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萬葉集略解、与謝野寛他編、日本古典全集本
 
(1)萬葉集 卷第一
 
雜歌 行幸王臣の遊宴、其ほかくさぐさの歌を載せたれは斯くいふ。
 
泊瀬朝倉《ハツセアサクラノ》宮(ニ)御宇天皇代 大泊瀬稚武《オホハツセワカタケノ》天皇後に雄略と申す〔七字□で囲む〕ここに御名を書けるは後人の註なるを、今本文の如く書けるは誤なり。既に古本には小字なれば、かかる事はすべて小字にせり。下これに准ふべし。
 
天皇御製歌
 
1 籠毛與。美籠母乳。布久思毛與。美夫君志持。此岳爾。菜採須兒。家吉閑。【吉閑ハ告閇ノ誤】名告沙根。處見津。山跡乃國者。押奈戸手。吾許曾居師。告名倍手。吾己曾座。我許【許ノ下曾ヲ脱ス】者。背齒 告目。家乎毛奈雄毛。
かたまもよ。みかたまもち。ふぐしもよ。みぶぐしもち。このをかに。なつますこ。いへのらへ。なのらさね。そそらみつ。やまとのくには。おしなべて。われこそをらし。のりなべて。われこそをれ。われこそは。せとしのらめ。いへをもなをも。
籠を神代紀カタマと訓めり。毛は助辭、與は呼出す詞、古事記、阿波母與、めにしあれば、顯宗紀、おきめ暮與、淡海の置目、などある類なり。美カタマの美は、眞と同じく褒むる辭、集中み熊野、眞くまの、推古紀、まそがよ、蘇我の子ら、古事記、美延しぬの、延しぬなどある類なり。布久思は保留の約布にて、(2)ほる串と言ふなるべし。倭名鈔に?土具也、加奈布久之と有る類と見ゆ。美ブグシの美は、右に同じ。ミのことより續け唱ふる時は、ブを濁るべき例なれば、濁音の夫の字を用ふ。此ノ岡ニ菜採須兒とは、天皇いづこの岡にもあれ、菜を摘む少女を見給ひて詠み給へるなり。卷十七長歌をとめらがわかな都麻須等云云と有るに同じく、然訓むべし。ツマスはツムを延べたる詞なり。卷七小田|刈爲子《カラスコ》、卷十長歌|伊渡爲兒《イワタラスコ》など詠めるも、同じ例なる由、本居宣長早く言へり。今本ナツムスコと訓めるより、舊説須は志豆の約にて賤兒とせしは誤なり。卷十山田守酢兒も、モラスコと訓むべき事猶其所に言ふべし。吉閑、一本告閑と有り、閑は閇の誤にて告閇とす。家ノラヘは住所を申せなり。告を古ノルと言へり、乃禮を延べて乃良閇と言ふなり。名ノラサネは名を告げよなり。ノラサネを約れば乃禮となりて、名のれと言ふに同じ。ソラミツは枕辭。饒速日《ニギハヤヒノ》命大空をかけりて、空より見て降り給へるより、やまとの枕辭とせり。ヤマトは今の大和一國の事にて、大八洲をヤマトと言ふ事、此御時の頃にはいまだ無かりしなり。我コソヲラシは、天皇大和に都して、天の下知しめすによりて、斯くのたまひて天下知らする事となれり。告ナベテはみことのり敷きならべてと言ふなり。今本吾許の下曾の字を脱せり。セトシノラメは、セは夫なり。齒はトシの借字にて、シは助辭なり。又背の下登の字脱ちたるか、さらばセトハと訓むべしと翁は言はれき。されどヲラシの詞ここに協はず。ノリナベテの詞も穩ならず。宣長説に、居師と師の字を上句へつけて訓めるは誤なり。師の下の告の字は、吉の字の誤りなるべし。さて師を下へ付けてワレコソヲレ、シキナベテ、ワレコ(3)ソマセ、と訓むべし。シキは太敷座、又シキマス國などいへるシキなり。我許者はワヲコソと訓むべし。者の字は曾を誤れるならむと有り、是然るべく覺ゆ。御歌の意は、籠ふぐしを持ちて菜を摘む女が家をも名をも告げよ。天の下はおしなべてわがしろしめせば、われをこそ夫とも思ひて名のらめとのたまふなり。古の女、夫とすべき人にあらでは、家も名も顯はさぬ由は、集中に多く見えたり。
 參考 ○籠(代)カタミ(考)カタマ(古、新)コ○布久思云々(古)フクシモヨ、ミフクシモチ○家吉閑(代〕イヘキケ(古)「家告勢」イヘノラセ(新)イヘキカナ○吾許曾云云(代)ワレコソヲラシ、告ナベテ(古)アレコソヲレ「師吉」シキナベテ○吾己曾座(古)アレコソマセ○我許者云云(古)我乎許曾背跡齒告目アヲコソ、セトハノラメ(新)「者」を衍として、ワレコソハノラメと一句とす。
 
高知崗本《タケチヲカモトノ》宮御宇天皇代 息長足日廣額《オキナガタラシヒヒロヌカ》天皇後に舒明と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇登2香具《カグ》山1望v國之時御製歌
 
かぐ山は大和國十市郡、國見は神武天皇|?間《ホホマ》の岳に國見し給ひしを始めて、古の天皇せさせ給ひしなり。
 
2 山常庭。村山有等。取與呂布。天乃香具山。騰立。國見乎爲者。國原波。煙立籠。海原波。加萬目立多都。※[?+可]怜【※[?+可]怜ヲ今怜※[?+可]ニ誤ル】國曾。蜻島。八間跡能國者。
やまとには。むらやまあれど。とりよろふ。あめのかぐやま。のぼりたち。くにみをすれば。くにばらは。けむりたちこめ。うなばらは。かまめたちたつ。うましくにぞ。あきつしま。やまとのくには。
(4)ムラ山は、大和國は四方に群りて山あればなり。トリヨロフは、取は詞、ヨロフは山の形の足り整へるを褒め給ふなり。天ノカグ山は、古事記の歌に、比佐加多能阿|米《メ》能迦具夜麻とあれば、アメノカグヤマと訓むべし。國バラは、廣く平けき所をすべてハラと言ふ。煙立コメは、人家の煙、又は霞にても、遠く見及ぼし給ふさまなり。海原は香山の麓|埴安《ハニヤス》の池いと廣く見ゆるを、海原と詠み給へるなり。卷三獵路池にて人麻呂、大君は神にしませばま木の立つ荒山中に海をなすかも、同卷香山の歌に、池波騷ぎ沖邊には?よばひとも詠めり。カマメは、倭名鈔唐韻云、?和名加毛米。タチタツは、かの鳥の群れて飛立ち遊ぶさまなり。ウマシ國ゾは、神代紀に可怜小汀をウマシヲバマと訓めるに據る。ウマシはほむる詞なり。蜻島ヤマトノ國とは、神武紀、天皇ほほまの丘に登りまして、大和の國形を見やり給ひて、蜻蛉《アキツ》の臀|?《ナメ》せる如しとのたまひしより大和の國の一の名と成りたり。御歌の心は明らけし。
 參考 ○煙立籠(古、新)ケブリタチ「龍」タツ。
 
天皇遊2獵|内野《ウチノ》1之時|中皇命《ナカノミコノミコト》使d2間人連老《ハシウトノムラジオユ》1獻u歌
 
天皇右に同じ。内野は大和國字智郡。中皇女は舒明天皇の皇女。後孝コ天皇の后に立ち給ひ、間人皇后と申せしなり。中皇の下、女の字を脱せるか。歌の字の上御の字有るべし。間人連老は、孝コ紀中臣間人連老と見えて、即ち中皇女の御乳母方と見ゆ。目録に歌の字の下、并短歌の三字有り。ここには脱せり。
 
3 八隅知之。我大王乃。朝庭。取憮賜。夕庭。伊縁立之。御執乃。梓弓之。奈加弭乃。音爲奈利。朝獵爾。今立須良思。暮獵爾。今他田渚良之。御執。梓弓之。奈加弭乃。音爲奈里。
(5)やすみしし。わがおほきみの。あしたには。とりなでたまひ。ゆふべには。いよせたててし。みとらしの。あづさのゆみの。なかはずの。おとすなり。あさかりに。いまたたすらし。ゆふがりに。いまたたすらし。みとらしの。あづさのゆみの。なかはずの。おとすなり。
 
ヤスミシシ枕詞。アシタ庭夕べ庭の庭は、借れるにてことばなり。トリナデタマヒは神武天皇天つしるしとし給ひしも只弓矢なり。是を以て天下を治め知ります故に、古の天皇是を貴み愛で給へり。イヨセタテテシのイは發語にて意無し。よせ立てしめ給ふなり。ミトラシは御執らしめの意。且つ弓は色色の木もて造れど延喜式にも御弓は梓なるよし有り、古よりしか有りしならむ。ナカ弭解き難し。卷十四、梓弓末に玉まきなども詠めれば、弓射るに、殊更に弦の弭にあたりて鳴るべくせるを、鳴弭《ナリハズ》と言ひしか。さらば加は利の字の誤りならむ。朝ガリニ今立スラシ云云、タタスは立たしめ給ふを約めて尊む詞なり。卷六、朝狩にししふみ起、夕狩に鳥ふみたて、馬並て、御狩ぞたたす、春のしげ野にとも詠めり。み歌の心は明らけし。
 參考 ○伊縁立之(考)イヨセタタシシ(古、新)イヨリタタシシ○奈加弭(代)ナガハズ(考)ナ「留」ルハズ、(古、薪)ナ「利」リハズ。
 
反歌
 
(6)これは長歌の意を約めても、或るは長歌に殘れる事をも、短歌に打返し詠む故にカヘシ歌と言ふ。長歌に短歌を添ふるは古事記にも此集にも、いと上つ代には見えずして、ここに有るは、此しばし前つ頃よりや始まりつらむ。
 
4 玉刻春。内乃大野爾。馬數而。朝布麻須等六。其草深野。
たまきはる。うちのおほぬに。うまなめて。あさふますらむ。そのくさふけぬ。
 
玉キハル枕詞。野を古すべて奴《ヌ》と言へり。假字書には奴と多くあればなり。馬ナメテは、馬を並べてなり。朝フマスラムは、右に引ける卷六に、朝狩にししふみ起、夕狩に鳥ふみたて、馬なめて、云云と言へるに同じ。草フケヌは、深きを約轉して下へ續くる時、夜ノフケ行と言ひ、田の泥深きをフケ田と言ふが如く草深き野なり。心は明らけし。
 參考 ○深野(考〕フケノ(古、新)フカヌ。
 
幸2讃岐國|安益《アヤノ》郡1之時軍王見v山作歌
 
舒明紀十一年十二月伊豫の湯宮へ幸《イデマ》して、明年四月還りませしと見ゆ。此春ついでに讃岐へも幸《ミユキ》有りしなるべし。軍王は考ふるもの無し。
 
5 霞立。長春日乃。晩家流。和豆肝之良受。村肝乃。心乎痛。奴要子鳥。卜歎居者。珠手次。懸乃宜久。遠神。吾大王乃。行幸能。山越風乃。獨座。吾衣手爾。朝夕爾。還比奴禮婆。丈夫登。念有我母。草枕。客爾之有者。思遣。鶴寸乎白土。綱能浦之。海處女等之。燒鹽乃。念曾所燒。吾下心。
かすみたつ。ながきはるびの。くれにける。わづきもしらず。むらきもの。こころをいたみ。ぬえこどり。(7)うらなけをれば。たまだすき。かけのよろしく。とほつかみ。わがおほきみの。いでましの。やまごしのかぜの。ひとりをる。わがころもでに。あさよひに。かへらひぬれば。ますらをと。おもへるわれも。くさまくら。たびにしあれば。おもひやる。たづきをしらに。つののうらの。あまをとめらが。やくしほの。おもひぞやくる。わがしたごころ。
 
ワヅキモは分ち著《ツキ》も不v知なり。手著《タツキ》と言ふに似て少し異なり。ムラキモノ枕詞。心ヲ痛ミは、痛くしての意なりと東萬呂翁言へり。ヌエコ鳥云云、?が鳴音は恨み鳴くが如きよし冠辭考に出づ。ウラナケは裏歎にて、人の下に歎くなり。卷十七にぬえどりの宇良奈|氣《ケ》之都追とあり。玉ダスキ枕詞。カケノヨロシクは、卷十、子らが名にかけのよろしき朝妻の云云と詠みて、言に懸けて言ふも宜しきと言ふ意にて、下のカヘラヒと言ふ詞へ懸かるなり。遠ツ神ワガ大君は、人倫に遠きを崇め言ふなり。山ゴシノ風とは、此幸せし山を吹き越す風を云ふ。衣手は袖なり。衣を古語ソといへり。されば衣の手にて、袖と同じ語なり。還ラヒヌレバは山風の常に吹き通ふを言ふ。卷十一、吾衣手に秋風の吹返者《フキカヘラヘバ》立ちてゐるたどきをしらにと詠めるも(8)同じ。今は家に歸らまほしく思ひをる程に、風の吹きかへらば、かけのよろしくとは言へるなり。マスラヲは益荒男にて男男しきを言ふ。丈を大に作るは誤れり。下同じ。クサマクラ枕詞。オモヒヤルは、己がもの思ひをほかへ遣り失ふを言ひて、後世想像するを言ふとは異なり。鶴寸は借字にて手著なり。便りも知らずと言ふに同じ。白土は借字にて不v知ニと言ふなり。卷十三、心乎|胡粉《シラニ》と書けり。卷十七に、見れど安可爾《アカニ》けむと訓めるは不v飽ことなり、是らを以て知るべし。ツノノ浦、神祇式に讃岐國綱|丁《∃ボロ》、和名抄同國鵜足郡に津野郷有り、そこの浦なるべし。綱をツノと言ふは古語なり。アミノウラと訓むは誤なり。アマヲトメラガヤク鹽ノは、燒鹽の如くと言ふ言を省けり。思ヒゾヤクルは、卷五、心はもえぬと言ふに同じ。ここは燒鹽ノと言ふより續ければ、ヤクルと言ふべし。下情をシヅココロとも訓むべし。しづ枝、しづ鞍など言ふが如し。
 參考 ○和豆肝之良受(古〕和は手の誤にてタツキモ、又、豆を衍としてワキモシラズ(新)ワキモシラズ○卜嘆居者(新)ウラナキヲレバ○山越風乃(新)ヤマコスカゼノ○綱能浦之(考)「綱」ツナノウラノ(古)同(古)一説「綾」アヤノウラノ。
 
反歌
 
6 山越乃。風乎時自見。寢夜不落。家在妹乎。懸而小竹櫃。
やまごしの。かぜをときじみ。ぬるよおちず。いへなるいもを。かけてしぬびつ。
 
(9)時ジクを紀にも集中にも非時と書きて、時ならずと言ふ意なり。ヌルヨオチズは、一夜も漏れずなり。集中隈もおちずなど言へるオチズに同じ。家ナル妹は、都の家に在る妹なり。カケテシヌビツは、吾をる所より遠く妹が家をかけて慕ふと言ふなり。シヌブは慕ふの意なり。
 
右?2日本書紀1【紀今記ニ誤】無v幸2於讃岐國1亦軍王未v詳也、但山上憶良大夫類聚歌林曰、紀曰天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸2于伊豫温湯宮1云云。一書云、(伊與風土記也)。是時宮前在2二樹木1此之二樹班鳩此米二鳥【鳥ヲ烏ニ誤】大集。時勅多掛2稻穗1而養v之、乃【乃元仍ニ作ル】作歌云々、若疑從2此便1幸v之歟。風土記鵤比米と有り。
明日香川原《アスカカハラノ》宮御宇天皇代 天豐財重日足姫《アメトヨタカライカシヒタラシヒメノ》天皇 後に齊明と申す〔七字□で囲む〕
 
此天皇再の即位は、飛鳥|板葺《イタブキ》宮にてなし給へり。其年冬其宮燒けしかば、同飛鳥の川原宮へ俄に遷り給ひ、明年冬また岡本に宮造して遷りましぬ。されば川原宮には暫くおはしましたり。
 
額田《ヌカタノ》王歌 未詳
 
未詳二字後人の書加へしなり。額田王の事、考の別記に委しかれど、猶考ふるに、額田王は鏡王の女にて鏡女王の妹なるべし。初め天智天皇に召されたる事卷四思2近江天皇1と言へる歌有るにて知るべし。さて天武天皇は太子におはしませし御時より、此額田王に御心をかけ給ひし事、次下の紫草の匂へる妹を云云の御歌にて知らる。天智天皇崩れ給ひし後、天武天皇に召されて、十市皇女を生み給へり。此集女王に(10)皆某女王と書ける例なれば、額田王も女王と有るべく思はるれど、古へ男王女王ともに某王と言へれば、額田王はもとより古きものに書けるままにてしか記せりと見ゆ。強ひて女の字を加ふべからず。鏡女王を女王と書けるは父鏡王とまがふ故にしか書けるならむよしは、宣長も論らへり。 
7 金野乃。美草《・をばな》苅葺。屋杼禮里之。兎道乃宮子能。借五百磯【磯今※[火+幾]ニ誤】所念。
あきののの。みくさかりふき。やどれりし。うぢのみやこの。かりほしおもほゆ。
 
ミクサは眞草と同じ。ここは秋の百草を言ふ。宣長云、美草はヲバナと訓むべし。貞觀儀式大嘗祭條に、次黒酒十缶云云以2美草1飾v之。また次食代十輿云云飾以2美草1と見えて、延喜式にも同じく見ゆ。然れば必一種の草の名なり。右はススキを美草と書きならへるなるべしと言へり。元暦本にヲバナと訓めるも協へり。卷八に草花と書きてヲバナと訓めり。ウヂノ都は幸の時、山城の宇治に造られたる行宮を言ふ。カリホシ云云は、五百は訓をかり、磯《シ》は助辭、※[火+幾]に作るは誤なり。行宮をカリ廬と云ふは、下にも類有り。カリホはカリイホを約め言へり。所念と書けるは凡てオモホユと訓む例なり。御歌の心は、秋野の草を刈り葺きたる假宮に宿れりしを、面白く覺えて後までも忘れ難しとなり。卷八、はたすすき尾花さかぶき黒木もて造れる家は萬代までも、卷十、秋の野のをばなかりそへ秋萩の花を苅らさね君が借廬にとも詠めり。
 參考 〇借五百云云(古、新)カリイホシオモホユ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。一書【書ノ下一本曰ノ字アリ】戊申年幸2比良宮1大御歌。但紀曰。五年春(11)正月己卯朔辛巳。天皇至v自2紀温湯1三月戊【今戊ヲ戌ニ作ル。辰ノ下日ノ字有ルハ誤ナリ。紀ニ日字旡ニヨル】寅朔天皇幸2吉野宮1而肆宴焉。庚辰天皇幸2近江之平浦1
 
飛鳥川原宮におはせしは、齊明天皇重祚元年乙卯の多より、二年丙辰の冬までにて、此御時戊申の年無し。是は誤れり。又五年は後崗本宮におはしませば、川原宮にかなはず。ことに三月なれば、ここに秋野と有るに背けり。歌に秋野と有るを思へば、紀に三月の幸とあるは誤りにて、かの川原宮の二年の秋に幸有りつらむと覺ゆ。紀に誤れる事少なからねば、此集に據るべきよし、考の別記に委し。
 
後(ノ)崗本《ヲカモトノ》宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇位後即位後崗本宮
 
右同じ天皇重ねて即位ましまして、本の舒明天皇の崗本の宮の地に、宮造りして遷りませし故に、後崗本宮と申す。註の位後以下、後人の筆なる上、誤りあるべし。
 
額田王歌
 
8 熟【今熟ヲ※[執/火]ニ誤】田津爾。船乘世武登。月待者。潮毛可奈比沼。今者許藝乞菜。
にぎたづに。ふなのりせむと。つきまてば。しほもかなひぬ。いまはこぎこな。
 
齊明紀伊豫國云云、熟田津此云2爾枳陀豆1と有り。月マテバ潮モカナヒヌは、月も出で潮も滿ちぬとなり。或人乞は弖の誤にて、漕ギテナならむと言へり。コギテナは漕ぎてむと言ふに同じ。是は外蕃の亂をしづめ給はむとて、七年正月筑紫へ幸のついでに、此湯宮に御船泊り給へる事紀に見ゆれば、其時額田女王も(12)御供にて、此歌は詠み給ひしなるべし。さてそこより筑紫へ向ひ給ふ御船出の時、月を待ち給ひしならむ。
 參考 ○許藝乞菜(考)コギコソナ(古)コギ「弖」テナ(新)コギイデナ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。飛鳥崗本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午。天皇大后幸2于豫湯宮1。後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅御船西【今西ヲ而ニ※[孰/火]ヲ※[執/火]ニ誤】征始就2于海路1庚戌御船泊2于伊豫熟田津石湯行宮1天皇御2覽昔日猶存之物1當時忽起2感愛之情1所以因製2歌詠1爲2之哀傷1也。即此歌者天皇御製焉。但額田王歌者別有2四首1
 
舒明紀に九年此幸無くて、十年十月に有り。伊豫風土記に崗本天皇并皇后二?爲2一度1と有るをここには言ふか。然れどもここは、後崗本宮と標せれば時代異なり。天皇御覽以下四十八字は又註にて、是は歌の意を心得ぬ者の書けるにて誤れり。別有2四首1と言ふも、實にさる事あらば、何の書とも、何の歌とも言ふべきを、何の事とも無きはいといぶかしき由、考の別紀に言はれき。すべて類聚歌林は、はやく憶良の名を假りて僞り作れる物と見えて、うけがたき事多し。猶彼の別記を見て知るべし。
 
幸2于紀温泉1之時額田王作歌
 
齊明紀四年十月批幸有。
 
9 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本
 
此歌荷田東萬呂翁、キノクニノヤマコエテユケワガセコガイタタセリケムイヅカシガモトと訓めり。其(13)故は、古本莫囂國隣之と有り。古葉略要集には、奠器國隣之とあり。又一本に莫器圓憐之と有り。二の句古本大相云兄爪謁氣と有り。古葉略要に大相土兄瓜湯氣とあり。一本に大相七?竭氣と有り。是らを合せ考ふるに、七も土も古の字の誤り、瓜は?を誤り、謁は湯を誤れるなるべし。さてかくくさぐさの中にて正しきを取りてみれば、莫囂國隣之は、神式紀に依るに、今の大和國を内つ國といへり。其内つ國をここには囂《サヤギ》なき國と書けり。同紀に雖2邊土末1清2餘妖猶梗1而中洲之地無2風塵1の十七字を、とつくにはなほさやげりといへども、うちつくにはやすらけしと訓めるを以て、囂《サヤギ》なき國は大和なれば、其隣とはここは紀伊をさせり。されは此五字キノクニノと訓まる。大相古兄?湯氣の七字、ヤマコエテユケと訓むよし考に見ゆ。平春海云、大相土三字にてヤマと訓むべし。さらば大相土見乍湯氣にて、ヤマミツツユケと訓まむか。一本に兄を見に作りたるもあれば、今見に作れるを用ひて、爪を乍の誤りとなさむかと言へり。さも有るべし。吾瀬子之射立爲兼五可新何本の十三字、ワガセコガイタタセリケムイヅカシガモトと訓むべし。嚴に五の訓を借りて、清濁に拘はらぬは借字の常なり。山コエテユケ云云、又山見つつゆけ云云、是はいづれにても、此女王の尊み親み給ふ者の先きに、此山路を往き給へる事を思ひ出て、從駕の人にのたまふなるべし。イタタセリケムのイは發語、立たせたまひけむなり。イヅカシは垂仁紀天照大神磯城|嚴橿《イヅカシ》が本に座すといひ、古事記美母呂能伊都加斯加母登加斯賀母登と云ふに同じ。かかれば神を齋へる山路の橿にて、後世神木と言ふものなり。其木の本に、吾背子の立せ給ひし事を傳へ聞しめして、詠み給へるな(14)るべし。さて元暦本には、草囂云云爪湯氣と有りて、瀬の下子の字無し。千蔭が持たる古葉略類聚抄には莫器、圓隣云云湯氣と有り。此歌はいたく誤りたりと見ゆ。此初句キノ國ノと訓むも強ひたる事の樣なり。理りもいかがに聞ゆ。されど、今外に考へ得たりと思ふ事も無ければ、暫く右の説を擧げつ。猶考ふべき事なり。
 參考 ○(代)ユフ月シ、覆ヒナセソ雲、吾セコガ、イタタセリケム、イツカシガモト 謁は靄の誤とす(考)莫囂國隣之、大相古見?湯氣、吾瀬子之、射立爲兼、五可新何本木ノ國ノ、山越エテ行ケ、吾セコガ、イ立タセリケム、イツ橿ガ本(古)奠器圓隣之、大相土見乍湯氣、吾瀬子之、射立爲兼、五可新何本。ミモロノ、山見ツツ行ケ、吾ガ背子ガ、イタタセリケム、イツカシガモト(新)訓を附けず。
 
中皇【今皇下女字ヲ脱】女命往2于紀伊温泉1之時御歌 一本伊字無し。目録歌下三首と有り。
 
10 君之齒母。吾代毛所知哉。磐代乃。岡之草根乎。去來結手名。
きみがよも。わがよもしれや。いはしろの。をかのくさねを。いざむすびてな。
 
ここに君と言ひ、又次に吾せこと詠み給へるは、御兄中大兄命にいざなはれてやおはしけむ。さらば此君はかの命をさし給ふべし。磐代は紀伊日高郡、ヨはヨハヒなり。磐代の名に依りて、其岡の草を結びてよはひを契るなり。結ビテナは結ビテムと言ふに同じ。シレヤの詞いささか心得難し。宣長は哉は武の誤りにて、所知武《シラム》なるべくやと言へり。卷二、磐代の濱松がえを引結びまさきくあらば又歸りみむ。
(15) 參考 ○所知哉(考)シルヤ(古)シラ「武」ム。
 
11 吾勢子波。借廬作良須。草無者。小松下乃。草乎苅核。
わがせこは。かりほつくらす。かやなくは。こまつがしたの。かやをからさね。
 
昔は旅ゆく道に、假庵作りて宿れりしなり。コ松ガ下ノ云云は、小松交りに薄萱などの生ひたるを見て詠み給へるなり。萱とは屋を葺草をすべ言ふ名なり。核は借字、この言上に出でたり。
 參考 ○小松下乃云云(考)コマツガモトノカヤヲ(古)考と同じ(新)コマツガシタノクサヲ。
 
12 吾欲之。野島波見世追。底深伎。阿胡根能浦乃。珠曾不拾【今拾ヲ捨ニ誤ル。元拾ニ作ル】。
わがほりし。ぬじまはみせつ。そこきよき。あこねのうらの。たまぞひろはぬ。
或頭【元頭宇無し】云。吾欲|子島羽見遠《コジマハミシヲ》
 
是は或本のコジマハミシヲとある方然るべし。野島は淡路の地名なれば、此處によし無し。兒島は紀伊なり。アコネノ浦も紀伊にあるべし。兒島は見給へれど、まだあこねの浦へおはさぬ故に、詠み給へるのみにて、心明らけし。
 參考 ○野島波見世追(考)「子」コジマ「羽」ハミシ「遠」ヲ、(古、新)考と同じ○不拾(代)ヒリハヌ(古)代と同じ(新)略と同じ。
 
右?2山上憶良大夫類聚歌林1曰。天皇御製歌云云。
 
(16)中大兄《ナカノオホエ》 近江御宇天皇 三山歌一首 後に天智天皇と申す〔九字□で囲む〕
 
今本近江宮御宇天皇の七字を本文とせり。古本小字なるに依れり。中大兄命三山御歌とあるべきを、かく誤れりと見ゆ。近江宮云云七字は、後人の書入れしなり。三山は香山、畝火、耳成の三なり。考の別記に委し。是は此三山を見まして詠み給へるにはあらず。仙覺註に、播磨風土記に、出雲國阿菩大神聞2大和國畝火香山耳梨三山相闘1以2此謌1諫v山上來之時。到2於此處1乃聞2闘止1覆2其所v乘之船1而坐之。故號2神集之覆形1とあるを引けり。此古事を聞きまして、播磨にて詠み給へるならむ。今も播磨に神詰《カンヅメ》と言ふ所ありとぞ。
 
13 高山波。雲根火雄男志等。耳梨與。相諍競伎。神代從。如此爾有良之。古昔母。然爾有許曾。虚蝉毛。嬬乎。相挌【今挌ヲ格ニ誤元ニヨリテ改ム】良思吉。
かぐやまは。うねびををしと。みみなしと。あひあらそひき。かみよより。かくなるらし。いにしへも。しかなれこそ。うつせみも。つまを。あらそふらしき。
 
高山の高は、香の誤かとも思へど、高も音もてカグと訓むべければ、暫く今本に依るべし。さて契沖が説の如く、かぐ山をばと言ふ意に見るべし。ヲヲシは、うねびは男神にて男男しきを云ふ。ミミナシは是も男神なり。香山、耳梨は十市郡、畝火は高市郡なり。アヒアラソヒキは、香山の女山を得むとて、二の男山の爭ふなり。神代より云云、ニアルを約めてナルと言へり。然なればこその、バを略く例なり。ウツセミは(17)冠辭考に委し。現身なり。神代にもかく妻を相爭ひしかば、今現在人の爭ふはうべなりとなり。相挌二字にてアラソフと訓むは、卷二相競、卷十相爭など、アラソフと訓む所に、みな相の字を加へたり。又挌を爭ふと言ふに用ひしは、卷十六に有2二壯士1共挑2此娘1而捐v生挌競なども書けり。ラシキのキは、後の物語ぶみに何するかし、何すらむかし、などのカシと同じ語にて、強く言ひ定むるやうの詞なり。推古紀おほきみのつかはす羅志枳。また卷十六しぬび家良思吉とあるも同じ。
 參考 ○男志時(古)「曳」エシト(新)ヲシト○如此爾有良之(考)シカナルラシ(古、新)略と同じ○相挌(代)アラソフ(考)アヒウツ(古、新)代に同じ。
 
反歌
 
14 高山與。耳梨山與。相之時。立見爾來之。伊奈美國波良。
かぐやまと。みみなしやまと。あひしとき。たちてみにこし。いなみくにばら。
 
畝火は爭ひ負けて、かぐ山と耳梨と逢ひしなり。立チテ見ニ來シは、かの阿菩大神の來り見し事を宣へり。印南《イナミ》は播磨の郡名、古は初瀬(ノ)國吉野(ノ)國とも云ひて、一郡一郷をも國と云へり。原は廣く平らなるを云ふ。
 
15 渡津海乃。豐旗雲爾。伊理比沙之。今夜乃月夜。清明己曾。
わたづみの。とよはたぐもに。いりひさし。こよひのつくよ。あきらけくこそ。
 
ワタヅミは則ち海なり。冠辭考わたのそこの條に委し。トヨハタ雲、文コ實録に、天安二年六月有2白雲1(18)竟v天自v艮至亘v坤。時人謂2之旗雲1とあり。これはただ旗の如き雲の棚引けるをのたまひつらむ。豐は大きなる事なり。入日サシ云云は、入日の空の樣にて、其夜の月の明らかならむを知るなり。紀に清白心をアキラケキココロと訓みたれば、清明をアキラケクと訓むべし。是も同じ度に、印南の海邊にて詠み給へる故に、次いで載せしならむ。
 參考 ○清明己曾(古)キヨク「照」テリコソ(新)略に同じ。
 
右一首歌。今案不v似2反歌1也。但舊本以2此歌1載2於反歌1故今猶載v此歟。【歟元次ニ作ル】亦紀曰。天豐財重日足姫天皇先四年乙巳立【立下爲元ニ旡シ】爲天皇爲2皇太子1
 
爲天皇三字衍文なるべし。
 
近江|大津《オホツノ》宮御宇天皇代 天命開別《アメミコトヒラカスワケ》天皇後に天智と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇詔2内(ノ)大臣藤原朝臣1競2憐春山萬花之艶秋山千葉之彩1時額田王以v歌判v之歌
 
藤原卿は鎌足卿なり。下の例によるに藤原卿とあるべし。又次に近江へ遷り給ふ時の歌を載せたれば、ここは後岡本宮にて有りし事ならむ。さらば内臣中臣連鎌足と有るべきを、斯く書けるは、後より崇みて書きたるなるべし。朝臣のかばねをさへ書きたるはいよいよひが事なり。猶考の別記に委し。
 
16 冬木成【成ハ盛ノ誤リ】。春去來者。不喧有之。鳥毛來鳴奴。不開有之。花毛佐家禮抒。山乎茂。(19)入而毛不取。草深。執手母不見。秋山乃。木葉乎見而者。黄葉乎婆。取而曾思奴布。青乎者。置而曾歎久。曾許之恨之。秋山吾者。
ふゆごもり。はるさりくれば。なかざりし。とりもきなきぬ。さかざりし。はなもさけれど。やまをしみ。いりてもとらず。くさふかみ。たをりてもみず。あきやまの。このはをみては。もみづをば。とりてぞしぬぶ。あをきをば。おきてぞなげく。そこしうらめし。あきやまわれは。
 
冬木成の成は盛の誤りなるべし。集中冬隱春去來者と書けるに同じく、冬は萬の物内に籠りて、春に成りてはり出づるより云へる枕詞なり。春サリクレバの去は借字にて春になりくればなり。夕さりくればと同じ。山ヲシミは茂くしてなり。此集には、春の繁山、春の茂野など言ひて、暮春の頃の草木を茂き事とすれば春の草木の茂き事を女王の傳へ聞きまして、かく詠み給へるならむ。入リテモ不取は、折取ぬ事なり。されど又手折リテモとあるからは、取は見の誤りにて、ミズにても有らむか。モミヅヲバ取リテゾシヌブ云云は、木の葉のもみぢせしを取りて愛るなり。毛美豆は赤出《モミイヅル》を略き言へり。言のもとは考に委し。シヌブは慕ふ意を言へり。青キヲバオキテゾナゲクは、まだ染まぬをば、折りとらずして置くを恨みとするなり。ソコシウラメシ云云、ソコはソレなり。シは助辭、うら枯るる秋は、山に入り安ければ、秋山のもみぢに心をよするとなり。宣長は恨は怜の誤りにて、ソコシオモシロシならむと言へり。是に依るべく覺ゆ。
 參考 ○不取(古、新)「不聽」キカズ○執手母不見(考)タヲリテモミズ(古、新)トリテモミズ○恨之(古)「怜」タヌシ(新)ウラメシ、又はタヌシ○秋山吾者(考、新)アキヤマ「曾」ソレハ。
 
(20)額田王下2近江國1時作歌井戸王即和歌
 
天智紀六年二月近江大津へ遷都の事有り。さて此端詞集中の例に違ひて、和歌をかく續けて書くべき謂れ無し。井戸王と言ふ名も氏も物に見えず。ここはいたく亂れたりと見ゆ。是は左註の類聚歌林を合せ考ふるに、大海人《オホアマノ》皇子下2近江國1時御作歌と有るべし。さて次の綜麻形の歌は、額田女王の歌なるべく見ゆれば、其所に額田王奉v和歌と有るべきなり。考に委しく論はれき。此集すべて和歌と有るは答歌なり。
 
17 味酒。三輪乃山。青丹吉。奈良能山乃。山際。伊隱萬代。道隈。伊積流萬代爾。委曲毛。見管行武雄。數數毛。見放武八萬雄。情無。雲乃。隱障倍之也。
うまさけ。みわのやま。あをによし。ならのやまの。やまのまに。いかくるるまで。みちのくま。いさかるまでに。つばらにも。みつつゆかむを。しばしばも。みさけむやまを。こころなく。くもの。かくさふべしや。
 
ウマサケ、青ニヨシ、枕詞。みわの山をとヲの詞を添へて見るべし。飛鳥岡本宮より三輪へ今の道二里ばかり三輪より奈良へ四里餘有りて、其間平らかなれば、奈良坂越ゆる程までも、三輪山は見ゆるとぞ。其奈良山を越ゆるまでは、山の際より見むとおぼして、かへり見し給ふままに、稍遠ざかりて、雲の隔てたるなり。山際の下從の字を脱せるか、山ノマユと有るべし。道ノクマ云云、クマは入り曲りたる所を言へど、此處は其れまでも無く、ここかしこと言はむが如し。伊積流、イツモルと訓みたれど東麻呂翁がイサカルと訓めるによる。積はサカの假字に借れり。伊は發語、サカルは離るるなり。ツバラは審らかと云ふに同じ。(21)又古事記に麻都夫佐と言ふ詞もあれば、ツブサニモとも訓むべし。シバシバは度度なり。見放くけ遠く見やることなり。カクサフはカクスを延べたる言にて、雲の心無く隱すべしやと言ふなり。宣長はココロナ雲ノと訓みて、心ナは心ナヤの意とせり。み歌の心は、奈良より飛鳥の方は、此山の方に當りたる故に、故郷の名殘を此山に負せて惜み給ふなり。
 參考 ○山際(考)ヤマノマ「從」ユ(古)考と同じ(新)略と同じ○伊隱萬代(古、新)イカクルマデ○伊積(考、古、新)イツモル○委曲毛(考)ツバラニモ、又、ツブサニモ(古)ツバラカ「爾」ニ(新)ツバラニモ○見放武(古)ミサカム(新)略に同じ。
 
反歌
 
18 三輪山乎。然毛隱賀。雲谷裳。情有南畝。可苦佐布倍思哉。
みわやまを。しかもかくすか。くもだにも。こころあらなむ。かくさふべしや。
 
シカモは如此もなり、カは哉の意にて、下たに歎く詞。畝一本武に作れり。いづれにても有るべし。
 
右二首歌。山上憶良大夫類聚歌林曰。遷2都近江國1時御2覽三輪山1御歌焉。日本書紀【今紀ヲ記ニ誤ル】曰。六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷2都于近江1
 
例によるに、山上の字の上、檢の字を脱せしか。右に御覽御歌など有りて、天皇皇太子の御歌なる事しるければ、右に言へる如く、此時の皇太子大海人皇子命の御歌なるべし。
 
(22)19 綜麻形乃。林始乃。狹野榛能。衣爾著成。目爾都久和我勢。
みわやまの。しげきがもとの。さぬはりの。きぬにつくなす。めにつくわがせ。
 
右に言へる如く、此歌額田王奉和歌と端詞有るべきなり。綜麻形を東麻呂翁ミワヤマと訓めり。古事記に、大神美はしき男と成りて、活依《イクヨリ》姫の許へよるよる通ひ給へるを、姫其男君の家所を知らばやとて、卷子《ヘソ》の紡紵《ウミヲ》を、ひそかに針して男の裔に著けたるを、君は引きて歸りぬ。さてあとに紵は唯|三勾《ミワ》殘りたりけり。やがて其糸すぢをとめて、御室山の神の社に到りぬ。故《カレ》三輪山と言ふと記されたり。其紵の三?《ミワゲ》殘れる形を思得て、綜麻形と書きてミワヤマとは訓ませたるなり。仙覺註に、土左國風土記云。神河訓2三輪川1(中略)皇女思奇以2綜麻1貫v針。及2壯士之曉去1也。以v針貫v襴。及v旦也着v之云云。シゲキガモトは繁樹が下なり。狹野榛はサヌハギと訓みて、サは發語、榛は借字にて、野萩なりと翁は言はれき。さるを先人(枝直)は、榛と書けるは花咲く萩にあらず。波利《ハリ》と訓みて、今|波武《ハン》の木と云ふ物なりと言へり。末の引馬野の歌の下に委しく言ふべし。衣ニツクナス云云、ナスは集中皆如クと意得て協へり。神代紀如2五月蠅1をサバヘナスと訓めり。さて榛の皮は古衣を摺るものにて、物に移りつきやすきをもて、吾せこがわが目につくに譬へたり。卷十、あたらしきまだら衣は面著《メニツキ》てとも詠めり。此歌を女王の御答とする時は、ワガセとは大海人皇子命をさし奉りしならむ。
 參考 ○綜麻形乃(代、新)ヘソガタノ(古)代に同じ○林始乃(代)ハヤシノサキノ(古)代に同じ(23)○狹野榛能(代)サノハリノ(考)サヌハギノ(古)略に同じ。
 
右一首歌。今案不v似2和歌1但舊本載2于此次1故以猶載焉。
 
此註、右の歌を訓み得ざりし後人の書き入れならむ。
 
天皇遊2獵|蒲生《カマフ》野1時額田王作歌
 
蒲生野は近江國蒲生郡。此獵は七年五月五日なり。卷十六に、う月とさ月の間に、藥狩つかふる時に、と言ひ、又卷十七、天平十六年四月五日の歌に、かきつばたきぬに摺りつけますらをが競狩する月は來にけりなど有りて、唐國の醫の書どもに、四五月|鹿茸《シカノワカヅノ》を取る事見え、又五月五日に百草を採る事も見ゆれば、此二つをかねたる幸なるべし。
 
20 茜草指。武良前野逝。標野行。野守者不見哉。君之袖布流。
あかねさす。むらさきのゆき。しめのゆき。のもりはみずや。きみがそでふる。
 
アカネサス枕詞。紫草の生ふる野と言ふのみにて地名に非ず、シメ野は御獵し給はむ爲にしめおかかる野なり。かゆきかくゆき君が袖ふり給ふを、野守は見奉らずやと言ふにて、外によそへたる意無し。
 參考 ○武良前野(古)ムラサキヌ○標野、野守(古)シメヌ、ヌモリ。
 
皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
集中皇太子をば、日並知皇子命など書く例なれば、ここも大海人皇子命と有るべきなり。 
(24)21 紫草能。爾保敝類妹乎。爾苦久有者。人嬬故爾。吾戀目八方。
むらさきの。にほへるいもを。にくくあらば。ひとづまゆゑに。われこひめやも。
 
是は額田女王を指して、紫の如く匂へるとのたまふなり。ニホフは色の餘光有る事に多く言ひて、美はしきを言ふ。妹とはすべて女をさして言ふ事にて、ここは額田女王を宣ふなり。人ヅマ故ニとは、人妻ナルモノヲと言ふ意にて、にくくあらば何か戀ひむ、人の妻なる物をとなり。卷十に、人づま故に我戀ひぬべし。卷十二に、人づま故に我戀ひにけりと言へるも、人妻なる物をと言ふ意にて聞ゆ。
 參考 ○吾戀目八方(考)ワガコヒメヤモ(古)アレコヒメヤモ(新)略に同じ。
 
紀曰。天皇七年丁卯【紀、丁卯ヲ戌申ニ作ル】夏五月五日、(天皇二字ここに有るべし)縱2【紀、縦ヲ遊ニ作ル】獵於蒲生野1于v時大【今大ヲ天ニ誤ル、元ニヨリテ改ム、】皇弟諸王内臣及群臣皆悉【元悉字旡シ】從焉
 
明日香清御原宮御宇【今御宇ノ字ヲ脱ス】天皇代 天渟中原瀛眞人《アメヌナハラオキノマヒト》天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
十市《トホチノ》皇女參2赴於伊勢神宮1時見2波多《ハタノ》横山1吹黄《フキノ》刀自作歌
 
皇女は天武天皇の長女、御母は額田女王。紀四年二月此皇女と阿閇皇女も共に參り給ふ事見ゆ。波多横山は神名帳に伊勢國壹志郡波多神社。和名抄に同郡|八太《ハタ》郷有り。今も八太里横山と言ふ有りて、大なる岩ども川邊に多しとぞ。吹黄刀自は卷四にも見ゆ。天平七年の紀に、冨紀朝臣の姓見ゆ。是か。刀自はもと戸主《トジ》の意なるを、喚名にもつきしなり。外に例有り。
 
(25)22 河上乃。湯都磐村二。草武左受。常丹毛冀名。常處女煮手。
かはのへの。ゆついはむらに。くさむさず。つねにもがもな。とこをとめにて。
 
ユツ岩村、神代紀五百箇村、祝詞に湯津磐村と書きて、イホを約め通はしてユと言へり。石の多く群がるを言ふ。ヲトメは神代紀少女、此云2烏等刀sヲトメ》1と有り。石の常に草も生ひぬ如く、とこしなへにをとめにてましませとなり。ガモナは願ふ詞。卷廿、いそ松の都禰《ツネ》にいまさね今も見るごとと詠めり。
 參考 ○河上乃(考)カハヅラノ(古)略と同じ(新)カハカミ、又はカハノヘ○常丹毛(考)トコニモ(古、新)略に同じ。
 
吹黄刀自未v詳也。但紀曰。天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥。十市皇女阿閉皇女參2赴於伊勢神宮1
 
麻續《オミノ》王流2於伊勢國|伊良虞《イラゴノ》島1之時人哀傷作歌
 
左註に言へる如く、麻續王は因幡に配せらる。ここに伊勢國と有るは、後人の書き加へしなるべし。猶いらごの島の事末に言ふべし。人の字の上更に時字有るべし。
 
23 打麻乎。麻續王。白水郎有哉。射等籠荷四間乃。珠藻苅麻須。
うちそを。をみのおほきみ。あまなれや。いらごがしまの。たまもかります。
 
ウチソヲ枕詞。アマナレヤは、海人ニテ有レバニヤなり。マスはオハシマスなり。玉藻は藻の子《ミ》は白く玉の如くなれば言へり。
(26) 參考 ○打麻乎(代)ウチソヲ(考、新)ウチソヲ(古)ウツソヲ
 
麻續《ヲミノ》王聞v之感傷和歌
 
24 無蝉之。命乎惜美【惜ヲ今情ニ誤ル、元ニヨリテ改ム、夷ヲ今美ニ誤ル】。浪爾所濕。伊良虞能島之。宝藻苅食。
うつせみの。いのちををしみ。なみにぬれ。いらごのしまの。たまもかりをす。
 
ウツセミノ枕詞。紀に御食を美袁志《ミヲシ》と訓む。物食ふをヲスと言ふ。右に島人と成り給へば、海人の業しておはすらむと、憐みまつりて詠めるを受けて、かくても命は捨て難く、藻を苅りてをし物にしてながらふると宣まへるなり。所濕元暦本ヒヂと訓む。ヒヂはヒヅチと同じく、元は泥付《ヒヂツキ》の意にて、ぬるる事に言へり。ここは所の字ヌレのレの言に當て書ければ、ヌレと訓まむ方まされり。
 參考 ○所濕(代)ヒヂ又はヌレ(考、新)ヌレ(古)ヒヂ○苅食(代)カリハム(考)カリヲス(古)カリハム(新)カリヲス、又はカリハム。
 
右案2日本紀1曰。天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯【紀四月甲戌朔辛卯三位ト有リ】三品麻續王有v罪流2于因幡1一子流2伊豆島1一子流2血鹿島1也。是云v配2于伊勢國伊良虞島1者。若疑後人縁2歌辭1而誤記乎。
 
此註はよろし。イラゴガ崎、三河國より志摩の答志の崎へ向ひて、海へさし出でたる崎なり。後の物ながら、古今著聞集に、伊豫國にもイラゴと言ふ地有り。因幡にも同名有りしにや。
 
天皇御製歌
 
(27)25 三吉野之。耳我嶺爾。時無曾。雪者落家留。間無曾。雨者零計類。其雪乃。時無如。其雨乃。間無如。隈毛不落。思乍叙來。其山道乎。
みよしのの。みみがのみねに。ときなくぞ。ゆきはふりける。ひまなくぞ。あめはふりける。そのゆきの。ときなきがごと。そのあめの。ひまなきがごと。くまもおちず もひつつぞくる。そのやまみちを。
 
或本歌
 
26 三芳野之。耳我山爾。時|自久《ジク》曾。雪者|落等言《フルトフ》。無間曾。雨者落等言。其雪。不時《トキジクガ》如。其雨。無間如。隈毛不墮。思乍叙來。其山道乎。
 右句句相換。因v此重載焉。
 
ミヨシノのミは眞と同じく褒むる辭。ミミガノ山と言ふも吉野に有るなるべし。時ナクも時ジクも意は同じ。雪ハフルトフは、トイフを約め云ふ。後世テフと言ふに同じ。雨ハフリケル、卷十六、越後彌彦の山を、青雲のたな引く日すら小雨そぼふると詠みし如く、高山は常に雨雪降ればなり。クマモオチズ云云、此山のくまぐまを漏さず見まして、面白く思めしつつ山道を幸《イデ》ますとなり。考に卷十三、此歌の同言なる歌に、御金高とあれど、金は缶の誤りなり。ここに耳我と書きしに合せて知らる。後世金のみ嶽と言ふは、吉野山にも勝れ出でたる嶺にて、即ち此御歌の詞共によく協ひぬ。然れば古も美はしく御美我禰《ミミガネ》と言ひ、常には美我嶺とのみ言ひけむ、其ミガネを金の義と思ひたる後世心より、金嶽とはよこなはれるな(28)りと書かれたり。猶外に證あらむか、考ふべし。
 參考 ○耳我嶺爾(代)ミカノミネニ(考、新)ミミガノミネニ(古)ミカネノタケニ○間無曾(古)マナクゾ(新)ヒマ、又はマ○思乍叙來(古、新)オモヒツツゾクル○或本歌、不時如(新)トキジキガゴト。
 
天皇幸2于吉野宮1時御製歌
 
同天皇同吉野の御歌なるを、端詞を異にして並び載せしは、此天皇の紀に吉野の幸は稀に見ゆるを、上の御歌の意はあまた度幸ませしと聞ゆ。然らば又皇大弟と申す御時の事なりけむ。もし此山に逃れ入ます時の、御歌にやとも思はるるなり。されば上なるは時も定かならず。ここのは大御位の後にて定かなれば、殊更に幸と記せしならむよし考に言へり。吉野宮は應神紀に見ゆ。齊明紀に吉野宮を造ると有るは、改め造らしめ給ふなり。
 
27 淑人乃。良跡吉見而。好常言師。芳野吉見與。良人四來三。
よきひとの。よしとよくみて。よしといひし。よしのよくみよ。よきひと|よきみ《よくみつ》。
 
ヨキ人とは、上代に在りし賢き人をさしてのたまふなり。吉野は世に異なる所ぞと、褒めたる歌、集中に多し。されば古よき人吉野をよく見て實によしと言へり。今の心有るよき人は君にこそあれ、よく見よかしとのたまふなり。古天皇より臣下をさして、君とのたまへる例多し。ここは從駕の人の中に、さし(29)給ふ人有りしならむと翁言はれき。僻案抄にはヨキ人ヨクミと訓み、荷田御風はヨクミツとよめり。ヨクミツと言ふは、上の句を打ち返して、再び言ひ收むる古歌の一體にて然らむ。卷七、妹が紐|結八川内《ユフハカフチ》を古の淑人見つとこを誰か知る。卷九、古の賢き人の遊びけむ吉野の河原みれどあかぬかも。
 參考 ○良人四來三(考)ヨキヒトヨキミ(古)ヨキヒトヨクミ(新)ヨキヒトヨクミツ。
 
紀曰。八年己卯五月庚辰朔甲申。幸2于吉野宮1
 
藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫《タカマノハラヒロヌヒメノ》天皇 後に持統と申す〔七字□で囲む〕
 
藤原は持統文武二御代の宮なり。
 
天皇【今皇ヲ良ニ誤ル】御製歌
 
天皇まだ清御原宮におはします時の御歌なる事、下の歌にて知らる。されど天武天皇崩じましてよりは、藤原宮の中に入る例なり。
 
28 春過而。夏來良之。白妙能。衣乾有。天之香來山。
はるすぎて。なつきたるらし。しろたへの。ころもほしたり。あめのかぐやま。
 
白タヘは絹布を總べ言ふ名にて、妙は借字のみ、冠辭考に委し。夏の始ごろ、天皇|埴安《ハニヤス》の堤の上などに幸し給ひて、香山の邊の人家に、衣懸けほして有るを見給ひて、實に夏の來たるならむと宣へるのみなり。夏は萬の物打ち濕めれば、乾すは常の事なり。上は卷十、寒《フユ》過《ス》ぎて暖《ハル》來《キタ》る良之と言ふに同じ。下は卷十四、(30)つくばねに雪かもふらるいなをかもかなしき|ころ《子等》が|にの《布》ほ《乾》さるかもと言ふに似たり。
 參考 ○衣乾有(代)コロモサヲセリ、又はコロモホシタリ(考)コロモホシタル(古、新)略に同じ。
 
過2近江荒都1時柿本朝臣人麻呂作歌
 
古本柿本云云七字、過の字の上に有るをよしとす。天智天皇六年飛鳥岡本宮より、近江大津宮へ遷り給ひ、十年十二月崩じたまひ、明年五月大海人大友二皇子の御軍有りしに、事平らぎて、大海人皇子命は飛鳥清御原宮に天下知しめし、近江の宮は故郷と成りぬ。人麻呂は崗本宮の頃に生れて、藤原宮和銅の始、奈良へ遷都より前にみまかられしなり。日|並知《ナメシノ》皇子命の大舍人にて、後|高市《タケチノ》皇子命皇太子の御時も、同じ大舍人なるべし。末に石見の掾目などにや有りけむ。此人はすべて紀に見えず。考の別記に委し。
 
29 玉手次。畝火之山乃。橿原乃。日知之御世從。(或云自宮)阿禮座師。神之盡【今盡ヲ誤テ書ニ作】。樛木乃。彌繼嗣爾。天下。所知食之乎。(或云食來)天爾滿。倭乎置而。青丹吉。平山乎越。(或云、虚見、倭乎置、青丹吉、平山越而、)何方。御念食可。(或云所念計米可、)天離。夷者雖有。石走。淡海國乃。樂浪乃。大津宮爾。天下。所知食兼。天皇之。神之御言能。大宮者。此間等雖聞。大殿者。此間等雖云。春草之。茂生有。霞立。春日之霧流。(或云、霞立、春日香霧流、夏草香、繁成奴留)百磯城之。大宮處。見者悲毛。(或云、見者左夫思母)
たまだすき。うねびのやまの。かしはらの。ひじりのみよゆ。あれましし。かみのことごと。つがのきの。いやつぎつぎに。あめのした。しろしめししを。そらにみつ。やまとをおきて。あをによし。ならやまをこえ。いかさまに。おもほしめせか。あまざかる。ひなにはあれど。いはばしの。(31)あふみのくにの。ささなみの。おほつのみやに。あめのした。しろしめしけむ。すめろぎ《おほきみ》の。かみのみことの。おほみやは。ここときけども。おほとのは。ここといへども。はるくさの。しげくおひたる。かすみたつ。はるびのきれる。ももしきの。おほみやどころ。みればかなしも。
 
日ジリノミヨユを、或本ミヤユと有り。これはミヨユの方然るべし。或本の、イヤツギツギニ、アメノシタシロシメシケルの方まされり。ソラニミツも例に違へり。或本の、ソラミツヤマトヲオキ、アヲニヨシナラヤマコエテの方まされり。オモホシメセカ、或本オモホシケメカの方まされり。春草ノシゲク云云。或本の、カスミタツハルビカキレル、ナツクサカシゲクナリヌルの方まされり。ミレバカナシモ、或本の、ミレバサブシモ、いづれにても有るべし。玉ダスキ、ツガノ木ノ、ソラミツ、青ニヨシ、アマザカル、イハバシノ、ササナミノ、百シキノ、枕詞。カシ原ノヒジリノ御世は、神武天皇を申す。日知は神代紀月讀命夜之|食《ヲス》國を知ろしめせと有るにむかへて、日之食國知ろし給ふは大ひるめの命なり。これよりして、天の日つぎ知ろしめす御孫の命を、日知と申し奉れり。ユはヨリの古語。アレマシシは生れ給ひしなり。神武天皇より以來、生ひ繼ぎ給ひし御孫のみことは、專ら大和國に皇居し給へるを言ふ。神の書一本盡と有るをよしとす。卷三長歌、人乃|盡《コトゴト》、又同卷國之|盡《コトゴト》などもあれば、カミノコトゴトと訓むべし。翁は今本(32)神之書も、一本の盡と有るも誤りにて、神之御言と有りしが誤れるならむ。然らば神ノミコトノと訓むべき由、考に言はれつれど、暫く一本によるべく覺ゆ。神武天皇より此方の御世御世を言ふ。イヤツギツギニ云云は、かく御代御代皇居し給へる大和を捨て置きてなり。ナラ山コエテは、下の淡海ノ國と言ふへ隔句に懸けたり。オモホシメセカは、オボシメセバカと言ふを略けり。ヒナは都の外を言ふ。語のもとは考の別記に委し。大津ノ宮は今の大津なり。アメノシタシロシメシケム|スメロギ《おほきみ》ノ云云、こは天智天皇を申奉る。大宮ハココト聞ケドモ大殿ハ云云、宮と言ひ、殿と言ふも異ならず。文《アヤ》に言ふのみ。霞立春日カキレル云云、キレルは曇り隔つるを言ふ。皇居はここときけども、そことも知られぬは、霞のくもり隔てたるか、夏草の生ひ繁りて隱せるかと疑ふなり。春霞と言ひ、夏草と言へるは、時の違へりと見ゆれど、いかなる事ぞと思ひまどひて、をさなく言ひ出だせるなれば、中中に面白くこそ。大宮所見レバ云云、皇居の見えぬを疑ひながら見るに、すさましく物悲しきなり。サブシはサビシなり。集中に冷又は不樂など書けり。今本春草之春日之とある二の之の字は、歟の字の誤れるか。ここは之の詞にてはかなはず。宣長云、平山乎越と有るよりは、一本に平山越而と有る方よろし。さても倭乎置而の而文字は猶必ず有るべきなり。而の言の重るは古歌の常なり。さて春草之云云は、ハルクサシシゲクオヒタリと訓むべし。之はやすめ辭なり。此二句は宮の荒れたる事を歎き言ひて、次に霞立云云は、ただ見たる景色のみにて、荒れたる意を言ふにあらず。春日ノキレルモモシキノ云云とつづけて心得べし。春草之云云と、霞立云云(33)とを同意にならべて見るはわろし。一本の趣とは異なり。また一本の方は、春日と夏草と時節のたがへるもわろく、二つの疑の香も心得難しと言へり。
 參考 ○夷者雖有(古)ヒナニハ「雖不有」アラネド(新)略に同じ。
 
反歌
 
30 樂浪之。思賀乃辛崎。雖幸有。大宮人之。船麻知兼津。
ささなみの。しがのからさき。さきくあれど。おほみやびとの。ふねまちかねつ。
 
ササナミノ枕詞、サキクアレドは、何にてもかはらで有るを幸《サキ》く在りと言へり。宮人達の船遊せし所なれば、其船のよするやと待てど待ち得ず。只辛崎のみ元のままにて有りと言ふなり。卷二、やすみしし吾大きみの大御ふね待ちか戀ひなむしがのからさき。卷三、百しきの大宮人の退出て遊ぶ舟には梶さをもなくてさぶしも漕ぐ人なしに。
 
31 左散難彌乃。志我能(一云比良乃)大和太。與杼六友。昔人二。亦母相目八毛(一云|將會跡母戸八《アハンットモヘヤ》)
ささなみの。しがのおほわだ。よどむとも。むかしのひとに。またもあはめやも。
 
比良の大わだにてもいづれにても有りぬべし。神代紀曲浦ワダノ浦と訓めるに同じく、和太は入江の水の淀を言ふ。マタモアハメヤモにても、アハムトモヘヤにても同じ意なり、いづれにても有るべし。心は、志賀の大わだよ、いつまでよどみて待つとも、昔の人に又逢はめやと言ふなり。アハムトモヘヤは、(34)集中忘レメヤと言ふ意を、忘レテオモヘヤと言へる類にて、只逢ハメヤと言ふ事なるを、そは心に念ふものなれば、念の言を加へたるのみなり。
 
高市《タケチノ》古人感2傷近江舊堵1作歌 或書云高市連|黒人《クロヒト》
 
古人と有るは誤なり。歌の初句を訓み誤りて、後人のかく記せしものなり、或書を用ふべし。黒人の傳は知られず。堵は都に同じ。
 
32 古。人爾和禮有哉。樂浪乃。故京乎。見者悲寸。
いにしへの。ひとにわれあれや。ささなみの。ふるきみやこを。みればかなしき。
 
今本假字いたく誤りたり。古一字を初句とせし例下に多し。古今六帖に、此軟をいにしへのとあるは、古き例の殘れるなり。アレヤはアレバニヤを略けり。ここを見てかくの如く甚悲しきは、われここの古へ人にや有らむと、幼く疑ひて詠めるなり。
 
33 樂浪乃。國都美神乃。浦佐備而。荒有京。見者悲毛。
ささなみの。くにつみかみの。うらさびて。あれたるみやこ。みればかなしも。
 
此國ツミ神とは、志賀郡などに齋《イハ》へる神なるべし。卷十七|みちの中《越中》、國つみ神とも有るに等し。ウラサビは浦は假字にて裏なり、心と言ふに同じ。作備は下に不樂不怜など書きて、慰め難き意なり。神左備、ヲトコサビ、翁サビなどのサビとは異なり、まがふこと無かれ。國津御神の御心の冷《スサ》び荒びびて、遂に世の亂(35)も起りて、都の荒れたるを言ふ。考の別記に委し。
 
幸2于紀伊國1時|川島《カハシマノ》皇子御作歌 或云山上憶良作
 
川島皇子は天智天皇の皇子なり。
 
34 白浪乃。濱松之枝乃。手向草。幾代左右二賀。年乃經去良武。
しらなみの。はままつがえの。たむけぐさ。いくよまでにか。としのへぬらむ。
一云|年者經爾計武《トシハヘニケム》。
 
此歌卷九に松之木と有るを、古本には松之本と有り。之はマツガネと訓むべし。ここの松之枝は根の字を誤れるなるべし。松ガネにあらざれば解き難し。手向グサの草は借字にて、種なり。何にてもあれ手向の具を言ふ。卷十三、相坂山に手向ぐさぬさとり置きてと有り。幾代マデニカ云云は、そのかみ幸有りし時、ここの濱松のもとにて、手向せさせ給ひし事を傳へ言ふを聞き給ひて、松は猶在りたてるをありし手向種の事は、幾らの年をか經ぬらむと詠み給へるなり。初句白浪ノ濱と言へる續き、古き歌の續けざまに有らず。もし浪は神の誤りなるか。卷九、同國に白神の磯と詠めり、又催馬樂に紀の國の之良良の濱とうたへるに依らば、白良ノと四言の句にても有りつらむか。卷九に、此歌白那彌之とあれば、ここも今の本のままにて疑なきに似たれど、續けざまいといぶかし。恐らくは、卷九も白加彌之と有りしにやあらむと考に言へり。仙覺も既に白浪ノ濱松ガ枝と續けたる事、おぼつかなき由言ひき。按ずるにこは本のままに(36)白浪にて、白浪のよする濱と言ふべきを、言を略きてかく續けしが却りて古意ならむ。今をも、卷九をも、誤字とせむは強ひごとなるべし。宣長云、古事記八千矛神の御歌、幣都那美曾爾奴伎宇弖《ヘツナミソニヌキウテ》は、於2邊浪磯1脱棄也と師説なり。さて浪のよる磯などとこそ言ふべきを、直ちに浪磯とては言つづかぬに似たれど、ここの白浪ノ濱松ガ枝と詠めるも同じさまなり。土左日記の歌に、風による浪の磯にはとも詠めりと言へり。
 參考 ○白浪乃(考)シラ「神」カミノ、又はシラ「良」ラノ(古、新)略に同じ。
 
日本紀曰。朱鳥四年庚寅秋九月。天皇幸2紀伊國1也。
 
紀を見るに、持統天皇四年此幸あり、則朱鳥五年なり。ここは誤れり。
 
越2勢能山1時|阿閉《アベノ》皇女御作歌
 
右と同じ度なるべし。勢の山は孝コ紀、畿内の國の四方を記すに、南自2紀伊兄山1以東と有り。この皇女は天智天皇の皇女、日並知皇子の御妃、文武天皇の御母なり。
 
35 此他是能。倭爾四手者。我戀流。木路爾有云。名爾負勢能山。
これやこの。やまとにしては。わがこふる。きぢにありとふ。なにおふせのやま。
 
是ヤ此の辭は、此ハカノと言ふ意なり。凡てカノと言ふべき事を、コノと言へる例多し。さて上の是は、今現に見る物をさして言ふ。カノとは常に聞居る事、或は世に言ひ習へる事などを指して言ふ。是れや彼の(37)云云ならむと言ふ意なり。此御歌にては、此山や、倭にして我戀ひ奉る夫の君の、そのせと言ふ言を名に負へる、かの木路に在りて、かねて聞き居るせの山と言ふ意なりと宣長言へるぞよき。夫は則ち日並知皇子をさし奉る。
 參考 ○木路爾有云(考)キヂニアリトフ(古)キヂニアリチフ(新)トフ、チフ兩樣。
 
幸2于吉野宮1之時柿本朝臣人麻呂作【今作以下八字ヲ脱ス。目録ニ依リテ補フ】歌二首并短歌二首
 
36 八隅知之。吾大王之。所聞食。天下爾。國者思毛。澤二雖有。山川之。清河内跡。御心乎。吉野乃國之。花散相。秋津乃野邊爾。宮柱。太敷座波。百磯城乃。大宮人者。船並?。旦川渡。舟競。夕河渡。此川乃。絶事奈久。此山乃。彌高良之。珠水激。瀧之宮子波。見禮跡不飽可聞。
やすみしし。わがおほきみの。きこしをす。あめのしたに。くにはしも。さはにあれども。やまかはの。きよきかふちと。みこころを。よしののくにの。はなちらふ。あきつののべに。みやはしら。ふとしきませば。ももしきの。おほみやびとは。ふねなめて。あさかはわたり。ふなぎほひ。ゆふかはわたる。このかはの。たゆることなく。このやまの。いやたかからし。いはばしる。たぎのみやこは。みれどあかぬかも。
 
ヤスミシシ、ミココロヲ、モモシキノ、イハバシル、枕詞。キコシヲスは、天下聞しめすなり。總て身に着くるを、ヲスともメスとも言ふ。國ハシモのシモは、事をひたすらに言ふ詞。サハは物の多きを言ふ古語。(38)山川ノは山と川と二つを言ふ故、カハを清みてとなふ。清キカフチは、川の行き廻れる所を言ふ。花チラフはチルを延べ言ふなり。秋津ノ野邊は蜻蛉野にて、此野の名の始は雄略紀に見ゆ。宮柱フトシキは、下津磐根宮柱太敷立と古語に言ひ、又は高知高敷など同じ語なり。天皇離宮におはしますを言ふ。太敷の語、考の別記に委し。大宮人は從駕の王臣を言ふ。舟ナメテは並ベテなり。駒ナメテも同じ。舟ギホヒは競ひ漕ぐなり。さて夕河渡ルと言ふまでを一段とす。此川ノ絶ユル事ナク此山ノ云云、此高良之の高の字の下加の字を落せしか。此川の絶えざるが如く、常に幸し給ひ、此山の高く動きなきが如く、いつまでも宮ゐし給はむ事を壽《コトブ》けるなり。瀧ノ都は今吉野の夏箕河の下に宮の瀧村と言ふ有り。古へ此の宮の在りし跡なるべし。卷六、此川の盡きばのみこそ此川の絶えばのみこそ百しきの大宮所止む時もあらめ。其反歌に、神代より芳野の宮に在り通ひ高しらするは山川をよみ。
 參考 ○珠水激(考)イハバシル(古)「隕」オチタギツ(新)は考、古の兩訓。
 
反歌
 
37 雖見飽奴。吉野河之。常滑乃。絶事無久。復還見牟。
みれどあかぬ。よしののかはの。とこなめの。たゆることなく。またかへりみむ。
 
トコナメは常しなへにいつも變る事なく滑かなる由なり。それをやがて體にトコナメと言ひなして、事の絶えせぬたとへにとりて、瀧の都を幾返りも見むとなり。卷十一、豐初瀬路は常滑のかしこき道ぞと(39)詠めるも、此川を詠めるなり。
 
38 安見知之。吾大王。神長柄。神佐備世須登。芳野川。多藝津河内爾。高殿乎。高知座而。上立。國見乎爲波。疊有。青垣山。山神乃。奉御調等。春部者。花挿頭持。秋立者。黄葉頭刺理。(一云|黄葉加射之《モミヂバカザシ》)遊副之。神母。大御食爾。仕奉等。上瀬爾。鵜川乎立。下瀬爾。小網【網ヲ今綱ニ誤ル】刺渡。山川母。依?奉流。神乃御代鴨。
やすみしし。わがおほきみ。かんながら。かんさびせすと。よしのがは。たぎつかふちに。たかどのを。たかしりまして。のぼりたち。くにみをすれば。たたなはる。あをがきやまの。やまづみの。まつるみつきと。はるべは。はなかざしもち。あきたてば。もみぢかざせり。ゆふかはの。かみも。おほみけに。つかへまつると。かみつせに。うかはをたて。しもつせに。さでさしわたし。やまかはも。よりてつかふる。かみのみよかも。
 
長柄は借字にて、神ナガラとは、天皇は即ち神におはしますままにと言ふ意なり。此下|神隨爾有之《カンナガラナラシ》と詠めるは是なり。孝コ紀、惟神我子應治故寄の八字を、カンナガラモワガミコノシラサムモノトヨザシと訓み、その古註に、謂隨2神道1亦自有2神道1也と言へり。神サビセストの作備は、古事記、勝佐備《カチサビ》と言へるも、勝誇る意にて、サビは進の語より出でたり。手ズサミ、心ズサミなど言ふも同じ。セストとは、神さびさせ給ふと謂ふなり。多藝ツ河内云云、タギはタギル意にて、濁音の字を書けり。キの言濁るべし。カフチも、高知も上の歌に言へり。さて其高殿に登り立ちて、國見し給へばとなり。タタナハル枕詞。青垣山(40)云云は、青山垣の如く峙てるを言ふ。山ヅミは、山を保ちます神を言ふ。山ツ持の意なり。マツルミツキとは、タテマツルを略きて言ふ。卷十五、まそ鏡かけてしぬべと麻都理太流《マツリタル》と言へり。春べのべは方の意なり。古事記、御枕方《ミマクラベ》御足方《ミアトベ》と有り。山べ、川べ、行へ等すべて方の意にて明らけし。花カザシモチのモチは添へたる詞のみ。秋タテバモミヂカザセリ。一本モミヂバカザシ、いづれにても有るべけれど、ここは今本の定かに言ひ切りたるによるべし。ユフ川は今宮の瀧の末にユ川と言ふ野あり、是か。又卷八、結八川内《ユフハカフチ》と詠める是ならむか。大ミケニ云云、川の神も供御に奉らむとなり。鵜川ヲタテは、宣長言へる如く、御獵立タス、又は射目立テなどの立と同じくて、鵜に魚をとらする業を即ち鵜川と言ひ、其鵜川をする人どもを立たするを言ふなり。サデサシ渡シ、和名抄、〓|佐天《サデ》網如2箕形1、狹v後廣v前名也と言へり。卷十九、平瀬には左泥《サデ》さしわたしとも有り。川川モヨリテ云云、山のかざしとせる花黄葉を即ち山神のみつぎとし川にとれる魚を、即ち川神のみつぎとして、山も川もよりなびきつかへまつるとなり。天皇は即神にまします心にて、神ノ御世と言へるなり。
 參考 ○疊有(古、新)タタナ「著」ヅク○青垣山(古、新)ノを訓み添へず○鵜川乎立(考、新)ウガハヲタチ。
 
反駁
 
39 山川毛。因而奉流。神長柄。多藝津河内爾。船出爲加母。
(41)やまかはも。よりてつかふる。かんながら。たぎつかふちに。ふなでせすかも。
 
長歌にも仕へ奉ると有るべき仕を略けり。ここも同じ。かくの如く山川の神たちも仕へ奉る天皇は、即ち神にておはしまして、ただ今船出し給ふを見奉るが貴きとなり。
 
右日本紀曰。三年己丑正月天皇幸2吉野宮1八月幸2吉野宮1四年甲寅二月幸2吉野宮1五月幸2吉野宮1五年辛卯正月幸2吉野宮1四月幸2吉野宮1者未v詳2知何月從駕作1歌
 
幸2伊勢國1時留v京柿本朝臣人麻呂作歌
 
持統紀六年三月に此伊勢の幸有りて、志摩をも過ぎ給ふ事見ゆれば、其時阿胡の行宮におはせしなり。左註は紀を見誤れり。猶末に言ふべし。
 
40 嗚【今鳴ヲ嗚ニ兒ソ見ニ誤】呼兒乃浦爾。船乘爲艮武。※[女+感]嬬等之。球裳乃須十二。四寶三都良武香。
あごのうらに。ふなのりすらむ。をとめらが。たまものすそに。しほみつらむか。
 
アゴノ浦志摩國|英虞《アゴ》郡。ここに行宮あれば、京よりおしはかりて詠めるなり。今本兒を見に誤りて、アミノ浦と訓めるは由無し。卷十五に、安胡《アゴ》の浦にふなのりすらむをとめらが安可毛《アカモ》の裾に潮みつらむかと、あるは即ち此歌なり。其歌の左に、柿本朝臣人麻呂歌曰、安美能宇良と書けるは後人のさかしらなり。ここは球裳を赤裳とは訓むべからず。卷廿、多麻毛須蘇婢久《タマモスソビク》とも有れば、ここはタマモと訓むべし。玉はほむる詞のみ。海人少女ならで、御供の女房の裳に、汐滿ち來らむはめづらしと詠めるなり。
(42) 參考 ○球裳(考)アカモ(古、新)略に同じ。
 
41 釧【今釧ヲ釼ニ誤ル】著。手節乃崎二。今毛可母。大宮人之。玉藻苅良武。
くしろつく。たぶしのさきに。いまもかも。おほみやびとの。たまもかるらむ。
 
クシロツク枕詞。タブシノ崎志摩國|答志《タブシ》郡なり。今本釧を釼に誤りて タチハキノと訓みたるはいはれ無し。クシロは手に卷く物なれば、くしろを着くる手の節と懸けたるなり。今モカモの二のモは助辭にて、今ヤと言ふなり。是も右の歌の如く、大宮人の藻を刈るらむがめづらしとなり。
 參考 ○釼著(古)「釵卷」クシロマク(新)ツク、マク兩訓。
 
42 潮左爲二。五十良兒乃島邊。榜船荷。妹乘良六鹿。荒島回乎。
しほさゐに。いらごのはまべ。こぐふねに。いものるらむか。あらきしまわを。
 
シホサヰのヰは和藝の約め言にて、鹽サワギなり。汐の滿ち來る時波の騷ぐを言ふ。イラゴは參河國なり。其崎長くさし出でて、志摩のたぶしの崎と遙に向へり。其間に神島、大つつみ、小つつみなどの島島あり。其等を古へイラゴノ島と言ひしか。されど其島あたりは波荒く、舟遊びなどすべき所にあらず、是は京にて凡そに聞きて、おしはかりに詠めるなるべし、妹は御供の女房なり。島ワは浦マなどの如く、島のめぐりを云ふ。潮の滿ち來て浪の騷ぐに、馴れぬ女房のわぶらむと、思ひはかりて詠まれたるなり。
 參考 ○島回(古、新)シマミ○古、新はかかる所の回は總べてミと訓む。以下參考には略す。
 
(43)當麻眞人麻呂《タギマノマヒトマロガ》妻作歌
 
43 吾勢枯波。如所行良武。己津物。隱乃山乎。今香越等六。
わがせこは。いづくゆくらむ。おきつもの。なばりのやまを。けふかこゆらむ。
 
オキツモノ枕詞。宣長云、巳は起の字の省けるなり。隱はナバリと訓むべし。伊賀國名張郡の山なり。大和より伊勢へ下るに、伊賀を經るは常なり。又大和の地名に吉隱《ヨナバリ》もあれば、名張の山なる事を思ひ定むべし。さてナバリは即ち隱るる事の古語なるべし。オキツモノと言ふも、又此卷の末、朝《アシタ》面《オモ》なみ隱《ナバリ》にかと詠めるを見るに、皆隱るる意の續けなり。卷十六、難波の小江にいほ作り難麻理弖居葦蟹《ナマリテヲルアシガニ》を云云、是れ隱れて居る事をナマリテヲルと言へりとぞ。麻《マ》と婆《バ》は常に通へば、ナバリもナマリも同じ。心は明かなり。
 參考 ○隱乃山(代)ナバリノヤマ(考)カクレノヤマ(古、新)代に同じ。
 
石上大臣《イソノカミノオホマヘツキミ》從駕作歌
 
麻呂卿なり。慶雲元年右大臣になり給ひて、此時いまだ大臣ならねど、後よりしか書けるなり。
 
44 吾妹子乎。去來見乃山乎。高三香裳。日本能不所見。國遠見可聞。
わぎもこを。いさみのやまを。たかみかも。やまとのみえぬ。くにとほみかも。
 
ワギモコは、ワガイモコを約めて言ひて妻なり。イサミノ山知られず。式に、伊勢國伊佐和神社、志摩國伊佐波神社など言ふ有り。此國國の中に、イサミノ山と言ふも有りしか。又ナラ山をフル衣キナラノ(44)山と、言ひ下せし類にて、作美(ノ)山など言ふに、イサミと言ひ懸けしか。大和なる妻のあたりの見ゆるやとて、見やれども見えぬは、其山の高くて隔てたるにや、國の遠ければにやと言へるなり。
 
右日本紀曰。朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰。以2淨廣肆廣瀬王等1爲2留守官1。於v是中約言三輪朝臣高市麻呂脱2其冠位1フ2上於朝1。重諫曰。農作之前車駕未v可2以動1。辛未天皇不v從v諫。遂幸2伊勢1。五月乙丑朔庚午御2阿胡行宮1。
 
朱鳥六年は誤なり。持統天皇六年と有るべし。さて五月乙丑以下は紀を見誤りたるものなり。紀に五月乙丑朔庚午御阿胡行宮1時、進v贄者紀伊國牟婁郡人阿古志海部河瀬麻呂等兄弟三戸、服2十年調?1云云とありて、五月庚午に阿胡行宮におはしませるには有らず。ここは前に此行宮におはしませし時の事を記せるなり。
 
輕皇子《カルノミコ》宿2于|安騎《アキ》野(ニ)1時柿本朝臣人麻呂作軟
 
古本の傍註に、皇子枝別記を引きて、文武少名|河瑠《カル》皇子天武皇太子|草壁《クサカベ》皇子尊之子也と有り。草壁皇子は日並知皇子とも申せり。此御父尊、前にここに御獵有りし事卷二の歌にも見ゆ。あき野は天武紀菟田野云云到2大野1とあり。式に、宇陀郡阿紀神社と有り。其所の野なり。又此御歌はいまだ王と申せし時なるを、皇子と書けるは後より尊みて書きしか。
 
45 八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。神長柄。神佐備世須登。太敷爲。京乎置而。隱口乃。泊瀬山者。眞木立。荒山道乎。石根。禁【禁ハ楚ノ誤】樹押靡。坂鳥乃。朝越座而。玉。【限ハ蜻ノ誤】夕去來者。三雪落。阿騎乃大野爾。旗須爲寸。四能乎押靡。草枕。多日夜取世須。古昔念而。
(45)やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。かむながら。かむさびせすと。ふとしかす。みやこをおきて。こもりくの。はつせのやまは。まきたつ。あらやまみちを。いはがねの。しもとおしなべ。さかどりの。あさこえまして。かぎろひの。ゆふさりくれば。みゆきふる。あきのおほぬに。はたすすき。しのをおしなべ。くさまくら。たびやどりせす。いにしへおもひて。
 
ヤスミシシワガ大キミ高ヒカル日ノミコは、古事記に、多加比加流比能美古《タカヒカルヒノミコ》、夜須美斯志和賀意富岐美《ヤスミシシワガオホキミ》と言ひ集中にも此詞所所に出づ。天に高く光る日と言ふ意に續けて、日ノミ子とは、日の神の御繼繼なれば、天皇御一人の上を申奉る古語なり。古事記にかく書きたれば、高照と書きてもタカヒカルと訓むべき物なり。冠辭考に委し。神ナガラ云云前に出づ。太シカス京ヲオキテ云云、太は廣き意。祝詞にも太前廣前とも云ふ如く、廣敷ます都を捨置きてとなり。隱口、枕詞。泊瀬ノ山ハ眞木立云云、眞木は檜にて深山に生ふればなり。シモトオシナベ、今本禁樹と書きて、フセキと訓めれど理り無し。禁は楚の字の誤なるべし。然らばシモトと訓むべし。シモトは若き木立の茂きを言ふ。從駕の人人の押靡かせて越ゆるさまなり。坂トリノ、カギロヒノ、枕詞。今本玉限と有りて、タマキハルと訓めるは誤なり。卷十(46)五、玉蜻《カギロヒノ》夕去來者と有るによれば、限は蜻の誤りにて、カギロヒと訓むべきなり。夕サリクレバは、前に春サリクレバと有るに同じく、夕になりくればなり。ミ雪のミは眞と同じく賞むる詞なり。深雪と必ず書く事と思ふは僻事なり。眞と賞むるには、大きなるも深きもこもりて有り。ハタズスキ、秋の野の中に薄は物より高く顯れて、葉も長くて幅有るなれば、幡薄と言ふならむ。又皮の字を書きたるによれば、ハタのダを濁りて膚の意とし、穗を皮に含みて、漸に開き出づるなれば、はだ薄と言ふらむとも覺ゆ。冠辭考に委しくせり。シノヲオシナベは、其薄のしなひをおし靡かせなり。クサマクラ枕詞。旅ヤドリセス云云、旅の宿りせさせますと言ふを約め言ふ。古ヘ念ヒテは、御父母を慕ひ給へばなりと言ふなり。
 參考 ○高照(代、新)タカテラス(考、古)タカヒカル○玉限(代)カゲロフノ(考)玉「蜻」カギロヒノ(古)別考にタマカキル(新)タマカギル○四能乎押靡(古)シ「奴爾」ヌニオシナベ(新)シノニオシナベ○昔念而(考)イニシヘオホシテ(古)「古」昔「御」念而、イニシヘオモホシテ(新)略に同じ。
 
短歌
 
集中多く反歌と有り。されど短歌とも書くまじきに有らねば改めず。
 
46 阿騎乃野【今野ヲ脱ス】爾。宿旅人。打靡。寢毛宿良目【目ヲ自ニ誤ル】八方。古部念爾。
あきのぬに。やどるたびびと。うちなびき。いもねらめやも。いにしへおもふに。
 
(47)今本野を脱せる事明らかなれば補ひつ。旅人は從駕の人を言ふ。イモヌラメヤモのイは寢入る事なり。うちなびきぬるとは、身をなよらかに臥すさまなり。臣たちの心にも、古への幸を思ひ出でて、うまいせらるまじとなり。自一本目と有るによる。
 參考 ○宿旅人(古、新)ヤドレルタビト。
 
47 眞草苅。荒野二【今二ヲ脱】者雖有。【葉ノ上黄ノ字有ルベシ】葉。過去君之。形見跡曾來師。
まくさかる。あらぬにはあれど。もみぢばの。すぎにしきみが。かたみとぞこし。
 
眞草は薄茅などを言ふべし。アラ野はアラ山と言ふが如く、人氣遠きを言へり。野の下一本二の字有るをよしとす。モミヂバノ過ギニシ君云云、今本葉の上黄の字を落せしなりと契沖が言へるぞよき。今は訓も由無し。卷九、黄葉《モミヂバ》の過ぎにし子らとたづさはり遊びし磯ま見ればかなしも。其外人の死ぬるを木の葉の散り行くに譬へて、もみぢばの過ぎにしと詠みたる事集中に多し。ここは過去り給ひし御父尊のかたみとおぼして、ここに幸し給へるなり。歌の心は卷九、鹽げ立つありそには有れど行く水の過にし妹がかたみとぞこしと言ふに同じ。
 
48 東。野炎。立所見而。反見爲者。月西渡。
ひむがしの。ぬにかぎろひの。たつみえて。かへりみすれば。つきかたぶきぬ。
 
今本釋甚たがへり。卷十五にも。炎《カギロヒ》の春にしなればと詠めり。カギロヒは廣く光有る事に言ひて、ここ(48)は明けそむる光を言へり。曙に東の方を見やりて、さて西をかへり見れば、落ちたる月の殘れるを言ふ。廣野に旅寢したるさまを詠めるなり。
 
49 日雙斯。皇子命乃。馬副而。御獵立師斯。時者來向。
ひなめしの。みこのみことの。うまなめて。みかりたたしし。ときはきむかふ。
 
初句之の詞を添へ訓むべし。ウマナメテは馬並べてなり。時ハ來ムカフは、其時のめぐり來たる意なり。卷二に、此皇子殯宮の時の歌に、毛衣を春冬|片設《カタマ》けていでましし、うだの大野はおもほえむかもと言へるは即ちここの事なり。
 參考 ○日雙斯(古、新)ヒナミ「能」ノ○時者來向(考)トキハキマケリ(古、新)略と同じ。
 
藤原宮之役民作歌
 
此宮は、持統天皇八年十二月清御原宮よりここに遷り給ふ。其初宮造に立てる民の中にて詠めるなり。宮の所は十市郡にて、香山耳梨畝火三山の眞中なり。
 
50 八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。荒妙乃。藤原我宇倍爾。食國乎。賣之賜牟登。都宮者。高所知武等。神長柄。所念奈戸二。天地毛。縁而有許曾。(49)磐走。淡海乃國之。衣手能。田上山之。眞木佐苦。檜乃嬬手乎。物乃布能。八十氏河爾。玉藻成。浮倍流禮。其乎取登。散和久御民毛。家忘。身毛多奈不知。鴨自物。水爾憂居而。吾作日之御門爾。不知國依。巨勢道從。我國者。常世爾成牟。圖負留。神龜毛。新代登。泉乃河爾。持越流。眞木乃都麻手乎。百不足。五十日太爾作。泝須良牟。伊蘇波久見者。神隨爾有之。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。あらたへの。ふぢはらがうへに。をすぐにを。めしたまはむと。みあらかは。たかしらさむと。かむながら。おもほすなへに。あめつちも。よりてあれこそ。いはばしの。あふみのくにの。ころもでの。たながみやまの。まきさく。ひのつまでを。もののふの。やそうぢがはに。たまもなす。うかべながせれ。そをとると。さわぐみたみも。いへわすれ。みもたなしらず。かもじもの。みづにうきゐて。わがつくる。ひのみかどに。しらぬくにより。こせぢより。わがくには。とこよにならむ。ふみおへる。あやしきかめも。あたらよと。いづみのかはに。もちこせる。まきのつまでを。ももたらず。いかだにつくり。のぼすらむ。いそはくみれば。かむながらならし。
 
アラタヘノ枕詞。食國ヲメシタマハムト、此メシはミシと同じく、天の下の人を見知ろしめす事なり。枕詞のヤスミシシも、天下の事無く安く見給ふ事にて、此卷の下藤原の御井の歌の、在立之見之賜者《アリタタシメシタマヘバ》と言へるも、メシとよみて、見させ給ふ事なり。集中例多し。ミアラカは高シラサムトとは、宮殿の事を言へるなれば斯く訓めり。卷二、御在香《ミアラカ》を高知りましてとも有り。ミアラカは則ち御在所《ミアラカ》の意なり。オモホスナヘニのナヘは、並ニと言ふ言にて、おほしめすままにと言ふ意になれり。天地モヨリテアレコソは、上に山川も(50)よりて奉《ツカフ》ると詠める類にて、此大宮造に天つ神國つ神も御心を寄せ給ひて有ればこそとなり。アレコソは、アレバコソのバを省けり。集中例多し。イハバシノ、衣手ノ、枕詞。田上山は近江栗本郡。マキサクヒノツマデは、そま人の斧もてさきて木造りせし材を言ふ。ツマデの事冠辭考に委し。開き見るべし。玉モナスは玉藻の如くなり。ウカベナガセレは、例の流セレバのバを略ける詞なり。ソヲトルト云云、田上の宮材を宇治川まで流して、宇治にて取り止めて、陸へ上げて、さて泉川へ持ちこすなり。下に持チコセルとある是なり。家忘レ身モタナシラズは、國國より參集りたる民どもの、吾家をも身をもかへり見ずして仕ふるを言ふ。タナシラズは東麻呂翁はタダシラズと言ふなるべしと言へり。太《ダ》の濁音と奈《ナ》と通へるは常なればなり。タダは直《ヒタ》の語に同じく、物を強く言ふ語なり。卷十三、事者棚知《コトハタナシリ》も直知と意得べく覺ゆ。此語の事考の別記にも委しく説かれつれど猶穩ならず。鴨ジ物枕詞。水ニウキヰテ、ここは暫く切りて、下の泉ノ川ニ持チコセル云云の詞へ續けて見るべし。ワガツクル日ノ御門ニは、ワガは民どもが自ら言ふなり。日ノ御門は則ち藤原の宮を言ふ。知ラヌ國ヨリコセヂヨリは、諸の國國よりも宮材引く中に、一つの陸路の事を言ひて、他の道道をも知らせたり。巨勢は高市郡なり。我國ハ常世ニナラムは、常しなへにかはらぬ國と言ふなり。フミオヘル神龜モ新代トは、から國の禹王の時、龜負v圖出2洛水1と言ふ事を思ひ寄せたり。アタラヨは新京に御代しろしめすを言ふ。泉河は山城國相樂郡なり。さて我國はと言ふより新代と言ふまでほぎ言をもていづと言ふ序とせり。モチコセルは上の宇治川へ流したる材を泉河にて筏として、藤原の(51)宮所へ川のまにまに上すなり。百タラズ、枕詞。イカダニ作リノボスラムは、田上の宮材に仕まつる者のおしはかりて言へるなればラムとは言へり。イソハク見レバ云云、敏達紀に勤乎をイソシキと訓めると同じ詞なり。かく民どもの務むるも、天皇の神におはします故なるべしと言へるなり。
 參考 ○郡宮者(代)ミヤコヲバ(考〕ミアラカハ(古)オホミヤハ(新)考、古の、兩訓○身毛多奈不知(古)ミモタナシラニ(新)略に同じ○新代登(古、新)アラタヨト○神隨爾有之(新)カムガラナラシ。
 
右日本紀曰。朱鳥七年癸巳秋八月幸2藤原宮地1。八年甲午春正月幸2藤原宮1。冬十二月庚戌朔乙卯遷2居藤原宮1。
 
從2明日香宮1遷2居藤原宮1之後志貴皇子御作歌
 
志貴皇子は天智天皇の皇子、光仁天皇の御父なれば、後追尊みて春日宮御宇天皇と申せり。
 
51 ?女乃。袖吹反。明日香風。京都乎遠見。無用爾布久。
たわやめの。そでふきかへす。あすかかぜ。みやこをとほみ。いたづらにふく。
 
?は※[女+委]の誤りなるべし。※[女+委]は字書に弱好貌と有れば、手弱女の意に書けるなり。タヲヤメとも訓むべけれど、タワヤメの方古し。アスカ風は、集中佐保風、伊香保風など言へる如く、其所に吹く風を言へり。都ヲ遠ミは、藤原ノ都ヲ遠ミなり。明日香に宮所有りし時、たわやめの袖かへせし風の今は徒に吹くと(52)のたまへるなり。
 參考 ?女乃(古)ヲトメノ(新)略に同じ○袖吹反(考)ソデフキカヘセ(古、新)略に同じ。
 
藤原宮御井歌
 
歌に藤井ガ原と詠めるを思へば、此所に昔よりことなる清水有りて所の名とも成りしにや。香山の西北に今清水有りとぞ。
 
52 八隅知之。和期大王。高照。日之皇子。麁妙乃。藤井我原爾。大御門。始賜而。埴安乃。堤上爾。在立之。見之賜者。日本乃。青香具山者。日經乃。大御門爾。春山跡。【跡ヲ今路ニ誤】之美作備立有。畝火乃。此美豆山者。日緯能。大御門爾。彌豆山跡。山佐備伊座。耳高【高ハ爲ノ誤】之。青菅山者。背友乃。大御門爾。宜名倍。神佐備立有。名細。吉野乃山者。影友乃。大御門從。雲居爾曾。遠久有家留。(53)高知也。天之御蔭。天知也。日御影乃。水許曾波。常爾有米。御井之清水。
やすみしし。わごおほきみ。たかひかる。ひのみこ。あらたへの。ふぢゐがはらに。おほみかど。はじめたまひて。はにやすの。つつみのうへに。ありたたし。めしたまへば。やまとの。あをかぐやまは。ひのたての。おほみかどに。はるやまと。しみさびたてり。うねびの。このみづやまは。ひの(よこ、ぬき)の。おほみかどに。みづやまと。やまさびいます。みみなしの。あをすがやまは。そともの。おほみかどに。よろしなへ。かむさびたてり。なぐはし。よしののやまは。かげともの。おほみかどゆ。くもゐにぞ。とほくありける。たかしるや。あめのみかげ。あめしるや。ひのみかげの。みづこそは。(つねにありなめ。とこしへならめ)みゐのましみづ。
 
和期は即|我《ワガ》にて、下の大《オホ》へ續く音便なり。ワガのガの言よりオへ續け言へば、おのづからゴと成れり。アラタヘノ、枕詞。御門と言ひて宮殿も籠れり。埴安ノ堤云云、香山の尾長く池の東北に廻りて有りし故、其れに引き續きて西の方に堤の有りしなるべし。卷二、埴安の池の堤と詠めり。在立シは、すべて集中在通フ、在リツツモなど多く有るに同じく、昔今と絶えせぬ事に言へば、天皇はやくより此堤に立ち給ひて見やり給ひしを言ふなり。メシタマヘバのシは添へたる辭にて、見給ふと同じ。ヤマトノ、日本は借字、大和なり。此下に幸2吉野1時、倭《ヤマト》爾者鳴きてかくらむと詠めるは、藤原の都方を倭と言へるなり。然れば香山をも然か言へるなるべし。後に山邊郡の大和の郷は古は大名にて、其隣郡かけてヤマトと言ひしなり。考の別記に委し。青カグ山は、木の繁く榮ゆる故に香山をかく言へり。日ノタテノ、成務紀以2東西1爲2日縱1南北爲2日横1と言へり。ここは香山は東の御門に向へり。春山ト、今本路は誤りにて跡の字なるべし。宣長云、春山の春は青なり。上に青香山と言へる青を受けて言へり。次なるミヅ山は云云、ミヅ山トと有ると照して知るべしと言へり。シミサビタテリは、春は茂り榮れば言ふ。シミは茂の意、サビは神サビを略き言ふな(54)り。畝火ノコノミヅ山、ミヅは、集中若枝を美豆枝と言へる如く、みづみづしく、若やかなるを褒め言ふ。ここは木の若く美はしきを言ふべし。日ノヌキは、南北にて、ここは畝火は南の御門に向へるを云ふ。紀によりてヨコとも訓むべし。神サビイマスは、其山を即ち神とする例なる故に然か言へり。耳高は、耳爲の誤なるべし。ミミタカと言ふ山は無ければ、ミミナシなる事疑無し。青スガ山は、別に山の名に有らず。常に常葉なる山菅の茂れる山と言ふ事なり。山菅とは麥門冬を云ふ。宣長は菅は借字にて、すがすがしき意なるべしと言へり。紀に清をスガスガシと有り。ソトモノ云云、成務紀、山陽曰2影面1山陰曰2背面1と有り。影面背面はカゲトモソトモと訓む。耳梨は北の御門に向へり。ヨロシナヘのヨロシは備り足りたる意。奈倍は並なり。卷二、宜奈倍吾せの君が負來にしこのせの山を妹とは言はじとも詠めり。又應神紀にあはぢ島いやふた並びあづき島いや二並びよろしき島云云と有るを以ても知べし。考の別記に委し。名グハシは名高シと言ふに同じく枕詞。ヨシ野ノ山ハ云云、南の御門に當りて、遠く見遣らるるなり。高知ルヤ天ノ御蔭、天知ルヤ日ノ御影云云は、祈年祭祝詞に皇御孫命乃|瑞《ミヅ》能|御舍《ミアラカ》仕奉?天御蔭日御蔭隱座?云云と言へるは、雨露を覆ふ義なるを、あやにかく稱へしなり。ここはまた異にて、天の影日の影のうつる清水と言へるなり。影と言ひて、やがてうつる意はこもれり。大神宮儀式帳に、大神の御蔭川の神と言ふ有り。是れ日の御影のうつる川と言ふ意なり。マシ水のマは眞にて例の褒むる詞。
 參考 ○見之賜者(古、新)メシタマヘバ ○春山跡(古、新)「青」アヲヤマト ○日緯能(考)ヒ(55)ノヨコノ(古、新)考に同じ○大御門從(代)オホミカドニ(考)オホミカドユ(古)オホミカドヨ(新)ユ、兩君○常爾有米(古)常「磐」トキハニアラメ(新)トコシヘナラメ。
 
短歌
 
ここにかく書けるは、此歌を右の長軟の反歌と思ひしなり。是れは必ず右の反歌には有らじ。別に端詞有りしが闕けたるならむ。
 
53 藤原之。大宮都加倍。安禮衝哉。處女之友者。之吉召賀聞。
ふぢはらの。おほみやづかへ。あれつげや。をとめがともは。しきめさるかも。
 
アレツゲヤは生繼者ニヤなり。卷四、神代よりあれつぎ來れば人さはに云云の類なり。ヲトメガトモは、少女が輩なり。神武紀、うかひが等茂《トモ》など有るに同じ。シキは重の字をシキと訓める意にて、頻と言ふも同じ。女帝におはしませば、女(ノ)童を多く召給ひし事有りけむ。宣長説、アレツゲヤと訓みては、終のカモの詞とかけ合はず、一首の意も聞えがたし。哉は武の誤りにて、アレツガムか。結句之は乏の誤、召は呂の誤りにて、乏吉呂《トモシキロ》カモならむとあり。かくては乏はめでたき意とすべし。卷六、見るごとにあやにともしも。卷十三、うずの山《今本玉》かげ見れば乏しもと同じ意なり。呂は助辞なり。
 參考 ○安禮衝哉(代、考、略)同じ(古、新)アレツガ「武」ム○之吉召賀聞(代)シキメサムカモ(古、新)「乏」トキシキ「呂」カモ。
 
(56)右歌作者未v詳。
 
大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸2于紀伊國1時歌
 
持統天皇なり。文武紀、此月同國幸の所に天皇とのみ有るはいぶかし。
 
54 巨勢山之。列列椿。都良都良爾。見乍思奈。許湍乃春野乎。
こせやまの。つらつらつばき。つらつらに。みつつおもふな。こせのはるのを。
 
藤原の京より、巨勢路を經て紀の國へ行くなり。和名抄、椿(豆波木)又女貞(比女都波木)など見ゆ。ツラツラ椿は多く生ひつらなりたるを言ふ。卷二十、やつをの椿つらつらにとも詠めり。ツラツラはつらねつらねねもごろなるを言ふ。オモフナのナは、言を言ひおさふる詞なり。此時九月なれば、花咲かむ春を戀ふるなるべし。紀に、此木の油をとりて、唐國へ贈られし事も見ゆれば、多く植ゑおかれしなるべし。
 參考○思奈(古、新)シヌバナ。
 
右一首|坂門人足《サカトノヒトタリ》。
 
55 朝毛吉。木人乏母。亦【亦ヲ今赤ニ誤】打山。行來跡見良武。樹人友師母。
あさもよし。きびとともしも。まつちやま。ゆきくとみらむ。きびとともしも。
 
アサモヨシ、枕詞。マツチ山は、下に木路に入立つまつち山とよみて、大和に近き所の紀伊の山なり。此歌の意、眞土山の景色の面白きを見捨てて、過ぎ行く事の惜しきにつけて、此紀の國人の常に往來に見るら(57)むが羨しきと言へるなり。乏は羨しなり。其意に詠める例は、卷五、まつら川玉島の浦にわかゆつる妹らを見らむ人のともしさ。卷六、島がくりわが漕ぎ來ればともしかもやまとへのぼる眞熊野の舟。卷七、妹に戀ひわが越えゆけばせの山の妹に戀ひずて有るがともしさ。其外同卷にも、卷十七にも此例有り。又眞士山の景色をおもしろき事に詠めるは、卷四長歌にも見ゆる由宣長の言へるによるべし。さなくては一首穩かならず。
 
右一首|調頸淡海《ツキノオフトアフミ》
 
或本歌
 
56 河上乃《カハノヘノ》。列列椿。都良都良爾。雖見安可受《ミレドモアカズ》。巨勢能春野|者《ハ》。
 
これは春見て詠める歌にて、此幸の時の事とは聞えず。
 參考 ○河上乃(古)カハカミノ。
 
右一首|春日藏首老《カスガクラノオフトオユ》
 
二年壬寅太上天皇幸2于參河國1時歌
 
此幸の事紀に見ゆ。冬十月の三字を落せしなるべし。
 
57 引馬野爾。仁保布榛原。入亂。衣爾保波勢。多鼻能知師爾。
ひくまぬに。にほふはりはら。いりみだり。ころもにははせ。たびのしるしに。
 
(58)引馬野は遠江國敷智郡なり。阿佛尼の記に 今の濱松の驛を引馬のうまやと言へり。此野は今三方が原と言ふ。ニホフは色なり。入りミダリは入り亂ラシなり。旅には摺衣著る事、古への習ひなればかく言へり。榛は今の花咲く萩なりと翁は言はれき。先人(枝直)説、集中芽子の歌百五十首餘有りて皆花の咲き散るなど詠み、雁鹿又露など詠み合はせたり。榛と書けると、針、波里など書ける十首餘有りて、皆花を詠める事無く、雁鹿露など詠合せたるも無し。されば榛は今の萩にあらず。波里と訓みて、今ハムノ木と言ふ物なり。此木の皮もて摺れば、よくうつる物なれば、古へ摺染めにせしなるべし。契沖が説によるべき由言へり。宣長の説も然り。衣服令に秦と有るもハリにて、ハンノ木の事なるよし。やむごとなき御説もあればいよよ先人の説に從へり。
 參考 ○榛原(代)ハリハラ(考)ハギハラ(古、新)略に同じ。
 
右一首|長忌寸奧麻呂《ナガノイミキオキマロ》。紀に見えず。卷二、意寸《オキ》麻呂とあり。
 
58 何所爾可。船泊爲良武。安禮乃崎。榜多味行之。棚無小舟。
いづくにか。ふなはてすらむ。あれのさき。こぎたみゆきし。たななしをぶね。
 
何所はイヅクと訓むべし。イヅコと言ふは後なり。船のとまりを古へハツルと言ふ。アレノ崎は和名抄、美濃國不破郡荒崎見ゆ。此幸に美濃を經給ふよし紀に見ゆれば是か。されど三河ならむか。猶尋ぬべし。コギタミはコギタワミにて、漕ぎめぐるなり。集中回又は轉の字をタミと訓ませたり。棚無ヲ舟は、和名(59)抄、笊s奈太那、大船旁板也と有りて、小舟には其たな無ければ然か言へり。
 參考 ○何所爾可 イヅコニカ(古、新)略に同じ。
 
右一首高市連黒人
 
譽謝《ヨサノ》女王作歌
 
續紀、慶雲三年八月卒と見ゆ。
 
59 流經。妻吹風之。寒夜爾。吾勢能君者。獨香宿良武。
ながらふる。つまふくかぜの。さむきよに。わがせのきみは。ひとりかぬらむ。
 
ナガラフルは長ラ經ルにて、寢衣のすその長きを言ふ。ツマは衣の端なり。夫君の旅寢をめぎみの京に在りて、深くおぼしやり給ふなりと翁言はれき。されど衣と言はずして、直ちにツマと續くべきに有らず。誤字有るべし。久老は妻は雪の誤りならむと言へり。猶考ふべし。
 參考 ◎妻吹風(古、新) 「雪」ユキフクカゼ
 
長《ナガノ》皇子御歌
 
天武天皇の皇子靈龜元年六月薨。是も京に在りて詠み給ふなり。續紀、奈賀親王と書けり。例に依るに御作歌と有るべし。
 
(60)60 暮相而。朝面美無。隱爾加。氣長妹之。廬利爲里計武。
よひにあひて。あしたおもなみ。なばりにか。けながきいもが。いほりせりけむ。
 
集中に夜をも初夜をもヨヒと詠めり。ここはただ夜の事なり。面ナミは恥ぢて面隱しするを言へば、新枕せしあしたなど面隱しするを序としたり。隱はナバリと訓みて、伊賀國名張郡なる事、宣長既に言へり。さてナバリはナマリと同じく、隱るる古言とす。ケナガキは月日久しく別れ居たる事を、集中に多く氣長クナリヌと言へり。ここも其意なり。此ケは來經《キヘ》の約なり。古事記、倭建命の御歌に、あら玉の年がきふればあらたまの月は岐閉由久《キヘユク》と有るなりと宣長曰へり。イホリは則ち行宮を言ふ。此幸に長皇子のめぎみも出で立てるか。又は從駕の女房の中に皇子の指し給へる人有りて、京より思ひやりて詠み給へるならむ。
 
舍人《トネリノ》娘從駕作歌
 
卷二、同じ娘子舍人皇子と詠みかはせし歌あり。
 
61 丈【丈ヲ今大ニ誤】夫之。得物矢手插。立向。射流圓方波。見爾清潔之。
ますらおが。さつやたばさみ。たちむかひ。いるまとかたは。みるにさやけし。
 
マスラヲは益荒男の義なり。得物矢は、神代紀彦火火出見尊は山の幸おはして、弓矢もて鳥獣を得給へば、さち弓さち矢と言ふ。其意を得てかく書きたり。サチヤをサツヤとも言へり。仙覺抄に伊勢風土記を引きて、的形浦者。此浦地形似v的故以爲v名也。今已跡絶成2江湖1也。天皇行2幸浦邊1歌云。麻須良遠能佐都(61)夜多波佐美加比多知、伊流|夜麻度加多波麻乃佐夜氣佐《ヤマトカタハマノサタケサ》と有り。立チムカヒは的に立ち向ふなり。上は序にて、的形と言ふに言ひ懸けたり。マトカタは神名帳、伊勢國多氣郡服部麻刀方神社とあれば、ここの浦なるべし。
 參考 ○大夫之(代、考)マスラヲノ(古、新)略に同じ。
 
三野連《ミヌノムラジ》【名闕】入v唐時春日藏首老作歌
 
古本傍註に、大寶元年正月。遣唐使民部卿粟田眞人朝臣以下六十人、乘2船五隻1小商監從七位中宮少進美奴連岡麻呂云云と有り。續紀に、栗田朝臣其外の人は有りて、美奴連は見えねど、類聚國史には見えたれば、續紀今の本後に誤りて脱せし事明らけし。名闕の字は後人の書けるなり。此あたりの歌ども前に入るべきを、亂れてここに入りたるならむよし、考に委しく論らへり。
 
62 在根良。對馬乃渡。渡中爾。幣取向而。早還許年。
    つしまのわたり。わたなかに。ぬさとりむけて。はやかへりこね。
 
在根良は布根盡の誤りにてフネハツルか。又は百船能の誤り歟。卷十五、毛母布禰乃波都流對馬云云、又は百都船の誤りか。是も津と續くべしと翁言はれき。宣長は、布根竟の誤りとせり。何にもせよ、アリネラとては解くべきやうなければ必ず誤字なり。ワタナカは渡の中なり。海路平らかならむ事を祈りて、海神にぬさ奉れとなり。
(62) 參考 ○在根良(考)「百船能」モモブネノ、又は「百都船」モモツフネ(古)「大夫根之」オホブネノ。
 
山上臣憶良《ヤマノヘノオミオクラ》在2大唐1時憶2本郷1歌
 
目録に歌字上作の字有り。ここは脱か。是も右と同じ度なり。續紀、大寶元年春正月乙亥朔丁酉。以2守民部尚書直大貳粟田朝臣眞人1爲2唐執節使1云云、無位山於憶良爲2少録1云云。
 
63 去來子等。早日本邊。大伴乃。御津乃濱松。待戀奴良武。
いざこども。ほやもやまとへ。おほともの。みつのはままつ。まちこひぬらむ。
 
イザは誘ふ言。子とは船中の諸人を言へり。卷三、いざ子ども倭へ早もしらすげの、卷二十、いざ子どもたはわざなせそなど詠めり。卷十五、わぎもこは伴也母《ハヤモ》こぬかと、又よわたる月は波夜毛《ハヤモ》いでぬかもなど有れば、ハヤモと訓めり。日本と書きて集中にヤマトと訓みたり。されどここはから國へ行きて詠みしかば、ヒノモトと訓むべきかとも思へど、欽明紀、大葉子が新羅に在りて、袖ふらすもよやまとへむきて、と詠みしを思へば、ヤマトと訓むべきなり。ハヤモヤマトヘの句の下、歸ラムと言ふ詞を略けり。大トモノ枕詞。津の國の御津は、西國へ行きかふ船の出入りする所なれば言へり。松を家人の待つにかね言へり。
 參考 ○早日本邊(考、新) ハヤクヤマトヘ(古) ハヤヤマトヘニ。
 
慶雲三年丙午幸2于難波宮1時
 
例によるに、丙午の下秋九月の三字有るべし。目録によるに、時の下歌の字有るべきか。文武紀、今年九(63)月幸有りて十月還り給ふ事見ゆ。
 
志貴皇子御作歌
 
64 葦邊行。鴨之羽我比爾。霜零而。寒暮夕。和之所念。
あしべゆく。かものはがひに。しもふりて。さむきゆふべは。やまとしおもほゆ。
 
羽ガヒは羽交にて羽を打ちちがへたる所を言ふ。夕和二字家の一字を誤りたるにてイヘシオモホユなるべし。其故はヤマトに和の字を用ひられたりしは奈良の朝よりの事にて、藤原の朝までは倭の字を書かれし由考に委し。今按ずるに卷七、若浦に白浪立ちて沖つ風寒き夕べは山跡《ヤマト》しおもほゆと末は全く同じ。されば夕は者の誤り、和はもと倭と有りけむを、いづれにても同じ事に思へる者の、ふと書き誤りたるなるべし。倭を和に誤れる事、令にも書紀にもあり。
 參考 ○寒暮云云(考)サムキユフベハ「家」イヘシオモホユ(古)略に同じ 但し「和」は「倭」の誤。
 
長皇子御歌
 
例によるに御の下作の字有るべし。
 
65 霰打。安良禮松原。住吉之。弟日娘與。見禮常不飽香聞。
あられうつ。あられまつばら。すみのえの。おとひをとめと。みれどあかぬかも。
 
(64)霰ウツは、アラレ松原と重ね言へるのみの枕詞なり。神功紀、をちかたの阿邏々摩菟麼邏《アララマツバラ》と有るは、山城の宇治川のあなたに、あらあらと立ちたる松原を言ふなり。禮と羅と通はし言へり。住吉は攝津國住吉郡、かく書きても住ノエと訓むが古訓なり、日枝《ヒエ》を日吉《ヒエ》と書くが如し。オトヒヲトメは、顯宗紀、やまとは云云弟日僕是也を、オトヒヤツコラマゾコレと訓む。是は御兄弟の御事にて、後世オトトヒと言ふ事なり。ここも姉妹の遊行女婦などがまゐりたるをもて、かく詠み給へるならむ。御歌の心は、松原とをとめと二つ竝べ見給へども厭かぬとなり。卷七、さほ川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも。是も佐保の川津と千鳥と二つをめづるにて心同じ。
 參考 ○霰打(古)アラレウチ(新)略と同じ。
 
太上天皇幸2于雖渡宮1時歌
 
66 大伴乃。高師能濱乃。松之根乎。枕宿杼。家之所偲由。
おほともの。たかしのはまの。まつがねを。まきてしぬれど。いへししぬはゆ。
 
大伴ノ、枕詞。高師は和泉國大鳥郡に有る事、紀に見ゆ。或人、此高師は難波に有りて、和泉の高師にあらずと言へり。猶土人に問ふべし。卷十、君が手もいまだまかねばなど有りて、枕スルをただマクとのみ言へる事多し。シヌバユはシノバルに同じ。面しろき濱の松が根を枕として寢たれど故郷の戀しきとなり。宣長は、杼は夜の字の誤りにて、マキテヌル夜ハならむと言へり。
(65) 參考 ○枕宿杼(代)マクラニヌレド(考)略に同じ(古)マキチヌル「夜」ヨハ(新)マキテシヌレバか。
 
右一首|置始東人《オキソメノアヅマド》 紀に、置染と書けるも同氏なるべし。
 
67 旅爾之而。物戀之伎乃。鳴事毛。不所聞有世者。孤悲而死萬思。
たびにして。ものこふしぎの。なくことも。きこえざりせば。こひてしなまし。
 
鷸《シギ》の鳴くを物戀ひて鳴くに言ひなして、さてそのしぎの聲を聞けば、せめて旅の心を慰むと言ふ意なり。モノコヒシギと訓みたれど、かかる言懸けざま集中に例無ければ、ひが言なるよし宣長言へり。
 參考 ○物戀之伎乃(新)モノコヒシキニ○鳴事毛(古、新)「家」ィヘゴトモ。
 
右一首|高安大島《タカヤスノオホシマ》 目録には作者未詳と有り。
 
68 大伴乃。美津能濱爾有。忘貝【今貝ヲ貝ニ誤ル】。家爾有妹乎。忘而念哉。
おほともの。みつのはまなる。わすれがひ。いへなるいもを。わすれておもへや。
 
大伴ノ、枕詞。ミツは難波の御津なり。其濱にある忘貝を即ち序に設けて、妹は忘れぬと言ふなり。忘レテオモヘヤは只忘レムヤと言ふ事なり。此語の例上にも言へり。忘貝と言へるは何貝を指して言へるか知られず。卷十五、長歌の反歌に、玉の浦の沖つ白玉ひろへれど又ぞおきつる見る人をなみ。其次に、秋さらば吾舟はてむ忘貝よせきておけれ沖つ白浪。これ白玉と忘貝を二首に詠みて反歌とせり。猶考ふべし。
 
(66)右一首|身人部《ムトベノ》王 續紀に、天平元年正月正四位下六人郡王卒と見ゆ。
 
69 草枕。客去君跡。知麻世婆。岸之埴布爾。仁寶播散麻思乎。
くさまくら。たびゆくきみと。しらませば。きしのはにふに。にほはさましを。
 
草枕、枕詞。左の註の如く、住の江のをとめが、長皇子にまゐらする歌とする時は、此皇子は今も旅なるに、又旅行く君と言ふは京へ歸り給ふ時を言ふか。キシは住の江の岸なり。卷六、白浪の千重にきよするすみのえの、岸のはにふににほひてゆかな。其外も此類有り。和名抄、埴土黄而細密曰v埴和名波爾と有りて、古事紀に、丹摺之袖《ニヌリノソデ》とも有りて、古へかかる物にて衣を摺り、色どりしと見ゆ。ニホハサマシヲはニホハセムモノヲとなり。
 
右一首清江娘子進2長皇子1 姓氏未v詳 清江すなはちスミノエと訓む。前の弟日娘女とは異なるべし。姓氏未詳の四字後人の書き入れしならむ。
 
太上天皇幸2于吉野宮1時高市連黒人作歌
 
紀に、大寶元年八月吉野の幸有り。されど其度の歌とも定めがたし。いづれにもあれ、黒人從駕にて詠めるなり。
 
70 倭爾者。鳴而歟來良武。呼兒鳥。象乃中山。呼曾越奈流。
やまとには。なきてかくらむ。よぶこどり。きさのなかやま。よびぞこゆなる。
 
(67)藤原あたりをすべて倭と言ふ。鳴キテカ來ラムは行クラムと言ふに同じ。呼子鳥は嶋く聲ものを呼ぶに似たれば名付けたるなるべし。今の俗カツコ鳥、あるひはカツホウと言ふものならむと翁言はれき。象ノ中山は吉野の内秋津の宮に近き所なれば、鳴き越ゆるこゑ聞ゆべし。
 
大行天皇幸2于難波宮1時歌
 
文武天皇を指し奉る。崩れましていまだ御謚奉らぬ間を大行天皇と申奉れば、其ころ前にありし幸の度の歌ども傳へ聞きて記し置きしを、其ままに書けるなるべし。考に委し。
 
71 倭戀。寐之不所宿爾。情無。此渚崎爾。多津鳴倍思哉。
やまとごひ。いのねらえぬに。こころなく。このすのさきに。たづなくべしや。
 
ネラエヌのエはレと通ふ。集中例多し。心はさらぬだに旅寢のうまいせられぬに、鶴の鳴くを聞きて、いよよ物悲しければ、旅やどり近き洲崎に心もなく鳴かんものかとなり。
 
右一首|忍坂部乙麻呂《オサカベノオトマロ》
 
72 玉藻苅。奧敝波不榜。敷妙之。枕之邊。忘可禰津藻。
たまもかる。おきへはこがじ。しきたへの。まくらのあたり。わすれかねつも。
 
シキタヘノ、枕詞。旅ねする浦のさまの厭かねば、沖へ漕ぎ出でむ事は思はずとなり。
 
右一首式部卿藤原宇合 ウマカヒと訓むべし。此時、宇合卿まだ童にて御供すべからず。宇合卿の歌にあ(68)らじと考に言へり。
 參考 ○枕之邊(古)マクラノホトリ(新)略に同じ。
 
長皇子御歌
 
73 吾妹子乎。早見濱風。倭有。吾松椿。不吹有勿勤。
わぎもこを。はやみはまかぜ。やまとなる。わをまつつばき。ふかざるなゆめ。
 
ハヤミは地名なるべし。豐後に速見郡有り。攝津國にも有るか。妹を早く見むと讀け、はた京にて妹が吾を待つべきと言ふを、其園に有る松椿に言ひ續けたり。フカザルナユメは不v吹アルナユメにて、フケカシと言ふ意になれり。吾は妹を早く見む事を思ひ、妹は吾を待つべきを、其間の便りせむに、風だに吹き通へと詠み給へるなり。吾をワとのみ言ふは古語なり。ユメはもと忌み慎むより出て、ツトメヨと言ふ事に多く言へり。
 參考 ○吾松椿(代)ワガマツツバキ(考、新)略に同じ(古)アヲマツツバキ。
 
大行天皇幸2于吉野宮1時欧
 
大行と申す事上の如し。
 
74 見吉野乃。山下風之。寒久爾。爲當也今夜毛。我獨宿牟。
みよしのの。やまのあらしの。さむけくに。はたやこよひも。わがひとりねむ。
 
(69)和名紗、嵐山下出風也と言ひ、集中に、アラシを山下、阿下、下風など略きて書ければ、ここもアラシと訓むべし。ハタは又と言ふに同じ。ここは今夜も又や獨ねむと言ふ意なり。爲當をハタと訓むは欽明紀、日本後紀宣命、令集解等に見ゆ。みな又何何せむ歟の意なり。
 
右一首或云天皇御製駄 端詞に御製と無きは皆從駕の人の歌なり。且つ難波吉野などの幸は御心ずさみの爲なるを、かくわびしき御歌よませ給ふべきにあらず。此左註は誤れるよし考に委し。
 
75 宇治間山。朝風寒之。旅爾師手。衣應借。妹毛有勿久爾。
うぢまやま。あさかぜさむし。たびにして。ころもかすべき。いももあらなくに。
 
ウヂマ山は吉野にあり。心明らかなり。男女の衣を互に借りて著る事いにしへの常なり。
 
右一首長屋王 高市皇子命の御子、大寶元年正月無位より正四位上を授くるよし紀に見ゆ。
 
和銅元年戊申天皇御製歌
 
例によるに戊申の下、冬十一月とあるべし。且つここに寧樂宮御宇天皇代の標有るべきなり。天皇は天津御代豐國成姫《アマツミヨトヨクニナリヒメノ》天皇にて、後に元明と申來れるなり。
 
76 丈夫之。鞆乃音爲奈利。物部乃。大臣。楯立良思母。
ますらをの。とものおとすなり。もののふの。おほまへつぎみ。たてたつらしも。
 
鞆は神代紀、臂着2稜威之高鞆《イツノタカトモ》1と有る是なり。左臂に着けて、弓弦の觸れて鳴る音を高からしめむ爲な(70)り。音を以て威《オド》す事|鳴鏑《ナリカブラ》なども同じ。此事古事記傳に委し。モノノフノ大マヘツギミは御軍の大將を宣まへり。タテタツラシモは、此時陸奧越後の蝦夷ども叛きて、和銅二年討手の使をたてらる。ここは其前年御軍のならし有りし時、鼓吹の聲鞆の音などのかしがましきを聞こしめして、御位の初に事有るを歎きおぼしめす御心より、かく詠み給へるなるべし。次の御答への歌と合せて其御心を知るべし。此時大將軍巨勢麻呂佐伯石湯にして、右の物部は氏に非ず。されば彼モノノフ又は大臣と有るは、其將軍を宣まひしなり。
 
御名部《ミナベノ》皇女奉v和御歌
 
此皇女は天皇の御姉なり。
 
77 吾大王。物莫御念。須賣神乃。嗣而賜流。吾莫勿久爾。
わがおほきみ。ものなおもほし。すめがみの。つぎてたまへる。われなけなくに。
 
スメガミは皇統の神を申す。皇神のよざし繼がせ給へる天皇の御位ぞと、三四の句を初句の上へ廻らして意得べし。これ隔句の體なり。結句古訓ワレナラナクニを、翁はワレナケナクニと訓まれつ。ナケナクニは、吾無キニアラズと言ふ言にて、約めては吾在りと言ふ事となるなり。ナケナクの詞の例は、卷十五、旅と言へばことにぞやすきすくなくも妹を戀ひつつ須敝奈家奈久爾《スベナケナクニ》とも言ひて、こもすべなきことのすくなくも有らぬなり。凡ての意は、皇神の嗣嗣《ツギツギ》に寄《ヨザシ》立しめ給へる吾天皇の御位におはしませば物な思ほしそ、御代に何ばかりの事か有るべき、若しはたゆゆしき御大事ありとも、吾あるからは、如何なる御(71)事にも代り仕へまつらむと申し慰め奉り給ふなり。卷四、わがせこは物なおもひそ事し有らば火にも水にも吾莫亡國と言ふも、ワレナケナクニと訓みて、心は同じ。此ナケナクニと、ナラナクニとのけぢめは、翁の考の別記に委し。開き見て知るべし。宣長は、吾莫勿久爾の吾は、君の字の誤れるならむかと言へり。しかする時は上よりの續き穩かに聞ゆ。
 參考 ○吾莫勿久爾(古)「君」キミナケナクニ(新)ワレナケナクニ。
 
和銅三年庚戌春三月【今三月ヲ二月ニ誤ル】從2藤原宮1遷2于寧樂宮1時御輿停2長屋原1?【?一本回ニ作ル】望2古郷1御作歌
 
今本二月とあれど、紀によるに三月なり。長屋原は和名抄山邊郡長屋郷あり。
一書云太上天皇御製 宣長云、此歌を一書には、持統天皇の御時に飛鳥より藤原へうつり給へる時の御歌とするなるべし。然るを太上天皇と言へるは、文武天皇の御代の人の書ける詞なり。又和銅云云の詞につきて言はば、和銅の頃は持統天皇既に崩じ給へば、文武の御時に申し習へるままに太上天皇と書けるなり。此歌のさまを思ふに、まことに飛鳥より藤原宮へうつり給ふ時の御歌なるべし。然るを和銅三年云云と言へるは、傳への誤りなるべしと言へり。
 
78 飛鳥。明日香能里乎。置而伊奈婆。君之當者。不所見香聞安良武。一云君之當|乎《ヲ》、不見而香毛安良牟《ミズテカモアラム》
とぶとりの。あすかのさとを。おきていなば。きみがあたりは。みえずかもあらむ。
 
(72)飛鳥ノ、枕詞。右の如く飛鳥より藤原宮へうつり給ふ時の御歌とせざれば聞えず。君とは明日香に留り給ふみこたちなどを、指し給へるならむ。
 
或本從2藤原京1遷2于寧樂宮1時歌
 
是は一本には無くて或本に有れば、斯くしるせるならむ。作者の姓名を落せり。
 
79 天皇乃。命畏美。柔術爾之。家乎擇【擇ハ放ノ誤】。隱國乃。泊瀬乃川爾。?浮而。吾行河乃。川隈之。八十阿不落。萬段。顧爲乍。玉桙乃。通行晩。青丹吉。楢乃京師乃。佐保川爾。伊去至而。我宿有。衣【衣ハ床ノ誤】乃上從。朝月夜。清爾見者。栲乃穗爾。夜之霜落。磐床等。川之氷凝【凝ヲ今疑ニ誤ル】。冷夜乎。息言無久。通乍。作家爾。千代二手來【來は爾ノ誤ナリ】。座牟【牟今多ニ誤ル】公與。吾毛通武。
すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。にきびにし。いへをさかりて。こもりくの。はつせのかはに。ふねうけて。わがゆくかはの。かはぐまの。やそくまおちず。よろづたび。かへりみしつつ。たまぼこの。みちゆきくらし。あをによし。ならのみやこの。さはがはに。いゆきいたりて。わがねたる。ころも《とこ》のうへ|ゆ《より》。あさづくよ。さやにみれば。たへのほに。よるのしもふり。いはどこと。かはのひこごり。さゆるよを。いこふことなく。かよひつつ。つくれるいへに。ちよまでに。いまさむきみと。われもかよはむ。
 
スメロギノ云云天皇のみことのりを恐れてと云ふなり。ニキビニシ云云|調和《ニギハヒ》しを云ふ。擇は放の字なりけ(73)むを、擇の略択と書きし字に見誤りしなるべし。サカリは離れてなり。コモリクノ枕詞、ワガ行ク河ノ云云此川三輪にては三輪川とも言へど、其始初瀬なればかく言へるなり。末は廣瀬の河合にて落合なれば、そこまで舟にて下りて、河合より廣せ川をさかのぼりに佐保川まで引のぼる。末にては人は陛にのぼりて行けば陸の事も言へり。ヤソクマは、川の曲の多きを言ひて、其くま毎にかへり見するなり。玉ボコノ、枕詞。道行クラシは人は陸にのぼりても行けばなり。青ニヨシ、枕詞。サホ河ニイ行キのイは發語。ワガネタル衣は床の誤りなるべし。トコノウヘヨリと有るべし。まだ假廬なれば夜床ながらに月影の見えてわびしきさまなり。朝月夜は在明月なり。栲ノホニ云云、栲は白布の事にて、ホは色のにほひの顯れたるを言ふ。其白布の如くにと言ふを略きて、タヘノホニと言へり。集中、栲をタヘともタクとも訓めり。冠辭考、白たへ、たくぶすま等の條に委し。栲は楮の字の誤れるならむと翁言はれき。イハ床ト川ノヒコゴリは、ヒは氷なり。集中、岩ねこごしきと言へる如く、氷の磐の如くに凝り堅まれるなり。イコフ事ナク云云、藤原の都より行き通ふいたづきを言ふ。作レル家ニ千代マデニ、來座多公與云云、來は爾の誤りなるべし。多は古本に牟に作れるによる、今の訓はことわりを成さず。此歌、初めにはみことのりのままに皆人所をうつす心を言ひ次に藤原より奈良までの道の事を言ひ、次に寒き頃家造りせし勞を言ひ、末に成りて新室をことぶく言もて結べるなり。これは貴人の家を親しき人の事とり作りて、其作れる人は他所に住める故に吾も通はむと詠めるならむ。又親王諸王たちの家も、即ち造宮使に取造らしむべければ、其司人の中に詠みしか。
(74) 參考 ○天皇(新)オホキミノ○家乎擇(考)イヘ「毛」モ「放」サカリ(古)イヘヲ「釋」オキ(新)イヘヲ「放」サカリ○衣乃上從(考)「床之上」トコノウヘヨリ(古)コロモノウヘ(新)「有」を補ひアリソノウヘユ○清爾見者(考)サヤニミユレバ(古)サヤカニミレバ(新)サヤニミユレバ○川之冰凝(代)カハノヒコリテ(古)カハノヒコホリ(新)カハノ「水」ミヅコリ○冷夜乎(代)ヒユルヨヲ(考)「夜冷」サムキヨヲ(古)略に同じ(新)サユルヨ「毛」モ○息言無久(古〕ヤスムコトナク(新)イコフ。
 
反歌
 
80 青丹吉。寧樂乃家爾者。萬代爾。吾母將通。忘跡念勿。
あをによし。ならのいへには。よろづよに。われもかよはむ。わするとおもふな。
 
今よりは長くしたしく通はむ。疎ぶる事あらむとは思ふなとなり。
 參考 ○忘跡念勿(古)ワスルトモフナ(新)ワスレテオモフナ。
 
右歌作主未v詳
 
和銅五年壬子夏四月遣2長田王于伊勢齋【齋ヲ今齊ニ誤ル】宮1時山邊御井作歌
 
長田王は續紀、和銅五年正五位下と見ゆ。三代實録に、長親王の御子なる事見えたり。卷十三長歌、山邊の五十師《イシ》の原に云云、反歌に山邊の五十師《イシ》の御井はと有り。考に師は鈴の誤りとせり。其所に委しく(75)言ふべし。宣長云、伊勢に山邊村と言ふ有りて、そこに御井の跡なれとて今も殘れりと言へり。
 
81 山邊乃。御井乎見我?利。神風乃。伊勢處女等。相見鶴鴨。
やまのべの。みゐをみがてり。かむかぜの。いせをとめども。あひみつるかも。
 
見ガテリは見ガテラと同じく、物を相かねて見るを言ふ。ラもリも添へたる詞なり。此御井を見る時、よき處女らに行き逢ひて興を増したる意のみにて、深き心無し。
 參考 ○山邊乃(古、新)ヤマヘノ○伊勢處女等(考)イセノヲトメラ(古、新)略に同じ。
 
82 浦佐夫流。情作麻彌之。久堅乃。天之四具禮能。流相見者。
うらさぶる。こころさまみし。ひさかたの。あめのしぐれの。ながらふみれば。
 
ウラサブルは久しき旅ゐを愁へて、慰め難く心すさましと言ふなり。考に、彌は禰の字なるべし。サは發語にて、間無クの意なりと有り。宣長云。マネシは物の多き事、繁き事なり。ここはうらさびしき心の繁きなり。卷二、まねく行かば人知りぬべみ、卷四、君が使まねく通へば、是らは繁き意なり。卷十七玉ぼこの道に出立ち別れなば見ぬ日さまねみ戀しけむかも、又、やかたをの鷹を手にすゑみしま野にからぬ日まねく月ぞへにける、卷十八、月かさね見ぬ日さまねみ戀ふるそらやすくしあらねば、卷十九、朝よひに聞かぬ日まねく天さかるひなにしをれば、又つれもなくかれにし物と人はいへど逢はぬ日まねみ思ひぞわがする、是ら日數の多きを言へり。此外數多と書けるにマネクと訓みてよろしき所多し。此マネシの言を間無の意(76)とする時は、右の十七、十八、十九の歌どもに叶はず。續紀三十六の宣名に、氏人乎毛滅(ス)人|等麻禰久《ドモマネク》在とも有りと言へり。げにも數多き事とする時はいづこにも協へり。久カタノ、枕詞。天ノシグレノ云云。古は雨雪などの降るを流ルとも言へり。ラフはルを延べ言ふなり。
 參考 ○情佐麻彌之(古、新)ココロサマ「禰」ネシ。
 
83 海底。奧津白浪。立田山。何時鹿越奈武。妹之當見武。
わたのそこ。おきつしらなみ。たつたやま。いつかこえなむ。いもがあたりみむ。
 
ワタノソコ、冠辭考に委し。二の句までは立つと言はむ序なり。立田山は大和國平群郡にて河内の堺なり。伊勢の國とは地も違へれば左の註あり。
 
右二首今案不v似2御井所1v作、若疑當時誦2之古歌1歟。
 
註に言へる如く、立田山の歌は殊にここに由無し。端詞などの落ちしか。
 
寧樂宮 ここにかく標せるは誤りなり。
 
長《ナガノ》皇子與2志貴《シキノ》皇子1於|佐紀《サキ》宮倶宴歌
 
佐紀宮は長皇子の宮なるべし。續紀、添下郡佐貴郷高野山陵と有り、神名帳、添下郡佐紀神社。
 
84 秋去者。今毛見如。妻戀爾。鹿將鳴山曾。高野原之宇倍。
あきさらば。いまもみるごと。つまごひに。しかなかむやまぞ。たかのはらのうへ。
 
(77)今見る如くに行末も變らじと言ふなり。ここの興の盡くすまじきにつけて、志貴皇子を常にこひ迎へて遊ばむと言ふ事を、鹿の妻戀にそへ給ふなるべし。
 參考 ○秋去者(新)アキサレバ ○鹿將鳴山曾(古)カナカムヤマゾ(新)將を衍として、シカナクヤマゾ。
 
右一首長皇子
 
萬葉集 卷第一終
 
(78)卷一追加
 
野を集中奴と假字書にせり。古事記にも、ミヨシ野を美延斯努《ミエシヌ》など書きたれば、野はすべて奴とのみ訓むべけれど、卷十七、波流能能爾《ハルノノニ》、巻十八、夏能能之《ナツノノノ》、卷十四、すがのあら能《ノ》などもあれば、調によりて稀には乃とも訓みたりと見ゆ。例へば、あかねさす紫野行きしめ野行き野もりは見ずや、など言ふ御歌の野を、奴とはとなへがたければ、是らは乃とせり。猶此類有り。
○山常庭云云。宣長云、※[?+可]伶の※[?+可]、諸の宇書に見えず。からには無き字なり。紀にはみな可怜と書けり。これ正しかるべし。エを可愛とかかれたると同じ例なり。然るに此集には所所に有るみな※[?+可]と書けり。こは此方にて?を加へたる物ならむと言へり。仁賢紀に.吾夫※[?+可]怜《アヅマハヤ》矣、字鏡※[言+慈]の字の註に※[?+可]怜也などあれば、此集のみにあらず。
○藤原ノ大宮ヅカヘ安禮衝哉云云。宣長云、哉は武の誤りなるべし。さて衝は繼の意にはあらじ。卷六長歌にも八千年爾安禮衝之乍とも有りて、繼とは清濁もたがへりと言へり。借字には清濁にかかはらぬ例ながら、かく二所まで清みて書けるは、いかさまにも別に意有る事ならむ。猶考ふべし。
 
(79)萬葉集 卷第二
 
相聞 是は相思ふ心を互に告げ聞ゆればかくは言へり。後の集に戀と言ふにひとし。されど此集には、親子兄弟の相したしみ思ふ歌をも載せて事廣きなり。
 
難波高津《ナニハタカツノ》宮御宇天皇代 大鷦鷯《オホササギノ》天皇 後に仁コ天皇と申す〔七字□で囲む〕
 
仁コ紀元年正月、難波に都し給ひて、高津宮と言ふ由見えたり。
 
盤姫《イハノヒメノ》皇后思2天皇1御作歌四首
 
仁コ天皇の后、履中紀に葛城|襲津《ソツ》彦が女とあり。履中天皇の御母なり。皇后の御名は書くべきにあらず。後人のしわざなるべし。
 
85 君之行。氣長成奴。山多都禰。迎加將行。待爾可將待。
きみがゆき。けながくなりぬ。やまたづね。むかへかゆかむ。まちにかまたむ。
 
右一首歌。山上憶良臣類聚歌林載焉。
 
是は皇后の御歌にあらず。誤りて入りたり。此末に言ふべし。字も誤れり。
 參考 ○山多都禰(新)ヤマタヅ「能」ノ○迎加(新)ムカヒカ。
 
86 如批許。戀乍不有者。高山之。磐根四卷手。死奈麻死物乎。
かくばかり。こひつつあらずは。たかやまの。いはねしまきて。しなましものを。
 
(80)此歌より三首、后の御歌なり、戀ヒツツアラズハは、カク戀ヒツツ在ラムヨリハと言ふ意なり。集中此類數多あり。皆なぞらへ知るべし。卷四、かくばかり戀つつあらずは石木にもならまし物を物もはずして。高山ノ云云は、いづくにも有れ、山に葬らむさまを言へり。マクは枕にするを言ふ。シナマシモノヲは、死ナムモノヲと言ふなり。
 
87 在管裳。君乎者將待。打靡。吾黒髪爾。霜乃置萬代日。
ありつつも。きみをばまたむ。うちなびく。わがくろかみに。しものおくまでに。
 
アリツツモは在り在りて來ますまで待たむとなり。卷五かぐろき髪にいつの間に霜の降けむと有りて、皆奈良の比には打ちまかせて、白髪を霜とのみも詠みたれど、此御歌は仁コの御時にて、いと古ければいまだ然かる事は有らじ。是れは左の或本の歌、又は卷十二、君待と庭にのみをればうちなびく吾黒髪に霜ぞ置きけるなどある歌にまがへて、古歌の樣よくも意得ぬ人の書き誤れるならむ。此成本并に卷十二の歌は共に一夜の事にて實の霜を詠めるなり。
 
88 秋之田。穗上爾霧相。朝霞。何時邊乃方二。我戀將息。
あきのたの。ほのへにきらふ。あさがすみ。いづべのかたに。わがこひやまむ。
 
キラフはクモリを言ひて用の語なり。霞みは其くもりの體の語なり。イヅベノカタはイヅレノ方と言ふなり。卷十九、ほととぎす伊頭敝熊《イヅベノ》山乎鳴きか越ゆらむとも詠めり。いづかたへ思ひをやりてか、我戀をは(81)るけむと言ふを、田面の霧の立ちこめて晴るる方なきに譬へ給へり。古へは春山の霧とも詠みて、後世の如く、霞は春、霧は秋の物とする事無し。
 參考 ○將息(新)「將遣」ヤラム。
 
或本歌曰。89 居《ヰ》明而。君乎者將待。奴婆《ヌバ》珠乃。吾黒髪爾。霜者零騰文。
 
ヰアカシテは起き明してなり。卷十八乎里安加之こよひは飲まむとも詠めり。是は右の在りつつもと言へるとは異にて、居明してと有るからは、實の霜にして、白髪となれる事にあらず。
 
右一首古歌集中出。
 
古事記曰。輕太子奸2輕大郎女1。故其太子流2於伊豫湯1也。此時衣通王不v堪2戀慕1而遣【記ニ遣ヲ追ニ作ル】往時歌曰。90 君之行《キミガユキ》。氣長久成奴《ケナガクナリヌ》。山多豆乃《ヤマタヅノ》。迎乎將往《ムカヘカユカン》。待爾者不待《マツニハマタジ》。此云2山多豆1者。是今造v木者也。
 
衣通王は輕大郎女の別名なり。此歌を唱へ誤り、且つ讀人をも誤りて前に載せし物なり。然るを前の歌誤りたれば、後人の又ここに亂し載せたりと見ゆ。心は氣長くは前に出でし如くにて、さて待つにはえ待堪へじと言ふなり。前に出でたるには、山タヅ能を禰に誤りたれば、ことわりわき難し。山タヅの事は、冠辭考に委し。右の歌を今本本文に擧げしは誤りなり。かれ今改めて註とせり。
 
右一首歌。古事記與2類聚歌林1所v説不v同。歌主亦異焉。因?2日本紀1曰。難波高津宮御宇。大鷦鷯天皇廿二年春正月。天皇語2皇后1納2【紀納ノ上曰ノ字有リ】八田皇女1將v爲v妃。時皇后不v聽。爰天皇歌以乞2於(82)皇后1之。【元三ノ上之ノ字ナクテ云云ト有リ】三十年秋九月乙卯朔乙丑。皇后遊2行紀伊國1到2熊野岬1【岬ヲ今?ニ誤ル】取2其處之御綱葉1而還。於v是天皇伺2皇后不1v在而娶2八田皇女1納2於宮中1。時皇后到2難波濟1。聞3天皇合2八田皇女1大恨之云云。亦曰。遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚【稚ヲ今雅ニ誤ル】子宿禰天皇廿三年春正月甲午朔庚子。木梨輕皇子爲2太子1。容姿佳麗。見者自感。同母妹輕大娘皇女亦艶妙也云云。遂竊通。乃悒懷少息。廿四年夏六月。御【紀御下膳字有リ、羮ヲ今美に誤凝ヲ疑ニ誤ル】羮汁凝以作v氷。天皇異之卜2其所由1。卜者曰。有2内亂1。盖親親相姦乎云云。仍移2大娘皇女於伊與1者。今案二代二時不v見2此歌1也。
 
近江|大津《オホツノ》宮御宇天皇代 天命開別《アメミコトヒラカスワケノ》天皇 後に天智天皇と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇賜2鏡王女1御歌一首
 
鏡王女とあるは誤りにて鏡女王なり。下皆同じ。此女王は額田女王の姉にて、此姉妹ともに天智天皇に召されたりと見ゆ。御の下製の字脱ちたるか。
 
91 妹之家毛。繼而見朝思乎。山跡有。大島嶺爾。家母有猿尾。
いもがいへも。つぎてみましを。やまとなる。おほしまのねに。いへもあらましを。
 
一云。妹之當《アタリ》繼而|毛見武爾《モミムニ》。一云。家|居《ヲラ》麻之乎。
 
和名抄大和國平群郡額田郷あれば、此女王はそこに住み給へるなるべし。近江へ遷りませし後も、此女王は大和に居給ひし故に、かくは詠み給へるならむ。さらば大島嶺も、平群郡に有るなるべし。ツギテ(83)見マシヲは、打ツヅキテモ見ムなり。高き嶺に住み給はば、女王の方を常に見む物をとのたまふなり。
 
鏡王女奉v和御歌一首 鏡王女又曰2額田姫王1也。
 
右に言へる如く王女は女王の誤りなり。さて此註は、額田姫王と同人と思ひ誤れる後人の書入れなり。歌の上御の字目録に無きをよしとす。
 
92 秋山之。樹下隱。逝【逝ヲ今遊ニ誤】水乃。吾許曾益目。御念從者。
あきやまの。このしたがくり。ゆくみづの。われこそまさめ。みおもひよりは。
 
遊、元暦本逝に作る。隱レテと言ふをカクリと言ふは例なり。秋は水の下れば、山下水の増るに譬へて、吾戀奉る事こそ君よりも増りたれと言ふなり。
 參考 ○吾許曾益目(古)アコソマサラメ(新)略に同じ○御念從者(古)オモホサムヨハ(新)略に同じ。
 
内大臣藤原卿娉2鏡王女1時鏡王女贈2内大臣1歌一首
 
藤原卿は鎌足卿なり。王女は女王の誤なり。此女王此時天皇の寵衰へたるを、鎌足卿よばひしなるべし。
 
93 玉匣。覆乎安美。開而行者。君名者雖有。吾名之惜毛。
たまくしげ。おほふをやすみ。あけていなば。きみがなはあれど。わがなしをしも。
 
玉クシゲ。枕詞。匣の蓋は覆ふ事も安しと言ふよりアクルと續けたり。さて夜の明くる事に言ひ懸けたる序のみ。三の句に依るに、此卿の來て夜更れども歸り給はぬを、女王のわびて言ひ出だせる歌なるべし。(84)按ずるに、君吾二字互に誤りつらむ。吾名は有れど君が名し惜しもと有るべし。六帖に此歌を、わが名はあれど君が名惜しもと有り。卷四、吾名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名たたばをしみこそ泣けと詠めるをも思へ。宣長は玉クシゲは開くるへかかれり。覆は字の誤れるにやと言へり。
 參考 ○覆乎安美(古)カヘルヲ「不安」イナミ(新)略に同じ○開而行者(考)アケテユカバ(古、新)考に同じ○君名云云(代)「君」は「吾」「吾」は「君」の誤としてワガナハアレドキミガナヲシモ(古、新)略に同じ
 
内大臣藤原卿報2贈鏡王女1歌一首
 
王女は女王の誤なり。
 
94 玉匣。將見圓山乃。狹名葛。佐不寐者遂爾。有勝麻之目。
たまくしげ。みむろのやまの。さなかづら。さねずはつひに。ありがてましも。
或本歌云。玉匣|三室戸《ミムロト》山乃。
 
玉クシゲ、枕辭。ミムロ山とは三輪を言ふ。ミムロと訓める由は冠辭考に委し。サナカヅラは、和名抄に、五味佐禰加豆良と言へるなり。三句までは、サネズハと言ふ序に設けたり。サは發語にて、不v寢ハなり。有リガテマシは在難カラムと言ふ詞にて、モは助辭なり。心は明けぬ間に歸れとのたまへども、遂に逢はずしては堪ふまじきとなり。或本の三室戸山と言へるは心得難し。卷七、珠くしげ見諸戸山と有る(85)は、旅の歌の中に有りて、西國の歌どもに交れれば、備中國のみむろどなるべし。山城宇治に三室戸と言ふあれど、後の事と見ゆ。ここは大和の都にて、備中のみむろどを詠むべきに有らず。古へ故なく他國の地名を設けよむ事など無き事なればいぶかし。按ずるに或本の戸は乃の誤りなるべし。
 參考 ○有勝麻之目(新)アリカツマシジ。
 
内大臣藤原卿娶2采女安見兒1時作歌一首
 
采女は古へ諸國より女を召し上げられしよりして、後に國造郡司などの、女兄弟姪などを撰びて貢する事と成りたり。
 
95 吾者毛也。安見兒得有。皆人乃。得難爾爲云。安見兒衣多利。
われはもや。やすみこえたり。みなひとの。えがてにすとふ。やすみこえたり。
 
モは助辭にて、吾ハヨなり。安見子は此采女の名なり。皆人此采女を思ひ懸けたれども受け引かざりしを、吾は是をしも得たりと誇りかに詠めり。
 參考 ○吾者毛也(古)アハモヤ○皆人乃(古)ヒトミナノ(新)ミナビトノ。
 
久米禅師娉2石川郎女1時歌五首
 
久米は氏、禅師は名なり。下の三方沙彌も是に同じ。續紀に阿彌陀、釋迦など言ふ名も有りしを禁ぜられし事見ゆれば、是は俗人の名なり。景行紀、郎姫此云2異羅菟比刀sイラツヒメ》1と有り。又藤原伊良豆賣とも續紀に見ゆ。
 
(86)96 水篶【今篶ヲ薦ニ誤ル】苅。信濃乃眞弓。吾引者。宇眞人佐備而。不言常將言可聞。禅師
みすずかる。しなぬのまゆみ。わがひかば。うまびとさびて。いなといはむかも。
 
ミスズカル、枕辭。篶は小竹なり。薦は誤なり。弓は古へ甲斐信濃より貢しつれば然か言へり。紀に大寶二年信濃國より梓弓一千二十張を獻る。景雲元年信濃國より弓一千四百張を獻る。又甲斐國槻弓八十張、信濃國梓弓百張奉る由見ゆ。ウマ人は貴人を言ふ。紀に君子、縉紳、良家の字などを然か訓めり。サビはスサビなり。をとめさび、翁さびのサビに同じ。さて本は譬へにて、郎女がうま人なる心ならひにて、吾をたぐひに有らずとて、いなむかと言ふなり。不言を元暦本に不欲に作る方まされり。
 參考 ○水薦苅(考)ミ「篶」スズカル(古)ミコモカル(新)ミスズカル。(薦を誤とせず。)
 
97 三篶【今篶ヲ薦ニ誤ル】苅。信濃乃眞弓。不引爲而。強【強は弦ノ誤リ】作留行事乎。知跡言莫君二。郎女
みすずかる。しなぬのまゆみ。ひかずして。をはぐるわざを。しるといはなくに。
 
左に都良絃取波氣と言ふも、則ち弓弦を懸くるをハグルと言へば、強の字は、契沖が言へる如く弦の誤なり。弓を引かぬ人の弦懸くるわざを知ると言ふ事無し。其如く我を引見ずしては、否と言はむやいなやも知るべからずと言ふなり。
 
98 梓弓。引者隨意。依目友。後心乎。知勝奴鴨。郎女
あづさゆみ。ひかばまにまに。よらめども。のちのこころを。しりがてぬかも。
 
(87)引カバマニマニは、引クニシタガヒテなり。ヨラメドモは、古今集に、ひけばもとすゑ吾かたへよるこそまされなど詠める如く、弓にヨルと言ふ言多し。シリガテヌは知リガタキなり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも、古へ同じ詞にて、マタナクニと言ひてマタムニと言ふ意になるが如し。卷三草枕云云。家待莫國《イヘマタナクニ》と言ふ歌の所に、猶委しく言ふべし。歌の意は、實は引かば寄るべき心有れども、後いかがあらむと言ひ固むるなり。
 參考 ○勝奴(古、新)カテヌ。
 
99 梓弓。都良絃取波氣。引人者。後心乎。知人曾引。禅師
あづさゆみ。つらをとりはげ。ひくひとは。のちのこころを。しるひとぞひく。
 
ツラヲは、宣長云、蔓緒《ツラヲ》の意なり。かかるたぐひの物を凡て蔓《ツラ》と言ふ。草の蔓も其一つなりと言へり。右の後の心を知りかぬると言ふに答ふるなり。
 參考 ○都良緒取波氣(古、新)ツラヲトリハケ。
 
100 東人之。荷向篋【今篋ヲ篋ニ誤ル】乃。荷之緒【緒ヲ結ニ誤ル】爾毛。妹情爾。乘爾家留香聞。禅師
あつまどの。のざきのはこの。にのをにも。いもがこころに。のりにけるかも。
 
荷向はいづれの國にても、年ごとに始に奉る調物を荷前と言ふ。是は東國より貢るのざきに就きて詠めるのみ。そは箱に納めて紐して馬に結ひつけて上る故に、荷の緒と言ひ、乘と言ふなり。荷ノヲニモは、荷ノ(88)緒ノ如クニモと言ふを略けり。ノルは卷十四東歌に、白雲の絶えにし妹はあぜせろと許許呂爾能里弖許許婆《ココロニノリテココバ》かなしけと言ふをもて見れば、妹が事の常に吾心のうへに在るを言ふなり。
 參考 ○東人(代)アツマノ又はアツマツノ(考)アツマドノ(古、新)アヅマヒトノ○妹情爾(考)イモハココロニ(古、新)略に同じ。
 
大伴宿禰娉2巨勢《コセノ》郎女1時歌一首
 
元暦本に、大伴宿禰諱曰2安麻呂1也。難波朝右大臣大紫大伴長コ卿之第六子、平城朝任2大納言兼大將軍1薨也とあり。
 
101 王葛。實不成樹爾波。千磐破。神曾著常云。不成樹別爾。
たまかづら。みならぬきには。ちはやぶる。かみぞつくとふ。ならぬきごとに。
 
葛は實なるもの故に、次の言をいはむ爲に、冠らせたるのみなり。さて實のなると言ふまでに言ひ懸けて、不成の不までは懸けぬ類ひ、集中に多し。樹とは葛の事にあらず。何にもあれ、實なる樹を言ふ。チハヤブル、枕詞。神ゾツクトフのトフはトイフなり。實なる木の實ならぬには、神の領し給ふと言ふ諺有りしなり。心は女のさるべき時に男せねば、神の依り給ひて、遂に男を得ぬぞと譬へ言ふなり。
 參考 ○神曾著常云(古)カミゾツクチフ(新)略に同じ。
 
巨勢郎女報贈歌一首
 
(89)元暦本に、即近江朝大納言巨勢卿之女也とあり。
 
102 玉葛。花耳開而。不成者。誰戀有目。吾孤悲念乎。
たまかづら。はなのみさきて。ならざるは。たがこひならめ。わはこひもふを。
 
右の實ならぬ木と言ふに答へて、花のみ咲きて實ならぬ如く、誠なきは、誰が上の戀にか有らむ。我は花のみには有らず。誠に戀思ふ物をと言ふなり。又タガコヒナラモとも訓むべし。
 參考 ○誰戀爾有目(代)タガコヒニアヲモ(古)タガコヒナラモ(新)略に同じ。
 
明日香清御原御宇天皇代 天渟中原瀛眞人《アメノヌカハラオキマヒト》天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
天皇賜2藤原夫人1御歌一首
 
紀に藤原内大臣の女氷上娘、また妹五百重娘ともに夫人と見ゆ。御の下製の字脱ちしなるべし。
 
103 吾里爾。大雪落有。大原乃。古爾之郷爾。落卷者後。
わがさとに。おほゆきふれり《みゆきふりたり》。おほはらの。ふりにしさとに。ふらまくはのち。
 
大原は續紀に、紀伊へ幸の路をしるせしに、泊瀬と小治田の間に大原と言ふ所見ゆ。今も大原村有り。即ち藤原とも言へり。藤原氏の本居なり。そこに夫人の下り居給ふ時の事なるべし。ここ許《もと》には雪多く降りて面白し。大原わたりへは後にこそ降らめと、戯れよみ給へるなり。
 
藤原夫人奉v和歌一首
 
(90)104 吾崗之。於可美爾言而。令落。雪之摧之。彼所爾塵家武。
わがをかの。おかみにいひて。ふらせたる。ゆきのくだけし。そこにちりけむ。
 
神代卷に、斬2軻遇突智1爲2三段1云云。一段爲2高?1。註に?此云2於箇美《オカミ》1。豐後風土記。球珠《クスノ》郡球覃郷此村有v泉。(中略)即有2蛇?1曰2於箇美1とも見ゆ。これ雨雪をしたがふる龍神なり。それにおほせて降らせたりとなり。クダケシのシは過去の言なり。御戯れ言を受けて答へ奉り給へり。
 參考 ○言而(古)「乞」コヒテ(新)略に同じ ○令落(古)フラシメシ(新)フラサセシ。
 
藤原宮御宇天皇代 元高天原廣野姫天皇、今天皇謚曰2持統天皇1、
 
大津皇子竊下2於伊勢神宮1上來時|大伯《オホクノ》皇女御作歌
 
天武紀太田皇女を納れて、大來皇女と大津皇子を生み給ふとあれば、御はらからなり。故に大事をおぼし立つ御祈、且御姉齋王にも告げ給ふとて下り給ひつらむ。大伯皇女は、天武天皇白鳳三年に、齋王に立ち給ひ、持統天皇朱鳥元年に歸京し給へり。
 
105 吾勢枯乎。倭邊遣登。佐夜深而。?鳴露爾。吾立所霑之。
わがせこを。やまとへやると。さよふけて。あかときつゆに。われたちぬれし。
 
大津皇子は御弟なれど、女がたよりセと宣まふ事例なり。曉はアカトキと言ふが本語なり。み歌の心は明らけし。
(91) 參考 ○吾立所霑之(新)ワガタチヌレシ。
 
106 二人行杼。去過難寸。秋山乎。如何君之。獨越武。
ふたりゆけど。ゆきすぎがたき。あきやまを。いかでかきみが。ひとりこえなむ。
 
二人越えぬとも、秋は物寂しきとなり。此二首の調べのいと悲しく聞ゆるは、大事をおぼすをりの御別なればなるべし。
 参考 ○如何君之(新)イカニカキミガ。
 
大津皇子贈2石川郎女1御歌一首
 
107 足日木乃。山之四付二。妹持跡。吾立所沾。山之四附二。
あしびきの。やまのしづくに。いもまつと。われたちぬれぬ。やまのしづくに。
 
山ノシヅクニと言ふより、立チヌレヌと懸かるなり。
 
石川郎女奉v和歌一首
 
108 吾乎待跡。君之沾計武。足日木能。山之四附二。成益物乎。
あをまつと。きみがぬれけむ。あしびきの。やまのしづくに。ならましものを。
 
アはワレなり。
 
大津皇子竊2婚石川女郎1時。津守連|通《トホル》占2露其事1皇子御作歌一首
 
(92)續紀津守連通、陰陽の道勝れたりとて、從五位下を授け、戸口を賜へる事見ゆ。
 
109 大船之。津守之占爾。將告登波。益爲爾知而。我二人宿之。
おほぶねの。つもりがうらに。のらむとは。まさしにしりて。わがふたりねし。
 
大ブネノ、枕詞。益は借字にて正なり。されども爲《シ》の言例無し。宣長云、卷十四、むさしののうらへかたやき麻左?《マサデ》にもとあれば、ここの爲は?の誤りならむと言へり。翁はマサテは正定《マササダ》の意ならむと言はれき。心明らけし。
 參考 ○將告登波(新)「將出」イデムトハ○益爲爾知而(古)「兼而乎」カネテヲシリテ(新)略に同じ。
 
日並《ヒナメシノ》皇子贈2賜石川女郎1御歌一首 女郎字曰2大《元》名兒1也
 
日並の下、知の字有るべし。目録に贈の字無きをよしとす。今本註に、大名兒三字を脱せり。皇子は天武天皇の皇子、御母は?野讃良《ウノサララノ》皇女なり。
 
110 大名兒。彼方野邊爾。苅草乃。束間毛。吾忘目八。
おほなこを。をちかたのべに。かるかやの。つかのあひだも。われわすれめや。
 
大名兒は女郎の字也と註せれど、是は其女をあがめて宣まへるなるべし。姉をナネ、兄をナセなど言へり。又|大名持《オホナモチ》など、名もて褒めごととせしは、古への常なり。束の間は一握の間にて、暫の間にとるな(93)り。二三の句はツカノ間と言はむ料にて、初句より末の句へかかるなり。
 
幸2于吉野宮1時|弓削《ユゲノ》皇子贈2與額田王1歌一首
 
持統天皇吉野の夏の幸多ければ、いつとも分きがたし。弓削皇子は長皇子の御弟なり。歌の上御の字有るべし。
 
111 古爾。戀流鳥鴨。弓弦葉乃。三井能上從。鳴渡【元渡ヲ濟ニ作ル】遊久。
いにしへに。こふるとりかも。ゆづるはの。みゐのうへより。なきわたりゆく。
 
御井は秋津の離宮の邊に在るなるべし。イニシヘニ戀フルとは古ヘヲ戀フルなり。妹ニコヒと言ふも、妹を戀ふると言ふ例なり。此鳥は郭公を言ふ。御父帝の暫く入らせおはしましたる所なれば、かの姫王も同じく戀ひ奉られむ事故に贈り給ふなるべし。古今集、昔べや今も戀ひしき郭公古郷にしも鳴きて來つらむとも詠みて古へを戀ふる事に言へり。
 
額田王奉v和歌一首 元從2倭京1進入
 
112 古爾。戀良武鳥者。霍公鳥。蓋善哉鳴之。吾戀流其騰。
いにしへに。こふらむとりは。ほととぎす。けだしやなきし。わがこふるごと。
 
其鳥はほととぎすならむとおしはかりて、さてわが如く戀鳴しやとなり。ケダシは集中ケダシクモとも訓めり。若《モシ》と言ふ詞なり。
 
(94)從2吉野1折2取蘿生松柯1遺時額田王奉v入歌一首
 
是は深山の古木に生ふる日蔭の事なり。和名抄、蘿。日本妃私記曰。蘿比加介女羅也。和名萬豆乃古介。一云。佐流乎加世と有り。遺、目録に遣と有り。
 
113 三芳野乃。玉松之枝者。波思霧香聞。君之御言乎。持而加欲波久。
みよしのの。たままつがえは。はしきかも。きみがみことを。もちてかよはく。
 
玉は褒むる辭、又は繁く圓らかなる篠を玉ザサと言ふ如く、老いたる松の葉は、圓らかにしげければ玉松と言ふか。宣長は玉は山の誤なり、集中山を玉に誤れる事多し。玉松と言へる例無しと言へり。さも有るべし。ハシキは集中に波之氣也思と云ふを、愛計八師とも書きて、めづる心なり。カモは歎辞。君は弓削皇子を指すべし。通ハクは通フを延べ言ふ。松にそへてのたまふ意有りしを、即ち松の持ち通ふと言ひなし給へり。
 參考 ○玉松之枝(古、新)「山」ヤママツガエ。
 
但馬皇女在2高市皇子宮1時思2穗積皇子1御歌一首
 
此三人の皇子皇女御母を異にせる御はらからなり。續紀和銅元年六月三品但馬内親王薨と見ゆ。目録に宮下之の字、御下作の字有り。
 
114 秋田之。穗向之所縁。異所縁。君爾因奈名。事痛有登母。
(95)あきのたの。ほむきのよれる。かたよりに。きみによりなな。こちたかりとも。
 
卷十に是と本同じき歌有りて、三の句片縁と書きたれば、ここもカタヨリと訓めり。卷十七、秋田乃穗牟伎とあれば、ホムケと訓むはわろし。稻の穗は一方により靡けば譬ふ。ヨリナナはヨリナムと言ふなり。ゆかムをゆかナ、やらムをやらナと言へるが如し。古言に撥ぬる言を奈と言へる例多きよし宣長言へり。コチタカリトモは、言痛く言ひ騷がるともなり。
 參考 ○穗向之所縁(代)ホムキノヨレル(考)ホムケノヨレル(古、新)略に同じ。
 
勅2穗積《ホヅミノ》皇子1遣2【遣ヲ今遺ニ誤ル】近江志賀山寺1時但馬皇女御作歌
 
志賀山寺は、天智天皇の建て給へる崇福寺なり。此つづきの歌どもを思ふに、かりそめに遣はさるるにはあらで、右の事顯れたるに依りて、此寺へうつして法師に爲し給はむとなるべし。
 
115 遺居而。戀腎不有者。追及武。道之阿囘爾。標結吾勢。
おくれゐて。こひつつあらずは。おひしかむ。みちのくまわに。しめゆへわがせ。
 
戀ツツアラズハは前に出づ。オヒシカムはオヒオヨバムなり。仁コ紀やましろにいしけとりやま伊辭鷄之鷄《イシケシケ》と言ふイは發語、シケは及ぶなり。是に同じ。クマワは道の隈隈を言ふ。シメは山路などには先づ行く人の、しるべの物を結ふを言へり。木など立て繩引渡して標とするもあり。事に依りて心得べし。
 參考 ○道之阿囘(古、新)ミチノクマミ。
 
(96)但馬皇女在2高市皇子宮1時竊接2穗積皇子1事既形而後御作歌一首
 
今本而の下後の字無し。目録にかく有るをよしとす。
 
116 人事乎。繁美許知痛美。己母世爾。未渡。朝川渡。
ひとごとを。しげみこちたみ。おのもよに。いまだわたらぬ。あさかはわたる。
 
人ゴトは人言にて、言痛みと重ね言へり。母は我の誤りにて、オノガヨニと有りしか。アサ川渡ルは、卷四、世の中のをとめにしあらば吾渡る妹背の川を渡りかねめやなど有りて、男女相逢ふを川を渡るに譬へたる事外にも有り。これはアサは淺き心にて、人言により中絶え行くは淺き中なるかなと歎き給へるか。又は事顯れしに依りて、實に朝けに道行き給ふ事の有りて、皇女の馴れぬわびしさに逢ひ給へるを、詠み給へるか。宣長云、己母世爾の爾は、川か河か水かの字の誤にて、イモセガハならむかと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○己毎世爾(代)イモセニ(考)オノモヨニ(古)「生有」イケルヨニ(新)オノガヨニ。
 
舍人《トネリノ》皇子御歌一首
 
天武天皇の皇子なり。此端詞、贈2與舍人娘子1と言ふ事落ちしなるべし。
 
117 丈【丈ヲ今大ニ誤ル、下皆同ジ】夫哉。片戀將爲跡。嘆友。鬼乃益卜雄。尚戀二家里。
ますらをや。かたこひせむと。なげけども。しこのますらを。なほこひにけり。
 
男男《ヲヲ》しき身として、相も思はぬ人を戀ひむ物かと思ひ歎けども、え思ひやまれずとなり。シコは紀に醜(97)女を志古米《シコメ》と訓みて、集中鬼醜相通じて書けり。鬼之|四忌手《シキテ》、或は鬼乃|志許草《シコグサ》などの鬼みなシコと訓むべし。ここは自ら罵りて言ふ詞なり。ナホ戀ヒニケリは、戀せじと思へど、まだ戀はるとなり。
 
舍人娘子奉v和歌一首
 
娘子は詳かならず。
 
118 歎管。丈夫之戀。亂許曾。吾髪結乃。漬而奴禮計禮。
なげきつつ。ますらをのこひ。みだれこそ。わがもとゆひの。ひぢてぬれけれ。
 
二三の句おだやかならず。古點マスラヲノコノ戀フレコソと有れば、もと亂は禮と有りけむか。戀フレコソは、戀レバコソのバを略けるなり。ゆひたる髪を則ちもとゆひとも言ふ。ヒヂは集中泥漬と書きて、ヒヅチと訓めるを思ふに、ヒヂツキを約めてヒヅチと言へるを、ヒヂとも言へるなり。本は水につきてぬるるより出でたる詞なり。考の別記に委し。ヌレケレは、此下に多氣婆奴禮《タケバヌレ》と詠めるに同じく、髪のぬるぬるとおのづから解くるを言ふ。鼻ひ紐解など言へる類ひにて、人に戀らるれば、髪の自ら解くると言へる諺の有りて詠めるならむ。
 參考 ○大夫云云(古、新)マスラヲノコノ、コフレコソ。
 
弓削《ユゲノ》皇子思2紀《キノ》皇女1御歌四首
 
皇女は穗積皇女の御はらからなり。御の下作の字有るべし。
 
(98)119 芳野河。逝瀬之早見。須臾毛。不通事無。有巨勢濃香毛。
よしのがは。ゆくせのはやみ。しましくも。よどむことなく。ありこせぬかも。
 
一二の句は序なり。有リコセヌは、アレコソと同じく願ふ意なり。かくあれかしと言ふを、かくあらぬかと平語に言ふにひとし。卷五、梅の花今咲ける如散過ずわぎへの園にありこせぬかもと言ふに同じ。不通をタユルと訓むはわろし。
 參考 ○逝瀬之早見(新)ユクセ「乎」ヲハヤミ○須臾毛(考)シハラクモ(古)略に同じ○不通事無(考〕タユルコトナク(古、新)略に同じ。
 
120 吾妹兒爾。戀乍不有者。秋芽【芽ヲ今茅ニ誤】之。咲而散去流。花爾有猿尾。
わぎもこに。こひつつあらずば。あきはぎの。さきてちりぬる。はなならましを。
 
かく戀ひつつ有らむよりは、死なむ物をと言ふを、萩の散るに添へたり。
 
121 暮去者。鹽滿來奈武。住吉乃。淺香乃浦爾。玉藻苅手名。
ゆふさらば。しほみちきなむ。すみのえの。あさかのうらに。たまもかりてな。
 
譬喩歌なり。女を玉藻に譬へて、事故なきうちに、妹をわが得ばやと言ふ意なり。刈手名はカリテムと言ふに同じ。
 
122 大船之。泊流登麻里能。絶多日二。物念痩奴。人能兒故爾。
(99)おほぶねの。はつるとまりの。たゆたひに。ものもひやせぬ。ひとのこゆゑに。
 
本は序なり。舟の行きつきたるをハツルと言ひ、そこに留まり宿るをトマリと言ふ。されどそれを略きてハツルとのみ言ひて、とまる事を兼たるも多し。タユタは集中ユタノタユタともよみて、ユタユタなり。ヒは辭にて、タユタフとも言へり。大舟の水に浮びて、ゆらゆらと動くさまを、物思ふ心に譬へたり。是はいまだ得ぬ程なれば、他の兒と言ふべし。人ノ子ユヱニとは人ノ子ナルモノヲの意なり。
 
三方《ミカタノ》沙彌娶2園臣生羽《ソノノオミイクハ》之女1未v經2幾時1臥v病作歌三首
 
三方は氏、沙彌は名か。又持統紀六年十月、山田史御形に務廣肆を授く、前に沙門と爲て新羅に學問と有る此人か。臥病の下作の字は時の誤りなるべし。沙彌一人の歌にあらざればなり。
 
123 多氣婆奴禮。多香根者長寸。妹之髪。比來不見爾。掻入津良武香。 三方沙彌
たけばぬれ。たかねばながき。いもがかみ。このごろみぬに。かきれつらむか。
 
タケバはタカヌレバを約め言ふなり。卷九、をばなりに髪多久までに、卷十一、若草を髪に多久らむなど詠めり。油づきめでたき髪の、たかぬればぬるぬると延び垂れ、たか無《ナ》ければ長きと言ふなり。さて童にて垂れたるを、髪あげして結ふを、かきいるると言ふべければ、此ごろ病に臥して行きて見ぬ間に、髪上げしつらむがゆかしきと言ふ意なり。卷十六に、うなゐはなりは髪上つらむかとも見ゆ。掻入の入は上の誤にて、カキアゲツラムカなるべしと宣長言へり。
(100) 參考 ○掻入津良武香(代)カキレツラムカ(古、新)掻「上」カカゲツラムカ
 
124 人皆【元人者皆ト有】者。今波長跡。多計登雖言。君之見師髪。亂有等母。 娘子
ひとみなは。いまはながしと。たけといへど。きみがみしかみ。みだれたりとも。
 
髪のいと長くて髭上すべき程なれば、たかねよと人は言へども、君に見え初めしさまを私に變へじと思へば、亂れて有りとも其ままにて有らむと言ふなり。伊勢物語に、くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして誰か上べきと言ふも此類ひなり。さて十五六の歳頃まで髪を垂れて在るを、ウナヰハナリとも、ワラハとも言ふ。其年比には髪いと長く成りぬる故に、笄して頂へ擧げ結ふを髪上と言へり。古の女の髪の事考の別記に委し。
 參考 ○今波長跡(古)イマハナガミト(新)略に同じ。
 
125 橘之。蔭履路乃。八衢爾。物乎曾念。妹爾不相而。 三方沙彌
たちばなの。かげふむみちの。やちまたに。ものをぞおもふ。いもにあはずて。
 
古へ都の大路、市の衢などに、木を植ゑし事有りしにや。雄略紀※[食+甘]香市邊橘木と言ひ、巻十三、東《ヒムガシノ》の市の殖木のこたるまでと詠み.又大道に菓樹を植ゑられし時も有りしなり。ヤチマタのヤは數の多きを言ふ詞にて、衢の多きを言ふ。ここは一すぢならず思ふ事の多きを、ちまたに譬へたり。これも沙彌病に臥して、妹が家へ行きがたき思ひを詠めるなるべし。
 
(101)石河女郎贈2大伴宿禰|田主《タヌシニ》1歌一首 元即大納言大伴卿之第二子。母曰2巨勢朝臣1
 
126 遊士跡。吾者聞流乎。屋戸不借。吾乎還利。於曾能風流士。
みやびをと。われはきけるを。やどかさず。われをかへせり。おそのみやびを。
 
此遊士、風流土ともにミヤビヲと訓むべき由、荷田御風言へり。古訓タハレヲとあれど、卷六、諸大夫等集2左少辨1云云、宴歌とて、うな原の遠き渡を遊士の遊ぶを見むとなづさひぞこしと言ふ歌の左に、右一首云云、蓬莱仙媛所v作嚢縵爲2風流秀才之士1矣と書けり。此遊士風琉秀才は、其會集の大夫たちを指すを、タハレヲと言はば、客人になめげならむ。然ればいづくにても、ミヤビヲと訓むべきなり。さて風流人ぞと聞きし故、夜はに戀ひて來つるをいたづらに歸せしは、心にぶき風流人ぞと戯れ言へるなり。於曾の言は、卷九浦島子の歌に、當世べに住べきものをつるぎだちなが心から於曾や此君と言ひ、其長歌に、世中の愚人のと有るを合せて知るべし。
 參考 ○遊土跡(考)ミヤビトト(古、新)略に同じ○吾乎還利(新)ワレヲカヘシ「都」ツ。
 
大伴田主字曰2仲郎1。容姿佳艶風流秀絶。見人聞者靡v不2歎息1也。時有2石川女郎1自成2雙栖之感1恒悲2獨守之難1。意欲寄v書未v逢2良信1。爰作2方便1。而似2賤嫗1。己提2鍋子1。而到2寢側1。哽音跼足。叩v戸諮曰。東隣貧女將2取v火來1矣。於v是仲郎暗裏非v識2冐隱之形1。慮外不v堪2拘接之計1。任v念取v火。就跡歸去也。明後女郎既恥2自媒之可1v愧。復恨2心契之弗1v果。因作2斯歌1以贈諺【諺ハ譌ノ誤カ】戯焉。
 
(102)大伴宿禰田主報贈歌一首
 
127 遊士爾。吾者有家里。屋戸不借。令還吾曾。風流士者有。
みやびをに。われはありけり。やどかさず。かへせるわれぞ。みやびをにはある。
 
其れと知らずして還せしとは言はずして、打ちつけなる人に宿借さば、あさはかなるべきを、ただに還せしこそ、みやびたる人のする業なれと言ふなり。
 參考 ○令還吾曾(古)カヘセシアレゾ(新)カヘシシワレゾ○風流士者有(代)タハレヲニアル(考〕ミヤビトニハアル(古、新)ミヤビヲ「煮」ニアル
 
同石川女郎更贈2大伴田主中郎1歌一首
 
目録に同の字中郎の字旡し。
 
128 吾聞之。耳爾好似。葦若末【末ヲ今未ニ誤】乃。足痛吾勢。勤多扶倍思。
わがききし。みみによくにば。あしかびの。あしなへわがせ。つとめたぶべし。
 
アシカビノ枕即。和名抄、蹇阿之奈閇と有り。吾キキシ耳ニヨク似バとは、吾聞が如くならばと言ふをかくいへり。卷十一、戀といへば耳にたやすし。ツトメは紀に自愛の字をツトメと訓みたるが如し。タブベシは給フベシなり。未は末の誤りにて義訓なり。宣長云、若末をカヒとは訓み難し。卷十長歌に、小松之若末爾と有るはウレと訓めれば、ここも葦ノウレノと訓みて、足痛はアナヘクと訓まんか。蘆芽はな(103)ゆるものにあらず、一本若生と有るに據らば、カビと訓むべしと言へり。
 參考 ○耳爾好似(古、新)ミミニヨクニツ○葦若未乃(代)アシワカノ(考)アシカビノ(古)アシノ「末」ウレノ○足痛(代)アナヘク(考)代に同じ(古)略に同じ(新)アシヒク、又は、アシナヘグ。
 
右依2中郎足疾1贈2此歌1問訊也。
 
大津皇子宮侍【侍ヲ今待ニ誤】石川女郎贈2大伴宿禰宿奈麻呂1歌一首
 
元暦本待を侍に作る。註に女郎字曰2山田郎女1也。宿奈麻呂宿禰者、大納言兼大將軍卿之第三子也と有り。考に云、大津皇子宮侍と書けるはいぶかし。此宮に侍りしは朱鳥元年の秋暫の間にて、皇子罪せられ給ふ後は、他にこそあらめと有り。春海云、古へ皇子のみもとに仕る婦人に、宮侍と唱へし名目有りしか。宮に侍ると言ふ意ならば、かくは書くまじきなり。さて皇子死を賜ひし後も、もとの名目をもて書きしにや。
 
129 古之。嫗爾爲而也。如此許。戀爾將沈。如手童兒。
ふりにし。おむなにしてや。かくばかり。こひにしづまむ。たわらはのごと。
 
フリニシは齡の古(リ)しを言ふ。和名抄、嫗於無奈と有り。績紀老女を音那《オムナ》と書きたるによりて、オムナと訓めり。考に於與奈と訓まれしはよからず。タワラハは母の手さらぬほどの童を言ふ。心明らけし。
(104) 參考 ○嫗(代)オムナとも訓ず(考)オヨナ(古、新)オミナ。
 
一云|戀乎太爾忍《コヒヲダニシヌビ【元忍ヲ思ニ作ル》金手武多和良《カネテムタワラ》《良ヲ今即ニ誤元ニ良ニ作】波乃如《ハノゴト》
 
長皇子與2皇弟1御歌一首
 
此皇弟は弓削皇子なり。
 
130 丹生乃河。瀬者不渡而。由久遊【遊ヲ今篋ニ誤元ニ依テ改】久登。戀痛吾弟。乞通來禰。
にふのかは。せはわたらずて。ゆくゆくと。こひたきわがせ。いでかよひこね。
 
丹生は大和國吉野、宇陀、宇智の郡に同名有り。其河を隔てて住み給ふなり。ユクユクトは、物思ひに思ひたゆたふにて、卷十二、あまのかぢ音ゆくらかに、卷十三、大舟のゆくらゆくらになど有るに同じ。戀痛はいと戀しきを強く言ふ詞なり。愛るを愛痛《メデタキ》と言ふが如し。ワガセは親しみ敬ふ言。實を以て弟の字を用ひたり。和名抄、備中賀夜郡弟翳勢庭妹(爾比世)なども有り。イデは字の如く物を乞ふ詞なり。允恭紀二年云云、謂2皇后1曰云云、壓乞戸母云云、註に壓乞此云2異提《イデ》1戸母此云2覩自《トジ》1と有り。
 參考 ○戀痛吾弟(考、新)コヒタムワガセ(古)コヒタムアヲト ○乞通來禰(代、古)略に同じ。(考、新)コチカヨヒコネ。
 
柿本朝臣人麻呂從2石見國1別v妻上來時歌二首并短歌
 
是は人麻呂朝集使にて暇に上るなるべし。それは十一月一日の官會にあふなれば、石見より九月の末十(105)月の初め頃に立つべきなり。人麻呂の妻の事は考の別記に委し。これは嫡妻には有らざるべし。
 
131 石見乃海。角乃浦回乎。浦無等。人社見良目。滷無等。(一云磯無登)人社見良目。能咲【咲ヲ今嘆ニ誤元ニ依テ改】八師。浦者無友。縱畫屋師。滷者(一云礒者)無鞆。鯨魚取。海邊乎指而。和多豆乃。荒磯乃上爾。香青生。玉藻息津藻。朝羽振。風社依米。夕羽振。浪社來縁。浪之共。彼縁此依。玉藻成。依宿之妹乎。(一云波之伎余思。妹之手本乎)露霜乃。置而之來者。此道乃。八十隈毎。萬段。顧爲騰。彌遠爾。里者放奴。益高爾。山毛越來奴。夏草之。念之奈要而。志恕布良武。妹之門將見。靡此山。
いはみのみ。つぬのうらまを。うらなしと。ひとこそみらめ。かたなしと。ひとこそみらめ。よしゑやし。うらはなけども。よしゑやし。かたはなけども。いさなとり。うなびをさして。にぎたづの。ありそのうへに。かあをなる。たまもおきつも。あさはふる。かぜこそよせめ。ゆふはふる。なみこそきよれ。なみのむた。かよりかくより。たまもなす。よりねしいもを。つゆしもの。おきてしくれば。このみちの。やそくまごとに。よろづたび。かへりみすれど。いやとほに。さとはさかりぬ。ましたかに。やまもこえきぬ。なつくさの。おもひしなえて。しぬぶらむ。いもがかどみむ。なびけこのやま。
 
紀にあふみの海を、阿布彌能彌《アフミノミ》と有れば、ウミのウを略き訓めり。角ノ浦は和名抄、石見國那賀郡|都農《ツヌ》と有り。浦マは浦のめぐりを言ふ。浦は裏にて?江《イリエ》なり。角の浦には、古へよき湊無かりしなるべし。(106)ナケレドモのレを略きて、ナケドモと訓むは例なり。人コソ見ラメは見ルラメの略。潟ナシトは、北海には潮の滿干のわからねば、鹽干潟の無きなり。或本の磯は無と有はとるべからず。ヨシヱヤシは、ヨシヤと言ふにて、ヱとシは助辭なり。其の浦も滷も無くともよしや、我は愛る妹有りと言ふ心なるをここには言はず、次に句を隔てて依寢シ妹と言ふにて知らせたり。イサナトリ枕詞。此海邊と言ふより、十句餘は其の海の事を言ひて、妹が事を言はむ序とす。和多豆は宣長云、石見國那賀郡の海邊に渡津《ワタヅ》村とて今有り、ここなるべし。さればワタヅノと四言の句なり。或本の歌柔田津と書けるは、和多豆をニギタヅと訓み誤れるにつきて出來たる本なるべしと言へり。アリソはアライソを約め言ふなり。香青のカは發語、集中カ黒キ髪と言ふが如し。玉藻オキツ藻の同じ物なるを、詞のあやに重ね言へり。息は借字にて沖なり。朝ハフル云云、玉藻は朝夕の風浪こそ寄すべけれとなり。羽振は、風浪の立つを鳥の羽振に譬ふ。卷四、風を痛み其振《イタフル》浪の、卷十八、打|羽振涙《ハブキ》鷄は鳴けども、古事記、爲釣乍打|羽擧《ハブキ》來人、又天日矛の持來し寶に振浪《ナミフル》比禮、風振《カゼフル》比禮などと言ふ事も有り。浪ノムタは、浪と共にと言ふなり。卷十五、君が牟多《ムタ》ゆかましものを。其外にも多し、皆共の意なり。玉モナスの成スは如くなり。ヨリネシイモヲは、玉藻の如く靡きあひ寢し妹をとなり。或本のハシキヨシは愛る詞。露霜ノ枕詞。オキテシ云云は、妹を捨て置くなり。是より下は皆陸路のさまなり。里ハサカリヌは、遠ざかると言ふに同じ。すべて行く道のさまを言ふ中に、別を悲しむ情あり。益高に、宣長云、すべて益はイヤと訓むべし。此卷の下に、こぞ見てし(107)云云、あひ見し妹は益《イヤ》年さかる。卷七、さほ川に云云、益《イヤ》河のぼる。卷十二、ちかくあれば云云、こよひゆ戀の益《イヤ》まさりなむ。これらイヤと訓めりと言へり。此益高には、マシタカニとても有るべけれど、イヤと訓まずしてかなはぬ所多し。夏草ノ枕詞。オモヒシナエテは、なよよかにうなだれて物思ふさまを言ふ。シヌブは慕ふなり。シノブを古くシヌブと言へり。ナビケ此山は、卷十三、靡けと人はふめども、かく依れと人は衝けども、心なき山のおきそ山、みぬの山といふに同じき意なり。切なる餘りにをさなく願ふ心を詠めり。卷十二、あしき山梢ことごとあすよりはなびきたれこそ妹が當り見むなど言ふも是をとれるか。
 參考 ○角乃浦回(古、新)ツヌノウラミ○浦者無友(古、新〕ウラハナクトモ○滷者無鞆(古、新)カタハナクトモ○海邊乎指而(古、新)ウミベヲサシテ○和多豆乃(古、新)ワタヅノ○風社依來(考)カゼコソヨラメ(古)カゼコソ「來依」キヨセ(新)略に同じ○彼縁此依(古、新)カヨリカクヨル○益高爾(古、新)イヤタカニ。
 
反歌
 
132 石見乃也。高角山之。木際從。我振袖乎。妹見都良武香。
いはみのや。たかつのやまの。このまより。わがふるそでを。いもみつらむか。
 
この也は與に通へり。上に吾ハモヤなど言ふに同じ。木ノ間ヨリと言ふより次の四句を隔てて、妹見ツラ(108)ムカと續なり。人麻呂道に出でてかへり見して振る袖を、妹は高角山に登りて見返りつらむかとなり。
 參考 ○木際從(考)コノマユ「文」モ(古、新)略に同じ。
 
133 小竹之葉者三山毛清爾。亂友。吾者妹思。別來禮婆。
ささのはは。みやまもさやに。さわげども。われはいもおもふ。わかれきぬれば。
 
サヤニは神武紀、聞喧擾之響を左椰霓利奈離《サヤゲリナリ》と有る如く、小篠の風に鳴る音を言へり。亂ドモをサワゲドモと訓むは、卷十二、松浦船亂ほり江の亂をサワグと訓みたるに同じ。越る山道のかしましきにも紛れず。吾は別れし妹を戀ふるとなり。卷二十、佐左賀波乃さやぐ霜夜と詠めれば、初句ササガハハとも訓むべし。
 參考 ○小竹之葉者(代)ササガハニ(考)ササノハハ(古、新)ササガハハ○亂友(代)マガヘドモ(考〕サワゲドモ(古)ミダレドモ(新)サヤゲドモ。
 
或本反歌
 
134 石見|爾有《ナル》。高角山乃。木間|從文《ユモ》。吾|袂《ソデ》振乎。妹見|監鴨《ケンカモ》
 
135 角?經。石見之海乃。言佐敝久。辛乃埼有。伊久里爾曾。深海松生流。荒磯爾曾。玉藻者生流。玉藻成。靡寐之兒乎。深海松乃。深目手思騰。左宿夜者。幾毛不有。(109)延都多乃。別之來者。肝向。心乎痛。念乍。顧爲騰。大舟之。渡乃山之。黄葉乃。散之亂爾。妹袖。清爾毛不見。褄隱有。屋上乃(−云室上山)山乃。自雲間。渡相月乃。雖惜。隱比來者。天傳。入日刺奴禮。丈夫跡。念有吾毛。敷妙乃。衣袖者。通而沾奴。
つぬさはふ。いはみのうみの。ことさへぐ。からのさきなる。いくりにぞ。ふかみるおふる。ありそにぞ。たまもはおふる。たまもなす。なびきねしこを。ふかみるの。ふかめてもへど。さぬるよは。いくらもあらず。はふつたの。わかれしくれば。きもむかふ。こころをいたみ。おもひつつ。かへりみすれど。おほぶねの。わたりのやまの。もみぢばの。ちりのまがひに。いもがそで。さやにもみえず。つまごもる。やがみのやまの。くもまより。わたらふつきの。をしけども。かくろひくれば。あまづたふ。いりひさしぬれ。ますらをと。おもへるわれも。しきたへの。ころものそでは。とほりてぬれぬ。
 
ツヌサハフ、コトサヘグ枕辭。イクリ、應神紀、由羅のとのとなかの異句離《イクリ》云云、釋日本紀、句離謂v石也、異助語也と有り。深ミルは宮内式の諸國の貢物に、深海松長海松の二有り。海底に生るを深ミルと言ふか。玉藻は靡くと言はむ料、深ミルは深メテと言はむ料なり。サヌルのサは發語。ハフツタノ枕詞。別シクレバは、ぬる夜はいくばくも無くて別ると言へば、國にて逢ひ初めし妹と聞ゆ。依羅娘子ならぬ事明らけし。キモムカフは心と言ふへ冠らせたる枕詞なり。冠辭考に漏されたり。大舟ノ枕詞。渡ノ山は府より東北八里の所に在りと言へり。散ノマガヒに云云、紅葉散かふまぎれに、妹が振る袖のさやかに見えぬなり。(110)ツマコモル枕詞。屋上の山も渡の山と同じ程の所と言へり。さて府を立ち去りて、此山遠からぬ所に宿りて詠めるなるべし。ワタラフ月はカタブク月をいふ。妹が當りの山に隱るる惜しさを、月の雲隱るるに添へて言へるのみにて、此月は實の景物にあらず。屋上ノ山ノと切りて隱レ來レバと言ふへ續けて心得べし。アマヅタフ枕詞。入日サシヌレは、ヌレバのバを略けり、前にも此例出づ。夕べに成りて彌思ひまさるなり。敷タヘノ枕詞、是は夜の物をいふ詞なり。ますらをと思ひ誇りて在りし吾も下に重ねし衣の袖まで涙に濡れ通りしとなり。
 參考 ○左宿夜者(古、新)サネシヨハ ○幾毛不有(代)(考)イクバクモアラズ(古)イクダモアラズ(新)イクダ又はイクラ○散之亂爾(古)チリノミダリニ(新)略に同じ ○屋上乃山乃(古)略に同じ(新)ヤカミノヤマ「爾」ニ ○雖惜(代)ヲシケレド(古、新)略に同じ ○隱比來者(古)カクロヒキ「乍」ツツ(新)略に同じ。
 
反歌二首
 
136 青駒之。足掻乎速。雲居曾。妹之當乎。過而來計類。(一云當(ハ)者|隱來《カクレキニ》計留)
あをごまの。あがきをはやみ。くもゐにぞ。いもがあたりを。すぎてきにける。
 
アガキは、馬は足にて士をかくが如く歩めばしか言ふ。卷二、赤駒のあがき早くは雲ゐにも隱れ行かむを袖まけわがせと有り。躬弦云、ここも青は赤の誤りならむか。
 
(111)137 秋山爾。落黄葉。須臾者。勿散亂曾。妹之當見。一云|知里勿《チリナ》亂曾
あきやまに。おつるもみぢば。しまらくは。なちりみだれそ。いもがあたりみむ。
 
ちり亂るる事なかれと言ふを、古くは斯く言へり。集中暫の事を、シマラク、シマシクなど假字書あり。
 參考 ○落黄葉(古)チラフモミヂバ(新)略に同じ○勿散亂曾(考、古)ナチリミダリソ(新)略に同じ。
 
或本歌−首并短歌
 
138 石見之海。津乃浦乎無美。(是は津能乃浦囘乎の能と囘を脱し、無美は紛れて入たりと見ゆ)浦無跡。人社見良目。滷無跡。人社見良目。吉咲八師。浦者雖無。縱惠夜思。滷者雖無。勇魚取。海邊乎指而。柔田津乃。荒礒之上爾。蚊青生。玉藻息都藻。明來者《アケクレバ》。浪己曾來依(リ)。夕去者《ユフサレバ》。風己曾來依。浪之共。彼依此依。玉藻成。靡吾宿之《ナビキワガネシ》。敷妙《シキタヘ》之。妹之手本乎《イモガタモトヲ》。露霜乃。置而之來者。八十隈毎。萬段。顧雖爲。彌遠爾。里|放來奴《サカリキヌ》。益高爾。山毛越來奴。早敷屋師。吾嬬乃兒我《ワガツマノコガ》。夏草乃。思志萎而。將嘆《ナゲクラン》。角里將見《ツヌノサトミン》。靡此山。
 
反歌
 
139 石見之海。打歌山乃。木際從。吾振袖乎。妹將見香。
 
この打歌山をウツタノヤマと假字つけたれど、いと由なし。打歌の下角の字の脱ちたるなるべし。然ら(112)ば打歌はタカの假字書にて、タカツノヤマと訓むべきなり。初句石見の海と有るも誤れりと見ゆ。長歌短歌ともに或本は取られぬ事多し。
 
右歌體雖v同。句句相替因v此重載。
 
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子與2人麻呂1相別歌一首
 
これは人麻呂假に上りて、又石見へ下る時、京に置きたる妻の詠めるなり。
 
140 勿念跡。君者雖言。相時。何時跡知而加。吾不戀有牟。【今牟ヲ乎ニ誤】
なもひそと。きみはいへども。あはむとき。いつとしりてか。わがこひざらむ。
 
有乎は有牟の誤れる事明らけし。
 參考 ○勿念跡(考)オモフナト又はナモヒソト(古、新)ナオモヒト。
 
挽歌 柩を引く歌の名目を借りたるのみにて、後の集の哀傷なり。
 
後崗本宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇 後に齊明と申す〔七字□で囲む〕
 
有間《アリマノ》皇子自傷結2松枝1歌二首
 
孝コ紀、阿倍倉梯麻呂女小足媛、有馬皇子を生むと見ゆ。齊明天皇四年十月、天皇紀伊の牟漏の湯へ幸ありし時、此皇子叛き給ふ事顯れしかば、紀伊へ召しけるに、其國の岩代の濱にて御食《ミヲシ》まゐる時、松が枝を結びて、吾此度幸くあらば又還り見むと契り給ひし御歌なり。其あくる日藤代にて命うしなひまゐらせ(113)つ。歌の上御の字を脱せり。
 
141 磐白乃。濱松之枝乎。引結。眞幸有者。亦還見武。
いはしろの。はままつがえを。ひきむすび。まさきくあらば。またかへりみむ。
 
磐白既に出づ、幸クも前に同じ、御歌の心明らかなり。
 
142 家有者。笥爾盛飯乎。草枕。旅爾之有者。椎乃葉爾盛。
いへにあれば。けにもるいひを。くさまくら。たびにしあれば。しひのはにもる。
 
和名抄、笥和名計、盛v食器也。武烈紀|影姫《カゲヒメノ》歌に、多摩該?播伊比左倍母理《タマケニハイヒサヘモリ》、此タマケは丸笥なり。鎭魂祭式に飯笥一合云云、即盛v〓笥など有り。今も檜の葉を折敷きて強飯を盛る事有るが如く、旅にてはそこに有りあふ椎の小枝を折敷きて盛りつらむ。椎は葉の細かに繁くて平かなれば假初に物を盛べき物なり。
 
長忌寸意吉麻呂《ナガノイミキオキマロ》見2結松1哀咽歌二首
 
今本二の字を脱せり。意吉麻呂は文武天皇の御時の人にて、後なれど、事の次でを以てここに載せたり。歌の上作の字有るべし。
 
143 磐代乃。岸【元ニ岸ヲ崖ニ作】之松枝。將結。人者反而。復將見鴨。
いはしろの。きしのまつがえ。むすびけむ。ひとはかへりて。またみけむかも。
 
皇子の御魂の結枝を又見給ひけむかと言ふなり。
 
(114)144 磐代乃。野中爾立有。結松。情毛不解。古所念。
いはしろの。のなかにたてる。むすびまつ。こころもとけず。いにしへおもほゆ。
 
結ぶと言ふより解けずと言へり。此松結ばれながら生ひ立ちて、此時迄も有りしなるべし。
 
未詳 此二字紛入りたりと見ゆ。
 
山上臣憶良《ヤマノヘノオミオクラ》追和歌一首
 
憶良は意吉麻呂より後なり。和は答へ歌の心にあらず、擬ふと言ふが如し。
 
145 鳥翔成。有我欲比管。見良目杼母。人社不知。松者知良武。
つばさなす。ありがよひつつ。みらめども。ひとこそしらね。まつはしるらむ。
 
翔は翅の誤りなるべし。成スは如クなり。此歌にてはツバサと言ひて即ち鳥の事なり。アリガヨヒは在り通ひなり。集中に多し。皇子の御魂の在在て、飛鳥の如く天かけり通ひて見給ふらむを、人は知らねども松は知りて有らむなり。履中紀、鳥往來羽田之汝妹《トリカヨフハダノナニモ》とあり。
 
右件歌等韋v不2挽v柩之時所1v作。唯擬2歌意1故以載2于挽歌類1焉。
 
挽歌の字に泥みて、只哀傷の歌と心得ぬ者の書き加へたるなり。
 
大寶【寶ヲ今實ニ誤】元年幸丑幸2于紀伊國1時見2結松1歌一首
 柿本朝臣人麻呂歌集中出也。
 
146 後將見跡。君【君ヲ今若ニ誤元ニ依テ改】之結有。磐代乃。子松之宇禮乎。又將見香聞。
(115)のちみむと。きみがむすべる。いはしろの。こまつがうれを。またみけむかも。
 
ウレは末を言ふ。皇子の御魂の又見ましけむかとなり。考に、是は右の意吉麻呂の始めの歌を唱へ誤れるを、後人ここに書き加へしにやと有り。
 
近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇 後天智と申す〔六字□で囲む〕
 
天皇聖窮不豫之時大后奉御歌一首
 
天皇其十年九月より不豫、十二月崩ましぬ。大后は則ち皇后にて、天皇の御庶兒|古人大兄《フルヒトノオホエノ》皇子の卸女|倭《ヤマトノ》姫王と申ししなり。奉の下獻の字を脱せしか。
 
147 天原。振放見者。大王乃。御壽者長久。天足有。
あまのはら。ふりさけみれば。おほきみの。みいのちはながく。あまたらしたり。
 
フリサケミレバは、振アフギ見レバなり。推古紀に、吾大君の隱ます、天の八十蔭いでたたす、み空を見れば萬代に、かくしもがも云云の歌をむかへ思ふに、天を御殿とし給ふ天つ御孫の命におはしませば、御命も長く天と共にたらひ給はむと、天を仰ぎてほぎ奉り給ふなるべし。四五の句もとの訓はひがことなり。宣長のかく訓めるによるべし。
 參考 ○御壽者長久云云(代)長クアメタレリ(考)ミヨハトコシクアマタラシヌル(古〕ミイノチハナガクアマタラシタリ。
 
(116)一書曰。近江天皇聖體不豫御病急時。太后奉v獻御歌一首。
 
此一書は天原の御歌に附きたるなり。さて左の青旗の御歌の前に、天皇崩御云云の端詞有りて、青旗乃と人者縱の御歌を竝べて載せたりけむを、今本亂れたるなるべし。
 
148 青旗乃。木旗能上乎。賀欲布跡羽。目爾者雖視。直爾不相香裳。
あをはたの。こはたのうへを。かよふとは。めにはみれども。ただにあはぬかも。
 
青旗は白旗なり。木旗木は小の誤りか。然らば同じ言に、小《ヲ》の發語を置きて重ねたるなり。是は大殯宮に立たる白旗どもの上に、今も御面影は見えさせ給へど、正しく相見奉る事なしと歎き給へるなり。白旗の事は孝コ紀の葬制に、王以下小智以上帷帳に白布を用ひる由有り。卷十三、大殿を振さけみれば白細布《シロタヘ》に、飾りまつりて内日さす、宮の舍人は雪穗《タヘノホ》の、麻衣きれば云云。又喪葬令に、大政大臣旗二百竿と有るを見て知らる。且成務紀神功紀に、降人素幡を立て參る事有り、死につくよしなれば、是らをも合せ知るべし。仙覺抄常陸風土記を引きて、葬具儀赤旗青旗交雜云云と有るも由あり。
 參考 ○目爾者雖視(代)目ニハ見ルトモ(古、新)メニハミユレド。
 
天皇崩御之時倭太后御作歌一首
 
右に言へる如く、此端詞は青旗の御歌の前に有るべきなり。倭と言へる御名も誤りて入れるか。
 
149 人者縱。念息登母。玉蘰。影爾所見乍。不所忘鴨。
(117)ひとはよし。おもひやむとも。たまかづら。かげにみえつつ。わすらえぬかも。
 
玉カヅラ枕詞。宣長云、玉は山の誤りにて山カヅラなり。卷十四、あし引の山かづらかげましばにも云云と詠めるカゲは蘿《ヒカゲ》なり。蘿を山カヅラと言ふ故に、山カヅラカゲと續けたり。此御歌の山カヅラは影の枕詞なるよし委く論へり。影ニミエツツは、面影に見エツツなり。
 參考 ○玉蘰(古)略に同じ(新)「山」ヤマカヅラ○不所忘鴨(代)ワスラエヌカモ(考)ワスラレヌカモ(古、新)代、略に同じ。
 
天皇崩時婦人作歌一首 姓氏【氏ヲ今民ニ誤】未詳
 
150 空蝉師。神爾不勝者。離居而。朝嘆君。放居而。吾戀君。玉有者。手爾卷持而。衣有者。脱時毛無。吾戀。君曾伎賊乃夜。夢所見鶴。
うつせみし。かみにたへねば。はなれゐて。あさなげくきみ。さかりゐて。わがこふるきみ。たまならば。てにまきもちて。きぬならば。ぬぐときもなく。わがこひむ。きみぞきぞのよ。いめにみえつる。
 
ウツセミは顯《ウツツ》の身なり。シは、シモと言ひ入る詞を略きたるなり。神ニタヘネバは、神となりて天かけり給へば、わが現の身にして從ひ奉るに堪へずして、離れをるとなり。朝嘆クは夢に見奉りたるあしたに嘆くなり。サカリヰテ云云、サカルもハナルルと同じ意なり。玉ナラバ釧とて手に玉を纏く事の有ればかく言へり。さて玉か衣ならば、身を放たずして思ひ奉らむ君と言ふなり。卷三、人ごとのしげき此(118)ころ玉ならば、手にまき持ちて戀ず有らまし。キゾノ夜は昨夜なり。卷十四、伎曾《キゾ》もこよひもと詠めり。夢は集中伊米と書きて、伊は寢る義、米は目にていねて物を見ると言ふ意なり。後に轉じてユメと意ふ。
 參考 ○神爾不勝者(新〕カミニアヘネバ○離居而(古、新)サカリヰテ○朝嘆君(新)「吾」ワガナゲクキミ。○放居而(考)サカリヰテ(古、新)ハナレヰテ。
 
天皇大殯之時歌二首
 
大殯は崩たまひて、山陵造る程假にをさめ奉るを言ふ。仲哀紀に。殯2豐浦宮1爲2旡v火殯斂1。此謂2褒那之阿餓利《ホナシアカリ》1。このアガリの言、すなはち殯に當れり。
 
151 如是有刀【刀ヲ今乃ニ誤】。豫知勢婆。大御船。泊之登萬里人。標結麻思乎。
かからむと。かねてしりせば。おほみふね。はてしとまりに。しめゆはましを。
 
額田王 官本竝拾穗本に此三字有り。ここの汀に御船のつきし時、しめ繩引き渡して永く留め奉るべかりし物をと。悲みの餘りに悔るなり。古事記。布刀玉命以2尻久米繩1控2度其御後1。白言從v此以内不v得2環入1と有るも同じ類ひなり。乃は刀の誤なり。
 
八隅知之。吾期大王乃。大御船。待可將戀。四賀乃辛崎。
やすみしし。あごおほきみの。おほみふね。まちかこふらむ。しがのからさき。
 
舍人吉年 官本竝拾穗本に此四字有り。吾をアゴと言ふ事前に出づ。しがの辛崎が大御船を待ち戀ふらむと(119)言ふなり。
 參考 ○待可將戀(代、新)マチカコヒナム(古)略に同じ。
 
大后御歌一首
 
153 鯨魚取。淡海乃海乎。奧放而。榜來船。邊附而。榜來船。奧津加伊。痛勿波禰曾。邊津加伊。痛莫波禰曾。若草乃。嬬之。念鳥立。
いさなとり。あふみのうみを。おきさけて。こぎくるふね。へつきて。こぎくるふね。おきつかい。いたくなはねそ。へつかい。いたくなはねそ。わかくさの。つまの。おもふとりたつ。
 
イサナトリ枕詞。オキサケテは沖ヲ遠ザカリテなり。邊ツキテは汀ニ附キテなり。カイは?なり。古へカイとカヂを一物とせり。集中|眞梶繁貫《マカヂシジヌキ》とも、末加伊之自奴伎《マカイシジヌキ》とも言へり。オキツカイ、ヘツカイは、沖コグカヂ、汀コグカヂなり。ワカクサノ枕詞。ここのツマは天皇をさし奉れば、夫と書くべきを古へは言をとりて字に關はらぬ例なり。此鳥は下の日並知皇子尊の殯の時、島の宮池の上なる放鳥と詠める如く、放ち飼にし給ひし鳥の崩りまして後、湖に猶すめるを見給ひて詠み給へるなるべし。宣長云、嬬之命之《ツマノミコトノ》と有りけむ、命之二字脱せるにやと言へり。しかるべし。
 參考 ○奧放而(新)オキサキテ○嬬之念鳥立(古)ツマノ「命之」ミコトノオモフトリタツ。
 
石川夫人歌一首
 
(120)154 神樂浪乃。大山守者。爲誰可。山爾標結。君毛不有國。
ささなみの。おほやまもりは。たがためか。やまにしめゆふ。きみもまさなくに。
 
ササナミノ枕詞。大山は御山なり。大宮近き山なれば殊に山守を置かれしなり。シメは人を入らしめぬしるしなり。有は在の誤りならむか。
 參考 ○君毛不有國(新)キミモアラナクニ。
 
從2山科御陵1退散之時額田王作歌一首
 
諸陵式山科陵は、天智天皇山城國宇治郡と有る是なり。紀に十年十二月乙丑、天皇崩2近江宮1癸酉殯2新宮1と見ゆ。さて亂有りて天武天皇三年に至りて此陵は造らせ給へり。御葬御陵つかへも此時有りしなるべし。
 
155 八隅知之。和期大王之。恐也。御陵奉仕流。山科乃。鏡山爾。夜者毛。夜之盡。晝者母。日之盡。哭耳呼。泣乍在而哉。百磯城乃。大宮人者。去別南。
やすみしし。わごおほきみの。かしこきや。みはかつかふる。やましなの。かがみのやまに。よるはも。よのあくるきはみ《ことごと》。ひるはも。ひのくるるまで《ことごと》。ねのみを。なきつつありてや。ももしきの。おほみやびとは。ゆきわかれなむ。
 
(121)カシコキヤのヤはヨに通ふ詞、卷二十、可之故伎也天のみかどをと有り。御ハカ喪葬令義解に、帝王墳墓如v山如v陵故謂2之山陵1と有り。後にはミサザキとのみ言へど古くはミハカと言ひしなるべし。山科の鏡の山山城なり。近江豐前にも同名の山有り。夜ルハモ云云、卷四、晝波日乃|久流留麻弖《クルルマデ》、夜者夜之|明流寸食《アクルキハミ》と書きたるに依るに、これはいと古言にて、古言をば古言のままに用ひる事集中に例多し【追加ニ云ヘリ】。百シキノ枕詞。大宮人ハ云云、葬まして一周の間は、近習の臣より舍人まで、御陵に侍宿する事と見ゆ。
 參考 ○恐也(考)カシコシヤ(古、新)略に同じ○夜之盡(代)ヨノコトゴト(考)ヨノアクルキハミ(古、新)ヨノコトゴト○日之盡(代)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ(古、新)ヒノコトゴト。
 
明日香清御原宮御宇天皇代 天の中原瀛眞人天皇 後に天武と申す〔七字□で囲む〕
 
十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
 
皇女は前に出づ、七年四月宮中にて頓に薨じ給ふ。
 
156 三諸之。神之神須疑。已具耳矣自得見監乍共。不寐夜叙多。
みもろの。かみのかみすぎ。       いねぬよぞおほき。
 
已の字より下十字、今本イクニヲシトミケムツツトモと、假字つきて有れど分きがたし。具一本目、矣一本笑に作る。翁は矣免乃美耳將見管本無と有りしが誤れるにて、イメノミニ、ミエツツモトナならむ(122)と言はれき。なほ考ふべし。
 參考 ○已具耳云云(代)イクニ惜ト、ミケムツツムタ。又はミミツツトモニ(古)如是耳荷有得之監乍、カクノミニ、アリトシミツツ(新)已目耳太耳將見得念共、イメニダニミムトモヘドモ
 
157 神山之。山邊眞蘇木綿。短木綿。如此耳故爾。長等思伎。
かみやまの。やまべまそゆふ。みじかゆふ。かくのみからに。ながくとおもひき、
 
三諸も神山も神岳と三輪とにわたりて聞ゆるが中に、集中をすべ考ふるに、三諸と言ふは、三輪と聞ゆる方多し。神なびの三室。又神奈備山と言へるは飛鳥の神岳なり。しかればここは二つともに三輪か、されど此神山を今本おしてミワヤマと訓みしは覺束なし。木綿は穀《カチ》の皮なり。委くは冠辭考を見て知るべし。さて木綿麻など割きて用ひる物を曾《ソ》と言ふ。其中に木綿を褒めて眞曾と言ふなり。式にも木綿を貴み、麻を賤しめり。短木綿云云、木綿は長きも短きも有るを、短きを設け出でて、此御命の短きによそへ給へり。カクノミカラニのカラは、字の如くユヱニと同じくして、人妻|故《ユヱ》ニと多くよめる故と同じ意なり。かくのみ短き物を長くと思ひしよと歎き給ふなり。卷五、はしきよし加久乃未可良爾したこひしいもが心のすべもすべなさ。
 參考 ○如此耳故爾(古)カクノミユヱニ(新)ユヱ、又はカラ
 
158 山振之。立儀足。山清水。酌爾雖行。道之白鳴。
(123)やまぶきの。たちよそひたる。やましみづ。くみにゆかめど。みちのしらなく。
 
和名抄、?冬一名虎鬚、和名夜末不不木、−云、夜末布木、萬葉集云、山吹花と見ゆ。?冬とせしは違へり。字は何にもせよ、今有る山ブキなり。山吹の花は集中に妹に似る由よみたり。さて山吹は、深き山の谷水のほとりなどに咲きたわむ物なれば、山水もて詞を續け給へり。葬りませし山邊には、皇女の今も此花の如くたをやぎおはすらむと思へども、尋ね行かむ道の知られねばかひ無しと、幼く詠み給へるなり。宣長云、儀は纏などの誤りにて、立チシナヒタルと有るべし。卷二十、多知之奈布きみがすがたを云云と詠めり。
 參考 ○立儀足(古)タチ「茂」シゲミタル(新)略に同じ。
 
天皇崩之時大后御作歌一首
 
朱鳥元年九月九日、清御原宮に天皇崩給ふ。此大后後に持統天皇と申す。
 
159 八隅如之。我大王之。暮去者。召賜良之。明來者。問賜良之。神岳乃。山之黄葉乎。今日毛鴨。問給麻思。明日毛鴨。召賜萬旨。其山乎。振放見乍。(124)暮去者。綾哀。明來者。裏佐備晩。荒妙乃。衣之袖者。乾時文無。
やすみしし。わがおはきみの。ゆふされば。めしたまふらし。あけくれば。とひたまふらし。かみをかの。やまのもみぢを。けふもかも。とひたまはまし。あすもかも。めしたまはまし。そのやまを。ふりさけみつつ。ゆふされば。あやにかなしみ。あけくれば。うらさびくらし。あらたへの。ころものそでは。ひるときもなし。
 
召賜の召は借字にて見給ふなり。問賜はいかにと問ひ給ふを言へり。此二つの良之は常言ふとは異なり。卷二十、大君のつぎてめす良之たかまとの野べみるごとにねのみしなかゆ。此の良之と同じく、過去の詞にも言へり。神岳は飛鳥の神南備山の事なり。雄略天皇の御時、此山の名を改めて、雷岳と呼ばせ給ひし事紀に見ゆ。古へ雷をカミとのみ言ひしなれば、雷岳と書きてもカミヲカと訓むべし。ケフモカモ問ヒ給ハマシ云云は、おはしましなば問はせ給はむ物をとなり。其山ヲフリサケ見ツツは、今大后御獨のみ見給ひつつなり。アヤニ云云のアヤはアナと言ふも同じく、何事にまれ、切に思ひ歎く詞なり。古事記沼河日賣の歌に、阿夜爾那古斐岐許志《アヤニナコヒキコシ》、其外集中に例多し。ウラサビは心スサマジキなり。アラタヘノ云云、アラタヘは庶人の服にて、令集解に大御喪には細布を奉る由有れど、其細布も大后の御心にただ人の着るあらたへの如くおぼして、斯く宣まふなるべし。
 
一書曰。天皇崩之時太上天皇御製歌二首。
 
此太上は持統天皇に當れり。天武天皇崩りませし後、四年に即位、十一年八月御位を文武天皇に讓りたまひて後、太上と申奉る。天武崩りませる時、太上と書けるはひがごとなり。
 
160 燃火物。取而裹而。福路庭。入澄不言八面。智男雲、
(125)もゆるひも。とりてつつみて。ふくろには。いるといはずやも。しるといはなくも。
 
智一本知に作る。今本イルトイハズヤ、モチヲノコクモと點あれど由なし。翁試みに言はれしは、澄は登の誤り、智は知曰二字ならむか。然らばイルトイハズヤモ、シルトイハナクモと訓むべし。是は後世火をくひ、火を踏むわざを爲なれば、其御時在りし役ノ小角か輩の、火を袋に包みなどする恠き術する事の有りけむ。さてさる怪きわざをだにするに、崩り給ひし君に逢ひ奉らむ術を知ると言はぬがかひなしとにや。契沖云、卷十二に、面知君が見えぬ此ごろとも詠みたれば、智は知の誤りにて、イルトイハズヤ、オモシルナクモと訓まむか。見なれ奉り給へる御面わの見え給はぬを戀奉り給へるなりと言へり。智を知に作れる本もあれば、面知とせむ方も然るべくも思はるれど、猶穩ならず。考ふべし。
 
161 向南山。陣雲之。青雲之。星離去。月牟離而。
きたやまに。たなびくくもの。あをぐもの。ほしはなれゆき。つきもはなれて。
 
星雲は白雲なり。さて雲の星を離ると懸かれり。牟は毛の誤りなるべし。是は后をも臣をも、おきて神あがりませるを、月星に放れて、よそに成り行く雲に譬へ給へりと翁言はれき。宣長云、星雲之星は青天に有る星なり。雲と星と離るるには有らず、二つの離はサカリと訓みて、月も星もうつり行くを云ふ。ほどふれば星月も次第に移りゆくを見給ひて、崩り給ふ月日の、ほど遠く成り行くを悲しみ給ふなりと言へり。是おだやかなり。
(126) 參考 ○陣雲之(新)ツラナルクモノ ○星離去(考)ホシハナレユク(古)ホシサカリユキ(新)「日毛」ヒモサカリユキ ○月牟離而(古、新)ツキ「毛」モサカリテ。
 
天皇崩之後八年九月九日奉v爲2御齋【齋ヲ今齊ニ誤】會1之夜夢裏習賜御歌一首
 
習は誦の誤りか。此次に藤原宮御宇と標して、右同天皇崩りませる朱鳥元年十一月の歌を載せ、其次に同三年の歌有るを、ここに同八年の歌載すべきに非ず。且持統天皇の御歌とせば御製と有るべし。かたがたいぶかしき由考に言へり。此御齋會の事、持統紀二年二月の詔に、自v今以後毎v取2國忌日1要須v齋也と有り。
 
162 明日香能。清御原乃。宮爾。天下。所知食之。八隅知之。吾大王。高照。日之皇子。何方爾。所念食可。神風乃。伊勢能國者。奧津藻毛。靡足波爾。鹽氣能味。香乎禮流國爾。味凝。文爾乏寸。高照日之御子。
あすかの。きよみはらの。みやに。あめのした。しろしめしし。やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。いかさまに。おもほしめせか。かむかぜの。いせのくには。おきつもも。なびきしなみに。しほげのみ。かをれるくにに。うまごり。あやにともしき。たかひかるひのみこ
 
靡足舊點にナビキシと有るからは、足をシの假字に用ひしか。又は之の誤りならむ。潮の滿る時くもるをカヲルと言ふ。神代紀に我所v生之國。唯有2朝霧1而薫滿之哉。又神樂歌に、いせじまやあまのとめら(127)かたくほのけおけおけ、たくほのけいそらがさきにかをりあふおけおけ。又卷九に、鹽氣たつありそにはあれどなども詠めり。合せ考ふべし。冠辭考朝ガスミの條にも委し。味ゴリ枕詞。此歌いと心得がたし。強て言へば、天皇吉野より伊勢の國へ幸有りて、桑名におはせし事を、尊きおほむ身にて、荒海の邊におはせしが、めづらかに忝なき由か。
 參考 ○靡足波爾(考〕ナミタルナミニ(古)ナビ「合」カフナミニ(新)香乎禮流國爾以下脱有るか。
 
藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姫天皇 後に持統と申す〔七右□で囲む〕
 
大津皇子薨之後大來皇女從2伊勢齋宮1上京之時御作歌二首
 
朱鳥元年十一月なり。
 
163 神風之。伊勢能國爾母。有益乎。奈何可來計武。君毛不有國。
かむかぜの。いせのくににも。あらましを。なにしかきけむ。きみもあらなくに。
 
神カゼノ枕詞。君は大津皇子をさし給へり。
 參考 ○君毛不有國(古)キミモマサナクニ(新)略に同じ。
 
164 欲見。吾爲君毛。不有爾。奈何可來計式。馬疲爾。
みまくほり。わがするきみも。あらなくに。なにしかきけむ。うまつかるるに。
 
是も上に同じさまにて、言を少し變へたるも、古しへ有りし一つの體なり。馬ツカルルニと言ひて、我(128)心身をもそへ給へり。
 參考 ○馬疲爾(考、新)ウマツカラシニ(古)略に同じ。
 
移2送大津皇子屍(ヲ)於葛城二上山1之時大來皇女哀傷御作歌二首
 
二上山は葛下郡にあり。
 
165 宇都曾見乃。人爾有吾哉。從明日者。二上山乎。弟世登吾將見。
うつそみの。ひとなるわれや。あすよりは。ふたがみやまを。いもせとわかみむ。
 
今現にてある我にして、此山を兄弟と見てや有らむずらむと歎き給ふなり。卷七、木路にこそ妹山有りとへ三櫛上の二上山も妹こそ有りけれ。是はもと妹を葬りし故か。卷三、うつせみの世の事なればよそに見し山をや今はよすがと思はむと言ふも相似たり。もとは男女の兄弟をもイモセと言ひしなり。
 參考 ○弟世云云(考)「奈世」ナセトワガミム(古)「吾世」ワガセトアガミム(新)、「吾弟」ワガセトヮガミム。
 
166 礒之於爾。生流馬醉木乎。手折目杼。令視倍吉君之。在常不言爾。
いそのうへに。おふるあしびを。たをらめど。みすべききみが。ありといはなくに。
 
古へはただ石をイソとも言へば、此二上山の石有るあたりに生ひたるあしびを言ふなり。ホトリの事をウヘと言ふは常なり。卷十、かはづ鳴よしのの川の瀧上の馬醉之花云云と有るを、今本ツツジと訓む。六(129)帖に此歌をアセミノ花とて載せたれば、古くはアセミと訓みしならむ。よりてここもアセミと訓むべけれど、卷七に安志妣成《アシビナス》、卷廿に安之婢《アシビ》と書けるをもて、ここはアシビと訓めり。六帖にアセミと有るは、音の通へばやや後にはしか唱へしなるべし。さてアセミは木瓜《ボケ》の花なるべし。三月のころ野山に、躑躅とひとしく赤く咲くものにて、集中に多し。冠辭考、アシビナスの條に委し。からぶみに馬醉木と言へるは、こと物なるべく聞ゆれど、字に泥《ナヅ》む事なかれ。此み歌も移葬の日に、皇女も慕ひ行きたまひて、此花を見て詠み給へるなり。古へはかかる時、皇子皇女もそこへおはする事、紀にも集にも見えたり。左註は後人のしわざなるべし。
 參考 ○馬醉木(代)ツツジ、又はアセミ(考、古)略に同じ(新)アセミ。
 
右一首。今案不v似2移葬之歌1。蓋疑從2伊勢神宮1還v京之時。路上見2花盛1傷哀咽作2此歌1乎。
 
日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
並の下知の字有るべし。朝臣の字を脱せり。目録に依りて補ふ。此皇子朱鳥三年四月薨じましし事紀に見ゆ。草壁皇子尊とも申せり。天皇の外は殯宮をばせられねども、葬の後一周御墓仕へする間をば殯と言ひしと見ゆ。今本誤りて右の左註より、此端詞を書き續けたり。
 
167 天地之。初時之。久堅之。天河原爾。八百萬。千萬神之。神集。(130)集座而。神分。分之時爾。天照。日女之命。(一云指上日女之命、)天乎波。所知食登。葦原乃。水穗之國乎。天地之。依相之極。所知行。神之命等。天雲之。八重掻別而。(−云天雲之、八重雲別而、)神下。座奉之。
あめつちの。はじめのときし。ひさかたの。あまのかはらに。やほよろづ。ちよろづかみの。かむつどひ。つどひいまして。かむはかり。はかりしときに。あまてらす。ひるめのみこと。あめをば。しろしめすと。あしはらの。みづほのくにを。あめつちの。よりあひのきはみ。しろしめす。かみのみことと。あまぐもの。やへかきわけて。かむくだり。いませまつりし。
 
久堅ノ、枕詞。紀に天の安河原と有るを安を略けり。八百萬千萬神ノ云云は、天孫を水穗の國へ降しまゐらせむとの神議《カムハカリ》なれば、天照の句以下四句を隔てて、葦原云云と言ふへかかれり。此四句の事は、右の神はかり有りしよりも前の事なるを、言を略きて句をなすとて前後に言へり。天テラス云云、一本のサシノボルも同じ事なり。天をば既に日女の命の長くしろしめせば、天孫は豐葦原の國を地と久しく知らさむものとて、降し奉り給ふとなり。水穗の水は借字にて、稚稚《ミヅミヅ》しき穗なり。天地ノヨリ相ノ極ミは、既に天地の開分れしと言ふに對へて、又依合はむ限までとなり。神ノ命ト云云、即ち天孫彦火瓊瓊杵命を申す。天雲ノ云云の詞は、神代紀祝詞など同じ古言なり。神下リイマセマツリシ、宣長云、卷十五、ひとぐににきみを伊麻勢弖と有るによりて、ここもイマセマツリシと訓むべし。イマセは令v座の意なりと言ふによれり。ここにて一段にして、これまで天孫の御事なり。
(131)  參考 ○神分(古〕カムアガチ(新)カンクハリ、クバリシトキニ○所知食登(考)シロシメシヌト(古、新)略に同じ○神下(新)カムクダシ○座奉之(考)イマシマツラシ(古、新)略に同じ。
 
高照。日之皇子波。飛鳥之。淨之宮爾。神隨。太布座而。天皇之。敷座國等。天原。石門乎開。神上。上座奴。(一云、神登座爾之可婆。)
たかひかる。ひのみこは。あすかの。きよみのみやに。かむながら。ふとしきまして。すめろぎ《おほきみ》の。しきますくにと。あまのはら。いはとをひらき。かむあがり。あがりいましぬ。
 
タカヒカル云云、此日の皇子は日並知皇子尊を申すなり。此句にて暫く切りて、天原云云と言ふへ懸る。此國士は天皇の敷座國《シキマスクニ》なりとして、日並知尊は天へ上り給ふと言ひなしたり。此時天皇は持統天皇にて、淨御原宮におはしませり。是れ二段なり。開は閉の誤りにてタテテと訓むべし。卷三、豐國の鏡の山の石戸立《イハトタテ》隱れにけらしと有る類ひなりと、宣長説なり。一本の神ノボリ、イマシニシカバの方は、句つづきよからず。本文を用ふべし。
 
吾王。皇子之命乃。天下。所知食世者。春花之。貴在等。望月乃。滿波之計武跡。天下。(一云|食國《ヲスクニ》)四方之人之。大船之。思憑而。天水。仰而待爾。(132)何方爾。御念食可。由縁母無。眞弓乃崗爾。宮柱。太布座。御在香乎。高知座而。明言爾。御言不御問。日月之。數多成塗。其故。皇子之宮人。行方不知毛。(一云、刺竹之《サスタケノ》、皇子宮人《ミコノミヤヒト》、歸邊不知爾爲《ヨルヘシラニシテ》
わがおほきみ。みこのみことの。あめのした。しろしめしせば。はるはなの。たふとからむと。もちづきの。たたはしけむと。あめのした。よものひとの。おほぶねの。おもひたのみて。あまつみづ。あふぎてまつに。いかさまに。おもほしめせか。つれもなき。まゆみのをかに。みやはしら。ふとしきいまし。みあらかを。たかしりまして。あさごとに。みこととはさず。つきひの。まねくなりぬる。そこゆゑに。みこのみやびと。ゆくへしらずも。
 
吾王皇子ノミコト云云、ここも日並知尊の御事なり。春花ノ貴カラムとは則ちめでたきを言ひて褒むる詞なり。貴の字義に拘はる事莫かれと有る、宣長説に據るべし。望月ノ云云、卷十三もちづきの多田波思家武《タタハシケム》とあるによりて、契沖しか訓めり。湛ふるは則ち滿つる意にて、御惠の足らひなむと言ふなり。天ノ下或本のヲスグニ、いづれにても有るべし。食國はしろしめす國なり。大船ノ、枕詞。天ツ水は、水かれたる時に、雨を待ち乞ふ如くと言ふなり。由縁モナキは、三卷、都禮毛奈吉《ツレモナキ》さほの山べに、卷十三、津禮毛無城上宮爾由《ツレモナキキノヘノミヤニ》、是等によりて、ここもツレモナキと訓まむと宣長言へり。則ち故由も無き意なり。眞弓岡、式に高市郡眞弓丘陵見ゆ。宮柱云云、上に見ゆ。ここは陵にて宮殿は有らねど、常の御殿になぞらへ言へり。アサゴトニ、言は借字にて、日毎ニと言ふ意なり。ミコトトハサズ、古へもの言ふをコトトフ、モノイハヌをコトトハヌと言へり。數多成塗、マネクナリヌルと訓むこと、卷一に既に言へり。ミ子ノ宮人(133)云云、一云、サスタケノミコノ宮人云云とあれど、數多ナリヌルと言ふより、ソコユヱニと續ける方まされれば一本はとらず。ここは御墓づかへの日數終りて退散を言へり。さて下の高市の皇子尊の殯の時、人麻呂の長歌などを見るに、春宮舎人にて此の時も詠まれしなるべし。然ればここの宮人の事を言ふなり。
 參考 ○貴在等(代)タノシカラムト(考)メデタカラムト(古、新)略に同じ ○由縁母無(代)ヨシモナキ(古、新)略に同じ ○太布座(新)フトシキタテ ○數多成塗(考)アマタナリヌル(古、新)マネクナリヌレ。
 
反歌二首
 
168 久堅乃。天見如久。仰見之。皇子乃御門之。荒卷惜毛。
ひさかたの。あめみるごとく。あふぎみし。みこのみかどの。あれまくをしも。
 
これは島の宮の御門なり。次の舍人等の歌どもにも、此御門の事を專ら言ひ、下の高市皇子尊の殯の時、人麻呂の御門の人と詠みしを思ふに、人麻呂即ち舍人にて、其守る御門を申せしなるべし。アレマクヲシモは、アレムガ惜シキとなり。
 
169 茜刺。日者雖照有。烏玉之。夜渡月之。隱良久惜毛。
あかねさす。ひはてらせれど。ぬばたまの。よわたるつきの。かくらくをしも。
 
(134)アカネサス、枕詞。是は皇子の御事を月に譬へ奉り、上の日ハ照ラセレドと言ふは、月の隱るるを歎くを強く言はむ爲なり。カクラクはカクルルを延べ言ふなり。此日を天皇を指し奉るにやと言ふ説もあれど、天武天皇崩りまして、三年に此皇子薨じ給ひ、其明る年大后位に即き給へれば、此時天皇おはしまさず、はたなめげにも聞ゆれば然らず。
 
或本云。以2件歌1爲2後皇子尊【尊ヲ今貴ニ誤ル】殯宮之時反歌1【反歌ヲ倒置】也。 後皇子は高市皇子尊を申すなり。此註もつたなき書きざまなり。後人のわざと見ゆ。
 
或本歌一首
 
170 島宮。勾乃池之。放鳥。人目爾戀而。池爾不潜。
しまのみや。まがりのいけの。はなちどり。ひとめにこひて。いけにかづかず。
 
是は右の反歌にはあらず、次の舍人等が歌どもの中に入るべきなり。勾《マガリ》は高市郡にて、安閑天皇の皇居の有りし所なるを、日竝知皇子の尊、領《シリ》給ひて住み給へるなるべし。そこに池島も有りし故、島ノ宮とも言ひしなり。契沖云、橘の島の宮とも詠めれば、橘寺の有るあたりならむと言へり。天武紀十年秋九月。周芳國貢2赤龜1乃放2島宮池1。はなち鳥は水鳥の翅など切りて放ち飼ふを言ふ。其鳥の馴れし人目をなつかしみ思ひて、水の上にのみ浮きゐて、底へかづき入る事をせずと言ふなり。
 參考 ○不潜(新)カヅカヌ。
 
(135)皇子尊宮舎人等慟傷作歌二十三首
 
傷、目録にタに作る。職員令春宮大舍人六百人と有り。尊の薨後島宮の外重《トノヘ》を守ると、佐太岡の御喪舍に侍宿すると有る故に、ここかしこにての歌ども有るなり。
 
171 高光。我日皇子乃。萬代爾。國所知麻之。島宮毛。
たかひかる。わがひのみこの。よろづよに。くにしらさまし。しまのみやはも。
 
日ノ皇子は日並知皇子尊を申す。ハモのモは助辭。
 
172 島宮。池上【池上今倒置】有。放鳥。荒備勿行。君不座十方。
しまのみや。いけのうへなる。はなちどり。あらびなゆきそ。きみまさずとも。
 
上池と有るは誤りなり。一本池上と有るをよしとす。是は勾の池にて、島の宮の中に有りしなるべし。アラビナユキソは、放ち飼はせたまひし鳥どもだに、人に疎くな成り行きそと言ふなり。
 參考 ○上池有(考、新)「池上有」イケノウヘナル(古)「勾池之」 マガリノイケノ。 
173 高光。吾日皇子乃。伊座世者。島御門者。不荒有益【益ヲ今蓋ニ誤ル】乎。
たかひかる。わがひのみこの。いましせば。しまのみかどは。あれざらましを。
 
御門は舍人の守る所なれば專ら言へり。益を今蓋に誤れり。
 
(136)174 外爾見之。檀乃岡毛。君座者。常都御門跡。侍宿爲鴨。
よそにみし。まゆみのをかも。きみませば。とこつみかどと。とのゐするかも。
 
眞弓ノ岡は上に出づ。葬り奉りてよりは、ここを常の御殿と思ふ心を言へり。
 
175 夢爾谷。不見在之物乎。欝悒。宮出毛爲鹿。作日之隅【隅ハ隈ノ誤】回乎。
いめにだに。みざりしものを。おほほしく。みやでもするか。さひのくまわを。
 
作日、一本佐田と有り。宮出は御門を出入りするを言ふ。佐は發語にて檜隈なり。檜隈の郷の内、眞弓岡、佐太岡は續きたる岡と見ゆれど、一本佐田と有るからは、ただちに佐田の方を用ふべきなり。いかなる事にて、此佐田の岡の御陵の侍宿所を出入りするにやと、忘れてはおぼめかるる意なり。佐田とする時は、隈回は道ノクマワなど詠めるに同じかるべし。
 參考 ○昨日之隅回乎(古)サヒノクマミヲ(新)「佐田」サタノクマミヲ。
 
176 天地與。共將終登。念乍。奉仕之。情違奴。
あめつちと。ともにをへむと。おもひつつ。つかへまつりし。こころたがひぬ。
 
皇子を天地と共に久しからんと思ひしとなり。
 
177 朝日?流。佐太乃岡邊爾。群居乍。吾等哭涙。息時毛無。
あさひてる。さだのをかべに。むれゐつつ。わがなくなみだ。やむときもなし。
 
(137)朝日夕日をもて、山岡宮殿などの景を言ふ事、集中また古き祝詞などにも多し。ここも只其所の景色を言ふのみ。此御陵の侍宿所は、佐太岡、眞弓岡にわたりて在りしなるべし。
 
178 御立爲之。島乎見時。庭多泉。流涙。止曾金鶴。
みたたしし。しまをみるとき。にはたづみ。ながるるなみだ。とめぞかねつる。
 
皇子の御池を御覽ずるとて、をりをり立たせ給ひし島なり。もと此池島に依りて、所の名とも成りしなるべけれど、ここに詠めるは所の名に有らずして、其池島なるべし。ニハタヅミ、枕詞。
 
179 橘之。島宮爾者。不飽鴨。佐田乃岡邊爾。侍宿爲爾往。
たちばなの。しまのみやには。あかねかも。さだのをかべに。とのゐしにゆく。
 
皇子の宮にとのゐし飽かねばか、佐田の岡邊までとのゐしに行くと、幼く言へり。アカネカモとよみて、アカネバカモのバを略ける捌なり。
 參考 ○不飽鴨(代)アカズカモ(考)アカヌカモ(古、新)略に同じ。
 
180 御立爲之。島乎母家跡。住鳥毛。荒備勿行。年替左右。
みたたしし。しまをもいへと。すむとりも。あらびなゆきそ。としかはるまで。
 
是も放鳥の此池に猶住めるが、人うとくならずして、來む年までも有れかしとなり。
 參考 ○島乎母家跡(新)シマヲバイヘト。
 
(138)181 御立爲之。鳥之荒礒乎。今見者。不生之草。生爾來鴨。
みたたしし。しまのありそを。いまみれば。おひざりしくさ。おひにけるかも。
 
御池に岩などたてて、荒磯のさま作られしを言ふなるべし。
 
182 鳥〓立。飼之雁乃兒。栖立去者。檀岡爾。飛反來年。
とぐらたて。かひしかりのこ。すだちなば。まゆみのをかに。とびかへりこね。
 
トグラは御庭に立ておかれし鳥|籠《コ》なり。ここのカリはカル鳧《ガモ》の事なり。夏鴨とも言ふものにて、後の物語ぶみに、カリノ子と言へるも是なり。冠辭考にくはし。巣を立ち去らば皇子の御陵へ來れとなり。〓は栖の誤りか。
 
183 吾御門。千代常登婆爾。將榮等。念而有之。吾志悲毛。
わがみかど。ちよとことはに。さかえむと。おもひてありし。われしかなしも。
 
トコトハは、トコシナヘニ、トコ磐ニと言を重ねて、限りなき事を強く言ふなり。
 
184 東乃。多藝能御門爾。雖伺侍。昨日毛今月毛。召言毛無。
ひむがしの。たぎのみかどに。さもらへど。きのふもけふも。めすこともなし。
 
池に瀧有る方の御門を、かく名付けしなるべし。
 
185 水傳。礒乃浦回乃。石乍自。木丘開道乎。又將見鴨。
(139)みづつたふ。いそのうらまの。いはつつじ。もくさくみちを。またみなむかも。
 
水ヅタフ、枕詞。上の瀧の邊の磯のさまなり。浦マは既に出づ。イハツツジ和名抄、羊躑躅、和名以波豆豆之と有り。春の末撚ゆるが如き花なり。木丘サクは、紀に薈の字をモクと訓む、字註草木の繁き事とせり。又見ナムカモは、今よりは此宮に參るまじければ、よろづになごり惜しきなり。
 參考 ○石乍自(古)イソツツジ(新)イハツツジ。
 
186 一日者。干遍參入之。東乃。大寸御門乎。入不勝鴨。
ひとひには。ちたびまゐりし。ひむがしの。おほきみかどを。いりがてぬかも。
 
今本タギノミカドと訓めり。寸は假字なれば、タキノと訓まむには乃の字有るべし。入リガテヌは入りカヌルなり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも義同じ。
 參考 ○大寸御門乎(古)タキ「能」ノミカドヲ(新)タギノミカドヲ。
 
187 所由無。佐太乃岡邊爾。反居者。島御橋爾。誰加住舞無。
つれもなき。さだのをかべに。かへりゐば。しまのみはしに。たれかすまはむ。
 
ツレモナキは既に言へり。カヘリヰバとは、行きかへり分番交替してあるを言ふ。ミハシは御階なり。スマハムとはトノヰスラムと言ふなり。
 參考 ○所由無(代)ヨシモナキ(古、新)略に同じ ○反居者(古、新)「君」キミマセバ。
 
(140)188 旦覆。日之入去者。御立之。島爾下座而。嘆鶴鴨。
あさぐもり。ひのいりゆけば。みたたしし。しまにおりゐて。なげきつるかも。
 
旦覆は天靄の誤り歟、然らばアマグモリと訓むべし。日ノ入去レバは暮レユケバと言ふなり。契沖云、日の入るは夕にこそあれ、朝日の入ると詠めるは、皇子の東宮にてましませしかば、朝日の出づる如く思奉れるを、俄にかくれたまへば、朝の間に曇りて、日の入りたると言ふ心なりと言へり。いかがあらむ。例に據るに、立の下爲の字落ちたるか。宮の外に池島有りて、日暮れゆけば其ほとりの舍へ下りをるなるべし。
 參考 ○旦覆(考)「天靄」アマグモリ(古)「茜指」アカネサス(新)「天傳」などの誤か ○日之入去者(古、新)ヒノイリヌレバ。
 
189 旦日照。島乃御門爾。欝悒。人音毛不爲者。眞浦悲毛。
あさひてる。しまのみかどに。おほほしく。ひとおともせねば。まうらがなしも。
 
オホホシクはオボソカナクなり。にぎはひし御門の内に、人音のせねば、忘れてはおぼつかなく思はるるなり。眞はマコトニと言ふ意、ウラは心なり。
 
190 眞木柱。太心者。有之香杼。此吾心。鎭目金津毛。
まきばしら。ふときこころは。ありしかど。このわがこころ。しづめかねつも。
 
眞キバシラ、枕詞。丈夫心も失せて、思ひしづめ難く悲しきを言ふ。
 
(141)191 毛許呂裳遠。春冬片設而。幸之。宇陀乃大野者。所念武鴨。
けごろもを。はるふゆかたまけて。いでましし。うだのおほのは。おもほえむかも。
 
和名抄、裘、加波古路毛と有り。古へ御狩に摺衣を着せ給ひしは稀にて、專ら皮衣と見ゆ。今のむかばきは其遺れるならむ。片設の片は誤りにて、取の字なるべし。然らばトリマケと訓むべし。毛衣を設け着る意なり。片設とは春冬に向ひてと言ふ言とも聞ゆれど、衣を張るを春に言ひかくる樣の事、今の京と成りての事にて、古へ無ければ、此歌にかなへりとも覺えず。ウダノ大野は、前に出でし宇陀の安騎野にて、人麻呂の、御狩たたしし時は來にけりと詠みし御狩の事をここにも言ひて、今よりは、此有りし御狩の事を思ひ出でては、慕ひ奉らむと歎くなり。
 參考 ○春冬片設而(代)ハルフユカタマケテ(考)ハルフユ「取」トリマケテ(古)略に同じ(新)冬を衍とし、ハルカタマケテ。
 
192 朝日照。佐太乃岡邊爾。鳴鳥之。夜鳴變布。此年己呂乎。
あさひてる。さだのをかべに。なくとりの。よなきかはらふ。このとしごろを。
 
鳴鳥ノは、鳴ク鳥ノ如クと言ふを略けり。舍人等の歎きつつかはるがはる夜の宿直するを、此岡に夜る鳴く鳥に譬へ言へり。カハラフは上に反居者と言へるに同じく、侍宿の交替を言ふ。さて四月より四月まで一周の間なれば、年比と言へるなり。
(142) 參考 ○夜鳴變布(代)ヨナキカハラフ(古)ヨナキカヘラフ (新)ヨナキ「度布」ワタラフ
 
193 八多籠良家。夜晝登不云。行路乎。吾者皆悉。宮道叙爲。
やたこらが。よるひるといはず。ゆくみちを。われはことごと。みやぢにぞする。
 
家は我の誤りならむ。ヤタコラは奴等なり。神功紀、于摩比等破于摩譬苫奴知野伊徒姑播茂伊徒姑奴池《ウマヒトハウマビトドチヤイツコハモイツコドチ》、このヤイツコに同じきを、ツをタに通はして言ひしにや。若くは多は豆の誤りか。賤しき里人どもが通路を、吾等が宮づかへの道とするは、思ひかけぬ事かなと歎く意なり。契沖云、八をハとよみてハタゴラならむか。馬をかして口とるをのこを言へるにやと言へり。宣長説、良は馬の誤りにて、ハタコウマなるべし。旅籠馬と言ふ事、蜻蛉日記にも見え、宇治拾遺にもハタゴ馬皮子馬など來つぎたりと有りと言へり。猶考べし。
 參考 ○皆悉(新)サナガラ。
 
右日本紀曰。三年已丑夏四月癸未朔乙未薨
 
柿本朝臣人麻呂獻2泊瀬部皇女忍坂武皇子1歌一首并短歌
 
歌の左或本を引きたるぞ正しかるべき。是は天智天皇の皇子にして、此皇女の御兄忍坂部皇子に兼ね獻るよし有るべき事なく、ただ御|夫婦《メヲ》の常の有樣をのみ言ひて、かの皇子の事無し。忍坂部皇子の五字は、次の明日香皇女木※[瓦+缶]殯宮云云の端詞に有りしが、ここに入りしものなり。
 
(143)194 飛鳥。明日香乃河之。上瀬爾。生玉藻者。下瀬爾。流觸經。玉藻成。彼依此依。靡相之。嬬乃命乃。多田名附。柔膚尚乎。劔刀。於身副不寐者。烏【烏ヲ今鳥ニ誤】玉乃。夜床母荒良無(一云阿【阿ヲ今何ニ誤】禮奈牟)所虚故。名具鮫魚天氣留。敷藻相。屋常而念(一云公毛相哉登)。玉垂乃。越乃大野之。且露爾。玉藻者?打。夕霧爾。衣者沾而。草枕。旅宿鴨爲留。不相君故。
とぶとりの。あすかのかはの。かみつせに。おふるたまもは。しもつせに。ながれふらばへ。たまもなす。かよりかくより。なびかひし。つまのみことの。たたなつく。やははだすらを。つるぎだち。みにそへねねば。ぬばたまの。よどこもあるらむ。そこゆゑに。なぐさめてげる。しきもあふ。やどとおもひて。たまだれの。をちのおほぬの。あさつゆに。たまもはひづち。ゆふぎりに。ころもはぬれて。くさまくら。たびねかもする。あはぬきみゆゑ。
 
流觸經は、宣長云、ナガレフラバヘと訓むべし。古事記、那迦都延爾游知布良婆閉《ナカツエニオチフラバヘ》と有るに同じ意にて、流レフルルを延べ言ふなりと言へり。ナビカヒシはナビキアヒシを約め言へり。嬬は借字にて夫の意、タタナツクは枕詞、ヤハハダスラヲのスラは、ソレヲと言ふ詞と心得べし。委しくは考の別記に有り。ツルギダチ、枕詞。身ニソヘネネバは、夫君の薨後皇女の御獨寢を言ふ。ヌバタマノ、枕詞。夜ドコモ荒ルラムは、古へ旅行きし跡の床をあやまちせじと謹む事なり。死にたる後も、一周は其如くすればかく言へり。或本の(144)アレナムも同じ意なり。今阿を何に作るは誤りなり。ソコユヱニはソレ故ニなり。名具鮫魚天氣留云云、久老去、魚は兼の誤り、留は田の誤りにて、ナグサメカネテ、ケダシクモと訓むべしと言へり。しか改むれば、或本の公モアフヤトと有るにもよく續けり。初めの儘にては聞えず。玉ダレノ、枕詞。ヲチノ大野、今コスと訓めるはわろし。天智紀|小市《ヲチ》岡上陵、又天武紀幸2越智1、式に越智崗上陵(高市郡)など有るは、皆同じ。齊明天皇の御陵なり。さればヲチと訓むべきなり。玉モは裳なり。ヒヅチは前に出づ。夕霧ニ云云は、其野を分け過ぎて、夕べに宿り給ふまでを言ふ。草枕、枕詞。タビネカモスルアハヌ君故は、アハヌ君ナルモノヲの意なり。古へ新喪に墓所の傍に廬作りて、一周の間人しても守らせ、あるじもをりをり行きてやどりしとみゆ。次《ヤドル》2于墓所1と言ふ事、舒明紀にも見ゆ。
 參考 ○流觸經(考)ナガレフラヘリ(古、新)ナガレフラフ ○柔膚尚乎(古、新〕ニギハダスラヲ ○名具鮫云云(代)ナグサメテケル、ケダシクモ(考)ナゲサメテケルシキモ云云(古、新)ナグサメ「兼」カネテケ「田」ダシクモ ○相屋常念而(代)アフヤトオモヒテ(考)シキモアフ、ヤドトオモヒテ(古)アフヤト「御」オモホシテ(新)アフヤトモヒテ。
 
反歌
 
195 敷妙之。袖易之君。玉垂之。越野過去。亦毛將相八方。
しきたへの。そでかへしきみ。たまだれの。をちのにすぎぬ。またもあはめやも。
(145)一云、乎知《ヲチ》野爾過奴。
 
シキタヘノ、枕詞。袖カヘシは袖を交《カハ》すなり。袖さしかへてとも詠めり。玉ダレノ、枕詞。スギヌは既に薨じまして、をち野に葬りたる事をつづめて言へり。マタモアハメヤモは、又はアフマジキと言ふなり。
 參考 ○越野過去(新)ヲチヌヲスギヌ。
 
右或本曰。葬2河島皇子越智野1之時。獻2泊瀬部【今部ヲ脱ス】皇女1歌なり。日本紀曰。朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑。淨大參皇子川島薨。
 
明日香皇女|木※[瓦+缶]《キノベ》殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
明日香皇女は天智天皇の皇女にて、文武天皇四年四月薨じ給へるよし紀に見ゆ。木※[瓦+缶]は式和名抄等廣瀬郡に有りて、此次|城上《キノヘ》殯宮と有るも同じ。長歌に夫君の歎き慕ひ給ひ、木の※[瓦+缶]へ往來し給ふさま、上の泊瀬部の皇女の乎知野へ詣で給ふと同じさまなり。されば此歌は夫君忍坂部皇子へ獻りしなるべし。端詞人麻呂の下、獻2忍坂部皇子1歌と有りしが亂れしなるべし。
 
196 飛鳥。明日香乃河之。上瀬。石橋渡。【一云石浪】下瀬。打橋渡。石橋。(一云石浪)生靡留。玉藻毛叙。絶者生流。打橋。生乎爲【爲は烏ノ誤】禮流。川藻毛叙。干者波由流。
とぶとりの。あすかのかはの。かみつせに。いはばしわたし。しもつせに。うちはしわたし。いはばしに。おひなびける。たまももぞ。たゆればおふる。うちはしに。おひををれる。かはももぞ。かるればはゆる。
 
(146)イハバシは石を數數竝べ渡すを言ふ。卷二十に、あまのがは伊之奈彌於可婆《イシナミオカバ》と詠める則ち是なり。冠辭考に委し。一本の石浪は借字にて石竝なり。打ハシは板にても何にても假初めに渡したるを言ふ。宣長説、打は借字にてウツシの約りたるなり。ここへも、かしこへも遷しもてゆきて、時に臨みてかりそめに渡す橋なり。生ヒナビケル云云、石の竝びたるあたりに生ひ靡くなり。タユレバオフルは、人死にて又歸らぬを言はむとてなり。ヲヲレルは、打橋の邊に生ひたる藻の靡くを言ふ。此爲は烏の誤りなるべし。卷六に、春べには花|咲乎遠里《サキヲヲリ》、また春されば乎呼理《ヲヲリ》爾ををりなどあまた有り。ヲヲリはタワミの意なり。考の別記に委し。川藻モゾカルレバハユルも、詞を變へたるのみにて生ふるなり。是れ一段なり。
 參考 ○打橋渡(古、新)ウチハシワタス。
 
何然毛。吾王乃。立者。玉藻之如。許呂臥者。川藻之如久。靡相之。宜君之。朝宮乎。忘賜哉。夕宮乎。背賜哉。
なにしかも。わがおほきみの。たたせば。たまものごとく。ころぶせは。かはものごとく。なびかひし。よろしききみが。あさみやを。わすれたまふや。ゆふみやを。そむきたまふや。
 
ワガオホキミは皇女をさす。タタセバは立タセタマヘバなり。コロブセバは、下にも自伏と書きてころびふすなり。ヨロシキ君、ヨロシキは萬づ足らひ備はれるを言ふ。朝宮ヲ云云は、御心にかなはずやと言ふなり。是れ二段なり。
(147) 參考 ○立者(代)タタセレバ(考)タタスレバ(古、新)略に同じ。
 
宇都曾臣跡。念之時。春部者。花折挿頭。秋立者。黄葉挿頭。敷妙之。袖携。鏡成。雖見不厭。三五月之。益目頬染。所念之。君與時時。幸而。遊賜之。御食向。木※[瓦+缶]之宮乎。常宮跡。定賜。味澤相。目辭毛絶奴。
うつそみと。おもひしときに。はるべは。はなをりかざし。あきたてば。もみぢばかざし。しきたへの。そでたづさはり。かがみなす。みれどもあかず。もちづきの。いやめづらしみ。おもほしし。きみとをりをり。いでまして。あそびたまひし。みけむかふ。きのべのみやを。とこみやと。さだめたまひて。あぢさはふ。めごともたえぬ。
 
ウツソミとは、現身にておはします時になり。春ベハより、モミヂバカザシまでは、其|現《ウツツ》におはせし時の年月の御遊びを言ふ。敷妙ノ、枕詞。袖タヅサハリよりして、御|夫婦《メヲ》の親しきさまを言ふ。鏡ナスは見ると言はむ爲、望月はいよよめづらしみ思ふと言はむ爲なり。君トヲリヲリ、是は忍坂部皇子をさす。ミケムカフ、枕詞。木ノベノ宮を云云は、出で遊び給ひし所、即ち御墓と成りたるを言ふ。味サハフ、枕詞。メゴトモタエヌは、あひ見る事の絶えしを言ふ。辭は借字のみ。是れ三段なり。
 參考 ○時時(古、新)トキドキ
 
(148)然有鴨。(一云所己乎之毛)綾爾憐。宿兄鳥之。片戀嬬。(一云爲乍)朝鳥。(一云朝露)往來爲君之。夏草乃。念之萎而。夕星之。彼往此去。大船。猶預不定見者。遣悶流。情毛不在。其故。爲便知之也。音耳母。名耳毛不絶。天地之。彌遠長久。思將往。御名爾懸世流。明日香河。及萬代。早布屋師。吾王乃。形見何此焉。
しかれかも。あやにかなしみ。ぬえどりの。かたこひづま。あさどりの。かよはすきみが。なつくさの。おもひしなえて。ゆふづつの。かゆきかくゆき。おほぶねの。たゆたふみれば。なぐさもる。こころもあらず。そこゆゑに。すべしらましや。おとのみも。なのみもたえず。あめつちの。いやとほながく。しぬびゆかむ。みなにかかせる。あすかがは。よろづよまでに。はしきやし。わがおほきみの。かたみかここを。
 
シカレカモは、シカアレバハカモなり。此カモの詞ここにゐず。一本のソコヲシモの方かなへり。アヤニカナシミ、是より御墓所へ夫君の詣で給ふを言ふ。ヌエ鳥ノ、枕詞。カタコヒヅマ、一本のシツツの方かなへり。朝鳥ノ、枕詞。一本朝露と有るは誤りなり。夏草ノ、枕詞。オモヒシナエテは、愁ひ給ふ時の姿を言ふ。夕ヅツノ、枕詞。、カユキカクユキは、足もえふみ定めずと云ふなり。大舟ノ、枕詞。タユタフミレバは、歩みたまふさまを言ふ。ナグサモル心モアラズは、夫君の悲み給ふさまを見る吾さへ、心を慰め難きと言ふなり。スベシラマシヤは、今はせん方も無しや、せめて此皇女の御名をだに、萬世に傳へ聞えよと思ふとなり。爲便知之也、宣長説、此一句誤字有るべし。セムスベヲナミとか、又セムスベシラニな(149)ど有るべき所なりと言へり。オトノミモ名ノミモタエズ云云は、音も名も同じ事におつれども、詞のあやに重ねたり。二つのノミは、せめて名のみなりとも絶えずと言ふ意なり。アメツチノ云云、天地と共に長く慕ひまゐらせむとなり。御名ニカカセルは、皇女の御名に負ひたると言ふなり。ハシキヤシのハシキヤは、細シキヨの略にて、愛づる詞、下のシは助辭のみ、考の別記に委し。吾オホキミは皇女を指す。カタミカココヲとは、則ち明日香河を言へり。宣長云、形見何の何は荷の誤りなり。カタミニココヲと訓みて、ここを形見にしのび行かむと上へ返る意なりと言へり。
 參考 ○遣悶流(代、考)オモヒヤル(古、新)ナグサムル ○爲便知之也(古)セムスベシラニ ○形見何此焉(代)ココヲ(古、新)カタミニココヲ
 
短歌二首
 
197 明日香川。四我良美渡之。塞益者。進留水母。能杼爾賀有萬思(一云、水乃與杼爾加有益。)
あすかがは。しがらみわたし。せかませば。ながるるみづも。のどにかあらまし。
 
此川も塞かばとむべければ、皇女の御命も、留めまゐらせん由の有るべき物をと言ふなり。ノドは、一本のヨドと同じ心にて淀むを言ふ。
 
198 明日香川。明日谷(一云左倍)將見等。念八方。(一云念香毛)吾王。御名忘世奴。(一云、御名不所忘《ワスラエヌ》)
あすかがは。あすだにみむと。おもへやも。わがおほきみの。みなわすれせぬ。
 
(150)オモヘヤモのオモヘの言は、附けて言ふ言にて、明日ダニ見ムヤハの意なり。明日だにも今は見奉る事あるまじきを、明日香川を見れば、御名のわすれ難き事よとなり。一本のサヘはかなはず。オモヘカモはよくかなへり。御名ワスラエヌもことわりかなへり。
 
高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
朱鳥三年四月日並皇子尊薨後、此尊皇太子に立ち給ひしが、持統天皇十年七月薨じ給ふ。人麻呂これを惜み悲しみ奉りて、尊のまだただの皇子なりし時、大友皇子との亂有りしに、其御軍の事とり給ひて平らげ給ひ、其後大政まをさせ給ひ、すべて此尊の世に勝れ給ひし事を詠めり。此陵、式に廣瀬郡三立岡と有り、城上《キノヘ》はそこの大名《オホナ》なるべし。
 
199 挂文。忌之伎鴨。(一云由遊志計禮杼母)言久母。綾爾畏伎。明日香乃。眞神之原爾。久堅能。天津御門乎。懼母。定賜而。神佐扶跡。磐隱座。八隅知之。吾大王乃。所聞見爲。背友乃國之。眞木立。不破山越而。狛劍。和射見我原乃。行宮爾。安母理座而。天下。治賜。(一云拂賜而)食國乎。定賜等。
かけまくも。ゆゆしきかも。いはまくも。あやにかしこき。あすかの。まがみのはらに。ひさかたの。あまつみかどを。かしこくも。さだめたまひて。かむさぶと。いはがくれます。やすみしし。わがおほきみの。きこしめす。そとものくにの。まきたつ。ふはやまこえて。こまつるぎ。わざみがはらの。かりみやに。(151)あもりいまして。あめのした。をさめたまひ。をすぐにを。さだめたまふと。
 
カケマクモ云云は、いやしき心に懸けて慕ひ奉らむも、恐れみつつしましきと言ふなり。ユユシキは忌忌シキなり。イハマクモは、詞に懸けて言はむもなり。眞神ノ原と言ふより下七句、天武の御陵の事を先づ言へり。紀又は式に、檜隈大内陵と有るはもと明日香檜隈つづきてあれば、大内は其眞神原の小名なるべし。崇峻紀、始作2法興寺此地1。名2飛鳥眞神原1亦名2飛鳥苫田1とあり。天つ御門を云云は、右に天原いはとを開き神あがりと言ふに均しく、崩り給ふ事を言ふ。神サビは神|進《スサビ》の意、前に出づ。吾大キミノキコシメス云云、是は天武の御代しろしめす時の事を立ちかへり言ふ。美濃は大和の北なれば背面と言ふ。眞木立、枕詞。不破山は美濃不破郡なり。此時よりここに關は有りつらむ。是は天皇初め吉野を出でまして、伊勢の桑名におはしませしを、高市皇子尊の申給ふに依りて、桑名より美濃野上の行宮へ幸の時、此山を越え給ひしを言ふ。狛ツルギ、枕詞。ワザミガ原是も不破郡なり。安母理イマシテは天降なり。和?《ワザミ》に皇子のおはしまして、近江の敵をおさへ、天皇は野上の行宮におはしましつるを、其野上よりわざみへ度度幸して、御軍の事聞しめしたる事紀に見ゆ。天下云云、一本拂ヒタマヒテと有る方よろし。食國も天下も同じ意なれども重ね言ふは文《アヤ》なり。
 參考 ○綾爾畏伎(新〕アヤニカシコ「之」シ○磐隱座(古、新)イハガクリマス
 
鳥之鳴。吾妻乃國之。御軍土乎。喚賜而。千磐破。人乎和爲跡。不奉仕。國乎治跡。(一云|掃部等《ハラヘト》)皇子隨。任賜者。大御身爾。大刀取帶之。大御手爾。弓取持之。御軍士乎。安騰毛比賜。齊流。鼓之音者。雷之。聲登聞麻低。吹響流。小角乃音母。(一云|笛《フエ》之音波)敵見有。虎可叫吼登。諸人之。協流麻低爾。(一云|聞惑麻低《キキマドフマデ》)
(152)とりがなく。あづまのくにの。みいくさを。めしたまひて。ちはやぶる。ひとをやはせと。まつろはぬ。くにををさめと。みこながら。まけたまへば。おほみみに。たちとりおばし。おほみてに。ゆみとりもたし。みいくさを。あともひたまひ。ととのふる。つづみのおとは。いかづちの。こゑときくまで。ふきなせる。くだのおとも。あたみたる。とらかほゆると。もろびとの。おびゆるまでに。
 
鳥ガナク、枕詞。御いくさにて軍人の事とす。伊勢尾張はもとより、東海東山道の軍土を召したる事紀に見ゆ。チハヤブル、枕詞。人ヲヤハセとは、いちはやき人を和《ヤハ》せと言ふなり。卷二十、麻都呂倍奴比等乎母夜波之《マツロヘヌヒトヲモヤハシ》とあれば、ヤハセと訓むべし。マツロハヌは、こなたへ纏ひつかぬ國と言ふなり。古事記、荒夫流神及|麻都樓波奴《マツロハヌ》人等とあり。ヲサメトと言ひて、ヲサメヨトの意になる古言の例なり。一本國ヲハラヘト、いづれにても有るべし。ハラヘトは卷二十に、波吉伎欲米《ハキキヨメ》仕へまつりてと言ふに同じ。ミコナガラは、神隨とひとしく、皇子におはしながら、軍のつかさに任けたまへばなり。大御身に云云、則ち高市皇子の御身なり。アトモヒは率《ヒキ》ウルを言ふ。紀に誘をアトモヒと訓めり。トトノフルツヅミ云云は、軍土を呼びととのふる鼓吹なり。吹キナセルは、ナラセルなり。和名抄、大角、波良乃布江、小角、久太能布江(153)と有る是なり。されどここは、小角ノ音モと有るモの詞、前後の例にも違へば、一本のフエノオトハと有る方よし。アタミタル云云は、虎の敵に向ひて怒れる聲かと恐るるなり。虎カのカは清みて讀むべし。
 參考 ○喚賜而(考)メシタマハシテ(古、新)略に同じ ○任賜者(代)ヨザシタマヘバ(考)マケタマヘレバ(古)マキタマヘバ(新)マケタマバ○大刀取帶之(新)タチトリハカシ。
 
指擧有。幡之靡者。冬木成【成は盛ノ誤下同】。春去來者。野毎。著而有火之。(一云冬木成春野燒火乃)風之共。靡如久。取持流。弓波受乃驟。三雪落。冬乃林爾。(一云由布乃林)飄可母。伊卷渡等。念麻低。聞之恐久。(一云諸人、見惑麻低爾、)引放。箭繁計久。大雪乃。亂而來禮。(一云霰成、曾知余里久禮婆)
ささげたる。はたのなびきは。ふゆごもり。はるさりくれば。ぬごとに。つきてあるひの。かぜのむた。なびけるごとく。とりもてる。ゆはずのさわぎ。みゆきふる。ふゆのはやしに。あらしかも。いまきわたると。おもふまで。ききのかしこく。ひきはなつ。やのしげけく。おほゆきの。みだれてきたれ。
 
冬木モリ、枕詞。成は盛の誤りなるべき事既に言へり。ツキテ有火は、野に火をつけて燒くを言ふ。一本に、春野ヤク火ノと有る方よし。赤旗を火に譬へたり。ユハズノサワギ云云、一本、由布乃林と有るは布由の上下に成れるなり。飄はツムジとも訓むべし。和名抄に、?、豆無之加世と有り、冬枯の林の梢さわがしてつむじの吹きまくに、多くの弓弭の動くを譬ふ。イマキのイは發語なり、聞ノカシコクは、ここは見る事なれば、一本の見マドフマデニと有る方然るべし。大雪ノ亂レテキタレ云云、キタレバのバを略けり。(154)一本アラレナス、ソチヨリクレバもよし。ソチは彼方と言はむが如し。
 參考 ○靡如久(古、新)ナビクガゴトク○取持流(古、新)トリモタル○亂而來禮(代、新)略に同じ(考)ミダレテクレ「者」バ(古)ミダリテキタレ。
 
不奉仕。立向之毛露霜之。消者消倍久。去鳥乃。相競端爾。(一云朝霜之、消者消言爾、打蝉等、安良蘇布波之爾、)渡會乃。齋宮從。神風爾。伊吹惑之。天雲乎。日之目毛不令見。常闇爾。覆賜而。定之。
まつろはず。 たちむかひしも。つゆしもの。けなばけぬべく。ゆくとりの。あらそふはしに。わたらひの。いつきのみやゆ。かむかぜに。いふきまどはし。あまぐもを。ひのめもみせず。とこやみに。おほひたまひて。さだめてし。
 
マツロハズ云云、以下六句は敵方を言ふ。露霜ノ云云は、命を捨てて向ふなり。ユク鳥ノ云云は、群り飛ぶ鳥の、おのれ劣らじと競ひ進むが如となり。アラソフハシニは爭フ間ニなり。一本のアサ霜ノケナバケトフニは、消ゆると言ふ如くになり。風は神の御息よりおこれば、神風と言ふより、い《息》ぶきと續けたり。天雲ヲ日ノメモミセズ云云、天武紀、天皇野上の行宮におはします夜、雷雨甚しかりしに、天皇祈りたまへば、やみつる事などあれば、此御軍の時、神のしるし有りし事あまた有るべきを、紀にも委しからねば傳へ失せしなるべし。
(155) 參考 ○消言爾(代)ケテフニ(古)ケヌ「香」ガニ ○天雲乎(新)「大空」オホゾラヲ
 
水穗之國乎。神髓。太敷座而。八隅知之。吾大王之。天下。申賜者。萬代。然之毛。將有登。(一云如是毛安良無等)木綿花乃。榮時爾。
みづほのくにを。かむながら。ふとしきまして。やすみしし。わがおほきみの。あめのした。まをしたまへば。よろづよに。しかしも。あらむと。ゆふはなの。さかゆるときに。
 
水ホノ國以下五句、天皇の御事なり。天ノ下申シタマヘバ云云は、高市皇子尊太政大臣に任《マ》け給ひし事を言ふ。マヲシ給フとは政を執り申す義なり。萬代ニ云云、一本、シカモアラムトも同じ事にて、いつまでも政を執り給はむとと言ふなり。ユフ花ノ、枕詞。榮ユル時ニは、俄に薨じ給ふ事を言はむ爲なり。
 參考 ○太敷座而(古)「而」を衍として、フトシキイマス(新)略に同じ ○如是毛安良無等(代)シカモアラムト(古)カクシモアラムト(新)略に同じ。但し一句とす。
 
吾大王。皇子之御門乎。(一云刺竹、皇子御門乎、)神宮爾。装束奉而。遣便【便は使ノ誤】。御門之人毛。白妙乃。麻衣著。埴【埴ヲ今垣ニ誤】安乃。御門之原爾。赤根刺。日之盡。鹿自物。伊波比伏管。烏玉能。暮爾至者。大殿乎。振放見乍。鶉成。伊波比廻。雖侍侯。佐母良比不得者【者ハ天ノ誤】。春鳥之。佐麻欲比奴禮者。
わがおほきみ。みこのみかどを。かむみやに。よそひまつりて。つかはしし。みかどのひとも。しろたへの。あさごろもきて。はにやすの。みかどのはらに。あかねさす。ひの|くるるまで《ことごと》。ししじもの。いはひふしつつ。(156)ぬばたまの。ゆふべになれば。おほとのを。ふりさけみつつ。うづらなす。いはひもとはり。さもらへど。さもらひかねて。はるとりの。さまよひぬれば。
 
ワガ大君ミコノミカドヲ、一本サスタケノと有るも同じ意なり。神宮は殯なり。卷三にも、殯宮の事を白たへに飾まつりてと有り、遣便は遣使の誤りにて、ツカハシシは、つかはし給ひしの意。御門ノ人は舍人を言ふ。白妙ノ麻()衣は喪服を言ふ。埴安御門原、下に香久山ノ宮と有るは即ち是にて、其御門の前なる野原を言へり。赤ネサス、シシジモノ、ヌバタマノ、枕詞。イハヒフシツツは、イは發語にて、鹿の如く這ひ伏すと言ふなり。大殿ヲフリサケミツツは、夜に至れば御門の外の舍に侍宿すれば、殿の方を仰ぎ見やりて彌戀ひ奉るなり。ウヅラナス、枕詞。イは發語にて、鶉の如く這ひめぐるなり。サモラヒ得ネバにては、句の續きよからず。宣長云、不得の下、者は天の誤りにて、サモラヒカネテならむと言へるぞよき。春鳥ノ、枕詞、ウグヒスノと詠めるはわろし。サマヨヒヌレバは、サマヨヒヌルニと言ふ意なり。サマヨフは紀に吟の字を書きて、歎き呼ぶ意なり。舍人等が御門或は御階のもとを守るさまなり。
 參考 ○装束奉而(代)カザリマツリテ(考)代に同じ(古、新)略に同じ ○遣便(代)タテマタス、便を使とす(考)ツカハセル(古、新)略に同じ ○日之盡(代、古)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ ○不得者(代、考)エネバ(古、新)略に同じ。
 
(157)嘆毛。未過爾。憶毛。未盡者。言左【左ヲ今右ニ誤】敝久。百濟之原從。神葬。葬伊座而。朝毛吉。木上宮乎。常宮等。高之奉而。神隨。安定座奴。雖然。吾大王之。萬代跡。所念食而。作良志之。香來山之宮。萬代爾。過牟登念哉。天之如。振放見乍。玉手次。懸而將偲。恐有騰文。
なげきも。いまだすぎぬに。おもひも。いまだつきねば。ことさへぐ。くだらのはらゆ。かむはふり。はふりいまして。あさもよし。きのべのみやを。とこみやと。たかく《さだめ》まつりて。かむながら。しづまりましぬ。しかれども。わがおほぎみの。よろづよと。おもほしめして。つくらしし。かぐやまのみや。よろづよに。すぎむともへや。あめのごと。ふりさけみつつ。たまだすき。かけてしぬばむ。かしこかれども。
 
イマダ盡ネバは、此ネバの詞の下、さはあらじと思ふにと言ふ詞を略ける古歌の例にて、ツキネバと言ひて、ツキヌニと言ふと同じ事に落つるなり。卷八、秋立ちていくかもあらねばこのねぬる朝けの風は袂涼しもと言へる、アラネバにひとし。コトサヘグ、枕詞。クタラノ原、此原も香山宮に近きなるべし。ハブリイマシテは、去《イニ》マシテの略なり。アサモヨシ、枕詞。高之奉而の之の字久の誤りにて、タカクマツリテと有りしか。今の訓タカクシタテテと有るは由無し。宣長説、高之の二字定を誤れるならむ。上の長歌に、常宮跡定賜と有りと言へり。さも有るべし。萬代ニ過ギムトモヘヤのモヘヤは、例の添ひたる詞にて、過ギ失セメヤなり。萬代とほぎ作られし宮なれば失する代あらじ。是をだに御形見と仰ぎ見て(158)あらむとなり。
 參考 ○葬伊座而(新)ハフリイマセテ。○高之奉而(考)タカ「知座」シリマシテ(古、新)サダメマツリテ。
 
短歌二首
 
200 久堅之。天所知流。君故爾。日月毛不知。戀渡鴨。
ひさかたの。あめしらしぬる。きみゆゑに。つきひもしらに。こひわたるかも。
 
天シラシヌルは、上に天原石門を開云云と言へるにひとしく、薨じ給ひし皇子を申せり。皇太子は天皇にひとしく申奉ればなり。君ユヱニは、君ナルモノヲの意なり。シラニは、シラズニの意。かくよむは例なり。さて是皇子過ぎまししより、世はとこやみゆく心ちして、月日の過ぐるも覺えず、戀ひ奉ると言ふなり。日月と書きたれど、字に泥まずしてツキヒと訓むべし。
 參者 ○日月毛不知(考)ツキヒモシラズ(古、新)略に同じ。
 
201 埴安乃。池之堤之。隱沼之。去方乎不知。舍人者迷惑。
はにやすの。いけのつつみの。こもりぬの。ゆくへをしらに。とねりはまどふ。
 
是は堤にこもりて水の流れ行かぬを、舍人の行かむ方を知らぬ譬に言ふなり。
 
或書反歌一首 是は左註に言へるによるべし。
 
(159)202 哭澤之。神社爾三輪須惠。雖?祈。我王者。高日所知奴。
なきさはの。もりにみわすゑ。いのれども。わがおほきみは。たかひしらしぬ。
 
古事記、坐2香山之畝尾木本1名泣澤女神と有り。かかれば香山の宮にて專ら祈りごとすべき社なり。仍りて是も高市皇子尊を傷み給ふ歌とす。ミワは酒を釀る※[瓦+缶]を言ふ。其釀る※[瓦+缶]のまま居《ス》ゑて奉る故に、ミワスヱと言へり。高日シラシヌは、上に天シラシヌルと言ふに同じ。
 參考 ○雖?祈(代)クミノメド(考)略に同じ(古)ノマメドモ(新)イノレドモ、叉はコヒノメド。
 
右一首類聚歌林曰。檜隈女王怨2泣澤神社1之歌也。案日本紀曰。持統天皇十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨。
 
但馬皇女薨後、穗積皇子冬日雪落遙望2御墓1悲傷流v涕御作歌一首
 
是皇女和銅元年六月薨。下の和銅四年と有る所に寧樂宮と標せれど、一の卷の例によれば、其標ここに有るべきなり。
 
203 零雪者。安幡爾勿落。吉隱之。猪養乃岡之。塞爲卷爾。
ふるゆきは。あはになふりそ。よなばりの。ゐかひのをかの。せきならまくに。
 
安は佐の誤りにて、サハニナフリソか、サハは多き事にて、雪は深く降る事なかれと言ふなり。又宣長云、近江の淺井郡の人の云く、其あたりにては、淺き雪をばユキと言ひ、深く一丈もつもる雪をばアハと言(160)ふとなり。ここによくかなへり。古今集の雲のあはだつも、雲の深く立つ意なるべしと言へり。古言は田舍に殘れる事も有れば、さる事にや有らむ、猶考ふべし。吉隱、ヨゴモリと訓みたれど、持統紀幸2菟田吉隱1と見え、今も初瀬山こえて、宇多の方にヨナバリと言ふ村あり。又式に吉隱陵在2大和國城上郡1と記し、卷五、跡見庄の歌とて、よなばりの猪養の山と詠めれば、今トビ山と言ふ邊のこなたかなた、皆ヨナバリなる事を知りぬ。さて一周の間は家人墓の傍へ行き宿る事なれば、雪深く降らば、往き通ふ道も絶えむ事を悲しみて詠み給へるなるべし。
 參考 ○安幡(考)「佐幡」サハ(古、新)アハ○塞爲卷爾(古)セキナサマクニ(新)セキトナラマクニ。
 
弓削皇子薨時|置始東人《オキソメノアヅマビト》歌一首并短歌
 
文武紀三年七月薨と有り。右の但馬皇女の薨より九年前なり。此卷年の次を立てたるを、此年次のみ違へり。歌のさまも左に言へる如く、彼是疑はしき由考に言へり。東人の下作の字を脱せり。
 
204 安見知之。吾王。高光。日之皇子。久堅乃。天宮爾。神隨。神等座者。其乎霜。文爾恐美。晝波毛。日之|盡《・ことごと》。夜羽毛。夜之|盡《・ことごと》。臥居雖嘆。(161)飽不足香裳。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。ひさかたの。あまつみやに。かむながら。かみといませば。そこをしも。あやにかしこみ。ひるはも。ひのくるるまで。よるはも。よのあくるきはみ。ふしゐなげけど。あきたらぬかも。
 
ヤスミシシ云云は、天皇を申す古言にして、轉じては皇子にも言へり。天宮ニ云云は、神となりて天路しろしめすと言ふ意なり。さてそれをかしこみて起き臥し嘆くとなり。此歌古言をもて言ひ續けしのみにて、吾歌なるべき事も見えず。此卷などに斯かるは見えねば、紛れて入りたるならむ由、考に委し。
 參考 ○日之盡(代)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ(古、新)ヒノコトゴト。○夜之盡(代)ヨノコトゴト(考)ヨノアクルキハミ(古、新)ヨノコトゴト。
 
反歌一首
 
205 王者。神西座者。天雲之。五百重之下爾。隱賜奴。
おほきみは。かみにしませば。あまぐもの。いほへがしたに。かくりたまひぬ。
 
五百重ガ下の下は、上の誤りならんと翁言はれき。宣長云、下は裏にてウチと言ふに同じと言へり。卷三に本全く同じき歌有り。
 參考 ○五百重之下爾(考、新)イホヘガ「上」ウヘニ(古)略に同じ。○隱(考)カクレ(古、新)略に同じ。
 
又短歌一首
 
(162)206 神樂波之。志賀左射禮浪。敷布爾。常丹跡君之。所念有計類。
ささなみの。しがさざれなみ。しくしくに。つねにときみが。おもほせりける。
 
ササナミは近江志賀郡の地名、冠辭考に委し。サザレナミは小波なり。シクシクは重重と言ふ意。しくしくによる浪の常なるが如く、とこしなへにとおぼして在りしとなり。是は右の反歌には有らず、別に端詞の有りしなるべし。
 參考 ○所念有計類(代)オモホエタリケル(考)オボシタリケル(古〕オモホヘタリケル(新)略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首并短歌
 
此二首の長歌の意、前一首は忍びて通ふ女の死にたるをいたみ、次なるは子さへ有りし嫡妻の死にたるを嘆くと見ゆ。
 
207 天飛也。輕路者。吾妹兒之。里爾思有者。懃。欲見騰。不止行者。人目乎多見。眞根久往者。人應知見。狹根葛。後毛將相等。大船之。思憑而。玉蜻。磐垣淵之。隱耳。戀管在爾。度日【日を今目に誤】乃。晩去之如。照月乃。(163)雲隱如。奧津藻之。名延之妹者。黄葉乃。過伊去等。玉梓之。使乃言者。梓弓。聲爾聞而。(一云聲耳聞而)將言爲便。世武爲便不知。聲耳乎。聞而有不得者。
あまとぶや。かるのみちは。わぎもこが。さとにしあれば。ねもごろに。みまくほしけど。やまずゆかば。ひとめをおほみ。まねくゆかば。ひとしりぬべみ。さねかづら。のちもあはむと。おほぶねの。おもひたのみて。かぎろひの。いはがきぶちの。こもりのみ。こひつつあるに。わたるひの。くれぬるがごと。てるつきの。くもがくるごと。おきつもの。なびきしいもは。もみぢばの。すぎていにしと。たまづさの。つかひのいへば。あづさゆみ。おとにききて。いはむすべ。せむすべしらに。おとのみを。ききてありえねば。
 
天飛ブヤ、枕詞。輕は高市郡。ミマクホシケドは、ケレドモの略。眞根クは、卷一、浦さぶる心さまねしの歌に言ふ如く、敷多き事なり。卷十七、十八、見ぬ日さまねみ、卷十九、きかね日まねくなど、外にも例多し。サネカヅラ、大ブネノ、枕詞。末長く逢はむと思ひたのみてなり。カギロヒノ、枕詞。イハ垣淵ノ云云は、み谷などの岩の垣の如くそばだち廻れるを、岩がき淵と言へば、忍びかくれて戀ふるに譬ふ。オキツモノ如クと言ふを略けり。過ギテは死を言ふ。玉ヅサノ云云、此詞すべて集中|書《フミ》かよはす使の事に冠らせ言へる枕詞なり。梓弓、枕詞。音ニキキテは、音ヅレノミ聞キテと言ふなり。一本のオトノミキキテと有る方よし。イハムスベ云云は、同言を重ねて次の言を起せり。
 參考 ○不止行者(考)ツネニユカバ(古、新)略に同じ ○玉蜻(古)の別考にタマカギル(新)タマカギル ○晩去之如(考)略に同じ(古、新)クレユクガゴト ○過伊去等(考、古)略に同じ(新)スギテイニキト。
 
吾戀。千重之一隔毛。遣悶流。情毛有八等。吾妹子之。不止出見之。輕市爾。吾立聞者。玉手次。畝火乃山爾。喧鳥之。音母不所聞。玉桙。道行人毛。獨谷。似之不去者。爲便乎無見。妹之名喚而。袖曾振鶴。
(164)わがこふる。ちへのひとへも。なぐさもる。こころもあれやと。わぎもこが。やまずいでみし。かるのいちに。わがたちきけば。たまだすき。うねびのやまに。なくとりの。おともきこえず。たまぼこの。みちゆくひとも。ひとりだに。にてしゆかねば。すべをなみ。いもがなよびて。そでぞふりつる。
 
遣悶、もとオモヒヤルと訓みたれど、句の續きわろし。ナグサモルと宣長の訓めるぞよき。ナグサムルを古くかく言へり。輕ノ市、かるの里の廛有る所を言ふべし。玉ダスキ、枕詞。ナク鳥ノまでは句中の序にて、オトモキコエズは妹が聲の聞えぬなり。玉ボコノ、枕詞。その市路を群れ行く人に、一人も妹に似たる人の行かねば、妹が名を呼び袖して招きしとなり。
 參考 ○遣悶流(代、考)オモヒヤル(古、新)ナグサムル ○情毛有八等(古、新)ココロモアリヤト ○不止出見之(考)ツネニデテミシ(古、新)略に同じ○音母(古、新)コエモ。
 
或本有謂之名耳聞而有不得者句、 これはここにかなはず、謂之二字衍文か。
 
短歌二首
 
208 秋山之。黄葉乎茂。迷流。妹乎將求。山道不知母。(一云|路不知而《−ミチシラズシテ》)
あきやまの。もみぢをしげみ。まどはせる。いもをもとめむ。やまぢしらずも。
 
(165)卷七、秋山のもみぢあはれとうらぶれて、入りにし妹は待てど來まさぬと言ふに似たり。一本はわろし。
 參考 ○迷流(新)マドヒヌル。
 
209 黄葉之。落去奈倍爾。玉梓之。使乎見者。相日所念。
もみぢばの。ちりぬるなへに。たまづさの。つかひをみれば。あへるひおもほゆ。
 
妹が在りし時、使を待ち得て行きて逢ひし日に、もみぢの散りたりしを、けふも又もみぢの散るに使の來たるを見れば、逢ひし時のここちすると言ふなり。ナヘは並になり。考の別記に委し。
 參考 ○相日所念(考)略に同じ(古、新)アヒシヒオモホユ。
 
210 打蝉等。念之時爾。(一云宇都曾臣等念之)取持而。吾二人見之。?出之。堤爾立有。槻木之。己知碁智乃枝之。春葉之。茂之如久。念有之。妹者雖有。憑有之。兒等爾者雖有。世間乎。背之不得者。蜻火之。燎流荒野爾。白妙之。天領巾隱。鳥自物。朝立伊麻之?。入日成。隱去之鹿齒。
うつせみと。おもひしときに。たづさへて。わがふたりみし。はしりでの。つつみにたてる。つきのきの。こちごちのえの。はるのはの。しげきがごとく。おもへりし。いもにはあれど。たのめりし。こらにはあれど。よのなかを。そむきしえねば。かぎろひの。もゆるあらぬに。しろたへの。あまひれがくり。とりじもの。あさだちいまして。いりひなす。かくれにしかば。
 
(166)ウツセミ、ウツソミ同じく現身なり。念之は添へて言ふ詞のみ。取持而、左の或本に携手と書きたれば、ここはタヅサヘテと訓むべきなり。吾二人見シは妻と共になり。ハシリ出は門近き所を言ふ。槻は今ケヤキと言ふ木の類ひなり。コチゴチは此彼なり。春ノ葉ノ云云、前にも言へる如く、春を葉しげき事に集中多く言へり。妹と言ひ兒等と言ふは、同じ詞を重ねたるのみ。ヨノ中云云は、常なき世の習はし背く事の得ざればなり。カギロヒノモユル荒野ニ云云は、廣き野には陽炎の立つ物なれば然か言ひて、妹を廣野に捨てぬる悲しみを言ふなり。白タヘノ天ヒレ隱リは、葬送の旗を言ふ。柩の前後左右に旗を立て持ち行くさまなりと宣長説なり。鳥ジ物、枕詞。朝立イマシテはイニマシテなり。ここまでは葬送の事を言ふ。
 參考 ○取持而(古)略に同じ(新)タヅサヒテ ○?出之(代、考、新)略に同じ(古)ワシリデノ。
 
吾妹子之。形見爾置。若兒乃。乞泣毎。取與。物之無者。鳥穗【鳥穗は烏コノ誤】自物。腋挾持。吾妹子與。二人吾宿之。枕付。嬬屋之内爾。晝羽裳。浦不樂晩之。夜者裳。氣衝明之。嘆友。世武爲便不知爾。戀友。相因乎無見。大鳥。羽易乃山爾。吾戀流。妹者伊座等。人之云者。石根左久見手【今手ヲ乎ニ誤ル】。名積來之。吉雲曾無寸【寸ヲ十ニ誤ル】。打蝉跡。念之妹之。珠蜻。髣髴谷裳。不見思者。
わぎもこが。かたみにおける。みどりごの。こひなくごとに。とりあたふ。ものしなければ。をとこじもの。わきばさみもち。わぎもこと。ふたりわがねし。まくらつく。つまやのうちに。ひるはも。うらさびくらし。よるはも。いきづきあかし。なげけども。せむすべしらに。こふれども。あふよしをなみ。おほとりの。は(167)がひのやまに。わがこふる。いもはいますと。ひとのいへば。いはねさくみて。なづみこし。よけくもぞなき。うつせみと。おもひしいもが。かぎろひの。ほのかにだにも。みえぬおもへば。
 
トリアタフモノシナケレバ、宣長云、此モノは玩物にて、兒の泣くをなぐさめむ料の物の無きなりと言へり。鳥穗自物、今本トリホジモノと訓みて、説説あれど、此末に載せたる或本に、男自物と書き、其外集中雄自毛能負ひみ抱きみと言ひ、又男土物や戀ひつつをらむなど言ひて、ここはヲトコジモノと有るべきなり。されば鳥穗二字は烏コと言ふ字の誤りならむ。枕ヅクは枕詞。浦不樂クラシ、是も或本浦不怜晩と有りて、ここもウラサビと訓むべきなり。イキヅキは嘆息なり。大鳥ノ、枕詞。羽ガヒノ山、卷十、かすがなる羽買山と詠めり。此山に葬りしなるべし。石根サクミテは、岩がねを蹈裂くと言ふ詞なり。サキを延べてサクミと言ふ。祝詞|磐根木根履佐久彌弖《イハネコノネフミサクミテ》とあり。ナヅミは卷四、道のあひだを煩參來《ナヅミマヰキ》てと書き、卷八、わがくろかみに落名積《オチナヅム》天の露霜なども言ひて、とどこほる事なり。ここは山路の勞を言ふなり。ヨケクモゾナキは、ヨクモナキと言ふなり、現《ウツツ》の身と思ひし妹なれば、逢ふ事あらむかとて、山路分け入りしかひも無く、ほのかにだに見えぬと歎くなり。
 參考 ○若兒乃(代)ワカコノ(考、新)略に同じ(古)ワカキコノ ○吾戀流(考、古、新)「汝」ナガコフル。
 
(168)短歌二首
 
211 去年見而之。秋乃月夜者。雖照。相見之妹者。彌年放。
こぞみてし。あきのつくよは。てらせれど。あひみしいもは。いやとしさかる。
 
妻の死にたる明くる年詠めるなり。サカルは遠ザカルに同じ。
 參考 ○雖照(考、古)略に同じ(新)テラセドモ。
 
212 衾道乎。引手乃山爾。妹乎置而。山徑往者。生跡毛無。
ふすまぢを。ひきてのやまに。いもをおきて。やまぢをゆけば。いけりともなし。
 
引手山は羽ガヒノ山と一つ所なるべし。冠辭考にフスマヂを枕詞か、又枕詞に非ずして、諸陵式に、大和國山邊郡衾田墓と言ふ有れば其所にて、さて引手の山は、大和のひき田ならむかとも覺ゆる由あれど、右の長歌を合せみるに、羽がひの山と一つ所ならずしてはかなはねば、ひき田にてはあらず。心は其山に妹を葬り置きて、山路を通へば、吾さへ生けるものとも覺えぬと、悲しみの餘りに詠めるなり、
 參考 ○生跡毛無(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
或本歌曰
 
213 宇都曾臣等。念之時。携手《テタツサヘ・タツサハリ》。吾二見之。出立《イデタチノ》。百兄《モモエ》槻木。虚知期知爾。枝刺有如《エダサセルゴト》。春葉。茂如。念有之。妹庭雖在。恃有之。雖庭雖有。世中。背不得者。香切火之。燎流荒野爾。白栲。天領巾隱。鳥自物。朝立(169)|伊行而《イユキテ》。入日成。隱西加婆。吾妹子之。形見爾置有。緑兒之。乞哭別。取委《トリマカス》。物之無者。男自物《ヲトコジモノ》。脇挿持。吾妹子與。二吾宿之。枕附。嬬屋内爾。且者《ヒルハ》。浦|不怜《サビ》晩之。夜者《ヨルハ》。息衝明之。雖嘆。馬便不知。雖戀。相縁無。大鳥。羽易山爾。汝戀。妹座等。人云者。石根割見而。奈積來之。好雲叙無。宇都曾臣。念之妹我。灰而座者《ハヒニテマセハ》。
 
トリマカスは、物をとりあたへて其兒の心にまかせて玩ばしむる意ならむ。灰ニテマセバは疑はし。灰は仄《ホノカ》の誤りにて、其外文字の落ちたるか。火葬と見ては、明くる年まで骨をもをさめざりし樣にて、ことに人麻呂のまだ若かりし時と見ゆれば、文武天皇四年三月始めて道昭を火葬にせしよりは前とおぼゆるよし考に委し。
 參考 ○携手(古)テタヅサヒ(新)タヅサハリ○灰而(代)ハヒシテ(古、新)誤字か。
 
短歌三首
 
214 去年見而之。秋月夜。雖度《ワタレドモ》。相見之妹者。益《イヤ》年離。
215 衾路。引出山、妹置。山路|念邇《オモフニ》、生刀毛無。
 
前に出でたる長歌短歌とかはれる所ばかり假字付けたり。其外は書きざまは替りても訓同じ。
 
216 家來而。吾屋乎見者。玉床之。外向來。妹木枕。
いへにきて。わがやをみれば。たまどこの。ほかにむきけり。いもがこまくら。
 
(170)玉床は按ずるに、續後紀第十四、甲斐國言、山梨郡人伴直富成女年十五にて、郷人三枝直平麻呂に嫁、平麻呂死にて後靈床を敬ふ事存日の如しと見えたる靈床にて、卷十、七夕の歌に玉床と詠めるとは異なり。是は羽易の山に妻はいますと聞きて尋ね行きしに、ほのかにも見えざれば、又家に歸りて見るに、むなしき床に枕はかたへに打ちやられて有りとなり。古へ一周の間、床をも其まま置く事前にも言へり。
 參考 ○吾屋(考)ツマヤか〔古、新)ツマヤ ○外向來(古)トニムカヒケリ(新)略に同じ。
 
吉備津采女死時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
宣長云、吉備津を考に、此采女の姓なる由あれど、凡て采女は出でたる地をもて、呼ぶ例にて、姓氏を言ふ例無く、其上反歌に志我津子とも、凡津子とも詠めるを思ふに、近江の志我の津より出でたる采女にて、ここに吉備と書けるは志我の誤りにて、志我津采女なるべしと言へり。時、目録に後に作る。
 
217 秋山。下部留妹。奈用竹乃。騰遠依子等者。何方爾。念居可。栲紲之。長命乎。露己曾婆。朝爾置而。夕 者。消等言。霧己曾婆。夕立而。明者。失等言。梓弓。音聞吾母。髣髴見之。事悔敷乎。布栲乃。手枕纏而。(171)釼刀。身二副寐價牟。若草。其嬬子者。不怜彌可。念而寐良武。時不在。過去子等我。朝露乃如也。夕霧乃如也。
あきやまの。した|べ《ぶ》るいも。なよたけの、とをよるこらは。いかさまに。おもひをれか。たくつぬの。ながきいのちを。つゆこそは。あしたにおきて。ゆふべには。きゆといへ。きりこそは。ゆふべにたちて。あしたには。うすといへ。あづさゆみ。おときくわれも。ほのみし、ことくやしきを。しきたへの。たまくらまきて。つるぎだち。みにそへねけむ。わかくさの。そのつまのこは。さぶしみか。おもひてぬらむ。ときならず。すぎにしこらが。あさつゆのごと。ゆふぎりのごと。
 
古本念而寐良武の句の下、悔彌可《クヤシミカ》、念戀良武《オモヒコフラム》の二句有り。今本脱ちたるなり。秋ヤマノ、枕詞。シタベルは紅顔に譬ふ。シタブルとも訓むべし。ナヨ竹ノ、枕詞。トヲヨルはたをやかなる姿を言ふ。オモヒヲレカは、ヲレバカのバを略く例なり。栲ヅヌノ、枕詞。長キ命は、若くして末長き齡を言ふ。オトキク吾モは采女が死にたる事は、露と霧との詞の中にこめて、さて其事をよそに聞きたる吾さへと言ふなり。ホノミシ、反歌に於保ニ見シとあれば、ここもオホニミシとも訓むべし。ツルキダチ、ワカクサノ、枕詞。其ツマノ子は夫を言へり。嬬は例の借字、夫有るからは前の采女なるべし。時ナラズ過ギニシ子ラガは、上の長き命と言ふにむかへて、ゆくりなく死にしと言ふなり。宣長云、朝露乃如也。夕霧乃如也の二の也は、焉の字の如くただ添へて置けるにて、朝霧ノゴト、夕霧ノゴトと訓むべしと言へり。いかさまにも也の詞有りては調ひ難し。
 參考 ○下部留(古)シタベル(新)シタブル ○奈用竹(代)ナヨタケ(考)ナユタケ(古、新)略に同じ。○念居可(代、考)オモヒヲリテカ(古、新)オモヒマカ ○栲紲之(代、考)略に(172)同じ(古、新)タクナハノ ○夕者(古、新)ユフベハ ○消等言(考)ケヌルトイヘ(古)ケヌトイヘ(新)略に同じ ○明者(古、新)アシタハ ○失等言(考)ウセヌトイヘ(古、新)略に同じ ○髣髴見之(代)ホノニミシ(考、古、新)オホニミシ ○時不在(代、古、新)略に同じ(考)トキナラデ ○過去子等我(古、新)スギニシコラカ(カを清む)。
 
短歌二首
 
218 樂浪之。志我津子等何。(一云志我津之子我)罷道之。川瀬道。見者不怜毛。
ささなみの。しがつのこらが。まかりぢの。かはせのみちを。みればさぶしも。
 
ササナミ、地名。罷道は葬送の道を言ふ。光仁紀、永手大臣の薨時の詔に、美麻之大臣乃罷通母《ミマシマヘツキミノマカリヂモ》云云、ここは黄泉の道をのたまへども、言は同じ。宣長云、罷道の道は邇の誤りにて、マカリニシなるべし。ここはマカリヂにてはわろしと言へり。川瀬の道は、大和のうちいづこの川か、さしがたし。
 參考 ○罷道之(古、新)マカリニシ。
 
219 天數。几津子之。相日。於保爾見敷者。今叙悔。
そらかぞふ。おほつのこが。あひしひに。おほにみしかば。いまぞくやしき。
 
ソラカゾフ、枕詞。おほよそに見しが悔しきとなり。
 參考 ○天數云云(代)アメノカズオヨソ(考、新)略に同じ(古)「樂敷」ササナミノ、オホツノコガ。
 
(173)讃岐|狹岑《サミノ》島視2石中死人1柿本朝臣人麻呂作歌−首并短歌
 
狹岑は反歌に佐美とあればサミと訓む。今讃岐國那珂郡にサミ島有りと言へり。石中はただ磯邊を言ふなり。例によるに讃岐の下、國の字有るべし。
 
220 玉藻吉。讃岐國者。國柄加。雖見不飽。神柄加。幾許貴寸。天地。日月與共。滿將行。神乃御面跡。次來。中乃水門從。船浮而。吾榜來者。時風。雲居爾吹爾。奧見者。跡位浪立。邊見者。白浪散動。鯨魚取。海乎恐。行船乃。梶引折而。彼此之。島者雖多。名細之。狹岑之島乃。荒礒面【面ハ回ノ誤】爾。廬作而見者。浪音乃。茂濱邊乎。敷妙乃。枕爾爲而。荒床。自伏君之。家知者。往而毛將告。妻知者。來毛問益乎。玉桙之。道太爾不知。(174)欝悒久。待加戀良武。愛伎妻等者。
たまもよし。さぬきのくには。くにがらか。みれどもあかぬ。かむがらか。ここたたふとき。あめつち。ひつきとともに。たりゆかむ。かみのみおもと。つぎてくる。なかのみなとゆ。ふねうけて。わがこぎくれば。ときつかぜ。くもゐにふくに。おきみれば。しきなみたち。へたみれば。しらなみさわぐ。いさなとり。うみをかしこみ。ゆくふねの。かぢひきをりて。をちこちの。しまはおほけど。なぐはし。さみのしまの。ありそわに。いほりてみれば。なみのとの。しげきはまべを。しきたへの。まくらになして。あらどこに。ころぶすきみが。いへしらば。ゆきてもつげむ。つましらば。きもとはましを。たまぼこの。みちだにしらず。おほほしく。まちかこふらむ。はしきつまらは。
 
玉モヨシ、枕詞。日月ト共ニタリユカムは、神代紀に、面足命又天足國足など言ふ古言どもに依りてタリと訓む。神ノ御面、古事記に、伊邪那伎命云云、生2伊豫之二名島1。此島者身一而有2面四1。毎v面有v名とて、伊與、讃岐、粟、士左の四つの國の神の御名有るを言ふ。中ノ港、讃岐那珂郡有り。其湊なるべし。時ツ風は潮の滿來る時起る風を言へり。シキ浪立、跡位は、敷座《シキマス》と言ふ意を以ての借字なり。卷十三にも跡《シ》座浪と書けり。シキは重なり。カヂはカイと同じ。引折りは引きたわめて漕ぐさまを言ふ。島ハオホケドは、多ケレドモの略。名細シは、よろしき名の聞えしと言ふ事なり。荒礒面の面は囘の誤りなり。荒床は、荒川荒野の荒の如し。コロブスはおのれと伏すを言ふ、上にも出でたり。ここにては死にたるを言へり。道ダニシラズ云云は、家の妹が心を言ふ。ハシキはうつくしむなり。
 參考 ○次來(古、新)「云」イヒツゲル ○邊見者(古、新)ヘミレバ ○廬作而見(代)イホリヲツクリテミレバ(考)イホリシテミレバ(古、新)略に同じ○枕爾爲而(考、古)略に同じ(新)マクラニシテ。
 
反歌
 
221 妻毛有者。採而多宜麻之。佐美乃山。野上乃宇波疑。過去計良受也。
(175)つまもあらば。とりてたげまし。さみのやま。ぬのへのうはぎ。すぎにけらずや。
 
トリテタゲマシは、死屍をとりあぐる事なり、タゲは髪タグなどのタグと同言なり。此死屍をウハギにたとへて、うはぎの時過ぐるまで、つみとる人も無きに譬へたるならむと宣長言へり。皇極紀童謠、いはのへにこざるこめやくこめだにも多礙底《タゲテ》とほらせかまししのをぢ、此タゲも同じ。ウハギ内膳式、蒿、また和名抄、莪蒿(於八木)と有り。今ヨメガハギと言ふ是なり。
 參考 ○採而(考、古、新)ツミテ。
 
222 奧波。來依荒磯乎。色妙乃。枕等卷而。奈世流君香聞。
おきつなみ。きよるありそを。しきたへの。まくらとまきて。なせるきみかも。
 
ナセルは古事記八千矛神御歌、伊波那佐牟遠《イハナサムヲ》、又|伊遠斯那世《イヲシナセ》などのナスにて、寢ね臥す事なり。ここは臥したるさまにて死にて在るを言ふ。
 
柿本朝臣人麻呂在2石見國1臨v死時 自傷作歌一首
 
式、凡百官身亡者。親王及三位以上稱v薨。五位以上及皇親稱v卒。六位以下達2於庶人1稱v死と有りて、ここに死と書ければ、人麻呂六位以下の人なる事知るべし。委しくは卷一の考の別記を披き見るべし。
 
223 鴨山之。磐根之卷有。吾乎鴨。不知等妹之。待乍將有。
かもやまの。いはねしまける。われをかも。しら|ず《に》といもが。まちつつあらむ。
 
(176)鴨山は石見の内にて、常に葬する山なるべし。卷ケルは枕スルなり。シラズトはシラズテと言ふに同じ。卷四、爲便《スベ》を不v知|跡《ト》立ちて爪づくとも言へり。
 參考 ○不知等妹之(代)シラズ(考)シラズトイモガ(古、新)シラニトイモガ。
 
柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首
 
224 且今日且今日。吾待若者。石水。貝爾(一云谷爾)交而。有登不言八方。
けふけふと。わがまつきみは。いしがはの。かひにまじりて。ありといはずやも。
 
石川は鴨川の麓に有るなるべし。貝を詠めるからは海へ落つる處ならむ。一首の意心得難し、猶考ふべし。
 
225 直相者。相不勝。石川爾。雲立渡禮。見乍將偲。
ただにあはば。あひもかねてむ。いしがはに。くもたちわたれ。みつつしぬばむ。
 
ただちに逢ひがたかりなむとなり。せめて雲と成りてだに立ちわたれ、それを見て忍ばむと言ふなり。山ならねど遠き境なれば、雲をもて言へるなるべし。卷四、いめのあひはと詠めれば、ここもタダノアヒハと詠まむよし宣長言へり。
 參考 ○直相者(新)タダノアヒハ ○相不勝(考)アヒカテマシヲ(古)略に用じ(新)アヒカツマシジ。
 
丹比眞人(名闕)擬2柿本朝臣人麻呂之意1報歌一首
 
(177)226 荒浪爾。縁來玉乎。枕爾置。吾此間有跡。誰將告。
あらなみに。よせくるたまを。まくらにおき。われここなりと。たれかつげなむ。
 
枕ニ置キは枕邊に置きなり。われここに在りと、誰か古郷人に告げなむとなり。これは丹比眞人が、人麻呂の心に成りて詠めるなり。
 參考 枕爾置(代、古)略に同じ(考)マクラニ「卷」マキ(新)マクラニ「爲」シ ○誰將告(代)タレカツゲケム(考)タレカツゲマシ(古、新)略に同じ。
 
或本歌曰
 
227 天離。夷之荒野爾。君乎置而。念乍有者。生刀毛無。
あまざかる。ひなのあらぬに。きみをおきて。おもひつつあれば。いけりともなし。
 
 參考 ○念乍有者(考)モヒツツアレバ(古)略に同じ ○生刀毛無(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
右一首歌作者未v詳。但古本以2此歌1載2於此次1也。 これは依羅娘子が意に擬へて詠めると見ゆ。
 
寧樂宮 和銅三年奈良へ遷都なれば、上の例によるに、此標同元年の所へ出だすべし。
 
和銅四年歳次2辛亥1河邊宮人姫島松原見2孃子屍1悲歎作歌二首
 
古事記幸2行日女島1。安閑紀元正紀媛島と有り。難波の邊と見ゆ。
 
(178)228 妹之名者。千代爾將流。姫島之。子松之末爾。蘿生萬代爾。
いもがなは。ちよにながれむ。ひめじまの。こまつがうれに。こけむすまでに。
 
ひめ島のこ松の年ふりて、日蔭のかづらの生ふるまで、妹が名を言ひ傳へむとなり。
 參考 ○子松之末爾(古)コマツノウレニ(新)略に同じ。
 
229 難波方。鹽干勿有曾禰。沈之。妹之光儀乎。見卷苦流思母。
なにはがた。しほひなありそね。しづみにし。いもがすがたを。みまくくるしも。
 
アリソネのネはナと通ひて添ひたる詞、ミマクは見ムを延べたる詞なり。汐の干なば、妹が姿の見えて見るに堪へじ、汐干る事勿れとなり。
 
靈龜元年歳次2乙卯1秋九月志貴親【今親ヲ視ニ誤ル】王薨時作歌一首并短歌
 
續紀靈龜二年八月薨とあり。紀には志貴親王と記されつれど、集中の例によれば皇子と有るべし。作者の名脱ちしなるべし。
 
230 梓弓。手取持而。丈夫之。得物矢手挿。立向。高圓山爾。春野燒。野火登見左右。燎火乎。何如問者。玉桙之。道來人之。泣涙。※[雨/泳]霖爾落者。(179)白妙之。衣?漬而。立留。吾爾語久。何鴨。本名言。聞者。泣耳師所哭。語者。心曾痛。天皇之。神之御子之。御駕之。手火之光曾。幾許照而有。
あづさゆみ。てにとりもちて。ますらをの。さつやたばさみ。たちむかふ。たかまとやまに。はるぬやく。ぬびとみるまで。もゆるひを。いかにととへば。たまぼこの。みちくるひとの。なくなみだ。ひさめにふれば。しろたへの。ころもひづちて。たちとまり。われにかたらく。なにしかも。もとないへる。きけば。ねのみしなかゆ。かたれば。こころぞいたき。すめろぎの。かみのみこの。いでましの。たびのひかりぞ。ここたてりたる。
 
梓弓以下五句的と言はむ序なり。高圓山は春日の内に有り。野火トミルマデ云云は、葬送の人人の手火《タビ》なり。ヒサメ和名抄、霈、大雨なり。日本紀私記大雨(比佐米)。ヒヅチは泥に漬きて濡るるをもとにて、雨露泪などに濡るるにも言へり、考の別記に委し。吾ニカタラクにて句なり。カタラクはカタルを延べ言へり。モトナはヨシナに同じ。聞ケバは、語るを聞きしかばと言ふなり。ナカユはナカルと言ふに同じ。何鴨以下の訓、モトナイヒツル、キキツレバ、ネノミシナカユ、カタラヘバと訓みたれど、ここの書きざま短句に訓まん方まされり。オホキミノ神ノ御子の神は、天皇の方へつけて見るべし。タビに、神代紀、秉炬此云2多妣《タビ》1とあり。
 參考 ○大夫之(古)マスラヲガ(新)略に同じ ○本名言(代)モトナイヒシヲ(考)モトナイヒツル(古)略に同じじ(新)モトナイフ ○聞者(代、考)キキツレバ(古、新)略に同じ ○語者(180)(考)カタラヘバ(古、新)略に同じ。
 
短歌二首
 
此歌二首ともに右の反歌にはあらじ。薨じまして暫後に詠めりと見ゆ。目録にも右の長歌の反歌は無し。
 
231 高圓之。野邊乃秋芽【今芽ヲ茅ニ徒ヲ從ニ誤ル】子。徒。開香將散。見人無爾
たかまとの。ぬべのあきはぎ。いたづらに。さきかちるらむ。みるひとなしに。
 
志貴皇子の宮、高圓に有りし故にかく詠めり。
 參考 ○開香將散(考)サキカチリナム(古、新)略に同じ。
 
232 御笠山。野邊往道者。己伎太【太ヲ大ニ誤ル】雲。繁荒有可。久爾有勿國。
みかさやま。ぬべゆくみちは。こきだくも。しじにあれたるか。ひさにあらなくに。
 
コキダクは、ココバクと同じく許多なり。シジは繁き事の古言なり。
 參考 ○繁荒有可(考)「荒爾計類鴨」アレニケルカモ(古)シゲクアレタルカ(新)或本に從ふ。
 
右歌笠朝臣金村歌集出
 
或本歌曰
 
233 高圓之。野邊乃秋芽子。勿散禰《ナチリソネ》。君之形見爾《キミガカタミニ》。見管思奴幡武《ミツツシヌバム》。
 
(181)234 三笠山。野邊遊久道者《ヌベユユクミチハ》。己伎太久母。荒爾計類鴨《アレニケルカモ》。久爾有名國。
 
萬葉集 卷第二 終
 
(182)卷二 追加
夜者母夜之盡晝者母日之盡、卷四に、晝波日乃久流留麻弖《ヒルハヒノクルルマデ》、夜者夜之明流寸食《ヨルハヨノアクルキハミ》と書けるによりて、これも凡て、ヨルハモヨノアクルキハミ、ヒルハモヒノクルルマデと、翁の訓まれつるはさる事ながら、宣長は古事記神代の歌に、伊毛波和須禮士《イモハワスレジ》、余能許登碁登邇《ヨノコトゴトニ》とあるも、世のあらむ限りと言ふ事なれば、かく書けるは、ヨノコトゴト、ヒノコトゴトと訓むべし。日のかぎり夜のかぎりの意なりと言へり。此説まさりぬべし。
 
          2009年7月6日午後4時45分、巻二入力終了。
 
 
(183)萬葉集 卷第三
 
雜歌《クサクサノウタ》 行幸、覊旅、遊宴、挽歌、其ほかくさぐさの歌を載せたり。
 
天皇御2遊|雷山岳《イカツチヤマ》1之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
 
持統天皇なるべし。次の歌ども、持統の大御時の歌なればなり。雷岳は雄略紀七年、天皇三諸岳の神形を見まくほりし給ひて、少子部蘇羸《チヒサコベノスガル》に詔せしかば、すがる三諸岳に登りて、大蛇を取りて奉る。其雷光りて、目かがやけるに畏れ給ひて、岳に放たしめ、名を改めて雷とする由見えたり。則ち大和國高市郡雷村にある、飛鳥の神奈備山にして、カミヲカと訓むべきなりと、翁は言はれつれど、歌にイカヅチノウヘと有るからは、イカヅチヤマと訓むべきよし宣長は言へり。さて其山に行宮在りて幸《ミユキ》し給ひし時、人麻呂も御供にて詠みしなるべし。
 
235 皇者。神二四座者。天雲之。雷之上爾。廬爲流鴨。
おほきみは。かみにしませば。あまぐもの。いかづちのうへに。いほりせるかも、
 
オホキミは、則ち天皇を申す。現神《アキツガミ》、遠つ神など申して、天皇則ち神にてましませば、雲ゐにかしこき雷の上に、廬せさせ給ふと言ふなり。イカヅチの名は、瞋槌《イカツチ》なる由契沖言へり。ツチは、凡て神の御名につけ言ふたたへ言にて、野槌《ノヅチ》足摩乳《アシナヅチ》などの豆知に同じ。イホリは、假に造りなして旅ゐする所を言ふ。(184)又卷十三、三諸の山のとつ宮所と詠みたれば、ここに離宮有りしにや。流は須の誤りにて、イホリセスカモと有りしならむと、ある人は言へり。
 參考 ○雷之上爾(考、古〕イカヅチノヘニ(新)略に同じ ○廬爲流鴨(考、新)イホリスルカモ(古)略に同じ。
 
右或本云。獻2忍壁皇子1也。其歌曰。王《オホキミハ》。神座者。雲隱《クモガクル》。伊加土山爾。宮敷座《ミヤシキイマス》。
 
忍壁皇子は、天武天皇の皇子なり。續紀慶雲二年五月薨と見ゆ。此皇子の宮雷山の邊に在りしにや。雲ガクルは雷にかかる言なり。敷は知と同じく領知《シリ》給ふと言ふなり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ。
 
天皇賜2志斐嫗《シヒノオムナニ》1御歌一首
 
天皇は持統天皇なるべし。續紀和銅元年六月志斐連の姓を賜る事あり。姓氏録、志斐連大中臣同祖のよしあり。
 
236 不聽跡雖云。強流志斐能我。強語。此者不聞而。朕戀爾家里。
いなといへど。しふるしひのが。しひがたり。このごろきかずて。われこひにけり。
 
宣長云、シヒ能の能は、卷十八、しなさかるこしの吉美能等《キミノラ》かくしこそ。卷十四、勢奈能我《セナノガ》そでも、又|勢奈那登《セナナト》ふたり云云。又|伊母能良《イモノラ》、妹根等《イモネラ》とも有りて、此能は那も根も同じく貴むる言に言へりと言ふ(185)説によるべし。猶卷十四にも委しく言はむ。此者は比者の誤りならむ。此老女、強ひて物語などするを聞し召し飽かせ給ふ時も有りしかど、久しく絶えては、又更に戀ひおぼしめす由なり。
 參考 ○志斐能我(考)シヒ「那」ナガ(古、新)略に同じ ○強語(考)シヒゴトヲ(古、新)略に同じ ○不聞而(代、古、新)キカズテ(考)キカデ。
 
志斐嫗奉v和歌一首 嫗名未詳
 
237 不聽雖謂。話禮話禮常。詔許曾。志斐伊波奏。強話登言。
いなといへど。かたれかたれと。のらせこそ。しひいはまをせ。しひ|ごととのる《がたりといふ》。
 
嫗は否かたらじと申せどもの意なり。志斐伊の伊は、宣長云、下に置ける助辞なり。繼體紀、ト那能倭倶吾伊《ケナノワクゴイ》。續紀宣名、藤原仲麻呂伊、百濟王福信伊、續後紀宣名、帶刀舍人伴健岑伊。集中卷四、木の關守伊、卷十二、家なる妹伊など例あり。ノラセコソは、ノラセバコソのバを略き言ふ例なり。強語の話の字、荒木田久老がもたる古本に、語に作れりとぞ。然らば話は誤りとすべし。
 參考 ○詔許曾(考〕ノレバコソ(古、新)略に同じ ○志斐伊波奏(代)シヒヤハマウス又はシヒイハマウセ(考)シヒ「那」ナハマウセ(古、新)略に同じ ○強語登言(古、新)シヒガタリトノル。
 
長忌寸|意吉《オキ》麻呂應v詔歌一首
 
(186)右同じ天皇難波豐崎の宮へ幸し給ひし度の事なるべし。
 
238 大宮之。内二手所聞。網引爲跡。網子調流。海人之呼聲。
おほみやの。うちまできこゆ。あびきすと。あごととのふる。あまのよびこゑ。
 
二手は、左右手をマデの假字に用ひたると同じ。網をかけむとて、多くの人を呼び集むるを網子調フルと言へり。海邊近き大宮なれば、其聲の聞えしを珍しく思ひて、詠みて奉れるなり。
 
右一首 ここに難波へ幸の時の事有りしが闕けたるなるべし。
 
長皇子遊2獵|獵路《カリヂノ》池1之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌
 
天武天皇の皇子、續紀靈龜元年六月薨と見ゆ。獵路は、大和十市郡鹿路村と言に有り。そこならむか。卷十二、遠津人獵路池とも詠めり。今本一つの獵の字を脱せり。活本に據りて補へり。池は野の誤りなるべし。歌にカリヂノヲ野とあり。
 
239 八隅知之。吾大王。高光。吾日乃皇子乃。馬並而。三獵立流。弱薦乎。獵路乃小野爾。十六社者。伊波比拜目。鶉己曾。伊波比回禮。四時自物。伊波比拜。鶉成。伊波比毛等保理。恐等。仕奉而。久堅乃。天見如久。眞十鏡。仰而雖見。春草之。益目頬四寸。吾於富吉美可聞。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。わがひのみこの。うまなめて。みかりたたせる。わかごもを。かりぢのをぬに。ししこそは。いはひをろがめ。うづらこそ。いはひもとほれ。ししじもの。いはひをろがみ。(187)うづらなす。いはひもとほり。かしこみと。つかへまつりて。ひさかたの。あめみるごとく。まそかがみ。あふぎてみれど。はるくさの。いやめづらしき。わがおほきみかも。
 
日ノミコは、長の皇子を指す。此言皇子にも申せし例有り。ワカゴモヲ、枕辭。シシは猪鹿をすべ言ふ名なり。十六は四四の言に借りたり。イハヒのイは發語。拜、フセラメ、フセリと古く訓みたれど、宣長説の如く、ヲロガメ、ヲロガミと訓むべし。ヲロガムは、折レカガムの約言にて、やがてヲガムに同じ。推古紀、烏呂飢彌弖《ヲロガミテ》と有り。モトホルはメグルと言ふ古言なり。集中回の字を書けり。マソカガミ、ハル草ノ、枕詞。冠辭考ワカクサとせれど、ここはハルクサと訓まむ方まされり。益イヤと訓むべし。卷十二、こよひゆ戀の益《イヤ》まさりなむ。其外イヤと訓まずして、かなはざる所ども有ればなり。末は見れど見れど彌飽かぬと言ひて、みこを褒め奉れるなり。
 
反歌
 
240 久堅乃。天歸月乎。網【網は綱ノ誤】爾刺。我大王者。葢爾爲有。
ひさかたの。あめゆくつきを。つなにさし。わがおほきみは。きぬがさにせり。
 
右の長歌に、まそ鏡仰ぎて見ればと言ひし如く、皇子を仰ぎ見て、葢《キヌガサ》を月に見なしたるなり。網は綱の誤りなるべし。葢は綱を付けたる物なり。和名抄、葢、伎奴加散。儀制令、葢皇太子紫表蘇方裏。頂及四(188)角覆v錦垂v總。親王紫大纈云云。令の所は、四角にて、僧家に用ひる葢のさまなるべく見ゆれど、月に譬へしからは、古へは圓かりしなるべし。周禮に爲v葢象v天、晋書に天圓如2倚葢1と言ひ、其外からぶみに、葢のまろき事見ゆ。さて葢の左右に綱を付けて、侍臣のひかへつつ行く故に、綱にさしと言へるなるべし、伊勢太神宮式の葢の下に、緋綱四條とある是なり。
 
或本反歌一首。
 
241 皇者。神爾之坐者。眞木之立。荒山中爾。海成可聞。
おほきみは。かみにしませば。まきのたつ。あらやまなかに。うみをなすかも。
 
是は右の反歌とは聞えず。歌の樣皇子に申すにあらず、此池を掘らせ給ひて、幸有りし時の歌にて、前に端詞有りしが落ち失せしなるべし。荒は荒野の荒にて、人氣遠きを言ふ。海はすべて水廣く有る所を言へり。是も人麻呂の歌なるべく覺ゆ。
 
弓削皇子遊2吉野1時御歌一首
 
此皇子の事既に出づ。
 
242 瀧上之。三船乃山爾。居雲乃。常將有等。和我不念久爾、
たぎのへの。みふねのやまに。ゐるくもの。つねにあらむと。わがもはなくに。
 
ウヘのウを略きて、ヘをエの如く唱ふる例なり。三船ノ山、吉野の内なり。オモハナクのオを略くも例な(189)り。ナクはヌの延言て、オモハヌなり。一首の意は、吉野の離宮に遊び給ひて、面白くおぼして、常にあらまほしかれど、現身の事なれば、此山の雲の常なる如くには、在り經まじきと歎き給へるなり。卷六、人皆の命も我もみよし野の瀧のとこはのとこならぬかもと有るに似たり。
 參考 ○瀧上之 (古)略に同じ(新)タキ(ノ)ウヘノ。
 
春日王奉v和歌一首
 
志貴親王の子、大寶三年六月卒と見ゆ。
 
243 王者。千歳爾麻佐武。白雲毛。三船乃山爾。絶日安良米也。
おほきみは。ちとせにまさむ。しらくもも。みふねのやまに。たゆるひあらめや。
 
王は弓削のみこをさす。白雲も絶ゆる日あらじ。御齡も千歳まさむと、ことぶきにとりなし給へり。
 
或本歌一首
 
244 三吉野之《ミヨシヌノ》。御船乃山爾。立雲之。常將在跡。我思莫苦二。
 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
長田王被2遣2筑紫1渡(レル)2水島(ニ)1之時歌二首
 
長皇子の御孫、栗田王の子なり。續紀天平九年六月卒と見ゆ。
 
245 如聞。眞貴久。奇母。神左備居賀。許禮能水島。
(190)ききしごと。まことたふとく。くすしくも。かむさびをるか。これのみづしま。
 
景行紀十八年海路より幸して、肥後國葦北小島に泊りまし、大御食《オホミケ》進奉る時、島中水無きによりて、神に折りければ、寒泉崖より湧き出づ、よりて其島を水島と言ふ。其泉猶在るよし見ゆ。和名抄、肥後國葦北郡葦北、菊池郡水島とあり。仙覺抄に、風土記云、球磨乾七里海中有v島、稍可2七十里1。名曰2水島1。島出2寒水1逐v潮高下云云。奇、クスシと訓むべし。卷十八、七夕の歌、あやに久須志美、卷十九、久須波之伎ことといひつぎなどあり。神サビは、上に出づ。居賀の賀は哉《カモ》の意、コレノは此と言ふに同じ。
 
246 葦北乃。野坂乃浦從。船出爲而。水島爾將去。浪立莫勤。
あしぎたの。ぬざかのうらゆ。ふなでして。みづしまにゆかむ。なみたつなゆめ。
 
野坂ノ浦も、葦北の郡に有るならむ。ユメはツツシメと言ふ言にて、勤の字を書けり。浪立つ事なかれと言ひ教ふるなり。
 
石川大夫|和《コタフル》歌一首 名闕
 
247 奧浪。邊波雖立。和我世故我。三船乃登麻里。瀾立目八方。
おきつなみ。へなみたつとも。わがせこが。みふねのとまり。なみたためやも。
 
ワガセコは、長田王をさす。浪立ツナユメと言ふを受けて、たとひ浪は立つとも、みことのりをうけたまはりて、行きます旅なれば、御船のはつるさきざき、障りあらじと答へまゐらするなり。
 
(191)右今案。從四位下石川宮麻呂朝臣。慶雲年中任2大貳1。又正五位下石川朝臣吉美侯。神靈年中任2少貳1。不v知3兩人誰作2此歌1焉。 此集大夫と有るは、五位の人を言へり。續紀を考ふるに、宮麻呂は此註に言へる如く、四位なれば大夫と書くべからず。吉美侯は、養老五年侍從と見えて、少貳に任じたる事見えず。されば此石川大夫は、宮麻呂にも吉美侯にもあらず。卷四に、神龜五年戊辰、太宰少貳石川足人朝臣選任餞2于筑前國蘆城驛家1歌三首と有り、此の足人なり。左註は誤れり。
 
又長田王作歌一首
 
248 隼人乃。薩摩乃迫門乎。雲居奈須。遠毛吾者。今日見鶴鴨。
はやひとの。さつまのせとを。くもゐなす。とほくもわれは。けふみつるかも。
 
右と同じ度なれば、端詞に又と言へり。ハヤヒトノ、翁は枕詞とせり。宣長云、この隼人は國名なるべし。隼人の國は、續紀に見ゆ。此時は、薩摩はいまだ國の名にあらず。隼人國の内の地名なりと言へり。是を紀の訓にハイトと有れど、眞名の訓註も無し。和名抄、隼人司、波也比止乃都可左と有るを思へば、ハイトと言ふは、後の略稱なり。和名抄薩摩國出水郡に勢度《セトノ》號有り、ここの入海なるべし。卷六、隼人の湍門の岩ほもあゆはしる云云とも詠めり。此王肥後國の班田使などにて下れるならむ。されば、薩摩までは渡らずして、此瀬戸を遙に見て詠めるなるべし。雲ヰナスは、雲ヰノ如クなり。
 
柿本朝臣人麻呂※[羈の馬が奇]旅歌八首
 
(192)249 三津埼。浪矣恐。隱江乃。舟公。宣奴島爾。
みつのさき。なみをかしこみ。こもりえの。ふねこぐきみが。ゆくかぬしまに。
 
舟公宣奴島爾の六字、今の訓よし無し。字の誤れるならむ。試に言はば、舟令寄敏馬崎爾なども有りけむ。さらばフネハヨセナム、ミヌメノサキニと訓むべし。宣長は、舟八毛何時寄奴島爾と有りけん。八毛を公一字に誤り、何時を脱し、寄を宣に誤れるならむとて、フネハモイツカ、ヨセムヌジマニと訓めり。いづれにても有るべし。是は西の國へ旅行くとて、難波の御津《ミツ》より船出せし日の歌なり。卷六、風吹かば浪か立たむと候ふにつだの細江に浦隱れつつと言へる類ひなり。
 參考 ○舟公宣奴島爾(代)丹公、フネコグキミニ 宣不明(考)舟令寄敏馬崎爾(古)舟寄金津奴島崎爾フネヨセカネツヌシマノサキニ(新)奴島は敏島の誤。
 
250 珠藻苅。敏馬乎過。夏草之。野島之崎爾。舟近著奴。
たまもかる。みねめをすぎて。なつくさの。ぬじまがさきに。ふねちかづきぬ。
 
玉モカルは、いづくにても海川などに冠らする詞なり。夏草ノ、枕詞。ミヌメは攝津。野島は淡路なり。
 參考 ○敏馬乎過〔古)ミヌメヲスギ(新)略に同じ ○野島之崎爾(代)ノジマガサキニ(古)ヌジマノサキニ(新)ヌジマノ又はヌシマガ。
 
一本云。處女乎過而。夏草乃。野島我崎爾。伊保里爲吾等者《イホリスワレハ》。
 
(193)卷十五に誦古歌と有りて、右の如く載せたり。處女は敏馬《ミヌメ》の誤れるなり。 
251 粟路之。野嶋之前乃。濱風爾。妹之結。紐【紐ヲ?ニ誤ル】吹返。
あはぢの。ぬじまがさきの。はまかぜに。いもがむすびし。ひもふきかへす。
 
初句四言、則ち淡路國なり。集中に、イモガ結ビシと言ふ事多くて、下紐又はいづれの紐とも無くて、旅行く時いはひて結ぶ事と見ゆ。ここは、風吹返スと詠みたれば、下紐には有らで、旅の衣の肩に付きたる紐なり。古事記(仁コ)口子臣紅紐つきたる青摺衣をきる故、水潦紅紐を拂ひて、皆紅色變るよし有り。其外にも天武紀に、長紐結紐など着る事見え、大甞祭式、縫殿式にも見ゆ。雅亮装束抄に見ゆるは、たたみて付けたりと見ゆれば、ことに吹返すと言ふべき物なり。
 參考 ○野島之前(新)ヌシマノ、又はヌシマガ ○妹之結(考)略に同じ(古、新)イモガムスビシ。
 
252 荒栲。藤江之浦爾。鈴寸釣【釣ヲ鈎ニ誤ル】。白水郎跡香將見。旅去吾乎。
あらたへの。ふぢえのうらに。すずきつる。あまとかみらむ。たびゆくわれを。
 
アラタヘノ、枕詞。和名抄、播磨國明石郡葛江(布知衣)、卷六長歌、荒妙の藤井が浦に鮪釣と云云と有りて、其反歌に、藤江の浦に船ぞとよめると詠めり。今と同所なり。古事記に、爲釣海人之口大之提翼鱸《ツリスルアマガクチヒロノヲヒレノスズキ》
 
一本運。白栲乃。藤江能浦爾。伊射利爲流《イザリスル》。
 
卷十五にも、かくて載せたり。白栲は誤りなり。
 
(194)253 稻日野毛。去過勝爾。思有者。心戀敷。可古能島所見。
いなびぬも。ゆきすぎがてに。おもへれば。こころこひしき。かこのしまみゆ。
 
イナビ野は、播磨國印南郡。可古は應神紀、播磨國|鹿子水門《カコノミナト》へ諸縣君《モロガタノキミ》牛鹿皮をかかぶりて來りしより、其處を鹿子水門と言ふよし有り。思ヘレバは、例のオモヘルニの意なり。いなび野の景色も、行き過ぎ難く思へるに、又向ふにも戀しと思ふかこの島の見ゆるとなり。久老説、可古は阿古を誤れるならん。阿古は吾子《アコ》の意に詠みなしたるなり。阿古の島は、卷七、雨は降りかりほは作る何暇《イツノマ》に吾兒《アゴ》の鹽ひに玉はひろはむ。時つ風吹かまく知らに阿古の海のあさけの鹽に玉藻は刈らなと有りて、其前後に、住吉の名兒《ナゴ》の濱邊とも、奈胡の海の朝けのなごりとも詠みたれば、アゴもナゴも一つ所と見えて、攝津國なるべきよし言へり。心戀ヒシキと詠めるを思へば、阿古とせん方然るべし。
 參考 ○心戀敷(古)ココロコホシキ(新)略に同じ。
 
一云、潮見《ミナトミユ》
 
潮は湖の誤りなり。集中ミナトと訓める例有り。かこの島と言ふは他に見えず。是はカコとする時は、ミナトの方をよしとす。
 
254 留火之。明大門爾。入日哉。榜將別。家當不見。
ともしびの。あかしのおどに。いらむひや。こぎわかれなむ。いへのあたりみず。
 
(195)トモシ火ノ、枕詞。大門は海門にて、橘の小門を乎登《ヲト》と云ふにむかへて知るべし。次に明門《アカシノト》と言へる則ち同じ事なり。ある人、明大門はアカシオホトと訓むべし。大をオとのみ言ふ例無き由言へれど、卷十三、奧十《オキソ》山三野之山と有るオキソも大吉蘇を略きたるなり。また大父大母をオヂ、オバと言ふも例とすべし。宣長云、明石の門に入らぬ前は、大和の方も見えしを、此門に入りては見えず成りなむと言ふなり。コギワカルルとは、今まで見えたる方の見えずなるを、別ルと言ふなり。家當不見は、イヘアタリ見エズと訓みて、さて四の句の上へうつして見るべしと言へり。然なるべし。此歌までは、西へ行く度の歌にして、次の二首は歸る時の歌なり。又下に人麻呂筑紫へ下る時の歌とて載せたるは、此時も同じたびなるを、後に聞きて別に書き入れたるにや、又こと時にや、知られず。
 參考 ○明大門(代)アカシノナダ(考)アカシノオホト(古、新)アカシオホト ○入日哉(考)イルヒニヤ(古、新)略に同じ ○家當不見(代)イヘノアタリミデ又はミズ(考)ミデ(古、新)ミズ。
 
255 天離。夷之長道從。戀來者。自明門。倭島所見。
あまざかる。ひなのながぢゆ。こひくれば。あかしのとより。やまとじまみゆ。
 
アマザカル、枕詞。ヒナは、都遠き所をすべ言ふ。いつかいつかと戀ひ來ればなり。ヤマトジマは、大和國を大倭秋津|州《シマ》と言ふによりて、略きて倭島と言へり。卷十五にも、新羅へ使人の豐前國にて、うな原の沖べにともしいさる火はあかしてともせやまと島見むと有り。卷二十、天地のかためし國ぞやまと島ねは(196)と有るは大八洲を言ふにて、今とは別なり。
 
一本云、家門當所見。
 
門は乃の誤りなるべし。
 參考 ○家門當(代)イヘノアタリ(考)ヤドノアタリ。
 
256 飼飯海乃。庭好有之。苅薦乃。亂出所見。海人釣船。
けひのうみの。にはよくあらし。かりごもの。みだれいづるみゆ。あまのつりふね。
 
ケヒは越前なり。此地名ここに出づべくも覺えず。一本の武庫の海と有るをよしとす。久老説、或人言ふ、淡路に氣比野と言ふ地ありとぞ、さらばそこの海にやと言へり。土人に問ふべし。ニハヨクは、海の上の平らかなるを言ふ。カリゴモノ、枕詞。古郷近くなりては、見る物毎によろこばしく、今日しも海の和ぎたるを、嬉しと思ふ心もおのづから見えて、必ず武庫あたりに到りたる樣しるし。
 參考 ○亂出所見(考)ミダレヅルミユ(古、新)ミダレイヅミユ。
 
一本云。武庫《ムコ》乃海。舶爾波有之《フナニハナラシ》。伊射里爲流《イザリスル》。海部乃釣船。浪上從所見《ナミノヘユミユ》。
 
武庫は攝津國、フナニハとは、舟を出だすによき、のどかなる時を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○舶爾波有之(代)ニハヨクアラシ(古)フネニハアラシ(新)ニハヨクアラシ ○浪上從所見(古)略に同じ(新)ナミノウヘユミユ。
 
(197)鴨(ノ)君|足人《タリヒト》香具山(ノ)歌一首并短歌
 
續紀天平寶字三年十月、天下諸君字を公字に換ふと有り。是より前に書きたるなり。高市皇子尊薨じ給ひて後、香久山宮に住む人無き由を詠めるなるべし。卷一、近江荒都を過ぐる時の、人麻呂の歌に同じ意なり。
 
257 天降付。天之芳來山。霞立。春爾至婆。松風爾。池浪立而。櫻花。木晩茂爾。奧邊波。鴨妻喚。邊津方爾。味村左和伎。百磯城之。大宮人乃。退出而。遊船爾波。梶棹毛。無而不樂毛。己具人奈四二。
あもりつく。あめのかぐやま。かすみたつ。はるにいたれば。まつかぜに。いけなみたちて。さくらばな。このくれしげに。おきべには。かもめよばひ。へつべに。あぢむらさわぎ。ももしきの。おほみやびとの。まかりでて。あそぶふねには。かぢさをも。なくてさぶしも。こぐひとなしに。
 
アモリツク、枕詞。池波は埴安の池なり。コノクレシゲニは木グラキなり。卷十八、許能久禮之氣爾と假字にて書けり。ここはコノクレシゲニは、シゲクシテと言ふ意か。又は此句の下、二句ばかり脱ちたるか。オキベは埴安池の沖なり。カモメのメは群《ムレ》の約なり。味村のムラとむかへて知るべし。遊ブ舟ニハとは、遊ブベキ舟ニハと言ふなり。梶サヲモナクテは、反歌によるに、舟人の無き事を言へるなり。
 參考 ○木晩茂爾(古)コノクレシゲ「彌」ミ(新)古の訓か又はコノクレシキニか ○鴨妻喚(代)カモツマヨバヒ(考)カモメヨバヒ(古、新)カモツマヨバヒ。
 
(198)反歌二首
 
258 人不榜。有雲知之。潜爲。鴦與高部共。船上住。
ひとこがず。あらくもしるし。かづきする。をしとたかべと。ふねのへにすむ。
 
アラクはアルを延べ言ふなり。和名抄、崔豹。古今註云、鴛鴦、乎之。同抄爾雅註云、?、多加閉とあるなり。
 
259 何時間毛。神左備祁留鹿。香山之。鉾椙之本爾。薛生左右二。
いつのまも。かむさびけるか。かぐやまの。ほこすぎがもとに。こけむすまでに。
 
イツノホドニカモと言ふなり。カムサビケルカのカの言は、イツノ程ニカのカを、下へ廻して言へるにて疑ふ言なり。鉾椙は、杉の若木は鉾の如くなれば言ふべし。さて木のもとに、苔の生ふるは常なり。思ふに、すべて木と言ふべきをモトと言へる事、集中に多し。然れば、若き杉の木に苔生ふるまでにと言ふ意なるべし。卷二、妹が名は千代に聞えん姫島の子松が末に蘿生までにとも言へれば。或人は本は末の誤りならんかと言へり。持統天皇十年、高市皇子尊薨じまして後、年經てここに來て見るに、もと若木なりし杉の木立に、薛蘿の生ふるまで古びしは、いつの間にかく年の經にけんと言ふなり。
 參考 ○鉾椙之本爾(考)ホコスギガ「末」ウレニ(古、新)ホコスギノモトニ。
 
或本歌云、
 
(199)260 天降就。神《カミ》乃香山。打靡《ウチナビク》。春去來者《ハルサリクレバ》。櫻花。木晩茂。松風丹。池浪|?《サワギ》。邊津返者《ヘツベニハ》。阿遲村|動《トヨミ》。奧邊者。鴨妻喚。百式乃。大宮人乃。去出《マカリデテ》。?來舟者《コギケルフネハ》。竿梶母《サヲカヂモ》。無而佐夫之毛。榜與雖思《コガムトモヘド》
 
右今案遷2都寧樂1之後。怜v舊作2此歌1歟。 此註は後人のしわざなり。香久山の宮と聞ゆれば、皇子尊薨後荒れたるを言へり。この都うつしは和銅三年なり。
 參考 ○池浪|?(古、新)イケナミタチ ○阿遲村動(古)アヂムラサワギ(新)略に同じ ○?來舟者(古)コギ「去」ニシフネハ (新)略に同じ、
 
柿本朝臣人麻呂獻2新田部皇子1歌一首并短歌
 
天武紀次夫人五百重娘新田部皇子を生むと見ゆ。
 
261 八隅知之。吾大王。高輝。日之皇子。茂座。大殿於。久方。天傳來。白【白、今自ニ誤ル】雪仕物。往來乍益。及常【常ハ萬ノ誤】世。
やすみしし。わがおほきみ。たかひかる。ひのみこ。しきます。おほとののへに。ひさかたの。あしづたひくる。ゆきじもの。ゆききつつませ。よろづよまでに。
 
日ノミコ、ここは新田部の皇子を申す。茂座は敷座の借字なり。自雪、一本白雪とせり。二字ユキと訓むべし。常は萬の誤りなるべし。アマヅタヒクル云云、空ヨリ降リ來ル雪ノ如クとなり。集中雨雪に流ラフと詠めり。此傳フも同じ意なり。ユキキツツマセと有るからは。此皇子飛鳥の八釣に山莊の有りて、藤原(200)の都より往來し給ふに、人麻呂參り來て詠みたるなるべし。降りしく雪の如くに、年つもりて榮えませと言ふ意なり。久老云、常は座の誤りにて、往來乍益及座世を、ユキカヨヒツツイヤシキイマセと訓むべし。及座は敷座なりと言へり。さも有るべきか。猶考へてん。
 參考 ○輝(新)タカテラス、又は、タカヒカル ○茂座(考)シキマセル(古)略に同じ (新)シキイマス ○往來乍云云(古、新)ユキカヨヒツツ、イヤシキ「座」イマセ。
反歌一首
 
262 矢釣山。木立不見。落亂。雪驪。朝樂毛
やつりやま。こだちもみえず。ふりみだる。ゆきはたらなる。あしたたぬしも。
 
矢釣、一本矣駒とせり。ヤツリは顯宗紀近飛鳥八釣宮とあれば、飛鳥の地に有るなり。皇子の山荘此山近き所に有りと見えたり。驪をハタラと訓みたれど、驪は馬深黒色とあれば、ハタラと訓むべからず、駁の字の誤りならんか。然らばハタラと訓むべし。翁は驪は?の誤りなるべし。?は字書に履不v著v跟曳v之而行言2其遽1也とあれば、キホヒテと訓むべし。さて結句マヰリクラクモと訓みて、人麻呂の皇子の殿にまゐりこし勞を言へりと言はれき。卷八に、今日降りし雪に競而《キホヒテ》わが宿の冬木の梅は花咲きにけりとも詠めれば、さて有りなんか。猶考ふべし。
 參考 ○落亂(代)フリマガフ、又はチリミダル(考)チリマガフ(古)略に同じ(新)フリマガフ(201) ○雪驪(代)ユキニクロコマ(考、新)ユキニ「?」キホヒテ(古)ユキニ「※[足+聚]」サワギテ ○朝樂毛(代)マヰデクラシモ(考)マヰリクラシモ(古)マヰラク「吉」ヨシモ(新)マヰルタヌシモ
 
從2近江國1上來時刑部垂麻呂作歌一首
 
目録に刑部垂麻呂從2近江1云云と有るをよしとす。例しかり。
 
263 馬莫疾。打莫行。氣並而。見?毛和我歸。志賀爾安良七【七ハ亡ノ誤】國。
うまないたく。うちてなゆきそ。けならべて。みてもわがゆく。しがにあらなくに。
 
ケナラベテは日並ベテと言ふに同じく、日數を重ねてなり。此地は景色のいと面白くて見るに飽かねども、日並べて見て行かん事はかなはねば、しばし馬をとどめて見んに、馬を打ちはやめて急ぐ事なかれと言ふなり。此人大津宮の御時に生れて、近江は本つ郷なれば、衣暇田暇などにて歸りて、今上る故に、ここのなごりを思ひて詠めるにも有るべし。七は亡の誤りなり。
 參考 ○馬莫疾(古)「吾馬」アガマイタク(新)莫を衍として、ウマイタク ○氣並而(考)イキナメテ(代、古、新〕略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂從2近江國1上來時至2宇治河邊1作歌一首
 
264 物乃部能。八十氏河乃。阿白木爾。不知代經浪乃。去邊白不母。
もののふの。やそうぢがはの。あじろぎに。いさよふなみの。ゆくへしらずも。
 
(202)モノノフノ、枕詞。アジロ木は早川の中に、水上を廣く下を狹く網を引きたる形に、左右に透間なく杭を打ちたてて、其下に床を水に漬るほどに作る。さて其網形なる杭木の内へせかれて流れ入る浪の、床の簀の子に打ちよすれば、水は漏れて、流れ來し氷魚のみ殘るを、守る者の居ながらとるなり。イサヨフは此卷末にも卷六にも、いさよふ月と詠めるは、月の出でんとして滯るを言へば、此イサヨフ浪も、あじろ木に暫く淀むを言ふべし。不知をイサの假字に用ひたるは、集中イサヤ川を不知也川とも書ける例なり。其よどめる浪の遂に行方知らず成り行くを、人世の常無きに取れり。近江の故き都べより歸るにつきて、殊に物悲しくも思はれしなるべし。卷七、人麻呂歌集、卷向の山べ響みて往水のみなわの如し世の人吾は。又末は、同卷に、大伴のみつの濱べをうちさらしよりくる波のゆくへしらずもと、言へるに同じ。
 
長忌寸奧麻呂歌一首
 
265 苦毛。零來雨可。神之埼。狹野乃渡爾。家裳不有國。
くるしくも。ふりくるあめか。みわがさき。さぬのわたりに。いへもあらなくに。
 
神之崎、卷七、みわが崎ありそも見えず浪立ちぬと、言ふに同じ所ならん。今ミワガ崎と言ふは、紀伊國牟漏郡にて、新宮より那智へ行く道の海邊なり。新宮より今の道一里半ばかり有り。其續きに佐野村も有りと宣長言へり。狹野は神武紀に、狹野を越えて熊野神邑に到ります由あり。渡りは舟して渡る所なる故言へり。後に邊《アタリ》と言ふべきを、ワタリと言ふとは異なり。此卷、秋風の寒き朝けにさぬの岡と詠め(203)るも牟漏郡なり。大和の三輪なりと言ふ人もあれど、崎と言へる事も無く、そこにサ野と言ふ所も聞かず。且つ此詠み人は藤原の朝の人なれば、時の都近き三輪のあたりにて、家モアラナクニなど、わびしき旅の心を詠むべきにあらず。
 參考 ○神之埼(古)カミノサキ(新)ミワノサキ。
 
柿本朝臣人麻呂歌一首
 
266 淡海乃海。夕浪千鳥。汝鳴者。情毛思努爾。古所念。
あふみのうみ。ゆふなみちどり。ながなけば。こゝろもしぬに、いにしへおもほゆ。
 
紀の歌に、阿布瀰能瀰《アフミノミ》とあればかく訓めり。夕浪千鳥は、夕浪に立ち騷ぐ千鳥をかく言へり。心モシヌニは、卷十に、朝霧に之努努にぬれて、同卷、ほととぎす小竹野《シヌヌ》にねれてと言へば、シヌも共に同じく、今の俗、シトシト、シボシボなど言ふと同じ語なり。さらぬだにあるを、此夕の千鳥の聲に催されて、いとど心もしめり愁ひて、ここの昔天智の宮所の在りし時、盛りなりしなどをしのばれしなり。
 
志貴《シキノ》皇子御歌一首
 
天智天皇の皇子、靈龜二年八月薨。追尊して春日宮天皇と稱す。
 
267 牟佐佐婢波。木末求跡。足日木乃。山能佐都雄爾。相爾來鴨。
むささびは。こぬれもとむと。あしびきの。やまのさつをに。あひにけるかも。
 
(204)和名抄本草云、?鼠、一云?鼠、和名毛美、俗云無佐佐比云云と見ゆ。卷六卷七にも詠めり。サツヲは幸人にて、獵する人を言ふ。此御歌は人の強ひたる物ほしみして身を亡すに譬へ給へるにや。此皇子の御歌にはさる心なるも又見ゆ。大友、大津の皇子たちの御事などを、御まのあたり見給ひて、しかおぼすべきなり。
 參考 ○木末求跡(考)「木米」コノミモトムト(古、新)略に同じ。
 
長屋《ナガヤノ》王故郷歌一首
 
天武天皇の御孫にて、高市親王の御子なり。佐保大臣と號《ナヅ》く。
 
268 吾背子我。古家乃里之。明日香庭。乳鳥鳴成。島【島ハ君ノ誤】待不得而。
わがせこが。ふるへのさとの。あすかには。ちどりなくなり。きみまちかねて。
 
ワガセコは、親しき皇子たちなどを指したるなり。明日香に此王の住み給ふ所有りて、行き給ひたるに、他の皇子の故郷もそこに有る故に、明日香より藤原の都へ贈り給へるなるべし。されば古家とは、其親しき皇子《ミコ》のもと住み給ひし家どころを言ふべし。島は君の誤れるならん。
 参考 ○古家(古)略に同じ(新)フルイヘ。
 
右今案從2明日香1遷2藤原宮1之後。作2此歌1歟 端詞に故郷と有るからは、此註に及ぶまじきなり。後人の註なり。
 
(205)阿倍女郎屋部坂歌一首
 
三代實録、高市郡夜部村と有る所の坂なるべし。
 
269 人不見者。我袖用手。將隱乎。所燒乍可將有。不服而來來。
ひとみずは。わがそでもちて。かくさむを。やけつつかあらむ。きずてきにけり。
 
此歌解くべからず。試に言はば、屋部坂と言へるは、草木も無くあかはだかなる山なるを見て、衣は燒かれてか有るらん。着ずしてをりけり。それをしのび隱さんと思はば、我袖だに覆ひなん物を、恥忍ぶ樣とも無きはと、戯れて詠めるにや。然らば來來は坐來の誤りにて、ヲリケリと訓むべし。
 參考 ○人不見者(考、古)シヌビナバ(新)【人爾有者】ヒトナラバ ○所燒乍可將有(新)ヤカレ「手」テカアラム ○來來(考)ヲリケリ(古)マシケリ(新)略のヲリケリに從ふ。
 
高市連黒人覊旅歌八首
 
270 客爲而。物戀敷爾。山下。赤乃曾保船。奧榜所見。
たびにして。ものこひしきに。やまもとの。あけのそほぶね。おきにこぐみゆ。
 
卷十四、まがねふく爾布能麻曾保《ニフノノマソホ》の色に出てと有りて、赭土をソホニと言へり。アケノソホ舟は、其赭土もて塗りたる船なり。卷十三、左丹塗のを船もがも、又なにはの崎に引登るあけのそほ舟、卷十六、おき行くや赤羅《アカラ》小舟など有り。アケと上に置きて重ね言へるなり。さて色どりたるは官船にて、官人の(206)船ならん。磯山もとよりさる舟を漕ぎ出でて沖へ行くは、都方の船ならんと、いとど都戀しく思ふをりにて、羨まるる意なるべし。宣長云、山下、ヤマシタと訓むべし。こは赤の枕詞なり。さる故は、古事記に春山の霞壯士、秋山の下氷壯士と見え、卷十、秋山の舌日下とも有りて、冠辭考にシタヒは紅葉の由いはれしが如し。しかれば山下ひ赤と續く意なり。卷十五、あし引の山下ひかるもみぢばの、又態十八、橘のしたてる無に、卷六、春べはいはほには山下ひかり錦なす花咲ををり。これらも下は借字にて赤き事なり。此二首をもてみれば、ただ紅葉のみに限らず。赤く照る事なりと言へり。
 參考 ○物戀敷(古)モノコホシキ(新)コヒシキ、又はコホシキ ○山下(古)ヤマシタノ ○奧?所見(古)略に同じ(新)オキヲコグミユ。
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271 櫻田部。鶴鳴渡。年魚市方。鹽干二家良之。鶴鳴。
さくらだへ。たづなきわたる。あゆちかた。しほひにけらし。たづなきわたる。
 
アユチは紀に尾張國|吾湯市《アユチ》村、また和名抄、尾張國愛知郡(阿伊知)そこに作良郷有り、則ち其郷の田なり。催馬樂は、さくら人其舟ちぢめ島つ田を千町つくれる見て歸りこむと言へどもここならんと契沖言へり。
 
272 四極山。打越見者。笠縫之。島?隱。棚無小舟。
しはつやま。うちこえみれば。かさぬひの。しまこぎかくる。たななしをふね。
 
(207)卷六難波宮幸の時、千沼回より雨ぞ降りくる四八津のあまと詠めり。此チヌは和泉にして、シハツは攝津なり。雄略紀に呉より獻る手末才伎云云と有りて、住吉津に泊る。此月呉の客の道をつくりて、磯齒津《シハツ》の路に通ふ。呉坂と名づくるよし有り。此シハツの坂路を越えて、見やらるる海に、笠縫の島と言ふ有りしなるべし。齋宮式に御輿の料の菅骨など、攝津の笠縫氏が參來て作るなど有るを思ふべし。其島に小舟の榜隱るるけしき今見る如くなり。棚無小舟、既に出づ。
 
273 礒前《・いそざきを》。榜手回行者。近江海。八十之湊爾。鵠佐波二鳴。
いそのさき。こぎたみゆけば。あふみのみ。やそのみなとに。たづさはになく。
 
ヤソはすべて數多きを言ふ事にて、此湖湊の多きを言へり。又近江國坂田郡に磯崎村《イソサキムラ》と言ふ今もありて湊なり。彦根に近し。八十の湊は今|八坂村《ハチサカムラ》と言ふ所なりと言へり。いかさまにも、此歌の八十の湊は一所の名と聞ゆるよし宣長言へり。鵠、和名抄、久久比とあり。久老のもたる古本に鵠を鸛に作る。又五雜爼、鵠即鶴也とあれば、鵠にてもタヅと訓むべし。
 參考 ○磯前(古、新)イソノサキ
 
未詳 今本此二字誤りて入りたり。除くべし。
 
274 吾船者。牧【枚ヲ牧ニ誤ル】乃湖爾。榜將泊。奧部莫避。左夜深去來。
わがふねは。ひらのみなとに。こぎはてむ。おき|へ《エ》なさかり。さよふけにけり。 
(208)比良は近汀志賀郡なり。湖、集中ミナトと訓めり。ナサカリは卷五、奈左柯里《ナサカリ》と書けり。沖の方へ避け放るる事なかれと言ふなり。卷七に、二の句を明旦石の湖として再び載せたり。
 
275 何處。吾將宿。高島乃。勝野原爾。此日暮去者。
いづくにか。われはやどらむ。たかしまの。かちぬのはらに。このひくれなば。
 
卷五、卷十四、伊豆久と書けり。古事記歌に伊豆久能迦爾。また伊豆久爾伊多流など有りて、奈良の朝までにはイヅコと言へる事無く皆イヅクなり。カチ野は、近江高島郡三尾郷勝野の原なるべし。卷七、大御舟はててさもらふ高しまの三尾の勝野のなぎさしおもほゆと有りて、其前後近江の地名のみの歌なるにても知らる。其野の廣くて宿りすべき家ゐ遠きなるべし。二の句六帖にかく有るによれり。
 參考 ○何處(考)イヅコニカ(古)イヅクニ(新)略に同じ ○吾將宿(考)ワガヤドリセム(古)アハヤドラナム(新)略に同じ。
 
276 妹母我母。一有加母。三河有。二見自道。別不勝鶴。
いももわれも。ひとつなれかも。みかはなる。ふたみのみちゆ。わかれかねつる。
 
一ツナレカモは、妹と吾身の二つならぬ心ちするを、一ツナレバカモと言ふなり。三河にも二見と言ふ地有るなるべし。黒人三河の任などにて、任はてて上る時、よし有りて、近江山城攝津などを廻りて大和へ歸るに、妻は直に大和へ歸るとて、別るる時詠めるなるべし。一ツナレカモと言ひ、又三河二見な(209)ど求めて、數を重ねよめるなり。
 參考 ○我母(古)アレモ ○一有加毛(考)ヒトツナルカモ(古、新)略に固じ。
ハ(ノ)
 
一本云
 
水河乃。二見之自道。別者。吾勢毛吾毛。獨河毛將去。
みかはの。ふたみのみちゆ。わかれなば。わがせもわれも。ひとりかもゆかむ。
 
是は吾せと言ひ、歌の意も妹が黒人に答へたる歌なる事明らけし。黒人妻和(フル)歌とて、八首の次に載せたりしが、端詞おちて亂れしものなり。
 參考 ○水河乃(古)ミカハ「有」ナル(新)略に同じ ○吾勢毛吾毛(古)ワガセモアレモ。
 
277 速來而母。見手益物乎。山背。高槻村。散去奚留鴨。
とくきても。みてましものを。やましろの。たかつきのむら。ちりにけるかも
 
古へは某の村と、みな之(ノ)を添へて言へる例なり。其村のもみぢの散りたりと言ふをかく言へり。下に春日の山は咲きにけるかもなど、其外花もみぢと言はずして、咲きちるとのみ言へる類ひ多し。
 參考 ○速來而母(古、新)ハヤキテモ ○高槻村(古)タカツキノムラ、又は、タカツキムラノ(新)タカツキムラ。
 
石川少郎歌一首
 
(210)左註に、石川君子の事とせるはおぼつかなし。歌も女の歌と見ゆれば、少は女の誤りならむ。
 
278 然之海人者。軍布苅鹽燒。無暇。髪梳乃小櫛。取毛不見久爾。
しかのあまは。めかりしほやき。いとまなみ。くしげのをぐし。とりもみなくに。
 
シカは神功紀に磯鹿海人《シカノアマ》と有り。筑前風土記糟屋郡|資珂《シカノ》島とあれば筑前なり。メは和海藻《ニキメ》、滑海藻《アラメ》、昆布《ヒロメ》の類ひなり。ある人軍は葷の誤りなりと言へり。さらば葷昆同音なれば、かくは書けるならんと久老説なり。髪梳と書きたれど實は櫛匣なり。クシケヅルと言ふ言の意を得て借りて書けるか。又髪梳二字ユスルと訓みて、ユスルノヲグシならんと或人言へり。猶考ふべし。
 參考 ○髪梳乃小櫛(代)クシノヲグシモ(古)略に同じ(新)ケヅリノヲグシ。
 
右今案、石川朝臣君子號曰2少郎子1也。 何の據《ヨリドコロ》も無し。後人書き加へしか。
 
高市【市ヲ高に誤ル】連黒人歌二首
 
279 吾妹兒二。猪名野者令見都。名次山。角松原。何時可將示。
わぎもこに。ゐなぬはみせつ。なすぎやま。つののまつばら。いつかしめさむ。
 
和名抄、攝津國河邊郡爲奈。神名帳、攝津國武庫郡名次神社あり。次を古くスギと言へり。ツノノ松原は和名抄、武庫郡津門(都止)是なるべし。卷一、綱の浦と有り。また卷十七、都努乃松原おもほゆるかもと詠めり。シメサムはこの卷に何矣示《ナニヲシメサン》。卷四に、示佐禰《シメサネ》など有りて、見せしめんの意なり。
(211) 參考 ○名次山(考)ナツギヤヤ(古、新)略に同じ。
 
280 去來兒等。倭部早。白管乃。眞野乃榛原。手折而將歸。
いざこども。やまとへはやく。しらす|げ《が》の。まぬのはりはら。たをりてゆかむ
 
此眞野は攝津八田部郡なり。白菅は地名なるべし。遠江白須賀と言ふ驛有り。そこを後の人の歌に、白スゲノ湊と詠めるは、ここの言によりて強ひごとせるなり。白菅を眞野の枕詞とする説は取られず。卷七羇旅の歌に、古に有りけむ人のもとめつつ衣に摺りけむ眞野のはり原と詠めるは古歌と見ゆれば、黒人も古への事を思ひて、此野の榛を旅づとにせんとて詠めるなるべし。イザ子ドモは旅路に從へし人人を言へり。榛は既に出づ。
 
黒人妻答歌一首
 
281 白管乃。眞野之榛原。往左來右。君社見良目。眞野之榛原。
しらす|げ《が》の。まぬのけりはら。ゆくさくさ。きみこそみらめ。まぬのはりはら。
 
行クサクサのサはサマなり。君コソミラメは、榛を言ふに有らず。其地の景色を賞でて、君こそは旅のゆき來に見給ふらめ。吾は女の身にして、又も見ん事の難ければ、よく見て行かんと言ふ意なり。
 
春日藏首老《カスガクラノオフトオユ》歌一首
 
續紀、和銅七年正月、正六位上春日椋首老に、從五位下を授くと有り。
 
(212)282 角障經。石村毛不過。泊瀬山。何時毛將超。夜者深去通。
つぬさはふ。いはれもすぎず。はつせやま。いつかもこえむ。よはふけにつつ。
 
ツヌサハフ、枕詞。イハレは大和十市郡なり。紀に磐余《イハレ》池邊雙槻宮と書き、續紀に同じ所を、石村《イハレ》池邊宮と書きて、いづれにてもイハレと訓めり。フケニツツのニはイニ《去》の略。老は本僧なりしを、大寶元年に官人となし給へば、是は藤原の都より行くか。又奈良の都と成りての事か。いづれにも有れ、暮過ぐる程の道に有らず。まして藤原よりは近し。よし有りて遲く出でて暮れぬる事有りしか。
 
高市連黒人一首
 
283 墨吉乃。得名津爾立而。見渡者。六兒乃泊從。出流船人。
すみのえの。えなつにたちて。みわたせば。むこのとまりゆ。いづるふなびと。
 
是をスミヨシと言ふは後なり。これは上の猪名川などの歌と、同じ度にても有るべきを、異《コト》たびに聞きて別に書き載せしにや。和名抄、攝津國住吉郡榎津(以奈豆)武庫郡武庫とあり。
 
春日藏首老歌一首
 
284 燒津邊。吾去鹿齒。駿河奈流。阿倍乃市道爾。相之兒等羽裳。
やきつべに。わがゆきしかば。するがなる。あべのいちぢに。あひしこらはも。
 
老、官人と成て、駿河の國の任などにて、下りし時詠めるか。ヤキツは景行紀四十年、日本武尊駿河に(213)至ります事有りて、悉く其賊を焚く故、其處を燒津と言ふと有り。神名帳、駿河國|益頭《ヤキツ》郡云云、燒津神社とも見ゆ。アベノ市、和名抄、駿河國阿部郡に國府あり、今の府中是なり。府の西をあべ川と言ふ。然れば市は則ち府なり。兒等ハモのハモは、心をとめて思ふ詞なり。下に問ひし君はもなど詠めるにひとし。
 
丹比眞人笠麻呂往2紀伊國1超2勢能山1時作歌一首
 
285 栲領巾乃。懸卷欲寸。妹名乎。此勢能山爾。懸者奈何將有。
たくひれの。かけまくほしき。いもがなを。このせのやまに。かけばいかにあらむ。
 一云|可倍波伊香爾安良牟《カヘバイカニアラム》
 
タタヒレノ、枕詞。是は紀伊の幸の度の事ならん。笠麻呂も老も同じく此山を越ゆるままに、古郷の妹を心にかけて戀しきに、せめて此山の背と言ふ名を變へて、妹と言ふ名をかけ負はせて呼ばばいかに有らんと、戯に老に問ふなるべし。カヘバイカニアラムは、一本には有らで、佛足石の御《ミ》歌の如く、一句餘れるなるべし。
 參考 ○妹名乎(古、新)イモノナヲ。
 
春日藏首老即和歌一首
 
(214)286 宜奈倍。吾背乃君之。負來爾之。此勢能山乎。妹者不喚。
よろしなへ。わがせのきみが。おひきにし。このせのやまを。いもとはよばじ。
 
ヨロシナヘは既に出づ。ワガセは笠麻呂をさす。妹戀しき事はさる事ながら、吾はただ君が負ひこしせと言ふ山の、名こそよろしけれ。更に妹と變へんとは思はずと、とりなし答ふるなり。
 
幸2志賀1時石上卿作歌一首 名闕
 
續紀、元正天皇養老元年三月、美濃國に幸して近江國に到りて、淡海を見給ふよし有り。集中、大臣大納言を卿と書けり。文武の御末より元正に至るまで、石上氏にて卿と言ふべきは、左大臣麻呂公のみ。然るを麻呂公同年三月薨ずとあれば、誰をさせるにか詳ならず。久老云、大寶二年太上天皇(持統)三河國美濃國に幸の事見ゆ。そのをり志賀にも幸し給ひけん。さては麻呂公として叶へりと言へり。
 
287 此間爲而。家八方何處。白雲乃。棚引山乎。超而來二家里。
ここにして。いへやもいづく。しらくもの。たなびくやまを。こえてきにけり。
 
家は奈良都の家なり。大和より近江の湖まで、他國を隔てて山山重なれり。卷四、此間在《ココニアリ》てつくしやいづく白雲のたな引山の方にし有らしと見えたり。
 
穗積朝臣老歌一首
 
續紀、養老六年正月、罪有りて佐渡島へ配流と有り。
 
(215)288 吾命之。眞幸有者。亦毛將見。志賀乃大津爾。縁流白浪。
わがいのちし。まききくあらば。またもみむ。しがのおほつに。よするしらなみ。
 
右と同じ度なるべし。眞サキクは既に出づ。よき景色に向ひて命を思ふ歌、集中に多し。上の垂麻呂が歌の類なり。卷十三、此人の配流の時、天地を歎き乞のみ幸あらばまたかへり見むしがのから崎、と詠めるも同じ意なり。
 參考 ○吾命之(考、古)ワガイノチノ(新)略に同じ
 
右今案不審2幸行年月1。 一本行幸と有り。されど古事記其外の書みな幸行とあり。行幸とせる方は、かへりて後人のさかしらなるべし。
 
間人《ハシウドノ》宿禰大浦初月歌二首
 
大浦紀氏見六帖の七字後人の書入れなり、除くべし。此人の事知られず。くらはし山を出づる月を待つなれば、藤原の都の人なるべし。
 
289 天原。振離見者。白眞弓。張而懸有。夜路者將吉。
あまのはら。ふりさけみれば。しらまゆみ。はりてかけたる。よみちはよけむ。
 
まゆみの木はことに白き物なれば、白マユミと言ふべし。やがて弓張月に言ひ續けたり。ヨケムはヨカラムと言ふなり。吉、一本去に作る。さらばユカムともユカナとも訓むべし。一本の方勝れり。
(216) 參考 ○張而懸有(代、古、新)ハリテカケタリ ○將吉(古)「將去」ユカム(新)略に同じ。
 
290 椋橋乃。山乎高可。夜隱爾。出來月乃。光乏寸。
くらはしの。やまをたかみか。よごもりに。いでくるつきの。ひかりともしき。
 
クラハシ山は大和十市郡なり。古事記、はしだての久良波斯夜麻をさかしみと云云。ヨモゴリは夜と成りて遲く出づるにて、夜深くと言ふが如し。此一首の意は、くら橋山の高くして、其山にさへられて、月の出でくるが遲ければ、見る程の乏しきなり。さて此歌全く初月の歌にあらず、別に端詞有りしが脱ちたるならん。卷九沙彌女王歌として、結句片待難きと變れるのみにて、全く同歌を載せたり。又卷四に、戀ひ戀ひて逢ひたるものを月しあれば夜はこもるらむしばしはあり待て、と詠めるは、夜の末の殘れるを言へるにて今とは異なり。
 
小田事勢能山歌一首
 
古今六帖に、此歌の作者ををだのことぬしと有り。ここは主の字を脱せるか。
 
291 眞木葉乃。之奈市勢能山。之奴婆受而。吾超去者。木葉知家武。
まきのはの。しなふせのやま。しぬばずて。わがこえゆけば。このはしりけむ。
 
まきは檜なり。檜の枝葉は、しなやかなる物なれば言ふ。シヌバズテは慕フニ堪ヘズシテなり。今は忍びあへず愁ひしなへて越えゆけば、木の葉も吾心を知りけん、彼もしなひ垂れて有りと言ふなり。是は故郷(217)の妹を慕ふなるべし。卷七、天雲の棚引山の隱りたる吾心をば木の葉しるらむと言ふに似たり。
 
角麻呂歌四首
 
續紀、從五位下|?兄《ロクノエ》麻呂有り。ここは?を角に誤り、兄を脱せしなるべし。續紀に、此氏を録とも?とも書けり。字書は?音録とあれば、通はし用ひし物なり。
 
292 久方乃。天之探女之。石船乃。泊師高津者。淺爾家留香裳。
ひさかたの。あまのさぐめが。いはふねの。はてしたかつは。あせにけるかも。
 
神代記、阿麻能左愚謎《アマノサグメ》と註せり。天稚彦、高産靈尊にそむきまつり、歸り申しせざりし時、無名雉天稚彦の門前に飛び降るを、天探女見出だせる事有り。磐船は石楠船とて、楠もて造りて、堅きをほめ言ふならん。神武紀、天神之子天磐船に乘りて降止り、櫛玉饒速日命と申すよし有り。天探女は紀にては地神と覺しきを、批歌によれば、是ももとは天稚彦の?見よとて、天より降し給ひしが、天稚彦に媚びて在りし神にや。名に天と言へるもよし有り。且つ饒速日命の如く、此神も石船に乘りて、天降れる傳へ有りしにや。契沖云、攝津國風土記云、難波高津者天稚彦天降時屬v之神天探女乘2磐舟1而至2于此1其磐舟所v泊故號2高津1云云と有るを言へりとぞ。此事を古より言ひ傳ふる所なれば、此歌にも詠めるならん。古き難波わたりの圖を見るに、高津は西の入江によりて、今|高津《カウヅ》と言ふは古の跡には非ず。アセニケルカモは、所のさま變りて淺く成りたるを言ふ。
 
(218)293 鹽干乃。三津之海女乃。久具都持。玉藻將苅。率行見。
しほひの。みつのあまめの。くぐつもち。たまもかるらむ。いざゆきてみむ。
 
三津は難波の三津なり。海女アマと訓みて、六言の句とすべく思へど、女と書けるからはアマメと訓むべし。袖中抄に、久久都とは藁にて袋の樣に編みたる物なり。それに藻貝などを入るるなり。童蒙抄に、クグツとはカタミを言ふと有り。うつほ物語さがの院の卷に、きぬあやを糸のくぐつに入れてと見ゆ。
 參考 ○鹽干乃(新)シホヒ「爾」ニか ○海女乃(古、新)アマノ。
 
294 風乎疾。奧津白浪。高有之。海人釣船。濱眷【眷ヲ※[眷の目が日]に誤ル】奴。
かぜをいたみ。おきつしらなみ。たかからし。あまのつりぶね。はまにかへりね。
 
眷はかへり見ると言ふ意の字なるを、カヘルと言ふ言に借りて書けるにや。
 
295 清江乃。木笶松原。遠神。我王之。幸行處。
すみのえの。きしのまつばら。とほつかみ。わがおほきみの。いでましどころ。
 
清江は住吉なり。トホツカミ、枕詞。笶は和名抄に、和名夜と有れど、卷十に、足日木|笶《ノ》とノの假字に用ひし例有り。木の下志の字を脱せしか。
 
田口益人大夫任2上野國司1時至2駿河淨見埼1作歌二首
 
續紀、和銅元年三月、從五位下田口益人を上野守とすと有り。
 
(219)296 廬原乃。清見之崎乃。見穗乃浦乃。寛見乍。物念毛奈信。
いほばらの。きよみがさきの。みほのうらの。ゆたけきみつつ。ものもひもなし。
 
和名抄、駿河國廬原郡廬原(伊保波良)神名帳、廬原郡御穗神社あり。今ミホと言ふ所は、清見が崎より入海ごしに向に有り。さて其入海かけて、即ちミホノ浦と言へば斯く詠めり。寛見乍、卷二十に、海原の由多氣伎見都都とあれば、ここも然か訓むべし。此の浦のひろらかに、見渡さるるを見れば、物思も無きとなり。
 參考 ○物念毛奈信(古)略に同じ(新)モノオモヒモナシ。
 
297 晝見騰。不飽田兒浦。大王之。命恐。夜見鶴鴨。
ひるみれど。あかぬたごのうら。おほきみの。みことかしこみ。よるみつるかも。
 
田兒は清見が崎より、浦傳ひに東へ行手に見ゆる入海を言ふ。夜をこめて通れるならん。公式令を見るに、いにしへは驛路遠ければ、かかる事も有るべし。任にて下る度なれば、御言カシコミと言へり。
 
弁基歌一首
 
續紀に、大寶元薙三月勅して還俗、春日藏首老と言ひて、既に此卷の上に、其姓名にて歌あまた擧げたり。ここに至りて却つて僧名を出だせるは、僧なりし時の歌を、後に傳へ聞きて書き入れしなるべし。
 
298 亦打山。暮越行而。廬前乃。角太河原爾。獨可毛將宿。
まつちやま。ゆふこえゆきて。いほぎきの。すみだがはらに。ひとりかもねむ。
 
(220)卷四、木路に入立信士《イリタチマツチ》山と有りて、大和國に近きわたりの紀伊の山なり。スミダ川と言ふ所、古今集には武藏下總のあはひと言ひ、古今六帖には、出羽《イデハ》なる青との關のすみた川とも有りて、かたがたに見えたれど、ここは紀伊國と定むべし。仙覺は、すみだ川は紀伊國にも、出羽にも、下總にもあり。待つち山は紀伊國に名高き山なりと言へり。さて右の田口大夫の歌の次第にて見れば、これも駿河にての歌のやうに見ゆれど、さには有らじ。駿河國廬原郡に、今イハラ川と言ふ川を、此歌のスミダ川なりと言ふ説あれど、僻事《ヒカゴト》にて、廬前も角太河も紀の國なり。
 參考 ○角太河原爾(古、新)スミダノハラニ「河」を衍とす。
 
右或云、弁基者春日藏首老之法師名也。 紀に見ゆるを或云と書けるなど、後人のしわざなる事著し、
 
大納言大伴卿歌一首 未詳 此二字後人の書入なり、除くべし。
 
續紀、天平三年七月、大納言從二位大伴宿禰旅人薨。難波朝右大臣大紫長コ之孫、大納言贈從二位安麻呂第一子也とあり。
 
299 奧山之。菅葉凌。零雪乃。消者將惜。雨莫零行年。
おくやまの。すがのはしぬぎ。ふるゆきの。けなばをしけむ。あめなふりこそ。
 
菅は山菅にて麥門冬なり。シヌギは繁き葉のあはひまで降り入りたるを言へり。コソは願ふ詞。行年は借りて書けるか。宣長云、行年をコソと訓まむ由無し。すべて行は所の誤りにてソネと訓むべしと言へり。(221)ソネは雨ナフリソと言ふにネの言を添へたるなり。ネは願ふ詞。
 參考 ○行年(古、新)ソネ。
 
長屋王駐2馬(ヲ)寧樂山1作歌二首
 
300 佐保過而。寧樂乃手祭爾。置幣者。妹乎目不雖【雖ハ離ノ誤】。相見染跡衣。
さほすぎて。ならのたむけに。おくぬさは。いもをめかれず。あひみしめとぞ。
 
佐保は大和なり。さて奈良坂の上に、旅の手向する所有りて、やがてそこを手向山と言ふならん。今|峠《タウゲ》と言へるも其なり。後に同じ奈良にて、菅原贈太政大臣の手向山と詠み給ひしもここなるべし。幣は絹布なり。枝にも付くれど、又物にすゑても奉れば置くとは言へり。今の京と成りては、絹布のこまかに切りたるを、袋に入れて持《モ》たるを、さるべき所にて打ち散らして手向くる事となりぬ。是をキリヌサともタチヌサとも言へり。相見シメトゾは令相見《アヒミシメ》タマヘとなり。都を旅立ちてここに至りて妹のもとへ詠み贈り給へるなるべし。歌の意は、卷十七長歌に、戸並山手向の神に、幣まつり吾乞のめば、はしけやし君が直香《タダカ》を、眞宰も(中略)相見しめとぞと言ふに同じ。雖は離の字の誤りなる事しるし。
 
301 盤金之。凝敷山乎。超不勝而。哭者泣友。色爾將出八方。
いはかねの。こごしきやまを。こえかねて。ねにはなくとも。いろにいでめやも。
 
磐ガネは磐根なり。コゴシキは凝り固まれるなり。卷十七、許其志河毛《コゴシカモ》いはのかむさびなど、假字書あ(222)ればかく訓めり。コエカネテは、おくれたる妹を戀ひつつ、行きがてにする意なり。色ニ出デメヤモは色には出ださじと言ふなり。
 參考 ○凝敷山乎(古)コゴシクヤマヲ(新)略に同じ。
 
中納言安管倍廣庭卿歌一首
 
續紀、神龜四年中納言に任、天平四年二月薨。右大臣從三位御主人之子と見ゆ。
 
302 兒等之家道。差間遠烏。野干玉乃。夜渡月爾。競敢六鴨。
こらがいへぢ。ややまどほきを。ぬばたまの。よわたるつきに。きそひあへむかも。
 
卷十八、ぬば玉の夜わたる月をいくよふと共詠みて、大空を渡る月と言ふなり。キソフは爭ふ意。アヘムカモは堪へムカなり。妹がりの間近からねば、月の早く行くには爭ひ得じ。吾はおくれんかの意なり。
 參考 ○競(古、新)キホヒ。
 
柿本朝臣人麻呂下2筑紫國1時海路作歌二首
 
303 名細寸。稻見乃海之。奧津浪。千重爾隱奴。山跡島根者。
なぐはしき。いなみのうみの。おきつなみ。ちへにかくりぬ。やまとじまねは。
 
名グハシキ、枕詞。イナミ前にも出づ。ヤマトジマは此上にも下にも有りて、大和の國の事なり。いなみの沖に漕ぎ出でて、今は大和の方の山も見えず成りて、ただ浪のみ遙に立ち渡るを、浪に隱ると言ひなせ(223)るがあはれなり。上に留火《トモシビ》のあかしのおどと詠まれし同じ度なり。
 參考 ○千重爾隱奴(古)略に同じ(新)チヘニカタレヌ。
 
304 大王之。遠乃朝庭跡。蟻通。島門乎見者。神代之所念。
おほきみの。とほのみかどと。ありがよふ。しまとをみれば。かみよしおもほゆ。
 
ミカドはもと宮城の御門を言ふより出でたる詞にて、遠ノミカドは其國國の府、又は西國にては太宰をさして言へり。卷八、越中の國府をヒナノ都と詠めるに同じ。物がたりに吾みかど六十餘州など言へるは後世轉り誤れるなり。アリガヨフは、蟻は借字にて在なり。人人の昔より行き通ふを言ふ。島門は讃岐の水門《ミナト》を言ふか。卷二に同じ人の讃岐の歌に、神の御面《ミトモ》と次ぎて來る中の水門ゆ船浮けてと詠みたるに、同じ地と見ゆればなり。さて此海渡る舟は、春の末より夏秋の半までは、專ら讃岐の方へ寄せて漕ぐとぞ。神代シ云云は、是も右の神の御面と言ふに同じ。シは助辭。
 
高市連黒人近江舊都歌一首
 
近江の上見の字、歌の字の上作の字|脱《オ》ちしか。
 
305 如是故爾。不見跡云物乎。樂浪乃。舊都乎。令見乍本名。
かくゆゑに。みじといふものを。ささなみの。ふるきみやこを。みせつつもとな。
 
此人故郷は見るに中中愁増されば、見じと言ひしを、人に誘はれ來りて、さればよと思ひて詠めるなり。(224)モトナはヨシナキなり。卷十七、咲けりとも知らずし有らばもだも有らむ此山吹を見せつつもとな。
 
右謌。域本曰2小辨作1也。未v審2此小辨者1也。
 
幸2伊勢國1之時安貴王作歌一首
 
續紀、天平十二年十月伊勢國幸の事有り。同紀、天平元年三月旡位|阿紀《アキ》王に從五位下を授くと見ゆ。
 
306 伊勢海之。奧津白浪。花爾欲得。※[果/衣]而妹之。家※[果/衣]爲。
いせのうみの。おきつしらなみ。はなにもが。つつみていもが。いへづとにせむ。
 
花ニモガのガは願ふ詞にて、實の花ならば、包みもて歸らん物をと言ふなり。ツトとは藁※[果/衣]《ワラヅト》など言ひて物を包みたる事なり。海山の物を包みて人にも贈り、家へも、もて來るよりツトと言へるを、轉じて包まぬ物をも然か言ふ事となれり。集中、山ヅト、濱ヅト、旅行キヅト、道行キヅトなども詠めり。
 
博通法師往2紀伊國1見2三穗石室1作歌三首
 
博通傳知れず。
 
307 皮爲酢寸。久米能若子我。伊座家留。(一云|家牟《ケム》三穗石室者。雖見不飽鴨。(一云|安禮爾家留可毛《アレニケルカモ》)
はたずすき。くめのわくごが。いましける。みほのいはやは。みれどあかぬかも。
 
ハタズスキ、枕詞。顯宗紀|弘計《ヲケノ》天皇(更名|來目稚子《クメノワクコ》)云云と有りて、天皇|億計《オケノ》王と共に難を避けて、丹波に行き給ひ、近臣|余社《ヨサノ》郡使主播播磨國|縮見《シジミ》山の石室にて自ら經《クビ》り死にし事あり。かかれば皇子も播磨に到りま(225)して縮見石室に暫くおはしけん、それを紀伊にも言ひ傳へてかく詠めるにや。紀に、みこ石室に住みませしとは見えねども、其臣ここに入りて經死せる事あれば、此みこも爰におはせしにやとも思はるれど、弘計天皇の御事を、かくなめげに詠むべくも無し。久老説の如く久米部の稚子にて、天皇の御事に有らぬ事は、次の歌にても知るべし。
 
308 常盤成。石室者今毛。安里家禮騰。住家留人曾。常無里家留。
ときはなる。いはやはいまも。ありけれど。すみけるひとぞ。つねなかりける。
 
卷五、等伎波奈周《トキハナス》かくしもがもと書ければ、ナスとも訓むべけれど、ここは石と續けたれば、ナルと訓むべし。住みける人は久米のわく子を言ふ。
 參考 ○常盤成(代、古)トキハナス(新)略に同じ。
 
309 石室戸爾。立在松樹。汝乎見者。昔人乎。相見如。
いはやどに。たてるまつのき。なをみれば。むかしのひとを。あひみるごとし。
 
イハヤドは石室の門なり。汝は松を指して言ふ。昔ノ人は久米のわくごを言へり。
 
門部王詠2東市之樹1作歌一首
 
一本に、舊本曰。後賜2姓大原眞人1。敏達天皇六代孫。舒明天皇之後也と註せり。此舒明天皇の四字は誤字なるべし。續紀、和銅六年正月旡位門部王に從五位下を授くと有りて、それよりくさぐさの官位を歴て(226)天平三年從四位上と見ゆ。作の字衍文か。
 
310 東。市之殖木乃。木足左右。不相久美。宇倍吾【吾ハ衍文】戀爾家利。
ひむがしの。いちのうゑきの。こだるまで。あはずひさしみ。うべこひにけり。
 
市は東西に有り。卷七に、西の市にただひとり出てとも詠めり。雄略記、餌香市邊橘と言ひ、卷二に、橘の蔭ふむ道のやちまたにと詠める如く、都の大路に菓樹を植ゑられしなり。木ダルは老木となれば、枝垂るる物なれば言ふ。卷十四、かまくら山の許太流木乎《コダルキヲ》とも詠めり。妹を久しく相見ぬを言はんとてなり。ウベは承諾《ウベナ》ふ意、宇倍の下吾の字古本に無し。誤りて入りたるなり。
 參考 ○不相久美(考)アハデヒサシミ(古、新)略に同じ。
 
?作村主益人《クラツクリノスクリマスヒト》從2豐前國1上v京時作歌一首
 
卷六に、同人の歌ありて、左註に内匠寮大屬とあり。此?の字鞍の省文なるべし。
 
311 梓弓。引豐國之。鏡山。不見久有者。戀敷牟鴨。
あづさゆみ。ひきとよくにの。かがみやま。みずひさならば。こひしけむかも。
 
アヅサユミ、枕詞。引キタヲムを引キトヨと通はし言へるなり。冠辭考にくはし。鏡山下の挽歌にも詠めり。豐前なり。コヒシケムは戀シカラムなり。是も相聞にて、鏡と言ふより見ルと言ひかけたり。
 參考 ○戀敷牟鴨(古)コホシケムカモ(新)略に同じ。
 
(227)式部卿藤原|宇合《ウマカヒノ》卿被v使v改2造難波堵1之時作歌一首
 
續紀、天平九年八月。參議式辞卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨。太政大臣不比等第三子也と見ゆ。さて馬養と書けるも、宇合と書けるも同じ人なる事、紀を見て知るべし。されば宇合もウマカヒと訓むべきなり。神龜三年十月、此卿知造難波宮の事に任じて、天平四年三月此事成りぬ。其時の歌なり。堵は都と通はし書けるかと契沖言へり。
 
312 昔者社。難波居中跡。所言奚米。今者京引。□備仁鷄里。
むかしこそ。なにはゐなかと。いはれけめ。いまはみやこと。そなはりにけり。
 
難波は、仁コ天皇は高津宮、孝コ天皇は長柄宮にましまし、持統天皇も大宮造りまして、もと帝都の地なれど、久しく故郷となりて居中《ヰナカ》と言はれつるなり。居中は田居中《タヰナカ》の義なり。集中、都はツの假字にて、トの假字に用ひし例無く、ソナハリニケリも雅ならず。都の字の下、一字闕けたりと見ゆるによりて、狛諸成は引は師の誤り、都は跡の誤りにて、さて柔の字落ちしか。然らば今者京師跡柔備仁鷄里、イマハミヤコトニギハヒニケリと訓むべしと言へり。契沖は、イマミヤコビキミヤコビニケリと訓めり。都ビニケリはさも有べし、ミヤコビキと言ふ詞は無し。春海云、引は斗か刀の誤りにて、イマハミヤコトミヤコビニケリと訓むべし。
 參考 ○今者京引云云(代)イマミヤコヒキ、ミヤコビニケリ(考)「今者京師跡柔備仁鷄里」イマハ(228)ミヤコト、ニギハヒニケり(古)イマハミヤコト「引ヲ利トス」ミヤコビニケリ(新)イマハミヤコト、ミヤゴビニケリ。
 
土理宣令《トリノセンリヤウ》歌一首
 
續紀、養老五年正月刀利宣令に詔して、東宮に侍らしむる由あり。
 
313 見吉野之。瀧乃白波。雖不知。語之告者。古所念。
みよしぬの。たぎのしらなみ。しらねども。かたりしつげば。むかしおもほゆ。
 
卷一よき人のよしとよく見てよしと言ひしと詠ませ給ひ、卷七、古のかしこき人の遊びけむなど言ひて、此山は昔よりほめ來れる事どもの有ればかく詠めり。告は借字にて繼ぐなり。
 參考 ○語之告者(代)ツグレバ(古、新)略に同じ ○古所念(古、新)イニシヘオモホユ。
 
波多《ハタノ》朝臣|少足《ヲタリ》歌一首
 
紀に、浪多氏は見ゆれど、少足と言ふは見えず。
 
314 小浪。礒越道有。能登湍河。音之清左。多藝通瀬毎爾。
さざれなみ。いそこせぢなる。のとせがは。おとのさやけさ。たぎつせごとに。
 
大和高市郡巨勢なり。サザレ浪イソコスと言ひ懸けたるにて、集中、布留川を、かきくらし雨ふる川と言ひ懸けたる類ひなり。卷十二、高湍《コセ》なるのとせの川とも詠めり。
 
(229)暮春之月幸2芳野離宮1時中納言大伴卿奉v勅作歌一首并短歌 未v逕2奏上1歌
 
逕は經の誤りか。是らは家持卿の自註なるべし。續紀、神龜元年三月吉野宮に幸有り。大伴卿は旅人卿なり。養老二年中納言に任ぜらる。
 
315 見吉野之。芳野乃宮者。山可良志。貴有師。永【永ハ水ノ誤】水可良思。清有師。天地與。長久。萬代爾。不改將有。行幸之宮。
みよしぬの。よしぬのみやは。やまからし。たふとかるらし。かはからし。さやけかるらし。あめつちと。ながくひさしく。よろづよに。かはらずあらむ。いでましのみや。
 
宮も所からか、いよよ貴きと言ふなり。山カラシ、水カラシのカラはナガラの意。シは助辭なり。永は水の誤りなるべきよし、契沖が言へるぞよき。されどミヅと訓めるは未たし。天地ト長ク久シクは、神代紀、寶祚之隆當d與2天壤1無uv窮者矣と有るに同じ。離宮をイデマシノミヤとも、トツ宮とも言へり。調べに從ひて訓むのみ。
 參考 ○貴有師(代)タフトクアラシ、又は、カシコクアラシ(考)略に同じ(古、新)タフトクアラシ○清有師(考)イサギヨカラシ(古、新)サヤケクアラシ。
 
(230)316 昔見之。象乃小河乎。今見者。彌清。成爾來鴨。
むかしみし。きさのをがはを。いまみれば。いよよさやけく。なりにけるかも。
 
此卿同じ京に在りながら、久しくしてここの御供しつれば、かくは詠まれけるならん。此下にも大宰帥にて昔見し象のを河をと詠めり。
 
山部宿禰赤人望2不盡山1歌一首并短歌
 
山の下作の字を脱せり。山部氏は、古事記山部大楯連山部小楯など有りて、かばねはもと連《ムラジ》なるを、宿禰は後に賜れり。赤人は此集の外所見無し。舍人にや有りけん。幸の御供にて詔をうけて詠みし歌あり。後東に下りしは國官にてはあらじ。班田使などの時なるべし。
 
317 天地之。分時從。神左備而。高貴寸。駿河有。布士能高嶺乎。天原。振放見者。度日之。陰毛隱比。照月乃。光毛不見。白雲母。伊去波代【代ハ伐ノ誤】加利。時自久曾。雪者落家留。語告。言繼將往。不盡能高嶺者。
あめつちの。わかれしときゆ。かむさびて。たかくたふとき。するがなる。ふじのたかねを。あまのはら。ふりさけみれば。わたるひの。かげもかくろひ。てるつきの。ひかりもみえず。しらくもも。いゆきはばかり。ときじくぞ。ゆきはふりける。かたりつぎ。いひつぎゆかむ。ふじのたかねは。
 
振放のフリは詞。サケは遠く仰ぎ見るなり。カクロヒは、カクリを延べ言ふ。イ行キハバカリのイは發(231)語。ハバカリは、雲も此山を越えがてにして、滯るを言ふなり。代は伐の誤りなり。時ジクは非時とも書きて時ナラヌと言ふなり。語リツギ言ヒツギユカムは、末の世まで語り繼ぎなんと言ふ事を、あやに重ね言へるなり。告は借字にて繼ぐなり。告を繼ぐに借りたる例あり。かたり|つ《告》げの意とするは僻事なり。
 
反歌
 
318 田兒之浦從。打出而見者。眞白衣。不盡能高嶺爾。雪波零家留。
たごのうらゆ。うちでてみれば。ましろにぞ。ふじのたかねに。ゆきはふりける。
 
駿河の清見が崎より東へ行けば、今薩?坂と言ふ山の下の渚に昔の道あり。そこより向ひの伊豆の山の麓までの海、田兒の浦なり。右の岸陰の道を東へ打ち出づれば、其入海越しに富士見ゆるとぞ。されば田兒の浦より東へうち出て見ればと言ふ意にかくは詠めり。ユはヨリとと言ふ詞ながら、ここはいと輕ろく意得べし。何事も無けれども今も見る如し。 參考 ○眞白衣 (考、新)略に同じ(古)マシロクゾ。
 
詠2不盡山1歌一首并短歌
 
319 奈麻余美乃。甲斐乃國。打縁流。駿河能國與。己智其智乃。國之三中從。出立【立ヲ之ニ誤】有。不盡能高嶺者。天雲毛。伊去波伐【伐ヲ代ニ誤ル】加利。飛鳥母。翔毛不上。燎火乎。雪以滅。(232)落雪乎。火用消通都。言不得。名不知。靈母。座神香聞。石花海跡。名付而有毛。彼山之。堤有海曾。不盡河跡。人乃渡毛。其山之。水乃當烏。日本之。山跡國乃。鎭十方。座神可聞。寶十方。成有山可聞。駿河有。不盡能高峯者。雖見不飽香聞。
なまよみの。かひのくに。うちよする。するがのくにと。こちごちの。くにのみなかゆ。いでたてる。ふじのたかねは。あまぐもも。いゆきはばかり。とぶとりも。とびものぼらず。もゆるひを。ゆきもてけち。ふるゆきを。ひもてけちつつ。いひもえず。なづけもしらに。あやしくも。いますかみかも。せのうみと。なづけてあるも。そのやまの。つつめるうみぞ。ふじかはと。ひとのわたるも。そのやまの。みづのたぎちぞ。ひのもとの。やまとのくにの。しづめとも。いますかみかも。たからとも。なれるやまかも。するがなる。ふじのたかねは。みれどあかぬかも。
 
ナマヨミノ、ウチヨスル、枕詞。コチゴチは彼方此方《カナタコナタ》なり。今アチコチと言ふに同じ。ミナカは眞中なり。出立、今出之と有るは誤りなり。古葉略類聚によりて改めつ。タカネのネは嶺の本語にして、ミの言を添へてミネと言へり。ミは眞なり。イマス神カモは則ち此山を神と言へり。セノ海とは鳴澤の事なり。三代實録、貞觀六年五月富士燒て大山西北本栖水海埋れし事有り。同七年十二月|?《セノ》海を埋むる事千許町と有り。日本紀略、承平七年十−月甲斐國言、駿河國富士山神火水海を埋むとあれば、此時に絶えたるなるべし。石花と書けるは、和名抄、崔禹錫食經云、尨蹄子(和名勢)云云、兼名苑注云、石花二三月皆紫舒2紫花1附v(233)石而生、故以名v之とあれば、セの假字に用ひたり。山上に峰あまた廻りて今の道一里ばかりの湖有り、故に其山の包めるとは言へり。且つ池をも海と言ふ言既に言へり。水乃當の下知の字落ちしか。烏をゾの假字に用ひたるは外にも有れど、ゾと訓むべき由無し。曾か焉の字の誤れるならん。日本をヒノモトと訓める事古くは無し。續後記、興福寺の僧の長歌に、日本《ヒノモト》の山馬臺《ヤマト》の國と訓めると、此歌のみなり。こは枕詞にて、日のもとつ國の倭と言ふ意なりと、宣長委しく論へり。シヅメトモは、守りと言はんが如し。顯宗紀室賀に、筑立柱者此家御長心之鎭也《ツイタツルハシラハコノイヘヲサガココロノシヅメナリ》とも言へり。ナレルは生れるにて、なり出でたると言ふなり。此歌したたかにして、有樣をよく言ひ盡したるは、誰人の詠みけるにか。
 參考 ○雪以、火用(古、新)ユキモチ、ヒモチ ○言不得(代、古、新)イヒモカネ ○名不知(代)ナツケモシラズ(代、古、新)略に同じ ○靈母(古、新)クスシクモ。
 
反歌
 
320 不盡嶺爾。零置雪者。六月。十五日消者。其夜布里家利。
ふじのねに。ふりおけるゆきは。みなづぎの。もちにけぬれば。そのよふりけり。
 
かかる諺の有るを、其國人の語りけんままに詠めるなるべし。さりともよく此山にかなへり。六月をミナ月と言ふ如き月の名の考は、考の別記に委し。
 
321 布士能嶺乎。高見恐見。天雲毛。伊去羽計。田奈引物緒。
(234)ふじのねを。たかみかしこみ。あまぐもも。いゆきはばかり。たなびくものを。
 
雲も山の半までたなびけば斯く言へり。モノヲのヲはヨに通ひて助辭の如し、集中かかる例多し。
 
右一首高橋瀲蟲麻呂之歌中出焉以類載此 歌の字下集の字脱ちたり。右のタカミカシコミの歌ばかり、虫麻呂家集に有りしなり。長歌と反歌は蟲麻呂にあらず。
 
山部宿禰赤人至2伊豫温泉1作歌一首并短歌
 
天武紀十三年十月己卯朔壬辰大地震云云と有りて、伊豫湯泉没して不出と有り。此歌には猶古へのさまなれば赤人の見し頃又昔の樣に還りしなるべし。
 
322 皇祖神之。神乃御言乃。敷座。國之盡。湯者霜。左波爾雖在。島山之。宜國跡。極此疑。伊豫能高嶺乃。射狹庭乃。崗爾立之而。歌思。辭思爲師。三湯之上乃。樹村乎見者。臣木毛。生繼爾家里。鳴鳥之。音毛不更。遐代爾。神佐備將往。行幸處。
かみろぎの《すめろぎの》。かみのみことの。しきます。くにのことごと。ゆはしも。さはにあれども。しまやまの。よろしきくにと。こごしかも。いよのたかねの。いさにはの。をかにたたして。うたしぬび。ことしぬびせし。みゆのうへの。こむらをみれば。おみのきも。おひつぎにけり。なくとりの。こゑもかはらず。とほきよに。かむさびゆかむ。いでましどころ。
 
(235)カミロギは祝詞、神賀詞に出でて、皇統の神を申す。又前前の御代をも指せり。卷十九、皇祖神の遠御代御代はと詠めるも、前前の天皇を申奉れり。宣長は猶舊訓のままに、スメロギと訓まんと言へり。コゴシは前に出づ。ここは岩根の詞を略き言へり。カモは辭なり。イサニハは神名帳、伊與温泉郡伊佐爾波神社有り。そこなるべし。岡ニ立タシテ云云は、上にかみろぎと申せしは、既に云ふ如く上古の天皇を申す。ここに立タシと言へるは、其後後の天皇を申奉るなり。舒明紀、十一年十二月、伊與温湯宮に幸の事有り。仙覺抄に風土記を引きて、湯郡天皇等於v湯幸行降坐五度也。景行天皇以3大帶日子與2八坂入姫命二?1爲2一度1也。仲哀天皇以2大帶日子天皇與2大后息長足姫命二?1爲2一度1。以2上宮聖コ皇子1爲2一度及1。(○侍 脱カ)高麗惠慈僧高(○葛カ)城王等也。立2湯岡側碑文1(○其立2碑文1 脱カ〕處謂2伊社爾波(○之岡1他所v名伊社邇波 脱カ)者當土諸人等其碑文欲v見而伊社那比來。因謂2伊社爾波1(○本 脱カ)也。以2岡本天皇并皇后二?1爲2一度1。于v時、於2大殿戸1有2樹木1。云2臣木1、其上集2鵤比米1【此句「風土諏逸文」に有3椹與2臣木1於2其上1集3鵤與〔右○〕2比米鳥1。」とあり】。天皇爲2此鳥1(○枝 脱カ)繋2稻(○稻 衍カ)穗(○等1 脱カ)養賜也。以2後岡本天皇近江大津宮御宇天皇清御原宮御宇天皇三?1爲2一度1此謂2行幸五度1也とあり。卷一、類聚歌林を引ける所に、一書云、是時宮前有2二樹木1、此之二樹班鳩此米二鳥大集。時勅多掛2稻穗1而養v之乃作v歌云云とも言へり。此時の歌どもの中に、是より前幸有りし事などの心を、古木につけて言ひ、或は辭に言ひ慕ひし事有りけん、其事を、歌シヌビ、辭シヌビセシとは言へるなるべし。思をシヌビと(236)も集中に多く訓めり。卷十一、麻柏潤八河邊のしぬのめの思而《シヌビテ》ぬればと有るなど、シヌビテと訓まではかなはず。宣長云、ここは歡オモヒ、辭《コト》オモハシシにて、上宮太子の歌を思ひめぐらし、文を思ひめぐらし給ひしと言ふ事なり。文は風土記に見えたる碑文なりと言へり。猶考ふべし。コムラは木群なり。和名抄に纂要云、木枝柑交下陰曰?、和名古無良とあれど、是は強ひて字をおし當てたるものなり。ミユは眞湯なり。オミノ木は今言ふモミノ木なり。神武紀、孔舍衛《クサヱ》の戰、人大樹に隱れて難を免かる。其樹の恩母の如しとて、時人其地を母木邑と言ふ。今|飫悶廼奇《オモノキ》と言は訛れるよし見ゆ。トホキヨニ云云、上には昔を言ひ、中に今を言ひ、下に末の世をかけて言へる物なり。
 參考 ○皇神祖(古、所)スメロギノ○敷座(代)シカジマス、又は、シキマセル(考)シキマセル(古)代に同じ○歌思(代、古、新)ウタオモヒ○辭思爲師(代)コヒオモヒ云云(古、新)コトオモハシシ○三湯之上乃(古、新)ミユノヘノ。
 
反歌
 
323 百式紀乃。大宮人之。飽田津爾。船乘【乘ヲ垂ニ誤ル】將爲。年之不知久。
ももしきの。おほみやびとの。にぎたづに。ふなのりしけむ。としのしらなく。
 
飽は饒の誤りなるべし。ニギタヅは伊與なり。既にも出づ。久老云、或人其地のさまよく知れるに聞きしは、饒《ニギ》田津と言ふ地も、飽《アキ》田津と言ふ地も今猶有りとぞ。猶考ふべし。赤人は專ら聖武の御時と見ゆれば(237)岡本宮よりは八つぎの御代と成りぬ。それよりさきざきも幸有りしなれば、年の數も知られぬ由言へり。
 參考 ○飽田津(代)ニギタヅ(考)アキタヅ(古)アキタヅ。
 
登2神岳1山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
324 三諸乃。神名備山爾。五百枝刺。繁生有。都賀乃樹乃。彌繼嗣爾。玉葛。絶事無。在管裳。不止將通。明日香能。舊京師者。山高三。河登保志呂之。春日者。山四見容之。秋夜者。河四清之。旦雲二。多頭羽亂。夕霧丹。河津者驟。毎見。哭耳所泣。古思者。
みもろの。かみなびやまに。いほえさし。しじにおひたる。つがのきの。いやつぎつぎに。たまかづら。たゆることなく。ありつつも。つねにかよはむ。あすかの。ふるきみやこは。やまたかみ。かはとほしろし。はるのひは。やましみがほし。あきのよは。かはしさやけし。あさぐもに。たづはみだれ。ゆふぎりに。かはづはさわぐ。みるごとに。ねのみしなかゆ。いにしへおもへば。
 
ミモロノ云云、前に出づ。ツガノ木ノ、玉カヅラ、枕詞。在リツツモは在り在りてなり。あすかの古き都は飛鳥河原宮もあれど、年近き淨御原宮處を、ここにては慕ふならん。トホシロシはいちじろく鮮やかに見ゆる事を言へり。神代紀の大小魚の三字をトホシロクサキイヲと訓めるは、かへりて轉りたるなるべし。ミガホシは目かれず見まほしきなり。サワグは蛙の鳴き騷を言ふ。所泣は卷十五に、禰能未之奈加由《ネノミシナカユ》と(238)書きたれば、ここもナカユと訓めり。帝都の在りし時の盛りなりしを思ひ出でて、ねに鳴くと言へり。赤人は明日香にて生れし人なるべければ、所の景色のよきに付けても哀れを添へしなるべし。
 參考 ○神名備(古、新)カムナビ○不止將通(考、古、新)ヤマズカヨハム。
 
反歌
 
325 明日香河川。余騰不去。立霧乃。念應過。孤悲爾不有國。
あすかがは。かはよどさらず。たつきりの。おもひすぐべき。こひにあらなくに。
 
所の樣をやがて序とせり。立つ霧の川淀去らぬ如く、古京を戀ひしのぶ心のやり過ぐさむ方無きとなり。
 
門部《カドベノ》王在2難波1見2漁火燭光1作歌一首
 
續紀、和銅三年正月、無位門部王に從六位上を授く、後に大原眞人の姓を賜ふよし見ゆ。 
326 見渡者。明石之浦爾。燒火乃。保爾曾出流。妹爾戀久。
みわたせば。あかしのうらに。ともすひの。ほにぞいでぬる。いもにこふらく。
 
見ワタスは見ヤルを言ふ。卷十五、いさりする安麻能等毛之備《アマノトモシビ》、卷十九、しびつくとあまが燭有《トモセル》いさり火のと有れば、トモスヒと訓めり。ホはすべての物顯れ出づるを言ふ詞なり。上はいさり火を見て、やがて其けしきを序として、妹戀ふる事の人に知られたるを詠めり。是は相聞の歌なれど、旅に在りて詠める故、ここに次《ツイ》でたるなり。
 
(239)或娘子等賜2※[果/衣]乾鰒1戯請2通觀僧之咒願1時通觀作歌一首
 
目録に、或娘子等以2※[果/衣]乾鰒1戯請2通觀僧1戯請2咒願1云云とあり。これ然るべし。通觀は傳知れず。
 
327 海若之。奧爾持行而。雖放。宇禮牟曾此之。將死還生。
わたづみの。おきにもちゆきて。はなつとも。うれむぞこれが。よみがへらまし。
 
海若と書たれどもただ海なり。ウレムゾは伊ヅを約むれば宇となりて、ムとモと通へば、イヅレモゾと言ふなり。宣長云、卷十一に、平山の子松が末の有廉叙波《ウレンゾハ》わが思妹にあはでやみなめと言へるウレムゾに同じく、イカムゾの意なり言へるぞよき。ヨミガヘリナムは、黄泉より歸ると言ふ詞にて、生きかへるを言ふ。此僧死にたる者を呪《トコヒ》いかす術する聞え有りける故に、乾鰒もて來て戯に呪を請ひしなるべし。
 參考 ○將死還生(考、古、新)ヨミガヘリナム。
 
大宰少貳|小野老《ヲノノオユ》朝臣歌一首
 
續紀、天平九年六月太宰大貳從四位下にて卒す。
 
328 青丹吉。寧樂乃京師者。咲花乃。薫如。今盛有。
あをによし。ならのみやこは。さくはなの。にほふがごとく。いまさかりなり。
 
アヲニヨシ、枕詞。下に茵花《ツツジバナ》香君之と書けるもニホヘル君と訓む。又卷六に、つつじの將薫時と書けるもニホハムと訓むべければ、ここも薫をニホフと訓みて、色の事に用ひたるを知るべし。元明天皇の御時(240)奈良に都を遷されしより、聖武天皇の御時に至りて、彌《イヨイヨ》盛りなりしなるべし。
 
防人《サキモリ》司佑【佑ヲ祐ニ誤ル】大伴|四繩《ヨツツナ》歌一首
 
防人は太宰府の屬官なり。軍防令に守v邊者名2防人1云云。大伴の下宿禰の字落ちしか。繩目録に綱に作れり。
 
329 安見知之。吾王乃。敷座在。國中者。京師所念。
やすみしし。わがおほきみの。しきませる。くにのなかには。みやこおもほゆ。
 
大祓の詞に、四方之國中登とあるを、神武紀の國之|墺區《マホラ》と言へるを引きて、ヨモノクニノマホラと翁の訓まれたれば、ここも然か訓むべけど、猶舊訓のままなる方も穩かなり。
 參考、○國中者(考)クニノマホラハ(古、新)クニノナカ「在」ナル○京都所念(代)略に同じ(古、新)ミヤコシオモホユ。
 
330 藤浪之。花者盛爾。成來。平城京乎。御念八君。
ふぢなみの。はなはさかりに。なりにけり。ならのみやこを。おもほすやきみ。
 
ふぢは花ぶさ靡く物なるをもてフヂナミと言へり。此君と言ふは旅人卿を言ふか。よみ人佑なれば、帥を指して然か言ふべし。卷六、太宰少貳足人の歌に、刺竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君と詠めるも帥大伴卿をさせり。
 
(241)帥大伴卿哥五首
 
旅人卿なり。
 
331 吾盛。復將變八方。殆。寧樂京師乎。不見歟將成。
わがさかり。またをちめやも。ほとほとに。ならのみやこを。みずかなりなむ。
 
此二の句、マタカヘラメヤモと訓みては調ひがたし。宣長云、卷五、わがさかりいたくくだちぬ雲に飛ぶ藥はむともまた遠知《ヲチ》めやも。又、雲に飛ぶ藥はむよは都見ばいやしきあが身また越知《ヲチ》ぬべし。其外にも、初へ返る事を乎知《ヲチ》と言ふ事有りて、ほととぎすのヲチカヘリ鳴クなども此類ひなり。されば今もヲチメヤモと訓むべし。ホトホトは邊《ホト》り邊りの意にて、ここは奈良の都を得見ぬに近き意なりと言へり。歌の意はわれ又若きに還るべき由無ければ、太宰に老い果てて、奈良の都を見る事あらじとなり。
 
332 吾命毛。常有奴可。昔見之。象小河乎。行見爲。
わがいのちも。つねにあらぬか。むかしみし。きさのをがはを。ゆきてみむため。
 
アラヌカはアレカシと願ふ心に言へる事、集中に多し。象ノヲ河は吉野に有り。
 
333 淺茅原。曲曲二。物念者。故郷之。所念可聞。
あさぢはら。つばつばらに。ものもへば。ふりにしさとの。おもほゆるかも。
 
アサヂハラ、枕詞。ツバラはツマビラカの略。次の歌に香具山のふりにし里と詠まれたれば、其山のあ(242)たりに此卿の家在るなるべし。
 參考 ○故郷之(古)フリニシサトシ(新)略に同じ。
 
334 萱草。吾紐【紐ヲ?ニ誤ル】二付。香具山乃。故去之里乎。不忘之爲。
わすれぐさ。わがひもにつく。かぐやまの。ふりにしさとを。わすれぬがため。
 
和名抄、兼名苑云、萱艸一名忘憂、漢語抄(和須禮久佐)と有りて、六月比花咲く草なり。卷四、わすれ草わが下ひもに付けたれど鬼《シコ》のしこ草ことにし有りけりとも詠めり。ワスレヌガタメは、忘れむとすれども忘られぬ故に、いかにもして忘れむが爲にと言ふ意なり。
 參考 ○吾紐二付(考)ワガヒモニツケバ(古、新)略に同じ。
 
335 吾行者。久者不有。夢乃和太。湍者不成而。淵有毛。
わがゆきは。ひさにはあらじ。いめのわだ。せとはならずて。ふちにあるかも。
 
卷七に、芳野作とて夢ノワダをよみ、懷風藻に、吉田連宜從2駕吉野宮1詩にも夢淵と作りたれば、象河《キサノカハ》のあたりならん。和太はすべて淀にて淵なり。されば變らで有らんと言へり。上にも奈良の都を見ずか成りなむと言ひ、今又歸らむも久にはあらじ、もと見し淵も變らず有らむなど言へるは、遠き境に年經ては、さまざまに思はるる事を、哀れに言ひ續けられたるなり。毛は毳の誤りなりと翁は言はれき。宣長は有の下也の字を脱せるか。フチニアレヤモにて、淵ニテアレと言ふ意なりと意へり。
(243) 參考 ○湍者(古)略に同じ(新)セニハ○淵有毛(代)フチニアレ「八毛」ヤモ(考)フチニテアルモ(古、新)フチニアリコソ。「毛ハ乞ノ誤」。
 
(1)萬葉集略解 卷三 下
 
沙彌滿誓詠v緜歌一首【首ヲ前ニ誤ル】
 
續紀、養老五年右大辨從四位上笠朝臣麻呂出家入道の事有りて、同七年二月滿誓に勅して筑紫に觀音寺を造らしむと見ゆ。
 
336 白縫。筑紫乃綿者。身著而。未者伎禰杼。暖所見。
しらぬひの。つくしのわたは。みにつけて。いまだはきねど。あたたかにみゆ。
 
シラヌヒノ、枕詞。ツクシノ綿は、紀に神護景雲三年三月より始めて毎年太宰綿二十萬屯輸2京庫1と有りて、昔より貢せしなり。唯だ其綿を多く積み重ねたるを見て詠めるなるべし。
 參考 ○白縫(代、古、新)シラヌヒ ○暖所見(古、新)アタタケクミユ。
 
山上臣憶良罷v宴歌一首
 
337 憶良等者。今者將罷。子將哭。其彼母毛。吾乎將待曾。
おくららは。いまはまからむ。こなくらむ。そのかのははも。わをまつらむぞ。
 
ソノ彼ノとは子を言ひて、カノ母とは則ちわが妻なり。卷十八、和禮麻都良牟曾とあれば、ワヲマツラムゾと訓むべし。
(2) 參考 ○其彼母毛(古)ソモソノハハモ(新)ソノ「子」コノハハモ○吾乎(古)アヲ(新)ワヲ。
 
太宰帥大伴卿讃v酒歌十三首
 
338 驗無。物乎不念者。一杯乃。濁酒乎。可飲有良師。
しるしなき。ものをおもはずは。ひとつきの。にごれるさけを。のむべかるらし。
 
かひなき物思ひをせんよりは、濁れる酒なりとも飲むべしとなり。
 參考 ○物乎不念者(考、古、新)モノヲモハズハ○可飲有良師(古、新)ノムベクアラシ
 
339 酒名乎。聖跡負師。古昔。大聖之。言乃宜左。
さけのなを。ひじりとおほせし。いにしへの。おほきひじりの。ことのよろしさ。
 
魏略云。太祖禁v酒而人竊飲。故難v言v酒。以2白酒1爲2賢者1。清酒爲2聖人1。是れを思ひて詠めるなり。
 
340 古之。七賢。人等毛。欲爲物者。酒西有良師。
いにしへの。ななのかしこき。ひとどもも。ほりするものは。さけにしあるらし。
 
七賢は稽康、阮籍、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎。
 參考 ○七賢(古、新)ナナノサカシキ○人等毛(古)ヒトタチモ(新)略に同じ ○欲爲(考、古、新)ホリセシ○有良師(古)アラシ(新)略に同じ。
 
341賢跡。物言從者。酒飲而。醉哭爲師。益者良之。
(3)かしこしと。ものいふよりは。さけのみて。ゑひなきするし。まさりたるらし。
 
かしこげに物言ふを憎めるなり。スルシのシは助辭。
 參考 ○賢跡(古、新)サカシミト○物言從者(古)モノイハムヨハ(新)略に同じ。
 
342 將言爲便。將爲便不知。極。貴物者。酒西有良之。
いはむすべ。せむすべしらに。きはまりて。たふときものは。さけにしあるらし。
 
酒のコは擧げ盡すべからず、貴き物ぞと言ふなり。知ラズをシラニと言ふは例なり。酒ニシのシは助辭。
 參考 ○酒西有良之(古〕サケニシアラシ(新)略に同じ。
 
343 中々二。人跡不有者。酒壺二。成而師鴨。酒二染嘗。
なかなかに。ひととあらずは。さかつぼに。なりにてしがも。さけにしみなむ。
 
中中ニはカヘリテと言ふに似て、俗言にナマナカニと言ふに當れり。人トアラズハは、人トアラムヨリハと言ふ意なり。卷十二、中中に人とあらずは桑子にもなりなましものを玉のをばかりとも詠めり。呉志に、鄭泉臨v卒時語2同輩1曰。必葬2我陶家之後1。化而爲v土。幸見v取爲2酒壺1。實獲2我心1矣。嘗は借字にてことばなり。
 參考 ○成而師鴨(考〕ナリニテシ「鬼」モノ(古、新)ナリテシガモ。
 
344 痛醜。賢良乎爲跡。酒不飲。人乎熟【熟ヲ※[就/烈火]ニ誤ル】見者。猿二鴨似。
(4)あなみにく。さかしらをすと。さけのまぬ。ひとをよくみれば。さるにかもにる。
 
神武紀大醜乎を鞅奈瀰?句《アナミニク》と訓めり。卷十六|情出《サカシラ》、情進《サカシラ》など書きたり。是も賢人振りたるを憎めり。
 參考 ○人乎※[就/火]見者(代、古、新)ヒトヲコクミバ○似(代、古、新)ニム。
 
345 價無。寶跡言十方。一杯乃。濁酒爾。豈益目八。
あたひなき。たからといふとも。ひとつきの。にごれるさけに。あにまさらめや。
 
佛經に無價寶珠と云ふ事有るを言へり。
 參考 ○豈益目八(古)略に同じ(新)アニマサ「目八方」メヤモ。
 
346 夜光。玉跡言十方。酒飲而。情乎遣爾。豈若目八目。(一云八方)
よるひかる。たまといふとも。さけのみて。こころをやるに。あにしかめやも。
 
史記隋侯祝元陽因之齊云云。以2珠光能照1v夜、故曰2t夜光1と言へるを詠めり。
 
347 世間之。遊道爾。冷者。醉哭爲爾。可有良師。
よのなかの。あそびのみちに。さぶしくは。ゑひなきするに。ありぬべからし。
 
遊の道は萬づにわたりて言ふ。サブシクハは友無きをも、心に愁有るをも兼ね言ふ。宣長は冷は怜の誤にて、タヌシキはと訓まんと言へり。然るべし。
 參考 ○冷者(代)オカシキハ(古)「洽」アマネキハ(新)「怜」タヌシキハ○可有良師(考)アル(5)ベカルラシ(古)略に同じ(新)アルベカルラシ。
 
348 今代爾之。樂有者。來生者。蟲爾鳥爾毛。吾羽成奈武。
このよにし。たのしくあらば。こむよには。むしにとりにも。われはなりなむ。
 
蟲にも鳥にも成りなんと言ふなり。
 參考 ○樂(考、古、新〕タヌシク。
 
349 生者。遂毛死。物爾有者。今生在間者。樂乎有名。
【うまるれば、いけるひと。】つひにもしぬる。ものなれば。このよなるまは。たのしくをあらな。
 
タノシクヲのヲは助辭、アラナはアラムと言ふに同じ。
 參考 ○生者(考、新)イケルモノ(古)ウマルレバ。
 
350 黙然居而。賢良爲者。飲酒而。醉拉爲爾。尚不如來。
もだしゐて。さかしらするは。さけのみて。ゑひなきするに。なほしかずけり。
 
物いはで心に人をおとしめ、己れさかしらぶるを憎む。シカズケリはシカザリケリと言ふに同じ。宣長は、卷十七に母太毛安良牟《モタモアラム》と有ればモダヲリテと訓まんと言へり。
 參考 ○黙然(古、新)モダヲリテ。
 
沙彌滿誓歌一首【首ヲ前ニ誤ル】
 
(6)351 世間乎。何物爾將譬。旦開。?去師船之。跡無如。
よのなかを。なににたとへむ。あさびらき。こぎにしふねの。あとなきがごと。
 
朝に纜解きて船出するをアサビラキと言ふ。朝朗《アサボラケ》とは異なり。卷十七、珠洲《スス》の海に阿佐比良伎之底《アサヒラキシテ》と有り。漕ギニシは漕ギイニシの略。
 參考 ○跡無如(古、新)アトナキゴトシ。
 
若湯座《ワカユヱノ》王歌一首
 
傳知れず。古事紀、取2御母1、定2大湯坐若湯座1、宜2日足奉1と有り。是れより出でたる氏なるべし。
 
352 葦邊波。鶴之哭鳴而。湖風。寒吹良武。津乎能埼羽毛。
あしべには。たづがねなきて。みなとかぜ。さむくふくらむ。つをのさきはも。
 
津乎ノ埼、或説伊與とも武藏とも言へり。和名抄、近江國淺井郡|都宇《ツウ》郷有り。若し其處にや。考ふにべし。湖一本潮に作る。
 
釋通觀歌一首
 
353 見吉野之。高城乃山爾。白雪者。行憚而。棚引所見。
みよしぬの。たかきのやまに。しらくもは。ゆきはばかりで。たなびけるみゆ。
 
高城ノ山、吉野の中なるべけれど、ここのみに出で外に所見無し。上の富士の山の歌に、白雲モイ行キ(7)ハバカリと詠めり。
 參考 ○棚引所見(古、新)タナビケリミユ。
 
日置少老《ヒオキノスクナオユ》歌一首
 
傳知られず。
 
354 繩乃浦爾。鹽燒火氣。夕去者。行過不得而。山爾棚引。
なはのうらに。しほやくけむり。ゆふされば。ゆきすぎかねて。やまにたなびく。
 
風俗歌に、奈末不利(抽中抄繩振。)奈波乃川不良衣乃波留奈禮波可須見天見由留奈波乃川不良衣《ナバノツブラエノハルナレバカスミテミユルナバノツブラエ》。是れを或人遠江に有りと言へれど、此國に由無し。名寄に顯昭、雪降れば蘆のうらばも浪越えてなにはも分かぬなはのつぶらえと詠めれば、攝津にて、則ちこの繩の浦か。又卷七、之加のあまの鹽やくけむり風をいたみ立ちはのぼらず山にたな引くと言ふに似たり。若しての之加の海人の歌の唱へ誤まれるにや。
 參考 ○繩乃浦爾(考)「綱」ツヌノウラニ(古)略に同じ。
 
生石村主眞人《オイシノスクリマヒト》歌一首
 
續紀、天平勝寶二年正月正六位上大石村主眞人に外從五位下を授くるよし見ゆ。
 
355 大汝。少【少ヲ小ニ誤ル】彦名乃。將座。志都乃石室者。幾代將經。
おほなむち。すくなひこなの。いましけむ。しづのいはやは。いくよへぬらむ。
 
(8)神代紀、大己貴命少彦名命と共に天の下を經營したまふ由あれば、かく並べ申せるなり。さて志津の石室に住ましし事物に見えねど、景行紀、十二年周芳國に到ります事有りて、磯津《シツ》山(ノ)賢木を拔き、上枝に八握釼を掛け、中枝に八咫鏡を掛け、下枝に八尺瓊を掛け、又素幡を船舳に立てて參向云云と有りて、此大和にては天香山の如く崇むる山と聞ゆれば、そこに此二神おはしましし石室有りしかと翁言はれき。宣長云、石見國邑知郡の山中に岩屋村と言ふ有りて、其山をしづの岩屋と言ひて甚だ大なる窟あり。高さ三十五六間ばかり、内甚だ廣し。里人の言傳へに、大汝少彦名の神の隱れ給へる岩屋なりと言ふ。祭神をばしづ權現と申すなり、こは正しく其里人の語る所なり。此所此歌を以て附會するやうなる所には有らず、いと深き山奧にてよそ人の知らぬ所なり。然れば志都の石室は是れにて、もしくは生石村主石見の國のつかさなどにて、彼國にて詠めるにやと言へり。
 
上古《ウヘノフル》麻呂歌一首
 
村主のかばねを脱せしか。元正紀姓氏録に此氏見えたり。
 
356 今日可聞。明日香河乃。夕不離。川津鳴瀬之。清有良武。
けふもかも。あすかのかはの。ゆふさらず。かはづなくせの。きよくあるらむ。
 
或本歌發句云、明日香川|今毛可毛等奈《イマモカモトナ》
 
今の下日は目の誤りか、イマモカモと訓むべし。或本の今モカモトナは、今モ歟にてモトナは辭のみ、例の(9)無v由の義にあらずと翁は言はれき。宣長云、すべてモトナは無v由《ヨシナキ》には有らず、事のすすみ甚しきを言ひて、ここは蛙の頻りに鳴くを言ふなりと言へり。猶考ふべし。夕サラズは夕ゴトニと言ふにひとし。卷十七、安佐左良受《アササラズ》霧立ち渡るとも有り。
 參考 ○今日可聞(代、考、古、新)イマモカモ○清有良武(古、新)サヤケカルラム。
 
山部宿禰赤人歌六首
 
357 繩浦從。背向爾所見。奧島。榜囘舟者。釣爲良下。
なはのうらゆ。そがひにみゆる。おきつしま。こぎたむふねは。つりせすらしも。
 
ナハノ浦は上に言へり。ソガヒはうしろの方を言ふ。コギタムは榜《コ》ギタワムにて、榜《コ》ぎめぐるなり。
 參考 ○繩浦從(代)ナハノウラユ、又は、ウラニ(考)「綱」ツヌノウラユ(古)略に同じ○釣爲良下(古)ツリシスラシモ(新)略に同じ。
 
358 武庫浦乎。榜轉小舟。粟島矣。背爾見乍。乏小舟。
むこのうらを。こぎたむをぶね。あはしまを。そがひにみつつ。ともしきをぶね。
 
粟島は古事記生2淡島1と有り。仙覺抄に、讀岐國屋島北去(コト)百歩許有v島名曰2阿波島1と有り。卷四、卷七にも出づ。卷十九に粟小島と言へるも是れか、猶よく尋ぬべし、武庫の浦を榜《コ》ぎ廻る舟、粟島を跡とすればソガヒと言ふなり。トモシキは賞むる詞にて、ここのトモシキは粟島を舟より見る人の心なり。舟(10)を言ふには有らず、粟島をともしく思ふなり。コギタム小舟は、此作者の乘れる船にて、結句のヲ舟も同じ。粟島をともしく見る小舟と言ふ意なりと宣長言へり。
 
359 阿倍乃島。宇乃住石爾。依浪。間無比來。日本師所念。
あべのしま。うのすむいそに。よるなみの。まなくこのごろ。やまとしおもほゆ。
 
八雲御抄に、阿倍の島攝津國と書かせ給へれど、此國に有る事を聞かず。猶考ふべし。イソと言ひて即ち石の事なり。日本と書けれど大和の京を言ふなり。此歌は班田使などにて、攝津阿波などに月日經て在る時詠めるにや。
 參考 ○依浪(考、古、新)ヨスルナミ。
 
360 鹽干去者。玉藻刈藏。家妹之。濱※[果/衣]乞者。何矣示。
しほひなば。たまもかりつめ。いへのいもが。はまづとこはば。なにをしめさむ。
 
宣長云、卷十六荒き田のしし田の稻を倉爾擧藏而《クラニツミテ》と書けり。藏をツムと訓むは、倉に物を積み置く意なりと言へり。
 參考 ○苅藏(考)カラサメ(古)カリコメ(新)藏は誤か。
 
361 秋風乃。寒朝開乎。佐農能崗。將超公爾。衣借益矣。
あきかぜの。さむきあさけを。さぬのをか。こえなむきみに。きぬかさましを。
 
(11)佐ヌは紀伊なるべし。上にも出づ。此一首は、赤人の妻の都に居て詠める歌なるべく覺ゆ。右に六首と有るは疑はし。
 參考 ○將超公爾(古、新)コユラムキミニ。
 
362 美沙居。石轉爾生。名乘藻乃。名者告志五【五は?ノ誤】余。親者知友。
みさごゐる。いそわ《ま》におふる。なのりその。なはのらしてよ。おやはしるとも。
 
卷十二、四の句|吉名者不告《ヨシナハノラセ》(此の不は令の誤)と變れるのみにて同じ歌を載せたり。ミサゴは和名抄、?鳩(美佐古)。ナノリソは允恭紀、濱藻を號けて奈能利曾毛と言ふよし有り。和名抄、本朝式云、莫鳴菜(奈奈里曾)云云と見ゆ。ノラシテヨは告ゲテヨなり。五は弖の誤なり。本は序にて、さて妻と成る時ならでは、女の名は告げぬ事既に言へるが如し。是れは忍びて逢ふ女に名を告げよと詠めるなり。此歌相聞なるを、紛れてここに入りたるならん。
 參考 ○石轉(考)イソワ(古、新)イソミ。
 
或本歌曰
 
363 美沙居。荒磯《アリソ》爾生。名乘藻乃。告名者|告世《ノラセ》。父母者《オヤハ》知友。
 
卷十二の歌によるに、告名者の告は吉の誤りにて、ヨシナハノラセなるべし。
 參考 ○告名者告世(考)「吾」ワガナハノラセ。
 
(12)笠朝臣金村|鹽津《シホツ》山作歌二首
 
神名帳、近江國淺井郡鹽津神社、和名抄、鹽津(之保津)
 
364 丈【丈ヲ大ニ誤ル】大之。弓上振起。射都流矢乎。後將見人者。語繼金。
ますらをの。ゆずゑふりたて。いつるやを。のちみむひとは。かたりつぐがね。
 
神代紀、振起弓?をユハズフリタテと詠めり。此人弓力の勝れたりけん、後世にも言ひ傳へよと、山中の木岩などに矢を射つけたると見ゆ。カネは兼べて、其料にまうけ待つ意の詞なる事既に言へり。
 參考 ○弓上振起(考、古、新〕ユズエフリオコシ。
 
365 鹽津山。打越去者。我乘有。馬曾爪突。家戀良霜。
しほづやま。うちこえゆけば。わがのれる。うまぞつまづく。いへこふらしも。
 
家人の戀ふれば、馬の爪づくと云ふ諺の有りしなるべし。卷七にも、妹が門入出水河(今本誤字有り)の瀬を速み吾馬爪衝家思らしも、家に戀ふらしものニの言を略けり。
 
角鹿《ツヌガノ》津乘v船時笠朝臣金村作歌一首竝短歌
 
垂仁紀、額に角有る人船射に乘りて越國|笥飯《ケヒノ》浦に來りしより、其處を角鹿と言ふよし見ゆ。今敦賀と書きてツルガと言ふ所なり。
 
366 越海之。角鹿乃濱從。大舟爾。眞梶貫下。勇魚取。海路爾出而。阿倍寸管。(13)我榜行者。大夫乃。手結我浦爾。海未通女。鹽燒炎。草枕。客之有者。獨爲而。見知師無美。綿津海乃。手二卷四而有。珠手次。懸而之努櫃。日本島根乎。
こしのうみの。つぬがのはまゆ。おほぶねに。まかぢぬきおろし。いさなとり。うみぢにいでて。あへぎつつ。わがこぎゆけば。ますらをの。たゆひがうらに。あまをとめ。しほやくけむり。くさまくら。たびにしあれば。ひとりして。みるしるしなみ。わたつみの。てにまかしたる。たまだすき。かけてしぬびつ。やまとしまねを。
 
アヘギは喘にて、梶とる人のうめくを言ふ。手結浦、神名帳越前國敦賀郡|田結《タユヒ》神社あり。そこの浦なり。丈夫ノ、枕詞。見ルシルシナミは、獨して見るは見るかひも無しとなり。ワタツミノ云云、海神の手に纏ひたる玉と言ひかけて、さて玉ダスキの枕詞へ續けて序とす。ツヌビツは大和の人に見せばやとしのぶなり。
 
反歌
 
367 越海乃。手結之浦矣。客爲而。見者乏【乏ヲ之ニ誤ル】見。日本思櫃。
こしのうみの。たゆひのうらを。たびにして。みればともしみ。やまとしぬびつ。
 
トモシミ、ここにてはメヅラシク、見タラヌなど言ふ意なり。
 
石上《イソノカミノ》大夫歌一首
 
續紀、天平十一年三月石上朝臣乙麻呂罪有りて土左國へ配流と見ゆ。此時の歌なるべし。
 
(14)368 大船二。眞梶繁貫。大王之。御命恐。礒廻爲鴨。
おほぶねに。まかぢしじぬき。おほきみの。みことかしこみ。あさりするかも。
 
眞梶は左右に梶たつるを言ふ。シジヌキはシゲク漕グなり。アサリはすべて魚とる業を言ふ。卷五、阿佐理《アサリ》するあまの子どもと人はいへどと有り。ここはアサリスルと言へるは、實に漁するには有らで、斯かる旅なれば、海邊或は海上を行くを、海人のあさりする如くに言ひなせるなり。
 參考 ○礒廻(考)イサリ(古、新〕イソミ。
 
右今案石上朝臣乙麻呂任2越前國守1蓋此大夫歟。  此人越前守に任じたる事紀に見えず。
 
和《コタヘ》歌一首
 
乙麻呂の、土左より都の友へ詠みておこせしに答へしなるべし。
 
369 物部乃。臣之壯士者。大王。任乃隨意。聞跡云物曾。
もののふの。おみのおとこは。おほきみの。まけのまにまに。きくといふものぞ。
 
モノノフは武夫を言ふ。又石上氏はもと物部氏なれば、モノノベノとも訓まんか。末は聞き得て從ふと言ふ意。さて生も死も大君の御言のままにするこそ、臣の壯士の心なれと言ひ勵ますなり。古本任を言に作る。ミコトノマニマと訓むべし。
 參考 ○壯士(者)タケヲ(古、新)略に同じ○任乃隨意(考)「言」ミコトノマニマ(古、新)略に(15)同じ
 
右作者未v審。但笠朝臣金村之歌中出也。 歌下集の字を脱せり。
 
安倍廣庭《アベノヒロニハノ》卿歌一首
 
續紀、天平四年中納言從三位阿部朝臣廣庭薨。右大臣御主人子也と有り。ここに朝臣の字を脱せり。
 
370 雨不零。殿雲流夜之。潤濕跡。戀乍居寸。君待香光。
あめふらで。とのぐもるよの。ぬれひづと。こひつつをりき。きみまちがてり。
 
翁の言へらく、待チガテリは集中物二つを兼ね待つ意に詠めり。此歌にてはガテリの詞解し難し。若し潤濕は蟾竢の誤、戀は立の誤にて、ツキマツトタチツツヲリキと有りつらんかと言はれき。されど其字も遠し。宣長は零は霽の誤にて、アメハレズならん。集中トノグモルと言ふには必ず雨降る由を詠めり。十二、十三、十七、十八の卷に例有り。第三の句はヌレヒヅトと訓むべし。居は寢ねずして起きて居るなり。ぬれひぢて、わびしく寢られぬ故に、君を戀ひつつ起きて居るなり。さて然か起きて居るは、若しや君が來りもせんかと且つは待ちがてらなりと言へり。按ずるに雨ハレズの詞もいささか穩かならず。雨不の二字霖の字の誤にてコサメフリならん。卷十六、青雲のたな引く日すら霖曾保零《コサメソボフル》と有り。
 參考 ○雨不零(考)アメフラデ(古)コサメフリ○殿雲流夜之(代)トノグモルヨシ(古)トノグモルヨ「乎」ヲ〇潤濕跡(代、古)略に同じ(考)「蟾竢」ヌレヒヅト○戀乍(考)「立」タチツツ(16)○君待香光(考)キミマチガテラ(古)略に同じ。
 
出雲守門部王思v京歌一首
 
371 ※[食+拔の旁]海乃。河原之乳鳥。汝鳴者。吾佐保河乃。所念國。
おうのうみの。かはらのちどり。ながなけば。わがさほかはの。おもほゆらくに。
 
卷四、同じ王の出雲にての歌に、飫宇能海《オウノウミ》の鹽ひのかたのとあれば、これも出雲意宇郡の海なるべし。字書に※[食+拔の旁]與v飫同と有り。※[食+拔の旁]の下宇の字脱ちたり。海と言ひて河原と言へるは、其海へ流れ出づる河の有りて言へるにや、作保は大和なれば、我が古郷の佐保河を思出づるとなり。オモホユラクニはオモホユルニなり。
 參考 ○※[食+拔の旁]海乃(代)※[食+拔の旁]宇海乃(考、古)オウノウミノ。
 
山部宿禰赤人登2春日野1作歌一首竝短歌
 
是れは相聞の歌なれば、斯く端詞有らんものとも覺えず。歌の詞に依りて、登2春日山1などと後人の書けるならん。
 
372 春日乎。春日山乃。高座之。御笠乃山爾。朝不離。雲居多奈引。容烏能。間無數鳴。雲居奈須。心射左欲比。其鳥乃。片戀耳爾。晝者毛。日之盡。(17)夜者毛。夜之盡。立而居而。念曾吾爲流。不相兒故荷。
はるびを。かすがのやまの。たかくらの。みかさのやまに。あささらず。くもゐたなびき。かほとりの。ま(17)なくしばなく。くもゐなす。こころいさよひ。そのとりの。かたこひのみに。ひるはも。ひのくるるまで。よるはも。よのあくるきはみ。たちてゐて。おもひぞわがする。あはぬこゆゑに。
 
ハルビヲ、タカクラノ、枕詞。和名抄大和添上郡春日(加須加)姓氏録號2糟垣臣1改爲2春日臣1と見ゆ。春日をカスガと訓む事冠辭考を見つべし。御笠山は春日山の内なり。カホ鳥は呼子鳥の一名ならんと翁は言はれき。さて此歌、雲と鳥とを設け出で、序として戀の心を詠めるなり。クモヰと言ひて唯だ雲の事とせる例古へ多し。古事記、わぎへのかたゆ久毛葦《クモヰ》立ちくも、又卷十一、香山に雲位《クモヰ》たなびきなど詠めり。イサヨヒは物のとどこほるを言ふより轉じて、心の動き定まらぬを言ふ。其鳥ノ云云、吾片戀に言ひ寄せたるのみにて、容鳥の片戀する物故に言ふに有らず。立チテ居テは立チテモ居テモのモを略き云へり。
 参考 ○日之盡(代、古、新)ヒノコトゴト(考)ヒノクルルマデ○夜之盡(代、古、新)ヨノコトゴト(考)ヨノツクルマデ。
 
反歌
 
373 高按之。三笠乃山爾。鳴鳥之。止者繼流。戀喪【喪ヲ哭ニ誤ル】爲鴨。
たかくらの。みかさのやまに。なくとりの。やめばつがるる。こひもするかも。
 
戀の下今哭と有るを、一本喪に作るに據る。鳴烏は則ち容鳥なり。ヤメバツガルルは、長歌に間ナクシ(18)バ鳴クと言ひて我戀に譬へしに同じ。卷十一、君が着る三笠の山にゐる雲の立者繼流《タテバツガルル》戀もするかもと有り。いづれかもとならん。
 
石上乙麻呂朝臣歌一首
 
374 雨零者。將盖跡念有。笠乃山。人爾莫令蓋。霑者漬跡裳。
あめふらば。きむとおもへる。かさのやま。ひとになきせそ。ぬれはひづとも。
 
如何なる事有りとも他《あだ》し人に逢ふ事なかれ、唯だ吾のみ得んと言ふ事を譬へたり。是れも奈良人なれば、三笠山を言へるならん。又神樂歌に、植槻《ウヱツキ》や田中の森やもりやてふかさの淺茅原にと言へるも、植槻は大和敷下郡なれば、そこを詠めるにやと言ふ説も有れど、右の三笠山の歌に並びたれば、是れは三笠山とすべし。
 參考 ○雨零者(代)アメフレバ、又は、アメフラバ(考)アメフレバ(古、新)略に同じ○將蓋跡念有(代)ササム、又は、キム(古)キナムトモヘル(新)略に同じ ○人爾莫令蓋(代)ヒトニササスナ、又は、ヒトニナキセソ(古、新)ヒトニナキシメ。
 
湯原《ユバラ》王吉野作歌一首
 
此王紀に見えず、歌は次次の卷にも出でたり。
 
375 吉野爾有。夏實之河乃。川余杼爾。鴨曾鳴成。山影爾之?。
(19)よしぬなる。なつみのかはの。かはよどに。かもぞなくなる、やまかげにして。
 
ナツミ川は吉野の大瀧と秋津の間にて、山の際を落つれば淀瀬多し。
 
湯原王宴席歌二首
 
376 秋津羽之。袖振妹乎。珠匣。奧爾念乎。見賜吾君。
あきつはの。そでふるいもを。たまくしげ。おくにおもふを。みたまへわぎみ。
 
蜻蛉の羽の如き薄ものの袖を言ふ。玉クシゲ、枕詞。オクニオモフとは深く愛づる意なり。是れは其席にて立ち舞ふ小女《ヲトメ》を、主人《あるじ》の自ら褒め言ふなり。見タマヘはまらうどを指して言へり。
 參考 ○見賜吾君(考、古)略に同じ(新)ミタマヘワガキミ。
 
377 青山之。嶺乃白雲。朝爾食爾。恒見杼毛。目頬四吾君。
あをやまの。みねのしらくも。あさにけに。つねにみれども。めづらしわぎみ。
 
上は序なり。食は借字にて、ケは日と言ふに同じ。ケ長キなどのケにて、朝ニ日ニとも詠めるにひとし。是れはまらうどを愛でて詠めり。メヅラシは愛《メデ》ほむる詞なり。
 參考 ○目頬四吾君(考、古)略に同じ(新)ミヅラシワガキミ。
 
山部宿禰赤人詠2故太政大臣藤原家之山池1歌一首
 
淡海公の造らせ給へる別莊の山池なり。養老四年十月贈官の事、紀に見ゆ。
 
(20)378 昔者之。舊堤者。年深。池之瀲爾。水草生家里。
いにしへの。ふるきつつみは。としふかみ。いけのなぎざに。みくさおひにけり。
 
昔者の者は看の誤にて、ムカシミシならんと或人言へり。然るべし。古キ堤ハと先句と見るべし。斯くて又池のなぎさにとては、事重れるにやと思はるれど、上に大むねを言ひて、下にまた言ひ解く一つの體なり。荒れたる樣を有りのままに言ひて、おのづから歎き籠れるなり。
 參考 ○昔者之(古、新)ムカシ「看」ミシ○年深(考)トシフカシ(古、新)略に同じ。
 
大伴坂上郎女《オホトモサカノヘノイラツメ》祭v神歌一首竝短歌
 
佐保大納言大伴安麻呂卿の女にて、旅人卿の妹なり。
 
379 久堅之。天原從。生來。神之命。奧山乃。賢木之枝爾。白香付。木綿取付而。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】戸乎。忌穿居。竹玉乎。繁爾貫垂。十六自物。膝折伏。手弱女之。押日取懸。如此谷裳。吾者祈【祈ヲ折ニ誤ル】奈牟。君爾不相可聞。
ひさかたの。あまのはらより。あれきたる。かみのみこと。おくやまの。さかきがえだに。しらがつく。ゆふとりつけて。いはひべを。いはひほりすゑ。たかだまを。しじにぬきたり。ししじもの。ひざをりふせ。たわやめの。おすひとりかけ。かくだにも。われはこひなむ。きみにあはじかも。
 
神ノ命は大伴氏祖天忍日命なり。ここは神ノ命ヨと言ふ意にて、其神に向ひて呼ぶ言なり。シラガツク、枕(21)詞。イハヒベは酒?なり。紀に嚴?《イツベ》忌?《イムベ》など言へる是れなり。古へ士を掘りて瓶を据ゑ置きて釀せしままにて神に奉れば、ホリスヱと言ふ。竹玉は玉に緒を貫きて小竹に付くるなり。シジは繁にて、竹玉の數多きを言ふ。オスヒは古事記、八千矛神沼河比賣の許へおはして御歌に、淤須比《オスヒ》をも未だ解かねば云云、是れは男のおすひなり。同記|意須比之襴《オスヒノスソ》に月經《ツキ》著《ツ》きぬと有るは女のおすひなり。式太神宮装束云、帛意須比八條長二丈五尺廣二幅と有り。オスヒは襲の意にて、古へ上に襲ひし服なるべし。コヒナムの奈牟は辭にあらず、コヒノムと言ふに同じ。コヒノムと言へる例集中に有り。カクダニモ云云は、カクバカリ事を盡し祈るからは、遂に逢はざらんやと言へるなり。齊は齋の誤、折奈牟の折は祈の誤なり。
 參考 ○生來(古)アレコシ(新)略に同じ○白香付(考、古)略に同じ(新)シラガツケ○繁爾貫垂(考、古)略に同じ(新)ツジニヌキタレ○膝折伏(考)ヒザヲリフセテ(古、新〕略に同じ○押日取懸(考、古)略に同じ(新)オシヒトリカケ○不相可聞(古)アハヌカモ(新)略に同じ。
 
反歌
 
380 木綿疊。乎取持而。如此谷母。吾波乞甞。君爾不相鴨。
ゆふたたみ。てにとりもちて。かくだにも。われはこひなむ。きみにあはじかも
 
木綿もて織りたる布を疊みて、手に捧げて神に奉るなり。ここは枕詞に有らず。タタミのタを清みて唱ふべし。乞ヒナムは長歌にあると同じくコヒノムなり。甞は借字。
(22) 參考 ○不相可聞(古)アハヌカモ(新)略に同じ。
 
右歌者。以2天平五年冬十一月1供2祭大伴氏神1之時。聊作2此歌1故曰2祭神歌1。 卷四の左註に、郎女初め穗積皇子に愛でらしを、皇子薨後大伴宿奈麻呂の妻となりて、坂上大孃子と田村孃子を生めり。然るを後は宿奈麻呂の田村の家に相住まず成りて、坂上の家に住みし事有り。此時の祈などにや有らん。
 
筑紫娘子贈2行旅1歌一首
 
筑紫の國の女にて、誰とも知れず。
 
381 思家登。情進莫。風俟【侯ヲ俟ニ誤ル】。好爲而伊麻世。荒其路。
いへもふと。さかしらなせそ。かぜまもり。よくしていませ。あらきそのみち。
 
故郷を思ふとても、歸らんのいそぎに、強ひて波風を凌ぐ事なかれ。風をまもり、善くして徃《い》にませよと言ふなり。俟一本侯と有るぞ善き。其路は海路なり。
 參考 ○情進莫(考)略に同じ(古、新)ココロススムナ。
 
登2筑波岳1丹比眞人國人作歌一首并短歌
 
常陸國筑波郡。
 
382 鷄之鳴。東國爾。高山者。左波爾雖有。明【明ハ朋ノ誤】神之。貴山乃。儕立乃。(23)見杲石山跡。神代從。人之言嗣。國見爲。筑羽乃山矣。冬木成【成ハ盛ノ誤】。時敷時跡。不見而往者。益而戀石見。雪消爲。山道尚矣。名積叙吾來前【前ハ並ノ誤】二。
とりがなく。あづまのくにに。たかやまは。さはにあれども。ふたがみの。たふときやまの。なみたちの。みがほしやまと。かみよより。ひとのいひつぎ。くにみする。つくはのやまを。ふゆごもり。ときじくときと。みずていなば。ましてこひしみ。ゆきげせる。やまみちすらを。なづみぞわがこし。
 
トリガ鳴ク、枕詞。サハは多キト云ふ古語。明神は朋神の誤なり。明ツ神とは天皇を申し奉りて、古く神に言へる事無し。此山は二峰並び立ちて、男神女神向ひおはせば、朋神《フタガミ》と言へり。ナミ立チは並ビ立チなり。見ガホシは見マクホシキなり。杲は音を借りて書けり。冬木モリ、ここは枕詞に有らず。時ジク時とは時ナラズと言ふなり。マシテコヒシミは、山を不v見して徃《い》なば、後に彌《いや》悔《く》いなんとてと言ふ意なり。雪消スルは、冬ながら且つ降り且つ消ゆる雪を言ふ。ナヅミはトドコホル意なり。前二は並二の誤。四の義をもて書けり。
 參考 ○冬木成の下、時敷時跡の間(代、新)春サリクレト白雪乃を補ふ(古)二句脱か、一句は代の「春去來跡」にて今一句は考ふべし○時敷時跡(新)トキジキトキト○不見而往者(古、新)ミズテユカバ○雪消爲(考、古、新)ユキゲスル。
 
反歌
 
383 筑波根矣。四十耳見乍。有金手。雪消乃道矣。名積來有鴨。
(24)つくはねを。よそのみみつつ。ありかねて。ゆきげのみちを。なづみけるかも。
 
ヨソニのニを略く。アリカネテは在リガタクシテなり。ナヅミケルカモのケルは詞にあらず。參リ來ルをマウケルなど言ふ如く、來ルを略きてケルとは言へり。
 參考 ○來有鴨(考)クルカモ(古、新)略に同じ。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
384 吾屋戸爾。幹藍種生之。雖干。不懲亦毛。將蒔登曾念。
わがやどに。からあゐまきおほし。かれぬれど。こりずてまたも。まかむとぞおもふ。
 
カラアヰは紅花なり。其たねを蒔き生《オフ》して、後に花を得ずして枯れぬるともと言ひて、早くより思ひし女の來ざりしに懲りず、又も思ひ懸くるに添へたるなり。幹もカラと訓まるれど、一本韓に作るを善しとす。
 參考 ○種生之(代)マキオフシ、又は、ウヱオフシ(考、古、新)略に同じ○將蒔登曾念(考、古)マカムトゾモフ(新)略に同じ。
 
仙|柘枝《ツミノエ》歌三首
 
此上に詠の字を脱せしか、文略きて書けるか。此仙が詠める歌と思ふ事なかれ。和名抄桑柘、漢語抄云、豆美、蠶所v食と言ひ、桑の棘有るものなり。
 
(25)385 霰零。吉志美我高嶺乎。險跡。草取可奈和。妹手乎取。
あられふり。きしみがたけを。さかしみと。くさとりかなわ。いもがてをとる。
 
アラレフリ、枕詞。左註に言へる如く、げに歡の意も次二首と異にて、柘枝を詠める事とも無し。是れは前に端詞有りて此歌は載せけんを、端詞の失せたるにやあらん。キシミノタケ吉野に聞えず。肥前風土記に杵島《キシマ》の郡杵島有り。其れによりて肥前に有りと思はる。さて風土記に、四の句を區縒刀理我泥?《クサトリカネテ》として、杵島の嶺に里人の遊ぶ時歌ふ歌と言へり。宣長説に、此歌は古事記速總別王の御歌に、波斯多?能《ハシタテノ》くらはし山をさかしみと岩かきかねて我手とらすも、と云ふ歌の轉じたるものなり。然れば草トリカナワとは、彼歌の岩カキカネテと同じ意なるが、詞の轉じたるなり。可奈は不v得《カネ》の意、和は下に付けたる辭にて、神武紀に怡奘過怡奘過《イサワイサワ》(過音倭)と有るも、いさいさとさそふ意なるに同じ。右の古事記の岩カキカネテは岩へ掻付きて登らんとすれども登りかねて我手へ取付きて登ると言ふ意なりと有り。又按ずるに卷十三、長歌に十羽《トバ》能松原みどり子と、率和出將見《イサワデテミン》云云、卷十一、秋柏潤和《アキカシワウルワ》川邊、又朝柏|潤八《ウルヤ》河邊と有るを思ふに、和と也と通ひ用ひしと見ゆれば、此歌の可奈和はカネヤと言ふに同じく、嶮しき山を登る時、かづら草などに手を懸けすがるにかねて、妹が手を取ると言ふなるべし。さて柘枝と言へるは、古へ吉野の男女仙と成りて在りしが、同じ所に味稻《ウマシネ》と言ふ男の川に梁打ちて魚とるに、其仙女柘枝と化《な》りて流れ來て其梁にとどまりぬ。男それを取りて置くに、美はしき女となりしを愛でて、相住みけると言ふ(26)事なり。此事懷風藻の詩に作れり。仁明紀の長歌にも出でたり。事長ければ略きつ。さて柘枝と化りし故に、其れを則ち仙女の名に呼べるなり。
 參考 ○草取可奈和(代)クサトルカナヤ(考)クサトルカナ(古、新)クサトリカ「禰手」ネテ○妹手乎取(考)「和」ワギモガテトル(古、新)略に同じ。
 
右一首或云。吉野人味稻與2柘枝仙媛1歌也、但見2拓枝傳1無v有2此歌1  後人の註なるべし、
 
386 此暮。柘之左枝乃。流來者。梁者不打而。不取香聞將有。
このゆふべ。つみのさえだの。ながれこば。やなはうたずて。とらずかもあらむ。
 
ヤナウツは梁ヲ作ルを言ふ。神武紀有2作v梁取v魚者1○梁此云2揶奈1)と有りて、古訓作梁をヤナウチテとあり。或人云、此歌の意昔の人はよくこそ梁を打ちて拓枝を得たれ。今時は梁は打たずて有れば、たとひ柘の流れ來るとも、取得ざらんかとなりと言へり。
 
右一首 此下無v詞諸本同。 此七字後人の書入れなり。
 
387 古爾。梁打人乃。無有者世伐。此間毛有益。柘之枝羽裳。
いにしへに。やなうつひとの。なかりせば。ここもあらまし。つみのえだはも。
 
ココモアラマシは、此比までも有らんとなり。彼味稻が梁打ちし故に、柘枝が止まりて、遂に仙女も人間と成りしかば、ながらへざりしを言へりと翁は言はれき。宣長は四の句ココニモアラマシと訓みて、(27)古へに川上に梁打ちてどどめし人の無かりせば、此あたりまでも其柘は流れ來て有らましをと言ふならんと言へり。
 參考 ○此間毛有益(代)コノマ(考)コノゴロモアラマシ(古)ココニモアラマシ(新)イマモアラマシ。
 
右一同若宮年魚麻呂作。
 
羇旅歌一首并短歌
 
388 海若者。靈寸物香。淡路島。中爾立置而。白浪乎。伊與爾囘之。座待月。開乃門從者。暮去者。鹽乎令滿。明去者。鹽乎令干。鹽左爲能。浪乎恐美。淡路島。礒隱居而。何時鴨。此夜乃將明跡。待從爾。寢乃不勝宿者。瀧上乃。淺野之雉。開去歳。立動良之。率兒等。安倍而榜出牟。爾波母之頭氣師。
わたつみは。あやしきものか。あはぢしま。なかにたておきて。しらなみを。いよにめぐらし。ゐまちづき。あかしのとゆは。ゆふされば。しほをみたしめ。あけされば。しほをひしむ。しほさゐの。なみをかしこみ。あはぢしま。いそがくりゐて。いつしかも。このよのあけむと。まつからに。いのねがてねは。たぎのへの。あさぬのきぎし。あけぬとし。たちとよむらし。いさこども。あへてこぎでむ。にはもしづけし。
 
ワタツミは海神の名なるを、やがて海として言へり。物カのカはカモに同じ。紀伊と阿波の間より入る潮(28)は、淡路の左右より滿ちて、明石の門より西までさし行きて、備中と伊豫の間に至りぬ。其西は西の海の潮さし來て迎へせく故に、其潮響きて、鳴戸の沖より伊豫を廻りて止まれるとぞ。令干をヒサシムと訓むべく思へりしかど、卷十七長歌、花のさかりに阿比見之米《アヒミシメ》とぞ、卷二十、われに依志米《エシメ》し山つとぞこれ。是ら令見、令得をミシメ、エシメト訓めるなど例とすべければ、宣長説の如くヒシムと訓むぞ善き。さてヒシムと言ひて、上のアヤシキ物カと言ふを結べり。ヰ待月、枕詞。アカシノトは、かの鳴戸の潮さし引く道なり。鹽サヰは前に出づ。鹽サワギなり。瀧ノヘノ淺野、地名か、考ふべし。明ケヌトシは夜ノ明ケヌルとなり。シは助辭。アヘテコギデムは、上に阿倍寸《アヘキ》つつ我が持ちゆくと有ると同じ。はた待從は侍候の誤にて、サモラフニなるべし。從をカラと訓める例無しと宣長言へり。
 參考 ○伊與爾回之(古)イヨニモトホシ(新)メグラシ、又は、モトホシ○鹽乎令干(考)シホヲヒサシメ(古、新)シホヲヒシム○將明跡(考)「明跡」アト(古、新)略に同じ○待從爾(代)マツカラニ(考)マツマニ(古、新)「侍候」サモラフニ○淺野之雉(考)アサノノキギス(古、新)略に同じ○明去歳(代)アケヌトシ、又は、アクレコソ(考、古、新)略に同じ。
 
反歌
 
389 島傳。敏馬乃埼乎。許藝廻者。日本戀久。鶴左波爾鳴。
しまづたひ。みねめのさきを。こざためば。やまとこひしく。たづさはになく。
 
(29)淡路島より明石まで多くの島島を漕ぎ廻るなり。末は鶴《たづ》の鳴くを聞けば、倭戀しき情を益すと言へり。
 參考 ○日本戀久(古)ヤマトコヒシク(新)略に同じ。
 
右|若宮年魚《ワカミヤノアユ》麿誦v之、但未v審2作者1。
 
譬喩歌 此集にたとへ歌と言ふは皆戀なり。
 
紀(ノ)皇女御歌一首
 
天武皇女、穗積皇子の御はらからなり。
 
390 輕池之。納【納ハ?ノ誤】回往轉留。鴨尚爾。玉藻乃於丹。獨宿名久二。
かるのいけの。うら|わ《ま》ゆきめぐる。かもすらに。たまものうへに。ひとりねなくに。
 
輕は大和高市郡なり。應神紀十一年作2輕池1とあり。卷二、勾《マガリノ》池を水傳ふイソノウラ|ワ《マ》とも詠みて、ウラは裏の意なり。能は?の誤なり。
 參考 ○納回往轉留(考)ウラワユキメグル、又は、ウラミユキタムル(古)ウラミモトホル(新)ウラミユキメグル○鴨尚爾(古、新)カモスラ「毛」モ。
 
造筑紫觀世音寺別當沙彌滿誓歌一首
 
滿誓の事上に出づ。俗にて在りし時の歌を、僧と成りて後に聞きて載せたるなり。
 
(30)391 鳥總立。足柄山爾。船木伐。樹爾伐歸都。安多良船材乎。
とぶさたて。あしがらやまに。ふなききり。きにきりゆきつ。あたらふなきを。
 
トブサタテ、枕詞。アシガラは相模足柄郡。集中あしがら小舟などと詠みて。專ら此山より舟材を伐り出せしと見ゆ。古訓キニキリヨセツと有れど、宣長云、歸は集中ユクとのみ訓める例なり。さて四の句、キニキリユキツは、舟木ニと言ふべきを、上に讓りて舟の言を略けるなり。あたら舟木を、よそへ舟木に伐りて行きつと言ふなりと言へり。譬へたる意は、我物と思ひ意ひし女を、他し人の得たれば惜み歎くなり。
 參考 ○樹爾伐歸都(代、考)キニキリヨセツ(古、新〕略に同じ。
 
太宰大監大伴宿禰|百代《モモヨ》梅歌一首
 
續紀、天平十五年十一月始めて筑紫に鎭西府を置かれ、外從五位下大伴宿禰百世を副稱軍と爲す由見ゆ。
 
392 烏珠之。其夜乃梅乎。手忘而。不所來家里。思之物乎。
ぬばたまの。そのよのうめを。たわすれて。をらずきにけり。おもひしものを。
 
ヌバタマノ、枕詞。タワスレのタは發語。吾戀ふる女を、物のまぎれにえ逢ふ事もせずして、今遠き境に來て悔ゆるなり。
 
滿誓沙彌月歌一首
 
393 不所見十方。孰不戀有米。山之末爾。射狹夜歴月乎。外爾見而思香。
(31)みえずとも。たれこひざらめ。やまのはに。いさよふつきを。よそにみてしか。
 
此集|山際《ヤマノマ》と書ける所多ければ、ここも末はマの假字とも見るべけれど、此歌の書きざま末を假字に用ひたりとは見えず。宣長云、米は牟の誤にてコヒザラムなり。さて山のはにいさよふ月を誰こひざらん、見えずともよそに見てしかと、三四二一五と句をついでて見るべし。結句はよそながらも見まほしと言ふなりと言へり。女を月に譬へたるのみにて、添へたる心あらはなり。
 參考 ○孰不戀有米(古)タレコヒザラ「牟」ム(新)略に同じ。
 
金明軍《コンノミヤウグン》歌一首
 
旅人卿の資人《ツカヒ》なる事此下の挽歌に見ゆ。聖武紀に金氏を賜ひし事有り、其子孫ならん。
 
394 印結而。我定義之。住吉乃。濱乃小松者。後毛吾松。
しめゆひて。わがさだめてし。すみのえの。はまのこまつは。のちもわがまつ。
 
まだ幼き女を、後は吾妻と思ひ定めしなり。義之をテシの假字に用ひたる事、翁の別記に委しけれど未だし。宣長云、義之は羲之の誤なり。卷七、卷十一には、テシの假字に大王と書けるを合せ見るに、から國の王羲之は、手の師と言ふ事ぞ。さて羲之を大王と言ひ、其子獻之を小王と言へる事あれば、この大王も同じ意なりと言へり。げにテシの假字、手師と書ける所、集中に三つ四つ見えたれば、其れより思ひよりて、例の戯れ書ける物なるべし。我朝早く羲之が書を慕へりしと見ゆれば、さも有るべきなり。
 
(32)笠女郎贈2大伴宿禰家持1歌三首
 
395 託馬野爾。生流紫。衣染。未服而。色爾出來。
つくまぬに。おふるむらさき。きぬにそめ。いまだきずして。いろにでにけり。
 
ツクマ野 近江坂田郡。衣ニソメは摺りて色の沁みたるを言ふべし。契りてまだ逢はぬ間に顯れたるなり。
 參考 ○衣染(古、新)コロモシメ ○色爾出來(古、新)イロニイデニケリ。
 
396 陸奧之。眞野乃草原。雖遠。面影爾爲而。所見云物乎。
みちのくの。まぬのかやはら。とほけども。おもかげにして。みゆとふものを。
 
陸奧行方郡眞野郷あり。一二の句は、ただ遠ケドモと言はん料のみ。トホケレドモと言ふべきを、トホケドモと言ふは例なり。はた一二の句、おも影云云のことに懸かるに非ず。物ヲのヲは詞なり。
 參考 ○雖遠(代、古、新)略に同じ(考)トホカレド ○所見云物乎(考、新)ミユトフモノヲ(古)ミユチフモノヲ
 
397 奧山之。磐本菅乎。根深目手。結之情。忘不得裳。
おくやまの。いはもとすげを。ねふかめて。むすびしこころ。わすれかねつも。
 
一二の句は、深めてと言はん序なり。結ぶと言ふまでへ懸かるに有らず。
 
藤原朝臣|八束《ヤツカ》梅歌二首
 
(33)贈正一位太政大臣房前公の子、天平寶字四年名を眞楯と改む。天平神護元年三月大納言正三位と紀に見ゆ。
 
398 妹家爾。開有梅之。何時毛何時毛。將成時爾。事者將定。
いもがいへに。さきたるうめの。いつもいつも。なりなむときに。ことはさだめむ。
 
梅を妹に譬ふ。イツモイツモはイツニテモなり。ナリナムは梅の實のなるをもて、逢ひたらん時にと言ふに譬ふ。
 參考 ○妹家爾(古〕イモガヘニ。
 
399 妹家爾。開有花之。梅花。實之成名者。左右將爲。
いもがいへに。さきたるはなの。うめのはな。みにしなりなば。かもかくもせむ。
 
此歌は前と心詞全く同じ。或本歌と有りしが落ちしなり。右に二首とせしは後人のわざなり。
 
大伴宿禰|駿河《スルガ》麻呂梅歌一首
 
大伴道足の子なり。聖武の御時、天平十五年橘奈良麻呂の事に連坐して流されしが、後に赦されて、光仁の御時、參議正四位下陸奧按察使兼鎭守府將軍と見ゆ。
 
400 梅花。開而落去登。人者雖云。吾標結之。枝將有八方。
うめのはな。さきてちりぬと。ひとはいへど。わがしめゆひし。えだならめやも。
 
(34)チリヌトは心の變れるに譬ふ。是れも次次の歌どもと相離れぬ意なり。此人もと坂上家の次の娘子に逢ひしに、今はた他し女に住みて、彼の次娘をば思はずやと人の言へど、此人の心はことなる事無ければ、其れは我が思ふ妹の事には有らで、他人の上を言ひ違へしにやと言ふなるべし。卷八、家持の紀郎女に贈る歌とて、初句をナデシコノとなし、末を花ニアラメヤモとせしのみにて、全く同じ歌あり。猶其所に言ふべし。
 
大伴坂上郎女宴2親族1之日吟歌一首
 
401 山守之。有家留不知爾。其山爾。標結立而。結之辱爲都。
やまもりの。ありけるしらに。そのやまに。しめゆひたてて。ゆひのはぢしつ。
 
坂上郎女の女二人有り。弟女を駿河麻呂の戀ふるままに、母も許さんとせしを、男更に他し方に寄ると聞きて、其宴に駿河麻呂も在りしかば斯く詠めるなり。集中吟とあるは多く古歌を誦するを言へど、是れは古歌には有らじ。
 
大伴宿禰駿河麻呂即|和《コタフル》歌一首
 
402 山主者。葢雖有。吾妹子之。將結標乎。人將解八方。
やまもりは。けだしありとも。わぎもこが。ゆひけむしめを。ひととかめやも。
 
ケダシは若《モシ》と言ふ事に見るべし。實に妻有るには有らで設けて言ふなり。上には我が注繩《しめ》結ひし枝なら(35)じと言ひ、ここには其母郎女の、我にと注繩《しめ》結へる意を言ひて、よし人は隔つとも、隔て敢へじと言へる意を示すなり。
 
大伴宿禰家持贈2同坂上家之大孃1歌一首
 
例に由るに孃の下子の字有るべし。大伴坂上郎女の一女なり。
 
403 朝爾食爾。欲見。其玉乎。如何爲鴨。從手不離有牟。
あさにけに。みまくほりする。そのたまを。いかにしてかも。てゆかれざらむ。
 
玉は大孃子を譬ふ。如何にせば、其玉を常に手より放たず有らんやとなり。
 參考 ○欲見(古)ミマクホシケキ(新)略に同じ。
 
娘子報2佐伯宿禰赤麻呂1贈歌一首
 
此端詞の前に、佐伯宿禰赤麻呂何氏の娘子に贈歌とて有るべきを、歌も端詞も落ち失せしなるべし。
 
404 千磐破。神之社四。無有世伐。春日之野邊。粟種益乎。
ちはやぶる。かみのやしろし。なかりせば。かすがのぬべに。あはまかましを。
 
神(ノ)社は本妻を言へり。君にぬし無くば我心を留《と》めんものをと言ふに、粟蒔をもて譬へたるなり。
 
佐伯宿禰赤麻呂更贈歌一首
 
(36)405 春日野爾。粟種有世伐。待鹿爾。繼而行益乎。社師留烏。
かすがぬに。あはまけりせば。まつしかに。つぎてゆかましを。やしろしとむるを。
 
そこの言へる如くならば、粟を待ち食む鹿の如くに頻に繼ぎても通はんものを、そこに守る神の有りて、人を通はさぬと言ふにて、社は神と言ふに同じ。トムルは留まり護る意にて、次の歌に認《と》めたると詠めり。宣長云、烏は戸母二字の誤にて、ヤシロシルトモと訓むべし。娘子か歌に、神の社し無かりせばと詠める故に、其社は知るとも繼ぎて行かんとなり。待鹿は誤字ならん。猶考ふべきよし言へり。
 參考 ○待鹿爾(代、考)略に同じ(古、新)シシマチニ。○社師留烏(考)略に同じ(古、新)ヤシロシ「有侶」アリトモ。
 
娘子復報歌一首
 
406 吾祭。神者不有。丈夫爾。認有神曾。好應祀。
わがまつる。かみにはあらず。ますらをに。とめたるかみぞ。よくまつるべき。
 
トメタル神とは、右にトムルと詠めるに同じ言なり。娘子の方に心とむる神有りて、通ひ難しと言へるを咎めて、そなたに元より附きたる神を、よく崇めてあれかしと戯るるなり。齊明紀の歌に、いゆししを都那遇《ツナグ》河邊の若草の云云を、卷十六に認河邊と書きたり。是れに依れば此處もツナゲルと訓まんか。宣長云、初句ワハマツルと訓むべし。吾はそなたの祭るべき神にはあらずの意なり。さて三の句より下(37)はそなたに元より附きたる神を善く祭り給ふべき事なりと言ふなりと言へり。按ずるに神は社の誤にて、ワガマツルヤシロハアラズと有らん方穩かなり。
 參考 ○吾祭(古)アハマツル(新)ワガマツル。○神者不有(新)「社」ヤシロハアラズ○認有(考)ツゲナル(古、新〕ツキタル。
 
大伴宿禰駿河麻呂娉2同坂上家之二孃1歌一首
 
卷四註に、田村大孃坂上大孃并是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也。卿居2田村里1。號曰2田村大孃1。但妹坂上大孃者母居2坂上1。仍曰2坂上大孃1と有り。宿奈麻呂卿は佐保大納言第三子なり。さて此二孃は則ち坂上大孃なり。是を家持卿娉して遂に得たり。駿河麻呂卿は早くより戀ひしかど、許さざりしによりて、此後も戀ひし歌多かれど、得たるよし詠めるは見えず。家持によりし故に、駿河麻呂卿は思ひ絶えしなり。
 
407 春霞。春日里爾【之ヲ爾ニ誤ル】殖子水葱。苗有跡云師。柄者指爾家牟。
はるがすみ。かすがのさとの。うゑこなぎ。なへなりといひし。えはさしにけむ。
 
古本里之と有るぞ善き。殖コナギは和名抄、水葱、〓水菜可v食也(奈木)と見え、式供奉の雜菜の中に水葱見ゆ。今水アフヒと云ふ物なるべきよし、別記に委し。ウヱは生《オフ》し立てて有るをすべて言ふ。宇惠草なども言へり。柄は枝なり。まだ片なりなりと言ひしが、今はよろしき程に成りつらんと、思ひ測りて詠(38)みて贈れるなり。
 參考 ○苗有跡云師(古)略に同じ(新)ナヘナリト「三」ミシ。
 
大伴宿禰家持贈2同坂上家之大孃1歌一首
 
408 石竹之。其花爾毛我。朝旦。手取持而。不戀日將無。
なでしこの。そのはなにもが。あさなさな。てにとりもちて。こひぬひなけむ。
 
ニモガは願ふガなり。コヒヌ日ナケムは、目の前に見つつ慕ふなり。
 參考 ○石竹之(古)ナデシコガ(新)略に同じ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
409 一日爾波。千重波敷爾。雖念。奈何其玉之。手二卷難寸。
ひとひには。ちへなみしきに。おもへども。なぞそのたまの。てにまきがたき。
 
端詞に同女に贈るとか有るべきなり。敷は重重なり。上に波と言へば、下に海にかづき取る玉に寄せたり。
 
大伴坂上郎女橘歌一首
 
右の女を駿河麻呂のよばふにつけて、母の詠めるなり。ここに橘の歌とせるは、後人のわざなるべし。
 
410 橘乎。屋前爾殖生。立而居而。後雖悔。驗將有八方。
たちばなを。やどにうゑおほせ。たちてゐて。のちにくゆとも。しるしあらめやも。
 
(39)ウヱオホセとは、早く其處の庭に植ゑおほせよかしと言ひて、疾く我物にせよと言ふを添へたり。此男は家持卿にや、駿河麻呂にや。次に和歌とのみ有るは、此卷、家持卿の集と見ゆれば、名を略きしならんか。
 參考 ○屋前爾殖生(代)オフシ(考)ニハニウヱオフシ(古、新)略に同じ。
 
和《コタヘ》歌一首
 
411 吾妹兒之。屋前之橘。甚近。殖而師故二。不成者不止。
わぎもこが。やどのたちばな。いとちかく。うゑてしゆゑに。ならずはやまじ。
 
イト近クは、近づきて相住まんからは、末遂げざらめやはと言ふを、植ゑし橘の必ず實なるに譬ふ。ウエテシ故ニは、ウヱシモノヲの心なり。
 
市原《イチハラノ》王歌一首
 
安貴王の子なり。續紀、天平十五年五月、無位より從五位下を授くるよし見ゆ。
 
412 伊奈太吉爾。伎須賣流玉者。無二。此方彼方毛。君之隨意。
いなだきに。きすめるたまは。ふたつなし。こなたかなたも。きみがまにまに。
 
イナダキは神代紀、髻鬘と書きて頂なり。キスメルのキはククリの約言か。スメルは統ブルなり。右紀に御統《ミスマル》の玉と言ふに同じく、頭を餝《かざ》る數數の玉の緒を括《くく》り寄する所に有る、一つの大きなる玉を言へり(40)と翁は言はれき。宣長云、伎は笠ヲキルなどのキルに同じ。頂に置くを云ふ。スメルは統にて、二ツナシとは玉の數を言ふにはあらず、條べたる玉の類ひ無き由なり。類ひ無しと言はんが如しと言へり。さて君一人を思ふからは、と有らんにも斯からんにも君が心のままに寄りなんと言ふなり。此方彼方、カニモカクニモとも訓むべし。
 參考 ○批方彼方毛(古、新)カニモカクニモ。
 
大綱(ノ)公《キミ》人主《ヒトヌシ》宴吟歌一首
 
續紀寶龜九年、大網《オホアミ》公廣道と言ふ見ゆ。されば綱は誤にて、網ならんか。此氏、姓氏録に見えず。
 
413 須麻乃海人之。鹽燒衣乃。藤服。間遠之有者。未著穢。
すまのあまの。しほやきぎぬの。ふぢごろも。まどほく|に《し》しあれば。いまたきなれず。
 
藤布の織目のあらく間遠きを、住所の程遠きに言ひなしたり。此歌は相聞にて、所遠くて人にえなれずと詠める古歌なるをとなへて、吾が此宴にたまたま來り會へるを悦ぶにとりなせり。
 參考 ○間遠之有者(古、新)マドホククシアレバ。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
414 足日木能。石根許其思美。菅根乎。引者難三等。標耳曾結焉。【焉を鳥ニ誤ル】。
あしびきの。いはねこごしみ。すがのねを。ひかばかたみと。しめのみぞゆふ。
 
(41)鳥は焉の誤|著《し》るければ改めつ。コゴシミは凝る意。菅は山菅にて麥門冬なり。是れが根は引き取り難き物なれば、たやすく得がたき女を、心の中に領めて過ぐる程に譬へたり。
 
挽歌
 
上宮聖コ《カンツミヤシヤウトコノ》皇子出2遊|竹原井《タカハラノヰ》1之時見2龍田山死人1悲傷御作歌一首
 
推古紀、元年四月|厩戸豐聰耳《ウマヤドトヨトミミノ》皇子を立てて皇太子と爲す由見ゆ。竹原は光仁紀難波宮に至る由有りて、車駕龍田道より竹原行宮に還到と有り。竹原は河内なり。
 
415 家有者。妹之手將纏。草枕。客爾臥有。此旅人※[?+可]怜。
いへならば。いもがてまかむ。くさまくら。たびにこやせる。このたびとあはれ。
 
コヤセルともクヤルとも言ひて、臥す事の古語なり。推古紀、厩戸皇子命片岡に遊びます時、道に飢人の臥したるを見給ひて、しなてる、かたをかやまに、いひにゑて、こやせる、そのたびとあはれ、おやなしに、なれなりけめや、さすたけの、きみはやなき、いひにゑて、こやせる、そのたびとあはれと有り。是れぞまことに古への樣なる。今のは後に擬《なぞら》へ作れる物ならん。端詞も後人誤りて添へたるものなり。
 參考 ○家有者(代、考、古、新)イヘニアラバ。
 
大津《オホツノ》皇子被v死之時|磐余《イハレノ》池般【般ハ陂ノ誤】流v涕御作歌一首
 
(42)般、目録に陂に作るを善しとす。大津皇子は天武天皇第三皇子なり。皇太子に叛き給ふ事顯れてうしなはれ給ひぬ。磐余池は履中天皇二年十月作られし事紀に見ゆ。
 
416 百傳。磐余池爾。鳴鴨乎。今日耳見哉。雲隱去牟。
ももづたふ。いはれのいけに。なくかもを。けふのみみてや。くもがくりなむ。
 
モモヅタフ、枕詞。よろづのなごりを鴨一つに宣まひ續け給へり。死にては天に歸る由にて、古へより雲隱ると言ふ。此時皇子詩をも作らせ給へり。懷風藻に、金烏臨2西舍1。鼓聲催2短命1。泉路無2賓主1。此夕離v家向と見ゆ。
 參考 ○百傳(古、新)「角障」ツヌサハフ。
 
右藤原宮朱鳥元年冬十月。
 
河内《カフチノ》王葬2豐前國鏡山1之時|手持《タモチノ》女王作歌三首
 
持統紀八年四月筑紫太宰率河内王に淨大肆を贈り、賻物を賜ふ由見ゆ。太宰府にてみまかり給へば、そこに葬るべきを、豐前に葬れるは由有るべし。
 
417 王之。親魄相哉。豐國乃。鏡山乎。宮登定流。おほきみの。むつたまあへや。とよくにの。かがみのやまを。みやとさだむる。
 
此鏡山は王の心に叶ひて、むつまじくおぼせばにやと言ふなり。ムツタマアヘヤは、卷十四に、靈合者《タマアヘバ》あ(43)ひぬるものをと詠めるが如し。アヘヤはアヘバヤのバを略ける例なり。さて右に言ふ如く、府より遠き所に葬りつれば、斯く詠み給ふなり。宮と定むるは上に常宮と有るに同じ。
 
418 豐國乃。鏡山之。石戸立。隱爾計良思。雖待不來座。
とよくにの。かがみのやまの。いはとたて。かくりにけらし。まてどきまさず。
 
死に給ふを、御墓の石門に隱れます由に、幼く言へり。
 參考 ○隱爾計良思(古)コモリニケラシ(新)コモリ、又は、カクリ。
 
419 石戸破。手力毛欲得。手弱寸。女有者。爲便乃不知苦。
いはとわる。たぢからもがも。たよわき。をみなにしあれば。すべのしらなく。
 
神代紀、乃以2御手1細開2磐戸1窺v之時、手力雄神則承2天照太神之手1引而奉v出と言ふを詠めり。此女王は河内王の妻にて、太宰府にて詠み給へる事歌にて知らる。
 參考 ○手弱寸(古)タワヤキ(新)略に同じ ○女有者(考)ヲミナニシアレバ(古)メニシアレバ(新)略に同じ。
 
石田《イハタノ》王卒之時|丹生《ニフノ》女王作歌一首并短歌
 
今本女王の字脱ちたり。目録には丹生王と有り。二王ともに傳知れず。
 
420 名湯竹乃。十緑皇子。狹丹頬相。吾大王者。隱久乃。始瀬乃山爾。神左備爾。(44)伊都伎座等。玉梓乃。人曾言鶴。於余頭禮可。吾聞都流。枉言加。我聞都流母。天地爾。悔事乃。世間乃。悔言者。天雲乃。曾久敝能極。天地乃。至流左右二。枚策毛。不衝毛去而。夕衢占問。石卜以而。吾屋戸爾。御諸乎立而。枕邊爾。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】戸乎居。竹玉乎。無間貫垂。木綿手次。可此奈爾懸而。天有。左佐羅能小野之。七相菅。手取持而。久堅乃。天川原爾。出立而。潔身而麻之乎。高山乃。石穗乃上爾。伊座都流香物。
なゆたけの。とをよるみこ。さにづらふ。わがおほきみは。こもりくの。はつせのやまに。かむさびに。いつきいますと。たまづさの。ひとそいひつる。およづれか。わがききつる。まがごとか《たはこと》わがききつるも。あめつちに。くやしきことの。よのなかの。くやしきことは。あまぐもの。そくへのきはみ。あめつちの。いたれるまでに。つゑつきも。つかずもゆきて。ゆふけとひ。いしうらもちて。わがやどに。みもろをたてて。まくらべに。いはひべをすゑ。たかだまを。まなくぬきたれ。ゆふだすき。かひなにかけて。あめなる。ささらのをぬの。ななふすげ。てにとりもちて。ひさかたの。あまのがはらに。いでたちて。みそぎてましを。たかやまの。いほほのうへに。いませつるかも。
 
ナユタケノ、サニヅラフ、枕詞。トヲヨルミ子は姿のたをやかなるを言ふ。サニヅラフも紅顔の事なれば美はしき大君にや有りけん。コモリクノ、枕詞。神サビニイツキイマストは、みまかりては、即ち神と齊(45)きをもて、泊瀬山に葬れるを、神さびせんとていつかれましますと言ふなり。玉ヅサは事告ぐる文の使を言ふ。その玉ヅサと言ふ事は、くさぐさ説あれどさだかならず。春海云、みちのくにて男女のけさうするに、玉づさと言ふものをかたみに贈る事あり。殊に桃生郡玉造郡などの山里にては、常にする事にて、厚き紙を折りて結ぶさま五十種ばかり有り。其結びやうにて事の故よしを知ると、其國人の語るを聞けりと言へり。千蔭も早く村井敬義がみちのくへ行きて歸りし時、其結びたる紙を見せて、然か語れるを聞きつ。古へよりせしわざにや有りけん。オヨヅレは流言、マガゴトは横言なり。宣長云、すべて枉は狂の誤にてタハコトと訓むべしと言へり。聞キツルモのモは添へたる詞。曾クベは卷五、遠隔乃極と書きて、ソクヘノキハミと訓めり。式、祈年祭祝詞に、天能|壁立極《カベタツキハミ》國能|退立限《ソキタツカギリ》と言ふも同じく、遠く隔たれる意なり。夕ケトヒは夕つ方道のちまたにうら問ふ事にて、上にも出づ。石ウラは石を踏みて占ふ事なり。景行紀、拍峽大野にやどり給ふ。其野の石を柏葉なして擧げん、とのたまひて取りたまふ時、柏の如く大虚に上りぬ。放《カ》れ其名を踏石と言ふよし有り。さて此句の下五言七言二句落ちたるか。ミモロヲタテは、神の御室を齋き立つるなり。イハヒベ、竹玉、上に出づ。無間と書きたれど、例に由りてシジニと訓まんも然り。ササラノヲ野は、卷十六にも、天なるやささらのを野にちがやかりとも詠みて、天に斯く言ふ野有りと言ふ諺の有りしならん。契沖は地名ならんとも言へり。猶考ふべし。七は唯だ數の多きを言ふ語にて、多くの菅と言ふ事のみ。宣長云、こはナナフスゲと訓むべし。集中、みちのくのとふ(46)のすがごもななふにはと詠める七フにて、七節の義なりと言へり。かつ祓に菅を用ひる事は、大祓詞に、天津菅曾云云、卷六、菅(ノ)根取りてしぬぶ草はらへてましをと詠み、神樂歌に、なかとみのこすげをさきはらひなど見ゆ。天の川原に云云は、悔ゆる餘りに天地の限りにも行きて見せばやとまで思ふなり。高山の云云は墓所を言ふ。
 參考 ○神左傭爾(古、新)カムサビ「手」テ○枉言加(考)マガコトカ、又は、タハコトカ(古、新)タハコトカ○石卜以而(考)イシウラモテ(古)略に同じ○枕邊爾(考、新)「牀」トコノヘニ無間貫垂(考)ヌキタリ(古)シジニヌキタリ(新)マナク、又は、シジニ○七相菅(代)ナナヒスゲ(考〕ナナスゲ、又は、ナナフスゲ(古、新)「石相菅」イハヒスゲ○天川原(古)アメノカハラニ。
 
反歌
 
421 逆言之。枉言等可聞。高山之。石穗乃上爾。君之臥有。
およづれの。まがごと《たはこと》とかも。たかやまの。いほほのうへに。きみがこやせる。
 
ここの長歌に於余頭禮枉言と言ひ、其外枉言に並べ言ふは皆オヨヅレなり。逆言をサカゴトと訓むは惡ろし。天智紀、妖僞の字をオヨヅレと訓めりと宣長言へるに由るべし。はた是れも枉は狂の誤ならんと言へり。トカモは何何トセムカの意なり。
(47) 參考 ○逆言(考)サカゴトノ(古、新)略に同じ○枉言(古、新)タハゴト。
 
422 石上。振乃山有。杉村乃。思過倍吉。君爾有名國。
いそのかみ。ふるのやまなる。すぎむらの。おもひすぐべき。きみならなくに。
 
布留は山邊郡。もとは思ヒ過グベキと言はん序のみ。
 
同石田王卒之時|山前《ヤマザキノ》王哀傷作歌一首
 
山前王は忍壁皇子の御子にて、葦原王の父なり。續紀養老七年十二月從四位下にて卒と見ゆ。ここの同の字は後に書き入れしか。
 
423 角障經。石村之道乎。朝不離。將待人乃。念乍。通計萬四波。霍公鳥。鳴五月者。菖蒲。花橘乎。玉爾貫。(一云|貫交《ヌキマシヘ》)蘰爾將爲登。九月能。四具禮能時者。黄葉乎。折挿頭跡。延葛乃。彌遠永。(一云|田葛根乃彌《クズノネノイヤ》遠長爾)萬世爾。不絶等念而。(一云|大船之《オホフネノ》、念憑而《オモヒタノミテ》)。將通。君乎婆明日從。(一云君乎|從朗日香《アスユハ)【香は者ノ誤】外爾可聞見牟。
つぬさはふ。いはれのみちを。あささらず。ゆきけむひとの。おもひつつ。かよひけましは。ほととぎす。なくさつきには。あやめぐさ。はなたちばなを。たまにぬき。かづらにせむと。ながづきの。しぐれのときは。もみぢばを。をりかざさむと。はふくずの。いやとほながく。よろづよに。たえじとおもひて。かよひけむ。きみをばあすゆ。よそにかもみむ。
 
(48)此王の莊、いはれよりかなたに有りて、藤原都の家より通ふなるべし。朝サラズと言ひて則ち日月の事なり。オモヒツツは、下の折リカザサムトと言ふ句より返して見るべし。通ヒケマシハは、通ヒケムハと言ふなり。アヤメグサ云云、天智紀童謠に、たちばなはおのがえだえだなれれども、たまにぬくときおやじをにと有りて、橘を緒に貫く事いと古き事なり。又聖武紀、天平十九年九月太上天皇の詔に、昔は五日節菖蒲縵せるを、此頃此事止みぬ。今より菖蒲縵あらずは宮中に入る事なかれと有り。ハフクズノ、枕詞。末の一句にのみ悲みを述べたるも一つの體なり。或本のヌキマジヘ、クズノネノイヤトホナガク、大ブネノオモヒタノミテは何れにても善し。キミヲアスユカと有るは惡ろし。明日香の香一本に者に作るを善しとす。
 參考 ○朝不離(考)アサカレズ(古、新)略に同じ○通討萬四波(古、新)カヨヒケマ「口」クハ○鳴五月者(古、新)「來鳴」キナクサツキハ○折挿頭跡(代、古、新)略に同じ(考)ヲリテカザスト○不絶等念而(考)タエジトモヒテ(古)略に同じ○君乎婆初日從(古、新)キミヲ「從」ユアスハ。
 
右一首或云。柿本朝臣人麻呂作。 人麻呂の歌に似るべきものに有らず。後人の書き入れしなり。
 
或本反歌二首
 
右の反歌に有らず。別に端詞有りしが落ちしなるべし。
 
(49)424 隱口乃。泊瀬越女我。手二纏在。玉者亂而。有不言八方。
こもりくの。はつせをとめが。てにまける。たまはみだれて。ありといはずやも。
 
左の註に由るに。紀皇女を玉に譬へて、さて亂れて在りとは、みまかり給ふを言ふなるべし。此皇女泊瀬わたりに住み給へるに由りて、斯く詠めるならん。
 
425 河風。寒長谷乎。歎乍。公之阿流久爾。似人母逢耶。
かはかぜの。さむきはつせを。なげきつつ。きみがあるくに。にるひともあへや。
 
是れは契沖が言へる如く、紀皇女諸王などに嫁し給ひてみまかり給ひし後、その夫君のとぶらひ給ふなるべし。似ル人モアヘヤは、皇女に似たる人にだに逢へかしと言ふなり。
 
右二首者。或云。紀皇女薨後山前王代2石田王1作之也。 今本、山前の下主の字をおとせり。
 
柿本朝臣人麻呂見2香具山屍1悲慟作歌一首
 
426 草枕。※[覊の馬が奇]宿爾。誰嬬可。國忘有。家待莫國。
くさまくら。たびのやどりに。たがつまか。くにわすれたる。いへまたなくに。
 
嬬と書きたれど夫なるべし。家に待たんにと言ふを斯く言へり。宣長云、翁の説に莫は眞の誤として、イヘマタマクニなりと言はれき。卷十一に、今だにもめなともしめそ云云久家莫國、この莫を古本眞と有れば、翁の説論無くよろしきが如くなれども、卷十四、さね射良奈久爾《ザラナクニ》と言ふはサネザルニの意。卷(50)十五、見え射久《ザラ》奈久爾と言ふもミエザルニなり。卷十七、あが麻多《マタ》奈久爾、これも我ガマツニなり。然れば此ナクは、後世ハシタと言ふべきをハシタナクなど言ふナクにて、詞とすべしと言へり。此説に由るべし。
 參考 ○家待莫國(考、新)イヘマタ「眞」マクニ(古)略に同じ。
 
田口廣麿《タグチノヒロマロ》死之時刑部垂麻呂作歌一首
 
廣麻呂は傳知られず。垂麻呂は前に出づ。
 
427 百不足。八十隅坂爾。手向爲者。過去人爾。盖相牟鴨。
ももたらず。やそ|すみさか《のくまぢ》に。たむけせば。すぎにしひとに。けだしあはむかも。
 
百タラズ、枕詞。隈坂は隅路の誤りか。さらばクマヂニと訓むべし。古事紀に、百不足|八十※[土+囘]手《ヤソクマデ》に隱りて侍らむと有り。クマデは即ち隈路なり。墨坂と言ふ所紀にかたがたに見え、集中にも我任住坂《ワレスミサカ》と詠めれど、すみ板に八十と言はん由無し。伊邪那伎命の黄泉に慕ひ幸《イデマ》して、女神に逢ひませし事をもとにて詠めるものなり。みまかりいにし跡を慕ひて、道の八十くま毎に手向し祈りつつゆかば、逢ひ見る事も有らんかとなり。
 參考 ○八十隅坂爾(考、古、新)ヤソノクマ「路」ヂニ。
 
土形娘子《ヒヂカタノヲトメ》火2葬泊瀬山1時柿本朝臣人麿作歌一首
 
(51)428 隱口能。泊瀬山之。山際爾。伊佐夜歴雲者。妹鴨有牟。
こもりくの。はつせのやまの。やまのまに。いさよふくもは。いもにかもあらむ。
 
火葬の煙を雲と言ひなせり。此歌卷七にも、こもりくのはつせの山に霞立ちたなびく雲はとて載せたり。
 
溺死|出雲《イヅモノ》娘子火2葬吉野1時柿本朝臣人麿作歌二首
 
429 山際從。出雲兒等者。霧有哉。吉野山。嶺霏?【?ヲ霞ニ誤ル】。
やまのまゆ。いづものこらは。きりなれや。よしぬのやまの。みねにたなびく。
 
山の間より出る雲とつづけたり。一人にも等と言へる例あり。
 
430 八雲刺。出雲子等。黒髪者。吉野川。奧名豆颯。
やくもさす。いづものこらが。くろかみは。よしぬのかはの。おきになづさふ。
 
溺死の歌有りて、さて火葬の歌有るべきを、此二首前後せり。ヤクモサス、枕詞。川にても岸より遠き所を沖と言へり。
 
過2勝鹿眞間《カツシカノママ》娘子墓1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
舊本朱書云、東語云、可豆思賀能麻末能?胡《カツシカノママノテゴ》、是れを詠めるは卷十九にも有り。其れには容《すがた》の世に勝れたる女故に、多くの男の爭ひに佗びて、みづから眞間の入江に沈みて死にたりと見ゆ。此歌よりは前に詠めるならん。眞間は下總國葛飾郡に今も有り。
 
(52)431 古昔。有家武人之。倭文【文ヲ父ニ誤ル】幡乃。帶解替而。廬屋立。妻問爲家武。勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。眞間之手兒名之。奧槨乎。此間登波聞杼。眞木葉哉。茂有良武。松之根也。遠久寸。言耳毛。名耳母吾者。不所忘。
いにしへに。ありけむひとの。しづはたの。おびときかへて。ふせやたて。つまどひしけむ。かつしかの。ままのてごなが。おくつきを。こことはきけど。まきのはや。しげりたるらむ。まつがねや。とほくひさしき。ことのみも。なのみもわれは。わすらえなくに。
 
倭文は上に出づ。卷十一に、古へのしづはた帶を結びたれと言へれば、ここも古への樣なり。廬屋立は、翁はフセヤタツと訓みて枕詞とせり。思ふに是れは古訓の儘にフセヤタテと訓むべし。フセヤは集中に、田ブセともフセイホとも詠めり。タテは妻ごひせん料に廬を建つるなり。古へ妻どひするには先づ其屋を建てし事、すさのをの尊のつまごみにやへがきつくると詠み給へるをも思へ。宣長説も然り。ツマドヒは卷十、狛錦紐解きかはし天人の妻問ふよひぞとも詠みて、男女相逢ふを言へり。さて是れまでは男の方を言ふなり。テコはハテノ子と言ふ意、ナは女なりと翁は言はれき。宣長は愛兒《メテゴ》の意なるべし。褒めたる稱なり。ナも褒めて言ふ詞なりと言へり。奧槨、卷十八於久都奇とあり。マキノハ云云。まきは檜なり。卷一、大殿はここと云へども霞立つ春日かきれる夏草かしげく成りぬると云ふに等しき意なり。松ガネヤ云云は、代代遠く久しき老木の松の根の這ひわたりて墓を隱せるなり。また也は之の誤にて、マツガ(53)ネノならんと宣長言へり。然らば遠ク久シキと言はん爲めの枕詞とすべし。末の意は、よしや今は見えずとも、言ひ傳へこし言のみにても名のみにても、聞けば悲しさの忘られぬなり。
 參考 ○廬屋立(考)フセヤタツ(古、新)略に同じ○茂有良武(代、考)シゲクアルラム(古)シゲミタルラム(新)略に同じ。
 
反歌
 
432 吾毛見都。人爾毛將告。勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿之。間間能手兒名之。奧津城處。
われもみつ。ひとにもつげむ。かつしかの。ままのてごなが。おくつきどころ。
 
長歌に、墓を尋ねる樣を言ひて、反歌にて見し處を言へり。
 
433 勝牡【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。眞眞乃入江爾。打靡。玉藻苅兼。手兒名志所念。
かつしかの。ままのいりえに。うちなびく。たまもかりけむ。てごなしおもほゆ。
 
眞間の江に身を沈めたるを、斯く言へるにも有るべし。
 
和銅四年辛亥河邊宮人見2姫島松原美人屍1哀慟作歌四首
 
此端詞は卷二に全く同じくて出でたり。ここの歌は女の屍を見て傷める歌とも聞えねば、此歌の端詞は落ち失せて、卷二の端詞亂れて入りたりと見ゆ。
 
434 加麻【麻ハ座ノ誤カ】?夜能。美保乃浦廻之。白管仕。見十方不怜。無人念者。
(54)かざはやの。みほのうら|わ《ま》の。しらつつじ。みれどもさぶし。なきひとおもへば。
 
上の博通法師紀伊國三穗石室の歌と、此歌并に左のみつみつしの歌、共に同じ意なり。然れば是れは紀伊の美保にて、カザハヤも地名なるべし。端詞に言へる姫島は、攝津に在りと見ゆれども、美保と言ふ所攝津には有らず。無人と詠めるも久米若子を詠めるに似たり。麻は座の誤か。
 參考 ○浦廻(古)ウラミ○無人念者(考)ナキヒトモヘバ(古)略に同じ。
 
或云。見者悲霜《ミレバカナシモ》。無人|思丹《オモフニ》。
 
435 見津見津四。久米能若子我。伊觸家武。礒之草根乃。干卷惜【惜ヲ情ニ誤ル】裳。
みつみつし。くめのわくごが。いふれけむ。いそのかやねの。かれまくをしも。
 
ミツミツシ、枕詞。上にハタズスキクメノワクゴと詠めり。イフレのイは發語。
 參考 ○久米能若子我(古)クメノワカゴガ ○伊觸(古)イフリ(新)イフレ、又はイフリ。
 
436 人言之。繁比日。玉有者。手爾卷以而。不戀有益雄。
ひとごとの。しげきこのごろ。たまならば。てにまきもちて。こひざらましを。
 
吾が思ふ妹が玉にてあらばなり。
 
437 妹毛吾毛。清之河乃。河岸之。妹我可悔。心者不持。
いももわれも。きよみのかはの。かはぎしの。いもがくゆべき。こころはもたじ。
 
(55)右二首相聞の歌にて、挽歌に入るべきに有らぬを、亂れて入りたる物なり。清ミノ川は、卷二|淨之《キヨミノ》宮とも有りて、飛鳥の清見原の川なるべし。さて其清みの川を言ひ出でしは、たがひに心清く二心無き意にて、岸のくえ落つるより悔ゆるに續けたり。卷十四、鎌倉のみこしの崎の岩くえの君が悔ゆべき心はもたじと、末は同じ。
 
右案。年紀并所處乃【乃ハ及ノ誤】娘子屍作歌人名已見v上也。但歌辭相違。是非難v別。因以累2載於茲次1焉。
 
神龜五年戊辰太宰帥大伴卿思2戀故人1歌三首
 
故人の下歌字今卿に誤れる事しるければ改めつ。
 
438 愛。人纏而師。敷細之。吾手枕乎。纏人將有哉。
うるはしき。ひとのまきてし。しきたへの。わがたまくらを。まくひとあらめや。
 
此卿の妻、太宰府にてみまかられし事卷七に見ゆ。心は他人に又逢はじと言ふなり。卷十、宇流波之等《ウルハシト》とあり、ウラグハシと言ふに同じ語なり。シキタヘは枕詞。
 參考 ○愛(考)略に同じ(古、新)ウツクシキ。
 
右一首。別去而經2數句1作歌。
 
439 應還。時者成來。京師爾而。誰手本乎可。吾將枕。
かへるべき。ときにはなりく。みやこにて。たがたもとをか。わがまくらかむ。
 
(56)天平二年此卿京へ歸られたり。宣長云、來は去の誤りにてナリヌなりと言へり。卷五、和我魔久良可武《ワガマクラカム》と有り。マクラマカムと言ふを約めたる言なり。
 參考 ○應還(代)カヘルベク(考、古、新)略に同じ ○時者成來(代)トキハナリケリ(考)略に同じ(古)トキハ「來來」キニケリ(新)トキニハナリ「去」ヌ。
 
440 在京師。荒有家爾。一宿者。益旅而。可辛苦在。
みやこなる。あれたるいへに。ひとりねば。たびにまさりて。くるしかるべし。
 
帥にて久しく居給へばなり。
 
右二首。臨v近2向v京之時1作歌。
 
神龜六年己巳左大臣長屋王賜v死之後、倉橋部女王作歌一首
 
神龜六年八月に天平と改めらる。倉橋部女王は傳知れず。
 
441 天【天ヲ太ニ誤ル】皇之。命恐。大荒城乃。時爾波不有跡。雲隱座。
すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。おほあらきの。ときにはあらねど。くもがくります。
 
アラキは、荒籬の略にて殯を言ふ。下に龍麻呂が自經死にたるをも、時ナラズシテと言へる如く、ここも殯の時に非ずしてと言ふにて、おのづからなる齡を終へ給はぬを知らせたり。今天を太に誤れり。
 參考 ○大皇之(古、新)オホキミノ。
 
(57)悲2傷|膳部《カシハデベノ》王1歌一首
 
長屋王の子なり。續紀神龜元年二月無位膳夫王に、從四位下を授くと有り。
 
442 世間者。空物跡。將有登曾。此照月者。滿闕爲家流。
よのなかは。むなしきものと。あらむとぞ。このてるつきは。みちかけしける。
 
アラムトテゾのテを略けり。
 
右一首。作者未v詳。
 
天平元年己巳攝津國班田史生|丈部龍麿《ハセツカベノタツマロ》自經死之時判官大伴宿禰|三中《ミナカ》作歌一首并短歌
 
續紀、天平元年十一月、京畿内の班田司を任ずる由見ゆ。班田の事は田令に委し。三中は天平十二年正六位上より外從五位下に叙する由、其外にも紀に多く見えたり。此時は班田使の判官なるべし。和名抄、安房國長狹郡丈部(波世豆加倍)とあれば、此氏を斯く訓めり。
 
443 天雲之。向伏國。武士登。所云人者。皇祖。神之御門爾。外重爾。立侯。内重爾。仕奉。玉葛。彌遠長。祖名文。繼往物與。母父爾。妻爾子等爾。語而。立西日從。帶乳根乃。母命者。齋忌戸乎。(58)前座置而。一手者。木綿取持。一手者。和細布奉。平【平ヲ乎ニ誤ル】。間幸座與。天地乃。神祇乞?。何在。歳月日香。茵花。香君。之牛【之牛ハ牽ノ誤】留鳥。名津匝來與。立居而。待監人者。王之。命恐。押光。難波國爾。荒玉之。年經左右二。白栲。衣不干。朝夕。在鶴公者。何方爾。念座可。鬱蝉乃。惜此世乎。露霜。置而往監。時爾不在之天天。
あまぐもの。むかぶすくにの。もののふと。いはれしひとは。かみろぎ《すめろき》の。かみのみかどに。とのへに。たちさもらひ。うちのへに。つかへまつりて。たまかづら。いやとほながく。おやのなも。つぎゆくものと。おもちちに。つまにこどもに。かたらひて。たちにしひより。たらちねの。ははのみことは。いはひべを。まへにすゑおきて。ひとてには。ゆふとりもたし。ひとてには。にぎたへまつり。たひらけく。まさきくませと。あめつちの。かみにこひのみ。いかならむ。としつきひにか。つつじはな。にほへるきみが。ひくあみの。なづさひこむと。たちてゐて。まちけむひとは。おほきみの。みことかしこみ。おしてる。なにはのくにに。あらたまの。としふるまでに。しろたへの。ころもでほさず。あさよひに。ありつるきみは。いかさまに。おもひませか。うつせみの。をしきこのよを。つゆしもの。おきていにけむ。ときならずして。
 
天雲ノ云云は、祈年祭祝詞に四方(ノ)國者天能|壁立極《カベタツキハミ》云云、白雲能|墜居向伏限《オリヰムカブスカギリ》と言ふに同じく、天地のはてを言ふ。ここにては天地のかぎり並びなき武士と言ふ意なり。皇祖ノ云云は、龍麻呂先祖より傳へて仕へ奉りし故に、前つ御代云云をかねて斯く言へるなり。久老説、皇祖をスメロギと訓めり。其説長ければここに略きぬ。外重とは宮城門を言ひて、衛門府守れり。内重とは閣門を言ひて、兵衛府守れり。龍(59)麻呂は衛門府の門部か物部より、兵衛府にも轉りしなるべし。玉葛、枕詞。イヤ遠長ク云云、斯く御門守りを爲しうへに、班田使に附きて他國へ出で立つに由りて、功を立て、先祖の名をも繼ぎなんと、父母妻子語りて都を立ちしを言ふ。母ノミコトは親をうやまひて言ふ詞。さて立チテヰテ待ツと言ふ句までは、此人の恙無からん事を母の齋ひ待つさまなり。ニギタヘは絹をすべ言ふ。平を今本乎に誤れるより由無き訓を付けたり。イカナラム云云は、いつかと待つ意なり。ツツジ花は枕詞。ニホヘル君は若やかなる面を言ひて、龍麻呂をさす。宣長は、香をカグハシと訓むべし。唯だクハシと言ふべきをカグハシと言へる例有りと言へり。之牛二字或本牽一字とせり。然らば牽留鳥にてヒクアミノと訓みて枕詞なり。留鳥をアミと訓むは、羅網は鳥をとどめて取らん料の物なればなり。ナヅサヒコムトは、遠き都道を漸く歸り來ん事を、網を漸くに引き寄するに譬へたり。待チケム人は龍麻呂をさす。年フルマデニとは、畿内の班田多く事成りて、攝津國に至りて死にたるなるべし。班田に年經て歸る故に、田に立つ心をもて、衣手ホサズと言ふか。衣の下手の字落ちしならん。朝夕ニ在リツル公とは、三中も同じ司なれば、日日に見馴れしを言ふなり。ウツ蝉ノ、露霜ノ、枕詞。時ナラズシテは、右の大荒城の時には有らねど云云に同じ。
 參考 ○武士登(古、新)マスラヲト ○所云人者(古)イハエシヒトハ ○木綿取持(考、古)ユフトリモチ(新)モタシ、又は、モチ○何在(古)イカニアラム(新)略に同じ ○歳月日香(考)トシノツキヒニカ(古)略に同じ○之牛留鳥(代)クロアミノ(古)「爾富鳥」ニホトリノ、又は「牽」(60)ヒクアミノ(新)ニホドリノ ○念座可(考)マシテカ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
444 昨昨社。公者在然。不思爾。濱松之上於。雲棚引。
きのふこそ。きみはありしか。おもはぬに。はままつのへの。くもにたなびく。
 
火葬の煙を言へり。シカのカは清む例にて、必ずコソの下に置く詞なり。
 參考 ○濱松之上於雲棚引(新)ハママツノウヘニクモトタナビク。
 
445 何時然跡。待牟妹爾。玉梓乃。事太爾不告。往公鴨。
いつしかと。まつらむいもに。たまづさの。ことだにつげず。いにしきみかも。
 
事と書きたれど心は言なり。
 
天平二年庚午冬十二月太宰帥大伴卿向v京上道之時作歌五首
 
446 吾妹子之。見師鞆浦之。天木香樹者。常世有跡。見之人曾奈吉。
わぎもこが。みしとものうらの。むろのきは。とこよにあれど。みしひとぞなき。
 
鞆ノ浦は備後なり。和名抄、樫一名河柳(無呂)とあり。卷十五、天平八年新羅へ使人の歌どもの中に、はなれその室の樹を詠める二首あり。それも難波を出でて備中の神島の歌に次いであれば、ここと同じ鞆の浦の樫の木ならん、天木香と書けるは猶考ふべし。先にみまかりし妻を思ひ出でて詠めるなり。
 
(61)447 鞆浦之。礒之室木。將見毎。相見之妹者。將所忘八方。
とものうらの。いそのむろのき。みむごとに。あひみしいもは。わすらえめやも。
 
相見シは其木を共に見しなり。卷十七、はなれそにたてるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかもと有り。
 參考 ○將所忘八方(考)ワスラレメヤモ、又はワスラレムヤモ(古、新)略に同じ。
 
448 礒上丹。根蔓室木。見之人乎。何在登問者。語將告可。
いそのうへに。ねはふむろのき。みしひとを。いかなりととはば。かたりつげむか。
 
見し人は如何なると、むろの木に問はばなり。名にしおはばいざこと問はむ都鳥の類ひなりと宣長言へり。むろの木の我に問はばと言ふ意とも見ゆれど、さては終のカの詞にかなはず。
 參考 ○礒上丹(古)イソノヘニ(新)略に同じ ○何在登(考、新)イヅラト(古)略に同じ。
 
右三首過2鞆浦1日作歌
 
449 與妹來之。敏馬能埼乎。還在爾。獨而見者。涕具末之毛。
いもとこし。みぬめのさきを。かへるさに。ひとりしてみれば。なみだぐましも。
 
ミヌメは攝津國、歸ルサのサはサマなり。
 參考 ○獨而見(古、新)ヒトリ「之」シミレバ。
 
(62)450 去左爾波。二吾見之。此埼乎。獨過者。惰悲喪。
ゆくさには。ふたりわがみし。このさきを。ひとりすぐれば。こころかなしも。
 
哀一本喪に作る。ユクサのサは歸ルサのサに同じ。
 
一云、見毛左可受伎濃《ミモサカズキヌ》。 末の句なり。見放《ミサケ》もせず來ぬるとなり。妻なくなりて今は見るに堪へぬ意なり。
 
右二首過2敏馬埼1日作歌。
 
還2入故郷家1即作歌三首
 
451 人毛奈吉。空家者。草枕。旅爾益而。辛苦有家里
ひともなき。むなしきいへは。くさまくら。たびにまさりて。くるしかりけり。
 
是れは前に、旅にまさりて苦しかるべしと詠みしを思ひて、又詠まれしなり。
 
452 與妹爲而。二作之。吾山齋者。木高繁。成家留鴨。
いもとして。ふたりつくりし。わがやどは。こだかくしげく。なりにけるかも。
 
佐保の家なるべし。卷二十、屬2目(ヲ)山齋1作歌三首、皆池島などを詠みたり。されば、ここも山齋をソノなども訓むべけれど、古今六帖に此歌を載せて、ワガヤドハと有れば、暫く是れによりてヤドと訓めり。其樣を知らせんとて山齋とは書けるならん。
 參考 ○吾山齋者(代)ワガヤマハ(考)ワガソノハ(古、新)アガシマハ。
 
(63)453 吾妹子之。殖之梅樹。毎見。情咽都追。涕之流。
わぎもこが。うゑしうめのき。みるごとこ。こころむせつつ。なみだしながる。
 
同山齋の梅を詠めるなり。
 
天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首
 
聖武紀、此年月に大納言從二位大伴宿禰旅人薨。難波朝右大臣大紫長コ之孫。大納言贈從二位安麻呂第一子也とあり。歌の上作の字を脱せり。
 
454 愛八師。榮之君乃。伊座勢波。昨日毛今日毛。吾乎召麻之乎。
はしきやし。さかえしきみの。いましせば。きのふもけふも。わをめさましを。
 
455 如是耳。有家類物乎。芽子花。咲而有哉跡。問之君波母。
かくのみに。ありけるものを。はぎがはな。さきてありやと。とひしきみはも。
 
此卷末に。かくのみに有りけるものを妹も吾もちとせのごともたのみたりけると言ふは、かくばかりはかなき命なるをと言ふなり。ここも其れと同じ意にて、終の句より一二の句へ打返して見るべし。
 
456 君爾戀。痛毛爲便奈美。蘆鶴之。哭耳所泣。朝夕四天。
きみにこひ。いたもすべなみ。あしたづの。ねのみしなかゆ。あさよひにして。
 
イタモはイタクモなり。集中に例あり。アシタヅノ如クと言ふを略けり。蘆鴨、蘆鹿など皆其住む所の(64)物をもて名とせり。アサヨヒと言ひて晝夜と云ふ意なり。
 參考 ○痛毛(考)イトモ(古、新)略に同じ。
 
457 遠長。將仕物常。念有之。君師不座者。心神毛奈思。
とほながく。つかへむものと。おもへりし。きみしまさねば。こころどもなし。
 
ココロドは、利心《トゴコロ》と詠めるに同じ。
 參考 ○心神(考)タマシヒ(古、新)略に同じ。
 
458 若子乃。匍匐多毛登保里。朝夕。哭耳曾吾泣。君無二四天。
みどりこの。はひたもとほり。あさよひに。ねのみぞわがなく。きみなしにして。
 
ミドリ子ノ如クと言ふを略けり。宣長云、齊明紀に、うつくしき阿我倭柯枳古弘《アガワカキコヲ》と有れば、ワカキコノと訓むべしと言へり。タモトホリは徘徊を訓めり。
 參考 ○若子(古)ワカキコ(新)ミドリコ、又は、ワカキコ。
 
右五首資【資ヲ仕ニ訳ル】人金明軍不v勝2犬馬之慕1心中感緒作歌。 今仕人と有り。舊本資人に作るに據る。慕の下、述の字有るべし。資人は軍防令に大納言百人と有り。養老三年の紀に委し。
 
459 見禮杼不飽。伊座之君我。黄葉乃。移伊去者。悲喪有香。
みれどあかず。いまししきみが。もみぢばの。うつりいぬれば。かなしくもあるか。
 
(65)移リイヌレバは、集中多くモミヂバノ過ギニシと言ふに同じく、みまかるを言へり。イヌレバのイは發語。
 參考 ○移伊去者(考)略に同じ(古、新)ウツリイユケバ。
 
右一首勅2内礼正縣犬養宿禰人上1。使v檢護卿病1。而醫藥無v驗。逝水不v留。因v斯悲慟。即作2此歌1。 職員令義解に、内禮正一人。掌2宮内禮義1云云とあり。
 
七年乙亥大伴坂上郎女悲2嘆尼理願死去1作歌一首并短歌
 
左註に有る如く、此尼新羅より來りて、和銅七年五月安麻呂卿の時より此家に寄居て、二十年餘を經て天平七年に死にたりと見ゆ。
 
460 栲角乃。新羅國從。人事乎。吉跡所聞而。問放流。親族兄弟。無國爾。渡來座而。天【天ヲ太ニ誤ル】皇之。敷座國爾。内日指。京思美彌爾。里家者。左波爾雖在。何方爾。念鷄目鴨。都禮毛奈吉。佐保乃山邊爾。哭兒成。慕來座而。布細乃。宅乎毛造。荒玉乃。年緒長久。住乍。座之物乎。生者。死云事爾。(66)不免。物爾之有者。憑有之。人乃盡。草枕。客有間爾。佐保河乎。朝河渡。春日野乎。背向爾見乍。足氷木乃。山邊乎指而。晩闇跡。隱益去禮。將言爲便。將爲須敝不知爾。徘徊。直獨而。白細之。衣袖不干。嘆乍。吾泣涙。有間山。雲居輕引。雨爾零寸八。
たくづぬの。しらぎのくにゆ。ひとごとを。よしときかして。とひさくる。うからはらから。なきくにに。わたりきまして。すめろぎ《オホキミ》の。しきますくにに。うちひさす。みやこしみみに。さといへは。さはにあれども。いかさまに。おもひけめかも。つれもなき。さほのやまべに。なくこなす。したひきまして。しきたへの。いへをもつくり。あらたまの。としのをながく。すまひつつ。いまししものを。いけるひと。しぬちふことに。まぬかれぬ。ものにしあれば。たのめりし。ひとのことごと。くさまくら。たびなるほどに。さほがはを。あさかはわたり。かすがぬを。そがひにみつつ。あしびきの。やまべをさして。ゆふやみと。かくりましぬれ。いはむすべ。せかすべしらに。たもとほり。ただひとりして。しろたへの。ころもでほさず。なげきつつ。わがなくなみだ。ありまやま。くもゐたなびき。あめにふりきや。
 
タクヅヌノ、枕詞。人事は借字にて人言なり。ヨシトキカシテは、左註に言へる遠く王コに感じて、聖朝に歸化すと言ふに當れり。問ヒサクルは卷五、石木をも刀比佐氣斯良受《トヒサケシラズ》、光仁紀、誰爾加毛我語比佐氣牟孰爾加毛我問佐氣牟止《タレニカモワレカタラヒサケムタレニカモワレカタラヒサケムト》云云と有りて、もの言ひ遣る意なり。シミミは繁繁なり。オモヒケメカモは思ヒケムカなり。ツレモナキは、卷二、由縁無と書けり。シキタヘノ、枕詞。年ノ緒長クは年の續く事に言へり。スマヒツツは、スミを延べ言ふ詞なり。タノメリシ人ノコトゴト云云は、左註に言へる大家石川命婦、有馬の温泉へ行きたる間に死にしかば然か云ふ。佐保川ヲ云云、是れより葬の事を言ふ。ユフヤミトとは、夕ヤミノ如クと言ふ意なり。宣長はクラヤミトと訓まんと言へり。タモトホリは思ひ迷ふさま(67)なり。タダヒトリシテは、左註に言へる如く、坂上郎女一人留り居たるを言ふ。有馬山は攝津なり。雲ヰタナビキ云云は、温泉へ行きたる母刀自の許をさして言ふ。下の歌に、我が嘆くおきその風に霧立ち渡ると詠める類ひなり。
 參考 ○所聞而(代)キカシテ(考)キコシテ(古、新)略に同じ ○親族(考)ヤカラ(古、新)略に同じ ○太皇之(古)オホキミノ(新)スメロギノ ○生者(肯)ウマルレバ(新)イケルモノ ○不免(考)マヌカレヌ、又は、ノガロエヌ(古)ノガロエヌ(新)マヌカレヌ ○客有間爾(考)タビナルママニ(古、新)略に同じ ○晩闇跡(古、新)クラヤミト。
 
反歌
 
461 留不得。壽爾之在者。敷細乃。家從者出而。雲隱去寸。
とどめえぬ。いのちにしあれば。しきたへの。いへゆはいでて。くもがくりにき。
 
右新羅國尼名曰2理願1也。遠感2王コ1。歸化聖朝1。於v時寄2住大納言大將軍大伴卿家1。既※[しんにょう+至]2數紀1焉。惟以天平七年乙亥忽沈2運病1。既趣2泉界1。於v是大家石川命婦依2餌藥事1徃2有馬温泉1。而不v會2此哀1。但郎女獨留葬2送屍柩1。既訖仍作2此歌1贈2入温泉1。 舊本尼の下名の字有り。※[しんにょう+至]を經に作る。哀は喪の誤か。石川命婦は卷四の註に、大伴坂上郎女之母石川内命婦と有り。安麻呂卿の室なり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古、新)略に同じ。
 
(68)十一年己卯夏六月大伴宿禰家持悲2傷亡妾1作歌一首
 
462 從今者。秋風寒。將吹焉。如何獨。長夜乎將宿。
いまよりは。あきかぜさむく。ふきなむを。いかでかひとり。ながきよをねむ。
 
六月のいと末と見ゆ。
 參考 ○如何(古)略に同じ(新〕イカニカ。
 
弟大伴宿禰|書持《フミモチ》即|和《コタフル》歌一首
 
463 長夜乎。獨哉將宿跡。君之云者。過去人之。所念久爾。
ながきよを。ひとりやねむと。きみがいへば。すぎにしひとの。おもほゆらくに。
 
黄泉の人も獨り寢ねがてにすらんと言ふなり。オモホユラクニのニは言ひ抑へて歎く詞なり。拾穗本去の下之の字有り。
 
又家持見2砌上瞿麥花1作歌一首
 
464 秋去者。見乍思跡。妹之殖之。屋前之石竹。開家流香聞。
あきさらば。みつつしぬべと。いもがうゑし。やどのなでしこ。さきにけるかも。
 
見つつしのべとてかの意なり。
 參考 ○屋前(考)ニハノ(古、新)略に同じ。
 
(69)移v朔而後悲2嘆秋風1家持作歌一首
 
七月一日なり。
 
465 虚蝉之。代者無常跡。知物乎。秋風寒。思努妣都流可聞。
うつせみの。よはつねなしと。しるものを。あきかぜさむみ。しぬびつるかも。
 
秋風の肌寒きには、常よりも古びとの慕はしきとなり。
 
又家持作歌一首并短歌
 
466 吾屋前爾。花曾咲有。其乎見杼。情毛不行。愛八師。妹之有世婆。水鴨成。二人雙居。手折而毛。令見麻思物乎。打蝉乃。借【借ヲ惜ニ誤ル】有身在者。露霜【露霜ヲ霜霑ニ誤ル】乃。消去之如久。足日木乃。山道乎指而。入日成。隱去可婆。曾許念爾。胸己所痛。言毛不得。名付毛不知。跡無。世間爾有者。將爲須辨毛奈思。
わがやどに。はなぞさきたる。そをみれど。こころもゆかず。はしきやし。いもがありせば。みかもなす。ふたりならびゐ。たをりても。みせましものを。うつせみの。かれるみなれば。つゆしもの。けぬるがごとく。あしびきの。やまぢをさして。いりひなす。かくりにしかば。そこもふに。むねこそいため。いひもかね。なづけもしらに。あともなき。よのなかなれば。せむすべもなし。
 
水鴨ナスは鴨ノ如クと言ふなり。惜舊本借と有るに由る。顯身は借れる物の如きを言ふ。卷二十、みづ(70)ほなす可禮流身《カレルミ》ぞとはと有り。霜霑一本露霜と有るぞ善き。ソコモフニはソレヲオモフニなり。
 
反歌
 
467 時者霜。何時毛將有乎。情哀。伊去吾妹可。若子乎置而。
ときはしも。いつもあらむを。こころいたく。いにしわぎもか。わくごをおきて。
 
時も有るべきに、まだいわけなき子を捨て置きて死にし事よと言ふなり。ココロイタクは、ナサケナクモと言ふに同じ。ワギモカのカは哉の意。清《ス》むべし。
 參考 ○伊去吾妹可(古、新)イユクワギモカ ○若子乎置而(古)ワカキコヲ置《オキ》テ(新)ミドリゴヲオキテ、又は、ワカキコヲオキテ。
 
468 出行。道知末世波。豫。妹乎將留。塞毛置末思乎。
いでてゆく。みちしらませば。かねてより。いもをとどめむ。せきもおかましを。
 
豫はアラカジメとも訓むべし。
 參考 ○出行(古)イデユカス ○豫(考)カネテヨリ、又は、アラカジメ(古、新)アラカジメ。
 
469 妹之見師。屋前爾花咲。時者經去。吾泣涙。未干爾。
いもがみし。やどにはなさく。ときはへぬ。わがなくなみだ。いまだひなくに。
 
右の長歌の初句にも有る如く、宿に花咲きて、時を經たるを言へり。
(71) 參考 ○屋前爾花咲(古)略に同じ(新)ヤドノハナサキ。
 
悲緒未v息更作歌五首
 
470 如是耳。有家留物呼。妹毛吾毛。如千歳。憑有來。
かくのみに。ありけるものを。いももわれも。ちとせのごとも。たのみたりける。
 
かくばかりはかなき命にて有るを、千年相住むべき如くも頼みし事よとなり。
 參考 ○如千歳(古、新〕チトセノゴトク ○憑有來(古)タノミタリケリ(新)タノミタリケル。
 
471 離家。伊麻須吾妹乎。停不得。山隱都禮。情神毛奈思。
いへざかり。いますわぎもを。とどめかね。やまがくりつれ。こころどもなし。
 
卷五、とと尾《ミ》かねと書きたれば、トトミカネとも訓むべし。山隱は葬を言ふ。ツレバのバを略く例なり。妹をとどめかねて、終に妹が山隱れつれば、我|利心《トゴコロ》も無しとなり。
 參考 ○停不得(古)トドミカネ(新)略に同じ ○情神(考)タマシヒ、又は、ココロド(古、新)略に同じ。
 
472 世間之。常如此耳跡。可都知跡。痛情者。不忍都毛。
よのなかし。つねかくのみと。かつしれど。いたきこころは。しぬびかねつも。
 
ヨノ中シのシは助辭。さてシレドカツと心得べし。宣長云、忍の上得の字脱ちたり。
(72) 參考 ○痛情者(考)イタムココロハ (古)略に同じ。
 
473 佐保山爾。多奈引霞。毎見。妹乎思出。不泣日者無。
さほやまに。たなびくかすみ。みるごとに。いもをおもひでて。なかぬひはなし。
 
火葬の煙より、霞をもあはれむなり。
 參考 ○思出(古、新)オモヒデ。
 
474 昔許曾。外爾毛見之加。吾妹子之。奧槨常念者。波之吉佐寳山。
むかしこそ。よそにもみしか。わぎもこが。おくつきともへば。はしきさほやま。
 
ハシキは愛づる意なり。
 
十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舍人大伴宿禰家持作歌六首
 
續紀。天平十六年閏正月云云。安積親王縁2脚病1從2櫻井頓宮1還。丁丑薨。時年十七云云と有り。職員令内舎人九十人、掌3帶刀宿衛供奉雜使若駕行分2衛前後1とあり。
 
475 掛巻母。綾爾恐之。言卷毛。齋忌志伎可物。吾王。御子乃命。萬代爾。食賜麻思。大日本。久邇乃京者。打靡。春去奴禮婆。山邊爾波。花咲乎爲【爲ハ烏ノ誤】里。(73)河湍爾波。年魚小狹走。彌日異。榮時爾。逆言之。枉言登加聞。白細爾。舎人装束而。和豆香山。御輿立之而。久堅乃。天所知奴禮
。展轉。泥打雖泣。將爲須便毛奈思。
かけまくも。あやにかしこし。いはまくも。ゆゆしきかも。わがおほきみ。みこのみこと。よろづよに。めしたまはまし。おほやまと。くにのみやこは。うちなびく。はるさりぬれば。やまべには。はなさきををり。かはせには。あゆこさばしり。いやひけに。さかゆるときに。およづれの。まがごとと《たはことと》かも。しろたへに。とねりよそひて。わづかやま。みこしたたして。ひさかたの。あめしらしぬれ。こいまろび。ひづちなけども。せむすべもなし。
 
此皇子は儲がねにておはしけん。大日本、ここは大八洲の意なり。久邇京は山城國相樂郡なり。續紀、大養コ恭仁《オホヤマトクニノ》大宮と書けり。春サリヌレバも、春サレバに同じく、春ニ成リヌレバなり。乎烏里、今本に乎爲里とせるは誤なる事既に言へり。年魚小の小は子の誤りなるべし。日ニケニは日日ニと言ふに同じ。榮エシ時は、春のさかえを皇子の御榮に言ひ寄せたり。白タヘは白布の事なるを轉じて唯だ白き事に言ふ。白細布と有るべきを略き書けり。和豆香山、相樂郡。御コシは御葬の車なり。天シラシヌレは薨じ給ふを言ふ。此詞卷二にも出でたり。さて例のヌレバのバを略けり。コイマロビは臥シマロビなり。ヒヅチは既に出づ。
 參考 ○食賜麻思(代、古、新)ヲシタマハマシ(考)略に同じ ○枉言(考、古、新)タハコト。
 
反歌
 
(74)476 吾王。天所知牟登。不思者。於保爾曾見谿流。和豆香蘇麻山。
わがおほきみ。あめしらさむと。おもはねば。おほにぞみける。わづかそまやま。
 
太子がねの皇子《ミコ》なれば斯く言へり。オホはオボロケ、オホヨソなどの意なり。わづか山に葬りまつれば斯く言ふなり。
 
477 足檜木乃。山左倍光。咲花乃。散去如寸。吾王香聞。
あしびきの。やまさへひかり。さくはなの。ちりにしごとき。わがおほきみかも。
 
山も照るまでに咲ける色に譬へまつれり。
 参考 ○光(考〕テリテ(古、新)略に同じ ○散去如寸(古、新)チリヌルゴトキ。
 
右三首二月三日作歌。
 
478 掛卷毛。文爾恐之。吾王。皇子之命。物乃負能。八十伴男乎。召集。聚率比賜比。朝獵爾。鹿猪踐起。暮獵爾。鶉雉履立。大御馬之。口抑駐。御心乎。見爲明米之。活道山。木立之繁爾。咲花毛。移爾家里。世間者。(75)如此耳奈良之。丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。心振起。劔刀。腰爾取佩。梓弓。靭取負而。天地與。彌遠長爾。萬代爾。如此毛欲得跡。憑有之。皇子乃御門乃。五月蠅成。驟騷舍人者。白栲爾。服取著而。常有之。咲比振麻比。彌日異。更經見者。悲呂【呂ヲ召ニ誤ル】可毛。
かけまくも。あやにかしこし。わがおほきみ。みこのみこと。もののふの。やそとものをを。めしつどへ。あともひたまひ。あさがりに。ししふみおこし。ゆふがりに。とりふみたて。おほみまの。くちおしとどめ。みこころを。みしあきらめし。いくぢやま。こだちのしじに。さくはなも。うつろひにけり。よのなかは。かくのみならし。ますらをの。こころふりおこし。つるぎだち。こしにとりはき。あづさゆみ。ゆぎとりおひて。あめつちと。いやとほながに。よろづよに。かくしもがもと。たのめりし。みこのみかどの。さばへなす。さわぐとねりは。しろたへに。ころもとりきて。つねなりし。ゑまひふるまひ。いやひけに。かはらふみれば。かなしきろかも。
 
八十伴男は多くの部類を言ふ。アトモヒはイザナフに同じ。大ミマノ云云は、御馬をとどめて見はらし給ふなり。活道山は卷六に、天平十六年正月十一日登2活道岡1集2一株松下1飲歌とて、市原王家持卿などの歌あり。ここも同年二月にて、花も移ろひなど詠みたれば、久邇京より近きなるべし。續紀に藤原朝臣伊久治と言ふ女の名も見えたり。移ロヒニケリは薨じ給ふを言ふ。サバヘナス、枕詞。召は一本呂と有るを善しとす。ロは等と同じく助辭なり。古事記歌に登母志岐呂加母、其外例あり。
 參考 ○口抑駐(古、新)クチオサヘトメ ○見爲明米之(古、新)メシアキラメシ ○活道山(代、古)略に同じ(考)クメヂヤマ ○木立之繁爾(古)略に同じ(古)コダチノシゲニ。
 
(76)反歌
 
479 波之吉可聞。皇子之命乃。安里我欲比。見之活道乃。路波荒爾鷄里。
はしきかも。みこのみことの。ありがよひ。みししいくぢの。みちはあれにけり。
 
ハシキカモは、皇子《ミコ》を愛で褒むる詞。ミシシは見サセ給ヒシと言ふなり。長歌に見シ明ラメシの見シも同じ。常に狩におはせしが今絶えたるを言ふなり。
 參考 ○見之活道乃(考)メシシクメヂノ(古、新)メシシイクヂノ。
 
480 大伴之。名負靭帶而。萬代爾。憑之心。何所可將寄。
おほともの。なにおふゆぎおびて。よろづよに。たのみしこころ。いづくかよせむ。
 
神代紀一書に大伴連遠祖天忍日命云云。負2天磐靱1云云。立2天孫之前1云云。又景行紀に日本武尊甲斐國酒折宮に居まして、靱部を以て大伴連之遠祖武日に賜ふと見え、姓氏録大伴宿禰の條に、天孫天降りたまひし時の事を言ひて、然後以2大來目部1爲2靱負部1。天靱負之號起2於此1也云云など見ゆ。大伴の名におふ靱とは是れなり。
 參考 ○萬代爾(古)略に同じ(新)ヨロヨフ「跡」ト。
 
右三首三月二十四日作歌。
 
悲2傷死妻1高橋朝臣作歌一首并短歌
 
(77)481 白細之。袖指可倍?。靡寢。吾黒髪乃。眞白髪爾。成極。新世爾。共將有跡。玉緒乃。不絶射妹跡。結而石。事者不果。思有之。心者不遂。白妙之。手本矣別。丹杵火爾之。家從裳出而。緑兒乃。哭乎毛置而。朝霧。髣髴爲乍。山代乃。相樂山乃。山際。徃過奴禮婆。將云爲便。將爲便不知。吾妹子跡。左宿之妻屋爾。朝庭。出立偲。夕爾波。入居嘆舍【舍ハ合ノ誤】。腋挾腋鋏【挟ヲ狹ニ誤ル】。兒乃泣母【母ハ毎ノ誤】。雄自毛能。負見抱見。朝鳥之。啼耳哭管。雖戀
。効矣無跡。辭不問。物爾波在跡。吾妹子之。入爾之山乎。因鹿跡叙念。
しろたへの。そでさしかへて。なびきねし。わがくろかみの。ましらがに。ならむきはみ。あたらよに。ともにあらむと。たまのをの。たえじいいもと。むすびてし。ことははたさず。おもへりし。こころはとげず。しろたへの。たもとをわかれ。にきびにし。いへゆもいでて。みどりこの。なくをもおきて。あさぎりに。ほのになりつつ。やましろの。さがらかやまの。やまのまに。ゆきすぎぬれば。いはむすべ。せむすべしらに。わぎもこと。さねしつまやに。あしたには。いでたちしぬび。ゆふべには。いりゐなげかひ。わきばさむ。このなくごとに。をのこじもの。おひみいだきみ。あさとりの。ねのみなきつつ。こふれども。しるしをなみと。こととはぬ。ものにはあれど。わぎもこが。いりにしやまを。よすがとぞおもふ。
 
抽サシカヘテはサシカハシテなり。新世は卷一に藤原新京をアタラ代と詠めるによりて、久邇の新京の(78)事として、共ニアラムトは、此新京の末久しからん如く、吾も妻も共に長く住まんものと相かたらふなりと、翁は言はれき。宣長云、此アタラヨは唯だ世と言ふなり。卷二十、としつきはあたらあたらにあひみれどと詠めるも、新しきとしを重ぬる事なりと言へり。此説然るべし。射は助辭なり。此伊の助辭を詞の下に添ふる事上に既に言へり。射をヤと訓みたれど、ヤの假字に用ひたる例無し。事は言なり。ニキビニシは卷二、柔備爾之《ニキビニシ》家をさかりと有り。朝霧ノはホノと言はむ料なり。ホノニ成リツツは、相樂山へ葬り行くを見送りて、やうやくに遠く成り行くを言ふ。相樂山、古事記山代の相樂に到りて懸樹枝《サガリキノエダ》を取りて死なんとす。故其地を懸木と云ふ。今相樂と言ふよし有り。和名抄、相樂(佐加良加)とあれば、サガラカヤマと訓むべし。便一字にてスベと訓める例有り。サネシのサは發語。舍は合の誤にてナゲカヒなり。カヒはキを延べたる詞。挾今本狹とせるは誤なり。泣母の母は毎の誤にてナクゴトニと訓むべし。卷二、乞泣毎にと詠めり。ヲノコジモノ既に出づ。オヒミイダキミは負ヒモシ抱キモシなり。コトトハヌはモノイハヌなり。入リニシ山は葬リシ山なり。ヨスガは由縁處《ヨスガ》の意なり。宣長曰く、髣髴はオホニと訓みて、オホホシクの意なりと言へり。
 參考 ○成極(考)ナリキハムマデ、又は、ナレラムキハミ(古)カハラムキハミ(新)ナラムキハミ ○新世爾(古)アラタヨニ(新)略に同じ。○朝霧(古、新)アサギリノ ○髣髴爲乍(古、新)オホニナリツツ ○山際(考)ヤマノセニ(古)ヤマノマユ(新)ヤマノマヲ ○朝庭(古)アサニ(79)ハニ(新)略に同じ ○雄自毛能(古、新)ヲトコジモノ ○抱見(考)ムダキミ(古)ウダキミ(新)イダキミ、又は、ウダキミ。
 
反歌
 
482 打背見乃。世之事爾在者。外爾見之。山矣耶今者。因香跡【跡ヲ爾ニ誤ル】思波牟。
うつせみの。よのことなれば。よそにみし。やまをやいまは。よすがとおもはむ。
 
因香の下、爾一本跡と有るに由れり。卷十六、しがの山いたくな伐りそあらをらが余須可《ヨスガ》の山とみつつしぬばむ。
 
483 朝鳥之。啼耳鳴六。吾妹子爾。今亦更。逢因矣無。
あさとりの。なきのみなかむ。わぎもこに。いままたさらに。あふよしをなみ。
 
朝トリノ如クと言ふを略けり。宣長云、鳴六は之鳴の誤りにて、ネノミシナカユか。ナカムと言ふべき所にあらずと言へり。
 參考 ○啼耳鳴六(考)ネノミカナカム(古)ネノミシナカム(新)ネノミヤナカム。
 
右三首七月二十日高橋朝臣作歌也。名字未v審。但云奉膳之男子焉。
 
續紀、神護景雲二年、高橋安曇二氏の内膳司に任ずる者を以て奉膳とす云云と見え、式にも其由見ゆ。名字より下には後人の筆を加へしなるべし。
 
(80)萬葉集 卷第三 終
 
(81)卷三 追加
 
竹玉 もとは神代紀に言へる五百箇野篶八十玉籤《イホツヌススノヤソタマクジ》にて、玉を緒に貫きて、小竹に付けて、神を齋ふ事に用ひたるならんを、やや後に成りて、玉の代りに竹をくだの如く切りて、緒を貫けるなるべし。竹玉を八十玉くじの事としては、其竹に付けたるを、竹玉ヲシジニとは言ひ難し。さて其竹玉は−□−□−□−□−□−斯くの如く貫きたるなるべしと宣長言へり。
○抂言 抂はすべて狂の誤にて、タハコトと訓むべしと宣長言へり。卷十七、長歌に多婆許等《タハコト》と書ける有りてマガゴトと言へる假字書きも見えず。光仁紀の詔にも、多波許止とあればなり。さればすべて枉は狂の誤として、タハコトと訓まんぞ然るべき。字鏡に訛(太波己止)と見ゆ。
○天皇、皇祖 皇祖神の訓は、久老考に、スメロギと申すは皇祖の御事なり。故《カレ》當集多く皇祖と書けり。又天皇と書けるも皇祖の意に申せる所も有り。又皇祖と書きて、當代の天皇の如く聞ゆるもあれど、其れも御代御代に、廣く渡る事に言へり。正しく天皇をスメロギと申せる事は無し。古今集序などに、スメラギと有るは、スメロギの轉にて、當代の御事に申せるは、今の京に成りての事なるべしと言へり。宣長云、卷二十に家持卿の、すめろぎの御代よろづよと詠めるは、當代天皇の如く聞ゆれども、是れも御代御代天津日嗣を廣く申せるにもあらん。又家持卿の頃、既に轉じて當代の御事にも言へるか。カミロギには皇祖神、神祖など書けり。唯だ皇祖とのみ有るはスメロギなり。天皇をば、スメラとも、スメラミコトとも、オ(82)ホキミとも訓むべしと言へり。此説の如くならざれば、解き難たき事あり。猶次次に言ふべし。
 
(83)萬葉集 卷第四
 
相聞
 
難波天皇(ニ)妹《イモウトノミコ》奉d上在2山跡1皇兄《イロセノミコニ》u御歌一首
 
妹の上皇の字有るべし。天皇は仁コ天皇なり。皇子十人皇女九人おはしませば、何れと指し奉るべくもあらず。皇子は其皇子の御中なり。
 
484 一日社。人母待吉。長氣乎。如此耳待者。有不得勝。
ひとひこそ。ひともまちつげ。ながきけを。かくまたるれば。ありがてなくも。
 
ツゲは繼ぐ意にて待チツヅクルなり。長き氣は、月日久しく成るを言ふ。有リガテナクモは待ち堪へ難きなり。宣長は、所は耳の誤にて、カクノミマテバと有りしならんと言へり。
 參考 ○人母待告(古)ヒトヲモマチ「志」シ(新)ヒトモマツ「吉」ベキ ○如比所待者(古、新)カク「耳」ノミマテバ。
 
岳本天皇御製一首竝短歌
 
製の下、歌の字を落せり。
 
(84)485 神代從。生繼來者。人多。國爾波滿而。味村乃。去來者行跡。吾 戀流。君爾之不有者。晝波。日乃久流麻弖。夜者。夜之明流寸食。念乍。寐宿難爾登。【登ハ死弖二字ノ誤カ】阿可思通良久茂。長此夜乎。
かみよより。あれつぎくれば。ひとさはに。くににはみちて。あぢむらの。いざとはゆけど。わかこふる。きみにしあらねば。ひるは。ひのくるるまで。よるは。よのあくるきはみ。おもひつつ。いねがてにして。あかしつらくも。ながきこのよを。
 
アレ繼ギは生れ繼ぐなり。味ムラノ、枕詞。都の大路の人の誘《イザ》なひつれて行くさまなり。登は死弖二字の誤なるべし。又は管の誤にても有るべし。さらばイネガテニツツと訓むべし。イネガテニシツツのシを略く例有りと、翁は言はれき。アカシツラクモは、アカシツルを延べ言ふ。モは助辭。是れは舒明天皇、女を思召す由を詠ませ給へるなり。若し後岳本《ノチノヲカモト》の御歌とせば、齊明天皇未だ后に立ち給はぬ程に、舒明天皇を戀ひ奉らせて、詠み給へるともすべし。宣長云、去來、イサトハと訓みては聞えず。カヨヒハユケドと訓まんか。さてイネガテ爾と、登の言の間六言脱ちたるなるべし。試みに補はばイネガテニシテ君戀登《キミコフト》などかと言へり。
 參考 ○去來者行跡(古)サワギハユケド(新)カヨヒハユケド ○寐宿難爾登(考)イネガテニ「死弖」シテ(古)イネガテニ「乃三」ノミ(新)イネガテニシテキミマツトの宣長説を掲ぐ。
 
(85)反歌
 
486 山羽爾。味村騷。去奈禮騰。吾者左夫思惠。君二四不在者。
やまのはに。あぢむらさわぎ。ゆくなれど。われはさぶしゑ。きみにしあらねば。
 
あぢ鳧《ガモ》は多く群れ飛ぶ故に言へり。冠辭考味サハフの條に委し。サブシエはサビシヨと言ふに同じ。長歌に人サハニ滿チテハアレド云云と詠み給へる如く、味鳧を群れ行く人に譬へ給へり。
 
487 淡海路乃。鳥籠之山有。不知哉川。氣乃己呂【呂ハ乃ノ誤】其侶波。戀乍裳將有。
あふみぢの。とこのやまなる。いさやがは。けのこのごろは。こひつつもあらむ。
 
卷十二、狗上のとこの山なるいさや川とも詠めり。氣《ケ》は右に言へる如く、日日と言ふに同じ。宣長云、呂は乃の誤なりと言へるぞ善き。是れはイサヤ河と言ふ地の名を、やがて女の情をイサ不v知《シラズ》と言ふに取りなし給へり。末の繼橋と言ひて、直ちに繼ぎて思ふ事に言へる類なり。
 參考○氣乃己呂其侶波(代、考、新)ケノコロコロハ(古)略に同じ ○戀乍裳將有(新)コヒツツカアラム。
 
右今案。高市崗本宮後岡本宮二代二帝各有v異焉。担稱2岡本天皇1末v審2其指1。 後人の書き加へしなり。
 
額田王思2近江天皇1作歌一首
 
天皇は天智天皇なり。額田王初め天智天皇に召されしを、天武天皇太子にておはしませし時より、御心(86)を懸け給へる事、卷−の歌にて知らる。委しくは其所に言へり。
 
488 君待登。吾戀居者。我屋戸之。簾動之。秋風吹。
きみまつと。わがこひをれば。わがやどの。すだれうごかし。あきのかぜふく。
 
待つ心より見れば、簾の風に動くをも、君が入り來ますかと思はるると言ふなるべし。卷八に重出して、秋之風吹くと書けるに由る。
 
鏡王女作歌一首
 
天武配に天皇初娶2鏡王女1(今本女の字脱ちたり。釋日本紀に女の字有るに由る)額田姫王生2十市皇女1云云と見ゆ。ここに王女と有るは誤にて、鏡女王と有るべし。さて鏡女王は則ち鏡王の女にて、額田女王の姉と見ゆ。宣長云、此父王は近江野洲郡の鏡里に住み給ひし故に、鏡王と申せしならん。其女子ももと父の郷に住み給ひし故、鏡王と呼べるなり。然れども父と紛《マギ》るべき時は、女の方をば鏡女王と言ひて分ちたるならん。次に内大臣の娉《ヨバ》ひたる歌あるは、未だ天皇召し給はざりし前の事なるべき由言へり。
 
489 風乎太爾。戀流波乏之。風小谷。將來登時待者。何香將嘆。
かぜをだに。こふるはともし。かぜをだに。こむとしまたば。なにかなげかむ。
 
必ず來んものと思ひて待たば何かは嘆くべき。風だに戀ふる時は乏しくて必ずしも來ぬ故に嘆くなり。(87)宣長云、三の句の風ヲダニは、上なる詞を重ねたるのみなり。風ヲダニ戀ツルハトモシと言ふ二句を重ねいふ意なりと言へり。此歌は右の額田女王の、天皇へ奉れる歌を聞きて、斯く詠めりと見ゆ。右君侍ツトの歌と此歌共に卷八にも竝べ載せたり。
 
吹黄刀自歌二首 既出
 
490 眞野之浦乃。與騰乃繼橋。情由毛。思哉妹之。伊目爾之所見。
まぬのうらの。よどのつぎはし。こころゆも。おもへやいもが。いめにしみゆる。
 
眞野浦、攝津なり。水の淀みに渡せる橋なるべし。繼橋は今の瀬田の橋の如く、中に島の如き所有りて、また懸け渡せるを言ふなり。さて繼橋と言ふを、やがて繼ぎて思ふ意にとりなしたり。心ユモは心ヨリモなり。オモヘヤはオモヘバヤのバを略けり。伊目は夢なり。是れもとイメと言ひし證なり。寢て見るものなればイメとは言ふなりと契沖言へり。此歌妹と言へるからは男の歌なり。吹黄刀自へ男より贈ると言へる端詞有りしが落ち失せたりと見ゆ。さて次の歌は、刀自が和《コタ》へ歌と見ゆれば、ここも端詞亂れ失せたるなるべし。
 
491 河上乃。伊都藻之花乃。何時何時。來益我背子。時自異目八方。
かはのへの。いつものはなの。いつもいつも。きませわがせこ。ときじけめやも。
 
イツは五百津にて、多く生ひたる藻と言ふなるべし。さてイツモイツモと言はん序のみ。自異は假字に(88)て、時ならぬと言ふ事無く、いつにてもと言ふなり。此ヤモの詞は反語にて、時ジケメヤ、時ジク事ナクと言ふなり。
 參考 ○河上乃(古)カハカミノ。
 
田部忌寸|櫟子《イチヒコ》任2太宰1時歌四首 傳知られず。
 
492 衣手爾。取等騰己保里。哭兒爾毛。益有吾乎。置而如何將爲。 元舍人千年
ころもでに。とりとどこほり。なくこにも。まされるわれを。おきていかにせむ。
 
母の衣に兒の縋り哭くに勝《マサ》りて別を惜むとなり。元暦本に作者の名あり。櫟子が旅立つ時、此千年が詠めると見ゆ。
 參考 ○益有吾乎(新)マサレル「君」キミヲ。
 
493 置而行者。妹將戀可聞。敷細乃。黒髪布而。長此夜乎。 元田部忌寸櫟子
おきてゆかば。いもこひむかも。しきたへの。くろかみしきて。ながきこのよを。
 
元暦本に據るに、是れ櫟子が歌なり。是れは右の答には有らず。妹は櫟子が妻を言ふ、クロカミシキテは、妹が髪の自《オノヅカ》ら下に敷かるるを言ふ。
 
494 吾妹兒乎。相令知。人乎許曾。戀之益者。恨三念。
わがもこを。あひしらしめし。ひとをこそ。こひのまされば。うらめしみもへ。
 
(89)初めに媒せし人を、今は中中に恨み思ふとなり。是れも櫟子なり。
 參考 ○相令知(考)アヒシラセヌル(古)略に同じ。
 
495 朝日影。爾保敝流山爾。照月乃。不厭君乎。山越爾置手。
あさひかげ。にほへるやまに。てるつきの。あかざる|きみを《元いもを》。やまごしにおきて。
 
有明の景色の面白きを言ひて、やがて厭かざると言はん序とせり。櫟子が旅立つ時、妻を置きて別るるを悲めるか。又は君と言へるからは、右の千年などを指して言へるか。
 
柿本朝臣人麻呂歌四首
 
496 三熊野之。浦乃濱木綿。百重成。心者雖念。直不相鴨。
みくまぬの。うらのはまゆふ。ももへなす。こころはもへど。ただにあはぬかも。
 
熊野は紀伊、ミは眞なり。濱ユフは今濱オモトと言ふ。其莖の皮幾重も重なりて、七月花咲けり。花の形、木綿《ユフ》の如く白く垂るれば然か言ふならん。今も熊野の濱べに多しとぞ。其皮の重なれるをもて、百重に重なれる如くと言はん序に設けたり。タダニアハヌカモは、タダチニ相見ヌと言ふなり。
 
497 古爾。有兼人毛。如吾歟。妹爾戀乍。宿不勝家牟。
いにしへに。ありけむひとも。わがごとか。いもにこひつつ。いねがてにけむ。
 
古ニ在リケム人は、誰と指せる事にはあらず。イネガテニケムは、イネガタクシニケムなり。
(90) 參考 ○宿不勝家牟(代、新)イネガテズケム(考、古)略に同じ。
 
498 今耳之。行事庭不有。古。人曾益而。哭左倍鳴四。
いまのみの。わざにはあらず。いにしへの。ひとぞまさりて。なきさへなきし。
 
我如く苦しき戀の、いにしへ人も有りし習ひなりと言ひて、自ら尉むるなり。
 參考 ○哭左倍鳴四、(考、古、新)ネニサヘナキシ。
 
499 百重二物。來及毳常。念鴨。公之使乃。雖見不飽有哉。
ももへにも。きおよべかもと。おもへかも。きみがつかひの。みれどあかざらむ。
 
及ブは重ぬる意にて、使の幾度も來よかしと、心に思へばかも、來れど來れど使を厭かず思ふと言ふなり。宣長は二の句キタリシケカモにて句として、三の句トオモヘカモと訓まんと言へり。哉は武の誤なるべし。
 參考 ○來乃毳常(代)キシケカモト(考)シキシケカモト(古、新)キシカヌカモト。
 
碁檀越《コノダンヲチ》往2伊勢國1時留妻作歌一首
 
碁は氏、檀越は名なるべけれど、物に見えず。碁、古本及目録に基に作る。
 
500 神風之。伊勢乃濱荻。折伏。客宿也將爲。荒濱邊爾。
かむかぜの。いせのはまをぎ。をりふせて。たびねやすらむ。あらきはまべに。
 
神風ノ、枕詞。和名抄、荻(和名乎木)これは濱に生ひたる荻なり。蘆とは異る物なり。
 
(91)柿本朝臣人麻呂歌三首
 
501 未通女等之。袖振山乃。水垣之。久時從。憶寸吾者。
をとめらが。そでふるやまの。みづがきの。ひさしきときゆ。おもひきわれは。
 
ヲトメラガ、枕詞。大和石上の布留山に抽振ると言ひ下したり。ミヅガキノ、枕詞。唯だ早くより我は思ひけりと言へるのみ。巻十一、同歌を載せて、久シキ時由《トキユ》と書けり。
 
502 夏野去。小牡鹿之角乃。束間毛。妹之心乎。忘而念哉。
なつぬゆく。をしかのつぬの。つかのまも。いもがこころを。わすれてもへや。
 
鹿は夏の初めに角落ちて生ひ變るが、未だ短ければ、束ノ間と言はん序とせり。心は暫しも思ひ忘れんやと言ふなり。
 
503 珠衣乃。狹藍左謂沈。家妹爾。物不語來而。思金津裳。
たまぎぬの。さゐさゐしづみ。いへのいもに。ものいはずきて。おもひかねつも。
 
珠衣は冠辭考に、卷十四、安利伎奴乃、巻十六、蟻衣之と書けるに由りて、珠衣をもアリギヌと訓めれど、猶思ふ旨あれば、暫くここは古訓に從へり。附録に言ふべし。サヰサヰはサヤギサヤギなり。シヅミは鎭メなり。夫の遠き旅に出で立つ時、妻が歎き騒ぐを鎭めんとて、物をもえ能く言はで別れ來て、今更に思ひ堪へ難しと言ふ意なり。卷二十、水鳥の立ちのいそぎに父母に物いはずきて今ぞ悔しきとも(92)詠めり。此歌卷十四東歌に、安利伎奴乃|佐惠佐惠之豆美《サヱサヱシヅミ》云云、末は於毛比具流之母《オモヒグルシモ》とて載せたり。全く同歌なり。右歌の左に人麻呂歌集中に出づと記せり。此歌集にはみづからのも、又他人の歌をも、聞くに任せて書きたりと見ゆれば、人麻呂の歌とも定め難く、右歌集は殊に東歌の撰よりも後の物と見ゆれば、東歌に載せたるを本とすべく覺ゆ。
 參考 ○珠衣乃(考、古)アリギヌノ(新)略に同じ ○狹藍左謂沈(新)サヰサヰ「染」シミ ○物不語來而(古)モノイハズキニテ(新)略に同じ。
 
柿本朝臣人麻呂妻歌一首
 
504 君家爾。吾住坂乃。家道乎毛。吾者不忘。命不死者。
きみがいへに。われすみさかの。いへぢをも。われはわすれじ。いのちしなずは。
 
神武紀、菟田《ウダ》高倉山の巓に登りて、國中を見給ふ事有りて、墨坂に?炭を置くと有り。大和宇陀郡なり。此妻は卷三人麻呂長歌に、天飛や輕の道をば吾妹子が、里にしあればと言へりし妻か。さて輕は高市郡にて、墨坂は往きかふ道にやと、翁は言はれき。宣長云、此歌君ガ家ニ吾と言ふ意は、唯だ住と言はん序のみか。又は坂は誤字ならんか。かにかくに宇陀の墨坂とは思はれず。彼地は大和の東の邊地にて、京人の常に行き通ふべき所には有らずと言へり。古へ女の許へ通ふを住むと言へり。伊勢物語に、業平の有常が女に住みしなどの類ひなり。是れは女の歌なれば斯くは言ふべからず。是等も訝《イブ》かし。猶考ふ(93)べし。
 參考 ○君家爾(古)キミガヘニ ○吾住坂乃(古)ワガスミサカノ(新)略に同じ。
 
安倍《アベノ》女郎歌二首 目録に阿部と書けり。
 
505 今更。何乎可將念。打靡。情者君爾。緑爾之物乎。
いまさらに。なにをかおもはむ。うちなびき。こころはきみに。よりにしものを。
 
卷十四、道のべのを花が下の思草今更に何物かおもはむとも詠めり。
 
506 吾背子波。物莫念。事之有者。火爾毛水爾毛。吾莫七國。
わがせこは。ものなおもひそ。ことしあらば。ひにもみづにも。われなけなくに。
 
卷一、吾大きみ物なおもほしすめがみのつぎてたまへる吾|莫勿久爾《ナケナクニ》と有る所に委しく言へる如く、ナケナクニとは、吾ナカラナクニと言ふ意にて、たとへ火に入り水に入る程の事有りとも、吾あるからは、物念ふ事なかれと言へるなり。卷九菟原處女の歌に、水に入り火にも入らむと立ちむかひ云云。垂仁天皇の皇后狹穗火に入り給ひ、日本武尊の妃橘姫の水に入りしなどの古事もあれど、それまでも有るまじきなり。
 
駿河(ノ)?女《ウネメ》歌一首
 
古書に?女を綵と書けり。
 
507 敷細乃。枕從久久流。涙二曾。浮宿乎思家類。戀乃繁爾。
(94)しきたへの。まくらゆくくる。なみだにぞ。うきねをしける。こひのしげきに。
 
枕よりくぐるなり。古今集、涙川枕ながるるうきねにぞと詠めるも、此歌より詠みしなるべし。
 
三方沙彌歌一首
 
508 衣乎乃。別今夜從。妹毛吾母。甚戀名。相因乎奈美。
ころもでの。わかるこよひゆ。いももわれも。いたくこひむな。あふよしをなみ。
 
常の後朝の別には有らで、故有りて再び逢ひ雛き別なるべし。
 
丹比眞人笠《タヂヒノマヒトカサ》麻呂下2筑紫國1時作歌一首并短歌
 
丹比は紀に多治比氏あり。笠麻呂は傳知られず。
 
509 臣女乃。匣爾乘有。鏡成。見津乃濱邊爾。狹丹頬相。紐解不離。吾味兒爾。戀乍居者。明晩乃。且霧隱。鳴多頭乃。哭耳之所哭。吾戀流。千重乃一隔母。名草漏。情毛有哉跡。家當。吾立見者。青※[弓+其]乃。葛木山爾。多奈引流。白雲隱。天佐我留。夷乃國邊爾。直向。淡路乎過。粟島乎。背(95)爾見管。朝名寸二。水手之音喚。暮名寸二。梶之聲爲乍。浪上乎。吾十行左具久美。磐間乎。射往廻。稻日都麻。浦箕乎過而。鳥自物。魚津左比去者。家乃島。荒磯之字倍爾。打靡。四時二生有。莫告我。奈騰可聞妹爾。不告來二計謀。
たをやめ《みやびめ》の。くしげにのれる。かがみなす。みつのはまべに。さにづらふ。ひもときさけず。わぎもこに。こひつつをれば。あけぐれの。あさぎりがくり。なくたづの。ねのみしなかゆ。わがこふる。ちへのひとへも。なぐさもる。こころもあれやと。いへのあたり。わがたちみれば。あをはたの。かづらきやまに。たなびける。しらくもがくり。あまざかる。ひなのくにべに。ただむかひ。あはぢをすぎ。あはしまを。そがひにみつつ。あさなぎに。かこのこゑよび。ゆふなぎに。かぢのとしつつ。なみのへを。いゆきさぐくみ。いはのまを。いゆきもとほり。いなびづま。うらみをすぎて。とりじもの。なづさひゆけば。いへのしま。ありそのうへに。うちなびき。しじにおひたる。なのりそも。などかもいもに。のらずきにけむ。
 
臣女マウトメと訓みたれど、然《サ》る詞の例無し。此二字は姫の字の誤れるにてタヲヤメと訓まんか。又臣女、ミヤビメとも訓むべし。宣長は臣は少の誤にてヲトメノかと言へり。鏡ナスは鏡の如くなり。三津は難波、サニヅラフは紅なる事の枕辭なれば、赤紐と續けたり。さて紐解かず旅居するなり。アケグレは、夜の明方まだ暗き程を言ふ。すべてクレと言ふはクラキ事なり。木のクレなども然り。鳴クタヅは、其朝の景色をやがて序に設けて、己が泣くに言ひ下したり。ナグサモルは慰ムルなり。※[弓+其]は柳の字の誤ならん。然らばアヲヤギと訓むべし。カヅラキと言ふへ冠らせたる詞なり。天ザカル、枕詞。カの詞濁音の字用ひたる例無し。我は柯の字などの誤れるにや。粟島は卷三、武庫の浦を?ぎたむをぶね粟島をそがひに見つつと詠める所に同じ。ソガヒは背向《ソガヒ》にてウシロに見ナスなり。イ行キサグクミのイは發語、祈年祭祝詞に磐根木(ノ)根|履佐久彌?《フミサクミテ》と云ふに同じく、踏分けなど言ふに同じ。稻日都麻は播磨印(96)南郡に附ける海中の島なるべし。卷六、伊奈美都麻辛荷《イナミヅマカラニノ》島と續けたり。浦箕は海べをウナビと言ふに同じく、浦ビなるをヒとミは通へれはウラミと言へりと翁は言はれき。宣長は、すべて浦廻と書きてもウラワと訓むは惡ろし。假名書皆うら麻とあればウラマと訓むべし。ここも其マとミと通へば、ウラミは則ちウラマなりと言へり。鳥自物は水鳥ノ如クと言ふ意。ナヅサヒは既に言へり。家島、神名帳に播磨|揖保《イホ》郡家島神社有り。後世繪島と云ふなりと言ふ説あれど強ひ言なり。ナノリソモは濱菜に同じ。允恭紀衣通姫の歌に、海の濱藻の寄る時時にと言ふを、天皇此歌他人に聞かすべからず。皇后恨み給はんとのたまひしより、時人濱藻を奈能利曾毛と言へる事既に言へり。さて告《ノ》ラズと言はん料なり。宣長云、莫告の下我は茂の誤にて、ナノリソモと訓むべしと言へり。
 參考 ○臣女乃(代)マヲトメノ(考、古)オミノメノ(新)タワヤメノ ○匣爾乘有(考)クシゲニノスル(古)クシゲニ「齋」イツク(新)略に同じ ○名草漏(代、考、新)略に同じ(古)ナグサムル ○有裁跡(考)アルヤト(古)略に同じ(新)アリヤト ○直向(考、古、新)タダムカフ ○淡路乎過(考)アハヂヲスグリ(古)略に同じ ○浪上乎(新)ナミノウヘヲ ○莫告我(古、新)ナノリソ「能」ノ。
 
反歌
 
510 白妙乃。袖解更而。還來武。月日乎數而。往而來猿尾。
(97)しろたへの。そでときかへて。かへりこむ。つきひをよみて。ゆきてこましを。
 
袖は紐の誤にて、ヒモトキカヘテなるべし。上二句は相寢し事を云ふ。さて歸り來ん月日をいつ頃と數へて、妹にも其由を告げて、筑紫へ往きて來んものを、然《サ》る事も言はずて立ちにしを悔ゆる意なり。長歌の結句にノラズキニケムと言ふにて知らるる由、翁は言はれき。宣長は本のままにて、袖解キカヘテとは、袖を解き放して、男女互に形見として行くなりと言へり。
 參考 ○袖師更而(考)「紐」ヒモトキカヘテ(古〕ソデトキカヘテ。
 
幸2伊勢國1時當麻麻呂大夫妻作歌一首
 
511 吾背子者。何處將行。已津物。隱之山乎。今日歟超良武。
わがせこは。いづくゆくらむ。おきつもの。なばりのやまを。けふかこゆらむ。
 
此歌卷一に有り。ここに重ねて載せたり。
 參考 ○何處(考)イヅコ(古)略に同じ。
 
草孃歌一首
 
草の下香を落せしか。然らばクサカノイラツメと訓むべし。
 
512 秋田之。穗田乃刈婆加。香縁相者。後所毛加人之。吾乎事將成。
あきのたの。ほだのかりばか。かよりあはば。そこもかひとの。わをことなさむ。
 
(98)穗田は刈リゴロノ田なり。刈婆加は刈計りの略にて、稻の刈る程になれるを言ふなるべし、香ヨリアハバの香は發語。さて刈る程に成れば稻みのりて靡き寄り合ふを、男女の合ふに譬へたるならん。末は然か寄り會ひ居たらば、其れをも人の言繁く言ひ騷がんと言へるなりと、翁は言はれき。卷十、秋の田の吾刈婆可の過ぎぬれば、卷十六、草《カヤ》刈婆可爾なども有り。宣長云、刈バカとは田を植うるにも刈るにも、其外にも、一ハカ二ハカなど言ふ事有り。男女相交はりて、其ハカを分けて植ゑも刈りもするなり。カヨリアフとは、其一ハカの内の者は寄り合ひ竝びて物する故に、斯く續け言へり。ハカの事は今の世にも言ふ事にて、例へば一つ田を三つに分けて、一ハカ二ハカと立てて、一ハカより植ゑ始め刈り始めて、二ハカ三ハカと植ゑ終り、刈り終る事なりと言へり。斯くてはカヨリアフと言ふに善くかなへり。猶田舍人に問ふべし。
 
志貴皇子御歌一首
 
513 大原之。此市柴乃。何時鹿【鹿頗ヲ庶ニ誤ル】跡。吾念妹爾。今夜相有香裳。
おほはらの。このいちしばの。いつしかと。わがもふいもに。こよひあへるかも。
 
大原は大和なり。卷二に吾岡にみ雪ふりたり大原のふりにし郷にふらまくは後とある大原なり。イチシバは櫟《イチヒ》柴なり。イツシカと言ふ序のみ。卷十一、道のべの五柴原のいつもいつもと詠めるも同じ。
 
阿倍女郎歌一首
 
(99)514 吾背子之。蓋世流衣之。針目不落。入爾家良之。我情副。
わがせこが。けせるころもの。はりめおちず。いりにけらし|も《な》。わがこころさへ。  
古事記、那賀祈勢流《ナガケセル》【勢ヲ今藝ニ誤ル】おすひのすそに云云、此ケセルは着る事の古言なり。蓋は音を取れり。良之の下毛か奈の字か落ちたるなり。針メ落チズは針目も殘さずの意、入リニケラシはオモヒ入ルを言ふ。
 參考 ○家良之(考、古、新)ケラシ「奈」ナ。
 
中臣朝臣東人贈2阿倍女郎1歌一首
 
續紀和銅四年從五位下と見ゆ。
 
515 獨宿而。絶西紐緒。忌見跡。世武爲便不知。哭耳之曾泣。
ひとりねて。たえにしひもを。ゆゆしみと。せむすべしらに。ねのみしぞなく。
 
久しき獨寢を言ふ。ユユシミとは、ユユシサニと言ふ意なり。卷十二、針はあれど妹しなければつけむやと我をなやまし絶ゆる紐の緒と言へるに同じ。
 
阿倍女郎答歌一首
 
516 吾以在。三相二搓流。絲用而。附手盛物。今曾悔寸。
わがもたる。みつあひによれる。いともちて。つけてましもの。いまぞくやしき。
 
(100)孝コ紀、三絞之綱云云。出雲風土記、三身之綱打挂弖云云【身ハ交ノ誤カ】共にミツアヒノツナと訓むべし。三つ組に縒《ヨ》れるにて、強く絶え難き糸を言ふ。搓は廣蒼云、以v手搓v糸爲v綫。
 
大納言兼大將軍大伴卿歌一首
 
安麻呂卿か御行卿なるべし。
 
517 神樹爾毛。手者觸云乎。打細丹。人妻跡云者。不觸物可聞。
さかきにも。てはふるとふを。うつたへに。ひとづまといへば。ふれぬものかも。
 
ウツタヘは打ツは詞、タヘは堪への意にて.ヒタスラニと言ふ意に言へり。下に、うま酒をみわの祝がいはふ杉手觸し罪か君に逢ひがたきと有るに似たり。宣長云、神樹、カミキと訓むべし。サカキとては、唯だ山に有るさか木にまがひて、此歌に叶はずと言へり。
 參考 ○神樹(代)カミキ(考)ミケ(古、新)カムキ ○手者觸云乎(代)テハフルテフヲ(古)テハフルチフヲ。
 
石川郎女歌一首 元即佐保大伴大家也。
 
安麻呂の妻なり。
 
518 春日野之。山邊道乎。與曾理無。通之君我。不所見許呂香裳。
かすがぬの。やまべのみちを。よそりなく。かよひしきみが。みえぬころかも。
 
(101)ヨソリナクは、寄るべき便りも無き意なり。卷十四、和爾余曾利は吾ニ依リなり。其外にも此詞見ゆ。元暦本與を於に作る。オゾリナクは、恐れ憚る事も無き意と聞ゆれど雅《ミヤ》びならず。
 
大伴女郎歌一首 元今城王之母也。今城王後賜2大原眞人氏1也。
 
旅人卿の妻にて、太宰府にて死にしなり。
 
519 雨障。常爲公者。久堅乃。昨夜雨爾。將懲鴨。
あまざはり。つねするきみは。ひさかたの。きのふのあめに。こりにけむかも。
 
雨ザハリは、雨に憚りて家を出でぬを言ふ。此下に、いそのかみふるとも雨にさはらめやとも詠めり。又次に雨乍見と有れば、雨障と書きても、アマヅツミと訓まんと宣長は言へり。公は男を指す。
 參考 ○雨障(古)アマヅツミ(新)略に同じ ○昨夜雨爾(代)ヨムベノアメニ(考)ヨフベノアメニ(古)キソノアメニ(新)キソノヨノアメニ。
 
後人|追和《オヒテコタフル》歌一首
 
今和を同とせり。一本に據りて改む。
 
520 久堅乃。雨毛落糠。雨乍見。於君副而。此日令晩。
ひさかたの。あめもふらぬか。あまづつみ。きみにたぐひて。このひくらさむ。
 
フラヌカは、フレカシナと言ふなり。雨ヅツミは、雨ヅツシミの略。
(102) 參考 ○於君副而(考)キミニヨソリテ(古、新)略に同じ。
 
藤原|宇合《ウマカヒノ》大夫遷v任上v京時常陸娘子贈歌一首
 
續紀養老三年七月、常陸國守正五位上藤原朝臣宇合管2安房上總下總三國1とあり。同紀馬養とも書きて同人なり。馬養はウマカヒと訓むべければ、宇合も然か唱ふべし。斯く字音を用ひたるは古書に例多し。贈太政大臣不比等第三子也と見ゆ。
 
521 庭立。麻乎【手ハ乎ノ誤】刈干。布慕。東女乎。忘賜名。
にはにたち。あさをかりほし。しきしのぶ。あづまをみなを。わすれたまふな。
 
本は賤が家のさまなり。卷九、小垣内の麻|矣《ヲ》苅干と有れば、ここも手は乎の誤りなり。麻手小ブスマとは事異なり。さて庭ニタチは、麻の事には有らず。おのれ庭に下り立ちて麻を刈るを言ふ。刈れる麻がらを敷並べて干すをもてシキシノブと言ひ下したり。シキシノブは重ね重ね慕ふ意。東女は自《みづか》ら言ふなり。
 參考 ○庭立(考)ニハニタツ(古、新)略に同じ。○布慕(考)シキシタフ(古、新)ツキシヌブ。
 
京職大夫藤原大夫賜2大伴郎【郎ヲ良ニ訳ル】女歌三首
 
目録に原下麻呂の字有り。ここは脱ちたり。續紀養老五年六月。從四位上藤原朝臣麻呂爲2左右京大夫1と見ゆ。贈と有るべきを賜と書ける事、集中に多し。通じ書けるなり。
 
522 ※[女+感]嬬等之。珠篋有。玉櫛乃。神家武毛。妹爾阿波受有者。
(103)をとめらが。たまくしげなる。たまぐしの。かみさびけむも。いもにあはずあれば。
 
神家武、古訓メヅラシケムモと有るは由無し。契沖カミサビケムモと訓める方まされり。神サビは、すべて古びたる事を言ふ。櫛の垢づき古りたるを言へり。玉は褒め言ふのみ。神サビケムモのモはカモの略。末は唯だ逢はぬと言ふのみなり。源氏物語若菜上の卷に、さしながら昔を今に傳ふれば、玉の小櫛《ヲグシ》ぞ神さびにける。此歌をや思ひ寄りけん。宣長は神は誤字ならんか、猶善く考ふべしと言へり。
 參考 ○神家武毛(古、新)タマシヒケムモ ○有者(新)アラバ。
 
523 好渡。人者年母。有云乎。何時間曾毛。吾戀爾來。
よくわたる。ひとはとしにも。ありとふを。いつのまにぞも。わがこひにける。
 
卷十三、年わたるまでにも人はありとふをいつのひまぞもわがこひにけると全く同じ。此ワタルは逢はずして、堪へて程を經渡るを言ひて、能く堪ふる人は、一年も堪へて在りと言ふを、吾は逢ひて程も無きに戀ふると言ふなり。
 參考 ○有云乎(代)アリトイフヲ(古)アリチフヲ。
 
524 蒸【烝ハ蒸ノ誤】被。奈胡也我下丹。雖臥。與妹不宿者。肌之寒霜。
むしぶすま。なごやがしたに。ふしたれど。いもとしねねば。はだしさむしも。
 
古事記八千矛神のみ歌に、牟斯夫須摩《ムシブスマ》なごやがしたに云云、あたたかなる衾の和《ナゴ》やかなるを言ふ。烝は(104)蒸の誤なり。三の句コヤセレドと翁は訓まれき。コヤスは臥すなり。二のシは助辭なり。霜はシモの詞に假りて書けり。
 參考 ○奈胡也我下丹(新)「尓」ニコヤガシタニ○雖臥(考、新)フセレドモ。
 
大伴郎女和(ル)歌四首  大伴の下、坂上の字を落せるか。
 
525 狹穗河乃。小石踐渡。夜干玉之。黒馬之來夜者。年爾母有糠。
さほがはの。さざれふみわたり。ぬばたまの。こまのくるよは。としにもあらぬか。
 
和名抄、細石説文云礫(佐佐禮以之)ヌバタマノ、枕詞。アラヌカは、アレカシと言ふにて、せめて年に一たびなりとも、變らず來れかしとなり。宣長云、黒の字はコクの音を取れるなり。烏梅《ウメ》と書ける梅《メ》の字の如し。さてヌバ玉ノは下の夜と言ふへ懸れりと言へり。
 參考 ○小石(新)コイシ ○黒馬之來夜者(代)クロマ(考)コマシクルヨハ(古、所)クロマノクヨハ。
 
526 千鳥鳴。佐保乃河瀬之。小浪。止時毛無。吾戀爾。【爾ハ者ノ誤】
ちどりなく。さほのかはせの。さざれなみ。やむときもなし。わがこふらくは。
 
本は序なり。コフラクはコフルを延べ言ふ。元暦本爾を者に作るを善しとす。
 
527 將來云毛。不來時有乎。不來云乎。將來常者不待。不來云物乎。
(105)こむといふも。こぬときあるを。こじといふを。こむとはまたじ。こじといふものを。
 
來んと言ふ人だに來ぬ事もあるに、まして來たるまじと言へば、來らんと思ひては持たじ、來らじと言ふものをと、くり返し言ふなり。
 參考 ○將來云(代)コンテフモ(考)コントフモ(古、新)略に同じ ○不來云乎(考)コジトフヲ(古)略に同じ。
 
528 千鳥鳴。佐保乃河門乃。瀬乎廣彌。打橋渡須。奈我來跡念者。
ちどりなく。さほのかはとの。せをひろみ。うちはしわたす。ながくともへば。
 
打橋は既に言へり。ナガクトモヘバは、汝ガ來ト思ヘバなり。
 
右郎女者。佐保大納言卿之女也。初嫁2一品穗積皇子。被v寵無v儔。而皇子薨之後時藤原麻呂大夫娉2之郎女1焉。郎女家2於坂上里1。仍族【族ヲ※[弓+矣]ニ誤ル】氏號曰2坂上郎女1也。
 
佐保大大納言は安麻呂卿なり。郎女は家持卿の叔母にて又姑なり。
 
又大伴坂上郎女歌一首
 
529 佐保河乃。涯之官能。小歴木莫刈鳥【鳥ハ焉ノ誤】。在乍毛。張之來者。立隱金。
さほがはの。きしのつかさの。しばなかりそ【元わかくぬきなかりそ】。ありつつも。はるしきたらば。たちかくるがね。
 
旋頭歌なり。ツカサは高き所を言ふ。古事記歌、やまとのこのたけちにこたかる伊知能都加佐《イチノツカサ》とも有り。(106)歴木はクヌギなり。小きを柴に刈りて燒けば斯く書けり。鳥は焉の誤。集中ゾともヤとも訓むべき多し。アリツツモは在り在りてなり。張は借字にて春なり。シは助辭。君と共に立ち隱れて忍び逢はんと言ふなり。ガネは既に言へり。
 參考 ○小歴木莫刈鳥(考、古、新)シバナカリソネ。鳥を烏の誤とす ○立隱金(考)タチカクレカネ(古)略に同じ。
 
天皇賜2海上《ウナカミノ》女王1御歌一首
 
續紀養老七年正月從四位下と見ゆ。天皇は聖武天皇なり。御の下製字を落せり。
 
530 赤駒之。越馬柵乃。緘結師。妹惰者。疑毛奈思。
あかごまの。こゆるうませの。しめゆひし。いもがこころは。うたがひもなし。
 
馬柵をウマヲリと訓みたれど、宣長云、卷十四、宇麻勢胡之《ウマセゴシ》云云、卷十二、??越爾、これもウマセゴシニと訓むべければ、ここもウマセと訓むべし。セはセキなるべしと言へるぞ善き。
 參考 ○馬柵乃(考)マヲリノ(古)略に同じ(新)コサヌウマセノ。
 
右今案、此歌擬古之作也。但以2往當便1賜2斯歌1歟。
 
源道別云、擬は疑の誤、往は時の誤にて、且つ當時と有りしが轉倒したるならん。さらば疑《ウタガフラクハ》古之作也。但以2當時便1云云と有りしなるべし。卷十八、以2古人之跡1代2今日之意1、また卷十五、當所誦2詠古歌1(107)など言へる類ひなりと言へり。此説に由るべし。契沖は文選擬古詩の事を引きて、くさぐさあげつらへれど、ことわりさだかにも聞えず。歌に然《サ》る例無ければ取るべからず。
 
海上《ウナカミノ》女王奉v和歌一首  元志貴皇子之女也。
 
531 梓弓。爪引夜音之。遠音爾毛。君之御幸乎。聞之好毛。
あづさゆみ。つまびくよとの。とほとにも。きみがみゆきを。きくはしよしも。
 
幸は事の字の誤ならん。ミコトと訓むべし。事は借字にて御言なり。隨身が夜の陣に弦を鳴らすを爪引と言ふ。ヨトノトホトは、二つながらオトのオを略きて重ね言ふなり。よそながらも君がのり給ふ御言を聞けばよろしきとなり。
 參考 ○御幸乎(考、古、新)「御事」ミコトヲ ○聞之好毛(代、新)キカクシ(考)略に同じ(古)キカクシヨシモ。
 
大伴|宿奈《スクナ》麻呂宿禰歌二首首  元佐保大納言第三之子也。
 
續紀養老三年、備後守正五位下管2安藝周防二國1と見ゆ。此國より女を貢せし時の歌か。
 
532 打日指。宮爾行兒乎。眞悲見。留者苦。聽去者爲便無。
うちひさす。みやにゆくこを。まがなしみ。とむればくるし。やればすべなし。
 
打日サスは枕詞。マガナシミは、集中カナシキ子ラなど言へるに等しく、愛づる意。マは褒むる詞なり。(108)去るを許すは遣《ヤ》るなれば義をもて聽去と書けり。
 參考 ○留者苦(古)トドムハクルシ(新)略に同じ。
 
533 難波方。鹽干之名凝。飽左右二。人之見兒乎。吾四乏毛。
なにはがた。しほひのなごり。あくまでに。ひとのみるこを。われしともしも。
 
ナゴリは餘波なり。其景色の面白きを愛づる如く、人人の飽かず見るべき妹を、吾は見る事の少なしとなり。卷七、なごの海の朝けのなごりけふもかもいその浦まに亂れてあらむとも詠めり。
 參考 ○人之見兒乎(古)人ノミムコヲ(新)略に同じ。
 
安貴王謌一首竝短歌
 
534 遠嬬。此間不在者。玉桙之。道乎多遠見。思空。安莫國。嘆虚。不安物乎。水空往。雲爾毛欲成。高飛。鳥爾毛欲成。明日去而。於妹言問。爲吾。妹毛事無。爲妹。吾毛事無久。今裳見如。副而毛欲。
とほづまの。ここにあらねば。たまほこの。みちをたとほみ。おもふそら。やすけくなくに。なげくそら。やすからぬものを。みそらゆく。くもにもがも。たかくとぶ。とりにもがも。あすゆきて。いもにことどひ。わがために。いももことなく。いもがため。われもことなく。いまもみしごと。たぐひてもがも。
 
遠ヅマとは、左註に言へる八上采女なり。八上は因幡の郡名なり。そこの前《サキ》の采女を迎へて、愛で給へ(109)るを、本郷へ退けられけるを悲めるなり。タトホミのタは發語。思フソラ歎クソラと言へるは、空の事に有らずして、サマなど言ふ詞に用ひたる事、集中に多し。今俗何何スルソラモナキと言ふに同じ。雲鳥と成りても逢はん事を願ふなり。吾モ事ナクの下、五言一句落ちたるか。但し此體も集中に多ければ元より斯く有りしか。今モ見シゴトは、宣長云、京に在りし時見し如く今もと言ふ意なりと言へり。今本妹毛事無事と有り。一の事は衍字なれば除く。タグヒテモガモは添ひ居て在りなんかしと言ふなり。
 參考 ○安莫國(考、古、新)ヤスカラナクニ ○曇爾毛欲成(代)クモニモナリシガ(考)クモニ「毛欲茂」モガモ(古、新)略に同じ ○高飛(古、新)タカトブ ○鳥爾毛欲成(代)トリニモナリシガ(考、古)トリニモガ「茂」モ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
535 敷細乃。手枕不纏。間置而。年曾經來。不相念者。
しきたへの。たまくらまかず。あひだおきて。としぞへにける。あはぬおもへば。
 
シキタヘノ、枕詞。相の下日の字落ちたるか。アハヌ日オモヘバと有るべき由翁は言はれき。されど結句猶穩かならず。若しくは念の字誤字かと宣長は言へり。猶考ふべし。
 參考○間置而(考)ヘダテオキテ(古)略に同じ(新)ヘダタリテ ○不相念者(古)アハナクモヘバ(新)アヒオモハネバ。
 
(110)右安貴王娶2因幡八上釆女1、係念極甚。愛情尤盛。於v時勅斷2不敬之罪1、退2却本郷1焉。于v是王意悼?。聊作2此歌1也。
 
門部壬戀歌一首
 
536 飫宇能海之。鹽干乃滷之。片念爾。思哉將去。道之永手呼。
おうのうみの。しほひのかたの。かたもひに。おもひやゆかむ。みちのながてを。
 
和名抄出雲國|意宇《オウ》郡あり。そこの海ならん。本は片思と言はん序なり。永手のテはチに通ひて、やがて道なり。これは往來を絶ちて後、出雲の任より歸る時、道にて更に想ひ出でて、詠みて贈れる歌なるべし。
 
右門部王任2出雲守1時。娶2部内娘子1也。未v有2幾時1既絶2往來1。累月之後更起2愛心1。仍作2此歌1贈2致娘子1。
 
高田女王贈2今城王1歌六首
 
卷八の註に高安之女也と有り。
 
537 事清。甚毛莫言。一日太爾。君伊之哭者。痛寸取物。
ことぎよく。いともないひそ。ひとひだに。きみいしなくは。いたききずぞも。
 
末の君伊の伊は下へ付くる助辭。シも助辭。哭は借字。無の意にして、君無くはと言ふなるべけれど、一(111)首解き難し。猶考ふべし。
 參考 ○甚毛莫言(代)イタクモイフナ(考、古、新)略に同じ ○痛寸取物(代)イタキトルモノ (古)「偲不敢物」シヌビアヘヌモノ。
 
538 他辭乎。繁言痛。不相有寸。心在如。莫思吾背。
ひとごとを。しげみこちたみ。あはざりき。こころあるごと。なおもひわがせ。
 
あだし心有りて逢はぬやう思ふ事なかれとなり。卷七、人言をしげみこちたみよどめらばゆゑしもあるごと人の見らくにと載せたり。
 
539 吾背子師。遂當云者。人事者。繁有登毛。出而相麻志呼。
わがせこし。とげむといはば。ひとごとは。しげくありとも。いでてあはましを。
 
シは助辭にて、ワガセコガなり。此歌初めに贈れるなるべし。歌の次第は悉く前後せり。
 
540 吾背子爾。復者不相香常。思墓【墓ヲ基ニ誤ル】。今朝別之。爲便無有都流。
わがせこに。またはあはじかと。おもへばか。けさのわかれの。すべなかりつる。
 
又逢ふ事は有らざらんかと思ひし故かなり。墓今本基に誤る。元暦本に據りて改めつ。
 
541 現世爾波。人事繁。來生爾毛。將相吾背子。今不有十方。
このよには。ひとごとしげし。こむよにも。あはむわがせこ。いまならずとも。
(112) 參考 ○人事繁(考)ヒトゴトシゲミ(古、新)略に同じ。
 
542 常不止。通之君我。使不來。今者不相跡。絶多比奴良思。
つねやまず。かよひしきみが。つかひこず。いまはあはじと。たゆたひぬらし。
 
常に通ひし君も通ひ來ず、使さへ來ぬは、今よりは逢はざらんと、思ひたゆむならんと言ふなり。
 參考 ○常不止(考)トコトハニ(古、新)略に同じ。
 
神龜元年甲子冬十月幸2紀伊國1之時爲v贈2從駕人1所v誂2娘子1笠朝臣金村作歌一首竝短歌。
 
續紀十年辛卯、紀伊へ幸の事見ゆ。
 
543 天皇之。行幸乃隨意。物部乃。八十伴雄與。出去之。愛夫者。天翔哉。輕路從。玉田次。畝火乎見管。麻裳吉。木道爾入立。眞土山。越良武公者。黄葉乃。散飛見乍。親。吾者不念。草枕。客乎便宜常。思乍。公將有跡。安蘇々二波。且者雖知。之加須我仁。黙然得不在者。吾背子之。往乃(113)萬萬。將追跡者。千遍雖念。手弱女。吾身之有者。道守之。將問答乎。言將遣。爲便乎不知跡。立而爪衝。
すめろぎの《おほきみの》。いでましのまに。もののふの。やそとものをと。いでゆきし。うつくしづまは。あまとぶや。かるのみちより。たまだすき。うねびをみつつ。あさもよし。きぢにいりたつ。まつちやま。こゆらむきみは。もみぢばの。ちりとぶみつつ。したしくも。わをばおもはず。くさまくら。たびをよろしと。おもひつつ。きみはあらむと。あそそには。かつはしれども。しかすがに。もだもえあらねば。わがせこが。ゆきのまにまに。おはむとは。ちたびおもへど。たわやめの。わがみにしあれば。みちもりの。とはむこたへを。いひやらむ。すべをしらにと。たちてつまづく。
 
八十伴の男と共にと言ふなり。天飛ブヤは枕詞。輕ノ路は卷一に既に出づ。其歌に、輕の市にわが立ち聞けば玉だすき畝火の山に鳴く鳥の音も聞えず。この音は妹が聲に言ひ懸けたり。然れば輕とウネビは近しと見ゆ。眞土山は大和と紀伊の堺なり。卷九、あさもよしきへ行く君がまつち山と詠めり。今もマツチノ峠と云ふ有りとぞ。吾を親しみ思はずして、幸をかごとに別れて、旅居をよろしき事と思ふとなり。アソソは淺淺にて、君の心の淺淺しきをば知れどもと言ふか。シカスガはサスガに同じ。モダモエアラネバは、物語文にナホアラジニと言ふに等しく、タダニモアラレネバなり。萬萬は音を借り用ふ。道守、次に關守と言へり。同じ事なり。スベヲシラニトとは、セムカタヲ知ラズシテと言ふ意なり。
 參考 ○天皇之(古、新)オホキミノ ○入立(代、新)イリタツ(考、古)イリタチ ○親(考)ムツマジキ(古、新)シタシケク ○吾者不念(考)ワレヲバモハズ(古)アヲバオモハズ(新)ワヲバオモハズ ○客乎便宜常(考)タビヲヨスガト(古、新)略に同じ ○黙然得不在者(考)モダモアリエネバ(古、新)略に同じ ○千遍雖念(古)チタビオモヘドモ(新)略に同じ。
 
(114)反歌
 
544 後居而。戀乍不有者。木國乃。妹背乃山爾。有益物乎。
おくれゐて。こひつつあらずは。きのくにの。いもせのやまに。あらましものを。
 
戀ひつつあらんよりは、妹せの山にて有らば、斯く別るる事は有らじとなり。
 
545 吾背子之。跡履求。追去者。木乃關守伊。將留鴨。
わがせこが。あとふみもとめ。おひゆかば。きのせきもりい。とどめてむかも。
 
木ノ闘守伊と伊を上の句に付くべし。これは志斐伊は申せ、又家なる妹伊、此上にも君伊しなくばの伊に同じく、下へ付くる助辭なり。
 參考 ○將留鴨(古、新)トドメナムカモ。
 
二年乙丑春三月幸2三香原離宮1之時得2娘子1作歌一首竝短歌笠朝臣金村
 
聖武天皇二年五月壬申朔乙亥甕原離宮へ幸あり。ミカノ原は山城國相樂郡なり。笠朝臣金村の五字時の字の下に有るべし。書所例に違へり。此娘子は紀路の遊女ならん。
 
546 三香乃原。客之屋取爾。珠桙乃。道能去相爾。天雲之。外耳見管。言將問。縁乃無者。情耳。咽乍有爾。天地。神祇辭因而。敷細乃。衣手易(115)而。自妻跡。憑有今夜。秋夜之。百夜乃長。有與【與ハ乞ノ誤】宿鴨。
みかのはら。たびのやどりに。たまぼこの。みちのゆきあひに。あまぐもの。よそのみみつつ。こととはむ。よしのなければ。こころのみ。むせつつあるに。あめつちの。かみことよせて。しきたへの。ころもでかへて。おのづまと。たのめるこよひ。あきのよの。ももよのながく。ありこせぬかも。
 
タビノヤドリは、幸の時從駕の人の假菴を言ふ。道ノ行キアヒは離宮へ行く路にて行合ひしを言ふ。アマ雲はヨソにと言はん料なり。ヨソノミ見ツツはヨソニノミと言ふを略けり。コトヨセテは、宣長云、事依《コトヨサシ》と同意にて、神の依《ヨ》せ給ひてと言ふなりと言へり。シキタヘノは枕詞。衣手カヘテは抽サシカヘテと言ふに等し。自妻、オノヅマと訓むべし。卷十四、於能豆麻乎ひとのさとにおきと有り。モモ夜ノ長クは、百夜ノ如クと言ふを略けり。與は乞の誤。アリコセヌカモはアレカシと願ふ辭なり。
 參考 ○神祇辭因而(新)カミコトヨシテ ○自妻跡(代、古、新)略に同じ(考)ワガツマト ○百夜乃長(考)モモヨノナガサ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
547 天雲之。外從見。吾妹兒爾。心毛身副。縁西鬼尾。
あまぐもの。よそにみしより。わぎもこに。こころもみさへ。よりにしものを。
 
心さへ身さへと言はんが如し。モノと言ふ言に、鬼の字を借れるは、史記齊悼惠王世家に、舍人恠v之以爲v物而伺v之。(索隱曰姚氏云物恠物)又和名抄、鬼(安之岐毛乃)など有り。
 
548 今夜之。早開者。爲便乎無三。秋百夜乎。願鶴鴨。
(116)このよらの。はやあけぬれば。すべをなみ。あきのももよを。ねがひつるかも。
 
 參考○今夜之(代)コヨヒノ、又は、コヨヒノヤ(考)コノヨルノ(古、新)略に同じ ○早開者(代、考、古、新) ハヤクアケナバ。
 
五年戊辰大宰少貳石川|足人《タルヒトノ》朝臣遷任餞2于筑前國蘆城驛家1歌三首
 
續紀和銅四年四月丙午朔壬午。授2正六位下石川朝臣足人從五位下1と有り。其外にも見ゆ。
 
549 天地之。神毛助與。草枕。羇行君之。至家左右。
あめつちの。かみもたすけよ。くさまくら。たびゆくきみが。いへにいたるまで。
 
550 大船之。念憑師。君之去者。吾者將戀名。直相左右二。
おほぶねの。おもひたのみし。きみがいなば。われはこひむな。ただにあふまでに。
 
大ブネノは枕詞。コヒムナのナは事を言ひ抑《ヲサ》ふる詞。
 
551 山跡道之。嶋乃浦廻爾。縁浪。間無牟。吾戀卷者。
やまとぢの。しまのうらわ《ま》に。よるなみの。あひだもなけむ。わがこひまくは。
 
大和へ上る度《タビ》なれは斯く言ふにて、島ノウラは筑前志摩郡志摩郷あれば、そこの浦を言ふなるべし。コヒマクハはコヒムはなり。
 參考 ○浦廻(古、新)ウラモ ○縁浪(古、新)ヨスルナミ。
 
(117)右三首作者未v詳。
 
大伴宿禰|三依《ミヨリ》歌一首
 
續紀天平寶字三年五月甲戌朔王午。從五位下大伴宿禰御依爲2仁部少輔1と見ゆ。
 
552 吾君者。和氣乎波死常。念可毛。相夜不相夜。二走良武。
わがきみは。わけをばしねと。おもへかも。あふよあはぬよ。ふたゆきぬらむ。
 
君は女を指す。和氣は自稱詞なりと翁は言はれき。宣長云、すべて人の名又姓のかばねなどにワケと云ふは、尊みたる稱なるに、集中に言へるワケは異にして一種なり。集中のワケは人を賤しめて言ふ稱なり。此歌も君ハ汝ハ死ネトオモフニヤと言ふ意にて、其汝は即ち詠み人の我なれども、あなたの思ふ方より言ふ詞なる故に、汝と言ふ意に當るなり。此卷末にいそしき和氣と【今和ヲ知ニ誤ル】ほめんともあらず、と言へるは右と同じ。卷八、戯奴《ワケ》が爲め吾手もすまに春の野に云云、是れは固より汝が爲めなり。其次に晝はさき云云、吾のみ見むや【今吾ヲ君ニ誤ル】和氣さへに見よと言ふも汝なり。さて此八の卷なる二首は、紀女郎が家持卿へ贈る歌なれば、賤しめて汝とは言ふべくも有らぬを、然か言へるは戯れなり。故に戯奴と書きて戯れなる事を顯はせるものなり。戯れに奴の如く賤しめて言へる意なり。家持卿答へ歌に、吾君にわけは戀ふらし云云、是れはワケと云ふは、我を言へるなれども、紀女郎が歌に、戯れてわざと家持卿をワケと賤しめて言へるを受けて、其ワケとのたまふ我はと言ふ意なり。彼方《アナタ》の戯れの詞(118)を受けて、其ままに言ふ事、今の世にも此類ひ有る事なりと言へり。ワケを自稱としては聞えぬ歌あれば、右の説に由るべし。二《フタ》ユクのユクは、古事記に葦原中國悉闇。因v此而|常夜往《トコヨユク》とあるユクにて、時刻の經行く事なり。卷九、とこしへに夏冬ゆけやなど言ふも、夏と冬と經行くなり。此下にうつせみの世やも二行と有るは、世やは二たび經行くなり。ここのフタユキヌラムは、逢ふ夜と逢はぬ夜と經行くを言ふ。走は誤字なるべしと宣長言へり。若しくは走は去の誤ならんか。三の句のオモヘカモは、オモヘバカの意なり。
 參考 ○二走良武(古)フタツユクラム(新)ナラビユクラム。
 
丹生《ニブ》女王贈2大宰帥大伴卿1歌二首
 
續紀天平勝寶二年七月。從四位上丹生女王授2正四位上1と見ゆ。
 
553 天雲乃。遠隔乃極。遠鷄跡裳。情志行者。戀流物可聞。
あまぐもの。そきへのきはみ。とほけども。こころしゆけば。こふるものかも。
 
ソキヘは祝詞|退立極《ソキタツキハミ》、集中、山ノソキ野ノソキなど言ふと等し。キハミは物のハテを言ふ。トホケドモは遠ケレドモなり。
 參考 ○遠隔乃極(代)ソクヘノキハミ、又は、ソキヘ(考)略に同じ(古)ソクヘノキハミ。
 
554 古。人乃令食有。吉備能酒。痛【痛ハ病ノ誤】者爲便無。貫簀賜牟。
(119)いにしへの。ひとのをさせる。きびのさけ。やめばすべなし。ぬきすたばらむ。
 
古ノ人とは則ち帥卿を指す。ヲサセルは令v飲《ヲサセ》にて、欽む事をもヲスと言へり。酒に言へるは、應神紀の歌に、かめるおほみきうまらにきこしもち塢勢《ヲセ》。キビノ酒は吉備の國より出だせる酒なるべし。或説、から國の陶淵明が傳を引きて、黍《キビ》にて作れる酒を言ふならんなど言へど、吾國にて然《サ》る事も聞えず。貫簀は主殿式三年一請2貫簀一枚1と有るにて、簀を編みて盥の上にかけて、水の散らぬ用意にする物なるを、ここは酒に醉病みて、嘔吐《タグリ》する料にせんと言ふなり。此歌は帥卿の許より、女王へ酒を贈られたるに答へて、戯れに詠める歌なり。醉ひて病めばすべなきに貫簀をも賜はらんと乞ふなり。痛、元暦本に病と有り。
 參考 ○古(古、新)フリニシ(新)略に同じ ○人乃令食有(考)ヒトノメサセル(古)ヒトノタバセル ○賜牟(考)「贈牟」オクラム(古)略に同じ。
 
太宰帥大伴卿贈2大貳|丹比縣《タヂヒノアガタ》【縣ヲ※[糸+頁]ニ誤ル】守《モリノ》卿遷2任民部卿1歌一首
 
續紀和銅三年三月癸卯。從五位下多治比眞人縣守爲2宮内卿1。其外にも見ゆ。
 
555 爲君。釀之待酒。安野爾。獨哉將飲。友無二思手。
きみがため。かみしまちざけ。やすのぬに。ひとりやのまむ。ともなしにして。
 
崇神紀、おほものぬしの介瀰之瀰枳《カミシミキ》と有りて、酒を造るをカムと言ふ。卷十六に、味酒を水に釀《カミ》なし吾待ちしと言ひ、古事記に、其御祖息長帶日賣命釀2待酒1以獻と有りて、古へ人を待つに、殊更に釀《カミ》する(120)を待酒と言へり。ヤスノ野は筑前|夜須《ヤス》郡なり。神功紀元年|層増岐《ソゾキ》野に到りまして、熊鷲を取得給ひて、我心安しとのたまひしより、其所を安《ヤス》と言ふ由見えたり。君が爲め釀みて今日相飲むとも、別れなば獨や飲まんとなり。
 
賀茂女王贈2大伴宿禰三依1歌一首  元故左大臣長屋王之女也。
 
卷八註に、長屋王之女母曰2阿倍朝臣1也と有り。
 
556 筑紫船。未毛不來者。豫。荒振公乎。見之悲左。
つくしぶね。いまだもこねば。あらかじめ。あらぶるきみを。みるがかなしさ。
 
コネバはコヌニと言ふなり。此詞例多し。卷一、みたたしし島をも家と住む鳥も荒備《アラビ》な行きそと詠める如く、アラブルは踈くなる意なるべし。
 參考 ○見之(考、古)ミムガ(新)略に同じ。
 
土師《ハニジ》宿禰|水通《ミミチ》從2筑紫1上v海路作歌二首  傳知れず。
 
557 大船乎。?乃進爾。磐爾觸。覆者覆。妹爾因而者。
おほぶねを。こぎのすすみに。いはにふり。かへらばかへれ。いもによりてば。
 
ススミと言ふもスサミと言ふも同じ。フリはフレなり。故郷の妹に逢はんとて急ぐ心を言へり。テバはタラバなり。
(121) 參考 ○而者(新)テハ。
 
558 千磐破。神之社爾。我揖師。幣者將賜。妹爾不相國。
ちはやぶる。かみのやしろに。わがかけし。ぬさはたばらむ。いもにあはなくに。
 
上の歌を合せ見るに、歸路の海の穩かならずして、日を經るままに詠めるなるべし。タバラムは幣を返し給はれと言ふなり。
 
太宰大監大伴宿禰百代戀歌四首
 
559 事毛無。生來之物乎。老奈美爾。如是戀于毛。吾者遇流香聞。
こともなく。ありこしものを。おいなみに。かかるこひにも。われはあへるかも。
 
オイナミは年|次《ナミ》の次《ナミ》に同じく、やうやう老い行くを言ふ。宣長云、生は在の誤なりと言へり。古訓もアリコシとあれば、字の誤れる事明らけし。何事無くて在り來りしをと言ふ意なり。又生來ならば、アレコシと訓みて、ウマレシヨリと言ふ事とすべけれど、そは善からず。次の郎女の歌に、共に老いたる由を言ひしかば、此時郎女太宰に在るにつけて、百代の戀ひたるなるべし。然れば此次の郎女の歌は答へ歌ならん。
 參考 ○生來之物乎(代、考、古)アレコシモノヲ(新)略に同じ。
 
560 孤悲死牟。後者何爲牟。生日之。爲社妹乎。欲見爲禮。
(122)こひしなむ。のちはなにせむ。いけるひの。ためこそいもを。みまくほりすれ。
 
元暦本、後お時に作る。
 
561 不念乎。思常云者。大野有。三笠社之。神思知三。
おもはぬを。おもふといはば。おほぬなる。みかさのもりの。かみししらさむ。
 
和名抄、筑前大野郡有り。神功紀、熊鷲を撃たんとし給ふ事有りて、御笠風に隨ふ故、其所を御笠と言ふと見ゆ。神シのシは助辭。卷十二、おもはぬをおもふといはば眞鳥住むうなての森の神ぞ知るらむ。
 
562 無暇。人之眉根乎。徒。令掻乍。不相妹可聞。
いとまなく。ひとのまゆねを。いたづらに。かかしめつつも。あはぬいもかも。
 
人に戀ひらるれば、眉の痒《カユ》きと言ふ諺有りて、集中に多し。卷十二にも、いとのきてうすき眉根を徒らに掻かしめつつも逢はぬ人かも。
 參考 ○眉根(古)マヨネ。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
563 黒髪二。白髪交。至耆。如是有戀庭。未相爾。
くろかみに。しろかみまじり。おゆるまで。かかるこひには。いまだあはなくに。
 
郎女未だ老いたる程には有らじを、百代が歌に答ふる故に、斯く白髪交りなどと詠めるものなり。次の(123)歌に據るに、實に逢ひしには有らず。卷十七、ふるゆきの之路髪麻泥爾《シロカミマデニ》と書きたれば、シラカミと訓むは惡ろし。
 參考 ○至耆(代、新)オユルマデ(考)オイタレド(古)オユマデニ
 
564 山菅之。實不成事乎。吾爾所依。言禮師君者。與孰可宿良牟。
やますげの。みのらぬことを。われによせ。いはれしきみは。たれとかぬらむ。
 
山菅は、和名抄、麥門冬(夜麻須介)、實有るものなり。集中、菅の子とりにもと詠めり。ここは唯だ實と言はん爲めのみにて、ナラヌと言ふ詞までは懸からず。所依はヨセと訓むべし。我と事有る由無き名立ちて人に言はれし君は誠は誰に逢ふらんと言ふなり。
 
賀茂女王歌一首
 
565 大伴乃。見津跡者不云。赤根指。照有月夜爾。直相在登聞。
おほともの。みつとはいはじ。あかねさし。てれるつくよに。ただにあへりとも。
 
オホトモノは枕詞。さてミツは難波の御津なるを、やや言ひ馴れ來りて、見ツルと言ふに言ひなしたり。赤ネサシ、枕詞。
 
太宰大監大伴宿禰百代等贈2驛使《ハユマヅカヒニ》1歌二首
 
566 草枕。羈行君乎。愛見。副而曾來四。鹿乃濱邊乎。
(124)くさまくら。たびゆくきみを。うるはしみ。たぐひてぞこし。しかのはまべを。
 
シカノ濱は筑前なり。タグヒテゾコシは、遠く送り來れるを言ふ。
 參考 ○愛兒(代)ナツカシミ、ウルハシミ(考)メヅラシミ(古、新)ウツクシミ。
 
右一首大監大番宿禰百代。
 
567 周防在。磐國山乎。將超日者。手向好爲與。荒其道。
すはうなる。いはくにやまを。こえむひは。たむけよくせよ。あらきそのみち。
 
和名抄、周防玖阿郡石國。
 
右一首小典山口忌寸若麻呂。
 
以?天平二年庚午夏六月。帥大伴卿忽生2瘡脚1。疾苦2枕席1 。因v此馳v驛。上奏望2請庶弟|稻公《イナギミ》姪|胡《エミシ》麻呂欲v語2遺言1者《テヘレバ》。勅2右兵庫助大伴宿禰稻公治部少丞【丞ヲ烝】大伴宿禰胡麻呂兩人1。給v驛發遣令v看【看元省ニ作ル】2卿病1。而※[しんにょう+至]2數旬1幸得2平復1。于時稻公等以2病既療1【療ハ癒ノ誤カ】發v府上v京。於v是大監大伴宿禰百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相2送驛使1。共到2夷守《ヒナモリノ》驛家1聊飲悲v別乃作2此歌1。
 
太宰帥大伴卿被v任2大納言1臨2入v京之時1府官人等餞2卿筑前國蘆城驛家1歌四首 
天平二年十月大納言に任ぜらる。
 
568 三埼廻之。荒礒爾縁。五百重浪。立毛居毛。我念流吉美。
(125)みさき|わ《ま》の。ありそによする。いほへなみ。たちてもゐても。わがもへるきみ。
 
ミサキ廻、地名に有らず。和名抄、汀、水際、平砂也。(和名三左木)廻《ワ》は浦廻島廻の廻の如し。上は立チテモヰテモと言はん序のみ。
 參考 ○三埼廻之(古、新)ミサキミノ。
 
右一首筑前掾門部連|石足《イソタリ》。
 
569 辛人之。衣染云。紫之。情爾染而。所念鴨。
からびとの。ころもそむとふ。むらさきの。こころにしみて。おもほゆるかも。
 
本は心に染むと言はん序のみ。辛は借字にて韓《カラ》なり。又は辛は淑の誤にてヨキ人か。宣長は辛は宇萬二字かと言へり。
 參考 ○辛人之(代)カラビトノ(考)「淑人」ヨキヒトノ(古)「宮人」ミヤビトノ ○染云(代)ソムテフ(古)シムトフ。
 
570 山跡邊。君之立日乃。近付者。野立鹿毛。動而曾鳴。
やまとへ。きみがたつひの。ちかづけば。ぬにたつしかも。とよみてぞなく。
 
大和の方へなり。鹿すらも名殘を惜みて鳴くと言ふなり。今本、近の下付の字を脱せり。元暦本に據りて補へり。
(126) 參考 ○山跡邊(考〕ヤマトベニ(古)ヤマトヘニ(新)略に同じ ○近付者(考)チカケレバ(古)略に同じ。
 
右二首大典|麻田《アサダノ》連陽春。  此名ヤスと訓まんか。續紀、神龜元年五月辛未、正八位上※[塔の旁]本陽春賜2麻田連姓1とあり。
 
571 月夜吉。河音清之。率【率ヲ欒ニ誤ル】此間。行毛不去毛。遊而將歸。
つくよよし。かはのときよし。いざここに。ゆくもゆかぬも。あそびてゆかな。
 
行くとは帥を指す。不去《ユカヌ》は府の官人を言へり。ユカムと言ふをユカナと言ふは例なり。
 參考 ○河音清之(古)カハトサヤケシ。
 
右一首防人佑大伴|四綱《ヨツツナ》。  佑を今本佐に誤れり。
 
太宰帥大伴卿上v京之後沙彌滿誓賜v卿歌二首   賜、元暦本贈と有り。
 
572 眞十鏡。見不飽君爾。所贈哉。旦夕爾。左備乍將居。
まそかがみ。みあかぬきみに。おくれてや。あしたゆふべに。さびつつをらむ。
 
贈の字は借にて後ルルなり。又端詞の轉《ウツ》りて誤れるにも有るべし。左備云云は、心サビシクヲラムなり。
 
573 野干玉之。黒髪變白髪。手裳。痛戀庭。相時有來。
(127)ぬばたまの。くろかみしろく。かはりても。いたきこひには、あふときありけり。
 
前に大伴坂上郎女が、黒髪に白髪まじりと詠める如く、年經ても男女の戀は逢ふ時あるを、此別は再び逢ひ難きを歎くなり。イタキは痛く堪へ難き意なり。
 參考 ○黒髪云云(考、古)クロカミカハリシラケテモ(新)略に同じ。
 
大納言大伴卿和(フル)歌二首
 
574 此間在而。筑紫也何處。白雲乃。棚引山之。方西有良思。
ここにありて。つくしやいづく。しらくもの。たなびくやまの。かたにしあるらし。
 
京に歸りて後答へたるなり。シラクモは後世の如く、不v知《シラズ》と云ふ意に言ひかけたるには非ず。
 
575 草香江之。入江二求食。蘆鶴乃。痛多豆多頭思。友無二指天。
くさかえの。いりえにあさる。あしたづの。あなたづたづし。ともなしにして。
 
草香江、河内なり。本はタヅタヅシと言はん序ながら、鶴の獨り寂しげに立てるさまに比《ヨソ》へたり。タヅタヅシは心もとなき意にて、後の物語ぶみなどに、多くタドタドシと有るに同じ。卷十五、たづが島あしべをさして飛びわたるあなたづたづし獨りさ寢《ヌ》れば。
 
太宰帥大伴卿上v京之後筑後守葛井連大成悲歎作歌一首
 
續紀、神龜五年五月、正六位上葛井連大成授2外從五位下1。其外にも見ゆ。
 
(128)576 從今者。城山道者。不樂牟。吾將通常。念之物乎。
いまよりは。きのやまみちは。さびしけむ。わがかよはむと。おもひしものを。
 
卷八、大伴坂上郎女、今もかも大城の山に云云。卷五、百代が歌、この城の山になど詠めり。太宰府より筑後へ越ゆる道の高山なりとぞ。吾通ハムト云云は、帥卿のもとへ常に通はんとなり。
 參考 ○不樂牟(古、新)サブシケム。
 
大納言大伴卿新袍贈2攝津大夫高安王1歌一首
 
贈の字一本卿の下に有り。此時衣服の製改まれるか。又は新しく縫ひたるを言ふか。
 
577 吾衣。人莫著曾。網引爲。難波壯士乃。手爾者雖觸。
わがころも。ひとになきせそ。あびきする。なにはをとこの。てにはふるとも。
 
吾心ざせる衣なれば、ゆめ外の人などにな得させ給ひそ。たとひ心にかなはずは、其わたりの賤しき男に賜《タ》びて、其れが手に慣らすとも言へり。親しみて謙退するなりと契沖は言へり。然れども穩かならず。宣長云、若しくは雖の下不の字落ちたるか。然らばテニフレズトモと訓むべし。三四の句は、高安王を戯れて言へるなりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○吾衣(考)ワガキヌヲ(古、新)略に同じ ○手爾者雖觸(古)テニハフレレド(新)フルレド、又はフレドモ。
 
(129)大伴宿禰三依悲v別歌一首
 
578 天地與。共久。住波牟等。念而有師。家之庭羽裳。
あめつちと。ともにひさしく。すまはむと。おもひてありし。いへのにははも。
 
太宰の任中の屋の庭を上京の時詠めるか。ハモは古今集、水ぐきの岡のやかたに妹と吾れと寢ての朝けの霜の降りはもなど言ふに等しく、更に立ち出でて歎く詞なり。卷二、天地と共にを經んと思ひつつ仕へまつりし心たがひぬと言ふに似たり。
 
金(ノ)明軍與2大伴宿禰家持1歌二首  明軍者大納言卿之資人也。
 
579 奉見而。未時太爾。不更者。如年月。所念君。
みまつりて。いまだときだに。かはらねば。としつきのごと。おもほゆるきみ。
 
カハラネバは、例のカハラヌニと言ふなり。
 
580 足引乃。山爾生有。菅根乃。懃見卷。欲君可聞。
あしびきの。やまにおひたる。すがのねの。ねもころみまく。ほしききみかも。
 
本はネモコロと言はん序のみ。
 
大伴坂上家之大娘報2贈大伴宿禰家持1歌四首
 
581 生而有者。見卷毛不知。何如毛。將死與妹常。夢所見鶴。
(130)いきてあらば。みまくもしらに。なにしかも。しなむよいもと。いめにみえつる。
 
契沖云、今こそ逢ひ難けれ、かたみに長らへば又相見んも知られぬを、などか、吾夢に君が入り來て、斯く逢はで有らんよりは戀ひ死なんと、見えつらんと詠めり。
 
582 丈夫毛。如此戀家流乎。幼婦之。戀情爾。比有目八方。
ますらをも。かくこひけるを。たわやめの。こふるこころに。たぐへらめやも。
 
女の一つ心に戀ふるを言へり。さてタグヘラメヤモは、タグフベケムヤと言ふが如し。卷十一、ますらをはともの騷ぎになぐさむる心もあらむをわれぞくるしき。
 參考 ○比有目八方(考)タグヒアラメヤモ(古、新)略に同じ。
 
583 月草之。徙【徙ヲ今徒ニ誤ル】安久。念可母。我念人之。事毛告不來。
つきくさの。うつろひやすく。おもへかも。わがもふひとの。こともつげこぬ。
 
ツキ草は集中鴨頭草とも書きて、濃縹色の花咲けり。今ツユクサと言ふ物なり。花をもてきぬに摺り附くれば、よく附きて、早く色の變る物なれば、人の心の變り易きに譬ふ。オモヘカモは思ヘバカのバを略けり。心カモと後に言ふが如し。事は借りたるにて言なり。
 
584 春日山。朝立雲之。不居日無。見卷之欲寸。君毛有鴨。
かすがやま。あさたつくもの。ゐぬひなく。みまくのほしき。きみにもあるかも。
 
(131)雲は立居せる物なれば、斯く言へり。さて居ぬ日無きが如くと言ふを略き言へり。
 參考 ○不居日無(新)ヰヌヒナミ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
585 出而將去。時之波將有乎。故。妻戀爲乍。立而可去哉。
いでていなむ。ときしはあらむを。ことさらに。つまごひしつつ。たちていぬべしや。
 
旅だつ時詠めるにや。出でて行く時こそ有らめ、今われを思ふと言ひつつ、出で立ちて行くべき事にはあらぬとなり。
 
大伴宿禰|稻公《イナギミ》贈2田村大孃1歌一首  大伴宿奈麻呂卿之女也。
 
續紀、天平十三年十二月、從五位下大伴宿禰稻君爲2因播守1と見え、上にも帥大伴卿病時、驛使に贈歌の左に庶弟稻公と見えたり。
 
586 不相見者。不戀有益乎。妹乎見而。本名如此耳。戀者奈何將爲。
あひみずは。こひざらましを。いもをみて。もとなかくのみ。こひばいかにせむ。
 
モトナは故由《ユヱヨシ》も無くなり。戀ヒバは行末戀しくはと言ふなり。
 
右一首姉坂上郎女作。 首は云の誤なるべし。
 
笠女郎贈2大伴宿禰家持1歌廿四首
 
(132)587 吾形見。見管之努波世。荒珠。年之緒長。吾毛將思。
わがかたみ。みつつしぬはせ。あらたまの。としのをながく。われもおもはむ。
 
見つつ慕ひ給へとなり。年ノ緒は、玉ノ緒、氣《イキ》ノ緒の緒に等しく、年も長く續くものなるをもて、緒の言を加ふるならん。
 參考 ○將思(古、新)シヌバム。
 
588 白鳥能。飛羽山松之。待乍曾。吾戀度。此月比乎。
しらとりの。とばやままつの。まちつつぞ。わがこひわたる。このつきごろを。
 
白トリノ、枕詞。トバ山、大和の内に有るか。山しろの鳥羽には有らず。本はマチツツと言はん序のみ。
 
589 衣手乎。打廻乃里爾。有吾乎。不知曾人者。待跡不來家留。
ころもでを。うちわのさとに。あるわれを。しらずぞひとは。まてどこずける。
 
衣手ヲ、枕詞。ウチワノ里は、卷十一、神なびの打廻前のいはぶちにと詠みたれば、大和の神なびの邊かと翁は言はれき。宣長云、打廻里の打は折の誤にで、ヲリタムサトと訓むべし。ヲリタムとは、道を折りまはれば至る里にて、いと近き由なり。乃の字は訓を誤りて、傍に附けたるが本文に成れるならん。十一の卷の打廻前も同じく打は折の誤にて、ヲリタムクマなるべし、地名には有らじと言へり。猶考ふべし。
(133) 參考 ○打廻乃里(古)「折」ヲリタムサト ○不知曾(考)シテデゾ(古、新)略に同じ。
 
590 荒玉。年之經去者。今師波登。勤與吾背子。吾名告爲莫。
あらたまの。としのへゆけば。いましはと。ゆめよわがせこ。わがなのらすな。
 
今ハとなり。シは助辭のみ。相離れて年久しきに心ゆるみて、吾名を人に告ぐる事なかれとなり。
 參考 ○年之經去者(考、古、新)トシノヘヌレバ。
 
591 吾念乎。人爾令知哉。玉匣。開阿氣津跡。夢西所見。
わがおもひを。ひとにしらせや。たまくしげ。ひらきあけつと。いめにしみえつ。
 
シラセヤはシラセバニヤなり。下に、劔刀身にとりそふといめに見つ何のさがぞも君にあはむ爲めなど詠めり。昔の言ひ習はしなるべし。
 參考 ○令知哉(考)シラスヤ(古)略に同じ(新)シラスレヤ。
 
592 闇夜爾。鳴奈流鶴之。外耳。聞乍可將有。相跡羽奈之爾。
くらきよに。なくなるたづの。よそのみに。ききつつかあらむ。あふとはなしに。
 
聲のみ聞きて相見ぬに譬へたり。
 參考 ○闇夜爾(代、古、新)ヤミノヨニ ○外耳(考)ヨソニノミ(古)略に同じ。 
593 君爾戀。痛毛爲便無見。楢山之。小松之下爾。立嘆鴨。【鶴ヲ今鴨ニ誤ル】
(134)きみにこひ。いたもすべなみ。ならやまの。こまつがもとに。たちなげきつる。
 
鶴を今本鴨に作る。一本に依りて改む。スベナミはセンカタナサニなり。
 參考 ○小松下爾(考、古)略に同じ(新)コマツガシタニ。
 
594 吾屋戸之。暮陰草乃。白露之。消蟹本名。所念鴨。
わがやどの。ゆふかげぐさの。しらつゆの。けぬかにもとな。おもほゆるかも。
 
夕陰草は草の名にあらず。水陰草、山陰草と言へるに同じく、庭の夕陰の草なり。本は消《ケ》と言はん序のみ。ケヌカニは、消エモ失スルホドニと言ふ意なり。
 
595 吾命之。將全幸【幸ハ牟ノ誤】限。忘目八。彌日異者。念益十方
わがいのちの。またけむかぎり。わすれめや。いやひにけには。おもひますとも。
 
將全幸はマサケムと詠みて、マサキクアラムの意ともすべけれど、元暦本、幸を牟に作るに由りて、マタケムと訓まんかた穩かなり。
 參考 ○將全幸限(代、考)マサケムカギリ(古、新)略に同じ。
 
596 八百日往。濱之沙毛。吾戀二。豈不益歟。奧嶋守。
やほかゆく。はまのまさごも。わがこひに。あにまさらじか。おきつしまもり。
 
ヤホカ往クは、多くの日數を歩み行くと言ふにて、限り無く遠き濱と言ふ意なり。島守は野守、山守など(135)言へる類ひなり。其所のさまに由りて假に島守に問を設くるなり。
 參考 ○沙(古、新)マナゴ。
 
597 宇都蝉之。人目乎繁見。石走。間近君爾。戀度可聞。
うつせみの。ひとめをしげみ。いはばしの。まぢかききみに。こひわたるかも。
 
ウツセミノ、イハバシノは枕詞。
 
598 戀爾毛曾。人者死爲。水瀬河。下從吾痩。月日異。
こひにもぞ。ひとはしにする。みなせがは。したゆわれやす。つきにひにけに。
 
戀にも人は死ぬるものにぞ有るらんとなり。下ユは底ヨリと同じく、人知れず我が戀ひ痩するなり。水ナセ川は、卷十一、水無川又水無瀬川と有り。ここは水の下無の字落ちたるか。是れは地名にあらず、川の水の砂の下をくぐりて、うはべに水の無き川を言ふなり。されば下從《シタユ》と言はん序とせり。
 
599 朝霧之。欝相見之。人故爾。命可死。戀渡鴨。
あさぎりの。おほにあひみし。ひとゆゑに。いのちしぬべく。こひわたるかも。
 
朝ギリは、オホと言はん料のみ。人故ニは、人ナルニと言ふ意なり。
 參考 ○鬱相見之(考)ホノニアヒミシ(古、新)略に同じ。
 
600 伊勢海之。礒毛動爾。因流浪。恐人爾。戀渡鴨。
(136)いせのうみの。いそもとどろに。よするなみ。かしこきひとに。こひわたるかも。
 
本はカシコキと言はん序なり。貴き人を言ふか。又は親しからぬをも言ふべし。
 參考 ○恐人爾(新)カシコクヒトニ。
 
601 從情毛。吾者不念寸。山河毛。隔莫國。如是戀常羽。
こころゆも。あはもはざりき。やまかはも。へだたらなくに。かくこひむとは。
 
心よりは、我は思はざりけりと言ふなり。アハモハザリキと言ひて、後に思ひきやと言ふ意になれり。次に、心ゆもあはもはざりき又更に吾故郷に歸り來むとは、と言ふを合せ見るべし。ヘダタラナクニは、ヘダタラヌニなり。カハのカは清みて訓むべし。山と河と二つを言へばなり。
 參考 ○隔莫國(新)ヘダテナクニカ。
 
602 暮去者。物念益。見之人乃。言問爲形。面景爾而。
ゆふされは。ものもひまさる。みしひとの。こととはすさま。おもかげにして。
 
コトトハスは、モノイフなり。宣長は、コトトフスガタと訓まんと言へり。
 參考 ○言問爲形(代、古、新)コトトフスガタ(考)略に同じ。
 
603 念西。死爲物爾。有麻世波。千遍曾吾者。死變益。
おもふにし。しにするものに。あらませば。ちたびぞわれは。しにかへらまし。
 
(137)シニはすべて死の音と思ふ事なかれ。過去《スギイニ》を約《ツヅ》めたることなり。
 
604 劔大刀。身爾取副常。夢見津。何如之怪曾毛。君爾相爲。
つるぎたち。みにとりそふと。いめにみつ。なにのさがぞも。きみにあはむため。
 
劔ダチ、ここは枕詞に非ず。サガは祥の字の意。是は何のさがぞと問ひを設けて、君に逢はんとてならんと自ら答ふるなり。刀は男の具なれば、其れを身に添ふるは、男に逢はんさとしとすべし。
 參考 ○何如之怪曾(古、新)ナニノシルシゾモ ○君爾相爲(新)キミニアハム「鴨」カモ。
 
605 天地之。神理。無者社。吾念君爾。不相死爲目。
あめつちの。かみしことわり。なくばこそ。わがもふきみに。あはずしにせめ。
 
舒明紀、天神地祇共證v之と有る證を、コトワリタマヘと訓みて、コトワリナクトは祈るしるし無くばと言ふが如し。
 參考 ○神理(新)カミニコトワリ。
 
606 吾毛念。人毛莫忘。多奈和丹。浦吹風之。止時無有。
われもおもふ。ひともなわすれ。おほなわに。うらふくかぜの。やむときなかれ。
 
オホナワの詞心ゆかず。卷十一、アフサワニと言ふ詞とも異なり。くさぐさ考へれど、とかくに誤字なるべし。宣長は旦爾祁丹の誤りにて、アサニケニならんかと言へり。猶考ふべし。
(138) 參考 ○多奈和丹)(古)「有曾海乃」アリソウミノか ○止時無有(新)ヤムトキナシ「爾」ニ。
 
607 皆人乎。宿與殿金者。打禮杼。君乎之念者。寐不勝鴨。
みなひとを。ねよとのかねは。うつなれど。きみをしもへば。いねがてぬかも。
 
ネヨトノ鐘は亥の時なり。天武紀、人定《ヰノトキ》と見ゆ。亥の時に人寢ねて靜まれば然か言へり。イネガテヌカモは、イネカヌルなり。集中、イネガテと言ふも、イネガテヌと言ふも、皆イネカヌルと言ふ一つ言にて、ヌは添ひたる詞のみ。打の下奈の字落ちたるなるべし。金は借字なり。
 參考 ○皆人乎(古)ヒトミナヲ。
 
608 不相念。人乎思者。大寺之。餓鬼之後爾。額衝如。
あひおもはぬ。ひとをおもふは。おほてらの。がきのしりへに。ぬかづくがごと。
 
佛に向ひて、禮拜せば益あらんを、餓鬼の然かも後《シリ》へに拜せんは益無きを、思はぬ人を思ふに譬ふ。卷十六、寺寺の女《メ》餓鬼まをさく云云と有りて、昔は慳貪の惡報を示さん爲めに、伽藍の有る所には餓鬼を作りて置けるなるべしと契沖言へり。
 參考 ○額衝如(古、新)ヌカツクゴトシ。
 
609 從情毛。我者不念寸。又更。吾故郷爾。將還來者。
こころゆも。あはもはざりき。またさらに。わがふるさとに。かへりこむとは。
 
(139)契沖云、さきの歌に、なら山のこ松が下に立ちなげく、と詠めるを思ふに、そこに戀ひも死なずして、打廻の里の故郷まで歸り來んとは思はざりけりと言ふなるべしと言へり。思ふに此歌と次の歌は、左に相別後更來贈とあれば、近く女の來り住めるか。又故有りて遠く隔たりて後、詠みて贈れるなるべし。
 
610 近有者。雖不見在乎。彌遠。君之伊座者。有不勝自。【自ハ目ノ誤】
ちかくあれは、みねどもあるを。いやとほく。きみがいまさば。ありがてましも。
 
ミネドモアルヲは、見ズシテモアラルルヲなり。アリガテマシモは、在リカネムと言ふなり。モは助辭。自は目の誤なり。
 參考 ○近有者(新)チカカラバ。○雖不見在乎(新)ミズトモアラムヲ ○彌遠(考)イヤトホニ(古、新)略に同じ ○君之伊座者(代、新)キミガイマセバ(古)略に同じ(新)アリガツマシジ。
 
右二首相別後更來贈。
 
大伴宿禰家持和(フル)歌二首
 
611 今更。妹爾將相八跡。念可聞。幾許吾胸。欝悒將有。
いまさらに。いもにあはめやと。おもへかも。ここたわがむね。おほほしからむ。
 
アハメヤはアハムヤハ、アハジと言ふ意に言ふ例なり。オモヘカモはオモヘバカモなり。歌の意は今更(140)に相隔たりて逢はざらんと思へばか、そこばく末のおぼつかなさの増さると言ふなるべし。是れは相別れて後贈れる二首の答へなり。
 參考 ○鬱悒將有(考)イブカシカラム(古、新)略に同じ。
 
612 中々者。【者ハ煮ノ誤】黙毛有益呼。何爲跡香。相見始兼。不遂等。【等ハ爾ノ誤】
なかなかに。もだもあらましを。なにすとか。あひみそめけむ。とげざらなくに。
 
者、一本煮に作る。等、一本爾に作る。モダモは物語ふみにナホアラジニと言ふに同じ。唯だに在らんものを、何しに相見初めけんとなり。トゲザラナクニは、トゲザルニなり。是れも別れて後の答へ歌なり。
 
山口女王贈2大伴宿禰家持1歌五首
 
613 物念跡。人爾不所見常。奈麻強。常念弊利。在曾金津流。
ものもふと。ひとにみえじと。なまじひに。つねにおもへど。ありぞかねつる。
 
なまじひに物思ふと見えじと、常に思へども在り堪へぬと言ふなり。
 
614 不相念。人乎也本名。白細之。袖漬左右二。哭耳四泣裳。
あひおもはぬ。ひとをやもとな。しろたへの。そでひづまでに。ねのみしなかも。
 
ナカモはナカムと言ふに同じ。上の人ヲヤのヤの詞を結べり。
 
615 吾背子者。不相念跡裳。敷細乃。君之枕者。夢所見乞。
(141)わがせこは。あひもはずとも。しきたへの。きみがまくらは。いめにみえこそ。
 
せめて枕なりとも夢に見えよと願ふなり。元暦本、夢の下爾を所に作る。
 
616 劔太刀。名惜雲。吾者無。君爾不相而。年之經去禮者。
つるぎだち。なのをしけくも。われはなし。きみにあはずて。としのへぬれば。
 
ツルギダチ、枕詞。卷十二、本は同じくて、末、此比の間の戀のしげきにと有り。
 
617 從蘆邊。滿來鹽乃。彌益荷。念歟君之。忘金鶴。
あしべより。みちくるしほの。いやましに。おもへかきみが。わすれかねつる。
 
本はイヤマシニと言はん序のみ。オモヘカは思ヘバカなり。君を忘れかぬると言ふを、君が云云と言ふは例なり。
 
大神《オホミワノ》女郎贈2大伴宿禰家持1歌一首
 
618 狹夜中爾。友喚千鳥。物念跡。和備居時二。鳴乍本名。
さよなかに。ともよぶちどり。ものもふと。わびをるときに。なきつつもとな。
 
大伴坂上郎女怨恨歌一首并短歌
 
此郎女後に大伴宿奈麻呂の妻と成りて、二女を生めりと見ゆ。卷三、祭神歌など有るを思ふに、此宿奈麻呂につけてくさぐさ物思ひの有りて、是れをも詠めるなるべし。
 
(142)619 押照。難波乃菅之。根毛許呂爾。君之聞四乎【乎ハ手ノ誤】。年深。長四云者。眞十鏡。磨師情乎。縦手師。其日之極。浪之共。靡珠藻乃。云云。意者不持。大船乃。憑有時丹。千磐破。神哉將離。空蝉乃。人歟禁良武。通爲。君毛不來座。玉梓之。使母不所見。成奴禮婆。痛毛爲便無三。夜干玉乃。夜者須我良爾。赤羅引。日母至闇。雖嘆。知師乎無三。雖念。田付乎白二。幼婦常。言雲知久。手小童之。哭耳泣管。徘徊。【徘徊ヲ今俳徊ニ誤ル】君之使乎。待八兼手六。
おしてる。なにはのすげの。ねもころに。きみがきこして。としふかく。ながくしいへば。まそかがみ。とぎしこころを。ゆるしてし。そのひのきはみ。なみのむた。なびくたまもの。かにかくに。こころはもたず。おほぶねの。たのめるときに。ちはやぶる。かみやさけけむ。うつせみの。ひとかさふらむ。かよはせる。きみもきまさず。たまづさの。つかひもみえず。なりぬれば。いたもすべなみ。ぬばたまの。よるはすがらに。あからひく。ひもくるるまで。なげけども。しるしをなみ。おもへども。たつきをしらに。たわやめと。いはくもしるく。たわらはの。ねのみなきつつ。たもとほり。きみがつかひを。まちやかねてむ。
 
オシテル、枕詞。菅は根と言はん料のみ。四の下乎は手の誤なりと宣長言へり。キコシテは、ノタマヒテなり。年深クは、卷三、昔者《イニシヘノ》ふるき堤は年深みとも言ひて、年經るを言ふ。ここは末末長く絶えじと言へばとなり。トギシ心ヲユルシテシは、此下にも同語出でて、すくよかなる心にて有りしを、ゆる(143)べて人に靡きしを言ふ。集中、梓弓引きてゆるさずあらませばかかる戀にはあはざらましをと言ふ心なり。ソノ日ノ極ミは、其日ヨリシテコノカタと言ふが如し。ムタは共ニの古語にて上に出づ。カニカクニ心ハモタズ云云は、浪のままにかなたこなたへ靡く藻の如くには有らで、一すぢに思ひたのむと言ふなり。神ヤサケケムは、我中ヲ神ノ避ケマセシニヤと言ふなり。離の字は、はなす意にて書けり。人カサフラムは、人ノササヘツラムヤなり。アカラ引、枕詞。タワヤメは手弱女にて、女の手力も無く、きびはなるを言ふ。イハマクシルクは、イハムモシルクなり。タワラハは掌にのするばかりの童と言ふなり。如と言ふを略けり。歌の意は初めねもごろに言ひ聞かせし故、一すぢに思ひ頼みて在りしを、男も訪ひ來ず使も見えず成りたれば、せんすべ無くて、よるひる思ひ歎けども其かひも無くして、唯だ立ちもとほりて使の來るをのみや待ちかねてんとなり。
 參考 ○君之聞四乎(代)キミガキコシヲ(古、新)略に同じ○神哉將離(代)カミヤサクラバ(考)カミヤカレケム(古、新)略に同じ ○通爲(代)カヨヒシ(考)カヨハセシ(古)略に同じ(新)カヨハシシ ○幼婦常(考)タヲヤメト(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
620 從元。長謂管。不令恃者。如是念二。相益物歟。
はじめより。ながくいひつつ。たのめずは。かかるおもひに。あはましものか。
 
(144)不の下の念は、令の誤なるべしと契沖言へり。タノメズハはタノマシメズハなり。是れは長歌に、年深ク長クシイヘバマソ鏡トギシ心ヲユルシテシと言ふにあたりて、初めより長くと言ひて頼ませずはと言ふなり。
 
西海道節度使判官|佐伯《サヘキノ》宿禰|東人《アヅマド》妻贈2夫君1歌一首
 
續紀天平四念八月丁酉云云、授2外從五位下1と見ゆ。
 
621 無間。戀爾可有牟。草枕。客有公之。夢爾之所見。
あひだなく。こふれにかあらむ。くさまくら。たびなるきみが。いめにしみゆる。
 
夫が戀ふればにか有らん。夢に見えつるはと言ふなり。
 參考 ○無間(考)ヒマモナク(古、新)略に同じ ○戀爾可(考)コフルニカ(古、新)略に同じ。
 
佐伯宿禰東人和歌一首
 
622 草枕。各爾久。成宿者。汝乎社念。莫戀吾妹。
くさまくら。たびにひさしく。なりぬれば。なをこそおもへ。なこひそわぎも。
 
ナヲコソは妻を指して言ふ。あまりに戀ひ悲む事なかれと慰むるなり。
 
池邊《イケベノ》王宴誦歌一首
 
續紀神龜四年正月。無位池邊王授2從五位下1。大友皇子之孫。葛野王子之。淡海眞人三船之父也と見ゆ。
 
(145)623 松之葉爾。月者由移去。黄葉乃。過哉君之。不相夜多焉。【焉ヲ烏ニ誤ル】
まつのはに。つきはゆつりぬ。もみぢばの。すぎぬやきみが。あはぬよおほみ。
 
ウツルをユツルとも言ふは例なり。モミヂバノは枕詞。過ギヌヤ君ガ云云は、君に逢はぬ夜のあまた過ぎぬるよとなり。上は松を待《マツ》に言ひなして、さて時の見る景色を言へり。焉を今烏に誤る。元暦本に據りて改めつ。
 參考 ○過哉君之(古)スギシヤキミガ(新)スギヌヤキミガ ○不相夜多焉(新)アハヌヨオホク。
 
天皇思2酒人《サカビトノ》女王1御製歌一首 元女王者穗積皇子之孫女也。
 
聖武天皇なり。女王は光仁天皇の皇女。續紀寶龜元年二月己未朔甲子。授2從四位下酒人内親王三品1と見ゆ。
 
624 道相而。咲之柄爾。零雪乃。消者消香二。戀云吾妹。
みちにあひて。ゑまししからに。ふるゆきの。けなばけぬかに。こふとふわぎも。
 
ケヌカニは消ヌルホドニの意。末句解き難し。宣長は云は念の誤にて、コヒオモフワギモならんと言へり。女王の笑みませしを見そなはして、み心を掛け給ふなり。
 參考 ○咲之柄爾(代)エマスガカラニ(考)エミセシカラニ(古、新)略に同じ ○戀云吾妹(考)コフトヘワギモ(古、新)「戀念」コヒモフワギモ。
 
(146)高安《タカヤスノ》王|裹鮒《ツツメルフナ》贈2娘子1歌一首 元高安王者。後賜2姓大原眞人氏1。
 
續紀天平十一年四月甲子、從四位上高安王云云。賜2大原眞人之姓1と見ゆ。
 
625 奧弊徃。邊去伊麻夜。爲妹。吾漁有。藻臥束鮒。
おきべゆき。へにゆきいまや。いもがため。わがすなどれる。もふしつかふな。
 
今ヤは今ヨなり。藻フシツカ鮒は、藻ニ臥セル一ツカホドノ鮒と言ふにて、源氏物語に石臥《イシブシ》と言ふ類ひなり。本は妹が爲めにと漁れるいたづきを言ふのみ。宣長は伊麻夜をイソヤと訓みて、勤《イソシ》の義とせり。猶考ふべし。
 參考 ○邊去(新)ヘヲユキ。
 
八代《ヤシロノ》女王獻2 天皇1歌一首
 
續紀天平寶宇二年十二月丙午。毀2從四位下矢代女王位詑1。以d被v幸2先帝1而改uv志と有り。
 
626 君爾因。言之繁乎。古郷之。明日香乃河爾。潔身爲爾去。
きみにより。ことのしげきを。ふるさとの。あすかのかはに。みそぎしにゆく。
 
一尾云|龍田超《タツタコエ》。三津之濱邊爾《ミツノハマベニ》。潔身四二由久。
 
人の妬み言ふ事の繁きによりてみそぎするとなり。ミソギは既に出づ。
 
娘子報2贈佐伯宿禰赤麻呂1歌一首
 
(147)娘子誰とも知られず、報は衍字か。又前に贈歌有りしが落ちたるか。
 
627 吾手本。將卷跡念牟。大夫者。變水定。白髪生二有。
わがたもと。まかむとおもはむ。ますらをは。なみだにしづみ。しらがおひにたり。
 
マカムは枕ニセムと言ふなり。宣長云、此歌は三一二四五と句を次いでて見るなり。さて四の句の頭へ、我ハと言ふことを添へて心得べしと言へり。誠に然か見ざれば聞えず。戀水は義をもて書く。定はシヅマル意もて借りたり。
 參考 ○生二有(古)オヒニケリ ○(新)此歌解し難し、二句マカムトカオモフ、尾句シラガオヒニタルヲか。
 
佐伯宿根赤麻呂和(ル)謌一首
 
628 白髪生流。事者不念。戀水者。鹿煮藻闕二毛。求而將行。
しらがおふる。ことはおもはず。なみだをば。かにもかくにも。もとめてゆかむ。
 
上の歌を受けて詠めり。娘子がよし白髪おふるとも厭はじ。かにかくに其泪を慕ひ求めて行きて逢はんとなり。
 參考 ○不念(古)オモハズ(新)略に同じ ○求而(代、古、新)略に同じ(考)「定而」シヅミテ。
 
大伴四綱宴席歌一首
 
(148)629 奈何鹿。使之來流。君乎社。左右裳。待難爲禮。
なにすとか。つかひのきつる。きみをこそ。かにもかくにも。まちがてにすれ。
 
此宴に來らぬ人へ贈れるなり。障り有りて來ぬ由の使を何にかせん、君をこそ待てとなり。
 參考 ○奈何鹿(代)ナニシカ(考、古、新)略に同じ ○使之來流(古)ツカヒノキタル(新)略に同じ。
 
佐伯宿禰赤麻呂歌一首
 
630 初花之。可散物乎。人事乃。繁爾因而。止息比者鴨。
はつはなの。ちるべきものを。ひとごとの。しげきによりて。よどむころかも。
 
思ふ女の家に花の木有るが、今は散らんと思へど、人目の憚り有りて止《トド》まれるか。又は思ふ女を花に譬へたるか。
 參考 ○止息比者鴨(考)「止息此者」イコフコノゴロ(古、新)略に同じ。
 
湯原王贈2娘子1歌二首  志貴皇子之子也。
 
631 宇波弊無。物可聞人者。然許。遠家路乎。令還念者。
うはへなき。ものかもひとは。しかばかり。とほきいへぢを。かへすおもへば。
 
此下に、得羽重無《ウハヘナキ》妹にも有るかもとも言へり。仙覺云、うへも無きなり。是れ程の情無《ツレナ》き事は又上も有(149)らじと云ふなり。契沖云、無表邊《ウハベナキ》なり。源氏物語に、唯だうはべばかりの情《ナサケ》にて走り書き、折りふしの答《イラ》へ心得て打し云云、又うはべの情《ナサケ》はおのづからもて附けつべきわざをや云云と有るに同じく、遠き道をつれなく還すは、深き心よりも、先づさしあたりうはべの情《ナサケ》も無しと言ふ心なりと言へり。宣長云、此詞は俗にアイソナキと言ふ意にて、中昔の物語などにアヘナキと言へる言は、批ウハヘナキの轉じたるにて、同じ意に聞ゆと言へり。按ずるに、ウハヘは上重にて、ナキは添ひたる詞ならん。物語にウハヘと言へるも此上重なるべし。心は人は如此《カク》うはへばかりのものにも有るかなと歎くなり。
 參考 ○告還念者(代)カヘラスオモヘバ(考)カヘストオモヘバ(古)カヘセシモヘバ(新)略に同じ。
 
632 目二破見而。手二破不所取。月内之。楓如。妹乎奈何責。
めにはみて。てにはとられぬ。つきのうちの。かつらのごとき。いもをいかにせむ。
 
和名抄に、兼名苑月中有v河。河上有v桂。高五百丈と有り。ここにも早くより言へる事と見ゆ。和名抄楓(乎加豆良)桂(女加豆良)と有りて通じ用ふ。
 參考 ○不所取(古)トラエヌ(新)略に同じ ○月内之(古)ツキヌチノ(新)略に同じ。
 
娘子報贈歌二首
 
633 幾許。思異目鴨。敷細之。枕片去。夢所見來之。
(150)いかばかり。おもひけめかも。しきたへの。まくらかたさる。いめにみえこし。
 
卷五、ゆくふねをふりとどみかね伊加婆加利《イカバカリ》こほしくありけむ、と詠めれば、幾許を斯く訓めり。前の二首は末だ承け引かざりし内にて、此歌は既に逢ひて後なり。卷五、麻久良佐良受提《マクラサラズテ》いめにしみえむ、と有るを思へば、ここも片は不の字にて、マクラサラズテならんと翁は言はれき。宣長云、卷十八、夜床加多古里《ヨトコカタコリ》と有るも、古は左の誤にて、夫の他に在るほどは床を片|避《サ》りて寢《ヌ》るなり。さて此歌も湯原王に逢はで寢《ヌ》る故に、枕を片避りて片わきに寄りて寢《ヌ》る夜に、吾夢に見えしと言ふ意なりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○幾許(代、古、新)略に同じ(考)イクソバク ○枕片去(代、古)マクラカタサル(考)マクラ「不去」サラズテ(新)マクラカタサリ。
 
634 家二四手。雖見不飽乎。草枕。客毛妻與。有之乏左。
いへにして。みれどあかぬを。くさまくら。たびにもつまと。あるがともしさ。
 
次に率《ヰ》タレドモと有れば、引き具して旅屋に隔て居る故、斯くは詠めるならん。是れより四首は旅の歌なり。或人云、與は乃の誤なり。妻は夫にて湯原王を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○客毛妻與(古)タビニモ「妻之」ツマノ(新)略に同じ。
 
湯原王亦贈歌二首
 
635 草枕。客者嬬者。雖率【率ヲ今欒ニ誤ル】有。匣内之。珠社所念。
くさまくら。たびにはいもは。ゐたれども。くしげのうちの。たまとこそおもへ。
 
旅路までひきゐ來たりつれども、匣中の玉の如く愛で思ふとなり。或人云、三の句ヰタラメドと訓むべし。率て來て有るべけれども、匣の中の玉の如き妻にて、いざなひ來りがたしと言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○嬬者(古、新)ツマハ ○雖率(古)ヰタラメド(新)略に同じ。
 
636 余衣。形見爾奉。布細之。枕不離。卷而左宿座。
わがころも。かたみにまたす。しきたへの。まくらからさず。まきてさねませ。
 
マタスは、遣の字を訓めり。カラサズは、離サズなり。又枕ヲサケズとも訓むべし。マキテは纏きてなり。サは發語。是れも旅路ながら隔てぬる故有りて、斯くは詠み給へるか。又或人の説の如くならば、娘子は家に留まりて、衣を形見に遣れるとすべし。
 參考 ○余衣(考)ワガキヌヲ(古、新)略に同じ ○奉(考)マカス(古、新)マツル ○枕不離(新)マクラヲサケズ。
 
娘子復報贈歌一首
 
637 吾背子之。形見之衣。嬬問爾。余身者不離。事不問友。
わがせこが。かたみのころも。つまどひに。わがみはさけじ。こととはずとも。
 
(152)嬬ヲヨバフをツマドヒと言ふ。ここは形見の衣は物言はずとも、吾背と思ひて身放さじと言ふなり。
 
湯原王亦贈歌一首
 
638 直一夜。隔之可良爾。荒玉乃。月歟經去跡。心遮。
ただひとよ。へだてしからに。あらたまの。つきかへぬると。おもほゆるかも。
 
卷十二、うつせみの常のことばと思へども繼ぎてしきけば心遮焉。これをココロハナギヌと訓めり。遮は遮斷の意にて、思ひを止《ト》むる心なるべし。ここは其うらうへなれば、遮の字の上不の字有るべし。心ハナガズと訓まんかと契沖言へり。然れどもナガズと言ふ詞無し。古點の如くオモホユルカモと有るべき歌なり。道別云。所思毳など有りしが斯く心遮二字に誤りたるならんと言へり。
 參考 ○心遮(代)「心不遮」ココロハナガズ(考)ココロサヘギル(古)の一訓ココロマドヒヌ(新)ココロマドヒヌ。
 
娘子復報贈歌一首
 
639 吾背子我。如是戀禮許曾。夜干玉能。夢所見管。寐不所宿家禮。
わがせこが。かくこふれこそ。ぬばたまの。いめにみえつつ。いねらえずけれ。
 
コフレバコソのバを略けり。イネラエズケレは、ネラレザリケレと言ふに同じ。
 
湯原王亦贈歌一首
 
(153)640 波之家也思。不遠里乎。雲居爾也。戀管將居。月毛不經國。
はしけやし。まぢかきさとを。くもゐにや。こひつつをらむ。つきもへなくに。
 
ハシケヤシは愛づる心なり。逢ひて後月は經ねども、くもゐの如《ゴト》遠く隔たりたるここちするとなり。
 
娘子復報贈和(ル)歌一首  目録に和の字無し。
 
641 絶常云者。和備染責跡。燒大刀乃。隔付經事者。幸也吾君。
たゆといはば。わびしみせむと。やきだちの。へつかふことは。よけくやわぎみ。
 
燒太刀ノ、枕詞。ヘツカフは、刀は鞘を隔て身に着く物なるに譬ふ。下に奈何好去哉吾妹《イカニヨケクヤワギモ》とも有れば、ここもヨケクと訓む意を得て幸とは書けるか。されど歌の意穩かならず。宣長云、或人言ふ、幸は辛の誤にて、カラシヤと訓むべし。ヘツカフは絶えもせず逢ひもせぬを言ふと言へり。
 參考 ○絶常云者(代、古、新)略に同じ(考)タユトイヘバ ○幸也吾君(古)「苛」カラシヤワギミ(新)ヨケクヤワガキミ。
 
湯原王歌一首
 
642 吾妹兒爾。戀而亂在。【在ハ者ノ誤】久流部寸二。懸而縁與。余戀始。
わぎもこに。こひてみだれば。くるべきに。かけてよせむと。わがこひそめし。
 
在は者の誤なるべし。和名抄云、辨色立成反轉(久流閉枳)漢語鈔説同。?車唐韻云、?(訓、久流)絡(154)糸取也。(異本、取の下絲の字有り)など有り。戀ひ戀ひて思ひ亂るる心を絲に譬へて、くるべきに懸けて妹が方へ寄せんとこそ戀ひ始めつれとなり。
 參考 ○戀而亂在(代)コヒテミダレリ(老)コヒテミダレレ(古、新)略に同じ ○懸而縁與(代、考)カケテヨラント(古、新)略に同じ。
 
紀郎女怨恨歌三首  鹿人大夫之女名曰2小鹿1。安貴王之妻也。
 
643 世間之。女爾思有者。吾渡。痛背乃河乎。渡金目八。
よのなかの。をみなにしあらば。わがわたる。あなせのかはを。わたりかねめや。
 
初めは世の常の女ならばと言ふ意なり。アナシと言ふは有れど、アナセと言へる所を聞かず。集中、卷《まき》むくの痛足川と詠めれば、背は足の誤にてアナシか、又は廣背の誤にてヒロセか。廣瀬川は卷七に詠めり。宣長は吾は君の誤りにて、キミガワタルなるべしと言へり。猶考ふべし。次の二首を合せ見るに、夫に離るる事有りて詠める歌と見ゆ。
 參考 ○女爾思(古)メニシ(新)略に同じ ○吾渡(古)「直渡」タヾワタリ(新)略に同じ○痛背乃河乎(考)「疣」イモセノカハヲ(古)アナ「足」シノカハヲ(新)略に同じ。
 
644 今者吾羽。和備曾四二結類。氣乃緒爾。念師君乎。縱左【左ハ久ノ誤】思者。
いまはあは。わびぞしにける。いきのをに。おもひしきみを。ゆるさくおもへば。
 
(155)イキノヲは命を言ふ。ユルサクは、ユルスを延べ言ふにて、ゆるべ放つ意なり。眞名伊勢物語に、左をトの假字に用ひたり。左手を外《ト》テ、右手をカクテと言へばなり。されば今もユルストオモヘバとも訓むべけれど、一本左を久に作れれば、左は誤にて、一本に據るべく覺ゆ。
 參考 ○縱左思者(代)ユル「左久」サク(考)ユルストオモヘバ(古)ユル「左久」サクモヘバ(新)ユルサク。
 
645 白細乃。袖可別。日乎近見。心爾咽飯。哭耳四所泣。
。【泣ヲ流ニ誤ル】
しろたへの。そでわかるべき。ひをちかみ。こころにむせび。ねのみしなかゆ。
 
泣、今流と有り。一本に據りて改めつ。飲、元暦本飯に作る。四の句ムネニムセビテにても有らんかと、宣長は言へり。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
646 大夫之。思和備乍。遍多。嘆久嘆乎。不負物可聞。
ますらをの。おもひわびつつ。たびまねく。なげくなげきを。おはぬものかも。
 
タビマネクは既に言へり。わが歎きを、妹が思ふまじきやとなり。物語ぶみに、恨みを負ふなども言へり。
 參考 ○遍多(考)アマタタビ(古、新)略に同じ。
 
(156)大伴坂上郎女歌一首
 
647 心者。忘日無久。雖念。人之事社。繁君爾阿禮。
こころには。わするるひなく。おもへども。ひとのことこそ。しげききみにあれ。
 
左註に云ふ如く、近親の贈答ならば、末の意は如何なる事有りて斯く詠めるにか知られず。事は言なり。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
648 不相見而。氣長久成奴。比日者。奈何好去哉。言借吾妹。
あひみずて。けながくなりぬ。このごろは。いかによけくや。いぶかしわぎも。
 
ケ長クは上に多く出でり。ヨクを延べてヨケクと言ふ。ヨケクは平安なりやと問ふなり。集中|幸《サキ》クと言ふに同じ。契沖云、去は在の誤か。齊明紀、好在と書きて、サキクハベリヤと訓めりと言へり。言借は借字にて、心は訝《イブ》かるなり。
 參考 ○好去哉(代) ヨクユケヤ(考)略に同じ(古、新)サキクヤ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
649 夏葛之。不絶使乃。不通有者。言下有如。念鶴鴨。
なつくずの。たえぬつかひの。よどめれば。ことしもあるごと。おもひつるかも。
 
宣長云、夏は蔓の誤にて、ハフクズノならんと言へり。タエヌと續く枕詞なり。絶えず來りし使の此頃(157)通はねば、何事か有るやうに思へりとなり。言は事、シモは助辭。
 參考 ○夏葛之(古、新)「蔓」ハフクズノ ○不通有者(代)カヨハザレバ(考)カヨハネバ(古、新)略に同じ。
 
右坂上郎女者。佐保大納言卿之女也。駿河麻呂此【者ノ誤カ】高市大卿之孫也。兩卿兄弟之家女孫|姑姪《ヲバメヒ》之族。是以題v歌送答相2問起居1。 佐保大納言は安麻呂卿、大卿は高市麻呂卿なり。
 
大伴宿禰三依離復相歡歌一首  歡今本歎とあり。目録及元暦本に據りて改めつ。
 
650 吾妹兒者。常世國爾。住家良思。昔見從。變若益爾家利。
わぎもこは。とこよのくにに。すみけらし。むかしみしより。わかえましにけり。
 
ワギモコは、大伴坂上郎女を指す。ワカエは若ガヘル事なり。
 參考 ○變若益爾家利(古、新)ヲチマシニケリ。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
651 久堅乃。天露霜。置二家里。宅有人毛。待戀奴濫。
ひさかたの。あめのつゆじも。おきにけり。いへなるひとも。まちこひぬらむ。
 
ツユジモは、暮秋薄く置く霜を言へり。シの言濁るべし。是れは太宰にての歌ならん。家なる人は、駿河麻呂の妻を言ふなるべし。
 
(158)652 玉主爾。珠者授而。勝且毛。枕與吾者。率二將宿。
たまぬしに。たまはさづけて。かつがつも。まくらとわれは。いざふたりねむ。
 
宣長は玉主、タマモリと訓むべし。カツガツモは、初句の上に有る意なり。玉は女《ムスメ》を譬へ、玉守は駿河麻呂を譬へたり。吾女をば駿河麿へかつがつも渡して、吾は枕と二人寢んとなり。今までは女をかたはらに寢させたる故に、斯く詠めるなり。さてカツガツの詞は、古事記神武條、加都加都母伊夜佐岐陀弖流延袁麻加牟《カツカツモイヤサキダテルエヲシマカム》と有りて、且つ且つにて、事の未だ慥ならず、はつはつなるを言ふ詞なり。例へば且つ且つ見ゆるとは、さだかには見えず、はつはつに見え初むるを言ふ。そは慥に見ゆると未だ見えざるとの中らなる故に、且つ見え且つ見えずと言ふ意にて、且つ且つと重ね言ふなるべし。此歌は且つ且つも玉主に玉をば授けてと言へるにて、未だうけばりて授け畢りぬるには有らざれども、先づはつはつに授け初めたる意なりと、傳に委しく言へり。
 參考 ○玉主爾(古、新)タマモリニ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌三首
 
653 情者。不忘物乎。儻。不見日數多。月曾經去來。
こころには。わすれぬものを。たまたまも。みざるひまねく。つきぞへにける。
 
タマタマは思ヒカケズ不意ニなり。さて相見ぬ日の多くて月を經ぬるとなり。マネクの詞は、卷一に委(159)しく言へり。
 參考 ○不見日數多(代)アマタニ(古、新)ミヌヒサマネク。
 
654 相見者。月毛不經爾。戀云者。乎曾呂登吾乎。於毛保寒毳。
あひみては。つきもへなくに。こふといはば。をそろとわれを。おもほさむかも。
 
卷十四、からすとふ於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》まさでにもきまさぬきみをころくとぞなく。今僞言云ふを宇曾と言へり。古へは乎曾と言へるなるべし。呂《ロ》は等《ラ》に同じく添ひたる辭なり。
 
655 不念乎。思常云者。天地之。神祇毛知寒。邑禮左變。
おもはぬを。おもふといはば。あめつちの。かみもしらさむ。
 
末の句をサトレサカハリと訓みて、管見抄の説を契沖も採れれど、斯かる詞は無き事なり。字の誤れるならん。試みに言はば、ウタガフナユメなど言ふ句有るべきなり。寒はサムの假字に上にも用ひたれば、シラサムと訓むべし。結句は猶考ふべし。上におもはぬをおもふといはば大野なる三笠のもりの神ししらさむ。卷十二にも似たる歌有り。
 參考 ○邑禮差變(考)「歌伺名齋」ウタガフナユメ(古)「言借名齋」イブカルナユメ。
 
大伴坂上郎女歌六首
 
656 吾耳曾。君爾者戀流。吾背子之。戀云事波。言乃名具左曾。
(160)われのみぞ。きみにはこふる。わがせこが。こふとふことは。ことのなぐさぞ。
 
コフトフは戀フトイフ事ハなり。ナグサは心を和《ナゴ》すより出でたる詞にて、吾心を慰めんとてぞと言ふなり。
 
657 不念常。曰手師物乎。翼酢色之。變安寸。吾意可聞。
おもはじと。いひてしものを。はねずいろの。うつろひやすき。わがこころかも。
 
ハネズは、天武紀十四年秋七月、淨位以上並朱華を着る由ありて、朱華、ここには波泥孺《ハネズ》と言ふと註せり。卷八、唐棣花を詠める由端詞ありて、夏まけて咲きたる波禰受ひさかたの雨打降らばうつろはむかもと詠めり。卷十一にも見ゆ。或人今俗に庭梅と言ふ物なりと言へり。春夏の間に赤き花開けり、是れならん。思はじと言ひて、又戀ふるも心の變《ウツロ》ふなり。
 
658 雖念。知僧裳無跡。知物乎。奈何幾許。吾戀渡。
おもへども。しるしもなしと。しるものを。なぞここばくも。わがこひわたる。
 
僧は信の誤なるべし。
 參考 ○知僧(考)「知倍」シルベ(古、新)略に同じ ○奈何幾許(代、新)ナニカココバク(考)ナゾイクバクモ(古)イカデココバク。
 
659 豫。人事繁。如是有者。四惠也吾背子。奧裳何如荒海藻。
あらかじめ。ひとごとしげし。かくしあらば。しゑやわがせこ。おくもいかにあらめ。
 
(161)シヱヤはヨシヤと見ては此歌聞えず、歎息の聲なり、と宣長は言へり。かねてより人の言ひ騷げば、末も如何があらんと言ふなり。コソと言はずしてメと留むるは如何がなれども、アラムと言ふをアラメ、戀ヒムヤと言ふをコヒメヤなど言ふは集中に例多し。
 參考 ○豫(考)カネテヨリ(古、新)略に同じ ○如是有者(代、新)カクシアレバ(考、古)略に同じ ○奧裳何如荒海藻(考)オクモイカガアラメ(古、新)略に同じ。
 
660 汝乎與吾乎。人曾離奈流。乞吾君。人之中言。聞起名湯目。
なをとわを。ひとぞさくなる。いでわぎみ。ひとのなかごと。ききこすなゆめ。
 
なんぢと我れとをなり。イデは乞ふ意、キキコスナは聞く事なかれと願ふ言葉なり。卷十一、戀する道にあひこすなゆめ、又絶ゆとふことをありこすなゆめと詠めり。起はオコスのオを略きて假字に用ひたり。又越の誤か。
 參考 ○汝乎與吾乎(新)乎を衍としてナレトワヲ○乞吾君(代)イデアガキミ(古)略に同じ(新)イデワガキミ ○聞起(代)キキタツ(考)キキコソ、又はキキタツ(古、新)略に同じ。
 
661 戀戀而。相有時谷。愛寸。事盡手四。長常念者。
こひこひて。あへるときだに。うるはしき。ことつくしてよ。ながくともはば。
 
事は言なり。末句は長く逢はんと思はばなり。
(162) 參考 ○愛寸(代)ナツカシキ、ウルハシキ、オモハシキ(考)ウツクシキ(古)略に同じ。
 
市原王歌一首
 
662 網兒之山。五百重隱有。佐堤乃埼。左手蠅師子之。夢二四所見。
あごのやま。いほへかくせる。さでのさき。さではへしこが。いめにしみゆる。
 
アゴノ山は、志摩|英虞《アゴノ》郡の山なるべし。卷六、河口行宮に幸《ミユキ》の時の歌に、おくれにし人をおもはく四泥能崎《シデノサキ》と詠めり。宣長云、神名帳伊勢朝明郡に、志?《シデ》神社あり、今もしで崎と言ふ。さて此處の佐堤の佐は信か詩の誤にて、此處もシデノサキなるべしと言へり。サデは和名抄、?(佐天)と有り。其崎にて魚とる業する女を思ひ出でて詠めるなるべし。
 參考 ○子之(考)コノ(古、新)略に同じ。
 
安部宿禰|年足《トシタリ》歌一首
 
目録に部を都に作る。安部はかばね朝臣なれは安都なるべし。續紀慶雲元年二月、從五位上上(ノ)村主百濟に阿刀連の姓を賜ふと有りて、養老三年五月阿刀連人足に宿禰姓を賜はりし事見ゆ。年足は知られず。
 
663 佐穗度。吾家之上二。鳴鳥之。音夏可思吉。愛妻之兒。
さほわたり。わぎへのうへに。なくとりの。こゑなつかしき。はしきつまのこ。
 
大和の佐保を渡りて來るなり。ワギヘは吾ガイヘなり。本は聲ナツカシキと言はん序のみ。又四の句コヱ(163)ナツカシエとも訓まんか。エはヨと言ふに同じ。
 
大伴宿禰|像見《カタミ》歌一首
 
續紀、天平寶字八年十月正六位上大伴稱禰形見授2從五位下1と兒ゆ。
 
664 石上。零十方雨二。將關哉。妹似相武登。言義之鬼尾。
いそのかみ。ふるともあめに。さはらめや。いもにあはむと。いひてしものを。
 
イソノカミ、枕詞。けふ逢はんと妹に言ひ契りしかば、雨も厭はざらんと言ふなり。義は羲の誤なる事前に言へり。
 參考 ○將關哉(古)ツツマメヤ(新)略に同じ。
 
安倍朝臣蟲麻呂歌一首
 
續紀、天平九年九月正七位上阿部朝臣虫麿授2外從五位下1と見ゆ。
 
665 向座而。雖見不飽。吾妹子二。立離往六。田付不知毛。
むかひあて。みれどもあかぬ。わぎもこに。たちわかれゆかむ。たづきしらずも。
 
左註を見るに、大伴坂上郎女へ戯れに詠みて贈りしなり。
 
大伴坂上郎女歌二首
 
666 不相見者。幾久毛。不有國。幾許吾者。戀乍裳荒鹿。
(164)あひみぬは。いくばくひさも。あらなくに。ここばくわれは。こひつつもあるか。
 
 參考 ○不相見者(古)アヒミズ「而」テ(新)略に同じ ○幾久毛(考)イクヒサシクモ(古、新)略に同じ ○幾許吾者(考)イクソバクアハ(古)ココダクアレハ(新)略に同じ。
 
667 戀戀而。相有物乎。月四有者。夜波隱良武。須臾羽蟻待。
こひこひて。あひたるものを。つきしあれば。よはこもるらむ。しましはありまて。
 
夜ハコモルとは、物語文に年若き人を世ゴモレルと言へる如く、夜の末の殘れるを言ふ。卷三、卷九の、くらはしの山を高みか夜隱りに出で來る月の、と詠めるは、夜と成りて出づる月を言ひて、こことは少し異なり。シマシハアリマテは、暫く持ちて有れと言ふなり。
 參考 ○須臾羽(考)シバシハ(古、新)略に同じ。
 
右大伴坂上郎女之母石川内命婦與2安部朝臣蟲滿之母安曇外命婦1同居姉妹。同氣之親焉。縁v此郎女蟲滿相見不v踈。相談既密。聊作2戯歌1以爲2問答1也。
 
厚見《アツミノ》王歌一首
 
續紀、天平勝寶元年四月授2無位厚見王從五位下1と見ゆ。
 
668 朝爾日爾。色付山乃。白雲之。可思過。君爾不有國。
あさにけに。いろづくやまの。しらくもの。おもひすぐべき。きみにあらなくに。
 
(165)色付山は秋の黄葉を言へり。本は見飽かぬ譬に言へり。オモヒ過グベキは思ひを遣り過すべきなり。心は、見あかぬ妹故に我が思ひを遣り過さん方無く思ふとなり。此末、かくしのみ戀ひやわたらむ秋津野にたな引く雨の過ぐとは無しに。
 參考 ○朝爾日爾(古、新)アサニヒニ。
 
春日《カスガノ》王歌一首  元志貴皇子之子母曰2多紀皇女1也
 
669 足引之。山橘乃。色丹出與。語言繼而。相事毛將有。
あしびきの。やまたちばなの。いろにでて。かたらひつぎて。あふこともあらむ。
 
式、大嘗會供物註文に山橘子と有り。今ヤブカウジとて赤き實なる物なり。色に出でてと言はん序のみ。カタラヒツギテは、妹をもて言ひ繼がんと言ふ意とも聞ゆれども穩かならず。宣長云、四の句此ままにては結句にかなはず。言は者の誤にて、カタラバツギテならんと言へり。
 參考 ○語言繼而(古、新)「語者」カタラバツギテ。
 
湯原王歌一首
 
670 月讀之。光二來益。足疾乃。山寸隔而。不遠國。
つきよみの。ひかりにきませ。あしびきの。やまをへだてて。とほからなくに。
 
月ヨミは月夜持の意にて、紀に月弓尊、月夜見尊など書けり。ここはやがて月の事に言へり。山も隔て(166)ず道遠からぬになり。
 參考 ○月讀之(古、新)ツクヨミノ。
 
和《コタヘ》歌一首 元不v審2作者1、
 
671 月讀之。光者清。雖照有。惑情。不堪念。
つきよみの。ひかりはさやに。てらせれど。まどへるこころ。たへじとぞおもふ。
 
月の光には道は惑はじを、心の惑ひは晴るけあへじとなり。
 參考 ○光者清(古、新)ヒカリハキヨク ○惑情(考)マドフココロハ(古)略に同じ(新)「情惑」ココロゾマドフ ○不堪念(古)タヘジトゾモフ(新)タヘヌオモヒニ。
 
安倍朝臣蟲麻呂歌一首
 
672 倭文【文ヲ父ニ誤ル】手纒。數二毛不有。壽持。奈何幾許。吾戀渡。
しづたまき。かずにもあらぬ。いのちもて。なにかもここた。わがこひわたる。
 
シヅタマキ、枕詞。壽は身の草書より誤れるにて、ミヲモチテならん。又吾身二字の誤にて、ワガミモテにても有るべし。卷五、しづたまき數にもあらぬ身二波在等と同じ續けざまなり。
 參考 ○壽持(考)「身持」ミヲモチテ(古)「吾身持」ワガミモチ(新)ミヲモチテ ○奈何幾許(代、新)ナニカココバク(考)ナゾイクソバク(古)イカデココダク。
 
(167)大伴坂上郎女歌二首
 
673 眞十鏡。磨師心乎。縱者。後爾雖云。驗將在八方。
まそかがみ。とぎしこころを。ゆるしては。のちにいふとも。しるしあらめやも。
 
此卷上に同じ人の長歌に、此本と全く同じ句有り。すくよかなる心をゆるべて人に靡く意なり。ノチニイフトモは、後悔ゆるともの意なり。
 參考 ○驗將在八方(考)シルシアラメヤモ(古、新)略に同じ。
 
674 眞玉付。彼此兼手。言齒五十戸常。相而後社。悔二破有跡五十戸。
またまつく。をちこちかねて。ことはいへど。あひてのちこそ。くいにはありといへ。
 
マ玉ツク、枕詞。ヲチコチは今と後とを言ふ。男の方より今も後も變らじと言へども、逢ひての後悔ゆる事もこそ有らめとなり。悔の下二の字は衍字か。
 參考 ○言齒五十戸常(考、新)略に同じ(古)イヒハイヘド ○悔二破(古、新)クイハ。
 
中臣女郎贈2大伴宿禰家持1歌五首
 
675 娘子部四。咲澤二生流。花勝見。都毛不知。戀裳摺可聞。
なみなべし。さきさはにおふる。はながつみ。かつてもしらぬ。こひもするかも。
 
ヲミナベシはサキと言はん爲めのみ。咲澤は地名なるべし。春日にサキ山サキ野有り、若し其處ならんか。(168)花ガツミは、和名抄、酢漿(加太波美)、是れと同じ類ひにて水に生ふる物なり。四ひらにて葉則ち花の如くなれは、花がつみと言ふならんと翁は言はれき。されど花と言ふべくも無き物なり。陸奧にて今花菖蒲に似て花の四ひらなる物をカツミと言へり。是れぞまことの物なるべき。さてカツテと言はん序なり。末は今まではかつて知らぬ戀すると言ふ意なり。都の字を用ひたるは、契沖が云く、都はスベテと言ふ意を以て、紀にフツニと訓めり。世にひたすら見ず聞かずと言ふを、ふつに見ず聞かず、かつて見ず聞かずなど意ふ同じ心の詞なりと言へり。
 參考 ○不知(考)シラズ(古、新)略に同じ。
 
676 海底。奧乎深目手。吾念有。君二波將相。年者經十方。
わたのそこ。おきをふかめて。わがもへる。きみにはあはむ。としはへぬとも。
 
初めは深メテと言はん料のみ。
 
677 春日山。朝居雲乃。鬱。不知人爾毛。戀物香聞。
かすがやま。あさゐるくもの。おほほしく。しらぬひとにも。こふるものかも。
 
一二の句はオホホシクと言はん序のみ。オホホシクは、おぼつかなき意なり。
 
678 直相而。見而者耳社。霊尅。命向。吾戀止眼。
ただにあひて。みてばのみこそ。たまきはる。いのちにむかふ。わがこひやまめ。
 
(169)直ちに逢ひ見てあらばなり。玉キハル、枕詞。命ニムカフは命トヒトシキと言ふが如し。乞をコソと訓む故に、社には物を祈り乞ふ由にて、コソの言に社の字を借れるにや。
 
679 不欲常云者。將強哉吾背。菅根之。念亂而。戀管母將有。
いなといはば。しひめやわがせ。すがのねの。おもひみだれて。こひつつもあらむ。
 
吾背子が否と言はば我れ如何で強ひて言はんや、吾獨り思ひ亂れて有らんとなり。スガノネノ、枕詞。
 參考 ○將強哉(代、古、新)シヒメヤ(考)シヒムヤ。
 
大伴宿禰家持與2交遊1別歌三首  目録には別の上久の字有り。
 
680 盖毛。人之中言。聞可毛。幾許雖待。君之不來益。
けだしくも。ひとのなかごと。きけるかも。ここたまてども。きみがきまさぬ。
 
ケダシクモはモシモと言ふ意なり。男友どちを戀ふるなり。
 參考 ○聞可毛(古、新)キカセカモ ○幾許雖待(考)――マテドモ(古)ココタクマテド(新)兩訓。
 
681 中中爾。絶年云者。如此許。氣緒爾四而。吾將戀八方。
なかなかに。たえむとしいはば。かくばかり。いきのをにして。わがこひめやも。
 
中中はカヘリテと言ふ程の事なり。交を絶んとも無ければ、命の限り戀ふるとなり。
(170) 參考 ○絶年云者(考)タユルトシイハバ(古、新)タユトシイハバ。
 
682 相【相ヲ將ニ誤ル】念。人爾有莫國。懃。情盡而。戀流吾毳。
あひおもふ。ひとにあらなくに。ねもころに。こころつくして。こふるわれかも。
 
相を今將に作るは誤れり。一木に據りて改めつ。
 參考 ○相念(古)オモフラム(新)略に同じ。又は「將相思」アヒオモハムか。
 
大伴坂上郎女歌七首
 
683 謂言之。恐國曾。紅之。色莫出曾。念死友。
いふことの。かしこきくにぞ。くれなゐの。いろにないでそ。おもひしぬとも。
 
カシコキはオソロシキにて、人言のさがなき國ぞと言ふなり。拾遺集に、ここにしも何匂ふらむ女郎花人の物言ひさがにくき世に、と詠めるも同じ。紅《クレナヰ》は色に出づと言はん料のみ。
 參考 ○謂言之(古、新)モノイヒノ。
 
684 今者吾波。將死與吾背。生十方。吾二可縁跡。言跡云莫苦荷。
いまはわは。しなむよわがせ。いけりとも。われによるべしと。いふといはなくに。
 
イフトイハナクニは、すべて、言ふ、思ふ、と云ふ言を添へて言ふ例多し。ここも然り。唯だ吾に由るべしと言はぬになり。集中思ふを添へて言ふ例は、ワスレテオモヘヤと言ふも、唯だワスレムヤと言ふな(171)り。又雖の字をイヘドモ、イフトモなど訓むも、唯だドモにて、イフは添へたる詞のみなり、と宣長言へり。
 
685 人事。繁哉君乎。二鞘之。家乎隔而。戀乍將座。
ひとごとを。しげみやきみを。ふたさやの。いへをへだてて。こひつつをらむ。
 
二サヤは二重に圍みたる家を言ふか。今ひとやのさやと言ふも然り。人のさがなさに障《ササ》へられて、逢ひ難きに譬へしなるべし、と翁は言はれき。宣長はフタサヤは隔《ヘダテ》の枕詞なり。家には關はらずと言へり。猶考ふべし。
 
686 比者。千歳八徃裳。過與。吾哉然念。欲見鴨。
このごろに。ちとせやゆきも。すぎぬると。われやしかもふ。みまくほれかも。
 
別れては久しからぬを、千とせも過ぐる心地するは、わが見まく欲りする心より斯く思ふにかとなり。ホレカモは、ホレバカのバを略けり。卷十一、卷十四に、相見ては千とせや徃《イ》ぬる云云。
 參考 ○比者(古、新)コノゴロハ ○千歳八云云(代)チトセハユキモスギヌルカ(考、古)略に同じ(新)チトセヤユキモスギニシト○欲見鴨(古)ミマクホリカモ(新)略に同じ。
 
687 愛常。吾念情。速河之。雖塞塞友。猶哉將崩。
うつくしと。わがもふこころ。はやかはの。せきとせくとも。なほやくづれむ。
 
(172)早河を塞《セ》きに塞けども、塞き敢へず崩るるを、我が戀ふる心を鎭《シヅ》め敢へぬに譬ふ。將崩、クエナムと訓むべし。
 參考 ○愛常(古)ウルハシト(新)略に同じ ○雖塞塞友(代)セクトモセクトモ(古)セキハセクトモ(新)略に同じ ○將崩(古)クエナム(新)クヅレム、又はクエナム。
 
688 青山乎。横※[殺の異体字]雲之。灼然。吾共咲爲而。人二所知名。
あをやまを。よこぎるくもの。いちじろく。われとゑまして。ひとにしらゆな。
 
青山、地名に有らず。青き山に白き雲のたなびきて、色のけぢめ著《シ》るき如く、吾に對ひ笑みて、人に其れと知らるなとなり。※[殺の異体字]は※[殺の異体字]の誤なり。※[殺の異体字]は殺の俗字。
 
689 海山毛。隔莫國。奈何鴨。目言乎谷裳。幾許乏寸。
うみやまも。へだたらなくに。なにしかも。めごとをだにも。ここたともしき。
 
目ゴト云云は見る事すら稀なりと言ふなり。言は借字のみ。卷二、あぢさはふ目辭《メゴト》も絶えぬとも詠めり。
 參考 ○目言(代)マコト(古)メコト(新)メゴト。
 
大伴宿禰三依悲v別歌一首
 
690 照日乎。闇爾見成而。哭涙。衣沾津。干人無二。
てれるひを。やみにみなして。なくなみだ。ころもぬらしつ。ほすひとなしに。
 
(173)衣干すなども專《モハ》ら女のわざなればなり。卷十二、ひさにあらむ君を思ふに久方の清き月夜も闇にのみ見ゆ。宣長が日は月の誤にて、テルツキヲなりと言へるぞ善き。
 參考 ○照日乎(古)テレルヒヲ(新)テルツキヲ。
 
大伴宿禰家持贈2娘子《ヲトメニ》1歌二首
 
691 百礒城之。大宮人者。雖多有。情爾乘而。所念妹。
ももしきの。おほみやびとは。おほかれど。こころにのりて。おもほゆるいも。
 
卷十一、内日さす宮ぢの人は道ゆけどわがもふ君はただひとりのみ、と言へるに同じ。心ニノリテは既に出づ。
 參考 ○雖多有(古)オホケドモ(新)略に同じ。
 
692 得羽重無。妹二毛有鴨。如此許。人情乎。令盡念者。
うはへなき。いもにもあるかも。かくばかり。ひとのこころを。つくすおもへば。
 
此卷の上に宇波弊無物かも人は云云と有りて、そこに言へり。人は吾を言ふ。ツクスと言ひて即ちツクサスル意になる言なり。
 參考 ○令盡念者(古)ツクセルモヘバ(新)略にはじ。
 
大伴宿禰|千室《チムロ》歌一首 未詳
 
(174)693 如此耳。戀哉將度。秋津野爾。多奈引雲能。過跡者無二。
かくしのみ。こひやわたらむ。あきつぬに。たなびくくもの。すぐとはなしに。
 
秋津野は既に出づ。下に春日野に朝ゐる雲と詠みて、遠く見わたす雲を、其野にたな引く如く詠めり。スグトハナシニは思ひを遣り過《スグ》されぬなり。
 參考 ○如此耳(古、新)カクノミニ。
 
廣河《ヒロカハノ》女王歌二首
 
續紀天平寶字七年正月、無位廣河王授2從五位下1と有り。不破内親王に次で載せたれば此女王なるべし。
 
694 戀草呼。力車二。七車。積而戀良苦。吾心柄。
こひぐさを。ちからぐるまに。ななくるま。つみてこふらく。わがこころから。
 
戀グサは唯だ戀なり。クサは添へたるのみ。力車は物を積みて引く車なり。七は數多きを言ふ。戀ふる心のあまたの車に積むばかりなるは、吾心づからぞと言へるなり。
 
695 戀者今葉。不有常吾羽。念乎。何處戀其。附見繋有。
こひはいまは。あらじとわれは。おもひしを。いづくのこひぞ。つかみかかれる。
 
卷十六、家に有りて櫃に?さしをさめてし戀の奴の束見懸りてと言ふに同じさまなり。今は吾心に戀と言ふ事は無くなりにたりと思ひて在りしを、何方よりか又吾身に攫《ツカ》み附く如くなるぞと言ふなり。
(175) 參考 ○念乎(古、新)オモヘルヲ ○何處(考)イヅコノ(古、新)略に同じ。
 
石川朝臣|廣成《ヒロナリ》歌一首
 
續紀天平寶字二年八月、從六位上石川朝臣廣成授2從五位下1と見ゆ。
 
696 家人爾。戀過目八方。川津鳴。泉之里爾。年之歴去者。
いへびとに。こひすぎめやも。かはづなく。いづみのさとに。としのへぬれば。
 
戀ふる心をえ遣り過し難きなり。泉の里は山城相樂郡泉川の邊《アタ》りを言ふべし。久邇の都へ遷されし後、奈良の故郷に妻を置きて詠めるならん。
 
大伴宿禰像見歌三首
 
697 吾聞爾。繋莫言。苅薦之。亂而念。君之直香曾。
わがきくに。かけてないひそ。かりごもの。みだれておもふ。きみがただかぞ。
 
カリゴモノ、枕詞。タダカは凡て人のうへの實事實説を隔てて聞く事に言へり。宣長云、集中正香と書けるも皆タダカと訓むべきを、今マサカと訓めるより、紛らはしくなれりと言へり。マサカは目《マ》のあたり相見る其時の事を言ふ詞にて、タダカとは用ひざま異なる事、げにも其歌にて分かれて聞ゆ。此歌の意は吾思ひ亂れて在るをりに、君がと有りし斯かりしなど、人の言ふを聞きても堪へ難きここちすれば、君が事を言に掛けて言ひ出づる事なかれとなり。
(176) 參考 ○吾聞爾(考、古、新)ワガキキニ。
 
698 春日野爾。朝居雲之。敷布二。吾者戀益。月二日二異二。
かすがぬに。あさゐるくもの。しくしくに。われはこひます。つきにひにけに。
 
野末の雲の重なれるをもて、重重《シクシク》と言ひ下したり。
 參考 ○吾者戀益(古)アハコヒマサル (新)ワハコヒマサル。
 
699 一瀬二波。千遍障良比。逝水之。後毛將相。今爾不有十方。
ひとせには。ちたびさはらひ。ゆくみづの。のち|もあひてむ《にもあはむ》。いまならずとも。
 
サハラヒは、サハリを延べ言ふ。本は序にて、今は障り有りとも後に逢はんとなり。
 參考 ○千遍障良比(代、考、新)略に同じ(古)チタビサヤラヒ ○後毛將相(代、古、新)ノチニモアハム(考)ノチモアヒナム。
 
大伴宿禰家持到2娘子之門1作歌一首
 
700 如此爲而哉。猶八將退。不近。道之間乎。煩参來而。
斯くしてや。なほやまからむ。ちかからぬ。みちのあひだを。なづみまゐきて。
 
かく遠き道をなづみ來て、妹に逢はずして、門より歸る事よと言ふのみ。集中マヰリ來ムをマヰコムと言へば、マヰキテとも言ふべし。
 
(177)河内百枝《カフチノモヽエ》娘子贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
701 波都波都爾。人乎相見而。何將有。何日二箇。又外二將見。
はつはつに。ひとをあひみて。いかならむ。いづれのひにか。またよそにみむ。
 
ハツハツは卷七に小端と書きたり。ハツカニと言ふに同じ。又いつの時か外《ヨソ》ながらも見んとなり。
 參考 ○何將有(古)イカニアラム(新)略に同じ。
 
702 夜干玉之。其夜乃月夜。至于今日。吾者不忘。無間苦思念者。
ぬばたまの。そのよのつくよ。けふまでに。われはわすれず。まなくしおもへば。
 
ソノ夜とは初めて逢ひし夜を言へり。
 
巫部麻蘇《カンコベノマソ》娘子歌二首  巫部宿禰の姓有り。
 
703 吾背子乎。相見之其日。至于今日。吾衣手者。乾時毛奈志。
わがせこを。あひみしそのひ。けふまでに。わがころもでは。ひるときもなし。
 
ソノ日ヨリと言ふを略けり。
 
704 栲繩之。永命乎。欲苦波。不絶而人乎。欲見社。
たくなはの。ながきいのちを。ほしけくは。たえずてひとを。みまほしみこそ。
 
タクナハノ、枕討。命長かれと思ふは、常に吾夫《ワガセ》を見ん事を願へばこそ有れと言ふなり。
(178) 參考 ○欲見社(考、古)ミマクホリコソ(新)ミマクホレコソ。
 
大伴宿禰家持贈2童女1歌一首
 
705 葉根蘰。今爲妹乎。夢見而。情内二。戀渡鴨。
はねかづら。いま|する《せし・せむ》いもを。いめにみて。こころのうちに。こひわたるかも。
 
ハネカヅラは、少女の髪の飾にする物なるべし。其詳かなる事は知り難し。卷七、波禰蘰今爲妹をうらわかみとも詠めり。宣長云、今セシと訓むべし。此今は新たにの意にて、此頃はねかづらをせしなり。今來《イマキ》、新參《イママヰリ》などのイマの如し。又今セムとも訓まんか、其時は近き程にせんの意なりと言へり。
 參考 ○今爲(古)イマセス(新)イマスル。
 
童女來報歌一首
 
706 葉根蘰。今爲妹者。無四呼。何妹其。幾許戀多類。
はねかづら。いま|する《せし・せむ》いもは。なかりしを。いづれのいもか。ここたこひたる。
 
ハネカヅラは、いとをさなき時の樣にて、此答へし童女は、十五六にも成るべければ、はねかづらする年比は過ぎつるを、我事には有らじ、何れの妹をか夢に見給ひつらんと言ふなるべし。四は物の誤ならんかと宣長言へり。モノヲと有るべきなり。
 參考 ○今爲(考、新)イマスル(古)イマセル ○無四乎(古、新)ナキ「物」モノヲ ○妹其(考)(179)イモ「曾」ソ(古)イモソ(新)イモゾ。
 
粟田女娘子贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
707 思遣。爲便乃不知者。片?之。底曾吾者。戀成爾家類。 <[注土之中]>
おもひやる。すべのしらねば。かたもひの。そこにぞわれは。こひなりにける。
 
オモヒヤルは思ひを遣り過すなり。?は椀の誤なり。和名抄、説文云?(字亦作v椀。辨色立成云、末里、俗云毛比)小盂也。また式に、土椀廿口水椀廿口と有り。片と言ふは合子に對して葢《フタ》無きを言へり。主水をモヒトリと言ふも、此語より出でて、轉じては飲水の事になれり。宣長云、カタモヒは唯だ底と言はん料のみなり。さて底になるとは、戀の至り極れると言ふなり。紀に底寶《ソコタカラ》と有るも寶の至極と言ふなりと言へり。
 參考 ○爲便乃不知者(古、新)スベノシレネバ。
 
708 復毛將相。因毛有奴可。白細之。我衣手二。齋留目六。
またもあはむ。よしもあらぬか。しろたへの。わがころもでに。いはひとどめむ。
 
アラヌカはアレカシと願ふ詞。今一度逢ひてあらば祝ひとどめんと言ふなり。人だまにタマムスビ、夢に袖返シなど言ふ類ひに、古へ然《サ》る祝ひ事有りしなるべし。
 
豐前國娘子|大宅女《ナホヤケノメ》歌一首  大宅は氏なるべし。
 
(180)709 夕闇者。路多豆多頭四。待月而。行吾背子。其間爾母將見。
ゆふやみは。みちたつたづし。つきまちて。いませわがせこ。そのまにもみむ。
 
タヅタヅシは既に出づ。イマセはイニマセなり。新勅撰に四の句を、かへれわがせこ、とて載せたり。
 參考 ○行吾背子(考)ユカセワガセコ(古)略に同じ。
 
安都扉《ヤツミノ》娘子歌一首  安都美氏ならんか。
 
710 三空去。月之光二。直一目。相三師人之。夢西所見。
みそらゆく。つきのひかりに。ただひとめ。あひみしひとの。いめにしみゆる。
 
丹波《タニハノ》大娘子歌三首  目録に大の下女の字有り。衍文なるべし。丹波は氏ならん。
 
711 鴨鳥之。遊此池爾。木葉落而。浮心。吾不念國。
かもとりの。あそぶこのいけに。このはおちて。うかべるこころ。わがもはなくに。
 
本はウカブと言はん序のみ。我れは浮きたる心ならずとなり。
 參考 ○木葉落而(古)コノハチリテ(新)略に同じ。
 
712 味酒呼。三輪之祝我。忌杉。手觸之罪歟。君二遇難寸。
うまさけを。みわのはふりが。いはふすぎ。てふれしつみか。きみにあひがたき。
 
味サケヲ、枕詞。祝等《ハフリラ》が注繩《シメ》など引き延《ハ》へたる齋木に手觸れし罪にや、祈るかひ無くて、君に逢ひ難き(181)となり。
 參考 ○手觸之(古、新)テフリシ。
 
713 垣穗成。人辭聞而。吾背子之。情多由多比。不合頃者。
かきほなす。ひとごとききて。わがせこが。こころたゆたひ。あはぬこのごろ。
 
垣の如く中を隔つる人の言を吾夫《ワガセ》が聞きて、是頃|猶豫《タユタヒ》て訪ひ來ぬとなり。垣ホのホは凡て現はるる物を言ふ詞なり。宣長はカキホナスは繁き事なり。隔つる事としてはホの詞|徒《イタヅ》らなりと言へり。
 
大伴宿禰家持贈2娘子1歌七首
 
714 情爾者。思渡跡。縁乎無三。外耳爲而。嘆曾吾爲。
こころには。おもひわたれど。よしをなみ。よそのみにして。なげきぞわがする。
 
逢ふべき由の無さになり。
 
715 千鳥鳴。佐保乃河門之。清瀬乎。馬打和多思。何時將通。
ちどりなく。さほのかはとの。きよきせを。うまうちわたし。いつかかよはむ。
 
大和の佐保なり。妹がり行かん道なるべし。
 
716 夜晝。云別不知。吾戀。情盖。夢所見寸八。
よるひると。いふわきしらず。わがこふる。こころはけだし。いめにみえきや。
 
ワキはワカチなり。
(182) 參考 ○云別不知(古、新)イフワキシラニ。
 
717 都禮毛無。將有人乎。獨【獨ヲ狩ニ誤ル】念爾。吾念者。惑【惑ハ?ノ誤】毛安流香。
つれもなく。あるらんひとを。かたもひに。われはおもへば。わびしくもあるか。
 
ツレモナクアルラムは、吾につらく有らん人をと言ふなり。獨、今本狩に作る。一本に據りて改めつ。惑は?の誤りなるべし。ここはマドヒモアルカとは言ふべからず。字書に?は憂也と有り。
 參考 ○惑毛(代、新)ワビシクモ(考)サビシク、又は「?」ワビシク(古)「愍」メグシクモ。
 
718 不念爾。妹之咲?乎。夢見而。心中二。燎管曾呼留。
おもはぬに。いもがゑまひを。いめにみて。こころのうちに。もえつつぞをる。
 
思ひがけず夢に見しより、心にこがるるなり。
 
719 大夫跡。念流吾乎。如此許。三禮二見津禮。片念男責。
ますらをと。おもへるわれを。かくばかり。みつれにみつれ。かたもひをせむ。
 
ワレヲは、我ナルヲと言ふ意か。されどワレヤと無くては末句にかなはず。乎は也の誤か。紀に羸をミツレと訓めり。身ヤツレの約言なり。責はセムの詞に借りたり。寒をサムの詞に借り用ふるが如し。
 參考 ○吾乎(新)ワレ「也」ヤ ○責(考)セメ(古、新)略に同じ。
 
720 村肝之。情【情ヲ於ニ誤ル】揣而。如此許。余戀良苦乎。不知香安類良武。
(183)むらきもの。こころくだけて。かくばかり。わがこふらくを。しらずかあるらむ。
 
村キモノ、枕詞。情を今於に誤る。一本に據りて改めつ。
 
獻2 天皇1歌一首
 
誰が獻れるにか知られず。或説に坂上郎女の歌とせるは、此下にも獻2天皇1歌二首と有りて、其上に跡見庄にての歌あり。ここも佐保の山里などより獻りつらんとも見ゆれば、推して然か言へるにや。此郎女、宮中へ親しく參る事外に見えず。若し是れは其母の内命婦の歌にや。
 
721 足引乃。山二四居者。風流無三。吾爲類和射乎。害目賜名。
あしびきの。やまにしをれば。みやびなみ。わがするわざを。とがめたまふな。
 
何ぞ山里びたる物奉れるに添へたるなるべし。風流をミヤビこ訓む事、卷三に言へり。
 參考 ○風流無三(代)タハレ、又ミヤビナミ(古)ミサヲナミ(新)略に同じ ○吾爲類(古)ワガセル(新)略に同じ。
 
大伴宿禰家持歌一首
 
722 如是許。戀乍不有者。石木二毛。成益物乎。物不思四手。
かくばかり。こひつつあらずは。いはきにも。ならましものを。ものもはずして。
 
本の心は既に言へり。情《ココロ》無き石木に成りて、物思はずして有らんをとなり。
 
(184)大伴坂上郎女從2跡見庄1贈2賜留宅女子大孃歌1一首并短歌
 
723 常呼二跡。吾行莫國。小金門爾。物悲良爾。念有之。吾兒乃刀自緒。野干玉之。夜晝跡不言。念二思。吾身者痩奴。嘆丹師。袖左倍沾奴。如是許。本名四戀者。古郷爾。此月期呂毛。有勝益土。
とこよにと。わがゆかなくに。をかなどに。ものがなしらに。おもへりし。わがこのとじを。ぬばたまの。よるひるといはず。おもふにし。わがみはやせぬ。なげくにし。そでさへぬれぬ。かくばかり。もとなしこひば。ふるさとに。このつきごろも。ありがてましを。
常世ニトは、ここは異國を言ふ。呼は與の誤りか。ヲカナドは鎖《ヂヤウ》などさすを言ふ。安康紀歌に、おほまへをまへすくねが訶那杜加礙《カナドカゲ》(今杜ヲ社ニ誤ル)云云。卷九、金門にし人の來立てば夜中にも身はたなしらず出てぞ逢ひける。卷十四にも二所に見ゆ。物悲シラニと言ふまでは、別るる時の樣なり。刀自は老女のみにあらず、家あるじを言へり。既に出づ。オモフニシ、ナゲクニシのシは助辭。モトナ、既に言へり。コヒバは戀フルナラバを略けり。アリガテマシヲは、在り堪へじと言ふなり。坂上郎女は宿奈麻呂卿の妻ながら、坂上里に在りしを、其むすめ大孃をば其家に留めて、わが跡見の庄へ移り居るべき事有りて、別れ居し程の歌なり。されば此古郷と言へるは跡見の庄なり。しばしの間に、大孃を斯くまで戀ふる心から、月日久しくは此處にえ在りかねんと云ふなり。
(185) 參考 ○有勝益土(新)アリカツマシジ。
 
反歌
 
724 朝髪之。念亂而。如是許。名姉之戀曾。夢爾所見家留。
あさがみの。おもひみだれて。かくばかり。なねがこふれぞ。いめにみえける。
 
朝髪ノ、枕詞。ナネのナは崇《アガ》むる詞。ネは姉の意。母より贈れども、古へは敬ひ言ふが常なり。コフレゾはコフレバゾのバを略けり。宣長云、四の句コフレゾナネガと打返して心得べし。わが戀ふればぞなねが吾夢に見えたると言ふなり。然らざれば、カクバカリと言ふに叶はずと言へり。
 
右歌報2賜大孃1歌也。  一本此註無きを善しとす。
 
獻2 天皇1歌二首  是れは上に言ふ如く、坂上家の内命婦の歌ならんか。
 
725 二寶鳥乃。潜池水。情有者。君爾吾戀。情示左禰。
にほどりの。かづくいけみづ。こころあらば。きみにわがこふ。こころしめさね。
 
和名抄、??、(和名爾保)野鳧、小而好没2水中1也と有り。本は深き事を言ふのみ。其池の如く深く思ひ奉る心を知らせ奉れと池水に言ふ意なり。且つ常の戀ならで、唯だ君を思ひ奉るにや有らん。然《サ》る事に斯くも詠むが古への歌なり。
 參考 ○潜(代)クグル ○吾戀(新)ワガコフル。
 
(186)726 外居而。戀乍不有者。君之家乃。池爾住云。鴨二有益雄。
よそにゐて。こひつつあらずは。きみがいへの。いけにすむとふ。かもならましを。
 
按ずるに、天皇へ奉るに、君が家など言はんは、いと非禮《ナメゲ》なり。別時の歌なるを、類を以て後人の竝べ載せたるなるべし。
 參考 ○鴨二有益雄(古、新)カモニアラマシヲ。
 
大伴宿禰家持贈2坂上家大孃1歌二首  雖v絶2數年1。後會相聞徃來。
 
727 萱草。吾下紐爾。著有跡。鬼乃志許草。事二思安利家理。
わすれぐさ。わがしたひもに。つけたれど。しこのしこぐさ。ことにしありけり。
 
萱草を帶れば、憂を忘ると言ふ事既に出づ。鬼をオニと訓みたるより、紫苑、遠志などなりと言へり。此二つはシヲニ、ヲニシの假字、鬼はオニの假字にて、假字たがへれば當らず。ここはシコノシコグサと訓むべきなり。さて其れは一草の名にあらず。忘れん爲めに萱草を下紐に著けたれども、忘れぬ故に、忘草と言ふは言《コト》のみにて惡ろき草なりと罵りて言へるのみ。鬼は醜に通じ用ふ。卷十三、かがりをらむ鬼《シコ》のしき手をさしかへて、其外シコノマスラヲ、シコホトトギスなど言ふに同じ。言ニシ有リケリは、卷七、戀忘貝言にしありけり、同卷、名草山言にし有けりなど言ふに同じく、言のみにて實無きを言ふ。今名バカリと言ふに等し。卷十二、忘草垣もしみみに植ゑたれど鬼《シコ》の志許草《シコクサ》猶戀ひにけり。是れも同歌(187)なり。
 
728 人毛無。國母有粳。吾妹子與。携行而。副而將座。
ひともなき。くにもあらぬか。わぎもこと。たづさひゆきて。たぐひてをらむ。
 
クニモアラヌカは願ふ詞なり。粳は糠の誤なるべし。
 
    大伴坂上大孃贈2大伴宿禰家持1歌三首
729 玉有者。手二母將卷乎。欝瞻乃。世人有者。手二卷難石。
たまならば。てにもまかむを。うつせみの。よのひとなれば。てにまきがたし。
 
瞻はセミの假字に用ふ。
 
730 將相夜者。何時將有乎。何爲常香。彼夕相而。事之繁裳。
あはむよは。いつもあらむを。なにすとか。そのよひあひて。ことししげきも。
 
逢ふべき夜は彼《カノ》夜ならでも、いつも有るべきものを、如何なれば折惡しく人目繁き夜に逢ひて、人に言ひ騷がるろ事ぞとなり。
 參考 ○事之繁裳(考、新)コトノシゲシモ(古)略に同じ。
 
731 吾名者毛。千名之五百名爾。雖立。君之名立者。惜社泣。
わがなはも。ちなのいほなに。たちぬとも。きみがなたたば。をしみこそなけ。
 
吾名はなり。モは助辭。千名ノ五百名は、名の繁く立つを言ふ。吾名は厭はず君の名が惜しさに泣かる(188)るとなり。
 參考 ○君之名立者(古)キミガナタテバ(新)略に同じ。
 
又大伴宿禰家持|和《コタフル》歌三首
 
732 今時有【有ハ者ノ誤】四。名之惜雲。吾者無。妹丹因者。千遍立十方。
いましはし。なのをしけくも。われはなし。いもによりては。ちたびたつとも。
 
イマシハシの二つのシは助辭にて今はなり。有ハ者ノ誤。
 
733 空蝉乃。代也毛二行。何爲跡鹿。妹爾不相而。吾獨將宿。
うつせみの。よやもふたゆく。なにすとか。いもにあはずて。わがひとりねむ。
 
卷七、世間《ヨノナカ》はまこと二代は往かざらし過ぎにし妹に逢はぬ思へば、とも詠めるに同じく、此世は二たびやは經行《ヘユ》く、如何なる事あればとて、妹に逢はずして、獨寢をせんやと言ふなり。上に逢ふ夜逢はぬ夜|二行《フタユ》きぬらむと言ふは、この歌とは異にて夜を言へり。そこに委しく言へり。
 
734 吾念。如此而不有者。玉二毛我。眞毛妹之。手二所纒乎。
わがおもひ。かくてあらずは。たまにもが。まこともいもが。てにまとはれむ。
 
如此《カク》思ひつつ有らんよりはの意なり。玉ニモガのガは願詞。
 參考 ○手二所纒乎(考、古、新)テニマカレナム、古、一本の牟を乎と有るに依ればテニマカレム(189)ヲと訓む。
 
同坂上大孃贈2家持1歌一首
 
735 春日山。霞多奈引。情具久。照月夜爾。獨鴨念。
かすがやま。かすみたなびき。こころぐく。てれるつくよに。ひとりかもねむ。
 
心グクはクグモルにて、おぼつかなき事に言へり。此未に情八十一《ココログク》おもほゆるかも春霞、とも言へり。さて此歌、月は照れるなれば、本二句は心グクと言はん序のみにて、其處の景色を言ふに有らず。念は音を借りたるにて將v寢《ネム》なり。
 
又家持和2坂上大孃1歌一首
 
736 月夜爾波。門爾出立。夕占問。足卜乎曾爲之。行乎欲焉。
つくよには。かどにいでたち。ゆふけとひ。あうらをぞせし。ゆかまくをほり。
 
アウラは足蹈みて占ふ事あり。アシを古へアとのみ言へり。宣長云、乎は卷の誤にて、ユカマクホシミならんと言へり。
 
同大孃贈2家持1歌二首
 
737 云云。人者雖云。若狹道乃。後瀬山之。後毛將念【念ハ會ノ誤】君。
かにかくに。ひとはいふとも。わかさぢの。のちせのやまの。のちもあはむきみ。
 
(190)念は會の誤なり。後瀬ノ山は後と言はん料のみ。
 
738 世間之。苦物爾。有家良之。戀爾不勝而。可死念者。
よのなかの。くるしきものに。ありけらく。こひにたへずて。しぬべきおもへば。
 
戀と言ふものは、世の中の苦しきものに有りけるとなり。ラクはルを延べ言ふなり。
 參考 ○可死念者(古、新)シヌベキモヘバ。
 
又家持和2坂上大孃1歌二首
 
739 後湍山。後毛將相常。念社。可死物乎。至今日毛生有。
のちせやま。のちもあはむと。おもへこそ。しぬべきものを。けふまでもいけれ。
 
オモヘバコソのバを略けり。六帖に、けふまでもふると有るは、上にコソと言ふにかなはず。
 參考 ○生有(代、古、新)略に同じ(考)フレ。
 
740 事耳乎。後手【手ハ毛ノ誤】相跡。懃。吾乎令憑而。不相可聞。
ことのみを。のちもあはむと。ねもころに。われをたのめて。あはざらめかも。
 
言葉にのみ後も逢はんと言ひて、我れを頼ませても、後に逢はざらんとなり。宣長云、結句|不相奴妹可聞《アハヌイモカモ》とか、不相有可聞《アハズアルカモ》とか有りけんを、一字脱ちたるなりと言へり。手は毛の誤なり。
 參考 ○不相可聞(古、新)アハヌ「妹」イモカモ。
 
(191)更(ニ)大伴宿禰家持贈2坂上大孃1歌十五首
 
741 夢之相者。苦有家里。覺而。掻探友。手二毛不所觸者。
いめのあひは。くるしかりけり。おどろきて。かきさぐれども。てにもふれねば。
 
夢に逢ふと見るなり。契沖云、遊仙窟の少時睡則夢見2十娘1。驚覺|攪《カキサグルニ》v之忽然空v手と言ふに據りて詠めるなり。卷五、山上憶良遊仙窟を引かれたるを見れば、疾く此國に渡り來れりと見えたりと言へり。
 
742 一重耳。妹之將結。帶乎尚。三重可結。吾身者成。
ひとへのみ。いもがむすばむ。おびをすら。みへむすふべく。わがみはなりぬ。
 
卷十三、二つなき戀をしすれば常の帶を三重に結ぶべく我身は成りぬ、とも詠めり。是れも遊仙窟に、日日衣|寛《ユルビ》、朝朝帶|緩《ユルブ》と言ふ似たり。
 
743 吾戀者。千引乃石乎。七許。頸二將繋母。神之諸伏。
わがこひは。ちびきのいしを。ななばかり。くびにかけむも。かみのもろふし。
 
神代紀、以2千人所v引磐石1云云、是れ千引なり。ナナバカリは七ツホドにて、數多きを言ふ。神の諸伏は解き難し。試みに言はば神の依りまして共寢し給ふを言ふか。カケムモは、カケタラムホドと言ふ意。モは助辭なり。千引の石をあまた頸に結ひ付けたらん如くに、苦しき戀はすれども、神の共寢し給ふ故に逢ひ難きと言ふか。卷二、玉かづら實ならぬ木にはちはやぶる神ぞ附くとふならぬ木ごとに、と言へ(192)るも、神の依りまして、遂に男を得ぬ事に譬へ言へり。古へ然《サ》る諺有りしならんと翁は言はれき。されど結句穩かならず。誤字有るべきなり。猶考ふべし。
 參考 ○千引乃石乎(古、新)チビキノイハヲ ○神之諸伏(古)カミノ「隨似」マニマニ。
 
744 暮去者。屋戸開設而。吾將待。夢爾相見二。將來云比登乎。
ゆふさらば。やどあけまけて。われまたむ。いめにあひみに。こむとふひとを。
 
アケマケは、アケマウケテなり。是れも、遊仙窟に、今宵莫v閉v戸。夢裏向2渠《カレガ》邊1と有るを詠めり。
 
745 朝夕二。將見時左倍也。吾妹之。雖見如不見。由戀四家武。
あさよひに。みむときさへや。わぎもこが。みともみぬごと。なほこひしけむ。
 
吾妹子は、たとひ朝夕に逢ひ見んにもせよ、然かありてさへ、猶逢へども逢はぬ如くに戀しからんとなり。見トモは見ルトモなり。由は猶と通じてナホと訓むべし。
 參考 ○由(考)「申」マシ(古、新)略に同じ。
 
746 生有代爾。吾者未見。事絶而。如是※[?+可]怜。縫流嚢者。
いけるよに。わはいまだみず。ことたえて。かくおもしろく。ぬへるふくろは。
 
コトタエテは詞にも述べ難き程なり。大孃が縫へる袋を得たるなり。
 
747 吾妹兒之。形見乃服。下著而。直相左右者。吾將脱八方。
わぎもこが。かたみのころも。したにきて。ただにあふまでは。われぬがめやも。
 
(193)748 戀死六。其毛同曾。奈何爲二。人目他言。辭痛吾將爲。
こひしなむ。それもおなじぞ。なにせむに。ひとめひとごと。こちたみわがせむ。
 
戀ひ死なん思ひも、人に見とがめられ、言ひ騷がれん思ひも、同じ事なれば、何ぞや人言いたしと思はんとなり。コチタミは、コトイタミの約言なり。
 參考 ○其毛同曾(古)ソレモオヤジゾ(新)ソレモオナジゾ、又はソコモオヤジゾ。
 
749 夢二谷。所見者社有。如此許。不所見有者。戀而死跡香。
いめにだに。みえばこそあらめ。かくばかり。みえずしあるは。こひてしねとか。
 
宣長云、四句の有の下念の字落ちたるか。ミエザルモヘバと有るべしと言へり。
 參考 ○所見者社有(古)ミエバコソアレ(新)略に同じ ○不所見有者(古、新)ミエズ「而」テアルハ。
 
750 念絶。和備西物尾。中中荷。奈何辛苦。相見始兼。
おもひたえ。わびにしものを。なかなかに。なにかくるしく。あひみそめけむ。
 
宣長云、此ワビは、此下に、遠くあれば佗びても有るを、と言ふワビに同じ。初めより思ひて切りて佗びつつ有りしものを、なまなかに逢ひ初《ソ》めて、何しに斯く苦しき目を見る事よと言ふなりと言へり。古今集、いましはと佗びにしものを云云と詠めり。
(194) 參考 ○奈何辛苦(古)イカデクルシク(新)ナニカクルシク。
 
751 相見而者。幾日毛不經乎。幾許久毛。久流比爾久流必。所念鴨。
あひみては。いくかもへぬを。ここばくも。くるひにくるひ。おもほゆるかも。
 
物狂はしきまでに覺ゆるなり、
 參考 ○幾許久毛(古)ココダクモ(新)ココバクモ、又はココダクモ。
 
752 如是許。面影耳。所念者。何如將爲。人目繁而。
かくばかり。おもかげのみに。おもほえば。いかにかもせむ。ひとめしげくて。
 
人メシゲクテは、四の句より續くに有らず。忍びて人目故に逢はで、斯く面影のみにして、はてはては如何にせんと言ふなり。
 
753 相見者。須臾戀者。奈木六香登。雖念彌。戀益來。
あひみては。しましもこひは。なぎむかと。おもへどいよよ。こひまさりけり。
 
ナギムカトは和《ナゴ》ムヤトなり。ナグサムと言ふも同じ。
 參考 ○相見者の者(古、新)バと濁る ○須臾(古、新)シマシク。
 
754 夜之穗杼呂。吾出而來者。吾妹子之。念有四九四。面影二三湯。
よのほどろ。わがでてくれば。わぎもこが。おもへりしくし。おもかげにみゆ。
 
夜ノホドロは、宣長説、曉がたうすうすと明くる時を言ふ。まだほのぐらき中《ウチ》なり。ホドとホノと同韻(195)なり。あわ雪のほどろほどろに降りしけば、と有るも、うすうすと降り敷くなり。されば此歌まだほのぐらきうちに出てくればと言ふなり。卷八に雁の歌、夜の穗杼呂にも鳴きわたるかも、と詠めるも同じと言へり。オモヘリシクは、今オモフラシゲと言ふに同じ。末のシは助辭なり。別れに臨みて名殘を思ふ顔《ガホ》に見えしが、面影に見ゆるとなり。
 參考 ○吾出而來者(古)アガデテクレバ(新)ワガイデクレバ。
 
755 夜之穗杼呂。出都追來良久。遍多數。成者吾?。截燒如。
よのほどろ。いでつつくらく。たびまねく。なればわがむね。きりやくがごと。
 
クラクは來るを延べ言ふ。夜のまだほのぐらき程に、出て來る事のあまた度になればの意なり。遊仙窟云。未2曾飲1v炭。腹熱如v燒。不v憶v呑v刃。腸穿似v割。またく是れに由れり。
 參考 ○截燒如(古、新)タチヤクゴトシ。
 
大伴田村家之大孃贈2妹坂上大孃1歌四首
 
756 外居而。戀者苦。吾妹子乎。次相見六。事計爲與。
よそにゐて。こふればくるし。わぎもこを。つぎてあひみむ。ことばかりせよ。
 
此ワギモコは、まことの妹《イモウト》なり。事計セヨは事を計れとなり。
 
757 遠有者。和備而毛有乎。里近。有常聞乍。不見之爲便奈沙。
(196)とほからば。わびてもあらむを。さとちかく。ありとききつつ。みぬがすべなさ。
 
遠く隔たりて有らばなり。
 參考 ○和備而毛有乎(古)ワビテモ「有牟」アラム(新)略に同じ。
 
758 白雲之。多奈引山之。高高二。吾念妹乎。將見因毛我母。
しらくもの。たなびくやまの。たかだかに。わがおもふいもを。みむよしもがも。
 
本はタカダカと言はん序のみ。翁の説、タカダカはタマタマなりと有り。宣長云、すべて此言は仰《アフ》ぎ望む意より言ふ言なり。アフギコヒノミなどのアフギの意にて、乞ひ願ふ意有り。常に物を願ふ事を望むと言ふも、高きを望むより出でたり。卷十二、もちの日に出でにし月の高高に君をいませて何をか思はむ、と詠めるも、望み願ひたる心の如く、君を待ちつけたるなりと言へり。此説に由るべし。
 
759 何。時爾加妹乎。牟具良布能。穢屋戸爾。入將座。
いかならむ。ときにかいもを。むぐらぶの。いやしきやどに。いりまさせなむ。
 
卷十九、むぐらはふ伊也支伎やども、と有れば、ここは斯く訓めり。されど字のままに、キタナキヤドと訓まんも惡しからじ。ムグラブは葎の生ひ茂りたるなり。和名抄、葎草(毛久良)と有り。
 參考 ○何(古)イカニアラム(新)略に同じ ○穢屋戸爾(考、新)キタナキヤドニ(古)略に同じ ○入將座(古、新)イリイマセナム。
 
(197)右田村大孃坂上大孃竝是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也。卿居2田村里1。號曰2田村大孃1。但妹坂上大孃者母居2坂上里1。仍曰2坂上大孃1。于時姉妹諮問以v歌贈答。
 
大伴坂上郎女從2竹田庄1贈2女子大孃1歌二首
 
神武紀、皇師|立誥之《タケビタル》處是謂2猛田1。式、大和國十市郡竹田神社有り。大孃は家持卿の妻なり。
 
760 打渡。竹田之原爾。鳴鶴之。間無時無。吾戀良久波。
うちわたす。たけだのはらに。なくたづの。まなくときなし。わがこふらくは。
 
打渡ス、枕詞なりと翁は言はれき。宣長は枕詞に有らず、ウチワタスは遠く見やる事なり。ここは見渡したる竹田の原と言へるなりと言へり。古今集、打渡すをちかた人に、など詠めるも然り。鶴の子を思ひて鳴くに寄せたり。
 
761 早河之。湍爾居鳥之。縁乎奈彌。念而有師。吾兒羽裳※[?+可]怜。
はやかはの。せにゐるとりの。よしをなみ。おもひてありし。わがこはもあはれ。
 
早河の瀬に住める鳥は、草木などの寄り所も無ければ、我子の便無きに譬ふ。上に此子の別れがてにせし事長歌に見ゆ。
 
紀女郎贈2大伴宿禰家持1歌二首  女郎名曰2小鹿1也。
 
762 神左夫跡。不欲者不有。八也多八。如是爲而後二。佐夫之家牟可聞
(198)かみさぶと。いなにはあらず。ややおほは。かくしてのちに。さぶしけむかも。
 
神サブは、年ふけたるを言ふに。卷七、夏影のねやの下庭に衣裁つわぎも裏儲けて吾爲め裁たば差《ヤヤ》大《オホ》に裁て。此ヤヤオホニは漸大にて、今とは意違へり。宣長云、八也多八は八多也八多《ハタヤハタ》と有りしが、文字の脱ち.或は上下して誤れるなり。卷十六、痩痩もいけらばあらむを波多也波多《ハタヤハタ》、と詠めるを合せ見るべしと言へり。心は老いたりとていなには有らねども、逢ひての後はた心うつろひて、厭はれなん時、心寂しからんと、後を思はるるなり。
 參考 ○八也多八(古、新)「八多也八多」ハタヤハタ。
 
763 玉緒乎。沫緒二搓而。結有者。在手後二毛。不相在目八方。
たまのをを。あわをによりて。むすべれば。ありてのもにも。あはざらめやも。
 
アワ緒は、後に訛りてアワビ結ビ、又はアハヂ結ビなど言へり。玉の緒を縒《ヨ》りてあわをに結びたればと言ふなり。さて在り在りての後も、行き合はんと言ふに譬へたり。伊勢物語に絶えて後にもと、四の句を作り變へたり。拾遺集に、春くれば瀧の白糸いかなれやむすべどもなほあわに見ゆらむ。枕草子に、薄氷あわに結べる、と詠めるも是れなり。搓は此卷上にも三相によれると言ふに此字を用ひたり。又字鏡にも搓、與留《ヨル》と見ゆ。
 參考 ○結有者(代、古、新)略に同じ(考)ムスベラバ。
 
(199)大伴宿禰家持和(ル)歌一首
 
764 百年爾。老舌出而。與余牟友。吾者不厭。戀者益友。
ももとせに。おいじたいでて。よよむとも。われはいとはじ。こひはますとも。
 
ヨヨムは、齒おちたる老びとの物言ふ聲を言ふ。物語文に、よよと泣くと言ふも、泣く聲を云へる由宣長言へり。意は老いて戀は増しぬとも吾は厭はじとなり。
 
在2久邇京1思d留2寧樂宅1坂上大孃u大伴宿禰家持作歌一首
 
765 一隔山。重成物乎。月夜好見。門爾出立。妹可將待。
ひとへやま。へなれるものを。つくよよみ。かどにいでたち。いもかまつらむ。
 
一重山は地名にあらず。久邇は奈良とは山一重隔てたればなり。ヘナレルはヘタダレルなり。心は山を隔てて住めば、たやすく通ひ難きを、月夜好しとて、妹は門に立ちて待ちつつか在らんとなり。可は清《ス》むべし。
 
藤原郎女聞v之即和歌一首
 
是れは久邇の都の宮女なるべし。右の歌を坂上大孃に贈れるを聞きて、大孃の心を思ひはかりて詠めるなり。
 
766 路遠。不來常波知有。物可良爾。然曾將待。君之目乎保利。
(200)みちとほみ。こじとはしれる。ものからに。しかぞまつらむ。きみがめをほり。
 
物カラニは物ナガラニなり。シカゾはサゾと言ふに同じ。メヲホリは相見ん事を欲りしてなり。
 
大伴宿禰家持更贈2大孃1歌二首【今二ノ下首ヲ脱ス】
 
767 都路乎。遠哉妹之。比來者。得飼飯而雖宿。夢爾不所見來。
みやこぢを。とほみやいもが。このごろは。うけひてぬれど。いめにみえこぬ。
 
都は久邇の京なり。トホミヤは遠サニヤなり。神武紀、祈をウケヒと訓めり。誓又は祈ることの古語なり。卷三、卷十二に、ケヒノ海に飼飯と書けり。ともに詞は笥《ケ》の誤なるべしと宣長言へり。心に祈りて寢《ヌ》れど、都路の遠き故にや妹が夢に見え來ぬとなり。
 
768 今所知。久邇乃京爾。妹二不相。久成。行而早見奈。
いましらす。くにのみやこに。いもにあはず。ひさしくなりぬ。ゆきてはやみな。
 
今新たに皇のしろしめす久邇の京に居て、古京に妹を留め置きて久しく逢はねば、行きて早く見んとなり。
 
大伴宿禰家持報2贈紀女郎1歌一首
 
769 久堅之。 雨之落日乎。直獨。山邊爾居者。欝有來。
ひさかたの。あめのふるひを。ただひとり。やまべにをれば。いぶせかりけり。
 
(201)大伴宿禰家持從2久邇京1贈2坂上大孃1歌五首
 
770 人眼多見。不相耳曾。情左倍。妹乎忘而。吾念莫國。
ひとめおほみ。あはざるのみぞ。こころさへ。いもをわすれて。わがもはなくに。
 
心まで妹を思ひ忘れんやとなり。上に忘レテオモヘヤと言ふ如く、思フは添ひたる詞なり。
 參考 ○不相耳曾(古)アハナクノミゾ(新)略に同じ。
 
771 偽毛。似付而曾爲流。打布裳。眞吾妹兒。吾爾戀目八。
いつはりも。につきてぞする。うつしくも。まことわぎもこ。われにこひめや。
 
ウツシクモは、現又は顯の字の意にて、げにげにしく誠に吾を戀ふるには有らじとなり。卷十一、僞も似付きてぞするいつよりか見ぬ人戀に人のしにする、と詠めり。
 
772 夢爾谷。將所見常吾者。保杼毛友。不相志思者。諾不所見有武。
いめにだに。みえむとわれは。ほどけども。あひしもはねば。うべみえざらむ。
 
ホドケドモはヒボトケドモを略けるか、母と保の濁音は通へば紐を略きて保と言へるを、保を清みて杼を濁るは音便なり。今常言に解く事をホドクと言ふもヒモトクと言ふ事なるべし。こなたの下紐を解きて寢《ヌ》れば、かしこに夢に見ゆると言ふ諺有りしなるべし。心は妹が方より思はぬを、わが方にて夢に見んとするから見えぬもうべなりと云ふなり。不相志思の志は助辭なるを、斯く返りて讀む書きざまに助(202)辭の假字を置く例無し。志は衍文にて、アヒオモハネバなるべし。元暦本、不所見の下、有の字あり。宣長云、若しくは杼は邪の誤にて、ホザケドモにても有らんか、神代紀に祝を保佐枳《ホザキ》と有ればなり。又志は者の誤にて、不相思者を下上に又誤れるかと言へり。
 參考 ○將所見常(新)ミエナムト ○保抒毛友(古)「得經」ウケヘドモ ○不相志思(代)アヒシ、又は、アハヌシオモヘバ(考)アハジトモヘカ(古)「不相思者」アヒモハザレバ(新)アヒオモハネバ、又はアヒモハザレバ。
 
773 事不問。木尚味狹藍。諸茅等之。練乃村戸二。所詐來。
こととはぬ。きすらあぢさゐ。もろちらが。ねりのむらどに。あざむかれけり。
 
 參考 ○所詐來(古)アザムカエケリ。
 
774 百千遍。戀跡云友。諸茅等之。練乃言羽志。吾波不信。
ももちたび。こふといふとも。もろちらが。ねりのことばし。あれはたのまず。
 
此二首、其時の諺か或は古事など有りて詠めるならん。今解くべからず。人人の考《カウガ》へつる事も、己れが思へるも有れど、當れりとも思はず。アヂサヰは和名抄にも紫陽花とて出でたり。言羽の下の志、元暦本、者に作る。
 參考 ○練之言羽志(古)略に同じ(新)ネリノコトバ「者」ハ ○木信(考、古、新)タノマジ。
 
(203)大伴宿禰家持贈2紀女郎1歌一首
 
775 鶉鳴。故郷從。念友。何如裳妹爾。相縁毛無寸。
うづらなく。ふりにしさとゆ。おもへども。なにぞもいもに。あふよしもなき。
 
ウヅラナク、枕詞。故京の奈良に居たりし時より思ひ初めしとなり。
 
紀女郎報2贈家持1歌一首
 
776 事出之者。誰言爾有鹿。小山田之。苗代水乃。中與杼爾四手。
ことでしは。たがことなるか。をやまだの。なはしろみづの。なかよどにして。
 
初め詞を出だせしは誰ぞや。そこより言ひ出だして、即ちそこの中よどを置き給ふは如何にとも言ひ知らずとなり。山川などを苗代へ塞《セ》き入れたる苗代田にて、淀めども又末へ流るる故に、其苗代を中よどとは言ふなり。
 
大伴宿禰家持更贈2紀女郎1歌五首
 
777 吾妹子之。屋戸乃芭乎。見爾往者。盖從門。將返却可聞。
わぎもこが。やどのまがきを。みにゆかば。けだしかどより。かへしなむかも。
 
唯だ笆《マガキ》見に行くにあらぬ事は、次の歌にてことわれり。
 
778 打妙爾。前垣乃酢堅。欲見。將行常云哉。君乎見爾許曾。
(204)うつたへに。まがきのすがた。みまくほり。ゆかむといへや。きみをみにこそ。
 
ウツタヘはヒタスラなり。ユカムトイヘヤは、ユカムトイハメヤと言ふ意にて、笆のさま見んとて行くにはあらず、實は君を見にこそ行くなれとなり。
 
779 板盖之。黒木乃屋根者。山近之。明日取而。持將参來。
いたぶきの。くろぎのやねは。やまちかし。あすしもとりて。もちてまゐこむ。
 
遷都の頃なれば家造る事有るなるべし。黒木は皮の付きたるを其儘用ふるなり。續紀神龜元年十一月。太政官奏言云云。其板屋草舍中古遺制。難v營易v破と言ふ事あれば、其頃は專ら板屋根なり。宣長云、取の上伐の字脱ちたるか、アスキリトリテなるべしと言へり。
 參考 ○明日取而(〔代)アスモトリツツ、又はアケムヒトリテ(考)略に同じ(古、新)アスノヒトリテ ○持將参來(考、古、新)モチマヰリコム。
 
780 黒樹取。草毛苅乍。仕目利。勤和【和ヲ知ニ誤ル】氣登。將譽十方不在。
くろきとり。かやもかりつつ。つかへめど。いそしきわけと。ほめむともあらず。
 
一云。仕登母《ツカフトモ》。
 
和を今本知に誤れるより訓も由無し。和氣は汝と云ふ事なり。上に委く言へり。イソシは紀に勤の字を訓めり。續紀、天平勝寶二年三月、東人等賜2勤臣《イソシオミノ》姓1と有りて、同卷、伊蘇志《イソシ》臣東人と見えたり。吾は(205)君が奴の如く仕ふべけれど、汝よく勤めたりと褒めらるべく有らず、と戯れ詠めるなり。右二首は別に端詞有りしが失せたるか。
 參考 ○草(古、新)クサ ○勤知氣登(代)ツトメシリキト(考、古、新)略に同じ。
 
781 野干玉能。昨夜者令還。今夜左倍。吾乎還莫。路之長手呼。
ぬばたまの。よべはかへしつ。こよひさへ。われをかへすな。みちのながてを。
 
長手は長路《ナガヂ》と言ふに同じ。道の長道と重ね言ふなり。
 參考 ○昨夜者令還(代)キソハカヘセリ、又はキソノヨハカヘス(考)ヨベハカヘス(古、新)キソハカヘシツ。
 
紀女郎裹物贈v友歌一首  女郎名曰2小鹿1。
 
782 風高。邊者雖吹。爲妹。袖左倍所沾而。刈流玉藻烏。
かぜたかく。へにはふけれど。いもがため。そでさへぬれて。かれるたまもぞ。
 
邊は海ばたなり。烏は焉の誤なり。妹とは女友だちを指せるなるべし。
 參考 ○邊者雖吹(所)ヘニハフケドモ。
 
大伴宿禰家持贈2娘子1歌三首
 
783 前年之。先年從。至今年。戀跡奈何毛。妹爾相難。
(206)をととしの。さきつとしより。ことしまで。こふれどなぞも。いもにあひがたき。
 
ヲトトシは、遠つ年にて去去年なり。其先つ年よりなり。卷六、をととひもきのふもけふもと詠めるヲトトヒは、遠つ日にて同じ意なり。
 
784 打乍二波。更毛不得言。夢谷。妹之手本乎。纒宿常思見者。
うつつには。さらにもえいはず。いめにだに。いもがたもとを。まきぬとしみば。
 
現《ウツツ》には今更に逢はんとはえ言はじ。夢にだに逢ふと見ば嬉しからんとなり。
 參考 ○更毛不得言(代、考、古)サラニモイハジ(新)サラニモイハズ。
 
785 吾屋戸之。草上白久。置露乃。壽母不有惜。妹爾不相有者。
わがやどの。くさのへしろく。おくつゆの。いのちもをしからず。いもにあはざれば。
 
置ク露ノ如キと言ふべきを略けり。惜を今情に誤れり。元暦本に據りて改めつ。宣長は、壽は身の誤にて、ミモヲシカラズならんと言へり。身を壽に誤れる例さきにも有りき。
 參考 ○壽(新)「身」ミ。
 
大伴宿禰家持報2贈藤原朝臣久須麻呂1歌三首
 
續紀、天平寶字三年。授2從五位下藤原惠美朝臣久須麻呂(ニ)從四位下1と有り。また訓儒麻呂とも見ゆ。
 
786 春之雨者。彌布落爾。梅花。未咲久。伊等若美可聞。
(207)はるのあめは。いやしきふるに。うめのはな、いまださかなく。いとわかみかも。
 
譬歌なり。シキフルは重重降るなり。まだいと若き女を戀ふるならん。末の答歌に、吾宿の若木の梅と有るからは、久須麻呂の妹などなるべし。
 
787 如夢。所念鴨。愛八師。君乃使乃。麻禰久通者。
いめのごと。おもほゆるかも。はしきやし。きみがつかひの。まねくかよへば。
 
現《ウツツ》の心とも無きとなり。マネクはシゲキ意にて上に出づ。
 
788 浦若見。花咲難寸。梅乎殖而。人之事重三。念曾吾爲類。
うらわかみ。はなさきがたき。うめをうゑて。ひとのことしげみ。おもひぞわがする。
 
ウラは草木の末を言ふ。ここは梢の若きなり。ウヱテと言ふに思ひ置く心あり。コトシゲミは言《コト》に言ひ騷ぐなり。
 
又家持贈2藤原朝臣久須麻呂1歌二首
 
789 情八十一。所念可聞。春霞。輕引時二。事之通者。
こころぐく。おもほゆるかも。はるがすみ。たなびくときに。ことしかよへば。
 
心グクは、上に春日山霞たなびき心ぐく、と詠めり。此時春なれば、霞める空さへおほほしきを言ふなり。
 參考 ○事之通者(古、新)コトノカヨヘバ。
 
(208)790 春風之。聲爾四出名者。有去而。不有今友。君之隨意。
はるかぜの。おとにしでなは。ありさりて。いまならずとも。きみがまにまに。
 
風の音を答《イラ》へするに譬へて、如何にも答へだに有らば、在り在りて君の言はん儘に待つべきとなり。
 參考 ○有去而(代、古、新)略に同じ(考)アリユキテ。
 
藤原朝臣久須麻呂來報歌二首
 
791 奧山之。磐影爾生流。菅根乃。懃吾毛。不相念有哉。
おくやまの。いはかげにおふる。すがのねの。ねもころわれも。あひもはざれや。
 
本はネモコロと言はん序のみ。アヒモハザレヤは、相思ハズ有ルカハ、相思フと言ふなり。
 
792 春雨乎。待常二師有四。吾屋戸之。若木乃梅毛。未含有。
はるさめを。まつとにしあらし。わがやどの。わかぎのうめも。いまだふふめり。
 
フフメリはツボメルなり。まだいわけなければ。よろしからん時を待つらんと言ふに譬ふ。
 
萬葉集 卷第四 終
              〔2010年2月6日(土)午前9時20分、巻四終了〕
 
(209)萬葉集 卷弟五
 
雜歌
 
大宰帥大伴卿報2凶問1歌一首
 
此報2凶問1は、卷八に神龜五年大伴卿之妻大伴郎女遇v病長逝焉と見えたると同じ時にて、大伴郎女みまかれる後、都より時の公卿の兩人の許よりとぶらひおこせし時、其れに答へて詠まれしなり。大伴郎女のみまかれるは、春の末か夏の初めなるべし。今は勅使よりも遲く、酬報も便に從ひて遲かるべし。卷三に、神龜五年太宰帥大伴卿思2戀故人1歌とて擧げたるも、此悲しみを詠めるなり。さて批書牘に兩君と有るを、稻君、胡麻呂を指すと言ふ説あれど、然らず。大伴卿病有りて、稻君、胡麻呂の太宰へ下りしは、天平二年六月にて、是れよりは後の事なり。其事は卷四に有り。然れども凶問累集と言ひ、依2兩君大助1傾命纔繼と有るは、妻の喪の後、又自ら病篤くて、京より兩使の下りしに報ぜしとせん事、ことわりは善くかなひたるやうなり。唯だ年號合はねば、然《さ》には有らざる事|著《シ》るし。この凶問累集と言ひ、依2兩君大助1と言へる故、別に有るべし。そは今考ふべき由無し。
 
禍故重疊。凶問|累《シキリニ》集。永懐2崩心之悲1。獨流斷腸之泣1。但依2兩君大助1。傾命纔繼耳。筆不v盡v言。古今所v歎。
 
禍故《クワコ》は禍の事と言ふ意。司馬相如諫獵書に出でたる字なり。崩心斷腸《ホウシンダンチヤウ》は心をいたましむるを意ふ。兩君(210)は誰とも知れ難し。傾命《ケイメイ》は年老いて齡傾ける意。纔繼《ワヅカニツグ》と言へるは、大伴卿の自らの病の癒えたるを言ふ。筆不v盡v言は、易繋辭に書不v盡v志、言不v盡v意と言ふに本づけり。
 
793 余能奈可波。牟奈之伎母乃等。志流等伎子。伊與余麻須萬須。加奈之可利家理。
よのなかは。むなしきものと。しるときし。いよよますます。かなしかりけり。
 
知ル時シのシは、シモの意なり。
 
神龜五年六月二十三日。
 
○左の序と詩との題、目録にも見えず。こは題の落ち失せたるならん。
 
盖聞。四生(ノ)起滅。方《アタリテ》v夢(ニ)皆空。三界(ノ)漂流。喩2環(ノ)不1v息。
 
四生は胎生、卵生、濕生、化生の四つを言ふ。起滅は生死と言ふが如し。皆佛典に出でたる字なり。方夢は莊子に方《アタリテ》2其|夢《ユメミルニ》1也、不v知2其夢1也と有るを採りて書けり。三界は欲界、色界、無色界の三を言ふ。漂流はその三界の内にただよひて在り經《フ》るを言ふ。環不息は、越絶書に、終而復始如2環之無1v端と有るより言ふ事にて、物の極まり無き由なり。
 
所以(ニ)維摩大士在2乎方丈1。【丈ヲ大ニ誤ル】有v懷(クコト)2染v疾之患1。釋迦能仁坐2於雙林1。無v免2【免ヲ兎ニ誤ル】泥?《ナイオン》之苦1。
 
維摩方丈の室に在りて疾を現ぜし事あり。能仁は釋迦を漢語に譯せし語なり。ここは梵語と漢語を重ね(211)言へり。雙林は娑羅雙樹林にて、釋迦の滅度を示したる所なり。泥?は梵語なり。是れを漢語に譯して滅度と言へり。
 
故(ニ)知(ル)二聖至極。不v能v拂(フコト)2力負之|尋《ツギテ》至(ルヲ)1。三千世界誰能逃(ン)2黒闇之|捜《サグリ》來(ルヲ)1。
 
二聖は維摩と釋迦を言ふ。至極は聖コの至極を言ふ。力負は、莊子に、藏2舟於壑1。藏2山於澤1。謂2之固1實(ニ)然(リ)。夜半有v力者負v之而走。昧者不v知也とあるを本として、力負と言へり。是莊子の語は死生の變化の逃れ難き事を言へり。黒闇は涅槃經聖行品に、功コ大天、黒闇と言へる姉妹有りて、功コ天は生を言ひ、黒闇は死を言ふと見ゆ。ここは死の來り催す事に言へるなり。
 
二鼠競爭。而度v目之鳥且(ニ)飛。四蛇爭侵。而過v隙之駒夕(ニ)走。
 
二鼠は瑯?代醉編に、佛書、人有2迯v死者1。入v井則遇2四蛇傷1v足。而不v能v下。上v樹則逢2二鼠咬1v〓。 而不v能v升。四蛇以喩2四時1。二鼠以譬2日月1とあり。此事は賓頭盧説法經などに見えたり。度v目之鳥は、人生の早く過ぎ去るに譬ふ。文選張景陽雜詩に、人生瀛海内、忽如2鳥過1v目と言へるより出でたり。又四蛇は地水火風の四を四毒蛇に譬へ、人の身を四毒蛇のかはるがはる侵すと言へる事、最勝王經に出でたり。過v隙之駒は、光陰の遷り易き事に譬ふ。是れは莊子、史記などに見えたり。
 
嗟乎痛哉。紅顏共2三從1長逝。素質與2四コ1永滅。
 
紅顔、素質は婦人の事を云ふ。三從は大戴禮に有りて、女は親に從ひ夫に從ひ子に從ふものなるを言ふ。(212)四コは周禮禮記などに見ゆ。婦言、婦コ、婦容、婦功の四つを言ふ。
何(ゾ)圖(ン)偕【偕ヲ階ニ誤ル】老違2於要期1。獨飛生(ゼントハ)2於半路1。
 
偕老は毛詩に出でたる語にて、夫婦ともに老に到るを言ふ。要期は必ずと契り置く事を言ふ。獨飛は人の獨り別れて行くを、李陵が詩に然か言へり。半路は夫婦の契の半なるに別るるを言ふ。
 
蘭室(ノ)屏風徒(ニ)張。斷腸之哀彌(ヨ)痛。枕頭(ノ)明鏡空(シク)懸。染?之涙逾(ヨ)落。
 
蘭室は婦人の閨房を言ふ事、六朝の頃の詩などに多く見えたり。さて屏風明鏡は、婦人の身近く用ひ慣れし物の徒らに殘れるを言ふ。染?は舜の妃娥皇、女英の二人舜を慕ひ、その涙にて竹を染めたる事、博物志に見ゆ。ここは其染竹の事を假りて染?とせり。?は竹の總名なり。一本に?を※[竹/(工+叩の旁)]に作れり。何れにても有るべし。
 
泉門一掩。無v由2再見1。嗚呼哀哉。
 
泉門は黄泉の門を言ふ。掩は閉づるなり。
 
愛河(ノ)波浪已(ニ)先(ヅ)滅。苦海(ノ)煩惱亦無(シ)v結(コト)。從來厭2離(ス)此穢土(ヲ)1。本願託(セン)2生(ヲ)彼淨刹(ニ)1。
 
愛河は人情は愛に溺るるもの故河に譬ふ。苦海は世間の苦しきを指して言ふ。共に佛典に出でたる語なり。無結とは人死にては再び此世に生を結ばぬを言ふ。穢土は此土を言ひ、浮刹は淨土を言ふ。
 
日本挽歌一首
 
(213)目録に、筑前守山上臣憶良挽歌一首竝短歌と有り。右のから文と詩に向へて殊更に日本と書けり。後世の和歌と書く類にあらず。
 
794 大王能。等保乃朝廷等。斯【斯ヲ期ニ誤ル】良農比。筑紫國爾。泣子那須。斯多比枳摩斯提。伊企陀爾母。伊摩陀夜周米受。年月母。伊摩他阿良禰婆。許許呂由母。於母波奴阿比?爾。宇知那比枳。許夜斯努禮。伊波牟須弊。世武須弊期良爾。石木乎母。刀此佐氣斯良受。伊弊那良婆。迦多知波阿良牟乎。宇良賣斯企。伊毛乃美許等能。阿禮乎婆母。伊可爾世與等可。爾保鳥能。布多利那良?爲。加多良比斯。許許呂曾牟企?。伊弊社可利伊摩須。
おほきみの。とほのみかどと。しらぬひ。つくしのくにに。なくこなす。したひきまして。いきだにも。いまだやすめず。としつきも。いまだあらねば。こころゆも。おもはぬあひだに。うちなびき。こやしぬれ。いはむすべ。せむすべしらに。いはきをも。とひさけしらず。いへならば。かたちはあらむを。うらめしき。いものみことの。あれをばも。いかにせよとか。にほどりの。ふたりならびゐ。かたらひし。こころそむきて。いへさかりいます。
 
遠ノミカドは既に出づ。期は斯の誤なり。ナク子ナスは泣ク子ノ如クなり。イキダニモ云云は、道を急ぎ來て息苦しく忙しきなり。是れは妻の都より來りて、程無くみまかりしを言はんとて斯く言へり。イマダアラネバはアラヌニなり。心ユモは心ヨリモなり。オモハヌアヒダニはオモヒカケズの意なり。ウチナビキ云云は.身の萎《ナ》え臥すを言ふ。コヤシヌレ、短句も有る事ながら、七言の所を五言に言ふは、此(214)頃の歌には如何があらん。禮の下婆の字落ちたるなるべし。コヤシヌレバにて即ち死を言ふなり。推古紀、聖コ太子の御歌に、許夜勢?諸能多比等阿波禮《コヤセルソノタビトアハレ》。石木ヲモトヒサケシラズは、問分シラズと言ふなるべし。石木にだに語りて慰めんを、非情物なれば分ち知らずとなり。宣長云、トヒサケは言とひて思を晴らしやる意なるべしと言へり。カタチハアラムヲは.宣長云、カタチは死屍を言ふ。さてイヘサカリイマスと言ふは、則ち葬送を言ひて、ここは葬せずして有らば、せめて屍なりとも有らんにと言ふなりと言へり。妹ノミコトは尊ぶ詞なり。父ノミコト、母ノミコトなど言へり。ニホドリノ、枕詞。心ソムキテは背向なり。世をそむくと言ふに同じ。
 參考 ○伊摩他阿良禰婆(古、新)「伊久陀毛」イクダモアラネバ ○刀比佐氣斯良受(新)「由伎」ユキサケシラズ。
 
反歌
 
795 伊弊爾由伎弖。伊可爾可阿我世武。摩久良豆久。都摩夜左夫斯久。於母保由倍斯母。
いへにゆきて、いかにかあがせむ。まくらづく。つまやさぶしく。おもほゆべしも。
 
枕ヅク、枕詞。ツマヤは閨房を言ふ。サブシクはサビシクなり。オモホユベシモのモは助辭。是れは葬り送りて歸る折の歌にて、家は筑紫の館を言へり。
 
796 伴之伎【伎ヲ枝ニ誤ル】與之。加久乃未可良爾。之多比己之。伊毛我己許呂乃。須別毛須別那左。
(215)はしきよし。かくのみからに。したひこし。いもがこころの。すべもすべなさ。
 
ハシキヨシは、ハシキヤシと同じく愛《ウツ》くしむ詞。カクノミカラニは、カクミマカリナムカラニなり。スベモスベナサは、セムカタナサと言ふを重ね言へるのみ。
 
797 久夜斯可母。可久斯良摩世婆。阿乎爾與斯。久奴知許等其等。美世摩斯母乃乎。
くやしかも。かくしらませば。あをによし。くぬちことごと。みせましものを。
 
悔しきかな斯くあらんと知りて有りせばなり。久老云、アヲニヨシは古事記の阿那邇夜志《アナニヤシ》と有ると同意にて、妻を愛《ウツ》くしみて意ふ詞。國中《クヌチ》は筑紫の國中なりと言へり。上にシタヒコシと有るからは、京より來れる妻なるを、アヲニヨシを奈良の事としては此歌解くべからず。猶久老委しき考あり。是れに由るべし。クヌチは國中、コトゴトは悉クなり。卷十七長歌、こしのなか久奴如許登其等とも有り。又同卷、家持卿弟書持みまかりたるを聞きて越中にて、かからむとかねて知りせばこしの海のありその浪も見せましものを、と詠まれたるも心は同じ。
 
798 伊毛何美斯。阿布知乃波那波。知利奴倍斯。和何那久那美多。伊摩陀飛那久爾。
いもがみし。あふちのはなは。ちりぬべし。わがなくなみだ。いまだひなくに。
 
和名抄、楝(阿布智)と見ゆ。今俗センダンと言ふ木なり。奈良の家のあふちを詠めるなるべし。みまかられし比は五月の初めにや。
 
799 大野山。紀利多知和多流。和何那宜久。於伎蘇乃可是爾。紀利多知和多流。
(216)おほぬやま。きりたちわたる。わがなげく。おきそのかぜに。きりたちわたる。
 
筑前御笠郡大野。宣長云、オキソは息嘯《オキウソ》なり。神代紀、嘯之時《ウソブクトキニ》迅風邪忽起と有りと言へり。又息を霧に言ひなせるは、同紀に吹棄氣噴之狹霧《フキウツルイブキノサギリ》と有り。ナゲキも長息《ナガイキ》にて、物を思ひて息の長くつかるるを言ふ。大野山に立つ霧は、則ち吾なげきぞと言ふなり。卷十三わがなげくやさかの歎、卷十五、君が行く海べの宿に霧立たば君立ちなげく息と知りませ、なども詠めり。
 
神龜五年七月廿一日筑前國守山上憶良上  契沖云、憶良の妻みまかりし時、いたみて作られけるを、大伴卿か或るは別人に見せらるる時、憶良上と書けるかと言へり。
 
令v反2惑情1歌一首并序
 
是れも目録に、山上臣憶良と有り。これは惑情を諭《サト》して本情に返らしむる意なり。
 
或(ハ)有v人知v敬2父母1。忘2於侍養1。不v顧2妻子1。輕2於脱履(ヨリ)1。自稱2畏俗先生1。意氣雖v揚2青雲之上1。身體猶在2塵俗之中1。未《ズ》v驗(シアラ)2修行得道之聖(ニ)1。蓋是亡2命山澤1之民。所以(ニ)指2示三綱1更開2五教1。遣(クルニ)v之(ニ)以(シテ)v歌。令v反2其或1。歌曰
 
宣長云、知の上不の字脱ちたるか。畏は異の誤かと言へり。畏一本離に作る。脱履は履を脱ぎ捨つる事なり。史記に、吾誠得(バ)v如(コトヲ)2黄帝(ノ)1。吾視(コト)v去(ルヲ)2妻子1如2脱蹤(ノ)1耳と有るに據れり。青雲は東方朔答却難に見えたり。心の高きを言ふ。盍は盖の誤ならんと宣長言へり。亡命は楊雄が解嘲に出でたる字なり。身を放《ハフ》(217)らして徒らに家を逃れ出づるを言ふ。三綱は君臣父子夫婦を言ふ。五教は父義(ニ)、母慈(ニ)、兄友(ニ)、弟恭(ニ)、子孝なるを言ふ。
 
800 父母乎。美禮婆多布斗斯。妻子見禮婆。米具斯宇都久志。余能奈迦波。加久叙許等和理。母智騰利乃。可可良波志母與。由久弊斯良禰婆。宇既具都遠。奴伎都流其等久。布美奴伎提。由久智布比等波。伊波紀欲利。奈利提志比等迦。奈何名能良佐禰。阿米弊由迦婆。奈何麻爾麻爾。都智奈良婆。大王伊摩周。許能提羅周。日月能斯多波。雨麻久毛能。牟迦夫周伎波美。多爾具久能。佐和多流伎波美。企許斯遠周。久爾能麻保良叙。可爾迦久爾。保志伎麻爾麻爾。斯可爾波阿羅慈迦。
ちちははを。みればたふとし。めこみれば。めぐしうつくし。よのなかは。かくぞことわり。もちどりの。かからはしもよ。ゆくへしらねば。うけぐつを。ぬぎつるごとく。ふみぬきて。ゆくちふひとは。いはきより。なりてしひとか。ながなのらさね。あめへゆかば。ながまにまに。つちならば。おほきみいます。このてらす。ひつきのしたは。あまぐもの。むかぶすきはみ。たにぐくの。さわたるきはみ。きこしをす。くにのまほらぞ。かにかくに。ほしきまにまに。しかにはあらじか。
 
一本、宇都久志の下、遁路得奴兄弟親族遁路得奴老見幼見朋友乃言問交之《ノガロエヌハラカラウカラノガロエヌオイミイトケミトモガキノコトトヒカハシ》の二十二字有り。此歌の書體とも異なれば、恐らくは非なるべし。メグシは神代紀、特(ニ)鍾憐愛以崇養《メグシトオボスココロヲオキテ》と有り。此集には愍の字を用ひたる所有り。メグミと言ふ語も是れより出づ。ウツクシは愛の意なり。父母をば崇めて孝養すべく、妻子をば惠み愛《ウツ》くしむべく、世上は斯くの如きぞ理《コトワ》りは有るものをと言ふなり。序に言へる三綱の中、ここま(218)で其二綱を言へり。モチドリノ、枕詞。カカラハシモヨは黐《モチ》に懸かれる鳥の如く立ち離れ難く、親に關かはりて遁れ難き理りを言ふ。此句の下一句落ちたるか。ウケグツは穿《ウケ》破れたる沓なり。ウケはウガタレの約なり。宇を一木乎に作るは非なり。宣長云、奴伎都流の都流は棄《スツル》なり。辭のツルにては叶はざる由言へり。ここは序文に言へる脱履の事にて、たやすく妻子を去るを言へり。ユクチフは行くと言ふなり。家を出でて行く人を言ふ。イハ木より云云、斯く世に變りたるは、石木よりも生れ出でたる人か、汝が名を名|告《ノ》れとなり。ノラサネはノレを延べたる言にて既に出づ。アメヘユカバ云云は、天へのぼる術をも得たらば汝が心のままにせよ。其術をも得ずば、常の道を行くべしとなり。ツチニアラバ云云、地に在らば皇《オホギミ》おはしますなり。コノテラス日月ノ下云云は、天ノ下と言ふが如し。天雲は、祈年祭祝詞、白雲能|墜坐向伏限《オリヰムカフスカギリ》、また谷蟆能狹度極《タニグクノサワタルキハミ》など言ひて、雲は遠く望めば低きく伏せる如く見ゆる物なれば言へり。谷グクは蝦蟆にて、み谷の草木をも安く潜《クグ》る故言ふ名なり。然からば谷久具と下のクを濁るべけれど、古くは潜を久久留と清音に言ひしと見ゆ。サワタルのサは發語にて、其|蝦蟆《カヘル》の隈《クマ》も無く歩み行くをワタルと言へり。白雲と谷具久とを擧げたるは、天地の涯《ハテ》と言はんが如し。キコシヲスはキコシメスなり。此詞は上の大王イマスより掛けて見るべし。クニノマホラは、景行紀、やまとは區珥能摩保邏摩《クニノマホラマ》と有り。マは眞にて褒むる詞。ホはすべて物につつまれ籠りたる事を言ふ古語なり。ラは助辭なり。されば日本紀私紀にも奧區也と言へり。應神紀、くにのほもみゆと詠ませ給へるは、國の秀《ホ》にて、(219)マホラとは異なり。ホシキマニマニ云云は、欲するままに然《サ》は有るまじき事にては無きかと言ふなり。アラジカのカは疑ふ詞なり。是れは序文に言へる親族をもかへり見ず、おのれ獨り高ぶり家を放れて、みづから某先生と稱へて居たる人に示されたるなり。
 參考 ○由久弊斯良禰婆(代)此上一句脱カ(考)「其輩乃」ソノトモガラノなど脱カ(古)「波夜可波乃」ハヤカハノなど脱カ(新)脱句無し ○宇既に具都遠(考)ヲケグツヲ(古、新)略に同じ ○奴伎都流(考)「奴伎提都流」ヌギデツル(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
801 比佐迦多能。阿麻遲波等保斯。奈保奈保爾。伊弊爾可弊利提。奈利乎斯麻佐爾。
ひさかたの。あまぢはとほし。なほなほに。いへにかへりて。なりをしまさに。
 
ナリは業にて、ナホナホは、卷十四、した奈保那保爾とも有りて、心のかれこれと思ふ事無く、穩やかなる事に言へり。猶猶の意に有らず。長歌に言へる如く、天に登らんは遠ければ、家に歸りて業をせよとなり。シマサニはシマセを延べ云ふなり。爾は禰の誤なるべし。
 參考 ○奈利乎斯麻佐爾(新)ナリヲシマサ「禰」ネ。
 
思子等歌一首并序
 
釋迦如來金口正(ニ)説。等(シク)思(フコト)2衆生1如2羅?羅1。又説(ク)愛無v過v子。至極(ノ)大聖尚有2愛v子之心1。況乎世間(ノ)蒼生誰(220)不v愛v子乎。
 
最勝王經に、吾觀2衆生1無2偏黨1如2羅?羅1。愛無v過v子。誰不v愛v子乎と有り。如來は金身なれば金口と言へり。羅?羅は釋迦の子なり。
 
802 宇利波米婆。胡藤母意母保由。久利波米婆。麻斯提斯農波由。伊豆久欲利。枳多利斯物能曾。麻奈迦比爾。母等奈可可利提。夜周伊斯奈佐農。
うりはめば。こどもおもほゆ。くりはめば。ましてしぬばゆ。いづくより。きたりしものぞ。まなかひに。もとなかかりて。やすいしなさぬ。
 
イヅクヨリ云云は、如何なる過去の因縁にて吾子と生れこし物ぞとなり。マナカヒは眼之間《マナカヒ》にて、常に目前に在る如く思ふ意か。ヤスイシナサヌのシは助辭にて。安く寢《ヌ》る事をせぬなり。古事記|伊遠斯那世《イヲシナセ》と有るも寢《ヌ》る事なり。筑紫にて京に留まれる子等が、瓜を食み栗を食むにも然《サ》らぬ時にも、面影に見ゆるを言へり。
 
反歌
 
803 銀母。金母玉母。奈爾世武爾。麻佐禮留多可良。古爾斯迦米夜母。
しろがねも。こがねもたまも。なにせむに。まされるたから。こにしかめやも。
 
此卷の下に、世の人のたふとび願ふ七くさの寶も吾は何かせむ、吾中の生れ出でたる白玉の吾子古日云云とも詠めり。
(221) 參考 ○金(古、新)クガネ。
 
哀2世間難1v住歌一首并序
 
易v集難v排八大辛苦。難v遂易v盡百年賞樂。古人所v歎、今亦及v之。所以因作2一章之歌1。以撥2二毛之歎1。其歌曰。
 
排は押し開き退くる意。八大辛苦は、生、老、病、死、愛別離、怨憎會、求不得、五陰成の八を言ふ由佛典に出づ。賞樂は賞心樂事なり。二毛は左傳に出でたる字なり。老いて白毛の交り生ふるを言ふ。又潘岳が秋興賦序にも二毛を歎ずと言へり。契沖云、憶良は天平五年に七十四歳にて卒せらる。此歌の左に神龜五年と有るに由りて逆推するに、六十九歳の作なれば、秋興賦の意に叶はず。左傳によりて老いを歎く心を歌に作れりとすべし。唯だ二毛之歎と言へるは、秋興賦のおもかげなりと言へり。
 
804 世間能。周弊奈伎物能波。年月波。奈何流流其等斯。等利都都伎
。意比久留母能波。毛毛久佐爾。勢米余利伎多流。遠等刀y塔柱トニ誤ル】良何。遠等刀y呼ニ誤ル】佐備周等。可羅多麻乎。多母等爾麻可志
(【或有此句云|之路多倍乃《シロタヘノ》。袖布利可伴之《ソデフリカハシ》。久禮奈爲乃《クレナヰノ》。阿可毛須蘇毘伎《アカモスソビキ》。】)
余知古良等。手多豆佐波利提。阿蘇比家武。等伎能佐迦利乎。等等尾迦禰。周具斯野利都禮。
よのなかの。すべなきものは。としつきは。ながるるごとし。とりつづき。おひくるものは。ももくさに。せめよりきたる。をとめらが。をとめさびすと。からたまを。たもとにまかし。よちこらと。てたづさはりて。あそびけむ。ときのさかりを。(222)とどみかね。すぐしやりつれ。
 
年月は水の流るる如く過ぐるに、其れに續きて追ひ來るやうに、樣樣の愁の責め來るを言ひて、一首の大意とす。ヲトメラガ云云は、政事要略に、淨御原天皇吉野宮におはしませしに、神女の舞ひ歌ひし歌とて、乎度綿度茂《ヲトメドモ》。※[竹/邑]度綿左備須茂《ヲトメサビスモ》。可艮多萬乎《カラタマヲ》。多茂度邇麻岐底《タモトニマキテ》。乎度綿左備須茂《ヲトメサビスモ》と言ふ歌を載せたれど、神女の歌へると言へるは後の傳へにて、誠は續紀、天平十五年五月、詔して五節の樂造らせ給へる時に、作りて歌はせられしなるべし。今は右の歌の類ひなり。ヲトメサビは處女進《ヲトメスサミ》にて、ヲトメノフルマヒスと言ふ意なり。マカシはマキを延べたる詞。ヨチコラは、宣長云、同じころほひの子等を言ふ。卷十四、此川に朝な洗ふ子汝れも吾も余知乎曾母弖流《ヨチヲゾモテル》、卷十六長歌、四千庭《ヨチニハ》、など有るも同じと言へり。手タヅサハリテ云云、手を組み合ひなどして遊び歩りくさまなり。時ノ盛ヲ云云、盛の時を止《トド》めかね過ぐし遣りつればの意なり。ツレバのバを略けるは例なり。
 
美奈乃和多。迦具漏伎可美爾。伊都乃麻可。斯毛乃布利家武。久禮奈爲能。(【一云、爾能保奈酒】)意母提乃宇倍爾。伊豆久由可。斯和何伎多利斯。(【一云|都禰奈利之惠麻比麻欲毘伎散久伴奈能宇都呂比爾家利余乃奈可伴可久乃未奈良之《ツネナリシヱマヒマヨビキサクハナノウツロヒニケリヨノナカハカクノミナラシ》、】)
みなのわた。かぐろきかみに。いつのまか。しものふりけむ。くれなゐの。おもてのうへに。いづくゆか。しわかきたりし。
 
ミナノワタ、枕詞。いつの程にか白髪生ひたりと言ふなり。クレナヰノ云云、紅顔にいつよりか皺掻垂《シワカキタリ》(223)しと言ふ意なり。又|何《カ》をここは濁音にのみ用ひたれば、イヅクユカ皺ガ來タリシと言ふかとも覺ゆれど、古語の體にあらず。一本のニノホは、卷十三、丹《ニ》の穗にもみづとも詠みて、ニは丹にて、ホは物の顯はるるを秀《ホ》と言へり。則ち紅顔の事なり。ヱマヒは笑《ヱミ》なり。マヨビキは眉なり。咲く花の如くうつろふと言ふなり。ここまでは女の若きが老ゆるを言ふ。
 
麻周羅遠乃。遠刀古佐備周等。都流伎多智。許志爾刀利波枳。佐都由美乎。多爾伎利物知提。阿迦胡麻爾。志都久良宇知意伎。波比能利提。阿蘇比阿留伎斯。余乃奈迦野。都禰爾阿利家留。遠等刀y塔柱トニ誤ル】良何。佐那周伊多斗乎。意斯比良伎。伊多度利與利提。麻多麻提乃。多麻提佐斯迦閉。佐禰斯欲能。伊久?母阿羅禰婆。多都可豆惠。許志爾多何禰提。可由既婆。比等爾伊等波延。可久由既婆。比等爾邇久麻延。意余斯遠波。迦久能尾奈良志。多麻枳波流。伊能知遠志家騰。世武周弊母奈斯。
ますらをの。をとこさびすと。つるぎだち。こしにとりはき。さつゆみを。たにぎりもちて。あかごまに。しづくらうちおき。はひのりて。あそびあるきし。よのなかや。つねにありける。をとめらが。さなすいたどを。おしひらき。いたどりよりて。またまでの。たまでさしかへ。さねしよの。いくだもあらねば。たつかづゑ。こしにたがねて。かくゆけば。ひとにいとはえ。かくゆけば。ひとににくまえ。およしをば。かくのみならし。たまきはる。いのちをしけど。せむすべもなし。
 
ヲトコサビはヲトメサビと對して男|進《スサミ》なり。サツ弓は幸弓にて、山の幸、野の幸など言ふ幸なり。シヅクラは和名抄、?(之太久良)と有り。下《シ》ヅ鞍なり。物具装束抄、切付(號2下鞍1)小豹(公卿及四位用v之)(224)云云。アソビアルキシ、ここは句なり。ヨノ中ヤ常ニ有リケルは、世中は常にはあらずと言ふ義なり。ここにて又切れて、イクダモアラネバと言ふへ懸かるなり。サナス板戸ヲは、サは眞《マ》と同じく發語にて、ナスは令v鳴《ナラス》なり。古事記、八千矛神の御歌に、遠登賣能那須夜伊多斗遠《ヲトメノナスヤイタトヲ》と言ふも令v鳴にて、即ち戸を閉《サ》す事を然か言へり。古への戸は多く開き戸にて、開閉に音有る故なるべしと宣長言へり。ここも是れと同じ。マ玉手の云云は、うるはしき手をさしかはしぬるさまなり。ここも八千矛神のみ歌の、麻多麻傳多麻傳佐斯麻岐《マタマデタマデサシマキ》と有るに同じ。繼體紀、まきさく檜《ヒ》の板戸を押し開き云云、いもが手を我れにまかしめ我が手をばいもにまかしめ云云と有るにも似たり。サネシのサは眞《マ》に同じく發語。イクダモアラネバはイクバクモアラヌニなり。タツガ杖は手束弓に同じく、手握る杖と言ふなり。コシニタガネテは束《ツカ》ヌるにて、杖に倚《ヨ》りそふさまなり。イトハエはイトハレなり。禮と衣を通はし言へり。ニクマエも同じ。オヨシヲバは、老イシ人ヲバと言ふなりと翁は言はれつれど、猶おだやかならず。オヨソハなりと契沖が言へるに由らんか。猶考ふべし。カクノミナラシは、世間は斯くの如くのものに有るらしと言ふな。タマキハル、枕詞。命ヲシケドは、ヲシケレドモの略なり。
 參考 ○余乃奈迦野(考)ヨノナカノ(古、新)略に同じ ○可久由既波(古)カユケバ(新)略に同じ ○比等爾邇久麻延(新)ヒトニニクマ「由」ユ ○意余斯遠婆(新)オ「保」ホシ「余」ヨハ。
 
反歌
 
(225)805 等伎波奈周。迦久斯母何母【今何母二字ヲ脱ス】等。意母閉騰母。余能許等奈禮婆。等登尾可禰都母。
ときはなす。かくしもがもと。おもへども。よのことなれば。とどみかねつも。
 
今本、斯母の下何母の字脱ちたり。拾穗本、何母の字有るは然《サ》る本有りしなるべし。トキハナスは常磐ノ如クなり。トドミはトドメに同じ。モは助辭。
 
神龜五年七月廿一日。於2嘉摩郡1撰定。筑前國守山上憶良。
 
○目録に太宰帥大伴卿相聞歌二首答歌二首と有り。初めにも書牘の前に題あれば、ここも題有りしが落ちしならん。
 
伏(シテ)辱(クス)2來書(ヲ)1。具(ニ)承(ケ)2芳旨(ヲ)1。忽成(シ)2隔v漢(ヲ)之戀(ヲ)1。復傷(マシム)2抱v梁之意(ヲ)1。唯羨去留無v恙。遂待2披雲1耳
 
隔漢は牽牛織女の銀漢を隔て在るを言ふ。拘梁は尾生と言へる者、女と梁下《ハシノシタ》に期せしに、女子來らずして水到りければ、抱v梁而死と言へる故事にて、莊子などの書に多く見ゆ。羨は冀の誤かと契沖言へり。さも有るべし。披雲は晋の樂廣が事を、若d披2雲霧1而覩u2青天1と言へる事の有るより、人に逢ふ事を尊みて言ふ時に披雲と言へり。
 
○是れは大伴旅人卿より京に在る人の許へ歌を贈られし時、京の人の答への歌と書牘なるを、旅人卿よりの贈歌をも、後に一つなみに書き記るせしものなり。末に淡等と有るは則ち旅人卿の事にて、蘇我|妹子《イモコ》を因高と書けるに等しく、淡等にてタビトと訓むべし。ここはいたく亂れたりと見ゆ。歌を見るに、初(226)め二首は旅人卿、次の二首は京人の答へ歌なり。さればここの書き樣《ザマ》、此書牘の前に端詞有りて、多都能馬母の歌と宇豆都仁波の歌有りて、其所に大伴淡等謹?と有るべし。さて右の伏辱2來書1云云の書牘有りて、其なみに多都乃麻乎の歌と多陀爾阿波須の歌有りて、其作者の名有るべき物なり。
 
歌詞兩首 太宰卿 大伴卿
 
806 多都能馬母。伊麻勿愛弖之可。阿遠爾與志。奈良乃美夜古爾。由吉帝己牟丹米。
たつのまも。いまもえてしが。あをによし。ならのみやこに。ゆきてこむため。
 
周禮、凡馬八尺以上爲v龍と言へるを思へるなり。日本紀竟宴歌に、十つゑあまり八つゑをこゆるたつのこまと詠めり。
 
807 宇豆都仁波。安布余志勿奈子。奴婆多麻能。用流能伊昧仁越。都伎提美延許曾。
うつつには。あふよしもなし。ぬばたまの。よるのいめにを。つぎてみえこそ。
 
夢ニヲのヲは助辭。繼ぎて見んとなり。コソは願ふ詞。
 
答歌二首
 
808 多都乃麻乎。阿禮波毛等米牟。阿遠爾與志。奈良乃美夜古邇。許牟比等乃多米。【米ヲ仁ニ誤ル】
たつのまを。あれはもとめむ。あをによし。ならのみやこに。こむひとのため。
 
アレは吾なり。多米、今本多仁と有り。一本に依りて改めつ。
(227) 參考 ○多仁(代)タニ(考)タニ、又は、タ「米」メか(古、新)タニ。
 
809 多陀爾阿波須。阿良久毛於保久。志岐多閉乃。麻久良佐良受提。伊米爾之美延牟。
ただにあはず。あらくもおほく。しきたへの。まくらさらずて。いめにしみえむ。
 
ただちに逢はず有る月日の重なるなり。アラクはアルを延べ云ふ。夜毎に枕去らず夢に見えんとなり。贈歌に夢ニ見エコソと願へるを受けて詠めり。於保久の久は之の誤ならんと宣長言へり。
 參考 ○阿良久毛於保久(古、新)アラクモオホシ。
 
大伴(ノ)淡等《タビト》謹?。
 
○目録に帥大伴卿梧桐日本琴贈2中衛大將藤原卿1歌二首と有り。前後の例に據るに、ここにも題有りしが落ちしならん。
 
梧桐|日本《ヤマト》琴一面(對馬結石山孫枝也) 雅樂式云、和琴一面長六尺二寸と有り。結石を仙覺、ユフシと詠めり。孫枝は?康琴賦に、乃劉2孫枝1淮2量所1v任。白氏文集に、梧桐老去長2孫枝1と有り。又卷十八橘の歌に、孫枝《ヒコエ》もいつつとも詠めり。枝の下、也の字今本に無し。一本に據りて補へり。
 
此琴夢化2娘子1曰。余託(シ)2根(ヲ)遙嶋之崇巒1。晞《サラス》2幹(ヲ)於九陽之休光1。
 
琴賦に、椅梧之所v生今託2峻嶽之崇岡1云云。又且(ニ)晞2幹(ヲ)於九陽1云云。また吸2日月之休光1と有るをもて書けり。崇巒は高き峰なり。九陽は王逸が楚辭の註に、九陽謂2九天之涯1也と有り。また文選の註には、(228)九(ハ)陽(ノ)數也、陽日也とも言へり。休光は註に休は善也と有りて、好き光と言ふ意なり。
 
長(ク)帶2烟霞1。逍2遙山川之阿1。遠(ク)望(ミテ)2風波1。出2入(ス)雁木之間(ニ)1。
 
莊子に、周山に入りて、大樹の茂りたるが下を、杣人の過ぎながら伐らねば、其故を問ふに、用無き木なりと言へり。斯くて莊周此木の不材なるをもて天年を終る事を知りぬ。さて山を出でて人の家に宿りしに、雁を殺して烹けるが、聲の好きをば殺さで、惡ろきを殺せり。斯くて又惡ろき物とても天年を終へざる事あるを知れりと言ふ故事に由りて、不材なりとて人に採らるまじきや、又人に採らるべきやの間に出入すと言ふ意なり。
 
唯恐(クハ)百年之後。空(シク)朽(ルコトヲ)2溝壑(ニ)1。【壑ヲ額ニ誤ル】偶遭(テ)2良匠(ニ)1。散(シテ)爲(ラバ)2小琴(ト)1。不v顧2質麁(ニシテ)音少(トナルコトヲ)1。恒(ニ)希(フ)2君子(ノ)左琴(タランコトヲ)1。即歌曰。
 
溝壑は孟子の字にて、河谷などの事を言ふ。左琴は古列女傳、楚の於陵子終が妻の言へる言に、左v琴右v書。樂在2其中1と言ふより出でたり。
 
810 伊可爾安良武。日能等伎爾可母。許惠之良武。比等能比射乃倍。和我摩久良可武。
いかにあらむ。ひのときにかも。こゑしらむ。ひとのひざのへ。わがまくらかむ。
 
一二の句は、いつの時、いづれの日にかと言ふなり。聲シラム人は、伯牙善く琴を彈き、鍾子期善く聽けりと言ふ故事もて詠めり。ヒザノヘは膝上なり。枕カムは、集中、楊カヅラキ、又カヅラカムなども(229)有れば、カムは詞にて、枕セムと言ふに同じ。古今六帖に、マクラセムと直して載せたり。
 
僕報2詩詠1曰
 
詩は謌と一本に有れど、此卷の末にも又卷十七にも謌を詩と言へる事有り。
 
811 許等等波奴。樹爾波安里等母。宇流波之吉。伎美我手【手ヲ拜ニ誤ル】奈禮能。許等爾之安流倍志。
こととはぬ。きにはありとも。うるはしき。きみがたなれの。ことにしあるべし。
 
物言はぬ木には有れども、うるはしき人の手ならす琴と成りて有らんとなり。
 參考 ○樹爾波安里等母(新)キニハア「禮」レドモ。
 
琴娘子答曰
 
敬奉2コ音1幸甚幸甚
 
是れ琴の答へにして、此下は作者の詞なり。
 
片事覺(メテ) 即感(ズ)2於夢言(ニ)1。慨然(トシテ)不v得2黙止(スルコトヲ)1。故(ニ)附2公使(ニ)1。聊以(テ)進御(スル)耳。 謹?不具。
 
右二首の歌を別行に書きて有れど、もとは書牘の文の中に續けて書きしなるべし。琴娘子答曰と言ふをも、今の本、題の如く放ちて書けるは誤れるなり。
 
天平元年十月七日附v使進上。
謹(テ)通2 中衛高明閣下1謹空。
 
(230)續紀に、神龜四年八月、置2中衛府1云云。また公卿補任に、大同二年四月廿二日。改2近衛1爲2左近衛1。改2中衛1爲2右近衛1と有り。閤は閣の誤なり。謹空は敬ふ時書く事なり。後世左白なども書きて、書牘の末を白く餘し置くを敬とするなり。東寺にある空海の書牘などにも總べて斯く書けり。本朝文粹にも見ゆ。
 
○目録に、中衛大將藤原卿報歌一首と有り。ここにも題の別に有りて落ちしか、又前の書牘の題に此返書の事も書きこみて有りしか。
 
跪(テ)承2芳音1嘉懽交(モ)深(シ)。乃知(ル)龍門之恩。復厚(キコトヲ)2蓬身之上(ニ)1。戀望殊念。常(ニ)心(ニ)百倍(ス)。謹(テ)和2白雲之什1。以奏2野鄙之歌1。房前謹?。
 
龍門は後漢の李膺が門に入り難きを龍門に登る事の難きに譬へ、其門に入るを榮とする事に言へり。今は大伴卿を指して龍門と言へるなり。蓬身は毛詩、自2伯之東1首如2飛蓬1と言ふ事に依りて、蓬頭とは常に言へり。蓬身も其意か。白雲は白雪の誤なるべし。文選、宋玉が楚王の問に答ふる文に、白雪之什と見ゆ。
 
812 許等騰波奴。紀爾茂安理等毛。 和何世古我。多那禮之美巨騰。都地爾意加米移母。
こととはぬ。きにもありとも。わがせこが。たなれのみこと。つちにおかめやも。
 
ワガセコは旅人卿を指す。ミコトとは御琴なり。移は神功紀、{人爾波移《シタガヘルヒトニハヤ》と有りて、移の字の傍に、私(231)記、野とせり。また欽明紀、宮家《ミヤケ》を彌移居《ミヤケ》と書けり。是れら移をヤの假字に用ひたる證なり。
 
十一月八日附2還使大監(ニ)1。  大監は大伴宿禰百代なり。卷三、卷四に見ゆ。
 
謹通2尊門記室1。  尊門は人を尊稱する語なり。
 ○目録に、山上臣憶良詠2鎭懷石1歌一首并短歌と有り。是れも題の有りしが落ちしなるべし。
 
筑前國|怡土《イト》郡|深江《フカエ》村|子負《コフノ》原。臨v海丘上有2二石1。
 
歌に、おきつ布可延《フカエ》のうなかみの故布《コフ》のはらに、と有り。
 
大者長一尺二寸六分。圍一尺八寸六分。重十八斤五兩。小者長一尺一寸。
圍一尺八寸。重十六斤十兩。並皆橢【橢ヲ堕ニ誤ル】圓?如2鷄子1。其美好者不v可2勝論1。所謂徑尺璧【璧ヲ壁ニ誤ル】是也。([或云此二石者肥前國|彼杵《ソノキ》郡平敷之石、當v占而取之)
 
令に、權衡二十四銖爲v兩。三両爲2大兩1。十六兩爲v斤。義解に、以2秬黍中者百黍重1爲v銖。廿四銖爲v兩と有り。橢又楕にも作る。字書に、他果反、圓而長者曰v橢と有り。徑尺は淮南子に聖人不v貴2尺之璧1と有るより出でて、大なる玉と言ふ意なり。註に平敷と有るは地名か。又地に敷きて有りしを言ふにや。平、一本、于と有り。筑前風土記、兒饗石。怡土郡云云。一顆長一尺二寸。太一尺。重四十一斤。一顆長一尺一寸。太一尺。重四十九斤。と有り。
 
去2深江驛家1二十許里。近(ク)在2路頭1。公私(ノ)徃來。莫v不2下馬跪拜1。古老相傳(テ)曰。往者|息長足日女《オキナガタラシヒメノ》命征2討(232)新羅國1之時用2茲兩石1挿2著御袖之中1。以爲2鎭懷1([實是御裳中矣) 所以行人敬2拜此石1。乃作v歌曰。
 
神功紀に、既而室后云云躬欲2西征1。于v時也追當2皇后之開胎1。皇后則取v石押v腰祈之曰。事竟還日産2於茲土1。其石今在2于伊覩縣道邊1と見えたり。怡土郡は仲哀紀、筑紫|伊覩《イト》縣主祖|五十迹手《イトテ》が瓊、鏡、釼を天皇に奉る事有りて、天皇五十迹手を美《メ》で給ひて、伊蘇志とのたまふより、五十迹手が本土を伊蘇國と言ふ。今伊覩と言ふは訛れる由有り。
 
813 可既麻久波。阿夜爾可斯故斯。多良志比刀B可尾能彌許等。可良久爾遠。武氣多比良宜弖。彌許許呂遠。斯豆迷多麻布等。伊刀良斯弖。伊波比多麻比斯。麻多麻奈須。布多都能伊斯乎。世人爾。斯梼z多麻比弖。余呂豆余爾。伊比都具可禰等。和多能曾許。意枳都布可延乃。宇奈可美乃。故布乃波良爾。美弖豆可良。意可志多麻比弖。可武奈何良。可武佐備伊麻須。久志美多麻。伊麻能遠都豆爾。多布刀伎呂可?
かけまくは。あやにかしこし。たらしひめ。かみのみこと。からくにを。むけたひらげて。みこころを。しづめたまふと。いとらして。いはひたまひし。またまなす。ふたつのいしを。よのひとに。しめしたまひて。よろづよに。いひつぐがねと。わたのそこ。おきつふかえの。うなかみの。こふのはらに。みてづから。おかしたまひて。かむながら。かむさびいます。くしみたま。いまのをつつに。たふときろかも。
 
ムケタヒラゲ、既に出づ。イトラシテのイは發語にて、取ラセタマヒシなり。イハヒタマヒシは、神にうけひませし事を言ふ。マ玉ナスは眞玉ノ如クなり。イヒツグガネのガネの語既に出づ。萬代まで言ひ繼がん爲めにと言ふ意なり。ワタノ底、枕詞。地名の深江に奧深きと言ひ懸けたり。ウナカミは地名には(233)有らじ、序に臨v海丘上と有る所を言ふか。コフノ原、序に言へる地名なり。紀に、伊覩の道の邊と言へる所なるべし。オカシタマヒテは置カセタマヒテなり。クシミタマは、神代紀に、奇魂をクシミタマと訓めり。クシはアヤシキなり。神功紀に、和魂は玉身に從ひ、荒魂は先鋒として、と言ふ義有るを、此二つの石の事に言ひなせるなり。ミタマは眞玉と言ふが如く、褒むる詞なり。ヲツツは現なり。タフトキロカモのロは助辭にて、貴哉と言ふなり。仁コ紀に、介辭古耆呂介茂《カシコキロカモ》とも有り。
 
814 阿米都知能。等母爾比佐斯久。伊比都夏等。許能久斯美多麻。志可志家良斯母。
あめつちの。ともにひさしく。いひつげと。このくしみたま。しかしけらしも。
 
反歌なり。天地と共に世に語り傳へよとの御心にて、此神靈の石を敷《シカ》しけらしと言ふなり。アメツチ能の能の言は、トに通ひて聞ゆる一つの體なる由、宣長言へり。
 參考 ○志可志(新)「意」オカシ。
 
右(ノ)事傳(ヘ)言(ハ)、那珂《ナカノ》郡|伊知《イチノ》郷|蓑島《ミノシマ》人建部(ノ)牛麻呂是也。
 
こは右の石の尺寸などを此人の言ふを聞けるままに、斯く記るせしなり。
 
梅花歌三十二首并序
 
目録に大宰帥大伴卿宅宴梅花云云と有り。
 
天平二年正月十三日。萃《アツマル》2于帥老之宅1。申(ル)2宴會1也。于v時初春令月。氣淑風和。梅披(キ)2鏡前之粉(ヲ)1。蘭薫(ラス)2珮(234)後之香(ヲ)1。加以《シカノミナラズ》曙嶺移v雲(ヲ)。松掛v羅而傾v蓋(ヲ)。夕岫結v霧。鳥封v?而迷(フ)v林(ニ)。庭(ニ)舞(ハセ)2新蝶(ヲ)1。空(ニ)歸(ラシム)2故雁(ヲ)1。
 
帥老は大伴卿を言ふ。此序は憶良の作れるならんと契沖言へり。さも有るべし。鑑前之粉は、宋武帝の女壽陽公主の額に梅花の落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅花粧と言ふ事起れりと言へり。是れに由りて言へるなり。珮後之香は屈原が事に由りて言へり。傾蓋は松を偃蓋など言ふ事、六朝以後の詩に多し。對?は宋玉神女賦に、動2霧?1以徐歩と有り。?はこめおりのうすものなり。さて霧を?に譬へ、?を霧にも譬へて言へり。契沖は對は封の誤かと言へり。
 
於v是蓋v天坐v地。促(テ)v膝(ヲ)飛(シ)v觴(ヲ)。忘(ル)2【忘ヲ忌ニ誤ル】言(ヲ)一室之裏(ニ)1。
開(ク)2衿(ヲ)煙霞之外(ニ)1。淡然(トシテ)自放(ママニ)。快然(トシテ)自足。若(シ)非(ズハ)2翰苑(ニ)1何(ヲ)以(テ)?(ベシ)v情(ヲ)。請(フ)紀2落梅之篇(ヲ)1。古今夫(レ)何(ゾ)異(ラン)矣。宜(シク)d賦(シテ)2園梅(ヲ)1聊(カ)成(ス)v短詠(ヲ)u。
 
劉伶酒コ頌に、幕v天席v地と言へるを取りて、蓋v天坐v地と言へり。促v膝は梁睦陲(ガ)詩に、促v膝豈(ニ)異人(ナランヤ)。
 
註に促(ハ)近v膝坐也と言へり。飛觴は西京賦に羽觴|行而《メグリテ》無v算。註に羽觴作2生爵形1と有り。忘言は莊子に言者所2以在1v意(ニ)。得v意而忘v言と有るより出でて、ここは打解けて物語などする事を言ふ。さて蘭亭叙に、語2言一室之内(ニ)1と有るに倣へり。批序は初めの書きざまよりして、すべて蘭亭叙をまなびて書けり。開衿は胸襟を開くなどとも言ひて、心を開く事なり。
 
815 武都紀多知。波流能吉多良婆。可久斯許曾。烏梅乎乎岐都都。多努之岐乎倍米。  大貳紀卿
むつきたち。はるのきたらば。かくしこそ。うめををりつつ。たぬしきをへめ。
 
(235)年ごとに春來らばなり。カクシのシは助辭にてカクコソなり。樂キヲヘメは樂シヲキハメムと言ふ意なり。卷十九、春のうちの樂しき終《ヲ》へばと詠めり。古今集大歌所の歌の、樂しきをつめと有るも、タノシキヲヘメなりけんを、見|混《マガ》へたるなるべし。大貳は相當四位なれど、三位の人を任ぜし故、卿と書けるならん。
 
816 烏梅能波奈。伊麻佐家留期等。知利須義【義ヲ蒙ニ誤ル】受。和我覇能曾能爾。阿利己世奴加毛。  少貳小野大夫
うめのはな。いまさけるごと。ちりすぎず。わがへのそのに。ありこせぬかも」
 
須義を今須蒙と書けるは、蒙の草書より誤りたるものなり。ワガヘは吾家の略。有リコセヌカモは在乞《アリコソ》と願ふ詞。ヌカは打返し言ふ詞なり。小野大夫は小野朝臣老なり。
 
817 烏梅能波奈。佐吉多流僧能能。阿遠也疑波。可豆良爾須倍久。奈利爾家良受夜。  少貳粟田大夫
うめのはな。さきたるそのの。あをやぎは。かづらにすべく。なりにけらずや。
 
集中、柳を鬘《カヅラ》に懸くる事あまた見ゆ。
 
818 波流佐禮婆。麻豆佐久耶登能。烏梅能波奈。比等利美都都夜。波流比久良佐武。  筑前守山上大夫
はるされば。まづさくやどの。うめのはな。ひとりみつつや。はるびくらさむ。
 
見ツツヤは見ツツヤハの意なり。山上大夫は憶良なり。
 
819 余能奈可波。古飛斯宜志惠夜。加久之阿良婆。烏梅能波奈爾母。奈良麻之勿能怨。  豐後守大伴大夫
よのなかは。こひしけしゑや。かくしあらば。うめのはなにも。ならましものを。
 
(236)コヒシケは戀シキなり。シヱヤはヨシヱヤシと言ふに同じくヨシヤなり。宜は濁音の假字なれは、企の誤にて、コヒシキならんと翁は言はれき。宣長云、戀|繁《シゲ》し、ゑやなり。ヱヤは其戀のしげき事を歎息したる詞なりと言へり。カクシアラバのシは助辭。斯く世の中戀しくは非情の梅にも成らんをとなり。是れは古郷の妹などを戀ふる心より詠めるならん。此卷の未に、おくれゐて汝が戀ひせずはみそのふの梅の花にもならましものを。大伴大夫は三依なるべし。
 參考 ○古飛斯宜志惠夜(代、古)コヒシゲシエヤ(考)「古飛志企」コヒシキシヱヤ(新)コ「登」トシゲシヱヤ。
 
820 烏梅能波奈。伊麻佐可利奈理。意母布度知。加射之爾斯弖奈。伊麻佐可利奈理。  筑後守|葛井《フヂヰ》大夫
うめのはな。いまさかりなり。おもふどち。かざしにしてな。いまさかりなり。
 
オモフドチはオモフ友ドチなり。シテナはシテムの意なり。葛井大夫は大成なり。
 
821 阿乎夜奈義。烏梅等能波奈乎。遠理可射之。能彌弖能能知波。知利奴得母與斯。  笠沙彌《カサノサミ》
あをやなぎ。うめとのはなを。をりかざし。のみてののちは。ちりぬともよし。
 
梅柳を折り挿し以て酒代み遊びての後は、花は散るともよしとなり。沙彌、俗人の名なるべし。
 參考 ○烏梅等能波奈乎(新)ウメノハナトヲか。
 
822 和何則能爾。宇米能波奈知流。比佐可多能。阿米欲里由吉能。那何列久流加母。  主人
(237)わがそのに。うめのはなちる。ひさかたの。あめよりゆきの。ながれくるかも。
 
集中降ルを流ルと多く言へり。旅人卿なり。
 
823 烏梅能波奈。知良久波伊豆久。志可須我爾。許能紀能夜麻爾。由企波布理都都。  大監伴氏百代
うめのはな。ちらくはいづく。しかすがに。このきのやまに。ゆきはふりつつ。
 
チラクはチルを延べ言ふなり。シカスガはシカシナガラ、サスガなど同語なり。キノ山は筑前下座郡三城、卷四、城山道はさびしけむかも、と詠める同じ所なり。
 
824 烏梅乃波奈。知良麻久怨之美。和家【家ハ我ノ誤】曾乃乃。多氣乃波也之爾。于具比須奈久母。  小監阿氏|奧嶋《オキシマ》
うめのはむ。ちらまくをしみ。わがそのの。たけのはやしに。うぐひすなくも、
 
家は我の草書より誤れるならん。次も然り。花の散るを惜みて鶯鳴くとなり。モはカモと言ふに同じ。阿部氏か阿跡《アト》氏か。
 
825 烏梅能波奈。佐岐多流曾能能。阿遠夜疑遠。加豆良爾志都都。阿素?久良佐奈。  小監土氏百村
うめのはな。さきたるそのの。あをやぎを。かづらにしつつ。あそびくらさな。
 
クラサナはクラサムなり。士師氏なり。
 
826 有知奈?久。波流能也奈宜等。和家【家ハ我ノ誤】夜度能。烏梅能波奈等遠。伊可爾可和可武。  大典史氏大原
うちなびく。はるのやなぎと。わがやどの。うめのはなとを。いかにかわかむ。
 
ウチナビク、枕詞。家は我の誤なり。柳と梅と何れ優さり劣りも無しと愛づるなり。史部氏なり。
 
(238)827 波流佐禮婆。許奴禮我久利弖。宇具比須曾。奈岐弖伊奴奈流。烏梅我志豆延爾。  小典山氏若麻呂
はるされば。こぬれがくりて。うぐひすぞ。なきていぬなる。うめがしづえに。
 
コヌレガクリは木闇隱《コノグレカクレ》にて、木陰に隱るるなり。イヌナルのイは發語。夜る宿《ヌ》るを言ふと翁は言はれき。宣長云、コヌレは木末なり。イヌルは往ヌナルなり。コヌレは他の木の梢にて、梅の下枝に居たる鶯の、他の梢へ隱れていぬるを云ふと言へり。猶考ふべし。山口忌寸若麻呂なり。
 
828 比等期等爾。乎理加射之都都。阿蘇倍等母。伊夜米豆良之岐【岐ヲ波ニ誤ル】。烏梅能波奈加母。  大判事舟氏麻呂
ひとごとに。をりかざしつつ。あそべども。いやめづらしき。うめのはなかも。
 
岐、今波に誤れり。一本に據りて改めつ。舟、一本丹と有り。丹氏は丹治比氏か。
 
829 烏梅能波奈。佐企弖知理奈波。佐【佐ヲ脱ス】久良婆那。都伎弖佐久倍久。奈利爾弖阿良受也。  藥師張氏|福子《サキコ》
うめのはな。さきてちりなば。さくらばな。つぎてさくべく。なりにてあらずや。
 
今本、久良の上、佐の字を落せり。尾張氏なるべし。
 
830 萬世爾。得之波岐布得母。烏梅能波【婆ニ誤ル】奈。多由流己等奈久。佐吉和多留倍子。  筑前介佐氏|子首《コオフト》
よろづよに。としはきふとも。うめのはな。たゆることなく。さきわたるべし。
 
今本、波奈の波を婆と書けるは、誤|著《シ》るければ改めつ。キフトモは來リ經ルトモなり。佐伯氏なり。
 
831 波流奈例婆。宇倍母佐枳多流。烏梅能波奈。岐美乎於母布得。用伊母禰奈久爾。  壹岐守板氏安麻呂
はるなれば。うべもさきたる。うめのはな。きみをおもふと。よいもねなくに。
 
(239)春なればことわりにも咲けるかな、梅の花を思ふとて待つ程は、夜も寢ねざりしなり。ヨイは夜寐なり。吾とは梅を指して言へり。板、一本榎に作るを善しす。
 
832 烏梅能波奈。乎利弖加射世留。母呂比得波。家布能阿比太波。多努斯久阿流倍斯。  神司荒氏|稻布《イナブ》
うめのはな。をりてかざせる。もろびとは。けふのあひだは。たぬしくあるべし。
 
833 得志能波爾。波流能伎多良婆。可久斯己曾。烏梅乎加射之弖。多努志久能麻米。  大令史野氏|宿奈《スクナ》麻呂
としのはに。はるのきたらば。かくしこそ。うめをかざして。たぬしくのまめ。
 
卷十九歌の註に、毎年謂2之|等之乃波《トシノハ》1と有り。ノマメは酒飲まんと言ふなり。小野氏なるべし。
 
834 烏梅能波奈。伊麻佐加利奈利。毛毛等利能。己惠能古保志枳。波流岐多流良斯。  小令史田氏|肥人《ウマビト》
うめのはな。いまさかりなり。ももとりの。こゑのこほしき。はるきたるらし。
 
モモトリは百鳥なり。コホシキは戀シキなり。齊明紀、きみがめの姑褒之枳舸羅?《コホシキカラニ》はてしゐてと有り。卷十一歌に、肥人をウマビトと訓めり。田口氏か田部氏か。
 
835 波流佐良婆。阿波武等母比之。烏梅能波奈。家布能阿素?爾。阿比美都流可母。  藥師高氏義通
はるさらば。あはむともひし。うめのはな。けふのあそびに。あひみつるかも。
 
梅の咲くに逢はんと思ひしなり。高橋氏か。
 
836 烏梅能波奈。多乎利加射志弖。阿蘇倍等母。阿岐太良奴比波。家布爾志阿利家利。  陰陽師礒氏|法《ノリ》麻呂
うめのはな。たをりかざして。あそべども。あきたらぬひは。けふにしありけり。
 
(240)磯部氏なるべし。
 
837 波流能努爾。奈久夜?隅比須。奈都氣牟得。和何弊能曾能爾。?米何波奈佐久。  ?師志氏大道
はるのぬに。なくやうぐひす。なつけむと。わがへのそのに。うめがはなさく。
 
野に鳴く鶯を、吾家の苑になづけんとて梅の咲くよとなり。志紀氏か、志斐氏か。
 
838 烏梅能波奈。知利麻我比多流。乎加肥爾波。宇具比須奈久母。波流加多麻氣弖。  大隅目榎氏鉢麻呂
うめのはな。ちりまがひたる。をかびには。うぐひすなくも。はるかたまけて。
 
チリマガヒは散亂なり。ヲカビは岡邊なり。春カタマケテは春方向《ハルカタマケ》なり。方はべと言ふに同じ。片設と言ふ樣にも聞ゆれど少しむづかし。まだ春の始めなれば向ふと言ふべし。
 
839 波流能努爾。紀理多知和多利。布流由岐得。比得能美流麻提。烏梅能波奈知流。  筑前目田氏眞人
はるののに。きりたちわたり。ふるゆきと。ひとのみるまで。うめのはなちる。
 
野を古く奴と言へり。されど斯くざまに書けるも所所に見ゆれば、ヌ、ノ、通はし言へるなり。卷十、春山の霧に迷へる鶯もとも詠めり。田口氏か、矢田部氏か。
 
840 波流楊那宜。可豆良爾乎利志。烏梅能波奈。多禮可有可【可ヲ脱ス】倍志。佐加豆岐能倍爾。  壹岐目村氏|彼方《ヲチカタ》
はるやなぎ。かづらにをりし。うめのはな。たれかうかべし。さかづきのへに。
 
今本、初句奈那とある一の那は衍字なれば除けり。今本、有倍志と有り。一木有の下可の字有るに據れり。かづらにせんとて折りし梅を、誰か盃の上に浮べしと言ふなり。ハルヤナギはカヅラの枕詞のみな(241)りと宣長言へり。
 
841 于遇比須能。於登企久奈倍爾。烏梅能波奈。和企弊能曾能爾。佐伎弖知流美由。  對馬目高氏|老《オユ》
うぐひすの。おときくなへに。うめのはな。わぎへのそのに。さきてちるみゆ。
 
源氏物語初子の卷にも、鶯のおとせぬ里はと言へり。ナヘは並ニなり。
 
842 和我夜度能。烏梅能之豆延爾。阿蘇?都都。宇具比須奈久毛。知良麻久乎之美。  薩摩目高氏|海人《アマ》
わがやどの。うめのしづえに。あそびつつ。うぐひすなくも。ちらまくをしみ。
 
家は我の誤なるべし。鶯の梅の散るを惜みて鳴くと言ふなり。
 
843 宇梅能波奈。乎理加射之都都。毛呂比登能。阿蘇夫遠美禮婆。彌夜古之叙毛布。  土師氏|御通《ミミチ》
うめのはな。をりかざしつつ。もろびとの。あそぶをみれば。みやこしぞもふ。
 
都シのシは助辭。モフはオモフなり。御通は、卷四、水通と有りし人なるべし。
 
844 伊母我陛邇。由岐可母不流登。彌流麻提爾。許許陀母麻我不。烏梅能波奈可毛。  小野氏國堅
いもがへに。ゆきかもふると。みるまでに。ここだもまがふ。うめのはなかも。
 
妹が家なり。ココダはソコバクに同じ。
 
845 宇具比須能。麻知迦弖爾勢斯。宇米我波奈。知良須阿利許曾。意母布故我多米。  筑前椽門氏|石足《イソタリ》
うぐひすの。まちがてにせし。うめがはな。ちらずありこそ。おもふこがため。
 
マチガテは待チ難クセシにて、待ちかねしなり。コソは願ふ詞。オモフ子は女を言へり。見せまほしく(242)思ふなり。門部氏か。
 
846 可須美多都。那我岐波流卑乎。可謝勢例杼。伊野那都可子岐。烏梅能波那可毛。  小野氏|淡理《アハマロ》
かすみたつ。ながきはるびを。かざせれど。いやなつかしき。うめのはなかも
 
今本、那我の下の比は、衍字なれば除けり。
 
員外思2故郷1歌兩首
 
右の多くの歌の外と言ふ意にて員外とせり。憶良の歌と見ゆ。員外二字目録に旡《ナ》し。 
847 和我佐可理。伊多久久多知奴。久毛爾得夫。久須利波武等母。麻多遠知米也母。
わがさかり。いたくくだちぬ。くもにとぶ。くすりはむとも。またをちめやも。
 
クダチヌはクダリヌにて、齡の傾きたるを言ふ。雲に飛ぶ藥は淮南王劉安の仙藥の臼に殘れるを、?犬が嘗めて天へ登りしと言ふ故事を言へり。遠知メヤモは落チメヤモと心得るは誤なり。落は於知の假字にて違《タガ》へり。翁の言へらく、遠知は若變《ワカガヘ》ることを言ふ由は無きか、考ふべし。二首ともに若がへる意とする時は聞ゆと言はれき。宣長説に、遠知とは初めの方へ返るを云ふ言なり。卷十七の長歌に、手放れも乎知《ヲチ》もかやすきとは、鷹の本の手へ返り來るを言ふ。卷廿、我やどに咲けるなでしこ云云、伊也乎知《イヤヲチ》に咲け、是れは初めへ返り返りして幾度も咲けなり。又常にほととぎすの歌に、乎知かへり鳴く、と言ふも、初めの方へ又返り來て鳴く事なり。さて老いたる人の若がへるを言ふも初めへ返る事なり。今(243)の又ヲチメヤモは若ガヘルベキカハにて、次の歌のヲチヌベシは若ガヘルベシなりと有り。
 
848 久毛爾得夫。久須利波牟用波。美也古彌婆。伊夜之吉阿何微。麻多越知奴倍之。
くもにとぶ。くすりはむよは。みやこみば。いやしきあがみ。またをちぬべし。
 
ヨハは、ヨリハの意なり、仙藥を食《ハ》まんよりは、賤しき吾身には、都のめでたきを見ば、忽ちに若返るべし、と詠めるなり。
 
後追和(ル)梅歌四首
 
前後の續きを見るに、是れも憶良の歌なるべし。
 
849 能許利多留。由棄仁末自例留。宇梅能半奈。半也久奈知利曾。由吉波氣奴等勿。
のこりたる。ゆきにまじれる。うめのはな。はやくなちりそ。ゆきはけぬとも。
 
雪は消えぬるとも、花は散る事なかれとなり。
 
850 由吉能伊呂遠。有婆比弖佐家流。有米能波奈。伊麻左加利奈利。彌牟必登母我聞。
ゆきのいろを。うばひてさける。うめのはな。いまさかりなり。みむひともがも。
 
851 和我夜度爾。左加里爾散家留。牟【牟ハ宇ノ誤】梅能波奈。知流倍久奈里奴。美牟必登聞我母。
わがやどに。さかりにさける。うめのはな。ちるべくなりぬ。みむひともがも。
 
今本、牟梅と有るは宇梅の誤なるべし。梅をムメと言へる例、集中には無し。
 
(244)852 烏梅能波奈。伊米爾加多良久。美也備多流。波奈等阿例母布。左氣爾于可倍許曾。
うめのはな。いめにかたらく。みやびたる。はなとあれもふ。さけにうかべこそ。
 
一云。伊多豆良爾《イタヅラニ》。阿例乎知良須奈《アレヲチラスナ》。左氣爾宇可倍許曾。
 
イメは夢なり。ミヤビは都ビにて、風流の文字を訓めり。アレモフは吾思ふなり。梅の娘子などに化して夢に入りたる由設けて詠めるなり。我が自ら風流の花と思へば、酒に浮かべなんと願ふなり。もろこしの羅浮山の梅、美人となりて、夢に見えし故事などをも思へるならん。
 
遊2於松浦河1序
 
余以d暫往2松浦之縣1逍遥u。聊臨2玉嶋之潭1遊覽。忽値2釣魚女子等1也。
 
神功紀に、夏四月北到2火(ノ)前國松浦縣1。而|進2食《ミヲシタテマツル》於玉島里(ノ)小河之側(ニ)1云云。因以擧v竿乃獲2細鱗魚1。時皇后曰2希《メヅラシキ》見物(ナリ)1。故時人號2其處1曰2梅豆邏《メヅラノ》國(ト)1。今謂(ハ)2松浦(ト)1訛焉。是以其國女人毎v當2四月上旬1。以v鉤投(テ)2河中1捕2年魚1。於v今不v絶。唯男夫雖v釣不v能v獲v魚と見ゆ。
 
花容無v雙。光儀無v匹。開2柳葉(ヲ)於眉中(ニ)1。發2桃花(ヲ)於頬上1。意氣凌v雲。風流絶v世。
 
文鏡秘府論に引きたる六言句例に、訝(カリ)2桃花之似(タルヲ)1v頬(ニ)、笑(フ)2柳葉之如(キヲ)1v眉と有り。
 
僕問曰。誰(カ)郷誰(カ)家(ノ)兒等(ゾ)。
若(クハ)疑(ラクハ)神仙者乎。娘等皆咲答曰。兒等者漁夫之舍兒。草菴之微者。無v郷【郷ヲ卿ニ誤ル】無v家。何足2稱云1。
 
(245)東征賦に、訖v于今1而稱云と有り。
 
唯性便v水。復心樂v山。或臨2洛浦1。而徒羨2王魚1。乍臥2巫峡1。以空望2烟霞1。
 
曹植洛神賦に洛浦の神女の事を言ひ、宋玉高唐賦に巫山の神女の事を言へるを借りて、此魚を釣る女子を神女の如く言ひなせるなり。王魚は巨魚の誤か。
 
今以2邂逅(ヲ)1。相2遇貴客1。不v勝2感應1。輙(チ)陳2?【?ヲ歎ニ誤ル】曲1。而今而後《イマヨリシテノチ》。豈可(ヤ)v非2偕老(ニ)1哉。
 
邂逅は毛詩の字、ゆくりなく逢ふ意なり。陳2?曲1は心の誠を述べつくすなり。而今而後は論語の字なり。
 
下官對曰。唯々。敬奉2芳命1。于v時日落2山西1。驪馬將v去。遂(ニ)申2懷抱1。因贈2詠歌1曰。
 
文選應休連書に徒(ニ)恨(ム)宴樂始(メ)酣(シテ)白日傾v夕。驪駒就v駕。意不2宣展1と有り。懷抱は心に思ふ事を言ふ。さて此序と歌とは作者誰とも知れ難し。次下憶良も吉田連宜も皆此歌を和へたる歌有りて、未だここを見ざる由を言へり。
 
853 阿佐里須流。阿末能古等母等。比得波伊倍騰。美流爾之良延奴。有麻必等能古等。
あさりする。あまのこどもと。ひとはいへど。みるにしらえぬ。うまびとのこと。
 
シラエヌはシラレヌなり。上に人ニイトハレをイトハエと言ふに同じ。ウマビトは顯宗紀、貴人をウマビトと訓み、欽明紀、良家子をウマビトノコと訓めり。あまの子なりと卑下し給へども、良家の子なり(246)とは、見るから知らるるとなり。アサリは求食と集中に有りて、鳥は足もて探り求めて啄《ツイバ》むもの故に、アシサグリの約言なるを、轉じては漁のかたにも言へり
 
答謌曰
 
今本、謌を詩に誤れり。
 
854 多麻之末能。許能可波加美爾。伊返波阿禮騰。吉美乎夜佐之美。阿良波佐受阿利吉。
たましまの。このかはかみに。いへはあれど。きみをやさしみ。あらはさずありき。
 
ヤサシミはハヅカシムなり。此卷下に、世のなかをうしとやさしと、其外後の物語ぶみにも、ヤサシと言へるは、皆同じく恥かしきを言へり。
 
蓬客等更贈歌三首
 
今本、客を容に誤れり。
 
855 麻都良河波。可波能世比可利。阿由都流等。多多勢流伊毛何。毛能須蘇奴例奴
まつらがは。かはのせひかり。あゆつると。たたせるいもが。ものすそぬれぬ。
 
ヒカリは川瀬も照るばかりに美はしきを言ふ。タタセルはタテルを延べ言ひて敬ふ心有り。
 
856 麻都良奈流。多麻之麻河波爾。阿由都流等。多多世流古良何。伊弊遲斯良受毛。
まつらなる。たましまがはに。あゆつると。たたせるこらが。いへぢしらずも。
 
(247)857 等富都比等。末都良能加波爾。和可由都流。伊毛我多毛等乎。和禮許曾末加米。
とほつひと。まつらのかはに。わかゆつる。いもがたもとを。われこそまかめ。
 
遠ツ人、枕詞。ワカユは若鮎《ワカアユ》なり。我こそ妹と相寢せめとなり。
 
娘等更(ニ)報(ル)歌三首
 
858 和可由都流。麻都良能可波能。可波奈美能。奈美邇之母波婆。和禮故飛米夜母。
わかゆつる。まつらのかはの。かはなみの。なみにしもはば。われこひめやも。
 
ナミニシモハバは並ミニ思ハバなり。シは助辭。古今集に、みよしのの大河のべの藤なみのなみにおもはば我が戀ひめやも、と言へるは是れを取れり。
 
859 波流佐禮婆。和伎覇能佐刀能。加波度爾波。阿由故佐婆斯留。吉美麻知我弖爾。
はるされば。わぎへのさとの。かはとには。あゆこさばしる。きみまちがてに。
 
ワギヘは吾家なり。アユコは年魚子なり。サは發語。マチガテニは、此時の興を見せまほしく仙女が待ちかぬるを言ふ。
 
860 麻都良我波。奈奈勢能與騰波。與等武等毛。和禮波與騰麻受。吉美遠志麻多武。
まつらがは。ななせのよどは。よどむとも。われはよどまず。きみをしまたむ。
 
七瀬は瀬の數多きを言ふ。思ひたゆまぬを水に寄せて言へり。君ヲシのシは助辭。
 
(248)後人追和(フル)之詩三首  都帥老
 
詩は謌の誤か。又もとより此卷からぶみめきて書きたれば、歌を詩と書けるにも有るべし。都帥老の字後人の書き加へしなるべし。大伴卿ならば後人とは書くべきに有らず。都の字一本に無し。されど、こは都府樓とも言へば、都帥とも言へるか。目録には、帥大伴卿追和歌と有り。
 
861 麻都良河波。可波能世波夜美。久禮奈爲能。母能須蘇奴例弖。阿由可都【都ヲ脱ス】流良武。
まつらがは。かはのせはやみ。くれなゐの。ものすそぬれて。あゆかつるらむ。
 
一本、流の上都の字有るを善しとす。今本に脱ちたり。
 
862 比等未奈能。美良武麻都良能。多麻志末乎。美受弖夜和禮波。故飛都都遠良武。
ひとみなの。みらむまつらの。たましまを。みずてやわれは。こひつつをらむ。
 
ミラムは見ルラムなり。
 
863 麻都良河波。多麻斯麻能有良爾。和可由都流。伊毛良遠美良牟。比等能等母斯佐。
まつらがは。たましまのうらに。わかゆつる。いもらをみらむ。ひとのともしさ。
 
トモシは、ここは羨ましき意なり。卷一、あさもよし木人ともしも、卷六、島がくり我がこぎくれば乏しかも、其外あまた例あり。卷一に既に言へり。
○目録に吉田連宜と記るして、下に有る歌毎の題を擧げたり。こは此下に有る四首の歌は、此書牘に添(249)へて、一時に贈れるなれば、此書牘の前に四首の歌の事を總《ス》べたる題の有るべきなり。下に天平二年云云とあるは、此書牘と歌との末に記るせしものなり。
宜《ヨロシ》啓(ス)。伏奉2四月六日賜書1。跪開2封【封ヲ對ニ誤ル】函1。拜2讀芳藻1。
 
宜は續紀に、天平五年十二月從五位上吉田連宜爲2圖書頭1と見ゆ。又懷風藻に宜が詩二首を載せて年七十と有り。
 
心神開朗。以v懐2泰初之月1。鄙懐|除?《ノゾキノヂツ》【?ヲ私ニ誤ル】若v披2樂廣之天1。
 
世説に、夏侯玄が事を朗朗如2日月之入1v懷と言へる事有り。泰初は玄が字なり。晋書に、衛?見2樂廣1而奇v之嘆曰。若d披2雲霧1而覩c青天u也と有り。?今本私とあり。一本に據よりて改つ。又拂に作れり。
 
至v若(ニ)d羇2旅邊城1。懐2古舊1而傷v志 年矢不v停。憶2平生1而落uv涙。但達人安(ズ)v排。君子無v悶。
 
邊城は太宰府を指して言ふ。古本城を域に作る。年矢は年の過ぎ往く事の早きを言ふ。安排は莊子に安v排而去化と有りて、註に排は推移也と有り。物と共に推し移りて、安んじ居るなり。無悶は心のふさがぬなり。
 
伏冀(クハ)朝(ニ)宣(ベ)2懐《ナツク》v?之化1。暮(ニ)存(ス)2放v龜之術(ヲ)1。架(シ)2張趙於百代1。追(ハン)2松喬(ヲ)於千【千ヲ十ニ誤ル】齡(ニ)1耳。
 
?は山雉なり。後漢の魯恭と言へる人、民を治めてコ化の聞え有りしを、袁安と言へる人疑ひて、肥親と言ふ人をして見せしめしに、魯恭が領する所の阡陌に、雉の過ぎるを、童子の在りけるが、其雉を(250)見て取らんともせざりしかば、肥親が、など取らざると言ひしに、雉の雛を養ふ時なれば取らずと答へしにて、其コ化の至れるを知れりとぞ。晋の孔愉と言へる人、道を行きしに、人の龜を籠に入れて持ちたるを見て、買ひて水に放ちやりしかば、龜あまた度かへり見て行きぬ。其後侯に封ぜられて、印を鑄しに、其印紐の龜の頭かへり見たるやうに出できしを、改め鑄れども直らざりしかば、孔愉彼の放ちたる龜の報にて侯に封ぜられし事を知りぬ、張趙は杜甫集に預(メ)傳(フ)藉藉新京兆、青史無v勞數2張趙1と有り。註に、漢の趙廣漢、張敞といふ人人、宣帝の時京兆尹となりて、民を治めて善跡有りし事を記せり、是れを憶良になぞらへ云へる也。松喬は赤松子、王子喬を言ふ。
 
兼奉2垂示1。梅花(ノ)芳席。群英|※[手偏+離の左]《ノベ》v藻。松浦(ノ)玉潭。仙媛(ノ)贈答。類2杏壇各言之作1。疑2衡皐税駕之|篇(カト)1。耽讀吟諷。感【感ヲ戚ニ誤ル】謝歡怡。
 
杏壇は孔子杏壇の上に在りて、諸弟子書を讀み琴を引きし事莊子に有り。又各言(ヘ)2爾(ガ)志(ヲ)1と論語に有るを取り交じへて言へり。杏壇は杏樹の有る壇なり。衡皐は文選の註に、?皐(ハ)香草之澤也と有り。又?(ハ)杜?也とも言へり。
 
宜戀v之誠。誠(ニ)逾2犬馬1。仰vコ之心。心同2葵?1。而碧海分v地。白雲隔v天。徒積2傾延1。何慰勞緒1。
 
葵?は日に從ひて其花のめぐる物故に、人に心の從ふ事に譬ふ。文選曹子建が表に、臣竊自比2葵?1と有り。傾延は傾首延領の字を切り用ひたるにや、詳ならず。
 
(251)孟秋|膺《アタル》節。伏願萬祐日新。今因2相撲|部領《コトリ》使(ニ)1謹付2片紙1。宜謹啓不次。
 
相撲の事垂亡紀に見ゆ。部領を紀に古登利と訓めり。是れは宜より憶良への返書なり。
 
奉v和2諸人梅花歌1一首
 
864 於久禮爲天。那我古飛世殊波。彌曾能不乃。于梅能波奈爾母。奈良麻之母能乎。
おくれゐて。ながこひせせずは。みそのふの。うめのはなにも。ならましものを。
 
ナガコヒは、卷十二、玉勝間島熊山の夕霧に長戀しつつ寢ねがてぬかも、と有りて、長く戀ふる意なりと宣長言へり。こゝは汝《ナ》が戀と見ては此歌解くべからず。卷十一、中中に君に戀ひずは枚《ヒラ》の浦のあまならましを玉藻刈りつつ、此意と同じく、後れ居て長く戀ひんよりは、其梅の花にも我身はならんものをと言ふなり。
 
和2松浦仙媛歌1一首
 
宜の歌也
 
865 伎彌乎麻都。麻都良乃于良能。越等賣良波。等己與能久爾能。阿麻越等賣可忘。
きみをまつ。まつらのうらの。をとめらは。とこよのくにの。あまをとめかも。
 
雄略紀、蓬莱山をトコヨノクニと詠めり、ここも其意にて君を待ちつけし處女は、蓬莱島より來れる海人少女《アマヲトメ》ならんと言ふなり。
 
(252)思v君未v盡重題二首
 
宜の歌なり
 
866 波漏婆漏爾。於忘方由流可母。志良久毛能。智弊仁邊多天留。都久紫能君仁波。
はろばろに。おもほゆるかも。しらくもの。ちへにへだてる。つくしのくには。
 
ハロバロはハルバルなり。由は流に通ひて、オモハルルと言ふをオモハユルと言へり。
 
867 枳美可由伎。氣那我久奈理奴。奈良遲那留。志滿乃己太知母。可牟佐飛仁家里。
きみがゆき。けながくなりぬ。ならぢなる。しまのこだちも。かむさびにけり。
 
卷二、君が行《ユキ》氣《ケ》長く成ぬ山多豆の云云、島は卷九、難波に經宿して明日還來時と端書せる長歌に、島山をい行きめぐれる河ぞひのをかべの道ゆ云云、末に、名に負へるもりに風祭せな、と有りて、島は大和の地名なり。奈良へ通ふ道なるべし。憶良の家其わたりに在りしなるべし。神サビは古びたるなり。
 
天平二年七月十日
 
○目録に山上臣憶良松浦三首と有り。ここも題の有りしが落ちたるか。
 
憶良誠惶頓首謹啓。憶良聞方岳諸侯。都督刺【刺ヲ判ニ誤ル】史。並依2典法1。巡2行部下1。察2其風俗1。意内多端。口外難v出。謹以2三首之鄙歌1。欲v寫2五蔵之鬱結1其歌曰。
 
文選于令升晋紀總論曰。方岳無2鉤石之鎭1。關門無2結v草之固1。潘安仁爲2賈謐1作贈2陸機1詩。潘岳作v(253)鎭、輔2我京室1と有り。
 
868 麻都良我多。佐欲比賣能故何。此列布利斯。夜麻能名乃尾夜。伎伎都都遠良武。
まつらがた。さよひめのこか。ひれふりし。やまのなのみや。ききつつをらむ。
 
領巾振《ヒレフル》山を詠めり。此事下に出づ。
 
869 多良志比賣。可尾能美許等能。奈都良須等。美多多志世利斯。伊志遠多禮美吉。
たらしひめ。かみのみことの。なつらすと。みたゝしせりし。いしをたれみき。
 
一云|阿由都流等《アユツルト》。
 
上に神功紀を引ていへり、なは魚の古語也、紀に魚此云v儺《ナ》、つらすは釣しますといふ也みたゝしせりしは御立し給ひし也、川邊の石上に立ませし其石とて、後にいひ傳へたる石有しなるべし
 
870 毛毛可斯母。由加奴麻都良遲。家布由伎弖。阿須波吉奈武遠。奈爾可佐夜禮留。
ももかしも。ゆかぬまつらぢ。けふゆきて。あすはきなんを。なにかさやれる。
 
モモカは百日にて、唯だ久しきを言ふ。、サヤレルはサハレルなり。神武紀歌に、うだのたかきに云云しぎは佐夜羅孺《サヤラズ》いすぐはしくぢら佐夜離《サヤリ》云云、此卷の下にも子らにさやりぬと詠めり。右三首は名たたる所へ行きて見ぬを倦《ウ》んじて詠める也。
 
天平二年七月十一日筑前國司山上憶良謹上
 
(254)○目録に詠2領巾麾嶺1歌一首と有り。ここも題の落ちしならん。
 
大伴|佐提比古《サテヒコノ》郎子特被2朝命1。奉2使藩國1。艤v棹|言歸《ココニユキ》。稍《ヤウヤク》赴2蒼波1。
 
宣化紀に二年冬十月以3新羅寇2於|任那《ミマナ》1詔2大伴金村大連1。遣3其子磐|與《ト》2狹手彦1。以助2任那1。是時磐留2筑紫1執2其國政1。以備2三韓1。狹手彦往鎭2任那1。加《マタ》救2百濟1。また欽明紀に、二十三年八月遣2大將軍大伴連狹手彦1。領2兵數萬1伐2于高麗1と有り。艤は字書に整v舟也と言へり。
 
妾也松浦。(佐用嬪面)嗟2此別(ノ)易1。
歎2彼(ノ)會(フノ)難1。即登2高山之嶺1。遥望2離去之船1。悵然斷v肝。黯【黯ヲ今黙ニ誤ル】然銷v魂。遂脱2領巾1麾v之。傍者莫v不v流v涕。因號2此山1曰2領巾麾之《ヒレフル》嶺1也。乃作v歌曰。
 
黯然銷魂は文運江淹が別賦の語なり。領巾は天武紀、肩巾、此云2比例《ヒレ》1と見ゆ。右の憶良の歌に由れば、此山は未だ見ねども、其いはれに由りて憶良の詠めるなるべし。
 
871 得保都必等。麻通良佐用比米。都麻胡非爾。比例布利之用利。於返流夜麻能奈。
とほつひと。まつらさよひめ。つまごひに。ひれふりしより。おへるやまのな。
 
遠ツ人、枕詞。欽明紀、調吉士伊企儺《ツキノキシイキナ》新羅にて殺されて、其妻|大葉子《オホハコ》又|虜《トリコ》にせられし時の歌に、からくにのきのへにたちておほはこは比例ふらすもやまとへ向きて、或人和へて詠める歌も同じさまなれば載せず。今の佐用媛に似たり。
 
後人追和
 
(255)872 夜麻能奈等。伊賓都夏等可母。佐用比賣何。許能野麻能閇仁。必例遠布利家無。
やまのなと。いひつげとかも。さよひめが。このやまのへに。ひれをふりけむ。
 
さよひめがおのが名も、山の名と共に言ひ繼げと思ひてか、領巾をふりけんとなり。山ノヘは山ノ上なり。
 
最後人《イトノチノヒト》追和
 
873 余邑豆余爾。可多利都夏等之。許能多氣仁。比例布利家良之。麻通羅佐用嬪面。
よろづよに。かたりつげとし。このたけに。ひれふりけらし。まつらさよひめ
 
ツゲトシのシは助辭。タケは嶽にて、高しと言ふより出でたる語なればタを清《ス》むべし。
 
最最《イトイト》後人追和二首
 
今本、後の字の下、人の字落せり。目録に據りて補へり。
 
874 宇奈波良能。意吉由久布禰遠。可弊禮等加。比禮布良斯家武。麻都良佐欲比賣。
うなばらの。おきゆくふねを。かへれとか。ひれふらしけむ。まつらさよひめ。
 
フラシはフリを延べ言ふなり。
 
875 由久布禰遠。布利等騰尾加禰。伊加婆加利。故保斯苦阿利家武。麻都良佐欲比賣。
ゆくふねを。ふりとどみかね。いかばかり。こほしくありけん。まつらさよひめ。
 
(256)領巾振りて留めかねと言ふべきを略き言へり。コホシクは戀シクなり。
 
書殿餞酒日倭歌四首
 
天平十二年十二月帥大伴卿大納言に任ぜられて京へ登る時、憶良の家にてうまのはなむけせらるる歌なり。すべて歌を今和歌と言ふ如く書ける事此集に無し。和歌と有るは皆答へ歌なり。ここは送別の詩有りし故に、其れに對して倭歌とことわれるなるべし。前にも詩に竝べて日本挽歌と書ける事あり。書殿は書院と言ふが如し。
 
876 阿麻等夫夜。等利爾母賀母夜。美夜故麻提。意久利摩遠志弖。等比可弊流母能。
あまとぶや。とりにもがもや。みやこまで。おくりまをして。とびかへるもの。
 
オクリマヲシテは送リ奉リテなり。空飛鳥にて有れかし、君を送りまつりて、又飛び歸らんものをと言ふなり。
 
877 比等母禰能。宇良夫禮遠留爾。多都多夜麻。美麻知可豆加婆。和周良志奈牟迦。
ひともねの。うらぶれをるに。たつたやま。みまちかづかば。わすらしなむか。
 
人皆をヒトモネと言へる例無し。宣長云、母禰は彌那を下上に誤り、又那を母に誤れるなるべしと言へり。歌の意は太宰府に後れ居る人人は別れ惜みて侘び居るに、龍田山へ御馬近づきなば、太宰府の人人をば忘れ給はんかと言ふなり。都多の下都の字有り。古本に無きを善しとす。
(257) 參考 ○比等母禰能(古)ヒト「彌那」ミナノ。
 
878 伊比都都母。能知許曾斯良米。等乃斯久母。佐夫志計米夜母。吉美伊麻佐受斯弖。
いひつつも。のちこそしらめ。とのしくも。さぶしけめやも。きみいまさずして。
 
別れに臨みて別後のあらましを言へど、別れて後こそ能く知らめとなり。トノシクはトモシクなり。トモシクサブシケメヤモは返る詞にて、少しく寂しからめやと言ふなり。按ずるに乏シクをトノシクと言へる例無し。等乃の乃は母の誤ならんか。又宣長云、或人説に斯良米の斯は阿の誤、等乃は志萬の誤にて、ノチコソアラメ、シマシクモと訓むべし。一首の意は戀しなどいひつつも、後には然《サ》ても有るべけれど、此暫くの程も、君いまさで寂しからんかなり。ケムと言ふべきをケメと言へるは、推古紀、おや無しに那禮奈理鷄迷夜《ナレナリケメヤ》と有るも、ナレナリケムヤなりと言へり。然か字を改めみれば、いと穩かなり。
 
879 余呂豆余爾。伊麻志多麻比提。阿米能志多。麻乎志多麻波禰。美加度佐良受弖。
よろづよに。いましたまひて。あめのした。まをしたまはね。みかどさらずて。
 
卷二、高市皇子薨じ給ひし時の長歌に、吾大君の天の下まをしたまへば萬代にしかしもあらんと、と言ふ(258)如く、政執り行ふをマヲスと言へり。こゝは大納言をオホキモノマウスツカサと言へば、然《サ》る心もて言へりとも見ゆ。タマハネはタマヘを延べ言ふ。ミカドは朝廷なり。すめらぎを申し奉るは後なり。
 
聊布2私懷1歌三首
 
是れも憶良にて、先の歌は別れの情を述べ、是れは七十に餘るまで遠國の任に居るを、大伴卿へ愁へ言ふなり。
 
880 阿麻社迦留。比奈爾伊都等世。周麻比都都。美夜故能提夫利。和周良延爾家利。
あまざかる。ひなにいつとせ。すまひつつ。みやこのてぶり。わすらえにけり。
 
スマヒはスミを延べ言ふなり。テブリは風俗を言ふ。ワスラエはレとエと通ひてワスラレニケリと言ふに同じ。すべて延べ言ふ時は閉の假字なり。斯く衣の假字を用ひたるは例の延言に有らず。
 
881 加久能未夜。伊吉豆伎遠良牟。阿良多麻能。吉倍由久等志乃。可伎利斯良受提。
かくのみや。いきづきをらん。あらたまの。きへゆくとしの。かぎりしらずて。
 
イキヅキは息衝にて、長息《ナゲキ》と言ふに同じ。キヘユクは來經行《キヘユク》なり。アラタマノの枕詞より年と隔てて詠めるは、ぬば玉のかひの黒駒と言へる類なり。古事記美夜受比賣の歌に、あらたまのとしが岐布禮《キフレ》ばあらたまのつきは岐閉由久《キヘユク》云云、と言ふに同じ。
 
882 阿我農斯能。美多麻多麻比弖。波流佐良婆。奈良能美夜故爾。桃イ宜多麻波禰。
(259)あがぬしの。みたまたまひて。はるさらば。ならのみやこに。めさげたまはね。
 
アガヌシは吾主なり。紀に君主、大人同じく宇志《ウシ》と訓めり。或人ヌシは何ノウシと言ふべきを、乃宇《ノウ》の約|奴《ヌ》なればヌシと言ふと言へるは僻《ヒガ》ことなり。アガのガの詞則ち之《ノ》なればワガと言ひて、乃宇之《ノウシ》とは言ふべからず。ヌとウと通ひて、奴之《ヌシ》則ち宇之《ウシ》と同じ語なり。されどいと古くは宇志とのみ言ひき。ミタマは御魂なり。紀に神祇之|靈《ミタマ》、天皇之|頼《ミタマ》など言へるが如し。メサゲタマハネは召上《メシアゲ》給へなり。志阿《シア》を約《ツヅ》むれば佐《サ》となればなり。
 
天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上
 
三島王後追和2松浦佐用|嬪面《ヒメ》1歌一首
 
續紀、寶龜二年七月從四位下三島王之女河邊王葛王配2伊豆國1、至v是皆復2屬籍1と見ゆ。
 
883 於登爾吉岐。目爾波伊麻太見受。佐容比賣我。必禮布理伎等敷。吉民萬通良楊滿。
おとにきき。めにはいまだみず。さよひめが。ひれふりきとふ。きみまつらやま。
 
松浦山則ち領巾振山也。君待つと言ひ懸けたり。此君は夫を言ふ。フリキトフはフリケリトイフと云ふなり。
 
大伴君|熊凝《クマゴリ》歌二首 (大典麻田陽春作)
 
目録に由るに、大典麻田連陽春爲2大伴君熊凝1述v志歌と有るべし。熊凝が傳、次に委し。
 
(260)884 國遠伎。路乃長手遠。意保保斯久。許布夜須疑南。己等騰比母奈久。
くにとほき。みちのながてを。おほほしく。こふやすぎなむ。ことどひもなく。
 
オホホシクはオホツカナクなり。コフヤ過ギナムは、道の長手をと言ふより戀ひや行き過ぎなんと言ふなり。コトトヒモナクは、次の長歌に由るに、父母に物言ふ事も無きを言ふ。
 
885 朝露乃。既夜須伎我身。比等國爾。須疑加弖奴可母。意夜能目遠保利。
あさつゆの。けやすきわがみ。ひとくにに。すぎがてぬかも。おやのめをほり。
 
ヒトグニは他國を言ふ。過ギガテヌカモは過ぎ行き難く思ふ意なり。親ノメヲホリは見まく欲りするなり。
 參考 ○朝露乃(考)アサ「霜」シモノ。
 
筑前國司守山上憶良敬和d爲2熊凝1述c其志u歌六首并序
 
一本敬和以下の九字、序の下に有り。國司は掾目まで廣く言ふ詞なれば、國司守と書けるなり。
 
大伴君熊凝者。肥後【後ヲ前ニ誤ル、一本ニ依リテ改む】國|益城《マシキノ》郡(ノ)人也。年十八歳。以2天平三年六月十七日1。爲2相撲《スマヒ》使某(ノ)國司官【官ヲ宮ニ改ム】位姓名從人1。參2向京都1。爲(ルカナ)v天不幸。在v路獲v疾。即於2安藝國|佐伯《サヘキノ》郡高庭驛家1身故(ス)也。
 
身故を物故の誤かと契沖言へり。されど死を指して唯だ故とばかりも言はんか。猶考ふべし。
 
(261)臨v終之時。長歎息曰。傳聞假合【合ヲ令ニ誤ル】之身易v滅。泡沫之命難v駐。所以(ニ)千聖已(ニ)去。百賢不v留。況乎凡愚(ノ)微者。何(ゾ)能(ク)逃(レ)避(ケン)。
 
假合は佛典に四大假合と言ふ事有り。假に地水火風を組合せたる身と云ふ事なり。泡沫は金剛般若經に、一切有爲法(ハ)。如2夢幻泡影1と有り。千聖百賢は、史記に五帝之聖而死、三王之仁而死、五伯之賢而死など言へる類ひを言ふなり。
 
但我老親。並在2菴室1。侍v我過v日。自有2傷心之恨1。望v我違v時。必致2喪v明之泣1。
 
戰國策に王孫賈之母曰。汝朝出晩來。吾則倚v門而望v汝。また檀弓に、子夏喪2其子1而喪2其明1とあり。
 
哀哉我父。痛哉我母。不v患2一身向v死之途(ヲ)1。唯悲二親【親ヲ説ニ誤ル】在v生之苦(ヲ)1。今日長別。何世(カ)得v覲(ルコトヲ)。乃作2歌六首1而死。其歌曰。
 
覲は 父母の起居を問ふを言ふ。さて是れは熊凝に代りて憶良の作れるなり。
 
886 宇知比佐受。宮弊能保留等。多羅知斯夜。波波何手波奈例。常斯良奴。國乃意久迦袁。百重山。越弖須疑由伎。伊都斯可母。京師乎美武等。意母比都都。迦多良比遠禮騰。意乃何身志。伊多波斯計禮婆。玉桙乃。道乃久麻尾爾。久佐太袁利。志婆刀利志伎提。等計【計ハ許ノ誤】自能。宇知許伊布志提。意母(262)比都都。奈宜伎布勢良久。國爾阿良婆。父刀利美麻之。家爾阿良婆。母刀利美麻志。世間波。迦久乃尾奈良志。伊奴時母能。道爾布斯弖夜。伊能知周疑南。
うちひさす。みやへのぼると。たらちしや。ははがてはなれ。つねしらぬ。くにのおくかを。ももへやま。こえてすぎゆき。いつしかも。みやこをみむと。おもひつつ。かたらひをれど。おのがみし。いたはしければ。たまぼこの。みちのくまみに。くさたをり。しばとりしきて。とこじもの。うちこいふして。おもひつつ。なげきふせらく。くににあらば。ちちとりみまし。いへにあらば。ははとりみまし。よのなかは。かくのみならし。いぬじもの。みちにふしてや。いのちすぎなむ。
 
一云|和何余須疑奈牟《ワガヨスギナム》
 
ウチヒサス、枕詞。受は數の誤か。濁音の假字を用ひたる例無し。宣長は須の誤れるならんと言へり。タラチシヤ、冠辭考に云、斯は禰の誤か。夜、一本能に作れり。さらばここもタラチネノと訓むべき由有り。今按ずるに卷十六に垂乳爲《タラチシ》と書けり。タラチは日足《ヒタラシ》にて、育て日を足らしむる義ににして、シヤは助辭とも言ふべく思はる。國ノオクカは奧處《オクカ》なり。カタラヒヲレドは、共に旅行く人と語らひつつ行くなり。オノガ身シのシは助辭。イタハシケレバは、勞にて、病を言ふ。玉桙ノ、枕詞。道ノクマミ、一本、乃の下久の字有るを善しとす。クマミは曲方《クマベ》にて、折れ曲れる所を言ふ。集中是れをクマビと訓めり。尾の字ビとも訓まるれど、多くミの假字に用ひたり。浦方《ウラベ》を浦備《ウラビ》とも浦|箕《ミ》とも云ふが如し。クサタヲリ云云、タは發語、草を折り、しばを敷きてなり。等計は等許の誤なり。トコジモノにて床ノ如クと言ふなり。先人説、等は箇の誤ならんか。カコジモノと有らん方穩かなりと言へり。ウチコイフシは、ウ(263)チは詞。コイフシは轉臥なり。フセラクはフスを延べ言ふなり。國ニアラバは、吾住む國にあらばなり。トリミマシはトリアゲ見ルなり。卷一「妻もあらばとりて多宜《タゲ》ましと言ふに同じ。カクノミナラシは、カクノ如キ物ナルラシと言ふなり。犬ジ物は犬ノ如クなり。一云のワガヨは吾齡なり。さて左の歌より五首は反歌なり。
 參考 ○多羅知斯夜(考)タラチ「禰能」ネノ(古、新)タラチシ「能」ノ ○等計自母能(新)「乎」ヲト「許」コジモノ。
 
887 多良知遲能。波浪何目美受提。意保保斯久。伊豆知武伎提可。阿我和可留良武。
たらちしの。ははがめみずて。おほほしく。いづちむきてか。あがわかるらむ。
 
按ずるに遲は進《シ》の誤なるべし。官本多良遲子と有り。みまかりていづ方へ向きてか往《イ》ぬるならんと云ふなり。
 參考 ○多良知遲能(考)タラチ「泥能」ネノ(古)タラチ(斯)シノ(新)タラチ「子」シノ ○阿我和可留良武(新)アガワカレナム。
 
888 都禰斯良農。道乃長手袁。久禮久禮等。伊可爾可由迦牟。可利弖波奈斯爾。
つねしらぬ。みちのながてを。くれくれと。いかにかゆかむ。かりてはなしに。
 
クレクレは宣長云、齊明紀歌に、于之盧母倶例尼《ウシロモクレニ》と有るクレなり。クレは闇き意にておぼつかなきさま(264)なり。今俗言にもウシログラキなど言ふと言へり。カリテは旅に宿かりて、其代りに宿主に取らする直《アタヒ》を言ふ。新撰萬葉、郭公の歌に沓代《クツテ》と書けり。日本紀通證の説に、粮糧、和名抄|加天《カテ》と有り。カテはカリテの約言なり。カリテは餉直《カリテ》なり。禮比の約|利《リ》なりと有り。直をテと言ふはアタヒの略言なるべし。一云、カレヒは餉なり。乾飯《カレイヒ》の略言なり。
 
889 家爾阿利弖。波波何刀利美婆。奈具佐牟流。許許呂波阿良麻志。斯奈婆斯農等母。 一云|能知波志奴等母《ノチハシヌトモ》
いへにありて。ははがとりみば。なぐさむる。こころはあらまし。しなばしぬとも。
 
長歌に、母とり見ましと言ふに同じ。
 
890 出弖由伎斯。日乎可俗閇都都。家布家布等。阿袁麻多周良武。知知波波良波母。  一云|波波我迦奈斯佐《ハハガカナシサ》
いでてゆきし。ひをかぞへつつ。けふけふと。あをまたすらむ。ちちははらはも。
 
アヲマタスラムは、吾ヲ待ツラムなり。
 
891 一世爾波。二遍美延農。知知波波袁。意伎弖夜奈何久。阿我和加禮南。  一云|相別南《アヒワカレナム》
ひとよには。ふたたびみえぬ。ちちははを。おきてやながく。あがわかれなむ。
 
按ずるに、天平勝寶年中に、奈良の藥師寺に建てられたる佛足石の碑の歌、みあとつくるいしのひびきはあめにいたりつちさへゆすれちちははがために、もろびとのために、よきひとのまさめにみなむみあとすらをわれはえみずていはにゑりつく、たまにゑりつく、など悉く結句を二樣に詠めり。右の反歌此(265)體に同じ。此頃斯かる體も有りしにや。されば長歌の終に和我余須疑奈牟と有るは、次の多良知遲能云云の短歌に添ひたるが、誤りて長歌の終に入りしなるべし。
 
貧窮問答歌一首并短歌
 
892 風離【離ハ雜ノ誤】。雨布流欲乃。雨雜。雪布流欲波。爲部母奈久。寒之安禮婆。堅塩乎。取都豆之呂比。糟湯酒。宇知須須呂比弖。之可【之可ハ之波ノ誤】夫可比。鼻?之?之爾。志可登阿良農。比宜可伎撫而。安禮乎於伎弖。人者安良自等。富己呂倍騰。寒之安禮婆。麻被。引可賀布利。布可多衣。安里能許等其等。伎曾倍騰毛。寒夜須良乎。和禮欲利母。貧人乃。父母波。飢寒良牟。妻子等波。乞乞【乞乞ハ乞弖ノ誤ナリ】泣良牟。此時者。伊可爾之都都可。汝代者和多流。
かぜまじり。あめふるよの。あめまじり。ゆきふるよは。すべもなく。さむくしあれば。かたしほを。とりつづしろひ。かすゆざけ。うちすすろひて。しはぶかひ。はなびしびしに。しかとあらぬ。ひげかきなでて。あれをおきて。ひとはあらじと。ほころへど。さむくしあれば。あさぶすま。ひきかかぶり。ぬのかたぎぬ。ありのことごと。きそへども。さむきよすらを。われよりも。まづしきひとの。ちちははは。うゑさむからむ。めこどもは。こひてなくらむ。このときは。いかにしつつか。ながよはわたる。
 
風の下の離は雜の誤なり。堅鹽ヲ云云、和名抄、石鹽一名白鹽、又有2黒鹽1、今按俗呼2黒鹽1爲2堅鹽1、日本紀私記云、堅鹽|木多師《キタシ》是也。固まりたる鹽を食ひかき食ひかきして酒飲むなり。源氏物語帚木に、つづしりうたふと言ふも、一口づつきりきりに歌ふを言へり。糟湯酒は、酒の糟を湯にひでて啜るな(266)り。ウツは詞。ススロヒはススリを延べ言ふなり。之可、一本之波に作るを善しとす。シハブカヒはシハブキを延べ言ふなり。鼻ビシビシは嚔《ハナヒ》なり。ハナヒシハナヒシと重ね言ふを略きて言へり。シカトアラヌはサモアラヌと言ふか。又古本志の字無し。是れは非才をカドナキと言へば、カドアラヌと言ふにや。アレヲオキテは吾を除きてなり。ホコロヘドは、ホコレドと言ふを延べ言ふなり。引きカカブリは被るなり。布カタギヌ、卷十六竹取翁の長歌に、結經方衣《ユフカタギヌ》と言ひて、短くて肩ばかりに著る物なるべし。アリノコトゴトは、有ルカギリ悉クなり。キソヘドモは着襲《キオソ》ヘドモなり。飢寒カラムは、吾が糟湯酒を飲むに對へて、貧人を思ひやりて言へり。乞ヒテ位クラムは妻子が飯を乞ひ泣くなり。乞乞は乞弖の誤なるべし。ここまで問ひの意なり。是れより末は答へにて別なるやうなれども、ここにて先づ自ら問ひ畢りて、此次の句よりは自ら答ふるなり。二首には有らじと翁言はれき。されば反歌も一首なり。
 參考 ○飢寒良牟(考、新)「肌」ハダサムカラム(古)略に同じ。
 
天地者。比呂之等伊倍杼。安我多米波。狹也奈理奴流。日月波。安可之等伊倍騰。安我多米波。照哉多麻波奴。人皆可。吾耳也之可流。和久良婆爾。比等等波安流乎。比等奈美爾。安禮母作乎。綿毛奈伎。布可多衣乃。美留乃其等。和和氣佐我禮流。可可布能尾。肩爾打懸。布勢伊(267)保能。麻宜伊保乃内爾。直土爾。藁解敷而。父母波。枕乃可多爾。妻子等母波。足乃方爾。圍居而。憂吟。可麻度柔播。火氣布伎多弖受。許之伎爾波。久毛能須可伎弖。飯炊。事毛和須禮提。奴延鳥乃。能杼與比居爾。伊等乃伎提。短物乎。端伎流等。云之如。楚取。五十戸良【良ハ長ノ誤】我許惠波。寝屋度麻低。來立呼比奴。可久婆可里。須部奈伎物能可。世間乃道。
あめつちは。ひろしといへど。あがためは。せばくやなりぬる。ひつきは。あかしといへど。あがためは。てりやたまはぬ。ひとみなか。われのみやしかる。わくらばに。ひととはあるを。ひとなみに。あれもなれるを。わたもなき。ぬのかたぎぬの。みるのごと。わわけさがれる。かがふのみ。かたにうちかけ。ふせいほの。まげいほのうちに。ひたつちに。わらときしきて。ちちははは。まくらのかたに。めこどもは。あとのべに。かくみゐて。うれへさまよひ。かまどには。けぶりふきたてず。こしきには。くものすかきて。いひかしぐ。こともわすれて。ぬえとりの。のどよひをるに。いとのきて。みじかきものを。はしきると。いへるがごとく。しもととる。さとをさがこゑは。ねやどまで。きたちよばひぬ。かくばかり。すべなきものか。よのなかのみち。
 
右に言へる如く、天地は以下答の意なり。アガは吾なり。アカシは明ラケシなり。人皆カのカは清むべし。疑フ詞なり。ワクラバニは、タマタマと言ふ事なり。卷九長歌、人となることは難きを和久良婆爾《ワクラバニ》なれる吾身は云云など詠めり。人ナミニアレモナレルヲは、生れたるをと言ふなり。宣長云、作はツクルと訓むべし。今世にもツクリヲスルと言へば、田畠を作る事なればツクルとのみも言ふべしと言へり。海松ノゴトワワケサガレルは、うつぼ物語に、かたびらのわわけたるを着てと言ひ、集中、秋萩のうれ(268)わわらばと言ふに同じ意なり。カガフは宣長云、字鏡に※[巾+祭]、先列反、殘帛也、也不禮加加不《ヤブレカガフ》と有るなりと言へり。猶袖中抄顯昭云、つづりさせてふきりぎりすなくとは、世話にきりぎりすは、つづりさせ、かがはひろはんとなくと言へり。かがとはきぬ布の破《ヤ》れて何にもすべくも無きを言ふなり云云と有るも是れなり。肩ニ打カケは上に言へる布肩衣を言へり。フセイホは卷十六、かるうすは田廬のもとに云云の歌の註に、田廬者|多夫世《タブセ》とあり。フセヤと言ふなり。マゲイホは曲りよろぼひたるを言ふ。ヒタ土ニ云云は、ただちに土の上へ藁敷きたるなり。神代記、脚邊此云2阿度倍《アトベ》1と有れば、ここもアトノベニと訓むべし。ウレヘサマヨヒは、春鳥のさまよひぬればと前に出でたるに同じく、うめき鳴くを言ふ。コシキ、和名抄、甑(和名古之伎)炊v飯器也。本草云、甑帶(和名古之伎和良云云)と有り。ヌエ鳥ノ、枕詞。イトノキテはイトドと言ふ言なり。此卷未にも、伊等能伎提《イトノキテ》いたききずには云云と有り。ミジカキ物ヲ云云、此末の沈痾慈哀文に、諺曰、痛瘡灌v鹽、短材截v端、今も此意なり。シモトは笞杖なり。五十戸良、此良は長の字の誤なり。戸令云、凡戸以2五十戸1爲v里。毎v里置2長一人1と言へるをもてサトヲサと訓めり。又イヘヲサとも訓むべし。貧しくて田租賦?等お責《ハタ》らるるさまなり。ネヤドは寢屋處《ネヤド》なり。此里長が笞杖を持ち來て屋の戸に立ちてはたるを言ふなり。
 參考 ○狹也奈理奴流(代、古、新)サクヤナリヌル(考)略に同じ ○日月波(考)日波月波(古、新)略に同じ ○吾耳也(古)アノミヤ(新)ワレノミ、又はアノミ ○安禮母作乎(考、古)ア(269)レモツクルヲ(新)略に同じ ○足乃方爾(古、新)アトノカタニ ○憂吟(古、新)ウレヒサマヨヒ。
 
893 世間乎。宇之等夜佐之等。於母倍杼母。飛立可禰都。鳥爾之安良禰婆。
よのなかを。うしとやさしと。おもへども。とびたちかねつ。とりにしあらねば。
 
反歌なり。うしと思ひ恥かしと思へどもと言ふなり。
 
上憶良頓首謹上
 
好去好來歌一首 反歌二首
 
天平五年三月、多治比眞人廣成遣唐使にて出立つ時、憶良の詠みて贈れるなり。長歌に、つつみなくさきくいましてはやかへりませ、と止められたれば、其意をもて斯く端詞書けるなり。
 
894 神代欲理。云傳介良久。虚見津。倭國者。皇神能。伊都久志吉國。言霊能。佐吉播布國等。加多利繼。伊比都賀比計理。今世能。人母許等期等。目前爾。見在知在。人佐播爾。滿弖播阿禮等母。高光。日御朝庭。神奈我良。愛能盛爾。天下。奏多麻比志。家子等。撰多麻比天。勅旨。([反云大命)戴【戴ヲ載ニ誤ル】持弖。唐能。遠境爾。(270)都加播佐禮。麻加利伊麻勢。
かみよより。いひつてけらく。そらみつ。まとのくには。すめがみの。いつくしきくに。ことだまの。さきはふくにと。かたりつぎ。いひつがひけり。いまのよの。ひともことごと。めのまへに。みたりしりたり。ひとさはに。みちてはあれども。たかひかる。ひのみかどを。かむながら。めでのさかりに。あめのした。まをしたまひし。いへのこと。えらびたまひて。おほみこと。いただきもちて。もろこしの。とほきさかひに。つかはされ。まかりいませ。
 
イヒツテはイヒツタヘの約言なり。皇神ノイツクシキ國は、嚴《イツ》かしき國と言ふなり。此二句は下にもろもろの大御神たち云云の事を言はんとて先づ言ふなり。言靈ノ云云の二句は、即ち此歌にも神靈有りて、つつがなく歸り給はんの意を以て言へり。イヒツガヒはイヒツギを延べ言ふ。今ノヨノ人モコトゴト云云、宣長云、此四句は、上の件の事は今の世の人も能く見て知りたる事なりと言ふ意なりと言へり。是れをミマシシリマスと訓みつれど、さては今ノ世ノと言ふことに叶はずなん。さて見タリ知リタリにて句なり。愛盛、宣長がメデノサカリと訓みたるに由るべし。ウツノサカリと訓みたれど、ウツクシミをウツと言へる事無し。孝謙紀の詔、愛盛一二人等冠位上賜云云。また文コ實録に、御意愛盛云云など見ゆ。ともにメデノサカリと訓むべし。天下マヲシ給ヒシ家ノ子とは、文武天皇の大寶元年に薨ぜられし、左大臣正二位多治比眞人島公は、宣化天皇の御玄孫にて、多治比王の子なり。廣成は其子か孫なるべければ然か言へり。イマセバのバを省けるは例多し。戴を今載に誤る。續紀宣命に、祖名戴持而など有り。
 參考 ○見在知在(代、考)ミマシシリマス(古、新)略に同じ ○日御朝廷(考)ヒノミカドニハ(271)(古、新)略に同じ ○愛能コ盛爾(考)メヅノサカリニ(古、新)略に同じ。
 
宇奈原能。邊爾母奧爾母。神豆麻利。宇志播吉伊麻須。諸能。大御神等。船舳爾。(反云布奈能閇爾)道引麻遠志。【遠志ヲ志遠ニ誤ル】天地能。大御神等。倭。大國霊。久堅能。阿麻能見虚喩。阿麻賀氣利。見渡多麻比。事畢。還日者。又更。大御神等。船舳爾。御手打掛弖。墨繩遠。播倍多留期等久。阿庭可遠志。智可能岬【岬ヲ岫ニ誤ル】欲利。大伴。御津濱備爾。多太【太ヲ大ニ誤ル】泊爾。美船播將泊。都都美無久。佐伎久伊麻志弖。速歸坐勢。
うなばらの。へにもおきにも。かむづまり。うしはきいます。もろもろの。おほみかみたち。ふなのへに。みちびきまをし。あめつちの。おほみかみたち。やまとの。おほくにみたま。ひさかたの。あまのみそらゆ。あまがけり、みわたしたまひ。ことをはり。かへらむひには。またさらに。おほみかみたち。ふなのへに。みてうちかけて。すみなはを。はへたるごとく。あてかをし。ちかのさきより。おほともの。みつのはまびに。ただはてに。みふねははてむ。つつみなく。さきくいまして。はやかへりませ。
 
神ヅマリは神集リなりと翁は言はれき。宣長云、神ヅマリは神|鎭《シヅマ》リなり。神留と同じ。鎭り坐《イマ》す神たちと言ふなり。集りにてはここは聞え難し。海邊は常に神の集りいますべき由無し。若し又此舟を守らん爲めに集りますならば、ウシハキと言ふ語聞えず。されば是れは此海邊又澳の島島などに鎭り坐して、其處《ソコ》をうしはきいます其|處處《トコロドコロ》の神たちを言ふなりと言へり。ウシハキイマスは、古事記建御雷神は降到て大國主神に問ひ給はく、汝之宇志波祁流《イマシノウシハケル》葦原(ノ)中(ツ)國者、我御子|所知國言依賜《シロシメサムクニトコトヨサシタマフ》云云。式、崇神祝詞、(272)山川清地遷出奉?。吾|地《クニ》宇須波伎《ウスハキ》坐世止云云。枕ウシハキもウスハキも同じくウシ夫理《フリ》と言ふ言の轉じたるなり。ウシは神代紀、大脊飯三熊之大人《オホセセヒノミクマノウシ》(大人此云2于志1)と有りて、尊み言ふ言にして、言のもとはウとヌと通ひて、主と言ふに同じ。其所を領じ給ふ神を申す事なり。道引麻遠志、今本志遠と有り。一本に據りて改めつ。倭ノ大國ミタマ。崇神紀に、日本《ヤマトノ》大國魂神と見え、垂仁紀に、倭大神と見ゆ。アマガケリは出雲國造神賀詞に、天八重雲押別?。天翔《アマカケリ》國翔?。天下見廻?云云と有り。スミナハ、和名抄、繩墨(須美奈波)と見ゆ。ハヘタル如クは引キ延シタル如クとなり。阿庭可遠志の庭を一本遲に作る。先人云、阿は間か聞の誤、遠は邊の誤にて、モチカヘシなるべし。御手打カケテと有るからは、持チ返シとも言ひしかと言へり。宣長はアヂカヲシは智可の枕詞と聞ゆ。アチカ、智《チ》カと言の重なる枕詞なり。さてアチカは未だ考へず。ヲシはヨシと言ふに同じと言へり。猶考ふべし。岫は岬の誤なる事|著《シ》るし。智カは肥前松浦郡|血鹿《チカノ》島にて、其みさきを言へり。タダハテニは、船の直《タダ》ちに着かん事を言ふなり。
 參考 ○道引麻志遠(古)略に同じ(新)ミチビキマシ、「遠」を衍とす ○還日者(古)略に同じ(新)カヘラムヒハ ○阿庭可遠志(代)アテガヲシ(考)「問遲《モヂ》可邊志」(古、新)未考。
 
反歌
 
(273)895 大伴。御津松原。可吉掃弖。和禮立待。速歸坐勢。
おほともの。みつのまつばら。かきはきて。われたちまたむ。はやかへりませ。
 
大トモノ、枕詞。カキは詞、掃き拂ふなり。良比《ラヒ》を約むれば利となるを、伎《キ》に通はしてはキと言へり。
 
896 難波津爾。美船泊農等。吉許延許婆。紐【紐ヲ?ニ誤ル】解佐氣弖。多知婆志利勢武。
なにはづに。みふねはてぬと。きこえこば。ひもときさけて。たちばしりせむ。
 
トキサケは解き放ちにて、紐結ふまでも無く、急ぎ迎へてんと言ふなり。
 
天平五年三月一日(良宅對面、獻三日)山上憶良
謹上 大唐大使卿記室。
 
良宅以下の七字今本に本行にせり。もと小字に書けるなるべし。良は憶良の略、獻れるは三日なりとは、朔日に此歌どもを詠みて、其れを大使へ見せたるは三日と言ふ事なるべし。續紀に天平四年八月從四位上多治比眞人廣成を遣唐大使と爲し拾ひ、同五年三月廣成等に節刀を授くる由有りて、同四月已亥遣唐四船難波津より發《タ》ちて、同七年三月丙寅唐國より歸る由見ゆ。
 
沈v痾自哀文  山上憶良作
 
竊(ニ)以(ミルニ)朝佃2食山野1者。猶無2災害1而得v度v世。(謂常執2弓箭1不v避2六齋1、所※[がんだれ/自]禽獣不v論2大小1、孕(ト)及2不孕1、並皆殺食、以v此爲v業者也)
 
(274)契沖云、朝の下夕暮などの字を落せしならんと言へり。次の句の晝夜と對する所なれば必ず落字なり。佃、はかりして獣を捕る事を言ふ。註に※[がんだれ/自]と有るは値の誤なるべし。一本に位と有るは理《コトワ》り無し。或人は有の誤かとも言へり。
 
晝夜釣2漁河海1者。尚有2慶福1而全經v俗。(謂漁夫潜女各有v所v勤。男者手把2竹竿1能釣2波浪之上1。女者腰帶2鑿籠1潜採2深潭之底1者也)況乎我從2胎生1迄2于今日1。自有2修善之志1。曾無2作惡之心1。(謂v聞2諸惡莫作諸善奉行之教1也)所以禮2拜三寶1。無2日(トシテ)不1v勤。(毎日誦經、發露懺悔也)敬2重百神1。鮮2夜有1v闕。(謂v敬2拜天地諸神等1也)嗟乎?哉。我犯2何罪1。遭2此重疾1。(謂未v知2過去所造之罪若是現前所v犯之1過1、無v犯2罪過1何獲2此病1乎、)初沈v痾已來。月稍多。(謂v經2十餘年1也)是時年七十有四。鬢髪斑白。筋力?羸。不2但年老1。復加2斯病1。諺曰。痛瘡灌v鹽。短材截v端。此之謂也。
 
?は?弱にてよわきを言ひ、羸は羸痩にて痩せたるを言ふ。諺は此時常に言ひ馴れたることわざなるべし。次の歌に、いたききずにはかた鹽をそそぐちふがごと、とも言へり。註の發露は罪過を自ら現はすを言ふ。
 
四支不v動。百節皆疼。身體太重。猶v負2釣石1。(二十四銖爲2一兩1十六兩爲2一斤1。三十斤爲2一釣1。四釣爲2一石1。合一百二十斤也。)懸v布欲v立。如2折v翼之鳥1。倚v杖且歩。比2跛足之驢1。
 
懸布は布を梁などに懸けて、其れに縋《スガ》りて起つことにて、病める樣を言へるならん。文字の出所詳なら(275)ず。折翼はつばさの折れたるを言ふ。跛足は足の痿《ナ》えたるなり。
 
吾以(フニ)身已(ニ)穿俗。心亦累塵。欲v知2禍之所v伏。祟之所1v隱。
 
穿俗は未た詳ならず。累塵は俗累とも塵俗とも言ひて、煩はしき俗に混じ居るを言ふ。禍之所v伏云云は、老子に禍兮福所v倚、福兮禍所v伏と有る意なり。
 
龜卜之門。巫祝之室。無v不2徃問1。若實若妄。隨2其所1v教。奉2幣帛1。無v不2祈?1。然而彌有v増v苦。曾無2減差1。吾聞前代多有2良醫1。救2療蒼生病患1。至v若2楡樹、扁鵲、華他、秦(ノ)和緩、葛稚川、陶隱居、張仲景等1。皆是在v世良醫。無v不2除愈1也。(扁鵲姓秦。字越人。勃海郡人也。割v胸採2心腸1。而置v之投以2神藥1。即寤如2平也1。華他字元化。沛國?人也。若有2病結積沈重者1。在v内者刳v腸取v病。縫復摩v膏。四五日差v之)
 
楡樹は兪※[足+府]の誤なるべし。史記扁鵲傳に、上古之時醫有2兪※[足+府]1云云と言ひ、註に黄帝時將也と言へり。和緩は醫和、醫緩とて二人ともに秦國の名醫なり。左傳に見えたり。葛稚川は葛洪なり。陶隱居は陶弘惠なり。皆晋の代の名醫。張仲景名は機、後漢の人なり。註文に、如平也とある也は生の誤なるべし。元化を無他に誤れり。
 
追2望件醫1。非2敢所1v及。若逢2聖醫神藥者1。仰願割2刳五藏1。抄2探百病1。尋達2膏肓之?處1。(肓鬲也。心下爲v膏。攻v之不v可。達v之不v及。藥不v至焉。)欲v顯2二竪之逃匿1(謂晉(ノ)景公疾、秦醫緩視而還者可v謂v爲2鬼所1v殺也。)
(276)抄探、拾穗本には抄採に作る。左傳に、晋侯疾病。求2醫2于秦1。秦伯使2醫緩|爲《ヲサメ》1v之。未v至。公夢爲2二豎子1曰。彼(ハ)良醫也。※[骨+瞿](ラクハ)傷(ン)v我。焉(ンカ)逃(レン)v之。其一曰。居2肓之上膏之下1。若v我何。醫至。曰。疾不v可v爲(ム)也・在2肓之上膏之下1。攻v之不v可。達不v及。藥不v至焉。不v可v爲也。公曰。良醫也。厚爲2之禮1而歸v之と有り。
 
命根既(ニ)盡。終2其天年1。尚爲v哀。(聖人賢者一切含靈。誰免2此道1乎。)何況生録未v半。爲《ラル》)2鬼(ニ)枉殺(セ)1。顔色壯年。爲《ラル》2病(ニ)横困(セ)1者乎。在(ノ)v世大患。孰甚(シカラン)2于此(レヨリ)1。(志恠記云、廣平前太守北海徐玄方之女。年十八歳而死。其靈謂2馮馬子1曰。案2我生録1。當2壽八十餘歳1。今爲2妖鬼1所2枉殺1。已經2四年1。此遇2馮馬子1。乃得2更活1。是也。内教云。膽浮洲人壽百二十歳。謹案2此數1非2必不1v得v過v此。故壽延經云、有2比丘1名曰2難達1。臨2命終時1。詣v佛請v壽。則延2十八年1。但善爲者天地(ト)相畢。其壽夭者業報所v招。隨2其修短1而爲v半也。未v盈2斯?1、而|?《スミヤカニ》死去。故曰v未v半也。)
 
志恠記より未半也までを今本大字に書けるは誤なり。遇馮馬子、一本遇を過に作る。善爲は爲善の誤なるべし。?は算の古字なり。
 
任徴【徴ヲ微ニ誤ル】君曰。病從v口入。故君子節2其飲食1。由v斯言v之。人遇2疾病1。不2必(シモ)妖鬼(ノタメ)1。夫醫方諸家之廣説。飲食禁忌之厚訓。知易行難之鈍情。三者盈v目滿v耳。由來久矣。
 
任徴君は梁の任ム、字元昇と言へる人なり。厚、一本原に作る。
 
抱朴子(ニ)曰。人但不v知2其當v死之日1。故不v憂耳。若誠知2羽?可v得延v期者1。必將v爲v之。以v此而觀。乃(277)知我病蓋(シ)斯(レ)飲食(ノ)所v招。而不v能2自治1者乎。
 
羽?は道を得て飛行する事を言ふ。仙術を得し人を羽客とも言へり。
 
帛公略説(ニ)曰。伏思自氏iニ)以2斯長生1。生可v貪也。死可v畏也。天地之大コ曰v生。故死人不v及2生鼠1。王侯1、一日絶v氣。積v金如v山。誰爲v富哉。威勢如v海。誰爲v貴哉。遊仙窟(ニ)曰。九泉下(ノ)人。一錢不v直。孔子曰。受2之於天1。不v2變麺1者(ハ)形也。受2之於命1。不v可2請益1者(ハ)壽也。(見2鬼谷先生相人書1)故知2生之極貴。命之至重1。欲v言言窮。何以言v之。欲v慮慮絶。何由慮v之。惟人無2賢愚1。世無2古今1。咸悉《コトゴトクミナ》嗟歎(ス)。歳月競(ヒ)流。晝夜不v息。(曾子曰。往而不v反者年也。宣尼臨v川之嘆。亦是矣也。)老疾相催。朝夕侵動。一代(ノ)歡樂。未v盡2席前1。(魏文惜2時賢1詩曰。未v盡2西苑夜1。劇(ニ)作2北望塵1也。)千年愁苦更繼2座後1。(古詩云。人生不v滿v百、何懷2千年憂1矣。)
 
北望は北?に同じ。文選今本には常懷2千歳憂1と有り。
 
若夫群生品類。莫v不d皆以2有v盡之身1。竝求c無窮之命u。所以道人方士。自負2丹經1入2於名山1。而合藥之者。養v性怡v神。以求2長生1。
 
合藥、今本合藥に作るは誤なり。
 
抱朴子(ニ)曰。神農云。百病不v愈。安得2長生1。帛公又曰。生(ハ)好物也。死(ハ)惡物也。若不幸而不v得2長生1者。猶以d生涯無2病患1者u爲2福大1哉。
 
(278)帛公、今本帛出に作るは誤なり。生好物也、死惡物也は左傳の語なり。
 
今吾爲2病見1v惱。不v得2臥坐1。向v東向v西。莫v知v所v爲。無福至甚。ハ集2于我1。人願(テ)天從(フ)。如《モシ》有v實者。仰(ギ)顧(ハクハ)頓(ニ)除2此病1。頼《サイハヒニ》得v如v平。以v鼠爲v喩。豈不v愧乎。(已見上也。)
 
ハ集于我の上、脱語あるべし。以鼠爲喩は、毛詩相v鼠有v皮。人而無v儀。人而無v儀不v死何爲。已見上也の四宇一本に無し。
 
悲2歎俗道假合即離易v去難1v留詩一首竝序
 
竊以釋慈之示教。(謂2釋氏慈氏1)先開2三歸(謂v歸2依佛法僧1)五戒1。而化2法界1。(謂一不殺生、二不偸盗、【今盗上ノ偸、邪上ノ不ヲ脱ス】三不邪淫、四不妄語、五不飲酒也。)周孔之垂訓。前張2三綱(謂君臣、父子、夫婦)五教1。以齊(シク)濟(フ)2郡國1。(謂父義、母慈、兄友、弟順、子孝。)
 
慈氏は彌勒を言ふ。契沖云、化字の上、普、或は遍などの字落ちたるべし。下の以齊濟郡國と言ふ句と對すべき句なればなりと言へり。今考ふるに官本には齊の字無し。さらば今のままにて然るべし。郡國、一本邦國に作るを善しとす。
 
故(ニ)知(ル)引導雖v二。得v悟惟一也。但以世无(シ)2恒質1。所以陵谷更(ニ)變。人无(シ)2定期1。所以壽夭不v同。撃目之間。百齡已(ニ)盡。申臂之項。千代亦空。
 
陵谷更變は詩に高岸爲v谷、深谷爲v陵と有るより、世の移り變る事に言へり。撃目は莊子に目撃而道存矣(279)と有り。申臂は同書に交2一臂1而失v之と有りて、共に須臾の間の譬なり。目撃を撃目と變へ、交臂を甲臂と變へたるは文章の常なり。亦、一本且に作る。
 
旦《アシタニ》作2席上之主1。夕《ユフベニハ》爲2泉下之客1。白馬走來。黄泉何(ゾ)及(バン)。隴上(ノ)青松空(シク)懸2信釼(ヲ)1。野中(ノ)白楊但吹2悲風(ニ)1。
 
白馬は白駒の隙を過ぐると言ふより出でて、日月の過ぐるを云ふ。信釼は季札が徐君の家に釼を懸けたるを言ふ。委しくは史記に見えたり。白楊は墳墓に植うるものなり。古詩などに多く見ゆ。
 
是(ニ)知(ル)世俗本無2隱遁之室1。原野唯有2長夜之臺1。先聖已去。後賢不v留。如《モシ》有2贖而可(キ)v免者1。古人誰無2價金1乎。未v聞2獨存(シテ)遂(ニ)見(ル)2世(ノ)終1者u。所以維摩大士。疾2玉體于方丈1。釋迦能仁。掩2金容乎雙樹1。
 
維摩病を方丈の室に現じ、釋迦沙羅樹の下にて涅槃を示したるを言ふ。
 
内教(ニ)曰。不《ズバ》v欲(セ)2黒闇之後(ニ)來(ルヲ)1。莫v入2コ天之先(ニ)至1。(コ天者生也。黒闇者死也。)故知(ル)生必有v死。死若|不《ズバ》v欲(セ)。不v如(カ)v不(ニハ)v生(レ)。況乎縱(ヒ)覺(ルモ)2始終之恒數(ヲ)1。何(ゾ)慮(ラン)2存亡之大期1者也。
 
内教は聖行品なり。黒闇コ天の事、上に言へり。不知は不如の誤。
 
俗道變化猶2撃目1。人事(ノ)經紀如2申臂1。空(シク)與2浮雲1行2大虚1。心力共盡無v所v寄。
 
俗道、拾穗本、世路に作る。
 
(280)897 霊剋。内限者。(謂瞻州人壽一百二十年也)平氣久。安久母阿良牟遠。事母無。裳無母阿良牟遠。世間能。宇計久都良計久。伊等能伎提。痛伎瘡爾波。鹹鹽遠。灌知布何其等久。益益母。重馬荷爾。表荷打等。伊布許等能其等。老爾弖阿留。我身上爾。病遠等。加弖阿礼婆。晝波母。歎加比久良志。夜波母。息豆伎阿可志。年長久。夜美志渡礼婆。月累。憂吟【吟ヲ今ニ誤ル】比。許等許等波。斯奈奈等思騰。五月蠅奈周。佐和久兒等遠。宇都弖弖波。死波不知。見乍阿礼婆。心波母延農。可爾可久爾。思和豆良比。爾能尾志奈可由。
たまきはる。うちのかぎりは。たひらけく。やすくもあらむを。こともなく。もなくもあらむを。よのなかの。うけくつらけく。いとのきて。いたききずには。からしほを。そそぐちふがごとく。ますますも。おもきうまにに。うはにうつと。いふことのごと。おいにてある。わがみのうへに。やまひをら。くはへてあれば。ひるはも。なげかひくらし。よるはも。いきづきあかし。としながく。やみしわたれば。つきかさね。うれへさまよひ。ことことは。しななとおもへど。さばへなす。さわぐこどもを。うつてでは。しにはしらず。みつつあれば。こころはもえぬ。かにかくに。おもひわづらひ。ねのみしなかゆ。
 
玉キハル、枕詞。モナクは多く喪の字を用ふ。わざはひ無きを言ふ。ここも裳は喪の誤なるべし。ツラケク、神代紀、最惡不順教養云云、此最惡をイトツラクと訓めり。イトノキテ、上に出づ。痛キ瘡ニハ云云、上の沈痾自哀文に諺曰とて書ける詞なり。重き馬荷云云。後撰集に、年の數積まむとすなる重荷にはいとど小付《コヅケ》をこりも添へてむ、と有るに同じ。今俗に小付《コヅケ》を打つ、中荷を打つなど言ふは添へ付くる(281)事なり。老イニテアルは老い去《イ》にたるなり。ヤミシのシは助辭。憂吟、今本今に作る。一本本吟に作るに據れり。コトコトは契沖が言ふ如く、悉の意にあらず、異事なり。いときなき子を殘し置く外の辛苦の餘りには、死なんと思へど、と言ふなり。サバヘナス、枕詞。ウツテテハは、ウチステテはなり。知須《チス》の約|都《ツ》なればなり。シニハシラズは、え死なぬと言ふ意なり。心ハモエヌは、卷一、思ひぞ所燒我下情《ヤクルワガシタゴコロ》と言ふに同じ。ナカユはナカルなり。
 參考 ○灌知布何其等久(古、新)何を衍としてソソゲチフゴトク ○憂吟(考、古、新)ウレヒサマヨヒ ○斯奈奈等思騰(古、新)シナナトモヘド ○死波不知(考)シナニハシラズ(古、折)略に同じ。
 
反歌
 
898 奈具佐牟留。心波奈之爾。雲隠。鳴往鳥乃。禰能尾志奈可由。
なぐさむる。こころはなしに。くもがくれ。なきゆくとりの。ねのみしなかゆ。
 
鳴き行く鳥の如く音《ネ》に泣かるるなり。
 參考 ○雲隱(古、新)クモガクリ。
 
899 周弊母奈久。苦志久阿礼婆。出波之利。伊奈奈等思騰。許良爾佐夜利奴。
すべもなく。くるしくあれば。いではしり。いななとおもへど。こらにさやりぬ。
 
(282)走り出でて如何ならん所へも徃《イ》なんと思へど、子等に障《サ》へらるるとなり。サヤリは上に出づ。
 參考 ○伊奈奈等思騰(古、新)イナナトモヘド。
 
900 富人能。家能子等能。伎留身奈美。久多志須都良牟。※[糸+包]綿良波母。
とみびとの。いへのこどもの。きるみなみ。くたしすつらむ。きぬわたらはも。
 
富める人の家に着すべき子の少なくて、衣は多きを、着ル身無ミと言ふなるべし。クタシは腐《クタ》シなり。※[糸+包]は袍の誤なるべし。此歌と次の麁妙の歌は、貧窮問答の反歌の紛れて此處に入りたるなるべし。
 
901 麁妙能。布衣遠陀?爾。伎世難爾。可久夜歎敢。世牟周弊遠奈美。
あらたへの。ねのぎぬをだに。きせがてに。かくやなげかむ。せむすべをなみ。
 
アラタヘは布の總べたる名なり。
 
902 水沫奈須。微命母。栲繩能。千尋爾母何等。慕久良志都。
みなわなす。もろきいのちも。たくなはの。ちひろにもがと。ねがひくらしつ。
 
水の泡の如くとなり。
 
903 倭文【文ヲ父ニ誤ル】手纒。數母不在。身爾波在等。千年爾母何等。意母保由留加母。
しづたまき。かずにもあらぬ。みにはあれど。ちとせにもがと。おもほゆるかも。
 
シヅタマキ、枕詞。
 
(283)(去神龜二年作v之。但以v類故更載2於茲1。) 右シヅタマキ云云の一首は、神龜三年に詠みしかども、天平五年六月右の長歌一首短歌三首を作りて、此一首も同じ類ひなれば此處に載せたりと言ふなり。
 
天平五年六月内申朔三日戊戌作。
 
戀2男子名|古日《フルヒ》1歌三首(長一首、短二首)
 
904 世人之。貴慕。七種之。寶毛我波。何爲。和我中能。産禮出有。白玉之。吾子古日者。明星之。開朝者。敷多倍乃。登許能邊佐良受。立禮杼毛。居禮杼毛登母爾。戯禮。夕星乃。由布弊爾奈禮婆。伊射禰余登。手乎多豆佐波里。父母毛。表者奈佐我利。三枝之。中爾乎禰牟登。愛久。志我可多良倍婆。何時可毛。比等等奈理伊弖天。安志家口毛。與家久母見武登。大船乃。於毛比多能無爾。
よのひとの。たふとみねがふ。ななくさの。たからもわれは。なにせむに。わがなかの。うまれいでたる。しらたまの、わがこふるひは。あかぼしの。あくるあしたは。しきたへの。とこのべさらず。たてれども。をれどもともに。たはふれ。ゆふづつの。ゆふべになれば。いざねよと。てをたづさはり。ちちははも。うへはなさかり。さきくさの。なかにをねむと。うつくしく。しがかたらへば。いつしかも。ひととなりいでて。あしけくも。よけくもみむと。おほぶねの。おもひたのむに。
 
七クサノ寶は金、銀、瑠璃、??、瑪瑙、珊瑚、琥珀、又は金、銀、瑠璃、頗梨、車渠、瑪瑙、金剛。何セムニの下、七言一句落ちたるか。白玉ノは玉の如く愛《メ》で思ふを言へり。アカ星、和名抄兼名苑云、歳(284)星一名明星、此間云2阿加保之1。トコノベは床ノ方《ベ》なり。ヲレドモトモニの下、一句半落ちしならん。ユフヅツ、和名抄兼名苑云、太白星一名長庚、暮見2於西方1爲2長庚1、此間云2由不豆豆1と有り。表者は遠者の誤ならんか。トホクハナサカリと訓むべし。遠く放《サ》け離るる事なかれとなり。奈佐の下の我の字濁音なれば、柯の字などの誤れるならん。宣長云、表《ウヘ》はそのほとりを言ふなりと言へり。サキクサノ、枕詞。シガカタラヘバは己《シ》がなり。則ち古日が事を言ふ。アシケクモヨケクモミムトは、善くも惡しくも生ひ先きを見んと、と言ふなり。
 參考 ○貴慕(代)タフトビシタフとと訓む(考、古、新)略に同じ ○何爲の下(考)加奈志伎妹與の脱とし(古)子《ネ》ガヒホリセムの脱とす ○和我中能(新)ワガナカ「爾」ニ ○尾禮杼毛登母爾の下(考)比留波母。牟都禮の脱とす(古)カキナデテ。コトトヒの脱とす(新)父母ト。アソビの脱とす ○表者奈佐我利(代、古)ウヘハナサカリ(考)略に同じ(新)「遠」トホクナサカリ「者」は衍とす ○愛久(考、新)略に同じ(古)ウルハシク。
 
於毛波奴爾。横風乃。爾布敷可爾布敷可爾。覆來禮婆。世武須便乃。多杼伎乎之良爾。志路多倍乃。多須吉乎可氣。麻蘇鏡。弖爾登利毛知弖。天神。阿布藝許比乃美。地祇。布之弖額(285)拜。可加良受毛。可賀利毛。神乃末爾麻爾等。立阿射里我。【我ノ下例衍文ナレバ除ク】例乞能米登。須臾毛。余家久波奈之爾。漸々。可多知久都【久都ヲ都久ニ誤ル】保里。朝朝。伊布許等夜美。霊剋。伊乃知多延奴禮。立乎杼利。足須里佐家婢。伏仰。武禰宇知奈氣吉。手爾持流。安我古登婆之都。世間之道。
おもはぬに。よこかぜの。         おほひきぬれば。せむすべの。たどきをしらに。しろたへの。たすきをかけ。まそかがみ。てにとりもちて。あまつかみ。あふぎこひのみ。くにつかみ。ふしてぬかづき。かからずも。かかりもかみの。まにまにと。たちあざりわが。こひのめど。しばらく《しましく》も。よけくはなしに。ややややに。かたちくづほり。あさなさな。いふことやみ。たまきはる。いのちたえぬれ。たちをどり。あしずりさけび。ふしあふぎ。むねうちなげき。てにもたる。あがことばしつ。よのなかのみち。
 
オモハヌニは思はザルニなり。横風乃の下十字訓むべからず。宜長云はく、横風乃の下、布敷は爾波の誤にて、爾母は亂れて横風乃の下へ入りたり。下の布敷可爾は一本に無ければ衍文にて、横風乃|爾波可爾母覆《ニハカニモオホヒ》來禮婆と有りしなるべしと言へり。タドキはタツキに同じ。襷ヲカケ云云は神を祈るさまにて、既に言へり。コヒノミは乞?なり。紀に叩頭をコヒノムと訓めり。カカラズモカカリモ云云は、神の御惠《ミメグミ》に掛からんも掛からざらんも神のままにと言ふなり。立チアサリは、心いられして立ち騷ぐを俗にアセルと言ふ意ならん。我の下、今本例の字有り、一本の無きに據れり、カタチ久都ホリ、今本都久と有るは誤なり。クヅホルなり。崩ると言ふも同じ言なり。タエヌレはタエヌレバなり。立チヲドリ云云、卷九、浦島が子を詠める歌にも、立走りさけび抽ふりこいまろび足ずりしつつと云へるに同じ。手ニモタルアガ子トバシツ。掌珠一顆兒三歳と言へる如く、手に持ちたる玉を失ひたらんやうに覺ゆるなり。
(286) 參考 ○横風乃(代、古、新)ヨコシマカゼノ(考)略に同じ ○爾母布敷可爾布敷可爾(代)布敷可爾を衍とし、爾波可爾母布敷爾の誤としてニハカニモ、シクシクニ(考)奧爾母、邊爾母布浪(古、新)爾波可爾母の誤としニハカニモ ○覆來禮婆(代、考、新)略に同じ(古)オホヒキタレバ ○可賀利毛(古)下に「吉惠天地乃」の五字脱、「仁」を衍とし、カカリモヨシヱ、アメツチノ、カミノマニマト(新)脱句有りとす ○立阿射里我例乞納米登(考、古)タチアザリ、ワガコヒノメド「例」は衍とす(新)タチア「何」ガリ、ワガ乞《コヒ》ノメド ○須臾毛(古、新)シマシクモ ○漸漸(考)略に同じ(古)ヤウヤウニ(新)兩訓を附して決せず ○可多知都久保里(代、考)可多知久都保里(古)カタチツクホリ、又はカタチ久都ホリ(新)クヅホリか。
 
反歌
 
905 和可家禮婆。道行之良士。末比波世武。之多敝乃使。於比弖登保良世。
わかければ。みちゆきしらじ。まひはせむ。したべのつかひ。おひてとほらせ。
 
マヒは幣の字を訓めり。マヒナヒセムと言ふなり。シタベノ使は下方《シタベ》にて、紀に根(ノ)國、底(ノ)國など言へると同じく、黄泉を言ふ。神代紀一書、素盞嗚尊曰云云、蒼生奧津棄戸將臥之具云云、棄戸此云2須多杯《スタベ》1と有るも是れなり。吾子の稚くて道知るまじければ、黄泉の使負ひて行けかしと言ふなり。トホラセはトホレを延べ言ふ。光仁紀、左大臣藤原永手薨の時の詔に、美麻之《ミマシ》大臣罷道母宇之呂輕久心母意太比爾念而平久罷止冨良須倍之《マカリトホラスベシ》と有り。
 
906 布施於吉弖。吾波許比能武。阿射無加受。多太爾率去弖。阿麻治思良之米。
ぬさおきて。われはこひのむ。あざむかず。ただにゐゆきて。あまぢしらしめ。
 
布施はヌサと訓むべし。又ただちにフセとも訓むべきなり。ここに乞ヒノムと言へるは佛に乞ふて、神に?るとは事異なれば、幣と言はで布施と言へるなり。施を?の誤としてフシオキテ《臥起》と訓めるは僻事《ヒガゴト》なり。アザムカズタダニヰユキテ云云は、經文に説き置きたる如くに欺く事無く、直ちに天上へ率《ヒキ》ゐ行き給へとなり。天も六道の一つなる故にアマヂとは詠めり。
 參考 ○布施於吉弖(代)フセ「伏」起(考)フシ「伏し(古、新)フセオキテ。
 
右一首作者未v詳。但以3裁v歌之體似2於山上之操1載2此次1焉。
 
是れも後人の書き加へしなり。此卷憶良の家集と見ゆれば、自らの名書かざりし所も有るべし。
 
萬葉集 卷第五 終
 
 
(1)萬葉集 卷第六
 
此卷、養老七年より神龜、次に天平十六年までの年號を擧げたり。且つ帥大伴卿をのみ名をしら(○らハるノ誤カ)さぬは、家持卿の家に集めたる事知るべし。
 
雜歌
 
養老七年癸亥夏五月幸2于芳野離宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、元正天皇此幸の事見ゆ。金村、傳知れず。
 
907 瀧上之。御舟乃山爾。水枝指。四時爾生有。刀我乃樹能。彌繼嗣爾。萬代。如是二二知三。三芳野之。蜻蛉乃宮者。神柄香。貴將有。國柄鹿。見欲將有。山川乎。清清。諾之神代從。定家良思母。
たぎのうへの。みふねのやまに。みづえさし。しじにおひたる。とがのきの。いやつぎつぎに。よろづよに。かくししらさむ。みよしぬの。あきつのみやは。かむがらか。たふとかるらむ。くにがらか。みがほしからむ。やまかはを。きよみさやけみ。うべしかみよゆ。さだめけらし。
 
吉野の瀧の上に有る御舟の山なり。ミヅ枝はみづみづしきにて、若枝を言ふ。シジは繁キなり。刀我ノ(2)木ノ、枕詞。集中皆|都賀《ツガ》ノ木ノとのみ有り。刀と都と通へば、トガとてもツギツギと續くべけれど、猶思ふに、外みな都賀とのみ有れば、若しくは刀は都の字のかたはら缺けたるが、刀、となれるにもや有らん。カクシのシは助辭にて、萬代も斯くの如くしろしめさんとなり。神ガラ國ガラのカラは故の意。神とは此山を敷座《シキマ》す神を言ふ。清清二字のうち一字は誤れるならん。試に云はば、峻清などや有りけん。然らばタカミサヤケミと訓むべし。清清の下一句足らざるは古歌に例有れど、是れは奈良の朝の歌なれば然は有らじ。句の落ちたるならん。此離宮いつの御時造られしか知られず。神代とも言ひつべく、いと上つ代より有りけらし。
 參考 ○瀧上之(古)タギノヘノ ○刀我乃樹能(考、古、新)ツガノキノ ○清清(代〕サヤニサヤケシ、又はスガスガシミ(考)「峻」タカクサヤケシ(古)「淳」アツミサヤケミ(新)キヨミサヤケミ ○清清の下(古)オホミヤト、又はトツミヤト脱か(新)トツ宮ト脱か。
 
反歌
 
908 毎年。如是裳見壯鹿。三吉野乃。清河内之。多藝津白浪。
としのはに。かくもみてしが。みよしぬの。きよきかふちの。たぎつしらなみ。
 
トシノハは年ゴトニなり。既に出づ。見テシガは願ふ詞。カを濁るべし。鹿の字を書きたれど、斯かる所に、清濁にかかはらず字を借りたる例多し。カフチは河の廻れる所を言ふ。
 
(3)909 山高三。白木綿花。落多藝追。瀧之河内者。雖見不飽香聞。
やまたかみ。しらゆふばなに。おちたぎつ。たぎのかふちは。みれどあかぬかも。
 
ゆふもて作る花の如くにと言ふなり。ユフは木綿にて既に言へり。
 
或本。反歌曰。
 
910 神柄加《カンガラカ》。見欲賀藍《ミガボシカラム》。三吉野乃。瀧乃河内者。雖見不飽鴨。
 
ミガボシは見マホシに同じ。例に由るに瀧の下之の字有るべし。
 參考 ○見欲(古、新)ミガホシ ○瀧河内者(考)瀧乃河内者(古)タキツカフチハ、又は一本に據りタキノカフチハ(新)タキツカフチハ。
 
911 三吉野之。 秋津乃川之《アキツノカハノ》。萬世爾《ヨロヅヨニ》。斷事無《タユルコトナク》。又還將見《マタカヘリミム》。
 
川の絶ゆる事無きが如く、行きかへり行きかへり見んとなり。
 
912 泊瀬女《ハツセメノ》。造木綿花《ツクルユフバナ》。三吉野。瀧乃|水沫《ミナワニ》。開來受屋《サキニケラズヤ》。
 
たぎり落つる水の泡の、木綿花《ユフバナ》の如く見ゆるを言ふ。大瀧と言ひて、大石の間を斜めに落つるが、實に綿を岩間に流す如く見ゆるとぞ見し人の言へる。
 
車持《クルマモチノ》朝臣|千《チ》【千ヲ干ニ誤ル】年《トシ》作歌一首并短歌
 
(4)千年、傳知れず。今千を手に誤る、元暦本に據りて改む。
 
913 味凍。綾丹乏敷。鳴神乃。音耳聞師。三芳野之。眞木立山湯。見降者。川之瀬毎。開來者。朝霧立。夕去者。川津鳴奈辨。【辨ハ利ノ誤。辨ノ下、今詳字有リ衍ナリ】紐【紐ヲ綛ニ誤ル】不解。客爾之有者。吾耳爲而。清川原乎。見良久之惜【惜ヲ情ニ誤ル】裳。
うまごりの。あやにともしく。なるかみの。おとのみききし。みよしぬの。まきたつやまゆ。みくだせば。かはのせごとに。あけくれば。あさぎりたち。ゆふされば。かはづなくなり。ひもとかぬ。たびにしあれば。あのみして。きよきかはらを。みらくしをしも。
 
ウマゴリノ、枕詞。アヤニは嗚呼《アナ》なり。トモシクは賞《メヅラ》シキと云ふなり。ナル神ノ、枕詞。明ケ來レバは夜ノ明クレバなり。辨、古葉略要に利に作るを善しとす。元暦本には拜に作れり。ナヘにては此處はかなはず。今本辨の下詳の字有り。一本無きを善しとす。ヒモトカヌは、吉野從駕の旅なれば、紐解かでまろ寢するなり。アノミシテは吾而已シテなり。ミラクは見ルを延べ言ふ。シは助辭。惜、今本情と有るは誤なり。元暦本に據りて改めつ。モは助辭。
 參考 ○味凍(古、新)ウマゴリ ○川津鳴奈辨(古、新)略に同じ。但し辨を利の誤とす。
 
反歌一首
 
914 瀧上乃。三船之山者。雖畏。思忘。時毛日毛無。
(5)たぎのへの。みふねのやまは。かしこけど。おもひわするる。ときもひもなし。
 
宣長云、雖畏にては聞え難し。畏は見の誤にて、見ツレドモなるべし。下句は故郷人を忘れぬなり。長歌の末の詞、又次なる反歌にて知るべしと言へり。
 參考 ○雖畏(古、新)「雖見」ミツレドモ。
 
或本反歌曰。
 
915 千鳥鳴《チドリナク》。三吉野川之《ミヨシヌカハノ》。【之ノ下川字ヲ脱ス】音成《カハトナス》。止時梨二《ヤムトキナシニ》。所思公《オモホユルキミ》。
 
古葉略要に、成を茂に作る。元暦本にも、シゲミと訓みたれど非なり。之の下一本川の字あり。カハトナスと訓むべし。川音の如くの意なり。今の訓は由無し。さてミヨシ野ガハと詠めるは、卷七、馬並て三芳野河乎見まくほりとも有り。
 參考 ○三吉野川之(考)「三」を衍とす(古、新)略に同じ。
 
916 茜刺《アカネサス》。日不並二《ヒナラヘナクニ》。吾戀《ワガコヒハ》。吉野之河乃。霧丹立乍《キリニタチツツ》。
 
アカネサス、枕詞。日並ヘナクニは、日ヲモ重ネヌニと言ふなり。キリニ立は歎きの霧なり。
 參考 ○日不並二(代)ヒモナラベズニ、又はヒナラベナクニ(考)ヒモナメナクニ(古、新)略に同じ。
 
右年月不v審 但以2歌類1載2於此次1焉。或本云。養老七年五月幸2于芳野離宮1之時作。
 
(6)神龜元年甲子冬十月五日幸2于紀伊國1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
續紀。神龜元年十月天皇幸2紀伊國1。癸巳行至2紀伊國那賀郡玉垣頓宮1。甲午至2海部郡玉津島頓宮1。留十有餘日。戊戌造2離宮於岡東1云云。又詔曰。登v山望v海此間最好。不v勞2遠行1。足2山遊覽1。故改2弱濱名1爲2明光《アカノ》浦1云云と見ゆ。
 
917 安見知之。和期大王之。常宮等。仕奉流。左日鹿野由。背上爾所見。奧嶋。清波瀲爾。風吹者。白浪左和伎。潮干者。玉藻苅管。神代從。然曾尊吉。玉津島夜麻。
やすみしし。わごおほきみの。と|こ《つ》みやと。つかへまつれる。さひかぬゆ。そがひにみゆる。おきつしま。きよきなぎさに。かぜふけば。しらなみさわぎ。しほひれば。たまもかりつつ。かみよより。しかぞたふとき。たまづしまやま。
 
ワゴはワガに同じ。サヒカは紀伊海部郡に雜賀《サヒカ》の庄有り。若浦の邊なりとぞ。常宮と詠めるは離宮なり。宣長云、常宮はトツミヤと訓むべし。常は借字にて外《ト》ツ宮の意なりと言へり。シカゾはカクノ如クゾなり。
 參考 ○常宮(古、新)トツミヤ。
 
反歌
 
(7)918 奧島。荒磯之玉藻。潮干滿。伊隱去者。所念武香聞。
おきつしま。ありそのたまも。しほひみち。いかくろひなば。おもほえむかも。
 
磯に生ふる藻の打靡く景色が、潮滿ちて隱れなば惜しからんとなり。イは發語。潮干滿は今潮干なるが、後に滿ちん事を言ふなりと、宣長言へり。
 參考 ○潮干滿(考)シホミチニ(古、新)干を衍とし、シホミチテ ○伊隱去者(考)イカクレユカバ(古、新)イカクロヒナバ。
 
919 若浦爾。鹽滿來者。滷乎無美。葦【葦ヲ今ニ誤ル】邊乎指天。多頭鳴渡。
わかのうらに。しほみちくれば。かたをなみ。あしべをさして。たづなきわたる。
 
カタヲナミは、潮の滿ち來て干潟の無くなりたるなり。葦を今〓と書けるは誤なり。
 
右年月不v記。但?從2駕玉津島1也。因今?2注行幸年月1以載v之焉。
 
?を今〓に誤れり。?は古稱字なり。
 
神龜二年乙丑夏五月幸2于芳野離宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
績紀、此年月此行幸を載せず。
 
920 足引之。御山毛清。落多藝都。芳野河之。河瀬乃、淨乎見者。上邊者。(8)千鳥數鳴。下邊者。河津都麻喚。百磯城乃。大宮人毛。越乞爾。思自仁思有者。毎見。文丹【丹ヲ今舟ニ誤ル】乏。玉葛。絶事無。萬代爾。如是霜願跡。天地之。神乎曾?。恐有等毛。
あしびきの。みやまもさやに。おちたぎつ。よしぬのかはの。かはのせの。きよきをみれば。かみべには。ちどりしばなく。しもべには。かはづつまよぶ。ももしきの。おほみやびとも。をちこちに。しじにしあれば。みるごとに。あやにともしみ。たまかづら。たゆることなく。よろづよに。かくしもがもと。あめつちの。かみをぞいのる。かしこかれども。
 
御山とは宮所あればなり。上ベ下ベは上ツ瀬下ツ瀬なり。大宮人モヲチコチニの詞解き難し。翁は乞兒をカタヰと言ふより、コエガテニと訓まん。コエガテニは、從駕の外、在京の宮人は、みだりに越え來り難きを言ふなるべしと言はれつれど、ことわり聞え難し。思自仁思有者は繁く有ればと言ふ事にて、ここにかなはず。古本自の字無し。さらばモヒニモヘレバトと訓まんか、されど猶穩かならず。字の誤有るべし。猶考へてん。文の下、丹を今本舟に誤れり。元暦本に據りて改めつ。アヤニは既に言へり。トモシミはメヅラシキにて、ここはめでたき意なり。此離宮の萬づ世斯くの如く有れかしと神に願ふなり。
 參考 ○思自仁思有者(代、古、新)略に同じ(考)「思仁思う」モヒニモハレバ。
 
反歌二首
 
921 萬代。見友將飽八。三吉野乃。多藝都河内乃。大宮所。
(9)よろづよに。みともあかめや。みよしぬの。たぎつかふちの。おほみやどころ。
 
見るとも飽かんやなり。
 
922 人皆乃。壽毛吾母。三吉野乃。多吉能床磐乃。常有沼鴨。
ひとみなの。いのちもわれも。みよしぬの。たぎのとこはの。つねならぬかも。
 
元暦本.皆人と有り。人の世も吾が世もと意ふが如し。トコハは常磐なり。ツネナラヌカモは、磐の如く常に有れかしと願ふなり。
 參考 ○多吉能床磐乃(考)略に同じ(古、新)トキハノ。
 
山部宿禰赤人作歌二首并短歌
 
923 八隅知之。和期大王乃。高知爲。芳野離者。立名附。青墻隱。河次乃。清河内曾。春部者。花咲乎遠里。秋去【元、去ヲ部ニ作ル】者。霧立渡。其山之。彌益益爾。此河之。絶事無。百石木能。大宮人者。常將通。
やすみしし。わごおほきみの。たかしらす。よしぬのみやは。たたなつく。あをがきごもり。かはなみの。きよきかふちぞ。はるべは。はなさきををり。あきされば。きりたちわたる。そのやまの。いやますますに。このかはの。たゆることなく。ももしきの。おほみやびとは。とはにかよはむ。
 
離の下、宮の字を脱せり。タタナツク、枕詞。青ガキゴモリは、青山四方にそばたち廻れるなり。河ナ(10)ミは山竝に同じ。ヲヲリは卷二に出づ、咲き撓む意なり。其山ノ云云、其河ノ云云は、其山ノ如ク、此河ノ如クと言ふを略けり。
 參考 ○常將通(古、新)ツネニカヨハム。
 
反歌二首
 
924 三吉野乃。象山際乃。木末爾波。幾許毛散和口。鳥之聲可聞。
みよしぬの。きさやまのまの。こねれには。ここだもさわぐ。とりのこゑかも。
 
象山、吉野の内に有り。コヌレは木のウレにて、則ち梢なり。集中コズヱと假字書にせる事無し。
 
925 烏玉之。夜之深去者。久木生留。清河原爾。知鳥數鳴。
ぬばたまの。よのふけゆけば。ひさきおふる。きよきかはらに。ちどりしばなく。
 
ヒサキは楸なり。俗に木ササゲと言ふ物なり。
 參考 ○夜乃深去者(古、新)ヨノフケヌレバ。
 
926 安見知之。和期大王波。見吉野乃。飽津之小野笶。野上者。跡見居置而。御山者。射目立渡。朝獵爾。十六履起之。夕狩爾。十里?立。馬並而。御?曾立爲。春之茂野爾。
やすみしし。わごおほきみは。みよしぬの。あきつのをぬの。ぬのへには。とみすゑおきて。みやまには。いめたてわたし。あさかりに。ししふみおこし。ゆふがりに。とりふみたて。うまなめて。みかりぞたた(11)す。はるのしげぬに。
 
ト見は鳥獣の跡をもとめ見る人を言ふ。イメは射部《イベ》にて、弓射る人を言ふ。多く立て連ぬるをタテ渡スと言ふなり。今本、射固と有るは誤なり。古葉略要及び元暦本に、射目と有るに據れり。馬ナメテは乘りならべてなり。
 
反歌一首
 
927 足引之。山毛野毛。御?人。得物矢手挟。【挾ヲ今狹ニ誤ル】散動而有所見。
あしびきの。やまにもぬにも。みかりびと。さつやたばさみ。みだれたるみゆ。
 
サツヤは、幸箭なり。既に出づ。
 參考 ○散動而有所見(代)トヨミタルミユ(考)略に同じ(古)サワギタリミユ(新)ミダレタリミユ。
 
右不v審2前後1。但以v便【便ヲ今使ニ誤ル】故載2於此次1。
 
吉野の幸には、或日は御狩も有りし故に斯くも有るべし。
 
冬十月幸2于難波宮1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、此幸の事見ゆ。
 
(12)928 忍照。難波乃國者。葦垣乃。古郷跡。人皆之。念息而。都禮母爲。【爲ハ無ノ誤】有之間爾。續麻成。長柄之宮爾。眞木柱。太高敷而。食國乎。收【收、元ニ治ニ作ル】賜者。奧鳥。味經乃原爾。物部乃。八十伴雄者。廬爲而。都成有。旅者安禮十方。
おしてる。なにはのくには。あしがきの。ふりぬるさとと。ひとみなの。おもひいこひて。つれもなく。ありしあひだに。うみをなす。ながらのみやに。まきばしら。ふとたかしきて。をすぐにを。をさめたまへば。おきつどり。あぢふのはらに。もののふの。やそとものをは。いほりして。みやこなしたり。たびにはあれども。
 
オシテル、アシガキ、枕詞。オモヒイコヒテは思ひたゆむなり。又息の字は誤ならんか。猶訓み方あらんか、考ふべし。ツレモナク、爲は無の誤なり。卷三、つれもなきさほの山べに泣兒なすしたひきまして云云、由も無きと言ふに同じ。ウミヲナス、枕詞。ナガラノ宮云云、孝コ紀に、難波長柄豐崎に都遷りし給ふと見ゆ。オキツ鳥、枕詞。アヂフノ原、和名抄、東生郡|味原《アヂフ》郷有り。原をフと訓むは茅原《チフ》苧原《ヲフ》の類ひなり。桓武紀、攝津國|鰺生《アヂフ》野と有り。八十伴ノヲハ云云、從駕の官人假廬に居るを言ふ。都ナシタリ云云は、幸に由りて、旅とは言へども都の如しと言ふなり。
 參考 ○古郷跡(考)畧に同じ(古、新)フリニシサトト ○念息而(代、古、新)オモヒヤスミテ(13)(考)略に同じ ○都成有(考、古)ミヤコトナレリ(新)ミヤコヲナセリ。
 
反歌二首
 
929 荒野等丹。里者雖有。大王之。敷座時者。京師跡成宿。
あらのらに。さとはあれども。おほきみの。しきますときは。みやことなりぬ。
 
此里は荒野の中に有りしかどもと言ふなり。
 
930 海末通女。棚無小舟。?出良之。客乃屋取爾。梶音所聞。
あまをとめ。たななしをぶね。こきづらし。たびのやどりに。かぢのときこゆ。
 
棚無小舟、既に出づ。タビノヤドリは官人の假廬を言ふ。
 
車持朝臣千年作歌一首并短歌
 
931 鯨魚取。濱邊乎清三。打靡。生玉藻爾。朝名寸二。千重浪縁。夕菜寸二。五百【五百ヲ今誤リテ百五トセリ】重波因。邊津浪之。益敷布爾。月二異二。日日雖見。今耳二
。秋足目八方。四良名美乃。五十開廻有。住【住ヲ往ニ誤ル】吉能濱。
いさなとり。はまべをきよみ。うちなびき。おふるたまもに。あさなぎに。ちへなみより。ゆふなぎに。いほへなみよる。へつなみの。いやしくしくに。つきにけに。ひびにみるとも。いまのみに。あきたらめやも。しらなみの。いさきめぐれる。すみのえのはま。
 
(14)イサナトリ、枕詞。五百を今百五に作るは誤なり。邊津浪は濱邊の浪なり。益シクシクニは彌重重なり。ケニは既に出づ。雖は欲の誤にて、日日ニミガホシならん。見ルトモとては末へ續かず。イサキメグレルは、卷十四、阿遲かまのかたに左久奈美云云、神代紀、秀起浪穗之上云云。其下に、秀起此云2左岐陀豆?1と有り。(按ずるにこの豆は弖の誤なるべし、サキタテルと有るべきなり)然《さ》れば、イは發語にて、サキメグルとは浪の高く起ち廻るを言へり。住、今本往と有り。元暦本に依りて改む。住吉は古へ住ノエとのみ言へり。日吉、日枝、ともにヒエと訓むが如し。和名抄にスミヨシと有るは、其比より住ヨシとも言ひけん。
 參考 ○五百重波因の下(古、新)オキツナミ、イヤマスマスニの脱とす ○日日雖見(代)ヒビニミルトモ(考)ヒヒニ「欲見」ミテシガ(古)ヒビニミガホシ(新)ヒビニミマホシ ○五十開回有(代)イサキメグレバ(考、新)略に同じ(古)イサキモトヘル。
 
反歌一首
 
932 白浪之。千重來緑流。住吉能。岸乃黄土粉。二寶比天由香名。
しらなみの。ちへにきよする。すみのえの。きしのはにふに。にほひてゆかな。
 
卷一、草枕|旅行者《タビユクキミ》としらませば岸のはにふににほはさましを、と言ふ同じ。此卷末にも同じ事あり。ユカナはユカムなり。粉は音を借りてフニの言に用ふ。
 
(15)山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
933 天地之。遠我如。日月之。長我如。臨照。難波乃宮爾。和期大王。國所知良之。御食都國。日之御調等。淡路乃。野島之海子乃。海底。奧津伊久利二。鰒珠。左盤爾潜出。船並而。仕奉之。貴見禮者。
あめつちの。とほきがごとく。ひつきの。ながきがごとく。おしてる。なにはのみやに。わごおほきみ。くにしらすらし。みけつくに。ひのみつきと。あはぢの。ぬじまのあまの。わたのそこ。おきついくりに。あはびだま。さはにかづきで。ふねなめて。つかへまつるが。たふときみれば。
 
國シラスラシにて句なり。さて貴キミレバと言ふより返して見べし。ミケツ國は御食《ミケ》の物奉る國を言ふ。日ノミツキは日次の貢なり。ワタノ底、枕詞。イクリは海底の石なり。アハビダマは則ち鰒の貝を言ふ。サハは多くなり。タフトキはメデタキ意なり。海人までが斯く勞を厭はで仕へ奉るを見れば、天地と共に久しく御食國しろしめすと言ふなり。
 參考 ○日月之(考)ツキヒノ(古、新)略に同じ ○日之御調等(古、新)ヒビノミツキト ○仕奉之(代)ツカヘマツルモ(考、新)ツカヘマツラシ(古)ツカヘマツルカ ○貴見禮者(代、古、新)タフトシミレバ(考)タフトムミレバ。
 
反歌一首
 
(16)934 朝名寸二。梶音所聞。三食津國。野島乃海子乃。船二四有良信。
あさなぎに。かぢのときこゆ。みけつくに。ぬじまのあまの。ふねにしあるらし。
 參考 ○梶音所聞(代)カヂオトキコユ(古、新)略に同じ。
 
三年丙寅秋九月十五日幸2於幡磨印南野1時笠朝臣金村作歌一首并短歌
 
續紀に、此月此幸有り。 〔參考 ○幡磨(古)幡ヲ一本に據り播トス〕
 
935 名寸隅乃。船瀬從所見。淡路島。松帆乃浦爾。朝名藝爾。玉藻苅管。暮菜寸二。藻鹽燒乍。海未通女。有跡者雖聞。見爾將去。餘四能無者。丈夫之。情者梨荷。手弱女乃。念多和美手。徘徊。吾者衣戀流。船梶雄名三。
なきずみの。ふなせゆみゆる。あはぢしま。まつほのうらに。あさなぎに。たまもかりつつ。ゆふなぎに。もしほやきつつ。あまをとめ。ありとはきけど。みにゆかむ。よしのなければ。ますらをの。こころはなしに。たわやめの。おもひたわみて。たもとほり。われはぞこふる。ふねかぢをなみ。
 
ナキズミ、船瀬、播磨なるべし。手わやめの如くと言ふを略けり。オモヒタワミテはシナヘウラブレと言ふにひとし。從駕にて播磨に在りて、淡路の海人等が業を見る由の無きを歎きて、實に舟無きには有らねど、舟梶無くして得行きがたき由にかこちて詠めり。
 
反歌二首
 
(17)936 玉藻苅。海未通女等。見爾將去。船梶毛欲得。浪高友。
たまもかる。あまをとめども。みにゆかむ。ふねかぢもがも。なみたかくとも。
 
 參考 ○海未通女等(考)アマヲトメラヲ(古、新)略に同じ。
 
937 往回。雖見將飽八。名寸隅乃。船瀬之濱爾。四寸流思良名美。
ゆきめぐり。みともあかめや。なきずみの。ふなせのはまに。しきるしらなみ。
 
卷十七、をみなべし咲きたる野へを由伎米具利と詠めり。ミトモは見ルトモなり。シキルは重る意。
 參考 ○往回(考、古)ユキカヘリ(新)略に同じ。
 
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
右に同じ幸の時なり。
 
938 八隅知之。吾大王乃。神隨。高所知流。稻見野能。大海乃原笶。荒妙。藤井乃浦爾。鮪釣等。海人船散動。鹽燒等。人曾左波爾有。浦乎吉美。宇倍毛釣者爲。濱乎吉美。諾毛鹽燒。蟻往來。御覽母知師。清白濱。
やすみしし)わがおほきみの。かむながら。たかしらしぬる。いなみぬの。おほうみのはらの。あらたへの。ふぢゐのうらに。しびつると。あまぶねさわぎ。しほやくと。ひとぞさはなる。うらをよみ。うべもつりはす。はまをよみ。うべもしほやく。ありがよひ。みますもしるし。きよきしらはま。
 
(18)イナミ野、既に出づ。アラタヘノ、枕詞。藤井ノ浦、和名抄、播磨明石郡葛江(布知衣)卷三、あらたへの藤江の浦にすずきつると詠めり。ここも井は江の誤なるべし。和名抄、鮪(之比)と見ゆ。有リガヨヒ見マスモシルシとは、さきさきよりも幸し給ひて、見ますもうべなる事と言ふ意なり。白濱は白マナゴなど言ふにひとしくて和名に有らず。
 參考 ○大海乃原笶(新)オホミノハラノ ○藤井乃浦爾(考、古、新)フチ「江」エノウラニ ○海人船散動(考、古)略に同じ(新)アマフネミダレ ○御覽母知師(代)「御覽」オホミ(考)略に同じ(古、新)メサクモシルシ ○清白濱(新)キヨミシラハマともよむべし。
 
反歌三首
 
939 奧浪。邊波安美。射去爲登。藤江乃浦爾。船曾動流。
おきつなみ。へなみしづけみ。いざりすと。ふぢえのうらに。ふねぞざわげる。
 參考 ○船曾動流(考、古)略に同じ(新)フネゾトヨメル。
 
940 不欲見野乃。淺茅押靡。左宿夜之。気長在者。家之小篠生。
いなみぬの。あさぢおしなべ。さぬるよの。けながくしあれば。いへししぬばゆ。
 
オシナベはオシナビケなり。サヌルのサは發語。シヌバユはシノバルに同じく、慕はるるなり。
 參考 ○氣長在者(古)略に同じ(新)ケナガクアレバ。
 
941 明方。潮干乃道乎。從明日者。下咲異六。家近附者。
あかしがた。しほひのみちを。あすよりは。したゑましけむ。いへちかづけば。
 
歸路におもむきて、心の内によろこばしくて、打笑まるるを言へり。
 參考 ○下咲異六(代、古)略に同じ(新)シタヱミ「往」ユカム。
 
過2辛荷嶋1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
和名抄、播磨餝磨郡辛室(加良牟呂)といふ有り。此あたりにや。仙覺か抄播磨風土記を引きて、韓荷島韓之破船所v漂之物就2此島1。故云2韓荷島1と有り。
 
942 味澤相。妹目不數見而。敷【敷ヲ今數ニ誤ル】細乃。枕毛不卷。櫻皮纏。作流舟二。眞梶貫。吾榜來者。淡路乃。野島毛過。伊奈美嬬。辛荷乃島之。島際從。吾宅乎見者。青山乃。曾許十方不見。白雲毛。千重成來沼。許伎多武流。浦乃盡。往隱。島乃埼埼。隈【隈ヲ隅ニ誤ル】毛不置。憶曾吾來。客乃気長彌。
あぢさはふ。いもがめしばみずて。しきたへの。まくらもまかず。かにはまき。つくれるふねに。まかぢぬき。わがこぎくれば。あはぢの。ぬじまもすぎ。いなみづま。からにのしまの。しまのまゆ。わぎへをみれば。あをやまの。そこともみえず。しらくもも。ちへになりきぬ。こぎたむる。うらのことごと。ゆきかくる。しまのさきざき。くまもおかず。おもひぞわがくる。たびのけながみ。
 
(20)味サハフ、枕詞。妹ガメシバミズテは、シバシバ見ズシテなり。按ずるに敷の字は衍文か。イモガメミズテと有るかた調べ善し。亦宣長は不雛見而にて、カレテと訓まんと言へり。シキタヘ、枕詞。敷を今數に誤る。例に據りて改めつ。カニバマキは、今舟の舳を蕨繩して卷く如く櫻の皮もて卷きたるならん。イナミヅマは既に出づ。青山ノソコトモミエズは、淡路島を西へ過ぐれば、古郷の山も見えぬを言ふ。コギタムルは漕ぎ廻る意。浦ノコトゴトは、卷二、敷ませる國のことごとと言ふ如く、コトゴトクなり。ユキ隱ルは、吾が舟の島に漕ぎ隱るるを言ふ。隈、今本隅と有り。元暦本に依りて改む。ケナガミは日久シクシテなり。
 參考 ○妹目不數見而(考)妹目不見而《イモガメミズテ》(古、新)イモガメカレテ ○野島毛過(考)スギヌ(古、新)略に同じ ○伊奈美嬬(新)此の下に二句脱歟 ○白雲毛(新) シラ「浪」ナミモ
 
反歌三首
 
943 玉藻苅。辛荷乃島爾。島回爲流。水烏二四毛有哉。家不念有六。
たまもかる。からにのしまに。あさりする。うにしもあれや。いへもはざらむ。
 
鵜ニシモアレヤはアレカシと願ふなり。心無き鳥ならば家を思ふまじきにとなり。
 參考 ○島回爲流(古、新)シマミスル。
 
944 島隱。吾?來者。乏毳。倭邊上。眞熊野之船。
(21)しまがくり。わがこぎくれば。ともしかも。やまとへのぼる。まくまぬのふね。
 
都戀しき時なれば、やまとの方へ行く舟の羨しきなり。乏をうらやましき事に詠めるは、卷一、朝もよし木人乏しもと言へる歌に既に言へり。
 參考 ○眞熊野之船(代)ミクマ野ノ舟(考)ミクマノノフネ(古、新)略に同じ。
 
945 風吹者。浪可將立跡。伺候爾。都太乃細江爾。浦隱往。【往ハ居ノ誤】
かぜふけは。なみかたたむと。さもらふに。つたのほそえに。うらがくれをり。
 
サモラフは浪を恐れ窺ふ意なり。長歌にも往き隱る島のさきざきと詠めるをもて、ここの浦隱るさま知らる。元暦本、往を居に作るに據るべし。都多細江、播磨か。
 參考 ○伺候爾(代)略に同じ(考)サモロフニ(古、新)サモラヒニ。
 
過2敏馬浦1時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
 
946 御食向。淡路乃島二。直向。三犬女乃浦能。奧部庭。深海松採。浦回庭。名告藻苅。深見流乃。見卷欲跡。莫告藻之。己名惜三。間使裳。不遣而吾者。生友奈重二。
みけむかふ。あはぢのしまに。ただむかふ。みぬめのうらの。おきべには。ふかみるとり。うらまには。なのりそかる、ふかみるの。みまくほしけど。なのりその。おのがなをしみ。まづかひも。やらずてわれ(22)は。いけりともなし。
 
ミケムカフ、枕詞。ミヌメは攝津。深ミルは見マクと言はん料。名ノリソはおのが名と言はん料のみ。ホシケドはホシケレドの略。間使は字の如く折折消息するを言ふべし。重二は四の假字なり。
 參考 ○深海松採(考)略に同じ(古、新)フカミルツミ ○生友奈重二(代、古)イケルトモナシ(考、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
947 爲間乃海人之。鹽燒衣乃。奈禮名者香。一日母君乎。忘而將念。
すまのあまの。しほやきぎねの。なれなばか。ひとひもきみを。わすれておもはむ。
 
鹽ヤキ衣はなるると言はん序なり。近く居て馴れたらば、思ひ忘れん日も有らんかと言ふなり。思ハムは添ひたる詞の例なり。
 
右作歌年月未v詳也。但以v類故載2於此次1。
 
四年丁卯春正月勅2諸王諸臣子等1散2禁於授刀寮1時作歌一首并短歌
 
續紀。廢帝天平寶字三年十二月。置2授刀衛1云云。同紀。高野天皇天平神護元年二月。改2授刀衛1爲2近衛府1云云。獄令義解云。凡禁囚死罪枷※[木+(刃/一)]。婦女及流罪以下去v※[木+(刃/一)]。其罪散禁云云。散禁は今禁足と言ふなるべし。
 
(23)948 眞葛延。春日之山者。打靡。春去往【往ヲ住ニ誤ル】跡。山上丹。霞田名引。高圓爾。?鳴沼。物部乃。八十友能壯者。折木四哭之。來繼皆石此續。常丹有脊者。友名目而。遊物尾。馬名目而。往益里乎。待難丹。吾爲春乎。決卷毛。綾爾恐。言卷毛。湯湯敷有跡。豫。兼而知者。千鳥鳴。其佐保川丹。石二生。菅根取而。之努布草。解除而益乎。往水丹。潔而益乎。天皇之。御命恐。百礒城之。大宮【宮ヲ官ニ誤ル】人之。玉桙之。道毛不出。戀比日。
まくずはふ。かすがのやまは。うちなびく。はるさりゆくと。やまのへに。かすみたなびき。たかまとに。うぐひすなきぬ。もののふの。やそとものをは。かりがねの。  かくつぎて。つねにありせば。ともなめて。あそばむものを。うまなめて。ゆかましさとを。まちがてに。わがせしはるを。かけまくも。あやにかしこし。いはまくも。ゆゆしからむと。あらかじめ。かねてしりせば。ちどりなく。そのさほがはに。いそにおふる。すがのねとりて。しぬぶぐさ。はらへてましを。ゆくみづに。みそぎてましを。すめろぎ《おほきみ》の。みことかしこみ。ももしきの。おほみやびとの。たまぼこの。みちにもいでず。こふるこのごろ。
 
マクズハフは、葛は山に這ふ物ゆゑに言へるのみ。打ナビク、枕詞。往、今住に作るは誤なり。此末に春去行カバと有りて、春に成り行くを言ふ。折木四哭之は、卷十、さをしかのつまとふ時に月をよみ切木四之泣きこゆいましくらしも。此の切木四之泣五字カリガネと訓めるをもて、ここもカリガネノと訓む。(24)此書きざまに付きて、くさぐさの説あれど、是れと定め難く、來繼皆石の字も訓み難ければ、諸人の説をことごとく擧げて言はん。或人云、折は斷の誤なり。孟莊子造v鋸截2斷木1器と有り。四は器の誤なるべし。鋸の音かりかりと聞ゆれば、カリの假字に用ひたるならんと言へり。來繼皆石、翁は皆は春の誤にて、之來繼春石五字を、シキツギハルシと訓むべし。さらば雁ガネはシキツギと言はん枕詞とせん。意は春の及次つつ在る物ならばと言ふならんと言はれき。契沖はカリガネノシキツギミナシと訓みて、四の字心得がたけれと、折木切木は同じく苅と言ふ意に、鴈に用ひたるべし。さて鴈は友をしたしみ戀ふるものなれば、其如く思ふどち皆來りつぎて、絶えず常に有りせばと續けたり。ミナシのシは助辭なり。正月の歌なれば、鴈の歸る頃なるに、渡り來る時の心はかなはずやと難ずる人有らん。是は只友だちの思ひあへるを鴈に寄せて言ふなり。時に拘るべからずと言へり。今按ずるに、古への歌は、鴈の秋來て春歸る物ときはめて詠めりとは見えず。卷十、秋の鴈を詠める歌多き中に、秋風に山とへ越ゆる鴈がねは彌遠ざかる雲隱りつつ、吾宿に鳴きし鴈がね雲の上に今夜鳴なり國へかも行など詠めるが中に、鴈がねきこゆ今し來らしもなども詠めるを見れば、古へ人は春秋を言はず、聲をしも聞けば、行くさまにも來るさまにも廣く詠めりしなり。さればここは、皆は比日二字を一字に誤り、石は如の誤にて、來繼比日はキツギコノゴロと訓む。如比續はカクツギテと訓むべし。宣長考も符合せり。さて意は宣長の言へる如く、鴈ガネノは、來ツギと言はん序にて、キツギは、春の來つぎて、此比の如く斯く續きて常(25)に春なりせばと言ふなり。さて八十トモノヲハと云ふは、友ナメテへ懸かれり。決は缺の字と通じ書けるなるべし。ユユシカラムトアラカジメ云云は、斯く忌忌しからんと豫て知りて有らばなり。菅ノ根トリテ云云は、祓は菅もて掃き清むればなり。ミソギは水もて身をそそぐなり。シヌブ草は、ここは草に有らず、種なり。春日野の春の遊びの忍び難くて出でたるを、斯く散禁に逢はんと豫て知りせば、祓身そぎしても然《さ》る罪に逢はざらん物をとなり。
 參考 ○來繼皆(代)キツキテミナシ(考)キツギ「比日之」ナラビシ(古)キツギ「比日」コノゴロ(新)キツグ「比日」コノゴロ ○此續(考)ココニツギ(古)「如此續」カクツギテ(新)「如此讀」コノゴロヲ ○綾爾恐(考、新)アヤニカシコク(古)略に同じ ○湯湯敷有跡(代)ユユシクアラムト(考)ユユシクアラバト(古、新)略に同じ ○解除(古、新)ハラヒテマシヲ ○天皇之(古)「天」オホキミノ(新)スメロギノ。
 
反敬一首
 
949 梅柳。過良久惜。佐保乃内爾。遊事乎。宮動動爾。
うめやなぎ。すぐらくをしみ。さほのうちに。あそびしことを。みやもとどろに。
 
佐保ノウチは大和の佐保の地の内と言ふなり。春の時過ぎんを惜みて出で遊びしを、宮中に言ひ騷がるる由なり。元暦本、動の下重點無きを善しとす。
 
(26)右神龜四年正月。數王子及諸日子等。集2於春日野1而作2打毬之樂1。其日忽天陰雨雷電。此時宮中無2侍【侍ヲ待ニ誤ル】從及侍衛1。勅行2刑罰1。皆散2禁於授刀【刀ヲ力ニ誤ル】寮1。而妄不v得v出2道路1。于時悒憤即作2斯歌1。 作者未詳。
 
和名抄、打毬(萬利宇知)と見ゆ。
 
五年戊辰幸2于難波宮1時作歌四首
 
神龜五年行幸紀に見えず。歌意は相聞なり。此端詞誤れるか。目録に宮の下、時の字有り。 
950 大王之。界賜跡。山守居。守云山爾。不入者不止。
おほきみの。さかひたまふと。やまもりす|ゑ《ゐ》。もるとふやまに。いらずはやまじ。
 
サカヒ給フトは、限りて界を立つを言ふ。是れは親の守る女などを戀ふる譬喩歌なり。
 參考 ○山守居(古、新)ヤマモリスヱ ○守云(古)モルチフ(新)チフ、トフ兩訓。
951 見渡者。近物可良。石隱。加我欲布珠乎。不取不已。
みわたせば。ちかきものから。いそがくり。かがよふたまを。とらずはやまじ。
 
カガヨフはカガヤクなり。あはびの石に隱れて、見えぬ如くして、其光は目に近く輝けば、近くて逢ひ難き妹に譬へたり。
 
952 韓衣。服楢乃里之。島待爾。玉乎師付牟。好人欲得。
(27)からころも。きならのさとの。しままつに。たまをしつけむ。よきひともがも。
 
卷十二、舊《今戀》衣著楢の山と詠めり。ただ奈良ノ里なるを、衣キナラシと言ひ懸けたり。島は卷五、君がゆきけ長くなりぬ奈良路なる島のこだちもかむさびにけりと詠める所なるべし。待は松なり。玉ヲシのシは助辭。奈良の里に住まへる女のうるはしきを見て、うま人にめでさせまほしく思ふ意にや。宣長云、此卷の下、吾やどの君松の樹にと詠めれば、ここも島は君の誤にて、好は取の字の誤ならん。キナラノサトノキミマツニ云云、結句トラムヒトモガと訓むべしと言へり。
 參考 ○島待爾(考)略に同じ(古、新)「君」キミマツニ ○好人欲得(考、古)略に同じ(新)ヨキ「玉」タマモガモ。
 
953 竿壯鹿之。鳴奈流山乎。越將去。日谷八君。當不相將有。
さをしかの。なくなるやまを。こえゆかむ。ひだにやきみに。はたあはざらむ。
 
秋旅行く事有るころ女を戀ふるなるべし。ハタは既に出づ。元暦本、當の字無くて、アハズシテアラムと訓めり。
 參考 ○日谷八君(代、考、古)略に同じ(新)ヒダニヤキミハ。
 
右笠朝臣金村之歌中出也。或云。車持朝臣千年作之也。
 
歌の下、集の字脱ちたり。
 
(28)膳王歌一首
 
954 朝波。海邊爾安左里爲。暮去者。倭部越。雁四乏母。
あしたには。うなびにあさりし。ゆふされば。やまとへこゆる。かりしともしも。
 
ウナビは海べなり。アサリ、集中求食と書けり。旅の歌なるべし。部はエの如く唱ふべし。トモシはウラヤマシなり。集中例有り。
 參考 ○海邊(考)略に同じ(古、新)ウミベ。
 
右作歌之年不v審也。但以2歌類1便載2此次1。
 
太宰少貳石川朝臣足人歌一首
 
955 刺竹之。宮人乃。跡住。佐保能山乎者。思哉毛君。
さすたけの。おほみやびとの。いへとすむ。さほのやまをば。おもふやもきみ。
 
サスタケノ、枕詞。大伴卿の家佐保に在ればかく詠めり。君とは旅人卿を指す。卷三に、防人司佑四繩が旅人卿へ、ならの京をおもほすや君と詠みて贈れるに似たり。
 
帥大伴卿和(ル)歌一首
 
956 八隅知之。吾大王乃。御食國者。日本毛此間毛。同登曾念。
やすみしし。わがおほきみの。みけつくには。やまともここも。おなじとぞおもふ。
 
(29)日本と書きしかども大和國なり。ココとは太宰を言ふ。卷十八、月見れば於奈自くになりとも詠めり。
 參考 ○御食國(古、新)ヲスクニハ ○同登曾念(古)オヤジトゾモフ。
 
冬十一月太宰官人等奉v拜2香椎《カシヒノ》廟1訖退歸之時(ハ)馬駐2于香椎【椎ヲ推ニ誤ル】浦1各述v懷作歌
 
神功紀、皇后熊鷲を撃ち給ひて、橿日《カシヒノ》宮より松峽《マツヲノ》宮に還り給ふよし有りて、又皇后橿日浦に還り給ふ事有り。香椎廟は皇后を齋ひ奉るなるべし。和名抄、筑前糟屋郡香椎(加須比)と有り。筑前國風土記云。到2筑紫1例先參2謁于拍P宮1。拍P可紫比也と有り。
 
帥大伴卿歌一首
 
957 去來兒等。香椎乃滷爾。白妙之。袖左倍所沾而。朝菜採手六。
いざこども。かしひのかたに。しろたへの。そでさへぬれて。あさなつみてむ。
 
子ドモは從者を指す。カタは干潟なり。朝菜は朝食の料に礒菜摘むなり。干潟にて、裾濡るるを本として袖サヘとは言へり。
 
大貳小野|老《オユ》朝臣歌一首
 
續紀。天平九年六月甲寅。太宰大貳從四位下小野朝臣老卒と見ゆ。
 
958 時風。應吹成奴。香椎滷。潮干?爾。玉藻苅而名。
ときつかぜ。ふくべくなりぬ。かしひがた。しほひのうらに。たまもかりてな。
 
(30)時ツ風は汐のさし來る時の風を言ふ。?は水の曲《クマ》を言ふ。刈テナは刈テムなり。
 參考 ○潮干?爾(考)シホヒノクマニ(古、新)略に同じ。
 
豐前守|宇努首男人《ウヌノオフトヲヒト》歌一首
 
959 往還。常爾我見之。香椎滷。從明日後爾波。見縁母奈思。
ゆきかへり。つねにわがみし。かしひがた。あすゆのちには。みむよしもなし。
 
帥大伴卿遙思2芳野離宮1作歌一首
 
960 隼人乃。湍門乃磐【磐ヲ盤ニ誤ル】母。年魚走。芳野之瀧爾。尚不及家里。
はやびとの。せとのいはほも。あゆはしる。よしぬのたぎに。なほしかずけり。
 
ハヤビトノ、枕詞をやがて薩摩として詠めり。和名抄、薩摩出水郡勢度有り、是か。薩摩は太宰の所部の國なれば行きて見られしなり。シカズケリはシカザリケリなり。
 
帥大伴卿宿2次田《スイダノ》温泉1聞2鶴喧1作歌一首
 
和名抄。筑前御笠郡次田。
 
961 湯原爾。鳴蘆多頭者。如吾。妹爾戀哉。時不定鳴。
ゆのはらに。なくあしたづは。わがごとく。いもにこふれや。ときわかずなく。
 
湯原も御笠郡なり。コフレバヤのバを略けり。
 
(31)天平二年庚午勅遣2擢駿馬使大伴道足宿禰1時歌一首
 
今本、勅の字より別に上げて書けるを、元暦本は引き續けて書けり。下皆同じ。もとはすべて書き續けて有りけん。續紀。和銅元年三月。從五位下大伴宿禰道足爲2讃岐守1と有り。其外にも見ゆ。
 
962 奧山之。磐【磐ヲ盤ニ誤ル】爾蘿生。恐毛。問賜鴨。念不堪國。
おくやまの。いはにこけむし。かしこくも。とひたまふかも。おもひあへなくに。
 
山深き岩ほの苔むせるは、物凄く恐ろしげに見ゆるを序として、歌詠めと有るをかしこめるなり。卷七に、奧山の岩に苔むしかしこしとおもふ心をいかにかもせむ。是れは譬喩歌なるを、今は宴に思ひ出でて、少し引き直して吟ぜしなるべし。
 
右勅使大伴道足宿禰饗2于帥家1。此日會2集衆諸1、相2誘驛使葛井連廣成1、言v須v作2歌詞1。登時廣成應v聲即吟2此歌1。
 
續紀天平三年正月。授2葛井連廣成外從五位下1と見ゆ。
 
冬十一月大伴坂上郎女發2帥家1上道、超2筑前國宗形郡【郡ヲ部ニ誤ル】名兒山1之時作歌一首
 
郎女は上に言へる如く、佐保大納言安麻呂卿の女にて、旅人卿の妹なり。かれ太宰へ下りて、今旅人卿の京へ上る時共に上るなり。
 
963 大汝。小彦名能。神社者。名著始?目。名耳乎。名兒山跡負而。吾戀之。(32)干重之一重裳。奈具佐末七【七ハ亡ノ誤】國。
おほなもち。すくなひこなの。かみこそは。なづけそめけめ。なのみを。なごやまとおひて。わがこひの。ちへのひとへも。なぐさまなくに。
 
神代紀、大己貴命少彦名命とみ心を一つにして、天の下を經營し給ふ由あれば斯く言へり、ナグサムの言のもとは和《ナゴ》なれば、名兒山に懸けて詠めり。卷七、名草山ことにし有けり吾が戀の千重の一重も名草目名國。按ずるに舊訓ナグサメナクニと有るからは、ここも末は米の誤なるべし。此歌大汝の句の上に、猶句の有りしが落ちしにや。又反歌も有りしが、傳はらぬなるべし。
 參考 ○奈具作末七國(古、新)ナゲサ「米」メナクニ。
 
同坂上郎女海路見2濱貝1【貝ヲ具ニ誤ル】作歌一首 元暦本郎女の下、向京二字有り。
 
964 吾背子爾。戀者苦。暇有者。拾【拾ヲ捨ニ誤ル】而將去。戀忘貝。
わがせこに。こふればくるし。いとまあらば。ひろひてゆかむ。こひわすれがひ。
 
冬十二月太宰帥大伴卿上v京時娘子作歌一首 目録によるに、時の上之の字有るべし。
 
965 凡有者。左毛右毛將爲乎。恐跡。振痛袖乎。忍而有香聞。
おほならば。かもかもせむを。かしこみと。ふりたきそでを。しぬびたるかも。
 
おほよその人ならば袖を振らんを、貴人なれば畏みて、袖振らず有りとなり。カモカモはカモカクモな(33)り。
 參考 ○左毛右毛(代)カモカクモ又はカモカモ(古、新)略に同じ ○恐跡(考)カシコシト(古、新)略に同じ
 
966 倭道者。雲隱有。雖然。余振袖乎。無禮登母布奈。
やまとぢは。くもがくれたり。しかれども。わがふるそでを。なめしともふな。
 
本は先づ歸路の遠き事を言ひて、然れども見えず成るまでも、袖を振らんを、なめげなりとな思ひ給ひそと言ふなり。
 參考 ○雲隱有(考)略に同じ(古、新)クモガクリタリ ○無禮(代、古、新)略に同じ(考)ナカレ。
 
右大宰帥大伴卿兼2任大納言1向v京上道。此日馬(ヲ)駐2水城1。顧2望府家1、于時送v卿府吏之中有2遊行女婦1。其字曰2【曰ヲ日ニ誤ル】兒島1也。於是娘子傷2此易1v別。嘆2彼難1v會。拭v涕自吟振v袖之歌。
 
大納言大伴卿和(ル)歌二首
 
967 日本道乃。吉備乃兒島乎。過而行者。筑紫乃子島。所念香聞。
やまとぢの。きびのこじまを。すぎてゆかば。つくしのこじま。おもほえむかも。
 
神代紀、吉備(ノ)子洲を生むと有り。コジマは備前なれども、都へ上る道なれば、ヤマト路と言へり。娘子が名兒島なれば、吉備子島を過ぐる時思ひ出でんとなり。
 
(34)968 大夫跡。念在吾哉。水莖之。水城之上爾。泣將拭。
ますらをと。おもへるわれや。みづぐきの。みづきのうへに。なみだのごはむ。
 
天智紀三年十二月云云。是歳對馬島壹岐島筑紫國等に防と烽を置く。又筑紫に大堤を築きて水を貯ふ。名づけて水城と言ふよし有り。水城の上と言ひてほとりと言ふが如し。ミヅグキは、宣長云、ミヅミヅシキ莖と言へる枕詞にて、ミヅキと重ねたるなりと言へり。猶卷七、みづぐきのをかのみなとの歌に言ふべし。卷四、丈夫とおもへる我をかく斗《バカリ》みつれにみつれ片もひをせむ。
 
三年辛未大納言大伴卿在2寧樂家1思2故郷1歌二首
 
969 須臾。去而見牡鹿。神名火乃。淵者淺而。瀬二香成良武。
しまらくも。ゆきてみてしが。かみなびの。ふちはあさびて。せにかなるらむ。
 
故郷は神南備里なり。暫の間も打きて見なんと願ふなり。物の變るをアセと言ふもアサビの語より出でたり。
 參考 ○須臾(代)シバラクモ(古)シマシクモ(新)兩訓 ○見牡鹿(古、新)ミシカ ○淵者淺而(考)アサビテ(古、新)フチハアセニテ。
 
970 指進乃。栗栖乃小野之。芽【芽ヲ?ニ誤ル】花。將落時爾之。行而手向六。
さしずみの。くるすのをぬの。はぎがはな。ちらむときにし。ゆきてたむけむ。
 
サシズミノ、枕詞。和名抄、大和忍海郡栗栖。今萩の盛りにはとても行く事能はざれば、行きて手向けむ頃は早や散りぬべしと言ふなり。故郷の神か、又は先祖の墓などへ手向けせんとなるべし。
 參考 ○指進乃(代)サシススノ(考)略に同じ(古)「村王」ムラタマノ(新)フルサトノ歟。
 
四年壬申藤原宇合卿遣2西海道節度使1之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌
 
續紀。天平四年八月丁亥。從三位藤原朝臣宇合爲2西海道節度使1。同紀。天平九年八月丙午。參議式部卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨。贈太政大臣不比等之第三子也とあり。
 
971 白雲乃。龍田山乃。露霜爾。色附時丹。打超而。客行公者。五百隔山。伊去割見。賊守。筑紫爾至。山乃曾伎。野之衣寸見世常。伴部乎。班遣之。山彦乃。將應極。谷潜乃。狹渡極。國方乎。見之賜而。冬木成。【成ハ盛ノ誤】春去行者。飛鳥乃。早御來。龍田道之。岳邊乃路爾。丹管土乃。將薫時能。櫻花。將開時爾。山多頭能。迎參出六。公之來益者。
しらくもの。たつたのやまの。つゆじもに。いろづくときに。うちこえて。たびゆくきみは。いほへやま。いゆきさくみ。あたまもる。つくしにいたり。やまのそき。ぬのそきみよと。とものべを。わかちつかはし。やまびこの。こたへむきはみ。たにぐくの。さわたるきはみ。くにがたを。みしたまひて。ふゆごもり。はるさりゆかば。とぶとりの。はやくきまさね。たつたぢの。をかべのみちに。につつじの。にほはむときの。さくらばな。さきなむときに。やまたづの。むかへまゐでむ。きみがきまさば。
 
シラ雲ノは立つと言はん爲の枕詞、露霜は露と霜とを言ふに有らず、早霜を言ふ。シは濁るべし。イユキサクミは、卷二、石根左久見てなづみこしと有り。イは發語なり。アタマモルは、西蕃の賊を守る爲に、筑紫のさきざきに防人を遣し置かるる故に言へり。山ノソキ野ノソキは、上にも言へる如く、遠く放るるを言ふ。古事記歌に曾岐袁理登母和禮和須禮米夜《ソキヲリトモワレワスレメヤ》と有るも此ソキなり。谷グク、既に出づ。國ガタは國の形にて、其所の有さまと言ふが如し。冬木成の成は盛の誤なる事上に言へり。飛鳥の如く早く歸り來ませとなり。ニツツジは紅躑躅なり。山タヅは既に出づ。迎へんと言はん爲なり。マヰデムは字の如くマヰリイデムなり。
 參考 ○野之衣寸見世常(古)ヌノソキメセト(新)略に同じ ○班遣之(古、新)アカチツカハシ ○見之賜而(考)ミシタマハシテ(古、新)メシタマヒテ ○早御來(代)ハヤクミキタリ(考)ハヤキマシナム(古)ハヤ「却」カヘリコネ(新)略に同じ。
 
反歌一首
 
972 千【千ヲ干ニ誤ル】萬乃。軍奈利友。言擧不爲。取而可來。男常曾念。
ちよろづの。いくさなりとも。ことあげせず。とりてきぬべき。をのことぞおもふ。
 
干、元暦本に千と有るに據れり。コトアゲは神代紀、興言又は高言とも書けり。ここは常の詞に、モノ(37)イハズニと言ふ意なり。
 參考 ○男常曾念(代)マスラ又はヲノコトゾ思フ(考、古、新)ヲトコトゾモフ。
 
右?2補任文1。八月十七日任2東山山陰西海節度使1。  是は後人の註なり。
 
天皇賜2酒(ヲ)節度使卿等1御歌一首并短歌
 
天皇は聖武天皇なり。續紀、天平四年正三位藤原朝臣房前爲2東海東山二道節度使1。從三位多治比眞人縣守爲2山陰道節度使1。從三位藤原朝臣宇含爲2西海道節度使1。よし見ゆ。例に依るに御の下、製の字有るべし。
 
973 食國。遠乃御朝庭爾。汝等之。如是退去者。平久。吾者將遊。手抱而。我者將御在。天皇朕。宇頭乃御手以。掻撫曾。禰宜賜。打撫曾。禰宜賜。將還來日。相飲酒曾。此豐御酒者。
をすぐにの。とほのみかどに。なむぢらが。かくまかり|なば《ゆけば》。たひらけく。われはあそばむ。たむだきて。われはいまさむ。すめらわが。うづのみてもて。かきなでぞ。ねぎたまふ。うちなでぞ。ねぎたまふ。かへらむひ。あひのまむきぞ。このとよみきは。
 
タムダク、紀に拱をムダクと訓む。タは手、ムダクは身抱クにて、こまぬくを言ふ。書武成に、垂拱而天下治と言へる註に、垂v衣拱v手而天下自治と有り。ウヅノミテモテ、宇頭は祈年祭祝詞に、皇御孫命能(38)宇豆能幣帛と言ふに同じく、俗にウヅ高キと言ふ語なり。ここは大御手と言ふに等し。カキナデゾ云云は、カキは詞にて、撫愛給ふなり。ネギはネギラフにて、勞はる意なり。打撫でもかき撫でに同じ。豐御酒は大御酒なり。此時酒を賜に、事終へて、又眞幸くて還り來ん時、此大御酒をきこしめし、賜りもせんと宣ふなり。
 參考 ○汝等之(考)略に同じ(古)イマシラシ(新)イマシラガ又はナムヂラガ ○如惟退去者(代)如是は前の句に付けてマカリシユケバ(考、古、新)カクマカリナバ ○手抱而(代、考)略に同じ(古)テウダキテ(新)タウダキテ ○宇頭乃御手以(考)略に同じ(古、新)ウヅノミテモチ ○禰宜腸(代、古、新)兩所とも略に同じ(考)ネギタマヒ但し考は次のには訓無し ○將還來日(代、古、新)カヘリコムヒ(考)カヘリコムヒニ ○相飲酒曾(考)アヒノマムサケゾ(古、新)略に同じ。
 
反歌一首
 
974 丈夫之。去跡云道曾。凡可爾。念而行勿。丈夫之伴。
ますらをの。ゆくとふみちぞ。おほろかに。おもひてゆくな。ますらをのとも。
 
オホロカはオホヨソなり、ますらをの行く旅ぞと人も言ふ道なるぞ。おほよそ心にて、な行きそと教へさせ給ふなり。
(39) 參考 ○去跡云道曾(考、新)略に同じ(古)ユクチフミチゾ。
 
右御歌者。或云太上天皇御製也。  元正天皇なり。元暦本、小字に書入れあれば元、無かりしなるべし。
 
中納言|安倍廣庭《アベノヒロニハ》卿歌一首
 
續紀、天平四年二月。中納言從三位兼催造長官知河内和泉等國事阿倍朝臣廣庭薨と見ゆ。
975 如是爲管【管ヲ菅ニ誤ル】。在久乎好叙。靈剋。短命乎。長欲爲流。
かくしつつ。あらくをよみぞ。たまきはる。みじかきいのちを。ながくほりする。
 
アラクヲヨミゾは、アルヲヨクシテゾと言ふなり。何事か歡び有る時詠めるならん。
 參考 ○在久乎好叙(代、古、新)略に同じ(考)アラクヲヨシゾ。
 
五年癸酉超2草香山1時|神社忌寸老《カミコソノイミキオユ》麻呂作歌二首
 
草香は河内國河内郡。
 
976 難波方。干乃奈凝。委曲見。在家妹之。待將問多米。
なにはがた。しほひのなごり。よくみてな。いへなるいもが。まちとはむため。
 
シホヒノナゴリは既に出づ。一本、見の下、君の字有り。君は名の誤か。ヨクミテナと有るべし。ミテナは見てんなり。卷八、おしてる難波を過ぎて打なびく草香の山を夕ぐれにわが越くれば云云と有り。
 參考 ○委曲見(代)マクハシミム(考)ツバラミル(古、新)ヨクミテム。
 
(40)977 直超乃。此徑爾師弖。押照哉。難波乃海跡。名附家良思裳。
だだごえの。このみちにして。おしてるや。なにはのうみと。なづけけらしも。
 
古事紀、大長谷若建命自2日下《クサカ》之直越道1幸2河内1云云と有り。此歌の押シテルは、河内國より直路《タダミチ》に押し越えて、難波へ到れば斯くは言へるなり。枕詞のオシテルナニハを此意なりと思ふべからずと、或人の言へるは善しと冠辭考に言へり。宣長云、二の句は結句へ懸かれり。オシテルヤは難波の海へ懸かれり。此歌は三四一二五と句をついでて見るべし。はたオシテルの事、久老考あり。海上のなぎて靜かなる事を今もテルと言ふ是れなりと言へり。猶考ふべし。
 
山上臣憶良沈痾之時歌一首
 
978 士也母。空應有。萬代爾。語續可。名者不立之而。
をのこやも。むなしかるべき。よろづよに。かたりつぐべき。なはたたずして。
 
男ニシテヤと言ふ意なり。
 參考 ○土也母(代)マスラヤモ(考)略に同じ(古)ヲトコヤモ(新)ヲトコ、ヲノコ兩訓 ○空應有(代)ムナシクアルベキ(考)ムナシカルベシ(古、新)略に同じ。
 
右一首山上憶良臣沈痾之時。藤原朝臣八束使2河邊朝臣東人1令v問2所v疾之?1。於v是憶良臣報語已畢。有v須拭v涕悲嘆。《元歸》口2吟此歌1。
 
(41)續紀、神護景雲元年正月。從六位上川邊朝臣東人授2從五位下1と見ゆ。須の下、臾を脱せるかと契沖云へり。
 
大伴坂上郎女與2姪家持1從2佐保1還歸2西宅1歌一首
 
979 吾背子我。著衣薄。佐保風者。疾莫吹。及家左右。
わがせこが。けるきぬうすし。さほかぜは。いたくなふきそ。いへにいたるまで。
 
ケルは著タルと言ふ意の古言なりと宣長言へり。卷十五、わが旅は久しくあらし許能安我家流いもがころものあかつくみればと有り。サホ風は飛鳥風など言ふが如く、其所に吹く風を言ふ。
 參考 ○著衣薄(考)キタルキヌウスシ(古、新)略に同じ。
 
安倍朝臣蟲麻呂月歌一首
 
續紀、天平勝寶四年三月。中務大輔從四位下安倍朝臣虫麻呂卒と見ゆ。
 
980 雨隱。三笠乃山乎。高御香裳。月乃不出來。夜者更降管。
あまごもり。みかさのやまを。たかみかも。つきのいでこぬ。よはくだちつつ。
 
雨ゴモリ、枕詞。更クルを集中にクダツと多く言へり。
 
大伴坂上郎女月歌三首
 
981 ?高乃。高圓山乎。高彌鴨。出來月乃。遲將光。
(42)かりたかの。たかまとやまを。たかみかも。いでくるつきの。おそくてるらむ。
 
姓氏録、右京諸蕃雁高宿禰の氏あれば地名なり。
 參考 ○出來月乃(考、新)略に同じ(古)イデコムツキノ。
 
982 烏玉乃。夜霧立而。不清。照有月夜乃。見者悲沙。
ぬばたまの。よぎりのたちて。おほほしく。てれるつくよの。みればかなしさ。
 
月はもと照るなるを、霧に覆はれて澄まぬを見るが悲しとなり。此カナシは愁の深きなり。月夜の悲しきと隔てて續けたり。
 
983 山葉。左佐良榎壯子。天原。門度光。見良久之好藻。
やまのはの。ささらえをとこ。あまのはら。とわたるひかり。みらくしよしも。
 
ササラは小さき意、ササラ形錦など言へるも文《アヤ》の細かなるを言へり。エは美《ヨ》き意にて則ち月を褒め言へり。見ラクは見ルを延べ言ふ。シは助辭。
 
右一首歌或云、月別名曰2佐散良衣壯士1也。縁2此辭1作2此歌1。 後人の書き入れなり。
 
豐前國娘子月歌一首 (娘子字曰2大宅1姓氏未v詳也)
 
984 雲隱。去方乎無跡。吾戀。月哉君之。欲見爲流。
くもがくり。ゆくへをなみと。わがこふる。つきをやきみが。みまくほりする。
 
(43)拾遺集、戀しさは同じ心にあらずともこよひの月を君見ざらめやと、言ふに似たり。
 參考 ○月哉君之(新)「之」は毛の誤か。
 
湯原王月歌二首
 
985 天爾座。月讀壯子。幣者將爲。今夜乃長者。五百夜繼許増。
あめにます。つきよみをとこ。まひはせむ。こよひのながさ。いほよつぎこそ。
 
月ヨミヲトコは則ち月を言ふ。マヒは上に出づ。
 參考 ○月讀壯子(古、新)ツクヨミヲトコ。
 
986 愛也思。不遠里乃。君來跡。大能備爾鴨。月之照有。
はしきやし。まぢかきさとの。きみこむと。おほのびにかも。つきのてりたる。
 
大ノビ、諸説從ひ難し。誤有らんか。もし大野|方《ベ》の意か考ふべし。君が通ひこん爲に月も照らせるかと言ふならん。宣長は君來跡之我待《キミコトシワガマツ》ニカモと有りしが誤れるかと言へり。
 參考 ○君來跡(考)キミクルト(古、新)略に同じ ○大能備爾鴨(代、新)略に同じ(考)オホノビニカモ又はアクマデニカモ(古)「云知信」イフシルシニカモ。
 
藤原八束朝臣月歌一首
 
987 待難爾。余爲月者。妹之著。三笠山爾。隱而有來。
(44)まちがてに。わがするつきは。いもがきる。みかさのやまに。こもりてありけり。
 
妹ガキル、枕詞。いまだ出でぬ月を詠めり。
 參考 ○妹之著(考、新)略に同じ(古)イモガケル ○隱而有來(代、考)カクレタリケリ(古)コモリタリケリ(新)略に同じ。
 
市原王宴?2父安貴王1歌一首
 
988 春草者。後波落易。巖【巖ヲ嚴ニ誤ル】成。常磐【磐ヲ盤ニ誤ル】爾座。貴吾君。
はるくさは。のちはうつろふ。いはほなす。ときはにいませ。たふときわぎみ。
 
草は春萠えて秋枯るるなれば、とこしなへなる巖《イハホ》に寄せて祝ふなり。祝詞に竪磐《カキハ》爾|常盤《トキハ》奉と言ふが如く、トキハはトコイハの約なり。木の常葉《トコハ》とは異なり。此下にかくしつつ遊びのみこそ草木すら春は生ひつつ秋は落去《カレユク》と有れば、落易カレヤスシとも訓むべし。
 參考 ○春草者(代、新)ハル「花」ハ ○後波落易(代、考、新)ノチハチリヤスシ(新)略に同じ ○貴吾君(代)タフトキアガキミ(考)略に同じ(古)タフトキアギミ(新)タフトキワガキミ。
 
湯原王打酒歌一首
 
宣長云、打は祈の誤か。さらばサカホカヒと訓むべしと言へり。
 
989 燒刀之。加度打放。大夫之。?豐御酒爾。吾醉爾家里。
(45)やきだの。かどうちはなつ。ますらをが。ほぐとよみきに。われゑひにけり。
 
燒刀は唯だ刀を言ふ。カドは稜《シノギ》を言ふべし。今シノギヲケヅルと言ふ事に似たり。ツルギはツ《尖》ムガリの約なれば、カドとも言ふべし。?は賀《ホグ》心に書けるなり。契沖はノムと訓みて飲む意にとれり。されど右の市原王の歌の端詞、ほぎするに?の字を用ひたれば、ここもホグの方なるべし。
 參考 ○加度打放(考)略に同じ(古、新)カドウチハナチ ○丈夫之(古、新)マスラヲノ ○?豐御酒爾(代)「擣」ウツ(考、古)略に同じ(新)ノムトヨミキニ。
 
紀朝臣|鹿人《カビト》跡見茂岡《トミノシゲヲカ》之松樹歌一首
 
續紀、天平九年九月、正六位より外從五位下を授く。跡の字、今本に落せり。一本によりて補ふ。
 
990 茂岡爾。神佐備立而。榮有。千代松樹乃。歳之不知久。
しげをかに。かむさびたちて。さかえたる。ちよまつのきの。としのしらなく。
 
卷八、鹿人の跡見の庄の歌に跡見の岡べと詠めり。茂岡、其處なるべし。千代待つと言ひ懸けたり。
 
同鹿人至2泊瀬河邊1作歌一首
 
991 石走。多藝千流留。泊瀬河。絶事無。亦毛來而將見。
いはばしる。たぎちながるる。はつせがは。たゆることなく。またもきてみむ。
 
石バシル、枕詞。
(46) 參考 ○石走(代)略に同じ(古、新)イハバシリ。
 
大伴坂上郎女詠2元興寺之里1歌一首
 
992 古郷之。飛鳥【鳥ヲ烏ニ誤ル】者雖有。青丹吉。平城之明日香乎。見樂思奴【奴ハ好ノ誤】裳。
ふるさとの。あすかはあれど。あをによし。ならのあすかを。みらくしよしも。
 
元興寺は飛鳥寺なり。飛鳥より奈良へ移して其處をも飛鳥と言へり。猶末に言ふ。奴は好の誤れる事|著《シ》るし。
 
同坂上郎女初月歌一首
 
993 月立而。直三日月之。眉根掻。氣長戀之。君爾相有鴨。
つきたちて。ただみかづきの。まゆねかき。けながくこひし。きみにあへるかも。
 
三日月は眉と言はん序のみ。是れを初月歌と端書せるは如何にぞや。相聞の歌なり。戀ヒシは戀ヒタリシの意。
 參考 ○眉根掻(古)マヨネカキ(新)マユネ又はマヨネ。
 
大伴宿禰家持初月歌一首
 
994 振仰而。若月見者。一目見之。人乃眉引。所念可聞。
ふりさけて。みかづきみれば。ひとめみし。ひとのまよびき。おもほゆるかも。
 
(47)仲哀紀、如2美女之?1有2向津國1。註に?此【紀、此ノ下、云ヲ脱ス今補フ】云2麻夜弭枳《マヨビキ》1と有り。宋王招魂に峨眉曼?など見ゆ。
 
大伴坂上郎女宴2親族1歌一首
 
995 如是爲乍。遊飲與。草木尚。春者生管。秋者落去。
かくしつつ。あそびのみこそ。くさきすら。はるはおひつつ。あきはかれゆく。
 
榮えて有らん程は、遊び樂まん事を願ふなり。與は乞の誤ならん。
 參老 ○遊飲與(代、古、新)略に同じ(考)アソビノマムヲ ○春者生管(考)ハルハモエツツ(古、新)ハルハサキツツ ○秋者落去(考、新)アキハチリユク(古)アキハチリヌル。
 
六年甲戌|海犬養《アマノイヌカヒ》宿禰岡麻呂應v詔歌一首  歌の上、作の字有るべし。
 
996 御民吾。生有驗在。天地之。榮時爾。相樂念者。
みたみわれ。いけるしるしあり。あめつちの。さかゆるときに。あへらくおもへば。
 
アヘラクはアヘルを延べたるなり。和名抄古本に日本紀私記云人民(比度久佐或説於保多加良)と有れば、オホタカラワレとも訓むべけれど、卷一長軟に、さわぐ御民《ミタミ》も家忘れと有るに據りてミタミと訓めり。
 
春三月幸2于難波宮1之時歌六首
 
續紀、天平六年三月辛未此幸あり。
 
(48)997 住吉乃。粉濱之四時美。開藻不見。隱耳哉。戀度南。
すみのえの。こはまのしじみ。あけもみず。こもりのみやも。こひわたりなむ。
 
粉濱、住吉に有る地名なるべし。字鏡、蜆、小蛤|之自瀰《シジミ》と有り。シジミは明ケモ見ズと言はん序のみ。同じ度に、をとめらが赤裳すそ引と詠めれば、從駕の女房を戀ふるなるべし。コモリは下ニと言ふに同じく、心の中に戀ふるなり。
 參考 ○隱耳哉(代)コモリテノミヤ(考)シヌビテ(古)略に同じ(新)カクシテノミヤ。
 
右一首作者末v詳
 
998 如眉。雲居爾所見。阿波乃山。懸而?舟。泊不知毛。
まゆのごと。くもゐにみゆる。あはのやま。かけてこぐふね。とまりしらずも。
 
眉の如は前に紀を引けるが如し。カケテは阿波の方へ懸けて行くなり。
 參考 ○眉(考、古)マヨ。
 
右一首船王作。 續紀、天平十五年五月、從四位下より從四位上を授く。
 
999 從千沼回。雨曾零來。四八津之白水【白水ヲ泉ニ誤ル】郎。網手綱乾有。沾將堪香聞。
ちぬ|わ《ま》より。あめぞふりくる。しはつのあま。あみてなはほせり。ぬればたへむかも。
 
チヌは、古事記五瀬命云云。到2血沼海1洗2其御手之血1。故謂2血沼海1也云云。紀に河内國泉郡茅淳海と(49)有り。續紀、靈龜二年三月。割2河内國和泉日根兩郡1令v供2珍努宮1云云と有りて今は和泉なり。シハツは既に出づ。住吉の東方なり。白水郎、今本泉郎に作るは誤なり。綱、一本繩に作る。翁の説、一本の繩は誤にて、網手綱をアタツナと訓まんか。網の大づななるべしと言はれき。されどさる詞有りや覺束なし。又一本網を細に作れり。按ずるに網は綱の誤にて、綱手繩と有りしか。さらばツナデナハと訓むべし。舟の大綱なり。ヌレバタヘムカモは用ふるに堪へじと言ふなり。
 參考 ○從千沼回(考)チヌワヨリ(古、新)チヌミヨリ ○網手綱乾有(代)アミタヅナ(考)アタツナホセリ(古)ツナデホシタリ「綱手乾有」の誤とす(新)アミ「乎」ヲホシタリ「手」を「乎」の誤、「綱」を衍とす ○沾將堪香聞(考)ヌレテタヘムカモ(古)ヌレアヘムカモ(新)ヌレクチムカモ「堪」を「朽」の誤とす。
 
右一首遊2覽住吉濱1還v宮之時。道(ノ)上(ニテ)守部王應v詔作歌。
 
今本、王の字重なれり。一の王は衍文なれば除きつ。續紀、天平十二年正月、無位より從四位下を授く。
 
1000 兒等之有者。二人將聞乎。奧渚爾。鳴成多頭乃。曉之聲。
こらがあらば。ふたりきかむを。おきつすに。なくなるたづの。あかときのこゑ。
 
コラとは故郷の妹を指せり。
 參考 ○兒等之有者(古)略に同じ(新)コラシアラバ ○曉之聲(古)アカツキノコヱ(○?者云。(50)古義、アカツキと此所に付訓せるは誤植か、アカツキは訛言なる由卷一に云へり)
 
右一首守部王作。
 
1001 丈夫者。御?爾立之。未通女等者。赤裳須素引。清濱備乎。
ますらをは。みかりにたたし。をとめらは。あかもすそびく。きよきはまびを。
 
タタシはタチを延べ言ふ。ハマビは濱|方《ベ》なり。
 
右一首山部宿禰赤人作。
 
1002 馬之歩。押止駐余。住吉之。岸乃黄土。爾保比而將去。
うまのあゆみ。おして《おさへ》とどめよ。すみのえの。きしのはにふに。にほひてゆかむ。
 
止、一本上に作る。弖の誤なるべし。黄土、上に言へり。此馬は吾が乘れる馬にて、トドメヨは從者に言ふなり。
 參考 ○抑止駐余(代)オサヘ(考)オシテトドメヨ(古、新)略に同じ。
 
右一首安倍朝臣豐繼作。  續紀、天平九年二月、外從五位下より從五位下を授く。
 
筑後守外從五位【位ヲ倍ニ誤ル】下葛井連大成遙見2海人釣船1作歌一首
 
1003 海※[女+感]嬬。玉求良之。奧浪。恐海爾。船出爲利所見。
あまをとめ。たまもとむらし。おきつなみ。かしこきうみに。ふなでせりみゆ。
 
(51)玉は則ちアハビなり。舟出セリと切りて、見ユと言へるは古へぶりなり。
 
?作村主益人《クラツクリノスクリマスヒト》歌一首
 
1004 不所念。來座君乎。佐保川乃。河蝦不令聞。還都流香聞。
おもほえず。きませるきみを。さほがはの。かはづきかせず。かへしつるかも)
 
君ヲと言ふよりカヘシツルカモと隔てて續くなり。後の歌にせば君ニと言ふべし。
 參考 ○來座君乎(新)キマシシキミヲ。
 
右内匠大屬?作村主益人聊設2飲饌1。以饗2長官|佐爲《サヰノ》王1。未v及2日斜1。王既還歸。於時益人怜2惜不厭之歸1。仍作2此歌1。  續紀、天平九年八月。中宮大夫兼右兵衛督正四位下橘宿禰佐爲卒と見ゆ。
 
八年丙子夏六月幸2于芳野離宮1之時。山部宿禰赤人應v詔作歌一首并短歌
續紀聖武〔二字□で囲む〕六月乙亥此幸の事有り。
 
1005 八隅知之。我大王之。見給。芳野宮者。山高。雲曾輕引。河速彌。湍之聲曾清寸。神佐備而。見者貴久。宜名倍。見者清之。此山乃。盡者耳社。此河乃。絶者耳社。百師紀能。大宮所。止時裳有目。
やすみしし。わがおほきみの。みしたまふ。よしぬのみやは。やまたかみ。くもぞたなびく。かははやみ。せのとぞきよき。かむさびて。みればたふとく。よろしなへ。みればさやけし。このやまの。つきばのみこ(52)そ。このかはの。たえばのみこそ。ももしきの。おほみやどころ。やむときもあらめ。
 
見シタマフは見サセ給フなり。神サビテは山を言ふ。ヨロシナへは川を褒め言へり。此詞既に出づ。此山河の絶え盡きんにのみこそ、此宮所も止む時も有らめ。さらでは止む時無からんと言ふなり。
 參考 ○見給(考)略に同じ(古、新)メシタマフ。
 
反歌一首
 
1006 自神代。芳野宮爾。蟻通。高所知者。山河乎吉三。
かみよより。よしぬのみやに。ありがよへひ。たかしらせるは。やまかはをよみ。
 
山と川となり。カを清むべし。
 參考 ○高所知者(考)タカシラスルハ(古、新)略に同じ。
 
市原王悲2獨子1歌一首
 
1007 言不問。木尚妹與兄。有云乎。直獨子爾。有之苦者。
こととはぬ。きすらいもとせ。ありとふを。ただひとりごに。あるがくるしさ。
 
木スラ妹トセとは、人の子の中に兄弟有る如く、木にも蘖《ヒコバエ》など言ひて、子孫と言ふべき物有れば斯く言へるか。宣長は一本のみならず、同じ列らに幾もとも生ひ立てるを言ふならんと言へり。拾遺集、我のみや子もたるてへば高砂のをのへにたてる松も子もたりとも詠めり。契沖云、卷三此王の、いなだきに(53)きすめる玉は二つなしと詠みませるも、此王の御女《ミムスメ》五百井女王の事にて、此獨子と有るも、此女王なるべしと言へり。然れども市原王能登内親王を娶りて、五百井女主、五百枝王生むよし、續紀(光仁)に見えたれば、人の子の上を詠みませしなるべし。卷三の歌も五百井女主の事を詠み給へりと言ふ證無し。
 參考 ○有云乎(古)アリチフヲ(新)トフ、チフ兩訓。
 
忌部首黒《インベノオフトクロ》麻呂恨2友(ノ)?《オソク》來1歌一首
 
續紀、寶字三年十二月、忌部首黒麻呂等賜2姓連1よし有り。
 
1008 山之葉爾。不知世經月乃。將出香常。我待君之。夜者更降管。
やまのはに。いさよふつきの。いでむかと。わがまつきみが。よはくだちつつ。
 
月を待つ如く友を待ちつつ、夜の更けぬるを言ふなり。イサヨフは卷三、いさよふ浪の行へしらずもと有りて、タユタフと言ふに同じ。ここも月の出でんとしてたゆたふ程を言へり。十六夜をのみイサヨヒノ月とするはいと後なり。君ガの下、來ラズシテと言ふ語を略けり。卷七、山末にいさよふ月を出でむかと持ちつつ居るに夜ぞ降《クダ》ちける。同卷、山末にいさよふ月をいつとかも吾待ちをらむよは深去《フケニ》つつと同じ物なり。
 參考 ○我待君之(新)ワガマツキミ「乎」ヲ歟。
 
冬十一月左大辨【辨ヲ臣ニ誤ル】葛城王等賜2姓橘氏1之時御製歌一首
 
(54)今本、左大臣と有り。一本臣を辨に作るに據れり。續紀、天平元年九月。正四位下葛城王爲2左大辨1。同十五年五月。以2右大臣從一位橘宿禰諸兄1拜2左大臣1と有り。目録、賜2橘姓1と有り。
 
1009 橘者。實左倍花左倍。其葉左倍。枝爾霜雖降。益常葉之樹。
たちばなは。みさへはなさへ。そのはさへ。えだにしもふれど。いやとこはのき。
 
サヘの詞はソノウヘと言ふ言の約め言にて、副はる心有り。トコハは冬枯せぬを言ふ。常磐はトキハにて別なり。續紀養老五年詔に、其地者皆殖2常葉之樹1云云。橘は實も花もめでたく、葉も霜置けどもいよよ榮ゆるをもてほぎ給へる御歌なり。
 參考 ○益常葉之樹(代)マシトコハノキ(考)マシトコハノキ又はイヤトコハノキ(古、新)略に同じ。
 
右冬十一月九日、從三位葛城王。從四位上佐爲王等。辭2皇族之高名1。賜2外家之橘姓1。已訖於v時太上天皇皇后共在2于皇后宮1。以爲2肆宴1。而即御2製賀v橘之歌1。并賜2御酒宿禰等1也。或云。此歌一首太上天皇御歌。但天皇皇后御歌各有2一首1者其歌遺落。未v得2探求1焉。【焉ヲ爲ニ誤ル】今?2案内1。八年十一月九日。葛城王等願2橘宿禰之姓1上表。以2十七日1依2表乞1賜2橘宿禰1。
 
續紀、天平八年十一月、葛城王佐爲王上表、橘宿禰の姓を賜はらん事を願ふによりて、詔して橘宿禰を賜ふ由有り。同紀天平勝寶二年正月、左大臣橘宿禰諸兄に朝臣姓を賜ふ由有り。太上天皇は元正天皇なり。於時太上天皇の下、天皇の二字を落せり。或皇后二字則ち天皇を誤れるか。下に共在2于皇后宮1と(55)有れば皇后と言はずとも、おはします事明らけし。
 
橘宿禰奈良麻呂應v詔歌一首
 
奈良麻呂は諸兄卿の男なり。續紀、天平十二年五月、無位より從五位下を授く。寶字元年六月左大辨に至る。例によるに詔の下、作の字有るべし。
 
1010 奧山之。眞【眞ヲ直ニ誤ル】木葉凌。零雪乃。零者雖益。地爾落目八方。
おくやまの。まきのはしぬぎ。ふるゆきの。ふりはますとも。つちにおちめやも。
 
本はフルと言はん序のみ。姓を賜はる詔に、辭2皇族之高名1。請2外家之橘姓1。尋2思所執1。誠得2時宜1。一依v表令v賜2橘宿禰1。千秋萬歳相繼無v窮と有るを受けて、元皇族なれば、年は經るともなりは下らじと言へる心なるべし。
 參考 ○眞木葉凌(考、新)略に同じ(古)マキノハシノギ。
 
冬十二月十二日|歌?所《ウタトコロ》之諸王臣子等集2葛井連廣成家1宴歌二首
比來古?盛興【興ヲ與ニ誤ル】。古歳漸晩。理宜3共盡2古情1。同唱2此歌1。故擬2此趣1。輙獻2古曲二節1。風流意氣之士。儻《モシ》在【在ヲ有ニ誤ル】2此集之中1。爭2發念1。心心和2古體1。
 
1011 我屋戸之。梅咲有跡。告遣者。來云似有。散去十方吉。
わがやどの。うめさきたりと。つげやらば。こちふににたり。ちりぬともよし。
 
(56)コチフに似たりは、來レカシと言ふに似たりとなり。かく告げ遣りたらば、來れかしと言ふ事と、かなたにも思ひはかりて、必ず訪ひ來るべし。さて後は花は散りぬともよしと言へるなり。
 參考 ○來云似有(代)コテフニニタリ(考、古、新)略に同じ。
 
1012 春去者。乎呼理爾乎呼里。?之。鳴吾嶋曾。不息通爲。
はるされば。ををりにををり。うぐひすの。なくわがしまぞ。やまずかよはせ。
 
ヲヲリは集中トヲヲ、タワワ、又ウレワワラバなど言ふにひとしく、枝撓むまで花の咲きたるを言ふ。然れば、これも花のとををに咲き撓む頃、鶯の鳴くを言へり。卷三に、高槻の村散にけるかも、卷十に、三笠の山は咲にけるかもなど、花紅葉と言はで唯だ咲き散るとのみ言へる如く、今もヲヲリニヲヲリにて花と知らせたるなり。ワガ島は家の庭に作れる池の中島などを言ふべし。宣長云、島は唯だ庭を言ふ。伊勢物語に、島このみ給ふ君と有りと言へり。
 
九年丁丑春正月橘少卿并諸大夫等集2弾正尹門部王家1宴歌二首
 
少卿は橘宿禰佐爲なり。
 
1013 豫。公來座武跡。知麻世婆。門爾屋戸爾毛。珠敷益乎。
あらかじめ。きみきまさむと。しらませば。かどにやどにも。たましかましを。
 
門ニモヤドニモなり。
(57) 參考 ○豫(代、古、新)略に同じ(考)カネテヨリ
 
右一首主人門部王(後賜2姓大原眞人氏1也)  一本此註無し。
 
1014 前日毛。昨日毛今日毛。雖見。明日左倍見卷。欲寸君香聞。
をとつひも。きのふもけふも。みつれども。あすさへみまく。ほしききみかも。
 
卷十七、山のかひそこともみえず乎登|都《ツ》日毛きのふもけふも雪のふれればと有れば、ヲトツヒと訓むべし。
 
右一首橘宿禰|文成《フミナリ》(即少卿之子也)  一本此註なし。續紀、天平勝寶三年九月、賜2文成王甘南備姓1と有り。橘氏を再び改めて、甘南備の姓を賜はれるにや。
 
榎井《エノヰノ》王後追和(ル)歌一首
 
續紀。寶字六年正月、無位より從四位下を授く。志貴親王の御子なり。
 
1015 玉敷而。待益欲利者。多鷄蘇香仁。來有今夜四。樂所念。
たましきて。またましよりは。たけそかに。きたるこよひし。たぬしくおもほゆ。
 
タケは、集中タカタカと言へる詞に同じ。ソカはオロソカの意なるを合せ意ふ詞なり。玉敷き設けて待たれんより。たまたま來れるが樂しきとなり。
 參考○待益欲利者(考)略に同じ(古)マタ「衣四」エシヨリハ(新)マタエムヨリハ。
 
(58)春二月諸大夫等集2左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家1宴歌一首
 
續紀、神龜五年五月。正六位下より外從五位下を授く。
 
1016 海原之。遠渡乎。遊士【士ヲ土ニ誤ル】之。遊乎將見登。莫津左比曾來之。
うなばらの。とほきわたりを。みやびをの。あそぶをみむと。なづさひぞこし。
 
遊士ミヤビヲと訓む事既に言へり。ナヅサヒ、既に出づ。遊士たちを見んとて、仙女の蓬莱より遠き海路を渡り來りし由、あるじ方の女房などの戯れて詠みて壁に懸けしなり。莫はナとも訓むべけれど、魚の誤なるべし。
 
右一首書2白紙1懸2著屋壁1也。題云。蓬莱【莱ヲ菜ニ誤ル】仙媛所嚢。蘰爲2風流秀才之士1矣。斯凡客不v所2望見1哉。
 
契沖云、嚢は賚の誤なりと云へり。字書に賚は賜也と有り。春海云、所の下、一本作字あり。されば嚢は焉の誤、蘰は謾の誤にて、仙姫所v作焉。謾爲2風流秀才之士1矣なるべし。
 
夏四月大伴坂上郎女奉v拜2賀茂神社1之時。便超2相坂山1。望2見近江海1。而晩頭還來作歌一首
 
神名帳、山城國愛宕郡賀茂別雷神社。賀茂御祖神社二座云云と有り。相坂は神功紀忍熊王兵を曳て退く。武内宿禰兵を出だして追ひて逢坂に遇へり。故《カレ》號《ナヅ》けて逢坂と言ふよし有り。
 
1017 木綿疊。手向乃山乎。今日越而。何野邊爾。廬將爲子等。
(59)ゆふだたみ。たむけのやまを。けふこえて。いづれのぬべに。いほりせむこら。
 
子等、一本吾等と有り。ワレと訓むべし。ユフダタミ、枕詞。手向ノ山は則ち相坂山の坂上に有るべし。卷三、佐保過て奈良の手向におくぬさはと詠み給へるは奈良坂の上を言へり。旅立つ人の先づ手向する所なる故に言ふなり。子等は從へる女房などを指すべし。吾と有りてもよし。
 參考 ○子等(代)「吾等」ワレ(考)ワレハ(古)アレ(新)コラ。
 
十年戊寅元興寺之僧自嘆歌一首
 
嘆、一本賛とせり。續紀、靈龜元年五月。始建2元興寺于左京六條四坊1云云。同紀養老二年八月、遷2法起寺新京1云云。元亨釋書に元起寺者。上宮太子討2守屋1時。蘇馬子又誓營v寺。故於2飛鳥地1創v之。推古四年成。始曰2法興寺1と見ゆ。
 
1018 白珠者。人爾不所知。不知友縱。雖不知。吾之知有者。不知友任意。
しらたまは。ひとにしらえず。しらずともよし。しらずとも。われししれらば。しらずともよし。
 
旋頭歌なり。自ら白玉に譬へたり。心は明らけし。
 參考 ○人爾不所知(考)ヒトニシラレヌ(古、新)略に同じ。
 
右一首或云。元興寺之僧獨覺多智。未v有2顯聞1。衆諸狎侮。因此僧作2此歌1。自嘆2身才1也。  嘆、一本賛に作る。
 
(60)石上乙麻呂卿配2土左國1之時歌三首并短歌
 
續紀、天平十一年三月。右上朝臣乙麿?2久米連若賣1配2土左國1。若賣配2下總國1と有り。然るを斯く十年の中に載せしは如何なる事にか。此長歌の中、石上振の尊はと言へると、其次なるは、乙麿妻作歌と有るべきを、端詞の文字落ちしなるべし。凡てここはいと亂れたりと見ゆ。猶末に言ふべし。
 
1019 石上。振乃尊者。弱女乃。惑爾縁而。馬自物。繩取附。肉自物。弓笶圍而。王。命恐。天離。夷部爾退。古衣。又打山從。還來奴香聞。
いそのかみ。ふるのみことは。たわやめの。まどひによりて。うまじもの。なはとりつけ。ししじもの。ゆみやかくみて。おほきみの。みことかしこみ。あまざかる。ひなべにまかる。ふるごろも。まつちのやまゆ。かへりこぬかも。
 
石上、布留、共に山邊郡なり。石上氏はもと物部氏なるを、居地によりて賜はれる氏なるべし。されば石上布留と續けたり。ミコトは凡てあがまへ言ふ詞なる事前に言へり。則ち乙麿卿を指す。タワヤメノマドヒニヨリテは紀に記されたる如く、久米連若賣を?せし事を言ふ。馬ジ物、シシジ物は既に言へり。搦められたるを、馬に繩懸けたるさまに言ひ、弓矢とりてもののふの打圍み行くを、狩人の猪鹿を狩るさまに見なしたるなり。古衣、枕詞。マツチ山は紀伊なり。紀路より船にて土左へ渡る故に、まつ(61)ち山を越えて歸り來ぬ由詠めり。
 參考 ○惑爾縁而(考、新)略に同じ(古)サドヒニヨリテ ○繩取附(考)ナハトリツケテ(古、新)略に向じ ○弓笶圍而(代)カコミテ、又はカクミテ(考)カコミテ(古、新)略に同じ ○夷部爾退(考)ヒナべニマカリ(古、新)ヒナベニマカル ○又打山從(考)マツチヤマヨリ(古、新)マツチノヤマユ。
 
1020 王。命恐見。刺並之。國爾出座耶。吾背乃公矣。
おほきみの。みことかしこみ。さしなみの。くににいでますや。わがせのきみを。
 
宣長云、或人の説に、此王命恐云云は次なる長歌の初めなり。さて出座の下、文字脱ちたり。國爾出座。○○○《ハシキ》耶○《シ》。吾背乃君矣。繋卷裳。云云と續くなり。卷十九長歌に、虚見津云云、和我勢能君乎懸麻久乃由由志恐伎云云と有るを合せ見て知るべき由言へり。此説いと善し。サシナミは卷九長歌、指並(ノ)隣の君はと有りて、ここは紀伊と土左と海を隔ててさし向へば言へるなり。
 參考 ○刺並之(代、古、新)サシナミノ(考)サシナミシ ○國爾出座耶(考)クニニ「去」イマスヤ(古)クニニイデマス、ハシキヤシ(新)「土佐」トサノクニニ、イデマスヤ ○(古、新)王。命恐見云去の歌を次の長歌の初とす。
 
1021 繁【繁ハ繋ノ誤】卷裳。湯湯石恐石。住吉乃。荒人神。船舳爾。牛吐賜。付賜將。(62)島之埼前。依賜將。礒乃埼前。荒浪。風爾不令遇。草管【管ヲ菅ニ誤ル】見。身疾不有。急。令變賜根。本國部爾。
かけまくも。ゆゆしかしこし。すみのえの。あらひとがみ。ふなのへに。うしはきたまひ。つきたまはむ。しまのさきざき。よりたまはむ。いそのさきざき。あらきなみ。かぜにあはせず。くさづつみ。やまひあらせず。すむやけく。かへしたまはね。もとつくにべに。
 
右に言へる如く、王ノ命恐ミの歌を此歌の初めとすべし。今本、繁は繋の字の誤れるなり。荒人神、景行紀、日本武尊云云、吾是現人神之子也。和名抄、現人神(安良比止加美)と有り。是れは天皇を指し奉るなり。ここは荒人神と言へるは事違へり。翁は人は大の誤にて、アラオホミタマか。神功紀に神有誨曰|和魂《ニギミタマ》は玉身につきてみ命を守り、荒魂《アラミタマ》は先鋒と爲てみ舟を導くと言ふを以てなりと言はれき。船ノ舳ニウシハキ給ヒ、上に出づ。草ヅツミ、枕詞。賜將は下上せる書きざまなれど、外にも斯かる例あれば、將をムの假字の如く用ひたりと見ゆ。急は、卷十五、須牟也氣久と有るに據りて然か訓めり。タマハネはタマヘを延べ言ふ。國部は國|方《ベ》なり。右の長歌二首の反歌は落ち失せしなるべし。又左の大崎の神の小濱はと言へる歌、船路を言へれば、ここの反歌にて、次の歌の反歌落ち失せしも知られず。左の長歌は乙麻呂卿の歌なり。さればここに端詞有るべきを、是れも落ちしならん。
 參考 ○荒人神(考)アラ「大」オホミガミ(古、新)略に同じ ○草管見(考)略に同じ(古、新)(63)「莫」ツツミナク ○身疾不有(代、古)ミヤマヒアラズ(考)略に同じ(新)「身」は衍、「不」の下「令」を補ひヤマヒアラセズ ○急(考)「急令」スミヤカニ(古、新)略に同じ。
 
1022 父公爾。吾者眞名子叙。妣刀自爾。吾者愛兒叙。参昇。八十氏人乃。手向爲等。恐乃坂爾。幣奉。吾者叙追。遠杵土左道矣。
ちちぎみに。われはまなごぞ。ははとじに。われはめづこぞ。まゐのぼる。やそうぢびとの。たむけすと。かしこのさかに。ぬさまつり。われはぞおへる。とほきとさぢを。
 
是れ乙麻呂卿の歌なり。マナ子は實ノ子と言ふなり。メヅ子は愛子なり。メヅ子ゾの句の下、猶句有るべきを落ちしなるべし。宣長云、マヰノボルは、乙麻呂卿ののぼるにて、カシコノ坂へ續く詞なり。さて八十氏人云云の二句は、唯だ恐と言はん序なり。手向するとて恐《カシコ》むと言ふ續けざまなりと言へり。手向爲の下、等の字一本に無し。カシコノ坂、倭より河内へ越ゆる所の坂なり。天武紀に、將軍|吹負《フケヒ》云云紀臣大音を遣|懼《カシコノ》坂を合せ守る、ここに財等懼坂を退きて、大音の營に居云云と有り。ヌサマツリは乙麻呂卿の幣なり。ワレハゾオヘル、士左日記になはの湊をおふ、又大みなとをおふと有れば、さる意にやと思へれど、宣長は追は退《マカル》の誤なりと言へり。是れ然るべし。
 參考 ○妣刀自爾(考、新)略に同じ(古)オモトジニ ○吾者愛兒叙(考)メデコゾ(古)アレハマナゴゾ(新)ワレハマナゴゾ ○參昇(代、新)略に同じ(考)マウノボル(古)マヰノボリ ○手向爲等(考)(64)略に同じ(古、新)タムケスル「等」を衍とす ○吾者叙追(代)略に同じ(古、新)アレハゾ「退」マカル。
 
反歌一首
 
1023 大埼乃。神之小濱者。雖小。百船純毛。過迹云莫國。
おほさきの。かみのをばまは。せまけれど《ちひさけど》。ももふなびとも。すぐといはなくに。
 
大崎、今紀伊に在り。神の字ミワと訓むべきか。卷七、神前《ミワノサキ》ありそも見えず浪たちぬと詠めり。是れは紀伊に今カウザキととなふる所有り。其處なるべし。此小濱も同所ならんか。宣長云、大崎ミワ共に紀伊に在れど土左への道とはいたく違へりと言へり。考ふべし。百船純、此卷末にも斯く書けり。純一の意にてヒトの假字に借りたるか。神代紀純男をヒタヲノカギリと訓む。心は舟人も過ぎがてにする景色なるを、我のみただに過ぎ行くと言ふなり。又此歌、妻《メ》ぎみの長歌の反歌としても然《サ》る意にとるべし。
 參考 ○雖小(考)セマケレド(古)セマケドモ(新)セマケドモ又はセバケレド。
 
秋八月廿日宴2右大臣橘家1歌四首
 
1024 長門有。奧津借嶋。奧眞經而。吾念君者。千歳爾母我毛。
ながとなる。おきつかりじま。おくまへて。わがもふきみは。ちとせにもがも。
 
カリ島、長門の地名。オクマヘテは心ニフカメテと言ふに同じく、オクメテなり。メはマヘの約なり。集中、フカクオモフをオクニ思フとも言へり。オクメテと言はん料に、對馬朝臣の任國の地名を言ひ出だ(65)せり。
 
右一首長門守|巨曾倍對馬《コソベノツシマノ》朝臣。  續紀、天平四年八月、山陰道節度使判官巨曾倍津島に外從五位下を授くと見ゆ。
 
1025 奧眞經而。吾乎念流。吾背子者。千年五百歳。有巨勢奴香聞。
おくまへて。われをおもへる。わがせこは。ちとせいほとせ。ありこせぬかも。
 
セコは對馬朝臣を指す。アリコセヌはアレカシと願ふなり。
 
右一首右大臣(ノ)和(ヘ)歌。
 
1026 百礒城乃。大宮人者。今日毛鴨。暇無跡。里爾不去將有。
ももしきの。おほみやびとは。けふもかも。いとまをなみと。さとにゆかざらむ。
 
里は家を言ふ。こは宴にあづかれる歌とも聞えず。何となく誦したるなるべし。
 參考 ○暇無跡(代、古、新)略に同じ(考)イトマヲナシト ○里爾不去將有(古)サトニ「不出」イデザラム(新)略に同じ。
 
右一首右大臣傳云 故豐|嶋《シマノ》采女歌。
 
1027 橘。本爾道履。八衢爾。物乎曾念。人爾不所知。
たちばなの。もとにみちふむ。やちまたに。ものをぞおもふ。ひとにしらえず。
 
(66)卷二、三方沙彌娶2園臣生羽之女1云云。橘の蔭ふむ道のやちまたに物おぞおもふ妹にあはずてと言ふを、覺え迷へるなるべし。
 參考 ○本爾道履(古)モトニミチフミ(新)略に同じ。
 
右一首右大辨高橋安麻呂卿語云。故豐嶋采女之作也。但或本云。三方沙彌戀2妻苑臣1作歌也。然則豐嶋采女當時當所口2吟此歌1歟。  右の歌卷二に有るをも知らで、ここに又載せたるは、一、二、其外、考に言へる卷卷の外は家家の集なる事著るし。豐島は和名抄、攝津豐島(天之萬)武藏豐島(止志末)と見ゆ。何れより出でしか。
 
十一年己卯天皇遊2?高圓野1之時。小獣泄【泄一本遁ニ作ル】走2堵【堵一本都ニ作ル、目録里之ノ二字無シ】里之中1。於v是適値2勇士1。生而見v獲。即以2此獣1獻2上御在所1副歌一首([獣名俗曰2牟射佐妣1)
 
大和添上郡高圓。和名抄、※[鼠+田三つ]鼠一名?鼠(毛美俗云無佐佐比云云)今下野二荒山の邊には樹上を多くかけるとぞ。俗ノブスマと言ふ物なり。
 
1028 大夫之。高圓山爾。迫有者。里爾下來流。牟射佐妣曾此。
ますらをが。たかまとやまに。せめたれば。さとにおりくる。むささびぞこれ。
 
 參考 ○里爾下來流(考)サトニオリタル(古、斯)サトニオリケル。
 
(67)右一首大伴坂上郎女作v之也。但未v逕v奏而小獣死斃。因v此獻v歌停v之。
 
十二年庚辰冬十月依2大宰少貳藤原朝臣廣嗣謀反發1v軍。幸2于伊勢國1之時河口行宮内舍人大伴宿禰家持作歌一首
 
續紀、天平十二年九月丁亥。廣嗣遂起v兵反。同年冬十月壬午。行2伊勢國1云云。是日到2山邊郡竹谿村塀越頓宮1。癸未車駕到2伊賀國名張郡1。十一月甲申朔到2伊賀阿保頓宮1宿。大雨途泥人馬疲煩。乙酉到2伊勢國壹志郡河口頓宮1。謂2之關宮1也。丙戌遣2少納言從五位下大井王並中臣忌部等1。奉2幣帛於太神宮1。車駕停御2關宮1十箇日と有り。廣嗣は式部卿馬養之第一子なり。天平十年十二月太宰少貳と見ゆ。
 
1029 河口之。野邊爾廬而。夜乃歴者。妹之手本師。所念鴨。
かはぐちの。ぬべにいほりて。よのふれば。いもがたもとし。おもほゆるかも。
 
右に續紀を引ける如く、十一月二日、河口頓宮に宿りして詠めるなり。夜ノフレバは夜ヲ重ネテと言ふに同じ。
 
天皇御製歌一首
 
1030 妹爾戀。吾乃松原。見渡者。潮干乃潟爾。多頭鳴渡。
いもにこひ。あがのまつばら。みわたせば。しほひのかたに。たづなきわたる。
 
イモニコヒ、枕詞。吾はアゴと訓みて、志摩|英虞《アゴノ》郡なり。アゴを吾と書けるは、吾王に集中和期、吾期(68)など書けるが如しと翁の説にて、冠辭考にも委しく言はれたり。然るを宣長の言へらく、吾をアゴと言ふは、我王と續く時に限る事なり。是れはオへ續く故におのづからゴと言はるるなり。唯だに吾をアゴと言ふ事無し。こは吾自松原《ワガマツバラユ》と有りしが、自を乃に誤れるにて、初句は|ま《待》つへ懸かる枕詞なり。何處にまれ、唯だ松原よりと言ふなり。地名に有らずと言へり。卷十七、わがせこを安我松原|欲《ヨ》みわたせばとも詠めれば、此説に據るべし。
 參考 ○吾乃松原(考)アゴノマツバラ(古)アガマツバラヨ「乃」を「自」の誤とす(新)ワガマツバラユ「乃」を「自」の誤とす。
 
右一首今案。吾松原在2三重郡1相2去河口行宮1遠矣。若疑御2在朝明行宮1之時所v製御歌。傳者誤v之歟。  後人の註也。
 
丹比屋主《タヂヒノヤヌシ》眞人歌一首
 
續紀、寶字四年三月。散位從四位下多治比眞人家主卒と見ゆ。
 
1031 後爾之。人乎思久。四泥能埼。木綿取之泥而。將住【住ハ往ノ誤】跡其念。
おくれにし。ひとをおもはく。しでのさき。ゆふとりしでて。ゆかむとぞおもふ。
 
オモハクはオモフを延べ言ふ。シデは垂ルルを言ふ。今住と有るは往の誤なり。卷四、網兒《アゴノ》山いほへかくせる佐提の崎左手はへし子の夢にし見ゆると有るを思ふに、共に英虞郡なるべき由翁の説なり。され(69)ど神名帳、伊勢國朝明郁|志?《シデノ》神社有りて、朝明は三重に續ければ、其處の崎を言へるなるべし。卷四の佐提の崎の佐も、詩か信の誤にて、シデなるべき由卷四に言へり。心は旅行きし跡に留まれる妹を思ひて神に祈りつつ行くなり。
 參考 ○人乎思久(考)略に同じ(古、新)ヒトヲシヌバク。
 
右案此歌者不v有2此行宮之作1乎。所2以然言1v之。勅2大夫1從2河口行宮1還v京。勿v令2從駕1焉。何有d詠2思泥【泥ヲ沼ニ誤ル】埼1作歌u哉。  後人の註なり。
 
狹殘行宮大伴宿禰家持作歌二首
 
是れも同じ幸の度なれば、河口の行宮より出で給ひて、假りにおはしましし所なるべし。サザムと訓まんか。猶考ふべし。
 
1032 天皇之。行幸之隨。吾妹子之。手枕不卷。月曾歴去家留。
すめろぎ《おほきみ》の。いでましのまに。わぎもこが。たまくらまかず。つきぞへにける。
 
マニはママニなり。
 參考 ○天皇(古、新)オホキミノ。
 
1033 御食國。志麻乃海部有之。眞熊野之。小船爾乘而。奧部榜所見。
みけつくに。しまのあまならし。まくまぬの。をぶねにのりて。おきべこぐみゆ。
 
(70)オキベは沖方なり。志摩の浦、熊野浦、海は續きたれど、いと隔たりたるを、斯く言へるは故よし有らんか。猶考ふべし。
 
美濃國多藝行宮大伴宿禰|東人《アヅマド》作歌一首
 
續紀(元正)養老元年九月丁未。天皇行2幸美濃國1。戊申行至2近江國1觀2望淡海1云云。甲寅至2美濃國1云云。丙申幸2當耆郡多度山美泉1云云。甲子車駕還宮。十一月癸丑天皇臨v軒詔曰。朕以2今年九月1到2美濃國不破行宮1。留連數日。因覽2當耆郡多度山美泉1。自盥2手面1。皮膚如v滑。亦洗2痛處1。無v不2除癒1。在2朕之躬1其驗。又就而飲浴者。或白髪反v黒。或頽髪更生。或闇目如v明。自餘痼疾皆平癒云云。改2靈龜三年1爲2養老元年1。云云と見ゆ。
 
1034 從古。人之言來流。老人之。變若云水曾。名爾負瀧之瀬。
いにしへゆ。ひとのいひくる。おいびとの。わかゆちふみづぞ。なにおふたぎのせ。
 
人ノイヒクルは言ヒ傳ヘコシなり。ワカユはワカヤグを言ふ。
 參考 ○從古(考、新)略に同じ(古)イニシヘヨ ○人之言來流(考、新)略に同じ(古)ヒトノイヒケル ○變若云水曾(考)ワカユトフミヅゾ(古、新)ヲツチフミヅゾ。
 
大伴宿禰家持作歌一首
 
1035 田跡河之。瀧乎清美香。從古。宮仕兼。多藝乃野之上爾。
(71)たどかはの。たぎをきよみか。いにしへゆ。みやつかへけむ。たぎのぬのへに。
 
タド河は則ち多度山より流るる河なり。ミヤツカヘはツの言を清みて訓むべし。宮を仕へ奉ると言ふにて、即ち宮作る事にもなれりと宣長言へり。
 
不破《フハノ》行宮大伴宿禰家持作歌一首
 
1036 關無者。還爾谷藻。打行而。妹之手枕。卷手宿益乎。
せきなくは。かへりにだにも。うちゆきて。いもがたまくら。まきてねましを。
 
卷十七家持卿長歌、近からば加弊利爾太仁毛うちゆきて妹がたまくらさしかへてねてもこましを云云と詠めり。カヘリは俗に、立ち歸りに行きて來んと言ふなり。ウチは詞のみ。
 
十五年癸未秋八月十六日内舍人大伴宿禰家持讃2久邇京1作歌一首
 
續紀、天平十三年十一月戊申云云。號爲2大養コ恭仁《オホヤマトクニノ》大宮1と見ゆ。
 
1037 今造。久邇乃王都者。山河之。清見者。宇倍所知良之。
いまつくる。くにのみやこは。やまかはの。きよきをみれば。うべしらすらし。
 
山と川となり。シラスはシロシメスを言ふ。
 參考 ○清見者(考)略に同じ(古、新)サヤケキミレバ ○之宇倍所知良之(代)シラス(考)ウベシラルラシ(古、新)略に同じ。
 
(72)高丘河内《タカヲカノカフチノ》連歌二首
 
續紀、神龜元年五月。正六位下樂浪河内賜2姓高丘連1と見ゆ。
 
1038 故郷者。遠毛不有。一重山。越我可良爾。念曾吾世思。
ふるさとは。とほくもあらず。ひとへやま。こゆるがからに。おもひぞわがせし。
 
一重山は唯だ一重(ノ)山と言ふにて、地名に有らず。卷四、一|隔《ヘ》山重なるものをとも詠めり。越ユルガカラニは故ニと同じ。
 
1039 吾背子與。二人之居者。山高。里爾者月波。不曜十方余思。
わがせこと。ふたりしをれば。やまたかみ。さとにはつきは。てらずともよし。
 
ワガセコは友を指す。山に月を隔てたるなり。
 參考 ○二人之居者(新)フタリシヲラバ。
 
安積親王宴2左少辨藤原八束朝臣家1之日内舍人大伴宿禰家持作歌一首
 
安積親王、既に出づ。
 
1040 久方乃。雨者零敷。念子之。屋戸爾今夜者。明而將去。
ひさかたの。あめはふりしく。おもふこが。やどにこよひは、あかしてゆかむ。
 
オモフコはあるじ八束朝臣を言へるか。又思ふに相聞の古歌なるを、其時誦したるならんか。
(73) 參考 ○雨者零敷(考)略に同じ(古、新)アメハフリシケ。
 
十六年甲申春正月五日諸卿大夫集2安倍蟲麿朝臣家1宴歌一首  作者不v審。一本此四字無し。
 
1041 吾屋戸乃。君松樹爾。零雪乃。行者不去。待西【西ヲ而ニ誤ル】將待。
わがやどの。きみまつのきに。ふるゆきの。ゆきにはゆかじ。まちにしまたむ。
 
而、一本西と有るに據れり。松に待つを兼ねたり。ここよりは訪ひ行かじ、唯だ待ちて有らんとなり。古事記、君が行《ユキ》けながくなりぬ云云の歌を、誤りて卷二に載せたり。其末、待つにはまたじと言ふとは、同じきやうにて意異なり。
 
同月十一日登2活道《イクヂノ》岡1集2一株松下1飲歌二首
 
いくぢ、卷三に出づ。
 
1042 一松。幾代可歴流。吹風乃。聲之清者。年深香聞。
ひとつまつ。いくよかへぬる。ふくかぜの。こゑのすめるは。としふかみかも。
 
卷三、古き堤は年深みとも詠みて、年久しきを言ふ。
 參考 ○聲之清着(新)コエノキヨキハ。
 
右一首市原王作。
 
1043 霊剋。壽者不知。松之枝。結情者。長等曾念。
(74)たまきはる。いのちはしらず。まつがえを。むすぶこころは。ながくとぞおもふ。
 
卷二、有馬皇子の磐白の濱松が枝を引結びと詠み給へるに似て、是れは松は久しく年經るものなれば、齡を契るなり。玉キハル、枕詞。
 參考 ○念(考、古、新)モフ。
 
右一首大伴宿禰家持作。
 
傷2惜寧樂京荒墟1作歌三首  作者不v審。
 
1044 紅爾。深染西。情可母。寧樂乃京師爾。年之歴去倍吉。
くれなゐに。ふかくそみにし。こころかも。ならのみやこに。としのへぬべき。
 
紅は深く染みしを言はん爲のみ。賑ひたりし奈良の都の、深く心にしみて有ればにや、斯く荒れ行きても、猶ここに、吾が世經ぬべく思はるるとなり。
 參考 ○深染西(古、新)フカクシミニシ ○年之歴去倍吉(新)トシノヘヌ「禮者」レバ歟。
 
1045 世間乎。常無物跡。今曾知。平城京師之。移徒見者。
よのなかを。つねなきものと。いまぞしる。ならのみやこの。うつろふみれば。
 
盛なりし都の、荒れ行くを見て、世の常無きを知るなり。
 
1046 石綱乃。又變若【若ヲ著ニ誤ル】反。青丹吉。奈良乃都乎。又將見鴨。
(75)いはづなの。またわかがへり。あをによし。ならのみやこを。またもみむかも。
 
石ヅナノ、枕詞。わが命の若がへりてあらば、二たび又奈良を都とせらるるをも見んとなり。卷三、吾盛また將變《ヲチメ》やもほとほとにならの都を見ずか成なむと言ふも似たり。今本、著と有るは誤なり。一本若と有るによれり。
 參考 ○又變若反(考)略に同じ(古、新)マタヲチカヘリ ○又將見鴨(考)略に同じ(古、新)マタミナムカモ。
 
悲2寧樂故京郷1作歌一首并短歌  一本京の字無きに據るべし。
 
1047 八隅知之。吾大王乃。高敷爲。日本國者。皇祖乃。神之御代自。敷座流。國爾之有者。阿禮將座。御子之嗣繼。天下。所知座跡。八百萬。千年矣兼而。定家牟。平城京師者。炎乃。春爾之成者。春日山。御笠之野邊爾。櫻花。木晩?。【?ヲ※[穴/干]ニ誤ル】貌鳥者。間無數鳴。露霜乃。秋去來者。射鉤山。飛火(76)賀塊丹。芽乃枝乎。石辛見散之。狹男牡鹿者。妻呼令動。山見者。山裳見貌石。里見者。里裳住吉。物負之。八十伴緒乃。打經而。里【里ヲ思ニ誤ル】並敷者。天地乃。依會限。萬世丹。榮將往迹。思煎石。大宮尚矣。恃有。名良乃京矣。新世乃。事爾之有者。皇之。引乃眞爾眞荷。春花乃。遷日易。村鳥乃。旦立徃者。刺竹之。大宮人能。蹈平之。通之道者。馬裳不行。人裳徃莫者。荒爾異類香聞。
やすみしし。わがおほきみの。たかしかす。やまとのくには。かみ《すめ》ろぎの。かみのみよより。しきませる。くににしあれば。あれまさむ。みこのつぎつぎ。あめのした。しらしまさむと。やほよろづ。ちとせをかねて。さだめけむ。ならのみやこは。かぎろひの。はるにしなれば。かすがやま。みかさのぬべに。さくらばな。このくれがくり。かほどりは。まなくしばなき。つゆじもの。あきさりくれば。いこまやま。とぶひがをかに。はぎのえを。しがらみちらし。さをしかは。つまよびとよめ。やまみれば。やまもみがほし。さとみれば。さともすみよし。もののふの。やそとものをの。うちはへて。さとなみしけば。あめつちの。よりあひのきはみ。よろづよに。さかえゆかむと。おもひにし。おほみやすらを。たのめりし。ならのみやこを。あたらよの。ことにしあれば。おほきみの。ひきのまにまに。はるはなの。うつろひかはり。むらとりの。あさたちゆけば。さすたけの。おほみやびとの。ふみならし。かよひしみちは。うまもゆかず。ひともゆかねば。あれにけるかも。
 
タカシカスは高シラセマスなり。ヤマトは大和なり。皇祖の訓の事は、卷三の追加に言へり。アレマサムは生レ繼ギ給ハムなり。將座、一本座將と有り。此卷上にも例有り、何れにても有るべし。カギロヒノ、枕詞。カホ鳥は、呼子鳥と同じ物ならんと翁言はれき。射釣山、一本射駒と有り。又今本のままにて、(77)近津飛鳥の八釣山ならんかと翁の説なり。宣長云、イコマ、ヤツリ皆ここに叶はず。羽飼《ハカヒ》の誤ならん。卷十に、春日なる羽買の山ゆ云云と詠めりと言へり。猶考ふべし。飛火ガ塊、一本嵬と有り。何れにても有るべし。續紀、和銅五年正月、大和國春日烽を置きて平城に通ず由見ゆ。トヨメはトヨマセの約、令の字を書きて知らせたり。打ハヘテは、ウチは詞、ハヘは延なり。思並、一本里並と有るを善しとす。天地ノ依リアヒノキハミは、天地の相合ふまでと言ふにて、天地の有らん限りと言ふが如し。往の下の迹、一本コに作る。是れもトの假字なり。新ラ代は唯だ代と言ふ事なる事既に言へり。引ノマニマニは、天皇の率ゐさせ給ふままにと言ふなり。春花ノは、移り變ると言ふに冠らせたり。村鳥ノ、枕詞。往莫は下上とすべけれど、上にも斯かる例有り。さてこの都移しは、續紀、聖武天平十三年正月朔。天皇始御2恭仁宮1受v朝。宮垣未v就。繞以2帷帳1云云。天平十五年十二月辛卯初壞2平城大極殿并歩廊1。遷2造於恭仁宮1。四2年於1v茲。其功纔畢云云。此歌は、右のあくる年の歌なれば、其頃はや人も馬も、通はざりしさま著《シ》るし。
 參考 ○皇祖乃(古、新)スメロギノ ○所知座跡(代)シラシイマセト(考)シラシマサムト(古)シロシメサムト(新)略に同じ ○間無數鳴(古) マナクシバナク(新)略に同じ ○射鉤山(代)イカコヤマ(考)射駒山(古)「羽飼山」ハガヒヤマ (新)イツリヤマ ○飛火賀塊丹(考)略に同じ。但し塊を嵬とす(古)トブヒガタケニ(新)ヲカ ○妻呼令動(新)ツマヨビトヨム ○依會(78)限(代、新)ヨリアヒノカギリ(考)ヨリアフキハミ(古)略に同じ。
 
反歌二首
 
1048 立易。古京跡。成者。道之志婆草。長生爾異梨。
たちかはり。ふるきみやこと。なりぬれば。みちのしばくさ。ながくおひにけり。
 
長歌に、春花のうつろひかはりと言ふを繰返して詠めり、立カハリのタチは詞なり。
 
1049 名付西。奈良乃京之。荒行者。出立毎爾。嘆思益。
なつきにし。ならのみやこの。あれゆけば。いでたつごとに。なげきしまさる。
 
ナツキニシは馴付シなり。末は山で立ちて見るたびにと言ふなり。
 
讃2久邇新京1歌二首并短歌
 
布當《フタギノ》宮、三香原都と言ふも是れなり。共に山城相樂郡なり。卷十七にも讃2三香原新都1歌有り。
 
1050 明津神。吾皇之。天下。八嶋之中爾。國者霜。多雖有。里者霜。澤爾雖有。山並之。宜國跡。川次之。立合郷【郷ヲ卿ニ誤ル】跡。山代乃。鹿脊山際爾。宮柱。太敷奉。高知爲。布當乃宮者。河近見。湍音叙清。山近(79)見。鳥賀鳴慟。秋去者。山裳動響爾。左男鹿者。妻呼令響。春去者。岡【岡ヲ罔ニ誤ル】邊裳繁爾。巖者。花開乎呼理。痛※[?+可]怜。布當乃原。甚貴。大宮處。諾己曾。吾大王者。君之隨。所聞賜而。刺竹乃。大宮此跡。定異等霜。
あきつかみ。わがおほきみの。あめのした。やしまのうちに。くにはしも。おほくあれども。さとはしも。さはにあれども。やまなみの。よろしきくにと。かはなみの。たちあふさとと。やましろの。かせやまのまに。みやはしら。ふとしきたてて。たかしらす。ふたぎのみやは。かはちかみ。せのとぞきよき。やまちかみ。とりがねとよむ。あきされば。やまもとどろに。さをしかは。つまよびとよめ。はるされば。をかべもしじに。いはほには。はなさきををり。あな|にやし《あはれ》。ふたぎのはら。あなたふと。おほみやどころ。うべしこそ。わがおほきみは。きみのまに。きこしたまひて。さすたけの。おほみやここと。さだめけらしも。
 
明神吾皇は則ち天皇を指し奉る。山並云云、山しろは山山つらなりたれば言へり。河次も山並と言ふに同じく、川川の續けるを言ふなり。されば立チ合フサトと言へり。立チは詞のみ。郷、今本卿と有るは誤なり。鹿脊山、相樂郡なり。續紀、?山と書けり。フタギノミヤ、此地滝川の二すぢ落ち合ふ所にて、二(タ)多藝の意なるべし。慟は動の誤なるべし。岩ホニハ花咲キヲヲリは、岩ほに花の咲きかかりたるさまを言ふ。アナニヤシにても、アナアハレにても有るべし。同じく褒むる詞なり。君ガマニは、神ナガラと言ふに同じ、斯く山川の宜しき國と聞し召して、よろしくも大宮作りし給へる哉と言ふなり。刺竹ノ、枕詞。
 參考 ○八島之中爾(考)ナカニ(古、新)略に同じ ○太敷奉(考)略に同じ(古)フトシクマツ(80)リ(新)訓はフトシキタテテなれど誤字有る歟 ○慟(考)トヨミ(古、新)トヨム ○痛※[?+可]怜(考)アナニヤシ「※[?+可]」を「阿」とす(古)アナオモシロ(新)アナウマシ ○布當乃原(考)フタイノハラニ(古、新)フタギノハラ ○甚貴(考)イトタカキ(古、新)イトタフト ○君之隨(考)キミガマニ(古)略に同じ(新)「神隨《カムナガラ》」の誤字か ○所聞賜而(考、新)略に同じ(古)キカシタマヒテ。
 
反歌二首
 
1051 三日原。布當乃野邊。清見社。大宮處。 定異等霜。
みかのはら。ふたぎのぬべを。きよみこそ。おほみやどころ。さだめけらしも。
 
結句一本、此跡標刺とあり。ココトシメサセと訓むべし、シメユフと言ふにひとし。
 
1052 山【山ヲ弓ニ誤ル】高來。川乃湍清石。百世左右。神之味將往。大宮所。
やまたかく。かはのせきよし。ももよまで。かみしみゆかむ。おほみやどころ。
 
山、今本弓に作る。先人云、山の草書の弓と成れるなりと言へり。此集もと今の如く楷書ならねば、草書より見誤れる事少なからず。之味は佐備と通ひて、神サビと言ふに同じ。
 參考 ○弓高(代)ユタケク(古)略に同じ(新)「山」ヤヤタカ「未」ミ ○神之味(代)カミシミ(考)略に同じ(古、新)カムシミ。
 
(81)1053 吾皇。神乃命乃。高所知。布當乃宮者。百樹成。山者木高之。落多藝都。湍音毛清之。?乃。來鳴春部者。巖者。山下耀。錦成。花咲乎呼里。左牝【牡ヲ壯ニ誤ル】鹿乃。妻呼秋者。天霧合。之具禮乎疾。狹丹頬歴。黄葉散乍。八千年爾。安禮衝之乍。天下。所知食跡。百代爾母。不可易。大宮處。
わがおほきみ。かみのみことの。たかしらす。ふたぎのみやは。ももきなす。やまはこだかし。おちたぎつ。せのともきよし。うぐひすの。きなくはるべは。いはほには。やましたひかり。にしきなす。はなさきををり。さをしかの。つまよぶあきは。あまぎらふ。しぐれをいたみ。さにづらふ。もみぢちりつつ。やちとせに。あれつがしつつ。あめのした。しらしめさむと。ももよにも。かはるべからぬ。おほみやどころ。
 
百樹成の成は例の如クと言ふ意なれど、ここに叶はず。宣長云、成は盛《モル》の誤なり。モルは茂《シゲ》る事にて、森《モリ》の用語なりと言へり。錦ナスは如クなり。鹿の上の壯、一本牡に作るを善しとす。アマギラフ云云は、天の陰り含ひてしぐるるなり。サニヅラフ、枕詞。アレツガシは生れ繼がせ給ひてと云ふなり。卷一、藤原の大宮づかへ安禮衝|武《今哉》とも詠めり。
 參考 ○百樹成(考)モモキナル(古、新)モモキモル ○天霧合(代、古、新)略に同じ(考)アマギラヒ ○安禮衝之乍(考)アレツクシツツ(古)略に同じ(新)アレツカシツツ「ク」を清む ○所知食跡(考)略に同じ(古、新)シロシメサムト ○不可易(考)カハルベカラズ(古、新)(82)略に同じ。
 
反歌五首
 
1054 泉川。往瀬乃水之。絶者許曾。大宮地。遷往目。
いづみがは。ゆくせのみづの。たえばこそ。おほみやどころ。うつろひゆかめ。
 
泉川、相樂郡なり。
 
1055 布當山。山並見者。百代爾毛。不可易。大宮處。
ふたぎやま。やまなみみれば。ももよにも。かはるべからぬ。おほみやどころ。
 
1056 ※[女+感]嬬等之。續麻繋云。鹿脊之山。時之往者。京師跡成宿。
をとめらが。うみをかくとふ。かせのやま。ときのゆければ。みやことなりぬ。
 
鹿脊山も相樂郡に有るべし。をとめらが績《ウ》みたる麻《ヲ》を掛くる?《カセ》と言ひ下だして序とせり。?は四時祭式に加世比、また古語拾遺以v??v之と見えて、うみをを卷き掛くる具なり。卷十九、おほきみは神にしませは赤駒の腹ばふ田ゐを京師となしつと言ふに同じ。
 參考 ○續麻繋云(考)略に同じ(古)ウミヲカクチフ(新)兩訓 ○時之往者(考)略に同じ(古、新)トキシユケレバ。
 
1057 鹿脊之山。樹立矣繁三。朝不去。寸鳴響爲。?之音。
(83)かせのやま。こだちをしげみ。あささらず。きなきとよもす。うぐひすのこゑ。
 
朝サラズは朝ゴトニの意。
 
1058 狛山爾。鳴霍公鳥。泉河。渡乎遠見。此間爾不通。
こまやまに。なくほととぎす。いづみがは。わたりをとほみ。ここにかよはず。
[一云。渡遠哉《ワタリトホミヤ》、 不通有武《カヨハザルラム》。
 
狛山は相樂郡なり。長歌は春秋をのみ言へるを、反歌に、ほととぎすを詠めるはつきなし。此一首は別の歌なるべし。反歌五首と始に有れども、すべて歌數を書けるには採られぬ事所所にあり。
 
春日悲2傷三香原荒墟1作歌一首并短歌
 
續紀天平十五年十二月。更造2紫香樂《シカラキノ》宮1。仍停2恭仁宮(ノ)造作1焉とありて、未だ全く成らざる程に停められしなり。
 
1059 三香原。久邇乃京師者。山高。河之瀬清。在吉迹。人者雖云。在吉跡。吾者雖念。故去之。里爾四有者。國見跡。人毛不通。里見者。家裳荒有。波之異耶【耶下之ヲ脱ス】之。如此在家留可。三諸著。鹿脊山際爾。開花之。色目列敷。百鳥之。(84)音名束敷。在杲石。住吉里乃。荒樂苦惜喪。【喪ヲ哭ニ誤ル】
みかのはら。くにのみやこは。やまたかく。かはのせきよみ。ありよしと。ひとはいへども。ありよしと。われはおもへど。ふりにし。さとにしあれば。くにみれど。ひともかよはず。さとみれば。いへもあれたり。はしけやし。かくありけるか。みもろつく。かせやまのまに。さくはなの。いろめづらしく。ももとりの。こゑなつかしく。ありがほし。すみよきさとの。あるらくをしも。
 
宣長云、或人の説に、後の在吉の在は住の誤なるべし。末にアリガホシ住ヨキ里と有ればなりと言へり。是れ然るべし。耶の下、一本之の字有るに據る。されど此ハツケヤシの下、二句ばかり句の脱ちたるか。三諸著、一本天諸著と有り。共に誤れりと見ゆ。或説に、三諸は生緒の字の誤なるべし。さらばウミヲツク?と續けたるなり。生緒は績苧の借宇なりと言へり。宣長は著は繋の誤にて、ウミヲカクならんと言へり。在杲石、字典に杲は古老切、又下老切と有りて、カウの音なるをカホの假字に借りたるか。卷三にも見杲石《ミガホシ》と有り。集中カホ鳥を杲鳥と書けり。詞は在ガ欲シにて、居らまく欲しと言ふなり。見マクホシを見ガ欲《ホ》シと言ふ類ひなり。哭、一本喪に作るに據る。アルラクはアルルを延べ言ふなり。
 參考 ○山高(古、新)ヤマタカミ ○住吉跡(古、新)「住」スミヨシト ○波之異耶之の下(古)は脱無しとし(新)は脱有りとす ○三諸著(代、古)ミモロツク(考〕「天」アモリツク ○音名束敷(考)略に同じ(古、新)コヱナツカシキ。
 
反歌二【二ヲ三ニ誤ル】首
 
1060 三香原。久邇乃京者。荒去家里。大宮人乃。遷去禮者。
(85)みかのはら。くにのみやこは。あれにけり。おほみやびとの。うつりいぬれば。
 
ウツリイヌレバは、紫香樂《シガラキノ》宮所へ移り去ればと言ふなり。
 
1061 咲花乃。色者不易。百石城乃。大宮人叙。立易去流。
さくはなの。いろはかはらず。ももしきの。おほみやびとぞ。たちかはりぬる。
 
花の色は變らねども、大宮人は在りしに變れるなり。
 
難波宮作歌一首并短歌
 
續紀、天平十六年二月甲寅。運2恭仁高御座并大楯於難波宮1。又遣v使取2水路1。運2漕兵庫器仗1。乙卯恭仁京百姓情願v遷2難波宮1者恣聽v之と見ゆ。
 
1062 安見知之。吾大王乃。在通。名庭乃宮者。不知魚取。海片就而。玉拾。濱邊乎近見。朝羽振。浪之聲※[足+參]。夕薙丹。櫂合【合ハ衍文】之聲所聆。曉之。寐覺爾聞者。海石之。鹽干【干ヲ子ニ誤ル】乃共。?【?ヲ納ニ誤ル】渚爾波。千鳥妻呼。葭部爾波。鶴鳴動。視人乃。語丹爲者。聞人之。視卷欲爲。御食向。味原宮者。雖見不飽香聞。
やすみしし。わがおほきみの。ありがよふ。なにはのみやは。いさなとり。うみかたつきて。たまひろふ。はまべをちかみ。あさはふる。なみのとさわぎ。ゆふなぎに。かぢのときこゆ。あかときの。ねざめにきけば。あまいしの。しほひのむた。うらすには。ちどりつまよび。あしべには。たづなきとよみ。みるひと(86)の。かたりにすれば。きくひとの。みまくほりする。みけむかふ。あぢふのみやは。みれどあかぬかも。
 
在リ通フは、難波宮は度度幸も有りしなれば斯く言へり。海片ヅキテは、海邊に寄りたるを言ふ。濱邊一本濱徑に作る。ハマヂと訓むべし。朝羽フル、卷二、玉も沖つも朝羽振風|社《コソ》よせめと有るに同じ。※[足+參]、一本躁に作る。干禄字書、※[足+參]、躁(土俗下正)櫂は和名抄、棹、釋名云、在v旁撥v水曰v櫂。(亦作v棹漢語抄云、加伊)櫂1水中1且進v櫂也と有り。ここはカヂと訓むべし。合の字は衍文ならん。海石、按ずるに石は原の誤れるにや。ウナバラノと有るべし。又は若の誤にてワタヅミならんか。ムタは共と言ふ古語。納、一本?に作るを善しとす。集中多くウラと訓めり。其景色のよきを見て、其人の語り繼げば、其を聞く人は見まく欲りすると言ふなり。ミケムカフ、枕詞。味|原《フ》は攝津東生郡にて、則ち此難波の宮所なり。集中同じ地を味|經《フ》とも書けり。
 參考 ○玉拾(考、新)略に同じ(古)タマヒリフ ○海石之(考)「海原」ウナハラノ(古)ウミ「近」チカミ(新)「海若」ワタツミノ ○鶴鳴動(考)タヅガネトヨミ(古、新)タヅガネトヨム。
 
反歌二首
 
1063 有通。難波乃宮者。海近見。漁童女等之。乘船所見。
ありがよふ。なにはのみやは。うみちかみ。あまをとめらが。のれるふねみゆ。
 
1064 鹽干者。葦邊爾※[足+參]。白鶴乃。妻呼音者。宮毛動響二。
(87)しほひれば。あしべにさわぐ。あしたづの。つまよぶこゑは。みやもとどろに。
 
※[足+參]、一本躁とあり。同字なり。シラタヅと訓める例も無ければ、斯くてもアシタヅと訓めり。
 參考 ○白鶴乃(代)アシタヅ又はシラタヅ(考)白は百か(古、新)アシタヅノ。
 
過2敏馬浦1時作歌一首并短歌
 
1065 八千桙之。神乃御世自。百船之。泊停跡。八島國。百船純乃。定而師。三犬女乃浦者。朝風爾。浦浪左和寸。夕浪爾。玉藻者來依。白沙。清濱部者。去還。雖見不飽。諾石社。見人毎爾。語嗣。偲家良思吉。百世歴而。所偲將徃。清白濱。
やちほこの。かみのみよより。ももふねの。はつるとまりと。やしまぐに。ももふなびとの。さだめてし。みぬめのうらは。あさかぜに。うらなみさわぎ。ゆふなみに。たまもはきよる。しらまなご。きよきはまべは。ゆきかへり。みれどもあかず。うべしこそ。みるひとごとに。かたりつぎ。しぬびけらしき。ももよへて。しぬばえゆかむ。きよきしらはま。
 
八千ホコノ神は大己貴命の一の御名にして、上に言へる如く、少彦名命と共に、天の下を經營し給ふ神なれば、斯く言へり。船純、上にもフナビトと訓めり。ケラシキ、卷一、相挌良思吉《アラソフラシキ》と言へるに同じ詞なり。昔より良き湊にて、景色の見飽かぬを詠めるなり。
(88) 參考 ○所偲將往(考)シヌバシユカム(古、新)略に同じ ○清白濱(古)略に同じ(新)キヨミシラハマとも訓むべし。
 
反歌二首
 
1066 眞十鏡。見宿女乃浦者。百船。過而可徃。濱有七【七ハ亡ノ誤】國。
まそかがみ。みぬめのうらは。ももふねの。すぎてゆくべき。はまならなくに。
 
マソカガミ、枕詞。景色の見過し難きを言ふ。
 
1067 濱清。浦愛見。神世自。千船湊。大和太乃濱。
はまきよみ。うらうるはしみ。かみよより。ちぶねのはつる。おほわだのはま。
 
長歌は八千戈の神を言へれば、ここも神世よりと言へり。大ワダ、攝津なり。
 參考 ○浦愛見(考)ウラメヅラシミ(古、新)ウラウルハシミ ○湊(代)ツドフ(古、新)略に同じ。
 
右二十一首。田邊福麻呂之歌集中出也。
 
萬葉集 卷第六 終
 
(89)卷六 追加
瀧上の御舟の山に云云、清清は、藤原濱臣云、※[山+青]清の誤なるべし。字鏡、※[山+青]※[山+宮]深冥也。保良又|谷《タニ》と有り。慧林一切經音義に、※[山+青]※[山+營]、深冥高峻也と有り。さらばフカミサヤケミと訓むべくや。又高峻の意もて、タカミとも訓むべしと言へり。峻清の誤ならんと註しつれど字も似寄らず。※[山+青]の誤と爲ん方然るべし。さてフカミにては字義には善く適へれど、此歌にてはタカミと訓むべし。
 
(91)萬葉集 卷第七
 
此卷は古歌にて、誰が集とも知れ難きよし考の別記に言へり。
 
雜歌
 
詠v天
 
1068 天海丹。零之波立。月船。星之林丹。?隱所見。
あめのうみに。くものなみたち。つきのふね。ほしのはやしに。こぎかくるみゆ。
 
大空を海と見なせるより、雲を浪、月を舟と言ひ、星を林になずらへて、?ぎ隱ると言へり。人麻呂の心詞なり。
 
右一首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
詠v月
 
1069 常者曾。不念物乎。此月之。過匿卷。惜夕香裳。
つねはかつて。おもはぬものを。このつきの。すぎかくれまく。をしきよひかも。
 
常は惜とも思はぬ夜なれど、月の入る故に、此夜の惜まるるとなり。舊訓ツネハゾモと詠みたれど、卷十、木高くは曾木不植《カツテキウヱジ》、其外もカツテと詠めればかく訓みつ。
(92) 參考 ○常者曾(代、古、新)略に同じ(考)ツネハサゾ。
 
1070 丈【丈ヲ大ニ誤ル】夫之。弓上振起。借高之。野邊副清。照月夜可聞。
ますらをの。ゆずゑふりおこし。かりたかの。のべさへきよく。てるつくよかも。
 
弓末振リオコシは、獵と言はん序のみ。卷六、獵高の高まと山と詠めり。大和添上郡なり。野ベサヘのサヘは輕く心得べし。野べも何處もと言ふが如し。
 
1071 山末爾。不知夜歴月乎。將出香登。待乍居爾。與曾降家類。
やまのはに。いさよふつきを。いでむかと。まちつつをるに。よぞくだちける。
 
夜更けて、やや出でんとする月を詠めり。卷六、山之葉にいさよふ月の出でむかとわが待君が夜はくだちつつ、此卷末にも、一二の句同じくて、いつとかも吾持ちをるに夜は更けにつつと有り。
 
1072 明日之夕。將照月夜者。片因爾。今夜爾因而。夜長有。
あすのよひ。てらむつくよは。かたよりに。こよひによりて。よながからなむ。
 
明日の夜をも今宵に合せて、あくまで月を見まほしとなり。ヨヒと言ひて、古へ一夜の事にも言へり。
 
1073 玉垂之。小簾之間通。獨居而。見驗無。暮月夜鴨。
たまだれの。をすのまとほり。ひとりゐて。みるしるしなき。ゆふづくよかも。
 
玉ダレノ、枕詞。二の句より結句へ續く。見ルシルシナキは、獨り見ては見るかひ無きとなり。
(93) 參考 ○小簾之間通(考、古、新)ヲスノマトホシ。
 
1074 春日山。押而照有。此月者。妹之庭母。清有家里。
かすがやま。おしててりたる。このつきは。いもがにはにも。さやけかりけり。
 
オシテはオシナベテと言ふに同じ。妹が家にて、春日山を見やりて詠めるなるべし。
 參考 ○押而照有(代)略に同じ(考)ナベテテリタル(古、新)オシテテラセル ○清有家里(考)略に同じ(古、新)サヤケカル「羅思」ラシ。
 
1075 海原之。道遠鴨。月讀。明少。夜者更下乍。
うなばらの。みちとほみかも。つ|き《く》よみの。あかりすくなき。よはくだちつつ。
 
遲く出でたる月の、見る程も無くて更け過ぐるは、海路を出でし程の道の遠かりしにやと言ふなり。
 參考 ○月讀(古、新)ツクヨミノ ○明少(代、古)ヒカリスクナキ(考)ヒカリスクナク(新)「照遲」テラサクオソキ。
 
1076 百師木之。大宮人之。退出而。遊今夜之。月清左。
ももしきの。おほみやびとの。まかりでて。あそぶこよひの。つきのさやけさ。
 
宮中より出づるを、マカリ出テと言ふなり。後に物へまかるなど言ふは、やや轉じたるなり。
 
1077 夜干玉之。夜渡月乎。將留爾。西山邊爾。塞毛有糠毛。
(94)ぬばたまの。よわたるつきを。とどめむに。にしのやまべに。せきもあらぬかも。
 
アラヌカはアレカシなり。モは助辭。
 
1078 此月之。此間來者。且今跡香毛。妹之出立。待乍將有。
このつきの。ここにきたれば。いまとかも。いもがいでたち。まちつつあらむ。
 
宣長云、おのが家にて、月の影さす所を見て、早やここまで月の影の來つれば、夜は更けたり。妹が待つらんと言ふ意なりと意へり。
 參考 ○此間來者(代)ココニモ(考)コノコロクレバ(古、新)略に同じ。
 
1079 眞十鏡。可照月乎。白妙乃。雲香隱流。天津霧鴨。
まそかがみ。てるべきつきを。しろたへの。くもかかくせる。あまつきりかも。
 
マソ鏡、枕詞。いまだ月の出でぬを、白雲の立ち隱せるか、霧のおほひて見せぬかと言ふなり。
 
1080 久方乃。天照月者。神代爾加。出反等六。年者經去乍。
ひさかたの。あまてるつきは。かみよにか。いでかへるらむ。としはへにつつ。
 
年を經て月の光の變らぬは、神代へ立ちかへりては出づるならんと言ふなり。
 
1081 烏玉之。夜渡月乎。※[?+可]怜。吾居袖爾。露曾置爾鷄類。
ぬばたまの。よわたるつきを。おもしろみ。わがをるそでに。つゆぞおきにける。
 
(95)ワガヲルは、吾ガ見ツツ居ルと言ふを略けり。
 參考 ○※[?+可]怜(代、古、新)略に同じ(考)アハレトテ。
 
1082 水底之。玉障清。可見裳。照月夜鴨。夜之深去者。
みなぞこの。たまさへさやに。みゆべくも。てるつくよかも。よのふけゆけば。
 
玉は石なり。玉サヘは後に玉マデと言ふ詞の意なり。
 參考 ○玉將清(考、古、新)タマサヘキヨク ○可見裳(考、古)ミツベクモ(新)略に同じ ○夜之深去者(考、新)略に同じ(古)ヨノフケヌレバ。
 
1083 霜雲入。爲登爾可將有。久堅之。夜渡月乃。不見念者。
しもぐもり。すとにかあらむ。ひさかたの。よわたるつきの。みえぬおもへば。
 
夜霜くだらんとて、霧の如く陰るを霜グモリと言ふ。今俗モヤと言へり。見えぬを思へばと言ふべきヲの言を略けり。
 參考 ○不見念者(考)略に同じ(古)ミエナクモヘバ(新)兩訓。
 
1084 山末爾。不知夜經月乎。何時母。吾待將座。夜者深去乍。
やまのはに。いさよふつきを。いつとかも。わがまちをらむ。よはふけにつつ。
 
上に少し異にて載せたり。
 
(96)1085 妹之當。吾袖將振。木間從。出來月爾。雲莫棚引。
いもがあたり。わがそでふらむ。このまより。いでくるつきに。くもなたなびき。
 
卷二、石見海高角山の木の間ゆも吾ふる袖を妹見つらむかと言へる如く、妹があたりへ向ひて吾が振る袖を、木の間より月に見るらんに、雲なたな引きそとなり。
 
1086 靱懸流。伴雄廣伎。大伴爾。國將榮常。月者照良思。
ゆぎかくる。とものをひろき。おほともに。くにさかえむと。つきはてるらし。
 
卷三、安積皇子薨時、内舍人家持卿の長歌に、靱取負て天地と彌遠長に云云と詠みて、反歌に、大伴の名に負ふ靱負ひて萬代に憑《タノメ》し心いづくかよらむとも詠めり。大伴氏は武官の名有る家にて、さて其輩多き故に、伴の雄廣きと言へり。大伴ニと言ふは、衛門府の陣をさして言へるならん。心は大伴氏の護れる御門に、斯く月のくま無く明らかなるを見れば、ますます國榮えまさんと、大御國をも我家をも祝ひて詠めるなるべし。
 
詠v雲
 
1087 痛足河。河浪立奴。卷目之。由槻我高仁。雲居立【立ノ下、有ノ字ハ衍也。一本ニ依テ除ク】良志。
あなしがは。かはなみたちぬ。まきむくの。ゆつきがたけに。くもゐたつらし。
 
アナシ川、ユヅキガ獄、大和城上郡、古事記、麻岐牟久能比志呂乃美夜《マキムクノヒシロノミヤ》と書けり。其外マキムクと訓むべ(97)き證多し。雲ヰは古事記、和岐弊能迦多由久毛韋多知久母《ワギヘノカタユクモヰタチクモ》と有りて、唯だ雲の事を言へり。今本、雲居立の下、有の字有り。活本、有の字無きを善しとす。
 參考 ○卷目(古)略に同じ(新)マキモク ○雲居立有良志(代)クモヰタテルラシ(考)「雲立良志」クモゾタツラシ(古、新)略に同じ。
 
1088 足引之。山河之瀬之。響苗爾。弓月高。雲立渡。
あしびきの。やまがはのせの。なるなへに。ゆづきがたけに。くもたちわたる。
 
右二首共に、雨降ると言はずして知らせたり。
 
右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1089 大海爾。嶋毛不在爾。海原。絶塔浪爾。立有白雲。
おほうみに。しまもあらなくに。うなばらの。たゆたふなみに。たてるしらくも。
 
島には必ず山有れば、雲の立つものなるが、是れは島も無きに雲の立てると言ふなり。タユタフは、集中、猶豫不定と書けり。
 
右一首伊勢從駕作。 斯く書ける程にて名の無きは如何が。是れも後人の加へしならん。
 
詠v雨
 
1090 吾妹子之。赤裳裙之。將染?。今日之??爾。吾共所沾名。【名ヲ者ニ誤訳ル】
(98)わぎもこが。あかものすその。ひづちなむ。けふのこさめに。われさへぬれな。
 
染?は義を以て書けり。此字の書きざまをもて、ヒヅチ、ヒデの語釋すべし。今本、所沾者と有るは誤なり。者、一本名に作るに據れり。ヌレナはヌレムなり。心は妹が濡れなん雨にわれも濡れんと言ふなり。
 參考 ○將染?(代)シミヒヂム(考、新)略に同じ(古)ヒヅツラム ○吾共朗沾者(代)ワレトモニヌレバ(考)ワレモヌルレバ(古)アレサヘヌレ「名」ナ、又はアレモヌレナバ(新)略に同じ。
 
1091 可融。雨者莫零。吾妹子之。形見之服。吾下爾著有。
とほるべく。あめはなふりそ。わぎもこが。かたみのころも。われしたに|きたり《けり》。
 
下に著たる衣まで濡れ通るべく雨な降りそとなり。著有をケリとも訓むべし。
 參考 ○吾下爾著有(考)ワレシタニキタリ(古)アレシタニケリ(新)ワレシタニキタリ、又はケリ。
 
詠v山
 
1092 動神之。音耳聞。卷向之。檜原山乎。今日見鶴鴨。
なるかみの。おとのみききし。まきむくの。ひばらのやまを。けふみつるかも。
 
ナルカミノ、枕詞。
 
1093 三毛侶之。其山奈美爾。兒等手乎。卷向山者。繼之宜霜。
みもろの。そのやまなみに。こらがてを。まきむくやまは。つぎのよろしも。
 
(99)此ミモロは三輪山なり。考に委し。山ナミは山並なり。コラガテヲ、枕詞。下は山並の續きたるを褒め言ふなり。古今六帖につぎてよろしもと有れど、見のよろしも、着《キ》のよろしもなどの如く、ツギノと言へるかた古し。
 參考 ○繼之宜霜(代)ツギテシヨシモ(考、古)略に同じ(新) ツグガヨロシモ。
 
1094 我衣。色服染。味酒。三室山。葉黄葉爲在。
わがころも。いろにそめなむ。うまさけを。みむろのやまは。もみぢしにけり。
 
宣長云、色服は服色と有りしが、誤りて下上に成れるなり。意は三室山はもみぢしたり。吾衣も色に染めんとなり。在と書けるを必ずケリと訓むべき歌、集中に多しと言へり。
 參考 ○色服染(代)「服色染」イロニソメタリか(脂は初句につく)(考)イロヅキソメツ(古)「色將染」イロニシメナム(新)イロニシメテム ○味酒(考、古、新)ウマサケ ○黄葉爲在(考)モミヂシタルニ(古、新)略に同じ。
 
右三首、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1095 三諸就。三輪山見者。隱口乃。始瀬之檜原。所念鴨。
みもろつく。みわやまみれば。こもりくの。はつせのひばら。おもほゆるかも、
 
ミモロツクの詞例も無ければ、就は能の誤にて、三モロノと四言の句なるべし。又卷六、三諸著鹿脊山(100)と有るは、こことは異なり。其所に言へり。三輪の檜原を見て、初瀬の檜原を思ひ出づると言ふなり。
 參考 〇三諸就(考)「天」アモリツク(古、新)ミモロツク。
 
1096 昔者之。事波不知乎。我見而毛。久成奴。天之香具山。
いにしへの。ことはしらぬを。われみても。ひさしくなりぬ。あめのかぐやま。
 
 參考 ○我見而毛(古)アレミテモ(新)ワガミテモ。
 
1097 吾勢子乎。乞許世山登。人者雖云。君毛不來益。山之名爾有之。
わがせこを。こちこせやまと。ひとはいへど。きみもきまさず。やまのなならし。
 
コセは、神名帳、大和葛上郡巨勢山口神社と有り。吾背子をこなたへ來らせと言ふ意にて、コチコセ山と續けて、さてコセとは言へど、君も來らず、唯だ山の名のみならんと言ふなり。地名を斯く言ひ續くるは、奈良の里を、ふる衣きならの里と詠めるが如し。
 參考 ○乞許世山登(代、考、新)略に同じ(古)イデコセヤマト ○山之名爾有之(考、新)略に同じ(古)ヤマノナニアラシ。
 
1098 木道爾社。妹山在云。櫛【櫛ノ上ノ三ノ字脱ス】上。二上山母。妹許曾有來。
きぢにこそ。いもやまありとへ。みくしげの。ふたがみやまも。いもこそありけれ。
 
此下にも、木國の妹背の山にとも有り。妹山は川の此方なれど、大方に紀路と言へるなり。在リトヘは(101)在リトイヘなり。拾遺集に、あれのみやこもたりてへばと言ふテヘ詞に同じ。古くトフ、チフなど言へるを、後にテフとのみ言へるが如し。櫛の上、一本三の字有り。上はアゲの略にてミクシゲノと訓むべし。三は眞の意なり。さてフタと言はん枕詞なり。神名帳、大和葛下郡葛木二上神社と有り。卷二、大津皇子を二上山に葬る時、大來皇女の御《み》歌に、うつせみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世《イモセ》と吾見むと有るは異にて、今は此山の峰二つ並べるを妹有りと言ふなり。
 參考 ○在云(代)アリテヘ(考)略に同じ(古、新)アリトイヘ ○櫛上(代)クシゲノ(考、古)略に同じ(新)「玉」タマクシゲ。
 
詠v岳
 
1099 片崗之。此向峰。椎蒔者。今年夏之。陰爾將比疑。
かたをかの。このむかつをに。しひまかば。ことしのなつの。かげになみむか。
 
神名帳、葛下郡片岡坐神社有り。ムカツヲは向ヒノ岑なり。陰は日をさへん爲、ナミムカは、生ヒ竝ムカと言ふなり。又比は成の誤にてナラムカなりしにや。
 參考 ○陰爾將比疑(古)略に同じ、但し「比」は「化」の誤とす(新)カゲニ「化」ナラムカ。
 
詠v河
 
1100 卷向之。病足之川由。往水之。絶事無。又反將見。
(102)まきむくの。あなしのかはゆ。ゆくみづの。たゆることなく。またかへりみむ。
 
病は痛の字の誤か、此上にも然か書けり。行水ノ如クと言ふを略けり。又カヘリミムは、則ち其山川のさまを絶えず見んと云ふなり。
 
1101 黒玉之。夜去來者。卷向之。川音高之母。荒足鴨疾。
ぬばたまの。よるさりくれば。まきむくの。かはとたかしも。あらしかもとき。
 
山の嵐の疾《はや》ければにや、川音の高く聞ゆると言ふなり。
 
右二首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
1102 大王之。御笠山之。帶爾爲流。細谷川之。音乃清也。
おほきみの。みかさのやまの。おびにせる。ほそたにがはの。おとのさやけさ。
 
大キミノ、枕詞。三笠山は添上郡、惣名春日山なり。細谷川は地名に有らず。古今集に、一二句まがねふくきびの中山とて載す。也は徒に添へたり。
 
1103 今敷者。見目屋跡念之。三芳野之。大川余杼乎。今日見鶴鴨。
いましくは。みめやとおもひし。みよしぬの。おほかはよどを。けふみつるかも。
 
イマシクハは、今はなり。シクは助辭。此卷下に玉|拾之久《ヒロヒシク》、又そがひに宿之久《ネシク》と言へるクは助辭にて、今も是れにひとし。今は又も見る事は有るまじく思ひし吉野河を、今日見つるよと喜ぶ意なり。
(103) 參考 ○今敷者(考)略に同じ(古、新)イマシキハ ○見目屋跡念之(老、古、新)ミメヤトモヒシ。
 
1104 馬並而。三芳野河乎。欲見。打越來而曾。瀧爾遊鶴。
うまなめて。みよしぬがはを。みまくほり。うちこえきてぞ。たぎにあそびつる。
 
山路を馬にて越えて來て、吉野の瀧のもとに遊ぶなり。初句を四の句の上に置きて見るべし。
 
1105 音聞。目者未見。吉野川。六田之與杼乎。今日見鶴鴨。
おとにきき。めにはいまだみぬ。よしぬがは。むつたのよどを。けふみつるかも。
 
六田を、今ムタと言ふとぞ。
 參考 ○目者未見(考)メニハマダミヌ(古、新)略に同じ。
 
1106 河豆鳴。清川原乎。今日見而者。何時可越來而。見乍偲食。
かはづなく。きよきかはらを。けふみては。いつかこえきて。みつつしぬばむ。
 
今日見て又いつか見んと言ふなり。シヌバムは、此卷下に、よする白浪見つつしぬばむと詠めるも、目前に慕ふ意なれば、ここも又再び來りて、見つつめでんと意ふ意に詠めり。コエキテは、吉野山を越え來てなり。
 參考 ○何時可越來而(新)イツカ「又」マタキテ。
 
1107 泊瀬川。白木綿花爾。墮多藝都。瀬清跡。見爾來之吾乎。
(104)はつせがは。しらゆふばなに。おちたぎつ。せをさやけみと。みにこしわれを。
 
白木綿花ノ如クニと言ふなり。ユフ花は既に言へり。ワレヲのヲは助辭なり。卷六、おほきみのみことかしこみさしなみの國に出でますやわがせのきみをと言へる類ひなり。卷九、山高み白ゆふ花に落たぎつ夏みの川とみれどあかぬかも。
 
1108 泊瀬川。流水尾之。湍乎早。井提越浪之。音之清久。
はつせがは。ながるるみをの。せをはやみ。ゐでこすなみの。おとのさやけく。
 
水尾は、水脈にて水筋を言ふ。ヰデは堰なり。既に言へり。久は左か。又上にも例有りつれば也などの誤にて、サヤケサと有るべきにやと思へど、此下にも淨奚久《サヤケク》と有れば、斯くも言ひしなるべし。
 
1109 佐檜乃熊。【熊ヲ能ニ誤ル】檜隈川之。瀬乎早。君之手取者。將縁言毳。
さひのくま。ひのくまがはの。せをはやみ。きみがてとらば。よせいはむかも。
 
和名抄、大和高市郡檜隈(比乃久末)サは眞と同じ語の發語にて、ヒノクマを重ね言へり。ミヨシ野ノヨシ野などいふ類ひなり。河を渡る時瀬の早ければとて、手を取りなば、それによりて人の言ひ立てんかとなり。
 參考 ○將縁言毳(代)ヨラムワレカモ(考、古)コトヨセムカモ(新)略に同じ。
 
1110 湯種蒔。荒木之小田矣。求跡。足結出所沾。此水之湍爾。
(105)ゆだねまく。あらきのをだを。もとめむと。あゆひでてぬれぬ。このかはのせに。
 
ユダネは齋種なり。水口祭などして蒔けば言ふなり。アラキは、神名帳、大和宇智郡荒木神社有り。そこか。又は墾田を言へるか。アユヒは皇極紀歌に、やまとのをしのひろせをわたらむと阿庸比?豆矩梨《アヨヒタヅクリ》云云とも有りて、足を結ぶ物なり。和名抄、行纏本朝式云脛巾(俗云波波岐)と有る類ひなり。あゆひして出でて濡れぬると言ふなり。求の詞解き難し、誤字ならんか。考ふべし。是れは譬喩にて、人の齋兒を我物にせんとして、妨げられしを添へたるにや。宣長云、出は者の誤にて、アユヒハヌレヌなるべしと言へり。
 參考 ○求跡(考)アサラント(古、新)略に同じ ○足結出所沾(考)略に同じ(古)アユヒ「者」ハヌレヌ(新)アユヒ「曾」ゾヌレヌ。
 
1111 古毛。如此聞乍哉。偲兼。此古川之。清瀬之音矣。
いにしへも。かくききつつや。しぬびけむ。このふるかはの。きよきせのとを。
 
フル川は、初瀬にも石上にも有り。いづれにか。古人も此河の瀬の音を聞きてや、今吾が慕ふ如く慕ひつらんとなり。
 
1112 波禰蘰。今爲妹乎。浦若三。去來率去河之。音之清左。
はねかづら。いまするいもを。うらわかみ。いさいさがはの。おとのさやけさ。
 
(106)神名帳、大和添上郡率川坐大神御子神社と有り。ハネカヅラは、卷四にも言へり。今スル妹とは少女を言ふ。上はイサと言はん爲の序なり。さていさなふ意のみ。川の名は、イサ河なるを、イサイサ川と言ふは、上に巨勢山をコチコセ山と續けたるが如し。ウラ若ミのウラは、裏にて心の意なれば、ウラ若キと言ひて、いとけなき程を言へり。卷十一、本は全く同じくて、末、ゑみみいかりみ着てし紐とくと有り。
 參考 ○去來率去河之(古、新)イザイザカハノ。
 
1113 此小川。白氣結。瀧至。八信井上爾。事上不爲友。
このをがは。きりぞむすべる。たぎちゆく。はしりゐのうへに。ことあげせねども。
 
瀧、元暦本流とせり。ナガレユクと訓むべし。ハシリヰは、此卷下にも、落ちたぎつ走井水の清ければと有り。逢坂にも伊勢にも有り。神代紀、天照大神素盞嗚尊の十握の劔をこひとり、三きだに打折り、天の眞名井にふりすすぎて、吹きうつるいぶきの狹霧に生ませる神のみ名を、田心姫《タゴリヒメ》と曰ふと言へる事の有れば、今も井の上に霧立てるを見て、其古事を思ひて詠めるなり。言擧は前に出でたり。
 參考 ○白氣結(考、新)略に同じ(古)キリタナビケリ ○瀧至(代)至は去の誤か(考、新)略に同じ(古)「落瀧」オチタギツか ○八信井上爾(考)略に同じ(古)ハシヰノウヘニ(新)ハシリヰノヘニ ○事上不爲友(考、古)略に同じ(新)「事上」を「嗟」の誤字としナゲキセネドモ。
 
1114 吾紐【紐ヲ?ニ誤ル】乎。妹手以而。結八川。又還見。萬代左右荷。
わがひもを。いもがてもちて。ゆふ|は《や》がは。またかへりみむ。よろづよまでに。
 
結八川、吉野の内に有り。わが衣の紐を妹が手をもてゆふと懸けたる序なり。結八は、ユフヤにても有るべき歟。元暦本にユフヤと訓めり。
 參考 ○結八川(考)ユフバガハ(古)ユフヤガハ(新)ユフハ、ユフヤ兩訓。
 
1115 妹之紐。結八川内乎。古之。并【并ハ淑ノ誤】人見等。此乎誰知。
いもがひも。ゆふ|は《や》かふちを。いにしへの、よきひとみきと。こをたれかしる。
 
并人、舊訓ミナヒトと有れど、淑人の誤なるべし。吉野の地は、卷一、淑人のよしとよく見てよしといひしと詠み給ひ、卷九、古への賢き人の遊びけむなど言ひ、ある仙人も住める所なれば、斯くは言へるにや。よき人見きと言ひ傳ふれど、其人を誰かよく知ると言ふ意ならんか。下句穩かならず。直考ふべし。
 參考 ○結八川内乎(考)ユフバカフチヲ(古)ユフヤカフチヲ(新)ユワハ、ユフヤ兩訓 ○并人見等(代)ミナヒトミメド(考、新)略に同じ(古)「人并見管」ヒトサヘミツツ ○此乎誰知(考)略に同じ(古)ココヲ「偲吉」シヌビキ(新)「聞手」キキテタガシルか。
 
詠v露
 
1116 烏玉之。吾黒髪爾。落名積。天之露霜。取者消乍。
ぬばたまの。わがくろかみに。ふりなづむ。あめのつゆじも。とればきえつつ。
 
(108)ナヅムは滯る意にて、露霜の置き溜まると言ふなり。露霜は秋の末の早霜なり。卷二或本歌、ゐあかして君をば待むぬば玉の吾黒髪に霜はふるともと言へると同じ心なり。
 參考 ○取者消乍(考)略に同じ(古)トレバケニツツ(新)兩訓。
 
詠v花
 
1117 島廻爲等。礒爾見之花。風吹而。波者雖縁。不取不止。
あさりすと。いそにみしはな。かぜふきて、なみはよるとも。とらずはやまじ。
 
アサリは、鳥の食を求むるをもとにて、漁をも言へり。たとひ逢ひ難くとも、逢はずはやむまじと思ふ妹を、磯邊の花にそへたり。
 參考 ○島廻爲等(考)略に同じ(古、新)シマミスト ○波者雖縁(考)略に同じ(古)ナミハヨストモ(新)兩訓。
 
詠v葉
 
1118 古爾。有險人母。如吾等架。彌和乃檜原爾。挿頭折【折ヲ?ニ誤ル】兼。
いにしへに。ありけむひとも。わがごとか。みわのひばらに。かざしをりけむ。
 
かざしの爲めに折るなり。吾等はワガと訓むべき所に斯く書ける例多し。さて此古へに有りけん人は、指す人有りて詠めるなるべし。
 
(109)1119 往川之。過去人之。手不折者。裏觸立。三和之檜原者。
ゆくかはの。すぎにしひとの。たをらねば。うらぶれたてり。みわのひばらは。
 
ユク川ノ、枕詞。過ギニシ人は上に言へる古への人を言ふ。ウラブレは既に出づ。
 參考 ○過去人之(代、考、古)略に同じ(新)スギユクヒ()。
 
右二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
詠v蘿
 
1120 三芳野之。青根我峰之。蘿席。誰將織。經緯無二。
みよしぬの。あをねがみねの。こけむしろ。たれかおりけむ。たてぬきなしに。
 
アヲネは青嶺なり。こも一の名の如くなりたれば、又峰と重ね言ふなり。コケムシロは、筵を敷きたる如く苔むせるを云ふ。
 參考 ○青根我峰之(古、新)アヲネガタケノ。
 
詠v草
 
1121 妹所等。我通路。細竹爲酢寸。我通。靡細竹原。
いもがりと。わがかよひぢの。しぬずすき。われしかよはば。なびけしぬはら。
 
妹ガリは、妹ガ許なり。シヌはシナフを約め言ふ、細竹は借宇なり。ワレシのシは助辭。通路の道さま(110)たげなれば靡きよれと言ふなり。シヌハラは則ちシノズスキを言ふ。
 參考 ○我通路(古)アガユクミチノ(新)ワガカヨフミチノ。
 
詠v鳥
 
1122 山際爾。渡秋沙乃。往將居。其河瀬爾。浪立勿湯目。
やまのまに。わたるあきさの。ゆきてゐむ。そのかはのせに。なみたつなゆめ。
 
アキサは俗アイサと言ふ小鳧なり。無名抄、頼政、澄のぼる月の光に横ぎれてわたるあきさの音の寒けさとも詠みて、或人越後にては、今も雁をアイサと言ふと言へり。山のたわみを越え行く鳥のあさりせん河の瀬に、浪な立ちそとなり。
 
1123 佐保河之。清河原爾。鳴知鳥。河津跡二。忘金都毛。
さほがはの。きよきかはらに。なくちどり。かはづとふたつ。わすれかねつも。
 
千鳥の聲も蛙の聲も共に忘られぬとなり。卷三、おもほえず來ませる君をさほ河の蛙きかせず歸しつるかもと詠めり。宣長は河津は蛙に有らず。河津にて、千鳥の聲と其所の景色と二つなりと言へり。
 
1124 佐保河爾。小驟千鳥。夜三更而。爾音聞者。宿不難爾。
さほがはに。あそぶちどり。よくだちて。ながこゑきけば。いねがてなくに。
 
二の句六言に訓むべし。小驟の訓み猶有らんか、考ふべし。イネガテナクニはイネガテと言ふに同じく、(111)ナクは詞なり。
 參考 ○小驟千鳥(考)アソブチドリノ(古)サヲドルチドリ(新)シバナクチドリ「小」を衍とし驟の下に「鳴」を加ふ。
 
思2故郷1
 
1125 清湍爾。千鳥妻喚。山際爾。霞立良武。甘南備乃里。
きよきせに。ちどりつまよび。やまのまに。かすみたつらむ。かみなびのさと。
 
立ツラムと言へるに故郷を偲ぶ心有り。
 參考 ○千鳥妻喚(代、古、新)略に同じ(考)チドリツマヨブ。
 
1126 年月毛。未經爾。明日香河。湍瀬由渡之。石走無。
としつきも。いまだへなくに。あすかがは。せぜゆわたりし。いはばしもなし。
 
故郷を離れて年月も經ぬに、河瀬より渡りし岩橋も今は無しとなり。イハバシは、川瀬を踏み渡るべく、石を並べ置くを云ふ。
 
詠井
 
1127 隕田寸津。走井水之。清有者。度者吾者。去不勝可聞。
おちたぎつ。はしりゐのみづの。きよくあれば。わたりはわれは。ゆきがてぬかも。
 
(112)走井、上に出づ。水の清らなるに飽かねば、吾は渡りてはえ行かぬといふ意なり。ガテと言ふも、ガテヌと言ふも、同じ意に落つる事上に言へり。度、元暦本癈に作るは誤なり。
 參考 ○走井水之(古)ハシヰノミヅノ(新)略に同じ ○清有者(考)キヨカレバ(古)略に同じ(新)キヨケレバ ○度者吾者(代、考)ワタラバ(古)ワタラ「布」フアレハ(新)ワタリ「而」テワレハ。
 
1128 安志妣成。榮之君之。穿之井之。石井之水者。雖飲不飽鴨。
あしびなす。さかえしきみが。ほりしゐの。いはゐのみづは。のめどあかぬかも。
 
アシビナス、枕詞。此井を掘りし人は誰とも知られねど、指す所有りて詠めるなるべし。
 
詠2和琴1
 
1129 琴取者。嘆先立。蓋毛。琴之下樋爾。嬬哉匿有。
こととれば。なげきさきだつ。けだしくも。ことのしたひに。つまやこもれる。
 
下樋は、琴の腹のうつろなる所を言ふ。ケダシは若《モシ》と言ふ意なり。琴をとれば先づ歎かるるは、下樋の中に若し吾が思ふ妻やこもれると、はかなく詠めり。
 
芳野作
 
1130 神左振。磐根己凝敷。三芳野之。水分山乎。見者悲毛。
(113)かみさぶる。いはねこごしき。みよしぬの。みくまりやまを。みればかなしも。
 
古事記、天之水分神(訓v分云2久麻理1)神名帳、吉野水分神社あり。カナシモは愛づる詞なり。
 參考 ○神左振(古、新)カムサブル ○水分山乎(代)ミコモリヤマヲ(考、古、新)畧に同じ。
 
1131 皆人之。戀三吉野。今日見者。諾母戀來。山川清見。
みなひとの。こふるみよしぬ。けふみれば。うべもこひけり。やまかはきよみ。
 參考 ○皆人之(古)「人皆之」ヒトミナノ(新)畧に同じ。
 
1132 夢乃和太。事西在來。寤毛。見而來物乎。念四念者。
いめのわだ。ことにしありけり。うつつにも。みてこしものを。おもひしもへば。
 
夢ノワダ、吉野の内に有り。卷三、吾行は久にはあらじ夢のわだ云云と詠めり。事には言になり。シは助辭。夢とは詞に言ふのみにて、思ひに思へば、現に見て來りしとなり。
 
1133 皇祖神之。神宮人。冬薯蕷葛。彌常敷爾。吾反將見。
すめろぎの。かみのみやびと。まさき《ところ》づら。いやとこしきに。わがかへりみむ。 
皇祖神とは書きたれど、ここは上つ代の天皇を申すなれば、スメロギと訓むべし。神ノ宮人は則ち宮人を云ひて、御代御代傳へて仕へ來しと言ふ意なり。末は葛《カヅラ》の如くいやとこしなへに吉野を行き返り見んとなり。冬薯蕷、古訓サネカヅラと有れど據どころなし。和名抄本草云、薯蕷一名山芋(和名夜萬都(114)以毛)と有りて、冬薯蕷と言へる物見えず。六帖にすべらぎの神の宮人まさきづらいやとこしきに我かへり見むと有るによりて、しばらくマサキヅラと訓みつ。宣長は是れをトコロヅラと訓めり。古事記(景行條)御歌に、伊那賀良爾波比母登富呂布登許呂豆良《イナガラニハヒモトホロフトコロヅラ》と有るをもてなり。トコロは、和名抄、?(和名土古呂)と有りて、薯蕷とは異なれど、相似たる物なれば斯くも書けるか。トコロヅラとする時は、トコシキと詞を重ねん爲の序にて、是れ然るべく覺ゆ。
 參考 ○冬薯蕷葛(代)マサカヅラ(考)フユモツラ(古、斯)トコロヅラ ○彌恒敷爾(代)畧に同じ(古、新)イヤトコシクニ。
 
1134 能野川。石迹柏等。時齒成。吾者通。萬世左右二。
よしぬがは。いはとがしはと。ときはなす。われはかよはむ。よろづよまでに。
 
宣長云、石迹柏は石常磐《イハトコシハ》なり。堅磐をカタシハと言ふ例なり。イハをシハと云ふは、稻《イネ》をシネと言ふに同じと、言へり。トキハも則ち常磐にて、同じ詞なれど、其磐のときはなるが如くにと重ね言へるのみ。
 
山背作
 
1135 氏河齒。與杼湍無之。阿自呂人。舟召音。越乞所聞。
うぢがはは。よどせなからし。あじろびと。ふねよばふこゑ。をちこちきこゆ。
 
アジロは、よどみなき所に杭打ちわたす物なれば、斯く言へり。さて渡る瀬のいづこと言ふ定まりも無(115)きにや。彼方《アチ》にも此方《コチ》にもあじろ守る人の舟呼ぶ聲の聞ゆとなり。
 參考 ○舟召音(考)フネヨブコエハ(古、新)畧に同じ。
 
1136 氏河爾。生菅藻乎。河早。不取來爾家里。※[果/衣]爲益緒。
うぢがはに。おふるすがもを。かははやみ。とらずきにけり。つとにせましを。
 
菅藻と言へる一種有るか。又スガは清の意か。都人の珍らしむ物故に、家づとにせんとなるべし。
 參考 ○不取來爾家里(考)トラデキニケリ(古、新)畧に同じ。
 
1137 氏人之。譬乃足白。吾在者。今齒王【王ハ与ノ誤】良増。木積不來【來ハ成ノ誤】友。
うぢびとの。たとへのあじろ。われならば。いまはよらまし。こづみならずとも。
 
氏人は宇治の里人を言ふ。王良増、舊訓、キミラゾと有れど由無し。王、一本生に作る。与の誤か。來は成の誤なるべし。一二の句は、物の部の八十氏川と、はやく詠めれば、斯く言ひて宇治川の事なるか。さて、足代はわれにて有らば、思ふ人の吾によらん物を、こづみに有らずともと言ふなり。木ヅミは流れ寄る芥を言ふ。按ずるに二の句誤字有らん。猶考ふべし。宣長云、吾は君の誤なるべしと言へり。
 參考 ○譬乃足白(考)畧に同じ(古、新)タトヒノアジロ
○吾在者(考、新)畧に同じ(古)「君」キミシアラバ ○今齒王良増(考)「王」を「世」の誤とすイマハヨラマシ(古)略に同じ(新)イマハサラマシ「王」を「去」の誤とす ○木積不來友(考、古)略に同じ(新)コツミコズトモ。
 
(116)1138 氏河乎。船令渡呼跡。雖喚。不所聞有之。?音毛不爲。
うぢがはを。ふねわたせをと。よばへども。きこえざるらし。かぢのともせず。
 
ワタセヲは、ワタセヨと言ふにひとし。ヨバヘドモは、ヨベドモを延べ言ふなり。
 參考 ○?音毛不爲(考、古)畧に同じ(新)カヂノ音モセヌ。
 
1139 千早人。氏川浪乎。清可毛。旅去人之。立難爲。
ちはやびと。うぢがはなみを。きよみかも。たびゆくひとの。たちがてにする。
 
チハヤ人、枕詞。タチガテニスルは、立ち去り難く思ふなり。古今集、けふのみと春をおもはぬ時だにも立つ事やすき花の陰かは、と言へる類ひなり。
 
攝津作
 
1140 志長鳥。居名野乎來者。有間山。夕霧立。宿者無爲。
しながとり。ゐなぬをくれば。ありまやま。ゆふぎりたちぬ。やどはなくして。
 
シナガトリ、枕詞。和名抄、河邊郡爲奈。神名帖、豐島郡爲奈都比古神社有り。何れにか、土人に問ふべし。有間山は、同國有馬郡の山なり。
 
一本云。猪名乃|浦廻乎榜來者《ウラマヲコギクレバ》。
 
是れは、ヤドハナクシテと言ふにかなはざれば惡ろし。
 
(117)1141 武庫河。水尾急嘉。赤駒。足何久激。沾祁流鴨。
むこがはの。みづをはやみか。あかごまの。あがくそそぎに。ぬれにけるかも。
 
ムコ河は武庫部。アガク足掻クなり。
 參考 ○武庫河(考、新)略に同じ(古)ムコノカハ ○水尾急嘉(考、新)ミヲヲハヤミカ(古)ミヲヲハヤミト「嘉」を三等の誤とす ○足何久激(考)略に同じ(古、新)アガクタギチニ。
 
1142 命。幸久吉。【吉ハ在ノ誤】石流。【流ハ激ノ誤】垂水水乎。結飲都。
いのちを。さきくあらむと。いはばしる。たるみのみづを。むすびてのみつ。
 
初句四言、イハバシル、枕詞。垂水は攝津豐島郡なり。垂水と言へる所は、かたがたに有れど、津國の垂水は、姓氏録に、孝元天皇御世天下旱魃。河井涸絶。于v時阿利眞公造2作高樋1。以垂2水(ヲ)四山1、基v之令v通2水(ヲ)宮内1。供2奉御膳1云云と有りて、其水の名高ければ、結びて飲むに命も延ぶる由言ひ傳へたるなるべし。宣長云、吉は在の誤なりと言へり。流は激の誤なり。
 參考 ○幸久吉(考)サキクヒサシキ(古、新)サキクアラムト「吉」を「在」の誤とす。
 
1143 作夜深而。穿江水手鳴。松浦船。梶音高之。水尾早見鴨。
さよふけて。ほりえこぐなる。まつらぶね。かぢのとたかし。みをはやみかも。
 
仁コ紀十一年、宮北の郊原を掘りて、南水を引きて西海に入らしむ。よて其水を堀江と言ふ由あり。肥(118)前松浦の船の行き通ふなり。
 
1144 悔毛。滿奴流鹽鹿。墨江之。岸乃浦回從。行益物乎。
くやしくも。みちぬるしほか。すみのえの。きしのうらまゆ。ゆかましものを。
 
汐の滿ち來て、浦廻を歩み行き難きなり。
 參考 ○岸乃浦回從(古)キシノウラミヨ(新)キシノウラミユ。
 
1145 爲妹。貝乎拾等。陳奴乃海爾。所沾之袖者。雖凉常不干。【干ヲ十ニ誤ル】
いもがため。かひをひろふと。ちぬのうみに。ぬれにしそでは。ほせどかわかず。
 
チヌは和泉、上に出づ。常の字餘れれど、此卷下に、雖干跡不乾とも書きたれば、ここも常は添へたるのみなり。式に曝凉を曝者陽乾、凉者風凉也と有れば、凉をホスと訓むべし。
 參考 ○貝乎拾等(古)カヒヲヒリフト。
 
1146 目頬敷。人乎吾家爾。住吉之。岸乃黄土。將見因毛欲得。
めづらしき。ひとをわぎへに。すみのえの。きしのはにふを。みむよしもがも。
 
メヅラシキは、愛づる意、ワギヘは吾イヘの略、スムとは男女相住むなり。本はスミと言はん序のみ。
 參考 ○人乎吾家爾(古)略に同じ(新)ヒト「与」トワギヘニ。
 
1147 暇有者。拾爾將往。住吉之。岸因云。戀忘貝。
(119)いとまあらば。ひろひにゆかむ。すみのえの。きしによるとふ。こひわすれがひ。
 
紀氏新撰にも、古今集墨滅のうちにも、戀忘草として、詞少し變へたるのみにて、同じ樣の歌有り。契沖云、ワスレ貝は美しき貝ゆゑに、見れば憂き事を忘るとて名付くと言へり。
 參考 ○拾爾將往(古)ヒリヒヒニユカム(新)ヒロヒニユカム ○岸因云云(古)キシニヨルチフ(新)略に同じ。
 
1148 馬雙而。今日吾見鶴。住吉之。岸之黄土。於萬世見。
うまなめて。けふわがみつる。すみのえの。きしのはにふを。よろづよにみむ。
 
於は、ニの假字に用ひたる例有り。
 
1149 住吉爾。往云道爾。昨日見之。戀忘貝。事二四有家里。
すみのえに。ゆくとふみちに。きのふみし。こひわすれがひ。ことにしありけり。
 
忘貝と言ふは、言のみにて、住吉の景色の忘られぬとなり。
 參考 ○往云道爾(代、古、新)ユキニシミチニ「云」を「去」の誤とす(考)略に同じ。
 
1150 墨【墨ヲ黒ニ誤ル】吉之。岸爾家欲得。奧爾邊爾。縁白浪。見乍將思。
すみのえの。きしにいへもがも。おきにへに。よするしらなみ。みつつしぬばむ。
 
此岸に家居《イヘヰ》せば、沖にも邊にもよる浪を、常に見つつ賞《メ》でんとなり。ここのシヌバムは此卷上に、河づ(120)なく清き川原をけふ見てはいつかこえきて見つつしぬばむと、詠めるにひとしく、今見るさまを言ふなり。
 參考 ○家欲得(代)イヘモガモ、又はイヘモガ(考、古、新)イヘモガ。
 
1151 大伴之。三津之濱邊乎。打曝。因來浪之。逝方不知毛。
おほともの。みつのはまべを。うちさらし。よりくるなみの。ゆくへしらずも。
 
オホトモノ、枕詞。卷三、物のふの八十氏河のあじろ木にいさよふ浪の行へしらずもと、言ふに同じ意なり。サラシは、アラフと言ふに同じ。
 參考 ○因來浪之(考、古)ヨセクルナミノ(新)ヨセコシナミノ。
 
1152 梶之音曾。髣髴爲鳴。海未通女。奧藻苅爾。舟出爲等思母。
かぢのとぞ。ほのかにすなる。あまをとめ。おきつもかりに。ふなですらしも。
 
一云。暮去者《ユフサレバ》。梶之音爲奈利。
 
1153 住吉之。名兒之濱邊爾。馬並【並ヲ立ニ誤ル】而。玉拾之久。常不所忘。
すみのえの。なごのはまべに。うまなめて。たまひろひしく。つねわすらえず。
 
並、今本立と有り。一本に據りて改めつ。玉拾シクは、此卷上に今しくはと詠み、卷十四、やますげのそがひに宿思久《ネシク》いましくやしもと詠めるに同じく、ここは久を助辭と見るべし。名兒は住吉郡なり。
 
(121)1154 雨者零。借廬者作。何暇爾。吾兒之鹽干爾。玉者將拾。
あめはふる。かりほはつくる。いつのまに。あごのしほひに。たまはひろはむ。
 
アゴは、專ら志摩|英虞《アゴノ》郡なれど、住吉のナゴを、アゴとも稱へしにや、次にも阿胡と詠めり。イツノマニは、イツノヒマニカと言ふ意なるを、知らせんとて斯く書けり。
 參考 ○吾兒(代、古、新)アゴ(考)「名」ナゴ ○玉者將拾(古)タマハヒリハム(新)略に同じ。
 
1155 奈呉乃海之。朝開之奈凝。今日毛鴨。磯之浦回爾。亂而將有。
なごのうらの。あさけのなごり。けふもかも。いそのうらまに。みだれてあらむ。
 
アサケは、朝明の略。ナゴリは朝潮の引きたる餘波なり。ウラは裏なり。亂レテアラムは、玉藻海松の類ひを言ふなり。
 參考 ○朝開之奈凝(古)略に同じ(新)「潮干」シホヒノナゴリ ○今日毛鴨(古)略に同じ(新)イマモカモ「日」を衍とす ○浦回(古、新)ウラミ。
 
1156 住吉之。遠里小野之。眞榛以。須禮流衣乃。盛過去。
すみのえの。とほざとをぬの。まはりもて。すれるころもの。さかりすぎゆく。
 
遠里小野、住吉に有る地名なり。榛もて摺れる衣の日を經て、色の變りたるを詠めり。卷十六長歌、住吉の遠里を野のまはりもてにほししきぬに云云。天武紀、蓁《ハリ》摺御衣と有る是れなり。
(122) 參考 ○遠里小野之(古)ヲリノヲヌノ(新)略に同じ ○眞榛以(考)マハギモテ(古、新)マハリモチ ○盛過去(古、新)サカリスギヌル。
 
1157 時風。吹麻久不知。阿胡乃海之。朝明之鹽爾。玉藻苅奈。
ときつかぜ。ふかまくしらに。あごのうみの。あさけのしほに。たまもかりてな。
 
汐時の風の吹かんも知らねば、朝明の和《ナゴ》やかなる程に、玉藻刈らんと言ふなり。
 參考 ○吹麻久不知(古)略に同じ(新)フカマクシラズ。
 
1158 住吉之。奧津白浪。風吹者。來依留濱乎。見者淨霜。
すみのえの。おきつしらなみ。かぜふけば。きよするはまを。みればきよしも。
 
オキツ白浪と言ふより、來ヨスルと句を隔てて續くなり。
 
1159 住吉之。岸之松根。打曝。縁來浪之。音之清羅。【羅ハ霜ノ誤】
すみのえの。きしのまつがね。うちさらし。よりくるなみの。おとしきよしも。
 
羅、一本霜と有るに據るべし。舊訓オトノサヤケサと訓みたれど、羅をサの假字に用ひんやう無し。
 參考 ○縁來浪之(古)ヨセクルナミノ(新)兩訓 ○音之清羅(古)略に同じ(新)オトノサヤケサ「羅」は「紗」か。
 
1160 難波方。鹽干丹立而。見渡者。淡路島爾。多豆渡所見。
(123)なにはがた。しほひにたちて。みわたせば。あはぢのしまに。たづわたるみゆ。
 
羇旅作
 
1161 離家。旅西在者。秋風。寒暮丹。雁喧渡。
いへさかり。たびにしあれば。あきかぜの。さむきゆふべに。かりなきわたる。
 
イヘサカリは、家を出で離れてなり。
 
1162 圓方之。湊之渚鳥。浪立也。【也ヲ巴ニ誤ル】妻唱立而。邊近著毛。
まとかたの。みなとのすどり。なみたてや。つまよびたてて。へにちかづくも。
 
マトカタは、伊勢風土記に、的形浦者此浦地形似v的。故以爲v名也と有り。ス鳥は洲に住む鳥なり。也今本、巴に作るは誤なり。浪タテヤは、タテバヤのバを略けるなり。
 
1163 年魚市方。鹽干家良思。知多乃浦爾。朝?舟毛。奧爾依所見。
あゆちがた。しほひにけらし。ちだのうらに。あさこぐふねも。おきによるみゆ。
 
アユチは、和名抄、尾張愛智郡(阿伊知)チダは同國智多郡有り。其處の浦なり。
 參考 ○知多乃浦爾(古)「爾」は「乎」の誤か。
 
1164 鹽干者。共滷爾出。鳴鶴之。音遠放。礒回爲等霜。
しほひれば。ともにかたにいで。なくたづの。こゑとほざかる。あさりすらしも。
 
(124)二の句古訓、トモカタニイデテと有る故に地名と聞ゆれど然らず。是れは潮干れば、やがて共に干潟と成るままに、鶴の遠く出でてあさるを詠めり。
 參考 ○共滷爾出(代)ムタカタ(考)トモガタニデテ「鞆浦の潟とす」(古〕トモニカタニデ(新)「干」ヒガタニイデテ ○音(代、古、新)略に同じ(考)オト ○礒回爲等霜(考)略に同じ(古、新)イソミスラシモ。
 
1165 暮名寸爾。求食爲鶴。鹽滿者。奧浪高三。己妻喚。
ゆふなぎに。あさりするたづ。しほみてば。おきなみたかみ。おのがつまよぶ。
 
 參考 ○己妻喚(代)オノツマヲヨブ(考、新)略に同じ(古)オノヅマヨブモ。
 
1166 古爾。有監人之。覓乍。衣丹摺牟。眞野之榛原。
いにしへに。ありけむひとの。もとめつつ。きぬにすりけむ。まぬのはりはら。
 
牟を拾穗本に監に作る。マ野は、卷三、高市黒人二首の内、一首は眞野のはり原を詠み、一首は猪名野、名次山など詠みたれば攝津なり。右の黒人のはり原を詠めるも、古へ人のめでけん由有りて詠めるならん。
 
1167 朝入爲等。礒爾吾見之。莫告藻乎。誰島之。白水【白水ヲ泉ニ誤ル】郎可將刈。
あさりすと。いそにわがみし。なのりそを。いづれのしまの。あまかかるらむ。
 
(125)アサリはイサリなり。此卷上にあさりすと磯にみし花風吹て浪はよるともとらずはやまじと言へるに似たり。これも譬喩歌にて、吾が見そめし妹を、誰か我ものにすらんと言ふ意なるべし。誤りて旅の歌に入れしならん。
 參考 ○白水郎可將刈(考、古)略に同じ(新)アマカカリナム。
 
1168 今日毛可母。奧津玉藻者。白浪之。八重折之於丹。亂而將有。
けふもかも。おきつたまもは。しらなみの。やへをるがうへに。みだれてあらむ。
 
卷廿長歌、しらなみの夜敝乎流我宇倍爾《ヤヘヲルガウヘニ》とあり。ヤヘヲルは、いや折りしく意なり。浪は、物を折りかへすさまに見ゆる物なれば言へるならん。古今集大歌所の歌の、めさしぬらすな沖にをれ浪と言へるも同じ。
 參考 ○八重折之於丹(代、古、新)略に同じ(考)ヤヘヲリノウヘニ。
 
1169 近江之海。湖者八十。【十ヲ千ニ誤ル】何爾加。君之舟泊。草結兼。
あふみのみ。みなとはやそぢ。いづくにか。きみがふねはて。くさむすびけむ。
 
十、今本千に作るは誤なり。一本に據りて改めつ。周防守康定主の考に、者は有の誤にて、ミナトヤソアリなりと有り。卷十、天の川河門八十有り。卷十三、近江の海泊八十有など、例多ければ此説に據るべし。集中多く八十の湊とも詠みて、いと廣くて湊の數多き事に言へり。草を結ぶは、旅行く道の標なり。(126)いづれ湊に船着きて、いづくの道をか行くらんと、旅行く人を思ひて詠めるなり。
 參考 ○湖者八十(考、新)略に同じ(古)ミナト「有八十」ヤソアリ。
 
1170 佐左浪乃。連庫山爾。雲居者。雨曾零智否。反來吾背。
ささなみの。なみくらやまに。くもゐれば。あめぞふるちふ。かへりこわがせ。
 
ササナミは、冠辭考に委し。近江の地名なり。其|篠並《ササナミ》に有るナミクラ山なり。家に留まれる妻の歌なるべし。
 
1171 大御舟。竟而佐守布。高島之。三尾勝野之。奈伎左思所念。
おほみふね。はててさもらふ、たかしまの。みをのかちぬの。なぎさしおもほゆ。
 
和名抄、近江高島郡三尾郷あり。同郡角野(津乃)と言ふも有り。按ずるに、角野、古へカド野と言ひしにや。さらば此勝野は、其處なるべし。是れは從駕の人の歌にて、勝野に由有りて詠めるならん。
 
1172 何處可。舟乘爲家牟。高島之。香取乃浦從。己藝出來船。
いづくにか。ふなのりしけむ。たかしまの。かとりのうらゆ。こぎでくるふね。
 
香取浦も高島郡なり。
 參考 ○己藝出來船(考、新)略に同じ(古)コギテコシフネ。
 
1173 斐太人之。眞木流云。爾布之河。事者雖通。船曾不通。
(217)ひだひとの。まきながすとふ。にふのかは。ことはかよへど。ふねぞかよはぬ。
 
ヒダ人は、賦?令、斐陀國庸調倶免、毎v里點匠丁十人云云と見えて、古へ飛騨の國より匠の出でたれば、木だくみをも、そま人をもヒダ人と言ふなり。丹生河は大和なり。是れは譬喩歌なるべし。旅の歌にて、まのあたり見るさまならば、眞木流ストフとは詠むべからず。其河は、眞木流すによりて舟の通はぬを、言はかたみに言ひ通へど、逢ひ難きに添へたるなるべし。
 參考 ○眞木流云(考、新)略に同じ(古)マキナガスチフ ○不通(考)カヨハズ(古、新)略に同じ。
 
1174 霰零。鹿島之崎乎。浪高。過而夜將行。戀敷物乎。
あられふり。かしまのさきを。なみたかみ。すぎてやゆかむ。こひしきものを。
 
アラレフリ、枕詞。鹿島は常陸なり。其地のさまの戀ひしけれど、浪荒ければ、あかで過ぎ行かんとなり。
 
1175 足柄乃。筥根飛超。行鶴乃。乏見者。日本之所念。
あしがらの。はこねとびこえ。ゆくたづの。ともしきみれば。やまとしおもほゆ。
 
アシガラは相模なり。都の方へ稀に飛び越えて行く鶴を見て、いとど故郷の思はるるなり。
 
1176 夏麻引。海上滷乃。奧津洲爾。鳥者簀竹跡。君者音文不爲。
なつそひく。うなかみがたの。おきつすに。とりはすだけど。きみはおともせぬ。
 
(128)夏ソ引、枕詞。海上ガタは、和名抄、上總海上郡有り。其處の海を言ふ。スダクは集るなり。鳥は集り騷げど、旅行く君は音信もせぬと言ふなり。
 參考 ○君者音文不爲(考)キミハトモセズ(古、新)略に同じ。
 
1177 若狹在。三方之海之。濱清美。伊往變良比。見跡不飽可聞。
わかさなる。みかたのうみの。はまきよみ。いゆきかへらひ。みれどあかぬかも。
 
和名抄、若狹三方郡有り。其處の海なり。イは發語にて行きかへりなり。
 
1178 印南野者。往過奴良之。天傳。日笠浦。波立見。
いなみぬは。ゆきすぎぬらし。あまづたふ。ひがさのうらに。なみたてるみゆ。
 
イナミ野、日笠、播磨なり。既に出づ。天傳フ、枕詞。
 參考 ○波立見(考)略に同じ(古、新)ナミタテリミユ。
 
一云。思賀麻江者《シカマエハ》。許藝須疑奴良思《コギスギヌラシ》。
 
飾磨、播磨の郡名。宣長云、こは一云の方まさりて聞ゆ。
 
1179 家爾之?。吾者將戀名。印南野乃。淺茅之上爾。照之月夜乎。
いへにして。われはこひむな。いなみぬの。あさぢがうへに。てりしつくよを。
 
いなみ野過ぐる時、月の面白かりしを、家に歸りて戀ひんと、後をかねて詠めり。
 
(129)1180 荒磯超。浪乎恐見。淡路島。不見哉將過。幾許近乎。
ありそこす。なみをかしこみ。あはぢしま。みずやすぎなむ。ここたちかきを。
 
元暦本、過を去に作りて、ミズテヤイナムと有り。
 參考 ○不見哉將過(考)ミズテヤスギム(古、新)略に同じ ○幾許(古、新)ココダ。
 
1181 朝霞。不止輕引。龍田山。船出將爲日者。吾將戀香聞。
あさがすみ。やまずたなびく。たつたやま。ふなでせむひは。われこひむかも。
 
龍田山にて句とすべし。難波を舟出せん日より、故郷の龍田山を戀ひんとなり。龍田山は、西は河内東は大和なり。
 參考 ○吾將戀香聞(古)アレコヒムカモ(新)ワガコヒムカモ。
 
1182 海人小船。帆毳張流登。見左右荷。鞆之浦回二。浪立有所見。
あまをぶね。ほかもほれると。みるまでに。とものうらまに。なみたてるみゆ。
 
鞆の浦 備後なり。浪の立つを帆をあげたるかと見るなり。
 參考 ○浦回(古、新)ウラミ○浪立有所見(考)略に同じ(古、新)ナミタテリミユ。
 
1183 好去而。亦還見六。丈夫乃。手二卷持在。鞆之浦回乎。
よくゆきて《まさきくて》。またかへりみむ。ますらをの。てにまきもたる。とものうらまを。
 
(130)三四の句は、鞆と言はん序のみ。好去、義を以てマサキクテとも訓むべし。
 參考 ○好去而(考)ヨクユキテ(古)マサキクテ(新)サキクユキテ ○浦回(古、新)ウラミ。
 
1184 鳥自物。海二浮居而。奧津浪。※[馬+參]乎聞者。數悲哭。【哭ハ喪ノ誤】
とりじもの。うみにうきゐて。おきつなみ。さわぐをきけば。あまたかなしも。
 
哭は喪の誤なるべし。舟路にて、浪の立ちさわぐ音を聞きて悲むなり。卷八、たぶてにもなげこしつべき天の川へだてればかも安麻多須辨奈吉《アマタスベナキ》。
 參考 ○數多哭(考)ココダカナシモ「哭」は「共」をとる(古)アマタカナシモ「哭」にてよしとす(新)アマタカナシモ。
 
1185 朝菜寸二。眞梶?出而。見乍來之。三津乃松原。浪越似所見。
あさなぎに。まかぢこぎでて。みつつこし。みつのまつばら。なみごしにみゆ。
 
目に近く見つつ漕ぎ出でし三津の、遙に浪ごしに見ゆるなり。
 
1186 朝入爲流。海未通女等之。袖通。沾西衣。雖干跡不乾。
あさりする。あまをとめらが。そでとほり。ぬれにしころも。ほせどかわかず。
 
袖トホリは、袖の濡れとほりたるなり。跡の字を添へたるは、上にも例有り。
 
1187 網引爲。海子哉見。飽浦。清荒礒。見來吾。
(131)あびきする。あまとやみらむ。あくらの。きよきありそを。みにこしわれを。
 
三の句四言。卷十一、木國の飽等濱の忘貝と詠めり。今、加太庄加太村の西に有りとぞ。
 參考 ○飽浦(考)アカノウラノ(古)アクラノ又は浦の下「海」の脱にてアクラノミか(新)アクウラノ。
 
右一首。柿本朝臣人麿之歌集出。
 
1188 山越而。遠津之濱之。石管自。迄吾來。含而有待。
やまこえて。とほつのはまの。いはつつじ。わがくるまでに。ふふみてありまて。
 
卷十一、あられふり遠津大浦によする浪とも詠めり。ここの次でを思ふに、紀伊ならんか。フフミテアリマテは、ツボミテ待チテ有レと、躑躅におほするさまに詠めるなり。宣長云、山越えては遠と言ふへ懸かる枕詞なりと言へり。さも有るべし。
 參考 ○石管自(考、新)略に同じ(古)イソツツジ ○迄吾來(考)略に同じ(古)カヘリコムマデ「吾」を「返」の誤とす(新)カヘリクルマデ「吾」を「返」とす。
 
1189 大海爾。荒莫吹。四長鳥。居名之湖爾。舟泊左右手。
おほうみに。あらしなふきそ。しながどり。ゐなのみなとに。ふねはつるまで。
 
シナガドリ、枕詞。ヰナ、既に出づ。此集ミナトに湖の字を多く用ひたり。ハツルは泊るなり。
 
(132)1190 舟盡。可志振立而。廬利爲。名子江乃濱邊。過不勝鳧。
ふねはてて。かしふりたてて。いほりせむ。なごえのはまべ。すぎがてぬかも。
 
和名抄、唐韻云??(〓柯二音漢語抄云加之)所2以繋1v舟と有りて、丹繋ぐべき所へ立つる木なり。今も舟人の詞に、カシヲフルと言へり。ナゴ江は、此卷上に有りし石見の海の濱べにや。越中の名ご江にては有らじ。心は舟はてて泊らんと思へども、海づらの景色のあかず面白さに、漕ぎ過ぐるに堪へぬと言ふ意と聞ゆれば、いほりせんと詠めり。
 參考 ○廬利爲名子江乃濱邊(考)イホリスル、ナゴエノハマベ(古)イホリセナ、コガタノハマベ「名」を上に付けて讀切りとし「江」を潟とす(新)略に同じ。
 
1191 妹門。出入乃河之。瀬速見。吾馬爪衝。家思良下。
いもがかど。でいりのかはの。せをはやみ。わがうまつまづく。いへもふらしも。
 
按ずるに、卷九、妹が門|入出見川《イリイヅミガハ》のとこなめにと有れば、是れも入出水河と有りしを、入出を下上に誤り、水を乃に誤れるものなり。さて泉川なるを、妹が門入出と言ひ下したり。家モフラシモは、家ニのニを略けるにて、家人の我を思ふらんと言ふ意なり。卷三、鹽づ山打こえゆけばわがのれる馬ぞつまづく家こふらしもと言ふに同じ。
 參考 ○出入乃河之(考)イデイリ(古)イリイヅミガハノ「入出水河」の誤か(新)イデイリノガ(133)ハノ ○家思良下(代)イヘオモフラシモ、又は家戀か(考、古、新)略に同じ。
 
1192 白栲爾。丹保有信士之。山川爾。吾馬難。家戀良下。
しろたへに。にほふまつちの。やまがはに。わがうまなづむ。いへこふらしも。
 
麗はしき白土と言ふを、山の名に言ひ下したり。ニホフほ、集中、住吉の岸のはにふににほはさましをなど詠めるに同じ。マツチ山は、紀伊なり。末は右のわが馬つまづくいへもふらしもと詠めると同じ意なり。
 
1193 勢能山爾。直向。妹之山。事聽屋毛。打橋渡。
せのやまに。ただにむかへる。いものやま。ことゆるせやも。うちはしわたす。
 
二つの山を、やがて人の妹と背になして、妹がうけ引きしにや、紀の川に、打橋渡したるはと詠めるなり。事ユルセヤモは、事ユルセバ歟の意なり。ウチ橋は、既に言へり。契沖云、紀の川を中に隔てて、背の山は北の川づらに、妹の山は、南の川づらに有りと言へり。
 參考 ○事聽屋毛(代、考)コトユルスヤモ(古、新)略に同じ。
 
1194 木國之。狹日鹿乃浦爾。出見者。海人之燈火。浪間從所見。
きのくにの。さひかのうらに。いでてみれば。あまのともしび。なみまよりみゆ。
 
サヒカは雜賀なり。既に出づ。元暦本及び活本、此歌より以下十四首、末の玉津島雖見不飽の歌の次に(134)入れたり。
 參考 ○浪間從所見(考)略に同じ(古、新)ナミノマユミユ。
 
1195 麻衣。著者夏樫。木國之。妹脊之山二。麻蒔吾妹。
あさごろも。きればなつかし。きのくにの。いもせのやまに。あさまくわぎも。
 
宣長云、ナツカシは、俗に云ふとは異にて、親くむつましき意なり。吾も麻衣を着てあれば、麻まく妹よ、縁有りて睦しく思はるると言ふなりと言へり。吾がならでもワギモと詠めるは、集中に多し。
 參考 ○著者夏樫(古、新)ケレバナツカシ ○麻蒔吾妹(新)アサ「苅」カルワギモ。
 
右七首者。藤原卿作未v審2年月1
 
契沖云、藤原北卿にて、房前卿なるべし。ここに七首と有れども、八首なり。亂れたるならん。
 
1196 欲得裹登。乞者令取。貝拾。吾乎沾莫。奧津白浪。
つともがと。こはばとらせむ。かひひろふ。われをぬらすな。おきつしらなみ。
 
家づともがなと乞はば、とらせん爲にとなり。
 參考 ○欲得裹登(代、考)イデツトト(古、新)略に同じ ○貝拾(古)カヒヒリフ。
 
1197 手取之。柄二忘跡。礒人之曰師。戀忘貝。言二師有來。
てにとりし。からにわすると。あまのいひし。こひわすれがひ。ことにしありけり。
 
(135)戀忘貝を手にとれば必ず忘るると、海人が言ひつるは言なしばかりなりとなり。礒人は義を以て書けり。
 參考 ○手取之(考)略に同じ(古、新)テニトルガ。
 
1198 求食爲跡。礒二住鶴。曉去者。濱風寒彌。自妻喚毛。
あさりすと。いそにすむたづ。あけゆけば。はまかぜさむみ。おのづまよぶも。
 
卷十四、於能豆麻乎《オノヅマヲ》ひとのさとにおきてと詠めり。結句のモは助辭のみ。
 參考 ○自妻喚毛(考)ナガツマヨブモ(古、新)略に同じ。
 
1199 藻苅舟。奧?來良之。妹之島。形見之浦爾。鶴翔所見。
もかりふね。おきこぎくらし。いもがしま。かたみのうらに。たづかけるみゆ。
 
カタミノ浦、神名帳、紀伊名草郡|堅眞《カタマ》神社あり、是れ歟。八雲御抄にも紀伊と有り。妹が嶋も同じ所なるべし。
 
1200 吾舟者。從奧莫離。向舟。片待香光。從浦?將會。
わがふねは。おきゆなさかり。むかへぶね。かたまちがてら。うらゆこぎあはむ。
 
遠ざかり行くとも、沖よりな漕ぎ行きそ、浦につきて過ぎ行けとなり。片待ガテラは、迎への舟を持ちがてらなり。
 參考 ○從奧莫離(考、新)略に同じ(古)オキヨナサカリ ○向舟(考)略に同じ(古・新)ムカ(136)ヒブネ ○片待香光(考)略に同じ(古、新)カタマチガテリ。
 
1201 大海之。水底豐三。立浪之。將依思有。礒之清左。
おほうみの。みなそことよみ。たつなみの。よらむともへる。いそのさやけさ。
 
浪の音は、海底に響きて聞ゆれば、水底|動《トヨ》みと言へり。末に二の句、磯モトユスリとして、結句濱ノサヤケクと、替りたるまでにて、全く同じ歌を載せたり。右は譬喩歌と聞ゆ。吾が言ひ寄らんとすれば、人の言ひ騷ぐと言ふ意なるべし。
 參考 ○將依思有(考、新)略に同じ(古)ヨセムトモヘル
 
1202 自荒礒毛。益而思哉。玉之浦。離小島。夢石見。
ありそゆも。ましておもへや。たまのうら。はなれこじまの。いめにしみゆる。
 
玉浦は、紀伊なりと契沖言へり。ここの次でを見るに、さも有るべし。もし玉津島を言ふにや。卷十五にも、玉浦を詠めり。されどこことは別なり。心はありそよりも勝りて、離小島をめで思へばにや、夢に見ゆると言ふなり。
 參考 ○離小島(考)略に同じ(古)サカルコシマノ(新)ハナレヲジマノ。
 
1203 礒上爾。爪木折燒。爲汝等。吾潜來之。奧津白玉。
いそのへに。つまぎをりたき。ながためと。わがかづきこし。おきつしらたま。
 
(137)爪木は、物の端をツマと言ひて、小技を云ふ。又はここに書ける字の意にて、指先にて、折るばかりの細き木をも言ふべし。白玉は鮑なり。鮑とる海人が海を出づれば、必ず燒火して身を暖むるとぞ。
 
1204 濱清美。礒爾吾居者。見者。白水郎可將見。釣不爲爾。
はまきよみ。いそにわがをれは。みむひとは。あまとかみらむ。つりもせなくに。
 
此末に、鹽早み磯まにをればの歌是れに似たり。見者にてミムヒトとも訓むべけれど、ここは人の字脱ちたるか。
 參考 ○見者(考)ミルヒトハ(古、新)ミム「人」ヒトハ。
 
1205 奧津梶。漸漸志夫乎。欲見。吾爲里乃。隱久惜毛。
おきつかぢ。しはしはしふを。みまくほり。わかするさとの。かくらくをしも。
 
宣長云、志夫乎の三字、爾水手の誤にて、ヤヤヤヤニコゲなるべし。靜かにゆるらかに漕げと云ふなりと言へり。末はわが見まくほりする方の隱れ行くが惜しきと云ふなり。
 參考 ○漸漸志夫乎(代)ヤウヤク(考)ヤヤトシヅマヲ(古)ヤウヤウ「莫水手」ナコギ(新)「暫莫水手」シマシクナコギ。
 
1206 奧津波。部都藻纏持。依來十方。君爾益有。玉將縁八方。
おきつなみ。へつもまきもち。よりくとも。きみにましたる。たまよらめやも。
 
(138)是れは、戀の歌なり。祝詞、奧津藻葉邊津藻葉と言ひて、ヘツモは海べたの藻なり。
 參考 ○依米十方(考、新)略に同じ(古)ヨセクトモ ○君爾益有(考、古、新)キミニマサレル ○玉將縁八方(代)タマヨラメヤモ(考)タマヨラムヤモ(古、新)タマヨセメヤモ。
 
一云。澳津浪。邊波布敷《ヘナミシクシク》。緑來登母。
 
1207 粟島爾。許枳將渡等。思鞆。赤石門浪。未佐和來。
あはしまに。こぎわたらむと。おもへども。あかしのとなみ。いまださわげり。
 
卷三、むこの浦を漕ぎたむを舟粟嶋を云云と詠めり。そこに委しく言へり。
 
1208 妹爾戀。余越去者。勢能山之。妹爾不戀而。有之乏左。
いもにこひ。わがこえゆけば。せのやまの。いもにこひずて。あるがともしさ。
 
此トモシは、羨しき意にて、集中例多し。既に言へり。兄山の常に妹山に對ひゐて、戀ひぬを羨むなり。次の並びをるかもと言ふ歌と同じ意なり。
 
1209 人在者。母之最愛子曾。麻毛吉。木川邊之。妹與背之山。
ひとならば。ははがまなごぞ。あさもよし。きのかはのべの。いもとせのやま。
 
マナ子は眞子なり。人にて有らば、母のうるはしく思ふ同胞《ハラカラ》の子ならんと言ふなり。麻モヨシ、枕詞。
 參考 ○母之最愛子皆(代)ハハ(考)ハハガメヅコゾ(古、新)ハハノマナゴゾ。
 
(139)1210 吾妹子爾。吾戀行者。乏雲。並居鴨。妹與勢能山。
わぎもこに。わがこひゆけば。ともしくも。ならびをるかも。いもとせのやま。
 
上の妹にこひの歌と同じ。吾は妹に逢はずして、戀ひつつ行くを、此二つの山は羨ましく竝びをるよとなり。
 
1211 妹當。今曾吾行。目耳谷。吾耳見乞。事不問侶。
いもがあたり。いまぞわかゆく。めのみだに。われにみえこそ。こととはずとも。
 
メノミダニは、目ニノミのニを略けり。妹山のあたりと言ふ意ならば、妹ノと訓むべし。按ずるに此歡は、唯だ戀の歌にて、心明らけきを、妹と有るを妹山の事と見誤りて、ここに載せたりと見ゆ。強ひて妹山の事とするは、前後の次でに據れるのみにて、外にいはれ無し。
 
1212 足代過而。絲鹿乃山之。櫻花。不散在南。還來萬代。
あてすぎて。いとかのやまの。さくらばな。ちらずもあらなむ。かへりくるまで。
 
宣長云、持統紀、三年八月云云、紀伊國|阿提《アテ》郡云云。また續紀、大寶三年の所に阿提。同紀天平三年の所に阿?《アテ》と見ゆ。是れ今の在田郡なり。されば、此足代はアテと訓むべし。糸鹿は、在田郡に今も有りと言へり。代をテと訓めるは例有り。
 參考 ○足代過而(考)ア「太」タスギテ(古、新)略に同じ ○不散在南(考、古、新)チラズア(140)ラナム ○還來萬代(古)カヘリコンマデ(新)略に同じ。
 
1213 名草山。事西在來。吾戀。千重一重。名草目名國。
なぐさやま。ことにしありけり。わがこひの。ちへのひとへも。なぐさめなくに。
 
紀伊名草郡に有る山なり。卷六長歌に、名兒山とおひて吾戀の千への一重もなぐさ末《マ》なくにと読めり。
 參考 ○吾戀(古)アガコフル(新)ワガコヒノ、又はワガコフル。
 
1214 安太部去。小爲手乃山之。眞木葉毛。久不見者。蘿生爾家里。
あだへゆく。をすてのやまの。まきのはも。ひさしくみねば。こけむしにけり。
 
和名抄、紀伊在田郡|英多《アタ》郷有り是れなり。ヘはエの如く讀むべし。又和名抄、紀伊名草郡誰戸郷有り。是れならんか。西宮記に、問云阿多禮と言ふは、誰と言ふ事なれば、此地名アダベと訓むべし。さらばへを濁るべきなり。紀伊牟?郡緒捨山、今も有り。蘿は日蔭カヅラなり。
 參考 ○安太部去(考)略に同じ(古)アタヘユク(新)アテヘユク。
 
1215 玉津島。能見而伊座。青丹吉。平城有人之。待間者如何。
たまづしま。よくみていませ。あをによし。ならなるひとの。まちとはばいかに。
 
三代實録に、玉出島神社と書ければ、ツを濁るべし。玉いづると言ふをもて名付けたる所なり。うつぼ物語の歌に、玉いづる島と詠めり。青ニヨシ、枕詞。イマセは行き給へなり。
 
(141)1216 鹽滿者。如何將爲跡香。方便海之。神我手渡。海部未通女等。
しほみたば。いかにせむとか。わたづみの。かみがてわたる。あまをとめども。
 
卷十七長歌、珠《ス》洲のあまのおきつ美可未《ミカミ》にいわたりてかづきとるといふあはび玉云云、此沖ツ御神は、海底の神の宮を言ふと見ゆ。然らば、ここも海神の手と言ふなるべし。地名には有らじ。心は今鹽干にだに恐《カシコ》く見ゆるを、潮滿ちなば如何にせんとてかと言ふなり。方便海と書けるは、佛説の方便のはかり無きを海に譬へて、はかり無き海と言ふ意にて書けるか。
 參考 ○方便海之(考、古)略に同じ(新)「方丈」の誤にてムロノウミノ ○神我手渡(代)カミガトワタル(考)略に同じ(古)カミガ「戸」トワタル(新)カミガ「等」トワタル。
 
1217 玉津島。見之善雲。吾無。京往而。戀幕思者。
たまづしま。みてしよけくも。われはなし。みやこにゆきて。こはまくおもへば。
 
また見まく慕はしからんを、なまじひに玉づ島見つる事よと言ふなり。
 參考 ○戀幕思者(考)コハマクモヘバ(古、新)コヒマクモヘバ。
 
1218 黒牛乃海。紅丹穗經。百磯城乃。大宮人四。朝入爲良霜。
くろうしのうみ。くれなゐにほふ。ももしきの。おほみやびとし。あさりすらしも。
 
卷九、紀伊國へ幸の時、從駕の人の歌の中に久漏牛《クロウシ》方鹽ひのうらにと詠めり。宣長云、黒牛、名草郡な(142)り。今は海部郡に入れり。今黒瀬と言ふ所なりと言へり。此前後、從駕の人の歌と見ゆ。大宮人は供奉の女房を指すなるべし。人シのシは助辭。
 
1219 若浦爾。白浪立而。奧風。寒暮者。山跡之所念。
わかのうらに。しらなみたちて。おきつかぜ。さむきゆふべは。やまとしおもほゆ。
 
卷一、あしべ行かも鴨のはがひに霜ふりてとて、末は全く同じ歌有り。
 
1220 爲妹。玉乎拾跡。木國之。湯等乃三埼二。此日鞍四通。
いもがため。たまをひろふと。きのくにの。ゆらのみさきに。このひくらしつ。
 
 參考 ○玉乎拾跡(古)タマヲヒリフト。
 
1221 吾舟乃。梶者莫引。自山跡。戀來之心。未飽九二。
わがふねの。かぢはなひきそ。やまとより。こひこしこころ。いまだあかなくに。
 
?を荒ららかに使ふを、かぢ引きをりと集中に多く詠めるに同じ。大和の家より此海邊の景色を戀ひつつ來て、めで飽かねば、急ぎ漕ぐ事なかれと言ふなり。
 參考 ○梶者莫引(考、新)略に同じ(古)カヂヲバナヒキ。
 
1222 玉津島。雖見不飽。何爲而。裹持將去。不見入之爲。
たまづしま。みれどもあかず。いかにして。つつみもてゆかむ。みぬひとのため。
 
(143)四の句、ツトニモテユカムとも訓むべし。
 參考 ○裹持將去(古、新)ツツミモチエカム。
 
1223 綿之底。奧己具舟乎。於邊將因。風毛吹額。波不立而。
わたのそこ。おきこぐふねを。へによせむ。かぜもふかぬか。なみたたずして。
 
ワタノソコ、枕詞。沖と言ふまでへ懸かるのみなり。波は立たずして、うなばたへ寄せなん風の吹けかしと言ふなり。
 參考 ○波不立而(古、新)ナミタテズシテ。
 
1224 大葉山。霞蒙。狹夜深而。吾船將泊。停不知文。
おほばやま。かすみたなびき。さよふけて。わがふねはてむ。とまりしらずも。
 
美作に、大|庭《バ》郡有れど大山無し。八雲御抄に紀伊と有り。さも有るべし。卷九、母山霞棚引の歌、全く同じ歌なり。此母山は、母の字の上、祖の字落ちたるなり。卷九見合はすべし。
 
1225 狹夜深而。夜中乃方爾。欝之苦。呼之舟人。泊兼鴨。
さよふけて。よなかのかたに。おほほしく。よびしふなびと。はてにけむかも。
 
ヨナカノカタは、卷九、夜中をさして照る月のと言へる如く、夜半に向ひてと言ふ意なりと翁は言はれき。宣長云、夜は度の誤にて、トナカノカタニなり。古事記に、由良能斗能|斗那加能《トナカノ》伊久理爾と有りと(144)言へり。さも有るべし。
 參考 ○夜中乃方爾(古)ヨナカノカタニ(新)「度」トナカノカタニ。
 
1226 神前。荒石毛不所見。浪立奴。從何處將行。與寄道者無荷。
みわのさき。ありそもみえず。なみたちぬ。いづくゆゆかむ。よきぢはなしに。
 
ミワノ崎、紀伊なり。卷三、くるしくも降くる雨かみわがさきと詠める所なり。ヨギヂハナシニは、よぎて行くべき道の無きなり。今道ヲヨケルと言ふに同じ。
 參考 ○神前(考、新)略に同じ(古)カミノサキ ○從何處將行(考)イツコユユカム(古、新)略に同じ ○與寄道者無荷(代)ヨキミチ(考、古、新)略に同じ。
 
1227 礒立。奧邊乎見者。海藻苅舟。海人?出良之。鴨翔所見。
いそにたち。おきべをみれば。めかりぶね。あまこぎづらし。かもかけるみゆ。
 
和名抄、海藻(和名、爾木米、俗用和布)と有り。ワカメなり。鳥の立つを見て、海人の舟漕ぎ出づらんと詠めり。
 參考 ○海藻(代、古、新)略に同じ(考)モ。
 
1228 風早之。三穗乃浦廻乎。?舟之。船人動。浪立良下。
かざはやの。みほのうら|わ《ま》を。こぐふねの。ふなびとさわぐ。なみたつらしも。
(145)ミホ、紀伊なり。卷三、紀伊三穗石室の歌有り。卷十五、風早の浦を詠めるは備後にて、こことは異なり。紀伊に風早と言ふ地有るならん。玉葉集に此歌を載せて、初句、風ハヤミとせり。然《サ》る本も有りしにや。
 參考 ○風早之(考、新)略に同じ(古)カゼハヤノ ○浦廻(古、新)ウラミ
 
1229 吾舟者。明【明ノ下、且ハ衍ナリ】石之潮爾。?泊牟。奧方莫放。狹夜深去來。
わがふねは。あかしのはまに。こぎはてむ。おきへなさかり。さよふけにけり。
 
今本、明且石と有るは誤なり。元暦本且の字無きを善しとす。ハマに潮の字を用ひたる例無し。宣長は、潮は浦の誤にて、アカシノウラニなりと言へり。卷三、二の句|枚《ヒラ》の湖《ミナト》にと有りて、上下全く同じき歌有り。
 參考 ○明石之潮爾(代)シホニ、又はミナトニ(考)アカシノ「滷」カタニ(古)アカシノ「浦」ウラニ(新)アカシノ「湖」ミナトニ。
 
1230 千磐破。金之三崎乎。過鞆。吾者不忘。牡鹿之須賣神。
ちはやぶる。かねのみさきを。すぎぬとも。われはわすれじ。しかのすめがみ。
 
金ノ三崎、筑前三笠郡なり。續紀、景雲元年八月、筑前宗形郡大領外從六位下宗形朝臣深津(ニ)授2外從五位下其妻無位竹生王(ニ)從五位下1。並以d被2僧壽應(ニ)誘1造c金埼船瀬u也と有り。シカノスメ神は、神名帳、筑前糟屋郡志加神社と有り。三代格、宗形神社修理料の賤代徭丁を、同國宗形郡金崎徭丁十八人と有り。さて其解?を考ふるに、恐らくは此金崎にも、彼の糟屋郡の宗形神を齋《ユハ》へるにて、彼此同體なれば斯く詠(146)めるなるべし。
 參考 ○過鞆(代)スグルトモ(考)スグレトモ(古、新)略に同じ ○吾者不忘(代、新)略に同じ(古)アヲバワスレジ。
 
1231 天霧相。日方吹羅之。水莖之。崗水門爾。波立渡。
あまぎらひ。ひかたふくらし。みづぐきの。をかのみなとに。なみたちわたる。
 
ヒカタは、未申《ヒツジサル》の方より吹く風なり。土左人は日中の南風を日カタと言ふとぞ。ヲカノミナトは、神武紀、十有一月云云。至2筑紫崗水門1。仲哀紀、八年云云。入2崗浦1到2水門1云云。和名抄、筑前遠賀郡と有り。仙覺抄に筑前國風土記云。?舸《ヲカ》縣之東側有2大江口1。名曰2?舸水門1云云。宣長云。水莖はみづみづしき莖と言ふ詞にて、ヲカと續ける枕詞なり。ヲカは稚《ワカ》と通ずる由委しく論らへり。
 
1232 大海之。波者畏。然有十方。神乎齋【齋ヲ齊ニ誤ル】禮而。船出爲者如何。
おほうみの。なみはかしこし。しかれども。かみをいはひて。ふなでせばいかに。
 
浪は恐《カシコ》けれども、神を祈らばつつみ無からんかとなり。
 參考 ○神乎齋禮而(新)齊禮は齊祈の誤か(古、新)齊を誤とせず。
 
1233 未通女等之。織機上乎。眞櫛用。掻上拷島。波間從所見。
をとめらが。おるはたのへを。まぐしもて。かかげたくしま。なみまよりみゆ。
 
(147)タク島は、和名抄、出雲島根郡多久と有り。此處なるべし。機《ハタ》織るに、糸筋のまよはぬために、櫛をもて掻き上ぐるを言ふ。タクはタグルの約言にて、機をかかげたぐると言ひ下したり。本はタクと言はん爲の序のみ。
 
 參考 ○眞櫛用(代、考)略に同じ(古、新)マグシモチ ○波間從所見見(考)略に同じ(古、新)ナミノマユミユ。
 
1234 鹽早三。礒回荷居者。入潮爲。海人鳥屋見濫。多比由久和禮乎。
しほはやみ。いそ|わ《ま》にをれば。かづきする。あまとやみらむ。たびゆくわれを。
 
シホハヤミは、潮の疾きなり。卷三、荒たへの藤江の浦にすずき釣あまとかみらむたび行われをと言ふに似たり。入潮、舊訓アサリと訓めり。宣長は、入潮は、朝入の誤にて、アサリスルならんと言へり。
  參考 ○礒回(古、新)イソミ ○入潮爲(考)略に同じ(古)「朝入」アサリスル(新)アサリスル。
 
1235 浪高之。奈何梶取。水鳥之。浮宿也應爲。猶哉可?。
なみたかし。いかにかぢとり。みづとりの。うきねやすべき。なほやこぐべき。
 
和名抄古本に、唐令云挾抄(加知度利)水鳥の如く浮寐せんや、猶漕がんやとなり。
 
1236 夢耳。繼而所見。小竹島之。越礒波之。敷布所念。
いめのみに。つぎてみゆれば。ささじまの。いそこすなみの。しくしくおもほゆ。
 
(148)八雲御抄に、ささ島石見と有り如何が。和名抄、隱岐海部郷佐作郷有れば、ここの海の島にやとも思へど、宣長云、小は八の誤にて、ツギテミユレ八《バ》竹《タカ》島ノと有りしなるべしと言へり。タカ島は次にも詠める竹島なり。此説然るべし。意は夜ごとに、故郷を夢に見て、重ね重ね思ふとなり。イソコス浪は、シクシクと言はん爲のみ。
 參考 ○夢耳(代)夢ニノミ(考)イメニノミ(古、新)略に同じ ○所見(代、考)ミユレバ(古)「所見乍」ミエツツ「見」の下の「小」を「乍」の誤とし續く(新)ミユレバ「小」を「八」の誤として續く ○小竹島之(古、新)タカシマノ「小」は上へ付く。
 
1237 靜母。岸者波者。縁家留香。此屋通。聞乍居者。
しづけくも。きしにはなみは。よりけるか。このいへとほし。ききつつをれば。
 
浪の寄する音の、家の内まで聞ゆるを詠めり。ヲスノ間トホシと詠めるに同じ。三の句の香は哉なり。
 參考 ○縁家留香(古)ヨセケルカ(新)ヨセ「來」クルカ。
 
1238 竹島乃。阿戸白波者。動友。吾家思。五百入?染。
たかしまの。あとしらなみは。さわげども。われはいへおもふ。いほりかなしみ。
 
卷九、高島之|阿渡《アト》河なみは驟《サワ》げども吾は家思ふ宿りかなしみとて載せたり。是れは近江高島なり。此前後の次で、近江の地名を載すべからず。或説に、竹島、周防に在りと言へば、恐らくは其處に宿りして、(149)地の名の同じければ、古歌を唱《トナ》へしにも有るべし。ここは白は河の草書より誤れるにてカハナミか。心は、卷二の、ささのははみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別《ワカレ》きぬればと言ふに同じ。
 參考 ○阿戸白波者(代)アトノシラナミハ(考)アト「河」カハナミハ(古、新)アド「河」カハ ナミハ ○動友(考、新)トヨメドモ(古)略に同じ ○家思(考、古、新)イヘモフ。
 
1239 大海之。礒本由須理。立波之。將依念有。濱之淨奚久。
おほうみの。いそもとゆすり。たつなみの。よらむともへる。はまのさやけく。
 
石根もゆすれ動くばかり波の立つなり。其浪の景色をやがて寄らんと言ふ爲の序として、舟|泊《ハ》てんと思ふ濱の清らなるを言へり。
 參考 ○將依念有(古)ヨセムトモヘル(新)略に同じ。
 
1240 珠〓。見諸戸山矣。行之鹿齒。面白四手。古昔所念。
たまくしげ。みもろとやまを。ゆきしかば。おもしろくして。いにしへおもほゆ。
 
玉クシゲ、枕詞。ミモロト山は備中なり。景色の面白きにつけて、古りにし事を思ひ出づるなり。【干禄字書、〓匣上通下正ト有リ】
 參考 ○古昔(考)ムカシ(古、新)略に同じ。
 
1241 黒玉之。玄髪山乎。朝越而。山下露爾。沾來鴨。
(150)ぬばたまの。くろかみやまを。あさこえて。やましたつゆに。ぬれにけるかも。
 
黒カミ山は下野なりと言へど證もなし。其上ここの次で、東國には有らざるべし。卷十一にも、黒髪山を詠めり。いづれの國と言ふ事を知らず。
 
1242 足引。山行暮。宿借者。妹立待而。宿將借鴨。
あしびきの。やまゆきくらし。やどからば。いもたちまちて。やどかさむかも。
 
山路に行きなづみて宿借らんに、妹が待ちゐて宿借せかしとなり。此妹は、くぐつなど言ふ類ひ、昔も有りしか。
 
1243 視渡者。近里廻乎。田本欲。今衣吾來。禮巾振之野爾。
みわたせば。ちかきさとわを。たもとほり。いまぞわがこし。ひれふりしぬに。
 
故郷へ歸るに、見渡しは近けれど、廻り來し故、やうやく今ぞ別れし野まで來たりしとなり。禮は領の誤なるべし。舊訓、來禮をクレと訓みたれど、吾コシとか、クルとか無くては詞も續かず。ヒレを巾一字のみ書ける例も無し。
 參考 ○里廻(古、新)サトミ ○今衣吾來禮(代)クレ(考)イマゾワガクレ(古、新)略に同じ。
 
1244 未通女等之。放髪乎。木綿山。雲莫蒙。家當將見。
をとめらが。はなりのかみを。ゆふのやま。くもなたなびき。いへのあたりみむ。
 
(151)ハナリノ髪とは、ウナヰハナリにて、十五六の歳、髪を擧げ結ぶを言ふ事既に言へり。さてユフと言はん爲の序のみ。木綿山、豐後速見郡に有り。和名抄、速見郡由布(今由を田に誤れり)。
 參考 ○放髪乎(代)ハナリノカミヲ、又はハナチノカミヲ(考、古、新)略に同じ。
 
1245 四可能白水郎乃。釣船之。綱【綱、元ニ?ニ作ル】不堪。情念而。出而來家里。
しかのあまの。つりするふねの。つなたへず。こころにもひて。いでてきにけり。
 
不堪を此ままにて解かば、契沖が言へる如く、眞《マコト》に釣舟の綱の繋ぐに堪へざるに有らず。堪ふる綱を借りて、たへずしてと言へるなるべし。又は、綱は維の誤にて、ツナギアヘズならんか。されど穩かならず。堪は絶か斷の字の誤れるなるべし。本は不v絶と言はん爲の序なり。是れは筑紫の國司にて、宴など有るを聞きて、おして行きて詠めるか。又相聞を誤りてここに載せたるにも有るべし。或る人、堪は絶の借字なりと言へるは、絶は(たへ、たふ)絶は(たえ、たゆ)の假字なる事も知らずして言へるなり。
 參考 ○釣船之綱云云(代)ツリフネノツナタヘズシテ(考)略に同じ(古、新)ツリフネノツナ、「不勝堪」タヘガテニ。
 
1246 之加乃白水郎之。燒鹽煙。風乎疾。立者不上。山爾輕引。
しかのあまの。しほやくけむり。かぜをいたみ。たちはのぼらず。やまにたなびく。
 
(152)卷三、繩の浦にしほ燒く煙夕されば行過《ユキスギ》かねて山にたな引と、言へると意同じくて、ユフサレバの方は理《コトワ》り足らず。今を善しとす。
 參考 ○煙(考)略に同じ(古、新)ケブリ ○立者不上(考)タチハノボラデ(古、新)略に同じ。
 
右件歌者古集中出。
 
1247 大穴道。少御神。作。妹勢能山。見吉。
おほなむぢ。すくなみかみの。つくらしし。いもせのやまを。みらくしよしも。
 
卷六、大汝小彦名の神こそは名づけそめけめ名のみを名兒山とおひて云云とも詠めり。
 參考 ○妹勢能山(考、新)略に同じ(古)イモセノヤマハ。
 
1248 吾妹子。見偲。奧藻。花開在。我告與。【與ハ乞ノ誤】
わぎもこと。みつつしぬばむ。おきつもの。はなさきたらば。われにつげこそ。
 
此末にも、名のりその花と詠みたり。其花をだに妹と思ひて偲ばんの意なり。與は乞の誤なり。故郷に妹を殘し置きて詠めるなるべし。告コソは、海人などに言ひ懸けたるさまなり。
 參考 ○吾妹子(代、古、新)略に同じ(考)ワキモコガ ○見偲(考)ミツツシタハム(古、新)略に伺じ。
 
1249 君爲。浮沼【沼ヲ沾ニ誤ル】池。菱採。我染袖。沾在哉。
(153)きみがため。うきぬのいけの。ひしとると。わがそめしそで。ぬれにけるかも。
 
ウキヌの池、所を知らず。六帖に、ウキと言ふ題有りて、沼の事と聞ゆ。今も此ウキか。ウキは、古事記、宇比地邇神次妹須比智邇神を、書紀に、?土煮尊沙土煮尊と有りて、宣長云、宇は泥なり。後世の歌に泥をウキと言へる事有り是れなり。宇とは宇伎の伎の省りたるか、又宇を本にて宇伎とも言ふかと言へり。又神代紀、立3於浮渚在2平處1此云|羽企爾磨梨陀?邏而陀陀志《ウキジマリタヒラニタタシ》とある羽企《ウキ》は、今とは異事なり。
 參考 ○菱採(考)略に同じ(古)ヒシツムト(新)トル、ツム兩樣 ○我染袖(考)略に同じ(古)アガシメ「衣」ゴロモ(新)ワガソメ「衣」ゴロモ ○沾在哉(代)ヌレニタルカナ(考)ヌレニタルカモ(古、新)略に同じ。
 
1250 妹爲。菅實採。行吾。山路惑。此日暮。
いもがため。すがのみとりに。ゆくわれを。やまぢまどひて。このひくらしつ。
 
山菅にて、麥門冬の實なり。我なるをと言ふなり。
 參考 ○菅實採(代)スガノミトルト、又はトリニ(考)スガノミヲトリ(古)略に同じ(新)スガノミトリニ、又はツミニ ○行吾(考、新)ユクワレヲ(古)ユキシワレ ○山路惑(考)略に同じ(古、新)ヤマジニマドヒ。
 
 
右四首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
(154)問答
 
1251 佐保河爾。鳴成智鳥。何師鴨。川原乎思努比。益河上。
さほがはに。なくなるちどり。なにしかも。かはらをしぬび。いやかはのぼる。
 
何故有りて、河原を慕ふぞと、千鳥に問ふなり。
 
1252 人社者。意保爾毛言目。我幾許。師努布川原乎。標緒勿謹。
ひとこそは。おほにもいはめ。わがここた。しぬぶかはらを。しめゆふなゆめ。
 
人はおほよそに言へども、われは此川原をそこばく思ひ慕ふぞと、千鳥の答ふるなり。此河原は、則ち佐保河なるを、後には是れをしのぶ河原と言ふ陸奧の地名に心得し歌など有り。
 參考 ○意保爾毛言目(新)オホニモ「念」モハメ。
 
右二首詠v鳥。
 
1253 神樂浪之。思我津乃白水郎者。吾無二。潜者莫爲。浪雖不立。
ささなみの。しがつのあまは。われなしに。かづきはなせそ。なみたたずとも。
 
シガツは、志賀の大津なり。潜水《カヅキ》するわざの面白ければ、我かく見る時にのみ、潜《カヅ》きはせよと言ふ意なり。
 
1254 大船爾。梶之母有奈牟。君無爾。潜爲八方。波雖不起。
(155)おほぶねに。かぢしもあらなむ。きみなしに。かづきせめやも。なみたたずとも。
 
右の歌を受けて、初二句は今君がおはする時に、潜きして見せ奉らんものを、舟かぢもがなと言ふ義なり。
 參考 ○梶之母有奈牟(新)カヂシモアリナム。
 
右二首詠2白水郎1
 
臨時
 
時に付けて詠めるにて、部類定まらず。
 
1255 月草爾。衣曾染流。君之爲。綵色衣。將摺跡念而。
つきくさに。ころもぞそめる。きみがため。まだらのころも。すらむとおもひて。
 
君が爲に鴨頭草《ツキクサ》もて衣を摺らんとして、我衣の色に染みたると言ふなり。摺衣は斑らなり。ソメルは染有《ソメル》にて、俗言に、ソムルをソメルと言ふとは異なり。
 參考 ○衣曾染流(考)コロモゾソマル(古)略に同じ(新)コロモゾソムル ○綵色衣(代)イロドリゴロモ(考)マダラゴロモヲ(古、新)略に同じ ○將摺跡念而(考、古、新)スラムトモヒテ。
 
1256 春霞。井上從直爾。道者雖有。君爾將相登。他回來毛。
はるがすみ。ゐのへゆただに。みちはあれど。きみにあはむと。たもとほりくも。
 
(156)春霞、枕詞。井上は大和にも河内にも有り。常はただちに行く道有るを、君が家の方へまはり來しとなり。
 參考 ○井上從直爾(代)ヰカミ(考)ヰベユタダニ(古)ヰノヘヨタダニ(新)略に同じ。
 
1257 道邊之。草深由利乃。花咲爾。咲笑【咲ヲ※[口+笑]ニ誤ル】之柄二。妻常可云也。
みちのべの。くさふけゆりの。はなゑみに。ゑまししからに。つまといふべしや。
 
クサ深ユリは、草深き所に咲く百合と言ふなり。卷八、夏の野のしげみにさけるひめゆりのと詠めり。花の咲くを人の笑ふになぞらへて、花エミと言へり。かりそめに冒ひ寄せられし時に詠めるならん。宣長云、結句イフベシと訓むべし。也は、唯だ添へたるのみの字なりと言へり。さらば笑みたるからは、受けひかんと言ふ意とすべし。卷四、道に逢てゑまししからにふる雪のけなばけぬかにこふとふわぎも。
 參考 ○草深(考)略に同じ(古、新)クサブカ ○咲之柄二(考)ヱミセシカラニ(新)ヱミシガカラニ ○妻常可云也(代)ツマトカイハム(考、新)略に同じ。
 
1258 黙然不有跡。事之名種爾。云言乎。聞知良久波。少可【可ノ下、者ハ衍】有來。
もだあらじと。ことのなぐさに。いふことを。ききしれらくは。すくなかりけり。
 
卷十七、母太毛完良牟《モダモアラム》と有り。物語ぶみに、なほあらじにと言ふ詞に同じ。宣長云、或人説、少可は奇の誤にて、アヤシカリケリなるべしと言へり。意は、かりそめに事の慰みに言へる事と、聞き知れるが(157)あやしと言ふなり。可の下、今本者の字有り。一本に無きを善しとす。
 參考 ○黙然不有跡(代)モダ(考)モダモアラジト(古)略に同じ(新)モダ、又はナホ ○少可者有來(代)ウベニハアリケリ(考)略に同じ(古、新)「苛曾」カラクゾアリケル。
 
1259 佐伯山。于花以之。哀我。子【子は手ノ誤】鴛取而者。花散鞆。
さへきやま。うのはなもちし。かなしきが。てをしとりてば。はなはちるとも。
 
サヘキ山は、安藝佐伯郡の山か。子は手の字の誤なるべし。又卷十、五月山卯の花月夜云云。五月山花橘に云云と詠めれば、ここも伯は附の字の草より誤りてサツキ山ならんか。サツキ山は、地名に有らず。カナシキは愛づる詞にて、かなしく思ふ妹が手を執りたらば、其妹が持ちし花は散るとも善けんと言へるなり。卷十四、にほどりのかつしかわせをにへすとも其かなしきをとにたてめやも。卷二、草とるかな和君が手をとるなど言ふを、合せ思ふべし。宣長云、以之は如何がなれども強ひて言はば、モタシと訓みて、持タセナガラの意とすべし。モチシと訓みては、下のテバの辭に適はずと言へり。
 參考 ○佐伯山(考)サ「付」ツキヤマ(古、新)サ「附」ツキヤマ ○于花以之(新)ウノハナモチ「弖」テ ○花散鞆(考)ハナチリヌトモ(古、新)略に同じ。
 
1260 不時。斑衣。服欲香。衣服針原。時二不有鞆。
ときじくに。まだらのころも。きほしきか。ころもはりはら。ときならねども。
 
(158)トキジクは、時ナラズなり。キホシキカは、著マホシキ哉なり。榛に衣ハルと言ひ懸けたり。まだいわけ無き女を戀ふるなり。元暦本、衣服針原を嶋《シマノ》針原と有り。卷十、島之榛原秋たたずともと詠みて、大和高市郡なり。
 參考 ○不時(考、新)トキナラヌ(古)略に同じ ○服欲香(代)キマホリカ(考)キガホシカ(古、新)略に同じ ○衣服針原(考)略に同じ(古、新)「島」シマノハリハラ ○時二不有鞆(代、考)略に同じ(古、新)トキニアラネドモ。
 
1261 山守之。里邊通。山道曾。茂成來。忘來下。
やまもりの。さとへかよひし。やまみちぞ。しげくなりける。わすれけらしも。
 
山守は男を指す。我を忘れけるか、久しく通ひ來ぬ程に、道の草木の茂れるはとなり。
 參考 ○里邊通(考)サトベカヨヘル(古、新)略に同じ。
 
1262 足病之。山海石榴開。八岑越。鹿待君之。伊波比嬬可聞。
あしびきの。やまつばきさく。やつをこえ。ししまつきみが。いはひづまかも。
 
ヤツヲは岑の重なれるなり。岑を言はんとて、山椿咲くと言へり。鹿待は狩人を言ひて、其男の遠路通ひ來るいたづきに譬へ、其君がいつきかしづく妻かなと、人の上を詠めるなりと翁は言はれき。宣長云、鹿待つまでは序にて、狩人の鹿を窺ひ覘ひて侍つ如くに、大切にするいはひ妻と言ふ意なり。シシマツ君(159)と訓まんと言へり。猶考ふべし。
 
1263 曉跡。夜烏雖鳴。此山上之。木末之於者。末靜之
あかときと。よがらすなけど。このみねの。こぬれがうへは。いまだしづけし。
 
男の別れんとする時、女の詠める歌なるべし。末は唯だまだ夜の深きさまを言へるのみなり。
 參考 ○山上(代、新)略に同じ(考、古)ヲカ ○木末之於者(代)コヌレ(考)コズエ之ウヘハ(古、新)コヌレノウヘハ。
 
1264 西市爾。但獨出而。眼不並。買師絹之。商自許里鴨。
にしのいちに。ただひとりいでて。めならばず。かへりしきぬ|の《し》。あきじこりかも。
 
 メナラバズは、古今集に花がたみめならぶ人と言へるうらうへにて、見比ぶる物の無きなり。キヌノはキヌシとも訓むべし。按ずるに、シコルはシミコルにて、物に執する意なるべし。是れは他心《アダシゴコロ》無く、唯だ一人に心を寄するに、市にて絹を買ふに、見比ぶる事もせで、初めに目に著きたるに思ひ凝りて、買ふと言ふもて譬へたるならん。
 參考 ○出而(考、古)デテ(新)略に同じ ○眼不並(考、新)略に同じ(古)メナラベズ ○買師絹之(新)カヒテシキヌノ ○商自許里鴨(新)アキ「耳」ニコリ「鶴」ツル。
 
1265 今年去。新島守之。麻衣。肩乃間亂者。誰取見。
(160)ことしゆく。にひさきもりが。あさごろも。かたのまよひは。たれかとりみむ。
 
太宰府に防人司有り。西蕃の寇を防がん爲、東の兵を遣はさるるなり。新たに立ち行くをニヒサキモリと言ふべし。カタノマヨヒは、和名抄、紕(萬與布、一云與流)繪欲v壞也と有りて、衣の破《ヤ》れぬべくよれるをも、旅にして誰とり上げんと言ふなり。許の字は衍文なるべし。宣長は、阿の誤ならんと言へり。卷五、ぬの肩衣、同卷に國に在らば父とり見まし、家に在らば母とり見ましと言へるを、合せ思ふべし。
 參考 ○新島守(新)ニヒシマモリ。
 
1266 大舟乎。荒海爾?出。八船多氣。吾見之兒等之。目見者知之母。
おほぶねを。あるみにこぎいで。やふねたけ。わがみしこらが。まみはしるしも。
 
アルミは、アラウミを約め言へり。ヤフネタケは、八は彌なり。タケは、土左日記に、ゆくりなく風吹きて、たけどもたけども後《シリヘ》しぞきに退《シゾ》きて、ほとほとうちはめつべしと言ふタケなり。宣長云、ヤフネタケは、危ふき所にて、いろいろと働きて舟を漕ぐを言ひて、色色と心を尋して、女に逢ひ見たるを譬へたるなりと言へり。意は然《サ》も有るべし。マミは、目を言ひて、逢見し君が眼ざしは、著《シ》るきと言ふなり。目をマミと言ふこと物語文に多し。
 參考 ○?出(代、考、古)コギデ(新)略に同じ ○八船多氣(新)ヤフネタケド「杼」脱とす。
 
就v所發v思 旋頭歌
 
(161)上つ代には、五言七言七言の三句の歌を專ら言へり。古事記に、是れを片歌と言ふ。其後、其三句の歌二つを本末として、一首に詠める歌有り。いと後に、是れを旋頭歌と名づく。右の三句もて言ひ終りて、又更に始めの如く五七七の言をめぐらし言ふ故に、頭をめぐらすとは言ふなり。
 
1267 百師木乃。大宮人之。蹈跡所。奧浪。來不依有勢婆。不失有麻思乎。
ももしきの。おほみやびとの。ふみしあとところ。おきつなみ。きよらざりせば。うせざらましを。
 
近江の宮を移されし後、志賀、辛崎などのさまを詠めるなるべし。佛足石の歌に、それたる人の蹈みしあとところと有り。
 參考 ○蹈跡所(考)フメリシアトゾ(古、新)略に同じ。
 
右十七首。古歌集出。
 
今本、首の字を脱せり。
 
1268 兒等手乎。卷向山者。常在常。過往人爾。往卷目八方。
こらがてを。まきむくやまは。つねなれど。すぎにしひとに。ゆきまかめやも。
 
コラガテヲ、枕詞。卷向山は常に有れども、むなしく來し人に、又行き求《マク》事を得んやと言ふなり。マクは求むの古言なり。卷ムクの名を受けて詠めり。
 參考 ○常在常(考、新)略に同じ(古)ツネニアレド ○往卷目八方(新)ユキ「相」アハメヤモ
 
(162)1269 卷向之。山邊響而。往水之。三名沫如。世人吾等者。
まきむくの。やまべとよみて。ゆくみづの。みなわのごとし。よのひとわれは。
 
本は序なり。世の人なる吾なれば、水の泡の如しとなり。
 
右二首。柿本朝臣人麻呂歌集出。
 
寄v物陳v思
 
1270 隱口乃。泊瀬之山丹。照月者。盈※[呉の口が日]爲烏。人之常無。
こもりくの。はつせのやまに。てるつきは。みちかけしてを。ひとのつねなき。
 
月は盈※[呉の口が日]する物ぞ。其如く人の常無きと言ふなり。ミチカケシテヲのヲは助辭なり。
 參考 ○照月者(新)「者」を誤字として、テルツキノとす ○盈※[呉の口が日]爲烏烏(考)ミチカケスルヲ(古)ミチカケシケリ(新)ミチカケシテゾ。
 
右一首。古謌集出。
 
行路
 
1271 遠有而。雲居爾所見。妹家爾。早將至。歩黒駒。
とほくありて。くもゐにみゆる。いもがへに。はやくいたらむ。あゆめくろごま。
 
卷十四、等保久之?くもゐに見ゆる妹がへにいつかいたらむあゆめくろこまとて出だせり。
 
(163)右一種。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
旋頭歌
 
1272 劔後。鞘納野邇。葛引吾妹。眞袖以。著點等鴨。夏草苅【草苅ハ葛引ノ誤】母。
たちのしり。さやにいりぬに。くずひくわぎも。まそでもて。きせてむとかも。なつくずひくも。
 
イリ野は、神名帳、山城乙訓郡入野神社有り。劔のしり鞘に入りと言ひ下したり。我に織りて着せんとてか、眞手もて夏葛引くと言ふなり。左右の手を眞手と言ひ、眞手を眞袖と言へり。二つのモは助辭なり。草は葛の字の誤なり。古訓クズとせり。宣長云、苅は引の誤なり。
 參考 ○眞袖以(考)略に同じ(古)マソデモテ(新)マソデ「作」ヌヒ ○夏草苅母(代)ナツグサ(考)夏草(古、新)略に同じ。
 
1273 住吉。波豆麻君之。馬乘衣。雜豆臘。漢女乎座而。縫衣叙。
すみのえの。なみづまきみが。うまのりごろも。さにづらふ。あやめをすゑて。ぬへるころもぞ。
 
ナミヅマは、上に出でたるイナミヅマと言ふ類ひにて地名か。馬乘衣、古訓マソゴロモと有れど由無し。契沖は、ウマノリギヌなど訓むべきかと言へり。さも有らんかと翁言はれき。漢女は、按ずるに雄略紀、身狹村主《ムサノスグリ》青等共2呉國使1將2呉所v献|手末才伎漢織呉織乃衣縫《テビトアヤハトリクレハトリキヌヌヒ》兄媛弟媛1泊2於住吉津1云云と有るに據りて訓めるなれば、アヤメと訓めり。サニヅラフは、其漢女が麗《ウルハ》しきを言ふ。宣長云、波豆麻君は、(164)波里摩着の誤、乘は垂の誤にて、ハリスリツケシ、マダラノコロモと訓むべし。座而はマセテと訓むべし。さて此歌は、摺衣を人に贈るとて、戯れて詠み遣れるにて、彼の紀に見えたる漢國の衣縫女を呼びて、縫はせたる衣ぞと言ひ遣るなり。マセテは、俗言に招待してと言ふ意なり。此訓、紀に例多しと言へり。此説穩かなり。
 參考 ○波豆麻君之(代、古)略に同じ(考)ナミツマノキミガ(新)「波里摩着之」としてハリスリツケシ ○馬乘衣(代)ウマノリギヌ(考)ワキアゲゴロモ(古)略に同じ(新)マダラノコロモ、「乘」を「垂」の誤とす ○雜豆臘(新)サヒヅラフ ○漢女乎座而(考)ヲトメヲスヱテ(古)ヲトメヲマセテ(新)アヤメヲマセテ。
 
1274 住吉。出見濱。柴莫苅曾尼。未通女等。赤裳下。閏將往見。
すみのえの。いでみのはまの。しばなかりそね。をとめらが。あかものすその。ぬれてゆかむみむ。
 
二の句は、イヅミノハマのか、又イデミルハマノか、考ふべし。濱に柴刈る事如何が。尼をネの假字に用ひたる例も無し。是れは字のいたく誤れるなるべし。試みに言はば、三の句、莫乘曾苅尼とや有りけん、ナノリソカリニと訓むべし。將往見も、往將見と有りてユク見ムなるべし。
 參考 ○出見濱(新)イデミノハマノ ○柴莫苅曾尼(考〕「莫乘曾刈尼」ナノリソカリニ(古)「濱菜苅者尼」ハマナカラサネ(新)シバナカリソネ ○未通女等(考、新)略に同じ(古)ヲトメドモ (165)○赤裳下閏將往見(代)ユカムミム(考)アカモノスソヲ、ヌラシユクミム(古)アカモスソヒヂ、ユカマクモミム(新)アカモノスソノヌレテユカムミム。
 
1275 住吉。小田苅爲子。賤鴨無。奴雖在。妹御爲。私【私ハ秋ノ誤ナルベシ】田苅。
すみのえの。をだをからすこ。やつこかもなき。やつこあれど。いもがみために。あきのたからす。
 
カラスは、カルを延べ言ふ。田刈るべき奴は有れども、妹が爲にみづから刈るならんと、刈人を指して詠めるなり。私田云云、シノビタヲカルと讀みたれど由無し。或説に、私は秋の誤ならんと言へり。さも有るべし。
 參考 ○小田苅爲子(代)ヲダカラスコハ(考)ヲダカラスコ(古、新)略に同じ ○御爲(考、新)略に同じ(古)ミタメト ○私田苅(代)ワタクシダカル(考)オノレタヲカル(古)「秋」アキノタカルモ(新)「秋」アキノタヲカル。
 
1276 池邊。小槻下。細竹苅嫌。其谷。君形見爾。監乍將偲。
いけのべの。をづきがもとの。しぬなかりそね。それをだに。きみがかたみに。みつつしぬばむ。
 
竹の下、莫の字を落せり。次に例有り。池ノベノヲ槻は、地名に有らず、唯だ槻の木のもとと言ふなり。君は男を指す。其槻の木のもとにて、相見し事などの有りしならん。
 
1277 天在。日賣菅原。草莫苅嫌。彌那綿。香烏髪。飽田志付勿。
(166)あめなる。ひめすがはらの。くさなかりそね。みなのわた。かぐろきかみに。あくたしつくも。
 
アメナルは、日と懸けたるのみの枕詞にて、ひめ菅原は地名なるべき由、翁は言はれき。宣長は天ナルは天上に有るひめすが原なり。然らざれば、髪に芥の付くと言ふこと由無し。是れは天なるささらのを野の類ひにて、唯だ設けて言ふのみなりと言へり。此説に據るべし。ミナノワタ、枕詞。カ黒キ髪、既に出づ。シとモは助辭のみ。那の下、能の字を落せり。
 參考 ○草莫(古)スガナ(新)スゲナ。
 
1278 夏影。房之下邇。【邇ヲ庭ニ誤ル】衣裁吾妹。裏儲。吾爲裁者。差大裁。
なつかげの。ねやのしたに。きぬたつわぎも。うらまけて。わがためたたば。ややおほにたて。
 
ナツカゲは、暑き日影を隔つる所を言ふか、されど猶穩かならず。誤字有らんか、考ふべし。邇を今本庭に作るは誤れり。元暦本に據りて改む。ウラマケテは衣の裏をも設けてなり。ヤヤオホニは、漸大キニなり。
 參考 ○房之下邇(代)ネヤノモトニテ(考)ネヤノ(古)略に同じ(新)「窓」マドノモトニ ○裏儲(新)「金」アキマケテ ○差大裁(代、考、新)略に同じ(古)イヤヒロニタテ。
 
1279 梓弓。引津邊在。莫謂花。及採。不相有目八方。勿謂花。
あづさゆみ。ひきつのべなる。なのりそのはな。つむまでに。あはざらめやも。なのりそのはな。
 
引津は筑前なり。卷十五、引津亭舶泊之作と有れば、海邊なる事|著《シ》るし。引津ノベナルは、引津ノ方《ベ》ナルと言ふなり。又引ツベニアルと訓まんか。なのりその花咲く頃までは、逢はず有らんやと慰むるなり。卷十、梓弓引津邊有なのりその花咲までにあはぬ君かもと言ふと同じ歌なり。何れかもとならん。
 參考 ○及採(考)ツムマデハ(古)略に同じ(新)採を咲の誤としサクマテニとす。
 
1280 撃日刺。宮路行丹。吾裳破。玉緒。念委。家在矣。
うちひさす。みやぢをゆくに。わがもはやれぬ。たまのをの。おもひ|しなえて《みだれて》。いへにあらましを。
 
家に在りて、侘びてのみ有らんを、戀ふる人に逢ふやと宮づかへに事よせて、宮路通ふ程に、裳も破れぬるとなり。玉緒と言ふより、オモヒシナエテとは續き難し。元暦本にミダレテと有るからは、もと念亂と有りしを、草書より誤れるなるべし。
 參考 ○念委(代)オモヒツミテモ(考)オモヒシナエテ(古、新)オモヒ「亂」ミダレテ。
 
1281 君爲。手力勞。織在衣服斜。【斜は料ノ誤】春去。何何。【何何ハ何色ノ誤】摺者吉。
きみがため。たぢからつかれ。おりたるきぬを。はるさらば。いかなるいろに。すりてばよけむ。
 
今の訓、由無し。字も誤れりと見ゆ。宣長云、斜は料の誤。何何は何色の誤なり。織りたる絹は、衣服の料なれば、斯く書きてキヌと訓ませたり。何色を、何何と誤れるは、何色と書けるを何々と見たるなりと言へり。此説然り。スリテバヨケムは、スリタラバヨカラムなり。
(168) 參考 ○手力勞(代、古、新)略に同じ(考)在までを句とし、テダユクオレル ○織在衣服斜(代)オレルキヌクタツ(考)キヌキセナナメ(古、新)略に同じ。○何何(新)イカナル「花」ハナニ。
 
1282 橋立。倉椅山。立白雲。見欲。我爲苗。立白雲。
はしだての。くらはしやまに。たてるしらくも。みまくほり。わがするなへに。たてるしらくも。
 
ハシダテノ、枕詞。クラハシ山は大和十市郡なり。あひ見まく思ひし時、幸ひに見しを譬へたるならん。
 參考 ○立白雲(新)タツヤシラクモ、結句も同じ。
 
1283 橋立。倉椅川。石走者裳。壯子時。我度爲。石走者裳。
はしだての。くらはしがはの。いはのはしはも。をざかりに。わがわたりし。いはのはしはも。
 
昔逢ひし人の、今は絶えぬるに譬へたるならん。石バシは既に出づ。
 參考 ○我度爲(代)ワガワタリテシ(考)ワガワタシタリ(古)アガワタセリシ(新)ワガワタリセシ。
 
1284 橋立。倉橋川。河靜菅。余苅。笠裳不編。川靜管。
はしだての。くらはしがはの。かはのしづすげ。わがかりて。かさにもあまず。かはのしづすげ。
 
シヅ菅は、下草の意にて、菅の小きを言ふか、又は一種の菅の名か。しめ結ひしばかりにて、逢はぬを譬へたるなるべし。
(169) 參考 ○余苅(考)ワレカリテ(古)アガカリテ(新)略に同じ。
 
1285 春日尚。田立羸【羸ヲ?ニ誤ル】。公哀。若草。?無公。田立羸。
はるひすら。たにたちつかる。きみはかなしも。わかくさの。つまなききみが。たにたちつかる。
 
長き春の日すら、獨り田かへすを見れば、悲しとなり。
 
1286 開木代。來背社。草勿手折。己時。立雖榮。草勿手折。
やましろの。くぜのやしろの。くさなたをりそ。おのがとき《わがときと》。たちさかゆとも。くさなたをりそ。
 
卷十一にも、山シロと言ふに、斯く書きたり。聖武紀、天平十七年正月云云。乍遷2新京1、伐v山開v地以造v室なども有りて、林を開きて材を取るべき所は山なれば、開木にてヤマと訓むべし。代をシロと訓は、拾芥抄田籍部に、凡田以2方六尺1爲2一歩1云云。積2七十二歩1爲2十代《ソシロ》1。百四十歩爲2二十代1云云。五十代爲2一段1。式云代(ハ)頭也云云など有るをも思へ。既に言へるミワヤマを綜麻形と書ける類ひなり。社をもて言ふを思へば、主有る女に係想《ケサウ》するとも、あながちなる行《ワザ》なせそと言ふなるべし。己時立榮モとは、其女のみさかりなるを、草の時を得て榮ゆるに譬へたるか。
 參考 ○己時(考)オノガトキ(古)シガトキト(新)ワガトキト。
 
1287 青角髪。依網原。人相鴨。石走。淡海縣。物語爲。
あをみづら。よさみのはらに。ひともあはぬかも。いははしの。あふみあがたの。ものがたりせむ。
 
(170)アヲミヅラ、イハバシノ、枕詞。ヨサミは河内にも在れど、其れは和名抄、參河碧海郡依網(與作美)と有るなるべし。相鴨は、宣長云、アハヌカモと訓むべし。アヘカシの意なり。相の上不の字無きに、アハヌと訓む事は如何がと、誰も思ふ事なれど、集中に例多し。アハヌカモと言はざればアヘカシの意に成り難し。アガタは、官人の住所を言へり。此歌は、近江國の司、下る道、參河のよさみの郷にて詠めるなりと言へり。人モは、人こそと言ふべきを斯く言へり。後に花見て歸る人も逢はなんと詠めるも同じ。
 參考 ○依網原(代、古、新)略に兩じ(考)ヨサミノハラノ ○人相鴨(代)ヒトモアヘカモ(考)ヒトニアハムカモ(古、新)略に同じ ○石走(代、考、古)イハバシル(新)略に同じ。
 
1288 水門。葦末葉。誰手折。吾背子。振手見。我手折。
みなとの。あしのうらばを。たれかたをりし。わかせこが。ふるてをみむと。われぞたをりし。
 
按ずるに、振の下衣の字を脱せしか。ソデフルミムトと有るべし。旅行く人の湊漕ぎ出でて別るる時、背子が袖振りつつ行くさまを見んとて、葦の末を折りしと言ふなるべし。ここの歌の次も、旅中の相聞なり。一首のうちに問答あり。
 參考 ○水門(代、古、新)略に同じ(考)ミナトナル ○振手見(考)フルテヲミムト(古)ソデフルミムト(新)フルソデミムト(古、新)ともに略の「衣」字脱に據る。
 
1289 垣越。犬召越。鳥獵爲公。青山。葉茂山邊。馬安君。
かきこゆる。いぬよびこして。とがりするきみ。あをやまの。はしげきやまべ。うまやすめきみ。
 
宣長云、垣コユルは、唯だ犬と言はん枕詞なり。歌の意には關はらず。ヨビコシテは、呼令(メ)v來(ラ)てなりと言へり。青山の云云は、其狩せん所を兼て言ひて、馬いこはせつつ狩せよと言ふなり。
 參考 ○桓越(考)カキコシニ(古、新)略に同じ
○犬召越(考)略に同じ(古)イヌヨビコセテ(新)イヌヨビタテテ ○葉茂山邊(考)シゲルヤマベニ(古)略に同じ(新)ハシゲキヤニ「邇」ニ ○馬安君(考)ウマヤスメヨキミ(古、新)略に同じ。
 
1290 海底。奧玉藻之。名乘曾花。妹與吾。此何有跡。莫語之花。
わたのそこ。おきつたまもの。なのりそのはな。いもとあれと。ここにしありと。なのりそのはな。
 
ワタノソコ、枕詞。何は所の誤か、又は荷の誤ならん。男女海邊に隱れをる事有る時、其所の物をもて、序の如くして詠めるなるべし。
 參考 ○妹與吾(考)略に同じ(古)イモトアレ(新)イモトワレ ○此何有跡(代)何は荷(考、新)ココ「荷」ニアリト(古)略に同じ。
 
1291 此崗。草苅小子。然苅。有乍。君來座。御馬草爲。
このをかに。くさかる|わらは《をのこ》。しかなかりそね。ありつつも。きみがきまさむ。みまくさにせむ。
 
然の下、莫の字を落せり。シカナカリソネは、斯くの如く刈る事なかれなり。ネはナと同じく願ふ言。(172)末は其草の在り在りたらば、君が來まさん時、馬に飼はんとなり。 參考 ○小子(代)ワラハ(考)ヲノコ(古)コドモ(新)ワラハ、又はコドモ。
 
1292 江林。次完【宍ヲ完ニ誤ル】也物。求吉。白栲。袖纒上。完待我背。
えばやしに。やどるししやも。もとむるによき。しろたへの。そでまきあげて。ししまつわがせ。
 
江林、地名なるべし。シシは猪鹿なり。ヤモのモは助辭。袖マキアゲテは、まくり手にするなり。是れも男の女を待つさまを斯く譬へたるか。モトムルニヨキと言ふ事聞え難し。宣長云、次は伏の誤、求吉は來告の誤にて、フセルシシヤモ、キヌトツゲケムなるべしと言へり。
  參考 ○江林(新)江は誤字か ○次(新)伏の誤か。
 
1293 丸雪降。遠江。吾跡川楊。雖苅。亦生云。余跡川楊。
あられふり。とほつあふみの。あとかはやなぎ。かれれども。またもおふちふ。あとかはやなぎ。
 
アラレフリ、枕詞。アト川は近江高島郡なり。遠江にも同じ地名有るか、土人に問ふべし。吾も余もアレの語なるをもて、アの假字に用ひたり。物の刈りてもやがて生ふるに、思ひ離れても、又離れ難みして逢ふを譬へたるなるべし。
 參考 ○丸雪降遠江(代)アラレノ、フルトホツエノ(考、古、新)略に同じ ○雖刈(考)カレリトモ(古)略に伺じ(新)カリツレド。
 
(173)1294 朝月日。向山。月立所見。遠妻。持在人。看乍偲。
あさづくひ。むかひのやまに。つきたてるみゆ。とほづまを。もちたるひとし。みつつしぬばむ。
 
朝ヅク日は、朝附日にて、向ひの枕詞なり。月立は、月の山の端を立ち上《ノボ》るを言ひて、其山の端登る月を見ても、遠き所に妻持ちたらん人の思ひ偲ばんと言ふなり。人シのシは助辭。
 參考 ○月立所見(考)ツキノ「出」イヅルミユ(古、新)ツキタテリミユ ○持在人(考)モタラムヒトゾ(古)モタラムヒトシ(新)モチタルヒトシ。
 
右二十三首。柿木朝臣人麻呂之歌集出。
 
1295 春日在。三笠乃山二。月船出。遊士之。飲酒杯爾。陰爾所見管。
かすがなる。みかさのやまに。つきのふねいづ。みやびをの。のむさかづきに。かげにみえつつ。
 
遊士、ミヤビヲと訓む事既に言へり。陰は影なり。盃中に月の映れるを詠めり。
 
譬喩歌
 
寄v衣
 
目録に、寄v衣八首、寄v糸一首、寄2倭琴1二首、寄v弓二首、寄v玉十六首、寄v山五首、寄v木八首、寄v草十七首、寄v花七首、寄v稻一首云云と有るを、ここには、一つ物を二所に分ち擧げたる有り。寫し(174)誤れりと見ゆ。目録の方を正しとすべし。
 
1296 今造。斑衣服。面就。吾爾所念。末服友。
あたらしき。まだらのころも。おもづきて。われにおもほゆ。いまだきねども。
 
マダラノ衣は摺衣なり。上にも出づ。宣長云、オモヅキテ云云は、我によく似合ひたる衣と、思はるると言ふ意なりと言へり。未だ逢はざれども、吾が物とせんに宜しき女なりと言ふを譬ふ。
 參考 ○今造(代、古、新)イマツクル(考)略に同じ ○斑衣(考)マダラゴロモハ(古、新)略に同じ ○面就(代、考、古)メニツキテ(新)猶訓有るべし
○吾爾所念(考)ワレ「者」ハオモホユ(古)アレ「者」ハオモホユ、又は「常」ツネニオモホユ(新)ワレニオモホユ。
 
1297 紅。衣染。雖欲。著丹穗哉。人可知。
くれなゐに。ころもそめまく。ほしけども。きてにほはばや。ひとのしるべき。
 
紅は、麗はしき色なれど、着てにほはば人や知るべきの意なり。麗はしき女を戀ふれど、早く顯はれんと言ふを譬ふ。
 參考 ○衣染(代、新)略に同じ(考)コロモハソメテ(古)コロモシメマク ○雖欲(代、古、新)略に同じ(考)ホシカレド ○著丹穗哉(考)キナバニノホヤ(代、古、新)略に同じ ○可知(考)シルベク(古、新)略に同じ。
 
1298 千名。人雖云。織次。我二十物。白麻衣。
ちなにはも。ひとはいふとも。おりつがむ。わがはたものの。しろあさごろも。
 
ハモは助辭。人は色色に言ひ立つるとも、なほ繼ぎて思はんとなり。
 參考 ○千名(考)チヂノナニ(古、新)「干各」カニカクニ。
 
寄v玉
 
1299 安治村。十依海。船浮。白玉採。人所知勿。
あぢむらの。とをよるうみに。ふねうけて。しらたまとらむ。ひとにしらゆな。
 
トヲヨルは、卷二、なゆ竹の騰依《トヲヨル》子ら、卷三、なゆたけの十縁みこなど言ひて、トヲヲ、タワワなど言ふに同じく、撓みしなふさまなり。水鳥の群れ飛ぶもたわみよる如く見ゆる物なれば、あぢむらの群れ飛ぶ列《ツラ》を斯く言へり。さて上は序のみ。譬へたる意は、女を玉に譬へて、見とがめん人の多き中に、女を得んとするを言ふ。
 參考 ○十依海(考)「千」ムレタルウミニ(古)「群」ムレヨルウミニ(新)略に同じ ○白玉採(代、新)シラタマトルト(考)略に同じ ○人所知勿(考)ヒトニシラルナ(古、新)略に同じ。
 
1300 遠近。礒中在。白玉。人不知。見依鴨。
をちこちの。いそのなかなる。しらたまを。ひとにしらえで。みむよしもがも。
 
(176)イソは石なり。此處彼處《ココカシコ》の石に交りて有る玉と言ひて、是れも女を玉に譬へて、多かる人の中にて、人に知られず、相見ん由も有れかしと言ふなり。
 參考 ○人不知(考)ヒトニシラレデ(古、新)略に同じ ○見依鴨(考)ミルヨシモガモ(古、新)略に同じ
 
1301 海神。手纏持在。玉故。石浦廻。潜爲鴨。
わたづみの。てにまきもたる。たまゆゑに。いそのうら|わ《ま》に。かづきするかも。
 
イソノウラ廻は、地名に有らず。磯の裏なり。やんごとなき人に愛でらるる女などを、いたづかはしく戀ふるを譬ふ。
 參考 ○石浦廻(考)イソノウラワニ(古、新)イソノウラミニ。
 
1302 海神。持在白玉。見欲。千遍告。潜爲海子。
わたづみの。もたるしらたま。みまくほり。ちたびぞのりし。かづきするあま。
 
カヅキスルアマは媒を言へり。是れも上の歌と心は同じ。此末に、一二の句、底清み沈ける玉をと替りたるのみにて、同じ歌を載せたり。
 參考 ○千遍告(代、古、新)チタビゾツゲシ(考)略に同じ。
 
1303 潜爲。海子雖告。海神。心不得。所見不云。
(177)かづきする。あまはのれども。わたづみの。こころしえねば。みゆといはなくに。
 
是れは媒する者の、右の歌に和《コタ》へて、海子を吾が事として、吾は其人に告げたれど、領ずる人の心を得ねば、相見えんとは言はず、と言ふ意なるべし。
 參考 ○海子雖告(考)略に同じ(古、新)アマハツグレド ○所見不云(考)略に同じ(古)ミエムトモイハズ(新)ミエムトイハナクニ。
 
寄v木
 
1304 天雲。棚引山。隱在。吾忘。【忘ハ下心二字ノ誤】木葉知。
あまぐもの。たなびくやまの。こもりたる。わがしたごころ。このはしるらむ。
 
知の下、一本、良武の二字有り。忘、ワスレメヤと訓みたれど聞えず。宣長云、忘は下心二字の語りて一字に成りたるなり。上二句はコモリの序なりと言へるぞ善き。木ノ葉知ルラムは譬に言ふなり。卷三、まきのはのしなふせの山しぬはずてわがこえゆけば木のは知けむ。
 參考 ○棚引山(考)タナビクヤマニ(古、新)略に同じ ○隱在(代)カクシタル(考、古、新)略に同じ ○吾忘(代、考)ワガ「志」ココロザシ(古)アガ「下心」シタゴコロ(新)略に同じ ○木葉知(考)コノハシル「良武」ラム(古)コノハシリケム(新)略に同じ。
 
1305 雖見不飽。人國山。木葉。己心。名著念。
(178)みれどあかぬ。ひとぐにやまの。このはをし。わがこころから。なつかしみもふ。
 
此卷末に、人國山の秋津野と詠みたれば大和なり。木ノハヲシのシは、助辭のみ。他妻《ヒトヅマ》を己れ獨りが心より戀ふるを譬ふ。ミレドアカヌは、木の葉と言ふへ續くなり。宣長云、是れも己は下の誤にて、シタノココロニと訓むべしと言へり。是れも穩かなり。
 參考 ○木葉(考、古)略に同じ(新)コノハヲバ ○己心(考)略に同じ(古、新)「下」シタノココロニ。
 
寄v花
 
1306 是山。黄葉下。花矣我。小端見。反戀。
このやまの。もみぢのしたの。はなをわが。はつはつにみて。かへるこひしも。
 
小春の頃歸り花とて、春咲きし花のともしく咲く事有るを言ふか。又はりうたんの花などを言へるか。何れにも有れ、はつかに見し女に譬ふるなり。宣長云、矣は咲の誤にて、咲花と有りしが下上に成りたるなり。反は乍の誤なり。さらば、モミヂノシタニ、サクハナヲ、ワレハツハツニ、ミツツコヒシモと訓むべしと言へり。此歌の書きざま、矣の假字など書き添ふべくもあらねば、右の説然るべし。
 參考 ○紅葉下(考、新)略に同じ(古)モミヂノシタニ ○花矣我(考、新)略に同じ(古)「咲花」サクハナヲ ○小端見(考、新)略に同じ(古)「我」アレハツハツニ ○反戀(代、新)カヘリテ(179)コヒシ(考)カヘルワビシモ(古)「見」ミツツコフルモ。
 
寄v川
 
1307 從此川。船可行。雖在。渡瀬別。守人有。
このかはゆ。ふねはゆくべく。ありとへど。わたりせごとに。もるひとあるを。
 
守人の許しなくて、常に行き逢ひ難きを譬ふ。有ルヲのヲは添へて訓むべし。ヲの言を、斯く徒らに添へたる例多し。
 參考 ○從此川(考、新)略に同じ(古)コノカハヨ ○船可行(考)フネユクベクハ(古、新)略に同じ ○渡瀬別(考)ワタルセゴトニ(古、新)略に同じ ○守人有(考)マモルヒトアリ(古)略に同じ(新)モルヒトアリテ。
 
寄v海
 
1308 大海。候水門。事有。從何方君。吾率陵。
おほうみを。まもるみなとに。ことしあらば。いづくゆきみが。わをゐしのがむ。
 
大海ヲマモル云云は、太宰の津は、西蕃を候《マモ》るなれば、斯く言へるならん。陵、恐らくは隱の誤なるべし。然らばヰカクサムと訓むべし。是れは父母などに見顯はさるるを、其みなとに事有るに譬へて、斯かる時は、何方《イツカタ》に吾をひきゐ隱さんやと言ふなり。又、オホウミハ、ミナトヲマモル、コトシアレバとも訓(180)まんかと、宣長言へり。然《サ》ても意は同じ。率陵は、義を以てヰテユカムと訓むべしと、同じ人言へり。
 參考 ○大海(考、新)略に同じ(古)オホウミハ ○候水門(考、新)略に同じ(古)ミナトヲマモル ○事有(代)コトアルヲ(考)コトアラバ(古、新)略に同じ ○從何方君(代)イカサマニキミ(考、新)略に同じ(古)イヅヘヨキミガ ○吾率陵(考、新)ワガヰ「隱」カクレム(古)アヲヰ「隱」カクサム。
 
1309 風吹。海荒。明日言。應久。君隨。
かぜふきて。うみはあるとも。あすといはば。ひさしかるべし。きみがまにまに。
 
今日たとひ人の言ひ騷ぐとも、明日を待つ間の憂ければ、君が心のままにせんと思ふと言ふを譬ふ。右の歌ぬしのおし返して詠めるなり。
 參考 ○海荒(考)ウミシアルレバ(古、新)略に同じ。
 
1310 雲隱。小嶋神之。恐者。目間。心間哉。
くもがくる。こじまのかみの。かしこけば。めはへだつれど。こころへだつや。
 
コ島と言はんとて、雲隱ると言へり。さてここの小島、集中、吉備ノコ島とも詠みたる所か、いづこにも有れ、其所の神に守人を譬へたり。メハヘダツレドは、見ルメハヘダツレドモの意、心ヘダツヤは、心ハヘダテムヤの意なり。カシコケバは、カシコケレバの略。
(181) 參考 ○恐者(代)カシコサニ、又は、カシコケレバ(考)カシコクバ(古、新)略に同じ ○目間(代、古)略に同じ(考)メハヘダツトモ(新)メハヘナルトモ ○心間哉(代、古)略に同じ(考)ココロヘダテメヤ(新)ココロヘナレヤ。
 
右十五首。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
 
寄v衣
 
1311 橡。衣人者。事無跡。曰師時從。欲服所念。
つるばみの。きぬきるひとは。ことなしと。いひしときより。きほしくおもほゆ。
 
橡は、古へ賤者の服なり。次の歌に、紅の衣を上に著は事なさむかと詠みたるをもて見れば、貴人は所せき身にて、いささかの事も、言しげく言ひなされなどすれば、賤者の中中に事無きを羨みて、さて賤女を戀ふる事有りて詠めるなるべし。和名抄、染色具橡(和名都流波美)櫟實也。衣服令に、黄橡も有れど、ここは其れには有らず。四位の服となれるも後の事にて、古へは然らず。宣長云、人者は者人と有りしが下上に成りしなり。ツルバミノコロモは、ヒトノと訓むべしと言へり。元暦本、者を皆に作りて、ツルバミノキヌハ、ヒトミナと訓めり、猶考ふべし。
 參考 ○衣人者(考、新)略に同じ(古)コロモ「者人」ハヒトノ ○曰師時從(考)イヒテシトキユ(古、新)略に同じ ○欲服所念(代、古、新)略に同じ(考)キマクオモホユ。
 
(182)1312 凡爾。吾之念者。下服而。穢爾師衣乎。取而將著八方。
おほよそに。われしおもはば。したにきて。なれにしきぬを。とりてきめやも。
 
なるるは、古びたるを言ふ。離れて後再び逢ふを譬へたり。
 參考 ○凡爾(新)オホロカニ。
 
1313 紅之。深染之衣。下著而。上取著者。事將成鴨。
くれなゐの。こぞめのきぬを。したにきて。うへにとりきば。ことなさむかも。
 
紅は、よき人の服にて、殊に丹の穗なども言ひて、顯はれたる色なり。さて是れは、今迄しのびに心通はしたる人を、後にあらはして妻となさば、人の言痛からんかとなり。
 參考 ○深染之衣(古、新)コゾメノコロモ。
 
1314 橡。解濯衣之。恠。殊欲服。此暮可聞。
つるばみの。ときあらひぎぬの。あやしくも。ことにきほしき。このゆふべかも。
 
中絶えたる人を、また思ひ出づるを譬ふ。
 參考 ○殊欲服(代、考)ケニキマホシキ(古)ケニキホシケキ(新)略に同じ。
 
1315 橘之。島爾之居者。河遠。不曝縫之。吾下衣。
たちばなの。しまにしをれば。かはとほみ。さらさずぬひし。わがしたごろも。
 
(183)橘ノ島は、大和なり。卷二に、橘の島の宮と言へる所なり。そこに池の有りし事も見ゆれど、布洒すべき川は遠きならん。サラサズとは、顯はさぬを譬ふるなるべし。
 參考 ○島爾之居者(新)シマニシ「不居」ヰネバ ○不曝(考)サラサズ(古、薪)略に同じ。
 
寄v絲
 
1316 河内女之。手染之絲乎。絡反。片絲爾雖有。將絶跡念也。
かふちめの。てぞめのいとを。くりかへし。かたいとにあれど。たえむとおもへや。
 
河内の國の女なり。大和女、難波女の類ひなり。古へ河内より多く糸を出だせしと見ゆ。片思ながらさすがに絶えんとは思はんやとなり。
 參考 ○河内女(新)カウチメ ○絡反(新)クリカヘス ○片絲爾雖有(考)カタイトナレド(古、新)略に同じ。
 
寄v玉
 
1317 海底。沈白玉。風吹而。海者雖荒。不取者不止。
わたのそこ。しづくしらたま。かぜふきて。うみはあるとも。とらずはやまじ。
 
シヅクはシヅケルを約め言ふにて、沈みて有るなり。親などの諫め罵りなどして、逢ひ難き女に、強ひて逢はんの心を譬ふ。
 
(184)1318 底清。沈有玉乎。欲見。千遍曾告之。潜爲白水郎。
そこきよみ。しづけるたまを。みまくほり。ちたびぞのりし。かづきするあま。
 
上に同じ心の歌有り。媒を海人に譬ふ。
 參考 ○千遍曾告之(考)略に同じ(古、新)チタビゾツゲシ。
 
1319 大海之。水底照之。石著玉。齋【齋ヲ齊ニ誤ル】而將採。風莫吹行年。
おほうみの。みなぞこてらし。しづくたま。いはひてとらむ。かぜなふきこそ。
 
本は貴人か、又はいと麗はしき女を譬へ、末は神に乞ひ祈りて逢はんに障らふ事なかれと願ふなり。行年は去年の意にて、コソの假字に用ふ。宣長云、行年の行は所の誤にて、ソネなるべし。集中、すべて斯く書きたるは、皆ソネと言ひて適へる由言へり。さも有らんか。
 參考 ○照之(代)テリシ(考、古、新)略に同じ ○行年(古、新)「所年」ソネ。
 
1320 水底爾。沈白玉。誰故。心盡而。吾不念爾。
みなぞこに。しづくしらたま。たがゆゑか。こころつくして。わがもはなくに。
 
人のいつける少女を戀ふるなり。仙覺抄に、濱成式を引きて、美那曾已|弊《ヘ》、旨都倶旨羅他麻、他我由惠|爾《ニ》、己己呂都倶旨弖、和我母波那倶爾と有り。是れは誰れ故に心盡して我が思はんや、他し人をば思はぬと言ふなり。ニの言は、言ひ押ふる詞。古今集の、誰れ故に亂れ初めにし我ならなくにの類ひなり。
(185) 參考 ○誰故(考、古)タレユヱニ(新)略に同じ。
 
1321 世間。常如是耳加。結大王。白玉之緒。【緒ヲ結ニ誤ル】絶樂思者。
よのなかは。つねかくのみか。むすびてし。しらたまのをの。たゆらくおもへば。
 
大王をテシの假字に用ひたる事既に言へり。白玉之の下、緒、今本結と有り。元暦本に據りて改む。タユラクは、タユルを延べ言ふ。此歌は譬喩とは聞えず。結びたりし玉の緒の絶ゆるを思へば、世の中の人の契りも、常に斯くは有らじと言へるなり。
 參考 ○世間(代)ヨノナカノ(考、古、新)略に同じ。
 
1322 伊勢海之。白水郎之島津我。鰒玉。取而後毛可。戀之將繁。
いせのうみの。あまのしまつが。あはびだま。とりてのちもか。こひのしげけむ。
 
アマノシマツは、和名抄、伊勢河曲郡海部(海末)の郷有り。海部の島の津の鰒と言ふ意か。津は舟の津なるべし。我は之の語なりと翁は言はれき。按ずるに、島は鳥の誤。我は流の草書より誤りて、アマガトリツルなるべし。逢ひ見て後、戀の増さらんかと言ふを添へたり。
 參考 ○白水郎之島津我(古)アマノシマツガ(新)「島津我白水郎之」シマツガアマノ。
 
1323 海之底。奧津白玉。縁乎無三。常如此耳也。戀度味試。
わたのそこ。おきつしらたま。よしをなみ。つねかくのみや。こひわたりなむ。
 
(186)女を玉に譬ふ。ヨシヲナミは、玉を取る由無くしてなり。味試は、甞むるの義をもてナムの詞に用ふ。
 
1324 葦根之。懃【懃ヲ〓ニ誤ル】念而。結義之。玉緒云者。人將解八方。
あしのねの。ねもころもひて。むすびてし。たまのをといはば。ひととかめやも。
 
義之は、羲之の誤なる事既に言へり。アシノネはネモコロと重ね言はん爲めなり。人トカメヤモは、よもさくる人は有らじと言ふを譬ふ。
 
1325 白玉乎。手者不纒爾。匣耳。置有之人曾。玉令泳流。
しらたまを。てにはまかずに。はこのみに。おけりしひとぞ。たまおぼらする。
 
爾は?の字の誤なるべし。マカズシテと言ふべきを、マカズニと言ふは俗語なり。マカズテと有るべし。手にもまかず、箱にのみ置くは、いたづらに物を水に入れて溺れしむるに似たるを、下には契り置きながら、逢ふ事も無く、顯はれて妻ともえ定めねば、手にまかぬ玉に譬ふるなりと、契沖が言へるに據るべし。
 參考 ○手者不纏爾(代)マカナクニ(考)「纏而」(古、新)テニハマカズテ ○匣耳(考)ハコニノミ(古、新)略に同じ ○玉令泳流(代)タマヲオボラス、又はタマオボレシム(考、古)略に同じ(新)タマハフラスル「泳」を「溢」の誤とす。
 
1326 照左豆我。手爾纏古須。玉毛欲得。其緒者替而。吾玉爾將爲。
(187)てるさつが。てにまきふるす。たまもがも。そのをはかへて。わがたまにせむ。
 
テルサツは、玉商人を言ふか。サツは、幸人の意もて、賣る人をも言へるか。テルは、テラフなり。字書に、衒、行且賣也。自矜。字鏡、衒(天良波須又賣)と有り。譬への意は、今、女をもたる人有るを、いかで思ひ古せかし。我が物にせんと言ふなるべし。其緒とは、先夫を言ふならんと翁言はれき。されど照左豆の詞穩かならず。誤字なるべし。猶考へてん。
 參考 ○照左豆我(考)略に同じ(古)ワタツミノ(新)「緜都美」ワタツミガ。
 
1327 秋風者。繼而莫吹。海底。奧在玉乎。手纏左右二。
あきかぜは。つぎてなふきそ。わたのそこ。おきなるたまを。てにまくまでに。
 
親のもとなる女を思ひ懸けて詠めるなり。一二の句は、其女に逢ふまで障る事無くもがなと言ふなり。
 
寄2日本琴1
 
1328 伏膝。玉之小琴之。事無者。甚幾許。吾將戀也毛。
ひざにふす。たまのをごとの。ことなくは。いとここばくに。わがこひめやも。
 
琴を相馴れし女に譬ふ。さて吾が中に事有りて、え逢ひ難きを詠めり。卷五いかならむ日の時にかも聲しらむ人の膝のへあがまくらかむ。
  參考 ○甚幾許(代)ココダクハ(考、新)略に同じ(古)ハナハダココダ ○吾將戀也毛(考)ワ(188)ガコヒムヤム(古)アレコヒメヤモ(新)略に同じ。
 
寄v弓
 
1329 陸奧之。吾田多良眞弓。著絲而。引者香人之。吾乎事將成。
みちのくの。あたたらまゆみ。つらはげて。ひかばかひとの。わをことなさむ。
 
卷十四、陸奧歌、安太多良のねに伏すししの、同卷、みちのくの安太多良ま弓はじきおきてせらしめきなはつらはがめかもと詠めり。絲、一本絃に作るぞ善き。事ナサムは言ヒナサムなり。譬への心明らけし。アタタラは地名か。
 參考 ○著絲而(考)ツルハケテ「絲」を「絃」とす(古、新)略に同じ、但し「ケ」を清む。
 
1330 南淵之。細川山。立檀。弓束級。人二不所知。
みなぶちの。ほそかはやまに。たつまゆみ。ゆづかまくまで。ひとにしらえじ。
 
南淵、細川山、大和十市郡也。天武紀、五年勅禁2南淵細川山1並莫2蒭薪1と有り。ユヅカ、和名抄、釋名云、弓末曰v?(和名由美波數)中央曰v?(和名由美都加)と有るなり。級糸、次第也と字書に有れば、マクと訓むべからず。マデの詞添へん由も無し。恐らくは、纏及と有りしを纏の傍滅えて、及を上へ付けしにや。心を通はして後、我が領ぜんまでは、人に洩らすなと言ふに譬ふ。
 
寄v山
 
(189)1331 磐疊。恐山常。知管毛。吾者戀香。同等不有爾。
いはだたみ。かしこきやまと。しりつつも。われはこふるか。なぞへらなくに。
 
磐ほ重り嶮《さが》しき山をもて貴人に譬ふ。同等は、古纏トモと有れども事たらず。ナゾヘと訓むべし。ナゾヘラナクニは、ナゾヘニアラヌニの意なり。伊勢物語に、おふなおふな思ひはすべしなぞへ無く高き賤しき苦しかりけり、と詠めるナゾヘナクも、是れらより出でたり。
 參考 ○磐疊(考、新)略に同じ(古)イハタタム ○同等不有爾(考)ナゾヘナラヌニ(古)略に同じ(新)トモナラナクニ、又はヒトシカラヌニ。
 
1332 石金之。凝木敷山爾。入始而。山名付染。出不勝鴨。
いはがねの。こごしきやまに。いりそめて。やまなつかしみ。いでがてぬかも。
 
是れも右に同じく、同等ならぬ人を思ひそめて、え思ひ止み難きを言へり。出デガテヌは、出デガテニスルにて、ガテとガテヌと同じ事なる事上に言へり。
 參考 ○凝木敷山爾(考、新)略に同じ(古)「木凝」ココシクヤマニ。
 
1333 佐保山乎。於凡爾見之鹿跡。今見者。山夏香思母。風吹莫勤。
さほやまを。おほにみしかど。いまみれば。やまなつかしも。かぜふくなゆめ。
 
於凡二字にて、オホの假字とせり。おほよそに見し山なれど、入り立ちて見れば、花紅葉のなつかしき(190)山ぞ。風な吹そと言ひて、馴るるに付けて思ひ増すを、妨ぐる事なかれと言へる譬なり。
 
1334 奧山之。於石蘿生。恐常。思情乎。何如裳勢武。
おくやまの。いはにこけむし。かしこけど。おもふこころを。いかにかもせむ。
 
卷六、一二の句、今と同じくて、かしこくも問ひ給ふかも思ひあへなくにと有り。そこに註せり。カシコケドは、カシコケレドモなり。今は貴人を戀ふるを譬ふ。
 參考 ○恐常(代、古、新)略に同じ(考)カシコシト。
 
1335 思※[?の目が貝]。痛文爲便無。玉手次。雲飛山仁。吾印結。
おもひあまり。いともすべなみ。たまだすき。うねびのやまに。わがしめゆひつ。
 
※[?の目が貝]、一本に勝と有り。然《さ》らばオモヒカネなり。堪へ忍ばんとすれど、思ふ方の勝る意を以て斯く書きたり。シメユフは、我が領し置くと言ふを譬へたるなり。玉ダスキ、枕詞。ウネビ山は常に見る所をもて詠めるなるべし。
 參考 ○思※[?の目が貝](考)オモヒ「勝」カネ(古)オモヒ「勝」ガテ(新)略に同じ ○吾印結(考)ワレゾシメユフ(古)アレシメユヒツ(新)略に同じ。
 
寄v草
 
1336 冬隱。春乃大野乎。燒人者。燒不足香文。吾情熾。
(191)ふゆごもり。はるのおほぬを。やくひとは。やきあかぬかも。わがこころやく。
 
野を燒く人の猶も燒き足らで、吾が心さへ思ひこがるると言へり。女の歌と聞ゆ。
 參考 ○燒不足香文(古、新)ヤキタラネカモ。
 
1337 葛城乃。高間草野。早知而。標指益乎。今悔拭。
かづらきの。たかまのかやぬ。はやしりて。しめささましを。いまぞくやしき。
 
シリテは、領ジテと言ふなり。我がものにせん人を、他《アダ》し人に取られしを悔ゆるなり。拭は音を借りたるなり。或人云、拭は茂の誤か。然らばイマシクヤシモと訓むべし。是れ然るべし。
 參考 ○今悔拭(考)イマゾクヤシ「茂」モ(古、新)イマゾクヤシ「茂」モ。
 
1338 吾屋前爾。生土針。從心毛。不想人之。衣爾須良由奈。
わがやどに。おふるつちばり。こころゆも。おもはぬひとの。きぬにすらゆな。
 
和名抄本草云、王孫、一名黄孫、(和名、沼波利久佐此間云2豆知波利1)と有り。我が領ぜしなれば、外に心より深くも思はぬ人に移るなと言ふなり。
 參考 ○從心毛(古)ココロヨモ(新)略に同じ。
 
1339 鴨頭草丹。服色取。摺目伴。移變色登。?之苦沙。
つきくさに。ころもいろどり。すらめども。うつろふいろと。いふがくるしさ。
 
(192)あだなる人の、頼み難きに譬ふ。
 
1340 紫。絲乎曾吾搓。【搓ヲ※[手偏+義]ニ誤ル】足檜之。山橘乎。將貫跡念而。
むらさきの。いとをぞわがよる。あしびきの。やまたちばなを。ぬかむとおもひて。
 
搓、今本[手偏+義]と有り。元暦本に據りて改む。本は深く思ひ設くるに譬ふ。
 參考 ○念而(考、古、新)モヒテ。
 
1341 眞殊付。越能管原。吾不苅。人之苅卷。惜菅原。
またまつく。おちのすがはら。わがからず。ひとのからまく。をしきすがはら。
 
マ玉ツク、枕詞。越智は大和高市郡なり。卷十三、しなてるつくまさぬかた息長の遠智の小菅と詠めるは近江なり。何れにか。譬への心は明らけし。
 參考 ○吾不苅(考)ワレカラデ(古)ワレカラズ(新)略に同じ。
 
1342 山高。夕日隱奴。淺茅原。後見多米爾。標結申尾。
やまたかみ。ゆふひかくりぬ。あさぢはら。のちみむために。しめゆはましを。
 
カクリヌは、カクレイヌルなり。たまたま逢ひ見て飽かず別るるとて、又いつとも契らざりしを譬ふ。
 參考 ○山高(考)ヤマタカシ(古、新)略に同じ ○夕日隱奴(代)ユフヒカクレヌ(古・新)略に同じ。
 
(193)1343 事痛者。左右將爲乎。石代之。野邊之下草。吾之刈而者。
こちたくは。ともかもせむを。いはしろの。のべのしたくさ。われしかりてば。
 
逢ひ見て後は人言の繁くとも、ともかくもせんをとなり。カリテバは刈リタラバなり。
 參考 ○左右將爲乎(代)カモカクモセンヲ(考)カニカクセムヲ(古、新)カモカモセムヲ。
 
一云、紅之寫心哉《クレナヰノウツシココロヤ》、於妹不相將有《イモニアハザラム》。
 
紅はウツシと言はん料のみ。さてクレナヰより續けたるは、うつし色の心にて、下の心は現つなり。妹に逢はざりしは、現つの心にて有りしやと悔ゆる意なり。是れは右と別の歌なり。一云と有るは訝し。
 
1344 眞鳥住。卯名手之神社之。菅【菅ヲ管ニ誤ル】根乎。衣爾書付。令服兒欲得。
まとりすむ。うなてのもりの。すがのねを。きぬにかきつけ。きせむこもがも。
 
眞トリは鷲なり。ウナテは、大和高市郡|雲梯《ウナテ》にて、いと神さびたる森にて、鷲の住む故に、何と無く詠めるならん。枕詞には有らず。菅を今管に誤れり。根は實の字の誤れるにや。山菅の實を以て衣を摺らんと言ふなるべし。上にも妹が爲菅の實採に行我をと詠めれば、かたがた菅の實ならん。カキは詞のみ。是れは譬喩の歌に有らず。
 參考 ○菅根乎(考)スガノ「核」ミヲ(古、新)スガノ「實」ミヲ。
 
1345 常不。人國山乃。秋津野乃。垣津幡鴛。夢見鴨。
(194)つねならぬ。ひとぐにやまの。あきつぬの。かきつばたをし。いめにみしかも。
 
人國山、上に出づ。秋津野、大和吉野郡。不の下、知の字を脱せり。ツネシラヌと訓むべし。卷五、都禰斯良|農《ヌ》みちの長手をと詠めり。他妻《ヒトヅマ》を戀ひて夢に見しを詠めり。カキツバタは、麗はしきに譬ふ。鴛は借字にて、シは助辭なり。
 參考 ○常不(代)不の下、在脱か(考)ツネニ「不見」(古、新)ツネシラヌ、不の下「知」を補ふ。
 
1346 姫押。生澤邊之。眞田葛原。何時鴨絡而。我衣將服。
をみなへし。おふるさはべの。まくずはら。いつかもくりて。わがきぬにきむ。
 
ヲミナベシを姫神と書けるは、如何にとも心を得ず。また田葛と書けるも未だ考へず。卷四、をみなべし咲澤に生ふるかきつばたとも詠めり。譬への心はあらはなり。
 參考 ○生澤邊之(古、新)サキサハノベノ。
 
1347 於君似。草登見從。我標【標ヲ※[木+栗]ニ誤ル】之。野山之淺茅。人莫苅根。
きみににる。くさとみしより。わがしめし。ぬやまのあさぢ。ひとなかりそね。
 
卷十九、妹に似る草と見しよりわがしめし野べの山ぶきたれかたをりしと言ふに似たり。淺茅の秋色付くを女に譬へたり。女を指して、君と言へる例有り。
 參考 ○野山之淺茅(古)ヌノ「上」ヘノアサヂ(新)略に同じ。
 
(195)1348 三嶋江之。玉江之薦乎。從標之。己我跡曾念。雖未苅。
みしまえの。たまえのこもを。しめしより。おのがとぞおもふ。いまだからねど。
 
ミシマ江 攝津。未だ相見ずして、心に領ぜしを譬ふ。
 參考 ○跡曾念(古、新)トゾモフ。
 
1349 如是爲而也。尚哉將老。三雪零。大荒木野之。小竹爾不有九二。
かくしてや。なほやおいなむ。みゆきふる。おほあらきぬの。しぬならなくに。
 
神名帳、大和宇智郡荒木神社と有る所なるべし。卷十一、かくしてや猶や成なむ大荒木の浮田のもりのしめならなくにと詠めり。是れは或は朽の誤として、戀の虚しく成りなんと言ふにて心明らけきを、今は其歌を誤り傳へたるならん。されど此ままにて解かば、斯くの如く、人に逢はずしてや打萎れて、年の老い行かんと言ふを添へしと言ふべし。古今集、ささのはに降り積む雪のうれを重みもとくだち行く我がさかりはもと詠めるも相似たり。
 參考 ○小竹爾不有九二(代)ササニ(考、新)略に同じ(古)シヌニアラナクニ。
 
1350 淡海之哉。八橋乃小竹乎。不造矢而。信有得哉。戀敷鬼乎。
あふみのや。やばせのしぬを。やはがずて。まことありえむや。こひしきものを。
 
矢橋の小竹なれば、矢に造《は》ぐべきを、はかぬと言ふに、和が領ずべきに定まりて有りながら、領じ得ぬ(196)を譬へたり。末は誠に、世にえ在りながらふべけんやと言ふなり。四の句サネアリエムヤとも訓むべけれど、卷十五、おもはずも麻許等安里衣牟也と有れば、斯く訓めり。
 參考 ○不造矢而(代)ヤハカズテ、又はヤニハカズテ(考)ヤニハガデ(古、新)略に同じ ○信有得哉(代)マコトアリエムヤ(考)サネアリ(古)略に同じ(新)マコト、又はサネ。
 
1351 月草爾。衣者將摺。朝露爾。所沾而後者。徙去友。
つきくさに。ころもはすらむ。あさつゆに。ぬれてのちには。うつろひぬとも。
 
露に濡れては、移ろひ安けれど、先づ色の麗はしきに賞でて、衣摺らんとなり。譬ふる心は明らかなり。
 
1352 吾情。湯谷絶谷。浮蓴。邊毛奧毛。依勝益士。
わがこころ。ゆたにたゆたに。うきぬなは。へにもおきにも。よりがてましを。
 
ユタニタユタニ、たゆたふを重ね言ふ詞なり。タユタフは、集中、猶豫不定と書ける意なり。和名抄、蓴、(沼奈波)水菜也云云。我が心のいづ方へも寄りつき難きを、浮蓴に添へたり。池にも沖を詠む事は既に言へり。結句のヲに心無し。添へたる詞のみ。
 參考 ○依勝益士(新)ヨリカツマシジ。
 
寄v稻
 
1353 石上。振之早田乎。雖不秀。繩谷延與。守乍將居。
いそのかみ。ふるのわさだを。ひでずとも。なはだにはへよ。もりつつをらむ。
 
石上布留、既に出づ。ヒデズトモとは、穗に不v出を言ふ。早田ヲと言ふより、守リツツと言ふへ續けて見るべし。譬ふる心は、少女を戀ふるにて、心は明らかなり。
 參考 ○繩谷延與(考、古)シメダニハヘヨ(新)シメダニハヘ「弖」テ。
 
寄v木
 
1354 白菅之。眞野乃榛原。心從毛。不念君之。衣爾摺。
しらすげの。まぬのはりはら。こころゆも。おもはぬきみが。ころもにすりぬ。
 
眞野ノハリ原、卷三に出づ。此ハリ、木に寄すとて載せたれば、今の萩ならぬ事明らけし。末は、上に載せたる我がやどに生ふる士針と言ふ歌に同じく、人の物と成りたるを言ふ。
 參考 ○從毛(古)ユモ(新)略に同じ ○衣爾摺(考)スリヌ(古、新)コロモニスリツ。
 
1355 眞木柱。作蘇麻人。伊左佐目丹。借廬之爲跡。造計米八方。
まきばしら。つくるそまびと。いささめに。かりほのためと。つくりけめやも。
 
イササメは、イササカなり。卷八、卷十一に、卒爾の字をイサナミと訓みたれども、然か言ふ詞無ければ、是れもイササメと訓むべし。此字の意に當れり。宮木の料に造れるまき柱にして、いささかの借廬のためにとは思はぬと言ふに、假初めの言のなぐさに言ひ出でしには有らぬと言ふを譬へたり。
 
(198)1356 向峯爾。立有桃樹。成哉等。人曾耳言爲。汝情勤。
むかつをに。たてるもものき。なりぬやと。ひとぞささめきし。ながこころゆめ。
 
ササメクは、ササヤクにて、耳語なり。桃の實のなるに寄せて、我が中の成りぬやと、人も囁き合へば、務めて忍びて、人に知らるなと言ふなり。元暦本、成の上、將の字有りて、ナラムヤトと訓めり。
 參考 ○成哉等(新)「將」ナラムヤト。
 
1357 足乳根乃。母之其業。桑尚。願者衣爾。著常云物乎。
たらちねの。ははのそのなる。くはすらも。ねがへばきぬに。きるとふものを。
 
タラチネノ、枕詞。其業は、借字にて園に有るなり。今按ずるに、古訓のままなれば、詞は穩かなれども、桑子と言はずして、衣に著るとは言ふべからぬうへ、借字はさまざまに書きて、定まれる事無しと言へども、業をナルに用ふる事も如何がなり。是れは契沖が言へる如く、桑の下、子を落せしにて、ソノワザノクハコスラと訓むべきなり。既に卷十一にも、たらちねの母の養子《カフコ》の眉ごもりとも訓めり。さて心に懸けて深く戀ふるには、逢ふ物ぞと言ふ心を添へたるなり。
 參考 ○母之其業(考、古、新)ハハガソノナル ○桑尚(考、古)クハ「子」コスラ(新)クハスラモ ○著常云物乎(考)略に同じ(古)キルチフモノヲ(新)「變」ナルトフモノヲ。
 
1358 波之吉也思。吾家乃毛桃。本繁。花耳開而。不成在目八方。
(199)はしきやし。わぎへのけもも。もとしげく。はなのみさきて。ならざらめやも。
 
毛桃は、實に毛の生ひたるさまなる物なれば言ふなるべし。モトシゲクは、唯だ木の茂きを言ふ。譬への心は明らけし。
 參考 ○本繁(新)モトシゲミ。
 
1359 向岡之。若楓木。下枝取。花待伊間爾。嘆鶴鴨。
むかつをの。わかかつらのき。しづえとり。はなまついまに。なげきつるかも。
 
伊間の伊は、發語のみ。卷十、青柳の糸の細紗を春風にみだれぬ伊間にみせむ子もがもと言ふに同じ。若楓の下枝に手も觸るるばかり、しめ置けども、花を待つ間の待ち遠きを歎くと言ひて、少女を戀るを添へたり。
 參考 ○若楓木(古)略に同じ(考)ワカカヘデノキ(新)楓は櫻などの誤か。
 
寄v花
 
1360 氣緒爾。念有吾乎。山治左能。花爾香君之。移奴良武。
いきのをに。おもへるわれを。やまぢさの。はなにかきみが。うつろひぬらむ。
 
卷十一、山|萵苣《チサ》の白露重みうらぶるると詠めり。和名抄、白苣云云、(和名、知散)漢語抄、用2萵苣二字1云云と有りて、園菜の部に載せて、是れ今菜類のチサに同じ。山チサと言ふは木にて、其葉彼のチサに(200)似たれば、山チサと言ふならん。此木、花は梨の如くて秋咲けりとぞ。豐後人の言へる是れなり。又和名抄本草云、賣子木(賀波如佐乃木)字鏡賣子木(河知左)と有り。是れも相似たる物なるべし。花ニカは花バカリニカと言ふ言なり。
 
1361 墨吉之。淺澤小野之。垣津幡。衣爾摺著。將衣日不知毛。
すみのえの。あささはをぬの。かきつばた。きぬにすりつけ。きむひしらずも。
 
卷十七、かきつばた衣に摺つけますらをがきそひ狩する月は來にけりとも詠めり。心に懸けて久しく成りぬれども得難きを譬ふ。
 
1362 秋去者。影毛將爲跡。吾蒔之。韓藍之花乎。誰採家牟。
あきさらば。かげにもせむと。わがまきし。からあゐのはなを。たれかつみけむ。
 
韓藍は、呉藍に同じく紅花なり。陰にせんと言ふべき物に有らず。宣長云、影は移の誤にて、ウツシモセムトと訓むべし。ウツスは染むる事を言ふなりと言へり。吾が物にせんとおほしたてし少女を、人に取られしを譬ふ。
 參考 ○影毛(考)略に同じ(古)「移」ウツシニ(新)「艶」ニホヒニ ○韓藍之花乎(古、新)カラヰノハナヲ。
 
1363 春日野爾。咲有芽子者。片枝者。未含有。言勿絶行年。
かすがぬに。さきたるはぎは。かたつえは。いまだふふめり。ことなたえこそ。
 
フフメりは、ツボメルなり。此歌より以下三首同じ人の歌なるべし。此次でを思ふに、まほに見ぬを片枝ふふめるに譬へて、せめて言のみは絶えず通はんと願ふ意と聞ゆ。行年は、所年の誤にて、ソネならん由宣長言へり。ここは必ず然か有るべし。
 參考 ○行年(考)コソ(古、新)ソネ。
 
1364 見欲。戀管待之。秋芽子者。花耳開而。不成可毛將有。
みまくほり。こひつつまちし。あきはぎは。はなのみさきて。ならずかもあらむ。
 
花は咲きたれども、實は生るや生らずやと言ふに、何時かまほに見てんと待ち待ちて、見は見つれども、終に事成らずや有らんと言ふを添へたり。
 
1365 吾妹子之。屋前之秋芽子。自花者。實成而許曾。戀益家禮。
わぎもこが。やどのあきはぎ。はなよりは。みになりてこそ。こひまさりけれ。
 
終に會ひて後、戀の増れるを言へり。
 
寄v鳥
 
1366 明日香川。七瀬之不行爾。住鳥毛。意有社。波不立目。
あすかがは。ななせのよどに。すむとりも。こころあれこそ。なみたてざらめ。
 
(202)卷五、松浦川七瀬の淀と詠めり。廣き川に瀬の多きを言ふ。さて淀と言ふより波立つと言へり。波タテヌとは、其鳥の騷がぬ事にて、我が言ひ出づるに、心有ればこそ否とも言はで有れと言ふを譬へたるなり。
 
寄v獣
 
1367 三國山。木末爾住歴。武佐左妣乃。此待鳥如。吾俟將痩。
みくにやま。こぬれにすまふ。むささびの。とりまつがごと。わをまちやせむ。
 
神名帳、越前坂井郡三國神社有り。スマフはスムを延べ言ふなり。ムササビ既に出づ。むささびが小鳥を取らんと待つ如く、妹が吾を持ちかせんとなり。將痩は借字のみ。此は衍文なり。
 參考 ○待鳥如(代、考)トリヲマツゴト(古、新)略に同じ ○吾俟將痩(考)アヲマチヤセム(古)アレマチヤセム(新)ワガマチヤセム。
 
寄v雲
 
1368 石倉之。小野從秋津爾。發渡。雲西裳在哉。時乎思將待。
いはくらの。をぬゆあきつに。たちわたる。くもにしもあれや。ときをしまたむ。
 
秋津は吉野に有り。石倉は、其處より暫く遠くて、たまたま立ち渡る雲を見るを言ふならん。今石倉は山城に在れど、此歌に言へるは大和なるべし。たまさかに見る妹を其雲に譬へて、時を待たんと言ふなり。
(203) 參考 ○小野從(代、考)略に同じ(古)ヲノヨ(新)コヽヨ、兩訓。
 
寄v雷
 
1369 天雲。近光而。響神之。見者恐。不見者悲毛。
あまぐもに。ちかくひかりて。なるかみの。みればかしこし。みねばかなしも。
 
本は唯だカシコシと言はん序なり。貴人を戀ふるを譬へたるならん。
 參考 ○見者恐(新)ミレバカシコク。
 
寄v雨
 
1370 甚多毛。不零雨故。庭立水。大莫逝。人之應知。
はなはだも。ふらぬあめゆゑ。にはたつみ。いたくなゆきそ。ひとのしるべく。
 
ニハタツミは、ニハカイヅミと言ふ言にて、雨降りて俄かに溜れる水を言ふ。多くも降らぬ雨なる物を、にはたつみのいとしも流れ行く事なかれと言ふに、逢ひ見る事の少なきに、人の知るばかり色に出づなと言ふを添へたり。
 參考 ○甚多毛(考)イトサハモ(古)ココダクモ(新)略に同じ。
 
1371 久竪之。雨爾波不著乎。恠【恠ヲ※[土+在]ニ誤ル】毛。吾袖者。干時無香。
ひさかたの。あめにはきぬを。あやしくも。わがころもでは。ひるときなきか。
 
(204)涙に干しあへぬを詠めるのみにて、譬喩歌に有らず。ナキカはナキカモなり。コロモ手、則ち袖の事なれば、直ちに袖と書けり。
 
寄v月
 
1372 三空往。月讀壯士。夕不去。目庭雖見。因縁毛無。
みそらゆく。つきよみをとこ。ゆふさらず。めにはみれども。よるよしもなし。
 
月讀神を言ひて、やがて月の事なり。古今集の、天雲のよそにも人の成り行くかさすがに目には見ゆる物から、と詠めるも此意なり。卷四、目には見て手にはとられぬ月のうちのかつらの如き妹をいかにせむとも詠めり。
 參考 ○月讀壯士(考)略に同じ(古、新)ツクヨミヲトコ。
 
1373 春日山。山高有良之。石上。菅根將見爾。月待難。
かすがやま。やまたかからし。いはのへの。すがのねみむに。つきまちがてぬ。
 
妹を菅に譬へて、月の夜逢はんと契りしを詠めるなるべし。待チガテヌは、持チカヌルなり。菅根は、菅實の誤ならんと翁は言はれき。按ずるに、斯かる所に菅の根と詠める歌、集中に多し。根にはやうなけれど、唯だ言ひ馴れたるによりて言へるのみにて、菅根とて菅の事なるべく覺ゆ。宣長云、菅根は舊郷の字の誤にて、イソノカミフルサト見ムニなるべしと言へり。猶考ふべし。
(205) 參考 ○石上(考)略に同じ(古)イソノカミ(新)イソノウヘノ ○月特難(古)ツキマチガタシ(新)略に同じ。
 
1374 闇夜者。辛苦物乎。何時跡。吾待月毛。早毛照奴賀。
やみのよは。くるしきものを。いつしかと。わがまつつきも。はやもてらぬか。
 
照ラヌカはテレカシなり。男を月に譬へて、逢はぬ間を闇の夜と言へり。
 參考 ○月毛(考)毛を之の誤とす(古)略に同じ(新)ツキ「波」ハ。
 
1375 朝霜之。消安命。爲誰。千歳毛欲得跡。吾念莫國。
あさしもの。けやすきいのち。たがために。ちとせもがもと。わがもはなくに。
 
消え安き命を千年もと思ふは、誰が爲にも思はず、唯だ君が爲に然か思ふと言ふなり。譬喩に有らず。
 參考 ○吾念莫國(考)ワガオモハナクニ(古、新)略に同じ。
 
右一首者、不v有2譬喩歌類1也。但闇夜歌人所心之故並作2此歌1。因以2此歌1載2出此次1。
 
譬喩の歌には有らざれども、闇夜の歌詠める同人の歌なれば、此次でに載すると言ふなり。心は思の誤か。
 
寄2赤土1
 
1376 山跡之。宇?乃眞赤土。左丹著。【著ノ下、者ヲ脱ス】曾許裳香人之。我乎言將成。
(206)やまとの。うだのまはにの。さにつかば。そこもかひとの。あをことなさむ。
 
著の下、一本者の字有るを善しとす。サは發語、赤土の色の沁み著くなり。近く其人に觸れなば、其れをもや人の言ひ立てんと言ふなり。
 參考 ○左丹著(代)サニツカ「經」フ(考、古、新)略に同じ。
 
寄v神
 
1377 木綿懸而。祭三諸乃。神佐備而。齋爾波不在。人目多見許曾。
ゆふかけて。まつるみもろの。かむさびて。いむにはあらず。ひとめおほみこそ。
 
此ミモロは、地名ならで神の社を言へり。本は神サビと言はん序のみ。さだ過ぎたりとて厭ふには有らず。人目の多ければこそ通はねと言ふなるべし。
 參考 ○祭三諸乃(古)イハフミモロノ(新)略に同じ。
 
1378 木綿懸而。齋此神社。可超。所念可毛。戀之繁爾。
ゆふかけて。いむこのもりも。こえぬべく。おもほゆるかも。こひのしげきに。
 
他妻か又いつき籠めたる女を添へしなるべし。卷十一、ちはやぶる神のいがきもこえぬべしいまはわが名のをしけくもなし。
 參考 ○齋此神社(代、考、新)略に同じ(古)イハフコノモリ。
 
(207)寄v河
 
1379 不絶逝。明日香川之。不逝有者。故霜有如。人之見國。
たえずゆく。あすかのかはの。よどめらば。ゆゑしもあるごと。ひとのみまくに。
 
妹がもとへ通はぬ時を、川水の淀むに譬へて、しばしも通はずは、事故有るやうに妹が思はんに、絶えず通はんと言ふなり。
 參考 ○不逝有者(代)ユカズアラバ、又はユカザラバ(考、古)略に向じ(新)ヨドメラバ、又はユカザラバ ○故霜(代)ユヱシモ、又は故をコト(考、古、新)略に同じ。
 
1380 明日香川。湍瀬爾玉藻者。雖生有。四賀良美有者。靡不相。
あすかがは。せぜにたまもは。おひたれど、しがらみあれば。なびきあはなくに。
 
上つ瀬下つ瀬に玉藻は生ひて有れども、其川中にしがらみ懸けたれば、瀬瀬の玉藻の靡き合ひ難きに、妨ぐる人有れば、寄り合はぬと言を譬ふ。
 參考 ○靡く不相(考、古)略に同じ(新)ナビキアハナク。
 
1381 廣瀬川。袖衝許。淺乎也。心深目手。吾念有良武。
ひろせがは。そでつくばかり。あさきをや。こころふかめて。わがおもへらむ。
 
大和廣瀬郡の川なり。長く垂れたる袖につくばかり淺き水を、心の淺きに譬へて、然か淺き物の何ぞや(208)心に深く思はるるならんと言ふなり。有の字ラの言に當れば、良の字餘りて聞ゆれども、斯かる書きざまも例有り。
 參考 ○吾念有良武(考)アガモヘルラム(古)アハオモヘラム(新)略に々じ。
 
1382 泊瀬川。流水沫之。絶者許曾。吾念心。不逐登思齒目。
はつせがは。ながるみなわの。たえばこそ。わがもふこころ。とげじともはめ。
 
流るる水の泡の絶ゆるを、ながらふる命の限りに譬へたるか。然無くは譬喩の歌ならで、はつせ川をかけて誓へると言ふべし。
 參考 ○流水沫之(古、新)ナガルルミヲノ「沫」を「脉」の誤とす。
 
1383 名毛伎世婆。人可知見。山川之。瀧情乎。塞敢而有鴨。
なげきせは。ひとしりぬべみ。やまがはの。たぎつこころを。せかへたるかも。
 
山川の如くたぎつ心を塞き堪へて有りとなり。常にセキアヘヌと言ふ詞の裏なり。續後紀長歌に、堰加倍留天《セカヘトドメテ》と詠めり。
 
1384 水隱爾。氣衝餘。早川之。瀬者立友。人二將言八方。
みごもりに。いきづきあまり。はやかはの。せにはたつとも。ひとにいはめやも。
 
ミゴモリニ云云は、忍ぶに堪へぬ意なり。早川の瀬に立つと意ふは、苦しくて堪へ難き事の譬へなり。(209)さて斯く苦しみに堪へずとも、吾が中の事を人に洩さんやと言ふなり。卷十一、もののふの八十氏河の早き瀬に立ちあへぬ戀も吾はするかも。
 
寄埋木
 
1385 眞?持。弓削河原之。埋木之。不可顯。事爾不有君。
まがなもて。ゆげのかはらの。うもれぎの。あらはるまじき。こととあらなくに。
 
マガナモテ、枕辭。和名抄、河内若江郡弓削(由介)神名帳、河内國若江郡弓削神社、稱コ天皇の御時、由義宮を造らせ給ひて行幸有りし事續紀に見ゆ。道鏡法師が故郷なり。埋木も終に顯はれざらんとも言ふべからぬをもて、吾が中に譬へたり。等、一本爾に作れるぞ穩かなる。されど卷三、中中に人と有らずは酒壺に。卷十二、中中に人とあらずは桑子にもと詠める類ひにて、爾と言ふべきをトと言へるも有り。猶考ふべし。宣長云、不可顯は誤字にて、不可戀と有りしなるべし。シタニ戀フベキ、コトニアラナクニと訓むべしと言へり。
 參考 ○眞?持(考)略に同じ(古、新)マガナモチ ○事等不有君(代)等は爾をよしとす(考、古、新)トとす。
 
寄v海
 
1386 大船爾。眞梶繁貫。水手出去之。奧將深。潮者干去友
(210)おほぶねに。まかぢしじぬき。こぎでにし。おきはふかけむ。しほはひぬとも。
 
今言ひ出でしを、舟漕ぎ出づるに添へ、逢ひて後思ひの永久に深からん事を、沖の汐の滿干と無く常に深きに譬へしなるべし。一本、奧の下者の字有り。
 參考 ○出去之(考)去之をコシと訓む(古、新)略に同じ。
 
1387 伏超從。去益物乎。間守爾。所打沾。浪不敷爲而。
ふしごえゆ。ゆかましものを。ひまもるに。うちぬらされぬ。なみよまずして。
 
フシゴエ、詳かならず。仙覺は富士の山の横走とす。また土左國安藝郡海邊の山道に、今伏越と言ふ地名有りと、彼國人言へり。是れにや。何處にも有れ、打寄する波のひまを覗ひて通り行くに、覗ひそこなひて、波に打濡らされたるを言ひて、守る人無き方より忍び通はんものを、然かせずして顯れたるに譬へたり。
 參考 ○伏超從(代、考、新)ユ(古)ヨ ○間守爾(考)略に同じ(古、新)マモラフニ。
 
1388 石灑。岸之浦廻爾。縁浪。邊爾來依者香。言之將繁。
いはそそぐ。きしのうら|わ《ま》に。よするなみ。へにきよればか。ことのしげけむ。
 
岸ノウラは、磯ノウラと同じく裏の意にて、入り曲れる所を意ふ。常忍びて通ふ人の、あらはなる方より來りし故にか、人に言ひ騷がるると言ふを添へたり。灑は隱の字の誤にて、イソガクレなるべし。イ(211)ハソソグとては、一首の意解けがたし。
 參考 ○石灑(代)イハソソギ(考)イハ「隱」ガクリ(古)イソ「隱」ガクリ(新)イソサラシ ○浦廻(古、新)ウラミ ○邊爾來依者香(考)略に同じ(古、新)ヘニキヨラバカ。
 
1389 礒之浦爾。來依白浪。反乍。過不勝者。雉爾絶多倍。
いそのうらに。きよるしらなみ。かへりつつ。すぎがてなくは。きしにたゆたへ。
 
妹許《イモガリ》來て歸りながら、歸り憂くて行き過ぐるに堪へざらば、しばし近きわたりに猶豫せよと言ふに譬へしなるべし。雉は岸の借字ともすべけれど、然《サ》は有らず。宣長云、雉は涯の誤なり。卷四にも、涯《キシ》のつかさと書けりと言へり。
 參考 ○過不勝者(代)スギシカテズハ(考)スギガテザラバ(古)略に同じ(新)スギシアヘズハ。
 
1390 淡海之海。浪恐登。風守。年者也將經去。?者無二。
あふみのみ。なみかしこしと。かぜまもり。としはやへなむ。こぐとはなしに。
 
人目を憚かり覗ふ程に、逢ふとは無くて、いたづらに程經たるを添へたり。此末にも似たる歌有り。
 參考 ○浪恐登(考)略に同じ(古、新)ナミカシコミト。
 
1391 朝奈藝爾。來依白浪。欲見。吾雖爲。風許増不令依。
あさなぎに。きよるしらなみ。みまくほり。われはすれども。かぜこそよせね。
 
(212)吾は見まくすれども、人は見えんとも思はぬと言ふに譬ふ。
 
寄2浦沙1
 
1392 紫之。名高浦之。愛子地。袖耳觸而。不寐香將成。
むらさきの。なたかのうらの。まなごぢに。そでのみふれて。ねずかなりなむ。
 
ムラサキノ、枕詞。卷十一に、木海の名高の浦と詠みたれば紀伊なり。宣長云、紀伊に名高と言ふ邑の内に、紫川と言ふ小川有り。是れ古への地名にて、基處に有る名高の浦には非ざるか。名高は、今も名高と言ひ名方とも言ひて、黒牛と續ける邑なりと言へり。然らば、ムラサキは枕詞には有らず。猶考ふべし。マナゴヂは眞砂道なり。袖ノミフレテは、岸の赤土ににほはすと言ふ類ひに言へるなるべし。近く觸れたるのみにて、逢ふ事も無きに早く名の立てるを添へたり。
 參考 ○愛子地(考)略に同じ(古)マナゴツチ(新)マナゴ「西」ニシ ○觸而(古)フリテ(新)フリテ、又はフレテ。
 
1393 豐國之。聞【聞ヲ間ニ誤ル】之濱邊之。愛子地。眞直之有者。何如將嘆。
とよくにの。きくのはまべの。まなごぢの。まなほにしあらば。なにかなげかむ。
 
和名抄、豐前企救郡有り。聞、今本間と有り。一本に據りて改む。眞砂道の詞より眞直と言ひ下したり。さて心の直く有らば、何をか歎かんと言ふなり。
(213) 參考 ○愛子地(古、新)マナゴツチ、但し(新)はヅ濁音 ○何如(考、新)略に伺じ(古)イカデ。
 
寄v藻
 
1394 鹽滿者。入流礒之。草有哉。見良久少。戀良久乃太寸。
しほみてば。いりぬるいその。くさなれや。みらくすくなく。こふらくのおほき。
 
妹を草に譬へたり。入リヌルは、カクレヌルと言ふが如し。見る事の少なく、戀ふる事の多きなり。太は大の誤なり。
 參考 ○入流礒之(考、新)カクルルイソノ、但し(新)は流を没の誤とす(古)略に同じ。
 
1395 奧浪。依流荒礒之。名告藻者。心中爾。疾跡成有。
おきつなみ。よするありその。なのりそは。こころのうちに。とくとなりけり。
 
ナノリソは、告ぐる事なかれと言ふ心にとりて、言はずして、心の中に解き知ると言ふか。又は疾は知の字の誤にて、シルトナリケリか。然れど成有をナリケリと訓まんも如何が。此字のままに訓まば、ヤマヒトナレリと訓むべけれど、是れも穩かならず。疾跡成有四字誤字ならん。猶考ふべし。
 參考 ○名告藻者(古)「者」を「之」の誤とす(薪)「之」にてよしとす ○疾跡成有(代)ヤマヒトナレリ(考)「靡成有」ナビクナリケリ(古)「靡相有」ナビキアヒニケリ(新)「念」モヘトナリケリ。
 
(214)1396 紫之。名高浦乃。名告藻之。於礒將靡。時待吾乎。
むらさきの。なたかのうらの。なのりその。いそになびかむ。ときまつわれを。
 
妹が近く寄り靡かん時を待つに添へたるのみ。吾ヲのヲは助辭。
 
1397 荒礒超。浪者恐。然爲蟹。海之玉藻之。憎者不有乎。【乎ヲ手ニ誤ル】
ありそこす。なみはかしこし。しかすがに。うみのたまもの。にくくはあらぬを。
 
女の父母はいさむれども、さすがに其玉藻なす妹は、憎からぬと言ふを添へたり。乎、今本手と有り。一本に據りて改めつ。
 
寄v船
 
1398 神樂聲浪之。四賀津之浦能。船乘爾。乘西意。常不所忘。
ささなみの。しがつのうらの。ふなのりに。のりにしこころ。つねわすらえず。
 
本はノリニシと言はん序にて、譬喩とも聞えず。妹が事の吾が心にのりて、常に忘られぬなり。
 
1399 百傳。八十之島廻乎。?船爾。乘西情。忘不得裳。
ももつたふ。やそのしま|わ《ま》を。こぐふねに。のりにしこころ。わすれかねつも。
 
百ツタフ、枕詞。ヤソノ島は、多くの島島を言ふ。本は、ノリニシと言はん序なり。歌の意は右と同じ
 參考 ○島廻(古、新)シマミ。
 
(215)1400 島傳。足速乃小舟。風守。年者也經南。相常齒無二。
しまつたふ。あばやのをぶね。かぜまもり。としはやへなむ。あふとはなしに。
 
上に、近江の海浪|恐《カシコ》しとと有るに同じ。アバヤは疾く行く舟を言ふ。アシを略きて、アとのみ言へり。
 
1401 水霧相。奧津小島爾。風乎疾見。船縁金都。心者念杼。
みなぎらふ。おきつをじまに。かぜをいたみ。ふねよせかねつ。こころはもへど。
 
ミナギラフは、齊明紀の歌に、あすかがは瀰儺蟻羅?都都《ミナギラヒツツ》ゆくみづの云云と有りて、瀧つ瀬ならずとも、風立ちて水のくもるを言ふ。ミナギルと言ふも同じ言なり。是れも親のいさむるか、又さらでも守る人有りて、心には思へども逢ひ難きを添へたり。
 參考 ○小島(古)コジマ(新)ヲジマ、又はコジマ。
 
1402 殊故者。奧從酒甞。湊自。邊著經時爾。可放鬼香。
ことさけば。おきゆさけなむ。みなとより。へつかふときに。さくべきものか。
 
コトサケバは、卷十三長歌に、琴酒者くににさけなむ云云。殊更に、吾を避け難れんとならばと言ふ意なり。允恭紀、許等梅涅麼《コトメデバ》はやくはめでずと有る許等の詞に同じ。ここは沖漕ぐ時には避けずして、湊よりへたに舟著く時に至りて、避くべき物かと言ひて、未だ事成らぬ程には避けずして、やや事成るべく成りて、避けん物かと言ふを譬へたり。
(216) 參考 ○殊放者(考、新)略に同じ(古)コトサカバ ○奧從酒甞(代)オキニサケナム(考)オキユサケナメ(古)オキユサカナム(新)略に同じ。
 
旋頭歌
 
1403 三幣帛取。神之祝我。鎭齊杉原。燎木伐。殆之國。手斧所取奴。
みぬさとる。みわのはふりが。いはふすぎはら。たきぎきり。ほとほとしくに。てをのとらえね。
 
三は御にて、御ヌサトルは、ハフリと言ん爲なり。イハフ杉は、卷四に、うまさけみわの祝がいはふ杉、卷十三に三諸の山に隱藏《イハフ》杉など言へり。宣長云、ホトホトは、邊《ホトリ》邊の意にて、其事に近く邊りまで至れる意なり。ここは手斧を取らるるに近かりし意なり。取られたるには有らず。凡てホトホトと言ふ詞の遣ひざま皆同じ格にて、集中にほとほと死にきと有るも、死にたるには有らず、死ぬるに近かりしを言ふなりと言へり。さてここは、其杉原に薪を採らんとして、祝《ハフ》りに見付けられて、手斧を取られんとせしと言ひて、いと人のいつく女に心を懸けて、事成らんとせし時、俄かに取り放たれしを譬へたるなり。續紀、慶雲三年の詔に、若有3百姓採2紫草1者。仍奪2其器1令2大辛苦1と有り。事は異なれど、其樣似たり。
 參考 ○三幣帛取(考)略に同じ(古、新)ミヌサトリ ○神之祝我(考)略に同じ(古、新)カミノハフリガ ○燎木伐(考)タキギコリ(古、新)略に同じ ○手斧所取奴)テヲノトラレヌ(217)(古、新)略に同じ。
 
挽歌
 
雜挽
 
1404 鏡成。吾見之君乎。阿婆乃野之。花橘之。珠爾拾都。
かがみなす。わがみしきみを。あばのぬの。はなたちばなの。たまにひろひつ。
 
鏡の如く日日に見し君と言ふなり。あば野は、皇極紀の歌に、をちかたの阿婆努能きぎしとよもさずと有りて、大和也。末は火葬して骨を拾ふを言へり。珠ニは、珠ノ如クニと言ふ意なり。
 參考 ○拾都(考、新)略に同じ(古)ヒリヒツ。
 
1405 蜻野※[口+立刀]。人之懸者。朝蒔。君之所思而。嗟齒不病。
あきつぬを。ひとのかくれば。あさまきし。きみがおもほえて。なげきはやまず。
 
秋津野に火葬して後、此野を人の言に懸けて言へば、其火葬せし君が事の思はれて、いつまでも歎きは止まずとなり。不病は、借字には不v止なり。朝蒔キシは、火葬にしたる灰をあしたに蒔き散らす事にて、宣長委しく考へたり。此末の玉梓の妹は玉かもの歌に猶言ふべし。※[口+立刀]は呼の誤なるべし。叫は於良夫にて、乎の假字に用ふべからず。
(218) 參考 ○朝蒔(代、古)略に同じ(考)マヰラマク(新)「吾」ワガマキシ ○君之所思而(考)キミガオモハレテ(古、新)略に同じ。
 
1406 秋津野爾。朝居雲之。失去者。前裳今裳。無人所念。
あきつぬに。あさゐるくもの、うせゆけば。きのふもけふも。なきひとおもほゆ。
 
此野に、日日に雲の立ちては消え行くを見れば、無き人の事を悲み思ふとなり。
 參考 ○失表者(考、古)ウセヌレバ(新)略に同じ ○前裳今裳(代、古)略に同じ(考、新)ムカシモイマモ。
 
1407 隱口乃。泊瀬山爾。霞立。棚引雲者。妹爾鴨在武。
こもりくの。はつせのやまに。かすみたち。たなびくくもは。いもにかもあらむ。
 
火葬の煙を、雲霞に見なして詠めり。
 
1408 枉語香。逆言哉。隱口乃。泊瀬山爾。廬爲云。
まが《たは》ことか。およづれごとか。こもりくの。はつせのやまに。いほりせりとふ。
 
泊瀬山に葬れるを廬りすと言ひなせり。宣長は、枉は狂の誤にてタハコトと訓むべしと言へり。此事既にも言り。
 參考 ○枉語香(考)マガゴトカ(古、新)タハゴトカ ○逆言哉(考)サカゴトトカモ(古)オヨ(219)ヅレゴトヤ(新)略に同じ ○廬爲云(考、新)略に同じ(古)イホリセリチフ。
 
1409 秋山。黄葉※[?+可]怜。浦觸而。入西妹者。待不來。
あきやまの。もみぢあはれみ。うらぶれて。いりにしいもは。まてどきまさず。
 
ウラブレ、既に出づ。入リニシは、則ち葬りたるを言ふ。
 參考 ○秋山(考)アキヤマニ(古、新)略に同じ ○黄葉※[?+可]怜(考、新)モミヂアハレト(古)略に同じ。
 
1410 世間者。信二代者。不往有之。過妹爾。不相念者。
よのなかは。まことふたよは。ゆかざらし。すぎにしいもに。あはぬおもへば。
 
卷四、うつせみの代やも二行なにすとか妹にあはずてわがひとりねむとも詠めり。身まかれば二たび逢はざるを思へば、誠に、人の世二たびは無きと言ふなり。
 參考 ○不往有之(考、新)略に同じ(古)ユカザリシ ○不相念者(考)略に同じ(古)アハナクモヘバ(新)アハヌオモヘバ、又はアハナクモヘバ。
 
1411 福。何有人香。黒髪之。白成左右。妹之音乎聞。
さきはひの。いかなるひとか。くろかみの。しろくなるまで。いもがこゑをきく。
 
吾が妹の早くみまかれるに依りて、人の上を羨むなり。
 
(220)1412 吾背子乎。何處行目跡。辟竹之。背向爾宿之。久今思悔裳。
わがせこを。いづくゆかめと。さきたけの。そがひにねしく。いましくやしも。
 
サキ竹ノ、枕詞。卷十四、かなし妹をいづちゆかめと山菅のと有りて、末全く同じ歌有り。吾が夫は何處へも行かざらん物と思ひきはめて、後ろ向きに寢し事も有りしを、今は悔ゆるなり。夫の死にし後、妻の詠めるなるべし。ネシクのクも、今シのシも助辭なり。卷十四の歌のかた、理り善し。是れは其轉ぜしなるべし。
 
1413 庭津鳥。可鷄乃垂尾乃。亂尾乃。長心毛。不所念鴨。
にはつどり。かけのたりをの。みだれをの。ながきこころも。おもほえぬかも。
 
古事記、八千矛神の御歌、爾振津登理加祁波那久云云、繼體紀にも同じ詞見ゆ。催馬樂(○神樂歌の誤か)に、庭つ鳥(○にはとりはの誤か)かけろと鳴きぬと言ひて、鷄の鳴く聲より言ふ名なり。本は、長きと言はん序にて、長キ心とはノドカナル心を言ふ。妹が死にしより、長閑なる心も無しと言ふなり。
 參考 ○亂尾乃(代、古)ミダリヲノ(新)略に同じ。
 
1414 薦枕。相卷之兒毛。在者社。夜乃深良久毛。吾惜責。
こもまくら。あひまきしこも。あらばこそ。よのふくらくも。われをしみせめ。
 
枕は、古へ薦をもてせしなり。冠辭考に委し。フクラクは、フクルを延べ言ふなり。
(221) 參考 ○吾惜責(考)略に同じ(古)アガヲシミセメ(新)ワガヲシミセメ。
 
1415 玉梓能。妹者珠氈。足氷木乃。清山邊。蒔散染。【染ハ漆ノ誤】
たまづさの。いもはたまかも。あしびきの。きよきやまべに。まけばちりぬる。
 
宣長云、マケバは上の朝蒔キシと同じくて、火葬して其灰を撒散らす事なり。清キ山ベと言へるも此故なり。さて火葬して骨を撤散らす事は、續後紀卷九。承和七年五月辛巳。後太上天皇顧命2皇太子1曰云云。予聞人没精魂皈v天。而存2冢墓1。鬼物憑v焉。終乃爲v祟、長貽2後累1。今宜2碎v骨爲v粉散2之山中1。於是中納言藤原朝臣吉野奏言。昔宇治稚彦皇子者我朝之腎明也。此皇子遺教自使v散v骨。後世效v之。(○然脱カ)是親王之事而非2帝王之迹1云云。是れ火葬に有らずしては、骨を散らすべき由無し。然るに、宇治皇子の頃火葬は無き事なり。されば、宇治稚彦皇子云云は世の誤り傳へなり。然れども斯く言ひ傳ふる事は、世の中に洽く火葬する事のひろまりて、骨を散らす習はしの有るに依りて、古へ宇治皇子の遺命より始まれる事ぞと言ひ傳へたるなるべし。然れば、後世效v之と言ふにて、骨を散らす事の有りしを知るべきなり。染は一本漆と有り。漆の誤ならん。漆はヌルと訓むべし。
 
或本歌曰。
 
1416 玉梓之。妹者|花《ハナ》可毛。足日木乃。此山影爾《コノヤマカゲニ》。麻氣者|失留《ウセヌル》。
 
是れも玉を花とせるのみにて、意右と同じ。
 
(222)覊旅歌
 
1417 名兒乃海乎。朝?來者。海中爾。鹿子曾鳴成。※[?+可]怜其水手。
なごのうみを。あさこぎくれは。わたなかに。かこぞなくなる。あはれそのかこ。
 
ナゴノ海は、上に住吉に詠めり。鹿子は、借字にて水手なり。鳴は、喚の字の誤なり。カコゾヨブナルと訓むべし。卷十五長歌、朝なぎに舟出をせむと船人毛鹿子毛許惠欲妣云云と詠めり。
 參考 ○鳴成(古)「呼」ヨブナル(新)ヨブナル。
 
萬葉集 卷第七終
 
大正十五年三月七日印刷
大正十五年三月十日發行 〔非賣品〕
日本古典全集第一回 萬葉集略解 第三
編纂者 與謝野寛
同   正宗敦夫
同   與謝野晶子   〔大正15年は1926年〕
 
 
(1)萬葉集 卷第八
 
春雜歌
 
志貴《シキノ》皇子懽御歌一首
 
天智天皇の皇子、田原天皇と謚奉れり。
 
1418 石激。垂見之上乃。左和良妣乃。毛要出春爾。成來鴨。
いはばしる。たるみのうへの。さわらびの。もえいづるはるに。なりにけるかも。
 
イハバシル、枕詞。垂水は攝津國豐島郡、神名帳、豐島郡垂水神社有り。卷七、卷十二にも、石ばしるたるみの水と詠めり。御懽は如何なる時とも知られねど、此皇子代代貴まれましし中に、慶雲元年に百戸封ぜられ、和銅七年に二百戸、靈龜元年に一品と見ゆれば、是等の時の御歌にや。此地名を詠み給へるは、封戸攝津などにも有りしにや。古へ由無く遠き地名を設け詠む事などは無ければなり。
 參考 ○毛要出春爾(考、古)モエヅルハルニ(新)略に同じ。
 
鏡《カガミ》王(ノ)女歌
 
天武紀、十二年秋七月天皇鏡姫王の家に幸し、病む訊ひ給ふ事有り。是れか。
 
(2)1419 神奈備乃。伊波瀬乃杜之。喚子鳥。痛莫鳴。吾戀益。
かみなびの。いはせのもりの。よぶこどり。いたくななきそ。わがこひまさる。
 
イハセ、大和。呼子鳥、既に出づ。字鏡に、杜、毛利と有り。
 參考 ○神奈備乃(古、新)カムナビノ。
 
駿河采女歌一首
 
1420 沫雪香。薄太禮爾零登。見左右二。流倍散波。何物花其毛。
あわゆきか。はたれにふると。みるまでに。ながらへちるは。なにのはなぞも。
 
沫雪カのカの言清むべし。ナガラヘチルは降り亂るるを言へり。卷十、きぎす鳴高圓野べに櫻花散ながらふる見む人もがも、又子松がうれゆ沫雪流とも詠めり。物の下、一本之の字有り。
 
尾張(ノ)連歌二首 名闕
 
1421 春山之。開乃乎爲黒【乎爲黒ハ手烏里ノ誤カ】爾。春菜採。妹之白紐。見九四與四門。
はるやまの。さきのたをりに。わかなつむ。いもがしらひも。みらくしよしも。
 
翁の云、乎爲黒は乎烏里の誤なり。卷六、春べには花咲乎遠里と言ふに同じと言はれき。されど此歌にては、ヲヲリは叶へりとも聞えず。宣長云、手烏里の誤にて、開は崎の借字なるべしと言へり。字鏡に、※[土+岸]、曲岸也。久萬、又太乎里、嶼山豐貌、山乃彌禰太乎利、又井太乎利など有りて、サキノタヲリは山の(3)崎のたわみたる所を言へれば、宣長の説に從ふべきなり。
 參考 ○開乃乎爲黒爾(考、新)サキノヲヲ「里」リニ(古)サキノ「手烏里」タヲリニ ○春菜採(考)略に同じ(古、新)ハルナツム。
 
1422 打靡。春來良之。山際。遠木末乃。開往見者。
うちなびく。はるきたるらし。やまのまの。とほきこぬれの。さきぬるみれば。
 
ウチナビク、枕詞。卷十に、二の句|避來之《サリクラシ》とて全く同じ歌有り。
 參考 ○開往見者(考)略に同じ(古、新)サキユクミレバ。
 
中納言阿倍廣庭卿歌一首
 
1423 去年春。伊許自而植之。吾屋外之。若樹梅者。花咲爾家里。
こぞのはる。いこじてうゑし。わがやどの。わかきのうめは。はなさきにけり。
 
伊は發語。コジは根コジと言ふに同じく掘り勤かすなり。古事記、天香山之五百津眞賢木|矣根許士爾許士而《ヲネコジニコジテ》と有り。
 
山部宿禰赤人歌四首
 
1424 春野爾。須美禮採爾等。來師吾曾。野乎奈都可之美。一夜宿二來。
はるののに。すみれつみにと。こしわれぞ。のをなつかしみ。ひとよねにける。
 
(4)菫摘むは衣摺らん料なるべし。和名抄、菫菜、俗謂2之菫葵1(須美禮)其野の景色を愛でて、歸りがてにするなり。
 
1425 足比奇乃。山櫻花。日並而。如是開有者。甚戀目夜裳。
あしびきの。やまさくらばな。ひならべて。かくさきたらば。いたもこひめやも。
 
常に咲きて在る物ならば、斯くまでいたくは思はじと、花に對ひて言ふなり。
 參考 ○甚戀目夜裳(古、新)イトコヒメヤモ。
 
1426 吾勢子爾。令見常念之。梅花。其十方不所見。雪乃零有者。
わがせこに。みせむとおもひし。うめのはな。それともみえず。ゆきのふれれば。
 
ワガセコは友を言ふ。
 
1427 從明日者。春菜將採跡。?【?ヲ?ニ誤ル】之野爾。昨日毛今日毛。雪波布利管。
あすよりは。わかなつまむと。しめしぬに。きのふもけふも。ゆきはふりつつ。
 
シメシ野は地名に有らず、領じ置きたる野なり。
 參考 ○春菜(古、新)ハルナ。
 
草香山歌一首
 
古事記、雄略條、久佐加辨のこちの山云云、河内國河内郡なり。
 
(5)1428 忍照。難波乎過而。打靡。草香乃山乎。暮晩爾。吾越來者。山毛世爾。咲有馬醉木乃。不惡。君乎何時。往而早將見。
おしてる。なにはをすぎて。うちなびく。くさかのやまを。ゆふぐれに。わがこえくれば。やまもせに。さけるあしびの。にくからぬ、きみをいつしか。ゆきてはやみむ。
 
オシテル、ウチナビク、枕詞。山モセニは、山も狹き程になり。馬醉木は既に出づ。其あしびの花の如くと言ふを籠めたり。君とは女より男を指して言へる集中に多かれど、又男より女を指して言へりと見ゆるも少なからず。此卷の末、家持卿の吾君にわけは戀《コフ》らしとも詠みたるは、女を指して言へれば、今も妹を君と言へるなるべし。
 參考 ○咲有馬醉木(考)アシミ乃(古)略に同じ(新)サケルアセミノ ○不惡(考)ニクカラズ(古)アシカラヌ(新)ニクカラヌ。
 
右一首。依2作者微1不v顯2名字1
 
櫻花歌一首并短歌
 
1429 ※[女+感]嬬等之。頭挿【挿頭今頭挿ニ誤ル】乃多米爾。遊士之。蘰之多米等。敷座流。國乃波多弖爾。開爾鷄類。櫻花能。丹穗日波母安奈何。【何一本爾ニ作ル】
をとめらが。かざしのために。みやびをが。かづらのためと。しきませる。くにのはたてに。さきにける。(6)さくらのはなの。にほひはもあなに。
 
遊士、ミヤビヲと訓むべき事既に言へり。此歌、數座《シキマセ》ルの上に句の脱ちたるなるべし。ハタテは、ハテと言ふに同じく、ここは廣く國の極みと言ふ意と聞ゆ。古事記、おほみやの袁登都波多傳《ヲトツハタテ》、また志毘賀波多傳爾《シビガハタテニ》つまたてりみゆ。此ハタテとは異なるべし。何、一本爾に作る。アナニは、紀に、妍哉をアナニエヤと詠める如く、褒め言へるなり。宣長は、何は荷の誤ならんかとも言へり。
 參考 ○遊士之(考)ミヤビトノ(古、新)略に同じ ○(代)シキマセルの上にヤスミシシ、ワガオホキミノなど脱か ○安奈何(代、新)アナニ(考)ア「者例」ハレ(古)略に同じ。
 
反歌
 
1430 去年之春。相有之君爾。戀爾手師。櫻花者。迎來良之母。
こぞのはる。あへりしきみに。こひにてし。さくらのはなは。むかへくらしも。
 
去年櫻を賞でし人を花も戀ひつつ、此春も其人を迎へんとてこそ花の咲きたるならめと、櫻の心をはかりて詠めるか。宣長は右の長歌は脱句有りて、春山を人の越え行く事の有りしなるべし。さて此反歌に迎へとは詠めるなり。然らざれば迎へと言ふ事よし無しと言へり。さも有るべし。
 參考 ○戀爾手師(代、考)略に同じ(古)コヒニテ「伎」キ(新)コヒニ「師乎」シヲ ○迎來良之母(考)略に同じ(古)ムカヘケラシモ(新)ムカヒクラシモ。
 
(7)右二首、若宮年魚麿誦v之。 あゆ麻呂の古歌をとなへしなり。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
431 百濟野乃。芽古枝爾。待春跡。居之?。鳴爾鷄鵡鴨。
くたらぬの。はぎのふるえに。はるまつと。すみ《をり》しうぐひす。なきにけむかも。
 
クタラ野、大和十市郡。卷二に、言さへぐ百濟の原と詠めり。
 參考 ○居之?(古)「來居」キヰシウグヒス(新)ヲリシウゲヒス。
 
大伴坂上郎女柳歌二首
 
1432 吾背兒我。見良牟佐保道乃。青柳乎。手折而谷裳。見綵【綵ハ縁ノ誤カ】欲得。
わがせこが。みらむさほぢの。あをやぎを。たをりてだにも。みむよしもがも。
 
見ラムは見ルラムなり。綵欲得、イロニモガと訓みたれど由無し。契沖が言へる如く、綵は縁の誤なるべし。わが夫子《セコ》には逢ひ難くとも、せめて背子が通ひ路の柳をだに手折る由も有れかしと願へるなり。
 參考 ○見綵欲得(代)ミル「縁」ヨシモガモ(考)ミル「縁」ヨシモガモ(古、新)略に同じ。
 
1433 打上。佐保能河原之。青柳者。今者春部登。成爾鷄類鴨。
うちのぼる。さほのかはらの。あをやぎは。いまははるべと。なりにけるかも。
 
打ノボル、枕詞。是れは太宰に在りて詠めるなるべし。
(8) 參考 ○打上(代、考、新)略に同じ(古)ウチアグル。
 
大伴宿禰三林梅歌一首 林は依の誤か。三依は既に出づ。
 
1434 霜雪毛。未過者。不思爾。春日里爾。梅花見都。
しもゆきも。いまだすぎねば。おもはぬに。かすがのさとに。うめのはなみつ。
 
過ギネバは過ギヌニと言ふを、斯く言ふは例なり。
 
厚見王歌一首
 
1435 河津鳴。甘南備河爾。陰所見。今哉開良武。山振乃花。
かはづなく。かみなびがはに。かげみえて。いまやさくらむ。やまぶきのはな。
 
カミナビ川、既に出づ。
 
大伴宿禰村上梅歌二首 續紀、寶龜三年四月從五位下阿波守と見ゆ。
 
1436 含有常。言之梅我枝。今旦零四。沫雪二相而。將開可聞。
ふふめりと。いひしうめがえ。けさふりし。あわゆきにあひて。さきぬらむかも。
 
フフムはツボムなり。
 參考 ○今旦(考)ケフ(古、新)略に同じ。
 
1437 霞立。春日之里。梅花。山下風爾。落許須莫湯目。
かすみたち。かすがのさとの。うめのはな。あらしのかぜに。ちりこすなゆめ。
 
(9)霞立、枕詞。アラレフリカシマと續く如く、カスミタチと訓むべし。散リコスナは、コソナと言ふにて、コソと願ふ詞に勿《ナ》と言ふ詞を添へて、散る事なかれと願ふ意に成るなり。
 參考 ○霞立(代)略に同じ(古、新)カスミタツ ○山下風爾(考、新)ヤマノアラシニ(古)略に同じ。
 
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
 
1438 霞立。春日里之。梅花。波奈爾將問常。吾念奈久爾。
かすみたち。かすがのさとの。うめのはな。はなにとはむと。わがもはなくに。
 
本《モト》は時の物をもてやがて花ニと言はん爲の序なり。宣長云、花ニトフとは華華しくあだに問ふ意なり。卷廿、まひしつつきみがおほせるなでしこが花のみとはむ君ならなくに、と言ふと同じと言へり。
 參考 ○霞立(代)略に同じ(古、新)カスミタツ。
 
中臣朝臣|武良自《ムラジ》歌一首
 
1439 時者今者。春爾成跡。三雪零。遠山邊爾。霞多奈婢久。
ときはいまは。はるになりぬと。みゆきふる。とほやまのべに。かすみたなびく。
 
雪の降りたるが上に、霞の棚引けるなり。
 參考 ○遠山邊爾(古)トホキヤマヘニ(所)トホキヤマヘ「毛」モ。
 
(10)河邊朝臣東人歌一首
 
1440 春雨乃。敷布零爾。高圓。山能櫻者。何如有良武。
はるさめの。しくしくふるに。たかまとの。やまのさくらは。いかにあるらむ。
 
シクシクは重重なり。花の長雨に移ろはん事を思ふなり。
 參考 ○何如有良武(古)略に同じ(新)イカニカアルラム。
 
大伴宿禰家持?歌一首
 
1441 打霧之。雪者零乍。然爲我二。吾宅乃苑爾。?鳴裳。
うちきらし。ゆきはふりつつ。しかすがに。わぎへのそのに。うぐひすなくも。
 
ウチキラシのウチは詞、キラシは霧を延べたる言にて、曇り隔つる意なり。シカスガニは、然シナガラニなり。サスガニと言ふも同じ。ワギヘは、ワガイヘを約め言ふなり。卷五、和企幣《ワキヘ》、また和我覇《ワガヘ》とも有れば、ワガヘとも訓むべし。
 參考 ○吾宅(古、新)ワギヘ。
 
大藏少輔丹比屋主眞人歌一首
 
1442 難波邊爾。人之行禮波。後居而。春菜採兒乎。見之悲也。
(11)なにはべに。ひとのゆければ。おくれゐて。わかなつむこを。みるがかなしさ。
 
人は其妹が夫をいふべし。ゆければは、ゆけるにといふ意なり。夫に別居てひとり菜つめるを見て憐れむなり。也は徒らに書き添へたるにて例有り。
 參考 ○春菜(考)略に同じ(古、新)ハルナ。
 
丹比眞人乙麿歌一首
 
目録に屋主眞人第二之子也と有り。續紀、天平神護元年、正六位上多治眞人乙麻呂授2從五位下1と見ゆ。
 
1443 霞立。野上乃方爾。行之可波。?鳴都。春爾成良思。
かすみたつ。ののへのかたに。ゆきしかば。うぐひすなきつ。はるになるらし。
 
野ノヘは、いづくにも有れ野の上なり。地名に有らず。
 參考 ○野上(古、新)ヌノヘ。
 
高田女王歌一首 高安之女也。 此註一本に無し。
 
1444 山振之。咲有野邊乃。都保須美禮。此春之雨爾。盛奈里鷄利。
やまぶきの。さきたるのべの。つぼずみれ。このはるのあめに。さかりなりけり。
 
スミレは含める如くなる花なれば、ツボズミレと言ふなるべし。
 參考 ○都保須美禮(古)ツホスミレ、「ホ」も「ス」も清音(新)ツボスミレ、「ス」は清音。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(12)1445 風交。雪者雖零。實爾不成。吾宅之梅乎。花爾令落莫。
かぜまじり。ゆきはふるとも。みにならぬ。わぎへのうめを。はなにちらすな。
 
二の句より結句へ懸かる隔句の體なり。ハナニはアダニと言ふ語にて、未だ逢ひも見ぬ男のうへを言ひ騷ぐ事なかれと言ふ譬歌か。又唯だ譬へには有らずして、梅を惜みて詠めるか。
 參考 ○實爾不成(古)略に同じ(新)ミニナラム、不を將の誤とす。
 
大伴宿禰家持養?歌一首  目録に養を春に作るを善しとす。
 
1446 春野爾。安佐留?乃。妻戀爾。己我當乎。人爾令知管。
はるののに。あさるきぎしの。つまごひに。おのがあたりを。ひとにしれつつ。
 
シレツツは、シラシメツツを約め言ふなり。是れは歌の詞に依りて雉の歌と端詞せれど、己が思ひ餘りて言に出でしより、他《アダ》し人に知られたるを添へたる譬歌なるべし。
 參考 ○安佐留?乃(考)キギス(古、新)略に同じ。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1447 尋常。聞者苦寸。喚子鳥。音奈都炊。時庭成奴。
よのつねに。きくはくるしき。よぶこどり。こゑなつかしき。ときにはなりぬ。
 
暮春の頃など此鳥の聲面白ければ、大方《オホカタ》は聞きて物思ひ勝《マサ》る物ながら待たるるとなり。呼子鳥、既に言(13)へり。
 
右一首天平四年三月一日佐保宅作。 郎女の父大伴安麻呂卿の家なり。
 
春相聞
 
大伴宿禰家持贈2坂上家之大嬢1歌一首
 
1448 吾屋外爾。蒔之瞿麥。何時毛。花爾咲奈武。名蘇經乍見武。
わがやどに。まきしなでしこ。いつしかも。はなにさかなむ。なぞへつつみむ。
 
瞿麥の花咲かば、妹になぞらへ見んをとなり。
 參考 ○花爾咲奈武(代、古、新)ハナニサカナム。
 
大伴田村家之【之ヲ今毛ニ誤ル】大嬢與2妹坂上大嬢1歌一首
 
1449 茅花拔。淺茅之原乃。都保須美禮。今盛有。吾戀苦波。
つばなぬく。あさぢがはらの。つぼすみれ。いまさかりなり。わがこふらくは。
 
上は盛りなりと言はん序のみ。姉妹相思ふを言ふ。
 參考 ○茅花拔(考、新)略に同じ(古)チバナヌク。
 
大伴宿禰坂上郎女歌一首
 
(14)郎女に斯くかばねを書ける例集中に無し。是れは禰の下、家持贈の三字を脱せるなり。
 
1450 情具伎。物爾曾有鷄類。春霞。多奈引時爾。戀乃繁者。
こころぐき。ものにぞありける。はるがすみ。たなびくときに。こひのしげきは。
 
心グキは卷四、春日山霞棚引情具久。また情|八十一《グク》おもほゆるかもとも言ひて其處《ソコ》に言へり。
 
笠女郎贈2大伴家持1歌一首
 
1451 水鳥之。鴨乃羽色乃。春山乃。於保束無毛。所念可聞。
みづとりの。かものはのいろの。はるやまの。おぼつかなくも。おもほゆるかも。
 
一二の句は、春山の緑なるを言はん料にて、春山はオボツカナクと言はん序なり。卷一長歌に、花も咲けれど山をしみ入《イリ》てもとらずと言へる如く、春山を茂げき事に言ひたれば、ここも山の茂げきを覺束なきにとれるか、或は春山の霞みて覺束なきにも有るべし。卷廿に、水鳥乃可毛能羽能伊呂乃と有り。
 
紀女郎歌一首 古本に、鹿人大夫女。女曰2小鹿1安貴王之妻也と有り。
 
1452 闇夜有者。宇倍毛不來座。梅花。開月夜爾。伊而麻左自常屋。
やみならば。うべもきまさじ。うめのはな。さけるつくよに。いでまさじとや。
 
イデマサジトヤは、來マサジトヤと言ふなり。而は耐などの誤れるか。
 參考 ○闇夜有者(代、古、新)略に同じ(考)ヤミナレバ ○宇倍毛不來座(代、古、新)略に同(15)じ(考)キマサズ。
 
天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈2入唐使1歌一首并短歌
 
續紀、天平四年八月以2從四位下多治比眞人廣成1爲2遣唐大使1。從五位下中臣朝臣名代爲2副使1云云と見ゆ。
 
1453 玉手次。不懸時無。氣緒爾。吾念公者。虚蝉之。命恐。夕去者。鶴之妻喚。難波方。三津埼從。大舶爾。二梶繁貫。白浪乃。高荒海乎。島傳。伊別往者。留有。吾者幣引。【引ハ取ノ誤】齊乍。公乎者將往。【往ハ待ノ誤】早還萬世。
たまだすき。かけぬときなく。いきのをに。わがもふきみは。うつせみの。みことかしこみ。ゆふされば。たづがつまよぶ。なにはがた。みつのさきより。おほぶねに。まかぢしじぬき。しらなみの。たかきあるみを。しまづたひ。いわかれゆかば。とどまれる。われはぬさとり。いはひつつ。きみをばまたむ。はやかへませ。
 
玉ダスキ、枕詞。イキノヲは命ノカギリと言ふなり。卷九長歌に、人と成《ナル》事はかたきを云云。虚蝉之。代人有者《ヨノヒトナレバ》。大王之《オホキミノ》。御命恐美《ミコトカシコミ》。また其續きの長歌に、虚蝉乃、世人有者、大王之、御命恐|彌《ミ》と有りて、ここも彼の例に依るに、命の上に世ノ人ナレバ大キミノと言ふ二句脱ちしなるべしと契沖が言へるぞ善き。マ梶は舟の左右に立つる梶を言ふ。伊別の伊は發語。引は取の字の誤なるべし。齊は齋と通じ用(16)ふ。往は待の誤なる事しるし。
 參考 ○(代)虚蝉の下「世人有者、大王之」の脱とす(古、新)(代)に據る。
 
反歌
 
1454 波上從。所見兒島之。雲隱。穴氣衝之。相別去者。
なみのへゆ。みゆるこじまの。くもがくり。あないきづかし。あひわかれいねば。
 
兒島は備前なり。卷十一、浪間より見ゆる小嶋の濱|久木《ヒサギ》とも有り。さて結句を初句の上へ廻らし見るべし。相別れて後は、波の上より見ゆる、兒島をだに見つつなぐさまんに、そこさへ雲隱れて、ああと歎きする由をあらかじめ言ふなり。アヒ別レナバと訓みたれど、さてはイキヅカシカラムと言はでは叶はず、故《カレ》イネバと訓めり。
 參考 ○雲隱(考)クモガクレ(古)略に同じ(新)クモゴモリ ○穴氣衝之(考)アナイキヅカハシ又は、アナイキヅカシ(古、新)略に同じ ○相別去者(考、古)アヒワカレナバ(新)アヒワカレユケバ。
 
1455 玉切。命向。戀從者。公之三舶乃。梶柄母我。
たまきはる。いのちにむかひ。こひむゆは。きみがみふねの。かぢからにもが。
 
玉キハル、枕詞。別れし後に死ぬばかり戀ひんよりは、君が舟の梶にも成りなんと願ふなり。梶柄は?(17)の握る所を言ふなるべし。ガはガモと言ふに同じく願ふ詞なり。三は借字にて御《ミ》なり。
 參考 ○命向(考)イノチニムカフ(古、新)略に同じ ○戀從者(古)コヒムヨハ(新)略に同じ ○梶柄母我(代)略に同じ(考)カヂカラモワガ(古、新)カヂツカニモガ、又はカヂカラニモガ。
 
藤原朝臣廣嗣櫻花贈2娘子1歌一首
 
式部卿宇合の第一子なり。
 
1456 此花乃。一與能内爾。百種乃。言曾隱有。於保呂可爾爲莫。
このはなの。ひとよのうちに。ももくさの。ことぞこもれる。おほろかにすな。
 
卷二、みよしぬの山松がえははしきかも君がみことをもちてかよはく、と詠める如く、この櫻の花に種種の言を籠めたれば、おろそけにな思ひそとなり。一ヨは一夜の事としては穩かならず。一瓣《ヒトヒラ》の事を斯く言ふなるべし。
 
娘子和(ル)歌一首
 
1457 此花乃。一與能裏波。百種乃。言持不勝而。所折家良受也。
このはなの。ひとよのうちは。ももくさの。こともちかねて。をられけらずや。
 
花一ひらの中に種種の言を籠めたれば、得堪へずして其百種の言に折られし花には有らずやとなり。
 參考 ○裏波(古)略に同じ(新)ウチ「爾」ニ ○所折家良受也(考)略に同じ(古)ヲラエケラ(18)ズヤ(新)ヲレニケラズヤ。
 
厚見王贈2久米女郎1歌一首
 
1458 屋戸在。櫻花者。今毛香聞。松風疾。地爾落良武。
やどなる。さくらのはなは。いまもかも。まつかぜはやみ。つちにおつらむ。
 
ヤドとは女郎が家を言ふ。初句四言も有れど、次の歌を合せ見るに、在の上、爾を脱せるか。
 參考 ○屋戸在(考、古)ヤドニアル(新)ヤドナル ○松風疾(考、新)マツカゼハヤミ(古)マツカゼイタミ ○落良武(考、新)略に同じ(古)チルラム。
 
久米女郎報贈歌一首
 
1459 世間毛。常爾師不有者。屋戸爾有。櫻花乃。不所比日可聞。
よのなかも。つねにしあらねば。やどにある。さくらのはなの。ちれる《うつる》ころかも。
 
不所はもとの所に有らぬ義を以て書けりと契沖言へり。チレルともウツルとも訓むべし。
 參考 ○屋戸爾有(古)略に同じ(新)ヤドナル ○不所(代)ウツル(考)ウツロフ(古)チレル(新)オツル、「不所」を「落」の誤とす。
 
紀女郎贈2大伴宿禰家持1歌二首
 
1460 戯奴(變云和氣) 之爲。吾手母須麻爾。春野爾。抜流茅花曾。御食而肥座。
(19)わけがため。わがてもすまに。はるののに。ぬけるつばなぞ。めしてこえませ。
 
ワケは汝とイフ事にて、紀の女郎が戯れに賤しめて、家持卿を指してワケと言へるなり。さるに依りて、戯奴と書きて戯れなる事を顯はせり。卷四、吾君は和氣をはしねとおもへかもの歌に、宣長説を擧げて委しく言へり。合せ見るべし。戯奴の下註、變字、反に改むべしと契沖言へり。テモスマニのスマニは、宣長は數《カズ》ニの意かと言へり。下にも手もすまに植ゑしはぎにやと詠めり。猶考ふべし。茅花を食へば肥ると、古へ言ひ習はせし故、家持卿は痩せたる人なれば、斯く詠めるなるべし。
 參考 ○抜流茅花曾(古)ヌケルチバナゾ (新)略に同じ。
 
1461 晝者咲。夜者戀宿。合歡木花。君【君ハ吾ノ誤】耳將見哉。和氣佐倍爾見代。
ひるはさき。よるはこひねる。ねむのはな。われのみみむや。わけさへにみよ。
 
和名抄唐韻云、棔、和名禰布里乃木。辨色立成云睡樹。字鏡合歡樹、?。共に禰夫利と訓む。夜葉を卷くを、人の獨り戀ひ寢るにとりなせり。君ノミ見ムヤにては解くべからず。君は吾の誤なる事しるし。和氣は家持卿を指す。
 參考 ○君耳將見哉(考)キミノミミムヤ(古)アレノミミメヤ(新)ワレノミミメヤ。
 
右折2攀合歡花并茅花(ヲ)1贈也。 茅花は三月、合歡の花は六月頃咲くなれば時異なり。是れは藥に服せん爲に、拔きて貯へ置きたるを贈れるなるべし。
 
(20)大伴家持贈(リ)和(ル)歌二首
 
1462 吾君爾。戯奴者戀良思。給有。茅花乎雖喫。彌痩爾夜須。
わがきみに。わけはこふらし。たまひたる。つばなをくへど。いややせにやす。
 
此ワケは我を言へるなれども、紀女郎が歌に、戯れてわざと家持卿をワケと賤しめて言へるを受けて其ワケとのたまふ我はと言ふ意なり。彼方の戯れの詞を受けて其儘に言ふ事、今の世にも此類ひ有り。既に卷四に宣長説を擧げて委しく言へれど、是等は紛はしく、人の迷ふべき事なれば、又更に言ふのみ。君は女郎を指す。
 參考 ○給有(考)略に同じ(古、新)タバリタル ○茅花雖喫(代)ハメド(考)略に同じ(古)チバナヲハメド(新)ツバナヲクヘド、又は、ハメド。
 
1463 吾妹子之。形見乃合歡木者。花耳爾。咲而蓋。實爾不成鴨。
わぎもこが。かたみのねむは。はなのみに。さきてけだしく。みにならじかも。
 
合歡の今花なれば、斯くの如く女郎も花のみにて、若しくは遂に實には成らじかと言ふなり。
 參考 ○咲而蓋(考)サキテケダシモ(古、新)略に同じ ○實爾不成鴨(代)ナラジ(考)ミニナラヌカモ(古、新)略に同じ。
 
大伴家持贈2坂上大孃1歌一首
 
(21)1464 春霞。輕引山乃。隔者。妹爾不相而。月曾經爾來。
はるがすみ。たなびくやまの。へなれれば。いもにあはずて。つきぞへにける。
 
妹は大孃のむすめ、家持卿の妻なり。
 參考 ○隔者(考)ヘダタレバ(古)略に同じ(新)ヘダタレバ、又は、ヘナレレバ。
 
右從2久邇京1贈2寧樂宅1。
 
夏雜歌
 
藤原夫人歌(明日香清御原御宇天皇之夫人也、字曰2大原大刀自1、即新田部皇子之母也)
 
卷二に出でたる夫人なり。天武紀に、夫人藤原大臣女氷上娘生2但馬皇女1、次夫人氷上娘弟五百重娘生2新田部皇子1と有り。此二人の中いづれにや。
 
1465 霍公鳥。痛莫鳴。汝音乎。五月玉爾。相貫左右二。
ほととぎす。いたくななきそ。ながこゑを。さつきのたまに。あへぬくまでに。
 
是れは四月にほととぎすを聞きて、未だ時ならぬに繁く啼くを惜むなり。五月の玉は續命縷《クスダマ》にて、ほととぎすを賞づる餘りに、藥玉に相貫かまはしきと幼く詠めり。卷十七、わがせこは玉にもがもなほととぎすこゑに安倍奴伎手《アヘヌキテ》にまきてゆかむ。卷二十、みづらのなかに阿敝麻可《アヘマカ》ましなと有り。
(22) 參考 ○相貫(代、古、新)略に同じ(考)アヒヌク。
 
志貴皇子御歌一首
 
1466 神名火乃。磐瀬乃社之。霍公鳥。毛無之岳爾。何時來將鳴。
かみなびの。いはせのもりの。ほととぎす。ならしのをかに。いつかきなかむ。
 
毛無と書けるは、人の踏みならす地は草木の生ひざる意をもて書けり。此下に古郷の奈良思の岡と詠めり。磐瀬は大和城上部と見ゆ。ナラシも其邊か。
 
弓削《ユゲノ》皇子御歌一首 天武天皇の皇子。
 
1467 霍公鳥。無流國爾毛。去而師香。其鳴音乎。聞者辛苦母。
ほととぎす。なかるくににも。ゆきてしが。そのなくこゑを。きけばくるしも。
 
ナカルはナク有ルにて、唯だ無キと言ふ事なり。行キテシガのシは助辭。ガは願詞。
 
小治田廣瀬《ヲハリダノヒロセノ》王霍公鳥歌一首
 
天武紀、十年三月詔2廣瀬王1云云。令v記2帝紀1。持統紀、六年二月爲2留守官1。元正紀、養老六年正月卒と見ゆ。
 
1468 霍公鳥。音聞小野乃。秋風。芽【芽ヲ茅ニ誤ル】開禮也。聲之乏寸。
ほととぎす。こゑきくをぬの。あきかぜに。はぎさきぬれや。こゑのともしき。
 
(23)此歌は、今秋風立ちて芽子《ハギ》咲けるに有らず、未だ夏なるに、ほととぎすの聲の少なく乏しきは、夏の中より秋風立ちて、萩が花など咲けるにや有らんと言ふ意なり。ヌレヤはヌレバヤの意。
 
沙彌《サミ》霍公鳥謌一首 三方沙彌なるべし。姓を落せり。
 
1469 足引之。山霍公鳥。汝鳴者。家有妹。常所思。
あしびきの。やまほととぎす。ながなけば。いへなるいもし。つねにおもほゆ。
 
旅にて詠めるなるべし。イモシのシは助辭。
 參考 ○家有妹(考)妹ヲ(古、新)略に同じ。
 
刀理宣令《トリノセンリヤウ》歌一首
 
1470 物部乃。石瀬之杜乃。霍公鳥。今毛鳴奴。【奴ノ下香ヲ脱ス】山之常影爾。
もののふの。いはせのもりの。ほととぎす。いまもなかぬか。やまのとかげに。
 
物ノフノ、枕詞。ナカヌカはナケカシなり。奴の下香の字落ちたるならん。トカゲはここに書ける如く、トコ蔭の意かとも思はるれど、是れも借字にて、本蔭の意なり。本は木の事なり。紀の歌に、もとごとに花は咲けども、と言ふも木ごとになり。然ればここも山の木蔭と心得べしと翁言はれき。宣長云、トカゲはタヲ蔭なり、山のたわみたる所をタヲともタワとも言ふと言へり。
 
山部宿禰赤人歌一首
 
(24)1471 戀之久婆。形見爾將爲跡。吾屋戸爾。殖之藤浪。今開爾家里。
こひしけば。かたみにせむと。わがやどに。うゑしふぢなみ。いまさきにけり。
 
戀シケバは戀ヒシカラバなり。家、一本久に作る。コヒシクハとても意同じ。前後、郭公の歌なれば、其鳥の形見にせんと言ふ意かとも見ゆれども、是れは指す人有りて詠めるなるべし。藤ナミのナミは靡の意なり。
 
式部大輔石上|竪魚《カツヲ》朝臣歌一首 續本、養老三年正月從六位下より從五位下を授くと有り。其外にも見ゆ。
 
1472 霍公鳥。來鳴令響。宇乃花能。共也來之登。問麻思物乎。
ほととぎす。きなきとよもす。うのはなの。ともにやこしと。とはましものを。
 
左註に意へる如く、大伴卿の妻、郎女みまかりしに由りて、堅魚朝臣御使にて筑紫へ下りし時の歌なれば、トモニヤコシトは、妻の亡き魂も共に來りしやと言ふなるべし。此頃既に郭公を冥途の鳥と言ふ説有りしなるべし。卯の花は唯だ郭公と同じ時なる物なれば詠めるのみ。和名抄云、本草云、溲疏、一名楊櫨(宇豆木)と有り。さて此卯花ノの能の言は、卷五、天地のともに久しくいひつげとと詠める乃に同じく、トに通ひて聞ゆる一つの體なる由宣長言へり。同じ人云、又思ふに來は成の誤にて、さて二の句にて切りて、三(○は衍か)四の句は、ムタヤナリシトと訓むべくも見ゆ。帥卿の妻は卯の花の散り失せ(25)たると共に失せて、行へも無く成りしやと郭公に問はん物をなりと言へり。猶考ふべし。卷三卷五にも此郎女の死せる事に由れる歌有り。
 參考 ○來鳴令響(考)キナキトヨマス(古、新)略に同じ ○共也來之登(考、新)略に同じ(古)ムタヤ「成」ナリシト。
 
右神龜五年戊辰太宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇v病長逝焉。于時 勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣2太宰府1。弔v喪并贈2物色1。【色一本也ニ作ル】其事既畢。驛使及【及ヲ今乃ニ誤ル】府諸卿大夫等。共登2記夷城1。而望遊之日。乃作2此歌1。
 
記夷は和名抄、筑前遠賀郡木夜あり、夜は夷を誤るか。契沖云、下座郡城邊(木乃倍)と言ふ所有り、城山と言ふもそこなるべし。第五に此きの山と詠める歌に紀の字を書けり。紀伊國の例を思ふに、今も紀の字なるべきにやと言へり。記夷にてキとのみ訓むべし。記は紀の字ならずとも然るべきなり。
 
太宰帥大伴卿和(ル)歌一首
 
1473 橘之。花散里乃。霍公鳥。片戀爲乍。鳴日四曾多寸。
たちばなの。はなちるさとの。ほととぎす。かたこひしつつ。なくひしぞおほき。
 
橘の花を亡き人に譬へ、霍公鳥を我に譬へたり。
 
大伴坂上郎女思2筑紫大城山1歌一首
 
(26)旅人卿の妹なり。卷六、天平二年十一月、大伴坂上郎女發2帥家1。上道超2筑前國宗形名兒山1之時の歌とて載せたり。此歌は筑紫より歸りて、同三年夏、都にて詠めるなるべし。
 
1474 今毛可聞。大城乃山爾。霍公鳥。鳴令響良武。吾無禮杼毛。
いまもかも。おほきのやまに。ほととぎす。なきとよむらむ。われなけれども。
 
筑前の國人の言へるは、大城の山は御笠郡、今の四王寺山の事なり。城の山とは別なる由宣長言へり。我そこに在りて聞かねども、霍公は今も鳴きとよもすらんとなり。
 
大伴坂上郎女霍公鳥歌一首
 
1475 何哥毛。幾許戀流。霍公鳥。鳴音聞者。戀許曾益禮。
なにしかも。ここばくこふる。ほととぎす。なくこゑきけば。こひこそまされ。
 
上の戀ふるは郭公を戀るにて、下の戀ふは人を戀ふるなり。何故に斯く郭公を戀ふる事ぞ、聲聞けば人戀ひしさの増るとなり。
 參考 ○幾許戀流(考、新)略に同じ(古)ココダクコフル。
 
小治田朝臣廣耳歌一首
 
續紀に、廣耳と言ふ人見えず。小治田廣千と言ふ有り、是れにや。續紀今の本、誤字多し。耳の字の草書千に似たれば、誤れるにやと契沖言へり。
 
(27)1476 獨居而。物念夕爾。霍公鳥。從此間鳴度。心四有良思。
ひとりゐて。ものおもふよひに。ほととぎす。こゆなきわたる。こころしあるらし。
 
コユはココヨリなり。物思ひを慰め顔に鳴き渡るは、心有るに似たりとなり。
 參考 ○物念(古)モノモフ(新)略に同じ ○從此間鳴度(古)コヨナキワタル(新)略に同じ。
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1477 宇能花毛。未開者。霍公鳥。佐保乃山邊。來鳴令響。
うのはなも。いまださかねば。ほととぎす。さほのやまべを。きなきとよもす。
 
サカネバは、サカヌニと言ふに同じ。集中例多し。
 參考 ○佐保乃山邊(考)略に同じ(古、新)サホノヤマベニ。
 
大伴家持橘歌一首
 
1478 吾屋前之。花橘乃。何時毛。珠貫倍久。其實成奈武。
わがやどの。はなたちばなの。いつしかも。たまにぬくべく。そのみなりなむ。
 
玉は藥玉なり。
 
大伴家持晩蝉歌一首
 
1479 隱耳。居者欝悒。奈具左武登。出立聞者。來鳴日晩。
こもりのみ。をればいぶせみ。なぐさむと。いでたちきけば。きなくひぐらし。
 
(28)和名抄爾雅註云、茅蜩一名〓(比久良之)小青蝉也と有り。
 
大伴|書持《フミモチ》歌二首 家持卿の弟也。
 
1480 我屋戸爾。月押照有。霍公鳥。心有今夜。來鳴令響。
わがやどに。つきおしてれり。ほととぎす。こころあるこよひ。きなきとよもせ。
 
オシテレリは押なべて照らせるなり。卷十一、春日山月押照れりとも詠めり。友の訪ひ來ける時詠めるなり。
 參考 ○心有今夜(新)ココロアラバココヒ。
 
1481 我屋前乃。花橘爾。霍公鳥。今社鳴米。友爾相流時。
わがやどの。はなたちばなに。ほととぎす。いまこそなかめ。ともにあへるとき。
 
我が友に逢へる時、郭公も橘に來鳴けかしとなり。
 
大伴|清繩《キヨナハ》歌一首 繩、一本綱に作る。
 
1482 皆人之。待師宇能花。雖落。奈久霍公鳥。吾將忘哉。
みなひとの。まちしうのはな。ちりぬとも。なくほととぎす。われわすれめや。
 
卯の花咲けば郭公も鳴くく故に、皆人の卯の花を待ちしを、其花も散り郭公も來鳴かず成りぬれど、郭公をば猶忘れぬとなり。
 
(29)庵(ノ)君|諸立《モロタツ》歌一首 
 
1483 吾背子之。屋戸乃橘。花乎吉美。鳴霍公鳥。見曾吾來之。
わがせこが。やどのたちはな。はなをよみ。なくほととぎす。みにぞわがこし。
 
郭公の橘をめでて來鳴くらんと思ひて見に來しと言ふなり。セコは友を指す。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1484 霍公鳥。痛莫鳴。獨居而。寐乃不所宿。聞者苦毛。
ほととぎす。いたくななきそ。ひとりゐて。いのねらえぬに。きけばくるしも。
 
 參考 ○寐乃不所宿(考)イノネラレヌニ(古、新)略に同じ。
 
大伴家持|唐棣花《ハネズノ》歌一首
 
1485 夏儲而。開有波禰受。久方乃。雨打零者。將移香。
なつまけて。さきたるはねず。ひさかたの。あめうちふらば。うつろひなむか。
 
ハネズは卷四に既に言へり。
 
大伴家持恨2霍公鳥|晩喧《オソクナクヲ》1歌二首
 
1486 吾屋前之。花橘乎。霍公鳥。來不喧地爾。令落常香。
わがやどの。はなたちばなを。ほととぎす。きなかずつちに。おとしなむとか。
 
(30)郭公の來鳴かぬ間に、橘の花を散らしめんかと言ふなり。
 參考 ○來不喧地爾(考)キナカデツチニ(古、新)略に同じ ○令落常香(代、新)チラシメムトカ(考、古)チラシナムトカ。
 
1487 霍公鳥。不念有寸。木晩乃。如此成左右爾。奈何不來喧。
ほととぎす。おもはずありき。このくれの。かくなるまでに。などかきなかぬ。
 
コノクレは木の繁く暗きなり。斯く木の茂れるまで來鳴かざらんとは思はざりきとなり。
 參考 ○奈何不來喧(考、新)略に同じ(古)ナニカキナカヌ。
 
大伴家持懽2霍公鳥1歌一首
 
1488 何處者。鳴毛思仁家武。霍公鳥。吾家乃里爾。今日耳曾鳴。
いづくには。なきもしにけむ。ほととぎす。わぎへのさとに。けふのみぞなく。
 
イヅクニハは、ヨソニハと言ふが如し。よそには早や鳴きつらん、吾が方には今日來鳴くとなり。
 
大伴家持惜2橘花1歌一首
 
1489 吾屋前之。花橘者。落過【過ヲ〓ニ誤ル】而。珠爾可貫。實爾成二家利。
わがやどの。はなたちばなは。ちりすぎて。たまにぬくべく。みになりにけり。
 
大伴家持霍公鳥歌一首
 
1490 霍公鳥。雖待不來喧。蒲草。玉爾貫日乎。未遠美香。
(31)ほととぎす。まてどきなかず。あやめぐさ。たまにぬくひを。いまだとほみか。
 
蒲の上菖の字を落せり。此玉は藥玉なり。上にも五月ノ玉と言へり。
 
大伴家持雨日聞2霍公鳥(ノ)喧1歌一首
 
1491 宇乃花能。過者惜香。霍公鳥。雨間毛不置。從此間喧渡。
うのはなの。すぎばをしみか。ほととぎす。あままもおかず。こゆなきわたる。
 
卯の花の盛の過ぎんが惜しさにか、雨の降る日にも厭はず鳴き渡るとなり。
 參考 ○從此間(古)コヨ(新)略に同じ。
 
橘歌一首 遊行女婦
 
和名抄云、楊氏漢語抄云、遊行女兒(和名宇加禮女又云阿曾比)
 
1492 君家乃。花橘者。成爾家利。花乃有時爾。相益物乎。
きみがいへの。はなたちばなは。なりにけり。はななるときに。あはましものを。
 
成リニケリは實になりしなり。古今集に、かはづなくゐでの山ふき散りにけり花のさかりにあはましものを、と云ふに同じ。
 參考 ○君家乃(古)キミガヘノ(新)略に同じ ○花乃有時爾(代、古)略に同じ(考)ハナノサカリニ(新)ハナノアルトキニ。
 
(32)大伴村上橘歌一首
 
1493 吾屋前乃。花橘乎。霍公鳥。來鳴令動而。本爾令散都。
わがやどの。はなたちばなを。ほととぎす。きなきとよめて。もとにちらしつ。
 
モトは橘の木の下《モト》なり。トヨメテはトヨマシメテなり。
 參考 ○本爾令散都(考、新)略に同じ(古)「地」ツチニチラシツ。
大伴家持霍公鳥歌二首
 
1494 夏山之。木末乃繁爾。霍公鳥。鳴響奈流。聲之遙佐。
なつやまの。こぬれのしじに。ほととぎす。なきとよむなる。こゑのはるけさ。
 
梢の繁きを、やがて郭公の聲の頻りなるに言ひ下したりとも聞ゆれど、唯だ繁き梢の人氣《ヒトゲ》遠きに、郭公の來鳴くを詠めるなるべし。
 參考 ○木末乃繋爾(代、古)略に同じ(新)コヌレノシゲニ。
 
1495 足引之。許乃間立八十一。霍公鳥。如此聞始而。後將戀可聞。
あしびきの。このまたちぐく。ほととぎす。かくききそめて。のちこひむかも。
 
アシビキノ、枕詞もて山の事とせり。立チグクは立チクグルなり。上のクを清み、下のクを濁るべけれど、祝詞も谷具久《タニグク》と書きて、上を濁るは、言ひ下せる音便の例なり、神代紀、漏をクキと訓む。八十(33)一と書けるは、シシを十六と書けるに等し。
 
大伴家持|石竹花《ナデシコノ》歌一首
 
1496 吾屋前之。瞿麥乃花。盛有。手折而一目。令見兒毛我母。
わがやどの。なでしこのはな。さかりなり。たをりてひとめ。みせむこもがも。
 
和名抄云、瞿麥一名大蘭(和名奈天之古、一云止古奈豆)兒は女を言ふ。
 
惜v不v登2筑波山1歌一首  惜は恨の字の誤なり。
 
1497 筑波根爾。吾行利世波。霍公鳥。山妣兒令響。鳴麻志也其。
つくばねに。わがゆけりせば。ほととぎす。やまびことよめ。なかましやそれ。
 
宣長云、ナカマシヤは、鳴キハセジと言ふ語なり。此歌は筑波根に行きし人の、郭公の繁く鳴きたる事を語りたるを聞きて詠めるにて、吾が行きたらんには然か繁くは鳴くまじきに、恨めしき郭公かなと詠めるなりと言へり。ソレとは其郭公と更に言ひて、我が聞かざるを深く恨む語なり。
 
右一首高橋連蟲麻呂之歌中出。 歌の字の下、集の字脱ちたるか。
 
夏相聞
 
大伴坂上郎女歌一首
 
(34)1498 無暇。不來之君爾。霍公鳥。吾如此戀常。往而告社。
いとまなみ。こざりしきみに。ほととぎす。われかくこふと。ゆきてつげこそ。
 
いとま無しとて訪はぬ君に、我が戀ふと言ふ事を言傳《コトヅテ》よかしと、郭公におほするなり。新千載集戀に、二の句キマサヌキミニとて載せたり。之は坐の字の誤なるべし。
 參考 ○不來之君爾(考)コザリシキミニ(古、新)キマサヌキミニ、「之」を座の誤とす ○吾(古)アガ(新)ワガ。
 
大伴|四繩《ヨツナハ》宴吟飲一首 卷四に、防人司佑と見ゆ。
 
1499 事繁。君者不來益。霍公鳥。汝太爾來鳴。朝戸將開。
ことしげみ。きみはきまさず。ほととぎす。なれだにきなけ。あさどひらかむ。
 
女の詠める戀の歌なるを、宴席にて友などの訪はざりしに取り成して誦せしなるべし。
 
大伴坂上郎女歌一首
 
1500 夏野之。繁見丹開有。姫由理乃。不所知戀者。苦物乎。
なつののの。しげみにさける。ひめゆりの。しらえねこひは。くるしきものを。
 
ヒメ百合は紅にて、殊に小さければ、夏野の草に掩はれて、咲くとも見えぬをもて、我が思ひを其戀ふる人に知られぬに譬ふ。ヒメはすべて美しくちひさき物に言ふ詞なり。乎、一本曾に作る。
(35) 參考 ○不所知戀者(考)シラレズ(古、新)略に同じ。
 
小治田朝臣廣耳歌一首
 
1501 霍公鳥。鳴峯乃上能。宇乃花之。※[厭のがんだれなし]事有哉。君之不來益。
ほととぎす。なくをのうへの。うのはなの。うきことあれや。きみがきまさぬ。
 
上はウキと言はん序なり。我を厭はしく思ふ事有ればにや、君が訪ひ來ぬと言ふなり。此君は友を言ふ。卷十に、一二の句、うぐひすの通ふ垣ねの、と替れるのみにて全く同じ歌有り。
 
大伴坂上邸女歌一首
 
1502 五月之。花橘乎。爲君。珠爾【爾ノ下、社字ヲ脱ス】貫。零卷惜美。
さつきの。はなたちばなを。きみがため。たまにこそぬけ。おちまくをしみ。
 
君に見せんと思ふ橘の實の地に落ちん事の惜ければ玉に貫きつとなり。爾の下、一本社の字有るぞ善き。
 參考 ○五月之(代、考、新)略に同じ(古)サツキ「山」ヤマ ○零卷惜美(古、新)チラマクヲシミ。
 
紀朝臣|豐河《トヨカハ》歌一首
 
1503 吾妹兒之。家之垣内之。佐由理花。由利登云者。不謌云二似。
わぎもこが。いへのかきつの。さゆりばな。ゆりといへれば。よそへぬににる。
 
(36)カキツは字の如く垣ノウチなり。ウチのウを略き、チをツに通はせたり。垣津田とも詠めれば、カキツと訓むべし。上はユリと言はん序なり。ユリはヨリにて相逢ふを言ふ。意は寄り逢はんと言ふからは、よそへ言ふに及ばぬに似るとなり。謌は諷の字の意もて書けるなるべしと翁は言はれき。卷十八、ともし火の光に見ゆるさゆり花ゆりもあはむとおもひそめてき。さゆり花ゆりもあはむとおもへこそ今のまさかもうるはしみすれ、其外にも斯く續けたる有り。宣長云、集中に後ニと言ふ事をユリと言へる例此れ彼れ有り。此歌のユリも後ニと言ふ事にて、後に逢はんと言ふなり。下句は或人、不許云二似《イナチフニニツ》なるべし。後に逢はんと言ふは不許《イナ》と言ふに似たりとなりと言へり。是れは解け難き歌なれば、とりどりの説を擧げつ。
 參考 ○家乃垣内乃(代)イヘ(考)ヤドノカキチノ(古、新)略に同じ ○由利登云者(考・古)略に同じ(新)ユリトイヘルハ ○不謌云二似(考)ヨソヘヌニニル(古、新)イナチフニニル、「謌」を「許」の誤とす。
 
高安歌一首 卷三、高安大島と云ふ是れか。
 
1504 暇無。五月乎尚爾。吾妹兒我。花橘乎。不見可將過。
いとまなみ。さつきをすらに。わぎもこが。はなたちばなを。みずかすぎなむ。
 
橘の時なる五月をすら、暇無くて見ずしてや過ぎんずらんとなり。
 
(37)大神《オホミワノ》女郎贈2大伴家持1歌一首
 
1505 霍公鳥。鳴之登時。君之家爾。往跡追者。將至鴨。
ほととぎす。なきしすなはち。きみがいへに。ゆけとおひしは。いたりけむかも。
 
君が待つらんと思ひて、郭公に疾く行けと言ひ教へ追ひ遣りつるは、到りきやと戯れて詠めり。六帖貫之、春たたむすなはちごとに君が爲千年つむべきわかななりけり。
 參考 ○鳴之登時(考)ナキシソノトキ(古、新)略に同じ ○君之家爾(古)キミカヘニ(新)キミガ家ニ。
 
大伴田村大孃與2妹坂上大孃1歌一首
 
1506 古【古ヲ舌ニ誤ル】郷之。奈良思之岳能。霍公鳥。言告遣之。何如告寸矢。
ふるさとの。ならしのをかの。ほととぎす。ことつげやりし。いかにつげきや。
 
ナラシノ岡、既に出づ。拾穗本、古を故に作る。
 
大伴家持攀2橘花1贈2坂上大孃1歌一首并短歌
 
1507 伊加登伊可等。有吾屋前爾。百枝刺。於布流橘。玉爾貫。五月乎近美。安要奴我爾。花咲爾家里。朝爾食爾。出見毎。氣緒爾。吾念妹爾。銅鏡。清月夜爾。直一眼。令覩麻而爾波。落許須奈。由米登云管。幾許。吾守物乎。宇禮多伎也。志許霍公鳥。曉之。裏悲爾。雖追雖追。尚來鳴而。徒。地爾令散者。爲便乎奈美。攀而手折都。見末世吾妹兒。
いかといかと。あるわがやどに。ももえさし。おふるたちばな。たまにぬく。さつきをちかみ。あえぬが(38)に。はなさきにけり。あさにけに。いでみるごとに。いきのをに。わがもふいもに。まそかがみ。きよきつくよに。ただひとめ。みせむまでには。ちりこすな。ゆめといひつつ。ここだくも。わがもるものを。うれたきや。しこほととぎす。あかときの。うらがなしさに。おへどおへど。なほしきなきて。いたづらに。つちにちらせば。すべをなみ。よぢてたをりつ。みませわぎもこ。
 
イカトイカトは、橘の花の咲く程を如何にと如何にと思ひて、持ちをる心を言ひて、有は居か。宣長云、イカトイカトは誤字なるべし。或人云、伊追之可等待《イツシカトマツ》の誤か。追之を加登に誤り、下の伊は衍、待を有に誤れるなり。花の咲くを何時しかと待つなりと言へり。猶考ふべし。百枝サシは、水枝サスと言ふサスに同じく、技のさし出づるなり。アエヌガニは、卷十八、橘を詠める長歌に、安由流實は玉にぬきつれ、卷十、秋づけば、み草の花の、阿要奴蟹と有りて、此ガは濁る例なり。土左人は物の熟せるを、アエヌルと言へり。ここも五月近くて既に熱《ナリ》ヌガネと言ふなり。花ニは時に成りぬるさまにと心得べし。ガニの詞は、ガネと同じく、兼て設け置く意なる事既に言へり。食は借字にて氣長くなど言へる氣なり。マソ鏡、枕詞。神代紀、白銅鏡をマスミノカガミと訓む。故《カレ》銅鏡と書けり。コスナは散る事なかれと願(39)ふ詞にて、上にも出づ。ウレタキヤ、紀に慨哉をウレタキカヤと訓む。シコは醜にて、郭公を罵る語なり。卷二、しこのますらを、卷三、しこのしこ草など言ふに同じ。卷十にも慨哉四去《ウレタキヤシコ》霍公鳥今こそは云云と詠めり。ウラ悲しは心悲しきなり。ナホシのシは助辭。
 參考 ○伊加登伊可等(古)「伊追之可等」イツシカト(新)イカトイカト ○有吾屋前爾(古、新)「待」マツワガヤドニ ○安要奴我爾(考)「要」を「弊」の誤とし、アヘヌガニ(古、新)略に同じ ○幾許(考)ココバクモ(古、新)略に同じ。
 
反歌
 
1508 望降。清月夜爾。吾妹兒爾。令覩常念之。屋所之橘。
もちくだち。きよきつくよに。わぎもこに。みせむとおもひし。やどのたちばな。
 
モチクダチは十五日過ぐる程を言ふ。
 參考 ○念之(古、新)モヒシ。
 
1509 妹之見而。後毛將鳴。霍公鳥。花橘乎。地爾落津。
いもがみて。のちもなきなむ。ほととぎす。はなたちばなを。つちにおとしつ。
 
二三の句、郭公の鳴きなん花橘をの意なり。
 參考 ○後毛將鳴(考、古、新)ノチモナカナム ○地爾落津(考、古、新)ツチニチラシツ。
 
(40)大伴家持贈2紀郎女1歌一首 目録に作の字無きを善しとす。
 
1510 瞿麥者。咲而落去常。人者雖言。吾標之野乃。花爾有目八方。
なでしこは。さきてちりぬと。ひとはいへど。わがしめしぬの。はなにあらめやも。
 
卷三、大伴駿河麻呂、梅の花咲て散りぬと人はいへどわがしめゆひしえだならめやも、と全く同じ。いづれをか元とせん。是れは今はた心の變れると人は言へど、吾が思ふ妹が事には有らで、他人の上を言ふならんと、紀郎女を指して詠める譬喩歌なり。
 
秋雜歌
 
崗本天皇御製歌一首
 
舒明天皇也
 
1511 暮去者。小倉乃山爾。鳴鹿之。今夜波不鳴。寢宿家良思母。
ゆふされば。をぐらのやまに。なくしかの。こよひはなかず。いねにけらしも。
 
卷九にナク鹿ノを、臥鹿ノとして、雄略天童の御製となし、左註に或本云、崗本天皇御製。不v案2正指1。因以累載と有り。小倉山は大和。卷九長歌に、龍田の山の瀧上の小鞍嶺に、と詠める山なるべし。
 
大津皇子御歌一首
 
(41)1512 經毛無。緯毛不定。未通女等之。織黄葉爾。霜莫零。
たてもなく。ぬきもさだめず。をとめらが。おるもみぢばに。しもなふりそね。
 
もみぢ葉をやがて錦になして、をとめらが織れる、とは詠み給へるなり。懷風藻に、此云云。山機霜杼織2葉錦1と作り給へるに同じ意なり。
 
穗積皇子御歌二首
 
1513 今朝之旦開。鴈之鳴聞都。春日山。黄葉家良思。吾情痛之。
けさのあさけ。かりがねききつ。かすがやま。もみぢにけらし。わがこころいたし。
 
ワガ心イタシは、秋の物がなしさの増るを言ふ。
 
1514 秋芽者。可咲有良之。吾屋戸之。淺茅之花乃。散去見者。
あきはぎは。さきぬべからし。わがやどの。あさぢがはなの。ちりぬるみれば。
 
つばなは暮春に穗に出でて、初秋に散る物なり。
 
但馬皇女【女ヲ子ニ誤ル】御歌一首(一書云子部王作)
 
1515 事繁。里爾不【不ヲ下ニ誤ル、活字不ニ作ルニヨル】住者。今朝鳴之。鴈爾副而。去益物乎。
ことしげき。さとにすまずは。けさなきし。かりにたぐひて。いなましものを。
 
一云|國爾不有者《クニニアラズハ》。
 
(42)言ひ騷がるる事有りしならん。不を今下に誤る。スマズハは、集中何何アラズハと言ふ詞にひとしくて、ここは住まんよりはと言ふ意なり。一本の國ニアラズハも、國ニアラムヨリハと言ふなり。
 參考 ○去益物乎(考、古)ユカマシモノヲ(新)略に同じ。
 
山部《ヤマベノ》王惜2秋葉1歌一首
 
天武紀に見ゆ。系譜知るべからず。又桓武天皇いまだ王におはしましける時も、山部王と申せり。何れにか。
 
1516 秋山爾。黄反木葉乃。移去者。更哉秋乎。欲見世武。
あきやまに。もみづこのはの。うつりなば。さらにやあきを。みまくほりせむ。
 
此卷末に黄變と書けり。反は變の省文なるべし。ウツルは則ち散るを言ふ。由ツルと假字書有れば、ユツリナバとも訓むべし。もみぢの散り果てなば、更にまた秋の色を見まほしく戀ふべきとなり。
 參考 ○黄反木葉乃(代)モミヅル(考、古)ニホフコノハノ(新)略に同じ。
 
長屋王歌−首
 
1517 味酒。三輪乃祝之。山照。秋乃黄葉。散莫惜毛。
うまさけを。みわのはふりが。やまてらす。あきのもみぢば。ちらまくをしも。
 
味サケヲ、枕詞。二三の句は祝《ハフリ》等が齋《イツ》きまつる山を照らすと言ふを略けるか、されど句の續き穩かなら(43)ず。宣長云、三輪ノイハヒノ、ヤマヒカルと訓むべし。イハヒノ山は神を齋きまつる山と言ふ事なりと言へり。是れ然るべきか。
 參考 ○味酒(考)略に同じ(古、新)ウマサケ、但し(新)はザと濁る ○三輪乃祝之(考)ハフリガ(古)ミワノイハヒガ(新)ミワノ「社」ヤシロノ ○山照(考、新)ヤマテラス。
 
山上臣憶良七夕歌十二首
 
1518 天漢。相向立而。吾戀之。君來益奈利。紐【紐ヲ?ニ誤ル】解設禁。
あまのがは。あひむきたちて。わがこひし。きみきますなり。ひもときまけな。
 
一云|向河《カハニムカヒテ》。
 
織女の心を詠めるなり。解キマケナは解キマウケムなり。
 參考 ○向河(考)ムカヒカハ。
 
右養老八年七月七日應v令。 續紀に、元正天皇養老七年九月神龜出。八年二月改號2神龜1よし有り。さればここは七年の誤なるべし。
 
1519 久方之。漢瀬爾。船泛而。今夜可君之。我許來益武。
ひさかたの。あまのかはせに。ふねうけて。こよひかきみが。わがりきまさむ。
 
是れも右に同じ。ワガリは妹ガリのガリに同じく、吾ガ在リカを略けるなり。一本、漢の上に天字有り(44)て、瀬の字無し。然らばアマノガハラニと訓むべし。
 
右神龜元年七月七日夜左大臣家。 長屋王の家なり。
 
1520 牽牛者。織女等。天地之。別時由。伊奈宇之呂。河向立。意空。不安久爾。嘆空。不安久爾。青波爾。望者多要奴。白雲爾。H者盡奴。如是耳也。伊伎都枳乎良武。如是耳也。戀都追安良牟。佐丹塗之。小船毛賀茂。玉纏之。眞可伊毛我母。(一云|小棹《ヲサヲ》毛何毛)朝奈藝爾。伊可伎渡。夕鹽爾。(一云夕倍爾毛)伊許藝渡。久方之。天河原爾。天飛也。領布可多思吉。眞玉手乃。玉手指更。餘宿毛。寐而師可聞。(一云伊毛左禰而師加)秋爾安良受登母。(一云秋|不待《マタズ》登母
ひこほしは。たなばたづめと。あめつちの。わかれしときゆ。いなむしろ。かはにむきたち。おもふそら。やすからなくに。なげくそら。やすからなくに。あをなみに。のぞみはたえぬ。しらくもに。なみだはつきぬ。かくのみや。いきづきをらむ。かくのみや。こひつつあらむ。さにぬりの。をぶねもがも。たままきの。まかいもがも。あさなぎに。いかきわたり。ゆふしほに。いこぎわたり。ひさかたの。あまのがはらに。あまとぶや。ひれかたしき。またまでの。たまでさしかへ。あまたいも。ねてしがも。あきにあらずとも。
 
イナムシロ、枕詞。宇は牟の誤なり。青浪は波の青きを言ふ。望ハタエヌは立つ浪に障《サヘ》られて望み見る(45)事も絶ゆるなり。白雲ニナミダハ盡キヌは、雲を見て涙の限り泣き盡くすなり。サニヌリノヲ舟は、丹土もて塗り色どりたるを言ふ。サは發語なり。集中アケノソホ舟と詠めるに同じ。玉マキノ眞カイは、古へ物に玉、鈴など付けて餝《カザリ》とせる事多し。イカキ、イコギのイは發語。カキは櫂もて水を掻くを言ふ。天飛ブヤは、天上の事なれば、冠らせたるのみにて、唯だ領巾を敷キ寢《ヌ》るなり。眞玉手ノ玉手サシカヘは、卷五長歌に同語有り。アマタイモ云云は、あまた度いねんと願ふ意か。一本の伊モサネテシガのサは發語にて、是れもいねてしがなと願ふ意なり。宣長は宿の字の上に一句脱ちたるにて、餘の字は其中の一字なるべしと言へり。
 參考 ○餘宿毛云云(代)ヨイ(考)アマタイモ、ネテシカモ(古)「餘多」アマタタビ、イモネテシカモ(新)「餘夜毛」アマタヨモ、イモネテシガモ。
 
反歌
 
1521 風雲者。二岸爾。可欲倍杼母。吾遠嬬之。(一云波之嬬乃)事曾不通。
かぜくもは。ふたつのきしに《こなたかなたに》。かよへども。わがとほづまの。ことぞかよはぬ。
 
風と雲とを言ふ。事は言なり。一本の波之ヅマは愛《ハシ》妻の意。
 參考 ○二岸爾(古、新)フタツノキシニ。
 
1522 多夫手二毛。投越都倍伎。天漢。敝【敝ヲ敞ニ誤ル】太而禮婆可母。安麻多須辨奈吉。
(46)たぶてにも。なげこしつべき。あまのがは。へだてればかも。あまたすべなき。
 
タブテは飛礫にて、今ツブテと言へり。語のもとは手棄《タウテ》なるべし。ウテはスツルと言ふ古言なり。天河は目には近く見ゆれども、隔たればにや便も無くてせん方無きとなり。
 
右天平元年七月七日夜憶良仰2觀天河1(一云帥【帥ヲ師ニ誤ル】家作) 天河の下、作の字落ちたるか。
 
帥は旅人卿なり。
 
1523 秋風之。吹爾之日從。何時可登。吾待戀之。君曾來座流。
あきかぜの。ふきにしひより。いつしかと。わがまちこひし。きみぞきませる。
 
牽牛を君と言へり。
 
1524 天漢。伊刀河浪者。多多禰杼母。伺候難之。近此瀬乎。
あまのがは。いとかはなみは。たたねども。さもらひがたし。ちかきこのせを。
 
イトは甚の意。天の河浪は甚《イト》も立たずして、殊に近けれども、川瀬を窺《ウカガ》ひ渡り難きと言ふ意なり。卷一長歌、いはひもとほり雖侍候佐母良比不得者《サモラヘドサモラヒエネバ》。卷六、風ふけば浪か立《タタ》むと伺候《サモラフ》に云云、其外にも見ゆ。
 參考 ○伺候難之(代、古、新)略に同じ(考)ウカガヒガタシ。
 
1525 袖振者。見毛可波之都倍久。雖近。度爲便無。秋西安良禰波。
そでふらば。みもかはしつべく。ちかけれど。わたるすべなし。あきにしあらねば。
 
(47)是れも天河を間近き事に言へり。
 參考 ○雖近(代、古)チカケドモ(新)チカケレド、又は、チカケドモ。
 
1526 玉蜻?。髣髴所見而。別去者。毛等奈也戀牟。相時麻而波。
かぎろひの。ほのかにみえて。わかれなば。もとなやこひむ。あふときまでは。
 
カギロヒノ、枕詞。モトナはヨシナなり。
 參考 ○玉蜻?(新)タマカギル。
 
右天平二年七月八日帥家集會。
 
1527 牽牛之。迎嬬船。己藝出良之。漢原爾。霧之立波。
ひこぼしの。つまむかへぶね。こぎづらし。あまのがはらに。きりのたてるは。
 
夕霧の立つを見て、今や妻迎へ舟漕ぎ出づらんと思ふなり。
 
1528 霞立。天河原爾。待君登。伊往還程爾。裳襴所沾。
かすみたつ。あまのがはらに。きみまつと。いかよふほどに。ものすそぬれぬ。
 
霞は春ならでも詠めり。伊は發語にて、通ふ間になり。
 
1529 天河。浮津之浪音。佐和久奈里。吾待君思。舟出爲良之母。
あまのがは。うきつのなみと。さわぐなり。わがまつきみし。ふなですらしも。
 
(48)天上の事故に浮津と言ふか。神代紀、天浮橋なども言へり。ナミトは浪ノ音を約め言へり。又翁は浮は御の誤にて、御津ノナミノトならんとも言はれき。
 參考 ○浮津之浪音(考)「彌」ミヅノナミノト(古)「御」ミツノナミノトか(新)「渡」ワタツノナミ
 
太宰諸卿大夫并官人等宴2筑前國蘆城驛家1歌二首
 
1530 娘部思。秋芽子交。蘆城野。今日乎始而。萬代爾將見。
をみなべし。あきはぎまじる。あしきのぬ。けふをはじめて。よろづよにみむ。
 
1531 珠匣。葦木乃河乎。今日見者。迄萬代。將忘八方。
たまくしげ。あしきのかはを。けふみれば。よろづよまでに。わすらえめやも。
 
玉クシゲ、枕詞。アシキノ野、アシキノ河は、則ち蘆城の驛あたりと見ゆ。
 參考 ○今日見者(考、古、新)ケフミテバ ○將忘八方(考)ワスラレメヤモ (古、新)略に同じ。
 
右二首作者未v詳。
 
笠朝臣金村伊香山作歌二首
 
和名鈔、近江に伊香郡有り。神名帳、伊香郡伊香具神社見ゆ。卷三に越前へ下りし時の歌有り。其道にての歌か。
 
(49)1532 草枕。客行人毛。往觸者。爾保比奴倍久毛。開流芽子香聞。
くさまくら。たびゆくひとも。ゆきふれば。にほひぬべくも。さけるはぎかも。
 
草マクラ、枕詞。ユキフレバは行キフレナバなり。其人の衣も色に染むべくとなり。
 參考 ○客行人毛(新)タビユクヒト「乃」ノ ○往觸者(古)略に同じ(新)ユキフレバ、又はユキフラバ。
 
1533 伊香山。野邊爾開有。芽子見者。公之家有。尾花之所念。
いかごやま。ぬべにさきたる。はぎみれば。きみがいへなる。をばなしおもほゆ。
 
故郷の友へ、詠みてやれるなるべし。
 
石川朝臣|老夫《オキナ》歌一首
 
續紀、文武天皇二年秋七月直廣肆石川朝臣小老爲2美濃守1と見ゆ。此小老の子にや。
 
1534 娘部志。秋芽子折禮。玉桙乃。道去※[果/衣]跡。爲乞兒。
をみなべし。あきはぎたをれ。たまぼこの。みちゆきづとと。こはむこのため。
 
折の上、手の字を落せしか。宣長は禮は那の誤にて、ヲラナならんと言へり。
 參考 ○秋芳子折禮(代)「子」は「手」の誤か又、アキハギヲレレとも點ず(考)ヲレレ(古、新)アキハギ「折那」ヲラナ。
 
(50)藤原宇合卿歌一首
 
1535 我背兒乎。何時曾旦今登。待苗爾。於母也者將見。秋風吹。
わがせこを。いつぞいまかと。まつなへに。おもやはみえむ。あきかぜのふく。
 
七夕の歌なるべし。面也は面|輪《ワ》の意か。卷十八、於毛|夜《ヤ》目都良之みやこがたびと、と詠めり。さて也《ヤ》と和《ワ》と通へるは、卷三、草とるかな和《ワ》と言へるも也《ヤ》に通へり。心は吾がせこがいつ來たるぞ、今來るかと待つ並《ナ》べに、面輪の見ゆべき時に成りぬと言ふなり。宣長は於は聲の誤、也は世の誤にて、聲毛世者將見《オトモセバミム》アキカゼノフケなるべし。オトは風の音なりと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○於毛也者將見(新)オモヤハ「將痩」ヤセム。
 
縁達師謌一首
 
僧なるべし。
 
1536 暮相而。朝面羞。隱野乃。芽子者散去寸。黄葉早續也。
よひにあひて。あしたおもなみ。なばりぬの。はぎはちりにき。もみぢはやつげ。
 
夜逢ひて朝に面恥かしきと言ひて、隱リと言はん序とせり。さて隱リは卷一、已津物隱乃《オキツモノナバリノ》山、また同卷、幕相而朝|面無美隱《オモナミナバリ》爾加と言へる所に委しくせる如く、ナバリと訓むべし。伊賀の名張郡の野なり。ナバリは隱るる古語なる事、宣長既に言へり。也はいたづらに添へて書けるのみなり。斯かる例も有り。右(51)の卷一に、朝面無美と書ければ、ここもアシタオモナミと訓むべし。ハヤツゲは、芽子につぎて早や黄葉せよと言ふなり。
 參考 ○隱野乃(考)カクレノノ(古、新)略に同じ。
 
山上臣憶良詠2秋野花1二首 花の下、目録に歌の字有り。
 
1537 秋野爾。咲有花乎。指折。可伎數者。七種花。 (其一)
あきのぬに。さきたるはなを。およびをり。かきかぞふれば。ななくさのはな。
 
和名抄、指(於與比)と有り。オヨビ折りは指をかがむるなり。カキは詞、卷十七、かきかぞふ二がみ山。
 參考 ○指折(考)テヲヲリテ(古、新)略に同じ。
 
1538 芽之花。乎花。葛花。瞿麥之花。姫部志。又藤袴。朝顔之花。 (其二)
はぎがはな。をばなくずばな。なでしこのはな。をみなべし。またふぢばかま。あさがほのはな。
 
旋頭歌なり。牽牛花をも槿花をもアサガホと言ひしと見ゆ。彼の、夕影にこそ咲まさりけれと詠めるなどは槿花なり。此歌は何れにても有るべし。右二首にて意を詠み終りつれば、詩になぞらへて其一、其二と書けり。
 
天皇御製歌二首
 
聖武天皇なり。
 
(52)1539 秋田乃。穗田乎鴈之鳴。闇爾。夜之穗杼呂爾毛。鳴渡可聞。
あきのたの。ほだをかりがね。やみなるに《くらけきに》。よのほどろにも。なきわたるかも。
 
穗に出でし田を刈るを、鴈に言ひ懸けたり。ホドロは、ホドはホノと通ひて、夜のほのぼの明くるを言ふ。卷四、夜のほどろ我が出でくればと詠めり。
 參考 ○闇爾(考)マゲラキニ(古、新)クラケクニ。
 
1540 今朝乃旦開。鴈鳴寒。聞之奈倍。野邊能淺茅曾。色付丹來。
けさのあさけ。かりがねさむく。ききしなへ。のべのあさぢぞ。いろづきにける。
 
アサケは朝明ケなり。
 
太宰帥大伴卿歌二首
 
1541 吾岳爾。棹牡鹿來鳴。先芽之。花嬬問爾。來鳴棹牡鹿。
わがをかに。さをしかきなく。さきはぎの。はなづまとひに。きなくさをしか。
 
サキハギは初芽子《ハツハギ》なり。物は異なれど、サイバリと言へるも此サキに同じ。芽子の咲く頃、鹿の其芽子原に馴るる物なれば、芽子を鹿の妻として花ヅマとは言へり。
 
1542 吾岳之。秋芽花。風乎痛。可落成。將見人裳欲得。
わがをかの。あきはぎのはな。かぜをいたみ。ちるべくなりぬ。みむひともがも。
 
(53)三原《ミハラ》王歌一首
 
續紀、勝寶四年七月甲寅、中務卿從三位三原王薨。一品贈大(○太カ)政大臣舍人親王之子也と見ゆ。
 
1543 秋露者。移爾有家里。水鳥乃。青羽乃山能。色付見者。
あきのつゆは。うつしなりけり。みづとりの。あをばのやまの。いろづくみれば。
 
四時ともに青摺、蓁摺、花摺は有りと見ゆ。然れば古へより先づ色を紙などに染め置きて、さて何時にても、きぬに移すをウツシと言ふなるべし。水鳥は青羽と言はん料なり。青羽山は地名に有らず。此卷上に水鳥の鴨の羽の色の青山と詠みし如く、羽は借字にて葉なり。六帖にしら露はと有り。
 
湯原王七夕歌二首
 
1544 牽牛之。念座良武。從情。見吾辛吉。夜之更降去者。
ひこぼしの。おもひますらむ。こころゆも。みるわれくるし。よのふけゆけは。
 
オモヒマスは思ヒイマスなり。心ユモは心ヨリモなり。
 參考 ○從情(考)略に同じ(古)ココロユモ(新)ココロヨリ。
 
1545 織女之。袖續三更之。五更者。河瀬之鶴者。不鳴友吉。
たなばたの。そでつぐよひの。あかときは。かはせのたづは。なかずともよし。
 
袖ツグは袖サシカヘと言ふに同じ。ヨヒを三更と書きたれど、一夜の事なり。ナカズトモヨシは、ナカ(54)ズモアレカシと言ふ意なり。
 參考 ○袖續三更之(代)「三更」ヨヒ(考)ソデツグヨルノ(古、新)ソデ「纏」マクヨヒノ ○五更者(考)アカツキハ(古、新)アカトキハ。
 
市原王七夕歌一首
 
1546 妹許登。吾去道乃。河有者。附目緘結跡。夜更降家類。
いもがりと。わがゆくみちの。かはしあれば。ひとめつつむと。よぞふけにける。
 
此四の句誤字多しと見ゆ。一本目を固とし、又一本結の字無し。ここは附は脚の誤にて、脚固緘結跡をアユヒツクルトと訓まんか。皇極紀に、やまとのおしのひろせをわたらむと阿庸比?豆矩梨擧始豆矩羅符母《アヨヒタヅクリコシツクラフモ》。また卷十七に、わかくさの安由比多豆久利など詠みて、川渡らんとて、足ゆひを善くつくらふ事なり。然れば固と書けるも其意なるべし。タヅクリは今作るに有らず、ツクラフなり。右紀の歌に、コシツクラフと有るにて知るべし。宣長云、緘結跡はナダストと訓むべきか。雄略紀の歌に、阿遙比那陀須暮《アヨヒナダスモ》と有りと言へり。ナダスは正すの義かと契沖言へり。
 參考 ○道乃(新)ミチニ ○河有者(考)カハアレバ(古)カハナレバ(新)略に同じ ○附目緘結跡(代)ツクメ(考)「脚絨」アユヒムスブト(古)「脚園械結跡」アユヒナゲスト(新)「脚緘結跡」アユヒムスブト「附」を脚とし「目」を衍とす ○夜更降家類(考、古)略に同じ(新)ヨゾクダチケル。
 
(55)藤原朝臣八束歌一首
 
1547 棹四香能。芽二貫置有。露之白珠。相佐和仁。誰人可毛。手爾將卷知布。
さをしかの。はぎにぬきおける。つゆのしらたま。あふさわに。たれのひとかも。てにまかむちふ。
 
旋頭歌なり。卷十一、山しろのくせのわく子がほしといふわれ相狹丸《アフサワ》にと詠めり。是れはアフのフはハに通ひて、淡騷《アハサフ》と言ふ事なるべし。物語ふみに、アハツケキと言ふ詞に同じ。心は芽子《ハギ》を鹿の花妻とも言へば、芽子の露を鹿の貫き置ける玉として、其玉を誰人か心無くあはつけく騷ぎて、手に纏かんと言ふよと言へるなりと翁言はれき。宣長云、物語ぶみにオホザフと言ふ詞有り。是れ此アフサワの訛れるにて、其オホザフと言へる詞の意と、アフサワと全く同じと言へり。
 
大伴坂上郎女晩芽子歌一首
 
1548 咲花毛。宇都呂【呂ノ下、布ヲ脱ス】波※[厭のがんだれなし]。奧手有。長意爾。尚不如家里。
さくはなも。うつろふはうし。おくてなる。ながきこころに。なほしかずけり。
 
呂の下、布を落せり。奧手は晩稻をオクテと言ふ如く、芽子の花咲くが遲きを言ふ。すべて花は移ろふが憂き物なれば、心長く遲く咲き出づるに如《シ》かざりけりとなり。
 參考 ○宇都呂波※[厭のがんだれなし](代、考)ウツロハウキヲ(古、新)略に同じ ○長意爾(新)「意長」ココロナガキニ。
 
(56)典鑄《イモジ》正紀朝臣鹿人至2衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄1作歌一首
 
令典鑄司正一人掌d造2鑄金銀銅鐵云云1事u。跡見は城上郡なり。今|外山《トヒ》村と言ふとぞ。神武紀、金色鵄飛來て御弓弭に止る云云。時人鵄邑と號く。今鳥見と云ふは訛也と有り。
 
1549 射目立而。跡見乃岳邊之。瞿麥花。總手折。吾者持【今持字ヲ脱ス】將去。寧樂人之爲。
いめたてて。とみのをかべの。なでしこのはな。ふさたをり。われはもていなむ。ならびとのため。
 
旋頭歌なり。イメタテテ、枕詞。フサタヲリは、卷十七、わがせこがふさ手折けるをみなべしかも、とも詠みて、ふさやかに手折るなり。者の下、持を脱せり。一本に依りて改む。
 參考 ○吾者將去(考)モチイナム、「持」を補ふ(古)アハ「持」モチイナム(新)ワレハモチイナム。
 
湯原王鳴鹿歌一首
 
1550 秋芽之。落之亂爾。呼立而。鳴奈流鹿之。音遙者。
あきはぎの。ちりのまがひに。よびたてて。なくなるしかの。こゑのはるけさ。
 
萩の花の散りまがふ比、鹿の聲の遠く聞ゆるを詠めり。
 參考 ○二三句の間に「妻ヤマドヘル」の句を補ひて旋頭歌とす。
 
市原王歌一首
 
(57)1551 待時而。落鐘禮能。雨令零收。朝香山之。將黄變。
ときまちて。おつるしぐれの。あめやめて。あさかのやまの。もみぢしぬらむ。
 
和名抄、※[雨/衆]雨、小雨也。(和名之久禮)朝香山は陸奧の外聞えず。此王陸奧へ下りし事有るか。一本、收の下、開の字有り。三の句意さだかならず、誤字有らんか。考ふべし。
 參考 ○落鐘禮能(代)フレル(考)略に同じ(古)「鐘禮能雨之」ジグレノアメノ(新)ワリシシグレノ ○雨令零收(代)アメヤメテ(考)「零零低」フリフリテ(古)「零敷耳」フリシクニ(新)アメフリヤミヌ「令」を衍とす。さて「今日毛可聞」の句を補ひて旋頭歌とす。 ○將黄變(代、考)略に同じ(古)モミダヒヌラム(新)モミヂシヌラム、又はモミダヒヌラム。
 
湯原王蟋蟀歌一首
 
1552 暮月夜。心毛思怒爾。白露乃。置此庭爾。蟋蟀鳴毛。
ゆふづくよ。こころもしぬに。しらつゆの。おくこのにはに。こほろぎなくも。
 
シヌニは、しなひうらぶれと詠めるシナヒの意なり。蟋蟀、舊訓キリギリスと訓みたれど、すべて集中此字をキリギリスと訓みては、調べととのひ難ければ、翁はコホロギと訓まれしなり。和名抄、文字集略云、蜻?、精列二音、和名古保呂木と有るに據りてなり。春海云、蜻?と言ふ名は文選晉張孟陽七哀詩に、仰聽2離鴻鳴1。俯聽2蜻?吟1と見え、李善が註に、易通卦驗曰。立秋蜻?鳴。蔡?月令章句曰。蟋蟀(58)虫名。俗謂2之蜻?1と言ひ、又古詩に蟋蟀吟、蜻?吟と通はして常に言へり。斯かれば蜻?と蟋蟀とは同物なれば、蜻?に古保呂木と有るにて、古へより蟋蟀にコホロギの名有る事しるし。且和名抄に兼名苑云、蟋蟀一名蛬、和名木里木里須と見えたれば、キリギリスの名も古く言へる名なるべし。其外委しく春海論ひ置ける事有れどここに略きぬ。ナクモのモはカモの意。
 
衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首
 
1553 鐘禮能雨。無間零者。三笠山。木末歴。色附爾家里。
しぐれのあめ。まなくしふれば。みかさやま。こねれあまねく。いろづきにけり。
 
大和の三笠山なり。
 參考 〇木末(代、古、新)略に同じ(考)コスヱ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一首
 
1554 皇之。御笠乃山能。黄葉。今日之鐘禮爾。散香過奈牟。
おほきみの。みかさのやまの。もみぢばは。けふのしぐれに。ちりかすぎなむ。
 
オホキミノ、枕詞。
 
安貴王歌一首
 
1555 秋立而。幾日毛不有者。此宿流。朝開之風者。手本寒母。
(59)あきたちて。いくかもあらねば。このねぬる。あさけのかぜは。たもとさむしも。
 
アラネバは、アラヌニと言ふを斯く言ふは例なり。コノネヌル云云は、寢ぬる夜の明けし此朝と言ふ意なり。此は朝ケへ懸かれり。
 
忌部首黒麻呂歌一首
 
1556 秋田苅。借廬毛未。壞【壞ヲ壤ニ誤ル】者。鴈鳴寒。霜毛置奴我二。
あきたかる。かりほもいまだ。こぼたねば。かりがねさむし。しももおきぬがに。
 
壞を壤と有るは誤なり。此コボタネバも、右に同じくコボタヌニの意。置キヌガニは上にアエヌガニと言ふ所に言へる如く、ガネと同じ語なり。カを濁るべし。
 
故郷【郷ヲ卿ニ誤ル】豐浦寺之尼私房宴歌三首
 
持統紀五寺、大官、飛鳥川原、小墾田、豐浦、坂田と有り。光仁紀童謠に、葛城寺乃前在也、豐浦寺乃西在也云云。豐浦は推古天皇の都し給ひし所なり。此時の郡は奈良なれば、藤原の宮の方を故郷と言へり。
 
1557 明日香河。逝回岳之。秋芽子者。今日零雨。落香過奈牟。
あすかがは。ゆききのをかの。あきはぎは。けふふるあめに。ちりかすぎなむ。
 
ユキキノ岡、大和と見ゆ。宣長云。ユキタムヲカと訓みて、岡の行き廻れる所を言ひて、地名には有ら(60)じ。卷四、衣手を打廻里と有るも、卷十一、かみなびの打廻前と有るも、共に打は折の誤にて、ヲリタムト、ヲリタムクマなるべしと言へり。猶考ふべし。
 參考 ○逝回岳之(考)ユキキノヲカノ(古、新)ユキタムヲカノ。
 
右一首丹比眞人國人。
 
1558 鶉鳴。古郷之。秋芽子乎。思人共。相見都流可聞。
うづらなく。ふりにしさとの。あきはぎを。おもふひとどち。あひみつるかも。
 
ウヅラ鳴ク、枕詞。思フ人ドチは思フ人ト共ニなり。
 
1559 秋芽子者。盛過乎。徒爾。頭刺不挿【挿ヲ搖ニ誤ル】。還去牟跡哉。
あきはぎは。さかりすぐるを。いたづらに。かざしにささず。かへりなむとや。
 
挿、今本搖に誤れり。一本に據りて改めつ。
 參考 ○不挿(考)ササデ(古、新)略に同じ。
 
右二首沙彌尼等。
 
大件坂上郎女跡見田庄作歌二首
 
1560 妹目乎。始見之埼乃。秋芽子者。此月【月ヲ目ニ誤ル】其呂波。落許須奈湯目。
いもがめを。みそめのさき《とみのをかべ》の。あきはぎは。このつきごろは。ちりこすなゆめ。
 
(61) 始は跡の誤なるべし。埼は丘邊と有りしが誤れるならん。トミノヲカベと無くては端書にもかなはず。さて妹ガメヲは、トミの枕詞ならん事冠辭考に委し。此の下、目の字、古本月と有るを善しとす。此時郎女佐保の坂上に在りて、跡見庄の萩を思ひて詠めるを、後人さかしらに跡見田庄作歌と書けるならんか。此下に竹田庄作歌とて、然不有いほしろを田をかりみだる田ぶせにをれば京しおもほゆ、と詠めるは、即ち其庄に在りての歌なり。
  參考 ○始見之埼乃(代)ミソメノサキノ(考)「跡見之丘邊乃」(古、新)「跡」トミノサキ「有」ナル。
 
1561 吉【吉ヲ古ニ誤ル】名張乃。猪養山爾。伏鹿之。嬬呼音乎。聞之登聞思佐。
よなばりの。ゐかひのやまに。ふすしかの。つまよぶこゑを。きくがともしさ。
 
吉、今本古に誤れり。ヨナバリ、ヰカヒノ山、既に出づ。トモシサはメヅラシキなり。
 
巫部麻蘇《カムコベノマソ》娘子鴈歌一首
 
1562 誰聞都。從此間鳴渡。鴈鳴乃。嬬呼音乃。之知左守。
たれききつ。こゆなきわたる。かりがねの。つまよぶこゑの。ゆくをしらさす。
 
誰か聞きつるなり。之知左寸、誤字有るべし。寸を集中キの假字に用ひて、スに用ひたるは稀れなり。宣長云、乏蜘在可と有りしが誤れるならん。トモシクモアルカと訓むべし。初句、都は跡の誤にて、タレキケトならんかと言へり。是れは聞都にても惡しからず。
(62) 參考 ○從此(古)コヨ(新)コユ ○之知左寸(代)方を補ひユクヘ(考)「去方」ユクヘシラサズ(古)「乏左右爾」トモシキマデニ(新)「乏蜘在可」トモシクモアルカ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一【今一ノ字ヲ脱ス】首
 
1563 聞津哉登。妹之問勢流。鴈鳴者。眞毛遠。雲隱奈利。
ききつやと。いもがとはせる。かりがねは。まこともとほく。くもがくるなり。
 
トハセルはトヘルなり。
 
日置長枝《ヒオキノナガエガ》娘子歌一首
 
1564 秋付者。尾花我上爾。置露乃。應消毛吾者。所念香聞。
あきづけば。をばながうへに。おくつゆの。けぬべくもわは。おもほゆるかも
 
秋ヅケバは、朝附日夕附日のツクに同じく、秋に附くなり。上は消ゆると言はん序のみ。
 
大伴家持和(ヘ)歌一首
 
1565 吾屋戸乃。一村芽子乎。念兒爾。不令見殆。令散都類香聞。
わがやどの。ひとむらはぎを。おもふこに。みせずほとほと。ちらしつるかも。
 
萩が花の散りなんとするまで逢はぬを言ふ。ホトホトは既に出づ。
 參考 ○不令見殆(考)ミセデホトホト(古、新)略に同じ。
 
(63)大伴家持秋歌四皆
 
1566 久竪之。雨間毛不置。雲隱。鳴曾去奈流。早田鴈之哭。
ひさかたの。あままもおかず。くもがくり。なきぞゆくなる。わさだかりがね。
 
此上に、うの花の過ばをしみかほととぎす雨間もおかずこゆ鳴わたるとも詠めり。
 
1567 雲隱。鳴奈流鴈乃。去而將居。秋田之穗立。繁之所念。
くもがくり。なくなるかりの。ゆきてゐむ。あきたのほだち。しげくしおもほゆ
 
四の句まではシゲクと言はん料なり。此卷下にも早田の穗立と詠めり。稻の穗の立ち竝びたるを言ふ。
 
1568 雨隱。情欝悒。出見者。春日山者。色付二家利。
あまごもり。こころいぶせみ。いでみれば。かすがのやまは。いろづきにけり。
 
雨にこもり居るがいぶせさに出でて見れば、春日の山は紅葉したりとなり。
 參考 ○出見者(考〕デテミレバ(古、新)略に同じ。
 
1569 雨晴而。清照有。此月夜。又更而。雲勿田菜引。
あめはれて。きよくてりたる。このつくよ。またさらにして。くもなたなびき。
 
又更に曇る事なかれかしとなり。
 參考 ○清照有(考)キヨクテラセル(古、新)略に同じ ○又更而(新)マタヨクダチテ、又の下「夜」(64)の字脱とす。
 
右四首、天平八年丙子秋九月作。
 
藤原朝臣八束歌二首
 
1570 此間在而。春日也何處。雨障。出而不行者。戀乍曾乎流。
ここにありて。かすがやいづく。あまづつみ。いでてゆかねば。こひつつぞをる。
 
雨ヅツミ、既に出づ。雨にこもりゐて、春日山を行きて見ずして戀ひ居るなり。卷四、ここに在てつくしやいづくしら雲の棚引山の方にし有らし。
 參考 ○春日也何處(考)カスガヤイヅコ(古、新)略に同じ ○雨障(考、新)アマザハリ(古)略に同じ。
 
1571 春日野爾。鐘禮零所見。明日從者。黄葉頭刺牟。高圓乃山。
かすがぬに。しぐれふるみゆ。あすよりは。もみぢかざさむ。たかまとのやま。
 
者、一本夜に作る。
 
大伴家持白露歌一首
 
1572 吾屋戸乃。草花上之。白露乎。不令消而。玉爾貫物爾毛我。
わがやどの。をばながうへの。しらつゆを。けたずてたまに。ぬくものにもが。
 
(65)ヲバナは秋草の中にて專らなる物なれば草花と書けり。卷十にも斯く書きつ。卷一には美草をヲバナと訓めり。ニモガのガは願ふ詞。
 
大伴利上歌一首
 
利は村の誤なるべし。村上は既に出づ。
 
1573 秋之雨爾。所沾乍居者。雖賤。吾妹之屋戸志。所念香聞。
あきのあめに。ぬれつつをれば。いやしけど。わぎもがやどし。おもほゆるかも。
 
イヤシケドはイヤシケレドモなり。是れは旅にして詠めるなるべし。然らば吾妹ガヤドとは則ち我が郷の家を言ふべし。さなくては雖v賤の詞穩かならず。
 
右大臣橘家宴歌七首
 
1574 雲上爾。鳴奈流鴈之。雖遠。君將相跡。手回來津。
くものうへに。なくなるかりの。とほけども。きみにあはむと。たもとほりきつ。
 
三の句は遠と言はん序のみ。タモトホリはマハリの意なり
 參考 ○雲上爾(考、古)クモノヘニ(新)略に同じ。
 
1575 雲上爾。鳴都流鴈乃。寒苗。芽子乃下葉者。黄變可毛。
くものうへに。なきつるかりの。さむきなへ。はぎのしたばは。もみぢつるかも。
 
(66)苗は借字にて並へなり。
 參考 ○黄變可毛(代)モミヂセムカモ(考)ウツロハムカモ(古、新)モミヂツルカモ。
 
右二首。 ここに作者の名有るべきを落せしなり。
 
1576 此岳爾。小牡鹿履起。宇加?良比。可聞可開爲良久。君故爾許曾。
このをかに。をしかふみおこし。うかねらひ。かもかくすらく。きみゆゑにこそ。
 
卷十、窺良布《ウカネラフ》、跡見《トミ》山雪のいちじろくと詠めり。ウカガヒネラフを約め言ふなり。四の句誤字有るべし。宣長云、或人の考へに、萬智乍居良久《マチツツヲラク》なるべし。可聞可聞と誤れるを、下の聞を又開に誤り、居を爲に誤れるなり。卷十三長歌に、たかやまの峰のたをりにいめたててしし待がごととこしきてわが待君をと有りと言へり。猶考ふべし。さらば戀の歌なるを、此時誦せし