るべし。意は夜ごとに、故郷を夢に見て、重ね重ね思ふとなり。イソコス浪は、シクシクと言はん爲のみ。
 參考 ○夢耳(代)夢ニノミ(考)イメニノミ(古、新)略に同じ ○所見(代、考)ミユレバ(古)「所見乍」ミエツツ「見」の下の「小」を「乍」の誤とし續く(新)ミユレバ「小」を「八」の誤として續く ○小竹島之(古、新)タカシマノ「小」は上へ付く。
 
1237 靜母。岸者波者。縁家留香。此屋通。聞乍居者。
しづけくも。きしにはなみは。よりけるか。このいへとほし。ききつつをれば。
 
浪の寄する音の、家の内まで聞ゆるを詠めり。ヲスノ間トホシと詠めるに同じ。三の句の香は哉なり。
 參考 ○縁家留香(古)ヨセケルカ(新)ヨセ「來」クルカ。
 
1238 竹島乃。阿戸白波者。動友。吾家思。五百入?染。
たかしまの。あとしらなみは。さわげども。われはいへおもふ。いほりかなしみ。
 
卷九、高島之|阿渡《アト》河なみは驟《サワ》げども吾は家思ふ宿りかなしみとて載せたり。是れは近江高島なり。此前後の次で、近江の地名を載すべからず。或説に、竹島、周防に在りと言へば、恐らくは其處に宿りして、(149)地の名の同じければ、古歌を唱《トナ》へしにも有るべし。ここは白は河の草書より誤れるにてカハナミか。心は、卷二の、ささのははみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別《ワカレ》きぬればと言ふに同じ。
 參考 ○阿戸白波者(代)アトノシラナミハ(考)アト「河」カハナミハ(古、新)アド「河」カハ ナミハ ○動友(考、新)トヨメドモ(古)略に同じ ○家思(考、古、新)イヘモフ。
 
1239 大海之。礒本由須理。立波之。將依念有。濱之淨奚久。
おほうみの。いそもとゆすり。たつなみの。よらむともへる。はまのさやけく。
 
石根もゆすれ動くばかり波の立つなり。其浪の景色をやがて寄らんと言ふ爲の序として、舟|泊《ハ》てんと思ふ濱の清らなるを言へり。
 參考 ○將依念有(古)ヨセムトモヘル(新)略に同じ。
 
1240 珠〓。見諸戸山矣。行之鹿齒。面白四手。古昔所念。
たまくしげ。みもろとやまを。ゆきしかば。おもしろくして。いにしへおもほゆ。
 
玉クシゲ、枕詞。ミモロト山は備中なり。景色の面白きにつけて、古りにし事を思ひ出づるなり。【干禄字書、〓匣上通下正ト有リ】
 參考 ○古昔(考)ムカシ(古、新)略に同じ。
 
1241 黒玉之。玄髪山乎。朝越而。山下露爾。沾來鴨。
(150)ぬばたまの。くろかみやまを。あさこえて。やましたつゆに。ぬれにけるかも。
 
黒カミ山は下野なりと言へど證もなし。其上ここの次で、東國には有らざるべし。卷十一にも、黒髪山を詠めり。いづれの國と言ふ事を知らず。
 
1242 足引。山行暮。宿借者。妹立待而。宿將借鴨。
あしびきの。やまゆきくらし。やどからば。いもたちまちて。やどかさむかも。
 
山路に行きなづみて宿借らんに、妹が待ちゐて宿借せかしとなり。此妹は、くぐつなど言ふ類ひ、昔も有りしか。
 
1243 視渡者。近里廻乎。田本欲。今衣吾來。禮巾振之野爾。
みわたせば。ちかきさとわを。たもとほり。いまぞわがこし。ひれふりしぬに。
 
故郷へ歸るに、見渡しは近けれど、廻り來し故、やうやく今ぞ別れし野まで來たりしとなり。禮は領の誤なるべし。舊訓、來禮をクレと訓みたれど、吾コシとか、クルとか無くては詞も續かず。ヒレを巾一字のみ書ける例も無し。
 參考 ○里廻(古、新)サトミ ○今衣吾來禮(代)クレ(考)イマゾワガクレ(古、新)略に同じ。
 
1244 未通女等之。放髪乎。木綿山。雲莫蒙。家當將見。
をとめらが。はなりのかみを。ゆふのやま。くもなたなびき。いへのあたりみむ。
 
(151)ハナリノ髪とは、ウナヰハナリにて、十五六の歳、髪を擧げ結ぶを言ふ事既に言へり。さてユフと言はん爲の序のみ。木綿山、豐後速見郡に有り。和名抄、速見郡由布(今由を田に誤れり)。
 參考 ○放髪乎(代)ハナリノカミヲ、又はハナチノカミヲ(考、古、新)略に同じ。
 
1245 四可能白水郎乃。釣船之。綱【綱、元ニ?ニ作ル】不堪。情念而。出而來家里。
しかのあまの。つりするふねの。つなたへず。こころにもひて。いでてきにけり。
 
不堪を此ままにて解かば、契沖が言へる如く、眞《マコト》に釣舟の綱の繋ぐに堪へざるに有らず。堪ふる綱を借りて、たへずしてと言へるなるべし。又は、綱は維の誤にて、ツナギアヘズならんか。されど穩かならず。堪は絶か斷の字の誤れるなるべし。本は不v絶と言はん爲の序なり。是れは筑紫の國司にて、宴など有るを聞きて、おして行きて詠めるか。又相聞を誤りてここに載せたるにも有るべし。或る人、堪は絶の借字なりと言へるは、絶は(たへ、たふ)絶は(たえ、たゆ)の假字なる事も知らずして言へるなり。
 參考 ○釣船之綱云云(代)ツリフネノツナタヘズシテ(考)略に同じ(古、新)ツリフネノツナ、「不勝堪」タヘガテニ。
 
1246 之加乃白水郎之。燒鹽煙。風乎疾。立者不上。山爾輕引。
しかのあまの。しほやくけむり。かぜをいたみ。たちはのぼらず。やまにたなびく。
 
(152)卷三、繩の浦にしほ燒く煙夕されば行過《ユキスギ》かねて山にたな引と、言へると意同じくて、ユフサレバの方は理《コトワ》り足らず。今を善しとす。
 參考 ○煙(考)略に同じ(古、新)ケブリ ○立者不上(考)タチハノボラデ(古、新)略に同じ。
 
右件歌者古集中出。
 
1247 大穴道。少御神。作。妹勢能山。見吉。
おほなむぢ。すくなみかみの。つくらしし。いもせのやまを。みらくしよしも。
 
卷六、大汝小彦名の神こそは名づけそめけめ名のみを名兒山とおひて云云とも詠めり。
 參考 ○妹勢能山(考、新)略に同じ(古)イモセノヤマハ。
 
1248 吾妹子。見偲。奧藻。花開在。我告與。【與ハ乞ノ誤】
わぎもこと。みつつしぬばむ。おきつもの。はなさきたらば。われにつげこそ。
 
此末にも、名のりその花と詠みたり。其花をだに妹と思ひて偲ばんの意なり。與は乞の誤なり。故郷に妹を殘し置きて詠めるなるべし。告コソは、海人などに言ひ懸けたるさまなり。
 參考 ○吾妹子(代、古、新)略に同じ(考)ワキモコガ ○見偲(考)ミツツシタハム(古、新)略に伺じ。
 
1249 君爲。浮沼【沼ヲ沾ニ誤ル】池。菱採。我染袖。沾在哉。
(153)きみがため。うきぬのいけの。ひしとると。わがそめしそで。ぬれにけるかも。
 
ウキヌの池、所を知らず。六帖に、ウキと言ふ題有りて、沼の事と聞ゆ。今も此ウキか。ウキは、古事記、宇比地邇神次妹須比智邇神を、書紀に、?土煮尊沙土煮尊と有りて、宣長云、宇は泥なり。後世の歌に泥をウキと言へる事有り是れなり。宇とは宇伎の伎の省りたるか、又宇を本にて宇伎とも言ふかと言へり。又神代紀、立3於浮渚在2平處1此云|羽企爾磨梨陀?邏而陀陀志《ウキジマリタヒラニタタシ》とある羽企《ウキ》は、今とは異事なり。
 參考 ○菱採(考)略に同じ(古)ヒシツムト(新)トル、ツム兩樣 ○我染袖(考)略に同じ(古)アガシメ「衣」ゴロモ(新)ワガソメ「衣」ゴロモ ○沾在哉(代)ヌレニタルカナ(考)ヌレニタルカモ(古、新)略に同じ。
 
1250 妹爲。菅實採。行吾。山路惑。此日暮。
いもがため。すがのみとりに。ゆくわれを。やまぢまどひて。このひくらしつ。
 
山菅にて、麥門冬の實なり。我なるをと言ふなり。
 參考 ○菅實採(代)スガノミトルト、又はトリニ(考)スガノミヲトリ(古)略に同じ(新)スガノミトリニ、又はツミニ ○行吾(考、新)ユクワレヲ(古)ユキシワレ ○山路惑(考)略に同じ(古、新)ヤマジニマドヒ。
 
 
右四首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
(154)問答
 
1251 佐保河爾。鳴成智鳥。何師鴨。川原乎思努比。益河上。
さほがはに。なくなるちどり。なにしかも。かはらをしぬび。いやかはのぼる。
 
何故有りて、河原を慕ふぞと、千鳥に問ふなり。
 
1252 人社者。意保爾毛言目。我幾許。師努布川原乎。標緒勿謹。
ひとこそは。おほにもいはめ。わがここた。しぬぶかはらを。しめゆふなゆめ。
 
人はおほよそに言へども、われは此川原をそこばく思ひ慕ふぞと、千鳥の答ふるなり。此河原は、則ち佐保河なるを、後には是れをしのぶ河原と言ふ陸奧の地名に心得し歌など有り。
 參考 ○意保爾毛言目(新)オホニモ「念」モハメ。
 
右二首詠v鳥。
 
1253 神樂浪之。思我津乃白水郎者。吾無二。潜者莫爲。浪雖不立。
ささなみの。しがつのあまは。われなしに。かづきはなせそ。なみたたずとも。
 
シガツは、志賀の大津なり。潜水《カヅキ》するわざの面白ければ、我かく見る時にのみ、潜《カヅ》きはせよと言ふ意なり。
 
1254 大船爾。梶之母有奈牟。君無爾。潜爲八方。波雖不起。
(155)おほぶねに。かぢしもあらなむ。きみなしに。かづきせめやも。なみたたずとも。
 
右の歌を受けて、初二句は今君がおはする時に、潜きして見せ奉らんものを、舟かぢもがなと言ふ義なり。
 參考 ○梶之母有奈牟(新)カヂシモアリナム。
 
右二首詠2白水郎1
 
臨時
 
時に付けて詠めるにて、部類定まらず。
 
1255 月草爾。衣曾染流。君之爲。綵色衣。將摺跡念而。
つきくさに。ころもぞそめる。きみがため。まだらのころも。すらむとおもひて。
 
君が爲に鴨頭草《ツキクサ》もて衣を摺らんとして、我衣の色に染みたると言ふなり。摺衣は斑らなり。ソメルは染有《ソメル》にて、俗言に、ソムルをソメルと言ふとは異なり。
 參考 ○衣曾染流(考)コロモゾソマル(古)略に同じ(新)コロモゾソムル ○綵色衣(代)イロドリゴロモ(考)マダラゴロモヲ(古、新)略に同じ ○將摺跡念而(考、古、新)スラムトモヒテ。
 
1256 春霞。井上從直爾。道者雖有。君爾將相登。他回來毛。
はるがすみ。ゐのへゆただに。みちはあれど。きみにあはむと。たもとほりくも。
 
(156)春霞、枕詞。井上は大和にも河内にも有り。常はただちに行く道有るを、君が家の方へまはり來しとなり。
 參考 ○井上從直爾(代)ヰカミ(考)ヰベユタダニ(古)ヰノヘヨタダニ(新)略に同じ。
 
1257 道邊之。草深由利乃。花咲爾。咲笑【咲ヲ※[口+笑]ニ誤ル】之柄二。妻常可云也。
みちのべの。くさふけゆりの。はなゑみに。ゑまししからに。つまといふべしや。
 
クサ深ユリは、草深き所に咲く百合と言ふなり。卷八、夏の野のしげみにさけるひめゆりのと詠めり。花の咲くを人の笑ふになぞらへて、花エミと言へり。かりそめに冒ひ寄せられし時に詠めるならん。宣長云、結句イフベシと訓むべし。也は、唯だ添へたるのみの字なりと言へり。さらば笑みたるからは、受けひかんと言ふ意とすべし。卷四、道に逢てゑまししからにふる雪のけなばけぬかにこふとふわぎも。
 參考 ○草深(考)略に同じ(古、新)クサブカ ○咲之柄二(考)ヱミセシカラニ(新)ヱミシガカラニ ○妻常可云也(代)ツマトカイハム(考、新)略に同じ。
 
1258 黙然不有跡。事之名種爾。云言乎。聞知良久波。少可【可ノ下、者ハ衍】有來。
もだあらじと。ことのなぐさに。いふことを。ききしれらくは。すくなかりけり。
 
卷十七、母太毛完良牟《モダモアラム》と有り。物語ぶみに、なほあらじにと言ふ詞に同じ。宣長云、或人説、少可は奇の誤にて、アヤシカリケリなるべしと言へり。意は、かりそめに事の慰みに言へる事と、聞き知れるが(157)あやしと言ふなり。可の下、今本者の字有り。一本に無きを善しとす。
 參考 ○黙然不有跡(代)モダ(考)モダモアラジト(古)略に同じ(新)モダ、又はナホ ○少可者有來(代)ウベニハアリケリ(考)略に同じ(古、新)「苛曾」カラクゾアリケル。
 
1259 佐伯山。于花以之。哀我。子【子は手ノ誤】鴛取而者。花散鞆。
さへきやま。うのはなもちし。かなしきが。てをしとりてば。はなはちるとも。
 
サヘキ山は、安藝佐伯郡の山か。子は手の字の誤なるべし。又卷十、五月山卯の花月夜云云。五月山花橘に云云と詠めれば、ここも伯は附の字の草より誤りてサツキ山ならんか。サツキ山は、地名に有らず。カナシキは愛づる詞にて、かなしく思ふ妹が手を執りたらば、其妹が持ちし花は散るとも善けんと言へるなり。卷十四、にほどりのかつしかわせをにへすとも其かなしきをとにたてめやも。卷二、草とるかな和君が手をとるなど言ふを、合せ思ふべし。宣長云、以之は如何がなれども強ひて言はば、モタシと訓みて、持タセナガラの意とすべし。モチシと訓みては、下のテバの辭に適はずと言へり。
 參考 ○佐伯山(考)サ「付」ツキヤマ(古、新)サ「附」ツキヤマ ○于花以之(新)ウノハナモチ「弖」テ ○花散鞆(考)ハナチリヌトモ(古、新)略に同じ。
 
1260 不時。斑衣。服欲香。衣服針原。時二不有鞆。
ときじくに。まだらのころも。きほしきか。ころもはりはら。ときならねども。
 
(158)トキジクは、時ナラズなり。キホシキカは、著マホシキ哉なり。榛に衣ハルと言ひ懸けたり。まだいわけ無き女を戀ふるなり。元暦本、衣服針原を嶋《シマノ》針原と有り。卷十、島之榛原秋たたずともと詠みて、大和高市郡なり。
 參考 ○不時(考、新)トキナラヌ(古)略に同じ ○服欲香(代)キマホリカ(考)キガホシカ(古、新)略に同じ ○衣服針原(考)略に同じ(古、新)「島」シマノハリハラ ○時二不有鞆(代、考)略に同じ(古、新)トキニアラネドモ。
 
1261 山守之。里邊通。山道曾。茂成來。忘來下。
やまもりの。さとへかよひし。やまみちぞ。しげくなりける。わすれけらしも。
 
山守は男を指す。我を忘れけるか、久しく通ひ來ぬ程に、道の草木の茂れるはとなり。
 參考 ○里邊通(考)サトベカヨヘル(古、新)略に同じ。
 
1262 足病之。山海石榴開。八岑越。鹿待君之。伊波比嬬可聞。
あしびきの。やまつばきさく。やつをこえ。ししまつきみが。いはひづまかも。
 
ヤツヲは岑の重なれるなり。岑を言はんとて、山椿咲くと言へり。鹿待は狩人を言ひて、其男の遠路通ひ來るいたづきに譬へ、其君がいつきかしづく妻かなと、人の上を詠めるなりと翁は言はれき。宣長云、鹿待つまでは序にて、狩人の鹿を窺ひ覘ひて侍つ如くに、大切にするいはひ妻と言ふ意なり。シシマツ君(159)と訓まんと言へり。猶考ふべし。
 
1263 曉跡。夜烏雖鳴。此山上之。木末之於者。末靜之
あかときと。よがらすなけど。このみねの。こぬれがうへは。いまだしづけし。
 
男の別れんとする時、女の詠める歌なるべし。末は唯だまだ夜の深きさまを言へるのみなり。
 參考 ○山上(代、新)略に同じ(考、古)ヲカ ○木末之於者(代)コヌレ(考)コズエ之ウヘハ(古、新)コヌレノウヘハ。
 
1264 西市爾。但獨出而。眼不並。買師絹之。商自許里鴨。
にしのいちに。ただひとりいでて。めならばず。かへりしきぬ|の《し》。あきじこりかも。
 
 メナラバズは、古今集に花がたみめならぶ人と言へるうらうへにて、見比ぶる物の無きなり。キヌノはキヌシとも訓むべし。按ずるに、シコルはシミコルにて、物に執する意なるべし。是れは他心《アダシゴコロ》無く、唯だ一人に心を寄するに、市にて絹を買ふに、見比ぶる事もせで、初めに目に著きたるに思ひ凝りて、買ふと言ふもて譬へたるならん。
 參考 ○出而(考、古)デテ(新)略に同じ ○眼不並(考、新)略に同じ(古)メナラベズ ○買師絹之(新)カヒテシキヌノ ○商自許里鴨(新)アキ「耳」ニコリ「鶴」ツル。
 
1265 今年去。新島守之。麻衣。肩乃間亂者。誰取見。
(160)ことしゆく。にひさきもりが。あさごろも。かたのまよひは。たれかとりみむ。
 
太宰府に防人司有り。西蕃の寇を防がん爲、東の兵を遣はさるるなり。新たに立ち行くをニヒサキモリと言ふべし。カタノマヨヒは、和名抄、紕(萬與布、一云與流)繪欲v壞也と有りて、衣の破《ヤ》れぬべくよれるをも、旅にして誰とり上げんと言ふなり。許の字は衍文なるべし。宣長は、阿の誤ならんと言へり。卷五、ぬの肩衣、同卷に國に在らば父とり見まし、家に在らば母とり見ましと言へるを、合せ思ふべし。
 參考 ○新島守(新)ニヒシマモリ。
 
1266 大舟乎。荒海爾?出。八船多氣。吾見之兒等之。目見者知之母。
おほぶねを。あるみにこぎいで。やふねたけ。わがみしこらが。まみはしるしも。
 
アルミは、アラウミを約め言へり。ヤフネタケは、八は彌なり。タケは、土左日記に、ゆくりなく風吹きて、たけどもたけども後《シリヘ》しぞきに退《シゾ》きて、ほとほとうちはめつべしと言ふタケなり。宣長云、ヤフネタケは、危ふき所にて、いろいろと働きて舟を漕ぐを言ひて、色色と心を尋して、女に逢ひ見たるを譬へたるなりと言へり。意は然《サ》も有るべし。マミは、目を言ひて、逢見し君が眼ざしは、著《シ》るきと言ふなり。目をマミと言ふこと物語文に多し。
 參考 ○?出(代、考、古)コギデ(新)略に同じ ○八船多氣(新)ヤフネタケド「杼」脱とす。
 
就v所發v思 旋頭歌
 
(161)上つ代には、五言七言七言の三句の歌を專ら言へり。古事記に、是れを片歌と言ふ。其後、其三句の歌二つを本末として、一首に詠める歌有り。いと後に、是れを旋頭歌と名づく。右の三句もて言ひ終りて、又更に始めの如く五七七の言をめぐらし言ふ故に、頭をめぐらすとは言ふなり。
 
1267 百師木乃。大宮人之。蹈跡所。奧浪。來不依有勢婆。不失有麻思乎。
ももしきの。おほみやびとの。ふみしあとところ。おきつなみ。きよらざりせば。うせざらましを。
 
近江の宮を移されし後、志賀、辛崎などのさまを詠めるなるべし。佛足石の歌に、それたる人の蹈みしあとところと有り。
 參考 ○蹈跡所(考)フメリシアトゾ(古、新)略に同じ。
 
右十七首。古歌集出。
 
今本、首の字を脱せり。
 
1268 兒等手乎。卷向山者。常在常。過往人爾。往卷目八方。
こらがてを。まきむくやまは。つねなれど。すぎにしひとに。ゆきまかめやも。
 
コラガテヲ、枕詞。卷向山は常に有れども、むなしく來し人に、又行き求《マク》事を得んやと言ふなり。マクは求むの古言なり。卷ムクの名を受けて詠めり。
 參考 ○常在常(考、新)略に同じ(古)ツネニアレド ○往卷目八方(新)ユキ「相」アハメヤモ
 
(162)1269 卷向之。山邊響而。往水之。三名沫如。世人吾等者。
まきむくの。やまべとよみて。ゆくみづの。みなわのごとし。よのひとわれは。
 
本は序なり。世の人なる吾なれば、水の泡の如しとなり。
 
右二首。柿本朝臣人麻呂歌集出。
 
寄v物陳v思
 
1270 隱口乃。泊瀬之山丹。照月者。盈※[呉の口が日]爲烏。人之常無。
こもりくの。はつせのやまに。てるつきは。みちかけしてを。ひとのつねなき。
 
月は盈※[呉の口が日]する物ぞ。其如く人の常無きと言ふなり。ミチカケシテヲのヲは助辭なり。
 參考 ○照月者(新)「者」を誤字として、テルツキノとす ○盈※[呉の口が日]爲烏烏(考)ミチカケスルヲ(古)ミチカケシケリ(新)ミチカケシテゾ。
 
右一首。古謌集出。
 
行路
 
1271 遠有而。雲居爾所見。妹家爾。早將至。歩黒駒。
とほくありて。くもゐにみゆる。いもがへに。はやくいたらむ。あゆめくろごま。
 
卷十四、等保久之?くもゐに見ゆる妹がへにいつかいたらむあゆめくろこまとて出だせり。
 
(163)右一種。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
旋頭歌
 
1272 劔後。鞘納野邇。葛引吾妹。眞袖以。著點等鴨。夏草苅【草苅ハ葛引ノ誤】母。
たちのしり。さやにいりぬに。くずひくわぎも。まそでもて。きせてむとかも。なつくずひくも。
 
イリ野は、神名帳、山城乙訓郡入野神社有り。劔のしり鞘に入りと言ひ下したり。我に織りて着せんとてか、眞手もて夏葛引くと言ふなり。左右の手を眞手と言ひ、眞手を眞袖と言へり。二つのモは助辭なり。草は葛の字の誤なり。古訓クズとせり。宣長云、苅は引の誤なり。
 參考 ○眞袖以(考)略に同じ(古)マソデモテ(新)マソデ「作」ヌヒ ○夏草苅母(代)ナツグサ(考)夏草(古、新)略に同じ。
 
1273 住吉。波豆麻君之。馬乘衣。雜豆臘。漢女乎座而。縫衣叙。
すみのえの。なみづまきみが。うまのりごろも。さにづらふ。あやめをすゑて。ぬへるころもぞ。
 
ナミヅマは、上に出でたるイナミヅマと言ふ類ひにて地名か。馬乘衣、古訓マソゴロモと有れど由無し。契沖は、ウマノリギヌなど訓むべきかと言へり。さも有らんかと翁言はれき。漢女は、按ずるに雄略紀、身狹村主《ムサノスグリ》青等共2呉國使1將2呉所v献|手末才伎漢織呉織乃衣縫《テビトアヤハトリクレハトリキヌヌヒ》兄媛弟媛1泊2於住吉津1云云と有るに據りて訓めるなれば、アヤメと訓めり。サニヅラフは、其漢女が麗《ウルハ》しきを言ふ。宣長云、波豆麻君は、(164)波里摩着の誤、乘は垂の誤にて、ハリスリツケシ、マダラノコロモと訓むべし。座而はマセテと訓むべし。さて此歌は、摺衣を人に贈るとて、戯れて詠み遣れるにて、彼の紀に見えたる漢國の衣縫女を呼びて、縫はせたる衣ぞと言ひ遣るなり。マセテは、俗言に招待してと言ふ意なり。此訓、紀に例多しと言へり。此説穩かなり。
 參考 ○波豆麻君之(代、古)略に同じ(考)ナミツマノキミガ(新)「波里摩着之」としてハリスリツケシ ○馬乘衣(代)ウマノリギヌ(考)ワキアゲゴロモ(古)略に同じ(新)マダラノコロモ、「乘」を「垂」の誤とす ○雜豆臘(新)サヒヅラフ ○漢女乎座而(考)ヲトメヲスヱテ(古)ヲトメヲマセテ(新)アヤメヲマセテ。
 
1274 住吉。出見濱。柴莫苅曾尼。未通女等。赤裳下。閏將往見。
すみのえの。いでみのはまの。しばなかりそね。をとめらが。あかものすその。ぬれてゆかむみむ。
 
二の句は、イヅミノハマのか、又イデミルハマノか、考ふべし。濱に柴刈る事如何が。尼をネの假字に用ひたる例も無し。是れは字のいたく誤れるなるべし。試みに言はば、三の句、莫乘曾苅尼とや有りけん、ナノリソカリニと訓むべし。將往見も、往將見と有りてユク見ムなるべし。
 參考 ○出見濱(新)イデミノハマノ ○柴莫苅曾尼(考〕「莫乘曾刈尼」ナノリソカリニ(古)「濱菜苅者尼」ハマナカラサネ(新)シバナカリソネ ○未通女等(考、新)略に同じ(古)ヲトメドモ (165)○赤裳下閏將往見(代)ユカムミム(考)アカモノスソヲ、ヌラシユクミム(古)アカモスソヒヂ、ユカマクモミム(新)アカモノスソノヌレテユカムミム。
 
1275 住吉。小田苅爲子。賤鴨無。奴雖在。妹御爲。私【私ハ秋ノ誤ナルベシ】田苅。
すみのえの。をだをからすこ。やつこかもなき。やつこあれど。いもがみために。あきのたからす。
 
カラスは、カルを延べ言ふ。田刈るべき奴は有れども、妹が爲にみづから刈るならんと、刈人を指して詠めるなり。私田云云、シノビタヲカルと讀みたれど由無し。或説に、私は秋の誤ならんと言へり。さも有るべし。
 參考 ○小田苅爲子(代)ヲダカラスコハ(考)ヲダカラスコ(古、新)略に同じ ○御爲(考、新)略に同じ(古)ミタメト ○私田苅(代)ワタクシダカル(考)オノレタヲカル(古)「秋」アキノタカルモ(新)「秋」アキノタヲカル。
 
1276 池邊。小槻下。細竹苅嫌。其谷。君形見爾。監乍將偲。
いけのべの。をづきがもとの。しぬなかりそね。それをだに。きみがかたみに。みつつしぬばむ。
 
竹の下、莫の字を落せり。次に例有り。池ノベノヲ槻は、地名に有らず、唯だ槻の木のもとと言ふなり。君は男を指す。其槻の木のもとにて、相見し事などの有りしならん。
 
1277 天在。日賣菅原。草莫苅嫌。彌那綿。香烏髪。飽田志付勿。
(166)あめなる。ひめすがはらの。くさなかりそね。みなのわた。かぐろきかみに。あくたしつくも。
 
アメナルは、日と懸けたるのみの枕詞にて、ひめ菅原は地名なるべき由、翁は言はれき。宣長は天ナルは天上に有るひめすが原なり。然らざれば、髪に芥の付くと言ふこと由無し。是れは天なるささらのを野の類ひにて、唯だ設けて言ふのみなりと言へり。此説に據るべし。ミナノワタ、枕詞。カ黒キ髪、既に出づ。シとモは助辭のみ。那の下、能の字を落せり。
 參考 ○草莫(古)スガナ(新)スゲナ。
 
1278 夏影。房之下邇。【邇ヲ庭ニ誤ル】衣裁吾妹。裏儲。吾爲裁者。差大裁。
なつかげの。ねやのしたに。きぬたつわぎも。うらまけて。わがためたたば。ややおほにたて。
 
ナツカゲは、暑き日影を隔つる所を言ふか、されど猶穩かならず。誤字有らんか、考ふべし。邇を今本庭に作るは誤れり。元暦本に據りて改む。ウラマケテは衣の裏をも設けてなり。ヤヤオホニは、漸大キニなり。
 參考 ○房之下邇(代)ネヤノモトニテ(考)ネヤノ(古)略に同じ(新)「窓」マドノモトニ ○裏儲(新)「金」アキマケテ ○差大裁(代、考、新)略に同じ(古)イヤヒロニタテ。
 
1279 梓弓。引津邊在。莫謂花。及採。不相有目八方。勿謂花。
あづさゆみ。ひきつのべなる。なのりそのはな。つむまでに。あはざらめやも。なのりそのはな。
 
引津は筑前なり。卷十五、引津亭舶泊之作と有れば、海邊なる事|著《シ》るし。引津ノベナルは、引津ノ方《ベ》ナルと言ふなり。又引ツベニアルと訓まんか。なのりその花咲く頃までは、逢はず有らんやと慰むるなり。卷十、梓弓引津邊有なのりその花咲までにあはぬ君かもと言ふと同じ歌なり。何れかもとならん。
 參考 ○及採(考)ツムマデハ(古)略に同じ(新)採を咲の誤としサクマテニとす。
 
1280 撃日刺。宮路行丹。吾裳破。玉緒。念委。家在矣。
うちひさす。みやぢをゆくに。わがもはやれぬ。たまのをの。おもひ|しなえて《みだれて》。いへにあらましを。
 
家に在りて、侘びてのみ有らんを、戀ふる人に逢ふやと宮づかへに事よせて、宮路通ふ程に、裳も破れぬるとなり。玉緒と言ふより、オモヒシナエテとは續き難し。元暦本にミダレテと有るからは、もと念亂と有りしを、草書より誤れるなるべし。
 參考 ○念委(代)オモヒツミテモ(考)オモヒシナエテ(古、新)オモヒ「亂」ミダレテ。
 
1281 君爲。手力勞。織在衣服斜。【斜は料ノ誤】春去。何何。【何何ハ何色ノ誤】摺者吉。
きみがため。たぢからつかれ。おりたるきぬを。はるさらば。いかなるいろに。すりてばよけむ。
 
今の訓、由無し。字も誤れりと見ゆ。宣長云、斜は料の誤。何何は何色の誤なり。織りたる絹は、衣服の料なれば、斯く書きてキヌと訓ませたり。何色を、何何と誤れるは、何色と書けるを何々と見たるなりと言へり。此説然り。スリテバヨケムは、スリタラバヨカラムなり。
(168) 參考 ○手力勞(代、古、新)略に同じ(考)在までを句とし、テダユクオレル ○織在衣服斜(代)オレルキヌクタツ(考)キヌキセナナメ(古、新)略に同じ。○何何(新)イカナル「花」ハナニ。
 
1282 橋立。倉椅山。立白雲。見欲。我爲苗。立白雲。
はしだての。くらはしやまに。たてるしらくも。みまくほり。わがするなへに。たてるしらくも。
 
ハシダテノ、枕詞。クラハシ山は大和十市郡なり。あひ見まく思ひし時、幸ひに見しを譬へたるならん。
 參考 ○立白雲(新)タツヤシラクモ、結句も同じ。
 
1283 橋立。倉椅川。石走者裳。壯子時。我度爲。石走者裳。
はしだての。くらはしがはの。いはのはしはも。をざかりに。わがわたりし。いはのはしはも。
 
昔逢ひし人の、今は絶えぬるに譬へたるならん。石バシは既に出づ。
 參考 ○我度爲(代)ワガワタリテシ(考)ワガワタシタリ(古)アガワタセリシ(新)ワガワタリセシ。
 
1284 橋立。倉橋川。河靜菅。余苅。笠裳不編。川靜管。
はしだての。くらはしがはの。かはのしづすげ。わがかりて。かさにもあまず。かはのしづすげ。
 
シヅ菅は、下草の意にて、菅の小きを言ふか、又は一種の菅の名か。しめ結ひしばかりにて、逢はぬを譬へたるなるべし。
(169) 參考 ○余苅(考)ワレカリテ(古)アガカリテ(新)略に同じ。
 
1285 春日尚。田立羸【羸ヲ?ニ誤ル】。公哀。若草。?無公。田立羸。
はるひすら。たにたちつかる。きみはかなしも。わかくさの。つまなききみが。たにたちつかる。
 
長き春の日すら、獨り田かへすを見れば、悲しとなり。
 
1286 開木代。來背社。草勿手折。己時。立雖榮。草勿手折。
やましろの。くぜのやしろの。くさなたをりそ。おのがとき《わがときと》。たちさかゆとも。くさなたをりそ。
 
卷十一にも、山シロと言ふに、斯く書きたり。聖武紀、天平十七年正月云云。乍遷2新京1、伐v山開v地以造v室なども有りて、林を開きて材を取るべき所は山なれば、開木にてヤマと訓むべし。代をシロと訓は、拾芥抄田籍部に、凡田以2方六尺1爲2一歩1云云。積2七十二歩1爲2十代《ソシロ》1。百四十歩爲2二十代1云云。五十代爲2一段1。式云代(ハ)頭也云云など有るをも思へ。既に言へるミワヤマを綜麻形と書ける類ひなり。社をもて言ふを思へば、主有る女に係想《ケサウ》するとも、あながちなる行《ワザ》なせそと言ふなるべし。己時立榮モとは、其女のみさかりなるを、草の時を得て榮ゆるに譬へたるか。
 參考 ○己時(考)オノガトキ(古)シガトキト(新)ワガトキト。
 
1287 青角髪。依網原。人相鴨。石走。淡海縣。物語爲。
あをみづら。よさみのはらに。ひともあはぬかも。いははしの。あふみあがたの。ものがたりせむ。
 
(170)アヲミヅラ、イハバシノ、枕詞。ヨサミは河内にも在れど、其れは和名抄、參河碧海郡依網(與作美)と有るなるべし。相鴨は、宣長云、アハヌカモと訓むべし。アヘカシの意なり。相の上不の字無きに、アハヌと訓む事は如何がと、誰も思ふ事なれど、集中に例多し。アハヌカモと言はざればアヘカシの意に成り難し。アガタは、官人の住所を言へり。此歌は、近江國の司、下る道、參河のよさみの郷にて詠めるなりと言へり。人モは、人こそと言ふべきを斯く言へり。後に花見て歸る人も逢はなんと詠めるも同じ。
 參考 ○依網原(代、古、新)略に兩じ(考)ヨサミノハラノ ○人相鴨(代)ヒトモアヘカモ(考)ヒトニアハムカモ(古、新)略に同じ ○石走(代、考、古)イハバシル(新)略に同じ。
 
1288 水門。葦末葉。誰手折。吾背子。振手見。我手折。
みなとの。あしのうらばを。たれかたをりし。わかせこが。ふるてをみむと。われぞたをりし。
 
按ずるに、振の下衣の字を脱せしか。ソデフルミムトと有るべし。旅行く人の湊漕ぎ出でて別るる時、背子が袖振りつつ行くさまを見んとて、葦の末を折りしと言ふなるべし。ここの歌の次も、旅中の相聞なり。一首のうちに問答あり。
 參考 ○水門(代、古、新)略に同じ(考)ミナトナル ○振手見(考)フルテヲミムト(古)ソデフルミムト(新)フルソデミムト(古、新)ともに略の「衣」字脱に據る。
 
1289 垣越。犬召越。鳥獵爲公。青山。葉茂山邊。馬安君。
かきこゆる。いぬよびこして。とがりするきみ。あをやまの。はしげきやまべ。うまやすめきみ。
 
宣長云、垣コユルは、唯だ犬と言はん枕詞なり。歌の意には關はらず。ヨビコシテは、呼令(メ)v來(ラ)てなりと言へり。青山の云云は、其狩せん所を兼て言ひて、馬いこはせつつ狩せよと言ふなり。
 參考 ○桓越(考)カキコシニ(古、新)略に同じ
○犬召越(考)略に同じ(古)イヌヨビコセテ(新)イヌヨビタテテ ○葉茂山邊(考)シゲルヤマベニ(古)略に同じ(新)ハシゲキヤニ「邇」ニ ○馬安君(考)ウマヤスメヨキミ(古、新)略に同じ。
 
1290 海底。奧玉藻之。名乘曾花。妹與吾。此何有跡。莫語之花。
わたのそこ。おきつたまもの。なのりそのはな。いもとあれと。ここにしありと。なのりそのはな。
 
ワタノソコ、枕詞。何は所の誤か、又は荷の誤ならん。男女海邊に隱れをる事有る時、其所の物をもて、序の如くして詠めるなるべし。
 參考 ○妹與吾(考)略に同じ(古)イモトアレ(新)イモトワレ ○此何有跡(代)何は荷(考、新)ココ「荷」ニアリト(古)略に同じ。
 
1291 此崗。草苅小子。然苅。有乍。君來座。御馬草爲。
このをかに。くさかる|わらは《をのこ》。しかなかりそね。ありつつも。きみがきまさむ。みまくさにせむ。
 
然の下、莫の字を落せり。シカナカリソネは、斯くの如く刈る事なかれなり。ネはナと同じく願ふ言。(172)末は其草の在り在りたらば、君が來まさん時、馬に飼はんとなり。 參考 ○小子(代)ワラハ(考)ヲノコ(古)コドモ(新)ワラハ、又はコドモ。
 
1292 江林。次完【宍ヲ完ニ誤ル】也物。求吉。白栲。袖纒上。完待我背。
えばやしに。やどるししやも。もとむるによき。しろたへの。そでまきあげて。ししまつわがせ。
 
江林、地名なるべし。シシは猪鹿なり。ヤモのモは助辭。袖マキアゲテは、まくり手にするなり。是れも男の女を待つさまを斯く譬へたるか。モトムルニヨキと言ふ事聞え難し。宣長云、次は伏の誤、求吉は來告の誤にて、フセルシシヤモ、キヌトツゲケムなるべしと言へり。
  參考 ○江林(新)江は誤字か ○次(新)伏の誤か。
 
1293 丸雪降。遠江。吾跡川楊。雖苅。亦生云。余跡川楊。
あられふり。とほつあふみの。あとかはやなぎ。かれれども。またもおふちふ。あとかはやなぎ。
 
アラレフリ、枕詞。アト川は近江高島郡なり。遠江にも同じ地名有るか、土人に問ふべし。吾も余もアレの語なるをもて、アの假字に用ひたり。物の刈りてもやがて生ふるに、思ひ離れても、又離れ難みして逢ふを譬へたるなるべし。
 參考 ○丸雪降遠江(代)アラレノ、フルトホツエノ(考、古、新)略に同じ ○雖刈(考)カレリトモ(古)略に伺じ(新)カリツレド。
 
(173)1294 朝月日。向山。月立所見。遠妻。持在人。看乍偲。
あさづくひ。むかひのやまに。つきたてるみゆ。とほづまを。もちたるひとし。みつつしぬばむ。
 
朝ヅク日は、朝附日にて、向ひの枕詞なり。月立は、月の山の端を立ち上《ノボ》るを言ひて、其山の端登る月を見ても、遠き所に妻持ちたらん人の思ひ偲ばんと言ふなり。人シのシは助辭。
 參考 ○月立所見(考)ツキノ「出」イヅルミユ(古、新)ツキタテリミユ ○持在人(考)モタラムヒトゾ(古)モタラムヒトシ(新)モチタルヒトシ。
 
右二十三首。柿木朝臣人麻呂之歌集出。
 
1295 春日在。三笠乃山二。月船出。遊士之。飲酒杯爾。陰爾所見管。
かすがなる。みかさのやまに。つきのふねいづ。みやびをの。のむさかづきに。かげにみえつつ。
 
遊士、ミヤビヲと訓む事既に言へり。陰は影なり。盃中に月の映れるを詠めり。
 
譬喩歌
 
寄v衣
 
目録に、寄v衣八首、寄v糸一首、寄2倭琴1二首、寄v弓二首、寄v玉十六首、寄v山五首、寄v木八首、寄v草十七首、寄v花七首、寄v稻一首云云と有るを、ここには、一つ物を二所に分ち擧げたる有り。寫し(174)誤れりと見ゆ。目録の方を正しとすべし。
 
1296 今造。斑衣服。面就。吾爾所念。末服友。
あたらしき。まだらのころも。おもづきて。われにおもほゆ。いまだきねども。
 
マダラノ衣は摺衣なり。上にも出づ。宣長云、オモヅキテ云云は、我によく似合ひたる衣と、思はるると言ふ意なりと言へり。未だ逢はざれども、吾が物とせんに宜しき女なりと言ふを譬ふ。
 參考 ○今造(代、古、新)イマツクル(考)略に同じ ○斑衣(考)マダラゴロモハ(古、新)略に同じ ○面就(代、考、古)メニツキテ(新)猶訓有るべし
○吾爾所念(考)ワレ「者」ハオモホユ(古)アレ「者」ハオモホユ、又は「常」ツネニオモホユ(新)ワレニオモホユ。
 
1297 紅。衣染。雖欲。著丹穗哉。人可知。
くれなゐに。ころもそめまく。ほしけども。きてにほはばや。ひとのしるべき。
 
紅は、麗はしき色なれど、着てにほはば人や知るべきの意なり。麗はしき女を戀ふれど、早く顯はれんと言ふを譬ふ。
 參考 ○衣染(代、新)略に同じ(考)コロモハソメテ(古)コロモシメマク ○雖欲(代、古、新)略に同じ(考)ホシカレド ○著丹穗哉(考)キナバニノホヤ(代、古、新)略に同じ ○可知(考)シルベク(古、新)略に同じ。
 
1298 千名。人雖云。織次。我二十物。白麻衣。
ちなにはも。ひとはいふとも。おりつがむ。わがはたものの。しろあさごろも。
 
ハモは助辭。人は色色に言ひ立つるとも、なほ繼ぎて思はんとなり。
 參考 ○千名(考)チヂノナニ(古、新)「干各」カニカクニ。
 
寄v玉
 
1299 安治村。十依海。船浮。白玉採。人所知勿。
あぢむらの。とをよるうみに。ふねうけて。しらたまとらむ。ひとにしらゆな。
 
トヲヨルは、卷二、なゆ竹の騰依《トヲヨル》子ら、卷三、なゆたけの十縁みこなど言ひて、トヲヲ、タワワなど言ふに同じく、撓みしなふさまなり。水鳥の群れ飛ぶもたわみよる如く見ゆる物なれば、あぢむらの群れ飛ぶ列《ツラ》を斯く言へり。さて上は序のみ。譬へたる意は、女を玉に譬へて、見とがめん人の多き中に、女を得んとするを言ふ。
 參考 ○十依海(考)「千」ムレタルウミニ(古)「群」ムレヨルウミニ(新)略に同じ ○白玉採(代、新)シラタマトルト(考)略に同じ ○人所知勿(考)ヒトニシラルナ(古、新)略に同じ。
 
1300 遠近。礒中在。白玉。人不知。見依鴨。
をちこちの。いそのなかなる。しらたまを。ひとにしらえで。みむよしもがも。
 
(176)イソは石なり。此處彼處《ココカシコ》の石に交りて有る玉と言ひて、是れも女を玉に譬へて、多かる人の中にて、人に知られず、相見ん由も有れかしと言ふなり。
 參考 ○人不知(考)ヒトニシラレデ(古、新)略に同じ ○見依鴨(考)ミルヨシモガモ(古、新)略に同じ
 
1301 海神。手纏持在。玉故。石浦廻。潜爲鴨。
わたづみの。てにまきもたる。たまゆゑに。いそのうら|わ《ま》に。かづきするかも。
 
イソノウラ廻は、地名に有らず。磯の裏なり。やんごとなき人に愛でらるる女などを、いたづかはしく戀ふるを譬ふ。
 參考 ○石浦廻(考)イソノウラワニ(古、新)イソノウラミニ。
 
1302 海神。持在白玉。見欲。千遍告。潜爲海子。
わたづみの。もたるしらたま。みまくほり。ちたびぞのりし。かづきするあま。
 
カヅキスルアマは媒を言へり。是れも上の歌と心は同じ。此末に、一二の句、底清み沈ける玉をと替りたるのみにて、同じ歌を載せたり。
 參考 ○千遍告(代、古、新)チタビゾツゲシ(考)略に同じ。
 
1303 潜爲。海子雖告。海神。心不得。所見不云。
(177)かづきする。あまはのれども。わたづみの。こころしえねば。みゆといはなくに。
 
是れは媒する者の、右の歌に和《コタ》へて、海子を吾が事として、吾は其人に告げたれど、領ずる人の心を得ねば、相見えんとは言はず、と言ふ意なるべし。
 參考 ○海子雖告(考)略に同じ(古、新)アマハツグレド ○所見不云(考)略に同じ(古)ミエムトモイハズ(新)ミエムトイハナクニ。
 
寄v木
 
1304 天雲。棚引山。隱在。吾忘。【忘ハ下心二字ノ誤】木葉知。
あまぐもの。たなびくやまの。こもりたる。わがしたごころ。このはしるらむ。
 
知の下、一本、良武の二字有り。忘、ワスレメヤと訓みたれど聞えず。宣長云、忘は下心二字の語りて一字に成りたるなり。上二句はコモリの序なりと言へるぞ善き。木ノ葉知ルラムは譬に言ふなり。卷三、まきのはのしなふせの山しぬはずてわがこえゆけば木のは知けむ。
 參考 ○棚引山(考)タナビクヤマニ(古、新)略に同じ ○隱在(代)カクシタル(考、古、新)略に同じ ○吾忘(代、考)ワガ「志」ココロザシ(古)アガ「下心」シタゴコロ(新)略に同じ ○木葉知(考)コノハシル「良武」ラム(古)コノハシリケム(新)略に同じ。
 
1305 雖見不飽。人國山。木葉。己心。名著念。
(178)みれどあかぬ。ひとぐにやまの。このはをし。わがこころから。なつかしみもふ。
 
此卷末に、人國山の秋津野と詠みたれば大和なり。木ノハヲシのシは、助辭のみ。他妻《ヒトヅマ》を己れ獨りが心より戀ふるを譬ふ。ミレドアカヌは、木の葉と言ふへ續くなり。宣長云、是れも己は下の誤にて、シタノココロニと訓むべしと言へり。是れも穩かなり。
 參考 ○木葉(考、古)略に同じ(新)コノハヲバ ○己心(考)略に同じ(古、新)「下」シタノココロニ。
 
寄v花
 
1306 是山。黄葉下。花矣我。小端見。反戀。
このやまの。もみぢのしたの。はなをわが。はつはつにみて。かへるこひしも。
 
小春の頃歸り花とて、春咲きし花のともしく咲く事有るを言ふか。又はりうたんの花などを言へるか。何れにも有れ、はつかに見し女に譬ふるなり。宣長云、矣は咲の誤にて、咲花と有りしが下上に成りたるなり。反は乍の誤なり。さらば、モミヂノシタニ、サクハナヲ、ワレハツハツニ、ミツツコヒシモと訓むべしと言へり。此歌の書きざま、矣の假字など書き添ふべくもあらねば、右の説然るべし。
 參考 ○紅葉下(考、新)略に同じ(古)モミヂノシタニ ○花矣我(考、新)略に同じ(古)「咲花」サクハナヲ ○小端見(考、新)略に同じ(古)「我」アレハツハツニ ○反戀(代、新)カヘリテ(179)コヒシ(考)カヘルワビシモ(古)「見」ミツツコフルモ。
 
寄v川
 
1307 從此川。船可行。雖在。渡瀬別。守人有。
このかはゆ。ふねはゆくべく。ありとへど。わたりせごとに。もるひとあるを。
 
守人の許しなくて、常に行き逢ひ難きを譬ふ。有ルヲのヲは添へて訓むべし。ヲの言を、斯く徒らに添へたる例多し。
 參考 ○從此川(考、新)略に同じ(古)コノカハヨ ○船可行(考)フネユクベクハ(古、新)略に同じ ○渡瀬別(考)ワタルセゴトニ(古、新)略に同じ ○守人有(考)マモルヒトアリ(古)略に同じ(新)モルヒトアリテ。
 
寄v海
 
1308 大海。候水門。事有。從何方君。吾率陵。
おほうみを。まもるみなとに。ことしあらば。いづくゆきみが。わをゐしのがむ。
 
大海ヲマモル云云は、太宰の津は、西蕃を候《マモ》るなれば、斯く言へるならん。陵、恐らくは隱の誤なるべし。然らばヰカクサムと訓むべし。是れは父母などに見顯はさるるを、其みなとに事有るに譬へて、斯かる時は、何方《イツカタ》に吾をひきゐ隱さんやと言ふなり。又、オホウミハ、ミナトヲマモル、コトシアレバとも訓(180)まんかと、宣長言へり。然《サ》ても意は同じ。率陵は、義を以てヰテユカムと訓むべしと、同じ人言へり。
 參考 ○大海(考、新)略に同じ(古)オホウミハ ○候水門(考、新)略に同じ(古)ミナトヲマモル ○事有(代)コトアルヲ(考)コトアラバ(古、新)略に同じ ○從何方君(代)イカサマニキミ(考、新)略に同じ(古)イヅヘヨキミガ ○吾率陵(考、新)ワガヰ「隱」カクレム(古)アヲヰ「隱」カクサム。
 
1309 風吹。海荒。明日言。應久。君隨。
かぜふきて。うみはあるとも。あすといはば。ひさしかるべし。きみがまにまに。
 
今日たとひ人の言ひ騷ぐとも、明日を待つ間の憂ければ、君が心のままにせんと思ふと言ふを譬ふ。右の歌ぬしのおし返して詠めるなり。
 參考 ○海荒(考)ウミシアルレバ(古、新)略に同じ。
 
1310 雲隱。小嶋神之。恐者。目間。心間哉。
くもがくる。こじまのかみの。かしこけば。めはへだつれど。こころへだつや。
 
コ島と言はんとて、雲隱ると言へり。さてここの小島、集中、吉備ノコ島とも詠みたる所か、いづこにも有れ、其所の神に守人を譬へたり。メハヘダツレドは、見ルメハヘダツレドモの意、心ヘダツヤは、心ハヘダテムヤの意なり。カシコケバは、カシコケレバの略。
(181) 參考 ○恐者(代)カシコサニ、又は、カシコケレバ(考)カシコクバ(古、新)略に同じ ○目間(代、古)略に同じ(考)メハヘダツトモ(新)メハヘナルトモ ○心間哉(代、古)略に同じ(考)ココロヘダテメヤ(新)ココロヘナレヤ。
 
右十五首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
寄v衣
 
1311 橡。衣人者。事無跡。曰師時從。欲服所念。
つるばみの。きぬきるひとは。ことなしと。いひしときより。きほしくおもほゆ。
 
橡は、古へ賤者の服なり。次の歌に、紅の衣を上に著は事なさむかと詠みたるをもて見れば、貴人は所せき身にて、いささかの事も、言しげく言ひなされなどすれば、賤者の中中に事無きを羨みて、さて賤女を戀ふる事有りて詠めるなるべし。和名抄、染色具橡(和名都流波美)櫟實也。衣服令に、黄橡も有れど、ここは其れには有らず。四位の服となれるも後の事にて、古へは然らず。宣長云、人者は者人と有りしが下上に成りしなり。ツルバミノコロモは、ヒトノと訓むべしと言へり。元暦本、者を皆に作りて、ツルバミノキヌハ、ヒトミナと訓めり、猶考ふべし。
 參考 ○衣人者(考、新)略に同じ(古)コロモ「者人」ハヒトノ ○曰師時從(考)イヒテシトキユ(古、新)略に同じ ○欲服所念(代、古、新)略に同じ(考)キマクオモホユ。
 
(182)1312 凡爾。吾之念者。下服而。穢爾師衣乎。取而將著八方。
おほよそに。われしおもはば。したにきて。なれにしきぬを。とりてきめやも。
 
なるるは、古びたるを言ふ。離れて後再び逢ふを譬へたり。
 參考 ○凡爾(新)オホロカニ。
 
1313 紅之。深染之衣。下著而。上取著者。事將成鴨。
くれなゐの。こぞめのきぬを。したにきて。うへにとりきば。ことなさむかも。
 
紅は、よき人の服にて、殊に丹の穗なども言ひて、顯はれたる色なり。さて是れは、今迄しのびに心通はしたる人を、後にあらはして妻となさば、人の言痛からんかとなり。
 參考 ○深染之衣(古、新)コゾメノコロモ。
 
1314 橡。解濯衣之。恠。殊欲服。此暮可聞。
つるばみの。ときあらひぎぬの。あやしくも。ことにきほしき。このゆふべかも。
 
中絶えたる人を、また思ひ出づるを譬ふ。
 參考 ○殊欲服(代、考)ケニキマホシキ(古)ケニキホシケキ(新)略に同じ。
 
1315 橘之。島爾之居者。河遠。不曝縫之。吾下衣。
たちばなの。しまにしをれば。かはとほみ。さらさずぬひし。わがしたごろも。
 
(183)橘ノ島は、大和なり。卷二に、橘の島の宮と言へる所なり。そこに池の有りし事も見ゆれど、布洒すべき川は遠きならん。サラサズとは、顯はさぬを譬ふるなるべし。
 參考 ○島爾之居者(新)シマニシ「不居」ヰネバ ○不曝(考)サラサズ(古、薪)略に同じ。
 
寄v絲
 
1316 河内女之。手染之絲乎。絡反。片絲爾雖有。將絶跡念也。
かふちめの。てぞめのいとを。くりかへし。かたいとにあれど。たえむとおもへや。
 
河内の國の女なり。大和女、難波女の類ひなり。古へ河内より多く糸を出だせしと見ゆ。片思ながらさすがに絶えんとは思はんやとなり。
 參考 ○河内女(新)カウチメ ○絡反(新)クリカヘス ○片絲爾雖有(考)カタイトナレド(古、新)略に同じ。
 
寄v玉
 
1317 海底。沈白玉。風吹而。海者雖荒。不取者不止。
わたのそこ。しづくしらたま。かぜふきて。うみはあるとも。とらずはやまじ。
 
シヅクはシヅケルを約め言ふにて、沈みて有るなり。親などの諫め罵りなどして、逢ひ難き女に、強ひて逢はんの心を譬ふ。
 
(184)1318 底清。沈有玉乎。欲見。千遍曾告之。潜爲白水郎。
そこきよみ。しづけるたまを。みまくほり。ちたびぞのりし。かづきするあま。
 
上に同じ心の歌有り。媒を海人に譬ふ。
 參考 ○千遍曾告之(考)略に同じ(古、新)チタビゾツゲシ。
 
1319 大海之。水底照之。石著玉。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】而將採。風莫吹行年。
おほうみの。みなぞこてらし。しづくたま。いはひてとらむ。かぜなふきこそ。
 
本は貴人か、又はいと麗はしき女を譬へ、末は神に乞ひ祈りて逢はんに障らふ事なかれと願ふなり。行年は去年の意にて、コソの假字に用ふ。宣長云、行年の行は所の誤にて、ソネなるべし。集中、すべて斯く書きたるは、皆ソネと言ひて適へる由言へり。さも有らんか。
 參考 ○照之(代)テリシ(考、古、新)略に同じ ○行年(古、新)「所年」ソネ。
 
1320 水底爾。沈白玉。誰故。心盡而。吾不念爾。
みなぞこに。しづくしらたま。たがゆゑか。こころつくして。わがもはなくに。
 
人のいつける少女を戀ふるなり。仙覺抄に、濱成式を引きて、美那曾已|弊《ヘ》、旨都倶旨羅他麻、他我由惠|爾《ニ》、己己呂都倶旨弖、和我母波那倶爾と有り。是れは誰れ故に心盡して我が思はんや、他し人をば思はぬと言ふなり。ニの言は、言ひ押ふる詞。古今集の、誰れ故に亂れ初めにし我ならなくにの類ひなり。
(185) 參考 ○誰故(考、古)タレユヱニ(新)略に同じ。
 
1321 世間。常如是耳加。結大王。白玉之緒。【緒ヲ結ニ誤ル】絶樂思者。
よのなかは。つねかくのみか。むすびてし。しらたまのをの。たゆらくおもへば。
 
大王をテシの假字に用ひたる事既に言へり。白玉之の下、緒、今本結と有り。元暦本に據りて改む。タユラクは、タユルを延べ言ふ。此歌は譬喩とは聞えず。結びたりし玉の緒の絶ゆるを思へば、世の中の人の契りも、常に斯くは有らじと言へるなり。
 參考 ○世間(代)ヨノナカノ(考、古、新)略に同じ。
 
1322 伊勢海之。白水郎之島津我。鰒玉。取而後毛可。戀之將繁。
いせのうみの。あまのしまつが。あはびだま。とりてのちもか。こひのしげけむ。
 
アマノシマツは、和名抄、伊勢河曲郡海部(海末)の郷有り。海部の島の津の鰒と言ふ意か。津は舟の津なるべし。我は之の語なりと翁は言はれき。按ずるに、島は鳥の誤。我は流の草書より誤りて、アマガトリツルなるべし。逢ひ見て後、戀の増さらんかと言ふを添へたり。
 參考 ○白水郎之島津我(古)アマノシマツガ(新)「島津我白水郎之」シマツガアマノ。
 
1323 海之底。奧津白玉。縁乎無三。常如此耳也。戀度味試。
わたのそこ。おきつしらたま。よしをなみ。つねかくのみや。こひわたりなむ。
 
(186)女を玉に譬ふ。ヨシヲナミは、玉を取る由無くしてなり。味試は、甞むるの義をもてナムの詞に用ふ。
 
1324 葦根之。懃【懃ヲ〓ニ誤ル】念而。結義之。玉緒云者。人將解八方。
あしのねの。ねもころもひて。むすびてし。たまのをといはば。ひととかめやも。
 
義之は、羲之の誤なる事既に言へり。アシノネはネモコロと重ね言はん爲めなり。人トカメヤモは、よもさくる人は有らじと言ふを譬ふ。
 
1325 白玉乎。手者不纒爾。匣耳。置有之人曾。玉令泳流。
しらたまを。てにはまかずに。はこのみに。おけりしひとぞ。たまおぼらする。
 
爾は?の字の誤なるべし。マカズシテと言ふべきを、マカズニと言ふは俗語なり。マカズテと有るべし。手にもまかず、箱にのみ置くは、いたづらに物を水に入れて溺れしむるに似たるを、下には契り置きながら、逢ふ事も無く、顯はれて妻ともえ定めねば、手にまかぬ玉に譬ふるなりと、契沖が言へるに據るべし。
 參考 ○手者不纏爾(代)マカナクニ(考)「纏而」(古、新)テニハマカズテ ○匣耳(考)ハコニノミ(古、新)略に同じ ○玉令泳流(代)タマヲオボラス、又はタマオボレシム(考、古)略に同じ(新)タマハフラスル「泳」を「溢」の誤とす。
 
1326 照左豆我。手爾纏古須。玉毛欲得。其緒者替而。吾玉爾將爲。
(187)てるさつが。てにまきふるす。たまもがも。そのをはかへて。わがたまにせむ。
 
テルサツは、玉商人を言ふか。サツは、幸人の意もて、賣る人をも言へるか。テルは、テラフなり。字書に、衒、行且賣也。自矜。字鏡、衒(天良波須又賣)と有り。譬への意は、今、女をもたる人有るを、いかで思ひ古せかし。我が物にせんと言ふなるべし。其緒とは、先夫を言ふならんと翁言はれき。されど照左豆の詞穩かならず。誤字なるべし。猶考へてん。
 參考 ○照左豆我(考)略に同じ(古)ワタツミノ(新)「緜都美」ワタツミガ。
 
1327 秋風者。繼而莫吹。海底。奧在玉乎。手纏左右二。
あきかぜは。つぎてなふきそ。わたのそこ。おきなるたまを。てにまくまでに。
 
親のもとなる女を思ひ懸けて詠めるなり。一二の句は、其女に逢ふまで障る事無くもがなと言ふなり。
 
寄2日本琴1
 
1328 伏膝。玉之小琴之。事無者。甚幾許。吾將戀也毛。
ひざにふす。たまのをごとの。ことなくは。いとここばくに。わがこひめやも。
 
琴を相馴れし女に譬ふ。さて吾が中に事有りて、え逢ひ難きを詠めり。卷五いかならむ日の時にかも聲しらむ人の膝のへあがまくらかむ。
  參考 ○甚幾許(代)ココダクハ(考、新)略に同じ(古)ハナハダココダ ○吾將戀也毛(考)ワ(188)ガコヒムヤム(古)アレコヒメヤモ(新)略に同じ。
 
寄v弓
 
1329 陸奧之。吾田多良眞弓。著絲而。引者香人之。吾乎事將成。
みちのくの。あたたらまゆみ。つらはげて。ひかばかひとの。わをことなさむ。
 
卷十四、陸奧歌、安太多良のねに伏すししの、同卷、みちのくの安太多良ま弓はじきおきてせらしめきなはつらはがめかもと詠めり。絲、一本絃に作るぞ善き。事ナサムは言ヒナサムなり。譬への心明らけし。アタタラは地名か。
 參考 ○著絲而(考)ツルハケテ「絲」を「絃」とす(古、新)略に同じ、但し「ケ」を清む。
 
1330 南淵之。細川山。立檀。弓束級。人二不所知。
みなぶちの。ほそかはやまに。たつまゆみ。ゆづかまくまで。ひとにしらえじ。
 
南淵、細川山、大和十市郡也。天武紀、五年勅禁2南淵細川山1並莫2蒭薪1と有り。ユヅカ、和名抄、釋名云、弓末曰v?(和名由美波數)中央曰v?(和名由美都加)と有るなり。級糸、次第也と字書に有れば、マクと訓むべからず。マデの詞添へん由も無し。恐らくは、纏及と有りしを纏の傍滅えて、及を上へ付けしにや。心を通はして後、我が領ぜんまでは、人に洩らすなと言ふに譬ふ。
 
寄v山
 
(189)1331 磐疊。恐山常。知管毛。吾者戀香。同等不有爾。
いはだたみ。かしこきやまと。しりつつも。われはこふるか。なぞへらなくに。
 
磐ほ重り嶮《さが》しき山をもて貴人に譬ふ。同等は、古纏トモと有れども事たらず。ナゾヘと訓むべし。ナゾヘラナクニは、ナゾヘニアラヌニの意なり。伊勢物語に、おふなおふな思ひはすべしなぞへ無く高き賤しき苦しかりけり、と詠めるナゾヘナクも、是れらより出でたり。
 參考 ○磐疊(考、新)略に同じ(古)イハタタム ○同等不有爾(考)ナゾヘナラヌニ(古)略に同じ(新)トモナラナクニ、又はヒトシカラヌニ。
 
1332 石金之。凝木敷山爾。入始而。山名付染。出不勝鴨。
いはがねの。こごしきやまに。いりそめて。やまなつかしみ。いでがてぬかも。
 
是れも右に同じく、同等ならぬ人を思ひそめて、え思ひ止み難きを言へり。出デガテヌは、出デガテニスルにて、ガテとガテヌと同じ事なる事上に言へり。
 參考 ○凝木敷山爾(考、新)略に同じ(古)「木凝」ココシクヤマニ。
 
1333 佐保山乎。於凡爾見之鹿跡。今見者。山夏香思母。風吹莫勤。
さほやまを。おほにみしかど。いまみれば。やまなつかしも。かぜふくなゆめ。
 
於凡二字にて、オホの假字とせり。おほよそに見し山なれど、入り立ちて見れば、花紅葉のなつかしき(190)山ぞ。風な吹そと言ひて、馴るるに付けて思ひ増すを、妨ぐる事なかれと言へる譬なり。
 
1334 奧山之。於石蘿生。恐常。思情乎。何如裳勢武。
おくやまの。いはにこけむし。かしこけど。おもふこころを。いかにかもせむ。
 
卷六、一二の句、今と同じくて、かしこくも問ひ給ふかも思ひあへなくにと有り。そこに註せり。カシコケドは、カシコケレドモなり。今は貴人を戀ふるを譬ふ。
 參考 ○恐常(代、古、新)略に同じ(考)カシコシト。
 
1335 思※[?の目が貝]。痛文爲便無。玉手次。雲飛山仁。吾印結。
おもひあまり。いともすべなみ。たまだすき。うねびのやまに。わがしめゆひつ。
 
※[?の目が貝]、一本に勝と有り。然《さ》らばオモヒカネなり。堪へ忍ばんとすれど、思ふ方の勝る意を以て斯く書きたり。シメユフは、我が領し置くと言ふを譬へたるなり。玉ダスキ、枕詞。ウネビ山は常に見る所をもて詠めるなるべし。
 參考 ○思※[?の目が貝](考)オモヒ「勝」カネ(古)オモヒ「勝」ガテ(新)略に同じ ○吾印結(考)ワレゾシメユフ(古)アレシメユヒツ(新)略に同じ。
 
寄v草
 
1336 冬隱。春乃大野乎。燒人者。燒不足香文。吾情熾。
(191)ふゆごもり。はるのおほぬを。やくひとは。やきあかぬかも。わがこころやく。
 
野を燒く人の猶も燒き足らで、吾が心さへ思ひこがるると言へり。女の歌と聞ゆ。
 參考 ○燒不足香文(古、新)ヤキタラネカモ。
 
1337 葛城乃。高間草野。早知而。標指益乎。今悔拭。
かづらきの。たかまのかやぬ。はやしりて。しめささましを。いまぞくやしき。
 
シリテは、領ジテと言ふなり。我がものにせん人を、他《アダ》し人に取られしを悔ゆるなり。拭は音を借りたるなり。或人云、拭は茂の誤か。然らばイマシクヤシモと訓むべし。是れ然るべし。
 參考 ○今悔拭(考)イマゾクヤシ「茂」モ(古、新)イマゾクヤシ「茂」モ。
 
1338 吾屋前爾。生土針。從心毛。不想人之。衣爾須良由奈。
わがやどに。おふるつちばり。こころゆも。おもはぬひとの。きぬにすらゆな。
 
和名抄本草云、王孫、一名黄孫、(和名、沼波利久佐此間云2豆知波利1)と有り。我が領ぜしなれば、外に心より深くも思はぬ人に移るなと言ふなり。
 參考 ○從心毛(古)ココロヨモ(新)略に同じ。
 
1339 鴨頭草丹。服色取。摺目伴。移變色登。?之苦沙。
つきくさに。ころもいろどり。すらめども。うつろふいろと。いふがくるしさ。
 
(192)あだなる人の、頼み難きに譬ふ。
 
1340 紫。絲乎曾吾搓。【搓ヲ※[手偏+義]ニ誤ル】足檜之。山橘乎。將貫跡念而。
むらさきの。いとをぞわがよる。あしびきの。やまたちばなを。ぬかむとおもひて。
 
搓、今本[手偏+義]と有り。元暦本に據りて改む。本は深く思ひ設くるに譬ふ。
 參考 ○念而(考、古、新)モヒテ。
 
1341 眞殊付。越能管原。吾不苅。人之苅卷。惜菅原。
またまつく。おちのすがはら。わがからず。ひとのからまく。をしきすがはら。
 
マ玉ツク、枕詞。越智は大和高市郡なり。卷十三、しなてるつくまさぬかた息長の遠智の小菅と詠めるは近江なり。何れにか。譬への心は明らけし。
 參考 ○吾不苅(考)ワレカラデ(古)ワレカラズ(新)略に同じ。
 
1342 山高。夕日隱奴。淺茅原。後見多米爾。標結申尾。
やまたかみ。ゆふひかくりぬ。あさぢはら。のちみむために。しめゆはましを。
 
カクリヌは、カクレイヌルなり。たまたま逢ひ見て飽かず別るるとて、又いつとも契らざりしを譬ふ。
 參考 ○山高(考)ヤマタカシ(古、新)略に同じ ○夕日隱奴(代)ユフヒカクレヌ(古・新)略に同じ。
 
(193)1343 事痛者。左右將爲乎。石代之。野邊之下草。吾之刈而者。
こちたくは。ともかもせむを。いはしろの。のべのしたくさ。われしかりてば。
 
逢ひ見て後は人言の繁くとも、ともかくもせんをとなり。カリテバは刈リタラバなり。
 參考 ○左右將爲乎(代)カモカクモセンヲ(考)カニカクセムヲ(古、新)カモカモセムヲ。
 
一云、紅之寫心哉《クレナヰノウツシココロヤ》、於妹不相將有《イモニアハザラム》。
 
紅はウツシと言はん料のみ。さてクレナヰより續けたるは、うつし色の心にて、下の心は現つなり。妹に逢はざりしは、現つの心にて有りしやと悔ゆる意なり。是れは右と別の歌なり。一云と有るは訝し。
 
1344 眞鳥住。卯名手之神社之。菅【菅ヲ管ニ誤ル】根乎。衣爾書付。令服兒欲得。
まとりすむ。うなてのもりの。すがのねを。きぬにかきつけ。きせむこもがも。
 
眞トリは鷲なり。ウナテは、大和高市郡|雲梯《ウナテ》にて、いと神さびたる森にて、鷲の住む故に、何と無く詠めるならん。枕詞には有らず。菅を今管に誤れり。根は實の字の誤れるにや。山菅の實を以て衣を摺らんと言ふなるべし。上にも妹が爲菅の實採に行我をと詠めれば、かたがた菅の實ならん。カキは詞のみ。是れは譬喩の歌に有らず。
 參考 ○菅根乎(考)スガノ「核」ミヲ(古、新)スガノ「實」ミヲ。
 
1345 常不。人國山乃。秋津野乃。垣津幡鴛。夢見鴨。
(194)つねならぬ。ひとぐにやまの。あきつぬの。かきつばたをし。いめにみしかも。
 
人國山、上に出づ。秋津野、大和吉野郡。不の下、知の字を脱せり。ツネシラヌと訓むべし。卷五、都禰斯良|農《ヌ》みちの長手をと詠めり。他妻《ヒトヅマ》を戀ひて夢に見しを詠めり。カキツバタは、麗はしきに譬ふ。鴛は借字にて、シは助辭なり。
 參考 ○常不(代)不の下、在脱か(考)ツネニ「不見」(古、新)ツネシラヌ、不の下「知」を補ふ。
 
1346 姫押。生澤邊之。眞田葛原。何時鴨絡而。我衣將服。
をみなへし。おふるさはべの。まくずはら。いつかもくりて。わがきぬにきむ。
 
ヲミナベシを姫神と書けるは、如何にとも心を得ず。また田葛と書けるも未だ考へず。卷四、をみなべし咲澤に生ふるかきつばたとも詠めり。譬への心はあらはなり。
 參考 ○生澤邊之(古、新)サキサハノベノ。
 
1347 於君似。草登見從。我標【標ヲ※[木+栗]ニ誤ル】之。野山之淺茅。人莫苅根。
きみににる。くさとみしより。わがしめし。ぬやまのあさぢ。ひとなかりそね。
 
卷十九、妹に似る草と見しよりわがしめし野べの山ぶきたれかたをりしと言ふに似たり。淺茅の秋色付くを女に譬へたり。女を指して、君と言へる例有り。
 參考 ○野山之淺茅(古)ヌノ「上」ヘノアサヂ(新)略に同じ。
 
(195)1348 三嶋江之。玉江之薦乎。從標之。己我跡曾念。雖未苅。
みしまえの。たまえのこもを。しめしより。おのがとぞおもふ。いまだからねど。
 
ミシマ江 攝津。未だ相見ずして、心に領ぜしを譬ふ。
 參考 ○跡曾念(古、新)トゾモフ。
 
1349 如是爲而也。尚哉將老。三雪零。大荒木野之。小竹爾不有九二。
かくしてや。なほやおいなむ。みゆきふる。おほあらきぬの。しぬならなくに。
 
神名帳、大和宇智郡荒木神社と有る所なるべし。卷十一、かくしてや猶や成なむ大荒木の浮田のもりのしめならなくにと詠めり。是れは或は朽の誤として、戀の虚しく成りなんと言ふにて心明らけきを、今は其歌を誤り傳へたるならん。されど此ままにて解かば、斯くの如く、人に逢はずしてや打萎れて、年の老い行かんと言ふを添へしと言ふべし。古今集、ささのはに降り積む雪のうれを重みもとくだち行く我がさかりはもと詠めるも相似たり。
 參考 ○小竹爾不有九二(代)ササニ(考、新)略に同じ(古)シヌニアラナクニ。
 
1350 淡海之哉。八橋乃小竹乎。不造矢而。信有得哉。戀敷鬼乎。
あふみのや。やばせのしぬを。やはがずて。まことありえむや。こひしきものを。
 
矢橋の小竹なれば、矢に造《は》ぐべきを、はかぬと言ふに、和が領ずべきに定まりて有りながら、領じ得ぬ(196)を譬へたり。末は誠に、世にえ在りながらふべけんやと言ふなり。四の句サネアリエムヤとも訓むべけれど、卷十五、おもはずも麻許等安里衣牟也と有れば、斯く訓めり。
 參考 ○不造矢而(代)ヤハカズテ、又はヤニハカズテ(考)ヤニハガデ(古、新)略に同じ ○信有得哉(代)マコトアリエムヤ(考)サネアリ(古)略に同じ(新)マコト、又はサネ。
 
1351 月草爾。衣者將摺。朝露爾。所沾而後者。徙去友。
つきくさに。ころもはすらむ。あさつゆに。ぬれてのちには。うつろひぬとも。
 
露に濡れては、移ろひ安けれど、先づ色の麗はしきに賞でて、衣摺らんとなり。譬ふる心は明らかなり。
 
1352 吾情。湯谷絶谷。浮蓴。邊毛奧毛。依勝益士。
わがこころ。ゆたにたゆたに。うきぬなは。へにもおきにも。よりがてましを。
 
ユタニタユタニ、たゆたふを重ね言ふ詞なり。タユタフは、集中、猶豫不定と書ける意なり。和名抄、蓴、(沼奈波)水菜也云云。我が心のいづ方へも寄りつき難きを、浮蓴に添へたり。池にも沖を詠む事は既に言へり。結句のヲに心無し。添へたる詞のみ。
 參考 ○依勝益士(新)ヨリカツマシジ。
 
寄v稻
 
1353 石上。振之早田乎。雖不秀。繩谷延與。守乍將居。
いそのかみ。ふるのわさだを。ひでずとも。なはだにはへよ。もりつつをらむ。
 
石上布留、既に出づ。ヒデズトモとは、穗に不v出を言ふ。早田ヲと言ふより、守リツツと言ふへ續けて見るべし。譬ふる心は、少女を戀ふるにて、心は明らかなり。
 參考 ○繩谷延與(考、古)シメダニハヘヨ(新)シメダニハヘ「弖」テ。
 
寄v木
 
1354 白菅之。眞野乃榛原。心從毛。不念君之。衣爾摺。
しらすげの。まぬのはりはら。こころゆも。おもはぬきみが。ころもにすりぬ。
 
眞野ノハリ原、卷三に出づ。此ハリ、木に寄すとて載せたれば、今の萩ならぬ事明らけし。末は、上に載せたる我がやどに生ふる士針と言ふ歌に同じく、人の物と成りたるを言ふ。
 參考 ○從毛(古)ユモ(新)略に同じ ○衣爾摺(考)スリヌ(古、新)コロモニスリツ。
 
1355 眞木柱。作蘇麻人。伊左佐目丹。借廬之爲跡。造計米八方。
まきばしら。つくるそまびと。いささめに。かりほのためと。つくりけめやも。
 
イササメは、イササカなり。卷八、卷十一に、卒爾の字をイサナミと訓みたれども、然か言ふ詞無ければ、是れもイササメと訓むべし。此字の意に當れり。宮木の料に造れるまき柱にして、いささかの借廬のためにとは思はぬと言ふに、假初めの言のなぐさに言ひ出でしには有らぬと言ふを譬へたり。
 
(198)1356 向峯爾。立有桃樹。成哉等。人曾耳言爲。汝情勤。
むかつをに。たてるもものき。なりぬやと。ひとぞささめきし。ながこころゆめ。
 
ササメクは、ササヤクにて、耳語なり。桃の實のなるに寄せて、我が中の成りぬやと、人も囁き合へば、務めて忍びて、人に知らるなと言ふなり。元暦本、成の上、將の字有りて、ナラムヤトと訓めり。
 參考 ○成哉等(新)「將」ナラムヤト。
 
1357 足乳根乃。母之其業。桑尚。願者衣爾。著常云物乎。
たらちねの。ははのそのなる。くはすらも。ねがへばきぬに。きるとふものを。
 
タラチネノ、枕詞。其業は、借字にて園に有るなり。今按ずるに、古訓のままなれば、詞は穩かなれども、桑子と言はずして、衣に著るとは言ふべからぬうへ、借字はさまざまに書きて、定まれる事無しと言へども、業をナルに用ふる事も如何がなり。是れは契沖が言へる如く、桑の下、子を落せしにて、ソノワザノクハコスラと訓むべきなり。既に卷十一にも、たらちねの母の養子《カフコ》の眉ごもりとも訓めり。さて心に懸けて深く戀ふるには、逢ふ物ぞと言ふ心を添へたるなり。
 參考 ○母之其業(考、古、新)ハハガソノナル ○桑尚(考、古)クハ「子」コスラ(新)クハスラモ ○著常云物乎(考)略に同じ(古)キルチフモノヲ(新)「變」ナルトフモノヲ。
 
1358 波之吉也思。吾家乃毛桃。本繁。花耳開而。不成在目八方。
(199)はしきやし。わぎへのけもも。もとしげく。はなのみさきて。ならざらめやも。
 
毛桃は、實に毛の生ひたるさまなる物なれば言ふなるべし。モトシゲクは、唯だ木の茂きを言ふ。譬への心は明らけし。
 參考 ○本繁(新)モトシゲミ。
 
1359 向岡之。若楓木。下枝取。花待伊間爾。嘆鶴鴨。
むかつをの。わかかつらのき。しづえとり。はなまついまに。なげきつるかも。
 
伊間の伊は、發語のみ。卷十、青柳の糸の細紗を春風にみだれぬ伊間にみせむ子もがもと言ふに同じ。若楓の下枝に手も觸るるばかり、しめ置けども、花を待つ間の待ち遠きを歎くと言ひて、少女を戀るを添へたり。
 參考 ○若楓木(古)略に同じ(考)ワカカヘデノキ(新)楓は櫻などの誤か。
 
寄v花
 
1360 氣緒爾。念有吾乎。山治左能。花爾香君之。移奴良武。
いきのをに。おもへるわれを。やまぢさの。はなにかきみが。うつろひぬらむ。
 
卷十一、山|萵苣《チサ》の白露重みうらぶるると詠めり。和名抄、白苣云云、(和名、知散)漢語抄、用2萵苣二字1云云と有りて、園菜の部に載せて、是れ今菜類のチサに同じ。山チサと言ふは木にて、其葉彼のチサに(200)似たれば、山チサと言ふならん。此木、花は梨の如くて秋咲けりとぞ。豐後人の言へる是れなり。又和名抄本草云、賣子木(賀波如佐乃木)字鏡賣子木(河知左)と有り。是れも相似たる物なるべし。花ニカは花バカリニカと言ふ言なり。
 
1361 墨吉之。淺澤小野之。垣津幡。衣爾摺著。將衣日不知毛。
すみのえの。あささはをぬの。かきつばた。きぬにすりつけ。きむひしらずも。
 
卷十七、かきつばた衣に摺つけますらをがきそひ狩する月は來にけりとも詠めり。心に懸けて久しく成りぬれども得難きを譬ふ。
 
1362 秋去者。影毛將爲跡。吾蒔之。韓藍之花乎。誰採家牟。
あきさらば。かげにもせむと。わがまきし。からあゐのはなを。たれかつみけむ。
 
韓藍は、呉藍に同じく紅花なり。陰にせんと言ふべき物に有らず。宣長云、影は移の誤にて、ウツシモセムトと訓むべし。ウツスは染むる事を言ふなりと言へり。吾が物にせんとおほしたてし少女を、人に取られしを譬ふ。
 參考 ○影毛(考)略に同じ(古)「移」ウツシニ(新)「艶」ニホヒニ ○韓藍之花乎(古、新)カラヰノハナヲ。
 
1363 春日野爾。咲有芽子者。片枝者。未含有。言勿絶行年。
かすがぬに。さきたるはぎは。かたつえは。いまだふふめり。ことなたえこそ。
 
フフメりは、ツボメルなり。此歌より以下三首同じ人の歌なるべし。此次でを思ふに、まほに見ぬを片枝ふふめるに譬へて、せめて言のみは絶えず通はんと願ふ意と聞ゆ。行年は、所年の誤にて、ソネならん由宣長言へり。ここは必ず然か有るべし。
 參考 ○行年(考)コソ(古、新)ソネ。
 
1364 見欲。戀管待之。秋芽子者。花耳開而。不成可毛將有。
みまくほり。こひつつまちし。あきはぎは。はなのみさきて。ならずかもあらむ。
 
花は咲きたれども、實は生るや生らずやと言ふに、何時かまほに見てんと待ち待ちて、見は見つれども、終に事成らずや有らんと言ふを添へたり。
 
1365 吾妹子之。屋前之秋芽子。自花者。實成而許曾。戀益家禮。
わぎもこが。やどのあきはぎ。はなよりは。みになりてこそ。こひまさりけれ。
 
終に會ひて後、戀の増れるを言へり。
 
寄v鳥
 
1366 明日香川。七瀬之不行爾。住鳥毛。意有社。波不立目。
あすかがは。ななせのよどに。すむとりも。こころあれこそ。なみたてざらめ。
 
(202)卷五、松浦川七瀬の淀と詠めり。廣き川に瀬の多きを言ふ。さて淀と言ふより波立つと言へり。波タテヌとは、其鳥の騷がぬ事にて、我が言ひ出づるに、心有ればこそ否とも言はで有れと言ふを譬へたるなり。
 
寄v獣
 
1367 三國山。木末爾住歴。武佐左妣乃。此待鳥如。吾俟將痩。
みくにやま。こぬれにすまふ。むささびの。とりまつがごと。わをまちやせむ。
 
神名帳、越前坂井郡三國神社有り。スマフはスムを延べ言ふなり。ムササビ既に出づ。むささびが小鳥を取らんと待つ如く、妹が吾を持ちかせんとなり。將痩は借字のみ。此は衍文なり。
 參考 ○待鳥如(代、考)トリヲマツゴト(古、新)略に同じ ○吾俟將痩(考)アヲマチヤセム(古)アレマチヤセム(新)ワガマチヤセム。
 
寄v雲
 
1368 石倉之。小野從秋津爾。發渡。雲西裳在哉。時乎思將待。
いはくらの。をぬゆあきつに。たちわたる。くもにしもあれや。ときをしまたむ。
 
秋津は吉野に有り。石倉は、其處より暫く遠くて、たまたま立ち渡る雲を見るを言ふならん。今石倉は山城に在れど、此歌に言へるは大和なるべし。たまさかに見る妹を其雲に譬へて、時を待たんと言ふなり。
(203) 參考 ○小野從(代、考)略に同じ(古)ヲノヨ(新)コヽヨ、兩訓。
 
寄v雷
 
1369 天雲。近光而。響神之。見者恐。不見者悲毛。
あまぐもに。ちかくひかりて。なるかみの。みればかしこし。みねばかなしも。
 
本は唯だカシコシと言はん序なり。貴人を戀ふるを譬へたるならん。
 參考 ○見者恐(新)ミレバカシコク。
 
寄v雨
 
1370 甚多毛。不零雨故。庭立水。大莫逝。人之應知。
はなはだも。ふらぬあめゆゑ。にはたつみ。いたくなゆきそ。ひとのしるべく。
 
ニハタツミは、ニハカイヅミと言ふ言にて、雨降りて俄かに溜れる水を言ふ。多くも降らぬ雨なる物を、にはたつみのいとしも流れ行く事なかれと言ふに、逢ひ見る事の少なきに、人の知るばかり色に出づなと言ふを添へたり。
 參考 ○甚多毛(考)イトサハモ(古)ココダクモ(新)略に同じ。
 
1371 久竪之。雨爾波不著乎。恠【恠ヲ※[土+在]ニ誤ル】毛。吾袖者。干時無香。
ひさかたの。あめにはきぬを。あやしくも。わがころもでは。ひるときなきか。
 
(204)涙に干しあへぬを詠めるのみにて、譬喩歌に有らず。ナキカはナキカモなり。コロモ手、則ち袖の事なれば、直ちに袖と書けり。
 
寄v月
 
1372 三空往。月讀壯士。夕不去。目庭雖見。因縁毛無。
みそらゆく。つきよみをとこ。ゆふさらず。めにはみれども。よるよしもなし。
 
月讀神を言ひて、やがて月の事なり。古今集の、天雲のよそにも人の成り行くかさすがに目には見ゆる物から、と詠めるも此意なり。卷四、目には見て手にはとられぬ月のうちのかつらの如き妹をいかにせむとも詠めり。
 參考 ○月讀壯士(考)略に同じ(古、新)ツクヨミヲトコ。
 
1373 春日山。山高有良之。石上。菅根將見爾。月待難。
かすがやま。やまたかからし。いはのへの。すがのねみむに。つきまちがてぬ。
 
妹を菅に譬へて、月の夜逢はんと契りしを詠めるなるべし。待チガテヌは、持チカヌルなり。菅根は、菅實の誤ならんと翁は言はれき。按ずるに、斯かる所に菅の根と詠める歌、集中に多し。根にはやうなけれど、唯だ言ひ馴れたるによりて言へるのみにて、菅根とて菅の事なるべく覺ゆ。宣長云、菅根は舊郷の字の誤にて、イソノカミフルサト見ムニなるべしと言へり。猶考ふべし。
(205) 參考 ○石上(考)略に同じ(古)イソノカミ(新)イソノウヘノ ○月特難(古)ツキマチガタシ(新)略に同じ。
 
1374 闇夜者。辛苦物乎。何時跡。吾待月毛。早毛照奴賀。
やみのよは。くるしきものを。いつしかと。わがまつつきも。はやもてらぬか。
 
照ラヌカはテレカシなり。男を月に譬へて、逢はぬ間を闇の夜と言へり。
 參考 ○月毛(考)毛を之の誤とす(古)略に同じ(新)ツキ「波」ハ。
 
1375 朝霜之。消安命。爲誰。千歳毛欲得跡。吾念莫國。
あさしもの。けやすきいのち。たがために。ちとせもがもと。わがもはなくに。
 
消え安き命を千年もと思ふは、誰が爲にも思はず、唯だ君が爲に然か思ふと言ふなり。譬喩に有らず。
 參考 ○吾念莫國(考)ワガオモハナクニ(古、新)略に同じ。
 
右一首者、不v有2譬喩歌類1也。但闇夜歌人所心之故並作2此歌1。因以2此歌1載2出此次1。
 
譬喩の歌には有らざれども、闇夜の歌詠める同人の歌なれば、此次でに載すると言ふなり。心は思の誤か。
 
寄2赤土1
 
1376 山跡之。宇?乃眞赤土。左丹著。【著ノ下、者ヲ脱ス】曾許裳香人之。我乎言將成。
(206)やまとの。うだのまはにの。さにつかば。そこもかひとの。あをことなさむ。
 
著の下、一本者の字有るを善しとす。サは發語、赤土の色の沁み著くなり。近く其人に觸れなば、其れをもや人の言ひ立てんと言ふなり。
 參考 ○左丹著(代)サニツカ「經」フ(考、古、新)略に同じ。
 
寄v神
 
1377 木綿懸而。祭三諸乃。神佐備而。齋爾波不在。人目多見許曾。
ゆふかけて。まつるみもろの。かむさびて。いむにはあらず。ひとめおほみこそ。
 
此ミモロは、地名ならで神の社を言へり。本は神サビと言はん序のみ。さだ過ぎたりとて厭ふには有らず。人目の多ければこそ通はねと言ふなるべし。
 參考 ○祭三諸乃(古)イハフミモロノ(新)略に同じ。
 
1378 木綿懸而。齋此神社。可超。所念可毛。戀之繁爾。
ゆふかけて。いむこのもりも。こえぬべく。おもほゆるかも。こひのしげきに。
 
他妻か又いつき籠めたる女を添へしなるべし。卷十一、ちはやぶる神のいがきもこえぬべしいまはわが名のをしけくもなし。
 參考 ○齋此神社(代、考、新)略に同じ(古)イハフコノモリ。
 
(207)寄v河
 
1379 不絶逝。明日香川之。不逝有者。故霜有如。人之見國。
たえずゆく。あすかのかはの。よどめらば。ゆゑしもあるごと。ひとのみまくに。
 
妹がもとへ通はぬ時を、川水の淀むに譬へて、しばしも通はずは、事故有るやうに妹が思はんに、絶えず通はんと言ふなり。
 參考 ○不逝有者(代)ユカズアラバ、又はユカザラバ(考、古)略に向じ(新)ヨドメラバ、又はユカザラバ ○故霜(代)ユヱシモ、又は故をコト(考、古、新)略に同じ。
 
1380 明日香川。湍瀬爾玉藻者。雖生有。四賀良美有者。靡不相。
あすかがは。せぜにたまもは。おひたれど、しがらみあれば。なびきあはなくに。
 
上つ瀬下つ瀬に玉藻は生ひて有れども、其川中にしがらみ懸けたれば、瀬瀬の玉藻の靡き合ひ難きに、妨ぐる人有れば、寄り合はぬと言を譬ふ。
 參考 ○靡く不相(考、古)略に同じ(新)ナビキアハナク。
 
1381 廣瀬川。袖衝許。淺乎也。心深目手。吾念有良武。
ひろせがは。そでつくばかり。あさきをや。こころふかめて。わがおもへらむ。
 
大和廣瀬郡の川なり。長く垂れたる袖につくばかり淺き水を、心の淺きに譬へて、然か淺き物の何ぞや(208)心に深く思はるるならんと言ふなり。有の字ラの言に當れば、良の字餘りて聞ゆれども、斯かる書きざまも例有り。
 參考 ○吾念有良武(考)アガモヘルラム(古)アハオモヘラム(新)略に々じ。
 
1382 泊瀬川。流水沫之。絶者許曾。吾念心。不逐登思齒目。
はつせがは。ながるみなわの。たえばこそ。わがもふこころ。とげじともはめ。
 
流るる水の泡の絶ゆるを、ながらふる命の限りに譬へたるか。然無くは譬喩の歌ならで、はつせ川をかけて誓へると言ふべし。
 參考 ○流水沫之(古、新)ナガルルミヲノ「沫」を「脉」の誤とす。
 
1383 名毛伎世婆。人可知見。山川之。瀧情乎。塞敢而有鴨。
なげきせは。ひとしりぬべみ。やまがはの。たぎつこころを。せかへたるかも。
 
山川の如くたぎつ心を塞き堪へて有りとなり。常にセキアヘヌと言ふ詞の裏なり。續後紀長歌に、堰加倍留天《セカヘトドメテ》と詠めり。
 
1384 水隱爾。氣衝餘。早川之。瀬者立友。人二將言八方。
みごもりに。いきづきあまり。はやかはの。せにはたつとも。ひとにいはめやも。
 
ミゴモリニ云云は、忍ぶに堪へぬ意なり。早川の瀬に立つと意ふは、苦しくて堪へ難き事の譬へなり。(209)さて斯く苦しみに堪へずとも、吾が中の事を人に洩さんやと言ふなり。卷十一、もののふの八十氏河の早き瀬に立ちあへぬ戀も吾はするかも。
 
寄埋木
 
1385 眞?持。弓削河原之。埋木之。不可顯。事爾不有君。
まがなもて。ゆげのかはらの。うもれぎの。あらはるまじき。こととあらなくに。
 
マガナモテ、枕辭。和名抄、河内若江郡弓削(由介)神名帳、河内國若江郡弓削神社、稱コ天皇の御時、由義宮を造らせ給ひて行幸有りし事續紀に見ゆ。道鏡法師が故郷なり。埋木も終に顯はれざらんとも言ふべからぬをもて、吾が中に譬へたり。等、一本爾に作れるぞ穩かなる。されど卷三、中中に人と有らずは酒壺に。卷十二、中中に人とあらずは桑子にもと詠める類ひにて、爾と言ふべきをトと言へるも有り。猶考ふべし。宣長云、不可顯は誤字にて、不可戀と有りしなるべし。シタニ戀フベキ、コトニアラナクニと訓むべしと言へり。
 參考 ○眞?持(考)略に同じ(古、新)マガナモチ ○事等不有君(代)等は爾をよしとす(考、古、新)トとす。
 
寄v海
 
1386 大船爾。眞梶繁貫。水手出去之。奧將深。潮者干去友
(210)おほぶねに。まかぢしじぬき。こぎでにし。おきはふかけむ。しほはひぬとも。
 
今言ひ出でしを、舟漕ぎ出づるに添へ、逢ひて後思ひの永久に深からん事を、沖の汐の滿干と無く常に深きに譬へしなるべし。一本、奧の下者の字有り。
 參考 ○出去之(考)去之をコシと訓む(古、新)略に同じ。
 
1387 伏超從。去益物乎。間守爾。所打沾。浪不敷爲而。
ふしごえゆ。ゆかましものを。ひまもるに。うちぬらされぬ。なみよまずして。
 
フシゴエ、詳かならず。仙覺は富士の山の横走とす。また土左國安藝郡海邊の山道に、今伏越と言ふ地名有りと、彼國人言へり。是れにや。何處にも有れ、打寄する波のひまを覗ひて通り行くに、覗ひそこなひて、波に打濡らされたるを言ひて、守る人無き方より忍び通はんものを、然かせずして顯れたるに譬へたり。
 參考 ○伏超從(代、考、新)ユ(古)ヨ ○間守爾(考)略に同じ(古、新)マモラフニ。
 
1388 石灑。岸之浦廻爾。縁浪。邊爾來依者香。言之將繁。
いはそそぐ。きしのうら|わ《ま》に。よするなみ。へにきよればか。ことのしげけむ。
 
岸ノウラは、磯ノウラと同じく裏の意にて、入り曲れる所を意ふ。常忍びて通ふ人の、あらはなる方より來りし故にか、人に言ひ騷がるると言ふを添へたり。灑は隱の字の誤にて、イソガクレなるべし。イ(211)ハソソグとては、一首の意解けがたし。
 參考 ○石灑(代)イハソソギ(考)イハ「隱」ガクリ(古)イソ「隱」ガクリ(新)イソサラシ ○浦廻(古、新)ウラミ ○邊爾來依者香(考)略に同じ(古、新)ヘニキヨラバカ。
 
1389 礒之浦爾。來依白浪。反乍。過不勝者。雉爾絶多倍。
いそのうらに。きよるしらなみ。かへりつつ。すぎがてなくは。きしにたゆたへ。
 
妹許《イモガリ》來て歸りながら、歸り憂くて行き過ぐるに堪へざらば、しばし近きわたりに猶豫せよと言ふに譬へしなるべし。雉は岸の借字ともすべけれど、然《サ》は有らず。宣長云、雉は涯の誤なり。卷四にも、涯《キシ》のつかさと書けりと言へり。
 參考 ○過不勝者(代)スギシカテズハ(考)スギガテザラバ(古)略に同じ(新)スギシアヘズハ。
 
1390 淡海之海。浪恐登。風守。年者也將經去。?者無二。
あふみのみ。なみかしこしと。かぜまもり。としはやへなむ。こぐとはなしに。
 
人目を憚かり覗ふ程に、逢ふとは無くて、いたづらに程經たるを添へたり。此末にも似たる歌有り。
 參考 ○浪恐登(考)略に同じ(古、新)ナミカシコミト。
 
1391 朝奈藝爾。來依白浪。欲見。吾雖爲。風許増不令依。
あさなぎに。きよるしらなみ。みまくほり。われはすれども。かぜこそよせね。
 
(212)吾は見まくすれども、人は見えんとも思はぬと言ふに譬ふ。
 
寄2浦沙1
 
1392 紫之。名高浦之。愛子地。袖耳觸而。不寐香將成。
むらさきの。なたかのうらの。まなごぢに。そでのみふれて。ねずかなりなむ。
 
ムラサキノ、枕詞。卷十一に、木海の名高の浦と詠みたれば紀伊なり。宣長云、紀伊に名高と言ふ邑の内に、紫川と言ふ小川有り。是れ古への地名にて、基處に有る名高の浦には非ざるか。名高は、今も名高と言ひ名方とも言ひて、黒牛と續ける邑なりと言へり。然らば、ムラサキは枕詞には有らず。猶考ふべし。マナゴヂは眞砂道なり。袖ノミフレテは、岸の赤土ににほはすと言ふ類ひに言へるなるべし。近く觸れたるのみにて、逢ふ事も無きに早く名の立てるを添へたり。
 參考 ○愛子地(考)略に同じ(古)マナゴツチ(新)マナゴ「西」ニシ ○觸而(古)フリテ(新)フリテ、又はフレテ。
 
1393 豐國之。聞【聞ヲ間ニ誤ル】之濱邊之。愛子地。眞直之有者。何如將嘆。
とよくにの。きくのはまべの。まなごぢの。まなほにしあらば。なにかなげかむ。
 
和名抄、豐前企救郡有り。聞、今本間と有り。一本に據りて改む。眞砂道の詞より眞直と言ひ下したり。さて心の直く有らば、何をか歎かんと言ふなり。
(213) 參考 ○愛子地(古、新)マナゴツチ、但し(新)はヅ濁音 ○何如(考、新)略に伺じ(古)イカデ。
 
寄v藻
 
1394 鹽滿者。入流礒之。草有哉。見良久少。戀良久乃太寸。
しほみてば。いりぬるいその。くさなれや。みらくすくなく。こふらくのおほき。
 
妹を草に譬へたり。入リヌルは、カクレヌルと言ふが如し。見る事の少なく、戀ふる事の多きなり。太は大の誤なり。
 參考 ○入流礒之(考、新)カクルルイソノ、但し(新)は流を没の誤とす(古)略に同じ。
 
1395 奧浪。依流荒礒之。名告藻者。心中爾。疾跡成有。
おきつなみ。よするありその。なのりそは。こころのうちに。とくとなりけり。
 
ナノリソは、告ぐる事なかれと言ふ心にとりて、言はずして、心の中に解き知ると言ふか。又は疾は知の字の誤にて、シルトナリケリか。然れど成有をナリケリと訓まんも如何が。此字のままに訓まば、ヤマヒトナレリと訓むべけれど、是れも穩かならず。疾跡成有四字誤字ならん。猶考ふべし。
 參考 ○名告藻者(古)「者」を「之」の誤とす(薪)「之」にてよしとす ○疾跡成有(代)ヤマヒトナレリ(考)「靡成有」ナビクナリケリ(古)「靡相有」ナビキアヒニケリ(新)「念」モヘトナリケリ。
 
(214)1396 紫之。名高浦乃。名告藻之。於礒將靡。時待吾乎。
むらさきの。なたかのうらの。なのりその。いそになびかむ。ときまつわれを。
 
妹が近く寄り靡かん時を待つに添へたるのみ。吾ヲのヲは助辭。
 
1397 荒礒超。浪者恐。然爲蟹。海之玉藻之。憎者不有乎。【乎ヲ手ニ誤ル】
ありそこす。なみはかしこし。しかすがに。うみのたまもの。にくくはあらぬを。
 
女の父母はいさむれども、さすがに其玉藻なす妹は、憎からぬと言ふを添へたり。乎、今本手と有り。一本に據りて改めつ。
 
寄v船
 
1398 神樂聲浪之。四賀津之浦能。船乘爾。乘西意。常不所忘。
ささなみの。しがつのうらの。ふなのりに。のりにしこころ。つねわすらえず。
 
本はノリニシと言はん序にて、譬喩とも聞えず。妹が事の吾が心にのりて、常に忘られぬなり。
 
1399 百傳。八十之島廻乎。?船爾。乘西情。忘不得裳。
ももつたふ。やそのしま|わ《ま》を。こぐふねに。のりにしこころ。わすれかねつも。
 
百ツタフ、枕詞。ヤソノ島は、多くの島島を言ふ。本は、ノリニシと言はん序なり。歌の意は右と同じ
 參考 ○島廻(古、新)シマミ。
 
(215)1400 島傳。足速乃小舟。風守。年者也經南。相常齒無二。
しまつたふ。あばやのをぶね。かぜまもり。としはやへなむ。あふとはなしに。
 
上に、近江の海浪|恐《カシコ》しとと有るに同じ。アバヤは疾く行く舟を言ふ。アシを略きて、アとのみ言へり。
 
1401 水霧相。奧津小島爾。風乎疾見。船縁金都。心者念杼。
みなぎらふ。おきつをじまに。かぜをいたみ。ふねよせかねつ。こころはもへど。
 
ミナギラフは、齊明紀の歌に、あすかがは瀰儺蟻羅?都都《ミナギラヒツツ》ゆくみづの云云と有りて、瀧つ瀬ならずとも、風立ちて水のくもるを言ふ。ミナギルと言ふも同じ言なり。是れも親のいさむるか、又さらでも守る人有りて、心には思へども逢ひ難きを添へたり。
 參考 ○小島(古)コジマ(新)ヲジマ、又はコジマ。
 
1402 殊故者。奧從酒甞。湊自。邊著經時爾。可放鬼香。
ことさけば。おきゆさけなむ。みなとより。へつかふときに。さくべきものか。
 
コトサケバは、卷十三長歌に、琴酒者くににさけなむ云云。殊更に、吾を避け難れんとならばと言ふ意なり。允恭紀、許等梅涅麼《コトメデバ》はやくはめでずと有る許等の詞に同じ。ここは沖漕ぐ時には避けずして、湊よりへたに舟著く時に至りて、避くべき物かと言ひて、未だ事成らぬ程には避けずして、やや事成るべく成りて、避けん物かと言ふを譬へたり。
(216) 參考 ○殊放者(考、新)略に同じ(古)コトサカバ ○奧從酒甞(代)オキニサケナム(考)オキユサケナメ(古)オキユサカナム(新)略に同じ。
 
旋頭歌
 
1403 三幣帛取。神之祝我。鎭齊杉原。燎木伐。殆之國。手斧所取奴。
みぬさとる。みわのはふりが。いはふすぎはら。たきぎきり。ほとほとしくに。てをのとらえね。
 
三は御にて、御ヌサトルは、ハフリと言ん爲なり。イハフ杉は、卷四に、うまさけみわの祝がいはふ杉、卷十三に三諸の山に隱藏《イハフ》杉など言へり。宣長云、ホトホトは、邊《ホトリ》邊の意にて、其事に近く邊りまで至れる意なり。ここは手斧を取らるるに近かりし意なり。取られたるには有らず。凡てホトホトと言ふ詞の遣ひざま皆同じ格にて、集中にほとほと死にきと有るも、死にたるには有らず、死ぬるに近かりしを言ふなりと言へり。さてここは、其杉原に薪を採らんとして、祝《ハフ》りに見付けられて、手斧を取られんとせしと言ひて、いと人のいつく女に心を懸けて、事成らんとせし時、俄かに取り放たれしを譬へたるなり。續紀、慶雲三年の詔に、若有3百姓採2紫草1者。仍奪2其器1令2大辛苦1と有り。事は異なれど、其樣似たり。
 參考 ○三幣帛取(考)略に同じ(古、新)ミヌサトリ ○神之祝我(考)略に同じ(古、新)カミノハフリガ ○燎木伐(考)タキギコリ(古、新)略に同じ ○手斧所取奴)テヲノトラレヌ(217)(古、新)略に同じ。
 
挽歌
 
雜挽
 
1404 鏡成。吾見之君乎。阿婆乃野之。花橘之。珠爾拾都。
かがみなす。わがみしきみを。あばのぬの。はなたちばなの。たまにひろひつ。
 
鏡の如く日日に見し君と言ふなり。あば野は、皇極紀の歌に、をちかたの阿婆努能きぎしとよもさずと有りて、大和也。末は火葬して骨を拾ふを言へり。珠ニは、珠ノ如クニと言ふ意なり。
 參考 ○拾都(考、新)略に同じ(古)ヒリヒツ。
 
1405 蜻野※[口+立刀]。人之懸者。朝蒔。君之所思而。嗟齒不病。
あきつぬを。ひとのかくれば。あさまきし。きみがおもほえて。なげきはやまず。
 
秋津野に火葬して後、此野を人の言に懸けて言へば、其火葬せし君が事の思はれて、いつまでも歎きは止まずとなり。不病は、借字には不v止なり。朝蒔キシは、火葬にしたる灰をあしたに蒔き散らす事にて、宣長委しく考へたり。此末の玉梓の妹は玉かもの歌に猶言ふべし。※[口+立刀]は呼の誤なるべし。叫は於良夫にて、乎の假字に用ふべからず。
(218) 參考 ○朝蒔(代、古)略に同じ(考)マヰラマク(新)「吾」ワガマキシ ○君之所思而(考)キミガオモハレテ(古、新)略に同じ。
 
1406 秋津野爾。朝居雲之。失去者。前裳今裳。無人所念。
あきつぬに。あさゐるくもの、うせゆけば。きのふもけふも。なきひとおもほゆ。
 
此野に、日日に雲の立ちては消え行くを見れば、無き人の事を悲み思ふとなり。
 參考 ○失表者(考、古)ウセヌレバ(新)略に同じ ○前裳今裳(代、古)略に同じ(考、新)ムカシモイマモ。
 
1407 隱口乃。泊瀬山爾。霞立。棚引雲者。妹爾鴨在武。
こもりくの。はつせのやまに。かすみたち。たなびくくもは。いもにかもあらむ。
 
火葬の煙を、雲霞に見なして詠めり。
 
1408 枉語香。逆言哉。隱口乃。泊瀬山爾。廬爲云。
まが《たは》ことか。およづれごとか。こもりくの。はつせのやまに。いほりせりとふ。
 
泊瀬山に葬れるを廬りすと言ひなせり。宣長は、枉は狂の誤にてタハコトと訓むべしと言へり。此事既にも言り。
 參考 ○枉語香(考)マガゴトカ(古、新)タハゴトカ ○逆言哉(考)サカゴトトカモ(古)オヨ(219)ヅレゴトヤ(新)略に同じ ○廬爲云(考、新)略に同じ(古)イホリセリチフ。
 
1409 秋山。黄葉※[?+可]怜。浦觸而。入西妹者。待不來。
あきやまの。もみぢあはれみ。うらぶれて。いりにしいもは。まてどきまさず。
 
ウラブレ、既に出づ。入リニシは、則ち葬りたるを言ふ。
 參考 ○秋山(考)アキヤマニ(古、新)略に同じ ○黄葉※[?+可]怜(考、新)モミヂアハレト(古)略に同じ。
 
1410 世間者。信二代者。不往有之。過妹爾。不相念者。
よのなかは。まことふたよは。ゆかざらし。すぎにしいもに。あはぬおもへば。
 
卷四、うつせみの代やも二行なにすとか妹にあはずてわがひとりねむとも詠めり。身まかれば二たび逢はざるを思へば、誠に、人の世二たびは無きと言ふなり。
 參考 ○不往有之(考、新)略に同じ(古)ユカザリシ ○不相念者(考)略に同じ(古)アハナクモヘバ(新)アハヌオモヘバ、又はアハナクモヘバ。
 
1411 福。何有人香。黒髪之。白成左右。妹之音乎聞。
さきはひの。いかなるひとか。くろかみの。しろくなるまで。いもがこゑをきく。
 
吾が妹の早くみまかれるに依りて、人の上を羨むなり。
 
(220)1412 吾背子乎。何處行目跡。辟竹之。背向爾宿之。久今思悔裳。
わがせこを。いづくゆかめと。さきたけの。そがひにねしく。いましくやしも。
 
サキ竹ノ、枕詞。卷十四、かなし妹をいづちゆかめと山菅のと有りて、末全く同じ歌有り。吾が夫は何處へも行かざらん物と思ひきはめて、後ろ向きに寢し事も有りしを、今は悔ゆるなり。夫の死にし後、妻の詠めるなるべし。ネシクのクも、今シのシも助辭なり。卷十四の歌のかた、理り善し。是れは其轉ぜしなるべし。
 
1413 庭津鳥。可鷄乃垂尾乃。亂尾乃。長心毛。不所念鴨。
にはつどり。かけのたりをの。みだれをの。ながきこころも。おもほえぬかも。
 
古事記、八千矛神の御歌、爾振津登理加祁波那久云云、繼體紀にも同じ詞見ゆ。催馬樂(○神樂歌の誤か)に、庭つ鳥(○にはとりはの誤か)かけろと鳴きぬと言ひて、鷄の鳴く聲より言ふ名なり。本は、長きと言はん序にて、長キ心とはノドカナル心を言ふ。妹が死にしより、長閑なる心も無しと言ふなり。
 參考 ○亂尾乃(代、古)ミダリヲノ(新)略に同じ。
 
1414 薦枕。相卷之兒毛。在者社。夜乃深良久毛。吾惜責。
こもまくら。あひまきしこも。あらばこそ。よのふくらくも。われをしみせめ。
 
枕は、古へ薦をもてせしなり。冠辭考に委し。フクラクは、フクルを延べ言ふなり。
(221) 參考 ○吾惜責(考)略に同じ(古)アガヲシミセメ(新)ワガヲシミセメ。
 
1415 玉梓能。妹者珠氈。足氷木乃。清山邊。蒔散染。【染ハ漆ノ誤】
たまづさの。いもはたまかも。あしびきの。きよきやまべに。まけばちりぬる。
 
宣長云、マケバは上の朝蒔キシと同じくて、火葬して其灰を撒散らす事なり。清キ山ベと言へるも此故なり。さて火葬して骨を撤散らす事は、續後紀卷九。承和七年五月辛巳。後太上天皇顧命2皇太子1曰云云。予聞人没精魂皈v天。而存2冢墓1。鬼物憑v焉。終乃爲v祟、長貽2後累1。今宜2碎v骨爲v粉散2之山中1。於是中納言藤原朝臣吉野奏言。昔宇治稚彦皇子者我朝之腎明也。此皇子遺教自使v散v骨。後世效v之。(○然脱カ)是親王之事而非2帝王之迹1云云。是れ火葬に有らずしては、骨を散らすべき由無し。然るに、宇治皇子の頃火葬は無き事なり。されば、宇治稚彦皇子云云は世の誤り傳へなり。然れども斯く言ひ傳ふる事は、世の中に洽く火葬する事のひろまりて、骨を散らす習はしの有るに依りて、古へ宇治皇子の遺命より始まれる事ぞと言ひ傳へたるなるべし。然れば、後世效v之と言ふにて、骨を散らす事の有りしを知るべきなり。染は一本漆と有り。漆の誤ならん。漆はヌルと訓むべし。
 
或本歌曰。
 
1416 玉梓之。妹者|花《ハナ》可毛。足日木乃。此山影爾《コノヤマカゲニ》。麻氣者|失留《ウセヌル》。
 
是れも玉を花とせるのみにて、意右と同じ。
 
(222)覊旅歌
 
1417 名兒乃海乎。朝?來者。海中爾。鹿子曾鳴成。※[?+可]怜其水手。
なごのうみを。あさこぎくれは。わたなかに。かこぞなくなる。あはれそのかこ。
 
ナゴノ海は、上に住吉に詠めり。鹿子は、借字にて水手なり。鳴は、喚の字の誤なり。カコゾヨブナルと訓むべし。卷十五長歌、朝なぎに舟出をせむと船人毛鹿子毛許惠欲妣云云と詠めり。
 參考 ○鳴成(古)「呼」ヨブナル(新)ヨブナル。
 
萬葉集 卷第七終
 
大正十五年三月七日印刷
大正十五年三月十日發行 〔非賣品〕
日本古典全集第一回 萬葉集略解 第三
編纂者 與謝野寛
同   正宗敦夫
同   與謝野晶子   〔大正15年は1926年〕
 
 
(1)萬葉集 卷第八
 
春雜歌
 
志貴《シキノ》皇子懽御歌一首
 
天智天皇の皇子、田原天皇と謚奉れり。
 
1418 石激。垂見之上乃。左和良妣乃。毛要出春爾。成來鴨。
いはばしる。たるみのうへの。さわらびの。もえいづるはるに。なりにけるかも。
 
イハバシル、枕詞。垂水は攝津國豐島郡、神名帳、豐島郡垂水神社有り。卷七、卷十二にも、石ばしるたるみの水と詠めり。御懽は如何なる時とも知られねど、此皇子代代貴まれましし中に、慶雲元年に百戸封ぜられ、和銅七年に二百戸、靈龜元年に一品と見ゆれば、是等の時の御歌にや。此地名を詠み給へるは、封戸攝津などにも有りしにや。古へ由無く遠き地名を設け詠む事などは無ければなり。
 參考 ○毛要出春爾(考、古)モエヅルハルニ(新)略に同じ。
 
鏡《カガミ》王(ノ)女歌
 
天武紀、十二年秋七月天皇鏡姫王の家に幸し、病む訊ひ給ふ事有り。是れか。
 
(2)1419 神奈備乃。伊波瀬乃杜之。喚子鳥。痛莫鳴。吾戀益。
かみなびの。いはせのもりの。よぶこどり。いたくななきそ。わがこひまさる。
 
イハセ、大和。呼子鳥、既に出づ。字鏡に、杜、毛利と有り。
 參考 ○神奈備乃(古、新)カムナビノ。
 
駿河采女歌一首
 
1420 沫雪香。薄太禮爾零登。見左右二。流倍散波。何物花其毛。
あわゆきか。はたれにふると。みるまでに。ながらへちるは。なにのはなぞも。
 
沫雪カのカの言清むべし。ナガラヘチルは降り亂るるを言へり。卷十、きぎす鳴高圓野べに櫻花散ながらふる見む人もがも、又子松がうれゆ沫雪流とも詠めり。物の下、一本之の字有り。
 
尾張(ノ)連歌二首 名闕
 
1421 春山之。開乃乎爲黒【乎爲黒ハ手烏里ノ誤カ】爾。春菜採。妹之白紐。見九四與四門。
はるやまの。さきのたをりに。わかなつむ。いもがしらひも。みらくしよしも。
 
翁の云、乎爲黒は乎烏里の誤なり。卷六、春べには花咲乎遠里と言ふに同じと言はれき。されど此歌にては、ヲヲリは叶へりとも聞えず。宣長云、手烏里の誤にて、開は崎の借字なるべしと言へり。字鏡に、※[土+岸]、曲岸也。久萬、又太乎里、嶼山豐貌、山乃彌禰太乎利、又井太乎利など有りて、サキノタヲリは山の(3)崎のたわみたる所を言へれば、宣長の説に從ふべきなり。
 參考 ○開乃乎爲黒爾(考、新)サキノヲヲ「里」リニ(古)サキノ「手烏里」タヲリニ ○春菜採(考)略に同じ(古、新)ハルナツム。
 
1422 打靡。春來良之。山際。遠木末乃。開往見者。
うちなびく。はるきたるらし。やまのまの。とほきこぬれの。さきぬるみれば。
 
ウチナビク、枕詞。卷十に、二の句|避來之《サリクラシ》とて全く同じ歌有り。
 參考 ○開往見者(考)略に同じ(古、新)サキユクミレバ。
 
中納言阿倍廣庭卿歌一首
 
1423 去年春。伊許自而植之。吾屋外之。若樹梅者。花咲爾家里。
こぞのはる。いこじてうゑし。わがやどの。わかきのうめは。はなさきにけり。
 
伊は發語。コジは根コジと言ふに同じく掘り勤かすなり。古事記、天香山之五百津眞賢木|矣根許士爾許士而《ヲネコジニコジテ》と有り。
 
山部宿禰赤人歌四首
 
1424 春野爾。須美禮採爾等。來師吾曾。野乎奈都可之美。一夜宿二來。
はるののに。すみれつみにと。こしわれぞ。のをなつかしみ。ひとよねにける。
 
(4)菫摘むは衣摺らん料なるべし。和名抄、菫菜、俗謂2之菫葵1(須美禮)其野の景色を愛でて、歸りがてにするなり。
 
1425 足比奇乃。山櫻花。日並而。如是開有者。甚戀目夜裳。
あしびきの。やまさくらばな。ひならべて。かくさきたらば。いたもこひめやも。
 
常に咲きて在る物ならば、斯くまでいたくは思はじと、花に對ひて言ふなり。
 參考 ○甚戀目夜裳(古、新)イトコヒメヤモ。
 
1426 吾勢子爾。令見常念之。梅花。其十方不所見。雪乃零有者。
わがせこに。みせむとおもひし。うめのはな。それともみえず。ゆきのふれれば。
 
ワガセコは友を言ふ。
 
1427 從明日者。春菜將採跡。?【?ヲ?ニ誤ル】之野爾。昨日毛今日毛。雪波布利管。
あすよりは。わかなつまむと。しめしぬに。きのふもけふも。ゆきはふりつつ。
 
シメシ野は地名に有らず、領じ置きたる野なり。
 參考 ○春菜(古、新)ハルナ。
 
草香山歌一首
 
古事記、雄略條、久佐加辨のこちの山云云、河内國河内郡なり。
 
(5)1428 忍照。難波乎過而。打靡。草香乃山乎。暮晩爾。吾越來者。山毛世爾。咲有馬醉木乃。不惡。君乎何時。往而早將見。
おしてる。なにはをすぎて。うちなびく。くさかのやまを。ゆふぐれに。わがこえくれば。やまもせに。さけるあしびの。にくからぬ、きみをいつしか。ゆきてはやみむ。
 
オシテル、ウチナビク、枕詞。山モセニは、山も狹き程になり。馬醉木は既に出づ。其あしびの花の如くと言ふを籠めたり。君とは女より男を指して言へる集中に多かれど、又男より女を指して言へりと見ゆるも少なからず。此卷の末、家持卿の吾君にわけは戀《コフ》らしとも詠みたるは、女を指して言へれば、今も妹を君と言へるなるべし。
 參考 ○咲有馬醉木(考)アシミ乃(古)略に同じ(新)サケルアセミノ ○不惡(考)ニクカラズ(古)アシカラヌ(新)ニクカラヌ。
 
右一首。依2作者微1不v顯2名字1
 
櫻花歌一首并短歌
 
1429 ※[女+感]嬬等之。頭挿【挿頭今頭挿ニ誤ル】乃多米爾。遊士之。蘰之多米等。敷座流。國乃波多弖爾。開爾鷄類。櫻花能。丹穗日波母安奈何。【何一本爾ニ作ル】
をとめらが。かざしのために。みやびをが。かづらのためと。しきませる。くにのはたてに。さきにける。(6)さくらのはなの。にほひはもあなに。
 
遊士、ミヤビヲと訓むべき事既に言へり。此歌、數座《シキマセ》ルの上に句の脱ちたるなるべし。ハタテは、ハテと言ふに同じく、ここは廣く國の極みと言ふ意と聞ゆ。古事記、おほみやの袁登都波多傳《ヲトツハタテ》、また志毘賀波多傳爾《シビガハタテニ》つまたてりみゆ。此ハタテとは異なるべし。何、一本爾に作る。アナニは、紀に、妍哉をアナニエヤと詠める如く、褒め言へるなり。宣長は、何は荷の誤ならんかとも言へり。
 參考 ○遊士之(考)ミヤビトノ(古、新)略に同じ ○(代)シキマセルの上にヤスミシシ、ワガオホキミノなど脱か ○安奈何(代、新)アナニ(考)ア「者例」ハレ(古)略に同じ。
 
反歌
 
1430 去年之春。相有之君爾。戀爾手師。櫻花者。迎來良之母。
こぞのはる。あへりしきみに。こひにてし。さくらのはなは。むかへくらしも。
 
去年櫻を賞でし人を花も戀ひつつ、此春も其人を迎へんとてこそ花の咲きたるならめと、櫻の心をはかりて詠めるか。宣長は右の長歌は脱句有りて、春山を人の越え行く事の有りしなるべし。さて此反歌に迎へとは詠めるなり。然らざれば迎へと言ふ事よし無しと言へり。さも有るべし。
 參考 ○戀爾手師(代、考)略に同じ(古)コヒニテ「伎」キ(新)コヒニ「師乎」シヲ ○迎來良之母(考)略に同じ(古)ムカヘケラシモ(新)ムカヒクラシモ。
 
(7)右二首、若宮年魚麿誦v之。 あゆ麻呂の古歌をとなへしなり。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
431 百濟野乃。芽古枝爾。待春跡。居之?。鳴爾鷄鵡鴨。
くたらぬの。はぎのふるえに。はるまつと。すみ《をり》しうぐひす。なきにけむかも。
 
クタラ野、大和十市郡。卷二に、言さへぐ百濟の原と詠めり。
 參考 ○居之?(古)「來居」キヰシウグヒス(新)ヲリシウゲヒス。
 
大伴坂上郎女柳歌二首
 
1432 吾背兒我。見良牟佐保道乃。青柳乎。手折而谷裳。見綵【綵ハ縁ノ誤カ】欲得。
わがせこが。みらむさほぢの。あをやぎを。たをりてだにも。みむよしもがも。
 
見ラムは見ルラムなり。綵欲得、イロニモガと訓みたれど由無し。契沖が言へる如く、綵は縁の誤なるべし。わが夫子《セコ》には逢ひ難くとも、せめて背子が通ひ路の柳をだに手折る由も有れかしと願へるなり。
 參考 ○見綵欲得(代)ミル「縁」ヨシモガモ(考)ミル「縁」ヨシモガモ(古、新)略に同じ。
 
1433 打上。佐保能河原之。青柳者。今者春部登。成爾鷄類鴨。
うちのぼる。さほのかはらの。あをやぎは。いまははるべと。なりにけるかも。
 
打ノボル、枕詞。是れは太宰に在りて詠めるなるべし。
(8) 參考 ○打上(代、考、新)略に同じ(古)ウチアグル。
 
大伴宿禰三林梅歌一首 林は依の誤か。三依は既に出づ。
 
1434 霜雪毛。未過者。不思爾。春日里爾。梅花見都。
しもゆきも。いまだすぎねば。おもはぬに。かすがのさとに。うめのはなみつ。
 
過ギネバは過ギヌニと言ふを、斯く言ふは例なり。
 
厚見王歌一首
 
1435 河津鳴。甘南備河爾。陰所見。今哉開良武。山振乃花。
かはづなく。かみなびがはに。かげみえて。いまやさくらむ。やまぶきのはな。
 
カミナビ川、既に出づ。
 
大伴宿禰村上梅歌二首 續紀、寶龜三年四月從五位下阿波守と見ゆ。
 
1436 含有常。言之梅我枝。今旦零四。沫雪二相而。將開可聞。
ふふめりと。いひしうめがえ。けさふりし。あわゆきにあひて。さきぬらむかも。
 
フフムはツボムなり。
 參考 ○今旦(考)ケフ(古、新)略に同じ。
 
1437 霞立。春日之里。梅花。山下風爾。落許須莫湯目。
かすみたち。かすがのさとの。うめのはな。あらしのかぜに。ちりこすなゆめ。
 
(9)霞立、枕詞。アラレフリカシマと續く如く、カスミタチと訓むべし。散リコスナは、コソナと言ふにて、コソと願ふ詞に勿《ナ》と言ふ詞を添へて、散る事なかれと願ふ意に成るなり。
 參考 ○霞立(代)略に同じ(古、新)カスミタツ ○山下風爾(考、新)ヤマノアラシニ(古)略に同じ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
1438 霞立。春日里之。梅花。波奈爾將問常。吾念奈久爾。
かすみたち。かすがのさとの。うめのはな。はなにとはむと。わがもはなくに。
 
本《モト》は時の物をもてやがて花ニと言はん爲の序なり。宣長云、花ニトフとは華華しくあだに問ふ意なり。卷廿、まひしつつきみがおほせるなでしこが花のみとはむ君ならなくに、と言ふと同じと言へり。
 參考 ○霞立(代)略に同じ(古、新)カスミタツ。
 
中臣朝臣|武良自《ムラジ》歌一首
 
1439 時者今者。春爾成跡。三雪零。遠山邊爾。霞多奈婢久。
ときはいまは。はるになりぬと。みゆきふる。とほやまのべに。かすみたなびく。
 
雪の降りたるが上に、霞の棚引けるなり。
 參考 ○遠山邊爾(古)トホキヤマヘニ(所)トホキヤマヘ「毛」モ。
 
(10)河邊朝臣東人歌一首
 
1440 春雨乃。敷布零爾。高圓。山能櫻者。何如有良武。
はるさめの。しくしくふるに。たかまとの。やまのさくらは。いかにあるらむ。
 
シクシクは重重なり。花の長雨に移ろはん事を思ふなり。
 參考 ○何如有良武(古)略に同じ(新)イカニカアルラム。
 
大伴宿禰家持?歌一首
 
1441 打霧之。雪者零乍。然爲我二。吾宅乃苑爾。?鳴裳。
うちきらし。ゆきはふりつつ。しかすがに。わぎへのそのに。うぐひすなくも。
 
ウチキラシのウチは詞、キラシは霧を延べたる言にて、曇り隔つる意なり。シカスガニは、然シナガラニなり。サスガニと言ふも同じ。ワギヘは、ワガイヘを約め言ふなり。卷五、和企幣《ワキヘ》、また和我覇《ワガヘ》とも有れば、ワガヘとも訓むべし。
 參考 ○吾宅(古、新)ワギヘ。
 
大藏少輔丹比屋主眞人歌一首
 
1442 難波邊爾。人之行禮波。後居而。春菜採兒乎。見之悲也。
(11)なにはべに。ひとのゆければ。おくれゐて。わかなつむこを。みるがかなしさ。
 
人は其妹が夫をいふべし。ゆければは、ゆけるにといふ意なり。夫に別居てひとり菜つめるを見て憐れむなり。也は徒らに書き添へたるにて例有り。
 參考 ○春菜(考)略に同じ(古、新)ハルナ。
 
丹比眞人乙麿歌一首
 
目録に屋主眞人第二之子也と有り。續紀、天平神護元年、正六位上多治眞人乙麻呂授2從五位下1と見ゆ。
 
1443 霞立。野上乃方爾。行之可波。?鳴都。春爾成良思。
かすみたつ。ののへのかたに。ゆきしかば。うぐひすなきつ。はるになるらし。
 
野ノヘは、いづくにも有れ野の上なり。地名に有らず。
 參考 ○野上(古、新)ヌノヘ。
 
高田女王歌一首 高安之女也。 此註一本に無し。
 
1444 山振之。咲有野邊乃。都保須美禮。此春之雨爾。盛奈里鷄利。
やまぶきの。さきたるのべの。つぼずみれ。このはるのあめに。さかりなりけり。
 
スミレは含める如くなる花なれば、ツボズミレと言ふなるべし。
 參考 ○都保須美禮(古)ツホスミレ、「ホ」も「ス」も清音(新)ツボスミレ、「ス」は清音。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(12)1445 風交。雪者雖零。實爾不成。吾宅之梅乎。花爾令落莫。
かぜまじり。ゆきはふるとも。みにならぬ。わぎへのうめを。はなにちらすな。
 
二の句より結句へ懸かる隔句の體なり。ハナニはアダニと言ふ語にて、未だ逢ひも見ぬ男のうへを言ひ騷ぐ事なかれと言ふ譬歌か。又唯だ譬へには有らずして、梅を惜みて詠めるか。
 參考 ○實爾不成(古)略に同じ(新)ミニナラム、不を將の誤とす。
 
大伴宿禰家持養?歌一首  目録に養を春に作るを善しとす。
 
1446 春野爾。安佐留?乃。妻戀爾。己我當乎。人爾令知管。
はるののに。あさるきぎしの。つまごひに。おのがあたりを。ひとにしれつつ。
 
シレツツは、シラシメツツを約め言ふなり。是れは歌の詞に依りて雉の歌と端詞せれど、己が思ひ餘りて言に出でしより、他《アダ》し人に知られたるを添へたる譬歌なるべし。
 參考 ○安佐留?乃(考)キギス(古、新)略に同じ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1447 尋常。聞者苦寸。喚子鳥。音奈都炊。時庭成奴。
よのつねに。きくはくるしき。よぶこどり。こゑなつかしき。ときにはなりぬ。
 
暮春の頃など此鳥の聲面白ければ、大方《オホカタ》は聞きて物思ひ勝《マサ》る物ながら待たるるとなり。呼子鳥、既に言(13)へり。
 
右一首天平四年三月一日佐保宅作。 郎女の父大伴安麻呂卿の家なり。
 
春相聞
 
大伴宿禰家持贈2坂上家之大嬢1歌一首
 
1448 吾屋外爾。蒔之瞿麥。何時毛。花爾咲奈武。名蘇經乍見武。
わがやどに。まきしなでしこ。いつしかも。はなにさかなむ。なぞへつつみむ。
 
瞿麥の花咲かば、妹になぞらへ見んをとなり。
 參考 ○花爾咲奈武(代、古、新)ハナニサカナム。
 
大伴田村家之【之ヲ今毛ニ誤ル】大嬢與2妹坂上大嬢1歌一首
 
1449 茅花拔。淺茅之原乃。都保須美禮。今盛有。吾戀苦波。
つばなぬく。あさぢがはらの。つぼすみれ。いまさかりなり。わがこふらくは。
 
上は盛りなりと言はん序のみ。姉妹相思ふを言ふ。
 參考 ○茅花拔(考、新)略に同じ(古)チバナヌク。
 
大伴宿禰坂上郎女歌一首
 
(14)郎女に斯くかばねを書ける例集中に無し。是れは禰の下、家持贈の三字を脱せるなり。
 
1450 情具伎。物爾曾有鷄類。春霞。多奈引時爾。戀乃繁者。
こころぐき。ものにぞありける。はるがすみ。たなびくときに。こひのしげきは。
 
心グキは卷四、春日山霞棚引情具久。また情|八十一《グク》おもほゆるかもとも言ひて其處《ソコ》に言へり。
 
笠女郎贈2大伴家持1歌一首
 
1451 水鳥之。鴨乃羽色乃。春山乃。於保束無毛。所念可聞。
みづとりの。かものはのいろの。はるやまの。おぼつかなくも。おもほゆるかも。
 
一二の句は、春山の緑なるを言はん料にて、春山はオボツカナクと言はん序なり。卷一長歌に、花も咲けれど山をしみ入《イリ》てもとらずと言へる如く、春山を茂げき事に言ひたれば、ここも山の茂げきを覺束なきにとれるか、或は春山の霞みて覺束なきにも有るべし。卷廿に、水鳥乃可毛能羽能伊呂乃と有り。
 
紀女郎歌一首 古本に、鹿人大夫女。女曰2小鹿1安貴王之妻也と有り。
 
1452 闇夜有者。宇倍毛不來座。梅花。開月夜爾。伊而麻左自常屋。
やみならば。うべもきまさじ。うめのはな。さけるつくよに。いでまさじとや。
 
イデマサジトヤは、來マサジトヤと言ふなり。而は耐などの誤れるか。
 參考 ○闇夜有者(代、古、新)略に同じ(考)ヤミナレバ ○宇倍毛不來座(代、古、新)略に同(15)じ(考)キマサズ。
 
天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈2入唐使1歌一首并短歌
 
續紀、天平四年八月以2從四位下多治比眞人廣成1爲2遣唐大使1。從五位下中臣朝臣名代爲2副使1云云と見ゆ。
 
1453 玉手次。不懸時無。氣緒爾。吾念公者。虚蝉之。命恐。夕去者。鶴之妻喚。難波方。三津埼從。大舶爾。二梶繁貫。白浪乃。高荒海乎。島傳。伊別往者。留有。吾者幣引。【引ハ取ノ誤】齊乍。公乎者將往。【往ハ待ノ誤】早還萬世。
たまだすき。かけぬときなく。いきのをに。わがもふきみは。うつせみの。みことかしこみ。ゆふされば。たづがつまよぶ。なにはがた。みつのさきより。おほぶねに。まかぢしじぬき。しらなみの。たかきあるみを。しまづたひ。いわかれゆかば。とどまれる。われはぬさとり。いはひつつ。きみをばまたむ。はやかへませ。
 
玉ダスキ、枕詞。イキノヲは命ノカギリと言ふなり。卷九長歌に、人と成《ナル》事はかたきを云云。虚蝉之。代人有者《ヨノヒトナレバ》。大王之《オホキミノ》。御命恐美《ミコトカシコミ》。また其續きの長歌に、虚蝉乃、世人有者、大王之、御命恐|彌《ミ》と有りて、ここも彼の例に依るに、命の上に世ノ人ナレバ大キミノと言ふ二句脱ちしなるべしと契沖が言へるぞ善き。マ梶は舟の左右に立つる梶を言ふ。伊別の伊は發語。引は取の字の誤なるべし。齊は齋と通じ用(16)ふ。往は待の誤なる事しるし。
 參考 ○(代)虚蝉の下「世人有者、大王之」の脱とす(古、新)(代)に據る。
 
反歌
 
1454 波上從。所見兒島之。雲隱。穴氣衝之。相別去者。
なみのへゆ。みゆるこじまの。くもがくり。あないきづかし。あひわかれいねば。
 
兒島は備前なり。卷十一、浪間より見ゆる小嶋の濱|久木《ヒサギ》とも有り。さて結句を初句の上へ廻らし見るべし。相別れて後は、波の上より見ゆる、兒島をだに見つつなぐさまんに、そこさへ雲隱れて、ああと歎きする由をあらかじめ言ふなり。アヒ別レナバと訓みたれど、さてはイキヅカシカラムと言はでは叶はず、故《カレ》イネバと訓めり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古)略に同じ(新)クモゴモリ ○穴氣衝之(考)アナイキヅカハシ又は、アナイキヅカシ(古、新)略に同じ ○相別去者(考、古)アヒワカレナバ(新)アヒワカレユケバ。
 
1455 玉切。命向。戀從者。公之三舶乃。梶柄母我。
たまきはる。いのちにむかひ。こひむゆは。きみがみふねの。かぢからにもが。
 
玉キハル、枕詞。別れし後に死ぬばかり戀ひんよりは、君が舟の梶にも成りなんと願ふなり。梶柄は?(17)の握る所を言ふなるべし。ガはガモと言ふに同じく願ふ詞なり。三は借字にて御《ミ》なり。
 參考 ○命向(考)イノチニムカフ(古、新)略に同じ ○戀從者(古)コヒムヨハ(新)略に同じ ○梶柄母我(代)略に同じ(考)カヂカラモワガ(古、新)カヂツカニモガ、又はカヂカラニモガ。
 
藤原朝臣廣嗣櫻花贈2娘子1歌一首
 
式部卿宇合の第一子なり。
 
1456 此花乃。一與能内爾。百種乃。言曾隱有。於保呂可爾爲莫。
このはなの。ひとよのうちに。ももくさの。ことぞこもれる。おほろかにすな。
 
卷二、みよしぬの山松がえははしきかも君がみことをもちてかよはく、と詠める如く、この櫻の花に種種の言を籠めたれば、おろそけにな思ひそとなり。一ヨは一夜の事としては穩かならず。一瓣《ヒトヒラ》の事を斯く言ふなるべし。
 
娘子和(ル)歌一首
 
1457 此花乃。一與能裏波。百種乃。言持不勝而。所折家良受也。
このはなの。ひとよのうちは。ももくさの。こともちかねて。をられけらずや。
 
花一ひらの中に種種の言を籠めたれば、得堪へずして其百種の言に折られし花には有らずやとなり。
 參考 ○裏波(古)略に同じ(新)ウチ「爾」ニ ○所折家良受也(考)略に同じ(古)ヲラエケラ(18)ズヤ(新)ヲレニケラズヤ。
 
厚見王贈2久米女郎1歌一首
 
1458 屋戸在。櫻花者。今毛香聞。松風疾。地爾落良武。
やどなる。さくらのはなは。いまもかも。まつかぜはやみ。つちにおつらむ。
 
ヤドとは女郎が家を言ふ。初句四言も有れど、次の歌を合せ見るに、在の上、爾を脱せるか。
 參考 ○屋戸在(考、古)ヤドニアル(新)ヤドナル ○松風疾(考、新)マツカゼハヤミ(古)マツカゼイタミ ○落良武(考、新)略に同じ(古)チルラム。
 
久米女郎報贈歌一首
 
1459 世間毛。常爾師不有者。屋戸爾有。櫻花乃。不所比日可聞。
よのなかも。つねにしあらねば。やどにある。さくらのはなの。ちれる《うつる》ころかも。
 
不所はもとの所に有らぬ義を以て書けりと契沖言へり。チレルともウツルとも訓むべし。
 參考 ○屋戸爾有(古)略に同じ(新)ヤドナル ○不所(代)ウツル(考)ウツロフ(古)チレル(新)オツル、「不所」を「落」の誤とす。
 
紀女郎贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
1460 戯奴(變云和氣) 之爲。吾手母須麻爾。春野爾。抜流茅花曾。御食而肥座。
(19)わけがため。わがてもすまに。はるののに。ぬけるつばなぞ。めしてこえませ。
 
ワケは汝とイフ事にて、紀の女郎が戯れに賤しめて、家持卿を指してワケと言へるなり。さるに依りて、戯奴と書きて戯れなる事を顯はせり。卷四、吾君は和氣をはしねとおもへかもの歌に、宣長説を擧げて委しく言へり。合せ見るべし。戯奴の下註、變字、反に改むべしと契沖言へり。テモスマニのスマニは、宣長は數《カズ》ニの意かと言へり。下にも手もすまに植ゑしはぎにやと詠めり。猶考ふべし。茅花を食へば肥ると、古へ言ひ習はせし故、家持卿は痩せたる人なれば、斯く詠めるなるべし。
 參考 ○抜流茅花曾(古)ヌケルチバナゾ (新)略に同じ。
 
1461 晝者咲。夜者戀宿。合歡木花。君【君ハ吾ノ誤】耳將見哉。和氣佐倍爾見代。
ひるはさき。よるはこひねる。ねむのはな。われのみみむや。わけさへにみよ。
 
和名抄唐韻云、棔、和名禰布里乃木。辨色立成云睡樹。字鏡合歡樹、?。共に禰夫利と訓む。夜葉を卷くを、人の獨り戀ひ寢るにとりなせり。君ノミ見ムヤにては解くべからず。君は吾の誤なる事しるし。和氣は家持卿を指す。
 參考 ○君耳將見哉(考)キミノミミムヤ(古)アレノミミメヤ(新)ワレノミミメヤ。
 
右折2攀合歡花并茅花(ヲ)1贈也。 茅花は三月、合歡の花は六月頃咲くなれば時異なり。是れは藥に服せん爲に、拔きて貯へ置きたるを贈れるなるべし。
 
(20)大伴家持贈(リ)和(ル)歌二首
 
1462 吾君爾。戯奴者戀良思。給有。茅花乎雖喫。彌痩爾夜須。
わがきみに。わけはこふらし。たまひたる。つばなをくへど。いややせにやす。
 
此ワケは我を言へるなれども、紀女郎が歌に、戯れてわざと家持卿をワケと賤しめて言へるを受けて其ワケとのたまふ我はと言ふ意なり。彼方の戯れの詞を受けて其儘に言ふ事、今の世にも此類ひ有り。既に卷四に宣長説を擧げて委しく言へれど、是等は紛はしく、人の迷ふべき事なれば、又更に言ふのみ。君は女郎を指す。
 參考 ○給有(考)略に同じ(古、新)タバリタル ○茅花雖喫(代)ハメド(考)略に同じ(古)チバナヲハメド(新)ツバナヲクヘド、又は、ハメド。
 
1463 吾妹子之。形見乃合歡木者。花耳爾。咲而蓋。實爾不成鴨。
わぎもこが。かたみのねむは。はなのみに。さきてけだしく。みにならじかも。
 
合歡の今花なれば、斯くの如く女郎も花のみにて、若しくは遂に實には成らじかと言ふなり。
 參考 ○咲而蓋(考)サキテケダシモ(古、新)略に同じ ○實爾不成鴨(代)ナラジ(考)ミニナラヌカモ(古、新)略に同じ。
 
大伴家持贈2坂上大孃1歌一首
 
(21)1464 春霞。輕引山乃。隔者。妹爾不相而。月曾經爾來。
はるがすみ。たなびくやまの。へなれれば。いもにあはずて。つきぞへにける。
 
妹は大孃のむすめ、家持卿の妻なり。
 參考 ○隔者(考)ヘダタレバ(古)略に同じ(新)ヘダタレバ、又は、ヘナレレバ。
 
右從2久邇京1贈2寧樂宅1。
 
夏雜歌
 
藤原夫人歌(明日香清御原御宇天皇之夫人也、字曰2大原大刀自1、即新田部皇子之母也)
 
卷二に出でたる夫人なり。天武紀に、夫人藤原大臣女氷上娘生2但馬皇女1、次夫人氷上娘弟五百重娘生2新田部皇子1と有り。此二人の中いづれにや。
 
1465 霍公鳥。痛莫鳴。汝音乎。五月玉爾。相貫左右二。
ほととぎす。いたくななきそ。ながこゑを。さつきのたまに。あへぬくまでに。
 
是れは四月にほととぎすを聞きて、未だ時ならぬに繁く啼くを惜むなり。五月の玉は續命縷《クスダマ》にて、ほととぎすを賞づる餘りに、藥玉に相貫かまはしきと幼く詠めり。卷十七、わがせこは玉にもがもなほととぎすこゑに安倍奴伎手《アヘヌキテ》にまきてゆかむ。卷二十、みづらのなかに阿敝麻可《アヘマカ》ましなと有り。
(22) 參考 ○相貫(代、古、新)略に同じ(考)アヒヌク。
 
志貴皇子御歌一首
 
1466 神名火乃。磐瀬乃社之。霍公鳥。毛無之岳爾。何時來將鳴。
かみなびの。いはせのもりの。ほととぎす。ならしのをかに。いつかきなかむ。
 
毛無と書けるは、人の踏みならす地は草木の生ひざる意をもて書けり。此下に古郷の奈良思の岡と詠めり。磐瀬は大和城上部と見ゆ。ナラシも其邊か。
 
弓削《ユゲノ》皇子御歌一首 天武天皇の皇子。
 
1467 霍公鳥。無流國爾毛。去而師香。其鳴音乎。聞者辛苦母。
ほととぎす。なかるくににも。ゆきてしが。そのなくこゑを。きけばくるしも。
 
ナカルはナク有ルにて、唯だ無キと言ふ事なり。行キテシガのシは助辭。ガは願詞。
 
小治田廣瀬《ヲハリダノヒロセノ》王霍公鳥歌一首
 
天武紀、十年三月詔2廣瀬王1云云。令v記2帝紀1。持統紀、六年二月爲2留守官1。元正紀、養老六年正月卒と見ゆ。
 
1468 霍公鳥。音聞小野乃。秋風。芽【芽ヲ茅ニ誤ル】開禮也。聲之乏寸。
ほととぎす。こゑきくをぬの。あきかぜに。はぎさきぬれや。こゑのともしき。
 
(23)此歌は、今秋風立ちて芽子《ハギ》咲けるに有らず、未だ夏なるに、ほととぎすの聲の少なく乏しきは、夏の中より秋風立ちて、萩が花など咲けるにや有らんと言ふ意なり。ヌレヤはヌレバヤの意。
 
沙彌《サミ》霍公鳥謌一首 三方沙彌なるべし。姓を落せり。
 
1469 足引之。山霍公鳥。汝鳴者。家有妹。常所思。
あしびきの。やまほととぎす。ながなけば。いへなるいもし。つねにおもほゆ。
 
旅にて詠めるなるべし。イモシのシは助辭。
 參考 ○家有妹(考)妹ヲ(古、新)略に同じ。
 
刀理宣令《トリノセンリヤウ》歌一首
 
1470 物部乃。石瀬之杜乃。霍公鳥。今毛鳴奴。【奴ノ下香ヲ脱ス】山之常影爾。
もののふの。いはせのもりの。ほととぎす。いまもなかぬか。やまのとかげに。
 
物ノフノ、枕詞。ナカヌカはナケカシなり。奴の下香の字落ちたるならん。トカゲはここに書ける如く、トコ蔭の意かとも思はるれど、是れも借字にて、本蔭の意なり。本は木の事なり。紀の歌に、もとごとに花は咲けども、と言ふも木ごとになり。然ればここも山の木蔭と心得べしと翁言はれき。宣長云、トカゲはタヲ蔭なり、山のたわみたる所をタヲともタワとも言ふと言へり。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
(24)1471 戀之久婆。形見爾將爲跡。吾屋戸爾。殖之藤浪。今開爾家里。
こひしけば。かたみにせむと。わがやどに。うゑしふぢなみ。いまさきにけり。
 
戀シケバは戀ヒシカラバなり。家、一本久に作る。コヒシクハとても意同じ。前後、郭公の歌なれば、其鳥の形見にせんと言ふ意かとも見ゆれども、是れは指す人有りて詠めるなるべし。藤ナミのナミは靡の意なり。
 
式部大輔石上|竪魚《カツヲ》朝臣歌一首 續本、養老三年正月從六位下より從五位下を授くと有り。其外にも見ゆ。
 
1472 霍公鳥。來鳴令響。宇乃花能。共也來之登。問麻思物乎。
ほととぎす。きなきとよもす。うのはなの。ともにやこしと。とはましものを。
 
左註に意へる如く、大伴卿の妻、郎女みまかりしに由りて、堅魚朝臣御使にて筑紫へ下りし時の歌なれば、トモニヤコシトは、妻の亡き魂も共に來りしやと言ふなるべし。此頃既に郭公を冥途の鳥と言ふ説有りしなるべし。卯の花は唯だ郭公と同じ時なる物なれば詠めるのみ。和名抄云、本草云、溲疏、一名楊櫨(宇豆木)と有り。さて此卯花ノの能の言は、卷五、天地のともに久しくいひつげとと詠める乃に同じく、トに通ひて聞ゆる一つの體なる由宣長言へり。同じ人云、又思ふに來は成の誤にて、さて二の句にて切りて、三(○は衍か)四の句は、ムタヤナリシトと訓むべくも見ゆ。帥卿の妻は卯の花の散り失せ(25)たると共に失せて、行へも無く成りしやと郭公に問はん物をなりと言へり。猶考ふべし。卷三卷五にも此郎女の死せる事に由れる歌有り。
 參考 ○來鳴令響(考)キナキトヨマス(古、新)略に同じ ○共也來之登(考、新)略に同じ(古)ムタヤ「成」ナリシト。
 
右神龜五年戊辰太宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇v病長逝焉。于時 勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣2太宰府1。弔v喪并贈2物色1。【色一本也ニ作ル】其事既畢。驛使及【及ヲ今乃ニ誤ル】府諸卿大夫等。共登2記夷城1。而望遊之日。乃作2此歌1。
 
記夷は和名抄、筑前遠賀郡木夜あり、夜は夷を誤るか。契沖云、下座郡城邊(木乃倍)と言ふ所有り、城山と言ふもそこなるべし。第五に此きの山と詠める歌に紀の字を書けり。紀伊國の例を思ふに、今も紀の字なるべきにやと言へり。記夷にてキとのみ訓むべし。記は紀の字ならずとも然るべきなり。
 
太宰帥大伴卿和(ル)歌一首
 
1473 橘之。花散里乃。霍公鳥。片戀爲乍。鳴日四曾多寸。
たちばなの。はなちるさとの。ほととぎす。かたこひしつつ。なくひしぞおほき。
 
橘の花を亡き人に譬へ、霍公鳥を我に譬へたり。
 
大伴坂上郎女思2筑紫大城山1歌一首
 
(26)旅人卿の妹なり。卷六、天平二年十一月、大伴坂上郎女發2帥家1。上道超2筑前國宗形名兒山1之時の歌とて載せたり。此歌は筑紫より歸りて、同三年夏、都にて詠めるなるべし。
 
1474 今毛可聞。大城乃山爾。霍公鳥。鳴令響良武。吾無禮杼毛。
いまもかも。おほきのやまに。ほととぎす。なきとよむらむ。われなけれども。
 
筑前の國人の言へるは、大城の山は御笠郡、今の四王寺山の事なり。城の山とは別なる由宣長言へり。我そこに在りて聞かねども、霍公は今も鳴きとよもすらんとなり。
 
大伴坂上郎女霍公鳥歌一首
 
1475 何哥毛。幾許戀流。霍公鳥。鳴音聞者。戀許曾益禮。
なにしかも。ここばくこふる。ほととぎす。なくこゑきけば。こひこそまされ。
 
上の戀ふるは郭公を戀るにて、下の戀ふは人を戀ふるなり。何故に斯く郭公を戀ふる事ぞ、聲聞けば人戀ひしさの増るとなり。
 參考 ○幾許戀流(考、新)略に同じ(古)ココダクコフル。
 
小治田朝臣廣耳歌一首
 
續紀に、廣耳と言ふ人見えず。小治田廣千と言ふ有り、是れにや。續紀今の本、誤字多し。耳の字の草書千に似たれば、誤れるにやと契沖言へり。
 
(27)1476 獨居而。物念夕爾。霍公鳥。從此間鳴度。心四有良思。
ひとりゐて。ものおもふよひに。ほととぎす。こゆなきわたる。こころしあるらし。
 
コユはココヨリなり。物思ひを慰め顔に鳴き渡るは、心有るに似たりとなり。
 參考 ○物念(古)モノモフ(新)略に同じ ○從此間鳴度(古)コヨナキワタル(新)略に同じ。
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1477 宇能花毛。未開者。霍公鳥。佐保乃山邊。來鳴令響。
うのはなも。いまださかねば。ほととぎす。さほのやまべを。きなきとよもす。
 
サカネバは、サカヌニと言ふに同じ。集中例多し。
 參考 ○佐保乃山邊(考)略に同じ(古、新)サホノヤマベニ。
 
大伴家持橘歌一首
 
1478 吾屋前之。花橘乃。何時毛。珠貫倍久。其實成奈武。
わがやどの。はなたちばなの。いつしかも。たまにぬくべく。そのみなりなむ。
 
玉は藥玉なり。
 
大伴家持晩蝉歌一首
 
1479 隱耳。居者欝悒。奈具左武登。出立聞者。來鳴日晩。
こもりのみ。をればいぶせみ。なぐさむと。いでたちきけば。きなくひぐらし。
 
(28)和名抄爾雅註云、茅蜩一名〓(比久良之)小青蝉也と有り。
 
大伴|書持《フミモチ》歌二首 家持卿の弟也。
 
1480 我屋戸爾。月押照有。霍公鳥。心有今夜。來鳴令響。
わがやどに。つきおしてれり。ほととぎす。こころあるこよひ。きなきとよもせ。
 
オシテレリは押なべて照らせるなり。卷十一、春日山月押照れりとも詠めり。友の訪ひ來ける時詠めるなり。
 參考 ○心有今夜(新)ココロアラバココヒ。
 
1481 我屋前乃。花橘爾。霍公鳥。今社鳴米。友爾相流時。
わがやどの。はなたちばなに。ほととぎす。いまこそなかめ。ともにあへるとき。
 
我が友に逢へる時、郭公も橘に來鳴けかしとなり。
 
大伴|清繩《キヨナハ》歌一首 繩、一本綱に作る。
 
1482 皆人之。待師宇能花。雖落。奈久霍公鳥。吾將忘哉。
みなひとの。まちしうのはな。ちりぬとも。なくほととぎす。われわすれめや。
 
卯の花咲けば郭公も鳴くく故に、皆人の卯の花を待ちしを、其花も散り郭公も來鳴かず成りぬれど、郭公をば猶忘れぬとなり。
 
(29)庵(ノ)君|諸立《モロタツ》歌一首 
 
1483 吾背子之。屋戸乃橘。花乎吉美。鳴霍公鳥。見曾吾來之。
わがせこが。やどのたちはな。はなをよみ。なくほととぎす。みにぞわがこし。
 
郭公の橘をめでて來鳴くらんと思ひて見に來しと言ふなり。セコは友を指す。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1484 霍公鳥。痛莫鳴。獨居而。寐乃不所宿。聞者苦毛。
ほととぎす。いたくななきそ。ひとりゐて。いのねらえぬに。きけばくるしも。
 
 參考 ○寐乃不所宿(考)イノネラレヌニ(古、新)略に同じ。
 
大伴家持|唐棣花《ハネズノ》歌一首
 
1485 夏儲而。開有波禰受。久方乃。雨打零者。將移香。
なつまけて。さきたるはねず。ひさかたの。あめうちふらば。うつろひなむか。
 
ハネズは卷四に既に言へり。
 
大伴家持恨2霍公鳥|晩喧《オソクナクヲ》1歌二首
 
1486 吾屋前之。花橘乎。霍公鳥。來不喧地爾。令落常香。
わがやどの。はなたちばなを。ほととぎす。きなかずつちに。おとしなむとか。
 
(30)郭公の來鳴かぬ間に、橘の花を散らしめんかと言ふなり。
 參考 ○來不喧地爾(考)キナカデツチニ(古、新)略に同じ ○令落常香(代、新)チラシメムトカ(考、古)チラシナムトカ。
 
1487 霍公鳥。不念有寸。木晩乃。如此成左右爾。奈何不來喧。
ほととぎす。おもはずありき。このくれの。かくなるまでに。などかきなかぬ。
 
コノクレは木の繁く暗きなり。斯く木の茂れるまで來鳴かざらんとは思はざりきとなり。
 參考 ○奈何不來喧(考、新)略に同じ(古)ナニカキナカヌ。
 
大伴家持懽2霍公鳥1歌一首
 
1488 何處者。鳴毛思仁家武。霍公鳥。吾家乃里爾。今日耳曾鳴。
いづくには。なきもしにけむ。ほととぎす。わぎへのさとに。けふのみぞなく。
 
イヅクニハは、ヨソニハと言ふが如し。よそには早や鳴きつらん、吾が方には今日來鳴くとなり。
 
大伴家持惜2橘花1歌一首
 
1489 吾屋前之。花橘者。落過【過ヲ〓ニ誤ル】而。珠爾可貫。實爾成二家利。
わがやどの。はなたちばなは。ちりすぎて。たまにぬくべく。みになりにけり。
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1490 霍公鳥。雖待不來喧。蒲草。玉爾貫日乎。未遠美香。
(31)ほととぎす。まてどきなかず。あやめぐさ。たまにぬくひを。いまだとほみか。
 
蒲の上菖の字を落せり。此玉は藥玉なり。上にも五月ノ玉と言へり。
 
大伴家持雨日聞2霍公鳥(ノ)喧1歌一首
 
1491 宇乃花能。過者惜香。霍公鳥。雨間毛不置。從此間喧渡。
うのはなの。すぎばをしみか。ほととぎす。あままもおかず。こゆなきわたる。
 
卯の花の盛の過ぎんが惜しさにか、雨の降る日にも厭はず鳴き渡るとなり。
 參考 ○從此間(古)コヨ(新)略に同じ。
 
橘歌一首 遊行女婦
 
和名抄云、楊氏漢語抄云、遊行女兒(和名宇加禮女又云阿曾比)
 
1492 君家乃。花橘者。成爾家利。花乃有時爾。相益物乎。
きみがいへの。はなたちばなは。なりにけり。はななるときに。あはましものを。
 
成リニケリは實になりしなり。古今集に、かはづなくゐでの山ふき散りにけり花のさかりにあはましものを、と云ふに同じ。
 參考 ○君家乃(古)キミガヘノ(新)略に同じ ○花乃有時爾(代、古)略に同じ(考)ハナノサカリニ(新)ハナノアルトキニ。
 
(32)大伴村上橘歌一首
 
1493 吾屋前乃。花橘乎。霍公鳥。來鳴令動而。本爾令散都。
わがやどの。はなたちばなを。ほととぎす。きなきとよめて。もとにちらしつ。
 
モトは橘の木の下《モト》なり。トヨメテはトヨマシメテなり。
 參考 ○本爾令散都(考、新)略に同じ(古)「地」ツチニチラシツ。
大伴家持霍公鳥歌二首
 
1494 夏山之。木末乃繁爾。霍公鳥。鳴響奈流。聲之遙佐。
なつやまの。こぬれのしじに。ほととぎす。なきとよむなる。こゑのはるけさ。
 
梢の繁きを、やがて郭公の聲の頻りなるに言ひ下したりとも聞ゆれど、唯だ繁き梢の人氣《ヒトゲ》遠きに、郭公の來鳴くを詠めるなるべし。
 參考 ○木末乃繋爾(代、古)略に同じ(新)コヌレノシゲニ。
 
1495 足引之。許乃間立八十一。霍公鳥。如此聞始而。後將戀可聞。
あしびきの。このまたちぐく。ほととぎす。かくききそめて。のちこひむかも。
 
アシビキノ、枕詞もて山の事とせり。立チグクは立チクグルなり。上のクを清み、下のクを濁るべけれど、祝詞も谷具久《タニグク》と書きて、上を濁るは、言ひ下せる音便の例なり、神代紀、漏をクキと訓む。八十(33)一と書けるは、シシを十六と書けるに等し。
 
大伴家持|石竹花《ナデシコノ》歌一首
 
1496 吾屋前之。瞿麥乃花。盛有。手折而一目。令見兒毛我母。
わがやどの。なでしこのはな。さかりなり。たをりてひとめ。みせむこもがも。
 
和名抄云、瞿麥一名大蘭(和名奈天之古、一云止古奈豆)兒は女を言ふ。
 
惜v不v登2筑波山1歌一首  惜は恨の字の誤なり。
 
1497 筑波根爾。吾行利世波。霍公鳥。山妣兒令響。鳴麻志也其。
つくばねに。わがゆけりせば。ほととぎす。やまびことよめ。なかましやそれ。
 
宣長云、ナカマシヤは、鳴キハセジと言ふ語なり。此歌は筑波根に行きし人の、郭公の繁く鳴きたる事を語りたるを聞きて詠めるにて、吾が行きたらんには然か繁くは鳴くまじきに、恨めしき郭公かなと詠めるなりと言へり。ソレとは其郭公と更に言ひて、我が聞かざるを深く恨む語なり。
 
右一首高橋連蟲麻呂之歌中出。 歌の字の下、集の字脱ちたるか。
 
夏相聞
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(34)1498 無暇。不來之君爾。霍公鳥。吾如此戀常。往而告社。
いとまなみ。こざりしきみに。ほととぎす。われかくこふと。ゆきてつげこそ。
 
いとま無しとて訪はぬ君に、我が戀ふと言ふ事を言傳《コトヅテ》よかしと、郭公におほするなり。新千載集戀に、二の句キマサヌキミニとて載せたり。之は坐の字の誤なるべし。
 參考 ○不來之君爾(考)コザリシキミニ(古、新)キマサヌキミニ、「之」を座の誤とす ○吾(古)アガ(新)ワガ。
 
大伴|四繩《ヨツナハ》宴吟飲一首 卷四に、防人司佑と見ゆ。
 
1499 事繁。君者不來益。霍公鳥。汝太爾來鳴。朝戸將開。
ことしげみ。きみはきまさず。ほととぎす。なれだにきなけ。あさどひらかむ。
 
女の詠める戀の歌なるを、宴席にて友などの訪はざりしに取り成して誦せしなるべし。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1500 夏野之。繁見丹開有。姫由理乃。不所知戀者。苦物乎。
なつののの。しげみにさける。ひめゆりの。しらえねこひは。くるしきものを。
 
ヒメ百合は紅にて、殊に小さければ、夏野の草に掩はれて、咲くとも見えぬをもて、我が思ひを其戀ふる人に知られぬに譬ふ。ヒメはすべて美しくちひさき物に言ふ詞なり。乎、一本曾に作る。
(35) 參考 ○不所知戀者(考)シラレズ(古、新)略に同じ。
 
小治田朝臣廣耳歌一首
 
1501 霍公鳥。鳴峯乃上能。宇乃花之。※[厭のがんだれなし]事有哉。君之不來益。
ほととぎす。なくをのうへの。うのはなの。うきことあれや。きみがきまさぬ。
 
上はウキと言はん序なり。我を厭はしく思ふ事有ればにや、君が訪ひ來ぬと言ふなり。此君は友を言ふ。卷十に、一二の句、うぐひすの通ふ垣ねの、と替れるのみにて全く同じ歌有り。
 
大伴坂上邸女歌一首
 
1502 五月之。花橘乎。爲君。珠爾【爾ノ下、社字ヲ脱ス】貫。零卷惜美。
さつきの。はなたちばなを。きみがため。たまにこそぬけ。おちまくをしみ。
 
君に見せんと思ふ橘の實の地に落ちん事の惜ければ玉に貫きつとなり。爾の下、一本社の字有るぞ善き。
 參考 ○五月之(代、考、新)略に同じ(古)サツキ「山」ヤマ ○零卷惜美(古、新)チラマクヲシミ。
 
紀朝臣|豐河《トヨカハ》歌一首
 
1503 吾妹兒之。家之垣内之。佐由理花。由利登云者。不謌云二似。
わぎもこが。いへのかきつの。さゆりばな。ゆりといへれば。よそへぬににる。
 
(36)カキツは字の如く垣ノウチなり。ウチのウを略き、チをツに通はせたり。垣津田とも詠めれば、カキツと訓むべし。上はユリと言はん序なり。ユリはヨリにて相逢ふを言ふ。意は寄り逢はんと言ふからは、よそへ言ふに及ばぬに似るとなり。謌は諷の字の意もて書けるなるべしと翁は言はれき。卷十八、ともし火の光に見ゆるさゆり花ゆりもあはむとおもひそめてき。さゆり花ゆりもあはむとおもへこそ今のまさかもうるはしみすれ、其外にも斯く續けたる有り。宣長云、集中に後ニと言ふ事をユリと言へる例此れ彼れ有り。此歌のユリも後ニと言ふ事にて、後に逢はんと言ふなり。下句は或人、不許云二似《イナチフニニツ》なるべし。後に逢はんと言ふは不許《イナ》と言ふに似たりとなりと言へり。是れは解け難き歌なれば、とりどりの説を擧げつ。
 參考 ○家乃垣内乃(代)イヘ(考)ヤドノカキチノ(古、新)略に同じ ○由利登云者(考・古)略に同じ(新)ユリトイヘルハ ○不謌云二似(考)ヨソヘヌニニル(古、新)イナチフニニル、「謌」を「許」の誤とす。
 
高安歌一首 卷三、高安大島と云ふ是れか。
 
1504 暇無。五月乎尚爾。吾妹兒我。花橘乎。不見可將過。
いとまなみ。さつきをすらに。わぎもこが。はなたちばなを。みずかすぎなむ。
 
橘の時なる五月をすら、暇無くて見ずしてや過ぎんずらんとなり。
 
(37)大神《オホミワノ》女郎贈2大伴家持1歌一首
 
1505 霍公鳥。鳴之登時。君之家爾。往跡追者。將至鴨。
ほととぎす。なきしすなはち。きみがいへに。ゆけとおひしは。いたりけむかも。
 
君が待つらんと思ひて、郭公に疾く行けと言ひ教へ追ひ遣りつるは、到りきやと戯れて詠めり。六帖貫之、春たたむすなはちごとに君が爲千年つむべきわかななりけり。
 參考 ○鳴之登時(考)ナキシソノトキ(古、新)略に同じ ○君之家爾(古)キミカヘニ(新)キミガ家ニ。
 
大伴田村大孃與2妹坂上大孃1歌一首
 
1506 古【古ヲ舌ニ誤ル】郷之。奈良思之岳能。霍公鳥。言告遣之。何如告寸矢。
ふるさとの。ならしのをかの。ほととぎす。ことつげやりし。いかにつげきや。
 
ナラシノ岡、既に出づ。拾穗本、古を故に作る。
 
大伴家持攀2橘花1贈2坂上大孃1歌一首并短歌
 
1507 伊加登伊可等。有吾屋前爾。百枝刺。於布流橘。玉爾貫。五月乎近美。安要奴我爾。花咲爾家里。朝爾食爾。出見毎。氣緒爾。吾念妹爾。銅鏡。清月夜爾。直一眼。令覩麻而爾波。落許須奈。由米登云管。幾許。吾守物乎。宇禮多伎也。志許霍公鳥。曉之。裏悲爾。雖追雖追。尚來鳴而。徒。地爾令散者。爲便乎奈美。攀而手折都。見末世吾妹兒。
いかといかと。あるわがやどに。ももえさし。おふるたちばな。たまにぬく。さつきをちかみ。あえぬが(38)に。はなさきにけり。あさにけに。いでみるごとに。いきのをに。わがもふいもに。まそかがみ。きよきつくよに。ただひとめ。みせむまでには。ちりこすな。ゆめといひつつ。ここだくも。わがもるものを。うれたきや。しこほととぎす。あかときの。うらがなしさに。おへどおへど。なほしきなきて。いたづらに。つちにちらせば。すべをなみ。よぢてたをりつ。みませわぎもこ。
 
イカトイカトは、橘の花の咲く程を如何にと如何にと思ひて、持ちをる心を言ひて、有は居か。宣長云、イカトイカトは誤字なるべし。或人云、伊追之可等待《イツシカトマツ》の誤か。追之を加登に誤り、下の伊は衍、待を有に誤れるなり。花の咲くを何時しかと待つなりと言へり。猶考ふべし。百枝サシは、水枝サスと言ふサスに同じく、技のさし出づるなり。アエヌガニは、卷十八、橘を詠める長歌に、安由流實は玉にぬきつれ、卷十、秋づけば、み草の花の、阿要奴蟹と有りて、此ガは濁る例なり。土左人は物の熟せるを、アエヌルと言へり。ここも五月近くて既に熱《ナリ》ヌガネと言ふなり。花ニは時に成りぬるさまにと心得べし。ガニの詞は、ガネと同じく、兼て設け置く意なる事既に言へり。食は借字にて氣長くなど言へる氣なり。マソ鏡、枕詞。神代紀、白銅鏡をマスミノカガミと訓む。故《カレ》銅鏡と書けり。コスナは散る事なかれと願(39)ふ詞にて、上にも出づ。ウレタキヤ、紀に慨哉をウレタキカヤと訓む。シコは醜にて、郭公を罵る語なり。卷二、しこのますらを、卷三、しこのしこ草など言ふに同じ。卷十にも慨哉四去《ウレタキヤシコ》霍公鳥今こそは云云と詠めり。ウラ悲しは心悲しきなり。ナホシのシは助辭。
 參考 ○伊加登伊可等(古)「伊追之可等」イツシカト(新)イカトイカト ○有吾屋前爾(古、新)「待」マツワガヤドニ ○安要奴我爾(考)「要」を「弊」の誤とし、アヘヌガニ(古、新)略に同じ ○幾許(考)ココバクモ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
1508 望降。清月夜爾。吾妹兒爾。令覩常念之。屋所之橘。
もちくだち。きよきつくよに。わぎもこに。みせむとおもひし。やどのたちばな。
 
モチクダチは十五日過ぐる程を言ふ。
 參考 ○念之(古、新)モヒシ。
 
1509 妹之見而。後毛將鳴。霍公鳥。花橘乎。地爾落津。
いもがみて。のちもなきなむ。ほととぎす。はなたちばなを。つちにおとしつ。
 
二三の句、郭公の鳴きなん花橘をの意なり。
 參考 ○後毛將鳴(考、古、新)ノチモナカナム ○地爾落津(考、古、新)ツチニチラシツ。
 
(40)大伴家持贈2紀郎女1歌一首 目録に作の字無きを善しとす。
 
1510 瞿麥者。咲而落去常。人者雖言。吾標之野乃。花爾有目八方。
なでしこは。さきてちりぬと。ひとはいへど。わがしめしぬの。はなにあらめやも。
 
卷三、大伴駿河麻呂、梅の花咲て散りぬと人はいへどわがしめゆひしえだならめやも、と全く同じ。いづれをか元とせん。是れは今はた心の變れると人は言へど、吾が思ふ妹が事には有らで、他人の上を言ふならんと、紀郎女を指して詠める譬喩歌なり。
 
秋雜歌
 
崗本天皇御製歌一首
 
舒明天皇也
 
1511 暮去者。小倉乃山爾。鳴鹿之。今夜波不鳴。寢宿家良思母。
ゆふされば。をぐらのやまに。なくしかの。こよひはなかず。いねにけらしも。
 
卷九にナク鹿ノを、臥鹿ノとして、雄略天童の御製となし、左註に或本云、崗本天皇御製。不v案2正指1。因以累載と有り。小倉山は大和。卷九長歌に、龍田の山の瀧上の小鞍嶺に、と詠める山なるべし。
 
大津皇子御歌一首
 
(41)1512 經毛無。緯毛不定。未通女等之。織黄葉爾。霜莫零。
たてもなく。ぬきもさだめず。をとめらが。おるもみぢばに。しもなふりそね。
 
もみぢ葉をやがて錦になして、をとめらが織れる、とは詠み給へるなり。懷風藻に、此云云。山機霜杼織2葉錦1と作り給へるに同じ意なり。
 
穗積皇子御歌二首
 
1513 今朝之旦開。鴈之鳴聞都。春日山。黄葉家良思。吾情痛之。
けさのあさけ。かりがねききつ。かすがやま。もみぢにけらし。わがこころいたし。
 
ワガ心イタシは、秋の物がなしさの増るを言ふ。
 
1514 秋芽者。可咲有良之。吾屋戸之。淺茅之花乃。散去見者。
あきはぎは。さきぬべからし。わがやどの。あさぢがはなの。ちりぬるみれば。
 
つばなは暮春に穗に出でて、初秋に散る物なり。
 
但馬皇女【女ヲ子ニ誤ル】御歌一首(一書云子部王作)
 
1515 事繁。里爾不【不ヲ下ニ誤ル、活字不ニ作ルニヨル】住者。今朝鳴之。鴈爾副而。去益物乎。
ことしげき。さとにすまずは。けさなきし。かりにたぐひて。いなましものを。
 
一云|國爾不有者《クニニアラズハ》。
 
(42)言ひ騷がるる事有りしならん。不を今下に誤る。スマズハは、集中何何アラズハと言ふ詞にひとしくて、ここは住まんよりはと言ふ意なり。一本の國ニアラズハも、國ニアラムヨリハと言ふなり。
 參考 ○去益物乎(考、古)ユカマシモノヲ(新)略に同じ。
 
山部《ヤマベノ》王惜2秋葉1歌一首
 
天武紀に見ゆ。系譜知るべからず。又桓武天皇いまだ王におはしましける時も、山部王と申せり。何れにか。
 
1516 秋山爾。黄反木葉乃。移去者。更哉秋乎。欲見世武。
あきやまに。もみづこのはの。うつりなば。さらにやあきを。みまくほりせむ。
 
此卷末に黄變と書けり。反は變の省文なるべし。ウツルは則ち散るを言ふ。由ツルと假字書有れば、ユツリナバとも訓むべし。もみぢの散り果てなば、更にまた秋の色を見まほしく戀ふべきとなり。
 參考 ○黄反木葉乃(代)モミヅル(考、古)ニホフコノハノ(新)略に同じ。
 
長屋王歌−首
 
1517 味酒。三輪乃祝之。山照。秋乃黄葉。散莫惜毛。
うまさけを。みわのはふりが。やまてらす。あきのもみぢば。ちらまくをしも。
 
味サケヲ、枕詞。二三の句は祝《ハフリ》等が齋《イツ》きまつる山を照らすと言ふを略けるか、されど句の續き穩かなら(43)ず。宣長云、三輪ノイハヒノ、ヤマヒカルと訓むべし。イハヒノ山は神を齋きまつる山と言ふ事なりと言へり。是れ然るべきか。
 參考 ○味酒(考)略に同じ(古、新)ウマサケ、但し(新)はザと濁る ○三輪乃祝之(考)ハフリガ(古)ミワノイハヒガ(新)ミワノ「社」ヤシロノ ○山照(考、新)ヤマテラス。
 
山上臣憶良七夕歌十二首
 
1518 天漢。相向立而。吾戀之。君來益奈利。紐【紐ヲ?ニ誤ル】解設禁。
あまのがは。あひむきたちて。わがこひし。きみきますなり。ひもときまけな。
 
一云|向河《カハニムカヒテ》。
 
織女の心を詠めるなり。解キマケナは解キマウケムなり。
 參考 ○向河(考)ムカヒカハ。
 
右養老八年七月七日應v令。 續紀に、元正天皇養老七年九月神龜出。八年二月改號2神龜1よし有り。さればここは七年の誤なるべし。
 
1519 久方之。漢瀬爾。船泛而。今夜可君之。我許來益武。
ひさかたの。あまのかはせに。ふねうけて。こよひかきみが。わがりきまさむ。
 
是れも右に同じ。ワガリは妹ガリのガリに同じく、吾ガ在リカを略けるなり。一本、漢の上に天字有り(44)て、瀬の字無し。然らばアマノガハラニと訓むべし。
 
右神龜元年七月七日夜左大臣家。 長屋王の家なり。
 
1520 牽牛者。織女等。天地之。別時由。伊奈宇之呂。河向立。意空。不安久爾。嘆空。不安久爾。青波爾。望者多要奴。白雲爾。H者盡奴。如是耳也。伊伎都枳乎良武。如是耳也。戀都追安良牟。佐丹塗之。小船毛賀茂。玉纏之。眞可伊毛我母。(一云|小棹《ヲサヲ》毛何毛)朝奈藝爾。伊可伎渡。夕鹽爾。(一云夕倍爾毛)伊許藝渡。久方之。天河原爾。天飛也。領布可多思吉。眞玉手乃。玉手指更。餘宿毛。寐而師可聞。(一云伊毛左禰而師加)秋爾安良受登母。(一云秋|不待《マタズ》登母
ひこほしは。たなばたづめと。あめつちの。わかれしときゆ。いなむしろ。かはにむきたち。おもふそら。やすからなくに。なげくそら。やすからなくに。あをなみに。のぞみはたえぬ。しらくもに。なみだはつきぬ。かくのみや。いきづきをらむ。かくのみや。こひつつあらむ。さにぬりの。をぶねもがも。たままきの。まかいもがも。あさなぎに。いかきわたり。ゆふしほに。いこぎわたり。ひさかたの。あまのがはらに。あまとぶや。ひれかたしき。またまでの。たまでさしかへ。あまたいも。ねてしがも。あきにあらずとも。
 
イナムシロ、枕詞。宇は牟の誤なり。青浪は波の青きを言ふ。望ハタエヌは立つ浪に障《サヘ》られて望み見る(45)事も絶ゆるなり。白雲ニナミダハ盡キヌは、雲を見て涙の限り泣き盡くすなり。サニヌリノヲ舟は、丹土もて塗り色どりたるを言ふ。サは發語なり。集中アケノソホ舟と詠めるに同じ。玉マキノ眞カイは、古へ物に玉、鈴など付けて餝《カザリ》とせる事多し。イカキ、イコギのイは發語。カキは櫂もて水を掻くを言ふ。天飛ブヤは、天上の事なれば、冠らせたるのみにて、唯だ領巾を敷キ寢《ヌ》るなり。眞玉手ノ玉手サシカヘは、卷五長歌に同語有り。アマタイモ云云は、あまた度いねんと願ふ意か。一本の伊モサネテシガのサは發語にて、是れもいねてしがなと願ふ意なり。宣長は宿の字の上に一句脱ちたるにて、餘の字は其中の一字なるべしと言へり。
 參考 ○餘宿毛云云(代)ヨイ(考)アマタイモ、ネテシカモ(古)「餘多」アマタタビ、イモネテシカモ(新)「餘夜毛」アマタヨモ、イモネテシガモ。
 
反歌
 
1521 風雲者。二岸爾。可欲倍杼母。吾遠嬬之。(一云波之嬬乃)事曾不通。
かぜくもは。ふたつのきしに《こなたかなたに》。かよへども。わがとほづまの。ことぞかよはぬ。
 
風と雲とを言ふ。事は言なり。一本の波之ヅマは愛《ハシ》妻の意。
 參考 ○二岸爾(古、新)フタツノキシニ。
 
1522 多夫手二毛。投越都倍伎。天漢。敝【敝ヲ敞ニ誤ル】太而禮婆可母。安麻多須辨奈吉。
(46)たぶてにも。なげこしつべき。あまのがは。へだてればかも。あまたすべなき。
 
タブテは飛礫にて、今ツブテと言へり。語のもとは手棄《タウテ》なるべし。ウテはスツルと言ふ古言なり。天河は目には近く見ゆれども、隔たればにや便も無くてせん方無きとなり。
 
右天平元年七月七日夜憶良仰2觀天河1(一云帥【帥ヲ師ニ誤ル】家作) 天河の下、作の字落ちたるか。
 
帥は旅人卿なり。
 
1523 秋風之。吹爾之日從。何時可登。吾待戀之。君曾來座流。
あきかぜの。ふきにしひより。いつしかと。わがまちこひし。きみぞきませる。
 
牽牛を君と言へり。
 
1524 天漢。伊刀河浪者。多多禰杼母。伺候難之。近此瀬乎。
あまのがは。いとかはなみは。たたねども。さもらひがたし。ちかきこのせを。
 
イトは甚の意。天の河浪は甚《イト》も立たずして、殊に近けれども、川瀬を窺《ウカガ》ひ渡り難きと言ふ意なり。卷一長歌、いはひもとほり雖侍候佐母良比不得者《サモラヘドサモラヒエネバ》。卷六、風ふけば浪か立《タタ》むと伺候《サモラフ》に云云、其外にも見ゆ。
 參考 ○伺候難之(代、古、新)略に同じ(考)ウカガヒガタシ。
 
1525 袖振者。見毛可波之都倍久。雖近。度爲便無。秋西安良禰波。
そでふらば。みもかはしつべく。ちかけれど。わたるすべなし。あきにしあらねば。
 
(47)是れも天河を間近き事に言へり。
 參考 ○雖近(代、古)チカケドモ(新)チカケレド、又は、チカケドモ。
 
1526 玉蜻?。髣髴所見而。別去者。毛等奈也戀牟。相時麻而波。
かぎろひの。ほのかにみえて。わかれなば。もとなやこひむ。あふときまでは。
 
カギロヒノ、枕詞。モトナはヨシナなり。
 參考 ○玉蜻?(新)タマカギル。
 
右天平二年七月八日帥家集會。
 
1527 牽牛之。迎嬬船。己藝出良之。漢原爾。霧之立波。
ひこぼしの。つまむかへぶね。こぎづらし。あまのがはらに。きりのたてるは。
 
夕霧の立つを見て、今や妻迎へ舟漕ぎ出づらんと思ふなり。
 
1528 霞立。天河原爾。待君登。伊往還程爾。裳襴所沾。
かすみたつ。あまのがはらに。きみまつと。いかよふほどに。ものすそぬれぬ。
 
霞は春ならでも詠めり。伊は發語にて、通ふ間になり。
 
1529 天河。浮津之浪音。佐和久奈里。吾待君思。舟出爲良之母。
あまのがは。うきつのなみと。さわぐなり。わがまつきみし。ふなですらしも。
 
(48)天上の事故に浮津と言ふか。神代紀、天浮橋なども言へり。ナミトは浪ノ音を約め言へり。又翁は浮は御の誤にて、御津ノナミノトならんとも言はれき。
 參考 ○浮津之浪音(考)「彌」ミヅノナミノト(古)「御」ミツノナミノトか(新)「渡」ワタツノナミ
 
太宰諸卿大夫并官人等宴2筑前國蘆城驛家1歌二首
 
1530 娘部思。秋芽子交。蘆城野。今日乎始而。萬代爾將見。
をみなべし。あきはぎまじる。あしきのぬ。けふをはじめて。よろづよにみむ。
 
1531 珠匣。葦木乃河乎。今日見者。迄萬代。將忘八方。
たまくしげ。あしきのかはを。けふみれば。よろづよまでに。わすらえめやも。
 
玉クシゲ、枕詞。アシキノ野、アシキノ河は、則ち蘆城の驛あたりと見ゆ。
 參考 ○今日見者(考、古、新)ケフミテバ ○將忘八方(考)ワスラレメヤモ (古、新)略に同じ。
 
右二首作者未v詳。
 
笠朝臣金村伊香山作歌二首
 
和名鈔、近江に伊香郡有り。神名帳、伊香郡伊香具神社見ゆ。卷三に越前へ下りし時の歌有り。其道にての歌か。
 
(49)1532 草枕。客行人毛。往觸者。爾保比奴倍久毛。開流芽子香聞。
くさまくら。たびゆくひとも。ゆきふれば。にほひぬべくも。さけるはぎかも。
 
草マクラ、枕詞。ユキフレバは行キフレナバなり。其人の衣も色に染むべくとなり。
 參考 ○客行人毛(新)タビユクヒト「乃」ノ ○往觸者(古)略に同じ(新)ユキフレバ、又はユキフラバ。
 
1533 伊香山。野邊爾開有。芽子見者。公之家有。尾花之所念。
いかごやま。ぬべにさきたる。はぎみれば。きみがいへなる。をばなしおもほゆ。
 
故郷の友へ、詠みてやれるなるべし。
 
石川朝臣|老夫《オキナ》歌一首
 
續紀、文武天皇二年秋七月直廣肆石川朝臣小老爲2美濃守1と見ゆ。此小老の子にや。
 
1534 娘部志。秋芽子折禮。玉桙乃。道去※[果/衣]跡。爲乞兒。
をみなべし。あきはぎたをれ。たまぼこの。みちゆきづとと。こはむこのため。
 
折の上、手の字を落せしか。宣長は禮は那の誤にて、ヲラナならんと言へり。
 參考 ○秋芳子折禮(代)「子」は「手」の誤か又、アキハギヲレレとも點ず(考)ヲレレ(古、新)アキハギ「折那」ヲラナ。
 
(50)藤原宇合卿歌一首
 
1535 我背兒乎。何時曾旦今登。待苗爾。於母也者將見。秋風吹。
わがせこを。いつぞいまかと。まつなへに。おもやはみえむ。あきかぜのふく。
 
七夕の歌なるべし。面也は面|輪《ワ》の意か。卷十八、於毛|夜《ヤ》目都良之みやこがたびと、と詠めり。さて也《ヤ》と和《ワ》と通へるは、卷三、草とるかな和《ワ》と言へるも也《ヤ》に通へり。心は吾がせこがいつ來たるぞ、今來るかと待つ並《ナ》べに、面輪の見ゆべき時に成りぬと言ふなり。宣長は於は聲の誤、也は世の誤にて、聲毛世者將見《オトモセバミム》アキカゼノフケなるべし。オトは風の音なりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○於毛也者將見(新)オモヤハ「將痩」ヤセム。
 
縁達師謌一首
 
僧なるべし。
 
1536 暮相而。朝面羞。隱野乃。芽子者散去寸。黄葉早續也。
よひにあひて。あしたおもなみ。なばりぬの。はぎはちりにき。もみぢはやつげ。
 
夜逢ひて朝に面恥かしきと言ひて、隱リと言はん序とせり。さて隱リは卷一、已津物隱乃《オキツモノナバリノ》山、また同卷、幕相而朝|面無美隱《オモナミナバリ》爾加と言へる所に委しくせる如く、ナバリと訓むべし。伊賀の名張郡の野なり。ナバリは隱るる古語なる事、宣長既に言へり。也はいたづらに添へて書けるのみなり。斯かる例も有り。右(51)の卷一に、朝面無美と書ければ、ここもアシタオモナミと訓むべし。ハヤツゲは、芽子につぎて早や黄葉せよと言ふなり。
 參考 ○隱野乃(考)カクレノノ(古、新)略に同じ。
 
山上臣憶良詠2秋野花1二首 花の下、目録に歌の字有り。
 
1537 秋野爾。咲有花乎。指折。可伎數者。七種花。 (其一)
あきのぬに。さきたるはなを。およびをり。かきかぞふれば。ななくさのはな。
 
和名抄、指(於與比)と有り。オヨビ折りは指をかがむるなり。カキは詞、卷十七、かきかぞふ二がみ山。
 參考 ○指折(考)テヲヲリテ(古、新)略に同じ。
 
1538 芽之花。乎花。葛花。瞿麥之花。姫部志。又藤袴。朝顔之花。 (其二)
はぎがはな。をばなくずばな。なでしこのはな。をみなべし。またふぢばかま。あさがほのはな。
 
旋頭歌なり。牽牛花をも槿花をもアサガホと言ひしと見ゆ。彼の、夕影にこそ咲まさりけれと詠めるなどは槿花なり。此歌は何れにても有るべし。右二首にて意を詠み終りつれば、詩になぞらへて其一、其二と書けり。
 
天皇御製歌二首
 
聖武天皇なり。
 
(52)1539 秋田乃。穗田乎鴈之鳴。闇爾。夜之穗杼呂爾毛。鳴渡可聞。
あきのたの。ほだをかりがね。やみなるに《くらけきに》。よのほどろにも。なきわたるかも。
 
穗に出でし田を刈るを、鴈に言ひ懸けたり。ホドロは、ホドはホノと通ひて、夜のほのぼの明くるを言ふ。卷四、夜のほどろ我が出でくればと詠めり。
 參考 ○闇爾(考)マゲラキニ(古、新)クラケクニ。
 
1540 今朝乃旦開。鴈鳴寒。聞之奈倍。野邊能淺茅曾。色付丹來。
けさのあさけ。かりがねさむく。ききしなへ。のべのあさぢぞ。いろづきにける。
 
アサケは朝明ケなり。
 
太宰帥大伴卿歌二首
 
1541 吾岳爾。棹牡鹿來鳴。先芽之。花嬬問爾。來鳴棹牡鹿。
わがをかに。さをしかきなく。さきはぎの。はなづまとひに。きなくさをしか。
 
サキハギは初芽子《ハツハギ》なり。物は異なれど、サイバリと言へるも此サキに同じ。芽子の咲く頃、鹿の其芽子原に馴るる物なれば、芽子を鹿の妻として花ヅマとは言へり。
 
1542 吾岳之。秋芽花。風乎痛。可落成。將見人裳欲得。
わがをかの。あきはぎのはな。かぜをいたみ。ちるべくなりぬ。みむひともがも。
 
(53)三原《ミハラ》王歌一首
 
續紀、勝寶四年七月甲寅、中務卿從三位三原王薨。一品贈大(○太カ)政大臣舍人親王之子也と見ゆ。
 
1543 秋露者。移爾有家里。水鳥乃。青羽乃山能。色付見者。
あきのつゆは。うつしなりけり。みづとりの。あをばのやまの。いろづくみれば。
 
四時ともに青摺、蓁摺、花摺は有りと見ゆ。然れば古へより先づ色を紙などに染め置きて、さて何時にても、きぬに移すをウツシと言ふなるべし。水鳥は青羽と言はん料なり。青羽山は地名に有らず。此卷上に水鳥の鴨の羽の色の青山と詠みし如く、羽は借字にて葉なり。六帖にしら露はと有り。
 
湯原王七夕歌二首
 
1544 牽牛之。念座良武。從情。見吾辛吉。夜之更降去者。
ひこぼしの。おもひますらむ。こころゆも。みるわれくるし。よのふけゆけは。
 
オモヒマスは思ヒイマスなり。心ユモは心ヨリモなり。
 參考 ○從情(考)略に同じ(古)ココロユモ(新)ココロヨリ。
 
1545 織女之。袖續三更之。五更者。河瀬之鶴者。不鳴友吉。
たなばたの。そでつぐよひの。あかときは。かはせのたづは。なかずともよし。
 
袖ツグは袖サシカヘと言ふに同じ。ヨヒを三更と書きたれど、一夜の事なり。ナカズトモヨシは、ナカ(54)ズモアレカシと言ふ意なり。
 參考 ○袖續三更之(代)「三更」ヨヒ(考)ソデツグヨルノ(古、新)ソデ「纏」マクヨヒノ ○五更者(考)アカツキハ(古、新)アカトキハ。
 
市原王七夕歌一首
 
1546 妹許登。吾去道乃。河有者。附目緘結跡。夜更降家類。
いもがりと。わがゆくみちの。かはしあれば。ひとめつつむと。よぞふけにける。
 
此四の句誤字多しと見ゆ。一本目を固とし、又一本結の字無し。ここは附は脚の誤にて、脚固緘結跡をアユヒツクルトと訓まんか。皇極紀に、やまとのおしのひろせをわたらむと阿庸比?豆矩梨擧始豆矩羅符母《アヨヒタヅクリコシツクラフモ》。また卷十七に、わかくさの安由比多豆久利など詠みて、川渡らんとて、足ゆひを善くつくらふ事なり。然れば固と書けるも其意なるべし。タヅクリは今作るに有らず、ツクラフなり。右紀の歌に、コシツクラフと有るにて知るべし。宣長云、緘結跡はナダストと訓むべきか。雄略紀の歌に、阿遙比那陀須暮《アヨヒナダスモ》と有りと言へり。ナダスは正すの義かと契沖言へり。
 參考 ○道乃(新)ミチニ ○河有者(考)カハアレバ(古)カハナレバ(新)略に同じ ○附目緘結跡(代)ツクメ(考)「脚絨」アユヒムスブト(古)「脚園械結跡」アユヒナゲスト(新)「脚緘結跡」アユヒムスブト「附」を脚とし「目」を衍とす ○夜更降家類(考、古)略に同じ(新)ヨゾクダチケル。
 
(55)藤原朝臣八束歌一首
 
1547 棹四香能。芽二貫置有。露之白珠。相佐和仁。誰人可毛。手爾將卷知布。
さをしかの。はぎにぬきおける。つゆのしらたま。あふさわに。たれのひとかも。てにまかむちふ。
 
旋頭歌なり。卷十一、山しろのくせのわく子がほしといふわれ相狹丸《アフサワ》にと詠めり。是れはアフのフはハに通ひて、淡騷《アハサフ》と言ふ事なるべし。物語ふみに、アハツケキと言ふ詞に同じ。心は芽子《ハギ》を鹿の花妻とも言へば、芽子の露を鹿の貫き置ける玉として、其玉を誰人か心無くあはつけく騷ぎて、手に纏かんと言ふよと言へるなりと翁言はれき。宣長云、物語ぶみにオホザフと言ふ詞有り。是れ此アフサワの訛れるにて、其オホザフと言へる詞の意と、アフサワと全く同じと言へり。
 
大伴坂上郎女晩芽子歌一首
 
1548 咲花毛。宇都呂【呂ノ下、布ヲ脱ス】波※[厭のがんだれなし]。奧手有。長意爾。尚不如家里。
さくはなも。うつろふはうし。おくてなる。ながきこころに。なほしかずけり。
 
呂の下、布を落せり。奧手は晩稻をオクテと言ふ如く、芽子の花咲くが遲きを言ふ。すべて花は移ろふが憂き物なれば、心長く遲く咲き出づるに如《シ》かざりけりとなり。
 參考 ○宇都呂波※[厭のがんだれなし](代、考)ウツロハウキヲ(古、新)略に同じ ○長意爾(新)「意長」ココロナガキニ。
 
(56)典鑄《イモジ》正紀朝臣鹿人至2衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄1作歌一首
 
令典鑄司正一人掌d造2鑄金銀銅鐵云云1事u。跡見は城上郡なり。今|外山《トヒ》村と言ふとぞ。神武紀、金色鵄飛來て御弓弭に止る云云。時人鵄邑と號く。今鳥見と云ふは訛也と有り。
 
1549 射目立而。跡見乃岳邊之。瞿麥花。總手折。吾者持【今持字ヲ脱ス】將去。寧樂人之爲。
いめたてて。とみのをかべの。なでしこのはな。ふさたをり。われはもていなむ。ならびとのため。
 
旋頭歌なり。イメタテテ、枕詞。フサタヲリは、卷十七、わがせこがふさ手折けるをみなべしかも、とも詠みて、ふさやかに手折るなり。者の下、持を脱せり。一本に依りて改む。
 參考 ○吾者將去(考)モチイナム、「持」を補ふ(古)アハ「持」モチイナム(新)ワレハモチイナム。
 
湯原王鳴鹿歌一首
 
1550 秋芽之。落之亂爾。呼立而。鳴奈流鹿之。音遙者。
あきはぎの。ちりのまがひに。よびたてて。なくなるしかの。こゑのはるけさ。
 
萩の花の散りまがふ比、鹿の聲の遠く聞ゆるを詠めり。
 參考 ○二三句の間に「妻ヤマドヘル」の句を補ひて旋頭歌とす。
 
市原王歌一首
 
(57)1551 待時而。落鐘禮能。雨令零收。朝香山之。將黄變。
ときまちて。おつるしぐれの。あめやめて。あさかのやまの。もみぢしぬらむ。
 
和名抄、※[雨/衆]雨、小雨也。(和名之久禮)朝香山は陸奧の外聞えず。此王陸奧へ下りし事有るか。一本、收の下、開の字有り。三の句意さだかならず、誤字有らんか。考ふべし。
 參考 ○落鐘禮能(代)フレル(考)略に同じ(古)「鐘禮能雨之」ジグレノアメノ(新)ワリシシグレノ ○雨令零收(代)アメヤメテ(考)「零零低」フリフリテ(古)「零敷耳」フリシクニ(新)アメフリヤミヌ「令」を衍とす。さて「今日毛可聞」の句を補ひて旋頭歌とす。 ○將黄變(代、考)略に同じ(古)モミダヒヌラム(新)モミヂシヌラム、又はモミダヒヌラム。
 
湯原王蟋蟀歌一首
 
1552 暮月夜。心毛思怒爾。白露乃。置此庭爾。蟋蟀鳴毛。
ゆふづくよ。こころもしぬに。しらつゆの。おくこのにはに。こほろぎなくも。
 
シヌニは、しなひうらぶれと詠めるシナヒの意なり。蟋蟀、舊訓キリギリスと訓みたれど、すべて集中此字をキリギリスと訓みては、調べととのひ難ければ、翁はコホロギと訓まれしなり。和名抄、文字集略云、蜻?、精列二音、和名古保呂木と有るに據りてなり。春海云、蜻?と言ふ名は文選晉張孟陽七哀詩に、仰聽2離鴻鳴1。俯聽2蜻?吟1と見え、李善が註に、易通卦驗曰。立秋蜻?鳴。蔡?月令章句曰。蟋蟀(58)虫名。俗謂2之蜻?1と言ひ、又古詩に蟋蟀吟、蜻?吟と通はして常に言へり。斯かれば蜻?と蟋蟀とは同物なれば、蜻?に古保呂木と有るにて、古へより蟋蟀にコホロギの名有る事しるし。且和名抄に兼名苑云、蟋蟀一名蛬、和名木里木里須と見えたれば、キリギリスの名も古く言へる名なるべし。其外委しく春海論ひ置ける事有れどここに略きぬ。ナクモのモはカモの意。
 
衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首
 
1553 鐘禮能雨。無間零者。三笠山。木末歴。色附爾家里。
しぐれのあめ。まなくしふれば。みかさやま。こねれあまねく。いろづきにけり。
 
大和の三笠山なり。
 參考 〇木末(代、古、新)略に同じ(考)コスヱ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一首
 
1554 皇之。御笠乃山能。黄葉。今日之鐘禮爾。散香過奈牟。
おほきみの。みかさのやまの。もみぢばは。けふのしぐれに。ちりかすぎなむ。
 
オホキミノ、枕詞。
 
安貴王歌一首
 
1555 秋立而。幾日毛不有者。此宿流。朝開之風者。手本寒母。
(59)あきたちて。いくかもあらねば。このねぬる。あさけのかぜは。たもとさむしも。
 
アラネバは、アラヌニと言ふを斯く言ふは例なり。コノネヌル云云は、寢ぬる夜の明けし此朝と言ふ意なり。此は朝ケへ懸かれり。
 
忌部首黒麻呂歌一首
 
1556 秋田苅。借廬毛未。壞【壞ヲ壤ニ誤ル】者。鴈鳴寒。霜毛置奴我二。
あきたかる。かりほもいまだ。こぼたねば。かりがねさむし。しももおきぬがに。
 
壞を壤と有るは誤なり。此コボタネバも、右に同じくコボタヌニの意。置キヌガニは上にアエヌガニと言ふ所に言へる如く、ガネと同じ語なり。カを濁るべし。
 
故郷【郷ヲ卿ニ誤ル】豐浦寺之尼私房宴歌三首
 
持統紀五寺、大官、飛鳥川原、小墾田、豐浦、坂田と有り。光仁紀童謠に、葛城寺乃前在也、豐浦寺乃西在也云云。豐浦は推古天皇の都し給ひし所なり。此時の郡は奈良なれば、藤原の宮の方を故郷と言へり。
 
1557 明日香河。逝回岳之。秋芽子者。今日零雨。落香過奈牟。
あすかがは。ゆききのをかの。あきはぎは。けふふるあめに。ちりかすぎなむ。
 
ユキキノ岡、大和と見ゆ。宣長云。ユキタムヲカと訓みて、岡の行き廻れる所を言ひて、地名には有ら(60)じ。卷四、衣手を打廻里と有るも、卷十一、かみなびの打廻前と有るも、共に打は折の誤にて、ヲリタムト、ヲリタムクマなるべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○逝回岳之(考)ユキキノヲカノ(古、新)ユキタムヲカノ。
 
右一首丹比眞人國人。
 
1558 鶉鳴。古郷之。秋芽子乎。思人共。相見都流可聞。
うづらなく。ふりにしさとの。あきはぎを。おもふひとどち。あひみつるかも。
 
ウヅラ鳴ク、枕詞。思フ人ドチは思フ人ト共ニなり。
 
1559 秋芽子者。盛過乎。徒爾。頭刺不挿【挿ヲ搖ニ誤ル】。還去牟跡哉。
あきはぎは。さかりすぐるを。いたづらに。かざしにささず。かへりなむとや。
 
挿、今本搖に誤れり。一本に據りて改めつ。
 參考 ○不挿(考)ササデ(古、新)略に同じ。
 
右二首沙彌尼等。
 
大件坂上郎女跡見田庄作歌二首
 
1560 妹目乎。始見之埼乃。秋芽子者。此月【月ヲ目ニ誤ル】其呂波。落許須奈湯目。
いもがめを。みそめのさき《とみのをかべ》の。あきはぎは。このつきごろは。ちりこすなゆめ。
 
(61) 始は跡の誤なるべし。埼は丘邊と有りしが誤れるならん。トミノヲカベと無くては端書にもかなはず。さて妹ガメヲは、トミの枕詞ならん事冠辭考に委し。此の下、目の字、古本月と有るを善しとす。此時郎女佐保の坂上に在りて、跡見庄の萩を思ひて詠めるを、後人さかしらに跡見田庄作歌と書けるならんか。此下に竹田庄作歌とて、然不有いほしろを田をかりみだる田ぶせにをれば京しおもほゆ、と詠めるは、即ち其庄に在りての歌なり。
  參考 ○始見之埼乃(代)ミソメノサキノ(考)「跡見之丘邊乃」(古、新)「跡」トミノサキ「有」ナル。
 
1561 吉【吉ヲ古ニ誤ル】名張乃。猪養山爾。伏鹿之。嬬呼音乎。聞之登聞思佐。
よなばりの。ゐかひのやまに。ふすしかの。つまよぶこゑを。きくがともしさ。
 
吉、今本古に誤れり。ヨナバリ、ヰカヒノ山、既に出づ。トモシサはメヅラシキなり。
 
巫部麻蘇《カムコベノマソ》娘子鴈歌一首
 
1562 誰聞都。從此間鳴渡。鴈鳴乃。嬬呼音乃。之知左守。
たれききつ。こゆなきわたる。かりがねの。つまよぶこゑの。ゆくをしらさす。
 
誰か聞きつるなり。之知左寸、誤字有るべし。寸を集中キの假字に用ひて、スに用ひたるは稀れなり。宣長云、乏蜘在可と有りしが誤れるならん。トモシクモアルカと訓むべし。初句、都は跡の誤にて、タレキケトならんかと言へり。是れは聞都にても惡しからず。
(62) 參考 ○從此(古)コヨ(新)コユ ○之知左寸(代)方を補ひユクヘ(考)「去方」ユクヘシラサズ(古)「乏左右爾」トモシキマデニ(新)「乏蜘在可」トモシクモアルカ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一【今一ノ字ヲ脱ス】首
 
1563 聞津哉登。妹之問勢流。鴈鳴者。眞毛遠。雲隱奈利。
ききつやと。いもがとはせる。かりがねは。まこともとほく。くもがくるなり。
 
トハセルはトヘルなり。
 
日置長枝《ヒオキノナガエガ》娘子歌一首
 
1564 秋付者。尾花我上爾。置露乃。應消毛吾者。所念香聞。
あきづけば。をばながうへに。おくつゆの。けぬべくもわは。おもほゆるかも
 
秋ヅケバは、朝附日夕附日のツクに同じく、秋に附くなり。上は消ゆると言はん序のみ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一首
 
1565 吾屋戸乃。一村芽子乎。念兒爾。不令見殆。令散都類香聞。
わがやどの。ひとむらはぎを。おもふこに。みせずほとほと。ちらしつるかも。
 
萩が花の散りなんとするまで逢はぬを言ふ。ホトホトは既に出づ。
 參考 ○不令見殆(考)ミセデホトホト(古、新)略に同じ。
 
(63)大伴家持秋歌四皆
 
1566 久竪之。雨間毛不置。雲隱。鳴曾去奈流。早田鴈之哭。
ひさかたの。あままもおかず。くもがくり。なきぞゆくなる。わさだかりがね。
 
此上に、うの花の過ばをしみかほととぎす雨間もおかずこゆ鳴わたるとも詠めり。
 
1567 雲隱。鳴奈流鴈乃。去而將居。秋田之穗立。繁之所念。
くもがくり。なくなるかりの。ゆきてゐむ。あきたのほだち。しげくしおもほゆ
 
四の句まではシゲクと言はん料なり。此卷下にも早田の穗立と詠めり。稻の穗の立ち竝びたるを言ふ。
 
1568 雨隱。情欝悒。出見者。春日山者。色付二家利。
あまごもり。こころいぶせみ。いでみれば。かすがのやまは。いろづきにけり。
 
雨にこもり居るがいぶせさに出でて見れば、春日の山は紅葉したりとなり。
 參考 ○出見者(考〕デテミレバ(古、新)略に同じ。
 
1569 雨晴而。清照有。此月夜。又更而。雲勿田菜引。
あめはれて。きよくてりたる。このつくよ。またさらにして。くもなたなびき。
 
又更に曇る事なかれかしとなり。
 參考 ○清照有(考)キヨクテラセル(古、新)略に同じ ○又更而(新)マタヨクダチテ、又の下「夜」(64)の字脱とす。
 
右四首、天平八年丙子秋九月作。
 
藤原朝臣八束歌二首
 
1570 此間在而。春日也何處。雨障。出而不行者。戀乍曾乎流。
ここにありて。かすがやいづく。あまづつみ。いでてゆかねば。こひつつぞをる。
 
雨ヅツミ、既に出づ。雨にこもりゐて、春日山を行きて見ずして戀ひ居るなり。卷四、ここに在てつくしやいづくしら雲の棚引山の方にし有らし。
 參考 ○春日也何處(考)カスガヤイヅコ(古、新)略に同じ ○雨障(考、新)アマザハリ(古)略に同じ。
 
1571 春日野爾。鐘禮零所見。明日從者。黄葉頭刺牟。高圓乃山。
かすがぬに。しぐれふるみゆ。あすよりは。もみぢかざさむ。たかまとのやま。
 
者、一本夜に作る。
 
大伴家持白露歌一首
 
1572 吾屋戸乃。草花上之。白露乎。不令消而。玉爾貫物爾毛我。
わがやどの。をばながうへの。しらつゆを。けたずてたまに。ぬくものにもが。
 
(65)ヲバナは秋草の中にて專らなる物なれば草花と書けり。卷十にも斯く書きつ。卷一には美草をヲバナと訓めり。ニモガのガは願ふ詞。
 
大伴利上歌一首
 
利は村の誤なるべし。村上は既に出づ。
 
1573 秋之雨爾。所沾乍居者。雖賤。吾妹之屋戸志。所念香聞。
あきのあめに。ぬれつつをれば。いやしけど。わぎもがやどし。おもほゆるかも。
 
イヤシケドはイヤシケレドモなり。是れは旅にして詠めるなるべし。然らば吾妹ガヤドとは則ち我が郷の家を言ふべし。さなくては雖v賤の詞穩かならず。
 
右大臣橘家宴歌七首
 
1574 雲上爾。鳴奈流鴈之。雖遠。君將相跡。手回來津。
くものうへに。なくなるかりの。とほけども。きみにあはむと。たもとほりきつ。
 
三の句は遠と言はん序のみ。タモトホリはマハリの意なり
 參考 ○雲上爾(考、古)クモノヘニ(新)略に同じ。
 
1575 雲上爾。鳴都流鴈乃。寒苗。芽子乃下葉者。黄變可毛。
くものうへに。なきつるかりの。さむきなへ。はぎのしたばは。もみぢつるかも。
 
(66)苗は借字にて並へなり。
 參考 ○黄變可毛(代)モミヂセムカモ(考)ウツロハムカモ(古、新)モミヂツルカモ。
 
右二首。 ここに作者の名有るべきを落せしなり。
 
1576 此岳爾。小牡鹿履起。宇加?良比。可聞可開爲良久。君故爾許曾。
このをかに。をしかふみおこし。うかねらひ。かもかくすらく。きみゆゑにこそ。
 
卷十、窺良布《ウカネラフ》、跡見《トミ》山雪のいちじろくと詠めり。ウカガヒネラフを約め言ふなり。四の句誤字有るべし。宣長云、或人の考へに、萬智乍居良久《マチツツヲラク》なるべし。可聞可聞と誤れるを、下の聞を又開に誤り、居を爲に誤れるなり。卷十三長歌に、たかやまの峰のたをりにいめたててしし待がごととこしきてわが待君をと有りと言へり。猶考ふべし。さらば戀の歌なるを、此時誦せしなるべし。卷六、天平十年八月廿日宴2右大臣橘家1歌とて、此長門守巨曾倍對馬朝臣の歌有り。是れも同時なるべし。
 參考 ○可聞可開爲良久(代)カモカモ「開」を「聞」の誤とす(考)カモカモスラク「開」を「問」の誤とす(古、新)カモカモスラク「開」を「聞」の誤とす。
 
右一首長門守|《コ》巨【巨ヲ臣ニ誤ル】曾倍《ソベノ》朝臣|津島《ツシマ》
 
1577 秋野之。草花我末乎。押靡而。來之久毛知久。相流君可聞。
あきののの。をばながうれを。おしなべて。こしくもしるく。あへるきみかも。
 
(67)オシナベテはオシナビカセテにて、道の勞を言へり。コシクモは來シモなり。君は主人を指す。
 參考 ○押靡而(考)オツナミテ(古、新)略に同じ。
 
1578 今朝鳴而。行之鴈鳴。寒可聞。此野乃淺茅。色付爾家類。
けさなきて。ゆきしかりがね。さむみかも。このぬのあさぢ。いろづきにける。
 
鴈の聲の今朝うべも寒かりしか、此野のあさぢの色付くを見ればと言ふなり。結句ケリと言ふべきをケルと留めたるは、上のサムミカ〔右○〕モのカ〔右○〕の結びなりと宣長言へり。
 
右二首阿倍朝臣蟲麻呂。
 
1579 朝扉開而。物念時爾。白露乃。置有秋芽子。所見喚鷄本名。
あさどあけて。ものおもふときに。しらつゆの。おけるあきはぎ。みえつつもとな。
 
鷄を呼ぶに今トトと言ふ。古へはツツとや言ひけん。喚犬追馬をマソの假字に書けるが如し。
 參考 ○物念時爾(古、新)モノモフトキニ。
 
1580 棹壯鹿之。來立鳴野之。秋芽子者。露霜負而。落去之物乎。
さをしかの。きたちなくぬの。あきはぎは。つゆじもおひて。ちりにしものを。
 
モノヲの詞、輕く心得べし。
 
右二首|文忌寸馬養《アヤノイミキウマカヒ》。 續紀靈龜元(○二カ)年四月癸丑、詔2壬辰年功臣云云、文忌寸彌(○禰カ、天(68)武紀。書首根麻呂トアリ)麻呂息正七位下馬養云云等(○一脱カ)十人一1賜v田各有v差と有り。其外に見ゆ。
 
天平十年戊寅秋八月二十日。 是れは上に付くべし。
 
橘朝臣奈良麿結2集宴1歌十一首
 
續紀、天平勝寶二年、橘宿禰諸兄賜2朝臣姓1と見ゆ。是れは其れよりも前なれば、朝臣とせるは誤なり、宿禰に改むべし。
 
1581 不手折而。落者惜常。我念之。秋黄葉乎。挿頭鶴鴨。
たをらずて。ちりなばをしと。わがもひし。あきのもみぢを。かざしつるかも。
 
手折らぬ間に散らば惜からんと我が思ひし黄葉を、今日折りかざしつと言ひて、集宴を喜ぶ意こもれり。
 參考 ○落者惜常(考、新)略に同じ(古)チラバヲシミト。
 
1582 布【布ハ希ノ誤】將見。人爾令見跡。黄葉乎。手折曾我來師。雨零久仁。
めづらしき。ひとにみせむと。もみぢばを。たをりぞわがこし。あめのふらくに。
 
布將見、シキテミムと訓みたれど穩かならず。宣長云、布は希の誤にて、メヅラシキと訓むべし。卷十、本つ人ほととぎすをや希將見《メヅラシク》、卷十一、希將見《メヅラシキ》君をみむとぞ、卷十二、大王のしほやくあまの藤衣なれ(69)はすれども彌希將見毛《イヤメヅラシモ》など、皆メヅラシと訓めりと言へり。フラクはフルを延べたり。
 參考 ○布將見(考)シキミテム(古、新)略に同じ。
 
右二首橘朝臣奈良麻呂。 朝臣を宿禰に改むべし。
 
1583 黄葉乎。令落鐘禮爾。所沾而來而。君之黄葉乎。挿頭鶴鴨。
もみぢばを。ちらすしぐれに。ぬれてきて。きみがもみぢを。かざしつるかも。
 
時雨に濡れつつ訪ひ來て、君が園のもみぢをかざし遊ぶと言ふなり。
 
右一首久|米《メノ》女王。 續紀、天平十七年正月、無位より從五位下を授くと見ゆ。
 
1584 布【布ハ希ノ誤】將見跡。吾念君者。秋山。始黄葉爾。似許曾有家禮。
めづらしと。わがもふきみは。あきやまの。はつもみぢばに。にてこそありけれ。
 
上に言へる如く、是れも布は希の誤なり。初もみぢばに似るとは、珍しくめでらるる意なり。
 參考 ○布將見跡(考)シキテミム(古)略に同じ(新)メヅラシト ○吾念君者(代)アガモフ(古)アガモフキミハ(新)略に同じ。
 
右一首長忌寸娘。 長忌寸氏の娘子なるべし。
 
1585 平乃山。峰之黄葉。取者落。鐘禮能雨師。無間零良志。
ならやまの。みねのもみぢば。とればちる。しぐれのあめし。まなくふるらし。
 
(70)時雨の間なく降りしにや、山の紅葉を、折り取れば脆く散るとなり。
 
右一首内舍人縣犬養宿禰|吉男《ヨシヲ》 續紀、寶字二年八月正六位上より從五位下を授くと有り。其外にも見ゆ。
 
1586 黄葉乎。落卷惜見。手折來而。今夜挿頭津。何物可將念。
もみぢばを。ちらまくをしみ。たをりきて。こよひかざしつ。なにをかおもはむ。
 
 參考 ○何物可將念(考、古、新)ナニカオモハム。
 
右一首縣犬養宿禰|持男《モチヲ》
 
1587 足引乃。山之黄葉。今夜毛加。浮去良去。山河之瀬爾。
あしびきの。やまのもみぢば。こよひもか。うきていぬらむ。やまがはのせに。
 
モカのカは疑ふ詞。
 參考 ○浮去良武(考)略に同じ(古、新)ウカビイヌラム。
 
右一首大伴宿禰書持。
 
1588 平山乎。令丹黄葉。手折來而。今夜挿頭都。落者雖落。
ならやまを。にほすもみぢば。たをりきて。こよひかざしつ。ちらばちるとも。
 
ニホスはニホハスなり。斯くかざしつれば、今よりは散らば散るともよしと言ふなり。
 參考 ○令丹黄葉(考)ニホスモミヂゾと訓みしはいまだし(古)ニホフモミチバ(新)ニホスモミヂ(71)バ。
 
右一首|之手代人名《ミテシロノヒトナ》。 之、一本三に作る。聖武紀、大倭御手代連麻呂と言ふ有り。
 
1589 露霜爾。逢有黄葉乎。手折來而。妹挿頭都。後者落十方。
つゆじもに。あへるもみぢを。たをりきて。いもがかざしつ。のちはちるとも。
 
後は散るともよしと言ふをこめたり、宣長云、妹の字|今夜《コヨヒ》なりしを、今を落し、夜を妹に誤れるなるべしと言へり。
 參考 ○妹挿頭都(考)略に同じ(古、新)イモトカザシツ。
 
右一首|秦許遍《ハタノコベ》麻呂。
 
1590 十月。鐘禮爾相有。黄葉乃。吹者將落。風之隨。
かみなづき。しぐれにあへる。もみぢばの。ふかばちりなむ。かぜのまにまに。
 
契沖が言へる如く、下の句の意、ともかくも君に隨はんの心を籠めたるなるべし。
 
右一頸大伴宿禰池主。
 
1591 黄葉乃。過麻久惜美。思共。遊今夜者。不開毛有奴香。
もみぢばの。すぎまくをしみ。おもふどち。あそぶこよひは。あけずもあらぬか。
 
過ギマクは散リ過ギムと言ふなり。アラヌカはアレカシと言ふ意なり。
 
(72)右一首内舍人大伴宿爾家持。
 
以前冬十月十七日、集2於右大臣橘卿【卿ヲ郷ニ誤ル】之舊宅1宴飲也
 
大伴坂上郎女竹田庄作歌二首
 
此下に家持至2姑坂上郎女竹田庄1作歌とて有り。
 
1592 然不有。五百代小田乎。苅亂。田廬爾居者。京師所念。
しかとあらぬ《もだあらず》。いほしろをだを。かりみだり。たぶせにをれば。みやこしおもほゆ。
 
卷五、志可登阿良|農《ヌ》ひげかきなでてとも有りて、サモアラヌと言ふなり。さて初句より隔てて田ブセニヲレバと言ふへ懸かる。宣長は然は黙の誤にて、モダアラズならんと言へり。モダアラズは物語文にナホアラジニと言ふに同じ。イホシロヲ田は、拾芥抄、方六尺爲2一歩1云云。積2七十二歩1爲2十代《ソシロ》1百四十歩爲2二十代1云云。五十代爲2一段1と有り。田ブセ、卷十六、歌の註に、田廬者多夫世也と有り。田のふせいほの意なり。
 參考 ○然不有(代)シカトアラヌ(考)ナホアラヌ(古、新)「黙然」モダアラズ。
 
1593 隱口乃。始瀬山者。色附奴。鐘禮乃雨者。零爾家良思母。
こもりくの。はつせのやまは。いろづきぬ。しぐれのあめは。ふりにけらしも。
 
右天平十一年己卯秋九月作。
 
(73)佛前唱歌一首
 
1594 思具禮能雨。無間莫零。紅爾。丹保敝【敝ヲ敞ニ誤ル】流山之。落卷惜毛。
しぐれのあめ。まなくなふりそ。くれなゐに。にほへるやまの。ちらまくをしも。
 
時の景色を詠めるまでなり。
 
右冬十月皇后宮之維摩講。終日供2養大唐高麗等種種音樂1。爾乃唱2此謌詞1。彈v琴者市原王。忍坂王、(後賜2姓大原眞人1赤麻呂也)歌子《ウタヒト》者田口朝臣|家守《ヤカモリ》、河邊朝臣|東人《アヅマド》。置始《オキソメノ》連|長谷《ハツセ》等十數人也。
 
皇后宮は光明皇后なり。續紀、天應元年九月、授2無位忍坂王從五位下1と見ゆ。
 
大伴宿禰像見歌一首
 
1595 秋芽子乃。枝毛十尾二。降露乃。消者雖消。色出目八方。
あきはぎの。えだもとををに。おくつゆの。けなばけぬとも。いろにいでめやも。
 
上は消と言はん序にして、命の限り人に知られじと言ふ意を添へたる譬喩歌なり。
 參考 ○降露乃(考)略に同じ(古、新)フルツユノ。
 
大伴宿所家持到2娘子門1作歌一首
 
1596 妹家之。門田乎見跡。打出來之。情毛知久。照月夜鴨。
いもがいへの。かどたをみむと。うちでこし。こころもしるく。てるつくよかも。
 
(74)シルクはイチジルクに同じ。妹を見ん爲なるを、直ちにさは言はずして、月に門田を見ん爲と言ひなして、さて門田を見んと思ふ情もいちじるく、月の照らせるとなり。
 參考 ○妹家之(考、古)イモガヘノ(新)略に同じ。
 
大伴宿禰家持秋歌三首
 
1597 秋野爾。開流秋芽子。秋風爾。靡流上爾。秋露置有。
あきのぬに。さけるあきはぎ。あきかぜに。なびけるうへに。あきのつゆおけり。
 
求めて秋と言ふ詞を重ね言へる一の體なり。
 
1598 棹牡鹿之。朝立野邊乃。秋芽子爾。玉跡見左右。置有白露。
さをしかの。あきたつのべの。あきはぎに。たまとみるまで。おけるしらつゆ。
 
1599 狹尾牡鹿乃。?別爾可毛。秋芽子乃。散過鷄類。盛可毛行流。
さをしかの。むなわけにかも。あきはぎの。ちりすぎにける。さかりかもいぬる。
 
卷二十、さをしかの牟奈和氣ゆかむ秋のはぎ原とも詠めり。鹿の胸にてつき分けし故に、萩の散りたるか、おのづから盛の過ぎて散りたるかと、二樣に疑へるなり。
 
右天平十五年癸未秋八月見2物色1作。
 
内舍人石川朝臣廣成歌二首
 
(75)1600 妻戀爾。鹿鳴山邊之。秋芽子者。露霜寒。盛須疑由君。
つまごひに。かなくやまべの。あきはぎは。つゆじもさむみ。さかりすぎゆく。
 
卷一、秋去ば今も見るごと妻戀に鹿將鳴《カナカム》山曾云云と言ふ歌に言へる如く、鹿とのみ書ける所は、カと訓まざればしらべ調はぬ由宣長言へり。カナクと言ふ詞聞き馴れねば、穩かならぬやうなれど、シカナク山ベノと訓まんよりは勝れり。
 參考 ○鹿鳴山邊之(考)シカ(古、新)略に同じ。
 
1601 目頻布。君之家有。波奈須爲寸。穗出秋乃。過良久惜母。
めづらしく。きみがいへなる。はなすすき。ほにづるあきの。すぐらくをしも。
 
神功紀神託の詞に幡萩穗出吾也《ハタススキホニヅルワレヤ》云云、集中皆ハタススキなり。此一首のみハナススキと有るは、若し奈は太の字の誤か。新撰萬葉に花薄と書き、其のち皆花薄とのみ言へば、奈良の朝の末には然《サ》も言ひしにや。君は友垣を指して言へるなるべし。さてメヅラシクは、もと愛づる詞にて、花薄と言ふへ懸る隔句とすべし。秋の過ぎて薄のうら枯れんを惜めるなり。
 參考 ○目頻布(古、新)メヅラシキ ○波奈須爲寸(代)ハナススキ(考)は「太」タススキ(古、新)ハタススキ、但し(古)タを清み、(新)タを濁る。
 
大伴宿禰家持鹿鳴歌二首
 
(76)1602 山妣姑乃。相響左右。妻戀爾。鹿鳴山邊爾。獨耳爲手。
やまびこの。あひとよむまで。つまごひに、かなくやまべに。ひとりのみして。
 
ヒトリノミシテは、斯く淋しき山邊に獨のみ居ると言ふなり。
 
1603 頃者之。朝開爾聞者。足日木箆。山乎會響。狹尾牡鹿鳴哭。
このごろの。あさけにきけば。あしびきの。やまをとよもし。さをしかなくも。
 
哭は喪の字の誤なるべし。
 參考 ○令響(考)トヨマシ(古、新)略に同じ。
 
右二首天平十五年癸未八月十六日作。
 
大原眞人|今城《イマキ》傷2惜寧樂故郷1【郷ヲ卿ニ誤ル】歌一首
 
續紀、寶字元年五月正六位上大原眞人今木授2從五位下1。同六月治部少輔と有り。其外にも見ゆ。
 
1604 秋去者。春日山之。黄葉見流。寧樂乃京師乃。荒良久惜毛。
あきされば。かすがのやまの。もみぢみる。ならのみやこの。あるらくをしも。
 
久邇の都へ遷されし後、奈良を思ひやりて詠めるなり。アルラクはアルルを延べ言ふなり。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
1605 高圓之。野邊乃秋芽子。比日之。曉露爾。開兼【兼を葉ニ誤ル】可聞。
(77)たかまとの。ぬべのあきはぎ。このごろの。あかときつゆに。さきにけむかも。
 
兼今本葉に誤れり。一本に據りて改めつ。
 
秋相聞
 
額田王思2近江天皇1作歌一首
 
1606 君待跡。吾戀居者。我屋戸乃。簾令動。秋之風吹。
きみまつと。わがこひをれば。わがやどの。すだれうごかし。あきのかぜふく。
 
鏡王女作歌一首
 
1607 風乎谷。戀者乏。風乎谷。將來常思待者。何如將嘆。
かぜをだに。こふるはともし。かぜをだに。こむとしまたば。いかがなげかむ。
 
右二首、卷四に載せたり。其所に言ひつ。四には、風をだに戀流者云云何香將嘆と書けり。
 參考 ○何如將嘆(考)略に同じ(古、新)ナニカナゲカム。
 
弓削皇子御歌一首
 
1608 秋芽子之。上爾置有。白露乃。消可毛思奈萬思。戀管不有者。
あきはぎの。うへにおきたる。しらつゆの。けかもしなまし。こひつつあらずは。
 
(78)上は消と言はん序にて、戀つつ有らんよりは死なんものをとなり。
 
丹比眞人歌一首 (名闕)
 
1609 宇陀之野之。秋芽子師弩藝。鳴鹿毛。妻爾戀樂苦。我者不益。
うだのぬの。あきはぎしぬぎ。なくしかも。つまにこふらく。われにはまさじ。
 
シヌグは、集中、眞木の葉しぬぎふる雪など詠めるは、細かなる葉のあはひまで降り入るを言へり。是れは鹿の萩原をしひて押し分くるを言ふなり。意は鹿も妻に戀ふるなれど、我には益《マサ》らじとなり。牡鹿は又シカと訓まんより外のこと無し。
 
丹生《ニフノ》女王贈2太宰帥大伴卿1歌一首
 
卷四、此女王の帥卿へ、贈れる歌有り。
 
1610 高圓之。秋野上乃。瞿麥之花。下【下を干ニ誤ル】壯香見。人之挿頭師。瞿麥之花。
たかまとの。あきのぬのへの。なでしこのはな。うらわかみ。ひとのかざしし。なでしこのはな。
 
旋頭歌なり。下、今本干と有り、一本に據りて改む。又干は末の誤にても有るべし。なでしこを我身に譬へ人とは大伴卿を指して、若かりし時にめでられし事も有りしをと言ふなり。卿も此頃いと老いたりしなり。
 參考 ○秋野上乃(考)アキノノウヘノ(古、新)アキヌノウヘノ。
 
(79)笠縫《カサヌヒノ》女王歌一首
 
目録に六人部親王之女、母曰2田形皇女1と有り。ここにも有りしが落ちたるか。皇女は天武の皇女なり。
 
1611 足日木乃。山下響。鳴鹿之。事乏可母。吾情都末。
あしびきの。やましたとよみ。なくしかの。ことともしかも。わがこころづま。
 
上はトモシと言はん序のみ。事は言にて、コトトモシはここは珍しき意なり。ココロヅマは、我が心に妻と思ひ定めたる人を言ふべし。
 參考 ○事乏可母(古)「聲」コヱトモシカモ(新)略に同じ。但し、コトを如の意とす。
 
石川|賀孫《カケ》女郎歌一首
 
1612 神佐夫等。不許者不有。秋草乃。結之紐【紐ヲ?ニ誤ル】乎。解者悲哭。
かみさぶと。いなにはあらず。あきくさの。むすびしひもを。とかばかなしも。
 
卷四、紀女郎、神さふといなにはあらずはたやはたかくしてのちにさぶしけむかもと詠めるに、上は全く同じ。神サブとは女のさだ過ぎたるを自ら言ひて、いなには有らぬものから、秋草の如く枯れ方に成りて、今更紐解かんは悲しと言へるか。秋草は結ぶと言はん料にて、契りし人有れば、更に紐解かんは悲しと言へるならんと思へどむつかしかるべし。哭は喪の誤なるべし。
 參考 ○神佐夫登(古、新)カムサブト ○解者悲哭(考)略に同じ(古、新)トクハカナシモ。
 
(80)賀茂女王歌一首(長屋王之女、母曰2阿倍朝臣1也)
 
1613 秋野乎。旦往鹿乃。跡毛奈久。念之君爾。相有今夜香。
あきのぬを。あさゆくしかの。あともなく。おもひしきみに。あへるこよひか。
 
一二の句は跡と言はん序のみ。絶えて後逢へるなり。カはカモの略。
 
右歌或云椋橋部女王作。或云笠縫女王作。
 
遠江守櫻井王奉2 天皇歌1首
 
續紀、和銅七年正月、無位より從五位下を授く、後、大原眞人の姓を賜ひ、名を大浦と言へり。
 
1614 九月之。其始雁乃。使爾毛。念心者。所聞來奴鴨。
ながづきの。そのはつかりの。つかひにも。おもふこころは。きこえこぬかも。
 
使、一本便に作れど、使の方、然るべし。可は所の誤か。雁の使は漢書蘇武が古事もて詠めり。任在りて、御音づれの無きを詠めるなり。
 
天皇賜報和御歌一首
 
聖武天皇なり。
 
1615 大乃浦之。其長濱爾。縁流浪。寛公乎。念比日。
おほのうらの。そのながはまに。よするなみ。ゆたけくきみを。おもふこのごろ。
 
(81)オホノ浦は八雲御抄に遠江と註せさせ給へり。さも有らんか。上は序にて、寛はユタノタユタと言ふに同じく、ゆるらかに限りなく思ほす意なり。
 參考 ○寛公乎(考)ユタニゾキミヲ(古、新)略に同じ。
 
笠女郎贈2大伴宿禰家持1歌一首 贈、今本賜に作る、一本に依りて改む。
 
1616 毎朝。吾見屋戸乃。瞿麥之。花爾毛君波。有許世奴香裳。
あさごとに。わがみるやどの。なでしこの。はなにもきみは。ありこせぬかも。
 
庭におほせし瞿麥の花ならば、常に見るべきを、君は其花にても有れかしと言ふなり。コセヌカモは、コソと願ふ詞なり。
 參考 ○吾見屋戸乃(古)「見吾」ミルワガヤドノ(新)略に同じ。
 
山口女王贈2大伴宿禰家持1歌一首 古に同じ。
 
1617 秋芽子爾。置有露乃。風吹而。落涙者。留不勝都毛。
あきはぎに。おきたるつゆの。かぜふきて。おつるなみだは。とどめかねつも。
 
露の風吹きて落つる如くと言ふを、直ちに言ひ下だしたり。
 參考 ○留(考、古)トドミ(新)略に同じ。
 
湯原王贈2娘子1歌一首 右に同じ。
 
(82)1618 玉爾貫。不令消賜良牟。秋芽子乃。宇禮和和良葉爾。置有白露。
たまにぬき。けたずたばらむ。あきはぎの。うれわわらばに。おけるしらつゆ。
 
ケタズタバラムは、露を消えしめずして賜はれと言ふなり。ウレは末なり。ワワラバは、卷五、みるのごと和和氣さがれるとも有り。卷二、生|乎烏禮留《ヲヲレル》、其外ををりにををりなど言ふも同じ語にて、ここは 萩の末に繁く置き亂れたる露を言ふ。
 參考 ○不令消賜良牟(考)ケサデタバラム(古)略に同じ(新)ケタデタバラム ○宇禮和和良葉爾(古)略に同じ(新)「ハ」を清む。
 
大伴家持至2姑坂上郎女竹田庄1作歌一首
 
1619 玉桙乃。道者雖遠。愛哉師。妹乎相見爾。出而曾吾來之。
たまぼこの。みちはとほけど。はしきやし。いもをあひみに。いでてぞわがこし。
 
玉ボコノ、枕詞。トホケドは遠ケレドモなり。妹は郎女のむすめを指す。
 參考 ○愛哉師(代、古、新)略に同じ(考)ハシケヤシ。
 
大伴坂上郎女和(ヘ)歌一首
 
1620 荒玉之。月立左右二。來不益者。夢西見乍。思曾吾勢思。
あらたまの。つきたつまでに。きまさねば。いめにしみつつ。おもひぞわがせし。
 
(83)月は歳月の月なり。
 
右二首天平十一年己卯秋八月作。
 
巫部麻蘇娘子歌一首
 
1621 吾房前乃。芳子花咲有。見來益。今二日許。有者將落。
わがやどの。はぎはなさけり。みにきませ。いまふつかばかり。あらばちりなむ。
 
卷十三長歌に、ひさならば今七日|斗《バカリ》早からば今二日|斗《バカリ》云云。
 參考 ○芽子花咲有(考)ハギノ(古)ハギカハナサケリ(新)ハギノハナサケリ。
 
大伴田村大孃與2坂上大孃1歌二首
 
1622 吾屋戸乃。秋之芽子開。夕影爾。今毛見師香。妹之光儀乎。
わがやどの。あきのはぎさく。ゆふかげに。いまもみてしが。いもが|すがた《よそひ》を。
 
此妹は坂上大孃にて實のいもうとなり。見テシガのガは願ふ詞。
 
1623 吾屋戸爾。黄變蝦手。毎見。妹乎懸管。不戀日者無。
わがやどに。もみづるかへで。みるごとに。いもをかけつつ。こひぬひはなし。
 
懸けは黄葉を見せまほしく心に懸くるなり。又はもみぢを妹が紅顔に寄せたるにも有るべし。
 參考 ○黄變蝦手(代、新)モミヅカヘルデ(考)略に同じ(古)ニホフカヘルデ。
 
(84)坂上大娘秋稻蘰贈2大伴宿禰家持1歌一首 娘は孃に同じ。
 
1624 吾之蒔有。早田之穗立。造有。蘰曾見乍。師弩波世吾背。
わがまける。わざだのほだち。つくりたる。かつらぞみつつ。しぬばせわがせ。
 
蒔、一本業に作る。ワガナレルと訓むべし。なりはひにせる意なり。左の報歌を見るに、一本を用ふべし。上にも秋田の穗立とよみて、唯だ穗を言へり。
 參考 ○吾之蒔有(代)マケル(考)ワガワザナル(古)アガマケル、又は、ワガ「業」ナレル(新)ワガマケル ○早田之穗立(新)ワサダノホ「用」モチ。
 
大伴宿禰家持報贈歌一首
 
1625 吾妹兒之。業跡造有。秋田。早穗乃蘰。雖見不飽可聞。
わぎもこが。なるとつくれる。あきのたの。わさぼのかづら。みれどあかぬかも。
 
卷五、なりをしまさねと詠めるも業はひを言へり。ここはなりはひにするとての意なればナルトと訓むべし。
 參考 ○業跡造有(考)ワザトツクレル(古、新)ナリトツクレル。
 
又報d脱2身衣1贈c家持u歌一首 衣、今本夜とせり。一本に依りて改む。
 
1626 秋風之。寒比日。下爾將服。妹之形見跡。可都毛思弩播武。
(85)あきかぜの。さむきこのごろ。したにきむ。いもがかたみと。かつもしぬばむ。
 
寒ければ下に着ん、且つ其上に形見とも思ひしのばんとなり。
 
右三首天平十一年己卯秋九月往來。
 
大伴宿禰家持攀2非時藤花并芽子(ノ)黄葉二物1贈2坂上大孃1【孃ヲ嫌ニ誤ル】歌二首
 
1627 吾屋前之。非時藤之。目頬布。今毛見牡鹿。妹之咲容乎。
わがやどの。ときじくふじの。めづらしく。いまもみてしが。いもがゑまひを。
 
時ジクは時ナラヌなり。其時ならぬ物を珍しく見る如く、今妹を見まほしとなり。
 參考 ○非時藤花(考、新)トキジキフヂノ(古)略に同じ ○目頬布(古)略に同じ(新)メヅラシキ。
 
1628 吾屋戸之。芽子乃下葉者。秋風毛。未吹者。如此曾毛美照。
わがやどの。はぎのしたばは。あきかぜも。いまだふかねば。かくぞもみでる。
 
フカネバは、例のフカヌニの意。モミデルは、モミヂセルを約め言へるなり。治世《チセ》の約め泥《デ》なればなり。
 
右二首天平十二年庚辰夏六月往來。
 
大伴宿禰家持贈2坂上大孃歌1一首并短歌
 
1629 叩叩。物乎念者。將言爲便。將爲爲便毛奈之。妹與吾。手携拂而。且(86)者。庭爾出立。夕者。床打拂。白細乃。袖指代而。佐寐之夜也。常爾有家類。足日木能。山鳥許曾婆。峯向爾。嬬問爲云。打蝉乃。人有我哉。如何爲跡可。一日一夜毛。離居而。嘆戀良武。許己念者。胸許曾痛。其故爾。情奈具夜登。高圓乃。山爾毛野爾母。【母ヲ毎ニ誤ル活本ニ依テ改ム】打行而。遊往杼。花耳。丹穗日手有者。毎見。益而所思。奈何爲而。忘物曾。戀云物乎。
いたみいたみ。ものをおもへば。いはむすべ。せむすべもなし。いもとわれ。てたづさはりて。あしたには。にはにいでたち。ゆふべには。とこうちはらひ。しろたへの。そでさしかへて。さねしよや。つねにありける。あしびきの。やまどりこそは。をむかひに。つまごひすとへ。うつせみの。ひとなるわれや。なにすとか。ひとひひとよも。さかりゐて。なげきこふらむ。ここもへば。むねこそいため。そこゆゑに。こころなぐやと。たかまとの。やまにもぬにも。うちゆきて。あそばひゆけど。はなのみ。にほひてあれば。みるごとに。ましておもほゆ。いかにして。わすれむものぞ。こひとふものを。
 
叩叩、イタミイタミと古點有れど由無し。叩は字書に叩、問也發也など有れば、必ず誤字なるべ。一本に町に作る。是れも誤ならん。叮の誤にて、叮嚀の意もて、ネモコロニなるべし。携の下、拂の字一本に無きを善しとす。サネシ夜ヤ〔右○〕のヤハ〔二字右○〕に同じく、打ち返す辭。山鳥コソハ峰ムカヒニは、山鳥の峯隔てて住む事既に出づ。ココモヘバは是れを思へばなり。ソコユヱニはそれ故になり。野爾の下、毎は母(87)の誤なり。花ノミ四言、花のみ匂ひて、妹も有らねば、まして思ふとなり。
 參考 ○叩叩(代)イタムイタム(考)ウチウチニ(古、新)略に同じ、但(新)は文字を改めず ○妹與吾(古)イモトアガ(新)イモトワガ ○遊往杼(考)略に同じ(古、新)アソビアルケド ○花耳(考)略に同じ(古、新)ハナノミシ ○忘物曾(考)ワスルルモノゾ(古、新)略に同じ ○戀云(考、新)略に同じ(古)コヒチフ。
 
反歌
 
1630 高圓之。野邊乃容花。面影爾。所見乍妹者。忘不勝裳。
たかまとの。ぬべのかはばな。おもかげに。みえつついもは。わすれかねつも。
 
カホ花、卷十四、みやのせ川のかほ花、又みやじろの岡べにたてるかほ花など有るに同じく、翁は槿花ならんと言はれき。カホと言ふより妹が面影に言ひ下だせり。
 參考 ○忘不勝裳(新)ワスレガテズモ。
 
大伴宿禰家持贈2安倍女郎1歌一首
 
1631 今造。久邇能京爾。秋夜乃。長爾獨。宿之苦左。
いまつくる。くにのみやこに。あきのよの。ながきにひとり。ぬるがくるしさ。
 
續紀、天平十二年十二月戊午。經2略山背國相樂郡恭仁郷1。以v擬2遷都1故也。丁卯皇帝在v前幸2恭仁(88)宮1、始作2京都1矣云云と有り。
 
大伴宿禰家持從2久邇京1贈d留2寧樂宅1坂上大娘u歌一首 娘は孃に同じ。
 
1632 足日木乃。山邊爾居而。秋風之。日異吹者。妹乎之曾念。
あしびきの。やまべにをりて。あきかぜの。ひにけにふけば。いもをしぞおもふ。
 
ヒニケニは日日ニと言ふに同じ。
 
或者《アルヒト》贈v尼歌二首
 
1633 手母須麻爾。殖之芽子爾也。還者。雖見不飽。情將盡。
てもすまに。うゑしはぎにや。かへりては。みれどもあかず。こころつくさむ。
 
テモスマニは既に言へり。みづから萩を植ゑて、還りて見るに飽かぬ心を盡すなり。
 
1634 衣手爾。水澁付左右。殖之田乎。引板吾波倍。眞守有栗子。
ころもでに。みしぶつくまで。うゑしたを。ひきたわれはへ。まもれるくるし。
 
水シブは水垢なり。引板はヒタと言ふに同じく、猪鹿を驚かさん爲に引きて鳴らす板を言ふ。右二首、親とは無くて育てし女の、尼に成りたる後、戀ひて詠めるにや。初めの歌は女子を萩に譬へ、是れは田に譬へたり。栗子は借字なり。地名に栗栖《クルス》有り。
 參考 ○引板吾波倍(考)略に同じ(古)ヒキタアガハヘ(新)ヒキタワガハヘ。
 
(89)尼作2頭句1并大伴宿禰家持所v誂v尼(ニ)續2末句1等和《ヒトシクコタフル》歌一首
 
右或者にこたふる歌を、尼と家持卿と二人にてせるなり。目録に等の字無し。
 
1635 佐保【佐保ヲ保佐ニ誤ル】河之。水乎塞上而。殖之田乎。(尼作)苅流早飯者。獨奈流倍思。(家待續)
さほがはの。みづをせきあげて。うゑしたを。かるはついひは。ひとりなるべし。
 
佐保、今本保佐に誤る。古本佐保に作れり。早飯は早稻の意に有らず。新甞と言はんが如くなれば、ハツイヒと訓むべし。契沖はマモレルクルシと言へるに同心して、佐保川の水を塞きあげて、田にまかする人は、辛勞すれども、苅り取りて後、わさいひに炊《カシ》ぐ時は、其人獨りこそ食《ハ》めと言へるかと言へり。下心有る歌にして解き難し。
 參考 ○苅流早飯者(考)略に同じ(古〕カルワサイヒハ(新)カレルハツヒハ ○獨奈流倍思(古、新)ヒトリナムベシ「流」を「武」とす。
 
冬雜歌
 
舍人娘子雪歌一首
 
1636 大口能。眞神之原爾。零雪者。甚莫零。家母不有國。
おほくちの。まがみのはらに。ふるゆきは。いたくなふりそ。いへもあらなくに。
 
(90)オホクチノ、枕詞。卷二、あすかの眞神の原に云云、崇峻紀に、始作2法興寺此地1。名(ハ)飛鳥眞神原。亦名飛鳥苫田と有るなり。
 
太上天皇御製歌一首
 
元正天皇なり。
 
1637 波太須珠寸。尾花逆〓。【〓ヲ葺ニ誤ル】黒木用。造有室者。迄萬代。
はだすすき。をばなさかぶき。くろぎもて。つくれるむろは。よろづよまでに。
 
 卷一、金野《アキノヌ》の美草《ヲバナ》かりふき云云。室、一本家に作る。サカブキは穗の方《カタ》を下にして〓くを言ふ。クロ木は皮付きたるままにて用ふるを言ふ。次の大御歌の註を見るに、長屋王佐保の家にて肆宴の時の御歌にして、王の家作りの古へざまなるを褒め給へるなり。
 參考 ○黒木用(考)略に同じ(古、新)クロギモチ ○造有室者(代、古、新)「室」の下「戸」を補ひ、ツクレルヤドハ。
 
天皇御製歌一首
 
聖武天皇なり。
 
1638 青丹吉。奈良乃山有。黒木用。造有室戸者。雖居座不飽可聞。
あをによし。ならのやまなる。くろぎもて。つくれるやどは。ませどあかぬかも。
 
(91)座の字を添へて書けるは、マセドと訓まん爲なり。
 參考 ○黒木用(古、新)クロギモチ ○雖居座不飽可聞(代)アカヌカモ(考)ヲレドアカヌカモ(古、新)略に同じ。
 
右聞(ク)v之(ヲ)御2在左大臣長屋王佐保宅1肆宴御製。
 
太宰帥大伴卿冬日見v雪憶v京歌一首
 
1639 沫雪。保杼呂保杼呂爾。零敷者。平城京師。所念可聞。
あわゆきの。ほどろほどに。ふりしけば。ならのみやこし。おもほゆるかも。
 
ホドロは集中ハダレと訓めるに同じく斑らなり。太宰にて詠めるなり。ミヤコシのシは助辭。
 
太宰帥大伴卿梅歌一首
 
1640 吾岳爾。盛爾開有。梅花。遺有雪乎。亂鶴鴨。
わがをかに。さかりにさける。うめのはな。のこれるゆきを。まがへつるかも。
 
殘レル雪ヲは、今雪ニと言ふべき詞なり。
 參考 ○遺有雪乎(新)「乎」を「与」の誤としノコレルユキト。
 
角《ツヌノ》朝臣廣辨雪梅歌一首
 
雄略紀。小鹿火宿禰從2紀小弓宿禰喪1來時。獨留2角(92)國1。是角朝臣等初居2角國1。而名2角臣1自v此始也と見ゆ。辨、目録に辯に作る。
 
1641 沫雪爾。所落聞有。梅花。君之許遣者。與曾倍弖牟可聞。
あわゆきに。ふらえてさける。うめのはな。きみがりやらば。よそへてむかも。
 
梅の花を君が許へ遣らば、我によそへてだに思ひこしてんやとなり。
 參考 ○所落開有(考)フラレテサケル(古、新)略に同じ。
 
安倍朝臣|奧道《オキミチ》雪歌一首
 
續紀、寶龜五年從四位下にて卒と見ゆ。
 
1642 棚霧合。雪毛零奴可。梅花。不開之代爾。曾倍而谷將見。
たなぎらひ。ゆきもふらぬか。うめのはな。さかぬがしろに。そへてだにみむ。
 
棚の如く曇り合ひたるなり。トノグモリと同じ。フラヌカはフレカシなり。梅の咲かぬ代りによそへ見んと言ふなり。
 參考 ○不開之代爾(代)サカヌガカヒニ(考、古、新)略に同じ。
 
若櫻部《ワカサクラベ》朝臣|君足《キミタリ》雪歌一首
 
履中紀、三年長眞膽連本姓を稚櫻部造と改むる由見ゆ。
 
1643 天霧之。雪毛零奴可。灼【灼ヲ炊ニ誤ル】然。此五柴爾。零卷乎將見。
(93)あまぎらし。ゆきもふらぬか。いちじろく。このいつしばに。ふらまくをみむ。
 
フラヌカはフレカシと願ふなり。イツシバは、卷四にも大原の此市柴、卷十一、道のべの五柴原と詠めるも同じく櫟柴なり。灼、今本炊に誤れり。古本に據りて改めつ。フラマクヲミムはフラムヲ見ムなり。
 
三野《ミヌノ》連|石守《イソモリ》梅歌一首
 
續紀延暦五年、陰陽助正六位上路三野眞人石守言(ス)。己父馬養姓無2路字1。而今石守獨著2路字1。請除v之。許焉。と見ゆ。かばねの違へるはいぶかし。
 
1644 引攀而。折者可落。梅花。袖爾古寸入津。染者雖染。
ひきよぢて。をらばちるべみ。うめのはな。そでにこきれつ。そまばそむとも。
 
コキレは袖にシゴキ入ルなり。卷十八、十九にも詠めり。さて四の句にて切るべし。ソマバソムトモは、其花の色に袖の染まらば染まるともと言ふなり。紅梅を詠めり。
 參考 ○折者可落(代)チルベミ(考)ヲラバチルベク(古、新)略に同じ ○染者雖染(考)略に同じ(古、新)シマバシムトモ。
 
巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首
 
1645 吾屋前之。冬木乃上爾。零雪乎。梅花香常。打見都流香裳。
わがやどの、ふゆきのうへに。ふるゆきを。うめのはなかと。うちみつるかも。
 
(94)冬木は今の俗|常葉木《トキハギ》を言へど、さに有らずして、唯だ冬の木を言へり。次に冬木の梅と詠めり。
 
小治田《ヲハリダ》朝臣|東《アヅマ》麻呂雪歌一首
 
1646 夜干玉乃。今夜之雪爾。率所沾名。將開朝爾。消者惜家牟。
ぬばたまの。こよひのゆきに。いざぬれな。あけむあしたに。きえばをしけむ。
 
ヌレナはヌレムなり。
 參考 ○消者惜家牟(考、古、新)ケナバヲシケム。
 
忌部首黒麻呂雪歌一首
 
1647 梅花。枝爾可散登。見左右二。風爾亂而。雪曾落久類。
うめのはな。えだにかちると。みるまでに。かぜにみだれて。ゆきぞちりくる。
 
枝に散るかとと言ふなり。
 參考 ○雪曾落久類(代、古、新)ユキゾフリクル。
 
紀|少鹿《ヲシカ》女郎梅歌一首
 
1648 十二月爾者。沫雪零跡。不知可毛。梅花開。含不有而。
しはすには。あわゆきふると。しらぬかも。うめのはなさく。ふふめらずして。
 
シラヌカモは、雪降ると言ふ事を梅は知らぬかと言ふなり。和名抄云、日本紀云、沫雪(阿和由岐)其(95)弱如2水沫1と有りて、消え安き物なる故に沫雪と言へり。春の雪のみを沫雪と心得るはいと後の事なり。
 參考 ○不知可毛(古、新)シラネカモ。
 
大伴宿禰家持雪梅歡一首
 
1649 今日零之。雪爾競而。我屋前之。冬木梅者。花開二家里。
けふふりし。ゆきにきほひて。わがやどの。ふゆきのうめは。はなさきにけり。
 
多咲ける梅を冬木と言へるなり。
 
御2在西池邊1肆宴歌一首
 
續紀、天平十年秋七月癸酉、天皇御2大藏省1覽相撲1晩頭御2西池宮1云云と有り。
 
1650 池邊乃。松之末葉爾。零雪者。五百重零敷。明日左倍母將見。
いけのべの。まつのうらばに。ふるゆきは。いほへふりしけ。あすさへもみむ。
 
ウラバは梢の葉を言ふ。
 參考 ○末葉(代、古、新)略に同じ(考)ウラバ、又はウレバ。
 
右一首作者未v詳。但豎【豎ヲ竪ニ誤ル】子阿倍朝臣蟲麻呂傳2誦1v之。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1651 沫雪乃。比日續而。如此落者。梅始花。散香過南。
(96)あわゆきの。このごろつぎて。かくふれば。うめのはつはな。ちりかすぎなむ。
 
 參考 ○如此落者(考、新)略に同じ(古)カクフラバ。
 
池田|廣津《ヒロツ》娘子梅歌一首
 
1652 梅花。折毛不折毛。見都禮杼母。今夜能花爾。尚不如家利。
うめのはな。をりもをらずも。みつれども。こよひのはなに。なほしかずけり。
 
今まで折りても見、折らずしても見たれども、今夜見る花には及ばざりけりとなり。人の家の宴などに詠めるなるべし。
 
縣犬養娘子依v梅發v思歌一首
 
1653 如今。心乎常爾。念有者。先咲花乃。地爾將落八方。
いまのごと。こころをつねに。おもへらば。まづさくはなの。つちにおちめやも。
 
宣長云、是れは新たに夫に逢へる比の歌にて、男の心の今の如く常に變らずは、後まで捨てらるる事は有るまじきを、人の心は變り安き習ひなれば、今ねもころなるも後は頼み難しと詠めるならんと言へり。先咲花ノと言ひて如クと言ふを籠《コ》めたり。
 
大伴坂上朗女雪歌一首
 
1654 松影乃。淺茅之上乃。白雪乎。不令消將置。言者可聞奈吉。
(97)まつかげの。あさぢがうへの。しらゆきを。けたずておかむ。ことはかもなき。
 
影は借字にて蔭なり。言は事の意にて、消さずして置かんわざは有るまじきやと、雪を愛づる餘りに詠めるなり。宣長云、言は吉の誤にて、由の借なるべし。ヨシハカモナキと有るべしと言へり。
 參考 ○言者可聞奈吉(代)イフハカモナキ(考)略に同じ(古)「吉」ヨシハカモナキ(新)ヨシハカモナキ。「言者」を誤字とす。
 
冬相聞
 
三國新人人足歌一首
 
1655 高山之。菅葉之努藝。零雪之。消跡可曰毛。戀乃繁鷄鳩。
たかやまの。すがのはしぬぎ。ふるゆきの。けぬとかいはも。こひのしげけく。
 
高山は地名に有らず。上は消と言はん序なり。ケヌトカイハモは消ヌトヤイハムなり。古今集に、おく山の菅の根しのぎふる雪のけぬとかいはむ戀のしげきに、と言ふは、此の歌を少し變へたるなれど、菅の根とてはことわり無し。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1656 酒杯爾。梅花浮。念共。飲而後者。落去登母與之。
(98)さかづきに。うめのはなうけて。おもふどち。のみてののちは。ちりぬともよし。
 
卷五、あをやなぎうめとのはなを折かざしのみてののちはちりぬともよし、とも詠めり。
 參考 ○梅花浮(考)梅ノ花ウキテ(古)ウメノハナウカベ(新)ウメノハナウケ ○飲而後者(考)略に同じ(古、新)ノミテノチニハ。
 
和《コタヘ》歌一首
 
1657 官爾毛。縱賜有。今夜耳。將飲酒可毛。散許須奈由米。
つかさにも。ゆるしたまへり。こよひのみ。のまむさけかも。ちりこすなゆめ。
 
左註に言へる如く、親しきが一人二人寄りて酒飲める時の歌なり。二の句にて切るべし。散るは梅の花を言ふ。チリコスナは既に出づ。
 
右酒者官禁制?(ク)京中閭里不v得2集宴1。但親親一二飲樂聽許(スレハ)者縁v此和(ル)人作2此發句1焉。
 
藤原后奉2 天皇1御歌一首
 
后の上、皇の字を落せり。不比等卿の女、光明皇后と申せるなり。天皇は聖武天皇なり。
 
1658 吾背兒與。二有見麻世波。幾許香。此零雪之。懽有麻思。
わがせこと。ふたりみませば。いくばくか。このふるゆきの。うれしからまし。
 
ミマセバは見テアリセバなり。
 
(99)池田廣津娘子歌一首
 
1659 眞木乃於上。零置有雪乃。敷布毛。所念可聞。佐夜問吾背。
まきのうへに。ふりおけるゆきの。しくしくも。おもほゆるかも。さよとへわがせ。
 
マキは檜《ヒノキ》なり。上は重重と言はん序のみ。サは發語にて、夜訪へと言ふか。されど此語穩かならず。誤字なるべし。
 參考 ○佐夜問(新)サヨドヘ、「ト」を濁り、誤字有りとせず。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
1660 梅花。今落冬風。音耳。聞之吾妹乎。見良久志吉裳。
ぅめのはな。ちらすあらしの。おとにのみ。ききしわぎもを。みらくしよしも。
 
上は音と言はん序のみ。
 參考 ○音耳(考)略に同じ(古、新)オトノミニ。
 
紀少鹿女郎歌一首
 
1661 久方乃。月夜乎清美。梅花。心開而。吾念有公。
ひさかたの。つくよをきよみ。うめのはな。こころひらけて。わがもへるきみ。
 
梅花は唯だ開くを言はん爲のみにて、歌の意は、月の清きに依りて、今夜は必ず來まさんと、心おもし(100)ろく、歡びて待ちし君と言へるなるべし。
 參考 ○心開而(考)略に同じ(古)ココロニサキテ(新)ココロヒラキテ。
 
大伴田村大娘與2妹坂上大娘1歌一首
 
1662 沫雪之。可消物乎。至今。流經者。妹爾相曾。
あわゆきの。けぬべきものを。いままでに。ながらへぬるは。いもにあはむとぞ。
 
沫雪の如くと言ふを籠《こ》めたり。此物ヲは常とは少し異にて、消ヌベカリシヲと言ふ程の事なり。
 參考 ○流經者(考)略に同じ(古)ナガラヘフルハ(新)ナガラヘヌルハ ○妹爾相曾(考)イモニアヘルゾ(古、新)略に同じ。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
1663 沫雪乃。庭爾零敷。寒夜乎。手枕不纏。一香聞將宿。
あわゆきの。にはにふりしき。さむきよを。たまくらまかず。ひとりかもねむ。
 
妹が手枕なり。
 
萬葉集 卷第八 終
 
(101)萬葉集 卷第九
 
雜歌
 
泊瀬朝倉宮御宇(大泊瀬幼武天皇)天皇御製歌一首
 
1664 暮去者。小椋山爾。臥鹿之。今夜者不鳴。寐家良霜。
ゆふされば。をぐらのやまに。ふすしかの。こよひはなかず。いねにけらしも。
 
卷八、三の句鳴鹿之と替れるまでにて同歌を載せて、崗本天皇御製歌とせるを正しとすべし。雄略の御時の御歌のさまに有らず。小グラノ山は、此卷に、龍田の山の瀧の上のヲグラノ嶺ニと詠める所なるべし。
 
右或本云、崗本天皇御製不v審2正(ク)指1因以累載。
 
崗本宮御宇天皇幸2紀伊國1時歌二首
 
契沖云、舒明紀を考ふるに紀伊に幸し給へる事見えず。若しくは後崗本宮にや。齊明天皇の紀の温湯へ幸せさせ給へる事は紀に見ゆ。
 
1665 爲妹。吾玉拾。奧邊有。玉縁持來。奧津白浪。
(102)いもがため。われたまひろふ。おきべなる。たまよせもちこ。おきつしらなみ。
 
 參考 ○吾玉拾(古)アガタマヒリフ(新)ワレ玉拾フ ○玉縁持來(考)タマヨセモテコ(古、新)略に同じ。
 
1666 朝霧爾。沾爾之衣。不干而。一哉君之。山道將越。
あさぎりに。ぬれにしころも。かわかずて。ひとりやきみが。やまぢこゆらむ。
 
是れは從駕の人の妻の、都にて詠めるなり。
 參考 ○不干而(考、新)ホサズシテ。
 
右二首作者未v詳。
 
大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸2紀伊國1時歌十三首
 
目録に、太上天皇大行天皇の八字無し。ここの太上と申し奉るは持統天皇なり。續紀、大寶元年九月丁亥。天皇幸2紀伊國1。冬十月丁未。車駕至2武漏温泉1云云と見ゆ。此集卷一、大寶元年辛巳秋九月、幸2于紀伊國1歌とて載せたるは、御幸の道にての歌にて、今ここに載せたるは、既に紀伊に到り給ひての歌なるべし、紀に太上天皇の御幸を載せざるは脱文か。ここの大行二字は全く衍文なり。
 
1667 爲妹。我玉求。於伎邊有。白玉依來。於伎都白浪。
いもがため。われたまもとむ。おきべなる。しらたまよせこ。おきつしらなみ。
 
 參考 ○我玉求(古)アガタマモトム(新)略に同じ。
 
右一首上見既畢。【既見上畢ト有ルベシ】但歌辭小換。年代相違。因以累載。
 
1668 白崎者。幸在待。大船爾。眞梶繁貫。又將顧。
しらさきは。さきくありまて。おほぶねに。まかぢしじぬき。またかへりみむ。
 
今紀伊に白崎有り。サキクアリマテは、幸に在り在りて又の行幸を待てとなり。卷一、志賀のから崎さきかれど。
 
1669 三名部乃浦。鹽莫滿。鹿島在。釣爲海人乎。見變來六。
みなべのうら。しほなみちそね。かじまなる。つりするあまを。みてかへりこむ。
 
今紀伊にミナベ有り。カジマと言ふも有り、シを濁る。變は借にて、歸るなり。
 
1670 朝開。?出而我者。湯羅前。釣爲海人乎。見反將來。
あさびらき。こきでてわれは。ゆらのさき。つりするあまを。みてかへりこむ。
 
朝ビラキ、既に出づ。ユラノ崎、紀伊。
 
1671 湯羅乃前。鹽乾爾祁良志。白神之。礒浦箕乎。敢而?動。
ゆらのさき。しほひにけらし。しらかみの。いそのうらみを。あへてこぎとよむ。
 
白かみ。紀伊。ウラミは浦備に通ひて、浦べと言ふに同じ。敢は借にて、例の舟漕ぐに言ふ詞なり。
 
(104)1672 黒牛方。鹽干乃浦乎。紅。玉裙須蘇延。往者誰妻。
くろうしがた。しほひのうらを。くれなゐの。たまもすそびき。ゆくはたがつま。
 
黒牛ガタ、紀伊。下に久漏牛方と書けり。誰妻は供奉の女房を指せるならん。
 參考 ○黒牛方(考)クロシガタ(古、新)略に同じ。
 
1673 風莫乃。濱之白浪。徒。於斯依久流。見人無。
かざなみの。はまのしらなみ。いたづらに。ここによりくる。みるひとなしに。
 
風莫の訓さだかならず。莫は早の字か、暴の誤にて、カザハヤか。卷七、風早のみほのうらまをこぐ舟の、と詠めり。ミホは紀伊なり。
 參考 ○風莫乃(考)カサナミノ、又は「莫」は「暴」にてカザハヤか(古、新)カザハヤノ「莫」を「早」とす ○於斯依久流(考、新)ココニヨリクル(古)ココニヨセクモ「一云」に據れるなり。
 
一云於斯依|來藻《クモ》。 是れよろし。クルにては、てにをは調はず。モは助辭。
 
右一首山上臣憶良類聚歌林曰。長忌寸意吉麻呂應v詔作2此歌1。 今林の上歌の字を脱せり。古本に據りて補ふ。
 
1674 我背兒我。使將來歟跡。出立之。此松原乎。今日香過南。
わがせこが。つかひこむかと。いでたちの。このまつばらを。けふかすぎなむ。
 
(105)卷十三長歌に、大舟のおもひたのみて出立之《イデタチノ》清きなぎさにと詠める、出立ノは、走出ノと言ふ類ひなり。ここも同意と聞ゆ。されば一二の句は、出立チと言はん序のみ。紀伊に今も松原と言ふ所有りとぞ。
 參考 ○出立之(代)イデタタシ(考)「之」は「弖」の誤(古、新)略に同じ。
 
1675 藤白之。三坂乎越跡。白栲之。我衣手者。所沾香裳。
ふぢしろの。みさかをこゆと。しろたへの。わがころもでは。ぬれにけるかも。
 
藤白、紀伊。末は故郷を思ひて詠めるか。又は、有馬皇子をうしなひまゐらせし所なれば、其れを思へるにや。
 
1676 勢能山爾。黄葉常敷。神岳之。山黄葉者。今日散濫。
せのやまに。もみぢとこしく。かみをかの。やまのもみぢは。けふかちるらむ。
 
常は落の字か、又は散の誤にて、チリシクなるべしと宣長言へり。せの山のもみぢの散りしくを見て、神岳の紅葉も今や散るらんと思ひやるなり。神ヲカは飛鳥の神南備山なり。
 參考 ○黄葉常敷(考)トコシク(古)モミヂ「落」チリシク(新)モミヂ「落」オチシク。
 
1677 山跡庭。聞往歟。大我【我ハ家ノ誤】野之。竹葉苅敷。廬爲有跡者。
やまとには。きこえもゆくか。おほやぬの。ささばかりしき。いほりせりとは。
 
和名抄、紀伊名草郡大屋、又大宅郷有り。宣長は、我は家の誤なりと言へり。さらばオホヤと訓むべし。(106)官本、竹の上小の字有るをよしとす。從駕の人の假屋造りて居るさまなり。
 參考 ○大我野(古、新)オホ「家」ヤ ○竹葉(考)タカバ(古、新)略に同じ。
 
1678 木國之。昔弓雄之。響矢用。鹿取靡。坂上爾曾安留。
きのくにの。むかしゆみをの。なりやもて。しかとりなめし。さかのへにぞある。
 
弓雄は弓よく射る人を指す。昔此坂にて鹿を射たりし古事有りしなるべし。ナリヤは、和名抄、鳴箭。漢書音義云、鳴鏑、如2今之鳴箭1也。日本紀私記云、八目鏑、夜豆女加布良と有る物なるべし。字鏡鏑、奈利加夫良と有るをもてナリヤと訓めり。トリナメシは、あまた取り並べし意なるべし。
 參考 ○昔弓雄之(考)略に同じ(古)ムカシ「幸」サツヲノ(新)「弓雄之昔」又は「幸雄之昔」の寫誤にて、サツヲガムカシ、ならん ○響矢用(代)カブラ(考)ナルヤモテ(古、新)カブラモチ ○鹿取靡(考)略に同じ(古、新)カトリナビケシ。
 
1679 城國爾。不止將往來。妻社。妻依來西尼。妻常言長柄。
きのくにに。やまずかよはむ。つまのもり。つまよしこせね。つまといひながら。
 
ツマノモリは、神名帳、紀伊名草郡都麻津比賣神社と有りて、和名抄、同郡津麻郷有り、そこを詠めるなり。ツマヨシコセネは、卷十四、にはにたつあさでこぶすまこよひだに、都麻余之許西禰あさでこぶすま、と詠めるに同じく、妻ノモリと言ふ名に依りて、妻を倚來させよと言ふなり。イヒナガラはイフ(107)ママニと言ふ意なり。
 參考 ○妻依來西尼(考)ツマヨリコセネ(古)ツマヨシコセネ(新)ツマヨセコサネ、又は、ツマヨシコサネ ○妻常言長柄(考)イモトイヒナガラ(古)略に同じ(新)ツマトイフカラハ「言柄者」か。
 
一云|嬬賜爾毛《ツマタマフニモ》。嬬云長柄。
 
按ずるに爾は南の誤にて、ツマタマハナモならんか。然らば妻を賜へと神に乞ふ意なるべし。
 參考 ○嬬賜爾毛(考)ツマタマフ「奈」ナモ(古)略に同じ(新)ツマ「不賜毛」タマハズモ。
 
右一首或云坂上忌寸|人長《ヒトヲサ》作。
 
後人《オクレタルヒトノ》歌二首
 
從駕の人の妻なるべし。
 
1680 朝裳吉。木方往君我。信土山。越濫今日曾。雨莫零根。
あさもよし。きべゆくきみが。まつちやま。こゆらむけふぞ。あめなふりそね。
 
アサモヨシ、枕詞。キベユクは紀伊へ行くなり。
 參考 ○木方往(古、新)キヘユク「ヘ」清音。
 
1681 後居而。吾戀居者。白雲。棚引山乎。今日香越濫。
(108)おくれゐて。わがこひをれば。しらくもの。たなひくやまを。けふかこゆらむ。
 
吾ガ戀ヒヲレバは、吾ガ戀ヒヲルニと言ふ意なり。
 
獻2忍壁皇子1歌一首(詠2仙人形1)
 
1682 常之陪爾。夏冬往哉。裘。扇不放。山住人。
とこしへに。なつふゆゆけや。かはごろも。あふぎはなたぬ。やまにすむひと。
 
トコシヘはトコシナヘなり。往クは古事記、常夜往《トコヨユク》の往くにて、夏と冬と經行《ヘユク》意なり。卷四、あふ夜あはぬ夜ふた行きぬらむ、と言ふ歌にも言へるが如し。ユケヤはユケバニヤの略なり。裘を著、扇を持ちたる形を詠めり。
 參考 ○扇不放(考)アフギハナタズ(古、新)略に同じ。
 
獻2舍人皇子1歌二首
 
1683 妹手。取而引與治。?手折。吾刺可。花開鴨。
いもがてを。とりてひきよぢ。うちたをり。わがかざすべき。はなさけるかも。
 
此末、?手折多武山霧と言へるは枕詞なり。ここもウチは言ひ起す詞、初句は取リと言はん料のみ。宣長云、吾は君の誤にて、キミガサスベキと訓むべし。サスは即ちかざす事なり。然か訓まざれば、皇子に獻ると言ふに當らずと言へり。
(109) 參考 ○吾刺可(考)ワガカザスベキ(古)「君」キミガサスベキ(新)ワガ「頭刺」カザスベキ。
 
1684 春山者。散過去鞆。三和山者。未含。君待勝爾。
はるやまは。ちりすぎゆけども。みわやまは。いまだふふめり。きみまちがてに。
 
春山は地名に有らず。ここは大方の春の山を言へり。
 參考 ○春山者(新)カスガヤマハ「日」を脱せるか ○散過去鞆(代)チリスギヌレドモ、又は、チリスギユケドモ(考)チリスグレドモ(古、新)チリスギヌレドモ。
 
泉河邊(ニシテ)間人宿禰作歌二首
 
1685 河瀬。激乎見者。玉藻鴨。散亂而在。此河常鴨。
かはのせの。たぎるをみれば。たまもかも。ちりみだれたる。このかはとかも。
 
玉藻と書きたれど、そは助辭なり。河常は河門の意にて、川の瀬瀬の水の一つに成りて、狹き所を過ぐるを言ふ。
 參考 ○此河常鴨(考、古)略に同じ(新)コノカハトコ「爾」ニ。
 
1686 彦星。頭刺玉之。嬬戀。亂祁良志。此河瀬爾。
ひこぼしの。かざしのたまの。つまごひに。みだれにけらし。このかはのせに。
 
河瀬の浪の散るを、玉と見なして詠めり。
 
(110)鷺坂作歌一首
 
此下に山城の久世の鷲坂と詠めるなり。
 
1687 白鳥。鷺坂山。松影。宿而往奈。夜毛深往乎。
しらとりの。さぎさかやまの。まつかげに。やどりてゆかな。よもふけゆくを。
 
シラトリノ、枕詞。ユカナはユカムなり。
 
名木河作歌二首
 
和名抄、久世郡那紀。
 
1688 ?干。人母在八方。沾衣乎。家者夜良奈。羇印。
あぶりほす。ひともあれやも。ぬれぎぬを。いへにはやらな。たびのしるしに。
 
アレヤモのヤはヤハの意なり。なき川と言ふ名に依りて、涙に沾るるを言ふ。ヤラナはヤラムなり。此下、名木河三首の歌、皆雨に濡れてわぶる歌なり。三首の中に一二の句此歌と同じき歌も有り。
 
1689 在衣邊。著而?尼。杏人。濱過者。戀布在奈利。
ありそべに。つきてこぐあま。からびとの。はまをすぐれば。こほしくあるなり。
 
アリソはアライソを約め言ふなり。邊ニツキテは、卷十二長歌に、あふみの海をおきさけてこぎくる舟へにつきてこぎくる舟、と有るに同じ。荒磯濱など詠めるからは、名木河の歌には有らず。?干の歌の次(111)に同じく名木河の歌一首有りて、此アリソベの歌には、別に端詞有りしが共に落ちしなるべし。ここはいと亂れたりと見ゆ。在衣は荒磯の借なり。尼を海人に借りて書ける心得難し。杏人、カラビトと訓むべくも無し。字の誤有らん。宣長云、杏は京の誤にて、ツキテコガサネ、ミヤコビトなるべしと言へり。コガサネはコガセを延べ言ふなり。
 參考 ○著而?尼(考)略に同じ(古、新)ツキテコガサネ ○杏人(考)カラビトノ(古)「京人」ミヤコビト(新)「椋成」クラナシノ
○濱者(古)略に同じ(新)ハマヲスギナバ ○戀布在奈利(考)コヒシクアルナリ(古)略に同じ(新)コヒシクアリナ「武」ム。
 
高島作歌二首
 
和名抄、近江高島郡高島。
 
1690 高島之。阿渡河波者。驟鞆。吾者家思。宿加奈之彌。
たかしまの。あとかはなみは。さわげども。われはいへおもふ。やどりかなしみ。
 
卷七、結句|五百入《イホリ》かなしみと替れるのみにて、全く同じ歌を載せたり。宿、古訓タビネと有れば、若し宿の上、旅の字有りしが後に落ちたるか、卷二、ささのははみ山もさやにさやげどもわれは妹おもふ別《ワカレ》來ぬれば、と有るに意同じ。
 參考 ○阿渡(古、新)アド「ト」濁る ○吾者家思(古)アレハイヘモフ(新)ワレハイヘモフ (112)○宿加奈之彌(代)ヤドリ(考)「別」ワカレ(古、新)略に同じ。
 
1691 客在者。三更刺而。照月。高島山。隱惜毛。
たびなれば。よなかをさして。てるつきの。たかしまやまに。かくらくをしも。
 
旅にしては月にだに心を慰むるを、山に隱るるが殊に惜しきなり。
 參考 ○三更刺而(古)略に同じ(新)ヨナカヲ「過」スギテ。
 
紀伊國作歌二首
 
1692 吾戀。妹相佐受。玉浦丹。衣片敷。一鴨將寐。
わがこふる。いもはあはさず。たまのうらに。ころもかたしき。ひとりかもねむ。
 
アハサズは妹は逢はずと言ふ意なるべし。玉浦は卷七にも詠めり。
 參考 ○妹相佐受(考)イモニアハサズ(古、新)略に同じ。
 
1693 玉匣。【匣ヲ〓ニ誤ル】開卷惜。?夜矣。袖可禮而。一鴨將寐。
たまくしげ。あけまくをしき。あたらよを。ころもでかれて。ひとりかもねむ。
 
玉クシゲ、枕詞。妹と寢し時は明けまく惜しきの意。衣手カレテは妹ガ袖ヲ離レテなり。 參考 ○袖可禮而(古)略に同じ(新)「妹袖」イモガソデカレテ。
 
鷺坂作歌一首
 
(113)1694 細比禮乃。鷺坂山。白管自。吾爾尼保波尼。【尼今?ニ誤ル】妹爾示。
たくひれの。きざさかやまの。しらつつじ。われににほはね。いもにしめさむ。
 
タクヒレノ、枕詞。波の下の尼、今?に作る。官本に據りて改めつ。尼をネの假字にも用ふ、泥を省けるか。ニホハネは、ニホヘを延べ云ふなり。六帖にも、ニホハネと有り。
 參考 ○細比禮乃(代、古)ホソヒレノ(考、新)略に同じ ○吾爾尼保波?(代、古、新)ワレニニホハ「尼」ネ(考)?にてデと訓みネの意とす。
 
泉河作歌一首
 
1695 妹門。入出見河乃。床奈馬爾。三雪遺。未冬鴨。
いもがかど。いりいづみがはの。とこなめに。みゆきのこれり。いまだふゆかも。
 
妹ガ門、枕詞。常ナメは卷一にも詠めり。沫波などを見て、春まで雪の殘れるかと疑へるなり。
 
名木河作歌三首
 
1696 衣手乃。名木之河邊乎。春雨。吾立沾【沾ヲ沽ニ誤ル下同ジ】等。家念良武可。
ころもでの。なきのかはべ《の》を。はるさめに。われたちぬると。いへもふらむか。
 
衣手が春雨に濡るると言ふ續きなり。宣長云、乎は之の誤なりと言へり。家モフラムカとは、家人の思ふらんかと言ふ意にて、家爾の爾を略けるなり。
(114) 參考 ○河邊乎(古)カハベヲ(新)カハベ「之」ノ ○家念良武可(古)略に同じ(新)イヘ「知」シルラムカ。
 
1697 家人。使在之。春雨乃。與久列杼吾乎。沾念者。
いへびとの。つかひなるらし。はるさめの。よくれどわれを。ぬらすおもへば。
 
春雨は都の家よりの使にてや有るらん。濡れじと避《ヨク》れども、吾が袖を濡れしむるはとなり。
 參考 ○沾念者(考)ヌラストモヘバ(古、新)略に同じ。
 
1698 ?干。人母在八方。家人。春雨須良乎。間使爾爲。
あぶりほす。ひともあれやも。いへびとの。はるさめすらを。まづかひにする。
 
上に此一二の句同じき歌有りて、此歌の方ことわり明らけし。間使は上にも出づ。
 參考 ○人母在八方(考、古)略に同じ(新)ヒトモアラナクニ。
 
宇治河作歌二首
 
1699 巨椋乃。入江響奈理。射目人乃。伏見何田井【井ヲ并ニ誤ル】爾。鴈渡良之。
おほくらの。いりえとよむなり。いめびとの。ふしみがたゐに。かりわたるらし。
 
神名帳、山城久世郡巨椋神社と有る所なるべし。イメ人ノ、枕詞。フシミは雄略紀にも見えて、今も有る山城の伏見なり。田井は借字にて田居の意。里離れたる田所に、秋假廬作りて居る所を言へり。
(115) 參考 ○入江響奈理(考)イリエイナルナリ(古、新)略に同じ。
 
1700 金風。山吹瀬乃。響苗。天雲翔。鴈相鴨。
あきかぜに。やまぶきのせの。とよむなへ。あまぐもかける。かりにあへるかも。
 
金風は義をもて書けり。山吹(ノ)瀬は山城の宇治なり。秋風吹きて瀬に寄る浪の響く時に、旅の鴈も來り合へりと言ふなり。宣長云、秋風ノと訓みて山吹(ク)の意の枕詞なり。相は亘の誤にて、カリワタルカモと訓むべしと言へり。
 參考 ○響苗(代、古、新)略に同じ、但し(古、新)「ヘ」濁音(考)ヒビクナヘニ ○天雲翔(考)略に同じ(古、新)アマグモカケリ ○鴈相鴨(古、新)カリ「亘」ワタルカモ。
 
獻2弓削皇子1歌三首
 
1701 佐宵中等。夜者深去良斯。鴈音。所聞空。月渡見。
さよなかと。よはふけぬらし。かりがねの。きこゆるそらに。つきわたるみゆ。
 
初夜より言へば夜中《ヨナカ》は更けたるなり。卷十、初句此よらは、末句月立わたると替りたるまでにて、全く何じ歌を載せたり。
 
1702 妹當。茂苅音。夕霧。來鳴而過去。及乏。
いもがあたり。しげきかりがね。ゆふぎりに。きなきてすぎぬ。ともしきまでに。
 
(116)妹が邊りは繁く鳴くらんを、此處には珍しきばかり稀に鳴き渡るとなり。宣長云、茂は衣の誤にてコロモカリガネか。歌の意は、此處に鳴きて妹があたりへ過ぎいぬるが羨しきまでにと言ふなりと言へり。乏をうらやましき意に詠める例有り。
 參考 ○茂苅音(考)シゲキカリガネ(古、新)「衣」コロモカリガネ。
 
1703 雲隱。鴈鳴時。秋山。黄葉片待。時者雖過。
くもがくり。かりなくときは。あきやまの。もみぢかたまつ。ときはすぐれど。
 
宣長云、過の上、不の字を脱せり。スギネドと訓むべし。鴈の聲を聞けば、時は過ぎねども、紅葉を待つなりと言へり。過グレドとしては聞えぬ歌なり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ ○鴈鳴時(考、古)カリナクトキニ(新)略に同じ ○時者雖過(古)略に同じ(新)トキハスギネド「不」の脱とす。
 
獻2舍人皇子1歌二首
 
1704 ?手折。多武山霧。茂鴨。細川瀬。波驟祁留。
うちたをり。たむのやまぎり。しげみかも。ほそかはのせに。なみのさわげる。
 
ウチタヲリ、枕詞。多武山は大和十市郡、今タウノ峰と言ふなり。細川は細川山とも詠めり。多武山近き川ならん。霧深く雨降るを言ふなるべし。
(117) 參考 ○?手折(代)ナガタヲル(考、古、新)略に同じ ○茂鴨(考)シゲキカモ(古、新)略に同じ ○孜波驟祁留(考)ナミハサワゲル(古、新)略に同じ。
 
1705 冬木成。【成ハ盛ノ誤】春部戀而。殖木。實成時。片時吾等叙。
ふゆごもり。はるべをこひて。うゑしきの。みになるときを。かたまつわれぞ。
 
譬喩の歌なるべし。未だ逢ふべき程ならぬ内より、領して時を持つ意なり。
 
舍人《トネリノ》皇子御歌一首
 
天武天皇の皇子、御母は新田部皇女なり。持統紀、九年春正月庚辰朔甲申以2淨廣貳1授2皇子舍人1と見えて、其後かたがたに見ゆ。
 
1706 黒玉之。夜霧立。衣手。高屋於。霏?麻天爾。
ぬばたまの。よぎりぞたてる。ころもでを。たかやのうへに。たなびくまでに。
 
コロモデヲ、枕詞。高屋は、古事記、河内古市高屋村も有れど、神名帳、大和城上郡高屋安倍神社と有る所なるべし。今俗、モヤと言ふ物を詠み給へるなるべし。
 參考 ○夜霧立(考)ヨギリハタチヌ(古、新)略に同じ。
 
鷺坂作歌一首
 
1707 山代。久世乃鷺坂。自神代。春者張乍。秋者散來。
(118)やましろの。くぜのさぎさか。かみよより。はるははりつつ。あきはちりけり。
 
ハリツツは木の芽のはるを言ふ。或人の言はく、世間のことわり皆斯くぞ有りける、と言へる下心有るなるべしと言へり。
 
泉河邊作歌一首
 
1708 春草。馬咋山自。越來奈流。鴈使者。宿過奈利。
はるくさを。うまくひやまゆ。こえくなる。かりのつかひは。やどりすぐなり。
 
ハル草ヲ、枕詞。咋山は、神名帳、山城綴喜郡|咋岡《クヒノヲカノ》神社有り。此處《ココ》なるべし。さて咋山なるを馬くひと言ひ懸けたるなり。此例他にも多し。鴈(ノ)使は蘇武が故事より言ひ馴れて、唯だ鴈を言へり。吾が住む宿を鳴きて過ぐとなり。
 參考 ○馬咋山自(代)ユ(考)マクヒノヤマユ(古)ウマクヒヤマヨ(新)略に同じ ○鴈使者(考、新)略に同じ(古)カリガツカヒハ ○宿過奈利(考)ヤドスギヌナリ(古)略に同じ(新)ヤドヲスグナリ。
 
獻2弓削皇子1歌一首
 
1709 御食向。南淵山之。巖者。落波太列可。削【削ハ消ノ誤】遺有。
みけむかふ。みなぶちやまの。いはほには。ふれるはだれか。きえのこりたる。
 
(119)ミケムカフ、枕詞。南淵、大和、皇極紀、南淵河上と有り。按、削は消の字の誤なること著《シル》し。さてハダレカと言へるを思へば南淵山の花を見て詠めるなるべし。消を削に誤れるより、チルナミタレカ、ケヅリノコセルと訓めるは由無し。
 參考 ○削遺有(考)「消」キエノコリアル(古、新)略に同じ。
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集所出。
 
1710 吾妹兒之。赤裳泥塗而。殖之田乎。苅將藏。倉無之濱。
わぎもこが。あかもひづちて。うゑしたを。かりてをさめむ。くらなしのはま。
 
四の句までは、クラと言はん爲の序のみ。倉無濱、詳かならず。ある人豐前と言へり。猶糺すべし。
 
1711 百傳之。八十之島廻乎。?雖來。粟小島者。雖見不足可聞。
ももつたふ。やそのしままを。こぎくれど。あはのをじまは。みれどあかぬかも。
 
傳の下、之は衍文歟。又は布不などの誤なるべし。粟小島は集中粟島と詠める所に同じ。
 參考 ○島廻(古、新)シマミ ○?雖來(古)コギキケド(新)コギクレド。
 
右二首或云柿本朝臣人麻呂作。
 
登2筑波山1詠v月一首 月の下歌の字を脱せり。
 
1712 天原。雲無夕爾。烏玉乃。宵度月乃。入卷?毛。
(120)あまのはら。くもなきよひに。ぬばたまの。よわたるつきの。いらまくをしも。
 
幸2芳野離宮1時歌二首
 
1713 瀧上乃。三船山從。秋津邊。來鳴度者。誰喚兒鳥。
たぎのへの。みふねのやまゆ。あきつべに。きなきわたるは。たれよぶことり。
 
三船(ノ)山、秋津ともに既に出づ。邊は方《ベ》なり。
 
1714 落多藝知。流水之。磐觸。與杼賣類與杼爾。月影所見。
おちたぎち。ながるるみづの。いはにふり。よどめるよどに。つきのかげみゆ。
 
フリはフレテなり。
 參考 ○磐觸(考)イハニフレ(古、新)イハニフリ。
(120)右二首作者未v詳。 今本二を三に誤れり。目録に二首と有るを用ふべし。
 
槐《ヱニスノ》本歌一首
 
槐、和名抄、惠爾須。
 
1715 樂波之。平山風之。海吹者。釣爲海人之。袂變所見。
ささなみの。ひらやまかぜの。うみふけば。つりするあまの。そでかへるみゆ。
 
袖の飜るなり。
(121) 參考 ○槐本(新)柿本の誤にて柿本人麿の氏のみ書けるなり。
 
山上歌一首
 
憶良なり。
 
1716 白那彌之。濱松之本【本ヲ木ニ誤ル】乃。手酬草。幾世左右二箇。年薄經濫。
しらなみの。はままつがねの。たむけぐさ。いくよまでにか。としはへぬらむ。
 
本を今、木に作るは誤なり。一本に據る。卷一に、川島皇子或云山上臣憶良作とて、二の句濱松之枝乃、末句年乃云云と替れるまでにて同歌を載す。卷一に委しく言へり。
 參考 ○濱松之木乃(考)略に同じ(古)ハママツノキノ、又は「木」は「枝」か(新)ハママツノキノ。
 
右一首或云河島皇子御作歌。
 
春日歌一首
 
春日藏首老なるべし。
 
1717 三河之。淵瀬物不落。左提刺爾。衣手湖。干兒波無爾。
みつがはの。ふちせもおちず。さてさすに。ころもでぬれぬ。ほすこはなしに。
 
三河は地名にや。ある人近江滋賀郡に有りと言へり。士人に問ふべし。淵瀬モオチズは淵瀬漏さず漁す(122)るなり。和名抄、〓(佐天)と見ゆ。〓、古本温に作る。濕の誤ならん。
 參考 ○三河之(古)略に同じ(新)「山」ヤマカハノ ○差提(古、新)サデ「テ」を濁る。
 
高市歌一首 黒人なるべし。
 
1718 足利思代。?行舟薄。高島之。足速之水門爾。極爾監【監ヲ濫ニ誤ル】鴨。
あともひて。こぎゆくふねは。たかしまの。あとのみなとに。はてにけむかも。
 
初句古訓アシリヲハと有り。由無し。アトモヒは誘ふの意にて、アツムルの轉語なり。俗に舟をむやふと言ふ事と聞ゆ。高島、アトノミナト、近江なり。監を今本濫に誤れり。
 參考 ○足利思代(代)アトサシテ、「利」の下「佐」」を脱とす(考、古、新)略に同じ ○?行舟薄(考、新)略に同じ(古)コギニシフネハ ○極爾濫鴨(考)ハテニケムカモ(古)ハテニ「監」ケムカモ、又は、ハテヌラムカモ「爾」を去の誤とす(新)ハテニ「監」ケムカモ、又は、ハテヌラムカモ「爾」を「奴」の誤とす。
 
春日藏歌一首
 
老なり
 
1719 照月遠。雲莫隱。島陰爾。吾舟將極。留不知毛。
(123)てるつきを。くもなかくしそ。しまかげに。わがふねはてむ。とまりしらずも
 
右一首或本云、小辯作也。或記2姓氏1無v記2名字1。或?2名號1不v?2姓氏1。然依2古記1便以v次載。凡如v此類下皆效焉。  是れは後人の裏書なるべし。
 
元仁歌三首
 
考ふる物無し。
 
1720 馬屯而。打集越來。今日見鶴。芳野之川乎。何時將顧。
うまなめて。うちむれこえき。けふみつる。よしぬのかはを。いつかへりみむ。
 
1721 辛苦。晩去日鴨。吉野川。清河原乎。雖見不飽君。
くるしくも。くれゆくひかも。よしぬがは。きよきかはらを。みれどあかなくに。
 
初句カラクモとも訓むべし。君の音を借りたり。
 參考 ○辛苦(古、新)クルシクモ ○晩去日鴨(考、新)略に同じ(古)クレヌルヒカモ。
 
1722 吉野川。河浪高見。多寸能浦乎。不視歟成甞。戀布眞國。
よしぬがは。かはなみたかみ。たぎのうらを。みずかなりなむ。こひしけまくに。
 
浦は借字にて裏なり。磯ノウラなどと言へり。コヒシケマクニのマクは、すべて撥ぬる詞と同じくて、ここは終に見ずや有らん。後戀ひしからんにとなり。
(124) 參考 ○多寸能浦乎(新)タキノセヲ「浦」を「瀬」の誤とす ○戀布眞國(考、新)略に同じ(古)コホシケマクニ。
 
絹歌一首
 
考ふる物無し。
 
1723 河蝦鳴。六田乃河之。川楊乃。根毛居侶雖見。不飽君鴨。
かはづなく。むつたのかはの。かはやぎの。ねもころみれど。あかぬきみかも。
 
六田、吉野なり。和名抄、水楊(加波夜奈木)青ヤギとも言へば川ヤギとも言ふべし。柳の根と續けたり。さて所の景色を、やがて飽かぬと言はん序とせり。
 
島足歌一首
 
考ふる物無し。
 
1724 欲見。來之久毛知久。吉野川。音清左。見二友敷。
みまくほり。こしくもしるく。よしぬがは。おとのさやけさ。みるにともしき。
 
コシクのクは助辭。乏シキは珍しく見足らぬなり。
 參等 ○見二友數(古)略に同じ(新)ミルニトモシク。
 
麻呂歌一首
 
(125)考ふる物無し。
 
1725 古之。賢人之。遊兼。吉野川原。雖見不飽鴨。
いにしへの。かしこきひとの。あそびけむ。よしぬのかはら。みれどあかぬかも。
 
卷一に、よき人のよしとよく見てよしといひしよし野よく見よ、と詠ませ給ひ、卷七にも、妹が紐結八川内をいにしへのよき人見きと、と詠めるも吉野なり。
 參等 ○賢人之(考、古、新)サカシキヒトノ。
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
丹比眞人歌一首 屋主か乙麻呂か。
 
1726 難波方。鹽干爾出而。玉藻苅。海未通女【今女ヲ脱ス】等。汝名告左禰。
なにはがた。しほひにいでて。たまもかる。あまをとめども。ながなのらさね。
 
通の下、今本女を脱せり。一本に據りて補ふ。末は卷一の家のらへ名のらさね、と同じ。
 
和《コタヘ》歌一首
 
1727 朝入爲流。人跡乎見座。草枕。客【客ヲ容ニ誤ル】去人爾。妻者不敷。
あさりする。ひととをみませ。くさまくら。たびゆくひとに。つまとはしかじ。
 
(126)流の下、海の字を落せるか。又は海を流に誤れるか。アマトヲミマセと有るべし。乎は助辭。敷は教の字の誤なり。ツマトハノラジと有るべし。意は名は告らずとも、唯だ海人とのみ見ていませ、旅人の爲めに妻とては名は告らじとなり。
 參考 ○人跡乎見座(考)ヒトトヲミマセ(古、新)アマトヲミマセ(古、新)ともに略の説を可とす ○妻者不敷(代)ツマハシカセジ(考)ツマニハシカジ(古)ツマトハノラジ「敷」を「教」の誤とす(新)「吾名者不教」ワガナハノラジ。
 
石河卿歌一首
 
1728 名草目而。今夜者寐南。從明日波。戀鴨行武。從此間別者。
なぐさめて。こよひはねなむ。あすよりは。こひかもゆかむ。こゆわかれなば。
 
逢ひ慰めてなり。末はここより別れいなば、明日よりは戀ひつつ行かんとなり。旅にして女に逢ひて詠めるなるべし。
 參考 ○從此(代、考、新)コユ(古)コヨ。
 
宇合《ウマカヒ》卿歌三首
 
1729 曉之。夢所見乍。梶嶋乃。石越浪乃。敷弖志所念。
あかときの。いめにみえつつ。かぢしまの。いそこすなみの。しきてしおもほゆ。
 
(127)梶島、何處《イヅク》にか、八雲御抄、丹後と有り。猶考ふべし。契沖云、宇合卿西海道節度使にて下られける事有れば、若し筑紫に有るかと言へり。石こす浪の如く重重思ふとなり。
 
1730 山品之。石田乃小野之。母蘇原。見乍哉公之。山道越良武。
やましなの。いはたのをぬの。ははそはら。みつつやきみが。やまぢこゆらむ。
 
神名帳、出城宇治郡山科神社、久世郡石田神社と有りて、山科は宇治郡なれど、久世郡にもかかりて在るか。和名抄柞(波波曾)
 
1731 山科乃。石田社爾。布靡越者。蓋吾妹爾。直相鴨。
やましなの。いはたのもりに。ふみこえば。けだしわぎもに。ただにあはむかも。
 
卷十二、山代の石田のもりに心おそく手向したれば妹に逢がたき。卷十三長歌、山科の石田の森のすめ神にぬ左取向て、など有るを思へば、布靡越者は布麻勢者の誤にて、タムケセバなるべし。
 參考 ○石田社爾(新)イハタノモリ「乎」ヲ ○布靡越者(考)タムケセバ「越」を「勢」の誤とす(古)タムケセバ(新)フミコエバ。
 
碁師歌二皆
 
卷四に、碁檀越と言ふ有り是れか。
 
1732 母山。霞棚引。左夜深而。吾舟將泊。等萬里不知母。
(128)おもやまに。かすみたなびく。さよふけて。わがふねはてむ。とまりしらずも。
 
オモ山、八雲御抄、美濃と有り。契沖は神代紀を引きて、美濃國藍見川之上喪山と有るなりと言へり。宣長云、卷七、大葉山霞たなびくの歌是れと全く同じ。されば此歌、母の上祖の字の落ちたるにて、オホバ山なり。山の下、爾の字の無きをも思ふべしと言へり。
 參考 ○母山(考)オモヤマニ(古、新)「祖母」オホバヤマ。
 
1733 思乍。雖來來不勝而。水尾崎。眞長乃浦乎。又顧津。
おもひつつ。くれどきかねて。みをがさき。まながのうらを。またかへりみつ。
 
和名抄、近江高島郡三尾。繼體紀にも見ゆ。眞長ノ浦も其處なるべし。
 參考 ○思乍(古)シヌビツツ(新)オモヒツツ。
 
小辯《コトモヒ》歌一首
 
1734 高嶋之。足利湖乎。?過而。鹽津菅浦。今香【香ヲ者ニ誤ル】將?。
たかしまの。あとのみなとを。こぎすぎて。しほづすがうら。いまかこぐらむ。
 
今本、香を者に誤る。官本に據りて改む。鹽津は近江淺井郡なれば、菅浦も同所と見ゆ。
 參考 ○今者將?(代)イマハ、又はイマ「香」カ(考、新)略に同じ(古)イマハコガナム。
 
伊保《イホ》麻呂歌一首
 
(129)1735  吾疊。三重乃河原之。礒裏爾。如是鴨跡。鳴河蝦可物。
わがたたみ。みへのかはらの。いそのうらに。かばかりかもと。なくかはづかも。
 
ワガタタミ、枕詞。和名抄、伊勢三重郡。古事記、伊勢國之三重采女と言へる有り。礒ノ裏はウチなり。斯くばかり面白き所かなとて、かはづも鳴けるとなり。如是の下、字を落せるか。
 參考 ○如是鴨跡(考)略に同じ(古)カクシモガモト(新)猶考ふべし。
 
式部大倭芳野作歌一首
 
大倭は氏なり。若しくは大丞の誤字か。
 
1736 山高見。白木綿花爾。落多藝津。夏身之河門。雖見不飽香聞。
やまたかみ。しらゆふばなに。おちたぎつ。なつみのかはと。みれどあかぬかも。
 
卷七、泊瀬川白木綿花に落瀧つとも詠みて、木綿花ノ如クニと言ふ意なり。
 
兵部川原歌一首
 
川原は姓か。一本、川の字無し。又は尠丞などの誤か。
 
1737 大瀧乎。過而夏箕爾。傍爲而。淨河瀬。見河明沙。
おほだきを。すぎてなつみに。そはりゐて。きよきかはせを。みるがさやけさ。
 
大瀧は吉野に有り。ソハリヰテは傍に居てなり。見の下の河は何の誤なるべし。宣長云、爲は居の誤に(130)て、ソヒヲリテと訓むべしと言へり。
 參考 ○傍爲而(考)ソヒテヰテ(古)ソヒヲリテ(新)ソヒ「往」ユキテ ○見河明沙(新)ミルガ「乏」トモシサ。
 
詠2上總|末珠名《スヱノタマナ》娘子1一首并短歌
 
續紀、養老二年五月、割2上總國之平群安房朝夷長狹四郡1置2安房國1云云。末は和名抄、上總國周淮郡(季)、そこに名たたる娘子の有りしを詠めるなり。珠名は娘子の名なり。歌に安房ニ繼ギタルと詠めるは、未だ國を割れざる前なれば、安房郡に竝べる末と言ふ意なり。娘子の下、歌の字脱ちたり。
 
1738 水長鳥。安房爾繼有。梓弓。末之珠名者。胸別之。廣吾妹。腰細之。須輕娘子之。其姿之。端正爾。如花。咲而立者。玉桙乃。道行人者。己行。道者不去而。不召爾。門至奴。指並。隣之君者。預。己妻離而。不乞爾。鎰左倍奉。人乃皆。如是迷有者。容艶。緑而曾妹者。多波禮弖有家留。
しながどり。あはにつぎたる。あづさゆみ。すゑのたまなは。むなわけの。ひろきわぎも。こしぼその。すがるをとめの。そのかほの。いつくしけさに。はなのごと。ゑみてたてれば。たまぼこの。みちゆくひとは。おのがゆく。みちはゆかずて。よばなくに。かどにいたりぬ。さしなみの。となりのきみは。あらかじめ。おのづまかれて。こはなくに。かぎさへまたす。ひとのみな。かくまどへれば。うちしなひ。よりてぞいも(131)は。たはれたりける。
 
志長鳥、梓弓、枕詞。ムナワケノ云云、乳間の廣きを善き相とする成るべし。スガル、字鏡羸(須加留)説文羸(ハ)痩と有り。また雄略紀人名に、〓羸此云2須我?1。和名抄云、〓〓(悦翁二音、和名佐曾里)似v蜂而細腰者也。一名〓羸(果〓二音)と有りて、此虫常には似我蜂と言へり。殊に腰細き蜂なれば女の細腰に譬ふ。端正、紀の訓に據りて、キラキラシキニとも訓むべし。道行人は云云、おのが行くべき道を行かずして、廻り道をして、呼ばぬに娘子が門に到るなり。サシナミノ、卷六、王のみことかしこみ刺並之《サシナミノ》國にいでますやわがせの君をとも詠めり。オノヅマ、上にも出づ。さて心は己が妻をさり離ちて、娘子が方よりも乞はぬに、秘め置くべき鎰をも、娘子に與ふる由なり。宣長云、容艶をウチシナヒと訓むべし。卷十四に、槎二將有《シナヒニアラム》妹がすがたを、卷二十、多用之奈布きみがすがたを、と有り。妹が其人に縁りて戯《タハ》るるなり。反歌に、其意見ゆと言へり。容艶を古訓カホヨキニと訓みたれど、然か訓みては此歌解き難し。
 參考 ○廣吾妹(代)ユタケキ(考、新)略に同じ(古)ヒロケキワギモ ○須輕娘子之(考)スガルヲトメガ(古)略に同じ(新)「之」を衍とす ○端正爾(代)キラキラシクニ(考)イツクシクサニ(古、新)キラキラシキニ ○指並(代、新)略に同じ(考、古)サシナラブ ○預(代)「豫」(132)か(考、古)「頓」タチマチニ(新)略に同じ ○己妻離而(代)オノヅマ(考)ワガツマカレテ(古、新)略に同じ ○鎰左倍奉(考)カギサヘマタシ(古)カギサヘマツル(新)カギサヘササグ ○人乃皆(新)ヒトミナノ「皆乃」とす ○容艶(考)カホヨキニ(古、新)ウチシナビ。
 
反歌
 
1739 金門爾之。人乃來立者。夜中母。身者田菜不知。出曾相來。
かなどにし。ひとのきたてば。よなかにも。みはたなしらず。いでてぞあひける、
 
カナドは、金のくぎ貫もて堅むれば言ふ。安康紀、大王をまへすくねが訶那杜加礙《カナドカゲ》と言へり。門を加杼と言ふも此略言なり。身ハタナシラズは、卷一、長歌に家わすれ身もたなしらず、と詠めり。そこに言へり。
 
詠2水江《ミヅノエノ》浦島子1一首并短歌
 
雄略紀に、丹波國餘社郡管川(ノ)人水江浦島子、舟に乘りて釣して大龜を得。乃ち化して女となる。浦島子感て婦として、相|逐《シタガヒテ》海に入り、蓬莱山に到り、仙衆を歴覩る由有り。餘社郡後に分れて丹後に屬す。
 
仙覺抄去。丹後風土記曰。與謝郡日量【○置ノ誤カ】里。此里有2筒川村1。此人夫日下部首等先祖。名云2筒川嶼子1。爲v人姿容秀美。風流無v類。斯所謂水江浦嶼子也云云(○刊本仙覺抄ニ此文無シ、釋日本記卷十二、述義八ニ引ク處ナリ)是等の事を詠めるなり。水江は氏、浦島は名なり。
 
(133)1740 春日之。霞時爾。墨吉之。岸爾出居而。釣船之。得乎良布見者。古之。事曾所念。水江之。浦島兒之。竪魚釣。鯛釣矜。及七日。家爾毛不來而。海界乎。過而?行爾。海若。神之女爾。邂爾。伊許藝?。相誂良比。言成之賀婆。加吉結。常代爾至。海若。神之宮乃。内隔之。細有殿爾。携。二人入居而。老目不爲。死不爲而。永世爾。有家留物乎。
はるのひの。かすめるときに。すみのえの。きしにいでゐて。つりぶねの。とをらふみれば。いにしへの。ことぞおもほゆる。みづのえの。うらしまのこが。かつをつり。たひつりほこり。なぬかまで。いへにもこずて。うなさかを。すぎてこぎゆくに。わたづみの。かみのをとめに。たまさかに。いこぎ|むかひて《はしりて》。あひかがらひ。ことなりしかば。かきむすび。とこよにいたり。わたづみの。かみのみやの。うちのへの。たへなるとのに。たづさはり。ふたりいりゐて。おいもせず。しにもせずして。とこしへに。ありけるものを。
 
浦島子傳云。妾在v世結2夫婦之儀1。而我成2天仙1。生2蓬莱宮中1。子作2地仙1。遊2澄江浪上1。乃至d得2玉匣1了約成u。分v手翁去。島子乘v舟眠v目歸去。忽至2故郷澄江浦1云云。墨吉は與謝郡にも在るなるべし。得乎の乎は本の誤にて、トホラフならん。トホル(通)を延べたる語にて、釣船の?ぎ通るなど言ふなりと翁は言はれき。大平云、得乎良布は、手湯多布《タユタフ》の誤ならんと言へる由宣長言へり。斯くてはよく調へり。水江は氏にて、墨吉とは異なり。和名抄、鰹(加豆乎)鯛(太比)と有り。釣ホコリは、釣(134)の幸有るに誇るなり。海界は古事記、塞2海坂《ウナサカ》1而返入と有るをもて、宣長はウナサカと訓めり。かの海坂もやがて海界の意なればなり。イコギのイが發語、相誂、古訓アヒカタラヒと有るはひがことなり。此卷末、眞間娘子を詠める長歌に、みなと入に舟こぐ如く歸加具禮《ヨリカグレ》人のいふ時と言ふは、いどみ寄る古語と聞ゆ。さて筑波|?歌《カガヒ》の歌に、をとめをとこの行つどひ加賀《カガ》布かがひに云云と言へるカガフも同語なるべし。さればここの相誂良比をアヒカガラヒと訓めり。字書に、誂相呼誘也。又戯也。又弄也。謂以2微言1動v之など有り。言成は事成なり。カキムスビのカキは詞、ムスビは契約の意なり。
 參考 ○春日之(考)ハルビノ(古、新)略に同じ ○得乎良布見者(考〕ト「本」ホラフミレバ(古)「手湯多布」タユタフミレバ(新)トヲラフミレバ、トヲラフにてタユタフ意とし誤字とせず ○事曾所念(考)コトゾオモホユ(古、新)略に同じ ○海界乎(考)ウミベタヲ(古、新)略に同じ ○伊許藝?相誂良比(代)イコギワシリテ、アヒトフラヒ(考)イコギワシラヒ、カガラヒ(古)イコギムカヒ、アヒカタラヒ(新)イコギムカヒテ、アヒトブラヒ ○加吉結(考)カキ「キはイの如く唱ふ」ツラネ(古、新)略に同じ ○永世爾(考、新)ナガキヨニ(古)略に同じ。
 
世間之。愚人之。吾妹兒爾。告而語久。須臾者。家歸而。父母爾。事毛告良比。如明日。吾者來南登。言家禮婆。妹之答久。常世邊爾。復變來(135)而。如今。將相跡奈良婆。此篋。開勿勤常。曾己良久爾。堅目師事乎。墨吉爾。還來而。家見跡。宅毛見金手。里見跡。里毛見金手。恠常。所許爾念久。從家出而。三歳之間爾。墻毛無。家毛滅目八跡。此筥【筥ヲ※[草がんむり/呂]ニ誤ル】乎。開而見手齒。如本來。【本來ヲ今、來本ニ誤ル】家者將有登。玉篋。小披爾。白雲之。自箱出而。常世邊。棚引去者。立走。※[口+立刀]袖振。反側。足受利四管。頓。情消【消ヲ清ニ誤ル】失奴。若有之。皮毛皺奴。黒有之。髪毛白班奴。由奈由奈波。氣左倍絶而。後遂。壽死祁流。水江之。浦島子之。家地見。
よのなかの。しれたるひとの。わぎもこに。のりてかたらく。しまらくは。いへにかへりて。ちちははに。ことをものらひ。あすのごと。われはきなむと。いひければ。いもがいへらく。とこよべに。またかへりきて。いまのごと。あはむとならば。このくしげ。ひらくなゆめと。そこらくに。かためしことを。すみのえに。かへりきたりて。いへみれど。いへもみかねて。さとみれど。さともみかねて。あやしと。そこにおもはく。いへゆでて。みとせの|ほどに《からに》。かきもなく。いへうせめやと。このはこを。ひらきてみてば。もとのごと。いへはあらむと。たまくしげ。すこしひらくに。しらくもの。はこよりいでて。とこよべに。たなびきぬれば。たちはしり。さけびそでふり。こいまろび。あしずりしつつ。たちまちに。こころけうせぬ。わかかりし。はだもしわみぬ。くろかりし。かみもしらけぬ。ゆなゆなは。いきさへたえて。のちつひに。いのちしにける。みづのえの。うらしまのこが。いへどころみゆ。
 
(136)愚、シレタルと訓めるは、竹取、源氏などの物語に、愚かなるを言へり。又神代紀、愚をウルケキと訓めれば然か訓まんか、即ち浦島を指す。ワギモコニ、ここは海若の女を指す。ノラヒはノリを延べたるにて告ぐなり。アスノ如、明日と言はんもひとしく、早く歸らんと言ふなり。復變來はの變は借字にて歸來なり。ソコラクは許多なり。堅メシ事ヲは、カタメシモノヲの意。見カネテは見エカネテなり。聞キテ見テバのバを濁るべし。見テアラバなり。本來、今來本とせるは誤なり。玉クシゲ、釋日本紀に、丹後風土記を引きて、水汀浦嶼子の事を記したる所に、後時人追加歌曰、美頭能睿能、宇良志麻能古我、多麻久志|義《ゲ》、阿氣受阿理世波、麻多母阿波麻志と有り。さればクシゲと言ひ、ハコと言へるは同じ物なり。三歳之間、神代紀、一夜之間をヒトヨノカラニと訓めれば、ここもミトセノカラニとも訓むべし。コイマロビのコイは、コヤスと同じく臥すを言ふ。清は消の字の誤なり。ユナユナは由と與と通ひて夜ナ夜ナなり。契沖はユナユナはハテハテハと言ふ心に聞ゆと言へり。猶考ふべし。是れは家の跡と語り傳へし地の有りて、そこを見て詠めるなれば、見ユと訓むべし。さて初めに云云トヲラフ見レバと有る首尾なり。
 參考 ○愚人之(考)シレタルヒトノ(古、新)カタクナビトノ ○須臾者(古)シマシクハ(新)シマラクハ、又は、シマシクハ ○事毛告良比(考)コトニモノラヒ(古)コトヲモノラヒ(新)コトモノラヒ ○如今(考)ケフノゴト(古、新)略に同じ ○恠常(代、古、新)アヤシミト(考)(137)略に同じ ○間爾(考、古、新)ホドニ ○家滅目八跡(考)イヘモケメヤト(古、新)イヘウセメヤ「裳」モ ○立走(考、新)略に同じ(古)タチワシリ ○由奈由奈波(考)略に同じ(古、新)ユ「利」リユ「利」リハ。
 
反歌
 
1741 常世邊。可住物乎。劔刀。己之心柄。於曾也是君。
とこよべに。すむべきものを。つるぎだち。しがこころから。おそやこのきみ。
 
ツルギタチ、枕詞。己之、シガと訓めるは、古事記、斯賀阿禮婆、雄略紀、志我都矩?麻泥?、また旨我那稽|麼《バ》など有りて、己ガを凡てシガと言へり。オソは卷二、於層の風流士と言へる於曾に同じく、鈍き意なり。此君は浦島子を指す。常世より歸らずして、其まま住むべき物をと言ふなり。
 參考 ○己之(考、新)ナガ(古)略に同じ。
 
見2河内(ノ)大橋(ヲ)獨去(ル)娘子1歌一首并短歌
 
1742 級照。片足羽河之。左丹塗。大橋之上從。紅。赤裳數十引。山藍用。摺衣服而。直獨。伊渡爲兒者。若草乃。夫香有良武。橿實之。獨歟將(138)宿。問卷乃。欲我妹之。家乃不知。
しなてる。かたしはがはの。さにぬりの。おほはしのへゆ。くれなゐの。あかもすそびき。やまあゐもて。すれるきぬきて。ただひとり。いわたらすこは。わかくさの。つまかあるらむ。かしのみの。ひとりかぬらむ。とはまくの。ほしきわぎもが。いへのしらなく。
 
シナテル、枕詞。カタシハ河、或人交野郡に在りと言へり。サニヌリノ、サは發語にて丹ヌリなり。山藍、民部式に見ゆ。古へより專ら衣を摺るは山あゐなり。イワタラス子の伊は發語、ワタラスは渡るを延べ言ふにて、菜ツム子をナツマスコ、山田モル兒をモラスコと言へるに同じ。此ツマは字の如く夫なり。カシノミノ、枕詞。夫や有りと問はまほしきを、家の知られぬと言ふなり。
 參考 ○山藍用(考)略に同じ(古、新)ヤマヰモチ。
 
反歌
 
1743 大橋之。頭爾家有者。心悲久。獨去兒爾。屋戸借申尾。
おほはしの。つめにいへあらば。まがなしく。ひとりゆくこに。やどかさましを。
 
天智紀、うぢはしの都梅能《ツメノ》あすびにと言ひ、催馬樂にも橋のつめと言ひたれば、頭、ツメと讀めり。誰とも知らず、心憂きさまにて、大橋を獨り渡る女を見て、其橋の邊に住まひたらば、宿貸さん物をと詠めるなり。
 參考 ○頭爾家有者(考)ヘニイヘアラバ(古、新)略に同じ ○心悲久(代)ウラガナシク(考)ココロイタク(古、新)略に同じ
 
(139)見2武藏|小埼《ヲサキ》沼鴨1作歌一首 
 
1744 前玉之。小埼乃沼爾。鴨曾翼霧。己尾爾。零置流霜乎。掃等爾有斯。
さきたまの。をさきのいけに。かもぞはねぎる。おのがをに。ふりおけるしもを。はらふとならし。
 
旋頭歌なり、和名抄、武藏埼玉郡(佐伊太末)と有り。斯く音便に唱ふるはやや後の事なり。ハネギルは羽を振るなり。卷十五、かもすらもつまとたぐひて和我尾にはしもなふりそとしろたへのはねさしかへてうちはらひ云云。
 參考 ○翼霧(古、新)ハネキル、「キ」清音 ○己尾爾(代、考)オノガミニ(古、新)略に同じ。
 
那賀《ナカノ》郡|曝井《サラシヰノ》歌一首
 
歌に據るに賀は清音に訓むべし。ナカと言へる所に國國に多くて、紀伊那賀は、和名抄、賀音如鵝と有れば、是れのみ濁音なり。武藏には那珂郡と有れば必ず清音なり。小埼沼に次で載せたれは、武藏の那珂なるべし。
 
1745 三栗乃。中爾向有。曝井之。不絶將通。彼所爾妻毛我。
みつぐりの。なかにむきたる。さらしゐの。たえずかよはむ。そこにつまもが。
 
ミツグリノ、枕詞。古へ井と言へるは多く流るる水なり。那珂へ向きて流るるを言ふべし。宣長云、向有、いかが、回有《メグレル》ならんと言へり。絶エズ通ハムは、水の絶えぬに懸けて、此水をめでて詠めるなるべ(140)し。妻モガのガは願ふ詞。
 參考 ○中爾向有(考)中爾ムカヘル(古)ナカニ「回」メグレル(新)「中國爾有」ナカノクニナル。
 
手綱《タヅナノ》濱歌一首 何處にか未だ考へ得ず。
 
1746 遠妻四。高爾有世婆。不知十方。手綱乃濱能。尋來名益。
とほづまし。たかにありせば。しらずとも。たづなのはまの。たづねきなまし。
 
タカは集中、高高と詠める意と同じかるべし。されど此處はさては聞えず。高は其の字の誤にて、ソコニアリセバならん。歌の意は遠妻のたづなの濱わたりに住みなば、路は知らずとも來り逢はんと言ふをタヅナノ濱と言ふ名を受けて、タヅネ來ナマシと詠めるなり。
 參考 ○高爾有世婆(考)「亭」ヤマニアリセバ(古)「其」ソコニアリセバ、頭書には常陸の郡名「多珂」にせり(新)タカニアリセバ。
 
春三月諸卿大夫等下2難波1時歌二首并短歌
 
是れは幸の度なるべし。次の長歌の末に、君ガミユキハと詠めり。并短歌の字を落せり。目録に據りて補へり。
 
1747 白雲之。龍田山之。瀧上之。小鞍嶺爾。開乎爲【爲ハ烏ノ誤】流。櫻花者。山高。(141)風之不息者。春雨之。繼而零者。最末枝者。落過去祁利。下枝爾。遺有花者。須臾者。落莫亂。草枕。客去君之。及還來。
しらくもの。たつたのやまの。たぎのへの。をぐらのやまに。さきををる。さくらのはなは。やまたかみ。かぜしやまねば。はるさめし。つぎてふれれば。ほつえは。ちりすぎにけり。しづえに。のこれるはなは。しまらくは。ちりなみだれそ。くさまくら。たびゆくきみが。かへりくまでに。
 
白雲ノ、枕詞。瀧の上は實に瀧有る所なれば言へるなり。ヲグラノ嶺は龍田山の中に有るならん。此卷初に、夕さればをぐらの山に臥鹿のと有ると同じ所なるべし。乎爲流は乎烏流の誤なり。既に出づ。ホツエは上つ枝と言ふに同じ。最末二字をホと訓めるなり。君と言へるは同じく旅行く人を指せるか、されど穩かならず。君は吾の誤にて、タビユクワレガ、カヘリクマデニなるべし。
 參考 ○風之不息者(考、新)略に同じ(古)カゼノヤマネバ ○春雨之(古、新)ハルサメノ ○繼而零者(代)ツギテフレレバ、又は、ツギツツフレバ(考、新)ツギテシフレバ(古)略に同じ ○須臾者(古)シマシクハ(新)シマラクハ、又は、シマシクハ ○落莫亂(代)チリナマガヒソ(考、新)略に同じ(古)チリナミダリソ ○及還來(考)カヘリクルマデ(古)カヘリコムマデ(新)カヘリクルマデ、又は、カヘリコムマデ。
 
反歌
 
1748 吾去者。七日不過。龍田彦。勤此花乎。風爾莫落。
(142)わがゆきは。なぬかはすぎじ。たつたびこ。ゆめこのはなを。かぜになちらし。
 
ナヌカは、唯だ日數の多からぬ程を斯く言へり。神名帳、大和國立田郡立田比古立田比女神社と有り。神祇令、風神祭、義解、謂2亦廣瀬龍田二祭1云云と有りて、風神なれば斯く詠めり。
 參考 ○莫落(考)チラスナ(古)略に同じ(新)チラスナ、叉は、ナチラシ。
 
1749 白雲乃。立田山乎。夕晩爾。打越去者。瀧上之。櫻花者。開有者。落過祁里。含有者。可開繼。許知期智乃。花之盛爾。雖不見。左右。之三行者。今西應有。
しらくもの。たつたのやまを。ゆふぐれに。うちこえゆけば。たぎのへの。さくらのはなは。さきたるは。ちりすぎにけり。ふふめるは。さきつぎぬべし。こちごちの。はなのさかりに。みずといへど。かにかくに。きみがみゆきは。いまにしあるべし。
 
コチゴチは彼此なり。此時花の盛は見ずと言へども、猶やがて行幸有るべければ、とにかくに盛にも逢はんと言ふ意か。宣長云、左右の字上下に落字多く有るべし。試に補はば、マタモ來《コ》ム左右《マデ》散リコスナ、君が云云と有るべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○雖不見(考)ミズトヘド(古)「落莫亂」の三字を下に補ひて、ミセズトモチリナミダリソ(新)「雖不相」の誤とし「アハネドモ」と訓み、下に、タヌシクオモホユなどいふ意の一句有るべきなり (143)○左右(考、古)略に同じ(新)カモカクモ ○君之(考、新)略に同じ(古)キミガ。
 
反歌
 
1750 暇有者。魚津柴比渡。向峯之。櫻花毛。折末思物緒。
いとまあらば。なづさひわたり。むかつをの。さくらのはなも。をらましものを。
 
難波へ下るとて、暇無ければ斯く言へり。ナヅサヒは契沖は携の意なりと言へり。宣長云、此詞は集中皆水に浮む事、或は水を渡る事などにて、水に着く事ならでは言はず。是れのみ水の由無く聞ゆれど、長歌に、瀧のうへのと有れば、ここも瀧河を渡る事なるべし。中古の物語文などに至りて、人に馴れむつぶ事に言へるは、いたく轉りたる物なりと言へり。
 
難波經宿(シテ)明日還來之時歌一首并短歌
 
1751 島山乎。射往廻流。河副乃。丘邊道從。昨日己曾。吾越來牡鹿。一夜耳。宿有之柄二。峯上之。櫻花者。瀧之瀬從。落墮而流。君之將見。其日左右庭。山下之。風莫吹登。打越而。名二負有杜爾。風祭爲奈。
しまやまを。いゆきめぐれる。かはぞひの。をかべのみちゆ。きのふこそ。わがこえこしか。ひとよのみ。わたりしからに。をのうへの。さくらのはなは。たぎのせゆ。たぎちてながる。きみがみむ。そのひまでには。やまおろしの。かぜなふきそと。うちこえて。なにおへるもりに。かざまつりせな。
 
(144)島山は大和なり。卷五、奈良路なる島のこだち、卷十九、島山にあかる橘と詠めり。故郷の島山のあたりを出でしは、昨日なりしをと言ふなり。さて一夜耳云云は難波に經しを言ふ。ネタリシカラニ、神代紀、一夜間をヒトヨノカラニと訓めり。ヲノウヘは、卷二十、たかまとの乎能宇倍乃美也波と詠めるに據る。君ガ見ム云云は行幸を言ふ。名ニオフモリは龍田なり。天武紀、風神を龍田立野に祠るよし有り。神名帳、大和國平群郡龍田坐天御柱國御柱神社と有りて、級長津彦命をいはひ祭れり。級長津彦は則ち風神なり。ここの名ニオフは、常に言ふとは少し違《タガ》へり。風神と名に立てる神の社と言ふなり。セナはセムなり。 參考 ○廻流(古、新)モトホル ○道從(古)ミチヨ(新)略に同じ ○岑上之(代)ヲノヘノ(古、新)略に同じ ○瀬從(古)セヨ(新)略に同じ ○山下之(考)略に同じ(古、新)アラシノ。
 
反歌
 
1752 射行相乃。坂上之蹈本爾。開乎爲【爲ハ烏ノ誤】流。櫻花乎。令見兒毛欲得。
いゆきあひの。さかのふもとに。さきををる。さくらのはなを。みせむこもがも。
 
射は發語にて行き相ひなり。宣長云、行相乃は坂の枕詞の如し。坂は此方彼方《コナタカナタ》より登りて、行き合ふ所なればなり。界をサカヒと言ふも坂合の意なり。坂の下の上はイ行キアヒノと言ふから添へたる物なりと言へり。乎爲流は乎烏流の誤なり。
 
(145)?税使大伴卿登2筑波山1時歌一首并短歌
 
税はチカラと訓みて年貢を言ふ。其れを?校する御使《ミツカヒ》なり。大伴卿は、安麻呂卿ならんかと契沖言へり。何れにも有れ、歌の意は大伴卿の歌には有らず。外に作者有りしなり。
 
1753 衣手。常陸國。二並。筑波乃山乎。欲見。君來座登。熱爾。汗可伎奈氣【伎ヲ脱ス】。木根取。嘯鳴登。岑上乎。君爾令見者。男神毛。許賜。女神毛。千羽日給而。時登無。雲居雨零。筑波嶺乎。清照。言借右。國之眞保良乎。委曲爾。示賜者。歡登。紐之緒解而。家如。解而曾遊。打靡。春見麻之從者。夏草之。茂者雖在。今日之樂者。
ころもでの。ひたちのくにの。ふたなみ。つくはのやまを。みまくほり。きみきませりと。あつけきに。あせかきなげき。このねとり。うそむきのぼり。をのうへを。きみにみすれば。をのかみも。ゆるしたまひ。めのかみも。ちはひたまひて。ときとなく。くもゐあめふる。つくはねを。さやにてらして。いぶかりし。くにのまほらを。つばらかに。しめしたまへば。うれしみと。ひものをときて。いへのごと。とけてぞあそぶ。うちなびく。はるみましゆは。なつくさの。しげくはあれど。けふのたのしさ。
 
衣手ノ、枕詞。二並は卷三、此山を朋神の貴き山の儕立の見がほし山と詠みて、峯二つ並べればなり。右に言ふ如く、此歌は大伴卿の歌ならずして、某國の守、或は介椽などの詠めるならん。君とは大伴卿(146)を指す。氣の下、伎の字を脱せり。ウソムキは字鏡、嘯(宇曾牟久)、さかしき山を登るとて呻くを言ふ。ヲノ神モ云云、神名帳、常陸國筑波郡筑波山神社二座、此男神女神にて、高きを男の神と言へり。ユルシタマヒは、?税使の山に登るを許し給ふなり。チハヒはサキハヒともサチハヒとも言ふに同じく、幸ひを下し給ふなり。時トナク云云より、高山故、常に雨降るを、今日しも晴れて、いぶかりしくまぐまをも詳かに神の見せしめ給ふとなり。言借石は借字なり。卷四、いぶかしわぎもと言ふに言借と書けり。官長は、石は木の誤にて、イブカシキならんと言へり。國ノマホラ、既に言へり。紐ノヲトキテ云云は、吾家の内に居る如く、衣の紐解きて遊ぶさまなり。春見マシユハは、春見ムヨリハなり。
 參考 ○衣手(古、新)コロモデ ○二並(考)フタナミノ(古、新)フタナラブ ○君來座登(考)略に同じ(古)キミキマセリト(新)キミキマシヌト ○熱爾(考)略に同じ(古、新)アツケクニ ○汗可伎奈氣(代、古、新)アセカキナゲ「伎」キ、「伎」の字脱とす(考)アセカキナ「?」デ「氣」を「?」とす ○嘯(考)ウソブキ(古、新)略に同じ ○岑上乎(考)ヲノヘヲ(古、新)略に同じ ○言借石(考)イブカシ(古)略に同じ、但し「フ」清音(新)イブカシキ「石」を誤とす ○委曲爾(考)四言と言へり、ツバラニと訓めとか(古、新)略に同じ ○從者(考、新)略に同じ(古)ヨハ。
 
反歌
 
(147)1754 今日爾。何如將及。筑波嶺。昔人之。將來其日毛。
けふのひに。いかがおよばむ。つくばねに。むかしのひとの。きけむそのひも。
 
昔ノ人は誰と指す所無し。
 參考 ○何如將及(考)イカデ(古)イカデシカメヤ(新)イカニカシカム。
 
詠2霍公鳥1一首并短歌
 
1755 ?之。生卵乃中爾。霍公鳥。獨所生而。己父爾。似而者不鳴。己母爾。似而者不鳴。宇能花乃。開有野邊從。飛翻。來鳴令響。橘之。花乎居令散。終日。雖喧聞吉。幣【幣ヲ弊ニ誤ル】者將爲。遐莫去。吾屋戸之。花橘爾。住度鳥。
うぐひすの。かひこのなかに。ほととぎす。ひとりうまれて。しがちちに。にてはなかず。しがははに。にてはなかず。うのはなの。さきたるぬべゆ。とびかけり。きなきとよもし。たちばなの。はなをゐちらし。ひねもすに。なけどききよし。まひはせむ。とほくなゆきそ。わがやどの。はなたちばなに。すみわたれとり。
 
鶯の巣の中より、郭公の雛の成り出づる事は、卷十九、卯月のたてば夜ごもりに鳴ほととぎす昔より語つぎつる鶯のうつし眞子かもとも有りて、實にさる事有りと今も言へり。和名抄、卵(加比古)鳥胎也。(148)己はシガと訓むべし、上にも言へり。似テハ鳴カズは、鳴く聲も己が父母には似ずと言ふなり。ヰチラシは、羽を觸れて散らすなり。幣、今本弊に誤れり。マヒは賄賂にて、既に出づ。住ミワタレと暫句にて、鳥とは郭公を指す。
 參考 ○己父爾(考)ワガチチニ(古)略に同じ(新)ナガチチニ ○己母爾(考、新)ナガハハニ(古)略に同じ ○從(考、新)略に同じ(古)ヨ ○飛飜(考、古)略に同じ(新)トビカヘリ ○住度鳥(考)略に同じ(古、新)スミワタリ「鳴」ナケ。
 
反歌
 
1756 掻霧之。雨零夜乎。霍公鳥。鳴而去成。※[?+可]怜其鳥。
かききらし。あめのふるよを。ほととぎす。なきてゆくなり。あはれそのとり。
 
アハレは面白きなり。
 
登2筑波山1歌一首并短歌
 
1757 草枕。客之憂乎。名草漏。事毛有哉跡。筑波嶺爾。登而見者。尾花落。師付之田井爾。鴈泣毛。寒來喧奴。新治乃。鳥羽能淡海毛。秋風爾。白浪立(146)奴。筑波嶺乃。吉久乎見者。長氣爾。念積來之。憂者息沼。
くさまくら。たびのうれひを。なぐさもる。こともあらむと。つくはねに。のぼりてみれば。をはなちる。しづくのたゐに。かりがねも。さむくきなきぬ。にひばりの。とばのあふみも。あきかぜに。しらなみたちぬ。つくはねの。よけくをみれば。ながきけに。おもひつみこし。うれひはやみぬ。
 
シヅクノ田井、筑波の麓に今も雫《シヅク》村とて有り。田居はヰナカと言ふに同じ。新治は常陸に有る郡名。鳥羽ノアフミは、或人高濱と言ふ湖、此山より、麓の如く見渡さるれば、そこにやと言へり。吉久はヨキを延べたるなり。長キ氣云云、眞氣長クなど言ふも同じく、日長クなり。長く常に積りこし憂ひも、此景色に依りて止みぬるとなり。
 參考 ○客之憂乎(古)タビノウケクヲ(新)タビノウレヒヲ ○名草漏(代、考、新)略に同じ(古)ナグサムル ○事毛有武跡(古)コトモアレヤト、「武」を「哉」の誤とす(新)コトモアリヤト「武」を誤とす ○憂者息沼(考、新)略に同じ(古)ウケクハヤミヌ。
 
反歌
 
1758 筑波嶺乃。須蘇廻乃田井爾。秋田苅。妹許將遺。黄葉手折奈。
つくはねの。すそわのたゐに。あきたかる。いもがりやらむ。もみぢたをらな。
 
スソワは麓にめぐれるなり。宣長はスソミと訓むべしと言へり。手ヲラナは手ヲラムなり。此山より麓を見下ろして、田井に稻苅る妹が許へ遣らん爲めに、紅葉を手折らんと言ふのみ。
 參考 ○須蘇廻(古、新)スソミ。
 
(150)登筑波嶺|爲2?歌會《カヾヒヲ》1日作歌一首并短歌
 
?歌は、廣韻曰、??往來皃、韓詩去、?歌蠻人欹也と有り。カガヒは、カケアヒを約めたる語にて、かけ合ひ歌ふ故に言ふなるべし。宣長云、古事記、續紀等にウタガキと言ふ事有りて、歌垣、歌場など書けり。此カキはカガヒを又約めたるなるべしと言へり。
 
1759 鷲住。筑波乃山之。裳羽服津乃。其津乃上爾。率而。未通女壯士之。往集。加賀布?歌爾。他妻爾。吾毛交牟。吾妻爾。他毛言問。此山乎。牛掃神之。從來。不禁行事叙。今日耳者。目串毛勿見。事毛咎莫。
わしのすむ。つくはのやまの。もはきづの。そのつのうへに。いざなひて。をとめをとこの。ゆきつどひ。かがふかがひに。ひとづまに。われもまじらむ。わがつまに。ひともこととへ。このやまを。うしはくかみの。はじめより。いさめぬわざぞ。けふのみは。めぐしもなみそ。こともとがむな。
 
?歌者東俗語曰2賀我比1。
 
ワシノ住ム、卷十四、筑波ねにかがなく鷲と詠めり。和名抄、唐韻曰、〓、大G也。(和名於保和之、鷲古和之)モハキヅ、そこの地名ならん。カガフカガヒとは、カガヒは體の語にて、カガフは其用語なり。上の浦島子の誂良比《カガラヒ》の所にも言へり。顯宗紀に、太子の影媛と御歌を相謠ひ給ひし如し。ウシハク神、既に言へり。メグシモナミソは、他妻に交るとも、其夫も目に苦しくも見る事なかれなり。卷十七、あ(151)ひみればとこ初花に心ぐし眼《め》具之もなしにはしけやし吾おくづま云云。
 參考 ○裳羽服津乃(新)モキサハノ「羽」は衍、「津」は「澤」の誤か ○其津乃上爾(新)ソノ「澤」サハノヘニ ○率而(考)略に同じ(古、新)アトモヒテ ○交牟(考)マギナム(古、新)アハム ○從來(考、新)ムカシヨリ(古)イニシヘヨ、又は、ムカシヨリ。
 
反歌
 
1760 男神爾。雲立登。斯具禮零。沾【沾ヲ沽ニ誤ル】通友。吾將反哉。
をのかみに。くもたちのぼり。しぐれふり。ぬれとほるとも。われかへらめや。
 
ヲノ神と言ひて則ち山なり。反は借字にて還なり。
 
右件歌者。高橋連麻呂歌集中出
 
詠2鳴鹿1歌一首并短歌
 
1761 三諸之。神邊山爾。立向。三垣乃山爾。秋芽子之。妻卷六跡。朝月夜。明卷鴦視。足日木乃。山響令動。喚立鳴毛。
みもろの。かみなびやまに。たちむかふ。みかきのやまに。あきはぎの。つまをまかむと。あざづくよ。あけまくをしみ。あしびきの。やまびことよめ。よびたてなくも。
 
ミモロはミムロに同じく雷岳なり。神邊は海邊を海傍《ウナビ》とも言ふ例を以て書けり。三垣山、同所と見ゆ。(152)萩を鹿の妻と言ふ事既に出でたり。マカムは、古事記、やしまぐに都麻麻岐伽泥弖《ツママキカネテ》云云、紀、覓を訓めり。朝月夜は在明月なり。トヨメはトヨマセの約言なり。宣長云、六跡二字は鹿の一字の誤れるならん。ツママクシカノと訓むべしと言へり。
 參考 ○神邊山爾(考)略に同じ(古)カムナビヤマニ「邊」を「連」の誤とす(新)カムナビヤマニ、誤字とせず ○秋芽子之の下(新)サキノサカリニ、サヲシカノなど落句か。
 
反歌
 
1762 明日之夕。不相有八方。足日木乃。山彦令動。呼立哭毛。
あすのよひ。あはざらめやも。あしびきの。やまびことよめ。よびたてなくも。
 
ヨヒとて夜の事なり。今夜ならずとも明日の夜は逢ふべきを、斯く鹿の鳴き騷ぐはと言ふなり。六帖にあすのよひと有り。
 參考 ○明日之夕(考)アスノヨニ(古、新)略に同じ。
 
右件歌。或云柿本朝臣人麻呂作。  人麻呂の歌とは聞えず、後人の註なり。
 
沙彌《サミ》女王歌一首
 
此女王考ふる所無し。續紀に佐味朝臣の氏有り、斯くも書けるか。
 
1763 倉橋之。山乎高歟。夜牢【牢ヲ?ニ誤ル】爾。出來月之。片待難。
(153)くらはしの。やまをたかみか。よこもりに。いでくるつきの。かたまちがたき。
 
クラハシ山は大和。片持ちは下待ちと言ふに同じく、心に待つなり。ガタキは待ちかねるなり。卷三、間人宿禰大浦初月歌とて、末句光乏寸と替へて載せたり。初月としては、ことわりあざやかならず。今を正しとすべし。
 
右一首。間人宿禰大浦歌中既(ニ)見。但末一句相換。亦作歌兩【兩ヲ雨ニ誤ル】主不2敢正1v指因以累載。
 
七夕《ナヌカノヨヒノ》歌一首并短歌
 
1764 久堅乃。天漢爾。上瀬爾。珠橋渡之。下湍爾。船浮居。雨零而。風不吹登毛。風吹而。雨不落等物。裳不令濕。不息來益常。玉橋渡須。
ひさかたの。あまのがはらに。かみつせに。たまはしわたし。しもつせに。ふねをうけすゑ。あめふりて。かぜふかずとも。かぜふきて。あめふらずとも。もぬらさず。やまずきませと。たまはしわたす。
 
玉緒の玉は褒め言ふのみ。雨フリテ風吹カズトモ云云の句穩かならず。宣長云、或人説、二つの不の字は者の誤にて、カゼハフクトモ、カゼフキテ、アメハフルトモならんと言へり。是れ然るべし。牽牛の渡らん爲に、織女の方より橋を渡すなり。
 參考 ○上瀬爾(代、古、新)略に同じ(考)カンツセニ ○船浮居(考)フネヲウケスエ(古)フネウケスエ(新)フネウケスエツ ○風不吹登毛(考)カゼフカズトモ(古、新)カゼハフクトモ(154)「不」を「者」の誤とす ○雨不落登毛(古、新)アメハフルトモ「不」を「者」の誤とす。
 
反歌
 
1765 天漢。霧立渡。且今日且今日。吾待君之。船出爲等霜。
あまのがは。きりたちわたる。けふけふと。わがまつきみが。ふなですらしも。
 
霧の立つにて秋の來るを知るなり。霧立チワタルにて句。君は牽牛を指す。
 
右件歌。或云中衛大將藤原北卿宅作也。 北卿は房前卿なり。
 
相聞
 
振田向《フルノタムケ》宿禰退2筑紫國1時歌一首
 
姓氏録、布留宿禰見ゆ。
 
1766 吾妹兒者。久志呂爾有奈武。左手乃。吾奧手二。纒而去麻師乎。
わぎもこは。くしろにあらなむ。ひだりての。わがおくのてに。まきていなましを。
 
クシロは字鏡、釧(太萬支又久自利)此クシリ則ちクシロと通ふ。袖中抄内典には、在2指上1名v環在2臂上1名v釧と言へり。和名抄、※[金+爪](久之呂)として農具とし、釧(比知萬岐)として、久之呂の訓を載せざるは誤なり。奧ノ手、按ずるに古事記、迦具土神の左御手の手纏を投げ棄て給ふに成れる神の御名は(155)奧疎神、次に奧津那藝佐?古神、次に奧津甲斐辨羅神、右の御等の手纏を投げ棄て給ふに成れる神の御名は、邊疎神云云と言へり。然ればオクノ手とは唯だ左手と言ふ事のみにて、ここのオクノ手ニと言ふは、思ふ妹を大切にする意に取れるなり。イナマシは、何處までも妹と共に行かんと言ふなり。
 
拔氣大首任2筑紫1時娶2豐前國娘子|紐《ヒモノ》【紐ヲ?ニ誤ル下同】兒1作歌三首
 
姓氏考ふべし。
 
1767 豐國乃。加波流波吾宅。紐兒爾。伊都我里座者。革流波吾家。
とよくにの。かはるはわぎへ。ひものこに。いつがりをれば。かはるはわぎへ。
 
和名抄、豐前田河郡香春、この所に紐兒が家在るなるべし。イツガリのイは發語、ツガルはツナガル意にて、紐と言ふ名に依りて詠めり。卷十八長歌に、さふるその子にひものをの移都我利安比弖《イツガリアヒテ》、とも詠めり。意は斯くつながれをれば、娘子が家は吾家のやうに思はるると言ふなり。
 
1768 石上。振乃早田乃。穗爾波不出。心中爾。戀流比【比ヲ此ニ誤ル】日。
いそのかみ。ふるのわさだの。ほにはいでず。こころのうちに。こふるこのごろ。
 
ワサ田は穗に出ぬと言ふには有らず。唯だ穗と言ふのみへ懸かれり。集中此例多し。比、今此に作る。元暦本に據りて改む。
 
1769 如是耳志。戀思渡者。霊刻。命毛吾波。惜雲奈師。
(156)かくのみし。こひしわたれば。たまきはる。いのちもわれは。をしけくもなし。
 
カクノミシ、コヒシの二つのシは助辭。
 參考 ○渡者(代、古、新)ワタレバ(考)略に同じ。
 
大神《オホミワ》大夫任2長門守1時集2三輪河邊1宴歌二首
 
大物主大神の御子大田田根子の裔なり。崇神紀に出づ。卷一、三輪朝臣高市麻呂と見えたるなるべし。
 
1770 三諸乃。神能於婆勢流。泊瀬河。水尾之不斷者。吾忘禮米也。
みもろの。かみのおばせる。はつせがは。みをしたえずは。われわすれめや。
 
泊瀬川の流れ、穴師の南を廻りて、三輪山の下へ流るるとぞ。オバセルはオベルを延べ言ふなり。三輪山は山則ち神にてましませば、神の帶べると言へり。水脉《ミヲ》の絶えざらん程は忘るまじき由、親族に誓ふなるべし。大神氏なれば、殊にみもろの神を懸くべきなり。
 
1771 於久禮居而。吾波也將戀。春霞。多奈妣久山乎。君之越去者。
おくれゐて。われはやこひむ。はるがすみ。たなびくやまを。きみがこえいなば。
 
是れは大神大夫に餞する人の歌なり。
 
右二首古集中出。 古の下、歌の字を脱せり。
 
大神大夫任2筑紫國1時阿倍大夫作歌一首
 
1772 於久禮居而。吾者哉將戀。稻見野乃。秋芽子見都津。去奈武子故爾。
(157)おくれゐて。われはやこひむ。いなみぬの。あきはぎみつつ。いなむこゆゑに。
 
男を指してイサ子ドモなど言ふは有れど、唯だ子とのみ言ふは專ら女を指せり。上の歌の轉ぜしにや、おぼつかなし。子ユヱニは子ナルモノヲなり。
 
獻2【獻ヲ〓ニ誤ル活本ニ依テ改ム下同ジ】弓削皇子1歌一首
 
1773 神南備。神依板爾。爲杉乃。念母不過。戀之茂爾。
かみなびの。かみよりいたに。するすぎの。おもひもすぎず。こひのしげきに。
 
上はスギズと言はん序なり。スギズとは思ひを遣り過し難きなり。宣長云、杉を神より板にすると言ふ事は、琴の板とて、杉の板を叩きて、神を請招する事有り。今も伊勢の祭禮には此事有り。琴|頭《ガミ》に神の御影の降り給ふなりと言へり。基俊集に、はふり子が神よりいたにひくまきのくれ行からにしげき戀哉とも詠めり。神功紀に、琴頭《コトナミ》〔○頭の訓カミの誤歟)尾《コトノヲ》に千渚盾置きて請ひ給ふに、神降りませし事など思ふべし。
 參考 ○神南備(古、新)カムナビノ ○神依板爾(考、新)略に同じ(古)カミヨセイタニ。
 
獻2舍人皇子1歌二首
 
1774 垂乳根乃。母之命乃。言爾有者。年緒長。憑過武也。
(158)たらちねの。ははのみことの。ことなれば。としのをながく。たのみすぎむや。
 
女の歌なるべし。言ナレバは、此女の母の終に末はと許せる詞を聞きしかば、末を頼み過ぎんかと言ふ意と聞こゆ。
 參考 ○言爾有者(考)コトナラバ(古)コトニアラバ(新)コトニアラズハ、アラタマノ、「言」 の下「不」の字を脱し「年緒」の上に「アラタマノ」を落したるにて旋頭歌なりとす。
 
1775 泊瀬河。夕渡來而。我妹兒何。家門。近春二家里。
はつせがは。ゆふわたりきて。わきもこが。いへのかなどに。ちかづきにけり。
 
カナドは上に言へる如く則ち門の事なり。春は著か舂の誤なるべし。歌の心は明らけきを、皇子に奉れるには如何なる心有りしにか。按ずるに右の弓削皇子に奉れる歌も、此舍人皇子に奉れるも、如何なる下心有りて奉れるにか知るべからず。強ひて言はば如何にとも言はるべきなり。是等は歌物語せさせ給ふ時、聞傳へたるままに打出でたるも知られず。獻ると言ふにさのみ泥むまじくおぼゆ。
 參考 ○家門(代、考)イヘノミカド(古、新)イヘノカナド。
 
右三首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
石川大夫遷任上v時播磨【磨ヲ麿ニ誤ル】娘子贈歌二首
 
1776 絶等寸笶。山之岑上乃。櫻花。將開春部者。君之將思。
(159)たゆらきの。やまのをのへの。さくらばな。さかむはるべは。きみをしぬばむ。
 
タユラキ、八雲御抄に播磨と註せさせ給へり。さも有るべし。
 
1777 君無者。奈何身將装餝。匣有。黄楊之小梳毛。將取跡毛不念。
きみなくは。なぞみよそはむ。くしげなる。つげのをぐしも。とらむとももはず。
 
毛詩に、自2伯之東1首如2飛蓬1豈無2膏沐1誰適爲v容と言へるに同じ。
 參考 ○將取跡毛不念(代、古)略に同じ(考)トラムトモモハジ(新)「毛」を衍とし、トラムトモハズ。
 
藤井連遷任上v京時娘子贈歌一首
 
藤井連廣成なるべし。續紀、養老四年五月壬戌。改2白猪史氏1賜2葛井連姓1と見ゆ。
 
1778 從明日者。吾波孤悲牟奈。名欲山。石蹈平之。君我越去者。
あすよりは。われはこひむな。なほりやま。いはふみならし。きみがこえいなば。
 
ナホリ山は、和名抄、豐後直入郡直入郷有り。そこの山か。
 參考 ○名欲山(代、考、新)略に同じ(古)ナスギヤマ「欲」を「次」の誤とす。
 
藤井連和(ヘ)歌一首
 
1779 命乎志。麻勢久可願。名欲山。石踐平之。復亦毛來武。
(160)いのちをし。ませひさしかれ。なほりやま。いはふみならし。またまたもこむ。
 
麻勢久可は必ず誤字有るべし。勢は狹の誤にて、下に伎の字を落し、可は母の誤なるべし。麻狹伎久母願《マサキクモガモ》と有るべき所なり。末句、復は後の誤なるべし。ノチマタモコムと有りしならん。
 參考 ○麻勢久可願(代)マセ久可願は「願」は禮の誤か、又は、可は母の誤にてヒサニモガか(考)マサキクモガモ「麻狹伎久母願」とす(古)マサキクモガモ「麻幸久母願」とす(新)マタクモガモナ「麻多久母願名」の誤か ○名欲山、前の歌參照 ○復亦毛來武(考)「復」を後の誤とす(古、新)マタカヘリコム「亦毛」を「變」の誤とす。
 
鹿島郡|苅野《カルヌノ》橋別2大伴卿1歌一首并短歌
 
和名抄、常陸鹿島郡輕野郷あり。契沖云、上に?税使大伴卿登2筑波山1時の歌とて有り。然れば當國?税事をへて、下總國海上の津を指して渡る時の別れの歌なり。
 
1780 牝牛乃。三宅之酒【酒ハ滷ノ誤】爾。指向。鹿島之埼爾。狹丹塗之。小船儲。玉纒之。小梶繁貫。夕鹽之。滿乃登等美爾。三船子呼。阿騰母比立而。喚立而。三船出者。濱毛勢爾。後奈【奈ノ下美ヲ脱ス】居而。反側。戀香裳將居。足垂之。泣耳八將哭。海上之。其津乎指而。君之己藝歸者。
ことひうしの。みやけのかたに。さしむかふ。かしまのさきに。さにぬりの。をぶねをまけて。たままきの。をかぢしじぬき。ゆふしほの。みちのとどみに。みふなこを。あともひたてて。よびたてて。みふね(161)いでなば。はまもせに。おくれなみゐて。こいまろび。こひかもをらむ。あしずりし。ねのみやなかむ。うなかみの。そのつにさして。きみがこぎいなば。
 
コトヒウシノ、枕詞。牝は牡の誤なり。和名抄、下總國印幡郡にも海上郡にも三宅有り。鹿島にさし向へるは印幡郡なり。酒は滷の誤なり。サニヌリノ小舟、玉纏の梶、既に出づ。トドミは汐の滿ち終りたるを言ふべし。トドマリの約言か。東國にて今タタヘと言ふなり。アトモヒは、卷二、御軍を安騰毛比賜と詠めり。誘ふ意なり。濱モセニ云云は、別れを送る人人あまた濱も狹きばかりに竝居《ナミヰ》るさまなり。奈の下、美の字を脱せり。足の下、垂は摩の誤か。コイマロビのコイはコヤシと同じく、フシマロビと言ふなり。海上は和名抄、下總海上郡有り。其の津の下、於、活本并暦本|乎《ヲ》と有るぞ善き。
 參考 ○牝牛乃(代)メウシノ(考、古、新)略に同じ ○三宅之酒爾(代)「酒」は「浦」の誤か(考、新)略に同じ(古)ミヤケノ「?」ウラニ ○小船儲(考)略に同じ(古、新)ヲブネヲマケ ○後奈居而(考)オクレナヲリテ(古、新)略に同じ ○反側(考)コロビロビ(古、新)略に同じ ○其津於指而(考、古、新)ソノツ「乎」ヲサシテ ○君之己藝歸者(考、新)略に同じ(古)キミガコギユカバ。
 
反歌
 
(162)1781 海津路乃。名木名六時毛。渡七六。加九多都波二。船出可爲八。
うみつぢの。なぎなむときも。わたらなむ。かくたつなみに。ふなですべしや。
 
ウミツヂは則ち海路にて海上《ウナカミ》なり。時ニモと言ふを略き言ふは例なり。
 
右二首。高橋連蟲麻呂之歌集中出。  蟲麻呂常陸の國官にて詠めるなるべし。
 
與v妻歌一首
 
1782 雪己曾波。春日消良米。心佐閉。消失多列夜。言母不往來。
ゆきこそは。はるびきゆらめ。こころさへ。きえうせたれや。こともかよはぬ。
 
此妻は隱妻なるべし。意は言ひ契りし人の心も、春の雪と共に消え失せたればにや、音信も無きはとなり。
 參考 ○春日消良米(新)ハルビニキユラメ「春日」の下に「爾」脱す。
 
妻(ガ)和(ヘ)歌一首
 
1783 松反。四臂而有八羽。三栗。中上不來。麻呂【呂ハ追ノ誤】等言八子。【子ハ方ノ誤カ】
まつがへり。しひにてあれやは。みつぐりの。なかすぎてこず。まつといはむやも。
 
卷十七、家持放逸鷹(ヲ)夢(ニ)見(テ)感悦歌に、麻追我弊里之比爾底安禮可母《マツガヘリシヒニテアレカモ》さやまだのをぢが其日にもとめあはずけむ、と詠めり。三栗ノは枕詞なり。さて此歌いと解き難し。翁試みに言はれしは、中上は義を以て中ス(163)ギテと訓むべし。月の半も過ぐるまで來ぬ人なれば、待てはかへりて強言《シヒゴト》にてこそ有れ。今更待つと言ひやらん物かはと言ふ意か。松は借字なり。呂は追の誤、子は方の語ならんと言はれき。按ずるに、アレヤハと言ふ時は、ヤハは返語なれば、しひにては有らぬと言ふ意に成りて、いよよ解き難し。卷十七の歌を合せ考ふるに、ここもヤモと言ふべし。さらば羽は母などの誤ならんか。猶考ふべし。
 參考 ○四臂而有八羽(代、考)シヒニテアレヤハ(古、新)シヒニテアレヤモ「羽」を「物」とす ○中上不來(代)ナカウヘコヌヲ(考、古)略に同じ(新)ナカダエテコヌ「中上」を「中止」の誤とす ○麻呂等言八子(代)マロトイヘヤコ(考)マツトイハヤモ「呂」を「追」「八」を「毛」の誤とす(古、新)マツトイヘヤコ「呂」は「追」の誤とす。
 
右二首。柿本朝臣人麻呂之歌集中出。
 
贈2入唐使1歌一首
 
1784 海若之。何神乎。齊祈者歟。往方毛來方毛。舶之早兼。
わたづみの。いづれのかみを。いははばか。ゆくさもくさも。ふねのはやけむ。
 
此末に、多治比眞人廣成遣唐使の時の歌有り。此歌も同じ度の歌なるべし。ユクサクサは行クサマ來ルサマなり。齊は齋の誤なるべし。
 參考 ○齊祈者歟(考)略に同じ(古、新)イノラバカ ○往方毛來方毛(考、新)略に同じ(古)(164)ユクヘモクヘモ。
 
右一首渡海年紀未詳。 一本此九字なし。
 
神龜五年戊辰秋八月歌一首并短歌
 
月の下、作の字を脱せり。越の國の守に任けて行く人に別るる時詠みて贈れる歌なり。
 
1785 人跡成。事者難乎。和久良婆爾。成吾身者。死毛生毛。君之隨意常。念乍。有之間爾。虚蝉乃。代人有者。大王之。御命恐美。天離。夷治爾登。朝鳥之。朝立爲管。羣鳥之。群立行者。留居而。吾者將戀奈。不見久有者。
ひととなる。ことはかたきを。わくらばに。なれるわがみは。しにもいきも。きみがまにまと。おもひつつ。ありしあひだに。うつせみの。よのひとなれば。おほきみの。みことかしこみ。あまざかる。ひなをさめにと。あさとりの。あさたたしつつ。むらとりの。むらたちゆけば。とまりゐて。われはこひむな。みずひさならば。
 
ワクラバニはタマサカニ、又幸ニなど言ふ詞なり。卷五、和久良婆爾ひととはあるを云云、死モ生モ君ガマニマト云云、此君は別れ行く友を指して、生死をも君に任すると言ふなり。卷六、しにもいきも同じ心とむすびてしとも詠めり。ヨノ人ナレバ大王ノ云云は、世に有りと有る人、天皇の命をかしこまぬ(165)人し無ければと言ふなり。ヒナヲサメニトは、越路の任にて行くを言ふ。朝タタシは朝タチを延べたるなり。村鳥ノ、枕詞。今別れてより、見ずして久しく成りなば我は戀ひんとなり。
 參考 ○朝立爲管(代、新)略に同じ、但し(新)は朝ダタシと「タ」を濁る(考)アサタチ(古)アサタタシツツ 又は、アサタチシツツ ○群立行者(代)ユカバ(考)「立」を「直」とし「ダチ」と傍訓す(古)ムレタチユケバ(新)略に同じ、但し「タチ」の「タ」を濁る ○不見久有者(考)ミデヒサナラバ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
1786 三越道之。雪零山乎。將越日者。留有吾乎。懸而小竹葉背。
みこしぢの。ゆきふるやまを。こえむひは。とまれるわれを。かけてしぬはせ。
 
越前、越中、越後有れば三越路と言ふか、又は三は眞の意なるべし。是れは八月の歌なれば、今降ると言ふには有らず。越路はすべて雪深き國なればかねて言ふのみ。カケテは心に懸けてなり。シヌバセはシノベなり。
 
天平元年己巳冬十二月歌一首并短歌
 
月の下、作の字を脱せり。此歌斑(○班の誤)田使に出で立てる人の歌ならん。績紀、天平元年十一月、任2京及畿内斑(○班の誤)田司1云云と有り。
 
(166)1787 虚蝉乃。世人有者。大王之。御命恐彌。礒城嶋能。日本國乃。石上。振里爾。紐不解。丸寐乎爲者。吾衣有。服者奈禮奴。毎見。戀者雖益。色二山上復有山者。一可知美。冬夜之。明毛不得呼。五十母不宿二。吾齒曾戀流。妹之直香仁。
うつせみの。よのひとなれば。おほきみの。みここかしこみ。しきしまの。やまとのくにの。いそのかみ。ふるのさとに。ひもとかず。まろねをすれば。わがきたる。ころもはなれぬ。みるごとに。こひはまされど。いろにいでば。ひとしりぬべみ。ふゆのよの。あかしもえぬを。いもねずに。われはぞこふる。いもがただかに。
 
初四句上に出づ。シキシマノ、枕詞。イソノカミは、和名抄、大和山邊郡石上(伊曾乃加美)と有り。布留も石上と同所なり。反歌に、振山ゆただに見渡みやこにぞ云云と詠める如く、近ければ、京を見る度にと言ふなり。山上復有山、五字出の意にてイデと訓む。古樂府山上更有v山、又詩に、山上有v山不v得v歸、是等を思へる書きざまなり。一は借字にて人なり。官長云、明毛不得呼、此句穩かならず。冬ノ夜之と有れば、明はアカシとは訓み難し。もしアカシならば、冬ノ夜乎と言はでは調はず。或人の説とて、明毛不得呼鷄《アケモカネツツ》かと言へり。直香は卷四に、吾聞にかけてないひそかりごもの亂ておもふ君が直香曾、と詠めり。そこに言へり。
(167) 參考 ○吾衣有(考、新)略に同じ(古)アガケセル ○冬夜之(新)フユノヨヲ「之」を「乎」とす ○明毛不得呼(考)アカシモカネテ「呼」を「啼」とす(古)アケモカネツツ「呼」の下「鷄」を補ふ(新)アカシモカネテ「呼」を「手」とす、訓は考に同じ。
 
反歌
 
1788 振山從。直見渡。京二曾。寐不宿戀流。遠不有爾。
ふるやまゆ。ただにみわた|す《し》。みやこにぞ。いもねずこふる。とほからなくに。
 
京ニゾは、京ヲゾの意なり。集中、妹ニコヒと言へるは妹を戀ふるなり。此例外にも有り。布留に在りて京を戀ふるなり。
 參考 ○振出從(代、考、新)略に同じ(古)フルノヤマヨ ○寐不宿戀流(考)イネズテコフル(古)イヲネズコフル(新)略に同じ。
 
1789 吾妹兒之。結手師紐【紐ヲ?ニ誤ル】乎。將解八方。絶者絶十方。直二相左右二。
わぎもこが。ゆひてしひもを。とかめやも。たえばたゆとも。ただにあふまでに。
 
いつまでも妹に逢ふまでは紐解かじとなり。
 
右件五首。笠朝臣金村之歌中出。
 
天平五年癸酉遣唐使舶發2難波1入v海之時親母贈v子歌一首并短歌
 
(168)續紀、天平四年八月。以2從四位上多治比眞人廣成1爲2遣唐大使1。從五位下中臣朝臣名代爲2副使1。判官四人、録事四人、云云。同五年三月節刀を授く、四月遣唐四船難波津より發せるよし有り。此人人の内の母の歌なるべし。
 
1790 秋芽子乎。妻問鹿許曾。一子二子。持有跡五十戸。鹿兒自物。吾獨子之。草枕。客二師往者。竹珠乎。密貫垂。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】戸爾。木綿取四手而。忌日管。吾思吾子。眞好去有欲得。
あきはぎを。つまとふかこそ。ひとつごふたつご。もたりといへ。かこじもの。わがひとりごの。くさまくら。たびにしゆけば。たかだまを。しじにぬきたれ。いはひべに。ゆふとりしでて。いはひつつ。わがおもふあこ。まさきくありこそ。
 
奴者多本、奴去古本。 元暦本、奴を好に作る。ある本此八字無し。
 
鹿は子一つ二つ産む物と言へり。竹玉、イハヒベ、既に出づ。シデは垂ルル意なり。此末句訓み離し。宣長云、好去の去の字は餞の歌なる故に添へて書けるのみにて、語はマサキクアリコソと訓む外無し、字に泥む事なかれと言へり。さも有るべし。
 參考 ○秋芽子乎(新)アキハギニ「乎」を「爾」とす 〇一子二子持有跡五十戸(考)ヒトツコニ、コモタリトイヘ(古、新)ヒトリゴヲ、モタリトイヘ「二子」を「乎」の誤とす ○貫垂(考、古)(169)ヌキタリ(新)略に同じ ○吾思吾子(古)略に同じ(新)ワガモフワガコ ○良好去有欲得(代)マヨシユケルカナ(考)マヨクユケレカモ(古、新)略に同じ、但し(新)「去」を衍とす。
 
反歌
 
1791 客人之。宿將爲野爾。霜降者。吾子羽※[果/衣]。天乃鶴群。
たびびとの。やどりせむぬに。しもふらば。わがこはぐくめ。あめのつるむら。
 
舟出は夏ながら、霜を詠めるは、遠き海山のおぼつかなさを思ひて、末をかけて詠めるなり。タビ人は即ち吾子を指して言ふ。羽グクムは、鳥は雛を羽に含み養ふ故に言へり。ツルムラは群《ムラガ》れる鶴を言ふ。
 參考 ○天乃鶴群(考)略に同じ(古、新)アメノタヅムラ。
 
思2娘子1作歌一首并短歌
 
1792 白玉之。人乃其名矣。中中二。辭緒不延。不遇日之。數多過者。戀日之。累行者。思遣。田時乎白土。肝向。心摧而。珠手次。不懸時無。口不息。吾戀兒矣。玉釧。【釧ヲ※[金+爪]ニ誤ル】手爾取持而。眞十鏡。直目爾不視者。下檜(170)山。下逝水乃。上丹不出。吾念情。安虚歟毛。
しらたまの。ひとのそのなを。なかなかに。ことのをはへず。あはぬひの。まねくすぐれば。こふるひの。かさなりゆけば。おもひやる。たどきをしらに。きもむかふ。こころくだけて。たまだすき。かけぬときなく。くちやまず。わがこふるこを。たまくしろ。てにとりもちて。まそかがみ。ただめにみねば。したひ(170)やま。したゆくみづの。うへにいでず。わがもふこころ。やすきそらかも。
 
白玉ノ云云、卷五、憶良戀2男子名古日1歌に、白玉の吾子古日はと詠みて、ここも娘子を愛でて白玉ノ云云と言へり。辭緒不延、古訓コトノヲノベズと有り。契沖云、コトノヲノベズは、思ふ事を言はぬは、例へば物の緒を束ねて置けるが如く、其れを言ひ出づるは、引はへて延ぶるが如し。人ノ其名ヲ中中ニコトノヲノベズとは、名を其れとも言ひ顯はさぬなり。不延はノヘズと訓むが、緒と言ふに付きてまさるべしと言へり。宣長云、卷十四、許等於呂波敝而《コトオロハヘテ》いまだねなふもと有れば、ここもコトノヲハヘズと訓まんと言へり。マネクは數多き事にて既に言へり。思ヒヤルは、思ひを遣り過すなり。キモムカフ、玉ダスキ、枕詞。カケヌ時ナクは、心に懸けぬ時無きなり。口ヤマズは、戀しと言ふ事を言ひ止まぬなり。卷十四、草はむ駒の口やまずあをしぬぶらむなど詠めり。釧を今※[金+爪]に誤れり。玉クシロは、手ニトルと言はん爲、マソ鏡は目ニ見ルと言はん爲のみ。下檜山は攝津能勢郡。攝津國風土記云、昔有2大神1云2天津鰐1化爲v鷲(○ヲ而脱ス)下止2此山1。十人往者。五人去、五人留。有2久波乎(トイフ)者1。來2此山1。伏2下樋1而屆2於神許1。從2樋内1通而?祭。由v是曰2下樋山1と有りと契沖言へり。さて、下樋山下行水ノ上ニ出デズとは、下に戀ふるに譬ふ。ヤスキソラカモは、集中、思空安からなくになど言へるに同じく、ここは安キカハ、安カラヌと返る詞なり。
(171) 參考 ○辭緒不延(代)コトノヲハヘズ(略、古〕同じ(考)のみ舊訓によりコトヲノバヘズとす(新)コトヲシタバヘ「不」は「下」と有るに據る ○手爾取持而(古)テニ「蒔」マキモチテ(新)略に同じ ○直目爾不視者(考、古)略に同じ(新)タダメニミズハ ○安虚歟毛(考)略に同じ(古、新)ヤスカラメカモ「虚」を(古)は「不在」の誤とし(新)「在」の誤とす。
 
反歌
 
1793 垣保成。人之横辭。繁香裳。不遭日數多。月乃經良武。
かきほなす。ひとのよこごと。しげきかも。あはぬひまねく。つきのへぬらむ。
 
垣ホナスは繁き意なり。隔つる事とするは後の世の意なるべし。ヨコゴトは横しまに人の言ひ妨ぐるを言ふ。
 參考 ○繁香裳(古、新)シゲミカモ。
 
1794 立易。月重而。雖不遇。核不所忘。面影思天。
たちかはる。つきかさなりて。あはざれど。さねわすらえず。おもかげにして。
 
逢はぬ間に月は重れども、忘られず而影にのみ立つと言ふなり。核は借字にて眞なり。
 參考 ○立易(考、古)略に同じ(新)タチカハリ ○月重而(代)ツキヲカサネテ(考、古、新)略に同じ ○雖不遇(考、新)略に同じ(古)アハネドモ ○核不所忘(考、新)サネワスラレズ(172)(古)略に同じ。
 
右三首。田邊福麻呂之歌集出。
 
挽歌
 
宇治【治ヲ冶ニ誤ル】若郎子《ワキイラツコ》宮所歌一首
 
應神天皇の太子にして、位を大鷦鷯尊に讓り給ひ、菟道《ウヂ》に宮作《ミヤヅクリ》しておはしませし事仁コ紀に見ゆ。諸陵式宇治墓(兎道稚郎皇子云云)契沖云、今木あたりの宮の事は物に見えず。是れは應神の輕島豐明宮の時、此皇子今木におはしましけるならんと言へり。
 
1795 妹等許。今木乃嶺。茂立。嬬待木者。古人見祁牟。
いもらがり。いまきのみねに。しみたてる。つままつのきは。ふるびとみけむ。
 
イモラガリ、枕詞。今木嶺は大和高市郡にて、舒明紀に今來、雄略紀に新漢と書けり。シミタテルは茂ク生ヒ立テルなり。茂、一木並に作る。ナミタテルと訓むべし。松に妻待ツと言ひ懸けたり。古人は誰を指すか知られず。
 參考 ○妹等許(考、新)略に同じ(古)イモガリト「妹許跡」とす ○茂立(代)シゲリタツ(古、新)略に同じ ○古人(考、新)略に同じ、但し(新)「ヒ」を清む(古)ヨキヒト「古」を「吉」の誤とす。
 
(173)紀伊國作歌四首 
 
1796 黄葉之。過去子等。携。遊礒麻。見者悲裳。
もみぢばの。すぎにしこらと。たづさはり。あそびしいそま。みればかなしも。
 
一二の句、集中死ぬる事に多く言へり。
 參考 ○遊礒麻(考)略に同じ(古、新)アソビシイソヲ。
 
1797 鹽氣立。荒礒丹者雖在。往水之。過去妹之。方見等曾來。
しほげたつ。ありそにはあれど。ゆくみづの。すぎにしいもが。かたみとぞこし。
 
シホゲは潮の氣なり。卷二、鹽氣のみかをれる國と有り。卷一、眞草刈あら野にはあれどもみぢばの過にし君が形見跡曾來師と言ふに似たり。
 
1798 古家丹。妹等吾見。黒玉之。久漏牛方乎。見佐府下。
いにしへに。いもとわがみし。ぬばたまの。くろうしがたを。みればさぶしも。
 
契沖云、家はへの假字に用ひたりと言へり。クロウシガタ、上に出づ。ヌバ玉ノ、枕詞。
 
1799 玉津島。礒之裏未之。眞名【古ヲ脱ス】仁文。爾保比【?ヲ脱ス】去名。妹觸險。
たまづしま。いそのうらまの。まなごにも。にほひてゆかな。いもがふれけむ。
 
眞名の下、古を落し、比の下、?を落せしなり。マナゴはマサゴなり。みまかりし妹が觸れけん眞砂に、(174)衣にほはして行かんと言ふなり。
 參考 ○礒之裏末之(考)略に同じ(古、新)イソノウラミノ「末」を「未」の誤とす ○妹觸險(代)イモニフリケム(考)イモモフレケム(古)イモガフリケム(新)イモノフリケム。
 
右五首、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
過2足柄坂1【坂ヲ板ニ誤ル】見2死人1作歌一首
 
和名抄、相摸足柄郡足柄。坂を板に誤れり。
 
1800 小垣内之。麻矣引干。妹名根之。作服異六。白細乃。紐緒毛不解。一重結。帶矣三重結。苦侍伎爾。仕奉而。今谷裳。國爾退而。父妣毛。妻矣毛將見跡。思乍。往祁牟君者。鳥鳴。東國能。恐耶。神之三坂爾。和靈乃。服寒等丹。烏玉乃。髪者亂而。郡問跡。國矣毛不告。家問跡。家矣毛不云。益荒夫乃。去能進爾。此間偃有。
をかきつの。あさをひきほし。いもなねが。つくりきせけむ。しろたへの。ひもをもとかず。ひとへゆふ。おびをみへゆひ。くるしきに。つかへまつりて。いまだにも。くににまかりて。ちちははも。つまをもみむと。おもひつつ。ゆきけむきみは。とりがなく。あづまのくにの。かしこきや。かみのみさかに。にぎたまの。ころもさむらに。ぬばたまの。かみはみだれて。くにとへど。くにをものらず。いへとへど。いへをも(175)いはず。ますらをの。ゆきのすすみに。ここにこやせる。
 
ヲ垣ツのヲは發語にて、垣の内を言ふ。假字書には皆カキ津と書けり。卷四、庭に立麻を刈干しきしのぶとも詠めり。引ホシは敷ならべて干す故に言へ。妹ナネのネは|せなの《兄能》など言へる能に通ひて、あがむる詞。一重結フ帶ヲ三重結ヒは、奉公の間の勞を言ふ。行キケム君ハは死せる人を指す。恐《カシコ》キヤは神と言はん料なり。神の御坂は、卷十四、安思我良乃美佐可かしこみ、とも詠めり。神は則ち山を言ふ。和靈の靈は細布二字の誤りたるならん。ニギタヘノと有るべし。寒等ニは寒ゲニと言ふにひとしきか。郡一本邦に作る。何れにても有るべし。是れは東國より京へ上りて仕へし人の、仕へを退きて、歸る道にて死せるを悲しめるなり。
 參考 ○仕奉而(考)ツカンマツリテ(古、新)略に同じ ○和靈乃(考、古、新)ニギタヘノ ○去能進爾(考)ユキノスサミニ(古、新)略に同じ ○此間偃有(考)ココニコヤセリ(古、新)略に同じ。
 
過2葦屋《アシヤノ》處女墓1時作歌一首并短歌
 
古へこの處女《ヲトメ》を得んとて、知努《チヌ》男、字奈比男、二人相爭ひし時、をとめ身を投げし事有りて、此下にも卷十九にも同じさまの歌有り。後此事を大和物語に書けり。知奴は和泉、卷六、千沼囘よりと言ふ歌に言へり。宇奈比は攝津なり。和名抄、攝津兎原郡葦原と有り。按ずるに葦原の原は屋の字の誤れるか、(176)さて兎原と書きても古へウナヒと訓める事下に言へり。
 
1801 古之。益荒丁子。各競。妻問爲祁牟。葦屋乃。菟名日處女乃。奧城矣。吾立見者。永世乃。語爾爲乍。後人。偲爾世武等。玉桙乃。道邊近。磐構。作冢矣。天雲乃。退部乃限。此道矣。去人毎。行因。射立嘆日。惑人者。啼爾毛哭乍。語嗣。偲繼來。處女等賀。奧城所。吾并。見者悲裳。古思者。
いにしへの。ますらをとこの あひきそひ。つまどひしけむ。あしのやの。うなひをとめの。おくつきを。わがたちみれば。ながきよの。かたりにしつつ。のちびとの。しぬびにせむと。たまぼこの。みちのべちかく。いはかまへ。つくれるつかを。あまぐもの。そきへのかぎり。このみちを。ゆくひとごとに。ゆきよりて。いたちなげかひ。わび《さと》びとは。ねにもなきつつ。かたりつぎ。しぬびつぎこし。をとめらが。おくつきどころ。われさへに。みればかなしも。いにしへおもへば。
 
マスラヲトコは知努男、宇奈比男を言ふ。兎名日は、此下にも卷十九にも同じ事を、宇奈比壯士とも、菟原壯士とも、又は菟會處女とも書きたれば、菟原をも宇奈比と訓みて、同じく地名なり。原を夫《ブ》と訓めば、夫《ブ》と比《ビ》と通へる故ならん。奧城は墓を言ふ。假字書には皆オ久ツキと書けり。ワガ立チミレバは立ちて見ればなり。退部ノ限はソコヒと言ふに同じ。既に出づ。翁の説に、惑、一本或に作る。共に誤に(177)て?の字ならん。卷十、惑者のあなこころなとおもふらむ。是れも?の誤にて、何れもワビビトと訓むべしと言はれき。宣長云、惑人は惑は借字にて里人なり。卷十九に、惑ふを左渡波世流《サドハセル》と言へり。ワビ人と言ふべき處に有らず。十の卷なるも同じと言へり。猶考ふべし。處女等の等は、ここは助辭の如し。
 參考 ○益荒丁子(考)略に同じ(古)マスラヲノコノ(新)ヲノコ、ヲトコ、兩訓 ○各競(考)略に同じ(古、新)アヒキソヒ ○奧城矣(代、古、新)略に同じ(考)オキツキヲ ○後人(考、新)ノチノヒト(古)略に同じ ○偲爾世武等(考、古)略に同じ(新)シヌビニセヨト「武」を誤字とす ○磐構(新)イハガマヘ「カ」を濁る ○作冢矣(考、新)略に同じ(古)ツクレルハカヲ ○退部乃限(代)ソキヘノキハミ(考、古)略に同じ(新)兩訓 ○惑人者(考)略に同じ(古)サドヒトハ(新)「或」アルヒトハ ○偲繼來(考、古)略に同じ(新)シヌビツギクル ○吾并(代)ワレナヘニ(考)ワレハマタ、又は、ワレサヘニ(古、新)略に同じ ○古思者(考、古)略に同じ(新)イニシヘオモフニ「者」を「煮」の誤とす。
 
反歌
 
1802 古乃。小竹田丁子乃。妻問石。菟會處女乃。奧城叙此。
いにしへの。ささだをとこの。つまとひし。うなひをとめの。おくつきぞこれ。
 
小竹田はシヌダとも訓むべし。此二人の男の内、いづれの氏にか有らん。
(178) 參考 ○小竹田丁子乃(考)ササダヲトコノ(古、新)シヌダヲトコノ。
 
1803 語繼。可良仁毛幾許。戀布矣。直目爾見兼。古丁子。
かたりつぐ。からにもここた。こひしきを。ただめにみけむ。いにしへをとこ。
 
語りながらも戀ひしきに、ただちに相見し古への男は、如何に戀ひたりけんとなり。卷七、手にとりしからに云云。
 參考 ○戀布矣(考、新)略に同じ(古)コホシキヲ ○丁子(古)略に同じ(新)ヲトコ、又は、ヲノコ。
 
哀2弟死去作1歌一首并短歌
 
1804 父母賀。成之任爾。箸向。弟乃命者。朝露乃。銷易杵壽。神之共。荒競不得而。葦原乃。水穗之國爾。家無哉。又還不來。遠津國。黄泉乃界丹。蔓都多乃。各各向向。天雲乃。別石往者。闇夜成。思迷匍匐。所射十六乃。意矣痛。葦垣之。思亂而。春烏能。啼耳鳴乍。味澤相。宵畫(179)不云。蜻?火之。心所燒管。悲悽別焉。
ちちははが。なしのまにまに。はしむかふ。おとのみことは。あさつゆの。けやすきいのち。かみのむた。あらそひかねて。あしはらの。みづほのくにに。いへなみや。またかへりこぬ。とほつくに。よそのさかひに。はふつたの。おのがむきむき。あまぐもの。わかれしゆけば。やみよなす。おもひまどはひ。いゆししの。こころをいたみ。あしがきの。おもひみだれて。はるとりの。ねのみなきつつ。あぢさはふ。よるひるといはず。かぎろひの。こころもえつつ。なげくわかれを。
 
成シノマニマニは生《ウミ》シママニなり。ハシムカフ、枕詞。神ノムタ云云は、生も死も神のなし給ふなれば、其神に爭ひかねてと言ふなり。ムタは共《トモ》ニと言ふ古言。アシハラノ云云は、此大八洲の内に家は無しとてやと言ふなり。ハフツタノ、枕詞。天雲ノ如クと言ふを略けり。別シユケバのシは助辭。ここにて死を言ふ。思ヒマドハヒは、マドヒを延べたる語。イユシシノ、アシ垣ノ、枕詞。春鳥ノ如クと言ふを略けり。アヂサハフ、カギロヒノ、枕詞。末句のワカレヲのヲは、ヨに通ふヲにて集中例有り。
 参考 ○成乃任爾(新)此下に「年久シク相シタシミシ」と言ふばかりの意の脱句有るべし。○各各向向(代)オノオノムキムキ(考、新)略に同じ(古)オノモオノモ ○思迷匍匐(代、古、新)略に向じ(考)オモヒマドハシ ○所射十六乃(代、古、新)略に同じ(考)イルシシノ ○味澤相(考)略に同じ(古.新)ウマサハフ(古)此下に「メゴトモタエヌ、ヌバタマノ」の二句脱とす(新)(古)の説に賛す ○悲悽別焉(考)略に同じ(古)ナゲキゾ「我爲」アガスル(新)カナシブ「我」ワレゾ、又は、ワレヲ。
 
反散
 
(180)1805 別而裳。復毛可遭。所念者。心亂。吾戀目八方。
わかれても。またもあふべく。おもほえば。こころみだれて。われこひめやも。
 
 參考 ○吾戀目八方方(古)アレコヒメヤモ(新)ワガコヒメヤモ。
 
一云意| 盡而《ツクシテ》。
 
1806 蘆檜木笶。荒山中爾。送置而。還良布見者。情苦喪。
あしびきの。あらやまなかに。おくりおきて。かへらふみれば。こころぐるしも。
 
葬送の人の家に歸るを見るなり。
 參考 ○還良布見者(古)略に同じ(新)カヘラフ「思」モヘバ。
 
右七首、田邊福麻呂之歌集出。
 
詠2勝鹿眞間《カツシカノママノ》娘子1歌一首并短歌
 
此手兒名の事、卷三、卷十四にも詠めり。
 
1807 鷄鳴。吾妻乃國爾。古昔爾。有家留事登。至今。不絶言來。勝壯鹿乃。眞間乃手兒奈我。麻衣爾。青衿著。直佐麻乎。裳者織服而。髪谷母。掻者不梳。(181)履乎谷。不著【著ヲ看ニ誤ル】雖行。錦綾之。中丹※[果/衣]有。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】兒毛。妹爾將及哉。望月之。滿有面輪二。如花。咲而立有者。夏蟲乃。入火之如。水門入爾。船己具如久。歸香具禮。人乃言時。幾時【時ハ許ノ誤】毛。不生物呼。何爲跡歟。身乎田名知而。浪音乃。驟湊之。奧津城爾。妹之臥勢流。遠代爾。有家類事乎。昨日霜。將見我其登毛。所念可聞。
とりがなく。あづまのくにに。いにしへに。ありけることと。いままでに。たえずいひくる。かつしかの。ままのてこなが。あさぎぬに。あをおびつけ。ひたさをを。もにはおりきて。かみだにも。かきはけづらず。くつをだに。はかずゆけども。にしきあやの。なかにつつめる。いはひごも。いもにしかめや。もちつきの。たれるおもわに。はなのごと。ゑみてたてれば。なつむしの。ひにいるがごと。みなといりに。ふねこぐごとく。よりかぐれ。ひとのいふとき。いくばくも。いけらぬものを。なにすとか。みをたなしりて。なみのとの。さわぐみなとの。おくつきに。いもがこやせる。とほきよに。ありけることを。きのふしも。みけむがごとも。おもほゆるかも。
 
和名抄腰帶部に、衿(音襟、和名比岐於比)小帶也。釋名云、衿禁也、禁不v得2開散1也と見ゆ。後世女の裳に引腰とて長く垂れて曳く物有り。其類ひにて、衣をゆひて端を長く垂るるなるべし。ヒタサヲは、サは助辭にて直麻《ヒタヲ》なり。看、一本着と有るに據る。望月ノ、枕詞。面輪二は面輪ニテの意。夏虫ノ云云より男の挑みて縣想するさまを言ふ。歸香具禮は、上の浦島子の長歌と、筑波山?歌の長歌に言へる云く、今懸想と言ふに同じ語なり。幾時、イクトキモと言へる語例無し。時は許の誤なる事しるし。(182)幾許云云より娘子が心を言ふ。何ストカにて句なり。タナシリテ、卷三、身もたなしらずと讀めり。そこに言ひつ。コヤセルは臥す事にて、ここは死にたるにとれり。キノフ霜の霜は借字にて助辭なり。遠き昔の事なるを、其墓を見て、其娘子を見たりし人の如く悲み思ふとなり。
 參考 ○青衿着(代、新)アヲクビツケ(考)アヲオビツケテ(古)アヲエリツケテ ○不著雖行(考)略に同じ(古)ハカズアルケド(新)ハカズアリケド ○中丹※[果/衣]有(考)略に同じ(古)ナカニククメル(新)ククメル、ツツメル兩訓 ○滿有面輪二(考)ミテルオモワニ(古、新)略に同じ ○歸香具禮(考)略に同じ(古)ユキカガヒ「具禮」を「賀比」の誤とす ○人乃言時(考、新)略に同じ(古)ヒトノ「誂」トフトキ ○幾時毛(考)イクトキモ(古、新)略に同じ ○不生物乎(考)略に同じ(古、新)イケラジモノヲ ○何爲跡歟(代)ナニセムトカ(古、斬)略に同じ(新)此次にヒトニアハムト、カナシクモなど脱句有りとす。
 
反歌
 
1808 勝牡鹿之。眞間之井見者。立平之。水?家武。手兒名之所念。
かつしかの。ままのゐみれば。たちならし。みづくましけむ。てこなしおもほゆ。
 
 參考 ○水?家武(考)ミヅヲクミケム(古、新)略に同じ。
 
見2菟原《ウナヒ》處女墓1歌一首并短歌
 
(183)1809 葦屋之。菟名負處女之。八年兒之。片生之時從。小放爾。髪多久麻庭爾。並居。家爾毛不所見。虚木綿乃。牢而座在者。見而師香跡。悒憤時之。垣廬成。人之誂時。智弩壯士。宇奈比壯士乃。廬八燎。須酒師競。相結婚。爲家類時者。【者ハ煮ノ誤】燒大刀乃。手預【預ハ頴ノ誤】押禰利。白檀弓。靫取負而。入水。火爾毛將入跡。立向。競時爾。吾妹子之。母爾語久。倭文【文ヲ父ニ誤ル】手纒。賤吾之故。丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。荒爭見者。雖生。應合有哉。宍【宍ヲ完ニ誤ル】串呂。黄泉爾將待跡。隱沼乃。下延置而。打嘆。妹之去者。血沼壯士。其夜夢見。取次寸。追去祁禮婆。後有。菟原壯士。伊仰天。叫於良妣。※[足+昆]地。牙喫建怒而。如己男爾。負而者不有跡。(184)懸佩之。小劔取佩。冬※[草がんむり/叙]【※[草がんむり/叙]ヲ※[草がんむり/釵]ニ誤ル】蕷都良。尋去祁禮婆。親族共。射歸集。永代爾。標【標ヲ?ニ誤ル】將爲跡。遐代爾。語將繼常。處女墓。中爾造置。壯士墓。此方彼方二。造置有。故縁聞而。雖不知。新喪之如毛。哭泣鶴鴨。
あしのやの。うなひをとめが。やとせごの。かたなりのときゆ。をばなりに。かみたぐまでに。ならびをる。いへにもみえず。うつゆふの。こもりてをれば。みてしがと。いぶせむときの。かきほなす。ひとのとふとき。ちぬをとこ。うなひをとこの。ふせやたき。すすしきそひて。あひよばひ。しけるときに。やきだちの。たがみおしねり。しらまゆみ。ゆぎとりおひて。みづにいり。ひにもいらむと。たちむかひ。きそへるときに。わぎもこし。ははにかたらく。しづたまき。いやしきわがゆゑ。ますらをの。あらそふみれば。いけりとも。あふべくあれや。ししくしろ。よみにまたむと。こもりぬの。したばへおきて。うちなげき。いもがいぬれば。ちぬをとこ。そのよいめにみ。とりつづき。おひゆきければ。おくれたる。うなひをとこも。いあふぎて。さけびおらび。あしずりし。きがみたけびて。もころをに。まけてはあらじと。かきはきの。をだちとりはき。ところづら。とめゆきければ。やからども。いよりつどひて。ながきよに《とこしへに》。しるしにせむと。とほきよに。かたりつがむと。をとめづか。なかにつくりおき。をとこづか。こなたかなたに。つくりおける。ゆゑよしききて。しらねども。にひものごとも。ねなきつるかも。
 
八歳兒ノ云云は、卷十三、歳の八とせを切髪のとも詠みて、うなじにて髪を切るなり。是れをウナヰと言ふ。ヲバナリのヲは發語にて、ウナヰハナリを言ふ。髪タグマデニは、髪上げしてわがぬるを言ふ。並居云云は、軒を並べ居る人にも見えぬを言ふ。ウツユフノ、枕詞。コモリテヲレバは、其をとめが深く籠り居るなり。見テシガト云云は、其をとめを見んと願ふ人人を言ふ。垣廬の廬は借字にて垣秀なり。人のしげきを譬ふ。誂は一本挑に作る。上の浦島子の長歌に相誂良比を、?歌の長歌の歸香具禮と有るに據りて、アヒカガラヒと訓める如く、ここもヒトノカガフトキと訓まんかとも思へど、句を成さず。誂は心を得て書けるなれば、トフトキと訓めり。トフは妻ドヒの意なり。フセヤタキ、枕詞。ススシキソヒテは、氣の進むをスズログと言ふに同じく、進み競ふなり。紀に、ホノスソリノミコトを火進と書(185)けるにても知るべし。燒大刀ノタガミオシネリは、神代紀に、握劔柄をツルギノタガミトリシバリと訓める如く、刀の柄を握りひねるを言ふ。預は一本穎に作るに據るべし。祝詞にも穎をカヒと訓めり。ヒとミと通はしてカミと訓むべし。ここは兩壯士の爭ふさまを言へり。吾妹子ガは、此をとめを指す。シヅタマキ、枕詞。イケリトモ合フベクアレヤは、反歌を合せ見るに、知努|壯士《オトコ》に心有りしかど、斯く爭ふ故に逢ひ難きを言ふなるべし。シシクシロ、枕詞。ヨミニ待タムは、其壯士を黄泉に待たんと言ふなり。シタバヘオキテは、宣長説、古事記、許母理豆能志多用波閇都都由久波多賀都麻《コモリヅノシタヨバヘツツユクハタガツマ》と言ふは下從延つつなり。シタとは、忍び隱して物するを言ひ、ハヘとは女を思ひ懸けて妻問ひする事を言へり。ここも其意なりと有り。卷十一、玉かづら令蔓有者《ハヘテシアラバ》、卷十四、あが志多婆倍《シタバヘ》しなど、其外にも此語多きを思へば、此説に據るべし。ここはをとめの方より、男をしのびに思ひ置きてと言ふ意なり。さて妹ガイヌレバとのみ言ひて死ぬる事とし、男の死ぬるを追ひ行きにけれなど言ふは、黄泉ニ待タムトと言ふ詞、上に有れば、ユクとのみ言ひて、死ぬる事明らかなればなり。※[足+昆]の字所見無し。※[足+昆]他は或人は蹉他の誤にて、アシズリシなるべしと言へり。上の浦島子が長歌にも足受利四《アシズリシ》つつ、また次に足垂之《アシズリシ》など有り。キカミは、和名抄、牙(岐波)一云在2齒後1最近2輔車1者也と有りてオクバなり。キバは牙齒にて、牙はキとのみも言へり。タケビは、神代紀、雄誥此云2烏多稽眉《ヲタケビ》1と有り。モコロヲは既に出づ。己れにひとしき男と言ふにて、兩壯士互に負けじと思ふなり。懸キハキノ小ダチ、カキは詞にて佩刀なり。トコロヅラ、(186)卷七にも出づ、枕詞なり。ヤカラドモは、娘子と兩壯士との親族なり。永代、トコシヘニとも訓むべし。トホキ代にと同じ語重なりたればなり。新裳は借字にて新喪なり。
【濱臣云、川他は※[足+昆]※[土+巴]の誤にてアシズリシと訓むべし。字鏡、吐足後也、跟※[足+昆]也。足乃宇良、又久比比須と有れば、※[足+昆]は跟趾と同義の字なる事おして知るべし。地に※[足+昆]つくるは、やがて足ずりすることなれば、義もて然か訓むべしと言へり。】
 參考 ○片生(考、古、新)カタオヒ ○時從(古)トキヨ(新)略に同じ ○小放爾(新)ヲバナリノ「爾」を「ノ」の誤とす ○並居(代) ナラビスム、又は、ナミヰタル、又は、ナラビヲル(考)ナラビヰシ(古、新)略に同じ ○?而在者(考、新)略に同じ(古)コモリテマセバ ○悒憤時之(考)イブセキトキシ(古)イブセムトキノ、又は、イブカルトキノ(新)略に同じ ○人之誂時(考)人之カガフトキ(古、新)略に同じ ○庵八燎(考、古)略に同じ、但し(古)景井の説とて「蘆火」アシビタキかと言へり(新)「蘆火」アシビタク ○須酒師競(考)略に同じ(古)ススシキホヒ(新)スス「味」ミキホヒ ○時者(考)トキハ(古、新)略に同じ ○手預(代)タカヒ「預」を「穎」とす(考、古、新)「手頭」タガミ ○水入(新)ミヅニイラバ ○競時爾(古)キホヘルトキニ(新)キホヒシトキニ ○應合有哉(考、新)略に同じ(古)アフベクフラメヤ ○妹之去者(考、新)略に同じ(古)イモガユケレバ ○其夜夢見(考)其夜イメミテ(古、新)(187)略に同じ ○兎原壯士伊仰天(代)ウハラヲトコ(考)ウナビヲトコ、イアフギテ(古、新)ウナヒヲトコイ、アメアフギ「伊」を壯士に付けて句とす ○叫於良妣(考)サケビオラバヒ(古、新)略に同じ ○※[足+昆]他(代)「他」は「地」に作る本に據る(考)「〓地」アシフミシ(古)「※[足+昆]地」ツチニフシ「※[足+昆]」は「〓」か、もしは、※[足+昆]〓《タフレフス》義有る字か(新)ツチヲフミ ○懸佩之(考)カケハキノ(古、新)略に同じ ○冬※[草がんむり/敍]蕷都良(考)「冬薯蕷」フユモツラ(古、新)略に同じ ○尋去祁禮婆(代、古)タヅネユケレバ(考) ツギテユケレバ(新)トメユキケレバ ○親族共(代)ウカラ共(考)略に同じ(古、新)ヤカラドチ ○射歸集(代、古)イユキツドヒテ(考)イユキアツマリ(新)イユキツドヒ ○永代爾(古)ナガキヨニ(新)ナガキヨ「乃」ノ ○處女墓、壯士墓、墓を(古)ハカ(新)ヅカ。
 
反歌
 
1810 葦屋之。宇奈比處女之。奧槨乎。往來跡見者。哭耳之所泣。
あしのやの。うなひをとめが。おくつきを。ゆきくとみれば。ねのみしなかゆ。
 
ユキクトとは、往來トテの意なり。
 參考 ○往來跡見者(考)ユキクトミテハ(古、新)略に同じ。
 
1811 墓上之。木枝靡有。如聞。陳努壯士爾之。依倍家良信母。
(188)つかのへの。このえなびけり。きくがごと。ちぬをとこにし。よるべけらしも。
 
知努男《チヌヲトコ》の墓の方へ靡きしなり。卷十九、此處女が墓を詠める長歌に、しぬびにせよと黄楊《ツゲ》を櫛しかさしけらしおひてなびけり、と詠み、其反歌に、をとめらが後のしるしと黄楊をぐし生更生てなびきけらしも、と詠みたれば、其黄楊の木なり。
 參考 ○墓上之(考)墓ノヘノ(古)ハカノヘノ(新)ツカノ上ノ ○依倍家良信母(考)略に同じ(古)ヨリ「仁」ニケラシモ(新)ヨラ「信」シケラシモ。
 
右五首、高橋連蟲麻呂之歌集中出。
 
萬葉集卷九 終
 
(189)萬葉集 卷第十
 
春雜歌
 
1812 久方之。天芳山。此夕。霞霏?。春立下。
ひさかたの。あめのかぐやま。このゆふべ。かすみたなびく。はるたつらしも。
 
心明らけし。
 
1813 卷向之。檜原丹立流。春霞。欝之思者。名積米八方。
まきむくの。ひばらにたてる。はるがすみ。おほにしもはば。なづみこめやも。
 
是れは寄v霞相聞なり。霞はオホホシキと言はん序にて、さて下の心は、おほよそに思はば、泥《ナヅ》み來らんやと言ふなり。
 參考 ○欝之思者(代)クレシオモヒハ(考、古、新)略に同じ。
 
1814 古。人之殖兼。杉枝。霞霏?。春者來良之。
いにしへの。ひとのうゑけむ。すぎがえに。かすみたなびく。はるはきぬらし。
 
是れも上の續きにて、卷向山の杉なるべし。古への人の植ゑけんとは、唯だ年經りたるを言ふのみ。
 參考 ○杉枝(新)スギ「村」ムラニ。
 
(190)1815 子等我手乎。卷向山丹。春去者。木葉凌而。霞霏?。
こらがてを。まきむくやまに。はるされば。このはしぬぎで。かすみたなびく。
 
コラガテヲ、枕詞。木ノハシヌギテは、常葉木《トキハギ》の葉のあはひまでもの意なり。
 
1816 玉蜻。夕去來者。佐豆人之。弓月我高荷。霞霏?。
かぎろひの。ゆふさりくれば。さつひとの。ゆづきがたけに。かすみたなびく。
 
カギロヒノ、サツヒトノ、枕詞。卷七、卷むくの由槻《ユツキ》がたけと詠めれば、大和城上郡なり。
 參考 ○玉蜻(新)タマカギル。
 
1817 今朝去而。明日者來牟等。云子鹿丹。旦妻山丹。霞霏?。
けさゆきて。あすはきなむと。いふこかに。あさづまやまに。かすみたなびく。
 
朝ヅマと言ふ山の名に依りて、朝歸りては又明日も來んと言ふ妻の契り違へぬ如くに、朝妻山に霞のたな引くと言ふか。鹿丹の詞穩かならず、誤字有らんか、考ふべし。天武紀、九年九月癸酉朔辛巳幸2于朝嬬1云云。仁コ紀の御歌に、阿佐豆麻能避箇能烏瑳箇《アサヅマノヒカノヲサカヲ》云云。又姓氏録太秦宿禰の先祖を、大和朝津間腋上地に居らしむる事など有りて、大和葛上郡なり。近江にも同じ名有れど別なり。
 參考 ○明百者來牟等云子鹿丹(代)キナムト(考)アスハキナムト、イフコカニ(古)アスハコムチフ、「愛也子」ハシケヤシ(新)アスハキナムト、イヒテユク「子鹿」を「手去」の誤とし丹を(191)衍とす。
 
1818 子等名丹。關【關ヲ開ニ誤ル】之宜。朝妻之。片山木之爾。霞多奈引。
こらがなに。かけのよろしき。あさづまの。かたやまぎしに。かすみたなびく。
 
關を今開に誤れり。元暦本に據りて改む。カケノヨロシキは、其名に懸け負はするが善きと言ふなり。卷一、玉だすき懸の宜しく云云。卷三に、たくひれの懸まくほしき妹が名を此せの山にかけはいかにあらむ、是れらに同じ。きて妻と言はん料のみ。
 參考 ○關之宜(代)カケノヨロシキ、又は、キキノヨロシキ(考、古、新)カケノヨロシキ。
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出。
 
詠v鳥
 
1819 打霏。春立奴良志。吾門之。柳乃字禮爾。鶯鳴都。
うちなびく。はるたちぬらし。わがかどの。やなぎのうれに。うぐひすなきつ。
 
ウチナビク、枕詞。霞をナビクとも訓むべけれど、外みな打靡と書ければ、ここも靡の字の誤れるか。
 
1820 梅花。開有崗邊爾。家居者。乏毛不有。?之音。
うめのはな。さけるをかべに。いへをれば。ともしくもあらず。うぐひすのこゑ。
 
六帖にはいへしあればと有り。イヘヲレバとて、家居シヲレバを略ける古言の例なり。トモシキは少き(192)なり。
 參考 ○家居者(代)イヘヰセバ(考、古、新)略に同じ ○乏毛不有(考、新)略に同じ(古)トモシクモアラヌ。
 
1821 春霞。流共爾。青柳之。枝喙【喙ヲ啄ニ誤ル】持而。?鳴毛。
はるがすみ。ながるるなへに。あをやきの。えだくひもちて。うぐひすなくも。
 
霞のたなびけるが水の流るる如く見ゆる物なれば然言ふ。共多くムタと訓みたれど、ここはナヘと訓む方ぞ善き。鳴クモのモはカモの意。卷十六、白鷺のほこくひもちて、とも詠めり。
 參考 ○流共(代)ムタニ(考)ナガルルムタニ(古、新)略に同じ、但し(古、新)「ヘ」を濁る。 ○枝喙持而(新)エダ「取」トリモチテ。
 
1822 吾瀬子乎。莫越山能。喚子鳥。君喚變瀬。夜之不深刀爾。
わがせこを。なこせのやまの。よぶこどり。きみよびかへせ。よのふけぬとに。
 
大和の巨勢山を、ナコセと言ひ懸けたり。卷七に、こちこせ山と言ふとは表裏にて、我が方より歸る夫を、其山を越さしめず、此方《コナタ》へ呼び返せと言ふなり。變は借字。ヨブコ鳥、既に出づ。刀爾は、繼體紀ししくしろ于魔伊禰矢度?《ウマイネシトニ》と言ふに同じく、刀爾は時爾の略なり。
 
1823 朝井代爾。來鳴杲鳥。汝谷文。君丹戀八。時不終鳴。
(193)あさゐでに。きなくかほどり。なれだにも。きみにこふれや。ときをへずなく。
 
ヰデは堰留《ヰトメ》なる事既に言へり。されどここに堰を言ふべくも無し。はた朝の詞も如何がなり。此下にも朝戸出之と言ふ語有れば、ここは井は戸の誤にて、アサトデニなるべし。杲、音|高《カウ》にてカホの假字に借りたり。カホ鳥、既に出づ。時終ヘズ鳴クは、鳴き止まずして頻りに鳴くを言ふ。吾夫を戀ふるが如く、汝すら戀ふればにや頻りに鳴くと言ふなり。
 參考 ○朝井代爾(考、古、新)アサトデニ ○君爾(新)「妹」イモニ ○時不終鳴(古)略に同じ(新)トキワカズナク「終」を「定」の誤とす。
 
1824 冬隱。春去來之。足比木乃。山二文野二文。?鳴裳。
ふゆごもり。はるさりくらし。あしびきの。やまにもぬにも。うぐひすなくも。
 
1825 紫之。根延横野之。春野庭。君乎懸管。?名雲。
むらさきの。ねはふよこのの。はるのには。きみをかけつつ。うぐひすなくも。
 
仁コ紀、十年(○十三年の誤)冬十月築2横野堤1。神名張、河内國澁川郡横野神社あれば河内なり。一二の句は其野のさまを言へるのみなり。カケツツは我が如く君を心に懸けつつと言ふなり。鳴クモのモはカモの意。
 參考 ○君乎懸管(新)「妹」イモヲカケツツ。
 
(194)1826 春之在【在ヲ去ニ誤ル】者。妻乎求等。?之。木末乎傳。鳴乍本名。
はるされば。つまをもとむと。うぐひすの。こぬれをつたひ。なきつつもとな。
 
在、今本去と有り。元暦本に依りて改む。次下に二首春之在者と書けり。シアを約むればサとなるをもて斯く書けるなり。木末、コズエとも訓むべけれど、假字書にはすべてコヌレと有れば、斯く訓めり。モトナは既に出づ。鶯の妻求むとて鳴く故、我も催さるるるなり。
 參考 ○木末(古、新)コヌレ。
 
1827 春日有。羽買之山從。猿帆之内敝。鳴往成者。孰喚子鳥。
かすがなる。はがひのやまゆ。さほのうちへ。なきゆくなるは。たれよぶこどり。
 
卷二、羽易ノ山とも書けり。サホを猿帆と書けるは、和名抄、下總?島(佐之万)と有る例なり。
 參考 ○山從(古)ヤマユ(新)略に同じ、以下「從」の訓の差は略す(古)はヨ(考、新)は大方「ユ」と心得ふべし。
 
1828 不答爾。勿喚動曾。喚子鳥。佐保乃山邊乎。上下二。
こたへぬに。なよびとよめそ。よぶこどり。さほのやまべを。のぼりくだりに。
 
契沖云、是れは上の歌の作者おし返して詠めり。二首にて斯樣に詠む事、集中に多しと言へり。
 參考 ○佐保乃山邊乎(新)サホノ「川」カハベヲ。
 
(195)1829 梓弓。春山近。家居之。【之ハ者ノ誤】續而聞良牟。?之音。
あづさゆみ。はるやまちかく。いへをれば。つぎてきくらむ。うぐひすのこゑ。
 
居之の之は者の字を誤れるなりと、宣長言へり。
 參考 ○家居之(代、考)イヘヰ「之底」シテ(古、新)イヘヲラシ。
 
1830 打靡。春去來者。小竹之米【米ハ末ノ誤】丹。尾羽打觸而。?鳴毛。
うちなびく。はるさりくれば。ささのうれに。をはうちふりて。うぐひすなくも。
 
ウチナビク、枕詞。今本、小竹之米、シノノメと訓む、小竹|群《ムレ》の意なり。元暦本、米を末に作りて、ササノウレニと訓めり。卷十二、小竹之上爾きゐてなくとりとも詠みたれば、末と有るに據るべし。觸リは借字にて振リなり。ナクモのモはカモの意。
 參考 ○小竹之米丹(代)略に同じ(考)シヌノメニ(古)シヌノメニ、又はシヌノ「末」ウレニ(新)シヌノ「末」ウレニ ○尾羽打觸而(考)ヲハウチフレテ(古、新)略に同じ。
 
1831 朝霧爾。之怒怒爾所沾而。喚子鳥。三船山從。喧渡所見。
あさぎりに。しぬぬにぬれて。よぶこどり。みふねのやまゆ。なきわたるみゆ。
 
元暦本、怒怒を努努に作る。シヌヌは次下に小竹野爾所沾而《シヌヌニヌレテ》とも書けり。シトトと同じく、今俗シボシボなど言ふ意なり。小雨ソボフルと言ふソボも同じ。ミフネノ山は吉野にて既に出づ。以上十三首詠v(196)鳥歌にて、次の歌より春雪を詠めれば、ここに詠v雪と有りけんを落し失ひしなるべし。
 
1832 打靡。春去來者。然爲蟹。天雲霧相。雪者零管。
うちなびく。はるさりくれは。しかすがに。あまぐもきらふ。ゆきはふりつつ。
 
天雲キラフは、空の霞むを言ひて、雪は降りながら、しかすがに霞めると言ふなり。シカスガは、シカシナガラ、サスガなど言ふに同じ。既に出づ。
 參考 ○春去來者(新)ハルサリニケリ「者」を衍とす ○天雲霧相(考、古、新)アマグモキラヒ。
 
1833 梅花。零覆雪乎。※[果/衣]持。君爾令見跡。取者消管。
うめのはな。ふりおほふゆきを。つつみもて。きみにみせむと。とればけにつつ。
 
 參考 ○※[果/衣]持(考)略に同じ(古、新)ツツミモチ ○消管(考、新)キエツツ(古)略に同じ。
 
1834 梅花。咲落過奴。然爲蟹。白雪庭爾。零重管。
うめのはな。さきちりすぎぬ。しかすがに。しらゆきにはに。ふりしきにつつ。
 
梅は咲きて且つ散りぬるを、しかしながら、雪は重ね重ね降ると言ふなり。
 參考 ○零重管(考)略に同じ(古)フリシキリツツ(新)フリシキニツツ、又は、フリシキリツツ。
 
1835 今更。雪零目八方。蜻火之。燎留春部常。成西物乎。
(197)いまさらに。ゆきふらめやも。かぎろひの。もゆるはるべと。なりにしものを。
 
春雪の降るを見て詠めるなり。カギロヒは卷一に既に出づ。
 
1836 風交。雪者零乍。然爲蟹。霞田菜引。春去爾來。
かぜまじり。ゆきはふりつつ。しかすがに。かすみたなびき。はるさりにけり。
 
卷五長歌、風まじり雨の降る夜の雨まじり雪のふる夜はとも詠めり。
 
1837 山際爾。?喧而。打靡。春跡雖念。雪落布沼。
やまのまに。うぐひすなきて。うちなびく。はるとおもへど。ゆきふりしきぬ。
 
1838 峯上爾。零置雪師。風之共。此間散良思。春者雖有。
をのうへに。ふりおけるゆきし。かぜのむた。ここにちるらし。はるにはあれども。
 
雪シのシは助辭。ムタはトモニと言ふ詞、既に出づ。
 參考 ○峰上爾(代)ヲノウヘニ、又は、ヲノヘニ(考)峰ノヘ爾(古、新)略に同じ ○零置(代)フリオクとも訓む(考、古)略に同じ(新)フリオケル、又は、フリオク。
 
右一首筑波山作。
 
1839 爲君。山田之澤。惠具採跡。雪消之水爾。裳裾所沾。
きみがため。やまだのさはに。ゑぐつむと。ゆきげのみづに。ものすそぬれぬ。
 
(198)ヱグは卷十一、あし引の山澤|囘具《ヱグ》とも詠みて、東國にては、與其《ヨゴ》と言ひ、土左人はヱグと言へり。葉は藺に似て少さく、根は白く小さき芋有りて味少しゑぐし。俗黒クワヰと言ふ物の類ひなり。考の別記に委し。
 
1840 梅枝爾。鳴而移徒。?之。翼白妙爾。沫雪曾落。
うめがえに。なきてうつろふ。うぐひすの。はねしろたへに。あわゆきぞふる。
 
ウツロフは木傳フと言ふにひとし。
 
1841 山高三。零來雪乎。梅花。落鴨來跡。念鶴鴨。
やまたかみ。ふりくるゆきを。うめのはな。ちりかもくると。おもひつるかも。
 
一云梅花|開香裳落跡《サキカモチルト》。
 
散リカモのカモは疑辭。末のカモは哉なり。
 
1842 除雪而。梅莫戀。足曳之。山片就而。家居爲流君。
ゆきをおきて。うめをなこひそ。あしびきの。やまかたつきて。いへゐするきみ。
 
右、梅の花散りかも來ると詠めるは、梅を愛づる心から、雪をも花かと思ふとして、雪をさしおきて梅を戀ふる事なかれと答ふるなり。山カタツキテは、山ニカタヨリテと言ふなり。卷六、海片つきて、卷十九、谷片つきてとも詠めり。
(199) 參考 ○家居爲流君(考)略に同じ(古、新)イヘヲラスキミ「流」を衍とす。
 
右二首問答。
 
詠v霞
 
1843 昨日社。年者極之賀。春霞。春日山爾。速立爾來。
さのふこそ。としははてしか。はるがすみ。かすがのやまに。はやたちにけり。
 
卷九、吾船將極《ワガフネハテム》とまり知らずもと書きたれば、ここもハテシカと訓めり。
 參考 ○年者極之賀(代、古、新)略に同じ(考)トシハクレシカ。
 
1844 寒過。暖來良志。朝烏指。滓鹿能山爾。霞輕引。
ふゆすぎて。はるきたるらし。あさひさす。かすがのやまに。かすみたなびく。
 
寒暖、朝烏は、義をもて書けり。朝日サスは、唯だ山の景色を言ふのみ。
 
1845 ?之。春成良思。春日山。霞棚引。夜目見侶。
うぐひすの。はるになるらし。かすがやま。かすみたなびく。よめにみれども。
 
鶯は春を領じたる如くの心にて、鶯ノ春と續けたり。四の句にて句を切りて、さて夜見れどもと言ふなり。成、一本來に作る。然らば春キタルラシと訓むべし。何れにても有るべし。
 參考 ○春成良思(古、新)ハルニナルラシ。
 
(200)詠v柳
 
1846 霜干。【干ヲ十ニ誤ル】冬柳者。見人之。蘰可爲。目生來鴨。
しもがれし。ふゆのやなぎは。みるひとの。かつらにすべく。もえにけるかも。
 
今本干を十に誤れり。見は良の字の誤にて、ヨキヒトノなるべしと、翁の言はれき。
 參考 ○見人之(考、新)「良」ヨキヒトノ(古)ミヤヒトノ「見」ノ下「八」を補ふ。
 
1847 淺緑。染懸有跡。見左右二。春楊者。目生來鴨。
あさみどり。そめかけたりと。みるまでに。はるのやなぎは。もえにけるかも。
 
染めて懸け乾《ホス》なり。
 
1848 山際爾。雪者零管。然爲我二。此河楊波。毛延爾家留可聞。
やまのまに。ゆきはふりつつ。しかすがに。このかはやぎは。もえにけるかも。
 
青ヤギとも言へば、河ヤギとも言ふべし。
 
1849 山際之。雪不消有乎。水飯會。川之副者。目生來鴨。
やまのまの。ゆきはけざるを。ながれあふ。かはのそへれば。もえにけるかも。
 
右の歌と問答なるべし。水飯合、訓むべからず。飯は激の字の誤にて、ミナギラフなるべし。ミナギラフは既に出づ。川ノソヘレバは、紀に、いなむしろ川そひ柳、と有る意なり。柳と言はずしてモエニケ(201)ルカモと詠めるは、次のひら(○此本の二〇四頁)に花と言はずして三笠の山は咲にけるかも、卷三に、高槻の村散にけるかも、と詠めるが如く、此例集中に多し。
 參考 ○水飯合(代)シカスガニか(考、新)ミナ「激」キラフ(古)タギチアフ「飯」を「激」とす ○川之副者(代)川之タグヘバ(考)カハ「副楊」ソヒヤナギ(古)カハゾヒヤナギか、又は、カハノヤナギハ「副」を楊の誤とす(新)カハノ「楊」ヤナギハ。
 
1850 朝旦。吾見柳。鶯之。來居而應鳴。森爾早奈禮。
あさなさな。わがみるやなぎ。うぐひすの。きゐてなくべく。もりにはやなれ。
 
森、字書に木多貌と有り。字鏡。森、木長皃伊與與加爾。
 
1851 青柳之。絲乃細紗。春風爾。不亂伊間爾。令視子裳欲得。
あをやぎの。いとのほそさを。はるかぜに、みだれぬいまに。みせむこもがも、
 
絲乃紬紗四字は、緑乃細絲と有りしが誤れるにや。さらばミドリノイトノと訓むべしと、翁言はれき。猶考ふべし。伊間の伊は助辭にて、不v亂間になり。
 參考 ○絲乃細紗(考)「緑乃細絲」ミトリノイトヲ(古、新)イトノクハシサ。
 
1852 百礒城。大宮人之。蘰有。垂柳者。雖見不飽鴨。
ももしきの。おほみやびとの。かづらける。しだりやなぎは。みれどあかぬかも。
 
(202)カヅラケルは、カヅラニセルなり。柳かづらきとも詠めり。
 
1853 梅花。取持見者。吾屋前之。柳乃眉師。所念可聞。
うめのはな。とりもちみれば。わがやどの。やなぎのまゆし。おもほゆるかも。
 
家を離れ居て、梅を折り見て吾が宿の柳を思ふなり。外に含める意無し。
 
詠v花
 
1854 ?之。木傳梅乃。移者。櫻花之。時片設奴。
うぐひすの。こづたふうめの。うつろへば。さくらのはなの。ときかたまけぬ。
 
ウツロフは散るを言へり。枝に有りつるが、其所を變へて地に落つれば、ウツロフと言へり。片マケは既に出づ。
 
1855 櫻花。時者雖不過。見人之。戀盛常。今之將落。
さくらばな。ときはすぎねど、みるひとの。こひの《こふる》さかりと。いましちるらむ。
 
盛り過ぎたるには有らねど、人の愛づる盛りにとて、今散るらんと言ふなり。古今集、あかでこそ思はむ中ははなれなめそをだに後のわすれがたみに、又、ひと盛りありなば人にうきめ見えなむ、ありて世の中はての憂ければ、など詠める心なり。
 參考 ○戀盛常(考、古、新)コヒノサカリト。
 
(203)1856 我刺。柳絲乎。吹亂。風爾加妹之。梅乃散覽。
わがさせる。やなぎのいとを。ふきみだる。かぜにかいもが。うめのちるらむ。
 
集中、刺柳とも詠みて、柳は枝を地に刺してよく生ひたつ物なれば斯く言へり。妹が家の梅を想像するなり。
 參考 ○我刺(考、古)略に同じ(新)ワガサシシ。
 
1857 毎年。梅者開友。空蝉之。世人君羊蹄。春無有來。
としのはに。うめはさけども。うつせみの。よのひときみし。はるなかりけり。
 
卷十九歌註に、毎年謂2之等之乃波1と有り。君は吾の字の誤にて、ヨノヒトワレシなるべし。梅は春毎に咲けども、現身の人なる吾は、梅の春に逢ふ如く、時を得ぬを歎くなり。羊蹄をシの假字に用ふる事既に言へり。
 參考 ○世人君羊蹄(代)「君」は「吾」の誤か(考)ヨノヒトキミシ(古)ヨノヒト「吾」アレシ(新)略に同じ。
 
1858 打細爾。鳥者雖不喫。繩延。守卷欲寸。梅花鴨。
うつたへに。とりははまねど。しめはへて。もらまくほしき。うめのはなかも。
 
ウツタヘはひたすらの意なり。卷四、神樹にも手はふるとふをうつたへに人妻といへばふれぬものかも、(204)とも詠めり。
 
1859 馬並而。高山部乎。白妙丹。令艶色有者。梅花鴨。
うまなめて。たかきやまべを。しろたへに。にほはせたるは。うめのはなかも。
 
初句、馬並メテとては一首ととのひ難し。オシナベテと無くては叶ひ難き歌なり。宣長も馬は忍《オシ》の誤ならんと言へり。梅は櫻の字の誤なるべし。梅はもと吾御國の木ならねば、高山におのづから生ふるは無きなり。
 參考 ○馬並而(考)ウマナメテ(古、新)オシナベテ「馬」を「忍」とす ○高山部乎(新)タカヤマノヘヲ ○令艶色有者(古)略に同じ(新)ニホハシタルハ ○梅花鴨(考)「梅」は「櫻」か(古)「櫻」サクラバナカモ(新)ウメノハナカモ。
 
1860 花咲而。實者不成登裳。長氣。所念鴨。山振之花。
はなさきて。みはならねども。ながきけに。おもほゆるかも。やまぶきのはな。
 
山吹の實ならぬ事は後にも詠めり。今言ふ山吹なり。振は布利の利と伎を通はして借りたり。和名抄に、?冬をヤマブキとせるは當らず。契沖も委しく言へり。長キ氣ニは日久シクなり。按ずるに此歌女の受け引きで、未だ逢はぬを添へたる譬喩歌なるが、紛れて入りたるなるべし。
 
1861 能登河之。水底并爾。光及爾。三笠之山者。咲來鴨。
(205)のとがはの。みなぞこさへに。てるまでに。みかさのやまは。さきにけるかも。
 
能登河は添上郡にて、高圓、三笠の二の山の間を西へ流るるとぞ。花は櫻なるべし。花と言はずして、咲キニケルカモと言へる、集中に例多し。
 
1862 見雪者。未冬有。然爲蟹。春霞立。梅者散乍。
ゆきみれば。いまだふゆなり。しかすがに。はるがすみたち。うめはちりつつ。
 
1863 去年咲之。久木今開。徒。土哉將墮。見人名四二。
こぞさきし。ひさきいまさく。いたづらに。つちにやおちむ。みるひとなしに。
 
久は冬の字の誤にて、フユキなるべし。集中冬木の梅とも、又卷八に冬木の上に降《フル》雪《ユキ》とも詠みしかば、即ち冬籠りせし木のままにて早春に咲くを言ひて、是れも梅の歌か。また櫻にても去年の春咲きしが、冬木と成りたるを、今又春に咲くと言ふ意とも見るべし。また之久木三字左久樂の誤にて、コゾ咲ケルサクライマ咲クか。何れにも久木には有るまじきなりと翁言はれき。
 參考 ○久木今開(考)「梅」ウメハイマサクか、又は、「佐久樂」か(古)「足氷」アシビイマサク(新)コゾ「殖」ウニシ「若」ワカキイマサク ○土哉將墮(考、新)略に同じ(古)ツチニヤチラム。
 
1864 足日木之。山間照。櫻花。是春雨爾。散去鴨。
あしびきの。やまのまてらす。さくらばな。このはるさめに。ちりぬらむかも。
 
(206)散の上、將の字脱ちしか。
 參考 ○山間照(考、新)略に同じ(古)ヤマカヒテラス ○散去鴨(考)チリニケムカモ(古)チリニケルカモ「去」の下「來Jを補ふ(古)チリユカムカモ、又は、チリイナムカモ。
 
1865 打靡。春避來之。山際。最木末之。咲往見者。
うちなびく。はるさりくらし。やまのまの。とほきこぬれの。さきぬるみれば。
 
卷八、うちなびく春來良之山際遠木末のさきぬる見れば、と全く同歌なれば、ここも最をトホキと訓むべし。
 参考 ○最木末之(代)ホツキノウレノ(考)トホキコスヱノ(古)略に同じ(新)シゲキガウレノ ○咲往見者(考)略に同じ(古、新)サキユクミレバ。
 
1866 春?鳴。高圓邊丹。櫻花。散流歴。見人毛我裳。
きぎしなく。たかまとのべに。さくらばな。ちりながらふる。みむひともがも。
 
ナガラフルは、ナガルを延べ言ふにて、則ち散るを言へり。
 參考 ○高圓邊(新)タカマト「野」ノヌニ ○散流歴(考)チリナガラフル(古、新)チリテナガラフ。
 
1867 阿保山之。佐宿木花者。今日毛鴨。散亂。見人無二。
(207)あぼやまの。さねきのはなは。けふもかも。ちりみだるらむ。みるひとなしに。
 
阿保山は山城の山崎のほとりと、伊賀國とに在り。阿保氏の出でし地なるべし。佐宿木は卷十三、作樂花云云と書けるを思へば、ここも作樂の二字なるを、佐宿木三字に誤りつらん。サクラノハナハと有りし事明らけし。
 參考 ○阿保山之(考)「佐保」山之(古、新)略に同じ ○佐宿木花者(考、古、新)「佐樂」サクラノハナハ ○散亂(考)チリカミダルル(古、新)略に同じ。
 
1868 川津鳴。吉野河之。瀧上乃。馬醉之花曾。置末勿動。
かはづなく。よしぬのかはの。たぎのへの。あしびのはなぞ。おくにまもなき。
 
馬醉木、既に言へり。結句如何にとも解き難く、訓も由無し。古今六帖に、あせみの花ぞ手なふれそゆめと有るを思へば、置は觸の字の誤、末は手の字の誤にして、テナフレソユメと訓まんか。あしびの花を愛でて、手な觸れそと詠めるなりと翁言はれき。宣長云、花曾の曾の詞聞えず。曾は者の誤なるべし。又|勿《ナ》云云|曾《ゾ》と言ひてユメと言へる例無し。ユメと言ふ時は、必ず云云|勿《ナ》と言ふ例なり。六帖は改めて入れたる物なり。又或人は末は土の誤にて、ツチニオクナユメと訓むべしと言へる由言へり。猶考ふべし。
 参考 ○馬醉之花曾(考)略に同じ(古)アシビノハナ「者」ハ(新)アセミノハナゾ ○置末勿勤(代)スニエオクナユメ、又は、オキハツナユメ(考)「觸手」テフレソナユメ(古、新)ツチニオ(208)クナユメ「末」を「士」の誤とす。
 
1869 春雨爾。相爭不勝而。吾屋前之。櫻花者。開始爾家里。
はるさめに。あらそひかねて。わがやどの。さくらのはなは。さきそめにけり。
 
花遲き櫻も、春雨の降るに得堪へずして咲くとなり。相爭と書けるは、卷一、相挌と書きてアラソフと訓める例なり。
 
1870 春雨者。甚勿零。櫻花。未見爾。散卷惜裳。
はるさめは。いたくなふりそ。さくらばな。いまだみなくに。ちらまくをしも。
 
1871 春去者。散卷惜。櫻花。片時者不咲。含而毛欲得。
はるされば。ちらまくをしき。さくらばな。しましはさかず。ふふみてもがも。
 
フフミはツボミなり。散るを惜しむ餘りに斯くは言へり。櫻、一本梅に作る。
 參考 ○春去者(新)ハルサラバ ○櫻花(代、新)「梅」ウメノハナ(古)略に同じ ○片時者不咲(者)シバハシハサカデ(古、新)略に同じ。
 
1872 見渡者。春日之野邊爾。霞立。開艶者。櫻花鴨。
みわたせば。かすがののべに。かすみたち。さきにほへるは。さくらばなかも。
 
1873 何時鴨。此夜之將明。鶯之。木傳落。梅花將見。
(209)いつしかも。このよのあけむ。うぐひすの。こづたひちらす。うめのはなみむ。
 
鶯の散らす梅花を見んとて、夜の明くるを持つ意なり。
 
詠v月
 
1874 春霞。田菜引今日之。暮三伏一向夜。不穢照良武。高松之野爾。
はるがすみ。たなびくけふの。ゆふづくよ。きよくてるらむ。たかまとのぬに。
 
三伏一向と書けるはいと心得がたし。翁は三夜伏しいねて、一たび向ふ意をもて書ければ、四日の夜の月を言ふべし。さる義をもて、暮三伏一向夜をユフヅクヨと訓めるかと言はれつれど強言《シヒゴト》なるべし。猶よく考へてん。卷十三、根もころころと言ふに一伏三向と書けり。こは其所に言ふべし。都と登と通へば、松を萬登の假字に借りたり。
 參考 ○不穢照良武(新)キヨクテリ「奈」ナム ○高松之野爾(新)タカマツノ野ニ。
 
1875 春去者。紀之許能暮之。夕月夜。欝束無裳。山陰爾指天。
はるされば。きのこのくれの。ゆふづくよ。おぼつかなしも。やまかげにして。
 
一云春去者|木陰多《コガクレオホキ》暮月夜。
 
コノクレは木之暗にて、木陰の暗き意なり。後撰にこがくれおほき、六帖には、はがくれおほきとて載せたり。木ノコノクレは言重なれれば、一本のコガクレオホキの方を採るべし。オボツカナシモのモは(210)助辭。
 參考 ○紀之許能暮之(考、古)一本を用ふ(新)「紀之」を衍とし「之」を「多」の誤としコノクレオホミとす。
 
1876 朝霞。春日之晩者。從木間。移歴月乎。何時可將待。
あさがすみ。はるびのくれは。このまより。うつろふつきを。いつとかまたむ。
 
宣長云、一二の句は、春日の朝に霞みて暗きを言ふ。クレの詞はコノクレなど言ふに同じ。さて其朝霞の暗き時分はと言ふ意なり。朝霞の暗き時分より夜までの待ち久しき由なりと言へり。此クレの詞を日の暮の意としては一首解き離し。クレハのハを濁るは惡ろし。
 參考 ○朝霞(新)「霞立」カスミタツ ○晩者(古)クレバ(新)クレハ。
 
詠v雨
 
1877 春之雨爾。有來物乎。立隱。妹之家道爾。此日晩都。
はるのあめに。ありけるものを。たちかくれ。いもがいへぢに。このひくらしつ。
 
春の雨は降り出でてやまぬ物なるを、假初めの雨のやうに思ひて、道にて雨宿りをして、妹が家に至り着かで、道にて日の暮れぬるなり。
 參考 ○立隱(考)略に向じ(古、新)タチカクリ。
 
(211)詠v河
 
1878 今往而。※[釆/耳]物爾毛我。明日香川。春雨零而。瀧津湍音乎。
いまゆきて。きくものにもが。あすかがは。はるさめふりて。たぎつせのとを。
 
※[釆/耳]は聞の異字。末句はたぎる瀬のおとを、と言ふなり。
 參考 ○瀧津湍音乎(新)「乎」を衍としタギツセノオトとす。
 
詠v煙
 
1879 春日野爾。煙立所見。※[女+感]嬬等四。春野之菟芽子。採而煮良思文。
かすがぬに。けふりたつみゆ。をとめらし。はるぬのうはぎ。つみてにらしも。
 
和名抄、莪蒿(於八木)俗にヨメガハギと言ふ物なり。卷二にも出づ。ニラシモは煮ルラシモなり。
 
野遊
 
1880 春日野之。淺茅之上爾。念共。遊今日。忘目八方。
かすがぬの。あさぢがうへに。おもふどち。あそべるけふは。わすらえめやも。
 
卷七、家にしてわれはこひむな印南野の淺茅がうへにてりし月夜を。
 參考 ○遊今日(考)アソブケフ「者」ヲバ(古)アソブコノヒノ(新)アソビシケフノ。
 
1881 春霞。立春日野乎。往還。吾者相見。彌年之黄土。
(212)はるがすみ。たつかすがぬを。ゆきかへり。われはあひみむ。いやとしのはに。
 
相見ムは友に相見んなり。黄土は借字。トシノハ、此前にも出でて既に言へり。
 
1882 春野爾。意將述跡。念共。來之今日者。不晩毛荒粳。
はるののに。こころやらむと。おもふどち。きたりしけふは。くれずもあらぬか。
 
舊訓ココロヤラムトと有るからは、述はもと遣と有りしが誤れるなるべし。古今集長歌にも、おもふ心をのばへましと詠み、後にも心をのべなど詠めれど、此歌は然《サ》には有らじ。アラヌカはアレカシと願ふ詞なり。粳は糠の誤か。
 參考 ○意將述跡(代、考)ココロノベムト(古、新)略に同じ ○來之今日者(考、新)略に何じ(古)コシケフノヒハ。
 
1883 百礒城之。大宮人者。暇有也。梅乎挿頭而。此間集有。
ももしきの。おほみやびとは。いとまあれや。うめをかざして。ここにつどへる。
 
百シキノ、枕詞。アレヤはアレバヤの略、アレヤ〔傍点〕と言ふよりル〔傍点〕と結べり。
 參考 ○此間集有(考)ココニツドヘリ(古、新)略に同じ。
 
歎v舊
 
1884 寒過。暖來者。年月者。雖新有。人者舊去。
(213)ふゆすぎて。はるしきぬれば。としつきは。あらたなれども。ひとはふりゆく。
 
舊點アラタマレドモと有れど,契沖が言へる如く有の字餘れれば、アラタナレドモと訓むべし。
 參考 ○暖來者(考)ハルノキタラバ(古)ハルシキタレバ(新)ハルノキタレバ ○雖新有(代、新)アラタナレドモ(考、古)略に同じ。
 
1885 物皆者。新吉。唯人者。舊之。應宜。
ものみなは。あたらしきよし。ただひとは。ふりたるのみし。よろしかるべし。
 
右の歌と共に二首にて心を足らしめたるなり。尚書盤庚上曰、遲任有v言。人惟求v舊。器非v求v舊惟新。と言へるより詠めるなるべし。
 參考 ○新吉(考)略に同じ(古、新)アラタシキヨシ ○舊之(代)フリヌルノミシ(考)略に同じ(古)フリヌルノミゾ「之」は「耳」か(新)フリタルヒトシ「之」の上「人」を補ふ ○應宜(考、古)ヨロシカルベキ(新)略に同じ。
 
懽v逢
 
1886 住吉之。里得【得ハ行ノ誤】之鹿齒。春花乃。益希見。君相有香聞。
すみのえの。さとゆきしかば。はるはなの。いやめづらしき。きみにあへるかも。
 
按ずるに、得は行の字の草書より誤れるなり。希見をメヅラシと訓む事は上に紀を引きて言へり。
(214) 參考 ○里得(古、新)略に同じ ○益希見(代)イヤメヅラシク(古、新)略に同じ
 
旋頭歌
 
1887 春日在。三笠乃山爾。月母出奴可母。佐紀山爾。開有櫻之。花乃可見。
かすがなる。みかさのやまに。つきもいでぬかも。さきやまに。さけるさくらの。はなのみゆべく。
 
出デヌカモは例の出デヨカシと願ふ詞なり。佐紀山は添下郡。
 
1888 白雪之。常敷冬者。過去家良霜。春霞。田菜引野邊之。?鳴烏。
しらゆきの。とこしくふゆは。すぎにけらしも。はるがすみ。たなびくのべの。うぐひすなきぬ。
 
トコシクのシクは詞なり。烏一本焉に作る。
 參考 ○常敷冬者(代)略に同じ(古、新)フリシクフユハ「常」は「落」の誤とす ○?鳴烏(考、古)略に同じ(新)ウグヒスナクモ。
 
譬喩歌
 
1889 吾屋前之。毛桃之下爾。月夜指。下心吉。菟楯頃者。
わがやどの。けもものしたに。つくよさし。しづこころよし。うたてこのごろ。
 
桃の實に、毛の生ひたるさまなると、生ひぬと有り。放《カレ》毛桃と言ふか。花咲ける桃の木のもとに、月の影のさしたる景色のよろしきを、我が下心に心よきに譬へたりと翁言はれき。宣長は心吉は誤字にて心(215)苦なるべし。上の句は下心を言はん爲めの序のみなり。さて下心吉はシタナヤマシモ、又はシタニゾナゲクなども訓まんかと言へり。按ずるに此説然るべし。シタココログシとも訓むべくおぼゆ。ウタテは集中にかたがたに見ゆ。古事記に、すさのをのみことの御事を、猶其|惡事《サガナキコト》不v止而|轉《ウタテ》、また、安康條、侍2其大長谷王之御所1人等白(ク)、宇多?物云王子《ウタテモノノタマフミコ》と有りて、今常にウタテシキと言ふ意なり。委しくは考の別記に見ゆ。
 參考 ○毛桃之下爾(新)ケモモノ「花」ハナニ ○下心吉(考)シヅココロエシ(古)シタナヤマシモ「吉」を「苦」とす(新)シタオホホシモ「心吉」を「悒」の誤とす。
 
春相聞
 
1890 春日野。犬?。鳴別。眷益間。思御吾。
かすがぬに。いぬるうぐひす。なきわかれ。かへりますとも。おもほせわれを。
 
犬は去の字の誤なるべし。此歌の書きざま助辭を書かぬは、犬の下留の字を脱せるには有らじ。鶯の春野へ歸る時の如く、泣きつつ別れていにし君が、又歸り來ます間も、吾を忘れずて思ひ給へと言ふなり。眷はカヘリ見ルと言ふ字なれど、卷三、あまのつりふね濱眷奴と言ふも、ハマニカヘリヌと訓むべければ、借りて書けるなるべし。宣長云、犬は友の誤にて、カスガ野ノトモウグヒスノならんと言へり。
(216) 參考 ○犬?(代)犬の下「類、留」等脱か(考)「哭」ナケルウグヒス(古)「哭」ナクウグヒスノ(新)「友」トモウグヒスノ ○思御吾(代)オモヒマセワレヲ、又は、「吾」は「君」の寫誤にてオモヒマセキミか(考)オモヘ「樂」ラクワレ(古、新)オモホセ吾ヲ。
 
1891 冬隱。春開花。手折以。千遍限。戀渡鴨。
ふゆごもり。はるさくはなを。たをりもち。ちたびのかぎり。こひわたるかも。
 
花の幾たびも飽かずめでらるる如く、君を戀ふると言ふなり。冬ゴモリは枕詞。
 參考 ○手折以(考)タヲリモテ(古、新)略に同じ。
 
1892 春山。霧惑在。?。我益。物念哉。
はるやまの。きりにまどへる。うぐひすも。われにまさりて。ものおもはめや。
 
古へ霧も霞も通はし言へり、霞の中の鶯よりは、吾こそ思ひ迷へと言ふなり。朗詠、咽v霧山鶯啼猶少。
 
1893 出見。向崗。本繁。開在花。【花ハ桃ノ誤】不成不止。
いでてみる。むかひのをかに。もとしげく。さきたるももの。ならずはやまじ。
 
ムカヒノ岡、地名に有らず、ムカツヲと言へるが如し。モトは即ち木なり。菓樹の花咲きて必ず實なるを以て、我が戀の成るに添へたり。さて花は桃の字の誤なり。卷七、はしきやし吾家《ワギヘ》の毛桃本繁花のみ(217)さきてならざらめやも、卷十一、やまとの室原《ムロフ》の毛挑本繁いひてしものをならずはやまじと言へるに大かた同じと宣長言へり。濱臣云。在は毛の誤にて、サキヌルケモモなるべしと言へり。
 參考 ○向崗(代)ムカツヲノモモ「岡」の下「桃」脱か(考)ムカヒノヲカノ(古、新)略に同じ ○本繁(古)略に同じ(新)モトシゲミ ○開在花(考)サキタルハナノ(古、新)略に同じ。
 
1894 霞發。春永日。戀暮。夜深去。妹相鴨。
かすみたつ。はるのながきひ。こひくらし。よのふけゆきて。いもにあへるかも。
 參考 ○春永日(考)略に同じ(古)ナガキハルノヒ「永春」とす(新)ハルノナガヒヲ。
 
1895 春去。先三枝。幸命在。後相。莫戀吾妹。
はるされば。まづさきくさの。さきくあらば。のちにもあはむ。なこひそわぎも。
 
春は總ての木草花咲く物なれば、ハルサレバ先ヅ咲クと言ひ下だして、さてサキクサをサキクと言はん序とせり。サキクサは式に福草、和名抄に※[草がんむり/場の旁](佐木久佐)と有り、冠辭考に委し。命ながらへば後にも逢はんと言ふなり。宣長云、先は花の誤なり。花まではサキの序なりと言へり。
 參考 ○幸命在(考)サキカラバ(古、新)略に同じ ○後相(代、古、新)略に同じ(考)ノチモアヒナム。
 
1896 春去。爲垂柳。十緒。妹心。乘在鴨。
(218)はるされば。しだりやなぎの。とををにも。いもがこころに。のりにけるかも。
 
ハルサレバは二の句へのみ懸かれり。和名抄云、兼名苑云、柳一名小楊(之太里夜奈木)云云と有り。トヲヲはタワワに同じく撓むばかりと言ふなり。末は卷二、東人の荷前のはこのにのをにも妹情爾乘爾家留香問、卷十一にも同じ語有り。妹が事の常に我心の上に在るを言へり。
 參考 ○爲垂柳(考)略に同じ(古、新)ミダルヤナギノ。
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出。右相聞七首人麻呂歌集の書きぶりなり。恐らくは右の下七首の字落ちたるか。
 
寄v鳥
 
1897 春之在者。伯勞鳥之草具吉。雖不所見。吾者見將遣。君之當婆。
はるされば。もずのくさぐき。みえねども。われはみやらむ。きみがあたりは。
 
ハルサレバと言ふに上にも斯く書けり。和名抄、兼名苑云、鵙一名鷭、(楊氏漢語云伯勞毛受云云)と有り。草グキは顯昭説に草クグリなりと言へり。古事記、集2御刀之手上1血自2手股1漏出《クキデテ》云云(訓v漏云2久伎1)と有るに同じ。ククルは後《ノチ》下のクを濁れど、古へはすべて清みて唱へしと見ゆ。さて心は、春の野にもずが草をくぐりて見えぬが如く、君が家は此處より見えねども、吾は心あてに見やりつつ有らんとなり。
 參考 ○雖不所見(考、古、新)ミエズトモ。
 
(219)1898 容鳥之。間無數鳴。春野之。草根之繁。戀毛爲鴨。
かほどりの。まなくしばなく。はるののの。くさねのしげき。こひもするかも。
 
卷三長歌、かほどりのまなくしばなく雲ゐなす心いさよひ其とりのかたこひのみに、と詠めり。此卷上にも出づ。四の句の草根と言ふまではシゲキと言はん序なり。
 
寄v花
 
1899 春去者。宇乃花具多思。吾越之。妹我垣間者。荒來鴨。
はるされば。うのはなぐたし。わがこえし。いもがかきまは。あれにけるかも。
 
卷十九、宇乃花乎|令腐霖雨《クタスナガメ》のとも詠めり。卯の花を春詠めるは如何がと思ふめれど、宣長説に、四月頃までも、大やうに春と言ふぞ古意なる。春さればきのこのくれなど意ふも四五月比を言へり。三月まではさまで木は茂らず、專ら茂るは四五月なり、と言へるぞ善き。或説に宇の下米の字を脱したるかと言へれど、垣間など言へるも梅には似つかはしからねば、梅とするはひがごとなり。クタシは卷十九に書ける如く腐らしむるにて、轉じては唯だそこなはしむる事にも言ふべし。心は卯花垣を忍び越ゆるとて其花を散らしなどせしが、久しく通はずして、其所の荒れたるさまを見て詠めるなり。
 參考 ○宇乃花具多思(新)ウメノハナウツリ「宇」の下「米」を補ひ「具多思」を「有都里」などの誤とす。
 
(220)1900 梅花。咲散苑爾。吾將去。君之使乎。片待香花光。
うめのはな。さきちるそのに。われゆかむ。きみがつかひを。かたまちがてり。
 
卷十八、田邊史福麻呂とて重ねて載せたり。香の下花は衍文ならん。卷一、山邊の御井を見我?利《ガテリ》と有り、片待はなかば待つにて、ガテリは梅花をも見、君が使をも待たん、と相かねて言ふ詞なり。
 參考 ○片待香花光(代)花は衍(考)カタマチガテラ「花」を炎とす(古、新)略に同じ。
 
1901 藤浪。咲春野爾。蔓葛。下夜之戀者。久雲在。
ふぢなみの。さけるはるぬに。はふくずの。したよしこひば。ひさしくもあらむ。
 
初句は春野を言はん爲のみ。夜は借字にて。シタヨと訓みて下|從《ヨリ》の意なり。また夜は從《ユ》の誤にても有るべし。下從は下待つ、下心など言ふ下の如し。之は助辭なり。葛の下這ふを以て下ヨリと言はん序とせり。宣長云、久は乏の誤にて、トモシクモアラムなるべしと言へり。心は忍びに戀ひつつ有らば逢ふ事の乏しく稀ならん、と言ふなり。
 參考 ○蔓葛(新)ハフカヅラ ○下夜之戀者(考)シタヨシコヒハ「夜」を從とす(古)略に同じ (新)シタヨシハヘバ「戀」を「延」の誤とす ○久雲在(考、古)ヒサシクモアラム(新)「乏」トモシクモアラム。
 
1902 春野爾。霞棚引。咲花之。如是成二手爾。不逢君可母。
(221)はるののに。かすみたなびき。さくはなの。かくなるまでに。あはぬきみかも。
 
成は實になるを言ふ。上に咲たる花の不v成は不v止と言ふ成るに同じ。心は霞たち花咲きし頃逢ひしままにて、其花の實に成るまで逢はぬを歎くなり。
 
1903 吾瀬子爾。吾戀良久者。奧山之。馬醉花之。今盛有。
わがせこに。わがこふらくは。おくやまの。あしびのはなの。いまさかりなり。
 
アシビ、既に出づ。三四の句は盛りと言はん爲の句中の序なり。盛りは戀の盛りを言ふ。
 參考 ○馬醉花之(考)アシミノハナノ(古)略に同じ(新)アセミノハナノ。
 
1904 梅花。四垂柳爾。折雜。花爾供養者。君爾相可毛。
うめのはな、しだりやなぎに。をりまじへ。はなにたむけば。きみにあはむかも。
 
神に花を手向けて、逢はさせ給へと祈らば、君に逢はんかとなり。供養は今も佛に供ふるを言へり。さる義を以て書けり。或人花は神《カミ》の誤なりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○折雜(代、古、新)略に同じ(考)ヲリマゼテ ○花爾供養者(古)「神」カミニタムケバ(新)「仏」ブツニタムケバ。
 
1905 姫部思。咲野爾生。白管自。不知事以。所言之吾背。
をみなべし。さきぬにおふる。しらつつじ。しらぬこともて。いはれしわがせ。
 
(222)咲野は添下郡。初句は咲キと續けん爲めの枕詞。シラツツジはシラヌと續けん爲めのみ。卷四、をみなべし咲澤に生る花がつみとも言へり。契沖云、逢ひし事も無きを、はや世に言はれしと言ひて、我が背子是れを聞き給へ。君故にこそ斯かる憂き事には逢へれとうれふるなり。言ハレシと切りて心得べしと言へり。
 參考 ○不知事以(考)略に同じ(古、新)シラヌコトモチ ○吾背(新)ワガ「身」ミ。
 
1906 梅花。吾者不令落。青丹吉。平城之人。來管見之根。
うめのはな。われはちらさじ。あをによし。ならなるひとの。きつつみるがね。
 
人の上在の字を脱せしか、又は之は在の誤かなるべし。ガネは末をかねて言ふ詞なり。ガを濁るべきを知らせて之《ガ》の字を用ひたり。按ずるに唯だ梅花を奈良人に見せんとのみ言ふ樣に聞ゆれど、ここのついで皆相聞なれは然《サ》には有らじ。奈良人の我が娘にすむべき由有りて、娘を梅に譬へて其人の來り住むまでは、他し人に逢はせじと言ふ意なるべし。
 參考 ○平城之人(代)ナラノ「里」サトヒトか(古、新)略に同じ。
 
1907 如是有者。何如殖兼。山振乃。止時喪哭。戀良苦念者。
かくしあらば。いかでうゑけむ。やまぶきの。やむときもなく。こふらくもへば。
 
山吹は集中妹に似るなど詠みて、女に譬ふれば、是れも實に山吹を植ゑて、さて其山吹を妹に譬へ、ヤ(223)マと言ふ詞より。ヤムとは續けたり。心は斯く止む時無く戀ふるを思へば、山吹を何に植ゑけんと悔ゆるなり。
 參考 ○如是有者(考)略に同じ(古)コトナラバ(新)カクナル「煮」ニ ○何如(代、新)ナニカ(考、古)イカデ。
 
寄v霜
 
1908 春去者。水草之上爾。置霜之。消乍毛我者。戀度鴨。
はるされば。みくさのうへに。おくしもの。けつつもわれは。こひわたるかも。
 
ミクサは眞草なり、水篶《ミスズ》も眞篶なるを。水の字を借れるが如し。上は消を言はん序のみ。
 
寄v霞
 
1909 春霞。山棚引。欝。妹乎相見。後戀毳。
はるがすみ。やまにたなびき。おほほしく。いもをあひみて。のちこひむかも。
 
一二の句は、オホホシクと言はん序なり。ほのかに妹を見て後戀ひんとなり。
 參考 ○春霞山棚引(古、新)ハルヤマニ、カスミタナビキ「霞山」を下上に誤る。
 
1910 春霞。立爾之日從。至今日。吾戀不止。本之繁家波。
はるがすみ。たちにしひより。けふまでに。わがこひやまず。もとのしげけば。
 
(224)一云|片念爾指天《カタモヒニシテ》。
 
本は木の本なり。木の繁きを戀の繁きに譬ふるか。シゲケバは、ケレバの禮を略きたるなり。或本の片思ニシテの方を善しとす。
 參考 ○本之繁家波(新)「戀」コヒノシゲケ「玖」ク。
 
1911 左丹頬經。妹乎念登。霞立。春日毛晩爾。戀度可母。
さにづらふ。いもをおもふと。かすみたつ。はるびもくれに。こひわたるかも。
 
サニヅラフ、枕詞。クレニは宣長云、齊明紀の歌に、于之廬母倶例尼《ウシロモクレニ》おきてかゆかむと有る。クレニに同じく、心の晴れぬ事なりと言へり。
 參考 ○春日毛晩爾(新)ハルヒ「能」ノクレニ。
 
1912 靈寸春。吾山之於爾。立霞。雖立雖座。君之隨意。
たまきはる。わがやまのへに。たつかすみ。たつともうとも。きみがまにまに。
 
タマキハル、枕詞。吾山は卷十二、中中にいかに知けむ吾山にもゆる烟のよそに見ましをとも詠みて、吾が終の葬りする山なりと冠辭考に言へり。宣長は、吾は春の誤ならんと言へり。此枕詞より續ける意猶考ふべし。雖座をウトモと訓めるは、崇神紀、急居(此云2菟岐于《ツキウ》1)と有ればなり。上は立つと言はん序にて、立つもゐるも君がままにと言ふなり。
(225) 參考 ○靈寸春(新)「愛」ハシキ「吉」ヨシ ○吾山之於爾(新)ワギヘノウヘニ「山」を「家」の誤とす ○雖立雖座(代)タツトモヰトモ(考)タテレドヲレド(古、新)略に同じ。
 
1913 見渡者。春日之野邊爾。立霞。見卷之欲。君之容儀香。
みわたせば。かすがののべに。たつかすみ。みまくのほしき。きみがすがたか。
 
野邊の霞の見飽かぬ如く、常に見まほしむなり。
 參考 ○立霞(新)カスミタチ、霞立の顛倒とす。
 
1914 戀乍毛。今日者暮都。霞立。明日之春日乎。如何將晩。
こひつつも。けふはくらしつ。かすみたつ。あすのはるびを。いかにくらさむ。
 
遲日を戀ひわぶるなり。
 參考 ○如何將晩(考、新)略に同じ(古)イカデクラサム。
 
寄v雨
 
1915 吾背子爾。戀而爲便寞。春雨之。零別不知。出而來可聞。
わがせこに。こひてすべなみ。はるさめの。ふるわきしらに。いでてこしかも。
 
春雨は霞みて打しめり降りてさして降るとも見えねば、戀しさに堪へずして、其雨の中に出でて來て、濡れたりと言ふなり。背は妹の字の誤れるならん。ワギモコニと有るべし。猶次の歌に言ふべし。
(226) 參考 ○吾背子爾(考、古、新)ワギモコニ「背」を「妹」の誤とす。
 
1916 今更。君者伊不往。春雨之。情乎人之。不知有名國。
いまさらに。きみはいゆかじ。はるさめの。こころをひとの。しらざらなくに。
 
此歌女の歌としては一首穩かならず。宣長云、君は吾の誤なり。さて是れも右なると同人の歌にて、是れは道中にて思ひ返して詠めるなるべし。春雨の降るわきをも知らず出でては來つれども、今より又如何に甚しく降るべきも知られねば、是れより歸るべし。今更行かじとなり。人ノと言へるは雨の事は人間の測り知るべきならねばの意なり。知ラザラナクニは知ラザルニなりと言へり。イユカジのイは發語。
 參考 ○君者伊不往(代)イユカジ(考)イユクナ(古)「吾」アレハイユカジ(新)ワレハイユカジ。
 
1917 春雨爾。衣甚。將通哉。七日四零者。七夜不來哉。
はるさめに。ころもはいたく。とほらめや。なぬかしふらば。ななよこじとや。
 
右とは他時《コトトキ》の歌ながら、春雨の降るとしも無く降るさまはひとし。七日と言ひ七夜と言ふ七は、數の多きを言ふ詞なり。卷十一、あふみのみ沖つ白浪しらねども妹がりといはば七日こえなむとも詠めり。
 參考 ○春雨爾(考)ハルノアメニ(古、新)略に同じ ○衣甚(代)コロモハナハダ(考、古、新)略に同じ。
 
(227)1918 梅花。令散春雨。多零。客爾也君之。廬入西留良武。
うめのはな。ちらすはるさめ。さはにふる。たびにやきみが。いほりせるらむ。
 
男の旅行きしを春雨降る日に家に在る妻の、おぼつかなく思へるなり。按ずるに多は痛の草書より誤りてイタクフル歟。
 參考 ○多零(代、考)サハニフル(古)「重」シキテフル(新)サハニフル「乎」ヲ。
 
寄v草
 
1919 國栖等之。春菜將採。司馬乃野之。敷君麻。思比日。
くず|らか《どもが》。わかなつまむと。しめのねの。しばしばきみを。おもふこのころ。
 
初句四言か、又クズドモガとも訓むべし。吉野の奧にクズと言ふ里有り。神武紀、亦尾有りて磐石を披きて出る者あり。天皇問ひ給はく、汝は何人ぞ。對へまをさく、臣は是磐排別の子、此れ則ち吉野國樔部が始祖也と有り。應神紀にも、國樔人來朝して歌へる事見ゆ。司馬野、按ずるに舊訓シバノノと有れど、馬をバの假字に用ひし例無く、後にもシメノ野と言へば、シメノ野と訓むべし。シバシバと續けたれば、シバノ野と言はん方にやとも思へど、免と倍、末と婆は常に通ふ例なれば、シメノ野ノシバシバとも言ふべし。又シバシも集中シマシと詠めるをや。シメノ野はクズノ里に在る野なり。
 參考 ○國栖等之(考)クズラガ(古、新)クニスラガ ○春菜將採(考)ワカナツムラム(古、新)(228)ハルナツムラム ○司馬乃野之(考)シバノノノ(古、新)シマノヌノ ○數君麻(考、古)略に同じ(新)シマシマキミヲ。
 
1920 春草之。繁吾戀。大海。方往【往ハ依ノ誤】浪之。千重積。
はるくさの。しげきわがこひ。おほうみの。へによるなみの。ちへにつもりぬ。
 
春草はシゲキと言はん爲め。さて浪ノ如クと言ふを略けり。往は依の字の誤なり。ユク浪とては千重の言かなはず。
 參考 ○方往浪之(代)ヘニユクナミノ(考、古、新)略に同じ。
 
1921 不明。公乎相見而。菅根乃。長春日乎。孤悲【悲ヲ戀ニ誤ル】渡鴨。
おほほしく。きみをあひみて。すがのねの。ながきはるびを。こひわたるかも。
 
菅ノ根ノ、枕詞。悲、今本戀に誤る。一本に依りて改めつ。
 參考 ○不明(考)オホロカニ(古、新)略に同じ。
 
寄v松
 
1922 梅花。咲而落去者。吾妹乎。將來香不來香跡。吾待乃木曾。
うめのはな。さきてちりなば。わぎもこを。こむかこじかと。わがまつのきぞ。
 
梅花をかごとに待ちしを、其花も散り過ぎなば、妹が來らんか、來るまじきか、覺束なくて、我が待た(229)んと言ふを、松に言ひ懸けたり。
 
寄v雲
 
1923 白檀弓。今春山爾。去雲之。逝哉將別。戀敷物乎。
しらまゆみ。いまはるやまに。ゆくくもの。ゆきやわかれむ。こひしきものを。
 
シラマ弓より今を隔てて、春へ續ける枕詞なり。上は行クと言はん序にて、別れに臨みて詠める相聞の歌なり。
 
贈v蘰
 
1924 丈夫之。伏居嘆而。造有。四垂柳之。蘰爲吾妹。
ますらをの。ふしゐなげきて。つくりたる。しだりやなぎの。かづらせわぎも。
 
マスラヲは、自ら言ふなり。フシヰナゲキテは、柳のかづら造りたる勞《イタヅキ》を強く言ふか、又は伏を夜とし、居るを晝として、夜晝妹を思ひ歎くと言ふか。セコをセとのみ言ふは古言なり。
 參考 ○大夫之(新)マスラヲガ ○四垂柳之(考、新)略に同じ(古)シダリヤナギ「曾」ゾ ○蘰爲吾妹(古)カヅラゲワガセ(新)カヅラ「曾」ゾワガセ。
 
悲v別
 
1925 朝戸出之。君之儀乎。曲不見而。長春日乎。戀八九良三。
(230)あさとでの。きみがすがたを。よくみずて。ながきはるびを。こひやくらさむ、
 
曲は委曲の儀をもて書けり。朝に別れ歸る姿を、よくも見ざりしと悔ゆるなり。
 
問答
 
左の歌ども問答に有らざるも交れれば、此題叶はず。次での亂れたるか。
 
1926 春山之。馬醉花之。不惡。公爾波思惠也。所因友好。
はるやまの。あしびのはなの。にくからぬ。きみにはしゑや、よせぬともよし。
 
アシビは、色よく咲く花なれば譬ふ。シエヤは歎息の聲なり。ヨセヌトモヨシは、たとひ人の言依せ言ひ騷ぐともよしとなり。女の歌なり。
 參考 ○馬醉花之(新)アセミノハナノ ○不惡(考、新)略に同じ(古)アシカラヌ ○所因友好(考)ヨスルトモヨシ(古、新)略に同じ。
 
1927 石上。振乃神杉。神佐備【備ノ上佐ヲ脱ス】而。吾八更更。戀爾相爾家留。
いそのかみ。ふるのかみすぎ。かむさびて。われやさらさら。こひにあひにける。
 
イソノカミ、是れは枕詞に有らず。大和國山邊郡の石上の神宮なり。古事記に、天神|高倉下《タカクラジ》が夢の内に劍を降し賜ふ條に、建御雷神の曰、有平其國之横刀可降是刀《ソノクニムケツルタチアリコノタチヲクダスベシト》(此刀名云2佐士布都神1、亦名云2甕布都神1、亦古布都魂、此刀者坐2石上神宮1也)紀には?靈と書けり。石上の神宮に此劍の坐すが故に、そこを布(231)都と言ひしを、語の通ふままに布留と言ふなり。神名帳には、石上坐布留御魂と有り。神サビは、ここは吾が身の老いたるを言ひて、斯く老いて更に戀ふると言ふなり。卷十一、石の上振の神杉|神成《カミサビテ》戀をも我は更にするかも、似たる歌なり。右二首問答とも無し。
 參考 ○振乃神杉(古、新)フルノカムスギ ○吾八更更(新)「更更」は「今更」の誤か。
 
右一首。不v有2春歌1而猶以v和(ヲ)故(ニ)載2於茲次1。 此註心得がたし。後人の書入れなり。
 
1928 狹野方波。實爾雖不成。花耳。開而所見社。戀之名草爾。
さぬかたは。みにならずとも。はなのみも。さきてみえこそ。こひのなぐさに。
 
此下に、沙額田乃野邊のあきはぎとも詠めれば、ここも野の名なり。其所の梅桃などもて言ふなり。卷十三、つくまさぬかたと詠めるは近江なり、同所か。地をのみ言ひて、實に成ると言ふは、上に高槻の村散にけるかも、三笠の山は咲にけるかも、又柳の所に川のそへればもえにけるかもなど、言へるが如し。心はたとひ實にならずして、うはべばかりなりとも、相ひ思ふ由を見ばやと言ふなり。
 參考 ○狹野方(新)狹野榛か ○花耳(考)ハナニノミ(代、古、新)略に同じ但し(新)「耳」の下「母」を補ふ。
 
1929 狹野方波。實爾成西乎。今更。春雨零而。花將咲八方。
さぬかたは。みになりにしを。いまさらに。はるさめふりて。はなさかめやも。
 
(232)右の實ニナラズトキと言ふを受けて、はや實になりつるを、更に又春雨に、花咲くべしやと言ふなり。實に成りぬるうへは、うはべの事ならずと言ふ意なり。
 參考 ○狹野方波(新)「方」は「榛」か。
 
1930 梓弓。引津邊有。莫告藻之。花咲及二。不會君毳。
あづさゆみ。ひきつのべなる。なのりその。はなさくまでに。あはぬきみかも。
 
卷七旋頭歌に、梓弓引つのべなるなのりその花、つむまでにあはざらめやもなのりその花、何れか原《モト》ならん。卷十五端詞に、引津|亭《ウマヤ》作歌と有りて、筑前なり。なのりその花の咲けるを見て、時節の經て久しくなれる事を思へるなり。
 
1931 川上之。伊都藻之花之。何時何時。來座吾背子。時自異目八方。
かはのへの。いつものはなの。いつもいつも。きませわがせこ。ときじけめやも。
 
卷四にも出でたり。イツモノ花、詳かならず。
 參考 ○川上之(考、新)略に同じ(古)カハカミノ。
 
1932 春雨之。不止零零【零零ハ零乍ノ誤】。吾戀。人之目尚矣。不令相見。
はるさめの。やまずふりつつ。わがこふる。ひとのめすらを。あひみせざらむ。
 
零乍と有りしを零々と見誤りて、斯く零零とは書きしならんと宣長云へり。雨に障りて來《コ》ぬを、雨のと(233)がに負せて詠めるなり。
 參考 ○不止零零(考)ヤマズフリツツ(古)ヤマズフルフル(新)略に同じ ○不令相見(考)略に同じ(古、新)アヒミセナクニ。
 
1933 吾妹子爾。戀乍居者。春雨之。彼毛知如。不止零乍。
わぎもこに。こひつつをれば。はるさめの。かれもしるごと。やまずふりつつ。
 
彼は春雨を指して言ふ。妹に戀ひて泣く涙を、雨も知りたる如く降ると言ふなり。
 參考 ○彼毛(新)ソレモ。
 
1934 相不念。妹哉本名。菅根之。長春日乎。念晩牟。
あひおもはぬ。いもをやもとな。すがのねの。ながきはるびを。おもひくらさむ。
 
以下三首は問答とも無し。又末の一首は此歌といささか替れるのみにて、此歌の或本なるべくおぼゆ。
 參考 ○相不念(考)アヒオモハズ(古、新)略に同じ。
 
1935 春去者。先鳴鳥乃。?之。事先立之。君乎之將待。
はるされば。まづなくとりの。うぐひすの。ことさきだちし。きみをしまたむ。
 
春鳥の中に鶯は殊にとく來鳴けば、コト先立ツと言はん序とせり。心は言出初めし君を待ちみんと言ふなり。卷四、言出《コトデ》しはたがことなるか小山田のなはしろ水の中よどにして、神代紀、如何婦人反|先言乎《コトサキタチシ》。
(234) 參考 ○事先立之(考、古)コトサキダテシ(新)コトサキダチ「弖」テ。
 
1936 相不念。將有兒故。玉緒。長春日乎。念晩久。
あひおもはず。あるらむこゆゑ。たまのをの。ながきはるびを。おもひくらさく。
 
右に言へる如し。コユヱは子ナルニの意なり。玉ノヲノ、枕詞。クラサクはクラスを延べ言ふなり。
 
夏雜歌
 
詠v鳥
 
1937 丈夫丹。出立向。故郷之。神名備山爾。明來者。柘之左枝爾。暮去者。小松之若末爾。里人之。聞戀麻田。山彦乃。答響萬田。霍公鳥。都麻戀爲良思。左夜中爾鳴。
ますらをに。いでたちむかふ。ふるさとの。かみなびやまに。あけくれば。つみのさえだに。ゆふされば。こまつがうれに。さとびとの。ききこふるまで。やまびこの。こたへするまで。ほととぎす。つまごひすらし。さよなかになく。
 
卷一に、丈夫のさつ矢手挿立向。卷二十、あらしをのいほさ手挾むかひ立云云。是等は的に向ひなり。同卷長歌、あづまをのこは出向ひかへり見せずて、又其下に、けふよりはかへり見なくて大君のしこの(235)御楯と出立我はなど有るを思ふに、ここの丈夫丹云云と言ふも、丈夫どち立ち向ふ野を思ひて詠めるならんと翁は言はれき。或人は丈夫丹は走出丹の誤ならんかと言へり。如何さまにも丈夫丹は誤字と見ゆ。猶考ふべし。さて出立向は、吾家を出でたちて向はるる神なび山なれば言ふなり。故郷は飛鳥の故郷なり。ツミは桑の類ひにて既に出づ。聞戀フルは郭公を今聞きて戀ひ慕ふなり。
 參考 ○丈夫丹(古、新)マスラヲノ「丹」を「乃」とす ○出立向(新)「來」キタチムカフ ○神名備(古)カムナビ ○答響音萬田(代、古、新)アヒトヨムマデ(考)略に同じ ○霍公鳥の下(新)來ナキトヨモシ、旅ナガラの二句脱か。
 
反歌
 
1938 客爾爲而。妻戀爲良思。霍公鳥。神名備山爾。左夜深而鳴。
たびにして。つまごひすらし。ほととぎす。かみなびやまに。さよふけてなく。
 
古今集にも、今朝きなきいまだ旅なるほととぎすと詠めり。旅人の故郷戀ふるによそへて詠めり。
 參考 ○神名備(古)カムナビ。
 
右古歌集中出。
 
1939 霍公鳥。汝始音者。於吾欲得。五月之珠爾。交而將貫。
ほととぎす。ながはつこゑは。われにもが。さつきのたまに。まじへてぬかむ。
 
(236)郭公の初聲を、吾が物にせん由もがな、玉に交へぬかんとなり。
 參考 ○於吾欲得(古、新)ハナニモガ「吾」を「花」の誤とす。
 
1940 朝霞。棚引野邊。足檜木乃。山霍公鳥。何時來將鳴。
あさがすみ。たなびくのべに。あしびきの。やまほととぎす。いつかきなかむ。
 
古へ霞、霧、ともに時を定めず詠めり。
 
1941 旦霞。八重山越而。喚孤鳥。吟八汝來。屋戸母不有九二。
あさがすみ。やへやまこえて。よぶことり。なきやながくる。やどもあらなくに。
 
朝ガスミは八重山と言ふ枕詞に置けり。八重山、地名に有らず。重なる山を宿《ヤドリ》も無くして來しやと、呼子鳥を憐むさまに詠めり。孤はもと子と有りしが誤れるか。此歌は春の歌に入るべきを、誤りてここに入れたり。
 參考 ○吟八汝來(考、新)略に同じ(古)「喚」ヨビヤナガコシ。
 
1942 霍公鳥。鳴音聞哉。宇能花乃。開落岳爾。田草【草ハ葛ノ誤】引※[女+感]嬬。
ほととぎす。なくこゑきくや。うのはなの。さきちるをかに。くずひくをとめ。
 
源康定|主《ヌシ》の説、草は葛の誤なりと有るぞよき。集中クズを田葛と書けり。さて葛引く女を呼びかけて問ふさまなり。
(237) 參考 ○田草(考)説も訓も無し(古、新)「葛」の誤とす。
 
1943 月夜吉。鳴霍公鳥。欲見。吾草取有。見人毛欲得。
つくよよみ。なくほととぎす。みまくほり。わがくさとれる。みむひともがも。
 
是れは郭公を見んとて、庭草を掃きて待つ意かとも聞ゆれど、穩かならず。宣長云、吾は今の誤にて、イマクサトレリなり。草トルは凡て鳥の木の枝にとまり居る事なり。見マクホリは、郭公が月を見まくほりて、今木の枝にゐるを、來て見ん人もがななり。卷十九、ほととぎすきなきとよまば草とらむ花橘をやどにはうゑずてと詠めるも、郭公の來てとまるべき橘を植ゑんと言ふなりと言へり。此十九の歌も末句誤字有るべし。猶そこに言はん。
 參考 ○月夜吉(代、古、新)略に同じ(考)ツクヨヨシ ○欲見(考、新)略に同じ(古)ミガホレバ ○吾草取有(代)ワレクサトレリ(考)ワガクサトレル(古)イマクサトレリ(新)ワレクサトレリ ○見人毛欲得(新)ミムヨシモガモ「人」を「由」の誤とす。
 
1944 藤浪之。散卷惜。霍公鳥。今城岳※[口+立刀]。鳴而越奈利。
ふぢなみの。ちらまくをしみ。ほととぎす。いまきのをかを。なきてこゆなり。
 
今城は大和高市郡なり。ほととぎす今來と言ふ心に續けたり。
 
1945 旦霧。八重山越而。霍公鳥。宇【宇ヲ字ニ誤ル】能花邊柄。鳴越來。
(238)あさぎりの。やへやまこえて。ほととぎす。うのはなべから。なきてこえきぬ。
 
朝ギリノも、上の朝霞の如く、ヤヘと言ふへ懸かる枕詞なり。是れは霧は霞の字の誤なるべし。ウノ花ベカラは、卯花の咲きたる方よりと言ふなり。
 參考 ○旦霧(古)アサガスミ「霧」を「霞」の誤とす(新)アサギリノ ○八重山越而(新)ヤヘヤマコユル「而」を衍とす ○鳴越來(代)コエケリ(考)略に同じ(古)ナキテコユ「成」ナリ(新)ナキテコユラシ「來」を「良之」の誤とす。
 
1946 木高者。曾木不殖。霍公鳥。來鳴令響而。戀令益。
こだかくは。かつてきうゑじ。ほととぎす。きなきとよめて。こひまさらしむ。
 
トヨメテは、トヨマセテを約め言ふなり。
 
1947 難相。君爾逢有夜。霍公鳥。他時從者。今社鳴目。
あひがたき。きみにあへるよ。ほととぎす。あだしときゆは。いまこそなかめ。
 
他《コト》時に鳴かんよりは、斯く稀に逢へる夜に、來鳴けかしとなり。
 參考 ○君爾逢有夜(新)キニアヘルヨゾ「曾」又は「焉」の脱とす ○他時從者(考)コトトキヨリハ(古)アダシトキヨハ、又は、コトトキヨリハ(新)略に同じ。
 
1948 木晩之。暮闇有爾。(一云有者)霍公鳥。何處乎家登。鳴渡良哉。【哉ハ武ノ誤】
(239)このくれの。ゆふやみなるに。ほととぎす。いづくをいへと。なきわたるらむ。
 
コノクレは木の下闇を言ふ。哉は武の誤なり。一本の有者《ナレバ》も、ナルニと同じ意なる古言の例なり。
 參考 ○暮闇有爾(考、新)略に同じ(古)クラヤミナルニ。
 
1949 霍公鳥。今朝之旦明爾。鳴都流波。君將聞可。朝宿疑將寐。
ほととぎす。けさのあさけに。なきつるは。きみききけむか。あさいかぬらむ。
 
朝ケは朝明なり。君は聞きけんか、若くは朝寢《アサイ》して聞かざりしかと問ふなり。疑は義を以て歟の言に用ひたり。
 參考 ○君將聞可(考)キミキクラムカ(古、新)略に同じ ○朝宿疑將寐(考)略に同じ(古、新)アサイカネケム。
 
1950 霍公鳥。花橘之。枝爾居而。鳴響者。花波散乍。
ほととぎす。はなたちばなの。えだにゐて。なきとよもせば。はなはちりつつ。
 
 參考 ○鳴響者(考)ナキトヨマセバ(古、新)略に同じ。
 
1951 慨哉。四去霍公鳥。今社者。音之干蟹。來喧響目。
うれたきや。しこほととぎす。いまこそは。こゑのかるかに。きなきとよまめ。
 
神武紀、慨哉此云2于黎多棄加夜《ウレタキカヤ》1、一二の句は他にのみ鳴くを罵りて言へり。シコは、シコノシコ草な(240)ど言ふに同じく醜なり。卷八長歌に、宇禮多吉志許霍公鳥曉のうらがなしきにおへどおへどと詠めり。さて三の句よりは吾家に來りて聲の限り鳴くべき事なるをと言ふなり。カルカニは聲のカルルバカリニなり。
 
1952 今夜乃。於保束無荷。霍公鳥。喧奈流聲之。音乃遙左。
このよらの。おぼつかなきに。ほととぎす。なくなるこゑの。おとのはるけさ。
 
夜ラのラは添へたる詞なり。野を野ラと言ふに同じ。
 參考 ○喧奈流聲之云云(新)「喧而去奈流聲之遙左」を誤れり。ナキテユクナル、コエノハルケサ。
 
1953 五月山。宇能花月夜。霍公鳥。雖聞不飽。又鳴鴨。
さつきやま。うのはなづくよ。ほととぎす。きけどもあかず。またなかぬかも。
 
サツキ山、地名に有らず、五月の頃の山なり。ウノ花ヅク夜は、卯花の盛りなるは、月夜の如く見ゆるを言へり。ナカヌカは、ナケカシと願ふ詞。モは添へたる詞なり。不鳴と書くべきを略き書けるは集中例多し。
 
1954 霍公鳥。來居裳鳴香。吾屋前乃。花橘乃。地二落六見牟。
ほととぎす。きゐてもなくか。わがやどの。はなたちばなの。つちにおちむみむ。
 
ナクカは鳴クカモの略。宣長云、六見牟は左右手の誤か。オツルマデと訓むべしと言へり。さ無くては(241)上にナクカと言ふに叶はず。
 參考 ○來居裳鳴香(考)キヰモナカ「奴香」ヌカ(古、新)キヰモナカヌカ、誤脱有りとせず ○地二落六見牟(古)ツチニチルモミム「六」を「文」の誤とす(新)ツチニオチムミム、又は、チラム。
 
1955 霍公鳥。厭時無。菖蒲。蘰將爲日。從此鳴渡禮。
ほととぎす。いとふときなし。あやめぐさ。かづらにせむひ。こゆなきわたれ。
 
いつとても厭ふ時は無けれども、同じくは五月末日の頃ここに鳴き渡れかしとなり。菖蒲カヅラは、續紀天平十九年五月、太上天皇詔に、昔は五日(○月カ)節菖蒲もて縵とせり。比來已に此事やむ、今より後菖蒲縵有らずして、宮中に入る事なかれと有り。卷十八に、田邊史福麻呂が歌とて再び載せたり。
 
1956 山跡庭。啼而香將來。霍公鳥。汝鳴毎。無人所念。
やまとには。なきてかくらむ。ほととぎす。ながなくごとに。なきひとおもほゆ。
 
人をうしなひて後詠めるなるべし。卷八、旅人卿の妻大津郎女みまかりし時、石上堅魚の歌に、ほととぎす來鳴とよもす卯の花の共にやこしと問はましものをと詠めるも、亡き人と共に來りしやと言ふにて、昔より郭公にさる事言ひ習はせしと見ゆ。
 參考 ○無人所念(新)イヘビトオモホユ「無」を「家」とす。
 
(242)1957 宇能花乃。散卷惜。霍公鳥。野出山入。來鳴令動。
うのはなの。ちらまくをしみ。ほととぎす。のにでやまにいり。きなきとよもす。
 
郭公が卯の花を惜むさまに詠めるなり。
 参考 ○野出山入(代)ノニデヤマニイリ(考)ノニデヤマニリ(古、新)ヌニデヤマニリ ○來鳴令動(考)キナキトヨマス(古、新)略に同じ。
 
1958 橘之。林乎殖。霍公鳥。常爾冬及。住度金。
たちばなの。はやしをうゑつ。ほととぎす。つねにふゆまで。すみわたるがね。
 
卷九、ほととぎすを詠める長歌に、わがやどの花橘に住わたれとりとも詠めり。ガネは後をかねて言ふ詞。
 參考 ○林乎殖(古、新)ハヤシヲウヱム。
 
1959 雨霽【霽ヲ今※[日+齊]ニ誤ル】之。雲爾副而。霍公鳥。指春日而。從此鳴度。
あめはれし。くもにたぐひて。ほととぎす。かすがをさして。こゆなきわたる。
 
雨晴れて、春日山の方へ歸る雲に添ひて、郭公の鳴き行くを詠めり。霽を今本※[日+齊]と有れど、字書に見えず。一本に依りて改む。
 
1960 物念登。不宿旦開爾。霍公鳥。鳴而左度。爲便無左右二。
(243)ものもふと。いねぬあさけに。ほととぎす。なきてさわたる。すべなきまでに。
 
物思ひに寢《イネ》ざりし夜の明方なり。サワタルのサは發語にて、鳴き渡るなり。
 
1961 吾衣。於君令服與登。霍公鳥。吾乎領。袖爾來居管。
わがころも。きみにきせよと。ほととぎす。われをしらせて。そでにきゐつつ。
 
契沖云、ワレヲシラセテとは、我に心を付けてなり云云。是れは竿に懸けて干せる衣などを言ふにや、然《サ》るにても、君ニキセヨト知ラスルと言ふ心を得ずと言へり。翁は、乎は干の誤にて、領は衣一領など言へば、キヌと訓むべければ、ワガホスキヌノ云云なるべし。此歌、懸け干したる衣《キヌ》の袖に來ゐて鳴くと言はんより外無しと言はれき。とかくに四の句誤字有るべし。猶考ふべし。
 參考 ○吾乎領(考)ワガ「干」ホスキヌノ(古)アレヲウナヅキ(新)ワレヲウナガス。「領」ウナガスとよむ例有り。
 
1962 本人。霍公鳥乎八。希將見。今哉汝來。戀乍居者。
もとつひと。ほととぎすをや。めづらしく。いまやながこし。こひつつをれば。
 
郭公を指してモトツ人と言へり。集中遠つ人鴈がきなかむと詠める遠ツ人は、鴈を言へるにひとし。ヤはヨヤの事なりと宣長言へり。呼びかくる詞なり。
 參考 ○霍公鳥乎八、希將見(新)「霍公鳥」と「希將見」と入りかはる、メヅラシキヲヤホトトギス(244)とす。希將見(考)ホギテミム(古)略に同じ ○今哉汝來(考)イマヤナガコム(古)略に同じ(新)ナキヤナガコシ「今」を「吟」とす。
 
1963 如是許。雨之零爾。霍公鳥。宇之花山爾。猶香將鳴。
かくばかり。あめのふらくに。ほととぎす。うのはなやまに。なほかなくらむ。
 
フラクはフルを延べ言ふなり。卯(ノ)花山は地名に有らず。卯花の咲きたる山を言ふ。斯く雨の降るをも厭はで、猶郭公は鳴くやらんと言ふなり。
 
詠v蝉
 
1964 黙然毛將有。時母鳴奈武。日晩乃。物念時爾。鳴管本名。
もだもあらむ。ときもなかなむ。ひぐらしの。ものもふときに。なきつつもとな。
 
和名抄云、爾稚云、茅蜩、一名〓、(比久艮之)小青蝉也と有り。モダモアラムは、タダモアラムと言ふに同じ、
 
詠v榛
 
1965 思子之。衣將摺爾。爾保比與。【與ハ乞ノ誤】島之榛原。秋不立友。
おもふこが。ころもすらむに。にほひこそ。しまのはりはら。あきたたずとも。
 
乞を與に誤れるなり。ニホヒコソはニホヘカシと願ふ詞。島は高市郡の地名。榛は既に出づ。秋タタズ(245)トモと詠めるは、秋に成りて、此木の皮は剥ぐなるべし。
 參考 ○榛原(考)ハギハラ(古、新)略に同じ。
 
詠v花
 
1966 風散。花橘※[口+立刀]。袖受而。爲君御跡。思鶴鴨。
かぜにちる。はなたちばなを。そでにうけて。きみがみためと。おもひつるかも。
 
契沖云、橘の散るを袖に受くるは、爲(ニ)v君薫2衣裳1と言ふに同じ心なるべしと言へり。君御爲跡と有りつらんを、誤りて君の上へ爲の字の入りしなるべし。
 參考 ○爲君御跡(代)「君御爲」か「御爲君」か(考)キミオハセリト(古)「君御爲跡」キミガミタメト(新)タテマツラムト ○思鶴鴨(古)シヌビツルカモ(新)略に同じ。
 
1967 香細寸。花橘乎。玉貫。將送妹者。三禮而毛有香。
かぐはしき。はなたちばなを。たまにぬき。おくらむいもは。みつれてもあるか。
 
クハシはすべて褒むる詞。卷四。三禮二見津禮《ミツレニミツレ》片もひをせむと詠めり。紀に羸をミツレと訓む。ここは所v送《オクレル》と言はず。將v送と言へるは。病みてつかれ居る時故に。贈り不v來歟と言ふなるべし。
 參考 ○將送妹者(考、新)略に同じ(古)オコセムイモハ。
 
1968 霍公鳥。來鳴響。橘之。花散庭乎。將見入八孰。
(246)ほととぎす。きなきとよもす。たちばなの。はなちるにはを。みむひとやたれ。
 
橋の花散る庭を、君こそは來ても見るべき人なれと言ふなり。
 參考 ○來鳴響(新)キナキトヨモシ。
 
1969 吾屋前之。花橘者。落爾家里。悔時爾。相在君鴨。
わがやどの。はなたちばなは。ちりにけり。くやしきときに。あへるきみかも。
 
橘も散り過ぎたれば。君を待ち得しかひも無くて、くやしき時にも訪ひ來つるよとなり。
 
1970 見渡者。向野邊乃。石竹之。落卷惜毛。雨莫零行【行ハ所ノ誤】年。
みわたせば。むかひののべの。なでしこの。ちらまくをしも。あめなふりそね。
 
打向ふ所の野なり。行は所の誤なり。
 參考 ○見渡(新)ミワタス「者」を衍とす ○行年(古、新)ソネ「所年」の誤とす。
 
1971 雨間開而。國見毛將爲乎。故郷之。花橘者。散家牟可聞。
あままあけて。くにみもせむを。ふるさとの。はなたちばなは。ちりにけむかも。
 
アママアケテは雨の晴間なり。國見は橘にのみ懸かるに有らず。國見もせん時、橘も咲きて、興多からんに、雨降り續きて、國見もせず。故郷の橘も、いたづらに散らんと言ふなり。此故郷は、藤原か、飛鳥の古京を言ふなるべし。
(247) 參考 ○雨間開而(新)アメハレテ「間開」は「霽」の誤。
 
1972 野邊見者。瞿麥之花。咲家里。吾待秋者。近就良思母。
ぬべみれば。なでしこのはな。さきにけり。わがまつあきは。ちかづくらしも。
 
1973 吾妹子爾。相市乃花波。落不過。今咲有如。有與【與ハ乞ノ誤】奴香聞。
わぎもこに。あふちのはなは。ちりすぎず。いまさけるごと。ありこせぬかも。
 
乞を與に誤れり。楝《アフチ》を妹に逢ふに言ひ懸けて、いつも散らずして、今咲きたる如く有れかしと願ふなり。
 
1974 春日野之。藤者散去而。何物鴨。御狩人之。折而將挿頭。
かすがぬの。ふぢはちりにて。なにをかも。みかりのひとの。をりてかざさむ。
 
散リニテは散リイニテの略。
 參考 ○藤者散去而〈代、考)略に同じ(古、新)フヂハチリニキ「而」を「吉」の誤とす。
 
1975 不時。玉乎曾連有。宇能花乃。五月乎待者。可久有。
ときならず。たまをぞぬける。うのはなの。さつきをまたば。ひさしかるべみ。
 
上句一三二と次第して見るべし。時ならず卯花の玉を貫けると言ふ意なり。藥玉を貫くべき五月よりも先に四月に卯の花を玉に貫けば、時ナラズと言へり。橘の實樣の物ならで、唯だ結ひ束ぬるをも玉に(248)貫くと言へり。
 參考 ○可久有(考)ヒサシカルベシ(古、新)略に同じ。
 
問答
 
1976 宇能花乃。咲落岳從。霍公鳥。鳴而沙渡。公者聞津八。
うのはなの。さきちるをかゆ。ほととぎす。なきてさわたる。きみはききつや。
 
サワタルのサは發語なり。
 
1977 聞津八跡。君之問世流。霍公鳥。小竹野爾所沾【沾ヲ今活ニ誤ル】而。從此鳴綿類。
ききつやと。きみがとはせる。ほととぎす。しぬぬにねれて。こゆなきわたる。
 
此卷上に朝霧に之努努《シヌヌ》にぬれてと詠めり。五月雨に濡れて鳴き渡るさまを言へり。沾を活に誤れり。元暦本に據りて改む。
 
譬喩歌
 
1978 橘。花落里爾。通名者。山霍公鳥。將令響鴨。
たちばなの。はなちるさとに。かよひなば。やまほととぎす。とよもさむかも。
 
本は妹許《イモガリ》通ふに譬へ、末は人に言ひ騷がれんと言ふに譬へたり。
 
(249)夏相聞
 
寄v鳥
 
1979 春之在者。酢輕成野之。霍公鳥。保等穗跡妹爾。不相來爾家里。
はるされば。すがるなすぬの。ほととぎす。ほとほといもに。あはできにけり。
 
和名抄、爾雅注云、〓〓(佐曾里)似v蜂而細腰者也。兼名苑云、一名〓〓と有り。雄略記に、〓〓と言へる人名有りて、これをスガルと訓めり。俗|似我蜂《ジガバチ》と言ふ物と見ゆ。春巣を借りて生ふる故にスガルと言ふなるべし。郭公も鶯の巣を借りて生ひたてれば、かの春のすがるの如くと言ふ意にて、スガルナスとは言へるなるべし。さて集中野に郭公を詠める事多し。上はホトホトと言はん序にて、殆と妹に逢ふべきを逢はずして、年月を過ごし來にけり、と言ふなりと翁言はれき。されど二の句穩かならず、誤字有らんか。
 參考 ○春之在者(代)ハルナレバ(考)「之」を衍とす(古、新)略に同じ ○酢輕成野之(新)スガル「鳴」ナクヌノ。
 
1980 五月山。花橘爾。霍公鳥。隱合時爾。逢有公鴨。
さつきやま。はなたちばなに。ほととぎす。かくろふときに。あへるきみかも。
 
五月の橘に郭公の宿りする時、我も又君に逢へるを喜ぶなり。カクロフはカクルを延べ言ふなり。
 
(250)1981 霍公鳥。來鳴五月之。短夜毛。獨宿者。明不得毛。
ほととぎす。きなくさつきの。みじかよも。ひとりしぬれば。あかしかねつも。
 
寄v蝉
 
1982 日倉足者。時常雖鳴。我戀。手弱女我者。不定哭。
ひぐらしは。ときとなけども。わがこふる。たをやめわれは。ときわかずなく。
 
上の我、元暦本に於に作りて、一本物と有り。一本に據りてモノコフルと訓むべし。宣長は我は君の誤なりと言へり。ヒグラシ上にも出づ。ひぐらしは夏を時と鳴けども、我は時を定めず泣くとなり。不定は義を以て書けり、トキワカズと訓まざれば調はず。タヲヤメワレハは、丈夫我は、又世ノ人ワレハなど詠めるに等しく、女のみづから言ふなり。
 參考 ○我戀(考)「君戀」とす(古)略に同じ(新)「於君戀」キミニコフル ○手弱女(古、新)タワヤメ ○不定哭(代、古、新)トキワカズナク「時」を不の上に補ふ(考)トキジクニナク。
 
寄v草
 
1983 人言者。夏野乃草之。繁友。妹與吾。携宿者。
ひとごとは。なつぬのくさの。しげくとも。いもとわれとし。たづさはりねば。
 
草ノ如クと言ふを略き、携リネバヨケムと言ふをこめたり。元暦本、吾の下師の字有り。
 
(251)1984 廼者之。戀乃繁久。夏草乃。苅掃友。生布如。
このごろの。こひのしげけく。なつくさの。かりはらへども。おひしくがごと。
 
卷十一、わがせこにわがこふらくは夏草のかりそくれども生及《オヒシク》がごと、大かた同じ歌なり。オヒシクは、卷十一に書ける如く、及ぶ意。
 參考 ○生布如(考)略に同じ(古、新)オヒシクゴトシ。
 
1985 眞田葛延。夏野之繁。如是戀者。信吾命。常有目八方。
まくずはふ。なつぬのしげく。かくこひば。さねわがいのち。つねならめやも。
 
夏ノ野ノ如クと言ふを略けり。斯く戀の繁くは、まことに我命の常なる事有らんや、絶えもせめと言ふなり。元暦本、方を面に作る。
 參考 ○信吾命(考)信ワギノチ(古、新)略に同じ。
 
1986 吾耳哉。如是戀爲良武。垣津旗。丹頬合【頬合ヲ類令ニ誤ル】妹者。如何將有。
われのみや。かくこひすらむ。かきつばた。にほへるいもは。いかにあるらむ。
 
頬合を今本類令に誤れり。元暦本に據りて改む。卷十一、垣幡《カキツバタ》丹頬經《ニホヘル・ニヅラフ》君※[口+立刀]《キミヲ》と有り。ニヅラフとも、ニホヘルとも訓まる。カキツバタ、枕詞。
 參考 ○丹頬合(考)ニホヘル(古、新)ニヅラフ ○如何將有(考、古、新)イカニカアラム。
 
(252)寄v花
 
1987 片搓爾。絲※[口+立刀]曾吾搓。吾背兒之。花橘乎。將貫跡母日手。
かたよりに。いとをぞわがよる。わがせこが。はなたちばなを。ぬかむともひて。
 
カタヨリは片思に譬ふ。橘の實を貫くは常なるを、寄花なれば、是れは花を言へり。ヌカムト思ヒテは、事成さんと願ふ意なり。
 參考 ○吾背兒之(新)セコガタメ「吾」を衍とし「之」の下に「爲」を補ふ。
 
1988 ?之。往來垣根乃。宇能花之。厭事有哉。君之不來座。
うぐひすの。かよふかきねの。うのはなの。うきことあれや。きみがきまさぬ。
 
鶯は來《ク》れども、君は我を憂しと厭ふ心有ればにや、君が來ぬとなり。卯花は、ウの言を言ひ出でん爲に設けたり。卷八、ほととぎす鳴をのうへの卯の花のとて、下全く同じ歌有り。
 
1989 宇能花乃。開登波無二。有人爾。戀也將渡。獨念爾指天。
うのはなの。さくとはなしに。あるひとに。こひやわたらむ。かたもひにして。
 
上句はつれなくて有る人に譬ふる詞なり。卯花の咲かぬと言ふには有らず、唯だ咲くと言ふまでへ懸かれる詞なり。卷九に、ふるのわさ田の穗には出ずと詠めるになぞらへて知るべし。
 
1990 吾社葉。僧毛有目。吾屋前之。花橘乎。見爾波不來鳥屋。
(253)われこそは。にくくもあらめ。わがやどの。はなたちばなを。みにはこじとや。
 
我を厭ふ餘りに、花橘をさへに見に來らじとやとなり。女の歌なり。
 
1991 霍公鳥。來鳴動。崗部有。藤浪見者。君者不來登夜。
ほととぎす。きなきとよもす。をかべなる。ふぢなみみには。きみはこじとや。
 
是れも右と同じ意なり。郭公すら來鳴きとよもす藤を、君は見には來らじとやと言ふなり。
 
1992 隱耳。戀者苦。瞿麥之。花爾開出與。朝旦將見。
こもりのみ。こふればくるし。なでしこの。はなにさきでよ。あさなさなみむ。
 
コモリノミは、忍ビニノミなり。花ニ咲キ出ヨは、顯れ出ても逢ひ見んと言ふなり。ナデシコは唯だ時に有る物をもて譬ふるなり。
 參考 ○隱耳(代、古、新)略に同じ(考)シヌビノミ。
 
1993 外耳。見筒【筒ヲ今箇ニ誤ル】戀牟。紅乃。末採花乃。色不出友。
よそのみに。みつつをこひむ。くれなゐの。すゑつむはなの。いろにいでずとも。
 
筒を今箇に誤れり。末つむ花は紅花なり。末より摘み取れば然か言ふ。是れも色に出でぬ物にては無きを、右の卯の花の咲とはなしにと言ふに等し。末は集中宇禮とのみ訓めれば、宣長はウレツム花と訓まんと言へり。
(254) 參考 ○外耳(考)ヨソニノミ(古、新)略に同じ ○見筒戀牟(代、考、新)ミツツコヒナム(古)略に同じ ○末採花乃(古)ウレツムハナノ ○色不出友(新)イロニイデズ「而」テ。
 
寄v露
 
1994 夏草乃。露別衣。不著爾。我衣手乃。干時毛名寸。
なつくさの。つゆわけごろも。きせなくに。わがころもでの。ひるときもなき。
 
露を分けたる衣なり。キセナクニのセは、老イセヌ、絶エセヌなどのセに等しく、古言なり。卷四、吾せこが盖世流《ケセル》衣など詠めり。
 參考 ○露別衣(考・新)ツユワケシキヌ(古)略に同じ ○不著爾(考)キモセヌニ(古)ケセナクニ(新)キタラヌニ。
 
寄v日
 
1995 六月之。地副割而。照日爾毛。吾袖將乾哉。於君不相四手。
みなづきの。つちさへさけて。てるひにも。わがそでひめや。きみにあはずして。
 
月の名の事は、考の別記に委し。
 
(255)秋雜歌
 
七夕《ナヌカノヨヒ》
 
1996 天漢。水左閉而照。舟竟。舟人。妹等所見寸哉。
あまのがは。みづさへにてる。ふなわたり。ふねこぐひとに。いもとみえきや。
 
古本、水の下底の字有り。然れば二三四の句、ミナソコサヘニ、テルフネノ、ハテテフナビトと訓むべし。水底まで照り渡るばかり装ひたる舟を言へり。舟人はやがて牽牛にて、イモは織女を言へり。ミエキヤは相マミエケリヤと言ふなり。
 參考 ○水左閉而照(考)水サヘニテル(古、新)ミナゾコサヘニ「水」の下「底」を補ふ ○照舟竟舟人(考)フナヨソヒ、フネコグヒトノ「照」は上の句に付け「竟」を「章」と改む(古)ヒカルフネ、ハテシフナビト(新)テラスフネ、ハテシフナビト。
 
1997 久方之。天漢原丹。奴延鳥之。裏歎座津。乏諸手丹。
ひさかたの。あまのがはらに。ぬえとりの。うらなけましつ。ともしきまでに。
 
卷一、卜歎居者《ウラナケヲレバ》、卷十七、宇良奈氣之都追《ウラナケシツツ》と有り。契沖云、トモシキマデニは、期かる戀は類ひ少なく、珍しきまでにと言ふなりと言へり。諸手は眞手、或は左右と書けるに同じ義なり。
 參考 ○裏歎座津(代)ウラナケ(考)ウラナキマシツ(古)略に同じ、但し「ケ」濁る(新)ウラ(256)ナゲキマシツ ○乏諸手丹(新)「哀」カナシキマデニ。
 
1998 吾戀。嬬者知【知ハ哭ノ誤】遠。往船乃。過而應來哉。事毛告火。【火ハ哭ノ誤】
わがこふる。つまはしれるを。ゆくふねの。すぎてくべしや。こともつげなく。
 
知、一本彌に作るぞ善き。ツマハイヤトホクと訓むべし。火は哭の誤なるべし。イヌルを來ルと言ふ例有り。嬬は借れるにて、彦星を指す。彦星は舟漕ぎ出でて、言をも告《ノ》り給ふ事無くて、彌遠く唯だ過ぎに過ぎ行くはなさけ無し。さは過ぎ去《ユ》くべき事かはと言ふなり。
 參考 ○吾戀(考)ワガコヒヲ(古)アガコヒヲ(新)略に同じ ○嬬者知遠(代)ツマハ(考)イモハシレルヲ(古、新)ツマハシレルモ ○事毛告火(考、古)略に伺じ(新)コトモツゲナム。
 
1999 朱羅引。色妙子。敷見者。人妻故。吾可戀奴。
あからひく。しきたへのこを。しばみれば。ひとづまゆゑに。われこひぬべし。
 
アカラヒク、枕詞。シキタヘノ子に冠らせたるは、アカネサス君、ニツカフ妹など言ふに等しく、アカラヒク子と懸かりて、紅顔を言ふ。さてシキタヘとは、色妙は借字にて、敷細布《シキタヘ》の意なり。數キは物の繁く美くしきを言ひ、細布もよき絹布を言ふ古語にて、女の美くしく、和《ナゴ》やかなるに譬へたる語なりと翁言はれき。冠辭考に委し。シバミレバは、シバシバ見レバなり。人妻故に云云は、卷一、紫のにほへる妹をにくくあらば人嬬故《ヒトヅマユヱ》にわれこひめやもと有るに同じく、人の妻なる物をと言ふ義なり。此歌七夕(257)の歌と聞えず、誤りてここに入りたるなるべし。
 參考 ○朱羅引(古)アカラビク「ヒ」を濁る(新)「ヒ」清む ○色妙子(代)イロテヘノコヲ(考、古)略に同じ(新)イロタヘナルコ ○數見者(古)略に同じ(新)シバミナバ。
 
2000 天漢。安渡丹。船浮而。秋立待等。妹告與具。【與具ハ乞其ノ誤】
あまのがは。やすのわたりに。ふねうけて。あきたつまつと。いもにつげこそ。
 
ヤスノ渡、則ち天河の一名なり。神代紀、八十萬神會2合於天安河邊1云云と有り。宣長云、秋は我の誤なり。ワガタチマツトなりと言へるぞ善き。與具は乞其の誤なるべし。告コソは告ゲヨカシと願ふ詞なり。卷十三、眞福在與具《マサキクアレコソ》と有るも、在乞其の誤なる事しるければ、共に誤れるなり。
 參考 ○秋立待等(考)「我」ワレタチマツト(古)アガタチマツト(新)アキタツマツト。
 
2001 從蒼天。往來吾等須良。汝故。天漢道。名積而叙來。
おほそらゆ。かよふわれすら。ながゆゑに。あまのかはぢを。なづみてぞこし。
 
彦ボシに成りて詠めり。汝は織女を指す。
 參考 ○汝故(考)ナレユヱニ(古、新)略に同じ。
 
2002 八千戈。神自御世。乏?。人知爾來。告思者。
やちほこの。かみのみよより。ともしづま。ひとしりにけり。つぎてしおもへば。
 
(258)八千戈神は、大己貴命にて、三輪の大神なり。卷六、八千桙の神の御世より百舟の云云、トモシヅマは、たまたま逢ひて珍しみ思ふ意、告ギは借れるにて、意は繼ぎなり。卷三、長歌、語告|言繼將往《イヒツギユカム》も、カタリツギと訓むべければ、ここもツギと訓めり。?は文選左太沖詩に、伉儷不安宅、張銑が註に、伉儷謂v妻也と有り。儷、?、同韻にて、古へ通じ用ひしならんと、濱臣は言へり。
 參考 ○告思者(代)ツゲテシモヘバ、又は、ツゲテオモヘバ(考)「苦」ネモゴロモヘバ(古、新)ツギテシモヘバ。
 
2003 吾等戀。丹穗面。今夕母可。天漢原。石枕卷。
わがこふる。にのほのおもわ。こよひもか。あまのがはらに。いそまくらまく。
 
彦星に成りて詠めり。ニノホノオモワは、卷十九、御面謂2之(ヲ)美於毛和1と自註有り、紅顔を言ふ。イソはここは則ち石なり。
 參考 ○石枕卷(代)イハマクラ(考)石枕マカム(古、新)イソマクラマカム。
 
2004 己?。乏子等者。竟【竟ハ立見ノ誤カ】津。荒磯卷而寢。君待難。
しがつまの。ともしきこらは。たちてみつ。ありそまきてねむ。きみまちがてに。
 
一二の句は織女を指す。竟津、アラソヒツと訓みたれど由無し。竟は立見二字の一字に成れるにて、天の河原に立たぬ日は無しと言ふ意なるべしと、翁言はれき。宣長云、竟津、ハツルツノと訓むべし。さ(259)て一二の句はオノガツマ、トモシムコラハと訓み、四の句アリソマキテヌと訓むべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○己?(代)オノヅマノ(考、古)オノガツマ(新)オノヅマヲ ○乏子等者(考)略に同じ(古、新)トモシムコラハ ○竟津(代)フネハテツ(考)略に同じ(古、新)ハテムツノ ○荒礒卷而寐(代、考、新)略に同じ(古)アリソマキテヌ。
 
2005 天地等。別之時從。自?。然叙手而在。金待吾者。
あめつちと。わかれしときゆ。おのがつま。しかぞてにある。あきまつわれは。
 
四の句誤字有らん、解き難し。契沖は、シカゾテニアルは、天地分れしより、織女は己が妻と定りて、斯くぞ手に有るなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○自?(考、古)略に同じ(新)オノヅマト ○然叙手而在(新)シカゾタノミテ「手」を「恃」の誤「在」を衍とす。
 
2006 彦星。嘆須?。事谷毛。告余【余ハ尓ノ誤】叙來鶴。見者苦彌。
ひこぼしの。なげかすつまに。ことだにも。つげにぞきつる。みればくるしみ。
 
元暦本、彦を孫に作る。彦星の歎きを見るも苦しければ、他人の言傳を告げに來りしとなり。余は尓の誤なり。
(260) 參考 ○彦星(代、古、新)ヒコボシハ(考)略に同じ ○嘆須?(代)ナゲカスイモニ(考)ナゲカスイモガ(古、新)略に同じ ○告余釦來鶴(新)ノラムトゾキツル「余」を「等」の誤とす ○見者苦彌(新)ミズバクルシミ「見」の上に「不」を補ふ。
 
2007 久方。天印等。水無河。隔而置之。神世之恨。
ひさかたの。あまつしるしと。みなしがは。へだてておきし。かみよしうらめし。
 
此末長歌にも、天驗と定てしと有り。今本ミナセガハと訓みたれど、元暦本ミナシガハと有るに據るべし。即ち天漢の義なり。
 
2008 黒玉。宵霧隱。遠鞆。妹傳。速告與。【與ハ乞ノ誤】
ぬばたまの。よぎりごもりて。とほくとも。いもがつたへは。はやくつげこせ。
 
妹ガツタヘハは、織女より言を傳へたらば、疾く其意を告げよかしとなり。与は乞の誤なり。
 參考 ○宵霧隱(考、古)略に同じ(新)ヨギリガクリテ ○妹傳(代)イモガツカヒハ(考)略に同じ(古、新)イモガツテゴト「傳」の下「言」を補ふ ○速告與(代)コソ(等)略に同じ(古、新)ハヤクツゲコソ。
 
2009 汝戀。妹命者。飽足爾。袖振所見都。及雲隱。
ながこふる。いものみことは。あきたりに。そでふるみえつ。くもがくるまで。
 
(261) アキタリはアクマデの意なり。
 參考 ○飽足爾(考)アクマデニ(古、新)アク「迄」マデニ。
 
2010 夕星毛。往來天道。及何時鹿。仰而將待。月人壯。
ゆふづつも。かよふあまぢを。いつまでか。あふぎてまたむ。つきひとをとこ。
 
卷二、夕づつのかゆきかくゆきと詠めり。和名抄、長庚(由不豆豆)月人ヲトコは此下にも有り。彦星を言へり。壯の下、子脱せり。下に例有り。
 
2011 天漢。已向立而。戀等爾。事谷將告。?言及者。
あまのがは。こむかひたちて。こふらくに。ことだにつげむ。つまといふまでは。
 
コムカヒのコは此《ココ》ヨリの略。卷十八長歌に、安の川|許牟可比太知弖《コムカヒタチテ》と有り。等は〓を〓と見て誤れるなり。是れは牽牛の未だ織女を得ずして、戀ふるさまに詠み成したるなるべし。ツマトイフマデニは、誠の妻と言ふまでにの意か。言、元暦本に奇に作る。猶誤字ならんか。
 參考 ○已向立而(考)略に同じ(古、新)イムカヒタチテ ○戀等爾(代)コフルトニ(考、新)略に同じ(古)コヒムヨハ「等爾」を「從者」とす ○事谷將告(新)コトダニツゲヨ「將」を衍とし「告」の下に「與」を補ふ ○嬬言及者(考)ツマトフマデハ(古)ツマヨスマデハ「言」を「寄」の誤とす(新)ツマトイフカラハ「及」を「柄」の誤とす。
 
(262)2012 水良玉。五百都集乎。解毛不見。吾者干可太奴。相日待爾。
しらたまの。いほつつどひを。ときもみず。われはほしがたぬ。あはむひまつに。
 
卷十八、思良多麻能伊保都都度比乎《シラタマノイホツツドヒヲ》てにむすびと詠めり。古へ萬づの物玉を餝りたれば、紐にも帶にも付けたるなるべし。五百ツツドヒは、玉の數多きを言ふ。ホシガタヌは、泪を干し難きなり、ガタヌは不勝《ガテヌ》と言ふに同じ。又思ふに、上に泪とも言はで干と言へるも如何が、干は在の誤にて、アリガタヌか。【水ヲ「シ」ノ假字ニ用ヒタルハ水ノ字ノ別音「シ」ナルガ故ナリ】
 參考 解毛不見(新)テニモマカズ「解」を「手」「見」を「卷」の誤とす ○吾者干可太奴(考)ワガアリカタヌ(古)アハアリガタヌ「干」を「在」の誤とす(新)ワレハ「在」アリカテヌ。
 
2013 天漢。水陰草。金風。靡見者。時來之
あまのがは。みづかげぐさの。あきかぜに。なびくをみれば。とききたるらし。
 
卷十三山河(ノ)水陰(ニ)生山菅《オフルヤマスゲノ》云云、此陰を一本に隱とす。是れに據るに、今も陰は隱の字か、然ればミコモリと訓みて、祝詞に水分をミクマリとも、ミコモリとも訓む如く、みなまたに生ひたる草を言ふなり。是れを水カゲ草と言ひて、水草に言へるはひがごとなり。ここに秋風に靡くと言ひ、右卷十二、山草と有るは、必ず山スゲと訓むべければ、水邊の山野に有る草なりと翁言はれき。されど此卷末に陰草と詠めるは山の陰草なり。然れば、水に生る草を水陰草と言ふなり、と契沖が言へるに據るべし。來の下良の(263)字を脱せるか、心は唯だ秋風に天の川べの草の靡くを見て、二星相逢ふ時來たるらんと言へるのみなり。
 參考 ○水陰草(考)ミヅクマグサノ(古)ミコモリグサノ「陰」を「隱」とす(新)ミヅカゲグサノ ○靡見者(考、新)ナビクヲミレバ(古)ナビカフミレバ ○時來之(考)トキハキヌラシ「時」の下「良」を補ふ(古、新)略に同じ。
 
2014 吾等待之。白芽子開奴。今谷毛。爾寶比爾往奈。越方人邇。
わがまちし。あきはぎさきぬ。いまだにも。にほひにゆかな。をちかたびとに。
 
宣長云、秋ハギサキヌは逢ふべき時になれる意なり。今ダニモは、月日久しく戀ひ渡りて、せめて今なりともなり。此下の歌の今ダニモも同じと言へり。ニホヒニユカナとは、卷十三に、艶の字をニホヒと訓みし心にて、後の詞にて言はば、ナマメキニユカンと言ふ意ならん。越方人は織女を指すべし。白は西方秋の色なれば義を以て書けり。
 
2015 吾世子爾。裏戀居者。天河。夜船?動。梶音所聞。
わがせこに。うらこひをれば。あまのがは。よふねこぎとよむ。かぢのときこゆ。
 
ワガセコは彦星を指せり。ウラコヒは心の中に戀ふるなり。
 參考 ○夜船?動(考)ヨフネコギトヨミ(古、新)略に同じ。
 
2016 眞氣長。戀心自。白風。妹音所聽。紐解往名。
(264)まけながく。こふるこころゆ。あきかぜに。いもがおときこゆ。ひもときゆかな。
 
氣長クに眞の言を添へたるなり。彦星の戀ふる心から、秋風の便りに妹が音信せしなり。ユカナはユカムなり。宣長は往は待の誤にて、マタナなりと言へり。
 參考 ○妹音所聽(考)イモガトキコユ(古)略に同じ(新)カヂノトキコユ「妹」は「梶」の誤 ○紐解往名(考)略に同じ(古、新)ヒモトキマケナ「往」を「待」の誤とす。
 
2017 戀敷者。氣長物乎。今谷。乏牟可哉。可相夜谷。
こひしくは。けながきものを。いまだにも。ともしむべしや。あふべきよだに。
 
此卷下に、こふる日はけ長きものを今夜だにともしむべしやあふべきものを、とて載せたり。何れか原《モト》ならん。戀ヒシクハは、集中コヒシクノとも詠みて、シクは詞なり。唯だ戀ハと心得べし。トモシムベシヤは、逢はんと契りし今夜なりとも、せめて、語り盡さざらんやの意なり。
 參考 ○今谷(新)コヨヒダニ「今」の下「夜」を補ふ。
 
2018 天漢。去歳渡伐。遷閉者。河瀬於蹈。夜深去來。
あまのがは。こぞのわたりは。うつろへば。かはせをふむに。よぞふけにける。
 
ワタリバのバは場の意なり。於はフムニのニの言に用ひ書けり。去年渡りし瀬の變れれば、河瀬を蹈み試むる程に、夜の更けたる意なり。
(265) 參考 ○去歳渡伐(考)略に同じ(古)コゾノワタリ「代」デ(新)コゾノワタリ「乃」ノ。
 
2019 自古。擧而之服。不顧。天河津爾。年序經去來。
いにしへゆ。あげてしはたを。かへりみず。あまのかはづに。としぞへにける。
 
服とは書きたれど、こは裁ち縫へる衣には有らで、機の事なり。彦星を待ち戀ふる心の切なる故に、はた物をも古へより、かへり見ずとなり。
 參考 ○擧而之服(考)アゲテシキヌヲ(古、新)略に周じ。
 
2020 天漢。夜船?而。雖明。將相等念夜。袖易受將有。
あまのがは。よぶねをこぎて。あけぬとも。あはむともふよ。そでかへずあらむ。
 
逢はんと思ふ夜の、明くるまでも、夜舟を漕ぐに時移りぬれば、今宵も逢はず有らんと言ふなり。二の句より結句へ懸けて見るべし。
 參考 ○袖易受將者(代)「有」の下「哉」脱か(考、古、新)ソデカヘズアラメヤ「有」の下「哉」を補ふ。
 
2021 遙?等。手枕易。寢夜。鷄音莫動。明者雖明。
とほつまと。たまくらかへて。わたるよは。とりがねななき。あけばあくとも。
 
手枕カヘテは、上の袖カヘテと同じく、カハシテなり。?は嬬の誤か。
(266) 參考 ○手枕易(考、新)略に同じ(古)タマクラカハシ ○?音莫勤(考)トリガネナキソ、又は、トリハネナキソ(古)略に同じ(新)トリガネナトヨミ。
 
2022 相見久。※[厭のがんだれなし]雖不足。稻目。明去來理。舟出爲牟?。
あひみらく。あきたらねども。いなのめの。あけゆきにけり。ふなでせむいも。
 
イナノメノ、枕詞。彦星の別れに臨むに代れり。
 參考 ○相見久(考、古)アヒミマク(新)略に同じ。
 
2023 左尼始而。何太毛不在者。白栲。帶可乞哉。戀毛不遏者。
さねそめて。いくだもあらねば。しろたへの。おびこふべしや。こひもつきねば。
 
サは發語なり。イクダはイクバクの略なり。ココダクをココダと言ふに同じ。アラネバ、ツキネバ、共にアラヌニ、ツキヌニの意。別れ去らんとて、解き置きし帶を乞ふ時、猶戀ひも盡きぬに、帶乞ふべしやはと、織女の恨むるなり。元暦本、遏を過に作りて、過ギネバと有り。
 
2024 萬世。携手居而。相見鞆。念可過。戀爾【爾ヲ奈ニ誤ル】有莫國。
よろづよに。たづさはりゐて。あひみとも。おもひすぐべき。こひならなくに。
 
アヒミトモは相ヒ見ルトモなり。爾、今本奈に作る。元暦本に據りて改む。
 
2025 萬世。可照月毛。雲隱。苦物叙。將相登雖念。
(267)よろづよに。てるべきつきも。くもがくり。くるしきものぞ。あはむともへど。
 
萬代に照るべき月すら、一夜の雲隱も苦しき物なり。二星も萬代に逢はん事とは思へど、一夜を待ち惜しむが苦しと言ふ意か。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ ○將相登雖念(考)モヘバ(古)アハムトオモヘド(新)アハムトモヘバ「雖」を衍とし「念」の下に「者」を補ふ。
 
2026 白雲。五百遍隱。雖遠。夜不去將見。妹當者。
しらくもの。いほへがくりて。とほけども。よひさらずみむ。いもがあたりは。
 
天河を隔てて遠けれども、夜毎に妹が當りは見やらんとなり。
 參考 ○五百遍隱(考、古)略に同じ(新)イホヘカクレテ ○夜不去將見(代)ヨヒサラズ(考)ヨガレセズミム(古、新)略に同じ。
 
2027 爲我登。織女之。其屋戸爾。織白布。織弖兼鴨。
わがためと。たなばたづめの。そのやどに。おるしろたへは。おりてけむかも。
 
ソノヤドは織女の家の意なり。彦星に成りて詠めり。
 參考 ○織女之(新)タナバタツメガ ○織白布(考)オルシラヌノハ(古)オレルシロタヘ(新)略に同じ ○織弖兼鴨(考)オリテゲムカモ「ケ」を濁る(古)ヌヒテケムカモ「織」を「縫」と(268)す(新)略に同じ。
 
2028 君不相。久時。織服。白栲衣。垢附麻弖爾。
きみにあはず。ひさしきときゆ。おるはたの。しろたへごろも。あかづくまでに。
 
織女に成りて詠めり。服を上にもハタと訓めり。初句を結句より返して見るべし。
 參考 ○久時(考)ヒサシキトキニ(古)ヒサシキトキヨ(新)ヒサシクナリヌ「時」を「成奴」の誤とす ○織服(考)オリテキシ(古)略に同じ(新)オリキセシ。
 
2029 天漢。梶音聞。孫星與。織女。今夕相霜。
あまのがは。かぢのときこゆ。ひこぼしと。たなばたづめと。こよひあふらしも。
 
和名抄、爾雅云、子之子爲v孫。無万古。一名比古と有れば、通はし書けり。
 
2030 秋去者。河霧。天川。河向居而。戀夜多。
あきされば。かはぎりわたる。あまのがは。かはにむきゐて。こふるよぞおほき。
 
後撰集に川ぎりわたると有り。此下にも天川ぎり立渡るなど有れば、霧の下、渡の字を脱せるか。元暦本、向居而を而向居とせり。カハニムカヒヰと訓むべし。
 參考 ○河霧(代)「立」か「渡」か脱(考)カハギリタチツ(古)カハギリタチテ(新)キリタチワタル「河」を衍とし「立渡」を「霧」の下に補ふ。 ○河向居而(新)カハニムキタチ。
 
(269)2031 吉哉。雖不直。奴延鳥。浦嘆居。告子鴨。
よしゑやし。ただならずとも。ぬえとりの。うらなけをると。つげむこもがも。
 
直ちに言はずとも、人傳にも妹に言傳せまほしきとなり。子モガモは、子ニモガモと言ふ意なり。子は妹を指す。
 參考 ○浦嘆居(代、古)略に同じ(考)ウラナキヲルト(新)ウラナゲキヲリト。
 
2032 一年爾。七夕耳。相人之。戀毛不遏者。夜深往久毛。
ひととせに。なぬかのよのみ。あふひとの。こひもつきねば。よのふけゆくも《よふけゆくかも》。
 
ツキネバは、例のツキヌニの意なり、元暦本、遏を過に作る。
 參考 ○夜深往久毛(新)ヨハフケユクモ。
 
一云|不盡者《ツキネバ》。佐宵曾明爾來《サヨゾアケニケル》。
 
2033 天漢。安川原。定而。神競者。磨待無。
あまのがは。やすのかはらの。さだまりて。かむつつどひは。とぎまたなくに。
 
諸神の天安河原に集ひ給ふは、時に臨みて有るを、二星の集ひは、一歳に唯だ一夜のみと定まれるを恨むなり。神競、舊訓ココロクラベと有れど、古への詞とも無し。競、集、同じ意に落つれば、ツドヒと訓むべし。磨は時の借字なり。借字は清濁にかかはらぬ例なりと、翁言はれき。宣長云、或人説に、而(270)は西の字の誤、競は鏡の誤にて、ヤスノカハラニ、サダメニシ、カミノカガミハ、トグマタナクニと訓むべし。是れは月を神代の鏡に見なして、此鏡は磨《トグ》事を待たずして、何時も曇らぬと言ふなり。七夕の歌に月を詠める例有りと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○安川原(考)略に同じ(古)ヤスノカハラニ(新)ヤスノカハハラ ○神競者(代)カガミクラベハ(考)カミツツドヒハ(古)カミノツドヒハ(新)カミノキホヘバ ○磨待無(代)トグモマタナク(考)略に同じ(古)「禁時」イムトキナキヲ(新)「渡時」ワタルトキナシ。
 
此歌一首庚辰年作之。 庚辰は天武天皇白鳳九年なり。
 
右柿本朝臣人麻呂歌集出。  右三十八首ともに、人麻呂歌集の書きざまなり。皆同歌集なるべし。
 
2034 棚機之。五百機立而。織布之。秋去衣。孰取見。
たなばたの。いほはたたてて。おるぬのの。あきさりごろも。たれかとりみむ。
 
イホハタは機の數多きを言ふ。秋サリ衣は、春サレバ、夕サレバの、サレの語の如く、秋になれる衣にて、秋の衣を言ふ。タレカトリミムは、彦星ならで、誰か着ても見んと言ふなり。宣長云、秋去は和布の字の誤にて、ニギタヘゴロモならんと言へり。
 參考 ○織布之(新)オルヌノ「乎」ヲ ○秋去衣(考)アキサリゴロモ(古)「和布」ニギタヘゴロモ(新)アキサリクレバ「衣」を「者」とす。
 
(271)2035 年有而。今香將卷。烏玉之。夜霧隱。遠妻手乎。
としにありて。けふかまくらむ。ぬばたまの。よぎりがくりに。とほづまのてを。
 
トシニ有リテは一トセ有ラセテなり。
 參考 ○夜霧隱(考)ヨギリコモリテ(古)略に同じ(新)ヨギリガクリテ。
 
2036 吾待之。秋者來沼。妹與吾。何事在曾。紐不解在牟。
わがまちし。あきはきたりぬ。いもとわと。なにごとあれぞ。ひもとかざらむ。
 
アレゾは、アリテゾの意なり。何事有りてか、紐解きて寐ぬ事の有るべきと言ふなり。
 參考 ○妹與吾(古)イモトアレ(新)イモトワレ。
 
2037 年之戀。今夜盡而。明日從者。如常哉。吾戀居牟。
としのこひ。こよひつくして。あすよりは。つねのごとくや。わがこひをらむ。
 
一とせ戀ひ渡りし思ひを、此一夜に盡くしてと言ふなり。
 
2038 不合者。氣長物乎。天漢。隔又哉。吾戀將居。
あはなくは。けながきものを。あまのがは。へだててまたや。わがこひをらむ。
 
アハナクは、アハヌを延べ言ふなり。
 參考 ○不合者(代、古、新)略に同じ(考)アハザレバ。
 
(272)2039 戀家口。氣長物乎。可合有。夕谷君之。不來益有良武。
こひしけく。けながきものを。あふべかる。よひだにきみが。きまさざるらむ。
 
七日の宵に織女の待つ程の意なり。
 
2040 牽牛與。織女。今夜相。天漢門爾。波立勿謹。
ひこぼしと。たなばたづめと。こよひあふ。あまのかはとに。なみたつなゆめ。
 
織女を後世オリヒメと訓めど、タナバタヅメと訓むべき事、此あたりの書き樣にても知るべし。
 參考 ○今夜相(考、新)コヨヒアハム(古)略に同じ。
 
2041 秋風。吹漂蕩。白雲者。織女之。天津領巾毳。
あきかぜの。ふきただよはす。しらくもは。たなばたづめの。あまつひれかも。
 
雲を領巾に見なしたるなり。卷二の、白たへの天領巾隱《アマヒレガクリ》とは異なり。其所に既に言ひつ。
 
2042 數裳。相不見君矣。天漢。舟出速爲。夜不深間。
しばしばも。あひみぬきみを。あまのがは。ふなではやせよ。よのふけぬまに。
 
シバシバモは度度モなり。
 參考 ○夜不深間(考、新)略に同じ(古)ヨノフケヌアヒダ。
 
2043 秋風之。清夕。天漢。舟?度。月人壯子。
(273)あきかぜの。さやけきゆふべ。あまのがは。ふねこぎわたる。つきひとをとこ。
 
月人ヲトコは、上にも出でて彦星を言ふ。
 參考 ○清夕(考)サヤケキヨヒニ(古)略に同じ(新)キヨキユフベニ。
 
2044 天漢。霧立度。牽牛之。?音所聞。夜深往。
あまのがは。きりたちわたり。ひこぼしの。かぢのときこゆ。よのふけゆけば。
 
2045 君舟。今?來良之。天漢。霧立度。此川瀬。
きみがふね。いまこぎくらし。あまのがは。きりたちわたる。このかはのせに。
 
此川の瀬は則ち天の川瀬を言ふなり。
 
2046 秋風爾。河浪起。暫。八十舟津。三舟停。
あきかぜに。かはなみたちぬ。しまらくは。やそのふなつに。みふねとどめよ。
 
八十ノ舟津は津の多きを言ふ。三舟の三は借字にて、御舟なり。
 參考 ○暫(考)シハラクハ(古、新)シマラクハ、又は、シマシクハ。
 
2047 天漢。川聲清之。牽牛之。秋榜船之。浪※[足+參]香。
あまのがは。かはおときよし《かはとさやけし》。ひこぼしの。あきこぐふねの。なみのさわぎか。
 
※[足+參]は躁の俗字。宣長云、秋は速の誤か。次下に早?船之かいのちるかもと有りと言へり。元暦本、川を(274)河に作る。下皆然り。
 參考 ○川聲清之(代)サヤケシ(考)カハノトキヨシ、又は、カハトサヤケシ(古、新)カハトサヤケシ ○秋榜船之(古、新)ハヤコグフネノ「秋」を「速」の誤とす。
 
2048 天漢。川門立。吾戀之。君來奈里。紐解待。
あまのがは。かはとにたちて。わがこひし。きみきたるなり。ひもときまたむ。
 
 參考 ○君來奈里(考、古)キミキマスナリ(新)略に同じ。
 
一云天川|河向立《カハニムキタチ》。
 
2049 天漢。川門座而。年月。戀來君。今夜會可母。
あまのがは。かはとにをりて。としつきに。こひこしきみに。こよひあへるかも。
 
ヲリテは待ち居りてなり。
 參考 ○年月(考、古、新)トシツキヲ。
 
2050 明日從者。吾玉床乎。打拂。公常不宿。孤可母寐。
あすよりは。わがたまどこを。うちはらひ。きみといねずて。ひとりかもねむ。
 
玉は褒め言ふ詞なり。
 參考 ○公常不宿(代)キミトハネズテ、又は、キミトネナクニ(考、古、新)略に同じ。
 
(275)2051 天原。射跡往。白檀。挽而隱在。月人壯子。
あまのはら。ゆきてやいると《ゆくゆくいむと》。しらまゆみ。ひきてかくせる。つきひとをとこ。
 
月人ヲトコは、上に詠めるは皆彦星の事と聞ゆるを、是れのみ月の事とせんも如何がなり。されど、三四の句は夕月の隱るるを言へりと見ゆ。往射跡三字解くべからず、誤字有るべし。
 參考 ○往射跡(代)「往」の下「武」脱か(考)ユクテニイムト(古)「注」サシテヤイルト(新)「何」ナニヲイムト「香」カ ○挽而隱在(考)ヒキテカクレル(古)略に同じ(新)ヒキテハリタル「隱」を「張」の誤とす。
 
2052 此夕。零來雨者。男星之。早?船之。賀伊乃散鴨。
このゆふべ。ふりくるあめは。ひこぼしの。はやこぐふねの。かいのちるかも。
 
七日の夕べ降る雨は、彦星の天河を急ぎ漕ぐ舟の、櫂の雫の散れるかと言ふなり。
 參考 ○賀伊乃散鴨(考)略に同じ(古、新)カイノチリカモ。
 
2053 天漢。八十瀬霧合。男星之。時待船。今?良之。
あまのがは。やそせきらひぬ。ひこぼしの。ときまつふねは。いましこぐらし。
 
時マツは秋待ち得たる意なり。
 參考 ○八十瀬霧合(考)キリアフ(古)ヤソセキラヘリ(新)略に同じ ○今?良之(考)イマカ(276)コクラシ(古、新)略に同じ。
 
2054 風吹而。河浪起。引船丹。度裳來。夜不降爾。
かぜふきて。かはなみたちぬ。ひきふねに。わたりもきませ。よくだたぬまに。
 
風波立ちて、漕がん事危ふければ、引き船して渡り來ませとなり。今も有る引き舟と言ふ事有りつらん。夜クダタヌマニは一夜更ケヌホドニなり。
 參考 ○度裳來(新)ワタリモキタレ ○夜不降間爾(古)ヨノフケヌマニ、又は、ヨノフケヌトニ(新)略に同じ。
 
2055 天河。遠度者。無友。公之舟出者。年爾社候。
あまのがは。とほきわたりは。なけれども。きみがふなでは。としにこそまて。
 
2056 天河。打橋度。妹之家道。不止通。時不待友。
あまのがは。うちはしわたせ。いもがいへぢ。やまずかよはむ。ときまたずとも。
 
ウチハシは、柱無くして打渡すを意ふ。宣長云、ウチハシは、ウツシ橋にて、此處彼處へ移し渡せば言ふと言へり。
 參考 ○打橋度(代、古、新)略に同じ(考)打橋ワタス。
 
2057 月累。吾思妹。會夜者。今之七夕。續巨勢奴鴨。
(277)つきかさね。わがもふいもに。あふよひは。いましななよを。つぎこせぬかも。
 
今シのシは助辭にて、今七夜續けかしと願ふなり。
 參考 ○會夜者(考)略に同じ(古、新)アヘルヨハ ○今之七夕(考、古)略に同じ(新)イマノナナノヨ。
 
2058 年丹装。吾舟?。天河。風者吹友。浪立勿忌。
としによそふ。わがふねこがむ。あまのがは。かぜはふくとも。なみたつなゆめ。
 
年に一たび装ひて舟出するなり。
 
2059 天河。浪者立友。吾舟者。率?出。夜之不深間爾。
あまのがは。なみはたつとも。わがふねは。いざこぎいでむ。よのふけぬまに。
 
2060 直今夜。相有兒等爾。事問母。未爲而。左夜曾明二來。
ただこよひ。あひたるこらに。ことどひも。いまだせずして。さよぞあけにける。
 
人の妻どひになぞらへて斯くも詠むべし。
 
2061 天河。白浪高。吾戀。公之舟出者。今爲下。
あまのがは。しらなみたかし。わがこふる。きみがふなでは。いましすらしも。
 
2062 機。?木持往而。天河。打橋度。公之來爲。
(278)はたものの。ふみきもてゆきて。あまのがは。うちはしわたす。きみがこむため。
 
機、和名抄云、國語註云、織2設經緯1以v機成2繪布1也。揚氏漢語抄云、高機(多加波太)云云。又辨色立成云、機躡(万禰岐)躡踏也と有り。フミ木と意ふは此機躡か。
 參考 ○?木持往而(代)ユキテ(考)略に同じ(古、新)フミキモチユキテ ○打橋度(新)ウチハシワタセ。
 
2063 天漢。霧立上。棚幡乃。雲衣能。飄袖鴨。
あまのがは。きりたちのぼる。たなばたの。くものころもの。かへるそでかも。
 
2064 古。織義之八多乎。此暮。衣縫而。君待吾乎。
いにしへゆ。おりてしはたを。このゆふべ。ころもにぬひて。きみまつわれを。
 
義は羲の誤なり。上に出づ。ワレヲのヲの詞に意《ココロ》無し、例有り。
 參考 ○古(考)イニシヘ(古、新)イニシヘニ。
 
2065 足玉母。手珠毛由良爾。織旗乎。公之御衣爾。縫將堪可聞。
あしだまも。ただまもゆらに。おるはたを。きみがみけしに。ぬひあへむかも。
 
神代紀、手玉玲瓏織?之少女《タマモユラニハタオルヲトメ》者、是(レ)誰(カ)之子女耶《ムスメナルカ》。仁コ紀、四十年爰皇后云云、皇女所v賚之足玉手玉。卷十一、新室をふみしづの手が手玉ならすもと詠めり。ユラは鳴る音なり。旗は借にて機なり。
 
(279)2066 擇月日。逢義之有者。別乃。【乃ハ久ノ誤】惜有君者。明日副裳欲得。
つきひえり。あひてしあれば。わかれまく。をしかるきみは。あすさへもがも。
 
義は羲の誤。別の下、乃は久の誤なるべし。アスサヘモガモは、明日も又來ませと願ふなり。
 參考 ○別乃(代、考)ワカレノ(古、新)略に同じ ○惜有君者(新)ヲシカルキミ「乎」ヲ。
 
2067 天漢。渡瀬深彌。泛船而。棹來君之。?之音所聞。
あまのがは。わたりせふかみ。ふねうけて。こぎくるきみが。かぢのときこゆ。
 
棹は義を以てコギと訓むべし。
 
2068 天原。振放見者。天漢。霧立渡。公者來良志。
あまのはら。ふりさけみれば。あまのがは。きりたちわたる。きみはきぬらし。
 
是れは霧の立つを見て、彦星の來るを、下つ國にて思ひやりて詠めるなり。
 
2069 天漢。瀬毎幣。奉。情者君乎。幸來座跡。
あまのがは。せごとにぬさを。たてまつる。こころはきみを。さきくきませと。
 
彦星の事無く來まさん爲に、織女の幣奉るなり。
 參考 ○瀬毎幣奉(考、新)略に同じ(古)「渡」ワタリセゴトニ、ヌサマツル。
 
2070 久方之。天河津爾。舟泛而。君待夜等者。不明毛有寐鹿。
(280)ひさかたの。あまのかはづに。ふねうけて。きみまつよらは。あけずもあらぬか。
 
アケズモアラヌカは、不v明アレカシの意。
 參考 ○不明毛有寐鹿(新)アケズモアラヌカ「明」を「深」の誤とす。
 
2071 天河。足沾渡。君之手毛。未枕者。夜之深去良久。
あまのがは。あぬらしわたり。きみがても。いまだまかねば。よのふけぬらく。
 
彦星の歩渡《カチワタリ》せし意なり。マカネバは、例のマカヌニの意。官本、久を之に作る、之にてはここに叶はず。
 參考 ○足沾渡(考、古、新)アシヌレワタリ。
 
2072 渡守。船度世乎跡。呼音之。不至者疑。梶之聲不爲。
わたりもり。ふねわたせをと。よぶこゑの。いたらねばかも。かぢのおとせぬ。
 
和名抄去、渉人云云、日本紀云、渡子(和太之毛利一云和太利毛利)と有り。卷十八長歌に、和多理母理と有れば、ワタリモリの方《カタ》古訓なり。ワタセヲは、ワタセヨと言ふにひとし。卷七、氏河を船令渡呼跡《フネワタセヲト》よばへどもきこえざるらしかぢおともせぬ。
 參考 ○梶之聲不爲(新)カヂノトノセヌ「之聲」を「聲之」とす。
 
2073 眞氣長。河向立。有之袖。今夜卷。跡念之吉沙。
まけながく。かはにむきたち。ありしそで。こよひまきなむ。とおもふがよさ。
 
(281)日久しく持ち待ちて在りし袖を、今宵まきなんと思ふが心よきなり。
 參考 ○河向立(代)ムカヒタチ(考、古、新)略に同じ ○今夜卷跡(考、新)コヨヒマカムト(古)コヨヒマカレム「跡」は結句の頭に付す ○念之吉沙(考)オモヘルガヨサ(古)略に同じ(新)「下」シタモフガヨサ。
 
2074 天漢。渡瀬毎。思乍。來之雲知師。逢有久念者。
あまのがは。わたりせごとに。おもひつつ。こしくもしるし。あへらくおもへば。
 
コシクモのクは助辭。コシクモシルシとは、來りし甲斐有りと言ふ意なり。アヘラクはアヘルを延べ言ふなり。
 參考 ○渡湍毎(考)ワタルセゴトニ(古、新)略に同じ ○念者(考)モヘバ(古、新)略に同じ。
 
2075 人左倍也。見不繼將有。牽牛之。嬬喚舟之。近附往乎。
ひとさへや。みつがずあらむ。ひこぼしの。つまよぶふねの。ちかづきゆくを。
 
見ツガズアラムは、見トドケズアラムヤはの意なり。是れは彦星の織女を舟にて迎へいぬるさまに詠めり。
 
一云|見乍有良武《ミツツアルラム》。
 
2076 天漢。瀬乎早鴨。烏珠之。夜者闌爾乍。不合牽牛。
(282)あまのがは。せをはやみかも。ぬばたまの。よはふけにつつ。あはぬひこぼし。
 
渡りかねて夜の更けたるなり。
 
2077 渡守。舟早渡世。一年爾。二遍往來。君爾有勿久爾。
わたりもり。ふねはやわたせ。ひととせに。ふたたびかよふ。きみならなくに。
 參考 ○君爾有勿久爾(考)キミニアラナクニ(古、新)略に同じ。
 
2078 玉葛。不絶物可良。佐宿者。年之度爾。直一夜耳。
たまかづち。たえぬものから。さぬらくは。としのわたりに。ただひとよのみ。
 
玉カヅラ、枕詞。モノカラは物ナガラなり。サは發語。ヌラクはヌルを延べ言ふなり。
 
2079 戀日者。氣長物乎。今夜谷。令乏應哉。可相物乎。
こふるひは。けながきものを。こよひだに。ともしむべしや。あふべきものを。
 
上に些か變りて出でたり。
 參考 ○可相物乎(新)アフベキヨダニ「物乎」を「夜谷」の誤とす。
 
2080 織女之。今夜相奈婆。如常。明日乎阻而。年者將長。
たなばたの。こよひあひなば。つねのごと。あすをへだてて。としはながけむ。
 
アスヲ云云は、明日の一日を隔てて、其れより末の長からんと言ふなり。
(283) 參考 ○明日乎阻而(新)アスハヘナリテ「乎」を「者」の誤とす ○年者將長(新)トシヲワタラム「者」を「乎」に「長」を「度」の誤とす。
 
2081 天漢。棚橋渡。織女之。伊渡左牟爾。棚橋渡。
あまのがは。たなはしわたせ。たなばたの。いわたらさむに。たなはしわたせ。
 
橋を渡せるが、棚の如くなれば棚橋と言ふ。イワタルのイは發語。こは織女の通ふさまに詠めり。
 
2082 天漢。河門八十有。何爾可。君之三船乎。吾待將居。
あまのがは。かはとやそあり。いづくにか。きみがみふねを。わがまちをらむ。
 
上にも天の河八十瀬霧合と詠めり。三は借にて御なり。
 參考 ○何爾可(考)イヅコカ(古、新)略に同じ。
 
2083 秋風乃。吹西日從。天漢。瀬爾出立。待登告許曾。
あきかぜの。ふきにしひより。あまのがは。せにいでたちて。まつとつげこそ。
 參考 ○瀬爾出立(考)略に向じ(古)カハセニデタチ「瀬」の上に「河」を補ふ(新)「瀬」を「濱」の誤とし、ハマニイデタチ。
 
2084 天漢。去年之渡湍。有二家里。君將來。道乃不知久。
あまのがは。こぞのわたりせ。あれにけり。きみがきまさむ。みちのしらなく。
 
(284)有を荒に借りたるはいぶかし。絶の草書より誤りて、タエニケリならん。
 參考 ○有二家里(考)アレニケリ、又は、「有」は「絶」か(古)「絶」タエニケリ(新)「失」ウセニケリ ○君將來(古)略に同じ(新)キミガキタラム。
 
2085 天漢。湍瀬爾白浪。雖高。直渡來沼。待者苦三。
あまのがは。せぜにしらなみ。たかけども。ただわたりきぬ。まてばくるしみ。
 
彦星の渡り來し勞を言へり。待つは織女の迎へ來るを待つなり。
 參考 ○湍瀬爾白浪(新)セセノシラナミ「爾」をノと訓むか又は「乃」の誤かとす ○雖高(考)タカケレド(古、新)略に同じ ○待者苦三(考)略に同じ(古、新)マタバクルシミ。
 
2086 牽牛之。嬬喚舟之。引綱乃。將絶跡君乎。吾念勿國。
ひこぼしの。つまよぶふねの。ひきづなの。たえむときみを。わがもはなくに。
 
和名抄云、唐韻云、牽※[糸+支](豆奈天)挽v船繩也と有り、是れなり。其引綱より、絶えんと續けたり。吾の下、一本久の字有り、之の誤か。
 參考 ○嬬喚舟之(代)ツマヨビブネノ(考)ツマトフフネノ(古,新)略に向じ ○吾念勿國(考、新)ワガオモハナクニ(古)アガモハナクニ。
 
2087 渡守。船出爲將去。【去ヲ出ニ誤ル】今夜耳。相見而後者。不相物可毛。
(285)わたりもり。ふなでしいなむ。こよひのみ。あひみてのちは。あはじものかも。
 
彦星の別れに臨みたる意なり。去、今本出に作る。一本に據りて改む。
 參考 ○舟出爲將去(考、新)略に同じ(古)フナデシテコム「出」を「來」とす。
 
2088 吾隱有。?掉無而。渡守。舟將借【借ヲ惜ニ誤ル】八方。須臾者有待。
わがかくせる。かぢさをなくて。わたりもり。ふねかさめやも。しばしはありまて。
 
織女の別れを惜む餘りに、?棹を隱したれば、渡守も舟貸すべきや、少時《シバシ》は留りてよと言ふなり。借、今本惜に誤る、元暦本に據りて改む。
 參考 ○舟將借八方(新)フネイダサメヤモ「惜」を「出」の誤とす。
 
2089 乾坤之。初時從。天漢。射向居而。一年丹。兩遍不遭。妻戀爾。物念人。天漢。安乃川原乃。有通。出出【出出ハ歳ノ誤】乃渡丹。具【具ハ曾ノ誤】穗船乃。艫丹裳舳丹裳。船装。眞梶繁拔。旗荒。【荒ハ荻ノ誤】本葉裳具【具ハ曾ノ誤】世丹。秋風乃。吹來夕丹。天川。白浪凌。落沸。速湍渉。稚草乃。妻手枕迹。大船乃。思(286)憑而。?來等六。其夫乃子我。荒珠乃。年緒長。思來之。戀將盡。七月。七日之夕者。吾毛悲烏【烏ハ焉ノ誤】。
あめつちの。はじめのときゆ。あまのがは。いむかひをりて。ひととせに。ふたたびあはぬ。つまごひに。ものおもふひと。あまのがは。やすのかはらの。ありがよふ。としのわたりに。そほぶねの。ともにもへにも。ふなよそひ。まかぢしじぬき。はたすすき。もとはもそよに。あきかぜの。ふきくるよひに。あまのがは。しらなみしぬぎ。おちたぎつ。はやせわたりて。わかくさの。つまがてまかむと。おほぶねの。おもひたのみて。こぎくらむ。そのつまのこが。あらたまの。としのをながく。おもひこし。こひつくすらむ。ふみづきの。なぬかのよひは。われもかなしも。
 
イ向ヒのイは發語。物念人は彦星を指す。出出は歳の字の誤にて、トシノワタリなり。上にも年之度と詠めり。具穗船の具は曾の草書より誤れるか。宣長は其の誤ならんと言へり。卷三にも赤乃曾保船《アケノソホブネ》と詠めり。クホフネと言ふ説有れど、具を清音の假字に用ひし例なく、吾が古への語に初言を濁る事無ければ取らず。荒は荻の誤ならん。神功紀に幡荻穗出吾也《ハタススキホニイヅルワレヤ》と有り。又或人は荒は篶木《ススキ》二字の一字に誤りたるなりと言へり。是れも然るべし。本葉裳具世丹の具も、曾か其の誤なるべし。秋風にそよそよと鳴る意なり。ワカ草ノ、大舟ノ、枕詞。妻が手云云、此妻は織女を言ふ。其夫の子は、彦星を言ふ。戀ツクスラムとは戀の限りを盡すらんと言ふなり。ワレモカナシモは、下つ國にて想像て悲むなり。烏、一本焉に作る。
 參考 ○兩遍不漕(新)フタタビアハズ ○物念人(考)モノモフヒト(古、新)略に同じ ○出出乃渡丹(考、古)略に同じ(新)ヨヨノワタリニ「出出」を「世世」の誤とす ○具穗船乃(考、(287)新)略に同じ(古)「意」オホフネノか ○旗荒(考、新)ハタ「芒」ススキ(古)ハタ「荒木」ススキ ○本葉裳具世丹(考)モトハモ「曾」ソヨニ(古、新)「末」ウラバモ「其」ソヨニ ○妻手枕迹(代)ツマノテマカムト(考)ツマデマカムト(古、新)ツマ「乎」ヲマカムト ○戀將盡(考)コヒハツクサム(古)略に同じ(新)コヒヲツクサム ○七月(考)ハツアキノ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
2090 狛錦。紐解易之。天人乃。妻問夕叙。吾裳將偲。
こまにしき。ひもときかはし。あめびと《ひこぼし》の。つまとふよひぞ。われもしぬばむ。
 
和名抄云、本朝式、有2暈※[糸+間]錦、高麗錦、軟錦、兩面錦等之名1。云云と有り。狛錦は此高麗錦なり。卷三、倭文はたの帶解替てと詠めり。アメビトは彦星なり。古訓ヒコボシと有り。さも讀むべくおぼゆ。此結句も下つ國にて忍ぶなり。
 參考 ○天人乃(代、古、新)アメビトノ(考)ヒコボシノ。
 
2091 彦星之。川瀬渡。左小船乃。得行而將泊。河津石所念。
ひこぼしの。かはせをわわたる。さをぶねの。はててとまらむ《えゆきてはてむ》。かはづしおもほゆ。
 
サは發語にてヲ舟なり。得行而、義を似てハテテと訓むべしと翁言はれき。されど然か讀むべくもおぼ(288)えず。契沖が説に、エユキテハテムと訓まんか。卷十一、面忘だにも得爲也《エスヤ》と、など詠めりと言へる方《カタ》穩かなり。
 參考 ○得行而將泊(代)トクユキテか、又は、エユキテか(考)トユキテハテム(古)エユキテハテム(新)「伊」イユキテハテム。
 
2092 天地跡。別之時從。久方乃。天驗常。弖【弖ハ定ノ誤】大王。天之河原爾。璞。月累而。妹爾相。時侯跡。立待爾。吾衣手爾。秋風之。吹反者。立坐。多士伎乎知。村肝。心不欲。解衣。思亂而。何時跡。吾待今夜。此川。行長有得鴨。
あめつちと。わかれしときゆ。ひさかたの。あまつしるしと。さだめてし。あまのがはらに。あらたまの。つきをかさねて。いもにあふ。とき|をしまつ《さもらふ》と。たちまつに。わがころもでに。あきかぜの。ふきかへらへば。たちてゐて。たどきをしらに。むらきもの。こころおぼえず。ときぎぬの。おもひみだれて。いつしかと。わがまつこよひ。このかはの。
 
上に久方の天つ印《シルシ》と水無川云云と見ゆ。弖は定の誤なり。大王をテシの假字に用ひたる例既に言へり。侯サモラフと訓まんか。うかがふ意なり。心オボエズの詞穩かならず。宣長は欲は歡の誤にて、心不歡はココロサブシクと訓むべしと言へり。村キモノ、トキキヌノ、枕詞。行長有得鴨、ユキナガクアリト(289)カモと訓みたるは何の事とも無し。行は待の誤にて、マチツツナガク、アリエテムカモと讀まんかと翁は言はれつれど、此川ノと言ふより續き難し。按ずるに、行行と有りしを行長に誤れるか、然らばユクラユクラニと訓むべし。さて得の上不の字を脱せしか、然らばアリガテヌカモと訓むべきなり、猶考ふべし。
 參考 ○妹爾相(考、古)略に同じ(新)イモニアハム ○時侯跡(考)トキヲシマツト(古、新)トキサモラフト ○吹反者(考)略に同じ(古、新)フキシカヘレバ ○立坐(代、考)タチヰスル(古)タチテヰル(新)タチモヰモ ○心不欲(考)ココロオボエズ(古、新)ココロイザヨヒ「不」の下「知」を「欲」の下「比」を補ふ ○行長有得鴨(考)ユクラユクラニ、アリホラムカモ「行行良良爾」とす(古、新)ユク「瀬」セノナガク、アリ「欲」コセヌカモ。
 
反歌
 
2093 妹爾相。時片待跡。久方乃。天之漢原爾。月叙經來。
いもにあふ。ときかたまつと。ひさかたの。あまのがはらに。つきぞへにける。
 
片待つは下待つなり。右の長歌に、天の河原にあらたまの月を重ねてと詠める事なり。
 
大正十五年 三月廿四日印刷
大正十五年 三月廿七日發行  [非賣品〕
日本古典全集第一回
萬葉集略解 第四
編集者   與謝野寛
同     正宗敦夫
同     與謝野晶子
装幀圖案者 廣川松五郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
發行者   長島豐太郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
印刷所   新樹製版印刷所
印刷者   高瀬清吉
發行所   東京府北豐島郡長崎村一六二
日本古典全集刊行會
   振替口座東京七三〇三二
   電話番號小石川七〇九九
 
〔目次省略〕
 
〔萬葉集 卷弟十下〕
 
詠v花
 
2094 竿志鹿之。心相念。秋芽子之。鐘禮零丹。落僧【僧ハ倶ノ誤】惜毛。
さをしかの。こころあひおもふ。あきはぎの。しぐれのふるに。ちらまくをしも。
 
和名抄、※[雨/衆]雨、小雨也(之久禮)と有りて、何時と定まれる事無し。暮秋より初冬の物と定めたるは、後世の事なり。僧は倶の誤なり。次下に散久惜裳と有ると同じ。僧の字に就きてくさぐさ説有れど、論らふに足らず。
 參考 ○落僧惜毛(代)「僧」は「増」か(考)略に同じ(古、新)チラクシヲシモ、但し(古)は「僧」を「信」の誤とし(新)は誤とせず。
 
2095 夕去。野邊秋芽子。末若。露枯。金待難。
ゆふされば。のべのあきはぎ。うらわかみ。つゆにしをれて。あきまちがてぬ。
 
秋を萩の時として、盛りなる時をも待たずして、萎るるを悲しむなり。集中、梅花雪爾志乎禮弖とも詠めり。宣長云、枯は沾の誤にて、ツユニヌレツツなるべしと言へり、猶考ふべし。
 參考 ○露枯(代)ツユニシカレテ、又は、ツユニカレツツ(考)ツユニシカレテ(古)ツユニカレ(2)ツツ(新)ツユニゾ「折」ヲルル ○金待難(考、古)アキマチガタシ(新)アキマチガテニ。
 
右二首柿本朝臣人麻呂之謌集出。
 
2096 眞葛原。名引秋風。吹毎。阿太乃大野之。芽子花散。
まくずはら。なびくあきかぜ。ふくごとに。あだのおほぬの。はぎがはなちる。
 
和名抄、大和宇智郡阿陀(陀讀可2濁讀1)と有り。卷一、内の大野と詠めるも同じきか。 參考 ○芽子花散(考)ハギノハナチル(古、新)略に同じ。
 
2097 鴈鳴之。來喧牟日及。見乍將有。此芽子原爾。雨勿零根。
かりがねの。きなかむひまで。みつつあらむ。このはぎはらに。あめなふりそね。
 
此下に、秋はぎは雁にあはじといへればか聲をききては花ぞ散ぬるとも有りて、雁の來る頃は、はや散り過ぐる物なれば斯く言へり。
 
2098 奧山爾。住云男鹿之。初夜不去。妻問芽子之。散久惜裳。
おくやまに。すむちふしかの。よひさらず。つまとふはぎの。ちらまくをしも。
 
初夜の事をも、唯だ夜の事をも、ヨヒと言へど、初夜と書きたれば、ここは宵の間の意にて書けるならん。ヨヒサラズとは、宵ゴトニと言ふに同じ。ハギを鹿の花妻と言へば斯く詠めり。
 
2099 白露乃。置卷惜。秋芽子乎。折耳折而。置哉枯。
(3)しらつゆの。おかまくをしみ。あきはぎを。をりのみをりて。おきやからさむ。
 
卷十八、橘を詠める長歌に、於枳弖可良之美《オキテカラシミ》と言へるは、木に置きて令v枯なり。今は露に萎れ枯るるを惜しみて、折りて置きて枯らさんと言ふなり。
 參考 ○折耳折而(考、新)略に同じ(古)ヲリノミヲラ「六」ム。
 
2100 秋田刈。借廬之宿。爾穗經及。咲有秋芽子。雖見不飽香聞。
あきたかる。かりほのやどり。にほふまで。さけるあきはぎ。みれどあかぬかも。
 
2101 吾衣。摺有者不在。高松之。野邊行之【之ハ去ノ誤】者。芽子之摺類曾。
わがころも。すれるにはあらず。たかまとの。のべゆきぬれば。はぎのすれるぞ。
 
高マトを高松と書けるは前に出づ。行之者にて、ユキシカバと訓みたれど、然か訓むべからず。契沖は之の下、香可等の字落ちたるかと言へり。思ふに、之は去の誤ならん。ユキヌレバと有らん方勝りぬべし。吾が求めて衣を芽子に摺れるには有らで、野邊を行きぬれば、萩が吾衣を摺れるなりと言ふなり。
 參考 ○吾衣(代、新)ワガキヌハ(考)略に同じ(古)アガコロモ ○高松之(考、新)タカマツノ(古)略に同じ ○野邊行之者(代)「香」脱か(考)略に同じ(古、新)ヌベユキシ「香」カバ。
 
2102 此暮。秋風吹奴。白露爾。荒爭芽子之。明日將咲見。
このゆふべ。あきかぜふきぬ。しらつゆに。あらそふはぎの。あすさかむみむ。
 
(4)花は咲かんとするを、露の重りて、咲かせじとするに似たれば、爭ふとは言ふなり。
 
2103 秋風。冷成奴。馬並而。去來於野行奈。芽子花見爾。
あきかぜは。すずしくなりぬ。うまなめて。いざぬにゆかな。はぎのはなみに。
 
ユカナは行カムなり。
 
2104 朝杲。朝露負。咲雖云。暮陰社。咲益家禮。
あさがほは。あさつゆおひて。さくといへど。ゆふかげにこそ。さきまきりけれ。
 
槿花なり。牽牛花に有らず。槿花は朝に咲きて、夜に成りて萎めり。朝毎に新花の疾く咲く故に、朝顔の名は負ひしならん。さて此歌に言ふは、其花夕陰にをかしく見えつる時に、ふと斯くも詠みしなり、何の意有るに有らず。杲は音を借りたり。カホドリを杲鳥と書けるに同じ。
 參考 ○咲雖云(新)サクトイヘド「アキハギハ」と一句補ひて旋頭歌とす。
 
2105 春去者。霞隱。不所見有師。秋芽子咲。折而將挿頭。
はるされば。かすみがくれて。みえざりし。あきはぎさけり。をりてかざさむ。
 
春は霞みてそことも見えざりし野に、秋來りて、萩の咲けるを見て詠めるなり。
 參考 ○霞隱(考)略に同じ(古、新)カスミガクリテ ○春去者(新)ハル「部」ニハ ○秋芽子咲(新)アキハギサキヌ。
 
(5)2106 沙額田乃。野邊乃秋芽子。時有者。今盛有。折而將挿頭。
さぬかだの。のべのあきはぎ。ときなれば。いまさかりなり。をりてかざさむ。
 
サヌカダは既に出づ。
 參考 ○時有者(代)時シ(考、古、新)略に同じ(古)トキシアレバ。
 
2107 事更爾。衣者不摺。佳人部爲。咲野之芽子爾。丹穗日而將居。
ことさらに。ころもはすらじ。をみなべし。さきぬのはぎに。にほひてをらむ。
 
上に高まとののへ行ぬればはぎのすれるぞ、と言ふに同じ意なり。サキ野は地名、既に出づ。
 參考 ○丹穗日而將居(新)ニホヒテユカム「居」を「往」の誤とす。
 
2108 秋風者。急之【之ハ久ノ誤】吹來。芽子花。落卷惜三。競竟。
【竟ハ弖ノ誤】
あきかぜは。はやくふききぬ。はぎがはな。ちらまくをしみ。あらそひてみむ。
 
之は久の誤なるべし。競竟を舊訓オボロオボロニと有り。如何なる事とも知られず。翁は竟は立見の誤にて、キソヒタツミムとして、風に競ひて散らじとするさまを見ん、と言ふ心かと言はれつれど穩かならず。按ずるに、竟は弖見の誤にて、アラソヒテ見ムなるべし。秋風の急《ハヤ》く吹くに爭ひて、散らぬ程に見んと言ふ意なり。
 參考 ○急之吹來(代)ハヤクシフケリ、又は、ハヤクシフキク(考)「急久」イタタ(古)略に同じ(6)(新)ハヤクシフケリ ○競竟(代)アラソヒハテツ(考)キソヒ「立見」タチミム(古)キホヒ「立見」タチミム(新)キホヒテゾミム「竟」を「覽」の誤とす。
 
2109 我屋前之。芽子之若末長。秋風之。吹南時爾。將開跡思乎。【乎ハ手ノ誤】
わがやどの。はぎのうれながし。あきかぜの。ふきなむときに。さかむともひて。
 
乎、一本手に作るぞよき。是れはまだ咲かぬ程を詠めり。
 參考 ○若末長(代、古)略に同じ(考)ワカナヘ(新)ウレタケヌ ○思乎(考)モフヲ(古、新)略に同じ。
 
2110 人皆者。芽子乎秋云。縱吾等者。乎花之末乎。秋跡者將言。
ひとみなは。はぎをあきといふ。よしわれは。をばながうれを。あきとはいはむ。
 
皆人は萩をのみ秋の物と言へど、我は薄をこそもはら秋の物とは思へと言ふなり。
 參考 ○秋云(考)トフ(古、新)トイフ。
 
2111 玉梓。公之使乃。手折來有。此秋芽子者。雖見不飽鹿裳。
たまづさの。きみがつかひの。たをりける。このあきはぎは。みれどあかぬかも。
 
玉ヅサノ、枕詞。ケルは則ち來タルの意なり。
 參考 ○手折來有(代)キタル(考)コシ(古)略に同じ(新)モチキタル「手折」を「持」の誤と(7)す。
 
2112 吾屋前爾。開有秋芽子。常有者。我待人爾。令見猿【猿ヲ〓ニ誤ル】物乎。
わがやどに。さけるあきはぎ。つねにあらば。わがまつひとに。みせましものを。
 參考 ○常有者(考、新)ツネナラバ(古)ツネシアラバ。
 
2113 手寸十名相。殖之名【名ハ毛ノ誤】知久。出見者。屋前之早芽子。咲爾家類香聞。
たぎそなへ。うゑしもしるく。いでみれば。やどのわさはぎ。さきにけるかも。
 
タギはタグリを約め言ふにて、タグリ備へなり。たげはぬれたがねば長き妹が髪と詠めるタゲに同じ。秋の七種などを多くそなへ植ゑたる中に、萩の先づ咲きたるを言へり。之の下、名は毛の誤なり。元暦本ウヱシモシルクと假字付けせり。早く咲く萩をワサハギと言ふなり。
 參考 ○手寸十名相(代、考)略に同じ(古)タキソナヘ、又は、テモスマニ「手文寸麻仁」の誤とす(新)テモスマニ「手」の字以下を誤字とす ○殖之名知久(古)略に同じ(新)ウヱシ「久」クシルク ○早芽子(代、古)略に同じ(考)ハツハギ(新)兩訓を存ず。
 
2114 吾屋外爾。殖生有。秋芽子乎。誰標刺。吾爾不所知。
わがやどに。うゑおほしたる。あきはぎを。たれかしめさす。われにしらえず。
 
是れは我物にせんと思ひし女を、我に知られぬやうにして、人の領じたるに譬へたる譬喩の歌なるを、(8)萩の歌とのみ思ひて次でたるか。
 
2115 手取者。袖并丹覆。美人部師。此白露爾。散卷惜。
てにとれば。そでさへにほふ。をみなべし。このしらつゆに。ちらまくをしも。
 
ニホフは色を言へり。覆はオホフを上略して、借りて書けり。
 參考 ○此白露爾(古)略に同じ(新)コノ「置」オクツユニ。
 
2116 白露爾。荒爭金手。咲芽子。散惜兼。雨莫零根。
しらつゆに。あらそひかねて。さけるはぎ。ちらばをしけむ。あめなふりそね。
 
アラソヒカネテは、上にも言へる意なり。
 參考 ○咲芽子(古)略に同じ(新)サキシハギ。
 
2117 ※[女+感]嬬等。行相乃速稻乎。苅時。成來下。芽子花咲。
をとめらが。ゆきあひのわせを。かるときに。なりにけらしも。はぎのはなさく。
 
をとめらが刈ると續くなり。行アヒノワセとは、夏と秋と行きあふ頃みのる早稻を言ふなるべし。
 參考 ○※[女+感]嬬等(考、新)ヲトメラニ(古)ヲトメドモ ○芽子花咲(考)略に同じ(古)ハギノハナサク(新)「ガ」「ノ」何れにてもよしとす。(古)はハギガハナと凡て訓み(略)は兩樣なり。以下異同を略す〔る脱カ〕事有るべし。
 
(9)2118 朝霧之。棚引小野之。芽子花。今哉散濫。未厭爾。
あさぎりの。たなびくをぬの。はぎのはな、いまやちるらむ。いまだあかなくに。
 
霧に隱れて散るを、思ひ遣りて惜むなり。
 
2119 戀之久者。形見爾爲與登。吾背子我。殖之秋芽子。花咲爾家里。
こひしくは。かたみにせよと。わがせこが。うゑしあきはぎ。はなさきにけり。
 
夫の遠き所に住めるか、或るは旅行きしなるべし。
 
2120 秋芽子。戀不盡跡。雖念。思惠也安多良思。又將相八方。
あきはぎに。こひつくさじと。おもへども。しゑやあたらし。またあはめやも。
 
本は萩にさのみ心を盡すまじきと思へどもなり。きてシヱヤは歎息の詞にて、アタラシは愛で惜む意。アハメヤモは、散りなば又花に逢ふべきやなり。
 參考 ○秋芽子戀不盡跡(新)アキハギニ、ココロツクサジト「戀」を「爾心」二字の誤とす。○又將相八方(考)マタアハムヤモ(古、新)略に同じ。
 
2121 秋風者。日異吹奴。高圓之。野邊之秋芽子。散卷惜裳。
あきかぜは。ひにけにふきぬ。たかまとの。のべのあきはぎ。ちらまくをしも。
 
2122 丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。心者無而。秋芽子之。戀耳八方。奈積而有南。
(10)ますらをの。こころはなしに。あきはぎの。こひにのみやも。なづみてありなむ。
 
卷六、丈夫の心はなしにと有り。花にのみ心を盡して泥《ナヅ》み在りなんやは、と愛づる餘りに思ふ意なり。
 參考 ○心者無而(新)ココロハナシニ、又は、ナクテ。
 
2123 吾待之。秋者來奴。雖然。芽子之花曾毛。未開家類。
わがまちし。あきはきたりぬ。しかれども。はぎのはなぞも。いまださかずける。
 
ゾモのモは助辭。サカズケルは、咲カザリケルなり。
 
2124 欲見。吾待戀之。秋芽子者。枝毛思美三荷。花開二家里。
みまくほり。わがまちこひし。あきはぎは。えだもしみみに。はなさきにけり。
 
シミミは繁きなり。
 
2125 春日野之。芽子落者。朝東。風爾副而。此間爾落來根。
かすがぬの。はぎしちりなば。あさごちの。かぜにたぐひて。ここにちりこね。
 
コチのチに風の事は有れど、斯く重ね言ふはアラシノ風とも言ふが如し。
 
2126 秋芽子者。於雁不相常。言有者香。(一云言有可聞)音乎聞而者。花爾散去流。
あきはぎは。かりにあはじと。いへればか。こゑをききては。はなにちりぬる。
 
上に、雁がねの來なかむ日まで見つつあらむ云云と詠める如く、鴈の來る頃、萩の散るなれば、鴈に逢(11)ふまじきと契れるかの意にて、斯く言へり。花ニはアダニと言ふ意なり。一本のイヘルカモも意同じ。
 
2127 秋去者。妹令視跡。殖之芽子。露【露ヲ霧ニ誤ル】霜負而。散來毳。
あきさらば。いもにみせむと。うゑしはぎ。つゆじもおひて。ちりにけるかも。
 
今本、露を霧に作る。一本に據りて改む。
 
詠v鴈
 
2128 秋風爾。山跡部越。鴈鳴者。射失遠放。雲隱筒。
あきかぜに。やまとへこゆる。かりがねは。いやとほざかり。くもがくれつつ。
 
此下に秋風に山飛越る鴈がねの聲遠ざかる雲隱るらしと言へるは、此歌の一本なるべし。何れかもとならん。是れは山跡部と書きたれは大倭へにて、山飛び越ゆるとは異なり。部は江の如く訓むべし。卷六に、あしたにはうなびにあさり夕されば倭部越る鴈し乏しも、と詠めり。
 參考 ○雲隱筒(考、古、新)クモガクリツツ。
 
2129 明闇之。朝霧隱。鳴而去。鴈者吾【吾ヲ言ニ誤ル】戀。於妹告社。
あけぐれの。あさぎりかくり。なきてゆく。かりはわがこふる。いもにつげこそ。
 
明ケグレは、明け方のまだほの暗きを言ふ。告ゲコソは、妹に言づてせよかしと言ふなり。吾、今本言と有るは誤なり。一本に據りて改めつ。
(12) 參考 ○鴈者吾戀(古)カリハアガコフ(新)カリハワガコフト(古、新)共に「言」を誤とせず。
 
2130 吾屋戸爾。鳴之鴈哭。雲上爾。今夜喧成。國方可聞遊群。
わがやどに。なきしかりがね。くものうへに。こよひなくなり。くにへかもゆく。
 
今本、國方可聞をクニツカタカモとして、遊群の二字を、此歌の次に放ち書きたり。遊群はユクの假字に用ひたるなれば斯く改めつ。こは荷田翁(東麻呂)の考へなり。心は此ごろ吾家のあたりを、鳴きし鴈の、今夜雲ゐ遙かに鳴き行くは、汝が故郷の國へか行くらんと詠めるなり。後世の如く鴈は秋來りて、春歸るさまにのみ、きはめて詠める事無し。
 參考 ○雲上爾(考)クモノヘニ(古、新)略に同じ。
 
2131 左小牡鹿之。妻問時爾。月乎吉三。切本四之泣所聞。今時來等霜。
さをしかの。つまとふときに。つきをよみ。かりがねきこゆ。いましくらしも。
 
卷六長歌に、折木四哭之云云と書けるも、カリガネと訓むべし。斯く書けるは如何なる事とも知らず。イマシのシは助辞。
 參考 ○妻問(古)ツマドフ(新)「ト」を清みて唱ふ。
 
2132 天雲之。外鴈鳴。從聞之。薄垂霜零。寒此夜者。
あまぐもの。よそにかりがね。ききしより、はたれしもふり。さむしこのよは。
 
(13)ハタレは班なり。薄垂は假字ながら、義を兼ねて、戯れ書けるなり。サムシにて暫く切りて心得べし。
 參考 ○從聞之(新)ナキシヨリ「聞」を「喧」の誤とす ○薄垂霜零(新)ハダレジモ「シ」を濁る。
 
一云|彌益益爾《イヤマスマスニ》。戀許曾増焉《コヒコソマサレ》。
 
2133 秋田。吾苅婆可能。過去者。鴈之喧所聞。冬方設而。
あきのたの。わがかりばかの。すぎぬれば。かりがねきこゆ。ふゆかたまけて。
 
カリバカは、卷四の、秋の田の穗田の刈婆加の歌に、委しく言へり。
 
2134 葦邊在。荻之葉左夜藝。秋風之。吹來苗丹。鴈鳴渡。
あしべなる。をぎのはさやぎ。あきかぜの。ふきくるなへに。かりなきわたる。
 
和名抄野王案云、荻(和名乎木)與v※[草がんむり/亂]相似而非2一種1矣。苗は借にて並《ナ》べなり。
 參考 ○苗丹(古、新)ナベニ「ヘ」を濁る。
 
一云秋風爾。鴈音所聞《カリガネキコユ》。今四來霜《イマシクラシモ》。 是れは本末ととのはず。
 
2135 押照。難波穿江之。葦邊者。鴈宿有疑。霜乃零爾。
おしてる。なにはほりえの。あしべには。かりねたるかも。しものふらくに。
 
オシテル、枕詞。フラクはフルを延べ言ふなり。
(14) 參考 ○鴈宿有疑(代)略に同じ(考)カリヤドレルカ(古、新)カリネタルラシ。
 
2136 秋風爾。山飛越。鴈鳴之。聲遠離。雲隠良思。
あきかぜに。やまとびこゆる。かりがねの。こゑとほざかる。くもがくるらし。
 
此歌の事、前に言へり。
 
2137 朝爾往。鴈之鳴音者。如吾。物念可毛。聲之悲。
つとにゆく。かりのなくねは。わがごとく。ものおもへかも。こゑのかなしき。
 
ツトは初時の略なり、と翁言はれき。ツトメテと言ふも同語なり。オモヘカモは、思ヘバカなり。
 參考 ○朝爾往(新)アサニケニ「往」は「殊」の誤か。
 
2138 多頭我鳴乃。今朝鳴奈倍爾。雁鳴者。何處指香。雲隱良武。【武ヲ哉ニ誤ル】
たづがねの。けさなくなへに。かりがねは。いづくさしてか。くもがくるらむ。
 
タヅガネは鶴群なるべければ、雁ガネも雁群ならんと、翁言はれつれど、群をネと言へる例無し。思ふにタヅガネも、雁ガネも、音《ネ》なるが、はやく、其鳥の名の如く成れるなるべし。武、今本哉に誤れり。元暦本に依りて改めつ。
 參考 ○何處指香(考)イヅコサシテカ(古、新)略に同じ。
 
2139 野干玉之。多度鴈者。欝。幾夜乎歴而鹿。己名乎告。
(15)ぬばたまの。よわたるかりは。おほほしく。いくよをへてか。おのがなをのる。
 
後撰集に、行かへりここもかしこも旅なれやくる秋ごとにかりかりとなく、其外にもカリと鳴く由を詠めり。聲に依りておほせたる名なり。幾夜ヲヘテカは、次の答歌に、夜渡ると詠めるに當れり。
 參考 ○欝(古)略に同じ(新)オボツカナ。
 
2140 璞。年之經往者。阿跡念登。夜渡吾乎。問人哉誰。
あらたまの。としのへゆけば。あともふと。よわたるわれを。とふひとやたれ。
 
鴈になりて、前の歌に答ふるなり。アトモフは、紀に誘の字を書きていざなひ合ふ意なり。集中軍の事にも、船の事にも言へり。年經れば古き友も無く成りぬるままに、友をいざなひ渡るを、問ふ人も無き由にて、トフ人ヤタレとは詠めり。
 
詠2鹿鳴1
 
2141 此日之。秋朝開爾。霧隱。妻呼雄鹿之。音之亮左。
このごろの。あきのあさけに。きりがくり。つまよぶしかの。こゑのさやけさ。
 
紀に寥亮をサヤカと訓めり。
 
2142 左男牡鹿之。妻整登。鳴音之。將至極。靡芽子原。
さをしかの。つまととのふと。なくこゑの。いたらむきはみ。なびけはぎはら。
 
(16)卷三、網子ととのふると詠めり。呼びたつる意なり。卷七、妹がりと吾行みちのしのずすきわれし通はばなびけしのはら、と詠める如く、鹿の通はん妨げなれば斯く言へり。翁は整は將求二字の誤れるにて、ツマヲマカムトならんかとも言はれき。
 
2143 於君戀。裏觸居者。敷野之。秋芽子凌。左牡鹿鳴裳。
きみにこひ。うらぶれをれば。しきのぬの。あきはぎしぬぎ。さをしかなくも。
 
シキノ野は大和磯城郡の野なるべし。凌ギは分け行くを言へり。
 
2144 鴈來。芽子者散跡。左小壯鹿之。鳴成音毛。裏觸丹來。
かりきたり。はぎはちりぬと。さをしかの。なくなるこゑも。うらぶれにけり。
 
はぎを鹿の花妻とも言へば、斯く詠めり。鴈の來る頃、萩の散る事は、上の歌にも見ゆ。
 參考 ○鴈來(古)カリハキヌ(新)カリノキテ。
 
2145 秋芽子之。戀裳不盡者。左小鹿之。聲伊續伊繼。戀許曾益焉。
あきはぎの。こひもつきねば。さをしかの。こゑいつぎいつぎ。こひこそまされ。
 
ツキネバはツキヌニなり。按ずるに上に、丈夫の心はなくて秋はぎの戀にのみやもとも詠みて、此戀は人の萩を戀ふるなり。下の戀コソマサレは、人の妻戀にて秋萩を散るまで戀ひめでし心も盡きぬに、其萩に續きて、鳴く故に、我が戀のまさると言ふなり。イツギのイは發語、恐らくは下の伊は衍文か、伊(17)ツギツギと言ふべし。朝ナ朝ナをアサナサナと言ふ例なり。
 參考 ○聲伊續伊繼(代、考、古、新、)コエイツギイツギ。
 
2146 山近。家哉可居。左小牡鹿乃。音乎聞乍。宿不勝鴨。
やまちかく。いへやをるべき。さをしかの。こゑをききつつ。いねがてぬかも。
 
家してやは居るべきなり。イネガテヌは、寢カヌルなり。上に多く出づ、鹿の音を聞けば、物思ひ添はるから斯く言へり。
 
2147 山邊爾。射去薩雄者。雖大有。山爾文野爾文。沙小牡鹿鳴母。
やまのべに。いゆくさつをは。おほかれど。やまにもぬにも。さをしかなくも。
 
イ行のイは發語、サツヲは狩人なり。大は借にて多なり。ナクモのモはカモの略。
 
2148 足日木笶。山從來世波。左小鹿之。妻呼音。聞益物乎。
あしびきの。やまよりきせば。さをしかの。つまよぶこゑを。きかましものを。
 
山より越え來りなばなり。キセバのセは、老セヌ、ツキセヌなどのセにて、古言に例有り。鹿の上、元暦本牡の字有り。
 
2149 山邊庭。薩雄乃禰良比。恐跡。小牡鹿鳴成。妻之眼乎欲焉。
やまべには。さつをのねらひ。かしこけど。をしかなくなり。つまのめをほり。
 
(18)カシコケドは、恐ロシケレドモの意にて、狩人をかしこむなり。メヲホリは、見まほしむを言ふ。
 
2150 秋芽子之。散去見。欝三。妻戀爲良思。棹牡鹿鳴母。
あきはぎの。ちりゆくをみて。いぶかしみ。つまごひすらし。さをしかなくも。
 
イブカシミは、心のむすぼほれ塞《フタ》がる意なり。是れは鹿の心を推し量りて言へり。
 參考 ○散去見(考)チリユクミレバ(古)チリヌルヲミテ(新)チリヌルミレバ ○欝三(考、新)オホホシミ(古)略に同じ。
 
2151 山遠。京爾之有者。狹小牡鹿之。妻呼音者。乏毛有香。
やまとほき。みやこにしあれば。さをしかの。つまよぶこゑは。ともしくもあるか。
 
京は義を以てサトとも訓むべし。トモシキはメヅラシキなり。
 參考 ○京(代、古)ミサト(考、新)ミヤコ。
 
2152 秋芽子之。散過去者。左小牡鹿者。和備鳴將爲名。不見者乏焉。
あきはぎの。ちりすぎゆかば。さをしかは。わびなきせむな。みずはともしみ。
 
此トモシミは、淋しき方に取れり、是れも鹿の心を推し量りて詠めり、芽子《ハギ》を見ずは寂しさに佗びて鳴かんと言ふなり。焉、一本見に作る。
 參考 ○散過去者(考、新)チリスギヌレバ(古)チリテスギナハ。
 
(19)2153 秋芽子之。咲有野邊者。左小牡鹿曾。露乎別乍。嬬問四家類。
あきはぎの。さきたるのべは。さをしかぞ。つゆをわけつつ。つまどひしける。
 
2154 奈何牡鹿之。和備鳴爲成。蓋毛。秋野之芽子也。繁將落。
なぞしかの。わびなきすなる。けだしくも。あきぬのはぎや。しじにちるらむ。
 
ナゾと先づ切るべし。心は鹿のわび鳴きするはなぞ、もしくは萩の多く散る故にや有らんと言ふなり。
 參考 ○奈何牡鹿之(考)ナゾ(古)ナドシカノ(新)ナニシカノ「母」モ、(新)鹿の事とせず。
 
2155 秋芽子之。開有野邊。左牡鹿者。落卷惜見。鳴去物乎。
あきはぎの。さきたるのべの。さをしかは。ちらまくをしみ。なきぬるものを。
 
モノヲの詞に心無し。此例、外にも有り。
 參考 ○開有野邊(考)サキタルノベノ(古)サキタルヌベニ(新)訓は(古)と同じく、さて此下に「風莫吹所年」カゼナフキソネを補ひて旋頭歌とす。
 
2156 足日木乃。山之跡陰爾。鳴鹿之。聲聞爲八方。山田守酢兒。
あしびきの。やまのとかげに。なくしかの。こゑきかすやも。やまだもらすこ。
 
トカゲは、卷八、もののふのいはせのもりのほととぎす今も鳴かぬか山のとかげに、と言ふ歌に委しく言へり。キカスはキクを延べ言ふ、モラスはモルを延べ言ふなり。卷一の、菜つます子の語の例なり。(20)契沖は山田モルス子として、スコは賤子の事とせり。翁も其説に依られたれど善からず。
 
詠v蝉
 
2157 暮影。來鳴日晩之。幾許。毎日聞跡。不足音可聞。
ゆふかげに。きなくひぐらし。ここだくも。ひごとにきけど。あかぬこゑかも。
 
ユフカゲは夕暮なり。ココダクは、ココラ、ココタなど言ふに同じ。
 參考 ○幾許(考)ココダクニ(古、新)略に同じ。
 
詠2蟋蟀1
 
2158 秋風之。寒吹奈倍。吾屋前之。淺茅之本。蟋蟀鳴毛。
あきかぜの。さむくふくなへ。わがやどの。あさぢがもとに。こほろぎなくも。
 
蟋蟀、舊訓キリギリスと訓みたれど、翁是れをコホロギと訓めり。是れは和名抄に、文字集略式、蜻?精列二音、和名古保呂木と有るに據られしなり。春海云、蜻?と言ふ名は、文選晋張孟陽七哀詩に、仰聽2離鴻鳴1、俯聞2蜻?吟1と見え、李善が註に、易通卦驗曰。立秋蜻?鳴、蔡?月令章句曰。蟋蟀虫名。俗謂2之蜻?1と言ひ、又古詩に蟋蟀(ノ)吟、蜻?(ノ)吟と通はして常に言へり。斯かれば蜻?と蟋蟀は同物なれば、蜻?に古保呂木と有るにて、古くより蟋蟀にコホロギの名有る事しるく、今の世にも其名を傳へたれば然か訓むべきなり。すべて集中蟋蟀と書けるを、コホロギと訓まざれば、詞餘りて、調べ整はざる(21)を、コホロギと言ふ名の、古今集以後の歌に見えぬをもて、疑ふ人有れど、此集に詠める草木などの名の後世にては絶えて言はぬ名もあまた有れば、是れのみ疑ふべきに有らず。又神樂歌に、キサギリスと見え、古今集以後の歌には、キリギリスと言へる名のみを詠めるは、蟋蟀に二名有るが中にキリギリスと言へる名のみ、後には專らとなりし物と見ゆ。和名抄に、兼名苑云、蟋蟀悉率二音、一名蛬、和名木里木里須と見えたれば、キリギリスと言ふ名も、古く言へる名なるべし。後世ハタオリメの類なる一種の虫をキリギリスと言ふは、いと後に言ひ出でし事なるべし。又或人、神樂歌の古本に、蟋蟀を支利々須と有れば、此集の歌をも、キリリスと訓めれど受けられず。古寫の梁塵秘抄、又印本の梁塵愚案抄にきりぎりすの云云と有りて、キリリスと言へるは無し。古本の神樂歌に、支利々須乃と有るは、利の一字ををどりたる重點とも見ゆれど、外にキリリスと言へる例も無ければ、必ず支利の二字をどりたる重點の、おぼつかなくなりし物なりと言へり。さればとかくにコホロギと訓まんより外無し。事長けれど、人の迷ふべき事なれば言へり。
2159 影草乃。生有屋外之。暮陰爾。鳴蟋蟀者。雖聞不足可聞。
かげぐさの。おひたるやどの。ゆふかげに。なくこほろぎは。きけどあかぬかも。
 
山の陰草の類ひにて、物の陰に生ふるをカゲ草と言ふ。
 
2160 庭草爾。村雨落而。蟋蟀之。鳴音聞者。秋付爾家里。
(22)にはくさに。むらさめふりて。こほろぎの。なくこゑきけば。あきづきにけり。
 
庭草は庭に生ひたる草なり。和名抄に、地膚(爾波久佐一名末木久佐)と有るは、今ハハキ木と言ふにて、此歌の庭草とは異なり。秋付は秋メクと言ふに同じ。
 
詠v蝦
 
2161 三吉野乃。石本不避。鳴川津。諾文鳴來。河呼淨。
みよしぬの。いはもとさらず。なくかはづ。うべもなきけり。かはをさやけみ。
 
川の清さに、かはづの住みて鳴くも、うべなりと言ふなり。
 參考 ○石本不避(考)略に同じ(古、新)イソモトサラズ。
 
2162 神名火之。山下動。去水丹。川津鳴成。秋登將云鳥屋。
かみなびの。やましたとよみ。ゆくみづに。かはづなくなり。あきといはむとや。
 
カハヅを古へ秋の物として詠める例有り。秋トイハムトヤは、秋ト言フトテヤの意。
 
2163 草枕。客爾物念。吾聞者。夕片設而。鳴川津可聞。
くさまくら。たびにものもひ。わがきけば。ゆふかたまけて。なくかはづかも。
 
片マケは片向ケの意なり。
 參考 ○客爾物念(代、考、新)タビニモノモフ(古)略に同じ ○吾聞者(考、古)略に同じ(新)(23)ワガキク「煮」ニ。
 
2164 瀬呼速見。落當知足。白浪爾。川津鳴奈里。朝夕毎。
せをはやみ。おちたぎちたる。しらなみに。かはづなくなり。あさよひごとに。
 
足は假字にて、たぎち而有《タル》なり。
 參考 ○落當知足(新)オチタギチ「逝」ユク。
 
2165 上瀬爾。河津妻呼。暮去者。衣手寒三。妻將枕跡香。
かみつせに。かはづつまよぶ。ゆふされば。ころもでさむみ。つままかむとか。
 
蛙の鳴くを人の妻どひの上になぞらへて、推して詠めるなり。
 
詠v鳥
 
2166 妹手乎。取石池之。浪間從。鳥音異鳴。秋過良之。
いもがてを。とろしのいけの。なみのまゆ。とりがねけになく。あきすぎぬらし。
 
イモガ手ヲ、枕詞。取石池は聖武紀に、行還2至和泉國|取石《トロシノ》頓宮1と有り。是れなるべし。姓氏録に、取石造、和泉國諸蕃の下に出でたり。今も和泉にトロスノ池と言ふ有りとぞ。浪の間從の從はかろく心得べし。水鳥は初冬より殊に群れ鳴けばなり。
 參考 ○取石池之(新)トリシノイケノ ○鳥音異鳴(代)トリノネケニナク(考)トリガネケニナ(24)ク「異」の下「爾」を加ふ(古、新)略に同じ。
 
2167 秋野之。草花我末。鳴百舌【百舌ヲ舌百ニ誤ル】鳥。音聞濫香。片聞吾妹。
あきののの。をばながうれに。なくもずの。こゑきくらむか。かたきくわぎも。
 
モズは既に出づ。今舌百と有るは誤なり。是れは只だ秋もずの鳴く聲を妹が聞くらんかと思ひやるなり。宣長云、片聞は片待の誤かと言へり。いかさまにも片聞くと言ふ事有るべくも無し。片マツワギモは、吾を下待ちをる妹と言ふなるべし。草花をヲバナと訓めるは、卷一に美草をヲバナと訓める如し。
 參考 ○草花我末(考)ヲバナガスヱニ(古、新)略に同じ ○片聞吾妹(代)カタキケ(考)カタキクワギモ(古)カタマツワギモ(新)カタヅキヲルイモ「聞吾」を「附居」の誤とす。
 
詠v露
 
2168 冷芽子丹。置白露。朝朝。珠斗曾見流。置白露。
あきはぎに。おけるしらつゆ。あさなさな。たまとぞみゆる。おけるしらつゆ。
 
冷は義を以て書けるなり。卷十一、アキカゼを冷風と書けり。
 
2169 暮立之。雨落毎。(一云打零者)春日野之。尾花之上乃。白露所念。
ゆふだちの。あめふるごとに。かすがぬの。をばながうへの。しらつゆおもほゆ。
 
卷十六に重ねて出づ。一本の如くウチフレバと有りて、四の句草花之末乃と有り。今一首竝べ載せて、(25)左註に右謌二首。小鯛王宴居之日取v琴登時、必先吟2詠此歌1也。云云と有り。夕立は古くは秋の物とせりと見ゆ。
 
2170 秋芽子之。枝毛十尾丹。露霜置。寒毛時者。成爾家類可聞。
あきはぎの。えだもとををに。つゆじもおき。さむくもときは。なりにけるかも。
 
露霜は秋の末薄く置く霜を言へり。シの言濁るべし。
 
2171 白露與。秋芽子者。戀亂。別事難。吾情可聞。
しらつゆと。あきのはぎとは。こひみだれ。わくことかたき。わがこころかも。
 
露と萩とを愛づる心は、いづれをいづれと分き難きと言ふなり。
 參考 ○秋芽子者(新)アキハギノハナト「者」は「花」の誤 ○戀亂(考)コヒミダル(古)略に同じ(新)イリミダレ「戀」を「入」の誤とす。
 
2172 吾屋戸之。麻花押靡。置露爾。手觸吾妹兒。落卷毛將見。
わがやどの。をばなおしなべ。おくつゆに。てふれわぎもこ。ちらまくもみむ。
 
オシナベはオシナビカセなり。妹が手を觸れよ、露の散らんをも見ばやの意なり。
 
2173 白露乎。取者可消。去來子等。露爾爭而。芽子之遊將爲。
しらつゆを。とらばけぬべし。いざこども。つゆにきほひて。はぎのあそびせむ。
 
(26)露も今を時と置けば、キホフとは言へり。
 參考 ○露爾爭而(考)ツユニキソヒテ(古、新)略に同じ。
 
2174 秋田苅。借廬乎作。吾居者。衣手寒。露【曾ヲ脱ス】置爾家留。
あきたかる。かりほをつくり。わがをれば。ころもでさむく。つゆぞおきにける。
 
和名抄云、毛詩云、農人作v廬以便2田事1(和名伊保)と有り。置の下、曾の字を脱せるなり。さ無くては例にたがへり。新古今集にも此歌を載せて、つゆぞ置きにけると有り。
 參考 ○秋田苅(新)アキタカルト。
 
2175 日來之。秋風寒。芽子之花。令散白露。置爾來下。
このごろの。あきかぜさむし、はぎのはな。ちらすしらつゆ。おきにけらしも。
 
2176 秋田苅。※[草がんむり/店]手搖奈利。白露者。置穗田無跡。告爾來良思。
あきたかる。とまでうごくなり。しらつゆは。おくほだなしと。つげにきぬらし。
 
一云告爾|來良志母《ケラシモ》。
 
※[草がんむり/店]は苫の俗字か、考ふべし。和名抄、爾雅註云、苫(和名度万)編2菅茅1以覆v屋也と有り。苫手は帆手綱手などの手に同じく、手は端を言ふべし。假初にいほりを苫もて葺《フ》きたるなり。穗田は穗に出でたる田なり。其穗田を早や刈りはてたれば、露の置所無しと、使をおこせて、とま手を動かすらしと言ひて、(27)此動くはもと風なるを、不v知さまに言ふなりと翁は言はれき。宣長云、二の句聞えず。衣手淫奈利《ソデヒヂヌナリ》なるべしと言へり、猶考ふべし。
 參考 ○※[草がんむり/店]手搖奈利(考)略に同じ(古)ソデヒヂヌナリ「衣手淫」の誤とす(新)ソデソボツナリ。文字は(古)と同じ。
 
詠v山
 
2177 春者毛要。夏者緑丹。紅之。綵色爾所見。秋山可聞。
はるはもえ。なつはみどりに。くれなゐの。にしきにみゆる。あきのやまかも。
 
黄葉を詠めり。爾之伎の語は丹敷きにて、丹はあかき色、敷は繁く透間無き意なり。拾遺集に、春はもえ秋はこがるるかまど山と詠めるも、是れに據れるなるべし。
 參考 ○綵色爾所見(考)略に同じ(古、新)マダラニミユル。
 
詠2黄葉1
 
2178 妻隱。矢野神山。露霜爾。爾寶比始。散卷惜。
つまごもる。やののかみやま。つゆじもに。にほひそめたり。ちらまくをしも。
 
ツマゴモル、枕詞。矢野神山は、和名抄、出雲神門郡八野、伊與喜多郡矢野、備後甲奴郡矢野、播磨赤穗郡八野有り。是れは何處を詠めるにか。
 
(28)2179 朝露爾。染始。秋山爾。鐘禮莫零。在渡金。
あさつゆに。そめはじめたる。あきやまに。しぐれなふりそ。ありわたるがね。
 
在リワタルガネは、冬までも黄葉の有らん爲にの意なり。元暦本、鐘を鍾に作る。
 參考 ○染始(考、古、新)ニホヒソメタル。
 
右二首柿本朝臣人麻呂之謌集出。
 
2180 九月乃。鐘禮乃雨丹。沾通。春日之山者。色付丹來。
ながづきの。しぐれのあめに。ねれとほり。かすがのやまは。いろづきにけり。
 
黄葉を言へり。沾レトホリは、下葉まで沾《ヌ》れたるを言ふか。元暦本、鐘を鍾に作る。
 
2181 鴈鳴之。寒朝開之。露有之。春日山乎。令黄物者。
かりがねの。さむきあさけの。つゆならし。かすがのやまを。にほはすものは。
 
モミヂと言ふも、紅は揉み出だして染むる物なれば、モミ出ダシの約言なり。さればモミダスモノハと訓むべし、と翁は言はれたれど、猶元暦本の訓に據るべし。
 參考 ○令黄物者(代)モミタスモノハ「タ」清む(考、古)モミダスモノハ(新)モミダスモノハ、又は、ニホハスモノハ。
 
2182 比日之。曉露丹。吾屋前之。芽子乃下葉者。色付爾家里。
(29)このごろの。あかときつゆに。わがやどの。はぎのしたばは。いろづきにけり。
 
2183 鴈鳴者。今者來鳴沼。吾待之。黄葉早繼。待者辛苦母。
かりがねは。いまはきなきぬ。わがまちし。もみぢはやつげ。まてばくるしも。
 
雁の鳴くに續きて、黄葉を急ぐなり。鴈の下、鳴、元暦本音に作る。
 參考 ○今者來鳴沼(新)イマシキナキヌ。
 
2184 秋山乎。謹人懸勿。忘西。其黄葉乃。所思君。
あきやまを。ゆめひとかくな。わすれにし。そのもみぢばの。おもほゆらくに。
 
是れは冬に成りて詠めるなり。秋山の事を人の詞に懸けてな言ひそ。忘れたりし黄葉を思ひ出だすにと言ふなり。ラクはルを延べたる言なり。君はクニの言に借りたる假字なるを、舊訓キミとせるは誤なり。
 
2185 大坂乎。吾越來者。二上爾。黄葉流。志具禮零乍。
おほさかを。わがこえくれば。ふたがみに。もみぢばながる。しぐれふりつつ。
 
大阪は葛上郡。二上、前に出づ。散るを流ると言へり、散リナガラフルと言ふも同じ。
 
2186 秋去者。置白露爾。吾門乃。淺茅何浦葉。色付爾家里。
あきされば。おくしらつゆに。わがかどの。あさちがうらは。いろづきにけり。
 
浦は借にて末なり。
 
(30)2187 妹之袖。卷來乃山之。朝露爾。仁寶布黄葉之。散卷惜裳。
いもがそで。まききのやまの。あさつゆに。にほふもみぢの。ちらまくをしも。
 
妹が袖を枕《マキ》來と言ひ懸けて、上に出でたる筑前御笠郡の城《キ》の山にやと翁は言はれき。宣長は來乃は牟久の誤にて、マキムクなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○卷來乃山之(代、考)マキキノヤマノ(古、新)マキムクヤマノ「來乃」を「牟久」の誤とす。
 
2188 黄葉之。丹穗日者繁。然鞆。妻梨木乎。手折可佐寒。
もみぢばの。にほひはしげし。しかれども。つまなしのきを。たをりかざさむ。
 
紅葉せる木は多けれども、妻と言ふ名に依りて、つまなしを殊更に折りかざさんとなり。つま梨と言ふ一種有りや考ふべし。梨はいとよく葉の染むる物にて、卷十九、家持卿の歌の左註にも、梨の黄葉を賞でし事有り。
 參考 ○丹穗日者繁(考、古)略に同じ(新)ニホヒハウスシ「繁」を「薄」ウスシ。
 
2189 露霜聞。寒夕之。秋風爾。黄葉爾來毛。妻梨之木者。
つゆじもも。さむきゆふべの。あきかぜに。もみぢにけりも。つまなしのきは。
 
聞、一本乃に作るぞ善き。ケリモのモの言に心無し。
(31) 參考 ○露霜聞(古、新)ツユジモ「乃」ノ。
 
2190 吾門之。淺茅色就。吉魚張能。浪柴乃野之。黄葉散良新。
わがかどの。あさぢいろづく。よなばりの。なみしばのぬの。もみぢちるらし。
 
持統紀、幸2菟田吉隱1と有り。大和宇陀郡なり。前にも出づ。浪柴も其處に有るなるべし。
 
2191 鴈之鳴乎。聞鶴奈倍爾。高松之。野上之草曾。色付爾家留。
かりがねを。ききつるなへに。たかまとの。ぬのへのくさぞ。いろづきにける。
 
 參考 ○高松之(新)タカマツノ ○野上之草曾(代)ノカミ(考)ノノヘノクサゾ(古、新)略に同じ。
 
2192 吾背兒我。白細衣。往觸者。應染毛。黄變山可聞。
わがせこが。しろたへごろも。ゆきふれば。にほひぬべくも。もみづやまかも。
 
ユキフレバ、行ク行ク衣ヲ觸レナバなり。
 參考 ○往觸者(新)ユキフレバ、又は、ユキフラバ ○應染毛(代)ソマリヌベクモ(考)ウツリヌベクモ(古、新)略に同じ。
 
2193 秋風之。日異吹者。水莖能。岡之木葉毛。色付爾家里。
あきかぜの。ひにけにふけば。みづぐきの。をかのこのはも。いろづきにけり。
 
(32)宣長云、水グキはヲカの枕詞なり。卷七に、水莖の崗水門と詠めるは、筑前遠賀郡にて、風土記にも塢舸《ヲカノ》水門と見ゆれば論無し。今は水門とも言はず。前後大和の地名を詠める歌の中なれば、大和高市郡飛鳥の岡か。又いづくにも有れ、岡にて、地名には有らざるかと言へり。
 
2194 鴈鳴乃。來鳴之共。韓衣。裁田之山者。黄始有。
かりがねの。きなきしなへに。からころも。たつたのやまは。にほひそめたり。
 
カラコロモ、枕詞。
 參考 ○來鳴之共(代)キナキシムタニ(考、古、新)略に同じ ○黄始有(考、古、新)モミヂソメタリ。
 
2195 鴈之鳴。聲聞苗荷。明日從者。借香能山者。黄始南。
かりがねの。こゑきくなへに。あすよりは。かすがのやまは。にほひそめなむ。
 
 參考 ○黄始南(考、古、新)モミヂソメナム。
 
2196 四具禮能雨。無間之零者。眞木葉毛。爭不勝而。色付爾家里。
しぐれのあめ。まなくしふれば。まきのはも。あらそひかねて。いろづきにけり。
 
常葉木ながら、去年の葉皆此頃色付く物なり。
 
2197 灼然。四具禮乃雨者。零勿國。大城山者。色付爾家里。
(33)いちじろく。しぐれのあめは。ふらなくに。おほきのやまは。いろづきにけり。
 
謂2大城者1。在2筑前國御笠郡之大野山頂1。号曰2大城1者也。イチジロク云云は、降ると言ふ程も降らぬにの意なり。
 
2198 風吹者。黄葉散乍。小雲。吾松原。清在莫國。
かぜふけば。もみぢちりつつ。すくなくも。わがまつばらは。きよからなくに。
 
吾松原は、卷十七、わがせこをあが松原よ見わたせばとも詠めり。吾が待つと言ひ懸けたるのみ。三の句古訓シバラクモと有り。宣長云、卷十五たびといへばことにぞやすき須久奈久毛、卷十八、かくてしもあひみるものを須久奈久母など有ればスクナクモと訓むべし。さて吾は君の誤ならんと言へり。心はよそのもみぢを風の吹き寄せて、そこばく松原の清からぬと言ふなり。小、元暦本少に作るぞ善き。
 參考 ○小雲(考)シバラクモ(古)略に同じ(新)シマラクモ ○吾松原(古)「君」キミマツバラノ(新)「君」キミマツバラハ。
 
2199 物念。隱座而。今日見者。春日山者。色就爾家里。
ものもふと。かくろひ《こもらひ》をりて。けふみれば。かすがのやまは。いろづきにけり。
 
隱れ居りしを、立ち出でて見ればと言ふ意なり。
 參考 ○隱座而(代)コモリヲリツツ(考)カクレニヲリテ(古)カクロヒヲリテ(新)コモラヒヲ(34)リテ。
 
2200 九月。白露負而。足日木乃。山之將黄變。見幕下吉。
ながづきの。しらつゆおひて。あしびきの。やまのもみぢむ。みまくしもよけむ。
 參考 ○見幕下吉(考、新)ミマクシモヨシ(古)略に同じ。
 
2201 妹許跡。馬鞍置而。射駒山。撃越來者。紅葉散筒。
いもがりと。うまにくらおきて。いこまやま。うちこえくれば。もみぢちりつつ。
 
契沖云、馬に鞍置きてゆ(○木村校本は「い」なり。)くと言ふ心に續けたりと言へり。
 
2202 黄葉爲。時爾成良之。月人。楓枝乃。色付見者。
もみぢする。ときになるらし。つきひとの。かつらのえだの。いろづくみれば。
 
和名抄云、兼名苑云、月中有v河、河上有2桂樹1、高五百丈と有るより、月のかつらを詠めり。月を月人ヲトコと詠めれば、月人とのみも言ふべし。古今集に、久方の月のかつらも秋は猶もみぢすればやてりまさるらむ、と詠めるに同じ。
 參考 ○月人(古)ツキ「内」ヌチノ(新)ツキノウチノ。
 
2203 里異。霜者置良之。高松野。山司之。色付見者。
さともけに。しもはおくらし。たかまとの。やまのつかさの。いろづくみれば。
 
(35)里モケニと言ふ詞は無し。宣長は里は旦の誤にて、アサニケニなりと言へるぞ善き。山の司は、野司、岸ノ司など言ふ如く、山の殊更に高き所を言ふ。
 參考 ○里異(代)サトモケニ(考)サトニケニ「里」の下「爾」を補ふ(古、新)アサニケニ「里」を「旦」とす ○高松野(新)タカマツノ「野」は衍とす ○山司之(代)上の「野」を「山」に續けてノヤマツカサノ(考、新)略に同じ(古)ヌヤマツカサノ「野」を「山」に續く。
 
2204 秋風之。日異吹者。露重。芽子之下葉者。色付來。
あきかぜの。ひにけにふけば。つゆをおもみ。はぎのしたばは。いろづきにけり。
 
 參考 ○露重(古)ツユシゲミ(新)ツユヲシゲミ、又は、ツユヲシミ。
 
2205 秋芽子乃。下葉赤。荒玉乃。月之歴去者。風疾鴨。
あきはぎの。したばもみぢぬ。あらたまの。つきのへぬれば。かぜをいたみかも。
 
萩の生ひし時より、月を經て、秋風いたく吹く頃、下葉の色付くを言へり。
 參考 ○月之歴去者(古)略に同じ(新)ツキノヘユケバ。
 
2206 眞十鏡。見名淵山者。今日鴨。白露置而。黄葉將散。
まそかがみ。みなぶちやまは。けふもかも。しらつゆおきて。もみぢちるらむ。
 
マソカガミ、枕詞。ミナブチは大和。
 
(36)2207 吾屋戸之。淺茅色付。吉魚張之。夏身之上爾。四具禮零疑。
わがやどの。あさぢいろづく。よなばりの。なつみのうへに。しぐれふるかも。
 
ヨナバリ上に出づ。此夏ミはヨナバリに在るなるべし。
 參考 ○四具禮零疑(考)略に同じ(古、新)シグレフルラシ。
 
2208 鴈鳴之。寒鳴從。水莖之。岡乃葛葉者。色付爾來。
かりがねの。さむくなきしゆ。みづぐきの。をかのくずばは。いろづきにけり。
 
此水グキノ岡も、上に言へるに同じ。
 
2209 秋芽子之。下葉乃黄葉。於花繼。時過去者。後將戀鴨
あきはぎの。したはのもみぢ。はなにつぎ。ときすぎゆかば。のちこひむかも。
 
萩の散りて、やがて下葉の色付くを、其下葉の色付く時も過ぎて、散り果てなば、後戀ひんとなり。
 參考 ○於花繼(代)ハナニツゲ(考、新)ハナニツグ(古)略に同じ。
 
2210 明日香河。黄葉流。葛木。山之木葉者。今之散疑。
あすかがは。もみぢばながる。かづらきの。やまのこのはは。いましちるかも。
 
葛木の木の葉の、飛鳥川へ流れん由無し。唯だ思ひやりて詠めるなり。
 參考 ○山之木葉者(新)ヤマノコノハ「母」モ ○今之散疑(古、新)イマシチルラム。
 
(37)2211 妹之紐。【紐ヲ?ニ誤ル】解登結而。立田山。今許曾黄葉。始而有家禮。
いもがひも。とくとむすびて。たつたやま。いまこそもみぢ。はじめたりけれ。
 
是れは紐を解くと、やがて結びて立つと言ひ懸けたるなりと、翁は言はれつれど、後撰集に、いもがひも解くと結ぶと立田山とて載せたれば、古くはムスブトと有りしか。然らば解くとても結ぶとてもと言ふ意にて、明らかなり。恐らくは而は等の誤ならん。一二の句は立ツと言はん爲めの序のみ。
 參考 ○解登結而(代、古)トクトムスブト(古)「而」を「等」の誤とす(新)イザトムスビテ「解」を「率」の誤とす。
 
2212 鴈鳴之。喧之【日ヲ脱ス】從。春日有。三笠山者。色付丹家里。
かりがねの。なきにしひより。かすがなる。みかさのやまは。いろづきにけり。
 
喧之の下、日を脱せしなり。
 參考 ○喧之從(代)「目」脱か(考)サワゲリシヨリ(古、新)ナキニシ「日」ヒヨリ。
 
2213 比者之。五更露爾。吾屋戸乃。秋之芽子原。色付爾家里。
このごろの。あかときつゆに。わがやどの。あきのはぎはら。いろづきにけり。
 
此上に四の句芽子の下葉はと替れるのみにて、全く同じ歌有り。ここの秋の萩原は誤なり。
 
2214 夕去者。鴈之越往。龍田山。四具禮爾競。色付爾家里。
(38)ゆふされば。かりのこえゆく。たつたやま。しぐれにきそひ。いろづきにけり。
 
下にも、秋くれば鴈とびこゆるたつ田山と詠めり。
 參考 ○鴈之越往(古)カリガコエユク(新)略に同じ ○競(考)略に同じ(古、新)キホヒ。
 
2215 左夜深而。四具禮勿零。秋芽子之。本葉之黄葉。落卷惜裳。
さよふけて。しぐれなふりそ。あきはぎの。もとはのもみぢ。ちらまくをしも。
 
本葉は下葉に同じ。
 
2216 古郷之。始黄葉乎。手折以而。今日曾吾來。不見人之爲。
ふるさとの。はつもみぢばを。たをりもて。けふぞわがくる。みぬひとのため。
 
 參考 ○手折以而(代、考)略に同じ(古)タヲリモチテ(新)タヲリモチ「而」は衍とす ○今日曾吾來(考)ケフゾワガコシ(古)ケフゾアガコシ(新)略に同じ。
 
2217 君之家乃。黄葉早。落之者【之黄葉早者落ニ誤ル】。四具禮乃雨爾。所沾良之母。
きみがいへの。もみぢははやく。ちりにしは。しぐれのあめに。ぬれにけらしも。
 
今本、黄の上に之の宇有り、者の下に落の字有り、亂れたる物なり。古本に依りて改めつ。
 參考 ○乃黄葉早者落(代)何ノモミヂバハヤクチル「早者」顛倒(考、古)略に同じ(新)モミヂバハヤクチリニケリ「乃」の下の「之」を衍とし「者落」は一本「落之者」と有れば其「之者」を(39)「去來」の誤とす。
 
2218 一年。二遍不行。秋山乎。情爾不飽。過之鶴鴨。
ひととせに。ふたたびゆかぬ。あきやまを。こころにあかず。すぐしつるかも。
 
契沖が言へる如く、我がふたたび秋山へ行かぬと言ふには有らず。一年に二たび行かぬ秋と續きたり。此ユカヌと言ふは、再び來ね秋と言ふなり云云。卷四に、空蝉の世やもふたゆく、卷七に、世中はまこと二よはゆかざらし、卷九に、とこしへに夏冬ゆけやとも詠めり。過しつるかもに、あかで過ごしやりつる事を惜むなり。
 參考 ○秋山乎(新)アキノヤマヲ。
 
詠2水田1
 
和名抄云、漢語抄云、水田(古奈太)田|填《ミテル》也と有り。
 
2219 足曳之。山田佃子。不秀友。繩谷延與。守登知金。
あしびきの。やまだつくるこ。ひでずとも。なはだにはへよ。もるとしるがね。
 
譬喩歌なるべし。卷七、石の上振のわさ田をひでずとも繩だにはへよもりつつおらん、と言ふに似たり。今はまだ幼くとも、今より領じたりと知られんと言ふを添へたり。
 參考 ○繩谷延與(考)ヒダダニハヘヨ(古、新)シメダニハヘヨ。
 
(40)2220 左小牡鹿之。妻喚山之。岳邊在。早田者不苅。霜者雖零。
さをしかの。つまよぶやまの。をかべなる。わさだはからじ。しもはふるとも。
 
妻問ふ鹿を哀みて、彼が隱れ處にせん早稻田をば、霜置くまでも刈らじとなり。
 
2221 我門爾。禁田乎見者。沙穗内之。秋芽子爲酢寸。所念鴨。
わかかどに。もるたをみれば。さほのうちの。あきはぎすすき。おもほゆるかも。
 
田を守る頃、萩も咲きすすきも穗に出づれば、佐保の家を想像《オモヒヤリ》て詠めるなり。
 
詠v河
 
2222 暮不去。河蝦鳴成。三和河之。清瀬音乎。聞師吉毛。
ゆふさらず。かはづなくなる。みわがはの。きよきせのとを。きかくしよしも。
 
夕サラズは夕ベ毎ニなり。朝不v去とも詠めり。キカクはキクを延べ言ふなり。
 參考 ○清瀬音乎(代)キヨキセオトヲ(考、古)略に同じ。
 
詠v月
 
2223 天海。月船浮。桂梶。懸而?所見。月人壯子。
あめのうみに。つきのふねうけ。かつらかぢ。かけてこぐみゆ。つきひとをとこ。
 
桂カヂは桂もて作れる梶なるを、月中の桂の縁も有れば斯く詠めり。月人ヲトコは、ここは月中の男を(41)言ふべし。卷七、天海に雲の浪立月の舟星の林にこぎかくる見ゆ。
 
2224 此夜等者。沙夜深去良之。鴈鳴乃。所聞空從。月立度。
このよらは。さよふけぬらし。かりがねの。きこゆるそらゆ。つきたちわたる。
 
卷九、さよ中と夜は更ぬらし鴈がねの聞ゆる空に月わたる見ゆ、と言ふ歌の變りたるなり。 
2225 吾背子之。挿頭之芽子爾。置露乎。清見世跡。月者照良思。
わがせこが。かざししはぎに。おくつゆを。さやかにみよと。つきはてるらし。
 
 參考 ○挿頭之芽子爾(考、古、新)カザシノハギニ。
 
2226 無心。秋月夜之。物念跡。寐不所宿。照乍本名。
こころなき。あきのつくよの。ものもふと。いのねらえぬに。てりつつもとな。
 
秋のつく夜のと言ふより、照りつつと續くなり。
 參考 ○寐不所宿(代、古、新)略に同じ(考)イノネラレヌニ。
 
2227 不念爾。四具禮乃雨者。零有跡。天雲霽【霽、元ニ晴ニ作ル】而。月夜清烏。
おもはぬに。しぐれのあめは。ふりたれど。あまぐもはれて。つくよさやけし。
 
オモハヌニと言ふより、アマ雲ハレテと續くなり。烏、一本焉に作る。
 參考 ○零有跡(新)フリケレド「有」を「來」の誤とす ○月夜清烏(新)ツクヨキヨシモ。
 
(42)2228 芽子之花。開乃乎再【再ハ烏ノ誤】入緒。見代跡可聞。月夜之清。戀益良國。
はぎのはな。さきのををりを。みよとかも。つくよのきよき。こひまさらくに。
 
再は烏の誤なるべし。入は里の假宇なり。ヲヲリは、トヲヲ、タワワなどと言ふに同じ。心は萩の咲きたわみたるを見よとてや、月の清く照るらん。其花を戀ひめづる心の増るにと言ふなり。マサラクはマサルを延べ言ふなり。
 參考 ○開乃乎再入緒(新)誤字とせず、訓は同じ。
 
2229 白露乎。玉作有。九月。在明之月夜。雖見不飽可聞。
しらつゆを。たまになしたる。ながづきの。ありあけのつくよ。みれどあかぬかも。
 
詠v風
 
2230 戀乍裳。稻葉掻別。家居者。乏不有。秋之暮風。
こひつつも。いなばかきわけ。いへしをれば。ともしくもあらず。あきのゆふかぜ。
 
戀ヒツツモは、秋來れども猶暑さの殘れる程、風を戀ふるなり。さて田ぶせに居れば、秋風にともしからずと言ふなり。卷四、風をだにこふるはともし。
 參考 ○家居者(考)略に同じ(古)イヘヲレバ(新)ワガクレバ「家居」を「來者」の誤とす。
 
2231 芽子花。咲有野邊。日晩之乃。鳴奈流共。秋風吹。
(43)はぎがはな。さきたるのべに。ひぐらしの。なくなるなへに。あきのかぜふく。
 
2232 秋山之。木葉文未。赤者。今且【且ヲ日ニ誤ル】吹風者。霜毛置應久。【久ハ之ノ誤カ】
あきやまの。このはもいまだ。もみでねは。けさふくかぜは。しももおきぬべし。
 
モミデネバは、例のモミヂセヌニと言ふ詞なり。且、今本日に作る。一本に依りて改む。久は之の誤なるべし。
 參考 ○赤者(考、古、新)モミヂネバ ○今且吹風者(新)ケサフクカゼ「煮」ニ ○霜毛置應久(考)略に同じ(古、新)シモモオキヌベク。
 
詠v芳
 
2233 高松之。此峰迫爾。笠立而。盈盛有。秋香乃吉者。
たかまとの。このみねもせに。かさたちて。みちさかりなる。あきのかのよさ。
 
峰も迫《セ》きまで、香草の長高く多く生ひたるを笠立つと言ふか、今俗にもカサ高など言へり。和名抄、芸、(久佐乃香)香草也と有りと翁は言はれき。宣長云、題の芳は茸の誤にて、是れは松茸を詠めるなりと言へり。按ずるに和名抄、菌茸(爾雅注云、菌有2木菌、土菌、石菌1和名皆多介)云云?如2人著1v笠者也と見ゆ。げにも松茸は秋生ふる物にて、香殊に深ければ、よく叶へり。拾遺集にも物名にまつたけを詠めり。
(44) 參考 ○詠v芳(古、新)共に「芳」を「茸」とす ○笠立而(考、新)略に同じ。但し(新)は「タ」を濁る(古)カサタテテ ○盈盛有(新)ミチサカリタル。
 
詠v雨
 
2234 一日。千重敷布。我戀。妹當。爲暮零禮見。
ひとひには。ちへしくしくに。わがこふる。いもがあたりに。しぐれふれみむ。
 
禮は所の誤にて、シグレフルミユなるべし。
 參考 ○一日(考)略に同じ(古、新)ヒトヒニモ ○爲暮零禮見(考)シクレフレミム(古、新)シグフルミユ「禮」を「所」の誤とす。
 
右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
2235 秋田苅。客乃廬入爾。四具禮零。我袖沾。干人無二。
あきたかる。たびのいほりに。しぐれふり。わがそでぬれぬ。ほすひとなしに。
 
假初に居る所をタビと言ふべし。ホス人ナシニは、妻に遠ざかり居る心を含めり。
 參考 ○秋田苅(新)アキノユク、「田苅」を「野行」の誤とす。
 
2236 玉手次。不懸時無。吾戀。此具禮志零【零ヲ者ニ誤ル】者。沾乍毛將行。
たまだすき。かけぬときなき。わがこひを。しぐれしふらば。ぬれつつもゆかむ。
 
(45)玉ダスキ、枕詞。心に懸けて思はぬ時無きなり。ワガコヒヲは、ワガ戀ナルモノヲの意。今本者者と有り、一木零者に作るに據る。
 參考 ○吾戀(考)アハコヒス(古)アガコヒヲ(新)ワレハコフルヲ(新)此の下に「吉哉」ヨシヱヤシを補ひて旋頭歌とす。
 
2237 黄葉乎。令落四具禮能。零苗爾。夜副衣寒。一之宿者。
もみぢばを。ちらすしぐれの。ふるなへに。よさへぞさむき。ひとりしぬれば。
 
しぐれに黄葉散り、ならびに夜も寒しと言ふなり。然れども四の句サヘの詞穩かならず。フスマモサムシと假宇付けせる本有る由宣長言へり。猶考ふべし。
 參考 ○夜副衣寒(代)略に同じ(考)ヨルノキヌサムシ「副」を「能」とす(古、新)フスマゾサムキ。
 
詠v霜
 
2238 天飛也。鴈之翅乃。覆羽之。何處漏香。霜之零異牟。
あまとぶや。かりのつばさの。おほひばの。いづくもりてか。しものふりけむ。
 
鴈はあまた羽打ちひろげて、連なり飛ぶ物なれば、斯く幼く詠めり。卷九、旅人のやどりせむ野に霜ふらばわが子羽ぐくめ天の鶴むらなども詠めり。?、元暦本に翹と有り。共に誤にて翅の字なり。
(46) 參考 ○何處(考)イヅコ(古、新)略に同じ。
 
秋相聞
 
2239 金山。舌日下。鳴鳥。音聞。何嘆。
あきやまの。したひがしたに。なくとりの。こゑだにきかば。なにかなげかむ。
 
アキ山ノ、枕詞。金は義を以て書けるにて、秋山なり。舌日は借字にて、秋の葉の萎《シナ》び落ちんとする比、紅出《モミツ》るを言ふ。冠辭考に委し。是れは鳥は何にも有れ、其葉隱れに鳴く鳥の、婆は見ずとも、聲聞けば慰さむ如く、思ふ妹が聲をだに聞かば、歎きはせじと言ふなり。
 
2240 誰彼。我莫問。九月。露沾乍。君待吾。
たそかれと。われをなとひそ。ながづきの。つゆにぬれつつ。きみまつわれを。
 
すべてタソカレと言ふは、彼は誰れぞと云ふ意なり。ここも人の見とがめて、彼は誰れぞと問ふなと言ふなり。
 參考 ○誰彼(代、考)タレカレト(古、新)略に同じ。
 
2241 秋夜。霧發渡。夙夙。夢見。妹形矣。
あきのよの。きりたちわたり。あさなさな。いめにぞみつる。いもがすがたを。
 
(47)夙夙は凡凡の誤にて、オホホシクなるべし。アサナサナとては一首解き難し。一二の句はオホホシクと言はん序にて、おぼつかなく夢に見しと言ふなり。
 參考 ○秋夜(新)アキノヨニ ○夙夙(代)ホノホノニ(古、新)オホホシク「凡凡」の誤とす。
 
2242 秋野。尾花末。生靡。心妹。依鴨。
あきのぬの。をばながうれの。おひなびき。こころはいもに。よりにけるかも。
 
生は打の誤にて、ウチナビキなるべし。上はヨルと言はん序のみ。
 參考 ○尾花末(考)ヲバナガスエ(古、新)略に同じ。
 
2243 秋山。霜零覆。木葉落。歳雖行。我忘八。
あきやまに。しもふりおほひ。このはちり。としはゆけども。われわするれや。
 
黄葉も散り歳月も移れども、君を忘れぬとなり。ワスルレヤはワスルラメヤの意。
 參考 ○木葉落(代、古、新)略に同じ。(考)コノハフリ ○歳雖行(考、新)トシハユクトモ(古)略に同じ。
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
寄2水田1
 
2244 住吉之。岸乎田爾墾。蒔稻。乃【乃ハ秀ノ誤】而及苅。不相公鴨。
(48)すみのえの。きしをたにはり。まきしいね。ひでてかるまで。あはぬきみかも。
 
田ニハリは田をすき返したるを言ふ。宣長云、乃は秀の誤なりと言へり。ヒデテは穗に出でてなり。
 參考 ○乃而及苅(考)「乃」を上の句に續けシカモカルマデと訓ず(古、新)略に同じ。
 
2245 劔後。玉纏田井爾。及何時可。妹乎不相見。家戀將居。
たちのしり。たままくたゐに。いつまでか。いもをあひみず。いへこひをらむ。
 
タチノシリ、枕詞。纏田居と言ふ地に、玉マクと言ひ下したり。神武紀の頬枕田《ツラマキタ》は磯城郡なり。ここを詠めるならば、玉マキタヰと訓むべし。また上總望陀郡ももとは馬來田《マクダ》なれば此處にや。田居は既に出づ。是れに班田使などにて、其田居に月を經て詠めるならん。
 
2246 秋田之。穗上爾置。白露之。可消吾者。所念鴨。
あきのたの。ほのへにおける。しらつゆの。けぬべくわれは。おもほゆるかも。
 
上は消と言はん序なり。
 
2247 秋田之。穗向之所依。片縁。吾者物念。都禮無物乎。
あきのたの。ほむきのよれる。かたよりに。われはものもふ。つれなきものを。
 
卷二、上全く同じくて、君によりななこちたかるともと有り。今は是れを誦し誤れるか。
 參考 ○穗向(考)ホムケ(古、新)略に同じ。
 
(49)2248 秋田※[口+立刀]。【※[口+立刀]ハ刈ノ誤】借廬作。五百入爲而。有藍君※[口+立刀]。將見依毛欲得。【得ヲ將ニ誤ル】
あきたかり。かりほをつくり。いほりして。あるらむきみを。みむよしもがも。
 
田の下、※[口+立刀]は刈の誤なり。得を今將に誤れり。元暦本に據りて改む。班田使の妻などの詠めるなるべし。
 參考 ○秋田※[口+立刀](考)アキタ「刈」カル(古)アキタカル(新)アキタカルト「※[口+立刀]」を「刈」の誤とす ○五百入爲而(古)イホラシテ(新)略に同じ。
 
2249 鶴鳴之。所聞田井爾。五百入爲而。吾客有跡。於妹告社。
たづがねの。きこゆるたゐに。いほりして。われたびなりと。いもにつげこそ。
 
是れは嫡妻《ムカヒメ》には有らで、我旅なる事をも知らぬ妹を思ひて詠めるなるべし。
 參考 ○吾客有跡(新)ワレイヘコフト「客有」を「家戀」の誤とす。
 
2250 春霞。多奈引田居爾。廬付【付ハ爲ノ誤】而。秋田苅左右。令思良久。
はるがすみ。たなびくたゐに。いほりして。あきたかるまで。おもほしむらく。
 
付は爲の誤なり。オモハシムラクはオモハスルなり。苗代の時より刈とるまでの久しきを言へり。
 參考 ○廬付而(代)イホツキテ(考、古)略に同じ(新)タネマキテ「付」を「蒔」の誤とす。
 
2251 橘乎。守部乃五十戸之。門田早稻。苅時過去。不來跡爲等霜。
たちばなを。もりべのいへの。かどたわせ。かるときすぎぬ。こじとすらしも。
 
(50)タチバナヲ、枕詞。モリベは集中續紀等に守部王と言ふも有れば、守部は大和の地名にて、そこにおはせし故の名なるべし。是れは其守部と言ふ里の家の門田を詠めるならん。五十戸は戸令に五十戸を里とすと見えたれば、サトとも訓むべけれど、猶イヘと訓むも惡しからず。冠辭考に委し。久しく訪ひ來ぬを恨めるなり。
 參考 ○守部乃五十戸之(古、新)モリベノサトノ。
 
寄v露
 
2252 秋芽子之。開散野邊之。暮露爾。沾乍來益。夜者深去鞆。
あきはぎの。さきちるのべの。ゆふつゆに。ぬれつつきませ。よはふけぬとも。
 
古今集に、秋はぎの散るらむ小野の露霜にぬれてをゆかむさよはふくとも、と有るは、是れを取れるなるべし。
 
2253 色付相。秋之露霜。莫零根。【根ヲ脱セリ】妹之手本乎。不纏今夜者。
いろづかふ。あきのつゆじも。なふりそね。いもがたもとを。まかぬこよひは。
 
零の下、根の字、今本に無し。元暦本に據りて補へり。色ヅカフは色ヅクを延べ言ふなり。妹と寢ぬ夜は、さらでも袖寒く覺ゆるを、霧霜な降りそと言ふなり。初句は露霜を言はん爲めのみ。
 參考 ○色付相(新)誤字有らん。
 
(51)2254 秋芽子之。上爾置有。白露之。消鴨死猿。戀爾【爾ハ筒ノ誤】不有者。
あきはぎの。うへにおきたる。しらつゆの。けかもしなまし。こひつつあらずは。
 
卷八、全く同じき歌有り。末を消可思奈萬思戀管不有者《キエカシナマシコヒツツアラズハ》と書けり。今は死猿は死ナマシと言ふには有らで、爲《シ》ナマシなりと契沖が言へるぞ善き。戀の下、爾は筒の誤なる事しるし。
 
2255 吾屋前。秋芽子上。置露。市白霜。吾戀目八面。
わがやどの。あきはぎのへに。おくつゆの。いちじろくしも。わがこひめやも。
 
上はイチジロクと言はん序のみ。シモは助辭にて、顯はれては戀ひじと言ふなり。
 參考 ○吾庭前(考)ワガニハノ ○吾戀目八面(考)ワガコヒメヤモ(古)アレコヒメヤモ(新)ワレコヒメヤモ。
 
2256 秋穗乎。之努爾押靡。置露。消鴨死益。戀乍不有者。
あきのほを。しぬにおしなべ。おくつゆの。けかもしなまし。こひつつあらずは。
 
秋ノホは稻の穗なり。シヌはシナフ意、オシナベはオシナビカセなり。是れも死は借にて、上の如く爲《シ》ナマシなり。上は消と言はん序のみ。
 參考 ○押靡(考)オシナミ(古、新)略に同じ。
 
2257 露霜爾。衣袖所沾而。今谷毛。妹許行名。夜者雖深。
(52)つゆじもに。ころもでぬれて。いまだにも。いもがりゆかな。よはふけぬとも。
 
ユカナは行カムなり。
 
2258 秋芽子之。枝毛十尾爾。置露之。消毳死猿。戀乍不有者。
あきはぎの。えだもとををに。おくつゆの。けかもしなまし。こひつつあらずは。
 
トヲヲはタワワに同じ。是れも上は序にて、死は借なり。上に出でたる、秋はぎの上に置たる白露のと言ふ歌の一本にや。
 
2259 秋芽子之。上爾白露。毎置。見管曾思努布。君之光儀乎。
あきはぎの。うへにしらつゆ。おくごとに。みつつぞしぬぶ。きみがすがたを。
 
萩の上に露置きて、たわめるを見ても、君が姿を思ひ出でて慕はるるとなり。
 
寄v風
 
2260 吾妹子者。衣丹有南。秋風之。寒比來。下著益乎。
わぎもこは。きぬにあらなむ。あきかぜの。さむきこのごろ。したにきましを。
 
アラナムは願ふ詞。
 
2261 泊瀬風。如是吹三更者。及何時。衣片敷。吾一將宿。
はつせかぜ。かくふくよはは。いつまでか。ころもかたしき。わがひとりねむ。
 
(53)ハツセ風は、飛鳥風、イカホ風と言ふが如し。ヨハは夜間なり。三更と書けるに泥む事なかれ。按ずるに、三更者の者は乎の誤ならん。元暦本の假字書きにも、ヨルヲと有り。
 參考 ○如是吹三更者(考)カクフクヨハハ(古)略に同じ(新)カクフクヨヒヲ「者」を「乎」の誤とす。
 
寄v雨
 
2262 秋芽子乎。令落長雨之。零比者。一起居而。戀夜曾大寸。
あきはぎを。ちらすながめの。ふるころは。ひとりおきゐて。こふるよぞおほき。
 
大は借にて、多の意なり。
 
2263 九月。四具禮乃雨之。山霧。煙寸吾告【告ハ衍文】?。誰乎見者將息。
ながづきの。しぐれのあめの。やまぎりの。いぶせきわがむね。たれをみばやまむ。
 
一云|十月《カミナヅキ》、四具禮乃雨|降《フリ》
 
山霧はしぐれ降る比、雲霧の深きを言ひて、イブセキと言はん序とせり。誰ヲ見バ云云は、君をあひ見ずはやまじと言ふなり。一本、告の字無きぞ善き。
 參考 ○山霧(考、新)ヤマギリノ(古)ヤマギリノ、又は、ヤマギラヒ「合」脱か。
 
寄v蟋
 
(54)目録に、蟋蟀と有り。下にも蟋一字を書きたる所も有れど、二字に書ける方例多ければ、ここは脱せしならん。
 
2264 蟋蟀之。待歡。秋夜乎。寐驗無。枕與吾者。
こほろぎの。まちよろこべる。あきのよを。ぬるしるしなし。まくらとわれは。
 
蟋蟀はおのが時を得て歡べるを、吾は妹が手枕まかずして、枕とのみ寢れば、寢るかひも無きとなり。卷四、枕とわれはいざふたりねむ、とも詠めり。
 參考 ○枕與吾者(新)マクラト「寐」ヌレバ。
 
寄v蝦
 
2265 朝霞。鹿火屋之下爾。鳴蝦。聲谷聞者。吾將戀八方。
あさがすみ。かびやがしたに。なくかはづ。こゑだにきかば。われこひめやも。
 
朝ガスミ、枕詞。カビヤは、猪鹿を逐ふべき假庵に、賤が入り居て、夜はほだを燒き、草などくゆらするを言ふ。又卷十一、あし引の山田守をぢがおく蚊火の、と詠めるは、初秋の頃、田中守る賤が、蚊やりにくゆらす火をも言ふべし。冠辭考に委し。上は聲ダニと言はん序なり。上にも秋山のしたひがしたになく鳥のこゑだにきかば何かなげかむ、と有り。
 參考 ○鹿火屋之下爾(新)カハヤガシタニ「火」は「半」の誤か。
 
(55)寄v雁
 
2266 出去者。天【天ヲ大ニ誤ル】飛鴈之。可泣美。且今日且今日云二。年曾經去家類。
いでていなば。あまとぶかりの。なきぬべみ。けふけふとふに。としぞへにける。
 
初句は久しき旅などへ行かんとするを言ふなるべし。さて旅行きなば、雁の如く泣きて、慕ひ歎かんも見捨て難くて、今日は今日はと言ふ間に、年の經たるとなり。天を今本大に誤れり。
 
寄v鹿
 
2267 左小牡鹿之。朝伏小野之。草若美。隱不得而。於人所知名。
さをしかの。あさふすをぬの。くさわかみ。かくろひかねて。ひとにしらゆな。
 
上は隱れかねてと言はん序のみ。忍びかねて、顯はれんさまになせそと言ふなり。
 參考 ○於人所知名(考)ヒトニシラレナ(古、新)略に同じ。
 
2268 左小牡鹿之。小野草伏。灼然。吾不問爾。人乃知良久。
さをしかの。をぬのくさぶし。いちじろく。わがとはなくに。ひとのしれらく。
 
鹿の臥どの、隱るとすれど、顯れやすきが如く、我はあらはに妻とひせし事も無きに、人の知れるとなり。シレラクは知レルを延べ言ふなり。
 
寄v鶴
 
(56)鶴は秋殊に渡り來れば秋の物とせり。
 
2269 今夜乃。曉降。鳴鶴之。念不過。戀許増益也。
このよらの。あかときくだち。なくたづの。おもひはすぎず。こひこそまされ。
 
クダチは夜の更け行くを言ふ。曉に鳴くたづの如く、夜もすがら物思ひをえ過し遣らずして、戀のみ増さると言ふなり。也は徒に添へ書きせる例有り。
 
寄v草
 
2270 道邊之。乎花我下之。思草。今更爾。何物可將念。
みちのべの。をばながもとの。おもひぐさ。いまさらさらに。なにかおもはむ。
 
オモヒ草は、くさぐさ説有れど、定かなる證有る事無し。さる草有るなるべし。メザマシグサ、ニコ草など、今知られ難きも多きなり、更の字一字脱しならん。集中何物二字をナニと訓める例有り、上は思はむと言はん爲めの序のみ。
 參考 ○乎花我下之(考)略に同じ(古)ヲバナガシタノ(新)モト、シタ、兩訓 ○今更爾(代)イマサラニナド(考)イマサラニ「吾」ワレ(古)略に同じ(新)イマサラニハタ「爾」り下に「當」を補ふ。
 
寄v花
 
(57)2271 草深三。蟋多。鳴屋前。芽子見公者。何時來益牟。
くさふかみ。こほろぎさはに。なくやどの。はぎみにきみは。いつかきまさむ。
 
 參考 ○蟋多(考)略に同じ(古)コホロギスダキ(新)コホロギサハニ、又は、ココダ。
 
2272 秋就者。水草花乃。阿要奴蟹。思跡不知。直爾不相在者。
あきづけば。みくさのはなの。あえぬがに。おもへどしらず。ただにあはざれば。
 
秋ヅケバは、秋に成ればなり、水は借字にて眞なり。アエヌは卷八、橘の長歌に、五月を近み阿要奴我爾、と言ふ歌に言へる如く、物の熟《ナ》りぬるを言へり。ガニの詞は既に出づ。秋既に來たれば、百の花の時到りぬべくと言ひて、妹に逢はん時成りぬと我は思へど、未だ直《タダ》に會はぬ前にはおぼつかなしと言ふなり。
 參考 ○思跡不知(考、古、新)オモヘドシラジ。
 
2273 何爲等加。君乎將※[厭の雁だれなし]。秋芽子乃。其始花之。歡寸物乎。
なにすとか。きみをいとはむ。あきはぎの。そのはつはなの。うれしきものを。
 
右の答か。いかでか君を厭ふべき、萩の初花の如く、珍らしく喜ばしきを言ふなり。
 
2274 展轉。戀者死友。灼然。色庭不出。朝容貌之花。
こいまろび。こひはしぬとも。いちじろく。いろにはいでじ。あさがほのはな。
 
コイマロビは、コヤシマロビにて、ころびふす義なり。朝貌の花は、色に出づと言はん譬へに置けるに(58)て、不v出と言ふへ懸かる事に有らず。斯かる例多し。
 參考 ○朝容貌之花(新)アサガホノ「如」ゴト。
 
2275 言出而。云忌染。朝貌乃。穗庭開不出。爲戀鴨。
ことにいでて。いはばゆゆしみ。あさがほの。ほにはさきでぬ。こひもするかも。
 
ホニハサキデヌは、右の歌に、いちじろく色には出《イデ》じと言ふに同じ意なり。あらはに言ひ出でぬ戀に譬へたり。
 參考 ○云忌染(代、古、新)略に同じ(考)イハバユユシモ ○穗庭開不出(考)ホニハサキデズ(古、新)略に同じ。
 
2276 鴈鳴之。始音聞而。開出有。屋前之秋芽子。見來吾世古。
かりがねの。はつこゑききて。さきでたる。やどのあきはぎ。みにこわがせこ。
 
2277 左小牡鹿之。入野乃爲酢寸。初尾花。何時加妹之。將手枕。
さをしかの。いりぬのすすき。はつをばな。いつしかいもが。たまくらをせむ。
 
イリ野は、卷七、たちのしり鞘に納《イリ》野と詠めり。神名帳、山城乙訓郡入野神社と有るに同じ所なり。和名抄、丹後竹野郡納野も有れど、都近き所を詠めるなるべし。舊訓イルノと有れど、武藏の入間を、今イルマと唱ふるも、集中伊里末と訓みたれば、是れもイリヌと訓むべし。上は序にて、いつか新手枕《ニヒタマクラ》を(59)せんと言ふ意なり。初つと言ふ詞にのみ懸かりて訓めり。舊訓手枕ニセムと有れど、古今六帖に、手枕をせむと有るぞ古訓なるべき。さてこそことわりも定かなれ。將の下、爲を脱せるならん。
 參考 ○何時加妹之將手枕(代、新)イヅレノトキカ、イモガテマカム(考)イヅレカイモガ、タマクラニセム「將」の下「爲」を補ふ(古)イヅレノトキカ、ソデマクラガム「衣手將枕」とす。
 
2278 戀日之。氣長有者。三苑圃能。辛藍花之。色出爾來。
こふるひの。けながくしあれば。みそのふの。からあゐのはなの。いろにいでにけり。
 
三は借字にて御なり、元暦本、三を吾に作りて、ワガソノノと點ぜり。カラアヰは紅花なり。三四の句は色ニ出ヅルと言はん句中の序なり。
 參考 ○氣長有者(考)ケナガクアレバ(古、新)略に同じ ○色出爾來(考、古)イロニデニケリ(新)略に同じ。
 
2279 吾郷爾。今咲花乃。女郎花。不堪情。尚戀二家里。
わがさとに。いまさくはなの。をみなべし。あへぬこころに。なほこひにけり。
 
宣長云、今サクとは、新たに咲きたるを言ふ。はねかづら今するいもと言ふも同じ。新來《イマキ》、新參《イママヰリ》の類ひなりと言へり。さていと若き女を譬ふ。アヘヌは、慕はじとすれど、え堪へず猶戀ふるなり。元暦本、女郎花を娘部四に作る。
(60) 參考 ○吾郷爾今咲花乃(新)ワガヤドニサカセムハナノ「郷」を「屋戸」「今」を「令」の誤とす。
 
2280 芽子花。咲有乎見者。君不相。眞毛久二。成來鴨。
はぎがはな。さけるをみれば。きみにあはず。まこともひさに。なりにけるかも。
 
植うる時など人に逢ひしままにて、花咲きしに依りて、げに逢はで久しく成りぬと思ふなり。
 參考 ○君不相(考)キミニアハデ(古、新)略に同じ。
 
2281 朝露爾。咲酢左乾垂。鴨草之。日斜共。可消所念。
あさつゆに。さきすさびたる。つきくさの。ひたくるなへに。けぬべくおもほゆ。
 
スサビは進みなり。花の萎むをケヌルと言ふべし。夕ぐれに思ひしなえて、戀ふる心の増すに譬ふ。契沖云、下に朝さき夕はけぬる鴨頭草のと詠めるも、今も、ツユクサと詠みて、ケヌベクと受けたるかと言へり。和名抄、鴨頭草(都伎久佐)と有れど、今專らツユクサと言へば、古へよりツキクサとも、ツユクサとも言へるにや。
 參考 ○鴨頭草之(代、新)ツユクサノ(考)ツキクサノ、又は、ツイクサ(古)略に同じ ○日斜共(代)ヒタクルムタニ(考、古、新)略に同じ。
 
2282 長夜乎。於君戀乍。不生者。開而落西。花有益乎。
ながきよを。きみにこひつつ。いけらでは。さきてちりにし。はなならましを。
 
(61)イケラズハは、生きて有らんよりはの意なり。
 參考 ○不生者(代、考)アラザラバ、但し(考)は「生」を「在」の誤とす(古、新)略に同じ。
 
2283 吾妹兒爾。相坂山之。皮爲酢寸。穗庭開不出。戀渡鴨。
わぎもこに。あふさかやまの。はたすすき。ほにはさきでず。こひわたるかも。
 
ハタススキ、既に出づ。穗に出づるを開き出づと意へり。穗に出づるまで懸かりて、不v出と言ふまでは懸けぬ例なり。
 參考 ○皮爲酢寸(代、古、新)略に同じ(考)シノススキ。
 
2284 卒【卒ヲ〓ニ誤ル】爾。今毛欲見。秋芽之。四搓二將有。妹之光儀乎。
いささめに。いまもみがほし。あきはぎの。しなひにあらむ。いもがすかたを。
 
卒爾、舊訓イサナミニと有れど由無し。卷四、卒爾、卷七、伊左佐目爾と書けるに同じ意なる事既に言へり。搓は集中糸を搓《ヨ》ると言ふに書きたれば、ナヒの假字に用ひたり。繩をよるをナフと言へり。秋萩の如、しなへる姿を、假初めにも見まほしきとなり。宣長云、二は弖の誤にて、シナヒテアラムかと言へり。
 參考 ○卒爾(代)タチマチニ(考、古、新)略に同じ ○四搓二將有(考)シナヒニアラム(古、新)シナヒ「弖」テアラム。
 
(62)2285 秋芽子之。花野乃爲酢寸。穗庭不出。吾戀度。隱嬬波母。
あきはぎの。はなぬのすすき。ほにはいでず。わがこひわたる。こもりづまはも
 
花野は地名に有らず。一首の意は、顯はさずして戀ふるなり。波母は波也と言ふに同じく歎く辭。
 參考 ○穗庭不出(考)ホニハデス(古、新)略に同じ。
 
2286 吾屋戸爾。開秋芽子。散過而。實成及丹。於君不相鴨。
わがやどに。さきしあきはぎ。ちりすぎて。みになるまでに。きみにあはぬかも。
 
卷七、わぎも子が宿の秋はぎ花よりも實に成てこそ戀増りけれ、とも詠めり。
 參考 ○實成及丹(新)ミニナルマデ「母」モ。
 
2287 吾屋前之。芽子開二家里。不落間爾。早來可見。平城里人。
わがやどの。はぎさきにけり。ちらぬまに。はやきてみませ。ならのさとびと。
 參考 ○早來可見(考、古)略に同じ(新)ハヤキテミベシ。
 
2288 石走。間間生有。貌花乃。花西有來。在筒見者。
いはばしの。ままにおひたる。かほばなの。はなにしありけり。ありつつみれば。
 
イハバシは石を竝べ置きて、踏み渡るべくせるを言ふ。カホバナは、卷八、高まとの野べの容花、卷十四、みやのせ川のかほ花と詠めり。かほ花と言ふ名に依りて、妹を在り在りて相見れども、いつも花の(63)如く珍らしみ思ふと言ふ意なり。
 
2289 藤原。古郷之。秋芽子者。開而落去寸。君待不得而。
ふぢはらの、ふりにしさとの。あきはぎは。さきてちりにき。きみまちかねて。
 
元明天皇和銅三年、高市郡藤原より奈良へ都を遷させ給ひて後、直藤原に殘り居ける人の、奈良なる人へ詠みて送れるなるべし。
 
2290 秋芽子乎。落過沼蛇。手折持。雖見不怜。君西不有者。
あきはぎを。ちりすぎぬべみ。たをりもて。みれどもさぶし。きみにしあらねば。
 
初句より三の句へ續く。サブシは不樂の意。蛇は和名|倍美《ヘミ》なれば、假字に用ひたり。
 參考 ○不怜(考)サビシ(古、新)サブシ ○君西(新)キミニシ「西」を「四」の誤とす。
 
2291 朝開。夕者消流。鴨頭草。可消戀毛。吾者爲鴨。
あしたさき。ゆふべはけぬる。つきくさの。けぬべきこひも。われはするかも。
 
鴨頭草をツユクサと訓まんかと契沖言へり。ケヌル、ケヌベキなど詠めるからはさも有るべきなり。上にも既に言へり。されど和名抄の訓に據りて、暫くツキクサと訓めり。
 參考 ○夕者消流(古)略に同じ(新)ユフベハキユル ○鴨頭草(古)略に同じ(新)ツユクサノ。
 
2292 ?野之。尾花苅副。秋芽子之。花乎葺核。君之借廬。
(64)あきつぬの。をはなかりそへ。あきはぎの。はなをふかさね。きみがかりほに。
 
アキツ野は大和吉野郡。卷一、あきの野のをばな刈ふき、卷八、はたすすきをばなさかふきなど有り。此歌は旅のさまにて、寄せたる意無し。紛れてここに入れたる物なり。フカサネはフカセを延べ言ふなり。草ヲ苅ラサネと言へるに同じ。
 參考 ○尾花苅副(新)カヤニカリソヘ「尾花」を「草」の誤とす。
 
2293 咲友。不知師有者。黙然將有。此秋芽子。乎令視管本無。
さきぬとも。しらずしあらば。もだもあらむ。このあきはぎを。みせつつもとな。
 
咲きたりと言ふ事を不v知有らばなり。是れは相見て中中に物思ひの増す心を添へたり。
 
寄v山
 
2294 秋去者。鴈飛越。龍田山。立而毛居而毛。君乎思曾念。
あきされば。かりとびこゆる。たつたやま。たちてもゐても。きみをしぞおもふ。
 
上は立ちてもと言はん序のみ。
 
寄2黄葉1
 
2295 我屋戸之。田葛葉日殊。色付奴。不【來ヲ脱ス】座君者。何情曾毛。
わがやどの。くずはひにけに。いろづきぬ。きまさぬきみは。なにごころぞも。
 
(65)座の上、一本來の字有り。葛の葉の色付くまで訪はぬ君が心は如何にぞやと言ふなり。
 参考 ○田葛葉日殊(新)「葉」を衍字とす。訓は同じ。
 
2296 足引乃。山佐奈葛。黄變及。妹爾不相哉。吾戀將居。
あしびきの、やまさなかづら。もみづまで。いもにあはずや。わがこひをらむ。
 
サナカヅラは和名抄、五味(作禰加豆良)と有りて、常葉《トキハ》なる物なれど、まさきかづらの如く、たまたま色付く事有るなるべし。
 
2297 黄葉之。過不勝兒乎。人妻跡。見乍哉將有。戀敷物乎。
もみぢばの。すぎがてぬこを。ひとづまと。みつつやあらむ。こひしきものを。
 
此モミヂバノは枕詞なり。散り行くを過ぐと言へり。過ギガテヌは思ひ過し難きなり。
 参考 ○過不勝兒乎(代)不勝、カヌルとも訓むべし(考、古、新)略に同じ。
 
寄v月
 
2298 於君戀。之奈要浦觸。吾居者。秋風吹而。月斜烏。
きみにこひ。しなえうらぶれ。わがをれば。あきかぜふきて。つきかたぶきぬ。
 
卷二、夏草のおもひしなえてとも詠めり。烏は焉の誤。
 
2299 秋夜之。月疑意君者。雲隱。須臾不見者。幾許戀敷。
(66)あきのよの。つきかもきみは。くもがくれ。しばしもみねば。ここだこひしき。
 
カモを疑意と書けるは、マニマニを隨意と書けるが如し。君は秋の夜の月にて有るかと言ふなり。
 參考 ○雲隱(考)略に同じ(古、新)クモガクリ ○須臾不見者(考)シバラクミネバ(古、新)シマシモミネバ ○幾許(代、古、新)略に同じ(考)イタク。
 
2300 九月之。在明能月夜。有乍毛。君之來座者。吾將戀八方。
ながづきの。ありあけのつくよ。ありつつも。きみがきまさば。われこひめやも。
 
上はアリツツモと言ひ續けん料のみ。
 
寄v夜
 
2301 忍咲八師。不戀登爲跡。金風之。寒吹夜者。君乎之曾念。
よしゑやし。こひじとすれど。あきかぜの。さむくふくよは。きみをしぞおもふ。
 
忍は吉の誤ならんか。
 
2302 惑者之。痛情無跡。將念。秋之長夜乎。寐師耳。【耳ハ在ノ誤カ】
わびびとの。あなこころなと。おもふらむ。あきのながよを。いねずしあれば。
 
卷九、惑人はねにもなきつつと有る長歌に言へる如く、この惑者を宣長がサトヒトと訓みて里人の意なりと言へるに由らんか。卷十八に惑《マド》はせるを、左度波世流《サドハセル》と有ればなり。元暦本の或者に作るは誤なり。(67)寐師耳をネサメシテノミと訓みたれど、しか訓むべくも無し。耳は在の草の手より誤れるならん。さて寐の上に不の字有るべきを、集中不の字を略ける例多し。
 參考 ○惑者之(考)ワビヒトノ(古)サトビトノ(新)ミナビトノ「惑」を「咸」の誤とす ○痛情無跡(考)略に同じ(古)アナココロナシト(新)アナココロナト ○寢師耳(代)イネ「臥可」フスベシヤ(考)イネテシ「在」アレバ(古)「寒」サムクシ「在」アレバ(新)ネテ「明可」アカスベシヤ。
 
2303 秋夜乎。長跡雖言。積西。戀盡者。短有家里。
あきのよを。ながしといへど。つもりにし。こひをつくせば。みじかかりけり。
 
邂逅《タマユラ》に逢へる心を詠めり。
 
寄v衣
 
2304 秋都葉爾。爾寶敝流衣。吾者不服。於君奉者。夜毛著金。
あきつはに。にほへるころも。われはきじ。きみにまたさば。よるもきるがね。
 
卷三、秋津羽之袖ふる妹とも詠みて、蜻蛉の羽なり。其蜻蛉の羽のうるはしきをニホフと言へり。秋津ハニは、秋つ羽の如くにの意なり。ガネは上に言へり。われは不v着して君に奉らん。せめて夜るも身に添へられん料にとなり。
(68) 参考 ○於君奉者(考、古)キミニマツラバ(新)キミニマツラム「者」は「武」の誤 ○夜毛著金(考、新)ヨルモキルガネ(古)ヨルモキムガネ。
 
問答
 
2305 旅尚。襟解物乎。事繁三。丸宿吾爲。長此夜。
たびにすら。ひもとくものを。ことしげみ。まろねわがする。ながきこのよを。
 
ヒモトクは專ら帶を解く事を言へるを、襟の字に用ひたるは、襟にも紐有ればなり。コトシゲミは、事は言にて、言痛く言ひ騷がるるを言ふ。
 
2306 四具禮零。曉月夜。紐不解。戀君跡。居益物。
しぐれふる。あかときづくよ。ひもとかず。こふらむきみと。をらましものを。
 
右の答なり。時雨ふる曉月夜は、晴れ曇りする夜のさまなり。吾を戀ふらん君と共に居らんものをなり。
 參考 ○曉月夜(代、考)アカツキツクヨ(古、新)略に同じ。
 
2307 於黄葉。置白露之。色葉二毛。不出跡念者。事之繁家口。
もみぢばに。おくしらつゆの。にほひにも。いでじとおもへば。ことのしげけく。
 
一二の句は序なり。ニホヒは色を言ふ。色葉を古訓イロハと有れど、さる詞は無ければ、ニホヒと訓めり。オモヘバは、例のオモフニの意。事は言なり。宣長云、にほひに出づと言ふ事いかが。是れは二葉(69)を下上に誤れるにて、イロニハモなるべしと言へり。
 參考 ○色葉二毛(考、古)略に同じ(新)イロニハモ「葉二」を顛倒とす。
 
2308 雨零者。瀧都山川。於石觸。君之摧。情者不持。
あめふれば。たぎつやまがは。いはにふり。きみがくだかむ。こころはもたず。
 
上はクダクと言はん序にて、君に心を碎かしむべき心は吾は不v持《モタズ》と言ふなり。右二首は問答に有らず。此二首の間に、別に答と贈と有りけんを、脱せしなるべし。
 參考 ○君之推(代)タダケムとも訓む(新)キミガクユベキ「推」を「可悔」の誤とす ○不持(考、古、新)モタジ。
 
右一首、不v類2秋謌1而以v和載v之也。 此註用ふべからず。後人のしわざなり。
 
譬喩歌
 
2309 祝部等之。齋經社之。黄葉毛。標繩越而。落云物乎。
はふりらが。いはふやしろの。もみぢばも。しめなはこえて。ちるとふものを。
 
シメナハは神代紀、於v是中臣神忌部神則|界2以《ヒキワタシ》端出之繩(ヲ)1(繩亦云(リ)左繩(ノ)端出(タル)此云2期梨倶梅儺波1)和名抄、韻(○顔の誤なり)氏家訓云、注連(之利久倍奈波)云云。親の守る少女などに強ひて逢はんの心に譬へたり。卷七、ゆふかけて齋此神社《イムコノモリ》もこえぬべくおもほゆるかも戀のしげきに、卷十一、ちはやぶ(70)る神のいがきもこえぬべし今はわが名のをしけくもなし。是れら同じ意なり。
 參考 ○落云(考、新)略に同じ(古)チルチフ。
 
旋頭歌
 
2310 蟋蟀之。吾床隔爾。鳴乍本名。起居管。君爾戀爾。宿不勝爾。
こほろぎの。わがとこのべに。なきつつもとな。おきゐつつ。きみにこふるに。いねがてなくに。
 
トコノベは床の方《ベ》なり、毛詩に、十月蟋蟀入2吾牀下1と言ふにかなへり。イネガテナクは、イネガテと言ふに同じ詞なり。既に言へり。
 
2311 皮爲酢寸。穗庭開不出。戀乎吾爲。玉蜻。直一目耳。視之人故爾。
はたすすき。ほにはさきでぬ。こひをわがする。かぎろひの。ただひとめのみ。みしひとゆゑに。
 
一二の句は忍びに戀ふるに譬ふ。カギロヒノは枕詞。
 參考 ○皮爲酢寸(代、古、新)ハタススキ(考)シノススキ ○玉蜻(代)カゲロフニ(新)タマカギル。
 
冬雜歌
 
2312 我袖爾。雹手走。卷隱。不消有。妹爲見。
(71)わがそでに。あられたばしる。まきかくし。けたずもあらむ。いもがみむため。
 
マキカクシは、古へ袖の長き故に卷くと言ふべし。雹を消さずして有らんと言ふなり。
 參考 ○不消有(代、古、新)ケタズテアラム(考)ケサズテアラム。
 
2313 足曳之。山鴨高。卷向之。木志乃子松二。三雪落來。
あしびきの。やまかもたかき。まきむくの。きしのこまつに。みゆきふりけり。
 
卷向山の高き故か、崖の小松に雪の早く降り來ると言ふなり。
 參考 ○山鴨高(新)ヤマカモサムキ「高」を「寒」の誤とす ○三雪落來(新)ミユキフリクル。
 
2314 卷向之。檜原毛未。雲居者。子松之末由。沫雪流。
まきむくの。ひばらもいまだ。くもゐねば。こまつがうれゆ。あわゆきながる。
 
クモヰヌニの意なり。零《フ》るを流ると多く言へり。
 
2315 足引。山道不知。白杜※[木+戈]。枝母等乎乎爾。雪落者。
あしびきの。やまぢもしらず。しらかしの。えだもとををに。ゆきのふれれば。
 
シラカシは白檮なり。字鏡に杜をサカキと訓めり。サカ木は常葉木なれば、カシに斯く書けるか。然れば杜※[木+戈]は杜檮の字の誤れるかと翁は言はれつれど、思ふに、和名抄、??(加之)所2以繋1v舟と有り。此二字を借りたるが誤れるなるべし。景行紀御歌に、志羅迦之餓延塢于受珥左勢許能固《シラカシガエヲウズニサセコノコ》と有り。
 
(72)或云、枝毛|多和多和《タワタワ》。
 
タワタワもトヲヲに同じ。此八字元暦本に無し。
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出也。但一首。或本云。三法沙彌作。 元暦本一首の上件の字有り。
 
詠v雪
 
2316 奈良山乃。峰尚霧合。宇倍志社。前垣之下乃。雪者不消家禮。
ならやまの。みねなほきらふ。うべしこそ。まがきのもとの。ゆきはけずけれ。
 
キラフは雪の天霧合ひ降るなり。ケズケレは、不v消《キエズ》有りけれを略けるなり。
 參考 ○峰尚霧(考、古)ミネスラキラフ(新)ミネゾキラヘル「尚」を「曾」の誤とす ○前垣之下乃(考)略に同じ(古)マガキノシタノ(新)マガキガモトノ。
 
2317 殊落者。袖副沾而。可通。將落雪之。空爾消二管。
ことふらば。そでさへぬれて。とほるべく。ふりなむゆきの。そらにけにつつ。
 
コトフラバは、コトニフラバなり。卷七、ことさけばおきにさけなめのコトに同じ。
 
2318 夜乎寒三。朝戸乎開。出見者。庭毛薄太【太ヲ大ニ誤ル】良爾。三雪落有。
よをさむみ。あさどをひらき。いでてみれば。にはもはだらに。みゆきふりたり。
 
 一云庭裳|保杼呂《ホドロ》爾。雪曾|零而有《フリタル》。
 
(73)ハダラもホドロも同じく班の意なり。太を今大に誤る。元暦本に據りて改む。
 參考 ○出見者(考)デテミレバ(古、新)イデミレバ ○落有(代、考)フリタル(古、新)略に同じ。
 
2319 暮去者。衣袖寒之。高松之。山木毎。雪曾零有。
ゆふされば。ころもでさむし。たかまとの。やまのきごとに。ゆきぞふりたる。
 
此卷上にも、高松と書けり。松をマトと訓むは此地名に限れり。宣長云、寒の下、之は久の誤にてサムクなりと言へり。サムシにては調はず。
 參考 ○衣袖寒之(古)コロモデサム「久」ク(新)コロモデサム「三」ミ ○雪曾零有(考、新)略に同じ(古)ユキゾフリケル。
 
2320 吾袖爾。零鶴雪毛。流去而。妹之手本。伊行觸糠。
わがそでに。ふりつるゆきも。ながれゆきて。いもがたもとに。いゆきふれぬか。
 
袖に散る雪の面白きにも思ひ出でて、妹が袂にも行き觸れよかしと言ふなり。伊は發語。糠、不歟《ヌカ》の詞に借りたり。
 參考 ○零鶴雪毛(新)フリツルユキノ ○流去而(代、古、新)略に同じ(考)ナガレイデ。
 
2321 沫雪者。今日者莫零。白妙之。袖纏將干。人毛不有惡。
(74)あわゆきは。けふはなふりそ。しろたへの。そでまきほさむ。ひともあらぬを。
 
妹に逢はずして有れば、我が袖を纏寢《マキネ》、或るは將v干《ホサム》よしの無きとなり。結句はアラナクとも訓むべけれど、惡はヲの假字に用ひしならん。元暦本、夫と有るもヲの假字なるべし。
 參考 ○袖纏將干(考)略に同じ(古、寢)コロモデホサム「纏」を衍とす ○人毛不有惡(代)「惡」は「君」の誤か(考)略に同じ(古、新)ヒトモアラナクニ「惡」を「君」の誤とす。
 
2322 甚多毛。不零雪故。言多毛。天三空者。陰【陰ヲ隱ニ誤ル】相管。
はなはだも。ふらぬゆきゆゑ。こちたくも。あまつみそらは。くもりあひつつ。
 
雪ユヱは、雪ナルモノヲなり。コチタクは言痛くにて、ここに叶はず。言は許のかたはら缺けたるにて、ココダクモなるべし。陰を今隱に誤る。元暦本に據りて改めつ。
 參考 ○甚多毛(代、古、新)略に同じ(考)イトサハモ ○言多毛(考、古、新)ココタクモ「言」を「許」の誤とす ○天三空者(考)略に同じ(古、新)アマノミソラハ ○陰相管(代)カクレアヒツツ(考)略に同じ(古、新)クモラヒニツツ。
 
2323 吾背子乎。且今且今。出見者。沫雪零有。庭毛保杼呂爾。
わがせこを。いまかいまかと。いでみれば。あわゆきふれり。にはもほどろに。
 
舊訓ケフカケフカと有れど、上に且今日且今日と書けるは、ケフカケフカと訓みて叶へり。今は出で見(75)ればと言ふには、毎日の事にては當らず。されば日の字を添へずして、イマカイマカと訓むべきを知らせたり。
 
2324 足引。山爾白者。我屋戸爾。咋日暮。零之雪疑意。
あしびきの。やまにしろきほ。わがやどに。きのふのゆふべ。ふりしゆきかも。
 參考 ○山爾白者(新)ヤマノシロキハ「爾」は「乃」の誤、又は「ノ」と訓む。
 
詠v花
 
2325 誰苑之。梅花毛。久竪之。清月夜爾。幾許散來。
たがそのの。うめのはなぞも。ひさかたの。きよきつくよに。ここだちりくる。
 
花の字の下、曾を脱したるか、又毛は毳の誤にて、カモにても有るべし。
 參考 ○梅花毛(考)「毛」は「毳」の略(古、新)ウメノハナゾモ ○幾許(考)ココラ(古、新)略に同じ。
 
2326 梅花。先開枝。手折而者。※[果/衣]常名付而。與副手六香聞。
うめのはな。まづさくえだを。たをりては。つととなづけて。よそへてむかも。
 
妹が方にて、我がつとと名付けて、我によそへてだに、思ひこしてんかとなり。卷八、沫雪にふられて咲ける梅の花君がりややらばよそへてむかも、とも詠めり。
 
(76)2327 誰苑之。梅爾可有家武。幾許毛。開有可毛。見我欲左右手二。
たがそのの。うめにかありけむ。ここだくも。さきにたるかも。みがほるまでに。
 
右の答なるべし。男の家の梅と知りながら、おぼめかして、誰が苑の梅かは知らねども、見ても又見まほしく、飽かざるまでに咲きたるかなと言ふなり。宣長云、家は良の誤にて、アルラムなるべしと言へり。
 參考 ○梅爾可有家武(新)ウメニカアルラム「家」を「良」とす ○開有可毛(代)ヒラキタルカモ(考、新)略に同じ(古)サキニケルカモ ○見我欲左右手二(新)ミガホシキマデニ。
 
2328 來可視。人毛不有爾。吾家有。梅早花。落十方吉。
きてみべき。ひともあらなくに。わぎへなる。うめのはつはな。ちりぬともよし。
 
2329 雪寒三。咲者不開。梅花。縱比來者。然而毛有金。
ゆきさむみ、さきはひらけず。うめのはな。よしこのごろは。さてもあるがね。
 
上は雪もまだ寒ければ、咲くべき花の咲かぬを言ひて、下はよし不v開《サカズ》してさても有れかし、咲きなば又うつろひなん事の惜しきにと言ふ意なり。ガネの詞は既に出づ。上にも、春されば散らまくをしみ櫻花しばしは咲かずふふみてもがも、とも詠めり。
 參考 ○咲者不開(代)サキハヒラケズ(考)サキニハサカデ(古、新)サキニハサカズ。
 
詠v露
 
(77)2330 爲妹。未枝梅乎。手折登波。下枝之露爾。沾家類可聞。
いもがため。ほづえのうめを。たをるとは。しづえのつゆに。ぬれにけるかも。
 
末技の花を手折るとてはと言ふ、テの言を略けり。
 
詠2黄葉1
 
2331 八田乃野之。淺茅色付。有乳山。峯之沫雪。寒零良之。
やたのぬの。あさぢいろづく。あらちやま。みねのあわゆき。さむくふるらし。
 
ヤタノ野は、神名帳、大和添下郡矢田(ニ)坐(ス)久志玉比古神社。和名抄に添下郡矢田と有り。有乳山は越前敦賀郡なり。都近き野の秋の景色を見て、越路の山を思ひやりて詠めるなり。
 
詠v月
 
2332 左夜深者。出來牟月乎。高山之。峯白雲。將隱鴨。
さよふけば。いでこむつきを。たかやまの。みねのしらくも。かくすらむかも。
 
夜更けば出づべき月の出でぬは、高き山の雲の隱すかと言ふなり。此歌冬の歌とも無し。紛れて入れるか。
 參考 ○峰白雲(新)ミネノシラユキ「雲」を「雪」の誤とす ○將隱鴨(考)カクシナムカモ(古)略に同じ(新)ミガクラムカモ「將」の下「水」を補ふ。
 
(78)冬相聞
 
2333 零雪。虚空可消。雖戀。相依無。月經在。
ふるゆきの。そらにけぬべく。こふれども。あふよしをなみ。つきぞへにける。
 
空ニケヌベクとは、戀ヒモ死ヌベクと言ふなり。降ル雪ノ如クと言ふを略けり。
 參考 ○相依無(考、新)アフヨシナクテ(古)アフヨシモナク ○月經花(代)ツキゾヘニタル(考)ツキヲシヘヌル(古、新)略に同じ。
 
2334 沫雪。千里【重ヲ里ニ誤ル】零敷。戀爲來。食永我。見偲。
あわゆきは。ちへにふりしけ。こひしくの。けながきわれは。みつつしぬばむ。
 
今本、重を里に作りて、チサトと點せり。元暦本に據りて改む。戀シクのクは助辭。ケ長キは上に多く出づ。雪をだに見つつ、堪へしのばんとなり。
 參考 ○千里零敷(代)チサトフリシケ(考)「里」は「重」か(古、新)略に同じ ○戀爲來(代)コヒシキニ(考)コヒシケリ(古、新)略に同じ ○食永我(代)ケナガキワレモ(考)ケナガクワレハ(古)ケナガキアレハ(新)略に同じ。
 
右柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
(79)寄v露
 
2335 咲出照。梅之下枝。置露之。可消於妹。戀頃者。
さきでてる。うめのしづえに。おくつゆの。けぬべくいもに。こふるこのごろ。
 
初句舊訓サキイデタルと有れど、照ルをタルと訓むべからざれば、字のままに訓めり。照るばかり咲き匂ふ意か。されど穩かならず。濱臣に照は烏の誤にて、サキイヅルウメノ云云かと言へり。上は序のみ。
 參考 ○咲出照(代)略に同じ(考)サキタテル「出」を「立」の誤とす(古)サキデタル「照」を「有」の誤とす(新)サキイヅル「照」を「烏」の誤として、梅に續く。
 
寄v霜
 
2336 甚毛。夜深勿行。道邊之。湯小竹之於爾。霜降夜烏。
はなはだも。よふけてなゆき。みちのべの。ゆざさがうへに。しものふるよを。
 
ユザサは五百小竹にて、小竹の多きを言ふ。卷一、川上のゆつ石村と詠めるユの言に同じ。
 參考 ○甚毛(考)イトモヨノ「夜」にて句切とす(古、新)略に同じ ○夜深勿行(考)フケテナユキソ「夜」は上へ付く(古、新)略に同じ ○霜降夜烏(代)シモノオクヨヲ(考、古、新)略に同じ。
 
寄v雪
 
(80)2337 小竹葉爾。薄太禮零覆。消名羽鴨。將忘云者。益所念。
ささのはに。はだれふりおほひ。けなばかも。わすれむといへば。ましておもほゆ。
 
一二の句は序にて、雪の消ゆるを身の失するに言ひ懸けたり。我が身死にたらばこそ忘れもせめ、命有る限りは忘れじと、妹が言ふに付けて、いよよ妹を思ふとなり。
 參考 ○小竹葉爾(古)ササガハニ(新)略に同じ ○將忘云者(新)ワスレムトイフニ「者」を「煮」の誤とす。
 
2338 霰落。板敢風吹。寒夜也。旗野爾今夜。吾獨寐牟。
あられふり。いたまかぜふき。さむきよや。はたぬにこよひ。わがひとりねむ。
 
和名抄、霰(美曾禮)と有れど、集中多くアラレと詠めり。板敢、イタマと訓むべからず。敢は隙の字などの誤れるか。されど野宿りせるには據り所無し。二字共に誤れるなるべし。旗野は神名帳、高市郡波多神社波多〓井神社、和名抄、高市郡波多郷ある、ここにや。卷一、みよし野の山のあらしのさむけくにはたやこよひもわれひとりねむ、と言ふにも似たり。猶考ふべし。
 參考 ○霰散落(新)ミユキフリ「霰」は「三雪」の誤 ○板敢風吹(考)イタクカゼフキ「敢」を「玖」とす(古、新)イタモカゼフキ「敢」を「聽」とす ○寒夜也(新)サムキヨ「乎」ヲ ○旗野爾今夜(新)ヌノヘニコヨヒ「旗野爾」を「於野上」の誤とす。
 
(81)2339 吉名張乃。野木爾零覆。白雪乃。市白霜。將戀吾鴨。
よなばりの。のぎにふりおほふ。しらゆきの。いちじろくしも。こひむわれかも。
 
吉名張は城上郡にて、既に出づ。野木は唯だ野の木立なり。上はイチジロクと言はん序のみ。心は顯はれて戀ひんと言ふなり。霜はシモの詞に借りたり。
 參考 ○野木(古、新)ヌギ。
 
2340 一眼見之。人爾戀良久。天霧之。零來雪之。可消所念。
ひとめみし。ひとにこふらく。あまぎらし。ふりくるゆきの。けぬべくおもほゆ。
 
降リ來ル雪ノ如クと言ふをこめたり。
 參考 ○可消所念(古)略に同じ(新)ケナバケヌベク「消者可消」の誤とす。
 
2341 思出。時者爲便無。豐國之。木綿山雪之。可消所念。
おもひいづる。ときはすべなみ。とよくにの。ゆふやまゆきの。けぬべくおもほゆ。
 
是れも右に同じく、雪ノ如クと言ふをこめたり。卷七、をとめらが放《ハナ》りの髪を木綿《ユフ》の山と詠めり。豐後なり。
 
2342 如夢。君乎相見而。天霧之。落來雪之。可消所念。
いめのごと。きみをあひみて。あまぎらし。ふりくるゆきの。けぬべくおもほゆ。
 
(82)上の、一眼見し人に戀ふらく、の一本にや。
 
2343 吾背子之。言愛美。出去者。裳引將知。雪勿零。
わがせこが。ことうるはしみ。いでてゆかば。もひきしるけむ。ゆきなふりそね。
 
我がせこが思ふてふ言のうるはしければ、逢はんとて出で行かんに、雪降りなば、裳を引きたる跡のしるくて人に知らるべければ、降ることなかれとなり。
 參考 ○言愛美(考)コトウツクシミ(古、新)略に同じ ○出去者(代)出テユカバ(考)イデユカバ(古)略に同じ(新)イデユク「煮」ニ ○裳引將知(代、古)略に同じ(考)モヒキシルラム(新)モノスソヌレム「引」を「下」「知」を「沾」の誤とす。
 
2344 梅花。其跡毛不所見。零雪之。市白兼名。間使遣者。
うめのはな。それともみえず。ふるゆきの。いちじろけむな。まづかひやらば。
 
一云。零《フル》雪爾。間使遣者。其將知名《ソレトシラムナ》。
 
上はイチジロクと言はん序のみ。間使は既に出づ。一本の、方ソレト知ラムナは、雪に跡つけなば其れと知られんと言ふにて、序歌に有らず。
 
2345 天霧相。零來雪之。消友。於君合常。流經度。
あまぎらひ。ふりくるゆきの。けなめども。きみにあはむと。ながらへわたる。
 
(83)降る雪の且つ消ゆる如く、戀ひも死なめども、君に逢はん爲めに、世にながらへ居ると言ふなり。降ルを流ルとも言へば、相兼ねて言へり。
 參考 ○消友(考)キエヌトモ(古)略に同じ(新)キエメドモ「消」の上「將」を補ふ。
 
2346 窺良布。跡見山雪之。灼然。戀者妹名。人將知可聞。
うかねらふ。とみやまゆきの。いちじろく。こひばいもがな。ひとしらむかも。
 
卷八、此岳爾小牡鹿踏起|宇加?良比《ウカネラヒ》と詠めれば、ここも然か詠めり。ウカガヒネラフの事なり。さて跡見は、鳥獣の跡を窺ひ見る義なれば、冠らせたる枕詞なり。冠辭考に漏らされたり。跡見山は既に見えたる大和跡見庄なり。是れも上はイチジロクと言はん爲めに設けたる序のみ。
 參考 ○窺良布(代)ウカラフ(考)ウカガラフ(古、新)略に同じ。
 
2347 海小船。泊瀬乃山爾。落雪之。消長戀師。君之音曾爲流。
あまをぶね。はつせのやまに。ふるゆきの。けながくこひし。きみがおとぞする。
 
アマヲブネ、枕詞。上はケの一言へのみ懸かれる序なり。ケの詞は上よりは消《ケ》と懸かりて實は來經《きへ》なり。音は音信《オトヅレ》なり。
 
2348 和射美能。嶺往過而。零雪乃。※[厭のがんだれなし]毛無跡。白其兒爾。
わざみの。みねゆきすぎて。ふるゆきの。いとひもなしと。まをせそのこに。
 
(84)初句四言。ワザミは美濃不破郡和?、高山の道の程に雪降るは、厭ふべきを、吾中の往來《ユキキ》には厭ひも無しと、妹に言ひ傳へよと、人にことづくるなるべし。宣長云、イトヒモナシと言ふ詞俗なり。※[厭のがんだれなし]毛無は消長戀の誤にて、ケナガクコフトなるべしと言へり。
 參考 ○和射美能云云(新)嶺までを句とし、ワザミノ嶺、ワガユキスギテ「我」を「往」の上に補ふ ○※[厭の雁だれなし]毛無跡(代)ウケクとも訓む(考)略に同じ(古)シキテオモフト「※[厭の雁だれなし]手念跡」とす、又アクトキナシト「※[厭の雁だれなし]時」とす(新)ツツミモナシト「※[厭の雁だれなし]」を「恙」の誤とす。
 
寄v花
 
2349 吾屋戸爾。開有梅乎。月夜好美。夕夕令見。君乎社【社ヲ祚ニ誤ル】待也。
わがやどに。さきたるうめを。つくよよみ。よるよるみせむ。きみをこそまて。
 
古今六帖に、きみをこそまてと有るは古訓なり。社、今本祚に誤る、一本に據りて改めつ。也はいたづらに添へ書けり。
 參考 ○夕夕令見(考)ヨナヨナミセム(古、新)ヨヒヨヒミセム。
 
寄v夜
 
2350 足檜木乃。山下風波。雖不吹。君無夕者。豫寒毛。
あしびきの。やまのあらしは。ふかねども。きみなきよひは。かねてさむしも。
 
(85)嵐はまだ吹かねども、君と寢ぬ夜は寒きとなり。カネテと言へるは、いまだ冬にも入りたたぬ程の歌にて、あらかじめ寒き意なるべし。
 參考 ○山下風波(考、新)ヤマノアラシハ、又は、アラシノカゼハ(古)アラシノカゼハ。
 
萬葉集 卷第十 終
 
(87)萬葉集略解 卷第十一
 
目録に古今相聞往來歌類之上と有りて、此次卷十二の目録に同下とせり。歌數多ければ、上下とは分ちたるなり。古とは飛鳥岡本の宮の中頃より、清御原宮の比までの歌を言ひ、今とは藤原宮より、奈良宮の初めつ比までの歌を言ふなる事、載せたる歌の體にてしるし。
 
旋頭歌
 
2351 新室。壁草苅邇。御座給根。草如。依逢未通女者。公隨。
にひむろの。かべくさかりに。おはしたまはね。くさのごと。よりあふをとめは。きみがまにまに。
 
新たに造れる家の壁を塗るに、壁草も多く苅り用ふる物なれば、それをことばにて、末の草ノ如と言ふ言を言はん料とす。其時新室造るをもて、斯く言ひ出でしなるべし。壁草とは、今スサと言ふ物ならん。オハシタマハネは、來り給へなり。行クをも來ルをも、あがめてオハスと言へり。末は草の茂く生ふる如く寄り合へる女は、君がままにと言ふなり。
 參考 ○御座給根(代、考)略に同じ(古、新)イマシタマハネ ○依逢(新)「信逢」の誤として「シナフ」とす。
 
(88)2352 新室。踏靜子之。手玉鳴裳。玉如。所照公乎。内等白世。
にひむろを。ふみしづのこが。ただまならすも。たまのごと。てりたるきみを。うちへとまをせ。
 
新室には古今種種のいはひ事有ることなり。顯宗紀に室賀詞あり。また新室ならねど、出雲國神賀詞に、白御馬能前足爪後足爪、踏立事波、大宮御門柱乎、上石根爾、蹈堅米、下石根爾蹈凝立云云。寶龜元年紀の歌垣の歌に、乎止賣良爾《ヲトメラニ》、乎止古多智蘇比《ヲトコタチソヒ》、布美奈良須《フミナラス》、爾詩乃美夜古波《ニシノミヤコハ》、與呂豆與乃美夜《ヨロヅヨノミヤ》、など地に蹈|平《ナラ》す、家に蹈靜むと言ふ歌うたひて踊りなどする事有るべし。かくて其男の名を靜ノ子と言ひしに蹈靜と言ひ懸けたるなり。卷十六、足びきの山縵之兒、註に名曰2鬘子1と言ひ、卷十九、光神鳴波多をとめなど言ふ類ひなり。男の名にも妹子、紐子など古へは言ひつ。手玉は、古へは手にも足にも玉鈴など著けしなり。さて右は新室蹈までは序にて、靜子より下は、此男の來りて、手玉鳴らして、妹に知らせんとするを聞きて、内へ入り給へと、さるべきなかだちに言ひ懸けたるならん。玉ノ如照リタル君とは褒め言ふなり。
 參考 ○蹈靜子之(代)フムシヅケコガ(考)略に同じ(古、新)フミシヅムコガ ○所照公乎(代、古)テラセルキミヲ(考、新)略に同じ ○内等(代)ウチニト(考、古、新)略に同じ。
 
2353 長谷。弓槻下。吾隱在妻。赤根刺。所光月夜邇。人見點鴨。
はつせの。ゆづきがもとに。わがかくせるつま、あかねさし。てれるつくよに。ひとみてむかも。
 
(89)ユヅキは五百槻にて、初瀬に五百枝繁き槻の木の有りて、其れを斯く言へるなり。故有りて、其槻の木陰に假初に妹を隱し置きし事有りしなるべし。赤根サシは枕詞。見テムカモは見テアラムカとなり。
 
一云人見|豆良牟可《ツラムカ》。
 參考 ○人見點鴨「新」ヒトミケムカモ「點」を「監」の誤とす。
 
2354 健男之。念亂而。隱在其妻。天地。通雖光所。顯目八方。
ますらをの。おもひみだれて。かくせるそのつま。あめつちに。とほりてるとも。あらはれめやも。
 
丈夫の武き心も思ひ亂れて隱せし妹なれば、日の光の天地を照らして、隱れ無き如く有りとも、あらはさじとなり。或人云、亂は武の誤にて、オモヒタケビテならんかと言へり。神代紀、雄誥をヲタケビと訓めり。
 
一云大夫乃思|多鷄備?《タケビテ》
 
 參考 ○念亂而(考、古)オモヒタケビテ「亂」を「武」の誤とす(新)略に同じ。
 
2355 惠得。吾念妹者。早裳死耶。雖生。吾邇應依。人云名國。
うつくしと。わがもふいもは。はやもすぎねや。いけりとも。われによるべしと。ひとのいはなくに。
 
宣長云、或人云、惠得は息緒の誤にて、イキノヲニなりと言へり。誠に此歌はウツクシトと言ひては、下とかけ合ひ惡ろし、字もいかがなり。須伎の約シなれば、集中死の事を須伎と言へる多し。
(90) 參考 ○惠得(代、考)ウツクシト(古)イキノヲニ「息緒」の誤とす(新)メグシト(四言)○早裳死耶(考)略に同じ(古)ハヤモシネヤモ(新)ハヤモシネヤ(六言) ○應依(新)ヨスベシ。
 
2356 狛錦。紐片叙。床落邇祁留。明夜志。將來得云者。取置待。
こまにしき。ひものかたへぞ。とこにおちにける。あすのよし。きなむといはば。とりおきてまたむ。
 
高麗の錦を紐に專らせしなるべし、集中に多く見ゆ。夜シのシは助辭。
 參考 ○床落邇祁留(新)トコニイチタル又はトコニオチニタル、「祁」を誤字とす。 ○取置待(新)トリオキマタム。
 
2357 朝戸出。公足結乎。閏露原。早起。出乍吾毛。裳下閏奈。
あさとでの。きみがあゆひを。ぬらすつゆはら。はやくおきて。いでつつわれも。もすそぬらさな。
 
アユヒ、既に出づ。露原、うるはしき詞なるを。後に詠めるを聞かず。ヌラサナはヌラサムなり。閏は潤の略なり。健を略きて建と書く類ひ古へ多し。
 參考 ○早起(新)ツトニオキテ ○裳下閏奈(考、新)略に同じ(古)モノスソヌレナ。
 
2358 何爲。命本名。永欲爲。雖生。吾念妹。安不相。
なにせむに。いのちをもとな。ながくほりせむ。いけりとも。わがもふいもに。やすくあはなくに。
 
(91)命をよしな長からんと欲りして何かせんなり。
 參考 ○永欲爲(新)ナガクホリセシ ○雖生(代、新)イケレドモ(考、古)略に同じ。
 
2359 息緒。吾雖念。人目多社。吹風。有數數。應相物。
いきのをに。われはおもへど。ひとめおほみこそ。ふくかぜに。あらばしばしば。あふべきものを。
 
此次にをすのすけきに入通ひこねと言ふに同じく、風ならば人に見えずして通はんをと言ふなり。
 
2360 人祖。未通女兒居。守山邊柄。朝朝。通公。不來哀。
ひとのおやの。をとめこすゑて。もるやまべから。あさなさな。かよひしきみが。こねばかなしも。
 
上は序にて、卷十三飛鳥の御室山を、泣兒守山と詠めると同じく、ここも神南備山を言ふなり。集中に此山邊を通ふ事詠める多きは、飛鳥宮の時の歌なり。
 參考 ○不來哀(考)コヌハカナシモ(古、新)略に同じ。
 
2361 天在。一棚橋。何將行。穉草。妻所云。足莊嚴。
あめなる。ひとつたなはし。いかでかゆかむ。わかくさの。つまがりとへば。あゆひすらくを。
 
アメナル、ワカクサノ、枕詞。棚橋は柱を立て、貫を成し、其上に板を一ひら渡せるにて、瀧川の底深き所は渡りわぶめり。足纏は下を飾るなれば、歩行にままならぬ故に一棚橋はえ渡りかねなんと言へり。莊嚴の下に助辭の乎の字無きは、此人麻呂集の一つの書體にて、助辭は幾言も添へて讀むなり。アユヒ(92)の事は集中に多く、紀にも有るが中に安康紀に、瀰椰比等能阿由臂能古輸孺《ミヤヒトノアユヒノコスズ》と詠めれば、かざりなる事も思ひはかるべしと翁は言はれき。官長説、莊嚴は結發の誤にて、ツマガリト言ヒテ、アユヒシタタスと訓むべし。是れは人のうへを見て詠めるなり。道に一つ棚橋の有るを、如何にして行かんとするに、人が妻許行くと言ひて、あゆひし出立つよとなりと言へり。斯くては穩かなり。
 參考 ○一棚橋(新)オトタナバタヲ「乙棚機」の誤とす ○何將行(考)イカデカモユカム(古)ナニカサヤラム「行」を「障」の誤とす(新)ムカヘニヤユク「何將」を「迎耶」の誤とす ○妻所云(考)ツマカリトヘバ(古)ツマガリトイハバ(新)ツマガリトイヒテ ○足莊嚴(考)略に同じ(古)「足帶發」アユヒシタタム(新)「船」フネヨソハクモ。
 
2362 開木代。來背若子。欲云余。相狹丸。吾欲云。開木代來背。
やましろの。くぜのわくこが。ほしといふわを。あふさわに。わをほしといふ。やましろのくぜ。
 
山シロを開木代と書ける事既に言へり。クゼは乙訓郡來背の郷なり。そこに住める若き男を言ふ。アフサワ、卷八棹鹿のはぎに貫おける露の白玉相佐和仁云云と詠めり。そこに委しく言へり。此若子があはつけく我れを欲《ホ》しと言ふよと笑ふさまなり。
 參考 ○欲云余(代)ホシトイフワレヲ(考)ホシトイフワレ(古)ホシトイフアヲ(新)略に同じ ○開木代來背(新)「來背若子」としクセノワクゴガ。
 
(93)右十二首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
2363 崗前。多未足道乎。人莫通。在乍毛。公之來。曲道爲。
をかざきの。たみたるみちを。ひとなかよひそ。ありつつも。きみがきまさむ。よぎみちにせむ。
 
岡ザキ、地名にあらず。多未は、行タム、榜タムなど集中に多き詞にて、囘《タミ》と書けり、まはり行く道なり。其道を人の通はで有れかし、君が人目を避くる通路にせんにとなり。在リツツモは在リ在リテなり。古今集に、夢の通路人のよくらむなど言ふを、ここを以て知るべし。
 參考 ○岡前(考、新)略に同じ(古)ヲカノサキ ○人莫通(新)ヒトナ「塞」セキソネ ○公之來(新)キミガキタラム。
 
2364 玉垂。小簾之寸鷄吉仁。入通來根。足乳根之。母我問者。風跡將申。
たまだれの。をすのすけきに。いりかよひこね。たらちねの。ははがとはさば。かぜとまをさむ。
 
玉ダレノ、枕詞。スキを延べてスケキと言へり。トハサバは問ヒマサバなり。
 參考 ○小簾之寸鷄吉仁(新)ヲスノスキヨリ「寸」を衍「鷄」を「雛」「仁」を「從」の誤とす。
 
2365 内日左須。宮道爾相之。人妻?。玉緒之。念亂而。宿夜四曾多寸。
うちひさす。みやぢにあひし。ひとづまゆゑに。たまのをの。おもひみだれて。ぬるよしぞおほき。
 
ウチヒサス、枕詞。宮道は都の中にても、大内へ參り向ふ道を言ふ。?は字書に、遇也、陰陽相遇也と有(94)りて、ユヱと訓むべき由無し、故の誤か、されど集中人ヅマユヱニと言ふ所に、多く此字を用ひたるを見れば、猶故有らんか、考ふべし。【?字の義追加に云へり】玉の緒の如くと言ふを略けり。
 
2366 眞十鏡。見之賀登念。妹相可聞。玉緒之。絶有戀之。繁此者。
まそかがみ。みしがともひし。いもにあへるかも。たまのをの。たえたるこひの。しげきこのころ。
 
眞ソ鏡、玉ノ緒ノ、枕詞。見シガとは、見テシガナを略けるなり。一たび中絶えし妹を、今更に見てしがなと頻りに戀せらるる頃、其妹に逢へるを喜ぶなり。此は比の誤なるべし。
 參考 ○見之賀登念(古、新)ミシガトオモフ ○妹相可聞(古)イモニアハヌカモ(新)イモモアハヌカモ。
 
2367 海原之。路爾乘哉。吾戀居。大舟之。由多爾將有。人兒由惠爾。
うなばらの。みちにのれれや。わがこひをりて。おほぶねの。ゆたにあるらむ。ひとのこゆゑに。
 
宣長云、二の句のヤの言は、四の句のラムへ懸かれり。吾は海原の道を、船に乘れるにや、斯くの如くゆたのたゆたに物思ふらんとなり。ユタニアルラムは、吾が戀ひ居る心を言へるなりと言へり。
 
右五首。古歌集中出。
 
正述2心緒1
 
(95)物に寄せなどもせずして、心をただちに詠める歌どもを集めたり。
 
2368 垂乳根乃。母之手放。如是計。無爲便事者。未爲國。
たらちねの。ははがてかれて。かくばかり。すべなきことは。いまだせなくに。
 
母の手を離れてよりの意なり。スベナキコトハとは、物思ヒノ事ハと言ふなり。終の爾は言ひおさへて歎く詞。
 參考 ○母之手放(代、古、新)ハハガテハナレ ○未爲國(新)イマダアハナクニ
 
2369 人所寐。味宿不寐。早敷八四。公目尚。欲嘆。
ひとのぬる。うまいはねずて。はしきやし。きみがめすらを。ほりてなげくも。
 
ウマイはよく寐るなり、すべて事の調へるをウマシと言へり。末は君にあひ見ずして、斯く歎く事よと愁ふるなり。宣長云、所寐はヌルと訓みては、所の字餘れり、ナスと訓まんと云へり。
 參考 ○人所寐(古、新)「所」を衍とす ○欲嘆(代)ホシミナゲカク(古、新)略に同じ。
 
或本歌云。公|矣思爾《ヲオモフニ》。曉來鴨《アケニケルカモ》。
 
2370 戀死。戀死耶。玉桙。路行人。事告兼。
こひしなば。こひもしねとや。たまぼこの。みちゆきびとに。こともつげけむ。
 
玉ボコノ、枕詞。道行人に等閑にことづてせしより、いよよ悲しみに堪へぬなり。卷十五、こひしなば(96)古非毛之禰等也ほととぎす云云と詠めり。卷四、わがおもふ人の事も告こねと有れば、兼は無の誤にて、結句こともつげなくならんと宣長言へり。
 參考 ○事告兼(古)コトモツゲ「無」ナキ(新)コトキツゲ「無」ナク。
 
2371 心。千遍雖念。人不云。吾戀?。見依鴨。
こころには。ちたびおもへど。ひとにいはず。わがこふつまを。みむよしもがも。
 
上二句はしげく思ふよしなり。人ニ言ハズは忍びに戀ふるを言ふ。
 參考 ○吾戀?(古)アガコフイモヲ(新)ワガコフルツマ。
 
2372 是量。戀物。知者。遠可見。有物。
かくばかり。こひむものとし。しらませば。とほくみるべく。ありけるものを。
 
遠ク見ルベクは、ヨソニ見ルベクと言ふに同じ意なり。
 參考 ○戀物(古)コヒムモノゾト(新)コヒシキモノト ○遠可見(考)ヨソニミルべク(古)トホクミルベク(新)トホクノミミテ ○有物(新)アラマシモノヲ。
 
2373 何時。不戀時。雖不有。夕方抂。戀無乏。
いつはしも。こひぬときとは。あらねども。ゆふかたまけて。こひはすべなし。
 
夕カタマケは、夕べに向ひてなり。乏は爲の誤ならん。次下に隱沼の下ゆ戀れば無乏も、一本無爲と(97)あれば、ここも必ず誤れるなり。抂は借字のみ、借字は清濁にかかはらぬ事なり。卷十三長歌、何時橋物《イツハシモ》、不戀時等者《コヒヌトキトハ》、不有友《アラネドモ》、この長月を云云。
 參考 ○何時(考)イツハトハ(古、新)略に同じ ○戀無乏(考)コヒハスベナシ「乏」を「爲」とす(古)コフハスベナシ(新)コヒ「社益」コソマサレ。
 
2374 是耳。戀度。玉切。不知命。歳經管。
かくしのみ。こひやわたらむ。たまきはる。いのちもしらず。としをへにつつ。
 
カクシのシは助辭、玉キハル、枕詞、ヘニは經去の意なり。四の句にて切りて心得べし。
 參考 ○是耳(代、古、新)カクノミシ(考)略に同じ ○戀度(考、古)コヒシワタレバ(新)略に同じ ○歳經管(古)トシハヘニツツ(新)略に同じ。
 
2375 吾以後。所生人。如我。戀爲道。相與勿湯目。
われゆのち。うまれむひとは。わがごとく。こひするみちに。あひこすなゆめ。
 
與は乞の誤なり、此辭此卷に多し。如千歳有不與鴨《チトセノゴトモアリコセヌカモ》、また夢所見與《イメニミエコソ》と有るも同じく誤なり。其同じ意なるを、夢に見え社《コソ》、また打棄乞《ウツテコソ》、或るは、妹に告|乞《コソ》など書けるをむかへ見て知らる。ここのコスは、コソに同じく願ふことにて、常の辭の古曾とは異なり。此卷末に、絶とふ事を有超名湯目《アリコスナユメ》と有るに同じ。心は我が如く戀する道にあふ事なかれといさむるなり。
 
(98)2376 健男。現心。吾無。夜晝不云。戀度。
ますらをの。うつしごころも。われはなし。よるひるといはず。こひしわたれば。
 
ウツシ心はウツツゴコロと同じ、神代紀、顯國玉の顯をウツシと訓めり。
 
2377 何爲。命繼。吾妹。不戀前。死物。
なにせむに。いのちつぎけむ。わぎもこに。こひざるさきに。しなましものを。
 
何故に生きながらへけんとなり。
 參考 ○何爲(考)ナニストカ(古、新)略に同じ ○不戀前(考)コヒセヌサ千キニ(古、新)略に同じ。
 
2378 吉惠哉。不來座公。何爲。不厭吾。戀乍居。
よしゑやし。きまさぬきみを。なにせむに。いとはずわれは。こひつつをらむ。
 
哉の下にシの助辭は、常によみつくまじけれど、ここは例有る言なれば略ける物なり。次の早敷哉も同じ。
 參考 ○何爲(考)ナニストカ(古、新)略に同じ ○不厭吾(代、古)略に同じ(新)アカズモワレハ。
 
2379 見度。近渡乎。回。今哉來座。戀居。
(99)みわたせば。ちかきわたりを。たもとほり。いまやきますと。こひつつぞをる。
 
アタリと言ふべきを、ワタリと言ふ事も古く有りけん。近きあたりながら人目をよくとて、廻り道をして來るを今や今やと待つなり。
 參考 ○見度(古)ミワタシノ(新)略に同じ ○近渡乎(新)チカキサトミヲ「渡」を「里廻」の誤とす。
 
2380 早敷哉。誰障鴨。玉桙。路見遺。公不來座。
はしきやし。たがさふれかも。たまぼこの。みちみわすれて。きみかきまさぬ。
 
ハシキヤシは下の公を言ふなり。サフレカモは障レバカのバを略けり。誰人の障りて來まさぬか。又路を忘れて來まさぬかとなり。公カのカは清むべし。歟の意なり。
 參考 ○早敷哉(新)ウレタキヤ「早敷」を「慨哉」の誤とす ○路見遺(新)ミチハチカキヲ「見」を衍「遺」ヲ「近」の誤とす。
 
2381 公目。見欲。是二夜。千歳如。吾戀哉。
きみがめを。みまくほりして。このふたよ。ちとせのごとも。わがこふるかも。
 參考 ○公目(考)略に同じ(古、新)キミガメノ ○見欲(考)略に同じ(古)ミマクホシケミ(新)ミマクホシキニ
 
(100)2382 打日刺。宮道人。雖滿行。吾念公。正一人。
うちひさす。みやぢをひとは。みちゆけど。わがもふきみは。ただひとりのみ。
 
ミヤヂは上に出づ、大路往きかふ人の多きを言ふ。正は唯なり。
 參考 ○宮道人(考)ミヤヂノヒトハ(古、新)略に同じ ○公(新)ヒトハ「人」の誤とす。
 
2383 世中。常如。雖念。半手不忘。猶戀在。
よのなかは。つねかくのみと。おもへども。はたわすられず。なほこひにけり。
 
ハタは又と言ふに同じ。世の中は斯くとは思ひ明らめて居るとすれど、猶戀ふる方に引かれて、又終に忘られずと言へり。半手の手は多の草書より誤れるか、手は言の下に置きて、タと訓む例無し。按ずるに人麻呂集に假字書無き例なれば、半手など書くべきいはれ無し、全く誤字ならん。一字の二字になれる物ならんか。考ふべし。在はケリと訓める例有り。
 參考 ○常如(代)此字脱か又「如」は「女」の誤か(新)如の下「此」脱か ○半手不忘(考)略に同じ(古)「吾者」ワレハワスレズ(新)「哥」ウタテワスレズ ○猶戀在(代)ナホコヒニタリ(考)ナホゾコヒ「布」シキ(古、新)略に同じ。
 
2384 我勢古波。幸座。遍來。我告來。人來鴨。
わがせこは。さきくいますと。かへりきて。われにつげこむ。ひとのこぬかも。
 
(101)遍來は必ず誤りたるなるべし。適喪と有りつらんか、タマタマモと訓むべし。コヌカモは不來鴨と有るべきを、不を略き書ける例集中に多き事は、宣長既に言へり。是れは夫の旅なるを思ふ歌なるべし。
 參考 ○遍來(考)略に同じ(古)「遍多」タビマネク(新)「還」カヘリキテ ○我告來(考)ワレニツゲクル(古)アレニツゲコム(新)ワレニツゲナム「來」は衍とす ○人來鴨(考)ヒトノコムカモ(古)ヒトモコヌカモ(新)ヒトノ「無」ナキカモ。
 
2385 麁玉。五年雖經。吾戀。跡無戀。不止恠。
あらたまの。いつとせふれど。わがこふる。しるしなきこひの。やまずあやしも。
 
シルシナキはカヒナキと言ふに同じ。形跡の無き心にて跡と書きしかば、シルシナキと訓むべし。濱臣云、五は上の玉よりうつりて誤りて入りたるか、トシハフレドモならんと言へり。
 參考 ○五年雖經(古、新)トシハフレドモ「五」を衍とす ○跡無戀(考)シルシナキコヒゾ(古、新)アトナキコヒノ ○不止恠(考)略に同じ(古)ヤマヌアヤシモ(新)ヤマヌアヤシサ。
 
2386 石尚。行應通。建男。戀云事。後梅在。
いはほすら。ゆきとほるべき。ますらをも。こひとふことは。のちくいにけり。
 
巖をも押分け踏みさきて行くべき程の健男と言ふなり。建は健を省き書けるなり。
 參考 ○石尚(代)イハヲスラ(考、古、新)略に同じ ○健男(新)タケヲニモ ○云(考)略に(102)同じ(古、新)チフ ○後悔在(考、新)ノチノクイアリ(古)略に同じ。
 
2387 日位【位ハ低ノ誤】。人可知。今日。如千歳。有與鴨。
ひくれなば。ひとしりぬべし。けふのひの。ちとせのごとも。ありこせぬかも。
 
位、拾穗本に低に作るを善しとす。日暮れて却りて人目多き事の由有りて、今日の日は千歳の如く長く有れかしと願ふなるべし。位は並の誤にて、ヒナラベテならんかと翁言はれつれど、しばらく一本に據る。ここの與も乞の誤にて、さて乞の上、不の字落ちしか、又例の不を略き書けるにも有るべし。上にも言へる如く、有リコセヌカとはアレカシと願ふ言なり。
 參考 ○日位(代)ヒ「※[人偏+弖]」クレナバ(考、新)ヒ「並」ナラベバ(古)略に同じ ○如千歳(考)略に同じ(古、新)チトセノゴトキ。
 
2388 立座。態不知。雖念。妹不告。間使不來。
たちゐする。わざもしらえず。おもへども。いもにつげねば。まづかひもこず。
 
立居るべきわざをも忘れをる意を以て態を翁はタドキと訓みて、卷一の別紀に委しく書かれたり。されど暫く古訓に據る。斯くばかり思ふとは、妹に告げ知らせねば、使をさへおこさずとなり。間使は字の如くの意なり、既に出づ。
 參考 ○立座(考)タチテヲル(古)タチチヰテ(新)タチテヰム ○態不知(考、古)タドキモシ(103)ラズ(新)タドキモシラニ
 
2389 烏玉。是夜莫明。朱引。朝行公。待苦。
ぬばたまの。このよなあけそ。あからひく。あさゆくきみを。まてばくるしも。
 
ヌバタマノ、アカラヒク、枕詞。朝に別れては又來るを待つ間の苦しきなり。
 參考 ○待苦(古)略に同じ(新)「看」ミムガクルシサ。
 
2390 戀爲。死爲物。有者。我身于遍。死反。
こひするに。しにするものに。あらませば。わがみはちたび。しにかへらまし。
 
卷四笠女郎が、おもふにししにする物にあらませばちたびぞわれはしにかへらましと有るも同じものなり。何れかもとならん。
 
2391 玉響。昨夕。見物。今朝。可戀物。
たまゆらに。きのふのゆふべ。みしものを。けふのあしたに。こふべきものか。
 
玉ユラ、紀に手玉玲瓏を、タダマモユラ、瓊響??を、ヲヌナトモユラと訓み、此集卷廿、手にとるからにゆらぐ玉の緒など有るを思ふに、物に付けたる玉の相觸れて鳴る音なり。さて其音の幽かなるを以て、少なく乏しき事に取りて斯く言ふなり。後に露の玉ゆらなど言ひて、しばしばかりの事とするも、幽かなる意より轉じたるなり。
(104) 參考 ○玉響(代、考)略に同じ(古、新)「烏玉」ヌバタマノ
 
2392 中中。不見有從。相見。戀心。益念。
なかなかに。みざりしよりも。あひみては。こひしきこころ。ましておもほゆ。
 
此下にあふみのみしづくしらたましらずしてこひにしよりは今ぞまされると有るに同じ意なり。
 參考 ○不見有從(考、古、新)ミザリシヨリハ ○戀心(新)コヒシムココロ ○益念(考、新)略に同じ(古)イヨヨオモホユ。
 
2393 玉桙。道不行爲。有者。惻隱此有。戀不相。
たまぼこの。みちゆかずして。あらませば。ねもころかかる。こひにはあはじ。
 
道行く時にゆくりなく見そめて戀ふるなり。
 參考 ○惻隱此有戀不相(新)カカルコヒニハアハザラマシヲ「惻隱」を衍とす。
 
2394 朝影。吾身成。玉垣入。【垣入ハ蜻乃ノ誤】風所見。去子故。
あさかげに。わがみはなりぬ。かぎろひの。ほのかにみえて。いにしこゆゑに。
 
卷十二、朝影爾吾身者成奴|玉蜻髣髴《カギロヒノホノカニ》所見而往之兒故爾と全く同じ。されば垣は蜻の誤、入は乃の誤なる事しるし。今本タマガキノ、スキマニミエテと訓めるはひがことなり。朝影は痩せ衰へて、朝日にうつりて見ゆる影の如くになれるを言ふ。又思ふに此歌の書きざま乃の字を書べくも無し、入は衍文か。
(105) 參考 ○玉垣入(考)タマカキノ(古、新)タマカギル ○風所見(考)スキマニミエテ(古、新)略に同じ。
 
2395 行行。不相妹故。久方。天露霜。沾在哉。
ゆけどゆけど。あはぬいもゆゑ。ひさかたの。あめのつゆじもに。ぬれにけるかも。
 
逢はんとて行けども行けども、不v逢妹なる物をの意なり。
 參考 ○行行(新)マテドマテド「待待」の誤とす ○沾在哉(考)ヌレニタルカモ(古、新)略に同じ。
 
2396 玉坂。吾見人。何有。依以。亦一目見。
たまさかに。わがみしひとを。いかならむ。よしをもちてか。またひとめみむ。
 
タマサカはタマタマに同じく、幸ヒニなり。
 
2397 暫。不見戀。吾妹。日日來。事繁。
しまらくも。みねばこひしき。わぎもこを。ひにひにくれば。ことのしげけく。
 
ワギモ子ヲのヲは、ワギモコナルモノヲの意なり。
 參考 ○暫(考)シバラクモ(古)シマシクモ(新)シマラクモ又シマシクモ ○日日來車繁(新)ヒニヒニキナバコトノシゲケム。
 
(106)2398 年【年ハ玉ノ誤】切。及世定。恃。公依。事繁。
たまきはる。よまでさだめて。たのめたる。きみによりてし。ことのしげけく。
 
年は玉の誤なり、上にも玉切と書けり。タマキハル、枕詞。命終るまで逢はんと思ひ定めて、たのませたると言ふなり。ヨリテシのシは助辭。
 參考 ○及世定(新)「定」を「竟」の誤として、ヨノハテマデトとす ○恃(新)タノミタル ○公依(代)キミニヨリテヤ(考)キミニヨリテハ(古)略に同じ(新)キミニヨリテバ ○事繁(新)コトシゲクトモ。
 
2399 朱引。秦不經。雖寐。心異。我不念。
あからひく。はだもふれずて。ねたれども。こころをけには。わがもはなくに。
 
アカラ引、枕詞。二の句借字にて、膚も不v觸なり。ケニハ云云は、カハラズ思フとなり。
 參考 ○雖寐(古)略に同じ(新)ネヌレドモ ○心異(代)略に同じ(考)ココロニケシク(古、新)ケシキココロヲ「異心」とす。
 
2400 伊田何。極太甚。利心。及失念。戀故。
いでいかに。ねもころごろに。とごころの。うするまでもふ。こふらくのゆゑ。
 
イデは言ひ起こす詞、トゴコロは利き心なり。四の句にて句とすべし。極太甚は、此末に、大船にまか(107)ぢしじぬきこぐほども極太戀し年にあらばいかにと言ふも、ネモコロと訓むべければ、ここもネモコロゴロと訓むべきよし宣長言へり。
 參考 ○極太甚(考)イトモハナハダ(古)略に同じ(新)ココダクニワガ「甚」を「吾」の誤とす ○戀故(新)アハヌコユヱニ「戀」を「不相子」の誤とす。
 
2401 戀死。戀死哉。我妹。吾家門。過行。
こひしなば。こひもしねとや。わぎもこが。わぎへのかどを。すぎてゆくらむ。
 
上にも一二の句同じ歌有り。
 參考 ○吾家(古)略に同じ(新)ワキベ。
 
2402 妹當。遠見者。恠。吾戀。相依無。
いもがあたり。とほくしみれば。あやしくも。われはぞこふる。あふよしをなみ。
 
直に逢ふ由は無くして、妹が家のあたりを遠く見やれば、あやしきまで戀しく思ふとなり。
 參考 ○遠見者(考)マトホクミテハ(古)略に同じ(新)トホクミユレバ ○吾戀(考)ワレハコフラク(古)アレハゾコフル(新)ワガコヒヤミヌ「戀」の下「息」又は「止」を補ふ ○相依無(考、新)アフヨシナキニ(古)略に同じ。
 
2403 玉久世。清河原。身祓【祓ヲ※[禾+祓の旁]ニ誤ル】爲。齋命。妹爲。
(108)たまくぜの。きよきかはらに。みそぎして。いはふいのちも。いもがためこそ。
 
和名抄、出城久世郡久世郷見ゆれば、玉久世と言へる川の名有るか、妹が爲めにこそ吾命も祈れとなり。卷十二、あがふいのもも妹がためこそと言ふに同じ。宣長云、玉は山の誤にて、代を脱し、清は能の字ならん、さらばヤマシロノ、クセノカハラニと訓むべしと言へり。されどここは能の字を添ふべき書きざまに有らず、考ふべし。
 參考 ○玉久世云云(考)略に同じ(古)ヤマシロノクセノカハラニ「山背久世河原」の誤とす(新)玉清久世の誤としてタマキヨキクセノカハラニとす ○齋命(代)イハフ(考、古)イハフイノチハ(新)イノルイノチモ。
 
2404 思依。見依物。有。一日間。忘念。
おもふより。みるよりものは。あるものを。ひとひへだつを。わするとおもはむ。
 
契沖は人の方より我が思ひの程を思ひはかり、色をうかがひみるよりは、我が思ひは深くて有る物をと言ふ意なりと言へれど、穩かならず。誤字有らんか、猶考ふべし。
 參考 ○思依(考)略に同じ(古、新)オモヒヨリ ○見依物(考)ミルニハアケル「見飽」とす(古)ミヨリシモノヲ(新)「見依」を「依宿」の誤としヨリネシモノヲとす ○有(考)モノカラニ「物有」とす(古)ナニストカ「何」の誤とす(新)「何有」としてイカナレカとす ○一日間(109)(代)ヒトヒノホドヲ(考、古、新)略に同じ ○忘念(代)ワスレテオモヘヤ(考、古、新)略に同じ。
 
2405 垣廬鳴。人雖云。狛錦。紐解開。公無。
かきほなす。ひとはいへども。こまにしき。ひもときあけし。きみならなくに。
 
垣|秀如《ホナス》は、シゲキと言ふ意なり、隔つる意とするは惡ろし。いまだ紐解き明けて相ねし君にも有らぬ物を、人はさまざまに言ひ騷ぐよとなり。
 參考 ○紐解開(考)ヒモトキサケシ(古、新)略に同じ。
 
2406 狛錦。紐解開。夕戸【戸ハ谷ノ誤】。不知有命。戀有。
こまにしき。ひもときあけて。ゆふべだに。しらざるいのち。こひつつかあらむ。
 
古訓、戸をトモと訓みたれど、しか訓むべからず、谷の字の誤なるべし。終句は戀ひつつ有らんやはの意なり。宣長云、三四一二五と句を次第して心得べしと言へり。
 參考 ○紐解開(新)ヒモトキアケム ○戀有(考)コヒツツヤアラム(古、新)略に同じ。
 
2407 百積。船潜納。八占刺。母雖問。其名不謂。
ももさかの。ふねかづきいるる。やうらさし。はははとふとも。そのなはのらじ。
 
百サカは百尺なり。サカは十|量《ハカリ》と言ふ言にて、積は借字のみ。仁コ紀に那珥波譬苫須儒赴泥苫羅齊許辭(110)那豆瀰《ナニハビトスズフネトラセコシナヅミ》と言ふ如く、多くの船子どもが、波に下り立ちて、船を潜きつつ浦へ入るなり。その浦を占に言ひ懸けたる序なり。八は彌にて多くの占を云ふか。刺は其れと指し顯はす占の詞なるべし。心は多くの占かたに彼男ぞと、指し顯はしたるを以て、母は問ふとも、猶もだし居らんと言ふなり。下にしはせ山責て問とも其名はのらじと言ふ類ひなり。
 參考 ○百積(代、考、新)略に同じ(古)モモツミノ ○船潜納(代、考)フネカヅキイレ(古、新)フネ「漕」コギイルル ○不謂(考)イハジ(古、新)略に同じ。
 
2408 眉根削。鼻鳴紐解。待哉。何時見。念吾君。
まゆねかき。はなひひもとけ。まてりやも。いつかもみむと。おもへるわぎみ。
 
男の妹許行きて、妹に對ひて言へるなり。上に妹が待つらんさまを言ひ、下に我心を言へり。末に、上は同じくて下、いつかもみむと戀ひこし吾を、と有る方穩かなり。是れは其歌を傳へ誤れるか。
 參考 ○眉根(古)マヨネ ○待哉(考)マタムカモ(古)略に同じ(新)マツラムヤ ○念吾君(考)オモヘルワギモ「君」を「妹」とす(古)略に同じ(新)「吾念」ワガオモフキミ。
 
2409 君戀。浦經居。悔。我裏紐。結手徒。
きみにこひ。うらぶれをれば。くやしくも。わがしたひもを。ゆふてもただに。
 
徒は倦の誤ならん、ユフテタユシモと訓むべし。卷十二にも、わがひものをの結手懈毛と有りて、タユ(111)シモと訓めり。悔も恠の誤ならんか、アヤシクモと有るべきなり。
 參考 ○悔(考、古、新)「恠」アヤシクモ ○我裏紐(考)略に同じ(古)ワガシタヒモノ(新)シタヒキトケテ「我」は衍、紐の下「解」を補ふ ○結手徒(代)ユフテモタダニ(考、古、新)ユフテタユシモ「徒」を「倦」の誤とす。
 
2410  璞之。年者竟杼。敷白之。袖易子少。忘而念哉。
あらたまの。としははつれど。しきたへの。そでかへしこを。わすれておもへや。
 
白の下、布か、妙の字脱ちたるならん。袖易は、手を交す時は、袖も共に交れる故に言へり。袖サシカヘテとも詠めり。忘レテオモヘヤは、既に言へる如くワスレメヤと言ふなり。少を助辭の所に書ける例無し、乎の誤なるべし。春逢ひて其年は暮るれども忘れぬと言ふなり。
 參考 ○年者竟杼(代、古)略に同じ(考)トシハヲハレド(新)トシハヘヌレド「竟」を「經」の誤とす。
 
2411 白細布。袖小端。見柄。如是有戀。吾爲鴨。
しろたへの。そでをはつはつ。みてしから。かかるこひをも。われはするかも。
 
卷七にも小端をハツハツと訓めり。
 參考 ○袖小端(代、古、新)略に同じ(考)ソデヲハツカニ ○見柄(考)略に同じ(古、新)ミ(112)シカラニ。
 
2412 我妹。戀無之【之ハ爲ノ誤】。夢見。吾雖念。不所寐。
わぎもこに。こひすべなかり。いめにみむと。あれはおもへど。いねらえなくに。
 
之は爲の字の誤なるべし。卷十二、吾妹兒に戀|爲便名鴈《スベナカリ》、卷十七、わがせこに古|非須弊奈賀利《ヒスベナカリ》と有り。
 參考 ○戀無之(考)コヒテスベナシ「之」を「爲」とす(古)コヒスベナカリ「之」を「乏」の誤とす(新)コヒテスベナミ「乏」を誤とす。
 
2413 故無。吾裏紐。【紐ヲ?ニ誤ル】。令解。人莫知。及正逢。
ゆゑもなく。わがしたひもぞ。とけしむる。ひとにしらゆな。ただにあふまで。
 
君が戀ふればこそ、故も無きに下紐の解くらめ。直ちに逢ふまでは、しか思ふ事を、人に知らるなとなり。
 參考 ○故無(考)ユヱナシニ(古、新)略に同じ ○紐(代、考)ヒモヲ(古、新)略に同じ ○令解(代)トケシメテ(考)トカシメテ(古、新)「今」イマトクル ○人莫知(考)ヒトニシラスナ(古)ヒトニナシラセ(新)略に同じ「莫」の下「所」を補ふ。
 
2414 戀事。意追不得。出行者。山川。不知來。
こふること。なぐさめかねて。いでゆけば。やまもかはをも。しらずきにけり。
 
(113)追は進の字の誤なるべし。心も空にて、山をも川をも辨へず來たれりと言ふなり。
 參考 ○意追不得(考)略に同じ(古)ココロヤリカネ「追」を「遣」の誤とす(新)訓は略に同く字は(古)の説に據る。
 
寄v物陳v思
 
2415 處女等之【之ヲ乎ニ誤ル】。袖振山。水垣。久時由。念來吾等者。
をとめらが。そでふるやまの。みづかきの。ひさしきときゆ。もひこしわれは。
 
之、今本乎と有るは誤なり。卷四に人麻呂の歌とて既に出でたり。本は布留山のみづ垣の古りにし世より傳ふれば、久しと言はん序に言へるのみ。
 參考 ○處女等乎(考、新)略に同じ(古)ヲトメラヲ ○念來吾等者(考)オモヒコシワレハ(古)オモヒコシアハ(新)モヒキツワレハ。
 
2416 千早振。神持在。命。誰爲。長欲爲。
ちはやぶる。かみのたもてる。いのちをも。たれがためにか。ながくほりせむ。
 
神ノタモテルは、神のみ心のままなる命と言ふ意か。宣長云、持は?の誤にて、神ニイノレルならんと言へり。
(114) 參考 ○神持在(考)カミニ「?」ノミタル(古)カミニ「?」イノレル(新)カミノタモテル ○命(考)略に同じ(古、新)イノチヲバ ○誰爲(新)タガタメニカモ ○長欲爲(考)略に同じ(古、新)ナガクホリスル。
 
2417 石上。振神杉。神成。戀我。更爲鴨。
いそのかみ。ふるのかみすぎ。かみさびて。こひをもわれは。さらにするかも。
 
神サビは上に言へる如く神夫理したる事なるを。古き事、久しき事にも轉じ言へり、其意を得て神成とは書きたるなり。卷十、石上振の神杉神左備て吾は更更戀に逢ひにけりと言へるに似たり。
 參考 ○神杉(古、新)カムスギ ○神成(考)略に同じ(古、新)カムサビテ。
 
2418 何。名負神。幣嚮奉者。吾念妹。夢谷見。
いかばかり。なにおふかみに。たむけせば。わがおもふいもを。いめにだにみむ。
 
名ニ負フ神とは、いづこの社と指せるにも有らず、御しるし有りと名高き神を言ふならんと翁は言はれき。宣長云、名は在の誤、負は皇の誤にて、イカナラム、スメガミニヌサ、タムケバカと訓まんと言へり。
 參考 ○何(考)略に同じ(古、新)イカナラム ○名負神(考)略に同じ(古)ナオヘルカミニ(新)ナヲオフカミニ。
 
(115)2419 天地。言名絶。有。汝吾。相事止。
あめつちと。いふなのたえて。あらばこそ。いましとわれと。あふことやまめ。
 
天地のあらん限り戀ひんとなり。汝を此下に伊麻思とあり。
 參考 ○天地言名絶(新)アメツチニ、ワガナノタエテ ○汝吾(考)ナレニワガアフ「相」までを句とす(古)略に同じ(新)ナレトワレトノ ○相事止(考)コトモヤミナハ「相」は上へつく(古、新)略に同じ。
 
2420 月見。國同。山隔。愛妹。隔有鴨。
つきみれば。くにはおなじぞ。やまへなり。うるはしいもが。へなりたるかも。
 
卷十八、つき見れば於奈自久爾奈里やまこそは君があたりをへだてたりけれ、と有るに同じ。今は其歌を誤り傳へたるならん。
 參考 ○國同(考)オナジクニナリ(古)クニハオヤジゾ(新)クニオナジキヲ ○山隔(考)ヤマコソハ「隔」を「許」の誤とす(新)ヤマヘダテ ○愛妹(考)ウツクシイモヲ(古、新)ウツクシイモガ。
 
2421 ?路者。石蹈山。無鴨。吾待公。馬爪盡。
くるみちは。いはふむやまの。なくもがも。わがまつきみが。うまつまづくに。
 
(116)和名抄、?車(久流)絡v糸取也とあれば、來ると言ふに借りて書けるか。末は馬爪衝かんにと言ふなり。
 參考 ○?路者(代、新)「?」を「繰」の誤とす(考、新)略に同じ(古)「參」マヰリヂハ ○石蹈山(考)イシフムヤマノ(古、新)略に同じ。
 
2422 石根蹈。重成山。雖不有。不相日數。戀渡鴨。
いはねふみ。かさなる《へなれる》やまは。あらねども。あはぬひまねみ。こひわたるかも。
 
マネミは數多きを言ふなり。
 參考 ○石根蹈(新)イハネフム ○重成山(考、新)カサナルヤマニ(古)ヘナレルヤマハ。
 
2423 路後。深津嶋山。暫。君目不見。苦有。
みちのしり。ふかつしまやま。しましくも。きみがめみねば。くるしかりけり。
 
續紀養老五年、分2備後國宇那郡1。置2深津郡1是れより先、景行紀、日本武尊到2吉備1以渡2穴海1と有り。斯かれば穴海は安那郡にて、此ミチノシリは備後なり。下に其地名を言ふ時は、路の後、道の口とのみ言へり。上はシマシクモと言はん序のみ。
 參考 ○暫(代、古)略に同じ(考)シマラクモ(新)シバシダニ。
 
2424 紐鏡。能登香山。誰故。君來座在。紐不開寐。
(117)ひもかがみ。のとかのやまは。たがゆゑぞ。きみきませるに。ひもあけずねむ。
 
ヒモカガミ、枕詞。ノトカノ山は何處にか考ふべし。鏡の裏の紐は、臺に懸けん料なれば、常に著け置きて、解く事なき故に、莫解《ナトキ》ソと言ふべきを、音を通はせて、能トカノ山に言ひ懸けたり。心は紐ナ解キソと言ふ山の名は、誰が故ぞや、思ふ人の來れる夜に衣の紐解き明けずして寐んやはと言ふなり。
 參考 ○能登香山(新)ノトカノヤマト ○誰故(古)タレユニゾ(新)タレカイフ「故」を「言」の誤とす ○君來座在(新)キミキマセルヲ ○紐不開寐(代、古)略に同じ(考)トカズ(新)ヒモアケザレヤ「寐」を「耶」の誤とす。
 
2425 山科。強田山。馬雖在。歩吾來。汝念不得。
やましなの。こはたのやまを。うまはあれど。かちよりわがく。なをもひかねて。
 
和名抄、山城宇治郡山科、是れを後世、こばたの山に馬はあれどかちよりぞくる君をおもへば、と直して唱ふるはひが事なり。斯くては此山に馬の有るやうに聞ゆ。是れは馬は我がもたれど、こはたの山をかちより來ると言ふなり。
 參考 ○歩吾來(考)略に同じ(古、新)カチユワガコシ(古)の一訓カチユアガケル ○汝念不得(考、新)略に同じ(古)ナヲオモヒカネ。
 
2426 遠山。霞被。益遐。妹目不見。吾戀。
(118)とほやまに。かすみたなびき。いやとほに。いもがめみずて。わがこふらくも。
 
上は逢はぬ程の遠く成り行くを言はん序のみ。
 參考 ○益遐(考)イヤトホミ(古、新)略に同じ ○妹目不見(考、新)略に同じ(古)イモガメミネバ ○吾戀(考、新)略に同じ(古)アレコヒニケリ。
 
2427 是川。瀬瀬敷浪。布布。妹心。乘在鴨。
このかはの。せぜのしきなみ。しくしくに。いもがこころに。のりにけるかも。
 
後世歌を設けて詠むには上などに、其地名なくて、此川、此山などは詠まず。はた次に宇治渡とも有れば、かの氏上を是上とも書けるによりて、是川は則ちウヂ川と訓むならんと東滿翁の説も有れど、古へ斯かる所多くは其地に向ひて訓めるからは、後の題詠とは違へり。然ればいづこにもあれ、指すよし有りてコノ川と言へるなるべし。末は卷十、春さればしだり柳のとををにも妹が心にのりにけるかもと同じ。
 參考 ○是川(新)ウヂガハノ ○瀬瀬敷浪(古)セゼニシクナミ(新)略に同じ ○乘在鴨(考)ノリニタルカモ(古、新)略に同じ。
 
2428 千早人。宇治度。速瀬。不相有。後我?。
ちはやびと。うぢのわたりの。はやきせに。あはずありとも。のち|も《は》わがつま。
 
(119)チハヤ人、枕詞。速きと言ひて、則ちはやき時の事にとるも、集中の一つの例なり。ハヤクとはさきにと言ふに同じ。
 參考 ○速瀬(新)セヲハヤミ「瀬速」の顛倒とす ○後我?(古、新)ノチハワガツマ。
 
2429 早敷哉。不相子故。徒。是川瀬。裳襴潤。
はしきやし。あはぬこゆゑに。いたづらに。このかはのせに。ものすそぬれぬ。
 
アハヌ子故ニは、逢ハヌ子ナルモノヲなり。妹に逢はんとて川瀬を渡り行きて、むなしく不v逢《アハザル》を言へり。
 參考 ○是川瀬(新)ウヂガハノセニ ○裳襴潤(考)ヌラシヌ(古)略に同じ(新)モスソヌラシツ。
 
2430 是川。水阿和逆纏。行水。事不反。思始爲。
このかはの。みなわさかまき。ゆくみづの。ことはかへさじ。もひそめたれば。
 
水の阿和の、乃阿の約奈なれば、美奈和と唱ふべし。逆卷き流るる早川の如く、一たび思ひ初めて言ひ出でたれば、如何なる事有りとも、言ひ返さじとなり。事は言の意なり。また反は變の誤にて、コトハカハラジならんか。
 參考 ○是川(古)コノカハニ(新)ウヂガハノ ○事不反(考)略に同じ(古、新)コトカヘサズ(120)ゾ ○思始爲(考)略に同じ(古、新)オモヒソメテシ
 
2431 鴨川。後瀬靜。後相。妹者我。雖不今。
かもがはの。のちせしづけく。のちもあはむ。いもにはわれよ。いまならずとも。
 
山城の鴨河の事か、他にも鴨と言ふ所多ければ定め難し。後瀬は下津瀬を言ふ、川後と言ふに同じ。上は後と言はん序にて、さて下つ瀬の靜かなるを以て、後に靜かに逢はんと言ひなしたり。卷四、一瀬には千度さはらひ行水の後にもあはん今ならずとも。
 參考 ○鴨川(考、新)略に同じ(古)カモガハハ ○後瀬靜(考)ノチセシヅカニ(古)ノチセシヅケシ(新)略に同じ ○後相 (考、新)略に同じ(古)ノチハアハム ○妹者我(代、考、新)イモニハワレハ(古)アレハ。
 
2432 言出。云忌忌。山川之。當都心。塞耐在。
ことにいでて。いはばゆゆしみ。やまがはの。たぎつこころを。せきあへてけり。
 
言ひ出でんは忌忌《ユユ》しければ、山川の如くたぎる心を塞きとどめつと言ふなり。在をケリと訓むは上にも例有り。
 參考 ○言出(考、新)略に同じ(古)コトニデテ ○塞耐在(代)セカヘタルカモ、セカヘテゾアル(考)セキゾカネタル(古)セカヘタリケリ(新)セキゾアヘタル。
 
(121)2433 水上。如數書。吾命。妹相。受日鶴鴨。
みづのうへに。かずかくごとき。わがいのち。いもにあはむと。うけびつるかも。
 
物の數を水に書くに、書くがまにまに消え行くを、はかなき命に譬へたり。數とは一二三の數を言ふのみ。涅槃經に、是身無v常云云、如v書v水、隨書隨合と有るをも思ひて詠めるなるべし。ウケビは紀に祈を訓めり。
 參考 ○水上(古)ミヅノヘニ(新)略に同じ ○吾命(古)ワガイノチヲ(新)略に同じ ○受日(考、古、新)ウケヒ。
 
2434 荒礒越。外往波乃。外心。吾者不思。戀而死鞆。
ありそこえ。ほかゆくなみの。ほかごころ。われはおもはじ。こひてしぬとも。
 
此下に儲溝方《マケミゾノベ》に吾こえめやもと言ふ歌の如く、あだし心は持たじと言ふなり。
 
2435 淡海海。奧白浪。雖不知。妹所云。七日越來。
あふみのみ。おきつしらなみ。しらねども。いもがりといはば。なぬかこえこむ。
 
上はシラネドモと言はん序なり。その所は知らねども、妹許と言はば、幾日も海山をも越えて、來りなんとなり。卷十に、七日しふらば七日こじとやなど言へる如く、七は數多きを言ふのみ。又宣長云、或人説に、七日は直の誤にて、イモガリトイヘバ、タダニコエキヌなりと言へり。
(122) 參考 ○雖不知(新)シラズトキ ○妹所云(古)イモガリトイヘバ(新)略に同じ ○七日越來(古)タダノコエキヌ「七日」を「直」の誤とす(新)「七日」は「山母」などの誤か。
 
2436 大船。香取海。慍下。何有人。物不念有。
おほぶねの。かとりりうみに。いかりおろし。いかなるひとか。ものおもはざらむ。
 
大船ノ、枕詞。下總の香取の海も有れど、卷七、いづこにか舟のりしけむ高島の香取の浦ゆこぎ出來船と言ふに依るに、此前後のついでも有れば、近江のかとりなるべし。慍、借字にて碇なり。さてイカナルと言はん序のみ。和名抄四聲字苑云、海中以v石駐v舟曰v碇(和名伊加利)此下にイカリを重石とも書きたり。
 參考 ○物不念有(古、新)モノモハザラム。
 
2437 奧藻。隱障浪。五百重浪。千重敷敷。戀度鴨。
おきつもを。かくさふなみの。いほへなみ。ちへしくしくに。こひわたるかも。
 
障は心無し、カクスを延べてカクサフと言へり、上は序のみ。
 
2438 人事。暫吾妹。繩手引。從海益。深念。
ひとごとは。しましぞわぎも。つなでひく。うみよりまして。ふかくしおもほゆ。
 
人の物言ひ騷ぐはしばらくの程ぞ、海より深く思ふ心は變らじと、妹に言ひ教ふるなり。ツナデ引クは(123)海と言はん料のみ。宣長云、暫は繁の誤なるべし、人ゴトノ、シゲケキワギモとか、繁キワギモコとか訓むべしと言へり、さては穩かなり。
 參考 ○人事(古)ヒトゴトノ(新)ヒトゴトヲ ○暫吾妹(考)暫ク(古)シゲケキワギモ(新)シゲミトワギモ ○從海益(古、新)ウミユマサリテ ○深念(考)略に同じ(古、新)フカクシゾモフ。
 
2439 淡海。奧島山。奧儲。吾念妹。事繁。
あふみのみ。おきつしまやま。おくまけて。わがもふいもが。ことのしげけく。
 
此卷の末に、三の句を奧間經而として載せたり、海、今一字有りしが落ちしなるべし、上に例有り。神名帳、近江蒲生郡奧津島神社有り、ここを言ふなるべし。さてオクマケと言はん序のみ。オクマケテは、オクマヘテと同じく、奧メテなり。奧メテは深メテと言ふにひとし。又末の事を奧と言へるも有れば、末をたのめて有る間に、人言の繁ければ、末おぼつかなしと言ふにも有るべし。
 參考 ○吾念妹(古)略に同じ(新)ワガモフイモヲ。
 
2440 近江海。奧榜【榜ヲ滂ニ誤ル】船。重【石ヲ脱ス】下。藏公之。事待吾序。
あふみのみ。おきこぐふねに。いかりおろし。かくれてきみが。ことまつわれぞ。
 
重の下石の字を落せり。本は序にて、藏はイカクルと訓みて、イは發語、カクル君とは、忍びて在るを(124)言ふ。さてそなたより顯はし言はん言を待つとなるべしと翁言はれき。宣長云、カクレテとは、浦隱れ居て、風を候ふを言ふ。そは譬へのみにて、歌の意に忍び隱るる意は無し。此イカリ下シは、序には有らじと言へり、猶考ふべし。榜、今本滂とせるは誤なり。
 參考 ○奧榜船(新)オキコグフネノ ○藏公之(新)マモリテキミガ「藏」を「候」の誤とす。
 
2441 隱沼。從裏戀者。無乏。妹名告。忌物矣。
こもりぬの。したゆこふれば。すべをなみ。いもがなのりつ。いむべきものを。
 
乏は爲の誤なるべし。古事記、許母理豆能志多用波閉都都《コモリヅノシタヨハヘツツ》とも有れば、コモリヌと訓むべし。卷二、埴安の池の堤のこもりぬのとも詠めり。さてコモリヅはコモリ水なり。コモリヌは、ここに書ける如く、隱りたる沼にて、同じ意なり。心は下にのみ戀ひてせんすべ無ければ、ゆゆしけれど、媒に妹が名をも告げて言ひ寄するなり。此下、隱沼乃下爾|戀者飽不足《コフレハアキタラズ》人爾語都|可忌《イムベキ》物乎と有るに似たり。
 參考 ○忌物矣(新)ユユシキモノヲ。
 
2442 大土。採雖盡。世中。盡不得物。戀在。
おほつちも。とればつくれど。よのなかに。つきせぬものは。こひにしありけり。
 
大土は唯だ土を言へり。
 參考 ○盡不得物(考)ツキセヌモノハ「不盡物」の誤とす(古)ツキエヌモノハ(新)「得」を「爲」(125)の誤とす、訓は略に同じ。
 
2443 隱處。澤泉在。石根。通念。吾戀者。
こもりづの。さはいづみなる。いはねゆも。とほしてぞおもふ。わがこふらくは。
 
コモリヅは上に言へる如くコモリ水なり。處はドと訓めるを以て、通はせてヅに用ひたり。右に引ける古事記の、こもりづのしたよばへつつと言へるは枕詞なり。今は枕詞にあらず。さて澤泉は地名ならで、澤水を言へり。こもれる水の石根より流れ通ると言ふより、我が下におもひ通ふに言ひくだしたり。此卷末に、終の句君にあはまくはとせるのみにて全く同じ歌有り。
 參考 ○隱處(新)コモリドノ ○澤泉在(新)サハタツミナラバ「澤立水在者」とす ○石根(代)イハネニモ(古、新)イハネヲモ ○通念(考)カヨヒテゾモフ(古)トホシテゾモフ(新)トホスベクゾモフ「通」の上に「可」を補ふ。
 
2444 白檀。石邊山。常石有。命哉。戀乍居。
しらまゆみ。いそべのやまの。ときはなる。いのちなれやも。こひつつをらむ。
 
シラマユミ、枕詞。上はトキハと言はん序のみ。命ナレヤモは、命ナラムヤの意なり。心は、いつまでもながらふべき命ならねば、命の限り戀ひつつのみ居らんと言ふなり。契沖云、イソベは此前後近江を詠める歌多ければ、今イシ邊と言ふ所にやと言へり。されど地名ならずして、唯だ磯邊にても有るべし。
(126) 參考 ○命哉(考)イノチモガモト(古)略に同じ(新)イノチニモガモ。
 
2445 淡海海。沈白玉。不知。從戀者。今【今ヲ令ニ誤ル】益。
あふみのみ。しづくしらたま。しらずして。こひつるよりは。いまぞまされる。
 
水海にも玉を言ふ由有るか、契沖は浪の玉なりと言へれど、然らばシヅクとは言ふべからず。上は知ラズシテと言はん序なり。歌の意は上に中中に見ざりしよりは云云と言へるに同じ。今を今令に誤れり。
 參考 ○不知(新)シラザリシ ○從戀者(考)コヒテシヨリハ(古)略に問じ(新)トキヨリコヒハ「從」の上に「時」を補ふ。
 
2446 白玉。纏持。從今【今ヲ令ニ誤ル】。吾玉爲。知時谷。
しらたまを。まきてぞもたる。いまよりは。わがたまにせむ。しれるときだに。
 
此の知るは妹を相知るなり。妹に初めて逢ふ事を得て、其母などにまだ知らせねば、末は知らねど、今相知る時をだに、吾が物と思ひ定めんとなり。今を今令に誤れり。
 參考 ○纏持(考)マキテモタレバ(古)略に同じ(新)テニマキモチテ「纏」の「上」手を補ふ。 ○知時谷(新)シレル「後」ノチダニ。
 
2447 白玉。從手纏。不忘。念。何畢。
しらたまを。てにまきしより。わすれじと。おもひしことは。いつかやむべき。
 
(127)是れも右と同じ時に詠めるに似たり。宣長云、念の下、心の字を脱し、畢は異の誤にて、オモフココロハ、イツカカハラムと有りしなるべしと言へり。
 參考 ○念(考、古、新)オモフココロハ(古、新)念の下「心」を脱す ○内畢(代)イツカヲヘナム(考)略に同じ(古、新)イツカカハラム「畢」を「異」の誤とす。
 
2448 烏【烏ハ白ノ誤カ】玉。間開乍。貫緒。縛依。後相物。
しらたまを。あひだあけつつ。ぬけるをも。くくりよすれば。のちあふものを。
 
烏は白の字の誤なるべし、ヌバ玉と言はん由無し、冠辭考に委し。今は逢ふこと難くとも、後に逢はんと言ふを譬へたり。
 參考 ○烏玉(代)ヌバタマノ(考、古)「白」シラタマノ(新)略に同じ ○間開乍(代、古、新)略に同じ(考)アヒダオキツツ ○縛依(代)ムスベバヨリテ(考、古、新)略に同じ。
 
2449 香山爾。雲位桁曳。於保保思久。相見子等乎。後戀牟鴨。
かぐやまに。くもゐたなびき。おほほしく。あひみしこらを。のちこひむかも。
 
桁は棚の誤か、上はオホホシクと言はん序のみ。オホホシクはオボツカナクなり。
 
2450 雲間從。狹【狹ヲ※[行人偏+夾]ニ誤ル】經(○經ハ徑ノ誤)月乃。於保保思久。相見子等乎。見因鴨。
くもまより。さわたるつきの。おほほしく。あひみしこらを。みむよしもがも。
 
(128)上は序なり。サワタルのサは發語。
 
2451 天雲。依相遠。雖不相。異手枕。吾纏哉。
あまぐもの。よりあひとほみ。あはずとも。あだしたまくら。われはまかめや。
 
天空の如く隔たりて寄合ひ難きを言ふ。結句アレマカムカモとも訓むべし、其カモはカハの意なり。
 參考 ○吾纏哉(考)アレハマカメヤ、又はアレマカムカモ(古)アレマカメヤモ(新)ワレマカメヤモ。
 
2452 雲谷。灼發。意追【追ハ進ノ誤】。見乍爲【爲ハ居ノ誤】。及直相。
くもだにも。しるくしたたば。なぐさめに。みつつしをらむ。ただにあふまで。
 
追は進の誤、爲は居の誤なるべし。青き空に白雲の立つを、いちじろくと言へり。其れをだに逢ふまでの慰めに見つつ居らんとなり。齊明紀|建《タケ》王うせ給ひし時の御歌に、伊磨紀那?《イマキナル》をむれがうへにくもだにもしるくしたたばなにかなげかむ、卷四、青山を横ぎる雲のいちじろく、とも有り。
 參考 ○意追(考)ナグサメム「追」を「進」とす(古)ココロヤリ「追」を「遣」の誤とす(新)略に同じ ○見乍爲(新)ミツツシヲラム。
 
2453 春楊。葛山。發雲。立座。妹念。
はるやなぎ。かづらきやまに。たつくもの。たちてもゐても。いもをしおもほゆ。
 
(129)春ヤナギ、枕詞。葛の下、木の字落ちたるか、上は序のみ。
 參考 ○妹念(考、古、新)イモヲシゾモフ。
 
2454 春日山。雲座隱。雖遠。家不念。公念。
かすがやま。くもゐがくりて。とほけども。いへはおもはず。きみをしおもほゆ。
 
是れは旅に在る人の、旅にて女に逢ひて詠めるなるべし。女を指して君と詠めるも少からず。
 參考 ○雖遠(代、古、新)略に同じ(考)トホケレド ○公念(考、古、新)キミヲシゾモフ。
 
2455 我故。所云妹。高山之。岑朝霧。過兼鴨。
わがゆゑに。いはれしいもは。たかやまの。みねのあさぎり。すぎにけむかも。
 
我故に人に言はれし事は、霧の晴れ行く如くに事過ぎにけんかと、おぼつかなく思ふなり。上に此左太過て後戀むかもと言へるが如し。高山の下の之の字は、ここの例に據るに、後に加はれるならん。
 參考 ○所云妹(新)イハルルイモハ ○高山之(代)カグヤマノ(古、新)略に同じ ○過兼鴨(新)「悒」イブセケムカモ。
 
2456 烏玉。黒髪山。山草。小雨零敷。益益所思。
ぬばたまの。くろかみやまの。やますげに。こさめふりしき。しくしくおもほゆ。
 
黒髪山は卷七にも詠めり、いづれの國と言ふ事を知らず、山草と書きたれど、事の樣山菅なり。さてい(130)と繁きものの上に、小雨の降りしきるに、しをれ靡けるは、いよよ繁く見ゆるを、彌及及《イヤシクシク》思ふに譬へ言へり。益はイヤと訓まずして叶はぬ所多ければ、義を以てシクシクとも訓むべし。
 參考 ○山草(古、新)「草」を「菅」の誤とす ○小雨零敷(新)コサメフリシケバ ○益益所思(新)マスマスオモホユ。
 
2457 大野。小雨被敷。木本。時依來。我念人。
おほのらに。こさめふりしく。このもとに。ときどきよりこ。わがおもふひと。
 
大野の中にて雨に逢ひて、一木の陰に立ち寄るを以て、ヨリコと言はん序とせり。被敷は誤字なるべしと宣長言へり。
 參考 ○小雨被敷(新)コサメフリシケバ「被」は誤字とす ○木本(考)木ノ下ヲ(古)略に同じ(新)コノモトヲ ○時依來(新)タノミテヨリコ「時」を「恃」の誤とす。
 
2458 朝霜。消消。念乍。何此夜。明鴨。
あさしもの。けなばけぬべく。おもひつつ。いかでこのよを。あかしなむかも。
 
宣長云、何《イカデ》と言ひては、鴨と留る事、語ととのはず、何は待の誤にて、マツニコノヨヲ云云と有りつらんと言へり。
 參考 ○消消(考)ケナバケナマク(古、新)略に同じ ○何此(考)略に同じ(古、新)マツニ(131)コノヨノ「何」を「待」の誤とす。 
 
2459 吾背兒我。濱行風。彌急。急事。益不相有。
わがせこが。はまゆくかぜの。いやはやに。はやことなさば。いやあはざらむ。
 
初句にて切りて末へ懸かるなり。濱風は疾《ト》き物なれば、ハヤと言はん料のみ。吾がせこは事を急ぎ給へど、急がば中中にいよよ事成るべからず、今しばし時を待ち給へと女の詠めるなり。卷十二、をふの下草早ならば妹が下紐解かざらましを。
 參考 ○濱行風(考)略に同じ(古、新)ハマ「吹」フクカゼノ ○彌急急事(新)「急」を一字衍とし「事」の下「告」を補ひコトツグレバカ ○益不相有(考)マシアハザラム(古、新)略に同じ。
 
2460 遠妹。振仰見。偲。是月面。雲勿棚引。
とほづまの。ふりさけみつつ。しぬぶらむ。このつきのおもに。くもなたなびき。
 
源氏物語に、月の顔のみまもられ給ふ、とも言へり。
 參考 ○遠妹(代)トホツイモノ(考、古、新)略に同じ。
 
2461 山葉。追出月。端端。妹見鶴。及戀。
やまのはに。さしいづるつきの。はつはつに。いもをぞみつる。こひしきまでに。
 
(132)山ノハは山上の端なり、山際と書きてヤマノマと訓めるとは異なり。上はハツハツと言はん序のみ。宣長云、追は照の誤にて、テリイヅルなり、次の歌を合せ見るべし。及は後の誤にて、ノチコヒムカモなり。上に相見し子らを後戀牟鴨と有りと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○山葉(新)ヤマノハヲ ○追出月(考)サシ「追」を「進」の誤とす(古)「照」テリイヅルツキノ(新)オフミカヅキノ ○及戀(古、新)「後」′チコヒムカモ。
2462 我妹。吾矣念者。眞鏡。照出月。影所見來。
わぎもこし。われをおもはば。まそかがみ。てりいづるつきの。かげにみえこね。
 
此影と言ふは面影には有らで、右のハツハツニと言ふ如く、ほのかにだにも見え來よと言ふなるべし。
 參考 ○我妹(考)ワギモコガ(古、新)略に同じ ○照出月(新)テルミカヅキノ。
 
2463 久方。天光月。隱去。何名副。妹偲。
ひさかたの。あまてるつきも。かくれいぬ。なにになぞへて。いもをしぬばむ。
 
月を妹が面になぞへ見るなり。
 參考 ○隱去(考)隱去バ(古)カクロヒヌ(新)カクリナバ。
 
2464 若月。清不見。雲隱。見欲。宇多手比日。
みかづきの。さやにもみえず。くもがくり。みまくぞほしき。うたてこのごろ。
 
(133)妹に逢ひ難きにつけて、あやにくに見まく欲しさのしきるを、三日月のさやにも見えず、見え隱れするに譬ふ。ウタテは物の重り過ぎたる事を言ふ言にて、既に言へり。ここはうたて此頃見まくぞほしきと心得べし。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ。
 
2465 我背兒爾。吾戀居者。吾屋戸之。草佐倍思。浦乾來。
わがせこに。わがこひをれば。わがやどの。くささへおもひ。うらがれにけり。
 
わが思ひ有る時は、見る物聞く物も、さるかたに思はるるなり。卷三、眞木のはのしなふせの山しぬばずてわがこえくれば木のは知けり。(○むノ誤)
 參考 ○草佐倍思(新)クササヘオモヒ「草」の上に「思」を補ひ下の「思」を削る。
 
2466 朝茅原。小野印。空事。何在云。公待。
あさぢふの。をぬにしめゆふ。そらごとを。いかなりといひて。きみをばまたむ。
 
限り知られず、とりとめも無き野にしめ結《ゆ》ふをもて、空ゴトと言はん序として、人には如何なる空言を言ひてか君をば待たんと言ふなり。卷十三、あしびきの山より出る月待と人にはいひて君待われをと言へる類ひなり。此末にあさぢ原かりじめさして空ごとも、と言へるは人の空言を言ひ、今はわが空言を云へり。
(134) 參考 ○朝茅原(代)略に同じ(古、新)アサヂハラ ○空事(古、新)ムナゴトヲ ○何在云(新)イカニイヒテカ「在」を「如」の誤とす ○公待(考、古)キミヲシマタム(新)略に同じ。
 
2467 路邊。草深百合之。後云。妹命。我知。
みちのべの、くさふかゆりの。のちにちふ。いもがいのちを。われはしらめや。
 
卷八に、夏草のしげみに交るひめゆりのとも詠みて、草深き中に咲ければ草深ユリと言へり。同卷に、わぎもこが家の垣つのさゆり花ゆりといへれば云云、卷十八、さゆり花ゆりもあはむとおもへこそ云云、其外にも斯く續けたり。宣長説、古言に後《ノチ》の事をユリと言へりと聞ゆ。ここの歌も即ちユリを後と言ふ事の序とせるは、後をユリと言ふ故なりと有り。卷八にも既に言ひつ。翁はユリは寄る意なりと言はれつれど、寄るの事としては穩かならず、後の意に見れば、いづれの歌も明らかなり。歌の意は後にとは言へど、其妹が命の程は、我は知らずと戯れて言へるなり。
 參考 ○草深百合之(考)クサフケ(古)略に同じ ○後云(考)ノチモチフ(古、新)ユリニチフ ○我知(考)ワレハシラメヤ(古)アレシラメヤモ(新)ワレシラメヤモ。
 
2468 潮葦。交在草。知草。人皆知。吾裏念。
みなとあしに。まじれるくさの。しりくさの。ひとみなしりぬ。わがしたおもひ。
 
潮は湖の誤なり。集中ミナトと言ふに用ふ。シリ草は、和名抄、藺(和名爲)辨色立成云、鷺尻刺、今(135)も田舍にて、藺に似て小さき草の田溝などに多きを、鷺ノシリサシと言ふとぞ、是れなどを言ふにや。上は知リヌと言はん序のみ。
 參考 ○人皆知(古)略に同じ(新)ヒトミナシリツ。
 
2469 山萵苣。白露重。浦經。心深。吾戀不止。
やまちさの。しらつゆおもみ。うらぶるる。こころをふかみ。わがこひやまず。
 
山チサは既に出づ。山ちさの秋咲ける花の、露にしなへたるを、我がしなへうらぶるるに取れり。其うらぶるる心の深ければ、吾が戀の止む由無しと言ふなるべし。されど下よくも調はず。心深は誤字なるべしと宣長言へり。
 參考 ○白露重(考、新)略に同じ(古)シラツユシゲミ ○心深(新)ココロニ「似」ニタリ ○吾戀不止(新)ワガコフ「樂者」ラクハ。
 
2470 潮。核延子菅。不竊隱。公戀乍。有不勝鴨。
みなとに。さねはふこすげ。しぬばずて。きみにこひつつ。ありがてぬかも。
 
潮は湖の誤なり。サは發語にて、根延なり。菅の葉のしなへ靡くを、シノブに言ひ懸けしのみ。上にききつが野べのしなひねむ君にしぬべはと續けたる如し。心に忍ばず顯れてだに者に戀はばや、かく忍び隱して戀ふれば堪へ難しと言ふならんと翁は言れき。されど穩かならず。宣長は核は根の誤り。菅の下(136)の不は之の誤にて、ネハフコスゲノ、ネモコロニならんと言へり。
 參考 ○核延子菅(考)略に同じ(古、新)ネバフコスゲノ「核」は「根」の誤、三句の不を「之」の誤として二句に續く ○不竊隱(考)略に同じ(古、新)ネモコロニ(新)「惻隱」の誤とす。
 
2471 山代。泉小菅。凡浪。妹心。吾不念。
やましろの。いづみのこすげ。おしなみに。いもがこころは。わがおもはなくに。
 
和名抄、山城相樂郡水泉(以豆美)オシナミは押靡なるを、並ニオモハヌに言ひなしたり。
 參考 ○妹心(新)イモガココロヲ。
 
2472 見渡。三室山。石穗菅。惻隱吾。片念爲。
みわたしの。みむろのやまの。いはほすげ。ねもごろわれは。かたもひぞする。
 
上はネと言はんとての序のみ。見渡は打ワタスと同じく、打向ひ見る意とも思へど、猶|美酒《ウマサケ》の誤にて、枕詞ならん。
 參考 ○見渡(古、新)ミワタシノ ○片念爲(代)カタモヒヲスル(考)カタモヒスルモ(古、新)略に同じ。
 
一云。三諸山之石|小《コ》菅。
 
2473 菅根。惻隱君。結爲。我紐緒。解人不有。
(137)すがのねの。ねもごろきみが。むすびたる。わがひものをを。とくひとはあらじ。
 
 參考 ○結爲(考、古)ムスビテシ(新)ムスバシシ ○我紐緒(新)ワガヒモノヲハ ○解人不有(代、古)略に同じ(考、新)トクヒトアラジ。
 
2474 山背。亂戀耳。令爲乍。不相妹鴨。年經乍。
やますげの。みだれこひのみ。せしめつつ。あはぬいもかも。としはへにつつ。
 
山菅はミダルと言はん料のみ。
 參考 ○亂戀耳(新)コヒミダレノミ「亂」と「戀」とを置きかふ。
 
2475 我屋戸。甍子太草。雖生。戀忘草。見未生。
わがやどの。のきのしだくさ。おふれども。こひわすれぐさ。みれどいまだおひず。
 
古今六帖にも、軒のしだくさと詠めり。今もシダと言ひて、山に生ふるはときはにて、古き屋根などに生ふるは冬枯るる物なり。忘草は萱草なり。枕草紙にも、六月花の咲くよし言ひて、今とひとし。吾が戀の忘れんとすれど、忘られぬを、忘れ草の生ひぬと言ひなしたり。契沖は、シダ草はシノブ草なりとて、和名抄の垣衣屋遊等を引きて、人を戀ひしのぶ心とせり。然るに垣衣屋遊等をシダと言へる證無し。されど、此集シノブ草と詠める物無きを思へば、古へシダと言へるを後にシノブと言ひかへしにも有るべし。さてシダと言ふ詞を、慕ふ心に取りなして詠めるかと、或人は言へり。猶考ふべし。
(138) 參考 ○甍子太草(代、新)ノキノ下クサ(考、古)略に同じ ○雖生(考)略に同じ(古、新)オヒタレド ○見未生(新)ミルニイマダオヒズ。
 
2476 打田。稗數多。雖有。擇爲我。夜一人宿。
うつたにも。ひえはあまたに。ありといへど。えらえしわれぞ。よるひとりぬる。
 
卷十二に、水を多みあげにたねまきひえを多みえらえしわれぞよるひとりぬると有り、同じ歌なるべし。稗は苗に交れるを、共に植うれば稻そこなふ故に、えり捨つる物なり。ここは打返す田にも稗は多しと言へども、擇りぬきて捨てもせぬを、我のみぞえり捨てられて獨寐をすると歎くなるべし。されど本末の間言足らず、又苗の事も言はで、打田にも云云と有るもいかが、卷十二の歌を誤り傳へしなるべし。
 參考 ○打田(新)ウツタニハ ○稗數多(新)ヒエハココダク ○擇爲我(代)ワレゾ(考)エラレニシワレゾ(古)略に同じ(新)エラシシワレゾ ○夜(新)ヨヲ。
 
2477 足引。名負山菅。押伏。公結。不相有哉。
あしびきの。なにおふやますげ。おしふせて。きみしむすばは。あはざらめやも。
 
是れはもとより山菅と言ふ名あれば、足引の名に負ふと言へり、草を結ぶには彼と是れを押伏せて、合せ結べばしか言へり。さて君が強ひて逢はんと言はば逢はず有らめやと言ふを譬へたりと翁言はれき。(139)宣長は名負は必ず誤字なるべし、押は根の誤にて、ネモコロニならんと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○名負山菅(古)ヤマノヤマスゲ(新)略に同じ ○押伏(考、新)略に同じ(古)ネモコロニ「押」を「根」の誤とす。
 
2478 秋柏。潤和川邊。細竹目。人不顔面。公無勝。
あきがしは。うるわかはべの。しぬのめの。ひとにしぬべば。きみにたへなく。
 
アキガシハ、枕詞。ウルワ川は打まかせて言はば畿内に有るべし。此卷下にも、朝柏閏八川べのしぬのめのしぬびてぬればいめにみえけりと有り。シヌノメは、小竹はしなふ物なれば、シヌと言ひ、メはムレの約にて、小竹叢《シヌムレ》なり。末は上のシヌノメを受けて、人ニシヌベバと言へり。さて人目をしのぶ故に、公に逢ひ難くして、思ひに堪へざるとなり。
 參考 ○潤和川邊(考)ウルヤカハベノ(古)「潤比」の誤カ(新)ウルヒカハベノ「和」を誤字とす ○人不顔面(新)ヒトニシヌベト「顔」を「顯」の誤とす ○公無勝(代)キミニマスナシ(古、新)略に同じ。
 
2479 核葛。後相。夢耳。受日度。年經乍。
さねかづら。のちもあはむと。いめのみを。うけびわたりて。としはへにつつ。
 
サネカヅラ、枕詞。ウケビは、祈にも誓にも言へり、歌に由りて心得べし。ここは祈る意なり。今逢ふ(140)事は難ければ、心し變らずは後にも逢ひなん、其間の心やりに、夢にだに見んと神に祈りつつ、年を經行くと言へり。卷四、都路を遠みや妹がこのごろはうけびてぬれど夢に見えこず。
 參考 ○後(考、新)略に同じ(古)ノチハ ○夢耳(代)略に同じ(考)イメヲノミ(古)イメノミニ(新)シタノミニ「夢」を「裏」の誤とす。
 
2480 路邊。壹師花。灼然。人皆知。我戀?。
みちのべの。いちしのはなの。いちじろく。ひとみなしりぬ。わがこひづまは。
 
卷四、大原の市柴原、此卷、道邊の五柴原と詠めるは、櫟にて、それと言は近けれど、そのイチヒは橿の類ひにて、花有りとも見えず、壹師は異《コト》物ならん。雄略紀、蓬?丘譽田陵下(蓬?此云2伊致寐姑1)と有り。是れは草なり、考ふべし。上はイチジロクと言はん序のみ。
 參考 ○人皆知(古)略に同じ(新)ヒトミナシリツ ○我戀?(古)アガコフルツマ(新)ワガコモリヅマ「戀」を「隱」の誤とす。
 
或本歌云。灼然。人知|爾家里《ニケリ》。繼而之念者《ツギテシモヘバ》。
 
2481 大野。跡?不知。印結。有不得。吾眷。
おほのらに。たづきもしらず。しめゆひて。ありがてましも。わがかへりみば。
 
上にあさぢ原をのにしめゆふと詠めるが如く、とりとめも無き所に結ひたるしめなれば、又かへり見る(141)とも有らんやと言ひて、おほよそに契りたれば、忽ちに變らんと言ふを譬へたり。卷十二にも跡?をタヅキと訓めり。宣長は眷は戀の誤にて、アリゾカネツル、ワガコフラクハと訓まんと言へり。斯くては穩かなり。
 參考 ○有不得(代)アリシカヌレバ(考)アリガテマシヤ(古)アリゾカネツル(新)アリガテナクモ「得」の下「勝」脱とす ○吾眷(代、考)略に同じ(古)アガコフラクハ(新)ワガコフラクハ。
 
2482 水底。生玉藻。打靡。心依。戀此日。
ふなぞこに。おふるたまもの。うちなびき。こころをよせて。こふるこのごろ。
 
上は靡き寄ると言はん序ながら、水底は下に思ふを寄せたり。此は比の誤なり。
 參考 ○心依(新)ココロユヨリテ。
 
2483 敷栲之。衣手離而。玉藻成。靡可宿濫。和乎得難爾。
しきたへの。ころもでかれて。たまもなす。なびきかぬらむ。わをまちがてに。
 
シキタヘノ、枕詞。衣手カレテは、我が袖を離れてと言ふ意なり。妹が我を待ち兼ねて、玉藻の如く靡き伏せるらんとなり。
 
2484 君不來者。形見爲等。我二人。植松木。君乎待出牟【牟ハ年ノ誤】。
(142)きみこずは。かたみにせむと。わがふたり。うゑしまつのき。きみをまちでね。
 
女の歌なり。我二人は其君と二人なり。牟は年の誤なりと宣長言へり。マチ出ネは、待チツケヨカシの意なり。マチ出デムとては一首ととのはず。卷三、妹としてふたりつくりしわが山はと詠める類ひなり。
 參考 ○我二人(古)アトフタリ(新)ワトフタリ ○君乎待出牟(考)キミヲマチイデ「奈」ナ(古、新)略に同じ。
 
2485 袖振。可見限。吾雖有。其松枝。隱在。
そでふるが。みゆべきかぎり。われはあれど。そのまつがえに。かくれたりけり。
 
男の歌なり。妹と別るる時、妹が袖ふるを言ふ。其松ガエは上の歌に言へる松を言ふ。
 參考 ○袖振(代)ソデフラバ(考)振テ(古、新)略に同じ ○吾雖有(新)ワレハミレド「有」を「看」の誤とす ○隱在(考)略に同じ(古)カクレタルラム(新)カクリタルラシ。
 
2486 珍海。濱邊小松。根深。吾戀度。人子?。
ちぬのうみ。はまべのこまつ。ねふかめて。わがこひわたる。ひとのこゆゑに。
 
チヌは和泉。上は深メテと言はん序のみ。ヒトノ子ユヱニは、人妻ナルモノヲなり。?の字考ふべし。
 參考 ○珍海(古、新)チヌノウミノ。
 
(143)或本歌云。血沼之海|之《ノ》。鹽干能小松《シホヒノコマツ》。根母己呂爾《ネモコロニ》。戀屋度《コヒヤワタラム》。人兒故爾。
 參考 ○小松(新)ミルノ「小」は「海」の誤か。
 
2487 平山。小松末。有廉叙波。我思妹。不相止者【者ハ甞ノ誤】。
ならやまの。こまつがうれの。うれむぞは。わがおもふいもに。あはずやみなむ。
 
末の句の者は嘗の誤なるべし。子松ガウレと言ふを、ウレムゾハと言ひ下したり。ウレムゾは、卷三、海若のおきにもてゆきてはなつとも宇體牟曾《ウレムゾ》これがよみがへりなむ、此ウレムゾに同じく、イヅレモゾと言ふ詞にて、イカムゾと言ふに同じ。歌の意は、いかんぞ我が思ふ妹に逢はずして止みなんやと言ふのみにて、上二句は序なり。
 參考 ○小松末(代)コマツガウレノ(考)コマツガウレニ(古、新)略に同じ ○有廉叙波(代、古、新)略に同じ(考)アレコソハ「廉」を「虚」の誤とす ○我思妹(代)ワガモフイモガ(古)アガモフイモニ(新)ワガモフイモニ ○不相止者(代)アハズヤミナム、又は、アハデヤメテフ(考)「者」を「甞」としてナメと訓む(古、新)略に同じ。
 
2488 礒上。立回香瀧。心哀。何深目。念始。
いそのうへに。たちまふたきの。こころいたく。なににふかめて。おもひそめけむ。
 
此二の句ムロノ木と有るべく覺ゆ。卷三、わぎも子がみし鞆の天木香樹《ムロノキ》は云云と有りて、此磯のむろ(144)の木を詠める歌三首あり。此所に年久しくむろの木の有りしと見ゆ。されば、瀧は樹の字の誤ならんか。天香木樹と書きたれば、囘香樹と書ける故も有るべく覺ゆ。卷十五に、はなれそに立るむろの木うたかたも久しき時を過にけるかもと詠める如く、荒磯の上に根もあらはに立ちたるを見るに、あやふく心いたきをもて、我が戀に譬へしなるべしと翁言はれき。契沖は瀧を※[木+龍]の誤として、ワカ松と訓めれど、ワカ松と言へる詞例なし。猶考ふべき事なり。
 參考 ○礒上(古)イソノヘノ(新)イソノヘニ ○立回香瀧(代)タテルワカマツ(考、古、新)タテルムロノキ「瀧」を「樹」の誤とす ○心哀(代、考)略に同じ(古、新)ネモコロニ ○何深(古)イカデフカメテ(新)ナドカフカメテ。
 
2489 橘。本我立。下枝取。成哉君。問子等。
たちばなの。もとにわれたち。しづえとり。なりぬやきみと。とひしこらはも。
 
成は木の實の生《ナ》るに、戀の成るをたとへ言へり。ここは其戀の成りぬるやと問ひたりし妹は、遂に成らずなりて、離れて後思ひ出でて、ゆかしく思ふさまなり。上はナリヌヤと言はん序のみ。
 參考 ○我立(新)ワガタチ ○成哉君(考、新)ナラムヤキミト(古)略に同じ。
 
2490 天雲爾。翼打附而。飛鶴乃。多頭多頭思鴨。君不座者。
あまぐもに。はねうちつけて。とぶたづの。たづたづしかも。きみしまさねば。
 
(145)上はタヅタヅシと言はん序のみ。タヅタヅシはタドリタドリシキにて、より所無き心地するを言へり。
 參考 ○君不座者(新)キミキマサネバ「不」の下「來」脱か。
 
2491 妹戀。不寐朝明。男爲鳥。從是此【此ハ飛ノ誤】度。妹使。
いもにこひ。いねぬあさけに。をしどりの。こゆとびわたる。いもがつかひか。
 
此は飛の誤なるべし。コユはココヨリなり。
 參考 ○從是此度(代)ココニシワタル(考、新)略に同じ(古)コヨトビワタル。
 
2492 念。餘者。丹穗鳥。足沾來。人見鴨。
おもふにし。あまりにしかば。にほどりの。あぬらしこしを。ひとみけむかも。
 
川をかち渡りして來しさまの惡ろきを愧て言へり、古くアシをアとのみ言へり。卷五、にほ鳥のなづさひこしを人見けむかもとも詠めり。宣長云、卷十四、安奈由牟古麻能《アナユムコマノ》と詠みたれば、沾は脳の字の誤にて、アナヤミコシヲならんと言へり。
 參考 ○足沾來(考)アヌラシコシヨ(古)略に同じ(新)アナヤミコシヲ「沾」を「惱」の誤とす。
 
2493 高山。岑行宍【宍ヲ完ニ誤ル】。友衆。袖不振來。忘念勿。
たかやまの。みねゆくししの。ともをおほみ。そでふらずきぬ。わするともふな。
 
(146)上は友ヲオホミと言はん序なり。伴ふ人等の目を憚りて、思ふ心は有れど袖ふらざりしを、忘れたりと思ふなとなり。宣長云、シシにては友多みと言ふ事似つかはしからず、鴈なるべしと言へり。
 參考 ○袖不振來(考)袖フラデ來(古)略に同じ(新)ソデフラズキツ。
 
2494 大船。眞?繁拔。榜間。極太戀。年在如何。
おほぶねに。まかぢしじぬき。こぐほども。ねもころこひし。としにあらばいかに。
 
本は譬へにあらで、海路の旅より歸る程の事と見ゆ。妹がもとへ歸り來る程だに斯く戀しければ、障り有りて一年もあらば、いかに有らんと言ふなり。此卷上に、いでいかに極太甚を、ネモコロゴロニと訓めり。
 參考 ○榜間(考)榜ホドヲ(古、新)コグマダニ ○極太戀(代)イタクシコヒバ(考)「太」を「勿」の誤とす(古)略に同じ(新)ココダクコヒシ ○年在如何(代、古、新)略に同じ(考)トシフラバイカニ「在」を「古」の誤とす。
 
2495 足常。母養子。眉隱。隱在妹。見依鴨。
たらちねの。ははがかふこの。まゆごもり。こもれるいもを。みむよしもがも。
 
カフコは和名抄、蠶(和名加比古一訓古加比須)虫吐v絲也。説文云、?(和名萬由)蠶(ノ)衣也、云云。卷十二に上全く同じき歌有り。ここはコモレルと言はん序のみ。足常は音を通はして借れるなり。
(147) 參考 ○足常(新)タラツネノ ○眉隱(古、新)マヨゴモリ。
 
2496 肥人。額髪結在。染木綿。染心。我忘哉。
うまびとの。ひたひがみゆへる。そのゆふの。そめしこころは。われわすれめや。
 
ウマビトは貴人なり。神代紀、結v髪爲v髻など有るを思へば、わが古へ男は髪を額にて結ひたりと見ゆ。多く紫の糸もて結ひしなるべし。又古訓コマヒトと有るからは、肥は狛の誤か。さらば高麗人もわが古へに倣ひて、額に結ひし故に言へるともすべし。本は染と言はん序のみ。ソメユフは、古今集、濃紫わがもとゆひと詠める如く染糸なり。
 參考 ○肥人(代、古)略に同じ(考)狛人(新)クマビトノ ○額髪結在(古、新)ヌカガミユヘル ○染木綿(古)シメユフノ(新)ソメ、シメ兩訓 ○染心(古)シミニシココロ(新)ソメテシココロ。
 
一云。所忘目八方《ワスラエメヤモ》。
 
2497 早人。名負夜音。灼然。吾【吾ハ君ノ誤】名謂。?恃。
はやひとの。なにおふよごゑ。いちじろく。きみがなのらせ。つまとたのまむ。
 
神代紀一云、狛人請(フ)哀(タマヘ)之。弟還出2涸瓊1則潮自息。於v是兄知3弟有2神コ1。遂以伏2事其弟1。是以火酢芹命(ノ)苗裔諸隼人等。至v今不v離2天皇宮墻之傍1。代2吠拘1奉事者也云云と有り。大甞會式に、隼人司率2(148)隼人1分立2左右朝集堂前1。待2開門1乃發v聲と有るも、吠聲を立つる事なり。それを名ニ負フ夜コヱと言へり。さてイチジロクと言はん序とせり。宣長云、吾は君の誤なりと言へるぞ善き。
 參考 ○吾名謂(代)ワガナヲイヒテ(考)ワガナハイハム(古)アガナハノリツ(新)「君」キミガナノラバ ○?恃(考)ツマトタノマバ(古)ツマトタノマセ(新)略に同じ。
 
2498 釼刀。諸刀利。足蹈。死死。公依。
つるぎたち。もろはのときに。あしふみて。しににもしなむ。きみによりてば。
 
此卷末に、つるぎたちもろはのうへに云云とて似たる歌有り。ヨリテバは依リタラバなり。
 參考 ○死死(新)シナバシヌトモ。
 
2499 我妹。戀度。釼刀【刀ヲ刃ニ誤ル】。名惜。念不得。
わぎもこに。こひしわたれば。つるぎたち。なのをしけくも。おもひかねつも。
 
ツルギタチ、枕詞。オモヒカネツは、オモヒアヘヌなり。
 參考 ○念不得(代、古、新)略に同じ(考)オモホエヌカモ。
 
2500 朝月日。向黄楊櫛。雖舊。何然公。見不飽。
あさづくひ。むかふつげぐし。ふりぬれど。なにしかきみが。みるにあかざらむ。
 
朝ヅク日、枕詞。ムカフツゲグシは、朝に櫛匣に向ふ意にて、斯く續けたり。櫛は垢付きて古びやすけ(149)ればフリヌと言はん序とせり。年經て逢へども、如何なれば見るに倦かぬにかと言ふなり。
 參考 ○向黄楊櫛(新)サスヤツゲグシ「向」を「射」の誤とす ○見不飽(新)ミルニアカレヌ。
 
2501 里遠。眷浦經。眞鏡。床重不去。夢所見與【與ハ乞ノ誤】。
さととほみ。うらぶれにけり。まそかがみ。とこのへさらず。いめにみえこそ。
 
眷は吾の誤か。ワレウラブレヌと有るべし。與は乞の誤なり、例多し。此卷末に二の句、戀|和備《ワビ》爾家利、末面影|不去《サラズ》夢(ニ)所見社《ミエコソ》として入りたる方まされり。
 參考 ○眷浦經(考)「眷」を「我」とす(古、新)コヒウラブレヌ ○夢所見與(代)ユメニミエコソ(考)コセ(古、新)略に同じ。
 
2502 眞鏡。手取以。朝朝。雖見君。飽事無。
まそかがみ。てにとりもちて。あさなさな。みれどもきみは。あくこともなし。
 
此卷末に少しかはりて載たり。本はアサナアサナ見ルと言はん序のみ。
 
2503 夕去。床重不去。黄楊枕。射然汝。主待固。
ゆふされは。とこのへさらぬ。つげまくら。いつしかなれが。ぬしまちがたき。
 
射は何の誤なるべし、ナニシカと訓むべし。汝は枕を指せり、主は男を言ふ。
 參考 ○射然汝(考、古、新)ナニシカナレガ「射」を「何」の誤とす。
 
(150)2504 解衣。戀亂乍。浮。沙生吾。戀度鴨。
ときぎぬの。こひみだれつつ。うきてのみ。まさごなすわが。こひわたるかも。
 
古今六帖に、ときぎぬの思亂れてうき草のうきてもわれはありわたるかもと有り。これ古へ字の正しかりし本を訓みしなるべし。浮沙生は誤にて、萍浮二字などにや有りけん。
 參考 ○浮沙生吾(考)ウキグサノ、ウキテモワレハ「萍浮吾」の誤とす(古)ウキクサノウキテモアレハ「浮草、浮吾」とす(新)ウキジマノウキテモワレハ「浮洲浮」の誤とす ○戀渡鴨(考)「在」アリワタルカモ(古、新)コヒワタルカモ。
 
2505 梓弓。引不許。有者。此有戀。不相。
あづさゆみ。ひきてゆるさず。あらませは。かかるこひには。あはざらましを。
 
卷十二、梓弓ひきてゆるべぬますらをやとも有り。上はユルサヌと言はん序なり。始めうけ引きしを悔て詠める女の歌なり。
 
2506 事靈。八十衢。夕占問。占正謂。妹相依。
ことだまの。やそのちまたに。ゆふけとふ。うらまさにのれ。いもにあはむよし。
 
事は借にて、言靈なり、人の言ふ言に即ち神の御靈ますを言ふ。卷五に既に出でたり。八十ノチマタは、方方へ行く多くの衢を言ふ。末は妹に相逢ふべき由縁を正しく占に告げよと祈るなり。
(151) 參考 ○事靈(古)コトタマヲ(新)コトダマニ ○夕占問(新)ユフケトハム ○占正謂(考)ウラマサニイヘ(古)略に同じ(新)マサウラニノレ「占正」を「正占」とす ○抹相依(新)イモニアハムトキ「依」を「時」の誤とす。
 
2507 玉桙。路往占。占相。妹逢。我謂。
たまぼこの。みちゆきうらに。うらなへば。いもにあはむと。われにのりつる。
 
是れも右と同じ占なり。夕の衢に立ちて、往來の人の物語などして行く言の、吾願ふ事に叶ふを取るによりて、路行占とは言ふなり。我ニノリツルは、其路行く人の言をやがて占の告ぐるとするなり。
 參考 ○我謂(古)アレニノリキテ(新)略に同じ。
 
問答
 
2508 皇祖乃。神御門乎。懼見等。侍從時爾。相流公鴨。
すめろぎの。かみのみかどを。かしこみと。さもらふときに。あへるきみかも。
 
神ノミカドとは朝廷を申せり。戀ふる男の朝廷に侍ふ時に、故有りて女の見しなり。此アヘルは唯だ相見たるなり。たまたま見るも時こそあれ、斯かる時にして甲斐無きを女の歎くなり。
 參考 ○神御門乎(新)カミノミコトヲ「門」を「言」の誤とす。
 
(152)2509 眞祖鏡。雖見言哉。玉蜻【蜻ヲ限ニ誤ル】。石垣淵乃。隱而在?。
まそかがみ。みともいはめや。かぎろひの。いはがきぶちの。かくれたるいも。
 
カギロヒノ、枕詞。蜻を限とせるは誤なり。石垣淵ノは句中の序なり。しのびつまを隱れたるいもとも言へり。さて朝廷に侍ふ時、よそながら見しは、見しと言ふべくも有らずと答へて歎くなり。
 參考 ○玉限(古、新)タマカギル「限」を誤とせず ○隱而在?(古、新)コモリタルツマ。
 
右二首
 
2510 赤駒之。足我枳速者。雲居爾毛。隱往序。袖卷吾妹。
あかごまの。あがきはやけば。くもゐにも。かくれゆかむぞ。そでまかむわぎも。
 
遠き所へ旅立たんとする時詠めるなり。卷二「赤駒のあがきをはやみ雲ゐにぞ妹が當りを過てきにけるとも詠めり。宣長云、袖卷は此歌に由無し。卷は擧の誤にて、ソデフレならん。古事記に、羽擧をハフリと訓める例なりと言へり。
 參考 ○袖卷(古、新)ソデフレ「袖擧」の誤とす。
 
2511 隱口乃。豐泊瀬道者。常滑【滑ヲ濟ニ誤ル】乃。恐道曾。戀由眼。
こもりくの。とよはつせぢは。とこなめの。かしこきみちぞ。こふらくはゆめ。
 
滑を濟に誤れり。此歌字の誤り有るべし。試みに言はば、初瀬道は川瀬滑らかにて、かしこければ、し(153)ひて渡りなば危ふからん、我を戀ふとならば、ゆめ渡る事なかれと云へるにや。されど穩かならず、結句アカシテヲユケなどと有りしが字の誤れるにや。是れは右の答にはあらず、唯だ同じ夜の歌ならん。
 參考 ○戀由眼(考)アカシテヲユケ、「暁由?」の誤とす(古)ナガココロユメ「戀」を「爾心」の誤とす(新)オコタルナユメ「戀」を「勿怠」の誤とす。
 
2512 味酒之【之ハ乎ノ誤】。三毛侶乃山爾。立月之。見我欲君我。馬之足音曾爲。
うまさけを。みもろのやまに。たつつきの。みがほしきみが。うまのあとぞする。
 
ウマサケヲ、枕詞。酒の下之は乎の誤なるべし、之と言へる例なし。タツ月と言へる事おぼつかなし、光の字を立に誤れるにや。テルツキノと有るべし。アシオトを略きてアトとも言ふべし。是れは男の來たるを、馬の足音にて知りて悦ぶなり。此次に答歌の有りけんが落失せたるか。又は定かなる贈答にも有らぬを、初めより斯く次でしか。
 參考 ○味酒之(考)略に同じ(古、新)ウマサケノ ○見我欲君我(考)ミガホル(古、新)略に同じ。
 
右三首
 
2513 雷神。小動。刺雲。雨零耶。君將留。
なるかみの。しばしとよみて。さしくもり。あめもふれやも。きみをとどめむ。
 
(154)宣長云、小は光の誤にて、ヒカリトヨミテならんと言へり。フレヤモは、フレカシの意なり。
 參考 ○小動(古、新)ヒカリトヨミテ「小」を「光」の誤とす ○雨零耶(考)アメフリナバヤ、又はアメモフラレヤ(古、新)略に同じ ○君將留(考)キミガトマラム、又はキミヲトドメム(古、新)略に同じ。
 
2514 雷神。小動。雖不零。吾將留。妹留者。
なるかみの。しばしとよみて。ふらずとも。われはとまらむ。いもしとどめば。
 
是れも小は光の誤なるべし。さて雨と言ふ事を略けり。男の答なり。
 參考 ○小動(古、新)ヒカリトヨミテ「小」を「光」の誤とす。
 
右二首
 
2515 布細布。枕動。夜不寢。思人。後相物。
しきたへの。まくらうごきて。よをもねず。おもふひとには。のちもあはむかも。
 
吾が物思ひに寢入り難くて、いね返りがちなるを、枕の動くに負ほせなせり。斯くばかり逢ひ難きを歎きて、いをしねず思ふ人に、終に又逢ふ時も有らんかとなり。物は疑の字の草より誤れるなるべし。後も復の字なるべきか、マタモと有るべきなり。下に本全く同じくて、末かはれる歌有り。
 參考 ○夜不寢(考)略に同じ(古)ヨイモネズ(新)ヨルモネズ ○後相物(代)ノチモアフモノ(155)(考)マタモアハムカモ「後」を「復」の誤「物」を「疑」の誤とす(古)ノチアフモノヲ(新)ノチアハムモノヲ。
 
2516 敷細布。枕人。事問哉。其枕。苔生負爲。
しきたへの。まくらにひとは。こととへや。そのまくらには。こけおひにけり。
 
後モ逢ハムカモと言ふを受けて、コト問ヘと言へり。事問へは來りて相語らへと言ふなり。枕の手觸れず月日經て苔生ひたりとなり。負を集中、ニの假字に用ひたる例有り。
 參考 ○枕人(考)マクラセバヒト(古)略に同じ(新)マクラキシヒト ○事問哉(新)カレヌレヤ「事」を「不」の誤とす ○苔生負爲(考)略に同じ(古)コケムシニタリ(新)コケムシニタル。
 
右二首
 
以前一百四十九首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
他卷に人麻呂歌集出と註せしも、書體專ら此如くなれば、是れは定かなり。さて右の歌今は百五十一首ありて、二首餘れり。それが中に、一本と見ゆる歌十八首有り。かれ是れもて見れば、其數いづれへもつかず。然れば此註書ける後、或は落ち、或は加はれる歌ども有るなるべし。
 
(156)正述2心緒1
 
2517 足千根乃。母爾障良婆。無用。伊麻思毛吾毛。事應成。
たらちねの。ははにさはらば。いたづらに。いましもわれも。ことなすべしや。
 
サハラバは、障ラレナバを約め言ふなり。常に此方より障ると言ふとは異なり。心は母に障られば、終に事成るべからずとなり。成の下哉を落せしなるべし。下にたらちねの母にまうさば云云の歌相似たり。
 參考 ○事應成(考)コトナルベキヤ(古)コトナルベシヤ(新)コトナスベシモ「成」の下「毛」を補ふ。
 
2518 吾妹子之。吾呼送跡。白細布乃。袂漬左右二。哭四所念。
わぎもこが。われをおくると。しろたへの。そでひづまでに。なきしおもほゆ。
 
別れを惜みたるさまを後に思ひ出づるなり。
 
2519 奧山之。眞木乃板戸乎。押開。思惠也出來根。後者何將爲。
おくやまの。まきのいたどを。おしひらき。しゑやいでこね。のちはなにせむ。
 
オク山ノ、枕詞。シヱヤは歎息の詞。今出で來れ、後には甲斐無しと言ふなり。繼體紀、莽紀佐倶避能(157)伊陀圖嗚飫斯?羅枳《マキサクヒノイタドヲオシヒラキ》云云。
 參考 ○何將爲(代、新)ナニセム(考)イカガセム(古)イカニセム。
 
2520 苅薦能。一重※[口+立刀]敷而。紗眠友。君共宿者。冷雲梨。
かりごもの。ひとへをしきて。さぬれども。きみとしぬれば。さむけくもなし。
 
コモはムシロなり。サヌレドモのサは發言。
 參考 ○紗眠友(考)サヌルトモ(古、新)略に同じ ○冷雲梨(考)ヒヤケクモナシ(古、新)略に同じ。
 
2521 垣幡。丹頬經君※[口+立刀]。率爾。思出乍。嘆鶴鴨。
かきつばた。にほへる《につらふ》きみを。いささめに。おもひいでつつ。なげきつるかも。
 
カキツバタ、枕詞。卷十、率に今も見てしか秋はぎのと言ふに、率の字を書きて、イザナミニと訓めり。しかるを、イザナミと言ふ言古書に見えず。卷七、眞木柱作るそま人伊左佐目丹と言へるは、常に卒爾の音もて言ふにかなひて、不意に假初めなる事と聞ゆれば、ここも卷十も、率爾の字として、イササメニと訓めり、假初メニと言ふに同じ。
 參考 ○丹頬經君※[口+立刀](代)ニツラフ(考、古、新)ニツラフキミヲ ○率爾(代)タチマチニ(考、古、新)略に同じ。
 
(158)2522 恨登。思狹名盤。在之者。外耳見之。心者雖念。
うらみむと。おもひてせなは。ありしかば。よそのみぞみし。こころはもへど。
 
逢ひなば恨み言はんと言へるを聞きし故に、恐れてよそにして有りしと言ふなり。狹は借字にて夫《セ》なり。名《ナ》はすべて、褒め言なり。宣長は、狹名盤は必ず誤字ならんと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○恨登思狹名盤(代)恨登オモフセナヲハ(考)略に同じ(古)ウラミムト、オモヒナヅミテ「狹名盤」を「名積而」の誤とす(新)ヲシトオモフワガナハハヤク「恨」を「惜」の誤とし「狹云云」を「我名盤既」の誤脱とす ○在之者(代)アリユケバ(考、古)略に同じ(新)「立」タチシカバ ○外耳(考)ヨソニノミ(古、新)略に同じ。
 
2523 散頬相。色者不出。小文。心中。吾念名君。
さにづらふ。いろにはいでず。すくなくも。こころのうちに。わがもはなくに。
 
サニヅラフ、枕詞。少くは思はぬにて、深く思ふと言ふに當れり。君《クニ》は音を借りたるのみ。
 參考 ○色者不出(考、古)イロニハイデジ(新)略に同じ。
 
2524 吾背子爾。直相者社。名者立米。事之通爾。何其故。
わがせこに。ただにあはばこそ。なはたため。ことのかよふに。なにかそこゆゑ。
 
言傳のみ通はせるにて直ちに逢ひも見ぬを、何の其故有りてか、名の立ちけんと訝かるなり。
(159) 參考 ○事之通爾(新)コトノミカヨフニ「之」を「耳」の誤とす ○何其故(考)ナニゾソノユヱ(古)略に同じ(新)ナニゾソコユヱ。
 
2525 懃。片念爲歟。比者之。吾情利乃。生戸裳名寸。
ねもころに。かたもひすれか。このごろの。わがこころどの。いけりともなき。
 
カタモヒスレカは、片思スレバカを略き言へり。情利は利《ト》心と言ふに同じ。卷十三、十九にも、ココロドと詠めり。
 參考 ○片念爲歟(考)カタモヒスルカ(古、新)略に同じ ○生戸裳名寸(代)イケルハモナキ(考、新)略に同じ(古)イケルトモナキ。
 
2526 將待爾。到者妹之。懽跡。咲儀乎。徃而早見。
まつらむに。いたらばいもが。うれしみと。ゑまむすがたを。ゆきてはやみむ。
 
此卷末に、おもはぬにいたらば妹がうれしみと咲牟|眉曳《マヨヒキ》おもほゆるかもと有り。エマムスガタは穩かならず。是れは末の歌を誤り傳へたるならん。
 
2527 誰此乃。吾屋戸來喚。足千根。母爾所嘖。物思吾呼。
たれぞこの。わがやどにきよぶ。たらちねの。ははにころはえ。ものもふわれを。
 
神代紀に、發2稜威之嘖讓1(嘖讓此云2擧廬?1)と有りて、大聲に罵り叫ぶことなり。卷十四、ながは(160)はに己良例安波由久《コラレアハユク》と有るも同じ事なり。今シカラルルと言ふ意なり。
 參考 ○吾屋戸來喚(新)ワガヤドキヨブ ○母爾所嘖(代)母爾イサハレ(考)ハハニコロバレ(古、新)略に同じ。
 
2528 左不宿夜者。千夜毛有十方。我背子之。思可悔。心者不持。
さねぬよは。ちよもありとも。わかせこが。おもひくゆべき。こころはもたじ。
 
獨寢する夜はあまた有りとも、わが夫と契りし心は變らずして、夫に悔しむる事は有らじとなり。
 
2529 家行人。路毛四美三荷。雖往【今往ヲ脱ス】來。吾待妹之。使不來鴨。
いへびとは。みちもしみみに。かよへども。わがまついもが。つかひこぬかも。
 
シミミは繁繁の略。雖の下、一本往の字有るを善しとす。
 參考 ○家人者(新)サトビトハ「家」は「里」の誤。
 
2530 璞之。寸戸我竹垣。編目從毛。妹志所見者。吾戀目八方。
あらたまの。きべがたけがき。あみめゆも。いもしみえなば。わがこひめやも。
 
卷十四遠江歌に、阿良多麻能伎倍乃波也之爾《アラタマノキベノハヤシニ》。また伎倍|比等《ヒト》のまだらぶすまにとも詠めり。和名抄、遠江麁玉郡(阿良多末、今稱2有玉1)と有り。三代實録に、此國麁玉川に堤三百餘丈を築し事も見ゆ。寸戸は今其郡のあたりに貴平《キヘイ》と呼ぶ村有り、是れなり。寸戸の里の竹垣と言ふ意なり。アミメは籬の透間(161)なり。是れは遠江の人の歌か、又は遠江の任にて、かしこに在る人の、所につけて詠めるか。
 參考 ○寸戸我竹垣(代)キヘ(考、古、新)キヘガタカガキ。但し(考)「ベ」と獨る ○吾戀目八方(考、新)ワレコヒメヤモ(古)アレコヒメヤモ。
 
2531 吾背子我。其名不謂跡。玉切。命者棄。忘賜名。
わがせこが。そのなのらじと。たまきはる。いのちはすてつ。わすれたまふな。
 
父母などの嘖問ふ時、命を捨てて通ふ男の名を顯はさざりしとなり。
 參考 ○其名不謂跡(考)ソノナイハジト(古、新)略に同じ。
 
2532 凡者。誰將見鴨。黒玉乃。我玄髪乎。靡而將居。
おほ|なら《かた》ば。たがみむとかも。ぬばたまの。わがくろかみを。なびけ《ぬらし》てをらむ。
 
オホナラバは、おほよその心ならばと言ふなり。オホカタハとも訓むべし。まだ髪あげせぬ間にて、いと長くて、むつかしければ、凡《オホ》ならば、まきたがねても居らんを、君が見ん爲とて、靡け垂れてをるぞと言へり。宣長は結句ヌラシテヲラムと訓まんと言へり。卷二、たけばぬれと言ふヌレの意なり。
 參考 ○凡者(考)オホナラバ(古)オホカタハ(新)オホロカニ「者」は「爾」の誤 ○靡而將居(考、新)ナビケテヲラム(古)ヌラシテヲラム。
 
2533 面忘。何有人之。爲物焉【焉ヲ烏ニ誤ル】。言者爲金津。繼手志念者。
(162)おもわすれ。いかなるひとの。するものぞ。われはしかねつ。つぎてしもへば。
 
焉、今本烏に誤れり。何人か面忘れする。我は常に思へば、面忘れしかねつとなり。
 
2534 不相思。人之故可。璞之。年緒長。言戀將居。
あひおもはぬ。ひとのゆゑにか。あらたまの。としのをながく。わがこひをらむ。
 
人ノユヱニカは、人ナルモノヲヤの意なり。言は吾の誤か、されど外にも多し、考ふべし。
 
2535 凡乃。行者不念。言故。人爾事痛。所云物乎。
おほかたの。わざとはもはず。わがゆゑに。ひとにこちたく。いはれしものを。
 
われ故に男の人に言ひ騷がるるを思へば、男の上を凡には思はずと言ふ意なるべし。
 參考 ○凡乃(考)オホヨソノ(古)略に同じ(新)オホロカニ「乃」を「爾」の誤とす ○行者不念(考、古)ワザハオモハジ(新)イモハオモハズ「行」を「妹」の誤とす。
 
2536 氣緒爾。妹乎思念者。年月之。往覽別毛。不所念鳧。
いきのをに。いもをしもへば。としつきの。ゆくらむわきも。おもほえぬかも。
 
イキノヲニ思フは、命をかけて思ふなり。
 
2537 足千根乃。母爾不所知。吾持留。心者吉惠。君之隨意。
たらちねの。ははにしらえず。わがもてる。こころはよしゑ。きみがまにまに。
 
(163)母にも知らせず、しのびて思ふは、親の爲は憂けれども、それもよしや、我身は君がままならんとなり。ヨシヱはヨシヤなり。
 參考 ○母爾不所知(代、古、新)ハハニシラエズ(考)ハハニシラレズ ○吾持留(考)ワガ「待」マテル(古、新)ワガモタル。
 
2538 獨寢等。?朽目八方。綾席。緒爾成及。君乎之將待。
ひとりぬと。こもくちめやも。あやむしろ。をになるまでに。きみをしまたむ。
 
獨りぬるとての意なり。?は蒋にて、中|重《ヘ》なり。席は莚にて、上|重《ヘ》なり。その上重の綾莚はそこなはれて、編緒《アミヲ》のみに成りぬとも、中重の蒋までは朽ち亂るまじければ、夫《セ》子と共寢せし疊を、いつまでも取りも替へず、敷寢つつ待ちなんと言へり。綾ムシロは、綾檜笠、綾檜垣などの綾の言の如くて、藺を綾に織りたるなるべし。
 
2539 相見者。千歳八去流。否乎鴨。我哉然念。待公難爾。
あひみては。ちとせやいぬる。いなをかも。われやしかおもふ。きみまちがてに。
 
イナヲのヲは助辭。又はヨに通ふとも言ふべし。卷十四東歌の末に入りて、其左註に、柿本朝臣人麻呂歌集出也と有り。逢ひて後あまた年經ぬるにや、又はさは有らねど、君を待ちかぬる心から、我のみしか思ふにやといぶかるなり。同卷、つくばねに雪かもふらるいなをかもかなしきころがにのほさるか(164)も。卷四、此ごろに千とせやゆきも過ぬるとわれやしかおもふみまくほれかも。
 
2540 振分之。髪乎短彌。青草。髪爾多久濫。妹乎師曾於母布。
ふりわけの。かみをみじかみ。わかくさを。かみにたくらむ。いもをしぞおもふ。
 
振分髪とは、專らは八歳までは髪の末を肩にくらべて切りて、頂より兩方へかき分けて垂るるを言ふ。されど是れは今少し過ぎて、十歳ばかりにも成りて、漸く髪を長からしむる比にても、猶ふり分け髪と言ふべし。さて若草の髪の如きを、其髪にたぐり添へつかぬるなり。田舍の女兒の、かつら草と名づけて、なよよかに細く長き草の、叢に生ふるを採りて、さるわざするなり。卷九、八年兒の片生の時ゆ小放に髪多久までになども詠めり。タグはタカヌルなり。上にたけばぬれと言ふ歌に言へり。女のいときなき程より心に領《シメ》たるなり。
 參考 ○青草(考、新)略に同じ、但し(考)「草」の下に「乎」を補ふ(古)ハルクサ「乎」ヲ。
 
2541 徘徊【徊徘ニ誤ル】。往【住ニ誤ル】箕之里爾。妹乎置而。心空在。土者蹈鞆。
たもとほり。ゆきみのさとに。いもをおきて。こころそらなり。つちはふめども。
 
今徘徊を下上に書き、往を住とせるは誤なり。ユキミノ里、いづくにか知られず、考ふべし。卷十二に末全く同じき歌有り。
 參考 ○往箕之里爾(代)イナミノサトニ(考、古、新)略に同じ。
 
(165)2542 若草乃。新手枕乎。卷始而。夜哉將間。二八十一不在國。
わかくさの。にひたまくらを。まきそめて。よをやへだてむ。にくくあらなくに。
 
若草ノ、枕詞。一たび逢ひて後、障り有りて通ひ難きなり。
 
2543 吾戀之。事毛語。名草目六。君之使乎。待八金手六。
わがこひし。こともかたらひ。なぐさめむ。きみがつかひを。まちやかねてむ。
 
吾が戀ひたりし事を、使にだに語りて心を尉めんとなり。待ゾカネツルと言ふべきを、斯くおぼめかし言ふも古へなり。
 參考 ○吾戀之(考)ワカコヒノ(古、新)略に同じ、但し(古)アガ。
 
2544 寤者。相縁毛無。夢谷。間無見君。戀爾可死。
うつつには。あふよしもなし。いめにだに。まなくみむきみ。こひにしぬべし。
 
夢にだにも見ずは、戀に死ぬべしとなり。宣長云、マナクミエコソと有るべき歌なり。君は誤字なるべしと言へり。
 參考 ○夢(考)イメ(古、新)イメ ○間無見君(考)略に同じ(古)マナクミエキミ(新)マナクミエコソ「君」を誤とす。
 
2545 誰彼登。問者將答。爲便乎無。君之使乎。還鶴鴨。
(166)たそかれと。とはばこたへむ。すべをなみ。きみがつかひを。かへしつるかも。
 
君が使をだに留どめて、ありさまをも問はんものを、いづこよりの使ぞと、人のあやしみ問はん事をわびて、使を返せしを悔ゆるなり。
 參考 ○誰彼登(新)タゾカハト。
 
2546 不念丹。到者妹之。歡三跡。咲牟眉曳。所思鴨。
おもはぬに。いたらばいもが。うれしみと。ゑまむまよびき。おもほゆるかも。
 
上に待つらむにいたらば妹が云云と言へる歌相似たり。マヨビキは仲哀紀、※[目+隶]此云2麻用弭枳《マヨビキ》1と有り。眉のたわみて長きをもてひくと言ふなり。
 參考 ○不念丹(考)オモハズニ(古、新)略に同じ。
 
2547 如是許。將戀物衣常。不念者。妹之手本乎。不纒夜裳有寸。
かくばかり。こひむものぞと。おもはねば。いもがたもとを。まかぬよもありき。
 
故有りて別れて後詠めるなり。古本に此歌ここには無くて、卷十二、世間爾戀|將繁跡《シゲケムト》おもはねば君がたもとをまかぬ夜も有きと言ふ歌の左に、一云とて此歌を出だせり。いづれか是ならん。
 
2548 如是谷裳。吾者戀南。玉梓之。君之使乎。待也金手武。
かくだにも。われはこひなむ。たまづさの。きみがつかひを。まちやかねてむ。
 
(167)宣長云、或人説、初句は結句へ懸けて言へり。かくだにも待ちやかねてんなり。ダニは使ヲダニの意なり。さて南《ナム》は、辭のナムには有らず、ムをたしかに讀むべし。卷十三引づらひ有雙雖爲《アリナミスレド》いひづらひありなみすれどありなみえずぞ云云と有る、有ナミの活用にて、戀ナムは、戀ナミスルと言はんに同じ。又敵をカタキナムと訓む、ナムも同じ。さて戀ヒナム使と下へ續く詞なり。一首の意は、戀ひしく思ふ君が使をだに、吾は斯くばかり持ちや兼ねてんとなりと言へり。此説然るべし。
 
2549 妹戀。吾哭涕。敷妙木【木ハ之ノ誤カ】。枕通而。袖副所沾。
いもにこひ。わがなくなみだ。しきたへの。まくらとほりて。そでさへぬれぬ。
 
木は之の誤なるべし。古今六帖には、敷たへのまくら通りてと有り。
 參考 ○枕通(代)コマクラトホリテ三句の末の「木」を續く(考、古、新)略に同じ。
 
或本歌云。枕通而。卷者寒母《マケバサムシモ》。
 
2550 立念。居毛曾念。紅之。赤裳下引。去之儀乎。
たちておもひ。ゐてもぞおもふ。くれなゐの。あかもすそひき。いにしすがたを。
 
源氏物語に此歌を、あかもたれ引きと言へるは惡ろし。集中、裳下と書きてモスソと訓める例有り。
 
2551 念之。餘者。爲便無三。出曾行之。其門乎見爾。
おもふにし。あまりにしかば。すべをなみ。いでてぞゆきし。そのかどをみに。
 
(168)其門は妹が門なり。
 
2552 情者。千遍敷及。雖念。使乎將遣。爲便之不知久。
こころには。ちたびしくしく。おもへども。つかひをやらむ。すべのしらなく。
 
シクシクは重重なり。
 參考 ○千遍敷及(考、古、新)チヘシクシクニ。
 
2553 夢耳。見尚幾許。戀吾者。寤見者。益而如何有。
いめのみに。みてすらここだ。こふるわは。うつつにみてば。ましていかにあらむ。
 
夢に見てだにそこばく戀ふる我は、現に相見たらは如何ばかりならんと言ふなり。
 參考 ○夢耳(考)ユメニノミ(古、新)略に同じ ○見尚幾許(考、新)略に同じ(古)ミルスラココダ ○戀吾者(新)コフルワヲ「者」を衍とす ○益而如何有(考)マシテイカガアラム(古)略に同じ(新)マシテイヵナラム。
 
2554 對面者。面隱流。物柄爾。繼而見卷能。欲公毳。
あひみれば。おもかくさるる。ものからに。つぎてみまくの。ほしききみかも。
 
直ちに逢へば、やさしくて、面ての隱さるるなり。物カラは物ナガラなり。
 參考 ○對面者(考)略に同じ(古)アヒミテハ(新)ムカヒテハ「面」を「而」の誤とす。
 
(169)2555 旦戸遣乎。速莫開。味澤相。目之乏流君。今【今ヲ令ニ誤ル】夜來座有。
あさどやりを。はやくなあけそ。あぢさはふ。めがぼるきみが。こよひきませる。
 
朝戸ヤリは朝たの遣戸なり。アヂサハフ、枕詞。メガボルは見まほしむなりと、翁は言はれつれど穩かならず。宣長は、流は視の誤にて、メヅラシキキミ、コヨヒキマセリならんと言へり。今を令に誤れり。
 參考 ○旦戸遣乎(新)アサトヲ又はアサノトヲ「遣」を衍とす ○味澤相(考)略に同じ(古、新)ウマサハフ ○目之乏流君(考)略に同じ(古、新)メヅラシキミガ「流」を「視」の誤とす ○今夜來座有(古)コヨヒキマセリ(新)略に同じ。
 
2556 玉垂之。小簀之垂簾乎。往褐。寐者不眠友。君者通速爲。
たまだれの。をすのたれすを。ゆきがちに。いはなさずとも。きみはかよはせ。
 
古訓かく有れども、ユキガチニと言ふ言はなし。往褐は持掲の字の誤れるにて、モチカカゲと訓むべし。さて心は、君が入り來む戸口の簾を持ちかかげて、いをも寢ず待ち居るとも、其勞は思はじ。ひとへに君が通ひだに來らばと言ふなりと、翁は言はれき。宣長は今本のままにて、ユキガテテと訓まんと言へり。猶考ふべし。ナサズは古事記、夜周伊斯奈佐農《ヤスイシナサヌ》と有りて、ナスは寢る事なり。
 參考 ○往褐(代)ユキガテニ(考)モチカカゲ「持掲」とす(古)ヒキアゲテ「引掲」とす ○寐(170)者不眠友(代、考)イヲバネズトモ(古、新)略に同じ。
 
2557 垂乳根乃。母白者。公毛余毛。相鳥羽梨丹。年可經。
たらちねの。ははにまをさば。きみもあれも。あふとはなしに。としぞへぬべき。
 
上にたらちねの母にさはらばと言へる歌に相似たり。
 參考 ○年可經(考)トシノヘヌベキ(古、新)略に同じ。
 
2558 愛等。思篇來師。莫忘登。結之紐【紐ヲ?ニ誤ル】乃。解樂念者。
うるはしと。おもへりけらし。わするなと。むすびしひもの。とくらくもへば。
 
ウルハシは愛づるなり。是れは旅に在りて詠めるなるべし。別るる時に妹が結びし紐の、今解くるは、我を戀ふらしと言ふなり。篇を音をとりてオモヘリケラシと契沖訓めり。卷七、ハシリヰに八信井など書ける例なり。
 參考 ○愛等(考、古、新)ウツクシト ○思篇來師(代)オモヘリケラシ(考)オモホヘケラシ(古、新)略に同じ ○莫忘登(考)ワスレナト(古、新)ナワスレト。
 
2559 昨日見而。今日社間。吾妹兒之。幾許繼手。見卷欲毛。
きのふみて。けふこそあひだ。わぎもこが。ここだくつぎて。みまくほしきも。
 
ケフコソ間ダは、今日のみこそ隔てたれと言ふを略けり。ホシキモのモはカモの略。
(171) 參考 ○今日社間(考、古、新)ケフコソヘダテ ○見卷欲毛(代)ホシキモ(考、古)ミマクシホシモ「欲」の上「之」を補ふ(新)ミマクホシカモ「毛」を「毳」の誤とす。
 
2560 人毛無。古郷爾。有人乎。愍久也君之。戀爾令死。
ひともなき。ふりにしさとに。あるひとを。めぐくやきみが。こひにしなせむ。
 
此人ヲは、妹が自ら言ふなり。メグクは、集中にメグシとも有るに同じ。人を見る目の苦しきにて、今俗ムゴシと言ふ言なるを、ここは吾が上にとりて言へり。人住まぬ古郷に女を置きて、男の離《カレ》たるをわぶるなり。
 參考 ○令死(代)シナセム(考)シナセメ(古)略に同じ(新)シナスル。
 
2561 人事之。繁間守而。相十方。八反吾上爾。事之將繁。
ひとごとの。しげきまもりて。あへりとも。やへわがうへに。ことのしげけむ。
 
人言のしげき間《マ》と切りて見るべし。其間をうかがひて逢ひたりとも、いよよ人に言ひ立てられんとなり。
 參考 ○相十方(新)アヒヌトモ ○八反吾上爾(代、考)略に同じ(古、新)ハタワガウヘニ「反」を「多」の誤とす。
 
2562 里人之。言縁妻乎。荒垣之。外也吾將見。惡有名國。
(172)さとびとの。ことよせづまを。あらがきの。よそにやわがみむ。にくからなくに。
 
上は妹と我と相思ふと言ふ事を、其里の諸人の言ひ寄する妻と言ふ意なり。里人の心を寄するとする説は善からず。アラ垣は透間ある垣を言ひて、ヨソニと言はん料のみ。
 參考 ○言縁妻乎(新)コトヨスツマヲ ○荒垣之(新)アシガキノ「荒」は「蘆」の誤とす ○外也吾將見(代)ホカニヤ(考、新)略に同じ(再)ヨソニヤアガミム。
 
2563 他眼守。君之隨爾。余共爾。夙興乍。裳裾所沾。
ひとめもる。きみがまにまに。われさへに。はやくおきつつ。ものすそぬれぬ。
 
ヒトメモルは、人目のひまを窺ふなり。上の旋頭歌に、朝戸出の君があゆひをぬらす露原、早く起て出つつ吾も裳すそぬらさなと言ふに同じく、男を送り出でて、草の露にわれも沾れたるなり。夙はツトニとも訓むべけれど、右の旋頭歌に據りてハヤクと訓むべし。
 參考 ○夙興乍(考、古)略に同じ(新)ツトニオキツツ。
 
2564 夜干玉之。妹之黒髪。今【今ヲ令ニ誤ル】夜毛加。吾無床爾。靡而宿良武。
ぬばたまの。いもがくろかみ。こよひもか。われなきとこに。なびけてぬらむ。
 
黒髪を打靡かせて、妹が寢《ヌ》るさまを思ひて言ふのみ、ナビケテのケはカセの約なり。 參考 ○吾無床爾(考、新)略に同じ(古)アガナキトコニ ○靡而宿良武(考、新)略に同じ(古)(173)ヌラシテヌラム。
 
2565 花細。葦垣越爾。直一目。相視之兒故。千遍嘆津。
はなぐはし。あしがきごしに。ただひとめ。あひみしこゆゑ。ちたびなげきつ。
 
人の家の花を垣ごしに見て、うるはしむに譬へて、妹を物ごしに一め見たるを言ふなり。允恭紀、波那具波辭佐久羅能梅涅《ハナグハシサクラノメデ》と、衣通姫を譬へ給ふより出でて、斯く詠めるならん。
 
2566 色出而。戀者人見而。應知。情中之。隱妻波母。
いろにいでて。こひばひとみて。しりぬべみ。こころのうちの。こもりづまはも。
 
コモリ妻は、隱れゐる妻を言ふは常なり。是れは心のうちにしのびて有る妻を言へり。
 參考 ○應知(考)シリヌベシ(古、新)略に同じ ○情中之(新)ココロノウチニ「之」を「爾」の誤とす ○隱妻波母(新)シヌブツマハモ。
 
2567 相見而者。戀名草六跡。人者雖云。見後爾曾毛。戀益家類。
あひみては。こひなぐざむと。ひとはいへど。みてのちにぞも。こひまさりける。
 
見テ後ニ毛曾なるべきを、誤りて曾毛とせるなるべし。
 參考 ○見後爾曾毛(考、新)ミテノチニゾモ(古)略に同じく「毛曾」の誤とす。
 
2568 凡。吾之念者。如是許。難御門乎。退出米也母。
(174)おほかたに。われしおもはば。かくばかり。かたきみかどを。まかりでめやも。
 
カタキミカドは、禁裏の御門の出入り安からぬを言ふ。とのゐなどする人の、忍びて妹がり行きたるなり。マカリは專ら公より退くを言へり。
 參考 ○凡(考)オホヨソニ(古、新)オホロカニ。
 
2569 將念。其人有哉。烏玉之。毎夜君之。夢西所見。
おもふらむ。そのひとなれや。ぬばたまの。よごとにきみが。いめにしみゆる。
 
相おもはん人なるやは、思ふべき人とも無きにと返る詞なり。
 參考 ○將念(代)オモヒケム(考)オモヒナム(古、新)略に同じ。
 
或本歌云。夜晝不云吾戀《ヨヒルトイハズワガコヒワタル》。
 
2570 如是耳。戀者可死。足乳根之。母毛告都。不止通爲。
かくしのみ。こひばしぬべみ。たらちねの。ははにもつげつ。やまずかよはせ。
 
斯くばかり戀ひつつ有りては、戀ひも死ぬべければ、母にも告げたり、顯れて常に通ひ給へとなり。
 參考 ○如是耳(代、考、新)略に同じ(古)カクノミシ。
 
2571 丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫波。友之驂爾。名草溢。心毛將有。我衣苦寸。
ますらをは。とものさわぎに。なぐさもる。こころもあらむを。われぞくるしき。
 
(175)驂は馬の多く並び行くさまなれば、サワギと訓むべし。今本ゾメキと訓めり。ゾメキはソソメキの略と聞ゆ。我國の言に初めを濁る事無し。斯く濁るは必ず上を略ける俗語にて、古歌の詞にあらず。溢は外へ漏りあふるる意もて借りたり。集中、名草漏とも書けり。男は友どちの交りにまぎるる事も有らんを、女はこもりのみ居て慰むるわざも無く戀ふるとなり。
 參考 ○驂爾(代、古、新)サワギニ(考)キソヒニ、又はサワギニ ○名草溢(考、新)略に同じ(古)ナグサムル ○心毛將有(考、古、新)ココロモアラム。
 
2572 僞毛。似付曾爲。何時從鹿。不見人戀爾。人之死爲。
いつはりも。につきてぞする。いつよりか。みぬひとこふに。ひとのしにせし。
 
何の時か、見ずして戀ひ死ぬると言ふ事の有りし、似もつかぬ僞ぞと言ふなり。
 參考 ○何時從鹿(新)イツノヨカ「從」を「代」の誤とす ○人之死爲(考、古)ヒトノシニスル(新)略に同じ。
 
2573 情左倍。奉有君爾。何物乎鴨。不云言此跡。吾將竊食。
こころさへ。またせるきみに。なにをかも。いはずていひしと。わがぬすまはむ。
 
卷十三、公に奉《マタ》してこえむ年はもとも訓みて、奉の古語タテマタスを略きて言ふなり。ヌスマハムはヌスマムを延べたる言にて、僞ラムと言ふに同じ。此四の句は如何なる故有りて斯くは訓めるにか、知る(176)べき由無し。物の下、乎は之の誤にて、ナニシカモなるべしと宣長言へり。
 參考 ○奉有君爾(考)略に同じ(古、新)マツレルキミニ ○何物乎鴨(考、新)略に同じ(古)ナニシカモ「乎」を「之」の誤とす ○不云言此跡(考)イハデイヒシト(古)略に同じ(新)イフベカラズト「云」を「可」の誤とす ○吾將竊食(新)「食」は「舞」の誤か。
 
2574 面忘。太爾毛得爲也登。手握而。雖打不寒。戀之奴。
おもわすれ。だにもえすやと。たにぎりて。うてどもこりず。こひのやつこは。
 
面忘れをだにする事を得るやはと言ふなり。卷十二、旅宿も得爲也《エスヤ》長き此夜をと言ふに同じ。面忘ダニモとは、人をひたすら忘るるまでは難くとも、面をだに忘れんとするにかなはずとなり。卷十六、戀の奴のつかみかかりてとも言ひて、戀を奴に譬へて自ら罵るなり。寒は凝る義を以て懲りに借りたり。寒、一本塞に作る、ウテドサハラズと訓むべし。一本の方まさるべし。
 參考 ○太爾毛得爲也登(考)略に同じ(古)ダニモエセムヤト(新)ダニモセズヤト「得」を「不」の誤とす ○雖打不寒(代)ウテドサハラズ「寒」を「塞」とす(考、新)ウテドモコリズ(古)ウテドサヤヲズ「寒」を「塞」とす。
 
2575 希將見。君乎見常衣。左手之。執弓方之。眉根掻禮。
めづらしき。きみをみむとぞ。ひだりての。ゆみとるかたの。まゆねかきつれ。
 
(177)神功紀、希見(此云2梅豆邏志1)と有り。既に此末にも、益希將見裳をイヤメヅラシモと訓めり。左の眉根のかゆければ、人に逢ふと言ふ諺《コトワザ》有しなり。古へ斯かる類ひの諺くさぐさ有りしと見えたり。禮は類の誤か。六帖には君みむとこそと直したり。
 參考 ○希將見(考)メヅラシト(古、新)略に同じ ○君乎見常衣(代)キミヲミムトコソ「常已衣」の誤とす(考、新)略に同じ(古)キミミムトコソ「乎」を衍とし「衣」を「社」の誤とす ○眉根掻禮(新)マヨネカキツル「禮」を「鶴」の誤とす。
 
2576 人間守。蘆垣越爾。吾妹子乎。相見之柄二。事曾左太多寸。
ひとまもり。あしがきごしに。わぎもこを。あひみしからに。ことぞさだおほき。
 
ヒトマモリは、人目のひまを窺ひてなり。サダオホキは、此末に此左太過て後戀ひむかもと言ふも、人言の言ひ定めをしばし過してと言ふなり。ここも色色に言ひ定むる人言の多きを言へり。人のさだ過ぐと言ふは三十ばかりを定めとして、夫れ過ぐる程を言ふも同じ。源氏物語に、中さだなど言へる詞も是れなり。
 參考 ○事曾左太多寸(新)コトゾコチタキ「左太」を「古知」の誤とす。
 
2577 今谷毛。目莫令乏。不相見而。將戀年月。久家眞【眞ヲ莫ニ誤ル】國。
いまだにも。めなともしめそ。あひみずて。こひむとしつき。ひさしけまくに。
 
(178)旅に行き別るる時の歌なり。メナトモシメソは、相見る事うとくなせそと言ふなり。眞、今本莫とせり。一本に據りて改めつ。ヒサシケマクニは、久シカラムニと言ふを延べ言ふ言なり。
 
2578 朝宿髪。吾者不※[手偏+梳の旁]。愛。君之手枕。觸義之鬼尾。
あさねがみ。われはけづらじ。うつくしき。きみがたまくら。ふれてしものを。
 
觸レテシのテシは、タリシを延べ言ふ言なり。義之は羲之の誤なる事既に言ひつ。
 
2579 早去而。何時君乎。相見等。念之情。今曾水葱少熱。
はやゆきて。いつしかきみを。あひみむと。おもひしこころ。いまぞなぎぬる。
 
君は妹を言ふ。水葱少熱は訓を借るのみにて、思ひし心の和《ナゴ》みぬると云ふなり。
 
2580 面形之。忘戸在者。小豆鳴。男士物屋。戀乍將居。
おもがたの。わするとならば。あぢきなく。をのこじものや。こひつつをらむ。
 
宣長云、戸は弖の誤にて、ワスレテあらばなるべしと言へり。戀ふる人の面樣を忘れたらばの意なり。卷十四、於毛可多能和須禮牟之太波《オモガタノワスレムシタバ》云云と詠めり。小豆ナクは、タラチネを足常と書ける類ひにて、音を通はし書けり。ヲノコジモノは既に言へり。
 參考 ○面形之(代、古、新)オモガタノ(考)オモカゲノ ○忘戸在者(考)ワスラヘマサバ(古)ワスレ「弖」テアラバ(新)ワスルトナラバ ○小豆鳴(新)アヅキナク ○男士物屋(考)略に(179)同じ(古)ヲトコジモノヤ(新)兩訓。
 
2581 言云者。三三二田八酢四。小九毛。心中二。我念羽奈九二。
ことにいへば。みみにたやすし。すくなくも。こころのうちに。わがもはなくに。
 
耳ニタヤスシは、言にはたやすく聞ゆれどももと言ふ意なり。卷四、旅と言へば言にぞ安きなど言ふに同じ。スクナクモ云云は、打返して多く思ふと言ふ事になれり。
 
2582 小豆奈九。何枉【枉ハ狂ノ誤】言。今【今ヲ令ニ誤ル】更。小童言爲流。老人二四手。
あぢきなく。なにのたはこと。いまさらに。わらはごとする。おいびとにして。
 
枉は狂の誤なり、此事既に言へり。老て斯くわらはめきたる言いひて戀するは、如何なる事ぞと自ら言ふなり。
 參考 ○何枉言(考)ナニノマガゴト(古、新)略に同じ。
 
2583 相見而。幾久毛。不有爾。如年月。所思可聞。
あひみては。いくひさにしも。あらなくに。としつきのごと。おもほゆるかも。
 
此歌の初句四言に言ふべくも有らず。卷三、不相見者《アヒミヌハ》幾久もあらなくにと有れば、相の上不の字の落ちたるにて、アヒミズテなるべし。
 參考 ○相見而(代)アヒミズテ「相」の上に「不」を補ふ(考)「相」の上「不」脱か、又は「而」(180)の下「者」を補ふか(古)「不」アヒミズテ(新)アヒミテ「者」ハ ○幾久毛(考)イクヒサシクモ(古、新)イクバクヒサモ。
 
2584 丈夫登。念有吾乎。如是許。令戀波。小可者在來。
ますらをと。おもへるわれを。かくばかり。こひせしむるは。うべにざりける。
 
小可はウベとも訓むべけれど、者の字訓むべからず。さてウベニとては心も通らず、小可二字、苛の字の誤なるべし。さらばカラクハアリケリと訓むべきなり。
 參考 ○小可者在來(代)ウヘニハアリケリ(考)カラクハアリケリ「小可」を「苛」の誤とす(古)カラクゾアリケル「小可者」を「不可曾」の誤とす(新)古に訓は同じ「苛曾」の誤とす。
 
2585 如是爲乍。吾待印。有鴨。世人皆乃。常不在國。
かくしつつ。わがまつしるし。あらぬかも。よのひとみなの。つねならなくに。
 
命の程も知られねば、ながらへ在る中に、吾が待つかひ有れかしと言ふなり。不有と有るべきを、不の字を略き書ける例集中に多し。
 參考 ○有鴨(考)アラムカモ(古、新)略に同じ。但し「不」の脱とせず。
 
2586 人事。茂君。玉梓之。便不遣。忘跡思名。
ひとごとの。しげけききみに。たまづさの。つかひもやらず。わするともふな。
(181) 參考 ○人事(考、古、新)ヒトゴトヲ ○茂君(考)シゲシトキミニ(古、新)シゲミトキミニ。
 
2587 大原。古郷。妹置。吾稻金津。夢所見乞。
おほはらの。ふりにしさとに。いもをおきて。あれいねかねつ。いめにみえこそ。
 
大原は十市郡、藤原の都のあたりなり。奈良へ都を移されて故郷となれり。
 
2588 夕去者。公來座跡。待夜之。名凝衣今【今ヲ令ニ誤ル】。宿不勝爲。
ゆふされば。きみきまさむと。まちしよの。なごりぞいまも。いねがてにする。
 
卷十二に一二の句、玉梓の君が使をとて、末全く同じき歌有り。ナゴリは汐干に、ここかしこに猶水の殘りて有るを言ふをもとにて、轉じては、物の殘りたる事に皆用ふ。是れは絶えて後猶戀ふるなり。
 
2589 不相思。公者在良思。黒玉。夢不見。受旱宿跡。
あひおもはず。きみはあるらし。ぬばたまの。いめにもみえず。うけびてぬれど。
 
ウケビはここは祈なり。神武紀、是夜自|祈而寢《ウケビテミネマセリ》。旱は日手二字の一字に誤れるなりと宣長言へり。
 
2590 石根蹈。夜道不行。念跡。妹依者。忍金津毛。
いはねふみ。よみちはゆかじと。おもへれど。いもによりては。しぬびかねつも。
 
山道を通ふ人の詠めるなり。結句は堪へ忍びあへぬなり。
 參考 ○石根蹈(新)イハネフム ○夜道不行(考)ヨミチユカジト(古、新)略に同じ。
 
(182)2591 人事。茂間守跡。不相在。終八子等。面忘南。
ひとごとの。しげきまもると。あはずあらば。つひにやこらが。おもわすれなむ。
 
人言の繁き間を守り窺ふとて、逢はぬ程に、我面を妹が忘れんとなり。
 參考 ○不相在(代、考)アハサラバ(古、新)アハズアラ婆 ○終八子等(考)ツヒニハコラガ(古、新)ツヒニヤコラガ。
 
2592 戀死。後何爲。吾命。生日社。見幕欲爲禮。
こひしなむ。のちはなにせむ。わがいのち。いけるひにこそ。みまくほりすれ。
 
卷四、戀死なむ後は何せむいける日の爲こそ妹を見まくほりすれと全く同じ。
 參考 ○生日杜(代、考、新)略に同じ(古)イケラムヒコソ。
 
2593 敷細。枕動而。宿不所寝。物念此夕。急明鴨。
しきたへの。まくらうごきて。いねらえず。ものもふこよひ。はやもあけぬかも。
 
上の人麻呂家集にも、本は同じき歌有り。アケヌカモはアケヨカシなり。不明と有るべきを不を略けるは例なり。
 參考 ○宿不所寢(代、古、新)イネラエズ(考)イネラレズ ○急明鴨(考)ハヤアケムカモ(古、新)略に同じ、但し不を略けりとせず。
 
(183)2594 不往吾。來跡可夜。門不閉。※[?+可]怜吾妹子。待筒在。
ゆかぬわを。こむとかよるも。かどささず。あはれわぎもこ。まちつつあらむ。
 
障り有りて行かぬわれを、來んかとて、門をささず待つらんとなり。
 參考 ○不往吾云云(代)ユカナクニ、アヲクトカヨモ(考、古、新)ユカヌワヲ、コムトカヨヒモ。但し(古)は「吾」を「ア」。
 
(184)卷十一上追加
 
新室壁草、陸奧南部の黒川盛隆が云く、延喜式七、踐祚大甞祭式云。所v作新殿一宇。(中略)竝以2黒木及草1構葺。壁蔀以v草云云と有れば、是れ壁草なるべしと言へり。又同國鹽竈の藤塚知明が言へるは、彼のあたりにては、新室造りて、壁など未だ塗らざる程は、草を刈りて其屋をかこひ置くを、壁草とは言ふと言へりき。
 
○人妻?、藤原濱臣が云く、此?をユヱと訓めるは、此卷末に、珍海云云人子?。此うた或本歌、人兒故爾、卷十二にも、?をユヱと訓める歌二首有り。さて?は妬の訛なり。さるよしは、集韻、?、都故切妬同と有るのみにて、字書にユヱと訓むべき由は無けれど、遊仙窟に、無情明月故(ニ)臨v?を、あぢきなきありあけづきのみぞ、ねたましげにまどにいると訓ぜり。字鏡、故々(禰太介爾又己止太戸)と有り。是れも字書に故に嫉?の義を註せる事無しと言へど、思ふに、故、妬ともに去聲にて、遇暮の韻の字にして、古へは故、妬通じ用ひしものと見ゆ。されば互に相通はして、ユヱと言ふにも妬の字を用ひしなるべし。今の字書にさる由見えずして、たまたまにも、遊仙窟又吾國の古書に殘れるぞ、古へを見る據《ヨリドコロ》なるべき。今の字書どもは、唐以前用ひし字を遺漏し、字義をも漏らせる事有りと覺ゆる由言へり。さも有るべし。
 
(185)2595 夢谷。何鴨不所見。雖所見。吾鴨迷。戀茂爾。
いめにだに。などかもみえぬ。みゆれども。われかもまどふ。こひのしげきに。
 
夢には見ゆれど、戀に心の迷ひて、見えぬと思ふにや有らんとなり。
 參考 ○何鴨不所見」(考、古、新)ナニカモミエヌ。
 
2596 名草漏。心莫二。如是耳。戀也度。月日殊。
なぐさもる。こころはなしに。かくしのみ。こひやわたらむ。つきにひにけに。
 參考 ○名草漏(考)ナグサムル(古、新)略に同じ ○如是耳(考)略に同じ(古、新)カクシノミ。
 
或本歌云。奧津浪《オキツナミ》。敷而耳八方《シキテノミヤモ》。戀度奈武。
 
しきては重重なり。オキツ浪は、シキテと言はん爲めのみ。
 
2597 何爲而。忘物。吾妹子丹。戀益跡。所忘莫苦二。
いかにして。わするるものぞ。わぎもこに。こひはまされど。わすらえなくに。
 
如何にせば忘れんぞ、忘れんと思へば中中に戀増さりて、忘れぬにとなり。
 參考 ○忘物(考、新)略に同じ(古)ワスレムモノゾ。
 
2598 遠有跡。公衣戀流。玉桙乃。里人皆爾。吾戀八方。
(186)とほかれど。きみをぞこふる。たまぼこの。さとびとみなに。われこひめやも。
 
君が住むかたの道の里人と言はんとて、玉桙の枕詞を、即ち道になして言へり。心は道遠しとて、君をおきて、あだし人に戀ひんやとなり。玉ボコノ道と言はずして、ただちに道の事とせる例、冠辭考に漏らされたり。
 參考 ○遠有跡(代、新)略に同じ(考、古)トホクアレド ○公衣戀流(考)略に同じ(古、新)キミニゾコフル ○里人皆爾(新)「道往人爾」などの誤か ○吾(考)略に同じ(古)アレ(新)ワガ。
 
2599 驗無。戀毛爲鹿。暮去者。人之手枕而。將寐兒故。
しるしなき。こひをもするか。ゆふされば。ひとのてまきて。ねなむこゆゑに。
 
シルシナキはカヒナキなり。兒故ニは兒ナルニの意なり。人の持《モ》たる女を戀ひて詠めるなり。
 
2600 百世下。千代下生。有目八方。吾念妹乎。置嘆。
ももよしも。ちよしもいきて。あらめやも。わがおもふいもを。おきてなげかむ。
 
齡に限りあれば、思ふ妹を逢はずして、置きて歎かんやと言ふなり。
 參考 ○置嘆(新)ミズテナゲカク「置」を「不見」の誤とす。
 
2601 現毛。夢毛吾者。不思寸。振有公爾。此間將會十羽。
(187)うつつにも。いめにもわれは。もはざりき。ふりたるきみに。ここにあはむとは。
 
フリタル公とは、もと逢ひし君を言ふ。此下に、いにしへ人を相見つるかも。古今集に、古人なれば袖ぞぬれける、と言ふに同じ。
 參考 ○不患寸(考、新)略に同じ(古)オモハズキ。
 
2602 黒髪。白髪左右跡。結大王。心一乎。今【今ヲ令ニ誤ル】解目八方。
くろかみの。しらかみまでと。むすびてし。こころひとつを。いまとかめやも。
 
大王をテシの假字に用ふる事既に言へり。契りたりし心は變らじと言ふを、結と言ふにつけて解とは言へり。
 參考 ○白髪左右跡(考)略に同じ(古)シロカミマデト又はシラクルマデト(新)シロクナルマデト「髪」を「變」の誤とす ○心一乎(新)ココロノヒモヲ「一」を「紐」の誤とす。
 
2603 心乎之。君爾奉跡。念有者。縱比來者。戀乍乎將有。
こころをし。きみにまたすと。おもへれば。よしこのごろは。こひつつをあらむ。
 
心ヲシのシは助辭。マタスは奉るなり。末はひたぶるに戀にのみ戀ひんと言ふなり。
 參考 ○君爾奉跡(考)略に同じ(古)キミニマツルト(新)キミニマツリテ「跡」を「而」の誤とす ○念有者(新)アラザレハ「念」を「不」の誤とす ○戀乍乎將有(新)ワスレテヲアラム(188)「戀乍」を「忘手」の誤とす。
 
2604 念出而。哭者雖泣。灼然。人之可知。嘆爲勿謹。
おもひでて。ねにはなくとも。いちじろく。ひとのしるべく。なげきすなゆめ。
 
 參考 ○念出而(古)オモヒイデテ(新)略に同じ ○嘆爲勿謹(考)略に同じ(古、新)ナゲカスナユメ。
 
2605 玉桙之。道去夫利爾。不思。妹乎相見而。戀比鴨。
たまぼこの。みちゆきぶりに。おもはぬに。いもをあひみて。こふるころかも。
 
道行觸なり。ブリと言ふは、フラシを約め言ふなり。オモハヌニは、思ヒカケヌニなり。
 
2606 人目多。常如是耳志。候【候ヲ侯ニ誤ル】者。何時。吾不戀將有。
ひとめおほみ。つねかくのみし。さもらはば。いづれのときか。わがこひざらむ。
 
候、今侯に作る、古本に據りて改めつ。サモラハバは、伺ふ意にて、人間《ヒトマ》をのみ伺ひて有らばと言ふなり。
 參考 ○侯者(代)マモラヘバ(考)サモラヘバ(古、新)略に同じ。
 
2607 敷細之。衣手可禮天。吾乎待登。在濫子等者。面影爾見。
しきたへの。ころもでかれて。あをまつと。あるらむこらは。おもかげにみゆ。
 
(189)シキタヘノ、枕詞。衣手カレテは、相纏へる袖を引き離れてなり。吾を待つとて獨りをるらん妹が、面影に見ゆるとなり。
 參考 ○吾乎(考、新)ワヲ(古)略に同じ。
 
2608 妹之袖。別之日從。白細乃。衣片敷。戀管曾寐留。
いもがそで。わかれしひより。しろたへの。ころもかたしき。こひつつぞぬる。
 
2609 白細之。袖者間結奴。我妹子我。家當乎。不止振四二。
しろたへの。そではまよひぬ。わぎもこが。いへのあたりを。やまずふりしに。
 
卷八、肩のまよひを誰かとり見む。卷十四、たもとのくだりまよひきにけり。和名抄、紕、(萬與布一云與流、)女~v壞也と有り。其家の當りにて、若し妹や見るとて度度振りしなり。マヨヒに間結と書けるは、アヂキナクを、小豆無と書ける類ひなり。
 參考 ○袖者間結奴(新)ツデハマユヒヌ。
 
2610 夜干玉之。吾黒髪乎。引奴良思。亂而反。戀度鴨。
ぬばたまの。あがくろかみを。ひきぬらし。みだれてかへり。こひわたるかも。
 
ヌバタマノ、枕詞。引キヌラシは、結たる髪の夜の程に解けて、ぬるぬると下り亂るるを言ふ。卷二に委し。さて四の句斯くてはととのひ難し。春海云、反は已の誤にて、ミダレテノミモなるべし。宣長(190)は、而反は留反の誤にて、ミダルルマデニならんと言へり。何れにもあれ反は必ず誤なり。
 參考 ○亂而反(考)ミダレテカヘリ(古)ミダレテアレハ「反」を「吾」の誤とす(新)ミダレテノミモ「反」を「已」の誤とす。
 
2611 今更。君之手枕。卷宿米也。吾紐【紐ヲ?ニ誤ル】緒乃。解都追本名。
いまさらに。きみがたまくら。まきねめや。わがひものをの。とけつつもとな。
 
紐のおのづから解くるは、人に逢ふさがなるを、故由も無く解けしを言ふ。
 
2612 白細布乃。袖觸而夜【夜ハ從ノ誤】。吾背子爾。吾戀落波。止時裳無。
しろたへの。そでふれてより。わがせこに。わがこふらくは。やむときもなし。
 
夜は從の字の誤なる事しるし。
 參考 ○袖觸而夜(考)ソデヲフレテユ「夜」を「從」の誤とす(古、新)ソデフレテヨリ「夜」を「從」の誤とす。
 
2613 夕卜爾毛。占爾毛告有。今【今ヲ令ニ誤ル】夜谷。不來君乎。何時將待。
ゆふけにも。うらにものれる。こよひだに。きまさぬきみを。いつとかまたむ。
 
夕ケは衢の占なり。ただ占と言ふは、鹿の骨を燒く占なり。
 
2614 眉根掻。下言借見。思有爾。去家人乎。相見鶴鴨。
(191)まゆねかき。したいぶかしみ。おもへるに。いにしへびとを。あひみつるかも。
 
下心にいぶかりしなり。イニシヘ人とは上にふりぬるきみと言へると心ひとし。言借、去家、皆借字なり。
 
或本歌曰。眉根掻。誰乎香將見跡《タレヲカミムト》。思乍《オモヒツツ》。氣長戀之《ケナガクコヒシ》。妹爾相鴨《イモニアヘルカモ》。
 
一書歌曰。眉根掻。下伊布可之美。念有之《オモヘリシ》。妹之容儀乎《イモガスガタヲ》。今《今ヲ令ニ誤ル》日見都流香裳。
 
2615 敷栲乃。枕卷而。妹與吾。寐夜者無而。年曾經來。
しきたへの。まくらをまきて。いもとわれ。ぬるよはなくて。としぞへにける。
 
催馬樂に、ぬき川のせぜのやはらたまくら、やはらかにぬるよはなくておやさくる妻。
 參考 ○枕卷而(考)略に同じ(古、新)タマクラマキテ「枕」の上に「手」を補ふ ○妹與吾(新)イモトワレト。
 
2616 奧山之。眞木之板戸乎。音速見。妹之當乃。霜上爾宿奴。
おくやまの。まきのいたどを。おとはやみ。いもがあたりの。しものへにねぬ。
 
奧山ノ、枕詞。オトハヤミは、板戸を叩けば、音の甚だしきを言ふ。さてその戸を叩けば、音のかしかましきままに、妹が出であふべき時待つとてあたりに臥して待つなり。
 參考 ○音速見(新)オシガタミ「音速」を誤字とす。
 
(192)2617 足日木能。山櫻戸乎。開置而。吾待君乎。誰留流。
あしびきの。やまさくらどを。あけおきて。わがまつきみを。たれかとどむる。
 
山櫻戸は、眞木の戸、杉の戸など言ふに同じく、櫻の板戸なり。古へは皆そぎ板にて、いづれの木にても同じかるを、詞のあやに、櫻戸を言へるなり。初句は山ザクラと言はん爲めの枕詞のみにて、山住の事を言ふにあらず。心は戸を明け置きて待ちをるに、誰が留むるにか、君が來まさぬと言ふなり。
 參考 ○開置而(考、新)略に同じ(古)アテオキテ。
 
2618 月夜好三。妹二相跡。直道柄。吾者雖來。夜其深去來。
つきよよみ。いもにあはむと。ただぢから。われはきつれど。よぞふけにける。
 
タダヂは、大道の外の近道を言へり。
 參考 ○月夜(考)略に同じ(古)ツクヨ。
 
寄v物陳v思
 
2619 朝影爾。吾身者成。辛衣。襴之不相而。久成者。
あさかげに。わがみはなりぬ。からころも。すそのあはずて。ひさしくなれば。
 
朝日の斜にさす時、人影の細く見ゆるを朝影と言ひて、さて其影の如く痩せ衰へたる身と言ふなり。辛(193)は借字にて韓なり。卷十四、可良許呂毛すそのうちがへあはねどもと詠みて、古へ韓人の衣の裔《スソ》あはざりけん。後世衣をすべてカラ衣と言ふとは異なり。其すその合はぬを、妹に不v逢《アハヌ》に譬へて斯く言ひ下したり。
 
2620 解衣之。思亂而。雖戀。何如汝之故跡。問人毛無。
ときぎぬの。おもひみだれて。こふれども。なぞながゆゑと。とふひともなき。
 
卷十二、解衣の思亂れてこふれども何之故其跡《ナニノユヱゾト》問人もなし。此歌を傳へ誤れるなり。今は汝の字餘れり。
 參考 ○何如之故跡(考)ナニゾノユヱト「汝」を「俗」の誤とす(古)ナゾナガユヱト(新)ナニシノユヱト「汝」を衍とす ○問人毛無(古、新)トフヒトモナシ。
 
2621 摺衣。著有跡夢見津。寤【寤ヲ寐ニ誤ル】者。孰人之。言可將繁。
すりごろも。けりといめみつ。う《を》つつには。いづれのひとの。ことかしげけむ。
 
寤、今本寐と有るは誤なり、古本に據りて改む。古への衣に形を染むる事は無く、唯だ摺り衣をあざやかなる物とす。然れば吾戀の顯はれんさとしにとりて、何れの人に言痛《コチタ》く言はれんずらんと言へるか。又摺衣は必ず上に着る物ゆゑに顯れて人言繁からん夢のさがと言ふか。卷七、紅のこそめの衣下に着て上に取着ばことなさむかもと言ふも、人言を言ひなさんかなりと、翁は言はれき。着有、舊訓キルと訓(194)みたれど、有の字あれば、宣長はケリと訓めり。ケリは着有《キタリ》と言ふ意にて、集中例有り。初二句は唯だ古へ世に言ひ習はしたる事にて、其故は知れ難しと宣長言へり。
 參考 ○著有跡夢見津(代)キタリト(考)キルトイメミツ(古、新)略に同じ ○孰人之(考)略に同じ(古、新)タレシノヒトノ。
 
2622 志賀乃白水郎之。鹽燒衣。雖穢。戀云物者。忘金津毛。
しかのあまの。しほやきごろも。なれぬれど。こひとふものは。わすれかねつも。
 
肥前の志可の島なり。此賀は清みて唱ふ。上はナルルと言はん序のみ。穢とは衣より書けるにて、意は人に馴るを言ふ。卷十二、大王の塩やくあまのふぢ衣なれはすれどもいやめづらしも、と言ふに似たり。
 參考 ○雖穢(考)ナルトイヘド(古、新)略に同じ ○戀云(考)略に同じ(古、新)チフ。
 
2623 呉藍之。八塩乃衣。朝旦。穢者雖爲。益希將見裳。
くれなゐの。やしほのころも。あさなさな。なるとはすれど。いやめづらしも。
 
ヤシホノ衣とは、古事記に、八塩折《ヤシホリ》之紐小刀とも有りて、シホは其色をしむるを言ひ、利は入リの略にて、彌たび染入ると言ふ事なり。さて歌には利の言を略きて、ヤシホと言へり。是れも上はナルルと言はん序のみ。
 參考 ○穢者雖爲(代、考)ナレハシヌトモ(古、新)略に同じ ○益希將見裳(代、考)マシメヅ(195)ラシモ(古、新)略に同じ。
 
2624 紅乃。深染衣。色深。染西鹿齒蚊。遣不得鶴。
くれなゐの。こそめのころも。いろふかく。そみにしかばか。わすれかねつる。
 
卷十六、紅に深く染にし心かもならの都に年の經ぬべき、とも詠めり。
 參考 ○染西(考)略に同じ(古)シミニシ(新)兩訓。
 
2625 不相爾。夕卜乎問常。幣爾置爾。吾衣手者。又曾可續。
あはなくに。ゆふけをとふと。ぬさにおくに。わがころもでは。またぞつぐべき。
 
夕卜問は、しのびてする業なれど、神を祈るなれば、幣代物は置くなり。さて著たる衣の袖は、又も續ぎつべき物ぞとて、解きてぬさとするを言へり。古今集に、手向にはつづりの袖も著るべきにと詠めるも似たり。宣長云、又ゾツグベキは、不v逢《アハヌ》故に又つづきて夕卜《ユフケ》のぬさに置くべしとなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○又曾可續(新)マタカタツベキ「曾」を「香」「續」を「絶」の誤とす。
 
2626 古衣。打棄人者。秋風之。立來時爾。物念物其。
ふるごろも。うつてしひとは。あきかぜの。たちくるときに。ものもふものぞ。
 
フル衣、枕詞。ウツテシ人は人に打捨てられし我身を言ふ。卷五長歌、宇都弖弖波《ウツテテハ》死なむは知らずと(196)有り。末は卷三家持卿亡妻を悲める歌に、今よりは秋風寒く吹なむをいかでかひとり長夜をねむ、と言ふ類ひなり。
 參考 ○打棄人者(考)ウチステビトハ(古)略に同じ(新)ステラエビトハ「打」を「所」の誤とす。
 
2627 波禰蘰。今【今ヲ令ニ誤ル】爲妹之。浦若見。咲見慍見。著四紐【紐ヲ?ニ誤ル】解。
はねかづら。いまするいもが。うらわかみ。ゑみみいかりみ。つけしひもとく。
 
一二の句は既に出づ。ウラ若ミも上に言へり。末は新枕かはすさまなり。
 參考 ○今爲妹之(新)イマスルイモヲ「之」を「乎」の誤とす。
 
2628 去家之。倭文旗帶乎。結垂。孰云人毛。君者不益。
いにしへの。しづはたおびを。むすびたれ。たれとふひとも。きみにはまさじ。
 
シヅハタは冠辭考に委し。上はタレと言はん序のみ。
 參考 ○孰云(考、古、新)タレチフ。
 
一書歌。古之。狹織之《サヲリノ》帶乎。結垂。誰之能《タレシノ》人毛。君爾波不益。
 
狹織は倭文の狹く織りたるにて、帶に用ひん爲めと見ゆ。今サナダと言ひて、細き紐あるも、狹之機《サナハタ》の意なるべきよし冠辭考に言へり。
 
(197)2629 不相友。吾波不怨。此枕。吾等念而。枕手左宿座。
あはずとも。われはうらみじ。このまくら。われとおもひて。まきてさねませ。
 
サは發言にて寢マセなり。男のもとへ枕を贈れるなるべし。
 
2630 結紐。解日遠。敷細。吾木枕。蘿生來。
ゆへるひも。ときしひとほみ。しきたへの。わがこまくらに。こけむしにけり。
 
古りぬる物に苔の生ふるにならひて、事を甚だしく言へり。上に、その枕には苔生にたりとも詠めり。
 參考 ○結紐(代)ムスブヒモ(考、古、新)略に同じ ○解日遠(考、新)トカムヒトホミ(古)略に同じ ○蘿生來(考)コケオヒニケリ(古、新)略に同じ。
 
2631 夜干玉之。黒髪色天。長夜※[口+立刀]。手枕之上爾。妹待覽蚊。
ぬばたまの。くろかみしきて。ながきよを。たまくらのうへに。いもまつらむか。
 
手枕の上に黒髪しきてと言ふ續きなり。凡て古歌に此類ひ多し。
 參考 ○手枕之上爾(考)ヲトコノウヘニ「手枕」を「乎床」の誤とす(古)タマタラノヘニ(新)タマクラノ上ニ。
 
2632 眞素鏡。直二四妹乎。不相見者。我戀不止。年者雖經。
まそかがみ。ただにしいもを。あひみずは。わがこひやまじ。としはへぬとも。
 
(198)2633 眞十鏡。手取持手。朝旦。見人【人ハ衍文】時禁屋。戀之將繁。
まそかがみ。てにとりもちて。あさなさな。みるときさへや。こひのしげけむ。
 
本は見ると言はん序のみ。人の字は衍文なり。古本允と有るも由無し。上に本全く同じくて、末見れども君をあく事のなきと有り。
 參考 ○見人時禁屋(考、古、新)ミムトキサヘヤ(考)「人」を古本の「允」と有るに據り(古)「將見」の誤とす。
 
2634 里遠。戀和備爾家里。眞十鏡。面影不去。夢所見社。
さととほみ。こひわびにけり。まそかがみ。おもかげさらず。いめにみえこそ。
 
右一首上見2柿本朝臣人麻呂之歌中1也。但以2句句相換1。故載2於茲1。  上に、里遠み浦ぶれにけりまそ鏡床のへさらず夢にみえこそ、と有り。
 
2635 釼刀。身爾佩副流。丈夫也。戀云物乎。忍金手武。
つるぎたち。みにはきそふる。ますらをや。こひちふものを。しぬびかねてむ。
 
一二の句は丈夫と言はん料のみ。マスラヲヤは、マスラヲニシテヤの意。
 
2636 釼刀。諸刃之於荷。去觸而。所殺鴨將死。戀管不有者。
つるぎたち。もろはのうへに。ゆきふれて。しせかもしなむ。こひつつあらずば。
 
(199)斯く戀ひつつ有らんよりは、殺されも爲《シ》なんと言ふなり。所殺をシセと言ふは古言なり。將死は借にて將v爲《セム》の意なり。
 參考 ○去觸而(新)ユキフリテ ○所殺鴨將死(考)キラレカモシナム(古)略に同じ(新)シニカモシナム。
 
2637 ?。鼻乎曾嚔鶴。劔刀。身副妹之。思來下。
うちなげき。はなをぞひつる。つるぎたち。みにそふいもが。おもひけらしも。
 
?、字彙補(木由切平聲苦?漢賊名云云)と有るのみにて、斯く訓むべき據無し。?は哂の誤なり。哂は字書に、微笑一曰大笑と有れば、ウレシクモと訓むべしと翁言はれき。宣長云、?は※[口+煙の旁]の誤なり。※[口+煙の旁]は咽と同字にて、ムセブと訓めり。卷五、之可(一本波)夫可比鼻?々々爾と有れば、ここもシカブカヒと訓まんと言へり。猶考ふべし。ハナヒルは、人に思はるるさがなる事に言へり。ツルギタチ、枕詞。
 參考 ○?(考)ウレシクモ「哂」とす(古)シハブカヒ「※[口+煙の旁]」とす(新)ヒシビシニ「〓」とす。
 
2638 梓弓。未之腹野爾。鷹田爲。君之弓食之。將絶跡念甕屋。
あづさゆみ。すゑのはらぬに。とがりする。きみがゆづるの。たえむとおもへや。
 
梓ユミ、枕詞。大和添上郡|陶《スヱ》の原野なるべし。食は必ず誤れるなり。弓弦と有りしか。宣長は、弓葛の誤にてユヅラなるべしと言へり。タエムト思ヘヤは、タエムヤなり。上はユヅルと言はん序にして、弓(200)ヅルは絶えぬと言はん料のみ。
 參考 ○君之弓食之(考)キミガユヅルノ「食」を「弦」の誤とす(古、新)キミガユヅラノ「食」を「葛」の誤とす ○念甕屋(考、古、新)モヘヤ。
 
2639 葛木之《かづらきの》。其津彦眞弓《そつひこまゆみ》。荒木爾毛《あらきにも》。憑也《よるとや・たのめや》君之《きみが》。吾之名告兼《わがなのりけむ》。
 
仁コ紀を考ふるに、葛城襲津彦は建内宿禰の子にて、勝れたる建男《タケヲ》なれば、弓力も勝れけん。其事紀には見えねど、此人の後なる盾人《タテヒト》宿禰の、輟の的を射通せしも、其系有る弓力なるべし。されば弓の名に負せしなりけり。荒木ニモは荒木の如くにもと言ふ意なり。新木の弓は引けどより難きを、吾により難き人の心の寄るに譬ふ。末は女の思ひたのむ男には名を告げ、男も又心寄せて妻とせんと思ふ女の名をば、他人にも言ふならん。かれ其男隱妻の吾名を人に告げしは、吾に寄る心よりや告げつらんと、女の喜べる意なるべし。又古點の如くタノメヤとせば、強き弓を頼もしき物とする意なるべし。然る時は三の句言足らずや。
 參考 ○荒木爾毛(新)ヨルベニモ「荒木」を「搓方」の誤とす ○憑也君之(代)タノムヤ、又はタノメヤ(考)ヨルトヤキミガ(古、新)タノメヤキミガ。
 
2640 梓弓。引見弛【弛ヲ絶ニ誤ル】見。不來者不來。來者其其乎奈何。不來者來者其乎。
(201)あづさゆみ。ひきみゆるべみ。こずはこず。こばぞそをなど。こずはこばそを。
 
弛を今本絶と有るは誤なり。上二句は譬なり。來者其は、來ば其如くすべきをと言ふを略き、次の其乎は、それをなどやと更に言を起すなり。故に二つの其の間を暫く切りて心得べし。結句は上の言を再び擧げて、不來はそれを來ばそれをと言ふなり。總べて言はば、不v來は不v來、來らば來たるべきを、何事ぞ弓を引きつ弛《ユル》べつする如くに、心定らぬよと咎めたるなり。
 參考 ○不來者不來(新)コズバコザレ ○來者其其乎奈何(新)コバコソヲナゾ「來者其」の「其」を「來」の誤とす。
 
2641 時守之。打鳴鼓。數見者。辰爾波成。不相毛恠。
ときもりの。うちなすつづみ。よみみれば。ときにはなりぬ。あはなくもあやし。
 
陰陽式、諸時撃v鼓云云と見ゆ。時守はそれに與かる人を言ふ。ウチナスは打チナラスを略けり。ヨミミレバはカゾヘ試レバなり。さて契りつる時に成りぬるを、來り逢はぬも恠しきとなり。古今六帖に此歌の末を、あはぬあやしもと有るは、よく聞ゆれど、卷十二、名者告てしを不相毛怪とも有り。
 參考 ○數見者(考)カガミレバ(古、新)略に同じ ○不相毛恠(代、古、新)略に同じ(考)アハヌモアヤシ。
 
2642 燈之。陰爾蚊蛾欲布。虚蝉之。妹蛾咲?思。面影爾所見。
(202)ともしびの。かげにかがよふ。うつせみの。いもがゑまひし。おもかげにみゆ。
 
上は妹に逢ひたりし夜のさまを言へり。カガヨフは、カガヤクと通へり。ウツセミノ、ここは枕詞にあらず、顯《ウツツ》の身の妹と言ふなり。妹と離れ居て、逢ひ見し時の有さまの面影に見ゆるを言へるのみ。
 
2643 玉戈之。道行疲。伊奈武思侶。敷而毛君乎。將見因母鴨。
たまぼこの。みちゆきつかれ。いなむしろ。しきてもきみを。みむよしもがも。
 
玉ボコノ、枕詞。イナムシロは冠辭考に委し。上はシキテと言はん序のみ。シキテは重重の意なり。
 
2644 小墾田之。板【板ハ坂ノ誤】田乃橋之。壞者。從桁將去。莫戀吾妹。
をはりだの。さかたのはしの。くづれなば。けたよりゆかむ。なこひそわぎも。
 
ヲハリ田は、推古天皇三年十月豐浦宮より小墾田宮へ遷りませる事紀に見ゆ。神名帳、大和高市郡治田神社と有り。板は坂の誤にてサカタなり。サカタとせる事は、小墾田の金剛寺を坂田尼寺と言へり。推古天皇鞍作(ノ)鳥に、近打坂田郡水田を賜りける時、鳥、天皇の御爲に此寺を建てたれば、坂田寺と言ふなるべし。南淵山細川山より水落ち合ひて、坂田寺のかたへも流ると言へば、そこに渡せる橋を言ふならん由契沖言へり。舒明天皇二年十月に、飛鳥岡本宮へ遷りませしより、小はり田は故郷と成りて、そこの橋の板の朽ちたる程の歌なるべし。ここを後世誤りて、ヲハタタノイタタと詠める歌有り。
 參考 ○壞者(考、新)コボレナバ(古)略に同じ。
 
(203)2645 宮材引。泉之追馬喚犬二。立民乃。息時無。戀渡可聞。
みやぎひく。いづみのそまに。たつたみの。やむときもなく。こひわたるかも。
 
山城相樂郡泉なり。上に眞木積泉河とも言ひて、泉のそまより良材を多く出だせる事常なれば、止時無と言はん序とせり。追馬喚犬は、ツツと言ふに喚?と書ける類ひにて、今物を追ふに、シと言ふ如く、昔馬を追ふにソと言ひ、犬を呼ぶにマと言へるなるべし。マソ鏡に犬馬鏡と書けるは、是れを又略けるなり。
 參考 ○息時無(考)略に同じ(古)イコフトキナク(新)ヤスムトキナク。
 
2646 住吉乃。津守網引之。浮笶緒乃。得干蚊將去。戀管不有者。
すみのえの。つもりあびきの。うけのをの。うかれかゆかむ。こひつつあらずは。
 
津守の浦のあびきなり。和名抄、泛子(宇介)と言へる物にて、ウケは緒を浮かせん爲のなればウケノヲと言へり。戀ひつつあらんよりは、いづ方へも浮かれ行きやせんとなり。
 參考 ○津守網引之(新)ツモリガアミノ「守」の下「之」を補ひ「引」を衍とす。
 
2647 東細布。從空延越。遠見社。目言踈良米。絶跡間也。
よこぐもの。そらゆひきこし。とほみこそ。めごとかるらめ。たゆとへだつや。
 
曉の横雲は、東の空に布を引くが如く見ゆるをもて斯く書けり。一二の句は遠き譬に置くのみ、目言は味サハフの枕詞を添ふる詞の意の如く、見ると言ふとなり。遠ければ直ちに相見てもの言ふ事こそ疎《ウト》か(204)らめ、便りだにせぬは今は絶えんとて隔つるならんと疑ふなり。
 參考 ○從空延越(考)ソラユヒキコス(古)ソラヨヒキコシ(新)ソラユハヒワタリ「越」を「渡」の誤とす ○目言踈良米(考)メコソウトカラメ「乞」を「言」の誤とす(古、新)略に同じ ○絶跡間也(考、古)略に同じ(新)タユトヘダテヤ。
 
2648 云云。物者不念。斐太人乃。打墨繩之。直一道二。
かにかくに。ものはおもはず。ひだびとの。うつすみなはの。ただひとみちに。
 
から文の註に、云云は如是如是也と言へれば、カクと訓むべし。古への匠は飛騨の國にのみ在りて、公へ參り仕へしに由りて、ヒダタクミとも、ヒダ人とも言へり。和名抄、繩墨内典云、端直不v曲喩如2繩墨1(和名須美奈波)と有るなり。一ミチはやがて、一スヂと言ふに同じ。
 參考 ○直一道二(考)タダヒトスヂニ(古、新)略に同じ。
 
2649 足日木之。山田守翁。置蚊火之。下粉枯耳。余戀居久。
あしびきの。やまだもるをぢが。おくかびの。したこがれのみ。わはこひをらく。
 
ヲヂは紀に鹽土老翁をヲヂと訓めり。老人を貴みて言ふ詞なり。卷十七、佐夜麻太乃乎治《サヤマダノヲヂ》なども言へり。カビは二つの意得有り。一つには、猪鹿を追ふべき假廬に夜ほだを燒き、草などをくゆらするを云ふ、一つには蚊遣なり。ここは蚊火と書きたれば蚊やりなるべし。蚊遣は火を下に置きて、上に芥など(205)積みてくゆらすれば、下つ心に焦るるを言はん序とせり。
 
2650 十寸板持。蓋流板目乃。不令相者。如何爲跡可。吾宿始兼。
そぎいたもて。ふけるいための。あはざらば。いかにせむとか。わがねそめけむ。
 
十寸をソギと訓めるは假字なり。又十寸は尺にて、はば有るをハタとも言へば、ハタ板とも訓むべし。板めの合ふと言ふを、下の心にとる時|不v合《アハズ》と言ふなり。皮《ハタ》すすき穗には不v出《イデズ》もなど言ふ類ひなり。
 參考 ○十寸板持(考)ハタイタモテ(古、新)ソギタモチ ○蓋流板目乃(新)フケルイタマノ「目」を「間」の誤とす ○不令相者(代、新)アハセズバ(考)アハザラバ「不合者」の誤とす(古)略に同じ。
 
2651 難波人。葦火燎屋之。酢四手雖有。己妻許増。常目頬次吉。
なにはびと。あしびたくやの。すしたれど。おのがつまこそ。とこめづらしき。
 
煤ビテアレドを約めて、スシタレドと言へり。蘆火など燒く小屋はことに煤多く、古びたるを以て、女の古びたるに譬へて、されども己が妻を常に珍らしみ思ふとなり。
 參考 ○酢四手雖有(代、古)スシテアレド(考、新)略に同じ ○常目頬次吉(考、新)略に同じ(古)トコメヅラシキ。
 
2652 妹之髪。上小竹葉野之。放駒。蕩去家良思。不合思者。
(206)いもがかみ。あげささばぬの。はなちごま。あらびにけらし。あはぬおもへば。
 
イモガカミ、枕詞。アゲササバ野、いづれの國に在るか知らず。俊頼朝臣の、あびきするみつの濱べにさわがれてあげささば野へたづ歸るなり、と詠めるは津の國と聞ゆ。上はアラビと言はん序にて、人の心の變り行くを駒のあらび行くに譬へたり。
 參考 ○上小竹葉野之(考)略に同じ(古)カミタカバヌノ「小」を衍とす(新)アゲタカバヌノ「小」を衍とす ○蕩去家良思(考)アレユキケラシ(古、新)アラビニケラシ ○不合思者(考)アハヌヲモヘバ(古、新)アハナクモヘバ。
 
2653 馬音之。跡杼登毛爲者。松陰爾。出曾見鶴。若君香跡。
うまのおとの。とどともすれば。まつかげに。いでてぞみつる。もしもきみかと。
 
トドは轟く音を言ふ。卷十四、奧山のまきの板戸をとどとしてとも詠めり。松に待つを兼ねたるにも有るべし。
 參考 ○馬音之(考、古、新)ウマノトノ ○若君香跡(考)略に同じ(古、新)ケダシキミカト。
 
2654 君戀。寝不宿朝明。誰乘流。馬足音。吾聞爲。
きみにこひ。いねぬあさけに。たがのれる。うまのあおとぞ。われにきかする。
 
他《アダ》し人の乘れる馬の足音をさへ、妬《ネタ》く思ふなり。
(207) 參考 ○君戀(考)キミコフト(古、新)略に同じ ○馬足音(考)略に同じ(古、新)ウマノアノトゾ。
 
2655 紅之。襴引道乎。中置而。妾哉將通。公哉將來座。
くれなゐの。すそひくみちを。なかにおきて。われやかよはむ。きみやきまさむ。
 
スソは女の裳裙なり。末は古今集、君やこむ我や行かむのいさよひに、と詠める類ひなり。
 
一云。須蘇衝河乎《スソツクカハヲ》。又曰。待香將待《マチニカマタム》。  一云は二の句、又曰は結句の異本なり。
 
2656 天飛也。輕乃社之。齋槻。幾世及將有。隱嬬其毛。
あまとぶや。かるのやしろの。いはひつき。いくよまであらむ。こもりづまそも。
 
天トブヤ、枕詞。神名帳、大和高市郡輕樹村坐神社と有る是れなり。其社に古りたる槻を神木といはひしなるべし。其木に譬へて、隱妻のあらはして、わが妻となすべき時の持ち遠きを言ふなり。
 
2657 神名火爾。紐【紐ヲ?ニ誤ル】呂寸立而。雖忌。人心者。間守不敢物。
かみなびに。ひもろぎたてて。いはへども。ひとのこころは。まもりあへぬかも。
 
飛鳥の神南備山なり。ヒモロギは、神代紀、起2樹天津神籬1云云。崇神紀、立2磯堅城《シカタキノ》神籬1(神籬此云2比莽呂岐1)和名抄、日本紀私記云、神籬俗云2比保路岐1と有り。檜室籬にて、卷廿、庭中のあすはの神に小柴さし、と詠める如く、檜の葉もて假に神室の籬を作るを言へり。是れは常有る社の外に、更に其(208)神を崇め祭る時にする事にて、何れの社にも有れど、神なびを擧げたるは、殊に畏み崇む故なるべし。イハフとは即ち祭るを言へり。思ふ人の心の變り行くを愁ひて、神を祈れども、神だに守り留め不v堪《アヘズ》と言へり。物は疑の草の字より誤れるなるべし。
 參考 ○雖忌(新)イハフトモ ○間守不敢物(代)アヘズモ(考)略に同じ(古)マモリアヘヌモノ(新)マモリアヘジカモ「物」は「疑」の誤。
 
2658 天雲之。八重雲隱。鳴神之。音爾耳八方。聞度南。
あまぐもの。やへぐもがくり。なるかみの。おとにのみやも。ききわたりなむ。
 
上は音と言はん序のみ。古今集、逢ふ事は雲ゐはるかに鳴神の音にききつつ戀ひわたるかな、と言ふは、此歌をいささか直せるなり。
 參考 ○八重雲隱(考)ヤヘグモガクレ(古、新)ヤヘゲモガクリ。
 
2659 爭者。神毛惡爲。縱咲八師。世副流君之。惡有莫君爾。
あらそへば。かみもにくます。よしゑやし。よそふるきみが。にくからなくに。
 
ニクマスはニクミマスを約め言ふなり。君と吾を人のよそへ言へるを、さる事無しと爭ふべけれど、心ににくからぬ君故は、強ひて爭はば神の憎みを得んと思へば、爭はずと言ふなり。
 
2660 夜並而。君乎來座跡。千石破。神社乎。不祈日者無。
(209)よならべて。きみをきませと。ちはやぶる。かみのやしろを。のまぬひはな」。
 
夜ナラベテは、日並ベテと言ふに同じ。ノムは祈るなり。
 
2661 靈治波布。神毛吾者。打棄乞。四惠也壽之。?無。
たまぢはふ。かみもわれをば。うつてこそ。しゑやいのちの。をしけくもなし。
 
タマヂハフ、枕詞。神の御たまは、願ふ人の萬づに幸をなし給へり、是れは命の幸をなし給ふを云ふ。かねては命|幸《サキ》くあれと祈りし神も、今は吾をば打捨て給ひてよと乞ふ意にして、戀に倦みて身を捨つるなり。ウツテはウチステの約なり、上に出づ。シヱヤは歎く詞。
 
2662 吾妹兒。又毛相等。千羽八振。神社乎。不?日者無。
わぎもこに。またもあはむと。ちはやぶる。かみのやしろを。のまぬひはなし。
 
右の夜並而の歌の或本なるべし。
 
2663 千葉破。神之伊垣毛。可越。今【今ヲ令ニ誤ル】者吾名之。惜無。
ちはやぶる。かみのいがきも。こえぬべし。いまはわがなの。をしけくもなし。
 
和名抄日本紀私記云、瑞籬(俗云美豆加岐、一云以賀岐、)人の越えて穢すを忌む神垣ゆゑに、イミ垣と言ふを略けるなり。この齋垣《イガキ》は譬へにて、如何なる難き所をも忍び通ひて逢ひてん、それに依りて名の立たんは、斯く戀せまりては惜からずと言ふなり。卷七、ゆふかけていむ此もりも越ぬべく思ほゆる(210)かも戀のしげきに、とも詠めり。
 參考 ○今者吾名之(新)イマハワガミノ「名」を「身」の誤とす。
 
2664 暮月夜。曉闇夜乃。朝影爾。吾身者成奴。汝乎念金丹。
ゆふづくよ。あかときやみの。あさかげに。わがみはなりぬ。なをもひかねに。
 
上は夕月の頃は必ず曉闇《アカツキヤミ》なるをあやに言へるのみ。さて曉朝と言ひ續けたる序なり。オモヒカネニは、オモヒガテニシテなり。ガテは難にて、念堪難にしてを略ける物なり。宣長云、丹の字は衍文にて、ナヲオモヒカネなるべし。カネニと言へる事例無しと言へり。
 參考 ○曉闇夜乃(考)アカツキヤミヨノ(古、新)略に同じ ○汝平念金丹(代)ナレヲオモヒカニ(考)略に同じ(古、新)ナヲモヒカネテ「丹」を「手」の誤とす。
 
2665 月之有者。明覽別裳。不知而。寐吾來乎。人見兼鴨。
つきしあれば。あくらむわきも。しらずして。ねてわがこしを。ひとみけむかも。
 
古今集に、玉くしげあけば君が名立ちぬべみ夜ふかくこしを人見けむかも、と言ふは今のうらなり。
 
2666 妹目之。見卷欲家口。夕闇之。木葉隱有。月待如。
いもがめの。みまくほしけく。ゆふやみの。このはごもれる。つきまつがごと。
 
妹を見まくほしきは、夕闇のおぼつかなきに、木の間より洩りくる月を待つ如しとなり。
(211) 參考 ○木葉隱有(考)コノハガクルル(古、新)コノハガクレル ○月持如(考)略に同じ(古、新)ツキマツゴトシ。
 
2667 眞袖持。床打拂。君待跡。居之間爾。月傾。
まそでもて。とこうちはらひ。きみまつと。をりしあひだに。つきかたぶきぬ。
 
 參考 ○眞袖持(考)略に同じ(古、新)マソデモチ。
 
2668 二上爾。隱經月之。雖惜。妹之田本乎。加流類比來。
ふたがみに。かくろふつきの。をしけども。いもがたもとを。かるるこのごろ。
 
大和葛下郡葛城山のはてに、尖りたる嶺二つ有り、是れを二上山と言ふ。是れ此國の西なれば、そこに落ちかかる月の面白きが隱るるの惜しきを以て譬ふ。隱ロフ月ノ如クと言ふべきを略けり。カルルは離るるなり。
 參考 ○雖惜(代、古、新)略に同じ(考)ヲシケレド。
 
2669 吾背子之。振放見乍。將嘆。清月夜爾。雲莫田名引。
わがせこが。ふりさけみつつ。なげくらむ、きよきつくよに。くもなたなびき。
 
雲棚引ことなかれと言ふ言にて、下に曾の詞を略ける例集中に多し。
 
2670 眞素鏡。清月夜之。湯徙去者。念者不止。戀社益。
(212)まそかがみ。きよきつくよの。ゆつりなば。おもひはやまじ。こひこそまさめ。
 
ユツルはウツルなり。卷四、月者|由移去《ユツリヌ》とも書けり。人待つ夜は月の傾かんままに、戀ひまさらんとなり。
 參考 ○念者不止(考、新)オモヒハヤマズ(古)略に同じ。
 
2671 今夜之。在開月夜。在乍文。公乎置者。待人無。
このよらの。ありあけづくよ。ありつつも。きみをおきては。まつひともなし。
 
上はアリツツモと言はん序のみ。在りながらへても、君をおきて外に待ち戀ふる人は無しとなり。
 
2672 此山之。嶺爾近跡。吾見鶴。月之空有。戀毛爲鴨。
このやまの。みねにちかしと。わがみつる。つきのそらなる。こひもするかも。
 
峰に出でし月の、いと疾く中空に上る物なるを以て、心空なると言はん序とせり。
 
2673 烏玉乃。夜渡月之。湯移去者。更哉妹爾。吾戀將居。
ぬばたまの。よわたるつきの。ゆつりなば。さらにやいもに。わがこひをらむ。
 
右の眞素鏡云云の歌と同じ意なり。
 
2674 朽網山。夕居雲。薄往者。余者將戀名。公之目乎欲。
くたみやま。ゆふゐるくもの。うすらがば。われはこひむな。きみがめをほり。
 
景行紀、來田見《クタミノ》邑と見ゆ。豐後風土記、大分《オホギタ》川、此川之源出2直入郡朽網之峰1、指v東下流云云と有り。(213)うすらがばの言雅ならず、若くは字の誤れるか、薄と轉と字の似たれば、轉往と有りしにや。然らば是れもユツリナバと訓むべし。此山を言へるは、豐後の國人の相聞なるべし。此卷にに國國の歌も入りたり。
 參考 ○薄往者(考)ウツリナバ「薄」を「轉」の誤とす(古)タチテイナバ「薄」を「發」の誤とす(新)タチユカバ「薄」を誤とす。
 
2675 君之服。三笠之山爾。居雲乃。立者繼流。戀爲鴨。
きみがきる。みかさのやまに。ゐるくもの。たちてはつげる。こひもするかも。
 
君ガキル、枕詞。雲の立ちのぼれば又繼ぎて居つつ、此峰に雲の絶ゆる時無きもて、思ひ過せばやがて又思ふ事あるに譬ふ。卷三、高くらのみ笠の山に鳴鳥のやめばつがるる戀もするかも、と言ふも同じ意なり。
 參考 ○君之服(考)略に同じ(古)キミガケル(新)兩訓 ○立者繼流(考、古、新)タテバツガルル ○戀爲鴨(考、古)略に同じ(新)コヒヲスルカモ。
 
2676 久竪之。天飛雲爾。在【在ハ成ノ誤】而然。君相見。落日莫死。
ひさかたの。あまとぶくもに。なりてしが。きみをあひみむ。おつるひなしに。
 
在、一本成と有るぞ善き。オツル日ナシニは、集中、隈モオチズ、又一夜モオチズなど言ふ類ひなり。(214)卷十四、み空行雲にもがもなけふ行て妹にこととひあすかへりこむ。
 參考 ○天飛雲爾(古)「天飛鴈」カ(新)雲にてよし ○君相見(考、新)キミニアヒミム(古)略に同じ。
 
2677 佐保乃内從。下風之吹禮波。還者。爲便【今本爲便、二字脱】胡粉。歎夜衣大寸。
さほのうちゆ。あらしのふければ。かへさには。せむすべしらに。なげくよぞおほき。
 
佐保山の内なり。胡粉の上、古本爲便の字有り。今本おとせり。胡粉はシラニと訓む例なり。妹が家より歸るさに詠めるか。されど三の句穩かならず。宣長は還者二字必ず誤字ならんと言へり。直考ふべし。大は借にて多なり。
 參考 ○下風之吹禮波(代)アラシノ(考、新)アラシノフケバ「禮」を衍とす(古)アラシフケレハ「之」を衍とす ○還者(代)カヘリテハ(考)略に同じ(古)タチカヘリ「立還」の誤とす(新)ヒトリネテ「獨宿」の誤とす ○胡粉(代)サムサヲシラニ「サムサヲ」脱とす(考、古、新)略に同じ。
 
2678 級子八師。不吹風故。玉匣【匣ヲ〓ニ誤ル】。開而左宿之。吾其悔寸。
はしきやし。ふかぬかぜゆゑ。たまくしげ。ひらきてさねし。われぞくやしき。
 
子は寸の誤なり。此語既に言へり。ここにハシキヤシと言へるは、夏の風は身にうるはしく覺ゆれば、先づ其風をめでて斯く言ひて、さて待つ人のうるはしきを添へたり。戸を開きて風を戀ふるに、あやに(215)くに吹き入らぬ如く、人を持てども空しく來ぬを歎くなり。二の句は吹かぬ風なるものをの意なり。玉クシゲ、枕詞。
 參考 ○級子八師(代)ハシコヤシ(考、古、新)略に同じ ○開而左宿之(代、古)略に同じ(考)アカシテサネシ(新)トアケテサネシ「開」の上「戸」脱か。
 
2679 窓超爾。月臨照而。足檜乃。下風吹夜者。公乎之其念。
まどごしに。つきおしてりて。あしびきの。あらしふくよは。きみをしぞおもふ。
 
オシテリテは、おしなべて照るなり。卷七、春日山押て照せる此月は、卷八、我宿に月押照れり、など詠めり。秋更けて月さやかに、あらし打吹く夜は、物寂しく、はだへ寒きままに、人戀しさの増さるを言へり。
 
2680 河千鳥。住澤上爾。立霧之。市白兼名。相言始而者。
かはちどり。すむさはのへに。たつきりの。いちじろけむな。あひいひそめては。
 
霧は集中、白氣とも書きて朝明に白く見ゆるもて、いちじろき譬に言へり。之に如を籠めたり。さて斯く契をなし始めて有れば、忍ぶと言ふとも顯れなんと思ひ歎く、女の歌なるべし。
 參考 ○住澤上爾(代)スミサハ(考、古)略に同じ(新)ナキサハノ上ニ「住」は「泣」の誤 ○相言始而者(考)チギリソメテバ「相言」「誓」の誤(古、新)略に同じ。
 
(216)2681 吾背子之。使乎待跡。笠毛不著。出乍其見之。雨落久爾。
わがせこが。つかひをまつと。かさもきず。いでつつぞみし。あめのふらくに。
 
此歌卷十二に再び載せたり。フラクはフルを延べたり。
 
2682 辛衣。君爾内著。欲見。戀其晩師之。雨零日乎。
からごろも。きみにうちきせ。みまくほり。こひぞくらしし。あめのふるひを。
 
此のから衣はあや有るきぬを言ふなるべし。内キセのウチは詞なり。心はよき衣を縫ひて著せて見んとて、持ち暮らせしに、雨降りて男の來ぬなるべし。
 參考 ○辛衣(新)ニヒゴロモ「辛」は「新」の誤。
 
2683 彼方之。赤土少屋爾。??零。床共所沾。於身副我妹。
をちかたの。はにふのをやに。こさめふり。とこさへぬれぬ。みにそへわぎも。
 
齊明紀童謠に、烏智可?能阿婆努能枳枳始《ヲチカタノアバヌノキギシ》、大祓詞に、彼方繁木本と有り。さて、彼方は俗言にアナタと言ふ事なり。凡てヲチコチはアチコチと言ふ事にて、遠近とも書くは末なり。ここの彼方も見渡したる所を言へるなり。ハニフノ少屋は、唯だ土の上にわら莚など取り敷きて住まふを言ふ。少屋、古事記御歌に、あしはらのしげこき袁夜邇《ヲヤニ》云云と有ればヲヤと訓めり。此下に、人言をしげみと君をうづら鳴人の古家《フルヘ》にかたらひてやりつ、と言ふ如く、人に忍ぶとて妹を率《ヰ》て行きて賤しき屋に寢たるに、もと(217)より佗びしき床の上に、雨さへ漏りて、せんすべ無きに附けても、いとど親しむ意を言へり。霖は一本?と有るを善しとす。共は義を以てサヘと訓む例なり。
 參考 ○赤土少屋爾(考)ハニフノコヤニ(古、新)略に同じ。
 
2684 笠無登。人爾者言手。雨乍見。留之君我。容儀志所念。
かさなしと。ひとにはいひて。あまづつみ。とまりしきみが。すがたしおもほゆ。
 
雨に濡れん事を厭ひて、つつしみ籠りをるを、雨ヅヅミと言へり、笠の無きをかごとにて留《ト》まりしなり。
 參考 ○笠無登(考)略に同じ(古、所)カサナミト。
 
2685 妹門。去過不勝都。久方乃。雨毛零奴可。其乎因將爲。
いもがかど。ゆきすぎかねつ。ひさかたの。あめもふらぬか。そをよしにせむ。
 
雨も降れかし、それをより所として立ち寄らんとなり。六帖に、妹が門行過ぎかねつひぢがさの雨もふらなむあまがくれせむ、と言へる、ヒヂカサは久カタを誤れるなり。催馬樂にも、源氏物語にも、ヒヂ笠と言ふ事有るは、誤を傳へたる物なり。
 
2686 夜占問。吾袖爾置。白露乎。於公脊視跡。取者消管。
ゆふけとふ。わがそでにおく。しらつゆを。きみにみせむと。とればけにつつ。
 
夕占とふと道に立ち明したる袖に、露の置くを言ふ。
(218) 參考 ○夜占(代)ヨウラ(考、古、新)略に同じ。
 
2687 櫻麻乃。苧原之下草。露有者。令明而射去。母者雖知。
さくらをの。をふのしたくさ。つゆしあれば。あかしていゆけ。はははしるとも。
 
サクラヲノ、枕詞。冠辭考に委し。ヲフは麻の生ふる所を言ひて、下草は其麻の下に生ふる草なり、露しげきを言はん料のみ。其曉露は堪ふまじければ、夜を明して行けと言ふなり。イは發語。櫻麻は先人カニバヲと訓まんかと言へりき。
 參考 ○櫻麻乃(考)サクラサノ(古)サクラアサノ(新)略に同じ。
 
2688 待不得而。内者不入。白綿布之。吾袖爾。露者置奴鞆。
まちかねて。うちへはいらじ。しろたへの。わがころもでに。つゆはおきぬとも。
 
卷十二、君待と庭にのみをれば打なびき吾黒髪に霜ぞ置にける、と言ふと、言異なれど意は相似たり。古今集に、君こずは閨へも入らじ濃紫わがもとゆひに霜は置くとも、と言へるは、右の二首を取り混へたるやうなり。
 
2689 朝露之。消安吾身。雖老。又若反。君乎思將待。
あさつゆの。けやすきわがみ。おいぬとも。またわかがへり。きみをしまたむ。
 
卷十二、初句露霜乃とかはれるのみにて、重ねて出だせり。
(219) 參考 ○又若反(考)略に同じ(古)マタヲチカヘリ「又」の下に「變」を補ふ(新)訓は(古)に同じく字は本のままとす。
 
2690 白細布乃。吾袖爾。露者置。妹者不相。猶預四手。
しろたへの。わがころもでに。つゆはおきぬ。いもにはあはず。たゆたひにして。
 
夜更くるまで妹があたりに佇みて、袖はしととに露に濡れたれども、妹には逢ふ事を得ず、さりとも猶あらじに、たゆたはれつつ居る程の心憂さを言へり。タユタヒは行きもやらず、去りもあへぬ樣なり。猶豫、玉篇に豫或作v預と有れば通じ書けり。
 參考 ○露者置(考)ツユハオキ(古、新)ツユハオケド「置」の下「跡」を補ふ。
 
2691 云云。物者不念。朝露之。吾身一者。君之隨意。
かにかくに。ものはおもはず。あさつゆの。わがみひとつは。きみがまにまに。
 
朝露の如くはかなき身と言ふなり。
 參考 ○物者不念(考、古、新)モノハオモハジ。
 
2692 夕凝。霜置來。朝戸出爾。甚踐而。人爾所知名。
ゆふごりの。しもおきにけり。あさとでに。いとあとつけて。ひとにしらゆな。
 
夕霜の凍れるなり。甚、拾穗本跡に作る。又甚と足と字の近ければ、足の字の誤れるか。然らば古點の(220)如く、アトフミツケテと訓むべし。宣長云、甚は其上二字の誤れるにて、ソノウヘフミテなるべしと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○甚踐(代)ハナハダフミテ、文はイタクフミツケ(考)イトアトツケテ(古)アトフミツケテ「跡踐附而」(新)イタクモフミテ ○人爾所知名(考)ヒトニシラルナ(古、新)略に同じ。
 
2693 如是許。戀乍不有者。朝爾日爾。妹之將履。地爾有申尾。
かくばかり。こひつつあらずは。あさにひに。いもがふむらむ。つちならましを。
 
朝に日には、朝毎に日毎になり。
 
2694 足日木之。山鳥尾乃。一峰越。一目見之兒爾。應戀鬼香。
あしびきの。やまどりのをの。ひとをこえ。ひとめみしこに。こふべきものか。
 
山鳥は雌雄蜂を隔て住むと言ふ事有りて、卷八に、足引の山鳥こそ蜂向《ヲムカヒ》につまどひすとへ、とも詠めり。然ればここも其意にて言へるか。さて山鳥ノ尾ノ一ヲと、詞のあやを成さんとて尾を言ひて、末は山のあなたの里などにて只一目見しばかりの妹に、斯く戀ひんものかはと言ふなるべし。
 參考 ○山鳥尾乃(新)ヤマドリノヲノ「尾」は「雄」の誤 ○一峰越(新)ミネゴシニ「一」を衍とす。
 
2695 吾妹子爾。相縁乎無。駿河有。不盡乃高嶺之。燒管香將有。
(221)わぎもこに。あふよしをなみ。するがなる。ふじのたかねの。もえつつかあらむ。
 
フジノ高嶺ノ如クと言ふを略けり。
 
2696 荒熊之。住云山之。師齒迫山。責而雖問。汝名者不告。
あらくまの。すむとふやまの。しはせやま。せめてとふとも。ながなはのらじ。
 
シハセ山、何處にか知らず。宣長云、是れはシハセと言ふを、しばしば責むる意に取りて、しばしば責めて問ふともの意なるべしと言へり、さも有るべし。意は父母の責め問ふとも、通ふ男の名をば告げじと言ふなり。上に、百積の船漕ぎいるるやうらさし母はとふともその名はのらじ、と言ふに同じ。
 參考 ○師齒迫山(新)ハセメヤマ「師」を衍とす。
 
2697 妹之名毛。吾名毛立者。惜社。布仕能高嶺之。燒乍渡。
いもがなも。わがなもたたば。をしみこそ。ふじのたかねの。もえつつわたれ。
 參考 ○吾名毛立者(考、新)略に同じ(古)ワガナモタテバ ○燒乍渡(代)ヤケツツワタレ(考、古、新)略に同じ。
 
或歌曰。君《キミガ》名毛。妾《ワガ》名毛立者。惜己曾。不盡乃高|山《ネ》之。燒乍毛|居《ヲレ》。  或の下本の字を脱せり。是れは女の歌とせり。
 
2698 往而見而。來戀敷。朝香方。山越置代。宿不勝鴨。
(222)ゆきてみて。くればこひしき。あさかがた。やまごしにおきて。いねがてぬかも。
 
初二句は往きて妹を見て、歸り來れば戀ひしきと言ふにて、朝の序のみなり。アサカガタは、古事記、其猿田?古神坐2阿邪訶《アサカ》1。神名帳、伊勢國壹志郡阿射加神社と言ふも有れど、卷十四東歌に、安齊可我多《アサカガタ》しほひのゆたに、と詠める所にや有らん。
 參考 ○來戀敷(代)クレバコヒシキヲ(考)キテコヒシキニ(古、新)略に同じ。
 
2699 安太人乃。八名打度。瀬速。意者雖念。直不相鴨。
あだびとの。やなうちわたす。せをはやみ。こころはおもへど。ただにあはぬかも。
 
和名抄、大和宇智郡阿陀、(陀音可2濁讀1)と言へる所の人を言ふ。ヤナは古事記、到2吉野河之河尻1時。作v筌有2取v魚人1云云。名謂2贄持之子1(此者阿?之鵜養之祖也)ともあり。和名抄、魚梁(夜奈)籍(漢語抄云夜奈須)取v魚|箔《スダレ》也。同云、筌(宇倍)捕魚竹?也?取v魚竹器也。斯くわけては言へど、記に筌と有るは、此歌によりて夜奈と訓むべきなり。ヤナウツとは、山川をしがらみして塞きて、其水の集り落つる所に杭を立て、竹床を作り、それに留る鮎をとる、その竹床をヤナと言へれば、多く杭を打ちて作る故に、打ツとは言ふなるべし。上は早きを言はん序にして、早く思ふはたぎつ心など云ふ類ひにて、思ひの切なるを言ふ。
 參考 ○瀬速(新)セノハヤキ ○意者雖念(考、古、新)ココロハモヘド。
 
(223)2700 玉蜻。石垣淵之。隱庭。伏以死。汝名羽不謂。
かぎろひの。いはがきぶちの。かくれには。ふしてしぬとも。ながなはのらじ。
 
ガギロヒノ、枕詞。谷川などに岩の垣の如く立廻りてある淵を言ひ、且つ岩にこもりて有れば隱れと言ふなり。以は雖の誤ならんか。又伏以死の以は義訓にて、テの詞に當てて書けるか。宣長は庭伏以は誤字なるべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○玉蜻(考)略に同じ(古、新)タマカギル ○隱庭(代、新)コモリニハ(考)カクレニハ(古)略に同じ ○伏以死(考)フシテシヌトキ「以」を「雖」の誤とす(古、新)コヒテシヌトモ(新)「戀以死鞆」の誤脱とす ○不謂(考)イハジ(古、新)略に同じ。
 
2701 明日香川。明日文將渡。石走。遠心者。不思鴨。
あすかがは。あすもわたらむ。いはばしの。とほきこころは。おもほえぬかも。
 
二の句にて切りて心得べし。イハバシは枕詞。卷四、石走《イハバシ》の間近き君に、とも詠めれば、ここは遠くとはおぼえず、間近く明日も行きて相見んと言へるなり。
 
2702 飛鳥川。水往増。彌日異。戀乃増者。在勝申目。
あすかがは。みづゆきまさり。いやひけに。こひのまさらば。ありがてましも。
 
上は増リと言はん序のみ。イヤヒケニは彌日日になり。アリガテマシは、在りながらへんやとなり。モ(224)は助辭。
 參考 ○水往増(新)ミヅマサルゴト「往」を「如」の誤とす ○在勝申目(代、考、古)略に同じ(新)アリカツマシジ「目」を「自」の誤とす。
 
2703 眞薦刈。大野川原之。水隱。戀來之妹之。紐解吾者。
まこもかる。おほぬがはらの。みごもりに。こひこしいもが。ひもとくわれは。
 
大野川原、何處か知らず。卷十四、いりまぢの於保屋我波良《オホヤガハラ》と詠める所かと言ふ説も有れど、大を訓もて讀めは、野を音もては讀み難し、上は序にして、ミゴモリニは、下に戀ふると言ふなり。
 
2704 惡氷木之。山下動。逝水之。時友無雲。戀度鴨。
あしびきの。やましたとよみ。ゆくみづの。ときともなくも。こひわたるかも。
 
上は序にて不絶戀ひ渡るを言ふ。
 
2705 愛八師。不相君故。徒爾。此川瀬爾。玉裳沾津。
はしきやし。あはぬきみゆゑ。いたづらに。このかはのせに。たまもぬらしつ。
 
上に二の句不相子故に、結句裳襴ぬらしつとかはれるまでにて全く同じ歌を載せたり。右は男の歌にて、今は女の歌なり。川瀬を渡りて通ひ來し樣など、男の歌とせる方に依るべし。
 
2706 泊湍川。速見早湍乎。結上而。不飽八妹登。問師公羽裳。
(225)はつせがは。はやみはやせを。むすびあげて。あかずやいもと。とひしきみはも。
 
早ミ早セは、言を重ねて最《イト》早きを言ふのみ。暑き比《コロ》水を掬びて飲むに、飽く事無きを譬として、相馴るれど、飽かずや否やと問へりし男の事を、絶えて後常に思ふなり。
 
2707 青山之。石垣沼間【間ヲ問ニ誤ル】乃。水隱爾。戀哉度。相縁乎無。
あをやまの。いはがきぬまの。みごもりに。こひやわたらむ。あふよしをなみ。
 
青山は木立茂き山を云ふ。上に石垣淵のこもりには、と詠めるにひとしく、谷などの石がき水をも沼と言ふべし。上は序なり。
 
2708 四長鳥。居名山響爾。行水乃。名耳所縁之。内妻波母。
しながどり。ゐなやまとよに。ゆくみづの。なにのみよせし。こもりづまはも。
 
シナガ鳥、枕詞。ヰナ野は既に出づ。上は音高きを譬ふ。行水の如くと言ふを略けり。名ニノミヨセシは、上に里人のこと寄せづまと詠みし如く、人に言ひ寄せられしなり。内は隱るる由にて書きて、かの母の養蠶《カフコ》の眉ごもりと言へる如く、父母の守りこめて、逢ひ難き妹を言ふ。さて其妹の行方を知らねば、更に妻ハモと言ひ出でて歎くなり。響爾の爾は彌の誤か、トヨミと有るべきなり。
 參考 ○居名山響爾(代)トヨニ、又はヰナヤマヒコニ(考)ヰナヤマトヨニ(古、新)ヰナヤマトヨミ(古)「爾」を「彌」の誤とす ○名耳所縁之(考)略に同じ(新)ナニナガサエシ「縁」を「流」(226)の誤とす。
 
一云。名耳|之所縁而《シヨセテ》戀管哉|將在《アラム》。
 
2709 吾妹子。吾戀樂者。水有者。之賀良三超而。應逝衣思。
わぎもこに。わがこふらくは。みづならば。しがらみこえて。ゆくべくぞおもふ。
 
卷十四、わぎも子が床のあたりに岩くぐる水にもがもないりてねましを、と言ふに似たり。シガラミは、家の垣などに譬ふ。
 參考 ○應逝衣思(考)略に同じ(古、新)ユクベクゾモフ。
 
或本歌句云。相不思《アヒオモハヌ》。人乎念久《ヒトヲオモハク》。  是れは右の歌に由無し、三句以下失せて別歌なりけん。
 
2710 狗上之。鳥籠山爾有。不知也河。不知二五寸許瀬【瀬ヲ須ニ誤ル】。余名告奈。
いぬがみの。とこのやまなる。いさやがは。いさとをきこせ。わがなのらすな。
 
和名抄、近江犬上郡、卷四、あふみぢのとこの山なるいさや川、とも詠めり。不v知をイサと言ふは、人のもの問ふに、知らざる事をば、イサ知ラズと答ふるを略きて、イサとのみ言ひて、不v知《シラヌ》事と成れり。イサは否《イナ》と同じ語なり。上は不v知《イサ》と言はん序のみ。さてイサトヲ聞セとは、不v知とのたまはせよと言ふなり。二五は十《トヲ》の言に借りて、其トヲのヲは助辭なり。瀬、今本須と有り、一本に依りて改む。意はイサ不v知と言ひて、吾名をな告げそと言ふなり。古今集に、いさとこたへてわが名もらすな、と有るも(227)意は同じ。
 參考 ○不知二五寸許須(代、考)イサトヲキコス(古、新)略に同じ。
 
2711 奧山之。木葉隱而。行水乃。音聞從。常不所忘。
おくやまの。このはがくりて。ゆくみづの。おとにききしゆ。つねわすらえず。
 
上はオトと言はん序のみ。オトは聲を言ふ。
 參考 ○木葉隱而(代)コノハゴモリテ(考、古、新)略に同じ ○音聞從(考、新)オトキキシヨリ(古)オトニキキシヨ。
 
2712 言急者。中波余騰益。水無河。絶跡云事乎。有超名湯目。
こととくは。なかはよどませ。みなせがは。たゆとふことを。ありこすなゆめ。
 
宣長云、コトトキは人言の甚だしきを言ふ。歌の意は人言甚だしくは、中頃は淀みて通ひ給ふな、されど遂に絶え給ふ事はなかれとなりと言へり。此下にうらぶれて物は思はじ水無瀬川、卷四、戀にもぞ人は死する水瀬川、と有り。ここは瀬の字無く、卷四なるは無の字無し、各落ちたるか。其はとまれかくまれ、ミナセ川と訓む事は、此下の歌にてしるし。ミナセ川は、水の砂の下をくぐれば、或は絶え、或は流るる所所有る故に、絶ユとも、淀ムとも、下ユ行ク水とも言ひて、戀の譬に取れり。超は借にて乞《コソ》と願ふ詞なり。
(228) 參考 ○中波余騰益(考)ナカハヨドマジ(古、新)略に同じ ○水無河(新)ミナシガハ ○絶跡云事乎(代)タユトイフ、又は、タユトフ(考)略に同じ(古)タユチフコトヲ(新)タユチフコトノ「乎」を「之」の誤とす。
 
2713 明日香河。逝湍乎早見。將速見登。待良武妹乎。此日晩津。
あすかがは。ゆくせをはやみ。はやみむと。まつらむいもを。このひくらしつ。
 
速の下見の字を脱せしなり。上は序のみ。障り有りてとく行かずして、其日を暮せしなり。
 參考 ○將速登(代)ハヤケムト(考、古、新)略に同じ ○此日晩津(新)コノヒクレヌカ「津」を「糠」の誤とす。
 
2714 物部乃。八十氏川之。急瀬。立不得戀毛。吾爲鴨。
もののふの。やそうぢがはの。はやきせに。たちえぬこひも。われはするかも。
 
早き瀬に得も立ち難く、苫しきを譬ふ。譬の言より直ちに下の意を言ひ下だしたる類ひ集中に多し。
 參考 ○急瀬(新)セヲハヤミ「瀬急」の誤とす。
 
一云。立而毛君者《タチテモキミハ》。忘金津藻《ワスレカネツモ》。
 
2715 神名火。打廻前乃。石淵。隱而耳八。吾戀居。
かみなびの。うちわのくまの。いはぶちの。こもりてのみや。わがこひをらむ。
 
(229)卷四、衣手を打廻里に有吾を、と言ふをむかへ見るに、飛鳥川の行きめぐれる神南備山の麓に打廻と言ふ所有りしならん。卷三に、神なびの淵とも詠めれば、石淵は即ち其處なるべし。されば其邊を打廻の前と言ふかと翁は言はれき。宣長云、打は折の誤にて、ヲリタムクマと訓みて、道の折りまがれるを言ふと言へり。卷四に委し。三の句まではコモリテと言はん序のみ。
  參考 ○神名火(新)カミナビヲ ○打廻前乃(代)ウチワノサキノ(考)略に同じ(古)ヲリタムクマノ「打」を「折」の誤とす(新)ウチタムカハノ「前」を「河」の誤とす。
 
2716 自高山。出來水。石觸。破衣念。妹不相夕者。
たかやまゆ。いでくるみづの。いはにふり。われてぞおもふ。いもにあはぬよは。
 
高山は地名に有らず。イハニフリは、水の石に當り觸るるなり。上はワレテと言はん序のみ。ワレテは思ひ碎くるなり。
 參考 ○自高山(代)カグヤマユ(考、新)略に同じ(古)タカヤマヨ。
 
2717 朝東風爾。井提越浪之。世蝶似裳。不相鬼故。瀧毛響動二。
あさごちに。ゐでこすなみの。せてふにも。あはぬものゆゑ。たぎもとどろに。
 
朝は專ら東風の吹けば斯く言ふなり。ヰデは堰留《ヰトメ》なり、是れは行く水を堰き留めて田へまかせん爲めなり。其堰留めし水溢れて、堰越ゆる事も有るを、ヰデコス浪と言へり。世蝶のテフを、トイフの詞と思(230)ふは後世の意なり。集中に、登不、知不などは言へど、?不と言へる事無し、されば蝶は必ず誤字なり。試に言はば、越の字の誤にて、セゴシニモなどや有りけん。然らば物ごしにだにもまだ逢はぬと言はんとて、其堰越浪を譬へ出だせるなるべし。又は蝶は染の誤にて、ヨソメならんか。さらば上に荒磯越外行波と詠める如く、是れも堰を越えてよそへ流れ行く波を、外《ヨソ》目に言ひそへたるかと翁言はれき。宣長云、世蝶似裳は且蛾津裳の誤にて、カツガツモならんと言へり、猶考ふべし。鬼は兒の誤にて、アハヌコユヱニなりと宣長言へり。瀧モトドロニは、即ち上のゐでこす浪の音に人言の喧ぎを譬へたるなり。
 參考 ○世蝶似裳(考)セゴシニモ「蝶」を「越」の誤とす、又「世染」にもにて「ヨソメ」か(古)サヤカニモ「左也蚊」(新)ハツカニモ「世蝶」を「齒束」の誤とす ○不相鬼故(代、考、新)略に同じ(古)アハヌ「兒」コユヱニ ○瀧毛(新)タキノ「毛」を「之」の誤とす。
 
2718 高山之。石本瀧千。逝水之。音爾者不立。戀而雖死。
たかやまの。いはもとたぎち。ゆくみづの。おとにはたてじ。こひてしぬとも。
 
タギチのチはリに通ひてタギリの意なり。音ニハタテジは、名ニハ顯ハサジと言ふなり。
 
2719 隱沼乃。下爾戀者。飽不足。人爾語都。可忌物乎。
こもりぬの。したにこふるは。あきたらず。ひとにかたりつ。いむべきものを。
 
コモリヌノ、枕詞。卷十二、念にし餘にしかばすべをなみ吾は言ひてきいむべきものを、と言ふに同じ。(231)忌ムベキは、ツツムベキヲなり。
 參考 ○下爾戀者(考、古)略に同じ(新)シタニコフレバ。
 
2720 水鳥乃。鴨之住池之。下樋【樋ヲ桶ニ誤ル】無。欝悒君。今【今ヲ令ニ誤ル】日見鶴鴨。
みづとりの。かものすむいけの。したひなみ。いぶせききみを。けふみつるかも。
 
下樋なき池は、水の流れ出る方無きをもて、イブセキと言はん序とせるなりと宣長言へり。今本樋を桶に、今を令に誤れり。
 參考 ○欝悒君(代、古、新)略に同じ(考)オホニモキミヲ。
 
2721 玉藻苅。井提乃四賀良美。薄可毛。戀乃余杼女留。苦情可聞。
たまもかる。ゐでのしがらみ。うす|き《み》かも。こひのよどめる。わがこころかも。
 
玉モカル、枕詞。ヰデは上に言へり。シガラミは、杭を立て並べ、柴竹などからみ付けて、其杭の間に土の俵を多く積み入れて水をせけば、いと厚くせるものなり。薄キカモは、薄キカハと言ふ詞にて、打返して厚き事になれり。さてせき留めたる水の淀みて漏れ行く事無きを、あが戀ふる心の深くして、思ひを遣り過ごすべき由無きに譬へたるならん。末のカモは哉の意なり。上のカモをカハの意とするは、卷十二に、人言の繁くしあらば君も我も絶むといひてあひし物かも、の類ひなり。其外にも例有りと翁は言はれき、宣長云、是れは三の句にて切りて、四五と續けて見るべし、忍ぶ中の名の洩れたるを歎きて(231)詠めりと聞ゆ。さて三の句ウスミカモと訓みて、しがらみの薄さに漏れたるか、又わが忍ぶ思ひの淀み滿ちて、おのづから溢れたるかとなりと言へり。此論穩かに聞ゆ。
 參考 ○薄可毛(考)ウスキカモ(古)ウスミカモ(新)アツミカモ「薄」の上「不」脱とす ○吾情可聞(新)ココロカラカモ「吾」を「自」の誤とす。
 
2722 吾妹子之。笠乃借手乃。和射見野爾。吾者入跡。妹爾告乞。
わぎもこが。かさのかりての。わざみぬに。われはいりぬと。いもにつげこそ。
 
契沖云、笠の内に輪の如き紐して著る。其輪を借手と言へり。さてワの語に續けたりと言へり。さも有らんか。ワザミ野は、天武紀高市皇子尊の陣を成し給へる美濃の和暫《ワザミ》にて、近江に近き所と見ゆ。不破郡に在るべし。吾ハ入リヌトと言へるは、旅立ちし時か、歸る時か、何れにても有るべし。コソは願ふ詞。
 
2723 數多不有。名乎霜惜三。埋木之。下從其戀。去方不知而。
あまたあらぬ。なをしもをしみ。うもれぎの。したゆぞこふる。ゆくへしらずて。
 
吾身一つに二つ無き名なるをもてあまた有らぬ名と言へり。宣長云、結句は卷二に、こもりぬの行へをしらにとねりはまどふ、と有ると同意にて、埋木へ懸かれり。三五四と句を次第して見るべしと言へり。
 
2724 冷風之。千江之浦囘乃。木積成。心者依。後者雖不知。
(233)あきかぜの。ちえのうらまの。こづみなす。こころはよりぬ。のちはしらねど。
 
アキカゼノは、風の古語をチと言へば、枕詞とせるか。千江浦、何處か知らず、思ふに、和泉の血沼の浦の沼を江に誤りたるか。北風吹けば、難波の方の芥の流れ寄る浦なりとぞ。コヅミは下に木糞と書きて、木くづの浮きて寄るを言ふ。後は如何が有らん知らねども其こづみの如く心の寄ると言ふなり。
 參考 ○千江之浦回之(考)血泥の浦か(古、新)チエノウラミノ ○心者依(新)ココロハヨセツ。
 
2725 白細砂。三津之黄土。色出而。不云耳衣。我戀樂者。
しらまなご。みつのはにふの。いろにでて。いはざるのみぞ。わがこふらくは。
 
シラマナゴとては、一二の句の間、辭無ければ古言ならず。砂は紗か、布の字の誤にて、シロタヘノなるべし。ミは眞、ツはツチの略にて、白栲の眞土と言ひ懸けたる枕詞とせんか。卷七、白栲ににほふ信土《マツチ》の山川、と言ふが如しと翁言はれき。されど猶穩かならず。初句猶考ふべし。三津は住吉の三津と言ふも同所にて、住吉の岸のはにふと言へるも是れなり。顯れて言ひ出でぬのみぞ、我は戀ふると言ふなり。
 參考 ○白細砂(考)シロタヘノ「砂」を「布乃」の誤とす(古)シラマナゴ、又は、マソカガミ「白銅鏡」とす(新)シラマナゴ ○色出而(考)略に同じ(古、新)イロニイデテ ○不云耳衣(代、古)イハナクノミゾ(考)略に同じ(新)同訓。
 
2726 風不吹。浦爾浪立。無名乎毛【毛脱ス】。吾者負香。逢者無二。
(234)かぜふかぬ。うらになみたち。なきなをも。われはおへるか。あふとはなしに。
 
今本乎の下、毛の字無し、一本に據りて補へり。古今集、かねてより風に先立つ浪なれや逢事なきにまだき立つらむ、と言ふは、今を少しかへし物なり。
 參考 ○浦爾浪立(考、新)ウラニナミタツ(古)略に同じ。
 
一云女跡念而  結句アハメトオモヒテと有りしにや、ことわり定かならず。
 
2727 酢蛾島之。夏身乃浦爾。依浪。間文置。吾不念君。
すがしまの。なつみのうらに。よるなみの。あひだもおきて。わがもはなくに。
 
スガシマは鹽津菅浦と詠めるは近江淺井郡なり。そこにスガ嶋も有るか。和名抄、同國甲賀郡に夏身郷有り、右と合せて近江とせんか。又或人は今阿波と紀伊の間にスガ嶋と言ふ有りとも言へり。上は序にて、末は間なく思ふと言ふなり。
 參考 ○依浪(考)略に同じ(古)ヨスルナミ(新)兩訓。
 
2728 淡海之海。奧津島山。奧間經而。我念妹之。言繁苦【今苦ヲ脱ス】。
あふみのみ。おきつしまやま。おくまへて。わがおもふいもが。ことのしげけく。
 
上に三の句奧儲てとして載せたり、ともに奧メテにて、深メテと言ふに同じ、上に言へり。上には妹の下之の字無くて、イモニと訓めり、然れば之を爾の誤ならんか。今本繁の下、苦の字を脱せり。一本に(235)據りて補ふ。
 參考 ○我念妹之(考)ワガモフイモ「爾」ニ(古)略に同じ、但しアガ(新)ウガモフイモ「乎」ヲ ○言繁(考)コトノシゲシモ(古、新)略に同じ。
 
2729 霰零。遠津大浦爾。縁浪。縱毛依十方。憎不有君。
あられふり。とほつおほうらに。よするなみ。よしもよすとも。にくからなくに。
 
アラレフリ、枕詞。卷七、山越て遠津の濱、と詠めるに同じく、遠津大浦も紀伊か。上は序にて、ヨシモヨストモは、上にも、よそふる君がにくからなくに、と詠めるにひとしく、よし人に言ひ騷がるるともの意なり。ヨシモのモは助辭。
 參考 ○縱毛依十方(代)ヨストモ(考)略に同じ(古、新)ヨシヱヨストモ「毛」を「惠」の誤とす。
 
2730 木海之。名高之浦爾。依浪。音高鳧。不相子故爾。
きのうみの。なたかのうらに。よるなみの。おとたかきかも。あはぬこゆゑに。
 
名高ノウラ、此下にも、卷十二にも詠めり。上は序ながら、名高を名の立つに寄せたり。音高キは言ひ騷がるるを言ふ。アハヌ子ユヱニは、アハヌ子ナルモノヲの烹なり。
 參考 ○依浪(考)略に同じ(古)ヨスルナミ(新)兩訓。
 
(236)2731 牛窓之。浪乃塩左猪。島響。所依之君爾。不相鴨將有。
うしまどの。なみのしはさゐ。 しまととよみ。よせてしきみに。あはずかもあらむ。
 
牛マド、備前なり。潮さわぎの浪の響に人言を譬へ、言ひ寄せられし意にて所依と書けり。テシはタリシなり。
 參考 ○嶋響智(考)シマヒビキ(古、新)略に同じ ○所依之君爾(新)ヨサエシキミニ。
 
2732 奧波。邊浪之來縁。左太能浦之。此左太過而。後將戀可聞。
おきつなみ。へなみのきよる。さだのうらの。この《かく》さだすぎて。のちこひむかも。
 
卷十二旅の中に出だせり。貞浦は和泉に今有り、又出雲にも有り、ここは何れにか。左太は上の人間守あし垣ごしにわぎもこを相見しからに事曾左太多寸、と言へるは 言ひ定むる人言の多きを言へば、ここも人言の言ひ定めをしばし過して後、又こそおとづれもせめと言ふ意なりと翁は言はれき。宣長は此はカクと訓みてさだ過ぎてとは、物語文に多く有る言の如く、人のよはひの盛過ぎたる事なりと言へり。上の左太多きの左太とは異なる如くなれど、もとは定の言なるを、轉じては同じ意に落つべければ、此歌にては盛過ぎたる事に見ん方穩かなるべし。さて上の句は左太と言はん序のみ。
 參考 ○此左太(古、新)コノサダ。
 
2733 白波之。來縁島乃。荒礒爾毛。有申物尾。戀乍不有者。
(237)しらなみの。きよするしまの。ありそにも。あらましものを。こひつつあらずは。
 
斯く戀ひつつ有らんよりは、豫《アラカジ》め、恐ろしくなつかしげ無き荒礒と成りても有らんものをと言ふなり。
 
2734 鹽滿者。水沫爾浮。細砂裳。吾者生鹿。戀者不死而。
しほみてば。みなわにうかぶ。まなごとも。われはいけるか。こひはしなずて。
 
潮の盈ち來れば、其泡と共に眞砂も浮きたつ物なれば斯く言ひて、さて我戀に死にもやらず、浮きてただよふ身のさまを譬へたり。
 參考 ○水沫爾浮(考)ミナワニウカブ(古、新)略に同じ ○吾者生鹿(代)ワレハナレルカ(考、新)ワレハナリシカ(古)アレハイケルカ。
 
2735 住吉之。城師乃浦箕爾。布浪之。數妹乎。見因欲得。
すみのえの。きしのうらみに。しくなみの。しくしくいもを。みるよしもがも。
 
ウラミは浦備に通ひて、浦|方《ベ》なり。上は重重と言はん序のみ。
 參考 ○數妹乎(考、新)略に同じ(古)シバシバイモヲ ○見因(考、古、新)ミムヨシ。
 
2736 風緒痛。甚振浪能。間無。吾念君者。相念濫香。
かぜをいたみ。いたぶるなみの。あひだなく。わがもふきみは。あひもふらむか。
 
イタブルは浪のいたく動き振ふなり。卷十四、おしていなといねはつかねど浪のほの伊多夫良思|毛《モ》與き(238)ぞひとりねて、とも詠めり。上は間なくと言はん序のみ。
 
2737 大伴之。三津乃白浪。間無。我戀良苦乎。人之不知久。
おほともの。みつのしらなみ。あひだなく。わがこふらくを。ひとのしらなく。
 
オホトモノ、枕詞。上は序のみ。人とは女を指す。
 
2738 大船乃。絶多經海爾。重石下。何如爲鴨。吾戀將止。
おほぶねの。たゆたふうみに。いかりおろし。いかにせばかも。わがこひやまむ。
 
上に大船のかとりの海にいかりおろし云云と言ふに相似たり。上はいかにと言はん爲めの序のみ。
 
2739 水沙兒居。奧荒礒爾。緑浪。往方毛不知。吾戀久波。
みさごゐる。おきつありそに。よるなみの。ゆくへもしらず。わがこふらくは。
 
和名抄、雎鳩(美佐古云云)G屬也。好在2江邊山中1、亦食v魚者也と有り。上は行くへも知らずと言はん序のみ。
 参考 ○奧荒礒爾(考、新)略に同じ(古)オキノアリソニ 〇縁波(考)ヨルナミノ(古)略に同じ(新)兩訓。
 
2740 大船之。舳毛艫毛。依浪。依友吾者。君之任意。
おほぶねの。へにもともにも。よするなみ。よすともわれは。きみがまにまに。
(239)此處彼處よりさまざま言ひ寄せらるる言の有るを譬へて、へにもともにも依る波と言へり。さて人はいかに言ふとも、あだし心は持たず、唯だ君がままにと言ふなり。
 参考 ○依友吾者(考)ヨルトモワレハ(古)ヨストモアレハ(新)略に同じ。
 
2741 大海二。立良武浪者。間將有。公二戀等九。止時毛梨。
おほうみに。たつらむなみは。あひだあらむ。きみにこふらく。やむときもなし。
 
コフラクハと言ふべきをふくめり。
 参考 ○間將有(考)ヒマモアラム(古、新)略に同じ。
 
2742 牡鹿海部乃。火氣燒立而。燎鹽乃。辛戀毛。吾爲鴨。
しかのあまの。けぶりたきたてて。やくしほの。からきこひをも。われはするかも。
 
シカノアマ、上に出づ。古今集に、おしてるやなにはのみつにやくしほの、と言へるは是れを取れるなり。
 參考 ○火氣燒立而(考)ケムリヤキタテテ(古、新)略に同じ。
 
右一首。或云石川君子朝臣作v之。  此卷すべて作者知られぬを集めしからは、此註おぼつかなし。
 
2743 中中二。君二不戀者。枚【枚ヲ牧ニ誤ル】浦乃。白水郎有申尾。玉藻刈管。
なかなかに。きみにこひずは。ひらのうらの。あまならましを。たまもかりつつ。
 
コヒズハは、戀ひて有らんよりはの意なり。例多し。卷五、おくれゐてわがこひせずはみそのふのうめ(240)の花にもならましものを、と言ふ、コヒセズハの詞と同じ意なり。心は吾は賤しき海人にてもあらんを、中中に斯かる身にて、君に戀ひつつ苦しとなり。卷十二、おくれゐて戀つつあらずは田ごの浦の海士ならましを玉も苅る苅る、と言ふも相似たり。
 參考 ○留島浦之(考)略に同じ(古)タコノウラノ「留鳥」を「田兒」の誤とす。
 
或本歌曰。中中爾。君街不戀波。留鳥《アミノ》浦之。海部爾有益男。珠藻|刈刈《カルカル》。  讃岐のあみの浦にやと契沖言へり。
 
2744 鈴寸取。海部之燭火。外谷。不見人故。戀比日。
すずきとる。あまのともしび。よそにだに。みぬひとゆゑに。こふるこのごろ。
 
古事記に爲v釣海人之口大之尾翼鱸《ツリスルアマノクチブトノヲヒレノススキ》(訓v鱸云2須受岐1)と有り。ミヌ人ユエニは、見ぬ人なるにの意なり。上は序のみ。
 
2745 湊入之。葦別小舟。障多見。吾念公爾。不相頃者鴨。
みなといりの。あしわけをぶね。さはりおほみ。わがおもふきみに。あはぬころかも。
 
湊に漕ぎ入る船の、多くの蘆を分くるを以て、障り有るに譬ふ。卷十二にも上全く同じき歌見ゆ。
 參考 ○葦別小舟(新)アシワキ小舟。
 
2746 庭淨。奧方榜出。海舟乃。執梶間無。戀爲鴨。
(241)にはきよみ。おきべこぎづる。あまぶねの。かぢとるまなき。こひもするかも。
 
海の浪風の立たぬをキヨシと言ふべし。唯だ間なく戀ふると言はん序歌なり。又は淨は靜の誤にて、ニハヲヨミならん。
 參考 ○奧方榜出(考)オキヘコギイヅル(古、新)略に同じ ○執梶間無(考)カヂトルマナク(古)略に同じ(新)トルカヂマナキ ○戀爲鴨(考)略に同じ(新、古)コヒヲスルカモ。
 
2747 味鎌之。鹽津乎射而。水手船之。名者謂手師乎。不相將有八方。
あぢかまの。しほづをさして。こぐふねの。なはのりてしを。あはずあらめやも。
 
アヂカマは卷十四未勘國と註せし中にも二首あり。讃岐寒川郡に庵治《アヂ》の浦、鎌の浦と言ふ所有りと其國人言へり。鹽津は近江に今も有る地名なり。ここに詠みたるは何處にか。舟に名づくる事は、應神紀に伊豆國におほせて造らせられし船を枯野《カラヌ》と名付け給へる如く、古へよりさる事有りし故に、名と言はん爲めの序なり。下は女の名を告げしかば、必ず逢ふべしと言ふなり。
 參考 ○名者謂手師乎(考)ナハイヒテシヲ(古、新)略に同じ。
 
2748 大船爾。葦荷刈積。四美見似裳。妹心爾。乘來鴨。
おほぶねに。あしにかりつみ。しみみにも。いもがこころに。のりにけるかも。
 
シミミは繁繁を略けり。妹が事は萬づに吾心に乘りて有るを、葦刈り積みたる荷の繁きに譬へたり。
(242) 參考 ○葦荷刈積(新)アシヲカリツミ「荷」を「苧」の誤とす。
 
2749 驛路爾。引舟渡。直乘爾。妹情爾。乘來鴨。
はゆまぢに。ひきふねわたし。ただのりに。いもがこころに。のりにけるかも。
 
ハヤウマを約めてハユマと言へり、紀の訓なり。厩牧令に水驛不v配v馬、量2閑繁1、驛別置2船四隻以下二隻以上1と言へり。引舟は流れの早きに、渡る事を急ぐ故に綱もて引くなり。タダは一道《ヒタミチ》にと言ふが如し、上は序のみ。
 
2750 吾妹子。不相久。馬下乃。阿倍橘乃。蘿生左右。
わぎもこに。あはずひさしも。うましもの。あべたちばなの。こけむすまでに。
 
ウマシモノ、枕詞。アベ橘は甘橘にて、是れ即ち今有る橘の事なるべしと翁言はれき。されど和名抄に、爾雅云、橙(安倍太知波奈)似v柚小也と有り、暫く是れに據るべし。コケは日蔭にて、奧山の木に生ふる物にて、橘などやうの里の木には生ひざれど、年久しき事の譬に言へり。
 參考 ○不相久(考)アハデヒサシモ(古、新)略に同じ ○阿倍橘乃(新)アヘタチバナニ「ヘ」を清み「乃」を「爾」の誤とす。
 
2751 味乃住【住ヲ往ニ誤ル】。渚沙乃入江之。荒磯松。我乎待兒等波。但一耳。
あぢのすむ。すさのいりえの。ありそまつ。あをまつこらは。ただひとりのみ。
 
(243)アヂ鳧なり、味ムラとも云ふ。スサは神名帳、紀伊國在田郡須佐神社と有り、此處ならん。卷十四に、未勘國と註せし中に、此歌下句かはりて入りしは、東國にも同名の地有るか。上は待つと言はん爲めの序のみ。
 
2752 吾妹兒乎。聞都賀野邊能。靡合歡木。吾者隱不得。間無念者。
わぎもこを。ききつがのべの。しなひねむ。われはしぬはず。まなくおもへば。
 
神功紀、仁コ紀に菟餓野《ツガノ》とて、津の國に見ゆ。さて妹が上を聞き繼ぐと言ひ下せり。ネムは枝も葉もしなふ物なれば、シヌブと言はん料の序にまうけたれば、シナヒと訓むべし。卷四、眞木のはのしなふせの山しぬばずて、とも續けたり。ここは思ひを忍び隱すに堪へずと言ふ意なれば、隱不得と書けり。
 參考 ○吾者隱不得(考)略に同じ(古、新)アハシヌビエズ、但し(新)はワハ ○間無念者(考)略に同じ(古)マナクシモヘバ(新)兩訓。
 
2753 浪間從。所見小島之。濱久木。久成奴。君爾不相四手。
なみまより。みゆるこじまの。はまびさき。ひさしくなりぬ。きみにあはずして。
 
小島は備前、紀伊にも有れど、是れは卷七に、玉の浦の放れ小島など言へる類ひにて、地名には有らざるべし。ヒサ木は和名抄、楸(比佐木)と有りて、赤メガシハと言ふ物なりと言へり。されど其れは桐梓などの類ひにて、潮風に堪へて、島などに生ふべくも有らぬ物なり。同じ名にて、濱久木は異木にや、(244)後に濱ビサシとせるは誤なり。上は久シクと言はん序のみ。
 參考 ○浪間從(考)略に同じ(古)ナミノマヨ(新)ナミノマユ。
 
2754 朝柏。閏八河邊之。小竹之眼笶。思而宿者。夢所見來。
あきがしは。うるやかはべの。しぬのめの。しぬびてねれば。いめにみえけり。
 
アキガシハ、枕詞。朝明の意にてアキと訓むべし。此枕詞の事冠辭考に言はれつれど、後に翁の考に卷二十に、ゐなみ野のあからがしはは時はあれど君をあが思ふ時はさねなし、と有るは、秋に成りてかしはの色付きたるをアカラガシハと言ふべし。されば是れも赤き?うるはしと言ふ意にて、ウルヤ川に冠らせしにやと言はれき。猶いかが有らん。上に秋柏潤和川べのしぬのめの人にしぬべはきみにたへなく、とも詠めり。上はシヌビテと言はん序のみ。シヌノメは上に言へり。宣長云、八は丸の誤にて、ウルワと訓むべしと言へり。さも有らんか。思は偲の誤なるべし。
 參考 ○朝柏(考、新)アサガシハ(古)略に同じ ○閏八河邊之(考)略に同じ(古)ウルヒカハベノ「ハ」を「比」の誤とす(新)(古)に同じ。
 
2755 淺茅原。苅標刺而。空事文。所縁之君之。辭鴛鴦將待。
あさぢはら。かりじめさして。そらごとも。よせてしきみが。ことをしまたむ。
 
上に本は同じくて、末、そらごとをいかなりといひて君をしまたむ。卷十二にも、淺ぢ原小野にしめゆ(245)ふ空ごともあはむときこせ戀のなぐさに、と有り。刈は借字にて、廣き荒野の中に、假初なる標の杭などをさしたるは、取留めなく、定かならぬしるしなるを、空言に譬へ言へり。さて斯く空言にても、一たび人に言ひ寄せられし君なれば、その君の逢はんと言ふ言を吾は待ちつつ有らんと言ふなり。
 參考 ○刈標刺而(新)カリジメサシシ「而」を「之」の誤とす ○空事文(考)略に同じ(古、新)ムナゴトモ ○所縁之君之(新)ヨサエシキミガ。
 
2756 月草之。借有命。在人乎。何知而鹿。後毛將相云。
つきくさの。かりなるいのち。なるひとを。いかにしりてか。のちもあはむとふ。
 
月クサノ、枕詞。人とは吾を言ふ。吾命は假りなるを、何時までながらふると知りてか、後にも逢ふべきと言ふぞとなり。
 參考 ○將相云(考)略に同じ(古、新)アハムチフ。
 
2757 王之。御笠爾縫有。在間菅。有菅雖看。事無吾妹。
おほきみの。みかさにぬへる。ありますげ。ありつつみれど。ことなきわぎも。
 
大甞會式云、車持朝臣一人執2菅蓋1云云と有り。又仲哀紀にも皇后の御笠の事有るも菅と見ゆ。在間は攝津なり。上は在りつつと言はん序にて、末は常に見れど萬づ難無きを言へり。
 參考 ○事無吾妹(考)コトナミワギモ(古)コトナシワギモ(新)略に同じ。
 
(246)2758 菅根之。懃妹爾。戀西益。卜思而。心不所念鳧。
すがのねの。ねもころいもに。こひせまし。うらもふこころ。おもほえぬかも。
 
スガノネノ、枕詞。思而心の三字斯く訓まんやう無し。而心二字は慮の一字の誤れるならん。契沖は而は布の誤かと言へり。古今六帖にも此歌を擧げて、うらもふこころと有るにて知るべし。卜は借字にて、裏なり、下なり。さて歌の意は、心のうちにのみはえ忍びあへず、今よりは顯れて、ねもころに戀せなんと思ひ成りぬと言ふなりと、翁は言はれき。宣長云、思而二字は男の誤にて、三の句コフルニシ、四の句マスラヲゴコロと訓まんと言へり、これ穩かなり。
 參考 ○戀西(考)略に同じ(古、新)コフルニシ ○益卜思而心(考)略に同じ(古、新)マスラヲゴコロ「思而」を「男」の誤とす。
 
2759 吾屋戸之。穗蓼古幹。採生之。實成左右二。君乎志將待。
わがやどの。ほたでふるから。つみおふし。みになるまでに。きみをしまたむ。
 
去年の秋の末に枯れたる蓼の、古莖の子を採みをさめて、今年の春蒔き生ふし、それが又子に成る秋までも、同じ心に君を待ちなんとなり。生之を古訓ハヤシと訓めるも、令v生をハヤシと言へる意ならば、さても有りなんを、さ野のくくたちつみはやし、又は御なますはやし、などの意に思へるは、此歌の意に協はず。採《ツ》みは秋、生ひしは春にて異時《コトトキ》なるを、約めて一句に言へるなり。
(247) 參考 ○採生之(新)サクハナノ「咲花之」の誤とす。
 
2760 足檜之。山澤回具乎。採將去。日谷毛將相。母者責十方。
あしびきの。やまさはゑぐを。つみにゆかむ。ひだにもあはむ。はははせむとも。
 
ヱグは黒クワヰと言ふ物に似たる物なりとぞ。考の別記に委し。都人の若菜つむ如く、雪氷解けぬる頃ゑぐ摘まんとて野澤あたり出づる事有るに、其日に出で逢はんと男に契れるひな人の歌なり。
 
2761 奧山之。石本菅乃。根深毛。所思鴨。吾念妻者。
おくやまの。いはもとすげの。ねふかくも。おもほゆるかも。わがおもひづまは。
 
末のオモヒヅマと言ふは、未だむかひめと成らぬ程の言なり。然れば岩本菅を譬へて、末かけて堅く根深く思ふと言ふなり。妻ハは、妻ヲバの意なり。
 參考 ○吾念妻者(考、新)略に同じ(古)ワガモフツマハ。
 
2762 蘆垣之。中之似兒草。爾故余漢。我共咲爲而。人爾所知名。
あしがきの。なかのにこぐさ。にこよかに。われとゑまして。ひとにしらゆな。
 
卷十四、あしがりのはこねのねろの爾古具佐能とも詠めり。和名抄に、〓〓(惠美久佐)と言へる是れか。今ワレトヱマシテと言ひ、天智紀の歌に、むかつをにたてるせらが爾古彌擧曾《ニコミコソ》と言ふも同じ意なれば、爾古草、惠美草同じ物ともすべし、されど共によく知るべからず。卷四、青山をよこぎる雲のいち(248)じろくとて、下全く同じ歌有り、漢は音を借りてカニの假字に用ひたり。
 參考 ○我共咲爲而(考)ワレトヱミシテ(古)アレトヱマシテ(新)略に同じ ○所知名(考)シラルナ(古、新)略に同じ。
 
2763 紅之。淺葉乃野良爾。苅草乃。束之間毛。吾忘渚菜。
くれなゐの。あさはののらに。かるかやの。つかのあひだも。わをわすらすな。
 
クレナヰノ、枕詞。アサバは和名抄、武藏入間郡麻羽有り、いま遠江|佐野《サヤ》郡にも麻葉の庄有り、何處にか。良須の約|留《ル》なれば、忘るなと言ふなり。
 
2764 爲妹。壽遺在。苅薦之。念亂而。應死物乎。
いもがため。いのちのこせり。かりごもの。おもひみだれて。しぬべきものを。
 
カリゴモノ、枕詞。思ひ亂れて死ぬべきものを、妹が爲めのみに命のこせりと言ふなり。
 
2765 吾妹子爾。戀乍不有者。苅薦之。思亂而。可死鬼乎。
わぎもこに。こひつつあらずは。かりごもの。おもひみだれて。しぬべきものを。
 
2766 三島江之。入江之薦乎。苅爾社。吾乎婆公者。念有來。
みしまえの。いりえのこもを。かりにこそ。われをばきみは。おもひたりけれ。
 
神名帳、攝津島下郡三島鴨神社有り、此處なるべし。三島江の玉江と詠めるも同じ。上はカリと言はん(249)序にしてカリは假初なり。
 
2767 足引乃。山橘之。色出而。吾戀南雄。八目難爲名。
あしびきの。やまたちばなの。いろにでて。わがこひなむを。やめがたくすな。
 
山橘は今藪柑子と言ふ物なり。柑子と言ふも、橘と言ふ名より轉ぜしならん。八は人の字の誤にて、ヒトメガタミスナなるべし。宣長は難爲名をイマスナと訓みて、人目イムとは憚る意なるを以て、難と書けりと見ゆる由言へり。心は今よりわが顯れて戀ひんからは、そこにも人目を憚る事無く、相思ひてよと言ふなり。上は山橘の實の赤ければ、色ニイデテと言はん序に設けたるのみ。
 參考 ○色出而(考、新)イロニイデテ(古)略に同じ ○吾戀南雄(考)略に同じ(古)アハコヒナムヲ(新)ワハコヒナムヲ ○八目難爲名(考)「人」ヒトメカタミスナ(古)「人」ヒトメイマスナ(新)アヒガタミスナ。
 
2768 葦多頭乃。颯入江乃。白管乃。知爲等。乞痛鴨。
あしたづの。さわぐいりえの。しらすげの。しられむためと。こちたかるかも。
 
白菅は菅の一種ならん。上は知られんと言はん爲めの序ながら、サワグと言へる言は、末のコチタキと言ふへ懸けて言へるか。我が戀ふる心の程を、君に知られん爲めとて、人言にいたく言ひ騷がるるかと言ふにて、未だ獨りして戀ふる程の歌なるべし。乞は言の借字なりと翁言はれき。されど四の句の書き(250)ざま然か訓むべくも無し。宣長は字の落ちたるならんと言へり。古今集、あしがものさわぐ入江のしら浪のしらずや人をかく戀ひむとは、と言へるも、此歌を思へるか。
 參考 ○知爲等(新)シリヌルタメト ○乞痛鴨(代)コチタメルカモ(考、古、新)略に同じ。
 
2769 吾背子爾。吾戀良久者。夏草之。苅除十方。生及如。
わがせこに。わがこふらくは。なつくさの。かりはらへども。おひしくがごと。
 
卷十に一二の句、このごろの戀のしげけくとて、末全く同じ歌あり。
 參考 ○苅除十方(考)略に同じ(古、新)カリソクレドモ ○生及如(考)略に同じ(古、新)オヒシクゴトシ。
 
2770 道邊乃。五柴原能。何時毛何時毛。人之將縱。言乎思將待。
みちのべの。いちしばはらの。いつもいつも。ひとのゆるさむ。ことをしまたむ。
 
用明紀、赤檮此云2伊知?《イチヒ》1と有り、橿の類ひにて、俗にイチカシと言ひて、大木と成る物なり。是れも?なるをばシバと言へば、イチヒを略きてイチシバと云ふ、楢柴、椎柴など言ふが如し。卷八、大原の此市柴のと詠み、又天ぎらし雪もふらぬかいちじろく此五柴に、とも詠みて、是れが中に、市と有るに依りて、五をもイチと訓むべし。タラチネを足常、アヂキナクを小豆無など書ける類ひなり。さて上はイツと言はん爲めの序にて、いつにても有れ、人の受けひかん時を待たんとなり。
(251) 參考 ○五柴原能(新)イツシバハラノ。
 
2771 吾妹子之。袖乎憑而。眞野浦之。小菅乃笠乎。不著而來二來有。
わぎもこが。そでをたのみて。まぬのうらの。こすげのかさを。きずてきにけり。
 
眞野、攝津國、妹が家へ到りてその道の程、小雨に濡れたるをもて戯れに詠めるなるべし。
 
2772 眞野池之。小菅乎笠爾。不縫爲而。人之遠名乎。可立物可。
まぬのいけの。こすげをかさに。ぬはずして。ひとのとほなを。たつべきものか。
 
右の歌の答なり。わが袖を頼みて、笠もきずて來しと言はば、事有りがほに聞えて、實なきものから、名の廣く立たんが苦しと言ひ、且つ上の笠にぬはずとは、卷十三に、をちの小菅あまなくにい刈もて來、と詠める如く、いたづらなる由をこめて言へるなるべし。遠名は廣く遠く名の立つ意なるべし。
 參考 ○眞野池之(考)マノイケノ(古、新)マヌノウラノ「池」を「?」の誤とす ○人之遠名乎(新)ヒトノキルナヲ「遠」を「著」の誤とす。
 
2773 刺竹。齒隱有。吾背子之。吾許不來者。吾將戀八方。
さすたけの。はごもりてあれ。わがせこが。われがりこずは。わがこひめやも。
 
此刺竹は枕詞に有らで、立つ竹なり。古事記に、ウヱタケと有るは、則ち立つ竹にて、さて立つをサスと言ふは、八雲立とも、八雲刺とも言ふが如し。篠は本も葉も殊に繁く、こもれる物なるをもて、葉隱(252)リテアレと言ひて、家にこもりて在れと言ふに譬へたり。吾が許へ來るを見る故に戀の増せば、家にこもりて來る事なかれと、切なる餘りに言ふなり。齒は借にて葉なり。
 參考 ○齒隱有(代)ハガクレニアル(考)ハゴモリニタル(古、新)略に同じ ○吾許不來者(代、新)ワガリシコズハ(考)アガリシコズハ(古)アガリキセズハ。
 
2774 神南備能。淺小竹原乃。美妾。思公之。聲之知家口。
かみなびの。あさしぬはらの。をみなべし。しぬべるきみが。こゑのしるけく。
 
飛鳥の神なび山の邊の小篠原を言ふ。淺は淺茅、淺|葱《ツキ》など、ちひさき事をも言へり。其ささ原の中に、交り生ひたる女郎花の見分け難きを、しのぶに譬へ下だして、さて人に忍びて戀ふる君が、友の中などに在りて、物言ふ聲のいちじるく聞ゆるを、頻りになつかしむなりと翁言はれき。宣長云、美妾をヲミナベシと訓むべき由無し。是れは美の上か下に脱字有りて、妾思公之はワガオモフキミガなるべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○美妾(考)略に同じ(古)シミミニモ「繁美似裳」とす(新)ヲミナベシ「美」の下三字脱とす ○思公之(考)略に同じ(古、新)アガモフキミガ「妾思公之」とす。
 
2775 山高。谷邊蔓在。玉葛。絶時無。見因毛欲得。
やまたかみ。たにべにはへる。たまかづら。たゆるときなく。みるよしもがも。
 
(253)卷十二、谷せはみ峰べにはへる玉かづら、卷十四にも同じ上の句あり。上は序のみ。
 參考 ○見因毛欲得(考)略に同じ(古、新)ミムヨシモガナ。
 
2776 道邊。草冬野丹。履干。吾立待跡。妹告乞。
みちのべの。くさをふゆぬに。ふみからし。われたちまつと。いもにつげこそ。
 
多野ノ如クニと言ふを略けり。妹が出で會はん事を日毎に道に出でて待つなり。
 
2777 疊薦。隔編數。通者。道之柴草。不生有申尾。
たたみこも。へだてあむかず。かよはさば。みちのしばくさ。おひざらましを。
 
薛をば、藁薄などを一筋づつ重ね編むをもて隔て編むと言ふなり。さて薦桁《コモゲタ》と言ふ木を横に渡し、こも槌と言ふ物に、あみ緒を卷き、薦桁へ懸けて。槌を、此を彼へ、彼を此へ、取違へつつ編むなり。其槌の往反《ユキカフ》如く夫の通ひなばと言ふ意なり。卷十二、あふよしのいでくるまでは疊薦重編數夢にしみなむと有り。
 參考 ○通者(考)カヨヒセバ(古、新)略に同じ。
 
2778 水底爾。生玉藻之。生不出。縱比者。如是而將通。
みなぞこに。おふるたまもの。おひいでず。よしこのごろは。かくてかよはむ。
 
水底の藻の顯れぬを以て、忍ぶに譬へたり。暫の間は斯く忍びても通はんと言ひて末を頼む意なり。
(254) 參考 ○生不出(考)オヒモイデズ(古)略に同じ(新)ウヘニイデズ「生」を「上」の誤とす。
 
2779 海原之。奧津繩乘。打靡。心裳四怒爾。所念鴨。
うなばらの。おきつなはのり。うちなびき。こころもしぬに。おもほゆるかも。
 
ナハノリは海藻の一種ならん。繩海藻《ナハノリ》のしなえ靡くを、身も心もなよなよとしなえつつ、戀ひわぶるに取れり。夏草のしなえうらぶれ、と詠めるに同じ。
 
2780 紫之。名高乃浦之。靡藻之。情者妹爾。因西鬼乎。
むらさきの。なたかのうらの。なびきもの。こころはいもに。よりにしものを。
 
ムラサキノ名高ノウラ、卷七に二首出でて、そこに委しく言へり。上は寄ると言はん序のみ。
 
2781 海底。奧乎深目手。生藻之。最今【今ヲ令ニ誤ル】社。戀者爲便無寸。
わたのそこ。おきをふかめて。おふるもの。もともいまこそ。こひはすべなき。
 
上の奧を深めてと言ふに深き思を譬へて、且つ生ふる藻と言ひ下だして、モトモの言に重ねたり。コソは言を強く言ひ入るのみなり。
 參考 ○最今社(考、古)モハライマコソ(新)略に同じ。
 
2782 左寐蟹齒。孰共毛宿常。奧藻之。名延之君之。言待吾乎。
さぬがには。たれともねめど。おきつもの。なびきしきみが。ことまつわれを。
 
(255)サヌガニハは、宣長が、さ寢んとならばと言ふ程の言なりと言へるが穩かなり。サは發語。オキツモノ、枕詞。ナビキシ君とは、男の靡くと言ふに有らず、吾心の靡き寄りし男と言ふなり。共寢せんとならば、誰とも寢《ヌ》べけれど、初めより我心の寄りにし君が、今は妻とせんと言ふ言を待つと言ふなり。この乎は、與とも曾とも通へり。
 參考 ○左寢蟹齒(代、考、古、新)サネカネバ。
 
2783 吾妹子之。奈何跡裳吾。不思者。含花之。穗應咲。
わぎもこが。いかにともわを。おもはねば。ふふめるはなの。ほにさきぬべし。
 
フフメルは蕾めるにて、内にのみ戀ふるに取る。心は下にのみ戀ふれば、妹はおほよそに思ひて在るに、え堪へやらずして、忍び敢へず成りなんと言ふなり。
 
2784 隱庭。戀而死鞆。三苑原之。鷄冠草花乃。色二出目八方。
しぬびには。こひてしぬとも。みそのふの。からあゐのはなの。いろにいでめやも。
 
鶏冠草を、翁は左註によりてツキクサと訓まれつれど、宣長云、卷十にも戀る日の氣長くあれば三苑圃の辛藍《カラアヰノ》花の色に出にけり、とも詠めれば、ここも古訓のままに、カラアヰと訓むべし。カラアヰは即ち紅花にて、紅花の形?冠に似たる所有りと言へるに由るべし。さて花の色に出づると言ふまでに懸かりて、出でぬと言ふまでへ縣からぬは、古への例なり、すべての心は、たとひ戀ひ死ぬとも忍びはてんと云ふ(256)なり。
 參考 ○隱庭(考)略に同じ(古、新)コモリニハ ○鷄冠草花乃(考)略に同じ(古、新)カラヰノハナノ。
 類聚古集云。鴨頭草又作2?冠草1云云。依2此義1者。可v和2月月山1歟。此説はひがことなり。
 
2785 開花者。雖過時有。我戀流。心中者。止時毛梨。
さくはなは。すぐるときあれど。わがこふる。こころのうちは。やむときもなし。
 
過ぐるは散り失するを言ふ。
 參考 ○雖過時有(考、新)略に同じ(古)スグトキアレド。
 
2786 山振之。爾保敝流妹之。翼酢色乃。赤裳之爲形。夢所見管。
やまぶきの。にほへるいもが。はねずいろの。あかものすがた。いめにみえつつ。
 
集中に、ニホフと言ふに艶の字を書き、又山ぶきを妹に似る草とも詠めり。ハネズは既に出づ。
 
2787 天地之。依相極。玉緒之。不絶常念。妹之當見津。
あめつちの。よりあひのきはみ。たまのをの。たえじとおもふ。いもがあたりみつ。
 
一二の句は上に出づ。タマノヲノ、ここは命の事に非ず、不v絶《タエジ》と言ふ事の枕詞なり。
 
2788 生緒爾。念者苦。玉緒乃。絶天亂名。知者知友。
(257)いきのをに。おもへばくるし。たまのをの。たえてみだれな。しらばしるとも。
 
イキノヲニは、命の限りと言はんが如し、タエテ亂レナは、緒絶えして亂れんと言ひ續けたるなり。ミダレナはミダレムなり。結句は、人は知らば知るともなり。古今集に、下にのみおもへばくるし玉のをのたえてみだれむひとなとがめそ、と少しかへて載せたり。
 
2789 玉緒之。絶而有戀之。亂者。死卷耳其。又毛不相爲而。
たまのをの。たえたるこひの。みだれには。しなまくのみぞ。またもあはずして。
 
逢ふ事の絶えて思ひ亂るる時には、死なんばかりぞとなり。集中、戀の亂のつかね緒にせむ、とも詠めり。
 參考 ○亂者(新)クルシクハ「亂」を「苦」の誤とす。
 
2790 玉緒之。久栗縁乍。末終。去者不別。同緒將有。
たまのをの。くくりよせつつ。すゑつひに。ゆきはわかれず。おなじをにあらむ。
 
玉を緒に貫きたらんは、くくり寄する事も有るべければ斯く言へり。末つひにあひ住まん事を言ふ。
 參考 ○玉緒之(新)タマノヲヲ「之」を「乎」の誤とす ○同緒將有(考、新)略に同じ(古)オヤジヲニアラム。
 
2791 片絲用。貫有玉之。緒乎弱。亂哉爲南。人之可知。
(258)かたいともて。ぬきたるたまの。ををよわみ。みだれやしなむ。ひとのしるべく。
 
縒らぬ糸なれば、絶えやすくて貫ける玉の亂るるを言ふ。上は亂ルと言はん序のみ。
 參考 ○片絲用(考)略に同じ(古、新)カタイトモチ。
 
2792 玉緒之。島【島ハ寫ノ誤カ】意哉。年月乃。行易及。妹爾不逢將有。
たまのをの。うつしごころや。としつきの。ゆきかはるまで。いもにあはざらむ。
 
翁の云、島は長の誤にて、ナガキココロヤなるべし。いかばかり長くゆたけき心もてか、年月の變るまで妹に逢はで在るべきとなり。玉の緒は長と言はん料なりと言はれき。宣長云、島は寫の誤なりと言へり。ウツシゴコロは顯心なり。卷十二、玉緒の徙心哉《ウツシゴコロヤ》八十かかけ、と詠めり。寫とせん方字の形も近ければ然るべし。
 參考 ○島意哉(考)「長」ナガキココロヤ(古、新)「寫」ウツシゴコロヤ。
 
2793 玉緒之。間毛不置。欲見。吾思妹者。家遠在而。
たまのをの。あひだもおかず。みまくほり。わがもふいもは。いへどほくありて。
 
緒に貫ける玉の、間も無き如くに見んと思ふ妹は、家路遠く住みて、度度逢ひ難きとなり。
 參考 ○吾思昧者(新)ワガスルイモハ「思」を「爲」の誤とす ○家遠(古、新)イヘトホクと「ト」を清む。
 
(259)2794 隱津之。澤立【立ハ出ノ誤】見爾有。石根從毛。遠而念。君爾相卷者。
こもりづの。さはいつみなる。いはねゆも。とほしておもふ。きみにあはまくは。
 
上に、隱處澤泉在石根通念吾戀者と有るに同じ。されば立は出の字の誤なる事しるし。遠は借字とも言ふべけれど、透の誤なるべし。
 參考 ○隱津之(新)コモリ「沼」ヌノ ○澤立見爾有(新)サハタツミナラバ「有」の下「者」を補ふ ○遠而念(新)トホリテトモフ「透而等念」の誤脱か。
 
2795 木國之。飽等濱之。忘貝。我者不忘。年者雖歴。
きのくにの。あくらのはまの。わすれがひ。われはわすれじ。としはへぬとも。
 
紀伊加太庄加太村に 今飽等とも、飽とも言ふ所あり。卷七、あびきするあまとかも見る飽(ノ)浦の、と詠めるも同所なり。卷七に委しく言へり。上は序のみ。
 參考 ○我者不忘(新)ワレハワスレズ ○年者雖歴(考、新)トシハフレドモ(古)略に同じ。
 
2796 水泳。玉爾接有。礒貝之。獨戀耳。年者經管。
みづくぐる。たまにまじれる。いそがひの。かたこひのみに。としはへにつつ。
 
此玉はサザレを言ふ。イソ貝は石貝には、鰒なり。和名抄にも、鰒(ハ)魚名、似v蛤、偏著v石、肉乾可v食と有り。上はカタコヒと言はん爲めの序のみ。
(260) 參考 ○獨戀耳(考)カタコヒニノミ(古、新)略に同じ。
 
2797 住吉之。濱爾縁云。打背貝。實無言以。余將戀八方。
すみのえの。はまによるとふ。うつせがひ。みなきこともて。われこひめやも。
 
石花貝《セ》の空に成りたるが、浪に寄りたるをウツセ貝と言ふ。實ナキと云はん序のみ。末は僞りに戀ひんものかとなり。
 參考 ○言以(考)略に同じ(古、新)コトモチ。
 
2798 伊勢乃白水郎之。朝魚夕菜爾。潜云。鰒貝之。獨念荷指天。
いせのあまの。あさなゆふなに。かづくとふ。あはびのかひの。かたもひにして。
 
朝ナ夕ナのナは、ヨナヨナとも言ふに同じく助辭なり。宣長云、此ナの言は、魚菜の字の意なりと言へり。契沖も然か言ひき。
 參考 ○潜云(考)略に同じ(古、新)カヅクチフ。
 
2799 人事乎。繁跡君乎。鶉鳴。人之古家爾。相語而遣都。
ひとごとを。しげみときみを。うづらなく。ひとのふるへに。かたらひてやりつ。
 
ウヅラ鳴、枕詞。人言のさが無ければ、おのが家へは迎へずして、他《ヒト》の古家にて語らひて遣りつるとなり。吾家をワギヘと言ふ如く、フルイヘをフルヘと言ふなり。
(261) 參考 ○繁跡(考)シゲシト(古、新)略に同じ ○人之古家爾(代)フルイヘ、又は、イニシヘ(考、古、新)略に同じ。
 
2800 旭時等。鷄鳴成。縱惠也思。獨宿夜者。開者雖明。
あかときと。かけはなくなり。よしゑやし。ひとりぬるよは。あけばあけぬとも。
 
古事記、爾波津登理加祁波那久《ニハツトリカケハナク》、又神遊歌に、にはとりはかけろと鳴《ナキ》ぬ、と有り。
 參考 ○鷄(新)トリ、又はカケ ○開者雖明(考)アケハアクトモ(古)略に同じ(新)兩訓。
 
2801 大海之。荒礒之渚鳥。朝名旦名。見卷欲乎。不所見公可問。
おほうみの。ありそのすどり。あさなさな。みまくほしきを。みえぬきみかも。
 
清き渚に鳥のゐたるは、見飽かぬ物なるを以て譬へとせるか。是れは何れの鳥とは指し難し。古事記、わがこころ宇良須能登理叙《ウラスノトリゾ》、と有るも同じきか。其外集中に多し。?、鳧などを言ふならん。
 
2802 念友。念毛金津。足檜之。山鳥尾之。永此夜乎。
おもへども。おもひもかねつ。あしびきの。やまどりのをの。ながきこのよを。
 
長き夜もすがら、人戀ひしさの重なりて、思ひに堪へ難きなり。
 
或本歌曰。足日木乃。山鳥之尾乃。四垂尾乃《シダリヲノ》。長永夜《ナガナガシヨ・ナガキナガヨ》乎《ヲ》。一鴨將宿《ヒトリカモネム》。
 
シダリはシナヒタリの約言なり。上は長キと言はん序のみ。按ずるに永は此の誤か、ナガキコノヨヲと(262)有るべし。後に人麻呂の歌とすれど、此卷と十二の卷は、皆詠人不v知古歌なれば取るべからず。
 參考 ○長永夜乎(考)ナガナガシヨヲ(古、新)ナガキナガヨヲ。
 
2803 里中爾。鳴奈流鷄之。喚立而。甚者不鳴。隱妻羽毛。
さとなかに。なくなるかけの。よびたてて。いたくはなかぬ。こもりづまはも。
 
是れはいたく鳴く物を擧げて、それが如く鳴く事だに心に任せぬと言ふなり。コモリヅマハと言ひて、其こもれるにつけて、限り無き物思ひ有るをこめたり。コモリヅマは、母が許に隱りをるをも言へど、是れは集中、心の中のこもり妻と詠める同じ意なるべし。ハモの詞に歎きを含めり。
 參考 ○里中爾(考、新)略に同じ(古)サトヌチニ ○鷄(新)トリとも訓むべし。
 
一云。里|動《トヨミ》。鳴成鷄。
 
2804 高山爾。高部左渡。高高爾。余待公乎。待將出可聞。
たかやまに。たかべさわたり。たかだかに。わがまつきみを。まちでなむかも。
 
タカベは既に出づ。水鳥ながら群れて高く飛ぶ物なり。サ渡ルのサは發語。高高は既に多く見えたり。待チデナムカモは、待チツケムカモと言ふに同じ。高の詞をあやに重ねて序とせり。
 
2805 伊勢能海從。鳴來鶴乃。音杼侶毛。君之所聞者。吾將戀八方。
いせのうみゆ。なきくるたづの。おとどろも。きみがきこえば。われこひめやも。
 
(263)オトドロは音のとどろに高く響くを言ふか。契沖はロを助語とせれど穩かならず。音ダニモと有りしが誤れるにや、然らば杼侶は??などの誤れるか。上は序にて君が音づれだにも聞え來ば、斯く戀ひんやと言ふなり。
 參考 ○音抒侶毛(考)オトダニモ「音柁?毛」とす(古、薪)オトドロモ ○君之所聞者(新)キミガキコサバ。
 
2806 吾妹兒爾。戀爾可有牟。奧爾住。鴨之浮宿之。安雲無。
わぎもこに。こふれにかあらむ。おきにすむ。かものうきねの。やすけくもなき。
 
鴨の浮寢《ウキネ》の如く安くも寢られぬは、妹戀ふる故にか有らんと、みづから訝かるなり。コフレニカは、戀フレバニカの、バを略ける例なり。
 參考 ○戀爾可有牟(考)コフルニカアラム(古、新)略に同じ。
 
2807 可旭。千鳥數鳴。白【白ハ色ノ誤カ】細乃。君之手枕。未厭君。
あけぬべく。ちどりしばなく。しきたへの。きみがたまくら。いまだあかなくに。
 
千鳥は百千の鳥にて、明くるを待ちて必ず鳴く物なれば言へり。シキタヘは枕詞。按ずるに白は色の誤なり。
 參考 ○可旭(新)アケヌベミ。
 
(264)問答
 
2808 眉根掻。鼻火紐【紐ヲ?ニ誤ル下同】解。待八方。何時毛將見跡。戀來吾乎。
まゆねかき。はなひひもとけ。まてりやも。いつかもみむと。こひこしわれを。
 
此卷上に、結句、念吾君と變りたるまでにて、同じ歌を載せたり。其所に言へり。
 參考 ○眉根(考)略に同じ(古)マヨネ ○鼻火紐解(新)ハナヒヒモトキ ○待八方(考)マチシヤモ(古、新)マテリヤモ。
 
右上見2柿本朝臣人麻呂之歌中1。但以2間答1故。累2載於茲1也。
 
2809 今日有者。鼻之鼻之火。眉可由見。思之言者。君西在來。
けふなれば。はなしはなしひ。まゆかゆみ。おもひしことは。きみにしありけり。
 
此初句は末の君ニシと言ふ言の上へ置きて見るべし。上の鼻之の之は助辭。下は嚔《ハナヒバ》なり。既に鼻ヒルと言ふ詞に成りたれば、鼻|火之《ヒシ》と有りしが下上《シタウヘ》に成れるにや。されど穩かならず。猶考ふべし。言は事なり。かねて鼻ひなどせしを、覺束なかりしに、今日となれば、君が來ん前《サキ》つ祥《サガ》なりしを知ると言ふなり。初句ケフサレバとも訓むべし。春サレバなどの例なり。
 參考 ○今日有者(考)ケフサレバ(古)ケフシアレバ(新)ケフトイヘバ「有」を「云」の誤と(265)す ○鼻之鼻之火(代)「鼻火鼻之火」か(考)ハナシハナシヒ(代)の如く誤字とす(古)ハナヒシハナビ「鼻火之鼻火」(新)ハナヒハナヒシ「鼻火鼻火之」の誤とす ○眉(古)マヨ。
 
右二首
 
2810 音耳乎。聞而哉戀。犬馬鏡。目直相而。戀卷裳大【大ヲ今太ニ誤ル】口。
おとのみを。ききてやこひむ。まそかがみ。めにただにみて。こひまくもおほく。
 
聲をのみ聞きたるのみに斯く戀ひんものか。斯く戀ふるからは、直ちに相見ば、如何ばかり戀の多からんと言ふか。猶穩かならず。考ふべし。大、今本太に作るは誤なり。大は多なり。マソ鏡は見ルと言はん料なり。喚犬追馬と書けるを略きて斯く書けり。
 參考 ○目直相而(考、古、新)タダニアヒミテ(古)「目直」を「猶相」の誤とす。
 
2811 此言乎。聞跡乎。眞十鏡。照月夜裳。闇耳見。
このことを。ききなむとかも。まそかがみ。てれるつくよも。やみにのみみつ。
 
下の乎は哉の字の誤ならんか。契沖は跡の下有の字落ちしか、キカムトナレヤと訓むべしと言へり。如何が有らん。右の歌を受けて、然か戀ふると言ふ言を聞かんとてか、吾も鏡の如く照れる月を、かきくるる心に、闇に見なして在りつと答ふるなるべし。卷四、照月をやみに見なしてなく涙、卷十二、清き月夜もやみにのみ見ゆ、とも詠めり。
(266) 參考 ○聞跡乎(代)キカムトテカモ「乎」を「手鴨」の誤脱とす(考)略に同じ(古)キカムトナラシ「乎」を「有之」の誤脱とす(新)(古)と同訓「乎」を「平」の誤とす ○闇耳見(考)ヤミニノミミシ(古)ヤミノミニミツ(新)ヤミトノミミシ。
 
右二首
 
2812 吾妹兒爾。戀而爲便無三。白細布之。袖反之者。夢所見也。
わぎもこに。こひてすべなみ。しろたへの。そでかへししは。いめにみえきや。
 
袖を折り返して寢れば、夢に思ふ人に逢ふと言ふ、諺のままにせしを、そなたにも吾に逢ひし夢見給ひつやと問ふなり。
 
2813 吾背子之。袖反夜之。夢有之。眞毛君爾。如相有。
わがせこが。そでかへすよの。いめならし。まこともきみに。あへりしがごと。
 
まことに逢ひし如く夢に見しは、其袖返せし夜の夢にてや有りけんとなり。卷十二、白たへの袖折返し戀ればかいもがすがたのいめにし見ゆる。
 參考 ○如相有(考)略に同じ(古、新)アヘリシゴトシ。
 
右二首
 
2814 吾戀者。名草目金津。眞氣長。夢不所見而。年之經去禮者。
(267)わがこひは。なぐさめかねつ。まけながく。いめにみえずて。としのへぬれば。
 
眞氣ナガクの眞は發語なり。
 參考 ○夢不所見而(古、新)イメニミエズテ。
 
2815 眞氣永。夢毛不所見。雖絶。吾之片戀者。止時毛不有。
まけながく。いめにもみえず。たえぬとも。わがかたこひは。やむときもあらじ。
 
右の夢も見えずてと言ふを受けて、そなたに夢にも見えず、心は絶えぬるとも、わが戀ふる心はやむ時も有らじとなり。
 參考 ○雖絶−不有(代、古)略に同じ(考)タエタレド−アラジ(新)タエタレド−アラズ。
 
右二首
 
2816 浦觸而。物魚念。天雲之。絶多不心。吾念魚國。
うらぶれて。ものなおもひそ。あまぐもの。たゆたふこころ。わがおもはなくに。
 
ただよふ雲をもて、心のたゆたふに譬へて言へり。
 參考 ○吾念魚國(考、新)ワガモハナクニ(古)アガモハナクニ。
 
2817 浦觸而。物者不念。水無瀬川。有而毛水者。逝云物乎。
うらぶれて。ものはおもはず。みなせがは。ありてもみづは。ゆくとふものを。
 
(268)水無きが如くに思はるれども、在り在りて猶水は通ふに、下に絶えぬ心を譬へて、然か絶えぬからは、さのみ物は思はずと言へり。
 參考 ○物者不念(考)略に同じ(古、新)モノハオモハジ ○逝云(考)略に同じ(古、新)チフ。
 
右二首
 
2818 垣津旗。開沼之菅乎。笠爾縫。將着日乎待爾。年曾經去來。
かきつばた。さきぬのすげを。かさにぬひ。きむひをまつに。としぞへにける。
 
垣ツバタ、枕詞。大和添下郡佐伎高野あり。卷一にも出づ。ここに沼も澤も有るなるべし。卷十三、をみなべし咲(キ)野に生ふる白つつじ。卷四、をみなべし咲(キ)澤に生ふる花がつみ、など續けたる皆同じ。心は我物となして、さて逢はぬに譬へたり。
 
2819 臨照。難波菅笠。置古之。後者誰將著。笠有魚國。
おしてる。なにはすががさ。おきふるし。のちはたがきむ。かさならなくに。
 
上の年ぞへにけると言ふをもて詠めり。吾は他《アダ》し心無し、終に君が物なるを、斯くまで置き古さずもがなと言ふなり。
 參考 ○誰將著(考、新)略に同じ(古)タレキム。
 
右二首
 
(269)2820 如是谷裳。妹乎待南。左夜深而。出來月之。傾二手荷。
かくだにも。いもをまちなむ。さよふけて。いでこしつきの。かたぶくまでに。
 
カクダニモは、斯く更くるまでだにもと言ふなり。
 參考 ○妹乎待南(考)キミヲマチナム「妹」を「君」の誤とす(古、新)略に同じ。
 
2821 木間從。移歴月之。影惜。徘徊爾。左夜深去家里。
このまより。うつろふつきののかげををしみ。たちもとほるに。さよふけにけり。
 
面白き月を見捨て難かりしに、覺えず時過ぎしと、飾らず言ふが古人なり。
 參考 ○影惜(考)カゲヲシミ(古、新)略に同じ。
 
右二首
 
2822 栲領巾乃。白濱浪乃。不肯縁。荒振妹爾。戀乍曾居。
たくひれの。しらはまなみの。よりもあへず。あらぶるいもに。こひつつぞをる。
 
タクヒレノ、枕詞。まさごの白き濱を言ふ。上は寄ると言はん序のみ。アラブルは、其寄るの裏にて寄り不v來《コヌ》を言へり。
 
一云。戀流己呂可母。
 
2823 加敝良末爾。君社吾爾。栲領巾之。白濱浪乃。縁時毛無。
(270)かへらまに。きみこそわれに。たくひれの。しらはまなみの。よるときもなき。
 
カヘラマニは、契沖云、却りてなりも。マはアハズマ、コリズマなどの類ひに、添へたる詞なりと言へり。二の句より結句へ續けて意得《ココロウ》べし。
 
右二首
 
2824 念人。將來跡知者。八重六倉。覆庭爾。珠布益乎。
おもふひと。こむとしりせば。やへむぐら。おほへるにはに。たましかましを。
 
卷十九、むぐらはふいやしきやども大君のまさむと知らば玉しかましを。卷六にも似たる歌有り。
 
2825 玉敷有。家毛何將爲。八重六倉。覆小屋毛。妹與居者。
たましける。いへもなにせむ。やへむぐら。おほへるをやも。いもとをりてば。
 
古事記、あしはらのしけこき袁夜邇《ヲヤニ》、と有り。ヲリテバは、居リタラバなり。 參考 ○妹與居者(考)イモトヲリセバ(古)略に同じ(新)イモトヲリテバ。
 
右二首
 
2826 如是爲乍。有名草目手。玉緒之。絶而別者。爲便可無。
かくしつつ。ありなぐさめて。たまのをの。たえてわかれば。すべなかるべし。
 
年月共に相慰め居し夫の、俄かに遠き旅へ行くなるべし。玉ノ緒は唯だ絶エと言はん枕詞のみ。
(271) 參考 ○有名草目手(新)アリナグサメシヲ「手」を「乎」の誤とし、上に「之」を補ふ。
 
2827 紅。花西有者。衣袖爾。染著持而。可行所念。
くれなゐの。はなにしあらば。ころもでに。そめつけもちて。いぬべくおもほゆ。
 
持は添へて言ふ例有り。妹が紅花ならば、衣に染めて何處へ持《モ》ても行かんをとなり。
 參考 ○可行所念(考)略に同じ(古、新)ユクベクオモホユ。
 
右二首
 
譬喩
 
斯くは標したれど、此内には上に載せたる歌も加はりて、且つ全くの譬喩は少し。
 
2828 紅之。深染乃衣乎。下著者。人者【者ハ之ノ誤カ】見久爾。仁寶比將出鴨。
くれなゐの。こそめのきぬを。したにきば。ひとのみらくに。にほひいでむかも。
 
ひとへ重ねの下の紅の、上まで艶《ニホ》ふを言ふか、又袖口の重なれる色をも言ふべし。花やぎたる妹と相馴れば、とく顯はれんと言ふを添へたり。古點ヒトノと有りしからは、者はもと之と有りしが誤れるならん。
 參考 ○人者見久爾(考)ヒトハミマクニ(古)略に同じ(新)ヒトノミルガニ「久」を「之」の誤(272)とす「人者」は「人之」と有るに據る。
 
2829 衣霜。多在南。取易而。著者也君之。面忘而有。
ころもしも。おほくあらなむ。とりかへて。きなばやきみが。おもわすれたらむ。
 
シモは辭。殊なる衣を着れば、其人を見違へつと言ふ事、今も言へり。我が多くの衣を持ちたらば、君に着かへさせつつ、いかで君を面忘れて有らんと、思ひのあまりに言ふなり。君ガは君ヲと言ふ意に言へる例有り。
 參考 ○多在南(代)サハニ(考)略に同じ(古)サハニアラナム(新)兩訓 ○面忘而有(代)オモワスレタル(考、古、新)略に同じ。
 
右二首。寄v衣喩v思。
 
2830 梓弓。弓束卷易。中見判。更雖引。君之隨意。
あづさゆみ。ゆづかまきかへ。なかみては。さらにひくとも。きみがまにまに。
 
弓束の革は纏き替ふる時、内を見る物なるに譬へて、女を試みるを言ふ。さてうちうち試みて後に離れて、更に言ひ寄るは憎むべき事なれど、わが心の寄りし君なれば、ともかくもと言ふなりと翁は言はれき。契沖は古點の如く中見判をアテミテハとして、女の古りたるとて、外の人に易へて見て心もゆかず、更に又我に寄るとも、我は元の心に君がままにと言ふなりと云へり。何れにも三の句穩かならず。判の(273)字を斯かる所に用ひたる例も無し。必ず誤字有るべし。猶よく考《カウガ》へてん。
 參考 ○中見判(考)ナカミテハ(古、頭註、山田清賢)ナカミワリ(新)ナカタメテ「中廻而」の誤とす。
 
右一首。寄v弓喩v思。
 
2831 水【水ヲ氷ニ誤ル】沙兒居。渚座船之。夕塩乎。將待從者。吾社益。
みさごゐる。すにをるふねの。ゆふしほを。まつらむよりは。われこそまされ。
 
ミサゴヰル、枕詞。水を今氷に作るは誤なり。ワレコソマサレは、夫を待つ心の益すを言ふ。
 參考 ○渚座船之(代、新)スニヰルフネノ(考、古)略に同じ ○吾社益(考、古)ワレコソマサメ、但し(古)はアレ(新)略に同じ。
 
右一首。寄v船喩v思。
 
2832 山河爾。筌乎伏而。不肯盛。年之八歳乎。吾竊舞師。
やまがはに。うへをふせて。もりあへず。としのやとせを。わがぬすまひし。
 
和名抄、筌(和名宇倍)捕v魚竹?也、?、取v魚竹器也と有り。さるを六言の句も有れど、此歌にては然りとも見えずとて、カタミと訓まんと翁は言はれつれど、然か訓まんも如何がなり。是れは伏の下、置の字落ちたるか、又は而は置の誤にて、ウヘヲフセオキテとか、ウヘヲフセオキとか訓むべし。盛は(274)借にて、山川の筌を守るとすれど、猶魚を盗まるるに譬へて、女の父母に忍びて男の通ふを言ふ。ヌスマヒのマヒはミを延べ言ふなり。
 參考 ○筌乎伏而(代)ウヘヲフセツツ、又は「置」脱カ (考)カタミヲフセテ(古、新)ウヘヲフセオキテ「置」脱 ○不肯盛(新)モリアヘテ「不」を衍「盛」の下「而」を補ふ ○吾竊舞師(代、考、新)略に同じ(古)アヲヌスマヒシ。
 
右一首。寄v魚喩v思
 
2833 葦鴨之。多集池水。雖溢。儲溝方爾。吾將越八方。
あしかもの。すだくいけみづ。はふるとも。まけみぞのへに。われこえめやも。
 
スダクはここに書ける字の意なり。池に水の溢るる時、流しやらん料に、儲《マウケ》の遣溝《ヤミゾ》を成しおく物なり。その儲溝へ行く水の如く、外へ越ゆる心は持《モタ》らずと云ふなり。上に荒磯越外行浪の外心とも詠めり。
 參考 ○雖溢(代)イハムトモ、又はアフルトキ(考、古)略に同じ(新)アフルトモ。
 
右一首。寄v水喩v思。
 
2834 日本之。室原乃毛桃。本繁。言大王物乎。不成不止。
やまとの。むろふのけもも。もとしげく。いひてしものを。ならずはやまじ。
 
神名帳、大和宇陀郡室生龍穴神社、和名抄、城下郡室原あり、いづこにか。毛桃は實《ミ》に毛の生ひたるさ(275)まなれば今も言へり。一種|實《ミ》に毛無き桃の有るにむかへて言ふのみ。モトシゲク云云は、其始め大かたならず、繁く言ひ入れて有りしからは、遂に成らずは止まじとなり。大王をテシの假字に用ひたる事は既に言へり。卷七、はしきやしわぎへの毛桃本しげみ花のみ咲てならざらめやも、と言ふも相似たり。木の子《ミ》のなるを、戀の成るに寄せたる歌、集中に多し。
 
右一首。寄v菓喩v思。
 
2835 眞葛延。小野之淺茅乎。自心毛。人引目八面。吾莫名國。
まくずはふ。をののあさぢを。こころゆも。ひとひかめやも。われならなくに。
 
マクズハフ、枕詞。卷七、君に似る草と見しより我しめし山野の淺茅人なかりそね、とも詠みて、淺茅を女に譬へたり。さてしめ結ひし我にあらずして、他《アダ》し人の心よりして引きとる事は得めやと言ふか。されど葛に引くと言ふ事は集中に多く詠めれど、淺茅に引くと言ふ事心ゆかず。若しくは引は刈の字の誤にて人カラメヤモならんか。
 參考 ○人引目八面(考)ヒトヒカメヤモ(古、新)ヒトカラメヤモ「引」を「苅」の誤とす ○吾莫名國(考、新)ワレナケナクニ(古)アレナケナクニ。
 
2836 三島菅。未苗在。時待者。不著也將成。三島菅笠。
みしますげ。いまだなへなり。ときまたば。きずやなりなむ。みしますががさ。
 
(276)三島江、此卷上に出づ。幼き女を心に占めて時を待つ間に、若し他《アダ》し人に取られて、我物とならず成りなんかと言ふを添へたり。
 
2837 三吉野之。水具麻我菅乎。不編爾。刈耳苅而。將亂跡也。
みよしぬの。みぐまがすげを。あまなくに。かりのみかりて。みだりなむとや。
 
ミグマは水隈なり。吉野に水分《ミクマリ》と言ふ所も有れど、其れまでは有らじ。さまざまと心を盡して、終に我物とも成らず、あらけはてなんと覺束なく思ふなり。
 
2838 河上爾。洗若菜之。流來而。妹之當乃。瀬社因目。
かはかみに。あらふわかなの。ながれきて。いもがあたりの。せにこそよらめ。
 
上は末終に妹に寄らんと言はん料に言へるのみ。卷十四、此河に朝菜あらふ子なれもわれも、など詠めり。
 參考 ○河上(考、古)略に同じ(新)カハカミニ、又はカハノヘニ ○將亂跡也(考)ミダレナムトヤ(古、新)略に同じ。
 
右四首。寄v草喩v思。
 
2839 如是爲哉。猶八成牛鳴。大荒木之。浮田之杜之。標爾不有爾。
かくしてや。なほやなりなむ。おほあらきの。うきたのもりの。しめならなくに。
 
(277)斯くの如く成り難くしてもや、猶や終に成りなんとなり。後世のナムと言ふ言を、詔、祝詞などに、奈毛と言へば、ここもナモと訓むべし。牛鳴を毛の假字とするは、馬聲蜂音をイフの二言に書けるが如し。然れども、ナモのナの言に訓むべき假字無しと翁言はれき。されど歌の意聞え難し。宣長云、牛鳴は牟の假字なり。字書に牟牛鳴也と有り、成は朽の誤ならんか。ナリにては、シメナラナクニと言ふに由無し。朽チナムとは戀のむなしくなるを言ふと言へり。奈と訓むべき字足らざれども添へても訓まるべきか。猶考ふべし。大アラキは神名帳に、大和宇智郡荒木神社あり。浮田の森も、そこなるべし。山城のにはあらず。卷七、かくしてや猶やおいなむみ雪ふる大あらき野の小竹にあらなくに、とて、今に似たる歌有り。そこにも言へり。
 參考 ○猶八成牛鳴(代、古、新)ナホヤナリナム(考)ナホヤナリナモ。
 
右一首。寄v標喩v思。
 
2840 幾多毛。不零雨故。吾背子之。三名乃幾許。瀧毛動響二。
いくばくも。ふらぬあめゆゑ。わがせこが。みなのここだく。たぎもとどろに。
 
雨ユヱは雨ナルモノヲなり。三は御なり。逢ふ事は稀れなるに、名の立ちたるを添へたり。上にも、朝ごちに云云あはぬものゆゑ瀧もとどろに、と詠めり。
 
右一首。寄v瀧喩v思。
 
(278)萬葉集 卷第十一 終
 
大正十五年五月十日印刷
大正十五年五月二十三日發行[非賣品〕
日本古典全集第一回
萬葉集略解 第五
編纂者   與謝野寛
同     正宗敦夫
同     與謝野晶子
装幀圖案者 廣川松五郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
發行者   長島豐太郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
印刷所   新樹製版印刷所
印刷者   高瀬清吉
發行所   東京府北豐島郡長崎村一六二
日本古典全集刊行會
   振替口座東京七三〇三二
   電話番號小石川七〇九九
 
 
(1)萬葉集 卷第十二
   古今相聞往來歌類之下……………………………………一
正述心緒歌一百十首○寄物陳思歌一百五十首○問答歌三十六首○覊旅發思歌五十三首○悲別歌三十一首
萬葉集 卷第十三………………………………………………一三三
雜歌二十七首○相聞歌五十七首○問答歌十八首○譬喩歌一首○挽歌二十四首
 
(1)萬葉集 卷第十二
 
目録に古今相聞往來歌類之下と有り。第十一の卷と同じ卷なるを、歌の數多ければ上下と分てるなり。上の卷に出でたる歌の、此卷に再び載れるもたまたま有り。はた上の卷に相聞に入れたるを、此卷には 旅に入れ又は贈答に載せたるも有り。是れらは其撰り採られしもとの集どもに二樣に有りしか、又は傳への異なるなどに由りて、そのままに採り集めし物なるべし。
 
 
正述心緒
 
2841 我背子之。朝明形。吉不見。今日間。戀暮鴨。
わがせこが。あさけのすがた。よくみずて。けふのあひだを。こひくらすかも。
 
アサケは、ここに書る如く朝明けなり。男の妹がもとより歸る姿を、よく見ざりし故に、其日一日戀ふると女の詠めるなり。
 
2842 我心等。望使念。新夜。一夜不落。夢見。
わがこころと。のぞみおもへば。あたらよの。ひとよもおちず。いめにしみゆる。
 
二の句、ノゾミシオモヘバとも訓むべけれど、穩かならず。あたらよの詞も此歌に理り無し。二三の句(2)誤れるなるべし。試みに言はば望使は無便の誤にて、スベナクモヘバと訓むべし。新夜は新玉の誤にて枕詞なるべしと翁は言はれつれど、新夜は集中に年月はあたらあたらにと有るアタラにて、毎夜と言ふ事なるべし。わが心からせんすべ無く思へば、夜毎に夢に見ゆると言ふなり。或人云、使の下美の字脱けたるか。さらば等を二の句へ付けて、トモシミモヘバと訓むべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○我心等望使念(代)我心等ノゾミシモヘバ(考)我心ト、スベナクモヘバ「望使」を「無便」の誤とす(古)アガココロトスベナクモヘバ、又はイキヅキモヘバ「無便」か「氣附」の誤か ○新夜(考)「新玉」の誤とす(古、新)アラタヨノ。
 
 
2843 與愛。我念妹。人皆。如去見耶。手不纒爲。
うるはしと。わがもふいもを。ひとみなの。ゆくごとみめや。てにまかずして。
 
思ふ妹が道行くを見て、忍べるなか故に、大よそ人の道行くを見る如くして在らんと歎くなり。ウルハシトと言ふに、與愛と書けるは如何がなれど、彼と此となど言ふ時に、書く例に做ひたるなるべし、書法に泥む事なかれ。
 參考 ○與愛(代)「愛與」の誤か(考、古、新)ウツクシト ○如去見耶(代)如を「モシ」(考)ユクナスミルヤ(古、新)略に同じ。
 
2844 比日。寢之不寢。敷細布。手枕纏。寢欲。
(3)このごろの。いのねらえぬは。しきたへの。たまくらまきて。ねまくほれこそ。
 
此比《このごろ》うまいせられぬは、妹が手枕まきて寢まほしく思へばこそと言ふなり。
 參考 ○寢之不寢(代)イノネラエヌニ(古、新)略に同じ ○寢欲(代)ネマクホシカモ(考)ネマクシホシモ(古)ネマクホリコソ(新)略に同じ。
 
2845 忘哉。語。意遣。雖過不過。猶戀。
わするやと。ものがたりして。こころやり。すぐせどすぎず。なほぞこひしき。
 
思ひを如何でまぎれ忘るるやと、人人とくさぐさの物語して、思ひをやり過さんとすれど、えやり過す事は有らで、なほ戀しきとなり。卷十一に、二所意追と書きて、ナグサムと訓めり。ここも遣は追の誤にて、ナグサメテと訓まんか。
 參考 ○意遣(新)ナグサメテ ○猶戀(代)ナホコヒニケリ(考、古、新)ナホゾコヒシキ。
 
2846 夜不寢。安不有。白細布。衣不脱。及直相。
よるもねじ。やすくもあらじ。しろたへの。ころももぬがじ。ただにあふまで。
 
妹に逢ふまでは、晝の服を脱がず有らん、さては安くも有らねば、夜も寢ずて有らんとなり。
 參考 ○夜不寢(考)略に同じ(古)ヨルモネズ(新)ヨヲネズテ ○安不有(考)略に同じ(古、新)ヤスクモアラズ ○衣不脱(新)コロモハヌガジ、
 
(4)2847 後相。吾莫戀。妹雖云。戀間。年經乍。
のちもあはむ。わをなこひそと。いもはいへど。こふるあひだに。としはへにつつ。
 
在り在りて後にも逢はんからに、我をさのみ戀ふる事なかれと、妹は言へどもなり。
 參考 ○後相(代、考、新)略に同じ(古)ノチニアハム ○吾莫戀(新)ワニナコヒソト。
 
2848 直不相。有諾。夢谷。何人。事繁。
ただにあはず。あるはうべなり。いめにだに。なにしかひとの。ことのしげけむ。
 
人言繁くして、直ちに逢はぬはことわりなるを、夢にだに如何なる人の言繁ければ、見え來ぬにやと疑ふなり。有の下、一本者の字有り。
 參考 ○何人(代)ナニシカヒトニ(考、古)略に同じ(新)ナニカモヒトノ。
 
或本歌曰。寢者《ウツツニハ》。諾毛不相《ウモアハナク》。夢左倍《イメニサヘ》。
 
寢は寤の誤なるべし。
 
2849 烏玉。彼夢。見繼哉。袖乾日無。吾戀矣。
ぬばたまの。そのいめにだに。みえつげや。そでほすひなく。わがこふらくを。
 
男の方には、夜毎に夢にだに見えよ。われは袖ほす間無く戀ふるをと言へる、女の歌なり。宣長云、彼は夜の誤にて、ヨルノイメニヲと訓むべしと言へり。
(5) 參考 ○彼夢(代)ソノユメニダニ(考)ソノユメヲスラ(古)ヨルノイメニヲ「彼」を「夜」の誤とす(新)ソノヨノイメノ「彼」の下「夜」を補ふ ○見繼哉(代、新)略に同じ(考)ミツガムヤ(古)ミエツグヤ ○吾戀矣(古、新)アレハコフルヲ、但し(新)はワレ。
 
2850 現。直不相。夢谷。相見與。我戀國。
うつつには。ただにもあはず。いめにだに。あふとみえこそ。わがこふらくに。
與は乞の誤なり。
 參考 ○直不相(代)タダニアハザラメ(考)略に同じ(古、新)タダニアハナク ○相見與(代、古、新)略に同じ(考)アフトハミユヨ。
 
寄v物陳v思
 
2851 人所見。表結。人不見。裏紐開。戀日太。
ひとみれば。うへをむすびて。ひとみねば。したひもあけて。こふるひぞおほき。
 
下紐のおのづから解くるは、人に逢はん前つ祥《サガ》とする故に、求めても解けて逢はん事を祈るなり。
 參考 ○人所見(新)ヒトノミル「所」は衍とす ○表結(新)ウヘハムスビテ ○人不見(斬)ヒトノミヌ ○裏紐開(代、考)シタヒモトキテ(古、新)略に同じ。
 
(6)2852 人言。繁時。吾妹。衣有。裏服矣。
ひとごとの。しげけきときに。わぎもこが。きぬにありせば。したにきましを。
 
妹が即ち衣ならばと言ふなり。
 參考 ○繁時(代)シゲケキトキニ(考)シゲキトキニハ(古)略に同じ(新)シゲカルトキヲ ○吾妹(古)ワギモコシ(新)略に同じ ○衣有(代、古、新)略に同じ(考)衣ナリセバ。
2853 眞珠眼【眼ハ附ノ誤】。遠兼。念。一重衣。一人服寢。
またまつく。をちをしかねて。おもへれば。ひとへごろもを。ひとりきてねぬ。
 
マタマツク、枕詞。眼は附の字の誤なり。強ひて事なさば末惡しかるべきによりて、遠きを兼ね念ふ故に、一人寢すると言ふにて、其獨寢のさまの、わびしさを言はんとて、一重衣と言へるなり。宣長云、遠の下近の字脱ちたり。ヲチコチカネテと有るべしと言へり。卷四、ま玉つく被此兼手《ヲチコチカネテ》と有れば、此説に據るべし。
 參考 ○眞珠眼(考、古、新)略に同じ、但し(考)は眼を「附」の(古)は「服」の誤とす ○遠兼(考)ヲチヲシカネテ(古、新)ヲチコチカネテ「遠」の下「近」脱とす ○念(新)オモヘレバ ○一人服寢(新)ヒトリキテネヌ。
 
2854 白細布。我紐緒。不絶間。戀結爲。及相日。
(7)しろたへの。わがひものをの。たえぬまに。こひむすびせむ。あはむひまでに。
 
下紐の絶ゆるは、人と絶ゆる兆《サガ》なるべし。仍つていまだ絶え果てぬさきに結ばんと言ふなり。さて戀結ビとは其戀のかための爲めに結ぶを言ふか。古今集に、戀の亂のつかねをにせむと詠める意なり。
 
2855 新治。今作路。清。聞鴨。妹於事矣。
にひばりの。いまつくるみちの。さやかにも。ききにけるかも。いもがうへのことを。
 
新しき路は清らなる物なれば、上はサヤカニと言はん序のみ。妹がうへの事とは、妹が常の有さまを言へり。
 參考 ○新治(考)ニヒバリ(古)略に同じ(新)ニヒバリニ ○清(考、新)サヤケクモ(古)略に同じ ○聞鴨(考、新)キキテケルカモ(古)略に同じ ○妹於事矣(考)イモガウヘノコト、又は、イモガマサカヲ(古、新)イモガウヘノコトヲ。
 
2856 山代。石田杜。心鈍。手向爲在。妹相難。
やましろの。いはたのもりに。こころおそく。たむけしたれや。いもにあひがたき。
 
神名帳、山城久世郡石田神社、卷九、卷十三にも詠めり。タムケシタレヤは、手向シタレバニヤの意。心オソクは心|鋭《ト》からぬなり。
 
2857 菅根之。惻隱惻隱。照日。乾哉吾袖。於妹不相爲。
(8)すがのねの。ねもころごろに。てるひにも。ひめやわがそで。いもにあはずして。
 
妹に逢はずして、涙に濡れし袖は、夏の強く照る日にも干《ヒ》じと言ふなり。
 參考 ○照日(考)テレルヒニ(古、新)略に同じ。
 
2858 妹戀。不寢朝。吹風。妹經者。吾共經。
いもにこひ。いねぬあしたに。ふくかぜし。いもにふれなば。わがむたにふれね。
 
思ひにいねざりし朝《アシタ》の風だに、妹が方に吹かば、吾にも共に吹けかし、其れにだに慰めんとなり。經は借にて、觸なり。共、官本與と有り。
 參考 ○不寢朝(古)イネヌアサケニ(新)略に同じ ○吹風(考、新)フクカゼノ(古)略に同じ ○妹經者(考、新)略に同じ(古)イモニシフラバ ○吾共經(考)アニモフレナモ(古)アガムタニフレ(新)ワレニサヘフレ。
 
2859 飛鳥河。高河避紫。越來。信今夜。不明行哉。
あすかがは。たかがはよがし。こえてきつ。まことこよひは。あけずゆかめや。
 
高川は水の出たる時の川を言ふ。其高河を避《ヨ》ぎて、廻り道をして、遠く來たりたる勞を上に言ひて、下に今宵は誠に此處にとまりて行けと言ふなり。紫、一本柴に作る。ヨガシはヨギを延べ言ふなり。
 參考 ○高河避紫(新)タカガハナミモ ○越來(考)コエテコシ(古、新)コエコシヲ ○信今夜(9)不明行哉(古)マコトコヨヒヲ、アケズヤラメヤ(新)マコトコヨヒハ、ネズテユカメヤ「明」を「寐」の誤とす。
 
2860 八釣【釣ヲ鈎ニ誤ル】河。水底不絶。行水。續戀。是此歳。
やつりがは。みなそこたえず。ゆくみづの。つぎてぞこふる。このとしごろを。
 
八ツリ河、大和高市郡。上はツギテと言はん序のみ。
 
或本歌曰。水尾母不絶《ミヲモタエセズ》。
 
2861 礒上。生小松。名惜。人不知。戀渡鴨。
いそのうへに。おふるこまつの。なををしみ。ひとにしらえず。こひわたるかも。
 
此イソは唯だ石にて、大なる巖の上に一もと生ひたる松は、顯《アラハ》に目立つ物なるを、名に顯るる譬とせるか。又は女を松に譬へ、小松は子松にて、吾妹子の意なるべし。
 參考 ○礒上(古)イソノヘニ(新)イソノウヘニ。
 
或本歌曰。巖《イハノ》上爾。立《タテル》小松。名惜。人|爾者不云《ニハイハズ》。戀渡鴨。
 
2862 山河。水陰生。山草。不止妹。所念鴨。
やまがはの。みづかげにおふる。やますげの。やまずもいもが。おもほゆるかも。
 
陰、一本隱に作る。ミゴモリとも訓むべし。卷十、天のがは水陰草とも詠めり。是れは水にこもれる菅(10)を言ふべし。上はヤマズと言はん序のみ。妹ガオモホユルとは、妹が事の思はるるなり。
 
2863 淺葉野。立神古。菅根。惻隱誰故。吾不戀。
あさばぬに。   すがのねの。ねもころたれゆゑ。あがこはなくに。
 
或本歌曰。誰葉《タガハ》野爾|立志奈比垂《タチシナヒタル》。
 
アサバ野は、和名抄、武藏入間郡麻羽(安佐波)と有るなるべし。卷十一、紅の淺葉の野らと詠めり、同所か。淺葉野は定かならず。翁の云はく、或本に據るに、神古の字は必ず誤字なるべし。神は紳の字の誤、古は有の字の誤なるべし。紳は帶にて、しなひ垂るる物古へ有りしを以て書けるにて、則ち立紳有にて、タチシナビタルと訓むべし。古點タツミワコスゲと訓みたれど、菅にさる名も無し。末は古今集、誰故に亂れむとおもふ我ならなくに、と云が如しと言はれき。されど紳をシナヒと訓まん事いかが、猶考ふべし。
 參考 ○立神古(代)タツカミ「占」ウラノ(古)タチカム「佐古」サブル(新)もとのままにて(古)と同訓 ○吾不戀(古)アガコヒナクニ(新)誤字有るべし。
 
右二十三首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
正逃2心緒1
 
(11)2864 吾背子乎。且今且今跡。待居爾。夜更深去者。嘆鶴鴨。
わがせこを。いまかいまかと。まちをるに。よのふけぬれば。なげきつるかも。
 
2865 玉釧【釧ヲ劔ニ誤ル】。卷宿妹母。有者許増。夜之長毛。歡有倍吉。
たまくしろ。まきぬるいもも。あらばこそ。よひのながきも。うれしかるべき。
 
釧を劔に誤れり。玉クシロ、枕詞。卷宿ルは妹と手枕纒ひて寢るなり。ヨヒとても一夜の事なり。
 參考 ○夜之長毛(考)略に同じ(古)ヨノナガケキモ(新)ヨルノナガキモ
 
2866 人妻爾。言者誰事。酢衣乃。此紐解跡。言者孰言。
ひとづまに。いふはたがこと。さごろもの。このひもとけと。いふはたがこと。
 
人ヅマは自らを指して言ふなり。言フハタガコトとは、その紐解けと言ふ人を深くとがめたる言なり。サ衣のサは狹にて、卑下の詞、酢は音を借りてサの假字とせり。又作か佐の誤にても有るべし。
 
2867 如是許。將戀物其跡。知者。其夜者由多爾。有益物乎。
かくばかり。こひむものぞと。しらませば。そのよはゆたに。あらましものを。
 
逢ひて後かく戀ひんものとかねて知りたらば、逢ひつる夜ゆたに有らんものをと悔ゆるなり。ユタニは寛かになり。
 
2868 戀乍毛。後將相跡。思許増。己命乎。欲爲禮。
(12)こひつつも。のちにあはむと。おもへこそ。おのがいのちを。ながくほりすれ。
 
オモヘバコソのバを略けり。
 
2869 今者吾者。將死與吾妹。不相而。念渡者。安毛無。
いまはあは。しなむよわぎも。あはずして。おもひわたれば。やすけくもなし。
 
此末にも、少し異にて似たる歌有り。吾者の者、官本に無し。
 
2870 我背子之。將來跡語之。夜者過去。思咲八更更。思許理來目八面。
わがせこが。きなむといひし。よはすぎぬ。しゑやさらさら。しこりこめやも。
 
既契りし夜來ずして過ぎたりしかば、今よりは待たじ、今更に待つともしか有り來らんものかはと思ひ定むるなり。思加阿理の、加阿の約加なるを、許《コ》に轉じて、シコリと言ふかと翁言はれき。されど穩かならず。按ずるに、卷七、かへりしきぬのあきじこりかもと詠めるシコリは、シミコルの意にて、今も俗言に頻りと言ふ意の事をシコルと言へり。ここも然なるべし。シヱヤは歎息の詞にて既に出づ。
 參考 ○將來跡語之(考)コムトイヒニシ(古、新)コムトカタリシ ○思咲八更更(新)シエヤイマサラか。
 
2871 人言之。讒乎聞而。玉桙之。道毛不相常。云吾妹。
ひとごとの。よこすをききて。たまぼこの。みちにもあはじと。いへるわぎもこ。
 
(13)應神紀に、讒言をヨコシマヲサクと訓む。催馬樂、あし垣間垣云云、おやにまうよこしけらしもと有り。人の直ならぬ言ひなしと聞き受けて、道にても逢はじと言ひおこせしなりと翁言はれき。宣長云、常と絶と草書相似たれば、常云は絶去の誤にて、ミチニモアハズ、タエニシワギモならんと言へり。
 參考 ○道毛不相常(考、新)略に同じ、但し(考)は「常」を五句の頭につく(古)ミチニモアハズ ○云吾妹(考)ツネイフワギモ(古)タエニシワギモ「常云」を「絶去」の誤とす(新)イヒコシワギモ「云」の下「來」を補ふ。
 
2872 不相毛。懈常念者。彌益二。人言繁。所聞來可聞。
あはなくも。うしとおもへば。いやましに。ひとごとしげく。きこえくるかも。
 
アハナクはアハヌを延べ言ふなり。オモヘバは、後にオモフニと言ふ意なり。
 參考 ○不相毛(代、古、新)略に同じ(考)アハナクモ。
 
2873 里人毛。謂告我禰。縱咲也思。戀而毛將死。誰名將有哉。
さとびとも。かたりつぐがね。よしゑやし。こひてもしなむ。たがなならめや。
 
ガネの言は、兼ねて設くる詞にて例多し。下にも後見む人も語つぐ金と詠めり。よし我が死なば、妹が相思はぬ故ぞと言ふ名こそ專らならめと言ふなり。下に吾戀しなばたが名ならむも、と詠めるも同じ。
 
2874 慥。【慥ヲ※[?+送]ニ誤ル】使乎無跡。情乎曾。使爾遣之。夢所見哉。
(14)たしかなる。つかひをなみと。こころをぞ。つかひにやりし。いめにみえきや。
 
慥、字書に言行相應皃と有り。今※[?+送]とせるは誤なり。
 
2875 天地爾。少不至。大夫跡。思之吾耶。雄心毛無寸。
あめつちに。すこしいたらぬ。ますらをと。おもひしわれや。をごころもなき。
 
天地に今少しにて行き足らはす程の丈夫と言ふ意なり。卷三、天雲のむか伏國の武士と言はれし人とも言へり。
 
2876 里近。家哉應居。此吾目之。人目乎爲乍。戀繁口。
さとちかく。いへやをるべき。このわがめの。ひとめをしつつ。こひのしげけく。
 
イヘヤヲルベキは、里近く家居るべき事かはと言ふにて、男女近きわたりに家居する故、人目を憚る意なり。乎爲は毛里の草書より誤れるか、人目モリツツと有るべし。又按ずるに、爲乍は避止の誤にて、ヒトメヲヨグトならんか。
 參考 ○家哉應居(代)スムベキ(考、古、新)イヘヤヲルベキ ○人目乎爲乍(考)ヒトメモリツツ「乎爲」を「毛里」の誤とす(古)ヒトメヲシツツ(新)ヒトメヲモルト「爲乍」を「候止」の誤とす。
 
2877 何時奈毛。不戀有登者。雖不有。得田直比來。戀之繁毛。
(15)いつはなも。こひずありとは。あらねども。うたてこのごろ。こひのしげきも。
 
ナモは、後にナムと言ふに同じく助辭なり。何時も戀しけれど、此頃戀しさの餘りなるまで繁きとなり。直は物のあたひをテと言ひて、新撰萬葉に沓直《クツテ》と有れば、テの僻字に用ひたり。今の俗酒のあたひをサカテと言へるが如し。紀に玉代《タマテ》なども有り、同じ意なり。
 參考 ○何時奈毛(代)略に同じ(考)イツト(古、新)イツハ「志」シモ。
 
2878 黒玉之。宿而之晩乃。物念爾。割西?者。息時裳無。
ぬばたまの。いねてしよひの。ものもひに、さけにしむねは。やむときもなし。
 
ヨヒにて、一夜の事なり。下は此下に、わがむねはわれてくだけてとも詠めるが如し。
 參考 ○宿而之晩乃(考)ネテノユフベノ(古、新)イネテシヨヒノ ○割西?者(古、新)ワレニシムネハ。
 
2879 三空去。名之惜毛。吾者無。不相日數多。年之經者。
みそらゆく。なのをしけくも。われはなし。あはぬひまねく。としのへぬれば。
 
ミソラ行云云は、名の廣く立つを言ふ。古今集に、塵ならぬ名の空に立らむと言ふも此意なり。ひたすら逢はぬにあらず、いとかれがれにして年月經たるなり。マネクは數多き事に言ふ詞にて、例多し。
 
2880 得管二毛。今見牡鹿。夢耳。手本纒宿登。見者辛苦毛。
(16)うつつにも。いまもみてしが。いめのみに。たもとまきぬと。みるはくるしも。
 
現《ウツツ》に今相見て有らばやと願ふなり。借字は清濁に關《カカハ》らぬ例なれば、牡鹿と書きたれど、ガを濁るべし。
 參考 ○夢耳(考)ユメニノミ(古、新)イメノミニ。
 
或本歌發句云。吾妹兒乎《ワギモコヲ》。
 
2881 立而居。爲便乃田時毛。今者無。妹爾不相而。月之經去者。
たちてゐる。すべのたどきも。いまはなし。いもにあはずて。つきのへぬれば。
 
立ちても居ても、せんすべのたづき無きなり。
 參考 ○立而居(考)略に同じ(古)タチテヰテ(新)タチチヰム。
 
或本歌云。君之目不見而《キミガメミズテ》。月之經去者
 
2882 不相而。戀度等母。忘哉。彌日異者。思益等母。
あはずして。こひわたるとも。わすれめや。いやひにけには。おもひますとも。
 
年月逢はずとも、彌日日に思ひこそ増せ、忘るる事有らんやとなり。
 
2883 外目毛。君之光儀乎。見而者社。吾戀山目。命不死者。
よそめにも。きみがすがたを。みてばこそ。わがこひやまめ。いのちしなずは。
 
斯くて戀ひ死なずして、ながらへつつ、よそ目にだにも、君を見て有らばこそ、我戀の止む事有らめと(17)なり。下に眞十鏡直目に君を見てばこそ命にむかふ吾こひやまめ、と言ふに同じ。
 參考 ○命不死者(新)イノチシナズテ「者」を「弖」の誤とす。
 
一云。壽向我戀止目《イノチニムカフワガコヒヤマメ》、 是れは全く右に引きたる下の歌なるを、後人の書き入れたるなり。
 
2884 戀管母。今日者在目杼。玉匣【匣ヲ〓ニ誤ル】。將開明日。如何將暮。
こひつつも。けふはあらめど。たまくしげ。あけむあしたを。いかでくらさむ。
 
戀ひながらもなり。玉クシゲ、枕詞。しばしば逢へる中にて詠めるならん。宣長云、明日は明旦の誤なるべしと言へり。
 參考 ○將開明日(考)アケナムアスハ(古)アケムアスノヒ(新)アケナムアスヲ ○如何(新)イカニ。
 
2885 左夜深而。妹乎念出。布妙之。枕毛衣世二。嘆鶴鴨。
さよふけて。いもをもひでて。しきたへの。まくらもそよに。なげきつるかも。
 
ソヨは鳴《ナル》音《オト》を言ふ。上に枕動てと言ひ、又卷十三に、此床のひしとなるまでなげきつるかもなど言へるも通へり。
 參考 ○妹乎念出(考)略に同じ(古、新)イモヲオモヒデ。
 
2886 他言者。眞言痛。成友。彼所將障。吾爾不有國。
ひとごとは。まことこちたく。なりぬとも。そこにさはらむ。われならなくに。
 
(18)人は言ひ騷ぐとも、それに障《サ》へられて、思ひ止むべき事にはあらずとなり。
 
2887 立居。田時毛不知。吾意。天津空有。土者踐鞆。
たちてゐる。たどきもしらに。わがこころ。あまつそらなり。つちはふめども。
 
本は上に出でたり。末は卷十一、心そらなりつちはふめども、と詠めるに同じ。
 參考 ○立居(考)略に同じ(古)タナチヰテ(新)タチテヰム ○田時毛不知(古)タドキモシラズ(新)略に同じ。
 
2888 世間之。人辭常。所念莫。眞曾戀之。不相日乎多美。
よのなかの。ひとのことばと。おもほすな。まことぞこひし。あはぬひをおほみ。
 
大かたの人の詞に言ふ事とのみ思ふな、逢はで日を經れば、誠に戀ひたりしとなり。
 參考 ○眞曾戀之(新)サネゾコヒシキ「之」を「支」の誤とす。
 
2889 乞如何。吾幾許戀流。吾妹子之。不相跡言流。事毛有莫國。
いでいかに。わがここたこふる。わぎもこが。あはじといへる。こともあらなくに。
 
イデは發語なり。紀に乞をイデと訓める事前に言へり。妹がひたぶるに逢ふまじきとも言はぬを、いかなれば、我か斯くそこばく戀ふるならんと、自らいぶかるなり。
 
2890 夜干玉之。夜乎長鴨。吾背子之。夢爾夢西。所見還良武。
(19)ぬばたまの。よをながみかも。わがせこが。いめにいめにし。みえかへるらむ。
 
夜の長ければにや、幾返りも吾がせこの夢に見ゆらんと言ふなり。イメニシのシは助辭。 
2891 荒玉之。年緒長。如此戀者。信吾命。全有目八目。
あらたまの。としのをながく。かくこひば。まこと《さね》わがいのち。またからめやも。 
年月長く、斯くの如く戀ひなば、まことに我命も全からじとなり。
 參考 ○信吾命(新)サネワガイノチ。
 
2892 思遺。爲便乃田時毛。吾者無。不相數多。月之經去者。
おもひやる。すべのたどきも。あれはなし。あはずてまねく。つきのへぬれば。
 
思ひを遣り過すべき便り無きなり。マネク、既に出づ。宣長云、不相の下日を脱せしか。アハヌヒマネクと言ふ例なり。
 參考 ○不相數多(考)アハズテアマタ(古、新)アハヌヒマネク「相」の下「日」を補ふ。
 
2893 朝去而。暮者來座。君故爾。忌忌久毛吾者。歎鶴鴨。
あしたいにて。ゆふべはきます。きみゆゑに。ゆゆしくもわは。なげきつるかも。
 
キミ故ニは、君ナルモノヲの意なり。
 參考 ○朝去而(考、古)アシタユキテ(新)アサユキテ。
 
(20)2894 從聞。物乎念者。我胸者。破而摧而。鋒心無。
ききしより。ものをおもへば。わがむねは。われてくだけて。とごころもなし。
 
妹が事を聞きしよりなり。上に割にしむねとも詠めり。
 
2895 人言乎。繁三言痛三。我妹子二。去月從。未相可母。
ひとごとを。しげみこちたみ。わぎもこに。いにしつきより。いまだあはぬかも。
 
イニシ月は前月なり。
 
2896 歌方毛。曰菅毛有鹿。吾有者。地庭不落。空消生。
うたがたも。いひつつもあるか。われしあれば。つちにはおちじ。そらにけなまし。
 
ウタガタは、潦水《ニハタヅミ》の上に浮く泡の事にて、空像《ウツカタ》と言ふ事なるを、はかなく危く定め難き事に譬ふ。卷五、卷十一にも既に出でたり。妹は末あやふげに言へど、吾心かくて有るからは、うち捨つる事はせじとなり。卷六、橘氏を賜りし歌の次に、奈良麻呂、おく山のま木の葉しのぎふる雪のふりはますとも地爾落目八方と詠めり。打捨つる事を地に落つると言ふ詞有るか。結句は、命は失ふともと言ふ誓言ならん。生は共の字の誤にて、ソラニケヌトモと有りしなるべし。さ無くては理り分き難し。
 參考 ○吾有者(新)ワレナラバ ○不落(代)オチズ(考、古、新)略に同じ ○空消生(考、古)略に同じ(新)ゾラニキエツツ「生」を「乍」の誤とす。
 
(21)2897 何。日之時可毛。吾妹子之。裳引之容儀。朝爾食爾將見。
いかならむ。ひのときにかも。わぎもこが。もひきのすがた。あさにけにみむ。
 
如何なる日、如何なる時にかなり。卷五、いかならむ日の時にかもこゑしらむ人のひざのへ吾枕かむ、とも詠めり。食は借字なり、既に出づ。
 參考 ○何(考、新)略に同じ(古)イカニアラム。
 
2898 獨居而。戀者辛苦。玉手次。不懸將忘。言量欲。
ひとりゐて。こふればくるし。たまだすき。かけずわすれむ。ことはかりもが。
 
人を如何で心に懸けやらずて、忘れなん事の思ひ量りも有れかしと思ふなり。次に、心やすめむ事はかりせよ、と言ふも同じ。
 
2899 中中。黙【黙ヲ點ニ誤ル】然毛有申尾。小豆無。相見始而毛。吾者戀香。
なかなかに。もだもあらましを。あぢきなく。あひみそめても。われはこふるか。
 參考 ○小豆無(新)アヅキナク。
 
2900 吾妹子之。咲眉引。面影。懸而本名。所念可毛。
わぎもこが。ゑめるまよびき。おもかげに。かかりてもとな。おもほゆるかも。
 參考 ○咲眉引(代)ヱメル(考)ヱマヒマヨビキ(古)ヱマヒマヨビキ、又は、エマムマヨビキ(22)(新)ヱメルマヨビキ。
 
2901 赤根指。日之暮去者。爲便乎無三。千遍嘆而。戀乍曾居。
あかねさす。ひのくれゆけば。すべをなみ。ちたびなげきて。こひつつぞをる。
 
赤ネサス、枕詞。日暮れていと心寂しく戀ふるなり。
 參考 ○日之暮去者(古、新)ヒノクレヌレバ。
 
2902 吾戀者。夜晝不別。百重成。情之念者。甚爲便無。
わがこひは。よるひるわかず。ももへなす。こころしもへば。いたもすべなし。
 
百ヘナスのナスは、常如クと言ふ心に用ふるとは異なり。輕く見べし。
 參考 ○甚爲便無(考、古)イトモスベナシ(新)イトモ、イタモ兩訓。
 
2903 五十殿寸太。薄寸眉根乎。徒。令掻管。不相人可母。
いとのきて。うすきまゆねを。いたづらに。かかしめつつも。あはぬひとかも。
 
太は天の字の誤なるべし。イトノキテは、いとどしくと言ふ言なり。卷五、卷十四にも見ゆ。管の下、毛の字脱ちしか。
 參考 ○眉根(古、新)マヲネ ○令掻管(考、古、新)カカシメニツツ。
 
2904 戀戀而。後裳將相常。名草漏。心四無者。五十寸手有目八面。
(23)こひこひて。のちもあはむと。なぐさもる。こころしなくは。いきてあらめやも。
 
後後逢はんと、みづから思ひ慰めて居るなり。
 參考 ○名草漏(古)ナグサムル(新)略に同じ。
 
2905 幾。不生有命乎。戀管曾。吾者氣衝。人爾不所知。
いくばくも。いけらじいのちを。こひつつぞ。われはいきづく。ひとにしらえず。
 
イキヅクは、長く息をつきて歎くを言ふ。思ふ人にも知られず獨りのみ戀ふるなり。
 
2906 他國爾。結婚爾行而。太刀之緒毛。未解者。左夜曾明家流。
ひとぐにに。よばひにゆきて。たちがをも。いまだとかねば。さよぞあけにける。
 
ヒト國は、住める國を離れて遠き所を言ふ。古事記。將婚《ヨバハントシテ》2高師《コシノ》國之沼|河比《カハビ》賣1幸行之時。到2其奴河比賣之家1歌曰云云。佐用婆比邇《サヨバヒニ》、阿理多多斯《アリタタシ》、用婆比邇《ヨバヒニ》、阿理加用波勢婆《アリカヨハセバ》、多知賀遠母《タチガヲモ》、伊麻陀登加受弖《イマダトカズテ》、淤須比遠母《オスヒヲモ》、伊麻陀登加泥婆《イマダトカネバ》、云云と有るを、ここにとれる物なり。トカネバはトカヌニと言ふなり。太刀緒、式、衛府舍人刀緒左近衛緋?、右近衛緋纈、左兵衛深緑、右兵衛緑纈、左門部淺縹、右門部淺縹纈など見ゆ。
 
2907 丈夫之。聰神毛。今者無。戀之奴爾。吾者可死。
ますらをの。さときこころも。いまはなし。こひのやつこに。われはしぬべし。
 
(24)サトキは、今ススドキと言ふなり。其ススドキは進疾《ススミトキ》の略なり。戀に使はるる奴にして、吾は死なんかと歎くなり。
 
2908 常如是。戀者辛苦。暫毛。心安目六。事計【計ヲ許ニ誤ル】爲與。
つねかくし。こふるはくるし。しまらくも。こころやすめむ。ことはかりせよ。
 
コトハカリセヨは、自ら下知するやうに言ひなしたるなり。計を今許とせるは、誤りしるければ改めつ。
 參考 ○常如是(考)ツネニカク(古、新)略に同じ ○戀者辛苦(考、古、新)コフレバクルシ ○暫毛(古)シマシクモ(新)略に同じ。
 
2909 凡爾。吾之念者。人妻爾。有云妹爾。戀管有米也。
おほよそに。われしおもはば。ひとづまに。ありとふいもに。こひつつあらめや。
 參考 ○凡爾(代、古、新)オホロカニ ○有云(考)略に同じ(古、新)アリチフ。 
2910 心者。千重百重。思有杼。人目乎多見。妹爾不相可母。
こころには。ちへにももへに。おもへれど。ひとめをおほみ。いもにあはぬかも。
 
2911 人目多見。眼社忍禮。小毛。心中爾。吾念莫國。
ひとめおほみ。めこそしのぶれ。すくなくも。こころのうちに。わがもはなくに。
 
人目を忍べばこそ逢はざらめ、心の中にはそこばく思ふとなり。小、官本少に作る。
 
(25)2912 人目見而。事害目不爲。夢爾吾。今夜將至。屋戸閉勿勤。
ひとのみて。こととがめせね。いめにわが。こよひいたらむ。やどさすなゆめ。
 
事は言なり。遊仙窟。今宵寞v閉v戸夢裏向2渠邊1。
 參考 ○屋戸閉勿勤(考)ヤノトタツナユメ(古、新)略に同じ。
 
2913 何時左右二。將生命曾。凡者。戀乍不有者。死上有。
いつまでに。いかむいのちぞ。おほかたは。こひつつあらずは。しぬるまされり。
 
コヒツツアラズハは、既に多く出づ。上有、義を以て斯く訓めり。
 參考 ○死上有(考)略に同じ(古、新)シナムマサレリ。
 
2914 愛等。念吾妹乎。夢見而。起而探爾。無之不怜。
うるはしと。おもふわぎもを。いめにみて。おきてさぐるに。なきがさぶしさ。
 
卷四、夢のあひはくるしかりけりおどろきてかきさぐれども手にもふれねばとも詠めり。 參考 ○愛等(考、古、新)ウツクシト ○念吾妹乎(古)アガモフイモヲ「念吾」を「吾念」の誤とす(新)略に同じ。
 
2915 妹登曰者。無禮恐。然爲蟹。懸卷欲。言爾有鴨。
いもといへば。なめしかしこし。しかすがに。かけまくほしき。ことにあるかも。
 
(26)貴賤をおしなめにする意を以て、無禮をナメシと言ふか。孝コ紀、輕をナメシと訓めり。シカスガは、シカシナガラを約め言ふなり。妹と言ふ事を言に懸けて言ひ出でまくほしきなり。
 參考 ○妹登曰者(代)イモトイハバ(考)略に同じ(古、新)イモトイフハ ○無禮恐(代)ナメシ(考、新)略に同じ(古)ナメクカシコシ。
 
2916 玉勝間。相登云者。誰有香。相有時左倍。面隱爲。
たまかつま。あはむといふは。たれなるか。あへるときさへ。おもがくしせす。
 
玉勝間、枕詞。冠靜考に玉カタマと有れど、暫く古訓に據れり。逢はんと言ひおこせしは誰なるぞ。妹が言ひおこせしにては無きか。さるを今逢ふ時と成りて面隱しせるよと、女のさまを言へり。
 參考 ○相登云者(新)アハムトイヒシハ。
 
2917 寤香。妹之來座有。夢可毛。吾香惑流。戀之繁爾。
うつつにか。いもがきませる。いめにかも。われかまどへる。こひのしげきに。
 
女のかたより通ひ來りしを、夢か現《ウツツ》かとたどるなり。
 參考 ○吾香惑流(新)ワレハマトヘル「香」を「者」の誤とす。
 
2918 大方者。何鴨將戀。言擧不爲。妹爾依宿牟。年者近侵。
おほかたは。なにかもこひむ。ことあげせず。いもによりねむ。としはちかづく。
 
(27)侵、一本綬に作る。ヲの假字に用ひしなるべし。然ればチカキヲと訓むべし。チカヅクと訓まんには、浸と有りしが誤れるならん。妹が父母の許すべき事を聞きで詠めるなり。コトアゲセズは、既に言へる如く、後に物言ハズニと言ふが如し。
 
2919 二爲而。結之紐乎。一爲而。吾者解不見。直相及者。
ふたりして。むすびしひもを。ひとりして。われはときみじ。ただにあふまでは。
 
伊勢物語に末を少しかへて出せり。
 
2920 終命。此者不念。唯毛。妹爾不相。言乎之曾念。
しなむいのち。ここはおもはず。ただにしも。いもにあはざる。ことをしぞおもふ。
 
ココハは是ハにて、命は思はずなり。言は事なり。
 參考 ○此者不念(代)ココハ、又は、コレハ(考)コヲバオモハズ(古、新)略に同じ ○唯毛(新)タダニシモ ○妹爾不相(考、新)略に同じ(古)イモニアハナク。
 
2921 幼婦者。同情。須臾。止時毛無久。將見等曾念。
をとめこは。おなじこころに。しまらくも。やむときもなく。みなむとぞおもふ。
 
初句ヲトメ子ハと言ひては解けがたし。宣長云、或人説、幼婦者は紐緒《ヒモノヲ》之の誤なるべし。古今集に、いれひものおなじこころにいざむすびてむ、と有るに同じと言へり。猶考ふべし。
(28) 參考 ○幼婦者(考)略に同じ(古)ヒモノヲノ「紐緒之」(新)ヲトメゴト「者」を「與」の誤とす ○須臾(古)シマシクモ(新)同訓。
 
2922 夕去者。於君將相跡。念許増。日之晩毛。?有家禮。
ゆふさらば。きみにあはむと。おもへこそ。ひのくるらくも。うれしかりけれ。
 
オモヘコソは、オモヘバコソのバを略けり。クルラクはクルルを延べ言ふなり。?は娯と同字。
 參考 ○夕去者(考)ユフサレバ(古、新)略に同じ。
 
2923 直今日毛。君爾波相目跡。人言乎。繁不相而。戀度鴨。
ただけふも。きみにはあはめど。ひとごとを。しげみあはずて。こひわたるかも。
 
直はタダチニの意。アハメドは逢ふべけれどもなり。
 參考 ○君爾波相目跡(新)キミニアハメヲ「跡」を「乎」の誤とす。
 
2924 世間爾。戀將繁跡。不念者。君之手本乎。不枕夜毛有寸。
よのほどに。こひしげけむと。おもはねば。きみがたもとを。まかぬよもありき。
 
古訓ヨノナカニと有れど解きがたし。宣長云、ヨノホドニと訓むべし。ヨノホドニは、生きて在る内になり。我生涯の程に、斯く戀ひんものとはかねて思はざりしかばの意なりと言へり。卷十一、如是計《カクバカリ》こひむ物ぞとおもはねば妹がたもとをまかぬよも有き、とて出だせり。古本には、其歌十一の卷には無く(29)て、此所の左に一云とて註したり。
 參考 ○世間爾(考、古)ヨノナカニ(新)コノホドニ「世」を「此」の誤とす。
 
2925 緑兒之。爲社【社を杜ニ誤ル】乳母者。求云。乳飲哉君之。於毛求覽。
みどりこの。ためこそおもは。もとむとへ。ちのめやきみが。おももとむらむ。
 
今本、爲杜と有りて、スモリメノトと訓めるは何事ぞや、一本社に作るを善しとす。乳母は知毛とも訓むべけれど、同じ事を下に於毛と書けるに依りて、上をもオモと訓むなり。訓と意を知らするとて、二樣に書ける物なればなり。母をオモと云ふ事は集中に多し。乳母をば知於毛と言へど、略きて其れをも於毛とのみも言へり。古事記、取2御母《ミオモ》》1定2湯坐若湯坐1とも有り。乳ノメヤは、乳ノメバニヤなり。此歌は、もと逢ひし女は離《カ》れて、男の今乳母とことばして、他《アダシ》女をよばふこと有る時、前の女の聞きて、戯れて贈れるなべし。
 參考 ○爲社乳母者(代)スモリチオモ、文は、タメコソチオモハ(考、古、新)略に同じ ○求云(代、古、新)モトムトイヘ(考)略に同じ。
 
2926 悔毛。老爾來鴨。我背子之。求流乳母爾。行益物乎。
くやしくも。おいにけるかも。わがせこが。もとむるおもに。ゆかましものを。
 
此歌も右と同じ女の詠めるなり。
 
(30)2927 浦觸而。可例西袖※[口+立刀]。又卷者。過西戀也。亂今可聞。
うらぶれて。かれにしそでを。またまかば。すぎにしこひや。みだれこむかも。
 
ウラブレテはワビテなり。一たび離れしを又逢はば、もとの如くに戀ひ亂れなんとなり。今は音を用ひたる假字にて將v來《コン》なり。
 參考 ○過西戀也(新)スギニシコヒノ「也」を「之」の誤とす。
 
2928 各寺師。人死爲良思。妹爾戀。日異羸沼。人丹不所知。
おのがじし。ひとしなすらし。いもにこひ。ひにけにやせぬ。ひとにしらえず。
 
オノガジシは各自の事なり。語のもとは未だ考へず。後にも源氏物語橋姫に、池の水鳥どものはねうちかはしつつ、おのがじしさへづるこゑ云云と言へり。シナスラシは令v死《シナス》ラシなり。此人は己を言ふ。高き人などを見て、言ひやらん由も無くて、獨り戀ひ死なんとするなるべし。
 參考 ○各寺師(新)カクシツツ「各師乍」の誤とす ○人死爲良思(考、新)ヒトシニスラシ(古)略に同じ ○人丹不所知(考)ヒトニシラレデ(古、新)略に同じ。
 
2929 夕夕。吾立待爾。若雲。君不來益者。應辛苦。
ゆふべゆふべ。われたちまつに。もしくも。きみきまさずは。くるしかるべし。
 
モシクモ、四言か、又はケダシクモと訓まんか。
(31) 參考 ○夕夕(考)略に同じ(古)ヨヒヨヒニ(新)兩訓 ○吾(新)ワガ ○若雲(代、考)モシクモ(古、新)ケダシクモ。
 
2930 生代爾。戀云物乎。相不見者。戀中爾毛。吾曾苦寸。
いけるよに。こひとふものを。あひみねば。こひのなかにも。われぞくるしき。
 
今までは、戀にならはねばとなり。伊勢物語に、人は是れをや戀と言ふらむ、と言へる意なり。
 參考 ○戀中爾毛(考)略に同じ(古、新)コヒノナカニモ ○吾曾(新)ワガゾ。
 
2931 念管。座者苦毛。夜干玉之。夜爾至者。吾社湯龜。
おもひつつ。をればくるしも。ぬばたまの。よるになりなば。われこそゆかめ。
 
君や來ると思ひつつをれば、苦しとなり。女の歌なり。
 
2932 情庭。燎而念杼。虚蝉之。人目乎繁。妹爾不相鴨。
こころには。もえておもへど。うつせみの。ひとめをしげみ。いもにあはぬかも。
 
ウツセミノ、枕詞。
 
2933 不相念。公者雖座。肩戀丹。吾者衣戀。君之光儀。
あひおもはず。きみはまさめど。かたこひに。われはぞこふる。きみがすがたを。
 
マサメドは、イマスラメドなり。肩は片なり。
(32) 參考 ○公者雖座(考)公者イマセド(古)略に同じ(新)キミハイマセド。
 
2934 味澤相。目者非不飽。携。不問事毛。苦勞有來。
あぢさはふ。めにはあけども。たづさはり。こととはなくも。くるしかりけり。
 
アヂサハフ、枕詞。常に目に見るのみにて、馴れむつびて物言ふ事無きなり。コトトハナクは、コトトハヌを延べたり。モは添へたる詞。
 參考 ○味澤相(古、新)ウマサハフ ○不問事毛(代)トハザル(考、古、新)略に同じ。
 
2935 璞之。年緒永。何時左右鹿。我戀將居。壽不知而。
あらたまの。としのをながく。いつまでか。わがこひをらむ。いのちしらずて。
 
限り有る命も知らずして、年久しく戀ひ居らんかとなり。
 
2936 今者吾者。指南與我兄。戀爲者。一夜一日毛。安毛無。
いまはわは。しなむよわがせ。こひすれば。ひとよひとひも。やすけくもなし。
 
上に出でたる、今は吾死なむよわぎもあはずしておもひわたれば安けくもなしと、男女かはりたるのみにて心は同じ。指南は例の筆のすさみのみ。
 
2937 白細布之。袖折反。戀者香。味之容儀乃。夢二四三湯流。
しろたへの。そでをりかへし。こふればか。いもがすがたの。いめにしみゆる。
 
(33)袖返して寢れば、思ふ人を夢みる事上にも出づ。
 
2938 人言乎。繁三毛人髪三。我兄子乎。目者雖見。相因毛無。
ひとごとを。しげみこちたみ。わがせこを。めにはみれども。あふよしもなし。
 
コチタミは言痛なるを、轉じては物の餘りに繁きをも言へば、蝦夷《エミシ》が身の毛の多きを以て、ここに借りて書けり。敏達紀註に、大毛人と有るは蝦夷の事なり。續紀、えみしの大臣を毛人と書けり。
 
2939 戀云者。薄事有。雖然。我者不忘。戀者死十方。
こひといへば。うすきことなり。しかれども。われはわすれじ。こひはしぬとも。
 
戀ふとのみ言ふ時は、たやすく薄きが如しと言ふなり。卷十一、言に言へば耳にたやすし。卷八、旅と言へば言にぞ安きなど言ふ類ひなり。有をナリと訓むは例有り。
 參考 ○薄事有(考)アサキコトアリ(古)略に同じ(新)アサキコトナリ。
 
2940 中中二。死者安六。出日之。入別不知。吾四久流四毛。
なかなかに。しにはやすけむ。いづるひの。いるわきしらぬ。われしくるしも。
 
よるひる分かず戀ひんよりはとなり。卷十七、なかなかに之奈婆夜頃家牟《シナバヤスケム》きみがめをみずひさならばすべなかるべしと有れど、此歌にては、シニハと訓まざれば、末にかけ會ひ難し。
 參考 ○死者安六(考、古、新)シナバヤスケム。
 
(34)2941 念八流。跡?毛我者。今者無。妹二不相而。年之經行者。
おもひやる。たどきもわれは。いまはなし。いもにあはずて。としのへゆけば。
 
上に思遣爲便乃田時《オモヒヤルスベノタドキ》も吾はなしと有るに據りて、跡?、タドキと訓むべし。
 參考 ○年之經行者(古、新)トシノヘヌレバ。
 
2942 吾兄子爾。戀跡二四有四。小兒之。夜哭乎爲乍。宿不勝苦者。
わがせこに。こふとにしあらし。みどりこの。よなきをしつつ。いねがてなくは。
 
コフトニシのシは助辭なり。イネガテナクハは、イネガタクスルはと言ふなり。小兒さへ吾がせこを戀ひてか、哭きて寢ねかぬると言ふなり。
 參考 ○小兒之(古)ワカキコノ(新)略に同じ。
 
2943 我命之。長欲家口。僞乎。好爲人乎。執許乎。
わがいのちの。ながくほしけく。いつはりを。よくするひとを。とらふばかりを。
 
之、一本乎に作る。イツハリヲヨクスル人とは、度度逢はんと言ひて逢はぬ人なり。トラフバカリとは、盗人などの遁れ隱れたるを捕へて、責め問ふに譬へて、戯れ詠める女の歌なり。或人云、執は報の誤にて、ムクユバカリヲならんと言へり。さも有るべし。
 參考 ○我命之(考)「之」を「乎」の古本による(古)ワガイノチヲ「之」を「乎」の誤とす(新)(35)ワガイノチノ ○執許乎(新)トラムバカリヲ。
 
2944 人言。繁跡妹。不相。情裏。戀比日。
ひとごとを。しげみといもに。あはずして。こころのうちに。こふるこのごろ。
 
此歌、人麻呂集の書體なり。亂れてここに交りたるなるべし。
 
2945 玉梓之。君之使乎。待之夜乃。名凝其今毛。不宿夜乃太寸。
たまづさの。きみがつかひを。まちしよの。なごりぞいまも。いねぬよのおほき
 
卷十一に、一二の句夕されば君きまさむととして、末全く同じ歌有り。ナゴリの事も其處に言へり。絶えて後猶戀ふるなり。其をゾの假字に用ふる事、此下にも、卷十四にも例有り。大は借にて多の意なり。
 
2946 玉桙之。道爾行相而。外目耳毛。見者吉子乎。何時鹿將待。
たまぼこの。みちにゆきあひて。よそめにも。みるはよきこを。いつとかまたむ。
 
吾が得ん時を待つが定め無きなり。ミルはヨキ子ヲの言、平語めきたれど、見ルハシヨシモなども詠めれば、斯くも言ひしならん。
 參考 ○見者吉子乎(考)略に同じ(古、新)ミレバヨキコヲ。
 
2947 念西。餘西鹿齒。爲便乎無美。吾者五十日手寸。應忌鬼尾。
おもふにし。あまりにしかば。すべをなみ。われはいひてき。いむべきものを。
 
(36)卷十一、四の句人に語りつと替れるのみにて、全く同じ歌有り。忍び妻の名を言ひて、障りの出で來ん事を恐るるなり。
 
或本歌曰。門出而《カドニイデテ》。吾反側乎《ワガコイフスヲ》。人見監可毛《ヒトミケムカモ》。一云。無乏《スベヲナミ》。出行《イデテゾユキシ》。家當見《イヘアタリミニ》。  一云を今本可云と有り、一本に據りて改む。
 參考 ○家當見(代、古、新)イヘノアタリミニ。
 
柿本朝臣人麻呂歌集云。爾保鳥之《ニホトリノ》。奈津柴比來乎《ナヅサヒコシヲ》。人見鴨《ヒトミケムカモ》
 
古本、門出而云云の歌を本文に擧げたり。コイフスはコヤシ伏スなり。さて可云無乏云云と言ふより、人見鴨と言ふまで古本に無し。爾保鳥之云云の歌は、卷十一、人麻呂集の中の、念にし餘にしかば丹穗鳥足沾來《ニホトリノアヌラシコシヲ》人見けむかも、と有るを誤り傳へて、類を以てここに擧げしなるべし。
 
2948 明日者。其門將去。出而見與。戀有容儀。數知兼。
あけむひは。そのかどゆかむ《あすはそのかどまかりなむ》。いでてみよ。こひたるすがた。あまたしるけむ。
 
吾が戀にやつれたるさまは、そこばく著《シ》るからんを、出でて見よとなり。
 參考 ○明日者(考)アスナラバ(古、新)アスノヒハ ○其門將去(古、新)ソノカドユカム。
 
2949 得田價異。心欝悒。事許。吉爲吾兄子。相有時谷。
うたがへる。こころいぶせし。ことはかり。よくせわがせこ。あへるときだに。
 
(37)異は累の字の誤なるべし。疑へるは、男の女の心を疑ふなり。イブセシは、其疑はるるをいぶせく思ふなり。よく思ひ量りて見ば、疑ひは有らじを、たまたま逢ふ時だに、打解けざるが苦しと言ふなり。ヨクセは、ヨクセヨと言ふを略く古言の例なり。
 參考 ○得田價異(代)「異」は類か(考)ウタカヘ「婁」ル(古、新)ウタテケニ ○心欝悒(考)ココロイブカシ(古、新)略に同じ。
 
2950 吾妹子之。夜戸出乃光儀。見之從。情空成。地者雖踐。
わぎもこが。よとでのすがた。みてしより。こころそらなり。つちはふめども。
 
卷十一、朝戸出と詠めり。夜戸出も右に同じ。末二句は卷十一にも詠めり。見の下。官本而の字有り。
 
2951 海石榴市之。八十衢爾。立平之。結紐乎。解卷惜毛。
つばいちの。やそのちまたに。たちならし。むすびしひもを。とかまくをしも。
 
ツバ市、大和。武烈紀、弘計皇子命の石榴市の歌垣に出で給ひしは、清寧天皇の忍海宮のあたりに在るか。後のかげろふの日記などに言ふは、初瀬寺に近し、今城上郡金屋村の山に、つば市の地藏と言ふ有り。又同村にツバイヅカと言ふ冢有りとぞ。猶考ふべし。これは男女集りて歌垣する時、結びし紐を言ふなるべし。はじめ君ならでは解かじと結びてし紐を、其男今は絶えたれど、又|他《アダ》し男の爲めに解かんは心ゆかぬ由なり。
(38) 參考 ○八十衢爾(新)ヤソノチマタヲ「爾」は「乎」の誤か ○結紐(新)ムスベルヒモヲ。
 
2952 吾齡之。衰去者。白細布之。袖乃狎爾思。君乎母准其思。
わがよはひし。おとろへぬれば。しろたへの。そでのなれにし。きみをもぞおもふ。
 
准は衍文なるべし。袖ノナレニシとは、年經て袖の萎《ナ》れしと、その男の馴れ來しとを兼ね言ひて、君も我も齡の衰へ行くにつけて、親しみの殊になれるを言へり。卷十一、紅のやしほの衣朝なさななれはまされどいやめづらしも、と言ふ類ひなり。
 參考 ○吾齡之(代)ワガヨハヒノ、又は、シ(考、古)ワガヨハヒノ、但し(古)アガ(新)ワガヨハヒ「之」を衍とす ○君乎母准其念(代)略に同じ(考)キミヲヲゾモフ「母准」を「羅」の誤とす(古)キミヲシゾモフ「母」衍「准」を「進」の誤とす(新)キミヲシゾモフ「母」を衍とす。
 
2953 戀君。吾哭涕。白妙。袖兼所漬。爲便母奈之。
きみにこひ。わがなくなみだ。しろたへの。そでさへぬれて。せむすべもなし。
 
泪は面の濡るるをもとにて、袖さへと言へり。
 參考 ○袖兼所漬(考)ソデサヘヒヂテ(古)ソデサヘヌレヌ(新)略に同じ。
 
2954 從今者。不相跡爲也。白妙之。我衣袖之。干時毛奈吉。
(39)いまよりは。あはじとすれや。しろたへの。わがころもでの。ひるときもなき。
 
君が逢はじとするしるしにて、吾が泪の斯く落つるならんと思ふなり。
 
2955 夢可登。情班。月數多二。干西君之。事之通者。
いめかと。こころわかめや。つきさはに。かれにしきみが。ことのかよふは。
 
登の下、毛の字脱ちしか。班と有るは心ゆかず。恠の誤にて、アヤシモと有りしか。官本二の字無し。ツキマネクと訓むべし。離れて後又音信するなり。
 參考 ○夢可登(代)「毛」脱か(考)イメカト(古)イメカト、又は、イメカト「毛」モ(新)イメニカト ○情班(考)ココロ「恠」アヤシモ(古、新)ココロマドヒヌ(古)「班」を「遮」の誤とす(新)は文字は定めず ○月數多二(考)ツキサハニ(古、新)略に同じ(新)「二」を衍とせずはツキサハニ ○事之通者(新)コトノカヨヘバ。
 
2956 未玉之。年月兼而。烏玉乃。夢爾所見。君之容儀者。
あらたまの。としつきかねて。ぬばたまの。いめにぞみゆる。きみがすがたは。
 
カネテは年月重ねてと言ふに似たり。
 參考 ○夢爾所見(考)イメニミエツル(古)略に同じ。但し「曾」脱とす。又「西」脱にてイメニシミエツか(新)イメニゾミエシ。
 
(40)2957 從今者。雖戀妹爾。將相哉母。床邊不離。夢所見乞。
いまよりは。こふともいもに。あはめやも。とこのべさらず。いめにみえこそ。
 
妹に別るる事有りし時詠めるなるべし。
 
2958 人見而。言害目不爲。夢谷。不止見與【與ハ乞ノ誤】。我戀將息。
ひとのみて。こととがめせぬ。いめにだに。つねにみえこそ。わがこひやまむ。
 
與は乞の誤なるべし。見エコソは見エヨカシと願ふなり。上にも、人の見てこととがめせぬいめに吾云云と詠めり。
 參考 ○言害目不爲(考)セズ(古、新)略に同じ ○不止見與(代、古、新)略に同じ(考)ツネニミエコソ。
 
或本歌頭云。人目|多《オホミ》。直者不相《タダニハアハズ》。
 
2959 現者。言絶有。夢谷。嗣而所見而【而は乞ノ誤】。直相左右二。
うつつには。ことたえにたり。いめにだに。つぎてみえこそ。ただにあふまでに。
 
相語らふ事の絶えたるなり。見而の而は、水戸校本に與に作る。乞の誤なるべし。
 參考 ○言絶有(代)コトタエタルヲ(考)略に同じ(古、新)コトタエニケリ。
 
2960 虚蝉之。宇都思情毛。吾者無。妹乎不相見而。年之經去者。
(41)うつせみの。うつしごころも。われはなし。いもをあひみずて、としのへぬれば。
 
ウツセミノ、枕詞。ウツシ心は現《ウツ》しきにて、生きて在る心の無きなり。
 參考 ○妹乎不相見(代、古、新)略に同じ(考)イモヲアヒミデ。
 
2961 虚蝉之。常辭登。雖念。繼而之聞者。心遮焉。
うつせみの。つねのことばと。おもへども。つぎてしきけば。こころはなぎぬ。
 
ウツセミノ、枕詞。世の常の言好《コトヨ》さとは思へども、續きて聞けば心の和《ナゴ》みぬるなり。遮は遮斷の意にて、思ひを止むる心なるべし。官本、遮焉を遲烏に作る、遲は慰の誤歟。卷四、直一夜隔しからにあら玉の月かへぬると心遮と有るは、遮の上不の字落ちたるにて、心ハナガズと訓まんかと契沖言へり。されど卷四の歌は誤字有るべし。其所に既に言へり。
 參考 ○心遮焉(考)「遮」を「慰」の誤とす。訓は略に同じ。(古、新)ココロ「迷」マドヒヌ。
 
2962 白細之。袖不數而【而ハ衍文】宿。烏玉之。今夜者早毛。明者將開。
しろたへの。そでまかずぬる。ぬばたまの。こよひははやも。あけばあけなむ。
 
數は卷の草書より誤れるならん。或人、馬數をウマナメテと訓めば、ここもソデナメズと訓まんと言へど、共寢するには、袖を纏ひ、又は重ぬるとは言ふべく、ナメテと言ふ由も無し。官本、不數の下而の字無きを善しとす。
(42) 參考 ○袖不數而宿(代)ソデナメズテヌル(考)ソデマカデヌル「數」を「卷」の誤とす(古)ソデカレテヌル(新)ソデカヘテネヌ「袖不2更而宿1」の誤とす。
 
2963 白細之。手本寛久。人之宿。味宿者不寢哉。戀將渡。
しろたへの。たもとゆたけく。ひとのぬる。うまいはねずや。こひわたりなむ。
 
ウマイは心よく寢ぬるを言ふ。
 
寄v物陳v思
 
2964 如是耳。在家流君乎。衣爾有者。下毛將著跡。吾念有家留。
かくのみに。ありけるきみを。きぬならば。したにもきむと。わがもへりける。
 
斯く疎き心とは知らで、肌放たず有らんと思ひしと悔ゆるなり。卷十六、如是耳爾在けるものを云云。
 
2965 橡之。袷衣。裏爾爲者。吾將強八方。君之不來座。
つるばみの。あはせごろもの。うらにせば。われしひめやも。きみがきまさぬ。
 
令義解に、橡(ハ)櫟(ノ)木實也。和名抄、橡(都流波美)櫟(ノ)實也と見えて、今どんぐりと言ふ物なり。染種には其|子《ミ》に附きたるよめが合器《ゴキ》と言ふ物を煮て、其汁もてす。衣服令に依るに橡、墨染などは、家人奴婢の衣の色なり。然れば是れは賤しき人の、我著る衣もて詠めり。袷は裏《ウラ》有れば、裏と言はん科に言ふ(43)のみ。さてウラとは、專らとせぬに譬へて、君をば裏とせず、專らと思ふ故に、強ひても來ませと言へるに、猶來まさぬよと恨みて詠めるなりと翁言はれき。宣長云、三の句の爲は有の誤にて、アハセノコロモウラニアラバと訓みて、ウラとは、ウラ思ヒなど言ひて、疑ひあやぶむ事なり。歌の意は、今宵は逢はるる事疑ひ無ければ早く來ませ、もし疑はしく危ぶむ事ならば、強ひて斯く來ませと言はんや。然るに君は猶危ぶみて來まさぬ事よとなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○袷衣(考、古、新)アハセノキヌノ ○裏爾爲者(考)ウラニセバ(古)ウラ「志有」シアラバ(新)ウラナラバ「爲」を「有」の誤とす。
 
2966 紅。薄染衣。淺爾。相見之人爾。戀比日可聞。
くれなゐの。あらぞめごろも。あさらかに。あひみしひとに。こふるころかも。
 
次に、桃花掲淺等《アラゾメノアサラ》乃衣淺らかにと詠めるに同じく、アサラカニと言はん序のみ。始めは事も無く思ひしと言ふか。又は我が心の淺はかにて、人の心をえ見とどけぬを言へるなるべし。
 參考 ○薄染衣(新)アサゾメゴロモ。
 
2967 年之經者。見管偲登。妹之言思。衣乃縫目。見者哀裳。
としのへば。みつつしぬべと。いもがいひし。ころものぬひめ。みればかなしも。
 
旅に年經て、妹が縫ひし衣を見て悲むなるべし。
(44) 參考 ○年之經者(新)トシシヘバ。
 
2968 橡之。一重衣。裏毛無。將有兒故。戀渡可聞。
つるばみの。ひとへごろもの。うらもなく。あらむこゆゑに。こひわたるかも。
 
裏モナクと言はんとて、一重を言へるのみ。ウラモナクは、心の裏おもて無くと言ふ意なり。子故は子ナルモノヲなり。
 參考 ○將有兒故(考、古、新)アルラムコユヱ。
 
2969 解衣之。念亂而。雖戀。何之故其跡。問人毛無。
ときぎぬの。おもひみだれて。こふれども。なにのゆゑぞと。とふひともなし。
 
トキギヌノ、枕詞。戀ふる人の、如何にぞと問へかしと思へど問はねばなり。卷十一に、四の句|何如汝之故跡《ナゾナガユヱト》とて、全く同じき歌あり。
 
2970 桃花褐。淺等乃衣。淺爾。念而妹爾。將相物香裳。
あらぞめの。あさらのころも。あさらかに。おもひていもに。あはむものかも。
 
布を桃花色の薄紅に染めたるを荒染と言ふ。褐は布衣なり。式に、凡紵布之衣者雖2退紅《アラゾメ》1自非2輕細1不v在2制限1と有り。江次第に、荒染と書けり。上は序にして、逢へるを悦びて詠めるなり。此カモはカハの意。
(45) 參考 ○桃花褐(代)モモカチ(考)略に同じ(古)モモソメノ、アラゾメノ(新)モモゾメノ。
 
2971 大王之。鹽燒海部乃。藤衣。穢者雖爲。彌希將見毛。
おほきみの。しほやくあまの。ふぢごろも。なれはすれども。いやめづらしも。
 
塩は燒く所を始めて、公の御物なる事、田租に均しければ斯く言ふなり。武烈紀に、供御の塩は角鹿《ツヌガ》に限る事有り。是れに依りて大君の鹽と言ふか。然れども此紀に見えしのみにて他に所見無し。末ながら内膳式などにも、分けて云ふ事無ければ、右は一時の事なりけん。衣の穢るるを、妹に馴るるに言ひ下したる序のみ。
 參考 ○穢者雖爲(代)ナレハシヌトモ(古)略に同じ(新)ナルトハスレド ○彌希將見毛(代)イヤメヅラミムモ(考、古、新)略に同じ)
 
2972 赤帛之。純裏衣。長欲。我念君之。不所見比者鴨。
あかぎぬの。ひたうらごろも。ながくほり。わがもふきみが。みえぬころかも。
 
紅と言はず赤帛と有るは緋色の衣なり。表裏同じ赤色なるをヒタウラ衣と言ふなり。六帖にはくれなゐのと有り。長は著の字の誤なるべし。然らばキマクホリと訓むべし。此男緋色の表裏同じきを著て來るより、相共に其衣を著て寢まほしと思ふに、見え來ずと言ふなり。卷十四、筑波ねのにひ桑まゆの衣はあれど君がみけししあやに著ほしも、と言へるも、共寢して重ね著まほしきなり。
(46) 參考 ○純裏衣(考)ヒトウラゴロモ(古、新)ヒツラノコロモ ○長欲(考)「著」キマクホリ(古、新)ナガクホリ。
 
2973 眞玉就。越乞兼而。結鶴。言下紐【紐ヲ?ニ誤ル、下同ジ】之。所解日有米也。
またまつく。をちこちかねて。むすびつる。わがしたひもの。とくるひあらめや。
 
マ玉ツク、枕詞。ヲチコチカネテは、今より末を懸けて契りつつ結びしと言ふなり。言を吾の義に用ひたる所多し。
 参考 ○所解日有米也(新)トケムヒアラメヤ。
 
2974 紫。帶之結毛。解毛不見。本名也妹爾。戀度南。
むらさきの、おびのむすびも。ときもみず。もとなやいもに。こひわたりなむ。
 
次にも紫の下紐と言ひしかば、是れも下の帶にて、紐と言ふにひとし。古へ帶、紐、緒を通はしても言へり。解キモミズの見に心無し。
 
2975 高麗錦。紐之結毛。解不放。齋【齋ヲ齊トセリ】而待杼。驗無可聞。
こまにしき。ひものむすびも。ときさけず。いはひてまでど。しるしなきかも。
 
コマ錦、枕詞。二人して結びし紐を解かずして、いはひ慎みて待つには、神の驗《シルシ》の有るべき事なるに、待ち得ざるを歎くなり。齋を今齊とせり。官本に依りて改む。
 
(47)2976 紫。我下紐乃。色爾不出。戀可毛將痩。相因乎無見。
むらさきの。わがしたひもの。いろにいでず。こひかもやせむ。あふよしをなみ。
 
紫の色に出づると言ふまでにて、不v出《イデズ》と言ふまでは懸けぬ例なり。上は色に出づと言はん序のみ。コヒカモヤセムは、戀痩セナムカにて、モは助辭。
 参考 ○戀可宅將痩(新)「戀可將度」の誤か。
 
2977 何故可。不思將有。紐緒之。心爾入而。戀布物乎。
なにゆゑか。おもはずあらむ。ひものをの。こころにいりて。こひしきものを。
 
斯く心に入りて深く戀しければ、君を思はず有る事は、何の故に付きても有らずと言へり。其男の思はずやなど言ふに答へしならん。紐ノヲノ心ニ入ルとは、古今集に、いれびもの同じ心にいざ結びてむとも言ひて、輪紐へ長紐をさし入れて結ぶを以て譬へとせり。
 
2978 眞十鏡。見座吾背子。吾形見。將持辰爾。將不相哉。
まそかがみ。みませわがせこ。わがかたみ。もたらむときに。あはざらむかも。
 
夫の遠き境へ旅行く別れに女の詠めるなり。古事記、天御孫の天降り給ふ時、天照大御神神寶を與へ給ひて、此鏡は專《タウメ》(○今はモハラと訓めり)我を拜む如《ナス》せよと宣《ノタマ》ひしより、形見には鏡を贈る習はしとして、後世の物語書にも見えたり。モタラム時ニ云云は、手に持ちて向はん時に逢はんとなりと翁言はれ(48)き。宣長云、辰には聞えず。辰は君の誤にて、モタラムキミニなり。わが形見を持ちたらん君に逢はざる事有らんやはなりと言へり。是れ穩かなり。
 參考 ○將持辰爾(考)モタラムトキニ(古)モタラムキミニ「辰」を「君」の誤とす(新)「將持度爾《モチワタラムニ》」などか ○將不相哉(代)アハザランヤモ(考、古、新)略に同じ。
 
2979 眞十鏡。直目爾君乎。見者許増。命對。吾戀止目。
まそかがみ。ただめにきみを。みてばこそ。いのちにむかふ。わがこひやまめ。
 
此マソ鏡は枕詞なり。見テバコソは、見テアラバコソなり。逢はん事は命に換ふべく思ふ故に、命に對ふと言へり。さて斯く切に戀ふる思ひも、一たび直目《タダメ》に相見て有らば止みもせんとなり。
 
2980 犬馬鏡。見不飽妹爾。不相而。月之經去者。生友名師。
まそかがみ。みあかぬいもに。あはずして。つきのへぬれば。いけりともなし。
 
マソカガミ、枕詞。
 參考 ○生友名師(代、古)イケルトモナシ(新)略に同じ。
 
2981 祝部等之。齋【齋、今齊トセリ】三諸乃。犬馬鏡。懸而偲。相人毎。
はふりらが。いはふみむろの。まそかがみ。かけてしぬびつ。あふひとごとに。
 
上は神の社に鏡を懸くるを以て、懸けてと言はん序とせり。契沖云、相をミルと訓みて、若し似たる人、(49)或は同じ程に麗はしき人、或は品かたち及ばぬ人、それぞれに見る人につけて、思ひ出で偲ぶよとなりと言へり。宣長云、結句アフヒトゴトニと訓みて、意は契沖が言へる如くなるべし。すべて誰にまれ、人に逢ふごとに、君が事を思ひ出でて、心に懸けて偲ぶなりと言へり。是れに依るべし。齋を今齊に作る。官本に據りて改む。
 參考 ○懸而偲(新)カケテシヌバム。
 
2982 針者有杼。妹之無者。將著哉跡。吾乎令煩。絶紐之緒。【緒ヲ結ニ誤ル】
はりはあれど。いもしなければ。つけめやと。われをなやまし。たゆるひものを。
 
旅にて詠めるなるべし。妹が無ければえ附けじと、我を惱ますやうに、紐の緒の絶ゆるにやとなり、今本、緒を結に誤る。官本及び一本に據りて改む。
 參考 ○妹之無者(古)イモガナケレバ(新)略に同じ ○吾乎令煩(考)ワヲナヤマセテ(古、新)吾ヲナヤマシ。
 
2983 高麗劔。己之景迹故。外耳。見乍哉君乎。戀度奈牟。
こまつるぎ。わがこころゆゑ。よそのみに。みつつやきみを。こひわたりなむ。
 
コマツルギ、枕詞。天武紀に、景迹をココロバセと訓み、令にも此字を行迹の事に書けるに依りて、ココロと訓むべし。されば契沖もココロと訓めり。歌の意は、心には戀ふれども、逢ふまじき由有りて、(50)我心からよそにのみ見んと言ふなるべし。元の訓、ワガカゲユヱと有るによりて、冠辭考にも其ままに出だされたれど、卷九にも、劔太刀|己之心柄《シガココロカラ》と續けたるをむかへても知るべし。
 參考 ○己之景迹故(代)サガココロユヱ(考、古)ワガココロユヱ(新)ワガココロカラ ○外耳(新)ヨソノミニ、又は、ヨソニノミ ○見乍哉君乎(新)ミツツヤキミ「爾」ニ。
 
2984 劔太刀。名之惜毛。吾者無。比來之間。戀之繁爾。
つるぎだち。なのをしけくも。われはなし。このごろのまの。こひのしげきに。
 
ツルギダチ、枕詞。
 
2985 梓弓。末者師不知。雖然。眞坂者君爾。緑西物乎。
あづさゆみ。すゑはししらず。しかれども。まさかはきみに。よりにしものを。
 
一本歌云。梓弓。末|乃多頭吉波《タヅキハ》。雖不知《シラネドモ》。心者《ココロハ》君爾。因之物乎。
 
梓ユミ、枕詞。末ハシのシは助辭。マサカは既に出づ。一本のかた歌の意明かにて勝《マサ》れり。
 
2986 梓弓。引見縱見。思見而。既心齒。因爾思物乎。
あづさゆみ。ひきみゆるべみ。おもひみて。すでにこころは。よりにしものを。
 
梓弓云云は譬へに言へり。縱、一本緩に作る。色色に思ひ試みて、終に心を寄せしとなり。 參考 ○縱見(代、新)ユルシミ(考、古)ミルベミ ○既心齒(新)ハヤクココロハ。 
(51)2987 梓弓。引而不縱。丈夫哉。戀云物乎。忍不得牟。
あづさゆみ。ひきてゆるべぬ。ますらをや。こひとふものを。しぬびかねてむ。
 
梓弓云云は譬へに言へり。マスヲヲヤは、マスラヲニシテヤと言ふなり。
 參考 ○不縱(代、古、新)ユルサヌ(考)ユルベミ。
 
2988 梓弓。末中一伏三起。不通有之。君者曾奴。嘆羽將息。
あづさゆみ。すゑなかためて。たえたりし。きみにはあひぬ。なげきはやめむ。
 
一伏三起は、古へ弓射る時のわざなり。下に梓弓たてりたてりも、槻弓のくやりくやりもと言ふ如く、弓には起伏と言ふ事古へ多く言へり。今昔物語に、弓いる時に弓たふしと言ふ事有り。今人のためつすかしつと言ふも、弓より出でたる言と聞ゆ。是ら其射んとする時、先づ目當をため覘ふわざなれば、ための言を一伏三起とは書ける歟。且つ伏するも起くるも專ら末なれど、引きたむる所は中なれば、末中と云ひて、男の中比ためらひて通はざりしに譬ふるなり。不通を此下にもタエシと訓めり。○翁此伏起の事を猶委しく言へり。古へ弓射し事を考ふるに、弓は引設けて後に覘ひをたむる事無し、今射んとする時撓め覘ひを定むるなり。故に初めのわざを慎めり。其わざは、弓を取りて一度起きて、後に伏して的をよく見定めて、又起きて矢をはげ、更に高く起して引入るる故に、一伏三起と言ふなるべしと言はれき。宣長云、末中一伏三起不通有之は、スエノナカゴロ、ヨドメリシと訓むべし。六帖、弓、かく戀(52)ひむものと知りせばあづさ弓すゑの中頃あひみてましを、と有りと言へり。卷十、暮三伏一向夜をユフヅクヨと訓めり、卷十三に、根毛一伏三向をネモコロと訓めるに似たる書ざまなれば、是等の訓にひとしかるべきなり。猶考ふべし。卷十三にも委しく言へり。
 參考 ○末中一伏三起(古、新)スヱノナカゴロ 丸不通有之(古、新)ヨドメリシ ○將息(考、新)略に同じ(古)ヤマム。
 
2989 今更。何牡鹿將念。梓弓。引見縱見。縁西鬼乎。
いまさらに。なにしかもはむ。あづさゆみ。ひきみゆるしみ。よりにしものを。
 
末に男の疎き樣など見えたる時、女の詠めるなるべし。
 
2990 ※[女+感]嬬等之。續麻之多田有。打麻懸。續時無二。戀度鴨。
をとめらが。うみをのたたり。うちそかけ。うむときなしに。こひわたるかも。
 
令義解、線柱、集解に、多多利と云へり。和名抄に、絡〓と書けり。方《ケタ》なる居《スヱ》木に柱一つ立てて、うみ紵を引懸るものなり。打麻は、美《ウツ》しき麻の事なる由冠辭考に出づ。上句はウムと言はん序なり。さて上よりの續きは麻を績《ウ》む意にて、歌の意は倦ム時無シになり。續、一本績に作る。古く通じ用ふ。
 參考 ○打麻懸(古、新)ウツソとも訓むか。
 
2991 垂乳根之。母我養蚕乃。眉隱。馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿。異母二不相而。(53)たらちねの。ははがかふこの。まゆごもり。いぶせくもあるか。いもにあはずて。
 
蚕【蚕、篇海ニ俗用蠶字ト有リ。古ヘヨリ然ルカ。】の繭に籠りたるをいぶせき譬へとす。馬聲蜂音は、上に牛鳴を牟の假字に書ける如し。石花は和名抄、〓蹄子と有れば、集中セの假字に用ふ。
 參考 ○繭隱(古、新)マヨゴモリ。
 
2992 玉手次。不懸者辛苦。懸垂者。續手見卷之。欲寸君可毛。
たまだすき。かけねばくるし。かけたれば。つぎてみまくの。ほしききみかも。
 
此縣は思ひ懸くるには有らで、既に逢ひし事を、襁《タスキ》を身に懸け纏ふに譬へたり。 
2993 紫。綵色之蘰。花八香爾。今日見人爾。後將戀鴨。
むらさきに。そめてしかづら。はなやかに。けふみるひとに。のちこひむかも。
 
此カヅラは玉カヅラなり。玉カヅラは、玉を貫き垂れて頭に懸くるかづらなり。冠辭考に委し。其貫ける緒を紫に染めたるが花やかなるなり。花は麗はしきに譬へ、ヤカは詞なり。
 參考 ○綵色之蘰(代)ニシキノカヅラ(考)コソメノカヅラ(古、新)マダラノカヅラ ○見人(新)ミシヒト。
 
2994 玉蘰。不懸時無。戀友。何如妹爾。相時毛名寸。
たまかづら。かけぬときなく。こふれども。いかにぞいもに。あふときもなき。
 
(54)玉カヅラ、枕詞。カケヌ時ナクは、心に懸けぬ時無くなり。
 參考 ○何如(考、新)ナニシカ(古)イカデカ。
 
2995 相因之。出來左右者。疊薦。重編數。夢西將見。
あふよしの。いでこむまでは。たたみこも。へだてあむかず。いめにしみてむ。
 
卷十一、疊こも隔あむかずかよひせば道のしば草生ざらましを、とも言へり。
 
2996 白香付。木綿者花物。事社者。何時之眞坂【坂ヲ今枝ニ誤ル】毛。常不所忘。
しらがつく。ゆふははなかも。ことこそは。いつのまさかも。つねわすらえね。
 
白ガツク、枕詞。物は疑の草の字より誤れるならん。坂を今枝に作るは誤なり。マサカは集中、當時と書けり。ソノカミと言ふも同じ語なり。何時にても逢へる其時に、言ひし言は頼もしと思ふに、言の如く有らぬは、木綿を花と見る如く實ならずと言ふ意なりと翁言はれき。されど歌の意よくも聞き取り難し。猶考ふべし。
 參考 ○白香付(代)シラガツケ(考、古、新)略に同じ ○木綿者花物(考)略に同じ(古、新)ユフハハナモノ ○常不所忘(新)誤字有るか。
 
2997 石上。振之高橋。高高爾。妹之將待。夜曾深去家留。
いそのかみ。ふるのたかはし。たかだかに。いもがまつらむ。よぞふけにける。
 
(55)崇神紀、八年高橋(ノ)邑人活日云云。武烈紀歌に、伊須のかみふるをすぎこもまくら?箇播志須疑《タカハシスギ》云云。大和山邊郡石上布留神社の前の橋なるべし。さて上はタカダカと言は序んなり。高高は遠き意、又は打上げ遙かに見る意ある詞なり。妹が遙かに吾が方を望み見て待つらんものを、道遠くして夜の更け行きぬると佗ぶるなり。
 
2998 湊入之。葦別小船。障多。今來吾乎。不通跡念莫。
みなといりの。あしわけをぶね。さはりおほみ。いまこむわれを。よどむともふな。
 
一二の句は、障リ多ミと言はん序のみ。卷十一、本は全く同じく、末はわが思ふ君にあはぬころかもと有り。今來ムとは、やがて行かんと言ふにて、今は俗にオツツケと言ふ語なり。三の句は今までは障り多かりしを言ふなり。
 參考 ○今來吾乎(考)イマクルワレヲ(古、新)イマコム吾ヲ ○不通跡念莫(代)タユトオモフナ(考)コジトオモフナ(古、新)略に同じ。
 
或本謌曰。湊入|爾《ニ》。蘆別小船。障多。君爾不相而《キミニアハズテ》。年曾經來《トシゾヘニケル》。
 參考 ○蘆別(新)アシワク。
 
2999 水乎多。上爾種蒔。比要乎多。擇擢之業曾。吾獨宿。
みづをおほみ。あげにたねまき。ひえをおほみ。えらえしわざぞ。われひとりぬる。
 
(56)神代紀、高田《アゲタ》〓田《クボタ》と言へる〓田は田にて、高田とは畠を言ふ。クボ田は水多くして、畠に善からねばあげ田に畠物の種蒔きしに、そこは又稗多くて、その稗を擇り捨てらるるが如く、多くの中より、吾は擇り捨てられて、夜獨り寢すると身を恨みたるなり。業は、吾等二字の誤れるにて、獨の上の吾は夜の誤なるべし。エラエシワレゾ、ヨルヒトリヌルと有るべきなり。卷十一、人麻呂集の歌に、打田稗數多雖有|擇物我夜一人宿《エラエシワレゾヨルヒトリヌル》と有り。其歌の本は調はず。今の歌の轉ぜし物なり。末は彼を以て今の誤を知れり。
 參考 ○擇擢之業曾(代)業をユヱ、又は、ワザ(考)エラレシ「我等曾」ワレゾ(古)略に同じ(新)エラシシワレゾ「擢」を衍とし「業」を「吾等」の誤とす、又「擢之」に從はばヌカシシ ○吾獨宿(新)ヲヲヒトリヌル「吾」を「夜」の誤とす。
 
3000 靈合者。相宿物乎。小山田之。鹿猪田禁如。母之守爲裳。
たまあはば。あひねむものを。をやまだの。ししだもるごと。ははしもらすも。
 
卷十四、つくはねのをてもこのもにもりべすゑははしもれどもたまぞあひにける、とも詠みて、心の合ひなば終に相|寢《ヌ》る事も有らんものを、山田あらす鹿猪を守る如く、母の守り給ふと言ふなり。モラスはモルを延べ言ふなり。卷十六、荒城田の鹿《シシ》田の稻とも有り。
 參考 ○靈合者(考、古)タマアヘバ(新)略に同じ ○相宿物乎(考)アヒヌルモノヲ(古)アヒネシモノヲ(新)略に同じ。
 
(57)一云、母|之守之師《ガモラシシ》。 此母之の之はガと詠まざればかなはず。
 參考 ○母之(新)母シ。
 
3001 春日野爾。照有暮日之。外耳。君乎相見而。今曾悔寸。
かすがぬに。てれるゆふひの。よそのみに。きみをあひみて。いまぞくやしき。
 
夕日は遙かに照れば、ヨソと言はん序とす。夕日の如と言ふを籠《コ》めたり。
 參考 ○外耳(考)ヨソニノミ(古)略に同じ(新)兩訓。
 
3002 足日木乃。從山出流。月待登。人爾波言而。妹待吾乎。
あしびきの。やまよりいづる。つきまつと。ひとにはいひて。いもまつわれを。
 
卷十三に、百たらぬ山田の道を、と詠み出だせる長歌の終りの五句と成りて有り。そこには妹待を君待とせり。今は妹まつと有れば、女のかたより通ふなり。さる歌も少なからねば然《サ》て有るべし。吾乎の乎は助辭のみ。
 
3003 夕月夜。五更闇之。不明。見之人故。戀渡鴨。
ゆふづくよ。あかときやみの。おほほしく。みしひとゆゑに。こひわたるかも。
 
此一二の句既にも出でたり。定かにも見ぬものから戀ふるとなり。
 
3004 久堅之。天水虚爾。照日之。將失日社。吾戀止目。
(58)ひさかたの。あまつみそらに。てれるひの。うせなむひこそ。わがこひやまめ。
 
水は借字のみ。照の下、日、古本月と有り。テルツキノと訓むべし。
 參考 ○天水虚爾(考)略に同じ(古)アマノミソラニ(新)兩訓。
 
3005 十五日。出之月乃。高高爾。君乎座而。何物乎加將念。
もちのひに。いでにしつきの。たかだかに。きみをいませて。なにをかもはむ。
 
望月の東の空の涯さやかに見えてさし登るを以て、萬と言はん序とせり。高高は上に言へり。遙かに思へりし君を、吾許におはしまさせて、喜べる心を言へり。
 參考 ○十五日(考)略に同じ(古、新)モチノヨニ「日」の下「夜」を補ふ。
 
3006 月夜好。門爾出立。足占爲而。徃時禁八。妹二不相有。
つくよよみ。かどにいでたち。あうらして。ゆくときさへや。いもにあはざらむ。
 
卷四、月夜には門に出たち夕けとひあうらをぞせしゆかまくをほり、とも言へり。先づ歩の數を定め置きて、歩の奇偶もて合不v合《アフアハヌ》を知る事、今人のするに異らじか。神代紀、火折《ホノヲリノ》尊歸來云云。初潮漬v足時則爲2足占1。至v膝時則擧v足。至v股則走廻云云と有るは、名は同じくて其さま異なり。
 
3007 野干玉。夜渡月之。清者。吉見而申尾。君之光儀乎。
ぬばたまの。よわたるつきの。さやけくは。よくみてましを。きみがすがたを。
 
(59)曇れる夜に逢ひて、男の姿をよくも見ざりしなり。
 
3008 足引之。山呼木高三。暮月乎。何時君乎。待之苦沙。
あしびきの。やまをこだかみ。ゆふづきを。いつかときみを。まつがくるしさ。
 
梢の高き山を出づる月を、何時かと待つが如く、君を待つと言ふなり。言を略きてあやに言ひ成したり。
 
3009 橡之。衣解洗。又打山。古人爾者。猶不如家利。
つるばみの。きぬときあらひ。まつちやま。もとつひとには。なほしかずけり。
 
上は萎《ナ》れ垢づける衣を解き洗ひて、又擣つと言ふ意にて、マツチ山に冠らせたるにて、末までは懸からず。さてマツチ山モトツと音の通へば、マツチ山はモトツと言はん料なり。卷十八に、紅はうつろふ物ぞつるばみのなれにしきぬに猶しかめやも、と詠める如し、モトツ人は、後に逢ひし人は古人に及ばずして、今古人に立ちかへりたるなり。
 
3010 左保河之。河浪不立。靜雲。君二副而。明日兼欲得。
さほがはの。かはなみたたず。しづけくも。きみにたぐひて。あすさへもがも。
 
上は靜ケクと言はん序のみ。今日は事も無く逢ひぬ、明日さへも斯かれかしと、忍ぶる中にて言へり。
 
3011 吾妹兒爾。衣借香之。宜寸河。因毛有額。妹之目乎將見。
わぎもこに。ころもかすがの。よしきがは。よしもあらぬか。いもがめをみむ。
 
(60)春日野に衣借スと言ひ懸けつ。次の振川を雨フル川と言ひ懸けし類ひなり。上は序にて、妹が目を見んよすがも有れかしと願ふなり。よしき河は源《ミナモト》春日山水屋峰より出でて、野田を經て流る。水屋河とも言ふとぞ。
 
3012 登能雲入。雨零河之。左射禮浪。間無毛君者。所念鴨。
とのぐもり。あめふるかはの。さざれなみ。まなくもきみは。おもほゆるかも。
 
トノグモリは棚曇りなり。六帖、たなぐもりと有り。石上の振川に雨フルと言ひ懸けたり。上は間ナクと言ふ序とのみも思へど、此下にさざ浪の浪越あぜにふる小さめ間もおきてわが思はなくに、と言ふを思へば、ここも川波に雨降りて、いよよ細かなる波のしわの見ゆるを、間無く思ふ譬へとせるなるべし。
 
3013 吾妹兒哉。安乎忘爲寞。石上。袖振河之。將絶跡念倍也。
わぎもこや。あをわすらすな。いそのかみ、そでふるかはの。たえむともへや。
 
初句のヤは與に通へり。ワスラスナは忘ルナを延べ言ふなり。集中、布留山をヲトメ子が袖フル山と言へる如く、唯だ振河を袖フル河とあやに言ひ續けたるのみ。未は其河の水の絶えざるを以て譬へり。
 
3014 神山之。山下響。逝水之。水尾不絶者。後毛吾妻。
かみやまの。やましたとよみ。ゆくみづの。みをしたえずは。のちもわがつま。
 
(61)飛鳥の雷岳《カミヲカ》を言へり。ミヲは水の深き所を言ふ。其水の絶えぬを、吾が中の絶えぬに取れり。此譬上下に多し。
 參考 ○水尾不絶者(考)ミヲタエザラバ(古、新)ミヲノタエズハ。
 
3015 如神。所聞瀧之。白浪乃。面知君之。不所見比日。
かみのごと。きこゆるたぎの。しらなみの。おもしるきみが。みえぬこのごろ。
 
鳴神の如くなり。應神紀歌、みちのしりこはたをとめを加三能語等《カミノゴト》云云。上よりは面白しと言ひ、受けたる句は面を見知りたる君と言ふ意なり。此下に面知兒等とも詠みて、常に見馴るる人にも有らず、よそながら其面を相見知りて、目をくはせ、心を通はするを言ふべし。女の歌と見ゆと翁は言はれき。宣長説、面知は唯だ面を知ると言ふ意のみに有らず、シルはイチジロキ意にて、他の人にはまがはず、著《イチシ》るく見ゆる君と言ふ事なり。故に瀧の白浪、或は此末に岡の葛葉を吹返しなど言へる、皆いちじろき物を序とせりと言へり。此説然るべし。
 
3016 山河之。瀧爾益流。戀爲登曾。人知爾來。無間念者。
やまがはの。たぎにまされる。こひすとぞ。ひとしりにける。まなくおもへば。
 
タギはタギルなれば、心の内の湧き返り思ふ事の、瀧よりも甚だしと言ふか、又は顯れて、名の立つを言へるか。
(62) 參考 ○無間念者(古)マナクシオモヘバ(新)略に同じ。
 
3017 足檜木之。山河水之。音不出。人之子?。戀渡青頭鷄。
あしびきの。やまがはみづの。おとにいでず。ひとのこゆゑに。こひわたるかも。
 
上は、ふるのわさ田のほには出ずと言ふ如き言ひなしなり。?は故の誤とす。されど斯かる所に?の字を用ひし事、集中に類あれば猶考ふべし。青頭鷄は鴨なれば借りたり。
 
3018 高湍爾有。能登瀬乃河之。後將合。妹者吾者。今爾不有十方。
こせなる。のとせのかはの。のちもあはむ。いもにはわれは。いまならずとも。
 
高は音を借りてコの假字とせり。初句四言。卷三、さざ浪の礒こせぢなる熊登湍川と言ふは、巨勢路に浪の磯越すと言ひ懸けたるにて、吾せこをこち許世山と言へる類ひなり。斯かれば大和高市郡巨勢に在る能登せ川なり。能登と能知と、音を轉じ通はせて序とせり。卷十一、鴨川の後瀬靜に後もあはむとて、末同じき歌有り。
 參考 ○高湍爾有(代)タカセナル(考、古)略に同じ(新)コセヂナル「湍」の下「道」を補ふ。 ○後將合(考、新)略に同じ(古)ノチニアハム。
 
3019 浣衣。【衣ヲ今不ニ誤ル】取替河之。河余杼能。不通牟心。思兼都母。
あらひぎぬ。とりかひがはの。かはよどの。よどまむこころ。おもひかねつも。
 
(63)衣を今本、不に作るは誤なり、一本に依りて改む。又一本、浣を洗に作る。穢れたる衣を洗ひて着る心に、上よりは取替ふると言ひ懸けしままに、替とは書きたれど、受けたる言はトリカヒ川なり。和名抄、大和添下郡鳥貝(止利加比)と有る所の川にて、則ち鳥見《トミノ》小川なり。又大和物語に言へる鳥飼の御湯は河内なり。何れにか。上はヨドマムと言ふ序なり。
 
3020 斑鳩之。因可乃池之。宜毛。君乎不言者。念衣吾爲流。
いかるがの。よるかのいけの。よろしくも。きみをいはねば。おもひぞわがする。
 
イカルガノヨルカノ池は大和平群郡なるべし。イカルガは推古紀、興2宮室於斑鳩1と有り、法隆寺の古名斑鳩寺と言へば、此所ならん。因可池は今法隆寺村に有り。天滿の池にやと或人言へり。ヨルの詞をヨロシと言ふに通はせて序とせり。人は我れ故に君を善くも言はぬに、我はとにかくと君を思ふと言ふなり。イハネバは、イハヌニの意なる古言の例なり。或人云、宜毛は因らしくなり。君を我に因らしくも言はぬにの意なりと言へり。是れも然るべし。
 參考 ○宜奄(古)略に同じ(新)ヨロシトモ ○君乎不言者(古、新)キミ「之」ガイハネバ。
 
3021 絶沼之。下從者將戀。市白久。人之可知。歎爲米也母。
こもりぬの。したゆはこひむ。いちじろく。ひとのしるべく。なげきせめやも。
 
絶は隱の誤なるべし。又はコモリヌは、堤に隱れて、上は水の通ひ無きを以て、絶の字を書けるか。古(64)事記、こもりづの下よばへつつゆくはたがつま、と有るに似たり。下從は下樋より水の通ふに譬へて、人に知られじと言ふ意なり。
 參考 ○下從者(新)シタユゾ「者」を「曾」の誤とす。
 
3022 去方無三。隱有小沼乃。下思爾。吾曾物念。頃者之間。
ゆくへなみ。こもれるをぬの。したもひに。われぞものおもふ。このごろのまは。
 
右に言へる下樋の水の通ひて溜れる沼なり。一二の句は下思と言はん序のみ。間の下乎の字を脱せしか。間をホドとも訓むべけれど、聊か心ゆかず。
 參考 ○小沼乃(考、古、新)ヲヌノ ○頃者之間(古)コノゴロノアヒダ(新)コノゴロノマヲ。
 
3023 隱沼乃。下從戀餘。白浪之。灼然出。人之可知。
こもりぬの。したゆこひあまり。しらなみの。いちじろくいでぬ。ひとのしるべく。
 
堤に隱れる水の溢れて、堤を越え出づるを以て、思ひに餘りて色に出でなば、人に知られんと言ふを譬ふ。卷十七に重出。
 參考 ○灼然出(考)イチジロクイデバ(古、新)略に同じ。
 
3024 妹目乎。見卷欲江之。小浪。敷而戀乍。有跡告乞。
いもがめを。みまくほりえの。さざれなみ。しきてこひつつ。ありとつげこそ。
 
(65)難波堀江なり。妹が目を見まく欲りすると言ひ懸けて、小浪は重《シ》キてと言はん料なり。告ゲコソは妹に告げよかしと願へり。
 參考 ○小浪(考)略に同じ(古、新)サザレナミ。
 
3025 石走。垂水之水能。早敷八師。君爾戀良久。吾情柄。
いはばしる。たるみのみづの。はしきやし。きみにこふらく。わがこころから。
 
石走、枕詞。タルミは、唯だ瀧をも言へど、歌の次でを思ふに、攝津國に有る垂水なり。其水の走ると言ひ懸けて、さてハシキヤシは愛づる意なり。
 
3026 君者不來。吾者故無。立浪之。數和備思。如此而不來跡也。
きみはこず。われはゆゑなみ。たつなみの。しくしくわびし。かくてこじとや。
 
女の行くべきには故よし無し。斯く佗びしく思へど、君は來じとやとなり。數はシバシバとも訓めども、重《シキ》波とも言ひて、波にはシクシクと言へる事、集中に例多きに據りて斯く訓めり。
 參考 ○數和傭思(考、新)略に同じ(古)シバシバワビシ。
 
3027 淡海之海。邊多波人知。奧浪。君乎置者。知人毛無。
あふみのみ。へたはひとしる。おきつなみ。きみをおきては。しるひともなし。
 
神代紀、濱をヘタと訓めり、ヘタはハタに同じ。宣長云、此歌上の句は四の句を隔てて、知人モナシと(66)言ふへ懸かる序のみなり。其序の意は、へたの浪は人皆知れども、沖の浪は遠き故に知る人も無しと言ふなり。是れは唯だ序の續けの意のみにて、さて歌の意は下句に有り。君を除《オキ》て外に知る人は無しと言ふのみなり。知る人とは逢ひ見る人なりと言へり、斯く見ざれば解け難し。
 
3028 大海之。底乎深目而。結義之。妹心者。疑毛無。
おほうみの。そこをふかめて。むすびてし。いもがこころは。うたがひもなし。
 
初句は深メテと言はん料なり。義は羲の誤ならん事既に言へり。
 
3029 貞能?【?ヲ今納ニ誤ル】爾。依流白浪。無間。思乎如何。妹爾難相。
さだのうらに。よするしらなみ。あひだなく。おもふをなぞも。いもにあひがたき。
 
サダノウラ、卷十一にも出でたり。?、今納に作るは誤なり。一本に依りて改む。
 參考 ○如何(考、古)イカデ(所)ナドカ。
 
3030 念出而。爲便無時者。天雲之。奧香裳不知。戀乍曾居。
おもひでて。すべなきときは。あまぐもの。おくかもしらず。こひつつぞをる。
 
天雲ノは、オクカモ不v知と言はん料のみ。オクカは奧許なり。行|方《ヘ》も知らずと言ふに同じ。
 參考 ○念出而(古、新)オモヒイデテ。
 
3031 天雲乃。絶多比安。心有者。吾乎莫憑。待者苦毛。
(67)あまぐもの。たゆたひやすき。こころあらば。あをなたのめそ。まてばくるしも。
 
アマ雲はタユタフと言はん料なり。タノマセソの萬世《マセ》を約めて、タノメソと言ふ。吾を頼ませ置きて、たゆたひて來ねば、持つが苦しきとなり。莫の下令を脱せしか。
 參考 ○吾乎莫憑(古)アレヲナタノメ「莫」の下「令」脱とす(新)ワレヲナタノメ。 
3032 君之當。見乍母將居。伊駒山。雲莫蒙。雨者雖零。
きみがあたり。みつつもをらむ。いこまやま。くもなたなびき。あめはふるとも。
 
此山嶺を分けて、東は大和、西は河内なり。此下に朝霞|蒙《タナビク》山とも書けり。 
3033 中中二。如何知兼。吾山爾。燒流火氣能。外見申尾。
なかなかに。いかでしりけむ。わがやどに。もゆるけふりの。よそにみましを。
 
集中吾岡とも言ひて、わが住む所の山を言ふ。春の野山を燒く煙をもてヨソと言はん料とするのみ。心は人を大よそ人に見て有らん物を、なまなかに相知りて苦しとなり。又は吾は春の誤ならんか、ハルヤマと有らんかた穩かなり。
 參考 ○如何知兼(新)ナドカシリケム ○吾山爾(古、新)「春」ハルヤマニ。
 
3034 吾妹兒爾。戀爲便名鴈。?乎熱。旦戸開者。所見霧可聞。
わぎもこに。こひすべなかり。むねをあつみ。あさどあくれば。みゆるきりかも。
 
(68)スベナカリは、スベナクアリを約め言へり。夜すがら思ひに燃えて、朝《アシタ》に戸を明くれば煙の見ゆると言ふなり。古へ火氣のみならず、霞、霧、烟を通はし言へり。
 參考 ○?乎熱(古)略に同じ(新)ムネヲヤキ。
 
3035 曉之。朝霧隱。反羽【羽ハ詞ノ誤カ】二。如何戀乃。色丹出爾家留。
あかときの。あさぎりがくり。かへりしに。いかでかこひの。いろにいでにける。
 
曉と朝は本同じ事なれば、斯く重ね言へり。曉、曙、朝と分つは後なり。羽は詞の字の誤なるべし。霧の紛れに妹|許《がり》歸りしを、如何で人に知られしぞと言ふなり。
 參考 ○反羽二(代)モミヂバノ「反」の上「黄」を補ふ(考)略に同じ(古、新)訓は略に同じく「羽」を「爲」の誤とす。
 
3036 思出。時者爲便無。左保山爾。立雨霧乃。應消所念。
おもひいづる。ときはすべなみ。さほやまに。たつあまぎりの。けぬべくおもほゆ。
 
霧の深きは小雨の如くなる物なれば、雨霧とも言ふべし。さて忽ちに晴るる物なるを以て、消と言はん料に置けり。
 
3037 殺目山。往反道之。朝霞。髣髴谷八。妹爾不相牟。
きりめやま。ゆきかふみちの。あさがすみ。ほのかにだにや。いもにあはざらむ。
 
(69)紀伊の熊野にきりめの王子と言ふ社有り。或説にも紀伊と言へり。然れば熊野に在る山ならん。此山の邊の妹がり行きて、逢はずして、いたづらに歸るとて詠めるなるべし。朝霞は其の時見る景色をもて、やがてホノカと言はん料とせり。卷四、青山によこぎる雲と言ふに、横※[?のれっか無し]と書けり。
 參考 ○往反道(古)略に同じ(新)ユキカヘルミチノ。
 
3038 如此將戀。物等知者。夕置而。旦者消流。露有申尾。
かくこひむ。ものとしりせば。よひにおきて。あしたはけぬる。つゆならましを。
 參考 ○夕置而(古、新)ユフベオキテ。
 
3039 暮置而。旦者消流。白露之。可消戀毛。吾者爲鴨。
よひにおきて。あしたはけぬる。しらつゆの。けぬべきこひも。われはするかも。
 
暮とは書きたれど夜の事なり。ケヌベキは死ぬばかり戀ふるを言ふ。
 參考 ○暮置而(古、新)ユフベオキテ ○旦者消流(考)ヒルハキエヌル(古)略に同じ(新)アシタハキユル。
 
3040 後遂爾。妹將相跡。旦露之。命者生有。戀者雖繁。
のちつひに。いもにあはむと。あさつゆの。いのちはいけり。こひはしげけど。
 
朝露の如き命は生きて有り。戀は繁けれどもとなり。
 
(70)3041 朝且。草上白。置露乃。消者共跡。云師君者毛。
あきなさな。くさのへしろく。おくつゆの。けなばともにと。いひしきみはも。
 
斯く契りしも絶えて、後程經て又思ひ出でて歎くなり。
 
3042 朝日指。春日能小野爾。置露乃。可消吾身。惜雲無。
あさひさす。かすがのをぬに。おくつゆの。けぬべきわがみ。をしけくもなし。
 
オク露ノ如クと言ふをこめたり。
 
3043 露霜乃。消安我身。雖老。又若反。君乎思將待。
つゆしもの。けやすきわがみ。おいぬとも。またわかがへり。きみをしまたむ。
 
卷十一、初句朝露乃とて、二の句より末全く同じき歌有り。
 參考 ○又若反(古、新)マタヲチカヘリ但し(古)は「若」の上に「變」字を補ふ(新)は誤脱とせず。
 
3044 待君常。庭耳居者。打靡。吾黒髪爾。霜曾置爾家類。
きみまつと。にはのみをれば。うちなびく。わがくろかみに。しもぞおきにける。
 
ニハニノミと言ふべきを、ニの言を略ける古言の例なり。
 
或本歌尾句云。白細之《シロタヘノ》。吾衣手爾《ワガコロモデニ》。露《ツユ》曾置爾家留。
 
(71) 卷十一、待かねて内にはいらじ白たへの吾衣手に露はおきぬとも。
 參考 ○庭耳居者(古、新)ニハニシヲレバ(古)「耳」の下「之」を補ふか、又は「西」の誤とす。
 
3045 朝霜乃。可消耳也。時無二。思將度。氣之緒爾爲而。
あさしもの。けぬべくのみや。ときなしに。おもひわたらむ。いきのをにして。
 
何時と言ふ時も無く、物思ひにのみ月日を經渡らん物かと嘆くなり。
 
3046 左佐浪之。波越安暫仁。落小雨。間文置而。吾不念國。
ささなみの。なみこすあぜに。ふるこさめ。あひだもおきて。わがもはなくに。
 
アゼとは田毎の間を塞くを今も言へり。もとより小波の上に、小雨の降りて、水の文の繁きを、あひだ無き序とせり。上に雨零河のさざれ波間無と詠める類ひなりと翁言はれき。官長は安暫仁は必ず誤字なるべしと言へり。猶考ふべし。未は間無く思ふと言ふを斯く言へり。
 參考 ○波越安暫仁(新)ナミクラガネニ「波鞍蟹仁」の誤か。
 
3047 神左備而。巖爾生。松根之。君心者。忘不得毛。
かむさびて。いはほにおふる。まつがねの。きみがこころは。わすれかねつも。
 
神サビテは、古く久しきを言はん料のみ。古りたる松が根の如く、久しく經《フ》れど、昔美くしと思ひし君が心は忘れ難しと言へり。はた此末に、豐國のきくの濱松心にもとも詠み、其外松の心にと讀けたる歌(72)有るを思へば、今も人心の變らぬを、松の常葉なるになぞらへ言ふなるべし。
 參考 ○君心者(新)ナガキココロは「君」は「長」の誤 ○忘不得毛(新)「念」オモヒカネツモ。
 
3048 御獵爲。雁羽之小野之。櫟柴之。奈禮波不益。戀社益。
みかりする。かりばのをぬの。ならしばの。なれはまさらず。こひこそまされ。
 
鴈羽は借字にて獵場なり、地名に有らず。ナラシバ、今も有る小ナラと言ふ物なり。上はナレと言はん序なり。
 參考 ○御獵爲(新)ミカリセス ○龕羽之小野之(代、考)略に同じ(古、新)カリヂノヲヌノ「羽」を「路」の誤とす ○櫟柴之(代)イチシバノ(考、古、新)略に同じ。
 
3049 櫻麻之《さくらをの》。麻原乃下草《をふのしたくさ》。早生者《はや|なさ《おひ》ば》。妹之下紐《いもがしたひも》。。【紐ヲ?ニ誤ル】不解有申尾《とかざらましを》。
 
上二句は卷十一に言へり。蒔きしたなつ物よりも、あらぬ草は早く生ひ立ち安きを以て、早生とは言ひて、歌の心は、卷十一に、濱行風のいやはやに早ことなさばいやあはざらむと言ふ如く、ゆるらかに計りし故に、遂に斯く妹が紐解く時にも至りぬと悦ぶなり。さて生者は草の生ふるを云ひて、歌の意の爲者《ナサバ》を兼ねたれば、ナサバと訓むべしと翁は言はれき。されど草の方にナサバと詠まん事いかが、猶考ふべし。
(73) 參考 ○櫻麻之(考、新)略に同じ(古)サクラアサノ ○早生者(古)ハヤオヒバ ○不解有申尾(古)トカザラマシヲ(新)略に同じ。
 
3050 春日野爾。浅茅標結。斷米也登。吾念人者。彌遠長爾。
かすがぬに。あさぢしめゆひ。たえめやと。わがもふひとは。いやとほながに。
 
淺茅を女に譬へし事、集中にかたかた有り。まだ幼きを今よりしめ結ひて、成りなん末の待ち遠なるを言へり。タエメヤトは、しめ繩に寄せ有る詞にして、絶えざらんと思ふ意なり。
 
3051 足檜之。山菅根乃。懃。吾波曾戀流。君之光儀乎。
あしびきの。やますがのねの。ねもごろに。われはぞこふる。きみがすがたを。
 
上はネと言はん序のみ。檜の下、木を脱せるか。又外にも斯く書きしも有れば、ヒノ木と言ふ意に一字を用ひしか。
 參考 ○君之光儀乎(新)キミガスガタニ「乎」は「爾」の誤。
 
或本歌曰。吾念人乎《ワガモフヒトヲ》。將見因毛我母《ミムヨシモガモ》。
 
3052 垣津旗。開澤生。菅根之。絶跡也君之。不所見頃【頃ヲ項ニ誤ル】者。
かきつばた。さきさはにおふる。すがのねの。たゆとやきみが。みえぬこのごろ。
 
一二の句上に言へり。集中に山菅には專ら根と言へど、水の菅に根を言へるは、卷十一に、湖《ミナト》に核延《サネハフ》子(74)すげしぬびずてと言へるのみにて、外には見えず。ここは前後山菅の中なれば、此菅根も山菅にて、二の句|開野《サキヌニ》生とや有りけんと翁言はれき。上は絶ユと言はん序のみ。
 
3053 足檜木之。山菅根之。懃。不止念者。於妹將相可聞。
あしびきの。やますがのねの。ねもころに。やまずおもはば。いもにあはむかも。
 
上はネと言はん序のみ。
 參考 ○不止念者(古)ヤマズシモハバ(新)略に同じ。
 
3054 相不念。有物乎鴨。菅根乃。懃懇。吾念有良武。
あひおもはず。あるものをかも。すがのねの。ねもころごろに。わがもへるらむ。
 
妹は相思はで有る物を、何故にかも、我は深く思ふならんと自《ミヅカラ》いぶかるなり。 
3055 山菅之。不止而公乎。念可母。吾心神之。頃著名寸。
やますげの。やまずてきみを。おもへかも。わがこころどの。このころはなき。
 
初句はヤマズと重ね言はん料なり。オモヘカモは、オモヘバカモのバを略ける例なり。心神、舊訓の如くタマシヒと訓みて、古今集、あかざりし袖の中にや入にけむわがたましひのなき心ちすると言へるも、是れにや依りけんと翁言はれき。されど卷三、君しまさねば心神もなしも、ココロドと訓まん方まされれば、ここも斯く訓めり。
(75) 參考 ○不止而公乎(新)ヤマズモキミヲ「而」を「母」の誤とす ○心神(考)タマシヒ(古、新)略に同じ。
 
3056 妹門。去過不得而。草結。風吹解勿。又將顧。
いもがかど。ゆきすぎかねて。くさむすぶ。かぜふきとくな。またかへりみむ。
 
一云。直相麻?爾《タダニアフマデニ》。
 
妹に逢ふまでのしるしに草を結びおくなり。
 
3057 淺茅原。茅生丹足踏。意具美。吾念兒等之。家當見津。
あさぢ|はら《ふの》。ちぶにあしふみ。こころぐみ。わがもふこらが。いへあたりみつ。 
一云。妹《イモ》之。家當見津。
 
心グミは心苦シミなり。苦シミをクミと言ふは言の中略なり。宣長云、上二句は、家當見ツと言ふへ懸けて見べし。ココログミへ續けて見べからずと言へり。一二の句は、唯だ妹が家當り見んとて來たりし勞を言ふなり。
 參考 ○淺茅原(古、新)アサヂハラ。
 
3058 内日刺。宮庭有跡。鴨頭草乃。移情。吾思名國。
うちひさす。みやにはあれど。つきくさの。うつしごころは。あがもはなくに。
 
(76)宮中にて麗はしき人を多く見れど、君を置きて心は移さずと言ふなり。ウツシの事既に言へり。
 參考 ○移情(考)略に同じ(古)ウツシココロヲ(新)ウツロフココロ。
 
3059 百爾千爾。人者雖言。月草之。移情。吾將持八方。
ももにちに。ひとはいふとも。つきくさの。うつしごころを。わがもためやも。
 
人は色色に言を盡して言ふともなり。
 參考 ○百爾千爾(新)カニカクニ ○人者雖言(考、新)略に同じ(古)ヒトハイヘドモ ○移惰(考)略に同じ(古、新)ウツロフココロ ○吾(古)アレ(新)ワレ。
 
3060 萱草。吾紐爾着。時常無。念度者。生跡文奈思。
わすれぐさ。わがひもにつく。ときとなく。おもひわたれば。いけりとむなし。
 
萱草を帶びて忘れん爲とする事、集中多く詠めり。紐ニツクと言ひて句とすべし。
 參考 ○吾紐爾着(新)ワガヒモニツケム「着」の上に「將」を補ふ ○生跡文奈思(古)イケルトモナシ(新)略に同じ。
 
3061 五更之。目不醉草跡。此乎谷。見乍座而。吾止偲爲。
あかときの。めさましぐさと。これをだに。みつついまして。われとしぬばせ。
 
メサマシグサは草の名には有らで、何にても有れ、贈れる物を指して言へり。クサと言へる詞により(77)て、草を詠める歌どもに交へしなり。契沖、五雜爼の睡草却睡草の事を引けり。今は其睡草などの事とは異なり。
 參考 ○吾止偲爲(新)ワレ「乎」ヲシヌバセ。
 
3062 萱草。垣毛繁森。雖殖有。鬼之志許草。猶戀爾家利。
わすれぐさ。かきもしみみに。うゑたれど。しこのしこぐさ。なほこひにけり。
 
シミミは字の如く繁きなり。鬼は醜に同じくて、ここは惡み罵る意にて、既にも出づ。志許草は一草の名に有らず。戀を忘れん爲に、萱草を多く生《オホ》したれど、忘れかぬれば、名のみにて、惡ろき草なりと罵りて言へるなり。卷四、わすれ草吾下紐につけたれど鬼《シコ》のしこ草言にし有けりと言ふもおほよそ同じ。
 參考 ○猶戀爾家利(新)コトニシアサケリと有るべし。
 
3063 淺茅原。小野爾標結。空言毛。將相令聞。戀之名種爾。
あさぢはら。をぬにしめゆふ。そらごとも。あはむときこせ。こひのなぐさに。
 
一二の句は取留めも無きかねごと言ふ譬へなり。空言にだに逢はんと言へ、戀の心慰めにせんにとなり。卷十一、淺ぢはら刈じめさして空ごともよせてし君がことをしまたむ。令聞は、卷十三、母寸巨勢友《ハハキコセトモ》ともあれば、キコセと訓むべし。
 參考 ○標結(古)シメユヒ(新)略に同じ ○空言毛(考)略に同じ(古、新)ムナゴトモ。
 
(78)或本歌曰。將來知志《コムトシラシシ》。君矣志將待《キミヲシマタム》。又見2柿本朝臣人麻呂歌集1。然落句少異耳。  宣長云、知志の知は言の誤か。言ヒテシならでは聞えずと言へり。人麻呂歌集は、卷十一に見ゆ。何在云公待《イカナリトイヒテキミヲシマタム》と有り。
 
3064 皆人之。笠爾縫云。有間菅。在而後爾毛。相等曾念。
みなひとの。かさにぬふとふ。ありますげ。ありてのちにも。あはむとぞおもふ。
 
卷十一、大君の御笠にぬへるありま菅と言へり。在り在りて後にも逢はんとなり。上は序のみ。元暦本、人皆之と有り。
 參考 ○皆人之(古、新)ヒトミナノ「人皆」の誤とす ○縫云(古、新)ヌフチフ。 
3065 三吉野之。蜻乃小野爾。刈草之。念亂而。宿夜四曾多。
みよしぬの。あきつのをぬに。かるかやの。おもひみだれて。ぬるよしぞおほき。
 
上は亂ルと言はん序のみ。アキツノヲ野を、後にカゲロフノヲ野と詠めるは誤なり。此のカルカヤは一草の名のカルカヤに非ず。屋葺料の草をすべてカヤと言へり。
 
3066 妹待跡。三笠乃山之。山菅之。不止八將戀。命不死者。
いもまつと。みかさのやまの。やますげの。やまずやこひむ。いのちしなずは。
 
初句の妹待跡と言ふより、不v止ヤコヒムと隔句歟。されど少し穩かならず、待跡は所服の字の誤れるにて、妹ガキルとや有りけん。然らば初句は枕詞にて、二三の句はヤマズと言はん序のみ。
(79) 參考 ○妹待跡(考)イモガキル「妹所服」の誤とす(古)イモガケル「妹我服」の誤とす(新)イモマツト。
 
3067 谷迫。峰邊延有。玉葛。令蔓之有者。年二不來友。
たにせばみ。みねべにはへる。たまかづら。はへてしあらば。としにこずとも。
 
卷十一、卷十四にも同じ樣の歌有り。上は絶えせぬ事に譬ふ。ハヘテシアラバは、絶エズアラバにて、我を思ふ心の絶えず有らば、一とせ來らずとも、物は思はざらんとなり。令蔓と書けるは、ハハセの意にて書けり。其のハハセを約めてハヘと言ふべし。
 參考 ○峰邊延有(古、新)ミネ「迄」マデハヘル ○令蔓之有者(代)ハハセシアラバ(考、古、新)略に同じ。
 
一云。石葛《イハヅナノ》。令蔓之有者。  イハヅナは和名抄、絡石一名領石(豆太)と言へるなり、太と奈は通へり。
 
3068 水莖之。崗乃田葛葉緒。吹變。面知兒等之。不見比鴨。
みづぐきの。をかのくづばを。ふきかへし。おもしるこらが。みえぬころかも。
 
ミヅグキの事既に言へり。枕詞とすべし。秋風に葛の葉の吹き返さるるが、いちじるく見ゆるをもて、兼て面をいちじるく相知りたる子等と言ひ懸けたり。此の續けの事上にも言へり。
 
3069 赤駒之。射去羽許。【許ハ計ノ誤】眞田葛原。何傳言。直將吉。
(80)あかごまの。いゆきはばかる。まくずはら。なにのつてごと。ただにしえけむ。
 
イは發語。卷三、白雲も伊ゆきはばかり云云、馬の蹄のまとはるるを言ふ。許は計の誤なり。天智紀に十年十二月崩まして後、童謠四首の末に此歌載りて、奈爾能都底擧騰多?尼之曳?武《ナニノツテゴトタダニシエケム》と有り。ツテゴトは、雄略紀流言飛言の字を用ひたり。此赤駒云云の流言有るは、何の意ぞと問を擧げて、即今行き難くとも、末は吉《ヨ》けんと言ふにて、吉野の前の太子の、今こそ有れ、末よからんと言ふ意なり。さて此歌相聞の譬歌なる一つの傳へ有りて、是れには取りしなるべし。さる類ひ上にも下にも有り。相聞にては本は葛原を行く駒は、足に纏りてえ行きやらぬを以て、憚り滯《トドコホ》りて、人傳のみ言ふを譬ふ。さて何ぞのなほざりの人傳ぞや、直ちに來て言はんこそよからめと母の詠めるなり。ヨキをエキと言ふが古へなり。
 參考 ○射去羽許(考)イユキハバカリ(古、新)略に同じ。
 
3070 木綿疊。田上山之。狹名葛。在去之毛。不令【令ハ今ノ誤】有十方。
ゆふたたみ。たながみやまの。さなかづら。ありさりてしも。いまならずとも。
 
ユフタタミ、枕詞。田上山、卷一に出づ。サナカヅラは、和名抄、五味(作禰加豆良)と有るなり。宣長云、令は今の誤なり。今ならずとも、在り去りて後にも逢はんと言ふなりと言へり。本はかづらの絶えせざるを以て、在り去りてと言はん序とせり。
 參考 ○在去之毛(考)アリユキテシモ(古、新)略に同じ ○不令有十方(考)アラシメズトモ(古、(81)新)略に同じ。
 
3071 丹波道之。大江乃山之。眞玉葛。絶牟乃心。我不思。
たにはぢの。おほえのやまの。さなかづら。たえむのこころ。わがもはなくに。
 
大江山、桑田郡に有り。天武紀八年三月、初置2關於龍田山大汀山1と有り。卷十四、谷せばみ峰にはひたる玉かづらとて、下全く同じ歌有り。タエム乃と言へる乃の詞に、絶えんと思ふと言ふ言こもれり。上は序のみ。
 參考 ○眞玉葛(考、新)略に同じ、但(新)は「玉」を衍とす(古)マタマヅラ、又は、サネカヅラ。
 
3072 大埼之。有礒乃渡。延久受乃。往方無哉。戀渡南。
おほさきの。ありそのわたり。はふくずの。ゆくへもなくや。こひわたりなむ。
 
出雲風土記、島根郡大崎濱と言ふ有れど、卷六、大崎の神(ノ)小濱と詠めるは、紀伊國の南へさし出でたる埼なり。此歌も其處を詠めるなるべし。海邊の廣き所に、葛のおのがままに延びたるを、行方の限り知られぬ思ひに譬へたるか。宣長云、此三の句必ず漕グ舟ノと有るべき歌なり。昔より誤りたる歌なるべしと言へり。さも有るべし。
 參考 ○有礒乃渡(新)アリソノ「瀲」ナギサ。
 
(82)3073 木綿※[果/衣]【一云疊】。白月【白月ハ田上ノ誤】山之。佐奈葛。後毛必。將相等曾念。
ゆふたたみ。たながみやまの。さなかづら。のちもかならず。あはむとぞおもふ。
 
※[果/衣]は一本疊と有るを善しとす。ユフダタミ、枕詞。田上を※[田上の草書]と草に書けるより誤れるなりと言ふ事、冠辭考に委し。サナカヅラを絶えぬ譬にとりて、後モと言ひ下したり。田上山は近江栗本郡。
 
或本歌曰。將絶跡妹乎《タエムトイモヲ》。吾念莫久爾《ワガモハナクニ》。
 
3074 唐棣花色之。移安。情有者。年乎曾寸經。事者不絶而。
はねずいろの。うつろひやすき。こころあれば。としをぞきふる。ことはたえずて。
 
ハネズ、上に出づ。逢はずして年を來經るなり。事は言なり。
 參考 ○情有者(新)ココロナレバ。
 
3075 如此爲而曾。人之死云。藤浪乃。直一目耳。見之人故爾。
かくしてぞ。ひとのしぬとふ。ふぢなみの。ただひとめのみ。みしひとゆゑに。
 
藤浪は色よきに譬へたりと契沖は言へり。然れども、藤浪ノタダ一メと續くべき由無し。次のひらに、朝影に吾身は成ぬ玉蜻の髣髴に見えていにし兒故爾と有ると、意相似たるをもて言はば、藤浪は蜻蜒などの草より誤れるなるべし。古く藤浪と誤り來りて、草木の類ひに次でたるにや。
 參考 ○藤浪乃(考)カキロヒノ「蜻蛉乃」とす(古)本末別の歌とす。
 
(83)3076 住吉之。敷津之浦乃。名告藻之。名者告而之乎。不相毛恠。
すみのえの。しきつのうらの。なのりその。なはのりてしを。あはなくもあやし。
 
此下に、しかのあまの磯に刈ほすなのりその名はのりてしをいかであひがたきとも詠めり。既に事成りし後に、不v逢を怪しめり。
 
3077 三佐呉集。荒礒爾生流。勿謂藻乃。吉名者不告。父母者知鞆。
みさごゐる。ありそにおふる。なのりその。よしなはのらじ。おやはしるとも。
 
ミサゴ、既に出づ。上はノルと言はん序のみ。卷三、みさごゐるいそまに生るなのりその名者|告志弖餘《ノラシテヨ》親はしるとも、と有ると全く同歌なり。名はノラシテヨと有る方理りさだかなり。ここは誤れるなるべし。不は令の誤にて、ヨシナハノラセと有りしにや。歌の意は、既に女の名をあかせし上は、今は妻を呼ぶ如く、吾名を告《ノリ》給へ、よし父母の聞きてとがむともと言ふなり。
 參考 ○害名者不告(考)ナハノラシテヨ「名者令告」とす(古、新)ヨシナハノラセ、「不」を「令」の誤とす。
 
3078 浪之共。靡玉藻乃。片念爾。吾念人之。言乃繁家口。
なみのむた。なびくたまもの。かたもひに。わがもふひとの。ことのしげけく。
 
浪と共に玉藻の片依りに寄するを以て、カタ思ヒに言ひ續けたり。
(84) 參考 ○片念爾(新)カタモヒニ「念」を「依」の誤とす ○吾念人之(新)ワガモフヒト「乎」ヲ。
 
3079 海若之。奧津玉藻之。靡將寢。早來座君。待者苦毛。
わたづみの。おきつたまもの。なびきねむ。はやきませきみ。まてばくるしも。
 
玉モノ如クと言ふをこめたり。
 
3080 海若之。奧爾生有。繩乘乃。名者曾不告。戀者雖死。
わたづみの。おきにおひたる。なはのりの。なはかつてのらじ。こひはしぬとも。
 
ナハノリ、既に出づ。上は序にて、父母に男の名を不v告しては、逢ふ事難くして、戀ひ死ぬとも猶告らじと女の詠めるなり。極めて名を忍ぶべき故有る男なるべし。卷十一、わがせこが其名いはじと玉きはる命は捨つ忘れたまふな。カツテは卷十、木高くは曾木不殖《カツテキウヱジ》とも有り。
 參考 ○名者曾不告(代)カツテ(考)ナヲバゾノラジ(古、新)略に同じ。
 
3081 玉緒乎。片緒爾搓而。緒乎弱彌。亂時爾。不戀有目八方。
たまのをを。かたをによりて。ををよわみ。みだるるときに。こひざらめやも。
 
卷四、わがもたる三つあひによれる糸と詠める如くは有らで、唯だ片搓りとて、繭糸の細きを、幾筋も集へて搓りたるを、片緒に搓るとは言へり。緒絶えして玉の亂るるを言はんとて、片糸を設け出でたり。さて緒の切れ絶えて、玉の亂れ散るを、吾が中を離るるに譬へて斯かる時に戀ひざらめやはとなり。
(85) 參考 ○亂時爾(新)ミダル「計」バカリニ。
 
3082 君爾不相。久成宿。玉緒之。長命之。惜雲無。
きみにあはず。ひさしくなりぬ。たまのをの。ながきいのちの。をしけくもなし。
 
若ければ末長き命を言ふ。
 
3083 戀事。益今者。玉緒之。絶而亂而。可死所念。
こふること。まさればいまは。たまのをの。たえてみだれて。しぬべくおもほゆ。
 
コフルコトにても理りは聞ゆれど、いささか穩かならず。或人云、事は布か、敷の誤にて、戀ヒシクノと有りしか。卷十、こひしくはけながきものを、卷二十、こひしくのおほかるわれはと有りと言へり、さも有るべし。
 參考 ○益今者(考)略に同じ(古)マサレルイマハ(新)イマユマサラバ。
 
3084 海處女。潜取云。忘貝。代二毛不忘。妹之光儀者。
あまをとめ。かづきとるちふ。わすれがひ。よにもわすれじ。いもがすがたは。
 
ヨニモは、世の中に忘るべからぬ事の多き中に、殊に忘られじと言ふ意なり。すべてヨニと言ふ詞は、是れに准らへ知るべし。
 
3085 朝影爾。吾身者成奴。玉蜻。髣髴所見而。往之兒故爾。
(86)あさかげに。わがみはなりぬ。かぎろひの。ほのかにみえて。いにしこゆゑに。
 
カギロヒノ、枕詞。卷十一に三四の句、玉垣入風所見と誤りて入りたり。玉垣は玉蜻の誤にて、是れもカギロヒノ、ホノカニミエテと訓みて、ここと同歌なる事、卷十一に言へり。
 參考 ○玉蜻(考)略に同じ(古、新)タマカギル。
 
3086 中中二。人跡不在者。桑子爾毛。成益物乎。玉之緒許。【許ハ計ノ誤】
なかなかに。ひととあらずは。くはこにも。ならましものを。たまのをばかり。
 
卷三、中中に人とあらずは酒壺に成にてしがも酒にしみなむと言ひて、人と生れて有らんよりはと言ふなり。かひ蠶は|めを《雌雄》離れぬ物なれば、彼に成らん物をと願ひ、且つ彼が命の短きも、人はた玉の緒ばかり短き命なれば、何か思はんと言ふなり。是れを伊勢物語には、戀に死なずはと言ひ變へて、一の物語を作れり。許は計の誤なるべし。
 
3087 眞菅吉。宗我乃河原爾。鳴千鳥。間無吾背子。吾戀者。
ますげよし。そがのかはらに。なくちどり。まなしわがせこ。わがこふらくは。
 
眞スゲヨシ、枕詞。神名帳、大和國高市郡宗我坐宗我都比古神社と言ひ、今も飛鳥里の西北に宗我村ありて、そこの河原にして、則ち檜隈川の末なりとぞ。上は間撫シと言はん序のみ。
 參考 ○眞管吉(代)略に同じ(古、新)マスガヨシ。
 
(87)3088 戀衣。著楢【楢ヲ猶ニ誤ル】乃山爾。鳴鳥之。間無時無。吾戀良苦者。
こひごろも。きならのやまに。なくとりの。まなくときなし。わがこふらくは。
 
戀は舊の字の草より誤れるにて、舊衣着ならすと懸けたる枕詞なり。冠辭考に委し。さて奈良の山に着ナラと言ひ懸けたるなり。是れも上は序のみ。
 參考 ○戀衣(考)「舊」フルコロモ(古、新)「辛」カラコロモ。
 
3089 遠津人。獵道之池爾。住鳥之。立毛居毛。君乎之曾念。
とほつひと。かりぢのいけに。すむとりの。たちてもゐても。きみをしぞおもふ。
 
遠津人、枕詞。姓氏録に、雄略天皇御世獻2加里乃郡1仍賜2姓輕部君1と見え、集中に輕の路とも詠めれば、もし同所か。上は序のみ。
 參考 ○立毛居毛(新)タチニモヰニモ。
 
3090 葦邊往。鴨之羽音之。聲耳。聞管本名。戀渡鴨。
あしべゆく。かものはおとの。おとのみに。ききつつもとな。こひわたるかも。
 
上はオトノミと言はん序のみ。オトは聲を言ふ。
 參考 ○聲耳(考)オトニノミ(古、新)略に同じ。
 
3091 鴨尚毛。己之妻共。求食爲而。所遺間爾。戀云物乎。
(88)かもすらも。おのがつまどち。あさりして。おくるるほどに。こふとふものを。
 
遺は後ルルなり。卷三、かるの池の入江めぐれる鴨すらも玉もの上に獨ねなくにとも詠めり。
 參考 ○所遺間爾(新)オクルルマダニ「間」を「谷」の誤とす。
 
3092 白。檀斐太乃細江之。菅鳥乃。妹爾戀哉。寢宿金鶴。
しらまゆみ。ひだのほそえの。すがどりの。いもにこふれや。いをねかねつる。
 
シラマ弓、枕詞。大和葛城郡にも、高市郡にも、斐太と言ふ村有りと言へど、江と言ふばかりの大沼有りとも聞えず。されど、卷三、輕の池の入江と言ひ、後にも此川の入江など詠みて、海ならずとも川にも言へり。又卷十四、未得勘知國と言ふ歌の中に、比多我多能いそのわかめと詠めり。今も此ヒタガタと同じ所歟。菅鳥と言ふも知られず。さてスガ鳥ノ如クと言ふを籠めたり。斯くいねられざるは、忘れては如何なる故ぞと思ふ由なり。又菅は管の誤歟、集中ツツ鳥と訓める有りと翁は言はれき。猶考ふべし。
 參考 ○菅鳥乃(考)訓、説ともに無し(古)「管」の誤にてツツドリか(新)スガトリノ。
 
3093 小竹之上爾。來居而鳴鳥。目乎安見。人妻?爾。吾戀二來。
しぬのうへに。きゐてなくとり。めをやすみ。ひとづまゆゑに。われこひにけり。
 
鳴鳥ノムレと懸けたり。アヂサハフメゴトと續けたるも、シヌノメと言へるも、メは群《ムレ》の意なる事、冠(89)辭考を見て知るべし。他妻なる物を、めやすく麗はしければ、吾は戀ふるとなり。メヤスキは、見安きにて見苦しきの裏なり。卷十、あから引敷たへの子をしば見れば他づま故に我戀ぬべし。?は故の字の誤とすべけれど、外にも此字を用ひたるも有れば猶考ふべし。
 參考 ○小竹之上爾(古)シヌノヘニ(新)略に同じ。
 
3094 物念常。不宿起有。旦開者。和備?鳴成。鷄【鷄ヲ〓ニ誤ル】左倍。
ものもふと。いねずおきたる。あさけには。わびてなくなり。にはつどりさへ。
 
古事記、爾波津登理加祁波那久、卷十一、わがせこを我こひをればわがやどの草さへおもひうらぶれにけりと言ふにひとし。
 參考 ○不宿起有(代)ネズテオキタル(考、古、新)略に同じ。
 
3095 朝烏。早勿鳴。吾背子之。旦開之容儀。見者悲毛。
あざがらす。はやくななきそ。わがせこが。あさけのすがた。みればかなしも。
 
カナシは、愛にても愁にても深き時言ふ言なり。ここは容儀のめでられて、別の惜しきなり。
 參考 ○見者悲毛(新)ミナバクルシモ。
 
3096 ??越爾。麥咋駒乃。雖詈。猶戀久。思不勝烏。
うませ《くべ》ごしに。むぎはむこまの。のらゆれど。なほしこふらく。しぬびかねつも。
 
(90)ウマセは馬塞《ムマセキ》の略か、小木をもて垣とすれば??の字を書けり。卷十四、宇麻勢胡之云云、又同卷、久敝《クベ》胡之爾武藝波武古馬乃とて、三句より外は異なる歌有り。その久敝は籬を俗クネと言ひて、クベもクネと同じく、物を限り隔つる由なり。さればここもクベとも訓むべし。卷四、赤駒の越る馬柵《ウマセ》の云云とも訓めり。和名抄、籬(末加岐一云末世)とも有り。田家にて馬屋近き庭に麥を乾すを、馬は柵ごしに頭をのべて咋むを、罵りては咋ませぬなり。さて父母に罵らるるを譬ふ。ナホシのシは助辭。烏は焉の誤なり。
 參考 ○??越爾(考)クベゴシニ、又マセ(古、新)ウマセコシニ ○雖詈(代)ノラエレド(考〕ノラルレド(古、新)略に同じ ○猶戀久(考)ナホコヒシケク(古、新)略に同じ ○思不勝烏(代)オモ(○ヒ脱カ)アヘナク(考)オモヒガテヌヲ(古)略に同じ(新)シヌビカネツツ「烏」を「乍」の誤とす。
 
3097 左檜隈。檜隈河爾。駐馬。馬爾水令飲。吾外將見。
さひのくま。ひのくまがはに。こまとめて。こまにみづかへ。われよそにみむ。
 
左は眞に通へる發語にて、同じことを重ねたるなり。ヒノクマは高市郡に今も此地有りて、川も有りとぞ。コマは子馬に有らず。卷十四に、古馬古麻など書きて老若に拘らでコマと言へり。又ウマとも訓むべし。古今集大歌所御歌に、ささのくまと誤りて、末をいささか替へたり。
 參考 ○駐馬(考)略に同じ(古、新)ウマトドメ ○馬爾(考)コマニ(古、新)ウマニ。
 
(91)3098 於能禮故。所詈而居者。※[馬+総の旁]馬之。面高夫駄爾。乘而應來哉。
おのれゆゑ。のらえてをれば。あしげうまの。おもたかぶだに。のりてくべしや。
 
和名抄、?馬青馬也、黄?馬葦花毛馬也云云、青白雜毛馬也と有り。翁云、夫は久の字の誤れるなるべし。上に妹許とへば足莊嚴と言へる如く、常は身をよそひ、馬の麗はしきに乘り、馬の頭あげつつ勇《イサ》み來しを、己れ故に父母に罵られて居る男なれば、馬の頭も吾頭をも、高く擧げて乘り來る事は得じ、うなだれてこそ通はめと、女の歎く歌なりと言はれき。宣長云、左の註に依りて解かば、此歌紀皇女御作にて、高安王の伊與國に居らるる許へ詠みて遣はされたるなり。上二句は妾《ワレ》故に公の咎にあひて、伊與へ降り居給ふ事なれば、驛馬に乘りて、面高く誇りかに、君の御許へ降り參るべきにもあらずと言ふ意なり。來ベシヤは、行クベシヤハの意なり。行を來と言へる例多し。面高とは馬の頭を擧げて行くにも言ひ懸けて、自らの面高く誇りかにて行く意なり。夫駄は驛路の荷を負する馬にて、俗に言ふ小荷駄なりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○※[馬+総の旁]馬之(新)アヲウマノ ○面高夫駄爾(考)オモタカ「久」クタニ(古、新)略に同じ。
 
右一首。平羣文屋朝臣益人傳云。昔聞紀皇女竊嫁2高安王1。被v責之時。御2作此歌1。但高安王左降任2之伊與國守1也。  養老三年の頃なるべし。
 
3099 紫草乎。草跡別別。伏鹿之。野者殊異爲而。心者同。
(92)むらさきを。くさとわくわく。ふすしかの。ぬはことにして。こころはおやじ。
 
鹿は唯だの草と紫とを撰り分けて、其紫有る所に伏すと言ひなせり。其鹿どもの住める野は各|異《コト》なれど、紫をめづる心は同じと言ひて、君とわれ住所の異にもなり、世中さまざまに經ても、なつかしむ魂は一方へ寄りぬと添へたりと、翁は言はれき。契沖云、紫をあだ人に譬へて、草の中にても、取分け優しき物なれども、鹿はさも思はで、常の草と同じく蹈分け蹈分け臥處《フシド》とするなり。我心は殊に思ひ寄れども、鹿の異草とひとしく、紫を蹈み分くる如くに、我をも異人の如くすると恨むなりと言へり。是れも穩かならず、猶考ふべし。
 參考 ○紫草乎(古、一説、新)シバクサヲ「倉崎」を「柴」の誤とす。
 
3100 不想乎。想常云者。眞鳥住。卯名手乃杜之。神思將御知。
おもはぬを。おもふといはば。まとりすむ。うなてのもりの。かみししらさむ。
 
眞トリ住、枕詞。卷四、一二の句今と同じくて、末大野なる三笠のもりの神ししらさむ、其下にも同體の歌有り。古への誓言なれば、此言の歌多きなり。ウナテは、和名抄、大和高市郡雲梯(宇奈天)畝火山の西北に雲梯村と言ふ有りて、そこの社なりと國人言へり。出雲國造神賀詞に、事代主命波宇奈提乃神奈備爾坐と見ゆ。さて天武紀に、高市大領に依り給ひしも事代主命なり。是れも卯名手大神ならんか。此歌に斯く稱《タタ》へ申せしからは、古へは有るが中に此神社を崇めるなるべし。
 
(93)問答歌
 
3101 紫者。灰指物曾。海石榴市之。八十街爾。相兒哉誰。
むらさきは。はひさすものぞ。つばいちの。やそのちまたに。あへるこやたれ。
 
紫は海石榴の灰のあくを差して、染むる物なるに依りて、ツバ市と言はん序とせり。椿市は上に出でたり。大和物語に、中頃はよき人人市に行きて色好わざしけると言へる、中頃とは何時を言ふか。武烈紀に、弘計皇子命海石榴市の歌垣に立ちまして、影媛《カゲヒメ》、鮪臣《シビノオミ》など歌ひ交はし給ふ事有れば、上つ代よりの習はしなるべし。さて目に著きたる女の名を問ふに、歌うたひて問ひも答へもせし事、彼の紀の御贈答をここに合せて知らる。
 參考 ○相兒哉誰(考、新)略に同じ(古)アヒシコヤタレ。
 
3102 足千根乃。母之召名乎。雖白。路行人乎。孰跡知而可。
たらちねの。ははがよぶなを。まをさめど。みちゆきびとを。たれとしりてか。
 
古へ其の娘の名をば、母父の呼びつらめど、母を擧げ言ふは女の歌なればなり。且つ若き女の名を他人に言ふを忌む事は、既に多く出でたり。翁の言へらく、此贈歌の序の言ひなしの雅びて面白く、答歌の有りふる事のままに言ひて、あはれに、且つ二首とも調のうるはしきなど、飛鳥岡本宮の始の頃の歌な(94)り。歌は斯くこそ有るべきなれと言はれき。
 參考 ○路行人乎(考)略に同じ(古、新)ミチユクヒトヲ。
 
右二首
 
3103 不相。然將有。玉梓之。使乎谷毛。待八金手六。
あはなくは。しかもありなむ。たまづさの。つかひをだにも。まちやかねてむ。
 
障り有りて逢はぬはさも有るべき事ながら、如何なれば使をだに斯く待ち兼ぬるばかり疎《ウト》きぞと言ふなり。
 參考 ○不相(代、古、新)略に同じ(考)アハザルハ ○然將有(代)シカモアラム(考)シカシモアラム(古、新)略に同じ。
 
3104 將相者。千遍雖念。蟻通。人眼乎多。戀乍衣居。
あはむとは。ちたびおもへど。ありがよふ。ひとめをおほみ。こひつつぞをる。
 
アリガヨフは、常に在りつつ行き交ふあまたの人を言へり。
 參考 ○千遍雖念(考)チヘニオモヘド(古、新)略に同じ。
 
右二首
 
3105 人目多。直不相而。蓋雲。吾戀死者。誰名將有裳。
(95)ひとめおほみ。ただにあはずて。けだしくも。わがこひしなば。たがなにかあらも。
 
アラモはアラムなり。上に里人も言ひつぐるがねよしえやしこひてもしなむたが名ならめやとも言ひて、わが戀ひ死なば、誰が名か立たん、君が名こそ立ためと人を勵ますなり。
 參考 ○誰名將有裳(考、古、新)タガナナラムモ。
 
3106 相見。欲爲者。從君毛。吾曾益而。伊布可思美爲也。
あひみまく。ほしけくすれは。きみよりも。われぞまさりて。いぶかしみする。
 
イブカシはオボツカナキなり、イブセキと言ふも同じ語なり。後には轉じて疑はしき事とす。也は徒らに添へて書けるなり。宣長云、爲の下事の字脱ちしか、ホリスルコトハと有るべしと言へり。
 參考 ○欲爲者(考)略に同じ(古)ホシケクアレバ「爲」を「有」の誤とす(新)ホシキタメニハ。
 
右二首
 
3107 空蝉之。人目乎繁。不相而。年之經者。生跡毛奈思。
うつせみの。ひとめをしげみ。あはずして。としのへぬれば。いけりともなし。
 
 參考 ○生跡毛奈思(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
3108 空蝉之。人目繁者。夜干玉之。夜夢乎。次而所見欲。
うつせみの。ひとめしげくは。ぬばたまの。よるのいめにを。つぎてみえこそ。
 
(96)イメニヲのヲは與に通へり。欲は乞と書けるに同じく、コソと訓むべし。此下にひとよもおちず夢に所見欲と言ふもミエコソと訓むべく、又集中いで吾駒早く去欲と有るを、催馬樂にハヤクユキコセと謠へる、即ち古訓なり。
 
右二首
 
3109 慇懃。憶吾妹乎。人言之。繁爾因而。不通比日可聞。
ねもころに。おもふわぎもを。ひとごとの。しげきによりて。よどむころかも。
 
 參考 ○憶吾妹乎(考、新)略に同じ(古)アガモフイモヲ ○不通(考)タエシ(古、新)略に同じ。
 
3110 人言之。繁思有者。君毛吾毛。將絶常云而。相之物鴨。
ひとごとの。しげくしあらば。きみもわれも。たえむといひて。あひしものかも。
 
逢ひて後斯く言ひ騷がれなば、絶えんとかねて言ひし物かは、さは有らぬをと言ふなり。此のカモはカハの意なり。
 
右二首
 
3111 爲便毛無。片戀乎爲登。比日爾。吾可死者。夢所見哉。
すべもなき。かたこひなすと。このごろに。わがしぬべきは。いめにみえきや。
 
あが死ぬべきさまに成りたりと、夢に見えつる歟となり。
 
(97)3112 夢見而。衣乎取服。装束間爾。妹之使曾。先爾來。
いめにみて。ころもをとりき。よそふまに。いもがつかひぞ。さきだちにける。
 
しか夢に見えしに依りて、装ひて妹がり行かんとする間に、妹が方より使の來りしとなり。 
右二首
 
3113 在有而。後毛將相登。言耳乎。堅要管。相者無。
ありありて。のちもあはむと。ことのみを。かたくいひつつ。あふとはなしに。
 
アリアリテは、斯く在り經つつなり。左にも不相登|要之《イヒシ》と書きたれば、要は言ひ契る由なるべし。
 參考 ○在有而(考)略に同じ(古、新)アリサリテ但し(新)は「有」を「在」の誤とす。
 
3114 極而。吾毛相登。思友。人之言社。繁君爾有。
きはめて。われもあはむと。おもへども。ひとのことこそ。しげききみなれ。
 
初句四言、堅く言ひつつと言ふを受けて、我も逢はんと極めて思へどもと言ふなり。相の上、將の字を脱せしか。
 參考 ○極而(考)キハマリテ(古)略に同じ(新)アリサリテ「極」を「在去」の誤とす。
 
右二首
 
3115 氣緒爾。言氣築之。妹尚乎。人妻有跡。聞者悲毛。
(98)いきのをに。わがいきづきし。いもすらを。ひとづまなりと。きくはかなしも。
 
命を懸けて戀ひ歎きしと言ふなり。氣ヅクは思の切なる時する事にて、今タメ息ツクと言ふなり。
 參考 ○聞者悲毛(考、古、新)キケバカナシモ。
 
3116 我故爾。痛勿和備曾。後遂。不相登要之。言毛不有爾。
わがゆゑに。いたくなわびそ。のちつひに。あはじといひし。こともあらなくに。
 
未だ定かに他妻と成れるにも有らぬ程にて、女も彼方は心ゆかぬなるべし。
 
右二首
 
3117 門立而。戸毛閉而有乎。何處從鹿。妹之入來而。夢所見鶴。
かどたてて。ともとぢたるを。いづくゆか。いもがいりきて。いめにみえつる。
 
門タテテは門閉テなり。翁は門を造立而なりと言はれつれど、しか言ふべき所ならずや。戸も閉ぢたるとはかすがひして閉づるを言ふべし。催馬樂あづま屋に、かすがひもとざしもあらばこそと言へり。
 參考 ○戸毛閉而有乎(代、古、新)トモサシタルヲ(考)略に同じ。
 
3118 門立而。戸者雖闔。盗人之。穿穴從。入而所見牟。
かどたてて。とはさせれども。ぬすびとの。ゑりたるあなゆ。いりてみえけむ。
 
字鏡に、闔(合也、閉也、門乃止比良)和名抄、偸兒(奴須此止)竊盗(美曹加奴須比止)など有り。(99)牟の上氣の字脱ちしなるべし。
 參考 ○戸者雖闔(考)トハトヂタレド(古、新)トハサシタレド ○穿穴從(代)ホレバ(考)ホレル(古)エレルアナヨリ(新)ウガテルアナユ ○入而所見牟(考)略に同じ(古、新)イリテミエシヲ「牟」を「乎」の誤とす。
 
右二首
 
3119 從明日者。戀乍將在。今夕彈。速初夜從。緩解我妹。
あすよりは。こひつつあらむ。こよひだに。はやくよひより。ひもとけわぎも。
 
旅立たん前夜なるべし。上のコヨヒは一夜の事。下のヨヒは字の如く初夜を言へり。彈は音を借りたる假字なり。緩、一本綏に作り、又一本縷に作る。緩はゆるめ解く意をもて書けるか。
 
3120 今更。將寢哉我背子。荒田麻之。全夜毛不落。夢所見欲。
いまさらに。ねめやわがせこ。あらたまの。ひとよもおちず。いめにみえこそ。
 
此一夜は一年の間の毎夜を言ふ故に、此枕詞を置けり。今夜ばかりと成りて更にとく寢んもかひ無し、唯だ明日より一夜も漏さず夢に見えん事をこそ思へ、しか見えよと願ふなり。又アラ玉を則ち年の事として詠めるか。枕詞を直ちに其事とせる例有り。
 參考 ○將寢哉(考)ネムヤ(古、新)略に同じ ○荒田麻之(古、新)アラタヨノ「麻」を「夜」(100)の誤とす。
 
右二首
 
3121 吾勢子之。使乎待跡。笠不著。出乍曾見之。雨零爾。
わがせこが。つかひをまつと。かさもきず。いでつつぞみし。あめのふらくに。
 
此歌卷十一にも載せたり。彼は唯だ雨の類ひにとり、ここは問答なればなり。
 
3122 無心。雨爾毛有鹿。人目守。乏妹爾。今日谷相牟。【牟ハ乎ノ誤】
こころなき。あめにもあるか。ひとめもる。ともしきいもに。けふだにあはむを。
 
人目の隙を窺ひて、たまたま逢ふ妹を言ふ。牟、官本乎に作るを善しとす。
 參考 ○人目守(古、新)ヒトメモリ。
 
右二首
 
3123 直獨。宿杼宿不得而。白細。袖乎笠爾著。沾乍曾來。
ただひとり。ぬれどねかねて。しろたへの。そでをかさにき。ぬれつつぞこし。
 
3124 雨毛零。夜毛更深利。今更。君將行哉。紐解設名。
あめもふり。よもふけにけり。いまさらに。きみゆかめやも。ひもときまけな。
 
深の下氣の字を脱せしか、ユカメヤモは歸らんやなり。マケは字の如し。マケナはマケムと同じ。
(101) 參考 ○夜毛更深利(代)「更」の下「氣、又は計」脱とす(考)ヨモフケユケリ(古、新)略に同じ ○君將行哉(考)キミハユカメヤ(古)キミハイナメヤ(新)キミイナメヤモ。
 
右二首
 
3125 久堅之。雨零日乎。我門爾。蓑笠不蒙而。來有人哉誰。
ひさかたの。あめのふるひを。わがかどに。みのかさきずて。きたるひとやたれ。
 
結句、宣長はケルヒトヤタレと訓むべし。ケルはキタルの古語なりと言へり。キタルと訓まんよりはまされり。
 參考 ○蓑(古)ニノ ○來有人哉誰(考)略に同じ(古、新)ケルヒトヤタレ。
 
3126 纏向之。痛足乃山爾。雲居乍。雨者雖零。所沾乍烏來。
まきむくの。あなしのやまに。くもゐつつ。あめはふれども。ぬれつつぞこし。
 
烏は曾の誤なるべし。
 參考 ○所沾乍烏來(考)ヌレツツゾクル(古、新)略に同じ。
 
右二首
 
羈旅發思
 
(102)3127 度會。大河邊。若歴木。吾久在者。妹戀鴨。
わたらひの。おほかはのべの。わかくぬぎ。わがひさにあれば。いもこふるかも。
 
度會は伊勢。和名抄、歴木(久奴木)若を吾に重ねたる序なり。ヒサキとも訓まんか。さらば吾久と言ふ言を重ね言へるなり。我久しく旅に有れば妹が戀ふるかとなり。
 參考 ○若歴木(考)ワカクヌギ、又はワカヒサキ(古、新)ワカヒサキ。
 
3128 吾妹子。夢見來。倭路。度瀬別。手向吾爲。
わぎもこを。いめにみえこと。やまとぢの。わたりせごとに。たむけわがする。
 
夢に見え來れかしと祈りて手向するなり。
 參考 ○手向吾爲(古)タムケゾアガスル(新)略に同じ。
 
3129 櫻花。開哉散。及見。誰此所。見散行。
さくらばな。さきかもちると。みるまでに。たれかもここに。みえてちりゆく。
 
櫻の咲きて散る如くに、うるはしみ相見し程も無く、離去を悲しみて詠めるなるべし。誰かもと言へるは、實は一人を指すなれど、よそ事のやうに言ふも歌の常なり。
 參考 ○誰此所(古)略に同じ(新)タレゾモココニ。
 
3130 豐州。聞濱松。心喪。何妹。相之始。
(103)とよくにの。きくのはままつ。こころにも。なにしかいもに。あひしそめけむ。
 
和名抄、豐前企玖郡。元暦本、喪を哀に、之を云に作る。さらば松は待の借字にて、ココロイタク、ナニシカイモニ、アヒイヒソメケムと訓むべし。されど些か穩かならず。翁は心喪は不遠などの字の誤にて、之は見の誤なるべし。キクノ濱松、トホカラズ、ナニシカイモヲ、アヒミソメケムと訓むべし。心は濱松を遙かに見る由にて、不遠と續けたるかと言はれき。宣長は心喪の字は誤にて、ネモコロニと有るべき所なりと言へり。春海云、喪は衷の誤か。字書に衷(ハ)誠也と有れば、心衷を義もてネモコロと訓むべしと言へり。
 參考 ○心喪(考)不遠か(古)ココロイタク「喪」を「哀」とす(新)ネモコロニ「心衷」の誤とす ○相之始(代)アヒ「云」イヒソメケム(考)「相見始」とす(古)アヒ「云」イヒソメケム(新)アヒ「云」イヒソメシ。
 
右四首。柿本朝臣人麻呂歌集出。
 
3131 月易而。君乎婆見登。念鴨。日毛不易爲而。戀之重。
つきかへて。きみをばみむと。おもへかも。ひもかへずして。こひのしげけき。
 
オモヘカモはオモヘバカモなり。男の今朝旅立ちて別るる時、來ん月に歸り來らんと言ひていにし故に詠めりと聞ゆ。
(104) 參考 ○念鴨(新)オモヒツル「鴨」を「鶴」の誤とす ○戀之重(考)略に同じ(古)コヒノシゲケム(新)コヒノシゲケク。
 
3132 莫去跡。變毛來哉常。顧爾。雖往不歸。道之長手矣。
なゆきそと。かへりもくやと。かへりみに。ゆけどかへらず。みちのながてを。
 
上は送りし人既に歸りし後、又もとむるやと、行く人の思ふ思ふ、かへり見しつつ行けども、更に立ち返りてとどむる人は無くて、道のやや遠く成りぬるを歎くなり。長手は既にも言ふ如く、古事記に、八十|※[土+向]手《クマテ》と言へるは、※[土+向]|道《ヂ》を音の通へば手と言ふなり。さればここはミチノ長ミチと重ねたる言なり。
 參考 ○雖往不歸(考、新)略に同じ(古)ユケドユカレズ。
 
3133 去家而。妹乎念出。灼然。人之應知。歎將爲鴨。
たびにして《イヘサリテ》。いもをおもひで。いちじろく。ひとのしるべき。なげきせむかも。
 
家を去りて思ひ出づるともかひ無き事なるを、人の知るばかり歎きせんかはなり。
 參考 ○去家而(考、古、新)タビニシテ ○念出(考)オモヒデテ(古、新)略に同じ。
 
3134 里離。遠有莫國。草枕。旅登之思者。尚戀來。
さとさかり。とほからなくに。くさまくら。たびとしもへば。なほこひにけり。
 
草マクラ、枕詞。卷九、振山ゆただに見渡す都にぞいねずて戀る遠からなくに。
 
(105)3135 近有者。名耳毛聞而。名種目津。今夜從戀乃。益益南。
ちかかれば。なのみもききて。なぐさめつ。こよひゆこひの。いやまさりなむ。
 
よそにして戀ふる妹を、いよよ遠き旅に出でては戀ひまさらんとなり。
 參考 ○近有者(考)略に同じ(古)チカクアレバ(新)チカカレバ。
 
3136 客在而。戀者辛吉。何時毛。京行而。君之目乎將見。
たびにありて。こふればくるし。いつしかも。みやこにゆきて。きみがめをみむ。
 
男の國の任に在りて詠めるなるべし。君はここは女を指せり。
 
3137 遠有者。光儀者不所見。如常。妹之咲者。面影爲而。
とほかれば。すがたはみえず。つねのごと。いもがゑまひは。おもかげにして。
 參考 ○遠有者(考)略に同じ(古)トホクアレバ(新)トホカレバ。
 
3138 年毛不歴。反來甞跡。朝影爾。將待妹之。面影所見。
としもへず。かへりこなむと。あさかげに。まつらむいもが。おもかげにみゆ。
 
遠き國へ行きて男の詠めるなり。卷十一に、朝影に我身は成ぬと言ふはさる事にて、是れは影の如く痩せて待つらんと言ふ事を、斯く略き過ごせるは、古き歌には例無けれど、思ひ痩せたるを想像て斯くも詠めるならん。又は影は異の誤にて、朝ニケニと有りしか。
(106) 參考 ○反來甞跡(考、古)カヘリキナメド(新)略に同じ ○朝影爾(考)アサカゲニ、又アサニケニ「影」は「異」の誤か(古)アサカゲニ(新)アサニ「異」ケニ。
 
3139 玉桙【桙ヲ梓ニ誤ル】之。道爾出立。別來之。日從于念。忘時無。
たまぼこの。みちにいでたち。わかれこし。ひよりおもふに。わするときなし。
 
今桙を梓とせるは誤なり。是れも男の歌なり。
 參考 ○日從于念(新)ヒヨリオモヒニ。
 
3140 波之寸八師。志賀在戀爾毛。有之鴨。君所遺而。戀敷念者。
はしきやし。しかるこひにも。ありしかも。きみにおくれて。こひしくもへば。
 
ハシキヤシは下の君へ懸かれり。如是有るべき吾戀にても有りけるかと、吾身を思ひとりて、さて君と朝夕馴れつつ在るべく思ひし物を、今更かくおくれゐて、慕はるる事を思ひ見ればと、末に解くなり。戀敷は戀|重《シキ》るなれば、シクと訓むべし。
 參考 ○戀敷念者(考、新)略に同じ(古)コヒシクオモヘバ。
 
3141 草枕。客之悲。有苗爾。妹乎相見而。後將戀可聞。
くさまくら。たびのかなしく。あるなへに。いもをあひみて。のちこひむかも。
 
苗は借字にて並なり。旅にて女に逢ひ初めて、もとより旅の物悲しきに、今逢ひそめし妹にも、後に戀(107)ひ苦まんかと言ふなり。遊女などに一夜逢ひて詠めるか。
 
3142 國遠。直不相。夢谷。吾爾所見社。相日左右二。
くにとほみ。ただにはあはず。いめにだに。われにみえこそ。あはむひまでに。
 
3143 如是將戀。物跡知者。吾妹兒爾。言問麻思乎。今之悔毛。
かくこひむ。ものとしりせば。わぎもこに。こととはましを。いましくやしも。
 
卷十四、あり衣のさゑさゑしづみいへの妹に物いはずきにて今しくやしも、と言ふにひとしく、立別るる時のまぎれに、物をもよく言はで來しを悔るか。又忍びて逢ふ妹なれば、物言はん由も無くて別れ來しを、今思ふには、顯るるとも物語らひて來べかりしをと言ふにも有るべし。
 
3144 客【客ヲ容ニ誤ル】夜之。久成者。左丹頬合。紐【紐ヲ?ニ誤ル】開不離。戀流比日。
たびのよの。ひさしくなれば。さにづらふ。ひもときさけず。こふるこのごろ。
 
サニヅラフ紐は赤紐なり。初めは夫の旅の事を言ひて、末は妹が丸寢《マロネ》して戀ふるさまをみづから言へり。
 參考 ○紐開不離(考)略に同じ(古、新)ヒモアケサケズ。
 
3145 吾妹兒之。阿乎偲良志。草枕。旅之丸寢爾。下紐【紐ヲ?ニ誤ル】解。
わぎもこし。あをしぬぶらし。くさまくら。たびのまろねに。したひもとけつ。
 
アヲは吾ヲなり。古郷の妹が我を戀ふるか紐の解くるとなり。
(108) 參考 ○解(考)トクル(古)略に同じ(新)トケヌ。
 
3146 草枕。旅之衣。紐解。所念鴨。此年比者。
くさまくら。たびのころもの。ひもとけぬ。おもほせるかも。このとしごろは。
 
家の妹がわれを思ふかとなり。是れも右と同じ意なり。
 參考 ○紐解(考、新)略に同じ(古)ヒモトケツ ○所念鴨、此年比者(新)オモハユルカモ、イモニコノコロ「此年」を「妹爾」の誤とす。
 
3147 草枕。客之紐解。家之妹志。吾之【之ハ乎ノ誤】待不得而。嘆良霜。
くさまくら。たびのひもとく。いへのいもし。あをまちかねて。なげかすらしも。
 
ヒモトクルのルを略けり。吾之の之は乎の誤なり。ナゲカスはナゲクを延べ言ふなり。
 參考 ○客之紐解(新)タビノヒモトケヌ。
 
3148 玉釧。【釧ヲ釼ニ誤ル】卷寢志妹乎。月毛不經。置而八將越。此山岫。
たまくしろ。まきねしいもを。つきもへず。おきてやこえむ。このやまのくき。
 
玉クシロ、枕詞。釧を釼とせるは誤なり。逢ひ初めて一月だに經ず旅に出立つなり。和名抄、岫、山穴似v袖云云(和名久木)と有り。卷十四、武藏野乃|乎具奇我吉藝志《ヲグキガキギシ》たち別れと詠めり。クキはクグリの約言なるべし。又岫は岬の誤にてサキ歟。
(109) 參考 ○此山岫(古、新)コノヤマノ「岬」サキ。
 
3149 梓弓。末者不知杼。愛美。君爾副而。山道越來奴。
あづさゆみ。すゑはしらねど、うつくしみ。きみにたぐひて。やまぢこえきぬ。
 
國の任に從ひ來る女の歌ならん。男女の中の末と、旅の行先とを兼ねて末と言ふなるべし。 
3150 霞立。春長日乎。奧香無。不知山道乎。戀乍可將來。
かすみたつ。はるのながびを。おくかなく。しらぬやまぢを。こひつつかこむ。
 
卷一、霞立長春日乎と有り。ここも長春日と有りしを斯く誤れるならん。オクカナクは行末知らぬなり、上に出づ。將v來はユカムの意なり。
 
3151 外耳。君乎相見而。木綿牒。手向乃山乎。明日香越將去。
よそのみに。きみをあひみて。ゆふだたみ。たむけのやまを。あすかこえなむ。
 
ユフダタミ、枕詞。牒、字鏡簡也、札、布彌太、後漢書王符傳、皆服2文組綵牒1、往牒即今疊布と有れば、タタミと訓むべし。右の簡も古(ヘ)板竹など韋にて編みたるなれば、たたむ事も有るべし。集中、奈良の手向と淡海相坂の手向山を詠める中に、ここは奈良の手向を言へり。奈良人の歌にて、明日越えんと言へばなり。奈良の京の女、父の任に從ひてあがたへ行かんずるに、兼ねて思ふ男を外目《ヨソメ》にのみ相見て、え近付く事もせで、遂に遠き別れとさへ成るを悲しめるなるべし。
(110) 參考 ○外耳(考)ヨソニノミ(古、新)略に同じ ○明日香越將去(考)略に同じ(古、新)アスカコエイナム。
 
3152 玉勝間。安倍島山之。暮露爾。旅宿得爲也。長此夜乎。
たまかつま。あべしまやまの。ゆふつゆに。たびねはえすや。ながきこのよを。
 
玉カツマ、枕詞。尾張國風土記云、中島郡安倍島山、又仲哀紀、限2没利《モリ》鳥(○島ノ誤)阿閇《アベ》島1爲2御筥1と言へるは長門などに有るべき由、冠辭考に委し、いづれにか。夕露寒き草枕は今だにいね難きに、長き夜を如何にせんとわぶるなり。得爲也はエセンヤの意なり。卷十一、面忘だにも得爲也登《エスヤト》とも詠めり。
 參考 ○暮露爾(新)ユフ「霧」ギリニ ○旅宿得爲也(考)タビネモエスヤ(古、新)タビネエセメヤ。
 
3153 三雪零。越乃大山。行過而。何日可。我里乎將見。
みゆきふる。こしのおほやま。ゆきすぎて。いづれのひにか。わがさとをみむ。
 
三は眞なり。神名帳、越前丹生郡大山御坂神社、和名抄、越中|婦負《メヒ》郡大山(於保也万)と見ゆ。ここは何れにか。任國より京へ歸る人の歌ならん。
 
3154 乞吾駒。早去欲。亦打山。將待妹乎。去而速見牟。
(111)いでわがこま。はやくゆきこそ。まつちやま。まつらむいもを。ゆきてはやみむ。
 
催馬樂古本に、此歌を由支古世と有り。古世も古曾も同じ意にて、願ふことなり。マツチ山は既に出づ。紀伊の任より京へ歸る人の歌なり。
 參考 ○早去欲(代)ハヤユカマホシ(考)ハヤクユキコセ(古、新)略に同じ。
 
3155 惡木山。木末悉。明日從者。靡有社。妹之當將見。
あしきやま。こねれことごと。あすよりは。なびきたりこそ。いもがあたりみむ。
 
肥前の蘆城山か。尾張|春部《カスガベ》郡|安食《アジキ》、近江犬上郡安食と言ふも有り、考ふべし。ナビキタリコソは、靡キテアリコソにて、靡ケカシと願ふ詞なり。上に、妹が門見むなびけ此山と詠めるが如し。
 參考 ○木末悉(代、古、新)略に同じ(考)コヌレコトゴト ○靡有社(代、考)ナビキタレコソ(古、新)略に同じ。
 
3156 鈴鹿河。八十瀬渡而。誰故加。夜越爾將越。妻毛不在君。
すずかがは。やそせわたりて。たがゆゑか。よごえにこえむ。つまもあらなくに。
 
伊勢鈴鹿郡なり。此川同じ山河を彼方此方《アナタコナタ》と幾度も渡れば斯く言へり。催馬樂にも、すずかがはやそせのたきをと謠へり。旅なる程に家の妻の身まかりし後に歸るとて詠めるか。
 
3157 吾妹兒爾。又毛相海之。安河。安寢毛不宿爾。戀渡鴨。
(112)わぎもこに。またもあふみの。やすのかは。やすいもねずに。こひわたるかも。
 
妹に別れて旅に在りて、又も逢はばやと言ふを籠めたり。安河は近江|野洲《ヤス》郡なり。ここの戀ワタルカモと言へるは川の縁にて詠めり。
 
3158 客爾有而。物乎曾念。白浪乃。邊毛奧毛。依者無爾。
たびにありて。ものをぞおもふ。しらなみの。へにもおきにも。よるとはなしに。
 
旅に在りて、そこの女を戀ふるに、成る成らざらんも知られぬ程の歎きなるべし。
 
3159 湖轉爾。滿來鹽能。彌益二。戀者雖剰。不所忘鴨。
みなと|わ《ま》に。みちくるしほの。いやましに。こひはまされど。わすらえぬかも。
 
久しき旅にて妹戀しさのいよよ増さるを言ふ。上は序なり。
 參考 ○湖轉爾(考)ミナトワニ(古、新)ミナトミニ。
 
3160 奧浪。邊浪之來依。貞浦乃。此左太過而。後將戀鴨。
おきつなみ。へなみのきよる。さだのうらの。このさだすぎて。のちこひむかも。
 
卷十一相聞に出づ。そこに言へり。
 
3161 在千方。在名草目而。行目友。家有妹伊。將欝悒。
ありちがた。ありなぐさめて。ゆかめども。いへなるいもい。いぶかしみせむ。
 
(113)在千方何處なるか、もし越前のアラチにや。我は慰めても行くを、家の妹は思ひ晴るる時無くて有らんとなり。妹伊の伊は、下へ附くる助辭なり、卷三、志斐伊はまをせと言ふ歌に委し。
 參考 ○在千方(考)アリチガタ、又は、アラチ(古、新)アリチガタ ○家有妹伊(考)イヘナルイモ「耶」ヤ(古、新)略に同じ。
 
3162 水咫衝石。心盡而。念鴨。此間毛本名。夢西所見。
みをつくし。こころつくして。おもへかも。ここにももとな。いめにしみゆる。
 
水の深き筋をミヲと言ふ。其水の淺深を量る杭を湊に立て置くを、ミヲツクシと言ふ。延喜式雜式、難波津頭海中立2澪標1云云と言ふ是れなり。咫は淺深を量る意をもて書けるか、さて是れは枕詞のみ。ココニモは旅居せる所を指して言へり。
 
3163 吾妹兒爾。觸者無二。荒礒回爾。吾衣手者。所沾可母。
わぎもこに。ふるとはなしに。ありそまに。わがころもでは。ぬれにけるかも。
 
妹に寄り添ふとは無くて、旅にして荒磯浪に袖濡るるを言ふ。卷九、妹にふれなばとも詠めり。
 參考 ○荒礒回爾(考)アリソワニ(古、新)アリソミニ。
 
3164 室之浦之。湍門之崎有。鳴島之。礒越浪爾。所沾可聞。
むろのうらの。せとのさきなる。なるしまの。いそこすなみに。ぬれにけるかも。
 
(114)播磨の室なるべし。セトは淡路島との間の迫門か、鳴島の事土人に問ふべし。舊訓ナキジマと詠みて、契沖もそれに據りつれど、今人の氏に成《ナル》島と言ふも有りて、地名なるべく思はるれば、しばらくナルシマと詠めり。
 參考 ○鳴島之(考)ナキシマノ(古)ナルシマノ(新)はいづれとも決せず。
 
3165 霍公鳥。飛幡之浦爾。敷浪之。?君乎。將見因毛鴨。
ほととぎす。とばたのうらに。しくなみの。しばしばきみを。みむよしもがも。
 
ホトトギス、枕詞。筑前風土記、塢舸水門《ヲカノミナト》の條に鳥籏《トバタ》と言ふ有り、是れか。上は序なり。
 參考 ○?君乎(古)略に同じ(新)シクシクキミヲ。
 
3166 吾妹兒乎。外耳哉將見。越懈乃。子難懈乃。嶋楢名君。
わぎもこを。よそのみやみむ。こしのうみの。こがたのうみの。しまならなくに。
 
懈は倦なれば借りたり。又は?の誤か。卷十六にも、紫の粉滷の海と詠めり。此海をよそ目に見る如く、妹をよそにのみ見んやと言ふなり。
 
3167 浪間從。雲位爾見。粟島之。不相物故。吾爾所依兒等。
なみまより。くもゐにみゆる。あはしまの。あはぬものゆゑ。わによするこら。
 
粟島、既に出づ。アハヌモノユヱは不v逢物ヲの意。ヨスルは人の言ひ寄するなり。然るに旅の歌にし(115)ては如何が有らん。次の歌も唯だ相聞と聞えて旅なる樣ならず、右にも旅なるまじきも有れば、もし亂れて入りしにや。上は序のみ。元暦本見の上所の字有り。
 參考 ○浪間從(考、新)ナミノマユ(古)ナミノマヨ ○吾爾所依兒等(新)ワニヨレルコラ。
 
3168 衣袖之。眞若之浦之。愛子地。間無時無。吾戀钁。
ころもでの。まわかのうらの。まなごぢの。まなくときなし。わがこふらくは。
 
衣手ノ、枕詞。眞若の眞は添ひたる言にて、紀伊のワカノ浦なり。愛子は借字にて眞砂路なり。上は序のみ。右に言へる如く旅の歌とも無し。和名抄云、?(云云和名久波)一名?、説文云、钁(云云和名上同)大鋤也。字鏡、久波と有れば、クハの詞に借りたり。
 參考 ○愛子地(考)略に同じ(古、新)マナゴヅチ。
 
3169 能登海爾。釣爲海部之。射去火之。光爾伊往。月待香光。
のとのうみに。つりするあまの。いざりびの。ひかりにいゆく。つきまちがてら。
 
伊ユクの伊は發語。
 參考 ○光爾伊往(代)ヒカリニイユケ(考、新)略に同じ(古)ヒカリニイマセ ○月待香光(代、古)ツキマチガテリ(新)略に同じ。
 
3170 思香乃白水郎乃。釣【釣ヲ鉤ニ誤ル】爲燭有。射去火之。髣髴妹乎。將見因毛欲得。
(116)しかのあまの。つりにともせる。いざりびの。ほのかにいもを。みむよしもがも。
 
シカは筑前、上にも出づ。爲は爾の誤歟。上は序のみ。
 
3171 難波方。水手出船之。遙遙。別來禮杼。忘金津毛。
なにはがた。こぎでしふねの。はろばろに。わかれきぬれど。わすれかねつも。
 
卷五、波漏《ハロ》波漏爾と書けり。妹を忘れぬなり。
 
3172 浦回榜。能野舟泊。【泊ヲ附ニ誤ル】目頬志久。懸不思。月毛日毛無。
うらまこぐ。よしのふねはて。めづらしく。かけておもはぬ。ときもひもなし。
 
能は熊の畫の失せたるなるべしと契沖言へり。神代記、熊野諸手船、又は卷六、眞熊野の船と訓みたれば、クマノブネなるべし。紀伊の熊野なり。附、古本に泊と有るを善しとす。舟附は雅言に有らず。翁は目頬志久をメガホシクと訓みて、メガホシクは見マホシクに同じ、カケテは心に懸けてなり。湊へ大船の寄りたる時は人毎に見まほしみ立ち走りつつ、行きつどふ物なるを以て譬へたりと言はれつれど、メガホシと言へる詞有りとも見えず。されば暫く舊訓にしたがひて、メヅラシクと訓めり。末の意はおのが妻こそとこめづらなれと詠める如く、愛づる餘りに、常に珍らしと思ふなり。本は熊野舟の常に唯だ過ぎに過ぐるが、稀に泊りたるを珍らしと見るを以て譬とせるか。されど猶穩かならず。二の句誤字有るべし。
(117) 參考 ○能野舟附(新)「熊」クマヌノフネ「能」ノ。
 
3173 松浦船。亂穿江之。水尾早。橄取間無。所念鴨。
まつらぶね。さわぐほりえの。みをはやみ。かぢとるまなく。おもほゆるかも。
 
亂をサワグと訓めるは上にも例有り。穿江は難波堀江なり。松浦舟は筑紫の松浦の丹なり。上は間無クと言はん料に設けたり。
 參考 ○亂穿江之(代、古)ミダルホリエノ(考)略に同じ(新)マガフホリエノ。
 
3174 射去爲。海部之?音。湯鞍干。妹心。乘來鴨。
いざりする。あまのかぢおと。ゆくらかに。いもがこころに。のりにけるかも。
 
ユクラカは集中、大舟のゆくらゆくらと詠めるに同じ。釣舟の楫をゆらゆらと漕ぐ音を以て序とせり。卷八、しだり柳のとををにも妹が心に乘りにけるかもと言へる類ひなり。干は音を借りてカニの詞に用ひたり。
 參考 ○海部之?音(考)略に同じ(古、新)アマノカヂノト。
 
3175 若乃浦爾。袖左倍沾而。忘貝。拾跡妹者。不所忘爾。
わかのうらに。そでさへぬれて。わすれがひ。ひろへどいもは。わすらえなくに。
 
渚に下り立てば、裾の濡るるはもとよりにて、貝拾ふとて袖をも濡らせば左倍と言へり。
(118) 參考 ○拾跡(代、古、新)ヒリヘド ○不所忘爾(代、古、新)ワスラエナクニ(考)ワスラレナクニ。
 
或本歌末句云。忘|可禰都母《カネツモ》。
 
3176 草枕。羈西居者。苅薦之。擾妹爾。不戀日者無。
くさまくら。たびにしをれば。かりごもの。みだれていもに。こひぬひはなし。
 
クサマクラ、カリゴモノ、枕詞。
 
3177 然海部之。磯爾苅干。名告藻之。名者告手師乎。如何相難寸。
しかのあまの。いそにかりほす。なのりその。なはのりてしを。いかであひがたき。
 
上は序なり。名をも告げて頼めしからは、斯くは有るまじきを、なぞ逢ふ事の難きとなり。旅にての戀なり。上にすみのえのしきつの浦のなのりそが名はのりてしをあはぬもあやし。
 參考 ○如何相難寸(新)ナニゾアヒガタキ。
 
3178 國遠見。念勿和備曾。風之共。雲之行如。言者將通。
くにとほみ。おもひなわびぞ。かぜのむた。くものゆくごと。ことはかよはむ。
 
國遠しとて思ひわぶる事なかれ。風と共に雲の往き通ふ如く音信せんとなり。
 參考 ○雲之行如(古、新)クモノユクナス。
 
(119)3179 留西。人手念爾。蜒野。居白雲。止時無。
とまりにし。ひとをおもふに。あきつのに。ゐるしらくもの。やむときもなし。
 
吉野のあきつ野なるべし。家に在る妻を思ふなり。
 參考 ○人乎念爾(新)ヒトヲオモハク「爾」を「久」の誤とす ○蜒野(古)アキツヌニ。
 
悲v別歌
 
3180 浦毛無。去之君故。朝旦。本名烏【烏ハ曾ノ誤】戀。相跡者無杼。
うらもなく。いにしきみゆゑ。あさなさな。もとなぞこふる。あふとはなけど。
 
何心も無くいにし君なる物を、吾のみ戀ふと言ふなり。朝ナサナは日日と言ふに同じ。末句は戀ふとても逢ふ由は無けれどと言ふか。宣長云、杼は荷の誤にて、アフトハナシニなるべしと言へり。さも有るべし。烏は曾の誤なり。
 參考 ○相跡者無杼(代、考)略に同じ(古、新)アフトハナシ「荷」ニ。
 
3181 白細之。君之下紐。吾左倍爾。今日結而名。將相日之爲。
しろたへの。きみがしたひも。われさへに。けふむすびてな。あはむひのため。
 
今旅行く別れに臨みて、男の下紐を吾が結ぶ時、吾が下紐をさへに同じく結び置きて、逢はん日にいは(120)ひて解かん爲めにせんと言ふなり。結ビテナは、結ビテンなり。
 
3182 白妙之。袖之別者。雖惜。思亂而。赦鶴鴨。
しろたへの。そでのわかれは。をしけども。おもひみだれて。ゆるしつるかも。
 
相纏へる袖と袖の別れを言ふ。末は思ひ亂れつつも、衣《キヌ》衣になる事を許して、別れ行かしむるとなり。
 
3183 京師邊。君者去之乎。孰解可。言紐緒乃。結手懈毛。
みやこべへ。きみはいにしを。たれとけか。わがひものをの。ゆふてたゆしも。
 
トケカは、トケバカのバを略けるなり。下紐のおのれと解くるは、人に逢ふべき兆《サガ》なりと言ふに依りて、逢ふべき人は遠く都へ行きしものを、誰れ解けばにか、いはれも無く下紐の結ふ手もたゆきまで解くらんとなり。
 參考 ○京師邊(考、古、新)ミヤコベニ ○孰解可(代)タガトケカ(考、古、新)略に同じ ○結手懈毛(代)ムスブテウムモ(考)略に同じ(古、新)ユフテタユキモ。
 
3184 草枕。客去君乎。人目多。袖不振爲而。安萬田悔毛。
くさまくら。たびゆくきみを。ひとめおほみ。そでふらずして。あまたくやしも。
 
3185 白銅鏡。手二取持而。見常不足。君爾所贈而。生跡文無。
まそかがみ。てにとりもちて。みれどあかぬ。きみにおくれて。いけりともなし。
 
(121)一二の句は見ると言はん序のみ。贈は借字にて後(ル)の意なり。
 參考 ○生跡文無(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
3186 陰夜之。田時毛不知。山越而。往座君乎者。何時將待。
くもりよの。たどきもしらぬ。やまこえて。いますきみをば。いつとかまたむ。
 
クモリヨノ、枕詞。卷十四、やみの夜の行さきしらずとも言へり。
 
3187 田立名付。青垣山之。隔者。數君乎。言不問可聞。
たたなつく。あをがきやまし。へだたらば。しばしばきみを。こととはじかも。
 
タタナツク、枕詞。別れ行きて山を隔てたらば、度度便りしてこと問ふ事もならざらんと女の歎くなり。
 參考 ○隔者(古)ヘナリナバ(新)ヘダタラバ、又はヘナリナバ ○數君乎(新)シバシバキミ「爾」ニ。
 
3188 朝霞。蒙山乎。越而去者。吾波將戀奈。至于相日。
あさがすみ。たなびくやまを。こえていなば。あれはこひむな。あはむひまでに。
 參考 ○越而去者(考、新)略に同じ(古)コエテユカバ。
 
3189 足檜乃。山者百重。雖隱。妹者不忘。直相左右二。
あしびきの。やまはももへに。かくすとも。いもはわすれじ。ただにあふまでに。
 
(122)山は故郷を隔てて隱すとも、妹をば忘れじとなり。
 參考 ○妹者不忘(考、新)略に同じ(古)イモハワスラジ。
 
一云。雖隱《カクレドモ》。君乎思苦《キミヲオモハク》。止時毛無《ヤムトキモナシ》。
 
一本は女の歌として、夫の旅行きし方を山の隱せどもと言ふなり。
 
3190 雲居有。海山越而。伊往名者。吾者將戀名。後者相宿友。
くもゐなる。うみやまこえて。いましなば。われはこひむな。のちはあひぬとも。
 
遠く海山を超えて妹に別れ行きなば、我れ戀しからん、立ち歸りて後は逢ふともと言ふなり。宿は借字のみ。
 參考 ○伊往名者(考、新)イユキナバ(古)略に同じ。
 
3191 不欲惠八趾。【趾ヲ跡ニ誤ル】不戀登爲杼。木綿間山。越去之公之。所念良國。
よしゑやし。こひじとすれど。ゆふまやま。こえにしきみが。おもほゆらくに。
 
趾、今本跡に誤れり、一本に依りて改む。又一本に師に作る。木綿間山は卷十四東歌、戀つつもをらむとすれど遊布麻夜萬《ユフマヤマ》かくれしきみをおもひかねつもと有るに同じ山ならん。すべてここの前後の歌、多くは東人の別れの歌にて、地名も草陰、東方坂、磐城山などつらなりつ。然れば是れも東國の中に有るなるべし。者ガは君ヲと云ふべきを斯く言ふは例なり。
(123) 參考 ○不戀登爲杼(新)コヒジトモヘド「爲」を「念」の誤とす。
 
3192 草陰之。荒藺之崎乃。笠島乎。見乍可君之。山道越良無。
くさかげの。あらゐのさきの。かさじまを。みつつかきみが。やまぢこゆらむ。
 
卷十四東歌、久佐可氣乃|安努《アヌ》となゆかむととて載せしかば、東に在る地名か。又倭姫世記に、草蔭|阿野《アヌノ》國と有り。草蔭はアの一言へ懸かる枕詞にや、考ふべし。今武藏橘樹郡にアラヰと言ふ地有りて、入江に近くて崎とも言ふべし。此處にや。されど笠島など言ふべき所は無し。猶考ふべし。
 
一云。三坂《ミサカ》越良牟。  三は眞也。
 
3193 玉勝間。島熊山之。夕晩。獨可君之。山道將越。
たまかつま。しまくまやまの。ゆふぐれに。ひとりかきみが。やまぢこゆらむ。
 
玉カツマ、枕詞。島クマ山、知れ難し。前後の歌どもを思へば惟れも東か。
 
一云。暮霧爾《ユフギリニ》。長戀爲乍《ナガコヒシツツ》。寢不勝可母《イネガテヌカモ》。
 
長戀は卷五、於久禮爲天那我古飛世殊波《オクレヰテナガコヒセズバ》云云と詠みて、長く戀ふる意なり。夕霧の深き山路を越えて、旅寢して、古郷思ひていねかぬると言ふなり。
 
3194 氣緒爾。吾念君者。鷄鳴。東方坂乎。今日可越覽。
いきのをに。わがもふきみは。とりがなく。あづまのさかを。けふかこゆらむ。
 
(124)アヅマノ坂。大名の東《アヅマ》にあらぬを知らせん爲に、方の字を添へし物なり。景行紀に、日本武尊上野國碓日嶺に登りて、弟橘媛を偲び給ひて、東南を望みて、吾嬬者耶《アヅマハヤ》とのたまひし故に、山東の諸國をあづまの國と言ふと見えたれば、今は碓日の坂を言ふか。鳥ガ鳴、枕詞。
 
3195 磐城山。直越來益。礒崎。許奴美乃濱爾。吾立將待。
いはきやま。ただこえきませ。いそざきの。こぬみのはまに。われたちまたむ。
 
神名帳に、常陸鹿島郡大洗磯前神社あり。和名抄に、陸奧岩城郡岩城郷ありて、國は異なれど、右二郡遠からずと言へり。然れば常陸人の陸奧へ行く別れに、歸らん時の事を女の詠めるか。此前後既に旅に在る人を思ふ類ひなれば、便りに言ひやりし歌にも有るべし。
 
3196 春日野之。淺茅之原爾。後居而。時其友無。吾戀良苦者。
かすがぬの。あさぢがはらに。おくれゐて。ときぞともなし。わがこふらくは。
 
淺茅が原と言へるは、夫の遠き國へまかりし後に、妻の住む所のわびしき樣を言へり。
 
3197 住吉乃。崖爾向有。淡路島。※[?+可]【※[?+可]ヲ阿ニ誤ル】怜登君乎。不言日者無。
すみのえの。きしにむかへる。あはぢしま。あはれときみを。いはぬひはなし。
 
遠き國へ行きし夫を思ふなり。アハレはすべて悦びにも悲みにも、アアと長く歎くを言ふ。アハヂシマは、アハと重ね言はん爲に言ひ出でたり。
 
(125)3198 明日從者。將行乃河之。出去者。留吾者。戀乍也將有。
あすよりは。いなみのかはの。いでいなば。とまれるわれは。こひつつやあらむ。
 
播磨の印南に有る川なるべし。イナバと續け言はん爲に言ひ出でたり。將行はイナムと訓まるるをもて、イナミの言に借りたり。
 參考 ○將行乃河之(新)イナムノカハノ。
 
3199 海之底。奧者恐。礒回從。水手運往爲。月者雖經過。
わたのそこ。おきはかしこし。いそまより。こぎたみいませ。つきはへぬとも。
 
ワタノソコ、枕詞。沖は波かしこければ、磯を漕ぎ廻《マハ》りていにませなり。月は月次の月なり。
 參考 ○礒回從(考)イソワヨリ(古、新)イソミヨリ ○往爲(新)ユカセ。
 
3200 飼飯乃浦爾。依流白浪。敷布二。妹之容儀者。所念香毛。
けひのうらに。よするしらなみ。しくしくに。いもがすがたは。おもほゆるかも。
 
ケヒノウラ、越前、既に出づ。越の國へ行きて家の妹を思ふなり。
 
3201 時風。吹飯乃濱爾。出居乍。贖命者。妹之爲社。
ときつかぜ。ふけひのはまに。いでゐつつ。あがふいのちは。いもがためこそ。
 
時ツカゼ、枕詞。フケヒノ濱、紀伊。濱に出でて大海の祓をせし時詠みて、家の妹へ贈れるなるべし。(126)祓は罪の輕重に依りて、贖物《アガモノ》を出だして行ふ故にアガフと言へり。且つ罪を祓ひ捨つれば、命も長かるべき道理《コトワリ》なり。
 
3202 柔田津爾。舟乘將爲跡。聞之苗。如何毛君之。所見不來將有。
にぎたづに。ふなのりせむと。ききしなへ。なにぞもきみが。みえこざるらむ。
 
ニギタヅ、伊與なり。其所より某日舟乘りして歸らんと聞きし竝に、歸り來んと思ひしを、何ぞ見え來ざるらんと訝りて詠めるなり。
 參考 ○聞之苗(新)キコエシヲ「苗」を「乎」の誤とす。
 
3203 三沙呉居。渚爾居舟之。?出去者。裏戀監。後者會宿友。
みさごゐる。すにゐるふねの。こぎでなば。うらこひしけむ。のちはあひぬとも。
 
既に乘り居て風を待つ間なり。ウラは下なり、心なり。是れは別るれど、久しからで歸る契あれば、いたくは歎かず。されど今はと漕ぎ出でていなば、何となく下戀しからんと言ふなり。
 參考 ○裏戀監(考、新)略に同じ(古)ウラゴホシケム。
 
3204 玉葛。無怠行核。山菅乃。思亂而。戀乍將待。
たまかづら。たえずゆかさね。やますげの。おもひみだれて。こひつつまたむ。
 
玉カヅラ、枕詞。ユカサネはユケを延べたる言なり。タエズユケとは滯る事なく行きて、とく歸れと言(127)ふ意なり。山菅は亂レと言はん料のみ。
 參考 ○無怠行核(古)タエズイマサネ(新)略に同じ。
 
3205 後居而。戀乍不有者。田籠之浦乃。海部有申尾。珠藻苅苅。
おくれゐて。こひつつあらずは。たごのうらの。あまならましを。たまもかるかる。
 
卷十一、中中に君に戀ずは枚《ヒラノ》浦のあまならましを玉藻刈管と言ふに末はひとし。卷五、おくれゐて吾戀せずはみ園生の梅の花にもならましものをと言へる、ミソノフは大宰府の園を言ふ如く、ここの田籠ノ浦も、夫の行きて居る所の浦を、思ひて言ひ出でたるなり。
 
3206 筑紫道之。荒磯乃玉藻。苅鴨。君久。待不來。
つくしぢの。ありそのたまも。かるとかも。きみはひさしく。まつにきまさぬ。
 
筑紫へ下りたる人の妻の詠めるなり。カルトカモは、刈ルトテカなり。
 參考 ○苅鴨(考、新)略に同じ(古)カレばカモ ○君久(考)キミハヒササニ(古、新)略に同じ ○待不來(代)マツニ(古)マツニキマサズ(新)マツニキタラヌ、又は、キマサヌ。
 
3207 荒玉乃。年緒永。照月。不厭君八。明日別南。
あらたまの。としのをながく。てるつきの。あかぬきみにや。あすわかれなむ。
 
年頃照る月の如く、飽かず思ひし君と言ふなり。
(128) 參考 ○本厭君八(古)略に同じ(新)アカザルキミヤ。
 
3208 久將在。君念爾。久堅乃。清月夜毛。闇夜耳見。
ひさにあらむ。きみをおもふに。ひさかたの。きよきつくよも。やみにのみみゆ。
 
卷四、照れる日をやみに見なしてなく涙云云、卷十一、此ことをきくとにかあらむまそ鏡てれる月よもやみにのみ見ゆとも詠めり。
 參考 ○久將在(古)略に同じ(新)ヒサナラム ○闇夜耳見(代、考)略に同じ(古)ヤミノミニミユ(新)ヤミトノミミユ。
 
3209 春月在。三笠乃山爾。居雲乎。出見毎。君乎之曾念。
かすがなる。みかさのやまに。ゐるくもを。いでみるごとに。きみをしぞおもふ。
 
遠き旅に行きし夫を思ひて、雲のみを形見と見るなり。
 
3210 足檜木乃。片山雉。立往牟。君爾後而。打四鷄目八方。
あしびきの。かたやまきぎし。たちゆかむ。きみにおくれて。うつしけめやも。
 
一二の句は立ちと言はん序なり。卷十四、むさしぬのをぐきがきげ(○十四卷ノ處ニテハぎトセリ)し立わかれとも詠めり。ウツシケメヤモは、現《ウツツ》の身ともなく、半ば死にたらん如くならんと言ふなり。
 
(129)問答歌
 
3211 玉緒乃。徙心哉。八十梶懸。水手出牟船爾。後而將居。
たまのをの。うつしごころや。やそかかけ。こぎでむふねに。おくれてをらむ。
 
玉ノ緒ノ、枕詞。ヤソカはヤソカヂの略にて、上にも出づ。夫の今はと舟出して別れ行くを見ん時は、現《ウツツ》の心にては居らじ、死にかへりなんと言ふなり。別れんとする前の歌なり。
 
3212 八十梶懸。島隱去者。吾妹兒之。留登將振。袖不所見可聞。
やそかかけ。しまがくれなば。わぎもこが。とまれとふらむ。そでみえじかも。
 
我が舟の沖の島に隱れいなばと言ふなり。卷五、うなばらの沖行舟をかへれとかひれふらしけむまつらさよひめ、とも詠めり。
 參考 ○島隱去者(考)略に同じ(古、新)シマガクリナバ ○留登將振(考、新)略に同じ(古)トドムトフラム。
 
右二首
 
3213 十月。鍾禮乃雨丹。沾【沾ヲ沽ニ誤ル】乍哉。君之行疑。宿可借疑。
かみなづき。しぐれのあめに。ぬれつつや。きみがゆくらむ。やどかかるらむ。
 
(130)留れる妹が男の道の程の事を思ふなり。
 
3214 十月。雨之【之ハ衍字】間毛不置。零爾西者。誰里之間。宿可借益。
かみなづき。あままもおかず。ふりにせば。たがさとのまに。やどかからまし。
 
雨の下之の字官本に無し。衍文なり。フリニセバは、降りたりせばの意。誰里ノ間は、何處《イヅク》の程にと言ふ意なり。
 參考 ○雨之間毛不置(考)アメマモオカズ(古)略に同じ(新)マモオカズアメノ「雨之」を「不置」の下に置く。
 
右二首
 
3215 白妙乃。袖之別乎。難見爲而。荒津之濱。屋取爲鴨。
しろたへの。そでのわかれを。かたみして。あらつのはまに。やどりするかも。
 
卷十五、かむさぶる安良都のさきによする浪と言ふは、新羅への使人筑紫館に至るよし端詞して、歌多き中に有り。三代實録第十六、筑前國那珂郡荒津と見ゆ。先づ此津へ出でて風を待つ程の歌なるべし。
 
3216 草枕。羈行君乎。荒津左右。送來。飽不足社。
くさまくら。たびゆくきみを。あらつまで。おくりきぬれど。あきたらずこそ。
 
末はコソオモヘと言ふを略ける例なり。太宰の官人、或は國司の京へ上る時、遊女が船津まで送り來て(131)詠めるなるべし。
 參考 ○送來(代、考)オクリクレドモ(古、新)オクリキヌレド。
 
右二首
 
3217 荒津海。吾幣【幣ヲ弊ニ誤ル】奉。將齋。早還座。面變不爲。
あらつのうみ。わがぬさまつり。いはひてむ。はやかへりませ。おもがはりせず。
 
是れは筑紫人の京に仕へ奉るとて上る折ならん。面變不v爲とは年經べき由なれば、國の任の朝集使などにて、假に上るに有らず。
 
3218 早早。筑紫乃方乎。出見乍。哭耳吾泣。痛毛爲便無三。
あさなさな。つくしのかたを。いでみつつ。ねのみわがなく。いたもすべなみ。
 
是れは上る道にて詠みて、思ふ人に贈りしならん。右の歌に直ちに答へしには有らず。アサナサナは早早とも書くべけれど、旦旦の字の誤ならん。
 參考 ○哭耳吾泣(古)ネノミゾアガナク(新)ネノミ「哉」ヤナカム。
 
右二首
 
3219 豐國乃。聞之長濱。去晩。日之昏去者。妹食序念。
とよくにの。きくのながはま。ゆきくらし。ひのくれぬれば。いもをしぞおもふ。
 
(132)是れも筑紫人の歌なるべし。
 參考 ○妹食序念(代、古、新)イモヲシゾモフ。
 
3220 豐國能。聞乃高濱。高高二。君待夜等者。左【左ヲ在ニ誤ル】夜深來。
とよくにの。きくのたかはま。たかたかに。きみまつよらは。さよふけにけり。
 
高高は遙かに望み見る意なる事、上に言へり。是れ又問答にも有らず。
 
右二首
 
萬葉集 卷第十二 終
 
(133)萬葉集 卷第十三
 
雜歌 是中長歌十六首  ここに歌數あるは後人の書き加へし物なり。
 
3221 冬木成【成ハ盛ノ誤】。春去來者。朝爾波。白露置。夕爾波。霞多奈妣久。汗湍能振。樹奴禮我之多爾。?鳴母。
ふゆごもり。はるさりくれば。あしたには。しらつゆおき。ゆふべには。かすみたなびく。あめのふる。こぬれがしたに。うぐひすなくも。
 
成は盛の誤なる事、上に言へり。汗湍能振、今本アメノフルと訓みたれど、然か訓むべからず。元暦本、湍を瑞に作る。此句地名ならでは一首の意穩かならず。景のみ詠める長歌に地名を擧げ言はぬは凡そ無きものなり。次の三首を合せ見るに、カミナビノと有るべきなり。されば汗微竝能と書けるなどの誤れるならんと翁は言はれき。神なびは飛鳥の神南備山なり。宣長説、御諸能夜にても有らんかと言へり。猶考ふべし。コヌレは梢なり。集中木末と書けるは皆コヌレと訓むべし。コズヱと假字書にせる事、集中に無し。鳴モのモはカモの略。
 參考 ○汗湍能振(代)カセノフク(考)カミナヒノ「汗微竝能」とす(古、新)ハツセノヤ「泊瀬(134)能夜」とす。
 
右一首
 
3222 三諸者。人之守山。本邊者。馬醉木花開。末邊方。椿花開。浦妙。山曾。泣兒守山。
みもろは。ひとのもるやま。もとべは。あしびはなきき。すゑべは。つばきはなさく。うらぐはし。やまぞ。なくこもるやま。
 
ミモロとは三輪をも言へど、前後の歌に據るに飛鳥の神なびなり。人ノ守山はモロをモルに轉じて、宜しき山なれば、人の目かれずまもると言ひなせり。マモルは目守なり。本べとは麓を言ふ。アシビは前に出づ。末べは山上なり。ウラグハシは雄略紀、はつせのやまは阿野爾乎羅虞波斯《アヤニウラグハシ》と言ふに同じく、ウラは心、クハシは褒むる詞なり。泣兒守山は、泣く兒をうつくしみ守る如くになせる山ぞと言ふなり。山ぞは三言の句とすべし。例有り。
 參考 ○馬醉木(考)アシミ(古)略に同じ(新)アセミ ○泣見守云云(新)ナクコモルナス、ヒトノモルヤマ「守」の下「成人之守」の脱とす。
 
右一首
 
3223 霹靂之。日香天之。九月乃。鍾禮乃落者。鴈音文。未來鳴。神南備乃。(135)清三田屋乃。垣津田乃。池之堤之。百不足。五【五ヲ三ニ誤ル】十槻枝丹。水枝指。秋赤葉。眞割持。小鈴文由良爾。手弱女爾。吾者有友。引攣而。峰文十遠仁。?手折。吾者持而往。公之頭刺荷。
なるかみの。ひかをるそらの《ひかるみそらの》。ながつきの。しぐれのふれば。かりがねも。いまだきなかず。かみなびの。きよきみたやの。かきつだの。いけのつつみの。ももたらず。いつきがえだに。みづえさす。あきのもみぢば。まきもたる。をすずもゆらに。たわやめに。われはあれども。ひきよぢて。みねもとををに。うちたをり。われはもてゆく。きみがかざしに。
 
霹靂、和名抄、加美止介と訓みたれど、字に泥むべからず。ここはナルカミと訓むべし。ナルカミは、ヒカと言ひ懸けたる枕詞なり。ヒカルのルを略き唱ふる例は、古事記井より出たる人の光有るを、井氷鹿《ヰヒカ》と名付くと言へり。受けたる句は曇る事なり。クモルをカヲルと言ふは、神代紀、唯有2朝霧1而|薫滿之哉《カヲリミテルカモ》と言へる如し。時雨降りて、幾度とも無く日を曇らする、九月の末のさまなりと翁言はれき。されどヒカヲルと言ふ詞例無し。故《カ》れ暫く古訓をも書けり。香は音を借りてカルとも訓まんか。宣長云、初二句はとかく誤字と聞ゆ。又二の句のはてを之《ノ》と云ひては下にかなはず。雨霧合渡日香久之《アマキラヒワタルヒカクシ》歟。霧合を霧之と誤れるから、上の雨の字をも、さかしらに霹なるべしとて改めたるべし。渡の字脱せり。卷三に、度日のかげもかくろひと有りと言へり。猶考ふべし。カリガネ、音と書きしかど、カリ群《ムレ》と言ふ言な(136)り。冠辭考に委し。文末、二字率の字の誤れるか、然らばイザナヒと訓むべし。時雨降り紅葉する頃、鴈がねの來なかぬと言ふは、いぶかしき由考に言へり。キヨキミ田ヤ、神の御田を植ゑて刈りて舂くまで守る屋を言ふべし。垣津田は其御田屋有る所の垣内の田なり。神代紀に、天垣田爲2御田1。百不足、枕詞。イツキガエダニ、今本五を三とせるは誤なり。古本に據るべし。御田屋の邊に有れば斎《イミ》槻なり。齋垣をイガキなど言ふが如し。水枝はみづみづしき若枝を言ふ。秋ノモミヂ、槻は前に言へる如くケヤキにて、もみぢするものなり。マキモタル、手に纏く釧を言ふ。割は假字なり。ヲスズモユラニ、紀に瓊響??をヲヌナトモユラニと訓みて、ここは枝を折る時、釧に着けたる鈴の鳴るを言ふか。峰は延多二字の誤れるか、エダモトヲヲニと訓むべし。枝も撓むまでと言ふなり。ウチタヲリのウチは詞なり。キミガカザシニ、公は夫を指す。カザシは遊宴等の時、草木などの枝を、冠又は帽子の右か左かに挿すを言ふなり。
 參考 ○霹靂之(考)略に同じ(古、新)アマギラヒ「雨霧合」の誤とす ○日香天之(代)「香」の下「流」脱か(考)ヒカヲルソラノ(古、新)ワタルヒカクシ「渡日香久之」の誤とす ○未來鳴(考)「率」アトモヒキナキ(古、新)「乏」トモシクキナキ ○五十槻(考)イソツキ(古、新)略に同じ ○水枝(新)「孫」ヒコエ ○眞割持(代)マサゲモツ(考、古、新)略に同じ、但し(新)「割」を誤字とす ○小鈴(代)コスズ(考、古、新)略に同じ ○峰文(代)スヱモ(考、(137)古、新)エダモ(考)「延多」の誤とす ○?手折(代)「?」ナカタヲリ(考、古、新)略に同じ ○吾者持而往(考)略に同じ(古)アハモチテユク(新)ワハモチゾユク「而」を「曾」の誤とす。
 
反歌
 
3224 獨耳。見者戀染。神名火乃。山黄葉。手折來君。
ひとりのみ。みればこひしみ。かみなびの。やまのもみぢば。たをりけりきみ。
 
長歌に、堤を言ひてここに山と言へるは、山の尾より續きたる堤なるべし。今本手折コシと訓みたれど、長歌の意にかなず。
 參考 ○戀染(新)トモシミ ○手折來君(代)タヲリキヌキミ(考、古)略に同じ(新)タヲリキツキミ。
 
此一首入道殿讀出給。  古本此九字無し、尤も除くべし。此讀は訓點を付けたるなり。
 
右二首
 
3225 天雲之。影寒【寒ハ塞ノ誤】所見。隱來笶。長谷之河者。浦無蚊。船之依不來。礒無蚊。海部之釣不爲。吉咲八師。浦者無友。吉畫矢寺【寺ハ志ノ誤】。礒者無友。奧津浪。諍【諍ヲ淨ニ誤ル】榜入(138)來。白水郎之釣船。
あまぐもの。かげさへみゆる。こもりくの。はつせのかはは。うらなみか。ふねのよりこぬ。いそなみか。(138)あまのつりせぬ。よしゑやし。うらはなくとも。よしゑやし。いそはなくとも。おきつなみ。きそひこぎりこ。あまのつりぶね。
 
雲の影の移るは、水の極めて清きなり。寒は塞を誤れるなり。サヘの假字に用ひたり。コモリクノ、枕詞。ハツセノ河は城上郡。浦無カと言ふより以下八句、卷二、人麻呂の歌と同詞なり。寺は志の誤なるべし。オキツ浪云云、川中をオキと言へるなり。浪の打寄するに競ひて、釣舟も多く漕ぎ入り來れよと言ふなり。諍、今本淨に誤る、官本に據りて改めつ。
 參考 ○浦無蚊(代、古、新)略に同じ(考)ウラナキカ ○磯無蚊(代、古、新)略に同じ(考)イソナキカ ○淨榜入來(代)イソフ「爭」キヨクコギリコ(考)略に同じ(古、新)キホヒコギリコ。
 
反【反ヲ友ニ誤ル】歌
 
3226 沙邪禮浪。浮而流。長谷河。可依磯之。無蚊不怜也。
さざれなみ。うきてながるる。はつせがは。よるべきいその。なきがさぶしさ。
 
浮は涌の誤か。此川の石瀬を走る水は、湧くが如くなれば、ワキテナガルルと言ふべし。イルベキイソは舟を略き言へり。
(139) 參考 ○浮而流(考)「湧」ワキテナガルル(古)「沸」タギチナガルル(新)「敷」シキテナガルル。
 
右二首
 
3227 葦原笶。水穗之國丹。手向爲跡。天降座兼。五百萬。千萬神之。神代從。云續來在。甘南備乃。三諸山者。春去者。春霞【霞ヲ霰ニ誤ル】立。秋往者。紅丹穗經。甘甞備乃。三諸乃神之。帶爲。明日香之河之。水尾速。生多米難。石枕。蘿生左右二。新夜乃。好去通牟。事計。夢爾令見社。劔刀。齋祭。神二師座者。
あしはらの。みづほのくにに。たむけすと。あもりましけむ。いほよろづ。ちよろづかみの。かみよより。いひつぎきたる。かみなびの。みもろのやまは。はるされば。はるがすみたち。あきゆけば。くれなゐにほふ。かみなびの。みもろのかみの。おびにせる。あすかのかはの。みをはやみ。おひためがたき。いはまくら。こけむすまでに。あたらよの。さきくかよはむ。ことはかり。いめにみせこそ。つるぎだち。いはひまつれる。かみにしませば。
 
葦原ノ云云。此國の總名なる事古事記に見ゆ。水は借字にて稚《ミヅ》穗なり。手向ストは、祝詞に手長の御世と言へる如く、手は發語にて、ムケはむけ平らぐる意なるべし。五百萬千萬神は、天孫天降ましし時從ひ奉りし諸の神達なり。神代ヨリ云云、神賀詞、賀夜奈流美命御魂飛鳥神南備云云と有りて、(140)神代より始めて崇め來ませる所なればなり。宣長云、來在は來去の誤か、キヌルと有るべしと言へり。クレナヰニホフは紅葉を言ふ。石枕の枕は根を誤れるなるべし。イハガネノと有るべし。早川の石には苔も生ひ留り難き物なるを、其石に苔|生《ム》さん世までと言へり。タメはトドメの略なり。新ヨの夜は借にて代なり。卷一に新京を新代と言へり。是れは藤原宮へ遷り給ひて、初めて飛鳥の神社へ大幣神寶等奉り給ふ御使人などの、詠めるなるべしと翁は言はれき。宣長は新代は唯だ代と言ふ事なる由、既に言へり。好去をサキクと訓むべき例、集中にこれかれ見ゆ。事ハカリ云云は、あたら代の末限り無く、よく行き經なん事を、此大神の神はかりまして、夢に告げ給へと願ふなり。劔刀云云、垂仁紀。令d2祠官1卜u3兵器爲2神幣1。吉之。故弓矢及横刀納2諸神之社1云云と有りて、古へより劔を納めて、齋《ユハ》ひまつるなれば斯く言へり。
 參考 ○水穗之國丹手向爲跡(新)ミヅホノクニ「乎」ヲ「事」コトムクト「爲」は衍とす ○秋往者(考)アキクレバ(古、新)略に同じ ○生多米難(代、考)略に同じ(古)ムシタメガタキ(新)ムシタミガタキ ○石枕(考)略に同じ(古、新)イハガ「根」ネニ ○新代乃(考)略に同じ(古、新)アタラヨノ(新)此句の次に「一夜不落《ヒトヨモオチズ》。恙無《ツツミナク》」など脱か ○好去通牟(考)ヨクユキスギム(古、新)略に同じ ○夢爾令見社(代)ユメニミセコソ(考)イメニミエコソ(古、新)略に同じ ○劍刀の下(新)「身」ニソフ妹が、タスキカケ(又はヌサトリテ)の二句の脱と(141)す ○座者(新)マサバ。
 
反歌
 
3228 神名備能。三諸之山丹。隱藏杉。思將過哉。蘿生左右。
かみなびの。みもろのやまに、いはふすぎ。おもひすぎめや。こけむすまでに。
 
神木は非常をさけて、秘め齋ふ意を以て隱藏と書けり。思ヒ過ギメヤは、思ひ忘れず、此神社に斯く仕へ拳らんとなり。さて杉を過ぎに重ねて言ひ下だしたるにて、上は序の如し。
 參考 ○隱藏杉(代)カクススギ(考、古、新)略に同じ、但し(新)「鎭齋杉」の誤とす。
 
3229 五十串立。神酒座奉。神主部之。雲聚玉蔭。見者乏文。
いぐしたて。みわすゑまつる。はふりべが。うすのたまかげ。みればともしも。
 
神代紀一書に眞坂樹八十玉籤、また五百箇野篶八十玉籤と有りて、串は玉、幣、などを著くる料の榮木《サカキ》と小竹《シノ》なり。イグシは齋串《イミクシ》なり。ウズノ玉蔭の雲聚は假字書なれば、之の字有るべし、落ちたるならん。推古紀髻垂此云2于孺《ウズ》1と有り、後世|心葉《ココロバ》とて、冠の巾子《コジ》に立添ふる物是れなり。その花に日蔭のかづらを附けて左右へ垂るるなり。其日蔭の日を略きて、蔭とのみ言ふは、集中に例有り。玉は褒めて言へりと翁は言はれき。宣長云、玉は山の誤にて、則ち日蔭なりと言へり。乏は希にて珍しき事なり。
 參考 ○神主部之(考、新)略に同じ(古)カムヌシノ ○雲聚玉蔭藍(考)ウズ「之」ノタマカゲ(142)(古、新)ウズノ「山」ヤマカゲ。
 
右三首。但或書此短歌一首無v有v載之也。
 
3230 帛※[口+立刀]。楢從出而。水蓼。穗積至。鳥網張。坂手乎過。石走。甘南備山丹。朝宮。仕奉而。吉野部登。入座見者。古所念。
みてぐらを。ならよりいでて。みづたでを。ほづみにいたり。となみはる。さかてをすぐり。いはばしの。かみなびやまに。あさみやに。つかへまつりて。よしぬへと。いりますみれば。いにしへおもほゆ。
 
ミテグラは、幣を持ちてと言ふを略けり。楢は奈良宮なり。和銅三年奈良へ遷りまして、諸社へ御使立し度にや、出づとは内裏より出づるを言ひ、入るとは内裏へ參るを言ふ。水タデヲ、枕詞。穗ヅミ、十市郡、今蒲津村と言ふとぞ。トナミハル、枕詞。坂手は、景行紀坂手池を作ると有り。今城下郡に坂手村有りとぞ。スグリはスギを延べ言ふ。石バシノ、枕詞。朝宮ニ仕ヘマツリテ云云、奈良より飛鳥までは今道七里ばかり有れば、御使よべは其社の離宮に宿りて、明る朝、神の御前には仕へ奉るなるべし。ヨシ野ヘト云云、神なびより吉野神社かけたる御使と見ゆ。入リマスとあがめ言へるは、そこの祝部などの歌なるべし。神ナビは小治田、岡本、後岡本、清御原宮まで、御代御代の都の内なれば、御使はもとよりにて、幸《ミユキ》も有りしに、藤原、奈良と都遠ざかりて、斯かる事も珍しき程に成りしかば、昔の事思ほえられて、祝部らが喜べる心なるべしと翁言はれき。宣長云、帛をミテグラと訓むべからず。又ミテ(143)グラヲとばかりにて言ひ足らず。故思ふに、帛は内日なるを、下上に誤り、又※[口+立刀]は刺の誤、猶は都の誤にて、ウチヒサス、ミヤコユイデテならん。此歌天皇の奈良より吉野へ幸の時の歌なり。神なび山の行宮に一夜御止宿ありて、さて明朝の御膳など仕へ奉りて、それより吉野へ入り座すなり。入リ座スと言ふにて知るべし。さて此歌は神なびの行宮を立たせ給ふ程などに詠めりけん、故に反歌に其宮を詠めりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○帛※[口+立刀](代、考)略に同じ(古)ヌサマツリ(新)ウチビサス「内日刺」の誤とす ○水蓼(考)略に同じ(古、新)ミツタデ ○坂手乎過(考)略に同じ(古、新)サカテヲスギ ○(新)朝宮の上に「夕宮ヲ、サダメタマヒテ」を補ひ「アサミヤヲ」と訓む。
 
反歌
 
3231 月日。攝友。久經流。三諸之山。礪津宮地。
つきもひも。かはりゆけども。ひさにふる。みもろのやまの。とつみやどころ。
 
持統天皇藤原へ遷りまして、今又元明天皇奈良へ遷り給ひ、飛鳥故郷は三代までに成りしを言へり。字書に攝は代也と有り。攝の下往の字脱ちしなるべし。卷三、雷の上にいほりせるかも、と言へるを思ふに、ここに離宮有りしか。
 參考 ○月日(考、古、新)ツキヒハ ○攝友(代)「攝」は「接」か(古)「行攝」ユキカハレドモ(144)(新)カハリユケドモ「友」の上に「往」を補ふ。
 
此歌入道殿讀出給。  古本に此八字無し、尤も除くべ」。
 
右二首。但或本歌曰。故王都《フルキミヤコノ》跡津宮地也。
 
3232 斧取而。丹生檜山。木折來而。機爾作。二梶貫。礒榜回乍。島傳。雖見不飽。三吉野乃。瀧動動。落白浪。
をのとりて。にぶのひやまの。きこりきて。をぶねにつくり。まかぢぬき。いそこぎたみつつ。しまづたひ。みれどもあかず。みよしぬの。たぎもとどろに。おつるしちなみ。
 
吉野の丹生なり。機は古本?、官本※[舟+?]、一本※[木+?]と有り、卷十九、※[木+?]をフネと訓めり。眞梶ヌキ、左右のかぢを言ふ。是れは吉野の大瀧なるべし。
 參考 ○機爾作(代、古、新)「※[木+代]」イカダニツクリ(考)略に同じ。
 
旋頭歌
 
3233 三芳野。瀧動動。落白浪。留西。妹見卷。欲白浪。
みよしぬの。たぎもとどろに。おつるしらなみ。とまりにし。いもにみせまく。ほしきしらなみ。
 
是れは反歌にて有りしなるべし、動動落の三字長歌より移りて誤り入れたるか。右三字を除く時は、み(145)よしぬの瀧つしらなみとまりにし云云と訓まる。もと反歌と有りしを旋頭歌に訓み成したる故、さかしらに旋頭歌と書けるならんと、考に論らはれたり。されど歌の一首のさま、旋頭歌にてよく整へり。上の長歌は今の本の如く反歌は無かりしか、又は別に反歌の有りしが、落ち失せしにも有るべし。反歌に旋頭歌の例無ければなり。
 參考 ○瀧動動落白浪(考)「動動落」を衍としタキノシラナミとす(古、新)略に同じ ○留西(考、新)略に同じ(古)トドメニシ。
 
右二首
 
3234 八隅知之。和期大皇。高照。日之皇子之。聞食。御食都國。神風之。伊勢乃國者。國見者之毛。山見者。高貴之。河見者。左夜氣久清之。水門成。海毛廣之。見渡。島名高之。己許乎志毛。間細美香母。挂卷毛。文爾恐。山邊乃。五十師乃原爾。内日刺。大宮都可倍。朝日奈須。目細毛。暮日奈須。浦(146)細毛。春山之。四名比盛而。秋山之。色名付思吉。百磯城之。大宮人者。天地與。日月共。萬代爾母我。
やすみしし。わごおほきみ。たかひかる。ひのみこの。きこしをす。みけつくに。かむかぜの。いせのくには。くにみればしも。やまみれば。たかくたふとし。かはみれば。さやけくきよし。みなとなす。うみもまびろし。みわたしの。しまのなたかし。ここをしも。まぐはしみかも。かけまくも。あやにかしこき。やまのべの。いしのはらに。うちひさす。おほみやづかへ。あさひなす。まぐはしも。ゆふひなす。うらぐはしも。はるやまの。しなひさかえて。あきやまの。いろなつかしき。ももしきの。おほみやびとは。あめつちと。ひつきとともに。よろづよにもが。
 
ミケツクニは、大御食の御贄《ミニヘ》奉る國を言ふ。冠辭考に委し。國見者の下、之毛の上、詞落ちたりと見ゆ。試に言はば、アヤニクハシモなど言ふ詞や有りけん、又之は乏の誤にて、アヤニトモシモか。水門ナス云云、入海にて、崎崎島島多ければ水門の如くと言へり。見渡シノは、向ひに見渡す所を指して言ふ。此下に見渡しに妹らはたたしとも詠めり。島ノ名高シ、ここは專ら志摩の國を言ひしなるべし。ココヲシモ云云、垂仁紀に、天照大神誨2倭姫命1曰。是神風伊勢國(ハ)則常世之浪(ノ)重浪|歸《ヨル》國也。傍國可怜國《カタグニノウマシクニ》也。欲v居2其國1。故隨2大神教1。其祠立2於伊勢國1。因興2齋宮于五十鈴川(ノ)上《ヘニ》1。この意もて言へり。ウチ日サス、枕詞。大宮ヅカヘは、大神宮の御事は天皇の大宮とひとしく申せり。是れより下は齋王の神宮に仕へ奉り給ふさまを言ふ。マグハシモは、古事記に目微《マグハシ》比賣と書ける如く、見る目の麗はしきなり。ウラグハシは、心にうるはしみ思ふなり。春山ノ、枕詞。是れより下は齋王に從ひ奉る、命婦釆女女孺などの有樣を言ふ。秋山ノ、枕詞。大宮人は則ち此女房達を言ふ。萬代ニモガのガは願ふ詞なりと翁は言はれき。宣長説、此長歌持統天皇の此國に幸《ミユキ》有りし折の、行宮のさまを詠めりと見ゆ。今鈴鹿郡山邊村(147)に赤人(ノ)屋敷跡と後人の附會せし所ぞ、其行宮の所なるべき。さて其山邊村は、まりが野と言ふ野の東のはづれの、俄に下だりたるきはの、低き所なる故に、東の方より見れば小山の麓なり。されば、左の反歌にも山と詠めるなるべし。女房達の宮仕のさまを詠めるなど、必ず持統天皇なるべき由、委しく論らへり。さも有るべし。はた五十師の師は鈴の誤にて、イスズノハラならんと、翁は言はれつれど、宣長が言へるは、今石藥師の驛に、石藥師とて寺有りて、石の佛を祭れり。そは地の上より、おのづからに立てる大きなる石の面《オモテ》に、佛の像《カタ》を彫《ヱ》り附けたるにて、此石あやしき石なり。是れによりて思ふに、佛を彫りたるは後のしわざにて、もとは、上つ代よりあやしき石の有りしによりて、石の原とは、名に負ひたるならんよし委しく論らへり。此説然るべければ、字ももとのままにて、イシノハラと訓みつ。
 參考 ○高照(考、古)略に同じ(新)タカテラス ○國見者之毛(代)脱有るか(考)クニミレバ、アヤニクハシモなどか(古、新)衍とす ○海毛廣之(考)ウミモユタケシ、又はヒロシ(古)ウミモヒロシ(新)ウミモ「寛」ユタケシ ○見渡(考、古、新)ミワタス ○島名高之(考)シマノナタカシ(古)シマモタカシ「名」を「毛」とす(新)シマ「毛」モナダカシ(古)此下に「曾許乎志毛《ソコヲシモ》、浦細美香《ウラグハシミカ》」の脱とす(新)(古)の説を否とす ○文爾恐(考)略に同じ(古、新)アヤニカシコシ ○山邊乃(考)略に同じ(古、新)ヤマベノ ○五十師乃原爾(考)イスズノハラニ (148)「師」を「鈴」の誤とす(古、新)略に同じ ○大宮云云(新)オホミヤドコロ、ツカヘマツレル「大宮」の下「地」を補ひ「倍」の下「麻都禮留」を補ひて此處にて終とす ○天地云(新)アメツチ、ヒツキトトモニ「與」を「日」に續く。
 
反歌
 
3235 山邊乃。五十師乃御井者。自然。成錦乎。張流山可母。
やまのべの。いしのみゐは。おのづから。なれるにしきを。はれるやまかも。
 
是れも師は鈴の誤ならんと、翁は言はれつれど、猶長歌と同意とすべし。さて此御井は彼の山邊村に二の井有りて、一つは御井の跡とて有り。一つは今も水涸れずて有り。此二つの井の内なるべき由、宣長委しく言へり。卷一、山の邊の御井を見がてりと言ふ歌にも言ひつ。翁の説錦は紅葉を言ふ。齋王の仕へ奉り給ふは六月十六七日、九月同日、十二月同日と式に見ゆ。古へより然るなるべし。紅葉を言へれば九月の御祭の時なりと有れど、宣長は彼の幸は六年の三月なれば、此錦は櫻桃などの花を言へるか。又は大寶二年十月に、同じ天皇三河國に幸有りしかば、其時にても有らんか。若し然らば、行宮は三河への道|次《ナミ》の行宮にて、錦は紅葉なるべき由言へり。是れなるべし。
 參考 ○五十師乃御井者(考)イスズノミヰハ「師」を「鈴」の誤とす(古)略に同じ(新)イシノハラハ「井」を「原」の誤とす。
 
(149)此歌人道殿下令2讀出1拾。  此十字古本になし。除くべし。
 
右二首
 
3236 空見津。倭國。青丹吉。寧【樂ヲ脱ス】山越而。山代之。管木之原。血速舊。于遲乃渡。瀧屋之。阿後尼之原尾。千歳爾。闕事無。萬歳爾。有通將得。山科之。石田之森之。須馬神爾。奴左取向而。吾者越住。相坂山遠。
そらみつ。やまとのくに。あをによし。ならやまこえて。やましろの。つづきのはら。ちはやぶる。うぢのわたり。たぎのやの。あごねのはらを。ちとせに。かくることなく。よろづよに。ありがよはむと。やましなの。いはたのもりの。すめがみに。ぬさとりむけて。われはこえゆく。あふさかやまを。
 
寧の下樂の字を脱せり。ツヅキノ原、仁コ紀、皇后更還2山背1興2宮室於筒城岡南1云云。和名抄、山城綴喜(豆豆木)と有り。瀧ノヤノアゴネノ原、知れず。或人宇治郡三室村に有る、蜻蛉《カゲロフ》野の一名と言へり、考ふべし。有リ通ハムトは、近江を本屬にて、暇を給ひて、通ひ行く時の歌か。山シナノ石田ノモリノ云云、神名帳、宇治郡山科神社二座と有り。森、官本杜と有り。
 
或本歌曰 此歌右の歌とは詞いと異にて別歌と聞ゆ。古本には別に擧げたり。
 
3237 緑青【青ハ丹ノ誤】吉。平山過而。物部之。氏川渡。未通女等爾。相坂山丹。手向草。(150)絲取置而。我妹子爾。相海之海之。奧浪。來因濱邊乎。久禮久禮登。獨曾我來。妹之目乎欲。
あをによし。ならやますぎて。もののふの。うぢがはわたり。をとめらに。あふさかやまに。たむけぐさ。ぬさとりおきて。わぎもこに。あふみのうみの。おきつなみ。きよるはまべを。くれくれと。ひとりぞわがくる。いもがめをほり。
 
緑の下青、官本丹に作るぞ善き。ヲトメラニ、ワギモコニ、枕詞。手向グサは草は借字にて手向くる種なり。絲は幣か麻の字の誤なるべし。クレクレト、齊明紀御歌に、于之慮母倶例尼飫岐底舸〓舸武《ウシロモクレニオキテカユカム》と有るは、後ろも闇にて、あとの事の心もとなく思はるるなり。集中、常知らぬ道の長手をくれくれとと言ふも同じ。イモガメヲホリは、唯だ妹を見ん事を欲りすると言ふなり。
 參考 ○絲取置而(代)シトリオキツツとも訓まんか(考、古)略に同じ(新)「伊」イトリオキテ ○來因濱邊乎(考、新)略に同じ(古)キヨスハマベヲ ○獨曾我來(考、新)略に同じ(古)ヒトリゾワガコシ。
 
反歌
 
3238 相坂乎。打出而見者。淡海之海。白木綿花爾。浪立渡。
あふさかを。うちでてみれば。あふみのみ。しらゆふはなに。なみたちわたる。
 
白ユフ花ニのニの詞に、如《ゴト》と言ふを籠むる例なり。木綿花の事、上に言へり。
 
(151)右三首
 
3239 近江之海。泊八十有。八十島之。島之埼邪伎。安利立有。花橘乎。末枝爾。毛知引懸。仲枝爾。伊加流我懸。下枝爾。此米乎懸。己之母乎。取久乎不知。己之父乎。取久乎思良爾。伊蘇婆比座與。伊加流我等此米登。
あふみのみ。とまりやそあり。やそしまの。しまのさきざき。ありたてる。はなたちばなを。ほづえに。もちひきかけ。なかつえに。いかるがかけ。しづえに。しめをかけ。しがははを。とらくをしらず。しがちちを。とらくをしらに。いそばひをるよ。いかるがとしめと。
 
ヤソは數多きを言ふ。在立テルは古へ今在ると言ふなり。モチ引カケは黐なり。集中、もち鳥のかからはしもよ。神樂歌に、みなとだにくぐひやつをり、やつながらとろちなや云云、トロチはトルモチなり。イカルガ、推古紀以加留我の宮を斑鳩と書く。和名抄に、鵤(伊加流加)と有り。シメ、同書に、?(之女)小青雀也と見ゆ。この二つは枝に懸け置きて媒鳥《ヲトリ》とするなり。卷一、舒明天皇伊與温湯宮に幸の時、斑鳩此米二鳥大に集りて、稲穗を掛けて養はしめ給へる事見ゆ。シガ母ヲ云云、をとりが母父を取らるるをも知らず、遊び居ると言へり。トラクはトルを延べ言ふなり。己をシと訓む事既に言へり。伊蘇婆比の伊は阿の字の誤なるべし。遊ビヲルヨとなり。又伊を發語として、ソバヘか。後ながら、枕草紙に、そばへたる小舍人わらはなど見ゆ。崇神紀、みまき入彦はや、おのがを食《ヲシ》せむと、ぬすまくしらに、ひめ(152)那素寐殊望《ナソビスモ》、と言へると、譬へたる意ひとし。(ヒメナソビは、ヒメノアソビを約め言ふなり。)ここは近江の海を言ひ出でたれば、大友皇子の皇太子を退け奉らん謀まします時の、譬ごとにても有るべきか。
 參考 ○安利立有(新)アリタツ「有」を衍とす ○花橘乎(新)ハナタチバナ「之」ノ ○此米乎懸(新)「有」の脱とすシメヲカケタリ ○己之(考、新)ナガ(古)略に同じ ○取久乎不知(考、新)略に同じ(古)トラクヲシラニ ○伊蘇婆比(古)イソバヒ(新)アソバヒ「伊」を「阿」の誤とす。
 
右一首
 
3240 王。命恐。雖見不飽。楢山越而。眞木積。泉河乃。速瀬。棹刺渡。千速振。氏渡乃。多企都瀬乎。見乍渡而。近江道乃。相坂山丹。手向爲。吾越往者。樂浪乃。志我能韓埼。幸有者。又反見。道前。八十阿毎。嗟乍。吾過往者。彌遠丹。里離來奴。彌高二。山文(153)越來奴。劔刀。鞘從拔出而。伊香胡山。如何吾將爲。往邊不知而。
おほきみの。みことかしこみ。みれどあかぬ。ならやまこえて。まきつめる。いづみのかはの。はやきせに。さをさしわたり、ちはやぶる。うぢのわたりの。たぎつせを。みつつわたりて。あふみぢの。あふさかやまに。たむけして。わがこえゆけば。ささなみの。しがのからさき。さきからば。またかへりみむ。みちのくま。やそくまごとに。なげきつつ。わがすぎゆけば。いやとほに。さとさかりきぬ。いやたかに。やまもこえきぬ。つるぎだち。さやゆぬきいでて。いかごやま。いかがわがせむ。ゆくへしらずて。
 
眞木ツメル、卷十一、宮材引泉のそまに立民の云云と詠める、其そま木を此川邊に積みて在るべし、幸カラバ又カヘリミム。此詞常ざまの旅にあらず。左註に言へる如く、老配流の度の歌なるべし。企は宜の誤か、集中タギのキは濁音を用ひたり。ツルギダチ、枕詞。イガゴ山、和名抄に、伊香郡伊香郷あり。たちを鞘より拔き出でて繋《カク》と懸かれり。崇神記、繋刀をタチカキと訓む。伊は發語。さてイカガとあやに言ひ下だしたり、冠辭考に委し。
 參考 ○眞木積(考)略に同じ(古、新)マキツム ○速瀬(考、新)ハヤキセヲ(古)略に同じ ○竿刺渡(考)サヲサシワタシ(古、新)略に同じ ○吾越往者(新)ワレハコエユク「者」を衍とす ○幸有者(考、新)略に同じ(古)サキクアラバ ○道前(考)ミチノサキ(古、新)略に同じ ○鞘從拔出而(考)サヤユヌケデテ(古、新)サヤユヌキデテ ○如何(新)イカニカ。
 
反歌
 
3241 天地乎。歎【歎ヲ難ニ誤ル】乞?。幸有者。又反見。思我能韓埼。
あめつちを。なげきこひのみ。さきからば。またかへりみむ。しがのからさき。
 
歎を今本難に作るは誤なり。
 
(154)右二首、但此短歌者或書云、穗積朝臣老配2於佐渡1之時作歌者也。  養老六年の紀に、正月老を流さるる事見ゆ。こは短歌のみに有らず、長歌も同時同人の詠めるなるべし。然るを短歌のみ老の歌と註せるは如何にぞや。
 
3242 百岐【岐ハ詩ノ誤カ】年。三野之國之。高北之。八十一隣之宮爾。日向爾。行靡關矣。有登聞而。吾通道之。奧十山。三野之山。靡得。人雖跡【跡ハ蹈ノ誤カ】。如此依等。人雖衝。無意。山之。奧礒山。三野之山。
ももしね。みぬのくにの。たかぎたの。くくりのみやに。ひむかひに。ゆきなびかくを。ありとききて。わがかよひぢの。おきそやま。みぬのやま。なびけと。ひとはふめども。かくよれと。ひとはつけども。こころなき。やまの。おきそやま。みぬのやま。
 
百の下、岐は詩の字の誤か。モモシネ、枕詞。高北ノククリノ宮、景行紀、四年二月幸2美濃1云云而居2泳宮1(泳宮此云2區玖利能彌椰1)と有り。今美濃土岐郡に久久利と言ふ所有りとぞ。八十一隣は例の戯れ書けるなり。日向ニ、西の方を言ふか。ユキナビカクヲは、ナビクを延べてナビカクと言ふにて、女のたをやかなる姿にて歩み行く意か。翁は靡は紫の誤にて、紫闕みやと訓むべし。さらば行紫闕イデマシノミヤと訓むべし。吾が通ヒヂノは、遠道隔てて妹を戀ふるなり。古へ皇子を諸國へ封じ給へば、是れも女王などのいますを、戀ひて通ひ給ふなるべしと言はれき。猶考ふべし。オキソ山、ミヌノ(155)山、元慶元年の紀に、美濃國惠奈郡内吉蘇小吉蘇二村を、信濃國に附けられしと見ゆ。されど其れはいと後なり。是れは上つ代の歌にて、其時美濃に在る於吉曾山なれば、斯くは詠めり。大吉蘇を略きて於吉蘇と言ふなるべし。人ハ雖跡と有る跡は、蹈の字の誤なるべし。心は通ひ路の路妨げなれば、足もて蹈み、手もて突けども勤かぬは心無き山ぞと、をさなく言へるなり。
 參考 ○百岐年(考)略に同じ(古、新)モモ「傳布」ヅタフ。○八十一隣之宮爾(新)ククリノ「里」サトニ ○日向爾(考)ヒンガシニ(古)ツキニヒニ「向」を「月」の誤とす(新)略に同じ ○行靡闕矣(考)「行紫宮矣」として、イデマシノミヤヲ(古)ユカマシサトヲ「行麻死里矣」とす(新)「佳麗兒矣」キラキラシコヲとす ○吾通道之(新)ワガカヨフミチノ ○如此依(新)カタヨレト「片依」の誤とす ○山之(古、新)ヤマ「曾」ゾ。
 
右一首
 
3243 處女等之。麻笥垂有。續麻成。長門之浦丹。朝奈祇爾。滿來塩之。夕奈祇爾。依來波乃。波【波ハ彼ノ誤】塩乃。伊夜益舛二。彼浪乃。伊夜敷布二。吾妹子爾。戀乍來者。阿胡之海之。荒磯之於二。濱菜採。海部處女等。纓有。領巾文光蟹。手二(156)卷流。玉毛湯良羅爾。白栲乃。袖振所見津。相思羅霜。
をとめらが。をげにたれたる。うみをなす。ながとのうらに。あさなぎに。みちくるしほの。ゆふなぎに。よりくるなみの。そのしほの。いやますますに。そのなみの。いやしくしくに。わぎもこに、こひつつくれば。あごのうみの。ありそのうへに。はまなつむ。あまをとめらが。うながせる。ひれもてるかに。てにまける。たまもゆららに。しろたへの。そでふるみえつ。あひもふらしも。
 
ヲケニタレタルは、筍の内へ績みたれて有るなり。ウミヲナスは長と言はん序なり。長門浦、卷九、安藝國長門島船泊云云と有りて、安藝に在るなり。阿胡海は、備後備中の内などに在るべしと翁言はれき。宣長云、こは奈呉の海なり。奈と阿と通へり。ナゴは攝津國住吉の濱なりと言へり。波塩の波は彼を誤れるなり。シクシクは重重なり。ワギモ子ニ戀ヒツツクレバ、西國の任はてて上るなるべし。濱菜はイソナと言ふに同じ。海部處女等の下之の字有るべし。纓ガセルは神代紀歌に、乙登多奈婆多廼?奈餓勢?《オトタナバタノウナガセル》、又嬰頸之瓊を、ミウナガケルニと訓みたるに同じ意にて、今は頸に懸けたる領巾《ヒレ》を言ふ。テルカニは照ルバカリニなり。玉モユララは動き鳴るを言ふ。是れは吾が故郷の妹を戀ひつつ來れば、此海士處女も、吾妹を相思ふやらん袖を振ると言ふ意なり。あらぬ事を斯く言ひなせるは歌の常なり。斯く見ざれば一首の意解け難し。
 參考 ○滿來塩之(新)「之」を衍とす ○依來班乃(考)略に同じ(古)ヨセクルナミノ(新)ヨリクルナミ「乃」を衍とす ○海部處女等(考、新)略に同じ(古)アマヲトメドモ ○纓有(考)ウナゲル(古)略に同じ(新)ウナギタル。
 
(157)反歌
 
3244 阿胡乃海之。荒磯之上之。小浪。吾戀者。息時毛無。
あごのうみの。ありそのうへの。さざれなみ。わがこふらくは。やむときもなし。
 
さざら浪の如くと言ふを略けり。
 參考 ○小浪(考)略に同じ(古、新)サザレナミ。
 
右二首
 
3245 天橋文。長雲鴨。高山文。高雲鴨。月夜見乃。持有越水。伊取來而。公奉而。越得之早母。
あまばしも。ながくもがも。たかやまも。たかくもがも。つきよみの。もちこせるみづを。いとりきて。きみにまつりて。こえむとしはも。
 
神代紀に、自2?日二上天浮橋1立2浮渚在平處《クシビノフタガミノアメノウキハシヨリウキニマリタヒラニタチ》と有りて、天に昇り降る橋有る由にて、其橋長かれと願へり。高山も云云、山も天へ昇るべき便なれば、彌高かれと願へり。モチコセル水は、持《モ》タセとあがめ言ふ詞なり。月は水の精なれば斯く言へり。イトリ來テのイは發語。キミニマツリテ、コエムトシハモは、卷八、命のさきく久しきいはばしるたるみの水を結びてのみつ。又老を養ふ瀧など言ふ如く、極めて澄める水を飲めば、命延ぶとするを、まして月の持ちませる水を取り來る由もがな、君に奉らば、限り(158)無き年を越え給はんものと言ふを籠めて、コエム年ハモと詠めりと翁は言はれき。台記別記中臣壽詞にも皇御孫尊御膳都《ミケツ》水宇都志國水戸天都水主奉牟止申遠里云云、天八井出如此持天都水所聞食事依奉と有るもここに由有りげなり。早をハの假字とせしは、集中ハシキヤシに早敷夜之と書ける例なり。然るを久老考へに、持越有水は持有越水と有りしなるべし。得之の下早は牟の誤なるべし。然かする時は、モテルヲチミヅ、末はヲチエシムモノと訓むべし。ヲチの詞はすべて、初めへ返り返りする事に言ふ古語なれば、ヲチ水と言ひて、老人の若返るべき水を言ふ。ヲチエシムとは君を若がへらしめんものをの意なりと言へり。宣長云、出雲國造神賀詞に、須須伎振遠止美乃水乃彌乎知爾御袁知坐《ススキフルヲドミノミヅノイヤヲチニミヲチマス》。是れ天皇のいや若返りに若返りますなりと言へり。かたがた久老考を善しとす。
 參考 ○月夜見乃(考)略に同じ(古、新)ツクヨミノ ○持越有水(考)モチコセルミヅヲ(古、新)モタルヲチミヅ「持有越水」の誤とす ○越得之早母(考)コエントシハモ(古)ヲチエシムモノ「早」を「牟」の誤とす(新)ヲチシメムモノ「越之目牟物」の誤とす。
 
反歌
 
3246 天有哉。月日如。吾思有。公之日異。老落惜毛。
あめなるや。つきひのごとく。わがもへる。きみがひにけに。おゆらくをしも。
 
日ニケニは日日ニなり。オユルのルを延べてラクと言ふ。
(159) 參考 ○天有哉(考、新)略に同じ(古)アマテルヤ「有」を「照」の誤とす ○月日如(考)略に同じ(古、新)ヒツキノゴトク「日月」とす。
 
右二首
 
3247 沼名河之。底奈流玉。求而。得而之玉可毛。拾而。得之玉可毛。安多良思吉君之。老落惜毛。
ぬながはの。そこなるたま。もとめて。えてしたまかも。ひろひて。えてしたまかも。あたらしききみが。おゆらくをしも。
 
ヌナ川は沼の意には有らじ。瓊《ヌ》にて、玉有る縁に瓊之《ヌナ》川と言ひしならん。アタラは惜む事なり。古事記に阿多良須賀志賣《アタラスガシメ》とも詠めり。ヌナ川は天皇の御謚に、神|渟名《ヌナ》川耳天皇、神渟名倉玉敷天皇、天渟名原瀛眞人天皇と申し奉り、また神功紀に、天津渟名倉之長|峽《ヲ》と有るもて思へば、攝津國住吉郡なり。
 參考 ○底奈流玉(新)ソコナルタマヲ「乎」を補ふ ○求而(代、考、古)略に同じ(新)モトメテエシガモ「玉」を衍として下と續けて句とす ○得之玉可毛(考)略に同じ(古)エシタマカモ(新)ヒロヒテエシガモと續けて「玉」を衍とす。
 
右一首
 
相聞  此中長歌二【二ヲ一ニ誤ル】十九首
 
(160)3248 式島之。山跡之士丹。人多。滿而雖有。藤浪乃。思纏。若草乃。思就西。君自【自ハ目ノ誤リ】二。戀八將明。長此夜乎。
しきしまの。やまとのくにに。ひとさはに。みちてあれども。ふぢなみの。おもひまつはし。わかくさの。おもひつきにし。きみがめに。こひやあかさむ。ながきこのよを。
 
シキシマノ、フヂナミノ、ワカクサノ、枕詞。六帖に此歌を載せて君が目をとあり。されば自は目の誤なる事しるし。君が目を欲りなど多く詠めり。目ヲと言ふべきを目ニと言へるは、妹ヲ戀フルを、妹ニ戀ヒと言ふ例なり。
 參考 ○思纏(代)マトハレ(考)略に同じ(古)オモヒマツハリ(新)オモヒマツヒ ○君自ニ(代)キミニヨリ、又はキミガ「目」メニ(考)キミカラニ(古、新)キミガメニ。
 
反歌
 
3249 式島乃。山跡乃土丹。人二。有年念者。難可將嗟。
しきしまの、やまとのくにに。ひとふたり。ありとしもはば。なにかなげかむ。
 
我が思ふ人の二人と有るものならば、何か歎くべきとなり。此下にも吾哉|難《ナニ》二加と書けり。難は音を借れるなり。
 
右二首
 
(161)3250 蜻島。倭之國者。神柄跡。言擧不爲國。雖然。吾者事上爲。天地之。神毛甚。吾念。心不知哉。往影乃。月文經往者。玉蜻【蜻ヲ限ニ誤ル】。日文累。念戸鴨。?不安。戀列鴨。心痛。未遂爾。君丹不會者。吾命乃。生極。戀乍文。吾者將度。犬馬鏡。正目君乎。相見天者社。吾戀八鬼目。
あきつしま。やまとのくには。かむがらと。ことあげせぬくに。しかれども。われはことあげす。あめつちの。かみもはなはだ。わがおもふ。こころしらずや。ゆくかげの。つきもへゆけば、かぎろひの。ひもかさなりて。おもへかも。むねやすからぬ。こふれかも。こころのいたき。すゑつひに。きみにあはずは。わがいのちの。いけらむきはみ。こひつつも。われはわたらむ。まそかがみ。まさめにきみを。あひみてばこそ。わがこひやまめ。
 
神ガラト、是は左に引ける人麻呂家集に、同言を神在隨と書きしに依るに、神ナガラと言ふに同じくて、皇御國は則ち神にて在るままにと言ふ意なり。言擧セヌ國は、人の心足らひて願事せぬとなり。吾はコトアゲスのコトは言なり。ユク影ノ月モヘユケバは、月影のゆくを、月竝の過ぐるに言ひなせりと翁は言はれき。宣長は往影はいかが、必ずアラタマノと有るべし。其字考ふべき由言へり。蜻を今限とせるは誤なり。玉蜻は枕詞。オモヘカモ、コフレカモは、オモヘバカ、コフレバカのバの詞を略けるな(162)り。マソ鏡、枕詞。喚犬追馬を略きて書けり。正目、佛足石歌に、よきひとを麻佐米にみけむと有り、まのあたりの事なり。アヒミテバコソは、アヒ見テアラバを約め轉じたり。バを濁るべし。鬼は魔の誤か。是れは女の歌なるべし。
 參考 ○吾者事上爲(考)略に同じ(古)アハコトアゲス(新)ワハコトアゲス ○往影乃(考)ユクカゲノ(古)誤字カ ○玉限(代)カゲロフノ(考)略に同じ(古、新)タマカギル ○?不安(考)ムネヤスカラズ(古、新)略に同じ ○正目君乎(代、考、古、新)タダメニキミヲ。
 
反歌
 
3251 大舟能。思憑。君故爾。盡心者。惜【惜ヲ情ニ誤ル】雲梨。
おほぶねの。おもひたのめる。きみゆゑに。つくすこころは。をしけくもなし。
 
大ブネノ、枕詞。長歌に逢ひ難き由を言へるは、中絶えたるを歎くなるべし。然らずは、ここに思ひたのめる君とは言ふべからず。君故ニは、君ナルモノヲなり。
 
3252 久竪之。王都乎置而。草枕。羈往君乎。何時可將待。
ひさかたの。みやこをおきて。くさまくら。たびゆくきみを。いつとかまたむ。
 
久カタノ、草マクラ、枕詞。是れは右の反歌に有らず、旅行く人を送る歌なり。亂れて入りたるたるべし。
 
(163)柿本朝臣人麻呂歌集歌曰。  是れは右の歌と言のひとしき句有る故に、類を以て註に書きしを、後に本文と成れるなるべし。
 
3253 葦原。水穗國者。神在隨。事擧不爲國。雖然。辭擧叙吾爲。言幸。眞福座跡。恙無。福座者。荒礒浪。有毛見登。百重波。千重浪敷爾【敷爾ヲ倒置セリ】。言上爲吾。
あしはらの。みづほのくには。かむながら。ことあげせぬくに。しかれども。ことあけぞわがする。ことさきく。まさきくませと。つつみなく。さきくいまさば。ありそなみ。ありてもみむと。ももへなみ。ちへなみしきに。ことあげするわれ。
 
神ナガラほ、神にて在るままにと言ふ意なる事を知らせん爲めに、在の字を添へたり。マサキクマセトにて句を切るべし、マサキクマセト、コト擧ゲスルと上へ返る意なり、アリソ浪、枕詞。有リテモミムトは、在りながらへて久しく見んと言ふ意にて、老人をことぶくなるべし。百重ナミ、百の上五を脱せるか。イホヘ浪千ヘ浪と言ふが例なり。是は重重《シキシキ》に言擧するをシキ浪に譬ふ。今爾敷と有るは下上に成れるなり。
 參考 ○言幸(新)コトチハヒ ○福座者(新)マサキクマサバ「福」の上に「眞」を補ふ ○百重波(古、新)イホヘナミ「百」の上に「五」を補ふ ○言上爲吾(考)略に同じ(古、新)コトア(164)ケゾ「吾爲」アガスル、但し(新)はワガ。
 
反歌
 
3254 志貴島。倭國者。事靈之。所佐國叙。眞福與具【與具ハ乞曾ノ誤】。
しきしまの。やまとのくには。ことだまの。たすくるくにぞ。まさきくありこそ。
 
シキシマノ、枕詞。事は言、靈は神の御魂なり。言學する時は、其言に神の御靈おはしまして、幸を爲し給へりとなり。されば斯く祈るからは、眞幸《マサキ》く命長く有りねこそと言ふなり。コソは願ふ詞。與具は乞曾の字の誤れるなり。佐、一木佑に作る。
 
右五首
 
3255 從古。言續來口。戀爲者。不安物登。玉緒之。繼而者雖云。處女等之。心乎胡粉。其將知。因之無者。夏麻引。命號貯。借薦之。心文小竹荷。人不知。本名曾戀流。氣之緒丹四天。
いにしへゆ。いひつぎくらく。こひすれば。やすからぬものと。たまのをの。つぎてはいへど。をとめらが。こころをしらに。そこしらむ。よしのなければ。なつそびく。うなかぶしまけ。かりごもの。こころもしぬに。ひとしれず。もとなぞこふる。いきのをにして。
 
玉ノヲノ、枕詞。シラニは、不v知《シラヌ》ニを略き言ふ例なり。其|少女《ヲトメ》が相思ふや否やをも知らず、徒に戀ふる(165)心憂さを言へり。胡粉と書けるは、集中白土と書きてシラニと訓める如し。ナツソビク、枕詞。ウナカブシマケとは、古事記、やまとのひともとすすき宇那加夫斯《ウナカブシ》、と有るに同じく、戀ひわびて頸《ウナジ》を傾けて思ひ惱むを言へり。マケは設なり。うなかぶしもてと輕く見るべし。命號の字を書けるは、紀に命令二字、各ウナガシと訓めるを以て借りたるなり。カリゴモノ、枕詞。心モシヌニは、心のしなへ愁ふるなり。人シレズは、戀ふる人にも知られぬを言ふ。モトナゾコフルは、空しく戀ふる意なり。イキノヲニシテは、命の生も死も此思ひに懸かると言ふを籠めて言ふ言なり。
 參考 ○其將知(新)ソヲシラム ○命號貯(代)イノチナヅミテ(考)略に同じ(古)オモヒナヅミ「念貯」の誤とす(新)ウナカタブケテ「卯號斜」の誤とす。
 
反歌
 
3256 數數丹。不思人者。雖有。暫文吾者。忘枝沼鴨。
しくしくに。おもはずひとは。あらめども。しばしもわれは。わすらえぬかも。
 
世間の人の中には、斯く重《シク》重に物思はで在るも有るらめどもなり。數數、シクシクとも訓むべけれど、敷敷の誤か。又はこの人者と言へるは、其思ふ女を指すともすべし。
 參考 ○數數丹(代、考)カズカズニ(古)シバシバニ(新)シクシクニ、又はシバシバニ ○不思人者(考)オモハヌヒトハ(古、新)略に同じ ○暫文吾者(考)シハラクモワレハ(古)シマラ(166)クモアハ(新)シマシモワレハ。
 
3257 直不來。自此巨勢道柄。石椅跡。名積序吾來。戀天窮見。
ただにこず。こゆこせぢから。いはせふみ。なづみぞわがこし。こひてすべなみ。
 
直ちに通ふ道は人目の多ければ、廻り道をして、辛うじて來りし勞を言へり。巨勢路は卷一に出づ。さて此歌此卷末に石瀬踏と有りて、重出せり。ここの椅跡も瀬踏の字の誤れるなるべし。又椅は此次にも思足椅と有りて、橋は矢橋《ヤハセ》なども言へば、借りて書けるか。
 參考 ○自此(考)ココ(古)コヨ(新)略に同じ ○石椅跡(考)略に同じ(古、新)イノハバシフミ。
 
戒本以2此歌一首1。爲2之(ヲ)紀伊國之。濱爾縁云。鰒珠。拾爾登謂而。往之君。何時到來哥之反歌1也。具見v下也。但依2古本1亦累載v茲。
 
此紀伊國之云云の長歌は、此卷下に見ゆ。考に云はく、右の從古云云の長歌は、その人にも知られぬ戀にて、通ふ程にも至らぬなり。然るに此歌をここに載せしは、校合の拙きなりと有り。
 
右三首
 
3258 荒玉之。年者來去而。玉梓之。使之不來者。霞立。長春日乎。天地丹。(167)思足椅。帶乳根笶。母之養蚕之。眉隱。氣衝渡。吾戀。心中少。人丹言。物西不有者。松根。松事遠。天傳。日之闇者。白木綿之。吾衣袖裳。通手沾沼。
あらたまの。としはきゆきて。たまづさの。つかひしこねば。かすみたつ。ながきはるびを。あめつちに。おもひたらはし。たらちねの。ははがかふこの。まゆごもり。いきづきわたり。わがこふる。こころのうちを。ひとにいふ。ものにしあらねば。まつがねの。まつこととほみ。あまづたふ。ひのくれぬれば。しろたへの。わがころもでも。とほりてぬれぬ。
 
アラタマノ、玉ヅサノ、カスミタツ、枕詞。年ハ來ユキテは、年の行き過ぐるを言ふ。古事記、年は|きへ《來經》ゆく、と有るに同じ。天地ニオモヒタラハシは、慮ひ滿たしむるなり。タラチネノ、枕詞。母ガカフコ云云は、蠶の繭に籠れる程のいぶせきに譬ふ。卷十一、十二に、母がかふこのまゆごもりいぶせくも有かと言へり。ここはいぶせきを籠めて、イキヅキと續けたり。イキヅキワタリは長大息なり。心中少の少は乎の誤か。松ガネノ、天傳フ、枕詞。下の松は借字にて、待つ事なり。白木綿、ここはシロタヘノならでは叶はず、もし木綿は幣の字の誤れるにや。トホリテヌレヌは、上にも出でて、下に重ね著たる衣まで、濡れ通るなり。是れは女の歌なるべし。
 參考 ○年者來去而(考、新)略に同じ(古)トシハキサリテ ○使之不來者(考)略に同じ(古、新)ツカヒノコネバ ○人丹言(考)略に同じ(古、新)ヒトニイハム ○松事遠(考)マツコト(168)トホシ(古)略に同じ(新)マツ「時」トキトホミ ○天傳(代)アマツタヒ(考、古、新)略に同じ。
 
反歌
 
3259 如是耳師。相不思有者。天雲之。外衣君者。可有有來。
かくのみし。あひもはざらば。あまぐもの。よそにぞきみは。あるべかりける。
 
カクノミシはシモの略。天雲ノは、ヨソと言はん料なり。始めよりよそ人にて有らましものを、中中に苦しとなり。
 
右二首
 
3260 小沼田之。年魚道之水乎。間無曾。人者?云。時自久曾。人者飲云。?人之。無間之如。飲人之。不時之如。吾妹子爾。吾戀良久波。已時毛無。
をぬだの。あゆちのみづを。ひまなくぞ。ひとはくむとふ。ときじくぞ。ひとはのむとふ。くむひとの。ひまなきがごと。のむひとの。ときじくがごと。わぎもこに。わがこふらくは。やむときもなし。
 
續紀 尾張國山田郡小治田連藥師等賜2姓尾張宿禰1と有り。山田愛智二郡は隣なれば、小治田ノアユチとも言ふべし。さればここに小沼田と有るは誤にて、小治由《ヲハリタ》なるべし。ここに殊なる冷水の有りしなるべし。さて妹を間無く戀ふる譬に取れり。
(169) 參考 ○小沼田之(古、新)ヲハリダノ「沼」を「治」とす ○年魚道之水乎(新)アユ「田」タノミチヲ ○間無曾(考)略に同じ(古、新)マナクゾ ○無間之如(考)略に同じ(古、新)マナキガゴト ○不時之如(考、新)トキジキガゴト(古)略に同じ。
 
反歌
 
3261 思遣。爲便乃田付毛。今者無。於君不相而。年歴去者。
おもひやる。すべのたづきも。いまはなし。きみにあはずて。としのへぬれば。
 
この歌卷十二に、唯だ短歌にて載せたり。右の反歌には有らざるべきを、後の人加へたるか。
 
今案此反歌謂2之於君不相者1於v理不v合也宜v言2於妹不相1也。  是れも後人の註なり。
 
或本反歌曰
 
3262 ?桓。久時從。戀爲者。吾帶緩【緩ヲ綾ニ誤ル】。朝夕毎。
みづがきの。ひさしきときゆ。こひすれば。あがおびゆるむ。あさよひごとに。
 
緩を今綾に誤れり。ミヅガキノ、枕詞。末は戀ひ痩せたるを言ふのみ。是れも此反歌には有らず。右長歌はもと反歌は無かりしか、又は別にここに長歌有りしが落ちたるにても有るべし。
 參考 ○?桓(代)マセガキノ(考、古、新)略に同じ ○吾帶綾(考)略に同じ(古)アガオビ「緩」ユルブ(新)ワガオビユルブ。
 
(170)右三首
 
3263 己母理久乃。泊瀬之河之。上瀬爾。伊杭乎打。下湍爾。眞杭乎挌。伊杭爾波。鏡乎懸。眞杭爾波。眞玉乎懸。眞珠奈須。我念妹毛。鏡成。我念妹毛。有跡謂者社。國爾毛。家爾毛由可米。誰故可將行。
格。伊杭爾波。
こもりくの。はつせのかはの。かみつせに。いぐひをうち。しもつせに。まぐひをうち。いぐひには。かがみをかけ。まぐひには。またまをかけ。またまなす。あがもふいもも。かがみなす。あがもふいもも。ありといはばこそ。くににも。いへにもゆかめ。たれゆゑかゆかむ。
 
イグヒ、マグヒのイもマも發語。マ玉ヲカケまでは序なり。上代神祭、或は行幸などにさる事有りしにや。古事記垂仁條、品牟都和氣《ホムツワケノ》命出雲大神へ詣で給ひし時、出雲國造之祖名岐佐佐都美飾2青葉山1而立2河下1將v献2大御食1云云と言へる如く、御食物をも、又は鏡玉などをも、串に付けて餝りたる事有りしと見ゆ。杭を打つと言へば、今言ふ杭とのみ思ふは古へに暗し。同記。倭建命の御歌に、阿米能迦具夜麻斗迦麻邇佐和多流久毘比波《アメノカグヤマトガマニサワタルクヒヒハ》云云と言へる久?は、若木の事にて、串とも言へり。神名につぬ杭、生ぐひと申すも此事と聞え、五百箇眞坂樹之八十玉籤とも言ひ、上に五十串立など言ふも、葉茂き若木の事なる事併せ知るべし。此歌は左註に言へる如く、古事記、允恭條に有りて、輕皇太子御はらからの輕大郎女皇女と※[(女三つ)+干]《タハレ》給ふに依りて、伊與國へ流し奉りしを、其御妹も慕ひおはしつ。然れば國にも家にもゆ(171)かしき事無しとて、共に御みづから身まかり給はんとして、詠み給ひし御歌なり。有リトイハバコソは、吾が思ふ妹は國にも家にも無しと宣へるなり。記には麻多麻那須《マタマナス》。阿賀母布伊毛《アガモフイモ》。加賀美那須《カガミナス》。阿賀母布都麻《アガモフツマ》。阿理登伊波婆許曾《アリトイハバコソ》。伊弊爾母由加米《イヘニモユカメ》。久爾袁母斯怒婆米《クニヲモシヌバメ》とあり。
 參考 ○誰故(考)略に同じ(古、新)タガユヱ。
 
?2古事記1曰。件【件ヲ伴ニ誤ル】歌者木梨之輕太子自死之時所v作者也。
 
反歌  右の歌もと反歌なし。左の歌右の反歌には有らぬを。後人誤りて書き加へたるなり。
 
3264 年渡。麻弖爾毛人者。有云乎。何時之間曾母。吾戀爾來。
としわたる。までにもひとは。ありとふを。いつの|ひま《まに》ぞも。わがこひにける。
 
是れは卷四、よく渡る人は年にもありとふを、とて末全く同じ歌有り。年ワタルは一年を經渡るなり。
 參考 ○何時之間曾母(考)イツノヒマゾモ(古)イツノアヒダゾモ(新)イツノホドゾモ ○吾戀爾來(考)ワレコヒニケル(古)アレコヒニケル(新)ワレコヒニケリ。
 
或書反歌曰
 
3265 世間乎。倦跡思而。家出爲。吾哉難二加。還而將成。
よのなかを。うしとおもひて。いへでせし。われやなににか。かへりてならむ。
 
是れは殊に、長歌よりは歌もいと後の樣なり。紛れて入りたる物なり。紀、出家、出俗度みなイヘデと訓(172)めり。此歌出家せし人の、還俗する時に詠めるならんと契沖言へり。翁はこは女の世を憂しとて家出せしにや。又男の僧と成れるを言へるならば、相聞に有らずと言はれき。難は音を借りたるにて何なり。
 參考 ○家出爲(考、新)略に同じ(古)イヘデセル。
 
右三首
 
3266 春去者。花咲乎呼里。秋付者。丹之穗爾黄色。味酒乎。神名火山之。帶丹爲留。明日香之河乃。速瀬爾。生玉藻之。打靡。情者因而。朝露之。消者可消。戀久毛。知久毛相。隱都麻鴨。
はるされば。はなさきををり。あきづけば。にのほにもみづ。うまさけを。かみなびやまの。おびにせる。あすかのかはの。はやきせに。おふるたまもの。うちなびき。こころはよりて。あさつゆの。けなばけぬべく。こふらくも。しるくもあへる。こもりづまかも。
 
花咲ヲヲリ、上に出づ。ウマ酒ヲ、枕詞。玉藻の如く、朝露の如くと言ふべきを、如を略けり。コフラクモシルクは、戀ふるしるし有りてと言ふ意なり。コモリヅマは、ここは親の守り籠めて置く女を言ふ。
 參考 ○戀久毛。知久毛相(新)コフラク「乎」ヲ、シリ「弖」テモアヘル。
 
反歌
 
3267 明日香河。瀬湍之珠藻之。打靡。情者妹爾。因來鴨。
(173)あすかがは。せぜのたまもの。うちなびき。こころはいもに。よりにけるかも。
 
本は、ウチナビキと言はん序のみ。
 
右二首
 
3268 三諸之。神奈備山從。登能陰。雨者落來奴。雨霧相。風左倍吹奴。大口乃。眞神之原從。思管。還爾之人。家爾到伎也。
みもろの。かみなびやまゆ。とのぐもり。あめはふりきぬ。あまぎらひ。かぜさへふきぬ。おほくちの。まがみのはらゆ。おもひつつ。かへりにしひと。いへにいたりきや。
 
トノクモリは棚グモリに同じ。雨ギラヒ、此キラヒの言はキリを延べたるなり。キルとは即ち曇る事なり。ウチキラシ、天ギラシなど言ふも皆同じ、風サヘのサヘは添はるなり。大口ノ、枕詞。マ神ノ原、飛鳥の岡の西北、今は五條と言ふなり。思管は、もしくは哭管の誤ならんか。さらばネナキツツと訓むべし。カヘリニシは歸リイニシなり。是れは男は眞神の原の彼方へ歸るを、なほ岡本宮所に在りて詠める故なるべし。
 參考 ○思管(考)ネナキツツ「思」を「哭」の誤とす(古、新)シヌビツツ。
 
反歌
 
3269 還爾之。人乎念等。野于玉之。彼夜者吾毛。宿毛寢金手寸。
(174)かへりにし。ひとをおもふと。ぬばたまの。そのよはわれも。いもねかねてき。
 
人ヲオモフトはオモフトテなり。其夜は逢ひて明る日の夜なり。
 
右二首
 
3270 刺將燒。少屋之四忌屋爾。掻將棄。破薦乎敷而。所掻將折。鬼之四忌手乎。指易而。將宿君故。赤根刺。晝者終爾。野干玉之。夜者須柄爾。此床乃。比師跡鳴左右。嘆鶴鴨。
さしやかむ。をやのしきやに。かきすてむ。やれごもをしきて。かきをらむ。しこのしきてを。さしかへて。ねなむきみゆゑ。あかねさす。ひるはしめらに。ねばたまの。よるはすがらに。このとこの。ひしとなるまで。なげきつるかも。
 
刺將の將は所の誤。四忌の忌は豆の誤にて、サスタケル、コヤノシヅヤと訓みて、是れは小竹を燒く事にて、小竹を焚くは山べの賤屋のさまなり。サスとは淺篠《アサシヌ》を約めたる言なり。鬼之四忘手の忌も同じく豆の誤にて、賤手也と翁は言はれき。今思ふに、古事記に、到於|伊那志許米志許米岐穢國而在祁理《イナシコメシコメキキタナキクニニテアリケリ》と言ふ。シコメキは、醜きなれば、此四忌はシコメキを略きたる詞にて、醜き屋と言ふ事なり。鬼之四忌手も同じ意にて醜き手と言ふ事なるを、集中、鬼乃《シコノ》志許草と言へる如く、醜の詞を重ね言へるなり。少屋は古事記に據りて、ヲヤと訓む事既に言ひつ。カキステムのカキは詞。ステムは凡の人は捨つべき程の破薦《ヤレゴモ》(175)と言ふなり。カカリヲラムは、卷六、稻つけば可加流《カカル》我手を云云、和名抄、皹(阿加加利)手足?裂也など有るに同じ。ヲラムは居ラムなり。宣長は所掻の所は衍文にて、カキヲラムかと言へり。さらばカキは掻きすてんのカキと同じく詞にて、折は只だ折れたるやうなる、いやしき手と言ふなり。サシカヘテは、集中、玉手さしかへ、袖さしかへなど言ふにひとしく、サシカハシなり。ネナム君故は、寢なん事を思ひて、吾が戀ふる君なるものをと言ふ意か。此句穩かならず、考ふべし。赤ネサス、ヌバ玉ノ、枕詞。ヒルハシメラニは、卷十九、晝波之賣良爾云云、ひるは其ままにと言ふ事、ヨルハスガラニは、夜はサナガラと言ふなり。此床ノヒシトナルマデ、ヒシは音なり。源氏物語夕顔に、物の足音ひしひしとふみならしつつ、又あげまきに、はかなきさまなるしとみなどは、ひしひしとまぎるる音にと有り。さて卷五、枕もそよに歎きつるかも、卷二十、負《オヒ》そ箭《ヤ》のそよとなるまでなげきつるかも、など言ひて、歎きの甚しきを言ふ。大殿祭祝詞に、御床|都比《ツヒ》|佐夜岐無《サヤギナク》と言ふは、上つ代は床などを葛もて結《ユ》ひしかば鳴りし故に言へり。ここも賤屋の竹編める床の、ひしひしと鳴りやすきを言へるにも有るべし。
 參考 ○刺將燒(代)サスタカム(考)サスタケル「將」を「所」の誤とす(古、新)サシヤカム ○少屋之四忌屋爾(考)コヤノシ「豆」ツヤニ(古)ヲヤノシキヤニ(新)ヲヤノシコヤニ ○掻將棄(考)略に同じ(古)カキウテム(新)ウテ、ステ兩訓 ○所掻將折(考)カカリヲラム(古、新)ウチヲラム「所」を衍「掻」を「挌」の誤とす ○四忌手乎(新)シコテヲ ○將宿君故(考)(176)略に同じ(古、新)ヌラムキミユエ ○晝者終爾(代)シメラニとも訓む(考、古)ヒルハシミラニ(新)兩訓。
 
反歌
 
3271 我情。燒毛吾有。愛八師。君爾戀毛。我之心柄。
わがこころ。やくもわれなり。はしきやし。きみにこふるも。わがこころから。
 
我心の燒くる程物思ふも、戀ふるも、我心づからぞと重ね言ふなり。卷一、おもひぞやくる我下情と有り。
 
右二首
 
3272 打延而。思之小野者。不遠。其里人之。標結等。聞手師日從。立良久乃。田付毛不知。居久乃。於久鴨不知。親親。己之家尚乎。草枕。客宿之如久。思空。不安物乎。嗟空。過之不得物乎。天雲之。行莫莫。蘆垣乃。思亂而。亂麻乃。麻笥乎無登。吾戀流。千重乃一重母。人不令知。本名(177)也戀牟。氣之緒爾爲而。
うちはへて。おもひしをのは。とほからぬ。そのさとびとの。しめゆふと。ききてしひより。たつらくの。たづきもしらに。をらくの。おくかもしらに。ちちははの。しがいへすらを。くさまくら。たびねのごとく。おもふそら。やすからぬものを。なげくそら。すぐしえぬものを。あまぐもの。ゆくらゆくらに。あしがきの。おもひみだれて。みだれをの。をげをなみと。わがこふる。ちへのひとへも。ひとしれず。もとなやこひむ。いきのをにして。
 
打ハヘテは、常しなへにと言ふ事にも言へど、次の句を以て思へば、此歌にては遠き所に在りて、思ふ意とすべし。を野を妹に譬へて、オモヒシヲ野と言へり。然るを我よりも彼處に近き里人の更にしめゆふと聞きしより。思ひ亂るる事の頻りなるなり。立ツラク、ヲラクは、立ツル居ルを延べ言ふ詞。オクカは奧處《オクカ》の意にて、奧深き所を言ふより轉じて、ここは其所に迷ふ心なるべし。親々は親之の誤にて、ムツバヒシと訓まんか。ムツバヒはムツビを延べ言ふなり。又ニキビニシとも訓まんか。オモフソラ、ナゲクソラの空は、方《カタ》と言はんが如し。立つ空も無く、居る空も覺えずなど今も言ふなり。上にも既に言へり。天雲ノ、枕詞。行莫々は行莫々々と有りしが、字の落ちたるなり。莫は暮に同じければ、久良の詞に借りしなり。物思ひに心の動くを言ふ。アシ垣ノ、枕詞。亂|麻《ヲ》を納る笥の無きに譬へて思ひの亂れを、治めんかた無きを言ふ。モトナヤコヒム云云、思ふ人にも知られず、命の限り空しき思ひをするなり。
 參考 ○不遠(代、古、新)略に同じ(考)トホカラズ ○立良久乃(考)略に同じ(古)タタ「麻」マクノ(新)タタマクノ「良」を衍とす ○田付毛不知(新)シラズ、シラニ兩訓 ○居久乃(考)(178)略に同じ(古)ヲラマクノ(新)ヰマクノ ○親親(代)ムツマジキ(考)オヤオヤノ(古)ニキビニシ、又はムツバヒシ、下の親を「之」の誤とす(新)ニキビニシ「親之」とす ○己之家尚乎(考)サガイヘスラヲ(古)ワガイヘスラヲ(新)ワガイヘスラ「毛」モ ○行莫莫(代)ユキノマニマニ(考、古、新)略に同じ ○亂麻乃、麻笥乎無登(新)衍か。
 
反歌
 
3273 二無。戀乎思爲者。常帶乎。三重可結。我身者成。
ふたつなき。こひをしすれば。つねのおびを。みへむすぶべく。わがみはなりぬ。
 
フタツナキは並ビナキの意なり。卷四、一重のみ妹がむすばむ帶をすら、とて末全く同じ歌有り。卷九にも似たる歌有り。
 
右二首
 
3274 爲須部乃。田付呼不知。石根乃。興凝敷道乎。石床笶。根延門呼。朝庭丹【丹ハ衍文】。出居而嘆。夕庭。入居而思。
せむすべの。たづきをしらに。いはがねの。こごしきみちを。いはどこの。ねはへるかどを。あしたには。いでゐてなげき。ゆふべには。いりゐてしぬび。
 
右の十句と左の十三句を、今本一首に成して、此相聞に載せたるは亂れたるなるべし。其故は、下の挽(179)歌の白雲之棚曳國之云云と言ふ歌の末の句として、此十句も、左の十三句の内、ヌバ玉ノと言ふ句より下再び出でたり。右の十句は其挽歌に入るべく、左の十三句は、挽歌の歎きとは聞えず。相聞の思なり。されど先づ右十句も今本のままに載す。左十三句は上の句ども落ち失せたりと見ゆれど、是れも先づ其ままに載す。此歌の心は末に云ふべし。さて朝庭の下丹は衍文なり。白雲之の歌合せ考ふべし。
 
白栲乃。吾衣袖呼。折反。獨之寢者。野干玉。黒髪布而。人寢。味眠不睡而。大舟乃。往良行羅二。思乍。吾睡夜等呼。續【續ハ讀ノ誤】文將敢鴨。
しろたへの。わがころもでを。をりかへし。ひとりしぬれば。ぬばたまの。くろかみしきて。ひとのぬる。うまいはねずて。おほぶねの。ゆくらゆくらに。おもひつつ。わがぬるよらは。よみもあへむかも。
 
右に言へる如く、此白拷の句の上、句の落ち失せたるなるべし。續は讀の字の誤ならん。ヨムも數ふるなり。アヘムは、算ふるに得堪へぬと言ふなり。
 參考 ○黒髪布而の下(新)「君クヤト、マチツツヲルニ」など脱か。
 
反駁
 
3275 一眼。夜算跡。雖思。戀茂二。情利文梨。
ひとりぬる。よひをよまむと。おもへども。こひのしげきに。こころどもなし。
 
長歌に據りて、コトモヨマムと訓む。ココロドとは、集中|利心《トゴコロ》と詠めるに同じ。
(180) 參考 ○夜算跡(考)略に同じ(古)ヨヲカゾヘムト(新)ヨヲヨミテムト。
 
右二首
 
3276 百不足。山田道乎。浪雲乃。愛妻跡。不語。別之來者。速川之。往文不知。衣袂笶。反裳不知。馬自物。立而爪衝。爲須部乃。田付乎白粉。物部乃。八十乃心呼。天地二。念足橋。玉相者。君來益八跡。吾歎。八尺之嗟。玉桙乃。道來人之。立留。何常問者。答遣。田付乎不知。散釣【釣ヲ鉤ニ誤ル】相。君名曰者。色出。人可知。足日木能。山從出。月待跡。人者云而。君待吾乎。
ももたらず。やまだのみちを。なみくもの。うつくしづまと。こととはず。わかれしくれば。はやかはの。ゆかくもしらに。ころもでの。かへるもしらに。うまじもの。たちてつまづき。せむすべの。たづきをしらに。もののふの。やそのこころを。あめつちに。おもひたらはし。たまあはば。きみきますやと。わがなげく。やさかのなげき。たまぼこの。みちくるひとの。たちとまり。いかにととはば。こたへやる。たづきをしらに。さにづらふ。きみがないはば。いろにでて。ひとしりぬべみ。あしびきの。やまよりいづる。つきまつと。ひとにはいひて。きみまつわれを。
 
百足ラズ、枕詞。此山田は地名なるべし。孝コ紀、山田寺と言ふ有り。或人、高市郡山田村有りと言へ(181)り。又河内にも山田郷有り。何れにか。ナミクモノ、枕詞。宣長云、百不足は足日木と有りしが、字の亂れて下上に成れるより、斯く誤れるなるべし。浪雲は誤字なるべしと言へり。コトトハズ別レシ云云、妹にもの言ふ事だにせで、即ち別れて歸るなるべし。早川ノ、枕詞。ユカクは、ユクを延べたるか、又は往の下、方を脱したるにて、ユクヘモシラニならんか。衣手ノ、枕詞。カヘルモシラニは、行くをも歸るをもわきまへ知られぬ程に、思ひにぼけし樣なり。馬ジモノ、物ノフノ、枕詞。八十ノ心ヲ云云、思ふ心の數數滿ち滿てるを言ふ。ここに有る玉あはば君來ますやとと言ふ二句は、下のさにづらふ君が名言はばの上に入るべき詞なり。如何にとなれば、此歌は男の女の許より歸る道にての歌なるを、此二句は全く女の男を待つ心にて、前後かけ合はざればなり。タマアハバは、魂合ハバなり。ヤサカノナゲキは、先づナゲキとは長息なり、其長さを彌十量《ヤソハカリ》と言ふを、略轉してヤサカと言へり。道クル人ノ云云は、長息《ナゲキ》をあやしみ問ふなり。コタヘヤル、タヅキヲシラニの句の末に、尚句の有りつらんが落ち失せたる物なり。さて右に言へる如く、玉アハバキミ來マスヤトと言ふ句の上下に猶句有りて、サニヅラフ君ガ名云云と續きて、又一首の長歌なるべし。全くここは女の歌にして、前とは別の歌なりけんを、亂れて一首となれる物と見ゆ。サニヅラフ、枕詞。山ヨリ出ヅル月待ツト云云、君待ツトは、月をかごとに、女の男を待つなり。はた卷十二に、足引ノと言ふより下は、短歌一首にして載せたり、其短歌には、妹待我をと變れるのみなり。ここと彼と何れを取らんとする中に、ここは右の如く亂れたれば依り(182)難く、且つ長歌の末の句とも思はれぬ樣にも有れば、卷十二の短歌に載せし方に依るべしと翁言はれき。宣長云、物部ノと言ふより六句は、他の歌の亂れてここに入れるなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○百不足(考)略に同じ(古)アシヒキノ「足日木」とす、又一説「モモキモル」「不足」を「木成」の誤とす(六卷)(新)モモ「木成」キモル、又はモモキモリ ○浪雲乃(代、考)ナミクモノ(古)シキタヘノ「雲」を「雪」の誤とす(新)アサクモノ「浪」を「朝」の誤とす ○不語(考)略に同じ(古)モノイハズ、又はカタラハズ(新)コトドハズ ○往文不知(考)ユクカモシラズ(古)ユクヘモシラズ「往」の下「方」を補ふ(新)ユクモシラズ、又はユカクモ ○君來益八跡(新)キミキマサムト「八」を「六」の誤とす ○答遣(考)略に同じ(古、新)イヒヤラム。
 
反歌
 
3277 眠不睡。吾思君者。何處邊。今身誰【身誰ハ夜訪ノ誤カ】與可。雖待不來。
いをもねず。わがもふきみは。いづくべを。こよひとふとか。まてどきまさぬ。
 
今身誰と有るは、今夜訪と有りしが誤れるなるべし。是れも女の歌にて心明らけし。
 參考 ○何處邊(代)イヅコヘゾ(考)イヅコヘヲ(古、新)イヅクヘニ ○今身誰與可(考)略に同じ(古)コヨヒイマセカ 「今宵座世可」の誤とす(新)コヨヒタレトカ「身」を「守」の誤と(183)す。
 
右二首
 
3278 赤駒。厩立。黒駒。厩立而。彼乎飼。吾往如。思妻。心乘而。高山。峰之手折丹。射目立。十六待如。床敷而。吾待公。犬莫吠行年。
あかごまの。うまやをたて。くろごまの。うまやをたてて。そをかひ。わがゆくがごと。おもひづま。こころにのりて。たかやまの。みねのたおりに。いめたてて。ししまつがごと。とこしきて。わがまつきみを。いぬなほえこそ。
 
赤駒と言ふよりワガ行クガゴトと言ふまでは、乘を言はん爲めの序なり。駒を飼ひてわが乘りて行くと言ふ意の續きなり。心ニノリテは、他《アダ》し心無く、我心の常に妹が上に有るを言ふ。さて高山の句よりは、女の男を待つ心なり。峰ノタヲリはタワミなり。打たをりたむの山と言ふに同じ。射メ立テテ、枕詞。シシは鹿なり。床敷而は男と共寢すべき床を、敷き設くる事ともすべけれど、床をしくと言ふはいかが。宣長は、而は爾の誤にて、床敷爾《トコシクニ》ならんと言へり。トコシクニは、常シナヘニなり。行年は所年の誤にて、ソネなり。例多し。是れも男女の長歌二首なりけんが、亂れて一首と成れるなるべし。心ニノリテの句の末落ち失せて、高山の句の上に、猶序の内の言落ちたるか。古本には心乘而と、高山との間、(184)少し明けてありと翁言はれき。
 參考 ○厩立(考、新)略に同じ(古)ウマヤタテ ○厩立而(考、新)略に同じ(古)ウマヤタテテ ○彼乎飼(考)カヲカヒニ(古、新)略に同じ ○吾往如(考)略に同じ(古)アガユクゴトク(新)ノリユクゴトク「吾」を「乘」の誤とす ○十六待如(考)略に同じ(古、新)シシマツゴトク ○床敷而(代、考)トコシキテ(古、新)略に同じ ○公(新)キミニ ○犬莫吠行年(考)イヌナホエコソ(古、新)イヌナホエ「所年」ソネ。
 
反歌
 
3279 蘆垣之。末掻別而。君越跡。人丹勿告。事者棚知。
あしがきの。すゑかきわけて。きみこゆと。ひとになつげそ。ことはたなし|り《れ》。
 
催馬樂二、あし垣ま垣かき分ててふこすと誰かおやにまう讒《ヨコ》しけらしも、と言ふに似たり。長歌に、犬なほえそねと言へるをくり返して、人に告ぐる事なかれと、犬におほするなり。棚知はタナシレと訓みて、然か心得よと言ふ事なり。卷十七、ことは多奈由比と言へる由比は思禮の誤にて、タナシレならんと宣長言へり。猶そこに言ふを合せ見て知るべし。
 參考 ○君越跡(代)キミコスト(考)キミ「待」マツト(古、新)略に同じ ○事者棚知(考)コトハタナシリ(古、新)コトハタナシレ。
 
(185)右二首
 
3280 妾背兒者。雖待不來益。天原。振左氣見者。黒玉之。夜毛深去來。左夜深而。荒風乃吹者。立留。待吾袖爾。零雪者。凍渡奴。今更。公來座哉。左奈葛。後毛相得。名草武類。心乎持而。三袖持。床打拂。卯管庭。君爾波不相。夢谷。相跡所見社。天之足夜于。
わがせこは。まてどきまさず。あまのはら。ふりさけみれば。ぬばたまの。よもふけにけり。さよふけて。あらしのふけば。たちとまり。まつわがそでに。ふるゆきは。こほりわたりぬ。いまさらに。きみきまさめや。さなかづら。のちもあはむと。なぐさむる。こころをもちて。みそでもち。とこうちはらひ。うつつには。きみにはあはず。いめにだに。あふとみえこそ。あまのたりよに。
 
立留待は、立待爾と有りしを、爾を留に誤り、下上にさへ成りたるなり。タチマツニ、ワガコロモデニと有るべし。左の或本の歌をも合せ見るべし。公來の下、古本將の字有り。後毛の下將の字有るべし。サナカヅラ、枕詞。ミ袖は眞袖と同じく、左右の袖を言へり。床打拂ヒ、既にも拂ひし床を、今は夢に來ん事を齋《イハ》ひて待つなれば、又更に拂ふなり。アフト見エコソの、コソは願ふ詞。天ノ足夜は、長キ夜を言ふ。卷二、御いのちは長く天足《アマタラ》したり、と有るも長き由なり。是れは女のよき歌のさまなり。足夜于の于古本に乎に作る。
(186) 參考 ○立留(考、古)タチマツニ「留」を「爾」の誤とし下の待を上に加ふ(新)タチトマリ ○待我袖爾(考、古)ワガコロモデニ「待」は上に附けて句とす(新)マツワガソデニ ○君爾波不相(考、新)略に同じ(古)キミニハアハジ ○天之足夜于(代)アメノタルヨニ(考、古)略に同じ(新)アメノタリヨニ。
 
或本歌曰。
 
3281 吾背子者。待跡|不來《キマサズ》。鴈音文《カリガネモ》。動而寒《トヨミテサムシ》。烏玉乃。宵毛|深去來《フケニケリ》。左夜|深跡《フクト》。阿下《アラシ》乃吹者。立待爾《タチマツニ》。吾|衣袖《コロモデ》爾。置霜文《オクシモモ》。氷丹左叡渡《ヒニサエワタリ》。落雪|母《モ》。凍渡奴。今更。君|來目八《キマサメヤ》。左奈葛。後文將會常。大舟乃《オホブネノ》。思憑迹《オモヒタノメド》。現庭。君者不相。夢谷。相所見|欲《コソ》。天之足夜爾。
 
左夜深跡の跡は而の誤なるべし。山阿出風を略きて山阿と書けるを、又略きて阿と書けり。下は下風とも書くを思へば、山より吹下ろす由を以て書きけん。喚犬追馬を略きて、犬馬とのみ書きてマソと訓める類ひなり。欲をコソと訓むべき例多し。
 參考 ○行跡不來(新)マテドキタラズ ○左夜深跡(新)サヨフケ「而」テ ○君來目八(新)キミキタラメヤ。
 
反歌
 
3282 衣袖丹。山下吹而。寒夜乎。君不來者。獨鴨寢。
(187)ころもでに。あらしのふきて。さむきよを。きみきまさずは。ひとりかもねむ。
 
是れは長歌の中の程に當る。是れも又山下出風を略きて山下とのみ書けり。
 參考 ○君不來者(新)キミキタラズハ。
 
3283 今更。戀友君爾。相目八毛。眠夜乎不落。夢所見欲。
いまさらに。こふともきみに。あはめやも。ぬるよをおちず。いめにみえこそ。
 
今宵來べき時の過ぎしからは、來ん事は頼まじ、唯だ夢をのみ願ふとなり。是れは長歌の末の意なり。
 參考 ○眠夜乎不落(新)ヌルヨ「毛」モオチズ。
 
右四首 或本の歌を合せて四首とせるは如何が。すべて此歌數は翁は取られざりき。されど暫く今本のままに書き記るせり。下是れに倣へ。
 
3284 菅根之。根毛一伏三向凝呂爾。吾念有。妹爾縁而者。言之禁毛。無在乞常。齋戸乎。石相穿居。竹珠乎。無間貫垂。天地之。神祇乎曾吾祈。甚毛爲便無見。
すがのねの。ねもころごろに。わがもへる。いもによりては。ことのいみも。なくありこそと。いはひべを。いはひほりすゑ。たかだまを。まなく《しじに》ぬきたれ。あめつちの。かみをぞわがのむ。いたもすべなみ。
 
菅ノネノ、枕詞。コロと言ふを一伏三向と書ける事、如何にとも知られず。卷十に、ユフヅクヨと言ふを、暮三伏一向夜と書けるに似たり。十訓抄に、みかど一伏三仰不來待書暗降雨戀筒寢と書かせ給ひて、(188)是を訓めとて給はせけり。つきよにはこぬひとまたるかきくらしあめもふらなむわびつつもねむ、と訓めりければ、御氣色なほりにけりとなん。おとし文はよむ所にとが有と言ふ事、是より始るとかや。わらはべのうつむきざいと言ふ物に、一つふして三あふむけるを、月夜と言ふ也云云と有るは、ここに由無くて、殊にいと後の世に作れる物なれば、擧げ言ふべきには有らねど、うつむきざいと言ふ物は、昔よりや有りけん。さて卷二、人麻呂長歌に、許呂臥者《コロブセバ》かはもの如く、同卷、あらどこに自伏君之《コロブスキミガ》など詠めるコロ伏は、字の如く自ら伏す事にて、今も自ら倒るるをコロブと言へり。されば其うつむきざいと言ふ物の、一伏三仰も、おのづから轉《コロ》び起くるさまの物なれば、古へ其物をコロとや名付けて有りけん。さて上に出でたる三伏一向は、神佛をぬかづくより出でて、ツクの言に借りたるにや有らん。十訓抄には、此一伏三向と取り違へて、ツクヨと言ふに、一伏三仰と書けるか。こは試に言ふのみ。吾念ヘル妹は、公の誤なるべし。反歌に公と有り。すべて女の歌と見ゆればなり。言ノ禁モは、神もな禁《イサ》めそと言ふなり。イハヒベ、竹玉、既に言へり。神ヲゾワガノム、八祈も乞も乃牟と言ふは古語なり。イタモはイタクモなり。
 參考 ○妹爾縁而者(代)キミニ(考)「公」キミニヨリテハ(古)イモニヨリテハ、又はキミか(新)「?」セコニヨリテハ ○無在乞(代)ナクアレコソト(考、古、新)略に同じ ○無間貫垂(考、新)マナクヌキタレ(古)マナクヌキタリ。
 
(189)今案。不v可v言2之因(テ)v妹(ニ)者(トハ)1。應v謂2之(ヲ)縁(リテト)1v君也。何(ニトナレバ)則反歌云2公之隨意(ト)1焉  後人の註なれども理《コトワリ》は善し。
 
反軟
 
3285 足千根乃。母爾毛不謂。※[果/衣]有之。心者縱。公之隨意。
たらちねの。ははにも|いはす《のらず》。つつめりし。こころはゆるす。きみがまにまに。
 
ツツメリシは隱す意なり。卷四、まそかがみときし心を縱《ユル》してしと詠めり。
 參考 ○不謂(考、新)イハズ(古)ノラズ ○心者縱(代、古、新)ココロハヨシエ(考)略に同じ。
 
3286 玉手次。不懸時無。我|念有《モヘル》。君爾依者。倭文幣乎《シヅヌサヲ》。手取持而《テニトリモチテ》。竹珠呼。之自《シジ》二貫垂。天地之。神呼曾吾乞。痛毛須部奈見。
 
シヅヌサは文ある布の事にて、冠辭考シヅタマキの條に委し。
 參考 ○君爾依者の下(代、新)落句有りとす ○貫垂(古)ヌキタリ(新)ヌキタレ。
 
反歌
 
3287 乾地乃。神乎?而。吾戀。公以必。不相在目八毛。
あめつちの。かみをいのりて。わがこふる。きみにかならず。あはざらめやも。
 
(190)以は似の誤なるべし。
 
或本歌曰  今本反歌曰とあるは誤なり。
 
3288 大船之。思憑而。木始已。彌遠長。我念有。君爾依而者。言之|故《ユヱ》毛。無有欲得《ナクアリコソト》。木綿手次《ユフタスキ》。肩荷取懸《カタノトリカケ》。忌戸乎。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】穿居。玄黄之。神祇二衣吾祈。甚毛爲便無。
 
木始已、今コシオノレと訓みたれど由無し。此三字、延絡石などと有りしなるべし。さらばハフツタノと訓むべしと翁言はれき。或人説、木始、義訓にて根なり。已の上如の字を脱せるなり。卷九卷十四、如已をモコロと訓む。然ればネモコロニと訓まんと言へり。又按ずるに、木は本の誤、始は如の誤にて、本如已と有りしか。これネモコロと訓むべし。ユフダスキは、木綿もてせし襷なり。幣を持ちなどするわざ有る時掛くる事なり。
 參考 ○木始已(代)ネモコロニ「已」を「始」とす(考)ハフツタノ「延絡石」とす(古)マツガネノ「松根之」とす(新)サナカヅラ「木始已」とす ○無有欲得(代)ナクアレカナト(古、新)略に同じ。
 
右五首
 
3289 御佩乎。劔地之。蓮葉爾。渟有水之。往方無。我爲時爾。應相登。(191)相有君乎。莫寢等。母寸巨勢友。吾情。清隅之池之。池底。吾者不忍。正相左右二。
みはかしを。つるぎのいけの。はちすばに。たまれるみづの。ゆくへなみ。わがするときに。あふべしと。うらへるきみを。ないねそと。ははきこせども。わがこころ。きよすみのいけの。いけのそこ。われはしぬばず。ただにあふまでに。
 
ミハカシヲ、枕詞。劔ノ池、應神紀、十一年十月作2劔池輕池鹿垣池厩坂池1。諸陵式に劔池島上陵(高市郡)舒明紀、瑞蓮生2劔池1。一莖二花と有り。タマレル水云云は露の溜まれるが、跡形も無くこぼれ失するを、戀の思ひの行方無きに譬ふ。ウラヘルは、占かたに合へると言ふなり。集中、占まさにいへ、又は道行占に占相《ウラアヘ》ばなど有り。ナイネソと、占にはあひぬるとも、此男をば思ふ事なかれと母は諫むるなり。キコスは吾に宣ひ聞かせらるると言ふ事なり。池ノ底は、他し心無く深く思ふ心を譬ふ。不忍は堪へじと言ふ意なり。元暦本、忍を志に作る。志は忘の誤なるべし。ワレハワスレジと訓むべし。清隅池は、堀河院後度百首に、みぎはには立ちもよらねど山がつの影はづかしき清すみの池、と言ふ歌有り。大和と言ふ人あり。さも有るべし。
 參考 ○往方無(考、新)ユクヘナミ(古)ユクヘナク ○我爲時爾(考、新)略に同じ(古)アガセシトキニ ○相有君乎(考)略に同じ(古)アヒタルキミヲともよむか(新)「聞」キコセルキミヲ ○莫寢等(代、古)略に同じ(考、新)ナネソト ○吾者不忍(代)シノビジ(考、古)ワ(192)スレジ(新)ソコハオモハズ「吾」を「其」「忍」を「思」の誤とす。
 
反歌
 
3290 古之。神乃時從。會計良思。今心文。常不所念【念ハ忘ノ誤】。
いにしへの。かみのときより。あひけらし。いまのこころも。つねわすらえず。
 
念に忘の誤なり。上は卷一の、神代よりしかなるらし、いにしへも然なれこそ、うつせみもつまをあらそふらしき、と言ふに同じ語なり。
 參考 ○會計良思(新)「念」モヒケラシ ○今心文(考)略に同じ(古)イマココロニモ(新)イマモココロニ「今文心」の誤とす ○常不所念(代、古、新)略に同じ(考)ツネワスラレズ。
 
右二首
 
3291 三芳野之。眞木立山爾。青【青ハ重ノ誤】生。山菅之根乃。慇懃。吾念君者。天皇之。遣之萬萬(或本王|命恐《ミコトカシコミ》)夷離。國治爾登(或本云|天疎夷《アマサカルヒナ》治爾等)群鳥之。朝立行者。後有。我可將戀奈。客有者。君可將思。言牟爲便。將爲須便不知(或書有2足日木(ノ)山之|木末爾《コヌレニ》(ノ)句1也)延津田乃。(193)歸之(或本無2歸之句1也)別之數。惜物可聞。
みよしぬの。まきたつやまに。しじにおふる。やますげのねの。ねもころに。わがもふきみは。おほきみの。まけのまにまに。ひなざかる。くにをさめにと。むらとりの。あさたちゆかば。おくれたる。われかこひなむ。たびなれば。きみかしぬばむ。いはむすべ。せむすべしらに。はふつたの。わかれのあまた。をしきものかも。
 
青生は重生の誤なり。ヒナザカル、或本、あまざかるひなをさめにと、と言ふも同じ意なり。ムラ鳥ノ、枕詞。今本、足日木の山のこぬれにの二句無くて、延津田乃の下、歸之二字有るは誤なり。或本に依りて改むべきなり。惜物の下有の字落ちたるか。ヲシクモアルカモと訓むべし。男の旅行くに、女の詠めるなるべし。心は明らけし。
 參考 ○天皇之(考)スメロギノ(古、新)略に同じ ○朝立行者(考、古)アサタチユケバ(新)略に間じ ○我可將戀奈(考)ワレカコヒムナ(古、新)略に同じ ○客有者(新)タビニアル「者」を衍とす ○惜物可聞(考、古)略に同じ(新)ヲシクモアルカモ「物」の下「有」を補ふ。
 
反歌
 
3292 打蝉之。命乎長。有社等。留吾者。五十羽旱將待。
うつせみの。いのちをながく。ありこそと。とまれるわれは。いはひまちなむ。
 
古訓、アレコソと有れど、アリコソと訓む例なり。コソは願ふ詞。
 參考 ○留吾者(新)トドマルワレハ ○五十羽旱將待(考)略に同じ(古、新)イハヒテマタム(194)「旱」を「日手」の誤とす。
 
右二首
 
3293 三吉野之。御金高爾。間無序。雨者落云。不時曾。雪者落云。其雨。無間如。彼雪。不時如。間不落。吾者曾戀。妹之正香爾。
みよしぬの。みかねのたけに。ひまなくぞ。あめはふるとふ。ときじくぞ。ゆきはふるとふ。そのあめの。ひまなきがごと。そのゆきの。ときじくがごと。ひまもおちず。われはぞこふる。いもがただかに。
 
金は缶を誤れるにて、卷一の、耳我嶺と有るに同じからんよし別記に委し。猶考ふべし。正香爾の爾は乎を誤れるなるべし。此歌は反歌に、外に見し子に戀わたるかも、と言ふに依るに、妹をよそながら見し其時を忘れぬとなり。正香はマサカと言ふとは異なり。正香、直香、ともにタダカと訓むべし。卷四、わがききにかけてな言ひそかりごもの亂ておもふ君が直香を、と言ふ歌に言へり。
 參考 ○間無序(考)略に同じ(古、新)マナクゾ ○無間如(古、新)マナキガゴト ○不時如(古)略に同じ(新)トキジキガゴト ○間不落(考)略に同じ(古、新)マモオチズ ○妹之正香爾(考)イモガマサカ「乎」ヲ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
3294 三雪落。吉野之高二。居雲之。外丹見子爾。戀度可聞。
(195)みゆきふる。よしぬのたけに。ゐるくもの。よそにみしこに。こひわたるかも。
 
右二首
 
3295 打久津。三宅乃原從。當土。足迹貫。夏草乎。腰爾莫積。如何有哉。人子故曾。通簀文吾子。諾諾名。母者不知。諾諾名。父者不知。蜷腸。香黒髪丹。眞木綿持。阿邪左結垂。日本之。黄楊乃小櫛乎。抑刺。刺【敷ノ誤】細子。彼曾吾?。
うちひさつ。みやけのはらゆ。ひたつちに。あしふみぬき。なつくさを。こしになづみ。いかなるや。ひとのこゆゑぞ。かよはすもあご。うべなうべな。はははしらせず。うべなうべな。ちちはしらせず。みなのわた。かぐろきかみに。まゆふもて。あさざゆひたれ。やまとの。つげのをぐしを。おさへさす。しきたへのこは。それぞわがつま。
 
打久津の津は須の誤か。ウチヒサスと訓むべし。冠辭考に委し。按ずるに卷十四、宇知比佐都美夜能瀬河伯能《ウチヒサツミヤノセガハノ》云云と詠めり。されば須と都と同韻なれば、斯くも言へるなるべし。次を(つぎ、すき)消を(けつ、けす)離を(はなつ、はなす)など此類ひ多し。ミヤケノ原、景行紀、令2諸國1興2田部屯倉《タナベノミヤケ》1、是れより國毎に其名有れば、何處とも指し難けれど、畿内なるべし。ヒタツチ、直に足を土に當つる義を以て常の字を書けり。又常陸の例を以て思へば、當は常の誤か。アシフミヌキは、言を強く言はんとて斯く(196)言へり。集中、うなねつきぬきと言ふも同じ。夏草を云云、卷十九、降雪を腰になづみとも有り。同意なり。イカナルヤ云云、如何なる麗はしき妹にて有ればや、斯く煩はしき路を通ふらんと、みづから問を設け言ふなり。アゴは他より我れを指して言ふことなり。ウベナウベナ、仁コ紀歌に、やすみししわがおほきみ于倍儺《ウベナ》于倍儺と有り。ここは諾々名々と有りしが、重點の落ちたるなるべし。契沖云、げにもげにもと言はんが如しと言へり。父母にも知らせず通ふなれば、よそ人の怪《イブ》かるは、然か有るべき事なりと先づ言ひて、次にことわりを解くなり。ミナノワタ、枕辭。カ黒キ髪ニの句より、妹がよそひを言ふ。眞ユフモテ、眞は例の褒むる詞。阿邪左は若し何都良の誤れるか、カヅラと訓むべしと翁言はれき。宣長云、或人説、阿邪左の左は尼の誤にて、交《アザネ》の意なるべし。髪に木綿を交へゆひ垂るるなり。是れかの白髪つく木綿と續くと同じ事にて、白髪の如くに木綿を著くる由なりと言へり。是れ然るべし。ヤマトノ、枕詞。是れは大和山邊郡大和郷の事にて、そこに都氣《ツゲ》と言ふ所の有るを、黄楊に言ひ冠らせたるなり。又は大倭より櫛を出だせしか。オサヘサス、櫛は髪の押さへなればなり。細子の上、刺の字は、敷の誤なるべし。シキタヘは、麗はしく柔かなるきぬを言ひて、好女に譬へたる事、冠辭考アカラ引の條に委し。莫積の莫、元暦本、魚に作る。
 參考 ○打久津(考)ウチヒサス(古、新)略に同じ ○足迹貫(考)アシフミナヅミ(古)アシフミツラネ(新)アシフミヌキ ○人子故曾(新)ヒトノコユヱ「香」カ ○通簀文吾子(代)カヨ(197)ヒスモアゴ(考、古、新)略に同じ ○母者不知(代)ハハハシラナク(考)略に同じ(古)ハハハシラズ(新)ハハハシラジ ○父者不知(考)チチニハシラセズ(古)略に同じ(新)チチハシラジ ○香黒髪丹(新)カグロキカミ「乎」ヲ ○眞木綿持(考)略に同じ(古、新)マユフモチ ○阿邪左結垂(考)カツラユヒタレ「何都良結垂」とす(古、新)アザ「尼」ネユヒタレ ○刺細子(代)サスタヘノコハ(考、古)略に同じ(新)「刺」コシボソノコ。
 
反歌
 
3296 父母爾。不令知子故。三宅道乃。夏野草乎。菜積來鴨。
ちちははに。しらせねこゆゑ。みやけぢの。なつぬのくさを。なづみくるかも。
 
古本、母父と有るかた古例なり。ハハチチと訓むべし。子ユヱは子ナルモノヲの意なり。
 參考 ○父母(古)オモチチ、又はチチハハ ○來鴨(古)ケルカモ(新)クルカモ。
 
右二首
 
3297 玉田次。不懸時無。吾念。妹西不會波。赤根刺。日者之彌良爾。烏玉之。夜者酢辛二。眼不睡爾。妹戀丹。生流爲便無。
たまだすき。かけぬときなく。わがおもふ。いもにしあはねば。あかねさす。ひるはしみらに。ぬばたまの。よるはすがらに。いもねずに。いもをこふるに。いけるすべなし。
 
(198)上にみな出でたる詞のみにて明らけし。
 參考 ○妹戀丹(考)略に同じ(古、新)イモニコフルニ。
 
反歌
 
3298 縱惠八師。二二火【火ハ去】四吾妹。生友。各鑿社吾。戀度七日【日ハ目ノ誤】。
よしゑやし。しなむよわぎも。いけりとも。かくのみこそわが。こひわたりなめ。
 
火は去の誤にて、二二は四の假字、去はイナムと訓まるれば、ナムと言ふに用ひたり、日は目の誤なり。
 
右二首
 
3299 見渡爾。妹等者立志。是方爾。吾者立而。思虚。不安國。嘆虚。不安國。左丹漆之。小舟毛鴨。玉纒之。小?毛鴨。?渡乍毛。相語妻遠。
みわたしに。いもらはたたし。このかたに。われはたちて。おもふそら。やすからなくに。なげくそら。やすからなくに。さにぬりの。をぶねもがも。たままきの。をかいもがも。こぎわたりつつも。あひかたらめを。
 
タタシは、タチを延べ言ふ。此歌も皆上に出でたる詞のみにて、明らけし。相語の下、妻は益の誤にて、カタラハマシヲか。集中、アラソフと言ふに、相爭など書ける例多し。
(199) 參考 ○(新)或本の頭をとりて「コモリクノ、ハツセノカハノ」二句を頭に加ふ ○小?毛鴨(代)ヲカヂ(考)ヲカヂガモ(古、新)ヲガイモガモ ○相語妻遠(代、考、新)アヒカタラメヲ(古)略に同じ。
 
或本歌頭句云。
 
己母理久乃《コモリクノ》。波都世乃加波乃《ハツセノカハノ》。乎知可多爾《ヲチカタニ。》伊母良波多多志。己乃加多爾。和禮波多知?。
 
右の或本のかたの詞無くては事足らず。
 
右一首
 
3300 忍照。難波乃埼爾。引登。赤曾朋舟。曾朋舟爾。綱取繋。引豆良比。有雙雖爲。曰豆良賓。有雙雖爲。有雙不得叙。所言西我身。
おしてる。なにはのさきに。ひきのぼる。あけのそぼふね。そぼふねに。つなとりかけ。ひこづらひ。ありなみすれど。いひづらひ。ありなみすれど。ありなみえずぞ。いはれにしわがみ。
 
オシテル、枕詞。アケノソホブネは、朱の赭舟なり。卷十四、まかねふくにふの麻曾保のいろにでて、と言ふ曾保も、是れにて丹土の名なり。さて其丹士もて塗りたる舟を然か言へり。ツナトリカケテまでは序なり。ヒコヅラヒはヒコヅリを延べ言ふなり。カカヅリをカカヅラヒと言ふにひとし。ツリは連の意なり。古事記わがたたせれば比許豆良比《ヒコヅラヒ》、と言ふも同じ、引寄する語なり。翁云、有リナミスレドは、(200)妹夫と成りて、常に在り竝びなんとすれどと言ふなりと言はれき。宣長云、アリナミは、アリイナミにて、人の言ひ立つるを、否《イナ》と言ひて爭ふ事なり。イナと言ひて爭ひつれども、いなみ得ずして、人に言ひ立てられしとなり。右の如く見ざれば、言ハレニシと言ふ詞、又上の序もかなはずと言へり。是れ然るべし。イヒヅラヒはイヒツリを延べ言ふなり。言連の意なり。
 參考 ○引豆良比(新)ヒキヅラヒ。
 
右一首
 
3301 神風之。伊勢乃海之。朝奈伎爾。來依深海松。暮奈藝爾。來因〓【〓今俟ニ誤】海松。深海松乃。深目師吾乎。〓海松乃。復去反。都麻等不言登可聞。思保世流君。
かむかぜの。いせのうみの。あさなぎに。きよるふかみる。ゆふなぎに。きよるまたみる。ふかみるの。ふかめしわれを。またみるの。またゆきかへり。つまといはじとかも。おもほせるきみ。
 
式に深海松、長海松などの名有り。また有れば俣ミルとも言ふべし。心は又立歸り妹夫と成るべきなれば、覺束なく思ふ事なかれと言ふなり。是れは旅の別れに臨みて、女の覺束なく思ふを、慰めて詠めるなるべし。〓、今本俟に誤る。〓も字書に見えねど、股を〓と書けるより誤り來れるならんか。
 
右一首
 
3302 紀伊國之。室之江邊爾。千年爾。障事無。萬世爾。如是將有登。大舟乃。(201)思恃而。出立之。清瀲爾。朝名寸二。來依深海松。夕難伎爾。來依繩法。深海松之。深目思子等遠。繩法之。引者絶登夜。散度人之。行之屯【屯ヲ今長ニ誤】爾。鳴兒成。行取左具利。梓弓。弓腹振起。志之岐羽矣。二手挾。離兼。人斯悔戀思者。
きのくにの。むろのえのべに。ちとせに。さはることなく。よろづよに。しかもあらむと。おほぶねの。おもひたのみて。いでたちし。きよきなぎさに。あさなぎに。きよるふかみる。ゆふなぎに。きよるなはのり。ふかみるの。ふかめしこらを。なはのりの。ひけばたゆとや。さとびとの。ゆきのつどひに。なくこなす。ゆきとりさぐり。あづさゆみ。ゆばらふりおこし。しのぎばを。ふたつたばさみ。はなちけむ。ひとしくやしも。こふるおもへば。
 
室、和名抄に、紀伊牟婁郡牟婁郷有り。千年ニ云云、京に史生などにて在りし人、妻を率《ヰ》て本國へ歸りし故に、斯く詠みしか。清キナギサと言ふより以下五句、其所のさまにて、句中の序なり。ナハノリ、卷十七にも詠めり。繩と言ふより絶と言ひて、其|率《ヰ》て下りし妻の死にたるを言ふと翁言はれき。宣長云、出立之はイデタチノと訓みて、清キナギサにつきたる言なり。卷九、出立之此松原と詠めるも同じ。さて思ひ頼みては、下の深めし子らと言ふへ續けりと言へり。さらば出立ノは、集中、走出の堤など詠める意とすべし。猶考へてん。サト人ノ云云、行之の下、屯を今本長に作るは誤なり。一本に依りて改めつ。(202)ツドヒと訓むべし。翁の云、ユキトリサグリのユキは靱なり。取サグリは手を脊へやりて靱の矢探り取るなり。靱に行の字を借りたるは訝し。亂れたりと見ゆと言はれき。借字は清濁に關はらぬ例なれど、靱に行と書かん事げにも訝し。こは宣長説も有れば末に擧げ言ふべし。弓腹の腹は繍の誤なるべし。ユズヱフリオコシは、神代紀の詞なりと翁の説なり。されど古事記に、弓腹とも有れば、さて有るべし。又此歌と次の里人之云云の歌、反歌共に、挽歌なるを、亂れて相聞の中に入れたる由翁言はれき。宣長云、これは官人などの紀の國へ下りゐて、年比留り居たる間にかたらひをなせる女に別れて、京へ歸り上る時の別れに、其男の詠めるか。室ノ江ノベは住みし所なり。右に言へる如く、思ヒタノミテと言ふは、深メシ子ラと言ふへ懸かりて、其間の七句は序なり。引ケバタユとは、なはのりの引けば絶ゆる如くにや、吾が中も絶えて別るとなり。里人ノユキノツドヒは、見送る里人の多く別れの所へ集るなり。ナク子ナス行トリサグリは、嬰兒の這ひ行きて物を探り取る如く、かの女の別れを慕ひて、取附きすがるを言ふ。梓弓より四句は又序なり。ハナチケムは、かの取附きすがりし女を、引放ちて別れつるを言ふ。人とは即ち女を指す。放ちて別れし人を、今悔しく思ふなりと言へり。コフル思ヘバは今斯く戀ふるを思へばなれり。是れ穩かなり。
 參考 ○障事無(考、新)略に同じ(古)ツツムコトナク ○如是將有登(考)略に同じ(古、新)カクシモアラムト ○思恃而の下(新)脱句有りとす ○出立之(代、古、新)イデタチノ(考)(203)イデタチシ ○引者絶登夜(古)ヒカバタユトヤ(新)略に同じ(新)此下脱句有らん ○行取左具利(新)ユキ「依」ヨリサグリ ○弓腹振起(代)ユハラフリタテ(考)ユスヱフリオコシ(古、新)略に同じ ○志之岐羽矣(代、古)シシキハヲ ○難兼(代)サカリケム(考、古、新)略に同じ ○戀思者(考)コヒシオモヘバ(古、新)コフラクモヘバ。
 
右一首
 
3303 里人之。吾丹告樂。汝戀。愛妻者。黄葉之。散亂有。神名火之。此山邊柄。(或本云彼山邊)烏玉之。黒馬爾乘而。河瀬乎。七湍渡而。裏觸而。妻者會登。人曾告鶴。
さとびとの。われにつぐらく。ながこふる。うつくしづまは。もみぢばの。ちりまがひたる。かみなびの。このやまべから。ぬばたまの。こ《くろ》まにのりて。かはのせを。ななせわたりて。うらぶれて。つまはあへりと。ひとぞつげつる。
 
妻は、例のかかはらで書きたる物にて夫なり、七瀬ワタリテは卷七、飛鳥川七瀬の淀と詠めり。瀬の多きを言ふ。ウラブレテは、愁はしく物思ふさまなり。ツマハアヘリト云云、夫には逢へりとなり。葬を送る馬を即ち死にたる夫が乘りて行くを見し如く言へりと、翁は言はれき。宣長云、是れは此女の戀ひ慕ふ男に、或人の道にて逢ひたる事を、其女に語るを聞きて女の詠めるなり。挽歌には有らじと言へり。
(204) 參考 ○散亂有(考)チリマガヒタル(古)チリミダリタル(新)チリミダレタル ○此山邊柄(新)或本の「ソノ」と有るを採る ○黒馬爾乘而(考)クロコマニノリテ(古、新)クロマニノリテ ○妻者會登(新)ツマハアヒキト。
 
反歌
 
3304 不聞而。黙然【黙然ヲ今誤テ下上ニセリ】有益乎。何如文。公之正香乎。人之告鶴。
きかずして。もだもあらましを。なにしかも。きみがただかを。ひとのつげつる。
 
葬送の時のさまを告げしを言ふ。是れは婦妻には有らで、よそに在りて相思へる妹の詠めるなりと翁言はれき。宣長が説に據らば、挽歌ならずして、右の長歌と同じ意に由るべし。正香は上に言へり。
 參考 ○黙然(代、古、新)モダモ(考)ナホモ ○正香(考)マサカ(古、新)略に同じ。
 
右二首
 
問答
 
3305 物不念。道行去毛。青山乎。振放見者。茵花。香未通女。櫻花。盛未通女。汝乎曾母。吾丹依云。吾※[口+立刀]毛曾。汝丹依云。荒山毛。人師(205)依者。余所。留跡序云。汝心勤。
ものおもはず。みちゆきなむも。あをやまを。ふりさけみれば。つつじばな。にほへるをとめ。さくらばな。さかゆるをとめ。なれをぞも。われによすとふ。われをもぞ、なれによすとふ。あらやまも。ひとしよすれば。|わがもとに。とどむ《よそる》とぞいふ。ながこころゆめ。
 
道行ナムモは、道行ナムヲモの意。花を見るままに、花の如き妹の戀ひ増さる由なり。青山を云云、春山と言はんが如し。もしくは青は春の誤か。道行ぶりに見る景色より妹が上に移し言ふなり。且つ答歌の意、未だ十五六の女と聞ゆれば、其意を知らせて未通女と書けり。ナレヲゾモ云云、二のモは助辭なり。吾※[口+立刀]の下、毛曾、一本曾毛と有る方善し。ヨストフは互に相思ふぞと、彼方の人も此方の人も言ひ寄する由なり。アラ山モ云云、疎き山も人の言ひ寄すれば、さる方に山の心も寄せとどむると言ふ諺の有りて言へるか。今の諺に、言へば言ひ出すなど言ふに似たり。汝ガ心ユメは、右の如く言ひ寄せらるるからは、遂にしか成りなん。汝が心もゆめ違ふ事無く相思へよとなり。宣長云、余所留跡序云はヨソルトゾ言フと訓むべしと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○道行去毛(代)ミチユキヌルモ(考)略に同じ(古)「毛」は「乎」か(新)ミチユキナム「乎」ヲ ○青出乎(考)略に同じ(古、新)ハルヤマヲ○(新)振放見者の下「ツツジバナ、サキニホヒタリ、サクラ花、サキサカエタリ」脱か ○香未通女(代、考)略に同じ(古、新)ニホヒヲトメ ○盛未通女(考)略に同じ(古、新)サカエヲトメ ○汝乎曾母(考)略に同じ(古、(206)新)ナヲゾモ ○吾丹依云(考)略に同じ(古)アニヨスチフ(新)ワニヨスチフ ○吾※[口+立刀]毛曾(代)「曾毛」(考、新)略に同じ(古)アヲゾモ ○汝丹依云(考)略に同じ(古、新)ナニヨスチフ ○余所留跡序云(考)ワガモトニ、トドムトゾイフ(古、新)ヨソルトゾイフ。
 
反歌
 
3306 何爲而。戀止物序。天地乃。神乎?迹。吾八思益。
いかにして。こひやむものぞ。あめつちの。かみをいのれど。わはおもひます。
 
右の長歌は古代の歌なるを、此短歌は長歌より見れば後なり。ここも亂れたるなるべし。心は明らけし。
 參考 ○吾八思益(代)ワレハオモヒマス(古)アハオモヒマス(新)ワハオモヒマス。
 
3307 然有社。歳乃八歳※[口+立刀]。纉髪乃。吾同子※[口+立刀]過。橘。末枝乎過而。此河能。下文長。汝情待。
しかれこそ。としのやとせを。きるかみの。わがみなすぎ。たちばなの。ほづえをすぎて。このかはの。したにもながく。ながこころまて。
 
右の汝心ユメと言ひ贈れるに答へて、少女が詠める歌なり。かれ上を受けて、吾もしか思ひて有ればこそと言へり。されども上に言の落ちたるかとも思はる。歳ノヤトセ云云、兒四歳ばかりの時、髪の末を(207)切りそめて、是れを深ソギと言ふ。さて八歳まで其髪の末を眉と等しく切る、是れを於髪《ハナリ》とも振分髪とも言ふと見えたり。同子は何多の字の誤か。ワガカタヲスギと訓むべし。古本には、子を千に作れるも誤と見ゆ。八歳の後は髪をそがずして、長からしむれば、肩を過ぎて垂るるを言ふなるべし。橘の已下誤字有るべきか考ふべし。古本に範政卿の手入有り。其書入の樣は、いかさま昔より脱句などの有りけるにや。是れは女の返しなり。下の人麻呂集の歌は、此間答二首を一つに詠めり。私云、此問答の内、最初の物不念の長歌の反歌、何爲而と言ふより、然有社年乃八歳叫と言ふ詞を、最初の反歌の下に如2長歌1書連畢。然して反歌と云ふは卅一字なり。此長歌可v号2反歌1條難v得2其意1、今勘v之、何爲而五文字より、吾八思益に至て一首に書v之、而して然有社より又答の歌の始に用v之者、天地之神尾母の歌則答の歌の反歌なるべし。次云、或本には始の、然有社を此如v本反歌の下に書き次て、奧の柿本朝臣人麻呂集之歌と上たる、物不念の長歌の奧に書き連る念社と云より別の歌に書v之。此兩本説共に以て不審の次第也。問答歌五首者答歌一首不足也。今如2愚案1書v之者、長歌問答の歌悉以宜かるべし。然れば此五首と書は誤なるべし。彼(レ)云、此右六首と書べし、と有りて、ここは早くより亂れたりと見ゆ。
 參考 ○吾同子※[口+立刀]過(考)ワガ「何多」ヲスギ(古)「吾肩」ワガカタヲスギ(新)ワガ「目子」メヲスギ ○末枝(新)トキ「等伎」の誤とす ○下文長(新)シタニ「乎」ヲナガク ○汝情待(新)「我」ワガココロマテ。
 
(208)反歌
 
3308 天地之。神尾母吾者。?而寸。戀云物者。都不止來。
あめつちの。かみをもわれは。いのりてき。こひとふものは。かつてやまずけり。
 
是れも右の長歌には似つかはしからず。上の何爲而戀止物序と言へる歌の轉じたるにて、別歌には有らざるべきか。
 參考 ○神尾母吾者(新)カミヲバワレモ「神尾者〔右・〕吾母〔右・〕」とす。
 
柿本朝臣人麻呂之集歌
 
3309 物不念。路行去裳。青山乎。振酒見者。都追慈花。爾太遙《ニホヘル》越賣。作樂花。佐【佐ヲ今在ニ誤ル】可|遙《エル》越賣。汝乎叙母。吾爾依云。吾乎叙物。汝爾依云。汝者如何念也。念社。歳八年乎。斬髪與。和子乎過。橘之。末枝乎須具里。此川之。下母長久。汝心。
 
卷十九、春花乃爾太要盛而云云。繼體紀、男大迹天皇(此大は太の誤なり)是れら太をホの假字に用ひたり。遙、二つとも心得ず。太の下、遙は逕の誤か。佐可遙の佐、今本在に誤る。元暦本に依りて改む。是れは上の男の歌の末四句落ちたると、女の答歌とを合せて、一首とせし物か。斬髪與、この與は之の誤。和子は加多の誤れるか。須具理は須藝を延べ言ふなり。
 參考 ○去裳(新)ナム「袁」ヲ ○青山(古、新)ハルヤマ ○(新)振酒見者の下「ツツジ花、(209)サキニホヒタリ、サクラ花、サキサカエタリ」脱か ○邇太遙越賣(古)ニホエヲトメ(新)ニホ「比」ヒヲトメ ○斬髪與(古、新)キルカミ「乃」ノ ○和子(古)アガ「肩」カタ(新)「我目」ワガメ ○末技乎須具里(新)「等伎」トキヲスグ「至」マデ ○汝(新)ワガ「吾」の誤。
 
右五首
 
3310 隱口乃。泊瀬乃國爾。左結婚丹。吾來者。棚雲利。雪者零來奴。左雲理。雨者落來。野鳥。雉動。家鳥。可鷄毛鳴。左夜者明。此夜者旭奴。入而且將眠。此戸開爲。
こもりくの。はつせのくにに。さよばひに。あがくれば。たなぐもり。ゆきはふりきぬ。さぐもり。あめはふりきぬ。ぬつどり。きぎしはとよみ。いへつどり。かけもなき。さよはあけ。このよはあけぬ。いりてあさねむ。このとひらかせ。
 
古事記八千矛神御歌。佐用波比爾《サヨバヒニ》云云。佐怒都登理《サヌツトリ》。岐藝斯波登與牡《キギシハトヨム》。爾波津登理《ニハツトリ》。加祁波那久《カケハナク》云云。繼體紀、勾大兄皇子の御歌にも同語有り。左雲理の左は發語か。又ここは淺《アサ》の略か。ヌツトリ、枕詞。サヨハアケ云云、遠き道に雨雪さへ降りて、妹許《イモガリ》到りやらで明けたるなり。ヒラカセは、ヒラケを延べ言ふ。零來の下、奴一本に無し。
 參考 ○雪者零來奴(新)ユキハフリキ「奴」を衍とす ○雨者落來(新)アメハフリキ ○雉動(210)(考)略に同じ(古)キキシハトヨム(新)キギシトヨミ ○可鷄毛鳴(考、新)略に同じ(古)カケモナク ○此夜者旭奴の下(新)「シカスガニ」脱か ○入而且將眠(代、新)イリテカツネム(考)略に同じ(古)イリテ「吾」アガネム。
 
反歌
 
3311 隱來乃。泊瀬少國爾。妻有者。石者履友。猶來來。
こもりくの。ほつせをくにに。つましあれば。いしはふめども。なほぞきにける。
 
ハツセヲクニは、吉野の國など言ふ類ひなり。
 
3312 隱口乃。長谷小國。夜延爲。吾大皇寸與【大皇寸與ハ夫寸美與ノ誤カ】。奧床仁。母者睡有。外床丹。父者寢有。起立者。母可知。出行者。父可知。野干玉之。夜者昶去奴。幾許雲。不念如。隱?香聞。
こもりくの。ほつせをくにに。よばひせす。わがせのきみよ。おくとこに。はははねたり。とつとこに。ちちはねたり。おきたたば。ははしりぬべし。いでゆかば。ちちしりぬべし。ぬばたまの。よはあけゆきぬ。ここだくも。おもふごとならぬ。しぬびづまかも。
 
夜忍びて辛うじて通ふを夜バフと言ふ。大、一本夫に作る。吾大皇寸與は、吾夫寸美與と書けるが誤れるなるべし。春海云、大は夫の誤にて、皇寸は尊一字の二字に誤れるならん。アガセノミコトヨと訓む(211)べし、何れにても有るべし。人を貴み言ふも限こそ有れ、わが夫を天皇など假にも言ふべきに有らず。出ユカバは戸口へ出でばなり。宣長云、末二句オモハヌガゴト、シヌブツマカモと訓まんと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○夜延爲(代、考)ヨバヒスル(古、新)略に同じ ○吾大皇寸與(代)スベロギ「大」を「天」とす(考)略に同じ(古)アガセノミコヨ「吾夫寸三」の誤とす(新)アセノミコトヨ「吾夫尊」とす ○奧床(新)オクドコ ○外床丹(考)略に同じ(古、新)トトコニ、但し(新)はトドとドを獨る ○不念如(考)略に同じ(古、新)オモフゴトナラヌ ○隱?(新)コモリヅマ。
 
反歌
 
3313 川瀬之。石迹渡。野干玉之。黒馬之來夜者。常二有沼鴨。
かはのせの。いしふみわたり。ぬばたまの。こまのくるよは。つねにあらぬかも。
 
黒馬と書けるは、ウメを烏梅と書ける如く、字音を採れるなり。常ニ有ラヌカと言ふは、常ニアレカシと願ふ言なり。ここの意は、親にも知られて、常に通ひ來て、逢ふ由もがなど、今より後を願へり。
 參考 ○石迹渡(考)イハトワタリテ(古、新)略に同じ ○黒馬之來夜者(代)クロマ(考)略に同じ(古、新)クロマノクヨハ。
 
右四首
 
(221)3314 次嶺經。山背道乎。人都末乃。馬從行爾。己夫之。歩從行者。毎見。哭耳之所泣。曾許思爾。心之痛之。垂乳根乃。母之形見跡。吾持有。眞十見鏡爾。蜻領巾。負並持而。馬替吾背。
つぎねふ。やましろぢを。ひとづまの。うまよりゆくに。おのづまが。かちよりゆけば。みるごとに。ねのみしなかゆ。そこもふに。こころしいたし。たらちねの。ははがかたみと。わがもたる。まそみかがみに。あきつひれ。おひなめもちて。うまかへわがせ。
 
ツギネフ、枕詞。反歌に泉河を言ひしは、古へ大和に住む人の、山城へ行く事有るを言ふなるべし。人ヅマは他人の夫を言ふ。オノヅマはおのれが夫を言ひて、例多し。タラチネノ、枕詞。マソミ鏡は、眞澄日《マスミビ》の鏡の轉じたる語なり。アキツヒレ、女装束の領巾をも言へど、是れは類聚雜要、或は雅亮装束抄に載せたる、鏡の具の比禮なるべし。鏡に添へたる比禮は、蜻蛉の羽の形したる物なれば、アキツヒレと言ふべし。オヒナメモチテは、右の二つを並べ負ひ持ち行きてと言ふなり。馬カヘは、馬ト替ヘヨの略なり。古へは物と物とを相替へたればなり。
 參考 ○己夫之(代、古、新)略に同じ(考)ワガセコガ。
 
反歌
 
3315 泉河。渡瀬深見。吾世古我。旅行衣。裳【裳ヲ蒙ニ誤ル】沾鴨。
(213)いづみがは。わたりせふかみ。わがせこが。たびゆきごろも。すそぬれむかも。
 
延喜式雜式云、凡山城國泉河樺井渡瀬者。官長率2東大寺工等1。毎年九月上旬造2假橋1云云。今本裳を蒙に誤れる事|著《シル》ければ改めつ。
 參等 ○渡瀬(考)ワタルセ(古、新)略に同じ ○蒙沾鴨(代)ヌレニケルカモ(考)略に同じ(古)モヌラサムカモ、誤字とせず(新)「裳」モノヌレムカモ。
 
或本反歌曰
 
3316 清鏡。雖持吾者。記無。君之歩行。名積去見者。
まそかがみ。もたれどわれは。しるしなし。きみがかちより。なづみゆくみれば、
 
シルシナシは、カヒナシと言ふが如し。ナヅミ、上に出づ。
 參考 ○雖持(代、古)モテレド(考)略に同じ(新)モツトモ ○記無(新)シルシナケム ○見者(新)ミバ。
 
3317 馬替者。妹歩行將有。縱惠八子。石者雖履。吾二行。
うまかへば。いもかちならむ。よしゑやし。いしはふむとも。わはふたりゆかむ。
 
此一首男の答歌なり。是れは妹許《イモガリ》通ふ時ならで、故有りて妹と吾が二人行く時の事を、かねて言へり。右清鏡の歌は反歌にて、此馬替者の歌に和(ヘ)歌と有りけんが落ちたるなり。
(214) 參考 ○馬替者(代、考)略に同じ(古、新)ウマカハバ。
 
右四首
 
3318 木國之。濱因云。鰒珠。將拾跡云而。妹乃山。勢能山越而。行之君。何時來座跡。玉桙之。道爾出立。夕卜乎。吾問之可婆。夕卜之。吾爾告良久。吾妹兒哉。汝待君者。奧浪。來因白珠。邊浪之。縁流白珠。求跡曾。君之不來益。拾登曾。公者不來益。久有。今七日許。早有者。今二日許。將有等曾。君者聞之二二。勿戀吾妹。
きのくにの。はまによるとふ。あはびだま。ひ|ろ《り》はむといひて。いものやま。せのやまこえて。ゆきしきみ。いつきまさむと。たまぼこの。みちにいでたち。ゆふうらを。わがとひしかば。ゆふうらの。われにのらく。わぎもこや。ながまつきみは。おきつなみ。きよるしらたま。へつなみの。よするしらたま。もとむとぞ。きみがきまさぬ。ひ|ろ《り》ふとぞ。きみはきまさぬ。ひさならば。いまなぬかばかり。はやからば。いまふつかばかり。あらむとぞ。きみはきこしし。なこひそわぎも。
 
此人國官などにて行きし時、紀の海は玉の名有る所故に、拾ひて來んぞと言ひて別れしをもて、斯く言へるなり。妹の山、せの山、上に出づ。夕卜は日の暮方なす故言ふ。ワレニノラクは、他人の物語して過ぐるを聞きて、我事に取りなす占なれば、即ち其れを我に告ぐる語とす。ツグラクと訓みたれど、(215)卜にはのると言ふが定なり。久有の下者の字を落せり。卷八、今二日斗あらば散なむ。卷九、吾ゆきは七日は過|し〔右○〕、卷十七長歌に、近くあらば今二日たみ遠くあらば七日のうちは過めやも、とも詠めり。ナ戀ソワギモまで占の語なり。是れも女の歌のめでたきなり。
 參考 ○將拾跡云而(代、古)ヒリハムトイヒテ(考)ヒロハムトイヒテ ○告良久(考)ツグラク(古、新)略に同じ ○來因白珠(考、新)略に同じ(古)キヨスシラタマ ○公者(新)キミ「之」ガ。
 
反歌
 
3319 杖衝毛。不衝毛吾者。行目友。公之將來。道之不知苦。
つゑつきも。つかずもわれは。ゆかめども。きみがきまさむ。みちのしらなく。
 
杖ヲツキテモのテを略けり。道に行き違はんかと思ふ意なり。卷三長歌、天地の到れる限杖つきもつかずも行て、とも詠めり。
 參考 ○公之將來(新)キミガキタラム。
 
3320 直不往。此從弖勢道柄。石瀬蹈。求曾吾來。戀而爲便奈見。
ただにゆかず。こゆこせぢから。いはせふみ。とめぞわがこし。こひてすべなみ。
 
タダニユカズは、石瀬ふむ道をことわるなり。コユはココヨりにて、コセと言ふまでへ懸かれり。カラ(216)はヨリなり。是れは右の長歌詠める女の夫、史生などにて、紀路へ行きしが、暫の暇を得て、歸れる時、妻へ與へしなるべし。其答には有らねど、同じ度《タビ》の歌なる故、右の反歌の次に載せしなりと翁は言はれき。宣長は是れも同じ女の歌なるべし。道のしらなくとは詠みつれども、なほ思ひかねて出で立ち行くならんと言へり。
 參考 ○求曾(考)ナヅミゾ「石(○名の誤)積序」(古、新)モトメゾ。
 
3321 左夜深而。今者明奴登。開戸手。木部行君乎。何時可將待。
さよふけて。いまはあけぬと。とひらきて。きべゆきしきみを。いつとかまたむ。
 
右の男しばし有りて、又紀の路へ行くを、女の悲みたる歌か。又は是れより二首は別の贈答にも有るべし。
 參考 ○開戸手(考、新)トヲアケテ(古)略に同じ ○木部(古、新)キヘ ○何時可將待(古)拾穗本の「將待」を「得待」と有るに據らばイツカマチエムとも訓まんか。
 
3322 門座。郎【郎ハ娘ノ誤】子内爾。雖至。痛之戀者。今還金。
がどにをる。をとめはうちに。いたるとも。いたくしこひば。いまかへりこむ。
 
門まで送れる女の、わが屋の内へ歸り入る程の暫の間なりともと言ふ意か。末はいたく戀ふと聞かば、今の間に立歸り來んぞと、言ひ慰さめて別るるなり。郎子は娘子の誤なるべし。考の別記に委し。金は(217)音を借りたるにて將v來《コム》なり。
 參考 ○門座(新)カドニヰシ。
 
右五首
 
譬喩歌
 
3323 師名立。都久麻左野方。息長之。遠智能小菅。不連爾。伊苅持來。不敷爾。伊苅持來而。置而。吾乎令偲。息長之。遠智能小菅。
しなてる。つくまさぬかだ。おきながの。をちのこすげ。あまなくに。いかりもちき。しかなくに。いかりもちきて。おきて。われをしぬばす。おきながの。をちのこすげ。
 
シナテル、枕詞。都久麻と息長は近江國坂田郡なり。然れば左野方は其の筑摩郷の内、遠智は息長の内に在る所名なり。諸陵式息長墓在2近江坂田郡1と見ゆ。此男筑摩の額田に住むに、遠智と言ふ所の菅を刈り持て來たりと言ふなり。卷七に、眞珠づくをちの菅原とも詠みたれば、菅を出す所なるべし。左野方の左は發語、イカリのイも發語なり。さて薦に編み敷くとも無く、徒に刈りもて來置きてと言ふは、好女の我に隨ふさまながら、逢ふ事も無きを嘆くなり。卷十一にも、みよしののみくまが菅をあまなくに刈のみ刈てみだれなむとや、と有り。翁の言へらく、末に二たび言ふは、其事を深く歎くにつきて、(218)返す返す言ふにて、哀れ深し。古人は斯かる所に、妙なるみやび有りと言はれき。今古風を好み詠む者、猥に此《コ》をまねぶ類ひ有れば、ここにやう無き事ながら、更におどろかし置くのみ。
 參考 ○師名立(考)略に同じ(古、新)シナタツ ○都久麻左野方(新)ツクマサヌ「柄」カラ ○持來(考)モテキ(古、考)略に何じ○吾乎令偲(所)ワレヲカレシム「偲」を「枯」の誤とす。
 
右一首
 
挽歌
 
3324 挂纒毛。文恐。藤原。王都志彌美爾。人下。滿雖有。君下。大座常。在向。年緒長。仕來。君之御門乎。如天。仰而見乍。雖畏。思憑而。何時可聞。日【日ヲ曰ニ誤ル】足座而。十五月之。多田波思家武登。
かけまくも。あやにかしこし。ふぢはらの。みやこしみみに。ひとはしも。みちてあれども。きみはしも。おほくいませど。ゆきむかひ。としのをながく。つかへきて。きみがみかどを。あめのごと。あふぎてみつつ。かしこけど。おもひたのみて。いつしかも。ひたらしまして。もちづきの。たたはしけむと。
 
シミミ繁繁なり。人下の下は詞。卷廿、人さはに道美知弖波安禮杼《ミチテハアレド》と詠めり。君下の下も詞なり。オホクイマセドとは、皇子たちは其外にも多くませどもと言ふなり。大は多の義なり。翁はオホマシマセド(219)と訓みて、オハシマスと言ふは、大マシマスの略なりと言はれつれど、如何があらん。往ムカヒは、宣長云、外にも君はませども、わきて此君に心寄せて仕へ奉る由なりと言へり。オモヒタノミテは末の御榮を待つなり。ヒタラシ、古事記御子生ます時詔に、何爲|日足《ヒタラシ》奉(ント)答白(ク)取2御母《ミヲモヲ》1定2大|湯坐《ユヱ》若湯坐(ヲ)1宜《ベシト》2日足《ヒタラシマス》1云云、是れ生れ子の日を足《タラ》するを言ふ。十五の下、夜の字落ちしか。タタハシケムト、滿湛《ミチタタフ》るなり。卷二、日並皇子命殯の時の長歌にも、望月の滿波之計武跡《タタハシケムト》と詠めり。
 參考 ○往向(考)ユキマケル(古)ユキカハル「往易」とす(新)ユキムカフ ○仕來(考)ツカヘクル(古)ツカヘコシ(新)略に同じ ○日足座而(考、新)略に同じ(古)此句の上に「ワガオホキミ、アメノシタ」を補ひ「白」シロシイマシテとす。
 
吾思。皇子命者。春避者。殖槻於之。遠人。待之下道湯。登之而。國見所遊。九月之。四具禮之秋者。大殿之。砌志美禰爾。露負而。靡芽子乎。珠手次。懸而所偲。三雪零。冬朝者。刺楊。根張梓矣。御手二。所取賜而。所遊。我王矣。煙立。春日暮。喚犬追馬鏡。雖見(220)不飽者。萬歳。
わがもへる。みこのみことは。はるされば。うゑつきがうへの。とほつひと。まつのしたみちゆ。のぼらして。くにみあそばし。ながづきの。しぐれのあきは。おほとのの。みぎりしみみに。つゆおひて。なびけるはぎを。たまだすき。かけてしぬばし。みゆきふる。ふゆのあしたは。さしやなぎ。ねはりあづさを。おほみてに。とらしたまひて。あそばしし。わがおほきみを。けぶりたつ。はるびのくれに。まそかがみ。みれどあかねば。よろづよに。
 
殖槻、今昔物語に敷下郡殖槻寺と有り。神樂歌に殖槻や田中のもりと言ふも同じ。遠ツ人、枕詞。マツノ下道ユ松に待を兼ぬ。國見遊バシ、是れ御遊の時なれば言ふ、玉ダスキ、枕詞。懸ケテシヌバシは御心に懸けてなり。サシ柳、枕詞。梓とのみ言ひて弓の事とせり。上の根張は刺木にしたる柳の根と言ふまで句中の序にて、張梓と言ふが則ち弓なり。御手の上大の字を脱せり。煙立はカスミを言ふ。春日ノクレニは長き日も暮までにと言ふを略きて言へり。マソ鏡、枕詞。
 參考 ○吾思(考、新)ワガオモフ(古)略に同じ ○待之下道湯(代)マツガシタミチユ(考)マツノシタ道ユ(古、新)マツノシタヂユ○所偲(代)シヌバセ(考)シヌバム(古、新)略に同じ ○刺楊(代古、新)略に同じ(考)サスヤナギ ○根張梓矣(考)ネハルアツサヲ(古、新)略に同じ ○所遊(代)アソバセシ(考、古、新)略に同じ ○煙立(代、考)カスミタツ(古、新)ケブリタツ ○ハル日暮(考)ハルビモクレテ(古、新)ハルノヒグラシ。
 
如是霜欲得常。大船之。憑有時爾。涙言。目鴨迷。大殿矣。振放見(221)者。白細布。飾奉而。内日刺。宮舍人方(一云者)。雪穗。麻衣服者。夢鴨。現前鴨跡。雲入夜之。迷間。朝裳吉。城於道從。角障經。石村乎見乍。神葬。葬奉者。往道之。田付※[口+立刀]不知。雖思。印乎無見。雖嘆。奧香乎無見。御袖。往觸之松矣。言不問。木雖在。荒玉之。立月毎。天原。振放見管。珠手次。懸而思名。雖恐有。
かくしもがもと。おほぶねの。たのめるときに。なくわれが。めかもまどへる。おほとのを。ふりさけみれば。しろたへに。かざりまつりて。うちひさす。みやのとねりは。たへのほの。あさぎぬきるは。いめかも。うつつかもと。くもりよの。まどへるほどに。あさもよし。きのへのみちゆ。つぬさはふ。いはれをみつつ。かむはふり。はふりまつれば。ゆくみちの。たづきをしらに。おもへども。しるしをなみ。なげけども。おくかをなみ。おほみそで。ゆきふれしまつを。こととはぬ。きにはあれども。あらたまの。たつつきごとに。あまのはら。ふりさけみつつ。たまだすき。かけてしぬばな。かしこけれども。
 
涙言は流言か妖言の誤にてオヨヅレカと訓むべし。言の下一本可の字有り。殯宮に坐すと聞くは人の言ひ迷はす歟。白布もて餝ると見るは吾目の惑へる歟と言ふなりと翁は言はれき。宣長は言涙《ワガナミダ》の下上になれるなり。ワガナミダにて目かも迷へると言ふなりと言へり。言をワガと訓む事集中例有り。タヘノホ、卷一、栲乃穗と書きし如く、タヘは白布の名なり。其白きに依り雪とも書きたるなり。卷十一に敷白《シキタヘ》とも書けり。麻衣、喪には公私共に白麻布を用ひる事、孝コ紀など合せ見るべし。鈍色は後の事なり。ク(222)モリヨノ、アサモヨシ、ツヌサハフ、枕詞。迷間、マドヘルハシニとも訓むべし。卷二、あらそふ端《ハシ》爾と有り。翁の考にイハレは反歌に據るに葬りまゐらする地故、其山を望みながら行くなり。さて飛鳥の北、泊瀬の南に今もイハレと言ふ山有り。卷三、角さはふ石村も過泊瀬山いつかもこえむ夜は更につつ、と詠めるは、飛鳥の方より北へ向ひ行く時なり。此歌は藤原都より南東へ向ひて、其石村にをさめんとて送り參れり。是れを以て思ふに、城於道は城上郡の磯城と言ふ所を言ふか。又其邊に城と言ふ地有るか。右に言ふ如くなれば、廣瀬郡の城缶《キノベ》と甚だ異なりと有り。されど此説穩かならず。城於は廣瀬郡の域缶なるべし、猶下に言はん。オモヘドモ云云以下の句は、しのび奉る心を言ふ。ナゲケドモ、オクカヲナミは、今は皇子を見奉る由も無しとなり。行フレシ松、上に國見遊ばしと言ひし所の松を言ふ。アラ玉ノ、枕詞。トシを略きて月に續けしにて、今よりの歳月を言ふ。フリサケ見ツツは、右の松を仰ぎ見るなり。されば天の原と言へるは、天を見る如く仰ぎ見る意なり。されど猶原は如の字の誤れるならん。アメノゴトと言ふべきなり。
 參考 ○涙言(考)マガコトカ「妖言可」とす(古)アガナミダ(新)「訝」ウタテワガ ○目鴨迷(考、新)略に同じ(古)メカモマドハス ○麻衣服者(考)アサギヌキレバ(古、新)アサギヌケルハ ○夢鴨(代)ユメニカモ(考)イメニカモ(古、新)略に同じ ○現前鴨跡(代、考)ウツワニカモト(古、新)略に同じ ○迷間(考、古、新)マドヘルホドニ ○御袖云云(考)ミソ(223)デノユキ觸之松矣(古)ミソデ「持」モチフリテシマツヲ(新)オホミソデ、ユキフリシマツヲ ○天原(考、新)アメノ「如」ゴト(古)略に同じ ○雖恐有(考、新)カシコカレドモ(古)略に同じ。
 
反歌
 
3325 角障經。石村山丹。白栲。懸有雲者。皇【皇ハ吾王ノ誤カ】可聞。
つぬさはふ。いはれのやまに。しろたへに。かかれるくもは。わがおほきみかも。
 
皇は吾王二字の一字に誤れるなるべし。此歌藤原宮の末の歌とする時は、火葬の烟を雲と見て詠めりとも言ふべけれど、皇極紀に、皇孫|建《タケルノ》王の過ぎ給ひし後の御歌に、いまきなるをむれが上に雲だにもしるくしたたば何かなげかむ、とも詠み給へれば、唯だ白雲と心得べし。石村は東の高山に續きたれば雲懸るべきなりと翁言はれき。さて必ずしも葬りまゐらせし山ならずとも斯くも言ふべし。翁の考に云、右は或人高市皇子薨ませし時の歌と言へるは叶はず。何ぞと言はば、日足しましてと言ふは、もと緑兒を言ふなるを、強て御若く二十にも足らぬ間までは言ひもせんか、そも猶よくは叶はず。然るに高市皇子命の薨ませしは、御とし四十餘なるべければ由無し。又高市皇子命の御墓は、廣瀬郡御立岡と式に見え、且つ卷二の同皇子命を申す端詞の、城上殯宮とここの城於道とは相似て聞ゆれど、彼は廣瀬城缶、ここは城上郡なるべき由、つばらに論らはれき。今按ずるに、日足ラシの語有ると、反歌の石村山を葬り(224)ませし地と定めしより、高市皇子命の薨の時の歌にあらじと思ひて、此論らひは有るなり。皇太子に有らずして、皇子ノミコトと言へる例無ければ、高市皇子命の薨の時の歌にて、ここの城於も卷二の端詞の城上と同じく、廣瀬郡とすべし。キノヘノ道ユと言ふは、其きのへの方へ行く道よりと言ふ事なり。京へ行く道をミヤコ路と言ふ類ひいと多し。さて日足ラシマシテと言へるは、此皇子命のいと稚くおはしませしより仕へ奉りし人の詠めるなるべし。又石村山を言へるは、右にも言へる如く、必ずしも葬りませし山ならずとも、其わたりの雲を見ても御面影をしのぶ意とすべし。
 
右二首
 
3326 磯城島之。日本國爾。何方。御念食可。津禮毛無。城上宮爾。大殿乎。都可倍奉而。殿隱。隱在者。朝者。召而使。夕者。召而使。遣之。舍人之子等者。行鳥之。群而待。有雖待。不召賜者。劔刀。磨之心乎。天雲爾。念散之。展轉。土打哭杼母。飽不足(225)可聞。
しきしまの。やまとのくにに。いかさまに。おもほしめせか。つれもなき。きのへのみやに。おほとのを。つかへまつりて。とのごもり。こもりいませば。あしたには。めしてつかはし。ゆふべには。めしてつかはし。つかはしし。とねりのこらは。ゆくとりの。むらがりてまち。ありまてど。めしたまはねば。つるぎたち。とぎしこころを。あまぐもに。おもひはふらし。こいまろび。ひづちなけども。あきたらぬかも。
 
シキシマノ、既に出づ。ツレモナキ、此言は連《ツラネ》も無くと言ふを元にて、縁《ヨシ》も無き意に轉じ言へり。集中無由縁と書けるも然訓むべし。城上宮、卷二高市皇子尊城上殯宮と有るに同じく、此歌も同尊の殯宮の時、舍人の中にて詠みたるなり。大殿ヲツカヘ奉テは、陵を造り仕へ奉りなり。殿隱は、陵の内に隱りますと言ふなり。朝ニハ云云以下、舍人が御階の下、御門など守る事を言へり。群而の下、待は侍の誤か。ムレテサモラヒと有るべし。劔刀、枕詞、トギシ心は、皇子の御爲に忠《マメ》なる心を盡さんと思ふなり。天雲ニ思散ラシは、天雲ノ如クニと言ふを略けるにて、心の雲の如くに亂れてただよふなり。卷二、行方《ユクヘ》も不v知と言へるが如し。コイマロビは伏シマロビなり。ヒヅチは涙に漬《ヒヅ》るを言ふ。此頃の長歌に反歌の無きは有らぬを、ここは落ち失せしならん。
 參考 ○日本國爾の下(新)宮ハシモ、ココダクアルヲ脱か ○羣而待(考)ムラガリテマチ(古、新)略に同じ ○念散之(代)オモヒハララシ(考、古、新)略に同じ。
 
右一首
 
3327 百小竹之。三野王。金厩。立而飼駒。角厩。立而飼駒。草(226)社者。取而飼旱。水社者。?而飼旱。何然。大分青馬之。鳴立鶴。
ももしぬの。みぬのおほきみ。にしのうまや。たててかふこま。ひむがしのうまや。たててかふこま。くさこそは。とりてかへかに。みづこそは。くみてかへかに。なにしかも。ましろ《ひたを》のこまの。いばえたちつる。
 
百シヌノ、枕詞。三野王天武紀亦徴2美濃王1乃參赴而從矣。また小柴美濃王、又栗隈王之二子三野王武家王云云。其外持統紀元明の紀にかたがた見えて、和銅元年五月辛酉從四位下美努王卒。孝コ紀に美努王は栗隈王の子、諸兄卿の父なる由見ゆ。是れなるべし。金角は西東に配するを以て借りて書けり。旱はカニの言に借りたり。此語穩かならず。宣長云、旱は甞の誤にて、カヒナメなるべし。心は主君は失せ給へども、今も草水を欲しく思はば、取りて飼ひなん物を、何しかも鳴くぞと言ふなりと言へり。さて東西の厩を言ふは、多くの馬の鳴くと言はんとてなり。鳴立はつれ立ちて鳴くを言ふ。大分青馬は唯だ眞白なる意なりと、冠辭考に委しく言はれたり。按ずるに大分青馬、ヒタヲノコマと訓まんか。ヒタは神代紀に純男ヒタヲトコと訓める意にて、大分とも書くべし。卷十六、人魂の佐青有公《サヲナルキミ》がただひとり云云と言へり。佐は發語にて、アヲを略きてヲとのみ言ふは常なり。さて左の反歌の衣手ノ枕詞は、常陸と續くと同じ語とすべし。
 參考 ○飼旱(考)カニ(古、新)略に同じ ○大分青馬之(代、古)アシゲウマノ(考)マシロノコマノ(新)マカタノコマノ「白方青方馬」の誤とす。
 
反歌
 
(227)3328 衣袖、大分青馬之、嘶音、情有鳧、常從異鳴、
ころもでの。ましろ《ひたを》のこまの。いばゆるも。こころあれかも。つねゆけになく。
 
衣手ノ、枕詞。アレカモはアレバカのバを略ける例なり。
 參考 ○衣袖(考、新)略に同じ(古)コロモデヲ ○大分青馬之。前の參考を見よ ○嘶音(代)イバフコヱ(考)ナクコヱモ(古)イバユコヱ(新)イバエゴヱ ○情有鴨(考)ココロアルカモ(古、新)略に同じ ○常従異鳴(考)ツネニケニナク(古、新)略に同じ。
 
右二首
 
3329 白雲之。棚曳國之。青雲之。向伏國乃。天雲。下有人者。妾耳鴨。君爾戀濫。吾耳鴨。夫君爾戀禮薄。天地。滿言。戀鴨。?之病有。念鴨。意之痛。妾戀叙。日爾異爾益。何時橋物。不戀時等者。不有友。是九月乎。吾背子之。偲丹爲與得。千世爾物。偲渡登。萬代爾。語都我部(228)等。始而之。此九月之。過莫乎。伊多母爲便無見。荒玉之。月乃易者。將爲須部乃。田度伎乎不知。石根之。許凝敷道之。石床之。根延門爾。朝庭。出居而嘆。夕庭。入座戀乍。烏玉之。黒髪敷而。人寢。味寢者不宿爾。大船之。行良行良爾。思乍。吾寢夜等者。敷物不敢鴨【鴨今鳴ニ誤ル】。
しらくもの。たなびくくにの。あをぐもの。むかぶすくにの。あまぐもの。したなるひとは。あのみかも。きみにこふらむ。あのみかも。きみにこふれば。あめつちに。いひたらはして。こふれかも。むねのやめる。おもへかも。こころのいたき。わがこひぞ。ひにけにまさる。いつはしも。こひぬときとは。あらねども。このながづきを。わがせこが。しぬびにせよと。ちよにも。しねびわたれど。よろづよに。かたりつがへと。はじめてし。このながつきの。すぎまくを。いたもすべなみ。あらたまの。つきのかはれば。せむすべの。たどきをしらに。いはがねの。こごしきみちの。いはどこの。ねはへるかどに。あしたには。いでゐてなげき。ゆふべには。いりゐこひつつ。ぬばたまの。くろかみしきて。ひとのぬる。うまいはねずに。おほぶねの。ゆくらゆくらに。おもひつつ。わがぬるよらは。よみもあへぬかも。
 
白雲ノ云云、祝詞に多き言にて、遠く向ふ天涯を言ひて、遠き國を指すなり。青雲は青空なり。天雲ノ下ナル、是れは唯だ天を言ふのみ。言ヒタラハシテ、上に八十の心を天地に思ひたらはしと言へるに似て、ここは天地の神に言擧するを言ふ。宣長云、言は足の誤にて、ミチタラハシテならんと言へり。コヒヌ時トハは、時トテハの略なり。語リツガヘトは、語り繼ゲとなり。始テシは、今より語り繼ぐ始にする意にて、死し時を言ふ。イタモは痛クモなり。月ノカハレバは、新喪の月の替はり行くを言ふ。石ガネノコゴシキ云云は、夫の墓の側らの假屋に、妻の宿りゐて、其墓所のさまを言へるなり。さて烏玉之黒髪敷而以下の九句、上の相聞の中に出でたり。挽歌の歎きに有らぬ事上に言へるが如し。此長歌の(229)入座戀乍の末より、反歌を懸けて、落ち失せたるに、烏玉之以下の九句亂れてここに入りたりと見ゆ。鴨、今本鳴に誤れり。
 參考 ○吾耳鴨(古、新)アレノミ「師」シ ○滿言(考)略に同じ(古、新)ミチタラハシテ「言」を「足」の誤とす ○?之病有(考)ムネノヤモヘル(古、新)略に同じ ○是九月乎(新)コノナガツキ「之」ノ ○過莫乎(新)二句脱か ○月乃易者(新)ツキノカハラバ ○許凝敷道之(新)コゴシキミチ「乎」ヲ ○出居而嘆(新)イリヰテナゲキ「出」を「入」とす ○入座戀乍(新)イデヰコヒツツ ○敷物不敢鳴(代)ヨミモアヘナク、又はヨミモアヘヌカモ(古)略に同じ(新)ヨミモアヘジカモ。
 
右一首
 
3330 隱來之。長谷之川之。上瀬爾。鵜矣八頭漬。下瀬爾。鵜矣八頭漬。上瀬之。年魚矣令咋。下瀬之。鮎矣令咋。麗妹爾。鮎遠惜。投左乃。遠離居而。思空。不安國。嘆空。不安國。衣社薄。其破者。縫乍(230)物。又母相登言。玉社者。緒之絶薄。八十一里喚?。又物逢登曰。又毛不相物者。?尓【尓ヲ山ニ誤ル】志有來。
こもりくの。はつせのかはの。かみつせに。うをやつかづけ。しもつせに。うをやつかづけ。かみつせの。あゆをくはしめ。しもつせの。あゆをくはしめ。くはしめに。あゆをあたらし。なぐるさの。とほざかりゐて。おもふそら。やすからなくに。なげくそら。やすからなくに。きぬこそは。それやれぬれば。ぬひつつも。またもあふといへ。たまこそは。をのたえぬれば。くくりつつ。またもあふといへ。またもあはぬものは。いもにしありけり。
 
アユヲクハシメは鵜の鮎を含みて出づるを言ふ。下瀬ノ鮎ヲクハシメまで十句は、クハシ妹と言はん序なり。クハシメは、古事記八千矛神の御歌に、久波志賣遠《クハシメヲ》ありとききて、と有り。うるはしき女を言ふ。鮎遠惜は必ず誤字なり。辭遠借と有りしか。然らばコトトホザカリと訓むべし。されど猶有るべくや。ナグルサノ、枕詞。遠ザカリヰテは、居所の遠きにて、上のコトトホザカリは、相語ふ事の遠きなり。わざと重ね言へりと翁は言はれき。遠き所に住める思ひづまの死たる歎きなるべし。又モアフトイヘはアフトヘとも訓むべし。此譬にて死を知らせたり。縫、古本繼に作る。ツギツツモと訓むべし。繼の下、尓、今山に誤れり、古本に據りて改む。
 參考 ○麗妹爾(考、古、新)クハシイモニ ○鮎遠惜(考)略に同じ(古、新)タクヒテマシヲ「副猿緒」 ○投差乃(代)ナクサノ(考、古、新)略に同じ ○不安國の下(新)數句脱とす ○其破者(新)「袖」ソデヤレヌレバ ○縫乍物(新)「繼」ツギツツモ。
 
3331 隱來之。長谷之山。青幡之。忍坂山者。走出之。宜山之。出立之。妙山叙。惜山之。荒卷惜毛。
(231)こもりくの。はつせのやま。あをはたの。おさかのやまは。は《わ》しりでの。よろしきやまの。いでたちの。まぐはしきやまぞ。あたらしきやまの。あれまくをしも。
 
青バタノ、枕詞。和名抄、城上郡長谷(波都勢)忍坂(於佐加)と有り。雄略記、擧暮利矩能播都制能野磨播伊底?智能與慮斯企野磨和斯里底能與慮斯企夜磨能據暮利短能播都制能夜磨播阿野爾于羅虞波斯阿野?于羅虞波斯《コモリクノハツセノヤマハイデタチノヨロシキヤマワシリデノヨロシキヤマノコモリクノハツセノヤマハアヤニウラグハシアヤニウラグハシ》と言ふ御歌の言をとり用ひて、もろもろよろしく、うら妙《グハ》しき人の死るを譬へて惜むなり。此二山もて、一人の人のくさぐさ兼ねたるを言ふ。走出ノ云云、此言右に引きたる紀には、泊瀬一つをの給ひしを、ここは二山のさまを分ち言へり。はつせの山は、山の尾前へ廻りて、穴磯《アナシ》山まで引き續けるを、走出と言ひ、忍坂は山立のよろしきと言ふなり。アタラシキ山ノ、同紀の歌に、婀?羅斯枳《アタラシキ》いなめのたくみなど有りて、惜む事なり。アレマクヲシモに、末をかねて言ふなり。然れば此人榮ゆべき世を早く過ぎて、あたらまぐはしき名も、失せ行くべき事を、まだ荒れぬ山の、遂に荒れ行かん譬に取れるにや。
 參考 ○妙山叙(考)略に同じ(古、新)クハシキヤマゾ。
 
3332 高山與。海社者。山隨。如此毛現。海隨。然直有目。人者充物(232)曾。空蝉與人。
たかやまと。うみこそは。やまのまに。かくもうつしく。うみのまに。しかもただならめ。ひとはあだものぞ。うつせみのよひと。
 
マニは、今もとのままに在るを言ふ。宣長は山ナガラ、ウミナガラと訓まんと言へり、猶考ふべし。現シクは、かけずして世に在るなり。シクは事を強くする詞。シカモはカクモに同じ。然の下、古本毛の字有り。直ナラメは、常ナラメと言ふに等し。人はアダモノゾ、充を古本花と有るぞ善き。直ちにハナと訓まんか。空蝉は顯身なり。卷十六、いさなとり海や死にする山やしにするしねばこそ海は汐干て山は枯すれ、とも言へり。右二の長歌はいと古き代の歌なり。
 參考 ○山隨(考)略に同じ(古、新)ヤマナガラ ○如此毛現(考)カクモウツシキ(古、新)略に同じ ○海隨(考)略に同じ(古、新)ウミナガラ ○然直有目(代)シカタダナラメ、(考、古)シカモタダナラメ「然」の下「毛」を補ふ(新)シカタダナラメ「直」を「毛」の誤とす ○充物曾(代、考)略に同じ(古、新)ハナモノゾ「充」は「花」の誤とす。
 
右三首
 
3333 王之。御命恐。秋津島。倭雄過而。大伴之。御津之濱邊從。大舟爾。眞梶繁貫。旦名伎爾。水手之音爲乍。夕名寸爾。梶音爲乍。行師君。何時來座(233)登。大夕卜【大夕卜は誤字ナリ】置而。齋度爾。枉【枉ハ狂ノ誤】言哉。人之言釣【釣ヲ今鈎ニ誤ル】。我心。盡之山之。黄葉之。散過去常。公之正香乎。
おほきみの。みことかしこみ。あきつしま。やまとをすぎて。おほともの。みつのはまべゆ。おほぶねに。まかぢしじぬき。あさなぎに。かこのとしつつ。ゆふなぎに。かぢのとしつつ。ゆきしきみ。いつきまさむと。ぬさおきて。いはひわたるに。たはことや。ひとのいひつる。わがこころ。つくしのやまの。もみぢばの。ちりすぎにきと。きみがただかを。
 
大伴ノ、枕詞。水子ノトシツツは舟人の聲なり。コヱ、オト、通はし言へり。筑紫に任て行きし人、任の内に死にたるを、京に在る妻の聞きて悲みて詠めるなり。大夕卜、三字ユフケと訓むべけれど、句調はず。奴左とか、幣とか書けるが、草書より誤れるなるべし。枉は狂の誤なり、例多し。ツクシノ山は、待ち戀ふるに心を盡すと言ひ懸けたり。末は散り過ぎにきと君がただかを人の言ひつると返る意の語なり。正香は其人を思ひ遣る事に言ふ例にて、マサカとは異なり。
 參考 ○倭雄過而(新)ヤマトヲ「置」オキテ ○水手之音爲乍(考)略に同じ(古、新)カコノコエヨビ「爲乍」を「喚」の誤とす ○大夕卜置而(新)ユフケトヒ、サキクキマセト、ヌサオキテ「大」を衍「卜」の下「問、幸來座登、幣」の脱とす ○枉言哉(考)マカゴトヤ(古、新)略に同じ ○散過去常(考)チリスギヌトフ「常」の下「云」を補ふ(古)チリスギニシト(新)略に同じ。
 
(234)反歌
 
3334 枉【枉ハ狂ノ誤】言哉。人之云鶴。玉緒乃。長登君者。言手師物乎。
たはごとや。ひとのいひつる。たまのをの。ながくときみは。いひてしものを。
 
是れも枉は狂の誤なり。上は夫の死にしと人の言ひつるは、狂言かと言ひて、下は夫の言ひ慰めて別れしを言ひ出でて嘆くなり。
 
右二首
 
3335 玉桙之。道去人者。足檜木之。山行野往。直海【海ハ渉ノ誤カ】。川往渡。不知魚取。海道荷出而。惶八。神之渡者。吹風母。和者不吹。立浪母。踈不立。跡座浪之。立塞道麻。誰心。勞跡鴨。直渡異六。
たまほこの。みちゆくひとは。あしびきの。やまゆきぬゆき。ただわたり。かはゆきわたり。いさなとり。うみぢにいでて。かしこきや。かみのわたりは。ふくかぜも。のどにはふかず。たつなみも。おほにはたたず。しきなみの。たちさふみちを。たがこころ。いとほしとかも。ただわたりけむ。
 
直海の海は渉の誤なるべし。神ノ渡、左の或本の端詞に、備後国神島濱と有り。ノドニフカズは、ノドカナラヌなり。オホニハタタズは、凡ならず高浪の立つ所と言ふなり。例に依るに、疏の字の下者の字有るべし。跡座浪は、卷二長歌に、おきみれば跡座浪《シキナミ》たち云云と書けり。跡は敷意。位も座も均し。(235)凡て殿舎の席は、事有る時、人人の位次に依りて座を敷き設くれば斯く書きて、シキナミは重浪なり。立サフは浪の立ち障《サフ》る道と言ふにて、磯ぎはを言ふべし。誰心云云とは、故郷人の待ちわぶらんをいとほしみて、急ぐままに、此重浪の立ち塞ふる道を歩渡《カチワタ》りしけんと言ふなり。さて溺死の事を反歌にて知らせたり。宣長云、是れは唯だ川に溺れて死にたるが、屍の海へ流れ出でて、磯へ打あげられて有るを見て、斯く詠めるなり。實に海を渡りたるには有らじと言へり。○末に出せる蘆檜木乃云云の歌、家人乃云云の歌、?潭云云の歌三首、右の長歌の反歌にして、ここに入るべき由翁の考に委し。
 參考 ○直海云去(代)タタミガハ(考)「水激」ミナギラヒ(古、新)略に同じ ○惶八(考)カシコシヤ(古、新)略に同じ ○跡座浪之(代)アトヰナミ(考、古、新)シキナミノ ○立塞道麻(代)タチフサグミチヲ(考)タチソフミチヲ(古、研)略に同じ。
 
3336 鳥音之【之ハ不ノ誤】。所聞海爾。高山麻。障所爲而。奧藻麻。枕所爲。蛾葉之衣。浴不服爾。不知魚取。海之濱邊爾。浦裳無。所宿有人者。母父爾。眞名子爾可有六。若蒭之。妻香有異六。思布。言傳八跡。家問者。家乎母不告。名(236)問跡。名谷母不告。哭兒如。言谷不語。思鞆。悲物者。世間有。
とりがねも。きこえぬうみに。たかやまを。へだてになして。おきつもを。まくらにまきて。まゆのきぬ。すすぎもきずに。いさなとり。うみのはまべに。うらもなく。やどれるひとは。おももちに。まなごにかあらむ。わかくさの。つまかありけむ。おもほしき。ことつてむやと。いへとへば。いへをものらず。なをとへど。なだにものらず。なくこなす。ことだにとはず。おもへども。かなしきものは。よのなかにあり。
 
鳥音之キコユル海と有るは誤なり。古今集に、飛鳥の聲もきこえぬおく山、と言へるが如く、鳥が音も聞えぬ海とこそ有るべけれ。之は不の字の誤たる事しるし。枕所爲を、次の或本枕丹卷てと有る方善し。ここは字の誤れるならん。若しくは爾卷と有りしか。又は所は爾の誤にて、枕ニナシテか。蛾葉之衣は或人の説、マユノキヌと訓むべしと言へり。卷十四、筑はねの新くはまゆの衣はあれど、とも詠めれば、此説に據るべし。春海云、葉は糸の字の誤か、ウラモナクは、何心も無くなり。眞子は實の子を言へり。思ホシキ云云は、言傳遣らまく思ふ事有らばなり。言ダニトハズは、物言はぬを言ふ。オモヘドモは思へど思へどと返し言ふ意なり。ヨノ中ニアリは、則ち世ノ中ナリと言ふ事なり。
 參考 ○障所爲而(新)ヘダテニシテ「所」を「丹」の誤とす ○枕所爲(考)「枕丹卷而」とす(古)マクラニナシテ(新)マクラニシテ「所」を「丹」「爲」の下「而」を補ふ ○蛾葉之衣浴不服(考)「蝦」カハノキヌ、ススギモキズニ(古、新)「蜻」アキツハノキヌ「谷」ダニキズ、但し(新)「蛾」は「?」か ○所宿有人者(考)フシタルヒトハ(古)イネタルヒトハ(新)「伊」イ(237)ネタルヒトハ ○母父爾(考)ハハチチニ(古、新)略に同じ ○妻香有異六(考)略に同じ(古、新)ツマカアルラム ○思鞆(新)オモフ「柄」カラ ○世間有(考、新)ヨノナカニゾアル(古)略に同じ。
 
反歌
 
3337 母父毛。妻毛子等毛。高高二。來跡待異六。人之悲沙。
おもちちも。つまもこどもも。たかだかに。こむとまちけむ。ひとのかなしさ。
 
タカダカニは既に出づ。遠く望む意なり。或本異を羅に作る方善し。
 參考 ○母父毛(考)ハハチチモ(古、新)略に同じ ○來跡待異六(考、古、新)コムトマツ「羅」ラム。
 
3338 蘆檜木乃。山道者將行。風吹者。浪之塞。海道者不行。
あしびきの。やまぢはゆかむ。かぜふけば。なみのさへぬる。うみぢはゆかじ。
 
此歌右の玉桙之道去人者云云の長歌の反歌なるべし。浪の下之の字は立の誤か。又は之の下別に立の字落ちたるか。さらばナミタチサフルとか、浪ノタチサフとか訓むべし。是れは溺れ死にし人の事を聞きて、後《オク》れたる者の恐《カシ》こみ詠めるなり。
 參考 ○山遺者將行(古)ヤマヂ「乎」ヲユカムか(新)「乎」とす ○浪之塞(古、新)ナミノ「立」(238)タチサフ。
 
或本歌
 
備後國神島濱|調使首《ツキノオミガ》【首ハ主ノ誤】見v屍作歌一首并短歌
 
神名帳、備中國小田郡神島神社有り。卷十五、月よみの光を清み神島のと詠めるは備中なるべし。ここは備中を備後に誤れるにやと契沖言へり。使の下首は主の字の誤なるべし。姓《カバネ》なり。
 
3339 玉桙之。道爾出立《ミチニイデタチ》。葦引乃。野行山行。潦。川往渉。鯨名取。海路丹出而。吹風裳。母《オ》【母ハ於ノ誤カ】穗丹者《ホニハ》不吹。立浪裳。箆跡丹者《ノドニハ》不起。恐耶。神之渡|乃《ノ》。敷浪乃《シキナミノ》。寄濱邊丹《ヨスルハマベニ》。高山矣。部立丹置而《ヘダテニオキテ》。?潭矣《イリブチヲ》。枕|丹卷而《ニマキテ》。占裳無。偃爲《コヤセル》公者。母父之。愛子丹裳在將《メヅコニモアラム》。稚草之。妻裳將有等。家問跡。家道裳不云《イヘヂモイハズ》。名矣問跡。名谷裳不告。誰之言矣《タガコトヲ》。勞鴨。腫《シキ》浪能。恐海矣。直渉異將。
 
潦はミナギラフなど有るべき所なり。激の誤か。母穗ニハの母は於の誤なるべし。元暦本にに母穗を箆跡に作る。腫は重の誤か、又音を借りたるか。さて是れは上の玉桙之道去人者と言ふと、鳥音不所聞海爾と言ふ、二つの長歌の混れて一首に成りたるなり。?潭、宣長ウラスと訓まんと言へり。
 參考 ○野行山行(考)山を先づ云ふべし(古)ヤマユキヌユキの誤か(新)(古)の説に賛す ○潦(考)「水激」とす(古)タダワタリ(新)ミナギラフ ○不起(古)タタズ(新)タタヌ ○?潭矣(古)ウラスニ(新)ウラノヘヲ ○勞鴨(古、新)イトホシミカモ。
 
(239)反歌
 
3340 母父裳。妻裳子等裳。高高丹。來將跡持。人乃悲。
 
此歌前に出たり。
 參考 ○來將跡待(古、新)「將」と「跡」と顛倒せりとす。
 
3341 家人乃。將待物矣。津煎【煎ハ烈ノ誤】裳無。荒磯矣卷而。偃有公鴨。
いへびとの。まつらむものを。つれもなき。ありそをまきて。ふせるきみかも。
 
煎は烈の誤なり。
 
3342 ?潭。偃爲公矣。今日今日跡。將來跡將待。妻之可奈思母。
いりぶちに。こやせるきみを。けふけふと。こむとまつらむ。つましかなしも。
 
片淵の淀める所へ、波に打寄せられて有るを言へり。是れも又前の家人の歌と共に、玉桙之道行人者云云の長歌の、反歌なるべき事、前にも言へり。
 參考 ○?潭(古)ウラスニ(新)ウラノヘニ ○偃爲公矣(代)フシセル(古、新)略に同じ。
 
3343 ?浪。來依濱丹。津煎【煎ハ烈ノ誤】裳無。偃有公賀。家道不知裳。
いるなみの。きよするはまに。つれもなく。こやせるきみが。いへぢしらずも。
 
?は澳の誤にて、オキツナミか、?浪と言へる例無し。煎は烈の誤なり。?浪、宣長はウラナミと訓ま(240)んと言へり。此歌は鳥音不所聞海爾と言ふ反歌にて、前の母父モと言へる歌に並ぶべく覺ゆ。
 參考 ○?浪(古、新)ウラナミノ ○偃有公賀(新)フシタルキミガ、又コヤセル「有」を「爲」の誤とす。
 
右九首
 
3344 此月者。君將來跡。大舟之。思憑而。何時可登。吾待居者。黄葉之。過行跡。玉梓之。使之云者。螢成。髣髴聞而。大士乎。太穗跡。立而。居而去方毛不知。朝霧乃。思惑而。杖不足。八尺乃嘆。嘆友。記乎無見跡。何所鹿。君之將座跡。天雲乃。行之隨爾。祈射完乃。行文將死跡。思友。道之不知者。獨居而。君爾戀爾。哭耳思所泣。
このつきは。きみきまさむと。おほぶねの。おもひたのみて。いつしかと。わがまちをれば。もみぢはの。すぎてゆきぬと。たまづさの。つかひのいへば。ほたるなす。ほのかにききて。ますらをを。はたととのふと。たちてゐて。ゆくへもしらに。あさぎりの。おもひまどひて。つゑたらず。やさかのなげき。なげけども。しるしなみと。いづくにか。きみがまさむと。あまぐもの。ゆきのまにまに。いゆししの。ゆきもしなむと。おもへども。みちししらねば。ひとりゐて。きみにこふるに。ねのみしなかゆ。
 
大士乎太穗跡は、大土乎足蹈駈の字の誤なるべきか。然らばオホツチヲアシフミカケリと訓むべしと翁(241)の説なり。されど猶有るべき歟、考ふべし。杖不足は仲哀紀に、身長十尺を、ミノタケヒトツヱと訓めり。もと丈をツヱと言ひしなり。天雲ノ云云は、天雲の行くに隨ひてと言ふなり。ヤサカは長き事に言へり。イユシシノ、枕詞。齊明紀に、伊喩之之乎《イユシシヲ》つなぐかはべのと有り。イユシシはイラルルシシなり。イユのユは、末の句のナカユのユの言に等し。矢を負ひたる鹿の、行き疲れて死ぬる如く、命限り夫の死にし所を見に行かんと思へども道も知られぬとなり。旅にて夫の死にたるを悲みて妻の詠めるなり。
 參考 ○君將來跡(新)キミキタラムト ○大士乎(考)オホツチヲ「士」を「土」とす(古)アメツリヲ「天土乎」とす ○太穗跡(考)アシフミカケリ「足蹈駈」とす(古)コヒノミヨバヒ「乞?呼」とす(新)に前の句とここをオホヅチヲクビスニフミかと云ふ ○記乎無見跡(新)シルシヲナミ「跡」を衍とす ○行文將死跡(新)イユキモシナÅト「行」の上「伊」脱とす ○道之(古)略に同じ(新)ミチノ。
 
反歌
 
3345 葦邊往。鴈之翅【翅ヲ?ニ誤ル】乎。見別。公之佩具之。投箭之所思。
あしべゆく。かりのつばさを。みるごとに。きみがおばしし。なぐやしおもほゆ。
 
別は人毎と言ふ事を人別と言ひ、其外|某《ナニ》ゴトニを某別と言ふ別の意なり。投箭はナグルサと同じく、唯(242)だ箭の事なり。鴈の羽を見る度に、夫が佩きたる矢を思ひ出づると言ふは、則ち過ぎにし夫を忘れず悲むなり。
 參考 ○見別(考)ミマホレバ(古)ミサクレバ「放見者」とす(新)略に同じ ○佩具之(新)「具」を「思」の誤とす ○投箭(新)ナゲヤ。
 
右二首。但或云。此短歌者防人妻所v作也。然則應v知2長歌亦此同作1焉。
 
3346 欲見者。雲井所見。愛。十羽能松原。少子等。率和出將見。琴酒者。國丹放嘗。別避者。宅仁離南。乾坤之。神志恨之。草枕。此覊之氣爾。妻應離哉。
みがほれば。くもゐにみゆる。はしきやし《うるはしき》。とばのまつばら。わくごども。いさわいでみむ。ことさけば。くににさけなむ。ことさけば。いへにさけなむ。あめつちの。かみしうらめし。くさまくら。このたびのけに。つまさくべしや。
 
雲井と言ひて唯だ雲の事なり。ここは遙かに見渡すを言ふ。井は居の誤なるべし。井は假字なれば、爾の辭を記るすべきに、爾の字も無ければ居と井と同じ事に心得て、後人の書き誤れるか。十羽ノ松原、此地名かたがたに有れば、何處《イヅク》と指し難し。ワク子ドモと言ふは、夫の形見と思へる稚兒等を誘《イザナ》ふ意なり。率和、神武紀、伊弉和《イサワ》伊弉和と有りて、イサト言ふ事なり。出將見の下、句の落ちたるなるべし。(243)コトサケバは、殊さらに吾を避け離れんとならば、國を立つ程にこそ離るべきに、他國の任などに率《ヰ》て來て、避くるよと恨めり、此サクルと言ふは死別なり。旅ノ氣の氣は、月日と言はんが如し。卷七、殊さけば奧ゆさけなむみなとより邊つかふ時にさくべきものか、とも有り。宣長云、欲見の欲は誤にて、放か、ミサクレバと有るべしと言へり。
 參考 ○欲見者(考)ミマホレバ(古、新)ミサクレバ「欲」を「放」の誤とす ○愛(代)ナツカシキ(考)ハシキヤシ(古、新)ウルハシキ ○少子等(代、古、新)ワラハドモ(考)ヲサナゴト ○率和(代)イサワ(考)イサヤ(古、新)イザワ ○イザワイデミムの次に(新)ナキ人ノ、常ニイデ見シ、ウルハシキ、トバノ松原、ワラハドモ、イザワイデ見ムなど脱か ○琴酒者(代、考、新)略に同じ(古)コトサケバ ○國丹放甞(考)國丹サケナメ(古)クニニサカナム(新)クニニサケナム ○別避者(代、考、新)略に同じ(古)コトサカバ ○宅仁離南(考、新)略に同じ(古)イヘニサカナム。
 
反歌
 
3347 草枕。此覊之氣爾。妻放。家道思。生爲便【便ヲ使ニ誤ル】無。
くさまくら。このたびのけに。つまさかり。いへぢおもへば。いけるすべなし。
 
(244)或本歌曰。羈乃氣二爲而。
 
長歌のツマサクベシヤは、女の我が上を言ひ、反歌のツマサカリは、夫を言へり。字に泥《ナヅ》む事なかれ。長歌に欲見者と言へるは、ここの松原の景色、我が故郷に似たれば然か言へるか。是れは國任なるべきに、其人死すれば、妻子は歸さるる事なるを、斯くて在るは、遠き任にて、さるべき便り待つ間の歎きなるべし。卷九、筑波山の歌に、新治乃鳥羽能淡海《ニヒハリノトバノアフミ》と詠めれば、此歌の十羽も其處にや。然らば常陸などの任なりしも知るべからず。
 參考 ○家道思(古、新)イヘヂオモフニ ○生爲便無(考、新)略に同じ(古)イカム「便」スベナシ。
 
右二種
 
萬葉集 卷第十三 終
 
大正十五年五月十七日印刷
大正十五年五月廿六日發行[非賣品〕
日本古典全集第一回
萬葉集略解 第六
編纂者   與謝野寛
同     正宗敦夫
同     與謝野晶子
装幀圖案者 廣川松五郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
發行者   長島豐太郎
   東京府北豐島郡長崎村一六二
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印刷者   高瀬清吉
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             〔巻十三入力終了、2011年8月16日(火)午後1時〕
 
〔巻14〜17目次省略〕
 
(1)萬葉葉 卷第十四
 
東歌
 
此次ぎ次ぎに雜歌、相聞、或は上總國歌などと標あるは、皆後人の註なるべき由考に有り。然れども、有るが儘ここには記るせり。
 
3348 奈都素妣久。宇奈加美我多能。於伎都渚爾。布禰波等杼米牟。佐欲布氣爾家里。
なつそびく。うなかみがたの。おきつすに。ふねはとどめむ。さよふけにけり。
 
ナツソビク、枕詞。和名抄、上總海上郡(宇奈加美)卷七に本全く同じき歌有り。ここに載せたる五首の中、初二首と末一首は東《アヅマ》ぶりならず。既に久しく仕へ奉りて歸りをる人の、東にての歌故に是れに入れたるか。或は、京人の東の國の司などにて下りたるが詠めるを、其れも其國に傳はりたるは、其國の歌とて有るなるべし。古今集の東歌にも、此類ひ有り。
 
右一首。上總國歌。
 
3349 可豆思加乃。麻萬能宇良未乎。許具布禰能。布奈妣等佐和久。奈美多都良思母。
かづしかの。ままのうらまを。こぐふねの。ふなびとさわぐ。なみたつらしも。
 
(2)葛飾眞間は、今も聞えたリ、ウラマは既に出づ、卷七、風早の三ほの浦まをこぐ舟の舟人さわぐ浪立らしも、と言ふに似たり。カツシカは、元ツを濁りて唱へしならん。
 參考 ○宇良末乎(考)略に同じ(古、新)ウラ「未」ミヲ。
 
右一首、下總國歌。
 
3350 筑波禰乃。爾比具波麻欲能。伎奴波安禮杼。伎美我美家思志。安夜爾伎保思母。
つくはねの。にひぐはまよの。きぬはあれど。きみがみけしし。あやにきほしも。
 
和名抄、桑?、唐韵云?(和名久波萬由)桑?即桑蠶也と有り。新蠶の絹を專らとす。古事記、奴婆多麻納久路岐美祁斯遠《ヌバタマノクロキミケシヲ》と言ひ、此集には御衣をミケシと訓めり。アヤニは、上に多く出でたり。キホシとは、古は男女の衣を互に貸して着せしむれば、懷かしき君が衣を着まほしと言ふともすべけれど、猶共寐して重ね着ん事を言ふなるべしと翁の説なり。宣長云、是れは京より下り居る官人などの衣服の美くしきを見て詠めるなるべし。上句のさま然か聞ゆと言へり。是れも然るべし。
 
或本歌曰。多良知禰能《タラチネノ》」又云。安麻多伎保思母《アマタキホシモ》。
 
是れは誤りたる物なり。母と言はずして、タラチネとのみ言ふ事、古くは凡て無し。
 
3351 筑波禰爾。由伎可母布良留。伊奈乎可母。加奈思吉兒呂我。爾努保佐流可母。
つくはねに。ゆきかもふらる。いなをかも。かなしきころが。にぬほさるかも。
 
(3)フラルはフレル《所零》の東語。イナヲカモは、否よ、然は有らぬかなり。カナシキは、愛《ウツ》くしむ意なり。ニヌは布なり。ホサルはホセル《所干》の東語なり。本は雪なるを、布と見なして詠めり。常陸よりは、曝布の調《ミツギ》奉る事續紀に見ゆ。然れば多く見慣れし物に譬へたるなり。
 
右二首。常陸國歌。
 
3352 信濃奈流。須我能安良能爾。保登等藝須。奈久許惠伎氣婆。登伎須疑爾家里。
しなぬなる。すがのあらのに。ほととぎす。なくこゑきけば。ときすぎにけり。
 
和名抄、信濃筑摩郡|苧賀《ソガ》(増加)と言へる有り、是れならん。旅に在りて疾く歸らん事を思ふに、郭公の時まで猶在るを愁ひたる意も、歌の調も、京人の任などにて詠めりけん、又相聞の方にも取らば取りてん。
 
右一首。信濃國歌。
 
相聞
 
斯く相聞、譬喩など標せば、右五首の初めにも、雜歌と有るべきに、唯だ東歌と標して擧ぐ。次の國所不知と左に註せし歌どもにも、相聞、譬喩、古挽歌などの標あれど、其標に違ひたる歌ども多く交りて有れば、標は後の註なるべき由、考に言はれたり。
 
(4)3353 阿良多麻能。伎倍乃波也之爾。奈乎多?天。由吉可都麻思自【自ハ目ノ誤】。移乎佐伎太多尼。
あらたまの。きべのはやしに。なをたでて。ゆきがつましも。いをさきだた|に《ね》。
 
遠江麁玉郡、卷十一、璞之寸戸《アラタマノキベ》が竹垣《タケガキ》と言ふも此處なり。そこに委しく言へり。ナヲタテテは、汝を立ち待たしめてなり、ユキガツマシモは、雪が積りしなり。自は目《モ》の誤なり。モは助辭。今本自と書きてツマシシと訓めるは誤なり。自を清音に用ひたる事無ければなり。イヲサキダタニは、寢ヲ先立タネなり。尼は禰に通はし言ふ東言か。卷二十東歌に、つくはねを都久波尼と書きしかば、尼も即ち禰の假字とせしにも有るべし。歌の意は、男の來て、伎倍の林に立ち待つと告げしに、女は未だ母の許さねば、閨へ入れ難き間に雪の降れば、其林に積らんには堪へじ。吾より先立ちて閨へ入り臥して待ち給へと言ひ遣れるなりと翁の説なり。されどすべてイと言ふは眠る方に言ひて、臥す事をイと言はざれば、此説いかにぞや。宣長云、是れは男の旅立ち行く時、妻の伎倍の林まで送り來ぬるを、別るる時の男の歌なり。きべの林に汝を立ちとまらせ置きて、別れ行く吾はえ行きやらじ。汝も立ち留まらずして、先立ちて行けかし。吾も共に行かんと言へるなり。ユキガツマシモは、行キガテマシモなりと言へり。さて伊勢人稻掛大平が説に、移乎は、移毛《イモ》の誤なるべしと言へり。斯くては、いと穩かに聞ゆ。
 參考 ○由吉可都麻思自(考、古)略に同じ、但し(古)カ清音(新)ユキガッマシジ ○移乎佐伎太多尼(古)イモサキゲタネ「乎」を「毛」とす(新)イザサキダタネ「乎」を「邪」の誤とす。
 
(5)3354 伎倍比等乃。萬太良夫須麻爾。和多佐波太【太ハ爾ノ誤】。伊利【利ヲ刹ニ誤ル】奈麻之母乃。伊毛我乎杼許爾。
きべびとの。まだらぶすまに。わたさはに。いりなましもの。いもがをどこに。
 
伎部人は、伎倍の里人なり。ブスマは、即ち妹が夜の衾を言ふ。斑衾は斑摺か。又|倭文《シヅ》にて筋有る布をも言ふべし。ワタサハニは、綿多ニなり。波の下、太は尓の誤なるべし。妹が右の如く告げしままに、男閨へ入りて寐しかど、獨寐て待つ程、猶寒さ堪へ難ければ、衾に綿多く入れんものをと言ひて、さて三句までを入りと言はん序として、とく閨へ入りなましものを、林に立ち待つ佗びしと詠めるなり。ヲ床のヲは發語なりと翁の説なり。又上は、唯だ入りと云はんのみの序にて、右の答には非ずともすべし。
 參考 ○和多佐波太(考、新)略に同じ(古)ワタサハダ。
 
右二首。遠江國歌。
 
3355 安麻乃波良。不自能之婆夜麻。己能久禮能。等伎由都利奈波。阿波受可母安良牟。
あまのはら。ふじのしばやま。このくれの。ときゆつりなば。あはずかもあらむ。
 
天ノ原は高きを言ふ。シバ山は、麓は柴のみ繁ければ言へり。コノクレは、木之暗なり。さしもの富士の麓なれば、道も遠く、柴の小暗き夜道を辿るに、夜更けなば、妹が持つ時の違ひて、逢ひ難くや有らんと、心を遣りて急ぐさまなり。宣長云、上二句は、コノクレの序のみなり。木之暗は此暮に言ひ懸けたるなりと言へり。ユツリは、移リなり。卷四、松のはに月は由移去云云。
 
(6)3356 不盡能禰乃。伊夜等保奈我伎。夜麻治乎毛。伊母我理登倍婆。氣爾餘婆受吉奴。
ふじのねの。いやとほながき。やまぢをも。いもがりとへば。けによばずきぬ。
 
彌遠長《イヤトホナガ》き山路をもなり。トへバは、ト言ヘバなり。氣は息《イキ》なり。爾餘婆受は、不2呻吟1なり。山路に疲れては、息づき呻《ウメ》くものなるを、妹が許へ行くと思へば、安く來りつと言ふなり。宣長云、ケは、ケ長キのケにて、來輕《キヘ》なり。されば、こは時刻を移さず急ぎて來ぬと言ふなり。ヨバズは、不v及なりと言へり。猶考ふべし。
 
3357 可須美爲流。布時能夜麻備爾。和我伎奈婆。伊豆知武吉?加。伊毛我奈氣可牟。
かすみゐる。ふじのやまびに。わがきなば。いづちむきてか。いもがなげかむ。
 
霞居るなり。山備は山方なり。イヅチは何道なり。男は富士の麓へ別れて來居る事有る時、然か別るれば、富士は雲霞の立つ事常なれば、方も知られずして、吾が方を見んにも、何方を向きてか歎かんとなり。古へ雲、霧、霞を相通はして言へば、霞と言ふも、時は指すべからず。
 
3358 佐奴良久波。多麻乃緒婆可里。古布良久波。布自能多可禰乃。奈流佐波能其登。
さぬらくは。たまのをばかり。こふらくは。ふじのたかねの。なるさはのごと。
 
サは發語。良久は留の延言にて、寢《ヌ》ルハなり。玉ノ緒は、長きにも短きにも取れり。ここは、短きを寢る間の少なきに取る。末は鳴澤の鳴り轟くを、思の涌き返るに譬ふるなり。フジノ鳴澤は嶺上に穴有り(7)て、昔は水有り火有りて、相たたかふに、涌き返る音高かりしと言へり。延暦十二年、又貞觀の比にも甚《いた》く燒けて、後火も騰らず、水も湛へねば、涌く事も無く、烟も絶えて、其後寶永には、山の半ばへ燒け出でたり。
 
或本歌曰。麻可奈思美《マカナシミ》。奴良久波思家良久《ヌラクハシケラク》。奈良久波《ナラクハ》。伊豆能多可禰能《イヅノタカネノ》。奈流左波奈須與《ナルサハナスヨ》。
 
奴良久の下、波一本に無く、奈良久の上、一本佐の字有り。此歌は、右の歌を誤り傳へたる物にて、解くべからず。
 參考 ○奴良久波思家良久云云(古)ヌラクシマラク「波」は衍「家」を「末」とす(新)ヌラクハシマラク、「可」カナラクハとす。「波」を衍とせず「可」を脱とす。
 
一本歌曰。阿敝《アヘ》【敝ヲ敞ニ誤ル】良久波《ラクハ》。多麻能乎思家也《タマノヲシケヤ》。古布良久波。布自乃多可禰|爾《ニ》。布流由伎奈須毛《フルユキナスモ》。
 
シケは次ぐなり。及ぶなり。玉ノ緒ノ如クと言ふに同じ。末は、とこしへに絶ゆる事無きを譬へたり。宣長云、シケヤはシキヤの意にて、玉の緒らしきの意なるべしと言へり。
 參考 ○多麻能乎思家也(新)タマノヲシ「末之」マシ。
 
3359 駿河能宇美。於思敝爾於布流。波麻都豆夜【夜ハ良ノ誤】。伊麻思乎多能美。波播爾多我比奴。  一云。於夜《オヤ》爾多我比奴。
するがのうみ。おしべにおふる。はまつづら。いましをたのみ。ははにたがひぬ。
 
(8)或説、イソベを東言にオシベと言ふ。下の、眞間の於須比爾《オスヒニ》なみもとどろに、と言へるも、磯邊を言ふと言へるは然か有るべし。出雲風土記に、波萬都豆良毛夜毛夜爾《ハマツヅラモヤモヤニ》と言へる如く廣く這ひたるかづらなり。何れと言ふ名は定め難し。さて其濱つづらの如く、長く絶えず頼み渡りて、母が他人《コトヒト》に逢はせんと言ふを受け引かずして、心に背けるを言ふなり。イマシは汝なり。
 
右五首。駿河國歌。
 
3360 伊豆乃宇美爾。多都思良奈美能。安里都追毛。都藝奈牟毛能乎。美太禮志米梅楊。
いづのうみに。たつしらなみの。ありつつも。つぎなむものを。みだれしめめや。
 
波は常に立ち寄る物なれば、在り經る事に譬へて、ながらへ在りて逢ひなんものを、縱《ヨシ》事有りとも、心を亂らさめやなり。宣長云、結句ミダレ初メメヤならん。末長く繼ぎなんものを、はや今より亂れ初めんやなり。亂るるは、心の定まらぬを言ふと言へり。猶考ふべし。
 
或本歌曰。之良久毛能《シラクモノ》。多延《タエ》都追母。都我牟等母倍也《ツガムトモヘヤ》。美太禮|曾米家武《ソメケム》。
 
伊豆の海に立つ白雲のなり。モヘヤは、オモヘバニヤなり。今亂れて絶ゆとも、又繼がんと思へばにや亂れ初めけんなり。
 參考 ○之良久毛能(新)上にタツを脱せり。
 
右一首。伊豆國歌。
 
(9)3361 安思我良能。乎?毛許乃母爾。佐須和奈乃。可奈流麻之豆美。許呂安禮比毛等久。
あしがらの。をてもこのもに。さすわなの。かなるましづみ。ころあれひもとく。
 
相模の足柄山を言ふ。ヲテモコノモは、彼面《ヲチモ》此面を轉じ言ふ。サスワナは、鳥獣を獲る羂《ワナ》をさし作るなり。神武紀、辭藝和奈破盧《シギワナハル》と言ふに同じ。是れはこはぜと言ふ物をもて操《アヤツ》り置くに、獣の觸るれば、急にこはぜの弛《ハヅ》れて、其羂に懸かる。其はづるる間の疾《ト》きを、いとしばし逢ふに譬ふ。カナルマは、羂のこはぜの外るる間を、かなぐる間と言ふを略きて、カナルマと言へり。卷二十、防人歌に、あららをのいを箭《サ》たばさみ立向ひ可奈流麻之豆美《カナルマシヅミ》いでて《いねて》ぞあがくると言ふも等し。シヅミは、其間を靜めてにて、いと暫しのひまを竊《ヌス》むなり。コロアレヒモトクは、子等も吾共に紐解くとなりと翁の説なり。宣長云、四の句は唯ださゐさゐしづみの類ひにて、俗に鳴りを鎭めてと言ふ意と聞ゆと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○許呂安禮比毛等久(新)「安禮」は「我」の誤。
 
3362 相模禰乃。乎美禰見所久思。和須禮久流。伊毛我名欲妣?。吾乎禰之奈久奈。
さがみねの。をみねみそぐし。わすれくる。いもがなよびて。あをねしなくな。
 
今大山とて、雨降《アフリ》神社の在る山なるべし。ヲミネは、重ね言ひて調べのあやとするなり。乎は發語、ヲツクハなどの如し。ミソグシは、見過シにて、遠く來つる由を言ふのみ。ネシナクナは、音ニ泣カシムルナなり。ナクのクはカスの約なり。意は遠く來て忘れつるを、從ふ人など妹が名を言ひて、我に泣か(10)しむる事なかれと言ふなり。
 參考 ○相模禰乃(古、新)サガムネノ ○見所久思、見可久思(新)「見都都思《ミツツシ》」の誤か。
 
 或本歌曰。武藏《ムサシ》禰乃。乎美禰見|可久思《カクシ》。和須禮|遊久《ユク》。伎美《キミ》我名|可氣《カケ》?。安乎禰思奈久|流《ル》。
 
是れは秩父山を言ふなるべし。ヲミネミカクシは、遠く來ては隱るるなり。君とは、專ら男を指す事なれど、女を君と言へる例も有り。カケテは言に懸けて言ふなり。ネシナクルは、ネニ泣カスルなり。
 
3363 和我世古乎。夜麻登敝夜利?。麻都之太須。安思我良夜麻乃。須疑乃木能末可。
わがせこを。やまとへやりて。まつしたす。あしがらやまの。すぎのこのまか。
 
衛士などに上り居る人の妻の歌ならん。契沖云、マツシタスはマブシタツなり。文選、柱《タツ》v翳《マブシヲ》と有り。鳥獣を狩る者の、まぶしさして窺ふ如く、杉の木の間より、今や歸ると見るなりと言へり、さらば都は部の誤か。猶考ふべし。此山には、古へ杉の大木多ければ、船に造り、今も埋れ杉とて掘り出だせり。
 參考 ○須疑乃木能末可(新)「可」は「耳」の誤。
 
3364 安思我良能。波姑禰乃夜麻爾。安波麻吉?。實登波奈禮留乎。阿波奈久毛安夜思。
あしがらの。はこねのやまに。あはまきて。みとはなれるを。あはなくもあやし。
 
實なれるを、事の成りぬるに譬へて、然るを如何で逢はぬにかと言ふ意なり。上は譬のみ。
 
或本歌末句云。波布久受能比可利與利己禰思多奈保那保爾《ハフクズノヒカリヨリコネシタナホナホニ》。
 
(11)是れは三の句以下右と異にて、或本と言ふべくも有らず。ヒカリヨリコネは、引かれ寄り來ねか。又利、官本波に作る。ヒカバヨリコネと有れば、いよよ穩かなり。シタナホナホニは、卷五、久かたの天ぢは遠し奈保奈保爾家に歸りてなりをしまさに、と言ふと同意にて、ここは蔓のもつれ亂るる事無く、たやすく寄り來《キタ》るに譬へて、心の彼れ是れと思ふ事無くて、穩かに寄り來るを言へり。
 參考 ○比可利(新)ヒカ「波」バの方をとる。
 
3365 可麻久良乃。美胡之能佐吉能。伊波久叡乃。伎美我久由倍伎。己許呂波母多自。
かまくらの。みこしのさきの。いはくえの。きみがくゆべき。こころはもたじ。
 
和名抄、鎌倉郡鎌倉郷あり。仁コ紀。以播區※[女+耶]《イハクヤ》〔○原本娜ト有リテ※[女+耶]ト娜ノ中間字ナリ。紀ヲ?スルニ〓ナリ。※[女+耶]ノ誤カ。娜ナラバ「ダ」カ。暫ク※[女+耶]トス)輸《ス》。伽之古倶等望《カシコクトモ》。又卷三、妹も吾も清みの河の河岸の妹がくゆべき心はもたじ、と詠めり。山或は川岸などの岩の崩るる所を言ふ。上は序にて、君に悔やましむべき心は無しと言ふなり。
 
3366 麻可奈思美。左禰爾和波由久。可麻久良能。美奈能瀬河泊余【余ハ尓ノ誤】。思保美都奈武賀。
まがなしみ。さねにわはゆく。かまくらの。みなのせがはに。しほみつなむか。
 
麻は眞、カナシミは愛づるなり。佐は發語、寢に行くなり。常は水乾きて、潮滿時《シホミチドキ》は高波の立つ川|其處《ソコ》に今も有り。其川を渡り行かんに、潮滿ちなんかとなり。ミツナムは、ミチナムを轉じ言へる東語なり。(12)又ラムをナムと言へる事、東歌に例有れば、ここもラムか。
 參考 ○美奈能瀬河泊余(代、考)略に同じ(古、新)ミナノセガハヨと訓みて「余」を誤とせず。
 
3367 母毛豆思麻。安之我良乎夫禰。安流吉於保美。目許曾可流良米。己許呂波毛倍杼。
ももづしま。あしがらをぶね。あるきおほみ。めこそかるらめ。こころはもへど。
 
百津島は、アルキ多ミと言はん料なり。アシガラヲ舟は、足柄山の杉もて造る船なり。相模の足柄郡と、伊豆國は山續きて分ち難き故に、伊豆手船、足柄を船も異ならぬなるべし。應神紀、五年十月科2伊豆國1令v造v船。長十丈。船既成之。試浮2于海1。便輕泛疾行如v馳。故名2其船1曰2枯野1とも有り。男の心には思へども、かたがたに由有りて歩りく故に、相見る事の疎く成りぬるを詠めるなり。宣長云、目コソカルレと言ふべきを、カルラメと言へるは、凡て斯やうのメは、見エと言ふ意にて、其見エはあなたへ見ゆるなれば、女の方にて見エコソカルラメなりと言へり。
 
3368 阿之我利能。刀比能可布知爾。伊豆流湯能。余爾母多欲良爾。故呂何伊波奈久爾。
あしがりの。とひのかふちに。いづるゆの。よにもたよらに。ころがいはなくに。
 
アシガリは足柄なり。足柄下郡の土肥の杉山など言ひて、伊豆に交れる所に今湯河原と言ふ村に湯有り、古への湯ならん。ヨニモは、代代ニモなる事上に言へり。コロは、子等にて妹を言ふ。タヨラ云云は、絶えん如くは言はざりしになり。是れは妹が今更に逢はぬを疑ふなるべし。此下にも、筑波ねの岩もと(13)どろに落る水よにもたゆらに、と詠めり。宣長云、タヨラ、タユラ共に絶ユの意に有らずして、俗言に丈夫ニと言意なり。上よりの續きは、湯のじやうぶに多き意、歌の意は危ふからず丈夫《ジヤウブ》に確かなる意なり。妹が丈夫《ジヤウブ》には言はぬを危ぶめるなりと言へり。猶考ふべし。
 
3369 阿之我利乃。麻萬能古須氣乃。須我麻久良。安是加麻可左武。許呂勢多麻久良。
あしがりの。ままのこすげの。すがまくら。あぜかまかさむ。ころせたまくら。
 
足柄郡のまま下の郷と言ふは、足柄の竹下と意ふ所の下にて、酒勾川の上に在り。此小菅は、水に生ふる菅なり。アゼは何ゾと言ふ東言なり。マカサムは、枕セムなり。コロセタマクラとは、兒等《コラ》と夫《セ》は共に手枕を交《カハ》すからは、菅枕は何ぞや枕《マ》かんと言ふなり。
 參考 ○許呂勢多麻久良(新)コロ「能」ノタマクラ。
 
3370 安思我里乃。波古禰能禰呂乃。爾古具佐能。波奈都豆【豆字衍文カ】麻奈禮也。比母登可受禰牟。
あしがりの。はこねのねろの。にこぐさの。はなづまなれや。ひもとかずねむ。
 
ネロの呂は、助辭なり。卷十一、蘆垣の中の似兒《ニコ》草にこよかに、と詠めるに據るに、ここに花妻と續けしも、面よく笑みて實ならぬに譬ふるなるべし。官本豆の字無し。ナレヤはナリヤハの意なり。すべて實無き事を花と言へは、花妻ならぬからは、紐解くべしと言ふなり。
 
3371 安思我良乃。美佐可加思古美。久毛利欲能。阿我志多婆倍乎。許知?都流可毛。
(14)あしがらの。みさかかしこみ。くもりよの。あがしたばへを。こちでつるかも。
 
クモリヨノ、枕詞ならんと翁言はれき。然《サ》れど此《コ》は心得難し。按ずるに、コモリヌノと有りしを訛り傳へたるか。久は己、欲は奴の誤字なるべし。卷九、隱沼之下延置而《コモリヌノシタバヘオキテ》と有り。ここもアガは吾にて、シタバヘは、卷九なるに同じく、シタとは忍び隱して物するを言ひ、ハヘは女を思ひ懸けて妻問《ヅマドヒ》する事を言へり。コチデツルカモは、言に出だしつるなり。足柄の山路は、逢ふ人も無く、すずろに恐《カシコ》きままに、頻りに妹戀しく覺えて、常は心にのみ思ひて、言に出ださざりし妹が名を、覺えず言ひ出だせしと言ふなり。卷十五、かしこみとのらず有しを三越路のたむけに立て妹が名のりつ、とも詠めり。古事記に、倭武命到2足柄之坂本1云云。登2其坂1三歎詔云阿豆麻波夜とも有り。
 參考 ○久毛利欲能(古)クモリヨノ(新)クモリ「奴」ノ。
 
3372 相模治乃。余呂伎能波麻乃。麻奈胡奈須。兒良久可奈之久。於毛波流留可毛。
さがみぢの。よろぎのはまの。まなごなす。こらくかなしく。おもはるるかも。
 
和名抄、餘綾郡餘綾(與呂木)今の大磯驛の東うらの邊《アタリ》なり。兒良久の久、元暦本波に作れども、是れも誤にて、之の誤なるべし。コラシと有るべし、カナシは、愛の深きなり。此磯の眞砂の麗はしきが如く愛《カナ》しと思ふなり。
 參考 ○兒良久(考)コラ「八」ハ(古、新)略に同じ。
 
(15)右十二首。相模國歌。
 
3373 多麻河泊爾。左良須?豆久利。佐良左良爾。奈仁曾許能兒乃。己許太可奈之伎。
たまがはに。さらすてづくり。さらさらに。なにぞこのこの。ここだかなしき。
 
武藏多麻郡の多麻川なり。上は序にして、手ヅクリは、和名抄、白絲布(天都久利乃奴乃)と有り。卷十六、うつたへはへて織布日ざらしのあさ手作を、と詠みて、是れは業として織るにも有らず、私の料に織るを言ふべし。今手織と言ふなり。末は何とてか此妹を殊更にうつくしみ思ふ事の多きかと自《ミヅカ》ら訝かるなり。
 
3374 武藏野爾。宇良敝可多也伎。麻左?爾毛。乃良奴伎美我名。宇良爾低爾家里。
むさしぬに。うらへかたやき。まさでにも。のらぬきみがな。うらにでにけり。
 
古事記に、内2拔《ウツヌキニ》天香山之|眞男《マヲ》鹿之肩1拔云云と有りて、ここは武藏野の鹿の肩骨を取りて燒き占なふ故に斯く言へり。ウラヘは、占|令v合《アハセ》の意なり。ヘをエの如く訓む。マサデニモは、眞定にもなり。此末にからすとふ大をそ鳥の麻佐低爾毛と詠めり。思ふ男の名を、我は眞定《マサデ》に告げし事も無きに、父母の訝かりて、占《ウラ》へ肩燒して占《ウラ》に顯れたりとなり。鹿骨を燒くは、我が古への占の法なりしを、奈良宮に至りて絶えしにや。東國の神社の中には、今も鹿占の有るを得て、東まろ翁の持《モ》たりしは、骨の斑に焦がしたるなりとぞ。
 
(16)3375 武藏野乃。乎具奇我吉藝志。多知和可禮。伊爾之與比欲利。世呂爾安波奈布與。
むさしぬの。をぐきがきぎし。たちわかれ。いにしよひより。せろにあはなふよ。
 
ヲグキは小岫なり。クキの事既に言へり。此野のをぐきと言ふべき所は、秩父山の方へ寄りて有るべし。雉は立チと言はん序のみ。セロのロは助辞。アハナフは、アハヌと言ふを延べたり。ヨは言ひ押ふる辭にして、歎く意を含めり。
 
3376 古非思家波。素?毛布良武乎。牟射志野乃。宇家良我波奈乃。伊呂爾豆奈由米。
こひしけば。そでもふらむを。むさしぬの。うけらがはなの。いろにづなゆめ。
 
戀シクアラバなり。二三の句は、句中の序なり。字鏡、白朮、(乎介艮)和名抄、朮、(乎介良)似v薊生2山中1故名2山薊1と有り。此花白きも又白きに紫を帶びたるも有り。牝紫朮を色に出づと詠めるならん。末句は、慎みて色に出づる事なかれと言ふなり。さて戀しき時は、吾はよそ人を思ふ如くして、袖振る事も有らんを、それを見て、心には思ふとも、色に顯はす事なかれとなり。女の歌にて、次のは男の答と見ゆ。
 參考 ○布良武乎(新)フラ「奈武」ナム。
 
或本歌曰。伊可爾思?《イカニシテ》。古非波可伊毛爾《コヒバカイモニ》。武藏野乃。宇家良我波奈乃。伊呂爾|低受安良牟《デズアラム》。
 
是れは異歌なり。或本とて註にせるは誤なるべし。如何にして戀せばか、色に出でず有るべきとなり。(17)宇ケラとも乎《ヲ》ケラとも言ふは、ウサギを乎《ヲ》サギとも言ふが如し。
 
3377 武蔵野乃。久佐波母呂武吉。可毛可久母。伎美我麻爾末爾。吾者余利爾思乎。
むさしぬの。くさはもろむき。かもかくも。きみがまにまに。わはよりにしを。
 
此大野に風靜かに吹きて、草葉の諸共に靡くさまなり。上に秋の田の穗むきのよれる片よりと言へるが如し。カモカクモは、彼《カ》も此《カク》もなりと翁の説なり。宣長云、モロムキは彼方《アナタ》へも此方へも靡く事なり。左右手をモロ手と言ふモロなり。さてカモカクモと言ふなり。一首の意は、かにもかくにも君がままにと思ひて寄りにしものを、今更何の仔細か有らんとなりと言へり。是れ然るべし。上は序のみ。
 
3378 伊利麻治能。於保屋我波良能。伊波爲都良。比可婆奴流奴流。和爾奈多要曾禰。
いりまぢの。おほやがはらの。いはゐづら。ひかばぬるぬる。わになたえそね。
 
和名抄、入間郡大家(於保也介)と有る是れならん。イハヰヅラ、下にかほやが沼のいはゐづらと詠みたれば、水中の物か。ヌルヌルは、上に多氣ば奴禮と言ふ歌に言へる如く、蔓の長く續けるを引けば、ぬらぬらとして絶えざるを、男の吾に絶えざらんに譬ふ。曾禰は令《オホ》する辭なり。
 
3379 和我世故乎。安抒可母伊波武。牟射志野乃。宇家良我波奈乃。登吉奈伎母能乎。
わがせこを。あどかもいはむ。むさしぬの。うけらがはなの。ときなきものを。
 
初句の乎は與と云ふ意なり。アドカモは、何トカモにて、戀しさは譬へ言はん方も無きの意なり。さて(18)ウケラガ花ノは、時と言ふへ懸かるのみなり。ナキまでへは懸からず。布留のわさ田の穗には不v出の類ひなり。
 
3380 佐吉多萬能。津爾乎流布禰乃。可是乎伊多美。都奈波多由登毛。許登奈多延曾禰。
さきたまの。つにをるふねの。かぜをいたみ。つなはたゆとも。ことなたえそね。
 
埼玉郡は、海に寄らず。利禰の大川の船津を言ふなるべし。たとひ風はげしくて、船綱は絶ゆとも、言《コト》絶ゆる事なかれと言ふなり。
 
3381 奈都蘇妣久。宇奈比乎左之?。等夫登利乃。伊多良武等曾與。阿我之多波倍思。
なつそびく。うなびをさして。とぶとりの。いたらむとぞよ。あがしたばへし。
 
ナツソビク、枕詞。播磨にウナビと言ふ地有るが如く、此宇奈比も地名なるべし。此條皆地名を言へる中なればなり。鳥は心ざす方有りて飛ぶ物にて、其方へ到らざる事無し。是れに譬へて、吾も終に斯く逢ふべき物とて、斯くしたばへしとなり。シタバヘは、上にわがしたばへをこちでつるかもと詠めるに同じ。
 
右九首。武藏歌。
 
3382 宇麻具多能。禰呂乃佐左葉能。都由思母能。奴禮?和伎奈婆。汝者故布婆曾母。
うまぐたの。ねろのささばの。つゆしもの。ぬれてわきなば。なはこふばぞも。
 
(19)和名抄、望多郡(末宇太)と有るは、後の音便なり。古は馬來田と書きて、訓も此歌の如く紀などに見ゆ。ネロは嶺等なり。露霜爾と言はで、能と言へるは、露霜ニヌレテと言ふに有らず。ささ葉に露霜の置きたる如く、濡れての意なりと宣長言へり。末は袖も裾も濡れ萎《シヲ》れて、吾が來る事は、汝をば深く戀ふればぞと言ふ意にて、ワガキヌルハ、ナヲ、と言ふべきを、東言に斯く言へるか。
 參考 ○都由思母能(新)ツユシモ「爾」ニか ○奴禮?和伎奈婆云云(新)ヌレテワキ「ヌ」ハ、ナ「爾」ニコフ「レ」ゾモ。
 
3383 宇麻具多能。禰呂爾可久里爲。可久太爾毛。久爾乃登保可婆。奈我目保里勢牟。
うまぐたの。ねろにかくりゐ。かくだにも。くにのとほかば。ながめほりせむ。
 
防人の出で立ちて、此嶺の彼方《カナタ》に成りし程を言ふ。今此一嶺に隱るるばかり近きにだにも戀しきに、いや遠ざかり、國隔たり行かば、いかばかり妹を相見まく欲しからんとなり。ナガは、汝ガなり。
 
右二首。上總國歌。
 
3384 可都思加能。麻末能手兒奈乎。麻許登可聞。和禮爾余須等布。麻末乃?胡奈乎。
かづしかの。ままのてごなを。まことかも。われによすとふ。ままのてごなを。
 
和名抄、葛飾(加止志加)と有れど、今東にてカツシカと言ふが却りて古きなり。手兒奈の事は、既に言へり。さて歌の意は、てごなが吾に逢ふべしと人の言ひ寄すると言ふは誠かと言ふなり。卷三、卷九(20)に、此手兒奈を詠めるは、奈良の朝に至り、天平の始の頃の歌なるを、其歌に古へに在りけんなど言ひしからは、此少女は、飛鳥岡本の宮の頃に在りしなるべし。ここの歌の樣も其頃の歌と聞ゆる由、翁は言はれき。宣長云、此歌の意は、古への眞間の手ごなを、吾によそへて似たりと人の言ふと言ふは誠かと、悦べる女の歌なり。されば、此手ごなの在世の歌には有らずと言へり。猶考ふべし。
 
3385 可豆思賀能。麻萬能手兒奈家。安里之可婆。麻末之於須比爾。奈美毛登抒呂爾。
かづしかの。ままのてごなが。ありしかば。ままのおすひに。なみもとどろに。
 
家、一本我に作るに隨ふべし。オスヒは、上の駿河歌の於思敝《オシベ》と同じく、磯邊と言ふ事と聞ゆ。手兒奈が麗はしさに、言ひ騷ぎし事を、所につけて波もて譬ふ。是れは既にみまかりし後の歌なりと翁の説なり。宣長は、手兒奈が磯邊に在りしかば、浪さへめでて騷ぎしと言ふ意ならんと言へり。猶考ふべし。
 
3386 爾保杼里能。可豆思加和世乎。爾倍須登毛。曾能可奈之伎乎。刀爾多?米也母。
にほどりの。かづしかわせを。にへすとも。そのかなしきを。とにたてめやも。
 
ニホドリノ、枕詞。早稻を以て神に新嘗《ニヒナメ》奉るなり。公《オホヤケ》は本よりにて、田舍の民戸にても此祭せしなるべし。此神事には、凡の人の入り來るをも忌めども、深く愛《ウツ》くしと思ふ君が來んには、戸の外には立たせず、内へ入り來させんと、事の譬に言へり。ソノカナシキは、其|愛《カナ》しと思ふ君と言ふを略き言へるなり。下に、たれぞ此屋の戸おそぶる爾布奈未《ニフナミ》にわがせをやりていはふ此戸を、とも詠めり。
 
(21)3387 安能於登世受。由可牟古馬母我。可都思加乃。麻末乃都藝波思。夜麻受可欲波牟。
あのおとせず。ゆかむこまもが。かづしかの。ままのつぎはし。やまずかよはむ。
 
足の音せずなり。川の狹きには、板一ひら打渡して足れども、少し廣きには、川中に柱をむかへ立てて、それに横木を結《ユ》ひて、板を長く繼ぎて渡すを繼橋と言ふめり。其橋を渡りて、忍びて妹がり行かんに、足音せず渡らん馬もがなと願ふなり。
 
右四首。下總國歌。
 
3388 筑波禰乃。禰呂爾可須美爲。須宜可提爾。伊伎豆久伎美乎。爲禰?夜良佐禰。
つくはねの。ねろにかすみゐ。すぎがてに。いきづくきみを。ゐねてやらさね。
 
此嶺は、常に懸かれる雲霞のよそにも過ぎ行かで有るを、男の忍び來たるに得逢ひ難きを思ひ過ごし難くするに譬ふ。イキヅクは、思ひ餘りて息を衝くなり。ヤラサネは、卷一、草《カヤ》をからさねと言ふ如く、ヰネテヤレと他より令《オホ》する樣に言ひて、實は自ら願ふ事なり。此下の、きはづくの岡のくくみら吾つめど籠にもみたなふせなと都麻佐禰、と言ふも我が事を言へり。然れば、ここは母などの目を忍びかねて、男を唯だに歸らしむる時の心を、自《ミヅカ》ら言ふとすべし。爲ネテは、率《ヒキ》ゐ寢《ネ》てなりと翁の説なり。宣長云、過ギガテは、ヤラサネと言ふに合せて思ふに、女の家の邊《アタリ》を行き過ぎ難くするなり。又過ギガテを思ひ過ごしがたき意とする時は、ヤラサネは、其心を晴《ハラ》し遣らさねなりと言へり。此下にも、かみつけぬい(22)かほのねろにふろよきの遊吉須宜可提奴《ユキスギカテヌ》いもがいへのあたり、と有るをも思へば、女の家の邊《アタリ》を行き過ぎ難くする意とせん方|勝《マサ》るべし。
 
3389 伊毛我可度。伊夜等保曾吉奴。都久波夜麻。可久禮奴保刀爾。蘇提婆布利?奈。
いもがかど。いやとほぞきぬ。つくはやま。かくれぬほどに。そではふりてな。
 
トホゾキは、遠放《トホザカ》るなり。フリテナはフリテムなり。防人の立ち行く道にて詠めるか。
 
3390 筑波禰爾。可加奈久和之能。禰乃未乎可。奈岐和多里南牟。安布登波南思爾。
つくはねに。かがなくわしの。ねのみをか。なきわたりなむ。あふとはなしに。
 
鷲の聲は、我久我久《ガクガク》と聞ゆるやうに鳴く物なれば、カガナクと言ふ。景行紀に、相模海にて、覺賀《カガ》鳥の聲せしと言ふ事有り。其覺賀は、此處《ココ》を以て假字書とせん。和名抄、嚇、(加加奈久)と有り。上は、泣クと言はん料に言へるのみ。
 
3391 筑波禰爾。曾我比爾美由流。安之保夜麻。安志可流登我毛。左禰見延奈久爾。
つくはねの。そがひにみゆる。あしほやま。あしかるとがも。さねみえなくに。
 
ソガヒは、背向なり。アシホ山は、下野國にて、筑波よりは北、二荒山の山續きなり。上はアシと言はん序にて、心は其男は姿も心も惡《アシ》と言ふべきとがも見えざる故、心に附ける由を女の詠めるなるべし。集中、事なきわぎもなど言へるも、褒め言ふなり。末の爾は言ひ入れて歎く詞、例多し。
 
(23)3392 筑波禰乃。伊波毛等杼呂爾。於都流美豆。代爾毛多由良爾。和家於毛波奈久爾。
つくはねの。いはもとどろに。おつるみづ。よにもたゆらに。わがおもはなくに。
 
オツル水は、則ち瀧なり。其瀧の如く代代にも絶えんとは思はぬとなりと翁の説なり。宣長云、タユラは、上よりの續きは多き意。歌の意は、男の心を危みて、確には頼み難く思ふなりと言へり。上によにも多欲良爾《タヨラニ》と詠みて其所にも言ひつ。家、古本我に作るを善しとす。
 
3393 筑波禰乃。乎?毛許能母爾。毛利敝【敝ヲ敞ニ誤ル】須惠。波播己毛禮抒母。多麻曾阿比爾家留。
つくはねの。をてもこのもに。もりべすゑ。ははこもれども。たまぞあひにける。
 
ヲテモコノモ、上に出づ。モリベは、守部にて山守なり。四の句、母籠れどもと言ふも穩かならず。又子守れどもと自《ミヅカ》ら言ふべきに有らず。己は可の誤にて、ハハガモレドモならんか。或人は己は巴の誤にて、ハハハかと言へる由宣長言へり。斯くては穩かなり。上は、母が守る譬に取れり。卷十二、靈合へばあひぬる物を小山田のしし田もるごと母し守らすも、と有るに似たり。
 參考 ○波播己毛禮抒母(考)ハハ「加」ガモレトモ(古、新)ハハ「巴」ハモレドモ。
 
3394 左其呂毛能。乎豆久波禰呂能。夜麻乃佐吉。和須良延許波古曾。那乎可家奈波賣。
さごろもの。をづくはねろの。やまのさき。わすらえこばこそ。なをかけなはめ。
 
サ衣ノ、枕詞。山ノサキは和名抄、岬、山側也云云。日本紀私記云(三左木)。ナヲカケナハメは、汝を(24)懸くる事無からめなり。宣長云、是れは筑波山のさきを今通り行く時に詠めるにて、妹が事を忘れて來たらばこそ懸けざらめ、忘れ難き故に懸けてしのぶぞと言ふなり。カクルは、言に懸けて言ひ出づるなり。來バコソと言へると、山ノサキと言へるとに心を付くべしと言へり。是れ穩かなり。
 
3395 乎豆久波乃。禰呂爾都久多思。安比太欲波。佐波太【太ハ尓ノ誤】奈利努乎。萬多禰天武可聞。
をづくはの。ねろにつくだし。あひだよは。さは|た《に》なりぬを。またねてむかも。
 
ツクダシは月立ちなり。初月《ユフヅキ》を言ふ。アヒダヨハは間夜者なり。佐波太の太は尓の誤にて、サハニなるべし。此嶺に、初月の見えし頃逢ひて後、間《アヒ》だの夜頃の多くなれば如何が有らん、絶えやせん、又逢ふ事の有らんかと危める意の辭。
 參考 ○安比太欲波(考)略に同じ(古)アヒ「之」シヨハ(新)アヒ「努」ヌヨハ ○佐波太奈利奴乎(考、新)サハ「爾」ニナリヌヲ(古)サハダナリヌヲ。
 
3396  乎都久波乃。之氣吉許能麻欲。多都登利能。目由可汝乎見牟。左禰射良奈久爾。
をづくはの。しげきこのまよ。たつとりの。めゆかなをみむ。さねざらなくに。
 
冠辭考、味サハフの條に有る如く、立つ鳥の群と續けたり、牟禮の約|米《メ》なり。さて上の句は、メと言はん序にて、其序の詞よりは群れと續き、受けたる句にては、唯だ目にのみ見て有らんかと言ふなり。サネザラナクニのサは發語。卷十五、おもはずもまこと在得むやさぬる夜のいめにも妹が美延射良奈久爾《ミエザラナクニ》(25)と詠めるも、見えざるにの意なれば、ここもサネザラナクニと言ひて、ネザルニの意となるなり。卷三、草枕云云家待莫國と有る莫を眞の誤として、イヘマタマクニと訓めるは、中中に惡ろければ、本のままにてイヘマタナクニと訓めり。其所に宣長が説を擧げて委しく言ひつ。
 參考 ○目由可汝乎見牟(新)メ「耳」ノミカナヲミム。
 
3397 比多知奈流。奈左可能宇美乃。多麻毛許曾。比氣波多延須禮。阿杼可多延世武。
ひたちなる。なさかのうみの。たまもこそ。ひけばたえすれ。あどかたえせむ。
 
ナサカノ海、土人に問ふべし。アドカは、ナドカなり。玉藻は引けば絶ゆれども、吾が中は何ぞ絶えんと言ふなり。
 
右十首。常陸國歌。
 
3398 比等未奈乃。許等波多由登毛。波爾思奈能。伊思井乃手兒我。許登奈多延曾禰。
ひとみなの。ことはたゆとも。はにしなの。いしゐのてごが。ことなたえそね。
 
許等は言なり。埴科郡の石井と言ふ里の名ならん。テゴは、上に言へり。なべての人の言は絶ゆとも、石ゐの手兒が許よりの言は絶ゆる事無からなんと、男の詠めるなり。
 
3399 信濃道者。伊麻能波里美知。可里婆禰爾。安思布麻之牟奈。久都波氣和我世。
しなぬぢは。いまのはりみち。かりばねに。あしふましむな。くつはけわがせ。
 
(26)續記和銅六年。美濃信濃二國之堺經2道險阻1往還艱難仍通2吉蘇路1と見ゆ。此程の事故に、今の墾道と言へる時代かなへり。且つ新たに墾《ハ》る道には、木竹を刈り除きたる其切株の有るを踏みて、足害ふなと言へり。カリバネは、苅れる根を言ふべし。古事記に、小竹之刈材《シヌノカリグヒニ》(○材は杙トスベシ、千蔭ノ書キ誤リナリ)雖2足※[足+非]破1《ミアシハキレドモ》云云。クツハケワガセは、沓著吾夫なり。此新ばりの道を經て通ふ男|持《モ》たる女の歌なり。
 參考 ○安思布麻之牟奈(新)アシフマシ「奈牟」ナム。
 
3400 信濃奈流。知具麻能河泊能。左射禮思母。伎彌之布美?婆。多麻等比呂波牟。
しなぬなる。ちぐまのかはの。さざれしも。きみしふみてば。たまとひろはむ。
 
此川、もと筑摩郡に在るべし。今は他郡に此川の名有りとぞ。サザレシは、サザレイシなり。フミテバは踏ミテアラバを約め言ふ例なり。
 
3401 中麻奈爾。宇伎乎流布禰能。許藝?奈婆。安布許等可多思。家布爾思安良受波。
なかまなに。うきをるふねの。こぎでなば。あふことかたし。けふにしあらずは。
 
中麻奈、地名なるべし。さらでは信濃歌とせん由無し。中を奈と訓むべきか。和名抄、更科郡小谷(乎宇奈)小縣郡童女(乎無奈)と言ふ地有り、古へは、乎奈と言ひしか。女子を乎奈子とも言ふが如し。中は郷に、上、中、下と言ふ事所によりて今も有り。推測《オシハカリ》の説なれど、猶土人に問はん爲めに言へり。さて是れは諏方《スハ》の海か又越後へ落つる川などより舟に乘りて行く男に別るる女の歌なり。斯く樣に詠め(27)る類ひ有るを思ふに、船にて旅行くには、先づ船に乘りて一日も在りて、別を惜みしなるべし。
 
右四首。信濃國歌。
 
3402 比能具禮爾。宇須比乃夜麻乎。古由流日波。勢奈能我素低母。佐夜爾布良思都。
ひのぐれに。うすひのやまを。こゆるひは。せなのがそでも。さやにふらしつ。
 
ヒノグレニは、日暮になり。枕詞に有らず。和名抄、上野碓氷郡(宇須比)是れは碓氷の山に遠からぬ里より別れしなり。ソデモと言ふは、我が振る袖をも夫の見つらんかと思ふより言へるならん。勢奈能我は、夫名根之《セナネガ》なり。此下に伊母能良爾と有るも、妹根等爾《イモネラニ》と言ふにて、夫名の名は、即ち名有る事を美《ほ》め言ふとする古への例なり。根は物の本を言ひて、同じく貴む言故に、天皇を倭根子《ヤマトネコ》と申し奉り、母をタラチ根、姉を吾根《アネ》、名根《ナネ》など言へり。
 參考 ○佐夜爾布良思都(新)サヤニ「帝」テラシツ。
 
3403 安我古非波。麻左香毛可奈思。久佐麻久良。多胡能伊利野乃。於父【父は久ノ誤】母可奈思母。
あがこひは。まさかもかなし。くさまくら。たこのいりぬの。おくもかなしも。
 
マサカ、上に言へり。此草枕は、枕詞ならず、旅のさまを言ふ。多胡は、此國に此郡を置きし事、和銅三年の紀に見ゆ。入野は、其所の野なり。於父モの父は久の誤なるべし。夫の旅別の其際も悲し。別れて末に思はんも悲しと言ふなり。於久は、入野の奧と續けて、さて末の事を兼ね言へり。
(28) 參考 ○久佐麻久良(新)マクサカルの誤。
 
3404 可美都氣努。安蘇能麻素武良。可伎武太伎。奴禮抒安加奴乎。安抒加安我世牟。
かみつけぬ。あそのまそむら。かきむだき。ぬれどあかぬを。あどかあがせむ。
 
本、上つ毛野の國と言へば、此努は之の詞に有らず。安蘇は、下にも安蘇山と詠めり。其アソと言ふ里に作る眞麻《マソ》の群りて有るを序とす。カキは詞。ムダキは、身抱《ムダキ》にて、麻の群りたるを刈りて、かき抱き束《ツカ》ぬるを譬として、相抱きて寢れども飽かぬを、何とか吾がせんと、情《ナサケ》の餘りを言へり。
 
3405 可美都氣乃。乎度能多杼里我。可波治爾毛。兒良波安波奈毛。比等理能未思?。
かみつけの。をどのたどりが。かはぢにも。こらはあはなも。ひとりのみして。
 
ここも乃は野の假字なり。通はし稱へし物と見ゆ。ヲドノタドリガ云云は、小野之田野等之川道にもと言ふか。和名抄に、甘樂、緑野、群馬の三郡に、各《オノオノ》小野の郷あり。此中なるべし。野と杼と通ふ例なり。此川路里ばなれて、人目無き所なれば、斯かる所を吾が獨り行く時に、兒等に逢はばやと思ふ心を言ふなり。此下に、ま遠くの野にもあはなむ心なく里のみ中にあへるせなかも、とも詠みつ。されど、二の句猶穩かならず。猶考ふべし。
 參考 ○可美都氣乃(考、新)略に同じ(古)カミツケ「奴」ヌ。
 
或本歌曰。可美都氣乃。乎野《ヲノ》乃多杼里我。安波治爾母。世奈《セナ》波安波奈母。美流比登奈思爾《ミルヒトナシニ》。
 
(29)安波治の安は、可の誤なるべし。
 
3406 可美都氣野。左野乃九久多知。乎里波夜志。安禮波麻多牟惠。許登之許受登母。
かみつけぬ。さぬのくくたち。をりはやし。あれはまたむゑ。ことしこずとも。
 
左野は、今も然か言ふ里有り。ククタチは、和名抄、?(久久太知)蔓菁《アヲナ》之苗也と有り、是れなり。台記などの饗膳に莖立とて有り。ヲリは折りなり。ハヤシは物を榮《ハエ》有らする事にて、卷十六に、吾角は御笠の波夜詩《ハヤシ》云云。吾毛らは、御筆の波夜斯云云。吾完はみなます波夜志など言へるに等し。マタムヱのヱは、天智紀童謠に、阿例播倶流之衛《アレハクルシヱ》と二つ有り。ともに助辭なり。其外集中、ヨシヱヤシのヱも同じ。コトシコズトモは、來《コ》ト不v來《コズ》トモにて、之は助辭か。たまたま來ともと言ふなるべし。
 
3407 可美都氣努。麻具波志麻度爾。安佐日左指。麻伎良波之母奈。安利都追見禮婆。
かみつけぬ。まぐはしまとに。あさひさし。まきらはしもな。ありつつみれば。
 
今マグハと言ふ所有りと言へり。其マグハに川島など有りて、其渡り瀬を門《ト》と言へるか。さて朝日に向ふ所と見ゆ。其朝日のきらきらとするに譬へて、よそに戀ひし男に、今は常に相對ひ居れば、まばゆしと言へり。在リツツモは、常ニ在リ在リテなり。
 
3408 爾比多夜麻。禰爾波都可奈那。和爾余曾利。波之奈流兒良師。安夜爾可奈思母。
にひたやま。ねにはつかなな。わによそり。はしなるこらし。あやにかなしも。
 
(30)和名抄、新田郡新田郷有り。此下に、高きねに雲のつくのす吾さへに君につがなな高ねとおもひて、と詠めるに依るに、ここは雲と言はねど雲の事なり。ここのツカナナは、ツカナクの意と聞ゆ。女の我に依りながら、又さも有らぬを、雲の嶺に附かざる如く、間《ハシ》なる子らと言ふなるべし。さて二の句より四の句へ續く意なり。
 
3409 伊香保呂爾。安麻久母伊都藝。可奴麻豆久。比等登於多波布。伊射禰志米刀羅。
いかほろに。あまぐもいつぎ。かぬまづく。ひととおたばふ。いざねしめとら。
 
此下相聞の中に、伊波能倍にいかくるくものかぬまづく比等曾おたばふいざねしめ刀良、とて載せたり。イカホは、神名帳、群馬郡伊加保神社、呂は助辭、カ沼は今も有る地名なり。伊ツギの伊は發語。伊香保の山の雨雲のはびこりて、かぬまと言ふ所まで一つに續けるを、吾と妹と心は一つぞと人に言はるるに譬ふ、オタバフは、オラブと言ふに同じく、音高く言ひ騷ぐなり。末の句は斯く言はるるからは、いざ相寢しめたらんと言ふなり。ネシメテアラムのテアの約タにて、常人はネシメタラムと言ふをトラと言へり。ラムをラとのみ言ふは、平言に多しと翁言はれき。されど、オタバフの詞穩かならず。契沖は、登は曾の誤ならんと言へり。按ずるに、刀は己の誤にてコラと有りしならんか。
 參考 ○比等登於多波布(古)ヒト「曾」ゾオ「呂」ロハフ(新)ヒト「曾」ゾオタバフ。
 
3410 伊香保呂能。蘇比乃波里波良。禰毛己呂爾。於久乎奈加禰曾。麻左可思余加婆。
(31)いかほろの。そひのはりはら。ねもころに。おくをなかねそ。まさかしよかば。
 
此下に、いかほろのそひのはりはら我きぬに云云、又伊波保呂のそひのわか松、とも詠めり。ソヒは、岨《ソハ》の事なるべし。宣長は、川|傍《ソヒ》のソヒなりと言へり。ネモコロニの句は、上へ續く事無し。オクヲナカネソは、其榛原の奧深きを、末の事に譬へ言ふなり。マサカシヨカバは、今だによく有らば、奧未の事をば餘りにくだくだしく思ひかぬる事なかれ、末は末の由こそあらめ、今先づ逢はんと言ふなり。ヨカバはヨカラバのラを略けり。
 
3411 多胡能禰爾。與西都奈波倍?。與須禮騰毛。阿爾久夜斯豆之。曾能可把與吉爾。
たこのねに。よせづなはへて。よすれども。あにくやしづし。そのかほよきに。
 
多胡、上に出づ。ネは嶺なり。本は、寄らぬ物を強ひて引き寄せんとするに譬ふ。卷十三、かくよれと人はつけども云云。祝詞又は出雲風土記などに、八十綱はへて國を引と言へる事有り。之、一本久に作る。アニクヤシヅクなり。右の如く引きに引けども、あやにくに鎭まり居て寄らぬと言ふなり。沈ムをシヅクと言ふも、鎭むるも言はひとし。夜《ヤ》は與に通ふ詞。把、一本|抱《ホ》に作るをよしとす。表《オモテ》柔かに打笑みつつ在りて心の動かぬなりと、翁の説なり。四の句猶考ふべし。
 參考 ○阿爾久夜斯豆之(考)アニクヤシツ「久」ク(古)アニクヤシツシ(新)アニクヤシ「思」シノ。
 
(32)3412 賀美都家野。久路保乃禰呂乃。久受葉我多。可奈師家兒良爾。伊夜射可里久母。
かみつけぬ。くろほのねろの。くずはがた。かなしけこらに。いやざかりくも。
 
クロホノ嶺、土人に問ふべし。豆良の約|多《タ》なれば、クズハガタは、葛葉カヅラなり。カナシケは、カナシキにて愛づる語。イヤザカリクモは、彌放來《イヤサカリク》なり。葛かづらの遠ざかり延ぶるを序とせり。是れは唯だ妹と彌《イヤ》遠く成るを歎くなり。又防人の歌にて、別れ來し道を言ふか。又思ふに、クズハカタは、地名ならんか。猶考ふべし。
 參考 ○久受葉我多(新)クズハ「奈須」ナス。
 
3413 刀禰河泊乃。可波世毛思良受。多多和多里。奈美爾安布能須。安敝流伎美可母。
とねがはの。かはせもしらず。ただわたり。なみにあふのす。あへるきみかも。
 
利根郡なり。能須は、奈須と同じく如くの意。直渉《タダワタ》りするに、浪に逢ふ如く、危く恐《カシコ》き時に相逢ふを詠める女の歌なり。多多を元暦本多太に作る。
 
3414 伊香保呂能。夜左可能爲提爾。多都弩自能。安良波路萬代母。佐禰乎佐禰?婆。
いかほろの。やさかのゐでに。たつぬじの。あらはろまでに。さねをさねてば。
 
其國人の言へるは、伊香保の沼は、此嶺の半上に在りて、沼の三方には山ども立ち、一方は開けて野なり。其開けし方の水の落つる所をヰデと言ふとぞ。然ればヤサカは、其水の落つる所の名、堰提《ヰデ》は、上(33)にも言へる如く、ヰトメにて塘なるべし。虹を東詞にヌジと言へり。虹は水の氣なれば、此ヰデに專ら立つべし。さて顯るる譬とせり。よし末に顯れて惡しくとも、いかで相|寢《ヌ》る事を得てし有らばと言ふなり。
 
3415 可美都氣努。伊可保乃奴麻爾。宇惠古奈宜。可久古非牟等夜。多禰物得米家武。
かみつけぬ。いかほのぬまに。うゑこなぎ。かくこひむとや。たねもとめけむ。
 
小水葱《コナギ》、既に出づ。植は唯だ生ひ立ちて有るを言へり。種求ムと言ふは、歌の寄せ詞のみ。其小ナギを妹に譬へて、斯くばかり戀しからんとては言ひ初《ハジ》めざりしをとなり。
 參考 ○伊可保乃奴麻爾(新)イカホノヌマノ。
 
3416 可美都氣努。可保夜我奴麻能。伊波爲都良。比可波奴禮都追。安乎奈多要曾禰。
かみつけぬ。かほやがぬまの。いはゐづら。ひかばぬれつつ。あをなたえそね。
 
上に、おほやがはらのいはゐづらとも詠めり。ヌレは、上にも多く出づ。さて絶エと言はん序なり。末は吾を絶ゆる事なかれなり。
 
3417 可美都氣奴。伊奈良能奴麻能。於保爲具左。與曾禰見之欲波。伊麻許曾麻左禮。
かみつけぬ。いならのぬまの。おほゐぐさ。よそにみしよは。いまこそまされ。
 
和名抄、莞(於保井)可2以爲1v席者。字鏡。莞?(同古九(○九は丸ノ誤)反、似※[草がんむり/補]員卉。加万又大井)
 
(34)又〓(於保井)と有り。〓は?の俗字か。さて其所のさまの、遠く見しよりも、を(○近ノ草體ノ誤カ。遠ノ草體トモ見ユレド意ヲナサズ)くてまさりたるに譬へたり。見シヨハは、見シヨリハなり。
 
柿本朝臣人麻呂歌集出也。
 
古への歌集は、歌を傳へ得るままに書き集むれば、東歌も何も交るべきなり。
 
3418 可美都氣努。佐野田能奈倍能。武良奈倍爾。許登波佐太米都。伊麻波伊可爾世母。
かみつけぬ。さぬだのなへの。むらなへに。ことはさだめつ。いまはいかにせも。
 
佐野は上に出づ。其所の田なり。苗代は、所所に一むれづつ作る物なれば、群苗と言ひて、其れをウラナヒに言ひ懸けたるなるべし。占は言の通へばムラとも言ふべし。我戀の成らんやと占問《ウラド》へば、成るまじきと占に定まりぬ。然れば、今は如何にしてましと歎くなり。世母は將爲《セム》なり。
 
3419 伊加保世欲奈可中次下於毛比度路久麻許曾之都等和須禮西奈布母
 
イカホセヨは、伊香保に住む吾が夫子《セコ》と言ふなり。ワスレセナフモは、忘レセヌなり。二の句の中次下の三字、此卷の書體に有らず。又假字とせんも、他の假字の體に違へり。然れば、必ず字の誤、且つ落ちたるも有るべし。元暦本に、次を吹に作る。四の句も言を成さず。或説も有れど、皆取り難し。正しき本を待つのみ。
 參考 ○伊加保世欲(新)イカホ「加」カセ「欲」は下に屬すか ○二の句(新)欲奈珂爾吹爾《ヨナカニフクニ》〔・三字右○〕か(35) ○於毛此度路(古)オモヒド「知」チか(新)オモヒド「母」モか ○久麻許曾之都等(新)可札《カレ》コソシツ礼《レ》か ○結句(古、新)ワスレセナフモ。
 
3420 可美都氣努。佐野乃布奈波之。登利波奈之。於也波左久禮騰。和波左可禮賀倍。
かみつけぬ。さぬのふなばし。とりはなし。おやはさくれど。わはさかれがへ。
 
船バシは、川に船を並べ、綱もて杭に繋ぐ故、とり放つ事も有れば、斯く言ひて男と我が中を放たるるに譬へたり。禮、官本流に作るを善しとす。ワハサカルガヘは、吾は放《サカ》らんや放《サカ》らずと返る辭なり。卷二十、うまやなるなはたつこまのおくる我辨《ガヘ》いもが言ひしをおきてかなしも、此末にも、和波佐可流|我倍《ガヘ》と有り。
 
3421 伊香保禰爾。可未奈那里曾禰。和我倍爾波。由惠波奈家抒母。兒良爾與里?曾。
いかほねに。かみななりそね。わがへには。ゆゑはなけども。こらによりてぞ。
 
カミは雷なり。我が家人の殊に恐《カシコ》む故には有らず。妹が恐るるからに、いかで鳴る事なかれと願ふなり。ナケドモはナケレドモを略き言ふなり。
 
3422 伊香保可是。布久日布加奴日。安里登伊倍抒。安我古非能未思。等伎奈可里家利。
いかほかぜ。ふくひふかぬひ。ありといへど。あがこひのみし。ときなかりけり。
 
イカホ風は、佐保風、飛鳥風など言ふが如し。
 
(36)3423 可美都氣努。伊可抱乃禰呂爾。布路與伎能。遊吉須宜可提奴。伊毛賀伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】乃安多里。
かみつけぬ。いかほのねろに。ふろよきの。ゆきすぎがてぬ。いもがいへのあたり。
 
フロヨキは零雪《フルユキ》なり。東言に然《シ》か言ひけん。行過ギガテヌは行過ギカヌルなり。上は、ユキ過グと重ね言はん料なり。
 
右二十二首。上野國歌。
 
3424 之母都家野。美可母乃夜麻能。許奈良能須。麻具波思兒呂波。多賀家可母多牟。
しもつけぬ。みかものやまの。こならのす。まぐはしこらは。たかけかもたむ。
 
美は、發言にて、加茂山か、加茂と言ふ所、國國に在ればなり。小楢ノスは、ナスにて如クなり。葉廣|?《カシハ》の如くして、小さき葉にて、若葉さす夏は、陰好ましき物なれば、妹を褒むる譬とせしならん。宣長云、コナラノスは、高クの序なり。コナラは、木楢なりと言へり。マグハシは、古事記、久波志賣遠《クハシメヲ》ありときかしてと有るに同じく、クハシは愛づる詞、マは發言なり。タカケカは、高高ニ歟と言ふに同じく、振仰ぎ望む意、モタムは將待《マタム》なり。
 參考 ○多賀家可母多牟(新)タカ「多」ダカモタム。
 
3425 志母都家努。安素乃河泊良欲。伊之布麻受。蘇良由登伎奴與。奈我己許呂能禮。
しもつけぬ。あそのかはらよ。いしふまず。そらゆときぬよ。ながこころのれ。
 
(37)和名抄に、安蘇郡安蘇郷有り。今も此川有りとぞ。妹がりと思へば、石多き河原を踏むとも覺えず來しと言ふ意なり。空ユトキヌヨは、空從《ソラユ》と思ひて來りぬるよと言ふなり。集中、心空也土はふめども、とも詠めり。ナガ心ノレは、我は斯く思ひて來しを、嬉しみ思ふや、汝が心を告げよと言ふなり。或人は、ノレは乘レにて、我を思へと言ふ意なり。思フを心ニノルと言ふと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○蘇良由登伎努與(新)ソラユ「楚」ゾキヌヨ。
 
右二首。下野國歌。
 
3426 安比豆禰能。久爾乎佐抒抱美。安波奈波婆。斯努比爾勢牟等。比毛牟須婆左禰。
あひづねの。くにをさどほみ。あはなはば。しぬびにせむと。ひもむすばさね。
 
和名抄、會津郡、ネは嶺なり。佐は發語にて、國遠クなり。アハナハバは、相無《アハナク》バなり。下にもあは奈布とも、あは奈倍とも有りて、ナクのクを轉じたり。ムスバサネは、ムスベなり。防人の別れの歌なるべし。宣長云、二一三と次第して見るべし。アヒヅネノアハナハバなり。然らざれば、初句|徒《イタヅ》らなりと言へり。元暦本、勢の下、牟を毛に作る。同じ意なり。
 參考 ○斯努比爾勢牟等(新)シヌビニセム「乎」ヲ。
 
3427 筑紫奈留。爾抱布兒由惠爾。美知能久乃。可刀利乎登女乃。由比思比毛等久。
つくしなる。にほふこゆゑに。みちのくの。かとりをとめの。ゆひしひもとく。
 
(38)ニホフは、艶の字を多く書けり。陸奧にもカトリと言ふ所有るなるべし。其所《ソコ》にて、相寢し妹が結びし紐を、筑紫へ防人に行きて、其所の女に逢ひて詠めるなり。
 
3428 安太多良乃。禰爾布須思之能。安里都都毛。安禮波伊多良牟。禰度奈佐利曾禰。
あだたらの。ねにふすししの。ありつつも。あれはいたらむ。ねどなさりそね。
 
卷七、陸奧之|吾田多良《アダタラ》眞弓と詠み、神樂歌にも、古今集取物の歌にも、みちのくのあだちのま弓と詠めり。古へアダタラと言へる所を、後にアダチと言ふか。然らば、和名抄、安達郡と言ふならん。ここのシシと言へるは、猪也。猪は必ず臥所《フシド》を變へぬ物なれば譬に取れり。イタラムは、往《イ》ニタラムを略けり。ネドナサリソネは 臥所を外へ去る事なかれとなり。
 
右三首。陸奧國歌。
 
譬喩歌
 
3429 等保都安布美。伊奈佐保曾江乃。水乎都久思。安禮乎多能米?。安佐麻之物能乎。
とほつあふみ。いなさほそえの。みをつくし。あれをたのめて。あさましものを。
 
引佐細江は、引佐郡、そこの澪標《ミヲヅクシ》の有る所は、深からんと思へるに、淺きは、人たのめなる澪標なりと譬へ言へり。タノメテは、タノマセの意、淺マシモノヲは、淺きものをの意なり。
(39) 參考 ○多能米?(新)タノ「未」ミテ ○安佐麻之「新」ア「良」ラマシ。
 
右一首。遠江國歌。
 
3430 斯太能宇良乎。阿佐許求布禰波。與志奈之爾。許求良米可母與。奈志許佐流良米。
しだのうらを。あさこぐふねは。よしなしに。こぐらめかもよ。なしこざるらめ。
 
和名抄に志太郡有り。今藤枝驛の南瀬戸川と言ふ川邊に、志太村と言ふ有りとぞ。又駿河舞に、伊波太之太衣《イハタシタエ》と言ふも是れならん。ヨシナシニのヨシは、此下に都麻余之許西禰《ツマヨシコセネ》とも言ひて、唯だ寄る事を言へり。されば、ここも磯へ寄る事無しに漕ぐらめかはなり。ナシは、何シニなり。歌の意は、浦漕ぐぐ舟は寄る事無しによそにのみ?ぐらんかは、磯に寄る事も有るべきに、吾|夫《セ》はなじかも、吾が方へ來ざるらんと訝かるなり。奈、元暦本余に作る。ヨシコザルラメは、寄せ來ザルラメなり。されど此《コ》は聊か詞足らず。
 參考 ○奈志許佐流良米(古、新)「余」ヨシコザルラメ。
 
右一首。駿河國歌。
 
3431 阿之我里乃。安伎奈乃夜麻爾。比古布禰乃。斯利比可志母與。許己波故賀多爾。
あしがりの。あきなのやまに。ひこふねの。しりびかしもよ。ここはこがたに。
 
アシガリは足柄なり。アキナノ山、未だ知らず。ヒコフネは曳く舟なり。シリビカシモヨは、後引爲《シリヒキス》(40)るなり。此山に、古へ杉多ければ、船に造るに、其船即ち山の谷などにて造り果てて後、下す時、舳にをしみ綱を付けて、艫を下《シモ》にて漸くに下《クダ》す故に、後り引くと言へり。さて其如く男の後り引きして、吾が方へ來り難くすると譬へたり。ココハコガタニは、此許《ココ》へは來り難《カタ》げになり。
 
3432 阿之賀利乃。和乎可?夜麻能。可頭乃木能。和乎可豆佐禰母。可豆佐可受等母。
あしがりの。わをかけやまの。かづのきの。わをかづさねも。かづさかずとも。
 
カケ山と言ふ山なるべし。其れを吾を懸けて思はばと言ふ意に言ひ懸けたり。コセ山を、コチコセ山と言ふ類ひなり。カヅノ木は、穀《カヂ》か、猶外に有るか。上はカヅと言はん序にて、下は吾をかどはせ、かどはし難くともと言ふ意なり。卷十八、かた思ひを馬にふつまにおほせもてこしべにやらば人|加多波牟可母《カダハムカモ》、又後撰集に、春風の花の香かどふふもとには、とも詠めれば、盗む事を、カダス、カヅス、カトフ、など言ひしなり。カヅサカズトモは、カドシカヌトモと音通へり。字鏡、?(折曲也、加止不、又久自久)
 參考 ○和乎加豆佐禰母(新)ワ「波」ハカヅサネモ ○可豆佐可受等母(新)「奈」ナ「波」ハサ「禰」ネズトモ。
 
3433 多伎木許流。可麻久良夜麻能。許太流木乎。麻都等奈我伊波婆。古非都追夜安良牟。
たきぎこる。かまくらやまの。こだるきを。まつとながいはば。こひつつやあらむ。
 
タキ木コル、枕詞。此山に枝垂れたる松の古木の多かりけん、さて松を待つに寄せて、汝が吾を待つと(41)言ひおこさばとなり。末の句は、防人などに行きて、私に歸る事のかなはねば、戀|乍《ツツ》や有らんと言ふなり、ヤと言へるは、末を兼ね言へばなり。三の句の乎は、之《ノ》の誤か、又|與《ヨ》に通へる乎《ヲ》か。
 參考 ○許太流木乎(新)コダルキ「乃」ノ。
 
右三首。相模國歌。
 
3434 可美都家野。安蘇夜麻都豆良。野乎比呂美。波比爾思物能乎。安是加多延世武。
かみつけぬ。あそやまつづら。ぬをひろみ。はひにしものを。あぜかたえせむ。
 
上は序なり。ハヒはハヘに同じく、長く延ぶるを言ふ。互に遠長く思ひ渡れる中なるものを、何ぞ絶えんと言へり。
 
3435 伊可保呂乃。蘇比乃波里波良。和我吉奴爾。都伎與良之母與。多敝登於毛敝婆。
いかほろの。そひのはりはら。わがきぬに。つきよらしもよ。たへとおもへば。
 
上にも此二句出づ。ツキヨラシモヨは、波里の色を附きよらしめよなり。タヘトオモヘバ、翁も此詞心得難しと言はれき。契沖は、タヘは白栲の事にて、吾に譬へたり。我が方へ思ふ人の心の寄れかしと思ふを添へたりと言へど、穩かならず。中院本、及び仙覺抄、多敞の上比の字有りて、仙覺はヒトヘの事として、ひとへに思へばの意なりと言へり。考ふべし。
 
3436 志良登保布。乎爾比多夜麻乃。毛流夜麻能。宇良賀禮勢那奈。登許波爾毛我母。
(42)しらとほふ。をにひたやまの。もるやまの。うらがれせなな。とこはにもがも。
 
シラトホフ、枕詞。新田郡の山なり。乎は、を筑波、を泊瀬の字の如し。モル山は、卷十三、三諸は人の守山と詠めるが如く、山守すゑて守るを言ふ。ウラは、ウレに同じく末の事なり。セナナは爲《ス》ナなり。トコハは常葉なり。卷六、益《イヤ》常葉の木と言へり。我が中の變らざらんを乞ふのみ。
 參考 ○志良登保布(古)シラトホ「留」ル(新)登保志刀布か。
 
右三首。上野國歌。
 
3437 美知乃久能。安太多良末由美。波自伎於伎?。西良思馬伎那婆。都良波可馬可毛。
みちのくの。あだたらまゆみ。はじきおきて。せらしめきなば。つらはがめかも。
 
アダタラマ弓、上に引きつ。弦をはづし置きて、反《ソ》らしめ置きなば、弦はげ難かるべしと言ふを、斯く東言に言へるなり。キナバは、オキナバを略けり。譬ふる心は、夫をゆるべ置かば、末遂にかなはじと思ふなり。
 
右一首。陸奧國歌。
 
雜歌
 
3438 都武賀野爾。須受我於等伎許由。可牟思太能。等能乃奈可知師。登我里須良思母。
(43)つむがぬに。すずがおときこゆ。かむしだの。とののなかぢし。とがりすらしも。
 
スズは、鷹の尾鐸なり。カムシダは、駿河志太郡志太の里に上下有りて言へるならん。奈可知、欽明紀長曰2箭田珠勝大兄皇子1。仲曰2譯語田《ヲサダ》渟中倉太珠敷尊1少曰2笠縫皇女1云云。此仲をナカヂと訓めり、古言なるべし。さらば、ナカヂは中男を言ふべし。師は助辭なり。ナカヂは、此下にも詠めり。トガリは鳥狩なり。又卷十九、はつとがりを初鷹狩と書けるも、義をもて書けるにて鳥狩なり。東にて殿と言ふは、國の守、介などの家を言ふべし。又郡司、國造の家をも言ふと思しきは、駿河國府は、安部郡に在りしを、駿河舞に伊波太奈留之太戸乃止乃《イハタナルルダベノトノ》と謠ふは、志多郡の郡領の家を言ふべければなり。是れをも合せ考ふるに、カムシダは駿河なり。
 
或本歌曰。美都我野爾《ミヅガヌニ》。又曰。和久胡思《ワクゴシ》。
 
ワクゴは若子なり。下にも出づ。
 
3439 須受我禰乃。波由馬宇馬夜能。都追美井乃。美都乎多麻倍奈。伊毛我多太手欲。
すずがねの。はゆまうまやの。つつみゐの。みづをたまへな。いもがただてよ。
 
契沖は鈴之音のはや馬と言へりとす。又は須受之嶺にて、地名か。ハユマウマヤは早馬にて、紀にも驛をハイマと訓めり。ツツミヰは、美は添へ言ふ詞にて筒井なり。思ふ女の水汲む時に、直ちに妹が手より給へと言へるなり。
 
(44)3440 許乃河泊爾。安佐奈安良布兒。奈禮毛安禮毛。余知【余知ヲ知余ニ誤ル】乎曾母?流。伊低兒多婆里爾。
このかはに。あさなあらふこ。なれもあれも。よちをぞもてる。いでこたばりに。
 
余知、今本知余と有り、古本に據りて改む。卷五、余知古良《ヨチコラ》と手たづさはりて、卷十六、によれる子らが四千庭《ヨチニハ》など言ふも、ヨチとは同じ比ほひの子と言ふ古語なり。母?流は、よき比ほひと思ひてあると言ふを約め言へるか、こは猶考ふべし。伊低は乞《イデ》なり。其兒を吾に賜はりねとなり。其母も子と同じ所に居たるに言ひ懸けしなるべし。或人は、多婆里爾の爾は禰の誤ならんと言へり。
 參考 ○伊低兒多婆里爾(新)イデ「曾」ソタバリニ。
 
一云。麻之毛安禮毛《マシモアレモ》。
 
マシはイマシなり。
 
3441 麻等保久能。久毛爲爾見由流。伊毛我敝爾。伊都可伊多良武。安由賣安我古麻。
まとほくの。くもゐにみゆる。いもがへに。いつかいたらむ。あゆめあがこま。
 
マは、發言にて遠くなり。妹ガヘは、妹之家なり。安我は吾なり。
 
柿本朝臣人麻呂歌集曰。等保久|之?《シテ》。又曰。安由賣|久路《クロ》古麻。
 
3442 安豆麻治乃。手兒乃欲妣左賀。古要我禰?。夜麻爾可禰牟毛。夜抒里波奈之爾。
あづまぢの。たごのよびさか。こえがねて。やまにかねむも。やどりはなしに。
 
(45)此下にも、本は同じ歌有り。宣長云、手兒はタコにて、即ち田子浦同所にて、今の薩?山なり。紫式部集にも、たごのよびさかと詠めりと言へり。ネムモのモは助辭。
 參考 ○手兒(考、新)テコ(古)略に同じ。
 
3443 宇良毛奈久。和我由久美知爾。安乎夜宜乃。波里?多?禮婆。物能毛比豆都母。
うらもなく。わがゆくみちに。あをやぎの。はりてたてれば。ものもひづつも。
 
ウラモナクは、何心モナクなり、ハリテタテレバは、柳の芽の張りたるなり。物思ひ出づと言ふを略けるなれば、上のツを濁音に書けり。豆、一本弖に作る。モノモヒデツモも、思ひ出にて意同じ。
 參考 ○物能毛比豆都母(考)略に同じ(古、新)モノモヒデツモ、一本「弖」と有るに據る。
 
3444 伎波都久乃。乎加能久君美良。和禮都賣杼。故爾毛乃多奈布。西奈等都麻佐禰。
きはづくの。をかのくくみら。われつめど。こにものたなふ。せなとつまさね。
 
仙覺、風土記を引きて、枳波都久《キハツクノ》岡、常陸國眞壁郡に有りと言へり。ククミラは、字鏡、?(久久)爾雅、?(注本艸曰、一名蟾蜍疏、一名蝦蟆藍)薤(奈女彌良)韮(太太彌良)と有り。濱臣云、?を久久と詠めるは、蝦蟆よりの訓ならん。祝詞に谷蟆など有り。さてここのククミラは、?と薤韮との内なるべしと言へり。故爾毛の下乃は、美の極草より誤れるか。ミタナフにて滿無《ミチナク》なり。末は夫と共に摘まんを願ふなり。左禰は上の常陸歌のさねてやらさねと言ふ所に言ひし如く、他より言ふ言を、吾が願ふ(46)事にも言へり。
 參考 ○西奈等(新)セナ「茂」モ。
 
3445 美奈刀能也。安之我奈可那流。多麻古須氣。可利己和我西古。等許乃敝【敝ヲ敞ニ誤ル】太思爾。
みなとのや。あしがなかなる。たまこすげ。かりこわがせこ。とこのへだしに。
 
一本初句、美奈刀|安之能《アシノ》と有り、繁く集り生ひて、まろく見ゆるを玉笹など言ふ如く、小菅の繁れるを玉と言ふべしと、翁は言はれき。又すべて玉と言へるは、唯だ褒めて言へるにても有るべし。ヘダシのシは知に通ひて、床の筵の中|隔《ヘダテ》を言ふ。
 
3446 伊毛奈呂我。都可布河泊豆乃。佐左良乎疑。安志等比登其等。加多里與良斯毛。
いもなろが。つかふかはづの。ささらをぎ。あしとひとごと。かたりよらしも。
 
下に妹名根と詠み、兄名とも言へば、妹名とばかりも言ふべし。呂は等に同じ。都可布は、妹と吾と行きちがふを言ふなるべし。河泊豆は河津なり。ササラヲギは、荻に大小有りて、其小きを言ふべし。されどアシト一ゴトと言へば、常の荻なり。歌詞にササラと言ふのみならん。アシトヒトゴトは蘆トヒトツ如クと言ふなり。蘆荻は、同じく專ら水に生ひて、形も似たり。今男の行く河津の向ふより、よそながら心懸けたる女の來るに、行きちがはん時、何ぞに事寄せて言問ひ寄らんと思ふに、ここに蘆荻の有りて分ち難く見ゆれば、何れが何れぞと問ひ寄らんと言ふなり。伊勢物語に、忘草をこは何ぞと問ひし(47)に、心は異にて、事は似たりと翁言はれつれど、ツカフを行きちがふ事とせんは、強言《シヒゴト》ならん。宣長云、ツカフは束生など言へる地名なり。初句のガの言は、决句へ懸けて見るべし。ヒトゴトは、他事なり。妹が思ふ事をえ言ひ出でずして、先づつかふ川の荻よ蘆よと、他の事を語りて、其れをしるべに言ひ寄らすとなりと言へり。此説穩かなるに似たり。
 參考 ○安志等比登其等(新)アシトヒトゴ「比」ヒ。
 
3447 久佐可氣乃。安努弩奈由可武等。波里之美知。阿努弩波由加受?。阿良久佐太知奴。
くさかげの。あぬぬなゆかむと。はりしみち。あぬぬはゆかずて。あらくさだちぬ。
 
卷十二、草陰之荒藺《クサカゲノアラヰ》の崎と詠み、倭姫命世紀に、汝國名何(ゾト)問賜(フ)。白。草陰(ノ)阿野《アヌノ》國とも有り。皆アと續きたる枕詞ならんか。宣長云、阿努は、地名の如く聞ゆ。奈は尓の誤かと言へり。翁云。アヌヌナは、吾主根之《アヌシネガ》と言ふなり。根を乃とも奈とも言ふは、上に勢奈能我そでもと有りしに同じく、ヌシも名も根も、あがめ言ふ詞なり。されば其の乃を奴に通はし言へり。下の奈は、之《ガ》の意にて辭アヌヌハユカズ云云は、吾主が通はんとて、人目無き路を開きしが、今は通はず成りて、荒草の生ひ立ちぬると、女の悲しめるなりと有れど、アヌヌナの詞穩かならず。一本二の句、安の下一つの努の字無し。官本四の句阿の下努の字無し。
 參考 ○安努弩奈由可武等(代)アノノナ(考)アヌノナ(古)アヌナユカムト「弩」を衍とす(新)(48)アヌヌユカムト「奈」を衍とす。
 
3448 波奈知良布。己能牟可都乎乃。乎那能乎能。比自爾都久|佐〔□で囲む〕【佐ハ衍文】麻提。伎美我與母賀母。
はなちらふ。このむかつをの。をなのをの。ひじにつくまで。きみがよもかも。
 
花散向峰《ハナチラフムカツヲ》なり。ヲナは、今も上總に在る地名なり。ヲは其處の峰なるべし。自は目の誤ならん。ヒモニツクマデと訓むべし。一本佐の字無きを善しとす。高き峰の低く成りて、腰の垂紐に附く代まで、君が代は有れかしと言ふなるべし。さざれ石のいはほと成りてと言ふとはうらうへなり。
 參考 ○比自爾(考)ヒ「目」モニ(古、新)ヒジニ。
 
3449 思路多倍乃。許呂母能素低乎。麻久良我欲。安麻許伎久見由。奈美多都奈由米。
しろたへの。ころものそでを。まくらがよ。あまこぎくみゆ。なみたつなゆめ。
 
袖を纏と言ひ懸けて、下は、マは發語、クラガは下總のクラガを言ふべし。海人を詠めればなり。此末に、麻久良我乃許我能和多利《マクラガノコガノワタリ》と詠めるをば、冠辭考に、上野の倉下《クラガ》にやとも有れど、必ず別と定め難ければ、ここに據りて、其れをも下總とすべき由、翁言はれたり。ヨはヨリの略なり。
 
3450 乎久佐乎等。乎具佐受家乎等。斯乎【乎ハ本ノ誤】布禰乃。那良敝?美禮婆。乎具佐可利【利ハ知ノ誤】馬利。
をくさをと。をぐさずけをと。しほぶねの。ならべてみれば。をぐさかちめり。
 
ヲクサと言ふ所の男なり。スケヲは、同所の次丁なるべし。是れを助丁《スケヲ》と言へば、上のヲクサヲと言ふ(49)は、正丁なるべし。正丁は、男盛りの公役を勤むる著、次丁は老いたる男なり。然れば、ここのスケヲは、中男を言へり。卷二十に、助丁と言へる是れに當れり。令に歳十七より二十までを中男、二十一より六十までを正丁、六十一より六十五までを次丁と言へり。此集上丁と言ふは、かの正丁にて、助丁と言ふは彼の中男、次丁を兼ね言ふならん。斯乎の乎、一本抱に作る。ここは本の誤なり。潮舟にて枕詞なり。海邊の物をば然言ふ事、シホ貝、シホ蘆などの如し。舟の並びたるを、右の男を並べ比ぶるに譬ふ。可利の利は、元暦本知に作る。勝メリにして、ヲグサの正丁は勝《マサ》れり、と思ふ女の言ふ意なり。宣長云、乎久佐と乎具佐とは、久の清濁異なれば、別地なるべし。さて清濁の異なるのみにて、似たる地名なる故に、其れをふしにして、並《ナラ》べて見れば云云と詠めるならん。もし一つの地名としては、ヲクサ勝メリとのみ言ひては、何れとも分らずして、聞え難しと言へり。
 參考 ○乎具佐可利馬利(古)ヲグサカ「知」チメリ(新)ヲグサヲカ「知」チケリ「佐」の下「乎」を脱し「馬」はケの誤。
 
3451 左奈都良能。乎可爾安波麻伎。可奈之伎我。古麻波多具等毛。和波素登毛波自。
さなづらの。をかにあはまき。かなしきが。こまはたぐとも。わはそともはじ。
 
神名帳に、常陸國那賀郡酒列磯崎神社有り。是れサナツラと言ふ所を斯く書きしならん。カナシキガは、上に其かなしきをとにたてめやもと言ふ所に言へり。コマハタグトモは、手綱を手《タ》ぐりて、馬を歩ます(50)るなり。卷十九、いはせ野に馬たぎ行てとも詠めり。多具利の約言なり。神代紀に、素盞嗚尊秋則放2天斑馬1使v伏2由中1と言ふに似たる事なり。ワハソトモハジは、さる惡しき仕業《シワザ》とも思はじなり。又大平云、喚犬追馬鏡《マソ》、泉の追馬喚犬《ソマ》など書けるを見れば、ソは馬を追ふ聲なり。然ればソと言ひても追ひ遣らじなり。波自は追ハジなるを、上の毛に於の響ある故に、於を略けるなりと言へり。是れも一つの考なれば擧げつ。
 
3452 於毛思路伎。野乎婆奈夜吉曾。布流久佐爾。仁比久佐麻自利。於非波於布流我爾。
おもしろき。ぬをはなやきそ。ふるくさに。にひくさまじり。おひばおふるがに。
 
我爾は、ガネに同じ詞にて既に言へり。是れは唯だ春の歌のみ。
 
3453 可是乃等能。登抱吉和伎母賀。吉西斯伎奴。多母登乃久太利。麻欲比伎爾家利。
かぜのとの。とほきわざもが。きせしきぬ。たもとのくだり。まよひきにけり。
 
風ノトノ、枕詞。是れは防人にて筑紫へ行きて三年輕る故に、故郷の妹が織り縫ひて着せし衣の袂の損《ソコナ》ひ來つと言ふなり。卷七、ことし行|新《ニヒ》防人が麻衣肩のまよひを誰かとり見む、と詠めるに等し。紕《マヨヒ》の事上に言へり。クダリは、行《クダリ》と同じくて、袂の上《カミ》より下までまよひたりと言ふなるべし。
 
3454 爾波爾多都。安佐提古夫須麻。許余比太爾。都麻余之許西禰。安佐提古夫須麻。
にはにたつ。あさでこぶすま。こよひだに。つまよしこせね。あさでこぶすま。
 
(51)ニハニタツ、枕詞。麻|布《タヘ》の小衾なり。提《テ》は、多倍《タヘ》の約言なり。コヨヒダニと言へるは、常來ずとも、今宵ばかりもと言ふなり。ツマヨシコセネは、夫を寄り來させよと夜床の衾に對ひて言へるが哀れなり。卷九、城《キ》のくにに不止かよはむ妻《ツマ》の社《モリ》妻依來西尼《ツマヨシコセネ》妻といひながらと言ふに同じ。神代紀、抹盧豫嗣爾豫嗣豫利據禰《メロヨシニヨシヨリコネ》、是れは目依に依依來ねと言ふなり。
 
相聞
 
3455 古非思家婆。伎麻世和我勢古。可伎都楊疑。宇禮都美可良思。和禮多知麻多牟。
こひしけば。きませわがせこ。かきつやぎ。うれつみからし。われたちまたむ。
 
コヒシケバは戀シカラバなり。戀シカラムを、集中、コヒシケムと言ふが如し。カキツヤギは垣内柳なり。今も田舍にて、糸垂れずして上へ小枝のさす柳を植ゑて垣とせるも多し。越ゆるに安からん爲めに、其柳の末枝《ホツエ》を摘み枯して待つさまなり。卷十一、あし垣の末かき分て君こゆとも詠めり。
 
3456 宇都世美能。夜蘇許登乃敝【敝ヲ敞ニ誤ル】波。思氣久等母。安良蘇比可禰?。安乎許登奈須那。
うつせみの。やそことのへは。しげくとも。あらそひかねて。あをことなすな。
 
是れは顯身の世の中を言ひて、枕詞に有らず。ヤソコトノヘは八十言の上にて、多くの人の言ひ騷ぐに爭ひ得ずして、吾を言に言ひなす事なかれとなり。
 
(52)3457 宇知日佐須。美夜能和我世波。夜麻登女乃。比射麻久其登爾。安乎和須良須奈。
うちひさす。みやのわがせは。やまとめの。ひざまくごとに。わをわすらすな。
 
ウチヒサス、枕詞。ミヤノワガセは、東の國造郡司などの子の京に上りて、大宮に仕へ奉るを言へり。ヤマトメはハツセ女などの如し。垂仁紀に、后の御膝を枕として寐ねまししと言ふ事有り。又卷五、琴娘が、人の膝のへ吾枕かむとも詠めり。ワスラスナは、ワスルナなり。
 
3458 奈勢能古夜。等里乃乎加耻志。奈可太乎禮。安乎禰思奈久與。伊久豆君麻?爾。
なせのこや。とりのをかぢし。なかだをれ。あをねしなくよ。いくづくまでに。
 
名夫《ナセ》ノ子《コ》ヨなり、子とは男女共に言へり。トリノヲカは地名なるべし。耻は路、志は辭なり。此岡路は中の撓める所ならん。集中、峰ノタヲリとも詠めり。其タヲリを男の中絶えて來ぬに譬ふ。ネシナクは不令寢《ネセヌ》なり。ヨは辭、イクは息なり、斯く中絶えし故に、我は夜も寢ず、長息を衝くまでに物思ふとなり。
 參考 ○等里乃乎加耻志(新)ト「能」ノノ「奈」ナカチシ ○奈可太乎禮(新)「安耳」アニタ「波」ハレ。
 
3459 伊禰都氣波。可加流安我手乎。許余比毛可。等能乃和久胡我。等里?奈氣可武。
いねつけば。かがるあがてを。こよひもか。とののわくごが。とりてなげかむ。
 
(53)イネツケバは籾を舂《ウスヅ》きて米とするなり。カガルは和名抄、皹(阿加加利)手足拆也と言ふ是れなり。殿の若子が取りて歎かむと言ふからは、いと賤女には有らじ。良民などの女が身をくだりて、賤女の業もて言へるにぞ有るべき。よき人も山がつ海人などに譬へて言ふも歌の常なり。下に、おしていなといねはつかねどと言ふも等し。殿ノ若子の事上に言へり。
 
3460 多禮曾許能。屋能戸於曾夫流。爾布奈未爾。和家【家ハ我ノ誤】世乎夜里?。伊波布許能戸乎。
たれぞこの。やのとおそぶる。にふなみに。わがせをやりて。いはふこのとを、
 
古事記に八千矛神の御歌に、をとめのなすやいたどを淤曾夫良比《オソブラヒ》わがたたせれば比許豆良比《ヒコヅラヒ》わがたたせ(○れ脱カ)ばと有り、押開き、引開かんとするなり。ニフナミはニヒナメなり。十一月|公《オホヤケ》の新嘗祭有る時は、國の廳にても同じ祭すれば、其國の里長より上は、皆廳に集《ツド》ふべし。然れば其里長などの家にても、妻の物忌して在るを、忍び來たる男の戸を押開かんとする時、其妻の詠めるなり。上にかつしかわせをにへすともと詠めるは、家家にて爲《ナ》すなれど事は等し。家、元暦本我に作るを善《ヨ》しとす。
 
3461 安是登伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】可。佐宿爾安波奈久爾。眞日久禮?。與比奈波許奈爾。安家奴思太久流。
あぜといへか。さねにあはなくに。まひくれて。よひなはこなに。あけぬしだくる。
 
アゼトイヘカは、何ぞと言ふ事かなり。サネニアハナクは、實に逢ふ事の無きやと言へり。眞日クレテは、いたく暮れはてたるを言ふべし。ヨヒナハコナニ云云は、日の暮れて夜るは來なくして、夜明けぬ(54)るあしたに來るは、實に逢ふまじきとてするわざなりと女の疑へるなり。初夜ならでも、惣ての夜をもヨヒと言ふ事、古への常なり。ヨヒナハはヨヒニハなり。アケヌは明ケヌルなり。シダはアシタを略けりと翁言はれき。太平云、思太《シダ》は時と言ふ事なり。此卷末、あほ思太《シダ》も、又わすれむ之太《シダ》は、又かなしけ之太《シダ》は、卷二十、わすれも之太《シダ》はなど言へる、朝にては適《カナ》はず、唯だ時なり、さてアシタと言ふは、明《アク》る時《シダ》と言ふ意なるべしと言へり。さも有るべし。
 參考 ○作宿爾安波奈久爾(新)サネニアハ「末」マクニ。
 
3462 安志比奇乃。夜末佐波妣登乃。比登佐波爾。麻奈登伊布兒我。安夜爾可奈思佐。
あしびきの。やまさはびとの。ひとさはに。まなといふこが。あやにかなしさ。
 
山澤を多《サハ》の語に言ひ轉じて、又重ねて人サハニと言ひ下したり。集中に、父母に我はまな子ぞ、催馬樂に、あやめのこほりの大領の末名牟春女止以戸《マナムスメトイヘ》と言へるに等しくして、庶子をば其家にも他人も輕しめ、嫡妻の子を眞ナムスメと人も多く尊む。其女こそ萬づ事も無ければ、吾はもとより深く思へと言ふなりと翁言はれき。されど穩かならず。猶考ふべし。
 參考 ○夜末佐波妣登乃(新)ヤマサハ「彌豆」ミヅノ。
 
3463 麻等保久能。野爾毛安波奈牟。己許呂奈久。佐刀乃美奈可爾。安敝流世奈可母。
まどほくの。ぬにもあはなむ。こころなく。さとのみなかに。あへるせなかも。
 
(55)眞は詞にて遠くなり。ミナカは眞中なり。上にかみつけぬをどのたどりが川路にも子らはあはなくひとりのみして、と言へるに似たり。
 
3464 比登其等乃。之氣吉爾余里?。麻乎其母能。於夜自麻久良波。和波麻可自夜毛。
ひとごとの。しげきによりて。まをごもの。おやじまくらは。わはまかじやも。
 
マヲゴモは蒋にて、此處《ココ》はコモ枕を言へり。冠辭考コモマクラの條に委し。眞は詞。乎は小にて小菅、小篠の小の如し。オヤジは同じなり。ワは吾ハなり。歌の意は人言の繁きに據りて同じ枕をせざらんやは、人言は繁くとも共寢せんとなり。
 
3465 巨麻爾思吉。比毛登伎佐氣?。奴流我倍爾。安抒世呂登可母。安夜爾可奈之伎。
こまにしき。ひもときさけて。ぬるがへに。あどせろとかも。あやにかなしき。
 
高麗錦の紐など言ふは歌詞なるをもて、東にても詠めるなるべし。カラ衣など言へる類ひなり。ヌルガヘニは寢《ヌ》るが上になり。アドセロトカモは、何トセムトテカなり。吾(ア)ト夫《セ》トカモとも言ふべけれど、杼の濁音もて書ければ然《サ》には有らず。
 
3466 麻可奈思美。奴禮婆許登爾豆。佐禰奈敝波。己許呂乃緒呂爾。能里?可奈思母。
まがなしみ。ぬればことにづ。さねなへば。こころのをろに。のりてかなしも。
 
麻は詞。相寢れば人言に言ひ出でらるるなり。サネナヘバのサは發語。寢ネバなり。禰を延べて奈敝と(56)言へり。緒ロのロは助辭にて、緒は懸けつらなる事に言ふ事なり。されど輕く言へる所にて、意無きも有るは言の常なり。ノリテは常に心の上に有るなり。
 
3467 於久夜麻能。眞木乃伊多度乎。等杼登之?。和我比良可武爾。伊利伎?奈左禰。
おくやまの。まきのいたどを。とどとして。わがひらかむに。いりきてなさね。
 
オク山ノ、枕詞。眞木は惣て檜を言ふ。トドは男の戸を叩く音なり。さて三の句にて切りて、吾開カムニとは、女の開くなり。末は入り來て寢よと言ふなり。奈スは寢る事の古語なり。卷五、夜周伊斯奈佐農《ヤスイシナサヌ》、古事記八千矛神御歌、伊遠斯那世《イヲシナセ》など有り。
 
3468 夜麻杼里乃。乎呂能波都乎爾。可賀美可家。刀奈布倍美許曾。奈爾與曾利?米。
やまどりの。をろのはつをに。かがみかけ。となふべみこそ。なによそりけめ。
 
和名抄、山?一名〓〓(夜万土利)云云、呂は助辭にて、尾の秀《ホ》つ尾なり。尾の中に長きを言ふ。から國の魏と言ふ代に、山?を飼ひて鳴かざりしに、尾の方に鏡を置きたりしかば、よく鳴きつと言ひ傳へし諺もて詠みつらん。既に淨御原藤原宮などの比には、からごとを語繼ぎにせれば、是れらは京に仕へ奉りし男の、東へ歸りゐて詠みたるなるべし。トナフは聲立てて呼ぶなり。其れを名を唱へらるるに言ひ寄せたり。さて斯くばかり廣く名を唱へられんとてこそ、人の汝に吾を言ひ寄せ初めたりけめと言へり。ヨソリは人の言ひ寄するを言ふ。宣長云、山ドリノ云云、から國の故事は此歌には叶はず。是れは(57)或人の云、山鳥の尾は夜いみじく光る事有る物にて、人其光を見て捕へんとして行くに、やや近くなるまで動かず、今まさに捕ふべき程に近づく時に、俄かに立去りて、又行く先の方にて光るを人又行きて捕へんとすれば、又さきの如くにて、終に捕へ難き物なり。されば此歌に鏡カケと言ふは、尾の鏡の如く夜光るを言ふ。トナフベミは捕フベミなり。譬へたる意は山鳥の捕へらるべく見えて、捕へ難き如く、女の吾に靡くべきさまに見えながら、終に靡かぬにて、初め靡くべく見えたればこそ、心を懸けて言ひ寄り初めたれの意なりと言へり。右の説いとよく歌に叶へり。但し其意ならば、結句ケレと有るべきを、ケメと言へるは聊か心得ずと宣長言へり。猶考ふべし。
 
3469 由布氣爾毛。許余比登乃良路。和賀西奈波。阿是曾母許與比。與斯呂伎麻左奴。
ゆふけにも。こよひとのらろ。わがせなは。あぜぞもこよひ。よしろきまさぬ。
 
夕占を問ひしにも、君は今夜來んと告《ノ》りたるなり。ノラロはノルを延べ言へり。夕占も叶へるに、何ぞや今夜|倚《ヨリ》來まさぬとなり。呂は助辭なり。上の妻よしこせねのヨシに同じ。是れはヨソリ、又はコトヨセなど言へるとは似て異なり。
 
3470 安比見?波。千等世夜伊奴流。伊奈乎加母。安禮也思加毛布。伎美末知我?爾。
あひみては。ちとせやいぬる。いなをかも。あれやしかもふ。きみまちがてに。
 
卷十一に載せたり。
 
(58)柿本朝臣人麻呂歌集出也。
 
3471 思麻良久波。禰都追母安良牟乎。伊米能未爾。母登奈見要都追。安乎禰思奈久流。
しまらくは。ねつつもあらむを。いめのみに。もとなみえつつ。あをねしなくる。
 
夢ノミニとては、暫も寢ぬ由を言へる一首の心にたがへり。伊は於の誤にて、オメノミニと有りつらん。於米は卷廿東歌に、於米がはりせずと言ひ、且つ面は面影を略き言ふ事、ここの次に於母に見えつると言へる是れなり。面影を卷二には、影に見えつつとも有れば、何れにも略き言へるなりと翁は言はれつれど、按ずるにネツツモアラムヲと言ふは、夢をも見ず、うまいせんと言ふにて、中中に夢に見えて熟睡《ウマイ》し難きと言ふなるべし。アヲネシナクルは我を寢せしめぬと言ふ意なり。上にも同語有り。
 
3472 比登豆麻等。安是可曾乎伊波牟。志可良婆加。刀奈里乃伎奴乎。可里?伎奈波毛。
ひとづまと。あぜかそをいはむ。しからばか。となりのきぬを。かりてきなはも。
 
アゼカソヲは、何カソレヲなり。他事《ヒトヅマ》を何ぞや手も觸るまじき物と言はん。然か言はば、隣の衣を借りて着る事の無きかはと言ふなり。契沖云、上のシカラバカのカ文字を下へくだして、キナバカモと心得べしと言へり。毛は助辭。
 參考 ○伊波牟(新)イ「麻」マム。
 
3473 左努夜麻爾。宇都也乎能登乃。等抱可騰母。禰毛等可兒呂賀。於由爾美要都留。
(59)さぬやまに。うつやをのとの。とほかども。ねもとかころが。おゆにみえつつ。(○つつハつるノ誤)
 
サヌ山は地名なるべし。翁はサは發語にて野山なりと言はれつれど、野に斧打たん事如何が有らん。打つよ斧の音の遠かれどもと言ふなり。風のとの遠きと續くる如く、斧の音は遠きと言はん料のみ。由は母の誤にて、於母に見えつるなるべし。道は遠く有れども吾が今夜斯く行きて寐んものとてか、妹が面影に見えて有りしはと、妹がもとへ男の行き至りて言へるなり。
 參考 ○於由爾(考、古、新)オ「母」モニ。
 
3474 宇惠太氣能。毛登左倍登與美。伊低?伊奈婆。伊豆思牟伎?可。伊毛我奈藝可牟。
うゑたけの。もとさへとよみ。いでていなば。いづしむきてか。いもがなぎかむ。
 
植は生ひ立ちて在るを言ふ。古事記、大河原の宇惠具佐《ウヱグサ》とも有り。風に竹の末の鳴り騷ぐをば常にて、本サヘと言へり。是れは家こぞりて泣き騷ぐを強く言ふなり。イヂテイナバは、防人の出立を言ふなるべし。イヅシはイヅチ、ナギカムはナゲカムなり。上に、霞ゐるふじの山びにわが來なばいづ知むきてか妹がな氣《ゲ》可牟と言ふに似たり。藝、元暦本|氣《ケ》に作る。
 參考 ○奈藝可牟(古)ナ「氣」ゲカム(新)ナギカム。
 
3475 古非都追母。乎良牟等須禮杼。遊布麻夜萬。可久禮之伎美乎。於母比可禰都母。
こひつつも。をらむとすれど。ゆふまやま。かくれしきみを。おもひかねつも。
 
(60)卷十二旅の歌に、よしゑやし戀じとすれど木綿間《ユフマ》山越にし公がおもほゆらくに、と有るは同じ歌と見ゆ。
 
3476 宇倍兒奈波。和奴爾故布奈毛。多刀都久能。奴賀奈敝【敝ヲ敞ニ誤ル】由家婆。故布思可流奈母。
うべこなは。わぬにこふなも。たとつくの。ぬがなへゆけば。こふしかるなも。
 
ウベコナハは、諾子等者《ウベコラハ》なり。此歌の奈《ナ》は皆|良《ラ》に通へり。和奴はワレラと言ふ言を、東言に和奴と言ふなるべし。タトツクノは立月之《タツツキノ》なり。東には多刀《タト》と言ふか。ヌガナヘユケバは、流去者《ナガレユケバ》ならん。立ち行く月日を流るる月日とも言へり。コフシカルナモは、妹が我に戀しかるらん、別れて後立ち行く月日の流れ去りて久しく成りぬればと言ふなり。
 
或本歌末句曰。努我奈敝【敝ヲ敞ニ誤ル】由家|抒《ド》、和奴賀由乃敝波《ワヌカユナヘハ》。
 
此質由の下可の字落ちたるか、ワヌガユカナヘバにて、流れ行けど吾が行かねばと言ふ意なり。上に寢ねばと言ふを佐禰奈敝波《サネナヘバ》と言へるに同じ。宣長云、或人の云く、賀由は由賀を下上に誤れるにて、ワヌユカナヘバなりと言へり、是れも然り。
 參考 ○和奴賀由乃敝者(新)ワヌ「由賀」ユカナヘバ。
 
3477 安都麻道乃。手兒乃欲婢佐可。古要?伊奈婆。安禮婆古非牟奈。能知波安比奴登母。
あづまぢの。たごのよびさか。こえていなば。あれはこひむな。のちはあひぬとも。
 
(61)タゴノヨビ坂、上に出づ。是れも防人の別れか、三年にて歸ればなり。卷十二、みさごゐるすにをる舟のこぎ出なばうら戀しけむ後はあひぬとも。
 參考 ○手兒乃(考、新)テコノ(古)タゴノ。
 
3478 等保新等布。故奈乃思良禰爾。阿抱思太毛。安波乃敝思太毛。奈爾己曾與佐禮。
とほしとふ。こなのしらねに。あほしだも。あはなへしだも。なにこそよされ。
 
乏シトイフと言ふにて愛づる事なり。コナノシラ嶺は東に在りて、人の愛づる嶺なるべし。爾はシラネノ如爾と言ふ意なりと翁は言はれつれど穩かならず。宣長云、此山遠き故に、見ゆる日と見えぬ日と有るを、逢ふ日と不逢日《アハヌヒ》と有るに譬へたり。コナノシラネニ逢フと續きたるは、歌の意の言と、譬への上の言とを交へて言へる古歌の例にて、シラネニアフは、しらねの見ゆると言ふ意なるを、アフと言ふは歌の意の言なりと言へり。さてシダの言は上に言へる如く、アシタとしては叶はず、時と言ふ事とすべし。アハナヘシダはアハヌ時と言ふなり。上にもアハヌをアハナフと詠めり。ナニコソヨサレは、我は汝にこそ心は寄りたれなり。
 參考 ○故奈(古、新)コ「志」シ ○安波乃敝(考、古、新)アハノヘ。
 
3479 安可見夜麻。久左禰可利曾氣。安波須賀倍。安良蘇布伊毛之。安夜爾可奈之毛。
あかみやま。くさねかりそけ。あはすがへ。あらそふいもし。あやにかなしも。
 
(62)アカミ山、地名なり。上は此山の草を刈り除くる如く、くさぐさの障を避《ヨ》けて逢ふが上にとなり。アハスの須は清《ス》みて相《ア》はすると言ふ言。賀倍は其ガウヘのウを略けり。上に寢るが上を奴流我倍爾《ヌルガヘニ》と言ふに同じ。下は人には逢はずと爭ふが深く愛《ウツ》くしと言へり。
 參考 ○安良蘇布(新)ア「比」ヒソフ。
 
3480 於保伎美乃。美己等可思古美。可奈之伊毛我。多麻久良波奈禮。欲太知伎多可母。
おほきみの。みことかしこみ。かなしいもが。たまくらはなれ。よだちきぬかも。
 
防人の立つ時の歌と見ゆ。夜深く立ちて、殊に別れの悲しきを道にて詠めるなるべし。ヨダチは夜立チなりと翁の説なり。宣長は、ヨダチは?の事なりと言へり。
 
3481 安利伎奴乃。佐惠佐惠之豆美。伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】能伊母爾。毛乃【毛乃乃ト有ハ誤也】伊波受伎爾?。於毛比具流之母。
伊改受任珥氏。
ありぎねの。さゑさゑしづみ。いへのいもに。ものいはずきにて。おもひぐるしも。
 
柿本朝臣人麻呂歌集中出見v上已詮也。
 
卷四、珠衣の狹藍左謂《サヰサヰ》しづみ家の妹にものいはずきにて思金津裳《オモヒカネツモ》、と有りて、そこに註せり。人麻呂家集は、此撰より後に顯れたる物と見ゆれば、此卷に東歌に載するを本とすべし。今本毛乃乃と有るは誤なれば、一の乃|文字《モジ》は除けり。註の詮を元暦本記に作る。
 
(63)3482 可良許呂毛。須蘇乃宇知可倍。安波禰抒毛。家思吉己許呂乎。安我毛波奈久爾。
からころも。すそのうちがへ。あはねども。けしきこころを。あがもはなくに。
 
卷十一、朝影に吾身は成ぬ辛《カラ》衣|襴《スソ》のあはずて久しくなればとも詠みて、古へ韓人の衣の裔《スソ》合はざりけん。ウチガヘは打交へにて、衣は打交へて合する物なれば言ふにて、一二の句は不v相《アハズ》と言ふ序なり。ケシキ心は異《コト》なる心なり。
 
或本歌曰。可良己呂母。須素能宇知可|比《ヒ》。阿波奈敝婆《アハナヘバ》。禰奈敝乃可良爾《ネナヘノカラニ》。許等多可利都母《コトタカリツモ》。
 
アハナヘバはアハネバなり。ネナヘノカラニは不v寢ナガラニなり。コトタカリツモは言痛きなり。
 
3483 比流等家波。等家奈敝比毛乃。和賀西奈爾。阿比與流等可毛。欲流等家也須流【流ハ家ノ誤】。
ひるとけば。とけなへひもの。わがせなに。あひよるとかも。よるとけやすけ。
 
トケナへは、不v解なり。ヒモノの乃は之《ガ》と心得べし。アヒヨルは、夫に吾が相寄るなり。上のつまよしこせねと言ふは、夫を此方《コナタ》へ寄せよにてうらうへなり。元暦本ヨルトケ也須家と有るを善しとす。夜解け易きなり。さていはひて解きしとも、又解くるを君に逢はんさがとも、わざと解きていはふとも、斯かる事は定め無く言へり。
 
3484 安左乎良乎。遠家爾布須左爾。宇麻受登毛。安須伎西佐米也。伊射西乎騰許爾。
あさをらを。をげにふすさに。うまずとも。あすきせざめや。いざせをどこに。
 
(64)良は助辭。麻笥《ヲゲ》に多《サハ》になり。卷八、なでしこの花|総《フサ》手折と言ふも多き事なり。然れば布佐を延べて布須左と言へり。翁云、アスキセザメヤは麻衣《アサゾ》を令v著《キセ》ざらめやなり。阿佐曾を約轉して安須と言ふと言はれき。されど穩かならず。宣長云、四の句は明日《アス》來《キ》せざらめやなり。明日來と言ふは、凡て月日の事を來歴《キヘ》ゆくと言ひて、明日の日の來る事なり。結句は率《イザ》せ小床《ヲドコ》になり。中古の言に、人を誘《サソ》ひたつるにイザサセタマヘと言へると同じ。一首の意は、夜の業に女の麻を績《ウ》み居る所へ、男の來て詠めるにて、早く寢んと女を誘《イザナ》ふ歌なり。今宵さのみ麻を多く績《ウ》まずとも有るべし、明日も來らざらんや、明日の日も有れば、明日又うみ給へ、今宵は其業をやめて、いざ早く小床に入りて寢んとなりと言へり。
 
3485 都流伎多知。身爾素布伊母乎。等里見我禰。哭乎曾奈伎都流。手兒爾安良奈久爾。
つるぎだち。みにそふいもを。とりみがね。ねをぞなきつる。てごにあらなくに。
 
ツルギダチ、枕詞。身に添ふべき妹を見難くて、緑兒にも有らぬに聲立てて泣くと言ふなり。卷四、たわらはのねのみなきつつ、と言ふに同じ。手兒は眞間のてごなの歌に既に言へり。ここは緑兒の事に言へるなり。先は幼《ヲサナキ》を言へど、また大人《オトナ》と成りても言ひ、或るは呼名ともせしと見えたり。事に依りて心得べし。
 
3486 可奈思伊毛乎。由豆加奈倍麻伎。母許呂乎乃。許登等思伊波婆。伊夜可多麻斯爾。
かなしいもを。ゆづかなべまき。もごろをの。こととしいはば。いやかたましに。
 
(65)初句にて句なり。ナベ卷は革を斜に並べ纏けば言ふともすべけれど、さては此歌に由無し。是れは相射る爲めに如己男《モゴロヲ》の各《オノオノ》弓束を卷き調ふるを以て、並べ卷きと言ふならん。モゴロは如と言ふ古言なり。此下にを鴨の母己呂と詠めり。母は眞なり。其呂《ゴロ》は其登《コト》にて如クに同じ、卷九、モゴロヲを如己男と書けり。己《オノ》れ如きの男と言ふなり。イヤカタマシニは射哉勝たんにと言ふにて、二の句より懸かるなり。さて相似たる程の男どちならば、我ぞ勝たんと思ふに、妹がうへの事には力も及ばずと言ふなりと翁言はれき。宣長云、射哉カタマシニと言ひては、疑のヤの辭調はず、射ゾと言はでは如何が、イヤは彌なりと言へり。
 參考 ○伊夜可多麻斯爾(新)イヤカタマ「久」クニ。
 
3487 安豆左由美。須惠爾多麻末吉。可久須酒曾。宿奈莫那里爾思。於久乎可奴可奴。
あづさゆみ。すゑにたままき。かくすすぞ。ねなななりにし。おくをかぬかぬ。
 
古への弓は木のかぎりして作れるは、彌《イヤ》直くして、弓末に弦音無し。鞆の音のみにては勢|足《タラ》はぬ故に、弓末に玉を纏《マ》き、鈴をも附けしなるべし。梓弓爪引|夜音《ヨト》の遠音《トホト》など、鳴弦するも是の音合ひて、遠く聞ゆべし。萬づの物に玉と鈴を附けし事多かり。是れは其鈴の音《ネ》を寢《ネ》に言ひ懸けたる序のみ。ネナナナリニシは寢《ネ》る事無く成りにしなり。下に宿莫敝《ネナヘ》とも書きつ。オクは末にて末を兼ねつつ強《シ》ひずして有る間に、遂に妹と寢る事も無く成りしよと歎くなりと翁言はれき。宣長云、カクススゾは如此爲爲《カクスス》にて、俗(66)にカクシイシイと言ふが如しと言へり。此卷末にこすげろのうらふくかぜの安騰須酒香《アドススカ》と言ふも然り。さて末ニ玉マキは末を大切に思ふ譬とすべし。元暦本、宿奈奈と有るぞよき。
 參考 ○可久須酒曾、宿奈莫(新)カク「那」ナスゾ、ネナ「奈」ナ。
 
3488 於生之毛等。許乃母登夜麻乃。麻之波爾毛。能良奴伊毛我名。可多爾伊?牟可母。
おふしもと。このもとやまの。ましばにも。のらぬいもがな。かたにいでむかも。
 
オフシモトは生繁本《オフシミモト》の略言なり。毛等はすべて木立を言ふ。孝コ紀、模騰渠登爾《モトゴトニ》はなはさけども、と有る是れなり。コノモトヤマは此本山にて、上の言を重ね言ふなり。マシバニモは、上よりは本山の眞柴と言ひ懸けて、意は眞數《マシバ》なり。眞は詞、數はしばしばの意。ノラヌイモガ名云云は、しばしばも告《ノ》らぬ妹が名なれば、占かたに出でんやと言ふなり。上にまさでにものらぬ君が名うらに出にけりと言へるに等し。此しばしばを輕く見ざれば歌の意解き難し。眞定にものらぬと言ふ心なるを、言ひ下したる序の言を以てシバシバと言へるのみなるべしと翁言はれき。宣長云く、數《シバ》と云ふ事ここにては聞えず。此卷下に、あしひきの山かづらかげ麻之波にもえがたきかげをおきやからさむ、とも有り。共に清音の波の字を書けり。故《カレ》思ふに、俗に物を惜むをシハキと言ふと同言にて名を告ぐる事を惜みて、聊かも告らぬ妹が名と言へるか。下なるも聊かも得難きにて聞ゆるなり。少しなりともと思ふに、少しも得ぬは、かなたより惜みてしはき意有るなりと言へり。猶考ふべし。
(67) 參考 ○許乃母登夜麻乃(新)コ「利」リモトヤマノ。
 
3489 安豆左由美。欲良能夜麻邊能。之牙可久爾。伊毛呂乎多?天。左禰度波良布母。
あづさゆみ。よらのやまべの。しげかくに。いもろをたてて。あねどはらふも。
 
アヅサ弓、枕詞。此山は知られず。シゲカクニはシゲキニを延べ言ふなり。イモロは妹等なり。是れは女の男の許へ來たるなり。サネドのサは發語にて寢所なり。其寢所の塵を拂ひて、妹が來れるを喜ぶさまなり。
 
3490 安都左由美。須惠波余里禰牟。麻左可許曾。比等目乎於保美。奈乎波思爾於家禮。
あづさゆみ。すゑはよりねむ。まさかこそ。ひとめをおほみ。なをはしにおけれ。
 
アヅサ弓、枕詞。マサカ、上に出づ。ナヲは汝ヲなり。妻問に來し男に心は寄れど、まだ奧の方へ入らすべき程ならねば、端の簀の子などに居らするを言ふなり。
 
柿本朝臣人麻呂歌集出也。
 
3491 楊奈疑許曾。伎禮婆伴要須禮。余能比等乃。古非爾思奈武乎。伊可爾世余等曾。
やなぎこそ。きればはえすれ。よのひとの。こひにしなむを。いかにせよとぞ。
 
柳は伐りても疾《ト》くひこばえの生ふる物なれば言へり。世ノ人とは則ち我を言ふ。卷七(旋頭歌)あられふりとほつあふみのあと川柳刈れりとも又もおふとふあと川柳。
(68) 參考 ○伊可爾世余等曾(新)イカニセヨト「香」カ。
 
3492 乎夜麻田乃。伊氣能都追美爾。左須楊奈疑。奈里毛奈良受毛。奈等布多里波母。
をやまだの。いけのつつみに。さすやなぎ。なりもならずも。なとふたりはも。
 
柳枝は刺すによく根づきて生ひ榮ゆ。其|生《オ》ふるをナルと言ひて、戀の成るに言ひなせり。さて我が中の終に成りぬとも、若し成らずとも、汝と吾が心は變らじと言ふなり。
 參考 ○奈等布多里波母(新)ナトフタリ「宿」ネモ。
 
3493 於曾波夜母。奈乎許曾麻多賣。牟可都乎能。四比乃故夜提能。安比波多家波自。
おそはやも。なをこそまため。むかつをの。しひのこやでの。あひはたけはじ。
 
遲くとも速くとも汝をこそ待ためなり。コヤデは小枝なり。タケハジはタガハジにて、椎の枝さし交はし繁り合ふを、男に逢ふに言ひ懸けたりと翁言はれき。宣長は椎は春を過ぎて、夏秋までもよく芽《メ》の出でて小枝と成る物なる故に、遲くとも逢はんの譬にせるなり。或本の時は過ぐともも同じくて、春芽の出づる時は過ぎても芽の出づるを以て譬へたりと言へり。
 參考 ○安比波多家波自(古)「家」は「我」の誤か(新)アヒハタ「我」ガハジ。
 
或本歌曰。於曾波也母。伎美乎思麻多武《キミヲシマタム》。牟可都乎能。思比乃|佐要太能《サエダノ》。登吉波須具登母《トキハスグトモ》。
 
右に言へる宣長が説に據るべし。
 
(69)3494 兒毛知夜麻。和可加敝流?能。毛美都麻?。宿毛等和波毛布。汝波安抒可毛布。
こもちやま。わかかへるでの。もみづまで。ねもとわはもふ。なはあどかもふ。
 
コモチ山、地名なり。若カヘルデは、春楓の芽の張れるを言ひて、さて秋もみぢするまでもと言ふなり。下は寢んと我が思ふを、汝は何とか思ふと問ふなり。和名抄、?冠木(賀倍天乃木、辨色立成云、鷄頭樹、加比留提乃木、今案是一木名也)卷八、吾やどに黄變|蝦手《カヘルデ》と詠めり。
 
3495 伊波保呂乃。蘇比能和可麻都。可藝里登也。伎美我伎麻左奴。宇良毛等奈久毛。
いはほろの。そひのわかまつ。かぎりとや。きみがきまさぬ。うらもとなくも。
 
上に伊香保呂能蘇比乃波里波良と詠めるに似たり。其岨の方の野の小松原までを限りにて、外は崖なれば、そひの若松限りと言へりと聞ゆ。此伊波保の波は何などの字の誤れるにて、伊何保にや有りつらん。次の歌の多知婆奈乃と言へるも、東にては武藏の橘樹《タチバナ》郡の外は聞えぬからは、武藏なるべし。其次の安波乎呂も安房國の岳と聞え、前後必ず國所の知られぬを集めしとも言ふべからず。故《カレ》右は上野のイカホとすべし。さて上は限リと言はん序にて、男の絶えしに譬ふ。ウラモトナクは心もとなくなりと翁の説なり。宣長云、上二句限りの序には由無く聞ゆ。此序いと心得難きを、強ひて試みに言はば、若松を吾ガ待ツに取りて、限りとやわが待つ者が來ぬと言へるかと言へり。
 參考 ○伊波保呂乃(考)イ「何」カホロノ(古)イ「香」カホロノ、但しイハホロと歌ひ誤りて傳(70)ふ(新)イハホロノ、誤とせず「巖」の意とす。
 
3496 多知婆奈乃。古婆乃波奈里我。於毛布奈牟。己許呂宇都久志。伊?安禮波伊可奈。
たちばなの。こばのはなりが。おもふなむ。こころうつくし。いであれはいかな。
 
和名抄、武藏橘樹郡橘樹(多知波奈)是れなり。古婆も里の名なるべし。ハナリは童女のウナヰハナリを言ふ事上に出づ。オモフナムはオモフラムなり。東歌にラムと言ふをナムと言へる例是れ彼れ見ゆ。ウツクシは愛づるなり。イデアレハイカナは乞《イデ》吾は往かんなり。
 參考 ○伊?安禮波伊可奈(新)イ「射」ザアレハイカナ。
 
3497 可波加美能。禰自路多可我夜。安也爾阿夜爾。左宿左寐?許曾。己登爾?爾思可。
かはかみの。ねじろたかがや。あやにあやに。さねさねてこそ。ことにでにしか。
 
カハカミとて河ノベなど言ふ意なり。根白高ガヤは、川の岸に生ひ繁れるが、水高き時洗はれて、本の白く見ゆるを根白とは言ふならん。さてカとアと音通へば、カヤ、アヤと言を重ねたる序なり。アヤニはアナと言ふに同じく歎く詞にて、言を重ね言へり。サは發言。寢に寢てこそ人言に言ひ出でられたれとなり。可は清みて、上のこそと言ふを結べり。
 
3498 宇奈波良乃。根夜波良古須氣。安麻多阿禮婆。伎美波和須良酒。和禮和須流禮夜。
うなばらの。ねやはらこすげ。あまたあれば。きみはわすらす。われわするれや。
 
(71)此海バラは海邊を言へり。ヤハラは契沖云、海際に生ひたる菅は潮に逢ひて根の和らかなるを言ふと言へり。又催馬樂に、貫川のせぜのやはら手枕と言ふ、ヤハラは泥の事を言ふと見ゆれば、今もヤハラは泥にて、且つ其泥に生ふる菅なれば、寢和らこ菅と言ひなして、麗はしき柔肌《ヤハハダ》の妹を添へたるか。アマタアレバは、古今集に目ならぶ人のあまたあればと言ふに同じ。ワスラスは、忘ルのルを延べ言ふなり。ワスルレヤは、ワスラレズと返る詞なり。ワスレンヤと言ふに同じ。
 參考 ○和禮和須流禮夜(新)ワレワスレメヤ、又はワレハワスレヤの誤とす。
 
3499 乎可爾與世。和我可流加夜能。佐禰加夜能。麻許等奈其夜波。禰呂等敝奈香母。
をかによせ。わがかるかやの。さねがやの。まことなごやは。ねろとへなかも。
 
ヲカニヨセは岡に著《ツ》き寄りてなり。サネガヤは、サは例の發語にて、根萱なり。其れに寢を添へ、且つ末の句へ懸る。ナゴヤは卷四、蒸衾奈胡也我下丹《ムシブスマナゴヤガシタニ》ねたれども、古事記、牟斯夫須麻|爾古屋賀斯多爾《ニコヤガシタニ》と有るも同じ。ネロトヘナカモはネムトイハナクモにて、誠になごやかには寢んと言は無くと、つれなきを恨むなりと翁は言はれき。宣長云、岡ニヨセのヨセは岡へは懸からず。岡は唯だ萱を刈る所を言へるのみなり。さて萱を女に譬へて、寄せ刈るとは引き寄せ靡かせて刈るなり。譬へたる意は、女を我が方へ寄せ靡かせんとすれどもなり。大平云、サネガヤとは能く靡きなえたる萱と言ふなり。なえなえと靡けども、誠には寢んと言はぬかもなりと言へり。此説にてマコトと言ふ事確かなりと言へり。
(72) 參考 ○乎可爾與世(新)ヲカニ「支?」キテ ○麻許等奈其夜波(新)サネナゴヤニハの誤とす。
 
3500 牟良佐伎波。根乎可母乎布流。比等乃兒能。宇良我奈之家乎。禰乎遠敝奈久爾。
むらさきは。ねをかもをふる。ひとのこの。うらがなしけを。ねををへなくに。
 
紫草は根もて衣を染むる事を成し果す物なりと先づ言ひて、吾は寢《ヌ》る事を成し果さぬを言はん料とす。ウラガナシケヲのケは、キに通ひて、心に深く愛づるなり。ネヲヲヘナクニは、戀ふれども共寢する事を成し果さぬなり。乎敝は卷五、むつき立春の來たらはかくしこそ梅を折つつ多奴之岐乎倍米と詠めるは樂みを極《キハ》めめなり。祝詞に稱辭竟奉《タタヘゴトヲヘタテマツル》と言ふも、神の御コを稱へ盡し、崇め事を盡し果すなり。
 
3501 安波乎呂能。乎呂田爾於波流。多波美豆良。比可婆奴流奴留。安乎許等奈多延。
あはをろの。をろたにおはる。たはみづら。ひかばぬるぬる。あをことなたえ。
 
アハヲは安房國の岳なるべし。ロは助辭。其岳の麓の田に生ふるなり。自《オノヅカ》ら生ひたるなればオハルと言へり。タバミヅラは玉カヅラに同じかるべきか。たわむ事と思ふは假字違へり。武藏の多摩川を多婆《タバ》川と唱ふる如く、摩と婆の濁音と常に通へり。ミヅラは眞蔓なれば、即ち玉かづらをタバミヅラとも言ふなるべし。末は言ひ通はす言の絶ゆる事なかれ、其かづらを引くが如く、遠長かれと言ふなり。ヒカバヌルヌルの詞上にも出づ。アヲコトナタエは、吾を言莫絶えなり。ナタエソと言ふべき曾を略くは、雲ナタナ引キなどの例なり。タハミヅラの事翁の説なれど猶有らんか。考ふべし。
 
(73)3502 和我目豆麻。比等波左久禮抒。安佐我保能。等思佐倍己其登。和波佐可流我倍。
わがまつま。ひとはさくれど。あさがほの。としさへこごと。わはさかるがへ。
 
マヅマは眞妻なり。アサガホノと有るは由無し。安良多麻能などの草より誤れるならん。己其登はコゾトと訓みて、年にさへ來ずとも、我は思ひ離るる心有らじと言へるならんと翁は言はれき。されど前後皆草を詠みて、此末にかほ花のこひてかぬらんと言ふも、女をかほ花と言ひたれば、是れも朝がほを則ち女の事に譬へ詠めるなるべし。さてコゴトはココタと同じ語とすべし。ここばくの年經て我は離《サカ》るかは、離《サカ》りはせずと言ふ意なり。宣長云、すべて古歌には句を入れ替へて心得べき例多し。此歌三の句を初句の上に置きて見べし。近く同じ句法の例、此末に、なやましけひとづまかもよこぐ舟の云云と言ふも、三の句は初句の序なり。考へ合すべし。目豆麻はメヅマと訓みて、目につきて思ふ妻なり。朝顔の花の如き目妻と言ふなりと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○和我目豆麻(代)ワガメヅマ、又はワカモツマ(考)略に同じ(古、新)ワガメヅマ。
 
3503 安齊可我多。志保悲乃由多爾。於毛敝良婆。宇家良我波奈乃。伊呂爾?米也母。
あせかがた。しほひのゆたに。おもへらば。うけらがはなの。いろにでめやも。
 
舊訓アサカと有れど、齊をサの假字に用ひたる例無し。東に有る地名ならん。汐干は海上のどかに、見る目寛かなるを、其汐干の如く、寛かに長閑に思はば、色には出でじを、頻りて思ふより顯はれたりと(74)言ふなり。ウケラは既に出づ。
 參考 ○安齊可我多(代、考、新)アサカガタ(古)略に同じ。
 
3504 波流敝左久。布治能宇良葉乃。宇良夜須爾。左奴流夜曾奈伎。兒呂乎之毛倍婆。
はるべさく。ふぢのうらばの。うらやすに。さぬるよぞなき。ころをしもへば。
 
ウラバは末葉なり。上はウラヤスと言はん序なり。ウラは心なり。コロヲシモヘバは子等を思へばなり。後撰集に、春日さす藤のうらばのうらどけて君しおもはば我もたのまむ、と詠めるは、此歌をや思へりけん。
 
3505 宇知比佐都。美夜能瀬河泊能。可保婆奈能。弧悲天香眠良武。伎曾母許余比毛。
うちひさつ。みやのせがはの。かほばなの。こひてかぬらむ。きぞもこよひも。
 
ウチヒサツ、枕詞。ウチヒサスと言ふスとツを通はせ言ふなり。卷十三、打久津《ウチヒサツ》三宅の原とも詠めり。カホ花は顔よき妹に譬へたるか。キゾは昨夜を言ふ。此序穩かならず、考ふべし。カホ花、翁云、オモダカを言ふにや。かれが葉は人の面の高きが如くなれば、面高とも名付け言ふ意を枕草紙にも言ひつ。又此下にみやしろのをかべに立るかほが花、卷八、高まとの野べのかは花と言ふは槿を言ふべし。槿はムクゲなりと言はれき。或人は今晝顔と言ふ物ならんと言へり。何れも據り所無し。
 參考 ○宇知比佐都(考)ウチヒサ「數」ス(古、新)略に同じ。
 
(75)3506 爾比牟路能。許騰伎爾伊多禮婆。波太須酒伎。穗爾?之伎美我。見延奴己能許呂。
にひむろの。こどきにいたれば。はだすすき。ほにでしきみが。みえぬこのごろ。
 
翁云、コドキは言?《コトホギ》なり。イタレバは其時に成りしかばなり。新室の賀詞の事既に言へり。ハダススキ、枕詞。末は妹が家を新に造りて、ことぶきすとて人は多く集へど、吾と相思ふ事の顯はれし君は、却りて憚りて見え來ぬを思ひて詠めるなるべしと言はれき。宣長云、コドキは蠶《コ》がひの時節なり。ニヒムロは古へは年年|蠶飼《コガヒ》する室を新たに建ててせしなるべしと言へり。コドキニ至レバと言へるは言?には似つかずや有らん。
 參考 ○爾比牟路能云云(新)ニヒムロカコ、トキニイタレヤ「能」を「加」の誤とし「許」にて句とし「婆」を「夜」の誤とす。
 
3507 多爾世婆美。彌年爾波比多流。多麻可豆良。多延武能己許呂。和我母波奈久爾。
たにせばみ。みねにはひたる。たまかづら。たえむのこころ。わがもはなくに。
 
卷十一、山高み谷べにはへるとて、末|異《コト》に、卷十二、丹波路の大江の山のさねかづらとて、末ここと等しきも有れど、各《オノオノ》他人の歌とは見えたり。伊勢物語には少し變へて載せたり。
 
3508 芝付乃。御宇良佐伎奈流。根都古具佐。安比見受安良婆。安禮古非米夜母。
しばつきの。みうらざきなる。ねつこぐさ。あひみずあらば。あれこひめやも。
 
(76)和名抄、相模三浦郡三浦郷と出でて今も在り。芝付と言へる所も其處《ソコ》には無きか、問ふべし。ネツコ草、知らず。共寢するを相見とも言ふ故に序とせしならんと翁の説なり。されど猶さだかならず。考ふべし。
 參考 ○安比見受安良婆(新)アヒ「宿」ネズアラバ。
 
3509 多久夫須麻。之良夜麻可是能。宿奈敝【敝ヲ敞ニ誤ル】杼母。古呂賀於曾伎能。安路許曾要志母。
たくぶすま。しらやまかぜの。ねなへども。ころがおそぎの。あろこそえしも。
 
タクブスマ、枕詞。此歌東人の旅にて詠めると見ゆれば、越の白山の邊へ行きて詠めるなるべし。白山風の夜寒きに寢難けれど、妹が形見の衣の有るを着れば好しと言へり。於曾伎は襲衣《オソモギヌ》にて表衣《ウハギヌ》を言ふべし。かの於須比とは異なり。
 參考 ○宿奈敝杼母(新)「寒牟敬」サムケドモ ○安路許曾要志母(考)略に同じ(古、新)アロコソエ「吉」キモ。
 
3510 美蘇良由久。君母爾毛我母奈。家布由伎?。伊母爾許等杼比。安須可敝里許武。
みそらゆく。くもにもがもな。けふゆきて。いもにことどひ。あすかへりこむ。
 
モノイフをコトトフと言ふ。防人の歌ならん。卷四、み空行雲にもがもな高く飛鳥にもがもなあす行て妹にことどひ吾爲に妹も事なく云云。
 
3511 安乎禰呂爾。多奈婢久君母能。伊佐欲比爾。物能|安〔□で囲む〕【安ハ衍文】乎曾於毛布。等思乃許能己呂。
(77)あをねろに。たなびくくもの。いさよひに。ものをぞおもふ。としのこのごろ。
 
青嶺なり。呂は助辭。上は雲の去りもやらず懸かりて有るをもて序とせり。トシノコノゴロは、此年ゴロヲと言ふに同じ。物能の下、安は衍文なり。
 
3512 比登禰呂爾。伊波流毛能可良。安乎禰呂爾。伊佐欲布久母能。余曾里都麻波母。
ひとねろに。いはるものから。あをねろに。いさよふくもの。よそりづまはも。
 
ヒトネは一嶺。ロは助辭なり。モノカラはモノナガラなり。青嶺ロニイサヨフ雲は、女の心定まらぬ譬へなり。歌の意は、女の心いさよひて未だ不v逢《アハヌ》ものを、一つぞと言はるる事を佗びしく思へるなり。一嶺の嶺に實は用無けれども、青嶺と言ふに就きて一嶺とは言へるなり。上のいかほねに雨雲いつぎと言へるにも似たり。
 參考 ○比登禰呂爾(新)ヒト「彌奈」ミナニ ○與曾里都概波母(新)ヨソリ「之」シツマハモ。
 
3513 由布左禮婆。美夜麻乎左良奴。爾努具母能。安是可多要牟等。伊比之兒呂婆母。
ゆふされば。みやまをさらぬ。にぬぐもの。あぜかたえむと。いひしころはも。
 
美山は眞山にて褒むる辭のみ。ニヌ雲は布引きたらん如く棚引く雲を言ふか。上にも奴能を爾能と言へり。高き山の夕の布雲の如く、我が中何ぞや絶ゆる時有らんと言ひし妹の、絶えて後に男の思ひ出でて歎くなり。
 
(78)3514 多可伎禰爾。久毛能都久能須。和禮左倍爾。伎美爾都吉奈那。多可禰等毛比?。
たかきねに。くものつくのす。われさへに。きみにつきなな。たかねともひて。
 
能須はナスにて著《ツ》ク如クなり。雲に依りてワレサヘとは言へり。ツキナナはツキナムと願ふ意。結句は君を其高嶺と思ひてと言ふなり。
 
3515 阿我於毛乃。和須禮牟之太波。久爾波布利。禰爾多都久毛乎。見都追之努波西。
あがおもの。わすれむしだは。くにはふり。ねにたつくもを。みつつしぬばせ。
 
我面の忘れん時はなり。之太は時と言ふ事に詠める例上に見ゆ。翁は忘れもし給はばなりと言はれつれど善からず。卷十一、面形の忘るとならばと言へるに同じく、逢はで年經たるさまなり。嶺の雲は面形に似る物ならねど、遠き境にては、雲のみ形見なれば然か言へり。クニハフリは雲の國に溢るるばかりひろごりたるを言ふ。ネニタツは巓ニ立ツなり。
 
3516 對馬能禰波。之多具毛安良南敷。可牟能禰爾。多奈婢久君毛乎。見都追思怒波毛。
つしまのねは。したぐもあらなふ。かむのねに。たなびくくもを。みつつしぬばも。
 
契沖云、シタグモは下雲なり。アラナフはアラナクなり。下に雲は無く、上の嶺にたな引く雲を見て偲ばんと詠めるなりと言へり。或人アラナフはアルナの意と言へり。翁の云、ハシタクモアラナフにて、ハシタクは細痛《クハシイタク》の略なり。クハシとは褒むる言にて、ハシキ妻など言ふも是れなり。痛は強く言ふ辭(79)のみ。アラナフは吾が行く對馬嶺の雲は心|愛《ウツ》くしとも有らぬと言ふなり。カムノネは下に足柄のみ坂を神の御坂、とも詠めれば是れならんか。是れは防人の別るる時、上の歌を妹が詠みしに答へたるならん。吾が行かん對馬の嶺の雲を見ては形見とも思はじ、唯だ東の神の嶺の雲を遠く見て偲ばんと言ふなり。筑紫より東の嶺の雲は見えざれど然か言ふが情なりと審《ツバ》らに言はれつれど、ハシタクと言ふ詞の例無し。さて具の濁音を書ければ、此説協へりとも覺えず。猶契沖が説に據るべし。怒、官本努に作り、波を一本婆に作る。共に用ふべし。
 參考 ○對馬能禰波(新)「能」衍 ○之多具毛安良南敷(代、古、新)略に同じ(古)「波之多久」ハシタクモアラナフ。
 
3517 思良久毛能。多要爾之伊毛乎。阿是西呂等。許己呂爾能里?。許己婆可那之家。
しらくもの。たえにしいもを。あぜせろと。こころにのりて。ここばかなしけ。
 
雲は必ず絶え絶えなれば枕詞とせり。アゼセロトは何トセムトテなり。ココバはココバクを略き言へり。家は伎に通はし言へり。
 參考 ○阿是西呂等(新)アセセロト「カ」。
 
3518 伊波能倍爾。伊賀可流久毛能。可努麻豆久。比等曾於多波布。伊射禰之賣刀良。
いはのへに。いがかるくもの。かぬまづく。ひとぞおたばふ。いざねしめとら。
 
(80)是れは三の句より下は落ち失せしならん。本末かけ合はず。可努麻豆久云云の句は、上の上野歌の伊香保呂にあまぐもいつぎと言へる歌の句にて、其歌は聞えたり。然れば此末の句ども亂れたる本に斯く有りしならんを、校合せし人よくも心得ざりし物なるべし。正しき本を待つのみ。
 
3519 奈我波伴爾。己良例安波由久。安乎久毛能。伊?來和伎母兒。安必見面由可武。
ながははに。こられあはゆく。あをぐもの。いでこわぎもこ。あひみてゆかむ。
 
コラレは嘖《コ》ラルルなり。アハユクは吾は行くなり。妹が許へ來たる男を、妹が母聞き附けて罵りければ、歸るとて詠めるなり。アヲ雲ノ、枕詞。イデコは端《ハシ》などへ暫《シバシ》出で來たれとなり。
 
3520 於毛可多能。和須禮牟之太波。於抱野呂爾。多奈婢久君母乎。見都追思努波牟。
おもがたの。わすれむしだは。おほのろに。たなびくくもを。みつつしぬばむ。
 
大野ロのロは助辭にて廣野を言ふ。是れは此上に阿我於毛乃云云とて出でたる歌の或本なるべし。されど彼れは我面を忘れん時は、雲を見て忍《シヌ》ばせと人に言ひ、是れは人の面を忘れん時は、我れ雲を見て偲ばんと言ふにて、意異なり。
 
3521 可良須等布。於保乎曾杼里能。麻左低爾毛。伎麻左奴伎美乎。許呂久等曾奈久。
からすとふ。おほをそどりの。まさでにも。きまさぬきみを。ころくとぞなく。
 
カラストフは鴉ト言フなり。乎曾は常言に宇曾《ウソ》と言ふに同じく、僞言ふ事ならん。からすと言ふ大僞鳥《オホヲソドリ》(81)と言ふ意なり。卷三、相見ては月もへなくに戀といはば乎曾呂《ヲソロ》とわれをおもほさむかもと言ふも、僞ぞと思さんかと言ふなり。兎《ウサギ》を乎佐伎《ヲサギ》、現《ウツツ》を乎都都《ヲツツ》と言ふが如し。於曾《オソ》の風流士《ミヤビヲ》、於曾や此きみなどは、鈍く心遲き事にて、假字も於曾なれば、是れとは別なり。マサデは直定なり。コロクは鴉のコロクコロクと鳴く事有るを、子等來《コラク》と聞きなして、君が來るやと待つに甲斐無ければ大僞鳥ぞと鴉を罵るなり。後に鶯の聲を人くと聞きなせるも此類ひなり。
 
3522 伎曾許曾波。兒呂等左宿之香。久毛能宇倍由。奈伎由久多豆乃。麻登保久於毛保由。
きぞこそは。ころとさねしか。くものうへゆ。なきゆくたづの。まどほくおもほゆ。
 
伎曾は昨夜。コロは子等なり。サは發語。雲の上より鳴き行く鶴の如くと言ふを籠めたり。マ遠クのマは眞なり。
 
3523 佐可故要?。阿倍乃田能毛爾。爲流多豆乃。等毛思吉伎美波。安須左倍母我毛。
さかこえて。あべのたのもに。ゐるたづの。ともしききみは。あすさへもがも。
 
駿河|内屋《ウツノヤ》の坂の東に阿部川有り。卷三、阿部の市道と詠めるは此河の東なり。上は序にて、群るるをば言はず、唯だ雌雄《メヲ》二つ居るをもて、乏しき譬として、さてたまたま來し男を、如何で斯く日並べて來ん由もがなと思ふなりと翁は言はれき。宣長云、乏シキはウラヤマシキなり。日毎來ぬ日無く來居る鶴を羨みて、わが男も毎日明日も來れかしと言ふなりと言へり。
 
(82)3524 麻乎其母能。布能未知可久?。安波奈敝波。於吉都麻可母能。奈氣伎曾安我須流。
まをごもの。ふのみちかくて。あはなへば。おきつまがもの。なげきぞあがする。
 
顯宗紀、耶賦能之摩麦k《ヤフノシバガキ》、後に十ふの菅ごもなど言へる、皆|結目《ユヒメ》編目《アミメ》を節《フシ》と言ふを略きて布と言へり。薦のふの繋きを近きと言へり。フノミのノミは、近きへ係《カカ》りて、薦のふの如く近きのみにて逢はぬと言ふなり。沖つ眞鴨は遙けき譬なり。近き物と遠き物を對へ言へり。翁は未は末の誤にて、間近クならんと言はれつれど、ノミと有る方|勝《マサ》れり。マヲゴモはマもヲも發語のみ。
 參考 ○布能未知可久底(考、新)フノ「末」マチカクテ(古)略に同じ。
 
3525 水久君野爾。可母能波抱能須。兒呂我宇倍爾。許等於呂波敝【敝ヲ敞ニ誤ル】而。伊麻太宿奈布母。
みくぐぬに。かものはほのす。ころがうへに。ことおろばへて。いまだねなふも。
 
武藏の秩父郡に水久具利と言ふ里有り、もし其所の沼を言ふか。ハホノスは鴨の羽ぶきの如くと言ふなり。池に群れて羽ぶきするは聞き驚かるる物なり。夫伎《フキ》の約|備《ヒ》なるを抱《ホ》に轉じたり。コトオロバヘは言驚《コトオドロ》バヘてなり。於は於杼《オド》の約なれば、驚くを於呂と言へり。波倍は付け言ひ、言を延ぶる詞。ネナフはネヌを延べ言ふ。モはカモの意。催馬樂に、あしがきまがきてふこすとおひこすととどろける此家の弟《オト》よめ親にまうよこしけらしも、と言へるが如く、男の忍び來んぞと聞きて、家こぞり轟き騷ぐと言ふなりと翁は言はれき。されど強《シヒ》ごとにや有らん。宣長云、ミクグヌのヌは野なり。ハホは匍《ハフ》なり。鴨は足短(83)くて陸行不便なるを匍ふと言ふなり。さて上二句は於呂の序なり。鴨のありくはおろかにて、匍ふが如くなる意なり。ウヘニはウハサニなり。唯だ噂に言のみ寢んと言ひて、未だ寢ぬとなり。オロはオロソカニの意なりと言へり。卷九長歌に辭緒不延と有るも、コトノヲハヘズと訓めり。こことは意異なれども詞相似たり。
 參考 ○許等於呂波敝而(新)コト「乎」ヲロハヘテ。
 
3526 奴麻布多都。可欲波等里我栖。安我己許呂。布多由久奈母等。奈與母波里曾禰。
ぬまふたつ。かよはとりがす。あがこころ。ふたゆくなもと。なよもはりそね。
 
沼二つへ通ふ水鳥の栖みかなり。さて鳥が栖《スミカ》の如くと心得べし。末は我心を二方に通はすらんと思ふ事なかれと言ふなり。卷四にあふよあはぬよふたゆく、同、うつせみの世やも二行など言ふも、轉りては同じ意に落つめり。ユク奈母は行クラムなり。奈與モハリソネは勿《ナ》思ヒソなり。モハリはオモヒのオを略き、ヒを延べたり。ネは辭。此奈與は汝ヨと言ふ事ともすべけれど、勿《ナ》思ひそと言ふ類ひの勿《ナ》を略きて、曾とのみ言ふ例無ければ、汝ヨとするは惡ろし。
 參考 ○可欲波等里我栖(新)カヨハトリ「能」ノス ○奈與母波里曾禰(代、考)略に同じ(古、新)ナ「於」オモハリソネ。
 
3527 於吉爾須毛。乎加母乃母己呂。也左可杼利。伊伎豆久|久〔□で囲む〕【久ハ衍】伊毛乎。於伎?伎努可母。
(84)おきにすも。をかものもころ。やさかどり。いきづくいもを。おきてきぬかも。
 
沼にても遠く深き所を澳《オキ》と言ふ。スモは須牟なり。乎は小、母古呂は如クと言ふ言。ヤサカドリは八十量《ヤソハカリ》の長息つく鳥と言ふなり。其ヤサカ鳥と言へるはニホ鳥なるべし。有るが中に久しく水底にかづき入りて居る鳥なればなり。さてヤサカ鳥は唯だ息づくの枕詞にて、歌の意に關《カカハ》らず。古歌には此類ひ有り。をみなへし咲野のはぎなどの如し。小鴨の如くなるやさか鳥と言ふ意には有らず。二の句より四の句へ續けて心得べし。防人の別れなるべし。一の久は衍文なり。
 參考 ○也左可杼利(新)ヤサカ「麻」マリ。
 
3528 水都等利乃。多多武與曾比爾。伊母能良爾。毛乃伊波受伎爾?。於毛比可禰都毛。
みづとりの。たたむよそひに。いものらに。ものいはずきにて。おもひかねつも。
 
水鳥ノ、枕詞。ヨソヒは、萬づに渡りて言ふ。能は妹ナネなど言ふに同じく貴む言なり。此末の詞は上にも下にも有り。
 
3529 等夜乃野爾。乎佐藝禰良波里。乎佐乎左毛。禰奈敝古由惠爾。波伴爾許呂波要。
とやのぬに。をさぎねらはり。をさをさも。ねなへこゆゑに。ははにころはえ。
 
上はヲサヲサと言はん爲めの序なり。鷹を合はせんとて、柴などをさして窺ひ居る所を、田舍にて鳥屋《トヤ》と言ふ。それを轉じて獣とる爲めにするをも然か言ふか。且つさる業《ワザ》する所を即ち鳥屋ノ野とも言ふべ(85)し。又和名抄、下總印幡郡|鳥矢《トヤ》郷有り、其處か。ヲサギネラハリは、兎ネラヒなり。ヲサヲサは何にても專らなる樣の事に言へり。物語ぶみに多く有るも同じ意なり。末は專ら相寢し事も無き妹ながら、其母に嘖《コ》られしとなり。要は禮と通じ用ふ。是れも右になが母に己良例わは行と言ふ如く、母が罵るを聞きて、徒《イタヅラ》に歸る道にて詠めるなるべし。
 
3530 左乎思鹿能。布須也久草無良。見要受等母。兒呂我可奈門欲。由可久之要思母。
さをしかの。ふすやくさむら。みえずとも。ころがかなどよ。ゆかくしえしも。
 
上は譬なり。よし妹は見えずとも、その門邊を行けば、下心好しと言へり。可奈|門《ド》、既に言へり。ユカクはユクを延べ言ふ。家は我の誤なるべし。
 
3531 伊母乎許曾。安比美爾許思可。麻欲婢吉能。與許夜麻敝呂能。思之奈須於母敝流。
いもをこそ。あひみにこしか。まよびきの。よこやまべろの。ししなすおもへる。
 
マヨビキノ、枕詞。妹が家の母など、忍び男をば山田の鹿の如く思へると言へり。上に小山田のしし田守ごと母がもらすも、とも詠めり。横山ベロのベは方《ベ》にて、ロは助辭なり。此横山は地名には有らず。
 參考 ○思之奈須於母敝流(新)シシナス「麻」マモ「禮」レル。
 
3532 波流能野爾。久佐波牟古麻能。久知夜麻受。安乎思努布良武。伊敝乃兒呂波母。
はるのぬに。くさはむこまの。くちやまず。あをしぬぶらむ。いへのころはも。
 
(86)駒の若草|食《ハ》むが小止《ヲヤミ》無きをもて譬とす。妹が今は待ちわびて、頻りに我が上を言ふらんと防人の詠めるならん。
 
3533 比登乃兒乃。可奈思家之太波。波麻渚杼里。安奈由牟古麻能。乎之家口母奈思。
ひとのこの。かなしけしだは。はますどり。あなゆむこまの。をしけくもなし。
 
カナシケシダはは、カナシク思フ時ハなり。ハマス鳥、枕詞。アナユムは足惱ムなり。上の鴨のはほのすと言へる如く、水鳥は陸行不便にて、足惱む如く見ゆる物なれば譬とせり。さて妹をかなしく思ふ時は、馬の足の勞れをも厭はず通ひ來と言ふなりと宣長が言へるぞ善き。
 
3534 安可胡麻我。可度?乎思都都。伊?可天爾。世之乎見多?思。伊敝能兒良波母。
あかごまが。かどてをしつつ。いでがてに。せしをみたてし。いへのこらはも。
 
上二句は馬の馬屋の戸口を出でんとすれどもえ出でぬ意にて、出デガテと言はん爲めの序なり。見タテは今も旅立つ時に言ふ言にて、見つつ立たしむるなり。さて其時妹が愁ひしさまを思ひ出でて歎くなり。
 
3535 於能我乎遠。於保爾奈於毛此曾。爾波爾多知。惠麻須我河良爾。古麻爾安布毛能乎。
おのがをを。おほになおもひそ。にはにたち。ゑますがからに。こまにあふものを。
 
於能は妹が自《ミヅカ》ら己《オノレ》と言ふなり。乎は即ち夫を言ふ。オホニナオモヒソは、馬の心にもおほろかに思ふ事なかれと教ふるなり。ニハニタチ云云は、男の早く到りて悦ぶなり。乘り來し夫の悦び笑むからに、馬(87)をも褒めて宜しく飼ひなどすれば、いつも我が夫《セ》をおろそかに思はずて、急ぎ來たれと言ふならん。安布とは馬に饗《アヘ》するを言ふと聞ゆ。布、倍、音通へばなり。
 參考 ○古麻爾安布毛能乎(新)コ「呂」ロニアフモノヲ。
 
3536 安加胡麻乎。宇知?左乎妣吉。己許呂妣吉。伊可奈流勢奈可。和我理許武等伊布。
あかごまを。うちてさをびき。こころびき。いかなるせなか。わがりこむといふ。
 
サヲ引キのサは發語にて、ヲビキは俗言に、ヲビキ出スなど言ふに同じ言なるべし。馬を打ちて引き出だし或は引き止《トド》めするを、心を引き見るに譬ふ。弓に引きみゆるべみなど云ふに等し。さまざまと吾を試み弄びて後、我が許へ來んと言ふは、いかばかりの心もたる男にやと女のふづくめるさま見ゆと翁言はれき。宣長云、サヲビキは緒牽《ヲビキ》にて、馬の綱を引くなり。さて上二句は、心ビキのヒキを言はん序のみなり。ワガリコムと言ふは、唯だ我が心を引き見ん爲めのみにこそ有らめ、さる事言ふは如何なる男ぞと言ふなりと言へり。猶考ふべし。
 
3537 久敝【敝ヲ敞ニ誤ル】胡之爾。武藝波武古|宇〔□で囲む〕【宇ハ衍】馬能。波都波都爾。安比見之兒良之。安夜爾可奈思母。
くべごしに。むぎはむこまの。はつはつに。あひみしこらし。あやにかなしも。
 
クベは馬塞《ウマセ》の籬なり。上に此一二句同じくて、三句より下異なる有り、其所に言へり。籬《カキ》の外の麥を頭さし延べて咋《ハム》に、口の些《イササ》かに屆《トド》くを言ふ。宇は衍字にて、古馬なるべし。ハツハツは、集中に小端とも(88)書きて、端と端の纔かに屆くを言へば、いと些《イササ》かなる事に取れり。
 參考 ○武藝波武古宇馬能(代)コウマ(考、古、新)略に同じ。
 
或本歌曰。宇麻勢胡之《ウマセゴシ》。牟伎佗波武古麻能。波都波都爾。仁|必波太布禮思《ヒハダフレシ》。古呂之《コロシ》可奈思母。
 
此ウマセもクベに同じ。ニヒハダは新膚なり。
 
3538 比呂波之乎。宇馬古思我禰?。己許呂能未。伊母我理夜里?。和波己許爾思天。
ひろばしを。うまこしがねて。こころのみ。いもがりやりて。わはここにして。
 
此ヒロバシくさぐさ説有り。先づ翁の説、廣橋ならば渡り難からじ、然れば呂は良の意にて、一枚《ヒトヒラ》の打橋を言ふべしと言はれき。契沖は、廣さ一尋ばかりの橋を云ふべしと言へり。宣長は、此橋は間を置きて石を並べたる石《イハ》橋にて、其間間の廣きを言ふなるべし。さて妹ガリヤリテの?は、豆の誤にて、ヤリツならんと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○比呂波之乎(新)ヒロ「湍」セロヲ ○伊母我理夜里?(新)イモガリヤリ「追」ツ。
 
或本歌發句曰。乎波夜之爾《ヲバヤシニ》。古麻乎波左佐氣《コマヲハササゲ》。
 
山に小木茂き中へ馬のきれ走《ハセ》上りて、急げどもせん方無く在る程の心なり。ハササゲは走ラセアゲを約めたるなり。
 
3539 安受乃宇敝爾。古馬乎都奈伎?。安夜抱可等。比登麻都古呂乎。伊吉爾和我須流。
(89)あずのうへに。こまをつなぎて。あやほかど。ひとまつころを。いきにわがする。
 
アズは間塞《アゼ》とて、田毎の間の隔てを言ふと翁は言はれき。道麻呂云、字鏡に※[土+丹]、崩岸也。久豆禮、又阿須、と有る是れなり。俗に言ふ崖《ガケ》の危き所なりと言へり、是れなるべし。アヤホカドは危く有れどもなり。次下にアヤハドモと有ると同じ。都麻は麻都の下上になりたるなり。此下に比登豆麻古呂と詠めり。他妻子等《ヒトヅマコラ》なり。イキは命なり。然ればイキノヲと言ふに同じく、命懸けたる思ひなり。
 參考 ○比登麻都(古,新)ヒト「都麻」ツマ ○伊吉爾和我須流(新)イキニ「曾」ゾワガスル。
 
3540 左和多里能。手兒爾伊由伎安比。安可故麻我。安我伎乎波夜美。許等登波受伎奴。
さわたりの。てごにいゆきあひ。あかごまが。あがきをはやみ。こととはずきぬ。
 
サワタリは所の名なり。駿河にも此名有り。思ふ妹にたまたま行き逢ひしになり。手兒は既に出づ。アガキは足掻なり。
 
3541 安受倍可良。古麻乃由胡能須。安也波刀文。比登豆麻古呂乎。麻由可西良布母。
あずべから。こまのゆこのす。あやはども。ひとづまころを。まゆかせらふも。
 
右の安受ノウヘニの歌の或本か。同歌の聊か違へるのみなり。アズベのベは方《ベ》にて、カラは自《ヨリ》なり。ユコノスはユクナスにて、行ク如クの意なり。アヤハドモはアヤフクアレドモなり。マユカセラフモのマは發語にて、ユカシクセルと言ふなるべし。
(90) 參考 ○麻由可西良布母(新)「伊企耳四毛布母」などか。
 
3542 佐射禮伊思爾。古馬乎波佐世?。己許呂伊多美。安我毛布伊毛我。伊敝乃安多里可聞。
さざれいしに。こまをはさせて。こころいたみ。あがもふいもが。いへのあたりかも。
 
ハサセテは走ラセテなり。石踏ム道は馬の足のあやめば、乘る人心痛く思ふを譬へたり。卷四、さほ川のさざれふみわたりぬば玉のこまのくる夜はとしにもあらぬか。
 
3543 武路我夜乃。都留能都追美乃。那利奴賀爾。古呂波伊敝杼母。伊末太年那久爾。
むろがやの。つるのつつみの。なりぬがに。ころはいへども。いまだねなくに。
 
重之家集に、陸奧にこづるの池の堤と言ふ有り。その頃の歌に、むろのやしまとも詠みしかば、是れは陸奧に有る地ならん。東にては沼池などを夜《ヤ》と言へり。後に室の八島は下野とすれど、必ずとも定め難し。此歌に據れば陸奧か。此頃此堤を成し終りけんを、戀の成るに寄せたるなり。凡成りぬると言へど、まだ寢も見ぬと言ふなりと翁は言はれつれど、此處を室の八島とせんは強言《シヒゴト》なるべし。契沖は甲斐に都留郡有り、ツル堤は其處などかと言へり。猶考ふべし。ガニの詞は既に多く出づ。
 
3544 阿須可河泊。之多爾其禮留乎。之良受思天。勢奈那登布多理。左宿而久也思母。
あすかがは。したにごれるを。しらずして。せななとふたり。さねてくやしも。
 
アスカガハは、大和の外には聞えず。若し此の可は太の誤にて、アスタ川かと翁言はれき。更級日記古(91)本に、むさしと下つふさのあはひなるあすだ川と言へるを思はれしなり。されどここに二首阿須可川と詠みたれば、東にも大和と同名の川有りしなるべし。シタ濁ルとは男の心の誠ならぬを言ふ。セは夫にて、ナナは妹名禰などのナネの詞に同じ。六帖、とね河は底はにごりて上すみて有けるものをさねてくやしき。
 參考 ○勢奈那登布多理(新)セナナトフタ「理」ヨ。
 
3545 安須可河泊。世久登之里世波。安麻多欲母。爲禰?己麻思乎。世久得四里世波。
あすかがは。せくとしりせば。あまたよも。ゐねてこましを。せくとしりせば。
 
斯く親などの塞《セ》き止むると知りて有らばなり。ヰネテコマシは率《ヒキ》ゐ寢て來らんものをなり。
 
3546 安乎楊木能。波良路可波刀爾。奈乎麻都等。西美度波久末受。多知度奈良須母。
あをやぎの。はらろかはとに。なをまつと。せみどはくまず。たちどならすも。
 
柳の芽の張る川|門《ト》なり。セミドは清水なり。シミヅはスミ水なり。タチドナラスモは、水をば汲まず。汝を待つとて立ちて土のみ蹈みならして望みをるを言ふ。立チドのドはトコロの略言なり。
 
3547 阿知之須牟。須沙能伊利江乃。許母理沼乃。安奈伊伎豆加思。美受比佐爾指天。
あぢのすむ。すさのいりえの。こもりぬの。あないきづかし。みずひさにして。
 
味鳧の栖むなり。スサノ入江、攝津に有りて、後に歌に詠みたれど、是れは東國に有る地名なるべし。(92)上句は、いぶせき譬なり。母がかふこのまゆごもり、と言ふに心は同じ。元暦本知を遲に作る。
 
3548 奈流世呂爾。木都能余須奈須。伊等能伎提。可奈思家世呂爾。比等左敝余須母。
なるせろに。こづのよすなす。いとのきて。かなしけせろに。ひとさへよすも。
 
鳴瀬なり。ロは助辭。コヅはコヅミなり。其木屑の流れ寄る如く、多くの人の言ひ寄するに譬ふ。イトノキテは上に出づ。
 參考 ○木都能余須奈須(古一説、新)コツ「彌」ミヨスナス。
 
3549 多由比我多。志保彌知和多流。伊豆由可母。加奈之伎世呂我。和賀利可欲波牟。
たゆひがた。しほみちわたる。いづゆかも。かなしきせろが。わがりかよはむ。
 
タユヒガタ、越前に有る地名なり。東にも有るなるべし。イヅユカモは何所從歟《イヅクヨリカ》なり。モは詞。ワガリは吾許なり。
 參考 ○伊豆由可母(新)イヅ「久」クユカモ、又はイツクユカにて母は衍か。
 
3550 於志?伊奈等。伊禰波都可禰杼。奈美乃保能。伊多夫良思毛與。伎曾比登里宿而。
おしていなと。いねはつかねど。なみのほの。いたぶらしもよ。きぞひとりねて。
 
此《コ》はいと心得難き歌なり。翁試みに言はれしは、初句、強《シ》ひて否と言ひてなり。さて稻つきなど荒事《アラワザ》すれば、身もとどろきて、熟寢《ウマイ》し難きに譬へて、さる業《ワザ》せねど、昨夜たまたま夫子《セコ》と寢ざれば寢ね難かりし(93)と言ふか。是れも賤女が事を假りて言ふならん事上に言へるが如し。イネツクは籾を杵もて臼に舂きて米とするを言ふ。ナミノホノは神代紀に、浪穗と言へるに同じく、高浪の事なり。イタブラシモヨは、卷十一、甚振浪《イタフルナミ》と言へるに等しく、イタはイタクなり。卷十七にも、伊多《イタ》もすべなみと言へり。さて浪の振動を心の動くに寄すと言はれき。猶考ふべし。
 參考 ○於志?伊奈等(新)オ「吉」キテイ「末」マト。
 
3551 阿遲加麻能。可多爾左久奈美。比良湍爾母。比毛登久毛能可。加奈思家乎於吉?。
あぢかまの。かたにさくなみ。ひらせにも。ひもとくものか。かなしけをおきて。
 
アヂカマは卷三にも此下にも詠めり。讃岐なりと言へり。さて浪は神代紀、秀起浪穗《サキタテルナミホ》、卷六、白浪の伊開廻《イサキメグ》れると詠める如く、立つ波を言ふ。ヒラセは所廣くさざ浪のみして平らけきを言ふべし。是れはさき立つ浪を吾が專ら思ふ男に譬へ、平瀬をば押並《オシナ》べたる男に譬へて、思ふ男をおきて、おほよそ人に紐解くものかはと女の言ふなり。
 參考 ○比良湍爾母(新)ヒラセニ「波」ハ。
 
3552 麻都我宇良爾。佐和惠宇良太知。麻比等其等。於毛抱須奈母呂。和賀母抱乃須毛。
まつがうらに。さわゑうらだち。まひとごと。おもほすなもろ。わがもほのすも。
 
此歌いと解き難し。先づ翁の説は、マツガウラは其男女の住む所を言ふ。佐和惠は騷ぎにて、里人は言(94)痛く、家の内には占問などして、ことごとしく騷ぐを言へり。此下に曾和敝可毛加米《ソワヘカモカメ》におほせむとも詠みて、此曾和は佐和に同じく騷ぐ意にて、惠は辭なり。マヒトゴトの眞は發語にて、人言なり。オモホスナモロのモロは助辭にて、斯く言ひ騷ぎ占問《ウラドヒ》などするとも、其れを思ふ事なかれ、吾が思ふ心の如くと言ふなり。抱は布に通ひ、乃は奈に通へりと言はれき。宣長云、此歌三の句より下はよく聞えたり。上二句心得難し。下は人言の言ひ騷ぐ事を我が佗びしく思ふ如く、君もさぞ佗びしく思ほすらんと女の詠めるなり。四の句ナモはラムなり。東歌にラムをナムと言へる例多し。結句は吾が思ふ如くなりと言へり。契沖は佐和惠は佐波敝なるを訛れり。サハヘは五月蠅なり。ウラダチはムラダチなり。松ガ浦のウラを受けて、ウラダチと續くるのみならず、松の浦に立つ浪の如く、むら立ちさはへなす人言と言ふ心なり。松が浦に五月蠅のむら立つと言ふには有らずと言へり。是れは甚《イタ》く強言《シヒコト》なり、取るべからず。されどかたがた擧げて善き考へを待つのみ。
 參考 ○佐和惠宇良太知(古ノ一説、新)サワエ「牟」ムラダチ ○麻比等其等(新)マヒトゴトト「等」の下「々」脱か。
 
3553 安治可麻能。可家能水奈刀爾。伊流思保乃。許?多受久毛可。伊里氏禰麻久母。
あぢかまの。かけのみなとに。いるしほの。こてたすくもか。いりてねましを。
 
湊にさし入る潮の響《ヒビキ》を人言の騷ぐに譬ふ。上に潮左爲《シホサヰ》とも言へり。許?多愛の受は家の誤か。然らばコ(95)テタケクモカと訓むべし。妹が夜床に入りて寢んに、さらば人言の痛けくも有らんかと危む意なるべしと翁言はれき。宣長云、上の句は入りての序なり。入潮の入りてと續けり。四の句久は之《シ》の誤にて、コテタスシモガなり。コチタカラズシモガナと言ふ意なり。妹が床に入りて寐んに、人言のこちたからずもがななりと言へり。斯くても然るべし。元暦本禰を許に作る。コマクは來ラマクなり。
 參考 ○許?多受久毛可(考、古)コテタ「氣」ケクモカ(新)コテ「夜」ヤスクモカ。
 
3554 伊毛我奴流。等許乃安多理爾。伊波具久留。水都爾母我毛與。伊里?禰末久母。
いもがぬる。とこのあたりに。いはぐくる。みづにもがもよ。いりてねまくも。
 
潜《クグ》るを古く清音に唱へたりと見ゆ。されば岩ぐくると上より言ひ下す故に、上を濁れり。具久は久具の下上に成れるなりと思ふは却りて非なり。谷具久など同じ例なり。
 
3555 麻久良我乃。許我能和多利乃。可良加治乃。於登太可思母奈。宿莫敝兒由惠爾。
まくらがの。こがのわたりの。からかぢの。おとたかしもよ。ねなへこゆゑに。
 
マクラガノコガ、既に出づ。加治、加伊は其もと同物同言なるを、ここに可良加治と言ふを思へば、我朝にては一木して作る加伊《カイ》のみ有りしに、手束《タヅカ》に他木を添へて、今艪と言ふ物、後に唐國《カラクニ》より來りし故に此名有るならん。さてかぢの音を人言に譬へ、末は寢もせぬ妹なるものをとなり。
 
3556 思保夫禰能。於可禮婆可奈之。左宿都禮婆。比等其等思氣志。那乎杼可母思武。
(96)しほぶねの。おかればかなし。さねつれば。ひとごとしげし。なをどかもしむ。
 
上にしほぶねの並べてと言へるは、湊又は磯などへ寄せ並べて有るを言ふなれば、ここも留《トド》めて潮待ちする船を言ふべし。さて時有りて浮き去るをもて浮く事に冠らせたり。於と宇と通ひて浮カレバなり。續紀宣命に、宇牟加志《ウムカシ》とも於牟加志《オムカシ》とも言へるが如し。さて浮かれつつよそにして在れば悲し、さりとて寢つれば人言繁しなりと翁言はれき。宣長云、オカレバは置《オケ》ればなり。女を率寢《ヰネ》ずして置ければなり。船には置くと言ふ事似つかはしからねど、乘らずして浦に徒らに置きて在る舟を見て、それによそへて詠めるなるべし。浮かればは歌の意に疎《ウト》し。さてナヲドカモシムは、汝《ナ》ヲ何《アド》カモセムにて、アを略けるなりと言へり。
 
3557 奈夜麻思家。比登都麻可母與。許具布禰能。和須禮婆勢奈那。伊夜母比麻須爾。
なやましけ。ひとづまかもよ。こぐふねの。わすれはせなな。いやもひますに。
 
ナヤマシケのケはキに通ふ。?《コ》ぐ舟の忘れと續く由無きを思ふに、次の歌は人妻の舟にて遠く行くをりの歌、是れは忍ぶ男のおくれゐて歎く心を言ふなるべし。さて人妻は別るる時にも言も問ひ難く、わづらはしきものかなと言ふなり。忘レハセナナは、忘レモセネカシと願ふ詞にて、?ぎ行く舟の事を忘れん由もがな、徒らに斯く思ひ増すにと言へるなるべしと翁言はれき。宣長云、コグブネノはなやましき譬なり。上に、わが目妻人はさくれどあさがほのと詠める句法なり。浪の上をいゆきさぐくみなど言へ(97)る如く、舟を?ぎ行く事のなやましき由なり。四の句はワスレハセズナにて、忘れぬ意なりと言へり。忘れもせねかしの意とする時は、ワスレハの、ハの言に叶はざれば、忘れぬ意とせん方|勝《マサ》るべし。
 參考 ○伊夜母比麻須爾(新)イヤモヒマス「毛」モ。
 
3558 安波受之?。由加婆乎思家牟。麻久良我能。許賀己具布禰爾。伎美毛安波奴可毛。
あはずして。ゆかばをしけむ。まくらがの。こがこぐふねに。きみもあはぬかも。
 
アハヌカモはアヘカシと乞ふを斯く言ふ例なり。女の船にて別れ行く事有る時、其女に逢ふ男に言ひやれるなるべし。
 
3559 於保夫禰乎。倍由毛登毛由毛。可多米提之。許曾能左刀妣等。阿良波左米可母。
おほぶねを。へゆもともゆも。かためてし。こそのさとびと。あらはさめかも。
 
船は艫舳の堅《カタ》めを專らとして作るを、事を知るべき里人にいとよく口固めしに譬ふと翁言はれき。宣長は、由毛と言へるを思ふに、泊れる舟を綱にて繋ぎ固むるなるべしと言へり。許曾は地の名なるべし。もし曾は賀の誤にて、コガにや、此カモはカハの意なり。
 參考 ○許曾能左刀妣等云云(新)「許」は「呼」の誤にて上に附け「等」の下「能」の脱としカタメテシ、ソノサトビトノとす。
 
3560 麻可禰布久。爾布能麻曾保乃。伊呂爾低?。伊波奈久能未曾。安我古布良久波。
(98)まがねふく。にふのまそほの。いろにでて。いはなくのみぞ。あがこふらくは。
 
眞金は銕を言ふ。吉備中山には古へも今も銕を出だす故に、まがねふく吉備と言へるが如し。丹生は和名抄、上野甘樂郡丹生郷有り、此處にや。かの丹生にても、古へ銕をふきしか。爾布は本|赭士《ソホニ》の有る故に所の名と成りしならん。其丹土の色に出づるをもて、思ひを顯はすに譬ふ。末は吾が戀ふる心は言に言はぬのみぞと言ふなり。
 
3561 可奈刀田乎。安良我伎麻由美。比賀刀禮婆。阿米乎萬刀能須。伎美乎等麻刀母。
かなとだを。あらかきまゆみ。ひかとれば。あめをまとのす。きみをらまとも。
 
カナトは上に出づ。則ち門田にて、家の門の前なる田を言ふ。アラガキマユミは荒木の弓なり。初句の田よりアラガキと續け、其アラガキを荒木の弓に言ひなして、弓と言ふより引くと三の句へ續けしなり。されど是れは初より四句まで田の事なる中に、弓の言を交へ言ふは古意ならねば、由美は可幾《カキ》の字などの誤れるならんか。田は春より馬鍬もて掻きならすを荒ガキと言ひ、次に苗を植うる時するを、コナガキとも眞掻《マガキ》とも言へり。さて斯く平《ナラ》し調へし時、旱《ヒデリ》すれば、植ゑ難くて、頻りに雨を待つものなれば、其をもて序とせしなるべし。比賀刀禮バは日之照《ヒガテ》レバなり。アメヲ萬刀能須は雨ヲ待如《マツナス》なり。キミヲラマトモは君ヲ待《マツ》モなり。上の刀《ト》は?《テ》を通はし、下二つの刀《ト》は都《ツ》を通はしたり。等《ラ》は助辭なりと翁の説なり。大平が云、マユミはマユムとはたらく言にて、マユムは地の干《ヒ》割るる事と聞ゆ。さればマユミは地(99)の干《ヒ》割れてと言ふ事なり。然か言ふ故は、今伊勢の國人など、夏の旱《ヒデリ》に畑つ物の枯るるをマフと言ふ。是れ旱の時に限りて言ふ言なれば、マフはマユムにて、地の干割るるより出でたる言なるべし。又ヨメワルルと言ふ言も有り。是れもヨメとユミと同音なるべしと言へり。猶よく考ふべし。
 參考 ○安良我伎麻由美(考)「由美」は「加幾」か(古、新)アラガキマユミ ○伎美乎等(古)キミヲト ○(新)「等」は「良」か。
 
3562 安里蘇夜爾。於布流多麻母乃。宇知奈婢伎。比登里夜宿良牟。安乎麻知可禰?。
ありそやに。おふるたまもの。うちなびき。ひとりやねらむ。あをまちかねて。
 
夜は麻の誤にて荒磯囘《アリソマ》なるべし。宣長は、夜は沼《ヌ》の誤か、アリソマニは必ず末と書きて、麻と書ける所無しと言へり。玉藻の如く身をなよよかにして寢《ヌ》るらんと言ふなり。
 參考 ○安里蘇夜爾(考)アリソ「麻」マニ(古)アリソ「敝」ヘニ(新)アリソ「美」ミニ。
 
3563 比多我多能。伊蘇乃和可米乃。多知美多要。和乎可麻都那毛。伎曾毛己余必母。
ひたがたの。いそのわかめの。たちみだえ。わをかまつなも。きぞもこよひも。
 
ヒタガタは地名なり。卷十二、斐太の細江と詠める所にや。ワカメは和名抄、海藻|邇木米《ニキメ》俗用2和布1と有るなるべし。其わかめの磯波のままに亂れ靡くに、妹が思ひ亂るるを添へたり、多知は辭。美多要は亂れなり。マツナモはマツラムなり。奈と良を通はし言ふ事東歌に多し。
 
(100)3564 古須氣呂乃。宇良布久可是能。安騰須酒香可。奈之家兒呂乎。於毛比須吾左牟。
こすげろの。うらふくかぜの。あどすすか。かなしけこらを。おもひすごさむ。
 
武藏と下總のあはひの葛飾郡に小菅と言ふ所今有りて、今は里中なれど此邊り古へ隅田川と言ひし邊《アタ》りにて、古く河にも浦を言へれば、此處を言ふならん。アドススカは、何ト爲《ス》トカと言ふなり。梓弓末に玉まきかくすすぞと言へるに同じ。さて浦吹風ノと言ふより是の句へ懸かれり。風は吹き過ぐる物なるに由りて、何とせばか、風の過ぐる如く、妹が事を思ひ過ぐさんやと、思ひの遣る方無きままに言ふなり。
 
3565 可能古呂等。宿受屋奈里奈牟。波太須酒伎。宇良野乃夜麻爾。都久可多與留母。
かのころと。ねずやなりなむ。はだすすき。うらぬのやまに。つくかたよるも。
 
彼《カノ》は思ふ妹を指す。古呂は兒等なり。ハダススキ、枕詞。ススキの末《ウラ》と續けるなるべし。ウラ野ノ山は地名ならん。ツクカタヨルモは月|片倚《カタヨル》なり。男の妹が許へ來て入るべき事を待ち伺ふ程に、夜更け月|傾《カタブ》けば、斯くて遂に寢ずや有らんと歎けり。
 參考 ○宿受屋(新)「屋」を「夜」とす。
 
3566 和伎毛古爾。安我古非思奈婆。曾和敝【敝ヲ敞ニ誤ル】可毛。加米爾於保世牟。己許呂思良受?。
わぎもこに。あがこひしなば。そわへかも。かめにおほせむ。こころしらずて。
 
(101)翁説、敝、一本惠に作るを善しとす。ソワヱは上の佐和惠と同じ詞と見ゆればなり。ここの意は、家はもとより里人もくさぐさ言ひ騷ぎ立ちて、遂には神の祟《タタリ》ぞと言ひなさん、戀ふる心をば人は知らずしてと言へりと言はれき。されど穩かならず。加米、一本加未と有り、何れか是ならん。此歌解き難し。猶考ふべし。
 參等 ○曾和敝河毛(考)ソワ「惠」ヱカモ(古、新〕ソ「故遠」コヲカモ ○加米爾(古)カ「未」ミニ(新)略に同じ。
 
防人歌
 
3567 於伎?伊可婆。伊毛婆摩可奈之。母知?由久。安都佐能由美乃。由都可爾母我毛。
おきていかば。いもはまがなし。もちてゆく。あづさのゆみの。ゆづかにもがも。
 
妹を捨て置きて行くは眞悲し、弓束にも有れかし、携へ行かんをとなり。
 
3568 於久禮爲?。古非波久流思母。安佐我里能。伎美我由美爾母。奈良麻思物能乎。
おくれゐて。こひばくるしも。あさがりの。きみがゆみにも。ならましものを。
 
防人の妻の右に答へし歌なり。朝獵は唯だ弓を言はん爲めのみにて、有り馴れし事もて言へるなり。
 
右二首間答。
 
(102)3569 佐伎母理爾。多知之安佐氣乃。可奈刀低爾。手婆奈禮乎思美。奈吉思兒良婆母。
さきもりに。たちしあさけの。かなとでに。たばなれをしみ。なきしこらはも。
 
カナトデは門出なり。タバナレは手離れなり。
 
3570 安之能葉爾。由布宜利多知?。可母我鳴乃。左牟伎由布敝思。奈乎波思奴波牟。
あしのはに。ゆふぎりたちて。かもがねの。さむきゆふべし。なをばしぬばむ。
 
肌寒き海路などにては殊に戀ひ慕ふべし。ナヲバは汝をばなり。東にも斯かる美はしき歌詠む人も有りけり。
 
3571 於能豆麻乎。比登乃左刀爾於吉。於保保思久。見都都曾伎奴流。許能美知乃安比太。
おのづまを。ひとのさとにおき。おほほしく。みつつぞきぬる。このみちのあひだ。
 
己が妻を隱して他の里に置きし故、覺束無くて、長長しき道の間をかへり見しつつ來しとなり。旅に日を經て後に詠めるなり。
 
譬喩歌
 
3572 安杼毛敝可。阿自久麻夜末乃。由豆流波乃。布敷麻留等伎爾。可是布可受可母。
あどもへか。あじくまやまの。ゆづるはの。ふふまるときに。かぜふかずかも。
 
(103)アドモヘカは何ゾと言ふなり。思ふは添へたる詞。アジクマ山、知られず、陸奧の阿武久麻に似たる名なり。フフマルは卷廿の東歌に、ちはのぬのこのてがしはの保保麻例等《ホホマレド》と言へるに言は同じくて、かれは妹が懷に含まるなり。ここは此若葉の開けざるを、戀の未だしき程に取り言へり。風吹カズカモは、まだしき程には吹かずして、今と成りて吹き騷ぐは何《ナ》でふ事ぞやと言ふなり。古事記(神武條)大后の御譬歌に、宇泥備夜麻《ウネビヤマ》、許能波佐夜藝奴《コノハサヤギヌ》。加是布加牟登須《カゼフカムトス》。
 
3573 安之比奇能。夜麻可都良加氣。麻之波爾母。衣我多伎可氣乎。於吉夜可良佐武。
あしびきの。やまかつらかげ。ましばにも。えがたきかげを。おきやからさむ。
 
卷十九、足引の山下日かげかづらけると言ふに同じく、日蔭蔓なり。然るを日を略きてカゲとのみ言へるは、卷十三、うずの山影(山を今玉に誤る)と言へるが如し。又是れを山かづらとのみも言ふは、古今六帖に、三室の山の山かづらせむ、古今集に、あなしの山の山人と人も見るかに山かづらせよ、と有る是れなり。マシバニモは上にも出づ、しばしばも得難き日蔭かづらをと言ふなり。オキヤカラサムは、奧山の老松などにのみ生ふる物なれば、たやすくは得難きを、徒らに置き枯すは、世に惜むべき事なるに譬へて、又も得難かるべき妹を、逢ふ由無くて徒らに戀ふるを言へり。マシハの詞は、上のおふしもとこのもとやまのましはにも、と言ふ歌に、宣長が説を擧げ言へり。其説に據らば波を清みて唱ふべきなり。猶考ふべし。
 
(104)3574 乎佐刀奈流。波奈多知波奈乎。比伎余知?。乎良無登須禮杼。宇良和可美許曾。
をさとなる。はなたちばなを。ひきよぢて。をらむとすれど。うらわかみかも。(○こそノ誤カ)
 
ヲサトは所の名なるべし。卷十九に、天地にたらしてらしてわがおほきみしきませばかもたのしき小里《ヲサト》と詠めるは、住める所をへりくだりて言ふと聞ゆれば、ここも地名には有らずして、吾が住む里を言ふか、又泊瀬小國などの小にて、唯だ添へたるか。卷八、わが宿の花橘のいつしかも玉に貫べくそのみなりなん、卷四、うら若み花咲がたき梅を植て人言繁み思ひぞわがする、など言へる類ひなり。幼き女を戀ふるなり。
 
3575 美夜自呂乃。緒可敝爾多?流。可保我波奈。莫佐吉伊低曾禰。許米?思努波武。
みやじろの。をかべにたてる。かほがはな。なさきいでそね。こめてしぬばむ。
 
ミヤジロ、所の名なり。カホガハナは上に皃花と詠めるなり。色に出づる事なかれ、我も心に籠めて慕はんとなり。
 
3576 奈波之呂乃。古奈伎我波奈乎。伎奴爾須里。奈流留麻爾未仁。安是可加奈思家。
なはしろの。こなぎがはなを。きぬにすり。なるるまにまに。あぜかかなしけ。
 
コナギ、既に出づ。アゼカカナシケは、何ぞや悲しきなり。卷七、すみの江の淺澤沼のかきつばた衣にすりつけ着む日知らずも、と言ふ如く、妹に親み逢ふを、色を衣に摺り付くるに譬へて、且つ親むまま(105)に深く思はるるは、如何で斯くまではと自《ミヅカ》ら疑ふなり。元暦本、古奈宜とせり。
 
挽歌
 
3577 可奈思伊毛乎。伊都知由可米等。夜麻須氣乃。曾我比爾宿思久。伊麻之久夜思母。
かなしいもを。いづちゆかめと。やますげの。そがひにねしく。いましくやしも。
 
山スゲノ、枕詞。卷七挽歌に、吾せこをいづちゆかめと辟竹《サキタケ》のそがひにねしくいましくやしも、と言ふに同じ。
 
以前歌詞未v得2勘知1國士山川之名1也。
 
右の中にも阿波乎呂、對馬嶺など國明らかなるも有り。又|推測《オシハカリ》に違ふまじきも少なからぬを、おし籠めて國土不v知とせしも覺束無し。是れも後人の註なるべし。
 
萬葉集 卷第十四 終
 
(107)萬葉集 卷第十五
 
遣2新羅1使人等悲v別贈答及海路慟v情陳v思并當所誦詠之古謌
 
目録に天平八年丙子夏六月遣2使(ヲ)新羅國1之時使人等云云と有り。陳思の下、作歌二字有り。續紀、同年四月丙寅遣新羅使阿倍朝臣繼麿等拜朝。同九年正月辛丑遣新羅使大判官從六位上壬生使主宇太麿少判官正七位上大藏忌寸麻呂等入京。大使從五位下阿倍朝臣繼麻呂泊2津島1卒。副使從六位下大伴宿禰三中染v病不v得2入京1と見ゆ。
 
3578 武庫能浦乃。伊里江能渚鳥。羽具久毛流。伎美乎波奈禮弖。古非爾之奴倍之。
むこのうらの。いりえのすどり。はぐくもる。きみをはなれて。こひにしぬべし。
 
武庫は攝津。渚鳥は唯だ洲に居る鳥を言ふ。羽グクモルは、鳥の雛を羽がひに含《クク》むを言ふ。卷九、我子はぐくめ天の鶴むら、とも詠めり。此君は夫を指せり。使人の妻の別れに臨みて詠めるなり。
 
3579 大船爾。伊母能流母能爾。安良麻勢波。羽具久美母知?。由可麻之母能乎。
おほぶねに。いものるものに。あらませば。はぐくみもちて。ゆかましものを。
 
夫の答へ歌なり。
 
(108)3580 君之由久。海邊乃夜杼爾。奇里多多婆。安我多知奈氣久。伊伎等之理麻勢。
きみがゆく。うみべのやどに。きりたたば。あがたちなげく。いきとしりませ。
 
妻の贈歌なり。神代紀、吹棄氣噴之狹霧《フキウツルイブキノサギリ》と有り。卷五、大野山きり立わたるわがなげくおきその風に霧立わたる。
 
3581 秋佐良婆。安比見牟毛能乎。奈爾之可母。奇里爾多都倍久。奈氣伎之麻左牟。
あきさらば。あひみむものを。なにしかも。きりにたつべく。なげきしまさむ。
 
夫の答歌なり。秋にならば歸り來て相見んものを、何か歎きし給はんと慰むるなり。
 
3582 大船乎。安流美爾伊多之。伊麻須君。都追牟許等奈久。波也可敝里麻勢。
おほぶねを。あるみにいだし。いますきみ。つつむことなく。はやかへりませ。
 
妻の贈歌なり。アルミはアラウミを約め言ふ。伊多之の多、一本太に作るぞ善き。イマスは往《イニ》ますなり。ツツム事ナクは、卷三、つつみなくさきくいまして、卷三、草づつみやまひあらせず、など詠めり。答にさはりあらめやと言へるは此事なり。
 
3583 眞幸而。伊毛我伊波伴伐。於伎都奈美。知敝【敝ヲ敞ニ誤ル】爾多都等母。佐波里安良米也母。
まさきくて。いもがいははば。おきつなみ。ちへにたつとも。さはりあらめやも。
 
夫の答へ歌なり。妻が幸《サキ》く在りて、吾を齋《イハ》ひ待たばと言ふなり。
(109) 參考 ○眞幸而(新)マサキク「刀」ト。
 
3584 和可禮奈婆。宇【宇ヲ字ニ誤ル】良我奈之家武。安我許呂母。之多爾乎伎麻勢。多太爾安布麻弖爾。
わかれなば。うらがなしけむ。あがころも。したにをきませ。ただにあふまでに。
 
妻の贈歌なり。アガは吾。シタニヲのヲは助辭。
 
3585 和伎母故我。之多爾毛伎余等。於久里多流。許呂母能比毛乎。安禮等可米也母。
わぎもこが。したに|も《を》きよと。おくりたる。ころものひもを。あれとかめやも。
 
夫の答へ歌なり。宣長云、之多爾祁の毛は乎の誤なりと言へり。アレは我なり。
 參考 ○之多爾毛(古、新)シタニ「乎」ヲ。
 
3586 和我由恵爾。於毛比奈夜勢曾。秋風能。布可武曾能都奇。安波牟母能由恵。
わがゆゑに。おもひなやせそ。あきかぜの。ふかむそのつき。あはむものゆゑ。
 
夫の贈歌なり。思ひ痩する事なかれなり。アハムモノユヱは、アハムモノナルニと言ふ意なり。
 
3587 多久夫須麻。新羅邊伊麻須。伎美我目乎。家布可安須可登。伊波比弖麻多牟。
たくぶすま。しらきへいます。きみがめを。けふかあすかと。いはひてまたむ。
 
妻の答へ歌なり。タクブスマ、枕詞。新羅へのへはエの如く讀むべし。イマスは往《イ》ニマスなり。君ガ目は相見る事を言ふ。
 
(110)3588 波呂波呂爾。於毛保由流可母。之可禮杼毛。異情乎。安我毛波奈久爾。
はろばろに。おもほゆるかも。しかれども。けしきこころを。あがもはなくに。
 
ハロバロはハルバルなり。ケシキ心はアダシ心と言ふに同じ。モハナクニのニの詞は抑へて歎く詞。是れも妻の答へ歌なり。
 
右十一首贈答。
 
3589 由布佐禮婆。比具良之伎奈久。伊故麻山。古延弖曾安我久流。伊毛我目乎保里。
ゆふされば。ひぐらしきなく。いこまやま。こえてぞあがくる。いもがめをほり。
 
難波の御津より船出する前に、本屬の里へ歸りて詠めるか、或は御津にて風待ちする程奈良へ歸りし時なるべし。
 
右一首秦|間滿《ハシマロ》。 此末に秦田滿あり。ここも間は田の誤か、又は末の田は間の誤か、何れにも文字相似たれば、互に誤れるにて、同人ならんか。
 
3590 伊毛爾安波受。安良婆須敝奈美。伊波禰布牟。伊故麻乃山乎。故延弖曾安我久流。
いもにあはず。あらばすべなみ。いはねふむ。いこまのやまを。こえてぞあがくる。
 
是れも右と同じ時に同人の詠めるなるべし。イハネフム駒と言ふ心に續けたりとも覺ゆれど、伊駒山の岩根を詠めるなるべし。
 
(111)右?還2私家1陳v思。
 
3591 妹等安里之。時者安禮杼毛。和可禮弖波。許呂毛弖佐牟伎。母能爾曾安里家流。
いもとありし。ときはあれども。わかれては。ころもでさむき。ものにぞありける。
 
妹と二人在りし時は、さても有りしかどもの意なり。
 
3592 海原爾。宇伎禰世武夜者。於伎都風。伊多久奈布吉曾。妹毛安良奈久爾。
うなばらに。うきねせむよは。おきつかぜ。いたくなふきそ。いももあらなくに。
 
3593 大伴能。美津爾布奈能里。許藝出而者。伊都禮乃思麻爾。伊保里世武和禮。
おほともの。みつにふなのり。こきでては。いづれのしまに。いほりせむわれ。
 
大トモノ、枕詞。
 
右三首臨v發之時作歌。
 
3594 之保麻都等。安里氣流布禰乎。思良受志弖。久夜之久妹乎。和可禮伎爾家利。
しほまつと。ありけるふねを。しらずして。くやしくいもを。わかれきにけり。
 
斯く潮持《シホマチ》して留《トド》まり在らんと知らば、奈良に在るべきものをとなり。
 
3595 安佐妣良伎。許藝弖天久禮波。牟故能宇良能。之保比能可多爾。多豆我許惠須毛。
あさびらき。こきでてくれば。むこのうらの。しほひのかたに。たづがこゑすも。
 
(112)朝ビラキはあしたに舟を發《ヒラ》くを言ふ。後の朝|ぼら《朗》けとは異なり。
 
3596 和伎母故我。可多美爾見牟乎。印南都麻。之良奈美多加彌。與曾爾可母美牟。
わぎもこが。かたみにみむを。いなみづま。しらなみたかみ。よそにかもみむ。
 
卷三、印南都麻うらみを過て、卷六、伊奈美嬬辛荷の島と詠めり、播磨の印南にて、ツマは都は助辭、麻は島の略語ならんと翁言はれき。或人の説に、好忠集に、ささきづますがきさほせり春ごとにえりさす民のしわざならしも、と詠めるささきは近江の地名なり。さればツマは其|邊《アタリ》と言ふ事かと言へり。こは卷三に言ふべかりしを漏らせり。歌の意は、故郷の方の印南をだに妹が形見と見んを、立つ浪のよそに成りたるを歎くなり。さて妹が形見と言ふよりツマと懸かれるならん。
 
3597 和多都美能。於伎都之良奈美。多知久良思。安麻乎等女等母。思麻我久流見由。
わたづみの。おきつしらなみ。たちくらし。あまをとめども。しまがくるみゆ。
 
海人《アマ》の小《ヲ》舟の島に隱るるを見て詠めるなり。
 
3598 奴波多麻能。欲波安氣奴良之。多麻能宇良爾。安佐里須流多豆。奈伎和多流奈里。
ぬばたまの。よはふけぬらし。たまのうらに。あさりするたづ。なきわたるなり。
 
契沖云、卷九紀伊國作とて、わがこふる妹にあはさず玉の浦にと詠めれど、此玉浦は次下の三首備中備後の作なれば、これは備前備中の間なるべし。此卷下にもタマノ浦を詠めり。其下に周防國玖珂郡麻里(113)布浦行之時作歌八首と有れば、安藝にもやと言ふべけれど、必ず國の次でに詠むべきにも有らずと言へり。猶考ふべし。
 
3599 月餘美能。比可里乎伎欲美。神島乃。伊素未乃宇良由。船出須和禮波。
つきよみの。ひかりをきよみ。かみじまの。いそまのうらゆ。ふなですわれは。
 
月ヨミとて則ち月なり。神島は神名帳、備中小田郡神島神社あり。そこなるべし。イソマノウラは、磯のうらまなども詠みて、?を言ふ。卷十三、備後國神島濱調何首見v屍作歌と端書せる有り。是れは備中を備後と誤れるかと契沖言へり。船出スとは、此浦より初めて發《イヅ》るには有らで、磯廻に繋《カカ》れる船をまた漕ぎ出づるを言ふ。
 參考 ○月余美能(新、古)ツクヨミノ ○伊素末(古、新)イソ「未」ミ。
 
3600 波奈禮蘇爾。多?流牟漏能木。宇多我多毛。比左之伎時乎。須疑爾家流香母。
はなれそに。たてるむろのき。うたがたも。ひさしきときを。すぎにけるかも。
 
ムロノ木は※[木+聖]なり。卷三、鞆の浦の磯の室の木と詠めり。則ち備後の鞆の浦にて、此ハナレソと詠めるも同じ所なるべし。ウタガタは卷十二、うたがたもいひつつも有か、と詠めり、そこに委しくせり。危き意なり。斯く隱れたる磯際に危げに年經て立てる木を見て、さて妹に別れても少時《シバシ》は在れは在りつる譬に取れるなり。
 
(114)3601 之麻思久母。比等利安里宇流。毛能爾安禮也。之麻能牟漏能木。波奈禮弖安流良武。
しましくも。ひとりありうる。ものにあれや。しまのむろのき。はなれてあるらむ。
 
シマシクモは暫クモなり。右の歌に同じ語なり。
 
右八首乘v船入v海路|上《ニテ》作歌。
 
當v所誦詠古歌
 
3602 安乎爾餘志。奈良能美夜古爾。多奈妣家流。安麻能之良久毛。見禮杼安可奴加毛。
あをによし。ならのみやこに。たなびける。あまのしらくも。みれどあかぬかも。
 
此歌より以下十八首は古歌なり。もと唯だ詠v雲歌なるを、今奈良の都の戀しきに附けて誦したるなり。卷三、青山の嶺の白雲朝にけにつねに見れどもめづらしわぎみ、と詠めるに似たり。
 
右一首詠v雲。
 
3603 安乎楊疑能。延太伎里於呂之。湯種蒔。忌忌伎美爾。故非和多流香毛。
あをやぎの。えだきりおろし。ゆだねまき。ゆゆしくきみに。こひわたるかも。
 
柳の枝葉ひろごりて、田に覆ふ故に伐るなり。ユダネは齋種《イミタネ》にて、水口祭と言へる如く、いはひごとして蒔けば言ふ。卷七、ゆだねまくあらきのを田とも詠めり。ユユシクは、貴みかしこむ事に言へり。上はユユシと言はん序のみ。宣長云、此上の句の意は、すべて田に便りよき所に井を掘り、井の邊に柳を(115)生ほして、其柳の枝を伐りすかし、はねつるべと言ふ物を爲《シ》掛け、苗代の田毎に水を汲み入るる事有り。是れ必ず柳にて、他木を用ひず、此青柳ノ枝キリオロシと言ふも、其事を言へるなりと言へり。猶考ふべし。【追考アリ】
 參考 ○忌忌伎美爾(代、古)略に同じ(考、新)ユユシキキミニ。
 
3604 妹我素弖。和可禮弖比左爾。奈里奴禮杼。比登比母伊母乎。和須禮弖於毛倍也。
いもがそで。わかれてひさに。なりぬれど。ひとひもいもを。わすれておもへや。
 
オモヘヤは添へたる詞にて、ワスレムヤなり。
 
3605 和多都美乃。宇美爾伊弖多流。思可麻河泊。多延無日爾許曾。安我故非夜麻米。
わたつみの。うみにいでたる。しかまがは。たえむひにこそ。あがこひやまめ。
 
何處にても湊の川は海に出づるなれど、播磨の飾磨川は海に近けれげ斯く言へり。卷十二、久かたの天つみ空にてれる日のうせなむ日こそわが戀やまめ。
 
右三首戀歌。
 
3606 多麻藻可流。乎等女乎須疑?。奈都久佐能。野島我左吉爾。伊保里須和禮波。
たまもかる。をとめをすぎて。なつくさの。ぬじまがさきに。いほりすわれは。
 
柿本朝臣人麻呂歌曰。敏馬《ミヌメ》乎須疑?。又曰。布禰知可豆伎奴《フネチカヅキヌ》。 此歌より以下四首、卷三に出でたる歌(116)なり。二の句も結句も暗に誦し誤れるなり。
 
3607 之路多倍能。藤江能宇良爾。伊射里須流。安麻等也見良武。多妣由久和禮乎。
しろたへの。ふじえのうらに。いざりする。あまとやみらむ。たびゆくわれを。
 
柿本朝臣人麻呂歌曰。安良多倍乃《アラタヘノ》。又曰。須受吉都流《スズキツル》。安麻登|香《カ》見良武。
 
3608 安麻射可流。比奈乃奈我道乎。孤悲久禮婆。安可思能門欲里。伊倣乃安多里見由。
あまざかる。ひなのながぢを。こひくれば。あかしのとより。いへのあたりみゆ。
 
柿本朝臣人麻呂歌曰。夜麻等思麻《ヤマトジマ》見由。卷三にながち|ゆ《從》と有り。
 
3609 武庫能宇美能。爾波餘久安良之。伊射里須流。安麻能都里船。奈美能宇倍由見由。
むこのうみの。にはよくあらし。いざりする。あまのつりぶね。なみのうへゆみゆ。
 
柿本朝臣人麻呂歌曰。氣比《ケヒ》乃宇美能。又曰。可里許毛能《カリコモノ》。美太禮?出見由《ミダレテイヅミユ》。安麻能都里船。
 
卷三に言へり。
 
3610 安胡乃宇良爾。布奈能里須良牟。乎等女良我。安可毛能須素爾。之保美都良武賀。
あごのうらに。ふなのりすらむ。をとめらが。あかものすそに。しほみつらむか。
 
柿本朝臣人麻呂歌曰。安美《アミ》能宇良。又曰。多麻《タマ》母能須蘇爾。
 
(117)卷一、嗚呼見乃浦爾と有り。見は兒の誤にて、志摩の英虞《アゴ》郡の浦なり。さればここに安胡と有るは當れり。左註は其誤れるままに書きたれば、後人の仕業《シワザ》なる事明らけし。
 
七夕歌一首
 
3611 於保夫禰爾。麻可治之自奴伎。宇奈波良乎。許藝弖天和多流。月人乎登枯【枯ヲ祐ニ誤ル】。
おほぶねに。まかぢしじぬき。うなばらを。こぎでてわたる。つきひとをとこ。
 
右柿本朝臣人麻呂歌。
 
此歌卷十、人麿集の七夕三十八首ある中にも見えず。月人ヲトコは牽牛を詠めりと見ゆ。是れも使人の海渡る間に思ひよりて誦したるなり。又思ふに、月人ヲトコは月にて、海の月を詠める歌なるを、後に牽牛の事と思ひて、七夕歌と添書《ソヘガキ》せるにや。
 
備後國|水調《ミツキ》郡長井浦(ニ)船泊之夜作歌三首
 
3612 安乎爾與之。奈良能美也故爾。由久比等毛我母。久佐麻久良。多妣由久布禰能。登麻利都礙武仁。(旋頭歌也)
あをによし、ならのみやこに。ゆくひともがも。くさまくら。たびゆくふねの。とまりつげむに。
 
水調、和名抄には御調と有り。海路にて奈良の都へ行く人にも逢ひなば、我が舟の泊りたる所を告げ遣らんものをとなり。
 
右一首大判官。  壬生使主字太麻呂なり
 
(118)3613 海原乎。夜蘇之麻我久里。伎奴禮杼母。奈良能美也故波。和須禮加禰都母。
うなばらを。やそしまがくり。きぬれども。ならのみやこは。わすれかねつも。
 
八十島は海路に有る多くの島島を言ひて、さて其島島に舟の漕ぎ隱るる度に、都の方も見えず成り行くを悲めり。
 
3614 可敝流散爾。伊母爾見勢武爾。和多都美乃。於伎都白玉。比利比弖由賀奈。
かへるさに。いもにみせむに。わたつみの。おきつしらたま。ひりひてゆかな。
 
拾ひて行かんなり。
 
風速《カザハヤノ》浦(ニ)舶泊之夜作歌二首 和名抄、安藝高田郡風速と有り。
 
3615 和我由惠仁。妹奈氣久良之。風早能。宇良能於伎敝爾。奇里多奈妣家利。
わがゆゑに。いもなげくらし。かざはやの。うらのおきべに。きりたなびけり。
 
オキベは沖|方《ベ》なり。上に君がゆく海べのやどにきりたたばあがたちなげくいきと知りませ、と詠めるを合せ見るべし。
 
3616 於伎都加是。伊多久布伎勢波。和伎毛故我。奈氣伎能奇里爾。安可麻之母能乎。
おきつかぜ。いたくふきせば。わぎもこが。なげきのきりに。あかましものを。
 
潮ぐもりは、風の起るに從ひて立つ物なり。キリはクモリの約言なり。是れも上の君が行云云の歌に依(119)りて詠めり。二首同じ人の歌なるべし。
 
安藝國長門島舶(ニ)泊(シテ)磯邊(ニテ)作歌五首
 
3617 伊波婆之流。多伎毛登抒呂爾。鳴蝉乃。許惠乎之伎氣婆。京師之於毛保由。
いはばしる。たぎもとどろに。なくせみの。こゑをしきけば。みやこしおもほゆ。
 
蝉の磯山に鳴くを詠めるなるべし。
 參考 ○多伎毛登杼呂爾(新)タキ「能」ノトドロニ○
 
右一首大石蓑麻呂。
 
3618 夜麻河泊能。伎欲吉可波世爾。安蘇倍抒母。奈良能美夜古波。和須禮可禰都母。
やまがはの。きよきかはせに。あそべども。ならのみやこは。わすれかねつも。
 
磯山川の海へ出づる湊に船泊《フナドマリ》せし成るべし。
 
3619 伊蘇乃麻由。多藝都山河。多延受安良婆。麻多母安比見牟。秋加多麻氣?。
いそのまゆ。たぎつやまがは。たえずあらば。またもあひみむ。あきかたまけて。
 
イソノマユは石間從なり。其所の景色をもて、身の恙なきを山川に言ひ寄せたれば、絶えずと言へり。山川の如くと言ふを籠めたり。命|幸《サキ》くは此所を又も來て見んと言ふ意なるべし。次に日ぐらしをも詠めれば、秋の方に向ひてと意ふ意にて、秋カタマケテと言へり。
 
(120)3620 故悲思氣美。奈具左米可禰?。比具良之能。奈久之麻可氣爾。伊保利須流可母。
こひしげみ。なぐさめかねて。ひぐらしの。なくしまかげに。いほりするかも。
 
戀の繁さになり。上の清き川せに遊べどもと詠める所なれば、同じ意より斯くも詠めるなり。
 
3621 和我伊能知乎。奈我刀能之麻能。小松原。伊久與乎倍弖加。可武佐備和多流。
わがいのちを。ながとのしまの。こまつばら。いくよをへてか。かむさびわたる。
 
老木の松を見て、もとは小松原なりけんをと思ひて詠めるなり。さて小松の世世を經て古びたる如く、吾が命も長かれと齋《イハ》ふなり。
 
從2長門浦1船出之夜仰2觀月光1作歌三首  安藝の長門の浦なり。
 
3622 月余美乃。比可里乎伎欲美。由布奈藝爾。加古能古惠欲妣。宇良末許具可母。
つきよみの。ひかりをきよみ。ゆふなぎに。かこのこゑよび。うらまこぐかも。
 
伎欲の下の美、一本見に作る。カコは水手、次下に言へり。
 參考 ○月余美乃(古、新)ツクヨミノ ○宇良末(古、新)ウラ「未」ミ。
 
3623 山乃波爾。月可多夫氣婆。伊射里須流。安麻能等毛之備。於伎爾奈都佐布。
やまのはに。つきかたぶけば。いざりする。あまのともしび。おきになづさふ。
 
山ノハは山の端にて、山際《ヤマノマ》と書けるとは異なり。ナヅサフは既に多く出づ。水の上の事にのみ言へり。
 
(121)3624 和禮乃未夜。欲布禰波許具登。於毛敝禮婆。於伎敝能可多爾。可治能於等須奈里。
われのみや。よふねはこぐと。おもへれば。おきべのかたに。かぢのおとすなり。
 
古【古ヲ右ニ誤ル】挽歌一首并短歌  是れも此時舟の中にて誦したるなるべし。古を今本右に誤る。古本に據りて改む。
 
3625 由布佐禮婆。安之敝【敝ヲ敞ニ誤ル】爾佐和伎。安氣久禮婆。於伎爾奈都佐布。可母須良母。都麻等多具比弖。和我尾爾波。之毛奈布里曾等。之路多倍乃。波禰左之可倍?。宇知波良比。左宿等布毛能乎。由久美都能。可敝良奴其等久。布久可是能。美延奴我其登久。安刀毛奈吉。與能比登爾之弖。和可禮爾之。伊毛我伎世弖思。奈禮其呂母。蘇弖加多思吉?。比登里可母禰牟。
ゆふされば。あしべにさわぎ。あけくれば。おきになづさふ。かもすらも。つまとたぐひて。わがをには。しもなふりそと。しろたへの。はねさしかへて。うちはらひ。さぬとふものを。ゆくみづの。かへらぬごとく。ふくかぜの。みえぬがごとく。あともなき。よのひとにして。わかれにし。いもがきせてし。なれごろも。そでかたしきて。ひとりかもねむ。
 
白タヘノハネ云云と言へれば、ここの可母は?を言へるか、又霜の置けるに依りて斯く言へるにや。羽根サシカヘテウチハラヒは、羽根を打拂ひつつさし交《カ》へての意なり。卷三、輕の池のいり江めぐれるかもすらも玉もの上にひとりねなくに、卷九、埼玉のをさきの池にかもぞはねぎるおのが尾にふりおける(122)霜を拂ふとならし、など有り。サヌトフモノヲは、サは發語にて、寢ルト言フモノヲなり。行水ノカヘラヌゴトク、卷十九悲2世間無常1長歌に、逝水のとまらぬ如くとも詠めり。ナレ衣は着|穢《ナラ》せる衣を言ふ。卷十、泊瀬風かく吹よははいつまでか衣かたしきわがひとりねむ。
 參考 ○和我尾爾波(考)ワガミニハ(古)略に同じ(新)此處、シモハフルトモ、ツマガ尾ニの二句脱か ○安刀毛奈吉(新)此の下、ヨノナカナガラ、ウツシミノの二句脱か。
 
反歌一首
 
3626 多都我奈伎。安之敝乎左之弖。等妣和多類。安奈多頭多頭志。比等里佐奴禮婆。
たづがなき。あしべをさして。とびわたる。あなたつたづし。ひとりさぬれば。
 
上は鶴が蘆べをさして鳴きて飛び渡るを斯く言ひて、さて今見る所を以てタヅタヅシと言はん序とせり。源氏物語須磨に、たづがなき雲ゐにひとり音をぞなく、と詠めるは、鶴にたづき無き意を兼ねたるにて、此處とは異なり。タヅタヅシは、卷四、あしたづのあな多頭多頭し、此下に夕やみは道たづたづし、など言ひて、たどりたどりしきなり。源氏物語、六帖等にたどたどしとも言へり。ここは妹無くして據り所無き心地するなり。
 
右丹比大夫悽2愴亡妻1歌。
 
屬《ツキテ》v物(ニ)發(ス)v思歌一首并短歌
 
(123)3627 安佐散禮婆。伊毛我手爾麻久。可我美奈須。美津能波麻備爾。於保夫禰爾。眞可治之自奴伎。可良久爾爾。和多理由加武等。多太牟可布。美奴面乎左指天。之保麻治弖。美乎妣伎由氣婆。於伎敝爾波。之良奈美多可美。宇良未欲理。許藝弖和多禮婆。和伎毛故爾。安波治乃之麻波。由布左禮婆。久毛爲可久里奴。左欲布氣弖。由久敝乎之良爾。安我己許呂。安可志能宇良爾。布禰等米弖。宇伎禰乎詞都追。和多都美能。於枳敝乎見禮婆。伊射理須流。安麻能乎等女波。小船乘。都良良爾宇家理。安香等吉能。之保美知久禮婆。安之辨爾波。多豆奈伎和多流。
あさされば。いもがてにまく。かがみなす。みつのはまびに。おほぶねに。まかぢしじぬき。からくにに。わたりゆかむと。ただむかふ。みぬめをさして。しほまちて。みをびきゆけば。おきべには。しらなみたかみ。うらまより。こぎてわたれば。わぎもこに。あはぢのしまは。ゆふされば。くもゐがくりぬ。さよふけて。ゆくへをしらに。あがこころ。あかしのうらに。ふねとめて。うきねをしつつ。わたつみの。おきべをみれば。いざりする。あまのをとめは。をぶねのり。つらちにうけり。あかときの。しほみちくれば。あしべには。たづなきわたる。
 
妹ガ手ニマクは、鏡に紐有りて其れを手に纏へばなり。美津は難波の御津なり。卷四、臣女のくしげにのする鏡なす御津の濱べに、と詠めり、清きを言ふか。又は御津の湊のわだ、鏡の如く丸かりしなるべし。宣長云、鏡ナスは唯だ見と言ふ序のみなり。ナスと言ふ言は輕《カロ》しと言へり。猶考ふべし。濱備は濱(124)|方《ヘ》なり。ミヌメ、卷六、あはぢの島にただむかふみねめの浦と詠めり。正しく向ふなり。ミヲビキ、和名抄、水脉船、美乎比伎能布禰と有り。玄蕃式蕃客朝貢の時宣命に、參上來客等參近水|脉《ヲ》教導賜弊登宣隨迎賜波久登宣とも有りて、水筋を導き行くを言ふ。ワギモ子ニアハヂノ島、吾妹子ニ逢フと懸かれる枕詞なり。サ夜フケテ行ヘヲシラニは、夜更けて舟の行方を不知《シラヌ》なり。アガ心アカシと續けるは、宣長云、人は心の赤きをむねと尊む事なる故に續くるなり。集中、吾心清すみの池のと言へるも同じと言へり。都良良は連り連りなり。集中、こせ山のつらつら椿と言へるに同じ。
 參考 ○宇良末(古、新)ウラ「未」ミ。以下の歌のウラマ凡て同じ。
 
安左奈藝爾。布奈弖乎世牟等。船人毛。鹿子毛許惠慾妣。柔保等里能。奈豆左比由氣婆。伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】之麻婆。久毛爲爾美延奴。安我毛敝流。許己呂奈具也等。波夜久伎弖。美牟等於毛比弖。於保夫禰乎。許藝和我由氣婆。於伎都奈美。多可久多知伎奴。與曾能未爾。見都追須疑由伎。多麻能宇良爾。布禰乎等杼米弖。波麻備欲里。宇良伊蘇乎見都追。奈久古奈須。禰能未之奈可由。和多都美能。多麻伎能多麻乎。伊敝都(125)刀爾。伊毛爾也良牟等。比里比登里。素弖爾波伊禮弖。可敝之也流。都可比奈家禮婆。毛弖禮杼毛。之留思乎奈美等。麻多於伎都流可毛。
あさなぎに。ふなでをせむと。ふなびとも。かこもこゑよび。にほどりの。なづさひゆけば。いへじまは。くもゐにみえぬ。あがもへる。こころなぐやと。はやくきて。みむとおもひて。おほぶねを。こぎわがゆけば。おきつなみ。たかくたちきぬ。よそのみに。みつつすぎゆき。たまのうらに。ふねをとどめて。はまびより。うらいそをみつつ。なくこなす。ねのみしなかゆ。わたつみの。たまきのたまを。いへづとに。いもにやらむと。ひりひとり。そでにはいれて。かへしやる。つかひなければ。もてれども。しるしをなみと。またおきつるかも。
 
鹿子は借字にて水手なり。和名抄、舟子(水手附)文選江賦云、舟子(布奈古)と有り。カコは?子《カヂコ》なり。ニホドリノ、枕詞。ナヅサフは上に出づ。イヘ島は續後紀第九、播磨揖保郡家島と有り。卷四長歌、家の島ありそのうへにとも詠めり。心ナグヤトは心ナグサムヤトなり。コギワガユケバは漕ぎで我が行けばなり。タマノ浦は上に出づ。ナク子ナスは泣子の如くなり。卷三、なく子なす慕ひ來ましてと詠めり。ナカユは所泣《ナカル》なり。ワタツミは海神。タマキは手纏にて、則ち釧なり。宣長が古事記傳に言へるは、仁コ紀田道と三人の蝦夷と戰て死し所に、時有2從者1取2持田道之手纏1與2其妻1乃抱2手纏1而縊死。三代實録貞觀十二年の條に、勅充2壹岐島(ニ)甲并手纏各二百具1。和名抄〓(多末伎)一云小手也。眞《マコト》に後に言ふ小手の如くなる物と聞えたり。又是れを手結とも名つけしにや、卷三、丈夫の手結の浦と續けたり云云と見ゆ。卷三、わたつみの手にまきもたる玉だすきとも續けたり。ヒリヒは拾ひなり。上にも出づ。妹に遣らんと玉を拾ひたれど、海路よりことづて遣るべき使の無ければ、持ちたれども甲斐無くして、其玉を又もとのままに置きぬるとなり。
(126) 參考 ○宇良伊蘇乎見都追(新)この下、イヤサカル、家路オモヘバなど脱かとす。
 
反歌二首
 
3628 多麻能宇良能。於伎都之良多麻。比利敝禮杼。麻多曾於伎都流。見流比等乎奈美。
たまのうらの。おきつしらたま。ひりへれど。またぞおきつる。みるひとをなみ。
 
見る人は則ち妹を言ふ。
 參考 ○見流比等(新)ミ「須」スルヒトとす。
 
3629 安伎左良婆。和我布禰波弖牟。和須禮我比。與世伎弖於家禮。於伎都之良奈美。
あきさらば。わがふねはてむ。わすれがひ。よせきておけれ。おきつしらなみ。
 
秋にならば舟|泊《ハ》てん、其時こそ貝をも拾はめ、貝を打寄せ置けと浪におほするさまに詠めり。オケレはオキテアレを約め言へり。
 
周防國|玖珂《クガノ》郡|麻里布《マリフノ》浦行之時作歌八首  鞠生、今は佐波郡なり
 
3630 眞可治奴伎。布禰之由加受波。見禮杼安可奴。麻里布能宇良爾。也杼里世麻之乎【乎ヲ牟ニ誤ル】
まかぢぬき。ふねしゆかずは。みれどあかぬ。まりふのうらに。やどりせましを。
 
ユカズハはユカヌ物ナラバの意なり。乎、今牟に誤る。
 
3631 伊都之可母。見牟等於毛比師。安波之麻乎。與曾爾也故非無。由久與思乎奈美。
(127)いつしかも。みむとおもひし。あはしまを。よそにやこひむ。ゆくよしをなみ。
 
アハシマは卷三、卷四、卷七、卷十二にも詠み、卷九には粟ノ小島と詠めり。
 
3632 大船爾。可之布里多弖天。波麻藝欲伎。麻里布能宇良爾。也杼里可世麻之。
おほぶねに。かしふりたてて。はまぎよき。まりふのうらに。やどりかせまし。
 
卷七、舟はててかしふりたててと詠めり。カシは舟繋ぐ木なり。既に言へり。
 
3633 安波思麻能。安波自等於毛布。伊毛爾安禮也。夜須伊毛禰受弖。安我故非和多流。
あはしまの。あはじとおもふ。いもにあれや。やすいもねずて。あがこひわたる。
 
妹が思ふものならば夢にも見ゆべきに、妹が逢はじと思へばや、我が寐ねられず思ふと言ふなり。
 
3634 筑紫道能。可太能於保之麻。思未志久母。見禰婆古非思吉。伊毛乎於伎弖伎奴。
つくしぢの。かだのおほしま。しましくも。みねばこひしき。いもをおきてきぬ。
 
周防に大島郡有れば、可太も同所か。筑紫への道なれば筑紫道と言ふ。オホシマを受けてシマシクと言へり。シマシクモは暫もなり。
 
3635 伊毛我伊敝治。知可久安里世婆。見禮杼安可奴。麻理布能宇良乎。見世麻思毛能乎。
いもがいへぢ。ちかくありせば。みれどあかぬ。まりふのうらを。みせましものを。
 
3636 伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】妣等波。可敝里波也許等。伊波比之麻。伊波比麻都良牟。多妣由久和禮乎。
(128)いへびとは。かへりはやこと。いはひじま。いはひまつらむ。たびゆくわれを。
 
イハヒ島も玖珂郡か。カヘリハヤコトは早歸來《ハヤカヘリキタ》レと言ふなり。其島の名に據りて齋待《イハヒマ》ツと言ひ下したり。
 
3637 久佐麻久良。多妣由久比等乎。伊波比之麻。伊久與布流末弖。伊波比伎爾家牟。
くさまくら。たびゆくひとを。いはひじま。いくよふるまで。いはひきにけむ。
 
昔より旅行く人を幾代經るまで齋《イハヒ》來りて、島の名に負ひけんとなり。
 
過2大島鳴門1而經2再宿1之後追作歌二首  周防大島郡の灘なり。
 
3638 巨禮也己能。名爾於布奈流門能。宇頭之保爾。多麻毛可流登布。安麻乎等女杼毛。
これやこの。なにおふなるとの。うづしほに。たまもかるとふ。あまをとめども。
 
コレヤコノは是レヤ彼ノなり。ウヅシホは按ずるに、宇豆の御手、宇豆の御てぐらなど言ひ、今もうづ高しなど言ひて、皆高き意なり。されば汐の滿ち湛へ來る時、水かさ高く成るをウヅ汐と言ふべし。宣長云、ウヅはウヅマサのウヅと一つなり。高き意と聞ゆ。書紀雄略十五年。詔聚2秦民1賜2於秦酒公1。公仍領2率百八十種勝1。奉v獻2庸調御調1也。絹※[糸+兼]充2積朝庭1。因賜v姓曰2禹豆麻佐《ウヅマサ》1。(一云2禹豆母利麻佐1。皆盈積之貌也)とも有りと言へり。此處の恐《カシコ》き海にて藻刈ると言ふ事をさきざき聞き及びしを、今始めて見て詠めるなり。
 
右一首田邊秋庭。
 
(129)3639 奈美能宇倍爾。宇伎禰世之欲比。安杼毛倍香。許己呂我奈之久。伊米爾美要都流。
なみのうへに。うきねせしよひ。あどもへか。こころがなしく。いめにみえつる。
 
卷十四、安杼毛敝可あじくま山のゆづるはの、と詠めるに同じく、アドモヘカは何と思へばかの意なり。杼の濁音の假字を用ひたれば、誘《アトモフ》と言ふ意には有らず。末にわぎも子がいかにおもへかぬば玉の一夜もおちず伊米にし見ゆる、とも詠めり。此歌作者を脱せり。
 參考 ○安杼毛倍香(新)ア「乎」ヲモヘカ。
 
熊毛《クマゲ》浦(ニ)船泊之夜作歌四首  和名抄、周防熊毛郡熊毛郷あり。
 
3640 美夜故邊爾。由可牟船毛我。可里許母能。美太禮弖於毛布。許登都礙夜良牟。
みやこべに。ゆかむふねもが。かりこもの。みだれておもふ。ことつげやらむ。
 
亂れて妹を思ふと言告げやらんなり。
 
右一首|羽栗《ハグリ》。  續紀、寶字五年羽栗|翔《カケル》と言ふ人見ゆ。是れにや。名脱ちたるか。
 
3641 安可等伎能。伊敝胡悲之伎爾。宇良末欲里。可治乃於等須流波。安麻乎等米可母。
あかときの。いへこひしきに。うらまより。かぢのおとするは。あまをとめかも。
 
3642 於伎敝【敝ヲ敞ニ誤ル】欲里。之保美知久良之。可良能宇良爾。安佐里須流多豆。奈伎弖佐和伎奴。
おきべより。しほみちくらし。からのうらに。あさりするたづ。なきてさわぎぬ。
 
(130)カラノ浦は筑前韓泊か。長門赤間より今の道一里程有りとぞ。
 
3643 於伎敝欲里。布奈妣等能煩流。與妣與勢弖。伊射都氣也良牟。多婢能也登里乎。
おきべより。ふなびとのぼる。よびよせて。いざつげやらむ。たびのやどりを。
 
一云。多妣能夜杼里乎。伊射都氣夜良奈。
 
舟人に言《コト》附けて、舟|泊《ハ》てし所を故郷へ知らせやらんとなり。
 
佐婆《サバノ》海中忽遭2逆風漲浪1漂流經v宿而後、幸得2順風1到2著豐前國|下毛《シモツミケノ》郡分間浦1於是追|怛《オソレテ》2艱難1悽惆作歌八首
 
和名抄、周防佐波郡(波音馬)豐前上毛郡(加牟豆美介)下毛と有り。下毛に訓註無しと言へど、上毛に准ふべし。分間浦は今も下毛郡に有りて、分間をママともワマとも言へりとぞ。
 
3644 於保伎美能。美許等可之故美。於保夫禰能。由伎能麻爾末爾。夜杼里須流可母。
おほきみの。みことかしこみ。おほぶねの。ゆきのまにまに。やどりするかも。
 
大船の漕がれ行くままになり。
 
右一首|雪宅《ユキノヤケ》麻呂。  下に雪連宅麻呂とあり。雪は壹岐氏なるべし。和名抄に壹岐(由伎)と有り。
 
3645 和伎毛故波。伴也母許奴可登。麻都良牟乎。於伎爾也須麻牟。伊敝都可受之弖。
わぎもこは。はやもこぬかと。まつらむを。おきにやすまむ。いへづかずして。
 
(131)妹は早く來れかしと待つべきを、家に近附かずして、海路にのみ月日を經ると言ふなり。秋に近づくを集中秋附と詠めるが如し。
 
3646 宇良未欲里。許藝許之布禰乎。風波夜美。於伎都美宇良爾。夜杼里須流可母。
うらまより。こぎこしふねを。かぜはやみ。おきつみうらに。やどりするかも。
 
オキツミウラは沖中の島の浦なり。ミウラのミは眞の意なり。
 
3647 和伎毛故我。伊可爾於毛倍可。奴婆多末能。比登欲毛於知受。伊米爾之美由流。
わきもこが。いかにおもへか。ぬばたまの。ひとよもおちず。いめにしみゆる。
 
如何に我を思へばかなり。
 
3648 宇奈波良能。於伎敝爾等毛之。伊射流火波。安可之弖登母世。夜麻登思麻見無。
うなばらの。おきべにともし。いざるひは。あかしてともせ。やまとじまみむ。
 
沖|方《ベ》に漁する火を明《アカ》く點《トモ》せと言ふなり。次下にもあかし釣魚と言へり。ヤマトジマは卷三に、やまとじま根と詠めり。
 參考 ○於伎敝爾等毛之云云(新)オキベニ「伊射流」イザル「等毛之」トモシビハとす。
 
3649 可母自毛能。宇伎禰乎須禮婆。美奈能和多。可具呂伎可美爾。都由曾於伎爾家類。
かもじもの。うきねをすれば。みなのわた。かぐろきかみに。つゆぞおきにける。
 
(132)カモジモノ、ミナノワタ、枕詞。
 
3650 比左可多能。安麻弖流月波。見都禮杼母。安我母布伊毛爾。安波奴許呂可毛。
ひさかたの。あまてるつきは。みつれども。あがもふいもに。あはぬころかも。
 
ミツレドモは雖見にて、月は見たれども、思ふ妹に不逢《アハヌ》と言ふか。又滿つれどもにて、日數の重なる意にも有らんか。
 
3651 奴波多麻能。欲和多流月者。波夜毛伊弖奴香文。宇奈波良能。夜蘇之麻能宇倍由。伊毛我安多里見牟。 旋頭歌也
ぬばたまの。よわたるつきは。はやもいでぬかも。うなばらの。やそしまのうへゆ。いもがあたりみむ。
 
イデヌカモは出デヨカシなり。
 
至2筑紫舘1遙望2本郷1悽愴作歌四首
 
3652 之賀能安麻能。一日毛於知受。也久之保能。可良伎孤悲乎母。安禮波須流香母。
しかのあまの。ひとひもおちず。やくしほの。からきこひをも。あれはするかも。
 
シカは卷三に出づ。筑前糟屋郡なり。集中、鹿、然など書きたればカを清むべし。上はカラキと言はん序のみ。
 
3653 思可能宇良爾。伊射里須流安麻。伊敝妣等能。麻知古布良牟爾。安可思都流宇乎。
(133)しかのうらに。いざりするあま。いへびとの。まちこふらむに。あかしつるうを。
 
家人は海人がいへびとなり。アカシツルウヲとは、夜も歸らずして、燈を明《アカ》くともして釣すると言ふなり。我は詔《ミコトノリ》によりて、事終へぬ限り、家に待ち戀ふる人有りともえ歸り難きを、海人は己《オノ》が心のままなるに、家人の待つらんをも思はぬ事よと、我が上より詠めるなり。此アカシツルは、夜もすがら釣る事とも思へど、上のあかしてともせやまとじま見ゆと詠めるを思へば、さには有らざりけり。
 參考 ○安可思都流宇乎(新)アカシツル「可毛」カモ。
 
3654 可之布江爾。多豆奈吉和多流。之可能宇良爾。於枳都志良奈美。多知之久良思毛。
かしぶえに。たづなきわたる。しかのうらに。おきつしらなみ。たちしくらしも。
 
カシブエ、知れ難し。シカノ浦はシカノ海に同じ。タチシクラシは立|重《シ》クラシにて、もは添へたる詞のみ。
 
一云。美知之伎奴良思《ミチシキヌラシ》。  ミチシキは滿重なり。
 
3655 伊麻欲里波。安伎豆吉奴良之。安思比奇能。夜麻末都可氣爾。日具良之奈伎奴。
いまよりは。あきづきぬらし。あしびきの。やままつかげに。ひぐらしなきぬ。
 參考 ○安伎豆吉奴良之(新)アキヅキヌ「倍」ベシ。
 
七夕仰2觀天漢1各陳v所思作歌三首
 
3656 安伎波疑爾。爾保敝【敝ヲ敞ニ誤ル】流和我母。奴禮奴等母。伎美我美布禰能。都奈之等理弖婆。
(134)あきはぎに。にほへるわがも。ぬれぬとも。きみがみふねの。つなしとりてば。
 
ワガモは吾裳なり。織女に成りて詠めるなり。彦星を留めんとて、舟の綱を収りたらば、芽子《ハギ》ににほはせし裳は、よし濡るるとも厭はざらんとなり。
 
右二首|大使《ツカイザネ》。
 
3657 等之爾安里弖。比等欲伊母爾安布。比故保思母。和禮爾麻佐里弖。於毛布良米也母。
としにありて。ひとよいもにあふ。ひこぼしも。われにまさりて。おもふらめやも。
 
一年在り待ちてなり。
 
3658  由布豆久欲。可氣多知與里安比。安麻能我波。許具布奈妣等乎。見流我等母之佐。
ゆふづくよ。かげたちよりあひ。あまのがは。こぐふなびとを。みるがともしさ。
 
夕月の影はいつも渡れども、其夕月と共に渡る星の影は、年に一夜なれば珍しきと言ふなり。フナビトとは則ち彦星を言ふ。
 
海邊望v月作歌九首
 
3659 安伎可是波。比爾家爾布伎奴。和伎毛故波。伊都登加和禮乎。伊波比麻都良牟。
あきかぜは。ひにけにふきぬ。わぎもこは。いつとかわれを。いはひまつらむ。
 參考 ○望v月(新)望v郷の誤か ○伊都登加(古、新)イツ「加登」カト。
 
(135)大使之第二男。
 
3660 可牟佐夫流。安良都能左伎爾。與須流奈美。麻奈久也伊毛爾。故非和多里奈牟。
かむさぶる。あらつのさきに。よするなみ。まなくやいもに。こひわたりなむ。
 
和名抄、筑前宗像郡小荒大荒の二郷有り、是れか。さて上代より在りふる船津故に神サブルと言へるか。上は間無くと言はん序のみ。
 
右一首|土師稻足《ハニシノイナタリ》。
 
3661 可是能牟多。與世久流奈美爾。伊射里須流。安麻乎等女良我。毛能須素奴禮奴。
かぜのむた。よせくるなみに。いざりする。あまをとめらが。ものすそぬれぬ。
 
ムタは共ニの意。
 
一云。安麻|乃《ノ》乎等賣我。毛能須蘇奴禮|濃《ヌ》。
 
3662 安麻能波良。布里佐氣見禮婆。欲曾布氣爾家流。與之惠也之。比等里奴流欲波。安氣婆安氣奴等母。
あまのはら。ふりさけみれば。よぞふけにける。よしゑやし。ひとりぬるよは。あけばあけぬとも。
 
右一首旋頭歌也。
 
3663 和多都美能。於伎都奈波能里。久流等伎登。伊毛我麻都良牟。月者倍爾都追。
わたつみの。おきつなはのり。くるときと。いもがまつらむ。つきはへにつつ。
 
(136)ナハノリは今長ノリと言ふ有り其れか。ヘニツツは歴去《ヘイ》ニツツなり。上は其所の物をもて來ると言はん序とせり。
 
3664 之可能宇良爾。伊射里須流安麻。安氣久禮婆。宇良末許具良之。可治能於等伎許由。
しかのうらに。いざりするあま。あけくれば。うらまこぐらし。かぢのおときこゆ。
 
アケクレバは夜明クレバなり。
 
3665 伊母乎於毛比。伊能禰【禰今禮ニ誤ル】良延奴爾。安可等吉能。安左宜理其問理。可里我禰曾奈久。
いもをおもひ。いのねらえねに。あかときの。あさぎりごもり。かりがねぞなく。
 
良の上、禰を今本禮に誤れり。ネラエヌニは寐ラレヌニなり。
 
3666 由布佐禮婆。安伎可是左牟思。和伎母故我。等伎安良比其呂母。由伎弖波也伎牟。
ゆふされば。あきかぜさむし。わぎもこが。ときあらひごろも。ゆきてはやきむ。
 
トキアラヒゴロモは解洗衣なり。
 
3667 和我多妣波。比佐思久安良思。許能安我家流。伊毛我許呂母能。阿可都久見禮婆。
わがたびは。ひさしくあらし。このあがける。いもがころもの。あかづくみれば。
 
コノアガケルは此我ガ着ルと言ふなり。妹が衣を下に着て家を出でしが、垢附けるを見て、旅の久しきを思ふなり。卷二十、旅といへど麻多妣《眞旅》になりぬ家の|も《妹》がきせし衣にあかづきにけり、と言ふに似たり。
 
(137)到2筑前國志麻郡之|韓亭《カラノウマヤニ》1舶泊經2三日1、於時夜月之光皎皎、流照奄對2此華1旅情悽噎、各陳2心緒1聊以裁歌六首
 
和名抄、筑前志摩郡|韓良《カラ》。華の字上、物の字脱ちたるか。下にも物華と有り。
 
3668 於保伎美能。等保能美可度登。於毛敝【敝ヲ敞ニ誤ル】禮杼。氣奈我久之安禮婆。古非爾家流可母。
おほきみの。とほのみかどと。おもへれど。けながくしあれば。こひにけるかも。
 
遠ノミカドは既に言へり。ここは太宰を指して言へり。日久しく成りつれば古郷の戀しきとなり。
 
右二首大使。
 
3669 多妣爾安禮杼。欲流波火等毛之。乎流和禮乎。也未爾也伊毛我。古非都追安流良牟。
たびにあれど。よるはひともし。をるわれを。やみにやいもが。こひつつあるらむ。
 
我は旅に有れど、夜は燈も有るを、留れる妹は心の闇に戀ひつつや有らんとなり。
 
右一首|大判官《オホマツリゴトヒト》。
 
3670 可良等麻里。能許乃宇良奈美。多多奴日者。安禮杼母伊敝爾。古非奴日者奈之。
からどまり。のこのうらなみ。たたぬひは。あれどもいへに。こひぬひはなし。
 
カラドマリは右に言へる韓亭なり。又同國早良郡能解(乃計)と和名抄に見ゆれば、歌の能許は能計の誤ならんかとも思へど、朝野群載、中右記等に能古島と有れば然《サ》て有るべし。契沖云、源氏物語玉かづ(138)らに、からどまりよりかはしりおす云云、狹衣の歌に、かへりこしかひこそなけれからどまりいづくながれし人のゆくへは、と言へるは、ともに備前と聞ゆ。筑前と同名有るかと言へり。家ニ戀ヒは家ヲ戀ヒの意なり。妹ニ戀ヒと言ふに同じ。古今集、するがなるたごのうら浪たたぬ日はあれども君を戀ひぬ日は無し、と言ふも是れを取り直せるなり。
 
3671 奴婆多麻乃。欲和多流月爾。安良麻世婆。伊敝奈流伊毛爾。安比弖許麻之乎。
ぬばたまの。よわたるつきに。あらませば。いへなるいもに。あひてこましを。
 
逢ひて來らんをなり。
 
3672 比左可多能。月者弖利多利。伊刀麻奈久。安麻能伊射里波。等毛之安敝里見由。
ひさかたの。つきはてりたり。いとまなく。あまのいざりは。ともしあへりみゆ。
 
トモシアヘリは、月の光と漁火の光り合ふなり。
 參考 ○安麻能伊射里波(新)アマノイザリ「火」ビ。
 
3673 可是布氣婆。於吉都思良奈美。可之故美等。能許能等麻里爾。安麻多欲曾奴流。
かぜふけば。おきつしらなみ。かしこみと。のこのとまりに。あまたよぞぬる。
 
引津亭舶泊之作歌七首  之の下、夜或は時の字を脱せり。引津は既に出づ。
 
3674 久左麻久良。多婢乎久流之美。故非乎禮婆。可也能山邊爾。草乎思香奈久毛。
(139)くさまくら。たびをくるしみ。こひをれば。かやのやまべに。さをしかなくも。
 
筑前志摩郡可也(ノ)山、今|親《オヤ》山と言ふと、其國人貝原篤信言へり。
 
3675 於吉都奈美。多可久多都日爾。安敝利伎等。美夜古能比等波。伎吉弖家牟可母。
おきつなみ。たかくたつひに。あへりきと。みやこのひとは。ききてけむかも。
 
浪高く恐《カシコ》かる日に逢ひし事を、京の人は聞きたりしやと言ふなり。
 
右二首大判官。
 
3676 安麻等夫也。可里乎都可比爾。衣弖之可母。奈良能彌夜古爾。許登都礙夜良武。
あまとぶや。かりをつかひに。えてしかも。ならのみやこに。ことつげやらむ。
 
言告げ遣らんなり。拾遺集に此歌を少し引き直して、人麿のもろこしにて詠めりと有るはひが事なり。古事記、阿麻登夫登理母都加比曾。
 
3677 秋野乎。爾保波須波疑波。佐家禮杼母。見流之留思奈之。多婢爾師安禮婆。
あきののを。にほはすはぎは。さけれども。みるしるしなし。たびにしあれば。
 
旅に有れば見る甲斐も無しとなり。
 
3678 伊毛乎於毛比。伊能禰良延奴爾。安伎乃野爾。草乎思香奈伎都。追麻於毛比可禰弖。
いもをおもひ。いのねらえぬに。あきののに。さをしかなきつ。つまおもひかねて。
 
(140)妻を思ふに堪へかねてなり。
 
3679 於保夫禰爾。眞可治之自奴伎。等吉麻都等。和禮波於毛倍杼。月曾倍爾家流。
おほぶねに。まかぢしじぬき。ときまつと。われはおもへど。つきぞへにける。
 
汐時を待つとのみ思へる程に、月さへ經にけるとなり。
 
3680 欲乎奈我美。伊能年良延奴爾。安之比奇能。山妣故等余米。佐乎思賀奈君母。
よをながみ。いのねらえぬに。あしびきの。やまびことよめ。さをしかなくも。
 
トヨメはトヨマセの約言なり。
 
肥前國松浦郡|狛島《コマジマノ》亭(ニ)舶泊之夜、遙望2海浪1、各慟2旅心1作歌七首
 
3681 可敝里伎弖。見牟等於毛比之。和我夜度能。安伎波疑須須伎。知里爾家武可聞。
かへりきて。みむとおもひし。わがやどの。あきはぎすすき。ちりにけむかも。
 
歸リ來テ見ムトオモヒシとは、既に古郷にて然か思ひし心を言ふ。
 
右一首秦田麻呂。
 
3682 安米都知能。可未乎許比都都。安禮麻多武。波夜伎萬世伎美。麻多婆久流思母。
あめつちの。かみをこひつつ。あれまたむ。はやきませきみ。またばくるしも。
 
コヒツツは乞?《コヒノミ》ヒツツなり。アレは吾なり。
 
(141)右一首娘子。  是れは故郷の別れの時の歌を此處《ココ》にて唱へしかと翁言はれつれど、宣長云、舟|泊《ハ》てたる所の娘子なるべし。下にも對馬娘子名玉槻とて歌有り。其類ひなりと言へり。
 
3683 伎美乎於毛比。安我古非萬久波。安良多麻乃。多都追寄其等爾。與久流日毛安良自。
きみをおもひ。あがこひまくは。あらたまの。たつつきごとに。よくるひもあらじ。
 
ヨクルヒモアラジは除日モナシと言ふにて、一日も落ちずと言ふに同じ意なり。故郷の女の歌なるを此處にて誦《トナ》へしか。又は是れも右娘子の類ひにや有らん。
 
3684 秋夜乎。奈我美爾可安良武。奈曾許己波。伊能禰良要奴毛。比等里奴禮婆可。
あきのよを。ながみにかあらむ。なぞここば。いのねらえぬも。ひとりぬればか。
 
夜の長き故にか、また獨り寢《ヌ》ればにや、何ぞ許多《ココバク》寢《イ》ねがてにするとなり。四の句のモの詞は助辭のみ。
 
3685 多良思比賣。御舶波弖家牟。松浦乃宇美。伊母我麻都敝伎。月者倍爾都都。
たらしひめ。みふねはてけむ。まつらのうみ。いもがまつべき。つきはへにつつ。
 
タラシヒメは神功皇后を申し奉る。マツラの事卷五に言へり。マツラと言ふより待ツラムと言ひ下したり。ヘニツツは經去《ヘイ》ニツツなり。
 
3686 多婢奈禮婆。於毛比多要弖毛。安里都禮杼。伊敝爾安流伊毛之。於母比我奈思母。
たびなれば。おもひたえても。ありつれど。いへにあるいもし。おもひがなしも。
 
(142)旅なれば思ひ絶えても有るを、妹が思ひを思ひ遣りて悲きとなり。妹シのシは妹ハシモと言ひ入るる詞なり。
 
3687 安思必寄能。山等比古由留。可里我禰婆。美也故爾由加波。伊毛爾安比弖許禰。
あしびきの。やまとびこゆる。かりがねは。みやこにゆかば。いもにあひてこね。
 
鴈だにも吾妹に逢ひて來れかしとなり。
 
到2壹岐島1雪連宅滿忽遇2鬼病1死去之時作歌一首并短歌
 
宅滿と共に旅行きし人の詠めるなり。
 
3688 須賣呂伎能。等保能朝庭等。可良國爾。和多流和我世波。伊敝妣等能。伊波比麻多禰可。多太【大未ヲ大末ニ誤ル】末可母。安夜麻知之家牟。安吉佐良婆。可敝里麻左牟等。多良知禰能。波波爾麻干之弖。等伎毛須疑。都奇母倍奴禮婆。今日可許牟。明日可蒙許武登。伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】比等波。麻知故布良牟爾。等保能久爾。伊麻太毛都可受。也麻等乎毛。登保久左可里弖。伊波我禰乃。安良伎之麻禰爾。夜杼理須流君。
すめろぎの。とほのみかどと。からくにに。わたるわがせは。いへびとの。いはひまたねか。たたみかも。あやまちしけむ。あきさらば。かへりまさむと。たらちねの。ははにまうして。ときもすぎ。つきもへぬれば。けふかこむ。あすかもこむと。いへびとは。まちこふらむに。とほのくに。いまだもつかず。やまとをも。とほくさかりて。いはがねの。あらきしまねに。やどりするきみ。
 
(143)三韓をも吾が朝《ミカド》として遠ノミカドと詠めり。イハヒマタネカは、マタネバカの略。タタミカモ云云は、古へ旅立ちし故郷の疊を齋《イハ》ひて置く事と見ゆ。古事記歌に、おほきみをしまにはふらばふなあまりいかへりこむぞ、和賀多多彌由米許登袁許曾多多美《ワガタタミユメコトヲコソタタミ》といはめわがつまはゆめ、と言へるにて知るべし。今の俗、主の旅立てるあと暫く箒もて掃はぬも此由なるべし。今本太未を太末に誤れり。麻于之の于を一本乎に作る。マヲシと有るぞ正しき。遠の國は新羅を言ふ。岩ガネノ云云は、海邊の岩を言ひて、實は死にたるを宿りせるさまに言ひなしたり。
 參考 ○多大未可母(代)タタマカモ(考、古、新)略に同じ。
 
反歌二首
 
3689 伊波多野爾。夜杼里須流伎美。伊敝妣等乃。伊豆良等和禮乎。等波婆【波婆ヲ婆波ニ誤ル】伊可爾伊波牟。
いはたぬに。やどりするきみ。いへびとの。いづちとわれを。とはばいかにいはむ。
 
和名抄、壹岐石田郷あり。伊之太と有るは後のとなへ誤なるべし。ヤドリスルとは、ここは葬の地を言ふ。ワレヲは友人の自ら言ふなり。後に我ニと言ふべきをヲと言へり。今、等婆波と有るは、誤りて下上に成れるなり。
 
3690 與能奈可波。都禰可久能未等。和可禮奴流。君爾也毛登奈。安我弧悲由加牟。
よのなかは。つねかくのみと。わかれぬる。きみにやもとな。あがこひゆかむ。
 
(144)上二句は世間は皆斯くの如き習ひとての意なり。トはトテの意。三の句以下は君に戀ひつつ慕ひ行かん由無しなり。
 
右三首挽歌。
 
3691 天地等。登毛爾母我毛等。於毛比都都。安里家牟毛能乎。波之家也思。伊敝乎波奈禮弖。奈美能宇倍由。奈豆佐比伎爾弖。安良多麻能。月日毛伎倍奴。可里我禰母。都藝弖伎奈氣婆。多良知禰能。波波母都末良母。安佐都由爾。毛能須蘇比都知。由布疑里爾。己呂毛弖奴禮弖。左伎久之毛。安流良牟其登久。伊低見都追。麻都良牟母能乎。世間能。比登乃奈氣伎波。安比於毛波奴。君爾安禮也母。安伎波疑能。知良敝【敝ヲ敞ニ誤ル】流野邊乃。波都乎花。可里保爾布伎弖。久毛婆奈禮。等保伎久爾敝能。都由之毛能。佐武伎山邊爾。夜杼里世流良牟。
あめつちと。ともにもがもと。おもひつつ。ありけむものを。はしけやし。いへをはなれて。なみのうへゆ。なづさひきにて。あらたまの。つきひもきへぬ。かりがねも。つぎてきなけば。たらちねの。ははもつまらも。あさつゆに。ものすそひつち。ゆふぎりに。ころもでぬれて。さきくしも。あるらむごとく。いでみつつ。まつらむものを。よのなかの。ひとのなげきは。あひおもはぬ。きみにあれやも。あきはぎの。ちらへるのべの。はつをばな。かりほにふきて。くもばなれ。とほきくにべの。つゆしもの。さむきやまべに。やどりせるらむ。
 
(145) 天地ト云云は、宅滿が齡長くと自《ミヅカ》ら思ひたりしなり。浪ノウヘユは壹岐島まで遠き海路を經て行きてと言ふなり。月日モキヘヌは、卷五、阿良たまの吉倍由久等志乃《キヘユクトシノ》、と詠める如く來經《キヘ》ぬるなり。朝露に云云は、母も妻も宅滿を門に立ち待つさまを言ふ。卷二長歌にも、朝露に玉裳はひづち夕霧に衣はぬれてと詠めり。サキクシモアルラム如クは、宅滿がみまかりしをも不v知《シラズ》幸《サキ》く在らん人の如くにと言ふなり。アヒオモハヌは、母妻をも思はで獨り先立ちしと言ふなり。君ニアレヤモは、君ニアレバニヤと言ふにて、モは添へたる詞。君は宅滿を指す。チラヘルは散ルを延べ言ふなり。初ヲ花カリホニフキテは、旅の假庵の事に有らで、荒城に喪屋を造りたるさまなるべし。雲バナレは、古事記仁コ條歌、やまべににしふきあげて玖毛婆那禮《クモハナレ》そきをりとも我れわすれめや、と有りて、雲ゐに放れたる意にて、青雲ノ向伏國など言へるが如し。ヤドリセルラムは、葬れる事を言ふ。君ニアレヤモと上に言へるに依りて、終を良牟と結べり。
 
反歌二首
 
3692 波之家也思。都麻毛古杼毛母。多可多加爾。麻都良牟伎美也。之麻我久禮奴流。
はしけやし。つまもこどもも。たかだかに。まつらむきみや。しまがくれぬる。
 
タカダガは遠く望む意なり。既に出づ。シマガクレヌルは、前の長歌の終に、あらき島ねにやどりする君、と言へる如く、是れも葬りたるを言ふ。
(146) 參考 ○麻都良牟伎美也(新)マツラムキミ「之」 シ。
 
3693 毛美知葉能。知里奈牟山爾。夜杼里奴流。君乎麻都良牟。比等之可奈思母。
もちぢばの。ちりなむやまに。やどりぬる。きみをまつらむ。ひとしかなしも。
 
右の長歌の終に、露霜のさむき山べにやどりせるらむ、と言ふに同じ意なり。君は宅滿を指し、人は家人を指す。
 
右三首|葛井《フヂヰノ》連|子老《コオユ》作挽歌
 
3694 和多都美能。可之故伎美知乎。也須家口母。奈久奈夜美伎弖。伊麻太爾母。毛奈久由可牟登。由吉能安末能。保都手乃宇良敝乎。可多夜伎弖。由加武土須流爾。伊米能其等。美知能蘇良治爾。和可禮須流伎美。
わたつみの。かしこきみちを。やすけくも。なくなやみきて。いまだにも。もなくゆかむと。ゆきのあまの。ほつてのうらへを。かたやきて。ゆかむとするに。いめのごと。みちのそらぢに。わかれするきみ。
 
ヤスケクモ云云は、安き心も無く惱み來なり。モナクユカムとは、卷五長歌に、平らけく安くもあらんを事もなく喪なくもあらん、と詠み、其外にも多く詠めり。ユキノアマは壹岐の海人なり。ホツテノウラヘは、ホツは秀《ホ》ツ、手は添へたる語にて、神代紀に太占をフトマニと言へる、太の語と同じく褒むる詞なり。ウラヘは占合なり。カタヤキテ、卷十四、むさしのに宇良敝可多也伎《ウラヘカタヤキ》、と言ふ歌に註せし如く、鹿の肩骨を取りて燒き占ふ事なり。イメノゴトは夢の如なり。ミチノソラヂ云云は、道の中空に死ねる(147)を言へり。
 參考 ○保都手乃宇良敝乎(新)ホツテヲウラヘ「乃」を「乎」の誤とし「乎」を※[月+?]字とす。
 
反歌二首
 
3695 牟可之欲里。伊比祁流許等乃。可良久爾能。可良久毛己許爾。和可禮須留可聞。
むかしより。いひけることの。からくにの。からくもここに。わかれするかも。
 
から國へ渡るを、昔より辛き事に言ひ來《コ》し故に斯く詠めり、さて唐《カラ》國と言ふよりカラキと言ひ下だしたり。
 參考 ○伊比祁流許等乃(新)イヒケルゴト「久」ク。
 
3696 新羅奇敝可。伊敝爾可加反流。由吉能之麻。由加牟多登伎毛。於毛比可禰都母。
しらきへか。いへにかかへる。ゆきのしま。ゆかむたどきも。おもひかねつも。
 
友に別れし愁に心ほれ迷ひて、新羅へか行かん、家にか歸らんの別ちも思ひ定めかねつと言ふなり。初句にユクの詞を言はずして、四の句にユカムと言へり。タドキはタヅキに同じ。
 
右三首|六鯖《ムサバ》作挽歌。 續紀、寶字八年正月正六位上|六人部《ムトベ》連鮪麻呂に外從五位下を授くと見ゆ。此人の氏と名とを略きて書けるならんと契沖言へり。
 
到2對馬島淺茅浦1舶泊之時、不v得2順風1、經停五箇日、於v是瞻2望物華1、各陳2慟心1作歌三首
 
(148)3697 毛母布禰乃。波都流對島能。安佐治山。志具禮能安米爾。毛美多比爾家里。
ももふねの。はつるつしまの。あさぢやま。しぐれのあめに。もみだひにけり。
 
舟|泊《ハツ》る津と懸けたり。此國を續紀、津島と書けり。モミダヒとはモミヂを延べ言へり。
 
3698 安麻射可流。比奈爾毛月波。弖禮禮杼母。伊毛曾等保久波。和可禮伎爾家流。
あまざかる。ひなにもつきは。てれれども。いもぞとほくは。わかれきにける。
 
妹をぞ遠くの意なり。卷十八、月見れば同じ國也山こそは君が當りをへだてきにけれ。
 
3699 安伎左禮婆。於久都由之毛爾。安倍受之弖。京師乃山波。伊呂豆伎奴良牟。
あきされば。おくつゆじもに。あへずして。みやこのやまは。いろづきぬらむ。
 
露霜に不v堪《タヘズ》して、故郷の京の山は黄葉《モミヂ》しぬらんとなり。
 
竹敷《タカシキ》浦(ニ)舶泊之時各陳2心緒1作歌十八首  續後紀第十三、對馬島上縣都竹敷崎と見ゆ。
 
3700 安之比奇能。山下比可流。毛美知葉能。知里能麻河比波。計布仁聞安流香母。
あしびきの。やましたひかる。もみぢばの。ちりのまがひほ。けふにもあるかも。
 
卷六、春べは山したひかり錦なす花咲ををり云云、卷十、秋山の舌日《シタヒ》がした、など言ひて、此シタの詞は赤く照る事なり。下は借字にて、山もとの意にあらず。卷三、山下の赤のそほ舟の歌に、宣長説を擧げて委しく言へり。末は唯だ今日こそ散り亂るるさまの面白き時なれと言へるのみなり。
 
(149)右一首大使。
 
3701 多可之伎能。母美知乎見禮婆。和藝毛故我。麻多牟等伊比之。等伎曾伎爾家流。
たかしきの。もみぢをみれば。わぎもこが。またむといひし。ときぞきにける。
 
右一首副使。
 
3702 多可思吉能。宇良末【末ヲ未ニ誤ル】能毛美知。和禮由伎弖。可敝里久流末低。知里許須奈由米。
たかしきの。うらまのもみぢ。われゆきて。かへりくるまで。ちりこすなゆめ。
 
韓國へ行きて還り來るまで、必ずな散りこそと願へるなり。
 
右一首大判官。
 
3703 多可思吉能。宇敝可多山者。久禮奈爲能。也之保能伊呂爾。奈里爾家流香聞。
たかしきの。うへかたやまは。くれなゐの。やしほのいろに。なりにけるかも。
 
ウヘカタ山も竹敷同所と見ゆ。
 
右一首|少《スナイ》【少ヲ小ニ誤ル】判官。
 
3704 毛美知婆能。知良布山邊由。許具布禰能。爾保比爾米低弖。伊低弖伎爾家理。
もみぢばの。ちらふやまべゆ。こぐふねの。にほひにめでて。いでてきにけり。
 
チラフは散るを延べ言ふ。ニホヒは色を言ふ。黄葉の散る邊りを漕ぐ舟を言へり。是れは漕ぐ舟を娘子(150)が見て詠めるなり。
 
3705 多可思吉能。多麻毛奈婢可之。己藝低奈牟。君我美布禰乎。伊都等可麻多牟。
たかしきの。たまもなびかし。こぎでなむ。きみがみふねを。いつとかまたむ。
 
右二首對馬娘子名(ハ)玉槻《タマツキ》。
 
3706 多麻之家流。伎欲吉奈藝佐乎。之保美弖婆。安可受和禮由久。可反流左爾見牟。
たましける。きよきなぎさを。しほみてば。あかずわれゆく。かへるさにみむ。
 
汐干なん時にまた見んとなり。
 參考 ○安可受(新)ミアカズ、「ミ」を補ふ。
 
右一首大使。
 
3707  安伎也麻能。毛美知乎可射之。和我乎禮婆。宇良之保美知久。伊麻太安可奈久爾。
あきやまの。もみぢをかざし。わがをれば。うらしほみちく。いまだあかなくに。
 
磯山の紅葉の見厭かぬに、浦に汐の滿ち來れば、舟に乘るとて詠めるなるべし。
 
右一首副使。
 
3708 毛能毛布等。比等爾波美要緇。之多婢毛能。思多由故布流爾。都奇曾倍爾家流。
ものもふと。ひとにはみえじ。したびもの。したゆこふるに。つきぞへにける。
 
(151)是れは旅中にて人を戀ふるなり。心は忍びとげて現はさじとなり。下紐は下ヨリと言はん爲めに設けたり。
 
右一首大使。
 
3709 伊敝【敝ヲ敞ニ誤ル】豆刀爾。可比乎比里布等。於伎敝欲里。與世久流奈美爾。許呂毛弖奴禮奴。
いへづとに。かひをひりふと。おきべより。よせくるなみに。ころもでぬれぬ。
 
3710 之保非奈波。麻多母和禮許牟。伊射遠賀武。於伎都志保佐爲。多可久多知伎奴。
しほひなば。またもわれこむ。いざゆかむ。おきつしほさゐ。たかくたちきぬ。
 
卷一、潮さゐにいらごが島べ、と詠めり。潮騷ぎなり。
 
3711 和我袖波。多毛登等保里弖。奴禮奴等母。故非和須禮我比。等良受波由可自。
わがそでは。たもととほりて。ぬれぬとも。こひわすれがひ。とらずはゆかじ。
 
卷二長歌、衣の袖は通りて零れぬ、と詠めり。下に重ねたる衣の袖まで沾れ通るを言ふ。
 
3712 奴波多麻能。伊毛我保須倍久。安良奈久爾。和我許呂母弖乎。奴禮弖伊可爾勢牟。
ぬばたまの。いもがほすべく。あらなくに。わがころもでを。ぬれていかにせむ。
 
ヌバタマノ夜と言ふより轉じて、寢《イ》の一言に續けりと翁は言はれき。宣長云、是れは十一の卷に、ぬば玉の妹が黒髪云云と有る歌などを心得たがへて、誤りて詠めるなるべし。かにかくに妹と續くべき由無しと言へり。猶考ふべし。
 
(152)3713 毛美知婆波。伊麻波宇都呂布。和伎毛故我。麻多牟等伊比之。等伎能倍由氣婆。
もみぢばは。いまはうつろふ。わぎもこが。またむといひし。ときのへゆけば。
 
3714 安伎佐禮婆。故非之美伊母乎。伊米爾太爾。比左之久見牟乎。安氣爾家流香聞。
あきされば。こひしみいもを。いめにだに。ひさしくみむを。あけにけるかも。
 
秋は歸りて逢はんと契り置きし頃にも成りぬれば、いとど戀しみ思ふ妹を、夢にだに長く見んと思ふに、あやにくに夜の明けぬるを歎くなり。
 
3715 比等里能未。伎奴流許呂毛能。比毛等加婆。多禮可毛由波牟。伊敝杼保久之弖。
ひとりのみ。きぬるころもの。ひもとかば。たれかもゆはむ。いへどほくして。
 
故郷に有れば吾が下紐を妹が結びつるを、獨り着し衣の紐を解きなば誰か結ばんとなり。
 
3716 安麻久毛能。多由多比久禮婆。九月能。毛美知能山毛。宇都呂比爾家里。
あまぐもの。たゆたひくれば。ながづきの。もみぢのやまも。うつろひにけり。
 
卷十二、天雲のたゆたひやすき心あらば、と詠めり。ここは旅に日數を經るを言へり。モミヂノ山は地名に有らず。卯の花山と詠める類ひなり。ウツロフは散るを言へり。
 
3717 多婢爾弖毛。母奈久波也許登。和伎毛故我。牟須比思比毛波。奈禮爾家流香聞。
たびにても。もなくはやこと。わぎもこが。むすびしひもは。なれにけるかも。
 
(153)喪なく早く歸り來れとなり。
 
囘2來筑紫海路1入v京到2播磨國家島1之時作歌五首
 
家島は上に言へり。
 
3718 伊敝之麻波。奈爾許曾安里家禮。宇奈波良乎。安我古非伎都流。伊毛母安良奈久爾。
いへじまは。なにこそありけれ。うなばらを。あがこひきつる。いももあらなくに。
 
島の名の家と言ふは名のみにて、戀ひ來し妹も有らぬとなり。
 
3719 久左麻久良。多婢爾比左之久。安良米也等。伊毛爾伊比之乎。等之能倍奴良久。
くさまくら。たびにひさしく。あらめやと。いもにいひしを。としのへぬらく。
 
半年ばかり經ぬるなれど、おほよそに年の經ぬると言ふなり。
 
3720 和伎毛故乎。由伎弖波也美武。安波治之麻。久毛爲爾見延【延ヲ廷ニ誤ル】奴。伊敝都久良久母。
わざもこを。ゆきてはやみむ。あはぢしま。くもゐにみえぬ。いへづくらしも。
 
上にもおきにやすまむいへづかずして、と詠めり。イヘヅクは家に近づくなり。
 
3721 奴婆多麻能。欲安可之母布禰波。許藝由可奈。美都能波麻末都。麻知故非奴良武。
ぬばたまの。よあかしもふねは。こぎゆかな。みつのはままつ。まちこひねらむ。
 
夜もすがら舟漕ぎ行かんなり。卷一、いざ子どもはやもやまとへ大伴のみつの濱松待こひぬらむ。
 
(154)3722 大伴乃。美津能等麻里爾。布禰波弖弖。多都多能山乎。伊都可故延伊加武。
おほともの。みつのとまりに。ふねはてて。たつたのやまを。いつかこえいかむ。
 
大トモノ、枕詞。難波の御津にいつか舟泊てて、立田路越え行かんとなり。
 
中臣朝臣宅守與2狹野(ノ)茅上《チガミノ》娘子1贈答歌。
 
目録に中臣朝臣宅守娶2藏部女1娉2狹野茅上娘子1之時。勅斷2流罪1配2越前國1也。於v是夫婦相2嘆易v別難1v會各陳2慟情1贈答六十三首と有り。此端詞ここに脱ちたり。茅一本、弟に作る。目録も同じ。續紀、天平十二年六月十五日大赦云云、中臣宅守等不v在2赦限1。天平寶字六年正月從六位上中臣朝臣宅守(ニ)從五位下を綬くる由見ゆ。
 
3723 安之比奇能。夜麻治【治ヲ冶ニ誤ル】古延牟等。須流君乎。許許呂爾毛知弖。夜須家久母奈之。
あしびきの。やまぢこえむと。するきみを。こころにもちて。やすけくもなし。
 
君が越路へ別れんずる事の心に有れば安からぬとなり。
 
3724 君我由久。道乃奈我?乎。久里多多禰。也伎保呂煩散牟。安米能火毛我母。
きみがゆく。みちのながてを。くりたたね。やきほろぼさむ。あめのひもがも。
 
ナガテは長|道《チ》にて、道の長道と重ね言へるなり。クリタタネのクリはタグリにて、タタネはタタナハルと言ふと同言の活用なり。心は長道をたぐり寄せて、燒き失はん天の火も有れかしと言ふなり。
(155) 參考 ○久里多多禰(代、考)略に同じ(古、新)クリタタ「彌」ミ。
 
3725 和我世故之。氣太之麻可良婆。思漏多倍乃。蘇低乎布良左禰。見都追志努波牟。
わがせこが。けだしまからば。しろたへの。そでをふらさね。みつつしぬばむ。
 
ケダシは若《モシ》の意。フラサネはフレを延べ言ふなり。
 參考 ○和我世故之(考)略に同じ(古、新)ワガセコシ。
 
3726 己能許呂波。古非都追母安良牟。多麻久之氣。安氣弖乎知欲利。須辨奈可流倍思。
このごろは。こひつつもあらむ。たまくしげ。あけてをちより。すべなかるべし。
 
まだ別れぬ程は戀ひつつも有らんを、明日別れてより後はせん方無からんとなり。
 
右四首娘子臨v別作歌 目録に臨v別娘子悲嘆作歌と有り。
 
3727 知里比治能。可受爾母安良奴。和禮由惠爾。於毛比和夫良牟。伊母我可奈思佐。
ちりひぢの。かずにもあらぬ。われゆゑに。おもひわぶらむ。いもがかなしさ。
 
上は塵土の如く、數ならぬ我なるにの意。カナシサはここは愛づる意なり。
 
3728 安乎爾與之。奈良能於保知波。由吉余家杼。許能山道波。由伎安之可里家利。
あをによし。ならのおほぢは。ゆきよけど。このやまみちは。ゆきあしかりけり。
 
オホヂは京の大路を言ふ。ユキヨケレドを略きてユキヨケドと言へり。此山道は越へ赴く道なり。
 
(156)3729 宇流波之等。安我毛布伊毛乎。於毛比都追。由氣婆可母等奈。由伎安思可流良武。
うるはしと。あがもふいもを。おもひつつ。ゆけばかもとな。ゆきあしかるらむ。
 
アガモフイモは吾が思ふ妹なり。モトナは例のヨシナの意なり。此モトナの詞を三の句の上へ廻して心得べし。上の歌の行《ユキ》あしかりけりと言ふに、みづから答ふるさまに詠めり。斯かる類ひも多し。
 
3730 加思故美等。能良受安里思乎。美故之治能。多武氣爾多知弖。伊毛我名能里都。
かしこみと。のらずありしを。みこしぢの。たむけにたちて。いもがなのりつ。
 
かしこまり有りて行く道なれば、妹戀しとも言に出ださざりしを、山上に至りて故郷を返り見て、妹が名を呼びつるとなり。日本武(ノ)尊のあづまはやとのたまひし類ひなり。タムケは、奈良坂をならのたむけと言ひ、逢坂山を手向山と言へる如く、越路へ入る山のたうげを言へり。契沖云、さる所をタウゲと言ふはもと手向なるべしと言へり。
 
右四首中臣朝臣宅守上道作歌。
 
3731 於毛布惠爾。安布毛能奈良婆。之末思久毛。伊母我目可禮弖。安禮乎良米也母。
おもふゑに。あふものならば。しましくも。いもがめかれて。あれをらめやも。
 
オモフヱニは思ふ故になり。思ふ心の儘に逢はるるものならば、暫くも妹を離れて吾居んやと言ふなり。
 參考 ○於毛布惠爾(新)オモフ「由」ユヱニ。
 
(157)3732 安可禰佐須。比流波毛能母比。奴婆多麻乃。欲流波須我良爾。禰能未之奈加由。
あかねさす。ひるはものもひ。ぬばたまの。よるはすがらに。ねのみしなかゆ。
 
3733 和伎毛故我。可多美能許呂母。奈可里世婆。奈爾毛能母?加。伊能知都我麻之。
わぎもこが。かたみのころも。なかりせば。なにものもてか。いのちつがまし。
 
3734 等保伎山。世伎毛故要伎奴。伊麻左良爾。安布倍伎與之能。奈伎我佐夫之佐。
とほきやま。せきもこえきぬ。いまさらに。あふべきよしの。なきがさぶしさ。
 
一云。左必之佐《サビシサ》。  サブシもサビシも同じ。不怜、不樂など書けり。
 
3735 於毛波受母。麻許等安里衣牟也。左奴流欲能。伊米爾毛伊母我。美延射良奈久爾。
おもはずも。まことありえむや。さぬるよの。いめにもいもが。みえざらなくに。
 
一二の句は思はずして在り得んやと言ふなり。又契沖が言へる如く、初句はオモハズヨと末の歌に詠む如く、句絶とも見るべし。然らばこの句は、在得んとは思はぬ由なり。見エザラナクニのナクは詞にて、見エザルニと言ふなり。卷十四、をつくばのしげきこのまよ立鳥のめゆかなを見むさね射良奈久爾《ザラナクニ》と言ふも、サは發語にて、寢ザルニなり。翁の見エヤラナクニと訓まれたるは、今思ふに善からず。
 
3736 等保久安禮婆。一日一夜毛。於母波受弖。安流良牟母能等。於毛保之賣須奈。
とほくあれば。ひとひひとよも。おもはずて。あるらむものと。おもほしめすな。
 
(158)思はずして在るべきものと思すなとなり。
 
3737 比等余里波。伊毛曾母安之伎。故非毛奈久。安良末思毛能乎。於毛波之米都追。
ひとよりは。いもぞもあしき。こひもなく。あらましものを。おもはしめつつ。
 
人ヨリハは他《アダ》し人よりはなり。妹が無くは我は戀ふると言ふ事も無くて有らんを、斯く思はしむるは妹が惡しきなりと言ふなり。  
 
3738 於毛比都追。奴禮婆可毛等奈。奴婆多麻能。伊等欲毛意知受。伊米爾之見由流。
おもひつつ。ぬればかもとな。ぬばたまの。ひとよもおちず。いめにしみゆる。
 
思ヒツツヌレバカは、思ヒ思ヒ寢ル故ニカと言ふなり。
 
3739 可久婆可里。古非牟等可禰弖。之良末世婆。伊毛乎婆美受曾。安流倍久安里家留。
かくばかり。こひむとかねて。しらませば。いもをばみずぞ。あるべくありける。
 
3740 安米都知能。可未奈伎毛能爾。安良婆許曾。安我毛布伊毛爾。安波受思仁世米。
ああつちの。かみなきものに。あらばこそ。あがもふいもに。あはずしにせめ。
 
卷四、天地の神もことわりなくはこそわが思ふ君にあはずしにせめ、と言ふに同じ。
 
3741 伊能知乎之。麻多久之安良婆。安里伎奴能。安里弖能知爾毛。安波射良米也母。
いのちをし。またくしあらば。ありぎぬの。ありてのちにも。あはざらめやも。
 
(159)命ヲシのヲシも、マタクシのシも助辭なり。アリギヌは卷四、卷十四、卷十六にも出づ。ここは在リテと重ね言はん爲のみ。
 參考 ○伊能知乎之(新)イノチ「之毛」シモ。
 
一云。安里弖能乃知毛。
 
3742 安波牟日乎。其日等之良受。等許也未爾。伊豆禮能日麻弖。安禮古非乎良牟。
あはむひを。そのひとしらず。とこやみに。いづれのひまで。あれこひをらむ。
 
卷二、天雲を日のめも見せずとこやみに、卷四、照れる日を闇に見なして泣くなみだ、など詠めり。
 
3743 多婢等伊倍婆。許等爾曾夜須伎。須久奈久毛。伊母爾戀都都。須敝奈家奈久爾。
たびといへば。ことにぞやすき。すくなくも。いもにこひつつ。すべなけなくに。
 
妹に戀ひつつ少なくもすべ無けなくにと心得べし。スベナケはセムスベナキなり。さてスクナクモスベナケナクニと言ふは、術《スベ》無さの少なくも有らぬと言ふ意なり。卷十一、言にいへば耳にたやすしすくなくも心の内に我念名九爾《ワガオモハナクニ》、卷十二、人目多みこそしぬぶれすくなくも心の内に吾念莫國。是れ皆スクナクモオモハナクニと言ふにて、多く思ふ事に成ると同じ。卷一、吾莫勿久爾と言へる所にも言ひつ。
 
3744 和伎毛故爾。古布流爾安禮波。多麻吉波流。美自可伎伊能知毛。乎之家久母奈思。
わぎもこに。こふるにあれは。たまきはる。みじかきいのちも。をしけくもなし。
 
(160)戀ふるに我者なり。
 
右十四首中臣朝臣宅守。 目録に至2配所1云云作歌と有り。
 
3745 伊能知安良婆。安布許登母安良牟。和我由惠爾。波太奈於毛比曾 。伊能知多爾敝波。
いのちあらば。あふこともあらむ。わがゆゑに。はたなおもひそ。いのちだにへば。
 
ハタはマタと言ふに同じ。ここは輕く用ひしなり。イノチダニヘバは、命だに在り經なばにて、初句を打返し言へるなり。
 參考 ○波太宗於毛比曾(新)ハダナオモヒソ「ダ」を濁りて「甚」の意とす。
 
3746 比等能宇宇流。田者宇惠麻佐受。伊麻佐良爾。久爾和可禮之弖。安禮波伊可爾勢武。
ひとのううる。たはうゑまさず。いまさらに。くにわかれして。あれはいかにせむ。
 
人の業とする田をも植ゑずして、國遠く別れまさば、吾は何をたづきとして有らんとなり。
 
3747 和我屋度能。麻都能葉見都都。安禮麻多無。波夜可反里麻世。古非之奈奴刀爾。
わがやどの。まつのはみつつ。あれまたむ。はやかへりませ。こひしなぬとに。
 
松を待つに懸けたり。トニは時ニなり。間ニと言ふに同じ。繼體紀歌、しじくしろうまいねし度爾《トニ》、卷十、わがせこをなこせの山の呼子鳥君呼かへせ夜の更《フケ》ぬとに。
 
3748 比等久爾波。須美安之等曾伊布。須牟也氣久。波也可反里萬世。古非之奈奴刀爾。
(161)ひとくには。すみあしとぞいふ。すむやけく。はやかへりませ。こひしなぬとに。
 
ヒトクニは他國なり。スムヤケクは速ニなり。
 
3749 比等久爾爾。伎美乎伊麻勢弖。伊都麻弖可。安我故非乎良牟。等伎乃之良奈久。
ひとくにに。きみをいませて。いつまでか。わがこひをらむ。ときのしらなく。
 
イマセテは往《イ》ニマサセテなり。時ノシラナクは逢はん時の知られぬなり。
 
3750 安米都知乃。曾許比能宇良爾。安我其等久。伎美爾故布良牟。比等波左禰安良自。
あめつちの。そこひのうらに。あがごとく。きみにこふらむ。ひとはさねあらじ。
 
ソコヒは集中、山のそき、野のそきと言へるソキに同じ。ソキは祝詞に國の退立限《ソキタツカギリ》、と言ふに同じく、天地の涯《カギ》りを言ふ。ソコヒのヒは方《ヘ》の語にて、ソコ備《ビ》と言ふべきを半濁にイの如く唱ふるなり。ウラは裏なり。左禰は誠なり。
 
3751 之呂多倍能。安我之多其呂母。宇思奈波受。毛弖禮和我世故。多太爾安布麻弖爾。
しろたへの。あがしたごろも。うしなはず。もてれわがせこ。ただにあふまでに。
 
下に重ね著るを下衣と言ふべし。モテレは、持ちて在れなり。
 
3752 波流乃日能。宇良我奈之伎爾。於久禮爲弖。君爾古非都都。宇都之家米也母。
はるのひの。うらがなしきに。おくれゐて。きみにこひつつ。うつしけめやも。
 
(162)春の日の長きに後《オク》れ居て戀ふれば、現《ウツツ》の心地せんやとなり。卷十二、君におくれてうつしけめやも、と詠めり、ケメはカラメの約なり。
 
3753 安波牟日能。可多美爾世與等。多和也女能。於毛比美太禮弖。奴敝流許呂母曾。
あはむひの。かたみにせよと。たわやめの。おもひみだれて。ぬへるころもぞ。
 
逢はん日までの意。タワヤメはタヲヤメに同じ。衣を贈れるなり。
 
右九首娘子。
 
3754 過所奈之爾。世伎等婢古由流。保等登藝須。多我子爾毛。夜麻受可欲波牟。
ふみなしに。せきとびこゆる。ほととぎす。     やまずかよはむ。
 
過所は公式令、關市令等に見え、關を過ぐる人の標《シルシ》のふみにて、今手形と言ふ物なり。令を見て知るべし。さればここはフミナシニと訓めり。又直ちに音にても訓むべきなり。多我子爾毛を今本アマタガコニモと訓みたれど、由無し。此歌の書きざまにては、二字ばかり脱ちたりと見ゆ。多は和、子は未の誤にて、爾毛の下、可毛の二字脱ちしか、然らばワガミニモガモと訓むべしと翁言はれき。心は郭公は過所も無く關を越ゆれば、其鳥を吾身にもがな、常に關越えて通はんとなり。
 參考 ○過所奈之爾(代)ヒマナシニ(考)フミナシニ(古)フダナシニ(新)クワソナシニ ○多我子爾毛(考、古、新)和我子爾毛可毛《ワガミニモガモ》
 
(163)3755 宇流波之等。安我毛布伊毛乎。山川乎。奈可爾敝奈里弖。夜須家久毛奈之。
うるはしと。あがもふいもを。やまかはを。なかにへなりて。やすけくもなし。
 
ウルハシは愛の字を書きて、ウラグハシと同じ語なり。
 參考 ○安我毛布伊毛乎(新)アガモフイモ「等」ト。
 
3756 牟可比爲弖。一日毛於知受。見之可杼母。伊等波奴伊毛乎。都奇和多流麻弖。
むかひゐて。ひとひもおちず。みしかども。いとはぬいもを。つきわたるまで。
 
イトハヌは厭かざるなり。月渉るまで見ずと言ふを籠めたり。
 
3757 安我未許曾。世伎夜麻故要弖。許己爾安良米。許己呂波伊毛爾。與里爾之母能乎。
あがみこそ。せきやまこえて。ここにあらめ。こころはいもに。よりにしものを。
 
砥浪の關山なるべし。
 
3758 佐須太氣能。大宮人者。伊麻毛可母。比等奈夫理能未。許能美多流良武。
さすたけの。おほみやびとは。いまもかも。ひとなぶりのみ。このみたるらむ。
 
サスタケノ、枕詞。娘子が事に由りて罪なはれしをなぶるなるべし。遊仙窟、※[虐+立刀]をヒトナブリと訓めり。
 
一云。伊麻左倍也《イマサヘヤ》。  三の句也。
 
3759 多知可敝里。奈氣杼毛安禮波。之流思奈美。於毛比和夫禮弖。奴流欲之曾於保伎。
(164)たちかへり。なけどもあれは。しるしなみ。おもひわぶれて。ぬるよしぞおほき。
 
タチカヘリはクリ返シなり。ワブレはウラブレを約め言ふなり。
 
3760 左奴流欲波。於保久安禮杼母。毛能毛波受。夜須久奴流欲波。佐禰奈伎母能乎。
さぬるよは。おほくあれども。ものもはず。やすくぬるよは。さねなきものを。
 
寢《ヌ》る夜は多けれど、物思はず安く寢る夜は實に無きとなり。
 
3761 與能奈可能。都年能己等和利。可久左麻爾。奈里伎爾家良之。須惠之多禰可良。
よのなかの。つねのことわり。かくさまに。なりきにけらし。すゑのたねから。
 
世間の道理|如是樣《カクサマ》に成り來りぬるかと言ふなり。スヱノタネカラは末の胤の意にて、カラは故なり。遠つ祖は貴きも、其裔衰へて國官と成下りたるを歎くかと翁言はれき。道麻呂云、スヱシタネカラなり。凡て草木の種を蒔くを、種をすゑると今も言へり。さればここは己が爲したる業因に依りてと言ふ意にて、今の世にも蒔かぬ種ははえぬなど諺にも言ふと言へり。此説のかた穩かなるべし。
 參考 ○須惠之多禰可良(考)スヱノタネカラ(古、新})スヱシタネカラ。
 
3762 和伎毛故爾。安布左可山乎。故要弖伎弖。奈伎都都乎禮杼。安布余思毛奈之。
わぎもこに。あふさかやまを。こえてきて。なきつつをれど。あふよしもなし。
 
あふさかの名にも似ず逢ふ由の無きとなり。
 
(165)3763 多婢等伊倍婆。許登爾曾夜須伎。須敝毛奈久。久流思伎多婢毛。許等爾麻左米也母。
たびといへば。ことにぞやすき。すべもなく。くるしきたびも。こらにまさめやも。
 
此上二句は上にも詠めり。吾が苦しき旅の心のせんすべ無さを先づ言ひて、さて其苦しき旅も、娘子が留り居て思ふらん心には、増さらじと言ふが却りて哀れ深し。
 參考 ○許等爾麻左米也母(新)コラニマサメヤモ。
 
3764 山川乎。奈可爾敝奈里弖。等保久登母。許己呂乎知可久。於毛保世和伎母。
やまかはを。なかにへなりて。とほくとも。こころをちかく。おもほせわぎも。
 
此二句上にも詠めり。心ばかりは隔つなとなり。
 
3765 麻蘇可我美。可氣弖之奴敝※[草がんむり/寺。麻都里太須。可多美乃母能乎。比等爾之賣須奈。
まそかがみ。かけてしぬべと。まつりだす。かたみのものを。ひとにしめすな。
 
マソ鏡は懸けてと言はん枕詞のみにて、形見の物は外に有るなるべし。次の歌に下紐に結付持てと言ふにて、鏡ならぬ事知るべし。太の下、須は類の誤にて、マツリタルならんと翁は言はれき。宣長云、マツリダスは紀に奉遣をタテマダスと訓めるマダスは則ちここのマツリダスなりと言へり。さも有るべし。シメスナは示す事なかれにて、人に見すなと言ふなり。
 
3766 宇流波之等。於毛比之於毛婆波。之多婢毛爾。由比都氣毛知弖。夜麻受之努波世。
(166)うるはしと。おもひしおもはば。したびもに。ゆひつけもちて。やまずしぬばせ。
 
右の歌の形見の物を下紐に結ひ付けよとなり。
 
右十三首中臣朝臣宅守。
 
3767 多麻之比波。安之多由布敝爾。多麻布禮杼。安我牟禰伊多之。古非能之氣吉爾。
たましひは。あしたゆふべに。たまふれど。あがむねいたし。こひのしげきに。
 
男の魂をば吾に添へ給へれどもの意なり。卷五、あが《吾》ぬしのみたま賜ひて春さらばならの都に|めさ《召上》げたまはね。
 
3768 己能許呂波。君乎於毛布等。須敝毛奈伎。古非能未之都都。禰能未之曾奈久。
このごろは。きみをおもふと。すべもなき。こひのみしつつ。ねのみしぞなく。
 
君を思ふとてなり。
 
3769 奴婆多麻乃。欲流見之君乎。安久流安之多。安波受麻爾之弖。伊麻曾久夜思吉。
ぬばたまの。よるみしきみを。あくるあした。あはずまにして。いまぞくやしき。
 
別れし時夜見し事を今言ふなり。契沖云、マは助辭にて、アハズニシテなりと言へり。コリズマと言ふも同じくコリズにて、マは助辭なれば例とすべし。
 
3770 安治麻野爾。屋杼禮流君我。可反里許武。等伎能牟可倍乎。伊都等可麻多武。
(167)あぢまぬに。やどれるきみが。かへりこむ。ときのむかへを。いつとかまたむ。
 
和名抄、越前今立郡味眞(阿知末)と有るなるべし。
 
3771 宮人能。夜須伊毛禰受弖。家布家布等。麻都良武毛能乎。美要奴君可聞。
みやびとの。やすいもねずて。けふけふと。まつらむものを。みえぬきみかも。
 
宮人と言へるは宅守の友をさすか。上に人なぶりのみ好みたるらむ、と詠める歌に、大宮人と言へるも是れにや。又或人、宮は家の字の誤ならんと言へり。家人《イヘビト》と有らんかた穩かなり。
 參考 ○宮人能(古、新)「家」イヘビトノ。
 
3772 可敝里家流。比等伎多禮里等 。伊比之可婆。保等保登之爾吉。君香登於毛比弖。
かへりける。ひときたれりと。いひしかば。ほとほとしにき。きみかとおもひて。
 
人は使を言ふべし。ホトホトは、卷三、吾さかり復將變八方殆《マタヲチメヤモホトホト》に。卷七、ほとほとしくに手斧とられぬ、と詠めり。そこに言へり。シキニは死ニキなり。餘りに悦びて魂まどひきと言ふなり。
 
3773 君我牟多。由可麻之毛能乎。於奈自許等。於久禮弖乎禮杼。與伎許等毛奈之。
きみがむた。ゆかましものを。おなじこと。おくれてをれど。よきこともなし。
 
君と共になり。オナジコトは本ノ如クと言ふなりと翁は言はれき。按ずるに如の意ならば期等などと濁音を用ふべし。既によき許等もなしと言ふと同じ假字を用ひたれば、許は清《ス》むべき事|著《シル》し。是れは君が(168)流され行きし思ひも、後《オク》れをる思ひも同じ事にて、後れたりとて好《ヨ》き事も無しと言ふ意なるべし。
 
3774 和我世故我。可反里吉麻佐武。等伎能多米。伊能知能己佐牟。和須禮多麻布奈。
わがせこが。かへりきまさむ。ときのため。いのちのこさむ。わすれたまふな。
 
吾が命を殘し留《トド》めんなり。
 
右八首娘子。
 
3775 安良多麻能。等之能乎奈我久。安波射禮杼。家之伎己許呂乎。安我毛波奈久爾。
あらたまの。としのをながく。あはざれど。けしきこころを。あがもはなくに。
 
ケシキ心は、他《アダ》シ心と言ふに同じ。
 
3776 家布毛可母。美也故奈里世婆。見麻久保里。爾之能御馬屋乃。刀爾多弖良麻之。
けふもかも。みやこなりせば。みまくほり。にしのみまやの。とにたてらまし。
 
此娘子が家、右馬寮の邊に在りしなるべし。トは外《ト》なり。卷十四、其かなしきを外《ト》にたてめやも、とも詠めり。
 
右二首中臣朝臣宅守。 目録に宅守の下、更贈歌と有り。
 
3777 伎能布家布。伎美爾安波受弖。須流須敝能。多度伎乎之良爾。禰能未之曾奈久。
さのふけふ。きみにあはずて。するすべの。たどきをしらに。ねのみしぞなく。
 
(169)スルスベは多くセムスベと訓めるに同じ。タドキヲシラニは、タヅキヲ不v知ニなり。初句は末句へ懸かれり。
 
3778 之路多倍乃。阿我許呂毛弖乎。登里母知弖。伊波敝和我勢古。多太爾安布末低爾。
しろたへの。あがころもでを。とりもちて。いはへわがせこ。ただにあふまでに。
 
形見の衣を以て祈齋《イハ》ふ事有りしか。卷四、またもあはむよしもあらぬか白たへの我衣手に齋留《イハヒトド》めむ。
 
右二首娘子。 目録娘子の下、和贈歌と有り。
 
3779 和我夜度乃。波奈多知婆奈波。伊多都良爾。知利可須具良牟。見流比等奈思爾。
わがやどの。はなたちばなは。いたづらに。ちりかすぐらむ。みるひとなしに。
 
3780 古非之奈婆。古非毛之禰等也。保等登藝須。毛能毛布等伎爾。伎奈吉等余牟流。
こひしなば。こひもしねとや。ほととぎす。ものもふときに。きなきとよむる。
 
卷十一、こひしなばこひもしねとや玉ぼこの道行人にことも告なく。また一二は同じくて、わぎも子がわぎへの門を過て行らむ、なども詠めり。
 
3781 多婢爾之弖。毛能毛布等吉爾。保等登藝須。毛等奈那難吉曾。安我古非麻左流。
たびにして。ものもふときに。ほととぎす。もとなななきそ。あがこひまさる。
 
3782 安麻其毛理。毛能母布等伎爾。保等登藝須。和我須武佐刀爾。伎奈伎等余母須。
(170)あまごもり。ものもふときに。ほととぎす。わがすむさとに。きなきとよもす。
 
卷六、雨ごもり心ゆかしみ、又雨づつみなども詠めり。皆同じく雨に隱り居るなり。
 參考 ○和我須武佐刀爾(新)ワガスムサト「乎」ヲ。
 
3783 多婢爾之弖。伊毛爾古布禮婆。保登等伎須。和我須武佐刀爾。許欲奈伎和多流。
たびにして。いもにこふれば。ほととぎす。わがすむさとに。こよなきわたる。
 
コヨは集中、從此間と書きて、コユと訓めるに同じ。
 
3784 許己呂奈伎。登里爾曾安利家流。保登等藝須。毛能毛布等伎爾。奈久倍吉毛能可。
こころなき。とりにぞありける。ほととぎす。ものもふときに。なくべきものか。
 
3785 保登等藝須。安比太之麻思於家。奈我奈氣婆。安我毛布許己呂。伊多母須敝奈之。
ほととぎす。あひだしましおけ。ながなけば。あがもふこころ。いたもすべなし。
 
間暫おけなり。イタモは甚モなり。
 
右七首中臣朝臣宅守寄2花鳥1陳v思作歌。  此七首は女に贈りたるに有らざるをことわるなり。
 
萬葉集 卷第十五 終
 
(171)萬葉集 卷第十六
 
有由縁并雜歌
 
昔者有2娘子1字曰2櫻兒1也、于v時有2二壯子1、共誂2此娘1、而捐v生挌競、貪v死相敵、於v是娘子歔欷曰、從v古來2于今1、未v聞未v見、一女之身、往適2二門1矣、方今壯子之意、有v難2和平1、不v如妾死、相害(スルコトヲ)永息、爾乃尋2入林中1懸v樹經死、其兩壯子、不v敢2哀慟1、血泣漣v襟、各陳2心緒1、作歌二首
 
誂は字書に、相呼誘也戯也などあれど、猶挑の誤なるべし。歔欷は字鏡、泣涕皃云云左久利と有り、今云ふさくり泣なり。壯士不の下、敢は堪の誤か。今本作歌云云の字離ち書けるは誤なり。
 
3786 春去者。挿頭爾將爲跡。我念之。櫻花者。散去流香聞 。
はるさらば。かざしにせむと。わがもひし。さくらのはなは。ちりゆけるかも。
 
櫻兒の名に寄せて、妻にせんの心を、カザシニセムと言ひ、みまかれるを散去と言へり。
 參考 ○散去流香聞(古、新)チリニケルカモ、「去」の下「家」を補ふ。
 
3787 妹之名爾。繋有櫻。花開者。常哉將戀 。彌年之羽爾。
(172)いもがなに。かかせるさくら。はなさかば。つねにやこひむ。いやとしのはに。
 
卷三、御名にかかせる明日香川、と詠めり。常ニは花咲かん時毎にの意。トシノハは、卷十九、毎年謂2之(ヲ)等之乃波1と有り。
 參考 ○繋有櫻(考、新)カケタルサクラ(古)略に同じ。
 
或曰昔2有三男1同娉2一女1也、娘子嘆息曰、一女之身易v滅如v露、三雄之志、難v平如v石、遂乃|?2?池上1。沈2没水底1、於v時其壯士等不v勝2哀頽之至1。各陳2所心1作歌三首。(娘子字曰2鬘兒1也)
 
3788 無耳之。池羊蹄恨之。吾妹兒之。來乍潜者。水波將涸。
みみなしの。いけしうらめし。わぎもこが。きつつかづかば。みづはあせなむ。
 
大和耳梨山の邊なるべし。池シのシは助辭。古訓カレナムと有れど、水の淺び行くをアセと言ふが古し。すべて物の變る事にも言ふは末なり。
 參考 ○水波將涸(代、古、新)ミヅハカレナム(考)略に同じ。
 
3789 足曳之。山縵之兒。今日往跡。吾爾告世婆。還來麻之乎。
あしびきの。やまかづらのこ。けふゆくと。われにつげせば。かへりこましを。
 
古今集に、けふぞ我せこ山かづらせよ、と詠めるは日蔭なり。是れも縵兒と言はん爲めに斯く續けたり。(173)還は迅の誤にて、ハヤクコマシヲとか。トクキテマシヲとか訓むべし。又按ずるに、此男其時旅行きし事など有りて、還來マシヲと詠めるか。縵、字書を考ふるに、カヅラと訓むべき由無し。宣長云、紀及び此集にカヅラに用ひたれば、鬘と通ずるかと言へり。
 參考 ○吾爾告世婆(古)ワレニノリセバ(新)略に同じ ○還來麻之乎(考)カヘリコマシヲ(古、新)ハヤクコマシヲ(古)は「迅」(新)は「速」の誤とす。
 
3790 足曳之。玉【玉ハ山ノ誤】縵之兒。如今日。何隈乎。見管來爾監。
あしびきの。やまかづらのこ。けふのごと。いづくのくまを。みつつきにけむ。
 
アシビキノ枕詞を置けるからは、玉は山の草の字より誤れる事|著《シル》し。けふ我が尋ね來し如くいづくの邊《アタリ》をか此の少女《ヲトメ》が見置きて、斯く身を投げしぞと言ふか。されど穩かならず、誤字有らんか。猶考ふべし。
 參考 ○玉縵之兒(代)タマカヅラ(考、古、新)略に同じ ○何隈乎見管(新)イヅレノトキカ、モヒツツ「隕乎見」を「何時可思」の誤とす。
 
昔有2老翁1。號曰2竹取翁1也。此翁季春之月。登v丘遠望忽値2煮v羮之九箇女子1也。百嬌無v儔。花容無v止。于v時娘子等呼2老翁1嗤曰、〓【〓今舛ニ誤ル、〓ハ叔ノ通字】父來乎吹2此燭火1也。於v是翁曰。唯唯。漸?徐行。著2接座上1。良久(シテ)娘子等皆共含v咲。相推讓之曰。阿誰《タレ》呼2此翁1哉。(174)爾乃竹取翁謝v之曰。非慮之外。偶逢2神仙1迷惑之心。無2敢所1v禁。近狎之罪。希贖以v謌。即作歌一首并短歌
 
無の下、止は比か匹の誤。此の下、燭は鍋の誤か。此歌は翁殊更に解き置かれし有り。事長かるをば省きてここに書けり。物語に竹取と言ふ物有るは、契沖が云、天竺の大寶廣博樓閣經の一の卷に、佛言乃往古昔不可思議。乃至有2三仙人1。乃至時彼仙人得v法歡喜。心生2踊躍1。於2其住處1。便捨2身命1。所捨之身猶如2生酥1。消融入v地。即於2没處1而生2三竹1。金爲2莖葉1。七寶爲v根。於2杖梢上1皆眞珠。香氣芬馥。常有2光明1所有《アラユル》見者。無v不2欣悦1。其竹生長十月。則自剖裂。各於2竹内1生2一童子1。顔貌端正。令2v人樂1v見。最勝端嚴。光色殊麗。相好成就。※[日+之]三童子即於2是時1。竹下結跏趺坐。即入2正定1。至2第七日1。於2其中夜1皆成2正覺1。其身金色。三十二相。八十種好。圓光嚴飾。※[日+之]彼三竹。皆變成2七寶樓閣1。云云。また後漢書西南夷傳に、夜郎者初有2女子1。浣2於遯水1。有2三節之大竹1。流2入足間1。其中有2號聲1。割v竹見v之、得2一男1云云。かうやうの事をもて設くるなるべしと言へり。翁云く、此歌には其由も無くて、いかで此名は出だしけん。右のからごとなどもて竹取翁と言ふが、仙女に逢へりと言ふ物語など有りしをもて、斯くも書きて、歌をも作りしにやと言はれき。
 
3791 緑子之。若子蚊見庭。垂乳爲。母所懐。搓襁。平生蚊見庭。結經方衣。(175)氷津裡丹縫服。頸著之。童子蚊見庭。結幡之。袂著衣。服我矣 丹因子等何。四千庭。三名之綿。蚊黒爲髪尾。信櫛持。於是蚊寸垂。取束。擧而裳纏見。解亂。
みどりこの。わくこがみには。たらちし。ははにいだかえ。たすきかく。はふこがみには。ゆふかたぎぬ。ひつりにぬひき。うなつきの。わらはがみには。ゆふはたの。そでつけごろも。きしわれを。によれるこらが。よちには。みなのわた。かぐろなるかみを。まぐしもて。ここにかきたれ。とりつかね。あげてもまきみ。ときみだり。
 
見庭は身ニハなり。乘乳爲の爲は泥の誤にて、タラチネなり。卷五長歌、多羅知斯能と有る斯も、禰を誤れるなりと翁言はれき。されど右二つとも元の儘にてタラチシと訓むべし。卷五に既に言へり。イダカエはイダカレなり。タスキカク、搓襁の襁は誰れも襁褓《ムツキ》の事と思へど、其れは史記の註、及び字書にも、負2小兒於背上1被也と言へば、此處《ココ》に叶はず。源氏物語に、姫君のたすきゆひ給へるむねつき云云。枕草紙に、ふたつばかりなるちごの云云、たすきがけにゆひたる、腰のかみの白う美くしき云云、又ちごのふたつばかりなるが云云、二藍のうすものなど、きぬ長くて、たすきかけたるがはひ來る云云と言へり。是れら後ながら、猶ここに叶ひて聞ゆ。今の世ちご皆、夏など腹より左右の脇かけたる物を、紐してたすき掛けに腰あたりにて結《ユ》へる有るも似たり。さてタスキカクと訓みて、下へ續くべし、翁はタスキカケと訓みて、上に付く由言はれつれど善からず。搓は集中に、糸などより合するに用ひたれ(176)ば、ここも紐にてたすき掛くるに由有ればなり。又搓を一本?に作る。?は字書に衣長貌と有り。【?類篇衣見v裼トミユ】如何が有らん。平生蚊見庭は、匐《ハフ》兒ノ身ニハなり。平は這ふ形ちなればハフと訓むべし。生をコとは訓むべくも無し。誤字か考ふべし。ユフカタギヌは木綿肩衣なり。又絹にても然か言ふべし。卷五に布《ヌノ》可多衣とも詠めり。且つ袖無きを肩衣と言ふは、古今同じかるべし。結經は借字なり。ヒツリニは、今田舍にて、ちごのえな着と言ふは、袖は無くて、肩より身かけて覆ひ著するに、左右の脇をば縫はずして、そこを糸を緩く筋違ひに縫ひかがるなり。是れを今チドリガケと言へり。其れをヒツリニヌフと言ふか。直からず有るを引きつると言ふに似たりと翁は言はれき。宣長云、氷津裡丹は津は田の誤か。田と津とやや似たり。然らばヒタウラニと訓むべし。卷十二に純裏《ヒタウラ》衣と有り。又タウの約ツなれば、ヒタウラをヒツラとも言ふべし。然る時は字は元の儘なるべしと言へり。考ふべし。ウナツキノ云云は、童は髪の末の頸を衝く程なるを言ふ。目刺など言ふ類ひなり。結幡は、給は纈、幡は機なり。纐纈をユヒハタと言ふは略なり。ユフハタと言ふぞ正しかる。絹布を糸もて結ひくくりて染むればなり。ハタは機して織りたるを總て言ふ。袖ツケ衣は、右の肩衣とむかへ見るに、是れは今少し人と成れる童の事なれば、袖有衣を着するさまなり。キシ我ヲと言ふは、翁の昔を言へり。丹因とは、因と付とは意通へば、集中、丹つかふ妹と詠めるに等しく紅顔を言へりと翁の説なり。子等四千庭、四千は卷五、余知古良等《ヨチコラト》手たづさはりて云云、卷十四、余知乎曾もてる云云と言ふは、同じ程の子と言ふ事なり。(177)宣長云、ニヨレルは似合ひたると言ふ事なり。さて此處は丹因四千子等我見庭《ニヨレルヨチコラガミニハ》と有りつらんを、見を落して亂れたるなりと言へり。是れ然るべし。ミナノワタ、枕詞。蚊黒爲髪尾は、カは香青なども言ひて、發語なり。爲は例に據るに、伎の誤にて、カグロキカミヲなるべし。信《マ》グシモテ、信は眞の心をもて書けり、褒むる詞。ココニカキタレは、ココニは添へ言ふ詞。トリツカネ云云は、髪を或は上げ、或は解きなどして人まねする、女童べの常する事なり。
 參考 ○垂乳爲(考)タラチ「泥」ネノ(古、新)略に同じ ○母所懷(考) ハハニイダカレ(古、新)ハハニウダカエ ○搓襁(代)ヨリタスキ「搓」の下「手」を補ふ(考)タスキカケ(古、新)スキカクル「搓」を「挂」の誤とす ○氷津裡丹縫服(考)略に同じ(古、新)ヒツラニヌヒキ ○頸著之(代)クビツケノ(考、古)略に同じ(新)ウナツキノ ○童子(考)ウナリ(古、新)略に同じ ○結幡之(考)略に同じ(古、新) ユヒハタノ ○丹因子等何(考)ニヨルコラガミニハ「見庭」にて句とす(古)アニヨルコラガ「丹」の上「我」脱(新)ニツラフ「因」を「囚」の誤とす、下を「四千子等何見庭」の誤脱としヨチコラガミニハとす ○蚊黒爲髪尾(代、考、新)カクロキカミヲ(代)は「爲」を衍とし(考)は「黒伎」とし(新)は「黒支」とす(古)カクロシカミヲ ○信櫛持(考)略に同じ(古、新)マグシモチ ○於是蚊寸垂(考)ココニカキタリ(古)カタニカキタリ「於肩」の誤とす(新)カタニカキタレ「於肩」とす ○取束(考、新)略(178)に同じ(古)トリタガネ ○解亂(考、新)略に同じ(古)トキミダシ。
 
童兒。丹成見【翁説見、兒ノ誤ト有リ】羅。丹津蚊經色丹。名著來。紫之。大綾之衣。墨江之。遠里小野之。眞榛持。丹穗之爲衣丹。狛錦。紐丹縫著。刺部重部。波累服。打十八爲。麻續兒等。蟻衣之。寶之子等蚊。打栲者。經而織布。日暴之。朝手作尾。信巾裳成者。之寸丹取爲支。屋所經。稻寸丁女蚊。妻問迹。我丹所來爲。彼方之。二綾裏沓。飛鳥。飛鳥壯蚊 霖禁。縫爲黒沓。刺佩而。庭立住退。莫立。禁尾迹女蚊。髣髴聞而。我丹所來爲。水縹。絹帶尾。引帶成。韓帶丹取爲。
うなゐこの。になすこら。につかふいろに。なつかしき。むらさきの。おほあやのころも。すみのえの。とほざとをぬの。まはりもて。にほししきぬに。こまにしき。ひもにぬひつけ。さしべかさねべ。なみかさねきて。うちそはし。をみのこら。ありぎぬの。たからのこらが。うつたへは。へておるぬの。ひざらしの。あさてづくりを。しきもなすは。しきにとりしき。やどにふる。いなきをとめが。つまとふと。われにぞきたる。をちかたの。ふたあやしたぐつ。とぶとりの。あすかをとこが。ながめいみ。ぬひしくろぐつ。さしはきて。にはにたたずめば。なたちそと。いさむるをとめが。ほのききて。われにぞきたる。みはなだの。たへ《きぬ》のおびを。ひきおびなす。からおびにと|ら《り》し。
 
(179)ウナヰ子ノ丹ナスは、丹よれるに同じく褒め言へり。兒は今本見に誤れり。丹ツカフは丹|着《ツキ》を延べ言へり。ナツカシキは馴着《ナレツ》かまほしきなり。ウルハシミ、親み思ふを言ふ由、翁は言はれき。宣長云、色の下丹は衍字にて、童兒丹成見。羅丹津蚊經。色名著來にて、ウナヰニナシミ、サニツカフ、イロナツカシキと訓むべし。卷七に羅をサの假字に用ふ。【卷七羅ヲサノ假字ニ用ヒタルハ誤ニテ、一本霜ト有ルヲヨシトス。ココノ羅モ誤字カ、考フベシ。】サニツカフは褒むる詞にて、色と言はん爲めなりと言へり。猶考ふべし。紫ノ大アヤは大紋の綾を言ふべし。墨江ノ遠里小野は攝津なり。眞榛は既に言ふ。ニホシシキヌは、ニホハシタル衣なり。卷七、すみの江の遠里を野のまはりもてすれる衣の、とも詠めり。コマニシキ云云、よろしき衣紐には錦をせし事多く見ゆ。ヒモニは、ヒモニテの意なり。サシベカサネベのベはメなり。メはミに同じくて、サシミカサネミにて、サシとは紐を言ひ、カサネとは衣を言ふ。ナミカサネハ並重《ナミカサ》ねなり。又波は取の字を誤れるにて、トリカサネか。ウチソは、美くしき麻《ヲ》の意にて、美麻者なり。シは助辭のみ。春海云、打十八爲の八爲二字は烏の一字の誤にてウチソヲなり。麻《ヲ》と言はん枕詞なり。ヲミノコラは、女は苧績《ヲウミ》を業とする故に、女子等と言ふ事に言へり。蟻衣、冠辭考に委し、披き見べし。寶ノコラは、女を褒め言ふなり。是れより上十四五句は、かの女童の盛り人なる程を言ひて、やがて稻キヲトメに言ひ續くるなるべし。ウツタヘは美細布なり。ヘテオル布とは、總て織物は、先づ糸をへて、機物に掛けて織るなれば、然か言へり。日暴《ヒザラシ》は、先づ水に漬けて後に日に晒すなり。(180)久老は日ザラシノと下へ懸けて讀めり、是れ然るべし。古訓、ヘテオルヌノヲ、ヒニサラシと訓めるは取るべからず。アサ手ヅクリは、卷十四、たま川にさらす手づくりと詠めり。朝は借にて麻なり。シキモナスとは敷毳と爲《ナ》すはと言ふなり。冠辭考に委し。シキニトリシキとは、重ね敷くと言ふなり。シキは重ねる事を言ふ。取は添へ言ふ詞。氈の類ひ古へは東國にて織作りて貢せし事賦役令に見ゆ。ここは毳の代に麻手作を爲と言ふか、又麻にても別に織樣有るか。ヤドニフルは、卷二に、敷裳相屋常念而《シキモアフヤドトオモヒテ》と詠めるは、敷毳を相並べて、夫婦の共寢せしを言へり。然ればここもいなぎをとめが閨の樣を押し量りて斯く言へるなるべし。經ルとはまだ若くて人にも見えず、宿に隱れて在るを言ふ。イナキヲトメ、成務紀、五年縣邑に稻置を置くと有りてより、姓《カバネ》にも稻置《イナキ》あり。さる姓《カバネ》の少女のわれを戀ひし事有りしを、今言ひ出づるさまに詠みて、次の飛鳥男の言と封《ムカ》へてあやを成すなり。丁は壯年の意を取りて書けるなるべし。又は少の字の誤ならんか。妻問フはツマ戀フなり。妻とは書けれど、實は夫なり。翁は所來は、贈る心を以てオクルと訓まんと言はれき。宣長云、すべて我ニゾキタルと訓まんと言へり。下にほのききて我丹所來爲と有るはオクラシタルとは訓むべからねば、キタルと訓まん方|勝《マサ》れり。彼方ノは、此綾は遠くより來たりしと言ふ意か。此言覺束なし。若《モ》し彼は浮の字の誤か。方は形にて、浮形と言ふか。さて次の二稜は二色の稜の事か。織部令に浮物と二色綾と並べ擧げたるは據《ヨリドコロ》あらんにや。裏沓、裏はシタと訓むべきなり。飛鳥ノ、枕詞。飛鳥男、昔飛鳥の里に沓よく作る人有りしにや。又飛鳥は氏にて、沓(181)作るに名高き有りしか。ナガメイミヌヒシ黒沓、クルグツとも、クリグツとも訓むべし。衣服令、烏沓と有り。黒沓の沓なり。革沓は日より能き時に塗るが黒きなるべしと翁の説なり。宣長云、ナガメイミ云云聞えず。強ひて言はば、長雨の時は外のすべき業《ワザ》成らざる故に、家の内に居て沓を縫ふを言ふにや。俗に言ふ雨降り仕事と言ふ意なりと言へり。立住退の退は誤字ならんか、考ふべし。ナタチソト云云は、親などの娘を立ち出でて人にな見えそと諫むるなり。ホノキキテは、其諫められし少女も、男の麗はしきを仄かに聞き傳へて來しと言ふなり。是れは右の稻き少女には有らで他の少女なり。水ハナダは、今水色と言ふに同じ。是れより其ほの聞きて來し少女がさまを言ふ。引帶は、和名抄、衿帶。陸詞曰衿。和名比岐於比。小帶也云云。是れなり。ナスは如なり。カラ帶は和名抄、※[糸+辟]帶。唐韻云。辭今按加良久美。織v糸爲v帶也と見ゆ。このカラクミか。
 參考 ○童兒丹成見羅云云(代、古、新)ワラハニナシミ(考)略に同じ ○羅(代)下に續けて「サニツカフ」(古)クレナヰノ「紅」の誤とす(新)サニツカフか ○丹津蚊經色丹(考、古)略に同じ(新)「經」までは上の句へ續け「色名著爲來《イロナツカシキ》」「丹」は衍、著の下「爲」を補ふ ○遠里小野之(考)トホザトヲノ(古)ヲリノヲヌノ(新)トホザト小野ノ ○眞榛持(考)マハギモテ(古、新)マハリモチ ○刺部重部(考)サシミカサネミ(古)ササヘカサナヘ(新)サシカサネ、上の「部」を衍、下の部を次句に讓る ○波累服(考)ナミカサネキ(古)ナミカサネキ(新)イ(182)トリカサネキ ○打十八爲(代)服《キテ》ウチソヤセバ(考)略に同じ(古、新)ウチソヤシ ○寶之子等蚊(新)「服部」ハトリノコラガ ○打栲者(代)ウツタヘニ(古)ウツタヘ「者」を次の句の頭とす(新)ウツタヘ「丹」ニ ○經而織布(考、新)略に同じ(古)ハヘテオルヌノ ○日暴之(考)ヒニサラシ(古、新)略に同じ ○朝手作尾(代)アサテツクラヒ(考、古、新)略に同じ ○信巾裳成者(代)シキモナセバ(考)略に同じ(古、新)シキモナス ○之寸丹取爲支(代)シキニトラシ(考、古)略に同じ(新)シキニトリキ「爲」衍とす ○屋所經(代)「吉伎屋」シキヤニフル(考)ヤトニフリ(古)ホコロベル「逞所經」とす(新)ヤドカクフ「經」の上「栫」の誤とす ○稻寸丁女蚊(代)イナギヲミナ(考、古、新)イナギヲトメガ ○我丹所來爲(代)來爲《コシ》(考)我丹オクリシ(古)ワニゾタバリシ「來」を「賚」とす(新)ワレニタバシシ「來」を「賚」とす ○彼方之(考、新)ヲチカタノ(古)「浮」ウキカタノ ○二綾裏沓(考)略に同じ(古、新)フタヤシタグツ ○縫爲黒沓(考、新)ヌヒシクログツ(古)ヌヒシクリグツ ○庭立往退(考)ニハニタタズメバ「住」を「?退」とす(古)ニハニタチ、ユキモトホレバ「住退」を「往廻」とす(新)ニハユキカヘリ「立」を衍「住退」を「往還」とす ○莫立(考)略に同じ(古)「母負之」オモトジノ(新)ナイデソト「立」を「出」とす ○禁尾迹女蚊(考)イサムヲトメガ(古)モラスヲトメガ(新)イサメヲトメガ ○我丹所來爲(考)ワレニオクリシ(古)ワレニゾタバリ(183)シ(新)ワレニタバシシ「來」を「賚」とす ○絹帶尾(考)タヘノヲビヲ(古、新)キヌノヲビヲ ○引帶成(代)ヒキヲビナシ(考)略に同じ(古、新)ヒコビナス ○韓帶丹取爲(代)カラオヒニトラシ(考)カラオビニトリナシ(古)カロビニトラシ(新)カロビニトリナシ。
 
海神之。殿盖丹。飛翔 爲輕如來。腰細丹。取餝氷。眞十鏡。取雙懸而。己蚊杲【杲ヲ果ニ誤ル】。還氷見乍。春避而。野邊尾回者。面白見。我矣思經蚊。狹野津鳥。來鳴翔經。秋僻而。山邊尾往者。名津蚊爲迹。我矣思經蚊。天雲裳。行田菜引。
わたつみの。とののいらかに。とびかける。すがるのごとき。こしぼそに。とりかざらひ。まそかがみ。とりなめかけて。おのがかほ。かへらひみつつ。はるさりて。ぬべをめぐれば。おもしろみ。われをおもへか。さぬつどり。きなきかけらふ。あきさりて。やまべをゆけは。なつかしと。われをおもへか。あまぐもも。ゆきたなびきぬ。
 
ワタツミノ殿ノ盖ニ云云、古訓ミカサと有れど、殿の事に由無しとて、翁イラカと訓まれつ。野山コソアレ、海神の殿に言へるは、何の由にか、心得ず。スガルは?羸なり。凡も蜂は腰細きを、すがるは殊に細き故に言ふなり。睡ホソニ云云は、其ほの聞きて來る少女がさまを言へり。眞ソ鏡は既に言へる如く、眞澄日ノ鏡と言ふ言の日を略き、スミを約轉して言へり。取ナメカケテは、鏡を幾つも懸くるを言(184)ふ。オノガカホは、面のみに有らず、姿の事にも言へり。神代紀一書に、アメノカホ、ツチノカホと言ふに、天垢、地垢と書けるを思ひ合すべし。杲の音を借りてカホに用ひる例多し。今果に作るは誤なり。還の下、一本等の字有り。カヘラヒミは、カへリミを延べ言ふなり。是れも右の少女が心殊に装ひて、吾に懸想するさまなり。久老去、還氷見乍の下に、吾丹所來爲《ワレニゾキタル》の一句を落せりと言へり、此考極めて宜しかるべし。春サリテは春に成りてなり。是れより男の並び歩くさまなり。野邊ヲメグレバ面白ミは其野のさまなり。卷十四、於毛思路伎野をばなやきそ、とも詠めり。我ヲオモヘカは思ヘバカなり。是れより下は美少年の艶に誇るを言ふ。サヌツドリのサは發語。野ツ鳥は雉なり。古事記八千矛神御歌に、佐奴都登理岐藝斯波等與牟《サヌツトリキギシハトヨム》。繼體紀に、奴都等利きぎしはとよむ。卷十三にも詠めり。カケラヒはカケリを延べ言ふ。秋サリテは秋ニ成リテなり。天雲モ云云、卷三、天雲もい行はばかりたな引物をと詠めり。是れは情無き雉も、我を思へばか、吾が方に來鳴き、天雲さへたな引きとどまると言ふなり。
 參考 ○殿盖丹(考)トノヘイラカニ(古)略に同じ(新)トノノヒサシニ ○腰細丹(新)ホソコシニ「細腰」とす ○野邊尾回者(考)野ベヲカヘレバ(古、新)略に同じ ○我矣思經蚊(考)ワレヲオモフカ(古、新)略に同じ ○行田菜引(代)ユキタナビキ(考、古)イユキタナビキ(新)イユキタナビク(古、新)「伊行」とす
 
(185)還立。路尾所來者。打氷刺。宮尾見名。刺竹之。舍人壯裳。忍經等氷。還氷見乍。誰子其迹哉。所思而。在。如是所爲故爲。古部。狹狹寸爲我哉。端寸八爲。今日八方子等丹。五十狹邇迹哉。所思而。在。如是所爲故爲。古部之。賢人藻。後之世之。堅監將爲迹。老人矣。送爲車。持還來。
かへりたち。みちをくれば。うちひさす。みやをみな。さすたけの。とねりをとこも。しぬぶらひ。かへらひみつつ。たがこぞとや。おもほえて。あらむを。かくぞしこなる。いにしへの。ささきしわれや。はしきやし。けふやもこらに。いざにとや。おもほえて。あらむを。かくぞしこなる。いにしへの。かしこきひとも。のちのよの。かたみにせむと。おいびとを。おくりしくるま。もてかへりこし。
 
還タチは、野より歸りて都の大道を行く間を言ふ。路ヲクレバ、是れは上に大の字落ちしならん。オホヂヲクレバと有るべし。ミヤヲミナは宮女なり。サス竹ノは、例は宮とも君とも續くれど、ここは上に宮は有れば、略きて直ちに舍人と言へり。トネリヲトコのトネリの詞は、トノヰ人の略にて、是れも宮中の人を言ふ。シヌブラヒは、シヌビを延べてシヌバヒなるを、又延べてシヌブラヒと言へり。期く二重に延べ言ふも例有り。シヌブは慕ふなり。タガ子ゾトヤは、誰れ人ぞと言ふなり。カクゾシコナルは、斯くの如く老いて醜き人と成りしとなり。又舊訓のままカクゾシコシにて、如此爲《カクシ》來りしと言ふにや。ササキシワレヤは、古へ若く少く麗はしかりし吾れやなり。宣長云、ササキシは壯年の時、盛にそそめ(186)き騷ぎし事と聞ゆと言へり。考ふべし。ハシキヤシ、上に多く出づ。ケフヤモコラニは、はしきやし子らに今日やと續く意なるを、下上に言ふも常なり。イサニトヤは、イサは否にて不v知と言ふ意。我が盛の艶を今言ひ聞えても、斯く醜く老いしを見る人は疑ふべしと言ふ意なり。思ホエテアラムヲ、カクゾシコナルとは、斯く醜なるからはと言ふべきを略けり。二度言ひて上の言を結びたり。是れも又シコシにて如此爲《カクシ》來りしと言ふか。古ヘノ、是れより下老いを尊ぶ例《タメシ》を擧げ言ふなり。堅監の堅は規の誤にて、タメシと訓まんと翁言はれき、宣長云、規監にてもタメシと訓み難からん、元のままにて、カタミにても聞ゆべし。又此二字は鑒の誤にて、カガミにても有らんかと言へり。老人ヲオクリシ車モテカヘリコシと言ひて、上の堅監ニセムと言ふを結べり。是れは孝子傳云。原穀者。不v知2何許人1。祖年老。父母厭患之。意欲v棄v之。穀年十五。涕泣苦諫。父母不v從。乃作v輿舁棄之。穀乃隨收v輿歸。父謂曰。爾焉用2此凶具1。穀臼乃後父老。更不v能2作得1(作得ハ下上ニ誤レルカ)是以收v之耳。父感悟愧懼。乃載v祖歸侍養。更成2純孝1と言ふ古事にて、斯かれば老いたりとてな嫌ひ捨て給ひそ、捨てし車やがて廻り來なんをと、女どもを喩すなり。此長歌すべて心得難く、恠《アヤ》しき詞多し。猶よく考ふべき事なり。
 參考 ○路尾所來者(代)ミチヲクルニハ(考)ミチヲキタレバ(古)「大路」オホヂヲケレバ(新)オホヂヲクレバ ○宮尾見名(代、考)、ミヤノヲミナ(古、新)略に同じ ○所思而在(代)オモヒテアラム(考)モハレタリシテ(古)オモハレテアル(新)オモハレテアリ「爲」シ ○如是所(187)爲故爲(古)カクゾシコシ(新)略に同じ ○古部(新)イニシヘ ○所思而在(代)オモヒテアラム(考)モハレテアラム(古、新)オモハレテアル ○如是所爲故爲(考、新)略に同じ(古)カクゾシコシ ○賢人藻(考、古、新)サカシキヒトモ ○堅監將爲迹(考)「規監」タメシニセムト(子)カガミニセムト、又はカタギニセムト(新)カタミニセムト ○持還來(代)モテカヘリケレ、又はコシ、又はケリ(考)略に同じ(古、新)モチカヘリコシ。
 
反歌二首
 
3792 死者木【木ヲ水ニ誤ル】苑。相不見在目。生而在着。白髪子等丹。不生在目八方。
しなばこそ。あひみずあらめ。いきてあらば。しらかみこらに。おひざらめやも。
 
木、今水と有るは誤なり。古本に依りて改む。我生きて有らば、子等に白髪生ふるを見んとなり。
 參考 ○白髪子等丹(考)略に同じ(古、新)シロカモコラニ。
 
3793 白髪爲。子等母生名者。如烏。將若異子等丹。所詈金目八。
しらがして。こらもいきなば。かくのごと。わかけむこらに。のらえかねめや。
 
子らも生きて有りなば、今吾が罵らるる如く、又若き人に子らも罵《ノラ》るる時有らんぞとなり。將若異の書きざま常と異なり。異は假字なるを、義訓に交へたるは珍らし。卷七に此例有り。
 參考 ○白髪爲(考)シラガセム(古、新)シロカミシ ○子等母生名者(考)略に同じ(古、新)(188)コラモオヒナバ。
 
娘子等|和《コタフル》歌九首
 
3794 端寸八爲。老夫之歌丹。大欲寸。九兒等哉。蚊間毛而將居。
はしきやし。おきなのうたに。おほほしき。ここののこらや。かまけてをらむ。
 
初句は老人を褒むるなり。オホホシキは集中欝悒と書けり。ここにては女の何事にも愚かなる意なり。カマケは皇極紀に感をカマケと訓み、孝コ紀に減を然か訓めり。カは發語にて負《マケ》の意なり。
 
3795 辱尾忍。辱尾黙。無事。物不言先丹。我者將依。
はぢをしぬび。はぢをもだして。こともなく。ものいはぬさきに。われはよりなむ。
 
ヨリナムは翁の意のままにせんの意なり。斯く翁に罵り返さるるからは、物言ふこと無く唯だ翁に依らんとなり。
 參考 ○辱尾黙(考、新)略に同じ(古)ハヂヲモダリテ ○無事物不言先丹(新)「物不言無事先丹」の誤にてモノイハズ、コトナキサキニ。
 
3796 否藻諾藻。隨欲。可赦。皃所見哉。我藻將依。
いなもうも。ほりするままに。ゆるすべき。かたちみゆかも。われもよりなむ。
 
イナモウモは否諾の字の如し。信明集に、けふのうちにいなともうとも言ひはてよ人だのめなる事なせ(189)られそ。意は少女が友等の、翁の許さん貌の見ゆれば、吾も友と同じく寄らんと言ふか。宣長は、四の句見エメヤと訓まんかと言へり。何れにしても穩かならず。考ふべし。
 參考 ○否藻諾藻(代)イナモセモ(考)略に同じ(古)イナモヲモ(新)ウ、ヲ兩訓 ○隨欲(代、考)オモハムママニ(古)ホリノマニマニ(新)トキノマニマニ「欲」を「伴」の誤とす ○可赦(代)ユルスベシ(考、古、新)略に同じ ○貌所見哉(代)カタチミエメヤ(考)スガタミエメヤ(古)カタチハミエヤ(新)カタチミユカモ。
 
3797 死藻生藻。同心跡。結而爲。友八違。我藻將依。
しにもいきも。おなじこころと。むすびてし。ともやたがはむ。われもよりなむ。
 
八は不の誤にて、トモニタガハズと有りしなるべし。意は生死も同じからんと契りし友には違はじなり。
 參等 ○同心跡(古)オヤジココロト ○友八違(考)トモニヤタガハジ(古、新)トモヤタガハム。
 
3798 何爲迹。違將居。否藻諾藻。友之波波。我裳將依。
なにせむと。たがひはをらむ。いなもうも。とものなみなみ。われもよりなむ。
 
宣長云、迹は邇の誤か。ナニセムニと有るべしと言へり。如何にして友に違ひ居らんなり。波波、並並なり。
(190) 參考 ○何爲迹(考)ナニセムト(古)ナニストカ「迹」の下「蚊」脱(新)ナニセム「邇」ニ。 ○否藻諾藻、二首前の參考を見よ
 
3799 豈藻不在。自身之柄。人子之。事藻不盡。我藻將依。
あにもあらず。おのがみのから。ひとのこの。こともつくさじ。われもよりなむ。
 
アニは何《ナニ》に同じ。アニモアラズは、何の論も有らずと言ふなり。オノガ身ノカラは、心カラのカラにて、故の意なり。吾が事の故にて、友の詞を盡して勸め言はしめじ、我も共に依らんと言ふなり。
 參考 ○豈藻不在(代、古)アニモアラヌ(考)略に同じ(新)「親」オヤモアラヌ ○不盡(新)ツクサズ。
 
3800 者田爲爲寸。穗庭莫出。思而有。情者所知 我藻將依。
はだすすき。ほにはいでじと。しぬびたる。こころはしれつ。われもよりなむ。
 
初句は穗と言はん枕詞。色には出でじと吾が忍びたる心は、人に知られつとなり。
 參考 ○穗庭莫出(代、新)ホニハイヅナト(考)ホニハイデソト(古)略に同じ ○思而有(代、新)オモヒタル(考、古)略に同じ。
 
3801 墨之江之。岸野之榛丹。丹穗所經迹。丹穗葉寐我八。丹穗氷而將居。
すみのえの。きしぬのはりに。にほふれど。にほはぬわれや。にほひてをらむ。
 
(191)宣長云、三の句ニホフレドは、ニホハスレドを約めたるなり。さてニホフは移る意にて、三四の句榛の色に移らしむとすれど、移らぬ我と言ふにて、墨の江の榛にて摺れども、色の移らぬ如く、物に移らぬ我なれども、翁には移り依らんとなりと言へり。
 參考 ○岸野之榛(古)キシノヌハリニ「野之」を「之野」とす(新)略に同じ ○丹穗所經迹(代、新)略に同じ(古)ニホヘレド。
 
3802 春之野乃。下草靡。我藻依。丹穗氷因將。友之隨意。
はるのぬの。したくさなびき。われもより。にほひよりなむ。とものまにまに。
 
卷十四、むさしぬのくさはもろむきかもかくも君がまにまに吾はよりにしを、と詠める如く、草の如く我も依らんとなり。ニホヒヨリナムは心を移し寄する意なり。
 參考 ○丹穗氷因將(新)ニホヒテヲラム「因將」を「而將居」の誤脱とす。
 
昔者有3壯士(ト)與2美女1也。(姓名未詳)不v告2二親1。竊爲2交接1。 於v時娘子之意。欲2親(ニ)令1v知。因作2歌詠1。送2與其父1。歌曰。  父、官本夫に作るを用ふべし。
 
3803 隱耳。戀者辛苦。山葉從。出來月之。顯者如何。
こもりのみ。こふればくるし。やまのはゆ。いでくるつきの。あらはさばいかに。
 
山の端より月の出で來て光あらはるる如くに、父母に顯はさんや如何にせんと男に言ふなり。
 
(192)右或曰。男有2答歌1者。未v得2探求1也。
 
昔者有2壯士1。新成2婚禮1也。未v經2幾時1。忽爲2驛使1。被v遣2遠境1。公事有v限。會期無v日。於v是娘子。感慟悽愴。沈臥疾疹。累年之後。壯士還來。覆命既了。乃詣相視。而娘子姿容。疲羸甚異。言語哽咽。于v時壯士。哀嘆流v涙。裁v歌口号。其歌一首。
 
3804 如是耳爾。有家流物乎。猪名川之。奧乎深目而。吾念有來。
かくのみに。ありけるものを。ゐながはの。おきをふかめて。わがもへりける。
 
猪名川、攝津。オキヲフカメテは、末久シクと言ふに同じ。卷二、深みるの深めて思へどと詠めり。深メテと言はん料にヰナ川を設け出でたり。女の斯くばかり吾を待ち佗びて、死ぬべく成りけるものを、唯だ行末をかねてのみ我が思ひたりしと言ふなり。猪名川を詠めるからは、津の國に住める人なるべし。
 
娘子臥聞2夫君之歌1挺v枕擧v頭應v聲和(ル)歌一首
 
3805 烏玉之。黒髪所沾而。沫雪之。零也來座。幾許戀者。
ぬばたまの。くろかみぬれて。あわゆきの。ふるにやきます。ここだこふれば。
 
クロカミは男の髪を言ふ。左の註、後人の書けるなるべけれど、心は協へり。ココダ戀フレバは、女の方よりそこばく戀ふればなり。
 
今案2此歌1。其夫被v使。既經2累載1。而當2還時1。雪落之冬也。因斯娘子作2此沫雪之句1歟。
 
(193)3806 事之有者。小泊瀬山乃。石城爾母。隱者共爾。莫思吾背。
ことしあらば。をはつせやまの。いはきにも。こもらばともに。なおもひわがせ。
 
事シアラバは、たとひ父母の責めて、如何なる事出で來たりともと言ふなり。石城はオクツキを言へり。隱ラバトモニとは、死て共に葬られんと言ふなり。さて四の句の下、斯くまで思ひて在るをと言ふ事を略けり。
 參考 ○隱者共爾(新)コモラナトモニ「者」を「名」の誤とす ○莫思吾背(考)ナモヒソワガセ(古、新)略に同じ。
 
右傳云。時有2女子1。不v知(セ)2父母1。竊接2壯士1也。壯士悚2タ其親呵嘖1。稍有2猶預之意1。因此娘子。裁2作斯謌1。贈2與其夫1也。
 
3807 安積香山。影副所見。山井之。淺心乎。吾念莫國。
あさかやま。かげさへみゆる。やまのゐの。あさきこころを。わがもはなくに。
 
安積は陸奧郡名。卷十三、天雲の影さへみゆるこもりくのはつせの川に、と詠める如く、ここも水の清きを言ふ。山の井は自《オノヅ》から涌き出づる水にて、世の常の掘りたる井に比ぶれば、淺き物なる故に、淺キ心と言はん料の序とせり。
 
右歌傳云。葛城王遣2于陸奧國1之時。國司祗承緩怠異甚。於時王意不v悦。怒色顯v面。雖v設2飲饌1。不2(194)肯宴樂1。於是有2前采女1。風流娘子。左手捧v觴。右手持v水。撃2【撃ハフノ誤カ、ササゲト訓ムベシ】之王膝1。而詠2此歌1。爾乃王意解脱。樂飲終日。
 
詠の下、其、官本、此に作る。契沖云、此葛城王何れにか有らん。伊與風土記云。湯郡天皇於v湯幸行。降座五度也。以2上宮聖コ皇子1爲2一度1。及侍高麗惠慈葛城王等也。天武紀云。八年秋七月己卯朔乙未四位葛城主卒。次に左大臣橘朝臣諸兄卿を初め葛城王と名づく。此三人の中に天武紀に見えたる葛城王なるべきか。其故は風土記は文拙ければ信じ難し。橘朝臣は家持殊に知音なりと見ゆれば、當時の事にて、右歌傳へ言ふと言ふべからず。第六に、橘姓を賜ふ時の御製を載せ、第八に、右大臣橘家宴歌を載せたり。若し左大臣未だ葛城王なりける時なりとも、左大臣の事なりと註すべしと言へり。翁も聖武孝謙の間ははや諸兄卿なり。此歌其時代の事なれば葛城王と書くべからず。是れは天武紀八年四位にて卒と有り、葛城王なるべしと言はれき。又釆女は、續紀、文武大寶二年四月王子令d命2筑紫七國及越後國1簡2點采女兵衛1貢uv之。但陸奧國勿b貢と見えて、この御時より遙かに前の采女なる事|著《シ》るければ、かたがた諸兄卿にあらず。持水云云は、此歌を誦せん料にわざと水を持ちて出でたるなり。
 
3808 墨江之。小集樂爾出而。寤爾毛。己妻尚乎。鏡登見津藻。
すみのえの。をづめにいでて。うつつにも。おのづますらを。かがみとみつも。
 
住吉の社に今も七十餘度の神事有りて、其時人多く集る事有りとぞ。古へも其類ひの事有りしと見ゆ。(195)小集樂の三字、中院本、袖中抄、類聚萬葉等にヲベラと訓む。或人云、住吉梅園日向説に、住吉民間の風俗に、毎年二月二十日より二十二日に至るまで、饗膳を連ね、洒盃を設け、宴飲合樂遊戯蹈躍、心の行く所を縱《ホシイママ》にす。先づ前に水火を改め、神供を大神に獻り、神前に詣でて、千度拜廻をなす。故に昔より此遊を名付けて千度講と言ふ。或は明神講、又は時梨講など言へり。小集は此遊の事かと言へり。又集の字一點ヘラヒと訓むは、戸會の義にて、家毎に集會する意か。さればヲベラはヘラヒの略言なるべし。直會をナホラヒと訓む類ひなり。舊訓ヲヅメと有るも、ツメはアツマリの約言にて、是れまた古言と聞ゆれば、暫く舊訓に據れり。己妻をオノヅマと訓むは、卷十四に假字書有り。ウツツニは、サダカニの意にて、己が妻の顔よきを、朝な朝な向ふ鏡の如く、厭かず向はるる意なり。常に見るは珍しかるまじきものの、厭かねば、スラの詞を添へたり。宣長云、ウツツニモにては聞えず、アサメニモなど有るべし。寤はサメの借字にて、上に阿の字を脱したるかと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○小集樂(代)アソビ(考)ヲツメ(古)ヲツメ、又はヲベラ(新)ヲスラ ○寤爾毛(考、新)略に同じ(古)マサメニモ「寤」の上に「眞」を補ふ ○己妻(代、古、新)略に同じ(考)ワガツマ。
 
右傳云、昔者鄙人(姓名未詳也)于時郷里男女衆集野遊。是會集之中有2鄙人夫婦1。其婦容姿端正。秀2於衆諸1。乃彼鄙人之意。彌増2愛v妻之情1。而作2斯歌1。賛2嘆美貌1也。  昔者の下有の字を脱せるか。姓名云(196)云の五字今、本行とせるは誤なり。
 
3809 商變。領爲跡之御法。有者許曾。吾下衣。變賜米。
あき|かはり《かへり》。しらすとの《しめせとふ》みのり。あらばこそ。わがしたごろも。かへしたまはめ。
 
契沖云、アキカハリは既に物と價《アタヒ》と取り交はして後に、忽に變じて、或は物を惡ろしとして價を取り返し、或は價を安しとして物を取り返すなり。シラストノ御法とは、さやうの事を擅《ホシイママ》にせよとの法令有らばこそと言ふなり。令v領ヨと言ふ意なれば、商《アキナ》ひて變ずる事を自由ならしむるを言へりと有り。翁云、領爲跡云云、メセトと訓むべし。吾が物にする意なり。歌の心はさる御法も無きに、吾衣を返し賜ふ事有らんやと恨むるなりと言はれき。歌の意はさも有るべし。メセトの詞いかが有らん。宣長云、アキカヘリ、シメセトフミノリと訓むべしと云へり。道別さきに之は云の誤ならんと言へりき。
 參考 ○商變(考、新)アキカハリ(古)アキカヘシ  ○領爲跡之御法(代)シラストノミノリ(考)シセトノミノリ(古)シラセトノミノリ(新)シラスチフミノリ「之」を「云」の誤とす ○變賜米(考、新)略に同じ(古)カヘシタバラン
 
右傳云。時有2所v幸娘子1也。(姓名未詳) 寵薄之後。還2賜寄物1。(俗云可多美)於v是娘子怨恨。聊作2斯歌1獻上。
 
3810 味飯乎。水爾釀成。吾待之。代者曾無。直爾之不有者。
(197)うまいひを。みづにかみなし。わがまちし。かはりはぞなき《かひはかつてなし》。ただにしあらねば。
 
ウマイヒは熟せる飯を言ふ。待酒は古事記に見ゆ。卷十三、君が爲かみし待酒やすの野にひとりやのまむ友なしにして、と言へる如く、夫を待つとて飯もて酒を釀するなり。代者曾無、卷八、たなぎらひ雪もふらぬか梅花|不開之代爾《サカヌガシロニ》そへてだに見む、と言ふ代に同じ意なれば、ここはシルシハゾナキとも訓むべしと翁言はれき。按ずるにカヒハカツテナシと訓まんか。カヒはカハリの約まりたる言なればなり。
 參考 ○代者曾無(代)カヒハ、又はカハリハゾナキ(考)カハリハゾナキ(古、新)カヒハカツテナシ。
 
右傳云。昔有2娘子1也。相2別其夫1。望戀經v年。爾時夫君更娶2他妻1。正身不v來。徒贈2※[果/衣]物1。因v此娘子作2此恨歌1。還酬之也。
 
戀2夫君1歌一首并短歌
 
3811 左耳通良布。君之三言等。玉梓乃。使毛不來者。憶病。吾身一曾。千磐破。神爾毛莫負。卜部座。龜毛莫燒曾。戀之久爾。痛吾身曾。伊知白苦。身爾染(198)【等ヲ脱ス】保里。村肝乃。心碎而。將死命。爾波可爾成奴。今更。君可吾乎喚。足千根乃。母之御事歟。百不足。八十乃衢爾。夕占爾毛。卜爾毛曾問。應死吾之故。
さにづらふ。きみがみことと。たまづさの。つかひもこねば。おもひやむ。わがみひとつぞ。ちはやぶる。かみにもなおほせ。うらべすゑ。かめもなやきそ。こひしくに。いたきわがみぞ。いちじろく。みにしみとほり。むらきもの。こころくだけて。しなむいのち。にはかになりぬ。いまさらに。きみかわをよぶ。たらちねの。ははのみことか。ももたらず。やそのちまたに。ゆふけにも。うらにもぞとふ。しぬべきわがゆゑ。
 
サニヅラフ、既に出づ。君ガミコトとは、御言としての意。憶病云云、斯く病めるは、夫戀ふる故なれば、神のなします業にも有らずと言ふなり。卷十四、わぎも子に我こひしなばそわへかも神におほせむ心しらずて。又伊勢物語に、人知れずあが戀しなばあぢきなくいづれの神に無名おほせむ、と言へるに同じ。ウラベスヱ云云も同じ意なり。戀シクニのシクは詞。卷七、玉拾之久《ヒロヒシク》と言へる之久に同じ。染の下、等の字脱ちしなるべし。染の木と等の草とまがひて落ちしなり。今更ニ君カのカを清むべし。カハの略なり。ワヲ呼ブは、死なんとする時、枕上にて呼ぶなり。母ノミコトはあがむる詞にて、歟は疑ふ詞、下の言へ懸かるなり。心は早や死ぬべき吾なる物を、今更に君かは吾を呼ぶ、母の辻占問ひ、或るは龜の卜して問ふかと言ふなり。
 參考 ○君之三言等(新)キミガミコトモチ「等」を「持」の誤とす ○憶病(考)コヒタメル(古)(199)略に同じ(新)憶の下「西」の脱としオモフニシとし「病」は次の句の頭に置きてヤメルワガミゾと訓み「一」を衍とす、此次に四句下のコヒシクニ、イタキ吾身ゾを此處に引きあぐ ○神爾毛莫負(新)「毛」を衍とす ○卜部座(考)略に同じ(古、新)ウラベマセ ○戀之久爾(古)コホシクニ(新)略に同じ ○八十乃衢爾(新)「爾」を「乃」の誤とす ○卜爾毛曾問(新)「曾」を「莫」の誤としウラニモナトヒ、又はトフナとす。
 
反歌
 
3812 卜部乎毛。八十乃衢毛。占離問。君乎相見。多時不知毛。
うらべをも。やそのちまたも。うらどへど。きみをあひみむ。たどきしらずも。
 
ウラベは龜卜。ヤソノチマタ云云は辻占なり。卜は前にせしが、驗《シルシ》無かりし由を言ふなり。君は夫を指す。タドキはタヅキに同じ。
 參考 ○卜部乎毛(新)ウラベ「爾」ニモ。
 
或本反歌曰
 
3813 吾命者。惜雲不有。散追良布。君爾依而曾。長欲爲。
わがいのちは。をしくもあらず。さにづらふ。きみによりてぞ。ながくほりせし。
 
右傳云。時有2娘子1。姓車持氏也。其夫久逕2年序1。不v作2往來1。于v時娘子。係戀傷v心。沈2臥痾疹1。痩(200)羸日異。忽臨2泉路1。於v是遣v使。喚2其夫君1來。而乃歔欷流涕。口2號斯歌1。登時《スナハチ》逝没也。
 
贈歌一首
 
3814 眞珠者。緒絶爲爾伎登。聞之故爾。其緒復貫。吾玉爾將爲。
しらたまは。をだえしにきと。ききしゆゑに。そのをまたぬき。わがたまにせむ。
 
和名抄云、日本紀私記云、眞珠(之良太麻)卷七、てるさつが手にまきふるす玉もがも其緒はかへてわが玉にせむ。歌の意は左註に見ゆ。
 參考 ○故爾(新)カラニ。
 
答歌一首
 
3815 白玉之。緒絶者信。雖然。其緒又貫。人持去家有。【有ハ里ノ誤】
しらたまの。をだえはまこと。しかれども。そのをまたぬき。ひともていにけり。
 
有は里の字の誤なり。
 參考 ○人持(考)略に同じ(古、新)ヒトモチ。
 
右傳云。時有2娘子1。夫君(ニ)見v棄。改2適他氏1也。于時或有2壯士1。不v知2改適1。此歌(ヲ)贈遣。請|誂《アトラフ》2於女之父母者1。於v是父母之意。壯士未v聞2委曲之旨1。乃作2彼歌1。報送以顯2改適之|縁《ヨシ》1也。
 
穗積親王御歌一首
 
(201)3816 家爾有之。櫃爾?刺。藏而師。戀乃奴之。束見懸而。
いへにありし。ひつにかぎさし。をさめてし。こひのやつこの。つかみかかりて。
 
和名抄、櫃(和名比都)?(藏乃賀岐)と有り。舊訓ザウ【ナウヲ今サラニ誤ル】と有り。契沖云、サウと言ふは藏の音と聞ゆと言へり。俗カギとザウとは別なれど、古へは同じ稱《トナヘ》なりけんとて翁はカギと訓まれつ。思ふに卷二十、むらたまの久留爾久枳作之《クルニクギサシ》かためとしと、詠めるをもて、ここもクギと訓むべし。卷十二、ますらをのさとき心も今はなし戀の奴に我は死ぬべし、卷四、戀は今はあらじと我はおもひしをいづくの戀ぞつかみかかれる、是れらを合せ見て知るべし。
 參考 ○家爾有之(新)イヘナル「也」ヤ ○櫃爾?刺(考、古、新)ヒツニクギサシ。
 
右歌一首。穗積親王宴飲之日。酒酣之時好誦2斯歌1。以爲2恒賞1也。
 
3817 可流羽須波。田廬乃毛等爾。吾兄子者。二布夫爾咲而。立麻爲所見。(田廬者多夫世反)
かるうすは。たぶせのもとに。わがせこは。にふぶにゑみて。たちませりみゆ。
 
和名抄、碓(賀良宇須)と有り。下の長歌にさひづるや辛碓につき、と有りて、カルウスはカラウスに同じ。卷十八長歌、夏の野のさゆりの花の花ゑみに爾布夫爾惠美天云云、田舍にて妻問するさまを詠めるのみなり。註に書ける反の字は、訓と言ふが如く心得て書ける例有り。又官本也に作れり。
 參考 ○可流羽須波(新)カルウス「伎」キ ○立麻爲所見(考)タチマセルミユ(古、新)タチマ(202)セリミユ。
 
3818 朝霞。香火屋之下乃。【乃ハ耳カ尓ノ誤】鳴川津。之努比管有常。將告兒毛欲得。
あさがすみ。かびやがしたに。なくかはづ。しぬびつつありと。つげむこもがも。
 
朝霞、枕詞。カビヤは卷十、卷十二にも言へり。乃は耳か爾の誤なり。今本假字はニとせり。乃は誤れる事|著《シ》るし。上はシヌビと言はん序にて、兒は女を指す。如何でしのびて在りと、其子に告げん由もがなと言ふ意なるべし。
 
右歌二首。河村王宴居之時。弾v琴而即先誦2此歌1。以爲2常行1也。  續紀、寶龜八年十一月無位川村王に從五位下を授くと見えしより、延暦九年まで見えたり。
 
3819 暮立之。雨打零者。春日野之。草花之末乃。白露於母保遊。
ゆふだちの。あめうちふれば。かすがぬの。をばながうれの。しらつゆおもほゆ。
 
卷十、ゆふだちの雨|落毎《フルゴト》に春日野の尾花が上の白露おもほゆ、とて載せたり。草花をヲバナと訓める例卷八、卷十にも見ゆ。
 
3820 夕附日。指哉河邊爾。構屋之。形乎宜美。諾所因來。
ゆふづくひ。さすやかはべに。つくるやの。かたをよろしみ。うべよそりけり《うべぞよりくる》。
 
古へ日影もて宮殿などの美麗を讃《タタ》へたる事多し。此歌本は戀情の譬喩なるべし。ヨソリヅマと言ふは、(203)人の思ひよするを言へり。是れも容貌のよろしき故に實も言ひ寄せしと言ふなるべし。上は景色のよきを以て、序にして譬へに言へり。宣長云、結句ウベゾヨリクルとも訓むべし。その時は譬へに非ずと言へり。何れにても有るべし。
 參考 ○形乎宜美(代)カタチヲヨシミ(考、古、新)略に同じ ○諾所因來(代、考、古、新)ウベゾヨリクル。
 
右歌二首。小鯛《ヲダヒノ》王宴居之日。取v琴|登時《スナハチ》。必先吟2詠此歌1也。其小鯛王者。更名2置始《オキソメノ》多久美(ト)1斯人也。
 
此王所見無し。
 
兒部《チヒサコベノ》女王|嗤《アザケル》【嗤ヲ今〓ニ誤ル】歌一首  嗤字鏡に〓(○新撰字鏡、天治本モ享和本モ嗤ニ作ル)〓同充之子之二反。戯也。阿佐介留。又曾志留。又和良不。一切經音義〓或戯笑也と有り。今本〓とせるは誤なり。
 
3821 美麗物。何所不飽矣。坂門等之。角乃布久禮爾。四具比相爾計六。
うましもの。いづくあかぬを。さかとらが。つぬのふくれに。しぐひあひにけむ。
 
契沖説、角ノフクレニとは、フクレは〓の字なり云云。又牛の角鹿の角など、皆下の脹れたれば、さやうの卑《イヤ》しき顔付したらん男に思ひ付きて、何《ナ》どしぐひ合ひたるぞと嗤《アザケ》り笑はるる心にや。源氏物語末摘花に、下がちなるおもやうと言へりと有り。翁の説、牛などの互にかみ合ふに譬へたるなり。フクレは(204)獣の面の脹れ見苦しきを、醜男に譬へたり。シグヒのシはサシの略かと言はれき。〓は和名抄、北角反、和名布久流。肉憤起也。字鏡〓。古顯反、不久留と有り。宣長云、古事記、美斗能麻具波比《ミトノマグハヒ》の麻はウマ云云と言へる事多し。繼體紀、うまくぬる事を于魔伊禰《ウマイネ》と有る類ひなり。具波比は麻より連る故に具を濁れども、古へ頭を濁る例無ければ、本は久波比にて久比阿比の約りたる言なり。凡そ物二つが一つに合ふを久比阿布と言ふ、此シグヒアヒニケムと有る是れなり。今世俗に物を作り合はすをシクハスと云ふも,即ちシクヒアハスの約りたるなり。又俗に物のぐはひの善き惡しきと言ふも、クヒアヒの善き惡しと言ふきなりと言へり。此説然るべし。歌の意は皆人は好きがうへにも、好《ヨ》からん事を好みて飽く事無きを、坂とは見にくき男を好めると嗤《アザケ》るなり。
 參考 ○美麗物(考)ヨキモノハ(古)略に同じ(新)クハシモノ ○何所不飽矣(代)略に同じ(考)イツコアカヌヲ(古、新)イヅクアカジヲ ○坂門等之(考、新)略に同じ(古)サカトラシ ○四具比相爾計六(新)タグヒアヒニケム「四」を「田」の誤とす。
 
右時有2娘子1。姓|尺度《サカト》氏也。此娘子不v聽2高姓美人之所1v誂。應v許2下姓醜士之所1v誂也。於v是兒部女王裁2作此歌1嗤2咲彼愚1也。  誂は桃の誤なり。醜、今本?に誤る。嗤を〓に誤れり。
 
古歌曰
 
3822 橘。寺之長屋爾。吾率宿之。童女波奈理波。髪上都良武可。
(205)たちばなの。てらのながやに。わがゐねし。うなゐはなりは。かみあげつらむか。
 
橘寺は大和飛鳥の邊、聖コ太子建て給へり。菩提寺と言ふ。長屋は今も棟長く造れる屋を言へり。古へも然ならん。ヰネシは率《ヒキ》ゐ宿るなれば斯く書けり。ウナヰは和名抄、髫髪(宇奈爲)云云、髪上の事は卷二、三方沙彌がたけはぬれと言ふ歌に委しく言へり。卷十四、たちばなの古婆乃波奈里我《コバノハナリガ》おもふなむこころうつくしいであれはいかな、と言ふも相似たり。此歌よく聞えたるを、左註は心を得ぬ人の書ける物なり。
 
右歌|椎野《シヒヌノ》連長年脉【脉ハ説ノ誤】曰。夫寺家之屋者。不v有2俗人(ノ)寝處1。亦?2若冠女1。曰2放髪丱《ウナヰハナリ》1矣。然則腹句已云2放髪丱1【丱ヲ今仆ニ誤ル】者。尾句不v可3重云2著冠之辭1哉。  此註いと誤れり。寺家の屋、俗人の寢所に有らずと言へど、忍びて率來て寢しなるべし。はた若冠は弱冠の意に書けるか、女に弱冠と言ふ事も無し。宣長は若は著の誤かと言へり。童のまだ髪長からぬを結《ユ》はずして、うなじの邊《アタリ》にて放ち置く故に、ウナヰハナリと言へり。髪上ぐるは其後の事なるを知らで書けるなり。脉は拾穗本に説に作るに據るべし。丱、今仆に誤る。官本に依りて改む。
 
決《サダメテ》曰(ク)
 
3823 橘之。光有《テレル》長屋爾。吾率宿之。宇奈爲放|爾《ニ》。髪擧都良武香。
 
此歌今本に本文とせるは誤なり。ウナヰハナリニとては聞えず。是れも長年が誤なり。
 
(206)長忌寸意吉麻呂歌八首
 
3824 刺名倍爾。湯和可世子等。櫟津乃。檜橋從來許武。狐爾安牟佐武。
さしなべに。ゆわかせこども。いちひづの。ひばしよりこむ。きつにあむさむ。
 
和名抄、銚子(佐之奈閇、俗云云2佐須奈倍1)狐(木豆禰)と有り。キツとのみも言へり。櫟津は允恭紀に、到2倭春日1食2于櫟井上1、是れなり。檜橋も其處に有るなるべし。從來二字にてヨリと訓めるか。又は許は衍文ならんか。アムサムは令v浴なり。左註に言へる如く、宴會の席に有りと有る事を一つに詠みたるなり。
 參考 ○刺名倍(代)サシナベともよむか(考、古)サシナベ(新)略に同じ ○檜橋從來許武(新)「許」を衍とす。
 
右一首傳云。一時衆集宴飲也。於時夜漏三更。所v聞2狐聲1。爾乃衆諸。誘2興《オキ》麻呂1曰。關2此饌具雜器狐聲河橋等物1。但作(レ)v歌|者《テヘリ》。即應v聲作2此歌1也。  於の下、時を官本是に作る。但は而の誤か、下に例有り。
 
詠2行騰蔓菁食薦屋?1歌
 
3825 食薦敷。蔓菁煮將來。?爾。行騰懸而。息此公。
すごもしき。あをなにもてき。うつはりに。むかばきかけて。やすめこのきみ。
 
(207)和名砂、厨膳具に、倉單(須古毛)食を供する所に敷く薦なるべし。又、行騰(無加波岐)行騰也。字鏡、縢、牢加波支と有り。將、官本持に作る。
 參考 ○蔓菁煮將來(考)略に同じ(古、新)アヲナニモテコ ○息比企(考、古、新)ヤスムコノキミ。
 
詠2荷葉1歌
 
3826 蓮葉者。如是許曾有物。意吉麻呂之。家在物者。宇毛乃葉爾有之。
はちすばは。かくこそあれも。おきまろが。いへなるものは。うものはにあらし。
 
アレモは、アレにてモは添へたる言なり。和名抄、芋(以閇都以毛)葉似v荷其根可v食と有り。イモ古へウモと言ひしか。又宇は伊の誤か。
 參考 ○如是許曾有物(代)アルモノ(考)カクコソアル「疑」カモ(古、新)カクコソアルモノ ○宇毛乃葉爾有之(考)ウモノハナラシ(古、新)略に同じ。
 
詠2雙六(ノ)頭《サエ》1歌  和名抄、雙六子一名六菜(俗云2須久呂久1)頭子(双六乃佐以)ここは頭の字の下、子を脱せるか。
 
3827 一二之。目耳不有。五六。三四佐倍有。雙六乃佐叡。
ひとふたの。めのみにあらず。いつつむつ。みつよつさへあり。すぐろくのさえ。
 
(208)唯だ頭子の數の一より六までの名を詠めるのみなり。催馬樂大芹に、五六かへしの一六のさいや四三さいや。
 
詠2香塔厠屎鮒奴1歌
 
3828 香塗流。塔爾莫依。川隅乃。屎鮒喫有。痛女奴。
こりぬれる。たふになよりそ。かはくまの。くそぶなはめる。いたきめやつこ。
 
式忌詞に、堂稱2香燒《コリタキト》1と見え、紀にも燒香をコリヲタクと訓む、佛家に香を壁に塗る事有るか。和名抄、釋名云、厠(加波夜)と有り。隅は隈の誤か。又隅をクマとも訓むべし。川を言ひて厠の詞を籠めたり。クソ鮒は俗に小鮒と言ふ物か。クソは物の屑《クヅ》の事なり。又鮒の一種か。メヤツコは紀婢を訓む。イタキは甚の意にて、賤の至りを言ふ。契沖云、香塗れる塔は清淨にて敬《ウヤマ》ふべき事の限りにて、淨、穢遙かに隔たりたれば、ナヨリツキソと言ふ心なりと言へり。
 參考 ○香塗流(考、新)カウヌレル(古)コリタケル ○屑鮒喫有、痛女奴(新)クソフナハミテ、ヤメルメヤツコ「有痛」を「而病」の誤とす。
 
詠2酢醤〓【〓ヲ菻ニ誤ル】鯛水葱1歌  干禄字書、〓、蒜(上俗下正)と有り。
 
3829 醤酢爾。〓都伎合而。鯛願。吾爾勿所見。水葱乃煮物。
ひしほすに。ひるつきかてて。たひもがも。われになみせそ。なぎのあつもの。
 
(209)和名抄、醤(比之保)酢(須)また搗蒜食療經云、搗蒜〓(比流豆木)〓は四聲字苑に、阿倍毛乃、擣2〓蒜1以v醋和v之と有り。カテテはかね合する義を以て書けり。和名抄、〓飯、唐韻云、〓字亦作v糅、和名、加之木可天、雜飯也と有るを以て知るべし。和名抄、鯛(太比)。歌の意は、醤と酢とに蒜《ヒル》を搗きかてて、はた鯛もがなと願ふ吾なれば、水葱の羮物《アツモノ》などは欲《ホリ》せずと言ふなり。水葱は既に言へり。宣長云、鯛モガモとては、言足らず、願は餔の誤にて、タヒクラフなるべしと言へり。
 參考 ○鯛願(考)略に同じ(古、新)タヒネガフ。
 
詠2玉掃鎌天木【木を今水ニ誤ル】香棗1歌
 
3830 玉掃。苅來鎌麻呂。室乃樹與。棗本。可吉將掃爲。
たまばはき。かりこかままろ。むろのきと。なつめがもとと。かきはかむため。
 
玉バハキは今ハハキ草と言ふ物にて、和名抄、地膚、一名地葵、(和名爾波久佐、一名末木久佐)と有る物なり。其形丸らかに生ひ出づれば玉の詞を添ふるか。卷廿に、賜2玉篇1事、端詞に有りて、はつ春のはつねのけふの玉ははき、と詠めるは、玉もて餝りたる箒にて、今とは異なり。さて苅コ鎌マロとは、契沖が言へる如く、唯だカマと言ふべきを、やつこなどの名に言ひ成せしなり。卷十にも、天木香をムロと訓めり。
 參考 ○棗本(古、新)ナツメガモトヲ。
 
(210)詠2白鷺啄v木飛1歌
 
3831 池神。力土?可母。白鷺乃。桙啄持而。飛渡良武。
いけがみの。りきしまひかも。しらさぎの。ほこくひもちて。とびわたるらむ。
 
大和十市郡、池上郷あり。神は借字にて、此池上か。其處にて斯かる舞をせし事有るか。力士は手力有る佛を言へり。昔力士の鉾持ちたるまねびして舞ひし事有りしなるべし。鷺の巣作らんとて、木の小枝を銜へて飛ぶを、かの力士?に見なしたるなり。卷十、春霞ながるるむたに春柳の枝くひ持ちて鶯鳴くも。
 
忌部首詠2數種物1歌一首(名忘失也。)
 
3832 枳。棘原苅除曾氣。倉將立。屎遠麻禮。櫛造刀自。
からたちの。うばらかりそけ。くらたてむ。くそとほくまれ。くしつくるとじ。
 
カリソケは此字の如し。曾氣の二字餘りたる書きざまなり。恐らくは衍文ならん。卷十一、夏草のかりそくれども、卷十四、草根かりそけ云云。クソ遠クマレは、紀に、送糞此云2倶蘇摩?《クソマルト》1と有り。刀自は女なり。櫛作るも女の業《ワザ》なるべし。此歌以下數種の物を詠めるにて意通れり。無心所着とは異なり。
 參考 ○棘原苅除氣(考)ムハラカリソケ(古)ムマラカリソケ(新)ウバラカリソケ「原」と「曾氣」を衍とす。
 
(211)境部《サカヒベノ》王詠2數種物1歌一首(穗積親王之子也)
 
續紀、養老五年正月無位|坂合部《サカヒベ》王に從四位下を授く由、其外にも見ゆ。懷風藻に、治部卿境部王と有り。歌の字の下一首と有るべし。
 
3833 虎爾乘。古屋乎越而。青淵爾。鮫龍取將來。劒刀毛我。
とらにのり。ふるやをこえて。あをぶちに。みづちとりこむ。つるぎだちもが。
 
神樂歌に、伊曾乃加美不留也遠止古乃多知毛可奈久美乃遠志天天美也知加與波牟、と詠めるフルヤ是れか。然らばイソノカミは枕詞なるべし。古屋と言ふ所大和に在りて、且つ昔名高き武夫有りしか。鮫は蛟の誤なり、官本、水戸本、ミヅチと訓む。和名抄、蛟、(美豆知)龍屬也と有り。仁コ紀六十七年吉備中國笠臣祖縣守水に入りて?を斬る事見ゆ。
 參考 ○古屋乎越而(新)「高」タカヤヲコエテ。
 
作主未v詳歌一首
 
3834 成棗。寸三二粟嗣。延田【田ヲ今由ニ誤ル】葛乃。後毛將相跡。葵花咲。
なしなつめ。きみにあはつぎ。はふくずの。のちもあはむと。あふひはなさく。
 
春海云、梨の實のなるを始にて、それより棗實なり。さて黍を蒔き、其れに次ぎて粟を蒔くと言ふ意に言へるなり。二の句は君に縫ひ繼ぎと言ふ意を籠め、ハフ葛は後と言はん料に言ひ、葵は逢ふと言ふ料(212)に言へるなるべしと言へり。クズは卷七、卷十等に田葛と書きたれば、今本由と有るは誤なり。
 參考 ○粟嗣ぐ(新)アハ「蒔」マク。
 
獻2新田部親王1歌一首
 
3835 勝間田之。池者我知。蓮無。然言君之。鬚【鬚ヲ鬢ニ誤ル、官本ニ據リテ改ム】無如之。
かつまたの。いけはわれしる。はちすなし。しかいふきみが。ひげなきがごとし。
 
カツマタノ池、大和なり。傳に堵裡に出遊して、此池を見給ふ由有りて、堵は都と通はし用ふれは、奈良近き所なるべし。歌の意は、傳に言へる如く、水影濤濤、蓮花灼灼と婦人に語り給ふを、婦人の蓮無しと言へるは戯れにて、多く有るを、却りて無しと言ひて、さて此|皇子《ミコ》鬚多きを、却りて鬚無きが如しと言へるなり。鬚を今本鬢に誤れり。官本に據りて改む。和名抄、鬚(之毛豆比介)頤下毛也と有り。良玉集、道濟、物へまかりける道に、昔のかつまたの池とて、槭《イヒ》の跡|斗《バカリ》見えけるに、朽立るいひなかりせばかつまたの昔の池とたれか知らまし。
 參考 ○鬚無如之(代、古)ヒゲナキゴトシ(考、新)ヒゲナキガゴト(新)は「之如」の誤とす。
 
右或有v人聞之曰。新田部親王出2遊于堵裏1。御2見勝間田之池1。感2緒御心之中1。還v自2彼池1。不v忍2憐愛1。於v時語2婦人1曰。今日遊行見2勝間田池1。水影濤濤。蓮花灼灼。可憐斷腸。不v可2得言1。爾乃婦人作2此戯歌1專輙吟詠也。  毛詩、桃之夭夭、灼灼其華。傳曰灼灼華盛也と有り。可憐、官本※[?+可]伶に作(213)る。緒、袖中抄諸に作る。專は誤字か。
 
謗2侫人1歌一首
 
3836 奈良山乃。兒手柏之。兩面爾。左毛右毛。侫人之友。
ならやまの。このてがしはの。ふたおもに。かにもかくにも。ねぢけびとのとも。
 
卷廿、ちばの野にこのてがしはのほほまれど、とも詠みて、柏の葉の兒の手に似たれば言ふ。風など吹けば、葉の裏表いちじろく見ゆれば、二面と言はん序なり。能因歌枕に、かしはをこのてがしはと言ふ、ひらでともいふ云云。翁云、卷廿下(○上カ)總防人歌に、フタホガミアシケヒトナリアタユマヒわがするときにさきもりにさす、と詠める、フタホガミは兩面《フタガホ》神か。アシケヒトは則ち佞人を言ふべければ、ここも兩面をフタガホニと訓み、佞人之友をアシケヒトノトモと訓まんかと言はれき。宣長はコビビトノトモと訓めり。トモは輩なり。さてネヂケと訓めるは、今物の曲れるを拗《ネヂ》れたるとも言ひて、ネヂケビトと訓めるもいと後の人の訓とも聞えねば、暫く古訓に據れり。一本爾の字無くて、フタオモテと訓めり。
 參考 ○兩面爾(考)フタオモテ「爾」を衍とす(古、新)略に同じ ○佞人之友(新)「之友」は「爾有」の誤にてネヂケビトナル。
 
右歌一首博士|消奈行文《セナノユキブミ》大夫作之。  續紀、養老五年云云明經第二博士正七位上背奈公行文と見え、其外(214)にも見ゆ。消もセの假字にも訓むべけれど、恐らくは背の誤れるならん。さて公の姓《カバネ》を脱せり。
 
3837 久堅之。雨毛落奴可。蓮荷爾。渟在水乃。玉爾似將有見。
ひさかたの。あめもふらぬか。はちすばに。たまれるみづの。たまににたるみむ。
 
フラヌカはフレカシなり。將有は下上に誤れるか。
 參考 ○玉爾似將有見(代)タマニニラムミム(考)「玉爾似有將見」の誤とす(古、新)略に同じ。
 
右歌一首傳云。有2右兵衛1。(姓名未詳)多能2歌作之藝1也。于v時府家備2設酒食1。饗2宴府官人等1。於v是饌食盛v之皆用2荷葉1。諸人酒酣。謌舞絡繹。【絡繹ヲ今駱驛ニ誤ル】乃誘2兵衛1云。關2【關ヲ開ニ誤ル】其荷葉1而作2此歌1者《テヘリ》。登時應v聲作2斯歌1也。  絡繹は東京賦呂向註に相連不v絶皃と見ゆ。
 
無2心所1v著二首
 
3838 吾妹兒之。額爾生流。雙六乃。事負乃牛之。倉上之瘡。
わぎもこが。ひたひにおふる。すぐろくの。ことひのうしの。くらのうへのかさ。
 
端詞に言へる如く、心の據る所無き樣に求めて詠めるなり。濱成式に雜會體と言ふなり。源氏物語常夏の卷に、草わかみひたちの海のいかがさきいかであひ見むたごのうら浪、など言ふ類ひなり。コトヒは、和名抄、特牛(古度比)頭大牛也と有り。
 參考 ○額爾生流(考)ヒタニオフル(古、新)ヌカニオヒタル(新)「生」の下「多」脱とす。
 
(215)3839 吾兄子之。犢鼻爾爲流。都夫禮石之。吉野乃山爾。氷魚曾懸有。(懸有反云2佐家禮流1)
わがせこが。たふさぎにする。つぶれいしの。よしののやまに。ひをぞさがれる。
 
家、官本我に作るぞ善き。
タフサギは和名抄、史記云。司馬相如著2犢鼻褌1云云。唐韻云松云云。漢語抄云。※[衣+公]子毛乃之太乃太不佐伎云云有り。タフサギは股塞《マタフサギ》の略なるべし。ツブレ石は紀に圓をツブラと訓みて、圓き石を言ふべし。氷魚、和名抄、〓(音小今按俗云氷魚也)。
 參考 ○犢鼻爾爲流(考)タブサキニスル(古)タフサキニセル(新)タフサキニスル。
 
右歌者舍人親王令2侍座1曰。或有d作2無v所v由之歌1人u者。賜以2錢帛1。于v時大舍人安倍朝臣|子祖父《コオヂ》。乃作2斯歌1獻上。登時以2所v募物錢二千文1給v也。  天武紀、朱鳥元年春正月大極殿に御して宴を諸王卿に賜ふ。是日詔曰く朕王卿に問ふに無端事《アトナシコト》を以てせん。何對言實を得は必ず腸もの有り、と有るに似たり。子祖父は續紀に巨勢朝臣子祖父と言ふ見ゆ。名は同じくて異人なり。
 
池田朝臣|嗤《アザケル》2【嗤ヲ〓ニ誤ル】大神《オホミワ》朝臣|奧守《オキモリ》1歌一首 (池田朝臣名忘失也)
 
3840 寺寺之。女餓鬼申久。大神乃。男餓鬼被給而。其子將播。
てらてらの。めがきまをさく。おほみわの。をがきたばりて。そのこうまはむ。
 
契沖云、寺に餓鬼を作り置く事有り。女餓鬼男餓鬼とて有る事なり。卷四に、相思はぬ人を思ふは大寺(216)の餓鬼のしりへにぬかづくが如。大神朝臣奧守がいたく痩せたる故に、女餓鬼が申すやうは、我が夫に此人給はらん、子を多く儲けんとなり。允恭記、蕃息をウマハリと訓み、仁賢紀、植をウマハムと訓めれば、將播をウマハムと訓むべきなり。
 參考 ○將播(代、古、新)略に同じ(考)ウミナム。
 
大神朝臣奧守報嗤歌一首  續紀寶字八年正月正六位下より從五位下を授く由見ゆ。
 
3841 佛造。眞朱不足者。水渟。池田乃阿曾我。鼻上乎穿禮。
ほとけつくる。まそほたらずは。みづたまる。いけだのあそが。はなのへをほれ。
 
飢鬼に對《ムカ》へて佛もて答ふ。眞朱はマハニとも訓むべし。佛を造りて彩色の具に朱を用ふる故に斯く言へり。水渟ルは池と言はん枕詞なり。應神紀御歌、瀰豆多摩蘆《ミヅタマル》よさみのいけ云云。アソは吾兄《アセ》なり。朝臣ももと吾兄《アセ》なるを、後に字を植ゑたるなり。池田朝臣の鼻赤かりければ戯に然か言へり。源氏物語末摘花に、あなかたはと見ゆる物は御鼻なり云云、色付たる程殊の外にうたてあり。又此赤鼻をかきつけにほはして見給ふに云云と有る類ひなり。
 參考 ○佛造(代)ホトケツクリ(考、古、新)略に同じ ○眞朱(考、古、新)マソホ。
 
或云  此下、字の脱ちたるなり。
 
平群朝臣嗤歌一首
 
(217)3842 小兒等。草者勿苅。八穗蓼乎。穗積乃阿曾我。腋草乎可禮。
わらはども。くさはなかりそ。やほたでを。ほづみのあそが。わきくさをかれ。
 
ヤホタテヲ、枕詞。腋草は腋毛を言へり。
 參考 ○小兒等(代、考、新)略に同じ(古)ワクゴトモ。
 
穗積朝臣和歌一首
 
3843 何所曾。眞朱穿岳。薦疊。平羣乃阿曾我。鼻上乎穿禮。
いづくにぞ。まそほ《まはに》ほるをか。こもだたみ。へぐりのあそが。はなのへをほれ。
 
眞朱ほる岳はいづくにぞと言ふなり。コモダタミ、枕詞。是れも平群氏が鼻の赤きを嗤《ソシ》るなり。
 參考 ○何所曾(考)略に同じ(古)イヅクゾ(新)イヅクゾ「毛」モ。
 
嗤2咲黒色1歌一首
 
3844 烏玉之。斐太乃大黒。毎見。巨勢乃小黒之。所念可聞。
ぬばたまの。ひだのおほくろ。みるごとに。こせのをぐろし。おもほゆるかも。
 
左の傳を見るに大黒は斐太朝臣を指し、小黒は豐人《トヨヒト》を指せり。ヌバ玉ノ、枕詞。大黒小黒は馬を言ふなるべし。馬は黒きを善しとするうへ、飛騨より此頃よき馬出せるによりて、斯くは言へるならん。さて巨勢斐太朝臣と豐人と、兩人共に黒色なるが中に、斐太朝臣すぐれて黒かりしかば、水通が嗤りて詠め(218)るなり。
 參考 ○巨勢乃小黒之(考)巨勢乃小黒ガ(古、新)略に同じ。
 
答歌一首
 
3845 駒造。土師乃志婢麻呂。白爾有者。諾欲將有。其黒色乎。
こまつくる。はじのしびまろ。しろなれば。うべほしからむ。そのくりいろを。
 
神代紀、天穗日命此云出雲臣武藏國造土師連等遠祖也。垂仁紀、三十二年出雲國の土部一百人を召して、埴《ハニ》を取りて、人馬種種の物の形を造らしめ給ふ事見ゆ。されば駒を造るに黒色の欲しからんと言ふなり。水通が色の少し白きによりて戯れ詠めるなり。
 參考 ○白爾有者(考、新)略に同じ(古)シロ「久」クアレバ ○其黒色乎(古)ソノクロイロヲ(新)ソノ黒イロ「乎」ヲ。
 
右歌者傳云。有2大舍人土師宿禰水道1字曰2志婢麻呂1也。於時大舍人巨勢朝臣豐人字曰2正月麻呂1。與2巨勢斐太朝臣1(名字忘之【忘下之一失ニ作ル】也島村大夫之男也)兩人並此(モ)彼(モ)貌黒色焉。【焉今鳥】於v是土師宿禰水道作2斯歌1嗤咲|者《テヘリ》。而巨勢朝臣豐人聞v之。即作2和歌1酬咲也。  續紀、養老三年五月巨勢斐太臣大男等に朝臣姓を賜ふと有り。註の島大夫は、官本島村大夫と有るぞ善き。續紀、天平十六年閏正月云云。左京亮外從五位下巨勢朝臣島村を平城宮留守と爲すと見ゆ。
 
(219)戯嗤v【嗤ヲ〓ニ誤ル】僧歌一首
 
3846 法師等之。鬢【鬢ハ鬚ノ誤】乃剃杭。馬繋。痛勿引曾。僧半甘。
ほうしらが。ひげのそりぐひ。うまつなぎ。いたくなひきそ。ほうしなからかむ。
 
古へはすべて鬚を剃る事無し。唯だ僧のみ髪も髭も剃りたり。剃杭とは剃りたる髭の跡へ、又|些《イササ》か生ひたるを言ふ。木の切りたる跡へ又少し生ひたるをキリクヒと言ふに同じ。孝コ紀、古人大兄命即位を辭みて、僧となり給ふ時に、法興寺に詣で給ひ、佛殿と塔の間にて髯髪を剔除《ソリ》て、袈裟を披著《キ》たまふなど見ゆ。ナカラカムは半分の意にて、なからにならんと戯れ言ふなり。鬢は鬚の誤なり。
 參考 ○鬢乃剃杭(考)ヒゲノソリグヒニ(古、新)略に同じ ○僧半甘(考)ホフシナカラカモ(古)略に同じ(新)ホフシナゲカム「半」を「嘆」の誤とす。
 
法師報歌一首
 
3847 檀越也。然勿言。?戸等我。課?徴者。汝毛半甘。
だんをちや。しかもないひそ。てこらわが。えだちはたらば。なれもなからかむ。
 
契沖去、檀越は舊譯の梵語。新譯は檀那なり。此には布施と言ふと言へり。シカモナイヒソは然《サ》な言ひそなり。翁云、?は良の字の誤にて良戸等我、イヘヲサラガと訓むべしと言はれき。宣長は、?戸は戸長の誤かと言へり。さも有るべし。エダチハタラバ、公《オホヤケ》より百姓を役に仕ひ給ふとてはたるなり。ナ(220)カラカムは右に言へる如し。
 參考 ○?戸等我(代)テコドモガ(考)イヘヲサラガ「?」を「良」とす(古)サトヲサラガ「五十戸長等我」とす(新)サトヲサガ「?」を「五十」「等」を「良」の誤とす ○課?徴者(代)エタチ(考)略に同じ(古)エツキハタラバ(新)ツキエハタラバ ○半甘、前の項の參考を見よ。
 
夢裡作歌一首
 
3848 荒城田乃。子師田乃稻乎。倉爾擧藏而。阿奈于【于ハ干ノ誤】稻于稻志。吾戀良久者。
あらきだの。ししだのいねを。くらにつみて。あな|うたうた《ひねひね》し。わがこふらくは。
 
アラキ田は新墾を言ふ。シシ田は鹿のつく田なるべし。ウタウタシは物の餘りなるまで重れる事なり。ウタタと言ふも同じ。轉じてウタテとも言ふ。是れは此倉は屯倉《ミヤケ》にて、稻を幾萬束も積み重ね置くを、我が思ひのうたて有るまで重れるに譬ふと、翁は言はれき。契沖云、于は干の誤なり。干稻共に訓みを用ひヒネビネシと訓むべし。物の盛過ぎたるをヒネと言へり。逢ひ見ぬを言はんとて、稻の久しく成りて、乾くに寄せたりと言へり。宣長云、續紀、中臣部干稻麻呂と言ふ人有り。これも必ずヒネマロと訓むべしと言へり。契沖が説穩かなり。
 參考 ○倉爾擧藏而(考)略に同じ(古、新)クラニツミテ、又はコメテ ○阿奈于稻于稻志(代、考)アナウタウタシ(代)の初稿本于を干の誤とし、ヒネヒネシとす(古、新)略に同じ。
 
(221)右歌一首忌部首黒麻呂夢裡作2此戀(ノ)歌1贈v友。覺而令2【令ヲ今不ニ誤ル】誦習1如v前。  令、今不に誤る、官本に據りて改む。如v前とは即ち此歌の事を言へり。
 
厭2世間無常1歌一首
 
3849 生死之。二海乎。厭見。潮干乃山乎。之努比鶴鴨。
いきしにの。ふたつのうみを。いとはしみ。しほひのやまを。しぬびつるかも。
 
契沖云、華嚴經云、何能度2生死海1。入2佛智海1云云、潮干の山と言ふは彼岸なり。潮の干たるを生死の海の乾きたるになして、其れをしのぶは無爲の樂果を願ふなりと言へり。
 參考 ○潮干乃山乎(新)シホヒノ「岸」キシヲ。
 
3850 世間之。繁借廬爾。住住而。將至國之。多附不知聞。
よのなかの。しきかりいほに。すみすみて。いたらむくにの。たづきしらずも。
 
宣長云、繁は借字にて醜なり。古事記、穢繁國はキタナキシキクニと訓むべし。卷十三、小屋の四忌屋《シキヤ》に、鬼《シコ》の四忌手《シキテ》などのシキに同じ。さて其醜と言ふも、佛法にて此世を穢土と言ふ意にて、カリイホとは、此世を假の世と言ふ意もて詠めるなりと言へり。イタラム國とは極樂を言へり。
 參考 ○繁借廬爾(古)略に同じ(新)シゲキカリホニ。
 
右歌二首河原寺之佛堂裡在2倭琴面1也。  河原寺は飛鳥川原寺にて今も有り。飛鳥の邊《アタリ》なりとぞ。天武紀(222)二年三月書生を聚め、始めて一切經を川原寺に寫す由見ゆ。倭を今本佞に誤り、也を之に誤れり。
 
3851 心乎之。無何者乃郷爾。置而有者。藐狐※[身+矢]能山乎。見末久知香谿務。
こころをし。むかうのさとに。おきたらば。はこやのやまを。みまくちかけむ。
 
無何有郷、藐姑射山は莊子に見ゆ。無爲に遊ぶ事を詠めり。ココロヲシのシは助辭。ミマクチカケムは目に近く見んとなり。
 
右歌一首。  ここに作者を脱せるか。末にも多く歌のみ擧げたる有り、皆同じ。
 
3852 鯨魚取。海哉死爲流。山哉死爲流。死許曾。海者潮干而。山者枯爲禮。
いさなとり。うみやしにする。やまやしにする。しねこそ。うみはしほひて。やまはかれすれ。
 
旋頭歌なり。卷十三、高山と海こそは山のまにかくもうつしき海のまにしかただならめ人はあだものぞうつせみのよ人、と詠めるとはうらうへにて、今は山も海も無常を遁れ得ぬを詠めり。シネコソは死ネバコソを略き言ふ例なり。
 參考 ○死許曾(考)シネバコツ(古)略に同じ(新)シヌレコソ。
 
右歌一首。
 
嗤2【嗤ヲ〓ニ誤ル】咲痩人1歌二首
 
3853 石麻呂爾。吾物申。夏痩爾。吉跡云物曾。武奈伎取食。  賣世《メセ》反也。
(223)いしまろに。われものまをす。なつやせに。よしとふものぞ。むなぎとりめせ。
 
和名抄、鰻(無奈木)今ウナギと言ふ。
 參考 ○石麻邑爾(考)略に同じ(古)イハマロニ(新)イソマロニともよむべし。
 
3854 痩痩母。生有者將在乎。波多也波多。武奈伎乎漁取跡。河爾流勿。
やすやすも。いけらばあらむを。はたやはた。むなぎをとると。かはにながるな。
 
痩ながらも生きて有るべきを、鰻を取るとて水に溺るる事なかれとなり。舊訓ヤセヤセモと有るは俗言なり。
 參考 ○痩痩母(考)ヤセヤセモ(古、新)略に同じ。
 
古有3吉田連老字曰2石麻呂1。所謂仁教之子也。其老爲v人身體甚痩【痩ヲ披ニ誤ル】雖2多喫飲1。形以2飢饉1。因v此大伴宿禰家持聊作2斯歌1以爲2戯咲1也。  續紀、寶龜九年二月内藥佐外從五位下吉田連古麻呂兼豐前守と爲す。其外にも見ゆ。此古は石の誤かと言ふ説も有れど、字を記すべきに非ず、別人ならん。宣長云、仁教は石麻呂の父の名なるべし。吉田連は續紀第九、續後記第六、文コ實録第二等に出でて、もと百濟國より出でたれば字音の名有るべしと言へり。姓氏録には任那國より出づる由見ゆ。飲は飯の誤ならん。
 
高宮王詠2數種物1歌二首
 
(224)3855 葛英爾。延於保登禮流。屎葛。絶事無。官將爲。
くずばなに。はひおほどれる。くそかづら。たゆることなく。みやづかへせむ。
 
オホドレルは這ひひろごれるを言ふ。源氏物語手習に、かみのすそのにはかにおほどれたるやうに、しとけなくさへそがれたる云云。和名抄、細子草(久曾加豆良)と有り。官は宦の誤なり。契沖云、葛英は誤にて、※[草がんむり/皀]莢か。和名抄、※[草がんむり/皀]莢(造夾二音、和名加波良布知、此俗云2?結1)西海子と言ふ木なるを、葛類に入れられたるは如何なる心にかと言へり。いかさまにも葛花にハヒオホドレルとては穩かならず。
 參考 ○葛英爾(代)フヂノキニ(考)クズハナニ(古)は決せず(新)「※[草がんむり/皀]莢」の誤としサウケフニ。
 
3856 波羅門乃。作有流小田乎。喫烏。瞼【瞼ヲ臉ニ誤ル】腫而。幡幢爾居。
ばらもんの。つくれるをだを。はむからす。まなぶたはれて。はたほこにをり。
 
契沖云、婆羅門は梵天の種性にて、淨行をもととし、廣學多智にして、國家の宰臣ともなる者なり。漢土の士、本朝の武士、稍是れに似たり。今斯くしも詠み出でられたる、其故を知らず云云。烏は誠にまなぶたの腫れたるやうに見ゆる鳥なりと言へり。翁が云、此比唐土より皇朝へ來れる梵僧婆羅門が事を言ふにや。役小角などやうに怪しきわざを爲しけるを言ふかと言はれき。或人云、婆羅門は僧を言へ(225)り、宇治拾遺に、婆羅門のやうなる心にも、あはれにたふとくおぼえてとも見ゆ。猶考ふべし。
 參考 ○幡幢(新)ハタサヲ。
 
戀2夫君1歌一首
 
3857 飯喫騰。味母不在。雖行往。安久毛不有。赤根佐須。君之情志。忘可禰津藻。
いひくへど。うまくもあらず。あるけども。やすくもあらず。あかねさす。きみがこころし。わすれかかつも。
 
七句の長歌なり。六帖に小長歌と言ふなるべし。アカネサスは、アカラ引クと詠めるに同じく、紅顔を言ふ。
 參考 ○飯喫騰(古、新)イヒハメド ○赤根佐須の下(新)ヒルハシミラニ、ヌバタマノ、ヨルハスガラニ、ハシキヤシなど云ふ四句脱か。
 
右歌一首傳云。佐爲《サヰノ》王有2近習婢1也。于v時宿直不v遑。夫君難v遇。感情馳結。係戀實深。於v是當宿之夜。夢裏相見。覺寤探抱。曾無v觸v手。爾乃哽咽【咽ヲ※[口+周]ニ誤ル】歔欷。高聲吟2詠此歌1。因王聞v之哀慟。永免2侍宿1也。  佐爲王は諸兄公の弟なり。
 
3858 比來之。吾戀力。記集。功爾申者。五位乃冠。
(226)このごろの。わがこひぢから。しるしあつめ。くうにまをさば。ごゐのかがぶり。
 
戀に務めたるを力と言へり。クウは功勞なり。冠をカウフリと言ふは音便なり。
 參考 ○記集(考)略に同じ(古、新)シルシツメ。
 
3859 頃者之。吾戀力。不給者。京〓爾。出而將訴。
このごろの。わがこひぢから。たばらずは。みやこにいでて《みさとつかさに》。うたへまをさむ《いでてうたへむ》。
 
戀力の酬を給はずはなり。京兆は京職の漢《カラ》名、京兆尹なるを略きて書けるか。和名抄、京職、美佐止豆加佐と有れば、今も然か訓むべきか。
 參考 ○京〓爾(代)ミサトニイデテ「出」までにて句とす(古、新)ミサトヅカサニ ○出而將訴(考、古、新)イデテウタヘム。
 
右歌二首。
 
筑前國志賀白水郎歌十首  海人荒雄が海に沈めるを聞きて詠める事、左註に委し。
 
3860 王之。不遣爾。情進爾。行之荒雄良。奧爾袖振。
おほきみの。つかはさなくに。さかしらに。ゆきしあらをら。おきにそでふる。
 
卷三、あなみにく賢良《サカシラ》すると云云、是れは註に言へる如く、?取津麻呂が言へるを諾《ウベ》なひて、舟出して、遂に海に沈める事を詠めり。袖フルは古へ別れに臨みてする業《ワザ》なれば、荒雄が溺るるさまを斯く言(227)へり。
 參考 ○不遣爾(代、古、新)略に同じ(考)ツカハサザルニ。
 
3861 荒雄良乎。將來可不來可等。飯盛而。門爾出立。雖待來不座。
あらをらを。こむかこじかと。いひもりて。かどにいでたち。まてどきまさず。
 
荒雄が妻子の心になりて詠めり。
 參考 ○雖待不來座(新)マテドキマサヌ。
 
3862 志賀乃山。痛勿伐。荒雄良我。余須可乃山跡。見管將偲。
しかのやま。いたくなきりそ。あらをらが。よすがのやまと。みつつしぬばむ。
 
卷三、こととはぬものにはあれどわぎもこがいりにし山をよすがとぞおもふ。荒雄を此志賀山に葬りたれば斯く詠めり。
 
3863 荒雄良我。去爾之日從。志賀乃安麻乃。大浦田沼者。不樂有哉。
あらをらが。ゆきにしひより。しかのあまの。おほうらたぬは。さぶしかるかも。
 
大浦田沼は海邊の大浦と言ふ所の田邊の沼を言ふべし。荒雄行きて歸らねば、妻子が業には田作水まかする事も叶はねばなり。宣長云、志賀は上古より海士の名高き所なれば、海士の大浦と言ふべしと言へり。
(228) 參考 ○大浦田沼者(新)「夫繩田服者《ソノナハタギハ》」の誤か ○不樂有哉(代)サビシクモアルカ(考)略に同じ(古)サブシカラズヤ「有」の上「不」脱(新)サブシクモアルカ。
 
3864 官許曾。指弖毛遣米。情出爾。行之荒雄良。波爾袖振。
つかさこそ。さしてもやらめ。さかしらに。ゆきしあらをら。なみにそでふる。
 
上の王之の歌に大かた同じ意なり。
 
3865 荒雄良者。妻子之産業乎波。不念呂。年之八歳乎。待騰來不座。
あらをらは。めこのなりをば。おもはずろ。としのやとせを。まてどきまさず。
 
ロは助辭なり、例多し。卷十五、人のううるたはうゑまさず今更につま別して我はいかにせむ、と言ふに同じ。産業はナリと訓むべし。卷五、久方のあまぢはとほしなほなほにいへにかへりて奈利乎しまさに、と詠めり。
 參考 ○待騰來不座(新)マテドキマサヌ。
 
3866 奧鳥。鴨云船之。還來者。也良乃埼守。早告許曾。
おきつどり。かもとふふねの。かへりこば。やらのさきもり。はやくつげこそ。
 
オキツトリ、枕詞。カモは舟の名なるべし。古へ舟に名付くる事有り。按ずるに仁コ紀枯野と名付けられしも輕き意なり。カモも輕く浮ぶを以て舟の名とせるなるべし。古事記、鳥之右楠船神と言ふも、水(229)鳥の浮けるさまによそへ言へり。書紀に、天鳩舟と言ふも見ゆ。也良は筑紫に有る地名なるべし。此下にはし立を熊來乃夜良と詠めるとは別なるべし。コソは願ふ詞。
 
3867 奧鳥。鴨云舟者。也良乃埼。多未弖?來跡。所聞許奴可聞。
おきつどり。かもとふふねは。やらのさき。たみてこぎくと。きかれこぬかも。
 
タミテは廻りてなり。キカレコヌカモは、ネラレヌをネラエヌ、ワスラレをワスラエと言ふ如く、レとエは常に通へばキコエコヌと言ふを斯く言へるなり。
 參考 ○所聞出許奴可聞(考)略に臥じ(古、新)キコエコヌカモ「禮」を「衣」の誤とす。
 
3868 奧去哉。赤羅小船爾。※[果/衣]遣者。若人見而。解披見鴨。
おきゆくや。あからをぶねに。つとやらは。もしも《けだし》ひとみて。ひらきみむかも。
 
アカラヲ舟は、卷三、卷十三に赤のそほぶね、又十三に、さにぬりのを舟、と詠めるに同じく、丹塗の舟なり。其舟にことづけて荒雄が許へつとを贈らば、もし人の開《ア》け見んかとうしろめたく思ふなり。
 參考 ○※[果/衣]遣者(新)ツテヤラバ「※[果/衣]」は「傳」の誤とす ○若人見而(代)モシヒトノミテ(考)モシモヒトミテ(古、新)ケダシヒトミテ ○解披見鴨(考、新)略に同じ(古)トキアケミムカモ。
 
3869 大舶爾。小船引副。可豆久登毛。志賀乃荒雄爾。潜將相八方。
(230)おほぶねに。をぶねひきそへ。かづくとも。しかのあらをに。かづきあはめやも。
 
和名抄、艇(乎夫彌云云)小船也と有り。人多く水底に入りて尋ぬる由にて、大舟を舟とは言へり。荒雄既に海に沈みたれば、尋ねる甲斐無しとなり。神功紀、あふみのみせたのあたりに伽豆區苫利《カヅクトリ》、と詠めるも、水に入るを鳥の潜くに譬へたり。
 參考 ○潜將相八方(考)カヅキアハムヤモ(古、新)略に同じ。
 
右以(フニ)神龜年中。大宰府差2筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂1。充2對馬送v粮舶(ノ)柁師1也。于時津麻呂詣2於糟【糟今澤ニ誤ル】屋郡志賀村白水郎荒雄之許1。語曰。僕有2小事1。若疑不v許歟。荒雄答曰。走。(走は賤者の稱にて卑下して言ふ詞也。文選に見ゆ。)雖v異v郡。同v船日久。志篤2兄弟1。在2於殉死1。豈復辭哉。津麻呂曰。府官差v僕。充2對馬送v粮舶?師1。容齒衰老。不v堪2海路1。故來祗侯。願垂2相替1矣。於v是荒雄許諾。遂從2彼事1。自2肥前國松浦縣|美彌《ミミ》【彌今禰ニ誤ル】良久《ラクノ》埼1發v舶。直射2對馬1渡v海。登時《スナハチ》忽天暗冥。暴風交v雨。竟無2順風1。沈2没海中1焉。因v斯妻子等。不v勝2恃慕1。【恃慕今犢暴ニ誤ル】裁2作此謌1。或云筑前國守山上憶良臣悲2感妻子之傷1。述v志而作2此歌1。
 
主税式云。凡筑前筑後肥前肥後豐前豐後等國。毎年穀二千石漕2送對馬島1。以充2島司及防人等粮1と見ゆ。?、和名抄、※[舟+施の旁](中略)正船木也。揚氏漢語抄云。柁、船尾也。或作v舵。(○二十卷本は柁に誤り十卷本は?なり。舵は著者の意改か)和語多伊之。今案舟人呼2挾抄1爲2舵師1是と見ゆ。志賀、神名帳、(231)糟漢《カスヤ》郡志加海神社。和名砂、糟屋郡志珂とあり。今本澤屋と有るは誤なり。官本糟屋と有るに依るべし。和名抄の今本志阿と有るは志珂の誤なり。契沖云、顯昭袖中抄に、俊頼朝臣の歌に、みみらくのわがひのもとの島ならばと言ふを載せ、能因坤元議に肥前國ちかの島此島にひひらこの崎と言ふ所有り。又續後紀第六、松浦郡|旻樂《ミミラク》埼と見ゆ。是れらを以て、美禰良久と今本に有るは奨彌良久の誤とせり。續紀寶龜三年十二月太宰府言。壹岐島掾從六位上上村主墨繩等。送2年粮於對馬島1。俄遭2逆風1。船破人没。所v載之穀。隨復漂失。謹檢2天平寶字四年格1。漂失之物以部請。自今以後評2定虚實1微免許之。
 
3870 紫乃。粉滷乃海爾。潜鳥。珠潜出者。吾玉爾將爲。
むらさきの。こかたのうみに。かづくとり。たまかづきでば。わがたまにせむ。
 
ムラサキノ、枕詞。卷十二、わぎもこをよそのみやみむこしの海のこかたの海の島ならなくに、と有り。
 
右歌一首
 
3871 角島之。迫門乃稚海藻者。人之共。荒有之可杼。吾共者和海藻。
つぬじまの。せとのわかめは。ひとのむた。あらかりしかど。わがむたは|にぎめ《わかめ》。
 
角島、式に、長門國角島牛牧。和名抄、海藻(爾木米)共《ムタ》は字の如く共ニの意なり。稚メは女に譬ふ。契沖云、わかめと言ふ名より女に譬へて、人ノ共アレタリシカドとは、角島の迫門《セト》のわかめを、人が刈らんとすれば、ワカメと言ふ名にも負はず、迫門の如く荒れて有りしかども、吾が刈るからに眞《マコト》のわか(232)めにて、安く刈ると言ふ心にて、人の言ひ寄るに荒く聞き入れず、我には靡き從ふを悲む心なりと言へり。されど迫門の如くと言ふ意までには有らじ。迫門は唯だ其住める邊《アタリ》の地を詠めるなるべし。
 參考 ○和海藻(古、新)ニギメ。
 
右歌一首。
 
3872 吾門之。榎實毛利喫。百千鳥。千鳥者雖來。君曾不來座。
わがかどの。えのみもりはむ。ももちどり。ちどりはくれど。きみぞきまさぬ。
 
モリハムは其實の所を離れず、守り居てついばむ意か。或人モモチドリは百ツ鳥なりと言へど、斯く千ドリハと重ね言へるをもて、モモチは字の如くなる事知るべし。さて多くの鳥を言ふ。卷七、なつそ引うなかみがたのおきつすに鳥はすだけど君は音もせぬ、と言ふに似たり。
 
3873 吾門爾。千鳥數鳴。起余起余。我一夜妻。人爾所知名。
わがかどに。ちどりしばなく。おきよおきよ。わがひとよづま。ひとにしらゆな。
 
卷十一にも、明ぬべく千鳥しば鳴白たへの君が手枕いまだあかなくに、など言ひて、夜明けてくさぐさの鳥の啼くを言ふ。神樂歌に、庭鳥はかけろとなきぬ。おきよおきよわがひとよづま人もこそみれ、と言へるは、是れを誤れるなり。一夜妻は遊女を言へど、此《コ》は然《サ》にも有らず、始めて一夜逢ふを言ふなるべし。
(233) 參考 ○人爾所知名(代、考)ヒトニシラルナ(古、新)略に同じ。
 
右歌二首
 
3874 所※[身+矢]鹿乎。認河邊之。和草。身若可倍爾。佐宿之兒等波母。
いゆししを。つなぐかはべの。わかくさの。みわかきがへに。さねしこらはも。
 
齊明紀御歌に、伊喩之之乎都那遇何播抔能倭柯矩娑能《イユシシヲツナグカハベノワカクサノ》わかくありきとあがもはなくに、と有るを訛れるか。イユシシヲツナグとは狩人に射られたる、鹿の跡を求《ト》め行くなり。それを跡をつなぐと言へり。和は義を以て書けり。若キと重ね言はん爲めなれば、ワカクサと讀むべし。身若キガヘのヘはウヘの略ながら輕く心得べし。若くて寢ねし子等はと、逢ひて後言ひ出だせるなりと翁の説なり。宣長云、ミノワカガヘニと訓みて、身の若きかひにと言ふ意か、古事記、雄略條御歌にも、ひけたのわかくるすばら和加久閇爾《ワカクヘニ》云云と有りと言へり。
 參考 ○身若可倍爾(代、古)ミノワカカヘニ(新)ミノワカクヘニ「可」を「久」の誤とす。
 
右歌一首
 
3875 琴酒乎。押垂小野從。出流水。奴流久波不出。寒水之。心毛計夜爾。所念。音之少寸。道爾相奴鴨。少寸四。道爾相佐婆。伊呂雅世流。菅笠小笠。吾宇(234)奈雅流。珠乃七條。取替毛。將申物乎。少寸。道爾相奴鴨。
ことさけを。おしたれをぬゆ。いづるみづ。ぬるくはいでず。しみづの《さむきみもひの》。こころもけやに。おもほゆる。(224)おとのすくなき。みちにあはぬかも。すくなきよ。みちにあはさば。いろけせる。すががさをがさ。わがうなげる。たまのななつを。とりかへも。まをさむものを。すくなき。みちにあはぬかも。
 
琴酒ヲ、契沖云、琴を押へ、酒をば垂るるに由りて押タレと續けたりと言へど訝かし。琴は美の字の誤にて、ウマサケヲと有りしなるべし。オシタルルと懸かる枕詞なり。押垂小野、何處《イヅコ》とも知られず、東鑑卷四に、押垂基時と言ふ人あれば、斯かる地名有るかと翁は言はれき。宣長云、小は水の誤か。オシタルミヌユなるべし。押までは序にて、垂水野か、此歌所念と言ふ迄は音を言はん爲めの序なり。たるみ野の水の音いとさやかにして、其音を聞けば心もけやに覺ゆる由なり。ケヤはいさぎよく清《サヤ》けき意なり。さて音の少き道とは人目の少き由なり。そを音と言へるは人の見れば、又人に語りて言ひ立つるを音と言ふなり。アハヌカモと先づ言ひて、さて其由を次に述べたるなりと言へり。ヌルルは神代紀、下瀬是太弱の弱をヌルシと訓めり。寒水、古點ヒヤミヅと有れど雅《ミヤビ》ならず、シミヅと訓むべし。又景行紀寒水をサムキミモヒと訓む。催馬樂にも、みもひも寒しと有れば、サムキミモヒとも訓むべし、アハヌカモはアヘカシと願ふ詞なり。スクナキヨのヨは添へたる詞。道ニアハサバは、アハバを延べ言ふ例なり。伊呂の呂は毛の誤にて、イモケセルか。ケセルは着タルの古語、妹が着たるの意なり。されど雅はケの濁音に用ひたるのみと覺ゆれば、如何が有らん、猶考ふべし。ウナゲルは神代紀、以2其頸(ニ)所v嬰《ウナゲル》(235)五百箇御統之瓊1と言へり。七條の七は數多きを言ふ詞。將申物乎少寸云云は、上に音の少寸四云云と有れば、ここも少寸《スクナ》と言ひて、即ち音の小き由なり。心は人目無き道にて逢へかし、妹が着たる笠と、吾がうなげる珠とを取替へて、形見とせんにとなり。こはいと古き歌の體なり。
 參考 ○琴酒乎(代)ミコサケヲ(考)「美」ウマサケヲ(古)誤字か(新)「釀」カミサケヲ ○押垂小野從(考)オシタレヲヌユ、又はオシタルミヌユ(古)オシタルヲヌユ(新)オシタルミヌユ「小」を「水」の誤とす ○寒水之(考)シミヅノ(古)マシミヅノ(新)サムミヅノ ○心毛計夜爾(考)ココロモ「斜」サヤニ(古、新)略に同じ ○所念の下(新)ワガセノキミヨの句脱とす ○伊呂雅世流(考)「伊毛」イモケセル(古)イロ「鷄」ケセル(新)イガケセル「呂」を「之」の誤とす ○少寸(考)略に同じ(古)スクナキ「四」ヨ(新)「音之」オトノスクナキ。
 
右歌一首。
 
豐前國白水郎歌一首
 
3876 豐國。企玖乃池奈流。菱之宇禮乎。採跡也妹之。御袖所沾計武。
とよくにの。きくのいけなる。ひしのうれを。つむとやいもが。みそでぬれけむ。
 
此白水郎は男の海人なり。豐前|企救《キクノ》郡あり。集中きくの濱と詠める同所なり。卷七、君が爲うきぬの池のひしとるとわがそめし袖ぬれにたるかも、と有るに似たり。御は借にて、眞の意なり。左右の袖を言(236)ふ。
 
豐後國白水郎歌一首
 
3877 紅爾。染而之衣。雨零而。爾保比波雖爲。移波米也毛。
くれなゐに。そめてしころも。あめふりて。にほひはすとも。うつろはめやも。
 
他《アダ》し心無きを言ふなり。神樂の前張に、秋はぎに衣はすらむ雨ふれどうつろひがたしふかくそめては、と言へるに似たり。
 
能登國歌三首
 
3878 〓楯。熊來乃夜良爾。新羅斧。墮入和之。河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]。勿鳴爲曾禰。浮出流夜登。將見和之。
はしだての。くまきのやらに。 しらきをの。おとしいれわし。かけてかけて。ななかしそね。うきいづるやと。みむわし。
 
ハシダテノ、枕詞。クマキは和名抄、能登郡熊來(久万岐)と有り。ヤラは上總下總の土人沼津などの蘆蒋生たる樣の所をヤラと言へり。シラキヲノは欽明紀に百濟王斧三百口を獻る事見ゆ。ここにて作れるも、百濟、新羅にて作れる形もて作れるを、シラキ斧など言ひしならん。翁云、ワシは吾主《ワヌシ》の略かと言はれき。宣長はワシは唯だ調べに添へて言ふ辭なり。催馬樂などに此類ひの添へ辭多しと言へり。さ(237)も有るべし。カケテカケテ云云は、かまへてな歎きそと言ふなり。註に言へる如く、實事有りて詠めるには有らじ。唯だ愚人の譬に言へるならん。註に海底と言へるも覺束なし、恐らくは後人の書き加へしなるべし。
 參考。○墮入和之(考)オトシイルルワシ(古)略に同じ(新)オトシイレ「都」ツワシ ○河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖](新)アモテアモテ「河」を「阿」の誤とす ○勿鳴爲曾禰(代)ナナリシソネ(考)「勿」を前の句によむ(古、新)略に同じ ○浮出流夜登(新)ウキヤイヅルト「浮」の下に下の「夜」を移す ○將見和之(考)ミルラムワシ(古、新)略に同じ。
 
右一首傳云。或有2愚人1。斧墮2海底1。而不v解2鐵沈(テ)無1v理v浮v水(ニ)。聊作2此歌1口吟爲(ニ)喩也。
 
3879 〓楯。熊來酒屋爾。眞奴良留奴和之。佐須比立。率而來奈麻之乎。眞奴良留奴和之。
はしだての。くまきざかやに。まぬらるやつこわし。さすひたて。ゐてきなましを。まぬらろやつこわし。
 
酒屋、催馬樂、酒殿はひろしまびろしと言へり。酒ヤも酒を置く所を言ふべし。マは發語、ヌラルは所罵《ノラル》なり。酒に醉ひて罵《ノラ》るるを言ふ。サスヒタテ云云は誘立にて、其|罵《ノラ》るる人を誘ななひ率《ヒキ》ゐて來らんものをと言ふなり。ヤツコワシは賤き吾主の意なりと翁の説なり。宣長は此和之も上の歌なるに同じく、調べに添へたる詞なりと言へり。
 參考 ○眞奴良留(代)マノラルナ(考)マノラル(古、新)略に同じ。
 
(238)右一首
 
3880 所聞多禰乃。机之島能。小螺乎。伊拾持來而。石以。都追伎破夫利。早川爾。洗濯。辛鹽爾。古胡登毛美。高坏爾盛。机爾立而。母爾奉都也。目豆兒乃負。父爾獻都也。身女兒乃負。
かしまねの。つくゑのしまの。しただみを。いひりひもちきて。いしもち。つつき|や《は》ぶり。はやかはに。あらひそそぎ。からしほに。ここともみ。たかつきにもり。つくゑにたてて。ははにまつりつや。めつこの|まけ《とじ》。ちちにまつりつや。みめづこの|まけ《とじ》。
 
所聞多禰を古點ソモタネと有れど由なし。所聞多三字カシマシの義を以て、カシマと訓むべし。和名抄、能登國能登郡加島(加之万)と見ゆ。其處に山有りて禰と言ふなるべし。机ノ島も其處に有るべし。シタダミは和名抄、細螺(之太太美)神武紀御歌に、いはひもとほる之多?瀰能《シタダミノ》云云、今キサゴと言ふ物に似たる貝なりイは發語にて、拾持來なり。破夫利と書けるは新撰萬葉に、オモホユルを、思裳保湯留など書ける類ひなり、又ハフリとも訓むべし。ハフリも破る意なり。ココトモミは、源氏物語などにこほごほと言ふに同じく鳴る音を言ふ。高坏は類聚雜要に土《ハジ》高坏など見ゆ。ツクエは和名抄、机(都久惠)案屬也。史記云、持v案進v食云云。神代紀、兼設2饌百机1など見ゆ、メヅコは愛子、マケは設けなり。身メヅコの身は眞なり。マツリツヤは奉リツルヨと言ふ意なり。契沖云、負、二つながら刀自と訓まん(239)か。和名抄、負、列女傳云、古語老母爲v負云云和名度之と有り。卷四に坂上郎女むすめの大孃に贈る歌に、わが子のとじと詠めるを思へば、何と無く女の惣名と聞ゆと意へり。トジと訓まんも穩かなり。
 參考 ○所聞多禰乃(考、古)略に同じ(新)カシマノミ「禰之」は「乃彌」の誤か ○持來而(考)モチキテ(古、新)略に同じ ○都追伎破天利(考、古)ツツキハフリ(新)ツツキヤブリ ○洗濯(考)アラヘススギ(古、新)アラヒススギ ○負(考)マケ(代、古、新)トジ ○身女兒(新)マナゴ「身女」を誤字とす。
 
越中國歌四首  初め二首は越中にて、後二首は越後なり。既に文武紀(○續後紀の仁明紀か、文武紀には無し)に、越後國伊夜比古神社と書きたり。いと上代にて、唯だ越の國と有らばこそ有らめ、ここは次に越後國歌と有りし端書脱ちしならんか。又其山を越中の人望み見て詠めるに依りて、越中の歌の中に入れしか。
 
3881 大野路者。繁道森徑。之氣久登毛。君志通者。徑者廣計武。
おほぬぢは。しげぢはしげぢ。しげくとも。きみしかよはば。みちはひろけむ。
 
和名抄、越中礪波郡大野、按ずるに次の歌とむかへ見るに、此君と指せるは貴人にて、大野の道は茂りに茂りたる道なれども、君通ふとならばしげ木をも伐り掃ひて、道廣からんと言ふなるべし。
 參考 ○繁道森徑(代、考)略に同じ(古)シゲヂノモリハ(新)シゲミモリミチ「道」は「見」の(240)誤 ○君志通者(新)「吾」ワレシカヨハバ。
 
3882 澁溪乃。二上山爾。鷲曾子産跡云。指羽爾毛。君之御爲爾。鷲曾子生跡云。
しぶたにの。ふたがみやまに。わしぞこむとふ。さしはにも。きみがみために。わしぞこむとふ。
 
旋頭歌なり。續紀、越中國射水郡二上神と見ゆ。サシハ、和名抄、服玩具に翳(和名波)と有り。式にはサシハと訓めり。鷲の羽もて作るなるべし。仁コ紀御歌、やまとのくにに箇利古武等《カリコムト》、と有るも鴈子産と言ふなり。
 參考 ○跡云(代、古)トイフ(考)トフ(新)チフ ○指勿爾毛(新)サシハニ「跡」ト。
 
3883 伊夜彦。於能禮神佐備。青雲乃。田名引日【須ヲ脱ス】良。?曾保零。
いやひこの。おのれかむさび。あをぐもの。たなびくひすら。こさめそほふる。
 
神名帳、越後國蒲原郡伊夜比古神社、續後紀彌彦神社と見ゆ。晴れたる日も高山は必ずこさめ降るものなり。日の下須を脱せり。?、官本霖に作る。
 參考 ○伊夜彦(考)略に同じ(古、新)イヤヒコ。
 
[一云。安奈爾《アナニ》可武佐備。  アヤニと言ふに同じく、アアと歎く詞なり。此方まさりて聞ゆ。
 
3884 伊夜彦。神乃布本。今日良毛加鹿乃。伏良武。皮服著而。角附奈我良。
いやひこの。かみのふもとに。けふらもかかの。こやすらむ。かはのきぬきて。つぬつきながら。
 
(241)旋頭歌なり。山を則ち神と言ふは例なり。ケフラのラは助辭にて、今日モカなり。ここは鹿をカと訓まざれば調ととのひ難し。鹿は皮と角は元よりなるを、人のさまに言ひ成したるものなり。應紳紀、天皇淡路島に幸して狩し給ふ時、角着ける鹿皮を、衣服として出で來れる事有れども、ここに由無し。外に故有りて詠めるなるべし。
 參考 ○今日良毛加云云(考)鹿乃|伏良武《コヤスラム》、今日良毛加とす(古)略に同じ(新)今日ラモカ、シカノフスラム ○皮服著而(考、新)略に同じ(古)カハコロモキテ ○角附奈我良(考)ツノツキナガラ(古)ツヌツケナガラ(新)角ツキナガラ。
 
乞食者詠二首
 
3885 伊刀古。名兄乃君。居居而。物爾伊行跡波。韓國乃。虎神乎。生取爾。八頭取持來。其皮乎。多多彌爾刺。八重疊。平羣乃山爾。四月與。五月間爾。藥獵。仕流時爾。足引乃。此片山爾。二位。伊智比何本爾。梓弓。八多婆佐彌。比米加夫良。八多婆左彌。宍【宍ヲ完ニ誤ル】待跡。吾居時爾。佐男鹿乃。來立來【來ハ衍文】嘆(242)久。頓爾。吾可死。王爾。吾仕牟。吾角者。御笠乃波夜詩。吾耳者。御墨坩。吾目良波。眞墨乃鏡。吾爪者。御弓之弓波受。吾毛等者。御筆波夜斯。吾皮者。御箱皮爾。吾宍者。御奈麻須波夜志。吾伎毛母。御奈麻須波夜之。吾美義波。御鹽乃波夜之。耆矣奴。吾身一爾。七重花佐久。八重花生跡。白賞尼。白賞尼。
いとこ。なせのきみ。をりをりて。ものにいゆくとは。からくにの。とらとふかみを。いけどりに。やつとりもちき。そのかはを。たたみにさし、やへだたみ、へぐりのやまに。うづきと。さつきのほどに。くすりがり。つかふるときに。あしびきの。このかたやまに。ふたつたつ《なみたてる》。いちひがもとに。あづさゆみ。やつたばさみ。ひめかぶら。やつたばさみ。ししまつと。わがをるときに。さをしかの。きたちなげかく。にはかに。わはしぬべし。おほきみに。われはつかへむ。わがつぬは。みかさのはやし。わがみみは。みすみのつぼ。わがめらは。ますみのかがみ。わがつめは。みゆみのゆはず。わがけらは。みふでのはやし。わがかはは。みはこのかはに。わがししは。みなますはやし。わがきもも。みなますはやし。わが|みぎ《みな》は。みしほのはやし。おいはてぬ。わがみひとつに。ななへはなさく。やへはなさくと。まをしはやさね。まをしはやさね。
 
伊刀古は古事記八千矛神の御歌に、伊刀古夜能《イトコヤノ》いものみこととも有りて、親み言ふ詞なり。後に從弟をのみ言ふ事になれり。ナセは汝兄なり。ヲリヲリテは居居而《ヲリヲリテ》にて、在リ在リテと言ふに同じ。物ニイユクトは、後にモノヘマカルと言ふに同じ。イは發語。トハは、トテハの意。虎トフ神云云、和名抄、説文云、虎(止良)山獣之君也など有りて、獣《ケモノ》の中に優《スグ》れたれば神とは言ふ。欽明紀に虎の事を汝威(243)神《イマシカシコキカミ》とも有り。同紀六年十一月膳臣|巴提便《ハテビ》が百濟より還りて言く云云、巴提便忽に左手をのべて虎の舌を執り、右手もて刺し殺して、皮を剥ぎ取る由有るに似たり。上より十句は八重疊を言はん序なり。八重ダタミは枕詞。平群山は、大和平群郡。藥狩は、卷十七、かきつばた衣に摺つけ丈夫が競狩する時は來にけり、と言へるに同じく、夏狩とて鹿のわか角を取る狩なり。推古紀、十九年五月五日兎田野に藥獵し給ふ由有れど、此歌に據れば其日に限らざるべし。イチヒは櫟。八ツタバサミは狩人の多きを言ふべし。ヒメカブラはひきめ鏑の略か。和名抄、鳴箭云云八目鏑(夜豆女加布良)又大神宮式に姫靱、蒲靱、革靱有りて、姫靱は小く飾も美くしくせる物と見ゆれば、比米カブラも小なるを言ふかと翁の説なり。宣長云、ヒメカブラは樋目鏑にて、カブラに樋を彫《ヱ》りたるなりと言へり。考ふべし。シシ待ト吾居時ニは、藥狩に仕うまつる人を言ふ。來立の下の來は衍文なるべし。鹿の來り歎きて物言ふさまに言へり。大君ニワレハ仕ヘムとは、鹿の死して後も公《オホヤケ》に用ひられなん事を言ふ。御笠ノハヤシ、此ハヤシの詞はすべて令v榮《ハエシムル》の意なり。和名抄、、笠(加佐)所v以v禦v雨也。又※[竹/登](於保賀佐)笠有v柄也。この※[竹/登]の頂に鹿角を立てて飾とせるなり。ミスミノツボ、是れは鹿の耳は墨の坩に用ふるには有らで、墨坩に形の似たれば言ふか。和名抄、瓦器類、坩(都保今按木謂2之壺1瓦謂2之坩1)と有り。式にはカハシリツキと訓めり。又和名抄、工匠具墨斗(須美都保)。マスミノ鏡、鹿の目の明らかなるを言へり。御弓ノ弓ハズ、是れも鹿の爪を弓弭に準《ナゾラ》へ言ふ。御筆ノハヤシ、古今註、筆の事を言へるに、鹿毛爲v柱、羊毛(244)爲v被。ミ箱ノ皮ニ、箱の覆を言ふ。ミナマス、和名抄、鱠(奈万須)細切肉也。吾美義波、和名抄、毛羣類に、※[齒+台]、爾雅集云、獣呑v蒭噬反出而嚼云云、麋鹿曰v〓(爾介加無、今按俗謂2麋鹿※[尸/矢]1爲2味氣1是)斯かればもとミギなるを後に爾介と言ふか。※[尸/矢]は、大小便のみならず、※[尸/矢]出の義にて吐出すを言ふべし。字鏡、※[肉+〓](三介)と有り。ミシホノハヤシは、和名抄、醢(之之比之保)肉醤也云云、是れをシホとのみも言ふべし。オイハテヌ云云、老果テヌルのルを略けり。老果てて何のえう無き身にして、七重八重花咲く如き幸に逢ふ事よと言ふ意なるべし。マヲシハヤサネは、モテハヤサレムと言ふなり。サネはセを延べ言ふ。此歌一首鹿の事のみを言ひて、乞食の事無し。是れは乞食は身賤しけれど心安し、用ひらるる物却りて終に命斷たるる事を、鹿に寄せて詠めるか。又は乞食の此歌を謠ひて、門に立ちて物乞ひしにも有るべし。
 參考 ○伊刀古(代)イトコノ(考)イトフルキ、又はイトコ(古、新)略に同じ ○名兄乃君(代、考)ナセノキミハ(古、新)略に同じ ○物爾伊行跡波(考)略に同じ(古)モノニイユクト「波」は衍(新)モノニイユクトヤ「波」を誤字とす ○二立(考、古、新)フタツタツ ○吾可死(考)ワレマカルベシ(古)アレハシヌベシ(新)略に同じ ○美義波(考、古、新)ミギハ ○白賞尼(考)マウサネ(古、新)マヲシハヤサネ。
 
右歌一首。爲v鹿述痛作v之也。
 
(245)3886 忍照八。難波乃小江爾。廬作。難麻理弖居。葦河爾乎。王召跡。何爲牟爾。吾乎召良米夜。明久。吾知事乎。歌人跡。和乎召良米夜。笛吹跡。和乎召良米夜。琴引跡。和乎召良米夜。彼毛【此毛二字脱チタリ】。命受牟跡。今日今日跡。飛鳥【鳥ヲ烏ニ誤ル】爾到。雖立。置勿爾到。雖不策。都久怒爾到。東。中門由。参納來弖。命受例婆。馬爾己曾。布毛太志可久物。牛爾己曾。鼻繩波久例。足引乃。此片山乃。毛武爾禮乎。五百枝波伎垂。天光夜。日乃異爾干。佐比豆留夜。辛碓爾舂【舂ヲ春ニ誤ル】。庭立。碓子爾舂。忍光八。難波乃小江乃。始垂乎。辛久垂來弖。陶人乃。所作瓶乎。今日往。明日取持來。吾目良爾。鹽漆給。時賞毛。時賞毛。
おしてるや。なにはのをえに。いほつくり。なまりてをる。あしがにを。おほきみめすと。なにせむに。わをめすらめや。あきらけく。わがしることを。うたびとと。わをすめらめや。ふえふきと。わをめすらめや。ことひきと。わをめすらめや。かもかくも。みことうけむと。けふけふと。あすかにいたり。たちたれど。おきなにいたり。つかねども。つくぬにいたり。ひんがしの。なかのみかどゆ。まゐりきて。みことうくれば。うまにこそ。ふもだしかくもの。うしにこそ。はななははくれ。あしびきの。このかたやまの。もむにれを。いほえはきたれ。あまてるや。ひのけにほし、さひづるや。からうすにつき。にはにたつ。から《すり》うすにつき。おしてるや。なにはのをえの。はつたれを。からくたれきて。すゑびとの。つくれるかめを。(246)けふゆきて。あすとりもちき。わがめらに。しほぬり|たべ《たび》と。まをしはやさも《もてはやさも》。まをしはやさも《もてはやさも》。
 
オシテルヤ、枕詞。小江は小野の小に同じく發語。イホツクリは、蟹が穴掘りて住むを、人の如く言ひなさんとて斯く言へり。難麻理をカタマリと訓めるは僻事なり。こは宣長説の如くナマリにて隱るる事の古語なり。卷一、巳津物隱乃山乎《オキツモノナバリノヤマヲ》と言ふも、名張と言ふ地名なるを、隱と書けり。此外隱をナバリと訓める事集中多し。婆と麻は常に通ふ例にて、ナバリもナマリも同じ。さればナマリテヲルと訓みて、隱れ居る事なり。アシガニは、あしたづ、あし鴨の如く、葦有る所に住めば、附け言ふなり。ナニセムニ云云は、何故に我を召すにて有らんと先づ言ふなり。明ラケク云云は、われは歌人にも、琴引にも、何にも用に立たざる者と言ふ事は、明かに、知れるをと言ふなるべし。歌人は歌うたふ人を言ふ。蟹の沫吹く時、聲のするを、歌笛に譬へ言ふ。爪あれば琴引くとも言ふなるべし。彼毛の下、此毛の二字脱ちたるなり。カモカクモ云云は、何事にても仰せ言承らんと待つ意なり。ケフケフト飛鳥ニ至リは、今日明日と續けん爲なり。飛鳥ニイタリは大宮所へ參るなり。飛鳥に宮居し給へるは、遠飛鳥宮(允恭)。近飛鳥八釣宮(皇極)。飛鳥淨御原宮(天武)。同藤原宮(持統、文武)。元明天皇和銅三年まで、猶藤原宮にましましければ、此歌は其間の作なるべし、置勿は地名か、恐らくは誤字なるべし。高市郡に今奧山、岡、奧の三村有りて、聊か似よりたる地名も有れど、字の書きざまも訝かし。雖不策は、杖ツカネドモにて、さてツクヌと語を重ねてあやとせり。都久怒も地名なるべし。大和|桃花《ツキ》鳥(ノ)野ならんか。フ(247)モダシはホダシと同言なり。和名抄、鞍馬具絆(保太之)半也。物使2半行1不v得2自縱1也。ハナナハ、和名抄、牛縻(波奈都良)半※[皮+橿の旁]也。字書云、〓(牛乃波奈岐)牛鼻環也、など有る類ひなり。ハクレはカクルを言ふ。卷二、弦はくるわざを知といはなくに、とも詠めり。足ビキノ此片山、顯宗紀、脚日木此傍山《アシヒキノコノカタヤマノ》牡鹿之角云云と有り。モムニレ、字鏡、樅(毛牟乃木)和名抄及字鏡、楡(夜仁禮)と有り、是れをニレとのみも言へり。樅《モミ》に似たる楡《ニレ》を言ふべし。内膳、橡皮一千枚。(枚別長一尺五寸廣四寸)搗得粉二石。(枚別二合)右楡皮年中雜御菜并羮等料云云など見ゆるを思へば、古へ此木の皮を剥ぎて日に干して、臼に搗き粉にして食《ヲ》し物とし供御にも用ひられしと見えたり。日ノ異《ケ》ニホシの異は借字にて、日の氣なり。サヒヅルヤ、枕詞。カラウスニ舂は、古へ右楡に蟹を搗き交て醢にせしなり。三代實録三十五。攝津國蟹|胥《シシヒシホ》。陸奧國鹿?莫3以爲v贄奉2御膳1。説文、胥、蟹醢也など見ゆ。舂、今本春に誤れり。ハツタレは鹽の初めて垂れたるにて、善き鹽を言はんとてなり。陶人は、和名抄、陶者(須惠毛乃豆久流)黏v埴爲v器者云云。陶人ガ作レルカメヲ今日行テ明日トリ持來とは、疾く醢にせよと言ふ意にて斯く言へるなるべし。時賞毛の時は聞の誤にて、奏聞の意にて、マヲスと訓まんと翁は言はれき。宣長は時賞の二字をモテハヤスと訓むべければ、シホヌリタビ、モテハヤサモ、モテハヤサモと訓まんと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○吾乎召良米夜(新)ワレヲメスベキ「良米夜」を「陪伎」の誤とす ○吾知事乎(考)ワガ(248)シルコトニ「乎」を削れり(古)アハシルコトヲ(新)略に同じ ○彼毛令受牟等(代)「命」ミコトウケムト(考)ソコラモ、ミコトウケムト(古、新)略に同じ、但し(古)は「彼此毛」とす ○雖立(考)略に同じ(古)オカネドモ「雖不置」とす(新)タツレドモ ○雖不策(代、古、新)略に同じ(考)メサネドモ、又はツユセネド ○中門由(考、新)「中」の下「御」を補ふ ○參納來弖(代)マウイリキテ(考、古、新)略に同じ ○五百重波伎垂(考、古)イホヘハギタリ(新)略に同じ ○辛碓(代)カナウス(考)カルウス(古、新)略に同じ ○庭立碓子爾舂(新)衍とす(古)「碓」を「磑」の誤としスリウスとす ○始垂乎(古、新)ハツタリヲ ○辛久垂來弖(古)カラクタリキテ(新)略に同じ ○今日往(新)下に「弖」を脱せりとす ○吾目良爾(新)ワガ「身」メラニ ○鹽漆給(考)シホヌリタベト(古)シホヌリタマヒ(新)シホヌリタブト「給」の下「跡」を補ふ ○時賞毛(代)時は衍か(考)マヲサモ(古)モチハヤサモ(新)マヲシハヤサモ「自賞尼」とす。
 
右歌一首。爲v蟹述痛作v之也。
 
怕物歌  今※[?+自]とせるは誤なり。怕は字書に普駕切恐也と有り。
 
3887 天爾有哉。神樂良能小野爾。茅草苅。草苅婆可爾。鶉乎立毛。
あめなるや。ささらのをぬに。ちがやかり。かやかりばかに。うづらをたつも。
 
(249)卷三、天有ささらのを野、と詠めり。天に斯く言ふ野有る事言ひ傳へて詠めるかと思へど、此歌をもて思へば地名にて、其野のさま物凄く恐しき野にや有らん。苅バカは卷四、卷十にも有りて、委しく言へり。然か恐ろしき野に思ひかけず、足もとより鶉を立たしむるが恐ろしきと言ふか、心得ぬ歌なり。鶉の下乎は之の誤か。ウヅラシタツモと有るべし。
 參考 ○草苅婆可爾(新)カヤカルハ「司」シニ ○鶉乎立毛(古)ウヅラヲタツモ(新)ウヅラ「之」シタツモ。
 
3888 奧國。領君之。染形。黄染乃屋形。神之門渡。
おきつくに。しらすきみが。そめやかた。きそめのやかた。かみのとわたる。
 
古點シラセシと有れど誤なり。六言の句とすべし。契沖云、奧つ國領君とは、海路を隔てたる遠き島國を領したる君を言ふ。ソメヤカタは舟の屋形なり。和名抄、逢庫(布奈夜加太)舟上屋也云云、神ノトワタルは海神は測り難く恐ろしき者にて、廣大の資財を貪る物なれば、舟に財有れば心を懸け、色よき物をも欲しがるなり。よりて障を成せる由、委しく言へり。又大日經に物貪るを龍心とも言へり。神の門は、卷七、神が手わたる、など言へる神は則ち海の事なり。門は明石の門、鳴門などの類ひなり。心は龍神の欲すべき黄染の屋形の舟に乘りて、恐ろしき迫門《セト》を渡らんは誠に恐るべき限りなりと言へり。
 參考 ○領君之(代)シラセシキミガ(考、新)シラセルキミガ(古)略に同じ ○神之門渡(考、(250)新)略に同じ(古)カミガトワタル。
 
3889 人魂乃。佐青有公之。但獨。相有之雨夜葉。非左思所念。
ひとだまの。さをなるきみが。ただひとり。あへりしあまよは。ひさしくおもほゆ。
 
此公と言ふは則ち人だまを言ふ。サヲは青き事を言ふ、サは發語なり。源氏物語末摘花に、色は雪はづかしく白うさをに、とも言へり。白きが極まれば青く見ゆるなり。斯く恐ろしき夜はとく明けよかしと思へば、明け難くて、久しく思はるると言ふにや、思の下久を脱せるか。宣長云、人ダマはサヲの枕詞にて、色青き人に逢へるを言へるか、葉非左思は誤字なるべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○公之(新)キミニ「之」を「爾」とす ○相有之雨夜棄(新)アヒシアマヨハ「有」を衍とす ○非左思所思(代、考、古)略に同じ(新)サビシクオモホユ「非左」を「左非」の顛倒とす「思」の下「久」を補ふは諸説と同じ。
 
萬葉集 卷第十六 終
 
(251)萬葉集 卷第十七
 
天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被v任2大納言1(兼v帥如v舊)上京之時。陪從人等。別取2海路1入v京。於v是悲2傷羇旅1。各陳2所心1作歌十首。  元暦本、陪を{に作る。人の字無し。
 
3890 和我勢兒乎。安我松原欲。見度婆。安麻乎等女登母。多麻藻可流美由。
わがせこを。あがまつばらよ。みわたせば。あまをとめども。たまもかるみゆ。
 
卷六に、いもにこひ吾松原ゆみわたせば、と言へるに同じく、何處《イヅク》にもあれ松原なるを、吾待ツと言ひ掛けたり。
 
右一首。三野《ミヌノ》連|石守《イソモリ》作。
 
3891 荒津乃海。之保悲思保美知。時波安禮登。伊頭禮乃時加。吾孤悲射良牟。
あらつのみ。しほひしほみち。ときはあれど。いづれのときか。わがこひざらむ。
 
和名抄、筑前宗像郡小荒大荒と言ふ有り、其處の海なるべし。卷十二、十五にも見ゆ。
 
3892 伊蘇其登爾。海夫乃釣船。波底爾家里。我船波底牟。伊蘇乃之良奈久。
いそごとに。あまのつりふね。はてにけり。わがふねはてむ。いそのしらなく。
 
磯邊ごとに泊《ハ》てたる舟は有れど、我が乘りたる舟は何處に泊てんとも知られぬとなり。
 
(252)3893 昨日許曾。敷奈底婆勢之可。伊佐魚取。比治奇乃奈太乎。今日見都流香母。
きのふこそ。ふなではせしか。いさなとり。ひぢきのなだを。けふみつるかも。
 
イサナトリ、枕詞。ヒチキノナダは、袖中抄に播磨に有り、俗説にはヒジキノナダとも言ふか。李部王記云。天コ四年六月二十一日、是日備前備中淡路等飛驛至2備前1使申(ス)賊船二艘(純友等也)從2響奈多1於《捨歟》v舟曉遁。疑入v京歟云云。源氏物語玉かづらに、ひびきのなだもなだらかに過ぎぬ。また忠見家集に、うかれめの歌、音に聞き目にはまだ見ぬはりまなるひびきのなだと言ふはまことか、など見ゆ。もとヒヂキと言ひしを、後にヒビキと訛れるか、又は元よりヒビキノ灘なるを、今比治奇と有るは字の誤れるにや有らん。唯だ此所にのみ比治奇と有るを以て、ヒビキを後の誤とせん事いかがなればなり。
 
3894 淡路島。刀和多流船乃。可治麻爾毛。吾波和須禮受。伊弊乎之曾於毛布。
あはぢしま。とわたるふねの。かぢまにも。われはわすれず。いへをしぞおもふ。
 
カヂマは楫取る間なり。元暦本に此次に大船乃の歌、さて海未通女の歌、多麻波夜須の歌、家爾底母の歌、大海乃の歌とついでて、大海乃の歌の左に右九首と有り。
 
3895 多麻波夜須。武庫能和多里爾。天傳。日能久禮由氣婆。家乎之曾於毛布。
たまはやす。むこのあたりに。あまづたふ。ひのくれゆけば。いへをしぞおもふ。
 
王ハヤス、天ツタフ、枕詞。
 
(253)3896 家爾底母。多由多敷命。浪乃宇倍爾。思之乎禮波。於久香之良受母。
いへにても。たゆたふいのち。なみのうへに。おもひしをれば。おくかしらずも。
 
一云。宇伎底之《ウキテシ》乎禮八。
 
家に在りてすら定め無き命なるを、浪の上なればいとど末知られぬとなり。オクカは奧處の意なり。ウキテシヲレバと有る方かなへり。元暦本、宇伎?之云云と有りて、一云云云の字無し。
 參考 ○思之(新)「泛」ウカビシ。
 
3897 大海乃。於久可母之良受。由久和禮乎。何時伎麻佐武等。問之兒良波母。
おほうみの。おくかもしらず。ゆくわれを。いつきまさむと。とひしこらはも。
 
歸京の時の歌なれば、此子等と言へるは妻には有らず、筑紫にて相馴れし妹を言ふか。
 
3898 大船乃。宇倍爾之居婆。安麻久毛乃。多度伎毛思良受。歌乞和我世。
おほぶねの。うへにしをれば。あまぐもの。たどきもしらず。うたがたわがせ。
 
天雲は舟の着く所無き譬に言へり。タドキはタヅキに同じ。歌乞は卷十二、歌方もいひつつも有かと、有れば、乞は方の誤なるべし。ウタカタは泡の事にして、危き事に言へり。ワガセは同船の人を指す。
 參考 ○歌乞(代)ウタコソ(考、古)略に同じ(新)「然乞」シカコソ。
 
諸本如此可尋之。  此七字後人の書入れなり。除くべし。
 
(254)3899 海未通女。伊射里多久火能。於煩保之久。都努乃松原。於母保由流可聞。
あまをとめ。いざりたくひの。おぼほしく。つぬのまつばら。おもほゆるかも。
 
漁火の如くと言ふを略けり。ツヌは卷三、わぎも子にゐなぬは見せつ名次山つぬの松原いつかしめさむ、と詠めり。神名帳、攝津武庫郡に名次神社有りて、和名抄に同郡|津門《ツド》の郷有り此處なり。
 
右九首作者不v審2姓名1。
 
十年七月七日之夜獨仰2天漢1聊述v懷一首
 
3900 多奈波多之。船乘須良之。麻蘇鏡。吉欲伎月夜爾。雲起和多流。
たなばたし。ふなのりすらし。まそかがみ。きよきつくよに。くもたちわたる。
 
初句シは助辭、マソカガミ、枕詞。雲を波と見たるなり。
 
右一首大伴宿禰家持作。  今本作の字を脱せり。元暦本に據りて補ふ。
 
追2和太宰之時梅花1新歌六首
 
卷五に天平二年帥卿の家にての梅花歌三十三首再序有り。其れを十二年に至りて、家持卿の追和せられしなり。
 
3901 民布由都藝。芳流波吉多禮登。烏梅能芳奈。君爾之安良禰婆。遠流人毛奈之。
みふゆつき。はるはきたれど。うめのはな。きみにしあらねば。をるひともなし。
 
(255)藝は清音にも用ふ。是れは卷五の大貳紀卿の、むつきたち春のきたらばかくしこそうめををりつつたのしきをへめ、と言へるに和《コタ》へたるなり。
參考 ○民布由都藝(考)略に同じ(古)ミフユ「須」スギ(新)ミフユツギ、キ濁る ○君爾之(新)「爾」を衍とす。
 
3902 烏梅乃花。美夜萬等之美爾。安里登母也。如此乃未君波。見禮登安可爾氣【氣ハ勢ノ誤】牟。
うめのはな。みやまとしみに。ありともや、かくのみきみは。みれどあかにせむ。
 
ミ山トのトは、み山の如くと言ふを約めて言へる語なり。シミは繁き意、アカニセムは、飽かぬ物にせんの意なり。アカニとは、不v知をシラニと言ふが如し、外にも例有り。氣、官本勢に作る。梅はみ山の木の繁きが如く有りとも、其花の飽かれぬ如くや、いつも斯くばかり君を見れども飽かざらんと言ふなり。
 參考 ○如此乃未君波(新)カクノミ「吾」ワレハ。
 
3903 春雨爾。毛延之楊奈疑可。烏梅乃花。登母爾於久禮奴。常乃物能香聞。
はるさめに。もえしやなぎ|か《と》。うめのはな。ともにおくれぬ。つねのものかも。
 
可は等の誤なるべし。柳も梅も時を同じくして、共に春毎の常なる者なりと言ふなり。物の下、官本能の字有り。
(256) 參考 ○毛延之楊奈疑可(代、考、古、新)モエシヤナギカ。
 
3904 宇梅能花。伊都波乎良自等。伊登波禰登。佐吉乃盛波。乎思吉物奈利。
うめのはな。いつはをらじと。いとはねど。さきのさかりは。をしきものなり。
 
自は目の誤か、ヲラメトはヲラムトの意にて、何時《イツ》とても折らんとては厭はねども、盛の時は愛せられて折り憂《ウ》き物ぞとなり。
 參考 ○乎良自等(古、新)ヲラジト。
 
3905 遊内乃。多努之吉庭爾。梅柳。乎理加謝思底婆。意毛比奈美可毛。
あそぶうちの。たぬしきにはに。うめやなぎ。をりかざしてば。おもひなみかも。
 
ヲリカザシテバは、折リカザシタラバの意なり。バを濁るべし。宣長云、内は日の誤にて、アソブヒノならんと言へり。
 參等 ○遊内乃(考)アソブウチノ(古)アソブ「日」ヒノ(新)「春」ハルノウチノ。
 
3906 御苑布能。百木乃宇梅乃。落花之。安米爾登妣安我里。雪等敷里家牟。
みそのふの。ももきのうめの。ちるはなの。あめにとびあがり。ゆきとふりけむ。
 
ミソノフは、太宰の園を言ふ。百木は梅の多きを言ふ。
 
右天平十二年十|一《元二》月九日大伴宿禰家持作。
 
(257)讃2三香原新都1歌一首并短歌
 
三香原新都は則ち久邇都なり。卷六にも讃2久邇新宮1歌有り。布當宮とも言へり、卷六に註しつ。
 
3907 山背乃。久邇能美夜古波。春佐禮播。花咲乎乎理。秋左禮婆。黄葉爾保比。於婆勢流。泉河乃。可美都瀬爾。宇知橋和多之。余登瀬爾波。宇枳橋和多之。安里我欲比。都加倍麻都良武。萬代麻底爾。
やましろの。くにのみやこは。はるされば。はなさきををり。あきされば。もみぢばにほひ。おばせる。いづみのかはの。かみつせに。うちはしわたし。よどせには。うきはしわたし。ありがよひ。つかへまつらむ。よろづよまでに。
 
オバセルは帶ニセルなり。泉川は今の木津川なり。ヨド瀬は水の淀める所を言ふ。ウキハシは、和名抄、浮橋(宇伎波志)神代記、高橋浮橋と天鳥船を造らむ。又天安河に打橋を造るなど見ゆ。浮橋は高橋に對《ムカ》ふれば、水に浸浮きて有る橋なるべし。今も筏などの如く浮けたる橋有り、唯だ假初めの橋なり。
 
反歌
 
3908 楯並而。伊豆美乃河波乃。水緒多要受。都可倍麻都良牟。大宮所。
たたなめて。いづみのかはの。みをたえず。つかへまつらむ。おほみやどころ。
 
タタナメテ、枕詞。ミヲは水脈を言ふ、其みをの絶えざる如く仕へ奉らんとなり。
 
(258)右天平十三年二月。右馬寮|頭《元无》|境部《サカヒベノ》宿禰|老《オユ》麻呂作也。
 
詠2霍公鳥1歌二首
 
3909 多知婆奈波。常花爾毛歟。保登等藝須。周無等來鳴者。伎可奴日奈家牟。
たちばなは。とこはなにもが。ほととぎす。すむときなかば。きかぬひなけむ。
 
とこしへに咲きて有る花に有れかし。霍公鳥の其花に住むとて來り鳴かば、不v聞日《キカヌヒ》無からんなり。
 
3910 珠爾奴久。安布知乎宅爾。宇惠多良婆。夜麻霍公鳥。可禮受許武可聞。
たまにぬく。あふちをいへに。うゑたらば。やまほととぎす。かれずこむかも。
 
楝の花を藥玉に貫き交ふるもて言へり。
 
右四月二日。大伴宿禰書持。從2奈良宅1贈2兄家持1歌二首。  今本歌の字の上和の字有り、目録に無きを善しとす。
 
橙橘初咲。霍公鳥飜嚶。對2此時候1。?(ソ)不v暢v志。因作2三首短歌1。以散2欝結之緒1耳。  橙はアベタチバナなり。既に出づ。嚶、字書に於耕切、鳥鳴也と有り。
 
3911 安之比奇能。山邊爾乎禮婆。保登等藝須。木際多知久吉。奈可奴日波奈之。
あしびきの。やまべにをれば。ほととぎす。このまたちぐき。なかぬひはなし。
 
立グキは立クグリなり。春さればもずの草ぐき、と詠めるに同じ。
 
(259)3912 保登等藝須。奈爾乃情曾。多知花乃。多麻奴久月之。來鳴登餘牟流。
ほととぎす。なにのこころぞ。たちばなの。たまぬくつきし。きなきとよむる。
 
月シのシは助辭。
 
3913 保登等藝須。安不知能枝爾。由吉底居者。花波知良牟奈。珠登見流麻泥。
ほととぎす。あふちのえだに。ゆきてゐば。はなはちらむな。たまとみるまで。
 
玉ト見ルマデとは、右に有る如く、楝の花を藥玉に貫き交ふるをもて、糸よりこき散らす玉にまがふと言ふならん。
 
右四月三日。内舍人大伴宿禰家持。從2久邇京1報2送弟書持1。
 
思2霍公鳥1歌一首  田口朝臣|馬長《ウマヲサ》作
 
3914 保登等藝須。今之來鳴者。餘呂豆代爾。可多理都具倍久。所念可母。
ほととぎす。いましきなかば。よろづよに。かたりつぐべく。おもほゆるかも。
 
イマシのシは助辭。今と言へるは、左の傳に言へる遊宴の時を指す。來ナカバと有るからは、オモホエムと有るべく思へど、ベクの詞にて首尾ととのへり。
 參考 ○所念可母(新)オモホエムカモ。
 
右傳云。一時交遊集宴。此日此處。霍公鳥不v喧。仍作2件歌1。以陳2思慕之意1。但其宴所。并年月。未v(260)得2詳審1也。
 
山部宿禰赤人詠2春?1歌一首
 
3915 安之比奇能。山谷古延底。野豆加佐爾。今者鳴良武。宇具比須乃許惠。
あしびきの。やまたにこえて。のづかさに。いまはなくらむ。うぐひすのこゑ。
 
野の高き所を野司と言ふ。集中岸ノツカサなども詠めり。
 參考 ○今者鳴良武(古)イマ「香」カナクラムともよむか(新)イマカナクラム(古)の説による。
 
右年月所處未v得2詳審1。但隨2聞之時1記2載於茲1。
 
十六年四月五日獨居2平城故宅1作歌六首
 
今本誤りて右の註より此端詞を書き續けたり。
 
3916 橘乃。爾保敝流香可聞。保登等藝須。奈久欲乃雨爾。宇都路比奴良牟。
たちばなの。にほへるかかも。ほととぎす。なくよのあめに。うつろひぬらむ。
 
花の散るをウツロフと言ふは常なるを、是れは香の散り失するをウツロフと言へり。霍公鳥の聲の聞えぬをウツロフと言ふには有らず。
 
3917 保登等藝須。夜音奈都可思。安美指者。花者須具登毛。可禮受加奈可牟。
ほととぎす。よごゑなつかし。あみささば。はなはすぐとも。かれずかなかむ。
 
(261)アミサスは網張るなり。ハナは橘の花なり。新撰萬葉に、春霞あみにはりこめ花ちらばうつろひぬべき鶯とめむ。
 
3918 橘乃。爾保敝流苑爾。保登等藝須。鳴等比登都具。安美佐散麻之乎。
たちばなの。にほへるそのに。ほととぎす。なくとひとつぐ。あみささましを。
 
人告グなり。網張りこめて外へ移《ウツロ》はさじとなり。
 
3919 青丹余之。奈良能美夜古波。布里奴禮登。毛等保登等藝須。不鳴安良【奈ヲ脱ス】久爾。
あをによし。ならのみやこは。ふりぬれど。もとほととぎす。なかずあらなくに。
 
久邇の京の榮えたる比なれば、奈良を故郷と言へり。卷十、もとつ人ほととぎすをや、とも詠みて、年年來り鳴く物の故に、モトホトトギスと言ふ。久の上、奈を脱せり。
 
3920 鶉鳴。布流之登比等波。於毛敝禮騰。花橘乃。爾保敷許乃屋度。
うづらなく。ふるしとひとは。おもへれど。はなたちばなの。にほふこのやど。
 
ウヅラ鳴、枕詞。
 參考 ○鶉鳴(考、新)略に同じ(古)ウツラナキ ○布流之登(新)フルヘト「之」を「反」又は「家」の誤とす。
 
3921 加吉都播多。衣爾須里都氣。麻須良雄乃。服曾比獵須流。月者伎爾家里。
(262)かきつばた。きぬにすりつけ。ますらをの。きそひがりする。つきはきにけり。
 
卷八、住のえのあささはを野のかきつばたきぬにすりつけきむ日しらずも、とも詠めり。此狩は藥狩なり。卷十六、う月とさ月のほどに藥狩つかふる時に、と詠めるに同じ。さてキソヒガリは宣長云、競狩には有らずして、服装《キヨソヒ》て狩をするなり。五の卷にもぬのかたぎぬありのことごと伎曾倍ども、と有りと言へり。されど五の卷なるは、貧窮問答の歌にて、服装と言ふべき所ならず。服襲《キオソヒ》なれば、こことは少し異なれども語の例とすべし。
 參考 ○服曾比獵須流(新)キソヒカリスル「カリ」清音。
 
右六首歌者天平十六年四月五日獨居2於平城故郷舊宅1大伴宿禰家持作。  六首と言ふより舊宅と言ふまで二十二字元暦本に無し。題に此事有れば無きを善しとす。
 
天平十八年正月白雪多零。積v地數寸也。於v時左大臣橘卿。率2大納言藤原豐成朝臣及諸王諸臣等1。參2入太上天皇御在所1。(中宮兩院)供奉掃v雪。於v是降v 詔。大臣參議并諸王者令v侍2于大殿上1。諸卿大夫等者令v侍2于南細殿1。而則賜v酒【酒ヲ海ニ誤ル】肆宴 勅曰。汝諸王卿等聊賦2此雪1。各奏2其謌1。
 
聖式紀を考ふるに、豐成は天平二十年三月大納言に成りて、此時未だ中納言なれば、大は中の誤なり。供奉掃雪は、御前に侍りて雪を賞づる事なるを畏みて斯く書けり。細殿は和名抄、廊(保曾止乃)殿下外(263)屋也と有り。正月の下、日を落せるか。太上は元明天皇なり。元暦本天平の字无く、諸王の下諸の字无し。兩院を西院に作る。酒を今海に誤る、元暦本酒と有に據る。
 
左大臣橋宿禰應v 詔歌一首
 
3922 布流由吉乃。之路髪麻泥爾。大皇爾。都可倍麻都禮婆。貴久母安流香。
ふるゆきの。しろかみまでに。おほきみに。つかへまつれば。たふとくもあるか。
 
フルユキノは、其時のさまをもて、やがて白と言はん枕詞とせり。香は哉なり。
 
紀朝臣清人應v 詔歌一首
 
續紀、和銅七年從六位上と見えて、其れよりつぎつぎ官位を歴て、勝寶五年七月散位從四位下にて卒す由見ゆ。
 
3923 天下。須泥爾於保比底。布流雪乃。比加里乎見禮婆。多敷刀久母安流香。
あめのした。すでにおほひて。ふるゆきの。ひかりをみれば。たふとくもあるか。
 
降り敷ける雪の光を天下を敷きませる大御勢に譬へたり。已《スデ》ニは盡《コトゴト》クの意なり。
 
紀朝臣|男梶《ヲカヂ》應v 詔歌一首
 
續紀、天平十五年正六位上紀朝臣小楫に外從五位下を授くと見え、其外にも出でたり。
 
3924 山乃可比。曾許登母見延受。乎登都日毛。昨日毛今日毛。由吉能布禮禮婆。
(264)やまのかひ。そことも見えず。をとつひも。きのふもけふも。ゆきのふれれば。
 
カヒは山の間を言ふ、雪の多く積りて峽《カヒ》も埋れしを言ふ。
 
葛井連|諸會《モロアヒ》應v 詔歌一首
 
續紀、天平十七年正六位上葛井連諸會に外從五位下を授くと見え、其外にも出でたり。
 
3925 新。年乃波【波ヲ婆ニ誤ル】自米爾。豐乃登之。思流須登奈良思。雪能敷禮流波。
あたらしき。としのはじめに。とよのとし。しるすとならし。ゆきのふれるは。
 
今本、年乃の下、波を婆に誤る。元暦本を以て改めつ。流の下、波を元暦本婆に作る。漢書充v尺豐年之瑞、其外にも春雪降るを豐年の瑞とする事|唐《カラ》國に言へり。シルストナラシは、しるし現はすならんと言ふなり。
 參考 ○新(古、新)アラタシキ。
 
大伴宿禰家持應v 詔歌一首
 
3926 大宮之。宇知爾毛刀爾毛。比賀流麻泥。零須白雪。見禮杼安可奴香聞。
おほみやの。うちにもとにも。ひかるまで。ふらす《元ふれる》しらゆき。みれどあかぬかも。
 
フラスはフルを延べ言ふか、元暦本假字はフレルと有れば、須は類の字の誤か。
 參考 ○零須白雪(代)フラス(考)「須」は「類」の誤(古、新)フレルシラユキ「零流」の誤とす。
 
(265)藤原豐成朝臣  續紀、神龜元年二月正六位下より從五位下に轉ぜしより、つぎつぎ官位を歴、或ひは左降して遂に寶字八年復右大臣と見え、神護元年十一月薨ず。
 
巨勢|奈底《ナデ》麻呂朝臣  續紀、天平元年三月正六位上より外從五位下を授く、其れよりつぎつぎ轉じて、勝寶元年從二位大納言と見ゆ。元暦本底を弖に作る。
 
大伴|牛養《ウシカヒ》宿禰  續紀、和銅三年從五位下遠江守と見えしより、つぎつぎ官位を經て、勝賓元年正三位中納言と見え、同閏五月薨ず。元暦本養を飼に作る。
 
藤原仲麻呂朝臣  續紀、天平六年正月正六位上より從五位下を授く。つぎつぎ官位を經て、寶字二年大保に任じ、勅姓中に惠美の二字を加へ、名を押勝と言ふ。同八年逆謀頗泄て、石|村主石楯《スクリイソダテ》押勝を斬る由見ゆ。
 
三原王 舍人親王の御子にて、上に見えたり。
 
智努王  續紀、養老元年正月無位より從四位下を授く、つぎつぎ官位を經て、天平十一年治部卿と見ゆ。
 
船王 舍人親王の御子にて、上に見えたり。
 
邑《オホ》知王  續紀、天平十一年正月無位|大市《オホチ》王に從四位下を授くと見え、後文室眞人の姓を賜ひ、つぎつぎ官位を經て、寶龜十一年十一月前大納言正二位文室眞人邑珍薨ず。邑珍は三品長親王第七子也(266)云云と見ゆ。
 
山田王  紀に見えず。元暦本山を小に作る。小田王は續紀、天平六年正月无位より從五位下を授くる由見ゆ。
 
林王  續紀、天平十五年無位より從五位下を授く、それより所所に見え、寶龜二年從四位上三島王之男林王に、姓山邊眞人を賜ふ由見ゆ。
 
穗積朝臣老  上に見えたり。
 
小田朝臣|諸人《モロヒト》  小の下、治を脱せり。續紀、天平九年外從五位下|小治田《ヲハリタ》朝臣諸人を散位頭とすと見えしより所所に出でたり。
 
小野朝臣|綱《ツナ》【綱ヲ今網ニ誤ル】手《デ》  續紀、天平十二年正六位上小野朝臣綱手に外從五位下を授くと見え、其外にも見えたり。
 
高橋朝臣|國足《クニタリ》  續紀、天平十五年正六位上より外從五位下に轉ずと見え、其外にも見ゆ。
 
太《オホ》朝臣|コ太理《トコタリ》  續紀、天平十七年正六位上太朝臣コ足に外從五位下を授くと見え、其外にも見ゆ。
 
高丘《タカヲカノ》連|河内《カフチ》  上に見えたり。
 
秦忌寸朝元  續紀、養老三年秦朝元に忌寸の性を賜ふ。同五年從六位と見えしより、品品官位(267)を經て、天平七年外從五位上、十八年主計頭と見ゆ。懷風藻云。辨正法師者。俗姓秦氏。(中略)大寶年遣2學唐國1時。遇2李隆基龍潜之日1。以2善圍1v棊。?見2賞遇1。有2子朝慶朝元1。法師及慶在v唐死。元歸2二本朝1。仕至2大夫1云云。
 
楢原《ナラバラノ》造|東人《アヅマド》  續紀天平十七年正六位上より外從五位下を授くと見え、後駿河國守にて、部内廬原多胡浦濱に黄金を獲て獻りしに由りて、東人等に勤臣《イソシノオミ》の姓を賜ふ由見ゆ。
 
右件王卿等應v詔作v歌依v次奏v之。登時不v記。其歌漏失。但秦忌寸朝元者。左大臣橘卿諺曰。靡v堪v賦v歌。以v麝贖v之。因此黙已也。  朝元は唐にて生れたる由懷風藻に見ゆ。歌は得詠まぬ故、貴きつくのひ物出だせと言はれしなるべし。麝は麝香なり。さて朝元者の下數語脱ちたりと見ゆ。諺、元暦本|謔《タハムル》と有るを善しとす。
 
大伴宿禰家持以2天平十八年閏七月1被v任2越中國守1即取2七月1赴2任所1於v時姑大伴氏坂上郎女贈2家持1歌二首
 
續紀、天平十八年六月壬寅家持を越中守と爲す由有りて、紀には九月に閏有り。
 
3927 久佐麻久良。多妣由久吉美乎。佐伎久安禮等。伊波比倍須惠都。安我登許能敝爾。
くさまくら。たびゆくきみを。さきくあれと。いはひべすゑつ。あがとこのべに。
 
卷二十、いはひべを等故敝爾須惠弖とも有れば、床の方《ベ》なり。古へ旅立てる跡の床を齋《イハ》へる事かたがた(268)に見ゆ。我床ノベと言へるは、古へ其旅立てる人の妻、或は親しき人其床に臥し守る事有りて斯く言へるか。
 
3928 伊麻能其等。古非之久伎美我。於毛保要婆。伊可爾加母世牟。須流須邊乃奈左。
いまのごと。こひしくきみが。おもほえば。いかにかもせむ。するすべのなさ。
 
君ガは、後に君ヲと言ふ意なり。今斯く戀ふる如くならば、別れて後如何にせんとなり。スルスベはセムスベに同じ。
 
更贈2越中國1歌二首
 
3929 多妣爾伊仁思。吉美志毛都藝底。伊米爾美由。安我加多孤悲乃。思氣家禮婆可聞。
たびにいにし。きみしもつぎて。いめにみゆ。あがかたこひの。しげければかも。
 
君は相思はねど、我が片戀の繁き故に、思寢の夢に見えしかとなり。
 
3930 美知乃奈加。久爾都美可未波。多妣由伎母。之思良奴伎美乎。米具美多麻波奈。
みちのなか。くにつみかみは。たびゆきも。ししらぬきみを。めぐみたまはな。
 
ミチノナカは越中を言ふ。國ツ御神は越中に齋《イハ》へる神たちを言ふべし。シシラヌは爲不v知《シシラヌ》なり。今|爲《シ》ナレヌと言ふに同じ。君は家持卿を指す。
 
平群《ヘグリ》氏女郎贈2越中守大伴宿禰家持1歌十二首
 
(269)3931 吉美爾餘里。吾名波須泥爾。多都多山。絶多流孤悲乃。之氣吉許呂可母。
きみにより。あがなはすでに。たつたやま。たえたるこひの。しげきころかも。
 
名ハ立ツと言ふより、龍田山へ言ひ下して、さて繁きと續けたるなるべし。平群郡に在りて、平群を氏とせるなるべければ、其所の山をもて言へり。
 
3932 須麻比等乃。海邊都禰佐良受。夜久之保能。可良吉戀乎母。安禮波須流香物。
すまびとの。うみべつねさらず。やくしほの。からきこひをも。われはするかも。
 
常サラズは、常に海べを離れずなり。
 
3933 阿里佐利底。能知毛相牟等。於母倍許曾。都由能伊乃知母。都藝都追和多禮。
ありさりて。のちもあはむと。おもへこそ。つゆのいのもも。つぎつつわたれ。
 
アリサリテは在在《アリアリ》テと上に言へるに同じ意なり。宣長云、去と言ふは、年月日時の經行く事なり。春さりくれば、夕さればなど言ふも同じと言へり。オモヘコソはオモヘバコソのバを略けり。
 
3934 奈加奈可爾。之奈婆夜須家牟。伎美我目乎。美受比佐奈良婆。須敝奈可流倍思。
なかなかに。しなばやすけむ。きみがめを。みずひさならば。すべなかるべし。
 
卷十二に一二句同じくて、出る日の入るわき知らぬわれしくるしも、と有り。
 
3935 許母利奴能。之多由孤悲安麻里。志良奈美能。伊知之路久伊泥奴。比登乃師流倍久。
(270)こもりぬの。したゆこひあまり。しらなみの。いちじろくいでぬ。ひとのしるべく。
 
隱れたる沼の水の溢れて、浪立つ如く忍び餘りて、いちじろく色に出でぬると言ふなり。卷十二にも同歌を載せたり。
 
3936 久佐麻久良。多妣爾之婆之婆。可久能未也。伎美乎夜利都追。安我孤悲乎良牟。
くさまくら。たびにしばしば。かくのみや。きみをやりつつ。あがこひをらむ。
 
シバシバと言へるは、さきに久邇の京へ行き、今又越中へ行くを言ふ。カクノミヤ戀ヒヲラムと言へるは、後を懸けて言ふには有らず、當時の事にて、斯くばかり戀ひつつをらんかやの意なり。次下のかくのみやあがこひをらむ、と言ふも同じ。
 
3937 草枕。多妣伊爾之伎美我。可敝里許牟。月日乎之良牟。須邊能思良難久。
くさまくら。たびいにしきみが。かへりこむ。つきひをしらむ。すべのしらなく。
 
旅より歸る月日を知らん由の無きなり。
 
3938 可久能未也。安我故非乎浪牟。奴婆多麻能。欲流乃比毛太爾。登吉佐氣受之底。
かくのみや。あがこひをらむ。ぬばたまの。よるのひもだに。ときさけずして。
 
右のかくのみや君をやりつつ云云に同じく當時の事なり。浪は良の誤か。
 
3939 佐刀知加久。伎美我奈里那婆。古非米也等。母登奈於毛比此。安連曾久夜思伎。
(271)さとちかく。きみがなりなば。こひめやと。もとなおもひし。あれぞくやしき。
 
家の離れて有れば、いかで君が近くならば戀ふまじきをと思ひしに、思の外に旅に行きて、いと遠く成りたれば口惜《クヤ》しきとなり。或人云、天平十二年同三年の間は久邇へ都を遷されぬ、やがて奈良へ歸りおはしましたり。其遷都の時平群氏の人は其まま平群に居り、家持卿は久邇へ移りたる人なれば、其時の事を思ひ出でて詠めり。剰《アマツサヘ》今は越中へさへ行き給へば、彌思ひを増すとなりと言へり。さも有るべし。
 
3940 餘呂豆代爾。許己呂波刀氣底。和我世古我。都美之乎【乎ハ手ノ誤】見都追。志乃備加禰都母。
よろづよに。こころはとけて。わがせこが。つみしてみつつ。しのびかねつも。
 
ヨロヅヨニは、イツマデモの意。トケテは解けてなり。元暦本、爾を等に作り、乎を手に作る。ヨロヅヨとは、萬代までとと言ふ意にて然るべし。ツミシ手見ツツも、直ちに聞えて善し。ツミシは古今集に、春霞棚引のべの若菜にもなり見てしがな人もつむやと、と言ふツムに等しく、契る事にするわざなり。ツムは爪を向ふるの略言なるべし、身をつむなども言へり。是れは我せこが手をつみたりし痕《アト》を見て、忍びあへぬと言ふなり。
 參考 ○餘呂豆代爾(古、新)ヨロヅヨ「等」ト。
 
3941 ?能。奈久久良多爾爾。【爾爾ヲ爾之ニ誤ル】宇知波米底。夜氣波之奴等母。伎美乎之麻多武。
うぐひすの。なくくらたにに。うちはめて。やけはしぬとも。きみをしまたむ。
 
(272)爾爾を今本爾之に誤る、元暦本に據りて改む。鶯は深谷より出づる物なれば、谷と言はんとて、一二の句は置けり。クラタニは暗谷にて、日の目も見えぬ谷を言ふ。宣長云、大祓詞に、高山之末短山之末與理佐久那太理《サクナダリ》落多支速川云云と言へるサクナダリは、則ちここのクラタニに同じく、佐は例の眞にて眞下垂《マクダタリ》なり。川水の山より落つるさまを言へる由、祝詞の釋に委しく言へり。ウチハメテは、土左日記にも、ほとほとうちはめつべしなど有りて投げ入るる事なり。ヤケハシヌトモは火葬を言へり。
 參考 ○?能(新)「惡鳥」アクテフノ。
 
3942 麻都能波奈。花可受爾之毛。和我勢故我。於母敝良奈久爾。母登奈佐吉都追。
まつのはな。はなかずにしも。わがせこが。おもへらなくに。もとなさきつつ。
 
松の花は麗はしく花と言ふべくも無き物なれば、我が身に譬へて、結句に咲きつつと言へるは、色に出でて戀ふる意なり。
 
右件十二首歌者。時時寄2便使1來贈。非v在2一度(ニ)所1v送也。
 
八月七日夜集2于守大伴宿禰家持舘1宴歌
 
3943 秋田乃。穗牟伎見我底利。和我勢古我。布左多乎里家流。乎美奈敝之香物。
あきのたの。ほむきみがてり。わがせこが。ふさたをりける。をみなへしかも。
 
見ガテリは見ガテラなり。ワガセコは池主を指す。フサタヲリは、卷八にも、とみの岡べのなでしこの(273)花ふさたをり、と詠みて、フサは多き事なり。今俗フツサリと言へり。池主女郎花を持ち來りしを、家持卿得て詠まれし事次の歌にて知らる。
 
右一首守大伴宿禰家持作。
 
3944 乎美奈敝之。左伎多流野邊乎。由伎米具利。吉美乎念出。多母登保里伎奴。
をみなへし。さきたるのべを。ゆきめぐり。きみをおもひで。たもとほりきぬ。
 
タモトホリは徘徊なり。
 
3945 安吉能欲波。阿加登吉左牟之。思路多倍乃。妹之衣袖。伎牟餘之母我毛。
あきのよは。あかときさむし。しろたへの。いもがころもで。きむよしもがも。
 
任國に在りて京の妹を思ふなり。
 
3946 保登等藝須。奈伎底須疑爾之。乎加備可良。秋風吹奴。余之母安良奈久爾。
ほととぎす。なきてすぎにし。をかびから。あきかぜふきぬ。よしもあらなくに。
 
過ニシは過去《スギイニ》シなり。ヲカビカラは岡|方《ベ》よりの意。宣長云、ヨシはヨソリナクとも詠めるに同じくて、ヨリドコロ、ヨスガを言ふなり。其ヨスガは即ち妹なりと言へり。
 
右三首掾【掾ヲ〓ニ誤ル下同】大伴宿禰池主作。
 
3947 家佐能安佐氣。秋風左牟之。登保都比等。加里我來鳴牟。等伎知可美香物。
(274)けさのあさけ。あきかぜさむし。とほつひと。かりがきなかむ。ときちかみかも。
 
遠ツ人、枕詞。
 
3948 安麻射加流。比奈爾月歴奴。之可禮登毛。由比底之紐【紐ヲ?ニ誤ル】乎。登伎毛安氣奈久爾。
あまざかる。ひなにつきへぬ。しかれども。ゆひてしひもを。ときもあけなくに。
 
妹が結びし紐を其儘解かず寢るとなり。解《ト》キアケは解明か、又|解《ト》キサケと多く詠めれば、解キアケも解避《トキサケ》の意か。
 
右二首守大伴宿禰家持作。
 
3949 安麻射加流。比奈爾安流和禮乎。宇多我多毛。比母毛登吉佐氣底。於毛保須良米也。
あまざかる。ひなにあるわれを。うたがたも。ひももときさけて。おもほすらめや。
 
ウタガタは覆盆にて、疾く消ゆる物なれば、しばしもと言ふ意に取れり。卷十二、卷十五にも言へり。紐解き避けて思ふらめやと言ふにて、この米也《メヤ》は返るてにをはなれば、紐解かぬ意と成るなり。サケデとテを濁るべからず、此集にサケズと言ふべきを、サケデなど言へる事無し。故郷の妹に贈れるなるべし。古本比母の下、毛の字無し。
 參考 ○比母毛登吉佐氣底(古)「底」を「須」の誤とし 「ズ」とす(新)「毛」を衍とし、ヒモトキサケ「須」ズ。
 
(275)右一首掾大伴宿禰池主。  例に據るに作の字を脱せり。
 
3950 伊弊爾之底。由比底師比毛乎。登吉佐氣受。念意緒。多禮賀思良牟母。
いへにして。ゆひてしひもを。ときさけず。おもふこころを。たれかしらむも。
 
末は、誰か知らん、斯くとは知る人有らじと言ふなり。母は助辭なり。
 
右一首守大伴宿禰家持作。
 
3951 日晩之乃。奈吉奴流登吉波。乎美奈弊之。佐伎多流野邊乎。遊吉追都見倍之。
ひぐらしの。なきぬるときは。をみなべし。さきたるのべを。ゆきつつみべし。
 
ヲミナベシは、多く女に譬ふれば、日ぐらしの鳴く夕暮に行き會はんと言ふ意なるべし。
 
右一首大目秦忌寸八千島。  元暦本、千を十に作る。
 
古歌一首(大原高安眞人作)年月不v審。但隨2聞時1記2載茲1焉。
 
拾穗本に左の歌、奴婆多麻乃の下、奈呉能安麻能の上に次でたり。さる本有りしなるべし。
 
3952 伊毛我伊敝爾。伊久里能母里乃。藤花。伊麻許牟春母。都禰加久之見牟。
いもがいへに。いくりのもりの。ふぢのはな。いまこむはるも。つねかくしみむ。
 
神名帳、越後國蒲原郡伊久禮神社有り、禮と里と通へば、イクリノモリは是れならん。さて、妹が家に|い《行》くと言ひ下したり。末は藤花飽かねば此春のみならず、又來ん春もいつまでも、斯く見はやさんと(276)言ふなり。
 
右一首傳誦(スル)僧玄勝是也。
 
3953 鴈我禰波。都可比爾許牟等。佐和久良武。秋風左無美。曾乃可波能倍爾。
かりがねは。つかひにこむと。さわぐらむ。あきかぜさむみ。そのかはのべに。
 
卷十五、鴈を使に得てしがも、と詠める如く、鴈をば使と詠む事多し。サムミは寒サニの意なれば、初句の上へ廻して見るべし。其川と言へるは、京の中の川を言ふべし。
 
3954 馬並底。伊射宇知由可奈。思夫多爾能。伎欲吉伊蘇末爾。與須流奈彌見爾。
うまなめて。いざうちゆかな。しぶたにの。きよきいそまに。よするなみみに。
 
ウチは詞。ユカナはユカムなり。シブタニは越中。
 參考 ○伎欲吉伊蘇末爾(古、新)キヨキイソ「未」ミニ。
 
右二首守大伴宿禰家持。
 
3955 奴婆多麻乃。欲波布氣奴良之。多末久之氣。敷多我美夜麻爾。月加多夫伎奴。
ぬばたまの。よはふけぬらし。たまくしげ。ふたがみやまに。つきかたぶきぬ。
 
二上山は大和にも在れど是れは越中なり。ヌバ玉ノ、玉クシゲ、枕詞。
 
右一首史生土師宿禰道良。
 
(277)大目秦忌寸八千島之舘宴歌一首
 
3956 奈呉能安麻能。都里須流布禰波。伊麻許曾婆。敷奈太那宇知底。安倍底許藝泥米。
なごのあまの。つりするふねは。いまこそは。ふなだなうちて。あへてこぎでめ。
 
ナゴ、越中なり。和名抄、竅i不奈太那)大船旁板也。ウチテは取着くるを言ふならん。海原を見渡して、釣舟の浮ぶさまを見んとて待つ意なり。宣長云、今もふなだなを喧囂《カシマ》しく打つ事有り。其音に魚の寄り來るとなりと言へり。猶考ふべし。
 
右館之客屋|居《ヰナガラ》望2蒼海1仍主人八千島作2此歌1也。  元暦本海を波に作る。
 
哀2傷長逝之弟1歌一首并短歌
 
3957 安麻射加流。比奈乎佐米爾等。大王能。麻氣乃麻爾末【末ヲ未ニ誤ル】爾。出而許之。和禮乎於久流登。青丹余之。奈良夜麻須疑底。泉河。伎欲吉可波良爾。馬駐。和可禮之時爾。好去而。安禮可弊里許牟。平久。伊波比底待登。可多良比底。許之比乃伎波美。多麻保許能。道乎多騰保美。山河能。敝奈里底安禮婆。孤悲之家口。氣奈我枳物能乎。見麻久保里。念間爾。多麻豆左能。使(278)乃家禮婆。宇禮之美登。安我麻知刀敷爾。於餘豆禮能。多婆許登等可毛。波【波ヲ婆ニ誤ル】之伎余思。奈弟乃美許等。奈爾之加母。時之波安良牟乎。波【波ヲ婆ニ誤ル】太須酒吉。穗出秋乃。芽子花。爾保弊流屋戸乎。(言斯人爲v性好2愛花草花樹1。而多植2於寝院之庭1。故謂2之花薫庭1也。)安佐爾波爾。伊泥多知奈良之。暮庭爾。敷美多比良氣受。佐保能宇知乃。里乎往過。安之比紀乃。山能許奴禮爾。白雲爾。多知多奈妣久等。安禮爾都氣都流。([佐保山(ニ)火葬。故謂2之佐保乃宇知乃佐刀乎由吉須疑1。) 
あまざかる。ひなをさめにと。おほきみの。まけのまにまに。いでてこし。われをおくると。あをによし。ならやますぎて。いづみがは。きよきかはらに。うまとどめ。わかれしときに。よくゆきて《まさきくて》。あれかへりこむ。たひらけく。いはひてまてと。かたらひて。こしひのきはみ。たまぼこの。みちをたどほみ。やまかはの。へなりてあれば。こひしけく。けながきものを。みまくほり。おもふあひだに。たまづさの。つかひのければ。うれしみと。あがまちとふに。およづれの。たはこととかも。はしきよし。なせのみこと。なにしかも。ときしはあらむを。はだすすき。ほにづるあきの。はぎのはな。にほへるやどを。あさにはに。いでたちならし。ゆふにはに。ふみたひらげず。さほのうちの。さとをゆきすぎ。あしびきの。やまのこぬれに。しらくもに。たちたなびくと。あれにつけつる。
 
ヒナヲサメニトは鄙治《ヒナヲサメ》ニトにて、家持卿越中の任に下れる事を言ふ。マケは任なり。好去、義を以てマサキクとも訓むべし。コシ日ノキハミは、任所に向ふとて立別れ來し日を限りにと言ふ意なり。道ヲタドホミのタは發語。ヘナリテは隔リテなり。ケ長キは、ここは別れて後の日久しきなり。使ノケレバは來たればの意。又家は來の誤にても有るべし。アガマチトフニは、吾ガ待チテ問フなり。オヨヅレノ、(279)タハコトトカモ、三卷、およづれか吾聞つる狂《今枉ニ誤》ことかわが聞つるも。光仁紀、左大臣藤原永手薨時詔詞に、於與豆禮加母多波許止乎加母云云、タハコトは戯言なり。奈弟は汝弟なり。弟は實を以て書きたるにて、ナセと訓むべし。神代紀、日神曰吾弟云云を、ワガナセノミコトと訓む。和名抄、備中下道郡弟翳、訓註、勢と有り。ハダススキ、元暦本婆を波に作るを善しとす。朝ニハニ云云、フミ平ラケズの不のこと、上の詞にも懸かりて、朝にも出立ちならさず、夕にもふみたひらげずと二句へ懸かれり。朝に蹈み平《ナ》らせしが、夕べに蹈み平《タヒ》らげずと言ふに有らず。コヌレは梢なり。白雲ニ云云は、火葬の煙を言へり。歌の終に佐保山以下十八字、今本本行に書けり、古本小字なるを善しとす。例に據るに、左の短歌の端に反歌と有るべく思へど、此卷反歌の字を書かざる所も多ければ、本《モト》の儘にても有るべきなり。
 參考 ○好去而(古)マサキクテ(新)サキクユキテ ○奈弟乃美許等(考、古、新)ナオトノミコト。
 
3958 麻佐吉久登。伊比底之物能乎。白雲爾。多知多奈妣久登。伎氣婆可奈思物。
まさきくと。いひてしものを。しらくもに。たちたなびくと。きけばかなしも。
 
白雲ニは白雲ノ如クニの意、火葬の煙を言ふ。
 
3959 可加良牟等。句禰底思理世婆。古之能宇美乃。安里蘇乃奈美母。見世麻之物能乎。
かからむと。かねてしりせば。こしのうみの。ありそのなみも。みせましものを。
 
アリソは荒磯なり。卷五、悔しかもかく知らませばあをによしくぬちことごとみせましものを、と言ふ(280)に似たり。
 
右天平十八年秋九月二十五日。越中守大伴宿禰家持遙聞2弟喪1感傷作v之也。
 
相歡歌二首 越中守大伴宿彌家持作  此十字元暦本に無し。
 
3960 庭爾敷流。雪波知敝之久。思加乃未爾。於母比底伎美乎。安我麻多奈久爾。
にはにふる。ゆきはちへしく。しかのみに。おもひてきみを。あがまたなくに。
 
左註に言へる如し。池主京より本任に歸るを喜びて、雪の千重に降りしく如く、重重思ひて君を待つにと言ふ意なり。マタナクニは、マタヌニを延べたるには有らで、此ナクは詞なり。卷一、つぎてたまへる吾ならなくに、卷四、火にも水にも吾ならなくに、卷十五、夢にも妹が見えざらなくに、など皆吾ナルニ、見エザルニと言ふを斯く言へり。
 
3961 白浪乃。余須流伊蘇末乎。榜船乃。可治登流間奈久。於母保要之伎美。
しらなみの。よするいそまを。こぐふねの。かぢとるまなく。おもほえしきみ。
 
上は間無クと言はん序のみ。末は間無く思ひし君に逢へるを喜ぶ心を含めり。
 參考 ○余須流伊蘇末乎(古、新)ヨスルイソ「未」ミヲ。
 
右以2天平十八年八月1。掾大伴宿禰池主附2大帳使1赴2向京師1。而同年十一月還2到本任1。仍設2詩酒之宴1。弾絲飲|樂《元宴》。是日也白雪忽降。積v地尺餘。此時也復漁夫之船入v海浮v瀾。爰守大伴宿禰家持寄2情(ヲ)二眺1。(281)聊裁2所心1。  寄2情二眺1とは雪と海と二つの景色に寄せて思ふ事を述ぶるなり。
 
忽沈2【沈ヲ洗ニ〓ヲ抂ニ誤ル】〓疾1殆臨2泉路1、仍作2謌詞1以申2悲緒1一首并短歌
 
3962 大王能。麻氣能麻爾麻爾。大夫之。情布里於許之。安思比奇能。山坂古延底。安麻射加流。比奈爾久太理伎。伊伎太爾毛。伊麻太夜須米受。年月毛。伊久良母阿良奴爾。宇都世美能。代人奈禮婆。宇知奈妣吉。等許爾許伊布之。伊多家苦之。日異益。多良知禰乃。波波能美許等乃。大船乃。由久良由久良爾。思多呉非爾。伊都可聞許武等。麻多須良牟。情左夫之苦。波之吉與志。都麻能美許登母。安氣久禮婆。門爾餘里多知。己呂母泥乎。遠理加弊之都追。由布佐禮婆。登許宇知波良比。奴婆多麻能。黒髪之吉底。伊都之加登。奈氣可須良牟曾。伊母毛勢母。和可伎兒等毛波。乎知許知(282)爾。佐和吉奈久良牟。多麻保己能。美知乎多騰保彌。間使毛。夜流余之母奈之。於母保之伎。許登都底夜良受。孤布流爾思。情波母要奴。多麻伎波流。伊乃知乎之家騰。世牟須辨能。多騰伎乎之良爾。加苦思底也。安良志乎須良爾。奈氣枳布勢良武。
おほきみの。まけのまにまに。ますらをの。こころふりおこし。あしびきの。やまさかこえて。あまざかる。ひなにくだりき。いきだにも。いまだやすめず。としつきも。いくらもあらぬに。うつせみの。よのひとなれば。うちなびき。とこにこいふし。いたけくの。ひにけにまさる。たらちねの。ははのみことの。おほぶねの。ゆくらゆくらに。したごひに。いつかもこむと。またすらむ。こころさぶしく。はしきよし。つまのみことも。あけくれば。かどによりたち。ころもでを。をりかへしつつ。ゆふされば。とこうちはらひ。ぬばたまの。くろかみしきて。いつしかと。なげかすらむぞ。いももせも。わかきこどもは。をちこちに。さわぎなくらむ。たまぼこの。みちをたどほみ。まづかひも。やるよしもなし。おもほしき。ことつてやらず。こふるにし。こころはもえぬ。たまきはる。いのちをしけど。せむすべの、たどきをしらに。かくしてや。あらしをすらに。なげきふせらむ。
 
ヒナニクダリキは鄙に下り來りてなり。ウチナビキはなよよかに臥せるさまを言ふ。コイもフシも同じく臥す事なるを重ね言へり。イタケクノはイタヅキに同じ。ユクラユクラは物思ひに心の動くを言ふ。シタゴヒは心に戀ふるを言ふ。アケクレバは明來レバなり。衣手ヲ云云は袖を折返し寢れば夢に見ると言ふ諺有りしなり。イモモセモ、ワカキ子ドモは女子も男子もと云ふなり。マ使は字の如く間使なり。心ハモエヌは卷一、燒鹽のおもひぞ所燒《ヤクル》、卷五、さわぐ子どもをうつててはしなむは知らず見つつあれば心は燃えぬ、なども詠めり。ヲシケドは惜ケレドモの略。アラシ男《ヲ》は益荒男《マスラヲ》と言ふに同じ。
 参考 ○伊多家苦之(考、新)略に同じ(古)イタケクシ ○日異益(考)ヒニケニマセバ「日爾異爾益者」とす(古、新)略に同じ ○夜流余之母奈之(新)ヤルヨシモナ「久」ク。
 
3963 世間波。加受奈吉物能可。春花乃。知里能麻我比爾。思奴倍吉於母倍婆。
(283)よのなかは。かずなきものか。はるはなの。ちりのまがひに。しぬべきおもへば。
 
此下にも、世の中は數なき物かなぐさむることもあらむを、卷廿、うつせみはかずなき身なり、と詠みて、在り經る年月の數の少きを言ふ。
 
3964 山河乃。曾伎敝乎登保美。波之吉余思。伊母乎安比見受。可久夜奈氣加牟。
やまかはの。そきへをとほみ。はしきよし。いもをあひみず。かくやなげかむ。
 
ソキヘは卷十九.天雲の曾伎敝のきはみ、其外此詞多し。既に言へり。山川の云云と言へるは、京より多くの山川を遠放《トホザカ》りたる意なり。
 
右天平十九年春二月二十日越中國守之舘(ニシテ)臥病悲傷聊作2此歌1。
 
守大伴宿禰家持贈2掾大伴宿禰池主1悲歌二首并序  并序の二字、今本無し、目録に據りて補ふ。
 
忽沈2??ヲ枉ニ誤ル】疾1。累旬痛苦。?2恃百神1。且得2消損1。而由2身體疼羸。筋力怯軟1。未v堪2展謝1。係戀彌深。  ?を今枉に誤れり。月日を經て病める故に神に祈りなどして癒《オコタ》りざまには成りたれど、猶さわやぎかぬれば、謝すべき事などもさて措《オ》きつつ偲《シノ》ばるる事のみいや勝《マサ》るとなり。
 
方今春朝春花流2馥於春苑1。春暮春鶯囀2聲於春林1。對2此節候1。琴翠ツv翫矣。雖v有2乘v興之感1。不v耐2策杖之勞1。獨臥2帷幄之裏1。聊作2寸分之歌1。輕奉2机下1。犯v解玉頤1。其詞曰。  流馥は薫の滿つるなり。策杖は杖策と元は有りしを誤れるか。寸分之歌とは思ふ事を聊か述ぶる意なるべし。輕奉また犯解(284)と言ふはなめげなりと畏《カシコ》めるなり。花鳥の興に乘じて遊ぶべき折なるを、杖に倚《ヨ》る手力だに無くて、垂れ籠《コ》め居《オ》るままに、此歌を詠みて見するとなり。頤、今?に作る、一本に據りて改む。
 
3965 波流能波奈。伊麻波左加里爾。仁保布良牟。乎里底加射佐武。多治可良毛我母。
はるのはな。いまはさかりに。にほふらむ。をりてかざさむ。たぢからもがも。
 
タヂカラは手力なり。
 
3966 宇具比須乃。奈枳知良須良武。春花。伊都思香伎美登。多乎里加射左牟。
うぐひすの。なきちらすらむ。はるのはな。いつしかきみと。たをりかざさむ。
 
天平二十年二月二十九日大伴宿禰家持。  二十年は十九年の誤なるべし。下に至りて二十年正月云云と有り。
 
○ここに池主より家持卿へ答ふる歌并序など言ふ標有るべきを脱せり。
 
忽辱2芳音1。翰苑凌v雲。兼垂2倭詩1。詞林舒v錦。以吟以詠。能2?2戀緒1。  倭詩は則ち歌を言へり。上に翰苑凌雲と言ひて、兼てと言へるを思へば、別に書牘の有りしやうなれど歌と序文との事なるべし。凌雲は司馬相如が傳に出でて其ふみを讀めば、雲に乘りて天地を一目に見渡したるやうに心ゆくと言ふ事なり。?2戀緒1とは心の慰むなり。  春可樂。暮春風景。最可怜。紅桃灼灼。戯蝶回v花?。翠柳依依。嬌鶯隱v葉歌。可v樂哉。淡交促v席。得意忘v言。樂矣美矣。幽襟足v賞哉。  春可樂此張るの下脱字(285)有るべし。灼灼は毛詩に花盛也と註せり。?は舞に同じ、莊子、楚辭等に見ゆ。依依は枝の靡くなり。粟交はよき人の清らなる心もて交はるなり、禮記に見ゆ。促席は前に促膝と有るに同じ意なり。得意忘言は心の合ひて打解けたるなり。開襟はみやび心なり。思ふどち常に相見るべき時なりと言ひて、家持卿の春朝春花云云と言ひおこせたるに答ふるなり。  豈慮(ン)乎。蘭寢uv※[草がんむり/聚]。琴趨ウv用。空過2令節1。物色輕v人乎。所v怨有v此。不v能2黙止1。俗語云(フ)以v藤續v錦。聊擬2談咲1耳。  蘭寢uv※[草がんむり/聚]とはみやびをの相見えぬに譬ふ。物色はここにては花鳥の上を指す、それを愛でうるはしむ事をもせねば、花鳥にあなづられんかと佗ぶるなり。※[死/心]、廣韻に同v怨と有り。藤はあらたへの藤原など續きて、藤布なり。いとよき文に答へせんは似げ無き業《ワザ》なりと言ふを譬へなせり。有此の有は在の誤なるべし。
 
3967 夜麻|可《元我》比爾。佐家流佐久良乎。多太比等米。伎美爾彌西底婆。奈爾乎可於母波牟。
やまがひに。さけるさくらを。ただひとめ。きみにみせてば。なにをかおもはむ。
 
ヤマガヒは山間なり。元暦本、可を我に作る。ガを濁るべき詞なり。ミセテバは見セタラバなり。
 
3968 宇具比須能。伎奈久夜麻夫伎。宇多賀多母。伎美我手敷禮受。波奈知良米夜母。
うぐひすの。きなくやまぶき。うたがたも。きみがてふれず。はなちらめやも。
 
ウタガタははかなき意にて、ここはシバシモの意に取る。君が手觸れし後こそ散りなめと言ふなり。
 
姑【姑ヲ沽ニ誤ル】洗二日掾大伴宿禰池主。
 
(286)更贈歌一首并短歌  此端詞大伴宿禰家持更贈歌と有るべきなり。池主へ贈るなり。
 
含弘之コ。垂2恩蓬體1。不v貲《ハカラ》之思。報2慰陋心1。載荷未春。無v堪2所喩1也。  含弘は易に出でて大コを言ふ。蓬體は前に蓬身と有るに同じ。不貲の貲は※[此/言]の誤なり。史記の註に不v可2※[此/言]量1と有り。載荷未春は宣長云、載2荷來眷1と有りしを誤れるなるべし。來眷とは池主が歌文を贈れるを言ふ。眷はかへりみるの意なりと言へり。  但以d稚時不uv渉2遊藝之庭1。横翰之藻。自乏2乎彫蟲1焉。幼年未v※[しんにょう+至]《古過》2山柿之門1。裁歌之趣。詞失2乎※[草がんむり/聚]林1矣。爰辱2以v藤續v錦之言1。更題2將v石同v瓊之詠1。因《古固》是俗愚懷癖。不v能2黙止1。仍捧2數行1。式《古或》酬2【酬ヲ※[酉+羽]ニ誤ル】嗤咲1其詞曰。  遊藝は論語に據る、物學ぶ事なり。横翰之藻は文を書く事なり。彫蟲は漢の揚雄が言にて、さかしらに文書くは小人の藝なりと言ふ心なり。山柿は人麻呂、赤人なり。※[草がんむり/聚]林は藻林の誤か。錦に續の言の畏《カシコ》さに、再び玉ならぬ物を玉にまぎらしものするは、愚かなる心のさがなりと言ふなり。
 
3969 於保吉民能。麻氣乃麻爾麻爾。之奈射加流。故之乎遠佐米爾。伊泥底許之。麻須良和禮須良。余能奈可乃。都禰之奈家禮婆。宇知奈妣伎。登許爾己伊布之。伊多家苦乃。日異麻世婆。可奈之家口。許己爾思出。伊良奈家久。曾許爾念出。奈氣久蘇良。夜須家【家下一本久字有り】奈久爾。於母布蘇良。久流之伎母能乎。(287)安之比紀能。夜麻伎弊奈里底。多麻保許乃。美知能等保家婆。間使毛。遣縁毛奈美。於母保之吉。許等毛可欲波受。多麻伎波流。伊能知乎之家登。勢牟須辨能。多騰吉乎之良爾。隱居而。念奈氣加比。奈具佐牟流。許己呂波奈之爾。春花乃。佐家流左加里爾。於毛敷度知。多乎里可射佐受。波流乃野能。之氣美登妣久久。鶯。音太爾伎加受。乎登賣良我。春菜都麻須等。久禮奈爲能。赤裳乃須蘇能。波流佐米爾。爾保比比豆知弖。加欲敷良牟。時盛乎。伊多豆良爾。須具之夜里都禮。思努波勢流。君之心乎。宇【宇ヲ牟ニ誤ル】流波【波ヲ※[さんずい+火]ニ誤ル】之美。此夜須我浪爾。伊母禰受爾。今日毛之賣良爾。孤【孤ヲ狐ニ誤ル】悲都追曾乎流。
おほきみの。まけのまにまに。しなざかる。こしををさめに。いでてこし。ますらわれすら。よのなかの。つねしなければ、うちなびき。とこにこいふし。いたけくの。ひにけにませば。かなしけく。ここにおもひで。いらなけく。そこにおもひで。なげくそら。やすけくなくに。おもふそら。くるしきものを。あしびきの。やまきへなりて。たまぼこの。みちのとほけば。まづかひも。やるよしもなみ。おもほしき。こともかよはず。たまきはる。いのちをしけど。せむすべの。たどきをしらに。こもりゐて。おもひなげかひ。なぐさむる。こころはなしに。はるばなの。さけるさかりに。おもふどち。たをりかざさず。はるののの。しげみとびくく。うぐひすの。こゑだにきかず。をとめらが。わかなつますと。くれなゐの。あかものすその。はるさめに。にほひひづちて。かよふらむ。ときのさかりを。いたづらに。すぐしやりつれ。しぬばせる。きみがこころを。うるはしみ。このよすがらに。いもねずに。けふもしめらに。こひつつぞをる。
 
(288)シナザカル、枕詞。マスラワレは丈夫我なり。ウチナビキ以下四句上の長歌にも見ゆ。イラナケク云云は古事記仁コ條御歌、伊羅那鷄區《イラナケク》そこにおもひでかなしけく、ここにおもひで云云と言ふを取れり。契沖云、大和物語に、我さまのいといらなくなりたるをおもひはかるに、はしたなくて、蘆も打捨て走り逃げにけり。和名抄、苛、音何、和名、伊良、小草生v刺也。是れに據らば無v苛の意か。又翁の説に燃ゆるをイルと言へり。胸のいららるるを言ふならん。源氏物語に、心いられなど有るに同じ。ココニ思ヒ出《デ》、ソコニオモヒ出《デ》は、ここもそこも同じ語にて、許多古郷を思ひ出づると言ふなり。夜須家の下、一本久の字有り、暫く是れに據るべし。猶思ふに、素より久は無くて、家は可良二字の誤りて一字に成れるか。ヤスカラナクニと有るべき例なり。ナゲク空、思フ空は既に多く出づ。ヤマキヘナリテは、山を來り隔りてなり。道ノトホケバは、遠ケレバの略。春花ノより十八句、病に臥して春の面白き時の盛を徒らに過すを歎けり。シゲミ飛ビククは、飛ビクグルなり。スグシヤリツレは、過グシヤリツレバのバを略けり。シヌバセルは慕ひ給ふなり。君は池主を指す。ウルハシミを今本牟流波シミと誤れり。元暦本に、宇流波シミと有るに據る。シメラは上にもシミラとも有りて、サナガラの略語なり。スガラも同じ。孤、今本誤りて狐に作る。
 參考 ○日異麻世婆(考)「日爾異爾」ヒニケニマセバ(古、新)略に同じ ○夜須家奈久爾(考)ヤス「可良」カラナクニ(古、新)略に同じ ○春菜(古、新)ハルナ。
 
(289)3970 安之比奇能。夜麻佐久良婆奈。比等目太爾。伎美等之見底婆。安禮古非米夜母。
あしびきの。やまさくらばな。ひとめだに。きみとしみてば。あれこひめやも。
 
ミテバは、例の見テアラバの略なり。
 
3971 夜麻扶枳能。之氣美登?久久。鶯能。許惠乎聞良牟。伎美波登母之毛。
やまぶきの。しげみとびぐく。うぐひすの。こゑをきくらむ。きみはともしも。
 
トモシは此處《ココ》は羨ましき意なり。例有り。我が病みて鶯を聞かねば、聞く人を羨むなり。
 
3972 伊泥【泥ヲ尼ニ誤ル】多多武。知加良乎奈美等。許母里爲底。伎彌爾故布流爾。許己呂度母奈思。
いでたたむ。ちからをなみと。こもりゐて。きみにこふるに。こころどもなし。
 
泥、今尼に誤る。元暦本に據りて改めつ。ココロドは利《ト》心と言ふに同じ。
 
三月三日大伴宿禰家持。  今本持の字を脱せり。
 
七言晩春三日遊覽一首并序  題の上に七言五言など書く事|古《イニシヘ》の式なり。唐人などに有る事なり。
 
上巳名辰。暮春麗景。桃花照v瞼。以分v紅。柳色含v苔。而競v緑。  漢禮儀志に上巳禊飲の事見ゆ。後には唯だ三日を用ふるも上巳と言ひ習へるなり。名辰は佳節など言ふに同じ。含苔は含黛か含眉の誤なるべし。前に松浦河序に開2柳葉於眉中1發2桃花於頬上1と有るもても誤なる事|著《シ》るし。
 
于時也。携v手曠望2江河之畔1。訪v酒?遏2野客之家1。既而也|開《元琴》v嵩セv性。蘭契和v光。  訪酒、今本訪(290)須に誤れり、元暦本訪酒と有り。賣酒家など尋ね行くならん。遏、元暦本遇と有り、是れも誤にて過の字ならん。蘭契は易の如蘭の語に據りて、同心の契を言ふ。和光は老子の語にて、ここは友どちの親しき心に取れり。
 
嗟乎今日所v恨。コ星已少歟。若不v扣v寂。含v章何以?2逍【逍ヲ趙ニ誤ル】遥之趣1。忽課2短筆1。聊勒2四韻1云爾。  コ星は晋の陳寔荀淑と言ふ人の故事にて、賢者の集へる事なり。家持卿の一人おはさぬを飽かぬ事にして、已少を恨むと言へり。扣v寂は陸機が文賦に、扣2寂寞1而求v音と言ふに據りて、強ひて捻り出づる意なり。逍遙之趣は、唯だ樂む心に言へり。逍を今趙に誤る。
 
餘春媚日宜2怜賞1。上巳風光足覽遊1。柳陌臨v江縟2?服1。桃源通v海泛2仙舟1。雲罍酌v桂三清湛。羽爵催v人九曲流。縱醉陶心忘2彼我1。酩酊無3處(トシテ)不2淹留1。  餘春は晩春と言ふ意なり。媚日はうらうらと好き日を言ふ。縟は説文に繁采色也と有り。?服は文選註に謂2盛服1也と見えたり。桃源とは所から仙境と見なしたるなり。雲罍は酒器なり。詩の金罍の註にも雲雷の象有る由見ゆ。酌v桂は謝惠連が雪賦に酌2桂酒1と有り。三清は周禮の天官酒正に、辨2三酒之物1云云。三曰2清酒1と言ふに據れるか、又三月三日の清明なる事に言へるか。羽爵は前に羽觴と有るに同じ。九曲流はくまぐま多き流れのまにまに、杯の水に浮びて廻り來るさまなり。陶心は陶陶和樂貌と毛詩の註に有り。忘彼我とは賓主の別《ワカ》ちも無く打解けたるなり。結句は此處彼處《ココカシコ》に宴《ウタゲ》の筵を移したる樣なり。
 
(291)三月四日大伴宿禰池主。  ○ここも池主より家持卿に答ふると言ふ標有るべし。
昨日述2短懷1。今朝?2耳目1。更承2賜書1。且奉2不次1。死罪謹言。  昨日とは四日の事にて、三日遊覽の詩を作りしなり。其れを五日朝贈りしに、又家持卿よりおし返しおこせし故に、更承2賜書1と言ふ。其おこせしがいと速かなりしかば、序に七歩成v章とは言へり。さて我言のみだりがはしきを例の卑下して且奉2不次1と言ふなり。
 
不v遺2下賤1。頻惠2コ音1。英雲星氣。逸調過v人。智水仁山。既?2琳瑯之光彩1。潘江陸海。自坐2詩書之廊廟1。騁2思非常1。託2情有理1。七歩成v章。數篇滿v紙。  コ音莫違。英英白雲。皆毛詩にあり。英雲星氣、古本英靈星送と有り。何れにても疑はし。逸調は調《シラベ》の勝《スグ》れたるなり。智水仁山は論語に據れり。湘中之琳瑯と世説に有りて、人才に譬ふ。潘岳陸機兄弟六朝に名高き文人にて、江海は其才の大きなるに譬ふるなり。坐2詩書之廊廟1とは、常に身を道藝の中に置きて離れぬ意なり。七歩は魏の曹子建が故事にて、文作るの速かなるを言ふ。
 
巧遣2愁人之重患1。能除2戀者之積思1。山柿謌泉。比v此如v蔑。彫龍(ノ)筆海。粲然得v看矣。方知2僕之有1v幸也。敬和歌其詞云。  歌泉は湧きて盡る事無きに譬ふ。比v此如v蔑は人麿赤人も及ばぬと言ふなり。彫龍は史記に據る。文彩の濃《コマヤ》かなるなり。筆海は李善が上表に、汲2前脩之筆海1と言へり。粲然は鮮《アザヤ》かなる事なり。
 
(292)3973 憶保枳美能。彌許等可之古美。安之比奇能。夜麻野佐婆良受。安麻射可流。比奈毛【毛ハ乎ノ誤】乎佐牟流。麻須良袁夜。奈爾可母能毛布。安乎爾余之。奈良治伎可欲布。多麻豆佐能。都可比多要米也。己母理古非。伊枳豆伎和多利。之多毛比余【余ハ尓ノ誤】。奈氣可布和賀勢。伊爾之弊由。伊比都藝久良之【之ハ久ノ誤カ】。餘乃奈加波。可受奈枳毛能賀。奈具佐牟流。己等母安良牟等。佐刀妣等能。安禮爾都具良久。夜麻備爾波。佐久良婆奈知利。可保等利能。麻奈久之婆奈久。春野爾。須美禮乎都牟等。之路多倍乃。蘇泥乎利可弊之。久禮奈爲能。安可毛須蘇妣伎。乎登賣良波。於毛比美太禮底。伎美麻都等。宇良呉悲須【須ヲ次ニ誤ル】奈里。己許呂具志。伊謝美爾由加奈。許等波多奈由比。
おはきみの。みことかしこみ。あしびきの。やまぬさはらず。あまざかる。ひなををさむる。ますらをや。なにかものもふ。あをによし。ならぢきかよふ。たまづさの。つかひたえめや。こもりこひ。いきづきわたり。したもひに。なげかふわがせ。いにしへゆ。いひつぎくらく。よのなかは。かずなきものか。なぐさむる。こともあらむと。さとびとの。あれにつぐらく。やまびには。さくらばなちり。かほどりの。まなくしばなく。はるののに。すみれをつむと。しろたへの。そでをりかへし。くれなゐの。あかもすそびき。をとめらは。おもひみだれて。きみまつと。うらごひすなり。こころぐし。いざみにゆかな。ことはたなゆひ。
 
ヤマノサハラズは山野|不v障《サハラズ》なり。宣長云、比奈毛の毛は乎の誤なるべしと言へり。ナニカモノモフは何(293)ぞ物思ふやなり。キカヨフは行き通ふなり。コモリコヒは籠り居て戀ふるなり。イキヅキワタリは息衝きにて上にも出づ。シタモヒヒニは忍びに思ふなり。余は尓の誤なり。イヒツギ久良之の之は久の誤なるべし。然《サ》無くては下へ續かず。世ノ中はカズナキモノカ、上にも出づ。年の數少く程無きを言ふ。ヤマとは山|方《ベ》なり。此句よりウラサビスナリと言ふまで里人の語る言葉なり。ソデヲリカヘシ、古への袖は細く長き故、菫など摘むに折返すなるべし。ココログシは心のくぐもる意、考の別記に委し。コトハタナ由比.卷十三、あし垣の末かきわけて君こゆと人になつげそ事者棚知、卷一、身もたなしらず、卷九、身をたなしりてと有り、タナは何れも同じ語なるべし。契沖云、由比とは書きたれど伊比にやと言へど、タナイヒとても聞え難し。宣長云、凡そ此累ひのタナと言ふ詞、皆タナ知と續きたるに、ここのみ由比と續きたるは如何が、由比は思禮《シレ》の誤なるべし。十三の卷の棚知も必ずタナシレと訓むべき語の勢なり。さて許等波は集中、ことさけば、ことふらば、古今集に、ことならばなど有る殊なり。さてタナシレは詳かならざれども大方のやうを以て云はば、今俗語に云云と人に物を言ひつけて、さやうに心得よと言ふに似たり。十三の卷なるは、人に告ぐる事なかれ、さやうに心得よなり。ここなるは、上に言へる世中は數なきものぞ、里人も云云と告ぐるなり。然れば春の野山に遊びて心を遣るべき事ぞ、さやうに心得給へ、いざ共に見に行かんと言ふなり。一の卷なる身もたなしらずは、我身の事をも心得無しに打忘れてなり。九の卷の身はたなしらずも同じ、又何すとか身をたなしりては、身の事を何と心得てか(294)なりと言へり。猶よく考ふべし。此歌初句より使タエメヤと言ふまでは家持卿を慰めて、コモリコヒと言ふより數ナキモノ|カ《ゾ》と言ふまでは家持卿の病を歎く事を言ひ、ナグサムルコトモアラムトとは吾が上を言ひ、さて里人の詞を擧げ、心グシと言ふより家持卿を催し誘なふ意とは聞ゆれど、ウラゴヒスナリの次に詞足はず、句の落ちたるならん。カズナキモノ賀の賀を、元暦本曾に作る、是れも然るべし。
 參考 ○比奈毛乎佐牟流(古、新)ヒナモヲサムル「毛」を誤とせず ○奈氣可布和賀勢(新)ナゲカ「ス」ワガセ ○可受奈枳毛能賀(考)カズナキモノカ(古、新)カズナキモノ「ゾ」 ○許等波多奈由比(代、考)コトハタナユヒ(古、新)コトハタナ「シレ」。
 
3974 夜麻夫枳波。比爾比爾佐伎奴。宇流波之等。安我毛布伎美波。思久思久於毛保由。
やまぶきは。ひにひにさきぬ。うるはしと。あがもふきみは。しくしくおもほゆ。
 
山吹の日日に咲くを見ても、其山吹の日日に咲く如く、吾を重ね重ね思ふとなり。
 
3975 和賀勢故爾。古非須弊奈賀利。安之可伎能。保可爾奈氣加布。安禮之可奈思母。
わがせこに。こひすべなかり。あしがきの。ほかになげかふ。あれしかなしも。
 
スベナカリはスベナクアリを約め言ふなり、卷十二にも斯く詠めり。アシ垣ノ外ニ歎カフとは、家持卿と池主と離れ居て有れば斯く言へり。
 
三月五日大伴宿禰池主。
 
(295)○ここも標を脱せり。家持卿より池主へ贈るなり。
 
昨暮來v使幸|也《カナ》。以垂2晩春遊覽之詩1。今朝累v信。辱也以?2相招(テ)望v野之歌1。一看2玉藻1稍寫2欝結1。二吟2秀句1。已?2愁緒1。非2此眺翫1。孰能暢v心乎。  累信は度かさなる便なり。相招望v野、ことは前の長歌に見えたり。此眺翫とはよき人のよく見てよき歌詠みしたる意なり。
 
但惟(ルニ)下僕。稟性難v彫。闇神靡v瑩。握(ハ)v翰(ヲ)腐(シ)v毫。對(ハ)v研(ニ)忘v渇(ヲ)。終日因流。綴v之不v能。所謂文章(ノ)天骨。習v之不v得也。  難v彫は論語の宰予が事に據りて卑下したるなり。闇神靡v瑩は心の闇き事なり。腐v毫とは時移るの久しき事にて、才乏くて文作り出づる事得難きを言ふなり。忘v渇は硯の干るをも不v知《シラズ》して、文を考ふるに時を移す事なり。因流は因循などの誤か。綴v之不v能は速かに文作り得ぬを言ふべし。さて文書く事の上手は生れ附に依りて、我ら學びても及ばぬ事よと言ふなり。
 
豈堪3探v字勒v韻。叶2和雅篇1哉。抑聞2鄙里少兒1。古人言無v不v酬【酬ヲ※[酉+羽]ニ誤ル】。聊裁2拙詠1。敬擬2解咲1焉。  ここは詩に次韻と言ふ事の有るを、才乏くて次韻の能はぬ由を言ふなり。聞2鄙里小兒1も唯だ或人に聞しと言ふに同じ意なり。解笑も解2人頤1と言ふに據りたる言にて、卑下したることなり。
 
如今《イマ》賦v言勒v韻。同2斯雅作之篇1。豈殊2將v石同1v瓊。唱聲遊走曲歟。抑小兒譬濫※[言+蹈の旁]敬寫2葉端1。式(テ)擬v亂曰。  唱聲遊の下脱字有るべし。曲歟の下も字を脱せるか。遊、活本極に作る。※[言+蹈の旁]、一本謠に作る。此段三十八字古本に無し。猶考ふべし。
 
(296)七言一首
抄春餘日媚景麗(シ)。初巳(ノ)和風拂自輕。來燕御v泥賀宇入。歸鴻引v蘆廻赴瀛。聞君嘯侶新流曲。禊飲催v爵泛2河清1。雖v欲v追2尋良此宴1。還知染?脚?※[足+丁]。  抄春は暮春なり。餘日は遲日と言ふ意なるべし。賀宇は淮南子に大厦成而燕雀相賀と有り。もとは賀(シテ)入v宇と有りしが誤れるなり。又淮南子に雁御v蘆而翔以避2?繖1と見ゆ。赴瀛は雁の北の海さして行く事なり。嘯侶は誤字ならんか。新は親を誤れるなり。良此は下上になれるにて、此良宴と有るべし。染?は甚《イタ》く病める事なるべし。憶良の沈痾を哀む文に、尋2膏肓之?處1欲v顯2二豎之逃避1とも有り。?※[足+丁]は行不v正貌と字書に見ゆ。
 
短歌二首
 
3976 佐家理等母。之良受之安良婆。母太毛安良牟。己能夜萬夫吉乎。美勢追都母等奈。
さけりとも。しらずしあらば。もだもあらむ。このやまぶきを。みせつつもとな。
 
右の長歌に添へて山吹を贈りしなるべし。其花の咲きぬとも知らずは然《サ》ても有らんを、花を見るに附けても、久しく病に臥して相見る事無きを歎くなり。モダは黙の字の意なり。
 
3977 安之可伎能。保加爾母伎美我。余里多多志。孤悲家禮許曾婆。伊米爾見要家禮。
あしがきの。ほかにもきみが。よりたたし。こひけれこそは。いめにみえけれ。
 
一二の句は池主の贈歌を受けたり。コヒケレコソハは、戀ヒケレバコソと言ふなり。
 
(297)三月五日大伴宿禰家持臥v病作之。
 
述2戀緒1歌一首并短歌
 
3978 妹毛吾毛。許己呂波於夜自。多具弊禮登。伊夜奈都可之久。相見婆。登許波都波奈爾。情具之。眼具之毛奈之爾。波思家夜之。安我於久豆麻。大王能。美許登加之古美。阿之比奇能。夜麻古要奴由伎。安麻射加流。比奈乎左米爾等。別來之。曾乃日乃伎波美。荒璞能。登之由吉我弊利。春花乃。宇都呂布麻泥爾。相見禰婆。伊多母須弊奈美。之伎多倍能。蘇泥可弊之都追。宿夜於知受。伊米爾波見禮登。宇都追爾之。多太爾安良禰婆。孤悲之家口。知弊爾都母里奴。近在者。加弊利爾太仁母。宇知由吉底。妹我多麻久良。佐之加倍底。禰天蒙許萬思乎。多麻保已乃。路波之騰保久。關左閇爾。弊奈里底安禮許曾。與思惠夜之。餘志播安良武曾。霍公鳥。來鳴牟都奇爾。伊都之加母。波夜久(298)奈里那牟。宇乃花能。爾保弊流山乎。余曾能未母。布里佐氣見都追。淡海路爾。伊由伎能里多知。青丹吉。奈良乃吾家爾。奴要鳥能。宇良奈氣之都追。思多戀爾。於毛比宇良夫禮。可度爾多知。由布氣刀比都追。吾乎麻都等。奈須良牟妹乎。安比底早見牟。
いももあれも。こころはおやじ。たぐへれど。いやなつかしく。あひみれば。とこはつはなに。こころぐし。めぐしもなしに。はしけやし。あがおくづま。おほきみの。みことかしこみ。あしびきの。やまこえぬゆき。あまざかる。ひなをさめにと。わかれこし。そのひのきはみ。あらたまの。としゆきがへり。はるはなの。うつろふまでに。あひみねば。いたもすべなみ。しきたへの。そでかへしつつ。ぬるよおちず。いめにはみれど。うつつにし。ただにあらねば。こひしけく。ちへにつもりぬ。ちかからば。かへりにだにも。うちゆきて。いもがたまくら。さしかへて。ねてもこましを。たまぼこの。みちはしとほく。せきさへに。へなりてあれこそ。よしゑやし。よしはあらむぞ。ほととぎす。きなかむつきに。いつしかも。はやくなりなむ。うのはなの。にほへるやまを。よそのみも。ふりさけみつつ。あふみぢに。いゆきのりたち。あをによし。ならのわぎへに。ねえどりの。うらなけしつつ。したごひに。おもひうらぶれ。かどにたち。ゆふけとひつつ。あをまつと、なすらむいもを。あひてはやみむ。
 
心ハオヤジタグヘレドとは、心は同じく副《タグ》ふとなり。天智紀童謠、たまにぬくとき於野兒《オヤジ》をにぬく、と有り。トコハツ花は常に初花の如くとなり。心グメグシトナシニは、心苦しく思ふ事も無く、見て苦しと思ふ事も無しにと言ふなり。卷九筑波山※[女+燿の旁]歌會の歌に、けふのみはめぐしもなみそ、と詠めるに同じ。卷五の、めぐしうつくしと言へるとは異なり、まがふ事なかれ。オクヅマ、おくに思ふと詠めるは深く思ふを言ふ。是れも深く思ふ妻なり。ヤマコエヌユキは、山を越え野を行きなり。ソノ日ノキハミは、別れし日を限にと言ふ意なり。上にもかたらひてこし日のきはみ、と有り。イタモは甚モなり。卷十四、浪のほの伊多夫良之毛與《イタブラシモヨ》、卷十一、甚振浪《イタフルナミ》なども詠めり。タダニアラネバは、直ちに逢ふに有らねばなり。反歌にも此詞有り。カヘリニダニモウチ行キテは、卷六、せきなくばかへりにだにもうちゆきて妹が(299)手枕まきてねましを、と詠めり。俗に立チガヘリニと言ふが如し。路波之の之は助辭。又波之は間《ハシ》の意か。ヘナリテアレコソにて句とすべし。隔りてあればこそ得行かねと言ふを籠めたり。ヨシハアラムゾは相見る由は有らんぞなり。アフミヂニイ行キノリタチは舟に乘るなり。ヌエ鳥ノウラナケシツツ、卷一、卷十に裏歎と書けるにて知るべし。シタゴヒ、上に出づ。アヲ待ツトナスラム妹ヲとは、吾を待ちて獨《ヒトリ》寢《ヌ》らんと言ふなり。卷二、枕と卷て奈世流《ナセル》君かも、と言ふナセルの詞と同じく、寢る事の古語なり。安比テ早見ムは、由伎テと有りつらんを、次の反歌の安比の二字竝びたれば、紛れて斯く成れるなるべし。
 參考 ○安我於久豆麻(新)アガオクツマ「乎」ヲ ○多太爾安良禰婆(新)タダニア「波」ハネバ ○近在者(考、新)略に同じ(古)チカクアラバ ○伊由伎能里多知(新)イユキ「伊」イリタチ ○宇良奈氣之都追(新)ウラナゲ「伎」キシツツ ○安比底早見牟(古)誤字とせず(新)略の「由伎」の誤とする説を取る。
 
3979 安良多麻乃。登之可弊流麻泥。安比見禰婆。許己呂毛之努爾。於母保由流香聞。
あらたまの。としかへるまで。あひみねば。こころもしぬに。おもほゆるかも。
 
シヌは萎なり。
 
3980 奴婆多麻乃。伊米爾波母等奈。安比見禮騰。多太爾安良禰婆。孤悲夜麻受家里。
ぬばたまの。いめにはもとな。あひみれど。ただにあらねば。こひやまずけり。
 
(300)右の長歌に言へるを打返して詠めり。戀ヤマズケリは戀ヤマザリケリなり。
 
3981 安之比奇能。夜麻伎弊奈里底。等保家騰母。許己呂之遊氣婆。伊米爾美要家里。
あしびきの。やまきへなりて。とほけども。こころしゆけば。いめにみえけり。
 
山を來り隔りて遠けれどもなり
 
3982 春花能。宇都路布麻泥爾。相見禰婆。月日餘美都追。伊母麻都良牟曾。
はるばなの。うつろふまでに。あひみねば、つきひよみつつ。いもまつらむぞ。
 
ウツロフは散なり。ヨミツツはカゾヘツツなり。
 
右三月二十日夜裏忽兮起2戀情1作。大伴宿禰家持。
 
立夏四月既經2累日1而|由《ナホ》未v聞2霍公鳥喧1因作恨歌二首  作恨は下上になれるか。
 
3983 安思比奇能。夜麻毛知可吉乎。保登等藝須。都奇多都麻泥爾。奈仁加吉奈可奴。
あしびきの。やまもちかきを。ほととぎす。つきたつまでに。なにかきなかぬ。
 
ツキタツマデニは三月の中《ウチ》に四月の節に入りたるを言ふなり。故に立夏とことわれり。今ツイタチと言へば朔日に限れども、古へはさに有らず。
 
3984 多麻爾奴久。波奈多知婆奈乎。等毛之美思。己能和我佐刀爾。伎奈可受安流良之。
たまにぬく。はなたちばなを。ともしみし。このわがさとに。きなかずあるらし。
 
(301)トモシミシは乏シサニなり。契沖云、越中なれば柑類少きなり。
 參考 ○等毛之美思(新)トモシミ「曾」ゾ。
 
霍公鳥者立夏之日來鳴必定。又越中風土希2有橙橘1也。因v此大伴宿禰家持感2發於懷1。聊裁2此歌1。(三月廿九日)二十九日)  和名抄、橙、(安倍太知波奈)似v柚小也と有り。三月二十九日の字、今本本行とせり。古本小字に書けるに據る。
 
二上山(ノ)賦《ウタ》一首(此山者有2射水郡1也)  今本此山云云の八字を本行とせり。古本小字なるを善しとす。有は在の誤なり。賦と書けるは則ち長歌の事なり。下にも見ゆ。賦一首の下并短歌と有るべし。
 
3985 伊美都河泊。伊由伎米具禮流。多麻久之氣。布多我美山者。波流波奈乃。佐家流左加利爾。安吉乃葉乃。爾保弊流等伎爾。出立底。布里佐氣見禮婆。可牟加良夜。曾許婆多敷刀伎。夜麻可良夜。見我保之加良武。須賣可未能。須蘇未乃夜麻能。之夫多爾能。佐吉乃安里蘇爾。阿佐奈藝爾。餘須流之良奈美。由敷奈藝爾。美知久流之保能。伊夜麻之爾。多由流許登奈久。伊爾之弊由。伊麻乃乎都豆爾。可久之許曾。見流比登(302)其等爾。加氣底之努波米。
いみづがは。いゆきめぐれる。たまくしげ。ふたがみやまは。はるはなの。さけるさかりに。あきのはの。にほへるときに。いでたちて。ふりさけみれば。かむがらや。そこばたふとき。やまからや。みがほしからむ。すめがみの。すそみのやまの。しぶたにの。さきのありそに。あさなぎに。よするしらなみ。ゆふなぎに。みちくるしほの。いやましに。たゆることなく。いにしへゆ。いまのをつつに。かくしこそ。みるひとごとに。かけてしぬばめ。
 
イは發語、ユキメグレルは河の行き廻るなり。ソコバはソコバクにて多き意。卷二、國がらか見れどもあかぬ神がらかここたたふとき、と有り。スメ神ノスソミノ山ノとは、反歌に、いにしへおもほゆ、と有るを思ふに、神代に神の此山を愛で給ひし古事など有りしか。スソミは進ミにて、愛づる意ならんと翁の説なり、されど穩かならずや。スソミは筑波禰のすそ廻の田居と言へる如く、二上山の麓のしぶ谷と言ふ意ならん。スメ神は則ち山を神として、其山ノスソミノシブタニと言ふべきを斯く言へるならん。シブタニは二上山近き地名なるべし。朝ナギニ以下四句、イヤマシニと言はん爲めの句中の序なり。ヲツツはウツツに同じ。卷五、いまの遠都豆にたふときろかも、と詠めり。
 參考 ○加氣底之努波米(新)カケテシヌバ「弊」ヘ。
 
3986 之夫多爾能。佐伎能安里蘇爾。與須流奈美。伊夜思久思久爾。伊爾之弊於母保由。
しぶたにの。さきのありそに。よするなみ。いやしくしくに。いにしへおもほゆ。
 
此歌にイニシヘオモホユと訓めるは、此山に附きて語り傳へし古事有りしか。又時に感じて斯くも言へるか。
 
3987 多麻久之氣。敷多我美也麻爾。鳴鳥能。許惠乃孤悲思吉。登岐波伎爾家里。
(303)たまくしげ。ふたがみやまに。なくとりの。こゑのこひしき。ときはきにけり。
 
ホトトギスを詠めるなるべし。
 
右三月三十日依v興作v之大伴宿禰家持。
 
四月十六日夜裏遙聞2霍公鳥喧1述v懷歌一首
 
3988 奴婆多麻乃。都奇爾牟加比底。保登等藝須。奈久於登波流氣之。佐刀騰保美可聞。
ぬばたまの。つきにむかひて。ほととぎす。なくおとはるけし。さととほみかも。
 
月の出づる方に向ひて鳴く聲の遙かに聞ゆるは、吾が居る里より遠くしてかと言ふなり。
 
右大伴宿禰家持作之。  元暦本、右の下一首の字有り。
 
大目秦忌寸八千嶋之舘餞2守大伴宿禰家持1宴歌二首
 
3989 奈呉能宇美能。意吉都之良奈美。志苦思苦爾。於毛保要武可母。多知和可禮奈婆。
なごのうみの。おきつしらなみ。しくしくに。おもほえむかも。たちわかれなば。
 
奈呉は越中、前に出づ。
 
3990。我加勢故波。多麻爾母我毛奈。手爾麻伎底。見都追由可牟乎。於吉底伊加婆乎思。
わがせこは。たまにもがもな。てにまきて。みつつゆかむを。おきていかばをし。
 
是れは家持卿の答へ歌なり。加は和の誤にて和我と有りしが、斯く下上に誤りしならん。イカバはユカ(304)バなり。
 
右守大伴宿禰家持以2正税帳1須v入2京師1。仍作2此歌1聊陳2送別之嘆1。([四月二十日)  四月二十日の五字、今本本行也。古本小字なるに據る。
 
遊2覽布勢水海1賦一首并短歌(此海者有2射水郡舊江村1也)  有は左の誤なり。
 
3991 物能乃敷能。夜蘇等母乃乎能。於毛布度知。許己呂也良武等。宇麻奈米底。宇知久知夫利乃。之良奈美能。安里蘇爾與須流。之夫多爾能。佐吉多母登保理。麻都太要能。奈我波麻須義底。宇奈比河波。伎欲吉勢其等爾。宇加波多知。可由吉加久遊岐。見都禮騰母。曾許母安加爾等。布勢能宇彌爾。布禰宇氣須惠底。於伎弊許藝。邊爾己伎見禮婆。奈藝左爾波。安遲牟良佐和伎。之麻末爾波。許奴禮波奈左吉。許己婆久毛。見乃佐夜氣吉加。多麻久之氣。布多我彌夜麻爾。波布都多能。由伎波和可禮受。安里我欲比。伊夜登之能波爾。於母布度知。可久思安蘇婆牟。異麻母見流其等。
もののふの。やそとものをの。おもふどち。こころやらむと。うまなめて。うちくちぶりの。しらなみの。ありそによする。しぶたにの。さきたもとほり。まつだえの。ながはますぎて。うなびがは。きよきせごとに。うかはたち。かゆきかくゆき。みつれども。そこもあかにと。ふせのうみに。ふねうけすゑて。おきべこぎ。へにこぎみれば。なぎさには。あぢむらさわぎ。しままには。こぬれはなさき。ここばくも。みのさやけきか。たまくしげ。ふたがみやまに。はふつたの。ゆきはわかれず。ありがよひ。いやとしのはに。お(305)ふどち。かくしあそばむ。いまもみるごと。
 
馬並メテウチクチブリのウチクは、次の歌に馬うちむれてと詠めるに同じく、馬を打並めて來《ク》と言ふなり。チフリは今越中と越後の境に市振《チブリ》と言ふ所有り、海邊なりとぞ。越後知ぶりの湊より舟に乘りて佐渡へ渡れる事太平記に見ゆ、是れなるべし。然れば馬打|來《ク》市振の白浪と續くべしと翁は言はれき。宣長云、チブリを地名としては白浪へ續けたる如何が。又打來ならば、ウチキと言はでは語ととのはず。なほ彼此振《ヲチコチブリ》の白浪とせる契沖が説穩かなり。馬ナメテは下のタモトホリへ懸かれりと言へり、猶考ふべし。マツダエ、下の長歌にも出づ、長濱、其處の地名なるべし。ウナビ河は和名抄、越中射水郡宇納(宇奈美)と有るなり。ウカハタチ、卷一、上つ瀬に鵜川乎立、と詠みて、鵜を飼ふ人を立たしめて其業をなすなり。カユキカクユキは彼行此行《カユキカクユキ》なり。ソコモアカニトとは、それも不v飽にとなり。不v知爾をシラニと言ふが如し。フセノ海、地名なり。シママは卷六、島際と書けり。コヌレは木の末《ウレ》にて梢なり。見ノサヤケキカは、見るが清き哉と言ふなり。タマクシゲ、ハフツタノ、枕詞。其山に這ふつたと言ひ下したり。ユキハワカレズとは、かたがたに別るる事無くなり。今モ見ル如は、集中に多し、唯だ今ノ如クと言ふなり。見ルの詞を輕く心得べし。
 參考 ○之麻末爾波(古、新)シマ「未」ミニハ。
 
3992 布勢能宇美能。意枳都之良奈美。安利我欲比。伊夜登偲能波爾。見都追思努播牟。
(306)ふせのうみの。おきつしらなみ。ありがよひ。いやとしのはに。みつつしぬばむ。
 
沖浪の常に寄せ返るをもて、やがて序とせり。
 
右守大伴宿禰家持作v之。(四月廿四日)  此五字、今本本行にせり。古本小字なり。
 
敬和d遊2覽布勢水海1賦u一首并一絶  長歌を賦と書けるより短歌を一絶とは書けるなり。
 
3993 布治奈美波。佐岐底知理爾伎。宇能波奈波。伊麻曾佐可理等。安之比奇能。夜麻爾毛野爾毛。保登等藝須。奈伎之等與米婆。宇知奈妣久。許己呂毛之努爾。曾己乎之母。宇良胡非之美等。於毛布度知。宇麻宇知牟禮底。【底元弖ニ作ル下同】多豆佐波理。伊泥多知美禮婆。伊美豆河泊。美奈刀能須登利。安佐奈藝爾。可多爾安佐里之。思保美底婆。都麻欲妣可波須。等母之伎爾。美都追須疑由伎。之夫多爾能。安利蘇乃佐伎爾。於枳追奈美。余勢久流多麻母。可多與理爾。可都良爾都久理。伊毛我多米。底爾麻吉母知底。宇良具波之。布勢能美豆宇彌爾。阿麻夫禰爾。麻可治加伊奴吉。之路多倍能。蘇泥布理可邊之。阿登毛比底。和賀已藝由氣(307)婆。乎布能佐伎。波奈知利麻我比。奈伎佐爾波。阿之賀毛佐和伎。佐射禮奈美。多知底毛爲底母。己藝米具利。美禮登母安可受。安伎佐良婆。毛美知能等伎爾。波流佐良婆。波奈能佐可利爾。可毛加久母。伎美我麻爾麻等【等元爾ニ作ル】。可久之許曾。美母安吉良米米。多由流比安良米也。
ふぢなみは。さきてちりにき。うのはなは。いまぞさかりと。あしびきの。やまにもぬにも。ほととぎす。なきしとよめば。うちなびく。こころもしぬに。そこをしも。うらこひしみと。おもふどち。うまうちむれて。たづさはり。いでたちみれは。いみづがは。みなとのすどり。あさなぎに。かたにあさりし。しほみてば。つまよびかはす。ともしきに。みつつすぎゆき、しぶたにの。ありそのさきに。おきつなみ。よせくるたまも。かたよりに。かつらにつくり。いもがため。てにまきもちて。うらぐはし。ふせのみづうみに。あまぶねに。まかぢかいぬき。しろたへの。そでふりかへし。あともひて。わがこぎゆけば。をふのさき。はなちりまがひ。なぎさには。あしがもさわぎ。さざれなみ。たちてもゐても。こぎめぐり。みれどもあかず。あきさらば。もみぢのときに。はるさらば。はなのさかりに。かもかくも。きみがまにま|と《に》。かくしこそ。みもあきらめめ。たゆるひあらめや。
 
ウチナビクは、心の靡き萎《シナ》ふさまを言ふ。ソコヲシモ、其處をなり。シモは助辭、ウマウチムレテは馬並て群《ムレ》つつ行くなり。ウチは詞。タヅサハリは手携《テタヅサ》はりてなり。スドリは洲に居る鳥を言ふ、上にも出づ。カタは滷なり。トモシキニはメヅラシキ故ニなり。ヨセクル玉藻云云は、古へ何にても其有るにまかせて蘰《カツラ》とせるなり。伊勢物語に、わたづみのかざしにさすといはふ藻も、と詠めるも、古へ斯かる物をかざせりし事有るに依りて詠めるなり。ウラグハシは心に愛づるを言ふ詞。アマブネは、海人が舟なり。マカヂカイヌキ、古へカヂと言へるは今の櫓なり。カイは今櫓に似て小さき物を言ふ。古へもカヂとカイとは別なりけん。袖フリカヘシは、かぢ取等が漕ぐ時に袖の翻るを言ふ。アトモヒは率なり。ヲフノ崎、地名。ハナ散リマガヒは卯の花の散るを言ふならん。サザレ浪云云は、漕ぎ廻り立ちても居て(308)も見れども飽かずの意にて、サザレ浪は立ツと言はん序なり。君ガマニマトは、彼《カ》も此《カク》も君が行くに任せて、共に遊ばんの意なり。元暦本、麻爾麻爾と有り、何れにても有るべし。見モアキラメメは、見|晴《ハル》かしなど詠めるに同じ。タユル日アラメヤは、春秋に不v絶《タエズ》伴はんの意なり。
 參考 ○宇知奈妣久(新)ウチナビ「伎」キ ○麻可治加伊奴吉(新)マカヂカ「伎」キヌキ ○伎美我麻爾麻等(新)キミガマニマ「爾」ニ。
 
3994 之良奈美能。與世久流多麻毛。余能安比太母。都藝底民仁許武。吉欲伎波麻備乎。
しらなみの。よせくるたまも。よのあひだも。つぎてみにこむ。きよきはまびを。
 
タマモは玉藻なり。ヨノアヒダモは我が世久しき間を言ふ。ハマビは濱|方《ベ》なり。
 
右掾【掾ヲ拯ニ誤ル下同ジ】大伴宿禰池主作。(四月二十六日追加)  七字今本本行とせり、古本小字に書けり。
 
四月二十六日掾大伴宿禰池主之舘餞1【餞ヲ錢ニ誤ル】税帳使守大伴宿禰家持1宴謌并古歌四首  古本并以下五字無し。
 
3995 多麻保許乃。美知爾伊泥多知。和可禮奈婆。見奴日佐【今等字有ハ誤ナリ】麻禰美。孤悲思家武可母。
たまぼこの。みちにいでたち。わかれなば。みぬひさまねみ。こひしけむかも。
 
サマネミは數多き意、既に出づ。佐の下今本等の字有り、元暦本に無きに據る。
 
(309)一云。 不見日|久彌《ヒサシミ》。戀之家牟加母。
 
右一首大伴宿禰家持作之。
 
3996 和我勢古我。久爾弊麻之奈婆。保等登藝須。奈可牟佐都奇波。佐夫之家牟可母。
わがせこが。くにへましなば。ほととぎす。なかむさつきは。さぶしけむかも。
 
税帳使にて本《モト》つ國の奈良へ往《イ》にましなばなり。
 
右一首介|内藏《クラノ》忌寸|繩《ナハ》麻呂作之。
 
3997 安禮奈之等。奈和備和我勢故。保登等藝須。奈可牟佐都奇波。多麻乎奴香佐禰。
あれなしと。なわびわがせこ。ほととぎす。なかむさつきは。たまをぬかさね。
 
我れ無しとて佗ぶる事なかれ、心なぐさに橘を玉に貫けと言ふなり。ヌカサネはヌカセを延べ言ふなり。
 
右一首守大伴宿禰家持|和《コタフ》。
 
石川朝臣|水通《ミミチ》橘歌一首
 
3998 和我夜度能。花橘乎。波奈其米爾。多麻爾曾安我奴久。麻多婆苦流之美。
わがやどの。はなたちばなを。はなごめに。たまにぞあがぬく。またばくるしみ。
 
是れは古歌ながら右の歌に叶ひたれば此時誦したるならん。花ゴメは伊勢が、根ごめに風の吹もこさなむ、と詠める、コメの詞の如く、花共にと言ふなり。
 
(310)右一首傳(ヘ)誦(ルハ)主人大伴宿禰池主云爾。
 
守大伴宿禰家持館(ニ)飲宴歌一首(四月二十六日)
 
3999 美夜故弊爾。多都日知可豆久。安久麻底爾。安比見而由可奈。故布流比於保家牟。
みやこべに。たつひちかづく。あくまでに。あひみてゆかな。こふるひおほけむ。
 
別れて後戀ふる日多からん、今飽くまで相見て行かんとなり。
 
立山《タチヤマノ》賦一首并短歌(此山者有2新川郡1也)  和名抄、新川(爾布加波)有は在の誤なり。此山歌に多知山と有るを、今はタテ山と言へり。
 
4000 安麻射可流。比奈爾名可加須。古思能奈可。久奴知許登其等。夜麻波之母。之自爾安禮登毛。加波波之母。佐波爾由氣等毛。須賣加未能。宇之波伎伊麻須。爾比可波能。曾能多知夜麻爾。等許奈都爾。由伎布理之伎底。於婆勢流。可多加比河波能。伎欲吉瀬爾。安佐欲比其等爾。多都奇利能。於毛比須疑米夜。安里我欲比。伊夜登之能播仁。余増能未母。布利佐氣見都都。余呂豆餘能。可多良比具佐等。伊末太見奴。比等爾母(311)都氣牟。於登能未毛。名能未母伎吉底。登母之夫流我禰。
あまざかる。ひなになかがす。こしのなか。くぬちことごと。やまはしも。しじにあれども。かははしも。さはにゆけども。すめがみの。うしはきいます。にひかはの。そのたちやまに。とこなつに。ゆきふりしきて。おばせる。かたかひがはの。きよきせに。あさよひごとに。たつきりの。おもひすぎめや。ありがよひ。いやとしのはに。よそのみも。ふりさけみつつ。よろづよの。かたらひぐさと。いまだみぬ。ひとにもつげむ。おとのみも。なのみもききて。ともしぶるがね。
 
名カガスは名ヲ輝《カガ》ヤカスなり。神代紀、星神を天香香背男、又かがり火、赤酸醤《アカカガチ》など言へるカガの詞に同じければ、下のカを濁るべし。宣長云、カカスは懸《カカ》スなり。人麻呂歌に御名にかかせる飛鳥川、と詠めるも、飛鳥(ノ)皇女の御名にかかせるなり。又紀の國の國懸《クニカカス》神をも思ふべし。ここは立山なれば、立ツと言ふ事を名に懸けて、高く立てる由なりと言へり。是れ古意なるべし。さらば上下ともにカを清むべし。越の道の中を約めてコシノナカと言へり。クヌチは國内にて、越中の國内を言ふなり。シジは繁にて多き意。サハニユケドモは多く流れ行けどもの意。ウシハキは上に多く出づ。トコ夏ニは池主の和《コタ》へに冬夏とわくることなくと有る如く、トコ夏と言ひて意はトコシナヘなり。宣長云、トコナツのナツはノドと通ひて、長閑に久しき意なり。草のトコナツと言ふ名も、花の長閑に久しく在る由の名なり。ナデシコもノドシコにて同じ意なりと言へり。猶考ふべし。オバセル、所帶なり。四言、カタカヒ川は其所の川の名なり、アサヨヒと言ひて朝夕なり。タツ霧ノオモヒ過メヤとは朝夕立つ霧の絶えぬに譬へて、此山川のあはれさは思ひ過し難きと言ふ意なり。カタラヒグサは後代にも語り繼がむ程の景色を言ふ。トモシブルガネは珍らしがらしめん爲めになり。ガネは上に出づ。
 參考 ○由伎布理之伎底(新)ユキフリ「於」オキテ。
 
(312)4001 多知夜麻爾。布里於家流由伎乎。登己奈都爾。見禮等母安可受。加武賀良奈良之。
たちやまに。ふりおけるゆきを。とこなつに。みれどもあかず。かむがらならし。
 
アカズにて句なり。カムガラナラシは神隨《カンナガラ》にあるらしと言ふなり。
 參考 ○加武賀良奈良之(考、新)略に同じ(古)カム「奈」ナガラナラシ。
 
4002 可多加比能。可波能瀬伎欲久。由久美豆能。多由流許登奈久。安里我欲比見牟。
かたかひの。かはのせきよく。ゆくみづの。たゆることなく。ありがよひみむ。
 
行水ノ如クと言ふを略けり。
 
四月二十七日大伴稱禰家持作之。
 
敬和2立山賦1一首并二絶
 
4003 阿佐比左之。曾我比爾見由流。可無奈我良。彌奈爾於婆勢流。之良久母能。知邊乎於之和氣。安麻曾曾理。多可吉多知夜麻。布由奈都登。和久許等母奈久。之路多倍爾。遊吉波布里於吉底。伊爾之邊遊。阿理吉仁家禮婆。許其志可毛。伊波能可牟佐備。多末伎波流。伊久代經爾家牟。多知底爲底。見禮登毛安夜之。彌禰太(313)可美。多爾乎布可美等。於知多藝都。吉欲伎可敷知爾。安佐左良受。綺利多知和多利。由布佐禮婆。久毛爲多奈?吉。久毛爲奈須。己許呂毛之努爾。多都奇理能。於毛比須具佐受。由久美豆乃。於等母佐夜氣久。與呂豆余爾。伊比都藝由可牟。加波之多要受波。
あさひさし。そがひににゆる。かむながら。みなにおはせる。しらくもの。ちへをおしわけ。あまぞそり。たかきたちやま。ふゆなつと。わくこともなく。しろたへに。ゆきはふりおきて。いにしへゆ。ありきにければ。こごしかも。いはのかむさび。たまきはる。いくよへにけむ。たちてゐて。みれどもあやし。みねたかみ。たにをふかみと。おちたぎつ。きよきかふちに。あささらず。きりたちわたり。ゆふされば。くもゐたなびき。くもゐなす。こころもしぬに。たつきりの。おもひすぐさず。ゆくみづの。おともさやけく。よろづよに。いひつぎゆかむ。かはしたえずは。
 
朝日サシは常見やる所より朝日のさすに向ひて見ゆる方なり。ソガヒニ見ユルは、府より背向に見ゆるなり。カムナガラは山をやがて神とせり。ミナニオハセルは立ちと名に負ひたるは、天と高く聳え立てる故に、山の名に負ひたりと言ふなり。アマゾソリは、按ずるに神代紀、火進命をホノスソリと訓めるに據れば、此ソソリも進む意にて、白雲の千重を押分けて、天に進み上る如く見ゆるを言ふなり。すべて物の進み甚しきを、スズロ、ソゾロなど言ふも同じ語なり。アリキニケレバは、在來ニケレバなり。コゴシカモは、巖の凝れるなり。卷三、島山の宜き國とこごしきいよのたかねを云云、カムサビは古びたるを言ふ。谷ヲ深ミトのトの言は、トテの略なり。キヨキカフチニは、片貝《カタカヒ》川の廻れる所を言ふ。朝サラズは朝毎ニなり、上にも出づ。夕サレバは集中に多く言へる如く夕べになればにて、朝去ラズの去とは異なり。クモヰは則ち雲なり。クモヰナスと言ふは、其雲の曇りたる如くと言ふなり。心モシヌニ(314)と言ふも、オモヒ過サズと言ふも、此山川の常に見飽かぬ心なり。
 參考 ○久毛爲多奈?吉(新)クモヰタナビ「久」ク ○由久美豆乃、於等母佐夜氣久(新)此二句無くもがな、強て存せばサヤケ「之」と云ふべし。
 
4004 多知夜麻爾。布理於家流由伎能。等許奈都爾。氣受底和多流波。可無奈我良等曾。
たちやまに。ふりおけるゆきの。とこなつに。けずてわたるは。かむながらとぞ。
 
ケズテワタルは不v消《ケズ》して年月を經渡るを言ふ。斯くとこしなへに雪の不v消有るは、神のままとぞ聞き傳ふると言ふ意なり。
 
4005 於知多藝都。可多加比我波能。多延奴期等。伊麻見流比等母。夜麻受可欲波牟。
おちたぎつ。かたかひがはの。たえぬごと。いまみるひとも。やまずかよはむ。
 
河水の不v絶《タエヌ》如く、今斯く來て見る人人も、常に通ひ來りて又も見んとなり。
 
右掾大伴宿禰池主和之。(四月二十八日)
 
入v京漸近悲情難v撥述v懷一首并一絶
 
4006 可伎加蘇布。敷多我美夜麻爾。可牟佐備底。多底流都我能奇。毛等母延毛。於夜自得伎波爾。波之伎與之。和我世乃伎美乎。安佐左良受。安比底許登騰比。由布佐禮婆。手多豆佐波利底。伊美豆河波。吉欲伎可布知(315)爾。伊泥多知底。和我多知彌禮婆。安由能加是。伊多久之布氣婆。美奈刀爾波。之良奈美多可彌。都麻欲夫等。須騰理波佐和久。安之可流等。安麻乃乎夫禰波。伊里延許具。加遲能於等多可之。曾己乎之毛。安夜爾登母志美。之努比都追。安蘇夫佐香理乎。須賣呂伎能。乎須久爾奈禮婆。美許登母知。多知和可禮奈婆。於久禮多流。吉民婆安禮騰母。多麻保許乃。美知由久和禮播。之良久毛能。多奈妣久夜麻乎。伊波禰布美。古要弊奈利奈婆。孤悲之家久。氣乃奈我家牟曾。則許母倍婆。許己呂志伊多思。保等登藝須。許惠爾安倍奴久。多麻爾母我。手爾麻吉毛知底。安佐欲比爾。見都追由可牟乎。於伎底伊加婆乎思。
かきかぞふ。ふたがみやまに。かむさびて。たてるつがのき。もともえも。おやじときはに。はしきよし。わがせのきみを。あささらず。あひてことどひ。ゆふされば。てたづさはりて。いみづがは。きよきかふちに。いでたちて。わがたちみれば。あゆのかぜ。いたくしふけば。みなとには。しらなみたかみ。つまよぶと。すどりはさわぐ。あしかると。あまのをぶねは。いりえこぐ。かぢのおとたかし。そこをしも。あやにともしみ。しぬびつつ。あそぶさかりを。すめろぎの。をすくになれば。みこともち。たちわかれなば。おくれたる。きみはあれども。たまぼこの。みちゆくわれは。しらくもの。たなびくやまを。いはねふみ。こえへなりなば。こひしけく。けのながけむぞ。そこもへば。こころしいたし。ほととぎす。こゑにあへぬく。たまにもが。てにまきもちて。あさよひに。みつつゆかむを。おきていかばをし。
 
カキカゾフ、枕詞。モトモエモは幹も枝もなり。さてツカノ木ノイヤツギツギと言ひ馴れたれば、其意を含みて、大伴氏の代代を言ふより、家持卿を幹とし、池主を枝として詠めるならん。オヤジは同じな(316)り。トキハは常磐にて常葉と物は異なれど、心は同じ事に落つれば、都賀の木の常葉より移りて常磐を言ひて、池主を思ふ事を言ふなり。アヒテコトドヒは會而《アヒテ》物言ふなり。アユノ風は此下の歌の註に、越俗語東風謂2之(ヲ)安由乃可是1也と有り。ツコヲシモのシモは助辭にて、ソレヲと言ふなり。ヲスクニナレハミコトモチは、次の長歌に、をす國のこととりもちて、と言ふに同じく、官事を承りてと言ふ意なり。オクレタルキミハアレドモは、君がおくれて在る悲みは有れどもと言ふなり。コエヘナリナバは越え隔りなり。ケノ長ケムゾは、日久しく覺えんと言ふなり。ソコモヘバはソレヲオモヘバなり。アヘヌクのアヘはアハセの約言なり。卷八、相貫と書けり。郭公の鳴く比《コロ》橘も實なれば令合貫と言へり。オキテは置而なり。池主を殘し置くなり。
 參考 ○安此底許登騰比(新)アヒ「見」ミコトドヒ ○和我多知彌禮婆(新)ワガ「宇」ウチミレバ ○須騰理波佐和久(新)スドリ「曾」ゾサヮク。
 
4007 和我勢故婆。多麻爾母我毛奈。保登等伎須。許惠爾安倍奴吉。手爾麻伎底由可牟。
わがせこは。たまにもがもな。ほととぎす。こゑにあへぬき。てにまきてゆかむ。
 
右大伴宿禰家持贈2掾大伴宿禰池主1。(四月卅日)
 
忽見2入v京述v懷之作1。生別(ノ)悲兮【兮元ニ号ニ作ル】斷腸萬回。怨緒難v禁。聊奉2所心1一首并二絶
 
4008 安遠爾與之。奈良乎伎波奈禮。阿麻射可流。比奈爾波安禮登。和賀勢故乎。見都追志乎禮婆。於毛比夜流。(317)許等母安利之乎。於保伎美乃。美許等可之古美。乎須久爾能。許等登理毛知底。和可久佐能。安由比多豆久利。無良等理能。安佐太知伊奈婆。於久禮多流。阿禮也可奈之伎。多妣爾由久。伎美可母孤悲無。於毛布蘇良。夜須久安良禰婆。奈氣可久乎。等騰米毛可禰底。見和多勢婆。宇能婆奈夜麻乃。保等登藝須。禰能未之奈可由。安佐疑理能。美太流流許已呂。許登爾伊泥底。伊波婆由遊思美。刀奈美夜麻。多牟氣能可味爾。奴佐麻都里。安我許比能麻久。波之家夜之。吉美賀多太可乎。麻佐吉久毛。安里多母等保利。都奇多多婆。等伎毛可波佐受。奈泥之故我。波奈乃佐可里爾。阿比見之米等曾。
あをによし。ならをきはなれ。あまざかる。ひなにはあれど。わがせこを。みつつしをれば。おもひやる。こともありしを。おほきみの。みことかしこみ。をすくにの。こととりもちて。わかくさの。あゆひたづくり。むらとりの。あさだちいなば。おくれたる。あれやかなしき。たびにゆく。きみかもこひむ。おもふそら。やすくあらねば。なげかくを。とどめもかねて。みわたせば。うのはなやまの。ほととぎす。ねのみしなかゆ。あさぎりの。みだるるこころ。ことにいでて。いはばゆゆしみ。となみやま。たむけのかみに。ぬさまつり。あがこひのまく。はしけやし。きみがただかを。まさきくも。ありたもとほり。つきたたば。ときもかはさず。なでしこが。はなのさかりに。あひみしめとぞ。
 
オモヒヤルは物思ひを遣り失ふなり。ヲスクニノ、コトトリモチテは前の歌に言へるミコトモチと言ふに同じ意なり。アユヒ、足結なり。和名抄、行纒(※[草がんむり/囹]附)唐式云。諸府衙士人別(ニ)行纒一具。本朝式云、(318)脛巾(俗云波波支)新抄本草云、※[草がんむり/囹](領并反、和名以知比、今俗編v※[草がんむり/囹]爲2行纒1故附出)と有り。此類ひにて、草もてはばきを作れば若草ノアユヒとは言ふなり。イチヒは?《カラムシ》にて麻の類ひなり。それをもて足を包みて、末を亂し懸けたる物古畫に多し。今も田舍にていちひはばき用ふる所も有りとぞ。紀には脚帶をアユヒと訓めり。皇極紀歌に、阿庸比?豆矩梨《アヨヒタヅクリ》と有り。タヅクリは手して作れば言ふ由翁の説なり。ムラ鳥ノ、枕詞。君シコヒムは吾や悲しきに對へて、君が吾を戀ひんかと言ふなり。ナゲカクはナゲキを延べ轉じたるなり、ウキをウケクと言ふ類ひなり。卯ノ花山、地名に非ず、卯の花の咲きたる山を言ふ。朝霧ノミダルル心とは、山中の霧は波の如くむらむら流るるさまなる物故、亂ると言はん料に朝霧と言へり。イハバユユシミは、言に出でては中中に忌忌《ユユ》しとなり。トナミ山は和名抄、越中礪波郡あり、其處の山なり。タムケノカミ、和名抄、道神、唐韻云、※[示+易]、音觴(和名太無介乃加美)道上祭一云2道神1也。神代紀、投2其杖1是謂2岐《クナトノ》神1也。又投2其帶1是謂2長道磐《ナガチハノ》神1と有る類ひなり。ノマクはノムを延べ言ふなり。ノムは祈なり。タダカは既に言へり。君がただかをあひ見しめとぞ、と續く意なり。アリタモトホリは、在り在りて年月廻り來らばと言ふ意なり。トキモカハサズは、時も不v易《カヘズ》の意。アヒミシメトゾは相見せしめ給へとぞなり。上の吾コヒノマクと言ふへ返して見るべし。
 參考 ○見和多勢婆(新)ミワタ「シノ」。
 
4009 多麻保許能。美知能可未多知。麻比波勢牟。安賀於毛布伎美乎。奈都可之美勢余。
(319)たまぼこの。みちのかみたち。まひはせむ。あがおもふきみを。なつかしみせよ。
 
マヒは幣なり。ナツカシミは馴着《ナレツク》と言ふ意にて、親ましむと言ふに同じ。
 
4010 宇良故非之。和賀勢能伎美波。奈泥之故我。波奈爾毛我母奈。安佐奈佐奈見牟。
うらこひし。わがせのきみは。なでしこが。はなにもがもな。あさなさなみむ。
 
ウラコヒシキのキを略けり。
 
右大伴宿禰池主報贈(ル)和(ヘ)歌。(五月二日)
 
思2放逸鷹1夢(ニ)見(テ)感悦作歌一首并短歌
 
4011 大王乃。等保能美可度曾。美雪落。越登名爾於弊流。安麻射可流。比奈爾之安禮婆。山高美。河登保之呂思。野乎比呂美。久佐許曾之既吉。安由波之流。奈都能左加利等。之麻都等里。鵜養我登母波。由久加波乃。伎欲吉瀬其等爾。可賀里左之。奈豆左比能保流。露霜乃。安伎爾伊多禮婆。野毛佐波爾。等里須太家里等。麻須良乎能。登母伊射奈比底。多加波之母。安麻多安禮等母。矢形尾乃。安我(320)大黒爾。(大黒者蒼鷹之名也)之良奴里能。鈴登里都氣底。朝獵爾。伊保都登里多底。暮獵爾。知登理布美多底。於敷其等爾。由流須許等奈久。手放毛。乎知母可夜須伎。許禮乎於伎底。麻多波安里我多之。左奈良弊流。多可波奈家牟等。情爾波。於毛比保許里底。惠麻比都追。和多流安比太爾。多夫禮多流。之許都於吉奈乃。許等太爾母。吾爾波都氣受。等乃具母利。安米能布流日乎。等我理須等。名乃未乎能里底。三島野乎。曾我比爾見都追。二上。山登妣古要底。久母我久理。可氣理伊爾伎等。可弊理伎底。之波夫禮都具禮。呼久餘思乃。曾許爾奈家禮婆。伊敷須弊能。多騰伎乎之良爾。心爾波。火佐倍毛要都追。於母比孤悲。伊伎豆吉安麻利。氣太之久毛。安布許等安里也等。安之比奇能。乎底母許乃毛爾。等奈美波里。母利弊乎須惠底。知波夜夫流。神社爾。底流鏡。之都爾等里蘇倍。已比能美底。安我麻(321)都等吉爾。乎登賣良我。伊米爾都具良久。奈我古敷流。曾能保追多加波。麻都太要乃。波麻由伎具良之。都奈之等流。比美乃江過底。多古能之麻。等妣多毛登保里。安之我母能。須太久舊江爾。乎等都日毛。伎能敷母安里追。知加久安良婆。伊麻布都可太未。等保久安良婆。奈奴可乃乎知波。須疑米也母。伎奈牟和我勢故。禰毛許呂爾。奈孤悲曾余等曾。伊麻爾都氣都流。
おほきみの。とほのみかどぞ。みゆきふる。こしとなにおへる。あまざかる。ひなにしあれば。やまたかみ。かはとほしろし。のをひろみ。くさこそしげき。あゆはしる。なつのさかりと。しまつとり。うかひがともは。ゆくかはの。きよきせごとに。ががりさし。なづさひのぼる。つゆじもの。あきにいたれば。のもさはに。とりすだけりと。ますらをの。ともいざなひて。たかはしも。あまたあれども。やかたをの。あがおほぐろに。しらぬりの。すずとりつけて。あさがりに。いほつとりたて。ゆふがりに。ちどりふみたて。おふごとに。ゆるすことなく。たばなれも。をちもかやすき。これをおきて。またはありがたし。さならべる。たかはなけむと。こころには。おもひほこりて。ゑまひつつ。わたるあひだに。たぶれたる。しこつおきなの。ことだにも。われにはつげず。とのぐもり。あめのふるひを。とがりすと。なのみをのりて。みしまぬを。そがひにみつつ。ふたがみの。やまとびこえて。くもがくり。かけりいにきと。かへりきて。しはぶれつぐれ。をくよしの。そこになければ。いふすべの。たどきをしらに。こころには。ひさへもえつつ。おもひこひ。いきづきあまり。けだしくも。あふことありやと。あしびきの。をてもこのもに。となみはり。もりべをすゑて。ちはやぶる。かみのやしろに。てるかがみ。しづにとりそへ。こひのみて。あがまつときに。をとめらが。いめにつぐらく。ながこふる。そのほつたかは。まつだえの。はまゆきぐらし。つなしとる。ひみのえすぎて。たこのしま。とびたもとほり。あしがもの。すだくふるえに。をとつひも。きのふもありつ。ちかくあらば。いまふつかだみ。とほくあらば。なぬかのうちは。すぎめやも。きなむわがせこ。ねもころに。なこひそよとぞ。いまにつげつる。
 
遠ノミカドは卷三に筑紫をも詠めり、其外集中に多し。ミカド曾と言ひて、名ニオヘルと結べるか。然れども穩かならず。誤字有らん。猶考ふべし。島ツトリ、枕詞。ナヅサヒ、既に出づ。矢形尾、矢は借字にて屋形なるべし。屋の棟の如く、伊呂波假字のへの字の形せる斑文有るを言ふならんと翁は言はれき。白ヌリノ鈴は銀沙燒付けたるなるべし。五百ツ鳥、千鳥、共に數多きを言ふ。オフコトニは逐毎《オフコト》になり。ユルスコトナクは、放てば必ず捕ふるを言ふ。ヲチは何にまれ初めへ返る事に言ふ古語なり。郭公《ホトトギス》のをち返ると言ふも同じ。卷五、また乎知めやもと言へるに委しく言へり。カヤスキのカは發語。サナラベル(322)のサは發語にて、此大黒に並ぶべき鷹は無しと言ふなり。ワタルアヒダニは、月日を經渡る程になり。タブレは狂なり。續紀宣命に多き詞なり。シコツオキナは醜翁なり。ツは助辭。左註に言へる山田史君麻呂を指す。名ノミヲノリテの下、狩に出でたる由をば略きたり。三島野、地名。シハブレツグレは、老人の咳《シハブ》きながら告ぐるさまなり。告グレバと言ふべきを略くは例なり。呼久《ヲク》ヨシノ、春海云、紀に招をヲキと訓めり。ヲクヨシは招き呼ぶ事なりと言へり。卷十九、月立し日より乎伎《ヲキ》つつうちしぬびまてどきなかぬ郭公かも、是れも郭公を招くを言へり。拾遺集に、はし鷹のをき餌にせむと云云、是れも鷹を招《ヲク》餌《ヱ》なり。ヒサヘモエツツは、集中、思ひぞやくるなど言ふに同じ。ここより家持卿の自《ミヅカ》らの心を言ふ。ヲテモコノモは彼面此面なり。トナミは鳥網なり。モリベは守部なり。シヅニトリソヘは、倭文ヌサを言ふ。ヲトメラガ云云は。夢に何處とも無く處女の來り告ぐると見しなり。ホツタカは秀鷹にて、津は助辭なり。相撲の最手《ホテ》と言ふに同じ意なり。マツダ江、地名なり。ツナシ、和名抄、?(古乃之呂)此コノシロを遠江人はツナシと言へりとぞ、コノシロの一名なるべし。ヒミノ江、タコノ島、地名。トビタモトホリは飛廻なり。フル江、地名なり、下にも出づ。近クアラバ、イマフツカダミ、トホクアラバ、ナヌカノウチハ云云、卷十三、久にあらば今七日ばかり近くあらば今ふつかばかりあらむとぞ、と言へるに同じ詞なれば、此ダミはバカリと言ふ詞と聞ゆ。北國の人はバカリと言ふをダミと言ふ由或人言へり。春海は未は爾の誤かと言へり。元暦本未を米に作る。猶考ふべし。キナムワガセコは鷹の歸り來な(323)んとなり。伊麻の麻は米の誤なるべし。夢に告げつるなり。元暦本には麻を渡に作る。是れも誤れり。
 參考 ○等保能美可度曾(古、新)トホノミカド「等」ト ○越登名爾於弊流(新)コシト「布」フナニオヘル ○奈都能左加利等(新)ナツノサカリ「爾」ニ ○野毛佐波爾(新)野「弁」ベサハニ ○手放毛(考、新)略に同じ(古)タバナシモか(新)タバナシモの説を非とす ○乎知母可夜須伎(新)ヲチモ「曾」ゾヤスキ ○名乃未乎能里底(新)此次に脱句有るか ○之波夫禮都具禮(新)ミハブ「伎」キツグレ ○伊麻爾都氣都流(考、古、新)イ「米」メニツゲツル。
 
4012 矢形尾能。多加乎手爾須惠。美之麻野爾。可良奴日麻禰久。都奇曾倍爾家流。
やかたをの。たかをてにすゑ。みしまぬに。からぬひまねく。つきぞへにける。
 
カラヌ日マネクは、鷹の歸り來ぬ間|不v獵《カラヌ》日の多く月を經たるを言ふ。
 
4013 二上能。乎底母許能母爾。安美佐之底。安我麻都多可乎。伊米爾都氣追母。
ふたがみの。をてもこのもに。あみさして。あがまつたかを。いめにつげつも。
 
我が待つ鷹を夢に告げつるなり。モは添へたる詞。
 
4014 麻追我弊里。之比爾底安禮可母。佐夜麻太乃。乎治我其日爾。母等米安波受家牟。
まつがへり。しひにてあれかも。さやまだの。をぢがそのひに。もとめあはずけむ。
 
卷九、まつかへりしひにてあれやはみつぐりの云云、此卷九の歌一首解き難し。一二の句は全く同じけ(324)ればここに引けり。待つは却りて強事《シヒゴト》なるか。山田の翁が手放しつる日に求むれども鷹に逢はざりけんと言ふ意なるべし。サ山田は則ち君麻呂を言ふ。紀に老翁をヲヂと詠めり。
 
4015 情爾波。由流布許等奈久。須加能夜麻。須加奈久能未也。孤悲和多利奈牟。
こころには。ゆるぶことなく。すかのやま。すがなくのみや。こひわたりなむ。
 
ユルブコトナクはタユミナクなり。スカノ山は越中の地名なるべし。スガナクは無因所《ヨスガナク》の略語なるべし。
 
右射水郡古江(ノ)村(ニシテ)取2獲蒼鷹1。形容美麗。鷙v雉秀v群也。於v時|養吏《タカカヒ》山田(ノ)史君麻呂。調試失v節。野獵乖v候。摶v風之翅。【翅ヲ?ニ誤ル】高翔匿v雲。腐鼠之餌。呼留靡v驗。於是張設羅網1。窺2乎非常1。奉2幣神祇1。特2乎不虞1也。粤《ココニ》【粤ヲ奧ニ誤ル】以夢裏有2娘子1。喩曰使君勿d作2苦念1。空費2精【精ヲ情ニ誤ル】神1、放逸(セシ)彼鷹、獲得未v【未ヲ末ニ誤ル】幾矣哉。須叟覺寤。有v悦2於懐1。因作2却恨之歌1。式旌《アラハス》2感信1。守大伴宿禰家持([九月二十六日作也。)  鷙は殺也と物に註せり。調試は手ならし、又合せ試みるなり。摶風は莊子に據りたる語にて、いと高く飛ぶ事なり。腐鼠之餌は小鳥の好める物なれば、顧り見もせぬなり。是れも莊子に據れり。窺2乎非常1とは、常はさらぬ所までも網引き渡しなどして尋ね求むるなり。特は恃の誤か。不虞は思ひ懸けぬ意なれば、神に祈りなば、思ひ絶えたるにも、ふと歸り來る事も有らんかと頼む意有るなり。却恨は恨みを止《ヤ》むるなり。式旌2感信1は、さまざまに心を盡せし驗《シルシ》の有る事を、此歌もて記るし現はすなり。
 
(325)高市連黒人歌一首(年月未v審。)
 
4016 賣比能野能。須須吉於之奈倍。布流由伎爾。夜度加流家敷之。可奈之久於毛倍【倍ハ保ノ誤】遊。
めひのぬの。すすきおしなべ。ふるゆきに。やどかるけふし。かなしくおもほゆ。
 
メヒノ野は和名抄、越中婦負(禰比)と有り。婦をネとは訓むべからず、元《モト》メヒなりけんを誤れるなるべし。春海云、負は老女の事なれば、ねびたる女と言ふ義か。又青木敦書が郡名考に、婦負を當時官家に用ふる文書に姉負と書くと有り。是れに據れば禰比と稱《トナ》ふるは由有るか。於毛の下倍は保の誤なり。
 參考 ○於宅倍遊(代、古)略に同じ(考)オモヘユ(新)オモハユ。誤字とせず。
 
右傳2誦(ルハ)此謌1三國眞人五百國是也。  謌を今誦の字に誤れり。
 
4017 東風。([越俗語東風謂2之(ヲ)安由乃可是1也。)伊多久布久良之。奈呉乃安麻能。都利須流乎夫禰。許藝可久流見由。
あゆのかぜ。いたくふくらし。なごのあまの。つりするをぶね。こぎかくるみゆ。
 
ナゴは上に出づ。風を避けんとて、島などへ漕ぎ隱るるさまを見しなり。
 
4018 美奈刀可是。佐牟久布久良之。奈呉乃江爾。都麻欲比可波之。多豆左波爾奈久。
みなとかぜ。さむくふくらし。なごのえに。つまよびかはし。たづさはになく。
 
一云多豆|佐和久奈里《サワグナリ》。
 
4019 安麻射可流。比奈等毛之流久。許己太久母。之氣伎孤悲可毛。奈具流日毛奈久。
(326)あまざかる。ひなともしるく。ここだくも。しげきこひかも。なぐるひもなく。
 
ナグルは和《ナゴ》ムにて、慰む意なり。すべて都は愁無く、鄙は物悲しき事多き由にて斯く言ふならん。
 
4020 故之能宇美能。信濃(濱名也)乃波麻乎。由伎久良之。奈我伎波流比毛。和須禮底於毛倍也。
こしのうみの。しなぬのはまを。ゆきくらし。ながきはるびも。わすれておもへや。
 
京を忘れんや、忘れずと言ふなり。思へは添へたる詞なり。
 
右四首天平二十年春正月二十九日大伴宿禰家持。
 
礪波郡|雄神《ヲガミノ》河邊作歌一首  神名帳、越中國礪波郡雄神神社有り。
 
4021 乎加未河泊。久禮奈爲爾保布。乎等賣良之。葦附(水松之類)等流登。湍爾多多須良之。
をがみがは。くれなゐにほふ。をとめらし。あしつきとると。せにたたすらし。
 
アシツキは應神記御歌に、伽破摩多曳能比辭餓羅能佐辭鷄區辭羅珥《カハマタエノヒシガラノサシケクシラニ》と有るも、菱※[殻の左]に角有りて、刺す物なればなり。されば今も葦附は借字にて、足突きの意にて、ヒシガラを言ふなるべしと翁は言はれき。されど然か定めん證も無し。唯だ川に有りて、水松《ミル》に似たる物を言ふなるべし。
 
婦負郡渡2鵜坂《ウサカ》河邊1時作一首  神名帳、婦負郡?坂神社あり。邊は衍文か。
 
4022 宇佐可河泊。和多流瀬於保美。許乃安我馬乃。安我枳乃美豆爾。伎奴奴禮爾家里。
うさかがは。わたるせおほみ。このあがまの。あがきのみづに。きぬぬれにけり。
 
(327)コノアガマノは此我馬之なり。卷二、青馬の足掻を早みと詠めり。
 
見2潜鵜人1作歌一首
 
4023 賣比河波能。波夜伎瀬其等爾。可我里佐之。夜蘇登毛乃乎波。宇加波多知家里。
めひがはの。はやきせごとに。かがりさし。やそとものをは。うかはたちけり。
 
婦負郡の川なり。ウカハタチは其業するを言ふ。
 
新川郡渡2延槻《ハヒツキ》河1時作歌一首
 
4024 多知夜麻乃。由吉之久良之毛。波比都奇能。可波能和多理瀬。安夫美都加須毛。
たちやまの。ゆきしくらしも。はひつきの。かはのわたりせ。あぶみつかすも。
 
シクラシモは例の重重《シクシク》の意にては解き難し。宣長云、雪シのシは助辭にて、クラシモは消ユラシモなり。消ユルをクと云ふは珍しけれども、書記に居をウと訓む註も有り。又乾をフと訓む註も有れば、消も古言にはクと言へるなるべしと言へり。歌の意は雪消に水増さりて、乘れる馬の鐙に着くなり。ツカスはツクを延べ言ふ。
 參考 ○由吉之久良之毛(新)ユキ「ト」クラシモ「之」を誤とす。
 
赴2参氣太神宮1行2海邊1之時作歌一首  神名帳、能登國羽咋郡氣多神杜有り。比は多の誤か。又帳に誤字有るか。
 
(328)4025 之乎路可良。多太古要久禮婆。波久比能海。安佐奈藝思多理。船梶母我毛。
しをぢから。ただこえくれば。はくひのうみ。あさなぎしたり。ふねかぢもがも。
 
神名帳、羽咋郡志乎神社あり。シヲ路は其處なり。和名抄、能登勿咋郡羽咋郷あり。
 
能登郡從2香島津1發v船行(キ)於d射《サシテ》2熊來村1往(ク)時(ニ)作歌二首  拾穗本能の上過の字あり如何が。卷十六、自2肥前國松浦縣美禰良久崎1發v船直射2對馬1渡v海とも有り。和名抄、能登郡加島(加之万)熊來(久万岐)と有り。
 
4026 登夫佐多底。船木伎流等伊有【有ハ布ノ誤】。能登乃島山。今日見者。許太知之氣思物。伊久代神備曾。
とぶさたて。ふなぎきるといふ。のとのしまやま。けふみれば。こだちしげしも。いくよかみびぞ。
 
旋頭歌なり。トブサタテ、枕詞。カミビは神サビを略き言へり。有は布の誤なり。
 
4027 香島欲里。久麻吉乎左之底。許具布禰能。河治等流間奈久。京師之於母保由。
かしまより。くまきをさして。こぐふねの。かぢとるまなく。みやこしおもほゆ。
 
鳳至《フフシノ》郡渡2饒石《ニキシ》河1之時作歌一首  和名抄、能登國鳳至(不布志)と有り。鳳を今凰に誤る。
 
4028 伊母爾安波受。比左思久奈里奴。爾藝之河波。伎欲吉瀬其登爾。美奈宇良波倍底奈。
いもにあはず。ひさしくなりぬ。にきしがは。きよきせごとに。みなうらはへてな。
 
ミナウラは水之占《ミナウラ》なり。神武紀、天皇夢の訓《ヲシ》へのままに、天香山の埴をもて八十|平瓮《ヒラカ》天の手抉《タクジリ》八十枚(329)嚴瓮《イツベ》をつくりて、嚴瓮を以て丹生の川に沈めて占ひませし事有り。其類ひの占、古へ有りしなるべし。ウラハヘは|ウラヘ《占相》を延べたり。卷十四、むさし野にうらへ肩やき、とも詠めり。
 參考 ○美奈宇良波倍底奈(新)ミナウラ「安」アヘテナ。
 
從2珠洲郡1發(テ)v船還2太沼郡1之時。泊2長濱|灣《ウラニ》1仰2見(テ)月光1作歌一首  和名抄、珠洲(須須)太沼郡と言へる能登越中に無し、元暦本、太沼を治布に作る。治布と言へるも無し。契沖云、和名抄を考ふるに羽咋郡に太海郷あり。延槻河を渡りて羽咋郡の氣多大神宮に詣でて、能登郡より鳳至郡に至り、それより珠洲に至りて、又羽咋郡へ還らるるなるべし。然れば海郷二字を誤りて沼郡と成せるなるべしと言へり。長濱は和名抄、氣登郡長濱(奈加波万)と有り。仰を今作に誤る。元暦本、此作の字無し。
 
4029 珠洲能宇美爾。安佐比良伎之底。許藝久禮婆。奈我波麻能宇良爾。都奇底理爾家里。
すすのうみに。あさびらきして。こぎくれば。ながはまのうらに。つきてりにけり。
 
右件謌詞者。依2春出擧1。巡2行諸郡1當時《ソノカミ》所2屬目1作之。大伴宿禰家持。  雜令云、凡公私以2財物1出擧者云云と有り
 
怨2?晩哢1歌一首
 
4030 宇具比須波。伊麻波奈可牟等。可多麻底波。可須美多奈妣吉。都奇波倍爾都追。
うぐひすは。いまはなかむと。かたまてば。かすみたなびき。つきはへにつつ。
 
(330)カタマツは片心に待つにて、さて片待ツニの意なり。
 
造v酒歌一首
 
4031 奈加等美乃。敷刀能里等其等。伊比波良倍。安賀布伊能知毛。多我多米爾奈禮。
なかとみの。ふとのりとごと。いひはらへ。あがふいのちも。たがためになれ。
 
古へ神に奉る酒は齋《イハ》ひて瓶に釀《カ》みて、其瓶ながら奉ると見ゆ、神代紀大諄辭以云2布斗能理斗《フトノリト》1と有り。神祇令に、中臣宣2祝詞1とにる義解に、謂宣者布也。祝者賛辭也云云。式。凡祭祀祝詞者。御殿細門等祭齋部氏祝詞。以外諸祭中臣民祝詞とあり。アガフは酒を贖物《アガモノ》にして壽を祈るなり。誰爲ニナレとは、指す人有りて詠めりと見ゆ。ナレは汝なり。云云も誰が爲めぞ、汝が爲めにこそ有れと言ふ意にて、其人に對ひて詠めるなり。
 參考 ○多我多米雨奈禮(古)「爾」は「可」の誤か(新)タガタメニ「等可」トカ。
 
右大伴宿禰家持作v之。
 
萬葉集 卷第十七 終
 
大正十五年六月十五日印刷
大正十五年七月 十日發行    [非賣品]
 
日本古典全集第一回
萬葉集略解 第七
編集者  與謝野  寛
同    正 宗 敦 夫
同    與 謝 野 晶 子
装幀圖案者 廣川松五郎
  東京府北豐島郡長崎村一六二
發行者  長島豐太郎
  東京府北豐島郡長崎村一六二
印刷所  新樹製版印刷所
印刷者  高瀬清吉
發行所
  東京府北豐島郡長崎村一六二
         日本古典全集刊行會
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(12)〔目次省略〕
(1)萬葉集 卷第十八
 
天平二十年春三月二十三日、左大臣橘家之使者造酒司令史田邊|福《サチ》麻呂(ヲ)、饗2于守大伴宿禰家持舘1。爰新歌并使(ノ)誦(ル)古詠。
 
續紀天平十一年四月、正六位上田邊史難波と言ふ人見ゆ。福麻呂も此親族か。雄略紀田邊史伯孫と言ふも見えたり、遠つ祖なるべし。橘家目録に橘卿に作る。元暦本、于の下、時の字有り。拾穗本、新歌の上、作の字有り。元暦本、井の下、使を便に作る。
 
各述2心緒1  今本右の標より書き續けたり、是れは題なれば離ち書くべし。
 
4032 奈呉乃宇美爾。布禰之麻志可勢。於伎爾伊泥?。奈美多知久夜等。見底可敝利許牟。
なごのうみに。ふねしましかせ。おきにいでて。なみたちくやと。みてかへりこむ。
 
奈呉は越中。上に出づ。舟暫し借せなり。
 參考 ○奈呉乃宇美爾(新)ナコノウミノ「爾」を「乃」の誤とす。
 
4033 奈美多底波。奈呉能宇良末爾。余流可比乃。末奈伎孤悲爾曾。等之波倍爾家流。
なみたてば。なごのうらまに。よるかひの。まなきこひにぞ。としはへにける。
 
上は間無キと言はん序なり。
(2) 參考 ○宇良末(新、古)ウラ「未」ミ。
 
4034 奈呉能宇美爾。之保能波夜悲波。安佐里之爾。伊泥牟等多豆波。伊麻曾奈久奈流。
なごのうみに。しほのはやひば。あさりしに。いでむとたづは。いまぞなくなる。
 
干潟に成りなば、鶴の求食せんとて鳴くよとなり。
 
4035 保等登藝須。伊等布登伎奈之。安夜賣具左。加豆良爾勢武日。許由奈伎和多禮。
ほととぎす。いとふときなし。あやめぐさ。かづらにせむひ。こゆなきわたれ。
 
此歌卷十に既に出でたり。そこに註しつ。此年三月末に四月の節に入りけん。
 
右四首田邊史福麻呂。
 
于v時期之。明日將v遊2覽布勢水海1。仍述v懷各作歌  和名抄、越中射水郡|布西《フセ》と見ゆ。宣長云、期之の之は云の誤なるべしと言へり。
 
4036 伊可爾世流。布勢能宇良曾毛。許己太久爾。吉民我彌世武等。和禮乎等登牟流。
いかにせる。ふせのうらぞも。ここだくに。きみがみせむと。われをとどむる。
 
イカニセルはイカニシタルなり。伊可爾の下、世を元暦本、安に作る。イカニアルはイカナルにて 如何ばかり面白き布勢の浦にて有ればぞと言ふなり。何れにても有るべし。
 參考 ○伊可爾世流(古)イカニセル、又はイカニ「安」アル(新)イカニ「安」アル。
 
(3)右一首田邊史福麻呂。
 
4037 乎敷乃佐吉。許藝多母等保里。比禰毛須爾。美等母安久倍伎。宇良爾安良奈久爾。をふのさき。こぎたもとほり。ひねもすに。みともあくべき。うらにあらなくに。
 
卷十七、乎布のさき花ちりまがひと詠めり。見トモは見ルトモなり。右の答なり。
 
一云、伎美我等波須母《キミガトハスモ》。   二の句なり。右の歌にイカニセルと詠めるを以て斯く言へり。
 
右一首守大作宿禰家持。
 
4038 多麻久之氣。伊都之可安氣牟。布勢能宇美能。宇良乎由伎都追。多麻母比利波牟。
たまくしげ。いつしかあけむ。ふせのうみの。うらをゆきつつ。たまもひりはむ。
 
玉クシゲは明けんと言はん用なり。ヒリハムは拾ハムなり。
 
4039 於等能未爾。伎吉底目爾見奴。布勢能宇良乎。見受波能保良自。等之波倍奴等母。
おとのみに。ききてめにみぬ。ふせのうらを。みずはのぼらじ。としはへぬとも。
 
ノボラジは京へ上らじなり。
 
4040 布勢能宇良乎。由吉底之見弖波。毛母之綺能。於保美夜比等爾。可多利都藝底牟。
ふせのうらを。ゆきてしみてば。ももしきの。おほみやびとに。かたりつぎてむ。
 
波を元暦本、婆に作るぞ善き。ミテバは見テアアラバなり。
 
(4)4041 宇梅能波奈。佐伎知流曾能爾。和禮由可牟。伎美我都可比乎。可多麻知我底良。
うめのはな。さきちるそのに。われゆかむ。きみがつかひを。かたまちがてら。
 
卷十に、全く同じくて載りたる古歌なるを、福麻呂時に合へるをもて誦したるか。今の心は福麻呂の旅館へ家持卿の使の來んを待ちがてら、梅の花見んと言ふに取れり。
 
4042 敷治奈美能。佐伎由久見禮婆。保等登藝須。奈久倍吉登伎爾。知可豆伎爾家里。
ふぢなみの。さきゆくみれば。ほととぎす。なくべきときに。ちかづきにけり。
 
右五首田邊史福麻呂。
 
4043 安須能比能。敷勢能宇良末能。布治奈美爾。氣太之伎奈可須。知良之底牟可母。
あすのひの。ふせのうらまの。ふぢなみに。けだしきなかず。ちらしてむかも。
 
一本のホトトギスと有るぞ善き。元暦本、伎奈可須の須を受に作る、不來鳴なり。霍公鳥の鳴かぬ間に藤花の散らんかと惜むなり。
 
一頭云。保等登藝須。
 
右一首大伴宿禰家持和v之。
 
前件八首歌者二十四日宴作v之。  今本十首とあり。目録に依りて改む。
 
二十五日往2布勢水海1道中馬上口號二首  目録に大伴家持作とす。ここに脱せり。
 
(5)4044 波萬部余里。和我宇知由可波。宇美邊欲里。牟可倍母許奴可。安麻能都里夫禰。
はまべより。わがうちゆかば。うみべより。むかへもこぬか。あまのつりぶね。
 
ウチユカバは、馬に乘りて行く事に多く言へり。ムカヘモコヌカは、ムカヘモ來レカシと願ふ詞。
 
4045 於伎敝欲里。美知久流之保能。伊也麻之爾。安我毛布支見我。彌不根可母加禮。
おきべより。みちくるしほの。いやましに。あがもふきみが。みふねかもかれ。
 
一二の句は、イヤマシニと言はん序なり。キミは福麻呂を指す。彼《カレ》は吾が思ふ君が舟かもと言ふを斯く言へり。卷四、あしべよりみちくるしほのいやましに云云。
 
至2水海遊覽之時1各述v懷作歌  今本、至水邊と有り。元暦本再目録に水海と有るを以て改む。目録に作歌六首と有り。
 
4046 可牟佐夫流。多流比女能佐吉。許支米具利。見禮登毛安可受。伊加爾和禮世牟。
かむさぶる。たるひめのさき。こぎめぐり。みれどもあかず。いかにわれせむ。
 
タルヒメノ崎、布勢の湖の内の名と見ゆ。卷十九に、垂姫にふぢなみ咲てとも詠めり。見れども飽かぬあまりに、吾れ如何がはせんと思ふなり。
 
右一首田邊史福麻呂。
 
4047 多流比賣野。宇良乎許藝都追。介敷乃日婆。多奴之久安曾敝。移比都伎爾勢牟。
(6)たるひめの。うらをこぎつつ。けふのひは。たぬしくあそべ。いひつぎにせむ。
 
野は假字にて之の意なり。イヒツギニセムは、後の言ヒ傳ヘニセンニとなり。日の下、婆一本波に作る。
 
右一首遊行女婦|土師《ハニシ》。
 
4048 多流比女能。宇良乎許具不【不ヲ夫ニ誤ル】禰。可治末爾母。奈良野和藝敝乎。和須禮底於毛倍也。
たるひめの。うらをこぐふね。かぢまにも。ならのわぎへを。わすれておもへや。
 
夫禰と今本に有るは誤なり。元暦本に依りて改めつ。夫は濁音にのみ用ふればなり。カヂマは?使ふ間にて、ひま無き譬へに取る。暫も奈良の我家を忘れんやとなり。思へは添へたる詞のみ。
 
右一首大伴家持。  宿禰の字を脱せり。
 
4049 於呂可爾曾。和禮波於母比之。乎不乃宇良能。安利蘇野米具利。見禮度安可須介利。
おろかにぞ。われはおもひし。をふのうらの。ありそのめぐり。みれどあかずけり。
 
今までは疎《オロソ》かに思ひしとなり。
 
右一首田邊史福麻呂。
 
4050 米豆良之伎。吉美我伎麻佐波。奈家等伊比之。夜麻保登等藝須。奈爾加伎奈可奴。
めづらしき。きみがきまさば。なけといひし。やまほととぎす。なにかきなかぬ。
 
霍公鳥に仰せ置きつるさまに言ひなしたり。波、一本婆に作る。
 
(7)右一首掾久米朝臣廣繩。
 
4051 多胡乃佐伎。許能久禮之氣爾。保登等藝須。伎奈伎等余米婆。波【波婆ト有ルハ誤】太古非米夜母。
たこのさき。このくれしげに。ほととぎす。きなきとよめば。はたこひめやも。
 
婆波、今本誤りて下上にせり。元暦本に據りて改む。コノクレシゲは、木闇繁なり。トヨメバは、令響者なり。コヒメヤモは、霍公鳥を指して言ふ。
 參考 ○許能久禮之氣爾(古)略に同じ(新)コノクレシケ「彌」ミ。
 
右一首大伴宿禰家持。
 
前件十五首歌者二十三日作之。  十五首は誤にて八首か。又は歌の脱ちたるか。
 
掾久米朝臣廣繩之舘(ニ)饗2田邊史福麻呂1宴歌四首
 
4052 保登等藝須。伊麻奈可受之弖。安須古要牟。夜麻爾奈久等母。之流思安良米夜母。
ほととぎす。いまなかずして。あすこえむ。やまになくとも。しるしあらめやも。
 
今日の宴席に聞かずして、明日山路に鳴くとも、我が獨り聞かば甲斐無からんとなり。
 
右一首田邊史福麻呂。
 
4053 許能久禮爾。奈里奴流母能乎。保等登藝須。奈爾加伎奈可奴。伎美爾安敝流等吉。
このくれに。なりぬるものを。ほととぎす。なにかきなかぬ。きみにあへるとき。
 
(8)三月の末にて早や若葉茂れるなり。
 
右一首久米朝臣廣繩。
 
4054 保等登藝須。許欲奈枳和多禮。登毛之備乎。都久欲爾奈蘇倍。曾能可氣母見牟。
ほととぎす。こよなきわたれ。ともしびを。つくよになぞへ。そのかげもみむ。
 
コヨはココと同じ。從v此の意。闇夜なれば燈を月夜になぞらへて、其の霍公鳥の影を見んとなり。
 
4055 可敝流末能。美知由可牟日波。伊都波多野。佐可爾蘇泥布禮。和禮乎事於毛波婆。
かへるまの。みちゆかむひは。いつはたの。さかにそでふれ。われをしおもはば。
 
仙覺云、越中より越前の國へ越ゆるに二の道あり。イツハタゴエは海津に出で、キノメゴエは敦賀の津へ出づるなり。キノメゴエは、殊に峻《サカ》しき道なりと言へり。カヘルマは歸る路の程と言ふ事とも聞ゆれど、神名帳、越前敦賀郡加比留神社、又|鹿蒜《カヒルノ》神社ありて、かへる山も其處《ソコ》なるべく覺ゆれば、此可敝流は地名にて、マの詞は浦ま磯まなどのマと同じかるべし。イツハタは、敦賀郡|五幡《イツハタ》神社と帳に見ゆ。佐加は坂なり。後の歌にかへる山、いつはた詠み合せたる多し。事は此下にもいける思留事安里とも書きたれば、清音にも用ひしなり。
 參考 ○可敝流末能(古)カヘル「未」ミノ(新)カヘルヤマノ「末」の上に「夜」を補ふ。
 
右二首大伴宿禰家持。
 
(9)前件歌者二十六日作之。
 
太上皇御2在於難波宮1之時歌七首 ([清足姫天皇也) 後に元正天皇と申す〔九字□で囲む〕
 
左大臣橘宿禰歌一首
 
4056 保里江爾波。多麻之可麻之乎。大皇【皇ノ下乎ハ之ノ誤】乎。美敷禰許我牟登。可年弖之里勢婆。
ほりえには。たましかましを。おほきみの。みふねこがむと。かねてしりせば。
 
ホリ江は攝津、皇の下、乎は之の誤なり。
 
御製歌一首(和)  元正天皇の御答へ歌なり。和の字は後人の加へしならん。
 
4057 多萬之賀受。伎美我久伊弖伊布。保里江爾波。多麻之伎美弖弖。都藝弖可欲波牟。
たましかず。きみがくいていふ。ほりえには。たましきみてて。つぎてかよはむ。
 
君とは橘卿を指し給へり。玉しかましをと悔いて言ふ堀江に、玉を數きて、繼繼《ツギツギ》みゆきし給はんと答へさせ給へるなり。
 
或云|多麻古伎之伎弖《タマコキシキテ》。  コキは、カキと言ふに等しく、詞なり。
 
右二【二ヲ一ニ誤ル】首件歌者。御船泝v江遊宴之日左大臣奏并御製。  二首を今本一首に誤れり。
 
御製歌一首
 
4058 多知婆奈能。登乎能【乎能ハ能之ノ誤】多知波奈。夜都代爾母。安禮波和須禮自。許乃多知婆奈乎。
(10)たちばなの。とののたちばな。やつよにも。あれはわすれじ。このたちばなを。
 
次下の歌に登能乃たちばなと有れば、ここも登乎能は、登能之と有りしを誤れるなるべし。橘卿の殿の庭の橘なれば、斯く詠ませ給へるなり。ヤツ代は彌代にて、ツは助辭なり。ワレハワスレジ云云は、諸兄卿のいそしきを忘れ給はじと宣ひて、彼の卿に寄せ給へるなり。
 參考 ○登乎能(考)ト「之」ノノ(古、新)ト「乃」ノとす。
 
河内《カハチノ》女王歌一首  續紀天平十一年四月、從四位下より從四位上を授くと有るより、かたがたに見ゆ。高市皇子の御女なり。
 
4059 多知婆奈能。之多泥流爾波爾。等能多弖天。佐可彌豆伎伊麻須。和我於保伎美可母。
たちばなの。したてるにはに。とのたてて。さかみづきいます。わがおほきみかも。
 
シタテルは、橘の子《ミ》の色付きて庭に映るを言へり。卷十九、春の苑紅にほふ桃の花下照道に出立をとめとも詠めり。次下の比多テルとは異なり。宣長説に、シタテルは冠辭考に、秋山(ノ)舌日下《シタヒガシタ》と有るを、シタヒは紅葉の由言はれし如く、シタは赤く照る事なりと言へり。卷六、春べはいはほには山下ひかり錦なすと、言へる歌に既にも言ひつ。サカミヅキは、此末にも引ける續紀宣命に、海行波|内久屍《ミツクカバネ》と有る、ミヅクは水漬にて、やがて沈む事なり。されば沈醉の義たるべし。此下に、左加美都伎あそびなぐれと、卷十九、酒見附《サカミヅキ》榮ゆるけふのなども言へり。神名帳、造酒司坐神六坐云云、酒彌豆男神酒彌豆女神(11)と言へる神號は、今とは別の事なるべし。
 
粟田女王歌一首  續紀天平十一年正月、從四位下より從四位上を授くと見え、其の後かたがたに見ゆ。今本一首の字脱せり。目録に據りて補ふ。
 
4060 都奇麻知弖。伊敝爾波由可牟。和我佐世流。安加良多知婆奈。可氣爾見要都追。
つきまちて。いへにはゆかむ。わがさせる。あからたちばな。かげにみえつつ。
 
我ガサセルは挿頭なり。アカラは、橘の子《ミ》の赤く色付けるを言ふ。月影に照らば興有らんと思へば、月待ちて我家には歸らんと言ふなり。結句詞足はぬやうなれど、影に見えつつをかしからんと言ふを、斯く言ひ殘せる如くなるも古歌には有り。
 
右件歌者。在2於左大臣橘卿之宅肆宴1御歌并奏歌也。  御の下製の字を脱せり。
 
4061 保里江欲里。水乎妣吉之都追。美布禰左須。之津乎能登母波。加波能瀬麻宇勢。
ほりえより。みをびきしつつ。みふねさす。しづをのともは。かはのせまうせ。
 
ミヲビキは、水脈をみち引き行くなり。卷十五、みぬめをさして潮待ちてみをびきゆけばと有り。シヅヲノトモは下男之伴にて、賤者を言ふ。マウセは、河瀬をよく仕へ奉れと言ふ意なり。天の下申すなどの申と同じ意なり。
 
4062 奈都乃欲波。美知多豆多都之。布禰爾能里。可波乃瀬其等爾。佐乎左指能保禮。
(12)なつのよは。みちたづたづし。ふねにのり。かはのせごとに。さをさしのぼれ。
 
五月闇なる故に心せよと言ふ意なり。
 
右件歌者。御船以2綱手1泝v江遊宴之日作也。傳誦之人田邊史福麻呂是也。
 
後追2和橘歌1二首
 
4063 等許余物能。己能多知婆奈能。伊夜?里爾。和期大皇波。伊麻毛見流其登。
とこよもの。このたちばなの。いやてりに。わごおほきみは。いまもみるごと。
 
トコヨモノ、枕詞。天皇は橘の子の色の彌照る如くにして、今見奉る如く、末久しくましませと言ふなり。橘卿の殿におはします時、祝ひ奉るに依りて、橘を以て稱《タタ》へたり。
 
4064 大皇波。等吉波爾麻佐牟。多知婆奈能。等能乃多知婆奈。比多底里爾之?。
おほきみは。ときはにまさむ。たちばなの。とののたちばな。ひたてりにして。
 
橘卿の殿の橘と言ふなり。ヒタはヒタスラなど言ふヒタにて、常と言ふ意なり。此二首は、前の河内女王の歌に追ひて和へしなり。
 
右二首大伴宿禰家持作v之。
 
射水郡驛館之屋柱(ニ)題著《カキツクル》歌一首
 
4065 安佐妣良伎。伊里江許具奈流。可治能於登乃。都波良都婆良爾。吾家之於母保由。
(13)あさびらき。いりえこぐなる。かぢのおとの。つばらつばらに。わぎへしおもほゆ。
 
かぢを使ふに、水の鳴る音をもて言ひ續けたり。ツバラツバラは、卷五、淺茅原|曲曲《ツバラツバラ》と詠める如く、ツマビラカを略ける詞にて、切にこまかに古郷を思ふ意なり。上の都波の波は婆の誤なり。
 
右一首山上臣作不v審v名。或云。憶良大夫之男。但其|正《マサシキ》名未v詳也。
 
四月一日掾久米朝臣廣繩之舘宴歌四首
 
4066 宇能花能。佐久都奇多知奴。保等登藝須。伎奈吉等與米余。敷布美【美ヲ里ニ誤ル】多里登母。
うのはなの。さくつきたちぬ。ほととぎす。きなきとよめよ。ふふみたりとも。
 
今本、敷布里と有るは誤なり。一本に依りて改めつ。卯花は猶咲かねどもの意なり。
 參考 ○敷布里(代、考)フフリ(古、新)略に同じ。
 
右一首守大伴宿禰家持作之。
 
4067 敷多我美能。夜麻爾許母禮流。保等登藝須。伊麻母奈加奴香。伎美爾妓可勢牟。
ふたがみの。やまにこもれる。ほととぎす。いまもなかぬか。きみにきかせむ。
 
卷十九、二上のをのへの繁《シジ》に許毛爾之波ほととぎすまてどいまだきなかずとも詠めり。右の許毛爾の爾は里の誤なるべし。妓、一本伎に作る。
 
右一首遊行女婦土師作v之。
 
(14)4068 乎里安加之。許余比波能麻牟。保等登藝須。安氣牟安之多波。奈伎和多良牟曾。
をりあかし。こよひはのまむ。ほととぎす。あけむしたは。なきわたらむぞ。
 
ヲリアカシは、居明シなり。明けん朝は郭公の鳴くべければ、夜もすがら酒飲みつつ待たんとなり。
 
二日應2立夏節1。故謂2之明旦將1v喧也。
 
右一首守大伴宿禰家持作v之。
 
4069 安須欲里波。都藝弖伎許要牟。保登等藝須。比登欲能可良爾。古非和多流加母。
あすよりは。つぎてきこえむ。ほととぎす。ひとよのからに。こひわたるかも。
 
右の註に言へる如く明日立夏なればなり。神代紀一夜間をヒトヨノカラニと訓めり。
 
右一首|羽咋《ハクヒ》郡擬主帳能登臣【帳ヲ張、臣ヲ巨ニ誤ル】乙美《オトミ》作。
 
職員令に、大郡主帳三人掌d受v事上抄勘2署文案1?2出稽失1讀u2申公文1云云。ここに擬と言へるは、文章生の擬生の如くなるべし。臣を今巨に誤る。古本に依りて改む。能登臣は古事記垂仁條、齊明紀、續紀卷八などに見えたる姓なり。
 
詠2庭中|牛麥《ナデシコノ》花1一首
 
契沖云、一切經音義第十二に、瞿此謂云v牛と有り。是れにつぎて瞿麥を今牛麥と書けるを思ふに、瞿麥の瞿は梵語なりと知られたり。牛を梵語に瞿と言ふ。或は遇の字を用ふ。瞿も梵語には濁音に用ひたり云云。目録に歌一首と有り。ここに歌の字を脱せり。
 
(15)4070 比登母等能。奈泥之故宇惠之。曾能許己呂。多禮爾見世牟等。於母比曾米家牟。
ひともとの。なでしこうゑし。そのこころ。たれにみせむと。おもひそめけむ。
 
其の見せんと思ひし僧の京へ行けば、撫子のいたづらになるを惜むなり。
 
右先國師(ノ)從僧清見可v入2京師1。因設2飲饌1饗宴。于時主人大伴宿禰家持作2此哥詞1。送2酒(ヲ)清見1也。  送は贈と通用。
 
4071 之奈射可流。故之能吉美能等。可久之許曾。楊奈疑可豆良枳。多努之久安蘇婆米。
しなさかる。こしのきみのと。かくしこそ。やなぎかづらき。たぬしくあそばめ。
 
吉美能の能は、崇むる詞なり。集中例多し。元暦本、吉美良と有り。カヅラキは、かづらする事を斯く約め言へり。此下にもあやめ草よもぎ可豆良伎と有り。
 參考 ○吉美能等(新)キミ「良」ラト。
 
右郡司已下子弟已上諸人多集2此會1。因守大伴宿禰家持作2此歌1也。  弟、今茅に誤れり、元暦本に據りて改む。
 
4072 奴波多麻能。欲和多流都奇乎。伊久欲布等。余美都追伊毛波。和禮麻都良牟曾。
ぬばたまの。よわたるつきを。いくよふと。よみつついもは。われまつらむぞ。
 
奴の下、波元暦本、婆に作るぞ善き。ヨミツツは、カゾヘツツなり。
(16) 參考 ○和禮麻都(新)ワ「備」ビマツ。
 
右此夕月光遲流。和風稍扇。即因v屬v目聊作2此歌也。
 
越前國掾大伴宿禰池主來贈歌三首
 
以2今月十四日1。到2來深見(ノ)村(ニ)1望2拜彼(ノ)北方(ヲ)1。常念2芳コ1。何日能|休《ヤマン》。兼以2隣近(ナルヲ)1。忽増v戀。加以《シカノミナラズ》先書云。暮春可v惜。促《チヂメテ》v膝未v期。生別悲|兮《カナ》。夫(レ)復何言(ン)。臨v紙悽斷。奉?不備。 彼北方と言へるは越中府は越前の北方に當ればなり。
 
三月十五日大伴宿禰池主。
 
一 古人云  これは古歌の時に適《カナ》へるを書きて贈れるなり。
 
4073 都奇見禮婆。於奈自久爾奈里。夜麻許曾波。伎美我安多里乎。敝太弖多里家禮。
つきみれば。おなじくになり。やまこそは。きみがあたりを。へだてたりけれ。
 
卷十一、人麻呂家集の歌に、月見れば國は同じぞ山へだてうつくし妹はへだてたるかも、此歌を少し引直したるやうなり。
 
一 屬v物發v思
 
4074 櫻花。今曾盛等。雖人云。我佐不之毛。伎美止之不在者。
さくらばな。いまぞさかりと。ひとはいへど。われはさぶしも。きみとしあらねば。
 
(17)是れは池主の歌なり。卷四、山のはに味村さわぎ行なれどわれはさぶしえ君にしあらねば、我の字の下波を脱せるか。
 
一 所心耳  拾穗本耳を歌に作るぞ善き。
 
4075 安必意毛波受。安流良牟伎美乎。安夜思苦毛。奈氣伎和多流香。比登能等布麻泥。
あひおもはず。あるらむきみを。あやしくも。なげきわたるか。ひとのとふまで。
 
彼よりは思はぬものを、何ぞや人の咎むるばかり、怪しきまで歎き渡るかと言ふ。男女相聞の樣《サマ》に詠めるなり。
 
越中國守大伴家持報贈歌四首  大伴の下宿禰の字を脱せり。
 
一 答古人云
 
4076 安之比奇能。夜麻波奈久毛我。都奇見禮婆。於奈自伎佐刀乎。許己呂敝太底都。
あしびきの。やまはなくもが。つきみれば。おなじきさとを。こころへだてつ。
 
是れは古歌に有らず、家持卿の歌なり。ナクモガのガは願ふ詞。逢ふ事無ければ戀しく思ふ心を、山の隔てて通はしめぬ山なり。
 
一 答2屬v目發1v思。兼詠2云遷任(スル)舊宅西北(ノ)隅(ノ)櫻樹1  上に屬物と有れば、目は物の誤かとも思へど次下にも斯く有り。池主越中の任なりし時の家の櫻なり。(18)今池主は越前に在り。家持卿は越中に在り。故に斯く言へり。
 
4077 和我勢故我。布流伎可吉都能。佐具良波奈。伊麻太敷布賣利。比等目見爾許禰。
わがせこが。ふるきかきつの。さくらばな。いまだふふめり。ひとめみにこね。
 
セコは池主を指す。カキツは垣内《カキツ》なり。具は濁音、倶は清音に用ひたれば、ここは倶の誤れるなるべし。
 
一 答2所心1。即以2古人之跡1代2今日之意1  古歌を以て答ふるなり。
 
4078 故敷等伊布波。衣毛名豆氣多理。伊布須敝能。多豆伎母奈吉波。安我未奈里家利。
こふといふは。えもなづけたり。いふすべの。たづきもなきは。あがみなりけり。
 
エモ名ヅケタリは、淺くも名づけたりなり。エナラズのエと同じ。然らざれば下に叶はず。是れも男女相聞の古歌を借り用ひたるか。
 
一 更矚v目
 
4079 美之麻野爾。可須美多奈妣伎。之可須我爾。伎乃敷毛家布毛。由伎波敷里都追。
みしまぬに。かすみたなびき。しかすがに。きのふもけふも。ゆきはふりつつ。
 
和名抄、射水郡三島(美之万)北國なれば三月なかば猶雪降れるなるべし。上に櫻の含める由、詠まれしをも思ふべし。
 
三月十六日  是れは上に附くべし。
 
姑大伴氏坂上郎女來2贈越中守大伴宿禰家持1歌二首
 
4080 都禰比等能。故布登伊敷欲利波。安麻里爾弖。和禮波之奴倍久。奈里爾多良受也。
つねびとの。こふといふよりは。あまりにて。われはしぬべく。なりにたらずや。
 
ナリニタラズヤは、ナリニテアラズヤと言ふにて、死ぬべく成りたりと言ふなり。古今集、戀しとはたが名づけけんことならん死ぬとぞただに言ふべかりけると、詠めるも似たり。
 
4081 可多於毛比遠。宇萬爾布都麻爾。於保世母天。故事部爾夜良波。比登加多波牟可母。
かたおもひを。うまにふつまに。おほせもて。こしへにやらば。ひとかだはむかも。
 
フツマは太馬なり。平家物語などに、ふとくたくましき馬と言へる是れなり。カダハムは後撰集、山風の花の香かどふふもとには春の霞ぞほだしなりけると詠めるカドフに同じく。今カドハスなど言ふ如く、掠め盗む事なり。重き荷を馬に負せやらば、盗人が取るべきと戯るるなり。
 參考 ○比登加多波牟可母(古)略に同じ(新)ヒトカハムカモ「多」を衍とす。
 
越中守大伴宿禰家持報歌并所心三首  目録に報歌二首、又所心一首と有り。ここは下に別所心と擧げたれば、報歌二首として、并以下の五字削り去るべし。
 
4082 安萬射可流。比奈能都夜故爾。安米比度之。可久古非須良波。伊家流思留事安里。
(20)あまざかる。ひなのみやこに。あめびとの。かくこひすらば。いけるしるしあり。
 
都は美の誤か。ヒナノミヤコとは國府を言ふべし。遠ノミカトなど言ふに意同じと翁は言はれき。元暦本に能の字無くて、ヒナツミヤコニと假字付けたり。誤字有るべし。アメビトは皇都の人を指す。左傳周の國の人を天人と言へるなどを思はれしなるべし。さて鄙《ヒナ》ノ都ヲと心得べし。妹ニ戀フと言ふも、妹を戀ふる意なればなり。カクコヒスラバは、如是戀スルナラバと言ふを略けるなり。又宣長云、大平が説に、都夜故は夜都故《ヤツコ》を誤れるなりと言へり。實《マコト》に然るべし。國府をミヤコと言ふべき由無し。遠の朝廷と意ふとは事のさま變れりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○比奈能都夜故爾(考)ヒナノミヤコニ(古、新)ヒナノヤツコニ「都夜」を「夜都」とす ○可久古非須良波(代、考)略に同じ(古)カクコヒ「勢列」セレハ(新)カクコヒスラ「久」ク。
 
4083 都禰乃孤悲。伊麻太夜麻奴爾。美夜古欲里。宇麻爾古非許婆。爾奈比安倍牟可母。
つねのこひ。いまだやまぬに。みやこより、うまにこひこば。になひあへむかも。
 
我が常戀ふる心の止む時無き上に、太馬に負ほせ來らば、荷ひ堪へじと言ふなり。
 參考 ○宇麻爾古非許婆(新)ウマニ「ツミ」コバ「古非」を誤とす。
 
別所心一首
 
4084 安可登吉爾。名能里奈久奈流。保登等藝須。伊夜米豆良之久。於毛保由流香母。
(21)あかときに。なのりなくなる。ほととぎす。いやめづらしく。おもほゆるかも。
 
上は其時のさまをもて、珍しと言はん序とせり。即ち女の贈れる歌を愛で喜ぶ意なり。
 
右四日附v使贈2上京師1。  四日は四月の誤なるべし。
 
天平感寶元年五月五日饗2東大寺之占【占ヲ古ニ誤ル】墾地使僧平榮等1 于守大伴宿禰家持送2酒(ヲ)僧(ニ)1歌一首  聖式紀感寶を改めて勝寶と爲る由見ゆ。占、今本古と有るは誤なり。目録に據りて改む。此僧越中の墾田の事に下りたるを饗せしなるべし。
 
4085 夜伎多知乎。刀奈美能勢伎爾。安須欲里波。毛利敝夜里蘇倍。伎美乎等登米牟。
やきだちを。となみのせきに。あすよりは。もりべやりそへ。きみをとどめむ。
 
ヤキダチヲ、枕詞。礪波《トナミ》は越中。モリベヤリソヘは、守部遣り副へなり。
 
同月九日諸僚(ヲ)會2少目秦伊美吉|石竹《イハタケ》之舘1飲宴。於時主人造2百合花縵三枚1、疊2置豆器1、捧2贈賓客1。各賦2此縵1作三首
 
續紀寶字三年十月、天下諸姓云云。伊美吉を換るに忌寸を以てすと有り。豆器は高ツキを斯く書けるか、又爼豆の意か。大平云、歌に二首まで燈の事を詠めれば、豆は燈かと言へり。考ふべし。枚、元暦本枝に作る。作の字の下歌の字を脱せり。
 
(22)4086 安夫良火能。比可里爾見由流。和我可豆良。佐由利能波奈能。惠麻波之伎香母。
あぶらひの。ひかりにみゆる。わがかづら。さゆりのはなの。ゑまはしきかも。
 
アブラヒは燈火なり。我ガカツラと言へるは、おのおの花かづらせれば斯く言へり。卷七、道のべの草深ゆりの花ゑみにゑませしからにつまと言ふべしやと詠める如く、花の咲きたるをヱムと言へば、花よりヱマハシキと言ひ下したり。
 
右一首守大伴宿禰家持。
 
4087 等毛之火能。比可里爾見由流。佐由理婆奈。由利毛安波牟等。於母比曾米弖伎。
ともしびの。ひかりにみゆる。さゆりばな。ゆりもあはむと。おもひそめてき。
 
ユリモアハムは、卷八、わぎも子がいへのかきつのさゆり花ゆりといへればよそへぬににる、後ニと言ふ事をユリと言へる事、集中に多し。かねてより此會集を戀ひたりしとなり。此次下の長歌にも、同じ續けざまの句あり。
 
右一首介内藏伊美吉|繩《ナハ》麻呂。
 
4088 左由理婆奈。由里毛安波牟等。於毛倍許曾。伊末能麻左可母。宇流波之美須禮。
さゆりばな。ゆりもあはむと。おもへこそ。いまのまさかも。うるはしみすれ。
 
右の歌の和なり。オモヘバコソのバを略くは例なり。ウルハシは神代紀、善友をウルハシと訓めり。ウ(23)ラグハシの約言なり。心は後も逢はんと思へばこそ、今よく斯く美はしみすれとなり。元暦本、由理の下、波を婆に作る。
 
右一首大伴宿禰家持 和。
 
獨居2幄裏1遙聞2霍公鳥喧1作歌一首并短歌
 
4089 高御座。安麻乃日繼登。須賣呂伎能。可未能美許登能。伎己之乎須。久爾能麻保良爾。山乎之毛。佐波爾於保美等。百鳥能。來居弖奈久許惠。春佐禮婆。伎吉乃可奈之母。伊豆禮乎可。和枳弖之努波無。宇能花乃。佐久月多弖婆。米都良之久。鳴保等登藝須。安夜女具佐。珠奴久麻泥爾。比流久良之。欲和多之伎氣騰。伎久其等爾。許己呂豆【豆ハ宇ノ誤】呉枳弖。宇知奈氣伎。安波禮能登里等。伊波奴登枳奈思。
たかみくら。あまのひつぎと。すめろぎの。かみのみことの。きこしをす。くにのまほらに。やまをしも。さはにおほみと。ももとりの。きゐてなくこゑ。はるされば。ききのかなしも。いづれをか。わきてしぬばむ。うのはなの。さくつきたてば。めづらしく。なくほととぎす。あやめぐさ。たまぬくまでに。ひるくらし。よわたしきけど。きくごとに。こころうごきて。うちなげき。あはれのとりと。いはぬときなし。
 
高御クラは、内匠寮式凡毎年元正前一日宮人率2木工長上雜工等1、装2飾大極殿高御座1。註に蓋作2八角1。(24)角別上立2小鳳像1。下縣以2玉幡1。毎v面縣2一鏡1。三面當頂著2大鏡一面1。蓋上立2大鳳像1。ハ鳳像九隻、鏡二十五面云云。是れは即位朝賀蕃客拜朝等の時飾事なり。されば其高御座におはしますを以て斯くは續けたり。卷三に、高くらの三笠の山と詠めるも是れに同じ。冠辭考に委し。キコシヲスはキコシメスに同じ。此句までは唯だ天皇の知しめす事を言ふ。マホラは紀に奧區と書けり。今もナカと訓めるはひがことなり。此事既に言ひつ。是れより越中の國の事を言ふ。サハニオホミト、サハ則ち多き事なるを重ね言へり。百鳥は鳥の數多きを言ふ。千鳥ともいほつ鳥とも言へる類ひなり。カナシモは愛づる詞。ヒルクラシヨワタシは、日ぐらし夜もすがらなり。豆は宇の字の誤、ココロウゴキテと有るべし。アハレは面白きなり。卷九、かきくらし雨のふる夜をほととぎす鳴て行なりあはれ其鳥。
 
反歌
 
4090 由具敝奈久。安里和多流登毛。保等登藝須。奈枳之和多良婆。可久夜思努波牟。
ゆくへなく。ありわたるとも。ほととぎす。なきしわたらば。かくやしぬばむ。
 
郭公は鳴きて行方知らぬ物なり。たとひ然《サ》は有りとも、聲絶えず有らば、斯くやしのばんとなり。具は倶の誤か。
 
4091 宇能花能。開爾之奈氣婆。保等得藝須。伊夜米豆良之毛。名能里奈久奈倍。
うのはなの。さくにしなけば。ほととぎす。いやめづらしも。なのりなくなへ。
 
(25)開、元暦本登聞に作る。トモニシナケバと假字附けたり。開の方《カタ》勝《マサ》るべし。ナヘは並なり。卯花の開くと共に鳴く故、斯く言へり。
 參考 ○開爾之(新)「登聞」トモニシ。
 
4092 保登等藝須。伊登禰多家口波。橘乃。播奈治流等吉爾。伎奈吉登余牟流。
ほととぎす。いとねたけくは。たちばなの。はなちるときに。きなきとよむる。
 
橘の散るを惜む頃鳴きて、聞く人に物思はするが妬きとなり。神代紀、慷慨をネタシと訓む。治の濁音を書けるは如何が、知の誤か。
 
右四首十日大伴宿禰家持作v之。
 
行2英遠《アヲノ》浦1之日作歌一首
 
4093 安乎能宇良爾。餘須流之良奈美。伊夜末之爾。多知之伎與世久。安由乎伊多美可聞。
あをのうらに。よするしらなみ。いやましに。たちしきよせく。あゆをいたみかも。
 
アヲノ浦、ここにのみ出でたり。越中とは著《シル》し。タチシキヨセクは、浪の起重寄來なり。アユは東風を言ふ。卷十七に自註有り。
 
右一首大伴宿禰家持作v之。
 
賀2陸奧國(ヨリ)出v金 詔書1歌一首并短歌
 
(26)續紀聖武天皇天平廿一年丁巳。陸奧國始貢2黄金1云云。同年四月甲午朔。天皇幸2東大寺1御2盧舍那佛像前殿1云云。勅遣2左大臣橘宿禰諸兄1白v佛。三寶仕奉天皇羅我命2盧舍那像太前1奉賜部止。此大倭國者。天地開闢以來。黄金人國用理獻言登毛。斯地者無物部流仁聞看食國中東方。陸奧國守從五位上百濟王敬福。部内少田郡黄金在奏?獻。此聞食驚云云と有る、詔書の事を云ふ。猶長歌の註に委く言へり。
 
4094 葦原能。美豆保國乎。安麻久太利。之良志賣之家流。須賣呂伎能。神乃美許等能。御代可佐禰。天乃日嗣等。之良志久流。伎美能御代御代。之伎麻世流。四方國爾波。山河乎。比呂美安都美等。多弖麻都流。御調寶波。可蘇倍衣受。都久之毛可禰都。之加禮騰母。吾大王乃。毛呂比登乎。伊射奈比多麻比。善事乎。波自米多麻比弖。久我禰可毛。多能之氣久安良牟登。於母保之弖。之多奈夜麻須爾。鷄鳴。東國乃。美知能久乃。小田在山爾。金有等。麻宇之多麻敝(27)禮。御心乎。安吉良米多麻比。天地乃。神安比宇豆奈比。皇御祖乃。御靈多須氣弖。遠代爾。可可里之許登乎。朕御世爾。安良波之弖安禮婆。御食國波。左可延牟物能等。可牟奈我良。於毛保之賣之弖。毛能乃布能。八十伴雄乎。麻都呂倍乃。牟氣乃麻爾麻爾。老人毛。女童兒毛。之我願。心太良比爾。撫賜。治【治ヲ冶ニ誤ル】賜婆。許己乎之母。安夜爾多敷刀美。宇禮之家久。伊余與於母比弖。
あしはらの。みづほぐにを。あまくだり。しらしめしける。すめろきの。かみのみことの。みよかさね。あまのひつぎと。しらしくる。きみのみよみよ。しきませる。よものくにには。やまかはを。ひろみあつみと。たてまつる。みつきだからは。かぞへえず。つくしもかねつ。しかれども。わがおほきみの。もろびとを。いざなひたまひ。よきことを。はじめたまひて。くがねかも。たのしけくあらむと。おもほして。したなやますに。とりがなく。あづまのくにの。みちのくの。をだなるやまに。くがねありと。まうしたまへれ。みこころを。あきらめたまひ。あめつちの。かみあひうづなひ。すめろぎの。みたまたすけて。とほきよに。かかりしことを。わがみよに。あらはしてあれば。みおすぐには。さかえむものと。かむながら。おもほしめして。もののふの。やそとものをを。まつろへの。むけのまにまに。おいびとも。めのわらはこも。しがねがふ。こころだらひに。なでたまひ。をさめたまへば。ここをしも。あやにたふとみ。うれしけく。いよよおもひて。
 
ミヅホ國は、稚稚《ミヅミヅ》しき稻の穗もて稱《タタ》へ言ふ御國號なり。保の下乃を脱せるか、又は短句にても有るべし。アマクダリ云云は、先づ皇孫瓊瓊杵尊を申し奉りて、さて君ノ御代御代と言ふまで次次の天皇を指し奉れり。山河ヲヒロミアツミト云云は、山と河となればカの詞清むべし。廣ミは河を言ひ、厚ミは山を言ふ。御調寶は、貢せる寶物を言ふ。タの詞濁るべし。善事ヲ始メタマヒテは、諸の善き事を爲し始め給へるなり。クガネはコガネなり。諸の善事の中にも、黄金を得ば、國民樂しからんと思食《オボシメ》してと言ふ(28)なり。シタナヤマスは、御心の中に念ひ惱みますなり。小田ナル山、陸奧國小田郡の山なり。神名帳、小田郡黄金山神社有り。マウシタマヘレは奏したればなり。タマヘレバのバを略く例なり。タマフの詞は上へ對して敬ふにも、自らの上にも、古く言ふ詞なり。御心ヲ明ラメタマヒは、下|惱《ナヤ》み給ひし御心を晴けますなり。アヒウヅナヒは右の詔書にも、天座神地坐神相宇豆奈比奉云云と有り。諾《ウベ》ナフと言ふも同じ。皇御祖ノ御タマタスケテは、先き先き天皇の御靈の助け幸《サキハ》へ給ふを言ふ。上の須賣呂伎ノ神ノ美許等ノと言ふと同じければ、ここの皇御祖もスメロギと訓むべし。遠代ニ可可里之コトヲ、二の可の字の内、上の可は奈の誤なるべし。ナカリシコトヲと無くては解き難し。元暦本に一の可の字無し、是れは奈を脱せるならん。御食國波、元暦本御の字無き方調べととのへり。神ナガラは、其時の天皇を指し申し奉る。マツロヘノムケノマニマニは、治メ給フママニと言ふ意なり。卷三、不奉仕をマツロハズと訓めり。そこに委し。シガは己《オノレ》がなり。心ダラヒは、心|足《タリ》を延べ言ふなり。ココヲシモは、是レヲにて、シモは助辭なり。アヤは賞《メデ》嘆く詞。ここは斯く治め給ふままに、老たるも童子《ワラハベ》も、皆歡び尊むを言ひて、其次の段は、我が遠つ祖よりの事を言ひて大御惠を畏むなり。
 參考 ○美豆穗國乎(古)ミヅホノクニヲ(新)「保」の下「乃」脱とす ○神乃美許等能(新)カミノミコト「欲」ヨ ○多能之氣久云云(古)「多能之」は「等毛之」の誤か(新)此處に誤脱有りとし、クガネカモ、スクナクアラム、ソヲエテバ、タノシクアラムト、なりしならむ ○麻宇之多(29)麻敝禮(新)マウシ「弖」テマ「都」ツレ ○皇御祖乃(代、考)スメミオヤノ(古、新)略に同じ ○可可里之許登乎(代、考)カカリシコトヲ(乎、新)略に同じ ○御食國波(考)ミヲスクニハ(古、新)ヲスクニハ ○女童兒毛(代、新)ヲミナワラハモ(古)略に同じ ○之我願(考)シガネガヒ(古、新)略に同じ
 
大伴乃。遠都神祖乃。其名乎婆。大來目主登。於比母知弖。都加倍之官。海行者。美都久屍。山行者。草牟須屍。大皇乃。敝爾許曾死米。可弊里見波。勢自等許等太【太ヲ大ニ誤ル】弖。大夫乃。伎欲吉彼名乎。伊爾之敝欲。伊麻乃乎追通爾。奈我佐敝流。於夜乃子等毛曾。大伴等。佐伯氏者。人祖乃。立流辭立。人子者。祖名不絶。大君爾。麻都呂布物能等。伊比都雅流。許等能都可左曾。梓弓。手爾等里母知弖。劔大刀。許之爾等里波伎。安佐麻毛利。由布能麻毛利爾。大王能。三門乃麻毛利。和禮乎於吉弖。比等波安良自(30)等。伊夜多弖。於毛比之麻左流。大皇乃。御言能左吉乃。(一云乎) 聞者貴美。
おほともの。とほつかむおやの。そのなをば。おはくめぬしと。おひもちて。つかへしつかさ。うみゆかば。みづくかばね。やまゆかば。くさむすかばね。おほきみの。へにこそしなめ。かへりみは。せじとことだて。ますらをの。きよきそのなを。いにしへよ。いまのをつつに。ながさへる。おやのこどもぞ。おほともと。さへきのうぢは。ひとのおやの。たつることだて。ひとのこは。おやのなたたず。おほきみに。まつろふものと。いひつげる。ことのつかさぞ。あづさゆみ。てにとりもちて。つるぎたち。こしにとりはき。あさまもり。ゆふのまもりに。おほきみの。みかどのまもり。われをおきて。またひとはあらじと。いやたて。おもひしまさる。おほきみの。みことのさきの。きけばたふとみ。
 
大伴の遠つ神祖は神代紀一書に、高皇産靈尊以2眞床覆衾1裹2天津彦國光彦火瓊瓊杵尊1。則引2開天磐戸1。排2天八重雲1。以奉v降之。于時大伴連遠祖天忍日命。帥2來目部遠祖天|?《クシ》津大來目1。背負2天磐靱1。臂著2稜威(ノ)高鞆1。手捉2天?弓天羽羽矢1。及副2持八目鳴鏑1又帶2頭槌劔1。而立2天孫之前1遊行。降來到2於日向襲之高千穗?日二上峰天浮橋1云云と有り。大來目主と言へるは、大來目は來目部にて、それを主る故に斯く言へり。海行バ云云は、右の天平の詔書に、汝多知乃止母乃云來。海行美内久屍。山行草牟須屍。王爾去曾。能杼爾波不v死。云來人等止奈母聞召云云と言ふを其ままに取れり。ミヅクは水漬なり。大キミノヘは皇の邊なり。許等の下太を大に誤りたれば改めつ。イニシヘヨは古へよりなり。イマノヲツツは今の現なり。卷十七にも、いにしへゆ今の乎郡豆爾と詠めり。ナガサヘルは所流にて、末流と言ふ意なり。大伴ト佐伯ノ氏ハ云云、續紀天平寶字元年七月詔に、又大伴佐伯宿禰等自2遠天皇御世1。内爲而仕奉。又大伴宿禰等吾族爾母在。諸同心爲而。皇朝助仕奉云云など見え 姓氏録に、大伴宿禰(ハ)高皇産靈尊五世孫天押日命之後也。(中略)雄略天皇御世以2天靱負1賜2大連公1。奏曰衛門開闔之務於v職已重。若2一身1難v堪。坐與2愚兒1語相伴。奉v衛2左右1。依v勅奏。(31)是大伴佐伯二氏掌2左右開闔1之縁也。佐伯宿禰(ハ)大伴宿禰(ト)同v祖。道臣命七世孫室屋大連公之後と有り。人ノオヤノタツルコト立云云は、惣ての人を差して、遠祖のこと立てしままにして、祖の名を不v斷仕奉れと、言繼言教ふべき氏ぞと言ふなり。仁コ紀御歌、うまびとの多菟?虚等太?《タツルコトダテ》とも有り。大來目主と名に負へるより斯くは言へり。朝マモリ夕ノマモリ云云は、右に引ける如く、兩氏の常に衛る由なり。イヤタテは、上にコトダテと言ふを受く、?の下?の字脱ちたるかと契沖言へり。さも有るべし。オモヒシマサルは、彌増しに思ふなり。御言ノサキは、御言ノ幸《サキ》なり。かの詔書に、大伴佐伯云云|一二《ツバラニ》治賜と有る、是れ大伴を幸《サキ》はへ給ふなり。一書の乎と有る方よし。キケバ貴ミは、上の思しまさるの句へ返る意なり。
 參考 ○且比等波安良自等(新)「且」を衍としヒトハアラジト ○等伊夜多弖(代、考)略に同じ(古)トイヤタテ(新)イヤタ「家久」ケク ○御言能左吉乃(新)、ミコトノサマヲ「吉乃」を「右乎」とす。
 
一云。貴|久之安禮婆《クシアレバ》。  斯くては御コトノサキと有る方、詞の續き善し。
 
反歌三首
 
4095 丈夫能。許己呂於毛保由。於保伎美能。美許登能佐吉乎。 (一云能)聞者多布刀美。
ますらをの。こころおもほゆ。おほきみの。みことのさきを。きけばたふとみ。
(32) 參考 ○美許登能佐吉能(新)ミコトノママヲ「吉」を「右」の誤とす。
 
一云。貴久之安禮婆。  是れもサキノとあらば、斯からずしては叶はず。
 
4096 大伴能。等保追可牟於夜能。於久都奇波。之流久之米多底。比等能之流倍久。
おほともの、とほつかむおやの。おくつきは。しるくしめたて。ひとのしるべく。
 
シメタテは標立てなり。其れといちじるく人の知るばかりに、標立てよと言ふなり。シメタテと言ひて、シメタテヨと言ふ意になる事古言の例なり。シメタテムと言ふとは異なり。
 
4097 須賣呂伎能。御代佐可延牟等。阿頭麻奈流。美知乃久夜麻爾。金花佐久。
すめろぎの。みよさかえむと。あづまなる。みちのくやまに。くがねはなさく。
 
ミチノク山は陸奧の山と言ふにて、小田郡の山を言へり。山にくさぐさの花咲くになぞらへて、金の出でたるを花咲くと言ひなせり。長歌に、久我禰と書きたればここもクガネと訓めり。
 參考 ○金(古、新)クガネ。
 
天平感寶元年五月十二日。於2越中國守舘1大伴宿禰家持作v之。
 
爲d幸2行芳野離宮1u之時儲作歌一首并短歌
 
4098 多可美久良。安麻乃日嗣等。天下。志良之賣師家類。須賣呂伎乃。可未能美許等能。可之古久母。(33)波自米多麻比弖。多不刀久母。左太米多麻敝流。美與之努能。許乃於保美夜爾。安里我欲比。賣之多麻布良之。毛能乃敷能。夜蘇等母能乎毛。於能我於敝流。於能我名負名負。【名負而ノ誤カ】大王乃。麻氣能麻久麻久。此河能。多由流許等奈久。此山能。伊夜都藝都藝爾。可久之許曾。都可倍麻都良米。伊夜等保奈我爾。
たかみくら。あまのひつぎと。あめのした。しらしめしける。すめろぎの。かみのみことの。かしこくも。はじめたまひて。たふとくも。さだめたまへる。みよしぬの、このおほみやに。ありがよひ。めしたまふらし。もののふの。やそとものをも。おのがおへる。おのがなおひて。おほきみの。まけのまくまく。このかはの。たゆることなく。このやまの。いやつぎつぎに。かくしこそ。つかへまつらめ。いやとほながに。
 
高ミクラ天ノ日ツギ、上に出づ。ハジメタマヒテ云云は、齊明紀、二年吉野宮を造ると有る是れなり。アリガヨヒは其繼繼の天皇の幸《ミユキ》し給へるを言ふ。メシタマフは見サセ給フなり。卷一、食國を賣之たまはむとと有るも同じ。この良之の詞は。卷二、問賜良之。卷二十、つぎてめす良志など有ると同じく、集中一つの格にて、常のラシの意と異なり。オノガ名負名負は、宣長云、名負弖と有りしを斯く誤れるならん。先祖より負へる家の職を負ひてと言ふなりと言へり。マケノ麻久麻久は、マカセマカセを約め言ふか。まかせ玉へる其任任に隨ひ、河の不v絶如く、山の續ける如く、遠長く仕へんとなり。又は麻久の久は尓の誤か。マケノマニマニとは多く言へり。
(34) 參考 ○許乃於保美夜爾(新)コノオホミヤヲ「爾」を「乎」の誤とす ○於能我名負名負(代)オノガナオヒナオヒ(考)オノガナニナニ(古)オノガナナオヒ 上の「負」を衍とす(新)「於夜能」オヤノナナオヒ「負」字を衍とする事は(古)に同じ ○麻氣能麻久麻久(考、古、新)マケノマニマニ「麻爾麻爾」の誤とす。
 
反歌
 
4099 伊爾之敝乎。於母保須良之母。和期於保伎美。余思努乃美夜乎。安里我欲比賣須。
いにしへを。おもほすらしも。わがおほきみ、よしぬのみやを。ありがよひめす。
 
メスは見させ給ふを言ふ。
 
4100 物能乃布能。夜蘇氏人毛。與之努河波。多由流許等奈久。都可倍追通見牟。
もののふの。やそうぢびとも。よしぬがは。たゆることなく。つかへつつみむ。
 
此川の如く、絶ゆる事無く御供に仕へ奉り見んとなり。此見ムと有るにても、上のメスは見給ふ事と知らる。
 
爲v贈2京家1願2眞珠1歌一首并短歌  眞珠、紀にシラタマと訓む。
 
4101 珠洲乃安麻能。於伎都美可未爾。伊和多利弖。可都伎等流登伊布。安波妣多麻。伊保知毛我母。波之吉餘(35)之。都麻乃美許登能。許呂毛泥乃。和可禮之等吉欲。奴婆玉乃。夜床加多古【古ハ左ノ誤】里。安佐禰我美。可伎母氣頭良受。伊泥?許之。月日余美都追。奈氣久良牟。心奈具佐余【余ハ尓ノ誤】。保登等藝須。伎奈久五月能。安夜女具佐。波奈多知婆奈爾。奴吉麻自倍。可頭良爾世餘等。都追美?夜良牟。
すすのあまの。おきつみかみに。いわたりて。かづきとるといふ。あはびだま。いほちもがも。はしきよし。つまのみことの。ころもでの。わかれしときよ。ぬばたまの。よどこかたさり。あさねがみ。かきもけづらず。いでてこし。つきひよみつつ。なげくらむ。こころなぐさに。ほととぎす。きなくさつきの。あやめぐさ。はなたちばなに。ぬきまじへ。かづらにせよと。つつみてやらむ。
 
珠洲は能登なり。オキツミ神に、此下にも、わたつみのおきつみやべに立わたり、卷七に、わたつみの神が手わたるなども言ひて、海を則ち海神として詠めり。イ渡りのイは發語。イホチモガモは五百千か。又はチは續紀の歌に、百餘をモモチマリとも言へば、添へたる語にて、唯だ五百と言ふか。トキヨは時ユに同じく時よりなり。夜床加多古里、古は左の誤なるべき由契沖言へり。さも有るべし。共寢せねば妻の片寄りて獨り臥すを片去《カタサリ》と言ふなり。卷四、敷たへの枕片去、卷十三、夜床片去とも詠めり。アサネガミカキモケヅラズは、妻が有樣を言ふ。心ナグサ余、此余は尓の誤なるべし。元暦本、余を波に作れれど、爾と無くては惡るし。
 
4102 白玉乎。都都美?夜良波。安夜女具佐。波奈多知婆奈爾。安倍母奴久我禰。
しらたまを。つつみてやらば。あやめぐさ。はなたちばなに。あへもぬくがね。
 
(36)契沖云、ヤラバの波は、もし那の字などを書き替へたるか。然《サ》らではアヘモヌクガネと言ひては、をさまらぬなりと言へり。さも有るべし。アヘモは合セモの意、ガネは後をかね言ふ詞にて既に出づ。シラタマは則ちあわびを言ふ。
 參考 ○都都美?夜良波(考)ツツミテヤラハ(古、新)ツツミテヤラナ。
 
4103 於伎都之麻。伊由伎和多里弖。可豆具知布。安波妣多麻母我。都都美弖夜良牟。
おきつしま。いゆきわたりて。かづくちふ。あはびたまもが。つつみてやらむ。
 
アハビ玉モガのガはガモにて、願ふ詞。具は倶の誤か。
 
4104 和伎母故我。許己呂奈具左爾。夜良無多米。於伎都之麻奈流。之良多麻母我毛。
わぎもこが。こころなぐさに。やらむため。おきつしまなる。しらたまもがも。
 
4105 思良多麻能。伊保都都度比乎。手爾牟須妣。於許世牟安麻波。牟賀思久母安流香。
しらたまの。いほつつどひを。てにむすび。おこせむあまは。むかしくもあるか。
 
イホツツドヒは、神代紀の五百箇御統《イホツミスマル》と言ふに同じ。卷十七、しら玉のいほつつどひをときも見ずとも詠めり。玉の緒とも言ふより、手ニ結ビとは言へり。ムカシクは向はまほしきにて、愛づる意なり。心よからぬに背向《ソガヒ》と言ふとうらうへなり。古事記、向津媛《ムカツヒメ》のみ名も、此言より出でたり。
 
一云。我家牟伎波母。  是れは訓むべきやう無し。誤字有るべし。
(37) 參考 ○一云(新)ワガウムギセモ「家」及「波」を誤字とす。
 
右五月十四日。大伴宿禰家持依興作。
 
教2喩史生尾張少咋1歌一首并短歌
 
七出例(ニ)云(ク)  戸令に言はく、凡弃v妻須v2七出之?1。一無v子。二婬※[さんずい+失]。三不v事2舅姑1。四口舌。五盗竊。六妬忌。七惡疾。皆夫手書弃v之云云。
 
但(シ)犯2一條(ヲ)1即|合《ベシ》v出v之。無2七出1。輙(チ)棄(ル)者徒一年半。三不去(ニ)云(フ)。
 
云の上例の字有るべし。戸令に雖v有2弃?1有2三不去1。一經2持舅姑之喪1。二娶時賤後貴。三有v所v受無v所v歸云云。
 
雖v犯2七出(ヲ)1。不v合v棄v之。違者杖一百。唯犯v?惡疾得v棄v之。
 
兩妻例云。有v妻更娶者徒一年。女家杖一百離v之。
 
詔書云。愍2賜義夫節婦1。
 
謹案先件數條(ハ)建法之基。化道之源也。然則義夫之道。情存v無v別。一家同財。豈有2忘v舊愛v新之志1哉。所以綴2作數行之歌1。令v悔2舊棄v之惑1。其詞曰。
 
4106 於保奈牟知。須久奈比古奈野。神代欲里。伊比都藝家良之。父母乎。見波多布刀久。妻子見波。(38)可奈之久米具之。宇都世美能。余乃許等和利止。可久佐末爾。伊比家流物能乎。世人能。多都流許等太【太ヲ大ニ誤ル】弖。知左能花。佐家流沙加利爾。波之吉余之。曾能都末能古等。安沙余比爾。惠美美惠末須毛。宇知奈氣伎。可多里家末久波。等己之部爾。可久之母安良米也。天地能。可未許等余勢天。春花能。佐可里裳安良多之家牟。等吉能沙加利曾。波【波ハ放ノ誤】居弖。奈介可須移母我。何時可毛。都可比能許牟等。末多須良无。心左夫之苦。南吹。雪消益【益ハ溢ノ誤】而。射水河。流水沫能。余留弊奈美。左夫流其兒爾。比毛能緒能。移都我利安比弖。爾保騰里能。布多理雙坐。那呉能宇美能。於支乎布可米天。左度波世流。支美我許己呂能。須敝母須弊奈佐。
おほなむち。すくなひこなの。かみよより。いひつぎけらし。ちちははを。みればたふとく。めこみれば。かなしくめぐし。うつせみの。よのことわりと。かくざまに。いひけるものを。よのひとの。たつることだて。ちさのはな。さけるさかりに。はしきよし。そのつまのこと。あさよひに。ゑみみゑゑますも。うちなげき。かたりけまくは。とこしへに。かくしもあらめや。あめつちの。かみことよせて。はるばなの。さかりも     。ときのさかりぞ。さかりゐて。なげかすいもが。いつしかも。つかひのこむと。またすらむ。こころさぶしく。みなみふき。ゆきげはふりて。いみづがは。ながるみなわの。よるべなみ。さぶるそのこに。ひものをの。いつがりあひて。にほどりの。ふたりならびゐ。なごのうみの。おきをふかめて。さどはせる。きみがこころの。すべもすべなさ。
 
言2佐夫流1者、遊行女婦之字也。
 
(39)大ナムヂスクナヒコナノ云云、卷三卷六卷七にも出でて既に言へり。父母ヲ云云、卷五、父母を見ればたふとしめこみればめぐしうつくし世の中はかくぞことわり。卷十五、世の中の常のことわりかくざまになど言へるに同じ。宣長云、家良之の之は久の誤なりと言へり。ケラクと言はざれば下への續き善からず。ヨノ人ノ立ツルコトダテ、上に大伴と佐伯の氏は、人の祖の立つる辭立とも詠めり。チサノ花は、卷七、寄v木、いきのをに思へるわれを山ちさの花にか君がうつろひぬらむと詠めり。其所に委しく言へり。ソノツマノ子は、古郷の妻を言ふ。ヱミミヱマズモは、ヱミモシヱマズモアリテと言ふなり。降りみ降らずみのミの言の如し。カタリケマクハ、カタリケムハと言ふなり。トコシヘニ云云、いつも斯く賤くては有らじとなり。次にサカリモアラムと言ふに對へて見るべし。春花ノサカリモ安良多之、宣長云、佐可里|裳安良牟等末多之家牟《モアラムトマタシケム》トキノサカリヲと有りしが、牟等末の三字脱ちたるなり。盛もあらんとかねて待《マタ》しけん、今その盛なりと言ふなり。曾は乎の誤なるべしと言へり。是れ然るべし。波居弖の波は放の誤なるべし。サカリヰテと無くては叶はず。心サブシクは、妻の心寂しくてをるを言ふなり。末のスベモスベナサと言ふへ懸かれり。雪消の下益は溢の誤なり。此下に.射水河消|溢而《ハフリテ》と詠めり。南吹以下三句はヨルベナミと言はん序なり。旅にて寄るべも無きままに、遊行女婦に馴れそめしと言ふなり。翁の説にサブル其子は、ウラサブル兒と言ふ意か。註に、女婦之字と言へるは誤ならんと言はれき。されど註を誤とせん證も無ければ、暫く註に依るべし。イツガリのイは發語にて、ツガリ(40)はツナガリの略なるべし。卷九、豐國のかはるはわぎへ紐の兒に伊都我里《イツガリ》おればとも詠めり。ヒモノヲはツガルと言はん料なり。サドハセルは迷ハセルなり。サとマと通ひ言へる例多し。スベモスベナサは言はんかた無しと言ふ意なり。
 參考 ○伊比都藝家良之(考)イヒツギケラシ(古、新)イヒツギケラ「久」ク ○佐家流沙加利(新)此次に若干句脱有り ○惠末須毛(新)ヱマズ「美」ミ ○佐可里裳云云(代、古、新)サカリモアラムトマタシケム「安良牟等末多之」とす(考)佐伎乃左可里裳安多良之家牟《サキノサカリモアタラシケム》 ○沙加利曾(考)トキノサカリゾ(古、新)トキノサカリ「乎」ヲ ○波居弖(代)波奈禮居弖《ハナレヰテ》(考、古、新)略に同じ ○雪消益而(考)ユキゲニマシテ(古、新)略に同じ ○流水沫能(考、新)略に同じ(古)「浮」ウカブミナワノ。
 
反歌三首
 
4107 安乎爾與之。奈良爾安流伊毛我。多可多可爾。麻都良牟許己呂。之可爾波安良司可。
あおによし。ならにあるいもが。たかたかに。まつらむこころ。しかにはあらじか。
 
少咋が古郷の妻の遙かに待つらんなり。末は然《サ》は思はずやと、少咋に示す意を籠めたり。司は自の誤かと宣長言へり。
 參考 ○安良司可(新)「司」を「自」の誤とす。
 
(41)4108 左刀妣等能。見流目波豆可之。左夫流兒爾。佐度波須伎美我。美夜泥之理夫利。
さとびとの。みるめはづかし。さぶるこに。さどはすきみが。みやでしりぶり。
 
キミは少咋を指す。ミヤデは、卷二、宮出もするかさひのくまわをと詠めり。シリブリは後《ウシ》ロブリにて後にウシロデと言へるが如し。さて、宮出と言ふべき由無し。宣長は、美は尼の誤にて、閨出かと言へり、猶考ふべし。出入りに、人の謗るうしろでが恥かしき事に、我は思はるると言ひて、少咋を諫むるなり。
 
4109 久禮奈爲波。宇都呂布母能曾。都流波美能。奈禮爾之伎奴爾。奈保之可米夜母。
くれなゐは。うつろふものぞ。つるばみの。なれにしきぬに。なほしかめやも。
 
紅は遊女を指し、ツルバミは本妻を言へり。卷十二、つるばみの衣ときあらひまつち山もとつ人にはなほしかずけり。
 
右五月十五日、守大伴宿禰家持作v之。
 
先妻不v待2夫君【君ヲ妻ニ誤ル】之喚使1自來時歌一首
 
今本、夫君を夫妻とせるは誤なり、目録に據りて改む。
 
4110 左夫流兒我。伊都伎之等乃爾。須受可氣奴。婆由麻久太禮利。佐刀毛等騰呂爾。
さぶるこが。いつぎしとのに。すずかけぬ。はゆまくだれり。さともとどろに。
 
(42)イツギは上に言へるイツガリを約めたる詞なるべし。殿は少咋が官舍を言ふ。鈴は驛鈴なり。孝コ紀、驛馬傳馬を置き鈴契を造る由見ゆ。小咋がもとの妻都よりおして越中に下れるを、鈴不v懸、驛使の下れるとて、人の言ひ騷ぐを斯く戯れて詠めるなり。婆、一本波と有るを善しとす。
 參考 ○左夫流兒我(新)サブルコヲ「我」を誤とす。
 
同月十七日大伴宿禰家持作v之。
 
橘歌一首并短歌
 
4111 可氣麻久母。安夜爾加之古思。皇神祖能。可見能大御世爾。田道間守。常世爾和多利。夜保許毛知。麻爲泥許之登吉。時支能。香久乃菓子乎。可之古久母。能許之多麻敝禮。國毛勢爾。於非多知左加延。波流左禮婆。孫枝毛伊都追。保登等藝須。奈久五月爾波。波都婆【婆ハ波ノ誤】奈乎。延太爾多乎理弖。乎登女良爾。都刀爾母夜里美。之路多倍能。蘇泥爾毛古伎禮。香具播之美。於枳弖可良之美。安由流實波。多麻爾奴伎都追。手爾麻吉弖。見禮騰毛安加受。秋豆氣婆。之具禮乃雨零。阿之比奇能。夜麻能許奴(43)禮波。久禮奈爲爾。仁保比知禮止毛。多知波奈能。成流其實者。比太照爾。伊夜見我保之久。美由伎布流。冬爾伊多禮婆。霜於氣騰母。其葉毛可禮受。常磐奈須。伊夜佐加波延爾。之可禮許曾。神乃御代欲理。與呂之奈倍。此橘乎。等伎自久能。可久能木實等。名附家良之母。
かけまくも。あやにかしこし。すめろぎの。かみのおほみよに。たぢまもり。とこよにわたり。やほこもち。まゐでこしとき。ときじくの。かぐのこのみを。かしこくも。のこしたまへれ。くにもせに。おひたちさかえ。はるされば。ひこえもいつつ。ほととぎす。なくさつきには。はつはなを。えだにたをりて。をとめらに。つとにもやりみ。しろたへの。そでにもこきれ。かぐはしみ。おきてからしみ。あゆるみは。たまにぬきつつ。てにまきて。みれどもあかず。あきづけば。しぐれのあめふり。あしびきの。やまのこぬれは。くれなゐに。にほひちれども。たちばなの。なれるそのみは。ひたてりに。いやみがほしく。みゆきふる。ふゆにいたれば。しもおけども。そのはもかれず。ときはなす。いやさかばえに。しかれこそ。かみのみよより。よろしなへ。このたちばなを。ときじくの。かぐのこのみと。なづけけらしも。
 
田道間守は、垂仁紀三年春三月新羅王子天日槍來歸焉云云と有る所の註に、天日槍娶2但馬|出島《イヅシマ》人、大《フト》(○太カ)耳《ミミ》女|麻多烏《マタヲ》1生2但馬諸助1也。諸肋生2但馬|日楢杵《ヒナラキ》1。日楢杵生2清彦1。清彦生2田道間守1と見ゆ。トコヨニワタリ云云は、同紀九十年二月、田道間守を常世國に遣して、非時香菓《トキジクノカグノコノミ》を求めしめ給ふ。今橘と言ふ是れなりと有りて、九十九年天皇崩じ給ひて後、あくる年三月、田道間守常世より賚物、非時香菓|八竿《ヤホコ》八縵《ヤカゲ》と見ゆ。是れなり。古事記にも同じさまに有りて、三宅連等之祖名(ハ)多遲摩毛理を常世に遣すと有り。マヰデコシは詣來しなり。時の下、支は敷の誤ならん。ノコシタマヘレは、此國に殘し給へればと言ふなり。國モセニは、國モ狹キバカリニなり。孫枝毛伊ツツ、枝より又出づる枝をヒコ枝と言ふ。毛伊は、モエ《萠》と通はし言へり。波都婆奈の婆、一本波と有るぞ善き。枝ニタヲリテは、花(44)を枝ながら折りてと言ふなり。ツトニモヤリミのミは、ヤリモシと言ふを約めたるなり。オキテカラシミは、木に置き枯らしもしなり。アユル實は、卷八、橘の歌に、玉に貫く五月を近み安要奴《アエヌ》がに、卷十、秋づけば水草の花の阿要奴がにとも有りて、そこに言ふ如く、アユルは熟する事なり。コヌレは木《コ》の末《ウレ》なり。仙覺抄に、許奴禮波久爾仁保比云云と有りて、久爾の間二三字闕字有る本有りしを、仙覺が考へにて、禮奈居の三字を補へる由見ゆ。如何さまにも、クレナヰニと無くては叶はぬなり。霜オケドモ云云は、卷六、葛城王に橘の氏を賜れる時の御歌、橘は實さへ花さへ其葉さへ枝に霜おけど益常葉の木と、詠ませ給へるに據れり。大御歌の常葉は則ち橘を言へり。今常磐成と言へるは、常《トコ》しき磐の如くと言ふ意なり。常葉とまがふべからず。イヤサカバエニは、應神紀御歌に、あかれるをとめ伊弉佐加麼曳那《イザサカバエナ》と有るに同じく榮なり。神ノ御代ヨリは、垂仁の御代を指して言へり。ヨロシナヘは既に出づ。
 參考 ○麻爲泥許之登吉、時支能(代)マヰデコシトキトキシ「久」クノ(考)「支」を「及」とす(古)マヰテコシトフトキシクノ「許之」の下「登布」を補ひ「支」を「久」の誤とす(新)マヰデコシカバトキシクノ「許之」の下「可婆」を補ひ「支」を「久」とす ○蘇泥爾毛古伎禮(新)ソデニコキレミ「毛」を衍とし「ミ」を加ふ ○霜於氣騰母(新)「母」衍カ ○伊夜佐加波延爾(新)「爾」は「努」の誤。
 
反歌一首
 
(45)4112 橘波。花爾毛實爾母。美都禮騰母。移夜時自久爾。奈保之見我保之。
たちばなは。はなにもみにも。みつれども。いやときじくに。なほしみがほし。
 
トキジクノ香菓と言ふより、彌時と無く常に見まほしき由詠めり。ナホシのシは助辭。ナホは今の遣ひざまとは異なり。
 
閏五月廿三日大伴宿禰家持作v之。
 
庭中花作歌一首并短歌  目録に庭の上詠の字有り、ここに脱せり。
 
4113 於保伎見能。等保能美可等等。末支太末不。官乃末爾末。美由支布流。古之爾久多利來。安良多末能。等之乃五年。之吉多倍乃。手枕末可受。比毛等可須。末呂宿乎須禮波。移夫勢美等。情奈具左爾。奈泥之故乎。屋戸爾末枳於保之。夏能能之。佐由利比伎宇惠天。開花乎。移低見流其等爾。那泥之古我。曾乃波奈豆末爾。佐由理花。由利母安波無等。奈具佐無流。許己呂之奈久波。安末射可流。比奈爾一日毛。安流部久母安禮也。
おほきみの。とほのみかどと。まきたまふ。つかさのまにま。みゆきふる。こしにくだりき。あらたまの。としのいつとせ。しきたへの。たまくらまかず。ひもとかず。まろねをすれば。いぶせみと。こころなぐさに。なでしこを。やどにまきおほし。なつののの。さゆりひきうゑて。さくはなを。いでみるごとに。なでしこが。そのはなづまに。さゆりばな。ゆりもあはむと。なぐさむる。こころしなくは。あまざかる。ひな(46)にひとひも。あるべくもあれや。
 
マキタマフは任セを約めたる言なり。太は濁音なるを、ここに清音に用ふ。凡て此卷は清濁みだりなる事見ゆ。マニマはマニマニと多く言へるに同じくて、下のニを略けるなり。ミユキフルコシは、卷十二にも、斯く續けたり。越は雪深き國なればなり。花ヅマは瞿麥を愛でて花ヅマと言ひ、さて其妻にゆりも逢はんと言ひ下さんとてサユリ花と言へり。ユリモは後モと言ふ詞にて上にも出づ。アレヤはアラメヤを約めたり。
 
反歌二首
 
4114 奈泥之故我。花見流其等爾。乎登女良我。惠末比能爾保比。於母保由流可母。
なでしこが。はなみるごとに。をとめらが。ゑまひのにほひ。おもほゆるかも。
 
ニホヒは艶を言ふ。
 
4115 佐由利花。由利母相等。之多波布流。許己呂之奈久波。今日母倍米夜母。
さゆりばな。ゆりもあはむと。したばふる。こころしなくは。けふもへめやも。
 
シタバフルは、下に思ふを言ふ。例多し。ケフモヘメヤモは、けふの日も立ち經るに堪へんやとなり。
 
右同閏五月二十六日大伴宿禰家持作。
 
國掾久米朝臣廣繩以2天平二十年1附2朝集使1入v京。其事畢而天平感寶元年閏五月二十七日還2到(47)本任1仍長官之【之ヲ也ニ誤ル】舘(ニ)設2詩酒宴1樂飲。於時主人守大伴宿禰家持作歌一首并短歌  長官の下、之の字、今也に誤る、一本に據りて改む。
 
4116 於保支見能。末支能末爾末爾。等里毛知底。都可布流久爾能。年内能。許登可多禰母知。多末保許能。美知爾伊天多知。伊波禰布美。也末古衣野由伎。彌夜故敝爾。末爲之和我世乎。安良多末乃。等之由吉我敝理。月可佐禰。美奴日佐末禰美。故敷流曾良。夜須久之安良禰波。保止止支須。支奈久五月能。安夜女具佐。余母疑可豆良伎。左加美都伎。安蘇比奈具禮止。射水河。雪消溢而。逝水能。伊夜末思爾乃未。多豆我奈久。奈呉江能須氣能。根毛己呂爾。於母比牟須保禮。奈介伎都都。安我末川君我。許登乎波里。可敝利末可利天。夏野能。佐由里能波奈能。花咲爾。爾布夫爾惠美天。阿波之多流。今日乎波自米?。鏡奈須。可久之都禰見牟。於毛我波利世須。
おほきみの。まきのまにまに。とりもちて。つかふるくにの。としのうちの。ことかたねもち。たまぼこの。みちにいでたち。いはねふみ。やまこえのゆき。みやこべに。まゐしわがせを。あらたまの。としゆきがへり。つきかさね。みぬひさまねみ。こふるそら。やすくしあらねば。ほととぎす。きなくさつきの。あやめぐさ。よもきかづらき。さかみづき。あそひなぐれど。いみづかは。ゆきげはふりて。ゆくみづの。いやましにのみ。たづがなく。なごえのすげの。ねもころに。おもひむすぼれ。なげきつつ。あがまつきみが。ことをはり。かへりまかりて。なつののの。さゆりのはなの。はなゑみに。にふぶにゑみて。あはした(48)る。けふをはじめて。かがみなす。かくしつねみむ。おもがはりせず。
 
末伎は上の歌にも詠めり。トリモチテは官事を執り持ちてなり。古事記上卷、思兼神者|取2持《トリモチテ》前事《ミマヘノコトヲ》1爲v政、卷十七にも、をすぐにのこととりもちてと詠めり。コトカタネモチは、負事を俗カタゲルと言ひ、北國にてはカタネルと言ふとぞ。又記録に、結束を古くタガネと訓めり。タカネはツカネなり。若し其意か。コトは事なり。マヰシは參シなり。見ヌ日サマネミは、見ぬ日の數多《アマタ》に成るを言ふ。カヅラキは上に柳カヅラキと言へるに同じく、かつらに懸くるを言ふ。サカミヅキは上にも出づ。ナグレドは慰ムレドモを略けり。タヅガナクは鶴之鳴なり。川をツの假字に用ひたるは此處のみなり。凡て、ツは門の草書ならんと翁は言はれき、猶考ふべし。爾布夫は、卷十六にも、わがせこは二布夫にゑみてと言へり。ニコヨカとも、又俗にニコニコとも言ふに同じ。アハシタルは、逢ひたるを延べ言ふなり。鏡ナスは見ムと言はん料なり。
 
反歌二首
 
4117 許序能秋。安比見之末末爾。今日見波。於毛夜目都良之。美夜古可多比等。
こぞのあき。あひみしままに。けふみれば。おもやめづらし。みやこがたびと。
 
オモヤのヤはヨと通ひて助辭か。宣長は面彌なりと言へり、考ふべし。元暦本、末爾末と有り。
 參考 ○安比見之末末爾(考)略に同じ(古、新)アヒミシマニマ。
 
(49)4118 可久之天母。安比見流毛能乎。須久奈久母。年月經禮婆。古非之家禮夜母。
かくしても。あひみるものを。すくなくも。としつきふれば。こひしけれやも。
 
スクナクモは多くの裏にて、四の句を隔てて末句に應ず。心は斯くも相見るものを、年月經たれば戀しかりし事の少なからんや、許多《ココタ》戀しかりしと言ふなり。
 參考 〇年月經婆(新)トシツキヘナバ「禮」を「那」の誤とす ○古非之家禮夜母(古、新)コヒシケ「米」メヤモ。
 
聞2霍公鳥喧1作歌一首
 
4119 伊爾之敝欲。之奴比爾家禮婆。保等登藝須。奈久許惠伎吉?。古非之吉物能乎。
いにしへよ。しぬびにければ。ほととぎす。なくこゑききて。こひしきものを。
 
古へより人の慕ふ鳥なれば、今鳴く聲聞きて戀しきと言ふなり。按ずるに、未だ逢はずして慕はしく思ひし人に逢ひて詠める譬喩歌ならんか。
 
爲d向v京之時見2貴人1及相2美人1飲宴之日u述v懷儲作歌二首  相の字は誤字か。又はアフと訓まんか。
 
4120 見麻久保里。於毛比之奈倍爾。賀都良賀氣。香具波之君乎。安比見都流賀母。
みまくほり。おもひしなへに。かづらかげ。かぐはしきみを。あひみつるかも。
 
(50)宣長云、カヅラカゲは山蘰日蔭なり。卷十四、あしびきの夜麻可都良加氣ましばにもえがたきかげをおきやからさむと詠めり。さてここは、カグハシの枕詞に置けるなりと言へり。カグハシは、香は發語にて、細女《クハシメ》の意に言へるか。又は此時には既に後に由りて、カウバシキ君と詠めるにや。是れは端詞に言へる美人に逢へるを詠めるなり。
 參考 ○加都良賀氣(新)ウツラツラ「宇都良都良」の誤。
 
4121 朝参乃。伎美我須我多乎。美受比左爾。比奈爾之須米婆。安禮故非爾家里。
まゐりの。きみがすがたを。みずひさに。ひなにしすめば。あれこひにけり。
 
初句四言か。マヰリは宮中へ參るを言ふ。宣長云、朝參は誤字なるべし。朝戸出などにやと言へり、猶考ふべし。是れは貴人にまみえしを詠めるなり。
 參考 ○朝参乃(新)テウサンノ。
 
一頭云。波之吉與思《ハシキヨシ》。伊毛我須我多乎《イモガスガタヲ》。
 
斯くては是れも美人に逢へる歌とすべし。
 
同閏五月二十八日大伴宿禰家持作v之。
 
天平感寶元年閏五月六日以來起2小旱1百姓(ノ)田畝稍有2凋色1也。至2于六月朔日1。忽見2雨雲之氣1仍作2雲歌一首1(短歌一絶)
 
(51)起は赴の誤か。稍、一本稻に作る。六の上、今の字有り、短の上、并の字有り。
 
4122 須賣呂伎能。之伎麻須久爾能。安米能之多。四方能美知爾波。宇麻乃都米。伊都久須伎波美。布奈乃倍能。伊波都流麻泥爾。伊爾之敝欲。伊麻乃乎都頭爾。萬調。麻都流都可佐等。都久里多流。曾能奈里波比乎。安米布良受。日能可左奈禮婆。宇惠之田毛。麻吉之波多氣毛。安佐其登爾。之保美可禮由苦。曾乎見禮婆。許己呂乎伊多美。彌騰里兒能。知許布我其登久。安麻都美豆。安布藝弖曾麻都。安之比奇能。夜麻能多乎理爾。許能見由流。安麻能之良久母。和多都美能。於枳都美夜敝爾。多知和多里。等能具毛利安比弖。安米母多麻波爾。
すめろぎの。しきますくにの。あめのした。よものみちには。うまのつめ。いつくすきはみ。ふなのへの。いはつるまでに。いにしへよ。いまのをつつに。よろづつき。まつるつかさと。つくりたる。そのなりはひを。あめふらず。ひのかさなれば。うゑしたも。まきしはたけも。あさごとに。しぼみかれゆく。そをみれば。こころをいたみ。みどりこの。ちこふがごとく。あまつみづ。あふぎてぞまつ。あしびきの。やまのたをりに。このみゆる。あまのしらくも。わたづみの。おきつみやべに。たちわたり。とのぐもりあひて。あめもたまはね。
 
イツクス、イハツルのイはともに發語。ウマノツメ云云は、祈年祭祝詞に、青海原者|棹枚《サヲカヂ》(○柁カ)不v干。舟艫至(リ)留(ル)極(ミ)大海舟|滿《ミチ》都都氣?。自v陸往道者荷緒|縛堅《ユヒカタメ》?。磐根木根履佐久彌?。馬爪至(リ)留(ル)限(リ)。長道(52)無v間《ヒマ》立《タチ》都都氣?と有るに同じ。今ノヲツツは現なり。萬調マツルツカサトは、稻は萬づの貢に奉る物の中にて專らとする物なれば然か言へり。ナリハヒは業なり。和名抄云續捜神記云、江南畠種豆畠一云陸田(和名八太介)と有り。チコフガゴトクは、小兒の乳を乞ふ如くとなり。アマツ水云云、卷二天つ水あふぎて待にと詠めり、則ち雨を言ふ。山ノタヲリは、たわみたる如く見ゆる所を言ふ。此見ユルは只今見ゆる白雲と言ふなり。オキツミヤベは、上にオキツミ神と言へるに同じく、海《ワタ》の神の宮を言ふ。トノグモリアヒテは、棚引キ合ヒテと言ふ意なり。
 
反歌一首
 
4123 許能美由流。久毛保妣許里弖。等能具毛理。安米毛布良奴可。己許呂太良比爾。
このみゆる。くもほびこりて。とのぐもり。あめもふらぬか。こころだらひに。
 
ホビコリはオヒヒロゴリなり。今ハビコリと言ふに同じ。フラヌカはフレカシと願ふ詞。心ダラヒは心|タリ《足》を延べたる詞にて、飽き足るばかりにと言ふなり。
 
右二首六月一日晩頭守大伴宿禰家持作v之。
 
賀2雨落1歌一首
 
4124 和我保里之。安米波布里伎奴。可久之安良婆。許登安氣世受杼母。登思波佐可延牟。
わがほりし。あめはふりきぬ。かくしあらば。ことあげせずとも。としはさかえむ。
 
(53)ホリシは欲リシなり。天地の神に祈り申すをコトアゲとここには言へり。トシは祝詞に稻を奧津御年と有りて、ここも專ら稻を言ふ。
 
右一首同月四日(○原本日を目に誤る、寛永本に據りて正す)大伴宿禰家持作v之。
 
七夕《ナヌカノヨノ》歌一首并短歌
 
4125 安麻泥良須。可未能御代欲里。夜洲能河波。奈加爾敝太弖弖。牟可比太知。蘇泥布利可波之。伊吉能乎爾。奈氣加須古良。和多理母理。布禰毛麻宇氣受。波之太爾母。和多之?安良波。曾能倍由母。伊由伎和多良之。多豆佐波利。宇奈我既里爲?。於毛保之吉。許登母加多良比。那具左牟流。許己呂波安良牟乎。奈爾之可母。安吉爾之安良禰波。許等騰比能。等毛之伎古良。宇都世美能。代人和禮母。許己乎【乎ヲ宇ニ誤ル】之母。安夜爾久須之彌。往更。年能波其登爾。安麻能波良。布里左氣見都追。伊比都藝爾須禮。
あまてらす。かみのみよより。やすのかは。なかにへだてて。むかひたち。そでふりかはし。いきのをに。なげかすこら。わたりもり。ふねもまうけず。はしだにも。わたしてあらば。そのへゆも。いゆきわたらし。たづさはり。うながけりゐて。おもほしき。こともかたらひ。なぐさむる。こころはらむを。なにしかも。あきにしあらねば。ことどひの。ともしきこら。うつせみの。よのひとわれも。ここをしも。あやにくすしみ。ゆきかはる。としのはごとに。あまのはら。ふりさけみつつ。いひつぎにすれ。
 
ヤスノ河、神代紀、八十萬神會2合於天安川邊1と有れば、神ノミヨヨリとは言へり。アマテラスと冠ら(54)したるは日の神を申すべし。イキノヲは息ノ緒にて、命ノキヅナと言ふに同じ。ナゲカスコラ、短句。舟モ設ケズ、ここにて句なり。ソノヘユモは其上從もなり。イ行のイは發語。ウナガケリヰテは、古事記上卷、宇那賀氣理弖《ウナガケリテ》至v今鎭座也と有り。項《ウナジ》に手を懸けて、親く並び居るを言ふと翁の説なり。此處の樣も然り。トモシキコラ、短句。許己の下、今本宇と有るは、乎の誤れる事|著《シル》し、ココヲシモはコレヲなり。シモは助辭、アヤニは嘆詞。クスシミは奇《アヤ》しき事にしてなり。年ノハ、既に多く出づ。イヒツギニスレは、世人の代代語り繼ぐを言ふ。此結句禮と留りたるは如何がなれど、ココヲシモと言ふ、シモの詞に、コソに通ふ例有りと宣長言へり。
 參考 ○往更(考)ユキカヘル(古、新)略に同じ。
 
反歌二首
 
4126 安麻能我波。波志和多世良波。曾能倍由母。伊和多良佐牟乎。安吉爾安良受得物。
あまのがは。はしわたせらば。そのへゆも。いわたらさむを。あきにあらずとも。
 
4127 夜須能河波。許牟可比太知弖。等之乃古非。氣奈我伎古良河。都麻度比能欲曾。
やすのかは。こむかひたちて。としのこひ。けながきこらが。つまごひのよぞ。
 
卷十、天漢|己向《コムカヒ》立而とも詠めり。コは此の略なり。從此《コユ》鳴渡など多く詠めるを合せ考ふべし。トシノコヒは、年中の戀と言ふ意なり。卷十、七夕の歌にも、年の戀こよひつくしてと詠めり。
(55) 參考 ○許牟可比(考)略に同じ(新)イムカヒ。
 
右七月七日仰2見天漢1、大伴宿禰家持作v之。
 
越前國掾大伴宿禰池主來贈戯歌四首 (○越前國云云十六字原本脱す、今寛永本に據りて補ふ)
 
忽辱2恩賜1。驚欣已深。心中含v咲。獨座稍開(ケバ)。表裏不v同。相違何異。推2量所由1。率爾作v策歟。明知v加v【加ハ如ノ誤】言。豈有2他意1乎。凡貿2易本物1、其罪不v輕。正贓倍贓。宣2急并滿(シム)1。今勒2風雲1。發2遣徴使1。早速返報。不v須2延回1。
 
勝寶元年十一月十二日 物所(ル)2貿易1下使。
 
謹訴2 貿易人斷官司 廳下1
 
忽辱と言ひ驚欣と有るは、思ひ懸け無く喜ぶなり。表裏は袋に縫ひたるさいでの事なり。策は謀の意にて貿易せる事を言ふ。率爾に袋を作りたる故に、表裏をふと誤りて、引き違へたらん事は、池主が推量の言の如く明らかにて、何しに外のわけ有らんやと、自らことわるなり。凡と言ふより下殊に戯言なり。貿2易本物1とは、前に池主より袋にするさいでを遣りて縫はしむるに、夫を用ひずして、他の物にて縫ひたるを咎むるなり。本物は名令律に獲2本物1云云と有り。正贓は盗める物を其ままにて償はするなり。倍贓とは其物他人へ渡り失せぬれば、倍して償はするなり。例へば盗物數一なれば二つにて償はするを言ふ。獄令、名令律、賊盗律等に見ゆ。宣2急并滿1とは、正贓と倍贓とを一つに揃へて、急に償(56)へと言へるやうにて、其理いかがなれど、戯にいたく責めはたる意もて書けり。勒2風雲1とは、風の便、また雲も使など言へば、さる心もて書けりと見ゆ。發2遣徴使1とは、取返すとて使を立つるなり。延回は延引と言ふに同じ。物所2貿易1下吏は、我物を引き違へらるる下吏にて、池主なり。貿易人は物を引き違へたる盗人にて、家持卿を指せり。宮司も家持卿を指す言にて盗人は他人にて、家持卿へ訴ふる樣に設けて書きなせり。
 
別(ニ)白(ス)【白ヲ日ニ誤ル】。可v怜之意。不v能2黙止1。聊述2四詠1。唯【唯ヲ准ニ誤ル】擬2睡覺1。
 
可怜之意は愛情と言ふに同じ。唯擬云云は目覺草にこと寄せたると言ふにて、俗にワラヒグサなど言ふ意なるべし。別の下、白、今本日に作り唯を准に作るは共に誤なり、一本に依りて改む。
 
4128 久佐麻久良。多比乃於伎奈等。於母保之天。波里曾多麻敝流。奴波牟物能毛賀【賀ヲ負ニ誤ル】
くさまくら。たびのおきなと、おもほして。はりぞたまへる。ぬはむものもが。
 
池主より家持卿へ針袋を縫ひて賜はらん事を乞ひたれば、針をも入れておこせしなるべし。ヌハムモノモガは、針は賜へれど、縫ふべき衣も無ければ、衣も賜へと戯れ詠めるか。賀、今本負に誤る、元暦本に據りて改む。
 
4129 芳理夫久路。等利安宜麻敝爾於吉。可邊佐倍波。於能等母於能夜。宇良毛都藝多利。
はりぶくろ。とりあげまへにおき。かへさへば。おのともおのや。うらもつぎたり。
 
(57)カヘサヘバは、裏返し見ればなり。サヘはセを延べたる言なり。オノトモは、能と母と相通へば、オモテモと言ふならん。心は針袋を取り揚げて前に置きて、裏返し見れば、表も表よ、裏さへに綴りて惡ろき袋かなと言へるなるべし。契沖は、オノレガトモオノレと言ふなりと言へり。如何が有らん。
 
4130 波利夫久路。應婢都都氣奈我良。佐刀其等邇。天良佐比安流氣騰。比等毛登賀米授。
はりぶくろ。おびつづけながら。さとごとに。てらさひあるけど。ひともとがめず。
 
オビツヅケナガラ、契沖云、帶續けながらなり。按ずるに應婢の字いと異樣なる假字書なり、誤字有らんか。テラサヒは衒にて、俗ヒケラカシ歩行と言ふに同じ。心は惡ろき袋なれば、人にてらさひほこれど、誰れ心に附けて、賞《メ》で咎むる者も無しと言ふ意なり。
 參考 ○應婢都都(新)オビニツケ、上の「都」を「爾」の誤とす。
 
4131 等里我奈久。安豆麻乎佐之天。布佐倍之爾。由可牟等於毛倍騰。與之母佐禰奈之。
とりがなく。あづまをさして。ふさへしに。ゆかむとおもへど。よしもさねなし。
 
フサヘは古事記八千矛神の御歌に、許禮波布佐波受《コレハフサハズ》云云|許母《コモ》布佐波受云云。フサハズは宜しの裏にて、宜シカラズと言ふなり。源氏物語にも、ふさはしからずと言ふ事見えて、河海抄の釋に、不祥、日本紀と有り。然れば彼の紀の不祥を然《シ》か訓める本有りつると見えたり。されば此フサヘシニユカムは、幸を得に行かんと言ふなり。サネは實ニなり。是れは東國の任を望めども、其由無きを詠める成るべ(58)し。
 
右歌之返歌者脱漏。不v得2探求1也。
 
更來贈歌二首(○更來云云六字脱す、今寛永本に據りて補ふ)
 
依d迎2驛使1事u。今月十五日到2來部下加賀郡境1。面蔭見2射水之郷1。戀緒結2深海之村1。身異2胡馬1。心悲2北【北ヲ比ニ誤ル】風2乘v月徘徊。曾無2所爲1。稍【稍ヲ梢ニ誤ル】開2來封1。其辭云著者。先所v奉書。返畏(ル)度(ル)v疑(ニ)歟。僕作2嘱〓【〓ヲ羅ニ誤ル】1。且惱2使君1。夫乞v水得v酒。從來(ノ)能口。論v時合v理。何題2強吏1乎。尋誦2針袋詠1。詞泉酌不v竭【竭ヲ渇ニ誤ル】。抱v膝獨咲。能|?《ノゾク》2旅愁1、陶然遣v日何慮何思。短筆不宣。
 
勝寶元年十二月十五日 徴物下司。
 
謹上 不伏【伏ヲ仗ニ誤ル】使君  記【記ヲ紀ニ誤ル】室。
 
契沖云、池主初は越中掾にて家持卿に屬せられけるが、後には越前掾に成りて、加賀郡より更に此書を家持卿へ贈れるなり。加賀は弘仁十四年に越前より割きて置かれたりと言へば、勝寶元年に部下と言る勿論なり。加賀郡は今の加賀國四郡の中に有り云云。さて射水、深海は前に家持卿に從ひて共に往來せし所なれば忍ぶさまなり。胡馬云云は、古詩に見えて、胡馬は北地に産せる馬なれば、其方を忍ぶを言ふ。家持卿のおはせる方北に當れば斯く言へり。無所爲とは戀情のせんすべ無きなり。著者云云の(59)十一字は、家持卿よりの來封を披き見るに、其書に有りし辭と見ゆ、されど脱誤有るべし。著者は昔者を寫し誤れるかと或人は言へり。元暦本、其辭云著者を、其辭云云者に作る、僕作云云以下は前の戯言とは變りて正言なり。囑〓は池主より家持卿へ袋を縫ひてと誂へたる事ならん。乞v水得v酒とは、もとのさいでよりは善きにて縫ひたるに譬へて、實は謝すべきを、引き違《タガ》へたるとて、責めはたる樣に戯れ書きたり。強吏は無道の有司にて、家持卿を然《サ》には有らぬ言ふなり。針袋詠とは、右歌之返報歌脱漏と有るにて、池主の四詠に答へたる歌の事なり。さるは家持卿の歌のをかしきに心を慰むとて、めで興じたるなり。今本不仗を拾穗本に不伏と有り。さらば彼徴物をおこさねば、責めても畏まり伏せぬ使君と戯れ言ふ意なるべし。記室は下僚の書記の人を言ふにて、侍者など言ふ意なり。記を今、紀に誤る。元暦本に據りて改む。
 
別奉云云歌二首
 
4132 多多佐爾毛。可爾母與己佐母。夜都故等曾。安禮波安利家流。奴之能等能度爾。
たたさにも。かにもよこさも。やつことぞ。あれはありける。ぬしのとのとに。
 
契沖云、タタサは竪サマなり。ヨコサは横サマなり。カニモは、トニモカクニモと言ふを、カニカクニと詠む意なり。竪さまにも、横さまにも、左にも、右にも、君が爲め我は奴にて有りとなり。ヌシは紀に大人をも君をも卿をも、ウシと訓めるに同じ。卷五、あが能しと有るもヌシなり。トノトは、崇神紀(60)御歌に、伊弟弖《イデテ》(○?カ)由《ユ》(○由の訓カと誤る今正す)介那《カナ》。瀰和能等能渡烏《ミワノトノトヲ》(○塢カ〕と有るとは、ここは變はるべき由、契沖は言へれど、此紀の御歌のトノトに同じかるべし。トノトは殿戸なり。今も殿戸として聞えたり。
 
4133 波里夫久路。己禮波多婆利奴。須理夫久路。伊麻波衣天之可。於吉奈佐備勢牟。
はりぶくろ。これはたばりぬ。すりぶくろ。いまはえてしが。おきなさびせむ。
 
スリブクロは、燧袋なり。景行紀以v燧出v火。和名抄、燧(比宇知)、敦忠家集に、かねの火うちほくそにぢんをして、しのぶ摺の袋に、うちつけに思ひ出づやと故郷のしのぶ草にてすれるなりけりと有る、是れなり。さて燧袋は老人のみ著る物には有らねど、自ら翁なれば、斯く言へるなり。翁サビは翁進の意。ヲトメサビのサビに同じ。今ハ得テシガとは、針袋は既に賜はりたれば、今此上にすり袋も得まほしきと言ふなり。
 參考 ○須理夫久路(新)「久」クスリブクロの誤。
 
宴席詠2雪月梅花1歌一首
 
4134 由吉能宇倍爾。天禮流都久欲爾。烏梅能播奈。乎理天於久良牟。波之伎故毛我母。
ゆきのうへに。てれるつくよに。うめのはな。をりておくらむ。はしきこもがも。
 
ハシキは集中、愛の字を書けり。子は女を指す。
 
(61)右一首十二月大伴宿禰家持作。  今本作の字無し。元暦本を以て補へり。
 
4135 和我勢故我。許登等流奈倍爾。都禰比登能。伊布奈宜吉思毛。伊夜之伎麻須毛。
わがせこが。こととるなへに。つねびとの。いふなげきしも。いやしきますも。
 
此宴に石竹琴彈けるなるべし。常人ノイフナゲキとは、卷七、琴とればなげき先立けだしくも琴の下樋につまやこもれるとも詠みて、古へより琴音は感じて歎く事とすれば言へり。シキマスは重重増なり。モは言ひ抑ふる辭。
 
右一首少目秦伊美吉石竹舘宴(ニ)守大伴宿禰家持作。
 
天平勝寶二年正月二日於2國廳1給2饗(ヲ)諸郡司等1宴(トキニ)歌一首
 
4136 安之比奇能。夜麻能許奴禮能。保與等理天。可射之都良久波。知等世保久等曾。
あしびきの。やまのこぬれの。ほよとりて。かざしつらくは。ちとせほくとぞ。
 
コヌレは木末なり。ホヨは和名抄、寄生一名寓生、(和名夜止里木。一云保夜。)此ホヤなるべし。老木に生ふる物なれば、祝事に是れをかざせるならん。ツラクはツルを延べ言ふなり。ホグは祝ふなり。
 
右一首守大伴宿彌家持作。
 
判官久米朝臣廣繩之舘宴歌一首
 
4137 牟都奇多都。波流能波自米爾。可久之都追。安比之惠美天婆。等枳自家米也母。
(62)むつきたつ。はるのはじめに。かくしつつ。あひしゑみてば。ときじけめやも。
 
アヒシのシは助辭にて、相笑みて有らばなり。トキジケメヤモは、常ナラムと言ふなり。ケメは、ケムと言ふ詞に同じ。ヤモは返る意の詞なれば、斯く言ひて常ならじやは、常ならんと言ふ意になれり。
 
同月五日守大伴宿禰家持作v之。
 
縁d?2察墾田地1事宿2礪波郡(ノ)主帳|多治比部北里《タヂヒベノキタサト》之家(ニ)1于時忽起2風雨1。不v得2辭去1作歌一首
 
4138 夜夫奈美能。佐刀爾夜度可里。波流佐米爾。許母理都追牟等。伊母爾都宜都夜。
やぶなみの。さとにやどかり。はるさめに。こもりつつむと。いもにつげつや。
 
ヤブナミは地名なり。コモリツツムトは、集中、雨《アマ》つつみと言ふに用じく、雨に慎《ツツシ》み籠り居るを言ふ。
 
二月十八日守大伴宿禰家持作。
 
一本十一日に作る。今本家持作の三字を脱せり。官本を以て補ふ。
 
萬葉集 卷第十八 終
 
(63)萬葉集 卷弟十九
 
天平勝寶二年三月一日之暮眺2矚春苑桃李花1作歌二首  以下專ら家持卿の歌なり。
 
4139 春苑。紅爾保布。桃花。下照道爾。出立※[女+感]嬬。
はるのその。くれなゐにほふ。もものはな。したてるみちに。いでたつをとめ。
 
花の如きをとめが桃花の木の下に出で立ちたるが、花もをとめも共に艶を増したるさまなり。シタテルの詞は赤き事を言ひて既に出づ。
 
4140 吾園之。李花可。庭爾落。波太禮能未。遣有可母。
わがそのの。すもものはなか。にはにちる。はだれのいまだ。のこりたるかも。
 
雪の斑に殘りたるかとなり、卷十三、ちりまがふはだら雪ふり。
 參考 ○庭爾落(古)ニハニフル(新)略に同じ。
 
見2飛翻翔鴫1作歌一首  夜る月に見ゆる事も有れば、見と書きしならん。一本飛の字無し。
 
4141 春儲而。物悲爾。三更而。羽振鳴志藝。誰田爾加須牟。
はるまけて。ものがなしきに。さよふけて。はぶきなくしぎ。たがたにかすむ。
 
ハブキは、羽を振るなり。ヤマブキに山振と書けり。又此末に羽觸とも書きたれば、ここもハフリとも(64)訓むべし。須、元暦本、頒と有りて、ハムと點せり。
 參考 ○物悲爾(古)モノガナシラニ(新)略に同じ ○誰田爾加須牟(古)タガタニカハム、須を頒の誤とす(新)略に同じ。
 
二日攀2柳黛1思2京師1歌一首
 
4142 春日爾。張流柳乎。取持而。見者京之。大路所念。
はるのひに。はれるやなぎを。とりもちて。みればみやこの。おほぢおもほゆ。
 
ハレルは、芽の張りたるなり。卷十四、うらもなくわが行道に青柳のはりてたてればものもひつつも、とも詠めり。京の大路の柳を思ひ出づるなり。
 
攀2折堅香子草花1歌一首
 
4143 物部乃。八十乃※[女+感]嬬等之。?亂。寺井之於乃。堅香子之花。
もののふの。やそのをとめが。くみまがふ。てらゐのうへの。かたかごのはな。
 
モノノフノ、枕詞。ヤソノヲトメは數多《アマタ》の女を言ふ。等は八十と言ふから添へて書けるのみ。?、字書に一入切音揖、酌也と有り。寺井は唯だ寺の井か、又地名か。クミマガフは、數多の女の汲むとて往き交《カ》ふさまを言ふ。六帖木の部に、もののふのやそをとめらがふみとよむてらゐのうへのかたかしの花とて載せたり。仙覺抄云、此歌の落句古點にカタカシノハナと點せり。是れをカタカゴノハナと訓むべし(65)云云。カタカゴ又はヰノシリと言ふ、春花咲く草なり。其花の色は紫なりと言へり。翁の云、越の國にてはカタコ、陸奧にてはカタクリと言へり。根は百合の如く、葉は唯だ一葉さし出でて、花も又一もと立ちて、菫の如く薄紫なり、是れか。されど六帖に據れば、右には有らで、カタカシと言ふ木有るか。さらば端詞に草と有るは後に誤りて入れたるか、覺束なしと言はれき。按ずるに堅香子を音訓を交へて、カタカシと訓むべき樣無ければ必ずカタカゴなり。其カタカゴは、彼カタコ、カタクリなど言へる物なり。越にては、カタコユリとも言へり。カタクリは、カタコユリの約りたる言なり。
 參考 ○八十乃※[女+感]嬬等之(古、新)「乃」を衍として、ヤソヲトメラガ ○?亂(考)ツミミダル(古、新)略に同じ)
 
見2歸雁1歌二首
 
4144 燕來。時爾成奴等。雁之鳴者。本郷思都追。雲隱喧。
つばめくる。ときになりぬと。かりがねは。くにおもひつつ。くもがくりなく。
 
月令曰。孟春之月鴻鴈來。是月也玄鳥至。註云玄鳥燕也。和名抄※[燕の烈火が鳥](豆波久良米)白脛小鳥也。本郷、古點フルサトと有れど、集中、フルサトと詠めるは、すべて古京の地を言ひて、吾が家郷をフルサトと詠める事無し。卷十、わがやどになきし鴈がね雲の上にこよひなくなる國へかもゆく、と詠みたれば、ここもクニと訓むべし。
(66) 參考 ○本郷思都追(考)フルサトモヒツツ(古)クニシヌビツツ(新)クニシヌビツツ又はオモヒツツ。
 
4145 春設而。如此歸等母。秋風爾。黄葉山乎。不超來有米也。
はるまけて。かくかへるとも。あきかぜに。もみでむやまを。こえこざらめや。
 
一云|春去者歸此鴈《ハルサレバカヘルコノカリ》。
 參考 ○黄葉山乎(考、新)モミヅルヤマヲ(古)モミヂムヤマヲ。
 
夜裏聞2千鳥(ノ)喧2歌二首
 
4146 夜具多知爾。寐覺而居者。河瀬尋。情毛之努爾。鳴知等理賀毛。
よぐたちに。ねざめてをれば。かはせとめ。こころもしぬに。なくちどりかも。
 
ヨグタチは夜の更くるを言ふ。心モシヌニは、聞く人の心も愁ひ萎《シナ》ふるなり。三句より末句へ續けて見るべし。
 
4147 夜降而。鳴河波知登里。宇倍之許曾。昔人母。之奴比來爾家禮。
よぐたちて。なくかはちどり。うべしこそ。むかしのひとも。しぬびきにけれ。
 
昔より千鳥の聲を哀れと言ひ來るを、今夜深く聞きて思ひ合はせたるなり。
 
聞2曉鳴雉1歌二首
 
(67)4148 椙野爾。左乎騰流?。灼然。啼爾之毛將哭。己母利豆麻可母。
すぎのぬに。さをどるききし。いちじろく。ねにしもなかむ。こもりづまかも。
 
スギノ野、越中なるべし。サヲドルのサは發語。宣長云、四の句の語の勢を思ふに、是れは雉のいちじるく鳴くを咎めたる意にて、カモは、カハの意なり。コモリヅマとは、咎めて詠めるから設けて言へるなり。こもりづまなれば、如何に思へばとても、斯くいちじろく鳴くべき事かはとなりと言へり。此釋然るべし。
 參考 ○雉(考)キギス(古、新)略に同じ。
 
4149 足引之。八峰之?。鳴響。朝開之霞。見者可奈之母。
あしびきの。やつをのきぎし。なきとよむ。あさけのかすみ。みればかなしも。
 
ヤツヲは、唯だ峰の重れるを言ふ。集中、やつをのつばきとも詠めり。
 
遥聞2泝v【泝ヲ沂ニ誤ル】江船人(ノ)唱1歌一首
 
4150 朝床爾。聞者遙之。射水河。朝己藝思都追。唱船人。
あさどこに。きけばはるけし。いみづがは。あさこぎしつつ。うたふふなびと。
 
あした猶起き出でざる程に聞くなり。
 
三日守大伴宿禰家持之舘(ニ)宴歌三首
 
(68)4151 今日之爲等。思標之。足引乃。峰上之櫻。如此開爾家里。
けふのためと。おもひてしめし。あしびきの。をのへのさくら。かくさきにけり。
 
今日の宴の爲めと心に思ひしめつるなり。
 
4152 奧山之。八峰乃海石榴。都婆良可爾。今日者久良佐禰。大夫之徒。
おくやまの。やつをのつばき。つばらかに。けふはくらさね。ますらをのとも。
 
上はツバラと言はん序なり。ツバラカは、ツマビラカと言ふにて、懇ろに遊び暮せと言ふ意なり。卷十八、かぢの音のつばらつばらにとも詠めり。
 
4153 漢人毛。※[木+代]【※[木+代]ヲ※[木+戎]ニ誤ル】浮而。遊云。今日曾和我勢故。花縵世余。
からびとも。ふねをうかべて。あそぶとふ。けふぞわがせこ。はなかづらせよ。
 
※[木+代]字書に同v筏、筏音罰、桴也。船也と有り。今本※[木+戎]と有るは誤なり。から國にて三月三日水に遊ぶ事かたがた見ゆ。花縵は時の花を糸に貫きてかつらに懸くるなるべし。
 參考 ○※[木+代](考、古)略に同じ(新)「※[木+戎]」を「※[木+代]」の誤としてフネヲウカベテとす ○云(考)略に同じ(古、新)チフ。
 
八日詠2白大鷹1歌一首并短歌
 
4154 安志比奇能。山坂超而。去更。年緒奈我久。科坂在。故志爾之須米婆。大王之。(69)敷座國者。京師乎母。此間毛於夜自等。心爾波。念毛能可良。語左氣。見左久流人眼。乏等。於毛比志繁。曾己由惠爾。情奈具也等。秋附婆。芽子開爾保布。石瀬野爾。馬太伎由吉?。乎知許知爾。鳥布美立。白塗之。小鈴毛由良爾。安波勢也里。布里左氣見都追。伊伎騰保流。許己呂能宇知乎。思延。宇禮之備奈我良。枕附。都麻屋之内爾。鳥座由比。須惠?曾我飼。眞白部乃多可。
あしびきの。やまさかこえて。ゆきかへる。としのをながく。しなざかる。こしにしすめば。おほきみの。しきますくには。みやこをも。ここもおやじと。こころには。おもふものから。かたりさけ。みさくるひとめ。ともしみと。おもひししげし。そこゆゑに。こころなぐやと。あきづけば。はぎさきにほふ。いはせぬに。うまたぎゆきて。おちこちに。とりふみたて。しらぬりの。をすずもゆらに。あはせやり。ふりさけみつつ。いきどほる。こころのうちを。おもひのべ。うれしびながら。まくらつく。つまやのうちに。とぐらゆひ。すゑてぞわがかふ。ましらぶのたか。
 
初二句は、ユキカヘルと言はん序なり。シナザカル、枕詞。シキマス國ハ云云、卷六、やすみししわが大君の食國はやまともここも同じとぞおもふ、と有るに同じ。オヤジは、オナジなり。カタリサケミサクル人メ、卷三、とひさくるうからはらからなき國に、卷五に、岩木をもとひさけしらず、とも有りて、物言ひて心をやり、見て心を遣ると言ふ意なり。イハセ野は、和名抄、越中新川郡石勢(伊波世)と有り、(70)ここの野なり。ウマタギユケバは、手綱をたぐり行きてと言ふなり。古今集、あまのなはたぎいさりせむとは、と言ふ、タギにひとし。馬フミタテは、卷三、夕がりに鳥ふみたて、卷十七に、朝狩にいほつ鳥たて、夕がりに千鳥ふみたてと詠めり。白塗ノヲ鈴、卷十七、わが大黒に白ぬりの鈴とりつけて、とも詠みて、そこに言ひつ。モユラは眞ユラなり。モの詞下へ付くべし。ユラはすべて玉の鳴る音を言ふ。神代紀に、??の字を用ふ。イキドホルは、神功紀、忍熊王瀬田に沈み給ひける屍をいまだ探り出ださざりける時、武内宿禰の歌に、あふみのみせたのわたりにかづくとりめにしみえねば異枳廼倍呂之茂《イキトホロシモ》。字鏡※[?+貌の旁](伊支度保留又伊多彌宇禮不)又悁(伊支止呂志)と有り。ウレシビナガラは、此のナガラは隨の意にて、喜しく思ふままにと言ふ意なり。後のナガラの詞とは異なり。枕ツクは枕詞。ツマヤノ内ニ、トグラユヒ、スヱテゾ我飼フは、反歌に、ヤドニスヱとも詠みたれば、奧深く屋の内にとぐら立て居《スヱ》おくなり。シラフのフは節《フシ》の意。今|切生《キリフ》など言へり。
 參考 ○去更(考)略に同じ(古、新)ユキカハル ○京都乎母(新)ミヤコモ「乎」を衍字とす。
 
反歌
 
4155 矢形尾乃。麻之路能鷹乎。屋戸爾須惠。可伎奈泥見都追。飼久之余志毛。
やかたをの。ましろのたかを。やどにすゑ。かきなでみつつ。かはくしよしも。
 
卷十七、やかたをのわが大黒と言へり。かきなでは愛る意なり。卷六、宇頭の御手もて掻撫ぞねぎたま(71)ふ云云、カハクはカフを延べたる詞。シは助辭。
 
潜?《ウヲカフ》歌一首并短歌  今本并短歌の三字を脱す、一本に依りて補ふ。
 
4156 荒玉能。年往更。春去者。花耳【耳ハ開ノ誤】爾保布。安之比奇能。山下響。墮多藝知。流辟田乃。河瀬爾。年魚兒狹走。島津鳥。?養等母奈倍。可我理左之。奈津佐比由氣波。吾妹子我。可多見我?良等。紅之。八塩爾染而。於己勢多流。服之襴毛。等寳利?濃禮奴。
あらたまの。としゆきかへり。はるされば。はなさきにほふ。あしびきの。やましたとよみ。おちたぎち。ながるさきだの。かはのせに。あゆこさばしり。しまつとり。うかひともなへ。かがりさし。なづさひゆけば。わぎもこが。かたみがてらと。くれなゐの。やしほにそめて。おこせたる。ころものすそも。とほりてぬれぬ。
 
耳は開の誤なるべし。サキ田は越中。島ツ鳥、枕詞。トモナヘは令v伴なり。此下の長歌にも、ますらををともなへたててと有り。さて越前越中には多く川へ下り立ちて鵜を飼ふとぞ。此處の多摩川なども、川瀬淺ければ然せり。是れに據りてナヅサヒユケバと言ひ、又衣ノスソモトホリテヌレヌと詠めり。卷二、吾衣手は通りてぬれぬとも詠みて、ここは紅の下の重ねの衣まで沾《ヌ》れとほるを言ふなり。
 參考 ○年往更(古、新)トシユキカハリ。
 
(72)4157 紅。衣爾保波之。辟田河。絶己等奈久。吾等眷【眷ヲ看ニ誤ル】牟。
くれなゐの。ころもにほはし。さきたがは。たゆることなく。われかへりみむ。
 
卷一、見れどあかぬよし野の河のとこなめのたゆることなく又かへり見む、と言へるより詠まれしなり。今本看と有るを、元暦本眷に作るを善しとす。
 
4158 毎年爾。鮎之走婆。左伎多河。?八頭可頭氣?。河瀬多頭禰牟。
としのはに。あゆしはしらば。さきだがは。うやつかづけて。かはせたづねむ。
 
アユシのシは助辭。ヤツは數多きを言ふ。カヅケテはカヅカセテを約め言ふなり。
 
季春三月九日擬2出擧之政1行2於舊江(ノ)村1道(ノ)上(リ)屬2目(ヲ)物花1之詠、并興中所v作之歌  目録には此端詞無し。是れは以下長短合十首の惣標なるべし。舊江村は射水郡なり。
 
過2澁溪《シブタニノ》埼1見2巌上樹1歌一首(樹名都萬麻。)
 
4159 礒上之。都萬麻乎見者。根乎延而。年深有之。神左備爾家里。
いそうへの。つままをみれば。ねをはへて。としふかからし。かむさびにけり。
 
イソとは石をも言へど、ここのイソノウヘは磯のあたりを言ふ。ツママ、未だ考へず。樹名云云と註有るからは、越にのみ有る木と見ゆ。上に葦附水松類也と註せるが如し。年深カラシは、卷三ふるき堤の(73)年深みと詠みて、年久しきを言ふ。
 參考 ○礒上之(考、古)イソノヘ(新)略に同じ。
 
悲2世間無1v常歌一首并短歌
 
4160 天地之。遠始欲。俗中波。常無毛能等。語續。奈我良倍伎多禮。天原。振左氣見婆。照月毛。盈〓之家里。安之比奇能。山之木末【末ヲ未ニ誤ル】毛。春去婆。花開爾保比。秋都氣婆。露霜負而。風交。毛美知落家利。宇都勢美母。如是能未奈良之。紅能。伊呂母宇都呂比。奴婆多麻能。黒髪變。朝之咲。暮加波良比。吹風能。見要奴我其登久。逝水能。登麻良奴其等久。常毛奈久。宇都呂布見者。爾波多豆美。流H。等騰米可禰都母。
あめつちの。とほきはじめよ。よのなかは。つねなきものと。かたりつぎ。ながらへきたれ。あまのはら。ふりさけみれば。てるつきも。みちかけしけり。あしびきの。やまのこぬれも。はるされば。はなさきにほひ。あきづけば。つゆしもおひて。かぜまじり。もみぢちりけり。うつせみも。かくのみならし。くれなゐの。いろもうつろひ。ぬばたまの。くろかみかはり。あさのゑみ。ゆふべかはらひ。ふくかぜの。みえぬがごとく。ゆくみづの。とまらぬごとく。つねもなく。うつろふみれば。にはたづみ。ながるるなみだ。とどめかねつも。
 
(74)ハジメヨのヨは、ヨリなり。ナガラヘキタレは、卷十八、きよき其名をいにしへよ今のをつつにながさへると言へるに同じく、然《シ》か習ひ來れると言ふ意なり。キタレバのバを略けり。ウツセミは現身なり。紅ノ色モウツロヒは、紅顔の變るを言ふ。朝ノヱミ云云、榮えたるが衰ふる習ひを言ふ。カハラヒはカハリを延べ言ふなり。吹風ノ云云、ユク水ノ云云、卷十五挽歌に、行水のかへらぬ如く吹く風の見えぬが如く、と詠めり。ニハタヅミ、枕詞。
 參考 ○等騰米(新)元暦本トド未と有るも棄てがたし。
 
反歌
 
4161 言等波奴。木尚春開。秋都氣婆。毛美知遲良久波。常乎奈美許曾。
こととはぬ。きすらはるさき。あきづけば。もみぢちらくは。つねをなみこそ。
 
チラクはチルを延べ言ふなり。常ヲナミコソは、世の常無さにこそ然かは有れと言ふなり。
 
一云。常無牟等曾《ツネナケムトゾ》。
 
4162 宇都世美能。常無見者。世間爾。情都氣受?。念日曾於保伎。
うつせみの。つねなきみれば。よのなかに。こころつけずて。おもふひぞおほき。
 
心ツケズはいはゆる執着せぬなり。オモフは、世間のありさまを觀念するなり。
 
一云。嘆《ナゲク》日曾於保吉。
 
(75)豫作七夕歌一首
 
4163 妹之袖。我禮枕可牟。河湍爾。霧多知和多禮。左欲布氣奴刀爾。
いもがそで。われまくらかむ。かはのせに。きりたちわたれ。よのふけぬとに。
 
卷五琴の歌に、人のひざのへわがまくらかむ、此下にも縵か牟と有り。又集中柳かづらきとも詠みて、き〔右○〕もかむ〔二字右○〕も添へたる詞なり。トニは時ニの略なり。彦星の心を詠めり。宣長云、刀爾は此詞集中に多し。刀は外《ト》にて、俗言に内ニと言ふと同意なり。外と内とは反對なるに同意なる故は、外ニと言ふは彼方《アナタ》を内にして言ひ、内ニと言ふは此方《コナタ》を内にして言ふなり。サヨフケヌ外《ト》ニは、更けたる方を内にして言ふなり。俗言の夜フケヌ内ニと言ふは、宵の方を内にして言ふなりと言へり。此言上に多く出づるを、宣長の説を聞けるままに、遲れたれど此處に記す。猶考ふべし。
 
慕v振2勇士之名1歌一首并短歌
 
4164 知智乃實【實ヲ寶ニ誤ル】乃。父能美許等。波播蘇葉乃。母能美己等。於保呂可爾。情盡而。念良牟。其子奈禮夜母。丈夫夜。無奈之久可在。梓弓。須惠布理於許之。投矢毛知。千尋射和多之。劔刀。許思爾等理波伎。安之比奇能。八峯布美越。左之麻久流。情不障。後代(76)乃。可多利都具倍久。名乎多都倍志母。
ちちのみの。ちちのみこと。ははそばの。ははのみこと。おほろかに。こころつくして。おもふらむ。そのこなれやも。ますらをや。むなしくあるべき。あづさゆみ。すゑふりおこし。なぐやもち。ちひろいわたし。つるきたち。こしにとりはき。あしびきの。やつをふみこえ。さしまくる。こころさやらず。のちのよの。かたりつぐべく。なをたつべしも。
 
チチノミノ、ハハソバノ、枕詞。實、今本誤りて寶に作る、元暦本に據りて改む。オホロカは疎かなり。其子ナレヤモ、是れも家持卿の作にして、自らを指し言へるなり。投矢は集中ナグルサと言ふも同じ、神代紀於是取v矢還投下之とも言へり。投は射遣なり。サシマクルは差任クルなり。不障、サヤラズと訓むべし。神武紀しぎは佐夜羅孺《サヤラズ》いすぐはしくじら佐夜|離《リ》。卷五、いななとおもへどこらに佐夜利奴など有り。さてサシマクル心サヤラズの二句穩かならず。句の落ちたるならん。後ノ代ノ語リツグベクは、後の代の人のと言はんが如し。
 參考 ○投矢(新)ナゲヤ ○情不障(考)ココロサハラズ(古、新)略に同じ ○(新)此句の上に落句有るにてサシマクル、ミコトノマニマ、妻子ドモニ、ココロサヤラズ、ならんか。
 
反歌
 
4165 丈夫者。名乎之立倍之。後代爾。聞繼人毛。可多里都具我禰。
ますらをは。なをしたつべし。のちのよに。ききつぐひとも。かたりつぐがね。
 
名ヲシのシは助辭。ガネは後をかねて待つ意の辭にて既に言へり。
(77)右二首追2和山上憶良臣1作歌。  卷六憶良の歌、をのこやもむなしかるべき萬世に語繼べき名はたたずして、と言へるに追和《オヒテコタフ》るなり。
 
詠2霍公鳥并時花1謌一首并短歌
 
4166 毎時爾。伊夜目都良之久。八千種爾。草木花左伎。喧鳥乃。音毛更布。耳爾聞。眼爾視其等爾。宇知歎。之奈要宇良夫禮。之努比都追。有争波之爾。許能久禮能。四月之立者。欲其母理爾。鳴霍公鳥。從古昔。可多理都藝都流。鶯之。宇都之眞子可母。菖蒲。花橘乎。※[女+感]嬬良我。珠貫麻泥爾。赤根刺。晝波之賣良爾。安之比奇乃。八丘飛超。夜干玉乃。夜者須我良爾。曉。月爾向而。往還。喧等余牟禮杼。何如將飽足。
ときごとに。いやめづらしく。やちくさに。くさきはなさき。なくとりの。こゑもかはらふ。みみにきき。めにみるごとに。うちなげき。しなえうらぶれ。しのびつつ。あらそふはしに。このくれやみ。うづきしたてば。よごもりに。なくほととぎす。いにしへゆ。かたりつぎつる。うぐひすの。うつしまこかも。あやめぐさ。はなたちばなを。をとめらが。たまぬくまでに。あかねさす。ひるはしめらに。あしびきの。やつをとびこえ。ぬばたまの。よるはすがらに。あかときの。つきにむかひて。ゆきかへり。なきとよむれど。いかがあきたらむ。
 
(78)カハラフはカハルを延べ言ふなり。シナエウラブレは、卷二、夏草のおもひしなえて、卷十四、君に戀ひしなえうらぶれなど言へり。アラソフハシニ、卷二長歌、ゆく鳥のあらそふはしにと詠めり。ハシは間なり。花鳥を賞《メ》で爭ふ中の、專《モハ》らの物に郭公を言はんとてなり。按ずるに有爭の有は相の誤ならんか。卷二相競、卷十相爭、共にアラソフと訓めり。宣長云、爭は來の誤にて、アリクルなるべし、アラソフと言ふ事此歌に由無しと言へり。猶考ふべし。コノクレは木《コ》の暗《クレ》なり。罷は借字にて闇《ヤミ》なり。宣長は罷は能の誤にて、コノクレノならんと言へり。ヨゴモリは夜籠りなり。鶯ノウツシマコカモは、卷九郭公の歌に、鶯のかひこの中にほととぎすひとりうまれて、と詠めり。ウツシは愛妻をウツクシヅマと詠めれば、ウツクシのクを略けるなるべし。宣長はウツシは現ならんと言へり。マコは卷九、人ならば母のまな子ぞと詠めるマナ子と言ふに同じく、實の子を言ふ。ヒルハシメラは、卷十三、晝者|終《シメラ》爾と有り。
 參考 ○有爭波之爾(古、新)「有來」アリクルハシニ ○許能久禮能(代、古、新)コノクレ「能」ノ(考)略に同じ ○從古昔(考、新)ムカシヨリ(古)イニシヘヨ ○(新)アヤメクサの上にウノ花ノサキチル時ユなど落ちしか ○何如(考)略に同じ(古)イカデ(新)ナドカ。
 
反歌二首
 
4167 毎時。彌米頭良之久。咲花乎。折毛不折毛。見良久之余志母。
(79)ときごとに。いやめづらしく。さくはなを。をりもをらずも。みらくしよしも。
 
4168 毎年爾。來喧毛能由惠。霍公鳥。聞婆之努波久。不相日乎於保美。
としのはに。きなくものゆゑ。ほととぎす。きけばしぬばく。あはぬひをおほみ。
 
毎年鳴く物なるものをの意なり。シヌバクはシヌブを延べ言ふなり。アハヌはキカヌと言ふが如し。
 
毎年謂2之(ヲ)等之乃波《トシノハ》1。  此註活本元暦本に無くて、元暦本にはトシゴトニと點せり。
 
右二十日雖v未v及v時依v興豫作也。
 
爲3家婦贈2在v京尊母1所v誂作歌一首并短歌  家婦は坂上大孃、尊母は大伴坂上郎女なり。
 
4169 霍公鳥。來喧五月爾。笑【笑ヲ笶ニ誤ル】爾保布。花橘乃。香吉 。於夜能御言。朝暮爾。不聞日麻禰久。安麻射可流。夷爾之居者。安之比奇乃。山乃多乎里爾。立雲乎。余曾能未見都追。嘆蘇良。夜須家奈久爾。念蘇良。苦伎毛能乎。奈呉乃海部之。潜取云。眞珠乃。見我保之御面。多太向。將見時麻泥波。松柏乃。佐賀延伊麻佐禰。尊安我吉(80)美。(御面謂2之(ヲ)美於毛和1)
ほととぎす。きなくさつきに。さきにほふ。はなたちばなの。かぐはしき。おやのみこと。あさよひに。きかぬひまねく。あまざかる。ひなにしをれば。あしびきの。やまのたをりに。たつくもを。よそのみみつつ。なげくそら。やすけくなくに。おもふそら。くるしきものを。なごのあまの。かづきとるとふ。しらたまの。みがほしみおもわ。ただむかひ。みむときまでは。まつかへの。さかえいまさね。たふときあがきみ。
 
笑を笶に誤れり。香吉、カヲヨシミと訓めれど語例無し。吉はキの假字に書けるなり。オヤノミコトは、ここに書ける如く御言なり。キカヌ日マネクは、既に宣長の言へる如く、數多き事に言ふ詞にて、集中例多し。間無クとしては聞えず。此親ノミコトを、父ノ命、母ノ命とし、聞は關の誤にて、カケヌヒマネミと訓まんかと翁の言はれしは善からず。山ノタヲリはたわみたる所を言ふ。ヤスケクナクニ、卷十七にも此詞出づ。安カラナクニと言ふに同じ。シラタマノは、麗はしき面を言はんとて冠らせたり。御オモワ、卷九、もち月のみてる面輪とも詠めり。柏は和名抄、柏一名掬(和名加閉)柏實一名榧子など言へるにて、今カヤと言へる木なり。閉と也と通はず。後に訛れるなり。唐土《モロコシ》にても松柏と續けて常葉なる事に言へば、今斯く詠めるなり。イマサネはイマセを延べ言ふなり。
 參考 ○香吉(古、新)香細吉とす ○於夜能御言(代)ミコトヲ(考、古)略に同じ(新)オヤノミコトヲ「言」の下に「乎」を補ふ。
 
反歌一首
 
4170 白玉之。見我保之君乎。不見久爾。夷爾之乎禮婆。伊家流等毛奈之。
しらたまの。みがほしきみを。みずひさに。ひなにしをれば。いけるともなし。
 
(81)君は親を指す。多く生《イケ》リトモナシと詠めり。イケルにても同じ。宣長云、こはイケリトモナシと言ふとは異なり。トは利《ト》心など言ふ利《ト》にて、集中に心神もなしと書けるも、イケルトモナシと訓まんと言へり、猶考ふべし。
 參考 ○伊家流等毛奈之(新)イケ「理」リトモナシ。
 
二十四日應2立夏四月節1也。因v此二十三日之暮忽思2霍公鳥曉喧聲1作歌二首
 
4171 常人毛。起都追聞曾。霍公鳥。此曉爾。來喧始音。
つねびとも。おきつつきくぞ。ほととぎす。このあかときに。きなくはつこゑ。
 
常人モは、我のみか、他の人もと言ふ意。立夏に必ず鳴くべき事として詠めるなり。
 參考 ○來喧始音(考、古、新)キナケハツコヱ。
 
4172 霍公鳥。來鳴響者。草等良牟。花橘乎。屋戸爾波不殖而。
ほととぎす。きなきとよまば。くさとらむ。はなたちばなを。やどにはうゑずて。
 
卷十に、月夜よみ鳴ほととぎす見まくほり吾草とれり見む人もがも。宣長説に、此吾は今の誤にて、イマクサトレリなり。草トルとは、凡て鳥の木の枝にとまるを言ひて、是れも郭公のとまるべき花橘を宿に植ゑんものを、植ゑずして今悔ゆる意なりと言へり。
 
贈2京(ノ)丹比家1歌一首
 
(82)4173 妹乎不見。越國敝爾。經年婆。吾情度乃。奈具流日毛無。
いもをみず。こしのくにべに。としふれば。わがこころどの。なぐるひもなし。
 
ココロドは上に出でたり。ナグルはナグサムなり。
 參考 ○日毛無(新)日モナキ。
 
追2和筑紫太宰之時春苑【苑ヲ花ニ誤ル】梅謌1一首  苑を今花に誤る。
 
4174 春裏之。樂終者。梅花。手折乎伎都追。遊爾可有。
はるのうちの。たぬしきをへば。うめのはな。たをりをきつつ。あそぶにあるべし。
 
卷五、梅の宴の歌多かる中に、む月立春し來たらばかくしこそうめををりつつたぬしきをへめ、又梅の花折てかざせる諸人はけふのあひだはたぬしく有べし。是れらの歌に和《コタ》へたるなり。タヌシキヲヘバは、ここは樂しき事の極みはと言ふ意なり。乎伎ツツを置つつとしては假字違へり。手折置きて遊ぶとては理りも聞えず。乎伎は毛致の誤にて、タヲリモチツツならんと宣長が言へるぞ善きと翁言はれき。
 參考 ○樂終者(代)タノシキハテハ(考)タノシキヲヘバ(古、新)略に同じ但し(新)はハを清む ○手折乎伎都追(代)タヲリ「手」テキツツ(考)略に同じ(古)の一説タヲリ「而」テキツツ(新)タヲリヲキツツ「ヲ」を助辭とす ○遊爾可有(代、古、新)アソブニアルベシ(考)略に同じ。
 
(83)右一首二十七日依v興作之。
 
詠2霍公鳥1歌二首
 
4175 霍公鳥。今來喧曾無。菖蒲。可都良久麻泥爾。加流流日安良米也。
ほととぎす。いまきなきそむ。あやめぐさ。かづらくまでに。かるるひあらめや。
 
ソムは始むなり。カヅラクは上に出づ。カルルは離ルなり。
 
[毛能波三箇辭闕v之。  此三の言を除きて詠めるなり。古今集に同じ文字無き歌など言ふ類ひなり。
 
4176 我門從。喧過度。霍公鳥。伊夜奈都可之久。雖聞飽不足。
わがかどゆ。なきすぎわたる。ほととぎす。いやなつかしく。きけどあきたらず。
 
毛能波?爾乎六箇辭闕v之。
 
此六言また歌に無し。さればおのづからには有らで、殊更に除きたるなり。此六言專ら助辭に用ふる言にて、是れを除きては詠み難き故に、却りて除きたるにや有らん。
 
四月三日贈2越前判官大伴宿禰池主1霍公鳥歌、不v勝2感v舊之意1述v懷一首并短歌
 
4177 和我勢故等。手携而。曉來者。出立向。暮去者。振放見都追。念暢。【暢ヲ鴨ニ誤ル】見奈疑之山爾。八峯爾波。霞多奈婢伎。谿敝爾波。海石榴花咲。宇良悲。春之過(84)者。霍公鳥。伊也之伎喧奴。獨耳。聞婆不怜毛。君與吾。隔而戀流。利波山。飛超去而。明立者。松之佐枝爾。暮去者。向月而。菖蒲。玉貫麻泥爾。鳴等余米。安寢不令宿。君乎奈夜麻勢。
わがせこと。てたづさはりて。あけくれば。いでたちむかひ。ゆふされば。ふりさけみつつ。おもひのべ。みなぎしやまに。やつをには。かすみたなびき。たにべには。つばきはなさき。うらがなし。はるしすぐれば。ほととぎす。いやしきなきぬ。ひとりのみ。きけばさぶしも。きみとわれ。へだててこふる。となみやま。とびこえゆきて。あけたたば。まつのさえだに。ゆふさらば。つきにむかひて。あやめぐさ。たまぬくまでに。なきとよめ。やすいしなさず。きみをなやませ。
 
セコは池主を指す。今本念鴨を元暦本に念暢に作りて、オモヒノベと點せり。然るべし。見ナギシは見て心を和《ナゴ》せしと言ふなり。此下の長歌に、見るごとに情奈疑牟等とも詠めり。ヤツヲニハ云云、家持卿池主もと同じく越中に在りしを、今池主越前掾にて隔たり居る由を言ふ故に斯く言へり。シキナキヌは重鳴なり。トナミ山、越中。アヤメ草云云は、五月まで鳴けと言ふなり。ヤスイシナサズ云云は、獨り郭公を聞きて、寂しさに堪へぬ餘りに、池主が住む方へも飛び行きて、池主が心をも動かさしめよと郭公に仰する如くに詠めるなり。卷五、夜周伊斯奈佐農《ヤスヰシナサヌ》と有れば、此處も然《シ》か訓むべし。
 參考 ○念鴨(代)オモヘカモ(考)オモヒ「塢」ヲ(古、新)略に同じ ○見奈疑之山爾(代)ミナギノヤマニ(古、新)略に同じ ○春之過者(考、古)ハルノスグレバ(新)略に同じ ○安寢(85)不合宿(代、考)ヤスイネサセデ(代の一説)ヤスイネシメデ(新)ヤスイネシメズ。
 
反歌
 
4178 吾耳。聞婆不怜毛。霍公鳥。丹生之山邊爾。伊去鳴爾毛。
われ《ひとり》のみ。きけばさぶしも。ほととぎす。にふのやまべに。いゆきなくにも。
 
和名紗、越前國丹生郡丹生郷有り。ナクニモにては意たがへり。爾は南の誤にて、ナカナモと有るべきなり。
 參考 ○吾耳(考)ワレノミ(古、新)アレノミシ、但し(新)はワレ ○鳴爾毛(考)ナクニモ(古)ナケ「夜」ヤモ(新)略のナカナモに同じ。
 
4179 霍公鳥。夜喧乎爲管。我世兒乎。安宿勿令寢。由米情在。
ほととぎす。よなきをしつつ。わがせこを。やすいしなすな。ゆめこころあれ。
 
セコは池主を指す。右の長歌の末句と意同じ。つとめて心有りて鳴けかしと言ふなり。
 
不v飽d感2霍公鳥1之情u述v懷作歌一首并短歌
 
4180 春過而。夏來向者。足檜木乃。山呼等余米。左夜中爾。鳴霍公鳥。始音乎。聞婆奈都可之。昌蒲。花橘乎。貫交。可頭良沼【沼ハ衍文】久麻而爾。里響。喧渡禮騰(86)母。尚之努波由。
はるすぎて。なつきむかへば。あしびきの。やまよびとよめ。さよなかに。なくほととぎす。はつこゑを。(86)きけばなつかし。あやめぐさ。はなたちばなを。ぬきまじへ。かづらくまでに。さととよめ。なきわたれども。なほししぬばゆ。
 
良の下沼は衍文なるべし。カヅラクマデニと有るべし。麻の下、而、元暦本泥に作るを善しとす。六帖の小長歌と言ふ類ひなり。昌は菖の誤なるべし。
 參考 ○夏來向者(代)ナツコムカヘバ(考)ナツキマケレバ(古、新)略に同じ ○可頭良沼久麻而爾(代)沼は衍(考)沼にヌの傍訓す(古、新)略に同じ。
 
反歌三首
 
4181 左夜深而。曉月爾。影所見而。鳴霍公鳥。聞者夏借。
さよふけて。あかときづきに。かげみえて。なくほととぎす。きけばなつかし。
 
4182 霍公鳥。雖聞不足。 網取爾。獲而奈都氣奈。可禮受鳴金。
ほととぎす。きけどもあかず。あみどりに。とりてなつけな。かれずなくがね。
 
網にて取るをアミドリと言ふ、ナツケナはナツケンなり。ガネは設けて待つ詞。
 參考 ○不足(代)の一訓タラズ。諸訓略に同じ ○網取(古、新)アミトリと清みてよむ。
 
4183 霍公鳥。飼通良婆。今年經而。來向夏波。麻豆將喧乎。
(87)ほととぎす。かひとほせらば。ことしへて。きむかふなつは。まづなきなむを。
 
キムカフ夏は來ん年の夏を言ふ。
 參考 ○來向夏波(代)コムカフ(考)キマケムナツハ(古、新)略に同じ。
 
從2京師1贈來歌一首  此末に此答へ歌二首有りて、そこの註に、此歌は京の家に留りたる家持卿の妹より、越中の家持卿の妻へ贈れる由見ゆ。
 
4184 山吹乃。花執持而。都禮毛奈久。可禮爾之妹乎。之努比都流可毛。
やまぶきの。はなとりもちて。つれもなく。かれにしいもを。しぬびつるかも。
 
此末なる答へ歌にも、妹に似る草と見しよりと詠めり。然れば女は互に妹と言ふ例なるべし。男どち互に吾セコと言ふが如し。仁賢紀註に、古者不v言2兄弟長幼1。女(ハ)以v男稱v兄《セト》。男(ハ)以v女稱v妹《イモト》。故(レ)云2於母亦兄於吾亦兄《オモニモセアレニモセ》1耳。カレニシは離去《カレイニ》シなり。妹は家持卿の妻を指す。
 
右四月五日從2留女之女郎1所v送也。  留の下の女は卿か京の誤なるべし。郎今良に誤る。
 參考 ○(新)留女は留京の誤。
 
詠2山振花1歌一首并短歌
 
4185 宇都世美波。戀乎繁美登。春麻氣?。念繁波。引攀而。折毛不折毛。毎見。(88)情奈疑牟等。繁山之。谿敝爾生流。山振乎。屋戸爾引植而。朝露爾。仁保敝流花乎。毎見。念者不止。戀志繁母。
うつせみは。こひをしげみと。はるまけて。おもひしげけば。ひきよぢて。をりもをらずも。みるごとに。こころなぎむと。しげやまの。たにべにおふる。やまぶきを。やどにひきうゑて。あさつゆに。にほへるはなを。みるごとに。おもひはやまず。こひししげしも。
 
江家  此二字元暦本に無し、尤削るべし。
 
ウツセミは現身なり。シゲケバはシゲケレバの略。折リモ不折モは、山吹を祈りてもめで、折らずしても見て、心を慰まんと言ふなり。斯く情を慰まんとて植うれば、中中に見る毎に念の止む事は無くて戀の繁きとなり。
 參考 ○念繁波(考、新)略に同じ(古)オモヒシゲクハ ○毎見(新)ミムゴトニ。
 
反謌 今謌を詠に誤る。
 
4186 山吹乎。屋戸爾植?波。見其等爾。念者不止。戀己曾益禮。
やまぶきを。やどにうゑては。みるごとに。おもひはやまず。こひこそまされ。
 
六日遊2覽布勢水海1作歌一首并短歌
 
4187 念度知。丈夫能。許乃久禮。繁思乎。見明良米。情也良牟等。布勢乃海爾。小船都良奈米。眞可伊可氣。伊許藝米具禮婆。乎布能浦爾。霞多奈比伎。垂姫(89)爾。藤浪咲而。濱淨久。白浪左和伎。及及爾。戀波末佐禮杼。今日耳。飽足米夜母。如是己曾。禰年乃波爾。春花之。繁盛爾。秋葉能。黄色時爾。安里我欲比。見都追思努波米。此布勢能海乎。
おもふどち。ますらをのこの。このくれの。しげきおもひを。みあきらめ。こころやらむと。ふせのうみに。をぶねつらなめ。まかいかけ。いこぎめぐれば。おふのうらに。かすみたなびき。たるひめに。ふぢなみさきて。はまきよく。しらなみさわぎ。しくしくに。こひはまされど。けふのみに。あきたらめやも。かくしこそ。いやとしのはに。はるはなの。しげきさかりに。あきのはの。もみぢのときに。ありがよひ。みつつしぬばめ。このふせのみを。
 
久禮の下乃を脱せるか。コノクレは木の下暗なり。さて其木のくれの如くと言ふを籠めて、繁き思と言ふへ言ひ下したり。ツラナメは連竝めなり。卷十五、いさりするあまのをとめは舟にのりつららにうけり、とも詠めり。ヲフノ浦、垂姫、共に越中、上に出づ。シクシクニ戀ハマサレド云云は、此所を重重に見まく戀ふる心は増されど、飽く由は無きなり。黄色時爾、卷十七、秋さらば毛美知能等伎爾《モミヂノトキニ》と有れば此處も然《シ》か訓めり。
 參考 ○(新)コノクレの下に「能」を脱す ○黄色時爾(考、新)モミヅルトキニ(古)ニホヘルトキニ。
 
(90)反歌
 
4188 藤奈美能。花盛爾。如此許曾。浦己藝廻都追。年爾之努波米。
ふぢなみの。はなのさかりに。かくしこそ。うらこぎたみつつ。としにしぬばめ。
 
此シヌバメは直ちに其見る所を賞《メ》で慕ふ意なり。
 
贈2水烏《ウヲ》越前判官大伴宿禰池主1歌一首并短歌
 
和名抄、??辨色立成云。大曰2?孳1(日本紀私記志万豆止利)小曰2鵜?1(俗云宇)爾雅註云?孳1水鳥也云云。按に批鳥は烏の誤なるべし。
 
4189 天離。夷等之在者。彼所此間毛。同許己呂曾。離家。等之乃經去者。宇都勢美波。物念之氣思。曾許由惠爾。情奈具左爾。霍公鳥。喧始音乎。橘。珠爾安倍貫。可頭良伎?。遊波之母。麻須良乎乎。等毛奈【今等毛毛ト有ル一ノ毛ハ衍文】倍立而。叔羅河。奈頭左比泝【泝ヲ沂ニ誤ル】。平瀬爾波。左泥刺渡。早湍爾波。水烏【烏ヲ鳥ニ誤ル】乎潜都追。月爾日爾。之可志安(91)蘇婆禰。波之伎和我勢故。
あまざかる。ひなとしあれば。そこここも。お|な《や》じこころぞ。いへさかり。としのへぬれば。うつせみは。ものもひしげし。そこゆゑに。こころなぐさに。ほととぎす。なくはつこゑを。たちばなの。たまにあへぬき。かづらきて。あそばはしも。ますらをを。ともなへたてて。しくらがは。なづさひのぼり。ひらせには。さでさしわたし。はやせには。うをかづけつつ。つきにひに。しかしあそばね。はしきわがせこ。
 
江家  此二字元暦本に無し、尤削るべし。
 
アヘヌキは相貫なり。遊波之母、舊訓タハルレバシモと有れど惡ろし、先づ暫く字のままに訓めり。宣長云、こは遊波久與之母《アソバクヨシモ》なるを、久與の二字脱ちたるなるべし。此歌上にソコユヱニと言へるを思へば、此遊云云の句までは、家持卿自らの事を言へるにて、さて次のマスラヲヲと言ふより池主の事なり。されば一首の意は、吾もしかじかして遊べば心慰みて宜しく思ふなり。我がせこもしかじかして遊び給へと言へるなりと言へり。等毛、今本等毛毛と有り、一の毛は衍文なり。トモナヘは令v伴の意。此上にも此詞有り。翁説、叔羅河は越前人云今府に白鬼女《シラキメ》河あり、神名帳、越前敦賀|白城《シラキ》神社、又|信露貴《シロキ》神社有り、されば此叔は新の誤にて、シラキ川なるべしと言はれき。元暦本叔を升と有れば彌字近し。又或人云、神名帳越前大野郡|篠座《シヌクラ》神社有り。シクラ川は此處かと言へり。此説も近し。平瀬は平らかにて緩やかなる瀬を言ふべし。水烏、今本誤りて水鳥に作る。ここに反歌二首と有るべきを脱せり。
 參考 ○於波之母(代)タハルルハシモ(考)アソベレバシモ(古、新)アソバクヨシモ「波」の下「久與」二字を補ふ ○月爾日爾(古)略に同じ(新)「且」アサニヒニ。
 
4190 叔羅河。湍乎尋都追。和我勢故波。宇可波多多佐禰。情奈具左爾。
(92)しくらがは。せをたづねつつ。わがせこは。うかはたたさね。こころなぐさに。
 
江家  是れも元暦本に無し、削るべし。
 
タタサネはタタセを延べたる言なり。卷一、鵜川ヲ立と言ふ所に言へり。
 
4191 鵜河立。取左牟安由能。之我波【波ヲ婆ニ誤ル】多婆。吾等爾可伎無氣。念之念婆。
うかはたち。とらさむあゆの。しがはたは。われにかきむけ。おもひしもはば。
 
シガはソレガなり。今本、婆多婆と有り、上の婆を河野本波に作る。波多婆は鰭者なり。ヒレを言ふ。カキは詞にて、ムケは吾に贈りこせ、吾を思ひ思ふとならばと言ふなるべし。ムケヨと言ふヨの詞を略くは古言の例なり。
 
右九日附v使贈v之。
 
詠2霍公鳥并藤花1一首并短歌                   
 
4192 桃花。紅色爾。爾保比多流。面輪乃宇知爾。青柳乃。細眉根乎。咲麻我理。朝影見都追。※[女+感]嬬良我。手爾取持有。眞鏡。盖上山爾。許能久禮乃。繁溪邊乎。呼等米【余米ヲ下上ニ米尓ト誤レリ】尓。旦飛渡。暮月夜。可蘇氣伎野邊。遙遙爾。喧霍公鳥。立久久(93)等。羽觸爾知良須。藤浪乃。花奈都可之美。引攀而。袖爾古伎禮都。染婆染等母。
もものはな。くれなゐいろに。にほひたる。おもわのうちに。あをやぎの。ほそきまゆねを。ゑみまがり。あさかげみつつ。をとめらが。てにとりもたる。まそかがみ。ふたがみやまに。このくれの。しげきたにべを。よびとよめ。あさとびわたり。ゆふづくよ。かそけきのべに。はろばろに。なくほととぎす。たちくくと。はぶりにちらす。ふぢなみの。はななつかしみ。ひきよぢて。そでにこきれつ。そまばそむとも。
 
ヱミマガリは、笑曲りにて、眉の撓《タワ》める形《カタチ》を言ふか。又ヱミマケのケを延べて、カレと言ふをレをリに通はして、ヱミマガリと言へるか。ヱミマケは笑設なり。朝影見ツツは鏡を見るなり。眞鏡と言ふまではフタと言はん序のみ。呼等米爾を、メスラメニと訓みたれど由なし。呼等米爾は宣長云、呼等余米と有りしを誤れるなりと言へり。カソケキは幽かなるなり。此下にも吹風のかそけきと詠めり。夕月の影を言ふ。立ククは立チクグルなり。コキレツは、コキはカキに同じく、詞にて、カキ入レツなり。卷八、引よせてちらばちるべき梅の花袖に古寸入津《コキレツ》そまはそむべくと有り。古今集、もみぢばは袖にこきれてもていなむと詠めるも同じ。此處に反歌と有るべし。
 參考 ○眉根(考)略に同じ(古、新)マヨネ ○呼等米爾(代)ヨブラメニ(考)ヨビト「與米」ヨメ(古、新)略に同じ ○染婆染等母(古、新)シマバシムトモ。
 
4193 霍公鳥。鳴羽觸爾毛。落爾家利。盛過良志。藤奈美能花。
ほととぎす。なくはぶりにも。ちりにけり。さかりすぐらし。ふぢなみのはな。
 
一云。落奴倍美《チリヌベミ》。袖爾古伎禮都《ソデニコキレツ》。藤浪乃花也。同九日作v之。  也の字は添へて書けるのみ。
(94) 參考 ○鳴羽觸爾毛(考)ナクハブレニモ(古、新)略に同じ。
 
更怨2霍公鳥哢晩1歌三首
 
4194 霍公鳥。喧渡奴等。告禮騰毛。吾聞都我受。花波須疑都追。
ほととぎす。なきわたりつと。つぐれども。われききつがず。はなはすぎつつ。
 
キキツガズは一|度《タビ》聞きて、後に聞き繼がぬと言ふなり。よりて端詞に更怨と書けり。花は上の藤を言へり。
 參考 ○(新)端書の歌の字の上に「作」字を補ふ。
 
4195 吾幾許。斯努波久不知爾。霍公鳥。伊頭敝能山乎。鳴可將超。
わがここだ。しぬばくしらに。ほととぎす。いづべのやまを。なきかこゆらむ。
 
シヌバクは慕ふを延べ言ふなり。イヅベはイヅレに同じ、卷三、秋の田のほのへにきらふ朝霞|何時邊乃方《イヅベノカタ》にわが戀やまむ。
 
4196 月立之。日欲里乎伎都追。敲自努比。麻低騰伎奈可奴。霍公鳥可母。
つきたちし。ひよりをきつつ。うちしぬび。まてどきなかぬ。ほととぎすかも。
 
乎伎は招の古語なり。卷十七放鷹の歌に、呼久《ヲク》よしのそこになければ、又拾遺集歌に、はし鷹のをき餌にせんとなども有る如く、郭公の來べき餌などを設けて招くを言へるにや有らん。自は濁音にのみ用(95)ふ。されば上の言より續け言ふ時は音便にて濁るべきか。又は自は四の字の横竪に誤れるか、活本などに然《サ》る事多し。契沖云、この月タチと言ふは立夏にて、四月の節なり。上に自註に悉く見えたり。四月朔日に有らずと言へり。
 
贈2京人1歌二首  上に從2京師1贈來と言へる歌有り其和へなり。
 
4197 妹爾似。草等見之欲里。吾標之。野邊之山吹。誰可手乎里之。
いもににる。くさとみしより。わがしめし。のべのやまぶき。たれかたをりし。
 
上に山吹の花とり持てつれもなくと言ふに二首もて答ふるなり。女の互に妹と言ふ事そこに言へり。卷七、君に似る草と見るよりわがしめし野山の淺茅人なかりそね。
 
4198 都禮母奈久。可禮爾之毛能登。人者雖云。不相日麻禰美。念曾吾爲流。
つれもなく。かれにしものと。ひとはいへど。あはぬひまねみ。おもひぞわがする。
 
上の贈歌の三四の句にあてて答へたり。ツレモナク云云は、吾をつれなしと言へどと言ふ意なり。人とは郷に留る家持卿の妹を指す。マネミは例の數多き事に言ふ詞なり。
 
右爲v贈2留女之女郎1所v誂2家婦1作也。 女郎者即大伴家持之妹。 留女の女は上に言へる如く卿か京の誤なるべし。家婦は家持卿の妻なり。
 
十二日遊2覽布勢水海1船泊2於|多?灣《タコノウラニ》1望2見藤花1各述v懷作歌四首  ?今祐に作る、元暦本に(96)依りて改む。
 
4199 藤奈美能。影成海之。底清美。之都久石乎毛。珠等曾吾見流。
ふぢなみの。かげなるうみの。そこきよみ。しづくいしをも。たまとぞわがみる。
 
カゲは蔭なり。卷七、わたの底しづく白玉、其外にも多し。水底なる物の見ゆるを言ふ詞なり。
 
守大伴宿繭家持。
 
4200 多?【?ヲ祐ニ誤ル下同ジ】乃浦能。底左倍爾保布。藤奈美乎。加射之?將去。不見人之爲。
たこのうらの。そこさへにほほ。ふぢなみを。かざしてゆかな。みぬひとのため。
 
次官内藏忌寸繩麻呂。
 
4201 伊佐左可爾。念而來之乎。多?乃浦爾。開流藤見而。一夜可經。
いささかに。おもひてこしを。たこのうらに。さけるふぢみて。ひとよへぬべし。
 
イササカはカリソメの意。卷八、春の野にすみれつみにと來しわれぞ野をなつかしみ一夜ねにける。
 參考 ○伊佐左可爾(新)イササメニ「可」を「米」の誤とす。
 
判官久米朝臣廣繩。
 
4202 藤奈美乎。借廬爾造。灣廻爲流。人等波不知爾。海人等可見良牟。
ふぢなみを。かりほにつくり。いざりする。ひととはしらに。あまとかみらむ。
 
(97)灣廻は海人の業《ワザ》するさまをもて書けり。イザリの事は冠辭考に委し。藤の陰を假廬《カリホ》と見なして、漁などするみやびをも知らで、世の常の海人と人の見るらんと言ふなり。
 參考 ○灣廻爲流(考)略に同じ(古、新)ウラミスル。
 
久米朝臣|繼《ツグ》麻呂。
 
恨2霍公鳥不1v喧歌一首
 
4203 家爾去而。奈爾乎將語。安之比奇能。山霍公鳥。一音毛奈家。
いへにゆきて。なにをかたらむ。あしびきの。やまほととぎす。ひとこゑもなけ。
 
是れも右に同じ時の歌と知らる。
 
判官久米朝臣廣繩。
 
見v攀2折|保寶葉《ホホガシハヲ》1歌二首  和名抄本草云。厚朴一名厚皮。楊氏漢語抄云厚木(保保加之波之木〕今ホヲノ木と言ふなり。
 
4204 吾勢故我。捧而持流。保寶我之婆。安多可毛似加。青蓋。
わがせこが。ささげてもたる。ほほがしは。あたかもにるか。あをききぬがさ。
 
儀制令に三位以上を用ふる事見えて、一位は深緑と有り。ホホは葉廣なる物故に斯く言へり。アタカモは甚よく似たる事を言ふ詞なり。
 
(98)講師僧惠行。
 
4205 皇神祖之。遠御代三世波。射布折。酒飲等伊布曾。此保寶我之波。
すめろぎの。とほきみよみよは。いしきをり。さけのむといふぞ。このほほがしは。
 
御代三世と書きたれど借字にて御代御代の意なり。イは發語。シキヲリは折敷と言ふ意か。古へ食《ヲシ》物を盛るに木の枝葉を折り敷きしなり。書紀葉盤八枚(葉盤此云2?羅|耐《テ》1)和名抄云、本朝式云、十一月辰日宴會。其飲器參議以上朱漆椀、五位以上葉椀。(和語云久保天)又漢語抄云葉手(比良天)など見ゆ。膳夫をカシハデと言ふも此の由なり。宣長云、布折は折布を下上に誤れるか。其れも猶酒飲むにはシクと言ふ事いかがなれば布は誤字ならんか。二の句の波と言ふ言も穩かならねば、波は三の句へ付きて、猶誤字有るべしと言へり。考ふべし。
 參考 ○遠御代三世波(古)トホミヨミヨハ「波」は或は「從」か(新)トホミヨミヨハにて「波」にてよし ○射布折(新)ウチタヲリ「打手折」の誤とす ○酒飲等伊布曾(新)キノミキトイフゾ。
 
守大伴宿禰家持。
 
還時濱上(ニ)仰2見月光1歌一首
 
4206 之夫多爾乎。指而吾行。此濱爾。月夜安伎?牟。馬之末【末ヲ未ニ誤ル】時停息。
(99)しぶたにを。さしてわがゆく。このはまに。つくよあきてむ。うましましとめ。
 
ツクヨアキテムは、月を飽くまで見んなり。シマシは暫なり。トメとのみ言ひて止めよの意なり。此例古言に多し。末を今本未と有るは誤なり。
 參考 ○停息(考)マテ(古、新)略に同じ。
 
守大伴宿禰家持。
 
二十二日贈2判官久米朝臣廣繩1霍公鳥歌怨恨歌一首并短歌  上の歌の字官本に無し衍文なり。
 
4207 此間爾之?。曾我比爾所見。和我勢故我。垣都能谿爾。安氣左禮婆。榛之狹枝爾。暮左禮婆。藤之繁美爾。遙遙爾。鳴霍公鳥。吾屋戸能。殖木橘。花爾知流。時乎麻太之美。伎奈加奈久。曾許波不怨。之可禮杼毛。谷可多頭伎?。家居有。君之聞都都。追氣奈久毛宇之。
ここにして。そがひにみゆる。わがせこが。かきつのたにに。あけされば。はりのさえだに。ゆふされば。ふぢのしげみに。はろはろに。なくほととぎす。わがやどの。うゑきたちばな。はなにちる。ときをまたしみ。きなかなく。そこはうらみず。しかれども。たにかたづきて。いへをれる。きみがききつつ。つげなくもうし。
 
ワガセコ廣繩を指す。垣津能谿、此末にも鶯の鳴し可伎都とも詠み、卷八、吾妹子がやどの垣内のさ(100)ゆり花なども有れば、垣都は垣内にて、くねなど結ひ廻らしたる所を言ふなるべし。榛は雄略紀の歌のハリガエと同じく、今ハンノ木と言ふ物なる事既に言へり。ウヱ木橘は、庭に栽ゑたる橘と言ふなり。時ヲマタシミは、此時四月なれば、橘の咲き散る時を持つとて鳴かぬは怨みずと言ふか。宣長云、マタシミは後世の歌に、常に未《マダ》シキと言ふと同言と聞ゆと言へり、猶考ふべし。キナカナクは、キナカヌを延べ言へり。谷カタヅキテは、卷十、あしびきの山かたづきてと詠めるに同じ。
 參考 ○家居有(考)イヘヰセル(古、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
4208 吾幾許。麻?騰來不鳴。霍公鳥。比等里聞都追。不告君可母。
わがここだ。まてどきなかぬ。ほととぎす。ひとりききつつ。つげぬきみかも。
 
詠2霍公鳥1歌一首并短歌
 
4209 多爾知可久。伊敝波乎禮騰母。許太加久?。佐刀波安禮騰母。保登等藝須。伊麻太伎奈加受。奈久許惠乎。伎可麻久保理登。安志多爾波。可度爾伊?多知。由布敝爾波。多爾乎美和多之。古布禮騰毛。比等己惠太爾母。伊麻太伎己要受。
たにちかく。いへはをれども。こだかくて。さとはあれども。ほととぎす。いまだきなかず。なくこゑを。きかまくほりと。あしたには。かどにいでたち。ゆふべには。たにをみわたし。こふれども。ひとこゑだも。いまだきこえず。
 
(101)コダカクは木高なり。キカマクホリとは、聞かん事を欲《ホリ》すとてなり。此長歌一首の内、太四つは濁菅に用ふ、一つは清音に用ふ。すべて此卷清濁みだりなり。ここに元暦本反歌の字有り、今本脱せり。
 
4210 敷治奈美乃。志氣里波須疑奴。安志比紀乃。夜麻保登等藝須。奈騰可伎奈賀奴。
ふぢなみの。しげりはすぎぬ。あしびきの。やまほととぎす。などかきなかぬ。
 
シゲリは繁りにて盛りと言はんが如し。
 
右二十三日掾久米朝臣廣繩和。
 
追2和處女墓歌1一首并短歌  卷九に葦屋處女を詠む長歌二首短歌四首有り。其等に和ふるなり。
 
4211 古爾。有家流和射乃。久須婆之伎。事跡言繼。知努乎登古。宇奈比壯子乃。宇都勢美能。名乎競争登。玉剋。壽毛須底?。相爭爾。嬬問爲家留。※[女+感]嬬等之。聞者悲左。春花乃。爾太要盛而。秋葉之。爾保比爾照有。惜身之。壯【壯ヲ莊ニ誤ル】尚。丈夫之。語勞美。父母爾。啓別而。離家。海邊爾出立。朝暮爾。滿(102)來潮之。八隔浪爾。靡珠藻乃。節間毛。惜命乎。露霜之。過麻之爾家禮。奧墓乎。此間定而。後代之。聞繼人毛。伊也遠爾。思努比爾勢餘等。黄楊小櫛。之賀左志家良之。生而靡有。
いにしへに。ありけるわざの。くすはしき。ことといひつぐ。ちぬをとこ。うなひをとこの、うつせみの。なをあらそふと。たまきはる。いのちもすてて。あらそひに。つまどひしける。をとめらが。きけばかなしさ。はるばなの。にほえさかえて。あきのはの。にほひにてれる。あたらみの。さかりをすらに。ますらをの。こといとほしみ。ちちははに。まをしわかれて。いへさかり。うなびにいでたち。あさよひに。みちくるしほの。やへなみに。なびくたまもの。ふしのまも。をしきいのちを。つゆしもの。すぎましにけれ。おくつきを。こことさだめて。のちのよの。ききつぐひとも。いやとほに。しぬびにせよと。つげをぐし。しかさしけらし。おひてなびけり。
 
クスハシキ、卷十八七夕長歌、ここをしもあやに久須之彌とも詠めり、奇《アヤ》しきなり。クシキと言ふも同じことなり。稱コ紀宣命に久須之思議許止極難之と有り。源氏物語、ほうげづきくすしからん。其外後の物語やうの書に、クスシと言へるはいたく轉じたる物なり。知奴は和泉。宇奈比は攝津菟原なり。卷九長歌に菟原とも、菟名負とも、又菟會など書けるを思へば、菟原やがて、ウナヒと訓むべし。原をフと訓めば、ヒに通はしてウナヒと訓めるなり。相爭爾、上に競爭登と有りて、又相爭と有るは訝かし。爾の言も如何が、爭は具などの誤にて、此處はアヒトモニと有りしか。キケバカナシサは、其の壯士《ヲトコ》どもの妻どひたりし處女《ヲトメ》らが事を聞けば悲しさと言ふなり。爾太要盛而、この爾は志の誤、太は奈の誤にて、シナエサカエテなるべし。春と成りて枝のしたれ榮ゆるを言へりと翁は言はれき。されど卷(103)十三、爾太遙《ニホヘル》(この遙は逕の誤か)越賣《ヲトメ》とも有りて、此處の書樣に似たれば、翁の説も定め難し。猶考ふべき事なり。壯を莊に誤る。丈夫ノコトイトホシミ、父母ニマヲシワカレテは、卷九長歌、母にかたらくしづたまき、いやしき吾から丈夫のあらそふみればいけりともあふべくあれやししくしろよみにまたむと云云と詠めるに同じ意なり。節ノ間モ云云、ここは暫くの間も惜しき命と言へるなり。過マシニケレ、例のケレバのバを略けるなり。黄楊小櫛シカサシケラシは、處女がつげの櫛を土に挿したるが、生ひ榮えしと言ひ傳へて、斯く詠めるなるべし。卷九反歌に、墓のへの木のえなびけりきくがごとちぬをとこにしよるべけらしも。
 參考 ○相爭爾(代、考)アラソヒニ(古)略に同じ(新)アヒキホヒ、爾を衍とす ○爾太要盛而(考)「志太」シタエサカヘテ(古、新)ニホエサカニテ ○惜身之莊尚(考)ヲシキミノ、サカラフスラニ(古)略に同じ(新)アタラシキ、ミノサカリスラ ○語勞美(考、新)コトイタハシミ(古)略に同じ ○海邊爾出立(考)ヘタニ(古)ウミニデタチ(新)略に同じ ○墓(代、古、新)略に同じ(考)オキツキ ○此間(代、考)ココニ(古、新)略に同じ。
 
4212 乎等女等之。後乃表跡。黄楊小櫛。生更生而。靡家良思母。
をとめらが。のちのしるしと。つげをぐし。おひかはりおひて。なびきけらしも。
 
枯れても又生ひかはり生ひかはりして、元の如く靡くなり。
(104) 參考 ○乎等女等之(新)ヲトメラノ ○靡家良思母(新)ナビケルラシモ。
 
右五月六日依v興大伴宿禰家持作之。
 
4213 安由乎疾。奈呉乃浦廻爾。與須流浪。伊夜千重之伎爾。戀渡可母。
あゆをいたみ。なごのうらまに。よするなみ。いやちへしきに。こひわたるかも。
 
アユは東風なり。既に出づ。上は千ヘシキと言はん序のみ。
 
右一首贈2京丹比家1、
 
挽歌一首并短歌
 
4214 天地之。初時從。宇都曾美能。八十伴男者。大王爾。麻都呂布物跡。定有。官爾之在者。天皇之。命恐。夷放。國乎治【治ヲ冶ニ誤ル】等。足日木。山河阻。風雲爾。言者雖通。正不遇。日之累者。思戀。氣衝居爾。玉桙之。道來人之。傳言爾。吾爾語良久。波之伎餘之。君者比來。宇良佐備?。(105)嘆息伊麻須。世間之。厭家口都良家苦。開花毛。時爾宇都呂布。宇【宇を守ニ誤ル】都勢美毛。無常阿里家利。足千根之。御母之命。何如可毛。時之波將有乎。眞鏡。見禮杼母不飽。珠緒之。惜盛爾。立霧之。失去如。置露之。消去之如。玉藻成。靡許伊臥。逝水之。留不得常。抂【抂ハ狂ノ誤リ】言哉。人之云都流。逆言乎。人之告都流。梓弧。爪夜音之。遠音爾毛。聞者悲彌。庭多豆水。流涕。留可禰都母。
あめつちの。はじめのときゆ。うつそみの。やそとものをは。おほきみに。まつろふものと。さだめたる。つかさにしあれば。おほきみの。みことかしこみ。ひなざかる。くにををさむと。あしびきの。やまかはへなり。かぜくもに。ことはかよへど。ただにあはず。ひのかさなれば。おもひこひ。いきづきをるに。たまぼこの。みちくるひとの。つてごとに。われにかたらく。はしきよし。きみはこのごろ。うらさびて。なげかひいます。よのなかの。うけくつらけく。さくはなも。ときにうつろふ、うつせみも。つねなくありけり。たらちねの。みおものみこと。なにしかも。ときしはあらむを。まそかがみ。みれどもあかず。たまのをの。をしきさかりに。たつきりの。うせぬるごとく。おくつゆの。けぬるがごとく。たまもなす。なびきこいふし。ゆくみづの。とどめもえずと。たはことや。ひとのいひつる。およづれを。ひとのつげつる。あづさゆみ。つまひくよとの。とほとにも。きけばかなしみ。にはたづみ。ながるるなみだ。とどめかねつも。
 
ヒナザカルは、都を遠く放れたる鄙と言ふ意なり。さて鄙ザカル國ヲ治ムとは、家持卿の任國に在るを言ふ。治を今冶に誤る、一本に據りて改めつ。風雲ニは、卷八七夕歌に、風雲は二つの岸に通へども、卷廿防人が歌に、家風は日にけにふけど、又みそら行雲も使と、とも詠みて、斯く言ひて使の事なり。ハ(106)シキヨシ君は、左註に言へる右大臣の二郎君を指す、ウラサビテ云云は、母の喪を愁ひ歎くを云ふ。ウケクツラケクは、ウクツラクを延べ言ふなり。玉ノ緒は命に譬ふ、ナビキコイフシは、此處は死を言ふ。抂は狂の誤なり。逆言の下乎は可の誤か、例に據るにオヨヅレカと有るべし。アヅサ弓云云卷四梓弓爪引夜音の遠音にも君が御ことをきくはしよしもと詠めり。遙に聞く意なり。此處はもと梓弓爪引と有りしを、斯く書き誤れる物なるべし。又按ずるに字書に弧弓別名、又木弓と有れば、弧の字を用ひしか、さらば爪の下引の字か脱せしならん。
 參考 ○定有(考)サダメアル(古)略に同じ(新)サダマレル ○天皇之(古、新)「大」オホキミノ ○正不遇(古、新)タダニアハヌ ○歎息伊麻須(新)ナゲキイマスト「須」の下「等」を補ふ ○御母之命(代)略に同じ(考、古)ミハハノミコト(新)は兩訓 ○見禮杼母不飽(新)ミレドモアカヌ ○失去如久(新)ウセヌルゴトク ○消去之如(新)キエユクガゴト(古)は略に凡て同じ ○留不得常(古、新)トドメカネキト ○枉言哉(考)マガゴトヤ(古、新)略に同じ。
 
反歌二首
 
4215 遠音毛。君之痛念跡。聞都禮婆。哭耳所泣。相念吾者。
とほとにも。きみがなげくと。ききつれば。ねのみしなかゆ。あひおもふわれは。
 
痛念は義をもて書けり。
(107) 參考 ○相念(古、新)アヒモフ
 
4216 世間之。無常事者。知良牟乎。情盡莫。大夫爾之?。
よのなかの。つねなきことは。しるらむを。こころつくすな。ますらをにして。
 
右大伴宿禰家持弔d聟南右大臣家藤原二郎之喪2慈母1患u也。(五月二十七日)  南家なり。續紀勝寶元年四月以2大納言從二位藤原朝臣豐成1拜2右大臣1と見ゆ。二郎と言へるは知られず。
 
霖雨晴日作歌一首
 
4217 宇能花乎。令腐霖雨之。始水逝。縁木積成。將因兒毛我母。
うのはなを。くたすながめの。みづはなに。よるこづみなす。よらむこもかも。
 
長雨降りて卯の花を腐しむるを言ふ。水ハナは水の出はじまる意にて、始の字を書き、逝は義もて添へたるか、春海は逝は邇の誤なるべしと言へり。猶訓むべき樣有るべく、誤字も有らんか、考ふべし。コヅミは、卷廿、ほりえより朝しほみちに與流許都美と詠める歌の端詞に、獨見3江水浮2漂糞1怨2恨貝玉不1v依作歌と有るをもて知るべし。今俗ゴミと言ふは此語の略なり。さて四の句まではヨルと言はん序なり。
 參考 ○始水逝(代)ミヅハナユキ(考、古)略に同じ(新)ハナミヅカニか ○成(考)ナシ(古、新)略に同じ。
 
見2漁夫火光1歌一首
 
(108)4218 鮪衝等。海人之燭有。伊射里火之。保爾可將出。吾之下念乎。
しびつくと。あまのともせる。いざりびの。ほにかいでなむ。わがしたもひを。
 
卷六しびつると詠めり。上はホと言はん序のみ。
 參考 ○保爾可將出(考)略に同じ(古、新)ホニカイダサム。
 
右二首五月。
 
4219 吾屋戸之。芽子開爾家理。秋風之。將吹乎待者。伊等遠彌可母。
わがやどの。はぎさきにけり。あきかぜの。ふかむをまたば。いととほみかも。
 
六月に咲きたる萩なれば、秋風の吹かんは猶遠しとなり。卷八にも天平十二年六月に非時藤花と芽子の黄葉とを、家持卿の坂上大嬢に贈られたる歌有り。
 
右一首六月十五日見2芽子早花1作v之。
 
從2京師1來贈歌一首并短歌
 
4220 和多都民能。可味能美許等乃。美久之宜爾。多久波比於伎?。伊都久等布。多麻爾末佐里?。於毛敝里之。安我故爾波安禮騰。宇都世美乃。與能許等和利等。麻須良乎能。比伎能麻爾麻爾。之奈謝可流。古之地乎左(109)之?。波布都多能。和我禮爾之欲理。於吉都奈美。等乎牟麻欲比伎。於保夫禰能。由久良由久良耳。於毛可宜爾。毛得奈民延都都。可久古非婆。意伊豆久安我未。氣太志安倍牟可母。
わたづみの。かみのみことの。みくしげに。たくはひおきて。いつくとふ。たまにまさりて。おもへりし。あがこにはあれど。うつせみの。よのことわりと。ますらをの。ひきのまにまに。しなざかる。こしぢをさして。はふつたの。わかれにしより。おきつなみ。とをむまよびき。おほぶねの。ゆくらゆくらに。おもかげに。もとなみえつつ。かくこひば。おいづくあがみ。けだしあへむかも。
 
タクハヒオキテは貯置くなり。わたの神は寶珠をいつく由を以て斯くは詠めり。マスラヲノ引ノマニマは、其夫家持卿の任に率て行きしままにと言ふなり。卷六、あたらよの事にしあれば大君のひきのまにまに、とも有り。シナザカル、ハフツタノ、枕詞。和我禮の我、濁音なるべき由無し、柯の字などの誤れるか。オキツナミトヲムマヨビキは、波のうねの撓む如くなるを以て、トヲムと言ふへ冠らせたり。トヲムはタワムにて、眉の形を言ふ下の面影と言ふへ續く。オイヅクは老著にて、秋|著《ヅク》などのツクなり。漸老に及ぶを言ふ。後にオヨズケと言へるも是れより出でたる語なり。アヘムカモは堪へんかにて逢ふまでの命は得|不v堪《タヘジ》と言ふなり。
 參考 ○氣太志安倍牟可母(新)ケダシアヘ「自」ジカモ。
 
反歌一首
 
4221 可久婆可里。古非之久志安良婆。末蘇可我彌。美奴比等吉奈久。安良麻之母能乎。
かくばかり。こひしくあらば。まそかがみ。みぬひときなく。あらましものを。
 
(110)マソカガミ、枕詞。見ヌヒトキナクは、見ぬ日も、見ぬ時も無くなり。人妻と成りては、同じ京にても別れ居れば斯く言へり。之久の下、志、元暦本に無し。
 參考 ○古非之久志安良婆(新)「故非之登志良婆」コヒシトシラバ。
 
右二言大伴氏坂上郎女賜2女子大孃1也
 
九月三日宴歌二首  廣繩が家の宴なるべし。
 
4222 許能之具禮。伊多久奈布里曾。和藝毛故爾。美勢牟我多米爾。母美知等里?牟。
このしぐれ。いたくなふりそ。わぎもこに。みせむがために。もみぢとりてむ。
 
トリテムは折り取らんと言ふなるべし。
 參考 ○等里?牟(新)「乎」ヲリテム。
 
右一首掾久米朝臣廣繩作v之。
 
4223 安乎爾與之。奈良比等美牟登。和我世故我。之米家牟毛美知。都知爾於知米也母。
あをによし。ならびとみむと。わがせこが。しめけむもみぢ。つちにおちめやも。
 
奈良人は家持卿自らを言ひ、ワガセコは廣繩を指せり。
 
右一首守大伴宿禰家持作之。
 
4224 朝霧之。多奈引田爲爾。鳴鴈乎。留得哉。吾屋戸能波義。
(111)あさぎりの。たなびくたゐに。なくかりを。とどめえむかも。わがやどのはぎ。
 
鴈の鳴き行を惜みて、吾宿の萩は留《トド》むとも留《トド》め得じと詠み給へるのみ。契沖が左の註に據りて、吉野へみゆきし給ふ君を鳴き行く鴈に譬へ、皇后の御自らを萩の花によそへて詠み給へるなるべしと言へど、さまで深き事を籠め給へるには有らじ。
 參考 ○留得哉(考、新)略に同じ(古)トドメエメヤモ。
 
右一首歌者幸2於芳野離宮1之時。藤原皇后御作。但年月未2審詳1。十月五日河邊朝臣東人傳誦云爾。
 
十月以下十四字今本左の歌に屬するは誤なり。此日東人が家の宴などに誦せしと言ふなるべし、
 
4225 足日木之。山黄葉爾。四頭久相而。將落山道乎。公之越麻久。
あしびきの。やまのもみぢに。しづくあひて。ちらむやまぢを。きみがこえまく。
 
紅葉の散る頃、時雨の雫も共に落つるを詠めり。コエマクは越えんと言ふなり。
 參考 ○日黄葉爾(新)ヤマノモミヂノ ○四頭久相而(新)「雨耳」アメニアヒテ。
 
右一首同月十六日餞2之朝集使少目秦伊美吉石竹1時守大伴宿禰家持作v之。  餞下、之は衍文なり、目録に無し。石竹の下、之の字有るべし。
 
雪日作歌一首
 
4226 此雪之。消遺時爾。去來歸奈。山橘之。實光毛將見。
(112)このゆきの。けのこるときに。いざゆかな。やまたちばなの。みのてるもみむ。
 
卷廿、けのこりの雪にあへてるあしびきの山たちばなをつとにつみこなと言へるに大かた同じ。
 
右一首十二月大伴宿禰家持作v之。
 
4227 大殿之。此廻之。雪莫蹈禰。數毛。不零雪曾。山耳爾。零之雪曾。由米縁勿。人哉。莫履禰雪者。
おほとのの。このもとほりの。ゆきなふみそね。しばしばも。ふらざるゆきぞ。やまのみに。ふりしゆきぞ。ゆめよるな。ひとや。なふみそねゆきは。
 
モトホリは大殿の廻《メグ》りを言ふ。シバシバは度度なり。ヨルナ人ヤは、其廻りへな寄り近づきそと言ふなり。
 
反歌一首
 
4228 有都都毛。御見多麻波牟曾。大殿乃。此母等保里能。雪奈布美曾禰。
ありつつも。みしたまはむぞ。おほとのの。このもとほりの。ゆきなふみそね。
 
見る事を見シと言へる事既に多し。
 
右二首歌者三形沙彌承2贈左大臣藤原北【北ヲ此ニ誤ル】卿之語1作誦之也。聞v之傳者笠朝臣|子君《コキミ》。復後傳讀者越中國掾【掾ヲ極ニ誤ル】久米朝臣廣繩是也。
 
(113)北卿は房前卿也。北を今本此に誤る、元暦本に據りて改む。又語の下、作を元暦本に依に作る。
  參考 ○。御見多麻波牟曾(代)オホミタマハムゾ(考)ミミタマハムゾ(古、新)メシタマハムゾ
 
天平勝寶三年
 
4229 新。年之初者。彌年爾。雪蹈平之。常如此爾毛我。
あたらしき。としのはじめは。いやとしに。ゆきふみならし。つねかくにもが。
 
常カクニモガは、如此年毎に集宴せん事を願ふなり。
 參考 ○新(古、新)アラタシキ ○常如此爾毛我(古)の一説ツネカク「志」シモガ(新)略に同じ。
 
右一首歌者。正月二日守(ノ)舘(ノ)集宴。於v時零雪殊多。積有四尺焉。即主人大伴宿禰家持作2此歌1也。
 
積尺有四寸と有りしが斯く誤れるなり。末に例有り。
 
4230 落雪乎。腰爾奈都美?。参來之。印毛有香。年之初爾。
ふるゆきを。こしになづみて。まゐりこし。しるしもあるか。としのはじめに。
 
卷十三、夏草をこしになづみて、卷四、道のあひだをなづみまゐきてなど言へり。訊ね來し勞を言ふ。シルシモアルカは、其甲斐も有るかなにて、集宴に遇ふを歡ぶなり。
 
右一首三日會2集介内蔵忌寸繩麻呂之舘1宴樂時。大伴宿禰家持作v之。  大の上、一本守の字有り。
 
于v時積雪彫2成重巖之起1奇巧綵2發草樹之花1屬v此掾久米朝臣廣繩作歌一首
 
(114)4231 奈泥之故波。秋咲物乎。君宅之。雪巖爾。左家理家流可母。
なでしこは。あきさくものを。きみがいへの。ゆきのいはほに。さけりけるかも。
 
雪を巖の如く作り、其れに草木の花を色どり造りて立てたるに因りて斯く詠めるなり。
 
遊行女婦|蒲生《ガマフノ》娘子一首
 
4232 雪島。巖爾殖有。奈泥之故波。千世爾開奴可。君之挿頭爾。
ゆきじまの。いはほにたてる。なでしこは。ちよにさかぬか。きみがかざしに。
 
雪島は池の中島に雪の積れるを言ふならん。右同じ時作りたる花を見て祝ひて詠めるなり。サカヌカは咲キテアレカシと言ふなり。
 參考 ○雪島(考、古、新)ユキノシマ ○巖爾殖有(新)イハニウヱタル。
 
于是諸人酒酣(ニ)更深(ケ)鷄鳴(ク)因v此主人内藏伊美吉繩麻呂作歌一首
 
4233 打羽振。鷄者鳴等母。如此許。零敷雪爾。君伊麻左米也母。
うちはぶり。とりはなくとも。かくばかり。ふりしくゆきに。きみいまさめやも。
 
イマサメヤモは|い《去》にまさんやなり。
 參考 ○打羽振(古、新)ウチハブキ ○鷄(古)カケ ○(新)結句の「母」を衍とす。
 
守大伴宿禰家持和(ヘ)歌一首
 
(115)4234 鳴鷄者。彌及鳴杼。落雪之。千重爾積許曾。吾等立可?禰。
なくとりは。いやしきなけど。ふるゆきの。ちへにつめこそ。われたちがてね。
 
シキは重る意。ツメバコソのバを略きたり。タチガテネは、立ち去るに不v堪なり。あるじに名殘を惜みて立ち去り難くするを、雪にかこちて言へり。
 參考 ○鳴鷄者(古)ナクカケハ(新)「鷄鳴」トリガネハ。
 
太政大臣藤原家之|縣犬養命婦《アガタイヌガヒノヒメトネ》奉2天皇1歌一首
 
縣犬養の姓は元正、聖武、廢帝紀等に見ゆ。此天皇いづれを指し奉るとも知れ難し。
 
4235 天雲乎。富呂爾布美安多之。鳴神毛。今日爾益而。可之古家米也母。
あまぐもを。ほろにふみあたし。なるかみも。けふにまさりて。かしこけめやも。
 
宣長云、ほろは古事記如沫雪蹶散を、アワユキナスクヱハララガシと訓める、其ハララと同じ。アタシは散らす意なり、是れ唯だ雷の勢ひを強く言へる言なりと言へり。命婦大御前にて畏まり承はる事有りて詠めるなるべし。
 
右一首傳誦掾久米朝臣廣繩也。
 
悲2傷死妻1歌一首并短歌(作主未v詳)
 
4236 天地之。神者無可禮也。愛。吾妻離流。光神。鳴波多※[女+感](○原本※[女+戚]ニ誤ル今訂ス)嬬。携手。(116)共將有等。念之爾。情違奴。將言爲便。將作爲便不知爾。木綿手次。肩爾取掛。倭文幣【文ヲ父ニ幣ヲ弊ニ誤ル】乎。手爾取持而。勿離等。和禮波雖?。卷而寢之。妹之手本者。雲爾多奈妣久。
(116)あめつちの。かみはなかれや。うるはしき《うつくしき》。わがつまさかる。ひかるかみ。なるはたをとめ。てたづさひ。ともにあらむと。おもひしに。こころたがひぬ。いはむすべ。せむすべしらに。ゆふだすき。かたにとりかけ。しづぬさを。てにとりもちて。なさけそと。われはいのれど。まきてねし。いもがたもとは。くもにたなびく。
 
ナカレヤは、ナクアルカの意。吾妻サカルは死を云ふ。光神は枕詞。此妻の名を機娘《ハタヲトメ》と言ひしにや。ハタモノは音する物なれば、雷の鳴と言ふより言ひ續けたり。古事記に苅幡戸辨《カリハタトベ》、神代記に栲幡《タクハタ》千千比賣など言ふ如く、其榮とする物をもて名とせしなるべき由、冠辭考に委し。又竹取物語に、六月のなりはためくにも云云とも言へれば、ハタの詞まで懸かれるにも有るべし。さらばナリハタヲトメと訓むべし。吾妻サカルと言ふより、イハムスベ云云の句へ續けて心得べし。木綿ダスキと言ふより、ワレハイノレドの句までは、妻の病めるによりて、神に祈る程を立返りて言へり。文幣を今本誤りて父弊に作る。妹ガタモトは雲ニタナビクは、火葬の烟を言ふ。集中此類ひ多し。
 參考 ○愛(古、新)ウツクシキ ○鳴波多(古、新)ナリハタ ○携手(考)タヅサハリ(古、新)(117)略に同じ ○雖?(代)ノメドモ(考、新)略に同じ(古)ノメレド。
 
反歌一首
 
4237 寤【寤ヲ寢ニ誤ル】爾等。念?之可毛。夢耳爾。手本卷寢等。見者須便奈之。
うつつにと。おもひてしかも。いめのみに。たもとまきぬと。みるはすべなし。
 
初二句は袖まきて寢る事の、現にて有れかしと願ふ詞なり。念は添へて言ふ例の言なり。末に夢にのみ逢ふと見るがすべ無きとなり。寤、今寢に誤る、元暦本に據りて改む。テシカモのカは清むべし、例の願のガモとは異にて、哉の意なり。
 參考 ○初二句(新)寤〔傍点〕爾毛今毛〔三字傍点〕見?之可としてウツツニモ、イマモミテシカ ○見者(考、新)略に同じ(古)ミレバスベナシ。
 
右二首傳誦(ルハ)遊行女婦蒲生是也。
 
二月二日會2集于守舘1宴(スルトキニ)作(ル)歌一首
 
4238 君之往。若久爾有婆。梅柳。誰與共可。吾蘰可牟。
きみがゆき。もしひさならば。うめやなぎ。たれとともにか。わがかづらかむ。
 
卷二、君がゆきけ長くりぬとも詠めり。旅行《ユキ》なり。梅を挿頭、柳を蘰にするなれど、一つに言ひ續けたり。カヅラカムは、柳カヅラキと言ふ詞に同じ。
 
(118)右判官久米朝臣廣繩以2正税帳1應v入2京師1。仍守大伴宿禰家持作2此歌1也、但越中風土梅花柳絮三月初咲耳。
 
詠2霍公鳥1歌一首
 
4239 二上之。峯於乃繁爾。許毛爾之彼。霍公鳥待騰。未來奈賀受。
ふたがみの。をのへのしじに。こもにしは。ほととぎすまてど。いまだきなかず。
 
許毛の下、爾は里の誤にて、コモリシハか。然らば籠りしかばの意ならん。先人云、許毛の下、里を脱し、之の下、波衍文にて、コモリニシかと言へり。卷十八、二上の山にこもれるほととぎす今もなかぬか君に聞かせむ。
 參考 ○繁爾(新)シゲニ ○許毛爾之波(代)コモニカハ(考)コモ「里」リシハ(古、新)コモリニシ「毛」の下に「里」を補ふ。但し(新)は「波」を四句によみて「彼」の誤とす。 ○待騰未來奈賀受(新)「未」を衍としてマテドキナカズとす。
 
右四月十六日大伴宿禰家持作v之。
 
春日(ニテ)祭v神之日。藤原太后御作歌一首。即賜2入唐大使藤原朝臣清河1。(參議從四位下遣唐使)
 
是れは遣唐使の爲に春日の地におきて神を祭り給ふなり。此時春日四所の神社は未だ無き時なれば、二月十一日の祭の事には有らず。續紀清河贈太政大臣房前第四子也と有り。天平勝寶二年從四位下藤原朝(119)臣清河を大使とす。清河唐國に留る事十餘年、遂に唐國に卒る由見ゆ。古本參議云云の九字の小書無し。後人の書き加へしなれば除くべし。
 
4240 大船爾。眞梶繁貫。此吾子乎。韓國邊遣。伊波敝神多智。
おほぶねに。まかぢしじぬき。このあごを。からくにへやる。いはへかみたち。
 
吾子の下、乎、古本等に作る。アゴは吾子なり。清河は皇后の御爲に御甥なれど、親みて宣へり。
 
大使藤原朝臣清河歌一首
 
4241 春日野爾。伊都久三諸乃。梅花。榮而在待。還來麻泥。
かすがぬに。いつくみむろの。うめのはな。さかえてありまて。かへりくるまで。
 
三諸は借字にて御室なり。神を齋《イハ》へる所を言ふ。四の句は皇后の御事を申せり。梅花の如く榮えてなりと宣長言へり。
 參考 ○榮而(代、古、新)略に同じ(考)サキテ ○還來麻泥(考)略に同じ(古)カヘリコムマデ(新)コム、クル兩訓。
 
大納言藤原家餞2之入唐使等1宴日歌一首 即主人卿作v之  契沖云、此大納言は魚名か、未考と言へり。宣長は仲麻呂ならんと言へり。古本即主人云云の六字の小書無し。
 
4242 天雲乃。去還奈牟。毛能由惠爾。念曾吾爲流。別悲美。
(120)あまぐもの。ゆきかへりなむ。ものゆゑに。おもひぞわがする。わかれかなしみ。
 
雲は往來する物なれば斯く冠らせたり。モノユヱニは物ながらの意。
 
民部少輔多治眞人|士《ハニシ》【士ヲ古ニ誤ル】作歌一首  土、今本古に誤る、拾穗本に依りて改む。續紀天平十二年正月正六位上多治比眞人土作に從五位下を授くる由見ゆ。治の下、比を脱せり。
 
4243 住吉爾。伊都久祝之。神言等。行得毛來等毛。舶波早家無。
すみのえに。いつくはふりが。かみごとと。ゆくともくとも。ふねははやけむ。
 
神言|等《ト》の等はトモニの意。又如クと言はんが如し。恙なからん事を祈り申す祝詞の語の如く、往も來も船早からんと言ふなり。此皇神は海原の船を守りませばなり。卷九、わたづみのいづれの神をいははばか行さもくさも舟ははやけむ。
 參考 ○伊都久祝之(新)イツク「祠」ヤシロノ ○神言等(古、新)カムゴトト。
 
大使藤原朝臣清河歌一首
 
4244 荒玉之。年緒長。吾念有。兒等爾可戀。月近附奴。
あらたまの。としのをながく。わがもへる。こらにこふべき。つきちかづきぬ。
 
年月長く思ひて在りし妹に別れて、戀ふべき時の近づくなり。妹を戀ふと言ふも、妹に戀ふと言ふも同じ事に落つれば、兒等に戀ふと言へり。近附ヌは、船を發く時の近づくなり。次下の天雲のそきへのき(121)はみと言ふ歌も相似たり。
 
天平五年贈2入唐使1歌一首并短歌(作主未v詳)
 
大使は多治比眞人廣成なり。卷五卷九にも此時の歌見ゆ。作主云云の四字古本に無し。
 
4245 虚見都。山跡乃國。青丹與之。平城京師由。忍照。難波爾久太里。住吉乃。三津爾舶能利。直渡。日入國爾。所遣。和我勢能君乎。懸麻久乃。由喩志恐伎。墨吉乃。吾大御神。舶乃倍爾。宇之波伎座。舶騰毛爾。御立座而。佐之與良牟。礒乃崎崎。許藝波底牟。泊泊爾。荒風。浪爾安波世受。平久。率而可敝理麻世。毛等能國家爾。
そらみつ。やまとのくに。あをによし。ならのみやこゆ。おしてる。なにはにくだり。すみのえの。みつにふねのり。だだわたり。ひのいるくにに。つかはさる。わがせのきみを。かけまくの。ゆゆしかしこき。すみのえの。わがおほみかみ。ふなのへに。うしはきいまし。ふなどもに。みたたしまして。さしよらむ。いそのさきざき。こぎはてむ。とまりどまりに。あらきかぜ。なみにあはせず。たひらけく。ゐてかへりませ。もとのくにへに。
 
日ノ入國ハ唐土《モロコシ》を言へり。からぶみにも、皇御國より唐國へ遣はしし勅書に、致2書(ヲ)日没處天子(ニ)1書かれし事見ゆ。卷六、懸まくもゆゆしかしこし住の江の荒人神船の舳に牛吐たまひつきたまはむ島のさ(122)きさきよりたまはん礒のさきさき荒き浪風にあはせず云云、卷五、大御神たち船舳に道引まをし云云、大御神たち船の舳に御手打かけてなど詠めれば、此處も船の上《ヘ》の意に有らずして、舟の舳なり。船騰毛は船艫なり。ヰテカヘリマセは、住吉の大神|唐土《モロコシ》より又率ゐ歸らせ給へと言ふ意なり。卷六、すむやけくかへしたまはね本國部爾《モトツクニベニ》と有れば、此處もクニベと訓むべし。クニベは國方なり。
 參考 ○三津爾舶能利(古、新)ミツニフナノリ ○直渡(新)タダワタル ○所遣(代)ツカハサユ(古)略に同じ(新)マケラユル ○由由志恐伎(新)ユユシカシコ「侍」シ ○御立座而(代)ミタチシ(考、古)略に同じ(新)タタシイマシテ。
 
反歌一首
 
4246 奧浪。邊波莫越。君之舶。許藝可敝里來而。津爾泊麻泥。
おきつなみ。へなみなこしそ。きみがふね。こぎかへりきて。つにはつるまで。    、
 
莫越は、卷廿、しほふねの弊古祖志良奈美《ヘコソシラナミ》と詠めれば、舟の舳を浪な越しそと言ふ意なるべし。されど比處は越は起の誤にて、タチソにては無かりしか。
 參考 ○邊波莫越(考、古、新)ヘナミナ「起」タチソ。
 
阿倍朝臣老人遣v唐時奉v母悲v別歌一首
 
4247 天雲能。曾伎敝能伎波美。吾念有。伎美爾將別。日近成奴。
(123)あまぐもの。そきへのきはみ。わがもへる。きみにわかれむ。ひちかくなりぬ。
 
卷三、天雲の曾久敝能極《ソクヘノキハミ》天地のいたれるまでに、と詠めり。上の荒玉の年のを長くわがもへる云云の歌と同意にて、天地の間に滿つるばかり思へると言ふなり。
 
右件歌者傳誦之人。越中大目高安倉人種麻呂是也。但年月次者隨2聞之時1載2於此1焉。
 
以2七月十七日1遷2任少納言1仍作2悲別之歌1、贈2貽朝集使掾久米朝臣廣繩之館1二首
 
既滿2六載之期1忽【忽ヲ勿ニ誤ル】値2遷替之運1。於是別v舊之悽。心中欝結。拭vH之袖。何以能旱。因作2悲歌二首1式(テ)遺2莫忘之志1。其詞曰。  六歳は天平十八年七月に下りて、勝寶三年七月に上る、前後六年に亘《ワタ》れり。續紀寶字二年の勅に、國司交替四年なりしを、六歳を以て限とせられしより、是れは前なれば、故有りて六歳に亘れりしなるべし。忽、今勿に誤り、一本に據りて改む。
 
4248 荒玉乃。年緒長久。相見?之。彼心引。將忘也毛。
あらたまの。としのをながく。あひみてし。そのこころひき。わすらえめやも。
 
ココロヒキは、宣長云、稱コ紀宣命、天下政乃|比岐比岐《ヒキヒキ》【續紀今本心乃比岐トノミ有リ、一本比岐比岐ト有ルニシタガヘリ】其外にも己比伎比伎など有れば、心引きと言ふべしと言へり。
 參考 ○彼心引(代)ソノ(考)ソコノココロ「弘」ヲ(古、新)略に同じ。
 
4249 伊波世野爾。秋芽子之努藝。馬並。始鷹獵太爾。不爲哉將別。
(124)いはせぬに。あきはぎしぬぎ。うまなめて。はつとがりだに。せずやわかれむ。
 
和名抄、越中新川郎|石勢《イハセ》。シヌギは分け入る意なり。鷹は義を以て書けるにて鳥狩《トガリ》なり。時八月なれば小鷹狩なり。
 參考 ○不爲哉(考)セデヤ(古、新)略に同じ。
 
右八月四日贈v之。
 
便附2大帳使1取2八月五日1應v入2京師1因v此以2四日1設2國厨之饌(ヲ)於介内藏伊美吉繩麻呂舘1餞v之于v時大伴宿禰家持作歌一首
 
4250 之奈謝可流。越爾五箇年。住住而。立別麻久。惜初夜可毛。
しなざかる。こしにいつとせ。すみすみて。たちわかれまく。をしきよひかも。
 
シナザカル、枕詞。前の端詞に既滿2六載之期1と書けるは、六年(ニ)亘れるを言ひ、今はまさしく五年に滿つるを言へり。卷五、しなざかるひなにいつとせすまひつつ都のてぶりわすらえにけり。
 
五日平旦上道、仍國司次官已下諸僚、皆共視送。於時射水郡大領安努君廣島、門前之林中預設2饌餞之宴1。于v時大帳使大伴宿禰家持和(ル)2内藏伊美吉繩麻呂捧v盞之歌1首。
 
繩麻呂が歌は此處に洩れたり。
 
4251 玉桙之。道爾出立。往吾者。公之事跡乎。負而之將去。
(125)たまぼこの。みちにいでたち。ゆくわれは。きみが|ことど《しわざ》を。おひてしゆかむ。
 
翁説、事跡は即ち字の如くシワザと訓むべし。その餞せし人は國の次官《スケ》なれば、公が國にての政務の事跡を、京へ持ち行きて申上げんと詠めるなりと言はれき。宣長云、古事記神代、各對立而|度2事戸1之時《コトドヲワタストキ》と言ふは、夫婦の交を絶つ證の事と思はる。此歌家持卿越中國より京に上る時、餞せし人に報いし別の歌なれば、是れも事跡《コトド》は離別の辭を言ひて、是れを忘れず心に持ちて行かんと詠めるにやと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○公之事跡乎(考)キミガシワザヲ(古、新)キミガコトドヲ。
 
正税帳使掾久米朝臣廣繩事畢(テ)退任、適遇2於越前國掾大伴宿禰池主之舘1。仍共飲樂也。于v時久米朝臣廣繩矚2芽子花1作歌一首。
 
4252 君之家爾。殖有芽子之。始花乎。折而挿【挿ヲ?ニ誤ル】頭奈。客別度知。
きみがいへに。うゑたるはぎの。はつはなを。をりてかざさな。たびわかるどち。
 
カザサナはカザサムなり。廣繩も家持卿も共に旅行(ク)なれば、タビワカルドチと言へり。
 參考 ○客別度知(新)タビユカムドチ「別」を「行」の誤とす。
 
大伴宿禰家持和(ヘ)歌一首
 
4253 立而居而。待登待可禰。伊泥?來之。君爾於是相。挿頭都流波疑。
(126)たちてゐて。まてどまちかね。いでてこし。きみにここにあひ。かざしつるはぎ。
 
廣繩が家持卿を待ちかねて、池主の館まで出で來りて、共に萩をかざしつると言ふなり。
 參考 ○伊泥?來之(古)イデテキ「弖」テ(新)略に同じ。
 
向v京路(ノ)【路ヲ洛ニ誤ル】上《ホトリニ》依v興預作侍v宴應v詔歌一首并短歌
 
4254 蜻島。山迹國乎。天雲爾。磐船浮。等母爾倍爾。眞可伊繁貫。伊許藝都追。國看之勢志?。安母里麻之。掃平。千代累。彌嗣繼爾。所知來流。天之日繼等。神奈我良。吾皇乃。天下。治賜者。物乃布能。八十友之雄乎。撫賜。等登能倍賜。食國之。四方之人乎母。安天左波受。愍賜者。從古昔。無利之瑞。多婢末【末ヲ未ニ誤ル】禰久。申多麻比奴。手拱而。事無御代等。天地。日月等登聞仁。萬世爾。記續牟曾。八隅知之。吾大皇。秋花。之我色色爾。見賜。明(127)米多麻比。酒見附。榮流今日之。安夜爾貴左。
あきつしま。やまとのくにを。あまぐもに。いはふねうかべ。ともにへに。まかいしじぬき。いこぎつつ。くにみしせして。あもりまし。はらひたひらげ。ちよかさね。いやつぎつぎに。しらしくる。あまのひつぎと。かむながら。わがおほきみの。あめのした。をさめたまへば。もののふの。やそとものをを。なでたまひ。ととのへたまひ。をすくにの。よものひとをも。あてさはず。めぐみたまへば。いにしへゆ。なかりししるし。たびまねく。まをしたまひぬ。たむだきて。ことなきみよと。あめつち。つきひとともに。よろづよに。しるしつがむぞ。やすみしし。わがおほきみ。あきのはな。しがいろいろに。みしたまひ。あきらめたまひ。さかみづき。さかゆるけふの。あやにたふとさ。
 
天雲ニ磐船ウカベ云云は、神武紀、天磐船に乘りて飛降る者あり、余おもふに彼地必天業を恢弘して、天下光宅に足るべし、けだし六合の中心《モナカ》乎。この飛び降れるものは饒速日と言ふと言へる詞を借りて、今は天孫の御事を申すなり。國見シセシテ、此下に豐宴見爲今日者と有るもミシセスと訓むべし。ミシのシは添ひたる詞にて見給ふなり。既に多く出づ。アモリは天降なり。安天左波受、宣長云、天は夫の誤にて、アフサハズなり。光仁紀宣命に、彌麻之大臣之家内子等(乎母)波布理不v賜《ハフリタマハズ》云云と有ると同じ。ハフリタマハズは、ハフラカシタマハズなり。源氏物語玉かづらの卷に、おとしあぶさず、とりしたためたまふと言へる、此處と全く同じ意なりと言へり。是れ然るべし。瑞、古訓ミヅと訓めり、瑞垣、瑞穗など唐《カラ》ざまに書きしかど、其れは紀に瑞此云2瀰圖《ミヅ》1と有りて、語の元はミヅミヅシキなり。祥瑞をミヅと訓まん事はたがへり、シルシと訓むべし。多婢末禰久、末を今未に誤れり。タビは度、マネクは數多き事を言ふ。續紀宣命に、遍數久と書けるも、タビマネクと訓むべし。タムダキテは、卷六、たむだきてわれは遊ばむ。記シツガムゾは、史《フビト》の記し繼ぐなり。秋の花は、其時秋なれば言へるにて、天の下くさぐさの事を明らめ給ふを寄せたり。シガは其之《ソガ》なり。酒ミヅキは酣醉なり。(○今本長歌の下に江(128)の字有り、削るべしトアル本モアリト見ユ)
 參考 ○掃平(新)ハラヒコトムケとも訓むべし ○安天左波受(代)アテサハズ(考)安|末〔右●〕左波受(古、新)アブサハズ「天」を「夫」の誤とす ○從古昔(考、新)ムカシヨリ(古)略に同じ ○無利之瑞(考)ナカリシミツモ(古、新)略に同じ ○手拱而(代)タムダキテ又は、テツクリテ(考)略に同じ(古、新)テウダキテ ○天地(考)アメツチノ(古、新)略に同じ ○見賜(代)ミセタマヒ(古、新)メシタマヒ。
 
反歌一首
 
4255 秋時花。種爾有等。色別爾。見之明良牟流。今日之貴左。
あきのはな。くさぐさなれど。いろことに。みしあきらむる。けふのたふとさ。
 
長歌の末句の心に同じ。
 參考 ○見之(古、新)メシ。
 
爲v壽2左大臣橘卿1預作歌一首
 
4256 古昔爾。君之三代經。仕家利。吾大主波。七世申禰。
いにしへに。きみがみよへて。つかへけり。わがおほきみは。ななよまをさね。
 
諸兄卿の母夫人縣犬養は、天武、持統、文武の三代に仕へ奉りし故に斯く言へり。キミは天皇を指し奉(129)る。さてオホキミは諸兄卿なり。もと葛城王なればオホキミと言へり。諸兄卿は今より七代政申し給へと、ことほぎて詠めるなり。七は數多を言ふ。
 參考 ○君之(新)キミノ
    十月二十二日於2左大辨紀|飯《イヒ》麻呂朝臣家1宴歌三首  續紀天平元年八月從五位下を授く。寶字元年六月左京大夫。同月左大辨と見ゆ。贈正三位大人の孫、式部大輔正五位下古麻呂の長子なり。
 
4257 手束弓。手爾取持而。朝獵爾。君者立去【去ハ之ノ誤】奴。多奈久良能野爾。
たつかゆみ。てにとりもちて。あさがりに。きみはたたしぬ。たなくらののに。
 
タツカ弓は手に握る故に言ふ。御とらしの梓の弓とも言へり。卷十五、手束杖腰にたがねてと詠めるも、手に握りて衝くを以て言へり。立去、一本立之と有るを善しとす。タナグラは神名帳山城綴喜郡棚倉神社有り。註に久邇京の時の歌と有れば、其處なるべし。
 參考 ○立去奴(考)タチイヌ(代、古、新)略に同じ。
 
右一首治部卿船王傳2誦之1。久邇京都時歌。未v詳2作主1也。
 
4258 明日香河。河戸乎清美。後居而。戀者京。彌遠曾伎奴。
あすかがは。かはとをきよみ。おくれゐて。こふればみやこ。いやとほぞきぬ。
 
淨御原より藤原に都遷されし時、飛鳥に殘り居て思ふ人などの便りも遠く成りし時詠みて遣れるなるべ(130)し。河戸ヲ清ミは、唯だ其地の景色の善きを言ふのみ。遠ゾキヌは遠ザカルと言ふに同じ。曾伎敝《ソキヘ》の極《キハ》みなど集中に言へるも避け退く意なり。
 
右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦。古京時歌也。
 
4259 十月。之具禮能常可。吾世古河。屋戸乃黄葉。可落所見。
かみなづき。しぐれのつねか。わがせこが。やどのもみぢば。ちりぬべくみゆ。
 
時雨の常の習はしかと言ふ意か。されど古言とも無し。大平云、常は零《フレ》の誤なるべしと言へり。フレカはフレバカなり。
 參考 ○之具禮能常可(古)シグレノ「零方」フレバ(新)シグレノツネカ ○可落所見(新)チルベクミユル。
 
右一首少納言大伴宿禰家持當時矚2梨黄葉1作2此歌1也。
 
壬申年之亂平定以後歌二首  天武天皇元年壬申大友皇子叛き給へるに因りての亂なり。
 
4260 皇者。神爾之座者。赤駒之。腹婆布田爲乎。京師跡奈之都。
おほきみは。かみにしませば。あかごまの。はらばふたゐを。みやことなしつ。
 
赤ゴマノハラバフとは、放ち置ける馬を言ふ。字鏡、匍、波良波比由久と有り。
 
右一首大將軍贈右大臣大伴卿作。
 
(131)續紀を考ふるに、大寶元年大納言にて薨ず。贈右大臣なりしは御行卿なり。
 
4261 大王者。神爾之座者。水鳥乃。須太久水奴麻乎。皇都常成通。
おほきみは。かみにしませば。みづとりの。すだくみぬまを。みやことなしつ。
 
スダクは集なり。卷三、皇は神にしませば眞木のたつあら山中に海をなすかも。
 
作者未v詳。
 
右件二首天平勝寶四年二月二日聞v之、即載2於茲1也。
 
閏三月於2衛門督大伴|古慈悲《コジビ》宿禰家1。餞2之入唐副使同胡麻呂宿禰等1歌二首
 
續紀、天平九年九月從六位上大伴宿禰|枯信備《コジビ》に從五位下を授くと見え、寶龜八年八月大和守從三位大伴宿禰古慈悲薨ずと見ゆ。胡麻呂は天平十九年正月正六位上大伴宿禰古麻呂に從五位下を綬くと有り。其外にも見ゆ。
 
4262 韓國爾。由伎多良波之?。可敝里許牟。麻須良多家乎爾。美伎多?麻都流。
からくにに。ゆきたらはして。かへりこむ。ますらたけをに。みきたてまつる。
 
タラハシは足り滿るなり、行キトドキテと言ふが如し。
 
右一首多冶比眞人|鷹主《タカヌシ》壽2副使大伴胡麻呂宿禰1也。
 
4263 梳毛見自。屋中毛波可自。久左麻久良。多婢由久伎美乎。伊波布等毛比?。
(132)くしもみじ。やぬちもはかじ。くさまくら。たびゆくきみを。いはふともひて。
 
仙覺言はく、人の物へ歩りきたる跡には、三日は家の庭掃かず、使ふ櫛を見ずと言ふ事の有るなりと言へり。今も旅行きし跡の庭を掃く事を忌めり。
 參考 ○梳毛見自(新)クシモ「取」トラジ
 
作主未v詳。
 
右件歌傳誦(ハ)大伴宿禰村上。同清繼等是也。
 
勅2從四位上|高麗《コマ》朝臣福信(ニ)1。遣2於難波1。賜2酒肴(ヲ)入唐使藤原朝臣清河等1御歌一首并短歌
 
孝謙天皇の御製なり。例に依るに御の下、製の字を脱せり。續紀延暦八年乙酉散位從三位高麗朝臣福信薨。福信(ハ)武藏國高麗郡人也と有り。
 
4264 虚見都。山跡乃國波。水上波。地往如久。船上波。床座如。大神乃。鎭在國曾。四舶。船能倍奈良倍。平安。早渡來而。還事。奏日爾。相飲酒曾。斯豐御酒者。
そらみつ。やまとのくには。みづのへは。つちゆくごとく。ふねの|へ《え》は。とこにをるごと。おほかみの。いはへるくにぞ。よつのふね。ふなのへならべ。たひらけく。はやわたりきて。かへりごと。まをさむひに。あひのまむきぞ。このとよみきは。
 
(133)鎭の字古訓シヅムルと有れど、さては在の字餘れり。イハフと訓むべき例多ければ、此處もイハヘルと訓めり、上にも伊波敝《イハヘ》神たちとも有り。四舶は大使、副使、判官、主典の舶なり。卷六節度使に酒を賜ふ御歌にも、うづの御手もてかきなでぞねぎたまふ打なでぞねぎたまふかへり來む日にあひのまむ酒ぞ此とよみきは、と有り。
 參考 ○船上波(新)フネノヘハ ○鎭在國曾(考)シヅムルクニゾ(古、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
4265 四舶。早還來等。白香著。朕裳裙爾。鎮而將待。
よつのふね。はやかへりこと。しらがつけ。わがものすそに。いはひてまたむ。
 
卷三、奧山の賢木《サカキ》の枝に白香付木綿とりつけてなど詠みて、木綿は白髪に似たれば冠らせたり。今はやがて其しらがを木綿蘰の事とし、著は御頭《ミグシ》に着くる意を以て、シラガツケと宣へり、さて木綿蘰を御頭に着け給ひて、御裔まで垂れて坐しましつつ、常に齋《イハ》ひて待たんと宣ふ意なり。鎭はシデテと訓みて、シヅムルと垂《シデ》も同じ語なれば、鎭字を借れりと翁の説なり。宣長云、末句イハヒテマタムと訓むべし。此處の御歌白香を木綿の事としても、着け給ふは御裳の裾に着け給ふなり。わが裳の裾に白香つけいはひて待たんと言ふ續きなりと言へり、此説に依るべし。さて白香著の事、太平が考に依りて、宣長説有り、三の卷に言ふべき事なれど、聞けるままに後れたれども此處に言はん。集中三所に有る皆白香との(134)み書きて、白髪とは書ける所無し。されば白髪の意にては非ざるべし、白紙の意なるべし。奈良の頃より、木綿に取り添へて、白紙をも切り懸けて着けたりけん。されば白紙を添着くる木綿と云ふ意にて、シラガツク木綿とは云ふなるべし。さて此處の御歌は木綿には有らで、唯だ白紙なるべし。白紙をシラガと言ふは、白髪の例に同じと言へり。猶よく考ふべし。
 
右發2遣勅使1并賜v酒樂宴之日月未v得2詳審1也。
 
爲v應v 詔儲作歌一首并短歌
 
4266 安之比奇能。八峯能宇倍能。都我能木能。伊也繼繼爾。松根能。絶事奈久。青丹余志。奈良能京師爾。萬代爾。國所知等。安美知之。吾大皇乃。神奈我良。於母保之賣志?。豐宴。見爲今日者。毛能乃布能。八十伴雄能。島山爾。安可流橘。宇受爾指。紐解放而。千年保伎。保吉等餘毛之。惠良惠良爾。仕奉乎。見之貴者。
あしびきの。やつをのうへの。つがのきの。いやつぎつぎに。まつがねの。たゆることなく。あをによし。ならのみやこに。よろづよに。くにしらさむと。やすみしし。わがおほきみの。かむながら。おもほしめして。とよのあかり。みしせすけふは。もののふの。やそとものをの。しまやまに。あかるたちばな。うづにさし。ひもときさけて。ちとせほき。ほききとよもし。ゑらゑらに。つかへまつるを。みるがたふとさ。
 
八峰は多くの峰を言ふ。集中、八つをの椿つらつらになど詠めり。松根は長く這ひ廣ごれるを以て、(135)不v絶と言はん料に置けり。見シセス、此上に國看之勢志?と有るに同じ。島山は禁中御池の中島ならん。アカル橘は、赤ら橘とも詠み、子《ミ》の色付けるを言ふ。ウズニサシ、卷十三、はふりべか雲聚山《ウズノヤマ》【山ヲ今玉ニ誤ル】蔭《カゲ》と言へるウズにて其所に言へり。此下にも島山に照れる橘宇受にさし仕へまつるはまへつ君たち、と詠めり。先人云、アカル橘は山橘なるべし。山橘、漢名平地木、又小青樹と號し、古今集榮雅抄に、山橘は世俗ヤブカウジと言ふ、髪そぎの時山菅に添ふる草なりと有りと言へり。猶考ふべし。紐トキサケテ、古へ禁中にても、宴樂の時は紐をはなち、袒などせしさまに思はる。保伎吉、ホキホキと重ね言ふを中略せる語か。神功紀御歌、このみきは、わがみきならず、くしのかみ、とこよにいます、いはたたす、すくなみかみの、とよ保枳、保枳もとほし、保枳くるほし、まつりこしみきぞ、あさずをせささ、と有り。宣長云、吉の字心得ず、若しくは言《イヒ》の誤か。古事記倭建命の段に言動《イヒトヨミ》爲2御室樂1と有りと言へり、猶考ふべし。惠良惠良には神代紀に※[山+虐]樂をヱラクと訓む。字書に※[山+虐]同v※[山+?]と云云、※[山+?](ハ)大笑也と有り。今本右長歌の終に江説二字有り、後人の書き加へしなり。
 參考 ○見爲今日者(考)略に同じ(古、新)メスケフノヒハ ○保伎吉等餘毛之(古、新)ホ「佐」サキトヨモシ。
 
反歌一首
 
4267 須賣呂伎能。御代萬代爾。如是許曾。見爲安伎良目米。立年之葉爾。
(136)すめろぎの。みよよろづよに。かくしこそ。みしあきらめめ。たつとしのはに。
 
ミシアキラメは見明らめ給ふなり。
 參考 ○見爲(古、新)メシ。
 
右二首大伴宿禰家持作v之。
 
天皇太后共幸2於大納言藤原家1之日。黄葉(セル)澤蘭一株拔取令v持2内侍佐佐貴山君1。遣2賜大納言藤原卿并陪從大夫等1御歌一首  家の上、卿の字今本に脱せり、目録に依りて補ふ。歌の上、製の字脱せしか、又太后の御歌か、定かならず。天皇は孝謙、太后は光明后なり。澤蘭は和名抄云、陶隱居本艸註云。澤蘭(和名佐波阿良良木一云阿加末久佐)生2澤傍1故以名v之。式云大和國三十七種。澤蘭十五斤。或人葉は藤袴の如くて、花は白く芹の如く、見る目も無き草を澤蘭なりと言へり。猶考ふべし。佐佐貴山氏は、雄略紀に近江狹狹城山君と言ふ有り。續紀天平十六年八月蒲生郡大領正八位上佐佐貴山君親人に從五位下を授くと有り。其外にも此姓見ゆ。
 
命婦《ヒメトネ》誦曰
 
4268 此里者。繼而霜哉置。夏野爾。吾見之草波。毛美知多里家利。
このさとは。つぎてしもやおく。なつののに。わがみしくさは。もみぢたりけり。
 
夏の野にて先きに見させ給ひし草の色付きたるは、此里は冬より打續きて霜の置けるかとなり。
 
(137)十一月八日|在《イマシテ》2於左大臣橘朝臣宅(ニ)1肆宴歌四首
左の歌は御製なるを、此處に歌とのみ書けるは總てを言へり。
 
4269 余曾能未爾。見者有之乎。今日見者。年爾不忘。所念可母。
よそのみに。みてはありしを。けふみれば。としにわすれず。おもほえむかも。
 
此家をよそに見給ひては、さて有りしを、斯くおはしまして見させ給ひては、年月に忘られじと思し召す由なり。さてアリシとは、常語に言ふ其とほりにて有りしをの意なり。
 參考 ○見者有之乎(古、新)ミ「乍」ツツアリシヲ。
 
右一首太上天皇御歌。  聖武天皇なり。
 
4270 牟具良波布。伊也之伎屋戸母。大皇之。座牟等知者。玉之可麻思乎。
むぐらはふ。いやしきやども。おほきみの。まさむとしらば。たましかましを。
 
卷十一、おもふ人こむとしりせばやへむぐらおほへる庭に玉しかましを。卷六、かねてより君きまさむとしらませば門にもやにも玉しかましを。
 
右一首左大臣橘卿。
 
4271 松影乃。清濱邊爾。玉敷者。君伎麻佐牟可。清濱邊爾。
まつかげの。きよきはまべに。たましかば。きみきまさむか。きよきはまべに。
 
(138)奈良の都にての事なれば實《マコト》の海濱には有らず。橘卿の庭の景色なり。君キマサムカは、又も來ますにて有らんと言ふなり。
 參考 ○君伎麻佐牟可(新)君は※[々/れっか]《マタ》の誤か。
 
右一首右大辨藤原八束朝臣。
 
4272 天地爾。足之照而。吾大皇。之伎座婆可母。樂伎小里。
あめつちに。たらはしてりて。わがおほきみ。しきませばかも。たぬしきをざと。
 
シキマスとは、此橘卿の宅に幸せる事なり。小里の小は、ヲハツセなどの小なり。則ち此宅の事を言ふ。今日天皇の幸ますによりてかも、此里の樂しきとなり。
 參考 ○足之照而(代、古、新)タラハシテリテ(考)タラシテラシテ。
 
右一首少納言大伴宿禰家持。  未v奏。
 
二十五日新嘗會肆宴應v詔歌六首  職員令云大嘗(謂嘗ハ新穀以祭2神祇1也。朝則諸神之相甞祭。夕則供2新穀於至尊1也)神祇令云。凡大嘗者毎卅一年國司行事。以外毎年所司行事。(謂所司者在京諸預2祭事1者也)後には御一世に一度有るを大嘗と言ひ、毎年に有るを新嘗と稱ふれど、古へは大嘗とも嘗ひ、又新嘗とも言ひて、別ちも見えず。肆宴は大嘗會畢ぬる明くる日、群臣を召して遊宴し給ふなり。
 
(139)4273 天地與。相左可延牟等。大宮乎。都可倍麻都禮婆。貴久宇禮之伎。
あめつちと。あひさかえむと。おほみやを。つかへまつれば。たふとくうれしき。
 
上は天地と大御世と共に榮えまさんとての意なり。大宮ヲツカヘマツルとは、大嘗宮を造る事を仕へ奉ると言ふ。
 參考 ○宇禮之伎(新)「伎」は衍か。
 
右一首大納言巨勢朝臣。  奈?麻呂なり。續紀勝寶五年三月辛未大納言從二位兼神祇伯造宮卿巨勢朝臣奈?麻呂薨。小治田朝臣小コ大海之孫。淡海朝中納言大雲比登之子也と見ゆ。
 
4274 天爾波母。五百都綱波布。萬代爾。國所知牟等。五百都都奈波布。
あめにはも。いほつつなはふ。よろづよに。くにしらさむと。いほつつなはふ。
 
天ニハモのハモは助辭。天は禁中を指す。是れは大嘗宮に注連など延《ハ》へたるをツナハフと言へるなるべし。五百ツは數多を言ふ。其綱の長きを以て、萬世大御國をしろしめすに譬へたるなるべしと翁は言はれき。宣長云、天とは大嘗宮の屋根のあたり、上の方を祝《ホ》ぎて天と言ふなり。高天原に千木高知と言ふ類ひなり。二の句は其宮の上の方を結ひ固めたる繩を言ふ。大殿祭詞に、綱根とも有り。神代紀に、天日栖宮云云以2千尋栲繩1結爲2百八十紐1と有り。百八十紐と言へるを以て、五百つと言へる意を知るべし。さて結ひ固めたる繩の事を延《ハヘ》と言へるは萬代に云云の祝ぎ言の爲に延とは云ひなせるなりと言へ(140)り。是れ然るべし。
似古歌而未詳。  後人の書入れなり、削り去るべし。
 
右一首式部卿石川|年足《トシタリ》朝臣。  續紀天平十一年に出雲守從五位下と見え、寶字六年九月御史大夫正三位兼文部卿神祇伯勲十二等石川朝臣年足薨。時七十五。年足者後岡本朝大臣大紫蘇我臣牟羅志曾孫。平城朝左大辨從三位石足之長子也と見ゆ。
 
4275 天地與。久萬?爾。萬代爾。都可倍麻都良牟。黒酒白酒乎。
あめつちと。ひさしきまでに。よろづよに。つかへまつらむ。くろきしろきを。
 
大嘗會に黒酒白酒を奉る事有り。白酒と言ふは常の澄める洒なり。黒酒と言ふは、常山《クサキ》の灰を入れたる酒なり。又は胡麻の粉を入るる事も有りしなり、式に委し。仕ヘマツラムは其酒を奉る事を言へり。
 
右一首從三位文屋|智奴《チヌ》麻呂眞人。  續紀勝寶六年四月從三位文室眞人|珍努《チヌ》爲2攝津大夫1と見ゆ。
 
4276 島山爾。照在橘。宇受爾左之。仕奉者。卿大夫等。
しまやまに。てれるたちばな。うずにさし。つかへまつるは。まへつぎみたち。
 
上に島山に安可流橘と詠めれば、此處をもアカルと訓むべけれど、然《サ》ては在の字餘れり。者は爲の誤か、ツカヘマツラスと有らまほし。宣長は者は布の誤にて、ツカヘマツラフにても有らんかと言へり。
 參考 ○仕奉者(古、新)ツカヘマツラ「名」ナ。
 
(141)右一首右大辨藤原八束朝臣。
 
4277 袖垂而。伊射吾苑爾。?乃。木傳令落。梅花見爾。
そでたれて。いざわがそのに。うぐひすの。こづたひちらす。うめのはなみに。
 
此國守新嘗の事を執りて、肆宴の後諸卿大夫を誘へる歌なるべき事次の歌にて知らる。抽タレテは寛かに遊ぶさまなり。鶯は早梅を見ん事を言はんとて設け出でたるなり。契沖が江次第第十新嘗會装束次第に、舞臺の四角三面に梅柳を植うる事有るを引きたれど、ワガソノニと詠みたれば、其事にては有るべくも無し。
 
右二首大和國守藤原|永手《ナガテ》朝臣。  今本手を平に誤る。續紀天平九年九月從六位上より從五位下を綬くと見え、寶龜二年己酉左大臣正一位藤原朝臣永手薨。年五十八。奈良朝贈太政大臣房前之第二子也と見ゆ。
 
4278 足日木乃。夜麻之多日影。可豆良家流。宇倍爾也左良爾。梅乎之奴波牟。
あしびきの。やましたひかげ。かづらける。うへにやさらに。うめをしぬばむ。
 
右の答なり。日蔭蔓を懸くるなり、女蘿は山に生ふる物なれば山下日蔭と言ふ。山蔭とも詠めり。カヅラケルは、上にカヅラカムともカヅラキとも有りて、かづらにすると言ふ詞なり。今日日蔭かづら懸けて肆宴に侍る上に、何ぞや梅を慕はんと言ふなり。
 
右一首少納言大伴宿禰家持。
 
(142)二十七日林王宅餞2之但馬(ノ)按察使橘奈良麻呂朝臣1宴歌三首
 
續紀養老三年秋七月始置2按察使1と見ゆ。
 
4279 能登河乃。後者相牟。之麻之久母。別等伊倍婆。可奈之久母在香。
のとがはの。のちにはあはむ。しましくも。わかるといへば。かなしくもあるか
 
卷十、能登河の水底さへにてるばかり三笠の山は咲にけるかもと詠みて添上郡に在りて、春日山より流れ出づる川なりと言へり。登と知と通へば、ノト河ノ後ニハと言ひ下して、さて後には逢はんをの意なり。シマシクモは暫モなり。
 參考 ○後者相牟(考)略に同じ(古)ノチニハアハメド「牟」を「常」とす(新)ノチハアハムヲ「牟」の下に「乎」を補ふ。
 
右一首治部卿船王。
 
4280 立別。君我伊麻左婆。之奇島能。人者和禮自久。伊波比?麻多牟。
たちわかれ。きみがいまさば。しきしまの。ひとはわれじく。いはひてまたむ。
 
イマサバは、去《イニ》マサバの略。シキ島、此頃はや大和一國の別名となれり。和禮自久、宣長云、久は之の誤にて、ワレジシなるべし。オノガジシと同じく、吾も吾も面面《メンメン》と言ふ意なりと言へり。
 
右一首京少進大伴宿禰黒麻呂。  拾穗本に一本に右京と有り。
 
(143)4281 白雪能。布里之久山乎。越由加牟。君乎曾母等奈。伊吉能乎爾念。
しらゆきの。ふりしくやまを。こえゆかむ。きみをぞもとな。いきのをにもふ。
 
イキノヲニモフは命に懸けて念ふと言ふなり。
 
左大臣換v尾云。伊伎能乎爾須流《イキノヲニスル》。然猶喩曰。如v前誦v之也。
 
右一首少納言大伴宿禰家持。
 
五年正月四日於2治部少輔石上朝臣|宅嗣《イヘツグ》家1宴歌三首
 
續紀勝寶三年正月正六位下より從五位下を授くと見え、天應元年六月大納言正三位兼式部卿石上朝臣宅嗣薨。贈2正二位1。宅嗣(ハ)左大臣從一位麻呂之孫。中納言從三位弟麻呂の子也と見ゆ。
 
4282 辭繁。不相問爾。梅花。雪爾之乎禮?。宇都呂波牟可母。
ことしげみ。あひとはざるに。うめのはな。ゆきにしをれて。うつろはむかも。
 
事繁みなり。客人《マロウド》も、主《アルジ》の人も、互ひに訪はざりし程にの意なり。
 參考 ○不相問爾(考)略に同じ(古)アヒトハナクニ(新)アヒトハヌマニ「問」の下「間」を補ふ。
 
右一首主人石上朝臣宅嗣。
 
4283 梅花。開有之中爾。布敷賣流波。戀哉許母【母ヲ爾ニ誤ル】禮留。雪乎待等可。
(144)うめのはな。さけるがなかに。ふふめるは。こひやこもれる。ゆきをまつとか。
 
猶蕾める花の有るは、客人を待ち戀ふる心の籠れるか。又開きて後雪降れば、疾《ト》く萎るる故に、雪を過ぐさんとて、猶開かざるかとなり。母、今本爾に誤る、活本に依りて改めつ。
 
右一首中務大輔|茨田《マムダノ》王。  續紀天平十一年正月無位より從五位下を授く、十二年從五位上、十九年越中守と見ゆ。
 
4284 新。年始爾。思共。伊牟禮?乎禮婆。宇禮之久母安流可。
あたらしき。としのはじめに。おもふどち。いむれてをれば。うれしくもあるか。
 
イは發語にて群レテなり。
 參考 ○新(古、新)アラタシキ。
 
右一首大膳大夫|道祖《フナトノ》王。  續紀天平勝寶八年中務卿從四位上と見ゆ、新田部親王の子なり。神代紀岐神此云2布那斗能加微《フナトノカミ》1と有りて、則ち道祖神なれば然《シ》か訓むべし。
 
十一日大雪落積尺有二寸因述2拙懷1歌三首
 
4285 大宮能。内爾毛外爾母。米都良之久。布禮留大雪。莫蹈禰乎之。
おほみやの。うちにもとにも。めづらしく。ふれるおほゆき。なふみそねをし。
 
蹈む事なかれ、惜し、なり。
 
(145)4286 御苑布能。竹林爾。鶯波。之波奈吉爾之乎。雪波布利都都。
みそのふの。たけのはやしに。うぐひすは。しばなきにしを。ゆきはふりつつ。
 
しばしば鳴きしをなり。
 
4287 鶯能。鳴之可伎都爾。爾保敝理之。梅此雪爾。宇都呂布良牟可。
うぐひすの。なきしかきつに。にほへりし。うめこのゆきに。うつろふらむか。
 
カキツは垣内なり。
 
十二日侍2於内裏1聞2千鳥喧1作歌一首
 
4288 河渚爾母。雪波布禮禮之。宮乃裏。智杼利鳴良之。爲牟等己呂奈美。
かはすにも。ゆきはふれれし。みやのうちに。ちどりなくらし。ゐむところなみ。
 
フレレシと言ふ詞は有るべからず、誤字なるべし、宣長は、之は也の誤ならんと言へり。フレレヤは、降レレバヤの意なり。ヰム所ナミは渚《ス》に雪の降ればや、下り居む所無くて、宮中に鳴くならんと意ふなり。古訓爲牟をスムと訓みたれど、音訓を交へて、然《シ》か訓むは譬事《ヒガゴト》なり。さて實に宮中に鳴くには有らで、近く聞ゆるを斯く幼く詠めり。
 參考 ○雪波布禮禮之(代)ユキハフレレカ(古)ユキハフレレヤ(新)ユキハフレレ「曾」ゾ。
 
二【今本十二月ト有ルハ誤リ】月十九日於2左大臣橘家1宴、見(ル)2攀折(レル)柳條(ヲ)1歌一首
 
(146)今本十二月と有り。目録に據るに、十は衍文と見ゆれば除けり。
 
4289 青柳乃。保都枝與治等理。可豆良久波。君之屋戸爾之。千年保久等曾。
あをやぎの。ほつえよぢとり。かづらくは。きみがやどにし。ちとせほくとぞ。
 
ホクトゾは、壽クトテゾの意なり。
 
二十三日依v興作歌二首
 
4290 春野爾。霞多奈妣伎。宇良悲。許能暮影爾。鶯奈久母。
はるののに。かすみたなびき。うらがなし。このゆふかげに。うぐひすなくも。
 
ウラは心、カナシは愛づる意。
 
4291 和我屋度能。伊佐左村竹。布久風能。於等能可蘇氣伎。許能由布敝可母。
わがやどの。いささむらだけ。ふくかぜの。おとのかそけき。このゆふべかも。
 
イササムラダケは、小群竹なり。小き事をイササカと言へり。イは發語なり。カソケキは幽なり。上にも夕月夜かそけき野べ、とも詠めり。
 
二十五日作歌一首
 
4292 宇良宇良爾。照流春日爾。比婆理安我里。情悲毛。比登里志於母倍婆。
うらうらに。てれるはるびに。ひばりあがり。こころかなしも。ひとりしおもへば。
 
(147)ウラウラはウララとも言へり。和名抄、雲雀(比波里)楊氏漢語抄云??。
 
春日遲遲。??正啼。悽惆之意。非v歌難v撥耳。仍作2此歌1。式展2締緒1。但此卷中。不v?2作者名字1。徒録2年月所處縁起1者。皆大伴宿禰家持裁作歌詞也。(異本左註也。)
活本右の註無し。
 
萬葉集卷第十九 終
 
(149)萬葉集 卷第二十
 
幸2行於山村1之時歌二首  欽明紀元年二月百濟人己知部投化。置2倭國添上郡山村1。今山村己知部之先也。倭名抄、添上郡山村(也末無良)
 
先太上天皇詔2陪從王臣1曰。夫諸王卿等宣d賦2和(ヘ)歌1而奏u。即御口号曰。  契沖云、歌の後の註に、勝寶五年に家持卿の聞きて、載せられたる由なれば、先太上天皇は元正天皇なり。聖武天皇をば、唯だ太上天皇とのみ載せらると言へり。和歌とは先太上天皇の御歌に和へ奉れと詔らせし故、和歌と書けるなり。目録に御の上、天皇二字有り。此天皇は則ち、先太上を略きて書けるなり。
 
4293 安之比奇能。山行之可婆。山人乃。和禮爾依志米之。夜麻都刀曾許禮。
あしひきの。やまゆきしかば。やまびとの。われにえしめし。やまづとぞこれ。
 
花紅葉などを折らせて歸らせ給ひて、山賤の奉れる由詠ませ給へるか。山ヅトは、家づと、道行づとのヅトに同じ。宣長云、山づとぞ是れと宣へるは、即ち御歌を指して、宣へるなりと言へり。
 
舍人親王應v 詔奉v和歌一首
 
4294 安之比奇能。山爾由伎家牟。夜麻妣等能。情母之良受。山人夜多禮。
あしひきの。やまにゆきけむ。やまびとの。こころもしらず。やまびとやたれ。
 
(150)宣長云、三の句の山人は、山に行きたる人を指して言へるにて、即ち天皇を申せり。結句の山人は、御製に宣へる山人なり。心モ知ラズとは、御歌の意をえ悟《サト》らずして、さて斯く宣へる御心は如何なる事ぞ。山人の得しめしと宣へる山人は、誰にかと言へるなりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○情母之良受(新)ココロモシラヌ「受」を「奴」の誤とす。
 
右天平勝寶五年五月在2於大納言藤原朝臣之家1時。依v奏v事而請問之間。【間ヲ今問ニ誤ル】 少主鈴山田史土麻呂語2少納言大伴宿禰家持1曰。昔聞2此言1。即誦2此歌1也。  職員令云(大小)主鈴二人出2納鈴印傳符飛驛函鈴事1云云。
 
八月十二日二三大夫等各提2壺酒1。登2高圓野1。聊述2所心1作歌三首
 
目録に天平勝寶五年と有り。
 
4295 多可麻刀能。乎婆奈布伎故酒。秋風爾。比毛等伎安氣奈。多太奈良受等母。
たかまとの。をばなふきこす。あきかぜに。ひもときあけな。ただならずとも。
 
タダナラズトモは、タダニアラムヨリハの意なり。秋風吹けば、唯だに有らんよりは、衣の紐解きさけて涼みせんと言ふなり。アケナは、アケムなり。吹コスは、尾花の末を風の吹き越すなり。
 
右一首左京少進大伴宿禰池主。  卷十九に、右京少進と有り。
 
4296 安麻久母爾。可里曾奈久奈流。多加麻刀能。波疑乃之多婆波。毛美知安倍牟可聞。
(151)あまぐもに。かりぞなくなる。たかまとの。はぎのしたばは。もみぢあへむかも
 
アヘムは、不v敢《アヘヌ》の裏《ウラ》なり。未だ紅葉しあへざりし下葉も、今はもみぢ敢《アヘ》んかとなり。
 
右一首左中弁中臣清麻呂朝臣。
 
4297 乎美奈弊之。安伎波疑之努藝。左乎之可能。都由和氣奈加牟。多加麻刀能野曾。
なみなべし。あきはぎしぬぎ。さをしかの。つゆわけなかむ。たかまとののぞ。
 
シヌギは凌ぎにて、秋草の繁き中を分け通るさまなり。菅のはしぬぎふる雪など言へるも同じ意なり。
 
右一首少納言大伴宿禰家持。
 
六年正月四日氏族人等賀2集于少納言大伴宿禰家持之宅1宴飲歌三首
 
4298 霜上爾。安良禮多婆之里。伊夜麻之爾。安禮波麻爲許牟。年緒奈我久。
しものうへに。あられたばしり。いやましに。あれはまゐこむ。としのをながく。
 
タは發語にて走りなり。常トバシルと言ふ。霜の上に猶霰の降るは、いや増しなる事なれば序とせり。アレハは吾者なり。マヰコムは參來んなり。年ノ緒と言ふは、玉のを、息のをの緒の如く、年年績く事に言へり。
 參考 ○霜上爾(考、古)シモノヘニ(新)略に同じ。
 
古今未v詳。  古歌を誦したるか。今作れるかと言ふなるべし。
 
(152)右一首左兵衛督大伴宿禰干里。  官本里を室に作る。
 
4299 年月波。安多良安多良爾。安比美禮騰。安我毛布伎美波。安伎太良奴可母。
としつきは。あたらあたらに。あひみれど。あがもふきみは。あきたらぬかも。
 
新しき年月を重ねて久しく相見れども、飽き足らぬ君ぞと言ふなり。此時正月なれば斯く詠めり。元暦本安良多安良多と有り。久老云、すべて新をアタラシと言ふは後の誤なり。アラタシキなり。新代などもアラタヨなり。アタラヨと訓めるは非なりと言へり。さも有るべし。アタラシは惜む意の言にて、新の意には有らざめれど、新をもアタラシキと言へるはた久しく言ひ馴れたりと覺ゆ。
 參考 ○安多良安多良爾(古、新)安良多安良多爾とす。
 
古今未v詳。  是れも右に同じ。
 
右一首民部少丞大伴宿禰村上。
 
4300 可須美多都。春初乎。家布能其等。見牟登於毛倍波【波ヲ元ニ婆ニ作ル】。多努之等曾毛布。
かすみたつ。はるのはじめを。けふのごと。みむとおもへば。たぬしとぞもふ。
 
いつまでも今日の如く、新年を重ねて相見んと思ふが樂しきなり。
 參考 ○春初乎(新)ハルノハジメ「爾」ニ。
 
右一首左京少進大伴宿禰池主。
 
(153)七日天皇太上天皇皇太后於2東常宮南大殿1肆宴歌一首
 
正月七日なり。天皇は孝謙天皇。太上は元正天皇。皇太后は光明皇后なり。績紀天平勝寶六年正月丁酉朔癸卯。天皇御2束院1宴2五位以上1云云。目録に於を在に作る。
 
4301 伊奈美野乃。安可良我之波波。等伎波安禮騰。伎美乎安我毛布。登伎波佐禰奈之。
いなみぬの。あからがしはは。ときはあれど。きみをあがもふ。ときはさねなし。
 
作者播磨守なる故に、部内の印南《イナミ》野を詠めるなり。アカラカシハは、色付たる柏なり。供御の料の干?《カラガシハ》を諸方より貢する事式に見ゆれど、さには有らじ。さて常に君をば思ひ奉ると言はん料なり。サネは實にて、時は實に無しと言ひて、常にと言ふ意となれり。
 
右一首播磨國守|安宿《アスカベノ》王奏。  古今未v詳  是れも右に同じ。
 
和名抄、河内國安宿(安須加倍)と有り。此王の名は乳母の姓を取れるなり。姓氏録飛鳥|部《ベ》飛鳥|戸《ベ》など見ゆ。續紀天平九年九月無位より從五位下を授く、勝寶三年播磨守後罪有りて佐渡に配流。寶龜四年姓高階眞人を賜ふなどかたがたに見ゆ。
 
三月十九日家持之庄門槻樹下宴飲歌二首
 
4302 夜麻夫伎波。奈?都都於保佐牟。安里都都母。伎美伎麻之都都。可射之多里家利。
やまぶきは。なでつつおほさむ。ありつつも。きみきましつつ。かざしたりけり。
 
(154)次の歌の左註をかけて見るに、置始連《オキソメノムラジ》の家の山吹を折り取りて、家持卿の庄園へ來りて、さて前前に此花の在る故に、君が我方へも來て、かざし給ひつれば、山吹は撫で愛《ウツク》しみて、生ふし立てなん物そと言ふ意なり。
 
右一首置始連長谷。
 
4303 和我勢故我。夜度乃也麻夫伎。佐吉弖安良婆。也麻受可欲波牟。伊夜登之能波爾。
わがせこが。やどのやまぶき。さきてあらば。やまずかよはむ。いやとしのはに。
 
我セコは置始連を指す。
 
右一首長谷攀v花提v壺到來。因v是大伴宿禰家持作2此歌1和v之。
 
同月二十五日左大臣橘卿宴2于山田(ノ)御母《ミオモ》之宅1歌一首  續紀勝寶元年七月甲午受禅。乙未正六位上山田史日女島に從五位下を授く。天皇の御乳母也と見ゆ。
 
4304 夜麻夫伎乃。花能左香利爾。可久乃其等。伎美乎見麻久波。知登世爾母我母。
やまぶきの。はなのさかりに。かくのごと。きみをみまくは。ちとせにもがも。
 
ミマクハは、見ンハを延べたるなり。君は諸兄卿を指せるか、山田御母を指せるか。定《サダ》かならず。
 
右一首少納言大伴宿禰家持矚2時花1作。但未v出之間。大臣罷v宴而不2攀誦1耳。  契沖云、攀は擧の誤なるべしと言へり。而の下、還の字など脱ちしか。
 
(155)詠2霍公鳥1歌一首
 
4305 許乃久禮能。之氣伎乎乃倍乎。保等登藝須。奈伎弖故由奈理。伊麻之久良之母。
このくれの。しげきをのへを。ほととぎす。なきてこゆなり。いましくらしも。
 
コノクレは、木下暗なり。イマシのシは助辭。今初めて奧山より來るらしとなり。
 
右一首四月大伴宿禰家持作。
 
七夕歌八首
 
4306 波都秋風。須受之伎由布弊。等香武等曾。比毛波牟須妣之。伊母爾安波牟多米。
はつあきかぜ。すずしきゆふべ。とかむとぞ。ひもはむすびし。いもにあはむため。
 
牽牛に成りて詠めり。
 
4307 秋等伊弊婆。許己呂曾伊多伎。宇多弖家爾。花仁奈蘇倍弖。見麻久保里香聞。
あきといへば。こころぞいたき。うたてけに。はなになぞへて。みまくほりかも。
 
ウタテケニは轉|異《ケ》ニなり。ケの言清むべし。ナゾヘテは、ナゾラヘテなり。句を一四五三二と次第して解くべし。
 
4308 波都乎婆奈。波名爾見牟登之。安麻乃可波。弊奈里爾家良之。年緒奈我久。
はつをばな。はなにみむとし。あまのがは。へなりにけらし。としのをながく。
 
初句は、ハナニと言はん爲のみ。ハナニは集中總てあだなる事に詠めり。是れは然らず、花の如くにと(156)言ふを略けるなり。花の如くにとは、珍らしく見んと言ふなり。ヘナリは隔りなり。
 
4309 秋風爾。奈妣久可波備能。爾故具左能。爾古餘可爾之母。於毛保由流香母。
あきかぜに。なびくかはびの。にこぐさの。にこよかにしも。おもほゆるかも。
 
上は、ニコヨカと言はん爲の序のみ。二星の心を思ひ遣りて詠めり。ニコ草は卷十一、十四、十六にも詠めり。評かならず。カハ備《ビ》は川|方《ベ》なり。
 
4310 安吉佐禮婆。奇里多知和多流。安麻能河波。伊之奈彌於可婆。都藝弖見牟可母。
あきされば。きりたちわたる。あまのがは。いしなみおかば。つぎてみむかも。
 
山川などに石を並べ置きて渡るをイハ橋とも言へり。
 
4311 秋風爾。伊麻香伊麻可等。比母等伎弖。宇良麻知乎流爾。月可多夫伎奴。
あきかぜに。いまかいまかと。ひもときて。うらまちをるに。つきかたぶきぬ。
 
ウラは心を言ふ。下待と言ふも同じ。
 
4312 秋草爾。於久之良都由能。安可受能未。安比見流毛乃乎。月乎之麻多牟。
あきぐさに。おくしらつゆの。あかずのみ。あひみるものを。つきをしまたむ。
 
草花の露を見るに、飽かぬ如く思ふなり。此の月は月次の月にて 七月をのみ待たんかもと嘆くなり。
 參考 ○月乎之麻多牟(新)「年尓可」トシニカマタムか。
 
(157)4313 安乎奈美爾。蘇弖佐閇奴禮弖。許具布禰乃。可之布流保刀爾。左欲布氣奈武可。
あおなみに。そでさへぬれて。こぐふねの。かしふるほどに。さよふけなむか。
 
卷八、青浪に望はたえぬ云云。則ち浪の青きを言ふ。カシは卷七、舟はててかしふりたててと詠めり。船を繋《つな》ぎとどむるに、木を振りたてて綱を結《ゆ》ふに依りて、フルとは言へり。
 
右大伴宿禰家持獨仰2天漢1作v之。
 
4314 八千種爾。久佐奇乎宇惠弖。等伎其等爾。佐加牟波奈乎之。見都追思努波奈。
やちくさに。くさきをうゑて。ときごとに。さかむはなをし。みつつしぬばな。
 
シヌバナは慕ハンにて、其花を愛づるを言ふ。
 
右一首同月二十八日大伴宿禰家持作v之。
 
4315 宮人乃。蘇泥都氣其呂母。安伎波疑爾。仁保比與呂之伎。多加麻刀能美夜。
みやびとの。そでつけごろも。あきはぎに。にほひよろしき。たかまとのみや。
 
卷十六、結幡《ユフハタ》の袂著衣《ソデツケゴロモ》とも言へり。官服は皆|端袖《ハタソデ》を着れば、宮人の袖つけ衣とは言へり。
 
4316 多可麻刀能。宮乃須蘇未乃。努都可佐爾。伊麻左家流良武。乎美奈弊之波母。
たかまとの。みやのすそみの。ぬづかさに。いまさけるらむ。をみなへしはも。
 
スソミのミは備《ビ》と通ひて、スソ方《ベ》なり。浦|方《ベ》を浦|箕《ミ》と言ふが如し。ヌヅカサは、野の高き所を言ふ。岸(158)の司なども言へり。塚と言ふも高く土を盛り作れば言ふなり。ハモと言へるに想像る意有り。
 
4317 秋野爾波。伊麻己曾由可米。母能乃布能。乎等古乎美奈能。波奈爾保比見爾。
あきのには。いまこそゆかめ。もののふの。をとこをみなの。はなにほひみに。
 
袖中抄に、ヲトコとは、ヲトコベシと言ふは、荼《オホトチ》とて、女郎花《ヲミナベシ》のやうにて、花の白きなりと有り。契沖も此説に依れり。翁はモノノフは、ヲトコと言はん料なり。薄を男花、おみなべしを女花と言ふべしと、言はれつれど、恐くは強言《シヒゴト》ならん。按ずるに、すすきの穗を、お花と言ふは、鳥獣の尾に似たれば言ふなるべし。されば多く尾の字を用ひたり。さて此歌のヲトコ、ヲミナノと言へるは、草の名には有らずして、男女打交りて行く事なり。秋野に千ぐさの花のにほひ見に、男女打交りて、今こそ行かめと言ふ意にて、一五三四二と句を次第して心得べし。又モノノフと言ふは、もののふの八十伴の緒と言ひて、男女に亘る事なり。卷十九にも、物部乃八十をとめらがとも詠めれば、モノノフは、ヲトコと言はん料なりと言はれつるも善からず。
 
4318 安伎能野爾。都由於弊流波疑乎。多乎良受弖。安多良佐可里乎。須具之弖牟登香。
あきののに。つゆおへるはぎを。たをらずて。あたらさかりを。すぐしてむとか。
 
惜しき盛を過さんかと言ふなり。
 
4319 多可麻刀能。秋野乃宇倍能。安佐疑里爾。都麻欲夫乎之可。伊泥多都良牟可。
(159)たかまとの。あきののうへの。あさぎりに。つまよぶをしか。いでたつらむか。
 
4320 麻須良男乃。欲妣多天思加婆。左乎之加能。牟奈和氣由加牟。安伎野波疑波良。
ますらおの。よびたてしかば。さをしかの。むなわけゆかむ。あきのはぎはら。
 
ヨビタテシと言へるは、鹿笛と言ふ物を吹きて、鹿を呼び出だす事昔も有りけん。卷八、さをしかのむなわけにかも秋はぎの散過にける盛かもいぬる、とも詠みて、鹿の?にて萩を突き分け行くなり。
 
右歌六首兵部少輔大伴宿禰家持獨憶2秋野1聊述2拙懐1作v之。
 
天平勝寳七歳乙未二月相替遣2筑紫諸國1防人等歌
 
續紀此年七年を七歳と改むべき由詔あり。
 
4321 可之古伎夜。美許等加我布理。阿須由利也。加曳我伊牟多禰乎。伊牟奈之爾志弖。
かしこきや。みことかがぶり。あすゆりや。かえがいむたねを。いむなしにして。
 
カガブリは蒙りなり。卷五、布かたざぬひきかがぶりとも詠めり。カエは地名か。イムダネは共をムダと言へば、カエと言ふ所の妹と、夜の共《ムタ》寢し物を、明日よりは妹無にして、遠つ國に有らんかと歎くなるべしと翁は言はれき。契沖はイムタネは、妹ナネならん。加曳の里に妹なねは有れどと言ふ意なるべしと言へり。契沖が説の方穩かなるに似たり。猶考ふべし。
 參考 ○加曳我伊牟多禰乎(新)「加」を「多」の誤「伊」を衍「乎」を「牟」としてタエガムトネ(160)ムとす。
 
右一首|國造丁《クニノミヤツコノヨホロ》長下(ノ)郡物部秋持。  この國造丁并に次に見えたる主帳丁は、國造主帳より出だせる人足か。防人の上る時の道中の人足なるべし。丁をヨホロと言へるは、足の※[足+國]《ヨホロホネ》に由れる名にて、仕はれて、足して馳せ歩くより言ふなり。和名抄、遠江國長上(長乃加美)。
 
4322 和我都麻波。伊多久古比良之。乃牟美豆爾。加其佐倍美曳弖。余爾和須良禮受。
わがつまは。いたくこひらし。のむみづに。かごさへみえて。よにわすられず。
 
コヒラシは、戀ラシなり。カゴは影なり。面影の水に映りて見ゆるを言ふ。ヨニの詞は、上に言へり。
 
右一首主帳丁麁玉郡若倭部(ノ)身《ム》麻呂。  帳を今本張に誤る。和名抄遠江國麁玉(阿良多末、今稱2有玉1)
 
4323 等伎騰吉乃。波奈波佐家登母。奈爾須禮曾。波波登布波奈乃。佐吉低己受祁牟。
ときどきの。はなはさけども。なにすれぞ。ははとふはなの。さきてこずけむ。
 
ナニスレゾは、何爲ゾなり。ハハトフ花とは、上に花の事を言へるを請けて、花とは言へるにて、意は唯だ母はなど見え來ざるらんと言ふなり。咲テコズケムは、咲キ來《コ》ザラムの意なり。此ケムの詞は、ヨケム、アシケムなど言ふケムにて、ヨケムは、ヨカラム、アシケムは、アシカラムなり。孝コ紀歌に、もとごとにはなは咲けどもなにとかもうつくしいもがまださきでこぬと言ふに依れるか。低、元暦本に泥に作る。サキテのデを濁りて、咲出の意なり。是れ然るべし。
(161) 備考 ○佐吉低(古)は泥と改め(新)は「低」にてデと訓ず。
 
右一首防人山名郡|丈部眞《ハセツカベノマ》麻呂。  和名抄遠江國山名(也末奈)
 
4324 等倍多保美。志留波乃伊宗等。爾閉乃宇良等。安比弖之阿良婆。己等母加由波牟。
とへたほみ。しるはのいそと。にへのうらと。あひてしあらば。こともかゆはむ。
 
トヘタホミは、遠江なり。和名抄、遠江(止保太阿不三)と有り。トホツアフミと言ふべきを、古くより、斯くも言へるか。シルハは今遠江蓁原郡白羽村と言ふ有り。シロワと唱へて海邊なる由。白羽牧は、主税式に見ゆ。ニヘノウラは、和名抄、遠江濱名郡に贄代と言ふ見ゆ、是れなるべし。ニヘシロは、シルハとは離れて、京の方へ近きなるべし。離れざらは、言は通はんと言ふなり。
 
右一首同郡丈部川相。  カハヒと訓まんか。
 
4325 知知波波母。波奈爾母我毛夜。久佐麻久良。多妣波由久等母。佐佐己弖由加牟。
ちちははも。はなにもがもや。くさまくら。たびはゆくとも。ささごてゆかむ。
 
父母が木草の花に有らば、旅行くとも捧げて行くべきをなり。サシアゲルのシアの約サなれは、ササグルと言ふを、訛りてササゴと言へり。
 參考 ○知知波波母(新)チチハハ「巴」ハ。
 
右一首佐野郡丈部黒當。  和名抄。遠江佐野。今本訓註を脱せり、左也と訓むべし。續紀|佐益《サヤ》郡と有(162)り。此名如何が訓むべきか。
 
4326 父母我。等能能志利弊乃。母母余具佐。母母與伊弖麻勢。和我伎多流麻弖。
ちちははが。とののしりへの。ももよぐさ。ももよいでませ。わがきたるまで。
 
トノノシリヘは、父母の住所の後へなり。モモヨ草、知られず。六帖に雜の草に載せたり。モモヨグサは、モモヨと言はん料にて、イデマセは、百歳もいませなり。ワガキタルマデは、吾が歸り來るまでなり。六帖にはイタルマデと有り。
 
右一首同郡生玉部|足國《タリクニ》。
 
4327 和我都麻母。畫爾可伎等良無。伊豆麻母加。多妣由久阿禮波。美都都志努波牟。
わがつまも。ゑにかきとらむ。いづまもが。たびゆくあれは。みつつしぬばむ。
 
イヅマモガは、暇《イトマ》モガモなり。阿禮の下、波、元暦本可に作る。之《ガ》の意なれば濁るべし。
 
右一首長下郡物部古麻呂。  古、元暦本等とせり。
 
二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首。但有2拙劣歌十一首1不2取載1之。  右十八首のうち七首を載せたり。
 
4328 於保吉美能。美許等可之古美。伊蘇爾布理。宇乃波良和多流。知知波波乎於伎弖。
おほきみの。みことかしこみ。いそにふり。うのばらわたる。ちちははをおきて。
 
(163)イソニフリは石に觸りてなり。ウノハラは海原なり。海渡り行くさまの恐《カシコ》さを云ふ。
 
右一首|助丁《スケノヨホロ》丈部(○造ノ字脱)人麻呂。  郡名を脱せしなるべし。
 
4329 夜蘇久爾波。那爾波爾都度比。布奈可射里。安我世武比呂乎。美毛比等母我毛。
やそぐには。なにはにつどひ。ふなかざり。あがせむひろを。みもひともがも。
 
八十グニは多くの國なり。防人は遠江より東の國國より出でて、數多ければ然か言ふ。フナカザリは難波に集りて舟よそひするなり。ヒロは日にて、ロは等と同じく助辭なり。ミモは見ンに同じ。宣長云、舟カザリと言ふを以て見れば、舟を見事に飾りたる装《ヨソヒ》を人に見せまほしと言ふなるべしと言へり。
 參考 ○夜蘇久爾波(新)ヤソクニユ、「波」を誤字とす。
 
右一首|足下《アシカラノシモノ》郡上丁丹比部國人。
 
和名抄相摸國足上(足辛乃加美)足下(准上)和名抄今本足柄上下と有るは誤なり。例に違へり。
 
4330 奈爾波都爾。余曾比余曾比弖。氣布能日夜。伊田弖麻可良武。美流波波奈之爾。
なにはづに。よそひよそひて。けふのひや。いでてまからむ。みるははなしに。
 
ヨソヒは舟よそひなり。出デテマカラムは難波を出で立つを言ふ。
 
右一首鎌倉郡上丁丸子連|多《オホ》麻呂。  和名抄相摸國鎌倉(加末久良、)
 
二月七日相喪(○摸寛永版は模)國防人部領使(ノ)守從五位下藤原朝臣宿奈麻呂進歌數八首。但拙劣歌五首(164)者不2取載1之。  八首の内右三首載せたり。宿奈麻呂は續紀天平十八年正六位下より從五位下を授くと見え、次次官位を歴て、寶龜元年式部卿と見ゆ。
 
追(テ)痛2防人悲v別之心1作歌一首并短歌
 
4331 天皇乃。等保能朝廷等。之良奴日。筑紫國波。安多麻毛流。於佐倍乃城曾等。聞食。四方國爾波。比等佐波爾。美知弖波安禮杼。登利我奈久。安豆麻乎能故波。伊田牟可比。加弊里見世受弖。伊佐美多流。多家吉軍卒等。禰疑多麻比。麻氣乃麻爾麻爾。多良知禰乃。波波我目可禮弖。若草能。都麻乎母麻可受。安良多麻能。月日餘美都都。安之我知流。難波能美津爾。大船爾。末加伊之自奴伎。安佐奈藝爾。可故等登能倍。由布思保爾。可知比伎乎里。安騰母比弖。許藝由久伎美波。奈美乃間乎。伊由伎佐具久美。麻佐吉久母。波夜久伊多里弖。大王乃。美許等能麻爾末。麻須良男乃。許己呂乎(165)母知弖。安里米具理。事之乎波良婆【婆今波ニ誤ル】。都都麻波受。可敝理伎麻勢登。伊波比倍乎。等許敝爾須惠弖。之路多倍能。蘇田遠利加敝之。奴婆多麻乃。久路加美之伎弖。奈我伎氣遠。麻知可母戀牟。波之伎都麻良波。
おほきみの。とほのみかどと。しらぬひ。つくしのくには。あたまもる。おさへのきぞと。きこしをす。よものくにには。ひとさはに。みちてはあれど。とりがなく。あづまをのこは。いでむかひ。かへりみせずて。いさみたる。たけきいくさと。ねぎたまひ。まけのまにまに。たらちねの。ははがめかれて。わかくさの。つまをもまかず。あらたまの。つきひよみつつ。あしがちる。なにはのみつに。おほぶねに。まかいしじぬき。あさなぎに。かこととのへ。ゆふしほに。かぢひきをり。あともひて。こぎゆくきみは。なみのまを。いゆきさぐくみ。まさきくも。はやくいたりて。おほきみの。みことのまにま。ますらをの。こころをもちて。ありめぐり。ことしをはらば。つつまはず。かへりきませと。いはひべを。 とこべにすゑて。しろたへの。そでをりかへし。ぬばたまの。くろかみしきて。ながきけを。まちかもこひむ。はしきつまらは。
 
天皇ノ遠ノミカド云云、卷三にも見えたり。アタマモルは、異國の賊を守るなり。卷六にもあたまもるつくしにいたり。オサヘノキは、賊を押へ防ぐ城と言ふなり。聞シヲスはシロシメスと言ふに同じ意にて、下の四方の國へ續く。アヅマヲノコは、反歌に、安豆麻乎等故と詠めり。然れば同じ事なり。續紀景雲三年十月の詔曰。東人爾方止毛不立一心護物云云。卷十八、かへり見はせじとことだて、此下にも今日よりやかへり見なくて、なども詠めり。イクサは射合《イクハ》する箭《サ》と言ふ事にて、矢射る人をも言ふ。ツハモノは兵器《ウツハモノ》なるを、其器とる人をもツハモノと言ふが如し。ネギタマヒとは勞《ネギラ》ひ給ひなり。卷六、かきなでぞ禰宜賜。母ガ目カレテは、母に離れて見ゆる事の無きなり。妻ヲモマカズは不v纏なり。月日ヨミツツは、數ヘツツなり。アシガチル、枕詞。マカイ、マカヂシジヌキとも言ひて、カイ、カヂの分ち無し。カコは水手なり。カヂ引ヲリ、卷二、行舟のかぢ引をりて(166)と言へり。引き撓むるを言ふ。アトモヒは誘ひなり。君は防人を指す。イユキサグクミ、イは發語、サグクミは、祝詞、岩根木の根ふみさくみと言ふが如し。ミコトノマニマは、ママニと同じ。アリメグリは、在在て行き廻りなり。良の下、婆、今本波に作る、元暦本に依りて改む。ツツマハズは、恙ナクと同じ。イハヒベは齋瓶なり。トコベニスヱテは、卷十七にも、旅行君がさきくあれといはひべすゑつあが床のべに、とも詠めり。旅立てる跡の床を齋ふは古への常なり。此スヱテと言ふより、待チカモ戀ヒムと言ふ句へ隔てて懸かるなり。
 參考 ○天皇乃(古、新)スメロギノ ○可知(古)一本によりて可治とす。
 
反歌
 
4332 麻須良男能。由伎等里於比弖。伊田弖伊氣婆。和可禮乎乎之美。奈氣伎家牟都麻。
ますらをの。ゆぎとりおひて。いでていけば。わかれををしみ。なげきけむつま。
 
4333 等里我奈久。安豆麻乎等故能。都麻和可禮。可奈之久安里家牟。等之能乎奈我美。
とりがなく。あづまをとこの。つまわかれ。かなしくありけむ。としのをながみ。
 
別れては歸り來ん年の久しければ、妻と別るるが悲しかりけんとなり。
 
右二月八日兵部少輔大伴宿禰家持。
 
4334 海原乎。等保久和多里弖。等之布等母。兒良我牟須敝流。比毛等久奈由米。
(167)うなばらを。とほくわたりて。としふとも。こらがむすべる。ひもとくなゆめ。
 
ヒモトクナユメは、家持卿の言ひ教ふる心なり。
 
4335 今替。爾比佐伎母利我。布奈弖須流。宇奈波良乃宇倍爾。奈美那佐伎曾禰。
いまかはる。にひさきもりが。ふなでする。うなばらのうへに。なみなさきそね。
 
卷七、ことし行にひさきもりと詠めり。サキは、卷六、白浪の伊開廻《イサキメグ》れる住のえの濱とも詠みて、神代紀|秀起《サキタテル》浪穗之上と言へる是れなり。浪立つ事なかれと言ふなり。
 
4336 佐吉母利能。保理江己藝豆流。伊豆手夫禰。可治等流間奈久。戀波思氣家牟。
さきもりの。ほりえこぎづる。いづてぶね。かぢとるまなく。こひはしげけむ。
 
ホリエは難波穿江なり。伊豆手船は既に出づ。此下にいづ手の船とも詠めり。梶トル間ナクと言ふより、古郷戀ふる思ひのひま無からんと言ひ下したり。
 
右九日大伴宿禰家持作之。
 
4337 美豆等利乃。多知能已蘇岐爾。父母爾。毛能波須價爾弖。已麻叙久夜志伎。
みづとりの。たちのいそぎに。ちちははに、ものはずけにて。いまぞくやしき。
 
水鳥は俄に飛び立つ物なれば斯く續けたり。モノハズは物不v言を略けり。ケニテは來去《キイニ》てなり。卷十四、水鳥のたたむよそひにいものらにものいはずきにておもひかねつも。
(168) 參考 ○毛能波須價爾弖(考)モノハズ「伎」キニテ(代、古、新)略に同じ。
 
右一首上丁有度郡牛麻呂。  郡は部の誤にて、氏なるべし。
 
4338 多多美氣米。牟良自加已蘇乃。波奈利蘇乃。波波乎波奈例弖。由久我加奈之佐。
たたみけめ。むらじがいその。はなりその。ははをはなれて。ゆくがかなしさ。
 
タタミケメ、枕詞。ムラジガ磯、駿河の防人が歌なれば駿河なるべし。ハナリソは、さし離れたる磯なり。上は離れてと言はん序なり。
 參考 ○多多美氣米(代、考、新)略に同じ(古)タタミケ「布」フ。
 
右一首助丁生部道麻呂。
 
4339 久爾米具留。阿等利加麻氣利。由伎米具利。加比利久麻弖爾。已波比弖麻多禰。
くにめぐる。あとりかまけり。ゆきめぐり。かひりくまでに。いはひてまたね。
 
翁の説に、クニメグルは、古へ郡縣をもクニと言へば、防人の郡郡轉任するを國廻ルと言へり。アトリガマケリは吾一人が仕《マケ》りなり。此軍團の内にて我獨任と言ふならんと言はれき。仙覺もアトリは吾一人なりと言へるを、契沖云、三千人の防人なれば、吾獨りとは言ふまじきなり。此アトリは臈(○契沖は?と書けり)子鳥にて、其鳥の打群れて行く如く、騷ぎてまかると言へるにやと言へり。宣長云、契沖が説に依るべし。國メグルは、則ち臈子鳥の事なり。此鳥は數多く群れつつ國を廻り行くものなり。カ(169)マケリは大平云、かまびすしきなり。カシカマシ、ヤカマシなど皆カマと言ふ。さてあとりの渡るは甚かまびすしき物なり。初二句は行廻りの序なり。國を廻るあとりの喧《カマビ》すしく渡り行く如くに行き廻りなりと言へり。是れに據るべし。天武紀七年十二月臘子鳥弊v天自2西南1飛2東北1と見え、和名抄に、?子烏辨色立成云、臈〓鳥(阿止里、一云胡雀、)揚子漢語抄云、?子鳥(和名上同。今按兩説所v出未v詳。但本朝國史用2?子鳥1。又或説云。此鳥群飛如3列卒之滿2山林1。故名2?子鳥1也。)と見えて、此註の或説、防人が群れ立つにも似つかはしくなん。カヒリクマデニは歸來迄になり。イハヒテマタネは、家人の齋ひて待てよと言ふなり。
 參考 ○阿等利加麻氣利(新)加を濁りてアトリガマケリと訓みマケリをモコロの訛とす。
 
右一首刑部虫麻呂
 
4340 知知波波江。已波比弖麻多禰。豆久志奈流。美豆久白玉。等里弖久麻弖爾。
ちちははえ。いはひてまたね。つくしなる。みづくしらたま。とりてくまでに。
 
江はヨと言はんが如し。下にヨスルをエスルとも言へり。ミヅクは水に漬るなり。卷十八、海ゆかばみづく屍。トリテクマデニは、取りて歸り來る迄にと言ふなり。筑紫よりつとに眞珠を取りて歸り來んを待ち給へとなり。
 參考 ○知知波波江(代、古)略に同じ(考、新)チチハハ「波」ハ。
 
(170)右一首川原虫麻呂。
 
4341 多知波奈能。美衣利乃佐刀爾。父乎於伎弖。道乃長道波。由伎加弖努加毛。
たちばなの。みえりのさとに。ちちをおきて。みちのながちは。ゆきがてぬかも。
 
初句は枕詞か、考ふべし。宣長云、和名抄に駿河の志太郡に夜梨郷あり。夜は衣の誤か、又此處の衣は夜の誤かと言へり。衣、元暦本袁に作る。行ガテヌは行き不v勝なり。
 
右一首丈部足株呂。
 
4342 麻氣波之良。寶米弖豆久禮留。等乃能其等。已麻勢波波刀自。於米加波利勢受。
まけばしら。ほめてつくれる。とののごと。いませははとじ。おめがはりせず。
 
景行紀御木(木此云v開《ケ》)と有りて、古へ木をケと言へば、眞木柱なり。ホメテは顯宗紀の室賀詞などを思ふに、新室に賀詞言ふ事有りしなり。其れをホムルと言ふなり。オメは面《オモ》なり。ほめて作れる殿の世に久しく在る如く、母とじの面變りせずして、おはしませと祝へるなり。
 
右一首坂田部|首《オビト》麻呂。
 
4343 和呂多比波。多比等於米保等。己比爾志弖。古米知夜須良牟。和加美可奈志母。
わろたびは。たびとおめほど。こひにして。こめちやすらむ。わがみかなしも。
 
此歌心得難し。翁も強ひて言はば、和呂タビはは吾旅者なり。オメホドは思ヘドモなり。コメチは、古は(171)加保の約、知は毛弖を約轉せるにて、顔面《カホモテ》ならん。ヤスラムは、痩セヌラムなり。オモテのオは連言ゆゑ略けるなり。又はオモ持と言ふ事物語に見ゆれば顔持にや。心は旅を思ふに、唯だ旅のみならず、古郷を戀ふる事の有れば、二しへに悲みを重ねて、顔面の痩せやすらんと言ふならんかと言はれき、猶考ふべし。
 參考 ○和呂多比波(新)ワロハタビハ「呂」の下「波」脱か ○己比爾志弖(新)「已」イヒニシテ家にしての意 ○古米知(新)「於」オメチ(オモテの訛)。
 
右一首玉作部廣目。  廣を元暦本度に作る。
 
4344 和須良牟砥。努由伎夜麻由伎。和例久禮等。和我知知波波波。和須例勢努加毛。
わすらむと。ぬゆきやまゆき。われくれど。わがちちははは。わすれせぬかも。
 
忘れんとて野行き山行き心を慰むれどもと言ふなり。
 
右一首|商長《アキノヲサノ》首麻呂。
 
4345 和伎米故等。不多利和我見之。宇知江須流。須流河乃禰良波。苦不志久米阿流可。
わぎめこと。ふたりわがみし。うちえする。するがのねらは。くふしくめあるか。
 
ワギメコは吾妹子なり。ウチエスル、枕詞。ネは嶺、ラは助辭なり。クフシクメは戀ヒシクモなり。二の米、若しくは毛の誤か。又は東言か。
 
右一首春日部麻呂。
 
(172)4346 知知波波我。可之良加伎奈弖。佐久安禮天。伊比之古等婆曾。和須禮加禰津豆流。
ちちははが。かしらかきなで。さくあれて。いひしことばぞ。わすれかねつる。
 
サクアレテは幸くあれとと言ふなり。
 
右一首丈部稻麻呂。
 
二月七日駿河國防人部領使守從五位下布勢朝臣人主實進2九日1歌數二十首。但拙劣歌者不2取載1v之。
 
續紀勝寶六年四月太宰府言。入唐第四舶判官正六位上布勢朝臣人主來2泊薩摩國石籬浦1。同年六月授2從五位下1。同月爲2駿河守1。其外にもかたがたに見ゆ。二十首の内より右十首を撰びて載せたり。
 參考 ○(新)實進九日は進實九日の誤にて實九日の三字はもと註文なりけむ。
 
4347 伊閉爾之弖。古非都都安良受波。奈我波氣流。多知爾奈里弖母。伊波非弖之加母。
いへにして。こひつつあらずは。ながはける。たちになりても。いはひてしがも。
 
家にして戀ひつつ有らんよりは、汝が佩ける太刀に成りても汝を齋はんものをと、防人の親が詠めるなり。
 
右一首國造丁日下【日下ヲ早ニ誤ル、下同ジ】部|使主《ヲミ》三中《ミナカ》之文歌。  日下、今本早に誤れり、元暦本に依りて改む。文は母の草書より誤れるならん、歌をもて知るべし。父の字文には誤り安けれど、答歌にも母と詠めり。顯宗紀、使主此云2於瀰1と見ゆ。
 參考 ○(新)文は父の誤。
 
(173)4348 多良知禰乃。波波乎和加例弖。麻許等和例。多非乃加里保爾。夜須久禰牟加母。
たらちねの。ははをわかれて。まことわれ。たびのかりほに。やすくねむかも。
 
母ヲ別レテ、則ち母に別れてなり。カリホは假廬なり。
 
右一首國造丁、日下部使主三申。  日下、今早に誤る、元暦本に依りて改む。
 
4349 毛母久麻能。美知波紀爾志乎。麻多佐良爾。夜蘇志麻須義弖。和加例加由可牟。
ももくまの。みちはきにしを。またさらに。やそしますぎて。わかれかゆかむ。
 
クマは隈なり。本は陸路を言ひ、末は海路を言へり。
(○右一首助丁刑部直三野。の十字脱せり。今寛永版に據りて補ふ)
 
4350 爾波奈加能。阿須波乃可美爾。古志波佐之。阿例波伊波波牟。加倍理久麻弖爾。
にはなかの。あすはのかみに。こしばさし。あれはいははむ。かへりくまでに。
 
古事記に、大年神の子に庭津日神、次阿須波神云云と有りて、竈神なり。新年祭祝詞に、座摩御巫稱辭竟奉皇神等。生井《イクヰ》榮井《サクヰ》津長《ツナガ》井阿須披婆比支御名者白?云云と見ゆ。是れは庭の中に小柴もて神籬《ヒモロギ》を假初《カリソメ》に造るなるべし。其れをコシバサシとは言へり。アレハは吾者なり。※[人偏+弖]、元暦本に泥に作る。
 
右一首帳丁|若麻續部《ワカヲミベノ》諸人。
 
帳丁は主帳丁なり。按ずるに此歌防人が父母か、妻の詠める歌と見ゆ。諸人の下字の脱ちたるか。
(174) 參考 ○(新)帳丁の上に「主」を脱せり。
 
4351 多妣己呂母。夜豆伎可佐禰弖。伊努禮等母。奈保波太佐牟志。伊母爾志阿良禰婆。
たびごろも。やつきかさねて。いぬれども。なほはださむし。いもにしあらねば。
 
ヤツキカサネテは、數多着襲ねてなり。ハダは膚なり。元暦本、比を妣に、豆を都に作る。伎、一本倍に作る。
 
右一首|望陀《ウマグタノ》郡上丁玉作部|國忍《クニヲシ》  和名抄、上總望陀(末宇太)と有れど、卷十四歌に宇麻具多と有り。
 參考 ○夜豆(新)夜豆の豆は諸本に倍とあり。もとのままにても可なり。豆は清音にも用ひたり。結句の「尓」は「等」の誤ならむ。
 
4352 美知乃倍乃。宇萬良能宇禮爾。波保麻米乃。可良麻流伎美乎。波可禮加由加牟。
みちのべの。うまらのうれに。はほまめの。からまるきみを。はかれかゆかむ。
 
ウマラは荊《ウバラ》なり。ウレは末なり。ハホマメは這《ハフ》豆なり。上にもはほつたと詠めり。和名抄、※[草がんむり/偏]豆(阿知万女)籬上豆也と言ふなり。カラマルば纏《マト》はるなり。波ガレは離れなり、神代紀、廢渠槽此云2秘波※[鳥+我]都《ヒハガツ》1と有るも、ハナツをハガツと言へり。
 參考 ○波可禮(新)波奈禮の誤か。
 
右一首天羽郡(ノ)上丁丈部|鳥《トリ》。  和名抄上總國天羽(阿未波)
 
(175)4353 伊倍加是波。比爾比爾布氣等。和伎母古賀。伊倍其登母遲弖。久流比等母奈之。
いへかぜは。ひにひにふけど。わぎもこが。いへごともちて。くるひともなし。
 
家風は吾が本郷の方より吹く風を言ふ。家言は家の妹が言なり。東風は日日に吹けども、妹が使は無きと言ふなり。
 
右一首朝夷郡(ノ)上丁丸子連|大歳《オホトシ》。  和名抄安房國朝夷(阿左比奈)
 
4354 多知許毛乃。多知乃佐和伎爾。阿比美弖之。伊母加己己呂波。和須禮世奴可母。
たちごもの。たちのさわぎに。あひみてし。いもがこころは。わすれせぬかも。
 
タチゴモは起鳧《タチカモ》なり。村鳥の立のさわぎ、又水鳥の立のいそぎなども詠めり。
 參考 ○多知許毛乃(新)コモ清むべし。タツカモの訛なり。
 
右一首長狹郡上丁丈部|與呂《ヨロ》麻呂。  和名抄安房國長狹(奈加佐)
 
4355 余曾爾能美。美弖夜和多良毛。奈爾波我多。久毛爲爾美由流。志麻奈良奈久爾。
よそにのみ。みてやわたらも。なにはがた。くもゐにみゆる。しまならなくに。
 
ワタラモは海を渡らんなり。家路にいや遠ざかり行くを、難波より西に見ゆる島の遙けきに懸けて歎くなり。
 
右一首武※[身+矢]郡上丁丈部|山代《ヤマシロ》。  和名抄上總國武射。
 
(176)4356 和我波波能。蘇弖母知奈弖?。和我可良爾。奈伎之許己呂乎。和須良延努【延ヲ廷ニ誤ル】可毛。
わがははの。そでもちなでて。わがからに。なきしこころを。わすらえぬかも。
 
上にたらちねの母かきなでてと詠める如く、母が袖を以て吾を撫でつつ泣きしなり。可良はヨリなり。故なり。延を今廷に誤る、元暦本に依りて改む。
 參考 ○奈伎之許己呂乎(新)「乎」は「之《シ》」の誤。
 
右一首山(ノ)邊郡上丁物部(ノ)手刀良《テトラ》。  手、一本に乎《ヲ》に作る。和名抄上總國山邊(也末乃倍)
 
4357 阿之可伎能。久麻刀爾多知弖。和藝毛古我。蘇弖母志保保爾。奈伎志曾母波由。
あしがきの。くまどにたちて。わぎもこが。そでもしほほに。なきしぞもはゆ。
 
蘆垣の隈處《クマド》にて、古事記に、久美度《クミド》と有るとは異事なるべし。シホシは、シボシボを略きたる言なり。物の萎るるは乎の假字にて、今とは別なり。まがふ事なかれ。卷四(今の十一)の考の別記に委し。モハユは思ハルなり。
 
右一首市原郡上丁|刑部直千國《オサカベノアタヒチクニ》。  和名抄上總國市原(伊知波良)
 
4358 於保伎美乃。美許等加志古美。伊弖久禮婆。和努等里都伎弖。伊比之古奈波毛。
おほきみの。みことかしこみ。いでくれば。わぬとりつきて。いひしこなはも。
 
卷十四、うべこなはわわにこふなもとも有り。ワヌは我なり。されば此ワヌトリツキテは、吾に取り付(177)きてと言ふなり。イヒシコナハモは、忘れ難き事を言ひしにて、コナは子|等《ラ》に同じく、妹を指す。ハモは思ひ出でて歎く詞。
 
右一首※[さんずい+此]郡上丁物部(ノ)龍。  ※[さんずい+此]は淮の誤なるべし。和名抄、上總國周淮(季《スヱ》)。
 
4359 都久之閉爾。敝牟加流布禰乃。伊都之加毛。都加敝麻都里弖。久爾爾閉牟可毛。
つくしべに。へむかるふねの。いつしかも。つかへまつりて。くににへむかも。
 
ヘムカルは舟の舳《ヘ》の向ふなり。此下の長歌に、あさなぎに倍牟氣許我牟等《ヘムケコガムト》と詠めり。末は恙無く仕へ奉りて、いつか本郷へ舳向はんとなり。
 
右一首長柄郡上丁|若麻續部羊《ワカヲミベノヒツジ》。  和名抄上總國長柄(奈加良)
 
二月九日上總國防人部領使少目從七位下|茨田《マムタノ》連|沙《サ》彌麻呂進歌數十九首、但拙劣歌者不2取載1之。
 
十九首内右十三首擧げたり。文武紀二年八月茨田足島賜2姓連1。和名抄河内國茨田(万牟多)。
 
陳2私拙懷1一首并短歌  懷の下、歌字を脱せり。
 
4360 天皇乃。等保伎美與爾毛。於之弖流。難波乃久爾爾。阿米能之多。之良志賣之伎等。伊麻能乎【乎ハ与ノ誤】爾。多要受伊比都都。可氣麻久毛。安夜爾可之古志。可武奈我良。和其大王乃。宇知奈妣久。春(178)初波。夜知久佐爾。波奈佐伎爾保比。夜麻美禮婆。見能等母之久。可波美禮婆。見乃佐夜氣久。母能其等爾。佐可由流等伎登。賣之多麻比。安伎良米多麻比。之伎麻世流。難波宮者。伎己之米【米ヲ元乎ニ作ル】須。四方乃久爾欲里。多弖麻都流。美都奇能船者。保理江欲里。美乎妣伎之都都。安佐奈藝爾。可治比伎能保理。由布之保爾。佐乎佐之久太理。安治牟良能。佐和伎伎保比弖。波麻爾伊泥弖。海原見禮婆。之良奈美乃。夜敝乎流我宇倍爾。安麻乎夫禰。波良良爾宇伎弖。於保美氣爾。都加倍麻都流等。乎知許知爾。伊※[身+矢]里都利家理。曾伎太久毛。於藝呂奈伎可毛。己伎婆久母。由多氣伎可母。許己見禮婆。宇倍之神代由。波自米家良思母。
おほきみの。とほきみよにも。おしてる。なにはのくにに。あめのした。しらしめしきと。いまのよに。たえずいひつつ。かけまくも。あやにかしこし。かむながら。わごおほきみの。うちなびく。はるのはじめは。やちくさに。はなさきにほひ。やまみれば。みのともしく。かはみれば。みのさやけく。ものごとに。さかゆるときと。めしたまひ。あきらめたまひ。しきませる。なにはのみやは。きこしめす。よものくにより。たてまつる。みつきのふねは。ほりえより。みをびきしつつ。あさなぎに。かぢひきのぼり。ゆふしほに。さをさしくだり。あぢむらの。さわぎきほひて。はまにいでて。うなばらみれば。しらなみの。やへをるがうへに。あまをぶね。はららにうきて。おほみけに。つかへまつると。をちこちに。いざりつりけり。そきだくも。おぎろなきかも。こきばくも。ゆたけきかも。ここみれば。うべしかみよゆ。はじめけらしも。
 
天皇の遠き御世とは仁コ天皇を申し奉る。伊麻納の下の乎は与の誤なるべし。イマノヨニと有るべし。(179)見ノトモシクは、見るが珍らしきなり。見ノサヤケクは、見るが清きなり。メシタマヒ明ラメタマヒは、見明らめ給ふと言ふを二句に分ちたり。此末に時の花いやめづらしも、かくしこそ買之安伎良めめ、あきたつごとに、とも有り。キコシ米須の米を元暦本乎と有り。ミヲ引シツツは、水脈を舟引のぼるなり。カヂ引ノボリは、櫓を引きたわめて船を登らするなり。アヂムラノ云云は、あぢ村の如くと言ふを略けり。ヤヘヲルガウヘエ、卷七、八重折之|於《ウヘ》母と詠めり。ハララニウキテ、常バラバラトと言ふに同じ。神代紀、蹴散此云2倶穢簸邏邏箇須《クヱハララカス》1と有る是れなり。オホミケニ云云、卷一、遊副川の神も大御食に仕へまつると上つせにうかはをたて云云と詠めり。イザリツリケリは、イザリは網引の事に言ひ、ツリは釣する事なり。ソキダクモは、ソコバクに同じ。於藝呂は頤の字を訓めり。字書に深也とも註せれば、オギロナキは奧なきなり。物語文に、オウナキと言ふ類ひの詞にて、キロの約コなれば、オクナキと言ふ語と成るべし。コキバクモは、ココバクモに同じくて、やがて上のソキダクも同じ語なるを、詞を替へて重ね言ふも古歌の常なり。神代ユは上代よりの意にて、仁コ天皇の始め給ひしを言へり。
 參考 ○陳私拙懷(新)私陳の顛倒か ○天皇乃(古)スメロギノ ○多要受伊比都都(新)「都都」は「伎都」の誤 ○佐和伎伎保比弖(新)「弖」は「奴」の誤。
 
4361 櫻花。伊麻佐可里奈里。難波乃海。於之弖流宮爾。伎許之賣須奈倍。
さくらばな。いまさかりなり。なにはのうみ。おしてるみやに。きこしめすなへ。
 
(180)櫻花も難波宮も、并びて盛なる意にナヘ《並》と言へり。オシテル宮ニと言へるは、オシテルは、難波の枕詞なるを、家持卿の頃は既に言ひ馴れて、用を體にとり成して、上は難波海と言ひて、オシテル宮と語を下上に置きたるなど、漸く働きがましく成りたるものなり。
 
4362 海原乃。由多氣伎見都都。安之我知流。奈爾波爾等之波。倍奴倍久於毛保由。
うなばらの。ゆたけきみつつ。あしがちる。なにはにとしは。へぬべくおもほゆ。
 
アシガ散ルは枕詞のみにて、此時のさまを言ふに有らず。卷六、紅に深く染にし心かもならのみやこにとしのへぬべき。
 
右二月十三日兵部少輔大伴宿禰家持。
 
4363 奈爾波都爾。美布禰於呂須惠。夜蘇加奴伎。伊麻波許伎奴等。伊母爾都氣許曾。
なにはづに。みふねおろすゑ。やそかぬき。いまはこぎぬと。いもにつげこそ。
 
オロスヱは下《オロ》し居《ス》ゑなり。ヤソカヌキは、卷十二、やそかかけとも詠みて、八十?貫きなり。多くの櫓を立つるを言ふ。コギヌトは漕出去《コギデヌ》トと言ふ意なり。
 
4364 佐伎牟理爾。多多牟佐和伎爾。伊敝能伊毛【毛元ニ牟ニ作ル牟何。奈流敝伎己等乎。伊波須伎奴可母。
さきむりに。たたむさわぎに。いへのい|も《む》が。なるべきことを。いはずきぬかも。
 
サキムリはサキモリなり。元暦本伊毛を伊牟とせるも然るべし。サキモりをサキ牟理と詠めるからは、(181)毛を牟と言ふは其所の詞なるべし。ナルベキコトとは、産業にすべき事なり。卷五、家にかへりてなりをしまさにと詠めり、其外にも多し。立のいそぎにが吾歸り來るまでの業《ナリヒラ》の事をも、妹に言ひ置かずして來ぬると言ふなり。
 
右二首茨城郡|若舍人部廣足《ワカトネリヘノヒロタリ》。  和名抄、常陸國茨城(牟波良岐)元暦本、廣を度に作る。
 
4365 於之弖流夜。奈爾波能都由利。布奈與曾比。阿例波許藝奴等。伊母爾都岐許曾。
おしてるや。なにはのつより。ふなよそひ。あれはこぎぬと。いもにつぎこそ。
 
コギヌトは漕|去《イ》ぬとなり。ツゲコソは告げよかしなり。津の下、與、元暦本由とせり。
 
4366 比多知散思。由可牟加里母我。阿我古比乎。志留志弖都祁弖。伊母爾志良世牟。
ひたちさし。ゆかむかりもが。あがこひを。しるしてつけて。いもにしらせむ。
 
シルシテツケテは、書き記るして附けてなり。卷十五、天飛や鴈を使に得てしがもならのみやこにことつげやらむ。
 
右二首信太郡物(ノ)部|道足《ミチタリ》。  和名抄、常陸國信太(志多)
 
4367 阿我母弖能。和須例母之太波。都久波尼乎。布利佐氣美都都。伊母波之奴波弖【弖ハ尼ノ誤】。
あがもての。わすれもしだは。つくはねを。ふりさけみつつ。いもはしぬばね。
 
吾面の忘れもして有らばなり。又卷十四、あけぬ思太久流《シダクル》、其外にも此詞多し。皆|時《トキ》と言ふ事と聞ゆる(182)由、大平言へり。委しく十四の卷に言ひき。此家は筑波より猶東にて、夫の行きし方を筑彼の方として偲べと言ふなるべし。弖、一本尼に作るを是《ヨシ》とす。
 
右一首茨城郡|占部小龍《ウラベノコタツ》。
 
4368 久自我波波。佐氣久阿利麻弖。志富夫禰爾。麻可知之自奴伎。和波可敝里許牟。
くじがはは。さけくありまて。しほぶねに。まかぢしじぬき。わはかへりこむ。
 
契沖云、クジガハハは久慈郡に在る母なりと言へり。されど久慈に有る母を如何で久慈が母とは言ふべき。思ふに久慈川者にて、卷七、白崎はさきくあり待てと、詠める類ひなるべし。八雲御抄には、くじ川と載せさせ給へり。サケクは幸くなり。シホ舟は潮を渡る丹なれば斯く言へり。外にも詠みき。
 
右一首久慈郡|丸子部佐壯《マロコベノスケヲ》。  和名抄、常陸國久慈。
 
4369 都久波禰乃。佐由流能波奈能。由等許爾母。可奈之家伊母曾。比留毛可奈之祁。
つくはねの。さゆるのはなの。よ(○ゆノ誤カ)どこにも。かなしけいもぞ。ひるもかなしけ。
 
サユルはサ百合なり。ユドコは夜床なり。一二の句はさゆりの花の如く愛でらるる妹と言ふなり。カナシケはカナシキにて、愛づる詞。
 
4370 阿良例布理。可志麻能可美乎。伊能利都都。須米良美久佐爾。和例波伎爾之乎。
あられふり。かしまのかみを。いのりつつ。すめらみくさに。われはきにしを。
 
(183)アラレフリ、枕詞。神名帳常陸國鹿島郡鹿島神宮。スメラミクサは皇御軍なり。來ニシヲと言へるは、神に祈りて來りつるを、恙なく防人仕まつらざらやめと言ふ意なるべし。
 
右二首|那賀《ナカノ》郡上丁大舍人部|千文《チフミ》。  和名抄、常陸國那珂。古本文を丈に作る、元暦本に子久に作る。
 
4371 多知波奈乃。之多布久可是乃。可具波志伎。都久波能夜麻乎。古比須安良米可毛。
たちばなの。したふくかぜの。かぐはしき。つくばのやまを。こひずあらめかも。
 
初二句は、唯だ香はしきの序のみなり。さてカグハシキは、褒めて言ふ言にて、卷十八、かぐはしき君、卷十九、かぐはしき親の御言など詠めり。其筑波山に添へて家人を戀ふる心を含めり。
 
右一首|助丁占部廣方《スケノヨホロウラベノヒロカタ》。  元暦本庶才に作る。
 
4372 阿志加良能。美佐可多麻波理。可閉理美須。阿例波久江由久。阿良志乎母。多志夜波婆可流。不破乃世伎。久江弖和波由久。牟麻能都米。都久志能佐伎爾。知麻利爲弖。阿例波伊波波牟。母呂母呂波。佐祁久等麻乎須。可閉利久麻弖爾。
あしがらの。みさかたまはり。かへりみず。あれはくえゆく。あらしをも。たしやはばかる。ふはのせき。くえてわはゆく。むまのつめ。つくしのさきに。ちまりゐて。あれはいははむ。もろもろは。さけくとまをす。かへりくまでに。
 
タマハリは、宣長云、タは添へて言ふ言にて、タモトホリなどのタの言に同じく、マハリは廻りなり。(184)此下にみさか多|婆《バ》良婆と詠めるも廻らばなりと言へり。是れ穩かなり。クエは越えなり。アラシヲは荒男なり。多志夜の志は、知の草書より誤りたるにて、タチヤハバカルならん。末にも知を志に誤れりと見ゆる所有り。又東語に立ちをタシと言へるか。さて夜の言心得難し、誤ならんか、考ふべし。牟麻の牟は宇の誤か。されど是れも東語に牟麻と言へるか。馬ノツメは枕詞。チマリヰテは留《トドマリ》居而なり。卷五、うなばらのへにもおきにも神豆麻利うしはきいます云云、此ツマリに同じ。モロモロ、稱コ紀宣命に、天下人民|諸《モロモロ》愍賜云云、佛足石の歌に都止米毛呂毛呂。サケクは幸クなり。歌の意は、さしも嶮しき足柄の御板を廻りて、故郷をも返り見ず、勇む心を起して行くに、不破は古(ヘ)三關の一つにて甚だ嚴かれば、荒男も立ち憚りて通り難しと言へど、我等は命《ミコトノリ》を受けて行けば、安く越え行くぞ、今よりは筑紫の崎に留り居て、我れ歸るまで、故郷の父母妻子親族もろもろ幸くと申して、我は齋はんと言ふなるべし。此歌すべて詞の續きの如何がに聞ゆるは、東人にて綴りざまの拙きなり。されどますら健男の眞心は顯《アラ》はれたり。
 參考 ○多志夜(新)多志志の誤。○佐祁久等麻乎須(新)「須」は西《セ》の誤。
 
右一首|倭文《シトリ》【文ヲ父ニ誤ル、元ニ依リテ改ム】部可良《ベノカラ》麻呂
 
二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上|息長《オキナガ》眞人|國島《クニシマ》進歌數十七首。但拙劣歌者不2取載1之。
 
續紀寶字六年正六上息長丹生眞人國島に從五位下を授くと見ゆ。十七首の内十首を載せたり。元暦本(185)十七首を廿七首と有り。
 
4373 祁布與利波。可敝里見奈久弖。意富伎美乃。之許乃美多弖等。伊?多都和例波。
けふよりは。かへりみなくて。おほきみの。しこのみたてと。いでたつわれは。
 
シコノミタテは、契沖云、シコはシコホトトギス、シコノオキナなど有る詞にて、醜の意なり。みづから身を卑下して言ふと言へり。さも有るべし。ミタテは御楯なり。防人は實に天皇の御楯と言ふべし。崇峻紀捕鳥部萬曰。萬爲2天皇楯1云云。毛詩赳赳武夫公侯干城。
 
右一首火長|今奉部與曾布《イママツリベノヨソフ》。  令義解云。几?丁匠皆十人。外給2一人2充2火頭1。(謂火頭者厮丁也。執2炊之事1。故曰2火頭1。即給功直與2見役者1同也)又云厮猶v使也。左右衛門式云。凡?2?左京非違1者。佐一人。尉一人。志一人。府生一人。火長九人。云云。
 
4374 阿米都知乃。可美乎伊乃里弖。佐都夜奴伎。都久之乃之麻乎。佐之弖伊久和例波。
あめつちの。かみをいのりて。さつやぬき。つくしのしまを。さしていくわれは。
 
サツヤは幸箭なり。サツヤヌキは、卷三、笠朝臣金村旅行時鹽津山にて詠める歌に、丈夫の弓ずゑふりおこし射つる矢を後みむ人はかたりつぐかね、と詠みたれば、旅に出で立つ時、或るは防人の國を立つ時、然《サ》るべき方に向きて、神を祈りて矢を放つ事有りしにや。さらばヌキは射貫の意とすべしと翁は言はれき。宣長はサツ矢ヌキは、靱、胡?などへ矢を貫き入れて挿すを言ふなるべしと言へり。是れ穩か(186)なり。古事記、生2筑紫島1亦身一而面有v四云云。此筑紫島後に九國と成れり。卷五つくしのくにと詠めるは、今の筑前筑後を言ひて異なり。元暦本、伊久を由久に作る。
 
右一首火長|太田部荒耳《オホタベノアラミミ》。
 
4375 麻都能氣乃。奈美多流美禮婆。伊波妣等乃。和例乎美於久流等。多多理之母己呂。
まつのけの。なみたるみれば。いはびとの。われをみおくると。たたりしもころ。
 
マツノケは松木なり。イハビトは家人なり。下にもイハロニハと詠めるは家等《イヘラ》ニハなり。タタリシモコロは、立ちて在し如くと言ふなり。神代紀、若をモコロと訓む。見送るとてと言ふべきを略けり。
 
右一首火長物部(ノ)眞島《マシマ》。
 
4376 多妣由伎爾。由久等之良受弖。阿母志志爾。己等麻乎佐受弖。伊麻叙久夜之氣。
たびゆきに。ゆくとしらずて。あもししに。ことまをさずて。いまぞくやしけ。
 
アモはオモにて母なり。シシはチチなり。思ふに知知《チチ》と書けるを志志に誤れるか。此下に意毛知如我多米と有り。言申さずして今悔しきなり。元暦本、乎を宇に作る。
 參考 ○阿母志志可(古)略が「志志」を「知知」の誤とせる非とす。
 
右一首|寒川《サムカハ》郡上丁|川上巨老《カハノヘノオホオユ》。  和名抄、下野國寒川(佐無加波)
 
4377 阿母刀自母。多麻爾母賀母夜。伊多太伎弖。美都良乃奈可爾。阿敝麻可麻久母。
(187)あもとじも。たまにもがもや。いただきて。みづらのなかに。あへまかまくも。
 
アモはオモに同じく、アモトジは母刀自なり。ミヅラは、和名抄云、四聲字苑云、鬟(美豆良)屈髪也。髪を綰《ワ》げ纏へるを言ふ。古事記、又神代紀の天照大御神の男の御形に成り給ふ所に見ゆ。アヘマカマクモは、合せ纏はんなり。集中、橘を玉にあへぬきと詠めるアヘに同じ。卷三、いなだきにきすめる玉は二つなしとも詠めり。此卷上に、父母は花にもがもや草枕旅は行ともささごてゆかむ、と言へるに意同じ。
 參考 ○阿母刀自母(新)「母」を「巴」の誤とす。
 
右一首津守宿禰|小黒栖《ヲクルス》。  今本禰を脱す、拾穗本に據りて補へり。
 
4378 都久比夜波。須具波由氣等毛。阿母志志可。多麻乃須我多波。和須例西奈布母。
つくひよは。すぐはゆけども。あもししが。たまのすがたは。わすれせなふも。
 
月は月次の月、ヒは晝、ヨは夜なり、年月の過ぐると言ふなり。スグハユケドモは、過ぎは行けどもなり。此處も志志は知知《チチ》の誤なるべし。玉の姿は父母を愛で親む詞。ワスレセナフモは忘レセヌを延べ言ふなり。東歌の語例なり。
 參考 ○都久比夜波(古) ツクヒヤハ(新)略に同じ。
 
右一首|都賀《ツガ》郡上丁中臣|部足國《ベノタリクニ》。  和名抄、下野國都賀。
 
(188)4379 之良奈美乃。與曾流波麻倍爾。和可例奈波。伊刀毛須倍奈美。夜多妣蘇弖布流。
しらなみの。よそるはまべに。わかれなば。いともすべなみ。やたびそでふる。
 
ヨソルはヨスルたり。下野に海無し、次の二首難波より舟出する事を詠めるを思へば、一二の句は向ひ行く難波の濱を豫め言ふなり。別れ奈波と言ふにても知るべし。さて別れ去《イニ》ては、袖振るとも甲斐無ければ、家近き程にて彌《ヤ》度袖振るとなり。
 
右一首|足利《アシカガ》郡上丁大舍人|部禰《ベノネ》麻呂。  和名抄、下野國足利(阿志加加)
 
4380 奈爾波刀乎。己岐?弖美例婆。可美佐夫流。伊古麻多可禰爾。久毛曾多奈妣久。
なにはとを。こぎでてみれば。かみさぶる。いこまたかねに。くもぞたなびく。
 
難波の海門なり。古郷の遠きさへ有るに、京の方さへ雲ゐに隔り行くを悲しめり。東人にも斯かる歌も有りけり。
 
右一首|梁田《ヤナダ》郡上丁|大田部三成《オホタベノミナリ》。  和名抄、下野國梁田(夜奈多)
 
4381 久【久ヲ具ニ誤ル】爾具爾乃。佐岐毛利都度比。布奈能里弖。和可流乎美禮婆。伊刀母須弊奈之。
くにぐにの。さきもりつどひ。ふなのりて。わかるをみれば。いともすべなし。
 
今本久を具に作る。元暦本に久と有るを以て改む。此下にも例有り。サキモリツドヒは難波の津に集るなり。難波より船出するは、此地を更に別るる心地すれば、別ると言へるなるべし。
 
(189)右一首|河内《カフチ》郡上丁|神麻續部島《カンヲミベノシマ》麻呂。  和名抄、下野國河内。
 
4382 布多富我美。阿志氣比等奈里。阿多由麻比。和我須流等伎爾。佐伎母里爾佐酒。
ふたほがみ。あしけひとなり。あたゆまひ。わがするときに。さきもりにさす。
 
翁の説に、フタホガミは、卷十六、佞人を謗る歌に、なら山のこのてがしはの兩面《フタオモ》に、と詠める、此兩面に同じ。カミは神なり。アタユマヒは、與ふ幣なるべし。神に幣を捧げて祈りつれども、其神二面有る神にて、我幣をばよく受けて、さて吾を防人にささせつるよと惡みて詠めるなるべし。まめ人ならば幣を受くべからぬをと言ふ意もて、アシキ人ナリとは言へるならんと有り。されど穩かならず。與フをアタユとも言ふべからず。宣長云、フタホガミは兩小腹《フタホガミ》なり、ホガミと言ふは股上《モモカミ》の意なり、故に兩とも言へり。百《モモ》をもホと云ふ、五百《イホ》などの如し。アタユマヒは疝病なり。和名抄、疝、阿太波良と有り、是れなり。さて初句は二の句の上へ移して心得べし。ふたほがみあたやまひをする時に、防人にさす事よ、惡き人なりと云ふなり。アシキ人とは、此役をさし來れる人を憎みて言ふと言へり。此説然るべし。酒元暦本に須に作る。
 
右一首|那須《ナス》郡上丁|大伴部廣成《オホトモベノヒロナリ》。  和名抄、下野國那須。
 
4383 都乃久爾乃。宇美能奈伎佐爾。布奈餘曾比。多志泥毛等伎爾。阿母我米母我母。
つのくにの。うみのなぎさに。ふなよそひ。たしでもときに。あもがめもがも。
 
(190)多志の志も知の誤なるべし。タチデモトキニは立ち出でん時になり。アモガメモガモは、母に逢ひ見まく願ふなり。妹が目をほりと言ふも、妹をあひ見まくほりするにて、是れと同じ。
 
右一首|鹽屋《シホノヤノ》郡上丁|丈部足人《ハセツカベノタリヒト》、  和名抄、下野國鹽屋(之保乃夜)
 
二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首。但拙劣歌者不2取載1之。  大戸は續紀寶字四年正月正六位上より從五位下を授けしより、かたがたに見えて、寶龜八年正月從五位上と見ゆ。十八首の内十一首を載せたり。
 
4384 阿加等伎乃。加波多例等枳爾。之麻加枳乎。己枳爾之布禰乃。他都枳之良受母。
あかときの。かはたれどきに。しまかぎを。こぎにしふねの。たづきしらずも。
 
曉には彼《カ》は誰《タレ》と言ひ、暮には誰《タ》そ彼《カレ》はと言ふ、終には同じ事なり。島加枳は島陰なり。タヅキシラズモは、何處《イヅコ》とも分ち知られぬなり。
 
右一首助丁|海上《ウナカミノ》郡海上(ノ)國造|他田日奉直得大理《ヲサダヒマツリノアタヒトコタリ》。  和名抄、下總國海上(宇奈加美)
 參考 ○他田(古)池田カ。
 
4385 由古作枳爾。奈美奈等惠良比。志流敝爾波。古乎等都麻乎等。於枳弖等母枳奴。
ゆこさきに。なみなとゑらひ。しるべには。こをらつまをら。おきてらもきぬ。
 
ユコサキは行先なり。ナミナトは浪の音なり。浪ノオトを浪ナトと言ふは、神代紀、瓊響をヌナトと訓め(191)るが如し。ヱラヒはユラヒにて、ユリトヨムを云ふべし。古事記書紀等に、咲樂などの字をヱラグと訓めるとは異事なり。シルベは後へなり。三の等《ラ》は助辭なり。
 參考 ○古乎等都麻乎等(考、新)略に同じ(古)コヲトツマヲト ○於枳弖等母枳奴(新)「等」は「曾」の誤ならむ。
 
右一首|葛飾《カツシカ》郡|私《ササイ》【私ヲ和ニ誤ル】部石嶋《ベノイソシマ》。
 
(○ササイベと傍訓有れど下文の註に據ればキサイベの誤か)
 
和名抄、下總國葛飾(加止志加)と有れど、卷十四に、可|豆《ツ》思加乃と詠み、今も然|稱《トナ》へり。今本に私を和に作る、元暦本に據りて改む。又元暦本鳴を鳥に作るは惡ろかるべし。敏達紀六年二月置私部と有り。姓氏録に大私部の姓を載す、又續紀大寶三年の條に、私小田私(ノ)比都自など言ふ人有り。私をキサイと訓むは漢書の註に、私官は皇后之官と有るより然か訓めりと或人は言へり。
 參考 ○和部(代)「私」キサイチベ(考)ヤマトベノ(古)「私」キサキベノ。
 
4386 和加加都乃。以都母等夜奈枳。以都母以都母。於母加古比須奈。奈理麻之都之母。
わがかつの。いつもとやなぎ。いつもいつも。おもがこひすな。なりましつしも。
 
ワガカツは吾門なり。元暦本下の加を可に作る。イツモト柳は、唐《カラ》國の陶淵明が宅邊五柳樹有りて、五柳先生と呼べる古事もて詠めるか。又は眞長が家に實に五|本《モト》の柳有りしか。さてイツモと言はん料なり。卷四、川上のいつもの花のいつもいつも、卷十一、道のべのいちしば原のいつもいつもと續けし類ひな(192)り。オモガは母ガなり。須奈、一本須須に作る。集中、カクススゾは如此爲爲《カクスス》ゾと言ふ意なれば、今も戀|爲爲《スス》の意なり。戀ススは旅なる我を戀すすなり。都之は都々の誤ならんと契沖が言へるに依るべし。ナリマシツツモとは、産業をし給ひながらもの意なり。
 參考 ○和加加都乃(代、古)略に同じ(考)ワガカ「跡」ドノ ○於母加古比須奈(新)「奈《ナ》」の下に「牟《ム》」をおとせるなり、オモガコヒスナムにて母が戀すらむの訛なり。カはすむべし ○奈理麻之都之母(考)「奈起」ナキマシツツモ(古)略に同じ(新)下の「之」は「々」の誤にて、世ワタリシタマヒツツモとなり。
 
右一首|結城《ユフキノ》郡|矢作部眞長《ヤハギベノマナガ》。  和名抄、下總國結城(由不岐)
 
4387 知波乃奴乃。古乃弖加之波能。保保麻例等。阿夜爾加奈之美。於枳弖他加枳奴。
ちばのぬの。このてがしはの。ほほまれど。あやにかなしみ。おきてたかきぬ。
 
コノテガシハは、卷十六にも詠めり。さて此木は葉の繁くしてこもりかなる物なれば、含まる譬へに言へり。ホホマルは|ふふ《含》まるなり。卷十四、あともへかあじくま山のゆづるはのふふまる時に風ふかずかも、と詠めり。他は和の誤なるべし。おきて我が來ぬなり。さて其ふふまるは妹が吾が懷《フトコロ》に寢て、別れかねて有りしに譬へ、オキテワガキヌは、然か別れがてにせしを深く悲みながら、起き出でて吾が別れ來ぬと言ふなり。又於枳テは置テともすべし。タカキヌとして高高に遙に來ぬと言ふ意とするは僻《ヒガ》こと(193)なり。
 參考 ○於枳弖他加枳奴(古)オキテタチキヌ「加」を「枳」とす(新)「加」は「知」の誤なり。「於」は「万」の誤か。オキテにてはホホマレドの雖《ド》と相かなはず。
 
右一首|千葉《チハ》郡|大田部足人《オホタベノタリヒト》。  和名抄、下總國千葉(知波)
 
4388 多妣等弊等。麻多妣爾奈理奴。以弊乃母加。枳世之己呂母爾。阿加都枳爾迦理。
たびとへど。またびになりぬ。いへのもが。きせしころもに。あかづきにけり。
 
ダビトヘドは旅トイヘドモなり。マタビは眞の旅なり。家を離るれば暫くにても旅とは言へど、是れは海山隔つる旅なれば、眞の旅に成りぬと言ふなり。イヘノモガは、仙覺、家の妹なりと言へり。ここは伊の字脱ちたるかと師は言はれき。迦は誤字か。又は東語にケリをカリと言へるか。卷十五、我旅は久しくあらし此あがける妹が衣のあかつくみれば。
 
右一首|占部虫《ウラベノムシ》麻呂。
 
4389 志保不尼乃。弊古祖志良奈美。爾波志久母。於不世他麻保加。於母波弊奈久爾。
しほぶねの。へこそしらなみ。にはしくも。おふせたまふ(○ほノ誤カ)か。おもはへなくに。
 
シホブネ、上に出づ。ヘコソは舳越すにて、浪の舟の舳を越すなり。ニハシクモは俄ニモにてシクは辭なり。オフセタマホカは、仰セ給フカにて、防人にさされたるを言ふ。浪の舟の舳を越す如く、俄に防(194)人にさすものかと歎くなり。仰セは他より爲v負にはオホセ、自ら負ふにはオフの假字なるを、此處に於不世とせるは如何がなれど、通はし言へるならん。給ふを他麻保とせるは東語なるべし。
 
右一首印波郡丈部(ノ)直|大歳《オホトシ》。  和名抄、下總國印幡と有りて訓註無し。今インバと稱《トナ》ふれど然かは有らじ。イバとか、イニハとか、稱へしならん。
 參考 ○印波(新)イナバ。
 
4390 牟浪他麻乃。久留爾久枳作之。加多米等之。以母加去去里波。阿用久奈米加母。
むらたまの。くるにくぎさし。かためとし。いもがここりは。あよくなめかも。
 
ヌバタマを東語にムラタマと言へるなり。クルニクギサシは、民の樞《クルル》に?を刺し固むるなり。卷十六、家に有し櫃に?《クギ》刺《サシ》をさめてし、とも詠めり。その樞《ケル》と黒《クロ》と音通へば、ヌバタマの枕詞を冠らせたり、又若しくは浪は波の誤か。とも有れ、是れを以てムバタマとも言ふと思ふは委しからず。さて初二句は唯だカタメと言はん序なり。カタメトシはカタメテシにて、ココリは心なり。アヨクナメカモは、危ふくは有らじと言ふを、東語に斯く言へり。堅く契り置きたりし妹が心は、危ふげも無く、うしろ安しと言ふなり。
 參考 ○牟浪他麻乃(新)「浪」は「波」の誤。
 
右一首|?島《サシマ》郡|刑部志可《オサカベノシカ》麻呂。  和名抄、下總國?島(佐之万)
 
(195)4391 久爾具爾乃。夜之呂乃加美爾。奴佐麻都理。阿加古比須奈牟。伊母賀加奈志作。
くにぐにの。やしろのかみに。ぬさまつり。あがこひすなむ。いもがかなしさ。
 
國國の社の神は、防人が歴行く國國の神社を言ふ。宣長云、アガコヒは贖乞《アガコヒ》なり。アガフ命なども有る類ひなり。コヒも、コヒノミのコヒなり。スナムはスラムなり。凡て東歌にはラムをナムと言へる例多し。妹があがこひすらんとと云ふなりと言へり。アガコヒを吾乞の事とするは僻事《ヒガゴト》なり。
 
右一首|結城《ユフキ》郡|忍海部五百《オシノミベノイホ》麻呂。  和名抄、下總國結城(由不岐)
 
4392 阿米都之乃。以都例乃可美乎。以乃良波加。有都久之波波爾。麻多己等刀波牟。
あめつしの。いづれのかみを。いのらばか。うつくしははに。またこととはむ。
 
都之は地なり。之と知の通へる例無し。都都《ツツ》と有りしが、斯く誤れるか。此末に阿米都之と有り、共に誤れるならんか。又土をツシ、トリモチテをトリモシテ、立チテをタシテと此下に有れば、方言にて然るか。ウツクシ母はいつくしみ思ふ母と言ふなり。
 
右一首|埴生《ハムブ》郡|大伴部麻與佐《オホトモベノマヨサ》。  和名抄、下總國埴生(波牟布)と有り。爾を音便にて牟と言へり。
 參考 ○埴生(古)ハニフ。
 
4393 於保伎美能。美許等爾作例波。知知波波乎。以波比弊等於枳弖。麻爲弖枳麻【麻ハ爾ノ誤】之乎。
おほきみの。みことにされば。ちちははを。いはひべとおきて。まゐできにしを。
 
(196)ミコトニサレバは、之阿の約佐にて、ミコトニシアレバなり。シは助辭、すべて中世の歌に、何ニザリケリ、何ニザリケルなど言へるには、何にし有りけりと、何にぞ有りけるとの二つ有り。之阿の約なるは、佐の言声むべきなり。イハヒベトオキテは、齋瓶は床上に置きて、神に奉る酒を讓《カミ》すれば、いと敬ふ物ゆゑに譬として、父母を齋瓶の如く、大切にして、故郷に置きてと言ふなり。枳麻之の麻を一本爾に作るを善しとす。マヰテキニシヲは、參出來ニシヲにて、乎は與の意なり。
 參考 ○以波比弊等於枳弖(新)弊は物の誤か、さてイハヒモトオキテはモチオキテの訛か ○枳麻之乎(新)麻は「爾」の誤。
 
右一首結城郡|雀部廣島《ササキベノヒロシマ》。
 
4394 於保伎美能。美己等加之古美。由美乃美仁。佐尼加和多良牟。奈賀氣己乃用乎。
おほきみの。みことかしこみ。ゆみのみに。さねかわたらむ。ながけこのよを。
 
由美は夢なり。サは發語。寢て歟なり。ナガケは長キなり。故郷の事を直《タダ》に見る由は無く、夢のみに見てなり。長き夜とは言へど、年月を渡らんの意なり。
 
右一首|相馬《サウマ》郡大伴部|子羊《コヒツジ》。  和名抄下總國相馬(佐宇萬)
 
二月十六日下總國防人部領使少目從七位下縣犬【犬ヲ大ニ誤ル】養宿禰|淨人《キヨヒト》進歌數二十二首。  但拙劣歌者不2取載1之。  廿二首の内右十首を斬せたり。
 
(197)獨惜2龍田山櫻花1歌一首
 
4395 多都多夜麻。見都都古要許之。佐久良波奈。知利加須疑奈牟。和我可敝流刀禰【禰ハ爾ノ誤】。
たつたやま。みつつこえこし。さくらばな。ちりかすぎなむ。わがかへるとに。
 
刀禰の禰、元暦本爾と有るを善しとす。刀爾は時爾の意にて例多し。
 參考 ○刀禰(古、新)「爾」の誤。
 
獨見2江水(ニ)浮漂糞《ウカベルコヅミ》1怨2恨貝玉不1v依作歌一首  江水は難波江なり。
 參考 ○(新)糞の上に木をおとせり。
 
4396 保理江欲利。安佐之保美知爾。與流許都美。可比爾安里世波。都刀爾勢麻之乎。
ほりえより。あさしほみちに。よるこづみ。かひにありせば。つとにせましを。
 
コヅミは芥、木くづなり。既に出づ。玉の寄らざるを恨みて詠めり。
 
在2舘門1見2江南美女1作歌一首
 
館は防人の難波に逗留の間の館なるべし。江南は其あたりを言ふなるべし。
 
4397 見和多世波。牟加都乎能倍乃。波奈爾保比。弖里?多弖流婆。波之伎多我都麻。
みわたせば。むかつをのへの。はなにほひ。てりてたてるは。はしきたがつま。
 
二三の句は美女の譬へのみなり。ハシキは愛《メデ》らるるを言ふ。元暦本、流の下、婆を波に作る。
 
(198)右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作v之。
 
爲《ナリテ》2防人(ノ)情(ニ)1陳v思作歌一首并短歌
 
4398 大王乃。美己等可之古美。都麻和可禮。可奈之久波安禮特。丈夫。情布里於許之。等里與曾比。門出乎須禮婆。多良知禰乃。波波可伎奈?|泥〔□で囲む〕【元ニ泥ナシ】。若草乃。都麻波【元ニ波ナシ】等里都吉。平久。和禮波伊波波牟。好去而。早還來等。麻蘇?毛知。奈美太乎能其比。牟世比都都。言語須禮婆。群鳥乃。伊?多知加弖爾。等騰己保里。可弊里美之都都。伊也等保爾。國乎伎波奈例。伊夜多可爾。山乎故要須疑。安之我知流。難波爾伎爲弖。由布之保爾。船乎宇氣須惠。安佐奈藝爾。倍牟氣許我牟等。佐毛良布等。和我乎流等伎爾。春霞。之麻未【未ヲ米ニ誤ル】爾多知弖。多頭我禰乃。悲鳴婆。波呂波呂爾。伊弊乎於毛比?。於比曾箭乃。曾與等奈流麻?。奈氣吉都流香毛。
おほきみの。みことかしこみ。つまわかれ。かなしくはあれど。ますらをの。こころふりおこし。とりよそひ。かどでをすれば。たらちねの。ははかきなで。わかくさの。つまはとりつき。たひらけく。われはいははむ。まさきくて。はやかへりこと。まそでもち。なみだをのごひ。むせびつつ。こととひすれば。むらとりの。いでたちがてに。とどこほり。かへりみしつつ。いやとほに。くにをきはなれ。いやたかに。やまをこえすぎ。あしがちる。なにはにきゐて。ゆふしほに。ふねをうけすゑ。あさなぎに。へむけこがむと。さもらふと。わがをるときに。はるがすみ。しまみにたちて。たづがねの。かなしくなけば。はろはろに。いへをおもひで。おひそやの。そよとなるまで。なげきつるかも。
 
(199)トリヨソヒは旅装するなり。ハハカキ奈?泥。元暦本泥の字無きを善しとす。ワレハイハハムは、防人の平らかならん事を祈らんと、母妻が言ふ詞なり。好去、義をもてマサキクと訓む例なり。言語スレバ、此下長歌に、けふだにも許等騰比勢牟等と言へるもて、コトドヒスレバと訓むべし。群鳥ノ、枕詞。イヤ遠ニ國ヲ來ハナレ云云、卷二長歌に、彌遠に里さかり來ぬ、益高に山もこえ來ぬと有り。キヰテは來居而なり。船ヲウケスヱは、上に舟をおろすゑとも詠めり。ヘムケは上につくしへにへむかる舟と詠めり。サモラフは候にて、日和を待ち伺ふなり。紀候風と有り。今本之麻米と有るは非なり。米は未の誤なるべし。シマミは島|方《ベ》の意なり。浦|方《ベ》を浦箕《ウラミ》と言へるに同じ。又は末の誤にて、シママか。ハロバロは遙遙なり。モヒデは思出なり。オヒソヤは負征箭なり。和名抄、征箭(曾夜)と有り、ソヨト云云は、卷十一、枕もそよになげきつるかもと詠める如く、負ひたる箭の鳴るばかり泣き歎くを言ふ。さてソヤと言ふを受けてソヨトとは言へり。
 參考 ○大夫(新)下に乃を補ふべし ○都麻波等里都吉(新)波を削るべし。
 
反歌
 
4399 宇奈波良爾。霞多奈妣伎。多頭我禰乃。可奈之伎與比波。久爾弊之於毛保由。
うなばらに。かすみたなびき。たづがねの。かなしきよひは。くにべしおもほゆ。
 
(200)クニベは國|方《ベ》なり。
 
4400 伊弊於毛負等。伊乎禰受乎禮婆。多頭我奈久。安之弊毛美要受。波流乃可須美爾。
いへおもふと。いをねずをれば。たづがなく。あしべもみえず。はるのかすみに。
 
タヅガナクは鶴|之《ガ》鳴なり。葦邊も見えぬばかり霞の立ち隔たれば、況して國の方は見ゆべくも無きを歎くなり。
 
右十九日兵部少輔大伴宿禰家持作之。
 
4401 可良己呂茂。須曾爾等里都伎。奈苦古良乎。意伎弖曾伎怒也。意母奈之爾志弖。
からころも。すそにとりつき。なくこらを。おきてぞきぬや。おもなしにして。
 
置きてぞ來ぬる與なり。オモは母なり。こは大島が母には有らで、其子らが母を言ふ。孤子《ミナシゴ》を置きて來しを歎くなり。
 
右一首國造|小縣《チヒサガタ》郡|他田舍人大島《ヲサダノトネリオホシマ》。  元暦本少を小に作る。和名抄信濃國小縣(知比佐加多)
 
4402 知波夜布留。賀美乃美佐賀爾。怒佐麻都里。伊波布伊能知波。意毛知知我多米。
ちはやぶる。かみのみさかに。ぬさまつり。いはふいのちは。おもちちがため。
 
卷九、足柄にてかしこきや神のみ坂とも詠みて、すべて嶮しく、深き山坂をば、畏みて神の御坂と言ふなるべし。今神の御坂と言へるは岐蘇なるべし。
 
(201)右一首主帳【帳ヲ張ニ誤ル】埴科《ハニシナ》郡|神人部子忍男《カムトベノコオシヲ》。  和名抄信濃國埴料(波爾志奈)元暦本忍を思に作る。
 
4403 意保枳美能。美己等可之古美。阿乎久牟乃。多奈妣久夜麻乎。古江弖伎怒【怒ヲ恕ニ誤ル】加牟。
おほきみの。みことかしこみ。あをぐむの。たなびくやまを。こえてきぬかむ。
 
アヲグムは青雲なり。キヌカムは來ヌカモなり、東語ならん。多奈、元暦本等能と有り。タナグモリとも、トノグモリとも言へる如く、トノビクとも言ふべし。今本多奈とせしは、此歌にては中中に後人のさかしらにやと覺ゆ。古江弖の江、元暦本、與と有り。東語にコヨテと言へるならん。怒を今本恕に誤れり。
 
右一首|小長谷部《ヲハツセベノ》笠麻呂。  元暦本少を小に作る。
 
二月二十二日信濃國防人部領使上道得v病不v來。進歌數十二首。但拙劣歌者不2取載1之。  十二首の内右三首を載せたるなり。部領使の姓名無きは、京へ上らざる故に誰とも知られざりしか、又は脱ちたるか。
 
4404 奈爾波治乎。由伎弖久麻弖等。和藝毛古賀。都氣之非毛我乎。多延爾氣流可母。
なにはちを。ゆきてくまでと。わぎもこが。つけしひもがを。たえにけるかも。
 
行きて歸り來るまでなり。ヒモガヲは紐|之《ガ》緒なり。
 
右一首助丁上毛野|牛甘《ウシカヒ》。  猪甘《ヰカヒ》、馬甘《ウマカヒ》など、古事記書紀等に見えたり。
 
4405 和我伊母古我。志濃比爾西餘等。都氣志比毛。伊刀爾奈流等母。和波等可自等余。
(202)わがいもこが。しぬびにせよと。つけしひも。いとになるとも。わはとかじとよ。
 
シヌビは慕ふなり。此處は忘れがたみにと言ふが如し。糸ニナルマデは、卷十一、あやむしろおになるまでに君をしまたむと言ふに同じ。ワハは我者なり。元暦本、古を等に作る。イモラと有るかた然るべし。
 
右一首朝倉|益人《マスヒト》。
 
4406 和我伊波呂爾。由加毛比等母我。久佐麻久良。多妣波久流之等。都氣夜良麻久母。
わがいはろに。ゆかもひともが。くさまくら。たびはくるしと。つげやらまくも。
 
イハロは家|等《ラ》なり。ユカモヒトモガは、行かん人もがもと願ふなり。ツゲヤラマクモは、告げ遣らんものをの意。
 
右一首大伴部節麻呂。
 
4407 比奈久母理。宇須比乃佐可乎。古延志太爾。伊毛賀古比之久。和須良延奴加母。
ひなぐもり。うすひのさかを。こえしだに。いもがこひしく。わすらえぬかも。
 
ヒナグモリ、枕詞。卷十四、ひのくれにうすひの山とも續けたり。ウスヒは景行紀、歴2武藏上野1西逮2于碓日坂1と見え、和名抄にも上野碓氷郡有り。コエシダニと言へるは、漸(ク)國の内の山を越えしにだに、妹戀しく忘られねば、行く先は如何が有らんと言ふを含めり。
 
右一首池田部子磐前。  池は他の誤。子は首の誤か。元暦本、磐を弊に作る。
 
(203)二月二十三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野(ノ)君駿河進歌數十二首。但拙劣歌者不2取載1之。
 
上野を今本下野に誤れり。元暦本及目録に據りて改む。十二首の内右四首を載せたるなり。
 
陳2防人恕v別之情1歌一首并短歌
 
4408 大王乃。麻氣乃麻爾麻爾。島守爾。和【和ヲ我ニ誤ル】我多知久禮婆。波波蘇婆能。波波能美許等波。美母乃須蘇。都美安氣可伎奈?。知知能未乃。知知能美許等波。多久頭怒能。之良比氣乃宇倍由。奈美太多利。奈氣伎乃多婆久。可胡自母乃。多太比等里之?。安佐刀?乃。可奈之伎吾子。安良多麻乃。等之能乎奈我久。安比美受波。古非之久安流倍之。今日太仁母。許等騰比勢武等。乎之美都都。可奈之備伊麻勢。若草之。都麻母古騰母毛。乎知己知爾。左波爾可久美爲。春鳥乃。己惠乃佐麻欲比。之路多倍乃。蘇?奈伎奴良之。多豆佐波里。和可禮加弖爾等。比伎等騰米。之多比之毛能乎。天皇乃。美許等可之古美。多麻(204)保己乃。美知爾出立。乎可乃佐伎。伊多牟流其等爾。與呂頭多妣。可弊里見之都追。波呂波呂爾。和可禮之久禮婆。於毛布蘇良。夜須久母安良受。古布流蘇良。久流之伎毛乃乎。宇都世美乃。與能比等奈禮婆。多麻伎波流。伊能知母之良受。海原乃。可之古伎美知乎。之麻豆多比。伊己藝和多利弖。安利米具利。和我久流麻泥爾。多比良氣久。於夜波伊麻佐禰。都都美奈久。都麻波麻多世等。須美乃延能。安我須賣可未爾。奴佐麻都利。伊能里麻乎之弖。奈爾波都爾。船乎宇氣須惠。夜蘇加奴伎。可古等登能倍弖。安佐婢良伎。和波己藝?奴等。伊弊爾都氣己曾。
おほきみの。まけのまにまに。さきもりに。わがたちくれば。ははそばの。ははのみことは。みものすそ。つみあげかきなで。ちちのみの。ちちのみことは。たくづぬの。しらひげのうへゆ。なみだたり。なげきのたばく。かこじもの。ただひとりして。あさとでの。かなしきわがこ。あらたまの。としのをながく。あひみずは。こひしくあるべし。けふだにも。こととひせむと。をしみつつ。かなしびいませ。わかくさの。つまもこどもも。をちこちに。さはにかくみゐ。はるとりの。こゑのさまよひ。しろたへの。そでなきぬらし。たづさはり。わかれがてにと。ひきとどめ。したひしものを。おほきみの。みことかしこふ。たまぼこの。みちにいでたち。をかのさき。いたむるごとに。よろづたび。かへりみしつつ。はろばろに。わかれしくれば。おもふそら。やすくもあらず。こふるそら。くるしきものを。うつせみの。よのひとなれば。たまきはる。いのちもしらず。うなばらの。かしこきみちを。しまづたひ。いこぎわたりて。ありめぐり。わがくるまでに。たひらけく。おやはいまさね。つつみなく。つまはまたせと。すみのえの。あがすめがみに。ぬさまつり。いのりまうして。なにはづに。ふねをうけすゑ。やそかぬき。かこととのへて。あさびらき。わはこぎでぬと。いへにつげこそ。
 
和我を今本我我に誤る、元暦本に據りて改む。美母ノスソツミアゲカキナデは、母の御《ミ》裳の裾をつまみ上げて、子の頭、或るは衣裳を掻き撫でつくろふさまなり。タクヅヌノ、枕詞。ノタバクは、ノタマハクなり。カコジモノ、枕詞。アサト出ノは、旅立朝を云ふ。カナシキは愛づるなり。コトドヒセムト(205)は、物言はんとなり。カナシビ伊麻世、イマセバのバを略ける例なり。元暦本に麻世婆と有り。こは中中にさかしらなり。サハニカクミヰは、多く圍《カコミ》居なり、聲ノサマヨヒは、鳴くを言ふ。春は諸の鳥の吟《ナク》ものなれば、斯く續けて妻子の泣き悲しむに譬ふ。卷二、春鳥のさまよひぬればと有り。ワカレガテニトは、別れ難くするとての意。ヲカノサキは岳の岬なり、地名に有らず。イタムルゴトニ、伊は發語、タムルは岳のたわみたる所を言ふ。卷十一、をかざきのたみたる道とも詠めり。アリメグリは、ながらへ有りて行き廻る意なり。オヤハイマサネ、上に父母を言ひて、此處には約めて、オヤと言へり。住の江の神は船路を守り給ふ事、神功紀にて知るべし。ヤソカヌキは、上にヤソカカケとも言へり。
 參考 ○島守(新)シマモリ。
 
反歌
 
4409 伊弊婢等乃。伊波倍爾可安良牟。多比良氣久。布奈?波之奴等。於夜爾麻乎佐禰。
いへびとの。いはへにかあらむ。たひらけく。ふなではしぬと。おやにまうさね。
 
イハヘニカアラムは、齋ヘバニヤアラムの意なり。
 
4410 美蘇良由久。久母母都可比等。比等波伊倍等。伊弊頭刀夜良武。多豆伎之良受母。
みそらゆく。くももつかひと。ひとはいへど。いへづとやらむ。たづきしらずも。
 
古郷の方へ行く雲を使と言ひなせり。
 
(206)4411 伊弊都刀爾。可比曾比里弊流。波麻奈美波。伊也之久之久二。多可久與須禮騰。
いへづとに。かひぞひりへる。はまなみは。いやしくしくに。たかくよすれど。
 
比里の里、元暦本、呂に作る。拾フをヒリフと言へるも例多し。
 
4412 之麻可氣爾。和我布禰波弖?。都氣也良牟。都可比乎奈美也。古非都都由加牟。
しまかげに。わがふねはてて。つげやらむ。つかひをなみや。こひつつゆかむ。
 
島蔭に船泊まる毎に、平らかなる由を古郷へ告げ遣らんとは思へども、其使も無くして、唯だ古郷を戀ひつつのみ往かんと言ふなり。
 
二月二十三日兵部少輔大伴宿禰家持。
 
4413 麻久良多知。己志爾等里波伎。麻可奈之伎。西呂我馬伎己無。都久乃之良奈久。
まくらだち。こしにとりはき。まがなしき。せろがまきこむ。つくのしらなく。
 
衣服令、衛府云云、其志以上皀縵頭巾、皀?、位襖、烏油帶、烏装横刀と有りて、其以下皆烏装横刀を帶る事と見ゆれば、防人らは黒漆刀なる事しるし。さればマクラタチは眞黒太刀なりと翁は言はれき。宣長云、こは枕刀なるべし。常に床の枕の邊に置く意なり。倭建命の登許《トコ》能|辨爾和賀淤岐斯《ベニワガオキシ》。都流岐能多知《ツルギノタチ》と詠み給へるをも思ふべしと言へり。マガナシキのマは發語。セロは夫等。マキコムは罷り來らんなり。任所より歸るなれば罷るとは言へり。都久は月なり。
 
(207)右一首上丁|那珂《ナカ》郡|檜前《ヒノクマノ》舍人|石前《イハサキ》之妻大伴|眞足《マタリ》母。  和名抄武藏國那珂。
 參考 ○眞足母(新)母は女の誤。
 
4414 於保伎美乃。美己等可之古美。宇都久之氣。麻古我弖波奈禮。之末豆多比由久。
おほきみの。みことかしこみ。うつくしけ。まこがてはなれ。しまづたひゆく。
 
麻古のマは例の眞にて、コは妻を言ふ。
 
右一首助丁|秩《チチ》【秩ヲ?ニ誤ル】父《ブ》郡大伴部|少歳《ヲトシ》。  和名抄武藏國秩父(知知夫)
 
4415 志良多麻乎。弖爾刀里母之弖。美流乃須母。伊弊奈流伊母乎。麻多美弖毛母也。
しらたまを。てにとりもして。みるのすも。いへなるいもを。またみてももや。
 
母之の之、元暦本、知と有るぞ善き。ミルノスモは、見ルナスにて、見る如くの意。末の母也は、契沖は也母を倒《サカサ》まに寫し誤れるなりと言へり、さも有るべし。ミテモヤモは、見テムヤモなり。
 參考 ○母之弖(古)モシテ。
 
右一首主帳|荏原《エバラ》郡物部|歳コ《トシトコ》。  和名抄、武藏國荏原(汀波良)帳を今本張に誤る。元暦本に依りて改む。
 
4416 久佐麻久良。多比由久世奈我。麻流禰世婆。伊波奈流和禮波。比毛等加受禰牟。
くさまくら。たびゆくせなが。まるねせば。いはなるわれは。ひもとかずねむ。
 
マロネをマルネと言へるは東言なり。今も通はし言へり。伊波は家なり。上にも下にもイヘラをイハロ(208)と言へり。
 
右一首妻|椋椅部刀自賣《クラハシベノトジメ》。
 
4417 阿加胡麻乎。夜麻努爾波賀志。刀里加爾弖。多麻能余許夜麻。加志由加也良牟。
あかごまを。やまぬにはがし。とりかにて。たまのよこやま。かしゆかやらむ。
 
アカゴマは赤駒なり。ヤマヌは山野なり。ハガシは放チ、トリカニテは捕リカネテなり。タマノ横山は多摩郡の多摩川の上に、今横山村と言ふ有りて、其あたり、川に添ひて今道一里ばかり續ける山有りて横山と言ふ。カシユカヤラムは、歩從《カチヨリ》か令v行《ユカシメム》なり。是れも志は知《チ》の誤れるか。此歌は荒虫が妻の實に馬を取逃して斯く詠めるならん。
 參考 ○夜麻努爾波賀志(新)「賀」は「奈」の誤。
 
右一首|豐嶋《トシマ》郡上丁椋椅部|荒虫《アラムシ》之妻|宇遲部黒女《ウチベノクロメ》。  和名抄、武藏國豐島(止志末)元暦本、黒を里に作る。
 
4418 和我可度乃。可多夜麻都婆伎。麻己等奈禮。和我弖布禮奈奈。都知爾於知母加毛。
わがかどの。かたやまつばき。まことなれ。わがてふれなな。つちにおちもかも。
 
此歌くさぐさ説有れども穩かならず。宣長云、椿の花を妻に譬へて、奈禮は汝にて、妻を指して言ふなり。奈奈は唯だ不《ズ》と言ふ意の東言なり。卷十四、こらはあはなな、又うらがれせなな、又わすれはせなな、此卷下におびはとかなななど、皆同じ意なり。四の句は遠く別れ居る譬《タトヘ》、結句はよすが無くて佗び(209)てんかと妻の事を憐む譬なりと言へり。
 
右一首荏原郡上丁物部|廣足《ヒロタリ》。  荏今本、※[草がんむり/佳]に誤る。元暦本、足を之に作る。
 
4419 伊波呂爾波。安之布多氣騰母。須美與氣乎。都久之爾伊多里?。古布志氣毛波母。
いはろには。あしぶたけども。すみよけを。つくしにいたりて。こふしけもはも。
 
イハロは家等なり。アシブは蘆火なり。スミヨケヲは住ヨキヲなり。コフシケは戀シクなり。モハモは思ハムなり。蘆火燒きて悒《イブ》せき宿なれども、筑紫へ至りなば戀しく思はんと言ふなり。
 
右一首|橘樹《タチバナ》郡上丁物部|眞根《マネ》。  和名抄、武藏國橘樹(太知波奈)。
 
4420 久佐麻久良。多妣乃麻流禰乃。比毛多要婆。安我弖等都氣呂。許禮乃波流母志。
くさまくら。たびのまるねの。ひもたえば。あがてとつけろ。これのはるもし。
 
末は此針持ちて、吾手と思ひて附けよと言ふなり。コノと言ふべきをコレノと言ふ事集中多し。卷十八、針はあれど妹しなければつけむやと我をなやましたゆるひものを、とも詠めり。是れは眞根が歌に妻が答へたるなり。其時針をも贈れるなり。此志も知を見誤れるか。宣長云、凡て志と知と通ふ例多し。必ず知の誤とすべからず、上のしらたまを云云の歌の、母之を母知と有る本は、中中にさかしらに改めたる物ならんと言へり。猶考ふべし。
 
右一首椋椅部|弟女《オトメ》。
 
(210)4421 和我由伎乃。伊伎都久之可婆。安之我良乃。美禰波保久毛乎。美等登志努波禰。
わがゆきの。いきづくしかば。あしがらの。みねはほくもを。みととしぬばね。
 
ワガユキは我旅行なり。イキヅクシカバは息づき歎く事なり。吾旅行の歎かはしく思はばと妻に言ふなり。卷十四、息づくまでに、又あないきづかし見ずひさにして、とも詠めり。ハホは這ふ、上に例有り。トトはツツと通ひて、見つつしのべと言ふ意なり。
 
右一首|都筑《ツツキ》郡上丁|服部《ハトリベノ》於田。  田は由の誤か。老と言へる名此頃多し。和名抄、武藏國都筑(豆豆岐)。
 參考 ○於田(古、新)オ「由」ユとす。
 
4422 和我世奈乎。都久之倍夜里弖。宇都久之美。於妣波等可奈奈。阿也爾加母禰毛。
わがせなを。つくしへやりて。うつくしみ。おびはとかなな。あやにかもねも。
 
セナは夫なり。ウツクシミは吾夫をうるはしく思ふ故になり。トカナナは不v解なり。此上にも、わが手ふれ奈奈と言へり。アヤニカモネモは、アヤは歎く詞、ネモは寢んなり。此歌下に重出す。
 
右一首妻服部|呰女《アザメ》。  和名抄、備中國英賀郡呰部(安多)參河國碧海郡呰見をアダミと訓めり。
 
4423 安之我良乃。美佐可爾多志弖。蘇?布良波。伊波奈流伊毛波。佐夜爾美毛可母。
あしがらの。みさかにたして。そでふらば。いはなるいもは。さやにみもかも。
 
タシテは立而なり。又志は知《チ》の誤か。イハナルは家ニ在ルなり。ミモカモは見ンカモなり。
 
(211)右一首|埼玉《サキタマ》郡上丁藤原部|等母《トモ》麻呂。  和名抄武藏國埼玉(佐伊太末)と有れど、卷十四に佐吉多萬能と詠めり。
 
4424 伊呂夫可久。世奈我許呂母波。曾米麻之乎。美佐可多婆良婆。麻佐夜可爾美無。
いろぶかく。せながころもは。そめましを。みさかたばらば。まさやかにみむ。
 
ミサカタバラバは上にも出でたり。マは發語にてさやかに見んなり。右の答なり。
 
右一首妻物部刀自賣。
 
月二十日武蔵國部領防人使掾正六位上|安曇《アヅミ》宿禰|三國《ミクニ》進歌數二十首。但拙劣歌者不2取載1之。  續紀寶字八年十月正六位上より從五位下を授くる由見ゆ。上に廿三日の歌有れば此處は廿の下、日の上字を脱せしなり。二十首の内右十二首を載せたるなり。
 
4425 佐伎母利爾。由久波多我世登。刀布比登乎。美流我登毛之佐。毛乃母比毛世受。
さきもりに。ゆくはたがせと。とふひとを。みるがともしさ。ものもひもせず。
 
防人伍を列《ツラ》ねて立つ時は、其父母妻子兄弟皆送りに出でて悲む中に、其れならぬ人も交りゐて、彼は誰ぞよなど、何の物思ひ無げに問ふ人の羨まるるなり。乏を羨む事に詠める例多し。防人の妻の歌なるべし。
 
4426 阿米都之乃。可未爾奴佐於伎。伊波比都都。伊麻世和我世奈。阿禮乎之毛波婆。
あめつしの。かみにぬさおき。いはひつつ。いませわがせな。あれをしもはば。
 
(212)アメツシは天地なり。都之は都都の誤か。ツチをツツとは言ふべし。又之は知の誤か。イマセは、イ《去》ニマセなり。アレヲシモハバは、吾ヲ思ハバなり。
 
4427 伊波乃伊毛呂。和乎之乃布良之。麻由須比爾。由須比之比毛乃。登久良久毛倍婆。
いはのいもろ。わをしのぶらし。まゆすびに。ゆすびしひもの。とくらくもへば。
 
伊波は家、イモ呂は妹等なり。麻は眞、ユスビは結ビなり。トクラクモヘバは、解ルヲ思ヘバなり。人に戀ひらるれば、紐のおのづから解くると言へる諺有りしなり。
 
4428 和我世奈乎。都久志波夜利弖。宇都久之美。叡比波登加奈奈。阿夜爾可毛禰牟。
わがせなを。つくしはやりて。うつくしみ。えびはとかなな。あやにかもねむ。
 
上に、わがせなをつくし倍やりてうつくしみ於妣はとかななあやにかもねもとて載せたり。ツクシ波の波は倍の誤か。又イヘをイハと詠みつれば、是れも東言か。
 
4429 宇麻夜奈流。奈波多都古麻乃。於久流我弁。伊毛我伊比之乎。於岐弖可奈之毛。
うまやなる。なはたつこまの。おくるがへ。いもがいひしを。おきてかなしも。
 
ウマヤは厩なり。ナハタツコマは、繋げる繩を斷ちて、駈け出づるを言ふ。オクルガヘは、翁は馬の人を送らんとするが如く、妻の送りても行かんさまにする歎きの切なりしを言ふにて、我弁は奈倍に同じと言はれき。契沖はオクルカハなり。旅に夫の出で行く時、其妻の慕ひて我も後(ク)れんものかは、繩斷ち(213)馳せ行く駒の如く、追ひ行かんなど、泣く泣く言ひつるを、置きて來ぬるが悲しきとなりと言へり。按ずるに、卷十四東歌、かみつけのさののふなばしとりはなしおやはさくれどわは左可禮賀倍、又わがまつまひとはさくれどあさがほのとしさへこごとわはさかる我倍、と言へるは、我はさからねと言ふを延轉して、吾は放らんや、さからずと返る詞なり。今も是れと同じく、繩絶つ駒は後《オク》れじと言ふ譬喩にとりて、オクルガヘは、後《オク》れんやと言ふ詞なり。さておくるがへと妹が言ひしと言ふべきを、登の言を略けり。送ルとしては一首聞えず。ガヘのガは、濁るべし。何處も濁音を用ひたり。
 
4430 阿良之乎乃。伊乎佐太波佐美。牟可比多知。可奈流麻之都美。伊?弖登阿我久流。
あらしおの。いをさたばさみ。むかひたち。かなるましづみ。いでて《いねて》とあがくる。
 
アラシヲは、荒男なり。伊乎の乎は、本の誤なるべし。東言なりとも本と乎と通ふ事有るべからず。イデテ登の登は曾の草書より誤れるならん。イホサは五百|箭《サ》なり。投る|さ《箭》とも詠めり。神代紀に、背に千|箭《ノリ》の靱と五百|箭《ノリ》の靱を負ひと有るは文《アヤ》なり。此處も一人にして五百|箭《サ》を負ふに有らず、況して手挾みと有れば、あやに言へると心得べし。向ヒ立チは、卷一に、ますらをがさつ矢たばさみ立むかひ射るまとかたはと言へるを思へば、的に立ち向ふを言ふと翁は言はれき。宣長は今向ひ立ちと言ふは、猪鹿に向ひ立ちなりと言へり。さて本は序にて、末の意は、卷十四、あしがらのをてもこのもにさすわなのかなるましづみ子ろわれひもとく、又、ありきぬのさゑさゑしづみいへの妹にものいはず來にでおもひぐ(214)るしも、と言ふ歌に言へる如く、カナルマは、翁の説はかなぐり放つ間にて、シヅミは鎭めての意なりと有り。宣長説は、鳴りを鎭めての意とす。猶考ふべし。何れにも有れ暫の間を言ふ事なり。さて十四の卷なる、かなるましづみころあれひもとくと言ふをもて、此結句を合せ考ふるに、出でてとては、理り惡ろし。イネテと訓むべし。?泥はデの濁音と、ネとに通じ用ふ。古事記には專らネの假字に用ひたり。
 參考 ○伊乎佐(新)「乎」は「留」の誤 ○伊?弖登(古)イデテト(新)「登」は「曾」又は「楚」の誤。
 
4431 佐左賀波乃。佐也久志毛用爾。奈奈弁加流。去呂毛爾麻世流。古侶賀波太波毛。
ささがはの。さやくしもよに。ななへかる。ころもにませる。ころがはだはも。
 
ササガハは篠之葉なり。サヤグは、風に鳴る音なり。七重カルは、多く着かさぬるを言ふか。キルをケルとも詠みたれば、カルとも言ふべし。コロは子等にて、妻を言ふ。波太は膚なり。ハモは例の言ひ入れて歎く詞。卷四、むしぶすまなごやが下にふしたれど妹としねねばはだし寒しも。
 
4432 佐弁奈弁奴。美許登爾阿禮婆。可奈之伊毛我。多麻久良波奈禮。阿夜爾可奈之毛。
さへなへぬ。みことにあれば、かなしいもが。たまくらはなれ。あやにかなしも。
 
サヘナヘヌは、拒み障るに不v堪と言ふ意なるべし。ミコトは天皇の詔を意ふ。
 參考 ○佐弁奈弁奴(新)「奈」は「安」の誤か。
 
(215)右八首昔年防人歌矣。主典刑部少録正七位上|磐余《イハレ》伊美吉|諸君《モロギミ》抄寫。贈2兵部少輔大伴宿禰家持1。
 
三月三日?2?防人1勅使并兵部使人等、同集飲宴作歌三首
 
4433 阿佐奈佐奈。安我流比婆理爾。奈里弖之可。美也古爾由伎弖。波夜加弊里許牟。
あさなさな。あがるひばりに。なりてしが。みやこにゆきて。はやかへりこむ。
 
ナリテシガのガは願詞。
 
右一首勅使紫微大弼安倍|沙美《サミ》麻呂朝臣。  續紀勝寶元年九月制2紫微中臺官位1云云、大弼二人、正四位下官云去、天平九年九月正六位上阿倍朝臣沙美麻呂授2從五位下1と見えしより、次次官位を歴て寶字二年三月中務卿正四位下にて卒す。
 
4434 比婆里安我流。波流弊等佐夜爾。奈理奴禮波。美夜古母美要受。可須美多奈妣久。
ひばりあがる。はるべとさやに。なりぬれば。みやこもみえず。かすみたなびく。
 
夜は倍の誤にて、サヘニなるべし。然《サ》らでたに京の隔たる上に、春にさへ成りて 霞隔てて、京の方の見えぬと言ふなり。
 參考 ○波流弊等佐夜爾(新)「夜」は「良」の誤か。
 
4435 布敷賣里之。波奈乃波自米爾。許之和禮夜。知里奈牟能知爾。美夜古敝由可無。
ふふめりし。はなのはじめに。こしわれや。ちりなむのちに。みやこへゆかむ。
 
(216)勅使として家持卿の難波まで來りて京へ歸るなるべし。故《カレ》櫻の含める時に來りて散りなん後に京へ行かんと詠まれたり。
 
右二首兵部少輔大伴宿彌家持。
 
昔年相替防人歌一首  前の防人の太宰へ行く道にて詠めるを、後に聞きて此處に擧げたるなり。
 
4436 夜未乃欲能。由久左伎之良受。由久和禮乎。伊都伎麻佐牟等。登比之古良波母。
やみのよの。ゆくさきしらず。ゆくわれを。いつきまさむと。とひしこらはも。
 
ヤミノヨノは、行く先不v知と言はん爲の枕詞なり。卷十二、くもり夜のたどきもしらず、卷十三、くもりよのまどへるほどに、など詠める類ひなり。
 
先太上天皇御製霍公鳥歌一首  (日本根子高瑞日清足姫天皇也)  元正〔二字□で囲む〕
 
天平勝寶七年と有る下なれば、孝謙天皇の御代なり。然れば此先太上と申すは元正天皇を申すなるべし。さて端詞斯く書ける例無し。霍公鳥三字は後に書き入れしか。
 
4437 冨等登藝須。奈保毛奈賀那牟。母等都比等。可氣都都母等奈。安乎禰之奈久母。
ほととぎす。なほもなかなむ。もとつひと。かけつつもとな。あをねしなくも。
 
翁の言へらく、奈保は、ナホザリにて、俗にタイガイニと言ふ意なり。モトツ人は既に神さりましし元明天皇などの御事にや。カケツツは、御心に懸けつつなり。アヲネシナクモは、吾を寢させぬと宣ふな(217)り。宣長云、アヲネシナクモは、吾を音に泣かしむるなりと言へり。猶考ふべし。
 
?妙觀應v詔奉v和歌一首  ?は薩の誤なるべし。續紀養老七年正月薩妙觀に姓河上忌寸を賜ふと見え、天平九年二月河上忌寸妙觀、大宅朝臣諸姉。並正五位下と見ゆ。皆女官なり。此下の歌の端詞に薩妙觀命婦等と見ゆ。
 
4438 保等登藝須。許許爾知可久乎。伎奈伎弖余。須疑奈无能知爾。之流志安良米夜母。
ほととぎす。ここにちかくを。きなきてよ。すぎなむのちに。しるしあらめやも。
 
チカク乎の乎は助辭。待つ時過ぎて後に鳴きては甲斐無しと言ふなり。答へ奉る歌は逆ひて詠むも常の事なり。
 
冬日幸2于靱負御井1之時内命婦石川朝臣應v詔賦v雪歌一首  諱曰2色婆1
 
續紀寶龜三年置2酒靱負御井1。賜d陪從五位以上及文士(ノ)賦2曲水1者(ニ)禄u有v差云云。石川命婦は卷三に見ゆ。旅人卿の後妻、家持卿及坂上郎女の母也。色、一本邑に作る。オホバと訓むべし。
 
4439 麻都我延乃。都知爾都久麻?。布流由伎乎。美受弖也伊毛我。許母里乎流良牟。
まつがえの。つちにつくまで。ふるゆきを。みずてやいもが。こもりをるらむ。
 
妹は水主内親王を指す。天皇に代り奉りて詠めるなり。
 
于v時|水主《ミヌシ》内親王寝膳不v安。累日不v参。因以2此日1。太上天皇勅2侍嬬等1曰。爲v遣2水主内親王1。賦v雪(218)作v歌奉v獻者。於v是諸命婦等不v堪v作v歌而此石川命婦獨作2此歌1。奏v之。  天智紀又有2粟隈首コ萬女黒媛娘1。生2水主皇女1。聖武紀天平九年二月四品水主内親王授2三品1。同八月辛酉水主内親王薨。天智天皇女也と見ゆ。和名抄、山城國久世郡水主と言へる地名有り。太上天皇は聖武天皇なり。
 
右件四首上總國大掾正六位上大原眞人|今城《イマキ》傳誦云爾。  年月未詳。
 
上總國朝集使大掾大原眞人今城向v京之時、郡司(ノ)妻女等餞v之歌二首
 
4440 安之我良乃。夜敝也麻故要?。伊麻之奈婆。多禮乎可伎美等。彌都都志努波牟。
あしがらの。やへやまこえて。いましなば。たれをかきみと。みつつしの(○ぬノ誤カ)ばむ。
 
イマシは去《イニ》マシなり。卷十九、朝ぎりのやへ山こえて云云。
 
4441 多知之奈布。伎美我須我多乎。和須禮受波。與能可藝里爾夜。故非和多里奈無。
たちしなふ。きみがすがたを。わすれずは。よのかぎりにや。こひわたりなむ。
 
卷十二、たかば野に立志奈比垂すがのねのとも詠みて、立|撓《シナフ》なり。ヨノカギリは吾が齡の限りなり。
 參考 ○伎美我須我多乎(新)「乎」は「之」の誤。
 
五月九日兵部少輔大伴宿禰家持之宅集飲歌四首
 
4442 和我勢故我。夜度乃奈弖之故。比奈良倍弖。安米波布禮杼母。伊呂毛可波良受。
わがせこが。やどのなでしこ。ひならべて。あめはふれども。いろもかはらず。
 
(219)ヒナラベテは、日竝而なり。和《コタ》へ歌に依るに、色も變らずと言へるは、主人《アルジ》を慕ふ心を添へたり。
 
右一首大原眞人今城。
 
4443 比佐可多能。安米波布里之久。奈弖之故我。伊夜波都波奈爾。故非之伎和我勢。
ひさかたの。あめはふりしく。なでしこが。いやはつはなに。こひしきわがせ。
 
上は其時の景色を言へるのみ。ナデシコは庭に有る物をもて、イヤハツ花ニと言はん料とせり。
 
右一首大伴宿禰家持。
 
4444 和我世故我。夜度奈流波疑乃。波奈佐可牟。安伎能由布弊波。和禮乎之努波世。
わがせこが。やどなるはぎの。はなさかむ。あきのゆふべは。われをしぬはせ。
 
今夏ながら秋の事を兼ねて言へり。
 
右一首大原眞人今城。
 
即聞2?|哢《サヘヅルヲ》1作歌一首  同じ集飲の時詠めるなり。廣韵に哢(ハ)鳥吟と有り。
 
4445 宇具比須乃。許惠波須疑奴等。於毛倍杼母。之美爾之許己呂。奈保古非爾家里。
うぐひすの。こゑはすぎぬと。おもへども。しみにしこころ。なほこひにけり。
 
此時五月なれば、鶯の時過ぎたる聲ながら、春心に染《ソ》みて愛《メ》でにしからに、猶戀ふると言ふなり。結句は今城を戀ふるを添へしなるべし。
 
(220)右一首大伴宿禰家持。
 
同月十一日左大臣橘卿宴2右大弁|丹比國人《タチヒノクニヒトノ》眞人之宅1歌三首  橘卿は諸兄卿なり。
 
4446 和我夜度爾。佐家流奈弖之故。麻比波勢牟。由米波奈知流奈。伊也乎知爾左家。
わがやどに。さけるなでしこ。まひはせむ。ゆめはなちるな。いやをちにさけ。
 
マヒハは集中幣と書きて、賄なり。ヲチは卷五、わがさかり云云また遠知めやも、又雲にとぶ云云また越知ぬべし。卷十七長歌、たばなれも乎知もかやすきと言ふ所に、宣長説を擧げて言へる如く、初めの方へ返るを言ふ詞にて、此歌にては、撫子の初めへ返り返り、幾度も咲けと言ふなり。さて橘卿を壽《ホ》ぎたるなり。
 
右一首丹比國人眞人壽2左大臣1歌。
 
4447 麻比之都都。伎美我於保世流。奈弖之故我。波奈乃未等波無。伎美奈良奈久爾。
まひしつつ。きみがおほせる。なでしこが。はなのみとはむ。きみならなくに。
 
上の句は花と言はん序なり。花ノミとは、はなばなしく實《ジツ》の無き事に言へり。集中例多し。オホセルは令v生なり。
 參考 ○伎美奈良奈久爾(新)「伎美」は「阿禮」の誤。
 
右一首左大臣|和《コタヘ》歌。  今本和の字を脱せり。元暦本に據りて補ふ。
 
(221)4448 安治佐爲能。夜敝佐久其等久。夜都與爾乎。伊麻布和我勢故。美都都思努波牟。
あぢさゐの。やへさくごとく。やつよにを。いませわがせこ。みつつしぬばむ。
 
和名抄、紫陽花(阿豆佐爲)と有り。こちたきまで咲き重れる花なれば、斯く詠み給へり。ヤツヨのツは助辭にて、彌世なり。乎は助辭。シヌバムは見る見る慕ふを言ふ。
 
右一首左大臣寄2味狹監花1詠也。
 
十八日左大臣宴2於兵部卿橘奈良麻呂朝臣宅1歌三首  奈良麻呂卿は、左大臣の子なり。
 
4449 奈弖之故我。波奈等里母知弖。宇都良宇都良。美麻久能富之伎。吉美爾母安流加母。
なでしこが。はなとりもちて。うつらうつら。みまくのほしき。きみにもあるかも。
 
ウツラウツラは現顯なり。今の現に見る如く、いつまでも見まくほしと言ふにて、一二の句は序なり。土佐日記に、目もうつらうつら神のしるしを見しと言ふも、顯然ニと言ふにて、今と同じ意に落つ。此言を委しく言はば、ウツツは、ウツウツを略きたる詞なり。其ウツウツに等の助辭を添へて、ウツラウツラとは言ふなりと翁は言はれき。宣長云、ウツラウツラは、ツラツラなり。卷一に、つらつらに見つつ思ふな、又つらつらに見れどもあかずと言へるに同じ。さて上二句は、花をつらつら見ると言ふ意の序なりと言へり。猶考ふべし。
 
右一首治部卿船王。
 
(222)4450 和我勢故我。夜度能奈弖之故。知良米也母。伊夜波都波奈爾。佐伎波麻須等母。
わがせこが。やどのなでしこ。ちらめやも。いやはつはなに。さきはますとも。
 
主人《アルジ》を壽《ホ》ぎて詠めり。
 
4451 宇流波之美。安我毛布伎美波。奈弖之故我。波奈爾奈蘇倍弖。美禮杼安可奴香母。
うるはしみ。あがもふきみは。なでしこが。はなになぞへて。みれどあかぬかも。
 
主人を撫子になぞらへて、愛《ウル》はしみ思ふなり。
 
右二首兵部少輔大伴宿禰家持追作。
 
八月十三日在2内(ノ)南(ノ)安殿《ヤスミドノ》1肆宴歌二首  安殿は、天武紀十年春正月云云是日親王諸王引2入内安殿1。諸臣皆侍2于外安殿1。共置酒以賜v樂と有り。
 
4452 乎等賣良我。多麻毛須蘇婢久。許能爾波爾。安伎可是不吉弖。波奈波知里都都。
をとめらが。たまもすそびく。このにはに。あきかぜふきて。はなはちりつつ。
 
卷一、玉ものすそに潮みつらむかと詠めり。玉は褒むる詞。此花は秋の千くさの花なり。
 
右一首内匠頭兼播磨守正四位下|安宿《アスカベノ》王奏之。  續紀天平勝寶五年四月安宿王爲2播磨守1。三代實録卷六。河内國安宿郡人外從五位下行主計助飛鳥戸造豐宗云云。又正六位上飛鳥戸造禰通と有り。和名抄、河内國安宿(安須加倍)姓氏録、飛鳥部、又飛鳥戸云云、共百濟人之後而河内國也。斯かれば、安宿と書け(223)るは、アスカベと訓みて、大和の飛鳥より出でし氏には有らず。
 
4453 安吉加是能。布伎古吉之家流。波奈能爾波。伎欲伎都久欲仁。美禮杼安賀奴香母。
あきかぜの。ふきこきしける。はなのには。きよきつくよに。みれどあかぬかも。
 
コキは、コキマゼ、コキチラス 袖ニコキレテなど言ふ、コキに同じ。花ノニハは、花の庭なり。此花も秋の千草なり。
 
右一首兵部少輔從五位上大伴宿禰家持。未v奏。
 
十一月二十八日左大臣集2於兵部卿橋奈良麻呂朝臣宅1宴歌一首
 
4454 高山乃。伊波保爾於布流。須我乃根能。禰母許呂其呂爾。布里於久白雪。
たかやまの。いはほにおふる。すがのねの。ねもころごろに。ふりおくしらゆき。
 
高山は地名に有らず。菅のはしぬぎ降る雪と多く詠める如く、葉隱れも無く降り入りたるを、ネモコロニ降ルと言へり。ネモコロゴロは、ネモコロネモコロと重ね言ふなり。主人《アルジ》を思ふを添へしなるべし。
 
右一首左大臣作。
 
天平元年班田之時使葛城王從2山背國1贈2?妙觀命婦等所1歌一首  副2芹子※[果/衣]1。
 
葛城王は諸兄卿なり。?は薩の誤なり。
 
(224)4455 安可禰佐須。比流波多多婢弖。奴婆多麻乃。欲流乃伊刀末仁。都賣流芹子許禮。
あかねさす。ひるはたたびて。ぬばたまの。よるのいとまに。つめるせりこれ。
 
タタビテは、賜v田而なり。晝は田を班《ワカ》ち賜ふ事に暇《イトマ》無き故に夜摘みたる芹なりと自ら勞を言へり。
 
?妙觀命婦報贈歌一首  ?は薩の誤。
 
4456 麻須良乎等。於毛敝流母能乎。多知波吉?。可爾波乃多爲爾。世理曾都美家流。
ますらおと。おもへるものを。たちはきて。かにはのたゐに。せりぞつみける。
 
カニハノタヰ、契沖去、樺田井也。式第五十雜式云、凡山城國泉川樺井渡瀬者。官率2東大寺工等1。毎年九月上旬造2假橋1。來三月下旬壞收云云。此樺井渡と有る所なるべしと言へり。和名抄、山城相樂郡蟹幡(加無波多)神名帳、同郡|綺原《カムハラニ》坐健伊那大比賣神社など見ゆ。丈夫の太刀佩きながら、賤が業するを言ひて、芹摘みておこせたる勞を賞づる心を含めり。
 
右二首左大臣讀v之云爾。(左大臣是葛城王。後賜2橘姓1也。)  活本此註無し。
 
天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉二十四日戊申。太土天皇太皇太后幸2行於河内離宮1。經信以2壬子1傳2幸於難波宮1也。  是れは左の歌の端詞なり。元暦本太上天皇の下太皇の二字無し。續紀勝寶八歳春二月戊申行2幸難波1是日至2河内國1。御2智識寺南行宮1。己酉天皇幸2智識山下大里。三宅。家原。鳥坂等七寺1禮v佛云云。壬子至2難波宮1。御2南新宮1。三月甲寅朔太上天皇幸2堀江上1云云。契沖云、此孝謙紀を引(225)き見るに、端詞に天皇の二字を脱せり。紀はまた太上天皇皇太后も諸共に御幸有りける事を失ひて載せず。三月太上天皇のみ堀江上に御幸有りけるやうに記せるは、先きの記録の詳《ツブサ》ならざりけるにや云云。經信。左傳凡師一宿爲v舍。再宿爲v信。過v信爲v次と言へり。此處に信と言へるは、おほよそに書けるなるべし。
 參考 ○太皇太后(新)上の「太」は衍字。
 
三月七日於2河内國|伎人《クレノ》郷馬(ノ)國人《クニヒト》之家1宴歌三首  續紀勝寶二年京中驟雨水潦汎溢。又伎人茨田等堤往往決壞と見ゆ。伎人はクレと訓むべし。推古紀天武紀に伎《クレノ》樂。職員令雅樂寮に伎樂師。義解に謂2呉《クレノ》樂(ヲ)1。伎人郷は、雄略紀に呉《クレ》坂と有る所にて今|喜連《キレ》と云ふ所なりとぞ。和名抄には此郷漏れたり。馬國人は、下に馬史國人と有り。此處には史の字を脱せり。
 
4457 須美乃江能。波麻末都我根乃。之多婆倍弖。和我見流乎努能。久佐奈加利曾禰。
すみのえの。はままつがねの。したばへて。わがみるをぬの。くさなかりそね。
 
一二の句は、シタバヘを言はん料なり。シタバヘは、卷十四、あしがらのみ坂かしこみくもりよのあが志多婆倍乎うちてつるかも、と詠めるは、忍びて妻問する事なるを、今は友どちを親しむ意にとれり。さて其住江のを野を言ひて、下の心は斯く今相逢ふからは、行末も疎む事なかれと國人に言ふなり。故れ答歌にも、變らざらん譬もて言へり。
 
(226)右一首兵部少輔大伴宿禰家持。
 
4458 爾保杼里乃。於吉奈我河波半。多延奴等母。伎美爾可多良武。己等都奇米也母。
にほどりの。おきながかはは。たえぬとも。きみにかたらむ。ことつきめやも。
 
ニホドリノは枕詞。息長河は、近江國坂田郡にあり。卷十三、しなてるつくまさぬかた息長の遠智の小菅、と詠めり、其處に委し。右の歌に答へて、世に絶えまじき川水を以て誓へるなり。是れは河内にて、近江の地名を言へるは、古歌なれども、歌の意の時に合へるをもて、國人が誦せしなるべし。後世オキ中川と詠む僻言なり。
 
古新未v詳。  斯く註せるは、他し國の地名を詠める歌なれば、古歌なるか、又歌の心は能く叶へれば、新歌なる歟の心もて、後人の書き加へたるなるべし。
 
右一首主人散位寮散位馬史國人。
 
4459 蘆苅爾。保里江許具奈流。可治能於等波。於保美也比等能。未奈伎久麻泥爾。
あしかりに。ほりえこぐなる。かちのおとは。おほみやびとの。みなきくまでに。
 
卷三、大宮の内まで聞ゆあびきすとあごととのふるあまの呼聲、と詠める如く、蘆苅舟の梶の音の、大宮まで聞ゆるを詠めり。如何なる由有りて、此古歌を謠へるにか知るべからず。
 參考 ○蘆苅爾(古、新)爾は等の誤。
 
(227)右一首式部少丞大伴宿禰池主讀v之。即云兵部大丞大原眞人今城先日他所(ニテ)讀(ル)歌者也。
 
讀は誦に同じく、今城の歌には有らで古歌を他所にて稱へつるを、今又池主の稱ふるなり。
 
4460 保利江己具。伊豆手乃船乃。可治都久米。於等之婆多知奴。美乎波也美加母。
ほりえこぐ。いづてのふねの。かぢつくめ。おとしばたちぬ。みをはやみかも。
 
イヅテノ舟、既に出づ。宣長云、都久米の久は夫の誤にて、都夫米《ツブメ》なるべし。卷十八、かぢのおとの都婆良都波良にと詠めると合せて知るべし。つぶらつぶらと鳴るを、ツブメと言ふなるべし。古事記、海水の都夫多都時名を都夫多都御魂と言ふも由有りと言へり。オトシバタチヌは、梶の音のしばしば聞ゆると言ふなり。卷七、さよ更てほり江こぐなるまつら舟かぢのとたかしみをはやみかも。
 
4461 保里江欲利。美乎左香能保流。梶音乃。麻奈久曾奈良波。古非之可利家留。
ほりえより。みをさかのぼる。かぢのとの。まなくぞならは。こひしかりける。
 
上は間無くと言はん序なり。奈良の都は間無く戀しきとなり。
 
4462 布奈藝保布。保利江乃可波乃。美奈伎波爾。伎爲都都奈久波。美夜故杼里香蒙。
ふなぎほふ。ほりえのかはの。みなぎはに。きゐつつなくは。みやこどりかも。
 
フナギホフは、舟の多く競ひ漕ぐを言ふ。都鳥は、伊勢物語に白き鳥のはしと足と赤き、しぎの大きさなるが、水の上に遊びつついををくふ、これなんみやこ鳥と有れば白き?なり。此カモは哉の意にあら(228)ず、鳴クハと言ひたれば、カは歟の意にて、モは助辭なり。
 
右三首江邊作v之。  右に同じ。幸の御供の時にて、共に家持卿の歌なり。
 
4463 保等登藝須。麻豆奈久安佐氣。伊可爾世婆。和我加度須疑自。可多利都具麻?。
ほととぎす。まづなくあさけ。いかにせば。わがかどすぎじ。かたりつぐまで。
 
上に三月七日と記して此處に二十日とのみ有るは、是れも猶難波にて郭公を聞きて詠めるなるべし。三月末に此鳥の鳴くこと今も有り。さて三月なれば先づ鳴くとは言へり。此頃郭公の鳴くは、珍らしき事ゆゑに、人にも告げ知らせて、皆人も聞きに來るまで、此處を過ぎずして、猶鳴くやうには如何にしてか留《トド》めんと言ふなり。
 
4464 保等登藝須。可氣都都伎美我。麻都可氣爾。比毛等伎佐久流。都奇知可都伎奴。
ほととぎす。かけつつきみが。まつかげに。ひもときさくる。つきちかづきぬ。
 
カケツツは、心に懸けつつ待つと言ふを、松に言ひ懸けたり。君とは指す人有るには有らず。松を君待つと言ふ事例多ければ、唯だ待つと言はん爲に君ガとは言へり。さて一二の句は、時に有るものを序に言へるのみにて、三句よりは、松陰に納涼すべき時は近く成りぬと言ふなり。
 參考 ○。可氣都都伎美我(古、新)「我」は「乎」の誤。
 
右二首二十日大伴宿禰家持依v興作v之。
 
(229)喩v族歌一首并【并ヲ弁ニ誤ル】短歌。
 
4465 比左加多能。安麻能刀比良伎。多可知保乃。多氣爾阿毛理之。須賣呂伎能。可未能御代欲利。波自由美乎。多爾藝利母多之。麻可胡也乎。多婆左美蘇倍弖。於保久米能。麻須良多祁乎乎。佐吉爾多弖。由伎登利於保世。山河乎。伊波禰左久美弖。布美等保利。久爾麻藝之都都。知波夜夫流。神乎許等牟氣。麻都呂倍奴。比等乎母夜波之。波吉伎欲米。都可倍麻都里弖。安吉豆之萬。夜萬登能久爾乃。可之婆良能。宇禰備乃宮爾。美也婆之良。布刀之利多弖?。安米能之多。之良志賣之祁流。須賣呂伎能。安麻能日繼等。都藝弖久流。伎美能御代御代。加久左波奴。安加吉許己呂乎。須賣良弊爾。伎波米都久之弖。都加倍久流。於夜能都可佐等。許等太弖?。佐豆氣多麻敝流。宇美乃古能。伊也都藝都岐爾。美流比等乃。可多里都藝弖?。(230)伎久比等能。可我見爾世武乎。安多良之伎。吉用伎曾乃名曾。於煩呂加爾。己許呂於母比弖。牟奈許等母。於夜乃名多都奈。大伴乃。宇治等名爾於蔽流。麻須良乎能等母。
ひさかたの。あまのとひらき。たかちほの。たけにあもりし。すめろぎの。かみのみよより。はじゆみを。たにぎりもたし。まかごやを。たばさみそへて。おほくめの。ますらたけをを。さきにたて。ゆぎとりおほせ。やまかはを。いはねさくみて。ふみとほり。くにまぎしつつ。ちはやぶる。かみをことむけ。まつろへぬ。ひとをもやはし。はききよめ。つかへまつりて。あきつしま。やまとのくにの。かしはらの。うねびのみやに。みやばしら。ふとしりたてて。あめのした。しらしめしける。すめろぎの。あまのひつぎと。つぎてくる。きみのみよみよ。かくさはぬ。あかきこころを。すめらべに。きはめつくして。つかへくる。おやのつかさと。ことだてて。さづけたまへる。うみのこの。いやつぎつぎに。みるひとの。かたりつぎでて。きくひとの。かがみにせむを。あたらしき。きよきそのなぞ。おほろかに。こころおもひて。むなごとも。おやのなたつな。おほともの。うぢとなにおへる。ますらをのとも。
 
タカチホの嶽は日向。アモリは天降なり。此すめろぎは天孫を申し奉る。神代紀一書、高皇産靈尊云云、天の磐戸を引き開け、天の八重雲排し分けて降し奉る時に、大伴連の遠つ祖、天忍日命、來目部の遠つ祖、天|?津大來目を帥ゐ、背に天磐靱を負ひ、臂に稜威《イツ》高鞆を着け、手に天|梔《ハジ》弓、天羽羽矢を捉、八目鳴鏑を副持、又|頭槌《カブツチ》劔を帶、天孫の御前に立ちて、日向|襲《ソフ》の高千穗?日二上峰天浮橋に降來云云と見。仙覺抄に、風土記を引きて、天津彦彦火瓊瓊杵尊離2天磐座1。排2天八重雲1。稜威之道別々々而。天2降於日向之高千穗二上之峰1時。天暗冥。晝夜不v別。人物失v道。物色難v別。於v茲有2土蜘蛛1。名曰2大|?《ツハ》小?1。二人奏言。皇孫尊以2尊御手1。拔2稻千穗1爲v籾。投2散四方1。得2開晴1。于v時如2大餌等所1奏槎2千穗稻1。爲v籾。投散。即天開晴。日月照光。因曰2高千穗二上峰1。後人改號2知鋪1已上。和名抄臼杵郡智保。ハジ弓、マカゴ矢は、古事記天之波士弓、天之眞鹿兒矢と有りて、書紀には天梔弓(梔此云2波茸1)と有り。宣長が古事記傳に委し、事長ければ此處に言はず。オホクメノ云云は、卷十八長散に、大伴の遠神祖の其名をば大來目主とおひもちてつかへしつかさと詠めり。大來目とは御軍に從へる軍土(231)を言ふ、其司故に主と言へり。此處も天押日命の其軍士等を先に立てて、天降せるなり。ユギトリオホセ、姓氏録に、大伴宿禰高皇産靈尊五世孫。天穗日命之後也。初天孫彦火瓊瓊杵尊神賀之降也。天穗日大來目部立2於御前1。降2于日向高千穗峰1。然後以2大來目部1。爲2天靱負部1。靱負部之號起2於此1也と見ゆ。オホセは令v負也。クニマギシツツ、紀に國覓と有りて、國を求め給ふを言ふ。コトムケは事平《コトムケ》なり。マツロヘヌ、卷二、不奉仕をマツロハヌと訓めり。紀、不順の字を訓む、茲は倍は波の誤なるべし。ヤハシは令v和なり。卷二人乎|和爲跡《ヤハスト》、ハキキヨメは掃清(メ)なり。ツカヘマツリテまでは、押日命の功を言へり。アキツシマの句より、神武天皇の御時の事を言へり。神武紀夫|畝傍《ウネビ》山(ノ)東南橿原の地者蓋國の墺區《マホラ》か、これを治べし。是月即有司に命て、帝宅を經と見ゆ。此御時大伴氏の祖道臣命專ら仕へ奉りし事紀に委し。天ノ日ツギトの句より、天皇の御代御代の事を言へり。カクサハヌアカキココロヲは、不v隱明心なり、紀に赤心《アカキココロ》丹心《同》とも書けり。スメラベのベは方《ベ》なり。卷十八、おほきみのべにこそしなめとも詠めり。オヤノツカサは、遠祖よりのつかさと言ふなり。コトダテテサヅケタマヘルは、卷十八にも、人のおやのたつる事だてと詠めり。カタリツギデテは語次《カタリツイデ》てと言ふなり。アタラシキは惜む事にて、愛《メデ》たき事にも言へり。ムナゴトは空言にて、左註に讒言に依りてと有る是れなり。讒言は虚言なれども、然様《さやう》の虚言をも言ひ立てられぬやうにせよと言ふなり。オヤノ名タツナは、祖(ノ)名を令v斷ことなかれなり。マスラヲノトモは、大伴氏の伴《トモガラ》を言ふ。
(232) 參考 ○佐頭氣多麻敝流(新)「流」は禮の誤か ○宇美乃古能、伊也都藝都岐爾(新)此下に脱句有るか ○可多里都藝弖?(新)「?」は「婆」の誤か。
 
4466 之奇志麻乃。夜末等能久爾爾。安伎良氣伎。名爾於布等毛能乎。己許呂都刀米與。
しきしまの。やまとのくにに。あきらけき。なにおふとものを。こころつとめよ。
 
長歌に見えたる如く、大伴氏は君が御代御代、あかき心もて仕へ奉り來て、名高き氏の族《トモノヲ》なるぞと勵ますなり。
 
4467 都流藝多知。伊與餘刀具倍之。伊爾之敝由。佐夜氣久於比弖。伎爾之曾乃名曾。
つるぎたち。いよよとぐべし。いにしへゆ。さやけくおひて。きにしそのなぞ。
 
一二の句は丈夫の專らとする物を以て譬とす。サヤケクオヒテは、大伴の氏は、名高く明らかに聞え來《コ》しと言ふなり。
 
右縁2淡海眞人三船(ガ)讒言(ニ)1。出雲守大伴古慈斐宿禰解v任。是以家持作2此歌1也。  續紀勝寶八年五月出雲國守從四位上大作宿禰古慈斐内豎淡海眞人三船。坐d誹2謗朝廷1。無u2人臣之禮1。禁2於左右衛士府。丙寅詔竝放免と見ゆ。然れば三船も古慈悲も共に罪有りて、衛士府に禁ぜられしと見ゆるを、此處に三船の讒言に由りて、古慈悲は解任せる由有り。右紀の文に誤り有るか、此註の誤れるか、知るべからず。三船は勝寶三年無位御船に淡海眞人の姓を賜ふ由見え、四年正月尾張介正六位上と見え、次次官位を經(233)て、延暦四年七月刑部卿從四位下、兼因幡守にて卒す。大伴親王の曾孫、池邊王の子と見ゆ。
 
臥v病悲2無常1欲v修v道作歌二首。
 
4468 宇都世美波。加受奈吉身奈利。夜麻加波乃。佐夜氣吉見都都。美知乎多豆禰奈。
うつせみは。かずなきみなり。やまがはの。さやけきみつつ。みちをたづねな。
 
人の齡《ヨハヒ》はいくばくの年の數も無きを、數無身と言へり。山河ノサヤケキ見ツツは、山住をして、靜に佛の道を修せんと思ふなり。
 
4469 和多流日能。加氣爾伎保比弖。多豆禰弖奈。伎欲吉曾能美知。末多母安波無多米。
わたるひの。かげにきほひて。たづねてな。きよきそのみち。またもあはむため。
 
ワタル日ノ云云は、光陰を惜む意なり。唯だに此道の奧を求め得ん時は、來ん世に其果を得て在りなんとなり。契沖云、南史云、陶侃云。大禹之聖人面惜2寸陰1。至2於凡人1可v惜2分陰1。又モアハムタメは生生世世殖(○値(ノ)誤)遇せん事を願へりと言へり。
 
願v壽作歌一首
 
4470 美都煩奈須。可禮流身曾等波。之禮禮杼母。奈保之禰我比都。知等世能伊乃知乎。
みつぼなす。かれるみぞとは。しれれども。なほしねがひつ。ちとせのいのちを。
 
ミヅホほ水火にて、水火の如く假なる身と言ふなりと翁は言はれき。宣長云、ミツボは水沫のつぶだつ(234)を言ふ。古事記に、海水之|都夫多都時《ツブタツトキ》と有る是れなり。人生を水沫に譬へたる事は佛經に多しと言へり。都は清音、煩は濁音なれば、水火の義にては有るまじきなり。さらばツを清、ボを濁るべし。禰の下、可、元暦本我に作るを善しとす。
 
以前歌六首六月十七日大伴宿禰家持作。
 
冬十一月五日夜小雷起鳴雪落2覆庭1忽懐2感憐1聊作2短歌一首1
 
4471 氣能己里能。由伎爾安倍弖流。安之比奇乃。夜麻多知波奈乎。都刀爾通彌許奈。
けのこりの。ゆきにあへてる。あしびきの。やまたちばなを。つとにつみこな。
 
アヘテルは相照なり。此時やからなど山方へ行ける事有りて、夫を思ひて詠まれしならん。卷十九、此雪のけのこる時にいざゆかな山橘の實の照も見む。
 
右一首兵長少輔大伴宿禰家持。
 
八日讃岐守|安宿《アスカベノ》王等集2於出雲掾安宿|奈杼《ナト》麻呂之家1宴歌二首
 
安宿王讃岐守なりし事紀に見えず。讃岐守にて出雲國掾の家に宴せん事由無く聞ゆれど、諸國の司暫く京に上り居る事常なれば、さる事も有るべし。續紀、天平神護元年百濟安宿公奈杼麻呂に外從五位下を授くと見ゆ。安宿王の事は末の山背王の傳に言ふべし。
 
4472 於保吉美乃。美許登加之古美。於保乃宇良乎。曾我比爾美都都。美也古敝能保流。
(235)おほきみの。みことかしこみ。おほのうらを。そがひにみつつ。みやこへのぼる。
 
和名抄、出雲意宇(於宇)郡意宇なり。卷三|飫海《オウノウミ》、卷四飫宇能海と有る、是れなり。此處に於保と有るは、按ずるに初句の於保の文字移りて誤れるにて、於宇と有るべきなり。此歌は出雲より上る時に詠めるを、宴席にて語りたるなり。
 參考 ○於保乃宇良乎(新)於保は於宇の誤。
 
右掾安【安ヲ古ニ誤ル】宿奈杼麻呂。
 
4473 宇知比左須。美也古乃比等爾。都氣麻久波。美之比乃其等久。安里等都氣己曾。
うちひさす。みやこのひとに。つげまくは。みしひのごとく。ありとつげこそ。
 
都へ上りて告げんやうは、昔見し如く、我れは平らかに在りと告げよと、山背王の、奈杼麻呂へ誂へ給ふなり。
 
右一首守山背王歌也。主人安宿奈杼麻呂語云。奈杼麻呂被v差2朝集使1。擬v入2京師1。因v此餞v之云。各作2此歌1。聊陳2所心1也。  山背王は、續紀、天平十八年九月從四位下山背王爲2右舍人頭1。寶字元年五月從四位上。同六月但馬守。同月從三位。同六年十二月從三位富士原弟貞爲2參議1。七年十月參議禮部卿從三位藤原朝臣弟貞薨。弟貞者平城朝左大臣正二位長屋王子也。天平元年長屋王有v罪自盡。其男從四位下膳夫王、無位桑田王、葛木王、鈎取王、亦皆自經。時安宿王、黄文王、山背王、并女教勝、復合2(236)從坐1。以2藤原太政大臣之女所1v生。時賜2不死1。勝寶八歳安宿黄文謀反。山背王陰上2其變1。高野天皇嘉v之。賜2姓藤原1。名曰2弟貞。右に守山背王と有れど、傳に出雲守なりし事見えず、紀に漏れたるか。
 參考 ○左註、各作此歌(新)此は衍字。
 
4474 武良等里乃。安佐太知伊爾之。伎美我宇倍波。左夜加爾伎吉都。於毛比之其等久。
むらとりの。あさだちいにし。きみがうへは。さやかにききつ。おもひしごとく。
 
一云。於毛比之母乃乎。
 
ムラトリノは枕詞。末句オモヒシゴトクにては穩かならず、一本のオモヒシモノヲの方を用ふべし。左註に依るに、家持卿此時京に在りて、山背王の歌に和ふるなり。山背王の任に出で立ちし事を先づ言ひて、さて奈杼麻呂がつてに、有樣を定かに聞けりと言ふ意なり。
 
右一首兵部少輔大伴宿禰家持後日追2和出雲守山背王歌1作v之。
 
二十三日集2於式部少丞【丞ヲ掾ニ誤ル。元ニ依リテ改ム】大伴宿禰池主之宅1飲宴歌二首
 
4475 波都由伎波。知敝爾布里之家。故非之久能。於保加流和禮波。美都都之努波牟。
はつゆきは。ちへにふりしけ。こひしくの。おほかるわれは。みつつしぬばむ。
 
今日初雪降りぬ。今より後、此雪を見つつ今日の思出ぐさにせんと思へは、千重も降りしきて久しく殘れと言ふ意なり。主人《アルジ》を慕ふ意を添へたり。
 
(237)4476 於久夜麻能。之伎美我波奈能。奈能其等也。之久之久伎美爾。故非和多利奈無。
おくやまの。しきみがはなの。なのごとや。しくしくきみに。こひわたりなむ。
 
今本奈能の二字を脱せり、一本に據りて補へり。六帖に木部に此歌を載せて、三の句名ノゴトヤと有れば疑ひ無し。シキミノ、シキを重ぬる事として其名の如く重重《シクシク》と言ふなり。樒の花は夏咲くなり。今は十一月なるを、シクシクと言はん料に設けて序に用ひたるなり。キミは主人を指す。
 
右二首兵部大丞大原眞人今城。
 
智努《チヌノ》女王卒後|圓方《マトカタノ》女王悲傷作歌一首
 
智努女王は續紀養老七年正月從四位下。神龜元年二月從三位。圓方女王は天平九年十月從五位下より從四位下を授く、寶龜五年十二月正三位にて薨ず。長屋王の女なり。
 
4477 由布義理爾。知杼里乃奈吉志。佐保治乎婆。安良之也之弖牟。美流與之乎奈美。
ゆふぎりに。ちどりのなきし。さほぢをば。あらしやしてむ。みるよしをなみ。
 
智努女王の家佐保の邊《アタリ》に在りけん、今よりは佐保路を通ふ人も無くて、荒らしやせんと悲むなり。
 
大原櫻井眞人行2佐保川邊1之時作歌一首
 
續紀第八に、遠江守櫻井王と見え、第十五に、大藏卿從四位下大原眞人櫻井と見ゆ。
 
4478 佐保河波爾。許保里和多禮流。宇須良婢乃。宇須伎許己呂乎。和我於毛波奈久爾。
(238)さほがはに。こほりわたれる。うすらひの。うすきこころを。わがおもはなくに。
 
上はウスキと言はん序のみ。
 
藤原夫人歌二【二ヲ一ニ誤ル。宮字ヲ脱ス。元宮字有リ】首  [淨御原宮御宇天皇之夫人也。字曰2氷上《ヒノカミ》大刀自1也。)  二首を今誤りて一首と書けり。天武紀、夫人藤原大臣女氷上娘生2但馬皇女1。十一年正月宮中に薨ず由見ゆ。
 
4479 安佐欲比爾。禰能未之奈氣婆。夜伎多知能。刀其己呂毛安禮波。於母比加禰都毛。
あさよひに。ねのみしなけば。やきたちの。とごころもあれは。おもひかねつも。
 
ヤキダチノ、枕詞。トゴコロは利《ト》心なり。心利とも言へり。アレは吾なり。
 
4480 可之故伎也。安米乃美加度乎。可氣都禮婆。禰能未之奈加由。安佐欲比爾之弖。
かしこきや。あめのみかどを。かけつれば。ねのみしなかゆ。あさよひにして。
 
ミカドと言ふは、此處は天皇を申し奉れり。直ちに天皇を指し奉るは恐れ有れば、朝廷《ミカド》を言ひて、やがて天皇の御事なり。安米とは尊みて言へり。古今集左註に、あめのみかど近江のうねめに給はる歌と有り。アメノミカドは天智天皇を申すと言ふは頑《カタクナ》なり。釆女は諸國より貢すれば、近江の釆女とても必ず近江の朝とするは僻事《ヒガゴト》なり。其上彼の歌は僞《イツハリ》ごとなり。此處に用無き事ながら、事の序に言ふのみ。カケツレバは、心に懸け奉りつればと言ふなり。
 
(239)作者不v詳。  端書に二首を一首と誤れるより、後人斯く書き入れたるなるべし。
 
右件四首傳讀兵部大丞大原今城。
 參考 ○(新)左註、大原の下に臣人を脱せり。
 
三月四日於2兵部大丞大原眞人今城之宅1宴歌一首  前に勝寶八年十一月の歌有れば、此處は勝寶九歳と有るべし。さて次下の六月の所の勝寶九歳の四字は除くべきなり。
 參考 ○(新)三月の上に天平勝寶九歳の六字を補ふべし、又一首は二首を誤れるなり。左註右の下に一首、大伴の下に宿禰をおとせり。
 
4481 安之比奇能。夜都乎乃都婆吉。都良都良爾。美等母安可米也。宇惠弖家流伎美。
あしびきの。やつをのつばき。つらつらに。みともあかめや。うゑてけるきみ。
 
山の八峰の椿を根こじて家の庭に植ゑたる由なり。さて見トモアカメヤに主人を添へたり。卷一、つらつら椿つらつらに、卷十九、あしびきのやつをの椿つばらかにとも詠めり。
 
右兵部少輔大伴家持屬2植椿1作。  屬は囑と同じく、目を附くるなり。
 
4482 保里延故要。等保伎佐刀麻弖。於久利家流。伎美我許己呂波。和須良由麻之目。
ほりえこえ。とほきさとまで。おくりける。きみがこころは。わすらゆまじも。
 
播磨の任に下るを、攝津の掘江を渡り越えて送れるなり。ワスラユマジは忘らるまじきにて、モは助辭(240)なり。齊明紀御歌に、倭須羅?麻自珥《ワスラユマジニ》と有り。 參考 ○和須良由麻之目(新)目は「自」の誤。
 
右一首播磨介藤原朝臣|執弓《トリユミ》赴v任悲v別也。主人大原今城傳讀云爾。
 參考 ○(新)左註悲別の下に歌の字を脱せり。
 
勝寶九歳六月二十三日於2大監物三形王之宅1宴歌一首。
 
此宴の日執弓が歌を主人の唱《トナヘ》しなり。
 
續紀勝寶元年四月無位三形王に從五位下を授くと見えしより、次次官位を經て、延暦三年三月罪有りて日向國に配せらる。
 參考 ○(新)ここの勝寶九歳の四字は削るべし。一首は二首。
 
4483 宇都里由久。時見其登爾。許己呂伊多久。牟可之能比等之。於毛保由流加母。
うつりゆく。ときみるごとに。こころいたく。むかしのひとし。おもほゆるかも。
 
此王の家の古人を、家持卿の慕ふ由有りて詠まれしならん。
 
右兵部大輔大伴宿禰家持作。
 參考 ○時見基登爾(新)見を相の誤としてトキアフゴトニと訓むべし。左註右兵部云云十二字削る。
 
4484 佐久波奈波。宇都呂布等伎安里。安之比奇乃。夜麻須我乃禰之。奈我久波安利家里。
さくはなは。うつろふときあり。あしびきの。やますがのねし。ながくはありけり。
 
色よき物はうつろひ、常磐なる物はうつろはぬを詠めり。
(241) 參考 ○夜麻須我乃禰之(新)禰は波の誤ならん、之はシと讀むべし。左註右一首は右二首とすべく、其下に兵部大輔の四字を補ふべし。
 
右一首大伴宿禰家持悲2怜物色(ノ)變化1作之也。
 
4485 時花。伊夜米豆良之母。加久之許曾。賣之安伎良米晩【晩ハ免ノ誤】。阿伎多都其等爾。
ときのはな。いやめづらしも。かくしこそ。めしあきらめめ。あきたつごとに。
 
秋の千ぐさを詠めり。メシアキラメメは、見て心をはるけめと言ふなり。前にも此詞多く出たり。晩、官本免と有るぞ善き。右の咲花はの歌にさかひて答へたるやうに詠まれたり。
 
右一首大伴宿禰家持作v之。
 
天平寶字元年十一月十八日於2内裏1肆宴歌三首。
 
勝寶九年八月十八日寶字と改めらる。紀に此宴を記るさず。
 
4486 天地乎。弖良須日月乃。極奈久。阿流倍伎母能乎。奈爾乎加於毛波牟。
あめつちを。てらすひつきの。きはみなく。あるべきものを。なにかおもはむ。
 
日月の如く御代御代の傳はれるを言ふ。奈爾の下、元暦本乎の字有り、然るべし。ナニヲカ思ハムは、何の物思ひをかせんと言ふなり。
 
右一首皇太子御歌。  廢帝なり。御諱は大炊王。舍人親王の第七の御子なり。
 
(242)4487 伊射子等毛。多波和射奈世曾。天地能。加多米之久爾曾。夜麻登之麻禰波。
いざこども。たはわざなせそ。あめつちの。かためしくにぞ。やまとしまねは。
 
子ドモは天の下の人を指す。タハワザは狂行《タハワザ》なり。ヤマトは大八洲をすべ言へり。契沖が言へる如く、勝寶八年橘奈良麻呂謀反の事などを思はれしにも有るべし。
 
右一首内相藤原朝臣奏之。
 
續紀、寶字元年五月大納言從二位藤原朝臣仲麻呂爲2紫微内相1と見ゆ。則ち惠美押勝なり。
 
十二月十八日於2大監物|三形《ミカタ》王之宅1宴歌三首
 
4488 三雪布流。布由波祁布能未。?乃。奈加牟春敝波。安須爾之安流良之。
みゆきふる。ふゆはけふのみ。うぐひすの。なかむはるべは。あすにしあるらし。
 
十九日立春に當りたるなり。次の歌に、春ヲ近ミカと言ひ、月夜など詠めれば、晦日には有らず。
 
右一首主人三形王。
 
4489 宇知奈婢久。波流乎知可美加。奴婆玉乃。己與比能都久欲。可須美多流良牟。
うちなびく。はるをちかみか。ぬばたまの。こよひのつくよ。かすみたるらむ。
 
右一首大藏大輔|甘南備伊香《カミナビノイカコノ》眞人。  續紀、天平十八年四月無位伊香王に從五位下を授くと見えしより次次官位を經て、勝寶五年從五位下甘南備眞人伊香爲2美作介1と見ゆ。
 
(243)4490 安良多末能。等之由伎我敝理。波流多多婆。末豆和我夜度爾。宇具比須波奈家。
あらたまの。としゆきがへり。はるたたば。まづわがやどに。うぐひすはなけ。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持。
 
4491 於保吉宇美能。美奈曾己布可久。於毛比都都。毛婢伎奈良之思。須我波良能佐刀。
おほきうみの。みなぞこふかく。おもひつつ。もひきならしし。すがはらのさと。
 
ミナゾコと言ふまでは深くと言はん序なり。裳曳馴せしにて、卷十一、赤裳すそ引、又は紅のすそ引道など詠めるに同じ。スガ原は、神名帳大和添下郡菅原神社、諸陵式菅原伏見西陵、(安康天皇、在2添下郡1。)と見ゆ。斯く人の心の移ろひ果てんとも知らで、菅原の里を行き通ひし事よと、女郎が別れて後歎く意か。又は宿奈麻呂の家菅原に在りて、其處に往み馴れし名殘を思ふにても有るべし。
 
右一首藤原宿奈麻呂朝臣之妻石川女郎薄愛離別。悲恨作歌也。年月末v詳。
 
二十三日於2治部少輔大原今城眞人之宅1宴歌一首
 
4492 都奇餘米婆。伊麻太冬奈里。之可須我爾。霞多奈婢久。波流多知奴等可。
つきよめば。いまだふゆなり。しかすがに。かすみたなびく。はるたちぬとか。
 
年内立春なり。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持作。
 
(244)二年春正月三日召2侍從豎子王臣等1。令v侍2於内裏之東屋垣下1。即賜2玉箒1肆宴。于v時内相藤原朝臣奉v勅宣2諸王卿等1。隨v堪任v意。作v歌并賦v詩、仍應2詔旨1。各陳2心緒1。作v歌賦v詩。(未v得2諸人之賦詩并作歌1也)
 
天平二年正月の紀に此宴の事見えざれども三日初子にて斯かる肆宴有りしなるべし。玉箒は、此歌にユラグ玉ノ緒と詠めるからは玉もて餝りたる事|著《しる》し。卷十六に、玉箒苅こ鎌まろと詠めるは、和名抄、地膚。一名地葵。爾波久佐。一云末木久佐。今ハハキ草と言ふ物にて、異なり。
 
4493 始春乃。波都禰乃家布能。多麻婆波伎。手爾等流可良爾。由良久多麻能乎。
はつはるの。はつねのけふの。たまばはき。てにとるからに。ゆらくたまのを。
 
ユラクは、古事記に奴那登母も由良爾振滌と有り。ヌは玉なり。那登母は其玉之音もなり。母由良は眞搖《マユラ》にて紀に??の字を當てたり。
 參考 ○由良久多麻能乎(新)「乎」は「等」の誤なり。
 
右一首右中辨大伴宿禰家持作。但依2大蔵(ノ)政1不v堪v奏之也。
 
辨官にて諸省の事に關《かか》りて、事多ければ、奏せられざりしなるべし。
 
4494 水鳥乃。可毛能羽能伊呂乃。青馬乎。家布美流比等波。可藝利奈之等伊布。
みづとりの。かものはのいろの。あをうまを。けふみるひとは。かぎりなしといふ。
 
(245)可毛の下一本能の字撫し。一二の句は青と言はん序なり。卷八、水鳥のかもの羽色の青山とも詠めり。カギリナシと言ふは、命の限り無きを言ふ。白馬の節會の事は左馬寮式云、凡正月七日青馬|籠※[王+鹿]《オモツラクツハ》云云、凡青馬二十匹。自2十一月一日1至2正月七日1二寮半分飼之(一足互飼)云去。さて極めて白き物には青色有る物なれば、青馬と言へども實は白馬なりと翁は言はれき。されど續紀神護景雲二年九月献2青馬白髪尾1と有るなどを思ふに、青を白き事とせば、殊更に白髪尾とは書くべからず。はた鴨の羽色と言へるも、青と言はん序とのみも聞えねば、青馬は今もアヲ馬と稱ふる物なるべし。大かた古書延喜式までも、白馬と書ける事無く皆青馬と書きたり。其上|唐書《からぶみ》禮記月令にも青馬と言へるをや。兼盛集に、降雪に色もかはらで引ものをたれあをうまと名づけそめけんと詠めるは、春白馬を見ると言ふ事の白虎通に有るに倣ひて、其頃は白馬を牽きけんと思はるるなり。
 
右一首爲2七日侍宴1。右中辨大伴宿禰家持預作2此歌1。但依2仁王會事1。却以2六日1於2内裏1召2諸王卿等1。賜v酒肆宴給v祿。因v斯不v奏也。
 
六日内庭假(ニ)植2樹木1以作2林帷1【帷ヲ惟ニ誤ル】而爲2肆宴1歌一首。  林帷とは樹を列《ツラ》ね植ゑて帷の代わりとするを言ふべし。和名抄、帷(加太比良)圍也。以2自障1圍也と見ゆ。
 參考 ○林帷は音讀すべし。
 
4495 打奈婢久。波流等毛之流久。宇具比須波。宇惠木之樹間乎。奈枳和多良奈牟。
(246)うちなびく。はるともしるく。うぐひすは。うゑきのこまを。なきわたらなむ。
 
春トモシルクは、春と著《しる》きばかりにの意なり。然か見ざれば末とかけ合はず。まふ(○うの誤、即ち設ウ)けて植ゑられたるなれば、植木と言ふ。コマは樹の間なり。
 
右一首右中辨大伴宿禰家持。  不v奏。
 
二月於2式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅1宴歌十首
 
二月の下其日を脱せり。清麻呂は神祇伯祭主中納言左大弁正四位上意美麻呂の子、東宮傅神祇伯右大臣正二位と見えて、式部大輔なりし事紀に見えず。
 
4496 宇良賣之久。伎美波母安流加。夜度乃烏梅能。知利須具流麻?。美之米受安利家流。
うらめしく。きみはもあるか。やどのうめの。ちりすぐるまで。みしめずありける。
 
君は恨めしくも有るかななり。君ハモのモは助辭。ミシメズは不v令v見なり。
 
右一首治部少輔大原今城眞人。
 
4497 美牟等伊波婆。伊奈等伊波米也。宇梅乃波奈。知利須具流麻弖。伎美我伎麻左奴。【左奴ヲ世波ニ誤ル】。
みむといはば。いなといはめや。うめのはな。ちりすぐるまで。きみがきまきぬ。
 
今城の歌に和ふるなり。伎麻左奴を今本伎麻世波と有るは誤なり。元暦本に據りて改む。上は梅を見んと言はば否とは言はじをの意なり。
 
(247)右一首主人中臣清麻呂朝臣。
 
4498 波之伎余之。家布能安路自波。伊蘇麻都能。都禰爾伊麻佐禰。伊麻母美流其等。
はしきよし。けふのあろじは。いそまつの。つねにいまさね。いまもみるごと。
 
アロジはアルジなり。左の歌に池の磯を詠みたれば、是れも池の汀の松に寄せて祝ふなり。イマサネはイマセなり。
 
右一首右中辨大伴宿禰家持。
 
4499 和我勢故之。可久志伎許散婆。安米都知乃。可未乎許比能美。奈我久等曾於毛布。
わがせこし。かくしきこさば。あめつちの。かみをこひのみ。ながくとぞおもふ。
 
右の常ニイマサネと言ふに和ふるなり。カクシキコサバは如是《カク》宣はばなり。ナガクトゾオモフは、命長かれと思ふなり。
 參考 ○和我勢故之(代、古)略に同じ(考)ワガセコガ。
 
右一首主人中臣清麻呂朝臣。
 
4500 宇梅能波奈。香乎加具波之美。等保家杼母。己許呂母之努爾。伎美乎之曾於毛布。
うめのはな。かをかぐはしみ。とほけども。こころもしぬに。きみをしぞおもふ。
 
トホケドモは、住處の遠けれどもとなり。主人《アルジ》を梅によそへたり。
 
(248)右一首治部大輔市原王。
 
天智天皇四世の孫、安貴王の子なり。
 
4501 夜知久佐能。波奈波宇都呂布。等伎波奈流。麻都能左要太乎。和禮波牟須婆奈。
やちくさの。はなはうつろふ。ときはなる。まつのさえだを。われはむすばな。
 
八千種の花は變《ウツ》ろへば、常磐なる松が枝を結ばんと言ひて、主人《アルジ》と變らぬ契りを爲さんと言ふ意を添へたり。卷二、磐白の濱松が枝を引結びまさきくあらば又かへりみむ。卷六、春草は後はかれやすしいはほなすときはにいませたふときわぎみ。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持。
 
4502 烏梅能波奈。左伎知流波流能。奈我伎比乎。美禮杼母安加奴。伊蘇爾母安流香母。
うめのはな。さきちるはるの。ながきひを。みれどもあかぬ。いそにもあるかも。
 
次の歌にも見ゆる如く、池の磯を詠みて、やがて主人を其磯に添へたり。
 
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人。
 
4503 伎美我伊敝能。伊氣乃之良奈美。伊蘇爾與世。之婆之婆美等母。安加無伎彌加毛。
きみがいへの。いけのしらなみ。いそによせ。しばしばみとも。あかむきみかも。
 
上は池の景色をやがてしばしばと言はん序とせり。ミトモは見ルトモなり。此カモのカの言は、カハの意にて、モは助辭なり。此下にも、千代にわすれむ吾大君かもと有ると同じ。古今集の序の、こひざら(249)めかもと言へるも是れなり。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持。
 
4504 宇流波之等。阿我毛布伎美波。伊也比家爾。伎末勢和我世古。多由流日奈之爾。
うるはしと。あがもふきみは。いやひけに。きませわがせこ。たゆるひなしに。
 
アガモフは吾思ふなり。ヒケニは日日にと言ふに同じ。拾穗本古を呂に作る。セロは兄等《セラ》なり。客人を指す。
 
右一首中臣清麻呂朝臣。
 
4505 伊蘇能宇良爾。都禰欲比伎須牟。乎之杼里能。乎之伎安我未波。伎美我末仁麻爾。
いそのうらに。つねよびきすむ。おしどりの。をしきわがみは。きみがまにまに。
 
是れも池の磯にて、ウラは裏なり。ツネヨビキスムは、常に喚び來栖むなり。鴛より惜シと言ひ下したり。愛《メ》でらるる己が身も、君が隨意《ママ》にと言へり。君は主人を指す。契沖云、常呼來すむは、友を誘ひて、清麻呂朝臣の許へ常に來り遊ぶに譬へたりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○都禰欲比伎須牟(新)「禰」は「麻」の誤ならん。
 
右一首治部少輔大原今城眞人。
 
依v興各思2高圓離宮處1作歌五首  是も右宴日に聖武天皇の高圓離宮に行幸し給ひし事を言ひ(250)出でて、各詠めるなり。離宮處と書けるは、離宮の在りし跡を言ふなり。三笠山の内に在りしなるべし。
 
4506 多加麻刀能。努乃宇倍能美也波。安禮爾家里。多多志々伎美【志々伎美ヲ志伎々美ニ誤ル】能。美與等保曾氣婆。
たかまとの。ぬのうへのみやは。あれにけり。たたししきみの。みよとほぞけば。
 
今本多多志伎々美能と有るは誤れり。一本を以て改めつ。既に次の歌にも同語有り。立た爲《シ》し君は聖武天皇を指し奉る。トホゾケバは遠|放《サカレ》ばなり。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持。
 
4507 多加麻刀能。乎能宇倍乃美也波。安禮奴等母。多多志志伎美能。美奈和須禮米也。
たかまとの。をのうへのみやは。あれぬとも。たたししきみの。みなわすれめや。
 
右の歌の和へなり。卷二、明日香川あすだに見むと思へやも吾大君の御名わすれせぬ。
 
右一首治部少輔今城眞人。  大原の姓を脱せり。
 
4508 多可麻刀能。努敝波布久受乃。須惠都比爾。知與爾和須禮牟。和我於保伎美加母。
たかまとの。ぬべはふくずの。すゑつひに。ちよにわすれむ。わがおほきみかも。
 
野方這《ノベハフ》なり。葛は長く這ふ物故に、末終ニと續けたり。此カモのカモ、カハの意にて、モは助辭なり。
 參考 ○知與爾和須禮牟(新)與爾和須良禮牟の誤か。
 
右一首主人中臣清麻呂朝臣。
 
(251)4509 波布久受能。多要受之努波牟。於保吉美乃。賣之思野邊爾波。之米由布倍之母。
はふくずの。たえずしぬばむ。おほきみの。めししのべには。しめゆふべしも。
 
召の歌の和へなり。メシタマフと多く詠めるは、見タマフと言ふ事なる事既に言へり。此賣之思も見給ひしを言ふなり。跡の絶えざらん爲に、標結ふべきとなり。末のモは助辭。
 
右一首右小弁大伴宿禰家持。
 
4510 於保吉美乃。都藝弖賣須良之。多加麻刀能。努敝美流其等爾。禰能未之奈加由。
おほきみの。つぎてめすらし。たかまとの。ぬべみるごとに。ねのみしなかゆ。
 
離宮の在りし時、天皇の常に繼ぎて見させ給ひし故に、其野を見る毎に泣かるるとなり。此良之の詞は集中一つの格にて、常言ふラシとは異なり。卷二卷十八にめし賜ふ良之と有り、考へ合すべし。是れを疑の詞としては一首解け難し。
 
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人。
 
屬2目(ヲ)山齋1作歌三首  卷三、妹としてふたり作りし吾山齋者木高く繁く成にけるかも、此歌を六帖にワガヤドハと有れば山齋をヤドと訓みつれど、此處はヤドと訓むべくも無し。宣長云、此處の山齋はシマと訓むべし。凡て庭の泉水築山を島と言ふは古言なり。島山とも詠めり。伊勢物語に、島好み給ふ君なりと言へるも、庭を好み給ふなり。但し三の卷なるは、ヤドとか、ヤマとか訓むべしと言へり。
 
(252)4511 乎之能須牟。伎美我許乃之麻。家布美禮婆。安之婢乃波奈毛。左伎爾家流可母。
をしのすむ。きみがこのしま。けふみれば。あしびのはなも。さきにけるかも。
 
シマは則ち庭なり。右に言へり。アシビ、既に出づ。
 
右一首大監物御方王。
 
4512 伊氣美豆爾。可氣左倍見要底。佐伎爾保布。安之婢乃波奈乎。蘇弖爾古伎禮奈。
いけみづに。かげさへみえて。さきにほふ。あしびのはなを。そでにこきれな。
 
コキレナは、こき入れんなり。
 
右一首右中井大伴宿禰家持。
 
4513 伊蘇可氣乃。美由流伊氣美豆。?流麻?爾。左家流安之婢乃。知良麻久乎思母。
いそかげの。みゆるいけみづ。てるまでに。さけるあしびの。ちらまくをしも。
 
磯陰のあしびの、池水に照るばかり移ろひて見ゆるが散るべきを惜むなり。
 
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人。
 
二月十日於2内相宅1餞2渤海大使小【小ヲ少ニ誤ル】野田守朝臣等1宴歌一首  續紀神龜四年十二月丁亥渤海國郡王使高齊コ等八人入京。丙申遣v使賜2高齊コ等(ニ)衣服冠履1。渤海郡者舊高麗國也云云。遣渤海使の事、寶字二年の紀に載せず。然れども寶字二年九月丁亥小野朝臣田守等至v自2渤海1。大使輔(253)國大將軍兼將軍行木底州刺史兼兵署尠正開國公楊承慶已下廿三人。隨2田守1來朝。便於2越前國1安置。十二戊申遣渤海使小野朝臣田守等奏2唐國消息1曰云云。と見ゆれば、始め遣渤海使の事紀に漏れたる事|著《シル》し。
 
4514 阿乎宇奈波良。加是奈美奈妣伎。由久左久佐。都都牟許等奈久。布禰波波夜家無。
あをうなばら。かぜなみなびき。ゆくさくさ。つつむことなく。ふねははやけむ。
 
風浪ナビキは、神功紀大風順吹。帆舶隨。不v勞2櫨楫《カイカジヲ》1と有る如く、波も風に從ひ靡くなりと、翁は言はれき。宣長云、ナビクは起《タツ》の反《ウラ》なれば、風も波も立たぬ事なりと言へり。ツツム事ナクは無v恙にて、煩ひ無きをもとにて、總て滯る事無きを言へり。唐《カラ》歌にも布帆無v恙と言へり。卷九、わたつみのいづれの神をいははばか行さも來さも舟のはやけむ。卷十九、住のえにいつくはふりが神言と行とも來とも舟は早けむ。
 
右一首右中弁大伴宿禰家持。末v誦v之。
 
七月五日於2治部少輔大原今城眞人宅1餞2因幡守大伴宿禰家持1宴歌一首
 
續紀六月丙辰從五位下大伴宿禰家持爲2因幡守1と見ゆ。
 
4515 秋風乃。須惠布伎奈婢久。波疑能花。登毛爾加※[身+矢]左受。安比加和可禮牟。
あきかぜの。すゑふきなびく。はぎのはな。ともにかざさず。あひかわかれむ。
 
(254)此處の靡くはナビカスを約めて言へるなり。然らざれば秋風乃と言ふ乃の言にかけ合はず。アヒカワカレムは相別れむ歟なり。
 
右一首大伴宿禰家持作v之。
 
三年春正月一日於2因幡國廳1賜2饗(ヲ)國郡司等1之宴歌一首
 
儀制令云。凡元日國司皆率2僚屬郡司等1。(謂僚者同官也、屬者統屬也)向v廳朝拜訖。長官受v賀。(中略)設v宴者聽2其食1。以2當處官物及正倉1充云云と有り。
 
4516 新。年乃始乃。波都波流能。家布敷流由伎能。伊夜之家餘其騰。
あたらしき。としのはじめの。はつはるの。けふふるゆきの。いやしけよごと。
 
イヤシケは彌重重なり。ヨゴトは天智紀十年春正月己亥朔庚子。大錦上蘇我赤兄臣與2大錦下巨勢人臣1。進2於殿前1奏2賀正事《ヨゴト》1なども見ゆ。古へ吉言と吉事と二つ有る中《ウチ》に、此處は吉事なり。卷十七に、新しき年のはじめにとよのとししるすとならし雪のふれるは、とも詠みて、年の始めに雪降るを善き事とすれば、先づ雪を言ひて、さて其雪の如く吉事もいや重重に有れかしと祝へるなり。
 
右一首守大伴宿禰家持作v之。
 
萬葉集卷第二十 終  〔2012年5月26日(土)午前10時45分、入力終了〕
 
萬葉第一奧書〔入力者注。以下の奧書類の本文は省略。創元社『新校萬葉集』などにある。私設万葉文庫の童蒙抄にもあるが本文に小異あり。注記のみ摘記。追記、『新校萬葉集』のは印刷不鮮明の部分がかなりある。岩波の契沖全集のが鮮明でよい。私設万葉文庫でも何年先かわからないが契沖のは収録する予定。〕
【○藤原卿ハ鎌倉四代頼經ニテ後京極攝政良經(ノ)孫光明峰寺攝政道家ノ四男ナリ】
寛元元年《後嵯峨》
【○親行ト云ヘル名ノ人アマタアレバイヅレカ知ラレズ】
【○松殿ハ攝政關白太政大臣基房ニテ知足因攝政忠實ノ孫、法性寺攝政忠通ノ二男ナリ】
【○光明峯寺殿ハ攝政關白太政大臣兼實ノ孫、道家ノ子ナリ】
【○尚書禅門眞觀ハ六條大納言光頼ヨリ四世中納言光親ノ子、右大弁右衛門佐正四位下光俊出家シテ眞觀ト云ヘリ ○基長ハ中納言正二位堀河右大臣頼宗ノ孫内大臣能有ノ子ナリ】
【○重家ハ清輔(ノ)弟】
【○清輔ハ修理大夫顯季ノ孫、左京大夫顯輔ノ子】
【○忠定卿未v詳、或中山忠親ノ孫、大納言兼宗ノ男ト云ヘリ可v考】
【○左京兆ハ未ダ考ヘズ】
 
卷第三奧書【(此第三の卷までを、古萬葉と思ひ誤りて、ここに家持卿の傳を書きしは、仙覺律師が所爲なるべし。此卷はまたく家持卿の家集なるべき由、師は言はれき。)】
(續紀和銅四年四月授2從四位下1靈龜元年五月爲2中務卿1と見ゆ。安萬呂は、難波朝大右大臣長コ卿の子なり。)
(契沖云、養老二年三月戊戌車駕從2美濃1至。乙巳大伴旅人爲2中納言1。然れば三月朔日の支干を記せざれば、乙巳幾日に當る事知り難けれども、戊戌より八日に當れり。三日と書けるは違へり。)
(紀に據るに、七日は誤にて十三日なり。且四年三月以2中納言正四位下大伴旅人1爲2征隼人持節大將軍1と有り。)
(紀に據るに五日なり。又紀賜2帶刀資人四人1と有り。)
(紀に神龜元年三月甲午大伴宿禰多比等正三位を授くと有りて、同七月此卿の事見え、天平三年正月丙子從二位を授くる由は、見えたれども、其間天平二年太宰帥に任じ歸京して大納言に任じたる事を、紀に洩らせるは、今本の脱文なるべし。此處に帥に任ぜられし事を載せざれば、仙覺が見し紀にも脱せしなるべし。)
(紀に據るに正月廿七日なり。二位の上從をだつせり。)
(大納言贈從二位安麻呂之孫大納言從二位旅人男。)
(七年の上十の字を脱せり。十六年までは内舍人なり。)
(紀に據るに、此時兵部大輔は誤にて宮内少輔なり。又紀に六月爲2越中守1、勝寶元年四月朔從五位上、六年四月庚午爲2兵部少輔1、十一月爲2山陰道巡察使1寶字元年六月爲2兵部大輔1と有り。又此集卷十九に勝寶三年七月少納言に任ぜし事見ゆるを紀には漏らせり。)
(紀に六年正月庚辰朔戊子爲2信部大輔1、信部省は中務省なり。)
(民部大輔に任ぜし事は紀に見えず、此時民部と言ふ官名無し。信部の誤ならん。)
(紀に載せず。)
(紀寶龜元年なり、景雲に非ず。)
(紀に式部員外大輔)
(紀に爲2兼上總守1)
(紀に八月丁亥朔甲午正四位上大伴宿禰家持左大弁兼2春宮大夫1、先v是連2母憂1解任至v是復焉と有り。甲午は八日なり。)
(紀に氷上眞人川繼が謀反に黨するを以て、官位を除かる。又紀に按察使鎭守將軍と有り。)
(紀に死と有り。紀を按ずるに、死後大伴繼人竹良等、種繼を殺せし事發覺、下獄案驗するに事家持等に連る、是れによりて追て除名其息永主等竝流す由有れば、此處に薨と有るは誤なり。さて類聚國史延暦廿五年、勅に延暦四年配流の輩存亡を論ぜず、本位に復す。大伴宿禰家持從三位云云と見ゆ。)
(慶雲は四年のみなるを五年と有るは如何が。度者三十人を賜ふ事は養老四年なり。此一行誤れり。)
(續紀此年三月丙午爲2右大臣1と見ゆ。月日誤れり。)
(懷風藻に六十三と註せり。)
(養老四年十月壬寅此事あり。)
 
卷第二十奧書
【○宇治殿ハ法成寺道長ノ子、攝政關白太政大臣准三后頼通ナリ】
【○法性寺殿、關白内大臣師通ノ孫、攝政關白太政大臣准三后忠實ノ子攝政關白太政大臣忠通ナリ】
【○盛ハ成ノ誤ナリ】
【○源順は左京大夫致ノ孫左馬頭擧ノ子、從五位上能登守】
【○法成寺殿ハ右大臣師輔ノ孫、攝政關白太政大臣兼家ノ子道長ナリ】
【○家經朝臣ハ太宰大貳有國ノ孫参議廣業ノ子】
【○中務卿親王ハ後嵯峨院第一皇子宗尊親王ナリ】
 
或本右以宇治殿御本通俊本校畢者ノ末ノ異同ココニ記ス。
於是。正二位前大納言征夷大將軍家治。自2覺元元年初秋之比1。仰2付源李部親行朝臣1。治2定萬葉集一本1。爲v令v書本。以2三箇本1。比2?親行本1了。同四年正月。仙覺又請2取親行朝臣本。竝三箇本1。重校合了。是則一人?勘。依2見漏事1也。三箇飜者。松殿入道殿下御本。藁穗包紙。紫表紙。黒木軸。彼御本。不慮之外。備後三善康持被v給云去。鎌倉右大臣家本。厚樣表帋。赤木軸具尾。烏丸月輸入道殿下御本。(青羅表紙草子十帖〕一帖複二卷。又以2擇然上人本1?了。再依2自本1直2損字書入落字1了。寛元四年十二月廿二日。於2相州鎌倉比企谷新釋迦堂僧坊1。治2定本書1寫了。同五年二月十日?點了。又重?了。抑萬葉集和字出來之後者。漢字歌一首書了。又更書2假名歌1事常習也。是者不v知2漢字1男女等爲v令2見安1歟。然而令v?2清往昔之本1故。一向以2漢字書1書寫了。而後漢字傍點2付其和1耳也。又有2多コ1故也。其コ者。一者料紙減2三分一1。書寫惟安。二者和漢相竝。見合無v煩。和漢別v時者。短歌猶以2勘合1有v煩。何況於2長歌1乎。三者和若漢※[言+比]謬無v隱。四者跡漢一所疾畢2字聲1。五者來付2假名1歌。有v置2和之所1v本。雖3以有2其理1。徒然闕v行無v用之。一向漢字書之時者。有vコ無v難者也。依2如v此等道理1。於2漢字1。右付2假名1了。他本和有v難歌之時。以v墨又字左點云云。其和之間云d言辭之道理不2符合之所u者。字左以v朱愚點了。又於2古點1者。不v及v付符。於2順朝臣之後人1。和字者合點爲v符。次長歌以v朱着v星。於2旋頭歌1上以v墨着v星。爲2其符1矣。是偏將來稽古之人。爲v令勘2易之1也。
                       權律師仙覺生年四十五書寫本云。
 
此歌、くもらじよたままつがえをふくかぜによろづはわけのつきのひかりは、と訓ましめんとなるべし。佐佐良は假名書なるを、つきと訓まん由無し。又月をささらえをとことは訓めれど、ささらとのみ言へる事無し。ささらは小さき意にてささらとのみにて月の事となるには有らず。さる事もわいだめずして書けるものなり。
 
右書寫本云應長元年云云と言へる奧書より此成俊が奧書まで契沖が?せる官本と言へる物には無し。
 
此萬葉集略解すべて三十巻、寛政三年二月十日より筆を起して、同八年八月十七日に稿成れり。さてあまたたび考へ正して、同十二年正月十日までに、みづから書き畢りぬ。
                       橘千蔭
 
〔附記。この「日大本古典全集本」の「萬葉集略解」の中、卷第二十に我我の添へたる參考に就きて一言し置くべき事あり。そは井上先生の「萬葉集新考」二十の卷の原稿は、我我がこの「萬葉集略解」の校訂を終る時に未だ完了に及ばず。四分の一程は清書を了し給ひて余が手許に有れど、其餘は草稿のみにて目下再治中に屬す。されば特に其草稿より大略の書き拔を先生に乞ひて之を加へたり。他の卷に比べて聊か其趣の異なれるも之が爲めなり。此由をここに一言し、併せて先生の勞を謝しまつるになん。編者の一人正宗敦夫記〕   〔2012年5月29日(火)午前10時40分、一応全巻終了、2012年6月28日(木)午後1時35分、別本によって未入力の部分を補い、全巻終了した。校正必須だがいつできるか未定。2013年5月24日(金)午後5時5分、校正終了。〕